絵里「親愛なる私のことりへ」 (337)



絵里「ことり、こっちおいで」

ことり「うんっ」

絵里「ことり」
ギュッ

ことり「ん、くるしいよぉ、絵里ちゃん」

絵里「あぁ、ことりっていつも良い香りがするわ」
クンクン

ことり「んっ、も、もうっ……嗅ぐの禁止……」

絵里「もう少しだけ、いいでしょ、ね?」

ことり「……ん、くすっぐたいよぉ……えへへ」


絵里「……ねぇ、ことり」

ことり「なぁに? 絵里ちゃん」

絵里「好きよ」

ことり「うん、ことりも」

絵里「大好き……愛してる。ことり……私のことり」
ギュッ

ことり「…うん」

絵里「ことりも、言って?」

ことり「絵里ちゃん、大好き」

絵里「ことり……ん、ちゅ…」

ことり「んぁ、ちゅ、ぱ……ぁ……んん、」


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1440666841


ツーっと人指し指で唇をなぞった。
昨夜の感触がまだ残っているようで、ドキリとした。簡単に思い出せてしまうから。
だって、唇、触れる。キス。絵里、ちゃん。


「──り、──ことり」

ことり「へ? あっ、」

海未「ずっとぼーっとして、どうかしましたか?」

ことり「え、えっと……」

穂乃果「絵里ちゃんのことでしょ?」

ことり「う、うん…」

穂乃果「そして昨日はお泊まりだった!」

ことり「へっ!? な、なんでわかったの!?」

穂乃果「朝会った時にね、ことりちゃんから絵里ちゃんの匂いしてたから。今は消えてるけど」

海未「犬ですか…」

ことり「するどいなぁ、えへへ……うん、穂乃果ちゃんの言う通り」

穂乃果「それでそれで? やっぱりチューとかするの? もしかしてその先もっ!?」

ことり「え、えぇ…!? あ、えーと……」
チラッ

海未「……こら、穂乃果。そういうことはいくら仲の良い相手でもむやみやたらに訊くものではありません」

穂乃果「ちぇー、はぁーい」


海未「ことり、絵里は元気でしたか? あれからお変わりはありませんか?」

ことり「うん。あ、そっか、二人は絵里ちゃんが卒業してから会ってないんだっけ」

海未「絵里も大学に入り忙しい身だとは思いますが、久しぶりに会って話したいですね」

ことり「今度会った時に伝えておくよ。きっと絵里ちゃんも喜ぶと思う」


穂乃果「いいなぁ……」

ことり「穂乃果ちゃん?」

海未「何がですか…?」

穂乃果「穂乃果も恋人ほしいー! 絵里ちゃんみたいな素敵な恋人ほしいよー!」

ことり「あはは……穂乃果ちゃんならきっとすぐ良い人が……ほら、海未ちゃんとか」

海未「御断りします」

穂乃果「穂乃果フラれた!? むぅ……、別に海未ちゃんなんてこっちから願い下げだよーだっ」


穂乃果「でもまさか、絵里ちゃんとことりちゃんが付き合うようになるとはねぇ」

海未「それには私も最初はすごく驚きました。しかし、お似合いの二人のように、今では思えてきます」

穂乃果「ほんとほんと。絵里ちゃんはかっこいいし、ことりちゃんはかわいいし」

ことり「そ、そんな……恥ずかしいよぉ……」


開けっ放しの窓から初夏の風が吹き込んできた。
その真下に見える、校庭の桜の木。ピンク色の花弁が舞うあの季節。卒業式の日に。

告白された。

好きです、って。ずっとずっと好きでした、って。

絵里ちゃんらしく自信たっぷりの表情で。普通こういうのって断られるかもとか考えてもっと臆病になるんじゃないのかな、って思った。
でも、それが素敵に映って。とっても頼もしくて、かっこよくて、気が付けば惹かれちゃってた。
絵里ちゃんだったらもっと他に良い人がいるんじゃないか。ことりなんかでいいのかなって萎縮しちゃったけど、真っ直ぐ見つめてくるその瞳に心を奪われて。

ずっと憧れだったあの気持ちを、恋へと変えてくれた気がしたの。
胸がキュンとした。恋をすると胸ってほんとにキュンってなっちゃうのを初めて知った。

自然と答えてた。「はい……私も、絵里ちゃんのことが好き」って。

抱きしめられた。
絵里ちゃんの腕のなかはあたたかった。三月のまだ肌寒い風がその時だけは吹くのをやめてくれたみたいに。


〈放課後・生徒会室〉


穂乃果「はぁぁー、疲れたぁー……もうだめ」

海未「まだまだやることは残っていますよ」

穂乃果「うぇぇ……海未ちゃんのオニ……」

ことり「書類のチェックはことりと海未ちゃんで済ませるから、穂乃果ちゃんはこっちのに判子押していってね」

穂乃果「はーい…」

海未「テキパキ動かないと今日のうちに終わりませんよ」

穂乃果「てことは、練習は?」

海未「今日は無理そうですね」

穂乃果「あぁーん、もう、こんなんじゃ体が鈍っちゃうよーー!!」

海未「自業自得です」

ことり「ちょっと休憩が長すぎた、かも……あはは……」

穂乃果「だってことりちゃんがいつも美味しそうなお菓子持ってきてくれるからー」

海未「ことりのせいにしないでください。ことりも、今後穂乃果に餌を与えないように」

ことり「気を付けます」

穂乃果「えぇーー!」

ことり「さ、ちゃちゃっと終わらせちゃお?」

穂乃果「うん!」

海未「集中です」

穂乃果「よしっ、がんばるぞー!」


ことり「あれ? ねぇ、穂乃果ちゃん」

穂乃果「ほぇ?」

ことり「この書類……先生の判子が押されてないみたいだけど」

海未「今日までに貰ってくるようにと穂乃果に一任していましたよね? ……まさか」

穂乃果「え、あ……ああぁーっ!!」

海未「完全に忘れてましたね…」

穂乃果「す、すぐ行ってくるっ!」

ことり「あ、待って、穂乃果ちゃん! ことりが行ってくるよ、穂乃果ちゃんはこっちの仕事あるし」

穂乃果「で、でも穂乃果のミスだし……」

海未「まぁその通りですが、こちらの書類はすべて会長の印が必要なものです。穂乃果がいなくてはどうしようもありません」

ことり「だからそっちの方はことりに任せて。ね?」

穂乃果「…うん、ごめんね、ことりちゃん」

ことり「平気だよ。じゃあ行ってくるね」

海未「よろしくお願いします」



穂乃果「……ねぇねぇ、海未ちゃん」

海未「…何ですか? 口を動かさずに手を」

穂乃果「穂乃果って駄目な生徒会長だよね……二人に迷惑ばっかりかけて……はぁ…、自信なくなっちゃうなぁ……」

海未「……」

穂乃果「こんなんならさぁ、海未ちゃんかことりちゃんが生徒会長の方がうまくいってたよね、絶対」

海未「まぁそうでしょうね……というか、今更ですか」

穂乃果「うぇっ?」

海未「そんなの最初からわかってたことじゃないですか。今まで自信を持ってやっていたというのが驚きです」

穂乃果「海未ちゃん、ヒドイ…!!」

海未「……ですが、穂乃果だったのでしょう」

穂乃果「へ?」

海未「絵里が強く推したのは、私でもことりでもなく、穂乃果でした。それがどういうことか、少し考えればわかりますよね?」

穂乃果「……うん」

海未「絵里の顔に泥を塗らない為にも、疎かには出来ません。もっと精進せねばなりませんね」

穂乃果「うんっ、がんばる!」


ピロローン…


穂乃果「ん…? あ、ことりちゃんの携帯鳴ってる」

海未「メールでしょうか」

穂乃果「絵里ちゃんからかな? ちょっと見てみよっか」

海未「いけません、プライバシーの侵害です」


ピロローン…


海未「また…」

穂乃果「ことりちゃん愛されてるなぁ、いいないいなぁ」

海未「まだ相手が絵里と決まったわけではありませんよ」


ピリリリリリリ…


穂乃果「今度は電話だ」


『絢瀬絵里』


海未「絵里からのようですね」

穂乃果「出てみよっか」

海未「いや、それは……しかし、なにかあったのかもしれませんし……では私が」
ピッ

海未「も、もしもし……」

『…………』

海未「絵里、ですか……?」

『……海未?』

海未「はい、海未です。お久しぶりです。すみません、ことりは今、」

プツッ…

ツーツーツー……


海未「あれ…? 切れてしまいました」

穂乃果「え? なんで?」

海未「私に訊かれても……いきなりでしたので」


ガチャ…


ことり「ただいまぁー」

穂乃果「あ、ことりちゃん。今ね、ちょうど絵里ちゃんから」

ことり「絵里ちゃん?」

海未「すみません。ことりの携帯に絵里から着信があったもので、悪いと思いながらも勝手に出てしまいました。ですが、すぐに切れてしまい……もしかしたら何かあったのかもしれません、念の為、かけ直したほうがよいかと」

ことり「そうなんだ? じゃあちょっと電話してくるね」
ピッ



ことり「あ、もしもし、絵里ちゃん?」

『ことり? まだ学校?』

ことり「うん、どうかした?」

『……大学の講義が早めに終わったから、音ノ木の近くまで来てみたんだけど、まだかかりそうかしら?』

ことり「うーん、そうだねぇ…」

『……なら終わったら私の家に来てくれる? ことりに会いたいわ』

ことり「うん。じゃあできるだけ早めに行けるようにするね」



海未「どうでしたか? 絵里は何と」

ことり「ううん、近くまで来てたからって」

穂乃果「えっ、そうだったんだ!? ここに来てくれればよかったのにー」

海未「そういうわけにもいかないでしょう。それよりもことり、大丈夫ですか?」

ことり「なにが?」

海未「絵里が待っているのでは」

ことり「大丈夫だよ。家に来てって言われてるから、もう少し後でも」


〈絵里の家〉


ことり「お待たせ、絵里ちゃん。これ、おみやげ買ってきたの。絵里ちゃんの好きなチョコレートのケーキ」

絵里「……」

ことり「絵里ちゃん…?」

絵里「……1時間と43分」

ことり「え……?」

絵里「ことりに電話してから私が一人で待っていた時間」

ことり「あ……え……ご、ごめんなさ」

絵里「どうしてもっと早く来られなかったの」

ことり「それは、生徒会の仕事をしていたから…」

絵里「嘘。それだけでこんなに遅くなる筈がないわよね」

ことり「ほ、ほんとだよ…? ことり、嘘なんかついて」

絵里「海未が出たわ。……最初に電話かけた時に」

ことり「あ…、その時はたまたま席を外してて、それで海未ちゃんが」

絵里「浮気してたんでしょ」

ことり「え……?」

絵里「海未と浮気してたんでしょ? そうなんでしょ?」

ことり「ち、違うよ? そんなわけないじゃん…」

絵里「……私に隠れてコソコソしてっ、どうしてっ、なんでっ!? 嘘までついてっ!!」

ことり「ちがっ……うそじゃな、」


ばちんっ──。


渇いた音が聞こえた。
何が起きたのかわからず、頭の中は真っ白になって、一瞬、呼吸が出来なくなっていた。


ケーキの入っていた紙袋は私の指をすり抜け、そのままフローリングの床へと、落ちていった。
ぐしゃっ、と音を立てて。

きっと中はぐちゃぐちゃになっちゃっているのだろう。まず頭に入ってきた情報といったらそんなどうでもいいことだった。

次第に頬に痛みを感じるようになって、そこでやっと気付いた。理解できた。

──私、殴られたんだ。


左の頬がじんじんと痛む。耳の内側はさっきからキーンという音が鳴り続けている。
なんで、私、殴られたの?
なんで、絵里ちゃんは、私を殴ったの?
そんなことを考えている暇もなく、

ばちんっ──。

今度は右の頬に鋭い痛みが走った。


痛い……、いたい、恐い、こわい。

こわい、こわい、こわい、こわい、たすけ、て……


がんっ──。


ことり「ぁぎゅっ!? や、やめっ……やめてっ、」


鈍い痛みと、ガンと音がしたと思ったら、目の前の景色はまったく別なものに変わっていた。
髪を掴まれて、力任せに床に叩き付けられた。
顔の近くに転がっていたぐしゃぐしゃになった紙包み。チョコレートの香りがした。

同じように転がっている私を見下ろす絵里ちゃん。逆光でどんな表情をしていたのかはわからなかった。
見えたのは、足。右足。
振り抜かれた、瞬間、襲ってくる、痛み。

どすっ──。

ことり「ぁぎゅっ!! がっ、ぁ、はっ、ごほっ、ごほっ!!」


お腹を蹴られた。

何度も、何度も、

絵里ちゃんの足が私のお腹を蹴りつける。

数えるのも諦めてしまうくらい。

痛いって泣いても、やめてって叫んでも、絵里ちゃんは全然聞いてくれなかった。聞こえてなかったのかもしれない。

しばらくして蹴るのに厭きたのか、また髪を掴まれ、頬を叩かれた。

これも何回叩かれたのか覚えていない。


────────
──────
────
──



ことり「ひっ、ぁぐ……ごほっ……ごほっ……、はぁ……はぁ……っ」

絵里「…………」


ことり「ご、ごめんな、さいっ……ひぐっ……」

絵里「……ことり、」
ギュッ

ことり「……っ、ぇ……?」


ふわりと、頬を擦ったのは綺麗な金髪。
絵里ちゃんはやさしく抱きしめてくれた。私のよく知っているその両腕で。
さっきまでとは別人のように、ごめんなさいごめんなさい、って涙声で謝ってきてくれた。


絵里「本当にっ……ごめんなさいっ……、痛かったわよね……? 私、なんてことを……っ」

ことり「……絵里、ちゃん……ううん……、平気だよ」

絵里「ごめんなさいっ……ごめん、なさい……ゆるして……ごめんなさい……っ」


頬を撫でてくれるその指が温かかったから。
涙で濡らしちゃいけないと思った。
絵里ちゃんの涙を拭ってあげたいと思った。


ことり「……泣かないで、絵里ちゃん……ことりが、悪かったんだから……。次からは、もっと早く行けるようにするね」

絵里「ほんと……?」

ことり「うん…」

絵里「ことり、大好きよ……」
ギュッ

ことり「……うん」


よかった。優しい絵里ちゃんに戻ってくれて。
びっくりしちゃったけど、ことりが悪かったんだ。
ことりが、絵里ちゃんにさびしい思いさせちゃったから。


〈翌日〉


穂乃果「ことりちゃん、おはよー!」

海未「おはようございます、ことり」

ことり「おはよう。穂乃果ちゃん、海未ちゃん」

海未「……ことり? 少し頬が腫れていませんか?」

ことり「え…、そ、そんなこと、ないんじゃないかな……」

海未「…私の気のせいでしょうか」

ことり「今日はちょっと暑いからね、そのせいかな……あはは……」

穂乃果「だよねぇ、最近暑くてもうホント夏って感じー」


あの後、氷で冷やしたんだけどなぁ。
でも、気付かれなくてよかった。
本当のこと話したらきっと二人とも心配しちゃうよね。

お腹の方はちょっとだけ痣になってるけど、痛みも引いてきてるしすぐにわからなくなると思う。


穂乃果「あ、メールだ」

ことり「っ!?」
ビクッ

海未「ことり…?」

ことり「ううん、なんでもない」

穂乃果「ニコちゃんからだ…………ってえぇーー!?」

海未「穂乃果?」

ことり「どうしたの? 穂乃果ちゃん」

穂乃果「あのね、ニコちゃんが」


ニコちゃんは高校を卒業してから芸能事務所に所属している。
ずっと夢だったアイドルになるために。

スクールアイドルとして有名だったA-RISEとμ's。
A-RISEの三人も学校を卒業してニコちゃんとは別の大手芸能事務所にスカウトされ、近々デビューも決まっているらしい。

対してニコちゃんは卒業してから目立った話もまだなく、デビューの日がいつになるのかわかっていない状態だ。

でも、デビューとまではいかなくても初めてのステージが決まったと先程穂乃果ちゃんにメールが届いた。

事務所内のアイドルのお披露目会といったイベントらしいんだけど、そこでニコちゃんも歌わせてもらえるとの話。

だから私たちにも是非観に来てほしいってニコちゃんが。



凛「みんなで応援に行くにゃ!」

花陽「わぁ、楽しみだなぁ。ニコちゃんすごいです…!」

真姫「もう日時は決まってるの?」

穂乃果「うん、だからチケット用意するから来られる人数教えてほしいって」

海未「全員で行けるといいですね」

穂乃果「え? ていうか来れない人いるの?」

真姫「土曜日だし、私たちは行けると思うけどエリーや希ちゃんは予定どうなのかしら?」

ことり「あ、今日ね、授業終わってから絵里ちゃんの大学に遊びに行く予定だからその時に聞いてみるよ。多分、希ちゃんも一緒にいると思うし」

凛「相変わらず仲良しだねー、ことりちゃんと絵里ちゃん」

海未「ことり、私も同行してもよろしいでしょうか?」

ことり「え? な、なんで…?」

海未「えっと、久しぶりに絵里と希の顔も見たいですし……邪魔でしたら無理にとは」

ことり「そんなことないよ。一緒に来てくれるとことりも安心する」

穂乃果「じゃあ穂乃果もっ……あ、今日は店番頼まれてるんだった」


〈絵里の大学〉


ことり「え、えーと……」
キョロキョロ

海未「場違いな気がして緊張してしまいますね……」


絵里「あ、ことり!」


ことり「絵里ちゃん! 希ちゃんも」

希「久しぶりやね、二人とも」

海未「絵里、希、お元気そうでなによりです」

希「海未ちゃんも、ね」

絵里「……」

海未「……絵里?」

ことり「……」

海未「あの……何か……?」

絵里「向こうにカフェがあるの。そこで話しましょうか」

希「そこのケーキがすごく美味しいんよ。エリチなんかいつもことりちゃんに食べさせてあげたいって」

絵里「も、もう、希っ! さぁ行きましょう」

ことり「うん」

海未「……?」

ことり「海未ちゃん、行こ?」

海未「は、はい…」



希「へぇ、ニコっちがねぇ」

絵里「ニコも頑張ってるのね」

ことり「二人ともどうかなぁ? 来れそう?」

海未「日時はこちらに」

絵里「土曜日……? ことりは行くの?」

ことり「あ、うん……行きたいなぁって」

絵里「……そう」

希「あちゃー、ウチはちょっとこの日は厳しいかなぁ。昔お世話になった人のね、結婚式に行くんよ」

海未「え? そうなのですか……残念です……ニコも希には観てもらいたかったでしょうに」

希「まぁでも、ウチとニコっちはちょくちょく会ってるから、そんな気にしとらんと思うよ」


絵里「……」

ことり「……あの、絵里ちゃ」

絵里「ことり、ちょっといいかしら?」

ことり「へ…?」

絵里「ことりにね、見せたい場所があるの。すぐ終わるから希と海未はここで待っていてくれる?」

希「おっけー」

海未「はい」


絵里「ことり」

ことり「う、うん…」





絵里「……」

ことり「……」

絵里「……」

ことり「え、絵里ちゃん……」

絵里「……約束したわよね? お互い授業のない土曜日と日曜日は二人きりで過ごすって」

ことり「……うん」

絵里「ことりも私と一緒にいるのを望んでくれてたと思っていたのだけど、それは私だけだったみたいね…」

ことり「そ、そんなことないよ! ことりも絵里ちゃんと一緒にいるのはすごくうれしい…」

絵里「ならどうして……? どうして私との約束を破ってまでニコのところへ行こうとしているの!?」
グイッ

ことり「きゃっ!? い、痛いっ……痛いよ、絵里ちゃん……っ」

絵里「……」

ことり「は、離して……絵里ちゃん……」

絵里「……」

ことり「ニコちゃんは、ことりと絵里ちゃんの大切な友達でしょ……? だから、近くで応援してあげたいの……」

絵里「……そう」

ことり「だめ……? みんなで行ったらきっとニコちゃんも喜んでくれると
思うから……」

絵里「…………ニコのステージが終わるまでよ」

絵里「それが終わったらみんなとは別れて二人で過ごす。約束できる?」

ことり「う、うん……わかった……」


ことり「ありがとう、絵里ちゃん」

絵里「……土曜日の件はそれでいいわ。でも、」


ばちんっ──。


ことり「ぁぐっ……え……絵里、ちゃん……?」

絵里「……どうして海未が一緒にいるの? 昨日言ってたわよね? 浮気はしてない、って」

ことり「し、してないよ……海未ちゃんは、友達で……、浮気なんかじゃな」


ばちんっ──。


絵里「嘘よ、そんなの嘘よ。ここに来るまでもずっと二人きりだったんでしょ? 想像するだけで頭がおかしくなりそう、ことりは誰のものなの!? 私のことりじゃないの!?」

ことり「こ、ことりは……絵里ちゃんの、だよ……絵里ちゃんだけの……ことり……」

絵里「だったら私を不安にさせるようなことはやめて……私のことを愛してくれてるなら難しいことじゃないでしょ?」

ことり「……はい」

絵里「早くしなさい」

ことり「……はい」




希「へぇ、いいなぁ、楽しそうで」

海未「まぁその分大変なことも多いですがなんとか……あ、すみません。ことりから着信が」

海未「もしもし?」

『…………海未ちゃん』

海未「どうしました? まだ絵里と」

『……悪いんだけどさ……先に帰っておいてもらえるかな……』

海未「え? ことり……?」

『ごめんね……、ごめんね……』

海未「あ、あの…」

『ごめん、もう切らなきゃ……ほんとにごめんね……じゃあまた明日』


ことり「ちゃんと、言ったよ……海未ちゃんに」

絵里「……良い子ね」

ことり「だから、もう、怒らないで……?」

絵里「ねぇ、ことり……キスしていい?」

ことり「え、でもここじゃ……誰かに見られちゃうかも……」

絵里「見られても構わないじゃない。私たちは愛し合っているんだから……むしろ世界中に見せつけてあげたいくらい」

絵里「この子が私の、自慢の恋人なのよ、って」

ことり「絵里ちゃん……うん、ありがと」

絵里「……来て、ことり」

ことり「うん……ちゅ、ぁ……ン……っ」

絵里「ン、ちゅる……ちゅぱ……っ、じゅる……ぁ……」



絵里ちゃんに叩かれるのは痛い。
痛い、けど、それはことりを愛してくれているからで。
ことりのことを想ってくれているからで。
その後はいつもの何倍もやさしくしてくれるの。

ことりを叩く絵里ちゃんの方がずっとずっと辛いと思う。
だから絵里ちゃんに辛い想いさせない為にも、ことりは良い子でいなくちゃいけないの。


その笑った顔が好き。

その抱きしめてくれる腕が好き。

そのことりを愛してくれる唇が好き。



携帯はいつも傍に置いている。

いつメールがきてもすぐ返信できるように。
いつ電話くれてもすぐ出られるように。

絵里ちゃんに呼び出されるとすぐ向かうように心掛けてる。
それが生徒会の仕事の途中でも、それが部活の練習中でも。

絵里ちゃんを怒らせたくないというよりも、悲しませたくないという気持ちの方が強かった。


ことりが良い子でいたら絵里ちゃんは笑ってくれる。優しくしてくれる。いっぱいいっぱい愛してくれる。


・休日には予定を入れない。
・メールは三分以内に必ず返信する。
・電話には3コール以内に必ず出る。
・絵里ちゃん以外の子とは絶対に二人きりにならない。
・ファンの子とは口を利いてはいけない。
・露出が多い衣装、普段着は避ける。


忘れないようにメモしておかなくちゃ。

絵里ちゃんに辛い想いさせないように。

絵里ちゃんに愛してもらえるように。


〈イベント当日〉



イベントは大盛況。トリを飾ったのはTVでもよく見る有名なアイドルグループ。
途中のニコちゃんの番でも会場はすごく盛り上がってくれて、ことりも嬉しかった。

そしてイベント終了後に少し時間あるからってニコちゃんの厚意で楽屋に入らせてもらった。
なんか去年まで一緒にスクールアイドルしてた私たちを事務所の社長に紹介したいんだって。

なんだか少し照れちゃうなぁ。



にこ「みんな、今日は来てくれてありがとね」

凛「希ちゃんも来られればよかったのになぁ」

にこ「まぁ希とはたまに会ってるから、またそのうち機会あるでしょ」

海未「ふふっ、希も同じこと言っていましたよ」

花陽「ふあぁぁ……」

真姫「もう、しっかりしなさいよ、花陽」

にこ「どしたの? 人に酔っちゃったとか?」

真姫「色んなアイドルを間近で見て興奮しすぎちゃっただけ」

花陽「ふわぁぁ、すごかったなぁ……あ、もちろんニコちゃんも最高だったよ!」

にこ「そんなの当然でしょー? だってニコはスーパーアイドルなんだからー」

真姫「今は一番下っぱでしょ」

にこ「うるさいわねっ! 見てなさいよっ、1年後…いや、3年後……5年後には必ず」

真姫「その時何歳になってるのよ、ニコちゃん…」


穂乃果「一番下っぱだけどニコちゃんが一番ニコちゃんだったよ!」

にこ「もはや意味不明だしっ! ていうか下っぱゆーなーっ!」

ことり「すっごく可愛かったよ! 前よりももっともっと」

花陽「ニコちゃんっ、さ、さささささサインくださいっ!!」

にこ「なんでニコ相手にそんな緊張してんのよ…」

花陽「だ、だって……ニコちゃん本物のアイドルになってて、なんだか遠い存在に思えてきて……花陽なんかが軽々しく喋りかけていいのかな、って…」

にこ「……バカね。ニコがどうなろうとその反対で花陽がどうなろうと、友達なのは変わらないでしょ? 一生」

花陽「ニコちゃん……うんっ、そうだよねっ」

穂乃果「ニコちゃん、穂乃果にもちょーだい! サイン!」

凛「凛にも凛にもー!」

にこ「あんたたちはもうちょっと遠慮ってものを覚えなさいっ! スーパーアイドル様よっ、ニコは! ていうか花陽が先っ!」
カキカキ

花陽「ふわぁぁ~~//// い、一生宝物にするね!」


絵里「ねぇニコ、お手洗いってどこかしら?」

にこ「あぁそれならこの奥を真っ直ぐ行って左に曲がればすぐわかるわ」

絵里「ありがと」


絵里「……ことり」

ことり「え、あ……うん…」


海未「……?」



絵里「……ニコのステージが終わったら帰るって約束してたわよね?」

ことり「……ごめんなさい」

絵里「そんなに私を困らせたいの?」

ことり「ち、違うよ……違う、けど……せっかくニコちゃんが楽屋に招待してくれたから…」

絵里「私との約束よりニコの方がことりには大事だっていうの……?」

ことり「ううんっ、ことりは絵里ちゃんとの」

絵里「ならどうして約束を守れないのよっ!?」



海未(声……? 絵里とことりの……)

凛「海未ちゃん置いてかないでよー、迷子になっちゃうにゃ」
タタタタッ

海未「こと、……え?」


ばちんっ──。


ことり「ぁぐっ……! え……あ……ぁ……」


バランスを崩して倒れ込んだ。
早く謝らなきゃ、って顔を上げたら視界の中には海未ちゃん、それに凛ちゃんもいた。

海未ちゃんが一瞬で険しい表情になるのがわかった。


海未「絵里……何をしているんですか……?」

絵里「……」

海未「答えてください……貴女はことりに今何を」

絵里「なにも」

海未「え?」

絵里「なにもしていないわ」


海未「な、何をぬけぬけとっ……! 私はこの目で見ました! 絵里がことりをっ、殴っているのを…」

凛「ことりちゃん……大丈夫?」

ことり「……」

絵里「……海未の見間違いじゃないかしら?」

海未「なっ…」

絵里「ことりが体調悪そうにしていたから、調子を看ていただけよ? それでことりがよろけちゃったから海未にはそう見えてしまったのかもしれないわね」

海未「そんなことはありませんっ…! 私は…」

ことり「海未ちゃん」

海未「ことり…」

ことり「絵里ちゃんの言う通りだよ。ちょっと気分が悪くなっちゃっただけなの」

海未「ことり……何を言って……」

絵里「……そういうわけだから、私たちは先に帰らせてもらうわ。ニコにはよろしく伝えておいてちょうだい。…ことり」

ことり「…うん」

海未「ま、待ってください…!」

絵里「……なに?」

海未「……っ」

ことり「海未ちゃん、ほんとになんでもないから……心配しないで」





海未「……っ」

凛「海未ちゃん…」


穂乃果「あ、いたいた!」

真姫「なかなか帰ってこないから迷子になってるんじゃないかって……何かあったの?」

海未「……」



絵里「……」

ことり「……絵里ちゃん」

絵里「……」

ことり「ごめんなさい……ことり、悪い子でごめんなさい……怒ってるよね……?」

絵里「…………ことりは私のことが嫌い? 私と別れたいって思ってるの?」

ことり「やだ……やだ……別れたくない……絵里ちゃんのこと、大好きだから……そんなこと言わないで……」

絵里「……」

ことり「気の済むまでことりのこと叩いていいから……だからっ」

絵里「……私だけを愛してくれる、そう誓ってくれる?」

ことり「誓う……ことりは絵里ちゃんだけ愛するよ」

絵里「……だったら、もう海未とは話さないで」

ことり「え……」

絵里「あの子は私たちの愛の邪魔をしようとしてくる……まだ貴女に未練を持っているのよ」

ことり「海未ちゃんが……私に……?」

絵里「今後一切、海未とは口を利かない……わかったわね?」

ことり「……っ」

絵里「ことり」

ことり「……はい」


〈数日後・部室〉


海未「絵里はことりに対して暴力を奮っています」

真姫「……この前も言ってたけど、それ本当なの? 私にはエリーがそんなことするような人だとはとても思えないんだけど」

花陽「海未ちゃんの見間違いなんじゃ…」

海未「本当なんですっ!!」

花陽「ひっ…!」

海未「す、すみません……ですので、なんとかして絵里からことりを守りたくて」

穂乃果「……海未ちゃんさぁ」

海未「穂乃果?」

穂乃果「ことりちゃんの恋人のことをそんな悪く言うのはちょっとどうかと思うよ」

海未「こ、恋人としてしてはいけないことを絵里がしているから言っているのですっ!!」

穂乃果「そうかなぁ…、違う理由があるからそう言ってるように聞こえるけど」

海未「……何が言いたいのですか」

穂乃果「この際だからハッキリ言うけど、海未ちゃんは絵里ちゃんが嫌いなんだよ。だからそんなこと言ってるの」

海未「はぁ……?」

穂乃果「海未ちゃんはことりちゃんのこと好きだったもんね。それで絵里ちゃんに奪られたから気に入らないと思ってるんでしょ?」

海未「本気でそんな風に思ってるんですか……? 穂乃果はことりが大切ではないのですか!?」

穂乃果「大切だよ。大切だから、ことりちゃんには幸せになってほしい。絵里ちゃんはことりちゃんを幸せに出来る人、違う?」

海未「違います。絵里と一緒ではことりは絶対に幸せになんかなれません…」


穂乃果「海未ちゃんはそうであってほしいと思ってるから、絵里ちゃんが殴っただなんて嘘を」

海未「嘘じゃないっ!!」

真姫「ちょっと、ここで二人がケンカしてどうするのよ…」

花陽「ことりちゃんも、その場にいたんだよね……? ことりちゃんは何て言ってるの?」

海未「……なんでもないから心配しないで、と」

穂乃果「ほら」

海未「それは、絵里に言わされてるだけですっ…」

穂乃果「どうしてそう決め付けられるの?」

海未「……っ、凛っ! 凛だって見ていたでしょう!?」

凛「えっ……あ……」

真姫「そうなの? 凛」

海未「凛っ!」

凛「え、えっと……よくわかんない……凛が見たのはことりちゃんが倒れてるとこだけだから……絵里ちゃんが殴ったかっていうのは、わかんない……」

真姫「……だったら今は様子見ておいた方が」

花陽「ハッキリとした証拠もないのに、疑うのも悪いしね……」

海未「も、もういいですっ!!」



〈校門前〉


海未「ことりっ」

ことり「……!?」

海未「ま、待ってくださいっ!」

ことり「……っ」

海未「どうして私を避けるのですか……?」

ことり「……」

海未「……絵里に言われたのですね? 私と話すな、と」

ことり「……」

海未「着いてきてください」

ことり「……?」

海未「私の家なら、絵里に見られる心配もないでしょう? さぁ早く」




穂乃果「……」


〈海未の家〉


海未「……ことり、あの」

ことり「……駄目なの」

海未「何が駄目なのですか…?」

ことり「……海未ちゃんと話したら、絵里ちゃんが……悲しんじゃう……」

海未「……その悲しむというのは、ことりに暴力を奮うということですね?」

ことり「……っ」

海未「ここに絵里はいません。本当のことを言ってほしい……私はことりの味方です」

ことり「……絵里ちゃんは悪くないの。ことりが悪いから……」

海未「いいえ、悪いのは絵里です」

ことり「やめて……絵里ちゃんを悪く言わないで……」

海未「……では質問を変えましょう。こういうことは前にもあったのですか?」

ことり「こういうことって……?」

海未「ことりを、その……叩いたり、とか…」

ことり「……」
コクッ

海未「別れた方がいいです。ちゃんと話しましょう。私も付き添いますので」

ことり「……」
フルフル

海未「どうして……? これ以上絵里と一緒にいたら、ことりが壊れてしまう……そんなの、見ていられません……だって、私はことりが」

ことり「ことりは絵里ちゃんを愛してるの。絵里ちゃんもことりのことだけを愛してくれてる……」


ことり「だから、ほんとに心配してくれなくて平気なんだよ」

海未「私にはとても、平気なようには見えません……」

ことり「ありがと。海未ちゃんは優しいね」

海未「……」

ことり「海未ちゃんと話せないのはすごく寂しかったから……こうして少し話せて嬉しかったよ」

海未「おかしいです……友達なのに、人目を憚ってしか話せないなんて、絶対おかしいですっ!!」

ことり「でも、守らないと絵里ちゃんが悲しんじゃうから……」

海未「絵里と私、どっちがっ……いえ、なんでも、ありません……」


ピリリリリッ…


ことり「…もしもし」
ピッ

『今どこにいるの? もう家?』

ことり「……うん、おうちだよ」

『……そう、今日は夕食一緒に食べましょう? 今からうちに来てくれる?』

ことり「うん、わかった。すぐ行くね」



ことり「ごめんね、海未ちゃん。もう行かなきゃ」

海未「……ことり、最後にもう一度だけ言います」

海未「私は何があってもことりの味方です。本当に辛い時や、どうしようもない時は私を頼ってほしい……またいつでもここへ来てください」

ことり「……ありがと」



絵里「今どこにいるの? もう家?」

『……うん、おうちだよ』

絵里「……そう、今日は夕食一緒に食べましょう? 今からうちに来てくれる?」

『うん、わかった。すぐ行くね』



絵里「……おうち、どこの家のことを言っているのかしらね」



理事長「絢瀬さん、ごめんなさいね。ことりったらこんな時間までどこで寄り道しているのかしら……せっかく絢瀬さんが遊びに来てくれてるっていうのに」

絵里「いえ、今ちょうど連絡がつきました。海未の家で遊んでいたみたいで」

理事長「ほんとにあの子ったら…」

絵里「元々は驚かせようとしていた私がいけないんです。急にお邪魔したりなんかしてすみませんでした」

理事長「ねぇ、お夕飯食べていくでしょ?」

絵里「いえ、今日は遠慮させて頂きます。また別の機会に」

理事長「そう? 残念だわ…」

絵里「……あ、理事長。一つだけお願いが」

今日はここまでです
たぶん長くなると思いますが、こういう内容のに興味あればお付き合いお願いしますです


ピンポーン……


ことり「……」

ことり「……あれ? 留守、のわけないよね……」


インターフォンを鳴らしても応答はない。
私は携帯を取り出して絵里ちゃんに電話をかけた。


ことり「あ、もしもし、絵里ちゃん?」

『……』

ことり「着いたよ。今、家の前にいるの」

『……そう』

ことり「え、えっと……開けてくれるかな? 鍵掛かってるから、ことり入れないよ、あはは……」

『……だったら、入ってこなくていいわ』

ことり「え? どうして……ことり、絵里ちゃんに呼ばれたから来たんだよ……?」

『……そんな汚ない格好で入ろうとしているの?』

ことり「汚ないって……そんなこと、ないよ……?」

『汚ないわよ。私以外の女の匂いが染み付いたそんな服なんて……汚らわしい……。今までどこにいたの? ……私の口から言わせるつもり?』

ことり「……ごめんなさい」

『質問に答えて』



ことり「……海未ちゃんの家に、いました」


『…………』

ことり「ごめんなさい……謝るから……ここ開けて……? おねがい、絵里ちゃん……」

『…………』

ことり「絵里、ちゃん……ごめんなさい、ごめんなさいっ……」

『……どうしても開けてほしいんだったら、その汚ない服、脱ぎなさい』

ことり「え……? で、でも、ここ外だよ……?」

『……私の言うことが聞けないの? ことり」

ことり「……わかり、ました」



もう外は真っ暗。人通りも殆ど無いとはいえ、屋外で服を脱ぐというのはかなりの抵抗がある。
それでも、こうしなくちゃ中に入れてもらえないのだから私はそれに従うしかないのだ。

絵里ちゃんを放って家に帰る、という選択肢は私の頭の中には微塵もなかった。


胸のリボンを弛め、シャツのボタンを一つ一つ上から外していく。

羞恥と背徳感からか、掌は汗ばみ、震えていた。



シャツを脱ぎ、次にスカートのホックを外してゆっくりと下ろした。


ことり「も、もしもし……絵里ちゃん……脱いだよ……だから、中に入れて……ね?」

『…………』

ことり「え、絵里ちゃん……聴こえて」


カチャッ──。


ドアが開いた。
隙間から顔を覗かす絵里ちゃんの表情はとても不機嫌そうだった。


ことり「は、入っても、いい……?」

絵里「……制服」

ことり「え…?」

絵里「そんなもの持って入らないで。その辺に適当に捨てなさい」

ことり「で、でも……制服ないと、学校行けないから…」

絵里「私が使ってたものをあげるから。それでいいでしょ?」

ことり「……うん、わかった……じゃあ、捨ててくるね」


絵里ちゃんの家のすぐ向かいにあるゴミ捨て場。そこに先程脱いだ制服を置いてきた。


そしてやっと中に入れてもらえた。


カチッ──。


再び鍵を掛け、私を家の中に招き入れた絵里ちゃんはピタリと止まり、向き直った。


絵里「……何回、私との約束を破ったら気が済むの」


ばちんっ──。

勢いよく腕が振り抜かれ、顔を叩かれた。


絵里「そんなに私を裏切るのが楽しいの!?」


ドゴッ──。


ことり「うぁっ……痛ぁっ…ゅあ……っ、げほっ、げほっ……!!」


思いきりお腹を蹴られた。

玄関のドアに倒れ込む私を踏みつけるように、何度も何度もその足は私の胴体に振り下ろされた。

蹴られた箇所はすごく痛くて、すごく熱いのに、背筋は凍えるほど冷たい。



ことり「がはっ、うぐぁ……ひゅ……あ、あっ……はぁっ……はぁっ……、」

絵里「そんなにっ、そんなに私のことが嫌いならっ」

ことり「ごめ、んな……さ、ぃ……やめ、て……はぁ……はぁっ……ぎぃ、あ……」



絵里「ここで反省しなさい」


髪の毛を掴まれたまま、引き摺られ連れてこられたのは浴室だった。

お湯が張られていない空の浴槽。


絵里「下着も取って」


言われたままに下着を外し、一糸纏わぬ姿になった。
室内だし、見られるのは絵里ちゃんにだけだから。さっきとは違って抵抗もなく、躊躇うことなく従うことができた。

でも、どうしていきなりここに連れてこられたのかはわからないままで。

絵里ちゃんは服を着たままだし、一緒にお風呂ってわけでもなさそう。


ことり「ね、ねぇ……絵里ちゃん」

絵里「……海未に汚されたその身体も綺麗にしないとね」

ことり「よ、汚されたって……海未ちゃんとはなにもっ」


ばちんっ──。


また、殴られた。


絵里「今更、貴女の言葉なんか信じられると思う…?」

ことり「……そう、だよね……ごめんなさい……」

絵里「私のことり……私だけの、ことり……綺麗にしてあげるわ」


そう言って絵里ちゃんは蛇口を捻った。


ことり「ぅあッ、熱いっ、や、やだっ、ぁつっ…やぁぁぁっ!!!!」


シャワーから勢いよく飛び出してきたのは、熱湯。

そのすべてが私の身体に浴びせられた。


ことり「やだっ、やだやだやだぁぁっ、熱ぁぁっ、やっ、やぁぁああっ!! やめっ、やめてぇぇぇっ!!!!」


熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い──。

立っていられず、浴槽の隅に丸くなる。
それでも絶えず熱湯は私を襲ってきた。

絵里ちゃんは何も言わず、表情も変えず、ただシャワーのヘッドを私へと向けるだけだった。


ことり「ぃやぎゅっ、ひゅぁあっ、ぎゃあああああああぁぁぁ!!!!」


まるで炎に包まれたような熱さだった。

助けて、やだ、誰か、おねがい、助けて、もう、やめて、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい──。


ことり「絵里ちゃっ、やめてっ、やめ、てぇぇぇ!!!! ことりがっ、ことりが悪かったからっ、だから、もうっ、いやあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


絵里「…………」



音が止まった。
湯が振りかかる感覚もなくなった。
シャワーの吹き出し口も、何も吐き出す様子もなく、静止していた。

よかった。やっと、終わった。

地獄のような苦しみから、解放されたんだ。

肌がヒリヒリ痛む。全身の皮膚がおかしくなったみたいに。
空気が流れるたび、蒸気が触れただけで、激痛が襲ってくる。


もう、終わった。

そんなことは、なかった。

自らの意思で絵里ちゃんを裏切って、悲しませて、嘘までついて……。

そんなことりがこれくらいで許されるわけじゃなかったんだ。


がつんっ──。


ことり「ぁぎゅっ…!! ぅあ、あっ、ひぃっ…!!」


絵里ちゃんが握っていたシャワーのヘッドは蒸気を切り裂き、私の頭へと振り下ろされた。

熱と絡まったさっきの痛みとはまた違う、別の痛み。純粋な痛み。


がつんっ、がつんっ、がつんっ──。


ことり「ひぎゅっ、うぎっ、ああっ、ううぁっ、ひゅぐっ、ああああぁぁぁぁっ!!!!」


絵里ちゃんは殴り続けた。

頭を、顔を、肩を、背中を、お腹を、太ももを。


触れるたびに火傷した肌が熱を放ち刺してくるものだから、それは今まで経験したことのなかった想像を絶するほどの痛みだった。


何を言っても許してくれない。

許しを請いではいけない。

絵里ちゃんが自ら私を許してくれるまで。

だから、私は耐えるしかないんだ。

悲鳴を上げてはまるで絵里ちゃんが悪いみたいだ。
絵里ちゃんが悲しんじゃう。そんなのは、駄目。

そう、悪いのはぜんぶ、わたし。

でも、声を圧し殺そうとしても私の意思とは関係なしにこの喉は泣き叫んでしまう。

ごめんね、ごめんなさい……絵里ちゃん。




ことり「ごちそうさまでした」

絵里「ことりの口に合ったかしら? 時間がなくて簡単なものになっちゃったから」

ことり「ううん、美味しかったよ。ね? 亜里沙ちゃん」

亜里沙「……うん」

絵里「……亜里沙? 美味しくなかった?」

亜里沙「そんなことないよ。ごちそうさま」

絵里「そう。じゃあ私は洗い物片付けちゃうから二人はリビングで寛いでて」

ことり「あ、ことりがやるよ?」

絵里「いいの。ことりは大切なお客さんなんだから座ってて」

ことり「でも……ご飯も作ってくれて、なんだか悪いよ」

絵里「ありがとう。でもね、ことりは何もしなくてもいいの。私がなんでもしてあげるから」

ことり「う、うん…」





ことり「……」

亜里沙「あの、ことりさん…」

ことり「なぁに?」

亜里沙「その……、大丈夫、ですか?」

ことり「なにが?」

亜里沙「お姉ちゃんの……いえ、なんでもないです…」



浴室から出てきた私の姿を見て亜里沙ちゃんはひどく怯えた表情をしていた。

驚くのも無理はないと思った。
目元は大きく腫れ上がり、頬や口元にはいくつもの痣。全身の傷や痣を数えたらキリがないのだろう。
熱を宿したままの肌は真っ赤になっていて、それだけで痛々しい。


服は絵里ちゃんが貸してくれた。

布が擦れると痛みを伴うけど、絵里ちゃんの匂いがするから、それは嬉しかった。



亜里沙「じゃあそろそろ寝るね。おやすみなさい」

絵里「おやすみ、亜里沙」

ことり「おやすみ」


絵里「氷、新しいの持ってくるわね」

ことり「……うん、ありがと。あ、でもそろそろ帰らないと」

絵里「泊まっていくでしょ?」

ことり「ん……お母さん、心配しちゃうから」

絵里「それなら大丈夫。ことりがうちに泊まること、もう伝えてあるから」

ことり「え? 伝えたって……いつ……?」

絵里「ことりに電話した時。ことりのおうちにお邪魔してたのよ」

ことり「そう、だったんだ………」


少し、安心した。
もしこの顔のまま帰ったらなんて言われるかわからないから。
なんて言っていいのかも、わからない。
お母さんを心配させちゃうのも嫌だし、絵里ちゃんのことを悪く捉えられるのも嫌。

それになにより、絵里ちゃんの傍にいられることがうれしかった。



絵里「ことり、もっと近くにきて」

ことり「うん…っ」


絵里ちゃんの部屋。一緒のベッドの中。
腕のなかで抱きしめられる。

その手は優しかったけど、やっぱり触れられるとまだ痛みが走った。


絵里「ごめんなさい、痛かった?」

ことり「ううん、平気だよ」

絵里「ほんと? このまま抱きしめてても大丈夫?」

ことり「うん、絵里ちゃんの手温かくて好きだから……うれしい」


抱きしめられて、髪を撫でてもらって、キスしてくれて。

唇が離れ、ことりの顔を見つめながら絵里ちゃんはちょっと寂しそうな声で言った。


絵里「ごめんなさい……」


目元の腫れの部分をソッと擦りながら。

その声は、涙が混じっているように聴こえた。


絵里「ごめんね……ことり……」

ことり「……ことりの方こそ、ごめんなさい……約束破って……」

絵里「……ねぇ、ことり。もう海未とは話さないで……おねがいだから……」

ことり「……」

絵里「私、おかしくなっちゃいそうなの……ことりと海未が一緒にいるところを想像しただけで……普通じゃいられなくなっちゃうの」

ことり「絵里ちゃん……」

絵里「ことりのことを愛しているから……わかってくれるでしょ? 私の気持ち……ねぇ?」


ことり「……どうして海未ちゃんなの? 他のみんなは」

絵里「本当を言えば、誰とも話してほしくない……ことりは私とだけ一緒にいればいいの。私以外の世界なんて、ことりには必要ない……」

絵里「私がどんなに頑張ってことりと二人だけの世界を作ろうとしても、壊そうとしてくる人間はいる……邪魔をしてくる人間が……、それが海未なのよ」

ことり「……」

絵里「わかってくれる……?」

ことり「うん……わかるよ」

絵里「もう海未とは話さない?」

ことり「…うん」

絵里「向こうから近寄ってきても相手にしないでいられる?」

ことり「…うん。……そうすれば絵里ちゃんは喜んでくれるの?」

絵里「えぇ、もっともっとことりを愛してあげられるわ」

ことり「うん」


ピリリリリ……


着信。『園田海未』


絵里「……ことり」

ことり「……うん、出ないよ」


三分以上鳴り続けた。

多分、私が絵里ちゃんの家から帰っているであろう時間を見計らって電話してくれたんだと思う。

すごく、心配してくれていたから。

ありがとう、海未ちゃん。

やさしいね。

でも、ごめんね……。

さようなら。


絵里「携帯貸して」

ことり「どうして…?」

絵里「貸して」

ことり「う、うん…」

絵里「明日にでも新しいの買ってあげるから」


絵里ちゃんの手によって電源が切られた私の携帯は、部屋のゴミ箱へと投げ捨てられた。


絵里「それと……明日からしばらくここで一緒に暮らすこと」

ことり「へ……?」

絵里「勿論、ことりのお母さんの許可も貰っているから心配しないでいいわよ」

ことり「お母さんが…?」

絵里「絢瀬さんが一緒にいてくれるなら安心ね、だって。生徒会長やってて初めて良かったと思ったわ」


絵里ちゃんのこんなに穏やかな顔は久しぶりに見た気がした。

ことりと一緒にいるだけでこんなにも喜んでくれるんだから、私もこの表情をもっと間近で見続けていたいと思った。

絵里ちゃんはきっと誰よりもことりを必要としてくれている。

多分、絵里ちゃんがことりを殴ったりするのは、絵里ちゃんの愛情でもあり、弱さでもあると思う。

だから、この人にはことりが傍にいてあげなくちゃいけない。

傍にいてあげたい。


今度は私の方から、抱きしめた。

少ないけどここまでです
おやすみなさいです


〈翌日〉


穂乃果「ことり、ちゃん……?」

海未「こ、ことり……その顔は……っ」

ことり「……」


髪を全部下ろして、特に腫れが大きい右目の辺りは出来る限り隠してた。
でも、頬や顎にも痣は残っているんだから、そりゃあ気付かれちゃうよね。

目を合わそうとしなくても、あの優しい海未ちゃんが放ってくれるわけもなく。


海未「少し髪……失礼、します……」


海未ちゃんは私の右目に被さっている髪を掻き上げた。


海未「…っ!? ひ、酷い……」

ことり「……」

海未「絵里にされたのですね……?」

穂乃果「そ、そうなの…?」

ことり「……違うよ。ことりがドジだから……転んじゃって…」

海未「どう転んだらそんなことになるのですか!? ……警察に行きましょう。それで全て解決されます」

穂乃果「ちょ、ちょっと海未ちゃん! いきなり警察だなんて、そんな大袈裟な」

海未「大袈裟? これのどこが大袈裟だというのですか!? そもそも私は前にも言っていたでしょう!? 絵里がことりに暴力を奮っていること…」

穂乃果「で、でも今回だって絵里ちゃんがしたとは……ことりちゃんだって違うって言ってるし…」

海未「貴女は馬鹿なのですか!? 絵里に口止めされているだけに決まっているじゃないですか!!」

穂乃果「ほ、ほんとに……? あの絵里ちゃんが……」


ことり「……あのね、二人とも」

海未「ことり…?」

穂乃果「ことりちゃん?」

ことり「ほんとに大したことじゃないから……心配してくれなくても大丈夫だから……だから、」

ことり「もう、ことりのことは放っておいてくれていいよ」


これでよかったんだ。
穂乃果ちゃんと海未ちゃんと一緒にいられないのはすごく辛いけど、それ以上に絵里ちゃんは辛い想いをしちゃうから。

だから、これでいいの。

絵里ちゃんはことりがいないと駄目な人だから……。

ことりの恋人。愛する人。
私はその絵里ちゃんを大切にしてあげなくちゃいけない。




穂乃果「……穂乃果のせいだ」

海未「……」

穂乃果「……昨日、穂乃果が絵里ちゃんにことりちゃんの居場所訊かれて……それで……」

海未「……絵里は私とことりが一緒にいることを嫌っています。……おそらく私と口を利くなと言われているのでしょう……」

海未「だから……それを破ったことりを、昨日……っ」


穂乃果「……ごめん。あの時、穂乃果が海未ちゃんの言うこと信じてあげていたら……」

海未「今更それを咎めても仕方ありません」

穂乃果「海未ちゃんに酷いこと言っちゃった……ごめんなさい」

海未「もういいです。それより今はことりを絵里の手から守ることを考えねば…」

穂乃果「どうするの…?」

海未「ことりがあの態度を貫いている以上、本人と……絵里と直接話すしかないでしょう」

穂乃果「そう、だね……」

海未「とりあえず、穂乃果はことりから目を離さないでください……下校も一緒に」

穂乃果「うん、わかった。あれ? 海未ちゃんは…?」

海未「…私は少し離れた場所から二人を追っています。私が側にいると絵里は姿を表してはくれないかもしれませんし……それでまたことりに要らぬ被害が及ぶことも…」

穂乃果「そっか、うん…」


〈放課後〉


穂乃果「…ことりちゃん、一緒に帰ろう?」

ことり「え……?」


どうしよう。困ったなぁ。
ことりの帰る家って今は絵里ちゃんちなのに……でもこのことは言わない方がいいよね。

だから、放っておいてって言ったのに。

でも、「一緒に帰ろう?」って言葉がすごく懐かしく聴こえてきたから、ちょっぴり嬉しく思ってしまった。

嬉しい、けど……絵里ちゃんのことを想えば複雑な気持ちになる。


穂乃果「……海未ちゃんは一緒じゃないから安心して?」

ことり「……」


本当は二人きりなるのも禁止されてるんだけど……


ことり「……途中まで、なら……ことり、寄る所あるから」

穂乃果「うん、じゃあ行こう?」


そう言って手を牽かれた。
穂乃果ちゃんの体が触れる度に火傷した皮膚が痛み伴ったけど、これだけは気付かれないようにしないと。

平気。ことりが我慢すればいいだけのことだから。




穂乃果「あ……」

ことり「……?」


校門に差し掛かったくらい。
風に揺れる金色の髪がそこにはあった。

そしてその人は微笑みながら近付いてきた。


絵里「ことり」


私の名前を呼びながら。


ことり「絵里ちゃん……どうしてここに?」

絵里「だってことり今携帯持っていないでしょ? だから迎えにきたのよ」

ことり「そっか。ありがとう、絵里ちゃん」


絵里「……」


穂乃果「あ……」


絵里ちゃんの視線に気付いたのか、穂乃果ちゃんは握ったままだった私の手をほどいた。


絵里「穂乃果、こうして会って話すのはニコのイベント以来ね。それと、昨日はありがと。おかげで助かったわ」

穂乃果「ね、ねぇ、絵里ちゃん……どうして昨日、ことりちゃんの居場所なんか訊いたの……?」

絵里「…恋人の居場所を知りたいの別に普通なことでしょ?」

穂乃果「だったら直接ことりちゃんに電話すればいいのに……それになんでことりちゃんの携帯、今無いの…?」

絵里「どうしたのよ? 穂乃果」

穂乃果「……ことりちゃんを、殴ったの……? 殴るために、穂乃果から居場所を訊いたの……?」

ことり「ほ、穂乃果ちゃんっ……」


絵里「……そんなわけないじゃない。ことりの携帯は今壊れちゃってて」

海未「それもどうせ貴女が壊したのでしょう?」


海未ちゃんが現れた瞬間、絵里ちゃんの表情が、視線が、瞳が、刺々しくなったように感じた。

海未ちゃんもそれは同じで。こんなにも怒りを露にして、隠そうともしない彼女を見るのは初めてのことだった。


絵里「……行きましょう、ことり」

ことり「う、うん…」

海未「待ってください。ことりを貴女と一緒にいかせるわけにはいかない」

ことり「痛っ……」


海未ちゃんが私の腕を掴むと、痛みが走った。


海未「え……まさか、身体まで……っ、絵里……貴女という人はっ……」

絵里「……海未、いい加減にしてくれないかしら?」

海未「は……?」

絵里「私がことりを傷付けているなんて、そんなの貴女の空想でしょ?」

海未「だ、だったらっ、ことりのこの傷はどう説明するのですか!?」

絵里「知らない。私は知らない」

海未「いい加減にしてください……」


絵里「……ことり」

ことり「は、はい…」

絵里「ことりは私に何かされたの?」

ことり「え……?」

海未「ことり、正直に話してください。何があっても私が貴女を守ります……ですから、本当のことを」

絵里「海未の言う通り、正直に話してくれればいいのよ? それでこの子は満足するらしいから」


ことり「…………何もされてないよ」

ことり「絵里ちゃんはいつだってことりのことを考えてくれて……優しくしてくれるから」


海未「嘘です……そんなの嘘です……どうやって信じろというのですか!?」

絵里「ことりがこう言っているのよ。そろそろいいかしら? 悪者扱いされるのもあまり良い気はしないし」

海未「……また、今日もことりを殴るつもりですか……?」

絵里「……海未、そろそろ怒るわよ」


ばちんっ──。


その音は校庭中に鳴り響いたような、重く、悲しい音だった。

海未ちゃんが、絵里ちゃんの頬を叩いた音。


絵里「……」

海未「…痛いですか? 殴られるのは痛いんですよ……ことりはこの何倍も痛い思いをして、ずっとずっとそれに耐えている……何とも思わないのですか!?」


海未「絵里、貴女にことりを委せるわけにはいかない……手を引いてください。そして、もう二度とことりに近付かないでくだ」

絵里「嫌よ。ことりはそんなこと望んではいない。私と一緒で幸せと言ってくれているわ」

海未「こ、このっ──」


ことり「やめてっ!!」


ことり「絵里ちゃんを傷付けるのは……いくら海未ちゃんでも、許さないよ……」

海未「こ、ことり……? どうして……私は、ことりのためを思って……」

ことり「私のためを思ってくれてるなら……もうそんなことしないで……っ」

海未「そんな……っ」

ことり「絵里ちゃんは私の大切な恋人なの……私のことを誰よりも愛してくれているのっ、そんな人に手を上げる海未ちゃんなんて……嫌い……」

ことり「だいきらい……っ……、もう、ことりに関わらないでください……」

海未「……っ」

穂乃果「ことりちゃん……」


絵里「ことり」

ことり「うん……行こっか……」



海未「…………」

穂乃果「海未ちゃん……」

海未「……穂乃果、私は間違っているのでしょうか……」

穂乃果「……」

海未「嫌い、と言われました……もう関わらないで、と言われました……私はことりを守りたかっただけなのに……守らせてもらえませんでした……」

海未「私は……私は、間違っているのでしょうか……? 穂乃果……」

穂乃果「……間違ってない、と思う……でも、」


『私のためを思ってくれてるなら……もうそんなことしないで……っ』


穂乃果「……穂乃果たちが、絵里ちゃんの機嫌を損ねるようなことしなければ……ことりちゃんはもう殴られたりしないんじゃないかな……」

海未「……っ」

穂乃果「わからない、けど……少なくとも、今までよりは……マシに」

海未「そんなことありません……何かと理由をつけて、またことりを痛ぶるに決まっています……」

穂乃果「じゃあどうすれば……ことりちゃん本人が認めようとしないんじゃどうしようも……」

海未「……そう、ですね……っ」

穂乃果「……」



絵里「よく言えたわね。えらいわ、ことり」

ことり「うん」

絵里「あれだけ言っておけば、もう海未と余計なちょっかいは掛けてこないでしょう」

ことり「……大丈夫? 絵里ちゃん……痛くない…? ほっぺた……」

絵里「…えぇ、あれくらい。ことりのためと思えば全然平気よ」

ことり「……」


『こ、ことり……? どうして……私は、ことりのためを思って……』

『私のためを思ってくれてるなら……もうそんなことしないで……っ』


“私のため”

さっきの海未ちゃんとの会話をつい思い出してしまった。

海未ちゃんも私を大切に想ってくれていて。
絵里ちゃんも私を愛してくれている。


その二つを天秤にかけたわけじゃないけど、私は絵里ちゃんと生きていく方を選んだんだ。

もう、戻れない。



絵里「……ことり? どうしたの?」

ことり「ううん、なんでもないよ」

絵里「そう、私ちょっと携帯を契約してくるから、ここで待っていられる?」

ことり「うん」

絵里「誰が来てもここから動いちゃ駄目よ? いいわね?」

ことり「はい」

絵里「じゃあ行ってくるわ」



にこ「でさぁ、ムカつくのよー! 先輩だかなんだか知らないけど、ニコの可愛さに嫉妬してんのよ絶対っ」

希「はいはい、かわいいかわいい」

にこ「でしょー? ニコってやっぱりー…ってちゃんと聞いてるの!?」

希「それよりご飯どうしよっか? 今日はもう仕事ないんやろ?」

にこ「今日どころか明日もないですよーだ…」

希「あらら」

にこ「なんだか今日はがっつり食べたい気分だわ」

希「じゃあ焼肉とかにする?」

にこ「女二人で焼肉なんて素敵じゃない? そうと決まれば……ってあら?」

希「どしたん? ニコっち」

にこ「あそこに座ってるのってことりじゃない?」

希「あぁ、そうみたいやねぇ」

にこ「でもなんか雰囲気が……って、何よ……あの顔……もしかして絵里も一緒…?」

希「多分、あの窓口にいるのがエリチかなぁ」

にこ「……あの噂、本当だったんだ」

希「あの噂って?」

にこ「真姫ちゃんが言ってたのよ……絵里がことりを殴ってるんじゃないかって……まぁ真姫ちゃんは信じてなかったみたいだけど」

希「あぁその話ね」

にこ「……知ってたの?」

希「まぁ」

にこ「まぁって……どこで聞いたの? まさか絵里本人から?」


希「……」

にこ「希?」

希「ねぇ、これ言わなだめなやつ?」

にこ「当たり前でしょうが」

希「んー、聞いたっていうより、見た」

にこ「み、見た!?」

希「ことりちゃんがうちの大学に来たことがあってね、その時に」

にこ「それ……止めたんでしょうね?」

希「……」

にこ「あんたっ」

希「…人それぞれやん」

にこ「はぁ?」

希「愛のカタチって人それぞれやと思うんよ。たまたまエリチのカタチがそうやっただけで」

にこ「なっ……殴って思い通りにするのが愛のわけないでしょ!?」

希「……ウチだって同じやったもん。話したことなかったっけ?」

にこ「なんのこと……?」

希「ウチ、子供の頃にな……父親に殴られてたんよ」


にこ「それって、虐待……」

希「ちがうちがう、そんなんやないって。ウチだって父親のことは嫌いなわけじゃなかったし、向こうだってウチのことを大事に想ってくれてた」

希「愛されてるなぁっていつも思えてたし、今だって父親のことは好きよ? だからね、エリチの気持ちがウチにはちょっとだけわかるん」

にこ「そんなの……っ、だからってことりも同じとは限らないでしょ!?」

希「そうやねぇ、でも……あれがエリチを恐れて、誰かに助けを求めてる顔に見える?」

にこ「……そんなの、わからない、けどっ」

希「待って。どうするつもり?」

にこ「ことりと話してくる」

希「そんなことしたらまた殴られるかもしれんな、ことりちゃん。ニコっちだってそれは望んではないやろ?」

にこ「だったら、どうすればいいのよ……っ」

希「別にどうも。向こうは向こう、ウチらはウチら。さ、行こ?」

にこ「……」

希「ほら、ニコっちー、はよせんと焼肉が逃げてしまうよー?」

にこ「……まっずい焼肉になりそうね……」



夏休みに入った。

私と絵里ちゃんに気を遣ってか、学校が夏休みになった途端、亜里沙ちゃんはロシアの家に帰っていった。

だから今この家、絵里ちゃんの家には二人きり。

毎日ずっと二人でいた。


「好き」「愛してる」と言って撫でてくれるし、一緒にお風呂に入って身体を洗ってくれる。

キスもたくさんしてくれる。

寝る前には決まって私の体を求めてくれる。


家からほとんど出ない日々で、誰とも会うことない。
勿論、海未ちゃんと会うこともなくなったし、携帯も変わったから連絡がくることもない。

でも、絵里ちゃんが私を殴ったり蹴ったりする頻度は以前より多くなった。

私が悪いの。

私がだめな子だから、すぐ絵里ちゃんを怒らせちゃう。


今日だって、何気なく今までの癖で携帯を触ろうとしたら「何しようとしてるの?」って何度も何度も殴られた。

当たり前だよね。この携帯に登録されてるのは絵里ちゃんだけなんだから。

一緒にいる間はそれを触る必要なんてない。私が誰かに連絡をとろうとしていると勘違いしちゃうのも当然だよ。

ごめんね、絵里ちゃん。

ここまでです
また明日です


ある日の朝だった。

思い出せないけど、すごく幸せな夢をみていた気がする。

起き上がろうとすると、軽く目眩がした。
まだ少し頭痛も残っていた。昨日はたくさん殴られたから。
でも、殴られた日の夜はベッドの上でいっぱいいっぱい私を求めてくれるの。それは私にとって、うれしいことだ。
その時はいつも私の方が先に疲れて眠っちゃう。それなのに翌朝起きるのは私の方が遅い。

今日だってほら、目が覚めた時には横に絵里ちゃんの姿はなかった。

眠たげな目を擦りながらキッチンの方へ向かうと、絵里ちゃんがいた。


絵里「おはよう、ことり」

ことり「ん、おはよ……絵里ちゃん」

絵里「ふふ、眠そうね。もうすぐ朝ごはんできるから顔洗ってきなさい」

ことり「うん」



彩られた食卓。
トースト、サラダ、目玉焼き、冷製スープ。それと、冷たいミントティーが入ったグラスが二つ。

絵里ちゃんは決まって「美味しい?」って聞いてくるの。ことりが「おいしいよ」って言うとすごく喜んでくれる。


絵里「……」

ことり「どうしたの? ことり、まだ眠そうな顔してる?」

絵里「ううん、好きなのよ。ことりが美味しそうに食べてくれるのを見るの」

ことり「へ? もう…、恥ずかしいよぉ」

絵里「うふふ」



ことり「なんだか思い出すよね。目玉焼き。去年みんなで合宿した時もこんな感じで」

絵里「……」

ことり「あの時はニコちゃんが作ってくれてたよね」

絵里「………ことり」


ガシャンッ──。パリーンッ──。


ことり「きゃっ!?」


絵里ちゃんが腕を水平に払ったかと思えばテーブルの上のグラス、食器等が床に落下し、音を立てて割れた。

その耳を刺すような音とは対称的に、静かに近付いてきた絵里ちゃんに髪を思いきり掴まれた私は破片が散乱している床へと叩き付けられた。

そして、


ばちんっ──。


ことり「あぅぐっ……ご、ごめんなっ、さ、い……っ」

絵里「私と一緒にいる時に他の子の名前なんか出さないでっ!! どうしてっ、わからないのよっ!!」


馬乗りの状態となって、絵里ちゃんは何度もその手を私に振るった。


ことり「ごめんなさいっ、ごめんなさいっ……」


ガンッ、ガンッ、ガンッ──。


顔を叩かれた。

頭を床に何度も叩き付けられた。

口の中が切れて、血の味がした。

意識が飛んでしまいそうだ。

謝らなきゃ……絵里ちゃんに謝らなきゃ……。
そう思っていたのに、衝撃に耐えるばかりでそれどころではなかった。

ごめんなさい、ことりが悪かったから。

早く謝らなきゃいけないのに、鈍い悲鳴を鳴らすことしかできない。



顔が潰れるかと思った衝撃はやがて止み、次に絵里ちゃんは床に散らばっていたグラスの破片を手に取った。

その鋭く尖ったら破片の先端を私の方へと近付ける。


ことり「や……めて、やめて……ごめんなさい……ごめんな、さい……っ」


冷たい硝子片が喉元に触れた。


ことり「ゃだ……や、だ……やめて……絵里ちゃん……やめて……おねがいだから……」


ちくっと刺さるのがわかった。
このまま勢いよく横に滑らせればこの喉は裂かれ、血が吹き出し、私は死んでしまうのだろう。

やだ……やだよ……死にたく、ない……。


ことり「やだ……たすけ、て……ひぐっ……死にたく、ないよ……っ」




スッとその手は後ろに引かれた。

ふと絵里ちゃんの顔を見ると、涙が一筋、頬を伝っていた。


ことり「絵里、ちゃん……」

絵里「私が……ことりを殺すなんか、そんなこと……するわけないでしょう……?」

ことり「うん……ごめんね……ごめんなさい……」


ゆっくりと体を起こし、絵里ちゃんを抱きしめた。

これは知らず知らずのうちの防衛本能だったのだと思う。
恐怖を感じたことはこれまでに何度もあった。本気で殺されると思ったのはこれが初めてで。


嫌いになったわけじゃない。
絵里ちゃんからは溢れるくらいの愛を感じている。
今だって私の胸に顔を埋め、涙を堪えている絵里ちゃんをいとおしく想う。

それと同時にさっき流れた涙をこわいと思ってしまった。


〈絵里の大学〉


一週間ぶりの外出だった。
絵里ちゃんがレポートのことで教授のところを訪ねたいと言ってたから。

天気は曇っていたけど、私には眩しいと感じた。


最後にここに来たのはたしか、海未ちゃんと……いけない、そんなこと考えちゃ。
もう、海未ちゃんのことは考えちゃ駄目なの。

もう、戻れないから。

私は絵里ちゃんと一緒にいれて、幸せだから。


絵里「……こっちよ」

ことり「え……?」


腕を掴まれ連れてこられた先は、前と同じ場所。
海未ちゃんとここを訪れた時に絵里ちゃんに殴られた場所だった。

また殴られる、と思った。


ばちんっ─。


その通りだった。


絵里「私といるのがそんなに嫌?」

ことり「え……」

絵里「さっきからずっと嫌そうな顔して……そんなんじゃ私が無理矢理連れ回して、その怪我も私のせいってあちこちに言い回ってるようなものじゃないっ!!」

ことり「そ、そんなことな」


ばちんっ─。


絵里「口答えしないで」

ことり「……ごめんなさい」



絵里「じゃあ私は用事済ませてくるからここで待ってて」

ことり「…うん」



また、怒らせちゃった。
ほんと駄目だなぁ、私って。
絵里ちゃんに辛い思いばかりさせちゃってる。

どうしてうまくいかないんだろう。



「──ねぇ、」


項垂れていた私の頭に影が被さった。
小さな、影が。
そして、とても懐かしい、声。


ことり「……ニコ、ちゃん?」

にこ「……ことり」

ことり「あ……」


だめ、だめ。
こんなところ絵里ちゃんに見られたらまた怒られちゃう、殴られちゃう、泣かせてしまうかもしれない。


にこ「……最初に謝っておくわ。ごめんなさい」

ことり「……?」

にこ「……さっきの見てたのに、私……止めなかった」


にこ「そうしないと、ことりを救えないと思ったから……奥歯が磨り減るくらい、悔しかった、けど……」


にこ「今なら逃げ出せる……ニコに着いてきて!!」

ことり「え…? 逃げるって……何から……?」

にこ「そんなの絵里からに決まってるでしょ!?」

ことり「……」

にこ「ことりっ!!」

ことり「だめ、だよ……そんなの……、ことりがいなくなったら、絵里ちゃん、悲しんじゃう……」

にこ「そんなのアイツの自業自得でしょ!? ことりはどうしたいのよ!?」

ことり「わ、私は……絵里ちゃんの傍に、いてあげたい……」

にこ「しっかりしなさいよ!!」

ことり「いいの……私のことは放っておいてくれて」

にこ「……っ」

ことり「お願いだから、早くことりから離れて……おねがい、だから……」

にこ「…………嫌よ」

にこ「ニコはね、あんたを助けるって決めたのよ!! あんたがどう思ってようと私は私が正しいと思ったことをする!!」

ことり「ニコ、ちゃ…」

にこ「来なさいっ!」


こんな小さい体にどうしてこんなパワーがあるんだろう。

ニコちゃんは私の手を取って走り出した。



大学を出た大通りにて、タクシーを拾った。


車中ではずっと絵里ちゃんのことばかりを考えていた。

もう私がいないことに気付いてる頃かなとか、怒ってるだろうなぁ、もしかしたら泣いてしまってるんじゃないか、とか。

走り始めて三十分くらい経ったくらいで、携帯が鳴った。

着信。相手は勿論、絵里ちゃんからだ。

「絶対に出ちゃ駄目よ」
ニコちゃんはそう言って携帯を鞄にしまうように促した。


私はとんでもないことをしてしまった。

着信が続くにつれて、身体の震えが止まらなくなった。

絵里ちゃん、きっと怒ってる。

また殴られちゃう……。

朝のことを思い出して、殺されてしまうんじゃないかと恐怖が頭のなかを支配していた。


にこ「大丈夫だから。絶対、大丈夫だから」


ニコちゃんはその小さな体で震える私を支えてくれた。


走り続けること一時間と少し。

着いた先は決して綺麗とは言い難い古びたアパートだった。


ことり「ここ…、ニコちゃんの」

にこ「安い場所探したらこんな所しかなくて。でも、ここなら絵里やことりの家からも離れてるし、大学からも遠いから」


どうして、こんなに優しくしてくれるんだろう。


「しばらくここに居ればいいわ」

「しばらくって……いつまで……?」

「……それは考えてなかったけど、とりあえずその傷が治るまで。あと、あんたの気持ちが落ち着くまで」


私なんかのために──。



にこ「その傷、新しいみたいだけど…」


喉の傷。血は止まってたからあまり気にしてなかったけど、走って体温が上がったからか、汗を掻いたからか、少し傷が開いたみたい。


にこ「手当てするから。ちょっと滲みるかも」

ことり「ぃつっ…」



にこ「……これ、引っ掻いたとかじゃなくて、切り傷よね……?」

ことり「……」

にこ「言って。ニコはことりの味方なのよ」


私の、味方……。
以前、海未ちゃんも言ってくれてた。

その海未ちゃんを裏切って……絵里ちゃんも裏切って……

どうして私、ここにいるんだろう。


にこ「ことり」

ことり「…………ガラス」

にこ「……っ、絵里はあんたの恋人なんでしょ……!? どうして、こんなこと平気でできるのよっ……」

ことり「……平気じゃないよ。絵里ちゃんも辛くて、悲しくて、だから…」

にこ「辛い…? 悲しい…? そんなわけないっ……そんなわけ……」

ことり「だってこれは絵里ちゃんの愛だから……。絵里ちゃんが私を愛してくれているから、私を想ってくれてるから…」

にこ「違うっ! 違うでしょ……? 愛っていうのはもっと……温かくて、優しくて、触れると柔らかい……そんな、」

ことり「……いいの、わかってくれなくても……これが私に対する絵里ちゃんの愛情の印」


ことり「……そろそろ、帰らなきゃ」

にこ「は? 何言ってるの? あんた…」

ことり「絵里ちゃん、心配してる……ことりがいなくて寂しがってる……」

にこ「そんな状態で帰せるわけないでしょう……?」

ことり「早くしないと、怒られちゃう……また、殴られちゃう……っ」

にこ「さっき、愛って言ってたけど、殴られるのは嫌なんでしょ…? それを絵里に言ったこと、あるの?」

ことり「……言えないよ、絵里ちゃんは私のことを想って、殴ってくれてるんだから……」

にこ「だったらますますあんたをアイツのところへ帰すわけにはいかないのよ」

ことり「やだ……帰りたい……っ、やだやだ……こわい……絵里、ちゃ……怒られる……、早く謝らないとっ、殺されちゃう……っ」

にこ「ちょっと、落ち着きなさいよ」

ことり「やだっ、やだやだっ…、電話っ、絵里ちゃんに電話しなきゃっ、」

にこ「馬鹿っ! やめなさいっ!」


ニコちゃんは私の手から携帯を取り上げた。


にこ「携帯……、ね、ねぇっ! これってGPSとか付いてないわよね!?」

ことり「え…? わからない、……絵里ちゃんが買ってくれた携帯だから…」

にこ「アイツならやりかねないわ」


ニコちゃんは携帯を力任せに折り曲げ、壊そうとした。

ことり「や、やめてっ!! それだけはやめてっ!!」

にこ「ことり……でも、」

ことり「絵里ちゃんが、買ってくれたものだから……、おねがい……壊さないで……っ」



にこ「……まぁ、電源落としてれば多分大丈夫でしょ」

ことり「……うん」


ここに来た時よりは少し落ち着いた、と思う。
携帯の電源を切ったことにより、もう絵里ちゃんからの着信がこない。
それがなにより私に安心をもたらしてくれた。

しかし、それと並行して、もしここが見付かったら、もしまた絵里ちゃんに会ったらということを考えると恐ろしくてたまらない。

ずっと傍にいたから、殴られたとしてもその次の瞬間にはやさしい笑顔があったから。

だからこうして離れた場所から絵里ちゃんのことを考えると、殴られる恐怖だけが襲ってくる。

優しい絵里ちゃんを思い出せなくなってしまう。



にこ「とりあえず、今日からあんたの家はここ! どうせ夏休みだから大丈夫でしょ? あ、でも親には連絡しといた方がいいかも」

ことり「ううん、しなくて平気だと思う…」

にこ「どうして?」

ことり「…ことり、夏休みの間は絵里ちゃんの家に泊まってることになってるから」

にこ「そう、だったんだ……」



────────
──────
────
──


『ことり、また私を裏切ったのね』

『私のことが嫌いだから、約束を破るの?』

『私はことりのことをこんなに愛しているのに、ことりは、』

『どうしてっ!? どうしてなのよっ!!』

『ことりぃぃぃぃぃっ!!!!』


ことり「ゃ……いやああああぁぁぁぁああああ!!!!」


ことり「はぁ……っ、はぁ……っ、」


ことり「ゆ、夢……?」

にこ「ずっと魘されてたわよ……起こそうと思ったけど、時々すごく穏やかな顔もしてたから……」

ことり「そう……」

にこ「絵里はここを知らない。だから絶対にことりの前に現れることはない……安心して眠っていいのよ」

ことり「……うん」

にこ「…おやすみ」

ことり「……」

にこ「……眠れないなら、このスーパーアイドルにこにーが子守唄でも歌ってあげよっか?」

ことり「……ニコちゃん」

にこ「なに?」

ことり「ありがと」

にこ「ここに来て初めて笑ってくれた。あんたはニコには劣るけど可愛いんだから、その顔を忘れないこと。いいわね?」

ことり「…ん、おやすみなさい」

にこ「ふふ、おやすみ。ことり」



『お掛けになった電話番号は電源が入ってないか電波の届かない所に──』


絵里「……」
ピッ


絵里「……本当に知らないの?」

希「ニコっちの家? うん、だって遊びにいったことないもん」

絵里「……」

希「…でもどうしてニコっちなん?」

絵里「穂乃果の家や海未の家、他にもことりが行きそうな場所は調べたけど訪れた形跡はなかったのよ。それに、ニコはいたんでしょ? あの日、あの場所に」

希「来てたかはわからんよ。……まぁたしかにウチの用事が終わったら会う約束はしてたから、大学の方まで迎えにきてたとしても不思議ではないけど」

絵里「……そう」

希「……なぁ、エリチ。もし、ニコっちのとこにことりちゃんがおったとしたら、どうするん?」

絵里「そんなの決まっているでしょ。ことりを連れ戻すのよ……どんな手を使っても、ね」

希「エリチから離れてニコっちのところへ……それがことりちゃんの意思やったら?」

絵里「ふふっ、そんなわけないじゃない。ことりが私から離れようと思うなんて……ニコが無理矢理、ことりを連れていったのよ」

希「……」

絵里「……さてと、じゃあ私は行くわね」

希「どこに? 手掛かりはないんやろ?」

絵里「あるわ」

ここまでです
また明日です
よろしくです



それから三日が過ぎた。


ことり「ん……んんっ……あれ? ニコちゃんどこかにお出掛け?」

にこ「仕事よ、仕事。起こしちゃってごめん、ことりはまだ寝てていいわよ」

ことり「……? あ、そっかぁ。ニコちゃん、アイドルだもんね」

にこ「……あんた絶対忘れてたでしょ」

ことり「えへへ、ずっと家に一緒にいてくれたからつい」

にこ「まったく……帰るのは夜になるかもしてないから、何かあったら連絡して……あ、携帯持ってないんだっけ……」


仕方ないわねぇ、とニコちゃんは机の引き出しから私の……絵里ちゃんに買ってもらった私の携帯を取り出した。

そして、私に渡してくれた。


ことり「いいの……?」

にこ「連絡とれないのは困るからね。でも、絵里に掛けちゃ駄目よ? それと向こうから掛かってきても絶対に出ないこと」

ことり「…うん」

にこ「あんたを信じてこれを返すのよ? 強い心を持ちなさい」

ことり「ありがと、ニコちゃん」

にこ「あと、これ合鍵ね」


家の周りだったらまず私のことを知っている人はいないし、ずっと家の中にいたんじゃ気も滅入ってしまう。

それになにより、閉じ込めて自由を奪うことは絵里ちゃんと重なるから嫌。


そうニコちゃんは言ってくれた。


ことり「いってらっしゃい。お仕事がんばってね」



ニコちゃんを見送った後、布団を畳んで何かしようと考えたが何をしていいのかよくわからなかった。

私は今ひとり。そして自由だ。

今までずっと絵里ちゃんだったりニコちゃんだったり、誰かと一緒にいたから、何にも縛られていないこの自由な環境が窮屈に思ってしまう。


さびしいなぁ……。


電話を掛けるつもりはなかったが、繋がりを求めていたんだと思う。
電話帳に登録されている【絢瀬絵里】という文字を見たら少しはこの寂しさも紛れるんじゃないかって。

携帯の電源を入れた。

新着メールの数に驚いた。

164件。

全部、絵里ちゃんからだ。


絵里ちゃん、絵里ちゃん……。
怒ってるのかな……泣いてるのかな……寂しがって、今頃必死でことりのことを捜して……

私はメールを開いた。

もし横にニコちゃんがいたら、絶対に止められていたのだろう。

ごめんね、ニコちゃん……。
メールを読むだけだから、許して。
おねがい。


【ことり、今どこにいるの?】

【心配してるの。早く戻ってきて】

【連絡ください。待ってます】

【あなたがいなくてさびしい。私を一人にしないで】

【ことりが傍にいてくれないと眠れないの】

【もしかして何か事故に巻き込まれたの? 心配してます。お願いだから連絡ください】

【どうして、いなくなっちゃったの? 私のせい?】

【帰ってきて。ことり】

【私のことが嫌いになったのなら、そう言って。ちゃんと聞くから。だから電話に出て。おねがい】

【ごめんね、ことり。私が悪かったわ。もうあなたを傷付けたりなんて絶対にしない。大切にするから。だから、戻ってきて】

【ことりがいない生活なんて考えられない。おかしくなっちゃいそう】

【声が聴きたい。少しだけでもいいから。おねがいします】

【愛してるわ。ことりがいないと駄目なのよ、私】



ことり「絵里、ちゃん……っ」


ズキズキする。心が抉られるようだ。

絵里ちゃん、すごく悲しんでる。私が、何も言わずいなくなっちゃったから。

ごめんなさい……ごめんなさい……。


ピリリリリリッ……


ことり「…っ!? 電話……絵里ちゃんから……?」



登録されていない番号からの着信だった。
この携帯の番号を知っているのは絵里ちゃんだけ。

きっと絵里ちゃんが違う電話から掛けてきてるんだ、そう思った。
思っていた筈なのに、私は通話ボタンを押していた。

絵里ちゃんじゃない番号からだったから。
後でニコちゃんに咎められた時にそう言い訳しようとしてたんだ、私。


ことり「も、もしもし……」


反応はない。


ことり「あ、あの……」


『……どうして出るのよ』

ことり「え…?」


この声……、


ことり「ニコ、ちゃん……?」

『正解。でもとても褒められたものじゃないわね。絵里が違う携帯から掛けてきてたらどうするつもりだったのよ…』

ことり「ご、ごめんなさい……」

『……まぁ、でも番号教えるの忘れてたニコにも責任あるし、今回は許してあげるわ。この番号ニコの携帯のだから登録しときなさいよ?』

ことり「うん……わかった。でも、どうしてこの番号知ってたの?」

『……最初にね、あんたの携帯を取り上げた時にね、絵里の電話番号を確認するついでにメモしてたのよ』

ことり「絵里ちゃんの電話番号……って、話したの……!? 絵里ちゃんと…」


『…ガツンと文句言ってやろうと思ったけど、それするとニコがことりと一緒にいることを教えるハメになるから、話してないわ』

ことり「そっか……」

『どうせあんたのことだから、絵里からのメール読んで、悪いことしちゃったとか思い込んでるんでしょ?』

ことり「……なんでもわかっちゃうんだね、ことりのこと…」

『あんたがわかりやすすぎるだけ。メールなんてものは思ってもないことでも文章にすればそれっぽく見えてくるものなんだから騙されるんじゃないわよ?』

ことり「騙すって、そんな……」

『ごめん、言葉が悪かったわ……でも鵜呑みにしちゃうのは危険ってことはわかるでしょ?』

ことり「……うん、ありがと……ニコちゃん」

『ことりは本当は強い子なんだから自分をしっかりもっていれば大丈夫よ。あ、ごめん、そろそろ事務所着くから切るね』

ことり「あ、ニコちゃん!」

『なに?』

ことり「今晩、何食べたい?」

『へ? あ、そうねぇ…、ハンバーグ、とか…』

ことり「うん、わかった。じゃあまたね」

『出来るだけ早く帰れるようにするから』



久しぶりに一人での外出をした。


もしかしたら何処からか絵里ちゃんが見てるんじゃないかって落ち着かなかったけど、少しだけ体も心も軽くなった気がした。


昼御飯は、ニコちゃんが出ていく時に用意してくれたものがあったからそれを食べて、夜ご飯の材料の買い出しに。

お肉と野菜と果物と、あと飲み物もいるよね。
こういう買い物はあまり経験がなかったから何をどれだけ買えばいいのかよくわからなかった。

泊めてもらってるニコちゃんの役に少しでも立てるように頑張らなきゃ。



夕方頃にニコちゃんが帰る時間を教えてくれたからそれに間に合うように準備。

料理自体は家にいる時にお母さんに色々教えてもらってたからそれなりに自信はある。

絵里ちゃんといる時は、全部絵里ちゃんがやってくれてたけど。

ニコちゃん、美味しいって言ってくれるといいなぁ。



にこ「おいしいっ!」

ことり「ほんと? よかったぁ」

にこ「あんた、なかなかやるわね…」

ことり「何日も泊めてもらってるから、これくらいはしないとね。ニコちゃんが嫌じゃなかったらこれからお料理はことりに任せてほしいな」

にこ「それはうれしいんだけど……別にそんな気遣わなくていいからね? なんかメイド雇ってる気分。部屋もすんごい綺麗になってるし!」

ことり「えへへ、ちょっと掃除してみましたぁ」

にこ「こっちがなんか悪い気になってくるわ……」

ことり「迷惑だった…?」

にこ「ううん、すごく嬉しい。ありがと、ことり」

ことり「あ、デザートにアイスも買ってるの。後で一緒に食べよ?」

にこ「うんっ! ってあんた今日どんだけ買い込んだのよ!? お金は!?」

ことり「貯金がそれなりにあるから……家賃も払った方がいい?」

にこ「家賃なんかいらないわよ。それよりっ!」

ことり「は、はい…?」

にこ「あんたは節約ってものを覚えなさい。ニコがみっちり叩き込んであげるわ」

ことり「お、お手柔らかにおねがいします…」



ニコちゃんとの生活は楽しかった。


壊れかけていた私の心をそっと撫でてほぐしてくれるみたいに。

あったかい。すごく、あったかい。そう思った。


絵里ちゃんとの暮らしはなんていうか怯えながら必死になって絵里ちゃんの機嫌を窺ってばかりで。
でもそれで優しくしてもらえる日もあって。

それが幸せだと思ってた。

今思えばそれは本当に幸せだったのか肯定することは難しい。

自分を守るために、無理矢理幸せだと思い込んでいただけなのよ。とニコちゃんは言った。


絵里ちゃんの前からいなくなってもう一週間以上。いまだに電話やメールは止むことはない。

着信音が鳴る度に怯える私を不憫に思ったのか、「もっとお金に余裕があったら別の携帯くらい買ってあげられるのに」と申し訳なさそうに言ってくるのだ。

そこまでしてもらわなくても大丈夫だよ。
ニコちゃんと私はただの友達なのに、うん……友達、だから。
今だっていっぱい迷惑かけてるのに。


もし──、


もし、ニコちゃんがことりの恋人だったら、今がずっと続いて。こんな幸せな毎日が──。



にこ「だいぶ良くなってきたわね」

ことり「……」

にこ「ことり…? なにボーッとしてるのよ。ニコの顔に何か付いてる?」

ことり「……ニコちゃんって付き合ってる人とか、いるの?」

にこ「……いきなりどしたの?」

ことり「へ? あ、あっ、えと……そのっ、ずっと泊めてもらってるから……もしそういう人がいたら、悪いなぁって思って…」

にこ「そんな気遣いいらないって言ってるでしょ。それにニコはアイドルなんだなら恋人とか作るわけないじゃない」

ことり「そう、だよね……あはは……」

にこ「……ねぇ、ことり。目瞑って」

ことり「へっ!? えっ、えっ……」


言われるがままに目を閉じた。

「ニコがいいっていうまで開けるんじゃないわよ」
その言葉に頷いたが、内心は気が気じゃない。
目を瞑って、ってことは、まさか、え、ニコ、ちゃん、だめ……。


吐息がすごく近くに感じる。


その手が私の頬に触れて、


ニコ、ちゃん……



にこ「ん、これで仕上げっと……うん、、もういいわよ」

ことり「へ……?」


何分くらい目を閉じたままだったのかわからないけど、それは短い時間ではなかった。

え、おしまい? ことり、何もされてないよ?
いや、ちがう。何かはされてた気がする。顔のあちこちをずっと触れられてて……。


にこ「鏡、見てみて」

ことり「鏡?」


鏡で自分の顔を見ると、思わず感嘆の声が漏れた。


にこ「気にならないくらいに消えてるでしょ? 顔の痣」

ことり「う、うん…」

にこ「ニコのスペシャルメイク術ー♪ っていうのは半分で、仕事先のメイクさんに色々聞いたのよ。化粧品とかメイクのやり方とか」

ことり「ニコちゃん……っ、ことりの、ためにっ……ありが、と……っ、ぐすっ……」

にこ「ちょっとちょっとっ、なに泣いてんのよっ! せっかくのメイクが取れちゃったらどうするのよっ!」

ことり「うんっ……えへへ……うれしかったから……っ」

にこ「あと一週間か二週間も経てばメイクで隠さなくても綺麗になるわよ」

ことり「ありがと……ニコちゃん、だいすき……」



にこ「さて、と……そろそろ行くわね」

ことり「今日イベントだっけ? ニコちゃんも歌わせてもらうの?」

にこ「まぁね、前と同じで一曲だけだけど」

ことり「ことりも観に行きたいなぁ…」

にこ「駄目よ。前と同じ場所だし、知り合いに会う可能性もあるから……まぁ今回は誰にも言ってないんだけどね」

ことり「残念だなぁ…」

にこ「またこれから歌わせてもらう機会は増えるだろうから、全部落ち着いたら好きなだけ来ればいいわ。ていうか、ことりには観に来てほしいし」

ことり「うん、楽しみにしてる」


にこ「じゃあね、いってきます」

ことり「いってらっしゃい」


今日はいっぱい美味しいもの作ってお祝いしちゃおうっと。
あ、そうだ。時間もたっぷりあるし腕によりをかけてケーキも焼いちゃおうかなぁ。

でも、現役アイドルに甘いものっていうのも……まぁ今日くらいはいいよね、うん。
ニコちゃんってどれだけ食べても全然太らないし。
きっとおいしいって喜んでくれる。

ニコちゃんの喜ぶ顔、早く見たいなぁ。


〈イベント会場・楽屋〉


にこ「お疲れ様でしたー」

「あれ? ニコは打ち上げ行かないの?」

にこ「すみません。今日は早く帰らなきゃいけなくて…」

「ははーん、男?」

にこ「違いますってばー」

「じょーだんじょーだん。ニコに限ってそんなん絶対ないよねぇ」

にこ「もぅー、どういう意味ですかー」

「あんたのアイドルに対する熱意? あんたがここに入ってからずっとそれ見てるからね、私は。わかるよ」

にこ「あ、ありがとうございます…」

「んじゃ気を付けて帰ってねー」

にこ「はい、お先に失礼します」




早く家に帰らなきゃ。
ことりのあの様子からして相当気合いが入った夕食が待ってることは間違いない。

もう大丈夫そうね。と本人には言ってるものの、正直言えば監視……というわけじゃないが、一人にさせておくのはまだ不安だった。

自惚れじゃないけど、ことりの方も私といることで安心してくれているのだろう。

だから少しでも早くあの子の所へ戻ってあげなくちゃ。


にこ「……?」


背筋がゾクッとした。

視線……?

気のせい、かな……?



絵里「…………」


にこ「…………」


後ろを振り返るが特に不審な点は見当たらない。


そこそこの人混みだ。まだあまり有名ではないが誰かが私に「矢澤にこ」というアイドルに気付いただけなのだろう。

ほら、サインくらいならしてあげるわよ。と適当にぶらぶらしたけど私に近付いてくる人なんて誰一人いやしないのでそのまま駅の方へ向かった。


乗り換えを二回経て、自宅の最寄り駅に着いた頃にはさっきのあの凍えるような冷たい視線のことなんてすっかり頭のなかから消えていた。

改札を抜け、家へと歩き出した時だった。


ゾクッ──。


まただ。会場から出た時と同じ感覚。


気のせいじゃない……誰かが私を見ている。


誰……?


警戒しながらも歩を進める。

背中を突き刺す視線は消えない。それどころか、重く鋭い圧はまるで空気の刃が背後から私を斬り刻もうとしてきているかのような。

なんなの、この息苦しさは。

私が早歩きしたら向こうもそれを真似て追ってくる。もはや隠れる気もないのか。

そっちがその気なら正体を暴いてやろうじゃないか。
この道は毎日往復しているから知っている。
あそこだったら、後ろを歩いている人間を確認できた筈。

道路脇のカーブミラー。

それを横目で見ると、やはり映っていた。

あぁ、そうか。そうよね、この可能性を考えなかったわけじゃないけど、みすみす最寄り駅まで連れてきちゃうなんて、私ってどんだけ馬鹿なのよ。

深く溜め息を吐いた。


暗い夜道でも目立つのよ。


あんたのその派手な髪は。


絢瀬絵里──。


絵里、私を尾行して家を突き止めるつもりだったのね。

でも自宅に着く前に気付けたのは不幸中の幸いだった。

このまま家に帰るわけにはいかない。
さぁ、どうしよう。
撒くにしてもコイツのことりへの執着心を考えればちょっと難しいかも。
だったら引き返して事務所の打ち上げに参加させてもらおうか。

まぁなんにせよ、今日は帰れそうにないわね。

鞄から携帯を取り出し、電話を掛けた。


『もしもし、ニコちゃん?』

「……ことり、ごめん。今日はちょっと帰れそうもないわ」

『そうなの…? お仕事……?』

「…うん、事務所の先輩にね、無理矢理打ち上げに参加させられちゃって、これから朝までカラオケだって。ほんとごめん」

『ううん。いいよ、謝らなくて』

「……一人で大丈夫?」

『もぅ、子供じゃないんだから。私は全然平気だから、ニコちゃんは楽しんできてね』

「ありがと……それじゃあ」


電話を切ろうとした瞬間だった。


絵里「ことり…? ことりーっ!!」

にこ「なっ!? や、やめっ──」

『ニコちゃん!? どうしたの!? 今の声……、絵里……ちゃ』


迂闊だった。

まさかいきなり携帯を奪おうとしてくるとは。

辛うじて奪われなかったし、電話もすぐ切ったから多分ことりには聞かれてない、と思う。

それにしても、どんだけ狂ってるのよ……この女。


にこ「……絵里」

絵里「やっぱり貴女だったのね、ニコ。ことりを返して」


にこ「……返す? ことりはもう、あんたのものじゃないのよ」

絵里「違うわ。ことりは私のもの……私だけのもの。他の誰にも渡さない」

にこ「ことりはもうあんたといるのは望んでいない。素直に諦めてくれない?」

絵里「ふふっ、私のことりがそんなこと言うわけないじゃない。ことりはいつだって私と一緒の幸せを望んでるの。……貴女じゃ話にならないわね、早くことりの居場所を」

にこ「そうやって……、そうやって自分勝手にあの子を傷付けてきたのね……」

絵里「……」

にこ「力で従わさせるのが愛? 恐怖で押さえ付けるのが愛? 傷だらけの体は愛情の印? ばっかじゃないの!?」

にこ「そんなのこの私が認めないっ! あんたなんかを金輪際あの子に近付けるわけにはいかないの!!」

絵里「…………」

にこ「もういい加減諦めて帰ってくれない?」

絵里「…………ねぇ、ニコ」


にこ「……なによ」





絵里「アイドル、続けたいわよね?」





冷たい──。冷気が私を包んで離さないようだった。
今が夏ということも忘れて、心臓や肺が凍ってしまったみたいに。

ひどく息苦しい。

でも、目の前のこの女から目線を逸らすわけにはいかない。


私が──、


私が、ことりを守らなくちゃいけないから。

ここまでです
本文に関するレスがちょっとずつ増えてきて嬉しい限りです
また明日なのです



ポツリ、と空から落ちた雫が鼻先を濡らした。

雨。
傘は、持ってきていない。酷くならなきゃいいけど。

そんなこと、今はどうでもよかった。

きっと逃げ出したかったんだと思う。

一人だったら絶対逃げ出していた。でも、二人なら……守らなきゃいけない存在がいるから、私は臆しながらも立ち向かっていける。


「アイドル、続けたいわよね?」

それはつまり、私の邪魔をするつもりなら歌えなくしてやる、踊れなくしてやる。多分、そういう意味なのだろう。


にこ「……そんなことして、あんただってただじゃ済まないわよ? 傷害事件。それもこの将来を有望視されてるスーパーアイドル矢澤にこを襲うなんて、警察どころか私のファンに袋叩きに遇うかもね」

絵里「ふふっ…」

にこ「あんただって自分の将来が大事でしょ? 何の為に国立の大学に入ったのよ。事件なんて起こしたら大学になってもおかしくないんじゃない?」

絵里「……ことりがいない自分の未来なんて、彩りなんて何もなく、目を背けたくなるくらいつまらないものなのでしょうね」

にこ「それは、全部自分のせいでしょ。ことりがいなくなったのも、そのせいであんたの未来がつまらないものになったとしても、それは全部あんた自身が招いたものじゃないっ!」

絵里「だから私にはことりが必要なのよ。ことりを取り戻す為なら、なんだってするわ」

にこ「……ほんとに自分勝手ね。何が絵里をそんな風に変えてしまったの……? ニコが知ってる絵里はもっと、他人の気持ちを理解してあげられる優しい人間だった筈よ」

絵里「……」


にこ「少しはことりの気持ちも考えてあげなさいよっ! 殴られて、全身が傷だらけになっても、これは愛してくれてるから……って、痛みで縛られる愛なんて、愛じゃない」

にこ「絵里、あんたは恋人失格よ。それ以前に人間として歪んでいる」

絵里「ことりはね、私のことを愛してくれているの。私がいくら歪んでいようがそんなもの関係ないくらいに。それが二人の今在るべきカタチなら、他人にわかってもらう必要なんてない」

絵里「一緒にいて気が付かなかった? 私が愛していることりも、歪んでいるのよ。だからニコ、貴女にことりは相応しくない」

にこ「ことりを歪ませてるのはあんたじゃないっ!! ことりは立ち直ってきているのよ、あんたから解放されたあの子は幸せそうに笑っているわ。……絵里は、あの子の笑った顔を最後に見たのはいつ?」

絵里「私といる時はいつも笑ってくれてるわ。そんなの当たり前じゃない。私と一緒にいれて幸せだって言ってくれるのよ」

にこ「だったらどうしてことりはあんたから逃げ出したと思う?」

絵里「逃げ出した? ニコが無理矢理連れていっただけでしょう? きっとことりは今頃私に会いたいと思ってくれてる筈よ」

にこ「おめでたい頭してるわね。電話も、メールだってなんの返信なんてないのに」

絵里「……貴女がことりを抑えつけているんでしょ? 私に連絡するなって。あぁ、可哀想なことり……すぐに私が助けてあげるから」

にこ「話にならないわ」

絵里「それはこっちの台詞。早くことりを返してくれないかしら?」


にこ「……いい加減わかりなさいよ。子供じゃないんだから……いくら欲しいものがあっても、どうしようもないことだってあるの」

にこ「ことりの立場になって考えてみて。……最初はあんたのこと愛しく想っていたんでしょうね。絵里と付き合いだした時のことりの幸せそうな表情は今でも思い出せるわ」

にこ「でもそれが、何かある度に殴られて、蹴られて、ガラスの破片で喉を斬ろうとしたらしいじゃない……愛想を尽かすのも当然って思わない?」


絵里「……」


にこ「今のことりはあんたを恋人だなんて思ってない。あんたから着信やメールが来るたびに震えているわ……。あんたへの愛情なんてもう無いのよ」

絵里「……」

にこ「……お願いだから、諦めてくれない……? これが絵里ができる最後の愛なの。ことりのことを愛しているのなら、あの子を苦しめるようなこと、もうやめて」

絵里「…………私は、」


絵里の瞳から涙が溢れるのが見えた。


絵里「私は……ことりのことが好き……愛してるからっ……私のことを愛してほしいって……、そう、思って……」

にこ「……」

絵里「……ことりは……ニコといて……、笑っているの……?」

にこ「えぇ、笑っているわ」

絵里「……そう」


絵里「私がどんなにことりを必要としても……、求めていてもっ……あの子は、私を求めてはくれないのね……」

にこ「……そうよ」

絵里「……わかったわ。それがことりの幸せなら、私は、もう……っ」


ぼろぼろ溢れてくる絵里の涙に、少し胸が痛いと感じてしまった。

絵里がことりを愛していたのは本当なのだろう。
愛して愛して、愛しすぎてしまったから、愛し方を間違えたのだ。
勿論、間違ったから反省します、でとても済む話ではない。

正直言えば、絵里に対する未練や愛情が今のことりに残ってないのかと問われれば、多分そんなことはないと思う。
ことりは怯えながらも絵里への気持ちはきっと胸の奥に置いたままなのだ。


それが良いことなのか悪いことなのか、私にはわからない。私が定めてよいものではない。


でも、絵里がことりにしてきたことは決して許されることではない。
仮に、今でも二人が愛し合っていたとしても、私にはそれを引き裂く権利があると自分に言い聞かせた。

ひどく身勝手だとは思った。
だけど、それが私にとって剣となるならば、振るう覚悟はもう備わっている。



にこ「……ほら、もう行きなさいよ」


絵里「…………ニコ、あのね、」



絵里「ことりに会わせて」


何を言ってるの……こいつは。
今、あれほど言い聞かせたのに。

選択としては当然バッサリと斬り捨てるべきだった。

でも、顔をぐちゃぐちゃにして私にすがりつくような叫びに、躊躇ってしまった。


にこ「な、何言ってるのよっ……そんなこと、させるわけ」

絵里「最後に、お別れを言いたいの」


「それと、今までしてきたこと全部謝りたい……」と絵里は涙混じりに言った。


絵里「綺麗に……って言えば怒られると思うけど、ちゃんとハッキリ別れようって、言ってあげたいの……散々苦しめてきた私だから、これは言うべきだと思う……」

にこ「そ、それは……そう、かもしれないけど……」

絵里「もし私がこのまま身を引いて、ことりの前から消えたとしても……あの子は私の影に脅え続けるんじゃない……?」


絵里「もうここで、何もかも終わりにして、あの子を解放してあげたいの。それが今私にできる、ことりにとっての一番の償い……」



確かに絵里の言う通りだ。


でも、


本当に会わせてしまっていいのだろうか。


私、恐れているの……?


ことりの気持ちが絵里に戻るかもしれないって。
もしかしたら上手く絵里に言いくるめられるんじゃないかって。


私、ことりを信用してないの……?

あの子なら大丈夫って強く言えない事実が私を惑わせ、混乱させてくる。



私はことりを守ると、そう自分に誓った。

絵里の言葉を聞いて今一度考えてみた。

簡単に守ると言っても、それで守ってあげられたとしても、それでいいのだろうか。

間違ってはいないと断言できるが、正しいのかと訊かれたら躊躇する。
完全に救える自信がないから。


“守る”と“救う”は同義ではない。


皮肉にもことりに深い傷を負わせた絵里だけが、ことりを救うことができる。

そう結論させようと囃し立てるのは、次第に強くなりつつあるこの雨のせいか。
目の前にある、絵里の情けない顔のせいか。
頭に思い浮かぶ、ことりの笑顔のせいか。


今の私にはわからない。

きっと一生わからない。


でも、


だから、


私は──、



にこ「……絵里、それは無理なの。何があってもあんたをことりに会わせるわけにはいかない」


絵里「…………」


にこ「……ごめん、って言うのもおかしいけど……大人しく帰って」

絵里「…………そう、」










絵里「残念だわ、ニコ」

休憩です
また後で続き書きます



壁が薄いのか屋根がスカスカなのか、窓から見える雨の様子以上に、雨音はこの部屋に響いていた。


家賃43000円。

それが高いのか安いのかよくわかんないけど、私はここが好きだった。

「夏は熱が篭るし、冬は外気がモロに影響するって不動産屋のお墨付きよ」なんてニコちゃんは愚痴を溢していた。

でも、あったかい。

夏なのにあったかいっていうのも変だけど、きっと冬になっても同じことを思っているんだろうなぁ。って、その頃にもお世話になってるままじゃ駄目だよね。


さびしいなぁ……。


いつもに増して気合いを入れて夕食を用意して待っていたから尚更そう思う。
オーブンから焼き上がったケーキの香りが今日は戻らないと言っていたニコちゃんを余計に愛しく思わせた。


さっきの電話。


きっと聞き間違いだよね。絵里ちゃんのわけないよね。
打ち上げって言ってたから多分事務所の他のアイドルの人とかだよね。

うん、そうに決まってる。


それなのに、なんだろう。


この胸騒ぎは。



雨の音はうるさいくらいに聞こえるのに、やけにしんとしているように思えた。

二階の角部屋。隣の部屋のテレビの音がうるさいっていつもニコちゃん言ってたなぁ。
それなのに今日に限ってはまったく聴こえてこない。


ポツリと雨が私を囲い、世界中からひとり取り残されたようだった。


いけないいけない、早く一人に慣れないと。ニコちゃんが傍にいるのを当たり前と思っちゃ駄目。


ガタッ──。


ことり「っ!?」


物音に驚いてしまったが、どうやらそれは外からのようで。
溜まった排水でも落ちちゃったのかな。


安堵したのも束の間で、次には話し声が聞こえてきた。
これも外から。隣の部屋の人……?


『───て、……る──っ!!』

『─……っや……──いの──!!』



耳を澄ましてみるとそれは話し声というより、言い争ってる、そんな感じの。

ちょっと、こわいなぁ……。


その声は少しずつ近付いてるようで。


次第に声が鮮明に聞こえてくるようになった。


え、この声って、私の知ってる、声──?



まさかと思い、恐る恐るドアを開けてみると、



視界に入ったのは、




雨に濡れた金髪の人影──。



そして、



短い悲鳴と共に、階段から転がり落ちる黒髪の小さな体──。




そんな一大事に興味無さげに、金色の髪の先からポトポトと滴を落としながら、私の方へと顔を向けた。


目が合うと、その人は口角を吊り上げ、口を開いた。






絵里「ふふっ、みぃつけた♪」



ことり「え……えり……、ちゃ……」


絵里ちゃんはゆっくりとこちらに近付いてくる。


足ががたがた震えて動けない。指先一つまともに動かせる気がしない。



逃げなきゃ……。

ドアを閉めて、鍵を掛けて……。

そんなことより、ニコちゃんを……。

階段の下でうつ伏せに倒れたまま動かない。早く助けなきゃ……。

救急車……呼ばないと……。


考えることは山積みだ。
それなのに、絵里ちゃんの視線が私の眼の奥の奥まで掴んで離してくれない。


気が付くとすぐ目の前まで来ていた。


前髪から落ちた滴が私の手の甲を濡らす。


絵里「ことり、会いたかった。迎えにきたわ」


その言葉のトーンとは正反対に、強く、潰されるくらいに抱き寄せられた。


ことり「あ……え……えり、ちゃ、ん……」

絵里「ことり、心配したのよ。でも、ことりが元気そうでよかった」

ことり「ぁ……や……にこちゃん、が……」

絵里「あぁ……ニコ? 雨で濡れてるから危ないわよって注意したんだけど、ね。そんなことより、ことり」



そんなことより……?

ニコちゃん、階段から落ちちゃったんだよ……?

怪我してるかもしれないんだよ……?


どうして、そんな風に言えるの……?



絵里「さ、うちに帰りましょう? ご飯食べた? 少し遅い時間だけど、もしまだならことりの好きなもの何でも」

ことり「離して……絵里ちゃん……」

絵里「……? どうして? やっと会えたんじゃない。もっと抱きしめさせて」

ことり「ニコちゃんの、ところ、に……行かなきゃ……っ、ニコちゃん、ニコちゃんっ……」

絵里「……だめ。行かせない」

ことり「どう、してっ……ニコちゃんが、死んじゃうっ……」

絵里「あれくらいじゃ死なないわよ。人間って案外丈夫にできているから」

ことり「なんで……ねぇ、なんで……っ、こんな酷いこと、するのっ……!?」


絵里「ニコが自分で落ちたのよ。私のせいじゃないわ」


その声は今まで耳にしてきた絵里ちゃんの言葉のなかで一際冷たく感じた。


絵里「馬鹿なのよ。あの子」

ことり「え……?」

絵里「私の言う通り素直に聞いていれば痛い思いなんてしなくてすんだのに。でもまぁ、ニコも私とことりの仲を邪魔してきたのだから当然の仕打ちよね」

ことり「……ニコちゃんに、なにしたの……?」


私が訊ねると、絵里ちゃんは興味無さそうに話し始めた。


家に連れていけと頼んだら断ってきたこと。

掴みかかろうとしたら抵抗してきて、噛み付かれたこと。
笑いながらくっきり残っている歯形を見せられた。

鞄から取り出したスタンガンを首に当てたら意識を失ってその場に倒れたこと。

そして、ニコちゃんの鞄を漁り、公共料金の支払い書からここの住所を知ったこと。

アパートの前まで来た時に、追ってきたニコちゃんと口論になったこと。


絵里ちゃん曰く、ニコちゃんが足を滑らせ階段から転落したこと。


ことり「ひぐっ……ぁ……っ……、ニコ、ちゃ……っ」

絵里「もうニコのことなんていいじゃない。こうして私が迎えにきてあげたんだから。これからはずっと一緒よ、ことり……もう離さない」

ことり「いや……いやぁっ……離してぇっ!!」

絵里「……どうしてそんなこと言うの?」


私の両腕を掴む絵里ちゃんの手を懸命に振りほどこうとするが離してくれない。


泣き叫ぶ自分の声。

降り続ける雨の音。

そしてもう一つ、


カツン……


カツン……


カツン……



足音……?


ことり「にこ、ちゃん……っ」


絵里「……あら、」


泥塗れの姿。髪もぐちゃぐちゃで。
顔には大きな青痣。
額からは血が流れている。

ふらふらになりながらも、こちらへと歩いてくるニコちゃんの姿があった。


絵里「ね、言ったでしょ? あれくらいじゃ死んだりしないって」


にこ「こ…、こと、りから……っ、離れ、ろ……っ」



絵里「立ち話もなんだから、家に入れてもらおうかしら? いいでしょう? ニコ」

にこ「ここは……っ、ニコと……ことりの、家なの……あんたは、さっさと……っ」


どさっ──。


ドアの前まで辿り着いたところでニコちゃんは倒れ込んだ。


ことり「に、にこちゃんっ…!! しっかりしてっ、ニコちゃんっ!!」


ニコちゃんを抱きかかえ、必死に呼び掛ける。
辛うじて意識はあるようで、手を握りしめるとぎゅっと握り返してくれた。

早く手当て……いや、救急車を。

その時だった。


ドカッ──。


強い衝撃と痛みが顔面を襲った。


ことり「ぁう"ゅッ…!!」


絵里ちゃんにより室内へと蹴り飛ばされた。
それによって、これまでの恐怖が一気に甦ってきた。

殺される、とまず最初に思った。


絵里「……ほら、ニコも入りなさい」


絵里ちゃんは、力なく蹲っているニコちゃんの髪の毛を掴み、無理矢理部屋の中へと放り込んだ。


殺される……。


私も、ニコちゃんも……。


私の、せいだ……。


全部、私のせいだ……。


カチャッ──。


ドアが閉められ、鍵が掛かった音はとても重く私の脳内へと突き刺さった。

ここまでです
また明日もよろしくです


>>133
にこ「あんただって自分の将来が大事でしょ? 何の為に国立の大学に入ったのよ。事件なんて起こしたら大学になってもおかしくないんじゃない?」

事件なんて起こしたら大学に←×
事件なんて起こしたら退学に←◎



「愛してるわ。ことり」


ひたひた──。


玄関に倒れたままのニコちゃんには目も触れず、絵里ちゃんは私の元へ近付いてくる。

キラリと滴が金色の髪から頬を伝い、床に落ちた。
依然として冷たい表情のまま。そんな口から告げられる「愛してる」の言葉の意味はもう見失っていたのだと思う。

やさしいはずの“愛してる”はいつからか私をきつく縛り上げるものに変わっていた。

まさに今だって。こんなにも苦しい。呼吸の仕方さえ忘れてしまいそうだ。


こわい……やだ……たすけて……。


でも、口にするわけにはいかない。迫ってくる恐怖を声にしてはいけない。


だって、私が泣いて叫んだら、きっとニコちゃんはぼろぼろの体で絵里ちゃんに向かっていっちゃうんだ。


グイッと髪を掴まれ、部屋の奥に引き摺られた。


ことり「ぁ……っ!!」


そしてベッドの上へと雑に放り投げられる。


絵里「ふーん……、ここで暮らしてたのねぇ」


絵里ちゃんは珍しいものを見るような目で部屋中を見渡す。

小さいテーブルの上にはまだ手付かずだった夕食の用意と夕方に焼き上がったチーズスフレ。


絵里「これ、ことりが作ったの?」

ことり「……そう、だよ…」


絵里「……そう」


ガシャンッ──。


ことり「きゃっ…!?」


蹴り飛ばされたテーブル。並べられていた料理は床の上でぐちゃぐちゃになった。


最後に、絵里ちゃんと一緒に食べたあの日の朝食を思い出す。


潰れたケーキ。

絵里ちゃんに初めて殴られた日を思い出した。


「ことり、」

ベッドの上の私を力任せに押し倒す。そして、私が嫌がるのもお構いなしに無理矢理、キスされた。



絵里「…ん、……ぁ……ふふ、ことりの味」

ことり「ひぐっ……ぅあ……えり、ちゃん……」

絵里「なに? ことり」

ことり「……っ、わたし……っ、わたしね……、」


ことり「絵里ちゃんと、別れたい……っ」


言ってしまった。

ニコちゃんにこんな酷いことしてまで私を取り戻しにきた絵里ちゃんが聞いてくれるとは思えない。
きっと、また殴られるんだろうと思った。

でも、淡い期待は頭の隅っこにあったのかもしれない。

今まで言えなかったから、ちゃんと自分の口で伝えたら絵里ちゃんだってわかってくれるかもしれないって。


絵里「え……? 何を言ってるの……ことり、」

ことり「絵里ちゃんとは……もう、一緒にいたくないの……」

絵里「……私のことが、嫌いなの?」


よく訊かれた台詞だった。
今までは「そんなことないよ。絵里ちゃんのことは大好きだよ」って答えていた。

でも、今は違うの。

しっかりしなさい。ことりは本当は強い子なんだから。ニコちゃんがそう教えてくれたの。

だから、もう逃げない。

絵里ちゃんにハッキリ伝えなくちゃいけない。

今の私の気持ちを。


ことり「嫌いだよ……絵里ちゃんなんて、きらい……」



絵里「き、きらい……? ことりが、私のこと、を……」


信じられないといった具合に大きく目を見開いて私を凝視する。
混濁。動揺。
こんな状態の絵里ちゃんを見るのは初めてだった。

こんなにも私のことを愛してくれていたのか。
それとも、充分に躾をしていた筈の従順な飼い犬に噛み付かれ、驚愕しているのか。

なんであろうと、絵里ちゃんを可哀想だなんて少しでも思っちゃいけない……そう自分に言い聞かせる。


ことり「……絵里ちゃんは、ことりのこと、殴るよね…? 私の大切な友達とも話すなって言ってきた……私以外にも、大切な友達を傷付けた……」

ことり「そんな絵里ちゃんを、好きでいられると思う……?」


絵里「わ、私は……ことりを愛してるから……、私とことりの幸せを作ろうと……」


ことり「私はね、絵里ちゃんと一緒にいたら、幸せにはなれないと思う。幸せっていうのは、二人で作るものじゃないんだよ……周りのみんながいて、みんなが祝福してくれて……そんな幸せを、私は欲しい」


絵里「こ、こと……ぅ……あ……、っ……!」


私の肩から離れた手の行き場所はそのまま私の顔へと振るわれるものだと思ったら、違った。

その手は絵里ちゃん自身の顔へと。
力のこもった指は震えながらもこめかみをぐっと締め付け、両目を覆うように。



絵里「ぅ……うぅ……ぁ……っ、あ……」


泣いている。苦しんでいる。掠れながらも漏れる呻き声にも似たその叫びは何を顕しているのだろう。

後悔、しているのかな。

次に出てくる絵里ちゃんからの言葉がなんであろうと、私は受け入れるつもりなんかなかった。

ここで終わりにしなくちゃいけない。

絵里ちゃんとの未来は、もう考えちゃいけないんだ。

それが小さな体で張って、私を守ってくれたニコちゃんへの今私ができる精一杯の誠意みたいなもの。



放心状態と見てとれる絵里ちゃんをそのままにして、ニコちゃんの元へと駆け寄ろうと身体を起こしたその時、



絵里「……ふふふ……っ、あはっ……あはははははっ、」


ことり「……っ!?」


絵里「やっぱり、貴女がすべての元凶なのよ……ニコ。貴女が私のことりを惑わすから、私のことを嫌いだなんて言う悪い子になってしまって」

ことり「やめ、て……」

絵里「よくわかったわ。ことりの気持ちも、ニコの気持ちも」


「ことり、よく見ていなさい。教えてあげるわ」
絵里ちゃんは腰を上げ、私に背を向けた。その視線の先には倒れたままのニコちゃんがいた。


ことり「やめて……やめてよっ、何するつもりなの……?」


絵里「……ことりにわかってもらおうと思ってね、」







絵里「誰も貴女を守ることなんてできないって」


ことり「だ、だめっ、やめてっ、これ以上ニコちゃんに手をっ、ぐあぁっ!? かっ、はぁっ……ぅあ、」


行かせまいと腰にしがみつこうとした私の躰の真ん中に一蹴り。
夕食を摂っていたら吐き出してしまっていただろう。それくらいの強い衝撃が胴体を揺らした。

胃液が逆流してきて、喉が焼けるようだった。

呼吸を奪われ、更には壁に頭をガンガンと叩き付けられた。

動けない……助けなきゃ、いけないのに。
ニコちゃんを助けられるのは私しか、いないのに──。


段々と絵里ちゃんの背中が遠ざかっていく。


待って──、やめて──。





絵里「ニコー? よくも私の大切なことりをたぶらかしてくれたわね」

にこ「……」

絵里「……反応なし、か」


気を失ってしまっているニコちゃんに絵里ちゃんはつまらなそうな表情を浮かべた。

再び立ち上がった絵里ちゃんは玄関横の台所、そのシンクに栓をして勢いよく蛇口を捻った。


何する、つもり──?


ものの二分程で水かさは排水口の位置まで溜まった。


絵里ちゃんは横たわっているニコちゃんの髪を掴み、


そのまま持ち上げ、


頭ごとシンクに、突っ込んだ。


だらんと腕がぶら下がっているだけ。自分の足で立つことすら出来ない。
頭だけが水が溜まったシンクの中へある状態。


殺され、ちゃう……ニコちゃんが、死んじゃう──。


ことり「ゃ……め、て……はぁっ……はぁ……っ、」


私の声なんて届いていない。


絵里ちゃんはいまだ意識の戻らないニコちゃんに笑みを浮かべ囁くのだ。


絵里「ニコ、早く戻ってこないと……このまま溺死してしまうわよ?」


絵里「ほら、ほらぁっ! あはははっ!」


愉快そうにニコちゃんの頭をシンクの底に何度も打ち付ける。


その笑み、笑い声が、悪魔のようにに映った。


一年前、μ'sの九人で笑い合っていた絵里ちゃんはもう、何処にも存在していない。





頭を沈められてから一分くらいだろうか、ピクリとニコちゃんの指が動くのが見えた。

意識が戻った──?

でもそれだけで安心できる筈がない。

ニコちゃんが戻った世界は水中にあって、何が起きているのか理解なんて不可能だろう。

人間の構造的に、本能に、ただ酸素を求めひたすらもがく。


にこ「んぅっ、ぁっ、ぶぶぁ……っ、んんぎゅ、ぅは……ッ」


目を疑うことに絵里ちゃんはその手を離すことはなかった。

ニコちゃんが苦しんでいる様子に恍惚するように。



やっと、


やっとだ──。


ただ見ているしか出来なかった私でさえ、その時間は永遠のように感じられた。


絵里ちゃんの手が引っ込められ、ニコちゃんの顔が空気に触れる。


にこ「げほっ、げほっ…!! ぁが、はっ、ひゅ、はっ、はぁっ、はぁっ…!!」

絵里「やっとお目覚め? 待ちくたびれちゃったわ」

にこ「はぁっ、はぁっ、はぁっ……え、り……っ、ぁ……ことりっ、ことりはっ…!?」

絵里「……」


ことり「ニコ、ちゃん……っ、ひぐっ、ぁあっ……」


にこ「よ、かっ……た、待ってて……すぐに、私が……はぁっ、はぁっ…、」


こんな時まで私の心配しないでよ……。
ことり、何も出来なかったのに……ニコちゃんが殺されちゃうかもしれないっていうのに、何も……。

そもそも全部私のせいなんだよ……私がニコちゃんと一緒にいたから。

ニコちゃんとの生活を幸せって思ってしまったから。

私の、せいで──。


にこ「絵里……あんたは、ぜったいに……許さない……っ」

絵里「許さないのは私の方。ねぇ、ニコ……どうしてこんな目に遇ってまでことりを守ろうとするの?」

にこ「はは……っ、やっぱりあんた、何もわかってない……私はね、あの子を守るんじゃなくて、救うのよ……」



にこ「あんたなんかに怯えなくていいように、またあの子が外の世界でも思いっきり笑えるように、私が救ってあげるの……だから、絵里……私が、あんたを、」



殺してやる──。



カチャ──。


ニコちゃんの手には包丁が握り締められていた。
その刃の先は、真っ直ぐ絵里ちゃんへと向けられている。



絵里「ニ、ニコ…!? 包丁なんか持って、やめて、やめて……っ」


にこ「殺す……殺す殺す殺すっ、絵里……あんは私が殺してやるっ!!」


絵里「や、やだ……やめて、やめてよ……助けてっ!! いやあああぁぁぁぁぁぁっ!!!!








────なんてね。ふふっ」

ピッ…


にこ「なにが、おかしいのよ……っ」

絵里「これで私がニコを殺してしまったとしても正当防衛が認められるのかしらね?」


絵里ちゃんが上着のポケットから携帯を取り出し、画面をタップすると

『殺す……殺す殺す殺すっ、絵里……あんは私が殺してやるっ!!』

ニコちゃんのさっき発していた声が流れてきた。


絵里「あぁこわいこわい……まぁ、殺してやりたいのは私も同じなのよね。……ニコっ」

にこ「うあぁッ…!!」


まだふらついたままのニコちゃんの足を蹴りつけるとバランスを失い倒れそうになる。
更に絵里ちゃんは包丁を握っていたニコちゃんの右腕の腋を突き上げるように強打を放った。

カランとその手から包丁が溢れ落ちた。


にこ「うぅ、ぐっ……はぁっ、はぁっ……」


絵里「……」




崩れ落ちたニコちゃんを見下ろす絵里ちゃん。
その右手には銀色に光る包丁が静かに携えられていた。



殺されてしまう。

今度こそ、ニコちゃんが、コロサレテシマウ──。

なんで……、どうして……、

ニコちゃんは何も悪いことしてないよ……

私を助けてくれようとしただけだよ……

悪いのは、絵里ちゃんじゃん……

どうしてニコちゃんがこんなことされなくちゃいけないの……?

ねぇ、どうして……?


私の、せいなんだ──。


私がニコちゃんを頼ってしまって、甘えてしまって、

こうなるかもしれないことを何でもっと考えておかなかったんだ。

考えられていれば、あの日すぐにでも絵里ちゃんの元へ帰って、それで私が殴られるだけで済んだのに……。


私の、せいだ……!!


ニコちゃんは悪くない、私が悪いんだから、私が、


私が、絵里ちゃんに──。



ことり「ねぇ、絵里ちゃん、」




ことり「ことりね、絵里ちゃんと一緒に帰るよ。これからずっとずっと一緒にいよう?」



ことり「絵里ちゃんがよろこぶことなんでもするから、ことりになんでも好きなことしていいから。殴っても、蹴っても、それがことりを愛してくれてる証なんだもんね」



ことり「好きだよ。絵里ちゃん……愛してるよ。二人で……二人だけで、幸せになろう?」



絵里「ことり……信じてたわ。そう言ってくれるのを」

ことり「うん。だってことりには絵里ちゃんしかいないから」

絵里「えぇ、その通りよ」

ことり「だから早く絵里ちゃんの家に帰ろうよ。ほら、早くそんなもの置いてさ」


とりあえず今は一刻も早くこの部屋を出て、それからなんとか隙を見計らって電話を掛け、救急車を呼ぶ。

ごめんね、ニコちゃん。

もう少しだけ、待ってて。

もうニコちゃんには迷惑掛けられない。
ニコちゃんの命が助かるのなら、私のこれからの人生をすべて絵里ちゃんに捧げるくらい安いものだ。



ことり「絵里ちゃん、何してるの? 早く帰ろ?」

絵里「そうね、私も早くことりと二人きりになりたいわ。でもね、」


絵里「この子のことだから、傷が癒えた頃にまたことりを私から引き離そうとすると思うの。二度も邪魔をされるのは、私も耐えられない……だからね、」


ことり「え……?」




うつ伏せに横たわっていた小さな体がビクンと一瞬跳ね上がった。


鈍く短すぎる悲鳴と共に。


銀色は、赤黒く染められた。


腰に深く突き刺さった包丁。


「これで私たちの愛を脅かす人間はいなくなったわ」


満足げに微笑む、悪魔。


私の、恋人。


絢瀬絵里ちゃん。


私を救おうとしてくれた、


矢澤にこちゃん──。


ニコちゃん、ねぇ、起きて、


お仕事、遅れちゃうよ?


今日は、イベントで歌うって、言ってて、


それで、お祝いを、



ことり「あ……ぁぁ……ぁああ……、あああああああぁぁぁぁぁぁっ!!!!」


────────
──────
────
──



今は、何時だろう。


外界から切り離すように閉められたカーテン。


その隙間からは微かに光が洩れているから、まだ夕方くらいなのかな。


何の変化もないこの部屋。


クーラーの温度は27℃。


前に暮らしていた家は、クーラーは電気代がかさむからってあまり使わせてもらえなかったなぁ。


冷たい。寒い──。


この環境が凍えるほど冷たく感じるのは、きっとあの家があたたかすぎから。


私には、あたたかすぎたんだ。




ジャラッ──。


身体を動かせば、鉄と鉄が擦れる無機質な音が鳴った。


あぁ、そうだ、


冷たいといえば、この右の手首に掛けられている、“手錠”。


髪を触ろうと手を動かしても、耳より上には絶対に上がることはない。

無機質な痛み。それに制御されている。


私の自由の範囲なんて50cmもなくて、この部屋の扉の場所さえもとても辿り着けない。


だから私は何をすることもなく、できることもなく、ただ待っているしかないんだ。


この家の主を。




あの日から、私の自由は無くなった──。




しばらくすると、玄関が開く音が聴こえ、階段を登ってくる足音。


そして数時間ぶりにこの部屋の扉が開いた。



ことり「おかえり。絵里ちゃん」


絵里「ただいま。ことり」

今日はここまでです
終わりが見えてきました。今週中には完結するかしないか。
おやすみなさい



絵里「ちゃんといい子にしていられた?」

ことり「うん。絵里ちゃん早く帰ってこないかなぁってずっと絵里ちゃんのことばかり考えてたの」

絵里「ふふっ、そう」


絵里ちゃんは頭を撫でてくれた。

絵里ちゃんがいない間は私は一人ぼっち。誰と話すことも、携帯は取り上げられてしまっているから誰かに連絡することもできない。それは絵里ちゃんに対しても同じで、連絡をとりたくても不可能な現状に身を置かれている。

だからひとりの間は何一つ自由なんて無い。

声が聞きたくても、お腹が減っても、トイレに行きたくても、絵里ちゃんが家にいないと私はどうすることもできないのだ。

今日みたいにトイレを我慢できた日は頭を撫でてくれたり、キスをしてくれたり、優しくしてくれる。
でも、我慢できずにこの場に漏らしてしまうことだってある。
そんな日は、動物を仕付けるように殴られたり蹴られたり、首を絞められたり、髪を燃やされたり。
意識を失うことだって少なくはなかった。



キス。
離れていた数時間を埋めるように、私のことをたっぷりと味わうような、そんなキスをされた。


それが終われば絵里ちゃんは鞄からあるものを取り出す。

私の右手首に填められている、手錠の鍵だ。

ベッドと繋がれたまま部屋のインテリアの一部に為り下がっていた私にもようやく人間らしい行動が与えられる。

しかし、完全に自由かといったらまったくもってそうではない。
逃げ出さないように絵里ちゃんに見張られている、そんな以前と同じ程度で済まされるわけがない。
私はあのニコちゃんとの一件で完全に信用を失ってしまったのだから。


絵里ちゃんはベッド側の手錠を外すと、自分の左手にそれを填めた。


そう、私が絵里ちゃんと一緒にいる間はずっとこの鎖で繋がれている。


友達を裏切って、大切な人を傷付けて、恋人に暴力を奮われ、自由を奪われ──、


それを不幸と思うことは、もうやめた。


愛し方を間違っているこの私が愛する人をもっともっと愛すことにしよう。

絵里ちゃんが私のことを百愛してくれるなら、私は絵里ちゃんのことを千愛そう。

ジャラリと鳴るこの鉄の鎖は私と絵里ちゃんの愛の絆。


ことり「ねぇ……絵里ちゃん、」


好きだ。大好きだ。
抱きついた時のこの体の温かさも、柔らかくてやさしいその唇も、私を叩くその腕や脚も、噛み付いてくるその歯も、四六時中愛を囁いてくれるその声も、何もかも、絵里ちゃんの隅から隅まで、愛してる。


ことり「絵里ちゃん、好き……愛してる。ことりね、絵里ちゃんとエッチしたい」


最近では身体を求めるのは私の方が多くなっていた。
私の方からそれを言うと絵里ちゃんは本当に幸せそうな顔で微笑んでくれるのだ。

痛いことされないように絵里ちゃんの機嫌をとる、最初のうちはそう考えていたのかもしれない。
でも、もうね、自分の中が空っぽになるまでこの人を愛していた方が楽になれるっていつからか気が付いたの。


簡単な話だったんだ。
私を愛してくれる絵里ちゃんを愛せたら、それはもうそれだけで幸せなのだと。

贅沢な幸せなんて、私には不相応だ。


傍に絵里ちゃんがいてくれる。
私はそれで充分幸せになれる、なりたい。



絵里「ことり…、」


キスされたまま押し倒されるようにベッドの上で重なった。
私の上に覆い被さる絵里ちゃんの重みが無性にうれしかった。


お互い片手は手錠で繋がれた同士。
だから私の右手と絵里ちゃんの左手は固く握り合って離さないまま。


自由なもう片方の手と、あと、唇。歯と、舌。

愛撫するにはそれだけあれば充分だ。
愛を語り合うのに腕一本使えないだけで満足できない筈がない。


唇から離れた絵里ちゃんの唇は、そのまま頬を伝い顎へ下りていく。

そして首筋に舌を這わせ、耳をくわえ込むように丹念に舐めてくれた。

鼓膜のすぐ外側で動く舌先の感触。じゅくじゅくと唾液が擦れる音はたまらない。
それだけで絶頂を迎えてしまいそうになるくらい。
昼間にまったく言葉を発してなかったせいか、ひどく不格好に喘ぐ私の声にも興奮して更に私を求めてきてくれた。


私はそれまで絵里ちゃんの乳房に触れていた手を背中に伸ばす。
つーっと背骨に沿って尾骨の辺りまで指を滑らすと、絵里ちゃんはびくんと身体を震わせ甘ったるい吐息を漏らした。


汗が滲んできてその感度は更に高まったように、吐息が混じった声は段々と荒々しくなっていく。


絵里ちゃんはこれをしてあげると本当に気持ち良さそうに反応してくれる。



そして吐息が再び甘くなった頃には、絵里ちゃんの大事なところはだらだらと蜜を流しながら蕩けるくらいに柔らかくなっていた。

蜜を掬い取り、その指でちょんとクリトリスに触れると絵里ちゃんは甲高い声を発した。


次に下から上に向かって、すーっとなぞった。

今度は声と一緒にびくんと腰が跳ねた。



「ン、ぁ……はぁっ、んやぁ……あっ、はぁ、はぁっ……」

「絵里ちゃん、気持ちいい…?」


摘まんで、離して。

また摘まんで、また離して。


執拗にクリトリスを弄ってあげた。
もっといっぱい、絵里ちゃんに気持ちよくなってほしいから。


「んぁっ、やぁっ、ああぁン…んんっ、やだっ、だ、めぇ……ン、ンんぁぁッ!!」


声が収まるのも待たずして、絵里ちゃんから溢れ出た蜜でびしゃびしゃになった指を膣へと侵入させる。


指を軽く折り曲げ膣壁を擦ると、さっきまでと比べ少しねっとりとした声に変わった。


愛液を掻き分けるようにして、奥へと指を沈ませる。
こりこりした壁をなぞる私の指も気持ちいい。

更に指をもう一本増やし、より激しく膣内を刺激した。

私の指の動きに合わせるように声を荒げ、小刻みに腰を震わせる絵里ちゃん。

その感じてくれている表情がとても愛おしい。


愛液と絡んで動く指。
ぐちゅぐちゅと音は大きくなり室内に響き渡る。
体温が上昇した絵里ちゃんから香ってくる淫靡な匂いに頭のなかがクラクラした。

この匂い、好き。


もっと、声を聞かせて。


もっと、私に絵里ちゃんを感じさせて。


私の頭のなかいっぱいに、絵里ちゃんで満たして。



絵里ちゃんが一番気持ちよくなってくれるところ。

そこを、丁寧になぞり、

激しく、擦って刺激した、

息を止めて、指先で絵里ちゃんを、感じるように、


「ぁああッ、だめ、ン、ゃあっ…! イっ、ちゃ……ぅああッ…! ひゅ、ゃ、ああっ、ンンっ…ああぁぁぁぁッッ……!!」


絵里ちゃんの絶叫と共に膣が収縮し、中にあった私の二本の指をきゅっと締め付けた。


────────
──────
────
──


絵里「はぁっ……はぁっ……、もう、ことりったら、全然休ませてくれないんだから…」

ことり「ごめんね…? 絵里ちゃんのこと、大好きだから、いっぱいいっぱい、求めちゃう。欲しくなっちゃう…」

絵里「ことり……。ねぇ、ことり、」

ことり「…なぁに? 絵里ちゃん」


絵里「私ね、今すごく幸せなの」


ことりに好きって言ってもらえて。
たくさん私のことを求めてくれて。

ことりのことを好きになってよかった。
ことりとこうして恋人同士になれてよかった。


絵里ちゃんは静かに涙を溢しながら、そう言ってくれた。


絵里「ことりは幸せって思ってくれてる……?」

ことり「うん、もちろんだよ」

絵里「…本当に?」

ことり「ほんとだよ。私も絵里ちゃんと一緒で、幸せ」

絵里「……そう、」

ことり「……?」


絵里「……だったらどうして……?」

ことり「絵里、ちゃん……?」



絵里「どうして、一度も笑ってくれないの……?」


ことり「え……、笑ってるよ……?」



私、笑えてないの……?

今日は一度も鏡を見ていないから、今自分がどんな顔を、表情をしているのかよくわからない。

笑ってみようと思っても、うまく笑い方を思い出せない。

思わず左手で顔を触ってみると、朝叩かれた頬がズキンと痛んだ。



顔を押さえていた手に絵里ちゃんの手がそっと被さった。


絵里「私ね、時々不安に思うのよ。ことりがそんな表情していると。私のことを本当は愛してくれていないんじゃないかって……」


絵里「心の中では私を疎ましく思っていて嫌々付き合ってくれてるんじゃないかって」

ことり「そんなこと……、」


好き。大好き。愛してる。幸せ──。
好き。大好き。愛してる。幸せ──。

そう毎日、何度も何度も念じるように、自分に言い聞かせていた。

絵里ちゃんとの楽しかった記憶を頼りに。


私は、絵里ちゃんを愛しています。
幸せっていつも思っています。


だって絵里ちゃんは私の大切な恋人──、


嫌いになるわけ……なるわけ……、


その時、頭のなかに思い浮かんだのは、海未ちゃんとニコちゃんの姿だった。


二人は私の大切なトモダチ。


その二人に、絵里ちゃんは何をした──?


何をした──?


考えちゃ駄目だ。もう考えないって心に決めたはずだ。


絵里ちゃんだけを見ていなきゃ、また──。


もう、私のせいで大切な誰かが傷付くのは、嫌なの。


でも、


ことり「絵里ちゃん……、もし……もしもだよ、ことりが……本当は、絵里ちゃんのこと、好きじゃないって言ったら……どうするの……?」



絵里「…………」


ばちんっ──。


頬を打たれた。

ジャラっと鎖の揺れる音が聞こえたと思ったら、その鎖は私の喉元にあった。
それに繋がれている私の右手を捲き込み鎖が食い込み、首を圧迫する。


ことり「が、ぁぐ……ぇ……ッ、あ……きゅ……っ」


更に絵里ちゃんの右手の力も加わり、呼吸が儘ならないくらいに締め上げられた。

ぐるる、と喉が鳴り、唾液が行き場に困ったような感覚。


あ……これは、ほんとうに、まずい、かも──。


力を振り絞り左手を精一杯伸ばし、絵里ちゃんの腕を掴む。

すると首に重く掛かっていた力が弱まり、壊れかけた喉で酸素を吸うことができた。


ことり「ぁぐ、はっ、はぁっ、げほっ、げほっ、げほっ…!!」


絵里「……ことり」


ことり「うそ、だよ……嘘に決まってるじゃん……っ、好きだよ……、絵里ちゃんのこと、愛してるよ……っ」


絵里「……それでいいの。あと、恋人といるんだからもっと楽しそうにしなさい」

ことり「は、はい……」

絵里「……夕食の用意するから、下に降りるわ」


ジャラリと鉄が鳴り、鎖が引かれた。


〈海未の家〉


海未「はぁ……、気が滅入ってばかりですね……」


理由は分かりきっていた。


今頃ことりは何をしているのか。

また酷い目に遇っているのか。

無理して笑ってはいないだろうか。


そんなことばかりだ。

おそらく穂乃果も同じことを考えているのでしょう。


学校が夏休みに入ってから家族以外とは誰とも会っていない。
当然、部活の練習もしばらく休みっぱなしで。
凛や花陽からたまに連絡は来るが、電話に出る気も起きず、メールも返信しないまま。

幼少の頃から日々鍛練を欠かさず行っていた私がこうも弱い人間だとは……なんとも情けない限り。

それも親友の異常事態だから、と甘えきった怠惰な自分を殴りたくなってしまう。
ことりを言い訳に使っているみたいで。


ピンポーン……


玄関の呼び鈴が鳴った。


ピンポーン……ピンポーン……


海未「…………あぁ、家には私しかいないのでしたね、」


重い腰を上げ、玄関に向かい、戸を引くとそこにいたのは凛だった。


凛「久しぶりだね、海未ちゃん」



大事な話があるから、とかなり強引に凛に連れ出され訪れたアイドル研究部の部室。

「穂乃果ちゃんもかよちんが迎えにいってるから」
その凛の言葉通り、部室には穂乃果、凛、花陽、真姫、私を含む五人が集まっていた。

一ヶ月ぶり、くらいでしょうか。

もしやと思い、周りを見渡してみたがやはりことりの姿は何処にもなかった。


海未「穂乃果、しばらくぶりですね。元気にしてましたか?」

穂乃果「うん、まぁ……多分、海未ちゃんと同じような感じ、かな…」

海未「……ですよね」


海未「…して凛、私と穂乃果をここに呼び出して何の用件ですか?」

凛「そんなの練習に決まってるにゃ。海未ちゃんと穂乃果ちゃんったら、ずーっとサボったままなんだもん」

花陽「身体を動かせば少しは気持ちも楽になるかなって…」

真姫「……」


海未「はい……? その、大事な話というのは…」

穂乃果「穂乃果もかよちゃんにそう言われて来たんだけど…」

凛「そんなの何もないよ。だってこうでも言わなきゃ二人とも絶対来てくれないし。ねー? かよちん」


凛のその言動に苛立ちを覚えてしまったのは私だけではないでしょう。
おそらく、穂乃果も。

悪いのは練習を無断で休んでいた私たちなのは明らかなので、普段の私なら凛に対し怒るのも甚だ筋違いと思っていたことには間違いない。

しかし、余裕が圧倒的に欠けていたのだと思います。
今の私には、この憤りを素直に凛にぶつけるしかできなかった。


海未「……呑気なものですね。ことりが……、大切な私たちの仲間が今頃酷い目に遇わされているかもしれないというのに、」


凛「でも、練習をサボるのはよくないにゃ。凛がサボったら海未ちゃん絶対怒るくせにー」


その飄々とした態度が癪に障り、言葉に歯止めが効かなくなってしまった。


海未「そうですか。凛はことりがどうなろうと知ったことではないと……まぁそうですよね、貴女たちはことりとは僅か一年と少しの、たったそれだけの付き合い」


海未「私と穂乃果は凛たちとは違い、昔からことりと一緒でした。貴女たちなんかとは比べ物にならないくらい、ことりのことを大切に思っているんですよ」


海未「そんな私たちからすれば、凛のその言いぐさはとても不愉快に思えます」


花陽「そ、そんな言い方っ…」

凛「いいよ、かよちん」

花陽「で、でもっ…! 凛ちゃんは…」


海未「もういいですか? 私は貴女たちなんかと遊べるような気分ではないのです。穂乃果、帰りましょう」

穂乃果「うん、そうだね」


「…だったらさー」

部室から去ろうとした時、後ろから聞こえてきた声に首を掴まれたように。

普段のトーンとはかけ離れすぎた、声。

怒っているような、今まで耳にしたことのない凛の声だった。


凛「だったら、二人は今まで何してたの……? 練習にも来ずに、ことりちゃんの様子も知ろうとせず、ずーーーーっと目を逸らしてばっかり!!」


凛「どうせ家に籠ってうじうじしてただけでしょ!?」



海未「……うるさいです。凛なんかに私の気持ちがわかるわけがない」

花陽「わかるよ。私も、凛ちゃんも、真姫ちゃんもことりちゃんのことは大切な仲間だと思ってるから」

海未「……面と向かって、嫌いと言われたんですよ……もう関わるなと言われたんですよ? そんなことを言われてどうしろと!? それがことりのためならばと、私は…」

花陽「それがことりちゃんの本心だと、海未ちゃんは思ったの?」

海未「そ、それは……」


凛「……情けないね、海未ちゃん。普段あれだけ強い人だったのに」

海未「…………っ」

凛「要は恐いだけでしょ? 大切に思ってるだとか、ほっとくのがことりちゃんのためだとか、そんなの海未ちゃん自身が傷付くのを恐がってるだけじゃん」

穂乃果「凛ちゃん、もうやめて。穂乃果も海未ちゃんも辛いんだよ……それでいっぱいいっぱい悩んで、」

凛「悩んだ結果…、結論がこれなの?」

花陽「私も、その二人の考えは間違ってると思う…」

海未「……ならどうしろと? 正解があるなら教えてくださいよ」

花陽「何が正解かは、私にはわからないけど…」

海未「ほら、貴女たちだって結局は」

凛「かよちんと一緒にね、会いにいったよ。ことりちゃんに」

海未「え……?」

穂乃果「ことりちゃんに、会いに……?」



海未「ことりはっ、ことりはどうだったのですか!?」

花陽「……家を訪ねたんだけど、会えなかったんだ」

穂乃果「はは……だよね、だったらわざわざ期待させないでよ」

凛「絵里ちゃんの家に今はお世話になってる、って理事長が……ことりちゃんのお母さん言ってたの」

海未「絵里の、家に……」


最悪だ。

あんな絵里と一日中一緒にいるなんて、私がことりの立場だと思うと想像しただけで気が狂いそうになる。

絵里の暴力が行き過ぎたら、最悪の場合、ことりは──。

一瞬、頭のなかが真っ白になり、足元がふらついた。


それでもなんとか正気を保てたのは凛の次の言葉のおかげだった。


凛「それでね、絵里ちゃんの家に行ったの。でも、ここにはいないって絵里ちゃん言ってた」

穂乃果「それって、絵里ちゃんの嘘じゃ…」

花陽「ううん、多分本当だと思う。絵里ちゃんすごく思い詰めた顔してたから……あれが演技とはとても」

凛「うん。それに絵里ちゃん、『必ずことりは私のところへ帰ってくる。取り戻してみせる』って」

穂乃果「取り戻すって、誰から……?」

凛「それは……わからない、けど」

海未「では今ことりは絵里の元にはいない、と。それがわかっただけでも少し安心して」


真姫「…安心、していられないかも」


今までずっと何かを考えているような顔をしていた真姫が口を開いた。


海未「真姫……?」

凛「真姫ちゃん? 何か知ってるの?」


真姫「……今ね、ニコちゃん……入院してるの」



テレビでは報道されているのかされていないのかわからない、ネット上で見付けた小さな記事だった。

『アイドル殺人未遂。ストーカーによる犯行か!?』

物騒なこともあるものね、と何気なくその記事をクリックしてみたら、そこに載っているのは聞いたことのある事務所名とよく知っている名前だった。

いてもたってもいられず、携帯に電話をしてみるが出るはずもなく。
父親に頼んでニコちゃんが入院している病院を探しだしてもらった。



手術等の処置はとっくに終えているが、いまだに意識は戻らないらしい。

腰の位置に、貫通するほどの深い刺し傷。
全身に数ヶ所の打撲。
なかでも一番の重症箇所は、強打したとみられる頭蓋骨の部位とのこと。
今のところ脳内に異常は見付かってはいないらしいが、まったく安心は出来ない。
この先意識が戻るという保証はないと、矢澤にこの主治医は説明してくれた。



白いベッドに横たわっているニコちゃん。

その姿を見ても、私はまだ信じられないでいた。


真姫「ニコ、ちゃん……そんな……どうして……」


返事が返ってくることはなかった。

どうしてだろう、不謹慎にもその静かに眠ったままの姿を、天使のようだと思った。



「ねぇ……起きなさいよ」
「どうせ全部嘘で私を驚かせようとしているんでしょ……?」
「アイドルアイドルって言ってたくせに、女優にでもなるつもり……?」
「ニコちゃんったら、欲張りね……」


こうしてもう何時間も話しかけ続けていた。

近しい者からの呼び掛けによって意識が戻ったというケースも聞いたことはあるし、私ならニコちゃんを起こしてあげられると根拠の無い自信を持っていた。


ガラガラ、と背中の方から病室のドアが開く音が聞こえた。

「真姫ちゃん……?」

名前を呼ばれ、振り向いた。

真姫「希ちゃん……?」


希「真姫ちゃんも来てたんや…」

真姫「うん……ねぇ、」

希「ここじゃあれやし、ちょっと外に行って話そうか」

真姫「……そうね」


「また来るわね」
そう眠ったままのニコちゃんに言い残し、私は希と病室を後にした。



真姫「どうして……ニコちゃんが、」

希「なんでやろねぇ……」

真姫「刺されたって……頭も強く打たれたって……そんなの、誰が……」

希「……警察はストーカーの仕業の方向で捜査してたみたいやね」

真姫「ストーカー……なんで、ニコちゃんにストーカーなんて……」

希「それは、ニコっちが、アイドルだったから……」

真姫「そんなのっ、そんなのって……あんまりじゃない……っ、ニコちゃんはずっとアイドルに夢見て、それでアイドルになって……」


希「……アイドルは、笑顔にさせる仕事」


真姫「ニコちゃんが前に言ってた…」


希「……ニコっちは、笑顔にしてあげようと、頑張ってたのかもしれんね……頑張って、頑張って、頑張りすぎて……」

真姫「……? 希……?」

希「……」


真姫「何か、知ってるの……?」

希「……本当のことかうちの考え違いかそんなのわからんから、無責任に軽々しくは…」

真姫「…それでもいいわ。聞かせて」

希「……ちょっと前にね、ウチがニコっちの病室におった時に警察の人が来たんよ」


希「矢澤にこさんのご友人の方ですか? って。まぁ当然頷くと、矢澤さんが誰かと一緒に暮らしていた話に心当たりありますか? って」

真姫「一緒に暮らしてた人……? 誰……? 恋人……?」

希「あのニコっちが恋人なんか作るとはウチにはとても思えんくて」

真姫「なら誰よ……その一緒に住んでたって人がニコちゃんを刺したっていうの……?」

希「…………」

真姫「希っ!!」

希「……エリチとことりちゃんの話、どこまで知ってる?」

真姫「え? あ……、エリーがことりに、ぼ、暴力を奮ってるって海未が言ってて……それで、最後にことりを見た日にはことり、顔にすごい傷があったから……本当、だったと……」

希「うん……、本当のこと。それでエリチは、」


希が話してくれたこと。

エリーとことりは一緒に暮らしていた。
ある日、ことりはエリーの元から姿を消した。
ことりがいなくなったのはエリーと希が通う大学でのこと。
その場所に、多分ニコちゃんもいた。


真姫「じゃ、じゃあニコちゃんと一緒に暮らしてたのって……ことり?」

希「全部、ウチの推測やから……ほんとにストーカーに襲われたのかもしれんし…」

真姫「ニコちゃんを襲ったのは、ことりなの……? それとも、ことりを連れ戻そうとしたエリー……?」

希「……」

真姫「……希、このことを警察には」

希「……言えんかった……ウチの勘違いの場合だって充分あるし……いくらエリチでもまさかそんなこと、って思ってるけど……信じられる、とは悔しいけど言えない」


希「それに何より、ウチは弱いから、卑怯で臆病やから……誰の敵にも味方にもなりたくないのが、本音なのかも……。ごめん……」

真姫「どうして私に謝るのよ……」

希「よくわからんけど、真姫ちゃんを共犯にして、楽になったつもりなんやろなぁ……ほんとにウチは…」

真姫「……そんなの、共犯にだってなんだって、なってやるわよ」

ここまでです
また明日です

次の更新で完結させる予定です
なので全部書き溜めてから一気に投下します
今日はちょっと間に合いそうにないので頑張って明日か、遅くても再来年までには
ではさよなら

前言撤回
考えていた内容も文章にすれば長くなってしまったので書き終わらない
なので今夜とその次の二回に分けて更新します
今日の分は21時くらい予定
よろしくですー



真姫「──ていうのが昨日のこと。だから凛と花陽に頼んで貴女たちを呼び出してもらったのよ」


一頻り話し終わり、真姫は深く息を吐いた。
その口調や表情から、比較的落ち着いていて冷静なように窺えるが、内心はどうなのかは定かではない。

この中でおそらく最もニコと親交が深かった真姫だ。
例え取り乱していたとしても仕方がないとさえ思った。


凛「まぁ、凛も二人にイライラしてたのは本当だし……でも、まさかニコちゃんが、そんな……」

穂乃果「……ごめん」

花陽「謝らないで。花陽たちだって穂乃果ちゃんたちを騙して連れてきたわけだし…」

穂乃果「でも、結果的にこうしてニコちゃんのことを知れたわけだから、」

海未「……」

花陽「ニコちゃん……大丈夫かなぁ……」

穂乃果「絵里ちゃんが、ニコちゃんを……っ」

真姫「……それは、わからない」

凛「ことりちゃんは今、絵里ちゃんと一緒にいるってこと…?」

真姫「それもわからない。希が言った通りに、あくまでそういう可能性があるって想像の範疇なのだから」


確かにその通りだ。
可能性の話だったら、ニコの事件にことりと絵里はなんら関係がないのかもしれない。

ニコが本当は私たちの知らない別の誰かと暮らしていて、その住人はストーカーに刺されたニコを見て怖くなって行方を眩ませたのかもしれない。

ことりが絵里から逃げ出し、頼った行き先もニコではなく私たちの知らない誰かなのかもしれない。
そうして今頃ことりはどこかで何の危険もなく、怯える必要なんてない穏やかな日々を過ごしているのかも。


そう考えた方が私にとっても安心だ。

私を頼ってくれなかったことには少し残念に思うが、もしそうしていたらすぐさま絵里には見つかってしまっていたことでしょう。賢明な判断だと思う。

なんにせよ一旦は絵里の手から逃れたことりだ。
平穏な毎日を送っていることを私は祈っているし願っている。






しかし、


ニコに暴行を加えたのは絵里に間違いない。
ことりは絵里に連れ戻され、今も一緒にいる。


私にはそう思えてならない。


だからといって今の私に何が出来る──?

一度は諦めてしまった私に、ことりを救おうとする資格なんかあるのか。
本人に直接拒否されたのに、追い掛けてしまってもいいのだろうか。


「海未ちゃんはもっとわがままになってもいいんだよ」

私が今考えていることをまるですべて見透かしているかのような、穂乃果の言葉だった。


穂乃果「どこまでもわがままになって、海未ちゃんが正しいって思うことをやればいいんだよ」

ねぇ、海未ちゃんはどうしたいの──?



私は、私は──、



海未「私はことりが好きです。だから、ことりが泣いてるのは嫌だ、泣きたいのを我慢しているのはもっと嫌だっ!」

私にとって何よりも大切な存在だから、 そのことりを傷付ける人は恋人であったとしても仲間であったとしても、許さない。

絵里、貴女はことりに相応しくない。
私の方が相応しい、なんて二人が付き合った当初には恐れ多くて、考えることすらとても出来なかった。

でも、今ならハッキリと言える。


私の方が、ことりを幸せにしてあげられる、と。



海未「私は、ことりを絵里から助けてあげたいです。もし……本人がそれを望んでいないとしても、私がそうしたいから」


穂乃果「うん……うんっ! 穂乃果もこのままことりちゃんと会えないなんて嫌だもんっ……、なんでこんな簡単なことに気が付かなかったんだろう」

凛「それでこそ海未ちゃんだにゃ!」

花陽「ことりちゃんは私たちの大切な仲間だからっ…!」


真姫「まったく……完全に貴女たちのなかではエリーの仕業ってことになってるのね」

海未「真姫は違うと思っているのですか…?」

真姫「そんなのわからないって何度も言ってるでしょ。でも……わからないなら、確めなくちゃね」


真姫の言葉はとても頼もしかった。

私一人じゃ無理だとしても、真姫がいれば、みんながいてくれれば何だってやれそうな気がした。
例え相手があの絵里であっても。


ことり、もうすぐ貴女を救ってあげられます。


そう信じていた──。



この時は。




まず確かめること。それは今もことりが絵里と共に暮らしているかどうかだ。


大人数では目立ってしまうからと、私たちは二人一組になって絵里の家を監視することにした。

しかしいくら夏休み期間中とはいえ、高校生である私たちが自由に行動できる時間は限られており、とても24時間なんて不可能。

そこで絵里に電話をしてみたり、直接家を訪ねてみてはどうかと真姫に提案してみたことがあった。

一刻も早くことりを解放してあげたい。そんな思いが私のなかでは強かったから。

しかし真姫の意見は私とは異なっていた。


真姫「…それは駄目よ」

海未「どうしてですか…?」

真姫「……私たちがこうして動いていることを向こうに勘づかれたくないの。そもそも電話に出てくれるわけがないし、話せたとしても認めるとは思えない。適当にあしらわれて徒労に終わるだけよ。それに、」

私たちの中からニコの二の舞が出る。そうなる可能性も無視するわけにはいかないのよ。
犠牲を伴って、もしもそれで状況が好転したとしてもことりは一生その負い目を背負って生きていくかもしれない。
まぁ、ニコちゃんのことをことりは知ってるのかはわからないけど。

危険を省みず、失敗に終わったらそれこそことりはどうなるかわからないわよ。


真姫は唇を噛みしめてそう言った。



わかっています。わかっていますとも。

それでも私はことりを救えるのならこの身がどうなろうと構わないと、そんな覚悟なんてとっくに備わっていた。

しかしそれを今ここで口にしても真姫と言い合いになるだけと思ったので口をつくんだ。



カチャ、と玄関のドアが開いて外に出てくる人影が──、


絵里だ。


私も真姫も途端に表情が険しくなった。

直接本人に問い質そうと動くと真姫に強く引き止められた。


海未「離してください。今そこに絵里が、」

真姫「馬鹿っ…、今言ったばかりでしょ!? まだ何の証拠もないんだから言いくるめられるだけってなんでわからないの!?」

海未「し、しかしっ…」

真姫「海未の気持ちもよくわかるわ……私だってニコちゃんをあんな目に遇わせてくれたアイツが憎くて堪らないもの、」

海未「……っ」

真姫「……お願い、海未。私に時間をちょうだい…」

海未「……っ、……わかり、ました」



気持ちを落ち着かせるために深呼吸して空を扇いだ。

その時ふと監視していた家の二階に目が止まった。


あの窓……前も、その前もカーテンが閉まっていた気が。
特段気にするようなことでもないが、何故だか違和感を覚えた。

なんでしょう、この身体の内側を万力で少しずつ締め付けられているような、この妙な感覚は──。



真姫「海未、何してるの、絵里を尾行するわよ」

海未「あ、はい……すぐ行きます」



それから数日の間、私たちは代わる代わる絵里の家の監視に努めた。


結論からいえば、結局誰もことりの姿を見ることはできなかった。


時々、絵里は外出していたが食材の買い出しだったり大学に赴いたり、とことりに繋がる手掛かりは何もなかった。
その絵里が家を空けている隙にインターフォンを鳴らしてみても中から反応はなし。



凛「やっぱりことりちゃんは絵里ちゃんと一緒にあの家に住んではないのかなぁ……?」

花陽「うん……あれだけことりちゃんを溺愛してた絵里ちゃんなら、買い物とかでも一緒に連れていきそうな気もするし……」

真姫「それだったら、いいのだけど……」

穂乃果「それしか考えられなくない? だってことりちゃんあそこにいないみたいだし…」

真姫「……この数日調べた結果からいえば、それが妥当ね。もう一つ別の可能性はないことも、ないけど……それは、なんていうか……、」

海未「…真姫」


言いづらそうに言葉を濁している真姫。
真姫が考えていることは私にもなんとなく想像がついていた。

そんなことはあってほしくないと思っていても、あの絵里がまさかという思考は私のなかから当の昔に消え去っていたので自分のなかではそうと決め込んでいたのだと思う。


海未「……ことりがあの家にいるとして、出てこないのは……、出てこられない状況にあるのでは」

凛「……え、まさか、殺されて…」

花陽「そ、そそそんなっ……!!」

穂乃果「こ、ことりちゃんが…、うそ、だよね……!? ねぇっ、海未ちゃんっ!?」

海未「ちょ、ちょっと落ち着いてくださいっ! 絶対にないとは言い切れませんが、多分そうではない、と……絵里は自分を愛してもらうために、そうことりを従わせるために、暴力を奮っているのかと思えますから、こ……殺すなんてことは、」

凛「てことは……」

花陽「生きているのに、出てこられないのって…」

真姫「……監禁、されているのかも」





海未「……行きましょう。絵里がドアを開けるのを拒むのなら、多少乱暴な手段になりますが窓を叩き割ってでも」

真姫「ちょっ、海未っ!? 貴女が一番落ち着きなさいよ!!」

海未「早くことりを救ってあげなくては……。大丈夫です、絵里一人なら私ならどうにかできます」

穂乃果「うん、穂乃果もいるし」

真姫「だから言ってるでしょ!? これはあくまでもいくつもの仮定を繋ぎ合わせた可能性の一つにしかすぎないのよっ! 私たちがそんな手荒な真似したら」

海未「手荒な真似をしているのは絵里の方でしょう!? その可能性があるのならば私はそれを確認しなくてはなりません」

真姫「私は確認することを反対しているわけじゃないのっ、やり方は他にもあるわっ!」

海未「ならどうするつもりなのですか? 家には鍵が掛かっている、窓を壊して侵入するのも駄目となると、」


真姫「……その鍵を複製する」



海未「ふ、複製って……そんなこと出来るわけが……、不可能です」

穂乃果「穂乃果たちが言って貸してくれるわけがないし……まず会ってくれるかもわからないじゃん」

真姫「貸してもらえるなんて考えてないわ。奪う機会を作って、複製するまでの少しの時間気付かれないようにすれば」

海未「それも絶対無理ですっ、絵里が私たち相手にそんな隙を見せるなんて…」

花陽「きっと、警戒されちゃうよね…」

真姫「“私たち”なら、無理でしょうね。でも、それに協力してくれる人がいるとすれば?」

凛「協力……? あっ」

花陽「もしかして…」


真姫「えぇ、彼女なら、私が頼めば絶対に手を貸してくれる……。私と希は共犯者なのだから」



真姫の考えた作戦はこうだった。

まず希が絵里を呼び出す。
そこでなんとか絵里から鍵を奪える隙をみて、難しそうなら隙を作らせて、気付かれないように鍵を奪う。
近くで待機している真姫にその鍵を渡す。
すぐさまそれを複製し、希に返して絵里の元に戻す。

希が絵里をそのまま長時間引き留められそうだったら私たちはその複製した鍵を使って絵里の家に潜入。

絵里を引き留めるのが難しい場合、また日を改め希にまた協力してもらい絵里が家を空けた隙に潜入。



真姫「正直上手くいくかはわからないわ。特に鍵を奪うのはどうしても希頼みになってしまうから……それでも、試してみる価値はあると思うの」

凛「凛はそれでいいと思うよ」

花陽「うん、絵里ちゃんに気付かれないようにするのが一番大事だもんね」


真姫「二人は、どう…?」


穂乃果「……あのさ、疑うわけじゃないけど、希ちゃんは信用できるの……?」

真姫「できるわ」

穂乃果「どうしてそう言い切れるの……?」

真姫「……穂乃果は、私を信用してくるてる?」

穂乃果「え? してるよ、真姫ちゃんのことは信用してる!」

真姫「じゃあ何故今そう言い切れたの? 穂乃果は」

穂乃果「そ、そんなの、だって……真姫ちゃんは真姫ちゃんだし、何て言って口で説明すればいいのかはわからないけど…、」

真姫「それと同じよ。私は希を信じている。私がそう言うだけでは穂乃果から信用を得るのは難しい?」

穂乃果「真姫ちゃん……ううん、真姫ちゃんがそう言うなら穂乃果も信じられるよ」

真姫「ありがとう、穂乃果。……海未、貴女は」

海未「私も反対はしていません。ですが、いつですか? ことりは今この瞬間だって辛く苦しんでいるのかもしれない……出来ることなら今すぐにでも、」

真姫「それは希と相談してみるわ。エリーがそれに応じてくれるのかもまだわからないし」



しばらくして希と連絡を取り終えた真姫が私たちの前に戻り、口を開いた。


真姫「作戦の決行は明後日に決まったわ。その日ならエリーも快諾してくれたみたいで。二人が通う大学の辺りで会う約束を取り付けたって」

凛「うぅ…なんだか凛、どきどきしてきちゃったにゃ…」

花陽「こ、怖いけどなんとしてでもこれを成功させなきゃ、だもんね…」

真姫「凛と花陽は現地には来なくていいわよ。大勢で行って目立つのは絶対に避けなきゃいけないし。だから希の近くで待機するのは私と穂乃果にしようと思うのだけど、いい? 穂乃果」

穂乃果「うん、いいよ。あれ? 海未ちゃんは? 一緒に行かないの?」

真姫「……海未はいざ絵里を前にしたら暴走する危険があるから凛と花陽と一緒に留守番」

海未「……」

真姫「…聞いてるの? 海未」


海未「明後日、ですか……」

真姫「その場所ならここから一時間くらい移動時間かかるから、上手くいけばその日にエリーの家に入ることができるわ。まぁ中にことりがいなかったらお手上げなんだけれど」

海未「……わかりました」

真姫「くれぐれもそれまでの間、エリーに近付くのは禁止ね」

海未「はい、わかっています」


私たちが嗅ぎ回っているのを絵里に知られては、警戒されこの作戦は恐らく失敗に終わってしまうだろう。

だから今日まで行っていた監視も止め、大人しくしていることを伝えられた。



皆と解散した後、私はひとり絵里の家の前まで来ていた。

つい先程真姫に言われたのを無視するわけではないが、どうしてもあのカーテンが閉められっぱなしの部屋のことが気になってしまっていたから。


やはり、あの重たそうなカーテンはいつもと変わらないまま。


それを確認したらすぐ去ろうと思っていた。
ところがその家の前でしばらく立ち呆けている人物を無視することがどうしても出来なかった。


声を掛けてはいけない。こうして家の周りを彷徨いていることですら気付かれてはまずいというのに。

ましてやその家の住人に話し掛けるなど、もってのほか。


無視してしまえばよかったのだ。
見なかったふりをして、早くこの場所から去ってしまえば。

そう思っていても、あんな思い悩んだように憂う横顔を見せられれば放っておくなんて私には出来なかったのだ。


私はゆっくりと近寄って、声を掛けた。




海未「……中に、入らないのですか? 亜里沙」


亜里沙「あ、海未さん……?」


亜里沙の足元には大きな荷物が携えられてあった。
おそらく実家の方に帰っていて、今日日本に戻ってきたのだろう、と見てとれた。


亜里沙「あ、あの……、えっと……その、ちょっと、入りづらくて……えへへ、」


ことりは絵里から逃げる前はここで暮らしていた。
その時、亜里沙も一緒に生活していたのか。
だとしたら、絵里がことりを殴っているところを見てしまったのかもしれない。

だから、それで、この家から逃げるように実家に帰省したというわけなのでしょうか。



海未「……今日帰ることを、絵里には伝えているのですか?」

亜里沙「そ、それは……言ってなくて……だから余計に、っていうか……」


もしかしたら、これは好機なのでは。
きっと、ことりを救え、と天が私に与えてくれたのだ。

閃いてしまったからには、これを逃すわけにはいかない。


海未「……少し、話せますか?」

亜里沙「え、あ、はいっ…」

海未「あの……亜里沙が嫌でなければ、今日は私の家に泊まりませんか?」

亜里沙「いいんですか? でも、迷惑じゃ……」

海未「全然そんなことはありませんよ。さぁ行きましょう。荷物を」


奪い取るように亜里沙から荷物を預かり、私の家へと向かった。
どうか絵里と鉢合わせにならないようにと、祈りながら。

道中、心臓の動悸と共につい足早になってしまい、亜里沙を困らせることもあった。


亜里沙に鍵を開けてもらい、中に入ることも考えなかったわけではないが、亜里沙を捲き込むわけにはいかないと思った。

この子のなかでは、今でも絵里は優しい姉のままでいるのかもしれないから。
もし絵里が在宅中であったなら、そんな亜里沙に強くショックを与えてしまうような状況になるかもしれない、いや……なるだろうという確信があったからだ。


亜里沙の手をそっと牽き、絵里に会うこともなく自分の家へとなんとか辿り着いた。



〈海未の家〉


亜里沙「わぁ、ここが海未さんの家……広いです!」

海未「自分の家のように寛いでください。まぁ迷子になられては困りますが。ふふっ」


一頻り家の中を案内した後、応接間にて茶を淹れてあげ、お茶請けに羊羹を差し出すと亜里沙はとても喜んでくれていた。


亜里沙「……そういえば海未さん、どうしてうちの近くにいたんですか? お姉ちゃんに何か用事があったんじゃ…」

海未「……」


何と答えるべきか──。

貴女のお姉さんは人を刺して尚且つ、家の中に恋人を監禁している。等と言うわけにもいかず。

それに、そうじゃない可能性だって一応はあるわけで。


海未「…亜里沙はいつ日本を発ったのですか?」


質問に質問で返すのはあまり好きではないが、今は仕方がない。


亜里沙「え? えぇと、夏休み入ってすぐ……です」

本当は夏休みの間はずっとあっちにいるつもりだったんですけど、やっぱり日本でも夏休み過ごしたいなぁって思って。
雪穂とも遊びにいきたいし。
でも、帰ってきたら帰ってきたで、あまり家に入る気も起きなくて。

亜里沙は少しぎこちない笑みを浮かべて答えてくれた。


なるほど。ということは亜里沙はニコの件は何も知らず、今もそのままことりがあの家にいると思っているのですね。


私が知っている絵里のことは、まだ話さない方がよいのかもしれません。


すべて終わるまでは。


私が、この悪夢を終わらせるまでは──。



海未「亜里沙、長旅で今日は疲れたでしょう。お風呂の用意をするのでゆっくり浸かってきてください」


恐縮しっぱなしの亜里沙を風呂場へと向かわせた後、私は部屋に戻った。





「……すみません。後で必ず返します」


悪いと思いながらも亜里沙の荷物を漁る。


目的は勿論、あの家の鍵だ。


それさえ手に入れられれば、わざわざ複製などと危険を冒さなくとも済むこと。


がさごそとお土産や着替えなどが詰め込まれたスーツケースをひっくり返し探しているが、なかなか見付からない。


急がなくては──、


早くしなければ亜里沙が戻ってきてしまうというのに。

焦りからか、つい乱雑な手つきになってしまう。


海未「ない……、一体どこに……っ」


あと考えられるとすれば、着ていた服のポケット──?
ああ、しまった。先にそっちを確認するべきだったか。

後悔するも今更脱衣場で服を漁っても見られる危険性の方が高く、実行に移すわけにはいかなかった。



そういえば、亜里沙はあの時家の前にいた。
ということは鍵はすぐに取り出せる位置に持っていた筈。

服のポケットだったとしたらもうお手上げだが、手荷物の、このショルダーバッグなのでは──。

これは最初に調べたものだったが、もう一度念入りに探してみた。

もしかしたら、焦っていて見落としたのかもしれない。

一縷でもその可能性を探るべく、再度冷静になれと心を静めた。



海未「……見付けた。これに間違いないでしょう」


バッグの内ポケットの一番奥に鉄の感触。

ついに、見付けた。


これがあれば、ことりを──。


ドクンドクン、と鼓動が私を急き立てる。

落ち着け。冷静になれ。園田海未。

今はもう夜だ。おそらく絵里は家にいるのでしょう。
すぐにでも強襲を駆けたかったが、いないに越したことはない。


ならば、明日──。


明日、朝から絵里の家を見張り、絵里が外に出るのを見計らって、中へ──。





亜里沙「お風呂ありがとうございました。気持ちよかったです」

海未「それはよかった。では夕食にしましょうか。今夜は両親の帰りが遅いので私が用意するのですが……手伝ってくれますか? 亜里沙」

亜里沙「はい、それはもちろん!」



ここにいる間は鍵の存在に気付かないだろうが、念の為にも少しでも荷物の側から亜里沙を遠ざけておきたかった。


ごめんなさい、亜里沙。

何もかも終われば、必ず鍵はお返しします。誠心誠意、謝罪します。


そして、すべてをお話しします。


それがどんなに辛い結末であろうと。


包み隠さず、貴女にはすべてを。



今日、亜里沙に会えた私はとても運がよかった。

そのおかげで私は明日、ことりを救うことが出来るのですから。貴女には感謝してもしつくせない。


それと、運がよかったといえばもう一つ。

明日、私が予定があるので一緒にはいられないことを伝えたら少し残念そうな表情を浮かべたものの、雪穂に連絡してみます、と。
その電話はすぐに繋がったようで、明日は雪穂と遊ぶことになったとのこと。

雪穂と一緒にいてくれれば間違っても家を訪ねてきて、あらぬ事態に捲き込んでしまうこともないでしょう。




横の方から寝息が聴こえる。
亜里沙は布団に入るとすぐに眠ってしまっていた。
余程疲れていたのでしょうね。


対する私はなかなか寝付けなかった。


ことり、もうすぐ私が貴女を救います。

もう少しだけ、待っていてください。


どんなに貴女がそれを嫌がっても、望まないと言っても、今回ばかりは貴女の言うことに従うわけにはいかない。


ことり、ことり、ことり──、


私は、貴女が好きです──。


だから明日、私は貴女を拐いにいきます──。

次で本当の本当に完結させます
どうぞよろしくです

22時から最終更新予定
よろしくです



絵里「今日は良い子にしていられた?」

ことり「…………はい」


絵里「……ことり、あのね」

ことり「…………」


絵里「もう少ししたら、ことりの誕生日ね」

ことり「…………はい」

絵里「何か欲しいものはある?」

ことり「…………えりちゃんと、いっしょにいられたら、なにも、いらない」

絵里「……そう、何処か行きたいところとかは? 特別な日だから久しぶりに外に連れていってあげようかしら」

ことり「…………ううん、べつにいいよ」


絵里「…………っ」


ばちんっ──。


また、怒らせちゃった。

どうしてだろう。



どうして、絵里ちゃんはことりを叩くんだろう。
絵里ちゃんの言うこと何でも聞いてるのに。
毎日、いい子にしてるのに。

それでも、絵里ちゃんが気に入らないところがあるのなら、それはきっと私が悪いんだろう。

考えなくちゃ。私の駄目なところを直して、絵里ちゃんにもっと愛してもらえるように考えなくちゃいけないのに。

でも、最近ね、うまく頭が働いてくれないの。
気が付くとぼーっとドアの方ばかりを気にしていて。つい鎖を揺らして遊んじゃってる。

絵里ちゃんが傍にいない時間はさびしくてさびしくて仕方がないの。

だから私は鎖を鳴らす。

この音を聴いていれば、幸せな気持ちになれたから。


私は、幸せだ。

好きな人と一緒にいられて。
好きな人とたくさん話せて。
好きな人のことだけ考えていられる。

絵里ちゃんは、わたしのすべてだ。

そう思ってるから、私だけ幸せなのはずるい気がした。


ほら今だって、絵里ちゃん、泣きそうな顔してる。

叩かれるのはことりが悪いから仕方ないけど、絵里ちゃんに辛い思いさせちゃだめだよね。
絵里ちゃんにもことりと一緒で幸せって思ってもらいたい。



ことり「えりちゃん、だいすきだよ。だから、なかないで」

絵里「……っ!」



ばちんっ──。


ことりはね、


ばちんっ──。


絵里ちゃんが笑ってくれるのなら、


ばちんっ──。


これくらい、いくらでも我慢できるんだよ。


痛くても、泣かないよ。声も出さない。
絵里ちゃんが悲しんじゃうから。

ほら、えらいでしょ?

だから、絵里ちゃんがそんな顔してると、ことりだって悲しいよ。



絵里「……どうして、笑ってくれないの……? 私はこんなにっ、こんなにことりのことを愛しているのに……、ことりは、どうして……っ、どうしてなのよぅっ……!!」



絵里ちゃん、ごめんね。

ことりも絵里ちゃんのこと、愛してるよ。

ほんとだよ。

だから、泣きやんで。

ねぇ? おねがい。


私の胸で泣き崩れる絵里ちゃんの頭を撫でてあげた。


「あいしてるよ。いつもいっしょにいてくれてありがとうね」


ぼろぼろと溢れ落ちてくる涙を拭ってあげた。


血の味がする唇を近付けて、キスをしてあげた。


絵里ちゃんの唇は、涙の味がした。



長い時間──。
とても長い時間、こうして唇を触れ合わせていた。


やがて陽は沈み、真っ暗になったこの部屋で。


いつまでたっても、絵里ちゃんは泣きやんでくれなかった。


どうして?


ねぇ……どうして?



ことり「えりちゃん、ごめんね。ことりがもっと、えりちゃんのこと、じょうずにあいしてあげられればいいのにね……」


絵里「…………ことり……ううん、違うのよ。私が悪いの……。…………どうして、うまくいかないのかしらね……」


小さい子を抱きしめるように、そっと包み込み背中をさすってあげた。

あったかい──。

絵里ちゃんの体も、涙も、声も、今日はどうしてかとてもあたたかく感じる。

こんなに、細かったんだ。
弱々しく映る絵里ちゃんの姿。強く抱きしめたら折れてしまうんじゃないかってくらいの、この痩せた身体で、ことりのことずっと愛してくれてたんだね。


ありがとう、絵里ちゃん──。



絵里「情けないところ見せちゃって…、駄目ね、私ったら……。ことりの前では、いつでもかっこいい私でいたいのに……」

ことり「ことりは、どんなえりちゃんでもだいすき。だいすきなえりちゃんがよろこんでくれるなら、ことりはなんだってするから」


だから、笑って?


ねぇ……?


絵里「どうしたら、ことりはもっと私を愛してくれるのかしら……どうしたら、ことりがもっと私だけを見てくれるのかしら……」


ことり「……? ことりはえりちゃんのこといっぱいいっぱい、あいしてるよ? えりちゃんだけしかみてないよ?」


絵里「……そうね、……そうよね。ありがとう、ことり」

ことり「えり、ちゃん……」

絵里「髪、」

ことり「……?」

絵里「そろそろ切らなくちゃね。明日にでも、切ってあげる」

ことり「……ん、ありがとう」



絵里ちゃんと鎖で結ばれることもなく、ベッドに繋がれたままの私。
それに覆い被さる絵里ちゃん。

その夜はベッドに上がることもなく、そのまま眠りについた。


お互いの温もりだけを、手探りでただ探し出すように──。




目が覚めると、絵里ちゃんは部屋からいなくなっていた。

程なくして、ドアが開いて絵里ちゃんが入ってきた。


絵里「おはよう、ことり」

ことり「…………おはようございます、えりちゃん」

絵里「ふふ、眠そうな顔してる。もうお昼近くよ? まぁ私も今日はちょっとだけお寝坊さんだったんだけど」


昨夜泣いていたあの顔はもうそこには無く、いつもの絵里ちゃんに戻っていた。
機嫌良さそうに私の方に歩み寄って、手錠を自分の腕に付け替えた。


絵里「食事にしましょう。昨日の夜は結局何も食べなかったからお腹空いてるでしょ?」

ことり「……はい、ぁっ…うゅぐッ…!!」


立ち上がろうとした瞬間、激痛に襲われ尻もちをついてしまった。

何度も試みようとするも、どうしても足先に力が入ってくれない。

よろよろと足元が定まらない私のせいで、絵里ちゃんと繋がっている鎖が引っ張られ、軋んだ音がした。


絵里「……」

ことり「……ごめんなさい」

絵里「……あぁ、そうだったわね」


絵里ちゃんが見下ろす私の足の指。
爪があった所は今では赤黒い血の塊になっていて、その指の周辺は紫に変色していた。

指の爪。十枚。すべて。

勿論、これも絵里ちゃんを怒らせちゃった私のせい。



結局、これでは絵里ちゃんにおぶってもらわないと一階のリビングまで辿り着けないので、ここに食事を持ってきてもらえることになった。



絵里「美味しい?」

ことり「…………はい、おいしいです」

絵里「……そう。……ねぇ、ことり、」

ことり「…………はい」


真っ直ぐと私に向けられる、その吸い込まれそうな碧い瞳。
きっとこの瞳に見つめられたら、誰しもがこの人の虜になってしまうのだろう。
それを独占している私はやっぱり幸せだと思った。


絵里「髪切ってあげるって昨夜話してたじゃない?」

ことり「…………はい」

絵里「ハサミってきっと普通のじゃ駄目よね? それ専用のか……もっと大きい方がいいのかしら?」

ことり「…………よくわかんない。なんでもいいとおもうよ。きられれば」

絵里「……そうよね。切られればなんでも構わないわよね」


よくわからない会話だった。

これに限らずここ数日の絵里ちゃんは何かがおかしい気がする。
笑ったり、怒ったり、泣いたり。
機嫌が良かったり、悪かったり。

以前からもそんな傾向はあったけど、最近は何か違うと心のなかで引っ掛かっていた。


ハサミ……大きな、ハサミ──。

あ……、

耳……? それとも、この汚なく直視するのも億劫になる足の指だろうか。

どっちにしろ気持ちのよいものではない。

抵抗しても余計に絵里ちゃんを苛つかせるだけだ。
だったらせめて、怒らせないように努めた方がまだいい。


ご飯が終わった後、絵里ちゃんは“ハサミ”を買ってくると言って、部屋を出ていった。




暑い。額から流れ落ちた汗が首筋を伝い、シャツの襟を濡らした。

時刻はもう正午過ぎ。
朝、亜里沙を見送ってからずっとこの家を見張っているから、もう四時間以上こうしていることになるのか。

その間、何も動きはなかった。

絵里はいつになったら出てくるのか。

今日は外に出る予定はないのか。

もしかしたら私がここに到着する以前にもう出ており、今家の中にはいないのか。

それらを確かめる手段はない。

鍵はこの手にあるからいつでも入ることは可能。
しかしタイミングを見誤れば、有らぬ危険に出くわしてしまうかもしれない。
まぁそうなったらそうなったで、もう容赦はしないと心に決めた私だ。絵里一人くらいどうにかできる自信はあった。


ならばもう突入してしまおうか。

ここでただ絵里が外に出るのを待っているのはあまりにももどかしい。

この暑さのせいもあり、苛々して焦った思考が単直なっていくだけなのではないか。

それならば、まだ冷静でいられている今のうちに中に入ってしまえば……何が起ころうと落ち着いて対処できるだろうから。



よし、あと五分──。

五分経って何も動きがなければ鍵を使い中に押し入ろう。


あと、五分でことりに会える。


ことりを、救い出せる。


私の手で──。



やはり、一人で来るべきではなかったのでしょうか。
いざ事を起こそうとすれば少しだけ不安になってしまった。

せめて真姫だけにでも相談を仰いだ方がよかったのでは……いや、真姫に話したら反対されかねない。
それに、絵里が家から出てくるとは限らないから。中にいる状態で突入するのは危険が伴ってしまう。

そうなった場合、私はことりを守ることだけに必死になるでしょう。一緒にいる真姫たちを守れるかは保証できない。


だから、これが正解だったのだと信じましょう。



五分だ。いざ──、


足を一歩踏み出そうとした瞬間だった。


ガチャ、と玄関のドアが開く音。


出てくる人影、


絵里だ──。


絵里が外に出てくる。
何の用事かどれだけの時間、家を空けるのかはわからないが、鍵を開け中に入りことりを連れ出すだけ。

五分もあれば充分だ。



絵里が視界から完全にいなくなったのを確認して、玄関に小走りで近付く。

ぎゅっと握りしめていた鍵を、鍵穴へ。

他にそれらしきものは亜里沙の荷物の中からは見当たらなかったので間違いはないかとは思うが、鍵を刺す瞬間は相当に手汗が滲んだ。


どうやらそれも杞憂だったようで、鍵を捻り施錠を解除。

そしてドアを開け、私は絵里の家に足を踏み入れた。



しんとした不気味な静けさが肌を刺す。
理由、目的はどうあれ、やはり他人の家に無断で忍び込むというのはあまり気持ちのよいものではない。


一階。玄関から真っ直ぐ進んだ先にはリビングとキッチン。

キッチンのシンクの中には昼食で使ったのであろう食器が洗われもしないまま重なっていた。

浴室やトイレも見てみたが、ことりの姿はなかった。


そうすると、二階ですか。

まぁそうでしょう。もし本当に絵里がことりを動けない状態で監禁しているとしたら、人目から遠ざけたがるのは自然なこと。


階段を登り、二階へと足を運んだ。



階段を登った先には部屋が三つあった。
そのどれもドアが閉められている。


この中のどれかに、ことりが──。


一つ一つ開けて確認するのは簡単なことだが、登ってきた階段の形状、そして部屋の位置、おおよその間取りからして、最初に開くべきドアは私のなかで既に決まっていた。

あの、カーテンが閉じられていた部屋だ。


部屋の前。逸る気持ちと、ドアノブを握る手に緊張感が迸る。


そしてゆっくりと捻り、ドアを開けた。







海未「こ、こと、り……?」


視界の正面。そこに映り込んできたのは、変わり果てた姿のことりだった。


顔中には酷い痣がいくつも。
左目の下は腫れ上がっていて、右目の上には真新しい切り傷のような痕がある。
下ろされた髪は綺麗なものの、少し異様な雰囲気を醸し出していた。
更に下の方に目をやると、足の爪をすべて剥がれた痕が痛々しすぎて目を逸らしてしまう。

そのなかでも、最も私の目を引き付けて離さなかったのは右手に填められている手錠だった。
すぐ横のベッドに繋がれている鎖も、とても短いもの。
あれでは殆どその場から動けないではないか。


こんなことまでして、ことりを縛り付けて──。


憤りなんかとっくに通り越して、知らずのうちに涙が溢れてきていた。




一体どのくらいの時間こうしていたのだろう。

ただただ呆然と立ち尽くしていた私を呼び戻したのは皮肉にも、ジャラッと音を鳴らした鉄の鎖だった。


絵里が出ていったのはついさっきだが、時間はあまり無いと考えた方がいい。

とりあえず声を掛けようとしたその矢先、口を開いたのはことりの方だった。


ことり「…………えり、ちゃん?」


ゾクッとして振り向いてみたが絵里の姿はなく、安堵した。
しかし、おかしい、
ことりの視線は真っ直ぐ私へと向けられている。

ということは──、

まさかと思いことりに駆け寄り、その目を間近で確認してまた安堵の溜め息を落とした。

目は両眼とも正常に機能しているようだ。


ことり「おかえりなさい。えりちゃん」


違う。違いますよ、ことり。




海未「……海未です。私は絵里ではなく、海未です。ことり」

ことり「…………う、み……? あぁ、うみちゃん」

海未「ことりを迎えに来ました。さぁ、私と帰りましょう。貴女が大好きだった日常に」


ことり「…………ことりは、ここにいる」


海未「……そうですか。出来れば、ことりに“助けて”と言ってほしかった。泣いて、私に救いを求めてきてほしかった……しかし、」


海未「私はことりが何と言おうと……拒もうが、憎もうが、私を敵対視しようが、連れて帰ると決めたのです。そう固く誓ったから、ここに来ているのです」


ことり「…………」



とは言ったものの、この手錠をどうにかしないことには連れ出すもなにもない。

この手錠の反対側は、ベッドの鉄製の骨組みにしっかりと繋がれている。
まさかベッドもろとも、というわけにもいかないし、鎖の部分を切断しようにも専用の工具でもなければ不可能だろう。


やはり、鍵が無くては──。



海未「…ことり、この手錠の鍵はどこにあるかわかりますか?」

ことり「…………かぎ? かぎは、いつもえりちゃんがもってるよ」

海未「……そう、ですか」



もしかしたら、という可能性も潰えてしまい、途方に暮れる。


いや、この惨事だ。警察を呼べばもしことりが否定したとしても、この状況を見てもらえれば少なくとも絵里の連行は免れないだろう。
そうすれば、ニコの件も絵里が関わっていると判明するかもしれない。


ポケットに入れていた携帯に手を伸ばす。


その時、後ろから足音が聞こえてきた。

私がそれを確認する前にその足音がピタリと止まった。


背中に痛いほどに、突き刺さってくる視線。




「なに、しているの……」


絵里だ。

いくらなんでも帰ってくるには早すぎる。
家に入る時、姿を見られてしまっていたのか。


まぁ、それだったとしても、一向に構わない。

ことりを助ける為には、結局のところは貴女を避けては成し得ないのですから。


私は振り返り、逃げ隠れすることなく正面から絵里と対峙した。



海未「見てわかりませんか? ことりを連れて帰るのです」

絵里「ねぇ、海未……どうしたら私、もっとことりに愛してもらえるのかしら?」

海未「……絵里、今の貴女は……いえ、前から思っていましたが、貴女は異常です。そんな貴女が愛してほしいなどと……誰かに愛される資格など、もうありません」

絵里「ことりが笑ってくれないの。私は、ことりの笑顔が見たいのに」

海未「貴女のせいです。貴女がことりの前から消えていなくなれば、ことりはまた笑えます」

絵里「私はね、ことりのために、ことりのことだけを想って」

海未「もう黙ってくださいっ…!!」


部屋中に響き渡る怒声。
鎖が揺れる音。ことりを驚かせてしまったようだ。
絵里はというと、怯むことなく依然として何を考えているのかわからない表情のまま。


海未「鍵を渡してください。…ことりに填められている手錠の鍵です」

絵里「渡したとしたら、どうするつもり?」

海未「決まっているでしょう。ことりを家に帰してあげるのです。こんな家なんかじゃなく、もっと温かい場所に」

絵里「こんなものなくたって、ことりは動かないわよ。ことりはここにいることを自ら望んでくれているのだから」

海未「そうだとしても、それは貴女が縛り付けているだけでしょう? 恐怖という見えない鎖で……そんなもの、私が叩き斬ってやる」

絵里「無理よ。ことりは必ず私のところへ帰ってきてくれる。寂しがりやなのよ、この子。私がいないと駄目なの」

海未「その寂しさは私が埋めてあげます。私じゃなくても、ことりのことを大切に思っている仲間は他にもいます……貴女なんか必要ないくらいに。……さて、そろそろいいでしょう? 貴女とは、もう話したくない。鍵を、渡せ」

絵里「…嫌よ」


海未「……」



ばちんっ──。


この拳で人を殴ったのは初めてだった。
平手ではなく、固く握り込んだこの拳。
武道の型も何もあったものではない。ただ純粋な怒りによる暴力だ。

もしかしたら、ことりの目からは自分に暴力を奮っていた絵里と重なって映っているのかもしれない。


それでも、いいのです。


結果として、貴女が救われるのなら──、


私は嫌われてもよいのです。


貴女が、本当の幸せに向かってもう一度歩き出してくれるなら──。



何度も何度も、この手で絵里を殴った。


これまでどれほどの痛みや苦しみをことりが受けたのかは私には想像できないけど、絵里に後悔や反省をさせたかったわけではないけど、


絵里が私に従うまで続けてやるつもりだった。


過って殺してしまっても、それでも構わないとさえ思っていた。





「やめて……えりちゃんをいじめないで」


弱々しい声が私の腕を引こうと絡み付いてくる。

ごめんなさい、ことり。

でも、貴女のお願いであってもこればかりは聞くわけにはいかないのです。

後でたっぷりと説教は受けます。どれだけ罵倒してくれても構いません。
また“だいきらい”と言われれば私は今度こそ身を退くでしょう。

だから、もう少しだけ、我慢していてはくれませんか?
出来ることなら、目を閉じていてもらいたいです。




海未「はぁっ……、はぁっ……、絵里……もう、諦めてはくれませんか……?」


壁に倒れ掛かり、上半身だけがなんとか起き上がっている絵里。垂れ落ちた前髪のせいで表情は読み取れないが、もう限界も近いのだろう。

私の右手も、変な殴り方ばかりを繰り返していたからか痺れと痛みを感じている。


海未「……絵里、このままでは私は貴女を殺してしまうかもしれません。いくら貴女が最低な人間に成り下がっていようと、出来ることなら、そんなことしたくはない、」


絵里「…………」


海未「……絵里、」




絵里「……消えて……消えていなくなってしまえば、ことりは……また笑ってくれるのよね……」

海未「……そうです。絵里が、ことりのことを今でも、少しでも、大切に思っているのなら、解放してあげてください…」


絵里「…………わかったわ」



絵里はやっと観念してくれ、項垂れるようにその頭を一度深く沈めた。


海未「……お礼なんか言いませんよ。貴女は間違ったことをした、ただそれだけなのですから」

絵里「……わかってる。鍵、よね……ねぇ、海未」

海未「…はい」

絵里「ことりに填めてる手錠の内側に記号が刻まれてるから、それ見てくれない……?」

海未「え……?」

絵里「……他にもいくつか手錠はあるから、それがわからないと鍵の判別できないのよ」

海未「あぁ、そういうことですか…」



ことりに近寄り、言われた通りに手錠を確認しようとする。

しかしこの手錠はことりの手首ギリギリの余裕しかないので、内側を見るのは少々困難なものがあった。


海未「ことり、ちょっと痛いかもしれませんが我慢してください」


ことりの手首を右に左にと寄せて内側を確認するが、それらしきものは見当たらない。

一体、何処に記号など──、


「ぁ……あ……、」

ことりの躯が強く震えるのがわかった。

そして、ことりはそれまでぶらんと床に垂れ下がっていた左手を懸命に伸ばしながら叫んだ。


「だ、だめぇっ、えりちゃんっ!!」


ザクッ──。


鋭いものが躯の中に侵入してきて、何かが張り裂けるような感覚だった。


一瞬のことだったから、悲鳴なのか呼吸なのか、貴女の名前を呼ぶ声か、わからなかったが、私の口から発された何かはそれが最後だった。


同時に視界がぐらぐら揺れたかと思えば、次には白が下がってきたり、黒が上がってきたり。


その一秒後には、たぶんどちらかに染められていて──。



意識が、消えていく──。




目の前には、ことりがいるのに──、




かんたんに、触れられるのに──、







わたしは、あなたを……また、まもれなかった──。






絵里「消えて、いなくなれば、いいのよ……」


ことり「だ、だめぇっ、えりちゃんっ!!」


眩しいくらいの銀色の刃は、海未ちゃんの左胸に降り下ろされた。


その身体は電池が切れたように、私の胸に崩れ落ちてきた。


血。真ッ赤な、血。


力なく、私にぜんぶの体重を預けてくる今でも、かぱっかぱっ、て口からいっぱい血を吐き出し続けている。




うみ、ちゃん──、


うみちゃ、ん──、


海未ちゃん──、ねぇ、海未、ちゃん──、



『私は何があってもことりの味方です。本当に辛い時や、どうしようもない時は私を頼ってほしい……またいつでもここへ来てください』


『ことり、正直に話してください。何があっても私が貴女を守ります……ですから、本当のことを』


『ことりを迎えに来ました。さぁ、私と帰りましょう。貴女が大好きだった日常に』


『私はことりが何と言おうと……拒もうが、憎もうが、私を敵対視しようが、連れて帰ると決めたのです。そう固く誓ったから、ここに来ているのです』




あんなに、やさしかったのに──、


いつもことりのこと心配してくれてて──、


そんな海未ちゃんを、ことり──、


やだよ、やだよ、海未ちゃん──、



海未ちゃんのこと、いっぱい傷付けたのに──、



ごめんねも、言えてないのに──、



もう、動かないの──、




ことり「うぁっ……ぁあ……っ、あああ……ああああああああああああああぁぁぁぁぁっっ!!!!」






それから何時間も声を荒げ、泣き叫んでいたんだと思う。


絵里ちゃんが何か私に話し掛けてきていた気がするけど、何も聞こえなかった。


私に寄り掛かって眠ったまま動かない海未ちゃんを揺り起こしても反応はなかった。



気が付けば、真っ暗になっていて。


泣き叫び過ぎた喉も、涙を流し過ぎた眼も、抱き締め過ぎてた腕も、もうなにもかもがおかしくなっていた。


ことり「ぁ……うぅっ、あぎゅ……ぅああぁ……」



絵里「……ことり、もう私たちの邪魔をする人間は誰もいなくなったから、安心して」



絵里「海未ったら、私からことりを奪おうとして。ことりだって、そんなの嫌だったわよねぇ…?」



絵里「だから、これからもずっと一緒。何があったって今日みたいに私が守ってあげるから」



絵里「ことりが、頼ってくれる私で、ことりが大好きでいてくれる私で……ことりがっ……ことりが、世界中の誰よりも、愛してくれる私は、ここにいる……っ、だから……だからっ……!!」







絵里「泣きやみなさいよぅっ!! 私はっ、私は二人の幸せを守ったのにっ、どうしてっ、どうしてっ…!!」




絵里「私だけを、見てくれるって……そう言ってたじゃない……なんで、どうして……海未なんて見ないで、私を見てよっ……私を、見て……ことり……」




────────
──────
────
──


『いいなぁ……』

『穂乃果ちゃん?』

『何がですか…?』

『穂乃果も恋人ほしいー! 絵里ちゃんみたいな素敵な恋人ほしいよー!』

『あはは……穂乃果ちゃんならきっとすぐ良い人が……ほら、海未ちゃんとか』

『御断りします」』

『穂乃果フラれた!? むぅ……、別に海未ちゃんなんてこっちから願い下げだよーだっ』



『あ、デザートにアイスも買ってるの。後で一緒に食べよ?』

『うんっ! ってあんた今日どんだけ買い込んだのよ!? お金は!?』

『貯金がそれなりにあるから……家賃も払った方がいい?』

『家賃なんかいらないわよ。それよりっ!』

『は、はい…?』

『あんたは節約ってものを覚えなさい。ニコがみっちり叩き込んであげるわ』

『お、お手柔らかにおねがいします…』




幸せな、夢だった。


大好きだった、みんな。


穂乃果ちゃんも、海未ちゃんも、ニコちゃんも、絵里ちゃんも──、


みんなみんな、だいすきだったのに。



目が覚めたこの部屋は、意識を手放す前と変わってはいなく。

温かくなくなっていった海未ちゃんの躯の重みはそのままだし、血の味だって、匂いだって。


海未、ちゃん……。


もう、いやだ……ことりも、殺してもらおう。


絵里ちゃんに頼んで、殺してもらおう……。



絵里ちゃんは──、

絵里ちゃんは何処だろう──。



ギシッと何かが軋む音。


顔を上げるとすぐそこにいた。


こっちを向いて、柔らかく微笑んでいた。



ことり「……なに、してるの?」



絵里ちゃんは部屋の真ん中で、椅子の上に立っていた。

その顔のすぐ側には、天井から垂らされている輪っかの形をした紐、にしてはかなり太い、ロープみたいな。




絵里「…………ごめんね、ことり」

ことり「なんで、あやまるの……?」

絵里「私、ことりを愛してるわ。……ことりは、私のこと、愛してくれてる?」

ことり「…………わからない」


絵里「ふふ、そう……。てことは、きっと私は間違っていたのね。私はことりだけを見ていて、愛していて……、ことりにも、同じことを同じ分だけ望んでいたの」


ことり「えり、ちゃ……」


絵里「恋人なんだから、当然でしょ? ふふっ、でもね、それは今でも変わらないの、変えられないの……大好きなことりには、ずっと私だけを見ていてほしい、って」


ことり「やめ、て……ねぇ、やめてよ……」

絵里「ほら、目を逸らさないで見てて……ずっと、私のこと、忘れないで……」


ことり「やめっ、やめてぇぇっ…!!」



ガタンっ──。


椅子が倒され、絵里ちゃんの身体が、宙に浮いた──。


絞め上げられる首。

もがくこともなく、手足はぶらんと垂れ落ちたままだった。


苦しみなんてないみたいに、穏やかなその表情。


ことりのことを、だいすきって、あいしてるわ、っていつも言ってくれる、あの顔で──。




絵里ちゃんを助けなきゃ、って必死に動こうとしても、無情にも手錠はその役目を全うしようとして私を繋いだまま離してはくれない。


昨日から動かし続けていた右の手首はもう鉄が擦れ、皮膚が捲れ、肉が顔を出し抉れ返っている。

それでも引き剥がそうと抗っていると、強烈な吐き気に襲われた。



早く、しないと、絵里ちゃんが──、


絵里、ちゃん──。



ロープに吊るされている絵里ちゃんの揺れの幅が段々と小さくなっていく。


ことり「えり、ちゃっ、えりちゃんっ…!! えりちゃんっ…!!」




ことり「えりちゃんっ、えりちゃんっ!! えりちゃんっ!! えりちゃんっ!!!!」





そして、私の手首がぐちゃぐちゃになった頃には、もう微動だにしなくなっていた。



動かない……もう、動かない。



絵里ちゃんも──、海未ちゃんも──、



私の、せい──?


私が、ぜんぶ、わるいんだ──。



ごめんなさい、ごめんなさい──。




もう、何もかもがおかしくなりすぎていて、どうにかなってしまいそう。

いや、もうどうにでもしてほしい。



海未ちゃんが死んで、絵里ちゃんも死んで……、


私はどうして、生きているんだろう……。


もう、何も考えたくない。






ベッドにもたれ掛かり、頭を倒すと、ガサッと紙のようなものが潰れる音がした。


ことり「……なんだろう……てがみ……? えりちゃんが、かいたのかな……」



ラブレター。遺書。

この場合、どちらが適切なのかはわからないけど、それは絵里ちゃんから私への手紙だった。



親愛なる私のことりへ


私はあなたを愛しています。

大好きなあなただけを想って今日まで生きてきました。
あの日から、ことりは私のすべてになっていた。

覚えてる?
私がことりに告白した日。ことりが私を受け入れてくれた日。
私たちが、結ばれた日。

すごく緊張していたのを今でも鮮明に思い出せます。
ことりはかっこよかったって言ってくれたけど、本当はすごく緊張していてがんばって勇気を振り絞ったのよ?

途中で噛んじゃったりしたらどうしよう。もし断られてその場で泣いちゃったらどうしよう、って。

だからことりが私のこと好きって言ってくれて、すごく嬉しかった。

誰かを愛することはそれだけでとても素敵なことだけど、愛してもらえるのは最高に幸せなことなんだなって、あなたが私に教えてくれた。

初めてお互いが好きって気持ちを伝え合った日、私は誓いました。

これから先、どんなことがあってもことりを愛し続けていこう。ことりからもっと愛してもらえる自分にならなくちゃ、って。

大好きだなんて、愛してるだなんて、今まで何回言ってきたのかしらね。
呼吸のように口にし続けたその言葉が色褪せるんじゃないかなんて、全然不安じゃなかった。

それを声にするたびに私自身幸せを感じられていたし、少しでもそれがことりにも伝われば嬉しいな、って思っていたから。

それから、ことりの恋人になった私は毎日必死だった。
ことりに愛してもらうことだけを考えていて、焦って、空回りばかりして、情けない姿なんか見せたら嫌われてしまうんじゃないかって、余裕なんかとっくに無くなっていて。

何でもする覚悟だった。
ことりの心を私だけに向けさせることができるなら、どんなことでも。

それなのに、ことりは私からどんどん遠くなっていってる気がしたの。

私があなたを愛した分だけ、あなたも私を愛してほしい。
いろんな人に自分勝手だって言われた。ことりを傷付けてるだけだって言われた。

でも、その気持ちは今も変わっていません。
ことりが私を見てくれるのなら、何だってする。
大好きな人にはやっぱり愛してもらいたいじゃない?

あなたの心に私を刻むことが出来るのなら、それは、私の幸せ。


だから、死ぬことにしました。


どうか、私を忘れないで。

ずっと覚えていてほしい。


こんなやり方しか思い付かなくて、ごめんなさい。

今まで傍にいてくれて、ありがとう。

好き、大好き……愛してる。

ことり。


さようなら。ことり。


Eli Ayase



──三年後。



コンコン、と二回ノックを鳴らして部屋に入ると、この部屋の主はもう起きていたようで、私が顔を見るより早く声が飛んできた。


「おはよう、ことり」


私はそれに苦笑いしながら頷いた。


にこ「なによ、その顔ー。どうせまだニコが寝てるんじゃないかって思ってたんでしょ? そうでしょ? 残念でしたー」


朝からテンションの高いニコちゃんにますますおかしくなってしまう。
私が笑っているとニコちゃんも一緒に笑ってくれた。


にこ「今日はあれでしょ。そんな日に寝坊なんかしたら真姫ちゃん辺りにどんな嫌味言われるかわかったもんじゃないから」


抱きかかえて、ニコちゃんをベッドから車椅子に移動させる。


にこ「ありがと。いつも悪いわね」


首を横に振って微笑みかけた。

助けてもらってるのはお互い様だから。


私は今、ニコちゃんと一緒に暮らしている。



三年前のあの怪我の影響でニコちゃんの下半身には麻痺が残り、もう自分の足で歩くのは一生叶わないらしい。


そのことに責任を感じて……じゃないけど、だから、ニコちゃんの車椅子を押すのは私の役目。

とは言ってもニコちゃんはやろうとすればどんな無茶でもしちゃうから、それを注意することの方が役目、なのかな。


私も、紙に書いたり携帯のディスプレイや手話でじゃなくて、直接ありがとうってニコちゃんに言ってあげたいな。


ニコちゃんが下半身の自由を失ったのに対し、私はあの日から声を失った。


失声症。脳や発声器官には問題はなく、強いショックやストレス、精神性のものらしい。

病院の先生が言うには、治癒するもので焦らず落ち着いて構えることが必要とのこと。

三年経っても依然として回復しないのは、正直とても不安だった。

一人だったら思い悩んで、塞ぎ込んでしまっていたのかもしれない。

でも今はニコちゃんが隣で励ましてくれるから、すごく心強い。


勿論、普通に生活するのにしても色々と不便なことは多い。それはニコちゃんも同じで。

そんな時は支え合うのだ。

一人だと出来ないことでも二人ならどんなことでも可能になる。
それを忘れず、持ちつ持たれつ助け合って私たちは二人で暮らしている。



朝食を摂り終え、支度をして二人で向かった先は、海未ちゃんと絵里ちゃんのお墓参り──。



私たちが到着すると、もうみんな集まっていた。

穂乃果ちゃん、凛ちゃん、花陽ちゃん、真姫ちゃん、希ちゃん。

時々、家に遊びに来てくれるから久しぶりって感じはしないけど、こうしてみんな揃って集まるのはやっぱり久しぶりで、うれしい。


みんな、やさしくて、あたたかくて──。


本当なら私なんて嫌われてもおかしくないのに。


だって、私たちの大切な仲間だった絵里ちゃんと海未ちゃんが亡くなってしまったのは、私の……、



にこ「私のせいで二人は──、なんて思ってるなら怒るわよ?」


にこ「もう三年も経つんだから忘れろ、とは言わないけど、二人もそんな落ち込んでるあんたの顔なんてわざわざあの世に行ってまで見たいわけないでしょ」


にこ「海未も、絵里だって、ことりの笑った顔が大好きだった筈よ。違う?」



また、ニコちゃんに助けられちゃった。

うん、そうだよね。

もっと強くならなきゃ。

私がしっかりしなきゃ、海未ちゃんも、絵里ちゃんも、みんな、心配しちゃうから。



夏の終わり。突き抜けるような青空。

舞い上がる風は、私の想いをあの空のずっとずっと向こう側まで運んでくれそうなくらい。



届くかな──、


届くよね──。


伝えたい──。




深く息を吸って、空を見上げた。






「海未ちゃん、いっぱいいっぱい……ごめんね。あと、いっぱいいっぱい……ありがとう」






「絵里ちゃん……、ことりはね、絵里ちゃんのこと、好きだよ、大好きだよ、今でも……愛してる。絶対に、忘れないよ」







━━fin━━

終わりです。読んでくれてありがとです。
速報でこんなラブコメを書くのは一年以上振りです。
前もそうだったけどこういう系の話を書くと穂乃果が薄くなっちゃうのはどうしてだろう? まぁいいや
ではではーさよならー

海未「どうして教えてくれなかったのですか!?」←ラブコメ

にこ「……俺、μ's辞めるわ」←ラブコメじゃない

読んで読んでー

このSSまとめへのコメント

1 :  SS好きの774さん   2015年09月10日 (木) 00:29:21   ID: 8em_xfH9

素晴らしい胸糞(誉め言葉)

2 :  SS好きの774さん   2015年09月16日 (水) 21:53:59   ID: PZZXid7D

ありがとうございます

3 :  蒼唯   2015年09月19日 (土) 15:52:59   ID: iw0BRw4Y

とても面白かったけど、最後もうちょいことにこ要素欲しかったです。

4 :  SS好きの774さん   2015年12月06日 (日) 21:13:43   ID: rddYH2pK

まじで胸くそです
僕は市民の安全を守る職業に
着きたいと思いました。

名前:
コメント:


未完結のSSにコメントをする時は、まだSSの更新がある可能性を考慮してコメントしてください

ScrollBottom