【咲-Saki-】「あなたへ」 (120)

咲x和 or 久 です。
どこに着地するかは分かりません。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1446640760

「じゃあ~問題! この場合、皆ならどの牌を捨てるかな?」

 仕事から疲れて帰りテレビをつけると、懐かしい声が聞こえてきた。
 いつもならその名前が出るだけで番組を変えるのだけど、今日は仕事で大ポカをやらかしたせいで、その気力もない。
 もしかしたら、その姿から気力を貰おうとしたのかもしれない。

 結局それが裏目に出てしまったようだ。久しぶりに見た彼女は相変わらず、いや、思っていた以上に綺麗になっていた。「牌のおねえさん」として可憐さを保ちながら、それでも大人の艶やプロとしての凛々しさ、タレントとしてのオーラを放っていた。

 髪型変えたんだ……

 もう何も関係ないくせに、そんな事を思ってしまう。
 私の知る彼女はどんどんいなくなっていく。きっと近い将来には本当に知らない人になってしまうのだろう。
 実際テレビで子供に麻雀を教える彼女は、瑞原はやりプロから「牌のおねえさん」を継いだ当初とは比べ物にならないほど様になっていた。

「はは、あの和ちゃんがはやりちゃんみたいにしてる」

 自然と空笑いが出て、口の中が何だか苦くなってくる。
 私はあの日から罪悪感と後悔を抱えたまま立ち止まっている。そしてそんな悲劇のヒロインぶっている私が嫌になる。

 和ちゃんは今、幸せなのかな……?

 どちらにせよ嬉しいだろうし、どちらにせよ切ない。

 寒い、もう寝よう。お風呂は明日の朝入ればいいだろう。

――――
――

 8年前

 まだ夏が居残る秋、私は和ちゃんに告白された。

 全国大会の後、和ちゃんは東京の臨海女子に転校することになった。
本当は前々から決まっていたことらしい。そのことを、私たちは出発する3日前に知らされた。
もちろん皆驚いて悲しんで、寂しがっていたけれど、意外にも部長が一番落ち込んでいた。


 そして私はというと……よく覚えていない。
どんな感情にも当て嵌まるようで、そのどれでもないような不完全燃焼の感情が燻っていたことを憶えている。

 そして次の日、送別会と「絶対来年も全国で会おう」と決起集会をした。

 そこで私は皆の前で、和ちゃんに告白をされた。もろん「愛の」だ。


 私も和ちゃんのことは好きだった。
 けど私のそれは「恋愛」だったのか「友情」だったのか、はっきりは判らなかった。

 少し前まで姉と和解するために強くなることばかり考えていたのだから仕方がないだろう。

 でもその時の私には、「断る」という選択肢は無かった。

 だって断ってしまったら、きっこのと一番の親友を失ってしまうかもしれないから。
もしこの「好き」が判らないなら、無理にでも「恋愛」に嵌めてしまえば良い。

 はっきりしないということは「どちらでもある」という事だろうから……。

 そうして私たちは恋人同士になった。

 彼女の出発の前日にデートをして、その日にキスをした。
……「された」と言うべきだろうか。
私は強く押し付けられた唇を受け入れることしか出来なかった。

 和ちゃんが転校してからは毎日電話をするようになった。
携帯を買ってからはメールもするようになった。写真の遣り取りもした。
毎日が楽しかった。
楽しくて、でもどこか後ろめたさがあった。


 2年生になり暫くして、清澄高校麻雀部は廃部になった。

 そしてその時、自分の感じる後ろめたさの正体に気が付いてしまった。

 全国で和ちゃんと会わなくてもいい。そんな事が頭をよぎってしまった。

 そうだ、私は未だに戸惑っている。
普段の電話やメールでは親友のように話し、求められると「恋人」になる。
 結局、私はどちらにも成ろうとして、どちらにも成れなかったのだ。

 自分の心に根付いたカビのようなものは、日に日に大きくなっていった。
電話をしたりメールで愛を囁いたり、友達から和ちゃんとのことを聞かれる度に、それは育った。


 それでも時々、心が軽くなることがあった。
「恋愛」にしろ「友情」にしろ、私は和ちゃんのことが好きなのだと純粋に思えたとき、和ちゃんのことを大切にしたいと思えたとき、私は私の心を洗い流すことが出来た。

 けれどそれは一時的なもので、心に根付いた黒いそれは直ぐにまた芽を出した。


 そしてあの日、私は初めて、和ちゃんからの電話とメールを無視した。

 何度も鳴る携帯に、私は罪悪感に押し潰されそうになった。
そして同じくらい、何と言うか……楽だった。

 どうせ連絡しても私は罪悪感を感じてしまう、それなら――と自身の罪悪感を誤魔化した。

 次の日、「用事があったんだ」という私の言い訳に、電話の向こうの和ちゃんは「それなら仕方ないですね」と、ほっとしたような声で笑ってくれた。
その後、私は上手く話せなかった。

 ただ、このたった一度の過ちが私を、私たちを変えた。

 次第に私の「用事」が多くなっていった。
罪悪感を感じながらも、いや感じていたからこそ、臆病な私は和ちゃんからの連絡を避けるようになっていた。

 私は怖かった。和ちゃんから愛を示されることも、和ちゃんから別れを告げられることも。


 「用事」が多くなるにつれ、私はどんどん上手く話せなくなっていった。
時には自己嫌悪から不機嫌な声で電話にでたこともあった。

 それでも和ちゃんは私の下手な言い訳に、毎回付き合ってくれた。

 でもきっともう判っていたのだろう……。

 彼女も無理に話題を探すようになった。

 沈黙を痛く感じるようになった。

 前は彼女の息遣いを感じたり、電話の向こうの音から彼女の様子を想像したり、沈黙そのものを楽しめたのに。


 そして高校3年生のある日、私たちは別れた。


 どっちから言ったかのは憶えていない。ただもうそういう雰囲気だった。
こういうのも自然消滅というのだろうか?

 その日は特に何も感じなかった。
「残念だなぁ」とか「次会うときはどうしよう」とか、そんなことを考えていた。

 次の日の夜、声を押し殺して泣いた。
「昨日は『感じなかった』んじゃなくて『感じることが出来なかった』んだ」と気付いた。

 私は本当に自分勝手だ。自分から突き放すようなことをしておいて、こんなにも泣いている。
それに「和ちゃんも今頃悲しんでくれてるのかな。そうだったら嬉しいな」なんて思ってしまっている。

 でもそれも仕方がない。
「失恋」がこんなに辛いものだったなんて知らなかったのだから。
言い訳がまた、自己嫌悪となって胸に突き刺さる。

胸にぽっかりと空いた穴には際限なく、悲しみと後悔、自責の念が流れこんでくる。
きっと今流している涙も全て、また私の胸に空いた穴へと流れ込んで来るのだろう。

 きっと私は、ずっとこの感情に流され続けるのだろう。


 こうして私の最初で最後の初恋は終わりを告げた。


――
――――

 朝6時、目覚まし時計が鳴っている。
こんなに気持ちの悪い朝は久しぶりだ。

 あの日、心に根付いた黒いモノは今でも育っている。他の感情を糧にして。
忘れようとしても――忘れても、突然暗い匂いを放つのだ。

 きっと、ゆっくりと時間をかけて一緒の学生生活を過ごしていれば、普通に結ばれて、今も交際を続けていたのだろう。

 「失ってから気が付く」なんてそんな在り来りで安っぽい話を未だに引き摺ってしまっているなんて……本当に嫌になる。

 子供の頃は「失ってから初めて気が付いた」とか陳腐な言葉を小説でやドラマで目にする度に、「失ってから気付く感情は、只の執着心なのでは」なんて思ったりしていたのに……。


 あれから彼女とは2回程しか会っていない。
それに「会った」といっても、本当に顔を合わせた程度だ。

彼女のプロ入団祝いでも気まずくて、二言三言話して逃げてしまった。

 麻雀もほとんど打っていない。
たまに家に帰ってきたお姉ちゃんや、龍門渕の書庫に行ったときに衣ちゃんと打つくらいだ。
あとは職場の先輩との接待麻雀。

大学もお姉ちゃんに麻雀の強豪校を勧められ、推薦も貰ったけど、和ちゃんも選ぶかもしれないと思うと行けなかった。

 考えてみると、私の人生は、ある意味ずっと和ちゃんと在ったのかもしれない。

 と、いけないいけない。私は何を考えているのだろう。
私もそろそろケリを付けなければならない、この気持に……。

――

――

 私は今、いろいろあって龍門渕家の図書館(私立図書館や学校図書館など)の司書をしている。

 流石は龍門渕というべきか、蔵書の質も量も超一級である。
それに加えボランティアで幼稚園や小学校、施設などでの読み聞かせや人形劇に力を入れているため、毎日が忙しい。
まして私は透華さんの肝煎のためか、最古参の上司から厳しくしてもらっている。

 お先に失礼します、と挨拶をして職場を出る。

 21時、いつものように私と最古参の二人だけだった。
あの人は私がどれだけ遅く残っても、いつも仕事をしている。
いつ家に帰っているのだろう? まさか図書館に住んでるとか――なんて取るに足らないことを考えながら車に乗り、家路を辿る。

 昔は「車なんてどれも同じでしょ?」なんて車の雑誌に目を輝かせる京ちゃんに茶々を入れたりしていたけれど、この歳になって少し分かったかもしれない。

運転席に乗り込む時に触れるドア上部の丸みが手に馴染み、なんとも愛らしい。


 この日、誰に見られているわけでもないのに、急に思いついたように私はいつもと違う角を曲がった。

 ……この先には清澄高校がある。

 ……本当は朝から考えていた。
和ちゃんのことを忘れるにはどうしたら良いのか。
この私の自嘲すべき安っぽい物語を終わらせるには、やっぱり安っぽいエンディングを用意しないといけない。

 だから私は、彼女と初めてあった場所に行かなければ。あの桜の木の下に。

 学校の近くに車を停めて、目的地を目指す。
私たちの麻雀部があった旧校舎は、数年前に取り壊されて、グラウンドと部室棟になった。

 あの階段の下でいきなり抱きつかれたっけ。雨の日なのに走って追いかけて来てくれたんだよね。

 あそこでよくお昼食べたっけ。優希ちゃん、元気にしてるかな。

 終着が近付くにつれ、いろいろなことが思い出される。
私の中の何かが、私を止めるために、無理矢理記憶を掘り起こしてくるみたいだ。

 そして……


 あの美しかった桜は枯れ果て、葉の一枚もついていなかった。
もう冬の底なのだから当たり前なのだけど、やっぱり悲しかった。

 今日は朝までずっとここにいよう。
ここで彼女を待って、終わらせよう。

 私は幹に背を預けて毛布に包まり、本を取り出し読み始めた……。


 空が白み始めてきた。
結局和ちゃんは来なかった。

当たり前だ、誰も私がここにいることを知らないのだから。

 期待通り、これでこの安っぽい物語を終わらせられる。
これで先に進める。
忘れられる。
捨てられる。
――ありえない期待を。

 もうそろそろ帰ろうと、立とうとする。体が冷え固まって上手く立てなかったけれど、時間をかけてゆっくりと立つ。

「あら? あなた……」

 背後からの声に、つい勢い良く振り返ろうとしてしまう。
強すぎる勢いにかじかんだ身体が足を縺れさせてしまう。

「やっぱり、咲! 貴女こんな所で何してるの!?」

 部長――久先輩だった。


「まあ、何でもいいわ! 顔色酷いわよ、体もこんなに冷えてるじゃない! こっち来なさい、シャワーあるから!」

 問答無用とばかりに清澄高校の宿直室へと連れて行かれた。
その間私は、文字通り声を出せなかった。

 シャワーを浴び終えると、久先輩は話し始めた。

「で、何してたの? 宿直明けで朝の散歩してたら、明らかな不審者がいるんだもの。しかも何か見覚えがある雰囲気だったし」
「あはは……ちょっと心機一転頑張ろうと思いまして……」
「なるほど……ね。……咲、貴女今日仕事は? まぁいいわ。今日は呑みましょう!」
「えっ、ちょ、ぶちょ――久さん!? 仕事は!? と言うか私も仕事ありますし」
「休みなさい、顔色も悪いし私が保護者代わりに電話するわ。声が出ないとか言っとけばいいでしょ。私は今日は土曜日だし、まぁ何とかなるわ。うちの麻雀部は部長に連絡しとけば、自分たちだけでやってくれるでしょ」

 そう言うと久さんは、手早く私の携帯を取り上げると、自分と私の欠勤を取り付けてしまった。
そして「さー! 今日は呑むわよー!」と張り切る久さんに引きずられるように連れて行かれる。

 ……車、どうしよう?


 久さんの家に着くと、途中のコンビニで山程買ったお酒を冷蔵庫に運び込む。

 久さんは「ごめんなさいね。今テーブルの上片しちゃうから。美穂子がいるときは綺麗にするんだけど、居ないとどうも怠けちゃうのよね」とテーブルの上にある、小テストの答案や、自校や他校の牌譜を片付け始めた。

「部長はやっぱり部長なんですね」

どこか懐かしい気分になり、自然とそんな言葉が口からこぼれる。

「ん? ああ、これの事? 大変だけど、やっぱり好きでやってることだしね。これも貴女たちのおかげよ。貴女たちに逢わなかったら今の私はないでしょうね。今教えてる子たちね、お世辞にも強いとは言えないけど、とても楽しそうに打つのよ。だから――」

 そう言いながら片付け続ける元部長に、私は「そうですか」としか応えられなかった。

 それから、久さんの「寝たほうがいい」という言葉に甘えて少し眠った後、私たちは呑み始めた。


 どのくらい経っただろうか? 窓の外が暗くなっている。
私たちはずっと喋りっぱなしだった。
最近の出来事、仕事のこと……昔のこと――私は主に聞き役だったけど。
と、部長が急に切り出した。

「咲さ~、和とは会ってる? と言うか会った?」

 いきなりの直球ど真ん中だった。
それにきっと知っていて言っているのだろう。
片手にビール、もう片手は頬杖、でも眼の奥には昔の――勝負師のような強い光があった。

 きっと嘘は通用しない。
それにこの人は昔から、どこまでも優しかった。
そんな人相手に誤魔化すことはあっても、嘘をつくようなことは、今の私の心持ち的に、出来そうもなかった。

 それに前に進むには調度良い機会だろう。


「会ってないです……。6年前からまともに話しもしてないです」
「やっぱり。って言うかもう優希とかから聞いてたんだけどね」
「なら聞かないでくださいよ」
「自分で言えるかどうかで、だいぶ違うでしょ?」
「そうですね……前なら、あと部長じゃなかったら言えなかったかもです」
「あら、私って随分と信頼されてたのね……って茶化していい場面じゃなかったわね。ホント言うとね、こうなるんじゃないかって思ってたのよ。もちろん貴女達なら大丈夫とも思ってたけど。……咲、あなた和に告白されたとき、分かってなかったでしょ? 自分の気持ち。でも皆の前だったから、いえ違うわね、それも在っただろうけど……そうね、繋がりを持ちたかった、少しでも強い繋がりを……違う?」
「……」
「『何で分かるのか』って顔ね。私も少し分かるもの、咲の気持ち。ほら、私の家って親が離婚してるじゃない? だから何となく分かるの。『誰かと繋がっていたい』『失いたくない』って、そういう気持ち」
「部長……」

 私は全てを話した。姉にすら、かけらも話したことがないのに。


 今まで抱えてきたものや秘めてきた気持ちが堰を切ったように溢れだす。
自己嫌悪と自己憐憫という相反する感情。
和ちゃんに対する罪悪感と、それはただの自意識過剰なのではないか。
私の存在は彼女にとってただの通過点でしかなく、ただの過去の記憶の一部でしかないのではないか。
そうであって欲しい、そうであって欲しくない。
ずっと自分の中で考えてきたことなのに、整理してきたことなのに、いざ話し始めるともどかしい程まとまらない。
一つの思いを掘り起こそうとすると別の思いが絡み付いてきて無意味に絡み合い出口を見失う。
浮かび上がった言葉は様々な言葉を引き寄せ膨張し着地点を見失う。
私は上手く話せているだろうか?
部長に届いているだろうか?

……私は、救われるだろうか?


「バカねぇ……」

 全てを話し終えると――実際は途中だったのかもしれないけど――部長は私の頭を胸に抱き寄せて言った。

「何で話してくれなかったのよ」

 顔は見えないけど、部長は泣いているようだった。

「泣いてるんですか?」

 少しからかうように、部長の背中を出来るだけ優しく叩きながら言う。
今まで溜め込んできたものを吐き出したからか、部長が泣いているからか、私は意外と冷静みたいだ。
いや、あの部長をからかっている時点で少しおかしいのかもしれないけど。

「あなたが泣いてないから、私が、泣いてるんじゃない……」
「え……? 私はもう……あぁ……」

 あぁ、そうだったんだ。過去にしていたのは私だったんだ……。

 最後に和ちゃんのことで泣いたのはいつだっただろう?
よく覚えてないけれど、たぶん別れてから一ヶ月後くらい。
それに感情のまま大泣きしたことはなかった。
それからは後悔したり、悲しくなったことはあったけれど、泣いたりはしなかった。

 きっといつの間にかあの時の感情を、記憶にしてし

まっていたのだろう。

 だから泣かない。

 だから何時まで経ってもくすぶり続けている。


 長々とそんなことを考えていると、気が付くと部長の顔が目の前にあり――

「ぶちょ――ん、んむ」

――気が付くと唇を塞がれていた。

「んむ、あむ……ちゅる……」

――ちょ、舌! 舌!

「あん……んちゅ、んぷ……ちょっ、ぶちょう!?」

慌てて部長を突き離して袖で口を拭う。

「……あら、元気になったみたいね?」
「『元気に』って、急に何するんですか!?」
「人が話してるのに、何か暗い顔して考えこんでたから、つい……でもいいじゃない。何だか吹っ切れた顔してるわよ」
「それは話を聞いてもらったからで、キ……キスされたからじゃありません!」
「ま、結果良ければ全て良し、よ」
「そう……ですね。有難うございました。多分もう大丈夫です。きっと……」
「よし! じゃあ今日は泊まってく?」
「い~えっ。何か危険な感じがするので止めておきま

すっ」
「あら残念。じゃあ送りましょうか?」
「部長も呑んだじゃないですか。そんな遠くないので一人で大丈夫ですよ」
「そう、また何時でもいらっしゃい」
「はい、さよなら。今日は有難うございました」
「バ~イ。あ、そうそう、やっぱり“高校の頃”っていうのは特別だと思うわよ。まして初めての相手なら……ね」
「ハイハイ……ではそういうことで。……ありがとうございました」

***

***

 パタン、とドアが閉まる。

「ふぅ……。何やってんのよわたし~」

 咲を見送ると、私は頭を抱えながらドアにもたれ、ズルズルと座り込んだ。


――咲さん、好きです、愛してます。私と付き合って下さい!――

  ――へ……は、はい。こちらこそっ!――


 瞼を閉じるとあの時の光景が浮かぶ。

 和を焚き付けたのは私。

 咲の気持ちも何となく把握していた。
でも本当に告白するとは思わなかった。
まして咲がOKするなんて思ってもいなかった。
未必の故意とは少し違うけれど、どちらに転んでも私にとっては喜ばしいこと……の筈だった。

成功すれば、咲は和と幸せになる。
失敗すれば、私が……。

 そんな甘いことを考えていた。
あの時の私は人生何もかもが上手くいくと思っていた。
両親の離婚から清澄の全国出場まで、私は私の力で乗り越えてきたという自負があった。
もちろん私の力だけではないことは判っていたけれど、私は名門校の監督(おとな)達とも渡り合えていた。

 ただそんなものは所詮、幻想だった。

 そもそも大人だって間違える。私は誰よりもそれを知っていたはずなのに、自分は違うと思い込んでいた。

 そして、私は逃げた。

(咲も大人になったのね……)

 少し、救われたような気がした。



END1


>>19分岐

……思い出の桜の下、
> 眠る


朝、当直だった久は学校の周りを散歩していた。

「やっぱり寒いわね。目も覚めたしもう帰ろうかしら。……ってあら? もしもし? もしもーし」

 一本の木の下に、誰かが座っている。
不審者? 生徒? どちらにしても問題だ。
当たり障りのない挨拶をしながら近付いて行く。
おかしい、全く動く気配も無い。久の脳裏には、もはや嫌な予感しか無かった。

 しかしその予感は外れていた。
あの悪待ちの久でも思いもしなかった最悪の方向に。

「……咲? え? ちょと、咲!」


 直ぐに病院に運ばれたが、既に息絶えていた。
唯一救いだったのは、咲の表情が安らかだったことだろう。

 その日のうちに咲の友人知人殆どが集まった。通夜は翌日だというのに。
そのほとんどが高校の時に麻雀を通して知り合った仲間だった。

その後一週間、国内様々な麻雀大会が虫食い状態になり、延期されたくらいだ。

 翌日のお通夜、さらに多くの人が集まった。
高校や大学の友人、職場の先輩、ボランティアで行った先の人たち。

 しかし、ついに原村和の顔は見えなかった。

 数日後、原村和の部屋で手紙が見つかった。

 そして……。


****


****


 満天の星の下、カエルや鈴虫の音が、静寂をよりいっそう濃くしている。

 跳ねた髪が特徴的な少女が、夜の畦道を歩いている。

 と、後ろから桃色の長い髪をした少女が駆けてきた。

 くせ毛の少女は微笑みながら振り返り、手を差し出す。
桃髪の少女が顔を赤くして、小指を絡ませた。

 その瞬間、あらゆる虫が求愛の声を上げる。
一斉にホタルが舞い上がり、祝福するように光が二人を照らし、浮かび上がらせる。

 二人は手を繋いで歩き出す。ふたりは顔を見合わせて幸せそうに笑っていた。

 ふたりの進む道。先はよく見えない。けれど、灯火はずっと彼方まで続いていた……。



BAD END?



 生と死が表裏一体だというのなら、死んだ咲に一番最初に触れた私は……あぁ、幸せ


>>28


 朝から地獄だった。
二日酔いなんて大学の新歓コンパ以来だ。あの日、麻雀をする蟹っぽい髪型の大阪人とは二度と呑まないことを決めたが、敵は近くにもいたみたいだ。

 昨日の帰りは――女の意地として形容はしないけど――最悪だった。
一つだけ言わせてもらうなら、格好なんて付けずにタクシーくらい呼んでもらうべきだった。
ともすれば、唇代としてタクシー料金くらい貰ってもバチは当たらなかったはずだ。

 そんな取り留めの無い事を考えていると、ピンポーン、とドアチャイムが鳴った。
インターホンの画面を見ると、この地獄の現況だった。


 受話器越しに話す気力も無く、玄関まで壁を這うようにして向う。
鍵を開けるとガチャンと勢い良くドアが開いた。

「ハロー! 大丈夫?」
「おはようございます。サイアクです」
「二日酔いの薬持って来たから入ってもいいかしら」

大声が頭にガンガンと響くが、あの部長の妙な早口に、つい笑いが漏れてしまう。

「ん、どうかしたの? 安静にしないと治るものも治らないわよ?」
「ありがとうございます」
「それじゃあお邪魔しま~す」
「……テンション、高いですね」

上機嫌な背中に、少し不機嫌を装ってみる。

「そ、そうかしら? あぁほら、社会人になると友人の家に行くことなんて殆ど無いでしょ? ましてや教師なんてそりゃーもうあれよ」
「そうですね」

 要領を得ない言にくすくすと笑うと、「咲にいいようにされるなんて……」と部長(26)はわざとらしくむくれて見せた。
 ツッコミ待ちなのだろうか。自虐ネタの処理は、私には難易度が高い。


「あ~あ、可愛くない。折角先輩が薬やらなんやら持ってお見舞いに来てあげたのに。あ、これ薬ね。一回二錠だから。林檎とヨーグルトあるけどご飯は食べた?」

そう言いながらテキパキと準備していく……あ、冷蔵庫。

「部長は二日酔いにならないんですか?」
「なったことないわね~。はい、水。薬の前にヨーグルトも一口くらい入れときなさい」
「ありがとうございます……んく。羨ましいです。私はお酒に弱いので」
「こればっかりはねー、体質だから。咲も気をつけなさいよ?」
「部長が言いますか……。飲酒要注意人物リストに載せときますね」
「ふふ、何それ?」
「その名の通り、お酒に誘われた時に注意する人物です。頭の中に刻み込まれています」
「へ~、他に誰が載っているのかしら」

心なしか部長の声が冷たく聞こえた。
ザリザリと林檎を摩り下ろす音が響く。
――嫌じゃない。

「透華さんと津山さん、愛宕洋榎さん、姉帯さん、あと永水女子の皆ですね。ウワバミだったり勧めるのが上手い人達で、油断すると危険です」
「ふーん」
「特に洋榎さんには大学の時『お世話』になって。あれから気を付けるようになったんですけど……昨日はつい、やっちゃいました」

「はい、林檎」

コトリと、林檎の入った硝子の器が置かれる。

「ありがとうございます」
「顔色は良くなってきたみたいね」
「はい、部長と話してたら、気が紛れたみたいです」
「そう、佳かったわ。じゃあ次は――」

次? 林檎とヨーグルトを貰って、薬を飲んで……次?

「ツボ押しね」

部長の有無を言わせぬような素敵で不敵な笑顔に、私は苦笑いするしかなかった。

 私がうつ伏せになると、素敵な笑顔のまま、彼女が太腿に乗ってくる。

「確か二日酔いのツボは……」
「い、イタタ、痛いですって」
「痛いのが効いてる証拠、ってね」
「何ですか、またワイドショーの知恵袋ですか? 痛いだけじゃ、実は良くないらしいですよ?」
「失礼ね。今はスマホで何でも調べられるのよ? 次は腰の横ね」
「痛っ。あ、でもいいかも……」
「お客さん、凝ってるわねー」
「パソコン仕事と力仕事、両方長時間ですからね」
「大変そうね~」
「でも楽しいですよ。子供やお年寄りに読み聞かせしたり。……読書する暇はありませんけど」
「咲が読み聞かせね~。あ、次は仰向けになって? 鳩尾の辺りを押すから。なんだか感慨深いわね」
「私だって最初はアレだったけど、今は喜んでもらえるようになったんですよ? あ、鳩尾は怖いので遠慮しておきます。次は私がやってあげますね?」


 体勢を入れ替えて、うつ伏せになった部長の横に失礼する。
スマートフォンて便利ですよね? と笑うと部長は顔を引き攣らせた。

 爪先から旋毛まで、人にはたくさん急所があった。



「それじゃあ、またね?」

玄関まで見送ると鍵を渡される。
私の愛車の、鍵だった。

「あ……有難うございます!」
「マッサージと、『これ』のお礼よ」

 自らの唇に人差し指を当てた後、お節介でカッコつけな彼女は、後ろ手に右手を振りながら階段を降りていった。


「咲~! やっぱり送ってってくれない!?」


 ……本当に、卑怯なくらい、外さない女性だ。

…………
……


「もしもし、お姉ちゃん? ちょっとお願いがあるんだけど――」

 数日後、私は姉に電話を掛けていた。

 先に進むため。
頁の擦り切れた絵本は捨てて、新しい本を探そう。
これは自己満足。
きっとお姫様は使用人その他大勢の事なんて忘れているだろう。

仮に憶えていたとしても、その気持ちは、ひとつの通過儀礼に過ぎない。

『原村和の予定……ね』
「うん、謝りたいことがあるんだ」
『そう』
「ただの自己満足で、和ちゃんは忘れてるかもしれないけど、だけど……」
『告白、するの? 咲にはまだそういうのは早いと思う』
「……」

後半は聞かなかったことにして――急に踏み込まれ、思わず沈黙してしまう。

 正直言うと、自分でもまだ、よく分かっていない。
どうしたいのか。
どう想っているのか。
部長に色々と吐き出して、前に進もうという気持ちにはなったが、何も決まっていない。


『ひとまず麻雀で捩じ伏せるとか? それで貸しにするとか。それか『私が世界に連れて行ってあげる』とか』
「そんな漫画じゃないんだから……」
『ちなみにお菓子はフランスがオススメ』

お姉ちゃんは相変わらず、お菓子大好き麻雀戦闘民族みたいだ。

「ごめんね? 私は今の職場、気に入ってるんだ。麻雀も好きだけどそれは遊びだからで……プロになっちゃったら、楽しく打てなくなりそう」
『ふふ、プロになれるのは当たり前なんだ』
「いや、例えばだよ? 例えば」
『分かってるよ。まぁ、咲なら簡単だろうけど』
「もうそれはいいから……」
『うん、原村和の予定だけど、今週土曜日でいい? ちょうど大沼杯があるから』
「ううん、シーズンが終わってからがいい。もしかすると動揺させちゃうかもしれないし、私の方ももう少し考えたいから……」
『分かった。じゃあ、授賞式に招待するよ』
「お姉ちゃん…ありがとう」
『どういたしまして。でもさっき、原村和の名前がブラックリストに再記入されたから。彼女は参加できないかもしれない』
「あはは…あまりイジメないであげてね」

ちなみに、牌のおねえさんは授賞式に強制参加だから、お姉ちゃんなりの冗談なのだろう。

…………
……

 授賞式の日。
私はお姉ちゃんに言われた通り、授賞式の会場であるホテルの一室にいた。

 本当は会場でお祝いしたかったけれど――やはりあの年は豊作だったのだろうか――知っている人やマスコミの人が多かったため、部屋で待機することになってしまった。

 そしてなぜかスイートルーム。以前、龍門渕のお屋敷に泊まった時の話をしたのがいけなかったのだろうか。

 ソファーに座り、壁掛け型の大きなテレビから流れてくる授賞式の様子をBGMに、読書をする。

 しばらく本の世界に没頭していると、姉の挨拶が聞こえてきた。和了率賞らしい。
画面越しに見る姉は、相変わらず別人だった。
凛々しい表情。一転見ている人が親しみを覚えるような笑顔。
記者の質問にも謙虚に、卒なく応えている。
……今日迎えに行った時は下着姿でチョコ食べてたのに。
……太腿にチョコの粉付けてたのに。
ウェットティッシュで拭っていたけどきっと今も付いている。

 いけない。ふたりや家族、姉の親しい知人と一緒なら普通に賞賛できるのに、取り繕っている姉を見ると、こう、素直になれなれない。


 いや、そんなことより今は和ちゃんだ。現実逃避している場合じゃない。

 笑顔ですらすらと応えている姉を見ながら、ソファーに倒れ込む。

 本当に全く何をどうしたいのか、謝る以外は決まっていないのだ。
考えてみれば当たり前だった。
私は、今の和ちゃんを知らない。何より彼女の気持ちを。
いくら考えたところで絵に描いた餅だ。
自分の気持ちを『考える』という時点で、もう何かずれているのだけど。
それが解っているのに、考えることを止められない自分が心底煩わしい。

……少し眠ろう。
時間になればお姉ちゃんが起こしてくれるはずだ。

……

……

 目を覚ますと、ブランケットが掛かっていた。

「ふあ……ありがとう、お姉ちゃん。あとおめでとう……」

身体を起こすと、部屋の隅に、小さく、身じろぎするような気配を感じた。

「ごめんね、寝ちゃてて。でもお姉ちゃんの晴れ姿は見てたから」
「あの……こんばんは」

まだ夢の中なのだろうか。
なんて事はなく、それにどっちみち夢でも現でもやることに変わりはない。

「……久しぶり、和ちゃん」
「……お久しぶりです、咲さん」

噛み締めるように彼女の名前を呼ぶと、はにかみながら、昔のように名前を呼んでくれた。


「えっと……」

沈黙。
感動的に名前を呼び合ったけど、その後はどう話し始めれば良いのだろう。
時候の挨拶。天気の話。土下座。

 謝罪までの会話をシミュレーションしてると、和ちゃんが慌てたように口を開いた。

「あああの、決してコレは不法侵入とかではなくお姉さんにカードキーを頂きまして――」
「え? あぁうん、それは疑ってないよ?」

 どうやら、私が黙っている理由を誤解しているみたいだった。
混乱した雰囲気を落ち着かせるために、彼女に座ってもらい、いつの間にか消えていたテレビを点ける。
まだ授賞式が続いていた。
あれ? と和ちゃんを見ると、彼女は自嘲するような笑みを浮かべて言った。

「私は瑞原プロと違って、只のお飾りですから」
「そんなこと――」
「ありますよ。咲さんは知っていますか? 現在の協会は――」


 何でも、今の麻雀協会は「能力者」を集めているらしい。
以前のシーズン編成でも、デジタル打ちは地味でお金にならないと軽視されていた。
しかし近年、役員の大規模な入れ替えが行われ、能力者偏重、スポンサー偏重のシーズン編成に拍車が掛かかってしまった。
何でもこれは、私達の――8年前のインターハイから既に予兆があったらしい。

「来シーズンからもまたリーグ戦が減って、トーナメントが増えるそうです。仮にリーグ戦で勝ち残っても結局最後はトーナメントになりますけど」

彼女は諦めたように笑い、更に続けた。

「牌のおねえさんではない、只の『原村和』は、きっとお飾りにすらなれず、人知れず引退していくのでしょう」

 延々と愚痴をこぼす和ちゃんに、時の流れを感じる。
昔はもっと内罰的というか努力家で、他者への愚痴なんて殆どしなかったのに、まるで職場の先輩みたいだ。

「咲さん、何を笑ってるんですか?」

和ちゃんがジト目で睨んでくる。
いけない、顔が綻んでたみたいだ。

「ごめんね? なんだか嬉しくて」
「いえ、私も少しアルコールが入っているので……」

和ちゃんも恥ずかしそうに微笑んだ。

「和ちゃんは麻雀が大好きなんだね」
「勿論です。ですが私がずっと好きだった麻雀はこんなものではありません。それに……このままでは私達が積み重ねた時間まで否定されてしまうようで……」
「『私達が積み重ねた時間』か……」



 過ぎ去った事。

 あの和ちゃんが、呼び出した私より、自分の用件を優先し話し続けたということは、つまりそういう事なのだろう。
それなら私は――

「それは赦せないね」

 ――全力で助けよう。

***


 翌シーズン、私はプロ雀士になっていた。


 和ちゃんとホテルで話した日、私の謝罪は特に何事も無く呆気無く終わり、麻雀の話になっていた。
私がプロになりたいというと、彼女は「また一緒に頑張りましょう」と喜んでくれた。

 そしてその後、部屋に帰ってきた姉に協会関係者を紹介してもらった。
いかにも遣り手といった感じの女性で、即断即決、宮永姉妹として売り出すことが決められ、私を姉のチームに「推薦」した。


 それから私は『嶺上開花』を駆使し、上位を走り続けた。
元々の実力も有ったらしいが、「宮永姉妹を広告塔にする」という協会の意向が汲み取られ、トップでも露骨に狙い打たれることは殆ど無かった。
プロ同士の駆引きに巻き込まれていたら、きっと無事ではすまなかっただろう。


 そして約一年が経った。


 私は年末に行われる日本最高位の大会に出場していた。
日本のシーズンランキング16位以上による2名勝ち抜けのトーナメント戦。
事実上、日本最強を決める戦いだ。

 途中で『嶺上開花』が流行語大賞にノミネートされたり、宮永姉妹でカラオケ番組に出させられたりとか色々あったけど、思い出したくもない。

 ともかく最期の大会だ。
お姉ちゃんには悪いが、私は私の決めた誓いを果たすだけだ。
決勝戦まで行けない可能性もあるが、対策はもう、施してある。

……

 対策のおかげもあり、なんとか決勝戦まで勝ち進んだ。
相手はお姉ちゃん、戒能プロ、三尋木プロだ。

 深呼吸をして待機室に入ると、戒能プロと三尋木プロが居た。

「お早うございます。今日はよろしくお願いします」
「グッドモーニングです」
「おはようさん。てか戒能ちゃんもそろそろ日本語オンリーで良くね? しらんけど」

 そして予想していた通り、戒能プロに話しかけられた。

「随分とデンジャーなモノを憑けてますね。それは霞に封じられているモノのはずでは?」
「少しだけ貸してもらったんです」
「霞の中で慣らされているとはいえ、早く鎮めなければ危険です」
「すみません。私にも事情があるので……そういう訳にもいかないんです」
「これ以上はバッドだと判断したら、試合中でも止めます。なるべく力を使わないことです」
「それなら早く負けてくれると嬉しいんですけど……」
「愚問ですね。私は貴女に憑いている神を知っています。勿論対抗策も。大会最短レコードで終わらせてあげます」

 無表情で言って、御札を渡してくれる。

「これで少しは楽になるはずです。霞が協力しているのなら、信頼してもいいでしょう」
「あ、ありがとうございます」
「あの子達はどこに? さすがに何時でも対処できるように待機しているのでしょう?」

 霞さん達の泊まっている部屋を伝えると、戒能プロは「対策と説教をしなくては」と言いながら待機室から出て行った。

……永水の皆、ごめんなさい。


 これから彼女たちに降り掛かる災難を思い黙祷を捧げていると、後ろから肩を叩かれた。

「なんだか面白そうな事してんじゃん」
「三尋木プロ程じゃあありませんよ」
「あれ、ひどくね?」
「すみません、三尋木プロは何時も楽しそうだな、と。ただの嫉妬みたいなものです」
「まぁねぃ、今年は特に、ね? しらんけど」

 意味深に、扇子で口元を隠しウインクをして退室する。
たぶんファンサービスでもするのだろう。
何時でも自分のおかれている環境を楽しむことの出来る風流人。あの人の生き方には憧れる。


 後はお姉ちゃんだ。
きっと控室でお菓子でも食べているのだろう。

 待機室の隅で丸くなっていると、扉が開いた。

「お早うございます。あれ、咲だけ?」
「おはよう、お姉ちゃん。ふたりは……ファンサービスかな?」
「そう」
「あのね、お姉ちゃん、私……」
「お願い、言わないで。私は咲が何を考えてプロになったのかは分からない。でも何かをしようとしてるんだよね? 今は咲と、思いっ切り楽しみたい」
「……ありがとう。それと、ごめんね」

もしかしたら今度は、本当に、一生赦されないかもしれない。


……

 思えば、全ての元凶は麻雀だった。
その上に出逢いや幸運が積み重なり、今の自分がある。
礎を壊したら私はどうなるのだろう。
崩壊するのだろうか。
そしてその先には?
そもそも私にとっての崩壊とは?
只の麻雀で人格が崩壊するなんて在り得ないと思いながらも、僅かな可能性を想像するとゾクゾクする。

 どのみち暫くは外を歩けなくなるだろう。
テレビやインターネットで、多くの人に能力も容姿も人格も全て余すところ無く否定されるのだ。
もし、誰にも触れられない物があれば、それが私の本質なのかもしれない。
『大切なモノは、目に見えない』のだ。


 ――そして私は、牌をすり替えた。


 ツモを宣言するとブザーが鳴り、防音壁を無視するようにモニター会場から歓声が響いてきた。

「おめでとう、咲!」
「おめでとうございます、早く鎮めの儀を」
「やるねぃ」

 お姉ちゃんに抱き付かれ、戒能プロに手を引かれ、三尋木プロに笑われる。

「ま、疲れたし早くハケようぜ。妹ちゃんもその方がいーだろ?」
「……ありがとうございます」

 私はふらふらになりながら、対局室を後にした。

……

「ごめんなさい!」

 待機室に戻ると、私は全力で謝った。
本当は頭を下げたかったけど、お姉ちゃんに涙ながらに抱き付かれていて出来なかった。

 お姉ちゃんも戒能プロもよく分からないといった顔だったけど、三尋木プロは訳知り顔で頷いた。

「え、なに?」
「それより鎮魂を」

しつこい人だ。この神様はそんなにも危険なのだろうか。

「まぁ、それより聞こうぜぃ」

お姉ちゃんをやんわりと振りほどき、俯きながら深呼吸をして、言う。

「私、イカサマしたんだ」

「「……え?」」

お姉ちゃんと戒能プロが疑問の声を上げる。

「全自動卓ですよ? 不可能です」
「それにカメラが在るから河も動かせない」
「それが普通の人ならねぃ」
「普通の人なら?」

お姉ちゃんが私を見る。心なしか顔が青い。

「うん、私は王牌と山をすり替えたんだ」
「成る程、確かに私達ならポッシブルですね」
「はい、お姉ちゃんは最初から疑ってなかったですし、戒能プロも私の中の神様に気を取られてましたから。裏になっている牌をすり替える意味も無いですし、何より日本最高位の大会決勝戦。誰も気付くはずありません」


 皆黙っている。
戒能プロは「成る程」と感心している。
三尋木プロはいつも通り何を考えているかよく分からない。
お姉ちゃんは何かを言いたそうに俯いたり顔を上げたりして、そして、

「咲、今から皆に謝ろう?」

と懇願するように訴えた。

「自分から告白して賞金を返して……それらしい事を言えば、少なくとも観客からの批判は避けられるはず」
「……」
「だから、ね? 私もあや――」
「わかんねー。なんでオーラスでやったの? テレビで繰り返し流れるし一番バレやすいっしょ? たぶん今頃ネットで暇人が分析してるよ。知らんけど」
「……知り合いが言ったんです。『私がずっと好きだった麻雀はこんなものじゃない』って。確かに私はイカサマをしました。けどそれって、能力者全員に言えることじゃないですか? 牌の気配が分かる。特定の牌が集まる。条件を満たせば良い牌が来る。とてもじゃないけど経験に基づく第六感だけでは説明できません。麻雀てもっと運の要素が強い競技のはずで、そこが面白かったはずなんです。このまま能力主義が進んだら、きっと他のスポーツと同じになってしまうと思うんです……」
「だから能力者としてイカサマをした、と。カッコいーじゃん」
「勿論それだけじゃないですけど」

 恥ずかしい自分探しを悟られないよう、強がるふりをしてクスリと笑う。


「話も終わったようなので行きましょう。ハルちゃんたちが待っています」
「待って。まだ話は終わってない。戒能プロも三尋木プロも納得しているんですか? 能力を持つ私達は麻雀をやるなと言う事?」
「私はイカサマの腕もギフトだと、そう理解しました。それよりも私は先に部屋に戻って準備します。早く来てくださいね」
「ま、私は面白ければいーし」
「ごめんね、お姉ちゃん」
「……分かったよ。咲も色々考えてるんだね」

うん、その返事でお姉ちゃんが殆ど何も考えてないって事が分かったよ。


「それで、妹ちゃんはこれからどーすんの?」
「とりあえず霞さんに神様を返してからインタビューを受けて、逃げます。もしイカサマの事を聞かれても認めないつもりです。一週間くらいしたら一年間の大会賞金は返す予定です。……チームのお給料は貰って行きますけど」

お給料は羞恥心へのご褒美だ。これだけは譲れない。

「客、協会、プロ、能力持ち、四面楚歌だねぃ」

三尋木プロがくつくつと笑うと、お姉ちゃんが縋り付くように手を握ってきた。

「……咲、やっぱり謝ろう。プロなんて辞めてもいいから。私が養うから。咲が皆から悪口言われるなんて、耐えられない」
「それより宮永姉の方がキツイと思うけど、そっちはどーなの?」
「私は今まで通り打ち続けるだけ。ネットも特に見ないし、マスコミ対応は10年以上やってるから」
「妹ちゃんは?」
「……ふぇ?」

変な声が出てしまった。そんな質問をされるとは思ってなかった。
それは私もお姉ちゃん達が悪く言われるのは、凄く嫌だけど。

「悪いとは思いますけど……でも所詮は画面前の他人ですよね? それにお姉ちゃんですよ?」
「あー……?」
「すみません三尋木プロ。何と言うか咲は……狭いんです」

三尋木プロが困惑したような顔でお姉ちゃんを見ると、お姉ちゃんは気まずそうに目を逸らして答えた。


「あの、そろそろ行きますね? 戒能プロに叱られそうなので」
「そだねぃ、何か妹ちゃんの雰囲気がヤバイことになってるし。こっちで適当にマスコミ対応でもしとくよ」
「はい、ありがとうございます」
「咲、私も付いてく」
「宮永姉はこっちねぃ」

お姉ちゃんは「あぁぁ咲ぃぃ」と三尋木プロに引っ張られて行った。


「……じゃあね、お姉ちゃん」

苦労をかけて、ごめんなさい。


******


「霞さん、咲知りませんか?」
「あの子なら、小蒔ちゃんと書物庫にいるはずだけど」
「宮守の姉帯さんから史料が届いたんですけど……龍門渕、宮守、有珠山。全部憑物が関係している土地ですね」
「まぁ、危険なら大婆様が止めてくれるでしょうし、小蒔ちゃんも楽しそうだし佳しとしましょうか」
「……あの、霞さん。最近大婆様に同性婚やiPS細胞について聞かれませんでした?」
「……奇遇ね巴ちゃん。私は宮永の血について調べるように言われたわ」


 あれから一年ほど経った。
私は今、永水神宮にご厄介になっている。
というか修行の身だ。


 あの後、部屋で鎮魂の儀と遷神の儀を行ったが、尽くが失敗に終わりすぐに永水神宮に連れて行かれた。
そして儀式殿で行われた本格的な儀式でも、この神様が私から離れることはなかった。
大婆様曰く、私には器としての素養があるらしい。

 自分の中に別の存在がいるという感覚は気持ちの良いものではないけど、心が暖かくなるような、安心するような不思議な気持ちだ。

 イカサマ事件については今なお物議を醸しているらしいが、私がそれを知る方法は殆ど無い。
霞さんや巴さんの部屋、社務所にはテレビやパソコンがあるのだけど、私は禁止されている。
なんでも「この神様は世俗の雑念が大好物」らしい。

それを言われた時、自分のモラトリアム癖を暴かれているようで、顔から火が出るかと思った。
私は部長といると引っ張られるだけで、基本的には普通の人間なのだ。


「咲さん、この巻物はどこに置きましょう?」
「それはこっちにお願いします。あ、龍門渕と有珠山の史料と混ざらないように気を付けてくださいね?」
「姫様ー、咲ー、お昼ですよー」

 書物庫の扉が開き、初美さんと一緒に桜の花びらが舞い込んでくる。
 春めいて来たとはいえまだ冷たい空気が頭をスッキリとさせてくれる。

「もう少し、キリの良い所まで……」
「咲さん、早く行かないと霞ちゃんに怒られちゃいますよ?」
「ホント、こんな所に篭もりたがるなんて正気とは思えないですよー。姫様、そっち持ってください」

 小蒔さんと初美さんに腕を抱えられて、無理矢理本から引き離される。
「あぁ……」と机上の本を見続けていると、2人にまたか、という風に苦笑いされた。

 きっと私は一生、永水から逃れられないだろう。
大婆様達女衆の態度もそうだが、私の中にいる神様がそう言っている。

 でも此処の生活も悪くない。
友人たちとの規則正しくも楽しい共同生活。
なぜか小蒔さんと同じ内容の厳しい修行。

 部長たちに話したら大笑いされそうだ。


***


「はぁ……咲さんは何処にいるのでしょうか? 初めての大会優勝賞金で買った婚約指輪。言わば私と咲さんの共同作業なのに……」
「世迷い言ね。きっと貴女の事なんてもう、眼中に無いわよ?」
「在り得ませんね。咲さんは私の悩みを聞いて、自分を犠牲にしてまで動いてくれたんです。私への愛がなければとても出来る事ではありません」
「それこそ在り得ないわね。あの子は自分の中の義務を果たしたに過ぎないわ。貴女の事だから、どうせ簡単に許したんでしょう? そこで終わり、ゲームオーバーよ」
「何度も逃げられているのに、よく言えますね、竹井先輩。私が知らないとでも思っているんですか?」
「ま、私は咲が幸せならそれでいいわ。目が届く範囲にいると、どうしても……ね」



神様と書物庫END?

71から分岐で和Endと久Endも考え中です

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