男「日本酒のおいしい季節になってきた」 (117)


① 『秋口のサンマ塩焼きと純米大吟醸』



男「サンマと言う魚は、人に食されるために生まれてきたんじゃないかと思う」


僕はスーパーの鮮魚コーナーで旨そうなサンマを見つけた。

そいつは、背中が青黒く、腹の銀色が美しい。

新鮮な証である。

僕は氷からそいつを引き抜くと、ぼくの家に連れて帰ることにした。


男「サンマの何がいいって、まず、ただ焼けばそれだけで美味いこと」


魚焼きグリルを引き出し、水をはる。

そして強火で火をつける。

この余熱こそが、グリル網に魚をくっ付けないコツなのだ。



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男「このスキに、サンマに唯一の味付けをする」


僕は相変わらずの独り言を言うと、宣言通りそいつに塩をまぶす。

塩の分量は魚の重量の0.9%・・・よりわずかに少なめ。

生理食塩水と同じにしたいところだが、海からやってきたこいつはその身に塩分を宿す。

その分だけ、気持ち減らすのだ。


男「タイマーはっ・・・と」


身割れ防止のために、裏表一本だけ切れ目を入れると、サンマをグリルの中へ。

当然、グリルの端、強火が当たるところに寝かせる。

タイマーオン。

いつも通り7分・・・と行きたいところだが、今日は6分。

今年のサンマは小ぶりのようだ。


ジジッ・・・パチッ・・・・パチッ・・・


心地よい破裂音を聞きながら僕は手早く大根をおろす。

ジャコッ
ジャコッ
ジャコッ

おろしはたっぷりと。

出来上がったところで一度目のタイマーが鳴った。


ガチャ

僕「よいしょ」


僕は慎重に、サンマを裏返す。

いい出来だ。

間違いなく旨いだろう。


裏面のタイマーは4分30秒。


裏面を焼いてるスキに、さっきおろした大根を絞る。

水分が奪われたそれを、雪山のごとく皿の端に鎮座させる。


ピピピピピピピピ・・

合図だ。

僕は魚焼きグリルと言う魅惑の扉を引き出し、宝物のようなそれを取り上げた。


僕「・・・ごくり」


我慢、まだ我慢だ。

僕は皿をテーブルに置くと、もう一度キッチンに戻り冷蔵庫を開ける。


今日の日本酒は三重県のもの。

純米大吟醸斗瓶搾りというなかなか手に入らない逸品だ。

グラスになみなみと注ぐ。


おろしに醤油を三滴、レモン汁少々。


いざ。


プチッ・・・ホクッ・・

秋口の脂の乗り始めたサンマの身が口内で踊る。

何故、こんな小さな塊が、これほどの味を秘めているのか?

腹側の身の香ばしくも濃厚な脂の味と言ったら・・・。

口に広がる濃縮された海の旨味を、贅沢にも大吟醸で洗い流す。


男「~~~~~~!」


酒が、甘い、旨い。


腹の身をめくると、そこに現れるのはハラワタだ。

ちびちびと行くか?

いや、ここは贅沢に・・!


口の中に広がる豊かな苦み。

そしてそれをまた洗い流す。

止まらずに食べ進む。

レモンの風味のおろしが、一瞬脂をリセットする。

弾けた皮の香ばしさが、また口に広がる。

酒の吟醸香がまた追いかけてくる。



気が付くと、サンマは中骨と頭だけになっていた。


男「まるでマンガ日本昔話かな」


身を抜かれたサンマは、絵に描いた様なヘリンボーン。

あ、いや、それはニシンだったか。


それにしても、我ながらきれいに食べたものだ。

こんなにキレイに魚を食べられるようになったのはいつごろからか。


男「・・・中学生くらいか」


物心ついたころに母が他界していた僕が、魚の食べ方を覚えたのはそれくらいだったか。

父は一般的な男で、特に料理が上手いという訳でもなかった。

だから焼くだけの魚は楽だったのだろう。

小学生の頃は焼き魚が多くて、魚自体が嫌いになりかけたこともあった。

だが、丁寧に骨から身を離す父のそのしぐさを見て、僕は魚の食べ方を学んだ。

魚が美味しいということを、学んだ。


今日のご飯はここまで。


男「ごちそうさまでした」


② 『インスタントうどんとインスタントコーヒー』



男「ああ・・忙しいなぁ・・」


月に一度、月報を本庁に送る日はとても忙しい。

一か月分の気象データをまとめる作業を一日でやらなければいけないからだ。

じゃあ毎日ちょっとずつやればいいじゃないか、と普通なら考えるところだ。

しかし、夏休みの宿題と違って、一か月分のデータが揃わないと始められない作業なのだ。


男「あー・・・目が痛い」


パソコンのブルーライトが僕の目を攻撃する。

しかし誰かにこの仕事をまわそうにも、それは出来ない。

何故なら、この事務所で働く職員は僕だけだからだ。


男「うー・・コーヒー飲むかぁ」


トポポポポポ・・・

目分量で入れたインスタントコーヒーの粉にポットからお湯を注ぐ。

スプーンを濡らすのが面倒なので、カップをまわして渦を発生させる。

雑に作ったインスタントでも、コーヒーの香りは一瞬の安らぎを与えてくれる。


ずず・・・

僕は一口だけ啜ると、またパソコンとにらめっこを始めた。


気付けば12時過ぎである。

僕は伸びをして食器棚に行く。


ガサゴソ・・・

僕「最後の一個か。また買っておかなきゃ」


袋を破り、粉を入れたのち、お湯を注ぐ。


突然だが、僕はカップラーメンが嫌いである。

父子家庭だった僕は、小学生の頃、よく一人で食事をしたものだった。

メニューは決まってカップラーメン。

簡単だし、それなりにおいしいので。


僕「でも、そんな食生活は体に良いわけないし」


誰も居ない事務所では独り言、言い放題だ。

カップラーメンばかり食べ続けた僕は、案の定、不健康に太っていた。

そして、足が遅くて太っている子は、イジメられるほどではないにしろ、仲間外れだ。

だから僕は、痩せた今でも、僕が学校でも孤立する原因になったカップラーメンは嫌いだ。


僕「でも、カップうどんは別だ」


カップうどん、とりわけアゲの入ったやつは、別次元の食べ物だ。

うどんは割とどうでもいい。アレはしょせん油揚げ麺だからな。

その点はカップラーメンといっしょだ。

だが、あのアゲ(と言っていいのか分からないが)は何なんだ?


ぺリリ・・

所定の時間15秒前に蓋をはがした。

部屋に立ち込める、出汁のにおいが空腹を刺激する。

そして、出た。

謎のアゲだ。

これが旨い。

かぶりつく。


ジュワッ・・

何とも言えない甘じょっぱさ。

化学調味料の味。


僕「・・はっふ」


ずずず・・

麺も啜ってみた。


僕「・・まあこんなもんだよな」


アゲを噛む。

ジュワッ

僕「旨っ」


どこかに、このアゲだけ売っていないだろうか。

帰ったらアマゾンでも見てみるか?

スーパーで売ってる油揚げとは違うんだよなぁ・・

なんかチープで、科学的な味。

でも旨いんだ。


きっと僕が、カップうどんが好きなのは、あの頃食べなかったおかげだ。

あの頃もし、カップうどんも食べていたら、僕はこれも嫌いになっていただろう。


まあ、分かってる。

それは言い訳で、僕がクラスで孤立してたのは、僕の気の持ち様だっただろう。

太っていようが、痩せていようが、嫌われる奴は嫌われるし、好かれる奴は好かれる。

父子家庭で、コミュニケーションが少ない環境だった僕は、どこか卑屈だった。

そして変人だった(たぶん今もだけど)。


だからカップラーメンは完全に濡れ衣なわけだが。

しかし、体がカップラーメンを拒否してしまうのは事実だからしょうがない。



ジュワッ


最後のアゲを口に含んだ。

ああ・・・やっぱり旨い。


スープは飲まないことにしている。

ちょっと何か飲みものを飲もう。


僕「あっ・・・あー」


僕の愛用のカップの中には、さっき入れたインスタントコーヒーが冷めたまま。


僕「お茶入れるか・・・いや、面倒だ」


ごくっ・・ごくっ


僕「うん、合わない」

予想通り、インスタントコーヒーとカップうどんは合わない。

というか、コーヒーとうどんは合わない。

気取ったコーヒーショップ店員や、こだわりのうどん屋がその光景を見ていたら、激怒しただろう。


『君はオモシロ味覚をしてるね』

いつだったか、大学の先輩に言われたことを思い出した。

オモシロ味覚の僕でも、この味は無いと思います、先輩。


どうせこの部屋には僕しかいない。

誰にも怒られることも、気持ち悪がられることもないので、開き直って冷めたコーヒーを啜る。


僕「やっぱり目分量はダメだな」


そもそも、かなり濃い。

粉が多すぎた。

冷めると、それが一層際立つ。

その味が僕の舌を麻痺させ、せっかくのアゲの余韻を消し去ってしまった。

脳に届く苦味は、一人ぼっちだった幼いころの記憶をフラッシュバックさせた。

自分勝手だと言われるかもしれないけど、あの時、僕の心は十分に傷ついたんだろう。

内向的で、人間不信になっていった僕。


でもまあ、一人ぼっちは、今の職場では当たり前だ。

誰も手を差し伸べてくれないから、この仕事は僕一人でやらなきゃならない。


今日は忙しいから昼ご飯はこれでおしまい。


僕「ごちそうさまでした」

ごめんなさい

×僕「」
○男「」

です
ごめんなさい


③ 『ミルクチョコレートとスコッチウイスキー』


仕事も早く終わった金曜日。

僕は軽く食事をとると気になっていたBARに足を運んだ。

暗闇に浮かび上がる店名が、前から気になっていたのだ。


ギィー

「・・いらっしゃいませ」

初老の、いかにもマスターと言うカンジの店員がカウンターの中にいた。


ドサッ

初めて入るBARはなんとなく怖い。

幸いお客は少なかったが、僕はあまり目立たないカウンターの隅の方に座った。



男「えっと・・・何かウイスキー飲みたいんですが」

「どんな感じのものがお好みですか?」

男「そうだな・・飲んだことが無いものがいいな・・・クセの強いやつがいいです」

「では、スコッチにしますか」


「ラフロイグです」


スコッチは良く知らない。

いや別に、良く知ってる酒があるわけじゃないが。

とりあえず僕は、出されたスコッチに口をつけてみた。


男「・・・ふぅ・・」

確かに強いクセだ。

香ばしいモルトの香りが鼻を抜けた。

食道に胃に、冷たくて熱いものが落ちていく。


いかんいかん、酔いだけが廻ってしまう。

僕は少し年季の入った、木製のメニュー表を覗いた。


男「スイマセン、このナッツとチョコって量けっこうあります?」

「一人分でお出ししますよ」

男「じゃあそれを」


・・ゴト

手のひらのサイズの皿に、チョコと何種類かのナッツが盛られてきた。


ガリッ

まずは、ジャイアントコーンの塩味を堪能する。

恐らくはこの皿の中で最も歯ごたえのあるもの。

そこでスコッチをもう一口。


男「ふぅ・・」


今度は甘いのだ。

小さなチョコのかけらを口に運ぶ。


男「・・・・」


ああ、甘いな。

スイートなミルクチョコだった。


チョコが雪のように溶けていく。

チョコの甘さは、優しさと、幼さと、そして誘惑の味だ。


でも僕にとっては、それにオマケして罪深い味だ。


20年も前なのにありありと思い浮かぶ光景と言うものがある。

小学校を卒業する少し前。

2月のある日の事だった。


その子は確か、クラスは違うが同じ委員会の子だった。

帰りの会の、委員会の後、僕を捕まえて言った。


「これ、あげるね」


その包みに何が入っているかは、なんとなく分かった。

でも僕には信じられなかった。

それに体験したことのないイベントで、恥ずかしいようなもどかしい様な。


「いっ・・いらない」


走って帰った。

振り返らなかったから、その子の顔はよく見なかった。


その後、その子と最初に喋ったのは小学校の卒業式の日だった。


「また、会いに来るから」

「え?」

「・・・今度は受け取ってね」

「・・・」



それ以上の会話は無かった。

なぜならその子は、海外に引っ越していったから。


中学を卒業してもその子が会いに来ることは無かった。

高校を卒業してもその子が会いに来ることは無かった。


僕はたぶん、間違えたんだろう。

結局僕は、それ以外の恋をすることは出来なかった。


丸く削られた氷が、グラスの中を回った。


「・・・どうされます?」

男「・・・もっとクセの強いやつあります?」

「ええ」


新しいグラスに注がれた新しいスコッチは、意外にも透明に近かった。


「どうぞ。アードベックです」

男「・・・」

こくっ


何て言うクセだ。

まるで燻製を液体にしたような味。

それでいて甘味とコクがある。

のこりのナッツを口に入れた。


男「マスター・・コレ、おいしいですね」

「それは良かったです」


僕はあまり自分から人に話しかける方じゃない。

でもたまには、そうじゃないときもある。


カウンターの中のマスターは、僕の気持ちを知ってか知らずか、それ以上の会話は無かった。


男「・・・しみるなぁ」


胃に心地よく落ちていく。

僕は皿に残った、最後のスイート・チョコを口に入れた。


そして、幼くて、甘くて、罪深い思い出を洗い流すように、のこりのスコッチを傾けた。


ああ、この辺でやめとこう。


歩いて帰れなくなるから、今日の晩酌はここでおしまい。


男「ごちそうさまでした」


④ 『ヅケ寿司と伊豆諸島の焼酎』



今日は少し遅くなってしまった。

スーパーに入ったのは7時少し前だった。

僕は迷わず鮮魚コーナーに。


男「・・・やった」


心の中でガッツポーズをとる。

半額のシールを貼られたそれを手に取った。

寿司ネタ盛り合わせ。

寿司用にスライスした何種類かの魚が盛られているヤツだ。


僕がこれ(に半額シールが張られているの)を探し始めたのは先週の事である。


「宅配便でーす」

男「あ、ハイ」


小ぶりの段ボールの割には、ズシリと重い。

差出人は、新任研修のときに一緒だった同期であった。

もう5年は会っていない、数少ない僕の友人である。


男「・・・この重さ」


嬉しい予感が脳裏をよぎった。



予感的中。

中には、滅多にお目にかかれない焼酎が4本入っていた。


男「こりゃ欲望に身を任せて飲んでたらアル中になるな」


同期の故郷であり、彼の現在の赴任先でもある、伊豆諸島の離島で作られている焼酎である。


それがなぜ、半額寿司ネタにつながるのか。

新任研修中のある日、彼は僕を自宅に招いてくれた。

いっしょに宅飲みをしようと言う訳だった。



男「何か、つまみ買ってくる?」

「いや、俺が作る」

男「何作るの?」

「俺の故郷の寿司だ」



出てきたものは、どれも宝石のように鼈甲色に輝いていた。

口に運ぶと、江戸前とは違う、力強い味がした。

海と生きるまちの味だった。

感動を覚えた僕は、その作り方を教えてもらい、今に至るという訳だ。


男「良し、炊けた」


炊飯ジャーが音を立てた。

すばやくボウルにとりだし、酢と砂糖と塩を混ぜ込む。

江戸前より、やや砂糖多めである。

粗熱が取れた頃、酢で洗いかたく絞った布巾を、米を包むようにボウルに多いかぶせる。


男「さて」


醤油、みりん、酒を一度煮て、冷ました後、唐辛子たっぷりと味噌を少々混ぜる。

そのヅケ汁の中に半額寿司ネタを放り込む。

伊豆諸島の島々では、魚はヅケにして寿司にする。

何でも、昔、伊豆諸島では魚が悪くならないように、日持ちさせるためそういう習慣ができたらしい。

海に囲まれた島なのになぜ?と思ったが、どうやら、海が荒れることも多く、いつでも漁に出られるわけじゃなかったのだそうな。

そういう意味で、半額のネタを使うのは全くもって正しい。


シャリを握る。

僕は職人ではない素人だから、シャリだけを先に全部握ってしまう。

つまみになるように、シャリは小さめ。

そして、ここでチューブのカラシ。

ワサビが手に入らなかった時代の名残ということだ。


カラシのたっぷり乗ったシャリの上に先ほどのヅケのネタを乗せる。

びちゃびちゃにならないように、ネタは一旦キッチンペーパーで拭く。


男「・・おお」


いつか同期が握ってくれた寿司を見た時と同じ感想。

美しい。

なんて美しい食べ物なんだ。


焼酎をグラスに注ぐ。

むろんロックだ。

こんないい焼酎を割るなんて烏滸がましい。


トクトクトクトク・・・・


芋の香りと、熟した果物のような芳香が立ち込める。


男「・・いただきますっ」

言うと同時にグラスに口をつける。


・・甘い

甘い甘い甘い甘い甘い!

焼酎だろう?コレ?!

芋と麹だけでなんでこんなに甘くなるんだ?!

鼻の奥に余韻が残るうちに寿司を口に放り込む。


男「・・・ははっ」


笑ってしまうね。

ある土地の酒には、その土地の食べ物が合うといが。

拭きとったとはいえヅケであるからか、江戸前よりわずかに水分が多い。

その水分を米が受け止め、口に入れると米が解ける。

口の中に広がる甘くて辛い醤油の味を、一旦米が覆い隠す。

そして噛んでいくと、中からマグロの旨味があふれてくる。

不意打ちのように洋ガラシの刺激。

一見ヘンテコに見える洋ガラシがいい仕事をしているのだ。


男「うまっ」


焼酎が届いたときから心待ちにしていた瞬間であった。

ああ、もう少し焼酎を入れなければ。

まだ口に魚の余韻があるうちに。


お次はイカだ。

このヅケ寿司、困ったことにどんなネタでも合ってしまう。

唯一合わないのは・・・そうだな、貝類か。

それ以外は、立派なつまみになってしまうから困りモノだ。


イカは頑なに、その身に醤油がしみこむのを拒む。

しかしながら表面はしっかりと甘辛い醤油がコーティングしている。

そしてまたもや洋ガラシ。

こいつが半ば強引に、酢飯との関係を迫るのだ。

イカ、陥落。

抵抗むなしく、立派な焼酎のアテに。


男「さて、じゃあその合わない貝類はどうなるかと言うと」


そう、汁モノだ。


小さな取っ手付きの鍋で水と酒を半々の分量で沸かし、貝を投入。

アクを取った後、味を見ながらインスタント出汁と、めんつゆを少々。

最後にネギでも浮かべれば立派な貝汁である。


ズズズズ・・・


男「・・・胃が、落ち着く」


湯の中に浮かぶ赤貝が何とも言えない歯ごたえなのである。


僕は落ち着いた胃を、焼酎の雨で再び現実に引き戻す。

そうして欲望に身をまかせて、そしてしばらくたったころ。

僕は今更になって、人心地が付き、ふぅっと息をつき、目線をあげた。



『お前はなんで同期飲み来ねーんだ?』


同期の言葉を思い出した。


男「人が多いの、苦手なんだよ」

「そうか?なんか、お前は他人を避けてるように見えるけどな」

男「・・・そうかな?」

「みんな、良い奴だぜ」

男「ああ、知ってるよ」


同期は、僕の倍のペースで焼酎を流し込む。


「ま、でも何となく分かるな。大勢で飲むより、2~3人で飲んだ方が、じっくり話せるもんな」

男「・・まあ、そうだね」


僕もゆっくりとだが、確実にグラスを傾ける。


男「なんだろう・・・うまく言えないんだけど、あまり深く踏み込まない方がいい気がするんだよ」

「ん?何にだ?」

男「誰かと・・仲良くするのは楽だけど、それを失った時怖いだろ?」

「お前、そんな事言ってたら、誰とも友達になれねーべ」

男「まあそうなんだけど」


「一人が楽ってのは分かるけどな」

男「・・・」

「じゃあよ、俺は良いのか?」

男「君が結構無理やり連れて来たんだろ」

「はっはっは!そーだったな」

男「ま・・とりあえず焼酎とこの寿司は最高に旨かった」

「だろ?ついてきて良かったろ?」

男「うん、それはその通りだ」

「ハハハ!」


その手の中に何かがあるのは怖かった。

それを失うときの事をいつも考えてしまうから。

僕の持ち得るキャパシティは、せいぜい1人くらいだと思っていた。

それ以上は、零れていくのを支えきれない。

あの時は、たった一個しか無かったのに、支えきれなかったのだから。

彼が故郷にある出張所に赴任が決まった時、なぜかホッとしたものだ。

友人が傍にいるのが怖いと、今でも少しだけ思うのだ。


彼が離島に居る事を、僕は応援する。

彼の故郷がそこだから。

そして、その距離が僕には丁度いいと感じたから。

そういう意味で、僕はあの時もまた、間違えたのかもしれない。

でも異動は、僕がどうこう言える問題では無いわけで。

そうやって僕は自分を誤魔化した。


男「うー・・・さすがにもう食えない」


残りの寿司はラップして冷蔵庫へ。

ヅケ寿司は、生より断然日持ちがするところがいい。

明日の弁当にするか。


腹がいっぱいになったから、今日の夕食はおしまい。


男「ごちそうさまでした」


⑤ 『卵とじそばとホットミルク』



男「・・ゴホッ」


新年早々風邪をひいてしまった。

男の一人暮らしが風邪をひいた場合、自分で何とかするしかないのである。


男「ああ、それにしても、休み中でよかった」


一人しかいない事業所で、その一人が風邪をひくということ。

それはつまり復帰したら、結局はやらなかった分の仕事を自分でしなければいけないということである。

ただでさえ年始休みで、何日分かのデータ解析が止まっている。

そこでさらに休んだら、その後仕事がきつくなるのは明白である。

自分の仕事人間ぶりには頭が下がる。

まあ、下がるのも下げられるのも僕自身なのだが。

僕は冷蔵庫からスポーツドリンクを出してコップに注ぐ。

それを飲み干すとまた布団に戻った。


男「ふぅ・・・」


もう少し寝ていよう。

僕は目を閉じた。


『出来たぞ、食えるか?』



男「・・・ん?」


どうやら眠ってしまったらしい。

健康な時は、無理に布団に入っていても眠れないこともあるのに、風邪をひくと何時間も眠れてしまうのは不思議だ。


男「・・・ちょっと腹減ったかな」


僕は、のそり、と起き出し、台所を漁りだす。

冷蔵庫は・・・うん、大したものないな。

戸棚には、年越しで食べたそばが少し残っていた。

僕は冷蔵庫から卵を取り出し、ボウルに割り入れる。

玉ねぎを1/4個ほど、粗いみじん切りに。これも卵に投入。


鍋を二つ用意し、一つは水を張り強火で沸かす。

もう一方には少し薄めの麺つゆを沸かした。


沸騰した湯の中にそばを投入する。

僕は、そばは硬めに茹でた奴が好きだ。

正確に言うと麺類はだいたいそうだ。

だけど、風邪引きのときは柔い方がいいだろう。

規定の時間よりも1分長く茹で、冷水でぬめりを取った後、再び茹でた汁の中に入れて保温する。


もう一つの鍋は、と言うと、沸騰した時点で先ほどの卵を流しいれて蓋。

麺をどんぶりに入れて、麺つゆごと半分固まった卵を麺にかける。


簡単卵とじそばの完成である。

本当はここに三葉でも入れれば彩もいいのだろうがそんなものは無い。

代わりに七味唐辛子を振り入れる。

完成だ。


ずずっ

男「・・ふぅ」


麺は柔らかく、あまり噛まなくてもいい。

消化に良さそうだ。

卵部分をレンゲで掬う。

玉ねぎの甘さが、何とも言えず優しい。

麺つゆのだしの香りが、ウイルスにやられた僕の鼻粘膜を蘇らせる。


男「ああ・・体が温まってきた」


パジャマの下が少し汗ばんできた。

七味唐辛子効果だろうか。

いや、普通に暖かいもの食べてるからか。


ごくっ

男「はぁ・・」


ただの市販の麺つゆも、こんな時は滋養がある気がするから不思議だ。


僕にとってこれは、なつかしい味だ。

高校に入って間もないころだったか。

僕は、今と同じように風邪をひいて寝ていた。

いつもより少し早めに帰ってきた父が、台所でなにやらガサゴソしていた。

そして出てきたのがこの卵とじそばだった。


男「確か父さんは、そばのぬめりとか落としていなかったな」


だから、粉っぽく、もっと重たい食感だった気がする。

あと、七味は無かったな。

ともかくもこれは、風邪をひいた息子のために、あまり得意ではない料理を頑張って作った父の味なのである。


『出来たぞ、食えるか?』


ふわふわとした、玉ねぎ入りの卵を口に運ぶたびに、口数の多くない、父の言葉を思い出した。


あの時僕が、食べられない、と言っていたら。

父は匙か何かで、僕の口に卵を運んだのだろうか。

ぶっきらぼうな父の様子を考えると、何だか可笑しくなった。


僕「ははっ」


食べ終わった器を流しに運ぶ。



水を張って終了。

洗い物は明日だ。

まだ少しだるい。


男「薬は・・嫌だな」


僕はあまり薬が好きじゃない。

いや、なんとなく、ではなく、薬と言うのは症状を抑えるだけで、風邪の原因を排除してくれるわけではないから。

ならば、体の免疫機構を活発化させて、しっかりと熱なりを出した方がいいと思うのだ。

その方が早く治りそうだし、体に良さそうだ。


僕は冷蔵庫から牛乳をとりだしてマグカップに注ぐと、それを電子レンジに入れてボタンを押した。


ヴーーーン・・・・


オレンジ色のライトの中、カップがゆっくり回るのを見ている。

そばと牛乳なんて悪い食べ合わせみたいに思うが、風邪をひいたときは存外相性がいい。

と言うか、体が求める。

まあどうせ、僕はオモシロ味覚ですから。

日本人に多いという、ラクトース分解が出来ない体質でなくてよかった、と心から思う。


チン


ホットミルクはちょうど良い温度になった。


ごく・・


僕「ああ・・なんか風邪が治りそうだ」


栄養のある飲みものが、僕にそう予感させた。


体が弱っている時は、心もつられて弱くなっているのかもしれない。

なんだか過去が僕の腕を後ろから掴んでいるような感じがした。

父はおしゃべりな男ではなかったが、それでも精いっぱい、僕のことを心配していてくれたのだろう。

その時は、あまりそれを感じることは出来なかったが。

風邪をひいて、この卵とじそばを食べるたびに思い出すのだ。

もうここには居ない人のことを。


男「ああ、もうさすがに眠れないな」


パソコンを開き、何かアニメでも見ることにするか。

アニメもずっと見てないな。

高校生の頃は友達の影響でよく見ていたが。


体も温まったし、これで今日の食事はおしまい。


男「ごちそうさまでした」


⑥ 『エビマヨとビール』


田舎の商店に行ったことはあるだろうか。

そこは魅惑のパラダイスである。


男「ごめんなさい、言いすぎました」


確かに言い過ぎたかもしれないが、宝探しのようなわくわく感があるのは否めない。

代わり映えしない生活必需品。

パンやペットボトル飲料と言った簡単な食料品。

誰も買わないので、ずっと入っている冷凍庫の中のアイス。


でも、時に、思い出したように見慣れないものが入荷されているのだ。


男「こんな田舎で誰が買うんだよ」


棚に並んでいたのはスイートチリソース。

こんなエスニック食材、使う家庭ないだろ。

まあ、僕は買うんですけどね。


そうとなれば、ビールである。

スーパーで売っているヤツではない。

ニュースによれば、最近はコンビニでオリジナルビールを売っているそうな。


ドルルル・・・

僕の車のエンジンが鳴った。



男「ふうん・・IPAか・・飲んだことないけどこれにするか」


青いラベルのビールを2本買うと僕は再び車に乗る。


男「さて、こうなりゃヤケだ」


漁港近くの海産物売り場に到着だ。

だってビールのためだけに20キロも車を走らせてきたなんてちょっと必死すぎるから。


「いらっしゃい!」

漁港のおばちゃんの威勢の良い声が響く。


男「エビ、あります?火通すからそこまで高いのじゃなくていいんですけど」

「はいよーこんくらいでいいかい?」

男「はい、お願いします」


「はいよ。○○円。お兄ちゃん下ごしらえのやり方分かるかい?」

男「ええ。大丈夫です」


僕はたっぷりのエビとビールを乗せてまた20キロの道のりを帰る。

ビールとエビ・・・

ただ焼いて食うだけでもいいんじゃないか?

いやいや、誘惑に打ち勝たなくては


まずはエビの下処理だ。

殻をむき、背ワタを取る。

しっぽは・・・まあ僕は食べないんだけど見た目もいいし、先端だけ切っておく。

そう言えばこういう変なもの好きな人が居たな・・

そして片栗粉を入れて揉む。


男「今回は生のエビだから、ここまでの臭み取りの過程は無くてもいいんだけど」


水で洗い、キッチンペーパーでふく。

次は、塩コショウと酒をもみこむ。

なじんで来たら卵白をさらにもみこむ。

ラップをかけて冷蔵庫に。


何とも手間のかかるヤツだ。


お次はソースづくり。

別のボウルに、すりおろして水分を絞った玉ねぎ、コショウ、スイートチリソース、マヨネーズ、カラシ少々。


男「ああ・・絶対旨いぞ」


鍋に油を注ぐ。

別に完全にエビが沈むほどでなくてよい。

2センチ弱と言ったところか。

寝かせたエビは水分を軽く切り、片栗粉をまぶす。

油が温まったところで投入。


ジュウウウウウウ・・・

くっつかないように触る程度で、あまりいじらない。

色が変わったら裏返す。

キツネ色になるまで揚げる必要はない。

せっかくのぷりぷりが失われてしまう。


すばやく油からエビたちを救い、油をきる。

そして熱いうちにフライパンへ。

すぐさまマヨネーズソースを入れ、素早く炒める。


マヨネーズが焦げる匂い。


ああ、ビール、ビール。

早くしてくれ。


皿に盛り、ネギを散らせたら完成だ。


野菜は?


いらん!早く食おう!


プシュ!


はやる気持ちを抑え、まずビールだ。

・・・なんだこれ?

IPAってこんなにスゴイのか。

4大メーカーのピルスナーもいいが、これの前ではドングリの背比べかもしれない。

いや、スーパーで売ってるビールが嫌いと言う訳じゃないが。

こいつの前では霞んでしまう。

ビールだろ、コレ。

なのになんでこんなに主張が激しいんだ?


男「しまったな・・こんなに旨いなんて。これじゃ主役逆転になっちゃうな」


エビマヨは僕が得意な料理の一つだ。

正確に言うと、僕が、僕自身が好きな味に作ることが出来る料理だ。

スイートチリソースを使った簡易版エビマヨソースは中々である。

父がよく中華の外食に連れて行ってくれたから、好きになったのかもしれない。


ザクッ

ブリッ


男「うンま」


エビマヨ旨い!絶対旨い!

マヨラーでない僕が旨いと思うのだ。

マヨラーが食ったらきっと悶絶する料理だろう。

あ、いや、もしかしたら邪道だとか言われるのかな?


IPAを入れる。

ごっくごっく!


エビマヨに食らいつく。

バクッツ!


すりおろし玉ねぎが、一見するとジャンクなこの食べ物に、わずかな清涼感を与えてくれる。

カラシのアクセントもいい。

皿の端に、その身を食らいつくされたしっぽが並んでいく。


ブシュ!

二本目のビールを開けた。


少しペースダウン。

ゆっくり飲み、ゆっくり食べる。


父と最後に外食した時、あの時も確か僕が食べたのはエビマヨだった。

高校三年生のある日、僕は父とケンカをした。

進路希望に僕は就職と書いた。

父は僕に進学を進めた。

働いている父の姿を見て、僕は働きたいと思ったのだ。

だが父は僕に言った。


『お前は母さんに似て頭がいい。ちゃんと大学行って、知識をつけるのがお前に向いている』


僕は、素直になれなかった。

そして冷戦状態が続くある日、父は昼食に僕を少し高そうな中華料理屋に誘った。


元々寡黙な父だった。

僕もあまりしゃべる方じゃない。

無言で食べる父と子。

父は・・・そうだ、何かの麺を食べていたかな。

僕はエビマヨがメインの定食のようなものだったか。


『・・・就職がいいのか?』


僕は無言で、エビを口に放り込んだ。


『そうだな・・・お前の人生だからな』



そんな食事会の1週間後だったか。

職務中の事故で、父が死んだのは。


身寄りが無かった父であったが、会社での人望は厚かったようだ。

父の会社の人が、ずいぶんと良くしてくれた。

葬式など、やらなければいけないことも滞りなく行われた。

家は持ち家だったし、労務災害と言うことでかなりの保証金も出た。

危険にさらされる仕事であったので、生命保険にも入っていてくれたようだった。

僕は、金銭的な事は特に問題とはならなかった。

ただ、いつも帰りが遅い父が、その日から永遠に家に帰ってこなくなった。

不思議と涙が出ることは無かった。

ただ、それを受け止めた。


『お前の人生だからな』


父が言った言葉。

僕はちゃんと向き合った。

そして僕は、進学することにした。


男「父さん、僕、父さんよりよっぽど料理の腕は上だよ」


最後のエビマヨを口に運んだ。

皿の脇には全員のしっぽが並んだ。

残りのビールも一気に流し込む。


もしかしたら今日、僕は父とこのうまいビールを飲みかわし、父に僕の料理の腕を振るっていたのかもしれない。

そういう、あったかも知れない今日を妄想し、冬の夜の休日が過ぎていく。


男「あーあ・・・また明日から仕事かぁ」


多分仕事を辞めるその日まで、僕が休日の終わりに言い続けるだろう言葉をつぶやいた。


男「ま、遅刻するわけにいかないからな」


さっさと洗い物をして、風呂に入って寝なければいけないから、今日の夕食はおしまい。


男「ごちそうさまでした」


⑦ 『焼きそばパンと500ML紙パックのミルクティー』



特に忙しくない昼休みは、車で町に行き昼食を買う。

僕の仕事場は、周りに民家すらないど田舎だが、町まで降りてくればいくつか店がある。

とはいってもせいぜいスーパーと昔からの商店と小さなパン屋くらい。

だからいつもそのローテーションなのだ。



ガラガラ

「いらっしゃいませ」


いつも通りの、ちょっと元気のない感じのお父さんだ。

よく考えたら、この人しか見たことないけど。

この人が一人でパンを作って、一人で店に並べて、一人でレジを打っているのだろうか。


・・・まあいいや


「今日はまだサンドイッチありますよ」

男「ええ」

選択肢のないこの町では、お惣菜と言うのはあっという間に売り切れるものなのだ。


男「じゃあこのサンドイッチを・・・あ、それとこの焼きそばパンも」

「はい。それにしてももう一月も終わり、早いですね」

男「ああ、そうですね。でもまだ寒いですね」


このお父さんはいつも天気と暦の話しかしない。

でも、変わらないことは良いことだ。


「ありがとうございましたー」


そう、変わらないのはいいことだ。

焼きそばパンには、500ML紙パックのミルクティーだ。

僕はスーパーに向かい、ドリンクのコーナーを探した。


「お前、また焼きそばパンか」

「だって、うまいだろ、コレ」

「僕が見るかぎり、お前は毎日焼きそばパンと、もう一個パン。それとミルクティー」

「最高のセットじゃないか」

「・・まあいいけどさ」



高校のとき、おそらく初めてできた友人は、いつもそういうセットだった。

ていうか、焼きそばパンてなんなんだよ。

炭水化物イン炭水化物じゃないか。

僕がそういうと、友人は決まってこう言うのだ。


「これはのど越しだ。少し水分の足りないパンとしっとりした焼きそばのハーモニー」


もぐっ


確かにな。

これは栄養学とか医学とか、そう言ったものの外にいる。

炭水化物と炭水化物と、あと油脂。

もう、どうしようもないね。

そこでソースか。

やってくれるじゃないか。

しかもこの焼きそば、口の中で広がっていきやがる。

そばをこれでもかと、パンの隙間に詰めているんだな。


全く・・喰いごたえも申し分ないじゃないか。


500ML紙パックの飲料。

そう言えば高校のとき、運動部の奴らは良く飲んでたな。

あ、大学もか。

友人はオタクのくせに、テニス部なんて所属していやがったからな。

アイツのせいで僕は、アニメだけは見るようになってしまった。


僕は焼きそばパンを半分まで食べたところで、もう一つの野菜サンドに手をつけた。


男「にしても、ミルクティーは重過ぎるだろ」


高校も大学も、運動部とは無縁だった僕にもなんとなくあの頃の光景がよみがえる。


男「これが青春の味って奴なんだろう?」


僕の青春は、その友人のせいで、カラオケでアニソンを歌う日々になったのだが。

最初は無理やり、のちに進んで。

僕はアニソン縛りのカラオケに、友人と二人で通ったものだ。


「お前さ、スポーツマンのくせにその趣味は無いな」

「はぁ?スポーツ関係ないだろ。オレの本分はむしろこっちだ!聞け!オレの歌を!!」


「なあ、お前、アニソンは好きか?」

「ん?まあ、お前のせいで好きになったよ」

「じゃあ、オレたち二人で来た時は、大学行っても、仕事しても、定年後もアニソン縛りな!」

「どんな老後を送ろうとしてる?」


友人は、まあ趣味はともかくとして、いい奴だった。

父が死んだあと、彼は僕を良くカラオケに連れだした。

言葉ではない方法で、僕を励ましてくれていたのだ。

僕たちは同じ大学に行った。

そばに友人がいる、と言うのが心地よかった。

僕は特にサークル活動は入らなかったが、彼はテニス部に入った。

サークルじゃない、ガチなやつ。

相変わらず昼食は焼きそばパンとミルクティーだった。

教室に、あの青い500ML紙パックが置いてあると、彼が置いたんじゃないかと思うほどだった。

そんなある日。

ちょうど冬の今頃だった。

彼が入院したということを聞いた。


若いうちは病気の進行と言うものは早い。

血液を侵していくその病気は、彼をあっという間に飲み込んだ。

僕は、唯一の友人で、おそらくは唯一の僕の理解者を失った。

次に会ったのは、もう葬儀場だったから、彼が最後に何を言ったのかは知らない。

でも、僕は、もう二度と、カラオケでアニソンは歌わないだろう。

そして僕は彼と出会う前の一人ぼっちでいることを決めた。

怖いのだ。

手の中から、大切なものが溢れて、零れて行くのが。

人が死ぬと、肉体は焼かれ、灰と煙になる。

そしてその人は忘れられ、その者を知る人が一人も居なくなったとき、もう一度、本当の意味で死ぬ。

親族と言う血の繋がりのあるものは、戸籍を見れば生きていたことを確認できる。

でも友人は。

彼が居たことを、僕が忘れてしまえば、彼は本当の意味で死んでしまうのだ。


残り半分の焼きそばパンを噛む。

もう冷たくなってしまった焼きそばは、少し油が重かった。

それを、これまた重いミルクティーで流し込む。


男「ああ、クドイ」


そりゃそうだ。

これは運動部学生の味なのだから。

でも僕は、この不健康なパンと青い500ML紙パックを定期的に食べることはやめないだろう。

僕が忘れない限り、彼は、僕の友人は、いつまでもアニソンを歌っている。

ソースの余韻が薄れていく。

僕はティッシュで口の周りを拭いた。


まだ午後の仕事があるから、彼を思い出すのはこれでおしまい。


男「ごちそうさまでした」


⑧ 『ジャンクフード(?)とカルーアミルク』



テレピン油のにおいが部屋に立ち込めていた。

冬は空気が澄んでいる。

僕は田舎の美しい景色を見つめるうちに、10年ぶりに絵を描いてみたくなったのだ。

休日に隣県の都市まで行き、画材一式をそろえた。

僕は、いざとなれば行動は早い方だ。

隣県まで行くついでに、コンビニでポテチ、つまみ・・とにかくジャンクなものを買い込む。


男「うーん・・・見事に体に悪そうだ」


ポテチを片手にキャンバスを油絵で埋めていく。

最近のポテチは面白い味が多いな。

なんだこの“朝ポテチ”って笑

僕はやっぱりこのコンソメ味が落ち着くな。

でもあの人はきっと、変な味のポテチを好むのだろう。

よりジャンクな味を。


「・・・」

「君、その絵どう思う?」

「え?」

「なんに見える?」

「・・・海の底ですか?」

「・・・ハハハッ!」

「?」

「それね、あたしが描いたの。君にはそう見えるか。そうかそうか」



家族を失い、友を失った僕は、大学で行われていた美術部の展示会になんとなく足を運んだ。

“○○会入選作品”と書かれたその絵は、様々な色が複雑に絡み合った抽象画だった。

僕にはその絵が、深くて、無感覚で、でもその中に悲しみが宿るような、海の底に見えた。

一つ上のその先輩は、僕をかなり強引に美術部に入部させた。

彼女自身も幽霊部員で、君もそれでいいよ、と言った。

当然一度も絵筆など握ったことのなかった僕は、その先輩から油絵の描き方の基礎を習った。


「君はオモシロ味覚をしているね」

「はい?」

「だって今までビール飲んでたのに、焼きそばを頼んだら急に紅茶頼んだりして。しかもミルク入れすぎでしょ、ソレ」

「別にいいじゃないですか、そんなの僕の勝手ですよ」

「別に糾弾しているわけじゃないんだよ。むしろ尊敬さえしている」

「はい?」

「巷では、ヤレあれにはビールだ、あれには日本酒だ、これには赤ワインじゃなく白だとか言う輩がいるじゃない」

「はぁ・・まあ先輩以外と飲みに行く人いないんで良く知りませんが」

「アハハ、ボッチだもんね君。とにかくそういうのはさ、個の埋没なんだよ。ハヤリや大衆に迎合してるだけで、可能性と言うものに挑もうとしない臆病者なのさ」

「ずいぶん大きい話ですね」

「この日常だって、大きい世界の一部なんだよ、あ、食べないならエビのしっぽと魚の皮ちょうだい」

「・・・先輩のがよっぽどオモシロ味覚じゃないんですか?」


先輩はふふ、と笑うと、細く繊細そうな自分の栗色の髪の毛を、左手の指に絡めた。

「ねえ、家で飲みなおそうよ」


先輩の部屋は、今の僕の部屋と同じ。

油絵具と、テレピン油のにおいが立ち込めて、部屋の中には描きかけのキャンパスがあった。


「ほい」

先輩は僕にカルーアミルクを差し出した。

「どうも」

そのまま僕はとりとめのない話をしながら、ポテトチップスをつまみに飲んだ。

じんわりと甘じょっぱい、コンソメ味だった。


カルーアミルクを少し飲みすぎたのか。

先輩は少し眠そうだった。


「あたしね、」

「はい」

「本当は美大に行きたかったんだ」

「そうですか」

「まあでも、絵を描くのは続けられるし、それに君みたいな面白い人間も見つけたから、この大学入って良かったかな」

「・・・そうですか」


シャケとばを噛んでみた。


男「硬った!」


これはどうやら焼いて食うものらしい。

魚焼きグリルにそれを突っ込むと僕は、別のポテチを開けた。

のり塩も好きだ。

少々強すぎる塩分をカルーアのべったりした甘さで洗う。

焼けたシャケとばは、なんというか、正直カルーアには勿体ない。

日本酒でも飲もうかな・・・いや。

絵を描くなら、このセットだ。

迎合からの脱出だ。

あの時見た、先輩の深いブルー。

あの色を出したいと思った。

先輩と同じものを食べていれば、いつかあの沈んでいくような色が。

それにしても先輩は、シャケの皮とかエビのしっぽとか食べたくなったらどうしてるんだろう。

そのためにエビとか、シャケとか買うのはコスパが悪い。


あ、忘れてた。

この前のエビマヨのエビのしっぽを冷凍したんだった。

急いで揚げる。


ジュー・・・

エビのしっぽだけ揚げ。


カリッ

つまみ食いしたその味は、ジャンクと言うには失礼な味。

カリカリして旨い。

レモンを絞ってリビングへ。

ビールを・・・いや、ここはカルーアだ。


男「先輩、こういうの好きですか?」


僕以外、誰も居ない部屋でつぶやいてみる。

あの人はいつも人を喰ったような返答をするくせに、好物には遠慮なく箸を伸ばす。


僕が入部して翌年の展覧会、信じられないことに僕の作品は先輩の横に並んだ。

僕にしてみれば、まだまだだと思ったが。

先輩の、深くて、染み込んでいくような色は出せない。

“入選”が二つ並んで、先輩は目を細めて笑った。

ネコのような悪戯っぽい笑顔だった。


そしてさらにその次の年。

先輩は大学最後の展覧会。

僕だけが賞を取ってしまった。

初めて会った時よりも随分と笑顔を見せるようになっていた先輩の、うつむいた顔をのぞき込むことが出来なかった。

僕だって、未だ、僕の作品は先輩を超えていないと思っていたのに。


その後は、上手く声をかけられなかった。

そして先輩は卒業した。

その後、彼女がどこで何をしているのかは知らない。


カリッ


男「香ばしいなぁ」


僕はもしかしたら、これを、いつか先輩と一緒に食べたかったのかもしれない。

僕はビールをすすめるだろう。

でも先輩は、頑なにカルーアミルクを飲むのだろう。


ごくっ


カルーアミルクを飲み込んだ。

ああ。

僕はどうすればよかったんだろう。

先輩を失わないためには、どうすればよかったんだろう。

結果だけを見れば、僕はまた一人になっただけなのに。

先輩が居なくなった美術部室には二度と行かなかった。

その部屋にいるべき人が居ないから。

二人の幽霊部員は、二度とその部屋に足を運ばなかった。


窓を開けてみた。

もう夜の帳がおりていて、僕の描いていた風景画を、現実の風景と比べることは出来なくなっていた。

残りのシャケとばとエビの尾とポテチを一気に片付けた。

カルーアも飲み干す。

底の方は、よく混ざっていなかったのか。

原液が溜まっていて、強い甘さと、アルコールの苦味を感じた。

わずか三年にも満たなかった、先輩との思い出のような味だった。

まだ時間はある。

続きは明日描こう。


ジャンクフードですっかりお腹一杯になってしまったから、今日はもうおしまい。


男「ごちそうさまでした」


⑨ 『静岡風おでんと熱燗』


ああ、3月だって言うのに、寒さが身に染みる。

山間の田舎は中々日中の温度が上がらないのだ。

最近は便利だね。

おでん種セットと言うものが売っている。

でも敢えて、そんなものは買わない。

なると、厚揚げ、さつま揚げ、昆布、こんにゃく、ネギ、たまご、牛すじ

黒はんぺんはどうしても手に入らなかったので無し。

フワは嫌いだから入れない。

白焼きは白身魚のすり身で自作してみることにした。

そういう訳で、白身魚のすり身を購入。

塩と粉と卵白を少し入れてこねてみた。


男「うーん・・・こんなもんでいいのかなぁ」


それっぽくなったすり身の混ぜ物を玉子焼き器で焼いてみる。


ジジジジ・・・


ある程度固まったところで、ひっくり返して上面も直火で焼く。


男「うん、絶対間違ってるやり方だろうな、コレ」


間違ったやり方で出来たその白焼きもどきを玉子焼き器から外し、小さく切る。

下ごしらえしたその他のタネも同様に小さく切る。


男「まずは牛すじだ」


2~3回茹でこぼし、臭みを抜く。

そして新しい水で煮て、沸騰したら醤油。

そのまま1時間煮ることにした。


さて、この間に他の具材を串に刺そう。


男「串・・・どこだったかな」


食器戸棚の一番奥に串があった。

どうせ残してもしょうがない。

全ての具材を刺した後、のこりの串は捨てた。


さて、牛すじはもういいかな。

鍋に鰹節を入れてだしを取る。

続けて、ネギ以外の具材を投入。

そのまま弱火で二時間。


男「さて、この間に」


僕は家の中にあるすべての日本酒を並べてみた。

全て飲みかけで、ちょっとずつ残っている。


男「酒、残してもしょうがないしな」


僕は全ての酒を熱燗にする覚悟を決めた。

吟醸も、無濾過も。


男「あー勿体ない」


男「本当は味噌ダレにつけるんだっけか」


でも味噌ダレなんて無いので、とりあえずダシ粉と削り節と青のりをかけて食べることにした。


さてさて、まずは、厚揚げから。


バクッ

ジュワァァァァァ・・・・


男「はふぅぅぅ・・」


豆腐の、隙間という隙間に出汁が入り込んで。

箸で持ち上げた厚揚げ重量の、一体何パーセントが出汁なのか。


続けて昆布。

男「あむっ・・・と・・溶けた」

昆布はその身に、しっかりと海藻としての主張を残したままで。

触感はねっとりと、それでいて中に歯ごたえが。


なると。

ぶりっ

なるとは、これだけ煮たというのにしっかりと硬さを保つ。

しかし串の先のそれは、ヘタッと、一見すると力が無い様な印象だ。

そのギャップが、口に入れた時、新鮮な驚きをくれる。


男「よし・・・落ち着け・・まだ、始まったばかりじゃないか」


続けて、一つのヤマ場であると言っていい、牛すじだ。

トロリ・・・

こ・・これは・・・酒だ!

慌てて、熱燗を流す。

熱いアルコールが、口の中の余分な脂を洗い流し、次の準備を整えさせる。


男「しかし、敢えてここでもう一度牛すじである」


何故ならば、一度目はあっという間に溶けて、無くなってしまったから。

そして僕の中のDNAがすぐさま酒を求めて、迅速に洗い流してしまった。

正確に言えば、酒が主体だったのだ。

今度は落ち着いて、牛すじ主体で迎えなければならない。

はむっ・・


これは・・・なんて濃厚なんだ。

やっぱり牛すじは、長時間煮込めば、それに応えてくれる。

とはいえこれは、明日のがもっと旨いな。


僕は牛すじを明日に託し、次のさつま揚げに取り掛かる。


男「どれどれ・・・あッツ!」

さつま揚げは、僕に食われまいと、最後の抵抗を試みたようだ。

しかしそれさえも食欲の呼び水。

ウン・・・これは、厚揚げやなるととは違う。

もっと、出汁に屈服した味だ。

見た目は完全に脱力し、もうどうにでもしてくれと言わんばかりの姿だ。

半分まで行ったところで、カラシをたっぷり。

刺激が舌の上に踊る瞬間、また熱燗を一杯。


そろそろ今回の、珍味?白焼きに行ってみようじゃないか。


ん?・・・これは?


男「うん、不味くはない」


適当に作ったにしてはいい出来だったかもしれない。

味は・・・そう、はんぺんか。

ふわふわしてない重いはんぺん。

だが揚げていないからあっさり。

やはりここはカラシか。


たまご。

これだけは串に刺していない。

そしてこいつだけは、おでん種としてはどこか異質である。

たまごは一個で、熱燗1合は行けそうな代物だ。


たまご、熱燗、たまご、熱燗、たまご、アツカン。


先ほど最後に投入した、ネギ串を上げてみる。


男「うん、いい感じ」


きしっ・・とろっ


表面を噛むとしっかりした触感。

しかし中から滑り出してくるシンは熱くねっとりと蒸し焼き状なのだ。

ああ、またここで熱燗。


小さく切られたこんにゃく。

これが旨いんですよ。

昔、初めて静岡おでんをテレビで見た時、この小さくて串に刺されたこんにゃくに魅了された、と言っても過言じゃなかった。

小さい分、味が染みやすく、食感も面白い。

なんたってこいつは、出汁が染みてるように見えて、中の方はしっかりとこんにゃくなのだから。

恐らくはこの厚さが、最も正しいバランスを楽しめる。

薄いこんにゃくにカラシをたっぷり。

そこでまた、熱燗。


男「とりあえず、全種類いったか」


鍋をのぞき込むと、中からまだたくさんの串が伸びている。

食べる。

呑む。

食べる。

呑む。


鍋から串が減っていく。


食べることは、失う事だ。

食べたぶん、失われる。

意識していなければ、失ったことにすら気付けない。

僕は、僕の大切なものを食べ尽してしまったのだろうか。

願わくは、失われたものが、僕の中で十分に栄養になるように。


大学4年のある日。

資格を取得し、卒論も終わり、就職先も決まった。

だが僕は、また全てを失っていた僕は、言い様のない虚無感に襲われた。

あの時、誰も居なくなった実家で、今日と同じおでんだった。

食べて、失われていく。

鍋から色が消えていく。

気づいたら残りの具は一つ。

この具が失われたら、僕の器には何も無くなってしまいそうで。

じっと鍋を見つめ、そこから動けなくなった。

スープの中に天井の明かりの紐が映りこんでいた。

僕にとって味の記憶は、喪失の記憶。


ピンポーン

意識を寸断するように、不意に鳴ったチャイム。

ああ、次は僕は何を失うんだろう。

この報せは、僕から何を奪うんだろう。

もう僕の器には、僕しか入っていないのに。

あの日はごちそうさまを言わなかった。


今回チャイムが鳴るのは明日。


だから今日はここでおしまい。


男「ごちそうさまでした」


⑩ 『失敗オムライスと何よりもご飯を美味しくするもの』



部屋の中は段ボールの山。

概ねは終わったか。

埃を吸ってもらいたくはないので、この辺で掃除は終わり。


冷蔵庫を開けると、ほとんどモノは残っていない。

生卵4個と、あとはだいぶ前に作って冷凍したチキンライス。


男「うん、オムライス以外の選択肢無し」


チキンライスをレンジでチン。

温まったところでそれをもう一度フライパンで炒める。

その時点で僕はリビングに。

本でも読んで時間を潰そう。


台所から聞こえる音。


あー・・卵入れたら火加減は・・・あー・・

声には出さない。

僕は父に似て寡黙だから。

まあ、たまには独り言も言う。


しょうがない、音聞くと気になっちゃうから。

イヤホンをしてケータイでアニソンを聴く。


しばらくすると、僕のイヤホンが外された。


机の上にはうまく包めていないオムライス。


女「ゴメンねー・・うまく巻ききれない」

男「別に大丈夫。今度また、うまく巻く方法教えるから」

女「うん」

男「じゃあ食べようか」


女「ねえ、この絵、あなたが描いたの?」

男「うん。そうだよ。この部屋から見える景色」

女「すごくキレイな空の色だね」

男「ありがとう」

女「さすが元美術部!」

男「幽霊だったけどね」

女「あなたの絵、初めて見た」

男「うん、だって10年ぶりくらいに描いたし」

女「また、描いてよ」

男「うん」

女「私、絵のことはよく分からないけど、見ているとなんだかすごく温かい気持ちになるの」

男「そっか」


女「ね・・・えっと・・オムライス、味どう?」

男「おいしいよ。包み方はアレだけど。味はとてもおいしい」

女「うーん・・・いつか文句が出ないようなの作れるようになるよ」

男「うん、期待してるよ」

女「もう、突っ返したりしないでね」

男「うん。二度としないよ」


二度としない。

もう、間違わないために。

手の中にあるものが、零れてしまわないように。

これからは、僕は怖がらずに、僕の周りの全てのものを大切にしよう。

まずは手始めに、僕の家族を。

僕を忘れないでいてくれた君という家族を。

そして、もうすぐ3人になる僕の大切な家族を。


孤独だと感じるときがある。

不幸にも、大切なものを失ってしまうときもある。

そんな時でも人は、ご飯を食べなければいけない。

ならばせめて、おいしく、楽しく。

でもきっと大丈夫。

全てを失ったと感じるときだって、よく周りを見渡してみる。

必死になって生きていれば、必ず誰かが見ていてくれる。

一人で食べるご飯は自由だ。

でも誰かと食べるご飯はおいしい。

酒が無くても、辛い過去があっても。

あなたと食べるご飯は、幸せで、一人で食べるどんなご飯よりもおいしい。


今日で僕の単身赴任はおしまい。


男・女「ごちそうさまでした」


エピローグ 『ミックスサンドとホットコーヒーそしてオレンジジュース』



「いただきます!」


少女がおいしそうにサンドイッチをほおばった。

男もつられて、皿の上の白い三角形を口に運ぶ。

コンビーフと玉ねぎが、レトロでどこか懐かしい。

美術館に付随している小さな喫茶店は、初めてきた場所でもなぜ懐かしさを覚えるのか。


「ママも貰うね」


彼の妻は卵サンドを手に取る。

潰したゆで卵をマヨネーズで和えた関東風の卵サンドである。

彼と彼の妻はホットコーヒー。

少女はオレンジジュースをストローで吸い込む。


「すごく良い絵だったね」

「うん」


「よっ」

「あ、席開けますね」


彼は荷物を置いていた椅子を空け、差し出す。

栗色の髪が揺れて、少し年季の入った茶色い椅子に着地する。


「あ、初めまして。私この人の妻です」

「はい、聞いてます。初めまして」


二人は笑顔で笑い合った。

女同士と言うのは簡単に打ち解け合うものなのだ。

主に彼の昔の話で盛り上がっている。

少女は、何だかつまらない、と言う顔で残り少ないオレンジジュースをジュルジュルと啜る。


「今日は本当にお招きいただいて、ありがとうございました」

「いいのいいの。コレが居なかったら今日の個展だって開けなかったと思うし」

「先輩、僕、コレ扱いですか?」

「はははっ」


「ママ、おしっこ」

「あ、ハイハイ。じゃあ、ちょっと失礼しますね」


彼の妻と娘が席を立った。


「さて、どうだった?」

「え?何がです?」

「あたしの絵、さ。どれが一番好き?」

「そうですね。一番奥にあった100号のやつですかね」

「うん、そっか。君には何に見えた?」

「・・・そうですね。海ですかね」

「そっか」

「深くて、染み込むようで・・・でも、海の底ではないです。」

「うん」

「晴れた空が映った、水面の色に見えました」

「・・・そっか」


「ありがとうね」

「え?何がです?」

「君に会って気付いたんだ。私に足りないもの」

「僕は、昔の先輩が描いた、深い青も好きでした」

「・・・君はね、私によく似てた。家族が居ないことも、友達が居ないことも」

「・・・」

「あたしにはね、本当は分かっていたんだ。あの時賞が取れなかった理由が。君だって、分かっていたんだろう?」

「・・・先輩」

「もうあたしには、あの悲しみの色は出せない。君を知ってしまったから」

「・・すみません、僕、」

「いいんだ。代わりに、今は空を見上げる色が出せるようになったから。あのまま君に寄りかかっていたら、傷の舐め合いになって、あたしは、絵が描けなくなっていたと思う」


そこまで言うと、サンドイッチ皿に付け合わせとして乗っていた、ポテトチップスを口に入れた。


「あたしは君のおかげで、自分の夢を実現することが出来た」

「そんな・・先輩の実力です」

「うん、じゃあそういうことにしておくよ」

「・・・先輩」

「ん?」

「お忙しいと思いますけど、たまには遊びに来てください。妻も喜ぶと思います」

「うん、まあヒマなときね」

「ええ。エビのしっぽでも用意しときますから」

「あはは。そりゃあいいね」


イスから立ち上がり、彼を見下ろした。


「じゃあさ、あたしはまた会場もどるから」

「あ、ハイ」

「見に来てくれてありがとね」

「また、個展やる時は教えてくださいね」

「うん、それじゃーね」


あたしの絵に足りなかった色を教えてくれた、あたしとよく似た彼を背にして歩き出した。

あっと、まだ、勝手につまんだポテチのお礼を言ってなかったな。

このまま振り返らずに、でも、ちゃんと言おう。


これで、あたしの初恋はおしまい。


「ごちそうさまでした」


おわり


スレタイ詐欺申し訳ありませんでした。

私はお酒では日本酒が一番好きです。

日本酒について書いていくと、たぶん私の故郷の酒を推しまくってしまう気がしてやめました。

でも最後にちょっとだけ私の好きな日本酒を紹介します。

私の故郷、会津のお酒で『蔵粋』と言うのがあります。

たぶん今は、袋吊りしずく酒の大吟醸が出来ているころだと思います。

わずかな酸味としっかりした麹の香りがとても素晴らしいお酒です。

もし機会があったら呑んでみてください。

蛇足失礼いたしました。


最後まで読んで下さってありがとうございました。
以前書いたものです↓


女「じゃあさ、初恋の思い出とか語ってよ」 男「うざっ」
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またお会いできる日を楽しみにしています。


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