【艦これ】響「ウラジオストクのヴェールヌイ」 (930)


※地の文、オリジナル艦娘、独自設定あり


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―2015年 7月某日―

―日本・茨城県太平洋沖―


響(ヴェールヌイ)「…………」


   夏の盛りなのに、風は冷たい。
   空一面を雲が覆っているからだろうか。

   輸送艇を改造した司令船。私はその舳先に立って、海の向こうをぼうっと見ている。
   後ろからは、司令官や姉妹たちの賑やかな声が聞こえてくる。


暁「司令官、おにぎりっていくつ持ってきたの?」

提督「なんだ暁、もう腹減ったのか」

暁「ち、違うってば! これはその……そう! 食糧の貯蔵量の確認で」

提督「分かってる分かってる……ちゃんと人数分用意してるよ」

雷「お米とか海苔は大丈夫? 足りなかったらいくらでも作ってあげるわ!」

電「だ、ダメですよ……大事な食糧なんですから」

提督「そうそう。この船すっとろいからなぁ、下手したら2日はかかるかもしれん」

雷「えぇーっ!?」

暁「もうちょっと速いの無かったの? 司令官!」

提督「文句言うなよ。艤装でウラジオまで行くなんて疲れるだろ? 燃料だって馬鹿にならん。
   それに引き換え、この船なら……」ズズッ

暁「あっ、何そのイス!」

提督「ほーら、こうやって寝っ転がってても着く」ゴロゴロ

雷「だらしないわねー……」

電「これだから少佐どまりなのです」

提督「……言うようになったな、お前」

響「…………」

暁「…………」


   背後からトテトテと足音が聞こえる。
   暁がすぐそばにやってきたようだ。


暁「……ねぇ、響。どんなところなの? ウラ、ウラジ……って」

響「ウラジオストク?」

暁「そ、そう! ウラジオストク!」

響「……そうだね。雪はあんまり降らなかったかな」

暁「へぇー、ロシアってどこも真っ白って思ってたけど」

響「流石にそれはね……それに、夏も結構暑かった」

雷「港町だったんでしょ? 横須賀とどっちが立派だった?」

電「おっきな橋があるって聞いたのです」

響「橋? あぁ、あれは最近……」


   いつの間にか、雷と電も近くに来ていた。
   提督は相変わらず、ビーチベッドみたいな椅子で休んでいる。


暁「本で見たけど、あの駅も素敵よね……レディや紳士がたくさん乗ってるのよ、きっと」

提督「こらこら、観光に行くんじゃないんだぞ。合同演習だ、合同演習」ゴロゴロ

暁「司令官だってお休みモードじゃない!」

提督「俺の仕事は向こう行ってからだ。航行は副長さん達に任せたよ。俺よりよっぽど信用できるぞ」

電「……でも、司令官さん。合同演習って、もっと大規模な艦隊でやるんじゃないんですか?」

雷「そうよね。私たちだけなんて……」

提督「……知ってのとおり、ロシア海軍も近年になって純国産の艦娘を建造し始めた」

提督「ドイツやイタリアに引き続き、旧連合国側も着々と艦娘を増やしてるわけだな」

提督「何せ、深海棲艦は世界中の海にいる……ロシアだって例外じゃない。
   北方海域から流れてきた奴が、オホーツクや日本海にたびたび出没してるんだ」

提督「ただ、厄介なことに……何でもあの辺りは、潜水艦タイプが妙に多く出てくるらしい。   
   それなのに、ロシア側の艦娘隊には、対潜のノウハウがほとんど無い……」

響「……ほとんど、ってことは無いと思うよ」

雷「?」

提督「ま、あくまで聞いた話だからな。だが何にせよ、ロシア側は対潜技術の向上を求めている」

提督「そこで、今回の演習ってわけだ。日本艦娘の優れた対潜技術を、何としてもモノにしたいんだろう」

電「でも、それなら由良さんや五十鈴さんが……」

提督「何言ってる。『横鎮の六駆』って言やぁ、対潜戦闘じゃトップクラスって有名だぞ?」

雷「あー……たくさんやったわよね、対潜哨戒」

暁「由良さんたちにも褒められたわよね」

提督「あちらさんが欲してるのは、装備でも性能でもない。経験だ」

提督「俺が手塩にかけたお前達が、その実績を見込まれて選ばれたんだ。
   ……光栄なことじゃあないか、なぁ」

電「……はい!」

暁「ま、まあ当然よね! そのくらい」

雷「まっかせなさい! ロシアの子たちもしっかり面倒見てあげるわ!」

響「……ふふっ」

暁「あ……」

響「? どうしたんだい?」

暁「ううん、その……ちょっと安心したの。響、さっきからずっと怖い顔だったじゃない」

響「え? ……私が?」

電「はい……ちょっとだけ」

雷「いつも以上に無口だったしね。あんまり、ロシアに良い思い出が無いのかなって。
  ……ごめんなさい。色々聞いちゃって」

響「……嫌な思い出なんかじゃないさ」


   吹きつける風に、帽子を押さえる。
   指に触れる、小さな2つの感触。団結の槌と鎌、希望の星。


響「いつだって変わらないよ。楽しいことも、悲しいことも……全部あったから、今の私がいる。
  ……こうやって船の上に立ってると……いろんなことを思い出すんだ」

暁「……ねえ、響。よかったら……」

響「……昔話?」

暁「あっ、だ、ダメならいいのよ。でもね、妹が寂しくなかったかっていうのは、お姉ちゃんとしてしっかりと……」

雷「あ、私聞きたい聞きたい! 響、昔の事はぜーんぜん話してくれないじゃない!」

響「まあ、あんまり……そういう機会がなかったからね」

提督「……そうだな。俺もちょっと興味がある」カチャカチャ

電「響ちゃんさえよければ……私も聞いてみたいのです」

響「…………」

暁「ど、どう? 響……」


   暁はちょっと不安そうに、雷と電は目を輝かせて、私の答えを待っている。
   提督は提督で、人数分の椅子を用意しはじめた。いつの間にか甲板に置いていたらしい。


響「……そうだね。これも、いい機会かもしれない」


   私の返事を合図に、みんながパッと笑って椅子に座る。
   自分の事を話すと思うと、なんだか少しむず痒い。
   
   椅子に座りながら、司令船の進む先に目をやる。
   さすがにまだ、あの広大な大陸は見えない。


響「……実はね。ちょうど、この時期だったんだ」

電「えっ?」

響「……1947年の7月。あの時は夜だったけど、やっぱり空は曇っていた」

響「星も月も、ちっとも見えない。……ほんとうに、暗い夜だった――」



            эп.1


   Бухта Золотой Рог

           ―金角湾―

―1947年 7月7日 夜―

―ソ連・ウラジオストク近海―

―駆逐艦「ヴェールヌイ」・甲板―


水兵A「……まるで信じられんね」

水兵B「馬鹿言うな、俺だけじゃない……ソ連の奴らも見たって言ってんだ。
     1人や2人なんて数じゃあない」

水兵A「四六時中酒浸りの奴らだ。お前も一緒に飲んでたんだろうが」

水兵B「あんな酷いもん飲んでられっか! 本当だ、本当にいたんだよ……」

水兵A「……『白い髪の女の子』ねぇ……」

水兵B「誓ってもいい! 昨日の真夜中だ。艦首に、俺のガキと同じくらいの、髪の真っ白な女の子が……
    そうだ、黒い帽子を被ってた。服も確かに水兵の……」

水兵A「へいへい……で、別嬪だったか?」

水兵B「あ? まぁ……多分」

水兵A「そりゃあいい。一度はお目にかかりたいもんだね」

響「どうだろう……やっぱり人によるみたいだよ。こっちの人は才能あるけど」

水兵B「 」

水兵A「……ん?」


   ――泡を吹いて倒れた水兵さんを、もう一人が慌てて運んでいく。
   ちょっと悪いことをしてしまったかな。
   でも、あんなに若いのに私たちが見えるのは、結構すごいことかもしれない。

   この頃の私たちには、まだ身体が無かった。
   艦の魂、艦の化身……平たく言えば、フネの幽霊。
   当然、身体がないなら艤装もない。だから、外見は普通の人と変わらない。


響「…………」


   夜の海は静かだった。
   私の他に海を走るのは、ソビエトから来た随伴の潜水艦。
   ……捕虜を連行する憲兵だ。


響(……もう、2年も経つんだね)

   ――実を言うとね。あの当時……私は、かなり腐っていた。


   姉妹はみんないなくなって、私だけが沈み損なった。
   最後の最後まで機銃を撃っても、私たちの負けは覆らなかった。


   ……戦い続けたかったわけじゃない。沈みたかったわけでもない。
   ただ……どうしようもない虚しさしか、私には残っていなかった。


   復員艦の仕事は嬉しかったよ。
   やっと、兵隊さんたちを休ませてあげられる……そう思うと、虚しさも吹き飛んだ。


   そして、全てが終わったら……私も休みたいと思った。
   生まれ故郷の舞鶴に帰って、毎日静かに海を見て……。


   けれど……

水兵A「……ったく、あいつは……」

ソ連水兵「Привет!」ドタドタ

水兵A「え?」

ソ連水兵「Где инженер?  инженер!」

水兵A「インヂ……ああ、Кроме того, турбины?」

ソ連水兵「Да. Посмотрите на него.」

水兵A「はいよ……どこ行ったかな、おやっさん」

 
響「…………」


   ――私は、売られた。
   
   かつての敵国、ソビエト連邦へ。


   いや、その言い方は正しくないかもしれない。
   私が引き渡されたところで、祖国には何一つ得がない。
   
   ……賠償だ。敗北のカタに、捨てられたんだ。

   あれだけ、必死で戦ったのに。
   あれだけ、姉妹を失ったのに。
   あれだけ、兵士を帰したのに。

   ――私は、祖国に捨てられた。

   ――そんな風にしか、思えなかった。


響「…………」


   今なら分かる。私が選ばれたのは、ただの運だった。
   抽選で選ばれた賠償艦。国の人たちも、私を捨てようとしたわけじゃなかった。

   ……でも、でもね。
   あの時は、そんなの、知る由もなかった。


響「……信頼、か……」


   『ヴェールヌイ』。
   ウラジオストクに運ばれる前、ナホトカという港に立ち寄ったとき。
   ソ連の人から、その名を貰った。
  
   水兵さんの話によれば、「信頼できる」って意味らしい。
   ……私は、もう、「響」じゃなかった。


響(……何が信頼だ。こんなことになって……何を信じればいいって言うんだ)


響「……?」


   ふと、夜の海から視線を感じた。
   右舷方向に目を凝らす。ちょうど、ソ連の潜水艦がいる辺りだ。


?「…………」


   海上を進む潜水艦。その上に立った人影が、こちらを見つめていた。
   短く切り揃えられた、淡い銀色の髪。月明かりもないのに、ぼうっと輝いていた。
   
   おそらくは、あの潜水艦の艦娘だ。
   女の子に間違いないはずだけど、遠目からは繊細な少年のようにも見える。


響「…………」


   しばらく互いに視線を交わし、それから自然に目を逸らした。
   見据えなければならないものは、他にいくらでもあった。


―ウラジオストク・埠頭―


   到着したのは翌日の未明。
   港に係留され、諸々の手続きが行われる中、私は埠頭を散策していた。
   
   艦から離れすぎない距離ならば、私たちは自由に歩き回れた。
   横須賀や舞鶴にいたときも、しばしば鎮守府内を見て回ったものだ。


響(……意外と広い)


   繋がれた艦船の数は多い。
   そのほとんどは、小型・中型の潜水艦だった。


?「――、―――」

?「――? ――――、――……」


   埠頭にいる他の艦娘たちから、奇異の視線が向けられる。
   何を話しているのかは聞こえなかった。
   距離もあるし、なによりロシア語も分からない。


?「…………」

響(ん?)


   あてもなく歩いている途中、背の高い艦娘とすれ違った。
   
   髪型は少し横に広がったおかっぱ……今で言うボブカットかな。
   色は、まぶしいくらいの金色。
   ギザギザに切られた前髪の下から、鋭い眼光が覗いていた。意志の強そうな、薄茶色の瞳だった。
   服装は士官風で、派手な飾りはない。巡洋艦かもしれないと、何となく思った。


金髪「……япошка」


   すれ違いざまに、金髪がぼそりと言う。
   やはり意味は分からない。でも、察せられるものはあった。

   ――決して、歓迎はされていないらしい。

―基地内部・廊下―

響「…………」


   その後も、いろいろ歩き回って……
   夜が更けるころには、埠頭も基地も、ほとんどの施設を見終わってしまった。

   
響(……戻ろうか、そろそろ)


   そう思って、来た道を引き返そうとした……その時だった。


?「……!」バッ

響「!?」


   振り向いた先のつきあたりに、一瞬だけ小柄な人影が見えた。
   角に隠れたみたいだけど、誰かがあそこにいるらしい。
   小さな三つ編みのお下げが、廊下の角からはみ出している。

響「…………」

?「…………」

響「…………」

?「…………」ソローッ


   しばらく黙って見ていると、その子がおそるおそる顔を出した。

 
三つ編み「……Э-э……」

三つ編み「Привет, как дела?」

響「……?」

三つ編み「Я Тбилиси. Как тебя зовут……?」

響「…………」


   おどおどしながらも話しかけてくれた。それは嬉しかったけど、返事をすることはできなかった。
   すまないが、ロシア語はさっぱりなんだ。
   気の毒だとは思ったが、視線を返すぐらいしかできない。

響(……駆逐艦、かな)


   ――目の前の女の子を、じっと見据える。
   斜めに分けた亜麻色の髪を、両方の耳のやや後ろから、三つ編みにして垂らしている。

   ぱっちりとした群青色の目は、どこか不安そうに震えていた。
   一目で駆逐艦と分かる、幼い顔だった。

   服は、ベルトで留めた白い水兵服。
   青と白の横縞が、襟のところから覗いていた。
   下には濃い灰色のスカート。足には白いタイツを履いていた。


三つ編み「――!!」


   目が合うや否や、その子はびくっと身を震わせる。
   そして再び角に引っこみ、そのままどこかに行ってしまった。

   ……目を凝らしすぎたのかもしれない。にらんだつもりはなかったんだけどね。
   顔も少し、怖かったかな。


響「…………」

?「あーあー、怖がらせちゃって、まぁ……」

響「っ……!?」


   背後から聞こえた声に、慌てて振り向く。
   いつの間にか、別の誰かが来ていたらしい。

   ――しかし、それよりももっと驚いたのは……


響「日本……語……?」

?「……戦争に来たわけじゃあないんだ。
  適当に仲良くやっといた方が、互いのためだと思うけどね」
 

   背の高い1人の艦娘が、廊下の壁にもたれかかっていた。
   髪は深い栗色。後ろにひっつめ、団子にしてまとめ上げている。
   額の真ん中と両方のもみあげからは、波打つ後れ毛がひょろりと垂れ下がっていた。


響「……ソ連の艦なのかい?」

?「もちろん。太平洋艦隊所属、正真正銘のソビエト艦だ」


   陰りのある金色の瞳が、垂れ目がちな目から覗いていた。
   口は片側だけが小さく吊り上がって、どこか冷たい笑みを作っていた。
   良く言えば頭の切れそうな、悪く言えば小賢しそうな、そんな印象の人だった。

響「……どこでその言葉を?」

?「この国から一歩も出ちゃあいないよ。
  真面目に敵の言葉を学んでたのが、私ぐらいのもんだったわけ」


   士官服を女性用に仕立て直したような服。
   縦2列に並んだ金のボタン、腰を引き締める革のベルト。前側に切れ目の入った細いスカート。

   ――そう言えば、さっきすれ違った金髪の艦娘と、そっくりそのまま同じ服だ。
   なら、同じ型の巡洋艦だろうか。


響「……なら、独学で?」

?「お勉強が好きなもんでね……暇つぶしにパラパラやってたら、いつの間にやら先生役だ」

響「……先生?」


   流暢に日本語を話しながら、その人がゆっくりと歩いてくる。
   私より、頭2つ分は背が高い。

  
?「巡洋艦、ラーザリ・カガノーヴィチ。金角湾イチのインテリだよ。……自分で言うのも何だけど。
  ここの代表から、あんたの世話役を仰せ付かってる」


   へらっとした敬礼をかまして、その人――ラーザリが言う。
   どんな形であれ、敬礼には敬礼で返さねばならない。


響「駆逐艦、ひび……ヴェールヌイ。本日付けで、ソ連海軍太平洋艦隊に――」

ラーザリ「ああ、いいからいいから、そういうの。大体のことはもう聞いてる」

響「……そうか」

ラーザリ「ま、世話役なんて言ってもね、せいぜい言葉を教えるぐらいだ」

ラーザリ「その後は自分で適当にやってよ? 面倒見のいい方じゃないんでね……」

響「……自分のことは自分でやるよ」

ラーザリ「ん、ならいい…………」

響「……? 何か?」

ラーザリ「……いや。ヤポンのセーラー服は、どんなもんかと思ってね。
     バッジは適当に着けておくといい。うるさい奴もいるんだよ……」

響「バッジ?」

ラーザリ「貰ってない? 鈍器と刃物とお星様……」

響「……?」


   そう言われて、ポケットの中を探る。
   ――指の先に、小さな感触があった。


響「……!」
 

   ポケットから取り出して、目を疑う。
   小さなバッジが確かにふたつ、手のひらの中で輝いていた。

響「おかしいな、いつから……」

ラーザリ「ふぅん……ま、そんなもんか。私たちだって、気付いたら持ってた」

響「識別章だろう? どこに着けるんだい?」

ラーザリ「どこに着けたって同じだよ。ほとんどの奴は気にしちゃいない。
     ……気にする馬鹿もいるけどね」

響「じゃあ、君はどこに?」

ラーザリ「ポケットの中」

響「…………」


   ――なるほどね。
   どうにも、こういう人らしい。


ラーザリ「さて……来たばかりで悪いけど、さっそく授業だ」

響「え?」

ラーザリ「できるだけ早いうちに、って指示でね。
     ペラペラになれとは言わないけど……聞き取れるようにはなってもらう」

ラーザリ「艦長の指令が分からないんじゃ、航行どころじゃないからな……」 
   
響「…………」


ラーザリ「……改めてようこそ、ヴェールヌイ。
     東の最果て、ウラジオストクへ」

――
――――
――――――――


雷「へえー、じゃあ、その人がロシア語の先生なのね?」

響「うん。それから1週間は、朝から晩まで勉強づけさ」

提督「……1週間?」

響「? ああ……」

提督「……あ、1日中勉強したのが?」

響「読み書きと会話ができるまで、だけど」

提督「」

電「す、すごすぎるのです……」

響「ほかにやることも無かったしね。それに、私たちは物覚えのいい方だろう?
  乗っていた水兵さんのことだって、1人1人ちゃんと覚えてる」

雷「あ、それもそうね」

提督「……自信無くすなぁ。向こうの通訳は任せたぞ」

響「……兵学校でロシア語やってたんだろう?」

提督「今は防衛大。……そりゃまあ、3年は勉強したがよ、今じゃ日常会話も怪しいんだから」

響「あれ? おかしいな、この前……」 

暁「でも響、そのラーザリさんって人、結構ヘンな人だったのね?」

響「うん? まあ……変わった人ではあったかな、確かに」

雷「ロシアの艦娘って、もっとこう……こわーい人かと思ってたけど」

響「……まあ、少なくとも彼女は違ったよ」

暁「ねえ司令官。インテリ、って?」

提督「ん? そりゃまあ、俺みたいな奴……」

響「…………」シラーッ

提督「……知識階級、っていう意味の言葉でな。元はロシア語だ。
   お役人とか文学者とか、頭を使うことを仕事にしてる人たちだよ」

暁「ふぅん……」

雷「話を聞いてるだけだと、なんだか適当そうな先生だけど……
  教え方はちゃんとしてたの?」

響「……そうなんだよ。今でも不思議なんだけど……」

――――――――
――――
――

―1947年 7月 第2週―

―基地内部 図書室―


響「あー、あな、すとぅじぇんた……」

ラーザリ「студентаは男性名詞だよ。紹介したいのは女の子、つまり……?」

響「……! す、すとぅじぇんか」

ラーザリ「正解、次は発音だ。『де』は音が一緒にならないように、こう……『де』……」

響「じえ」

ラーザリ「……へっ、こりゃ大変だ」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


ラーザリ「Над седой равниной моря ветер тучи собирает」  

響「……上? 灰色の……ああ、灰色の海の上を……
  風、雲……『風と雲が集まる』、でいいかな?」

ラーザリ「だいぶ耳も良くなったか……けど今、1個抜かしたよ」

響「あれ?」

ラーザリ「Над седой равниной……」

響「ああ、 равн……ええと……」

ラーザリ「シベリアにはそこら中にあるなぁ……」

響「――『平原』! 『灰色の海原を』……」

ラーザリ「ん。まあ、まだまだ簡単だけど……」


   ちょうどその時。
   部屋の外から、消灯時間を知らせるラッパが聞こえてきた。


ラーザリ「……もう終わりか。まーた1日使っちゃったよ。
     今日あたり、哨戒の報告書でも読んでやろうと思ってたけど……」

響「……ごめん」

ラーザリ「……ま、何だっていいけどね……」




――
――――
――――――――


響「……面倒だなんて言いながら、ちゃんと分かるまで教えてくれた。
  『暇じゃないんだ』なんて言ってるくせに、一日中付きっ切りで教えてくれたよ」

暁「へぇー……」

響「……彼女とは他にも色々あったし、手放しで褒められるような人でもなかった。
  けれど、恩を感じたのは本当だ」

響「もし、ラーザリに言葉を教わらなかったら……私はきっと、独りのままだった。
  淋しさに耐え切れなくなって、もっとねじくれていたかもしれない」

響「だからね、実を言うと、ラーザリのことは……今でも結構、尊敬してるんだ。
  本人は嫌がるだろうけどね……」

電「……ふふっ」


――――――――
――――
――

―1947年 7月中旬 昼―

―基地内部 廊下―


響(……さて、今日も……)

三つ編み「…………」ソーッ

響「あ……」

三つ編み「――!」サッ

響(……また、隠れてしまった)

響(そう言えば……あの子、毎日……)

―図書室―

響「『――あたかも炎の蛇のように、これら稲妻の反映は、海にもがいて消えてゆく』」

響「『嵐だ! もうすぐ嵐が来るぞ!』」

響「『勇気あふるる海燕、怒り叫ぶ海の上を、稲妻を縫って飛んでいる』」

響「『そして、勝利の預言者は叫ぶ。――嵐よ、激しく来たれ!』」

ラーザリ「…………」

響「…………ふぅ……」

ラーザリ「……Хорошо(上出来だ)。発音もおかしくない」

響「……ハラショー……」

ラーザリ「ん?」

響「なんだか、良い響きだ」

ラーザリ「へぇ、ヤポンの艦も駄洒落を言うのか」

響「…………」

ラーザリ「……分かった、分かったよ。こっちも冗談。
     しっかし、1週間でここまでとはね……」

響「まだまだだよ。読むのは少し慣れないし……」

ラーザリ「こうやって普通に話せてるんだ。目標は十分に達成したよ。
     ……私の仕事も、ようやく終わりだ」

響「…………」

ラーザリ「ま、なんだ……慣れないことはするもんじゃないね。
     もう教師役なんざ、頼まれたって――」

響「……ありがとう」

ラーザリ「……へ?」

響「……忙しいのに、ずっと付き添ってくれて……
  ラーザリがいてくれて、ほんとうに良かった」

ラーザリ「…………」

ラーザリ「……そんな顔もするんだ、あんた」

響「え?」

ラーザリ「……いいや。それに、礼なんていいよ。
     私は自分の仕事をしただけ。あてがわれたのもたまたまだ」

響「……有り難いよ、それでも」

ラーザリ「…………」

響「……そうだ、ラーザリ」

ラーザリ「ん?」

響「最初に会った日に、こんなお下げの女の子がいただろう? ほら、あの三つ編みの……」

ラーザリ「ああ、トビリシか」

響「トビリシ……?」

ラーザリ「駆逐艦だよ。……いや、正確には何て言ったかな……」

響「やっぱり、この艦隊の?」

ラーザリ「そりゃまあ、ね。……私はそこまで親しくないけど。いっつも1人で何かやってる」

響「……いつも? 姉妹艦とかは……」

ラーザリ「さぁね……少なくとも、ここにはいないらしい。
     他の駆逐艦の連中も、ほとんど埠頭には出てこないし……あいつが何か?」

響「いや……いいんだ」


   ――姉妹艦がいない、か。
   最初から造られていないか、別の艦隊にいるか、あるいは……


響(……よそう。私が気にすることじゃない)

響(……でも……)


 『Привет, как дела?』

 『Я Тбилиси. Как тебя зовут……?』


   ――あの時。
   あの子は、なんて言っていたんだろう。


響「…………」

―埠頭―

響「…………」


   夜の埠頭を当てもなく歩く。
   こうやって外を見て回るのも、ひどく久しぶりな気がした。


?「だ、駄目です! 無理ですよっ、そんなの!」

?「――やかましい! 今度ばかりは本気だぞ!」

響「……?」


   倉庫の陰で、誰かが言い合っている声がする。
   見てみれば、あの三つ編みの女の子と、最初の日にすれ違った金髪だった。


金髪「奴ら、私たちを完全に締め出す気だ。哨戒任務の報告を問うたら……奴ら、何て言ったと思う!」

三つ編み「え、えぇ?」

金髪「――『輸送艦が知ってどうする』……そう言って、下品に笑っていた!」

金髪「同志の、ソビエトの守護を託された私を! 役立たずの輸送艦呼ばわりだ!」

三つ編み「えと、その、あの……」

金髪「このままでは、太平洋艦隊は潜水艦に乗っ取られる。
   現に奴らの棟梁が、何食わぬ顔で代表気取りだ! こんな横暴が許せるか!?」

三つ編み「お、横暴って、別に……」

  
   前は気付かなかったけど、金髪の人も三つ編みの子も、
   左胸に例のバッジを着けていた。


金髪「……蹶起だ。こうなれば革命しかない。水上艦総出で抗議集会を開く!」

金髪「駆逐艦たちも束ね上げれば、奴らも無視できない規模になるぞ! 
    トビリシ! あいつらを全員集めろ!」

三つ編み「むっ、無理です! だから!」

金髪「無理とは何だ! 嚮導艦だろう!?」

三つ編み「だっ、だって、ほとんど話したことないし、それに…… ――!」

金髪「……? ――!」

 
   三つ編みの子と金髪が、私の存在に気付いたらしい。
   私はというと、かなり驚いていた。   

   気づかれたことに対してではなく……ロシア語の会話が完全に理解できたことに。
   ――為せば成る、とはよく言ったものだよ。

響「…………」

金髪「……何だ、あの日本艦か」

三つ編み「あ、ええと……」

金髪「盗み聞きか? 悪趣味なものだ……ヤポーシュカの艦は皆こうか?
   それとも、間諜でもしていたつもりか」

三つ編み「! あ、あの……!」

金髪「気にするな、どうせ分かりはしない。 ……全く、得体の知れん奴だ」

金髪「こっちに来たきり、一言も喋らん。一体何を考えて……」

響「……そうか。なら、これで少しは分かるかな?」


   その一言を発した瞬間、空気がぴしりと凍った気がした。
   ソビエト艦の2人の顔が、一瞬のうちに驚きに満ちる。

金髪「――ッ!?」

三つ編み「……あ……え……?」

響「……盗み聞きをして悪かった。
  でも、間諜なんてするつもりはない。もう、そんな事をしたって仕方ないんだ」

金髪「…………」


   ばつの悪そうな顔をして、金髪の人が去っていく。
   別にこちらに非は無いけれど……何となく、悪いことをした気分だった。


三つ編み「……え、えっと……」

響「大丈夫か?」

三つ編み「あっ、う、うん……」

響「……あの時は、だんまりですまなかった」

三つ編み「え?」

響「言葉は分からなかったけど……話しかけてくれて、嬉しかった」

響「ちゃんと喋れるようになったから、改めて話してほしいんだ」

三つ編み「…………」

響「……?」

三つ編み「……っ……!」ポロポロ

響「――!?」

響「な……え? どうしたんだ……!?」

三つ編み「ちっ、ちがうの……ぐすっ、その……
      きっ、嫌われてなくて、よかったって…………」

響「……はい?」

三つ編み「だ、だって、あんなに怖い顔で……な、なにも話してくれないし、だから……!
      うぅぅ……よかったぁ……よかったよぉ……」

響「あ……そ、そう……」

三つ編み「わ、わたしね、トビリシっていうの。嚮導駆逐艦のトビリシ……」


   涙を拭いながら、その子……トビリシが笑う。
   私よりも、ほんの少しだけ背が高い。


響「駆逐艦の、ひ……ヴェールヌイだ。よろしく」

トビリシ「ヴェールヌイ……すてきな名前ね」

響「……そうかい?」

トビリシ「ねえ、ヴェーニャって呼んでいい?」

響「え?」

トビリシ「あっ、い、嫌ならいいんだけど……」

響「……ううん、好きに呼ぶといい。……よく分からないけど」

トビリシ「本当!? よかった……
     あっ、そうだ! ヴェーニャ、ここに来たばかりでしょう?」

響「うん? まあ、まだ1週間ぐらい……」

トビリシ「ここのこと、色々教えてあげる! ついて来て!」ギュッ

響「えっ、ちょ、ちょっと……!」


   私の手を握ってトビリシが駆け出す。
   彼女の賑やかな基地案内は、日付が変わるまでずっと続いた。

   ――これが、最初の一歩だった。
   ソ連で初めての、駆逐艦の友達。そして……ソ連で一番の親友。

   長い友情の、始まりだった。

――
――――
――――――――


響「……これが、最初の1週間。何て言おうか……濃かったよ」

雷「……友達、ちゃんとできたのね」

響「うん……いや、何かひっかかるけど」

暁「でも、その金髪の人……なんだかちょっとイヤな感じね」

響「……仕方ないよ。彼女も色々とあったんだ」

電「あ……じゃあ、その人とも?」

響「もうちょっと後の話だけどね。それから――」

 『プツッ――提督、提督。至急ブリッジへお戻りください――』

提督「あ……ったく、しょうがないな、もう……」

響「何だろうね?」

提督「さぁ……航行ルートがどうのって話かもしれん。
   ま、いいや。すぐ戻るから、話進めないでくれよ?」

響「Да, 司令官」


   甲板を去る司令官。
   後には私たち姉妹だけが残った。


暁「ね、ね、響。そのトビリシちゃんって子のこと、もっと教えて!」

電「響ちゃんの、最初の友達ですもんね」

雷「結構明るい子だったんでしょ? もう寂しくなんてなかったのよね」

響「……まあ、うん。そうだね。そうだった。
  明るくていい子だったよ、本当」

響(……だけど……)

――――――――
――――
――


トビリシ「それでね、あの小屋が薪小屋でね。湿っちゃったのもずっと置いてあるの。
     困るわよね、間違えちゃったら。急に火の勢いが悪くなっちゃうわ。
     あと、あ、そうそう! ここからは金角湾がぜんぶ見えるの!
     あそこに立ってるのがアパートでね……そうだ! あの辺りにはよく子供たちが……」ペラペラ

響(……だ、誰か……)ゲッソリ




     【Продолжение следует............】


第1話終わり だいたい全12話ぐらいの予定
次回はまた近日中に

第2話、長くなったので2~3回に分けて投下します

―2015年 7月某日―

―日本・東北地方沖―

提督「ふー……あ、悪い。お待たせ」

響「少し遅かったね。どうしたんだい?」

提督「いや何だ、低気圧が来てるらしくてな。まあ、向こうに着くまでは大丈夫だろ」

響「そうか……」

電「それで、響ちゃん。お友達が出来てから、どうなったのです?」

暁「決まってるじゃない! 着々と人脈を広げていって、『響王国』ができたのよ!」

雷「そうそう! ロシアの海で暴れまわったのよね!」

響「いや、その……そもそも、任務についてたのは最初の1年だけなんだ」

暁「えぇー?」

響「48年には前線から退いて、それからはずっと練習艦。
  たまに海に出ることもあったけど……戦闘なんて一度も無かったよ」

雷「なーんだ……」

電「でも、戦いが無いのが一番なのです」

響「そうだね……あ、でも、演習だったらたくさんやったよ」

提督「演習?」

響「うん。……と言っても、水兵さんのやるような、本当の演習じゃないけどね」

暁「どういうこと?」

響「……私たちだけで、自主的にやったんだ。
  だいぶ遊びも入ってたけど……それでも、みんな本気だった」

提督「……? 艤装……は付いてないよな? その時」

響「……まあ、聞いてくれれば分かるさ。
  あの演習があったから……私は本当の意味で、みんなの仲間になれたんだ」



           эп.2


    Возьмите дрова
  
         ―薪を取りて―



―1947年 8月中旬 夜―

―ソ連・ウラジオストク埠頭―


響「……ふぅ……」


   ナホトカへの輸送任務を終え、本拠地のウラジオストクへ帰還する。
   艦隊を構成するのは、私と2隻の駆逐艦、そして旗艦のトビリシだ。


トビリシ「お疲れさま、ヴェーニャ」

響「ああ……」

トビリシ「どう? お仕事はだいぶ慣れた?」

響「……お仕事、ね……」

   
   修理や整備は万全のはずだけど、何となくガタが来ているのは否めない。
   ――仕方ないか。ずいぶんと無茶をしてきたんだ。


響「……トビリシは速いね」

トビリシ「そ、そう?」

響「ついていくだけで精一杯だよ」

トビリシ「……ありがとう。でも、わたしだってあれが全速力よ。
     ほんとはヴェーニャのほうが速いかも……」

響「まさか」

トビリシ「ほんとうよ。なんだったら、追い越してくれたってよかったのに」

響(……や、駄目だろう、それ)


トビリシ「……ねえ、ヴェーニャ。今日はもう任務終わり?」

響「ん? うん、確か」

トビリシ「じゃあ……えっと……どうする?」

響「……? どうするって……好きに過ごすけど」

トビリシ「……そう……」

響「…………」

トビリシ「…………」

響「……どこに付き合えばいいんだい?」

トビリシ「――!」パァァ

響(しょうがないな、この子は……)

―基地内部・食堂前 廊下―

響「――ボルシチ?」

トビリシ「そう! この時間なら、明日のぶんを仕込んでるのが見られるのよ。
     豚肉でじっくりブイヨンをね……」

響「見せたいものって、それかい?」

トビリシ「……興味ない?」

響「いや……別にその、食べられるわけでも……」

トビリシ「み、見てるだけでも楽しいじゃない」

響(そうかな……?)

トビリシ「それに、ただ見てるだけじゃないのよ。
     おいしそうに食べてるみんなの顔を、頭の中で考えるの。
     そうしてると何だか、ほわーってしてきて……それが本当に楽しいんだから」

トビリシ「……そりゃあ、まあ……ちょっとは、うらやましいけど」

響「へぇ……」

トビリシ「おじゃましまーす……」


   先導するトビリシが、食堂の扉をゆっくりと開く。
   誰もいないのに扉がバタンと開いたら、兵隊さんが怖がってしまうからね。
   本物の幽霊みたいに、壁や扉をすり抜けられたら便利なんだけど、
   私たちではそうはいかない。


響(……あれ? あそこ……)

―食堂―

金髪「――なぜ奴のことを黙っていた」

ラーザリ「別に大した理由じゃない。難癖付けてイビりそうなのがいたからね……」

金髪「……何だと?」

ラーザリ「自覚があるなら結構だ。早いとこ改めてほしいもんだね。
     誰彼構わず突っかかってさぁ……」

金髪「だが、ラーザリ……!」

ラーザリ「そもそも、あれは私の仕事だった。私が任された仕事なんだ。
     お前に報告する義務なんて無いよ」

金髪「……それでも、義理ぐらいはあっていいはずだ! 違うか!?」

ラーザリ「姉妹にいちいち御伺いを立てるのが『義理』か? 
     どんな恥かいたのか知らないけどね、私まで巻き込まないでほしいもんだ」

金髪「……こ、この……! ああ言えばこう言う……!」

ラーザリ「だからさぁ……ん? おぉ、お帰り」


   金髪と言い争っていたラーザリが、私たちに気付いて手を挙げた。
   金髪はこちらを一瞥し、口をへの字に歪ませる。



ラーザリ「どうだった、初任務は」

響「やっぱり少しガタが来てるね。まだしばらくは大丈夫だけど」

ラーザリ「ああ、そりゃ結構だ」

金髪「…………」

ラーザリ「……そうだ。こいつが面倒かけたらしいね」

響「面倒? 別に……」

金髪「…………」

ラーザリ「こいつは姉妹艦のカリーニン。私とは似ても似つかないノータリンで……」

カリーニン「ラーザリ! よくも姉に向かって――!」

ラーザリ「へいへい……」

響「姉? ラーザリの?」

ラーザリ「造られた順じゃあ、そうなってる……ほら、お前も何とか言えば?」

カリーニン「…………」

響「…………」

カリーニン「……マクシム・ゴーリキー型巡洋艦、3番艦のカリーニン。
       ヴェールヌイと言ったな、お前」

響「……ああ」

カリーニン「いいか日本艦! 陰口にならないようにハッキリ言ってやるが!
       私はお前を信用してない!」

響「はぁ……そうかい」

カリーニン「ラーザリやトビリシはどうか知らんが、この私の目は誤魔化せないぞ」

カリーニン「ヘンな真似をしたら、すぐにでもこの艦隊から追い出してやる! 
       ソビエト艦の誇りにかけてな! それだけはしっかりと覚えておけ!」


   そう言って、食堂を早足で去っていくカリーニン。
   ――ここまで敵意をむき出しにされると、かえってすがすがしいものだ。


ラーザリ「……ハァ……」

響「勇ましい人だね」

ラーザリ「……口だけだよ。まともな戦闘なんて一度もやってない。
      ――ま、あいつだけの話じゃないけどね」

トビリシ「…………」

響「……その、前の大戦では?」

ラーザリ「あいつは輸送任務がうやむやで中止。私に至っては建造中だよ」

トビリシ「わたしも、あのころは演習ばかりで……」

ラーザリ「この極東じゃ、戦闘経験のある艦のほうが少ないんだ。
      ましてや、あんたみたいな歴戦のフネは――」

響「…………」

ラーザリ「……くだんない話だったかね。
      ま、とりあえずさ。あの馬鹿に何言われたって気にしなさんなよ」

響「そう言えば、彼女はどこに?」

ラーザリ「さぁねぇ、まーた例の『訓練』かもね」

響「訓練?」

ラーザリ「爆雷投下だ何とか言って、小石とか薪を海に投げてる。
     ……正直、意味ないと思うんだけど」

トビリシ「まあ、実際にやるのは水兵さんですもんね」

響「……なんだ、航行の訓練とかじゃないのか」

ラーザリ「へっ、何だそりゃ」

響「……えっ」

ラーザリ「……ん?」

トビリシ「?」

―埠頭―

   ラーザリとトビリシを連れて、再び夜の埠頭へと出る。
   聞いた話の通り、カリーニンもそこにいた。1人で何かをやっていたらしい。


カリーニン「……おい、なんでお前たち……」

ラーザリ「お前の相手しに来たんじゃあないよ……ほら、あそこ」

カリーニン「……? あいつ、何を?」

ラーザリ「さぁてね……見てれば分かるらしいけど」


トビリシ「やっぱり、お月様が出てると明るいね……ね、ヴェーニャ」

響「…………」

トビリシ「……ヴェーニャ?」

響「…………」タッタッタ


   トビリシを横目に、早足で埠頭を進む。
   目指すは、埠頭の縁の先――黒々とした、あの海だ。


トビリシ「――! ヴェーニャ!? 何してるの、ヴェーニャっ!?」

響「…………」タッタッタッタ

ラーザリ「……! な……」

カリーニン「お、おいッ!」

響「…………」

トビリシ「だめっ、溺れちゃう! やめてヴェーニャっ!」


   縁を踏み、夜の海へと身を乗り出す。
   そのまま、足を水面へと――



トビリシ「――――っ!!」






響「……っと」パシャッ

響「…………」スイーッ

響「……うん、久しぶりだけど、いい感じだ」スイーッ




トビリシ「 」

ラーザリ「 」

カリーニン「 」

――
――――
――――――――


提督「……え、何? 艤装なくても立てるの? お前ら」

響「今は無理だよ。しっかりした身体ができたからね。
  昔はほら、ほとんど幽霊みたいなものだったから」

暁「ち、違うわよ! 違うからね!」

雷「でも、みんな結構そうやって遊んでたわよね。海の上でスーッて」

響「その経験があったから、艤装にもすぐに慣れたんじゃないかな」

提督「へぇー……」

――――――――
――――
―――


トビリシ「……ほ、ほんとに立ってる……」

響「暁たちと、よくこうやって遊んだ。海の上で追いかけっこしてね……」

トビリシ「アカツキ?」

響「ああ、私の姉だよ」

カリーニン「 」

ラーザリ「……し、沈まないの? それ……」

響「さぁ……浮こうと思ってれば浮けるんじゃないかな?
  前に艦首ごと吹き飛ばされたことがあったけど、ちゃんと海面に『着地』できたよ」

ラーザリ「――な――」

カリーニン「 」

響「……こうやって、海の上で遊ぶたぐいの『訓練』だと思ってたんだけど……
  ――その、本当に知らなかったのかい? みんな……」

トビリシ「…………」

ラーザリ「…………」

カリーニン「…………」ザッザッザッザ

ラーザリ「!?」

カリーニン「う……うらぁっ!」ピョン


   変わった声で気合を入れて、カリーニンが海へ跳ぶ。
   着水の瞬間によろめいたものの、しばらくすると感覚をつかみ、水上で仁王立ちをかました。


カリーニン「は……ははは! みっ、見たか日本艦! 
       こっ、これでお前に教えられることなど、何もッ……!」

響「……じゃあ、こっちまで来れるかい?」

カリーニン「え゛……」

響「…………」

カリーニン「……と、トビリシ! 何をしてる! お前もこっちに……」

トビリシ「むっ、無理ですよっ! そんな……!」

響「怖くないさ。ほら、ゆっくりとでいい」

トビリシ「てっ……手っ! ヴェーニャぁ、手つないでっ! ね!」

響「はいはい……ラーザリもどうだい?」

ラーザリ「え? あ、ああ……いや……」



  
   ――その時。
   にわかに水面がざわめき出し、波を割る音が聞こえてきた。


響「……?」

   
   大きなクジラのような影が3つ、埠頭の方へ近づいてくる。
   基地から水兵さんたちが駆け出し、あわただしく何かの準備を始める。


ラーザリ「……潜水艦隊のお帰りか」

響「……潜水艦……」

カリーニン「…………」

   
   無言で陸に上がるカリーニン。私もそれに続いて上陸する。   

   水面に、ざばっと上がる人影があった。
   その数は、帰ってきた艦と同じく3つ。

   3つの人影は軽快に埠頭へ上がり、寄り集まって歩き始めた。
   月明かりに照らされる、3人の女性のシルエット。
   首から下を、黒いゴムのような服でぴっちり覆っている。間違いなく、潜水艦の艦娘たちだ。

    
潜水艦娘A「……あら?」

潜水艦娘B「……ふーん」

潜水艦娘C「あ……」

ラーザリ「…………」

潜水A「……お出迎えご苦労様。貴女たちにしてはずいぶん殊勝ねえ?」

ラーザリ「ちょっとばかり魔が差してね。
     クジラが陸に上がった所でも見に行こうって話になった」

潜水A「……フン。ずいぶんとお暇そうなこと」

ラーザリ「おかげさまでね。でも夜はなかなか寝付けない。
     いつあんたらが任務をしくじって、こっちにお鉢が回ってくるかと……」

潜水A「――黙りなさい、この穀潰し」

カリーニン「――!」

響「…………」

   
   親しさゆえの悪態……とは、どう聞いても違う。
   ざらっとした空気が漂いはじめた。   


潜水B「……しっかし何? 怠け者が雁首揃えちゃって……ねぇ?」

潜水C「えっ……あ、はい。そ、そうですよね」

潜水A「また下らない遊びの相談でしょう? 労働者の敵よ、このトロツキスト」

カリーニン「ッ――! こ、この……!」

トビリシ「カリーニンさん!」

潜水B「何が違うってのよ。仕事はせいぜい月1回のお使い。それもせいぜい、その辺の港……」

潜水A「私たちは毎日のように哨戒よ? それで同等のつもりかしら。
    そのくせ口だけは偉そうに……おこがましいにも程があるでしょう?」

カリーニン「き、貴様らが……そもそも貴様らが私の仕事を――!」

潜水A「――本当に救いようがないわね。自分の無能さを棚に上げて。
    司令官さんは私たちを選んだのよ。……分かるわよね? その意味」

ラーザリ「…………」

潜水B「ハッキリ言ってやるけど、お荷物なの、アンタら。時代遅れの役立たずよ。でしょ?」

潜水C「え、いやあの……そ、そこまでは……」

潜水B「は?」

潜水C「い、いえっ! はいっ!」

   
   眉間にしわが寄っていくのが、自分でもわかった。
   ――こういう話は、聞いていて気持ちのいいものじゃない。

カリーニン「ッ……よ、よくも……!」

ラーザリ「……ま、否定はしないけどね。これからはあんたらの時代でしょうよ」

カリーニン「ラーザリッ!!」

潜水A「……情けないこと。あの同志カガノーヴィチのお名前を頂いておきながら。
    恥ずかしいとは思わないのかしら?」

潜水B「ヘンに捻くれてない分、姉貴の方がまだマシよね。『鉄のラーザリ』が聞いて呆れるわ」

潜水A「――百歩譲って、『鉄クズ』ね」

潜水B「あはは、『鉄クズのラーザリ』! 傑作!」

潜水C「う、うぅ……」

ラーザリ「…………」

カリーニン「――き、貴様らッ――!!」

響「っ――」


   ――何かが体を駆け昇るような感覚があった。
   ボイラーの重油が瞬時に燃え上がり、煙突へと突き抜けるような……

潜水A「…………は……?」

ラーザリ「……え?」

カリーニン「な――」

トビリシ「……ヴェー、ニャ……?」


響「…………」


   ――はじめは、自分でも何をしたのか分からなかった。

   今にも飛びかかりそうなカリーニンを差し置いて、
   気づけば私は、潜水艦たちの眼前に迫り、あの子たちをにらみつけていた。


潜水A「……な、何よ貴女……」

響「――取り消すんだ」

潜水B「……よそ者が何? 引っ込んでなさい、日本艦」

響「仲間をクズ鉄呼ばわりされて、黙ってる方がどうかしてる」

カリーニン「――!」

潜水A「うるさいわね、貴女には関係な――」

響「…………」ギロッ

潜水A「う……」

潜水B「こ、このっ……!」



?「――何を騒いでいるの、あなたたち」

潜水ABC「ッ!!」ビシッ

響「……?」


   横から聞こえてきた声に、潜水艦たちが一瞬で姿勢を正した。
   そのまま声の主に向かって、力強く敬礼する。
   さっきまでの態度とは打って変わって、表情は真剣そのものだ。


響(……あれは……)


   声の主に目を向ける。
   短く切り揃えられた銀髪に、涼しげな目元。中性的な風貌だった。

   黒い革かゴムのような服が、首から下を隙間なく包んでいる。腰にはベルトを着けていた。
   服装を見る限り、彼女も潜水艦なのだろう。

   ――見覚えがあった。
   ウラジオストクに来た夜、私の随伴をしていた潜水艦だ。
   

?「報告が無いから迎えに来てみれば……どういうことか説明しなさい」

潜水B「だ、だって……ラーザリよ、ラーザリが先に……」

?「……そうなの?」

潜水C「それは……その……」

ラーザリ「……ま、先にからかったのはこっちですがね」

カリーニン「おい……!」

ラーザリ「いいから」ボソッ

?「…………」

潜水A「あ……え、ええと……」

?「……言い返したのでしょう?」

潜水A「う……」

?「……全く、あなたがそんなことでどうするんです、姉さん」

潜水A「で、でも、モーラ……」

?「最年長のあなたが止めるならまだしも、口論に加わるとは何事ですか。
  ――あなたたちも。1度や2度ではないはずよ、こんなことは」

潜水B「…………」

潜水C「……はい」


   そこまで言って、銀髪は私たちへ向き直る。


?「……あの子たちが迷惑をかけたようね。きちんと言い聞かせておくわ。
  ――でも、そちらも少しは自重なさい。ここの騒動の大半は、あなたたち水上艦絡みなのよ」

カリーニン「……ふん」

ラーザリ「……善処しますよ」
   
トビリシ「す、すみません……」

?「…………」


   銀髪の潜水艦と目が合った。
   背は、私よりも頭1つぶん高い。しかし、身にまとう雰囲気はそれ以上に大人びている。


?「……前に、海の上で会ったわね」

響「……ああ」

?「駆逐艦・ヴェールヌイ。この国にはもう慣れたかしら」


   薄い青色の目が、こちらを見下ろしていた。静かな目だった。
   でも私は、その瞳の奥に、そびえ立つ氷山のような冷たさと凄みを感じていた。
   ――間違いない。あれは、戦場を知っている目だ。


響「……君は?」

?「計画番号、Л(エル)-12。……予定艦名、『モロトヴェッツ』。
  どちらでも好きに呼びなさい」

響「…………」

モロトヴェッツ「――さぁ、みんな来て。報告を聞くわ」

   
   基地に向かっていくモロトヴェッツ。
   他の潜水艦たちも、私たちをキッと睨んでから、モロトヴェッツの後に続いていく。


モロトヴェッツ「……ラーザリ」

ラーザリ「?」

モロトヴェッツ「……ロシア語は通じるようね。あなたに任せて正解だったわ」

ラーザリ「……そりゃどうも」

  
   そう言い残して、モロトヴェッツたちは去って行った。


響「……トビリシ。あの人は……」

トビリシ「……ここの代表よ。わたしたちのまとめ役をやってるの。
     それに、この艦隊でいちばんの英雄だって……」

響「英雄?」

トビリシ「私もよく知らないけど……前の戦争で、敵を何隻も沈めたんだって」

ラーザリ「戦果だけならウチで一番。……だからみんな、何となく逆らえないってわけ」

カリーニン「…………」

響「…………」


   去っていく潜水艦たちの背中を、じっと見据えるカリーニン。
   その目に宿っているものは、単純な怒りだけではないような気がした。

―埠頭・薪小屋付近―


   すっかり夜も更けたころ。
   どうにも眠れなかった私は、あてもなく埠頭を散歩していた。

   当時の私たちには、基本的に睡眠は必要なかった。
   けれど、しばらく出撃の予定が無いときには、
   よけいな退屈を感じないよう、意識を閉じることもあった。
   
   ――それが、私たちの「眠り」だった。


響「……?」


   埠頭のはずれにある、古びた小屋の近く。
   そのあたりから、何かが飛び込むような水音が聞こえてくる。

   近づくと、人影も見えてきた。
   妙に思って、もっと近寄ってみると――


響「あ……」

カリーニン「……!」

響「…………」

カリーニン「……なんだ」

響「……いや。何をやってるのかな、って」

カリーニン「……何に見える」


   カリーニンは、1本の薪を握っていた。
   そして、海に向って何かの狙いをつけ、高く弧を描くように投げ入れる。
   薪は、ボチャンと音を立てて沈み、しばらくしてから浮き上がってきた。


響「……それが、例の『爆雷』かい?」

カリーニン「……ラーザリか」ハァ

響「聞き出したのは私だよ」

カリーニン「…………」


   足元に転がっている別の薪を、カリーニンが拾い上げる。
   小屋の横には、何十本もの薪が無造作に積み上げられていた。
   薪の間からは、ところどころロープがはみ出している。運搬に使っていたのだろう。


カリーニン「……なあ」

響「ん?」

カリーニン「さっき……何でラーザリをかばった?」

響「…………」

カリーニン「奴らの言う通り、お前には関係ないことだったはずだ」

響「――世話になったんだ。ラーザリには」

カリーニン「…………」

響「恩があるし、なにより……私は友達だと思ってる。……それじゃあ駄目かい?」

カリーニン「…………」


カリーニン「……そうか……」


   再び、薪が投げ込まれる。
   よく見れば、何本もの薪が海面に漂っていた。


響「……贅沢だね」

カリーニン「……燃やせないんだ、この小屋の薪は」

響「え?」

カリーニン「燃料不足に備えたはいいが、入れるだけ入れて使われずに……
       隙間から入った雪と湿気で、残らず使い物にならなくなった」

カリーニン「……今ではもう、誰にも見向きされない。静かに腐っていくだけだ」

響「…………」


   みたび、カリーニンが薪をつかむ。
   手に持った薪を、じっと見つめている。

カリーニン「……分かっているんだ」

カリーニン「本当は、こんなことをしたって何にもならない」

響「…………」

カリーニン「だが、それでも……何かせずにはいられない。無聊をかこつわけにはいかない」

カリーニン「敵に備えることさえ忘れてしまったら……私たちは、本当の鉄クズになってしまう」

響「……もう終わったんだろう? 君たちが勝って――」

カリーニン「――700万人だ」

響「…………」

カリーニン「……それだけの人間が亡くなった。モスクワの人口を、軽く超える数だ」

カリーニン「この街でも、次々に男がいなくなった。
       彼らがどこに行って、どうなったのか……私には、それすら分からなかった」


    薪を握りしめるカリーニン。
    つかんだ手が、小刻みに震えていた。


カリーニン「……それほどの犠牲を払っても、まだ戦争は終わっていない」

響「……え?」

カリーニン「クレムリンは、同志スターリンは……戦時体制を解いておられない。
       ――当然だ。いつ、あの海を越えて、資本主義者どもが攻め込んでくるか……」

カリーニン「……だから、だから私は……」


    投げられる薪。跳ねる水音。


カリーニン「……見せてやりたいんだ。奴らに」

カリーニン「私には、私たちには力があると。このソビエトを守ることができると」

響「……結局、馬鹿にされるのが嫌なだけじゃないか」

カリーニン「――おかしいか!? 祖国を守る能力も、誇りも! 確かに備えて造られたんだ!」

       
カリーニン「たまたま機を逃しただけで、その全てを否定され、侮られる! 
       奴らにそんな権利があるのか! 私の誇りを踏みにじる権利が!」 

カリーニン「――哨戒にすら出されずに、毎日のように虚仮にされて……」

カリーニン「そして、来るべき時に何もできず、気付けば全てが終わっている……
       ――そんなのは……そんなのは、もう……!」

響「…………!」



    『響……暁が、暁がぁ……』


    『雷ちゃん、帰ってきますよね……沈んで、なんか……うっ、あぁ……』


    『――響ちゃん、お疲れさま。交代なのです』


    『……心配すんな。大和さんは絶対に負けねえし、あたいも入れば百人力さ!
    すぐにみんなで帰ってくる。だから、しっかり治しとけよ!』


    『――然レドモ朕ハ、時運ノ趨ク所、堪ヘ難キヲ堪ヘ、忍ビ難キヲ――』




響「…………」

響「……私たちはフネだ。戦うべき時なんて、自分では決められない」

カリーニン「――分かっている。だが……!」

響「でも……仲間に力を示すだけなら。訓練だけなら簡単だ」

カリーニン「……演習か? 馬鹿を言うな。あれだって自分では……」

響「できるさ」


   海に飛び入り、水面を駆ける。
   旋回しながら薪を拾い、高く高く放り投げる。気持ちのいい水音がした。


響「……できる勝負をすればいい」

カリーニン「……?」



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


カリーニン「……馬鹿な……そんなことが……」

響「別に、気に入らないならいいんだ。こっちも思いついただけだしね」

カリーニン「…………」

響「少なくともあと2人は要るし、勝算だって高くはない。
  けど……やってみる価値はあるはずだ」

カリーニン「……勝てるのか?」

響「……勝負にならないなら、その程度ってことさ」

カリーニン「…………」

響「……もし乗り気なら、また明日。人が揃ってから、改めて説明する。
  ……どうするかは任せるよ」

カリーニン「…………」

―基地内部 図書室―


   翌朝。カリーニンが連れてきた2人に、昨日の提案を説明する。
   集まったメンバーは、当然ながら……私の予想に一致した。


トビリシ「 」

ラーザリ「 」

カリーニン「…………」

響「――説明は以上だ。どうだろう、みんな」

ラーザリ「……本気?」

カリーニン「当然だ」

ラーザリ「いやお前じゃなくって」

響「……無理強いさせるつもりはない。向こうが乗るかも分からないしね」

響「それに……一番大事なのは、遺恨を残さないことだ。
  もし負けても、黙って受け止めるしかない。能無しと呼ばれても、言い返せなくなる」

ラーザリ「……ッ……」

カリーニン「……私は乗った。あとは、お前たち次第だ」

トビリシ「…………」

ラーザリ「……作戦は分かった。戦術も分かった。
      でも……負けたらどうする。今度こそ、あいつらに何も言えなくなって……」

カリーニン「それでも……勝負にすら出ずに腐っていくより、何十倍もマシだろう」

トビリシ「……わたしは」

ラーザリ「!」

トビリシ「……その、ヴェーニャがやるっていうなら……わたしも!」

ラーザリ「トビリシ……!」

響「……ありがとう。心強いよ」

トビリシ「そ、そう? えへへ……」

ラーザリ「……馬鹿馬鹿しい。ヘンに面倒起こすより、へつらっとく方がずっと楽だよ」

響「…………」

ラーザリ「何言われたって、適当に聞き流しとけばいいんだ。
      任務は全部あいつら任せで、私らは自由に過ごせてる。十分な待遇と思うけど」

カリーニン「ラーザリッ!」

ラーザリ「……私はいい。どうしてもってんなら、あんたらで勝手にやるんだね」

カリーニン「……負けるのがそんなに怖いのか!」
   
ラーザリ「……ッ!」


   図書室から出ていくラーザリ。
   ――残念な気持ちは、無かったと言えば嘘になる。
   

トビリシ「……ラーザリさん……」

響「……3人か。やっぱり……」

カリーニン「……いや、やろう。訓練だけでもいい」

響「……勝算はもっと低くなるよ」

カリーニン「それを補うための訓練だろう?」

響「…………」

カリーニン「……なんだ」

響「いや。頑固な人とは思ってたけどね」

カリーニン「……その気になったんだ。お前のせいでな」

響「私に賭けてくれたのかい?」

カリーニン「ギャンブルはしない。……だが、信じてはみる」

響「……嬉しいね」

カリーニン「……! あ、いや、お前じゃあないぞ! お前の発案を、だ! いいな!」

響「はいはい……」


   ――その日から。
   来るべき『対潜演習』に向けた、私たちの訓練が始まった。

いったん終了 続きは2~3日後に

ちなみに戦没者700万人っていうのは、1946年にヨシフおじさんが発表した数
現在では軍人だけでも866万人、非戦闘員も含めて2300万人が亡くなったっていうのが定説
アカは嘘つき、はっきりわかんだね

――
――――
――――――――

雷「だーかーらぁー! どんな勝負なのよ、その『演習』って!」

響「そのあたりは……もう少し進んだら、ね」

電「……響ちゃん」

響「うん?」

電「……もしかして、その訓練って……響ちゃんが教官だったのですか?」

響「もちろん」

暁「…………」

電「…………」

雷「……あー……」

響「……え、何、何だい?」

提督「……気の毒になあ、ソ連の子たち」

響「……?」

――――――――
――――
――


―夜 埠頭―


トビリシ「ひゃぁっ!」コツン

響「まただ、またぶつかったよ。最短の航路で旋回するんだ」

トビリシ「う、うん……」

響「走り回ることだけ考えればいい。もちろん速度を落とさずにね。
  一瞬でも止まったらいい的だよ」

トビリシ「や、やってみる……」



カリーニン「ぐっ……!」ヒュン

響「目で追ってたら絶対に当たらない。相手の動きを予測して」

カリーニン「わ、分かっている!」ヒュン

響「相手は水の下にいるんだ。当てるにはそれだけ、高く投げなきゃいけない。
  投擲から着水までの時間は、秒じゃなく感覚で覚えるんだ」

カリーニン「あ、ああ……」ヒューン



トビリシ「……ね、ねぇヴェーニャ。これでほんとに大丈夫なの……?」ザーッ

響「……タネがばれさえしなければ、ね」ザーッ

カリーニン「――! 来たぞ、潜水艦どもだ!」

響「ッ! トビリシ!」ポイッ

トビリシ「ひゃいっ!」ポイッ

潜水B「……? 何やってんの、アンタら」

響「……陣形の練習だよ。複縦陣」スイーッ

トビリシ「そ、そーなんです」スイーッ

潜水A「物好きねぇ。どうせ出番も無いでしょうに」

カリーニン「やかましい! また妹に怒られたいか!」スイーッ

潜水A「……フン。ご勝手に」




ラーザリ「…………」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

トビリシ「……っ!」ザザザッ

響「そう、その旋回だ。その速度だ」

トビリシ「うん……!」


カリーニン「Ураааааааа!!」ヒューン

響「っ……!」コツン

カリーニン「…………」ニヤッ

響「……やられたよ。……でも、何だい、今の」

カリーニン「? ラーザリから教わっていないのか?」

響「……何で『万歳』?」

カリーニン「力が湧くぞ! ほら、お前もだ! Урааааа!!」

響「う、ウラーッ!」

カリーニン「Урааааааааааа!!」

響「Урааааааааааа!!」

ラーザリ「やかましい! あいつら来てるって!」

響「えっ?」

ラーザリ「あっ……」

カリーニン「…………」

ラーザリ「…………」

響「……そうだね。いい加減、カリーニンばかりに見張りを頼むのも悪いし」

ラーザリ「……!」

カリーニン「ついでに薪も拾ってもらうか。海の上でも走らせて」

響「……まあ、無理にとは言わないけどね」

ラーザリ「…………」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

潜水B「またやってる……」

響「複縦陣」スイーッ

トビリシ「カリーンカー♪ カリーンカー♪」スイーッ

カリーニン「こら、訓練中に歌うな!」スイーッ

ラーザリ「…………」

潜水C「……あれ? 行かないんですか」

ラーザリ「え? いや……」

カリーニン「――ラーザリ! いつまで休憩してる!」

ラーザリ「!」

響「手早く頼むよ。3人じゃどうにも不揃いなんだ」

ラーザリ「…………」

潜水A「……あら。仲間外れじゃなかったのね」

潜水B「なーんだ、慰めたげようと思ったのに」

ラーザリ「…………」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

響「……だいぶ整ってきたね。あとは……」


   その夜の訓練も終わりかけた、その時。
   背後で、小さな水音がした。


響「…………」クルッ

ラーザリ「…………」

ラーザリ「あーあーあー……何でかなぁ……ホントにさぁ」

響「……よかった。ちゃんと立てたじゃないか」

ラーザリ「……あそこで見てると、あいつらの仲間に思われそうでね」

カリーニン「…………」

トビリシ「……ふふっ」

ラーザリ「ま、本番までやるかは分かんないけど」

響「いざとなったら出てもらうさ」

ラーザリ「……やだねぇ、ほんと」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

響「なんだその速度は! 砕氷船か!」

ラーザリ「ひぃっ……」

響「当てるんじゃなく当たりに行かせる!
  爆雷は点じゃない、面に投げるんだ!」

ラーザリ「た、態度がまるで違――」

響「返事はッ!」

ラーザリ「ああー! はいはいはいはい!」ヒューン


――
――――
――――――――

響「……いや、そこまで厳しくなかったよ、本当」

暁「うそぉ」

提督「自覚ないのが怖いんだ、これが……」

響「……まあ、ラーザリは特にひどかったし……そんな感じで、2週間ばかり訓練したんだ」

雷「に、2週間も響のオニしごき……」

電「……なんだか泣けてくるのです」

響「怒っていいかな?」

――――――――
――――
――


―1947年 9月初頭 夜―

―埠頭 薪小屋付近―


   訓練開始から2週間後、月が煌々と輝く夜。
   港のはずれで、私たち4人は待っていた。


トビリシ「く、来るかしら……ちゃんと」

響「モロトヴェッツに話は付けた。もちろん、例の『条件』もね」

ラーザリ「……いよいよ引き返せなくなったか」

カリーニン「今更なんだ。結局ついてきたくせに」

ラーザリ「何、じゃあ今から抜けてもいいわけ?」

トビリシ「ええ!? ちょっと……!」

響「――来たよ」

カリーニン「――!」


   ゆっくりと近づいてくる4人の人影。
   先頭のモロトヴェッツに、他の3人がぴったりと付き従っている。


モロトヴェッツ「……待たせたかしら」

響「いいや」

潜水A「……勝負だか何だか知らないけれど、こんな時間に呼び出すなんてね。
    貴女たちみたいに暇じゃないのよ?」

潜水B「それより、あの話……本当でしょうね?」

響「……もちろんだ。今日の勝負……いや、演習で負けたら、
  私たちはこれから、何を言われても言い返さない」

潜水A「……ふぅん?」チラッ

カリーニン「当然だ。どんな罵倒も、甘んじて受ける」

ラーザリ「……ま、そういうことで」

潜水A「……確かに聞いたわよ?」

カリーニン「……だが、私たちが勝ったなら……」

潜水B「何だっていいわ、好きになさいよ。どうせ聞いたって意味ないんだもの。ねぇ?」

潜水C「い、いちおう聞いてあげたら……」

潜水A「……ま、気概だけは認めてあげましょう。
    自分から負けに来るなんて、なかなかできることじゃないわよ?」

ラーザリ「…………」

潜水B「だいたい、何が演習よ。砲塔も機銃もないくせに……」

モロトヴェッツ「……そうね。何をするのか、そろそろ教えてもらえる?」

響「簡単だよ。普段の演習と同じことをする。――こいつを使ってね」


   薪小屋の扉を開ける。
   潜水艦たちが、怪訝な目で小屋を覗き込む。


響「……この薪は、『魚雷』であり『爆雷』だ。
  まず、ここにいる全員で好きなだけ薪を取り、海に出る」

響「それから、陣営ごとに分かれて並ぶ。分け方は、まあ……言うまでもないか」

響「あと数十分すれば、消灯のラッパが鳴る。それが演習開始の合図だ。
  それまでは、走っても潜ってもいけない」
 
響「……いちおう聞くけど、潜り方は分かるね?」

潜水A「……馬鹿にしないでくれるかしら」

潜水B「とっくの昔に教わってるわよ。誰かさんとは違ってね」

響「それならいいんだ。すまなかった」

響「……合図が鳴ったら、あとは単純だ。手持ちの薪を相手に当てる」

響「投げても、飛ばしても、持ったままでも……とにかく、当てさえすればいい」

響「体のどこに当たっても『大破』だ。
  大破したら、黙って艦隊を離脱。速やかに上陸するように」

潜水C「あの、当たったかどうかは、誰が……?」

響「……自己申告だ。嘘は駄目だよ」

潜水A「……どうかしら。私たちの方は大丈夫でしょうけど?」

カリーニン「……フン」

響「……それから、これが重要なんだけど……薪は原則、使い捨てだ。
  1度手元から離した薪を、拾ってもう1回、なんてのはできない」

モロトヴェッツ「……つまり、補給は不可能と?」

響「そう。さっきも言ったけど、薪は何本持って行ってもいい。
  けれど、使い切ったら戦闘不能だ。この場合も離脱して、陸に帰ってもらう」

ラーザリ「……薪に当たるか、薪が無くなるか。どっちにしたって負けってわけだ」

響「……そんな感じで続けていって、最後まで残った陣営の勝ち。
  ルールについては以上だよ」

潜水A「…………」

潜水B「…………」チラッ

モロトヴェッツ「……そうね。少なくとも、不公平な勝負には聞こえない」

響「…………」

モロトヴェッツ「……さっきは聞きそびれたけど、もしあなたたちが勝ったら?」

カリーニン「我々の力を認めてもらう。いわれなき非難は、二度と認めない」

モロトヴェッツ「……いいわ。艦隊代表として約束する。
        我ら第1潜水艦隊、演習の申し入れを受けましょう」

響「……ありがとう」

―金角湾 海上―

   
   薪を取り終え、洋上に並ぶ。
   小屋にあったロープのおかげで、腰や背中に括り付けることができた。

   相手側の潜水艦たちは、多くても1人8本ほど。
   対してこちらは、それぞれ最低でも20本は用意した。
   

トビリシ「練習したけど、やっぱりちょっと重いわね」

響「……まるで二宮金次郎だ」

トビリシ「……だれ?」

ラーザリ「……基地のヒトが見たらどう思うかね。薪がひとりでに海の上を……」

カリーニン「馬鹿言ってないで集中しろ」

潜水A「……ねぇ、モーラ。本当に良かったの? こんなに少なくて……」

潜水C「その、やっぱり、向こうみたいに何十本も……」

モロトヴェッツ「……見なさい、向こうの駆逐艦」

潜水B「? ああ……ふらついてるわね、なんか」

モロトヴェッツ「あれだけ積めば、多少なりとも速度に影響が出る。
         それを分かっていないはずはない」
         
モロトヴェッツ「利点である機動力をわざわざ殺しているのよ。……きっと何かがあるはずだわ」

潜水B「何か、って?」

モロトヴェッツ「……何であろうと、凌がなくてはならない。
         だからこそ、こちらは機動力が最優先よ」

潜水C「わ、分かりました……」

モロトヴェッツ「……それに、考えてもみなさい。
        視界の悪い夜の海上と、引き波で軌跡を捕捉できる水中……」

モロトヴェッツ「索敵ではこちらがはるかに有利。
        物量に頼らずとも、奇襲と一撃離脱で十二分に戦えるはずよ」

潜水A「……まあ、こっちにはモーラがいるものね」

潜水B「そうそう。ま、本気出すまでもないでしょーけど」

モロトヴェッツ「…………」


   基地の正面に人影が見えた。
   拡声器付きの台に、ラッパを持った水兵さんが登る。
   ――消灯の時が近づいていた。


響「――! みんな、そろそろ……」

カリーニン「!」

トビリシ「っ……」

ラーザリ「……あんまり期待しなさんなよ」


潜水A「……格の違いを教えてあげるわ」

潜水B「一番になったら褒めてよね、モーラさん」

潜水C「が、がんばります……!」

モロトヴェッツ「……行くわよ、みんな」


   水兵さんが、ラッパを静かに口に当てる。
   これから何が始まろうとしているか、あの人は全く知りもしない。


   ――そして。
   開戦の合図が、おごそかに響いた。

モロトヴェッツ「潜航!」

潜水ABC「ッ!!」


   潜水艦たちが、一糸乱れぬ動きで海中へ飛び込む。
   やはり、生半な練度ではないようだった。


響「全艦、複縦陣にて最大戦速! 『浦潮作戦』、第一段階開始!」

 「「「了解!」」」


――
――――
――――――――

響「……あ、そうだ。ここからはちょっと、後で人から聞いた話も入るから」

響「そのあたりは、私が直接見聞きしたわけじゃない。それは了解していてほしいな」

提督「? ああ」

――――――――
――――
――


―海中―

潜水A「――ふふん、見える見える……
    軌跡は横に並んだ4つ、その後ろにもう4つ……」

潜水B「複縦陣とかいう奴ね。馬鹿の一つ覚えでやってたアレよ」

モロトヴェッツ「まずは様子見。無軌道に走っているとは思えないわ。何か狙いが――」

潜水A「……モーラ。そんなまどろっこしい。
    当てさえすれば勝ちなのよ? こうやって、真上にまき散らしてやれば――!」ポイポイ



―海上―

トビリシ「――! 3時方向に薪浮上! 数は4!」

ラーザリ「始まったか……」

響「……なら、こっちもだ。爆雷投擲、始めぇーっ!」


―海中―

潜水C「……あ」

潜水A「……あ、あら?」

潜水B「……行かないわね、まっすぐ」

モロトヴェッツ「……機雷ならともかく、ただの薪ですよ?
         重心も安定しないし、海流の影響も大きい……この深さでは無駄撃ちです」

潜水A「なら……!」

潜水B「簡単でしょうが!」グンッ

モロトヴェッツ「! マクレル!」

潜水B「ギリギリまで近づいて、確実に撃ち込む! 私たちの定石でしょ!
    見てなさいって、今度はあたしが――」

  ドボン!  ドボン!  ドボン!

潜水B「――え?」

潜水A「……何? あれ……」

潜水C「……投げ込んでますね、あんなにいっぱい……」

モロトヴェッツ「…………」

潜水B「……っぷ……」

潜水「っ……くく……!」

潜水B「あーっはははは! 何、何なのよぉアレ! どんだけ怖がってんの!?」

潜水A「つ、使い切っちゃうわよ、あのまま……っくく……ふふふふ……!」

潜水B「届かないー! 届かないわよー! そこじゃないのよー!
    あぁー……も、もうダメ……! ひぃー……!」

モロトヴェッツ「……演習中よ。慎みなさい」

潜水B「はーい……っくく……」

潜水C「……でも、本当に撃ち尽くしちゃうんじゃ……」

モロトヴェッツ「…………」

―海上―

響「……よし、投擲中止!」


   ところ構わずバラ撒いたおかげで、海上にはおびただしい数の薪が浮いていた。
   私たちが間を通るたびに、薪がぷかぷかと波に揺られる。


響「……本作戦は、これより第二段階に移行する。カリーニン、ラーザリ」

カリーニン「――了解!」

ラーザリ「……ま、やれるとこまでね」

―海中―

潜水A「投擲が止まったわ。……いよいよ弾切れかしら」

潜水C「たくさん浮いてますね。……邪魔じゃないのかな」

潜水B「何にしたって、今がチャンスってわけよね……!」ギュンッ

モロトヴェッツ「ッ……待ちなさい!」

潜水B「あいつら、陣形は同じだけど遅くなってるわ。
    近づいて撃てば一発よ!」ギューン

潜水A「あらあら、張り切っちゃって……」

潜水B「よし、この距離なら! まずひとり――」



   ドボン! 
               ドボン!


         ドボン!



潜水B「――め――?」



   ――ゴツン!



潜水A「な――!」

潜水C「あ……っ!」

モロトヴェッツ「――!!」


潜水B「あ……あ、れ……?」


―海上―

潜水B「な……何でよ、何で……」プカーッ

ラーザリ「――!」

カリーニン「あ……当たった! 当たったぞぉぉ!」

トビリシ「ぃやったぁ!」ザーッ

響「……ハラショー!」ザーッ

潜水B「――!! あ、あんたたち……それ……!」

ラーザリ「おーっと……負けたら黙って、どうすんだっけね」

潜水B「ッ……!」

カリーニン「や、やったんだ……ハハ……私は……!」

響「――油断は駄目だ。あと3隻……!」

―海中―

潜水C「そんな……!」

潜水A「どういうこと!? あいつら、なんでマクレルの位置が……!」

モロトヴェッツ「……軌跡は変わらず、前と後ろに4つずつ……陣形に変化はない。
         速度が多少遅くなったとはいえ、それだけでは……」

潜水A「……それに、マクレルは斜め後ろから近づいて行ったわ。
    なのに、あんなに早く気づかれて……」

潜水C「その、ソナー持ってる、とか……」

潜水A「まさか……!」

モロトヴェッツ「……あるいは、ソナーの代わりになる『何か』……」

潜水A「またそれ!? 何なのよ、『何か』って!」

モロトヴェッツ「落ち着いてください! ……何にせよ、もう無闇には出られない」

モロトヴェッツ「持久戦ならこちらに分があります。
         何としても、あの謎を暴かなくては……!」


―海上―

トビリシ「……来ない、わね」

響「痺れを切らした方が負ける。……向こうだって、それは分かってるはずだ」

響「今は待つんだ。……止まらずにね」



―海中―

潜水C「……航行速度、陣形、共に変化なし。攻撃もありません……」

モロトヴェッツ「……釣りと同じだわ。私たちが引っ掛かるのを待っている」

潜水C「でも、このままじゃ何も……」

潜水A「……モーラ、ソラクシン」

潜水C「?」

潜水A「……あの子たちからできるだけ離れて、薪のない辺りに行きなさい」

モロトヴェッツ「……姉さん、何を」

潜水A「決まってるでしょう。釣られてやるのよ」

潜水C「――!」

モロトヴェッツ「……囮になると?」

潜水A「……こうやって下から覗いてても、何も分からないままよ。
    顔を出して見るしかないわ。誰かに注意が向いてる隙に……」

モロトヴェッツ「なら、私が……!」

潜水A「……モーラ、貴女が知れば勝ちなのよ。
    あの子たちの秘密を暴いて、貴女がそれを知りさえすれば……」

潜水A「ソラクシンと2人で、あるいは貴女1人でも。
    あの子たちを全員叩きのめせる。違う?」

モロトヴェッツ「…………」

潜水A「……お願いね。勝てるわ、私たちなら」ギュンッ

潜水C「ジェーナさんっ!」

モロトヴェッツ「……ソラクシン。10時の方向へ」

潜水C「っ……!」

モロトヴェッツ「絶対に目から下は出さないで。5秒以上は見ないで、すぐに――」

―海上―

カリーニン「……! 来たか!」

ラーザリ「カリーニン! 艦隊から8時!」

カリーニン「見えてるッ! いくぞ!」



―海中―


   ドボン!
                   ドボン!
          ドボン!


モロトヴェッツ「……ッ!」クルッ

潜水A「……はぁ、はぁ……やっぱり……!」

モロトヴェッツ「姉さん!」

潜水A「……み、見なさい……かわしてやったわ、あんなの……!」

モロトヴェッツ「こっちへ! 早く!」

潜水A「『薪』よ! モーラ!」

モロトヴェッツ「え――?」

潜水A「『薪の浮き沈み』が目印なんだわ! 
    私たちが水面に近づいたら、まき散らされた薪が『ブイ』みたいに揺れて……
    それで位置が分かったのよ!」

モロトヴェッツ「――! だからあんな数を……!」

潜水A「だから……死角はッ!」ギュンッ

モロトヴェッツ「! 姉さん! 待って、まだ――」

潜水C「モーラさん! ど、どうしたら……!」

モロトヴェッツ「あなたは海面で偵察を! 姉さんは私が援護する!」
    

潜水A「……見えたわ、水上艦。馬鹿正直に4人で固まって……!」

潜水A「――貴女たちが波を引く、その『真後ろ』ッ! 
    薪の揺れが分からない、そこが貴女たちの死角よッ!」バシャッ

―海上―

潜水A「食らいなさいな! 水上雷げ――」カコーン

潜水A「…………」

潜水A「……え?」


   背後で威勢のいい声が聞こえ、続いて軽快な音が響いた。
   旋回して見てみれば、片手に薪を構えた潜水艦が、ぽかんとした顔で固まっている。


ラーザリ「ほー、やれるもんだね、意外と」

潜水A「な……あ、あ……え?」

ラーザリ「……打ち所が悪かったかな。もしもーし? 脳ミソご在宅?」コンコン

潜水A「な、なんで、どうして……!」

ラーザリ「別にいいけど? 教えてやっても。
     こんな怠け者で、口が悪くて、性根の歪んだ鉄クズに……そこまで教えを乞いたいならね」

潜水C「…………」スーッ

トビリシ「……ッ! ラーザリさん!」

潜水C「ッ!!」ブンッ

響「くっ……!」ヒュンッ

潜水C「ひゃぁあっっ!」コツン

ラーザリ「ほらほらほォら、とっとと上がんな――」

カリーニン「馬鹿、後ろだッ!」

ラーザリ「え?」ゴンッ

ラーザリ「…………」

ラーザリ「……あーあ……」

カリーニン「あーあ、じゃないッ! 何やってんだぁお前はァ!」

潜水C「あ、当たったぁ……」プカーッ

潜水A「Хорошо! ざまぁ見なさい! ばーかばーか!」プカプカ

ラーザリ「それが最年長の語彙かってのよ。これだから肉体労働者は……」

カリーニン「いいからとっとと上がれ貴様らぁ!」


モロトヴェッツ「…………」スーッ

モロトヴェッツ「……そうか……そういう事だったの……!」

モロトヴェッツ「やっと分かったわ……あなたたち……!」



モロトヴェッツ「走っていたのは『2人だけ』……ッ!!」



響「……!」

モロトヴェッツ「っ!」ザブン

響「しまった……!」

トビリシ「ヴェーニャ!?」

響「モロトヴェッツに見られていた。この戦術はもう使えない……!」

カリーニン「だが……いけるぞ、これなら! 3対1だ!」

響「――これより、本作戦は第三段階へ移行する!
  各艦、最大戦速にて単独航行! 敵を攪乱しつつ、確実に浮上時を狙え!」

 「「了解っ!」」

―埠頭―

潜水C「すっ、すみません……て、偵察しろって、言われたのに……!」

潜水A「いいの、いいのよ! 大金星だわ!」ナデナデ

潜水B「このひねくれ艦を負かしたのよ! もっと誇りなさい、ソラクシン!」

ラーザリ「いの一番にやられといて……」

潜水B「う、うるさいっ!」



―海中―

モロトヴェッツ「……やられたわ。完全に裏をかかれた……」

モロトヴェッツ「訓練の風景、そして演習前の陣形。
        そのせいで思い込んでいた……あの『複縦陣』が崩れない、と!」

モロトヴェッツ「あの子たちは……『2人で4人分の軌跡を作っていた』!」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

―2週間前 埠頭―

カリーニン「……どういうことだ?」

響「簡単だよ。まず、できるだけ速くて小回りの利く2人が、薪を両手に持つ。
  そうしたら、次は薪の先っぽを水面に着けて、そのまま航行するんだ」

カリーニン「……?」

響「当然、軌跡は本人の分と、両側の薪の分……あわせて『4つ』が並行する。
  そして、2人が前後に並んで同じことをすれば……」

カリーニン「――! 軌跡は『8つ』……4人の複縦陣か!」

響「……もちろん、見抜かれる可能性は十分にある。
  特に、真昼間の何もない海ではね。……だから……」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


モロトヴェッツ「……だから、この時間帯か……!
         航行する影が、昼間ほど鮮明には見えない『深夜』!」

モロトヴェッツ「それに、あのバラ撒いた『薪』も……!
        水面だけに注意を向けさせ、『動き』だけを追わせるために!」
       
モロトヴェッツ「……陣形を変えたのは、きっと投擲が一旦止んだ後。
         そして、あの駆逐艦2人が偽装艦隊となり、残る2人が――!」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

―2週間前 図書室―

ラーザリ「……つまり、『浮き砲台』ってわけ?」

響「平たく言えば、ね。さっき言ったように、海上にはすでに大量の薪が浮いている。
  その横にくっついて、じっと動かなければ……」

トビリシ「……見つかりにくい、ってこと?」

響「可能性は高いよ。もちろん、囮役がしっかり気を引ければ、だけど」

響「相手は、囮役の側面や背後を攻めようとするだろう。
  だから、攻撃役は索敵だけに集中して、確実に薪を叩き込む」

響「相手が浮上すれば、撒いておいた薪の揺れで分かるはずだ。
  ……相応の訓練は必要だけどね」

ラーザリ「……バレない保証は?」

響「――あるとは言えない。でも……
  全員で航行しながら戦うよりは、はるかに安定するはずだ」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


モロトヴェッツ「……ヴェールヌイ。あなたの入れ知恵ね……」

モロトヴェッツ「――これほどの戦術……カリーニンたちが独力で考えたとは思えない。
        戦場を知らない彼女たちには……!」

モロトヴェッツ「…………」

モロトヴェッツ「……けれど……ッ!」

―海上―

   薪を構えながら、海上を駆け回る。
   モロトヴェッツは姿を見せない。だが、慎重になるのも当然だ。
   最後の1人。攻撃であろうと偵察であろうと、一歩間違えれば敗北となる。


カリーニン「いたか!?」

トビリシ「駄目です、まだ……!」

響「焦っちゃだめだ。彼女は必ず来る、それまでは……!」


   ――その時。
   ふと、胸の奥で何かがざわついた。


響「――?」


   目や耳ではないどこかに、得体の知れない感覚が広がる。
   キス島で、琉球嶼で、周防灘で――幾度となく感じた、あの寒気。


トビリシ「……ヴェーニャ?」


   トビリシの背後で、海面がにわかに盛り上がる。
   ――気付いた時には、もう遅かった。

響「!! トビリ――」


   水しぶきを立て、海面が炸裂する。
   発射された、としか言いようのない速度で、薪がトビリシの背中を打った。


トビリシ「あ――」


   目の前には、茫然としてよろめくトビリシ。そして……


モロトヴェッツ「…………」


   ――まるでイルカのように海上へと飛び跳ね、
   後ろに宙返りをして戻っていく―― モロトヴェッツの姿があった。


響「…………」

響「……冗談だろう?」

一旦中断 続きはまた3日後ぐらいに

―海中―

モロトヴェッツ「……侮っていたわ、ヴェールヌイ」

モロトヴェッツ「あの問題児たちを、これほどの集団に育て上げ……
         私たちを、ここまで追い詰めた」

モロトヴェッツ「恐ろしいぐらいの切れ者だわ。
         ――まず何よりも、あなたを撃っておくべきだった」


モロトヴェッツ「……けれど。あなたにだって、思いもよらないことがあるはず。
         裏をかかれることだってあるはず」

モロトヴェッツ「――今の私には、それができる。『1人にしてくれたお蔭で』ね……」

モロトヴェッツ「たとえ演習でも、これ以上の醜態は晒せない。
         ……1人ずつ、確実に撃ち抜いてあげる」

―海上―

   カリーニンを背後に回らせて、海上を逃げ回る。
   あの攻撃の正体を掴めないうちは、反撃のしようもない。


カリーニン「なんだ……何なんだ、アレはッ!」

響「止まるんじゃない! 逃げるんだ、今は……!」

カリーニン「水中から投げたとでも言うのか!? 馬鹿な!」

響「――違う。あれは、もっと……」


   パシャン、パシャンと、鋭い水音が響く。
   ――私たちの、真後ろからだ。


響「ッ――!」クルッ


   水面を跳ね回りながら、モロトヴェッツがこちらに迫ってくる。  
   いつ潜るか、いつ飛び出してくるか、タイミングは完全に不規則だ。
   おまけに、薪の浮いていないところを絶妙なまでに突いている。


カリーニン「この……おちょくってッ!」

響「埠頭だ、カリーニン!」


   埠頭のコンクリートが、眼前にまで迫っていた。
   左舷側には、埠頭に対して直角に出張った桟橋。
   ――右舷側へ逃げるしかない。


響「おもーかーじッ!」


   体を傾け、右舷へ急旋回する。
   そのすぐ後ろに、カリーニンも続き――


カリーニン「――あ――」

響「――!!」


   一瞬の破裂音。
   小さな水しぶきと、そのやや右後ろに、大きな水しぶき。
   
   その正体を見切ったときには、もう……
   旋回中のカリーニンの胸に、薪が勢いよく食い込んでいた。

響「……っ……!」

カリーニン「……すまない……あとを……」

モロトヴェッツ「…………」


   モロトヴェッツが再び宙返りし、水中へと戻っていく。
   その背中には、あと4本の薪が結わえ付けられていた。


響(……罠だったんだ。わざと目立つ動きで追って、
  右にしか旋回できない場所まで追い込んだ……)

響(そして、私たちが向きを変える、その場所まで予測して……!)


   ――もしかしたら、最初からカリーニンだけを狙っていたのかもしれない。
   彼女は、私の航路を忠実になぞっていた。
   私が旋回した場所に、一瞬遅れて薪を撃ち込めば……ほぼ確実に当てられる。


響(……でも……)

響(さっきので、大体の見当は付いた……!)


   最大戦速で駆け回りながら、頭の中を整理する。
   猛スピードで飛び出した薪。モロトヴェッツの宙返り。2つ同時の水しぶき――


響(――『急降下爆撃』の『逆』なんだ)

響(海の深いところから……薪を掲げて、全速力で斜めに浮上)

響(水面近くで手を離せば、薪は慣性と浮力で、そのまま斜めに飛び出す)

響(それこそ、『発射された』ような速度で……!)

モロトヴェッツ「…………」パシャン! パシャン!

響「っ……!」ギュンッ
   

   跳ね回るモロトヴェッツに、薪を構えながら接近する。
   ――もう、その手には乗らない。

モロトヴェッツ「――!」ザブン

響(……そして、あの宙返り)

響(薪を離したあと、すぐさま体を反らせば、力は全て上に向く)

響(その勢いで飛び上がり、宙返りをすれば……
  今度は飛び込みの要領で、また深く潜れるというわけだ)

響(……おまけに、こっちは反撃もしにくい。
  空中の相手に投擲なんて、無駄撃ちになるのは分かり切ってる)

響(……宙返りの真下に行くぐらいじゃないと、確実には命中させられない……!)


   モロトヴェッツが潜航する。
   私に薪を叩き込む隙を、じっと伺うつもりなのだろう。


響(……どうする?)

響(単に避けるだけじゃ間に合わない。あの薪を凌ぎ、同時に一瞬で接近する……)

響(それができないなら、私たちは……)


   横目に、ちらりと埠頭を見る。
   トビリシたちが、潜水艦たちが、揃って私たちの戦いを見守っていた。
   ちょうど、さっきの桟橋のあたりだ。埠頭との間にできた、角のあたりに集まって……


響(……角……)

響(…………)


響(――――ッ!!)


   埠頭の岸壁に対して、直角に延びている桟橋。
   その接合部分の直角に向かって、全速力で舵を切る。


ラーザリ「……ん?」

カリーニン「……何だ? どうしてこっちに……」


   みんなが訝しんでいるのが見えた。
   そのまま、ギリギリのところまで角に近づき……


トビリシ「――え……!?」

 
   急停止して反転。角にぴったりと背中を付ける。
   背後から、みんなのどよめきが聞こえた。

リーニン「な――何をやってるんだ! 止まってどうする!? そんな所で……!」

トビリシ「逃げてヴェーニャ! 早く!」

ラーザリ「…………」

響「…………」


   そして手持ちの薪を、1本だけ背中に残して……他は全て足元にバラ撒く。
   みんなが絶句しているのが、手に取るように分かった。


潜水C「え……え……?」

潜水B「……正気……!?」

潜水A「ど……どうせ自棄よ。やったわモーラ……!」

響「…………」


   視線を落とす。足元の薪と、前方の海……その両方が見えるように。
   ――もう後はない。残された道は、ただひとつだ。

―海中―

モロトヴェッツ「……壁を背に……前方だけに備えるつもりね」

モロトヴェッツ「――でも、残念ね。私は……」


   パシャン   パシャン
  
     パシャン     パシャン


モロトヴェッツ「――! 薪を……」

モロトヴェッツ「……なるほど。『真下』への備えも抜かりない。
         性懲りもない策だけど……」

モロトヴェッツ「…………」

モロトヴェッツ「――そんなに正面から来てほしいなら……
         いいわ。望みどおりにしてあげる」

モロトヴェッツ「これで終わりよ、ヴェールヌイ……!」

―海上―

響「…………」

 
   最後の薪を手に取り、ただじっと……その時を待つ。
   背後ではみんなが、固唾を飲んで見守っている。


響「…………」


   意識を、ただ目の前だけに集中する。
   海が、世界が、私に向かって……ゆっくりと閉じていくような感覚。


響「…………」


   どれくらいの時間が経っただろう。
   数分か、数秒か……もしかしたら、ほんの一瞬だろうか。


響「…………」


   ――風が吹いた。
   夏の夜にふさわしい、湿った風が……




   
   ――――そして、目の前の海が、ほんの少し――――


響「――――っ!!」


   腰を落とす。頭を下げる。  
   ギリギリまで姿勢を低くして、真正面へと突撃する――!


カリーニン「――な……!」

トビリシ「あ――あぁ……!!」

ラーザリ「……ひゅ……」


   水しぶきが上がる。薪が顔を出す。
   仰角45度で迫るそれは――


潜水A「……あ……え……?」

潜水B「……うそ……」

潜水C「うぁ――」



   ――見事に。
   私の、『頭上』をかすめた。

響「…………」


   まるで水面を這うように、もう1つの水しぶきへ肉迫する。
   直線移動だ。無駄はない。


モロトヴェッツ「――――」

 
   直上のモロトヴェッツと目が合う。
   ――信じられない、という顔だった。





響「……捉えたよ」


   振りかぶった手を、思いきり前に伸ばす。
   手裏剣のように回転しながら、薪がまっすぐ進んでいく。


モロトヴェッツ「――ッ――!」


   モロトヴェッツが腰に手を回す。
   迎撃のために、向こうも薪を撃つつもりなのだろう。
   ――けれど、もう手遅れだ。


モロトヴェッツ「…………」

モロトヴェッツ「…………馬鹿な……」




   ―――― そして、最も恐るべき相手の肩に。


   ―――― 最後の薪が、命中した。

響「…………」


   水しぶきを上げて、モロトヴェッツが沈む。
   誰も、何も言わなかった。長い静寂が、あたりを包む。

   やがて……仰向けになったモロトヴェッツが、大の字で浮き上がってきた。
  

モロトヴェッツ「…………」

モロトヴェッツ「……Хорошо(素晴らしい)……!」

響「…………」



モロトヴェッツ「…………私たちの、完敗ね」


 「「……ぃいやったああああぁぁぁぁぁ!!!」」


   歓声を上げながら、トビリシとカリーニンが駆け寄ってくる。
   その後には、ラーザリが少し恥ずかしそうに続く。


トビリシ「ヴェーニャぁっ! すごい! すごいわっ! あぁもうっ……!!」

カリーニン「やったんだ……やったんだぞ! 私たちはッ! 
      ははは……ヴェールヌイっ! こいつっ! こいつぅっ! やったぞぉ!!」

響「ちょ、ちょっと……2人とも……」

 「「Урааа! Урааа! Ураааааа!!」」

 
   2人に代わる代わる抱き着かれ、頬に何回もチューをされた。
   正直、勘弁してほしかった。


ラーザリ「…………」

カリーニン「何やってるラーザリ! ほら!」

ラーザリ「え! あ、ああ……」

響「と、トビリシ……苦し―― ん?」

ラーザリ「……ま、何て言うか……その、ほら……ええと」


   しばらく言いよどんでから、ラーザリが私の手を握る。
   そして、顔を逸らしながら……


ラーザリ「…………お疲れさん。悪かったね、色々……」

響「……ううん。ありがとう」

ラーザリ「……よせっての」

潜水C「う……うぅ……」

潜水B「こんな……納得いかないわよ……こんなの……!」

潜水A「……納得できなくても、負けは負けよ」

モロトヴェッツ「…………」

潜水B「……そうよ。こんなの認めないわッ!」

モロトヴェッツ「……マクレル」

潜水B「もう一度よッ! もう一度戦いなさい! 水上艦!!」

カリーニン「な――はぁ!?」 

潜水B「言っておくけれど、さっきは全然本気じゃなかったのよ!?
    可哀想だから手を抜いてあげたの! 本当!」

潜水A「……あのね、マクレル……!」

ラーザリ「……あーあ……」

潜水B「大体何よ! あんたたちが勝ったのなんて、ほとんどヴェールヌイのおかげでしょう!?
    個々の実力じゃ私たちが上よ! 分かってるんでしょうね!?」

カリーニン「お前たちだって! モロトヴェッツしかまともに戦ってないくせに!」

潜水B「こ、こんのぉっ……! もう怒った! 本気で負かしてやるわ! ……ヴェールヌイ以外!」

カリーニン「上等だ……! 鼻っ柱へし折ってやる! 来いトビリシ!」

トビリシ「え、えぇー……?」

潜水B「ソラクシン! 手伝いなさい、こいつらぶちのめすわ!」

潜水C「ま、待って……待ってください……!」


響「……どうするんだい、あれ」

ラーザリ「……どーすっかね、ほんと」

モロトヴェッツ「……はぁ……」


   海の上で、ラーザリたちが2回戦を始める。
   ……演習というよりは、ただの喧嘩だった。
   各々、好き勝手に叫びながら、むちゃくちゃに薪を投げあっている。


響(……でも……)



    『ほーら暁! 私の方が速いわよ!』


    『ふふーん、大人のレディはそんなの……あーもう! 響まで!
     お姉ちゃん抜かしちゃだめなんだからね!』

   
    『まっ、待ってぇ……みんなぁー……』



響(……こんなに賑やかなのも、久しぶりだ)


響「…………」

ラーザリ「……ヴェールヌイ?」

響「……さすがに、ちょっと疲れたよ。艦でしばらく休んでくるね」


   歩きながら、ふと夜空を見上げる。見渡す限り、満天の星空だ。
   見慣れた星がいくつもあった。はくちょう座、こと座、北斗七星。
   ……そして、静かに光る北極星。


響(……ああ……)

響(今夜は、ぐっすり眠れそうだ……)

―翌朝―

―駆逐艦「ヴェールヌイ」・甲板―


響「…………」

響「……ん……ああ……」


   眩しい光に、ゆっくりとまぶたを開く。気づけば朝日が昇っていた。
   だいぶ長いこと、意識を閉じていたようだ。


響「……あれ?」


   右の手のひらに、固い感触があった。
   知らない間に、何かを握っていたようだ。

響「…………これは……」

  
   手の中にあったのは、見慣れたバッジ。
   特Ⅲ型の「Ⅲ」をあしらった、私たちの思い出の品だ。


響(……いつ外れたんだろう。ずっと帽子に着けてたんだけど)

響「…………」


   理由は分からないけど、知らないうちに外れてしまったようだ。
   いつまた同じことが起きるか分からない。なら、ポケットにしまっておく方が安心だ。

   大事に大事に、バッジをポケットに収める。ソ連のバッジと同じポケットだ。
   3つのバッジが、ちゃりちゃりと心地いい音を立てる。


響「……ふふ」


―埠頭―

響「おはよう、みんな」

トビリシ「あ、おは……よ――」

カリーニン「…………!!?」

ラーザリ「…………」ヒュゥ

響「……? どうしたんだい?」

カリーニン「……どうしたって……お前なぁ」
   
ラーザリ「……馬子にも衣装か、よく言ったもんだね。
     キキーモラにでも編んでもらったか?」

トビリシ「……かわいい……」

響「……へ?」

トビリシ「すっごくかわいい! ヴェーニャっ! ほらっ、来て!」


   トビリシに手を引かれ、基地の窓のそばへ行く。
   ……そして、そこに映っていたのは――


響「……あ……!」


   すっかり見慣れた自分の顔。そして――見慣れない、真っ白な帽子。
   襟のスカーフは無くなって、腰には黒いベルトが通る。

   ―― そう、「ヴェールヌイ」の恰好だった。

響「……いつの間に……」

トビリシ「ね、ね! この水兵服、わたしとお揃いよ! どう!?」

カリーニン「いや待て。何というのか……まだ何かが……
       ――! そうだ、ヴェールヌイ! バッジはどうした!」

響「え、バッジ?」

カリーニン「トビリシと同じ服を着た以上……お前はもう、名実ともにソビエト艦だ。
       ならば、その証として! 胸に2つだ、ピシッと着けろ!」

響「……胸じゃないとダメかい?」

カリーニン「え……いやまあ、駄目というわけでもないが」

響「……そうか。よかった」


   窓を見ながら、2つのバッジを……帽子の左側に着ける。
   鎌と槌、そして五芒星が、朝日を受けて煌めいていた。


響「うん。やっぱり、こうでないとね」

ラーザリ「……分かんないなあ、あんたのセンス」

トビリシ「あはは、似合う似合う! ……そうだ! モロトヴェッツさんにも見せに行かない?」

響「え……!? いや、その、それは……」

トビリシ「大丈夫よ! すっごくかわいくてカッコいいから! ね!」

響「ああ、ちょっと……!」




   ――私はね、独りでいるのは嫌いじゃない。
   というより、独りを嫌ったり、辛く思ったりしても、仕方がないと思ってる。
   
   ……でもね。新しい仲間と朝を迎えて、私はこうも思ったんだ。


   ――――やっぱり、こういうのもいいな、って。



――
――――
――――――――

暁「……ぐすっ……」

響「……暁? 何で泣いて……」

暁「な、泣いてない! 泣いてないんだから!」グスッ

雷「よしよし……」ナデナデ

暁「ばかぁ……!」

電「……よかった……よかったね……響ちゃん……」

響「……? 別に泣くような話でも……」

提督「まあ、いいからいいから」

響「……それにしても、もうこんな時間か。ずいぶん長いこと話してしまったね」

響「お腹空いただろう? そろそろ、お昼にしようか。
  ……給養員さんに、ブイヨンの仕込みをお願いしておいたんだ」

暁「え! 響が作ってくれるの!?」

響「……なんだか、色々懐かしくなってきてね。ボルシチも久しぶりだろう?」

雷「はいはーい! 私も手伝うわ!」

電「みんなでやったら早いのです!」

暁「あ……じゃ、じゃあ私も……」

提督「……無理すんじゃないぞ? みんな」

暁「なんでこっちを見て言うのよぉ!」

雷「……あ、響」

響「ん?」

雷「そう言えば、潜水艦の人たちとはどうなったの?
  勝負が終わっても、まだゴチャゴチャやってたみたいじゃない」

響「まあ、ね……あれからも週に1回は、カリーニンたちと戦ってたよ」

雷「え、えぇ? それじゃ結局、仲悪いままってこと!?」

響「いや、そうじゃなくて……何て言おうか……」

――――――――
――――
――

―夜 海上―

潜水B「見なさいカリーニン! 薪小屋の奥にこんなボールが……!」

カリーニン「ちょうどいい……今日はサッカーで叩きのめしてやる」

潜水B「ほざきなさい! ジェーナさん、キーパーお願い!」

カリーニン「トビリシ! ヴェールヌイ! 見てないで来い、作戦会議だ!」

響「……君たちホントは仲良いだろう?」



     【Продолжение следует............】

第2話おわり 次回は遅くとも2週間以内に

今回も前後編に分けます

―2015年 7月某日―

―日本・東北地方沖―

―司令船 厨房―


響「…………」


   バターを引いたフライパンで、パセリとタマネギをじっくり炒める。
   隣のコンロでは、豚肉で取ったブイヨンが香ばしい匂いを立てている。


雷「響、小麦粉炒め終わったわ」

響「ありがとう。じゃあ、トマトピューレとお酢、人数分ね」

雷「はいはーい!」


   千切りにしたニンジンとビート――赤カブみたいな野菜を加え、さらに炒める。
   フライパンの中が、たちまち真っ赤に染まる。

暁「響ー、キャベツって……」

提督「……暁。猫の手な、猫の手」

暁「え……あ、分かってるわよ!」


   トマトピューレとお酢、小麦粉を、真っ赤なフライパンへ投入する。
   そして最後に――ブイヨンから集めた豚肉の油。
   これがあるとないとでは、具材の風味がまるで違う。


提督「……電、ちゃんと貯蔵庫の場所分かったかな」

響「案内しなくてよかったのかい?」

提督「ほら、それ以上に心配な奴が……」チラッ

暁「な、何よぅ……ちゃんとできたでしょ?」

電「響ちゃーん!」


   大きな紙袋を抱えながら、電が厨房へ戻ってくる。
   紙袋の中には、ジャガイモとキャベツがみっしりと詰まっている。

響「ありがとう。……でも、ずいぶん多いね」

電「厨房の野菜置き場に置いといて、って……」

提督「悪いな、わざわざ……ストック切れてるなんて知らなくてさ」

電「と、とりあえず、このあたりに……ひゃぁっ!?」ポロッ


   紙袋のてっぺんから、ジャガイモがこぼれ落ちそうになる。
   とっさにジャガイモを手で押さえる電。すると、今度は紙袋がぐらついた。


電「はわわわわ……!」ガシッ


   そして、紙袋がずり落ちないように、強く抱きしめるようにして――――
   


     『……っ……うぅ……うぁぁ……』

     『……あぁぁ……うああぁぁぁああっ……!』



響「――――!!」

電「っ……よ、よかったぁ……」

雷「大丈夫? やっぱり入れ過ぎよ」ヒョイヒョイ

響「…………」

暁「……響?」

響「! あ、ああ……ごめん。……じゃあ、皮を剥こうか」

雷「どうかしたの?」

響「……何でもないよ。ちょっと……昔のことを」

暁「あ! もしかしてロシアのお話!?」

響「……そんなに面白い話でもないよ」

暁「……そ、そう……」シュン

響「…………」

響「…………」


   キャベツを洗い、千切りにする。ジャガイモは皮を剥いて、適当な大きさに切る。
   炒めておいたものと、切ったジャガイモを、一緒に鍋の中へ入れる。
   キャベツを入れるのは、鍋が1回煮たってからだ。

   調味料も、肉も、色とりどりの野菜も。鍋のなかで1つになっていく。
   ――豊かだ。豊かなボルシチだ。


響「…………でも……」

響「……やっぱり、話しておいた方がいいのかもしれない」

暁「え?」

響「自分でも、いまだに迷ってるんだ。あれで本当に良かったのか……」

響「みんなに話してみれば、ひょっとしたら……何かが分かるかもしれない」

響「それに……『今』の私たちにも、関係ない話ではないからね」

電「…………」

響「……座ってていいよ。煮込んでる間に話すから」



               эп.3


  Местонахождение доброты
         
           ―やさしさのゆくえ―

―1950年 12月下旬―

―ソ連・ウラジオストク―

―嚮導駆逐艦「トビリシ」 艦長室―


   人のいない艦長室。
   壁際に備え付けられたラジオを、トビリシがあれこれと弄っている。


トビリシ「……来てない?」カチャカチャ

響「誰も」

トビリシ「……大丈夫よね?」クイックイッ

響「たぶん。……ずいぶん時間かかるね」

トビリシ「ごめんね、なんだか電波が、こう……」カチャカチャ

『――ザザッ――ピュイー――……ザザザ――』

『――~♪ ――るさが 暖かさが――って――♪』

トビリシ「!」

『♪ ――あなたを 私の愛しい人を待っている♪』

トビリシ「やった! 今日はシュリジェンコさんよ!」

https://www.youtube.com/watch?v=r3y6Uspgqdw


   チャンネルが合い、雑音だらけの歌声が流れてきた。
   軽快なリズムに合わせて、トビリシも体を揺らし始める。


トビリシ「ふふふっふっふんふんふーんふーん♪」

響「トビリシ、あんまり動くと……」

トビリシ「『♪ 再会の時はもうすぐね 力いっぱい応えてあげる♪』」タタッ

響「……いや、だから……」

   
   ラジオに合わせて口ずさみながら、ステップまで付けて踊り出す。
   滑らかな歌声に、軽やかな足さばき。確かに上手だ。上手だけれど……


トビリシ「――っ!」ガツン!!

響「……はぁ……」

トビリシ「~~っ! ~~~~っ!!」ヨロヨロ

響「……寝台のすぐそばで踊るからだよ。ほら、痛くない痛くない」

トビリシ「で、でもぉ……!」

響「ん……? ――!」


   部屋の外から、小走りの足音が聞こえてきた。
   足をぶつけた時の音を、誰かが聞きつけたのかもしれない。
   瞬時に、部屋の入口へと目を向ける。


艦長「…………」

艦長「……誰だ? 誰かいるのか?」

響「…………」

トビリシ「え……!? ……きょ、きょうは会議って……」

『――♪ どれだけ前だろう 君と別れたのは――♪』

https://www.youtube.com/watch?v=KyLy8J5qsB0


   ラジオからは、さっきとは別の曲が流れ始めていた。
   伸びやかな男性の歌声が、薄暗い艦長室にこだまする。


トビリシ「……はぁぁ……ウチョーソフさん……」

艦長「…………」

艦長「……誰だか知らんが、良い度胸だ。無断侵入の上、ラジオ三昧だと?」

艦長「せめて切ってから逃げんか! 全く……!!」

響「……潮時だ。そろそろ戻ろう、トビリシ」

トビリシ「え? で、でも……もうちょっとだけ……」

響「……いつも言ってるだろう? 艦長さんにだって仕事があるよ」

トビリシ「……うん……わかった。ごめんね、ウチョーソフさん」プチッ


   心底残念そうな顔をして、ラジオの電源を切るトビリシ。
   その瞬間、艦長さんの顔が真っ青になる。


艦長「――!? な……」

響「……あ、しまった」

艦長「……ら、ラジオが勝手に……!?」

艦長「…………」

艦長「い、いや……まさか……そんなまさか、馬鹿な……」

艦長「……いない! そんなものいない! 断じていない!
   あんなのは非近代的な迷信だ! 怖くない、怖くないぞぉ……!」

響「……じゃあ、行こうか」

トビリシ「……うん」

艦長「いるなら挨拶でもしてみるがいい! ……は、ははは……」 

響「……では艦長、失礼した」コンコン

艦長「うおおおおおおおおおお!!?」

―夕方 埠頭―


トビリシ「あーあ……もっと聞きたかったのに……」

響「……仕方ないよ」

トビリシ「艦長さん、なんであんなに早く……」

響「忘れ物でもしたんじゃないかな」

トビリシ「むー……」


   あの演習から、すでに3年が経っていた。
   私は1948年に前線を退き、以降は新兵たちを鍛え上げる練習艦として過ごしていた。
  
   もっとも、出番はそこまで多くない。
   出撃のないときには、1人でぼうっと海を眺めたり、仲間たちと一緒に過ごしたり……
   現役時代に比べれば、嘘のように穏やかな毎日だった。

トビリシ「……でも、ほんとうに残念だわ。
     ヴェーニャにもいっぱい聞いてもらいたかったのに」

響「……もう十分だよ。シェリジェンコもウチョーソフも」

トビリシ「まだまだあるわ! 『青いプラトーク』とか、『レモンちゃん』とか!
     ユーリエワさんも! ツファスマンさんも! 
     最近全然流してくれないけど、フォミーンさんのロマンスも!」

響(ああ、始まった……)

トビリシ「民謡にも素敵なのがたくさんあるのよ! 
     『ヴォルガの舟唄』でしょ、『白樺は野に立てり』でしょ、それから……」

響「わかった、わかったよ……」

トビリシ「あ……ご、ごめんね……」


 
   ――2年前に出会ってからというもの、
   トビリシが私を遊びに誘わない日は無かった。
   
   ある時は港で走り回り、ある時は星を見ながら語り合い、
   またある時は、この日のように……こっそりラジオを聞いたりした。


響「…………」


   ――楽しかった。それは間違いない。
   けれども時々、ほんの少しだけ……疲れを覚えてしまうのも事実だった。

響「……ねえ、トビリシ」

トビリシ「なあに?」

響「……どうしていつも、私を誘ってくれるんだい?」

トビリシ「…………え?」

響「…………」

トビリシ「……だ、だって……友達でしょ?」

響「……もちろんだよ。でも……何て言おうか……」
 
響「トビリシと遊びたい子が他にもいたら、その子に悪い気もしてね」

トビリシ「…………」

トビリシ「……いいのよ。わたしはヴェーニャと一緒にいたいの」

響「…………」

響「……トビリシ。その……」

トビリシ「あっ!」

響「?」

トビリシ「ねぇヴェーニャ、見て!」


   埠頭の対岸を指さすトビリシ。
   ちょうど、民間のアパートがひしめいているあたりだ。


少年「――――」

少女「――! ――!」

   
   小さな男の子が、さらに小さな女の子を連れて立っていた。
   2人は手をつないで、私たちの――軍艦の方を見て、何かを喋っている。
   
   嬉しそうに話す女の子。
   男の子はあまり口を開かなかったけど、話に合わせて、しきりに頷いていた。

響「ああ、あの子たち……」

トビリシ「おにいちゃーん! 妹ちゃーん!」ブンブン

響(……まあ、見えないとは思うけど……)

少女「――!!」ブンブン

響「!」

トビリシ「きゃぁーっ! ね、ね、ヴェーニャ! 見た今の!?」

響「こ、子供だから……? いや、まさか……」

水兵A「おーい! おーい!」ブンブン

響「……ん?」

 
   ふと横を見れば、荷下ろし中の水兵さんたちがいた。
   対岸の子供たちに向かって、大きく手を振って呼び掛けている。

水兵B「よく来るよなぁ。そんなに面白いもんかね」

水兵A「いいじゃねえか、将来有望だぜ? おーい! 元気かぁー?」

少女「――!! ――!!」ブンブン

少女「――!」ヨロッ

少年「!」ガシッ

水兵A「ハハハ……どうした、危ねえなぁ」

響「……なんだ」

トビリシ「…………」シュン


   あの2人は、対岸のアパートの子供たちだ。
   ときどき、ああやって海辺に来ては、軍艦や基地を眺めている。

   私がここに来たばかりの頃は男の子1人だったけど、
   いつの間にか、顔立ちのよく似た女の子も増えていた。
   2人とも、すっかり顔なじみだ。
   

トビリシ「あーあ……わたしも人間だったらなぁ……」

響「やりたいことでもあるのかい?」

トビリシ「……笑わない?」

響「……うん」


   はにかんで笑うトビリシ。
   すこしの間を置いて、ゆっくりと口を開いた。


トビリシ「…………私ね、歌手になりたいの」

響「歌手?」

トビリシ「ただの歌手じゃないわ。歌って踊れるスパズヴェズダよ」

響(……『すごい星』?)

トビリシ「そうなったら、あの子たちにも、あの水兵さんにも……
     ソビエト中の人たちに、歌と踊りを見せてあげるの」

トビリシ「それでね、嫌なこととか悲しいこととか……そういうのは全部忘れて、
     また明日からも頑張ろうって……」

トビリシ「……みんなに笑ってほしいのよ。私を見て、元気になってほしいの」

響「…………」

トビリシ「……でも、無理よね、やっぱり」

響「……どうだろうね。今は、できることをやるしかないさ」

響「歌や踊りは見せられなくても、私たちには、私たちの役目がある」

響「できる範囲で、みんなのために働けばいいんだ」

トビリシ「…………でも……」


   ちょうどその時、対岸の子供たちに近寄る人影があった。
   お腹の大きな女の人だ。子供たちに手招きして、何かを大声で言っている。


響「……お母さんかな?」

トビリシ「そうかも。迎えに来たのかしら」

女性「――! ――……」

少女「――――!」

少年「――、――――……」

水兵B「……3人目か。最後の贈り物って奴だな」

水兵A「あ?」

水兵B「知らねえのか? あの辺りじゃあ有名だぞ。あそこの旦那――」

トビリシ「……?」

 
 「ヴェールヌイ!」

響「?」クルッ

カリーニン「ここにいたのか……モロトヴェッツが探していたぞ。
       新人の教育がどうとかで……」

響「ああ……そうか、今夜だったね」

カリーニン「司令室の前だ。あまり待たせてやるなよ」

響「分かった、すぐに行くよ。……じゃあ、トビリシ」

トビリシ「…………」

水兵B「――ま、ひでえもんだろうな」

水兵A「ふぅん……」

響「……? トビリシ?」

トビリシ「! あ、う、うん!」

響「すまないけど、用事があるんだ。私はこれで……」

トビリシ「え……あ、その……」

響「?」

トビリシ「……ううん、ごめんなさい。……またね」



水兵A「げっ……」

水兵B「あ?」

水兵A「いや、見ろよこれ……このタマネギ……」

水兵B「……あーあ、こりゃひでえ……下の方は全部ダメだな」

水兵A「……どうするよ」

水兵B「言うしかねえだろ。こんなん食わされんのは御免だぜ」

トビリシ「…………」

―夜 金角湾・海上―


モロトヴェッツ「……よし、そこまで!」

潜水D「……はぁ……ふぅ……」

響「もういいのかい?」

モロトヴェッツ「……初めてにしては十分だわ。あなた相手に30分も逃げ切ったのよ」

潜水D「ま……まだ大丈夫です! まだやれます!」

潜水A「……お元気なこと」

潜水B「いいじゃない! あれぐらいの気概がなくちゃ。
    ソラクシン、あんたも見習いなさいよ」

潜水C「は、はい……」

モロトヴェッツ「……海上航行については、後日引き続き訓練を行うわ」

モロトヴェッツ「今日覚えたことは忘れないように。
         動きを感覚で覚えてこそ、操舵に応えることができるのよ」

潜水D「はっ! ありがとうございました!」


   潜水艦たちと一緒に、埠頭へ上がる。
   モロトヴェッツが側に寄ってきて、静かな声で語りかけた。


モロトヴェッツ「……悪かったわね、こんな遅くまで」

響「いいんだ。大変なんだろう?」

モロトヴェッツ「……そうね。家族が一気に増えたもの」

響「……家族ね……」

トビリシ「……ヴェーニャ?」

響「? ああ、トビリシ……」

トビリシ「ごめんなさい。その、少し……」

潜水B「ヴェールヌーイ! ちょっとー!」

響「? なんだい?」

潜水A「例の『薪投げ』、エスさんも見てみたいんですって!」

潜水D「は、はい! その、お話はかねがね……!」

響「……トビリシ。すまないけど、また後でいいかい?」

トビリシ「う、ううん! いいの、べつに何でもないから……」

響「……?」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


響「……ふぅ……」

トビリシ「……ヴェーニャ。えっと、その、やっぱり……」ボソボソ

カリーニン「ヴェールヌイ! プラウダとイズベスチア、新しいのが入ったぞ!」タタタタッ

響「また討論会かい?」

トビリシ「…………」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


響「……分からない。金かドルかで、そんなに違うのかな……」

トビリシ「えっと、ヴェーニャ……」ボソボソ

モロトヴェッツ「ヴェールヌイ、少しいい?」

響「ん?」

トビリシ「…………」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


響「放置機雷対策……やっぱり、見張るしかないのかな。
  でも、どうやって知らせたら……」

トビリシ「…………」

ラーザリ「ヴェールヌーイ? 見てこれ、チェス盤捨てられててさぁ。
      どう? 前言ってた「ショーギ」って奴のルールで……」

響「……盤だけ? 駒は?」

ラーザリ「大丈夫、一緒に拾っといたよ。……ま、ポーンが何人か行方不明だけど」

響「……1局だけだよ? もう遅いし」

ラーザリ「そりゃぁ良かった。カリーニンの奴、チェス嫌いでね……」

トビリシ「…………」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

―埠頭 薪小屋付近―


響「……じゃあ、おやすみ。休む時は艦に戻るんだよ?」

ラーザリ「へいへい……」


   ラーザリとの対局を追え、薪小屋を出る。
   いつの間にか、外には細かな雪が降り始めていた。随分と長く遊んでいたらしい。


響「……さて……」

トビリシ「…………」

響「…………」

響「…………!?」ビクッ

トビリシ「……ヴェ……ヴェーニャ……」

響「……トビリシ……!?」

トビリシ「……ご、ごめんなさい……その……」


   小屋のすぐそばに、トビリシが立っていた。
   亜麻色の頭に、真っ白な雪がこんもりと乗っかっている。


響「――! まさか……ずっと私を……?」

トビリシ「…………」

響「で、でも……それなら、なんでさっき……」

トビリシ「……や、やっぱり、わたし…………」フラッ

響「!」


   倒れかかるトビリシを、慌てて抱き止める。
   体温など無いはずの肌が、ひどく冷たく感じられた。

―基地内部 食堂―

響「…………」

トビリシ「……ごめんね……」

響「……いいよ、もう」


   食堂の暖炉の前に、2人して腰掛ける。
   マッチを1本だけ摺って、暖炉に火を入れた。


響「…………」

トビリシ「…………」

   
   わざわざ暖を取らなくても、私たちは風邪を引いたりしない。
   でも、暖炉の炎が暖めるのは、何も身体だけではない。

響「……そんなに、大事な話だったのかい?」

トビリシ「…………」

響「……言ってくれれば、ちゃんと聞いたよ」
   
トビリシ「……だって……ヴェーニャ、あんなに誘われてたじゃない」
     
トビリシ「カリーニンさんにも、ラーザリさんにも……みんな、みんなヴェーニャのこと……」

トビリシ「だから……邪魔なんてしちゃったら、わたし……」

響「……私じゃないと駄目なのかい?」

トビリシ「……え?」

響「いや……もちろん、あてにしてくれるのは嬉しいよ。
  でも、この基地には、他にもたくさん……相談相手がいるじゃないか」

響「ラーザリは物知りだし、モロトヴェッツも凄く頭が切れる。
  カリーニンも……ほら、元気が良いし」

響「みんな知らない仲じゃないだろう? 用事が無いなら、話ぐらい……」

トビリシ「……でも……」

響「それに、他の駆逐艦の子だって、たくさん――」


  『ああ、トビリシか』

  『いっつも1人で何かやってる』

  『……いつも? 姉妹艦とかは……』

  『さぁね……少なくとも、ここにはいないらしい。
   他の駆逐艦の連中も、ほとんど埠頭には出てこないし……』


響「――あ……」

トビリシ「…………」

響「…………」

トビリシ「……ねぇ、ヴェーニャ」

響「……何だい?」

トビリシ「前に、お姉さんがいるって言ってたでしょ」

響「……?」

トビリシ「お姉さんとは、仲良かった?」

響「……うん。姉妹4人で、いつも一緒だった」

トビリシ「……そうよね。そうなのよね、きっと」

響「え?」

トビリシ「…………」

トビリシ「……私にもね、お姉ちゃんがいるの。
     同じ日に生まれた、バクーお姉ちゃん」

トビリシ「ほんとうは、もう1人上にいるんだけど……1度も会ったことがないの。
     だから……ほとんど、2人姉妹ね」     

響「…………」

トビリシ「……お姉ちゃんは優しかったわ。どんな話でも、笑って聞いてくれて……」
  
トビリシ「友達ができなくても、寂しくなかった。
     お姉ちゃんが一緒だったから、この基地でもずっと頑張ってこれたの」

トビリシ「……でも……」



   うつむいて目を伏せるトビリシ。
   絹を束ねたようなおさげが、力なく垂れ下がっていた。


トビリシ「……お姉ちゃん、ムルマンスクに行っちゃった」

響「ムルマンスク?」

トビリシ「ここからずっと、ずーっと遠く……西のはじっこにある軍港よ」

トビリシ「……ドイツとフィンランドの飛行機が、毎日爆弾を落としてた街……」

響「…………」

トビリシ「……わたしだけよ。もう、わたしだけなの」

トビリシ「でも……ほかのみんなは違うでしょ?」

トビリシ「ラーザリさんとカリーニンさんも、モロトヴェッツさんたちも……
     みんな、姉妹がちゃんといるわ。一緒にいるのが当たり前のひとが……」

響「…………」

トビリシ「……だから、わたしが割って入ったら、きっと……」

響「邪魔になる、って?」

トビリシ「…………」

響「……トビリシ。あの演習を忘れたのかい?
  みんなで、あんなに訓練して……潜水艦のみんなとも打ち解けた」

響「そのみんなが、きみを邪険にするって……そんなこと、本気で思ってるのかい?」

トビリシ「それは……」

響「姉妹としか仲良くしちゃいけないなんて、誰も言ってないだろう?」

響「もしそうなら、私はどうなるんだい?」

トビリシ「だって、だってヴェーニャは……!」

響「姉妹がどうとか、私がどうとか、そんなのは関係ないんだよ。
  トビリシ、君はただ……」

トビリシ「っ……!」

響「! …………」


   喉元まで出かけた言葉を、とっさに押しとどめる。
   私のすべきことは、彼女の話を聞くことだ。――説教じゃない。

響「…………」

トビリシ「…………」

響「……それで、何の相談を?」

トビリシ「え……あ、うん……」

トビリシ「……そのね。あの子たちのことなんだけど」

響「あの子たち?」

トビリシ「今日も来てくれてたでしょ? あのお兄ちゃんと妹さんよ」

響「ああ……」

トビリシ「……水兵さんが話してるの、聞いちゃったんだけどね……」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


水兵B「あそこの旦那、ちょっと前に捕まっちまったんだとさ」

水兵A「へぇ? 何でまた……」

水兵B「コレよ、コレ」スッスッ

水兵A「! そりゃあ……」

水兵B「どっかの教会が壊される前に、こっそり持って帰ってたらしい」

水兵B「それで、毎日拝んでたはいいが……とうとうゲーペーウーにバレたってわけだ」

水兵A「……大した旦那だな」

水兵B「気の毒なのはカミさんだよ。女ひとりの稼ぎなんぞ、たかが知れてる」

水兵B「おまけに、ガキふたりと赤ん坊……ま、ひでえもんだろうな」

水兵A「ふぅん……」

トビリシ「…………」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

響「…………」

トビリシ「ねえ、ヴェーニャ。……わたしたち、何かできないかな?」

トビリシ「あの子たち、いっつも来てくれるじゃない。他人事みたいに思えないの」

トビリシ「それに、みんなの生活を守るのが、わたしたちの仕事でしょう?
     ヴェーニャも言ってたじゃない、『できることをやればいい』って」

トビリシ「ヴェーニャ、だからね、わたしたち――」

響「トビリシ」

トビリシ「?」

響「……気持ちは分かるよ。でも、駄目だ」

トビリシ「――え?」

響「……みんなの生活を守るために、できるだけのことをする。
  それは確かに、その通りだよ」

響「でもね。……領分っていうものがある」

トビリシ「……領、分?」

響「私たちは人間じゃない、軍艦なんだよ。
  司令官に命令されて、水兵さんに動かされて……はじめて、人の役に立てる」

響「人が、人同士の問題を解決する……私たちは、その手段なんだ。
  それ以上であってはいけないんだ」

トビリシ「そんな、でも……!」

響「……もちろん、何も考えるなってことじゃないよ。私たちにも意思はある」

響「ラジオは聴くし、新聞も読むし、チェスや演習だってやれる。
  ……ただし、私たちだけの間でね」

トビリシ「…………」

響「……私たちの考えだけで、人のことに関わるべきじゃない。
  どんな誤解が生まれるかも分からないんだ」

響「人間は人間で、フネはフネで、やっていくしかないんだよ」

トビリシ「…………」


   隣に座っていたトビリシが、おもむろに立ち上がる。
   顔を見ることはしなかった。どんな表情をしているか、だいたい察しはついていた。


トビリシ「…………おやすみなさい」

響「……うん。おやすみ」


   黙って食堂を去っていくトビリシ。
   すっかり小さくなった炎が、暖炉の中で弱々しく揺れていた。

前編終わり 後編は3日後ぐらいに

後編投下

―数日後 埠頭―


響「…………」


   暗くなり始めた埠頭で、波に揺られながら海を眺める。
   練習艦というものは、思った以上に出番が少ない。


響「あ……」

トビリシ「……!」


   ちょうど、輸送任務を終えた艦隊が帰還してきた所だった。
   旗艦を務めるトビリシと目が合う。


トビリシ「…………」ニコッ

響「…………」


   トビリシが、どこかぎこちない笑顔を向けてくれた。
   しかし、それも一瞬のことだった。すぐに沈んだ顔になり、街の方へと顔を逸らす。

響(……やっぱり、きつく言いすぎたかな)

トビリシ「…………」

トビリシ「――?」

トビリシ「――――!!」

響「……ん?」


   埠頭の対岸を見たトビリシが、何かに気付いたようだった。
   身を乗り出して、街の方を一心に見つめている。


トビリシ「――っ!!」バッ

響「!? ……トビリシ!」


   艦から飛び降りて、水面を駆けていくトビリシ。
   私も、急いで追いかける。

   ――母港に入ったとはいえ、まだ航行中だ。
   それなのに自艦を離れてしまえば、どんな影響があるかも分からない。


水兵C「……?」

水兵D「どうした?」

水兵C「いや……聞こえなかったか? 何か軋んだみたいな……」

水兵D「さぁな。ほら、投錨準備だ」

―金角湾・海上 市街地方面―


   海沿いに建てられたアパートや商店が、目と鼻の先にまで見えていた。
   トビリシを追いかけているうちに、金角湾を横断してしまったらしい。


トビリシ「……っ……!」ザーッ

響「トビリシ!」ザーッ

トビリシ「!」

響「急に何を……」

トビリシ「ヴェーニャ、あそこ……!」

響「……?」


   トビリシが指差した方向を見る。
   一軒の家の戸口を、お腹の大きな女性が、一心不乱に叩いていた。


響「……!!」


   ――見覚えのある人だった。
   何日か前、埠頭まで子供たちを迎えに来た……あの母親だ。

   その人に抱きかかえられ、ぐったりとしている女の子にも……同じように、見覚えがあった。


トビリシ「…………」


   やがて、戸口から1人のおばさんが出てきた。
   母親の姿を見るなり、おばさんの顔がとたんに険しくなる。


母親「お願いです……この子、昨日から何も……!」

おばさん「……医者に行きな」

母親「看てもらったんです! 栄養失調だって……!」

おばさん「……じゃあ、何か食わせて寝かせとくんだね」

母親「……お願いです、お願いします……! うちはもう、スープも満足に作れないんです!」

母親「お金は必ずお返しします! 奴隷になれと言うならなります! 
   だから……だから、どうかこの子を……!」

少女「…………」

おばさん「……うちだって楽じゃないんだよ」

母親「お願い……どうか……」

おばさん「……悪いけど、あんたと喋ってるのも見られたくないんだ。
      恨むんなら旦那を恨むんだね」バタン

母親「! 待ってください! お願いです! ほんの少しでも!」

母親「……どうか……どうか……」

母親「…………うっ……うぅ…………」

少女「…………」


   女の子をしっかりと抱きかかえて、その家を後にする母親。
   しばらくよろよろと歩いてから、一棟の古びたアパートに向かっていく。
   入口に座っていた男の子が、彼女の元へと駆け寄った。


少年「母さん! どうだった……」

母親「…………」

少年「……母さん……?」


   親子3人が、押し黙ってアパートへと入っていく。
   波の音だけが、辺りに残っていた。   




響「…………」

響「……トビリシ……」

響「――!」

トビリシ「――――」


   今でもはっきり覚えている。   
   拳を震わせたトビリシを見たのは、あれが最初で最後だった。

―翌日―

―嚮導駆逐艦「トビリシ」 艦長室―


艦長「……確かなのか?」

水兵B「間違いありません。夜間警備中に、確かに厨房付近で物音を聞きました」
   
水兵B「深夜3時ごろの事です。
    音を聞いてからすぐに厨房へ向かいましたが、その時にはもう誰も……」

艦長「鍵は?」

水兵B「開け放たれていました。鍵の管理は、主計兵が行っております。
    鍵穴には何も差されていませんでした。取って逃げたか、あるいは……」

艦長「……始めから厨房に潜み、内側から鍵を開けたか……」

水兵B「はッ!」

艦長「……例のラジオと、同じ奴かも知れんな」

水兵B「? ラジオ……ですか?」

艦長「いや……それで、被害はどうなんだ」

水兵B「……本日からの輸送任務用に積み込まれた、食糧の一部です。
    納品書と突き合わせて、改めて計量しました」

水兵B「卵が3個、豚肉200グラム、タマネギとビートがそれぞれ300グラム。
    塩と砂糖、それに胡椒も、未開封の小瓶が1つずつ……」

艦長「…………」

水兵B「……1巡目の警備巡回では、厨房の鍵は閉まっていました。
    鍵の件を考慮しても、厨房に侵入できるのは、おそらく……」

艦長「貴様の推測など聞いてはいない!」ドンッ

水兵B「!! もっ、申し訳ありません!」

艦長「……輸送任務は別の艦に回せ。全員に事情聴取を行う」

水兵B「はッ!」



響「…………」

―数時間後 埠頭―


艦長「…………」

主計兵「艦長! 信じてくれ……俺じゃない……俺じゃないんだ!」

水兵C「おい、暴れるな!」

水兵D「こいつ……!」

主計兵「違うんだよ……ゆうべはずっとベッドにいたんだ! 厨房なんか行ってない!」

艦長「……証明できるのか? 相部屋の者たちは、みな熟睡していた。
   お前が寝床を抜け出したかどうか、誰も分からないと言っている」

主計兵「そんな……違う! 俺は違う!」

主計兵「なぁ、艦長……コムソモリスク時代から、ずっと一緒にやってきたじゃねえか!」
     
主計兵「あんたが一番よく知ってるはずだ! 俺は絶対、そんなこと……!」

主計兵「鍵だって俺がちゃんと閉めた! ずっとポケットに入れて、そのまんま寝て――」

艦長「……連れていけ。続きは部屋で聞かせてもらう」

主計兵「……頼む……頼むよ……艦長…………!」



ラーザリ「……? あれ、トビリシの所の……」

響「…………」

ラーザリ「朝から騒がしいもんだね。あいつは?」

響「……いないんだ。探してるんだけど……」

ラーザリ「ふぅん……」

響「…………」

響「……ねぇ、ラーザリ……」

―夜―

―嚮導駆逐艦「トビリシ」 厨房―


 「…………」ソーッ

   カチャッ…キィッ…

 「…………」

歩哨「……んー……」グーッ

 「…………」

   スーッ…パタン

―埠頭―


 「…………」キョロキョロ

 「…………」

 「…………」タッタッタッタ

響「――散歩かい?」

 「っ……!!」ビクッ

響「それにしては、結構な荷物だね? ……トビリシ」

トビリシ「…………」


   紙袋を抱きかかえたトビリシが、ゆっくりと振り向く。
   月明かりを映した群青色の目が、いっぱいに見開かれていた。


トビリシ「……ヴェーニャ……」

響「……ずっと、あの中にいたんだね。どうりで見つからないわけだ」

トビリシ「…………」

響「……返しに行こう。今ならまだ間に合う」

トビリシ「……駄目よ、まだ……!」

響「……無実の水兵さんが、泥棒扱いされてる。きみの主計兵だよ」
  
トビリシ「っ……!」

響「また同じことをすれば、今度は別の誰かが疑われる。
  ……それを分かって言ってるんだね?」

トビリシ「…………」

トビリシ「……お願い。これで最後だから……!」

トビリシ「……2日もお腹いっぱい食べたら、病気なんてすぐに良くなるわ。だから……!」

響「……だから、水兵さんのご飯を盗ってもいいって?」

トビリシ「っ……! だ、だって……!」

響「…………」

トビリシ「……基地の倉庫にも、私の中にも……
     余って腐っちゃうぐらい、たくさん食べ物があるわ……!」

トビリシ「……なのに、あの子のお家はスープも飲めないのよ!?」

響「…………」

トビリシ「……ヴェーニャも一緒に見たでしょう? あの子……わたしたちを見て、あんなに……!」

トビリシ「分かってよ、助けてあげたいの!」

響「……言っただろう? それは私たちの仕事じゃない」

トビリシ「……じゃあ、わたしたちの仕事ってなんなの……!?」

トビリシ「何にもせずに港にいること? 基地でしか使わない燃料を運んでくること?
     ……違うでしょ……!?」

響「トビリシ……!」

トビリシ「みんなを守るために生まれたんでしょう!? 
     苦しんでる人を、困ってる人を、助けてあげるために生まれたの!」

トビリシ「わたしはずっとそう思ってる! お姉ちゃんだってそう言ってたわ!」

トビリシ「そのためにできることをやって……どうしてそれがいけないの!?」

響「…………」

トビリシ「……苦しんでる人がいるのに、なんにもできないなんて……」

トビリシ「できるのに、助けてあげないなんて……そんなの……!」

トビリシ「……わたしたち……なんのためにいるのよぉ……!」


   ぼろぼろと涙をこぼしながら、切々と訴えるトビリシ。
   ここまで感情をあらわにした彼女を、私はそれまで見たことがなかった。


響「……それでもね……」

響「……友達に、泥棒なんてさせたくないんだ」

トビリシ「……!」

響「お願いだよ、トビリシ……」

トビリシ「…………っ……!」


   目を逸らして、私の横を走り抜けようとするトビリシ。
   けれど――。


 「……ヒドいねぇ。せっかく止めてくれてんのに……」

トビリシ「……!!」

ラーザリ「…………」スッ

トビリシ「……あ……」

ラーザリ「……バレたのが私で良かったね。カリーニンならどうなってたか……」

トビリシ「ら、ラーザリさん……その……」

ラーザリ「……あんたにどうこう言う気は無いよ。
     自分で決めた事なんだ。やりたいんなら好きにすりゃいい」

ラーザリ「苦しんでる人を助けてやる……ほんと立派だ。大したもんだよ」

ラーザリ「この街じゃ、何千何百って家が飢えてるんだ。仕事が山積みだよ? うらやましいね……」

トビリシ「…………!」

ラーザリ「それに……」チラッ


   ふとラーザリが、対岸の市街地に目を向けた。
   いつもの薄ら笑いが、たちまち消え失せていく。


ラーザリ「……ヴェールヌイ。
     その子供……どこのアパートだって?」

響「……? ほら、あそこの角の――」



   アパートを指差そうとした、その時。

   ――――私たちは見た。見てしまった。

響「――――あ――」


   アパートの出入り口から、2人の男の人が出てくる。
   重そうな木箱を抱えながら、ゆっくりと歩みを進めている。


母親「――! ――――!!」

少年「――――」
   

   母親が、木箱にすがって泣き叫んでいる。
   男の子は、身体をぶるぶると震わせながら、木箱をじっと見つめている。

ラーザリ「…………」


   木箱は少しだけ横に長く、粗末な蓋も付いていた。
   ―― 子供の1人ぐらいなら、すっぽりと入りそうな大きさだった。
  

   ――あれは、ただの木箱じゃない。
  
   ――――木箱なんて、言っていいようなものじゃない。



トビリシ「…………」

トビリシ「……っ……うぅ……うぁぁ……」

トビリシ「……あぁぁ……うああぁぁぁああっ……!」

トビリシ「あぁあああぁぁぁあぁぁ…………っ……!!」


   
   うずくまっても、泣き崩れても……
   トビリシは紙袋を抱きしめて、決して落とそうとしなかった。

   ――――結局……彼女は、そういう子だった。

―翌日―

―嚮導駆逐艦「トビリシ」 艦長室―


艦長「…………」ガチャッ

艦長「……?」


  『艦長さんへ』


艦長「……何だ……?」ベリッ


  『――親愛なる艦長さん。あなたに、どうしてもお伝えしたいことがあります』

  『おととい、厨房の食べ物を盗んだのは……主計兵さんではなく、このわたしです』


艦長「……!?」

  『本当にごめんなさい。あなたや水兵さんたちに、ご迷惑をおかけするつもりはなかったのです』

  『本当なら、あなたに直接お会いして、おわびしなければなりません。
   ですが、それだけはどうしてもできないのです。どうか、どうかお許しください』

  『あなたの部下のみなさんは、決してどなたも悪くありません。悪いのはすべてわたしです』

  『だから、どうかあの主計兵さんを責めないでください。
   あの人は優しくて、料理も上手な、とてもすばらしい人なんです』


艦長「…………」ガタガタ


  『こんな手紙が、なんのつぐないにもならないことは分かっています。
   けれど、せめて誤解をときたくて、筆をとらせていただきました』

  『封筒と便箋は、机の横に落ちていたものです。
   いらないものではなかったのなら、本当にごめんなさい』

  『どうかこれからも……わたしのことを、よろしくお願いします』

  『――愛をこめて。嚮導駆逐艦 トビリシ』

艦長「…………」

艦長「……は、ははは……」

艦長「馬鹿馬鹿しい……! だ、誰だ! どこの馬鹿が……!」

艦長「…………」

艦長「……鍵は確かに閉めて出た。……便箋も封筒も、私のだ」

艦長「……いや! いやいやいや……!」


   コン、コン キィッ


艦長「ひぃっ!?」


   キィッキィッ キィッコン コン   コンコンコンキィッ コンキィッ コンキィッコンコン キィッコンコンキィッ

艦長「あ……あ……」


   キィッキィッ キィッコン コン   コンコンコンキィッ コンキィッ コンキィッコンコン キィッコンコンキィッ

   キィッキィッ キィッコン コン   コンコンコンキィッ コンキィッ コンキィッコンコン キィッコンコンキィッ

   キィッキィッ キィッコン コン   コンコンコンキィッ コンキィッ コンキィッコンコン キィッコンコンキィッ……


艦長「うぉおああああああああ!!!」ガチャッ

水兵A「!? か、艦長!?」

艦長「あ、あいつを……! あいつを呼べっ! 早く!」



トビリシ「…………」

響「…………」

トビリシ「……Мне жаль(ごめんなさい)……」

―夜 埠頭―


トビリシ「…………」

モロトヴェッツ「……何を言われるか、分かるわね?」

トビリシ「…………」コクッ

モロトヴェッツ「……そう。なら、もう何も言わないわ。
         今回の事を、絶対に忘れないように」

トビリシ「……はい」

カリーニン「…………」ザッ

トビリシ「っ……!」ビクッ

カリーニン「…………」

カリーニン「……馬鹿ものが……!」ギュッ

トビリシ「…………え……?」

カリーニン「馬鹿……この、大馬鹿っ……!!」グスッ

トビリシ「…………」

―数時間後―

―深夜 埠頭―


響「……主計兵の人、仕事に戻れたみたいだよ。疑いも完全に晴れたらしい」

トビリシ「…………」

響「やっぱり、あの信号が効いたのかな?」

トビリシ「……怖がらせちゃったわね」

響「……うん」


   トビリシと2人で、桟橋に腰かける。
   満点の星空が、私たちの頭上に広がっていた。


トビリシ「……ヴェーニャ」

響「ん?」

トビリシ「……ごめんなさい……」

響「……もういいんだよ。みんなの前で、正直に謝ったじゃないか」

トビリシ「……カリーニンさん、泣いてたね」

響「……うん」

トビリシ「……わたしのために?」

響「当然だよ」

トビリシ「…………」

トビリシ「……ねぇ、ヴェーニャ」

響「…………」

トビリシ「……わたし……どうすればよかったのかな?」

響「…………」

響「……今度は……」

トビリシ「……?」

響「……答えが出るまで、そばにいるから」

トビリシ「…………」

トビリシ「……っ……」グスッ


   私の手を握るトビリシ。
   じんわりとした暖かさが、彼女の手から伝わってくる。

https://www.youtube.com/watch?v=5YIESsb6p2c


トビリシ「…………」

トビリシ「『saqvarlis sap'lavs vedzebdi.......』」

トビリシ「『ver vnakhe...... dakarguliqo......』」

トビリシ「『gulamoskvnili vtirodi......』」

トビリシ「『sada khar, ch'emo suliko............』」


   トビリシが、静かに歌いはじめる。
   ロシア語とは違う、不思議な響きの歌詞だった。

響「……いい歌だね」

トビリシ「……グルジアの歌よ」

響「グルジア?」

トビリシ「……『トビリシ』っていう、大きな街があるの」



   夜の埠頭に、トビリシの歌声が響き渡る。
   包み込むような優しさのある、とても落ち着いた歌だった。
   
   ―――― 子守歌であっても、挽歌であっても、良い歌なのは変わらない。
   

――
――――
――――――――


提督「…………」

電「…………」ブルブル

雷「……電……」

暁「…………」


響「……さぁ」

響「出来上がったよ。お昼にしよう」

――――――――
――――
――


   『心もうつろに あてもなくさまよう』

   『あの子はどこへ行ったやら いとしいスリコ――』


   『夕べの城跡に 孤児らが遊ぶ』

   『どこかにスリコがいやせぬか 忘られぬスリコ――』




     【Продолжение следует............】

第3話おわり 次回はちょっと11月中旬ぐらいになりそう

ちなみに当時の一般家庭の月収は、夫婦共働きで平均250ルーブル
でも3食きちんと食べようとすると、1ヶ月あたり1人150ルーブルの食費がかかったらしい

申し訳ありません、もう少しお待ちください

第4話前編投下

―2015年 7月某日―

―日本・津軽海峡―

―司令船 食堂―


響「…………」クイッ


   食事の後片付けを終え、テーブルで一息つく。
   グラスを少しずつあおるたびに、深いため息をつきそうになる。


響「……水っぽいね」

提督「お冷だからな」

響「ウォッカは?」

提督「これでも海自の船だしよ。飲ませたら俺が怒られる」

響「……ひどい組織だ」

提督「ホントになぁ……ほれ、バーボン」トクトク

響「麦茶だね」クイッ

提督「気分だよ気分」ゴクゴク


雷「……何かしら、あれ……お酒ごっこ?」

電「さぁ……響ちゃん、さっきからあんな感じで……」

暁「し、司令官? 暁も入れてくれたって……」ソワソワ

提督「レディなあなたにボルドーワイン。ほれ、ムートン・カデの10年物だ」トクトク

暁「わぁ……」キラキラ

電「あ、私にもブドウジュースを……」

暁「ちょっとぉ!」

響「…………」ゴクゴク

雷「……ひ、響?」

響「うん? ……ああ……」

響「……さっきから、色んなことが蘇ってきてね。
  何て言うかな……素面だと、どうにも……」

雷「……あのね、響が辛いなら、これ以上は……」

響「いや、そうじゃないんだ……そういうわけじゃ……」

提督「分かる分かる。俺もなぁ、急にバーチャンのこととか思い出してよ、
   なんか泣きそうになってアルコールを……」

雷「司令官はちょっと黙ってて!」

提督「……はい」

響「…………」ゴクゴク

雷「……荒んでるわね」ヒソヒソ

電「……お水ですけどね」ヒソヒソ

雷「やっぱり、さっきの話のせいかしら……」ヒソヒソ

電「……響ちゃんにとっても、きっと悲しい思い出だったのです」ヒソヒソ

雷「……やっぱり、そんな話ばっかりじゃダメよね。
  もっと楽しくって、あったかい思い出を聞いてあげなきゃ!」

電「でも、どうやって……?」

雷「そういう話に繋がるように、私たちから質問するのよ!
  ――ねえ、響!」

響「うん。……まあ、聞こえてたんだけどね」

雷「さっき、ちょっと話に出てたけど……
  ソ連の子たちも、姉妹のことって結構気にしてたの?」

響「……そうだね……トビリシはさっき言った通りだし、
  ラーザリとカリーニンも、なんだかんだ言って……」

響「……形はそれぞれ違ったけど、みんな姉妹意識は強かったよ」

提督「へえー……」

雷「あ! じゃあ、いっちばん姉妹思いだった子は?」

響「……姉妹思い?」

雷「うんうん!」

響「…………」

響「……じゃあ、その人のことを話そうか」

響「残念だけど、あんまり明るい話じゃないよ?」

雷「え……」

響「嫌ならいいんだ。でも……聞いてくれるなら、話したい」

響「……これからもずっと、忘れてはいけないことだから」



響「……そうだろう? ……モロトヴェッツ……」




            эп.4


Тихая, глубокая, в покое

       ―深く静かに、安らかに―

―1951年 1月18日―

―ソ連 ウラジオストク・埠頭―


潜水C「…………」


   ――その日は、朝から工廠が騒がしかった。

   昼下がりの埠頭に、小柄な潜水艦の一団が集まっている。 
   先頭に立っているのは、『47(ソラクシン)』と呼ばれていた彼女だ。


潜水C「……ああ……」


   彼女たちは一様に、金角湾の向こうを見つめている。
   街を南北に貫いた線路を、シベリア鉄道が悠然と走っていた。


潜水C「……もう、思い残すことはありません」

潜水C「最期の最期に……大好きな鉄道が見れたんですから」

モロトヴェッツ「…………」

潜水D「……っ……うぅ……」

潜水C「……でも……」

潜水C「やっぱり、もう1回ぐらい……乗ってみたかったな……」

潜水A「…………」

潜水C「私の鋼材、汽車になったりしませんかね?
    レールでもいいですけど……えへへ……」

潜水B「ソラクシン……!」


   ソラクシンたちの周りを、他の潜水艦が、ずらりと囲んでいた。
   モロトヴェッツを筆頭に、艦隊じゅうの潜水艦が集まっていた。


カリーニン「……っ……」

トビリシ「…………」

ラーザリ「…………」ギュッ

響「…………」


   私たちも、その光景を見守る。
   
   カリーニンは、静かに涙を流していた。
   トビリシは、呆然とした顔で前を見ていた。
   ラーザリは、何かに怯えるように自分の袖を握っていた。

潜水C「……モーラさん。今まで、ありがとうございました」

潜水C「モーラさんと一緒に働けたことは……私たち全員の誇りです」

モロトヴェッツ「…………」

潜水C「ジェーナさんも、マクレルさんも……こんな私に、優しくしていただいて……」

潜水C「私は……この基地にいられただけで、私は……!」


   ソラクシンたちの手足に亀裂が入り、粉雪のような光が浮かび上がっていく。
   総勢10数人の集団が、ぼんやりとした輝きに包まれる。


潜水C「……時間、ですね」

モロトヴェッツ「…………」

潜水C「М‐47以下、М型潜水艦一同。――往くべきところに参ります」

潜水C「……みんな、敬礼!」パシッ

モロトヴェッツ「……!」パシッ

響「!」パシッ


   М型の潜水艦たちが、一糸乱れぬ敬礼を決めた。
   モロトヴェッツたちも、私たちも、力強く敬礼を返す。

モロトヴェッツ「安心して。最期まで、私たちがついているから」

モロトヴェッツ「……先に、ゆっくり休んでいてね」

潜水C「――はい――」


   ソラクシンの笑顔に、細かなヒビが広がる。
   髪から、指から、つま先から、蛍のような光が飛び立っていく。


潜水C「―― モーラ――さ――」

潜水C「――きっと――きっと――――また――」

   
   淡い光は風に乗って、海の向こうへと運ばれていった。

   そうして、次にまばたきをした時。
   もう、彼女たちの姿はどこにも無かった。


モロトヴェッツ「…………」


   モロトヴェッツは、直立不動のまま……いつまでも敬礼を解かなかった。

―翌・1952年 11月中旬―

―金角湾 海上―


カリーニン「ぐ……ぅ……」

潜水B「ん、むぅ……!」

カリーニン「ふんッ!」バッ

潜水B「くっ!」バッ

カリーニン「なっ……」

潜水B「貰ったぁ!」ブンッ

カリーニン「うおおぉぉっ!?」バシャーン

ラーザリ「イッポーン!」


響「……何だい、これは」

カリーニン「…………」プカーッ

カリーニン「……サンボッ」

響「いや、名前じゃなくて」

潜水A「新時代の格闘技よ。知らないの?」

潜水D「ソビエト各地のレスリングを統合した、全く新しい護身術なんです!」

響「……でも、どう見ても柔道――」

潜水B「偶然じゃない?」

カリーニン「! そうだ、ヴェールヌイ! お前も来い!
       日本艦はみんな、ジュードーかカラテが出来るんだろう!?」

響「……誰だい、そんなデマ吹き込んだの」

カリーニン「え?」

ラーザリ「…………」ピューッ

響「…………」ジトッ

ラーザリ「……悪いね。あのバカ、何でも信じるから面白くって……」

カリーニン「!! ら、ラーザリぃ……!」

潜水B「やーい、単細胞! 単細胞!」

カリーニン「……吐いたな、マクレル!」バッ

潜水B「っ……! この……!」

カリーニン「勝つまでやれば負けにはならん! 今度こそ完璧に組み伏してやる!」ガシッ

潜水B「やれるもんならっ!」ガシッ

響「……いつにも増して元気だね」

モロトヴェッツ「いいんじゃない? ストレス発散になるし」

響「そう言えば、トビリシは?」

モロトヴェッツ「……あそこ」

トビリシ「 」キューッ

響「……!?」

モロトヴェッツ「……マクレルの一本背負いで、顔から水面に……」

響「……ちょっと発散しすぎじゃないかな」

潜水B「でぁりゃぁぁあああああ!!」ブンッ

カリーニン「ぐぉぉおおおおお!?」バシャーン

ラーザリ「ニッポーン!」

響「増やさなくてもいいんだよそこは」

潜水B「ふっふーん、悪いわねぇ、全戦全勝で」

カリーニン「ぐ、ぅ……」

潜水B「ま、アンタも根性だけは一級だけどね。経験が違うのよ、経験が」

潜水B「連続海上任務、40日! 航行距離、3022マイル!
    何隻もの仲間を沈めた、『氷の橋』から無傷の生還!」 

潜水B「乗組員はみんな勲章持ち! 新聞にだって写真が載ったわ!」

カリーニン「うぅぅ……!」

潜水B「……分かる? アンタが負けた理由……単細胞だけど、それだけじゃない」

潜水B「このЩ(シシャー)‐117、マクレルさまが! 優秀すぎるのが悪いのよ!」

カリーニン「こ……こんのぉっ……!」

ラーザリ「……それ、サンボに関係ある?」ヒソヒソ

潜水A「……ほら、あの子もだいぶアレだから」ヒソヒソ

潜水B「おまけに、来月には新兵器の搭載実験! しかもその足で演習よ!」

潜水B「怖いわねー、もーっと脚光浴びちゃうわー。人気者って大変だわー」

カリーニン「~~~~!!」ギリギリギリ

響「へぇ……初耳だな」

モロトヴェッツ「……海軍省じきじきの指令らしいわ。
         明後日、ソヴィエツカヤ・ガヴァニへ出発」

モロトヴェッツ「同地で新兵器を搭載、調整したのち、来月14日からの演習に参加……」

響「……新兵器って?」

モロトヴェッツ「……それ以上の事は分からないわ。演習も、潜水艦が中心としか……」

潜水B「ま、気楽にやってくるわよ。里帰りついでに、サクッとね」

カリーニン「里帰り?」

潜水B「ここの艦隊に来たのは戦後。生まれはあっちの港なのよ」

潜水B「……ベルーガもナヴァーガも、元気かな。向こうのМ型の子たちも……」

潜水A「…………」


   「М型」の名前が出た、その一瞬。
   その場にいた全員の顔に、ほんの少しだけ影が差した。

潜水B「……と、とにかく! こんな良い機会、滅多にないわ!」

潜水B「故郷に帰れて、国にも尽くせて……どう? 羨ましいでしょ、カリーニン!」

カリーニン「ふ、ふん……誰が……」

潜水B「あーら、そう? ……ま、別にいいけど。
     だったらせいぜい、私がどんどん有名になるのを、指を咥えて見てなさい!」

潜水B「もっともっと頑張って……モーラさんと同じくらい、立派な武勲艦になるんだから!」

モロトヴェッツ「…………」

響「……?」


   マクレルの言葉を、黙って聞いているモロトヴェッツ。
   彼女の端整な顔が、いつになく曇っていた。


モロトヴェッツ「……マクレル。あのね……」

潜水B「?」

モロトヴェッツ「……いえ、いいの。演習だからって、決して気は抜かないように」

潜水B「大丈夫よ。モーラさんにあれだけ教わったんだもの!」

モロトヴェッツ「……帰ったら、向こうの話を聞かせてね。楽しみにしてるわ」

潜水B「……うん!」

カリーニン「…………」

潜水B「……何よ?」

カリーニン「……いいや。実験に演習とあっては、サンボの鍛練の暇も無いな」

潜水B「……ふぅん、だから?」

カリーニン「……私は決して諦めないぞ。
       帰ってきたら、今度こそお前を投げ飛ばしてみせる」

潜水B「……ええ」

潜水B「覚えておくわ、カリーニン……」クスッ






   ――――結局、カリーニンはマクレルに勝てなかった。

   ――――マクレルはもう、誰にも負けない。



   ――――彼女はもう、誰とも勝負できない。

―1952年 12月17日 早朝―

―駆逐艦「ヴェールヌイ」 甲板―


響「………………」zzz


   ウウウゥゥ――――――ッ!!!

      ウウウゥゥ―――――――ッ!!!


響「――っ!?」ビクッ


   けたたましい警報が耳をつんざく。
   飛び起きて埠頭を見てみれば、水兵さんたちが慌ただしく駆け回っていた。


カリーニン「ヴェールヌイ!!」

響「カリーニン! 一体……」

カリーニン「分からん……! とにかく降りてきてくれ!」

―埠頭 薪小屋付近―


「第1、第4潜水艦隊、第2駆逐艦隊、出撃準備! 繰り返す、第1――」

響「第1……モロトヴェッツの……!」

ラーザリ「……えらい大盤振る舞いだね。敵さんも1、2隻じゃないらしい」

カリーニン「まさか、本当に敵襲だと……!?」

ラーザリ「あれ、意外……もっと喜ぶかと思ってたけど」

カリーニン「馬鹿! こんな時に……!」

ラーザリ「……ま、案外誤報だったりしてね」

トビリシ「みんなっ……!」タタタタッ

響「トビリシ!」

トビリシ「た、大変よ……! さっき聞いたんだけど……!」

カリーニン「開戦か!?」

トビリシ「ち、違います! マクレルさんが……マクレルさんが!」



トビリシ「……演習中に、消息不明になったって……!」

響「――!」

カリーニン「な――ッ――!?」

―埠頭―


モロトヴェッツ「――15日未明、ホルムスク沖……説明はそれで全部ですか!?」

潜水A「そ、そうよ……! それと、『積み荷』がどう、って……」

モロトヴェッツ「……26(ドゥバーシェ)、あなたは!?」

潜水D「わ、私の方もそれ以上はっ!」

モロトヴェッツ「……っ……」

響「モロトヴェッツ!」タッタッタ

モロトヴェッツ「!」

カリーニン「どういうことだ……何があったんだ!?」

モロトヴェッツ「…………」ギリッ

カリーニン「おいッ!」

ラーザリ「……バカリーニン。それを調べに行くんでしょうが……!」


   埠頭に並んだ潜水艦から、出撃のブザーが鳴り響いた。
   モロトヴェッツが、張り詰めた顔を上げる。


モロトヴェッツ「……大丈夫……大丈夫よ……」

モロトヴェッツ「待ってて……すぐに…………」

響「…………」

―1945年 12月下旬―

―埠頭―


   マクレル……Щ-117が、消息を絶って10数日。
   捜索の成果は、皆無だった。


モロトヴェッツ「14日、18時50分……右ディーゼル故障の打電……」


   捜索には潜水艦だけでなく、水上艦や航空機も動員された。
   カリーニンやラーザリ、トビリシも……そしてもちろん、この私も。


モロトヴェッツ「機雷が……!? 報告はいつ!?」

モロトヴェッツ「14日の、20時25分……! そんな、打電の直後じゃない!」


   彼女が消息を断つ、およそ7時間前。
   担当官が、演習海域で機雷を発見したと報告。艦隊全体に警告したという。

   ――けれど、触雷を裏付ける決定的な証拠は、何一つ発見されなかった。


モロトヴェッツ「……油の一滴も……浮いていない……?」

モロトヴェッツ「……向こうの子たちは、何も知らないの……!?
         ホルムスク……私もホルムスクへ…………」

>>273訂正

× ―1945年 12月下旬―

○ ―1952年 12月下旬―

   
   民間船との衝突、という可能性も考えられた。

   そのため、彼女と同時刻にホルムスク沖を航行していたフネに対して、
   徹底的な船底調査が行われた。


モロトヴェッツ「――! 船底にへこみ……!? 
         どこ!? どこなの、その船は!」   

モロトヴェッツ「……流氷? そんな! 鉄粉は……!?」

モロトヴェッツ「…………未検出……そう……」


   日本への残骸の漂着、米軍による鹵獲……
   そんな可能性まで考慮されたけど、真偽を確かめるすべは無かった。


モロトヴェッツ「…………」

モロトヴェッツ「…………マク……レル……」


   捜索に出たほぼ全ての艦に成果を聞き出し、
   極秘の報告書まで盗み見たらしい。

   ――――それでも、マクレルの手掛かりは、何1つ発見されなかった。


モロトヴェッツ「…………」フラフラ

カリーニン「! モロ――」

モロトヴェッツ「…………」ヨタッ

響「……っ……」


   憔悴しきったモロトヴェッツが、よろよろと埠頭へ帰還する。
   彼女は力なく壁にもたれ、そのままずるずると座り込んだ。

   顔は骨のように青ざめ、目の下には深いクマが刻まれている。
   普段の凛とした佇まいからは、考えられない姿だった。


響「……モロトヴェッツ」

モロトヴェッツ「…………」

響「……悪い事は言わない、休むんだ」

モロトヴェッツ「……駄目よ……」

カリーニン「――鏡を見てみろ! どんな顔をしていると……!」



   私たちの外見は、嘘をつかない。
   艦体の破損も、擦り減った心も……同じくらいにはっきりと、顔や姿に現れる。


響「……こんな状態で海に出たら、きっと良くないことが起こる。
  少しでもいい、とにかく休むんだよ」

モロトヴェッツ「…………」

カリーニン「――お前だけじゃない。艦隊全員が死力を尽くして探している」

カリーニン「それに、海軍省から直々の命令も出た。
       国を挙げての捜索だ。これで見つからないわけが……」

モロトヴェッツ「……っ…………」

カリーニン「……だから、モロトヴェッツ。今は……」

モロトヴェッツ「…………家族……なのよ……」

モロトヴェッツ「……私が……私が、ちゃんと……」

カリーニン「――いい加減にしろ!」ガシッ

響「カリーニン!」

モロトヴェッツ「…………」


   私の制止も聞かず、カリーニンがモロトヴェッツに掴みかかる。
   モロトヴェッツは、ぐったりとしたまま応えない。

カリーニン「自分だけ辛いような顔をして! そんなに私たちが信じられないか!?」

カリーニン「思い上がるな! いくら大戦の英雄でも――」

モロトヴェッツ「――ッッ!!」


   その言葉を口にした、次の瞬間。
   鬼気迫る表情のモロトヴェッツが、カリーニンの襟首を掴み返していた。
  

響「…………!」

カリーニン「ッ……!?」


モロトヴェッツ「……二度と……」

モロトヴェッツ「二度と私を、そう呼ばないで……!」   


   
   震える声に、見開かれた目に、抑えきれない激情が見え隠れしている。
   冷静沈着なリーダーではない、生身の彼女が、そこにいた。

カリーニン「……あ…………あ……?」

モロトヴェッツ「――!」パッ

モロトヴェッツ「ご……ごめんなさい……私……」

カリーニン「…………」ポカン

モロトヴェッツ「……っ……」ヨロヨロ


   呆然としたカリーニンを尻目に、モロトヴェッツが去っていく。
   その足取りはおぼつかない。


響「! モロトヴェッツ!」

  
   よろめくモロトヴェッツを、追いかけて支える。
   うわ言のような呟きが、私の耳に入ってきた。


モロトヴェッツ「……シャ……ゴーシャ……」

響「……?」

モロトヴェッツ「……お願い……マクレルを……どうか……」

モロトヴェッツ「……ゴーシャ…………」

―深夜―

―埠頭 薪小屋付近―


モロトヴェッツ「…………」


   自艦の甲板に座り込み、海を眺めているモロトヴェッツ。
   月明かりに照らされた横顔は、不気味なほどに無表情だった。


響「…………」

 
   昼間の様子は、どう考えても尋常じゃない。
   心配になって、様子を見に来たけれど……声をかけるのは、どうにもためらわれた。

   姉妹同然の仲間が、ある日突然いなくなる。
   その気持ちは、痛いほど理解できる。だからこそ、安易に何かを言うべきじゃない。
   

響「…………」クルッ


   ――やっぱり、戻ろう。
   そう思って、振り返った矢先だった。

響「!」

潜水A「あ――」

響「……ジェルジネッツ……?」

潜水A「……き、奇遇ね。こんな夜中に……」


   潜水艦、「Л‐8」……「ジェルジネッツ」。
   モロトヴェッツの姉妹艦で、最年長の潜水艦だった。


響「いつからそこに?」

潜水A「……い、良いじゃない。別に悪いことじゃ……」

響「……君も、モロトヴェッツを?」

潜水A「…………」チラッ


モロトヴェッツ「…………」


潜水A「……当たり前でしょう」

潜水A「生まれたときから一緒なのよ……」

響「…………」

響「……ねえ、ジェルジネッツ」

潜水A「……何?」

響「……『ゴーシャ』っていう名前に、聞き覚えは――」

潜水A「ッ――!」

 
   息を飲む音が、はっきりと聞こえた。
   ジェルジネッツの顔が、一瞬で驚きに染まる。


潜水A「……どこで……どこで聞いたの!? 誰が言ってたの!?」ガシッ

響「っ! ……昼間、モロトヴェッツが呟いているのを……」

潜水A「…………」

響「……知ってるんだね?」

潜水A「……忘れなさい」

響「でも……」

潜水A「いいから忘れて! 
    貴女にだって、言いたくないことぐらいあるでしょう!?」

響「……無理に聞きだすつもりはないよ。でも……」

響「今のモロトヴェッツは、普通じゃない。
  ……そのことに、少しでも関係があるなら」

響「……知っておきたいんだ。取り返しのつかないことになる前に……」

潜水A「…………」

響「…………」

潜水A「……妹、よ」

響「!」

潜水A「私たち、Л型の……モロトヴェッツの妹」

潜水A「Л‐19……ゴルコヴェッツ。私たちはみんな、ゴーシャって呼んでた……」

響「…………」

潜水A「……これで十分でしょう? ……もう何も聞かないで」

潜水A「それに、モーラにも……絶対に、何も……!」




   絞り出すような声を上げて、ジェルジネッツが訴える。   
   妹たちを想う姉の、あまりにも痛切な忠告だった。

   けれど、私は――

   ――結局、その忠告を守れなかった。

前編終わり 後編は2週間以内に

ついでにモブ潜水艦の元ネタ一覧

潜水A : Л型潜水艦 「Л‐8 ジェルジネッツ」
潜水B : Щ型潜水艦 「Щ‐117 マクレル」
潜水C : М型潜水艦 「М‐47」(艦名なし)
潜水D : С型潜水艦 「С‐26」(艦名なし)

予想以上に分量が多くなったので早めに

―1953年 1月初頭―

―駆逐艦「ヴェールヌイ」 甲板―


   年が明けてから、何度目かの朝。
   真冬にふさわしい粉雪が、基地と埠頭に降り積もっている。


水兵A「……なあ」

水兵B「あ?」

水兵A「1年全部が正月だったら、って考えたことあるか?」

水兵B「……店も全部休みになるぞ」

水兵A「……頭いいな、お前」

水兵B「馬鹿言ってないで配置付いとけ」

水兵A「へっ、さすが教官のお気に入りだ。俺たちとは性根が違うねえ」

水兵B「……あのな、手ぇ抜くのはそりゃあ勝手だがよ。
    今回は訓練じゃあない、任務なんだ。何かあってからじゃ……」

水兵A「例の潜水艦の捜索ってか? バカ言うな。
    オッサン連中が乗り込んで探してたのが、どうして俺たちに交代なんだ?」

水兵B「……そ、それは……」

水兵A「……随伴の潜水艦も、練習艦だって聞いたぜ。
    もう、真面目に探す気なんざ無ぇんだろうよ。どうせとっくに沈んでるしな……」

水兵A「ま、俺たちペーペーの教育ついでに、何か見つかりゃ儲けモン……
    魂胆としちゃあそんなトコだろ」

水兵B「…………」


   この日、私には出撃の予定が入っていた。

   随伴艦1隻を伴って、Щ‐117の捜索を続行。
   同時に、新兵への長距離航海訓練を実施し、随伴艦の演習に協力。
   名目としては申し分ない。

   ――――けれど。
   実際の所は、あの水兵さんたちの言う通りなのだろう。

 

響「…………」

「ヴェールヌイ」

響「?」クルッ

潜水A「…………」

響「ジェルジネッツ?」

潜水A「……今日、モーラと一緒に出るのよね?」


   そう言いながら、彼女は自分のポケットに手を入れ、鈍色の物体を取り出した。
   私のバッジよりも小さいそれは、耳栓のような形をしていた。

   ――言い忘れていたけど、この当時、
   モロトヴェッツは既に武装解除され、練習艦になっていた。
   つまりは、私と同じ境遇になったんだ。


響「これは……」   

潜水A「……私たち潜水艦が、水中で会話するための道具よ。
    生まれたときから、みんな持ってるの」

潜水A「耳にはめて、指を当てれば……すぐにモーラに繋がるわ。
    艦の無線が届く距離なら、何の問題も無く使えるはずよ」

 

響「…………」

潜水A「……ヴェールヌイ。モーラをお願い」

潜水A「ソラクシンも、マクレルもいなくなって……
    モーラにまで何かあったら、私……!」

響「――大丈夫」


   ジェルジネッツから通信機を受け取り、右耳に差し込む。
   不思議なことに……甲板のざわめきも、潮騒も、着ける前より明確に聞こえた。


響「帰ってくるよ。2人でね」


 

―2時間後―

―ウラジオストクより約50km―
―ルースキー島沖 海上―


響「…………」

モロトヴェッツ「…………」


   モロトヴェッツと横並びで、薄暗い海を進んでいく。
   分厚い灰色の雲が、空一面に広がっていた。

   細かい雪が降ってはいたが、流氷などは見当たらない。
   ときおり、海面をイルカが跳ねているのが見えた。


響(……頃合いかな)


   航行開始のごたごたが収まり、互いの甲板に静けさが戻る。
   その時機を見計らって、右耳の通信機に手を当てた。

   
   
響「……日が昇ってるとは思えないね」


モロトヴェッツ「!」


   自艦の甲板にいたモロトヴェッツが、驚いて耳に手を添える。

   
 

モロトヴェッツ『……どうして、あなたが』

響「ジェルジネッツから借りたんだ。せっかくだし、試してみたくなってね」

モロトヴェッツ『……そう』

響「……怒らないのかい? 任務中の雑談だよ」

モロトヴェッツ『……ええ。そうよね……』

響「…………」

モロトヴェッツ『……気をつけなさい。私が潜れば、使えなくなるわ……』


   モロトヴェッツはこちらを見ない。
   それでも、通信を拒むような様子は無かった。


響「……どうだい、新兵のみんなは」

モロトヴェッツ『……これからよ。早めに慣れてもらうしかないわ』

響「……そうだろうね」

モロトヴェッツ『…………』


   あまりにも静かな海だった。
   艦に割られた波の音さえ、どこか遠くで鳴っているように思えた。

 

響「……時々ね。どうにも考えてしまうんだ」

モロトヴェッツ『……?』

響「私たちは……仲間のために、何ができるんだろうって」

モロトヴェッツ『…………』

響「……話し相手ならいくらでもできる。遊び相手になるのも同じだ」

響「でも……本当にしてあげたいのは、そんなことじゃない」

響「襲ってくる敵を打ち倒す、傷付いてしまった仲間をかばう。
  …………今にも沈みそうな仲間を助ける」

響「……自分の意志では、何一つ満足にできないけどね」

モロトヴェッツ『…………』

  
 

響「……私たちは、心(じぶん)で艦(じぶん)を動かせない」

響「戦場に一度出てしまえば、もう私たちの意志なんて関係ない」

響「いや……出撃するかどうかさえ、私たちには決められないんだ」

響「自分の運命を、自分で選べない。
  そんな私たちに、何が出来るんだって……考え出すとキリがないんだよ」

モロトヴェッツ『…………ええ……』


   弱々しい相槌が返ってくる。

 

響「…………」

響「……姉がソロモンで沈んだとき、私は横須賀で修理中だった」

モロトヴェッツ『……!』

響「……強がりな子でね。
  味方を助けるために囮になって、集中砲火を浴びたんだ」
  
響「……私は、そばにいることさえできなかった」

モロトヴェッツ『…………』

響「上の妹は、グアムまで味方の救援に行って……結局、帰ってこなかった」

響「『助けるわ』って言って、胸を叩いて……それっきり。本当にそれっきりだよ」

モロトヴェッツ『…………』
 

響「……末の妹は、本当に優しい子だった。
  姉が次々に沈んでいって……毎日、毎日泣いていた」

響「私は、そのたびに慰めたけど……
  ……あの子の顔は……日に日に痩せこけていくんだ……」

モロトヴェッツ『……ヴェールヌイ……!』

響「……最期は、敵の雷撃で真っ二つだよ。
  一緒に、護衛に出撃して……持ち場を交代した、直後だった」

響「……目の前で沈んでいったんだ……なのに……
  ……何もしてやれなかった。何も……」

モロトヴェッツ『ヴェールヌイっ!』

響「!」


   モロトヴェッツの声で、我に返る。
   淡々と話していたつもりだったけど、いつの間にか、声が震えていた。

 

響「…………」

響「……夜に独りでいると、決まってあの子たちのことを思い出す」

響「沈んだ時のことだけじゃない。
  夜遅くまで話したこと、みんなで一緒に遊んだこと……」

響「……そんな思い出も、次々と浮かんでくる」

響「結局……私には、その程度のことしかできなかった」

モロトヴェッツ『…………』

響「……でもね。最近はこうも思うんだ」

モロトヴェッツ『……?』

響「……どんな子だったか。何を話したか。
  それを忘れずにいるだけで……もしかしたら、十分なのかもしれない」

響「あの子たちにも『心』があった。確かに、この世界に存在した。
  それを覚えていられるのは……世界中で、私たちだけなんじゃないかな?」

モロトヴェッツ『――!!』

響「……私の、勝手な想像だけどね……」

モロトヴェッツ『…………』

響「……すまなかった。妙な話をして」

モロトヴェッツ『…………』


   長い沈黙が訪れた。
   太陽はまだ姿を見せず、雪も一向に止む気配が無い。
   
   互いに押し黙って、しばらく海を見た。
   冷たい海をものともせず、イルカたちが元気よく飛び跳ねている。

 

モロトヴェッツ『…………』

モロトヴェッツ『……ゴーシャは、イルカが好きだったわ』

響「…………」

モロトヴェッツ『私は、クジラの方が素敵だって思うのだけど……
         あの子は、イルカが一番だって……』

モロトヴェッツ『……だから、ときどきイルカの真似をしてあげたの。
         水面に跳び出て、宙返りして……そのたびに、すごく喜んでくれた……』

モロトヴェッツ『…………』

モロトヴェッツ『……戦争のできるような子じゃなかった。
         兵器になんて、向いてなかったのよ』

モロトヴェッツ『……だから……だから、あの時も……』

 

――――――――
――――
――

―1945年 8月22日―

―日本 北海道・留萌沖 海中―


艦長『――フフン。いたぞぉ、ヤポーシュカだ……!』

艦長『艦内に告ぐ! 敵艦船を発見、これより攻撃を開始する!
   1番、2番発射管、開けぃ!』

艦長『これ以上、Л‐12の奴らに後れを取るな! あいつらだけを英雄にはさせん!』


ゴルコヴェッツ『お姉ちゃん……』

モロトヴェッツ『……魚雷を撃つつもりよ。備えなさい、ゴーシャ』

ゴルコヴェッツ『でも……でも、お姉ちゃん!』

モロトヴェッツ『……ゴーシャ! 指令が聞こえなかったの!?』

ゴルコヴェッツ『だって、あの船……軍艦じゃないよ!
         あんなに子供が乗ってるんだよ!?』

モロトヴェッツ『っ……』

ゴルコヴェッツ『白旗だって上がってるじゃない! 潜望鏡からちゃんと見えたわ!』
 

モロトヴェッツ『……指令に従いなさい、ゴーシャ』

ゴルコヴェッツ『だめ、だめだよ……! お姉ちゃん! ねぇ!』

モロトヴェッツ『敵艦船への先制攻撃。それが私たちの任務でしょう……!?
         …………私だって、もう2隻も沈めたわ……』

モロトヴェッツ『――艦の務めを果たすのよ、ゴーシャ……!』


    ガコン!
            ガコン!
          

ゴルコヴェッツ『……いや……』

艦長『発射10秒前! 9! 8!……』

ゴルコヴェッツ『いや……! やめて! やめてよぉ! ねぇっ!!』

艦長『……2! 1! ……撃ぇー!』

ゴルコヴェッツ『だめ! おねがい! 逃げて、逃げてぇっ!』

 



        バシュゥッ! 
                   バシュゥッ!


            ドォォォォォォォン…


ゴルコヴェッツ『……あ……あぁぁ……っ……』

モロトヴェッツ『っ……!』

ゴルコヴェッツ『……ちがう……ちがうの……わたし……あぁ……』

モロトヴェッツ『……ゴーシャ……!』

艦長『……ん、生き残りか。往生際の悪い……
    よぅし……メインタンク・ブロー! 急速浮上!』

副官『で、ですが、先の戦闘による損傷が……!』

艦長『構うものか! どうせ相手は丸腰だ!
   生き残りともども、蜂の巣にしてやるぞ……!」

モロトヴェッツ『――な――!』

ゴルコヴェッツ『…………ぁ…………ぁ……』

ゴルコヴェッツ『…………ごめんなさい……ごめんなさい…………
         ごめんなさい……ごめんなさい……ごめん……なさ……』


 

―数時間後 宗谷海峡―


モロトヴェッツ『…………』

ゴルコヴェッツ『……さい……ごめんなさい……ごめんなさ……』

モロトヴェッツ『……ゴーシャ。そっちの航路はどう――』


      ドォォォォォォォン!!


モロトヴェッツ『っ――!?』

ゴルコヴェッツ『ああぁぁああぁぁぁあぁぁっ!!』

モロトヴェッツ『! ゴーシャ……ゴーシャ!?』
 

ゴルコヴェッツ『いた……いたい……さむいよぉ……おねえ――』

モロトヴェッツ『何が、何があったの! ねぇ!』

ゴルコヴェッツ『ああ……わ……わたし……そっか……だから……』

モロトヴェッツ『ゴーシャ! 応えて……お願い! ゴーシャ!』

ゴルコヴェッツ『…………おねえ、ちゃ…………』


ゴルコヴェッツ『――――――――――』


モロトヴェッツ『……ゴー……シャ……?』

モロトヴェッツ『…………駄目……駄目よ……そんなの……!』

モロトヴェッツ『…………ゴーシャぁっ……!!』


 

―ウラジオストク 太平洋艦隊本部―


『諸君! 憎むべき枢軸との戦いは、今日をもって完全な閉幕を迎えた!』

『大勝利! 我々の大勝利だ! ソビエトの団結と、希望の勝利だ!』

『マンジュリアを、極東の島々を、我らは完全に手中に収めた!』


モロトヴェッツ『…………』


『共産主義という暖かな光が、極東を覆う日も遠くは無い!
 艦隊諸君の尽力に、心から感謝の意を表する!』

『だが諸君! 諸君も知っているはずだ。 
 最も喝采を浴びるべき英雄が、一体誰であるのかを!』


モロトヴェッツ『……英雄……』
 

『――さぁ、万歳をもって讃えようではないか!
 我らが英雄、ピーター・ザハロヴィッチ! 我らが武勲艦、Л‐12!』


『襲い来る3隻もの『軍艦』を、『たった1隻』で殲滅した!
 我らの誇りに、万雷の拍手を!』


モロトヴェッツ『――え――?』



『Урааааа!』
                      『Урааааа!』
        『Урааааа!』



モロトヴェッツ『……そんな……そんな……っ!』

モロトヴェッツ『待って……! 違う! 違うの!』

モロトヴェッツ『私たちは……ゴーシャは――!』



   『Урааааааааааааааааа!!』



モロトヴェッツ『…………私、は……』

モロトヴェッツ『……………………』


 

――
――――
――――――――


モロトヴェッツ『……あの時から、何かが壊れてしまった』

モロトヴェッツ『子供の乗った船を沈めて、大切な妹まで失って……
         ……私は何を得たと言うの?』

響「…………」

モロトヴェッツ『……嘘にまみれた恥知らず。それが私の正体よ』

モロトヴェッツ『軍も、祖国も、自分でさえも……もう二度と信じる気にはなれない』

モロトヴェッツ『……もう、そんな物のためには戦えない』


   空を見上げるモロトヴェッツ。
   舞い散る雪が、容赦なく彼女の顔を打つ。

 

モロトヴェッツ『――私に残ったのは、たったひとつだけ』

モロトヴェッツ『同じ工廠で生まれた姉妹。同じ艦隊で過ごした仲間』

モロトヴェッツ『……私に寄り添って支えてくれた、
         かけがえのない家族のみんな……』

響「…………」

モロトヴェッツ『……あの子たちを守り通すこと。生き抜くすべを教えること』

モロトヴェッツ『……それだけが、私に残された誇り』

モロトヴェッツ『もう誰も、ゴーシャと同じ目には遭わせない。
         ――私にはもう、それしかないの』         

モロトヴェッツ『…………なのに……なのに……』


   海の上に、再び沈黙が訪れる。
   イルカが飛び跳ねる水音は、いつの間にか聞こえなくなっていた。
 

響「……モロトヴェッツ。マクレルは……」

モロトヴェッツ『――分かってるわ』

響「え……?」

モロトヴェッツ『……本当はね。何となく分かってるのよ。
         あの子は、もう帰ってこないって』

響「――!」

モロトヴェッツ『……せめて、破片だけでも見つけてあげたいの』

モロトヴェッツ『だって、そうでしょう? 
         私たちしか、あの子を弔えないのよ……』

響「…………」

モロトヴェッツ『何も分からないままに沈んで……冷たい海に、ひとりきりだなんて……』

モロトヴェッツ『そんなの……そんなの、むごすぎるわ……』

 

――
――――
――――――――


提督「……三船殉難、か」

響「…………」

暁「司令官、それって……?」

提督「ま、お前たちは知らんよな。
   ――暁。艦娘になってから、日本の戦後史は習ったか?」

暁「え? ……う、うん。ちょっとだけ……」

提督「じゃあ、あの戦争が終わった日は?」

暁「8月15日でしょ? 昭和20年の……」

提督「――そうだよな。艦娘向けの教本にも、そういう風に書いてある」

提督「……もっと、正確に教えた方がいいんだがなぁ」

電「え……?」

提督「確かに、降伏が決定したのは8月15日だ。
   けど、実際には……降伏文書調印の何日か後まで、戦闘は続いていたんだよ」

提督「……その戦場のひとつが、樺太と千島列島。――ソ連との戦闘さ」

響「…………」
 

提督「昭和20年の8月、玉音放送の何日か後……
   樺太からの引揚者を乗せた船が、相次いで沈められる事件が起こった」

提督「記録によれば、攻撃を行ったのは……『国籍不明』の潜水艦2隻だ」

提督「――そして、80年代以降、ソ連が開示した情報によれば……」

提督「ちょうど同じ日、同じ海域に、ソ連の潜水艦2隻が出撃していたらしい」

雷「! じゃ、じゃあ……!」

提督「もちろん、今でもロシア政府は認めてない。
   ――何せ、明確な国際法違反だからな。叩かれるのは目に見えてる」

提督「決定的な証拠だって……『今まで無かった』わけだしな」

響「…………!」

電「……?」

提督「……口挟んで悪かったな。続けてくれ」

響「……ああ」
 

――――――――
――――
――

―36時間後―

―ウラジオストクより約970km―
―ソ連 ホルムスク沖 海上―

   
   錨を下ろし、海上に静止する。
   遠くにぼんやりと見える港。あれがホルムスクだろうか。


響「…………」

水兵A「……で、奴さんはいつお出ましかね?」

水兵B「黙って待ってろ」

水兵A「おお、怖え怖え」


   モロトヴェッツは潜航した。捜索ついでに、索敵中心の演習を行うらしい。
   今は、この海原の下にいるはずだ。


響「…………」ギュッ


   雪はほとんど収まっていた。
   けれど、寒気はどうにも引かなかった。
 

―潜水艦「Л‐12」 艦内―


艦長「聴音機の反応は?」

水兵D「は、コンタクトありません。「ヴェールヌイ」のスクリュー音も途絶えました」

艦長「……進路、205を継続」

水兵E「了解、進路205」

艦長「現在の深度は?」

水兵F「深度70、前後水平」

艦長「……よし。「ヴェールヌイ」の位置を特定する。
   ピンガー打て。周波数3キロヘルツ」

水兵G「了解、周波数3キロヘルツ、ピンガー打ちます」
 

艦長「止まった標的など、実戦では有り得んことだ。
   ……だが、カカシも撃てない奴に人間は撃てん」
   
艦長「……折角の機会だ。捜索云々は考えるな。
   まずは索敵というものを体に叩き込め」


     ……ポーン……


副長「……よろしいのですか? 通常のソナーで……」

艦長「……岩に擦るのが心配か?」

副長「い、いえ……しかし、調査済みの海域とは言え、この深度は未知数です」

艦長「…………」
 

―海中―


モロトヴェッツ「…………」

モロトヴェッツ「……深いわね……」

モロトヴェッツ「捜索では……こんなところまで来なかったのに……」

モロトヴェッツ「…………」


        チカッ


モロトヴェッツ「……?」

モロトヴェッツ「今、何か……」

モロトヴェッツ「魚かしら……何か、白い……」


        チカッ


モロトヴェッツ「……また……あの辺り? ずいぶんと底ね……」

モロトヴェッツ「…………」

モロトヴェッツ「………ッ……!」

モロトヴェッツ「……まさか……」

モロトヴェッツ「まさか、あれ……!」ギュンッ
 

―「Л-12」 艦内―


   ギシッ…

艦長「……?」

副長「艦長?」

艦長「……いや……」

 

―海中―


モロトヴェッツ「……もっと……もっと深く……! あと少しで……!」

モロトヴェッツ「――! 見えた! あの岩場……!」

モロトヴェッツ「白い……文字、文字だわ……! あれは……!」

モロトヴェッツ「――――!!」


       「  Щ  」


モロトヴェッツ「…………あ……」

モロトヴェッツ「ああ……ああぁぁ……!」

モロトヴェッツ「――――マクレ――」



            …カチッ



           ドォォォォォォォォン!!!



モロトヴェッツ「――――ッ――!?」

―「Л‐12」 艦内―


   プシュ――ッ!!


副長「ぐ……!?」

水兵D「うぁぁぁっ!」

艦長「バルブ閉めろ! 3番と5番……いや12番もだ!」

水兵E「――! ぜ、前部魚雷発射管室より報告!
    1番魚雷発射管、および船体に破損! 2名負傷! 浸水してます!」

艦長「何……!」

副長「まさか……機雷が!?」

水兵F「か、艦長……艦長!」

艦長「――艦内に告ぐ! 前部魚雷発射管室に浸水あり!
   至急司令室へ避難せよ! これより区画封鎖を行う!」

艦長「通信兵! 「ヴェールヌイ」に救援要請!」
 

―海中―


モロトヴェッツ「……な……何が……」

   ゴポッ…

モロトヴェッツ「――! 破片が……!」

       グラッ…

モロトヴェッツ「だ、駄目……マクレル! マクレルっ!!」

モロトヴェッツ「やっと……やっとあなたを……!」

 
 

―「Л‐12」 艦内―


艦長「緊急浮上! メインタンクブロー!」

水兵F「っ……!?」

艦長「どうした! 何をやってる!」

水兵F「は、排水……排水できません!」

水兵E「舵も駄目です! 少しも上に……!」

副長「馬鹿な!」

艦長「――ッ……」

水兵G「い、嫌だ……ちくしょう……!」

艦長「――操作を続けろ! トリムも全て空けるんだ!
    機関士! 気蓄器の異常かも知れん、至急――」
 

―海上―


響「――!?」

  ウゥゥ――ッ!  ウゥゥ――ッ! 

水兵A「おい……何なんだよ! さっきの音も……!」

水兵B「俺が知るか! 俺が……!」

響「モロトヴェッツ……!?」


   耳の通信機に手を当てる。
   しかし、かすれた雑音が聞こえるばかりだ。


響「そんな……! さっきはちゃんと……!」

響「モロトヴェッツ! モロトヴェッツ!」
 

   

   彼女からの応答は無い。
   海の上では、あれほど言葉を交わせたのに。


響(海の……上では――)


   『私たち潜水艦が、水中で会話するための道具よ』
   
   『――私が潜れば、使えなくなるわ』


響「――――!」


   甲板の縁から、下を覗く。
   ところどころが錆びついた鎖が、群青色の海へと伸びていた。

   ――どうやら、ずいぶん難儀な通信機らしい。
   2人が同じ場所に立たないと……話すらまともにできないなんてね。

 

響「……だったら……!」ダッ


   甲板から飛び降り、鎖を掴んでぶら下がる。   

   ふと、ある夜の記憶が脳裏をかすめた。
   モロトヴェッツや、マクレルたちと……初めて話をした、あの夜だ。


   『……し、沈まないの? それ……』

   『さぁ……浮こうと思ってれば浮けるんじゃないかな?』

   『前に艦首ごと吹き飛ばされたことがあったけど、ちゃんと海面に『着地』できたよ』


響「…………」


   艦はどうにもならなくても……この身体だけは、私たちの自由だ。
   浮こうと思っていれば浮ける。前に進もうと思えば進める。
   
   ――なら。
 


響「……今度ばかりは……『着地』なんて、ごめんだね」


   衝撃で外れないように、耳の通信機をしっかりと押さえる。
   
   手遅れかもしれない。無意味かもしれない。
   それでも……呼ばねばならない。聞かねばならない。

   ――もう、何もできなかった昔とは違う。


響「…………」パッ


   鎖を掴んだ手を緩める。
   「潜る」ことだけを考えながら、鎖をたどって落ちていく。

 
響「……っ……!」


   そして私は、水面に――――


 

―海中―


   ドボォォォン…


響「……っ……ぁ……!」


   全身に、押し潰されそうなほどの重圧を感じる。
   鎖から手を離せば、間違いなく海底へ真っ逆さまだ。

   私たち水上艦が、本来いてはならない場所。
   それを改めて痛感する。


響「……! ……口が……」


   口の中に水は入ってこない。
   信じがたいことに、私たちは水の中でも口が利けるらしい。
   ――つくづく、デタラメなものだと思った。

 

響「……モロトヴェッツ……! モロトヴェッツ!」


   眼下に、細長い影がぼんやりと見える。
   周囲に漂っているのは、何かの破片だろうか。
   しかし、ひどい損傷を受けた様子は無い。


モロトヴェッツ『――! ヴェールヌイ……!?』

響「モロトヴェッツ! よかった……浮上は!?」

モロトヴェッツ『待って……マクレルが、マクレルが!』

響「――!?」

モロトヴェッツ『あの子の破片が……このままじゃ、二度と……!』

響「何を……! どこにいるんだ! 艦にいないのか!?」

モロトヴェッツ『もう少し……もう少しで届くのよ……!』


響「ッ……何を考えてるんだ! 君が艦を離れたら……!」 

モロトヴェッツ『マクレルを……! もう、あの子を1人には!』


響「――水兵さんたちを道連れにしてもか!?」


モロトヴェッツ「――――!!」


モロトヴェッツ「…………」


モロトヴェッツ「…………っ……!」

 

―「Л‐12」 艦内―


水兵E「――! せ、潜舵、機能回復!」

水兵F「ブロー始まりました! 現在深度65!」

艦長「よし……! 緊急浮上! 総員、衝撃備え!」

 

―海中―


響「……!」

 
   ほの暗い海底から、小さな銀色の光がせり上がる。
   歯を食いしばったモロトヴェッツが、まっすぐに私を目がけて進んでくる。
   
   同じく、「モロトヴェッツ」の船体も、
   大きく仰角を付けて浮かび上がろうとしていた。


響「う、ぐ……!」

モロトヴェッツ「……っ!」


   水の重圧を押しのけ、空いている手を必死に伸ばす。
   モロトヴェッツも、それに応えて手を突き出した。


響「…………!」ガシッ


   氷点下に近い海の中、
   彼女の手は、ほんのりと熱を帯びていた。

 

―海上―


   ザァァァァァァァァァァン…!


水兵A「! 見ろ……Л‐12が!」

水兵B「ボートだ! ボート全部出すぞ!」



モロトヴェッツ「……はぁ……はぁっ……」

響「―― モロトヴェッツ」

モロトヴェッツ「っ……」

響「私はね。怒ってるんだよ、ものすごく」

モロトヴェッツ「…………」

モロトヴェッツ「……ヴェールヌイ……その――」

響「……よかった……」

モロトヴェッツ「…………え……?」




響「…………やっと……
  ……やっと、助かってくれた…………」

 


―2週間後―

―ホルムスク沖―
―「Л‐12」 甲板―


艦長「……祖国の平和と発展に尽くした、52名の同志たち」

艦長「その勇敢なる魂に、永遠の安らぎがあらんことを」


   弔辞を読み終えた艦長が、花束を海に投下する。
   あざやかなヒマワリの花束だ。


モロトヴェッツ「…………」

響「…………」

 
   この日は、「Щ‐117」――「マクレル」の追悼式だった。
   と言っても、艦隊全体で執り行うような、大々的なものじゃない。

   ホルムスクで応急修理を終えたあと、
   「モロトヴェッツ」の艦長が、司令部に無理を言って敢行したんだ。
   
   ――だから、参列者は……私と、モロトヴェッツだけ。


響(……ジェルジネッツたちも、来たかっただろうね)
 


   この数日前、マクレルの捜索は正式に終了された。
   
   「整備不良による水中航行の失敗、および他船舶との衝突」――。
   彼女の最期は、そう結論づけられた。


艦長「――敬礼!」

「「「ッ!!」」」


   狭い甲板の上に、乗組員全員が集合していた。
   軍帽や水兵帽を左手に持ち、一糸乱れぬ敬礼を決める。


モロトヴェッツ「…………」スッ

響「その花は?」

モロトヴェッツ「……抜かせてもらったの。2本だけ」

響「……いいかい? 私も」

モロトヴェッツ「……もちろんよ」
 


   モロトヴェッツと2人で、花を捧げる。
   間宮海峡の波に揉まれてもなお、その花びらは生き生きと色づいていた。


モロトヴェッツ「……マクレルはね。
         最近、あなたたちのことばかり話してたわ……」

響「…………」

モロトヴェッツ「カリーニンと何をした、あなたやラーザリがこう言った、って……」

モロトヴェッツ「怒ってるみたいに言うくせに……1日中、その話ばかりだった」


   2輪のヒマワリが、海原に沈む。
   何の重りも付いていないのに、深く、静かに沈んでいく。

 


モロトヴェッツ「…………」


   モロトヴェッツが敬礼する。
   どこまでも静かに、力強く。


モロトヴェッツ「―― ヴェールヌイ」

響「……?」

モロトヴェッツ「……少し、後ろを向いてくれる?」

響「…………」

響「……うん」



モロトヴェッツ「…………」



   背を向けたままでも、私には分かる。


   ――――この日。海が、ひとしずくだけ増えた。

――
――――
――――――――

雷「……ねえ、響」

響「うん?」

雷「……モロトヴェッツさんも、他の子たちも……
  今は艦娘になってるのかしら?」

響「……どうだろうね。会ってみたいとは思うけど……」

電「もし……もしそうなら……」

電「マクレルさんにも、妹さんにも……きっと、また会えたんですよね?」

響「…………」

暁「……会えたわよ。会えたに決まってるじゃない」

暁「だって……私たちだって、こうやって……」

響「……そうだね」

響「きっと、今度こそ……『家族』みんなで……」


提督「…………」

 

――――――――
――――
――

『お姉ちゃん! あれやってよ、あれ!』

『こら……航行中よ、集中なさい』

『えー、いいでしょー? もう任務ないし』

『…………』

『ね、ね! お姉ちゃん! ちょっとだけ!』

『……仕方ないわね。ほんとに少しよ?』

『やったぁ!』

『ほら、上で見てなさい…………えいっ!』クルンッ

『あははは! イルカさん! イルカさんだぁ……』

『ふふ……』



     【Продолжение следует............】

 

第4話おわり 
時間取れたので次回はちょっと早くできそう たぶん年内

ちょっと短いけど第5話投下

―2015年 7月某日―

―日本海 青森県沖―


暁「わぁ……」


   司令船の甲板に立って、息を飲む暁。
   その視線の先では、真っ赤な夕陽が沈んでいる。


電「……きれい」

雷「ええ……」

提督「――落日燃ゆ、ってか」

響「また不吉な……」

提督「お、読んだことある?」

響「聞きかじった程度だよ」

提督「面白いぞ? どうにも他人事には思えん。
   ……こうやって、外交に駆り出される身としちゃあよ」

響「…………」
 


   雲の広がる水平線へ、太陽が隠れようとしている。
   新しい朝日を生むために、今日の夕陽は地上から消える。


響「……命の終わり、か」

提督「まーたそういう系の話か?」

響「……何だい、それ」

提督「いやいや……話したそうな顔してるからよ。
   今度はどんだけ暗い奴かと……」

暁「ちょ、ちょっと、司令官!」

提督「おっと」

雷「……ひ、響? いいのよ気にしなくて!
  どんな話でも聞いてあげるわ!」

電「うぅ……」

響「……心配しなくても、誰かが沈んだとかじゃないよ」

暁「そ、そう? よかった……」

響「――まあ、人が死ぬ話ではあるけどね」

電「うぁぁぁぁぁ……」

暁「ちょっとぉ!?」
 

響「でも、その人の死は『結末』じゃない。……単なる『きっかけ』に過ぎないんだ」

雷「え?」

響「あの頃のソ連で、いちばんの有名人。
  どんな選手や歌手よりも……名前を知られていた、『あの人』の死――」

電「…………」

響「……大丈夫、そんなに暗い話でもないよ。
  そんなに深刻な事件じゃなかった」

響「――少なくとも、私にとってはね」

提督「…………」

暁「……ねえ、響。誰が死んじゃったの?」




響「―――― ヨシフ・スターリン。ソ連の最高指導者さ」


 



             эп.5


   День звезда затонул

          ―星の沈んだ日―



 

―1953年 3月3日 早朝―

―ソ連 ウラジオストク・埠頭―


カリーニン「――かの大作家、マクシム・ゴーリキーはこう言った。
       『知らないということは、発展しない、前進しないということに等しい』」

カリーニン「私は昔、一番上の姉からこの言葉を聞いた。
       全くもって数奇なことだが、彼女の名もまた、「マクシム・ゴーリキー」だった」

カリーニン「同志諸君、私は常々考える。……我ら艦船の存在意義とは何か?」

カリーニン「憎むべき外敵を打ち倒す。同志スターリンの国をお守りする……」

カリーニン「そうだろうとも、当然のことだ。私も諸君と同じ気持ちだ」

カリーニン「――だが、それならば。なぜ同志は、我らに意志を与えたもうた?
       なぜ単なる道具に過ぎない我らに、ヒトの心を授けられたのだ?」
 

リーニン「操舵されねば動けもしない、砲手がおらねば豆鉄砲も撃てない」

カリーニン「意志なき器物。心なき兵器。それで十分だったはずだ。
       ただの道具でも良かったのだ」

カリーニン「――しかし! 現に我らはここに『在る』!
       思考、意志、そして感情! 心持つ者としてここに在る!」

カリーニン「つまりは諸君! 我々は『そう望まれて』生まれたのだ!」

カリーニン「ものを知り、ものを考え、ものを思う! 
       それこそが、我ら唯一の権利であり、そして最大の責務である!」

カリーニン「我々は知らねばならない! 同志と共に歩む者として!
       今この国で、この世界で、一体何が起こっているのか!」

カリーニン「資本主義者どもの反共主義は、ますます力を強めている!
       ナトーだ何だと言って結託し、共産の芽を残らず刈り取ろうと……!」
 

カリーニン「要するにだ、諸君! 我々はもっと知るべきなのだ!
       プラウダ、イズベスチヤ、国民放送! そのための手段は無数にある!」

カリーニン「国父レーニンもこうおっしゃった! 『学べ、学べ、なお学べ』――!」

カリーニン「艦隊諸君! この目を見開き、共に学ぼうではないか!
       それこそが、同志スターリンへの最大の――――」



トビリシ「でね、そのラジオ、なんとか直せないかなって……ヴェーニャ?」

響「え? ああ、うん……」

ラーザリ「やっぱりさぁ、狙い目は夜だって。図書室の鍵なんて誰も閉めないし」

潜水D「うむむむ……ですが……」

潜水A「ちょっと、ドゥバーシェに変な事……」



カリーニン「――――聞かんか貴様らぁっ!!」ドンッ
 

潜水A「うるさいわね……大体長すぎるのよ、貴女の与太話」

カリーニン「よ、与太……!?」

モロトヴェッツ「……カリーニン、もういいかしら」

カリーニン「う……ぐ」

モロトヴェッツ「――では、定例集会を終わります」

モロトヴェッツ「各員、基地内や航行中に異変を感じたら、
         すぐに私に報告すること。いいわね?」


  「はーい」               
                       「了解です!」
           「りょうかーい」


カリーニン「ぐううぅぅ……!」
 

ラーザリ「……ま、実績の差ってやつかもね」

カリーニン「何!?」

ラーザリ「身の程を知れって話だよ。
      口だけは達者なトーシロの話なんて、誰が喜んで聞くと思う?」

カリーニン「…………ふん!」プイッ

モロトヴェッツ「あ、カリーニン!」

カリーニン「……何だ」

モロトヴェッツ「あとで司令室に来てくれる? 教えておきたい事があるの」

カリーニン「…………了解」


響「……やっぱり、さすがに気の毒じゃないかい?」

ラーザリ「……党員気取りは勝手だけどね。
      私らまで付き合わされる筋合いはない」

ラーザリ「ま、たまにはいい薬だよ。
      ……陰口叩かれるより、よっぽどマシさ」

響「…………」
 

―司令室前廊下―


   いつものように暇な1日が始まる。
   朝会の後、私はトビリシとラーザリに付き添って、図書室へと向かっていた。
   

ラーザリ「ラジオ、ねぇ……」

トビリシ「何とかなりませんか? そういう本とか……」

ラーザリ「そりゃまあ、ちょっとは読んだけどね?
      なんだって私が修理なんて……」

響「ちょっと見てもらうだけでもいいんだ。
  直ったら薪小屋に置く。みんなで聴けるよ」

ラーザリ「……何て言うかな。私ら、すっかりゴミ漁りが日課に……」

   「~~♪ ~~ったった~♪」

ラーザリ「……ん?」
 


   ちょうどその時。
   曲がり角の向こうから、誰かの鼻歌が聞こえてきた。


   「たったらららったっ、たったった~ん♪
        たったらららったっ、たったった~ん♪」

https://www.youtube.com/watch?v=b_GCp86c_hY

トビリシ「……『行進曲』?」

響「え?」

トビリシ「『くるみ割り人形』よ」

ラーザリ「誰だか知んないけど……うらやましいね。幸せそう――で――」


カリーニン「ちゃっちゃらっちゃちゃっちゃちゃん♪
       ちゃっちゃらっちゃちゃっちゃちゃん♪」クルクル


ラーザリ「」

トビリシ「」

響「」


カリーニン「む、お前たちか! 調子はどうだ?
       ああいやいや、さっき会ったばかりだったな! あっははは!」

響「あ……え?」

カリーニン「いやぁ、それにしたって良い天気だ……
       生まれて15年知らなかったぞ! 空がこんなに青いとは!」

ラーザリ「……ヴェールヌイ。『気の毒』ってのはこういうのを言うんだよ」

カリーニン「あはははははは! まーた言うかぁ! こいつぅ! こいつぅ!」ゲシゲシ

ラーザリ「あだっ! こ、この……!」

響「な、何が……」
 

モロトヴェッツ「――『国に選ばれた』、って所かしら」

響「! モロトヴェッツ……」

モロトヴェッツ「ゆうべ、モスクワの海軍省から通達が来たのよ。
         来年あるいは再来年に、海軍省の要人がここへ視察に来る」

モロトヴェッツ「その際、所属艦船による砲撃訓練が披露される予定なの。
         その担当艦に、カリーニンが選ばれたというわけ」

響「――!」

トビリシ「す……すごいじゃないですか! 大役ですよ!」

カリーニン「あっははははは! よさないかもう! あっはっはっは」

響「本当だよ……おめでとう、カリーニン」

カリーニン「いやいやいや、まだまだ先のことだからな!
       だがまあ……だが、まあ! ふふふふふ……」

カリーニン「それではな、みんな! 今日も一日張り切っていこう!
       ……ああ……朝の光がまぶしくて……!」クルクル

ラーザリ「……単純なやつ」

響「……言ったら悪いよ」フフッ

響(……でも、よかったね……カリーニン)

 

―翌 3月4日 早朝―
―埠頭 薪小屋―


ラーザリ「…………」カチャカチャ

響「…………」

トビリシ「…………」カックン


   壁の隙間から、うっすらと朝日が差し込んでくる。
   3人でラジオと格闘する内に、気が付けば夜が明けていた。


ラーザリ「…………」カチッ

『――より――き続き――――非常事――』ザピー

ラーザリ「……!」キュキュッ
 


   電機工学の本を片手に、死んだ目で作業していたラーザリ。
   その顔にようやく生気が戻る。


『――民の皆様に、引き続きお知らせいたします。只今――』

ラーザリ「……あぁぁ……直った……」

響「お……お疲れさま……」

ラーザリ「もう嫌だからね……もう頼まれたって二度とやらない……」

響「ほらトビリシ、直ったよ」ユサユサ

トビリシ「ぁ、う、うぅん……」

響「眠そうだね、最近……」
 


   ――その時だった。
   

カリーニン「……っ!」バダン!

響「っ!?」

カリーニン「……はぁっ、はぁっ……」


   鬼気迫る表情のカリーニンが、扉を勢いよく開けて入ってくる。
   彼女の手には、ぐしゃぐしゃになった新聞が握られていた。


カリーニン「……や、やっぱりここに……」

カリーニン「――!!」バッ

ラーザリ「あ、こら!」

カリーニン「っ……! っ……!!」キュイキュイ
 

『只今、緊急非常事態宣言――』

『国民の皆様は、引き続き続報を――』

『詳細は今朝の新聞各紙を――』

カリーニン「……くそっ……! どこも……!」

トビリシ「か、カリーニンさん……?」


   ラジオのチャンネルを手荒く回すカリーニン。
   その掌から、しわだらけになった『プラウダ』が零れ落ちる。


響「――っ……!」


   『同志スターリン書記長、危篤』。

   ――新聞の見出しには、こう記されていた。

 

―3月5日 夜―
―埠頭 薪小屋―


『――様、緊急非常事態宣言が発令されていま――』

カリーニン「…………」カチッ

『――き続き、ラジオの前で待機くださるよう――』

カリーニン「……ッ……」

響「……カリーニン」

カリーニン「……忙しいんだ。後にしてくれ」

響「……朝からずっと、その報道じゃないか」

カリーニン「だから何だ! こんな時こそ……」

ラーザリ「――どうせラジオなんて当てになんないよ」

カリーニン「なに……!?」
 

ラーザリ「海の向こうでも聴けるんだしね。
     書記長が死んだなんて流せるわけが……」

カリーニン「……ッッ!!」ギリッ

トビリシ「ラーザリさんっ!」

ラーザリ「……私らが深刻ぶってどうなるっての?
     『アレ』も歳だ、いつお迎えが来たっておかしくないだろ」

ラーザリ「……それより、あんまりカチカチやんないで欲しいね。
     せっかく直したんだから」

カリーニン「こ……この……貴様ぁっ!」ガッ

モロトヴェッツ「止めなさい!」

カリーニン「ラーザリ! それでもソビエト艦かッ!」

ラーザリ「……現実見てるんだよ、お前と違って」

カリーニン「何を――!」
 

https://www.youtube.com/watch?v=MO4kzoGjkyo

響「……?」

カリーニン「……っ……?」


   口論の最中。
   突如として、重厚な旋律がラジオから流れ出した。


響「……トビリシ。これは?」

トビリシ「えと……『悲愴』? たぶん……」

ラーザリ「……チャンネル変えた?」

カリーニン「馬鹿な!」

モロトヴェッツ「じゃあ、局の方が……?」

「おぉーい!!」

響「……?」

 

―埠頭 薪小屋付近―


水兵A「号外だ! 号外が来たぞ!」バーッ

水兵B「おい、まさか……!」

水兵C「寄越せ! くそっ!」


   1人の水兵さんが、チラシ大の紙を大量にばら撒いている。
   そのうちの1枚が風に巻かれ、私たちの元へ飛んできた。


モロトヴェッツ「――――!」

ラーザリ「……あ……」

トビリシ「……え――」

響「…………」
 



   紙面の半分を占める巨大な見出し。
   月明かりに照らされた白い文字が、否応なしに目に飛び込んでくる。



カリーニン「――――」

カリーニン「――――!――」

カリーニン「――――――――」 ドサッ



   『同志 ヨシフ・スターリン 逝去』。


   1953年、3月5日。
   ひとつの時代が、終わりを告げた。


 

今回はここまで 次回は10日後ぐらい

みなさんよいお年を
ソ連の年賀状のデザインかわいくてほんとすき
http://nagamochi.info/src/up157652.jpg
http://nagamochi.info/src/up157653.jpg
http://nagamochi.info/src/up157654.jpg

10日以内とか言っときながら本当申し訳ない……
中編投下

―数日後 夕方 埠頭―


カリーニン「…………」ボーッ


   あれから数日。
   カリーニンはすっかり呆けきっていた。


カリーニン「…………」ポケーッ


   埠頭の一角に、古びた係船柱があった。
   先が切れ、赤錆だらけになった鎖が、何重にも巻き付いていた。

   彼女はその係船柱に座り込み、
   日がな一日、焦点の定まらない目で海を眺めていた。

   いつもの威勢の良さは微塵も感じられない。
   まるで別人のようだった。

 

―物陰―


響「…………」

トビリシ「……カリーニンさん……」

モロトヴェッツ「……出撃の予定は?」

ラーザリ「冗談でしょう? しばらくはどのフネも休暇でしょうよ」

モロトヴェッツ「……けれど、いつまでも休むはずはないわ」

ラーザリ「ま、命令があっても、あれじゃあね……」


カリーニン「…………」


ラーザリ「……そっとしといてやろうよ。
     こればっかりは、私らがどうこう言えた事じゃ……」

 

トビリシ「でも、黙って見てるだけなんて……」

ラーザリ「あんたの問題でも無いでしょうに」

トビリシ「……いいえ。わたしたちの問題です」

ラーザリ「…………」

トビリシ「何年も一緒の、同じフネの仲間なんですよ……?」

トビリシ「……支えになってあげたいんです。
     『わたしたち』になら、できるじゃないですか……!」

モロトヴェッツ「――!」

響「…………」
 



   ふと、脳裏をかすめる光景があった。

   フネの領分まで越えたのに、『あの子』を救うことができず……
   泣き崩れるしかなかったトビリシの姿だ。
   

響「…………」

ラーザリ「……よくやるよ、頼まれてもないのにさ」

ラーザリ「くだんない同情で励まそうっての? 
     そんなもん、あいつが欲しがるわけ……」

響「……確かにね」

トビリシ「え……」

響「同情なんてするべきじゃない。
  ……でも、放っておくのも違うはずだよ」

トビリシ「!」パァァ

ラーザリ「……っ……」
 

モロトヴェッツ「……そうね。あなたがそう言うなら」

ラーザリ「あんたまで、そんな……!」
  
モロトヴェッツ「少なくとも、あのままで良いとは思えない」

モロトヴェッツ「あの子も、拠り所を失くしたのよ。
         ……ひとりで立ち直るのは簡単じゃないわ」

ラーザリ「…………」

   
   不服そうに黙りこむラーザリ。
   私たちをゆっくりと見回してから、やがて小さく溜息をついた。


ラーザリ「……なら、どうやって?」

トビリシ「――簡単ですよ。楽しくなってもらうんです!」

トビリシ「わたしたちみんなの、得意なことで!」

 

―埠頭―


カリーニン「…………」

トビリシ「…………」スッ

カリーニン「……?」

トビリシ「――1番、嚮導駆逐艦・トビリシ。
     演目……『トレパック』、1人カルテット!」

https://www.youtube.com/watch?v=z2ISRMSIyX8

トビリシ「たんたららった たらたた♪ たんたららった たらたた♪
     たんたらたんたらたんたらたんたら たんたららったんたたたん♪」(ピアノ)

トビリシ「てぃーりりりーりー りりりり♪ てぃーりりりーりー りりりり♪
     りんりんりんりんりんりん りんりんりんりんりーりーりー♪」(バイオリン)

カリーニン「 」

トビリシ「どぅどぅん♪ どぅどぅん♪
     どぅどぅん♪ どぅどぅん♪ どぅどぅどぅどぅどぅどどどん♪」(チェロ)

トビリシ「らんらららーらー らららら♪ らんらららーらーらららら♪」(ソプラノ)

トビリシ「らんらんらんらんランランランランラララララララララッ――――らんっ♪」ビシッ

カリーニン「…………」

トビリシ「…………」

カリーニン「…………」プイッ

 

      ・
      ・
      ・

トビリシ「あれー……?」

ラーザリ「いや、あれーじゃないよ。何アレ」

トビリシ「だ、だって……普通の歌とかだと、もう飽きてるかもって……」

モロトヴェッツ「……怯えてるように見えたけど」

響「トビリシ、具合でも悪いのかい?」

トビリシ「おかしいなぁ……泣きながら拍手してくれる予定だったのに」

響「え? ……え?」

トビリシ「もっと練習しなくっちゃ」

ラーザリ「……1度、プロにでも見てもらえば?」


   ――チャイコフスキー国際コンクールの始まりだった。

      ・
      ・
      ・

カリーニン「…………」

モロトヴェッツ「…………」カリカリカリ

カリーニン「……?」

モロトヴェッツ「……妹の中に、絵の好きな子がいたわ」シャッシャッシャッ

モロトヴェッツ「お姉ちゃん、描いて描いて、って……暇さえあれば、そればっかり」サラサラ

モロトヴェッツ「あんまり得意じゃなかったけれど……大事な妹の頼みだもの」ゴシゴシ

モロトヴェッツ「だから、こうやって……捨てられた鉛筆で、ちり紙に……」フーッ

モロトヴェッツ「…………」

モロトヴェッツ「……どう?」スッ


http://nagamochi.info/src/up157854.jpg


カリーニン「…………」

モロトヴェッツ「…………」

モロトヴェッツ「……く……」

モロトヴェッツ「……くまちゃんだよー、なでなでしてー」(裏声)

カリーニン「 」

 

      ・
      ・
      ・

モロトヴェッツ「…………」

ラーザリ「……まあ、何て言うか……妙に色気あるね、このクマ」

モロトヴェッツ「やめなさい」

響「いや……よくやったと思うよ、本当」

モロトヴェッツ「やめて」

トビリシ「か、可愛いですよ! 部屋に飾って毎日撫でます! 
     ほーら、よしよしよし……」ナデナデ

モロトヴェッツ「~~~~~っ!!」ポイッ

トビリシ「あーっ!」


   ――こぐまのミーシャの始まりだった。

 

      ・
      ・
      ・

カリーニン「…………」

ラーザリ「どいつもこいつも、気晴らしってのが分かってないね」カチャカチャ

ラーザリ「お歌だろうとお絵かきだろうと、
     ただ見せられるだけじゃ、何にも残らない」カチャカチャ

ラーザリ「自分で決めて、自分でやる。それが娯楽ってもんでしょうに」カチャカチャ

ラーザリ「……ってわけで、どう? このパズル」

カリーニン「…………」

ラーザリ「例によって拾いモンだけどね。
     この棒とか四角とかL字とかを、枠に合うように組んでけばいいんだ」

ラーザリ「どっかの町工場の手作りだってさ。今じゃもう作ってないらしいけど」

ラーザリ「何でも、技術が西側に流出して、その御咎めで工場長が……」

カリーニン「…………」

ラーザリ「……意外とハマるよ? どれだけ早く組めるかとかさ」

ラーザリ「――はい開始! ほら四角! 中折れ回転! 凸字! 中折れ!
     凸字回転! 四角! あ、棒……棒どこ? 棒!」カチャカチャ

トビリシ「……らーらら らーらら らーらら らーらら♪
     らーらららっ らららーらんらー♪」(ソプラノ)

https://www.youtube.com/watch?v=0UbX7pSybEY

ラーザリ「やかましいぃぃっ! 今練習すんな今ぁ!」

カリーニン「…………」
 

      ・
      ・
      ・

ラーザリ「…………」

トビリシ「その……伴奏があったら、楽しそうに見えるかな、って……」

ラーザリ「何? すっごくつまんなく見えたわけ?」

トビリシ「え、いや……えっと……」

響「……意外だね」

ラーザリ「え?」

響「何もしないかと思ってた。同情なんてしたくないんだろう?」

ラーザリ「……ただの暇潰しだよ。気が向いたから気晴らしを教えてやった」

ラーザリ「あいつ、プライドだけは一級だからね。
      ……勝手に立ち直ってくれるなら、それが一番いいんだよ」

響「……なるほどね」


   ――テトリスの始まりだった。
 

      ・
      ・
      ・

カリーニン「…………」

響「……隣、いいかい?」

カリーニン「…………」


   最後は私の番だった。
   でも私には、誰かを楽しませられるような特技は無い。
   
   この身に出来ることは、ほんの少し。
   ――話を聞き、孤独を分かち、共に時間を過ごすことだけだ。   


響「…………」ストッ

カリーニン「…………」

響「…………」
 


   こうなってしまった原因は分かり切ってる。

   ――敬愛する国家元首、スターリンの死。
   その悲しみに足を挫かれ、立ち直れずにいるのだろう。


響「…………」

カリーニン「…………」


   「辛かったね」……なんて、口が裂けても言えない。
   中途半端な共感なんて、何の慰めにもなりはしない。

   カリーニンだって、そんなものは求めていないはずだ。
   心の整理は、人からどうこう言われて出来るようなものじゃない。


響「…………」

カリーニン「…………」


   だからこそ。
   せめて、孤独にはさせたくなかった。



ラーザリ「……どうなるかね」

トビリシ「大丈夫ですよ、ヴェーニャなら……」

モロトヴェッツ「だといいけれど……」
 

―4時間後―


カリーニン「…………」

響「…………」


   埠頭に、高らかなラッパが響く。
   気が付けばもう、消灯の時間だった。


トビリシ「…………」カクン

トビリシ「……っ!」パチッ

ラーザリ「……いいよ。寝といたら?」ペラッ

モロトヴェッツ「何の本?」

ラーザリ「詩集ですよ。知らない作家の」

モロトヴェッツ「……灯りは?」

ラーザリ「そこの窓から――あっ」

モロトヴェッツ「……消灯ね」

ラーザリ「…………」
 

モロトヴェッツ「……まさか、4時間も無言だなんてね」

ラーザリ「日の出までああかも知んないですよ」

モロトヴェッツ「……寝てるのかしら?」

ラーザリ「もしかしたらね」

モロトヴェッツ「…………」

ラーザリ「……分かりましたよ。見てきます」スッ


響「…………」


   あの4時間。カリーニンは何も言わなかった。
   私の方を、見ようともしなかった。


カリーニン「…………」


   もちろん、そうなっても当然とは思っていた。
   それでも黙って寄り添おうと、自分自身で決めたんだ。

   ただ、ここまで取りつく島も無いとは……実を言うと、想定外だった。

 

ラーザリ「――話は弾んだ? お2人さん」

響「!」

ラーザリ「あ、起きてる」

響「ラーザリ……」

ラーザリ「暇潰しのネタが切れたよ。この暗さじゃ、パズルも読書もできない」

ラーザリ「……もう、こんなもんでいいんじゃない?」

響「でも……」





カリーニン「…………いいんだ」

 

ラーザリ「!」

響「!」


カリーニン「……もう……構わなくていい……」


カリーニン「頼む……1人にさせてくれ……」


響「…………」


   ――その一瞬。
   芯から凍えるような風が、全身を吹き抜けていった気がした。

 

カリーニン「…………」

響「……分かったよ」


   ひどく冷たい声が出た。
   怒りが無かったと言えば嘘になる。でもそれ以上に、悔しさが大きかった。
   
   自分のやったこと、やろうとしたことが、
   急に虚しく思えてしまった。


響「…………」


   ひょっとしたら、思い上がりもあったのかもしれない。

   「自分にだけは心を開いてくれる」、と。
   「自分なら、カリーニンの心を癒してやれる」、と。
   トビリシやモロトヴェッツがそうだったように。

   それを思い知らされたのが、
   いちばん堪えたような気がする。


響「……おやすみ。また明日」

カリーニン「…………」


   歩きながら、自然に視線が下がった。
   風の鳴く音が、いやに遠く聞こえた。

  
 

ラーザリ「……ま、頼みってんなら仕方ないけど」

カリーニン「…………」

ラーザリ「――羨ましいね。こんなに心配されてさ。
      案外好かれてんじゃないの? お前……」

カリーニン「…………」

ラーザリ「……喪に服すのも結構だけど、仕事のときはキチンとしなよ」

ラーザリ「お偉いさんが乗るんでしょ?
     艦隊代表がポンコツなんて、笑い話にもなんないからね……」

カリーニン「――――!!」

響「……?」


   カリーニンの顔が、ひどく強張ったように見えた。
   ラーザリは気付いた様子もなく、ポケットに手を入れて踵を返す。

 

ラーザリ「…………」

響「……回りくどいね」

ラーザリ「……ただの嫌味だよ」


   ラーザリの横顔が目に入る。嫌味を言う顔には見えなかった。
   姉が立ち直るために必要な言葉を、必死で考えた顔だった。

   もしかしたら……
   私も、ああして焚きつければ良かったのかもしれない。



カリーニン「――――――――」


   ――少なくとも、その時はそう思った。


 

―翌朝―
―駆逐艦「ヴェールヌイ」 甲板―


  「……ニャ……ヴェーニャっ!」

響「ん……」パチッ

トビリシ「ヴェーニャ! 起きて、ねえ! お願い!」

響「……? トビリシ……?」

トビリシ「たっ、大変なの! カリーニンさんが、カリーニンさんが……!」

トビリシ「……い……いなくなっちゃったのよぉ……!」

響「……え……!?」

 

―埠頭―

艦長「機関が動かんだと!?」

水兵A「そ、それが……ボイラーにもタービンにも全く異常は……」

艦長「ようやくの任務再開だぞ! あれほど点検を怠るなと……!」


響「艦の中には!?」

トビリシ「いないのよ、いくら呼んでも!」

ラーザリ「ボイラーまで動かなくなってるんだ……!
      よっぽど遠くに行ったか、それか……」

モロトヴェッツ「みんな!」タッタッタ

ラーザリ「!」

トビリシ「どうでした!?」
 

モロトヴェッツ「……駄目だったわ。薪小屋にも、基地の中にも……」

潜水D「見た限り、湾の対岸にもいらっしゃいません!
    他のС型にも探させてますが……!」

潜水A「……もし湾の外なら、もう探しようが……!」

響「…………最後にカリーニンを見たのは!?」

ラーザリ「私らだよ……昨日のアレから、誰も会ってないって……!」

響「昨日の――」


   視線が、ひとりでにあの係船柱へ向く。
   昨日まで、カリーニンの定位置だった場所だ。

   けれど、彼女の姿は無かった。
   結ばれるもやい綱も、何もない……裸の係船柱が、ぽつんと佇んでいるだけだった。


響(……あれ……?)


   かすかな違和感が、目の奥をかすめる。
   ――その正体に気付くまで、そう時間はかからなかった。


響「…………!!」


   そして、気付かなければよかったと思った。

 

響「……鎖……」

ラーザリ「え?」


   まぶたが震え、全身に寒気が走る。
   カリーニンが何をしようとしたのか、したくもない想像が止まらなかった。


響「……モロトヴェッツ。探してない場所は?」

モロトヴェッツ「……言ったでしょう? もう全部――」

響「――いいや」

モロトヴェッツ「え……?」

響「……まだ、手つかずの場所がある」


   埠頭の縁から、水面を見下ろす。
   
   波は珍しく穏やかだった。
   けれど、水底は見えなかった。

 

      ・
      ・
      ・

ラーザリ「……ヴェールヌイ」

響「…………」

ラーザリ「……あんな冗談、私でも言わないよ」

響「……冗談じゃないよ」

ラーザリ「何を――!」


   バシャン、と大きな水音がして、モロトヴェッツが顔を出した。
   口をがくがくと震わせながら、真っ青な顔でこっちを見ていた。


モロトヴェッツ「ね……姉さんっ、ドゥバーシェっ! 来てっ! お願い! 早く!」


   2人の潜水艦が、慌てて飛び込む。
   ぞっとするような沈黙のあと……「3人と1人」が、埠頭に上がった。

 



   ――――果たして、カリーニンはそこにいた。


響「……っ……!」

トビリシ「……あ……ぁ……」

ラーザリ「……か……」



   全身に鎖を巻きつかせて、肌という肌を真っ白にして……



カリーニン「  」



   ――――静かに、まぶたを閉じていた。



ラーザリ「 カ リ ィ ィ ィ ィ ィ ニ ィ ィ ィ ィ ィ ィ ィ ィ ィ ン !!! 」

 


   ラーザリが駆け寄り、カリーニンの身体を必死に揺する。
   私もトビリシも、それに続く。


カリーニン「……う…………」

ラーザリ「あ……かっ、カリーニン! カリーニンっ!!」ユサユサ


   紫に染まった唇から、か細い声が零れ出た。
   その場にいた全員が、ひとまず胸を撫で下ろす。


カリーニン「……だ……た……」

ラーザリ「え――?」

 




カリーニン「……駄目だった……溺れたかったのに……」


ラーザリ「――――っっ!!」

   
   カリーニンの頬を、ラーザリが思いきり引っ叩く。
   渇いた音が、埠頭じゅうに響いた。
      

響「――!」

トビリシ「!!」

モロトヴェッツ「…………」


   叩いた方も、叩かれた方も、見ているだけの私たちも。
   誰も、何も言えなかった。


カリーニン「……っ……」

ラーザリ「…………」


   震える右手を、呆然と見つめるラーザリ。
   あの平手打ちに、最も困惑していたのは……他ならぬ、彼女自身だった。

 
 

中編終わり 後編は今度こそ2週間以内に

遅くなってホントすみませんでした
5話後編投下します

―数時間後―
―埠頭 薪小屋付近―


モロトヴェッツ「…………」ガチャッ

ラーザリ「…………」

響「どうだった?」

モロトヴェッツ「だいぶ落ち着いたみたいよ。顔色も少し良くなったわ」

響「……そうか。よかった」


   引き上げられたカリーニンは、すぐに薪小屋へと運ばれた。   
   
   艦に連れ帰すには、少し距離がある。

   それなら、近場で休ませた方がいい。そう話し合った上での処置だった。

   
モロトヴェッツ「……? トビリシは?」

響「近海警備に行くらしい。……カリーニンの代理でね。
  そろそろ港を出るんじゃないかな」

モロトヴェッツ「……気にしてたでしょう?」

響「泣いてたよ。自分が出しゃばったせいだ、って」

ラーザリ「…………」
 

響「……話してもいいかな?」

モロトヴェッツ「いいけれど……彼女、あれから一言も……」

響「構わないよ、それでも」

ラーザリ「…………」

響「……ラーザリは?」

ラーザリ「……え?」

響「中に入らなくていいのかい?
  姉妹が側にいた方が、カリーニンも安心するんじゃないかな」

ラーザリ「…………」


   ラーザリの顔に影が差す。
   黙ってしばらく俯いたあと、ゆっくりと言葉を絞り出した。


ラーザリ「……あいつの……あいつの問題なんだ。
      好きにしたいなら、そうさせてやる……」

ラーザリ「もう、知らないよ……あんな馬鹿……」

響「…………」

響「…………」ギィッ

 

―薪小屋―


カリーニン「……!」

響「……邪魔するよ」

カリーニン「……ぁ……」


   薪の散乱した小屋の中で、カリーニンは膝を抱えていた。
   顔には少しだけ色が戻っていたけど、まだまだ健康には見えなかった。


カリーニン「…………」フイッ

響「…………」


   黙って目を逸らすカリーニン。その隣へ、ゆっくりと腰掛ける。
 

響「……海の中で、何か喋ってみたかい?」

カリーニン「――!」

響「いくら口を開けたって、少しも水は入ってこない」

響「全身が押し潰されてるみたいなのに、意識はいつまでもはっきりしてる……」

カリーニン「……なん、で……」

響「……私も、覚えがあるからね」

カリーニン「……っ!?」

響「もちろん、理由は別だけど」


   モロトヴェッツとの出来事が、ありありと脳裏に甦る。
   
   ほんの数ヶ月前の事件だった。
   刺すような水の冷たさも、握った手の暖かさも、指先に生々しく残っていた。


響「湾が浅くて良かったね。
  外の海だったら、二度と戻ってこれなかったかもしれない」

響「……それとも、そっちの方が良かったかな」

カリーニン「…………」
 

響「……どうして……どうして、あんなことを?」

カリーニン「…………」

響「――後追いかい?」

カリーニン「……違う」

響「指導者が死ねば自分も殉じる。それが愛国者の努めだと?」

カリーニン「違う……!」

響「……じゃあ、何だって言うんだ。自決なんて……」


   かつての仲間たちが迎えた最期。
   その光景が、幻燈のように浮かんでは消えていく。

   水兵さんを助けてあげてと、泣きながら沈んでいった子がいた。
   味方の輸送船に衝突して、呆然と沈んでいった子がいた。
   
   けれど、自分から沈もうとした子は、ただの1隻もいなかった。

 

響「死んだ人間のために沈んで、そんなのが国への忠誠か……?」

響「人ですらない私たちが……! 誰かが褒めてくれるとでも――!」

カリーニン「違うんだよっ!!」

響「っ――」


   カリーニンの絶叫に、言葉が詰まる。
   今にも泣きそうな彼女の顔。煮えかけた頭が、急速に冷えていく。


カリーニン「…………」

響「……すまない」

カリーニン「…………」
 

カリーニン「……ヴェールヌイ」

響「……うん?」

カリーニン「あの日、同志スターリンが……お亡くなりになったと知ったとき……」

カリーニン「……分かるか? 私が、なんて思ったか……」

響「……?」

カリーニン「…………」




カリーニン「新聞を見た途端、頭の中で……怖いくらい冷たい声がした」

カリーニン「――『ああ、何だ』……『死んだのか』、って……」

カリーニン「それで、全部……全部だった……!」

 

響「え――?」
       
カリーニン「……嘘みたいだろう? そんなことしか思えなかった……!」

カリーニン「この国のために! 同志のために! 
       それだけを思ってきた、この私がだ!」

カリーニン「悲しみなんて少しも湧いてこない! 悔しさも、怒りも、何も無かった!」

カリーニン「あれだけ大口叩いておいて!
       本当は、この国のことなんて……何とも思ってなかったんだッ!」


   肩を震わせるカリーニン。丸まった背中が、ひどく小さく見えた。
   かすれた声には、抑えきれない嗚咽が混じっている。

   
 

響「…………」

カリーニン「駄目なんだ、私は……! 私では、もう……!」

カリーニン「同志のお作りになった艦隊に、こんな不敬者が居座るなど……!」

カリーニン「そう、思って……気付いたら、あの、鎖を……っ!」

響「……カリーニン……」


   彼女の背中に手を乗せる。
   両目を真っ赤にしたカリーニンが、私の胸にすがりつく。

   
カリーニン「……なあ、ヴェールヌイ……教えてくれ……」

カリーニン「私は、今まで……何を守りたかったんだ……?」

響「…………」

カリーニン「哨戒も、演習も、輸送任務も……」

カリーニン「私は……何のために……誰のために……!」

カリーニン「頼む……頼むよぉ……! ヴェールヌイっ……!」

響「…………」ギュッ

カリーニン「……っ……ぐ……う、ぅぅ……っ……!」
 



   むせび泣くカリーニンを抱き寄せながら、
   私は昨夜のことを思い返していた。

   ラーザリの不器用な励ましが、カリーニンの嗚咽に重なる。


   『お偉いさんが乗るんでしょ?』

   『艦隊代表がポンコツなんて、笑い話にもなんないからね……』


響「…………」


   思い返した、それだけだった。
   たとえ誰かを咎めたところで、事態が良くなるわけでもない。

 

―数時間後 埠頭―


響「…………」

響(……何のために、か)


   カリーニンの元を去り、埠頭をあてもなく歩き回る。
   1ヶ月前に退役してからというもの、散歩の頻度がますます増えていた。
   
   寝るか、話すか、歩き回るか。
   いつの間にか、それだけの毎日になっていた。


 「ヴェーニャっ!」

響「……!」クルッ

トビリシ「はあっ……はぁっ……」

響「……お帰り、トビリシ」
 

トビリシ「かっ、カリーニンさん……カリーニンさんは……!」

響「小屋で休んでるよ。心配はいらない」

トビリシ「あ、あぁ……わたし……」ダッ

響「――!」ガシッ

トビリシ「っ! は……離して、ヴェーニャ!」

響「……言っただろう? 静かに休ませてあげよう」

トビリシ「だ、だって……わたし、わたしが、あんな……!」

響「――トビリシ」

トビリシ「っ……」


響「…………」

響「――国を守るって、何なんだろうね」

トビリシ「……え?」

 

      ・
      ・
      ・

トビリシ「……本当?」

トビリシ「本当に、カリーニンさんが?」

響「……書記長が死んでも悲しくなかった。だから、国を守る資格なんか無い」
  
響「自分は恥さらしだ、欠陥品だ、って……あの日からずっと、苦しんでたんだ」

トビリシ「……ヴェーニャは、なんて答えたの?」

響「…………」
 

響「……何も」

トビリシ「え?」

響「何も言えなかったよ、私は」

トビリシ「…………」


   トビリシが目を丸くしていた。
   よほど予想外の返答だったらしい。


響「何に悩んでいるのかは分かる。
  どんな答えが必要なのかも……何となくなら、言葉にできる」

響「教えるだけなら簡単だよ。私のことを話せばいい」

響「私の、私たちにとっての『国』……それが一体、何だったのか」

トビリシ「…………」

 
   かつての想いが蘇る。
   私たち全員の元首たる陛下。姉妹と水兵さんのいる皇軍。
   そのどちらもが、私にとって……守るべき『国』そのものだった。
   
   けれど――
   決して、それが全てではなかった。

 

響「……でもね。それだけでは駄目なんだよ。言葉だけでは駄目なんだ」

響「『国』がどうとか、いくら教えても……
  それは結局、私の言葉だ。カリーニン自身の言葉じゃない」

響「借り物の信念は、必ず崩れる。……カリーニンが、そうなってしまったように」

響「『何を守りたかったのか』――。彼女には、彼女だけの答えが要るんだ」

響「誰かに手伝ってもらったとしても……
  最後は自分で辿り着いて、納得しなきゃいけないんだよ」

トビリシ「…………」
 

響「……だから……だから、分からないんだ」

響「どうすれば解ってもらえるのか、どうやって支えてあげればいいのか……」

響「いくら考えても、私には……」

トビリシ「…………」

響「……? どうしたんだい、さっきから」

トビリシ「ううん。その……」

トビリシ「ヴェーニャにも、分からないことがあるんだな、って」

響「……失望したかな」

トビリシ「あ、ち、違うの! ちょっと、ほっとして……」

響「え?」
 

トビリシ「……だって、ヴェーニャ……いろんなこと知ってて、頼りになって……」

トビリシ「わたしたちが困ってたら、何だって助けてくれるじゃない」

トビリシ「嬉しいのよ? すっごく、嬉しいけど……
     ……わたしたち、助けられてばっかりだもの。だから……」

響「…………」

トビリシ「だ、だからね? ヴェーニャも、困ったら……
     何だって話してくれたっていいのよ!」

トビリシ「役に立てるかは分からないけど……でも、一緒に考えるから!」

響「――!」


   世話好きだった妹の顔が、頭の中を駆け巡った。
   年を重ねれば重ねるほどに、思い出す過去は遠くなる。

響「…………」

トビリシ「……だ、だめ? ヴェーニャ……」

響「……ふふっ」

トビリシ「!」

響「いや、ごめんね……何て言うかな」

響「そんなに、立派に見られてたなんてね……」
     
トビリシ「あ……えへへ……」


   少し困ったように笑うトビリシ。
   金角湾に吹く潮風が、一瞬だけ暖かく感じられた。

 

トビリシ「でも……カリーニンさんも、考え過ぎよ。
     わたしだって、そこまで悲しくなかったわ」

響「へえ……」

トビリシ「偉い人なのは知ってたけど、一度もお会いしたことないのよ?
     別におかしなことじゃないのに……」

響「……たぶん、そうもいかないんだろう」

トビリシ「街のみんなも、大騒ぎなんてしてなかったわ」

トビリシ「知ってる? あそこの肉屋のおばさん。
     あの日はわんわん泣いてたのに、次の日には普通にお店に出てるの」

トビリシ「しかもね、お肉は売ってないの。ずーっとお店で寝てるのよ?
     お仕事がお休みになってるから……」

響「……すごいね、それ」

トビリシ「漁師さんなんて、お酒飲んでたわ。
     船の上で、スターリンさんの写真を飾って……」

トビリシ「『偉大なる同志に乾杯!』って……もちろん、こっそりだったけど」

響「……それ、単に飲みたかっただけじゃあ……」

トビリシ「……た、退屈だったのよ。お仕事が自粛になっちゃって」
 

トビリシ「あ、でも……今日からまた、始まったみたいね」

響「漁が?」

トビリシ「ええ。さっき警備に行く途中、漁師さんたちが船を出してたわ」

トビリシ「十何隻で、いっせいに出て……次の日の朝まで漁をするのよ」

響「分かるのかい?」

トビリシ「いつもと同じだもの」

響「……よく見てるんだね」

トビリシ「……ううん。海の上から眺めただけよ」

トビリシ「街のみんなが大好きだから。気付いたら、ずっーと見ちゃってるの」

響「…………」
 


     
   『この街でも、次々に男がいなくなった』

   『彼らがどこに行って、どうなったのか……私には、それすら分からなかった』


響「カリーニンも……」

トビリシ「え?」

響「……分かってないわけじゃないと思う。きっと、実感が足りないんだよ」

響「きっかけが要るんだ。きっかけが……」

トビリシ「……? それって?」

響「…………」


   トビリシの問いかけに、自然と溜息が出る。
   
   思い悩む仲間を助けてあげたい。
   けれど、その苦悩は彼女自身にしか晴らせない。

   灯台のない夜の海を、延々とさまようような心持ちがした。

響「……やっぱり、見守るしかないのかな」

響「カリーニンが思い詰めないように、いつも通りに接するしか……」
 
トビリシ「でも、それじゃ……カリーニンさん、ずーっと悩んだままじゃない」

トビリシ「今だって、あの薪小屋にひとりなんでしょう?
     ひとりだけで……ずっと、ふさぎ込んで……」

響「だからって、下手に励ましたら、また……」

トビリシ「――!」

響「……?」


トビリシ「……ねえ、ヴェーニャ。じゃあ、こういうのは?」

 

ちょっと飯作ってきます

―翌日 未明―
―金角湾・海上 市街地方面―


カリーニン「……ヴェールヌイ」

響「うん?」

カリーニン「……どういうつもりだ。気分転換など……」


   私とトビリシ、そしてカリーニン。
   日も昇っていない早朝の海を、3人のフネが航行する。
   
   春が近づいているとはいえ、朝の空気は刺すように冷たかった。
   

響「必要ないかな」

カリーニン「分かっているなら……!」

響「私たちには、そうは思えなくてね」

カリーニン「…………」チラッ

トビリシ「その……ずっと小屋の中じゃ、いやになっちゃうかなー、って」
 

カリーニン「……馬鹿馬鹿しい。私たちが散歩など」

トビリシ「この季節の日の出って、すっごくきれいなんですよ?」

響(……『春はあけぼの』、か)

カリーニン「そんなもの、基地でも見れるだろう」

響「じゃあ、なんで付き合ってくれたんだい?」

カリーニン「…………」


トビリシ「どうかしら……?」ヒソヒソ

響「まあ、嫌なわけでもないみたいだね」ヒソヒソ

トビリシ「……元気になってくれるかな」ヒソヒソ

響「……話してくれるだけでも御の字さ」ヒソヒソ

響(本当に気分が変わってくれれば……それが一番いいんだけどね)

カリーニン「…………」
 


   金閣湾を縦断し、民間の船着き場に接近する。
   岸の上にある街並みは、うっすらと朝もやに包まれていた。
   

響「上がってみるかい?」

カリーニン「……離れすぎるぞ」

響「……そうだね」


   私たちが気兼ねなく歩き回れるのは、艦からの一定の範囲だけだ。

   それ以上、少しでも離れてしまえば、
   船体が軋んだり、舵が止まったり、ろくでもないことが起こってしまう。

   もっとも、退役艦の私には、大して問題のないことだった。
   その時は考えもしなかったけれど……
   私ひとりだけだったなら、行こうと思えば街中へだって行けたかもしれない。
   

カリーニン「……なぜ、こんなところで?」

トビリシ「ステキなんですよ、夜明けの街って」

カリーニン「……全く昇ってないじゃないか」

トビリシ「これからですよっ、これから! 
     それにですね、日の出だけじゃなくって……」
 

響「……ん?」

トビリシ「――? ヴェーニャ?」

響「いや、ほら。あそこ……」

カリーニン「…………?」

トビリシ「あ……!」


   淡い藍色をした西の空。その下に、いくつもの小さな影が見えた。
   影たちはしだいに大きくなり、まっすぐにこの湾へと進んでくる。

   そして、影が湾の入り口へと差し掛かったとき。
   私たちはようやく、その正体を知った。


カリーニン「――――!」

響「……あれは……」

トビリシ「うん……!」
 



漁師A「おーし、そろそろ減速すっぞー」

漁師B「ふぁーぁ……」

漁師C「けっ、だらしねぇ」


   それは、十何隻もの漁船だった。
   前の日にトビリシが言っていた、漁から帰った船団だった。


カリーニン「――っ!」バッ

響「っと……」ヒョイ

トビリシ「あ……だ、大丈夫? ぶつかってない?」


   小気味よいエンジン音が幾重にも重なり、私たちの真横を通り過ぎる。
   群青色の水面をかき分けながら、堂々と船着き場へ向かっていった。
 

カリーニン「…………」ポカーン

トビリシ「……ね? こうやって見たら、結構すごいでしょう?」

響「……最初から、これを?」

トビリシ「え? だ、ダメだった?」

響「……ううん」


   自分たちの目と鼻の先を、いくつもの船が走り抜けていく。
   白い飛沫が間近に迫り、矢印状の波が足元に触れる。

   ――確かに、迫力のある光景だった。

 

カリーニン「――――」


   カリーニンも、目を奪われていた。
   でも、彼女を本当に惹きつけたのは、その後に見えた光景だった。


漁師A「おらよっ」ブンッ

青年「! ……っし、出来ましたぁー!」グイッ

漁師A「うーし、揚げんぞぉー」

カリーニン「…………」


   もやい綱が結ばれ、水揚げが始まる。
   カリーニンはゆっくりと岸に近づき、その様子を神妙な顔で見つめる。
 

漁師B「しっかし、大丈夫かねぇ。まだお許しも出てねえのによ」

漁師A「なァに、軍艦だって仕事始めてんだ。
    俺らがアミ持っちゃならんわけあるめぇ」

漁師C「そういやあよ、あの軍艦。いつもの奴より小っちゃかったな」

漁師A「あ、そうだそうだ。あのでけえ奴じゃなかった」

カリーニン「――!」

漁師B「よく見てんなぁ」

漁師C「お前と違って目が利くのよ」

おばさん「あんたぁー! ちょっと!」

漁師C「げ……」

おばさん「帽子忘れてったろぉー! ちゃんと縫っといたからねぇー!」

漁師C「じゃかぁしぃ! 後にしろ後に!」

漁師B「……へっへ、さすが目利きの嫁さんだぁ」
 

老婆「アレクセェェ――イ! ボリスの言うこと聞いちょるかぁ――!」

カリーニン「っ……!?」

漁師B「げっ、ババア……! また散歩してやがる……」

おばさん「あら奥さん、おはよう」

老婆「お前はなぁー、何年たっても何年たっても……」ブツブツ


魚屋「旦那、ご苦労さん」

漁師A「へっ、早速持っていきやがるか」

魚屋「売ってやってんなァこっちだぜ」

カリーニン「…………」


少年「…………」タッタッタ

青年「あ、おーい! 新聞代……」

少年「事務所のドアでしょ? もう取ったよ」

青年「……目ざといねぇ。あ、そうだ」ゴソゴソ

少年「……アメ?」

青年「俺、この味嫌いなんだよ。あのチビ助と一緒に食いな」

少年「……知らねえよ、あんなやつ」ダッ

青年「え?」

おばさん「ちょっと、アンタ……! あの子、ほら……例の片親の……」ヒソヒソ

カリーニン「…………」
 


   早朝の港に、人が集っていく。
   漁師さんと、その奥さんがいた。孫を見に来たおばあさんがいた。
   見習い漁師が、魚屋さんが、新聞配りの男の子がいた。

   街じゅうが朝を迎えていた。
   誰も彼もが、今日という日を始めていた。


カリーニン「……こんなに……」

カリーニン「こんなに、たくさん……生きているんだな」

響「…………」
 


   停泊する漁船が、白い光を放つ。
   漁師さんたちは海を見て、眩しそうに目を細める。


カリーニン「……?」クルッ


カリーニン「――――!」

響「あ――」

トビリシ「…………」


   東の空に、柔らかな朝日が輝いていた。

   何も特別なことじゃない。
   沈んだ太陽が、また昇った。言ってしまえば、それだけのことだ。
  

カリーニン「…………」


   ――それなのに、ほんの少しも目が離せなかった。
   私も、トビリシも、カリーニンも、ただただ黙って、日の出を見つめた。


カリーニン「……ふ……ふ、ふ……」

カリーニン「はは……はははっ……っ、ぐぅ……」グスッ

響「…………」


   いつだったか、同じ朝日を見たことがある。

   皇軍が跡形もなく敗れ去り、あの方が降伏を告げられた後。
   私は復員船として、毎日のように太平洋を往還していた。
   

カリーニン「……どうして……」

カリーニン「どうして……気付けなかったんだろうな……」


   皇国も皇軍も無くなってしまった。
   それでも、私の甲板には、生きている人々が乗っていた。
   かつての日常を、新たな生を、誰もが全うしようとしていた。
   

響(……そうなんだよ、カリーニン)

響(きっと……『国』って、そういうものなんだ)

 

カリーニン「…………ふぅ―――っ……」

カリーニン「…………」チラッ

響「…………」

カリーニン「ヴェールヌイ……トビリシ……」

カリーニン「……すまなかったな、心配かけて」

トビリシ「――! あ……か……」

カリーニン「?」

トビリシ「……カリーニンさぁぁぁん……!」ガシッ

カリーニン「む……」

響「…………」フフッ

カリーニン「…………」

カリーニン「本当に……綺麗な日の出だな……」

響「……うん」
 

カリーニン「…………よし!」ギュンッ

トビリシ「ひゃぅ!」ヨロッ

響「カリーニン? どこへ?」

カリーニン「決まってるだろう? 他のみんなにも謝りに行くんだ」

カリーニン「散々迷惑かけたからな……こうでもしなければ気が済まん」

カリーニン「先に戻ってるぞ! それじゃあな!」ギュンッ

トビリシ「あ、ま、待って! カリーニンさんっ!」ギュンッ


   基地に戻っていくカリーニンの背中。
   それを見て、自然と笑みがこぼれる。


響「……元気だね、さっそく」


   去り際に見えたカリーニンの瞳を、今でも忘れることができない。
   街のみんなと同じように、まばゆい朝日が宿っていた。

 

―翌・1954年 10月某日―
―金角湾・海上―


潜水A「どう、見えた?」

モロトヴェッツ「ええと……ああ、あそこです。艦橋の上から2段目の」

トビリシ「あのおじさんかしら? 背広だし」

潜水D「? 何だろう……何か黒いの付いてません? 頭に」

ラーザリ「……あーあ。カリーニンの奴、ガッチガチだよ」

響「仕方ないよ。あの人が乗るなんて聞いてなかったんだし」
 


   結局、くだんの艦隊視察は、年をまたいでから行われた。
   書記長交代のごたごたで、予定が遅れに遅れたのだろう。

   この日は、カリーニンの勇姿を見るために、仲間のみんなで海に出た。
   当のカリーニンは、艦の舳先に立ち……しきりに後ろを気にしていた。


響「やっぱり、目の当たりにすると違うのかな」

ラーザリ「ま、はしゃがないだけマシかもね。……あ、こっち見た」

響「…………」フリフリ

ラーザリ「……どしたの?」

響「いや、何となくね」

 

―巡洋艦「カリーニン」―


  「…………」

カリーニン「…………」ガチガチガチガチ

艦長「どっ、ど、どど……同志書記長! 砲戦準備、完了しました……」ガチガチ

フルシチョフ「……ああ……では、見せてもらおうか」

艦長「は、はッ!」

フルシチョフ「…………」

カリーニン「う、うぅ…… ――ん?」


響「…………」フリフリ


カリーニン「…………」

カリーニン「……全く……」フフッ
 

艦長「第1砲塔、砲撃用意! 目標、右舷仮想敵艦!」

カリーニン「! ……よ、よし……っ!」


   昂然と顔を上げるカリーニン。
   ウラジオストクの街を背に、右手を力強く振り上げる。


カリーニン「――――巡洋艦「カリーニン」! 砲戦、開始っ!」


   高らかな空砲が、金角湾に響く。
   何物も傷つけない、その音が……私には、何よりも尊く聴こえた。

 

――
――――
――――――――

提督「ふ……フルシチョフ? あのフルシチョフが乗ったってのか?」

暁「? そんなにすごい人なの?」

提督「凄いも何も……スターリンの後を継いだ書記長だぞ。
   海軍省どころか、国のトップだよ」

暁「えぇーっ!?」

雷「じゃ、じゃあ! カリーニンさん、御召艦になったってこと!?」

響「まあ……似たようなもの、なのかな。たぶん」

電「す、すごいのです……!」

 

響「……さて、こんなところかな。思い出話も」

暁「えぇー、もう終わり?」

響「……特に印象的だったのはね。あとは、まあ……ふつうの話だよ」

暁「もっと話してくれてもいいじゃない! みんなで遊んだ話とか……」

雷「ほら、暁! わがまま言わないの!
  レディーは人の過去にこだわらないのよ!」

暁「うっ……!」

提督「ほー、いいこと言うな。誰から聞いた?」

雷「間宮さんよ」

提督「……何だろ、すっげえ意外」
 

響「ほら、そろそろ中に入ろう。日も沈んだし、冷えてくるよ」

暁「……むー……」

響「……分かったよ。晩ご飯の時でいいかい?」

暁「!!」パァァッ

響「取りとめのない話ばかりになるよ」

暁「い、いいのよ! ロシアのみんなのこと、もっと聞きたいわ!」

響「…………」

電「響ちゃん?」

響「……ううん、何でもない」

提督「…………」

 

――――――――
――――
――

―埠頭―


司令官「お、お疲れ様でありました、同志!」ビシッ

フルシチョフ「…………」

司令官「……ど、同志?」

フルシチョフ「……いかんな」

司令官「――!」

フルシチョフ「古めかしい。あまりにも時代遅れだ。
        海の上から狙った所で、敵のロケットに敵うものか」

司令官「…………」

フルシチョフ「最早、あのようなフネの時代ではない。
        水上艦隊など、悪しき骨董品だ」

フルシチョフ「――整理せねばな。ソビエトのためにも」


響「…………」



     【Продолжение следует............】


 

第5話おわり 次回は何とか2月中に
ちなみにフルシチョフに砲撃訓練披露したのはマジ史実なんすよ

次の話で過去編は終わりです

クッソ遅くなってすいませんでした……
まとまった時間が取れなくなってきて、毎日ちょっとずつの更新になるけどゆるして

―2015年 7月某日 夜―
―日本海―

―司令船 食堂―


響「……それで、トビリシが歌手になりたいって言ったら、
  ラーザリは『秘書になってみたい』って」

暁「へえー、秘書……」

電「じゃあ、カリーニンさんは?」

響「それがね、最初は『軍人』って言い張ってたんだけど。
  何回も聞いてたら、とうとう白状したんだよ」
  
響「こう、ぼそっと……『サッカー選手』って」

雷「さ、サッカー!?」

電「い、意外すぎるのです……!」プルプル

響「そうなんだよ。それでみんなも大笑いで――」
 

提督「おーい、そろそろ食堂閉めるぞー」

雷「あ、はーい!」

暁「えぇー! ま、まだ眠くないし!」

提督「ダメだっての。今の航路なら、明日の一〇〇〇には着く見込みなんだ。
    いつも通りに起きる準備しとけ」

暁「で、でも……演習って明後日からでしょ?」

雷「暁! 気持ちは分かるけど、お話は明日でも聴けるじゃない!」

提督「そうそう。それにほら……向こうの司令官の前で、あくびでもしてみろ。
   本部にチクられて、俺の出世に響く」

暁「あー! 結局そういう理由じゃない!」

電「大人ってやっぱり汚いのです……!」
 

提督「正直に言うだけマシだろうが。ほら響、雷、連れてってやって」

提督「あと、部屋のロッカーに、明日から着るコートがある。
   一応サイズ確認しとけよ」

暁「え、コート?」

提督「ああそうだ、安心と信頼の赤レンガブランド。4人おそろいの特注品だぞ」

暁「わぁっ……! み、見に行きましょ、みんな!」タタッ

電「あっ、暁ちゃん! ……じゃあ、司令官さん。おやすみなさい」タタタッ

雷「もう、2人とも……! ほら、響?」

響「いや……喉が渇いたから、何か飲んでから行くよ」

雷「そう? 分かったわ、ちゃんとトイレには行くのよ?」タタタッ
 



   姉妹たちが去り、食堂には私と司令官だけが残る。

   私はヤカンを両手で抱え、ぬるくなった麦茶をグラスに注ぐ。
   司令官は鼻歌を歌いながら、別のヤカンを火にかける。


響「……やっぱり、寝る前はコーヒーかい?」

提督「カフェイン摂らなきゃ安眠できんよ」ザーッ


   インスタントコーヒーを、マグカップへ無造作に入れる司令官。
   健康的な摂取量とは言えない。


提督「……まあ、もう少しだけ仕事があるんだけどな」

響「手伝おうか?」

提督「大丈夫だ、お前も早く寝るといい」
 



   コンロの火を、司令官がじっと眺めている。
   私は手元の麦茶を飲み干し、グラスをゆすいで伏せて置く。


提督「……ずいぶん楽しそうに話してたな」

響「……当たり前だよ。楽しい思い出なんだから」

提督「ふぅん……」

響「……何だい?」

提督「……何だろうな。色々、話し足りなさそうに見えてさ」

響「…………」


   火を止めて、マグカップへお湯を注ぎ込む司令官。
   食堂の丸い窓からは、小さな風の音が聞こえてくる。

 

響「……もう、面白い話は残ってないよ」

提督「別にいいさ。どうせなら『最後』まで聞きたいだけだ」

響「…………」  

提督「……まあ、無理にとは言わんがよ。お前が楽なのが一番だ」


   風の音が、耳の奥でしだいに大きくなる。
   海鳥の鋭い鳴き声も、その音に混じって聞こえる気がする。


響「……最後まで、ね」

響「みんな、優しいからね。聞かせたくないんだ」

提督「ちょうどいい。俺はあいつらほど優しくないぞ」

響「……ふふ……」
 





響「……なら、司令官。聴いてくれるかい?」



響「みんなのことを……『最期』まで…………」



 




          эп.6
 

   Роковой шторм

        ―運命の嵐―



 

―1958年 9月20日―
―ソ連・ウラジオストク―


ラジオ『――8日にニューギニア沖で発生した台風は、北太平洋を北上後、
    19日にオホーツク海へ到達し、多大な被害をもたらしました』
    

ラジオ『マガダンやオホーツクを始めとした沿岸部の各地で、
    家屋の倒壊や行方不明者が相次ぎ――』


ラジオ『――海上輸送や漁業にも多大な影響が及んでおり、
    政府は引き続き警戒を呼びかけています』

 


ラジオ『また、台風の被害は軍属の艦船にも及んでいます』


ラジオ『19日早朝、太平洋艦隊所属の巡洋艦が……』


ラジオ『オホーツク海を航行中に遭難し、大破しました』



ラジオ『被害を受けたのは、巡洋艦「ペトロパブロフスク」、
    旧艦名「ラーザリ・カガノーヴィチ」で――――』


 

―早朝 埠頭―


響「はっ……はっ……!」タタタッ

 
   けたたましいサイレンが鳴り響く中、私は全力で埠頭を駆ける。
   じっとりとした向かい風に圧され、髪がばらばらに乱される。


水兵A「カガノーヴィチだ! 戻ってきたぞ!」

将校「ボート全部出せ! 生存者を……」


トビリシ「ヴェーニャ、こっち!」

潜水A「甲板は……駄目、ここからじゃ見えない!」

モロトヴェッツ「――! 錨が下りたわ!」

カリーニン「ラーザリ! ラーザリっ!」


   一心不乱に錨を手繰り、甲板へと登っていくカリーニン。
   私たち全員も、その後に続く。

 

―巡洋艦「ラーザリ・カガノーヴィチ」 甲板―


カリーニン「ラーザリ! 大丈――」

カリーニン「――っ――」

響「……!」


   甲板は、見るも無残な状態だった。
   砲等はひしゃげ、手摺りは折れ曲がり、船体のあちこちに亀裂が走っていた。


トビリシ「……あ……あぁ……」

モロトヴェッツ「……ッ!」


   そして、当のラーザリは、
   その甲板の中央で、仰向けに倒れ伏していた。
 



ラーザリ「――――」


   小奇麗だった服はびりびりに引き裂かれ、痛々しい素肌が露わになっている。
   丁寧に結われていた髪は、乱暴に掴まれたかのように、酷くほどけて乱れていた。
   
   うつろな両目には、のっぺりとした青空だけが映っている。
   ほんの少しだけ開いた口から、か細い息が出入りしていた。



カリーニン「…………」


カリーニン「……中に入れよう。手を貸してくれ」

 

―「ラーザリ・カガノーヴィチ」 艦長室―


カリーニン「……毛布を」

トビリシ「…………」ファサッ

ラーザリ「――……――――……」


   満身創痍のラーザリを、一番上等なベッドのある場所――艦長室へと運ぶ。
   艦内には誰も残っておらず、部屋の鍵も開いたままだった。


モロトヴェッツ「……暗くないかしら」

響「そうだね……カリーニン、そっちの窓を――」キイッ
 



   手近にあった窓のフタを、何気なく上げた、その瞬間。
   その窓に入っていた亀裂から、突然風が流れ込んできた。
   
   笛のような音を立てながら、湿った風が部屋に渦巻く。
   壁の内側からは、キィキィと金属の軋む音が聞こえた。


ラーザリ「……――――!!」ビクッ

ラーザリ「あ――あぁあぁぁ―――ああああぁぁっ……!!!」

カリーニン「! ラーザリっ!?」
 

ラーザリ「うぁ……あ、あぁぁぁ……!!」

ラーザリ「いや、いやだぁ……ああぁ……っ――」

カリーニン「大丈夫、大丈夫だ……! ラーザリ……!」

響「っ……!」パタン


   反射的に窓のフタを閉じる。
   風の音が止み、部屋に静寂が戻った。
   

ラーザリ「……っ……~~っ……!!」ガチガチ

カリーニン「大丈夫だ、もう基地にいる……大丈夫だからな……」


   肩を抱いて、ガタガタと震えあがるラーザリ。
   衰弱しきった彼女を見ていると、どことなく後ろめたい気分に駆られた。
   まるで、見てはいけないものを見てしまったような……。

 

カリーニン「…………」チラッ

響「…………」

カリーニン「……みんな、すまないが……」

カリーニン「……ゆっくり休ませてやりたいんだ。私に任せてくれないか……」

トビリシ「え……」

モロトヴェッツ「…………」コクン

トビリシ「で、でも……!」

モロトヴェッツ「――トビリシ」

トビリシ「っ……」

響「……外で待っておくよ。何かあったら呼んでくれ」

カリーニン「……すまない」

ラーザリ「……ぁ――……う、ぅ…………」

   
   トビリシたちと一緒に、部屋の外に出る。
   見られたくないものは誰にだってあるし、こっちにも見たくないものがある。

 

―午後―
―艦内・通路―


響「…………」

   「――って、あいつら……大したこ――」

   「馬鹿を――な! ……いくせに――また――」

響「……?」


   艦長室の前で待つこと半日。
   扉の向こうから、微かな声が聞こえるのに気がついた。
   
   まどろみかけていた意識が、一気に現実へ戻ってくる。
   そばにいたトビリシとモロトヴェッツも、声に気づいて顔を上げていた。


モロトヴェッツ「――! この声……」

トビリシ「ラーザリさん……!? 気がついたんだわ!」

響「……!」

 

―艦長室―


   はやる気持ちを抑え、おもむろに扉を開ける。
   少しずつ開いていく隙間から、橙色の光が漏れ出した。ランプが点いているらしい。


カリーニン「大丈夫なわけがあるか! こんな時にまで何の見栄を――!」

ラーザリ「どうせ言ったって分かんないでしょうよ! あんたみたいに図太くないしね! 
     私はねぇ、こんな惨めな所…… ――っ!」

カリーニン「……? ――!!」


   ベッドの上にいるラーザリが、カリーニンと口論を繰り広げていた。
   2人は部屋に入ってきた私たちを見て、気まずそうに口をつぐんだ。

 

ラーザリ「…………」

ラーザリ「……おはようさん。見舞いの花でも持ってきてくれた?」

カリーニン「…………」

モロトヴェッツ「……具合はどう?」

ラーザリ「少し寒気がしたけどね。ま、今はもう……何ともないよ」

カリーニン「っ――!」キッ

ラーザリ「…………」ジロッ


   ラーザリはベッドの上に座り込み、首から下をぴっちりと毛布で包んでいた。
   ほどけたままの長い髪は、無造作に後ろへ流されている。

 

トビリシ「…………」

ラーザリ「――ったくもう、んな深刻になんなくたってさ」

ラーザリ「一張羅は台無しになったけど……ま、辛いって言えばそんぐらいだよ」

響「……すぐに直るさ。修理が始まったらね」

ラーザリ「…………」

ラーザリ「……だろうね。どうせひと月も休めないか」

ラーザリ「……ま、せっかく降って湧いた休暇なんだ。
     せいぜい有意義に過ごさせてもらうよ」

響「…………」
 

ラーザリ「……そこで突っ立ってんのも暇でしょ。何ならさ、本でも取ってきてよ」

響「本?」

ラーザリ「ベッドの上って、どうにも暇でね……
      まだ読みかけの奴、薪小屋に置きっぱなしなんだ」

ラーザリ「看病はこのバカだけで十分だしさ。
      ――意地でも1人にさせない気なんだよ、こいつ」

カリーニン「…………」


   いつもの調子で軽口を叩き、ひねくれた笑みを浮かべるラーザリ。
   けれど、見慣れたはずのその笑顔は……どこか縮こまって、弱々しく見えた。

 

響「……分かった、3人で持ってくる。――いいかい?」

トビリシ「――!」

モロトヴェッツ「…………」コクン

響「……トビリシ?」

トビリシ「…………うん」

ラーザリ「……悪いね。持ってきてくれるだけでいいからさ」

響「本の題名は?」

ラーザリ「――10冊ぐらいあるんだわ。床に平積みになってるやつ」

響「……ずいぶん貯め込んだね」

ラーザリ「ま、上から適当に4、5冊でいいよ。どうせ長くは休めないしね……」

 

      ・
      ・
      ・

   ラーザリ自身は、そう言っていた。
   私も、同じように考えていた。


   ――けれど。

   1週間経っても、1ヶ月経っても、1年という月日が流れても、
   ラーザリの服は直らなかった。


響「…………」


   入渠はおろか、応急修理すら施されないまま……
   ラーザリの船体は、埠頭の一角に放置されていた。

 

ラーザリ「……こうも退屈だと、寝ちゃいそうだよ」

響「……? 寝たくないのかい?
  任務もないんだ、ずっと寝てたっていいと思うけど」

ラーザリ「…………」


   その間、ラーザリは一歩もベッドから出なかった。
   船体の破損が影響して、彼女は足を動かせなくなっていた。

 

      ・
      ・
      ・

ラーザリ「……う……あぁぁ……! あ、ああぁっ……!」

ラーザリ「……沈む……沈むの……!? いや、だれか……誰かぁ……!」

カリーニン「ラーザリっ!」ギュッ


   しばらく経って、ラーザリが寝たがらない理由が分かった。

   意識を閉じるたびに、悪夢を見ていたんだ。
   自分が遭難した記憶。それが夢として蘇り、ラーザリを延々と蝕んでいた。

 

ラーザリ「冷たい……ああ、水が……! 
     ……こわい……私、まだ……あぁぁ……!」

響「っ……!」ギュッ

ラーザリ「いやだ、いやだぁ……! みんなぁ……! 
     たすけて……たすけてよぉ……!」


   目覚めたラーザリは、私に見られていたのが分かると……
   黙ってうつむき、歯を食いしばった。

 
ラーザリ「…………」


   ――そして、ラーザリは。
   しだいに、口をきいてくれなくなった。

 

―ラーザリの遭難より、1年3ヶ月後―

―1959年 12月某日 深夜―
―基地内 通路―


響「……誰もいない?」

トビリシ「うん、大丈夫」

響「よし……落とさないようにね」


   2人で本を抱えながら、深夜の基地をこっそりと進む。
   図書室に死蔵されている本を、艦で待つラーザリに届けるためだ。
   当時の私たちの、大切な日課だった。


響「……? それ……」

トビリシ「あ……うん、チェスの入門書」

響「……ラーザリ、昔からチェス好きだったろう?」

トビリシ「違うのよ。わたしが読もうと思って」

響「え?」

トビリシ「ほら、前にチェス道具を持っていったでしょ。
     でもラーザリさん、ずーっと1人で動かしてるし……」

トビリシ「だったら、相手がいた方が、って……」

響「……優しいね」

トビリシ「…………ううん……」

トビリシ「……ねぇ、ヴェーニャ」

響「?」

トビリシ「――ラーザリさん、ぜったいに直るよね?」

響「…………」

トビリシ「最近、ただでさえ物不足だもの」

トビリシ「鋼材とかを集めるのに、ちょっと時間がかかってるだけよ……そうよね?」

響「……それは……」
 



   答えあぐねていた、ちょうどその時。
   廊下にある扉の1つが、かすれた音を立ててゆっくりと開いた。


トビリシ「っ!」ビクッ

響「……! あそこは……」


   品のある木目に、細やかな金細工。他とは一線を画す重厚な造り。
   司令室の扉だった。

 

モロトヴェッツ「…………」


   司令室から出てきたのは、モロトヴェッツだった。
   窓からの月明かりに照らされたその顔は、幽鬼のように真っ青だった。


響「……モロトヴェッツ?」

モロトヴェッツ「――!」

トビリシ「ど……どうしたんですか?」

モロトヴェッツ「…………」

モロトヴェッツ「――――カリーニンを呼んで。今すぐによ」

 

―埠頭 深夜―


カリーニン「…………なんて……言った? モロトヴェッツ……」

モロトヴェッツ「……何回言っても同じ話よ」


   「ラーザリ」がすぐそばに泊まっている、埠頭の片隅。

   渋るカリーニンを半ば無理やりに連れ出してから、
   モロトヴェッツが重々しく口を開いた。


モロトヴェッツ「……来年度の、艦隊再編成計画の一環で……」

モロトヴェッツ「――――「ラーザリ・カガノーヴィチ」は、解体される」


   ――その一言は、
   私たちを凍りつかせるのに十分だった。


 

響「…………っ……!」

トビリシ「…………え……?」

モロトヴェッツ「――書類の点検中に、来年度の計画書を見つけたのよ」

モロトヴェッツ「来年、1960年の2月を目途に、
        巡洋艦「ラーザリ・カガノーヴィチ」、および「カリーニン」の両艦を除籍」

モロトヴェッツ「……その後、「カリーニン」は宿泊艦に種別変更」

モロトヴェッツ「……「カガノーヴィチ」については……
         ――――可及的速やかに解体する、と」

カリーニン「…………」

トビリシ「……うそ……うそよ……!」

モロトヴェッツ「決定事項よ。司令の署名付きでね」

響「……その様子だと、ラーザリには?」

モロトヴェッツ「……ええ、まだよ。
        まずは、あなたたちに教えておこうと……」

モロトヴェッツ「……彼女には、私が直接伝えるわ」

トビリシ「――っ! 言うんですか!? 解体されるって……!」

モロトヴェッツ「…………」

トビリシ「そんな……そんなの、ひどすぎますっ!
     『お前は死ぬ』って言うようなものじゃないですか!」
     
モロトヴェッツ「――当たり前でしょう!
        人間だろうと獣だろうと、生まれたものは必ず死ぬわ!」

モロトヴェッツ「私たちだって……フネだって同じよ! 造られたからには、絶対に朽ちる!」
 

トビリシ「ラーザリさん、今だってあんなに荒んでるんですよ……!?」

トビリシ「そんな……そんなこと言ったら! もっと追い詰めるだけです!」

モロトヴェッツ「ごまかし続けるのがいいとでも言うの!?」

モロトヴェッツ「ある日突然除籍されて……何もわからないままに解体される!
         そっちの方がよっぽど残酷でしょう!?」

トビリシ「っ……! でも……でもっ……!」

モロトヴェッツ「いい加減にして! 私だって、本当は……!」

響「――モロトヴェッツ」

モロトヴェッツ「っ――!」

トビリシ「…………」
 

響「……遅かれ早かれ、いつか直面することなんだ」

響「だったら、早めに覚悟を決めてもらう方がいい」

トビリシ「……っ……」

響「それに、ここにいる全員が知ってしまった以上……」

響「知らないふりで、今まで通りに接するのも難しいと思う」

響「やっぱり、きちんと伝えるしかないよ」

モロトヴェッツ「…………」

響「……代わろうか?」

モロトヴェッツ「……大丈夫よ。今まで何回も言ってきた。
         ソラクシンのときも、他の子たちのときも……」

モロトヴェッツ「――今更、押し付けるなんてできないわ」

響「…………」
 

カリーニン「…………モロトヴェッツ」

モロトヴェッツ「……?」

カリーニン「……私も一緒に、除籍されると言ったな」

モロトヴェッツ「ええ……解体はラーザリ1隻だけれど」

カリーニン「…………そう、か……」

響「……?」


カリーニン「……なぁ、モロトヴェッツ……」

カリーニン「ひとつだけ、頼みがあるんだが……」


 

―数十分後―
―「ラーザリ」 艦長室―


   私たちが部屋を訪れると、ラーザリは少しだけ顔を上げた。
   決して歓迎はされなかったけど、追い返されもしなかった。


モロトヴェッツ「――――」

トビリシ「……っ……ぐすっ……」

カリーニン「…………」


   モロトヴェッツが淡々と説明する中、ラーザリはずっと黙っていた。
   やがて話が終わり、ぞっとするような静寂が訪れた後……
   ラーザリは、ゆっくりと口を開いた。

 

ラーザリ「……解体」

ラーザリ「……解体ね……私が……」

響「…………」

ラーザリ「……来年の2月?」

モロトヴェッツ「……ええ。書類によればね」
   
ラーザリ「……ああ……そう……」


   私たちに背を向け、毛布にくるまるラーザリ。
   毛布をつかんだ手が、小刻みに震えていた。


ラーザリ「…………帰ってくれる?」

モロトヴェッツ「…………」
 



   モロトヴェッツがカリーニンに目配せする。
   視線に応じたカリーニンは、静かにベッドに歩み寄った。


カリーニン「辛いか」

ラーザリ「…………」

カリーニン「……私は辛いぞ」



カリーニン「お前と一緒に除籍されて……『2人揃って』解体なんてな」

 

ラーザリ「…………!」


   ラーザリがわずかに頭を動かす。
   少しだけ潤んだような目で、肩越しにカリーニンへ視線を向けた。
   カリーニンはラーザリの顔を見ず、うつむいたまま言葉を続ける。


カリーニン「腐っても姉妹だったらしい。最期の最期まで、お前と一緒か」

カリーニン「……マクシム姉さんが聞いたら、大笑いするな」

ラーザリ「…………」

カリーニン「――何も、腹を括れとは言わん。私だって……怖いものは怖いんだ」

カリーニン「……だから……だから、お前も……」

響「…………」
 


   カリーニンが言葉を詰まらせる。
   ラーザリは、何かを言いたそうな目で、自分の姉を見つめている。


カリーニン「……トビリシ」

トビリシ「!」

カリーニン「……少し、代わってもらえるか」

トビリシ「……っ……!!」コクン


   微笑んで踵を返し、部屋を出ていくカリーニン。
   私とモロトヴェッツも、それに続いた。

 

―甲板―


響「良かったのかい? ラーザリから離れて」

カリーニン「あのまま居たらボロが出そうでな。……少し落ち着いたら、すぐに戻る」

カリーニン「――――久しぶりだよ。嘘をついたのは」


   艦長室を出たあと、カリーニンは無言で甲板へと上がっていった。

   モロトヴェッツは、埠頭で待つ「家族」の所へ戻っていったけど、
   私はカリーニンの後を追った。

   ――どうしても、訊いてみたいことがあったからだ。


響「……カリーニン」

響「どうして、あんな嘘を?」

カリーニン「ん……?」
 

響「自分も一緒に解体なんて……怖がるふりまでして、どうして……」

カリーニン「…………」

カリーニン「あいつは……性根が曲がってるからな」

響「え?」

カリーニン「怖いとか寂しいとか、素直に言えばいいのに……
       そういうのを見せないのが、格好いいと思ってるんだ」

カリーニン「本当は……人一倍、気が弱いくせにな」

響「…………」

カリーニン「だから、同じように怖がってる奴がいれば……
      少しは、安心できるんじゃないかと」

カリーニン「……何と言うのか、そう思ってな」

響「…………」
 

カリーニン「見栄っ張りで、小賢しくて、情けない奴だが……
       それでも、私の妹なんだよ」

カリーニン「――不安なままには、させたくないんだ」

響「…………」

カリーニン「どうした?」

響「いいや。……ずいぶん丸くなったね」

カリーニン「……そうか?」フフッ


   小さく笑うカリーニン。
   出会ったばかりのころには無かった、落ち着きをたたえた笑みだった。

 

―艦長室―


カリーニン「……すまないな、トビリシ。もう――」ガチャッ

響「……!」


トビリシ「っ……ひぐっ……うぅぅ~~……っ……」

ラーザリ「……あー……もう……」サスサス


   艦長室に戻った私たちは、中の様子を見て、呆気にとられた。

   ベッドにすがりついて、延々と泣きじゃくっているトビリシ。
   その頭を、ラーザリがおろおろしながら撫でていた。
 

ラーザリ「――!」

響「」

カリーニン「」

トビリシ「……うぅ……ん……ひっぐ……えぐ……」ギューッ

ラーザリ「…………」


   私たちに気付いたラーザリが、救いを求めるような目を向ける。
   そして溜息をつきながら、弱々しく声を上げた。


ラーザリ「……な……何とかしてよ、見てないでさぁ……」
 

カリーニン「……っく……」

響「……ふふっ……」


   深刻な顔で頼んでいるのに、その手はトビリシを慰めるのを止めない。
   妙に能天気な光景に思えて、ついつい笑いがこぼれてしまった。


ラーザリ「あ、このっ……!」

トビリシ「うぅぅぇぇぇぇぇん……! らっ、ら、らーじゃりしゃ……」

ラーザリ「……勘弁してよ、もう……」

カリーニン「くふっ……ひ、ひっ……ははは……!」

響「ふ、ふふ……ご、ごめ……ふふっ……」




   ――すごく久しぶりに、笑った気がした。

  


      ・
      ・
      ・

   その日から、私たちは1日中、ラーザリの部屋に入り浸るようになった。
   解体が決定し、誰ひとり立ち入らなくなった艦内で、朝から晩まで一緒に過ごした。
   
   勝手な願いかもしれないけれど……
   残りの時間を、少しでも一緒に過ごしたかったんだ。

   ラーザリも、軽く文句を言うだけで、私たちを追い返しはしなかった。
   
   そして、何より――
   以前のように、普通に話してくれるようになった。

 

      ・
      ・
      ・

ラーザリ「――はい、チェック」

トビリシ「あうっ……! え、えっと……ビショップだから……」

ラーザリ「よーく見なよ。考えるのを止めたらそこで負けさ」

カリーニン「……妙に優しいな。いつもの煽りがないぞ」ヒソヒソ

モロトヴェッツ「? 別に煽られたことなんて……」

響「……君が相手のときだけじゃないかい?」

カリーニン「なにぃ!?」

ラーザリ「~~♪」ピュイーッ

 

      ・
      ・
      ・

トビリシ「ラーザリさん! 薪小屋のラジオ持ってきました!」

ラーザリ「え? ああ……じゃあ、机のあたりに置いといたら?」

響「だいぶ散らかってきたね。物も増えたし」

ラーザリ「……あのねえ、あんたたちが色々持ってくるんでしょうが」

トビリシ「今日はですね、新人歌謡曲の特集ですって!」カチッカチッ

ラーザリ「そんなのよりさ、またアメリカの電波入れてみようよ。
      あのビル・ヘイリーっていうの、いい感じだし」

カリーニン「……そんなに良いか? あんな軟弱な……」

 

      ・
      ・
      ・

モロトヴェッツ「……すっかり、溜まり場になっちゃったわね」

ラーザリ「まったくですよ。……おかげで、ちっとも眠れません」

モロトヴェッツ「たまには静かに過ごしたい?」

ラーザリ「……どうでしょうねぇ」

モロトヴェッツ「……ラーザリ。そうだろうと思って、良い本を持ってきたわ」ドン

ラーザリ「へ? …………!?」

響(……げ、『原色 海洋哺乳類図鑑』……?)

モロトヴェッツ「見なさい、この素敵なクジラたちの数々……
        ナガスクジラの洗練されたフォルム、セミクジラの武骨なあご……」

ラーザリ「 」

響(……どうしよう、目が本気だよ)

 

      ・
      ・
      ・

ラーザリ「……そりゃね、頼んだのは確かにこっちだけどさ」

ラーザリ「日本の歌とか歌ってみて、って……」


響「いいかい? じゃあ、もう一度いくよ」

響『海ーっのおっとこの艦隊勤務♪』

トビリシ『ゲッツゲッツカースィー モックキンキーン!』

響「ハラショー!」

トビリシ「ぃやったぁ!」

ラーザリ「――いや、なんで軍歌?」

響「元気が出るかと思ってね」

ラーザリ「……とんでもないね、日本軍。プロレタリアートの鑑だわ」
 

潜水D「失礼しますっ!」ガチャッ

モロトヴェッツ「ヴェールヌイ、楽器が見つかったわ」

カリーニン「む、ハーモニカか」

潜水A「伴奏には少し不足かしら? ……ま、ドレミが出るなら何でも同じね」

トビリシ「吹けるんですか!?」

潜水A「たしなみよ、たしなみ」ペピー

ラーザリ「……とうとう楽器まで来ちゃったよ。次は全員で合唱かね?」

響「やりたいかい?」

ラーザリ「バカ言うなってのよ」ゴロン


   寝転がって、目を閉じるラーザリ。
   ハーモニカの音色に合わせ、小刻みに頭を動かしている。

   眠るつもりはないようだった。
   そうでなければ……あんなに、楽しそうな笑顔はできない。


ラーザリ「……~~♪」




   ――そして。
   2ヶ月という時間は、瞬く間に過ぎた。

 

―1960年 2月初頭―
―艦長室―


トビリシ「……うー……」カクンカクン

響「……トビリシ、休むなら艦に戻ってからね」

トビリシ「んー……」zzz

潜水A「くーっ……くー……」zzz

モロトヴェッツ「姉さんも、ほら……」

ラーザリ「……ガタが来てんのはみんな一緒か。
     よくまあ、あんなにはしゃいだもんだね」

ラーザリ「……私はいいから、連れて帰ってやってよ。たまにはゆっくり過ごしたいしさ」

カリーニン「……そうか。じゃあ2人とも、すまないが――」
 

ラーザリ「――カリーニンも」

カリーニン「……?」

ラーザリ「……毎日つきっきりじゃ、色々滅入るでしょ。
      今日ぐらい1人で休んどきなよ。見張り役代わってもらってさ」

カリーニン「見張り役って……お前なぁ」

ラーザリ「例えばほら…………ヴェールヌイ、とか……」

響「……え?」

カリーニン「……? まあ……お前がそう言うなら……」

カリーニン「ヴェールヌイ、どうだ? 頼めるか」

響「あ、ああ……構わないけど……」

カリーニン「すまないな、急に……トビリシは私が運んでおくよ」

モロトヴェッツ「じゃあ、おやすみなさい。……ほら、行きますよ、姉さん」
 



   カリーニンたちが、続々と部屋を後にする。
   賑やかだった艦長室には、私とラーザリだけが残った。
   青白い月明かりが、窓から私たちの間に差し込んでいる。


ラーザリ「……悪かったね、何か」

響「いや、いいんだけど……どうしたんだい? 突然」

ラーザリ「…………」

ラーザリ「……ねぇ、ヴェールヌイ。
     この基地に来て、もうどれぐらいになる?」

響「え? ええと…………13年、ぐらいかな」

ラーザリ「……13年。13年か……」

ラーザリ「……もう、そんなになるんだね……」

響「……?」
 

ラーザリ「……昼間、ジェルジネッツが1人で来てさ」

ラーザリ「何だろって思って聞いてたら……
      謝りに来たって言うんだよ、あいつ」

響「へぇ……?」

ラーザリ「……『鉄クズなんて言ってごめんなさい』、って」

ラーザリ「覚えてる? あんたがここに来たばっかりの……
     みんなで薪遊びをやったころだよ」

響「……うん」

ラーザリ「あいつ、ずーっと気にしてたらしいんだ。
     なのに、なかなか機会がつかめなかったって……」

ラーザリ「……13年もあったんだよ? もっと早く言えそうなもんだけどね」

響「……そうだね」

ラーザリ「ふふ……」

響「…………」
 

ラーザリ「…………」

ラーザリ「……もう2月でしょ。そろそろかな、って気がしてね」

響「――!」

ラーザリ「こんなこと言うと、あのバカに……またヘンに心配されそうでさ」

響「……でも……それなら、カリーニンも――」




ラーザリ「――『私だけ』でしょ? 本当は」
 

響「っ……!!」


   驚いて頭を上げ、ラーザリを見る。
   目の前には、あの見慣れた、どこか卑屈な片頬笑いがあった。


響「……知ってたんだね」

ラーザリ「分かるよ。ずーっと下向いてるんだから」
     
ラーザリ「何でも面と向かって言う奴がだよ?
      ……慣れないことはするもんじゃないね」


   窓の外に顔を向けるラーザリ。
   どこからか、小さな風の音が聞こえる。


ラーザリ「……ヴェールヌイ」

響「……何だい?」

ラーザリ「…………沈むのが怖いって、思ったことある?」

響「…………」

ラーザリ「最近ね……どうにも思い出すんだ」

ラーザリ「10年くらい前だったかな。
     潜水艦のソラクシンたちが……笑いながら解体されてってさ」

ラーザリ「それに、あいつも……カリーニンも。
      溺れたいとかなんとか言って、自分から沈んでいっちゃって」
   
響「…………」

ラーザリ「……気が付いたらさ。そのことばっかり考えてるんだよ」

ラーザリ「ヒビが入って、消えていって……顔も体も、真っ白に……」

ラーザリ「なのに……なんで、笑ってられるの? 
      なんで自分から……沈もうなんて……」

ラーザリ「私は……あんな嵐でも……もう……!」
 



   すがりつくような手つきで、毛布を固く握りしめるラーザリ。
   ちらりと見えた彼女の腕には、まだ生々しい傷跡が残っていた。


ラーザリ「…………嫌だ……」

ラーザリ「……やっぱり、嫌だよ……私は……」

ラーザリ「消えて無くなるって、どういうこと……? 
      死ぬってことと……何が違うの……」

ラーザリ「自分がいなくなるってさ……そんなに……そんなに、簡単なわけ……!」






響「――――怖かったよ」

 

ラーザリ「――っ……」


   ラーザリの動きがぴたりと止まる。
   私の次の一言を、全身で待っているようにも見えた。


響「……キス島では艦首を爆撃されて、私も海に叩きつけられた」

響「機雷に当たったこともある。せっかく直った首が、また折れてね」

響「マストをやられたときは、電源も駄目になって……目の前が真っ白に霞んだよ」

響「――何度も何度も、もう駄目だと思った。
  沈むのが怖くなかったなんて、口が裂けても言えないよ」

ラーザリ「…………」

響「……でもね、ラーザリ」

響「本当に怖くて、辛かったのは……別に、そういうことじゃないんだ」

ラーザリ「……?」
 

響「……私が傷付くたびに、誰かが死ぬ」

響「直前まで、仲間と笑い合ってた水兵さんが……
  ただの一瞬で、何も言えなくなる」

響「……まして、轟沈でもすれば……200人が一気に道連れになる」

ラーザリ「……っ……」

響「……だからね。私が、私『だけ』が消えて、それで済むなら」

響「怖いけど……でも、怖いだけだ。何も辛くはないんだよ」

ラーザリ「…………」
 



   いつの間にか、ラーザリは私を見ていた。
   唇を真一文字に結んで、何かをじっと考え込んでいた。

   彼女は、見たことのない目をしていた。
   まるで天高くそびえ立つ何かを、仰向けで見上げるような眼差しだった。


  
ラーザリ「……ヴェールヌイ……」

ラーザリ「……私、私ね……本当は……」

響「……うん」

ラーザリ「…………」
 



   そこまで言いかけて、ラーザリは毛布に潜ってしまった。

 
  
ラーザリ「……いや……いいよ、やっぱり」


響「何だい、それ」フフッ

ラーザリ「大したことじゃないからさ」

響「気になるよ。本当は何だって?」

ラーザリ「いいから! ほら……別の話しよう、別の」

響「例えば?」

ラーザリ「…………」

ラーザリ「……あんたの話」

響「……私の?」
 

ラーザリ「色々あるでしょ? 日本にいたときのこととかさ……」

響「……そんな話でいいのかい?」

ラーザリ「知っておきたくなったんだよ。
      あんたの生涯なんて話……どんな本にも載ってないしね」

響「…………」

ラーザリ「……ほら」


   身体を寄せ、ベッドを少しだけ空けるラーザリ。
   私は少し考えてから、小さく頷き、ベッドに腰かける。   



響「……そうだね……」



響「……私が……初めて、海に出たのは――――」

 




         ・

         ・

         ・


 

―数日後 埠頭―


響「…………」

   
   ドックへ向けて、1隻の巡洋艦が曳かれてゆく。
   マストは歪み、電線は千切れ、艦体のあちこちに亀裂が見える。


  「……っ……う……ひぐっ……」

モロトヴェッツ「…………」

トビリシ「……っ……」ギュッ

カリーニン「う……ぐぅっ……ううぅぅっ……!」


   最期は誰にも見られたくない。
   そう言って、彼女は1人でいることを望んだ。
   
   別れの挨拶も、あまり長くはしたがらなかった。
   私たちとは、もう十分に話したと……軽く笑いながら、私たちを帰した。
 

響「……? あれは……」


   屋根つきのドックから、雑多な金属音が鳴り始めた。
   ドックに続く海の上では、たくさんの浅黒い海鳥が、鋭い鳴き声を上げていた。


響「……ウミツバメ……」

潜水A「え……?」

響「ううん……」


   ラーザリの声が、頭の中に甦る。
   その声に合わせて、呟くように……ゆっくりと口を動かした。

 

響「……『あたかも炎の蛇のように、これら稲妻の反映は、海にもがいて消えてゆく』」

響「……『嵐だ、もうすぐ嵐が来るぞ』――」


   ――『海燕の歌』。
   ラーザリたちの姉と同じ名前の、とある作家が書いた詩だ。

   ウラジオストクに来たばかりのころ、
   ラーザリの授業で、何度も読んで……ついには暗誦できるようになった。



響「…………」


響「……ラーザリ…………」






響「…………次は……何の勉強だい……?」


 





   やがて、ドックの音は聞こえなくなった。
   けれど、ウミツバメの澄んだ声は、いつまで経っても止まなかった。
   



   港が――――少し、広くなった。


  

――
――――
――――――――


提督「…………」

響「戦ってたころは、考えもしなかったな」

響「仲間を、みんなで見送るなんて」

提督「……そうか」

響「……ラーザリと別れてから、毎日が何となく変わった気がした」

響「……最期まで、無駄にしたくないって……何だか、そんな風に思えてきたんだ」

響「退屈しのぎに眠るのも止めた。
  ……それでも、年を取ったせいで、いつの間にか寝てしまうこともあったけどね」

提督「……ああ」
 

響「他のみんなも、そんな感じだったよ。今まで以上に、一緒にいることが多くなった」

響「……たぶん、みんなも何となく感じ始めてたんじゃないかな」

響「…………もう、時間は残ってないんだ、って」

提督「…………」


響「……そして……」

響「次に、旅立っていったのは――――」


 

――――――――
――――
――
   

―1963年 4月12日―
―金角湾・海上 市街地方面―


カリーニン「……いい天気だ」

カリーニン「散歩に行くには、ちょうどいいな」


   雲一つない青空の下。
   街の船着き場に上がったカリーニンが、静かな笑顔でそう言った。

   ラーザリのときから3年遅れで、カリーニンの解体も決定した。
   この日、埠頭のドックでは……今まさに、「カリーニン」が鉄に戻ろうとしていた。


カリーニン「……どうせ最期だ、いくら遠出したって構わないだろう」

カリーニン「そう思わないか? ヴェールヌイ……」

響「……うん」
 

モロトヴェッツ「どのあたりまで行くつもりなの?」

カリーニン「……まあ、どこというわけではないんだが」

カリーニン「この街を、もっと近くから……この目で見たくなったんだ」

トビリシ「…………」

カリーニン「……トビリシ。お前が教えてくれたんだぞ」

カリーニン「お前とヴェールヌイのおかげで……
       大事なものが、やっと分かったんだ」

トビリシ「……っ……~~っ……!」

カリーニン「いい子でいろよ。他の駆逐艦たちにもよろしくな」

トビリシ「っう……ううぅ……う゛う゛う゛ぅぅ……っ……!!」

カリーニン「……バカ、なんて顔だ……」
 

モロトヴェッツ「…………」

カリーニン「モロトヴェッツ、お前にも色々面倒をかけたな」

モロトヴェッツ「……そうね。昔はずいぶん突っかかられたわ」

カリーニン「――ジェルジネッツの具合は?」

潜水D「……だいぶ、お身体が辛いみたいです。
    お起こししたんですが、寝たきりで……」

カリーニン「…………」

モロトヴェッツ「心配しないで。あとのことは、私が……」

モロトヴェッツ「ううん。私『たち』が、何とかするから」

カリーニン「……そうか。だったら、良かったよ」

モロトヴェッツ「――今まで楽しかったわ、カリーニン。
         …………マクレルやソラクシンに、よろしくね」

カリーニン「……ああ。ありがとう」
 

響「…………」

カリーニン「……ヴェールヌイ」

カリーニン「……お前には……いくら礼を言っても足りないな」

響「私は何もしてないよ」フフッ

カリーニン「馬鹿を言うな。……モロトヴェッツたちと仲良く出来たのも、
       守るべきものを見つけられたのも」

カリーニン「……全部、お前のおかげだよ」

響「…………」


   帽子を押さえて、少し目深にかぶる。
   こうも真っ直ぐに感謝されると、照れ隠しをせずにはいられない。


カリーニン「――お前がいたから、私は変われた」

カリーニン「ハリボテの愛国心なんかじゃない、本当の誇りを持てたんだ」

カリーニン「戦いらしい戦いなど、何一つせずに消えるなんて……
       昔の私なら、大声で拒んだだろう」

カリーニン「でも、今は……不思議と、少しも嫌じゃないんだ」
 
響「…………」
 

カリーニン「……ただ、まあ……もしも、次があるなら」

カリーニン「…………『今度こそは』とも、思うんだがな……」


   小さく笑うカリーニンの目から、一筋の涙が零れる。
   カリーニンは涙を拭わず、私に向かって右手を差し出す。
   その指先には、少しずつ亀裂が入り始めていた。


響「――カリーニン」


   差し出された手を、しっかりと握り返す。
   カリーニンは、じっと黙ったまま、私の顔を見つめている。


カリーニン「……ありがとう」

カリーニン「――――さよならだ、ヴェールヌイ」

響「……うん」

 


      ・
      ・
      ・

   肩を押さえたカリーニンが、街の坂道を登っていく。
   道行く人々を振り返りながら、一歩一歩、前に進んでいく。

   その様子を、私たちは海の上から見守る。


響「…………」


   カリーニンの足取りが重くなる。
   ひび割れた足を引きずりながら、それでも坂を登ろうとする。


響「……!」


   坂道は、中央広場へと続いている。
   その広場にあと少しという場所で、カリーニンは膝から崩れ落ちてしまった。
 

カリーニン「…………っ……!」


   右足が、陶器のように粉々になっていた。
   歩けなくなったカリーニン。けれど彼女は、地面を這いずってまで進み続ける。  


カリーニン「……~~っ!!」


   亀裂は既に、上半身にも広がっていた。
   何人もの通行人が、姿の見えないカリーニンにつまづいていた。


響「…………!!」
 


   とうとう、カリーニンは中央広場に辿り着いた。
   脚は膝から下が無くなり、左腕も既に砕け散っていた。

   最後の力を振り絞って、カリーニンは広場に立つ像へ寄りかかる。
   勇ましい顔で旗を掲げた、名前のない英雄の像だ。


カリーニン「…………」


   広場を行き交う人々を、カリーニンは静かに見つめていた。
   子供も、母親も、お年寄りも、兵士も……
   数えきれない人々が、カリーニンの前を通り過ぎていった。


カリーニン「――――――――」


   少し遠くて、はっきりとは分からなかったけど……
   その一瞬、カリーニンが微笑んだ気がした。


響「…………」
 





   人の流れが、カリーニンを覆い隠す。
   そして、次に雑踏が途切れたとき……もう、彼女の姿はどこにもなかった。



   ――――港が……また少し、広くなった。



 

―1964年 1月31日 夜―
―駆逐艦「ヴェールヌイ」 甲板―


響「…………」


   カリーニンを見送って、どれぐらい経っただろうか。

   自分が起きているのか、眠っているのか。
   それすらも曖昧になってきていた。


響「…………ん……」


   どこからか、金属のこすれ合うような音が聞こえる。
   私はゆっくりとまぶたを上げた。
   星の光が、私の瞳へ穏やかに入り込んでくる。


 「…………ヴェーニャ……」

響「……?」

トビリシ「…………」


   いつの間にか、甲板にトビリシが来ていた。
   その身体は、ぼんやりと光を放っているように見えた。


響「…………!」

トビリシ「……ごめんね。……そばにいってもいい?」

響「……うん……」


   トビリシが、私の隣に座る。
   互いの顔は見なかった。見てしまえば、何かが抑えられなくなる。
 

トビリシ「…………」

響「…………」


   トビリシが、私の手を握った。
   柔らかい手が、すっかり冷たくなっていた。


トビリシ「…………ねえ、ヴェーニャ」

響「ん……」

トビリシ「……なにか……歌わない……?」

響「……歌……?」

トビリシ「あの音…………あんまり、聞きたくないの……」
 

https://www.youtube.com/watch?v=FVtCLEFH43o


響「…………」

響「――『心もうつろに あてもなくさまよう』……」

トビリシ「……『あの子はどこへ行ったやら いとしいスリコ』――」

響「『夕べの城跡に 孤児らが遊ぶ』――」

トビリシ「…………『どこかにスリコが いやせぬか 忘られぬスリコ』――」


   握る手に、わずかに力がこもる。
   ぬくもりを肌に覚えさせるように、私もしっかりと握り返す。


響「…………『森のウグイスに 呼びかけた』……」

響「……『スリコの墓を 知らないか』――――」

トビリシ「……『優しいウグイス ささやいた』……」

トビリシ「『スリコのお墓は あなたの下に』――――」



   歌声が止まる。
   波のさざめきが、無慈悲な金属音を包み隠している。


トビリシ「――波の音……」

響「…………」

トビリシ「……歌が……海に……響いてるわ…………」

響「……響く……か……」

トビリシ「え……?」

響「……ねえ、トビリシ。いいことを教えてあげる」

響「こっちに来てから……誰にも言ってないことだよ」




響「――――私はね。本当は、「響」っていうんだ……」

 

トビリシ「……ヒビ……キ……?」

響「そう……“響き(звучит )”――――」

トビリシ「……それが……ほんとの名前……?」

響「……うん」

トビリシ「ヒビキ……ヒビキ……」

トビリシ「…………やっぱり……すてきね……」

響「……ありがとう」

トビリシ「……ヴェーニャって呼んじゃ……いやだった……?」

響「……ううん、嬉しかったよ」

トビリシ「…………」

トビリシ「……よかった……」
 



   波の音も、ドックの音も、遠くなっていた。
   ほんのかすかな息遣いだけが、真冬の夜にこだましていた。


トビリシ「――ヴェーニャ……」

響「…………」

トビリシ「……ありがとう……」

トビリシ「…………ともだちに……なってくれて……」




トビリシ「…………だいすきよ、ヴェーニャ……」


 





   次の朝。私は独りで目が覚めた。
   固く繋いでいたはずの右手には、もう何も握られていなかった。




   …………港が――

   ――――また、広くなった――――



 

―1964年 2月初頭―
―埠頭―


モロトヴェッツ「…………」


   粉雪の降りしきる埠頭に、モロトヴェッツが佇んでいる。
   隣には、およそ何ヶ月かぶりにディーゼルを起動した、彼女の船体が浮かんでいた。


響「みんなに挨拶はすませたのかい?」

モロトヴェッツ「ええ……あとは、あなただけよ」


   振り向いて微笑むモロトヴェッツ。

   彼女は、これからウラジオストクを去る。
   艦隊再編成のあおりを受け、別艦隊への転属が決まったんだ。

   
 

モロトヴェッツ「……姉さんのことは、ドゥバーシェたちに任せたわ」

響「私も、できるだけのことはするよ」

モロトヴェッツ「ありがとう。でも、いいのよ。
         姉さん、もう起きてる時間の方が少ないもの」

モロトヴェッツ「それに……あなたにはもう、数えきれないくらい恩がある。
         これ以上、面倒はかけられないわ」

モロトヴェッツ「……あなたは、あなたの余生を過ごして。ヴェールヌイ」

響「…………」
 

響「……ナガエヴォって、どんな所なんだろうね」

モロトヴェッツ「ここからずっと、ずっと北よ……マガダンで一番大きな港」

モロトヴェッツ「――捕虜や異端者が送られる、極東最大の流刑地よ」

モロトヴェッツ「…………私の最期には、相応しいわね」クスッ

響「……ずっと、こっちにいるんだと思ってたよ」

モロトヴェッツ「……そうね。私も、そうしたかった」

響「もう、あの頃からの仲間は……私たちだけになっちゃったからね」

モロトヴェッツ「…………」


モロトヴェッツ「……っ…………!」ギュッ
 



   端整な顔が、いじらしく歪む。
   モロトヴェッツは息を詰まらせて、私を強く抱きしめた。


響「……モロトヴェッツ?」

モロトヴェッツ「……ごめんなさい……」

響「……え?」

モロトヴェッツ「本当は……ずっと、一緒にいたかった……」

モロトヴェッツ「あなたを1人になんて、させたくなかった……!」

モロトヴェッツ「残されるなら、まだ良かったのに……!
         あなたを残して行くなんて、私はっ……!」

 



   モロトヴェッツの目尻から、隠しきれなかった涙が零れる。
   
   自分のための涙ではなかった。
   彼女は誰かのために泣き、誰かの代わりに哀しんでいた。
   

響「…………」


   だから、私も。
   彼女のために、言葉を紡ぐことにした。



響「――――大丈夫だよ。私は、ひとりでも」


 


      ・
      ・
      ・

モロトヴェッツ「――――」


   「モロトヴェッツ」が、金角湾を旅立ってゆく。
   彼女の姿が水平線に消えても、私はその場を動かなかった。


響「…………」


   ふと、空を見上げる。
   粉雪はしだいに勢いを増し、空一面を覆い尽くそうとしていた。
 

響「――――っ――」


   頬に当たった雪が、しずくとなって滑り落ちていく。
   白と灰色のまだらの空が、なぜか次第に、にじんでいった。


響(……大丈夫だよ……)

響(ここに来る前だって、ひとりだったんだ……)

響(……何も特別なことじゃない……ただ、元に戻っただけさ……)


   あまりにも静かな雪の日だった。
   広くなりすぎた埠頭には、もう誰の声も響いていなかった。

 




   『金角湾イチのインテリだよ。……自分で言うのも何だけど』


   『…………私たちの、完敗ね』


   『ねぇ、ヴェーニャ……わたし、どうすればよかったのかな?』


   『モーラさんと同じくらい、立派な武勲艦になるんだから!』


   『貴女にだって、言いたくないことぐらいあるでしょう!?』


   『こんなに、たくさん……生きているんだな』


 

響「…………」


響「……どうして……」


響「……どうして、いつも…………」


響「……みんな…………」





   それでも。

   私は、往かなくてはならない。  




   ――――私が、この世に在るかぎり。

 

――
――――
――――――――

―司令船・艦娘用寝室―


響「…………」キイッ


   司令官との話を終え、寝室へ入る。
   先に床に着いた暁たちが、穏やかな寝息を立てていた。


暁「……んー……」zzz

雷「むにゅ……しれえかん……おべんとう……」zzz

電「……くぅー……くぅー……」zzz

響「…………」クスッ


   私も寝台に寝転がり、帽子を壁のフックにかける。
   帽子に着いた金色のバッジが、暗闇の中で煌めいた気がした。


響(また……みんなに、会えるのかな)

響(……信じてみても、いいのかな……)


   毛布を被り、ゆっくりと目を閉じる。
   意識が夢の中に溶けていくのを、私はぼんやりと感じていた。

 

――――――――
――――
――

―197X年 某月某日―
―ピョートル大帝湾・カラムジナ島沖―


   西の空から、2機の攻撃機が飛んでくる。
   眩しい夕陽に目を細めながら、魚雷投下の瞬間を秒読みして待つ。


響(3……2……1……)

響(……投下)


   魚雷が勢い良く放たれた。
   2筋の雷跡が、海に浮かぶ「私」に向かってくる。
   
   無人の「私」には、回避することも、逃げることもできない。
   けれど、たとえ可能でも、しようとは思わない。
 

響(……長かった)

響(やっと……行くべき所に行ける)


   着弾。
   船体が轟音を立てて揺れた。
   
   全身に鈍い痛みが走る。
   胴に大きな穴があき、柔らかい風が吹き抜けた。


響(日本が見えたら、嬉しかったけど……)

響(……まあ、いいか……)



   「老朽化による雷撃処分」。それが、「私」の結末だった。
   敵艦はおろか、随伴艦さえいない海で、ひとり静かに沈んでいく。
  

   ――確かに、寂しい最期だった。

   
   ――けれど、寂しい生涯では、決してなかった。

響(……港……)

響(……港は……どっちだろう……)


   真っ二つに折れて、沈んでいく「私」。
   もうろうとしていく意識の中で、私はやっと、港の灯りを見つけた。


響(……ああ……灯りが、あんなに……)

響(もう……港は、夜なんだね……)


   家という家に灯りがともり、ウラジオストクに満ちている。
   宝石箱の中で輝く、無数の真珠のようだった。
   
   私がここに来たばかりの頃は、
   あんなにたくさんの灯りは無かった。

   
響「――――」


   意識が遠くなっていく。
   灯火のひとつが、ゆっくりと大きくなり、私の目の前に迫ってくる。
 

響「――――あ――」


   灯火の中には、小さな部屋があった。
   暖炉があかあかと燃え盛り、テーブルにはボルシチと寄せ鍋が並ぶ。

   そして……第六駆逐隊のみんなと、ソ連のみんなが。
   全員揃って、笑い合っていた。


   暁はスプーンをフーフーしながら、美味しそうにボルシチを食べている。

   雷はおたまを手にとって、潜水艦たちへ鍋をより分けている。

   電は絨毯に正座して、トビリシの歌に手拍子を入れている。
   

   トビリシは褒められて気を良くし、さらに生き生きと歌い踊る。

   ラーザリはウォッカをあおりながら、トビリシにロックをリクエストする。

   カリーニンは雷におかわりを頼み、潜水艦たちに文句を言われている。

   モロトヴェッツは静かに笑って、暁の口元へナプキンを指し出している。


 

響「――――…………」


   暁とラーザリが私に気付き、入ってくるよう手招きをした。
   他の仲間たちも次々に振り向き、笑顔で私を呼んでいる。



   ああ――

   ほんとうに、いい夜だ。





   
   ――――おやすみ。

 
 

https://www.youtube.com/watch?v=AijXvHDe5fM


                     【ED】


                  アンナ・ゲルマン

     『Опять плывут куда-то корабли』
              (『そしてまた、船は旅立つ』)



 



――


――――


―――――――――


 

―2015年 7月某日 朝―
―司令船・艦娘用寝室―


「――びき……響!」
 
響「ん……?」

雷「もう、やっと起きたの?」

響「ああ……おはよう」

雷「ほら、帽子かぶって! 司令官が甲板で待ってるわ!」

響「……甲板?」

暁「起床したら、すぐに集合だって。どうしたのかしらね?」

電「放送では、何かすごいものが見れるって……」

響「……?」
 

―司令船・甲板―


提督「お、やーっと来たか」

響「司令官、遅れてすまな――」タタタッ

響「――――!!」


   湿った風の吹く、夏の朝。
   甲板から見えた光景に、私は思わず息を飲んだ。


電「わぁっ……!」

雷「あれが……あそこが、そうなのね……!」

暁「へ、へっきしゅ!」

提督「……良い眺めだが、風が強いのは頂けんなぁ」
 



   分厚い雲の間から、一筋の光が差していた。
   大陸から出っ張った大地が、大小の島々と一緒に、光の梯子に照らされていた。


響「……ウラジオ、ストク……」


   東の最果て、ウラジオストク。
   忘れようもない、私の第二の故郷。


   40年あまりの時を経て、
   私は、とうとう戻ってきたんだ。


 

―???―


『――哨戒艇からの報告です。
 日本籍の中型輸送艇を、ドゥナイ沖合10kmの地点にて確認』

『予定通りだな。例の任務の方は?』

『帰還は15時の見込みですね。護衛の2人は、そのまま演習に参加させます。
 ……もちろん、旗艦のモロトヴェッツは隔離しておきますが』

『他の者には、漏れていないだろうな』

『ええ。カリーニンやトビリシでさえ、任務の詳細は知りません』

『――ならば、モロトヴェッツと、貴様だけか』

『……勘弁してくださいよ、長官。私は出世第一です』

『総司令部の事務処理艦か。臆病者には相応しいポストだ』

『…………』

『……戦場に立ちたくないなら、引き続き自分の責務を果たせ。
 仲間であろうと、旧友であろうと、決して監視を怠るな』



『――――分かったな。ラーザリ・カガノーヴィチ』

『……ええ』

 
 





      Верный Владивостока

         ―ウラジオストクのヴェールヌイ―



             【Берётся】
                ―開幕―


 

今回で過去編は終了です
今まで読んでくれたみんな、ありがとうね

諸事情で忙しくなってきたので、これからは更新のペースがさらに落ちそうです
でも絶対完走するので、どうか気長にお待ちください

>>1です。色々重なって現代編が未だ手付かずです
5月初頭ぐらいになればぼちぼち時間が取れるので、どうかもう少しお待ちください






     信じるのだ。こんなちっぽけな人間でも、
     やろうとする意志さえあれば、何だって出来るということを。


                      ――マクシム・ゴーリキー(1868~1936)



 

―2015年 7月某日―
―ピョートル大帝湾・深海―


 ポーン…

           ポーン…


  『――観測地点、Я25に到達。現在、深度2350――』

  『前日データと比較し、対象117、119から124、126が消失。
   現在の放射線量、毎時――』

  『……ッ――!!』ゴボッ


 


      ・
      ・
      ・

―海上―


   ザバァン!

  『っぐ……はぁ……はぁ……!』

  『モロトヴェッツさんっ!』

  『敵襲か!? くそっ、例の島まで一時撤退を――』

  『構わないわ……気付かれただけ。耐圧服もレコーダーも無事よ……』

  『だが!』

  『……観測地点は、あと1つ。手早く終われば……すぐに帰れるわ……
   大丈夫よ……私なら……大丈夫……』
 
  『っ……!』ギュッ

  『カリーニン……ごめんなさい、肩を……』

  『……くそっ……!』

 
 





  『ああ……でも……』



  『――ヴェールヌイ……
   こんなとき……あなたがいてくれたら…………』



 





             эп.7


   Возвращение Феникса 

          ―不死鳥、帰る―



 

―日本司令船 艦長室―


提督「――ええ、無事に寄港しました」

提督「暁改二、ヴェールヌイ、雷改、電改。
   4隻とも、身体・艤装ともに、何の異状もありません」

司令(電話)『そうか。無事な航海で何よりだ』

提督「あと少し遅れていたら、低気圧の中を突っ切っていたかも知れません」

提督「こちらに到着してから、少しずつ気候が崩れ始めましてね」

 

司令『午後には北へ通り過ぎるはずだ。演習に支障はなかろう』

提督「ええ。……ところで、指令通り、金庫も開けましたが……この封書は?」

司令『…………』

提督「司令?」

司令『……あちらの司令官に渡してくれ。
   向こうの許可が下りるまでは、絶対に中身を見るな』

提督「それほど熱いラブレターですか?」

司令『国家機密に関わるものだ。いいか、必ず未開封のまま渡せ』

提督「……了解。ああ、それと」

司令『何だ?』
 

提督「土産はこちらで選んでもよろしいでしょうか? 司令には伺っていなかったもので」

司令『…………』

提督「マトリョーシカなんてどうでしょう。
   ちっとベタな気もしますがね、きっとお孫さんにも喜ばれますよ」

司令『……少佐』

提督「は」

司令『――悪く、思わないでくれ』


 ブツッ ツーツーツー…


提督「…………?」

 

―ウラジオストク・埠頭―


 カツッ、カツッ…


響「…………」


   タラップを降りて、40年振りにウラジオストクの地を踏む。
   空は曇り、風はやはり冷たい。


雷「遅いわよ、しれーかん! 早く早く!」

提督「悪いな、電話入れる用があってさ」

暁「け、結構立派なビルディングね……あんまり基地っぽくないけど」

電「あ……本当だ、あんまり寒くないのです」


   懐かしい風が、薄手のコートをはためかせる。
   寄港の直前に船内で着た、姉妹おそろいの耐水コートだ。

   私のは白、暁は藍色。雷と電には、それぞれ濃いめと薄めの茶色。
   ロシアの冷夏には相応しい装いだ。
 

響「……見違えたね」


   金角湾に架かる巨大な橋。新旧の建物が綯い交ぜに並ぶ市街地。
   そして、ソビエト時代とは似ても似つかない、無機質な艦隊司令部。

   見覚えがあり、そして見知らぬ港。
   ――ほんの少しだけ、めまいを覚えた。


暁「! み、見て司令官! 軍艦があんなに……!」

提督「ああ、駆逐艦とかコルベットだな」

電「こるべっと?」

提督「対潜用の小型艦だよ。
   ……しかし、どの船もガタが来てるな。もう長いこと動いてないみたいだ」

雷「そうなの? あそこにあるのとか、ちょっと綺麗だけど」

暁「……ちっちゃい艦ね。艦橋にてるてる坊主がくっついてるわよ」

提督「レーダーだよ、レーダー」

 



 ザッザッザッザッザ…


響「っ……!?」クルッ


   姉妹全員と提督が、揃って埠頭に降り立った、その時。
   基地の方角から、何重もの足音が聞こえてきた。


中隊「――――」ザッ!


   能面のような顔をした、年端もいかない少女たちの集団だった。
   黒地に灰色や緑が入ったボディースーツ。耳や首には機械を取り付けている。
   
   そして全員が、まるで自動小銃の形状に無理矢理落としこんだような、
   小ぶりな単装機関砲を携えていた。

 

電「えっ……え……!?」オロオロ

提督「慌てるな。出迎えだよ」

雷「……艤装、よね? あれ」

暁「じゃあ、あの子たち……」

響「――М型だよ。あの服の色……間違いない」

響「ソ連の潜水艦の艦娘だ……!」
 

中隊「――――!」ザザッ!


   隊が2列に分かれ、司令部から続く道の両側に並んだ。
   互いに向き合った潜水艦娘たちが、一糸乱れぬ動きで「捧げ銃」を披露する。

   そして、その中央を……
   1人の将校が、数人の男性随伴兵を連れて、ゆっくりと歩いてきた。


?「…………」


提督「…………」ピシッ!

第六駆逐隊「――!」ピシッ!


   力強く敬礼する司令官。
   上官の敬礼に気付いた私たちも、姿勢を正し、一瞬遅れて敬礼する。

 

?「…………」スッ


   流れるような動作で、将校が返礼した。
   黒い軍服の肩には、3つの星印が平行に並んでいる。

   見た目の年齢は60歳ほど。
   けれど、ぴんと伸びた背筋と厚い胸板に、壮年のような若々しさが宿っている。

   眉間や目尻には、クレバスのようなシワが刻まれていた。
   白い官帽の下からは、ぎょろりとした目が覗いている。
   口周りと顎は、もみあげから延びた灰色の髭に、すっぽりと覆われていた。


響(……手ごわそうだ)


   生粋の軍人の顔だった。吹雪だろうと氷海だろうと、
   あらゆる障害を、その身ひとつで割り進んできた人間の顔だ。



「」……日本語
『』……ロシア語
【】……英語
  


提督【――海上自衛隊、自衛艦隊第一艤装艦兵隊群、第六駆逐隊司令官。
    ■■特例少佐です】

提督【本日一○○○より、日ロ合同演習、
   『モスト・ナ・ヴォストーク』に参加いたします】

?【――ロシア太平洋艦隊司令長官、●●大将だ。貴国の協力に感謝する】

長官【……貴艦隊は、ヨコスカチンジュフの所属と聞いていたが】

提督【あくまでも通称ですよ。司令部が横須賀にあるもので……】

提督【もっとも、内部でさえ通称が主流ですがね】

長官【…………】
 



   長官――ロシア太平洋艦隊のトップが、私たちをじっとりと睨む。
   品定めをするかのような視線が、私の目と合い、そして止まった。


長官【“それ”が、「ヴェールヌイ」か】

提督【……ええ、“彼女”です】

響「…………」

長官『ロシア語は?』

響『……忘れてはいないよ』

長官『――そうか』

 

長官【長旅、御苦労だった。
   貴官らには部屋を用意してある。後ほど部下に案内させよう】

提督【――ご厚意、痛み入ります。しかし私は、部下たちの手前もありますので……】

長官【司令船の乗員にもだ。
   貴官を含めた28人、及び艦娘4隻分。その程度の空きは十分にある】

提督【……恐縮です】

長官【艦娘の部屋は、我が方の秘書艦に案内させる。…………】

響「……?」

 

長官『……二等兵曹、奴は?』

随伴兵『は、ハッ! それが先程、洗面室へ……』

長官『……何だと?』ピクッ

随伴兵『その、最後にもう一度、化粧を確認するのだと……』

長官『…………』

提督【――長官?】

長官『……弩阿呆が。
   すぐに連れ戻せ。いいか、首根を掴んででも――!』




  『――そう急かさなくたっていいでしょう、長官』

 

提督「!」

響「――っ!」


   聞き覚えのある、どこか艶っぽい低めの声。
   長官たちの背後から、ゆったりとした足音が響いてくる。


長官『……遅れるなと厳命したはずだ』

  『承知してます。ですが、どうにも目のクマが気になりましてね』

  『他国の公人をお迎えするんです。秘書艦が見苦しくては、いい笑い者でしょう?』

長官『…………』

  『それに……何せ、50年ぶりですからね』

  『旧友には、少しでも良い顔を見せたいじゃありませんか』

 

響「あ……あぁ……!」


   士官風の服装、斜に構えた物腰。
   後ろで緩くまとめ上げた、少し癖のある栗色の髪。

   声の主が、私を見て、ゆっくりと目を細める。
   そして、次に聴こえて来たのは……あの時と同じ、流暢な日本語だった。



  「ふふ……悪いね。せっかくの再会なのに」


  「気の利いた言い方……何も、思いつかないよ……」



ラーザリ「本当に――――おかえり、ヴェールヌイ」


響「……ラーザリ……ラーザリっ!!」

 



   思わず駆け寄って、ラーザリの胸に飛び込む。
   かつて、艦娘として第二の生を受け、姉妹たちと再会したときのように。

   ラーザリは少しだけ困ったように笑い、私の頭をポンポンと撫でた。
   手のひらの感触からは、かすかなぬくもりが伝わってくる。


響「よかった……やっぱり、艦娘になってたんだね……!」

ラーザリ「……あいにく、タチの悪いのに叩き起こされてね。
     あの世暮らしの計画がパーだよ」

響「でも、それでも……こうやって、また……!」

ラーザリ「しっかし、えらく大胆になったね。……いや、昔っからそんな感じか」

響「え? ……あ――」バッ

長官『…………』


   ラーザリの一言で、ここが公の場だったことを思い出す。
   慌てて抱きついた身体を離し、姿勢を正した。
   長官の冷ややかな視線が突き刺さる。
 

響「…………」チラッ


暁「……ぅ……」グスッ

雷「……うん、うん……」

電「ふふっ……」

提督「…………」ニマニマ


響「うぅ……」


   姉妹たちの生温かい眼差しに、顔が火照っていくのを感じた。
   帽子を目深に被り直し、気恥ずかしさをやり過ごす。

   ラーザリは提督の方へ向き直って、素早く敬礼した。
   昔よりも、多少は誠実な敬礼になっていた。

 

ラーザリ「太平洋艦隊秘書艦、巡洋艦「ラーザリ・カガノーヴィチ」です」

ラーザリ「長官より、艦娘の皆様のお世話役を仰せつかりました。
     短い期間ですが、どうかよしなに」

提督「こちらこそ、よろしく頼みます。
   ……あなたのことは、響から色々と伺いました」

ラーザリ「情けない話ばかりでしょう。お恥ずかしい限りです」
 
暁「ほ、ほんとに日本語ぺらぺらだわ……」ボソッ
 

ラーザリ「…………」チラッ

暁「っ……! あ、あの……」

雷「初めまして! みんなのお姉さん、雷よ!」

電「い、電と申します。お会いできて、その、光栄なのです!」

暁「ちょ、ちょっとぉ! 最初は私でしょ!?」

暁「――こほん。特Ⅲ型駆逐艦、1番艦の暁よ。
  ご丁寧なご歓迎、レディーとして感謝を表させていただくわ」

ラーザリ「……? 『表する』だけでいいんじゃない?」

暁「えっ……!?」

雷「……暁、こういうときまで無理しなくていいのよ?」

暁「む、無理って何よ! その目やめて!」
 

ラーザリ「……あーらら、まーた賑やかな……」

響「……ごめんね、何だか」

ラーザリ「可愛げがあっていいんじゃない? あんたと違ってさ」フフッ

響「む……」

ラーザリ「……そっか。この子らが……『あの』姉妹か」

提督「……?」
 

響「――そうだ、ラーザリ。他のみんなは?」

ラーザリ「え……?」

響「君が艦娘になってるんだ。他のみんなもそうじゃないのかい?」

響「トビリシにカリーニンに、モロトヴェッツたちも……
  みんな、元気でやってるかな?」

ラーザリ「…………」


   その一瞬。
   ラーザリの頬が、ほんの少しだけ強張った。


 

ラーザリ「……そうだね。あの頃の馴染みは……みんな、ここにいるよ」

響「! よかった……なら――」

ラーザリ「…………」
     
長官『……ラーザリ。立ち話も結構だが』

ラーザリ『――ッ! ……申し訳ありません』

響「……ラーザリ……?」

 

ラーザリ「……まあ、まずはさ。部屋でゆっくり休みなよ」

ラーザリ「あんたのために、一番いい部屋を用意したんだ」


   片頬を上げる、懐かしい薄ら笑い。
   けれどそれは、今まで見たどの笑みよりも……苦々しく、脆く感じられた。


長官『…………』



   しだいに強まっていく風が、肌にじっとりと付きまとう。
   まだ、雨は降り出していない。

   
  

長らくお待たせして本当に申し訳ない
前半終了です 後半はおよそ1週間以内に

現代編も全6話の予定ですが、全体的な分量は過去編よりも少なくなります


ロシア長官の外見は、『レッド・オクトーバーを追え!』のラミウス艦長のイメージ
ショーン・コネリーほんとすき
http://nagamochi.info/src/up159087.jpg

―数十分後―

―基地内部 応接室―


提督「…………」

長官【――気になるか? それが】

提督【……八端十字架、正教会のシンボルですか】

長官【母の遺品だ。死後に家を取り壊した際、床下から見つかったものだ】

長官【私の家系は代々、この街で司祭を務めてきた。
   ……祖父の代までな。父も後を継ごうとしたらしいが】

提督【しかし、失礼ですが……上下が逆では?】

長官【私は、そんなものには縋らん】

提督【…………】
 

長官【……葉巻は?】スッ

提督【いえ、結構です】

長官【殊勝なことだな】シュボッ

提督【……こちらの内装は、長官ご自身が?】

長官【殺風景かね?】

提督【とんでもありません。シックで品格のある、素晴らしいご趣味をお持ちですよ】

長官【飾り立てるのは気に食わん。部屋にしても、言葉にしてもな】

長官【――ロシア語ならば、多少の世辞でも聞いてやったが】

提督『…………』

提督【……不勉強、恥じ入るばかりです】

長官【……フン……】
 

提督【……先程は、大変驚きました。
   あれほどの人数の潜水艦娘は、横須賀でも見たことがありません】

長官【……あの程度、最低限の資源でいくらでも量産できる】
   
長官【事実、半数以上の潜水艦に、2,3体のスペアが存在する。
   貴国での駆逐艦、巡洋艦と同様にな】

提督【……同名艦の複数保有。艦娘ならではの運用法です】

長官【だが、重要なのは数ではない。――種類だ。その点、貴国には遠く及ばん】

提督【ご謙遜を……】

長官【謙遜なものか。貴国の手口にはつくづく感銘を受けている】

長官【機動部隊に水上打撃部隊、水雷戦隊、そして潜水艦隊……】

長官【あらゆる用途の艦娘部隊を柔軟に編成し、世界中の沿岸国に派遣する】

長官【――生半な技術協力、安全保障と引き換えに、
   『条約』を結ばせ、資源提供を確約させた各国にな】

 

提督【……お言葉ですが、『横須賀条約』はそのような物ではありません】

提督【深海棲艦への、唯一の対抗手段たる艦娘……。
   その国際的運用、建造、保護のルールを明確に規定すること】

提督【そして、締約国間での国際協力によって深海棲艦に対処すること。
   それだけが目的の条約です】

長官【…………】

提督【海外派遣や資源のやり取りも、条約の範囲内で許可された、
   国際平和のための手段に過ぎない】

提督【――決して、それそのものが目的ではありません】

長官【理念はそうだろう。だが実態はどうだ】

長官【深海棲艦との開戦によって、海軍・海兵隊の6割を失った――】

長官【あの『世界の警察』に成り代わる気は無いと、本当に胸を張って言えるのか】

提督【…………】
 

長官【――無駄話が過ぎたな。本題に移るとしよう】

提督【……分かりました】スッ

提督【こちらの封書です。お受け取りください】

長官【…………】ピスーッ

長官【…………】パラッ

提督【……失礼ですが、批准書の類でしょうか】

長官【国家機密と聞いていないのか?】

提督【……申し訳ありません。ただの好奇心です、お忘れください】

長官【…………】
 

長官【心配せずとも、あのような条約……
   あの方には、批准どころか署名の意志さえ無い】

長官【――そんなものより、遥かに良い条件を得たのだからな】ニヤッ

提督【……と、おっしゃいますと……】

長官【……いいだろう。知らせたところで何も変わらん】

長官【日本語の正文なら読めるだろう】スッ

提督【…………?】





提督【……ッッ――――!!】

 

―基地内部 艦娘居住区―


響「――そうか。みんな任務に……」

ラーザリ「そうそう、ちょーっとばかし間が悪かったね」


   ラーザリの案内で、基地の廊下を進んでいく。
   その道すがら、昔の仲間たちが、今は出払っていることを知った。


ラーザリ「ま、どうせ夜には会えるし、演習には2人とも参加する」

ラーザリ「良かったじゃない、挨拶考える時間ができてさ」

響「2人?」
 

ラーザリ「……トビリシとカリーニンに決まってるでしょ。対潜演習なんだから」

響「相手役も要るだろう? モロトヴェッツは……」

ラーザリ「……あいつは、ほら……色々忙しいからさ」

ラーザリ「別件の任務やら何やらで、演習には参加できないんだ」

響「……え……」

ラーザリ「……何せ、うちで一番の働き者だしね」

ラーザリ「栄えある第一艦隊旗艦。相変わらずのリーダー格だよ」
 

電「あれ? 秘書艦だったら、ラーザリさんが旗艦じゃ……」

ラーザリ「ああ、そっちじゃみんな兼任してるんだっけ。
     うちの艦隊じゃ、秘書艦と第一艦隊旗艦は別々に置かれてるんだ」

雷「へぇーっ!」

暁「でもいいの? 艦娘のリーダーみたいなものでしょ? 秘書艦って」

雷「そうそう! 海でも陸でもみんなをまとめる、とっても重大な仕事なのよね!」

ラーザリ「……ま、『そうならない』ようにしてるんでしょうよ」

雷「……?」
 

電「…………」チラッ

響「?」

電「……扉、けっこう開けっぱなしですね」

響「そうだね。……そのあたりは緩めなのかな」

電「……さっきのお部屋、お酒のビンが何十本も……」

響「……案外、駆逐艦だったりしてね」

電「――あ! 那珂ちゃん!?」

響「えっ? ……ああ、本当だ、ポスター……」

電「CDもあんなに……すごいなぁ、ロシアにもファンの子がいるんだ」

響「教えてあげたら喜ぶよ………… ん?」
 

電「……響ちゃん?」

響「いや、ほら……あそこの部屋」


   ふと、片隅の一部屋に目が留まる。
   扉の形や色合いは、他の部屋と何一つ変わらない。


歩哨A「…………」

歩哨B「…………」


   ただ、一点だけ異なる点があった。
   2人の無表情な潜水艦娘が、警棒を携え、扉の両脇に立っていたことだ。


電「……?」

響「あれは……」

 

ラーザリ「――レディーってんなら、まずは教養だね、教養」

暁「お勉強ってこと?」

ラーザリ「知性ってのは大事だよ? クレオパトラもエカチェリーナ2世も、
     語学の天才だったから君主でいられたんだ」

暁「え、えかち……?」

響「――ねぇ、ラーザリ」

ラーザリ「ん?」

響「あそこの部屋は? ずいぶん厳重だけど」

ラーザリ「――! あ、ああ……」

ラーザリ「……ちょっと具合の悪い奴がいてね。あそこで休ませてやってるんだよ」
 

電「え……ドックじゃなくていいんですか?」

ラーザリ「……疲れが溜まってるだけだしね。でも、どうにも血の気の多い奴でさ……」

ラーザリ「ああして歩哨でも立ててないと、勝手に抜け出して出撃するんだ」

暁「へぇー……」

雷「どこにでもいるのねー、天ちゃんみたいな子」

ラーザリ「…………」

響「…………」

 


      ・
      ・
      ・

ラーザリ「……さて、お待ちどうさま」ガチャッ

暁「わぁっ……!」


   他の部屋のものとは一線を画す、上品な木製の扉。
   
   ラーザリに促され、足を踏み入れて見れば、
   扉の造りにたがわぬ豪華な空間が広がっていた。


ラーザリ「……マホガニー製の机と本棚、正真正銘のホンジュラス産だよ」

雷「へえぇ……」コンコン

ラーザリ「壁紙は無地のクリーム色。シンプルが一番と思ってね。
     近所の業者に頼んだけど、結構悪くない腕じゃない?」

暁「わぁー……わぁー! すっごい! 横浜のホテルみたい!」キャッキャッ

ラーザリ「カーテンは……少し地味だったかね」

ラーザリ「ま、気に入らないならいつでも言ってよ。
     秘書官の言うことなんだ、多少は融通が利くし……」
 

電「あ、窓開けてもいいですか?」

ラーザリ「ん、埃っぽかった?」

電「ううん、そこまででもないんですけど……」ガチャッ


 ヒュォォォォォォ…

     ギィッ… ギィッ…


ラーザリ「――ッ……!!」ビクッ

電「ひゃっ!」

雷「風、出てきたわね……」

暁「閉めたほうがいいんじゃない?」

電「は、はい……」バダン
 

ラーザリ「…………」

響「……ラーザリ?」

ラーザリ「……え? あ、ああ……」


   血の気の引いた顔で、
   自分の袖口を握りしめているラーザリ。
   

響「…………」


   どうやら、彼女の傷は……
   まだ、完全に癒されてはいないらしい。

 

雷「……あれ? ラーザリさん、ベッドは?」

ラーザリ「え?」

雷「ベッドよ。この部屋、ひとつしかないじゃない」

暁「え? このおっきいので全員寝るんじゃないの?」

電「うーん……それだとちょっと狭いかも……」

響「……言われてみれば……」


   確かに、ベッドはひとつきりだった。
   
   大きさ自体は申し分ない。
   大人が両手両足を広げて寝転んでも、なおスペースが余るほどの広さだ。
   私たち4人が一緒に寝るのも、けっして不可能ではないだろう。

   けれど、その上に乗っている枕はひとつだけ。
   1人分の寝台として、用意されたことは明らかだった。

  
 

ラーザリ「ああ……言ってなかったっけ。
     アカツキたちはさ、ほら、向かいの部屋の……」

暁「ええーっ、向かい?」

ラーザリ「大丈夫大丈夫、ベッドはちゃんと人数分置いてるから」

雷「そ、そうじゃなくって……どうして響だけ別なのよ!」

ラーザリ「……ああ、そうか。寂しくなるからね。そりゃあそうだよ……」

雷「……え?」

ラーザリ「分かったよ。向こうの部屋に、もう1個ベッド用意しとくからさ」

ラーザリ「ヴェールヌイ。せっかくだし、演習中はそっちの部屋で……」

響「ちょ、ちょっと待って……さっきから、どういう……」

ラーザリ「どういうって……何も聞いてないの?」
 






ラーザリ「――ヴェールヌイ、うちに戻ってきてくれるんでしょ?
      この演習が終わったら……」



響「――――え……――?」




  

―応接室―


提督「……ッ……」ワナワナ

長官【…………】

提督「……≪本演習の終了をもって……≫」

提督「≪日本国海上自衛隊、第一艤装艦兵隊群所属……≫」

提督「≪個体番号A-80440、駆逐艦「ヴェールヌイ」は……≫」

長官【…………】

提督「≪ロシア製の艤装艦兵と認可し、同国に返還するものとする≫――!?」

長官【…………】フーッ
 

提督「ふ……」

提督「ふざけるなッ! こんな……こんなことがっ……!」

長官「おや……よろしくない、口振りだな」

提督「ッ――!?」

長官【……そのまま続けて構わんぞ。日本語でも聞き取るぐらいはできる】

長官【話すのは少し、骨が折れるが】

提督【…………】

長官【――本当に、何も知らされていないらしいな】
 

提督【……こんな……こんな約定の、どこに理があると……!】

提督【横須賀条約の非締約国には――!
   艦娘および装備の譲渡、その一切が禁じられているはずだ!】

長官【よく読むといい……どこに『譲渡』などと書いてある?】

提督【――ッ!】

長官【勘違いするな。『返してもらう』のだよ】

長官【「響」などというフネはともかく……】

長官【「ヴェールヌイ」という駆逐艦は、
    1947年の7月以来、確かに我々の所有物だ】

提督【――はなはだしい詭弁です】

提督【艦娘の所有権は、オリジナルの建造を計画した国家、
   ならびにその継承国と規定されて――】

長官【貴様らの勝手な条約で決めたことだろう?
   我々まで従う義は無いはずだ】

提督【…………】ギリッ
 

長官【――そして、何より……】

長官【貴様がいくら屁理屈を捏ねても、この署名までは取り消せん】

提督【っ――】

長官【外務大臣に防衛大臣、そして……】

長官【……よもや、日本人でこの名を知らぬ者はおるまい?】

提督【…………】

長官【……哀れな話だ。一国の佐官が、ただの運び屋とはな】

長官【だが、それが貴様の任務だ。せいぜい腹を括るがいい】
 

提督【……何故だ】

長官【…………】

提督【どうして……そこまで響を】

長官【――防衛力の強化。それ以外にあるか?】

提督【…………】

長官【…………】

提督【……説明や確認の時間が欲しい】

提督【演習終了まで、時間を頂けますか。――書面通りに】

長官【……フン……】

 

―艦娘居住区―


暁「どういうこと!? 響がロシアに残るって!」

ラーザリ「いや、だから……」

雷「誰!? 誰がそんなこと言いだしたのよっ!」

ラーザリ「ちょ、ちょっと! ……本当に? 本当に何も……?」

電「司令官さん……! 司令官さんは、何て……!」

響「…………」


   ウラジオストクに、太平洋艦隊に戻る。
   他の誰でもない、この私が。

   ラーザリに突きつけられた言葉が、延々と頭の中を駆け巡っている。
 

ラーザリ「……ヴェールヌイ……その……」

響「……説明は……」

響「して、くれるんだよね……ラーザリ……?」

ラーザリ「……っ……」


   ラーザリに詰め寄る姉妹たち。
   高貴な部屋が、瞬く間に喧騒で満ちる。

   ――――その時だった。

 



 ビィィ――――ッ!!

                 ビィィ――――ッ!!!


響「っ!?」

暁「け、警報……!?」

ラーザリ「――まさか……!」

 

―応接室―


 ビィィ――――ッ!!

                 ビィィ――――ッ!!!


提督「……これは……!?」

潜水A『失礼します! 長官っ!』ガチャッ

長官『――!』

 

―司令室―


ラーザリ『長官! いったい……』バダン

響「――! 司令官……」

提督「! ひ、響……」

 『ザ、ザザ……ガガッ……ビィーッ……』

長官『こちら司令部! 状況を報告せよ! 繰り返す――』

 『……ちら……艦隊……リーニン……! 現在……型敵性艦と交戦……!』

ラーザリ「……!」

響「――っ!」


   スピーカーから、雑音だらけの声が響く。
   ひどくひび割れてはいるけれど……あの忘れようもない、よく通る声。


響「カリーニン……!?」

暁「え……!?」
 

 『……ちら……令部……司令部! 応答願う! こちら――』

長官『こちら司令部! 敵襲か!』

 『ッ! こちら第1艦隊、カリーニン! 
 現在、レイネケ島南東20キロの地点で、敵潜水艦隊と交戦中!』

提督「――!」

長官『何だと……!』

 『敵艦隊の襲撃により、旗艦のモロトヴェッツとは交信不能! 消息も不明です!』

 『敵は新型含む潜水艦3、重巡1、軽巡2! 加えて、敵の新型は、頭――』
 



   ――次の瞬間。
   スピーカーの向こうで、おぞましい爆発音と悲鳴が上がった。


 『いやああぁぁぁぁっ!』

暁「!」ビクッ

 『トビリシっ! 駄目だ、早く……がっ――!』

響『――!? トビリシ! カリーニンっ!』

電「……っ……!!」
 

 『ザッ……ザザザッ……ブツッ――』

長官『…………』


   呼び掛けも虚しく、交信は雑音を残して途絶えた。
   ラーザリも、司令官も、姉妹たちも……
   あまりの出来事に、呆然と押し黙っていた。


響「…………」


   ……けれど、
   いつまでも黙っているつもりはなかった。

   少なくとも、この私は。

 
 



響「――司令官……!」


提督「…………」コクッ



   黙っていれば、全てが通り過ぎる。
   ――そんな時代は、もう終わったんだ。

   もう、何もかもが、あの頃とは違う。




     【Продолжение следует............】

7話終了 8話はまあ何とか1週間以内に
今回から各話終了後にちょっとおまけ付けます

★用語プチ解説

【八端十字架】
ロシア正教会やスラブ系正教会で頻繁に使われる十字架の形状。
「十字架」と言えば、その名の通り「十」の形をしたラテン十字が最もポピュラーだが、
八端十字架は「十」の形にさらに2本横棒を足した形。
一番下の横棒は、上の2本と比べて右下がりになっており、
これはキリストの処刑時に置かれた「足台」を表しているという。


【横須賀条約】
深海棲艦、および艦娘出現より数年後、日本を中心とした先進国・沿岸国間で締約された条約。
ドイツ、イタリア、アメリカを始めとした友好国、そして深海棲艦による被害を受けた沿岸国に対して、
艦娘の建造、国際的運用、そして人道的待遇についてのルールを規定した。

締約国同士での技術・資源の相互提供、
対深海棲艦を目的とした場合のみの海外派遣の許可、
艦娘を「国有財産」かつ「人格的存在」として最大限保護すること、
そして国家間戦争における戦力としては決して艦娘を使用しないこと、などを確約させている。

正式名称は「艤装艦兵の建造・国際的運用および人道的待遇に関する条約」。
 

★ソ連艦ずかん(1)


「привет! 私、トビリシっていうの。嚮導駆逐艦のトビリシ!」


【嚮導駆逐艦「トビリシ」】 Тбилиси

ミンスク級駆逐艦 3番艦。
名前の由来は、グルジア(旧グルジア・ソビエト社会主義共和国)の首都・トビリシ。


【経歴】
1935年1月15日、ウラジオストクのダルザヴォド工廠にて起工。
1939年7月24日に進水し、太平洋艦隊所属となる。
1945年の満州侵攻に際しては、朝鮮の羅先へ海軍のライフル大隊を輸送した。

1950年から55年にかけて大規模な近代化改修を受けるが、
さすがに老朽化を止めることはできず、1958年に標的艦となり、非武装化された。
その後、1964年1月31日に除籍され、解体。およそ30年の生涯を終えた。


【余談】
駆逐艦隊を率いる嚮導艦として建造されただけあり、
基準排水量2150t(陽炎型より少し重い)、最大速力40.5kt(島風並み)と、
当時のソ連製駆逐艦としては結構なハイスペックだった。
しかし、結局戦闘を経験することはなく、高い性能を活かせないまま終戦を迎えた。
 

今回ここまで

艦娘がダブるってことは、
ひとつの艦霊から複数の艦娘がうまれる世界観ってことなの…?

>>681
そういう世界観設定で書いてるよ
後々劇中でも、もうちょっと触れるのでお楽しみに

結局2週間かかっちゃってスンマセンっした
8話前半投下します

―艦娘用居住区―
―封鎖個室前―

 ビィィ――――ッ!!

                 ビィィ――――ッ!!!


歩哨艦娘A『ちょ、ちょっと……どうしたって言うの!?』

歩哨艦娘B『あ、集まった方がいいのかな?』


 タッタッタッタ…


潜水B(マクレル)『っ……!』

歩哨艦娘A『あ、マクレル! 何なのよ、これ!』

潜水B『緊急出撃よ!』タッタッタ

歩哨艦娘B『見りゃ分かるわよ! そうじゃなくって――』
 

潜水B『うっさいわね! 
    警報が鳴ったら、特務大隊(スペツナズ)は問答無用で集合なの!』

歩哨艦娘B『出撃してたの、確かモーラさんたちよね!?』

歩哨艦娘A『もしかして、モーラさんに何か……』

潜水B『っ――!』チラッ


扉『――――』


潜水B『い……いいから、あんたたちは持ち場を離れないで!』

潜水B『あの子に何かあったら、タダじゃおかないわよ!』タタタッ

歩哨艦娘A『あ、ちょっと……!』
 

―封鎖個室 室内―


?『…………』

?『…………警報……?』

?『……どうしたの……かな……』


 『出撃してたの、確かモーラさんたちよね!?』
 
 『もしかして、モーラさんに何か……』


?『…………』

?『……え……』

?『…………お姉……ちゃん…………?』

 




 
               эп.8


      Разделение снова
   
             ―別離再び―



  

―司令室―


響「――司令官……!」

提督「…………」コクッ


   私の意図に気付いたのか、司令官は何も言わずに頷く。
   深刻な顔の姉妹たちも、私の周りへ寄り添うように集まる。


電「響ちゃん……」

響「!」

雷「……敵襲、なのよね?」

響「……第1艦隊だよ、モロトヴェッツの……」

暁「っ!!」

響「モロトヴェッツは行方不明で……
  カリーニンとトビリシも……無事かどうか……」
 

暁「そ、そんな……!」

電「助けに……早く助けに! 響ちゃん!」

響『……ラーザリっ!』

ラーザリ『ッ!』

響『救援部隊に随伴の許可を! 私たちも……』

長官『――駄目だ』

響『……!』


   私たちを見下ろしながら、長官が冷酷に言い放つ。
   まるで、脳天に氷のくさびを打ち込まれたようだった。


長官『第1艦隊の回収は、我々の特務大隊が行う』

長官『貴様らの出撃は、断じて許可できん』

ラーザリ『な――!』

響『どうして……!』
 

長官『どうしてだと? 少し考えれば分かるだろう』

長官『我が国の領海、および経済水域内で……
   他国による軍事行動を認めるわけにはいかん』

響『……!』

ラーザリ『で、ですけどね、長官! 敵は潜水艦隊でしょう……!』

ラーザリ『こちらにはもう、まともに戦える水上艦は……!』

長官『まともに戦り合う必要などない。目的はあくまで、第1艦隊の回収だ』

長官『たとえ虫の息でも、戻りさえすれば、「ルースキー」の艦載ドックで修復できる』

長官『その後、改めて水雷戦隊を編成し、敵艦隊を迎撃すればいい』

響『そんな悠長なことを……!』
 



 ピリリリッ! ピリリリッ!


長官『…………』カチッ


   無線のコール音が鳴り響く。
   長官は私を一瞥し、操作盤を弄って音声を繋ぐ。
 

 『司令部、こちら「ルースキー」! 第8特務大隊、集合完了! どうぞ』

長官『了解、作戦概要は追って伝える。その場にて全員待機せよ。どうぞ』

 『了解、交信終了!』ガチャッ

長官『…………』クルッ

長官『……貴様らの手を借りずとも、我々には優秀な部隊がある』

長官『これは我々の問題だ。我々だけで解決させてもらうぞ』

響『……っ……』
 

雷「……ら、ラーザリさん? 長官さんは何て……」

電「早くしないと、ロシアのみなさんが……!」

ラーザリ「え、あ……いや……」

長官『……ラーザリ』

ラーザリ「!」ビクッ

長官『何をしている。客人を丁重に部屋までお返ししろ』

長官『……それとも、貴様も海に出たいか? この時化の中で』

ラーザリ「…………」

暁「ねえ、響! まさか……!」

響『長官! 私は、私たちは、ただ……』

長官『黙れ! 貴様らには無関係だと――』




提督【――長官】
 



   長官との口論に、司令官が英語で割りこんでくる。
   長官は虚を突かれたのか、怪訝な顔で振り向いた。


長官『……?』

提督【……お話は良く分かりませんが、非常事態なのは承知しております】

提督【我々の助力が必要とあらば、いかなる援助も惜しみませんよ】

長官【……何度も繰り返すつもりはない】

長官【演習ならともかく、軍事行動だ。
   救援と言い張って、何かをしでかすような……『万が一』があっては困るのだよ】

提督【……そこまで信用のない隣人ですか?】
 

長官【信用ではない、規律の問題だ。
   この極東ロシアの海で、勝手な真似を許すわけにはいかん】

提督【…………】

提督【……あの海の名前は、「日本海」ですよ】

長官【……何?】

提督【危険に晒される恐れがあるのは、何も貴国だけではありません】

提督【『万が一』、敵艦隊を取り逃がしたとして……
   奴らが、東に向かわないとでも?】

長官【…………】
 


響(……司令官)


   英語にはあまり明るくない。
   けれど、司令官の表情と口ぶりから、何を言おうとしているかは分かった。

   私たちの、ただひとりの司令官として……
   何とかして、私たちを海に出そうとしてくれている。


雷「! し、司令官のゴネりが始まったわよ……」ヒソヒソ

電「じゃあ……だ、駄目だったってことですか……!?」ヒソヒソ

雷「だ、大丈夫よ! よくアレで元帥や大淀さんを説得してるじゃない」ヒソヒソ

電「――! そ、そうなのです……司令官さんの減らず口なら……!」ヒソヒソ

暁「……2人とも、毎回毎回すごい顔で聞いてるけどね」ヒソヒソ

ラーザリ「……あんたら、どーいう上下関係?」


   信頼できる司令官だった。

   特に、その口八丁と小賢しさに関しては。   
 

提督【……そちらの艦隊は、おそらく大多数が潜水艦でしょう?】

提督【敵の水上艦はともかく、潜水艦は決して仕留められない】

長官【――当然だ。潜水艦にさえ、今は『目』がある】

提督【ええ、おっしゃる通りです。
   はっきり見えている魚雷など、互いに当たるはずがない】

提督【何の戦いにもならないと、敵も味方も知っています。
   だからこそ、潜水艦同士は戦わない】

長官【…………】

提督【……経験則ですがね。そのような場合、敵潜水艦の多くは……】

提督【――反転するんですよ、無駄な戦いを嫌って。
   記録によれば、それこそ何百キロも……】

ラーザリ『……!』

提督【……次に向かうのは、どこだとお思いです?】

長官【…………】
 

提督【……日本海沿岸の鳥取からは、この港に至るフェリーも出ています】

提督【万が一、それが襲われでもすれば……
   どちらか一国だけの責任では、とうてい収まらない話ですよ】
    
提督【存在を知りながら、手を打てなかった私】

提督【……そしてもちろん、手を『打たせなかった』方の責任も……】

長官【…………】


   長官の顔が、ほんのかすかに、歪んでいるように見えた。
   私を含めた姉妹たちは、固唾を飲んで交渉の行く末を見守る。
   
   英語が分かるらしいラーザリの目には、わずかな光が宿っていた。
   小さな希望を見出したような、そんな目だった。

 

提督【何も、私に指揮を執らせろとは申しません。
   彼女らを、長官殿の指揮下に、一時的に加えて頂ければ十分です】

提督【奴らを、我が国に向かわせるわけにはいかない。
   我々の願いは、それだけですから】

長官【…………】

提督【それに……お互い、後ろに色々と控えてらっしゃるでしょう】

長官【――!】
 

――――
――


 【あの方には、批准どころか署名の意志さえ無い】

 
 【外務大臣に防衛大臣、そして……】

 【……よもや、日本人でこの名を知らぬ者はおるまい?】


――
――――


提督【最悪の事態になった場合、
   我々が被る泥は、決して1人分じゃありません】

提督【……クビだけで済むなら、まだマシな方かもしれませんなあ】

長官【…………】
 

提督【――重ねて、お願いいたします。長官】

提督【互いの友好と平和のため……我々の力を、どうぞお使いください】

長官【…………】



長官【……フン……】

長官【……つくづく、口の回る男だ……】

提督【…………】
 

長官『――ラーザリ』

ラーザリ『!』

長官『……別働隊を編成する。
   旗艦として、貴様がその4隻を指揮しろ』

響『――!!』

ラーザリ『ッ! な……!』

長官【……4隻の出撃は許可するが、作戦中の指揮は全てラーザリが執る】

長官【司令船の航行も同様だ。5分おきにラーザリへ現在位置を伝え、
   日本艦娘側との許可なき通信は禁じる】

長官【――これで満足かね、少佐】

提督【……痛み入ります】
 

ラーザリ『ちょ、長官ッ! それは……!』

長官『どうした、世話役を買って出たはずだろう』

ラーザリ『しかし! 私が旗艦なんて……練度だって……!』

長官『――奴らを海に出す以上、目付け役が必要となる』

長官『言葉の分かる貴様が旗艦なら、奴らも勝手は出来ないはずだ』

ラーザリ『……で、ですが……』

長官『……怖気づいたなら、大人しく奴らと待っているがいい』

長官『それならそれで、わざわざ日本艦どもを使わずに済むのだからな』

ラーザリ『……っ、ぐ……!』
 

長官『…………』ジロッ

響『!』

長官『……妙な真似をすれば、上官ともども安全は保証しない。
   それだけは肝に銘じておけ』

響『……心配ない。友達を助けに行くだけだよ』

暁「ひ、響……?」

響「…………!」コクッ


   出撃の許可が下りたことを、力強く頷いて伝える。
   姉妹たちの顔に、喜びと安堵が広がっていく。


電「――! よ、よかったぁ……!」

提督「あぁー、緊張した……」

暁「す、すごいわ司令官! 何言ったの!?
  妙にタイミングも良かったし……」

提督「……なあに、寿太郎作戦さ」ボソッ

暁「?」
 

雷「なら、ほらっ! 早く!」

響「うん……ラーザリ!」

ラーザリ「…………」

響「……ラーザリ?」

ラーザリ「! あ……ああ……」

長官『――ラーザリ』

ラーザリ『え……?』
 

長官『――――』ボソボソ

ラーザリ『――ッ!』

響「……?」


   長官が、ラーザリに何事かを耳打ちする。
   それを聞いたラーザリは、今にも飛び出しそうなほどに目を剥いた。   


ラーザリ『……そんな……』

長官『分かったな。早く行け』

ラーザリ『…………』


   明滅する非常灯が、ラーザリの横顔に深い陰を落としている。
   暁も、雷も、そして電も、それには気付いていなかった。

 

―数十分後―

―ウラジオストク、沖合5km―
―日本司令船 格納庫―



雷「単装砲、爆雷、ソナー……うん、大丈夫ね!」

電「司令官さん、電探は?」

提督「相手は主に潜水艦だし、おまけにこの波だ。
   シークラッターで使いものにならんだろうよ」


   艤装の格納スペースを前に、装備の最終確認を行う。
   出撃が近づいているからか、格納庫の中は騒がしい。

   司令船の後部に備え付けられた格納庫。
   ここで私たちは艤装を装着し、ハッチを開けて海へ出る。

   
 

ラーザリ「…………」

電「……ラーザリさん?」

ラーザリ「え?」

電「大丈夫ですか? その、顔色が……」

響「緊張するかい?」

ラーザリ「……ここんとこ、ペンしか握ってなかったからさ」

響「大丈夫だよ。そんなに立派な艤装があるんだ」

ラーザリ「見かけ倒しだよ」

提督「まさか。18cm三連装砲、軽巡洋艦にしては破格の装備でしょう」

電「18cm……!?」

雷「もがみんのよりおっきい……」

提督「……口径がな、口径」
 

ラーザリ「あの頃に積んでたとはいえ、私には過ぎた代物です」

響「……いいじゃないか、そう卑屈にならなくたって。
  心配はいらない。私たちがついてる」

ラーザリ「――あんたは不安じゃないの?」

響「……みんなのことだったら、勿論」

ラーザリ「……それだけじゃなくってさ……その……」

ラーザリ「さっき……私が、あんなこと言ったから……」

響「…………」

ラーザリ「……ごめん」

響「――その話は、みんなで帰ってからにしよう」

ラーザリ「…………」


   ラーザリは腕を組んで、じっとうつむいている。
   心なしか、指先が震えているようにも見えた。


電「…………」
 

暁「司令官! おにぎりも持ったわよ!」

ラーザリ「へ……オニギリ? あのオコメの?」

響「携帯糧食だよ。艤装の隙間に入れておけるから、結構重宝してるんだ」

響「本当はダメコンを積む場所なんだけどね」

ラーザリ「! ダメコン……」

提督「演習のつもりで来たからなぁ……そっちは1個しか持ってこれなかったよ」

提督「誰か使うか? お守り代わりにさ」

ラーザリ「――!」

響「大丈夫だよ。いざとなったら、海を這ってでも撤退する」

ラーザリ「え……」

提督「……頼もしいねえ」

ラーザリ「…………」
 

電「……あ、あの、司令官さん」

提督「ん?」

電「やっぱり、もしもに備えて、私……」

提督「お、そうか。じゃあ持っときな」スッ

電「は、はい!」

電「…………」スッ

ラーザリ「――!」


   司令官に見えないように、電がダメコンをこっそりとラーザリに渡す。
   小さく驚くラーザリ。電は静かに微笑んでいる。


響「…………」
 

乗組員A「提督! 目的の海域まで、およそ15kmです!」

提督「よし……船体停止! 投錨始め!」

乗組員A「了解! 船体停止、投錨始めます!」

提督「……無線連絡は、予定通り5分おきに。無線のテストは?」

ラーザリ「ええ、問題ありません」

提督「了解です。……それでは、ラーザリさん」

ラーザリ「…………」

提督「……あなたに指揮を執ってもらえてよかった。
   この海のことなら、あなた方が一番お詳しいでしょうから」

提督「どうか響に、あいつらに……あなた方を助けさせてやってください」

ラーザリ「……っ……」

提督「…………」




ラーザリ「……任務に従いますよ、私は」
 


      ・
      ・
      ・

   格納庫のハッチが、甲高い機械音を立てて開く。
   同時に、床に備え付けられた2列のレールが、ゆっくりと傾斜する。
   
   このレールは、艦娘の「滑走路」だ。
   レールの端に備わった留め具に、艦娘が1人ずつ足を入れる。
   
   合図が下れば留め具が外れ、
   斜めになったレールを滑り落ち、海へ飛び出すという仕組みだ。


響「……! 風が……」

ラーザリ「ッ……!」


   レールの頂点には、まず私とラーザリが並んだ。
   ハッチの外に広がる大海原では、風の音が荒々しく響いている。
   波も高くなりはじめたようだ。

 

提督「…………なあ、響」

響「うん?」

提督「…………」

提督「……帰ってきたら、少し話したいことがある」

響「――私の件だね」

提督「――! お前……!」

響「ラーザリから聞いたよ。
  ……てっきり、得意の冗談かと思ったのに」

ラーザリ「…………」

響「司令官は、最初から知ってたのかい?」

提督「……そんな顔に見えるか?」
 

響「…………」

響「……ううん。いつもの冴えない顔だよ」

提督「……ひっでえの」


   司令官が情けない笑みを浮かべる。
   けれど、目だけは鋭く光っていた。


提督「……その件は、俺が絶対に何とかする。
   お前たちは何も心配するな」

響「……信じていいんだね」

提督「ああ、ゴネりにゴネてやるさ。
   もう二度と、お前たちをバラバラにはさせない」

響「…………」


   司令官に向かって微笑むと、向こうも笑い返してくれた。
   今度は、目までも笑っていた。
 

提督「……さあ、全速力で助けてこい。
   第六駆逐隊、出撃ッ!」


 「「「「了解!」」」」


   司令官の掛け声で、足の留め具が解錠された。
   勢い良くレールを滑り降り、飛沫を上げて海に飛び出す。
   暁たちも、すぐに後に続くことだろう。


ラーザリ「……うらやましいね」

響「え?」

ラーザリ「いや、何でも」


   風雲、急を告げる。
   うねりを上げる空と海を見て、ふと、そんな言葉を思い出した。 

 

前半ここまで 後半は必ず2週間以内に

8話後編、今日明日に分けて投下します

―日本 横須賀鎮守府―
―執務室―


 ジリリリリン! ジリリリリン!

               ガチャッ!

司令「――私だ」

大淀『司令。その……お電話が入りました』

司令「どこからだ?」

大淀『……司令船1号、少佐からです』

大淀『それも……何か、ただならないご様子で……』

司令「…………」

大淀『司令?』


司令「……繋いでくれ」
 

―ロシア ピョートル大帝湾―
―日本司令船 艦長室―


提督「……何と言いますかね、司令」

提督「私はそれなりに……貴方から信頼されてると思ってたんですがね」

司令(電話)『…………』

提督「くだんの密書には驚きましたよ。首相の署名まで入ってるんです。
   当然、向こうも大統領あたりが絡んでるんでしょう」
   
提督「酷い話じゃありませんか。こうも偉い人だけで決められちゃあ……」

司令『……許してくれ。命令を受けただけだ』

提督「ご存知なかったと? 次期幕僚長とまで噂される貴方が?」
 

司令『……少佐、これは高度に政治的な問題なんだ』

司令『私や君の一存で、どうにかできるものではない』

提督「だからって、隠し通す道理がどこにあるんです!」

提督「俺はまだいい、でも、あいつにさえ……!」

司令『――それも命令だ。極秘が絶対の条件だった』

提督「……バレたら不味いからですか?」

司令『…………』
 

提督「――『ロシア製の艦娘と認め、本国に返還』……お粗末な作り話です」

提督「そんな言い訳を並べたって、何かの取引がなされたのは明白だ」

司令『……想像するのは君の自由だ。
   しかし、そのように公言される以上、世間はそれを信じるしかなくなる』

提督「疑うのだって自由ですよ。信じることよりはるかに楽です」

提督「噂ってのは侮れません。きっと、国内外から大ブーイングでしょうね」

提督「条約を自ら破って、あのロシアに兵器を贈り……
   あまつさえ、その一切を秘密裏に進めていたと」

提督「アメリカなんざ、きっと怒り狂って抗議しますよ」

司令『……そうなったとしても、全ては噂だ』

司令『疑惑の裏付けなど、何一つ存在しない』

提督「ええ、そうでしょうとも。あの紙きれも、今や向こうの手の内だ」

司令『…………』
 

提督「……司令。ご存知ないとは言わせませんよ」

提督「艦娘を他国へ引き渡すのは……その技術までくれてやるのと一緒です」

提督「不用意な流出が、どんな事態を招くか……
   だからこそ、ああいう条約が必要なんでしょう。……違いますか!」

司令『……分かっている』

提督「だったら、何故です? そんな危ない橋を渡ってまで……」

提督「――何と引き換えに、あいつを売ったんですか?」

司令『…………』










司令『――――領土だよ』

提督「……ッ!」
 

司令『大統領からの、直々の言質だ』

司令『――平和条約の締結による、歯舞・色丹の返還後も……』

司令『択捉・国後の領土交渉に、建設的に応じ続けると……』

提督「……そ……そんな……」

提督「そんな中身のない約束のためにッ!
   あいつをむざむざ売り渡したんですか!?」
 

司令『……中身はともかく、意味はある』

司令『二島返還に留まるという危惧を、たとえ曖昧にでも解消できる』

司令『交渉が続くという希望があれば、世論も少なからず納得する。
   ……上の思惑は、そういうことだろう』

提督「何が希望です! ただのごまかしじゃありませんか!」

司令『妥協が必要なんだ、少佐!
   対米の防衛線たるあの島々を、ロシアが素直に返すはずはない!』

司令『だからこそ、建前だけでも友好的でなければならん!
   互いに意地を捨てて、騙し騙しやっていくしかないのだ……!』
 

提督「……だから響を、その生贄に?」

司令『直々の指名だよ、あちらからの』

提督「…………」

司令『……駆逐艦「響」は、全国どの鎮守府にも配属されている。
   再建造も非常に容易い艦だ』

司令『あの「響」に匹敵する練度の駆逐艦も、我が鎮守府には何隻も存在する』

司令『――彼女は決して、かけがえのない存在ではないのだよ』

提督「…………」ギリッ
 

>>727 訂正


提督「……だから響を、その生贄に?」

司令『直々の指名だよ、あちらからの』

提督「…………」

司令『……駆逐艦「響」は、全国どの鎮守府にも配属されている。
   再建造も非常に容易い艦だ』

司令『くだんの「ヴェールヌイ」に匹敵する練度の駆逐艦も、
   我が鎮守府には何隻も存在する』

司令『――彼女は決して、かけがえのない存在ではないのだよ』

提督「…………」ギリッ

司令『いくらでも代わりの利く駆逐艦を差し出し、外交上重要な合意を得る……』

司令『客観的に見れば、これ以上なく有利な取引なんだ』

司令『それを無事、遂行したとなれば……
   立役者の君にも、相応のポストが与えられるだろう』

提督「――それで、貴方も無事に幕僚長ですか」

司令『…………』

提督「……何も知らなきゃ、尻尾振って喜んだんですがね」

提督「それが……貴方の本音ですか、司令」

司令『…………』

司令『―― モスト・ナ・ヴォストーク。
   君なら分かるだろう、この演習名の意味が』

提督「……『東に架かる橋』……」

司令『……日本とロシアの、より良い明日のために。
   どうか、彼女を送り出してやってくれ』
 

提督「…………」

提督「……決定事項なんですね?」

司令『ああ』

提督「絶対に、どんなスキャンダルが起こったとしても?」

司令『――!』

提督「……貴方がたの言い分は理解しました。それに、貴方の苦しい立場も」

提督「私とて、木っ端でも軍人です」

司令『…………』
 

提督「ですが、こんなやり方は、個人として……」

提督「――あいつを育て上げた身として、断じて納得できない」

司令『……少佐、まさか……!』

提督「……いずれにせよ、引き渡しの期限は演習終了時です」

提督「不本意ですが、時が来れば……必ず彼女を引き渡しますよ」



提督「……それまで、何事も起こらなければね」

 

―ピョートル大帝湾 海上―


ラーザリ「うぁっ……と!」

響「落ち着いて。ひっくり返ったりしないから」

ラーザリ「つったって、こんな……!」


   足元のおぼつかないラーザリを先頭に、波風が激しい海を往く。
   真っ青になった顔に、槍のような雨が吹きつけている。


電「だ、大丈夫ですよっ。ただの航行なら、絶対に沈まないのです」   

ラーザリ「ぅ……ぐ……」
 

雷「……本当に初めてだったなんて」

響「うん……」

   
   私たち艦娘は、基本的に戦闘以外で沈むことはない。
   原理は全くもって不明だけれど、それが艤装の持っている力らしい。   

   海そのものに反発するかのように、何の苦もなく浮いていられる。
   荒波や渦潮に巻き込まれても、多少進むのが難しくなるだけ。
   決してそのまま沈んだりはせず、前に進めなくなることもない。

   ちょうど、自動車の入れない山道でも、
   ヒトの足なら少しずつ越えて行けるように。


響(――もちろん、艤装が無事ならの話だけどね)
 

暁「もう……! 何よこれ、前が見えないじゃない」


   雨が強まる。
   暁が帽子を押さえ、顔についた雨水を拭っている。

   右肩で光る探照灯が、
   降りしきる雨粒を青白く照らしていた。


雷「ラーザリさん、方位はこっちで合ってるの?」

ラーザリ「…………」ビクビク

雷「――ラーザリさん!」

ラーザリ「っ!」ビクッ

雷「進路、このままで大丈夫なの?」

ラーザリ「……あ、あぁ……そうだね……」

ラーザリ「……じゃあ、こっちに」
 

暁「ちょ、ちょっと……「じゃあ」って!?
  ちゃんと場所知ってるんじゃないの?」

ラーザリ「…………」

電「あの、司令官さんに伺ってみたら……」

雷「そうね。司令船の電探なら、私たちの位置も分かるし。
  ラーザリさん、司令官に無線していい?」

ラーザリ「……無線は、私だけってことになってるからさ」

雷「……そう」

ラーザリ「悪いね。長官の命令なんだ」

ラーザリ「……それに、こっちもさっきから試してるんだけど、
     さっきから妙に電波が悪くて……」

電「えぇっ!?」

響「…………」
 

―同時刻―
―日本司令船 戦闘指揮所―


提督「司令船1号より、ラーザリ・カガノーヴィチへ。現在位置に変更なし」

提督「繰り返す、こちら司令船1号。現在位置に変更なし。
   そちらの状況を報告されたし」

提督「…………」

提督「……どうしたんだ? 確かに通じてるのに……」

 

―ピョートル大帝湾 海上―


ラーザリ「……まあ、大丈夫だよ。大丈夫。
     知らないわけじゃないからさ」

響「レイネケ島の南東だろう?
  さっきまでルースキー島に沿って来て、あっちが南だから……」

響「そうだね、方位200でしばらく――」

ラーザリ「……いや、こっちだよ」
 


   ラーザリが、私の提案とは真逆の方向を指さす。
   ひどく冷たい雨風が、私たち全員に吹きつけられた。
 

響「……ラーザリ。みんなが危ないんだ」

ラーザリ「…………」

響「トビリシも、カリーニンも、モロトヴェッツも……」

響「一刻も早く行かなくちゃ、大変なことになるかもしれない」
  
響「冗談に付き合ってる時間は無いんだよ」

ラーザリ「……私は、冗談のつもりなんて無いけど」



響「だったら……さっきから何で、こんなでたらめに進んでるんだ」
 

ラーザリ「――っ!」

雷「え……!?」

暁「ど、どういうこと!? でたらめって!」

ラーザリ「え、あ――」

響「……本当みたいだね、その反応だと」

ラーザリ「――! か……カマかけたっての? あんた……!」

響「……信じたかったからだよ。でも……」

ラーザリ「…………」
 

響「……あの長官に言われたんだね? 救援に関わらせるなって」

ラーザリ「――!!」

電「! そんな……!」

響「……海に出すのは体面だけ。
  指揮権さえ君が握っていれば、いくらだってごまかしが利く」

響「――そういう算段だったんだろう?」

ラーザリ「……っ……!」

雷「ご、ごまかすって……何を?」

響「さあね。でも、君なら知ってるはずだ」

ラーザリ「…………」ギリッ
 

響「――ラーザリ。いったい何を隠してるんだい?」

響「私たちの知らないところで……色んなことが起こりすぎてる」

暁「…………」

雷「…………」

電「……え、えっと……」

ラーザリ「……ヴェールヌイ……」


   暁も雷も、そして電も。不安そうな目で、ラーザリを見ていた。
   当のラーザリは、その視線を受けて……ほんの少し、うろたえた様子だった。   

 

響「……私たちはもう、ただのフネとは違うんだ。
  この足で立ってる。この身体で戦ってる」

響「仲間の危機に何もできない……そんなのはもう、二度と御免なんだよ」

ラーザリ「…………」

響「君たちが何かを隠し通そうとして……
  そのせいで、カリーニンたちが二度と戻れなくなったら」

響「――私はきっと、誰も許せなくなる」

ラーザリ「…………」

響「……何を見たって、絶対に口外しない。
  だから……お願いだよ、ラーザリ」

響「一緒に、みんなを助けよう」
 

ラーザリ「……」

ラーザリ「…………」


   ラーザリが私から目を逸らす。
   雨に濡れそぼった頬が、小刻みに震えているのが見えた。


ラーザリ「……この波に、この天気なんだ」

ラーザリ「潜水艦連中に任せる方が、よっぽど安全で確実だよ」

響「…………」


   全身から、瞬く間に力が抜けていった。
   胸にぽっかりと穴が開き、雨風が吹き抜けていくようだった。


響「――――変わったね、ラーザリ」

ラーザリ「…………私は、昔っからこんな奴さ」
 

暁「っ……!!」ガシッ

ラーザリ「――!」

暁「どうして……どうしてなの!? お姉さんが危ないんでしょ!?」

ラーザリ「……上官の指令が最優先だよ」

暁「命より大事な指令なんてあるの!?」

ラーザリ「……何だってのよ、さっきから好き勝手に。
     こっちの事情も知らないで……!」

暁「か、勝手なのはそっちじゃない!」

暁「響を連れ戻すなんて、いきなり言い出したり!
  それに今度は、こんな騙すみたいに!」

ラーザリ「っ……!」

雷「ちょ、ちょっと!」
 

暁「響は……響はね! 
  ロシアのみんなのこと、本当に楽しそうに話してくれたのよ!」

暁「今でも大事な友達だって……ラーザリさんだってそうじゃないの!?」

雷「暁! こんなところで――!」

暁「わ……私だって……!
  せっかく、響の友達と仲良くなれるって……でも……!」

電「あ、あの、みんな……!」オロオロ






電「――!」ピクッ

 



   電が、何かに感づいた。
   涙声で訴え続ける暁の横で、何かを探すように海を見渡す。


響「……電?」

暁「レディーのお話も面白くって……いい人だと思ったのに! なのに――」

電「――暁ちゃんっ!」

暁「!」ビクッ

ラーザリ「……!?」ビクッ


   電の一言で、押し黙る一同。
   激しい風と波の音だけが、私たちの耳にこだましている。

 

電「…………」スッ


   水面に片膝をつけ、おもむろに目をつぶる電。
   そのまま右手の指先を海に入れ、左手で片耳を覆うように抑えた。
   
   ――間違いない。ソナーに感があったんだ。


電「――! 2時の方向に敵艦隊発見! 
  距離800、数は7……いえ、6!」

電「深海棲艦6隻と、未識別の艦1隻なのです!」

雷「未識別!? それって……」

響「ロシア艦だ……誰かが追われてる!」

ラーザリ「ッ!」
 

響「ラーザリ、救助の許可を!」

ラーザリ「……! た、戦うっての!?」

響「旗艦は君だ。君が指示を出すんだよ」

ラーザリ「っ……けど、長官は……!」

響「……なら、司令官に敵発見の連絡を。
  全艦、最大戦速! 方位240!」

「「「了解っ!」」」

ラーザリ「な、ちょっと――!」


   ラーザリが旗艦であることを忘れ、つい号令を発してしまう。
   いつもの癖だ。それに、ラーザリがあの有様では……。

 

ラーザリ「……こちら第二水雷戦隊、敵艦隊と遭遇!」

提督(無線)『ッ! 了解、敵艦隊の戦力と進路を――』

暁「……! 見えたわ! リ級1隻、ヘ級2隻を確認!」

雷「残りは全部潜水艦ってことね……!」

ラーザリ「せ、潜水艦3、重巡1、軽巡2! 
     また、友軍艦娘1隻が敵艦隊と交戦中!」

ラーザリ「ゆ……友軍を救助後、すみやかに撤退する! 交信終了!」

提督『な……ッ! 待っ――』
 


   黄色い煙をまとった軽巡ヘ級2隻が、
   手当たり次第に爆雷を投下していた。
   荒れ狂う海に、何本もの派手な水柱が上がっている。


響(爆雷……なら、狙われているのは……!)

リ級「――――!」

響「! 気づかれた……」

 
   リ級の顔がこちらを向いた、その直後。
   2本の白い雷跡が、波を割って直進してくるのが見えた。

 

響「正面より魚雷接近、おもーかーじっ!」

「「「おもーかーじっ!」」」

ラーザリ「ぐ……っ!」


   瞬時に回避行動をとり、魚雷をやり過ごす。

   軽巡ヘ級は相変わらず、こちらには目もくれずに爆雷をばら撒いている。
   彼女らの狙っている相手――潜水艦は、まだ沈んではいないのだ。


響「艦隊、複縦陣。まずは軽巡を叩くよ。砲雷撃戦、開始!」

「「「了解! 砲雷撃戦、開始!」」」ジャキッ

ラーザリ「ッ……りょ、了解……!」ジャキッ


   重心移動で水面を旋回し、軽巡チ級の背後に回り込む。
   単装砲を構え、狙いを定めた――その時だった。

 

雷「――っ!?」ビクッ

暁「雷!?」

雷「そ、ソナーに……! 何かが、何かが浮上してくるわ!」

響「何だって……!」


   目の前の海面で、巨大な水しぶきが上がった。   
   黒い塔のような「何か」が、水面を貫いて、垂直に飛び出してくる。

   そして、姿を現したのは――
 

?「――――」


響「……潜水、棲姫……!」


潜水棲姫「――――――」ニタァァァ


   真っ白い海藻のような髪。
   ガラス玉を無理やりはめ込んだような目。
   かつて、ステビア海で何度か交戦した、敵潜水艦唯一の姫級だ。

   けれど今、目の前にいる「それ」は……
   前に戦った同型艦と、ある部分が決定的に違っていた。


雷「嘘でしょ、こんなところにまで……!」

電「――! ひ、響ちゃん!」

暁「あの頭……!」
 

響「頭……?」


   クジラを丸ごと取り付けたような、潜水棲姫の艤装体。
   その頭頂部が、異様に前方へ張り出している。

   そして、伸びた頭部の先端からは……
   一目で人工物と分かる、巨大な円錐状の物体が飛び出していた。


ラーザリ「――――っ!!」


   どこか、見覚えのある形だった。
   直にではなく、もっと別の場所。確か、何かに乗っていた写真で…… 

   そう……あれは――――




響「……『ミサイル』……?」


ラーザリ「……あ……あ、あぁ……!」

雷「え?」

ラーザリ「だ、弾頭……!? R-11が……そんな……!」

ラーザリ「嘘……嘘でしょ……!?
     だったら……あんな計画、とっくの昔に……!」


   棲姫の異様を見たラーザリが、なぜか酷く狼狽している。
   口をがくがくと震わせて、延々と何かを呟いていた。

 

潜水棲姫「――フ……フフ……!」

潜水棲姫「テツ……クズニ!」 ドシュゥン!


   ――その隙を、敵が見逃すはずはなかった。
   艤装体の口から、ひときわ巨大な魚雷が射出される。

   ウミヘビのような雷跡を描きながら、   
   その魚雷は、瞬く間にラーザリの足先へ迫り――


響「ラーザリっ!」

ラーザリ「――!! あ……」

暁「っ!」グイッ
   

   暁がとっさにラーザリを引っ張る。
   着弾すれすれのところで、棲姫の魚雷は通り過ぎていく。

 

暁「……よ、よかっ……」

電「! 暁ちゃんっ、後ろ!」 

暁「え――――」


   けれど、次の瞬間。
   轟音を立て、2本の水柱が突き上がった。
   

暁「きゃぁぁっ!」

ラーザリ「あ……がっ……!」
 

ヨ級A「…………」

ヨ級B「……フ、フ……」

   
   2隻の伏兵が、暁たちの後方に浮上する。
   一瞬の油断を、水中でずっと狙っていたんだ。


電「暁ちゃん! ラーザリさんっ!」


   暁には、小さな傷があるだけ。
   身体を守る防護服――いつものセーラー服も無傷だ。

   けれど、ラーザリの方は……
   防護服が散り散りに破け、艤装からも黒い煙が出ていた。
   間違いなく、大破相当の損傷だった。

 

ラーザリ『――あ……あ、ぁ……』


   『冷たい……ああ、水が……!』


ラーザリ『いや……いやだ……』


   『……沈む……沈むの……!? いや、だれか……誰かぁ……!』


ラーザリ『……ヴェールヌイ……!』

ラーザリ『ヴェールヌイ! ヴェールヌイッ! ヴェールヌイィィッ!』

暁「だっ、駄目! 暴れないで!」


   嵐の海に、ラーザリの絶叫がこだまする。
   暁の制止もむなしく、完全にパニック状態に陥っていた。  

 

ラーザリ『――っ……!?』ヨロッ


   大破してしまった艦娘には、最低限の航行能力しか残されていない。
   水上での姿勢維持も、こうなれば極端に困難となる。

   まして、実戦に不慣れで、冷静さを欠いてしまってはなおさらだ。


ラーザリ『あっ……や、あ……あぁああぁぁっ……!』バシャン!

暁「ラーザリさん! ここよ! こっちに……ひゃぁっ!?」


   荒波に揉まれ、水上を転げ回っていくラーザリ。
   沈まない、けれども進めない。絶体絶命の状況だった。
   
   暁が追いかけ、懸命に手を差し伸べようとするが、
   ことごとく波に阻まれてしまう。

 

電「っ……!」ギュンッ

雷「あっ……待って、電っ!」

潜水棲姫「――――」ギロッ

リ級「――――」ジリッ


   暁とラーザリの元へ、まっすぐに駆け寄っていく電。
   2人を助けるつもりなのだろう。
   
   けれど、敵も電に目を付け、追跡し始めた。
   このままではいい的だ。


響「敵を引きつける! 雷はリ級を!」

雷「了解!」ドォン!
 



   潜水棲姫の進行方向に向かって、爆雷を絶え間なく投擲する。
   わずらわしそうに髪を振り乱し、潜水棲姫がこちらを向いた。


潜水棲姫「グ……コ、ノォ……!」


   潜水棲姫が潜行する。
   ソナーを頼りに、すかさず索敵に移る。しかし――


響(……反応がない? そんな――)
 


 ド ゴ ッ !


響「ぐ、ぁっ――!?」


   突然、下腹部に強烈な衝撃が走る。
   気が付けば私は、空中に吹き飛ばされていた。


潜水棲姫「……フ、フフフフフ……!」


   潜水棲姫の艤装体、
   その巨大な頭部が、海面から突き上がっているのが見えた。
   
   どうやら、ソナーの効かない真下から、
   あの頭部で直接、体当たりをかまされたらしい。

 

響「っ……これくらい……!」


   歯を食いしばって、痛みを堪える。
   潜水棲姫は、勝ち誇ったような笑みを浮かべ、その場を動かない。


響(潜らない……? なら――!)ドォン!


   ――好機だった。
   目下の潜水棲姫に、至近距離で砲撃をお見舞いする。


潜水棲姫「ギァァァアアアアアアアアアッッ!!」


   両目を抑え、耳をつんざくような悲鳴を上げる棲姫。
   そのまま瞬時に潜行し、南の方へと逃げていく。
 

リ級「――!」ザブン

ヘ級A「――――」ザブン

ヨ級A「……ウ、ア……?」ザブン


   旗艦の撤退に気付いた敵艦たちも、
   戦闘を放り出して、潜水棲姫を追いかけはじめた。


 『――――……』


   2隻の軽巡ヘ級がいた地点に、
   ボロ布の塊のようなものが浮上する。

   どうやら、追われていた味方艦のようだった。
   最悪の事態だけは避けられたらしい。


雷「やった……電! 電ぁ!」

響「――――!」
 

ラーザリ『ぁ……ぁ……』

電「しっかりしてラーザリさん! 
  絶対、絶対沈みませんから! だって――」

暁「だ、だめ……流され……!」

電「きゃぁぁっ!」


   暁たちが、波に飲まれてどんどん離れていく。

   すぐさま助け寄ろうとするが、
   視界の隅に、追われていた艦の痛々しい姿がちらつく。


響「……っ……」
 

暁「響ぃー! 雷ぃーっ!」

雷「!」

暁「私たちなら大丈夫だから! 
  その人を早く……司令船のドックに!」

雷「な――何言ってるのよ! そんなの……!」

暁「早く! それから司令官に、ぜんぶっ――」

響「暁……! 暁っ!」

暁「――――」
 



   まず、声が聞こえなくなった。
   そのあと、姿も見えなくなった。
   そして、探照灯の光さえ、荒波の向こうに消えてしまった。
   
   後に残ったのは、さっきよりもやや収まった雨風の音。
   そして、暴れ続ける波濤だけだった。

 

雷「そんな……そんなっ……!」

響「…………」


   握った拳が、どうしようもなく震えている。
   震えを振り払うように踵を返し、追われていた艦娘の元へ駆け寄った。


響「…………」

響「……やっぱり……君だったんだね……」

  『――――……』


   暗い灰色の地に、鮮やかな深紅の模様が入った潜水服。
   ボロボロに破けた下から、青あざだらけの肌が見えている。
   右手には、太めの首輪のような機械が固く握られていた。


雷「――っ! ひ……ひどい……」

響「…………」ギュッ
 



   銀色の髪には、鉄片や油がこびりついている。
   端正だった顔は酷く痩せこけ、死人のように青白くなっていた。


   それでも。
   まだ、沈んではいない。

 




響「あんまりだよ……こんな再会なんて」



響「…………違うかい? モロトヴェッツ……」



モロトヴェッツ『――――……』




   雨はどこかに過ぎ去った。
   けれど、空を覆う雲はさらに増え、少しの晴れ間も見えなかった。

 

8話終わりです 続きはできれば1週間以内に

潜水棲姫のクジラ部分は、何と言うか、
モンハンのブラキディオスみたいな感じになってると思ってくだち

★用語プチ解説

【艦娘の服】
あのセーラー服も、あの紐パンも、決して単なるファッションではない。
艦娘の核である身体を保護するための、最も重要な装備である。
通常の船舶や動物なら、一撃で粉々になってしまう深海棲艦の攻撃。
そのダメージを最小限に抑える、なんか結界的なアレを全身に張り巡らせる、
すさまじい防御機能を持っているのだ。当然、通常兵器など痛くも痒くもない。

ただし、機能が発揮されるのは艤装と共に身に付けている間だけ。
また、規定以上のダメージを受けてしまうと破けてしまい、防御機能が極端に低下する。
その場合、以降は艤装と連動して防御機能を補うため、艤装もしだいに損壊していく。
 

★用語プチ解説

【司令艇/司令船】
作戦海域までの艦娘の輸送、および戦闘の指揮を行う艦船。
艤装等の格納庫や、味方の艦娘を特殊な電波で識別するレーダーを搭載。
また、船によっては1人用の入渠ドックや、最新鋭のACDS(新戦闘指揮システム)を備えている。
速度も10数ノットから30ノットまで、種類によってまちまち。
遠隔地での遠征や演習には、遅くとも積載量の多い船、
最前線での指揮には速度のある船……というように使い分けられているようだ。

艦種名の英語表記は、"RCS(Rigging-soldier Commanding Ship)"。
しかし海自では、主砲などを備え、単体での戦闘能力があるものを「司令艇」、
そうでないものを「司令船」と、区別して呼称している。
 

★ソ連艦ずかん


「マクシム・ゴーリキー級巡洋艦、3番艦のカリーニン。
 この身のすべては祖国のために!」


【巡洋艦「カリーニン」】 Калинин

マクシム・ゴーリキー級巡洋艦 3番艦。
名前の由来は、レーニンと共に革命に携わったボリシェヴィキの重鎮、
ミハイル・イヴァーノヴィチ・カリーニン。
 



【経歴】
1938年8月12日、コムソモリスク・ナ・アムーレのアムール工廠にて起工。
1942年5月8日に進水し、ウラジオストクへ回航。同年12月31日に竣工した。
その後、太平洋艦隊の軽機動部隊の旗艦となり、ウスーリ湾で訓練を重ねる。
実戦を経験することはなく、ウラジオストクの工場で修理中に終戦を迎えた。

戦後は太平洋艦隊で各種の任務に就く。
1954年にはNKO(国防人民委員部)とフルシチョフ総書記の視察を受け、砲撃訓練を披露した。
1960年2月6日には非武装化され、宿泊艦「PKZ-21」となる。
1963年4月12日に除籍され、ほどなく解体された。


【余談】
建造自体は遅延したものの、妹とは違って十分な完成度を誇っており、
即戦力としてそれなりに期待されていたらしい。
ウラジオで竣工してから約3ヶ月後の1943年3月、
当時の海軍総司令官・クズネツォフ大将の要請で、
最有力艦隊として名高かった北方艦隊への転属が決定する。
……しかし同年6月、クズネツォフ大将は突如転属要請を撤回し、
結局カリーニンは太平洋艦隊に留め置かれることとなった。
一説によれば、同じ時期に軍上層部で対日参戦が検討されはじめ、
そのための戦力として極東に留めておく必要が出てきたからだと言われている。
 

今回ここまで

一週間以内(二週間)

9話投下、今回は3分割の予定

―???―


 『…………』

 『カリーニンさん……痛くない?』

 『……鍛えてるからな、これぐらい』

 『……あ……』

 『どうした?』

 『嵐、止んだみたいですよ』

 『……そうだな。そろそろ偵察機を……ぐっ!』

 『っ!?』

 『あ、ああ……いや、腕が少し……大丈夫だよ、気にするな』

 『…………』
 

 『……ねえ、カリーニンさん』

 『うん?』

 『――何か、歌いましょうか?』

 『…………』

 『……ふふっ』

 『え!?』

 『いや……いいんだ、頼むよ。明るい奴だと嬉しいな』

 『…………』

 『分かりました。それじゃあ……』





 『――恋のトゥーッフォーッイレッブーン♪』

 『別の奴で』




             эп.9


      Сестра и сестра

    
           ―あねいもうと―



  

―日本司令船 格納庫―


乗組員A「ハッチ開け! 急げぇっ!」

提督「ドック起動! 修復液注入!」

乗組員B「了解! 修復液、注入開始!」


   満身創痍のモロトヴェッツを抱え、司令船の格納庫に入る。
   棺のような1人用ドックに、緑色の修復液が満たされていく。


提督「よし……高速修復材、投入!」

乗組員B「了解! 高速修復材――」

響「司令官!」

提督「分かってる、ドックの準備は……うっ……!」

モロトヴェッツ『――――』


   モロトヴェッツの惨状に、司令官も言葉を詰まらせた。
   あらぬ方向に曲がった指。黒々としたものが見えている傷跡。
   鉄と油の混ざりあった、目頭を押さえたくなる臭い。


提督「っ……足の方を持ってくれ。そっとだ、そっと入れるんだぞ……」
 


 ガチャン!


雷「!?」

提督「何だ!?」

響「これが落ちたんだよ、彼女が持ってた……」

提督「首輪? それも艤装か? 
   ……まあいい。いいか、入れるぞ? よーし……」
   

   私と雷、そして司令官の3人で、
   モロトヴェッツをゆっくりとドックに入れる。

 

モロトヴェッツ『――――』


   修復液に混ざった高速修復材が、細かい泡を立て始める。
   彼女の傷も、破れた服も、みるみるうちに治っていった。


雷「……よ、よかった……」

提督「傷から燃料が漏れ始めてた。あと一歩遅かったら……」

響「…………」

モロトヴェッツ『――――』


   破損は全て塞がった。
   けれど、モロトヴェッツはまだ目を覚まさない。

 

響「…………」

提督「…………」

響「……司令官……」

提督「……言うな。何も」

響「……でも、ラーザリは……電と暁まで……!」

提督「分かってる。お前たちは最善を尽くしたんだ」

提督「向こうの魂胆に乗せられたのも、姫級が出てきたのも……
   決して、お前たちの不手際じゃない」

提督「……それに、元々この子たちを助けるのが目的だった。
   なら、3分の1は果たしたも同然じゃないか」

響「…………」

提督「……大丈夫だ。暁たちの居場所なら必ず分かる。
   こっちには最新鋭のレーダーがあるんだ」

提督「今はまだ、深海棲艦の妨害粒子が残ってるが……
   もう少しすれば濃度が下がって、あいつらを識別できるからな」
 

雷「……大丈夫、なのよね……?」

提督「ああ。だから、今はまず態勢を立て直す」

提督「相手が姫級と分かった以上、生半な準備では太刀打ちできない」

提督「勿論、ロシア側との連携も……」

雷「――! で、でも……!」

提督「……ああ。信用できるか、怪しいもんだがな」

響「……っ……」

提督「――お前の友達を悪く言うわけじゃない。だが……」

提督「演習すら未経験の艦を旗艦に据えさせ、通信を切らせて、嘘の進路を教えて……」

提督「……俺たちを、最初から締め出す気だったとしか思えん」

響「……そう、だね」
 

提督「…………」

提督「……響、何か分からなかったか?」

響「え?」

提督「そこまでして、俺たちを遠ざける理由だよ」

提督「連携を取ろうにも、そんな厳重に秘密を持たれてたんじゃ……」

提督「……それに……上手くいけば……」ボソッ

雷「……?」

響「……それが、私も訊いてはみたんだけど」

提督「気付いた事なら何でもいいんだ。
   あの子……ラーザリさんが、ポロっと何か言ってたとか」

響「……! そう言えば……」

提督「!」

響「潜水棲姫が出てきたとき……ひどく驚いてたみたいだった」

響「たしか……『R-11』だとか、『弾頭』がどうとか。
  それから、『計画』もどうのって……」

提督「――なに?」

響「……ああ、まだ言ってなかったね。
  あの潜水棲姫……後ろのクジラに、妙なものがくっついてたんだ」

響「円錐形で、何となく嫌な感じの……そうだ、あれとそっくりだった」

提督「……?」


響「前に見せてくれただろう? 本に載ってた、『ミサイル』の先っぽ――」


   言い終わるや否や、
   司令官の顔色が、瞬く間に青ざめていった。


提督「……! ……ッ……!」

提督「…………まさか……ッ!」
 



 ピチャッ…


提督「……?」

モロトヴェッツ『――――』

モロトヴェッツ『――――』ピクッ

響「!」

雷「今……!」

モロトヴェッツ『――ぅ――ん――』

モロトヴェッツ『…………』

モロトヴェッツ『――――ッッ!!』バシャッ

響「……っ、と……」


   目を開いたモロトヴェッツが、勢い良く上体を起こした。
   ドックから飛び散った修復液が、私の顔に降りかかる。

 

モロトヴェッツ『……!? ……?……』キョロキョロ

響『……私たちの船だよ。もう安全だ』

モロトヴェッツ『――――』ピタッ

モロトヴェッツ『…………』

響『良かった。指も元通りになったね』

モロトヴェッツ『…………』


   モロトヴェッツが、ゆっくりと私の方を向く。
   まるで、何かを確かめるように、少しずつ首を動かしていく。

   彼女の眼は、今にもはち切れそうなほどに見開かれ、
   そしてじんわりと潤んでいた。


モロトヴェッツ『ヴェール……ヌイ……?』

モロトヴェッツ『あなたなの……? 本当……本当に……』

響『…………』
 

モロトヴェッツ『…………』

モロトヴェッツ『……ひどい……夢ね……』

モロトヴェッツ『最期の最期に……こんな……こんなっ……』


   震える手を伸ばすモロトヴェッツ。
   私は、静かにその手をとった。


響『……もう、夢じゃないんだよ』

響『もう一度だけでも、みんなと会うこと。それがようやく叶ったんだ』


響『……モロトヴェッツ。私は、ここにいるよ』

 

モロトヴェッツ『…………』

モロトヴェッツ『……っ……ぅ、ぅ……』

響『…………』

モロトヴェッツ『う゛……う゛、ぅぅっ……!』

モロトヴェッツ『う゛ぅぅぅうぅっ……っ!』

モロトヴェッツ『ヴェール……ヌイ……! ヴェールヌイっ……!』

響『…………』ナデナデ


   私の胸にすがりついて、嗚咽を漏らすモロトヴェッツ。
   彼女の頭を、そっと撫でてあげることしかできなかった。

 



提督「…………」

提督「……響。後でいいんだが、頼みがある」

響「……?」ナデナデ


提督「…………実はな、俺……」


 

―ウラジオストク 沖合3km―

―高速司令艇「ルースキー」 艇内―


長官『索敵状況は?』

潜水A『モロトヴェッツ以下、依然として発見できません』

?『…………』

長官『……先程の交戦地点は、まだ妨害粒子が?』

潜水A『現在濃度、0.062ppm。
    現代型レーダーでの索敵は不可能です』

長官『他の地点にも、反応は無しか』

潜水A『……はい。しかし、洞窟などに退避した可能性も……』

長官『だといいがな。使い尽くすまで無駄には出来ん』

潜水A『…………』
 


 ガガッ!


潜水B(無線)『こっ、こちらマクレル! 「ルースキー」応答願う!』

長官『こちら「ルースキー」、どうした?』

潜水B『そ、それが……日本の司令船に、モーラさんが!』

潜水A『!?』

長官『…………!』

潜水B『たった今、ヴェールヌイともう1隻の駆逐艦が、
    モーラさ……モロトヴェッツを抱えて、船内に……!』

長官『…………』

潜水B『長官! 日本司令船への接触許可を!』

潜水B『モーラさんを助けてくれたんです、もう疑う理由はありません!』

潜水B『何より、あのヴェールヌイが策略なんて……!』

長官『…………』
 

長官『……こちら「ルースキー」。第8特務大隊、全艦に告ぐ』

長官『第1艦隊旗艦、モロトヴェッツを発見した』

             ・ ・                    ・ ・
長官『日本の艦娘に鹵獲され、現在は向こうの司令船に収容されている』

 
  
潜水B『ッ……!?』


長官『本艇はこれより、直接交渉の準備に移る。
   各艦は捜索を中断し、至急、本艇へ帰投せよ』

潜水B『そんな、長官! 共同で救助作戦を――』

長官『繰り返すッ! 全艦、本艇へ帰投せよ!』

潜水B『っ……!』

長官『あちらへの接触は、私が直接行う』

長官『……もちろん、最良の機を見計らってな』
 

?『……ど、どういう……』

長官『…………』ギロッ

?『だ、だって……お姉ちゃんが、そんな……!』

長官『……やはり、連れて来て正解だった』

?『え……?』

長官『私の推測が正しければ、お前にも充分に役立ってもらうぞ』

長官『裏切り者の「姉」ともども、その燃料の一滴までな』


長官『――喜ぶがいい、ゴルコヴェッツ』

ゴルコヴェッツ『…………』

 

―日本司令船 格納庫―


モロトヴェッツ『…………』ズズッ

響『すまないね、ゆうべの残りしか無くて』

モロトヴェッツ『……いいえ。こんなに美味しいボルシチ、初めて』

響『……そうかい』


   毛布を羽織ったモロトヴェッツが、マグカップを手に息をついた。
   修復液が排出されたドックに、上体を起こして寝そべっている。


雷「おいしいでしょ? 響が作ってくれたのよ!」

響「あ、暁……いいから」
 

モロトヴェッツ『……でも、全然知らなかった』

モロトヴェッツ『演習があるとは聞いていたけど、まさかあなたが呼ばれたなんて』

響『……ラーザリからは、何も?』

モロトヴェッツ『ええ。……きっと、わざと教えなかったのね。
        あの子はもう、あいつの言いなりだから』

響『あいつ?』

モロトヴェッツ『――! いいえ、何でも……』

モロトヴェッツ『…………』チラッ

提督「…………」カチッ カチッ


   静かにボルシチを飲みながらも、
   モロトヴェッツは時折、鋭い視線を飛ばす。

   その先に居るのは、司令官だ。
   モロトヴェッツの握っていた機械を、ひどく真剣な顔で弄っている。


モロトヴェッツ『……ねぇ、ヴェールヌイ。あの――』