【ゆるゆり】図書館にて (99)

さくひまSSを書きましたので投下します。

原作設定に忠実ではありませんが、読んで頂けると嬉しいです。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1439305976

女性が一人、本棚の前で俯いていた。

その手には山吹色の表紙をした、少し厚い本が開かれている。


ゆっくりとしたペースで読んでいるのか、頁を捲る指は鈍かった。

集中して読んでいる様子ではないが、読んでいないわけでもないようだった。

彼女の名前は古谷向日葵。


背中の中心よりも少し下まで伸びた群青の髪、

そして大学生にしては大きな胸。


中学生や高校生の頃よりは成長が緩やかにはなったものの、

それでもなお年に対して不相応な膨らみは、やはりコンプレックスらしい。

勉強は出来ないわけではなく、むしろ出来る方である。


このままいけば大学をそこそこ優秀な成績で卒業出来るそうなのだが、将来の夢が固まらない。

いつまでも煮え切らない向日葵に対する親の視線は、例外なく痛いものだった。


それを避けるように街を適当に散策していた時、

公園を抜けた所に突如現れた図書館の空気に魅了されたのだった。

初めて来る場所の筈だった。

しかしなぜか心地良く、自分を受け入れてくれているようで。

不思議と不気味だとも思わず、向日葵は中に入った。


中は図書館と云うだけあり、そこそこ広い空間に沢山の本棚が並んでいた。

しかし蛍光灯は点いており、誰も居ないとは思えなかった。

「誰か、いませんか」

控えめに声を上げてみたが、誰からも返事はなかった。


あまり大声は出さなかったし、本棚で遮られて聞こえなかったのかもしれない。

そう思い、中へ進んでみる事にした。


木の板で構成された床は時々軋んだ音を立てるが、

不思議と不快な音ではなかった。


向日葵はその音をゆっくりと鳴らしながら、奥へ、奥へと歩を進める。

両脇の本棚に並ぶ背表紙は、特におかしなものは見当たらない。

奇抜でもなく、まっさらでもなく。


ミステリー、推理小説、参考書、辞典。

たまに表紙を開いてはみるものの、特に惹かれるものではなく、すぐに棚に戻された。

それを繰り返しているうちに、最後の本棚まで辿り着いてしまった。

ここにも、特に変わったものはなさそうだ──


そう思った時、一番右奥の、一番上にある本が妙に目についた。

山吹色をしたその背表紙には、何も書かれてはいなかった。


近くに同じような本がない事から、

シリーズもののうちの一冊という事もなさそうだ。

表紙を開いてみたが、中身はおろか、目次や後書きらしきものもない。

念のため、一枚ずつ頁を捲ってみたが、小さな文字すらも見当たらない。


逆さにしてみたり、鈍い光に透かしてみたり。

しかし文字の痕跡すらも見つからない。


この本が収まっていたところに、何か仕掛けが?

近くにあった台座を使って見てみたが、特に変わったところはない。

頁をパラパラと捲っていると、何か本らしくない匂いを嗅ぎつけ、頁を捲る指が止まる。


(・・・?)


匂いの正体が気になり、何度かパラパラと捲ってみる。

しかし周りの本棚からの匂いに邪魔され、目的の匂いが嗅ぎ分け難い。


とりあえず落ち着けるところでと、向日葵は本を持ち、入り口付近にある机に向かった。


ーー
ーーー

「ふえぇ~さっびぃ・・・ったく、ここ近所に何も無さ過ぎだよ」


金髪に近い茶色、と言うのだろうか。

そんな色の、ふわりとしたパーマの髪の少女が、ダルそうに公園を歩いていた。


持っていたビニール袋をよっこいしょ、と足元に置き、

ベンチに座るやいなや、両脚を投げ出してだらける。

「とりあえずお腹空いたしなんか食べるかぁ・・・わわっ!?」


足元に置いたビニール袋に足を引っ掛け持ち上げようとしたが、

バランスを崩した身体は、半身を下にして地面に落ちた。


「ってて・・・」


身体の下敷きになったビニール袋から飛び退くようにして立ち上がったが、

少し空いた袋の口から飛び出したポテトチップスが地面に散乱していた。


幸いにも散乱した量は然程多くなかったが、中身は小さな欠片になってしまっていた。

「あちゃー・・・大きいのをパリっと一口で食べるのが醍醐味なのに・・・
 仕方ない、これで我慢するか」


そう言って袋を口に傾けると、予想以上の量が口の中に飛び込んできた。


「ぶっへ、ごっほごほごほっ!」

「ぜぇ・・・ぜぇ・・・
 し、死ぬかと思った・・・」


「はぁ・・・なんかもういいや、仕事すっか・・・」

彼女の名は、大室櫻子。

大学入試をパス出来る程度の頭脳は持ちあわせているらしいが、

お世辞にもあまり頭はよいとは言えない。


しかし本人はそれを特に意に介しておらず、

明るくて素直な性格ゆえに、友達は多い方である。

しかしこの大室櫻子。

驚いた事に仕事をしているようである。


「どうせやる事なんて殆どないってのになぁ・・・
 客も全然来ないし。なんで潰れないんだろ」


一気に飲み干した炭酸飲料のペットボトルをゴミ箱に投げ、

櫻子は公園を抜けた所にある図書館に入っていった。

「ただいま~・・・」

「・・・ま、誰もいないよね」


不用心にそう言い放つと、入り口近くにある机に陣取り、突っ伏した。


一分も経たないうちに、数分前に口にした「仕事」の事も忘れ、

櫻子は幸せそうな顔で寝息をかき始めた。


──
───

「・・・!?」


図書館の入り口付近にある読書スペースまで戻ってきた向日葵は、

入っていく時にはなかった人影に驚いた。


(女の人──?)


窓から入る太陽の光に照らされたふわふわな茶髪は、

まるで光で出来た綿毛のように幻想的な雰囲気を帯びていた。

(綺麗──)


それ以外の言葉を忘れてしまったように、その言葉しか喋れなくなったように。

頭の中をその言葉だけがぐるぐると回った。


突っ伏しているから分からないが、脚の長さから見て背丈は自分より少し高いくらいだろうか。

白いシャツにタイトな黒のスカート。

典型的なOLのような格好をしている。

ほっそりとした脚には無駄な肉がついていない。


が、その顔は格好に似合わず、どこか幼さを残していた。

「んん・・・」

「あっ・・・///」


幸せそうな声を漏らし、こちらに向けていた表情が、嬉しそうな笑顔を帯びる。

向日葵は目の前の女性に見惚れ、固まったまま、目線を外せなかった。


「きゃっ・・・!?」


ギシッ、と大きな音が向日葵の足元から生まれた。


しまった、と思った時、眠っていた女性が鈍く身体を起こそうとするのが見え、

こっそり見ていた罪悪感と起こしてしまった申し訳なさを込め、

ごめんなさいっ、と短く言い放ち、図書館から飛び出した。

「んぅ・・・?
 なんか声が聞こえたような・・・?」


周りを見渡してみたが、しぃん、と静まり返った図書館の中からは、

他に何の音も聞こえてこなかった。


「気のせいか・・・
 ま、週に一人客が来ればいい方だもんな。
 もう、今週は一人来てたし。気のせいだな、うん」

「っ~~~、、っはぁ~~・・・
 あ、もうこんな時間か。帰ろうっと」


櫻子は大きく伸びをすると、カウンターの後ろにあるコルクボードから鍵を取り上げた。


この図書館の閉館は、いつもこんな感じなのだろう。

本棚をチェックしたりもせず、指でくるくると鍵を回しながら入り口へ向かう。


櫻子は扉の鍵穴に鍵を差し込み、くるん、と反時計回りに鍵を一回転させた後、

鍵が閉まったかどうかの確認もせず、鼻歌混じりで帰っていった。


──
───

「やってしまいましたわ・・・」


翌日。向日葵は自己嫌悪に苛まれていた。


あの女性の安眠を邪魔してしまった事を謝れていない事もそうだが、

図書館から本を無断で持ち出してきてしまった事が、一番の気がかりだった。


図書館の管理者は、本を盗難されてしまった事で怒られてしまっているかもしれない。

そう思うと、向日葵の気は更に重くなるのだった。

(そういえば、あの匂いは・・・)


気のせいだったのかもしれないが、図書館の中で感じたあの匂いの正体が気になっていた。

持ち帰ってきた本の頁を同じようにパラパラと捲ってみたが、

古くなった紙の匂いしかしなかった。


「やっぱり、気のせいだったのかしら。
 とにかく、本は返しに行かないといけませんわね・・・」


向日葵は白いワンピースにコートを羽織り、本をバッグに詰め込み、

寝転がってお絵かきをしている妹に、図書館に行ってくるわねと告げ、玄関を開けた。


──
───


「・・・暇だな~」

「綾乃さんも来ない日だし、話し相手も居なくてつまんないや」


図書館では櫻子がカウンターに脚を乗せてだらけていた。


綾乃、というのは櫻子の上司にあたる女性の名前で、杉浦綾乃、というのがフルネームだ。

この図書館の管理責任者であるが、櫻子にとっては話し相手でしかないようだ。


綾乃は週に一度、少しだけ顔を見せに来る程度で、

普段は3キロ程離れた所に勤務しているらしい。

櫻子は高校の頃にもファーストフード店でアルバイトをしていた。

フレンドリーな職場、というアピールポイント通りの環境で、

先輩にも「~なんすか?」などという、言わば「なんちゃって敬語」で接していた。


サバサバした性格故に先輩にも可愛がられてはいたものの、

それではこの先、ちゃんとした敬語を使わなければならない環境に馴染めない。

図書館のアルバイトは、そんな妹が冬休みに家で堕落するであろう事を心配し、

櫻子の姉である撫子が後輩である綾乃に頼んでくれたそうだが、

殆ど人が来ないこの環境では、言葉遣いの懸念を払拭するには至らなさそうである。

(まぁ、家で堕落した生活を送る事は回避出来たようだが)

「そういや、ここの図書館ってどんな本があるんだろ」


掃除をする時に背表紙こそ目の端に収めるものの、中身やタイトルまではちゃんと見た事がなかった事を思い出し、櫻子は図書館の中をとことこと歩き始める。


「辞典に小説、参考書、ね・・・
 漫画の一つもないや。つまんないの」


試しに薄めの本を取り出し、開いてはみたものの。

押し寄せてくる活字の応酬に耐え切れず、閉じてしまった。

やはり自分には読書は向いていないのだと諦めかけたが、

それをネタに、姉に小馬鹿にされるのも癪に障る。


本棚の間をしばらく巡り、文庫本サイズの小説を一つ見つけた。


「『天使の休日』かぁ。
 天使が昼寝でもする話かな?」


試しに読んでみる事にし、入り口付近の机へ移動する。

日当たりが良く、ぽかぽかと暖かいその場所は、良い昼寝場所として櫻子のお気に入りだった。

とりあえず前書きを読んでみる事にする。


──皆さんは、天使を見た事があるだろうか。
  真っ白な羽根を持ち、頭上には天使の輪っか。
  そんなイメージをお持ちの方が多いと思うが、実はそういう姿をしている天使は少ない。
  意外と皆さんの身近な所に、天使は居るものなのである。

──道を歩いている時、周りとは明らかに違って見える人を見たことはないだろうか。
  実際には光ってなどいないのだが、なぜか眩しく感じたり、見ているだけで癒やされたり。
  必ずしもそうとは言えないが、その人は天使である可能性がある。

机上で腕を枕にし、頭をその上に落ち着かせる。

頭に全てのパワーを集中させるため、身体全体の力を抜く。


「周りとは違う、かぁ。
 変わった人ならいっぱいいるけど・・・」

「あかりちゃんは見てると癒やされるけど、光ってるわけじゃないしなぁ・・・」


心当たりのある人を思い浮かべるが、予想通りというか、期待通りというか。

視界がだんだんと薄れていくのを感じながら、

じわじわと頭を占拠しつつある眠りの誘惑に身を任せた。


──
───

向日葵が公園に着いた時には、時計は16時を回ろうとしていた。


(早く本を返して帰らなきゃ)


まだ夕暮れには至っていないが、冬は明るい時間が短い。

油断しているとみるみるうちに暗くなってしまう。

家の周りであれば街灯もあるし、見知った道なので然程ではないのだが、

あまり土地勘のない場所で、しかもこの辺りはあまり街灯がないため、

このまま暗くなってしまうと、困ったことになってしまう。


向日葵は暗い所があまり得意ではない。

「こんにちは・・・あっ」


扉を開けるとすぐ目の前に、昨日の天使のような女性が居た。

昨日と同じ席に、同じ姿勢で。

どうやら、また眠っているらしい。

(とにかくまずは、本を返さなきゃ)


入り口に一番近いテーブルにコートを置き、横を通り過ぎようとした時、

昨日よりも一層幻想的な光景に目を奪われた。


そこには、小さな太陽があった。

夕暮れのオレンジ色が、後光となって際立たせるように、彼女を包み込んでいた。

早く本を返さなきゃ。

でも、もう少し見ていたい。

夕陽が沈んでしまうまで、もう少しだけ──


向日葵は彼女から見て夕陽とは反対側の椅子に、音を立てないように、そっと腰掛けた。

夕陽が地平線に沈んでいくのを、此程までに惜しんだ事があっただろうか。

まだ、もう少し、もう少しだけ。

強く願えば、夕陽が沈む時間が伸びるのではないか。

そんな向日葵の願いは残念ながら聞き入れられず、夕陽は程なくして沈んでしまった。


目の前に残ったのは、いつの間にか点灯している蛍光灯の下で眠る、女性の姿だけだった。

夕暮れの魔法が切れてもなお目を惹き付ける彼女の寝顔は、

向日葵の頬を自然と緩ませていた。


そっと、音を立てないように、女性の髪に手を伸ばす。


ふわり。


(柔らかい・・・
 出来立ての綿飴みたい)

「ん・・・」

「っ・・・!!」


しまった、と思った。

一度のみならず、二度までも。


そう思ったが、どうやら寝言を言っただけらしい。

昨日と同じように、気持ち良さそうな笑顔で寝息をかいていた。


ほう、と胸を撫で下ろし、ここへ来た目的を忘れていた事に気付いた向日葵は、

音を立てないように、そっと図書館の奥へ向かった。

「んぁ・・・?」


はて、ここはどこだったっけ。

10秒程そんな事を考えた後、ようやく櫻子の脳が目を覚ました。


「あ~・・・また寝てたんだ私。
 前書きしか読んでないのになぁ」

「・・・あ」


やはり自分に読書は向いてないんだな、とぼんやり考えていると、

後ろから声が聞こえ、ぎょっとして振り返った。

櫻子の目が、ぱぁぁ、と見開かれる。


さらさらとした群青の髪。

青い瞳に、白のワンピース。

いかにも「女の子」な顔。

淑やかな雰囲気の中に見え隠れする、子供っぽさ。

それと相反して、母性をイメージさせる、大きくて柔らかそうな胸。


自分が「こうなりたい」と憧れた女性像が、目の前にあった。

「ご、ごめんなさいっ!」

「・・・え?」

「あの・・・えと・・・
 昨日、あなたが気持ちよさそうに寝ているのを、邪魔して起こしてしまった上に、
 そのまま逃げるように帰ってしまって・・・」

「え、え~っと・・・う、うん・・・?」


突然記憶にない事を謝られ、櫻子は返事に困った。

とりあえず、目の前で頭を下げたまま身体を固くされているのは気持ち悪いので、

まずは解ける行き違いを解いておかないとな、と思い直す。

「えっと・・・非常に言いにくいんだけど」

「・・・は、はい」

「そんな事あったっけ・・・」

「・・・え? はい、昨日・・・」

「・・・あ~・・・ごめん、全然覚えてないや」

「い、いえっ!
 私に気を遣って下さっているのでしたら、ふ、不要ですのでっ!」

櫻子は堪え切れなくなり、ぷっ、と吹き出してしまった。

ひとしきりくっくっく、と笑った後、きょとんとしている向日葵に向き直って言った。


「くふふ・・・いや、ごめん。
 でもほんとに覚えてなくてさ。だからいいよ、気にしないで」

「え、あ・・・はい・・・」

「まぁまぁ、そう固くなんないでよ。
 私は大室櫻子。ここで、バイトしてるんだ」

櫻子がその言葉を発した途端、せっかく緩みかけていた空気が、再び緊迫した。

向日葵は何かを言わんとするように口をぱくぱくさせていたが、

やがて意を決したように声を発した。


「あ、あ、あの櫻子さんっ・・・
 私、もう一つ謝らないといけない事がっ・・・!」

「え」

「ご、ごめんなさい、ごめんなさいっ!」

向日葵は再びぺこぺこし出すと、昨日驚いた拍子に本を一冊黙って持ち帰ってしまった事、

今日はその本を返しにきた事。更には櫻子がここで働いている人だと分からなければ、

黙ってそのまま帰ろうとしてしまっていた事を、正直に謝った。

子供の悪事を警察沙汰にはしないで欲しいと、平謝りする母親のように。

本の事は、櫻子にとっては水に流してくれるのが一番だった。

なくなっている事に気付かなかった事が知れたら、綾乃にこっぴどく怒られるだろう。

幸い本はこうして戻ってきたのだし、結果オーライだ。


そんなわけで櫻子の頭の中には本の事は既になく、

先程までこの女性に抱いていた天使のようなイメージが崩れ、

どんどん人間らしくなっていくギャップが楽しくなっていた。

「あ~いいっていいって! こうして返しに来てくれたんだし」

「で、でも・・・」


申し訳無さそうに下を向いてもじもじする向日葵の表情がころころと変わる。

それが可愛らしく思った櫻子は、もっとこの子の色んな顔を見てみたいと思った。

「まー、気にしない、気にしない。
 私がいいって言ってんだからさ。ね?」

「っ・・・!?」


櫻子は試しに、向日葵の肩に優しく手を置いてみる。

向日葵は突然のボディタッチに、どうしたらいいのか分からず、困ったようにオロオロしている。


「そういえば、名前聞いてなかったよね」

「え、ぁ・・・古谷、向日葵です・・・」


向日葵は「やっぱり何かのリストに載せられるんだ」と思い、

名前を聞かれた事で再び身を固くする。

「向日葵かぁ。私の桜と、季節が隣同士だね。
 いや~、実はその本、なくなってたのに気付いてなくてさ。
 言われなきゃ分かんなかったし、だから本当に気にしないで」

「は、はい・・・」

「ん!じゃ、この話はもうおしまいね。
 ところでその本、どんな本なの?」

「それが、何も書かれていなくて・・・」

「書かれてない? 何も?」

「はい・・・
 表紙もそうですけど、中も真っ白で・・・」

櫻子は向日葵にその本を取ってきて貰い、適当にパラパラと捲る。

どうやら向日葵の言っている事は本当らしく、どのページにも何も書かれていない。


「どれどれ・・・へぇ、本当だ・・・ん」

「?」

「・・・あれ、気のせいかな。
 何か、文字が見えた気がしたんだけど・・・」


しかし改めて1ページずつ見てみても、文字らしきものは一文字もなかった。

気のせいかと思い直し、その事は忘れる事にする。

「ところで向日葵は、本が好きなの?」

「好きか嫌いかで言われれば、好きな方だとは思いますが・・・」


向日葵は小首を傾げて「なぜそんな事を?」と無言で投げかける。


「この図書館、殆ど人が来なくてね。
 確かに図書館はこの近くじゃここしかないけど、街の外れだよ?
 なのにわざわざここまで来るって事は、本が好きだからなのかなって」

「いえ・・・散歩していた時に見つけて、たまたま」

「なんだ、そっかぁ。
 でもこんな所まで散歩かぁ。家出でもしてきたのかと思ったよ」

「・・・」

「・・・え、あれ? 冗談のつもりだったんだけど・・・」

「いえ・・・家出、というわけでは、ないのですが・・・」

向日葵は、自分がここに来る事になった経緯を、櫻子に話した。

子供の頃の事から、今起きている親とのすれ違いまで。

初対面の相手にも関わらず、素直に、隠さずに話せるのが不思議だった。


話し終わると、向日葵は突然恥ずかしさに包まれた。

櫻子の事を勝手に自分よりも年上だと思っている事もあるが、

母親に対して愚痴を言っているのと同じように思ったからだ。

櫻子はしばらく目を瞑ってうーんと考えこんでいたが、しばらくすると目を開いてこう言った。


「向日葵は、優しいんだねぇ」


ただ現実から逃避行していた最中に、ここに行き着いただけなのに。

今の話のどこに、自分が優しいという要素があったのか。

それが分からずに戸惑っていると、櫻子は向日葵の頭をふわりと抱き寄せた。

「優しいよ、向日葵は。
 迷っているのは、自分が我が儘を言う事で、周りの人が困るのが嫌だからじゃないの?」

「そう、なんでしょうか・・・」

「私には難しい話はよく分かんないけどさ。私は、そう思うよ」


頭を優しく撫でられながら、笑顔で優しくそう言われた途端、

向日葵の中で、モヤモヤした何かが溶けていくような感じがした。

張り詰めていたものが溶けた勢いは止まらず、

それと同時に、今まで感じた事のない衝動を感じた。


──甘えたい。この人に。
  この人なら、私の子供みたいな所も、受け止めてくれる。


「櫻子、さん・・・!」


向日葵は自分より少し背の高い櫻子の背中に手を回し、抱きついた。

妹が産まれたのは、小学校に入った頃。


「お姉ちゃんだもの、しっかりしなきゃね」


そんな親の言葉に従い、自分は弱い所なんて見せちゃいけない、我が儘も我慢しよう。


そうして自分の中に積もり積もってきたものを全て出し切るような、長い抱擁だった。


櫻子は向日葵に抱き付かれている間、何も言わずに頭を撫でてやっていた。

しばらくして顔を櫻子の薄めの胸から離した向日葵は、

悩みの種が洗い流されたような、すっきりした笑顔をしていた。


その向日葵の笑顔に、櫻子ははっとした。

昼寝の前に読んだ本に書かれていた(前書きだけだが)「天使」を見た気がしたのだ。

ずっと見ていると眩しくて目を細めてしまうような、神々しさすらも感じた。


「ふふ、何だか胸のつっかえが取れたようです・・・
 ありがとうございます」

「ううん。ちょっと踏み込み過ぎたかな、って思ったんだけど・・・
 向日葵が笑顔になったなら、よかったよ」

「自分でも、どうしてこんなに何でもかんでも話してしまったのか、分からないんですけど・・・
 きっと、櫻子さんが天使みたいにに見えたから、ですわ」

「て、天使・・・?///」


「その、少し恥ずかしい話、なんですが・・・
 昨日と今日、櫻子さんがここで眠っているのを、しばらく横で眺めてたんです」

「えっ、それはちょっと・・・
 は、恥ずかしいな・・・はは(よ、涎とか垂らしてただろうに・・・)」

「昨日も今日も、窓から入る光も相まって・・・
 凄く・・・綺麗に見えたんですわ・・・」

(な、なんか美化されてる気がする・・・)

余りにも褒めちぎられるのが照れくさくて、櫻子もいたずら混じりに返す。


「ひ、向日葵だって、その・・・
 なんていうか、私がこうなれたらいいなぁっていう、
 理想っていうの? それに近くてさ。凄く羨ましいよ」

「そ、そうでしょうか・・・
 私なんて、そんな風に思われる程のものじゃ・・・」

「そうだよ。
 特にこのおっぱいとかさぁ~」

「ぁんっ・・・」

冗談交じりに軽く揉んだ程度だったのだが、妙に艶かしい声が返ってきたものだから、

櫻子は妙に恥ずかしくなってしまった。


「あ、ご・・・ごめん///」

「い、いえ・・・
 私こそすみません、変な声を、出してしまって・・・///」


互いに赤くなって俯いた二人の間に、少し気まずい沈黙が流れた。

「あ、あ~・・・あのさ。
 胸大きいのって・・・どう?」

(何を聞いているんだ私はー!?///)

「えっ・・・!?///」

「い、いや~私の姉妹はみんな小さいからさ・・・分かんないんだよね」

「う、うぅんと・・・」

「あっいやごめん! 変な事聞いて・・・
 忘れて・・・はは」

「櫻子さんは・・・大きい方が、嬉しいですか・・・?」

「ん・・・まぁ、そりゃあないよりは・・・」


櫻子は自分の胸を見下ろし、苦笑交じりに言った。


「・・・」

「え、わっちょ、何処に・・・」


向日葵は少し迷ったように下を向いていたが、やがて少し強張った顔を上げ。

無言で櫻子の腕を引き、蛍光灯の灯りがあまり届かない、図書館の奥へ歩いて行く。

「・・・櫻子さん、私・・・
 自分の胸、あまり・・・好きじゃないんです・・・」

「そ、そうなの・・・?
 (っていうかなんでこんな所に・・・)」

「これ・・・見て下さい」

「え!? ちょっと何して・・・あ」


おもむろにワンピースのボタンを外し始めた向日葵に驚いたが、

もっと驚くものを見て、櫻子は言葉を失った。

刃物で切られたような、傷。

それも一筋だけではなく、四つもの傷が、向日葵の背中に刻まれていた。


「これは・・・」

「後ろから・・・襲われたんです・・・」


出来れば、聞きたくなかった言葉だった。

出来れば、信じたくない言葉だった。

「私はただ、普通に暮らしていただけなんです・・・
 その人達には何もしていないのに・・・
 胸が・・・大きいっていうだけで・・・」


嗚咽を漏らしながら座り込む向日葵を見て、櫻子は自分の浅はかさを責める事しか出来なかった。


肩凝りが酷いとか、合う下着がなかなか見つからないとか、

そういう王道な展開しか想像していなかったのだ。


ましてや、先程自分が向日葵の胸を触った事は。

向日葵にとっては思い出したくない記憶を蘇らせる引き金にしかならなかった筈だ。

「向日葵・・・ごめん。ごめんね」

「っく・・・ぐす・・・」

「ちょっとは考えろって話だよね、本当に馬鹿だよ、私は・・・」

「そんな・・・謝らないで、下さい・・・」

「思い出したくない事、思い出させちゃったよね・・・ごめん」


今の櫻子には、向日葵を優しく撫でてやる事くらいしか、出来なかった。

「大声を出して、すぐに警察が来てくれたので・・・
 その、そういう事はされなかったんですが・・・
 それ以来、男の人が、怖くて・・・」

「・・・それも、将来を決められない理由の一つ、なんだね」

「・・・はい」

「そっか・・・」


もしも自分が今、向日葵のような状況だったら。


自分は、何をして欲しいだろうか。

向日葵の頭を撫でながら、そんな事を考えていると。


「・・・男の人がみんな、櫻子さんみたいな人だったらいいのにな・・・」

「・・・え?」

「・・・なんでも、ありませんわ。
 あら、いけない、もうこんな時間・・・!」


向日葵の言葉を聞いて時計を見ると、もう18時になろうとしていた。


──
───

あの日以来。

2週間経っても、向日葵は図書館には来なかった。


「そりゃ、来づらいよなぁ・・・
 せっかく仲良くなれそうだったのになぁ」


「・・・天使、かぁ」


眠りから覚め、初めて見た相手を好きになる。

そんなお伽話があったような気がする。

向日葵との出会いは、恋心とまではいかないまでも、それに近い感覚はあった気がする。

「そういや、向日葵が返しに来た変な本。
 確か、一番奥の棚だったかな」


何も書かれていない頁に、一瞬だけ文字が見えたような気がした事を思い出した。

もっとも、改めて頁を捲っても何もなかったのだが。


一番奥の本棚で目的の本を見つけ、開いてみる。


──と。

驚いたことに、二ページ目に文章が書かれていた。

二つの花が舞い踊る

そこにはいつも可愛い二人


隣同士の仲良しこよし

毎日一緒に遊んでる


時にはやっぱり雨が降る

だけどやっぱり寂しくて


気付けば再び隣同士

可愛い二人が舞い踊る

向日葵も言っていた。何も書かれていなかったと。

櫻子も見たはずだった。何も書かれていなかったと。


しかし、とにかく今、この本の2ページ目には文章──詩?が書かれている。

意味は分からなかったが、何故か他人事とは思えない、どこか惹かれる詩だった。


「時にはやっぱり雨が降る・・・か」

「この詩みたいに、また隣同士になれたらいいのになぁ・・・」


ゆっくりと過ぎる図書館での時間は、今日も櫻子を眠りに誘った。

「ん・・・んん・・・ぅ」


櫻子が目を覚ますと、夕暮れが今にも地平線の向こうに沈みそうになっていた。


「初めて会ったのも、こんな日、だったなぁ・・・」

「向日葵・・・」


「ふふ、そうですね」

「・・・えっ?」

驚いて、声のした方向に顔を向ける。

つい今しがた名前を呼んだばかりの女性が。

あの日櫻子が惹かれた、あの笑顔で座っていた。


「ひま、わり・・・?」

「はい・・・少しご無沙汰、ですね」

「・・・来てたんなら、起こしてくれればよかったのに・・・」

「え~? ダメですよ。
 起こしたら櫻子さんの寝顔が見られなくなるじゃないですか」


少し意地の悪い笑顔で、向日葵が微笑んだ。


そういえば、初めて会った時もそんな事を言ってたっけ・・・

そんな事を考えながら身体を起こした櫻子は、左の頬に微かな違和感を覚えた。


「・・・?」


触れてみても、特に何かがついているわけでもない。

向日葵を見ると、少し恥ずかしそうに言った。


「この間、胸を触られたお返し・・・です」

「・・・え、え?」


お返し・・・頬に何か、落書きでもされたのだろうか。

手鏡を取り出して見てみたが、特に何も書かれておらず、

何かされたような形跡も見当たらない。

「んん・・・ヒント!」

「ヒント、ですか・・・?
 うぅん・・・じゃあ。同音異義語で、魚の名前があります」

「どうおん・・・?」

「同音異義語。
 読み仮名に直すと同じ言葉が二つ以上の意味を持つ言葉を、そう呼ぶのですわ」

そういえば中学生の頃、そんな言葉を習った気がする。

・・・が、今は記憶を掘り起こしている時ではなかった。


「ん・・・わかんない」

「・・・降参、ですか?」

「・・・うん。降参」

「ふふ、本当は分かっていて、とぼけてるようにも見えますが・・・
 仕方がありませんわね」

向日葵は少し嬉しそうな顔で立ち上がると。

櫻子の左頬に、静かに口吻をした。


「・・・っえ? え!?///」

「正解は『キス』でした」


この間会った時は、こんな風に悪戯っぽく笑う子だっただろうか。

そんな事を考える櫻子に、向日葵は続けて言った。

「櫻子さんって、もしかして意外と・・・」

「う、うるさい、うるさいっ///」


自分の頭がよろしくないのは自覚しているが、

このような形で露わにされると、やはり恥ずかしくて居た堪れない。

「よかった、櫻子さんは、そのままで居てくれて・・・」


向日葵がぽつりと漏らした言葉の意味を考えていると、


「・・・櫻子さん。ちょっと、こっちへ来て頂けますか?」


向日葵は再び、図書館の奥へ櫻子を誘った。

図書館の一番奥。

山吹色の本がしまわれていたところまで来ると、向日葵は櫻子に向き直った。


「・・・あれから、来なくてすみません。
 色々、考えていました」

「・・・」

「自分がなぜ『男の人がみんな、櫻子さんみたいならよかったのに』と言ってしまったのか。
 それが自分でも分からなくて、ちゃんと整理してからにしよう、って」

「・・・うん。私もずっと、気になってたんだ」

「ここにもう一度来たのは、私の中で、整理がついたから、です」

「・・・そっ、か」


櫻子は次に何と言われるのか、なんとなく予想はしていた。

しかし、それに対する自分の気持ちが、まだ分かっていなかった。

向日葵は少し目を伏せた後、櫻子の瞳をまっすぐ見つめ、口を開いた。


「私は・・・櫻子さんの事が、好きです」

「大好き、なんです」


「最初はただ、天使みたいな、綺麗な人だなって思いました」

「でも、話していくうちに・・・
 櫻子さんにも、ちょっと抜けてるところとか、少し、お馬鹿さんなところとか」

「そんな、可愛らしいところが、沢山あるんだなぁって、思いました」

「そして・・・私の事を聞いても、茶化したりしないで、真面目に受け止めて下さいました」

「今も・・・こうして、ちゃんと私の瞳を見て、聞いて下さって・・・」


「櫻子さんがニコッて笑うと、私も嬉しくなって」

「櫻子さんが撫でてくれると、もっともっと撫でて欲しくなって」

「櫻子さんが抱きしめてくれると、身体の力が抜けて、幸せな気持ちになれて」


「だから、その、それで・・・あれ?
 私は・・・何を言おうとしていたんでしょう・・・あれ?
 あ、あんなに練習しましたのに・・・」

ぎゅっ、と。

徐々に崩れていく向日葵を愛おしく思い、

櫻子は今までとは違い、大事に大事に、向日葵を抱きしめた。


「あ・・・///」

「向日葵・・・ありがとう」

「さ、櫻子さん、あの、えと・・・はぃ・・・///」


向日葵は櫻子の腕の中で、恥ずかしいのか、ぐりぐりと顔を動かしていた。


次の櫻子の言葉を聞くまでは。


「・・・ごめん」

「ぇ・・・?」

櫻子は向日葵と同じように、向日葵の瞳を見て口を開いた。


「私も、向日葵を初めて見た時は、天使って本当にいるんだなって、思った」

「私の理想をそのまま形にしたみたいで、びっくりした」

「向日葵の笑顔を見て、嬉しくなった」

「向日葵が泣いちゃった時は、悲しくなった」

「そんな顔しないでよって、思った」

「でも私は、向日葵の昔の話を聞いて、どうしたらいいのか、分からなかった」

「どうしたら向日葵を笑顔に出来るのか、分からなかった」

「自分から聞いたのに、気の利いた事も何も言えない自分が・・・悔しかった」

「それに触れないようにする事は簡単だけど、それじゃ向日葵だけが辛くなる」

「そんなの、ダメだよ」

「だけど」


「向日葵に『好きだ』って言って貰えて」

「どうしようもなく、嬉しくって」

「こんなに、嬉しいのに」

「私には、それを受け入れる資格が、ないんじゃないかって」


「私は・・・どうしたらいいのか・・・分かんないんだよ・・・」

櫻子の言葉をじっと聞いていた向日葵の頬を、涙が伝った。


「やっぱり櫻子さんは・・・私が思った通りの人ですわ」

「私の事を真剣に考えて、お互いに幸せになる事を望んで下さって」

「そんなあなただからこそ、私は好きになったんですわ」

「私の傷は、たとえ名高いお医者様が、跡形もなく傷を埋めて下さったとしても」

「私の心の傷までは、消せるものではありません」


「でも、櫻子さんには──」

「他の人には満たす事の出来ない私の心を、満たす事が出来ますわ」


「そ、それに・・・」


「櫻子さんになら、その・・・
 お、襲われても・・・嬉しいかな、って・・・思いますもの///」

・・・最後の言葉はさておき、櫻子の頭には、あの詩が思い起こされていた。


(『気付けば再び隣同士』・・・か)


「・・・ね、向日葵」

「・・・はい」

「こないだ向日葵が返してくれた本にね、詩が浮かび上がったんだよ」

「・・・えっ?」

櫻子はその詩を、ゆっくりと口にする。


「・・・にわかに信じ難いですが・・・今の、私達みたいですね」

「うん・・・それで、さ」

「・・・?」

「私達が一緒になったら、この続きがどうなるのか・・・気にならない?」

「・・・気に、なります。とっても!」

「・・・私も、気になる。
 だから、その・・・変な言い方かもしれないけど」

「・・・はい」

「一緒に・・・いい詩を、作ろうね・・・///」

「・・・はい・・・っ///」

この先、どんな詩が浮かんできたとしても。

二人ならきっと、隣同士──

少し長くなりましたが、>>94で終わりです。

書こうと思った切っ掛けはTwitterの◯◯メーカーでしたが、

櫻子と向日葵が幼馴染ではなく、互いに大学生の時に初対面で出会ったら?

そんな事を考えながら、図書館を舞台に創作してみました。


お付き合い頂き、ありがとうございました!

このSSまとめへのコメント

このSSまとめにはまだコメントがありません

名前:
コメント:


未完結のSSにコメントをする時は、まだSSの更新がある可能性を考慮してコメントしてください

ScrollBottom