凛「お孫さんを私にください」卯月「凛ちゃん、何言ってるんですかっ」 (62)

前作
凛「……抱きしめるタイミング?」未央「うん」
凛「……抱きしめるタイミング?」未央「うん」 - SSまとめ速報
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うづりん
百合
なんでも来い人向け
前作との関連はありません






これは、カメラマンが撮ったライブの写メを現像したもの。
えっと、そっちは、打ち上げの写真だっけ。
誰か、一眼レフを持ってきていたんだ。
乱雑に並べられたお皿が、やたら高画質で映っている。
街灯がぼやけた写真。
未央に無理やりやらされたらしい、プロデューサーの変顔。
プロジェクトのみんなの泣き顔。
そして、卯月の笑顔。

写真なんて、普段見返す方じゃない。
たまたま、卯月が私の家に来て、
アルバムが見たいなんて言い出すから。
それを出しっぱなしにしていたせいで、
こうやってまた彼女の写真を見返す羽目になる。

冬の舞踏会から数日経って、夜に二人で海に出かけた。
誘ったのは私だ。
割れた青いポリタンクとか、
砂浜にうずもれたビール瓶とか、
おとぎ話とかでよくある大きな貝とか、
そういうのに、二人でちょっとはしゃいでいた。
彼女がいたからだ。
いつもは、もっと、クール。
なはず。
気晴らしだった。
特に何もなかった。
ちょっと、遊んだだけ。
すぐに帰った。
惜しいことをしたのかもしれない。

彼女は一時期、基礎レッスンに凄く打ち込んでいたことがあった。
レッスンが好きだって。
でも、私は知っている。
不安が、彼女を駆り立てていたことを。
彼女が姿を隠す時は、だいたいそこだと思っている。
だから、
分からない。

未央が私の家に来て、
花を買って、
なぜか、それを私の部屋にあったペン立てに立てて、
それから話は始まった。

私は彼女の問いに、
こう答えた。

「分からない」

最近、卯月が夜な夜などこに行っているのか、誰も知らなかった。

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「変な噂があるの。しぶりんさ、聞いたことある?」

「なに? 知らない」

「しまむーが、男と……そのホテルに行ったとか……」

私は未央の手首を握りしめた。

「いた、いたいッ」

「あ、ごめん」

「ふー、ふー……」

「他にもあるの?」

「あるけど、何もしない?」

「うん」

「子どもがいて、こっそり育ててるとか……」

「なんでさっきから妙に生々しいのか教えて欲しいんだけど」

「タンマッ、いたッ、すごくいたいッ」

未央から手を離すと、彼女はお尻を動かして、私から少し遠ざかった。
私は呆れながら言った。

「見た人はいないのに、噂だけは一人歩きしてるわけだ」

「そゆこと」

未央が真剣な表情で頷く。

「プロデューサーはまだ気がついてないみたいだね」

「そうみたい。火のない所に煙は立たないって言うけどさ、火がある所に行っちゃってる可能性とか……」

「それを確かめるんでしょ、明日」

「う、うん」

「なに」

「じ、実は……仕事が急に入って」

「……」

私は、両手を合わせて謝る未央の頭部を見つめた。

「いいよ、もともと一人で行く予定だったし。任せて」

「ありがとうございます……」

眠すぎるので、寝ます
明日には終わると思います

未央が帰った後、私は卯月へ電話した。
電源を切っているようだった。
一体、どこで何をしているんだろう。

枕を抱きかかえて、私はベッドでうずくまる。
別に、卯月のプライベートだから、
卯月の好きにすればいいわけだけど。

「……」

帰り道はいつも一緒だったから、
『寄る所があるので』が連続して続くとさすがに気になる。

次の日、昨日電話に出られなくてごめんなさい、と謝られた。

「何か用事でしたか?」

「ううん、大した用じゃなかったかな」

「?」

どうして電源を切っていたのか。
それについては言及しない。
というより、できない。
したいけど。
そこまで踏み込んでいいのか分からない。
電池が切れてただけかもしれない。
そんなことを一々干渉されるのは、自分だって嫌だ。

「あのさ、今日一緒に夕はん食べに……」

私は言った。

「あ、ごめんなさいッ。今日も、ちょっと寄る所が」

「そっか、だよね」

「また、今度行きましょうね」

「うん」

流された感じだね。

その後は、夜まで卯月と話すことはなかった。
昼の休憩で、小腹が空いて自販機にジュースを買いに行った時のこと。

「先輩」

言われて、振り向く。最近入ってきた子。名前はなんだったっけ。
一番最初に自己紹介をされて、それからこちらから話しかけることはなかったので、忘れてしまっている。
ただ、彼女からは何度か食事に誘われていた。

「なに?」

と返す。

「今日、夜良かったら一緒にご飯とかどうですか」

予想通りの言葉。

「ごめん、ちょっと卯月に用があるんだ」

「えー」

「別の子誘いなよ」

「先輩だから誘ってるんです。……卯月さんて、あの、噂の」

彼女は小声で言った。
私は彼女を見た。

「噂?」

私は何も知らない風を装う。

「夜に男と遊んでるって……なんか、幻滅ですよね」

幻滅。
あまり使ったことがない言葉なのか、
そこだけ舌たらずなのが、少し笑えた。

「ホテルに連れ込んでるの見た人がいるんですって」

「そうなんだ」

驚くことを期待していたのか、
彼女は、

「信じてないんですか?」

「信じろって言う方が無理あるよ」

「どうしてですか」

「それは……」

卯月だしね。

「アンタより長い付き合いだからかな」

その子は少しむっとした顔をした。
確か1歳下だったっけ。
大人びた子だと思っていたけれど、
噂好きなただの少女。
私は、内心で笑ってしまう。

「でも、卯月さんて甘え上手と言うか、年上の男性とかはころっと騙されちゃいそうですよねー。男の人って、ああいう胸とかお尻とかが大きい人が好きでしょうし」

「卯月が甘え上手?」

「はい」

外見だけで見ると、そう感じる人もいるのかな。
でも、彼女が一度だって素直に私たちに頼ったことがあったんだろうか。

「怖いですよね、女って」

そっくりそのまま言ってやろうかと思ったけれど、
後がめんどくさいので止めておいた。

夜。
卯月と待ち合わせて、事務所を後にした。
未央は名残惜しそうに手を振っていた。
私も内心では、未央がいないことにやや焦りを感じてはいた。
なんだかんだで、最後にいつも背中を押してくれるから。

「風が冷たいですう……」

ストールを首にぐるぐると巻き付けて、
卯月が体を縮こませる。

「手、貸して」

「え」

卯月は半開きの口でこちらを見やった。
言われるがままに、手を伸ばす。

「冷たいね」

細い指。

「凛ちゃんは暖かいですね。私、冷え性で……風邪とかもよく引いちゃうし、羨ましいです」

「それは、プロとしてどうなの……私は、さっきまで、ダンスレッスンしてたから。卯月の冷たい手がちょうどいいよ」

「えへへ……」

隣で笑う卯月。
それを見てると、言い出しにくい。
私は手を離す。

「あのさぁ……」

「はい?」

私が知ることなのか。
でも、今のままでは卯月の汚名ばかりが増えていってしまうような気がする。

「卯月、自分の噂とかって聞いたことある?」

目を少し瞬かせる。

「さあ? 噂って、どんなものでしょうか?」

あ。
まずい。
本気で知らないみたいだ。

「えっと、もしかして最近言いかけてたのってそれでしょうか?」

本人が聞こえる所で言うわけないよね。
知らないなら、知らないでいいか。

「うん、けど知らないならいっか」

「えー。教えて欲しいです」

「聞いても、百害しかないから言わない」

「うええ……一体、私に何が……」

「ごめん、私の口からは」

「凛ちゃんは、もしかして、その噂と言うのを信じて?」

「信じてない!」

どこから出たのか、
急な大声にびっくりしたのは、
卯月よりも私の方だった。
かっこ悪くて、顔を背ける。

「こほっ。全然、信じてないから」

「じゃあ、気にしません」

視線を転じると、
まばゆい笑顔があった。

私の家の前まで、あと少しの所で、
卯月は言った。

「ちょっと、寄る所がありますので。またね、凛ちゃん」

最近は、もっぱらこの言葉で私たちは別れる。
大通りをそれて、商店街の方へ小走りに駆けていく卯月。
こちらが止める隙もない。
私はそれを少し眺めて、

「……」

砂利を小さく蹴った。
そして、いわゆる「尾行」を開始した。

ホテル街のネオン。
酔っぱらいの怒鳴り散らす声。
タクシーが狭い道路を右往左往。
それらが、だんだんと後方へ移っていく。
まだ、それほど遅い時間帯ではなかったけれど、
卯月の通る場所は女の子が一人で通るには好ましくない。
やや腹立ちながら、前の彼女を見る。
ゆっくりとした足取り。
私が後ろにいることは、気づいていない。

「……」

髪をくくって、
持っていた帽子を目深に被り、
マフラーをつけて、
サングラスをかけた。
ショーウインドウに自分の姿が移る。
怪しい人だった。

街角のたこ焼き屋の前で、
卯月がふらふらと近寄っていく。
顔見知りなのか、笑っていた。
腰を折り曲げて、
店主に別れを告げて、
また歩き始める。

甘辛いソースの匂いが私の鼻にも届く。
かなり、お腹が空いていた。
それは、卯月も同じはずだけれど。
いったい、どこへ行くんだろう。

歩くこと20分程。人通りも少なくなった。
ビル街を抜けたところに、木造一階建ての平屋が並ぶ住宅地が現れた。
平屋の間の細い路地を、彼女は足取りも軽く進んでいく。
私は足を止めた。
街灯が一本立っていて、手前の家を照らしている。
他の明かりといえば、最奥の家の小さなオレンジの電球が灯されているくらいで、やたら薄暗い。

思わず、躊躇してしまう。
卯月の姿が見えなくなってしまいそうになり、
慌てて追いかけた。

薄暗い視界の中に、
子ども用の三輪車が玄関の前に置いてあった。
スコップも落ちている。
まさか、本当に子ども?
いや、信じてはいないけど。

滑りの悪そうな引き戸の音。
最奥の家だと思う。
ここからは見えないけれど、
たぶん家の角を曲がると玄関があるんだ。

卯月の「ごめんくださーい」という、
場の雰囲気にそぐわない気の抜けた声も聞こえた。

砂利音が出ないように、
そろそろと家に近寄っていった。
ばれてしまわないかという緊張が、
今更ながら、鼓動を打ち鳴らし始める。

小窓が少し空いていた。
その真下に身を寄せる。
声が聞こえた。

「遅くなってごめんね。お腹空いた?」

卯月が言った。
すると、

「大丈夫だよ」

しわがれた声が聞こえた。

おばあさんの声だ。
顔を見たくて、私はダメだと思いつつ、
身を乗り出して、小窓に顔を近づけた。

「今日ね、お刺身安かったの。この間、お魚が好きだって言ってたから」

卯月がカバンから買い物袋を取り出す。

「ありがとうな。卯月もお腹空いてるやろ? ご飯に食べんか」

「うん。お米炊くから、ちょっと待ってて。一緒に食べよう」

「じゃあ、漬物でも切ろうわい」

「いいよ、いいよ。おばあちゃん、足悪いでしょ」

「こんなん、もともとポンコツやったんや。今さらなあ」

「いーから、座ってて」

「そうかい?」

卯月のおばあちゃんだろうか。
腰が90度くらいに曲がった、白髪の老人がふいにこちらを見た。
あ、やばい。

「ひいい!?」

おばあちゃんが悲鳴をあげた。

「うわあっ」

私も小さく悲鳴をあげた。

「だ、誰でしょうか?」

時すでに遅し、
逃げる間もなく、
卯月が小窓を開けていた。

「……り、凛ちゃん」

「……や」

右手をあげて、一言。
帽子にサングラスにマフラーをしていて、
よく私だと気が付いたね。
卯月はそんな私に言葉が出ないようだった。
私もなんて言えばいいのかわからなかった。

「誰や、あんた」

切り出したのは、この家の主と思しきおばあちゃんだった。

「どこの馬の骨や」

「お、おばあちゃん、馬の骨って」

「この男は、誰なんや卯月」

男?
はっとして、
被っていたものを取り外していく。
おばあちゃんは、まだ睨んでいる。

「だから、この男は誰なんや、卯月。あんたは、うちの孫のなんなんや」

「男じゃなくて……」

「何言うてるんや。どこからどう見ても男やないか」

目が悪いのか。
ボケてるんだろか。

「あ、あのねおばあちゃん、この子は私のお仕事の仲間で凛ちゃんって言うの」

「凛? 女みたいな名前つけとるやないけ」

このおばあちゃんはどうしてこんなにヤクザみたいな物言いなのか。

「あの、渋谷凛です。びっくりさせてごめんなさい」

「当り前じゃ。心臓止まったら、慰謝料として5000万はもらっとるで。延滞したら、高うつくで」

どこの闇金なの。

「っくしゅ……」

「凛ちゃん、そんな所にずっといたら風邪引いちゃうよ」

「卯月、そんな得体の知れない男、家に入れたらあかん」

「あの、男じゃないんですけど」

私の小窓からの声はすぐにかき消される。

「卯月、年頃の女の子が何しとんねんっ」

「おばあちゃん、お願い……友達なの」

「……卯月」

卯月がおばあちゃんの手を握って、
説得し始めた。
おばあちゃんはしぶしぶ折れたように、
こたつの隅っこへ行って横になった。

「そこまで言うなら分かったわい。ご飯ができたら起こしてくれ。わしはその男とは話さんからな」

「うん、ありがとう」

男と間違えられ、挙句に馬の骨扱いされたことなど、生まれてこの方一度もなかった私は、事態についていけなかった。
が、卯月が笑顔でこちらに手招きしてくれたので、はっと我に返った。

「おじゃまします……」

こじんまりとした台所に、エプロンをつけた卯月。
その隣で、私はニンジンを切っていた。
おばあちゃんのことが気になって、
卯月と気軽に話せない。

家に入ったら、
偶然にも私のお腹の虫が鳴った。
夕ご飯を一緒にたべよう、と卯月が提案してくれた。
私は親に手短に連絡した。
件のおばあちゃんは何も言ってこなかった。
一緒に食べてもいいってことかな。

「ごめんなさい、黙ってて」

卯月は小声で言った。

「正直、びっくりしてる」

「ですよね……」

つみれをお鍋に入れながら、
卯月が苦笑いする。

「あのさ……誰? おばあちゃん?」

「……ホントのおばあちゃんじゃなくて、あの、実は……」

意味深な言葉。
どういうことなの。

「うん……」

「足を捻ってた所を助けて、ここまで連れてきたのはいいんだけど……それから、私のことお孫さんだと勘違いするようになっちゃって……事務所の話もしちゃったものだから……」

「う、うん」

「それから、何度か電動車いすで迎えに来てくれるようになって……今、こんな状況に」

卯月は手を休めることなく、
表情から笑顔を絶やさず、
そう説明してくれた。

あまり話すと、おばあちゃんに聞こえてしまうと思い、
それ以上は深く聞かなかった。
とにかく、噂の件は本当ではなかったし、
私と未央の心配は杞憂だった。
けれど、新たな問題が見つかった。

「おばあちゃん、今日はお鍋にしたの。暖かいうちに食べようね」

このおばあちゃんは、
自分には卯月と言う25歳くらいの孫がいて、
会社帰りにいつも夕ご飯だけは作りにきてくれて、
一緒に食べてくれるという奇妙な設定があるらしかった。

卯月がそれに気づいたのは、
つい最近のことで、
最初は普通に接してくれていたらしい。
どこで、歯車がかみ合わなくなったのだろうか。

「いただきます」

私は手を合わせた。
卯月は今の所大丈夫だから、と言っていた。
また、そんな言葉で私たちを心配させないようにしているのが分かった。
もちろん、私が今すぐ解決策を見つけられる訳じゃない。

卯月がよそってくれたご飯に箸をつける。
具だくさんの鍋だった。
お汁一口すする。

「……美味しい」

きんぴらごぼうをつまむ。

「……っ」

卯月の手料理が食べれた。
それで、何もかもどうでもよくなりそうになった。
きゅうりとなすのつけものに手を伸ばす。

ぱりっといい音がした。

「美味しい……」

「おばあちゃんがつけたんですよ」

斜め前に座るおばあちゃんの存在が蘇る。

「あ」

「当り前やわ」

ずるずると汁をすすっていた。

満腹になって動けないでいると、
おばあちゃんにお尻を叩かれた。

「客人やろ。早く、皿洗わんかい」

「は、はい」

「い、いいんですよ。座ってて。おばあちゃん、普通は逆じゃないの?」

卯月が私を手で制して、立ち上がる。
お盆にお皿を載せて、流しまで運ぶのは手伝った。
一人でいいから、と笑われた。
こたつまでまた戻って、卯月の後ろ姿を眺めた。
制服の上からエプロン。
少し背を屈めると、裏の太ももがちらちら見えていた。

「おい、凛」

「え、はい」

「お茶や」

たぷんと緑に波打つ湯呑が目の前に差し出された。

「……ありがとうございます」

「例なら卯月に言わんかい。お茶も全部用意してくれとるんや」

卯月は鼻歌で持ち歌を歌っていた。

「卯月ー」

「なんでしょうか」

「ありがとー。ごちそうさまでした」

「はーい」

食器と食器の重なる音に交じって、
卯月の弾むような声が返ってきた。
可愛い。
なんだか、奥さんみたい。

と、携帯が鳴った。
私のだった。
母親からだった。
時間を見ると、確かに長居しすぎていた。
ただ、このまま帰ると、
ご飯をたかりにきた、本当に馬の骨になってしまうような。

「凛ちゃん、帰りますか? 私もそろそろ帰らないといけないので、ちょっと待っててくれますか?」

「うん」

エプロンの紐を外して、冷蔵庫に余ったおかずを入れていく。

「おばあちゃん。明日は、これ食べてね」

「ありがとおな」

「いいえ」

おばあちゃんは、卯月に対しては、
満面の笑顔だった。

帰り道は、結局あまり会話できなかった。
卯月も喋りたがっていなかった。
別れ際に、

「明日も行くの?」

と尋ねた。
それには首を振って、

「明後日は行きますよ」

と言っていた。
卯月はあのおばあちゃんの本当の孫じゃないし、
いつまでも続けていいものではないと思う。
でも、卯月のあの行為を誰が止められるんだろう。

私は暗がりに消えていく卯月の背を見て、
自分の無力さを味わっていた。

卯月は事務所では全くなんの素振りも見せることはなかった。
相変わらず、卯月の耳には変な噂も入ってこないようだった。
それだけが、救いかな。

その日、たまたま昼休みが未央と被った。

「ねえ、しぶりん。プロデューサーに相談するか、警察に相談した方がいいかなって思うんだけど」

「警察は行き過ぎでしょ」

「だって、ある意味ストーカーってことだよね。今の所、しまむーが危なくないって感じだけど、それどうなるかわかんないし」

「困ってるわけじゃなさそうなんだよね……」

「けど何かひっかかるんだよね。しまむーを信じたいけど……」

がたがたと椅子が引かれた。
横を見ると、

「先輩、隣いいですか」

「あ、えーっと」

私は口ごもる。
まず、名前が出なくて、
次に、なんて断ろうかと思案して。
けれど、目の前にいた未央が、

「あ、ごめん今大事な話中だから、また今度でいいかな」

言って、合掌する。
後輩をちらと見やると、
お前には聞いてねえよ、と言うオーラが出ていた。

「あのさ、今はごめん」

私も追い打ちをかける。

「そうですか。また、卯月先輩のことですか?」

妙に触る言い方だった。
反応したのは未央の方だ。

「だったら?」

「いいえ。失礼します」

彼女の姿が見えなくなってから、
未央が唸る。

「なに、あの子」

机の上にあった、おにぎりに噛みついた。
おにぎりの悲鳴が聞こえた気がした。

「後輩。最近、よく話しかけてくるんだよね」

「……もてますなあ。分けて欲しいくらいだよー」

「わけようか」

「今はいいかな」

話はあまりまとまらず、
その日は卯月と会えないまま、
日が暮れていった。

卯月の秘密を知ってから、
1週間が経った。
私の周りはなんの変化もなかった。
珍しいことと言うか、
事故と言うか、
そういうのはあった。

あの後輩と演劇の共演をした時のこと。
つかみ合いをするシーンで、
彼女が床で足を滑らせて、膝を痛めてしまったのだ。
幸い軽いケガで済んだが、これみよがしに私のそばにいつくようになった。
私も、事故とは言え、責任を感じる所もあり、彼女の身の回りの世話を少し手伝うことになった。

そんなこともあり、
卯月とは全く話す機会が無くなってしまっていた。

「ねえ、先輩。良かったら、今日家に来ませんか? 私、一人暮らししてて、最近お世話になってるから良かったら……」

事務所の入り口の前で立ち止まって、
後輩がそう言っていたが、
右から左に流れていく。

「卯月……」

目の前に、卯月がいた。
少し、疲れている様子だった。
声をかけようとしたら、
後輩に腕を引っ張られた。

「なにっ」

卯月が気が付いて、こちらを振り向いた。
呼びかけようとした唇が、暖かく柔らかい何かで包まれていた。
呼吸ができない。
視界が後輩の顔で覆われていた。

数秒して、キスされていたことに漸く気がついた。

ちょっとここまで
今日中には終わらなかったようです

私は彼女が膝を痛めていることも忘れて、突き飛ばした。
ひっくり返りそうになる後輩を支えたのは、他でもない卯月だった。
すぐに駆けよって、彼女の背中を支えた。

「大丈夫ですかっ?」

後輩に声をかける卯月。

「大丈夫ですから、触らないでくださいっ」

後輩が卯月の手を払いのけた。

「いたっ」

卯月は戸惑いながら、私を見た。
違う。
後輩とはそんな関係じゃない。

「凛ちゃん、最近会えなくて……もしかして、やっぱり、あの……引いちゃいましたよね」

どうして、そんなことを言うんだろう。
誤解だ。
一つ一つ、何か体に絡まっていくような

「違うよ。ちょっと、忙しくて」

「凛さんは、あなたがいない時に、ずっと私のそばにいてくれましたよ」

「凛さん……?」

「ちょ、いつもそんな風に呼んでないでしょ」

「そうでしたっけ」

後輩が懲りずに、腕を絡み付ける。

「それより、早く私の家に行きましょうよ」

「だから」

「ご、ごめんね。なんだかお邪魔してしまったみたいで……」

「そうよ。どうせ、男の所に行くんでしょ」

卯月はその瞬間酷く傷ついた顔をした。
それから、何か悟ったように、小さく微笑んだ。
卯月。
卯月、待って。

「違うの、聞いて、卯月」

「待ってる人がいるから……ごめんなさい」

「ほーらね」

一人、彼女は走り出していく。
動けない。
それは、後輩が私の体を強く抱き止めていたから。
卯月にかける言葉が上手く見つからなかったから。

卯月が抱えてしまったものに、
無力さを感じてしまっていたから。

雨が降り出してきた。
なんて都合の悪い。
卯月が風邪引いたら、どうするの。

「先輩?」

「私、卯月になんて言えば良かったんだろうね」

「知らないです……」

「追いかけていい?」

「ダメです……」

「どうして」

「私が、先輩を好きだから……」

「ねえ、卯月の噂流したのって、アンタじゃないの」

後輩の抱きしめていた力が強くなる。

「……知りません」

「嘘、つかないでよ。今なら、許してあげるから」

私は、彼女の唇にキスを一つした。
震える唇に吸い付いて、水音とともに離した。
すごく、気持ち悪かった。
彼女は呆けた顔で、私をじっと見た。
暫くして、口を開いた。

「私が……流しました。でも、卯月先輩も逃げたってことは、本当のことだったんじゃないんですか」

すらすらと、彼女の口から毒が流れていく。

「卯月先輩、凛先輩のことなんてなんとも思ってないんですよ。そんな人に片想いするくらいなら、私と両想いになった方が絶対楽しいですよ。あんな、子どもみたいな喋り方で、何考えてるか分からないマイペースな人より、絶対」

「そうだね……子どもみたいな顔でキラキラ笑うのに、大人ぶって自分の考えてること全然話そうとしてくれないし、その通りだよ」

私はカバンから、折り畳みの傘を取り出した。

「これ、貸すから。気を付けて帰って」

「え、先輩」

「だから、聞いてあげないといけないんでしょ……」

後輩に傘を押し付けるようにして、
私は卯月の後を追った。

「私はあの笑顔がないと、ここにいる意味ないんだ」

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