八幡「仕事なら仕方ない」 (15)

 高速運転中のランプは、ものの二十秒もしないうちに消えた。考え事も、躊躇する暇だってありゃしない。

 いや、そんな時間は職場で予定表が張り出されてから腐るほどあったが――

 まあどれだけ考えたって足りないことだったってわけだ。

 ともかくもエレベーターは押したボタンの通りの階で止まり、機能通りにドアは開いた。

 いつもなら日本製万歳というところだが、今夜ばかりはその正確さが恨めしい。

 開けた視界の先は、穏やかな間接照明が大理石の上で絨毯の様に灯りを敷き詰め、そしてガラス越しの夜景を壁紙代わりにあしらったバーラウンジ。

 薄給もいいとこの俺がおいそれと出入りするような空間でないことは、賢明な読者諸君には自明のことであろう――なんてラノベ主人公じみたメタいモノローグが浮かんだ。

 とういうか――いや、あったな。

 いつぞやの探偵気分がデジャヴとなって蘇る。

 あれからもう十年か、という感慨が、この取材が決まって以降何度浸ったことだろう。

 そうして浸っている間にエレベーターがまた階下に降りてゆく時間を稼いでいたのだが、開きっぱなしのハコの中で立ちっぱなしのヤツが居ればさすがに目立つ。

 当然、俺のことを目ざとく見つけた受付の女性が畏まって礼をしてきたので、慌てて俺も礼を返してしまった。
 
 するとその受付からの指示があったか、間髪入れずにボーイが歩み寄ってきて、いらっしゃいませ今夜はお待ち合わせですかと落ち着いてかつ爽やかに予約の有無を尋ねられ、俺はアッハイと言うだけのマシーンと成り果ててしまった。

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 この間ものの5秒。

 上着を、という申し出にアッハイと応えると、ごく自然に一枚剥かれてしまう。

 この間なんと9秒。

 皆さん八幡は9秒で見ず知らずの人間に脱がされる男です。やだ八幡さんのエッチー!

 ――そんな俺の馬鹿な現実逃避は知る由もなく、再び慎み深く頭を下げたボーイは、ではこちらへと、自信に溢れた足取りで予約席まで案内を開始する。

 俺はなるべくキョロキョロせぬよう心掛けつつ、トコトコとアヒルの子のようにその後を付いていった。

 ラウンジに足を踏み入れると、ジャズピアノ(たぶん)の生演奏(おそらく)と英語(きっと)のもの悲しい女性ボーカルに包み込まれる。

 辺りは一層暗く、足元を照らす間接照明が道しるべ代わりだった。すれ違うスタッフは皆落ち着いた笑みで俺に会釈し、来店を歓迎した素振りをみせた。

 くそ、やっぱりこういう場所だと男も女も整った顔立ちで揃えてるもんだな。街中なら、劣等感で溝蓋の上まで道を譲ること請け合いだ。

 そんなイケメンが仕事ともなれば、俺なんかに頭下げなくちゃいけないなんて……

 やっぱり労働ってクソだなと再認識しつつ、今まさに仕事でこんなところまで来ている自分の運命を呪った。労働ってlose-loseよね。

 そこそこ埋まっているテーブル席を横目に、足を進めながら、最後の思考の堂々巡りを開始する。

 といっても、仕事を振られた時点である程度覚悟はしていた。

 いや、覚悟なんて格好のいい真似は今までしたことないな。俺にあるのはいつも諦念だ。

 どうあっても今夜、あの男に会わなければならない。 

 ああ、見えてきた椅子越しの後姿は、きっとソイツのものだろう。

「葉山様――お連れ様がお見えです」

 夜景をバックにした後姿だけで十分画になるのが腹立つ。

 もうこの写真だけ撮って帰ってやろうかなと思ってはみたものの、ボーイに張り付かれている手前そういう訳にもいかない。

 今俺が帰ればきっと彼の粗相の所為になり彼の今後の立場が危ういものとなろう。俺だからこそその苦しみは分かる。分かるからこそ止める。

 そうこうしているうちにヤツが、振り返った。 


「驚いた、まさか本当に君が来るなんて」


 本当に驚いた顔、とは言いがたかった。面白さ半分、というのは間違いなさそうだ。

 俺が記憶している、学生時代の――葉山隼人の表情筋の動きと違いが無ければ、の話だが。

「……なんか若干想定してたっぽいのはなんでだ? 俺、お前に仕事教えたりしてないよな?」

「学生時代の人間と繋がっていれば、それくらいの情報は入ってくるさ。それに――」

 何時代においても人間と繋がれなかった俺には逆立ちしたって真似できない芸当である。

 っていうか何? コイツってばそんな俺みたいなヤツのこと覚えててくれたの? 俺感激しすぎてちょっと葉山のこと好きになりそうなんだけど。あっぶねーマジ、っぶねー。ホント油断もすきもないわー。

 で、それになんなの?

「いや――それにしても、まあ」

 そこで葉山は話題を変えて、俺のてっぺんからつま先までスキャンするように視線を送った。やめて! そんな成人イケメン特有のねちっこい目で見られたら八幡変になっちゃう!!

「変わってなさそうだな、君は」

 ヘブン状態の俺にストⅡのリュウの中足の如く差し込まれたのは、呆れを通り越して安心感さえ滲ませた一言だった。

「うるせえ」

 さんざ見といてその感想か、と非難を込めて言い返す。

 いやちょっと待て、変わらないものなんてないというのが俺の持論だったのだが、その俺自身が唯一不変の存在だったとは……灯台下暗しとはこのことか。

 つまり……俺は神だったのか。

「ほら、座れよ。店の人も困っているだろう?」

 ふと隣を見ると、苦笑いを浮かべたボーイ君が申し訳なさそうに目を伏せた。

 そうなると俺はあたふたと席に着くしかない。

 しかし――イケメン二人に挟まれたらその結果俺もイケメンに転生できるべきではなかろうか。少なくともオセロではそうなっている。

 で、席に着いたからには注文をせねばなるまい。だからこそ先延ばしにしていたというのに――やはり葉山許すまじ。

 まあいい。俺もいい大人だ。バーの飲み方であたふたするような歳はもう過ぎた。

 そうね過ぎちゃったのよね……アーアーなにも思い出したくない。

 しかし数多の過ちの上に今の俺は成り立つという物。もう何も怖くない。

 そうして成長した俺は、厳かに宣言する。

「……MAXコーヒーを」

 俺の注文を聞いたボーイは、出会い頭に変質者にマッ缶を投げつけられた小鳩のような顔をした。

「ま、マックスこーひー……少々お待ち下さい」

 引っ込んでいく背中を眺めつつ、その整ったツラを崩してやったことに多少の達成感を得ながらニヤついていると、横槍が入る。

「次回以降利用し辛くなるような行為はなるべく避けてくれよ?」

「安心しろ。マッ缶のない店に用など無い」

 
 その後戻ってきた彼は、今すぐにお持ちしますのでと恭しく頭を下げてきた。Noと言わないホスピタリティに、こちらこそ頭が下がる思いだ。気に入った。今後とも贔屓にしてやろう。

(実際は、染み付いた奴隷根性により俺の方がなお一層深く深く頭を垂れていた。 ③現実は非常である)
 
 その後マッ缶はクリスタルガラスか何かにその身を収めて供され俺を驚愕させた。

 なんだろう、このフィット感は……缶以外のマッ缶はマッ缶じゃないと思っていたが……マッ缶はこうであるべきだったのかもしれないと惑わされるほどの説得力がそこにはあった。

 喩えるならそう……日本の地ではチープな食材として冷蔵庫の余り物のように扱われるカニカマが、遠くフランスのカフェでオシャレな軽食として人気を博しているかのような……

「いたく感激しているところを邪魔して真に申し訳ないが……そろそろいいかい?」
 
 けっ、邪魔が入った。

 まあいい。

「ああ、仕事だしな」

 午後9時地上100メートル。こんなところまできて仕事なんてな。



 20分もしないうちに仕事は終了した。

「――そんなものかい?」

 若干物足りなさそうな葉山に、俺は殴り書きしたノートを畳みながら仕返す。

「ああ、こんぐらいで十分だ。お前の人とナリは知ってるからな。後は資料さえくれたら記事にはなる」

 そして、純度100パーセントの賞賛で出来た一言を付け加えてやった。

「どうせ、全部抜かりなくやってるんだろう? お前のことだからな」

 葉山はカメムシでも噛み潰したような顔をした。

「どうした? 酒が悪かったか?」

「本当に相変わらず――だな。君というヤツは」

「ここに来たのは帳面消しだ。お互い様だろ? 俺だって仕事じゃなかったら会ったりしない。事実、これまでがそうだったようにな」

 言った後で、あまりに露悪的だったかと思わず顔色を伺ってしまう。

「そうだな――その通りだ。俺も君のことが嫌いだったしな。仕事なら仕方ないか」

 キャンドルで見える顔は大して怒りもせず……むしろ、昔を懐かしむような色さえ見えた。橙色の灯りのせいだろうか。

「それにしても君がライターとはね……どうだい?」

「人の仕事に寄生してする仕事で食う飯はうまいかとでもといいたいのか?」

 俺がジト目を向けると、葉山はあっはっはと笑った。

 そのあまりの屈託の無さに俺がびびった。見れば手に持ったグラスは氷の溶け残りばかりになっていた。

「……おかわりはいいのか?」

 遠まわしにてめえ飲みすぎてんじゃねえのというニュアンスを伝えると、そこで初めて気が付いたようにヤツはグラスの中身に目を向ける。

 すると間髪いれず件のボーイが近付いてきた。たったあれだけの仕草を見ての動作だとしたら――この若造、できる! もう君付けじゃ呼べないネ!

「ああ、おねがいするよ――――いやいや、まったく捻くれているな、相変わらず」

 ボーイが去った後も、葉山は面白そうに話を続ける。

「天職じゃないかい? さっきは言いそびれたが……君のコラム、結構評判のようだよ」

 えっ、マジ? 俺いつも編集長から鬼のように訂正させられまくって校了前とか鬱半歩手前まであるんですけど。

「散々第三者の視点で辛辣に書き倒した後、最後にちょこっと評価ポイントを付け加えてくるから憎めないなんて言われてるよ」

 言葉の途中でチェイサーを煽っていた葉山は、次はお前のターンだと言わんばかりにグラスをコースターの上へ逢着させた。

「あれは保険だ。今日日、揚げ足取りばっかりやってたらそこの法務にどんな訴訟を起こされるか分かったもんじゃない」

「じゃあ、今日の俺のインタビューもそれなりにはやってくれるかい? 」

 くすっと笑う葉山のそのあまりの無防備さに、俺も思わず否定をしそびれてしまう。お酒の飲みすぎはダメ、絶対!

「まあ――それなりにはな。仕事だからな」

「ああ、仕事だから仕方ないな。おっと、どうも――――そういえば乾杯もしていなかったな」

「む……その必要は」

「まあまあ。商談相手との乾杯も仕事の内、だろう?」

 ここまでくると、思いのほか馴れ馴れしい葉山の態度が、寧ろ楽しみになってきた。

 俺ごときに親しげにしてしまったことで、明日二日酔いを拗らせます様に。

「じゃあ、かんぱ――」

 鬱陶しい感じにグラスを押し付けようとすると、あろうことか葉山は自らのグラスをすいーっと引っ込めた。

 あれ? そういうことしちゃう? いいの? 俺太古の昔より『悔悟の使途 トラウマ(レベル99)』を召還して泣き喚いちゃうよ?

「高価なグラスは触れ合わせない――覚えておくべきマナーだぜ?」

 勝ち誇った風な葉山にイラ気を覚えながらも、マナーと言われると弱い。

「――――けっ、いけすかねえの」

「ははっ、おいおい、露骨に嫌うなよ」

 やる気マイナス100パーセントの心境で、再びグラスを掲げた。

 決して触れ合わないグラス。

 まあ、それぐらいの距離感がお似合いだろう。

 割れたら困るからな。






 

 後日――俺が言い渡された新連載のコラム。

『葉山流思考術――1パーセントの考え方』

「仕事なら仕方ない」

 嘯きが自らの声で再生され――気の遠くなる俺であった。

おしまいです。
お読みくださったかたありがとうございました。

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