【Fate】鉄の心と、赤い心 (41)

寂れた村があった。

険しい山の中、深い緑に抱かれるようにして存在する集落。
長年の村を悩ませ続けている過疎化の問題を解決しない限り
あと十年を経ずして消え去る運命にある、そんな寒村である。

そんな村の中を、一人、歩を進める青年の姿があった。
ぼさぼさの短髪に、薄汚れたシャツとジーンズ。
まるで浮浪者のような出立の青年の表情は固く、
凍てつく夜風の中を歩くごとに、彼はその顔つきを険しくしていくようだった。


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じゃり、じゃり、じゃり―――

靴が砂をかむ音は、水に濡れたように重く、
その事実に青年は痛みに耐えるように奥歯を噛みしめて、険しい視線を辺りに向ける。

深く高い夜の中。
煌々とした月明かりに照らし出される集落に、人の気配はない。
より正確に言うのならば―――「生きている人間の気配」は、なかった。

森に潜むはずの動物たちすら、この現在を忌避するかのように声を潜め、
代わりに夜を満たすのは、夜を渡る風の音と、吹き散らされる木々のざわめきと。

そして、ただ。
むせ返るような血の臭いだけ。

すなわち、ここは地獄の名残。
助けを求める人々が、その願いごと押しつぶされた跡。
それは、青年―――衛宮士郎にとって、既に見慣れた情景だった。

死徒が巣くう村がある―――。
そんな情報を元に駆けつけた彼は、果たせなかった責務を悔いるように一度目を伏せる。

「……遅かった、か」
そして感情を押し殺した声で紡がれた、青年の呟きに。

「ええ、遅かったわ」
刹那、彼の背後から、答える声が生まれ出た。

「―――、」
油断無く、それこそ細心の注意を払っていたはずの背後から、呼び掛けられた。
しかも―――確かに聞き覚えのある声で。

その二つの事実に、動揺を覚えながら振り向いた彼の視界の中。
果たして、そこには彼が刹那に思い描いたとおりの人物の姿があった。

「遠、坂―――?」
「久しぶりね。衛宮くん」
呆然とした響きの青年の声に、赤いコートに身を包んだ少女は、
わずかに口元を引き上げるだけの笑みを返して、頷いた。

遠坂凛。
かつて聖杯戦争において、衛宮士郎が手を結び―――そして、刃を交えた少女。
あの凄惨な戦いから、数年を経て、彼女の笑みには、ぞっとするぐらいの艶やかさが加わっていた。

「また会えて嬉しいわ。
 まあ、再会を祝うような場所じゃないけどね」
くすり、と愉しげに息を零すと、彼女は手にした「何か」を地面に捨てる。

  どしゃり、と。

まるで、生ゴミの詰まったゴミ袋を捨てたときのような耳障りな音は、
つまり、血まみれの死骸が、投げ捨てられて地面を打つ音だった。

「……遠坂」
薄闇の中、浮かび上がるのは、冷たく凍えた少女の亡骸。
鮮血にまみれて息絶える幼い命を視界に止めたまま、衛宮士郎は固い声で、問い掛けた。

「お前が、やったのか」
「そうよ」
あっさりと。
拍子抜けする程に、あっさりと遠坂凛は彼の問いに頷いた。

「この村も、そうなのか」
「勿論」
「―――」
少女を殺したのか、という問いに。
街を破滅させたのか、という問い掛けに。

遠坂凛は、微塵の後悔も浮かべることなく頷き、答える。

「まさか「違う」なんて答えを期待してたわけじゃないでしょう?」
「……なんで。こんな真似をする理由、お前に、ないだろ―――?」
「衛宮君」
呟きに似た士郎の問い。それを窘めるような響きの声で、遠坂凛は言葉を綴った。

「答えの分かってる質問なんて止めて。
 ここまでくれば、あなたが望む答えなんて、どうやったって還らない」
「そんなこと、わからないだろ」
「……そう。奇跡なんて信じない癖に、
 それでもまだ人間を信じてるのね、あなた」
冷たく―――しかし、ある種、憐れみすら込めた言葉を口にして、深く、遠坂凛は息を吐いた。
しかし、そんな感傷めいた感情は刹那。

「いいわ。わざわざこんな所にまで、出向いてくれたんだし、
 答えるのが礼儀でしょう」
くすり、とまた、からかうように小さく笑って、赤い魔術師は誇るように告げた。

「この村を滅ぼした理由はね。ただの食事よ。
 だって―――吸血鬼が、血を吸うのは当たり前でしょう?」
告げる彼女の足下に転がる、投げ捨てられた誰かの死骸。
その細い首筋から流れ出る命の名残が、冬に凍る北の大地を赤く赤く染めていた。

200年に渡り極東の地で執り行われた聖杯戦争と呼ばれる儀式。
英霊を、時には神霊すらも使役して繰り広げられた大儀式は、
五度に渡る施行の果てに、結局の所、奇跡に届くことなく終焉を迎えた。

アインツベルン。マキリ。そして遠坂。
奇跡を求めた魔術師達の妄執は、衛宮という名の魔術師によって断たれ、
実を結ぶことなく、ただ時間の中に朽ち果てて終わったのだ。

遠坂凛が時計塔と称されるロンドンの魔術協会に身を置いたのは、聖杯戦争の終焉から一年後。
私は、聖杯戦争の敗北者としての誹りと、遠坂の後継としての敬意を持って迎えることになった。

誹りと敬意。それは矛盾した評価ではあるが、当然の評価とも言える。
魔術師が奇蹟を求め、その果てに、破滅する、
極論すれば、それはありふれた出来事に過ぎないのだから。

  届かないものに。
  届かないと知りながら。
  それでも―――己の全てを掛ける。

その救いがたい性こそが、ある意味では魔術師の本質である。
故に破滅に立ち会い、なおも生き残った魔術師には、
次の破滅の機会が与えられて然るべきなのだろう。

……まあ、それは穿ちすぎとも思う。
  一度失敗したとは言え、遠坂の血脈は協会にとって未だ価値があった。
  ただ、それだけの理由で、ロンドンに招かれた、という辺りが真相なのだろうけど。

ともあれ、遠坂凛は、些か複雑な評価の中で、時計塔に籍を置くことになる。

そして、そのからの数年。
私が研究の対象として選んでいたのは、宝石剣でも、第二魔法でもなく、
聖杯―――つまりは第三魔法に関する研究だった。

『アインツベルンの妄執は、
 シュバインオーグの系譜すらも犯したらしい』

私の変節に対して、そんな嘲笑が投げ掛けられることも少なくはなかった。
だが、取り立てて彼らの言葉に反論を並び立てるような真似はしなかった。
どう言い繕った所で、私が研究の対象を変えたことは揺るぎない事実ではあるし、
その原因として聖杯戦争があることもまた否定しようのない事実だったのだから。

事実を事実として指摘する声を、わざわざ否定して回るほど無駄なこともない。
多少鬱陶しいのも事実であったが、そんなことに気を回す余裕もないほどに、私は研究に埋没していった。

  結局の所、冬木の聖杯戦争とは何だったのか。

突き詰めて言えば、それが私の研究の動機になっていた。

  それは言うまでもなく、ただの徒労。
  幾千幾万と繰り返された無価値の一つ―――。

そう断じてしまうことは容易い。
だが―――、私は、その答を受け入れることは出来なかった。

200年にわたる魔術師達の行為の果てが、無価値だということが認められない訳じゃない。
生涯において初めての敗北を刻まれた戦いが、徒労であることに耐えられない訳でもない。

私が、あの儀式に意味を求めた理由は一つ。

あの夜の下。
あの雨の中。
切り捨てられた命に、意味が与えられないことが、ただ、許せなかった。

―――故に。

そう、それ故に。
私は聖杯の研究に埋没し、その果てに。


一つの答を、手にしていた。




「その答が、死徒化だっていうのか」
「まさか」
噛みしめるような士郎の言葉に、凛は肩をすくめて首を振った。

「魔術による死徒化もある意味では終着点の一つだけどね。
 でも、その程度で「答え」なんて言葉は使わないわよ。
 固有結界を得た魔術師が、辿り着いたなんて思わないのと同じで、ね」
「……」
衛宮士郎にとって固有結界は、ただの手段に過ぎないように。
彼女にとって死徒化は、ただの過程に過ぎない。
揶揄するような笑いを混ぜてそう告げる彼女に、士郎は感情を抑えた声で問いを続けた。

「―――だったら。
 その目的地はどこだ。遠坂」
空気に満ちる血の香りと、命の名残。
それを押しのけるように、閉じこめた感情が形になって口をつく。

「第二魔法を、目指すんじゃなかったのか。お前は」
「正しくは宝石剣の製造だけどね。まあ、どっちでもいいか。
 もう私はどちらにも興味はないわけだし」
事も無げに、遠坂の目的を切り捨てたと告げる凛。
その凛の迷いのなさに、士郎は底冷えのする意志を感じ取る。

「なんで、今更、聖杯なんだ。遠坂」
動揺を殺し、迷いを殺し、成すべき事に覚悟を決めながら
それでも諭すように士郎は魔術師に言葉を向けた。

「いや、聖杯を研究したって良い。
 でも、なんで、死徒なんてものに成るんだよ……っ!」
あの日、あの夜、あの協会において。
愛した人を犠牲に捧げたときから、被りつづけた仮面。
何重にも重ねた鉄の覚悟の中から、ほんの僅かに、少年の叫びが漏れる。

その叫びに。その問いに、

「答える義務はないわね……って言いたいところだけど、
 こんな辺鄙な場所までせっかく来てくれたのに、それはあんまりよね」
あくまで余裕の笑みを湛えたままに、遠坂凛は髪をかき上げた。

「別に今更、聖杯に奇跡を求めている訳じゃないわよ。
 正直に言うと、今はもう聖杯自体を作ろうとはしていないもの。私」
「―――」
「だから、死徒になったことと聖杯にも、直接のつながりはないわ」
「だったら、なんで」

そして問いは最初に戻る。
一体、彼女は何を、求めているというのか。

キシュアの命題を棄ててまで、追い求めた研究の果てに。
人間であることを棄ててまで、追い求める解は何なのか。

「それに、こんな犠牲を強いる意味なんてあるって言うのか、遠坂」
波打つ感情を抑えた口調は、しかし、明確な怒気に満ちている。

「やっぱり、まだ、正義の味方のままで、誰かのために怒るんだ。
 相変わらずなのね、衛宮君は」
そんな士郎の怒りを、愉しげに。
嘲笑うのではなく、過去を懐かしむような声で。
温もりすら孕んだ態度で受け止めながら、少女は笑った。

「遠坂……!」
「ねえ、衛宮君」
固い声の問い掛けを遮って、彼女は僅かに視線をそらし、逆に士郎に向けて問い掛けた。

「あなたが今までどこで何をやってきたのか、全部は知らないけど。
 でも、もうわかってるんでしょう? あなたがどれだけ頑張っても、報われないって事」
「―――」
問い掛けながら、そして、問われながら。
二人の魔術師が脳裏に浮かべるのは、赤い騎士の背中だった。
己の運命を呪い、己の生き方を忌避し、なおも誰を救うことを止めない英雄。

正義の味方。
誰もが憧れを抱き、そして、誰もがいつかその在り方の矛盾に気付く存在を、
ただただ、ひたむきに貫き通し、そして、裏切りの刃の下に命を落とした英雄の記憶。

「―――そんなこと、ない」
その記憶を、その末路を思い描きながらも、士郎は語気強く言い切った。

「頑張った奴は、ちゃんと、報われるんだから」
「そうね。それに関しては私もそう思うわ。
 少なくとも頑張らない人より、頑張る人の方が報われる可能性は高い」
噛みしめるような彼の言葉を、凛は拍子抜けするほどにあっさりと肯定して頷きを返す。

「でもね、衛宮君。答をはぐらかすのは止めて。
 私が言っているのは、頑張った人「みんな」が報われるなんてことは、決してないということよ。
 その真理が覆らない限り、いつまでたっても、あなたの行為が報われることなんか無いでしょう?」
「そんなこと」
「でも、しょうがないわよね。
 だって、この世界は『そういうふうに出来ていない』んだから」
否定する言葉を忌避するように、士郎の声を遮りながら凛は指を立てながら言葉を紡いでいく。
軽く指を立てながら、まるで、教師が教え子を諭すような口調で、彼女は想いをカタチに変える。

「だから、誰もが報われることはない。
 誰が報われるために、誰かが犠牲にならなければいけない。
 誰かの笑顔のために、正義の味方が笑顔を棄てなくてはいけないように。
 誰かの未来のために、誰かの祈りが踏みにじられなくてはいけないように」
「遠坂―――」
彼女が何を言っているのか。
痛いほどに、自覚して、士郎は紡ぐ言葉を失っていた。

凛が口にしているのは、彼らが出会った戦争の中。
彼らが下した決断が奪った命と、笑顔と、未来のことだったから。

故に、士郎は凛の意図に気付く。
彼女が聖杯の研究を始めたのは―――、贖罪なのだと。

犠牲にした命に。
守れなかった想いに。
手向けるための何かを、その生涯を掛けて手に入れると、彼女は、決めたのだと知った。

「だからね、成すべき事は単純なのよ」
そして、彼が彼女の意図に気付いた瞬間を見越したように、
遠坂の名を継ぐ魔術師は、凛と声を張り上げて、告げた。

「世界が間違っているのだから―――世界を正せばいい。
 それが、私の答えよ。衛宮君」

そう、彼女たちの世界を、あまりに平然と、否定しながら。

  この世界が、誰もが当たり前の幸せを享受することを許さないのなら。
  それを許さない世界を、それを許す世界に作り直せば、それですむ。

そんな夢のような望みを、当然のように口にしていた。

『世界は終焉に向かって進み続けている』
協会に属する魔術師にとって、それは共通認識と言って良かった。

尤も、その認識は魔術師に止まるモノではないのかも知れない。
始まりがある以上、終わりがあるのは必然。
故に、世界といえども永遠でないことは、誰にとっても代え難い真実なのだから。

―――だが。

事実を事実のままに受け止めることができたとしても。
事実を事実のまま放置することができないのが魔術師の―――あるいは人間の性である。


  来るべき終焉。
  それを回避する術は、ないのか。


不可能を可能に。
それが魔術師の生業であるが故に、数え切れない程の魔術師がその命題に挑んだ。

アインツベルンの試みさえも、この命題を解くための手段だと考えることも出来る。
第三魔法。人間の存在としての次元を格上げする神秘は、確かに終焉を回避するための一手法となり得るのだから。

尤も、アインツベルンが世の終わりの回避を目的においていたとは、思ってはいない。
それは聖杯の研究の最中で行った考察の一つに過ぎなかった。
だが、その想いが奇妙に確信めいて私の胸にわだかまる間に、全く別の知識が私の元へと届けられてた。

それは、アトラス院の名門。エルトナムに関する知識だ。

現エルトナムの当主にして、アトラシアの名を冠する錬金術師。
存在の確認すら困難であったかのワラキアの夜を討ち、
そして手にした真相を、彼女は報告書にまとめ―――そして、あろうことか「公開」したのだ。

『エルトナムの令嬢も、思い切ったことをする』
研究の成果は、ただ自己にのみ開示する。
アトラス院の唯一にして、絶対の禁忌を真正面から犯すアトラシアの行為は、協会の内外に、さまざまな波紋を呼んだ。
私も、多少の皮肉と、それ以上の賞賛の念を覚えながら、彼女の報告書を手にすることになった。

そして、一人の錬金術師の系譜を知る。

稀代の天才と呼ばれた錬金術師ズェピア・エルトナム・オベローン。
いくつもの禁忌を犯した、彼の目的は
ありとあらゆる計算式の果てに現れる終焉を回避することだったという。

死徒化。死祖の姫君との契約。自己の現象化。
そして―――第六法への挑戦。
想像を超える手段を用いて、彼は自らが得た「答え」を覆すためにその全てをかけた。

結果として彼の試みは失敗に終わる。
しかし、報告書に示された彼の足跡は、私にとって多くの示唆に富むモノだった。

無論、彼が失敗したものと同じ道を辿ろうとは思わない。
だが、その方法論、発想―――そして、彼が残した想いは、学ぶべきモノは多く、
そして、なにより。

第六法。

未だ、誰もがその全容を把握し得ないその神秘に
挑むことの意味は、つまり、私が望むことに一致していると知ったのだ。




「本気なのか、お前」
「本気よ。
 第六法。それに挑むことで、世界を書き換えることが可能になる。
 なら、挑まない理由はないでしょう?」
信じられないものを見るような士郎の視線を、平然と受け止めながら
凛は、不意に、軽く苦笑しながら手を振った。

「ああ、ちなみに正気じゃないのは承知してるわよ。
 だから、そこは突っ込まないでね」
「止めろ」
茶化すような凛の言葉を、士郎は感情の篭もらない声で押しつぶす。

「そんなこと、できるわけない」
「そう? ……まあ、衛宮君には無理よね」
「いくら、お前でも無理だ。人ではアラヤもガイアも超えられない」
故に、彼女の行為はただ悲劇をまき散らして無為に還るだけ。
そう指摘する士郎に、凛は平然とした笑みを浮かべたまま動じない。

「無理かどうかは私が決める事よ。
 大体、わたしはもう人間じゃないんだから。霊長に縛られるいわれはないでしょう?」
「だから、人を捨てたっていうのか。お前」
「ま、それだけが理由じゃないけどね。
 死徒になったから、守護者には楽勝―――なんて言うつもりもないし」
嘯くように良いながら、凛の表情には微塵の恐怖も浮かんではいない。

「いずれにせよ死徒になって、損はないのよね。
 ポテンシャルを底上げして悪いことなんかないんだしね」
「じゃあ、これはなんだ!」
叫んで士郎が指し示すのは、少女の死骸。
『悪いことなんか無い』と嘯く凛に、犠牲の亡骸を突きつけながら叫んだ声に、
やはり凛は平然とした態度のままで首を傾げただけだった。

「なにって、食事の後よ。
 まあ、食べ方がつたないのは、否定しないけどね。
 まだ新米吸血鬼だから、キレイに食べる乗って難しいのよね」

「お前―――」
「衛宮君がおこるのはわかるけど。でも、止めて」
やや目つきに険をこめながら、凛は口元をつり上げた。

「そんなこと貴方に言われる筋合いはないわ。
 何かのために、何かを犠牲にするなんて慣れっこでしょう?」
「―――違う」
「何が?」
「お前がやろうとしていることは、誰も救わないだろう」
彼の罪を突きつける凛に、士郎は毅然と首を振って、彼女の罪を突き返す。

「死徒になろうが、死祖になろうが、この星の命は守護者には決して叶わない。
 だったら、お前に犠牲を強いられた命は、本当に救われることなく終わる」
「……ねえ、衛宮君」
凛の望みを否定する言葉。
おそらくは限りなく真理に近い彼の指摘に、当の彼女は気分を害した風もなく口をひらいた。

「あなたは、聖杯戦争が、どうして七騎のサーヴァントで行われたのか、知っている?」
「―――」
突拍子もない問いかけ。
その意図を掴みあぐねて、士郎が言葉を探す間に、彼女はなおも言葉を重ねた。

「私はね。あれから、ずっと、聖杯の研究を続けたわ。
 そして分かったことが一つあるの。あの儀式はアインツベルンのオリジナルじゃない」
「……なに?」
「七騎のサーヴァントを従えての大儀式。
 アインツベルン、マキリ、そして遠坂の魔術師達はある伝承を元に、その儀式の形を組み立てたのよ」
「伝承―――?」
「そう、伝承。とても古く、ほとんど失われた知識」
そこで、一度言葉を切り。
初めて明確に、表情から笑いを消して、遠坂凛は告げた。

  「プライミッツ・マーダー。
   あの怪物を制御する方法が、その伝承の中にあった」、と。

「―――、」
あまりの内容に絶句する士郎。
その彼を尻目に、なおも凛は、淡々と言葉を続ける。
なるべく冷静に、努めて客観的に。それが事実であり、そして真実であることを伝えるかのように。

「霊長の殺人者。ガイアの抑止力。
 彼の存在を御すためには七騎の守護者が必要とされる。
 それが、彼らが聖杯の儀式のひな形としてなぞらえた伝承よ」
「……それが、なんなんだ」
彼女の意図がつかめないまま、
絞り出された士郎の問いに、凛は小さく首を振った。

「わからない? どうして、冬木の聖杯戦争はそんなものをなぞらえたのか。
 聖杯の儀式と、そして、ガイアの守護者の制御式。
 そこにどんな共通点があるのか」
俄には答えられない問い。
それを諒解しているのか、彼女は士郎の答を待たずして、自らの解答を口にする。

「答えは、どちらも「システム」であること」
「システム―――?」
「そう。伝承が、意味するところはそれ。「七騎」という数字自体が重要なわけじゃない。
 そのために必要な制御式自身も、いってみれば些末ごとなの。重要なのは一つ。
 プライミッツ・マーダーを御する方法は、「システム化できる」ということ」
「まて、それは」
「そう。考えてみれば、聖杯戦争という儀式の本質も、その点にあるのよ。
 きちんと手順を踏み、きちんと式を起動することができれば―――」

  「誰にだって、その奇蹟に手が届く」

それは彼のズェピアが、彼の末裔に最後に残した言葉のように。
その奇蹟。聖杯の向こう。
魔術師達が追い求める、その孔の向こう側へ―――『誰であれ』、手が届く。

「本来、到達できる存在、というのはきわめて限られている。
 たどり着けないものには、どうやってもたどり着けないものが魔法なのよ。
 だけど、あの儀式は、たどり着くための条件をシステムの方へと転化した」
つまり、誰であっても、たどり着けるように。

「大聖杯を用いた儀式の意義は、神秘を神秘のまま、
 誰の手にも届く場所にまで引き下げるという点にある」
それがかの儀式の本質なのだと告げて、凛は大きく息をついた。

「―――そして、元となった伝承もまた同じよ」
「お前、まさか」
此処においてようやく彼女の意図に、
彼女が用意するつもりの手段に気付いて、士郎は声を震わせる。

「そう。分かってくれた? 私が何をいいたいのか」
そんな彼の表情に満足げに、一度微笑むと、凛はその方法を口にした。

「死祖の姫、アルトルージュ・ブリュンスタッド。
 彼女だけが、プライミッツ・マーダーを御し得るわけじゃない」
ガイアの魔物。
彼の朱い月すら凌駕し得る力を、その術式に置いて手中にして。



「私は、第六法に、挑む」



ーーーこの世界を終わらせて、別の世界に塗り替えるために。

「だから、私は自らを死祖にまで高める必要があった。
 アルトルージュという死祖がかの怪物を従えている以上、
 七騎の守護者の条件に、死祖が該当する可能性は高いから」
「そして、これは、そのための犠牲だって言うのか」
「そうよ。理解してくれたみたいで嬉しいわ」
出来の悪い教え子が、ようやく解答に辿り着いたことを喜ぶ教師のように。
満足げな笑みを浮かべながら、凛は頷き、そして、再び表情を消した。

「さて、おしゃべりはここまでかな」、と。

何気ない口調の中に、言いしれない覚悟を押し込めた言葉を口にして、
彼女は「正義の味方」に退治する。

「あまり、引き延ばされてると教会の猟犬に追いつかれるかも知れないし。
 負けるつもりはさらさらないけど、それでもナルバレックの顔は見たくないしね。
 だから、最後に教えて、士郎」

未だ、彼女の話に、完全には動揺を隠せていない彼に、
それでも即座の決断を迫り、告げる。

「貴方は、私の願いに手を貸すことはできる?」




  「私は、世界を作り替える。
   誰かが幸せになるために、誰かの犠牲を強いる。
   そんな冷たい世界は、私はもう、欲しくない」


  そんな。
  本当に、偽りのない猛き赤い心を。・

  心を鉄で覆ってしまった少年の心に、向けながら。

沈黙の中。
士郎の脳裏にあまりに多くの想いが飛び交い、混ざり合った。

あまりに突拍子もない凛の計画。
奇跡の上に奇跡を積み立てるような計画を、しかし、彼女は築き上げようとしている。

その覚悟の礎に、なにがあるのか。
そこにある想いに、心を削られながら。
そこにある痛みに、想いを焦がされながら。

それでも―――鉄になった彼の心は、もう、頷くことを許してはくれなかった。

「……止めろ。遠坂」
呟くように。
しかし、躊躇いも迷いもない声で。
彼は答を、魔術師に向かって投げ掛けた。

「そう。それが答えなのね」
「ああ、協力なんて、できない」
「どうして?」
「その儀式に至るまで、どれだけの命を代償にするつもりなんだ、お前は」
「必要なら、いくらでも、よ」
「―――!」
詰問する声に、冷然と還される答え。
そこに迷いは微塵もなく、故に彼女の目は揺るがない。

「例え、この瞬間。数億の命が代償として必要だとしても構わない。
 今後、数億の存続につながるのなら、それは意味のある犠牲だから」
「そんなのは―――ただの詭弁だ」
押し殺した声が言葉を紡ぐと同時、
彼の手に現れるのは一対の双剣。

「そうね。否定はしないわよ」
それと同時に、赤い魔術師の手の平には淡い碧の輝きが灯る。

  剣と、宝石。
  月明かりの下、神々しいまでに美しく映える輝きがしめすのは、
  もはや言葉では分かり合えない二人の魔術師の溝。

「でもね、士郎。一つだけ、忘れないで」
向けられた剣先を瞳に映し。
そして手に灯した宝石の光を固く握りしめて。

遠坂凛は、最後に―――、本当の心のカケラを零す。





「あなたの理想が、誰かを救ったなんて、
 そんなこと、わたしはまだ認めてなんかいないんだから」
低く、冷たく。だけど、泣くような響きの声で、
遠坂の魔術師は、衛宮の正義を否定する言葉を、叫び―――。







滅びた街の、最後の夜に。
遠く空を焦がす、破滅の光を起動した。





「……やっぱりこうなるわよね」
乾いた血をぬぐいながら、凛は呆れたように呟いて、笑った。

見つめる先には、廃墟になった寒村。
もはや遠く離れたその場所には、もはや何の命も残っては居ない。

「叶わないと知れば、即座に離脱する―――か。
 流石ね、聖杯戦争の勝利者は伊達じゃないって事か」
かつて衛宮切嗣と呼ばれた魔術師に。
そして、あの赤い外套の魔術師に、少しずつではあるが
衛宮士郎が近づいていることを痛感して、凛は肩をすくめた。

「まあ、今のは私のミスだけど」
死徒化による能力の向上は、格段に凛の戦闘能力を向上させていた。
未だ、未熟な死祖とはいえ―――今の衛宮士郎の命を奪うことは容易い筈だった。

「でも……、これでいいのか。
 私が世界を作り替えるところを見せつけて上げないと、いけないしね」
そう呟いて、彼女は一人、夜の中で目を閉じた。

「―――止めろ、か」
思い起こすのは、彼の言葉。
冷たい感情を装った制止の言葉は、その実、彼の心からの叫びであったことに
気付いてはいた。

だけど。
その言葉は遅すぎて、もう、彼女の心の淵にさえ、届かない。

もし。
その言葉が、届くことが、あったとしたら。

  それは、あの雨の夜。
  暗く静かな、教会で。

  一人の少女の命を、この手に掛けるあの間際。

「―――ふん」
なにもかも、今更だった。
あの決断が間違いだったとは、思わない。


  でも、それは。
  一体、「誰のための正解」だったのか。


その問の答を考えかけて、彼女は小さく首を振った。
答えの分かり切っている問いを、口にすることに意味はないから、と。
自らの心に言い聞かせながら、彼女は自らが滅ぼした村を後にした。


  無作為に選んだ村。
  名前も知らない命たち。
  ただ、自分を呪う人々の目を脳裏に焼き付けながら。

  もう、戻ることはできない、と。

そう覚悟を固める理由は、
全ては、一つの決意の元。


  冬木の聖杯戦争とはなんだったのか。
  そして―――、間桐桜という少女の犠牲に意味はあったのか。


その問いに。
ただ、YESという答を、返す、そのためだけに。

  彼女の犠牲は。
  彼女が憧れた人の、彼女が縋った人の理想を叶えるための礎になったのだと。

  「誰もが幸せになれる」世界を、導くための理由になったのだ、と。


その犠牲の意味を、世界に刻む、ただ、それだけのために。


  五つの秩序に挑み。
  六番目の魔法を駆動し、
  この世界のシステムを書き換える。


その決意を胸に、彼女は、一人、夜の中を歩き続ける。



その願いが。
その決意が。

決して叶うことはないのだと―――、知りながら。

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