上条「I'll destroy your fuck'n fantasy!」(272)

このスレは、今年三月に立てた同名のスレを、諸事情からまた立て直したものです。内容は以前のスレで述べたとおり、「とある魔術の禁書目録」の舞台を1960年代のアメリカに置き換えた原作再構成系のSSです。注意していただきたいことは、以前にも述べたとおり
・実在の人物や出来事も登場予定。
・原作の登場人物の多くが外国人化&性格や口調、容姿が原形をとどめないほどに改変されたキャラもちらほら。そもそもストーリー展開がオリジナルになるかも。
・原作の文庫本を数冊持ってる他は、ほとんどの知識をネットで仕入れたので、設定はいい加減かもしれないし知識もほとんどない。
・文系なので科学知識に間違いがあるかもしれない。世界観はなるべく史実をなぞるものの、やはり間違いがあるかもしれない。

などの点です。また、以前にも申し上げたとおりSS初心者であり、かなり遅筆ですので何ヶ月も更新が
止まることがあります。このスレを読まれる時は、以上の点についてご了承いただけると幸いです。
前のスレを読んでくださっていた方におかれましては、内容が大幅に変更されているということを先に申し上げておきます。申し訳ありません。

他にも、何かと至らない点がございますが大目に見ていただけると幸いです。
それでは、どうぞ↓



1967年7月某日、メキシコシティ-


前日までの雨が嘘であるかのように、空はからりと
晴れ上がっていた。ただし、湿度が相変わらず高い
ため、早朝だというのに街全体がサウナのような熱
気に包まれている。

そんなうだるような蒸し暑さの中でも、コロニア・ローマ地区のティアンギス(定期青空市)はいつもと変わらない賑わいを見せていた。

通りの至る所に唐辛子、トマト、アボカド、豆、出
来合いのトルティーヤなどが所狭しと並べられてい
る。四方八方に商人の威勢のいい呼び声が飛び交う
市場の中を、ロバの牽く荷車や籠を背負った行商が
行き交っている。

かつてこの街がテノチティトランと呼ばれていた頃
からほとんど変わっていないであろう、ごく日常的
な光景。それでも、この数百年の間に多少の変化が
あったようで、明らかに場違いな、垢抜けた服装の
白人もちらほら見受けられる。ヨーロッパ、もしく
は北米からの観光客であろう。


そんな中を、一人の若い女性が足早に歩いていく。
彼女もまた、他の街の住人同様浅黒い肌の持ち主で
あった。一見脇目も振らずに歩いているようだが、
よく観察してみると絶えず四方八方に気を配り、周
囲の視線を気にしているのが分かる。来た道を振り
返ることもしばしばだ。まるで何者かに追われてい
るかのように。事実、誰かに尾行されていないかど
うか気にしているのだが。

やがて女性は市場を抜け、往来の激しい通りをしば
らく進んでから古い建物が軒を連ねる路地に入っ
た。先程までの通りとは打って変わって、閑散とし
ている。市内の主要な通りに比べたら狭いが、それ
でも自動車が数台通れるだけの幅はあり、普段も決
して通行人の数が少ない訳ではない。しかし、この
静けさは一体どういうことなのか。本当に誰もいな
い。

やがて女は異変の原因に気付いた。数メートル先に
立っている、槍を持って軍服に身を包んだ屈強な大
男。彼を中心として、路地全体に異様な空気が立ち
込めている。その筋骨逞しい体から放たれる威圧感
もさることながら、やはり男の全身から滲み出る常
人とは明らかに異なる雰囲気が原因なのだと傍目に
は映るだろう。少なくとも、その男がとても友好的
なようには見えない。

「人払い(??ila)だ」まず男が口を開いた。

「貴様らが何を企んでいるのかは知っているぞ。貴
様が数日前に殺害された女性に成りすまして当局の
目を欺こうとしていることもな」そう言って彼はニ
ヤリと笑い、槍を構えた。

「だが生憎、我々はそんな見え透いた手には乗らな
い。さあ、残りのお仲間が何処にいるのか、洗いざ
らい吐いてもらおうか」

女は返事をする代わりに、やれやれとでも言いたげ
に首を振って見せた後、さも大儀そうに懐から黒光
りする鋭利なものを取り出した--

数分後、男が路地から出て来た。

>>5ありがとうございます

市の中央部にあたるソカロ広場から少し離れた場所
にある鉄筋コンクリート製の厳めしい建物、その中
の地上から三階の高さのとある一室にその少女はい
た。色黒な街の住人の中でも一際浅黒い肌と、ウェ
ーブのかかった豊かな黒髪は、彼女がインディオの
血を引いているということを仄めかす。少女は北に
面した窓のそばに佇み、外の街並みに見入ってい
た。部屋の赤く染まった床には数人の男達が横たわ
っていたが、彼女はそれを気にかける素振りも見せ
ない。


「随分と派手にやったじゃねぇか」

突然背後から声がかかった。はっと後ろを振り返ると、槍を携えた大男がニヤニヤしながら部屋の入り口に立っている。少女が身構えると、その大男は慌てて宥めるような口調で言った。

「落ち着いて! 違う、敵じゃない! 私だ、エツァ
リだよ!」

「何だ、紛らわしいな。脅かすなよ」そう言って相
手の少女が緊張を解いたのをみて、大男は説得が通
じたことに胸を撫で下ろした。こんなことで無駄に
血を流したくない。

「しかし、本当にその紛らわしさはどうにかならな
いのか。いつか同士討ちになりかねない」

「敵を完全に欺くためには仕方の無いことなのだ
よ。口調をそっくり真似るのだって至難の技さ。僕
の苦労も分かってくれ」
エツァリと名乗った男は、--乾季と雨季の間に行われる、トウモロコシと豆の粥『エツァリ』を食べて豊穣を祈るアステカの祭り『エツァルクアリストリ』の期間中に生まれたことが名前の由来である--槍を床に置くと突然自分の皮膚を『脱ぎ』始めた。中から現れたのは、少女と同じくらい浅黒い肌と短く刈り込まれた黒髪を持つ、がっしりとした体格の青年であった。

「アルバロ・オブレゴン通り沿いの路地裏でこの男
に待ち伏せされてね。恐らく正教系の魔術師だ。こ
の界隈で正教系と言ったら、まあ十中八九連邦警察
(フェデラーレ)の回し者だろうな。数十年前まで政
府と教会は犬猿の仲だったというのに。その時は
我々の力を借りて奴らを抑えていたんだっけ。恩知
らずもいいところだよ、全く」

「オリンピックを間近に控えていることもあって神
経質になってるんだ、察してやれ。ところでそいつ
は手強かったか?」

「いいや、こちらの手の内を完全に把握していなか
ったからか、たわいもなかったよ」

「成る程、苦戦したわけでは無いみたいだ。それじ
ゃあ」そこで少女は顔を少ししかめた。

「約束の時間に30分も遅れたことに対する申し開き
は無い、ということでいいな?」

「あ、いや、その」エツァリは愛想笑いを浮かべながら頭を掻く。

「それは本当にすまなかったと思っている。謝るよ」

「一体どこで油を売ってたんだ、シエスタにはまだ早すぎるというのに」戦友はご機嫌斜めだ。

「丁度ティアンギスが開いていたんで、掘り出し物がないか探していたんだ」

「呪物のか?」

「ああ。遅れたのは悪かったが、制圧のための時間が余分に持ててよかったのではないかね? それに、急に集合場所を変えるとは君も人が悪い。アラメダ公園のそばの古びたカフェで落ち合うはずじゃなかったのかい、ショチトル?」

そう言ってエツァリは、部屋一面の床を指し示した。床に横たわっている男たちの命は既になく、真っ赤な血が辺りを濡らしている。彼らはいずれも制服を纏っていた。

「それに関してはこちらもすまなかったよ。当初の
待ち合わせ場所は使えなくなったんだ、こいつらが
張り込んでいたせいで。だから予定を変更した。ま
さか奴らも警察署が我々の手に落ちるとは夢にも思
わなかっただろうよ」

そう言ってショチトルと呼ばれた少女は--花を意味するナワトル語である--得意げに鼻を鳴らして見せた。

「制圧するのはわけなかったさ、意識を操って殺し
合いをさせるだけなのだから。私を誰だと思ってる
んだ? 『死体職人(アルテサナ・デル・クエル
ポ)』だぞ? そして」そこで彼女は顔を窓の方
へ向けた。

「良い戦利品を手に入れることもできたよ。ここか
らの眺めを見てみろ。中々壮観じゃないか」

エツァリは言われるままに、窓の外に広がる町並み
に目をやった。

1920年代以来の政治的安定の中で順調に経済成長
を続ける新興国の首都。現在の街の繁栄からは、前世紀半ばから今世紀初頭にかけての混乱、まして400年前にこの地を襲った厄災などは微塵にも想像できない。若々しさに満ちたその街並は、朝の眩い日の光のもとでより一層輝いて見える。

「それで、肝心の話とは?」

エツァリは窓から再び視線をショチトルに戻した。

「お前はこの景色を見ても何も感じないのか」

「確かに見事な眺めだ。しかし、わざわざ私にこれを見せたいがために警察相手に大立ち回りを演じたわけではないだろう?」

「そうだな、確かにその通りだ」

予想外の反応の薄さにがっかりしたらしく、ショチトルの声のトーンが幾分か低くなった。感情をはっきりと表情に表す彼女の素直さを、エツァリは愛しく思うのだ。

「それじゃあ単刀直入に言おう。上層部から、例の『人間図書館』を直ちに捕獲せよとのお達しだ。すでに英国の連中が捜索に向けて本格的に動き出している。ローマの奴らもな。そいつらよりも先に奴を捕らえなければならない」

「『人間図書館』ね……。そういえば、もう何ヶ月も北米と南米の間を逃げ回っているという話だった
な。上層部がそんな命令を下したということは、近くに逃げ込んでいるということかね?」

「そういうことだ。敵も我々の動きを察知しているようだから急がなくては」

「タイムリミットが着実に迫っているというわけか。しかし、行方が分からなくなっていたのでは?」

「実はもう居場所は分かっている。ただ、どうやって近づくかという問題が残っていてな……」

「おいおい、まさかアメ公(グリンゴ)どもに匿われているとでも言うわけではあるまいね?」

「惜しい。が、違うな。もっとも、アメ公どもが建設を主導したという点ではあながち間違いではないか」

「今一つ要領を得んな。勿体ぶらないで早く結論を言ってくれたまえよ」

「いいだろう、心して聞いてくれよ……」

まるで恐ろしい宣告でもするかのような口ぶりである。



「例の娘は現在『学園都市』に潜伏している。それ
を早急に見つけ出して連れて来い、とのことだ」


ショチトルは、学園都市という名前を口に出す時、あたかもそれが卑猥な言葉であるかのように顔をしかめた。

「学園都市? なんでまたそんな所に?」

一方、エツァリの方はほとんど表情を変えていない。

「実は数週間前にも、海外の工作員からハバナで目撃情報があるとの報告が寄せられていた。奴が貨物船の中に紛れ込んでいるのを見かけた人間がいるらしい。多分カナダから密航して来たんだろうな」

「国際関係についてはよく分からないんだが、なぜカナダなのかね?」

「現在、この辺りでキューバと国交があるのはカナダとメキシコの二国だけであり、うちメキシコでは奴の姿が確認されていないからだ。って、そんなことはどうでもいいだろう! とにかく、そいつはハバナ発の貨物船に乗り込んだ。そして、そいつが乗った船は北東、つまりフロリダの方向へ向かって行った……」

エツァリは話を聞きながら、考え込んでいるような表情をして黙り込んでいる。なぜキューバが出てきたのか分からないのだ。

「だが知っての通り、アメリカとキューバの仲は現在険悪であり、とても交易が行えるような状況ではない。そこで、上層部はフロリダ周辺の、独自に貿易を行うことができる国や港を調査させたんだ……」

「フロリダ……あっ!」どこの話をしているのか、ようやく理解した所でエツァリの表情が一瞬だけ凍りついた。が、すぐに先ほどの明るい表情に戻った。

「なるほど、あそこか! フロリダの東側にあり、得体の知れない実験ばかり行われているという例の島!
てっきり『大学都市(シウダ・ウニベルシタリア)』のことかと思っていたよ!」

十数年前に首都の南郊に建設された学問の街。オリンピックの会場もここにある。

「我々が『学園都市』と言ったら、一つしかないだろうが。ましてやアメリカの庭先にありながら、その意向を無視した独自の外交を行っている『国』ともなれば!」

ショチトルはうんざりした顔で言った。

「それに、メキシコには来ていないと今言ったばかりじゃないか。第一、そんな近所に潜り込まれて、
我々が気づかないわけないだろ」

「それについて、どうでもいいことだと言わなかったか?」

「人の揚げ足をいちいち取るんじゃないお前は!」

「すまない。ちょっとからかってみたくなってね」

陽気な口調とは裏腹に、エツァリの表情が次第に硬くなる。

「しかし、まだ確定したわけではないだろう?」

「いいや、残念なことに確定している。実は三日ほど前に、都市内の協力組織から連絡があったんだ。
奴の姿を中で確認した、とね。しかも都市の住民とすでに接触している可能性が高い。場合によっては多少血を見る羽目になりそうだ」

「なるほど。で、私は何をすれば良いのかね? まさかその街に行けというんじゃないだろうね?」

エツァリの声が少し不安げなものになった。ショチトルは、わざとらしくため息をついてさも同情するかのように言う。

「残念なことに、そのまさかだ。光栄なことじゃないか」

「都市内の協力組織とやらはどうした? 彼らに任せたらいいじゃないか」

「報告の直後に死んだよ。かろうじて生き残った者の証言によれば、同じく侵入して来た他宗派の魔術師にやられたらしい。少なくとも三人以上は入り込んでいるようだ。そこで上層部は、生き残った兵士たちそれぞれの能力を判断した結果、お前が適任だという結論に達したらしい。大変だろうが、頑張ってくれ」

「待ってくれ、まだ心の準備が出来ていない! 」

ここで彼の声にはっきりと狼狽の色が現れた。

「本当に行かなければならないのか、あの神に呪われた島に? アメ公どもがこの世に送り出した事物のうちでも最低最悪と言われている場所に……?」

「残念だが、これは確定事項だ。諦めてくれ。しかし、奴らが『人間図書館』をろくでもない実験に使うつもりなら、その前になんとしても我々が確保しなければならない。今年決行する予定の計画、忘れたわけではないだろう?」

「計画……」エツァリの表情が少しだけ変わる。

それを見てショチトルは手応えを感じ、さらに説得を続ける。

「成功の暁には、あの忌まわしいアメ公の侵略者どもに一泡吹かせてやることができる。私達の家族の
仇も取れるんだ……!」

「家族の仇……そうだ!」

再びエツァリの顔に明るさが戻った。

「不肖このエツァリ、命に代えてもこの任務を成し遂げてご覧に入れよう!」

胸を張り、頼もしく宣言する。

>>18 ありがとうございます
「そう、その答えを待っていたんだよ! それでこそ我が相棒だ!」

同僚が本調子に戻ったのを見て嬉しそうなショチトル。

(単純な奴で本当に助かるよ)

そして内心ほくそ笑みながら、笑顔で告げた。

「明日中にこの国を発て、との命令だ。多分今日中に入るための偽造ビザが届くだろう。健闘を祈ってるよ、『お兄ちゃん』」

****

フロリダ半島南東部、ビスケーン湾の北部を占める全米有数の港湾都市、マイアミ。その真東の沖合に位置するフロリダキーズ諸島最北東端の島は、幾つかの特徴において他の島とは大きく異なっていた。

まずは、島の大きさである。この島の面積は、日本でいう奄美大島とほぼ同じ、シンガポールよりも少し大きいくらいである。フロリダキーズ諸島の他の島どころか対岸のマイアミ市と比べてもかなり広い。

この島は、元々はここまで広いわけではなかった。では、なぜここまで広いのか。それは、ここ十数年の間、埋め立てによって面積をどんどん拡大してきたからに過ぎない。

しかし、そこで第二の疑問を抱かれるだろう。ではなぜ、埋め立てをそれほどまでにする必要があったのかだろうかと。それは、その島が全米一の新興都市(ブームタウン)で、年々人口が増えているからだ。しかし、避寒地として富裕層に人気があるからかといえばさにあらず。

そこで第二の特徴である。その島は、世界最先端の科学技術を日々次々と生み出し、20世紀の目覚ましい文明の発展を支えている『完全独立教育研究機関(the Completely independent educational research institusion)』なのだ。この島で開発された多くの革新的技術のうち、最も重要だと見なされているのが、思い込みの力で超常現象を引き起こす『超能力』の安定した開発技術である。そして、その超能力を開発するために世界中から子供を集めているのであり、また集まってくるのだ。この街の売りである世界最高水準の教育を受けるために。

ありとあらゆる教育機関・研究組織の集合体であり、学生が人口の8割を占めるこの街は、その実態
に違わず『アカデミック・シティ』、すなわち学園都市と呼ばれているーー。

今回はひとまずここまでで一旦区切ります。次の更新にはもう少し時間がかかりそうです。楽しみにしてくださっている方には申し訳ありません。

また、詳しいことは後ほどお知らせしますが、次回からは文体を少し変える予定です。
ご迷惑をおかけしますが、しばらくお待ちください。

あい

>>23ありがとうございます

原作一巻にて、カエル医者が勤務しているのは『大学病院』であるとされていましたが、所属している大学名はどこかで明らかにされていたでしょうか? ご存知の方がいらっしゃったらお教えくださると助かります。

わからぬ

>>25>>26ありがとうございますございます
本編が書き上がるまでの間、おまけをお楽しみいただけたら幸いです。

おまけ 北野武版とある魔術の禁書目録

(テーブルの上にはユーロ札束とテッラの半身死体)

フィアンマ「女王さん。うちの若ぇもんがとんでもないことしちまって、失礼しました。今日のところは、これで許しちゃ貰えませんか?」」

ローラ「マタイはどうしたんだよ! こんなはした金と雑魚の死体持って来て何が詫びだコノヤロー!」

フィアンマ「教皇(オヤジ)は国際会議でこれねぇんだよ」

ローラ「おめぇが教皇の代わりかよ」

フィアンマ「俺だって右席やらせてもらってんだ。今日のところは俺の顔立てて、これ納めてくれや」

騎士団長「なに言ってんだコノヤロー! 頭なら若いもんの責任取っててめぇが右腕詰めろ」

フィアンマ「こんなつまらねぇことで俺の腕詰めれるか!」

ローラ「こんなつまらねぇことだとコノヤロー。てめぇら英国に喧嘩吹っ掛けといてつまらねぇとはなんだよ。舐めてんのかコラァッ!」

フィアンマ「そうは言ってねぇよ」

ローラ「言ってんじゃねぇか!」

フィアンマ「悪かったよ」

必要悪の教会メンバー「わりぃと思ってんなら腕詰めろや!
舐めてんのかコノヤロー!
やれや!
ぐずぐず言ってんじゃねぇぞ!
早くやれよ!
ビビってんじゃねーぞ!」

フィアンマ「やってやっから道具持ってこいコノヤロー!」

ドン!(テーブルの上にカーテナ・セカンド)

レッサー「てめぇなんかこれで良いからやってみろや!」

フィアンマ「なんだてめぇまで調子乗りやがってコノヤロー、こんなもんで指詰められるわけねぇだろ!」

必要悪の教会メンバー「なんだできねぇのかコノヤロー! 早くやれよ!」

フィアンマ「こんなもんじゃできねぇっつってんだよコノヤロー! まともな道具出せコラァ!」

ローラ「何が道具だ偉そうに言いやがってコノヤロー、これでやってみろよ!」

フィアンマ「やってやるよコノヤロー」

(フィアンマ、右肩に剣を押し当てるも刃が付いてないので全く切れない)

フィアンマ「かーいてえ」

ローラ「なんだできないのかコノヤロー」

(結局あきらめる)

フィアンマ「兄弟なんか言ってっけどなぁ、うちの教皇(オヤジ)がその気になったら、てめぇらみてぇなちっぽけな国、踏み潰してやるからなコノヤロー!」

騎士団長「おい! ヴァチカンが大英帝国より強ぇのかよ、頭おかしいんじゃねぇかおめぇ!」

フィアンマ「頭おかしいのはてめぇらの方だろうが!」

(女王、突然フィアンマの顔を持っていたセカンドの欠片で切りつける)

エリザード「カッコつけてんじゃねぇコノヤロー!」

(顔を抑えて悶絶するフィアンマ。女王はそれに構わず、後ろで震えていたシスター・アニェーゼに声を掛ける)

エリザード「おい、この馬鹿連れてけ」

>>30 失礼いたしました。訂正がございます。
誤)こんなもんで指詰められるわけねぇだろ!
正)こんなもんで腕詰められるわけねぇだろ!

また、表記についてはこちらのサイトを参考にさせていただきました。

http://blogs.yahoo.co.jp/tambourine3317/10359264.html

大学病院の名については、こちらで勝手に決めてしまってもよろしいでしょうか?

いいんじゃね

お待たせして申し訳ありません。前回とは少し内容を変えようと思うのですがよろしいでしょうか?
>>35お返事ありがとうございます。では、こちらで考えさせていただくということにします。

大変長らくお待たせいたしました。まずは、現在書き上がっているところまで投下します。

第7学区、クリフ大学附属病院・第1診察室ーー

「検査は一通り終わったよ。一連の怪我のうち、右手の小指の骨折、腹部の軽い内臓挫傷、全身の打撲傷については心配ないね? あと数日で完治して日常生活に復帰できると思うよ? ただ、頭の方はね……」

回転椅子に腰掛けた医師は、そこまで言ったところでカルテを手にしたまま口を閉じた。医師は白衣を着た小太りで中背の白人男性であり、まばらな茶髪の中に白いものがちらほらと見えるところから結構な年であることがうかがえる。
しかし何よりも目を引くのは、ヒキガエルに驚くほどよく似たその顔立ちであろう。離れた目に大きな口。顔のあちこちにできたイボのせいでより一層カエルらしさが増している。それでいて表情が至って真面目そのものなため、却って滑稽な印象を見る者に与える。ところが、彼の目の前にいるアーリーティーンの少女はくすりとも笑っていなかった。

「それじゃあ、トーマスは治らないの……?」

銀色の長い髪と緑色の瞳を持ち、安全ピンだらけで金糸の刺繍が施されている白い修道服を纏ったその少女は、不安げな表情のまま尋ねた。医師は力なく頭を振ってみせた。

「残念だけど、記憶を蓄積していた神経細胞ごと失われてしまっているからね。あれでは思い出すことは望み薄だね? 僕の長い医師人生の中でも最大の不覚だよ。今まで治せなかった患者などいなかったというのに。手を尽くしたんだけれどね ……」

「そんな……」

意外なことに少女は泣き出そうとしなかった。その代わり、如何とも形容し難い表情がその顔に広がった。ショックがあまりにも大きすぎて、どのような表情をしたら良いのか分からないのだろう。その恐らくは深い絶望と罪悪感がほとんどを占めているであろう複雑な表情は、>>1ですら言葉に表すことができない程であった。彼女の顔を見た医師は、深く頭を下げた。

「力になれなくて、本当にすまなかった。あと数時間早ければ結果も変わっていたかもしれないけど……」

それを受けて、少女の方も首を左右に振って言う。

「いや、良いんです。命が助かっただけでも感謝しないと。それに『あの話』が本当なら、彼に謝らないといけないのは私の方だから。ここまでしてくれて本当にありがとう」

深々とお辞儀をした少女に対して、礼を受けるようなことは何もしていないと戸惑う医師。

「しかし、まさかIDを持たない人が三人も滞在していたとはね? 夜中に地上からの謎の閃光によって観測衛星が一基撃ち落とされたそうだし、『風紀委員(ジュジュマン)』も『警備員(アンチ・カパシテ)』も今頃上を下への大騒ぎに……おっと、それはお連れさん二人から預かった手紙だね? あの少年宛の……」

少女が回転椅子の前の診察机から取り上げた封筒。表に記されていたのは、差出人の名であろう『炎の魔術師、ステイル・マグヌス』という文字であり、裏には封筒の宛先として『親愛なるトーマス・カミジョーへ』と書かれていた。

「不思議なことに、字面からあまり友好的なものを感じないね?特にハート型の封蝋が何故だかものすごい嫌味に感じられるよ。深く聞くつもりはないけれど、やっぱり何かあったのかな?」

少女は答えず、やにわに封筒を強引に破って開封した。封筒の中から現われたのは九枚の便箋だ。

「ちょっと! それはあの少年宛の手紙だよ?」

「いいんだよ」

少女がぶっきらぼうに答える。そのまま無造作に取り上げ、顔の前まで持って来て読み始める。読み始めてしばらくすると、手紙は突如クラッカーのような破裂音とともに弾け飛んだ。少女はびっくりして手を離し、そのまま紙くずとなった手紙を眺めていた。

「そこまでして教えたくないの……?」

床に降り積もっていく紙くずを眺めながら、少女はぽつりと呟く。

「なかなか派手好きなお友達のようだね? 液体爆薬でも染み込ませていたのかな?」

一方医師の方は、予想外のハプニングに遭遇してもさして驚いた素振りを見せない。むしろ面白がっているようだった。

少女は医師の質問に対して、頭を振りながら答える。

「友達なんかじゃ、ないよ」静かな声だ。
「あの人達は、今まで本当のことを何も教えてくれなかった。何一つだって。あの人達だけじゃない」声が小刻みに震え始めた。
「他の人達も、誰一人だって、大事なことを何一つ!」

突然少女は医師の方へ向き直った。その紅潮した顔にははっきりと怒りと失望の感情が浮かんでいる。

「考えてもみてよ! 今までずっと自分を追い回していた、敵だとばかり思っていた人達から『実は友達で、本当はこんなことしたくなかったんだ』なんて言われて、すぐ納得できる?! 必要最低限のことだけ話したらすぐどこかへいなくなっちゃう人達のことなんて簡単に信じられる?!」

そのままものすごい剣幕でまくし立てる少女。楽天的な態度をとっていた医師もさすがに気圧されている様子。やがて少女は、思っていたことを全て吐き出すことで怒りが鎮火したのか、大きく息を吐いて静かに言った。

「だから……簡単に友達だなんて決め付けないでよ……」

そのまま近くの腰掛けに力なく座り込み、俯く。

「そう言えばそんな事情があったね? すっかり失念していたよ。配慮が足りなくて本当にすまなかった」

医師は再び頭を下げて謝ると、回転椅子に腰を下ろした。そのまましばらく黙り込んでいたが、やがて何かを思い出したのか、椅子を回して再び俯き続けている少女の方を向いた。

「インデックス……ちゃんだったっけ?」

インデックスと呼ばれた少女が再び顔を上げる。

「本当はあの少年に直接会って確かめたいんじゃないのかい?」

少女はぎこちなく首を縦に振った。

「じゃあ、そろそろ目を覚ます頃だし、今行った方がいいね? でもその前に、本人の前でショックを受けるのも失礼だから、まずは手っ取り早くリハーサルだね?」

>>43 ありがとうございます。遅筆で申し訳ありません。
少女が診察室から出て行ったのち、医師は机の上に並べられたレントゲン写真やカルテをまとめながら、誰かに話しかけるでもなく一人で呟いた。

「Index Librorum Prohibitorum(インデックス・ライブロラム・プロヒビットラム)ーー『禁書目録』か。まさかこの街で本物の魔術師と遭遇することになるとはね……。やはり彼の仕業かな?」

医師はそのまま窓の外に視線を移す。傍から見れば、まるで窓ガラスに向かって話しかけているよう。

「わざわざ今になって、それも自ら火種を招き入れるとは……君が一体何をしたいのか僕にはさっぱりだ」

その視線の先、街路樹の彼方には、窓が一つも付いていない白く高い塔が聳え立っていた。雲ひとつない青空の元、夏の強い日差しによって、より一層白さが目立って見える。
なぜ建設され、どのような構造なのか、一切が謎に包まれたこの塔の正体を知る者は彼を含めてごく僅かである。彼は、中にいるであろう塔の主に話しかけていたのだ。

「君も僕の患者の一人だってことだけは忘れないでくれよ……さて」

再び机に向かい、整理作業を再開する。

少女の様子を見に行こうとは思わなかった。反応を見るのが怖いからではない。そんなことは長い医師としての人生の中ですでに何度も経験してきている。彼はただ、過度に干渉して二人の仲に水をさすのは悪いと思っただけである。

医師たるもの、あくまでも患者の治療という本来の責務のみを全うするべきであり、彼らの私事に深く立ち入るべきではない。それが彼の信条であった。 あの二人が今後どうするのかは二人自身に任せれば良く、自分がとやかく言うべきではない。事実に直面した時に彼女が抱く悲しみは、想像に余りあるだろう。しかし、自分に何ができる。今自分ができるのは二人きりにしてやることだけだ。再会を喜びたいのならそうすればいいし、辛さのあまり泣きたいなら我慢せず思う存分泣けばいい。仮に病室から泣き声が聞こえたとしても、誰も彼らを責めたりは……。

ヘェェェェェェルプミィィィィィィ!!!!

しかし、いくらなんでも限度がある。間違いなく病院中に響き渡ったであろう絶叫。患者のうち何人かはこれで目を覚ましてしまったに違いない。

流石に注意しなければと腰を上げたところで、そもそもこれを泣き声と呼んでいいのかという疑問が頭をもたげた。この悲鳴は悲しみに暮れているというより誰かに助けを求めているもののように聞こえる。そもそも、彼女はこんな声をしていただろうか?

続いて、けたたましく鳴り響くナースコールのベル。医師がただならぬ状況を察し始めたちょうどその時、一人の看護婦が慌ただしく診察室に走り込んできた。

「先生! あの少年からです!」

それを聞いた医師は、急いで診察室から出た。

件の病室へ向かう廊下の途中で、医師はインデックスとばったり出会った。インデックスは顔を真っ赤にしてぷりぷり怒っている。

「トーマスったらひどいんだよ! 本当は何ともなかったのに、私をからかうためにわざと記憶喪失になったふりをしていたんだから! 心配して損したんだよ! 仕返しに、思いっきり頭に噛み付いてやったけどまだ許さないんだからね!」

「本当に? おかしいねぇ、確かに間違いはなかったはずだけれどね?」

「まさかあなたも、私を担ごうと……」

少女は訝しげに顔をしかめた。

「とんでもない! 本当に分からなかったんだ、信じておくれよ?」

「そう、ならいいんだけど!」

彼女はそのまま医師とは反対の方向にずんずん歩いて行った。二人はちょうどすれ違ったかたちになる。
あれほどの悲鳴が上がるのだから、よほど強い力だったのだろう。噛まれなくてよかった。医師は少しだけ安堵した。

しかし裏を返せば、少年の身をそれほど案じていたということである。自分のことを心の底から心配してくれる人を身近に持つ少年のことが、医師には少し羨ましく感じられた。

「若さ、青春……実にいいものだね」

医師は微笑みを浮かべながら言った。

おつ

>>48 ありがとうございます

「おっといけない、危うく自分が何をやろうとしていたのか忘れるところだった」

我に返ってから、小走りで移動する。廊下の中ほどに、その病室はあった。念のため、ドアに掲げられたネームプレートを確認する。間違いなさそうだ。

「失礼するよ」と軽く声だけかけてドアを開けた。

病室は個室であり、ベッドは一台のみ、奥の窓際に据え置かれている。そのたった一つしかないベッドの手前に、心配そうな表情をした数人の看護婦が集まっている。

「ご苦労様。あとは僕がやっておくからね?」

労をねぎらいながら看護婦たちに退室するよう促し、ベッドの方へ進む。

床や壁、天井と同じくらい白いシーツの上では、ウニを髣髴とさせるトゲトゲとした短い黒髪をしたアジア系の少年が、ヘアバンドのようにぐるりと包帯を巻きつけた頭を同じく包帯だらけの両手で抑えて、うずくまりながら泣いていた。

ここから先は主人公の目線である一人称で展開いたします。事前にお知らせもせずに人称を変えて申し訳ありません。以後は一人称と三人称(所謂「神の視点」になることも)でお送りする予定で、一人称シーンでは
ヘ(^o^)ヘ、三人称シーンでは☆を付けるという形で区別させていただきます。以前のスレと同じような形でご迷惑をお掛けしてして申し訳ありません。

ヘ(^o^)ヘ
「これはまた、ひどく噛まれたね?」
語尾を疑問形にするおかしな口癖を持つカエル顔の医師ーー便宜上『ドク・クロウク(ケロケロ先生)』とでもしておこうかーーは、俺の頭の傷がどれほどのものなのか確認しながら言った。痛すぎて頷くのがやっとだ。自分で見ることはできないが、俺の頭には大きな歯形がついているはずだ。食い千切らんばかりの強さであり、俺は一瞬死を覚悟した。看護婦さんたちが止めてくれなかったらどうなっていたことやら。

目が覚めてからというものの、俺は未だに自分の身に起こったことについて理解が追いついていない。気がついたら見慣れない部屋に寝かされていて、訳も分からないまま色々な検査を受けさせられ、魔術がどうのこうのとこれまた訳の分からないことを言われ、挙句には非常識な白シスターに怪我した頭を齧られた。
一体全体何の因果でこんな目に遭わなければならないんだ。



俺は自分が何者なのかすらろくに知らないというのに。

現時点で分かっていることと言えば、俺がトーマス・カミジョーという名の高校生であるらしいということ、とんでもない騒ぎに巻き込まれたことで大怪我をしたらしいということ、そして何よりも、どうやら現在の俺が自分に関することを一切合切忘れてしまっているらしいということくらいだ。「らしい」などという言い方をしたのは、これらが全てこの医師から聞いたことだからであり、自分で確かめる術がなに一つないからだ。

「どんなやりとりをしていたのかはここに来るまでの間にあの娘から聞いたけれど、本当にあれでよかったのかい?」

ドク・クロウクは一度部屋の入り口の方を振り返ってから、また俺の方へ向き直って言った。

「君、本当は何も覚えていないんだろう?」

その通りだ。俺にあるのは今朝目覚めてからの数時間分の記憶だけ。彼の言葉を借りれば、俺は何も「覚えて」いない。今自分がどんな状況に置かれているかもさっぱり分からない。とても不安だ。怖くて仕方が無い。卵から孵ったばかりのヒヨコもこんな気持ちなのかな。

「やはりお見通しでしたか」

「医者を始めてこのかた、僕の診断が間違ったことはただの一度だってないからね?」

もっとも、治療に関してはつい今朝になって無敗記録が止まってしまったけれどねと医師はきまりが悪そうに付け加えて、

「いつまでも隠し通せるとは思えないし、何より真実を知ったらあの娘はとても悲しむと思うよ? だから、余計なお世話かもしれないけれど、正直に打ち明けた方が二人のためにもいいんじゃないかい?」

確かにその通り。いつまでも拙い嘘で誤魔化し切れるはずがなく、いずれボロが出るだろう。彼の話が正しければ、俺からは思い出どころか過去の人間関係に関する全ての記憶まで失われていることになるのだから……。
しかし、あの場ではどうしても嘘を付かざるを得なかったのだ。


理由は言えない。
まさか、突然病室に現れた、火を自由自在に操る身の丈7フィートもの大男に「言われた通りにしないと殺す」と脅されたせいだなんて言うわけにはいかない。

>>53 ありがとうございます
「でも、あれでよかったんじゃないですか?」

俺は手当てを受けながら医師にそう言った。ぎこちなく愛想笑いをしてみせながら。

「僕、なぜだかあの娘にだけは泣いて欲しくないなって思えたんです。あの娘の今にも泣き出しそうな顔を見た時にね。どういう感情によるものなのか分からないし、恐らく思い出すこともできないでしょうが、その気持ちは本当なんです。不安感なんて跡形もなく吹き飛びましたよ」

嘘つけ。本当は謎の火炎男に「記憶喪失になった事実をなんとしてでも隠し通せ」と脅迫されて精一杯芝居をしてみせただけに過ぎない。彼女に話した内容だって、その男に指示されたことをそれらしく話しただけだ。

ちなみに、彼女に話した内容をざっくりまとめるとこうだ。
「インデックスーーこれがさっきの少女の名前らしいーーが無意識のうちに放った『ドラゴン・ブレス』の余波で生まれた光の羽が頭に当たった瞬間、体に走った衝撃が脳に伝わる前に右手の力で打ち消したため、記憶は無事。これは、その羽が『魔術』によって生じたものであるからこそ出来た芸当である」

お前は何を言ってるんだと思われたことだろう。実は言った俺自身にもさっぱり分からない。俺はただ言わされただけに過ぎないのだ。

内容について理解することは許されなかった。俺が説明を求めた時、相手がしたことと言えばただ手から特大の炎を出して窓のカーテンを燃やしてみせただけ。「命令通りにしないとお前もこうなるぞ」と言わんばかりに……。
だからあの娘に話した時も、記憶喪失への不安でも彼女を泣かせたくないという想いでもなく、得体の知れない大男への恐怖心が俺の中の大部分を占めていた。
あの娘が泣きそうな顔をした時に少し胸が締め付けられるような感覚がしたのも事実。しかしそれは、可愛らしい少女が泣くのを見ると自分も心が痛むというごく自然な感情の動きによるものであり……。

でも、本当にそれだけだったのだろうか。全く面識のない相手に対してあんなことを思ったのは、ただ単に顔が可愛らしかったから、という理由だけで説明できるものなのだろうか。ひょっとして、体のどこかに以前の記憶が残っているとか……?

俺は、その突飛な思いつきをドク・クロウクに話した。
「自分でも不可解なんですが、案外僕はまだどこかで覚えているのかもしれませんね」

医師は少し驚いた表情で俺の顔を見た。そんな非科学的なことがあり得るはずがない、とでも言いたげだ。まずい、怪しまれたか。俺は心の中で舌打ちした。

「野暮なことを言うようだけれど、君の記憶は脳細胞ごと『死んで』いるはずだけれどね? 脳に情報が残ってないなら、体のどこに思い出が残っていると言うんだい?」

もう自分でもどこまでが本音でどこまでが演技なのか分からなくなってきた。ええい、こうなったら全部アドリブで誤魔化してやる。

「そんなの決まっているでしょう」
俺は胸に手を当てながら、もっともらしい表情で言った。





「ーー心に、じゃないですか?」

「心ね、ふむ、なるほど……」

ドク・クロウクは顎を右手の指で撫でながら、俯いて少し考えていた。やがて俺の方へ向いて言った。

「実は医療の場でも時々科学では説明がつかない現象が起きたりするようでね? 臓器移植を受けた患者の性格が提供者の影響で変わったり、ある宗教の信徒は死後硬直を起こさないとかね? 最も、僕はそのいずれにもお目にかかったことがないし、眉唾ものだと思っているけどね? しかし、現在の医療技術が完璧のものではないのは事実だし、まだ科学で解明できていないこともたくさんあるしね?」

そう言って、医師は口元を緩めた。

「君の考えもなかなか興味深いと思うよ? 今後の参考にさせてもらおうかな?」

うっかり余計なことを口走ってしまったものの、どうやらうまく誤魔化せたらしい。俺は心の中でほっとした。

「ひとまずこの件は一段落、ということでいいね? あとは軽いリハビリを一週間ほど行って、退院するだけだね?」

「そんなに早く治るんですか?」

「もちろんさ。もっとも、怪我を治すのはあくまでも患者さん自身であって、僕たち医者ができるのはそれを手助けすることだけだけれどね? それでも治癒のスピードを上げることはできるよ?」

信じられない。右も左も分からない状態であっても、自分の怪我が一日や二日で治るようなものではないことくらい分かる。それをたった一週間で治してしまうとは……。

「でも、さっきの騒動でまた悪化してしまっているかもしれないから、今日はなるべく安静にしておくことだね?」

「はい、分かりました」

「一応、今日の新聞や雑誌はそこに置いてあるし、日が変わるごとに持ってこさせるから退屈することはないと思うよ?」

彼は部屋を出る準備をしながら、ベッドの脇の本棚を指し示して言った。

「ありがとうございます」

医師は一週間ほどで退院できると言った。一週間。その間に準備を済ませなければならない。まずは自分と自分を取り巻く状況について詳しく知らなければならない。
短い時間ではあるものの、得られる情報は多いはずだ。そして、手段も揃っている。
ここはどこなのか。外では何が起こっているのか。そして、記憶を失う前の自分がどのような人間だったのか。確認すべき事項はたくさんある。
割り当てられた時間は短い。一日一日を無駄にせず、そのわずかな時間を有効に使わなければならない。
なぜなら俺は、今朝「生まれた」ばかりなのだから。



と、ドク・クロウクを見送りながらこんなことを考えていると、去り際に彼がふと後ろを振り返り、窓の方を指して言った。

「そういえばさっきはそこに白いカーテンがかかっていたはずだけどね? 何か知らない?」

「さあ? 存じませんね。誰かが片付けたんじゃないですか?」

Episode1 'A good beginning makes a……'
to be continued.

しばらく更新が止まることになりそうです。楽しみにして下さっている方には申し訳ありません。

また、より地の文を減らして連載のテンポを上げるため、次回以降は台詞の書き方をスレタイのような台本形式に変更させていただこうと思うのですが、よろしいでしょうか?

アーニャ「美波、セ ッ ク スしまショウ」美波「!?」
アーニャ「美波、セ ッ ク スしまショウ」美波「!?」 - SSまとめ速報
(http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/internet/14562/1445509576/)
http://dic.nicovideo.jp/a/%E7%99%BD%E3%81%94%E3%81%BE%E3%81%B5

完結したから読んでね三´>ω<`三

>>60
読みやすい方で

>>62 お返事ありがとうございます

また、今更ですが訂正がございます
>>20「ここ十数年の間、埋め立てによって」
のうち
ここ十数年の間→ここ数十年の間
でお願いいたしします。シンガポールほどの陸地を二十年足らずでだなんて物理的に不可能ですね。
遅くなって申し訳ありません。

作中の日付について、原作通りにした方がよろしいでしょうか? こちらで少しだけ変えてしまってもよろしいでしょうか?

止むを得ず、原作とは日付を変えてしまう部分もありそうですがよろしいでしょうか?

原作とはなんだろうか

大変長らくお待たせいたしました。それではぼちぼち投下して行きます。以前申し上げた通り書き方を少し変えます。

あの騒ぎの後、簡単な検査を受けた。検査が終わった後、ドク・クロウクから改めて俺の病名が伝えられた。 ‘generalized amnesia’と言うそうだ。どうやらやはり記憶喪失だったらしい。

ドク・クロウク(カエル医者)「記憶を司る海馬という部分がほとんど破壊されたのが原因のようで、神経細胞ごと失われているから、むしろ記憶『破壊』というべきだね? 記憶を取り戻すことはまずなさそうだよ?」

もっとも、と彼は付け加えて、

ドク・クロウク「海馬は時間が経てば再生することが近年の研究で明らかになっているし、今でも流暢な英語を話して普通にコミュニケーションを取ることができるところを見るに、どうやら君の場合は自分の思い出を司る『エピソード記憶』が破壊されただけにとどまっているようだからね? 幸いなことに、それまで蓄積した知識を司る『意味記憶』など他の記憶や記憶能力そのものは無事みたいだから、日常生活を送る上で何も問題は無いはずだよ?」

『流暢な英語』?

ドク・クロウク「ああそうだ、確か君は自分に関する情報を全て忘れていたんだったね?」

より詳しく自分のことについても聞かされた。日本人の母とアイルランド系アメリカ人の父を持つ日本国籍のハーフで16歳、近くの高校に籍を置いているとのこと。この街へ来たのは4年前、12歳の頃らしく、以来ずっとこの街に住んでいるのだという。

この街……そう、現在俺がいるのは『アカデミック・シティ』という、世界一文明が発達しているという街らしい。どこか英語圏の国かなとは思っていたが、まさかそんな所にいたとは。
他の地域よりも科学の水準が高いということはすなわち医療技術もまた高いということなのだから、怪我の治りも早くて当然だろうが、それでも実際に見てみないことにはなんとも言えない。

と、入院中はこんな具合に情報収集に努めた。自分が何者なのか、出来る限り正確に知るために。もちろんリハビリに励むことも忘れなかった。
そうして幾日かが過ぎた。この間に、俺のクラスメイトや友人と名乗る人々が入れ替わり立ち替わり見舞いに来てくれた。その中には、俺の父親だと名乗る人もいた。しかし当然ながら、いずれも面識のない人ばかりだった。

そして、現在俺は病室のベッドの上で、『マイアミ・ヘラルド』の朝刊を片手にのんびりと寝そべっている。今日は8月2日。時刻は午前11時ほどで、窓の外の太陽はすでに南の空高くに差し掛かっている。が、空調のおかげで特に暑さは感じず、快適に過ごせている。ベッドの傍らの台の上にはいくつもの果物を入れた鉢ーーどれも差し入れでもらったものだーーが置かれている。

???1「違う、そういう持ち方じゃなくて……」

???2「こうかな?」

???1「いや、それでも怪我しやすいから……」

その隣には、果物を食べやすいようにカットしてくれる献身的な二人の女の子も一緒だ。一人は純白のシスター服に身を包み、もう一人の方は頭にホワイトブリム、濃紺のワンピースの上に白いピナフォア(エプロンドレス)という典型的なメイド衣装だ。

???2「あいたっ!」

???1「大丈夫かー? 後は私がやっておくぞー?」

二人のうち、慣れない手つきでリンゴの皮を剥いていた白いシスターの方が指先をナイフで少し切ってしまった。

???1「血が出てるんじゃないかー? ちょっと見せてみなー」

???2「ううん、大丈夫だよ」

改めて紹介しよう。彼女の名前はインデックス。 入院初日に噛み付いて来たシスターだ。この娘もまた、俺と同時に病院に担ぎ込まれたが、特に怪我などはなかったためその日のうちに退院出来たらしい。しかし、退院してからもこうして毎日のように見舞いに来てくれているので、最初に抱いていた警戒心はすっかり解けつつあった。
非常識だと思っていたけれど、実際に接してみると優しい娘じゃないか。

ちなみに、後から聞いた話によると、彼女の宗派はイギリス清教(English Puritan Church)らしい。どうりで発音がイギリス風だと思った。それにしても、インデックスだなんてひどい名前だ。親の顔が見たいとはこのこと。どこの世界に『目次』なんて名前の人間がいるんだ。

???2「無理することはないんだぞー? 手当てするからあんたは少し休んでなー」

インデックス「うん、そうさせてもらうんだよ……」

こんなことも人任せのままでいいのか。俺は少し申し訳ない気持ちになってきた。

上条「二人ともすまないな、こんなことまでさせちゃって。着替えまで持ってきてもらって」

鉢の隣には、白のポロシャツと黒のチノパンが綺麗に折りたたまれた状態で置かれている。

???2「気にすんなよー」

上条「そうはいっても、何から何までやってもらうのは流石に悪いって。別にここまでしてくれなくてもいいのに。手もこの通りすっかり治ってるわけだし、リンゴの皮剥きくらい俺にもできるからさ」

???2「そういうわけにはいかないんだなこれがー。小火で家から焼き出されてわずか数日後に大怪我で入院するほどツイてないアンタのことだー、こんなもん任せた日にゃうっかり耳やら指やら落とすに決まってらー。さらに入院期間が伸びるのは嫌だろー?」

上条「そういえばそうでしたっけね、こりゃ失礼」

後から聞いた話によると、どうやら記憶を失う前の俺は相当な頻度でトラブルに巻き込まれていたらしい。

???2「第一、仮にも患者にこんな危険物持たせられねぇからなー。それに」

メイド姿の少女は口元に笑みを浮かべながら言った。とはいえ、元々表情の変化の差が少ないのか、注意深く見ないと分からないほど微かなものだ。

???2「これはちょっとした気分転換みたいなもんでー、私も好きでやってるんだからアンタが気にすることはないよー。少し長く休みすぎた分、特訓して遅れも取り戻さないといけないしなー」

間延びした口調で話すこの少女の名は、マーシャ・マッカンダル。黒人の血が入っているのか、肌の色は薄茶色で、短い黒髪は後ろへ撫で付けられている。隣のインデックスとは対照的だ。黒い目はくっきりと大きく、美少女と呼んでも差し支えないほどに整った顔立ちをしているが、どこか幼さが残っている。

入院中、病院内の患者が増え過ぎて看護婦さん達の数が足りなくなったことがあった。その時、右も左も分からない俺の身の回りの世話をしてくれたのも、およそ病院において場違いに思える格好をしたこの少女だった。出会って数日のインデックスとも友達のように打ち解けていることからも分かるように、その口調や表情とは裏腹にとても人懐こく優しい性格をしている。

上条「そっか。でも、本当にありがとう」

マーシャ・マッカンダル(土御門舞夏)「だから気にすんなってー。これも実地研修の一環だと思えばどうってことないからさー」

彼女はこの病院からそう遠くない所にあるメイド養成学校『ブルーミング家政女学校』で学んでいるメイド見習いなのだという。道理で家事の技術が高いわけだ。そもそも世界最先端の街にメイドなんていること自体が驚きだが。

マーシャ「というかもっと元気だせよー、今日はようやく退院できる日なんだろー?」

そうなのだ。本日8月2日をもって、俺はパジャマを脱いでこの病院を出ることになる。後から知ったことだが、俺が病院に担ぎ込まれたのは7月28日だったらしい。つまり、入院からわずか5日で怪我が完治し、退院することとなったのだ。
このことに関してはドク・クロウクが最も驚いていた。彼の所見によると、傷の治るスピードが驚異的だったらしい。普通の人間ではあり得ない早さだと言っていた。
正直自分でも実感が湧かない。まさかあれほどの大怪我が一週間も経たないうちに治ってしまうとは。

しかし、実を言うと俺はあまり退院したくなかった。こんな可愛い女の子が(それも二人!)気遣ってくれて、面倒も見てくれることなんて生涯に何度もあるとは思えない。過去の記憶をすべて失っているという赤子同然の境遇なのに、俺は現在の状況を幸せだと思っていた。両手に花って、こういうことを言うんだろうな。

もっとも、幸せな時間はあっという間なんだけどね。

あと、申し遅れましたが()の中は原作で対応している人物名です。

20分後ーー

マーシャ「さ、笑ってー」

そう言ってマーシャが三脚に固定されたカメラのシャッターボタンを押すと、パシャリという音とともにカメラ上部のフラッシュバルブが瞬いた。
俺は言われるままに、にっこりと笑ってみせた……つもりだったが少しこわばった表情になってしまった。なお、すでにマーシャのもって来てくれた服に着替えている。

ここは病院の玄関口。俺は退院の記念に写真を撮ってもらっているところだった。
ちなみに、一人じゃない。隣にはインデックスがいるし、それに……

???1「そんじゃ改めて……退院おめでとう、トミー!」

???2「ああ、ほんまにおめでとさん」

すぐ後ろには二人の大柄な男子学生も一緒だ。一人は薄青のサングラスをかけ、もう一人は白いアメリカンフットボールのユニフォームに身を包んでいる。

上条「二人とも、心配かけてごめん」
俺が謝ると、

???1「いいっていいって、気にするこたぁないんだぜい」

独特の訛りを持つサングラスの大男が笑いながら答えた。
男はマーシャと同様茶色い肌の持ち主で、目鼻立ちが整っているものの、眼はサングラスに隠れて見えない。金色に染めた髪は両側頭部から後頭部にかけて撫でつけられた所謂『リーゼント・スタイル』であり、前髪も後ろに撫でつけられている。その膝に届くほど長い腕は、持て余し気味に腰にあてがわれている。首には金の鎖のネックレスがかけられており、緑色のアロハシャツと黒いハーフパンツを着ている。
彼の名前はモンティ・マッカンダル。見た目と名前から分かるように、マーシャの兄だ。

???2「しかし、記念撮影しといて正解やったね。いくらトムが不幸体質や言うても、火事と大怪我を同時にやらかすなんてそう何度もあるとは思えんし」

モンティ・マッカンダル(土御門元春)「ははっ、違えねえや」

アメフトのユニフォームを着た方がおどけて言った内容にモンティが笑ったのを見て、俺も笑顔を作ろうとしたが、こわばった笑みになってしまった。
テキサス訛りのような口調で軽口を叩いた方の大男は白人だ。細い目をしていて、短く刈り込まれて青く染められた髪と耳についた金色のピアスが白いユニフォームに映え、目を引く。
こちらに関しては、結局名前は分からずじまいだった。もっとも、普段は「青い髪」で「ピアス」をしていることから「ブルーピアス」というあだ名で呼ばれているらしい。本人がマーシャに対して「ブルーピアスでええよ」と言っていたんだから間違いない。そこで、俺もこの呼び方に従うことにする。

二人とも、身長は優に6フィートは超えており、センチメートルに直しても190は下らないはずだ。対して俺はかろうじて170に届くか否か。
おまけに二人とも筋骨逞しい体つきなので、より一層威圧感が増す。もっとも、俺が小柄なため相対的にでかく見えるだけかもしれないが。

そして、最も驚くべきことは、この二人が俺のクラスメイトにして大親友だーーいや、『だったらしい』と言うべきかーーということである。

上条「でもさ、昼食まで奢ってもらうのは流石に悪いって」

モンティ「一体誰に対して悪いって思っちゅうが? 俺たちはあくまでやりたくてやってるだけだぜよ」

ブルーピアス(青髪ピアス)「せやせや。今日はトムの退院祝い、キミが主役なんやから遠慮することはあらへんて。ボクら友達やろ?」

上条「そう……だな。それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらうよ。二人とも本当にありがとう」

インデックス「お世話になります」

ブルーピアス「かめへんかめへん、お礼には及ばんて」

しかし、これまでの行動を見るに、どうやら彼らは悪い人間ではなさそうだ。

まず最初に二人と会ったのは入院した次の日のことだった。俺の父親(と名乗る人)の次、クラスメイトや担任の先生(と名乗る人々)の中では最も早く見舞いに来てくれた。続いて二度目は今日。他の人達は予定があって来れなかったらしく、結局俺を迎えに来てくれ、退院を祝ってくれたのはこの二人とマーシャ、インデックスの四人だけだった。しかも、それだけにとどまらず、こうして昼食までご馳走してくれるというのだ。
何だ、いい奴らじゃないか。その厳つい見た目や胡散臭い喋り方からは想像ができない。やはり人は見た目にはよらないものだな。例え記憶を失っていたとしても、これなら安心して『また』友達になれそうだ。


ただ一つ、過去の記憶が一切ないことさえバレなければ。

しかし、今のところ記憶喪失のことは医師以外の誰にもバレていない模様。この調子で行けば何も問題は起こらないだろう。

マーシャ「あー、お取り込み中悪いんだがー、もう写真撮り終わったから私はここで失礼させてもらっていいかー?」

声を聞き、皆一斉にマーシャの方を振り向いた。そうだ、こっちにもお礼言わないと。

上条「ああ、色々とありがとな、マーシャ!」

インデックス「ありがとう!」

ブルーピアス「ホンマおおきに!」

マーシャ「いいってことよー。こういう細かいサービスも仕事のうちだからなー」

口々に礼を言う中、モンティ・マッカンダルだけは違った。

モンティ「なあマーシャ、この後は空いてるかにゃー……?」

急に何を言い出すんだこいつは。まさか実の妹を口説こうとしている?

マーシャ「いや、悪いけど兄貴、この後すぐ学校に……」

あまり乗り気ではなさそうなマーシャ。モンティはそれに構わず近づいて行く。

モンティ「どうせ遅刻なんだし、別に構やしないだろ? ちょっとだけでいいから……」

彼はそのまま肩に長い腕を回そうとして……

マーシャ「だから外にいる時はやめてくれっつったろうが! またストマックブローぶちかますぞ!」


ビクッとし、慌てて離れるモンティ。わけが分からずその場に立ち尽くすばかりの俺たち。きっと馬鹿になったみたいに口をあんぐり開けていたことだろう。
すると、マーシャはこちらを振り向いて、おれたちが唖然としているのに構わず言った。

マーシャ「じゃ、私はここで失礼するから、馬鹿兄貴をよろしくなー」

上条「あ、ああ。良い一日を」

どう返したらいいのか分からないうちに、マーシャはそのまま歩いて行ってしまった。何が起こったのかさっぱり分からず、マーシャの去った方向を向いたまま突っ立っていると、ブルーピアスが会話の口火を切った。

ブルーピアス「いやぁ、なんと言うか……たくましい妹はんやな……」

しばらく呆然としていたモンティも、落ち着きを取り戻したのかそれに答える。

モンティ「ああ、いじめられんよう、妹には昔からボクシングを習わせちょるき……一時期はグラジアノから直接手ほどきを受けていたことだってあるぜよ」

ブルーピアス「グラジアノって、あのロッキー・グラジアノ? つまり妹はんは元世界チャンピオンの直弟子ってことかいな!? それってすっごいやん!」

モンティ「ああ、ホントにすっごいことだぜい。お陰で何度死にかけたことか……」

何が何やら、俺にはさっぱり理解できなかったが、ただ一つ言えることがある。人は見かけによらないということだ。少なくとも、彼女に対する認識は改めるべきだろう。

と、俺がぼんやりと二人の会話を聞いていると、

ゴロゴロゴロゴロゴロゴロ!

突然雷鳴が聞こえてきた。しかし変だ、空はこんなに晴れているのに。
俺たち三人は音のした方向を振り向いて、それから一斉に大笑いした。笑わずにいられなかった。
三人の視線の先では、インデックスが膨れっ面で腕組みをしていたのだ。どうやら雷鳴のように聞こえたのは彼女の腹が鳴った音だったらしい。空腹なのに長時間待たされてかなり不機嫌そうだ。

ブルーピアス「いやぁいやぁ、ごめんなぁインデックスちゃん。お腹減っとるのにいつまでも待たせてもうて」

ブルーピアスが笑いながらも言った。

ブルーピアス「ほな、ここでいつまでも立ち話しとるわけにもいかへんし、ぼちぼち行こか?」

まだ上条目線が続いているのに表記を忘れておりました。失礼いたしました。

ヘ(^o^)ヘ
第7学区39号線、通称『リーブズ・ストリート』ーー


今俺達が歩いているのは中心市街の目抜き通りである。三車線と幅広な石畳の道路の中央レーンにはトラム(路面電車)の軌道が敷かれ、両脇には南国らしくホウオウボクが街路樹として植えられている。道路沿いには商業施設などが入った背の低いビルが立ち並んでいる。夏休みらしく、道は多くの人でごった返している。

目覚めたばかりの頃の俺は、思い出とは全く関係がないはずのこの街の地理を全くと言っていいほど知らなかった。いや、「忘れてしまった」と言うべきか。長年住んでいたにもかかわらず、である。
俺を診たドク・クロウク自身も不思議がっていたが、彼によるとどうやら思い出にあたる『エピソード記憶』と知識にあたる『意味記憶』の境界は極めて曖昧なものなので、地名や場所に関する記憶も知識として定着する事なく消えてなくなってしまったのではないか、とのことだった。あるいは、記憶喪失以前からまともに知らなかったか。
とにかく、入院中は必死でこの街の地図を頭に叩き込んだ。だから今ではどこに何があるのかほとんど知っているし、自分が現在どこを歩いているのかも理解しているつもりだ。

しかしそれでも、初めて目にする様々な光景に驚かされずにはいられなかった。別に街並みがそうだと言うわけではない。俺は今日、初めて『超能力』というものをこの目で見たのだ。

思い込みの力によって、物理的にあり得ない現象を引き起こす超能力。脳を人為的に開発し、高度に発達させることで始めて可能になるとされており、その開発が行われている世界で唯一の場所がここ、アカデミック・シティだ。知識としてあらかじめ知ってはいたが、実際に目にするまではどのようなものか分からなかった。

実際に見てみると異様だ。道路沿いの公園でキャッチボールに興じていた小さな子供達は、一切ボールに触れずに飛ばしたり投げた瞬間遠くに瞬間移動させたりしていた。街の中を歩いていても、周りでは女子高生や男子高生が頭から火花を出したり口から火を吹いたりしており、中には空を飛んでいるものさえいる。ここが本当に地球なのか疑いたくなってきそうだ。
新鮮な驚きがあまりにも多すぎたお陰で、頭上から太陽が強く照りつけてきているにもかかわらず、暑さはほとんど気にならなかった。

>>80 ありがとうございます。

また、今更ですが訂正すべき箇所がございます。

>>74「テキサス訛りのような口調で軽口を叩いた方の大男は白人だ」の「叩いた」の後ろに「腹のそこに響く野太い声をした」を補ってください。

と、俺が周りの様子を観察していると、すぐ隣を歩いていたブルーピアスが言った。

ブルーピアス「瑞分と興味津々やね、いつも見慣れた光景や思うけど。一体どないしたん? 夏の暑さにやられて記憶でも飛んでもうたんかい?」

『記憶が飛んだ』?
俺はギョッとして立ち止まり、ブルーピアスの方を向いた。まさか、勘付かれている……?
彼はなおも続けた。

ブルーピアス「ちょ、急にそないなけったいな顔をしてホンマにどないしたんやトム? そこまで慌てる事無いやんけ。まさか、本当に記憶飛んでたりする?」

相変わらずニコニコしているが、それがかえって不気味に思える。

ブルーピアス「今日のトムなんか怪しすぎやで。ひょっとして、ボクらに何か隠してることあらへん? さっきも随分と他人行儀やったし、ホンマに何か大事なこと隠してたりせえへんよね……?」

くそっ、早速バレてしまったのか。この男、見かけによらず中々勘が働くようだ。どうしよう。誤魔化すべきか、それとも……。

その時、頭の後ろで手を組みながら俺たちのすぐ後ろをのんびりと歩いていたモンティが口を開いた。

モンティ「おいおい、その辺でよしてやれよブルーピー! いくら補講常連のトミーだってそこまで物覚えが悪いはずないぜい。ちょっといつもより重傷だったくらいで簡単に記憶が壊れるわきゃあないだろうに、冗談きついぜよ」

ブルーピアスはそれを聞いて大笑いした。思わぬ救世主!

ブルーピアス「せやな。よう考えたらそない簡単に記憶喪失になっとったら怖くて外も出歩けへんよね、『心の旅路』の主人公やあるまいし。疑って堪忍な」

上条「いいって事よ。俺はこの通り平常運転、怪我には慣れっこですよ」

このチャンスを生かさなくては。俺はモンティに調子を合わせてその場を切り抜けようとする。

インデックス「この炎天下の中、お腹を空かせたまま長時間彷徨うのは応えるんだよ……。もう少し急いでもらうことはできないかな?」

最後尾を這うように歩いていたインデックスが恨めしげに言ったのもこの時だった。振り向けば、彼女の額には玉のような汗が浮かんでおり、頭のフードで影になっている事もあってか、とても険しい表情をしているようだ。かなり暑そうに見える。

ブルーピアス「いやあ、すまんすまん。この道まっすぐ行けばあと二、三分で着くからもう少し辛抱しといてや。ほな、急ごか」

どうやら無事ピンチを切り抜けられたようだ。俺は目的地に着くまでの間、心の中で二人に感謝する事を忘れなかった。ありがとう、 君達が助け舟を出してくれなければどうなっていた事やら……。

いや、待てよ。『補講常連』だって?

>>84 ありがとうございます。
また、今更ですが訂正がございます。インデックスの上条に対する呼び方についてですが、
×トーマス→○トーマ でお願いします。遅くなって申し訳ありません。

****
ウェイトレス「ご注文は以上でお済みでしょうか?」

俺達がはいと言うと、ウェイトレスは「どうぞごゆっくり」と言いながら勘定書を置いていった。
四人掛けの広いテーブルの上に残されたのは沢山の料理だ。サラダにポテトフライにパスタにピッツァ……。

ブルーピアス「ほな、いただこか。四人の健康を祝って……」

俺のすぐ右隣に座っているブルーピアスがドクターペッパーの入ったグラスを掲げ、乾杯の音頭を取る。それに倣って、俺と反対側に座るモンティもそれぞれコカ・コーラとクアーズ・ビールの入ったグラスを持ち上げようとした時。

インデックス「主、願わくは我らを祝し、また主の御恵みによりて我らの食せんとするこの賜物を祝し給え。我らの主、キリストによりて願い奉る。アーメン」

モンティの左隣に腰掛けていたインデックスが、早口で祈りを捧げるや否や物凄い勢いで掻き込み始めた。よほど空腹だったらしいが、ちゃんと祈りを捧げたのは流石シスターと言ったところか。

モンティ「おいおい、そんなに急いで食わなくても料理は逃げやしないぜい」

モンティは笑いながらそう言った後、俺の方を向いて、

モンティ「ほら、トムも遠慮せずどんどん食べてくれよ。代金の事は気にしなさんな」

ブルーピアス「そうそう、気にせんといてや。ボクらついこないだバイトの給料が入ったばかりで不自由してへんし」

モンティ「そういうこった」

上条「あ、うん。ありがとう、それじゃお言葉に甘えて……」

インデックスが食べ始めたのに倣って、俺達も食事を始める事にした。まずは前菜として、目の前にある皿からガーリックトースト(ブルスケッタと言うらしい)を一つとって口に運ぶ。「カリカリのパンにニンニクの風味が程よく馴染んでいて美味い」そうだが……なるほど、これがニンニクの味か。悪くない。

現在俺達がいるのは通りに面したダイナーだ。この店はどうやらアメリカナイズされたイタリア料理が売りらしく、昼時ということもあってか空調のよく効いた広い店内はかなり混み合っている。ブルーピアスの話を聞くに、かなり人気な店のためかいつもは席が全て埋まっている事が多く、今日の俺達はかなりラッキーらしい。

どの料理も、今まで口にして来た病院食よりも味がしっかりしていて、種類も豊富だ。そして、食べるといい気分になる。『美味い』とはこういう感覚の事を言うのか。言葉は知っていても、実際に経験してみないことには分からないものだ。
とにかく、今は食事に専念しよう。あれこれ思案するのはそのあとだ。今のところ記憶喪失もバレていないようだし。記憶を無くす前の俺が成績の悪い劣等生だったかもしれないという事実は少しショックだったが。


ブルーピアス「せっかく食事を楽しんでるとこ邪魔して悪いんやけど、ちなみにこの娘誰なんトミー? ずっと気になっとったんやけど……」
突然ブルーピアスが、白いクリームソースと海老の載った平たいスパゲティ(フェットゥチーネと言うらしい)を食べながら尋ねてきた。「この娘」とはインデックスの事だ。

俺はびっくりして、食べようとしていたキノコのピザの切れ端を取り皿に置いた。お前らの知り合いじゃないのかと訊き返したくなるのを慌ててこらえる。
インデックスが俺の記憶喪失に関係しているという事以外、何も知らない。入院中、彼女が二人と会話する所を幾度となく見かけているが、まるで旧来の友人であるように見えたし実際そう思っていた。まさか初対面だったとは……。インデックスが何者なのか。それは俺自身が一番知りたい事だ。

しかし、彼女の事は何も知らないだなんて正直に言う訳にはいかない。ここで下手な受け答えをすると記憶喪失がバレてしまうだろう。やはりここは、適当な嘘で誤魔化すしかない。

ブルーピアス「やっぱり第12学区の修道院かいな? いくら女日照りやゆうても、流石に尼さんに手を出すのは……」

上条「違うって。こいつは、その……」チラリとインデックスの方に目をやったところ、食事に夢中でこちらの話に注意は向いていない様子。これなら小声でなくても大丈夫だろう。

上条「イギリスにいる親戚の子で、訳あってここで預かることになってるんだ」

ブルーピアス「イギリスに親戚なんていたんかいな? アメリカと日本に親戚がいるとは前々から聞いとったけど」

上条「つい最近見つかったんだよそれが! 長らく音信不通だったんだけどさ……」

反対側の席でフリットをつまんでいたモンティまで、少し身を乗り出してこちらの話に耳を傾けている。

ブルーピアス「そうかいな。あと、『インデックス』なんて随分とけったいな名前やね」

上条「ペンネームみたいなものさ。この街に来たのも政治的な理由で、命を狙われるから本国にいられなくなっちまったんだよ。だから、こうして偽名を名乗りながら修道女に身をやつすしかなくて……」

俺はもっともらしい表情で言った。

ブルーピアス「ああ、ホンマに……」ブルーピアスは悲しそうな表情でインデックスの方を見やる。うう、少し申し訳なくなってきた。

ブルーピアス「こんな可愛らしい娘がそないな重いモン背負わされるとは……。残酷な話やね」

モンティも頷く。

モンティ「そうだにゃー。これ以上は詮索しない方がこの娘のためになりそうだぜい」

上条「ああ頼むよ。そうしてくれ」

とにかく、これで危機は去ったようだ。と思ったら。

ブルーピアス「けどまあ、安心したわ。一瞬先越された思うたけど、流石に親戚の女の子、しかも貞潔を守らなけりゃならない修道女にまで手を出すほど非常識とは思えんしね。もしそんな事したら大スキャンダル待ったなしや」

上条「なっ……当たり前だろ! そんな事しねぇよ!」まるで俺がとんだ色情魔であるかのような言い草だ。いや、もしかしたらすると、記憶を失う前の俺はそんな人間だったのかも……。

ブルーピアス「いやー、しっかしホンマ羨ましいわぁ……」ブルーピアスは頬杖を突き、ただでさえ細い目をさらに細めながら続ける。

ブルーピアス「トミーは女の子と同棲できて、モンティは童貞卒業。ボクはまだどっちも満たしてへんのに」

それを聞いたモンティはニヤニヤ笑いながら、

モンティ「男の嫉妬ほど見苦しい物はないぜい。まあ落胆せず気長に待つこったな。そのうちいい女の子が見つかるかも」

ブルーピアス「モンティは確か、妹はんで済ませたんやったねぇ……」

モンティの顔から笑みが消えた。
モンティ「お前……一体どこでそれを?!」

上条「え? 妹? 妹ってあの……」

あのマイペースなようで気の強そうな妹が?にわかには想像できない。いやそれよりも、こいつ自分の妹に手を出しているのか……?

モンティ「貴様……まさかあいつに、マーシャに手え出しちゃいねぇよなぁ……?」

ブルーピアス「さあ、どうやろねぇ」ブルーピアスが意地悪そうな笑みを浮かべる。

ブルーピアス「それでもボクかて、流石に実の肉親に手を出すほどにまでは堕ちたくないわぁ。そんなのケダモノと変わらへんもん」

モンティ「おいやめろ、こんな所でそんな話をするんじゃねえ! 人に聞かれたらどうする気だよ!」

実際、辺りを見回してみると、何名かこちらをチラチラ見ているのが見えた。そりゃそうだ。こんな人混みの中で卑猥な話をしていれば嫌でも目立つ。記憶喪失でもそれくらいわかる。

モンティ「さっさと口を噤め似非テキサン! お前が実はネブラスカ出身だって事バラすぞ」

ブルーピアス「ちょっと! それは言わへん約束やろ!」攻守所を変える。今度はブルーピアスの方が慌てる番だ。というか、そこまで知られたくない事なのかよ。

モンティ「呪いってのはヒヨコが巣に帰るようなもんだ。他人を陥れようとする奴はまた他人に陥れられるんだぜい」

ブルーピアス「せや、ブリトーや! ブリトーは無いん? チリフライでもええけど。いや~、やっぱりドクターペッパーに合うのはテクス・メクスやねぇ」

モンティ「今更取り繕おうにもとっくにメッキが剥がれてるんだよ間抜け。あと、いつか覚えておけよ」

ブルーピアス「いやいや、誤解や! ボクは何もしてへんよ?! ただ小耳に挟んだだけで……」

よく分からないが、ただ一つ言える事がある。それは、最初俺が考えていた以上にこの二人が馬鹿らしいという事だ。

インデックス「一体何を話し合ってるの?」

インデックスまで会話に加わろうとしてきた。しかし、とてもじゃないが(まだ幼いとはいえ)レディに聞かせていい内容じゃない。

上条「なんでもないさ。くだらない内容だから」気にしなくていいよ、と言おうとしてインデックスの方に向き直ろうとした時、驚きで思わず目をひん剥いた。
彼女は瞬く間にマルゲリータをーー普通の人間ならそれだけでメイン・ディッシュになるほどの大きさだーー胃袋に収め、すぐさま大盛りのスパゲティ・ペスカトーレへと手を伸ばしている所だった。彼女の周囲には何枚も空いた皿が重ねてある。
目を疑いたくなる光景だ。一体あの小さい体のどこに入ってると言うんだ。

ブルーピアス「わあ、見事な食べっぷりやね! ど? ここの料理気に入ってもらえた?」今度はブルーピアスも参入してきた。彼はようやく論戦の矛先をずらす相手を見つけたようだ。

インデックス「うん! 最高なんだよ!」

ブルーピアス「さいでっか、それは良かったわぁ。ボクもここのピッツァが大好きなんやで。また食べたくなったらいつでも言うてや。いつでも連れてきたげる」

続いてモンティも、一杯ぐいっと呷ると会話に入ってきた。顔が紅潮しているようだ。何杯飲んだんだろう。

モンティ「おい見ろよ、こいつ今度は年下のシスター口説き出したぜい。止めなくていいのかいトミー?」

ブルーピアス「別に口説いてへんわ! アンタはええ加減黙っとれや!」

大食いのシスター、猥談に花を咲かせる「友人」、実の兄と……いや、想像したくもない。
現在俺にとって知り合いと呼べる人間は、いずれもまともとは到底言えない奴らばっかりだ。かつての俺の友人がたまたまおかしな奴ばかりだったのか、あるいはこの街の住民がどれも変人揃いなのか。頭がおかしくなりそうだ。
俺に出来る事といえば、悩ましげに右肘をつきながらこう呟く事だけだった。

上条「訳が分からない……」

食事が始まって、20分ほど経っただろうか。
テーブルの上に残されたのは空になったたくさんの食器。インデックスが平らげている最中のティラミスを除けば、料理はほとんど残っていない。
現在席に残っているのは、彼女と俺とモンティの三人だけだ。ブルーピアスは途中で離脱した。なんでも午後からチームの練習があるとの事。モンティによると、すでに代金は徴収してあるから心配しなくてもいいそうだが、言った本人はすっかり酔い潰れ、テーブルに突っ伏して高いびきをかいているのでどこまで信じていいのやら。そもそもこいつ未成年じゃなかったっけ?

それに、テーブルを埋め尽くすほどの料理である。いくら金銭的に余裕があるからって、一学生が負担するにはちと重すぎやしないか? やっぱり俺も、お礼の意味を兼ねて少しはお金を出そうと思い始めた時、デザートを完食したインデックスが言った。


インデックス「ねぇトーマ、まだ他にはないの、料理?」

上条「いや、もうないけど……。だってもう食べたじゃん」

次に彼女の口から出た言葉に、俺は思わず耳を疑った。

インデックス「ちょっと少なかったかも。もう少し食べたいな」

いきなりとんでもない事を言い出しやがった。どの料理もボリュームがすごく、普通なら二、三品食べただけで満腹にならなければおかしいというのに。第一、全て合わせればかなりの金額になるだろう。

上条「誰よりも食ったくせに何言ってんだよ。一人だけデザートまで食べたんだからもう満足だろ」

インデックス「正直あれじゃまだ食べ足りないよ! あと二、三品は欲しいんだよ!」

上条「お前、これ全部でいくらになるのか分かってるのか? 多分相当だぞ! ただでさえこんなにご馳走になったってのに、これ以上わがまま言って迷惑かける気かよ!」

するとインデックスは不満げに口を尖らせた。しかし、ここで引き下がる訳にはいかない。なんとしてでも思いとどまらせなくては……。

上条「なんだよその顔は。俺が何か間違った事言った? 第一、修道女を名乗っている以上、もう少し禁欲的に生きるべきじゃないのか? 十字教(Crossianity)では強欲と暴食は固く戒められているはずだろ」

インデックス「あくまでも修行中の身だから完全なる聖人の振る舞いは出来ないよ」

上条「屁理屈こねるなよ!」

インデックス「じゃあ一品だけ! 一品だけならいいでしょ?」

上条「だーめですっ! 帰りに何か買ってやるからそれまで我慢! OK?」

インデックス「トーマ」急に声が低くなった。喋り方も先程までとは打って変わって静かだ。
様子がおかしいと思って身構えていると、インデックスは犬歯を剥き出しにし、こちらを睨みつけながら唸るように言った。

インデックス「十字教において、癇癪を起こす事が固く戒められているのも事実。でも、私はあくまでも『修行の身』だからね?」

その時俺の頭をよぎったのは、病院で彼女と初めて会った時の事だった。おまけに今度は食事中ときている。前よりももっと酷い目に遭うかもしれないという事に気付いた時、俺の体は恐怖で震え始めた。


???「あの……」

背後から声がかかったのはそんな時で、俺は一瞬びっくりしてそのまま椅子からずり落ちそうになった。

しかし、割に細い声だったので、それほど恐れる事はないと思い直し、声のした方向を振り向いた。

すぐ真後ろのテーブル席。家畜を満載した貨車のように混み合っている店内の中で、そこだけぽっかりと穴が空いているかのように客がいなかった。否、一人だけいた。

テーブルを挟んで反対側の席に腰掛けた、驚くほど長く、真っ黒な髪の少女がこちらを見ている。彼女は体に巻いた布とショールからなる、ギリシャ神話に登場する女神達のような白い服を着ている。
長い黒髪に古代ギリシャの服装。これだけでも随分と周囲から浮いて見えるのに、彼女をさらに目立たせていたのはその容姿だった。

少女の顔は、ぱっと見た限りでも目鼻立ちがかなり整っているようだ。その瞳は髪と同様に黒く、眠たげながらも澄み切っている。瞳と髪の黒が、透き通るほどに白い肌と鮮やかなコントラストを成す。美人というのはこういう人の事を言うのだろう。

端麗と言ってよさそうな容姿に、浮世離れした衣装(こんな格好の人間がそうそういないという事くらい、俺にも分かる)が加わってかなり近寄りがたい印象を与えている。それが、この席だけ空いている原因だろう。

???「注文したピッツァ。私一人では食べきれないから。もしよかったらどうぞ」

そう言って(あたかも文章の切れ目にピリオドが打たれているかのように区切りながら話す、変わった喋り方だ)、少女が指差したテーブルの上には優に直径40cmはあろうかと思われる大振りのピッツァが載っている。それも、分厚い生地に具がぎっしりと詰まった所謂「シカゴタイプ」という奴だ。切れ目が少ししか入ってない所を見るに、どうやら数切れ食べただけでギブアップしたらしい。見ているだけで胃もたれを起こしそうな代物だ。

上条「いえいえ、こちらの事はどうぞお気になさらず……」

せっかくの申し出だったが、俺は丁重にお断りする事にした。ピッツァのボリュームに恐れをなした訳ではなく、人様の物をもらうというのは気が引けたからである。こいつだって、幾ら大食いだからって流石にそこまで食い意地が張っている訳ではないだろうし……

インデックス「本当に?! ありがとう! お言葉に甘えて頂戴させてもらうんだよ!」

言うが早いか、インデックスはあっという間に少女の反対側の席に移った。
どうやら俺の認識が甘かったらしい。

上条「いやぁ……すみませんね、どうも」

>>96 ありがとうございます

上条「『食い倒れた』?」俺がそう訊ねると、反対側に座る古代ギリシャ少女はコクリと頷いた。

 現在俺達は、飲み物だけ持って彼女の席に移っている。俺の右隣では、インデックスが無我夢中でピッツァを平らげている。後から来る客の迷惑になるといけないので、モンティも少女の右隣に移動させたが、相変わらず眠り続けている。どれだけ呑んだんだか。

上条「それって、食べ過ぎで動けないって意味? それとも金銭的な意味で……」

???「その両方。食べ過ぎで動けないし。お金ももうない」
 そう言って少女は、インデックスの方を向いた。俺も続いてそちらを向く。
 相変わらずインデックスの食欲はとどまる事を知らない。あれほど大きかったピッツァは、瞬く間に半分ほど彼女の口の中に消えていった。

上条「じゃあ、せめて俺がピッツァ代を払うよ。連れがご馳走になった訳だし」

???「大丈夫。どうぞお気になさらず」

上条「そうは言っても、申し訳ないよ。第一、メニューによるとこれ、一番値が張る奴みたいじゃないか」

???「全部の料理が半額になるお得用の割引券。これ一杯持ってるから」

 彼女はそう言って、何枚にも綴られた切り離し式の紙の券を懐から取り出し、ひらひらと振って見せた。

上条「ああ、なるほどね。と言うか、そんな便利な物あったんだな」

???「貰えるのは。常連さんだけ。後は友達にお店を紹介した時の特典など」

 彼女と会話をしてみて分かった事が二つある。一つ目は、彼女が自分とほぼ同い年らしいという事。二つ目は、お互いに今回が初対面のようだという事だ。
 もし記憶を失う前に何らかの形で付き合いがあった場合は、不審に思われないよう細心の注意を払わなくてはならない。それ以前の人間関係がどのようなものだったのか、全く分からないからだ。誰が家族で誰が友達なのか。
 しかし、過去に面識が一度もなかったとなれば話は別だ。あまり言葉選びに神経を使う必要はない。どちらにせよ初めての出会いである事には変わりはないからだ。

上条「それで……君はなんでそんな事になったのかな?」
 とはいえ、お互い出会って間もなく、相手の事を何も知らないのだから馴れ馴れしい態度は控えてしかるべきだろう。取り敢えず、彼女がこの店で立ち往生する羽目になった経緯について聞いておく事にした。

???「やけ食い」

 やけ食いでわざわざ一番高いピッツァ、それも食い切れない量のやつを頼むだなんて。この女も馬鹿なのか?

上条「でも、何故やけ食いなんて?」

???「3$。帰りのバス代」

 ギリシャ少女は相変わらず途切れがちに話す。1$を超えている、という事はここから大分離れた場所に住んでいる、という事か。入院中に聞いた話だと、この街の交通機関の運賃はかなり高いらしい。

上条「で、それがやけ食いにどうつながるわけ?」

???「10¢(セント)」

上条「……へ?」話が断片的すぎて、どうもついていけない。少女は、そんな俺に構わず続けた。

???「今の全財産」

上条「どうしてそんなことに?」

???「買いすぎ。無計画」

 無計画な買い物のせいで金欠? 抑揚のない途切れがちな喋り方とあまりにも馬鹿げた内容とがあいまって、頭が変になりそうだ。

上条「えーっと、確か割引券のお陰でこのピッツァは2$80¢になるんだったよな?」俺がそう訊ねると少女はコクリと頷いた。
 ピッツァの通常の価格は5$60¢。2$もあれば映画が見れるご時世に、だ。

上条「つまり、買い物が終わった時には手元に2$90¢しか残っていなかったのでもうバスには乗れない。それでやけくそになり、なけなしの残金も昼食ではたいちゃって、事実上の文無し状態に陥ったと……これで合ってるか?」

 俺がそう確認すると、彼女は再び頷いた。元々無口なのだろうか。危うく口から出かかった「やっぱり馬鹿じゃないか」という言葉を辛うじて飲み込み、なるべく呆れの色も隠しつつ俺は言った。

上条「あのさ、もう少し計画的に生きた方がいいんじゃないかな? いずれ取り返しのつかない事にもなりかねないよ?」

 すると彼女は、黙ったまま俯いた。恥ずかしがっているのだろうか。

上条「取り敢えずさ、トラムなら安いだろうから、何区間かそれに乗って、途中から歩くってのはどうだろう。あるいは誰か親切な人を見つけてお金を借りるとか」

???「——。それは良い案」

上条「おい、なんで急に真っ直ぐこっちを見るんだ」

 顔を上げたギリシャ少女が期待のこもった視線を向ける先には、俺の上着の胸ポケットがある。中からは、革製の二つ折り財布——着替えてからずっと胸ポケットに入っていたもので、今の今まで誰からも何も言われていないから俺の物と見なして問題無いだろう——が顔を覗かせる。
 どうやら俺にバス代を出させるつもりらしい。つくづく呆れた女だ。

 そもそも本当にバス代に使うのか。病院にいた時に「この街には乞食が多いから気を付けた方がいい」と聞いた。彼女もそうなのだろうか。俺はまんまと物乞いの手口に引っかかってしまったのか。あるいは店とグルで、客から必要以上にぼったくろうと言うのか……。嫌な考えばかり頭をよぎる。

 しかし、連れがご馳走になってる以上、強い態度には出られない。

上条「仕方ない、じゃあ俺が出すよ。お礼の意味も兼ねてね。でも、ちょっと待って」

 俺は『自分の』財布の中身を確認する。当然ながら、俺は中に何が入っているのか全く知らないのだ。
 まず最初に、自分名義のクレジットカードを見つけた。これで財布が俺の物だという事が立証された。肝心の小銭や紙幣はどうだろう。隅々まで探したが、結局見つかったのは2$と10¢だけだった。少女の所持金と合わせても2$20¢、目標の金額には程遠い。

上条「ごめん、これしか持ってない」

???「それは残念」

 ギリシャ少女は心底残念そうな表情で再び俯いた。相当落胆している様子。俺は急に申し訳ない気持ちになった。

上条「でも、この後すぐに銀行に立ち寄るつもりだから、それまで待ってくれれば出せるよ」

???「ありがとう。でも。もういいから。自力で歩いてみる」

 納得したような口調とは裏腹に、依然として表情は残念そうなままだ。

上条「なあ、なんでそんなに外を出歩くのが嫌なんだ? 確かに距離があるし、こんなに暑い日は出来るだけ冷房の効いた室内に篭っていたいという気持ちも分かるよ。でも、だからってそこまで嫌がる事は……」

???「最近。この辺りは。治安が悪い」

上条「あー……」

 俺はすぐに納得できた。治安の悪さは、十分外出を避ける動機たり得る。この辺りでは、強盗や婦女暴行が多発しているらしい。否、ここだけじゃない。この街全体でだ。

 最近の世の中の動きが激しい事も、彼女が懸念を抱く理由として挙げられるだろう。入院中、新聞やテレビなどで世相について詳しく知る機会があった。それによると、どうやら俺が入院している間、病院の外でも色々あったようだ。さる7月29日にはヴェトナム・トンキン湾にて展開中の米空母の甲板上で大火災が起きたらしい。31日からはキューバで『中南米人民連帯会議』とかいうのが催されているとか。

 この街も例外じゃない。ちょうど俺が入院した日には人工衛星が何者かに撃ち落とされたそうだし、退院の前日にはロケットの燃料を載せた貨物列車がテロリストに乗っ取られる事件が発生。その時の戦闘によって生じた大量の怪我人が病院に搬送されてきて、人手が足りなくなるということがあった。マーシャに面倒を見てもらったのはこの時だ。おまけに今日は、第10学区というで所で労働者の大規模な賃上げデモがあるらしい。
 どうやら、この街はあまり平和だとは言えないようだ。我ながら、よくこんな所で四年もやってこれたものだと思う。

>>101 訂正箇所がございます。すみません

×第10学区というで所で→○第10学区という所で

 ふと、相変わらず眠りこけているモンティの方へ無意識のうちに視線が向いていた事に気が付き、慌てて頭から邪な考えを振り払った。ダメだ、これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。
 今のうちに、急いで銀行を探そう。そう考え直した時、さっきまで俺の隣で黙々とピッツァを食べていたインデックスが——残すところあとわずか数口分のみだ——突然食事を中断し、ギリシャ少女に話しかけた。

インデックス「私からも少し訊きたい事があるんだけど、いいかな?」

???「うん。何?」

 インデックスの方を向くギリシャ少女。

インデックス「ペプロス(毛織物の布を体に巻き、肩でピン留めした下着兼用の女性用衣服)にヒマティオン(ショール型の外衣)……古代ギリシャの民族衣装を纏っているけれど、あなたはピューティアなの?」

 聞き慣れない単語が幾つか出てきた。俺はインデックスの肩を小突いて尋ねた。

トーマス「あの……ピューティアって何? そもそもペプロスとヒマティオンて?」

インデックス「こういう服の事。ピューティアって言うのは、デルフォイのアポロン神殿に仕えて、神託を人々に伝える役目を負った女性神官達の事だよ。シビュラとも呼ばれるけどね。彼女達の神託は、時に政治を左右するほどの権威を持っていたんだよ」

上条「なるほど、巫女さんね」

 俺はインデックスの知識に感心すると同時に、そんな大昔の存在が今でもいるという事に驚いた。古代ギリシャの巫女さんが現代の、こんな街中にいるだなんてとても信じられない。

???「……違う。私は預言したりしない」

 ギリシャ少女は首を横に振って言った。


???「私。魔法使い」

>>103 再び訂正箇所がございます。何度も申し訳ありません

×トーマス「あの……ピューティアって何?→○上条「あの……ピューティアって何?

 思いがけない発言だった。席を沈黙が支配し、聞こえるのは周囲の話し声と有線放送の音楽のみだ。少なくとも俺にはそう感じられた。俺は暫く彼女の話した内容について考え、そして結論づけた。
 ああなるほど、頭が少し気の毒な事になっている娘なんだな。そう考えれば、先ほどまでの突飛な言動にも納得が行く。ただ夢見がちなだけかもしれないが、だとしてもこんな格好でこんな事を言うのはちょっとどころじゃなくおかしい。あまり関わり合いにならない方が良さそうだ。
 よし決めた。さっさと銀行を見つけてお金を下ろして——いくら預金があるのか、そもそも口座があるのかすら不明だが——この娘に交通費とピッツァ代を渡し、早いところお引き取り願おう。だがその前に、まずは彼女が逃げてきたであろう病院に連絡を入れなくては。
 そう決意を固めた俺が、彼女のいた病院の名前、さらに彼女自身の名前も訊こうとした時だ。

インデックス「奇遇だね。どうやら私も魔術師らしいんだよ」

 俺はギョッとしてインデックスの方を向いた。彼女はそんな事にはお構いなしに、ピッツァの最後の一切れを口に放り込みながらギリシャ少女に尋ねた。

インデックス「一口に魔術師と言っても色々いるけど、あなたの宗派はどこ? 私はイギリス清教所属なんだよ」

???「私は。特に属している宗派はない。フリーの魔法使い」

インデックス「それは変だよ。何らかの信仰に基づかないと魔術は使えないんだから。あなたの場合、その衣装を見るにギリシャ・ローマ系の新異教主義(ネオ・ペイガニズム)って事でいいのかな?」

 二人の常軌を逸した会話に俺の入る余地はなかった。何を話しているのか全く理解不能だが、入院が必要な患者は一人だけではないという事だけは分かった。そう言えば、こいつも出会い頭に噛み付いて来たっけ。そもそも修道服が白いという時点で疑うべきだったのかもしれない。第一、十字教においては魔術の使用は禁止されていたはずだ。聖書を百遍ほど読み返して来い。

 いや、もしかすると俺も頭がおかしいのかもしれない。入院中に聞いた、俺が『記憶を失う』事になった経緯。確か、魔術がどうとか言ってたな。もしその発言が俺に配慮したものだとしたら? 記憶を失う前の俺が魔法の類を平気で信じているような人間で、今でも完治していないのだとしたら? そもそも記憶を失ったのが脳を治療した結果だとしたら? 医師は脳そのものが破壊されたと言った。それに、前頭葉を切り出して精神疾患を治すロボトミーという治療法があるらしい。俺もそれと同じで、どうしても手の施しようがないから脳の狂った部分だけ摘出されたとか……?
 背筋が寒くなった。改めて、自分の事を何も知らないという事がいかに恐ろしい事か実感させられた。
 そんな俺の不安をよそに二人は会話に没頭している。インデックスに至っては興奮しているようだ。そろそろ止めなくては。周囲の目も気になり出したところだし。実際、周りの客が何事かとばかりに、こちらへ視線を注いでいる。
 嫌だ、俺は狂人なんかじゃない! 俺はたまりかねて立ち上がった。

上条「お前ら、良い加減に……」




「「「全員動くな! 命が惜しかったら言う通りにするんだ!」」」

おつ

>>107 ありがとうございます

 鋭い声が響いた途端、店内が一瞬静まり返ったと思ったら、再びそれまで以上に騒然とし始めた。何事かと思い、俺は声のした方向を振り返った。広い店内の真ん中に、三人の白人の男が立っているのが見えた。 三人はいずれも拳銃や自動小銃で武装しており、中でも俺から見て左端にいるスキンヘッドで筋肉隆々とした大男は大きなガトリング銃を担いでいる。また、三人の足元には大きな麻袋がある。

男1「この店は我々が占拠した。現在我々は、訳あってこの街の警察組織に追われる身だが、生憎逃げるための手段がない……。そこで、諸君らには逃走用の足が見つかるまでの間人質になってもらおう。我々の邪魔をしないのなら、諸君らに危害は加えないから安心してくれ」

 中央の男が声高らかにそう告げた。男は背が高くて目つきが鋭く、長い黒髪だ。恐らくこいつがリーダー格だろう。
 リーダーらしき男が宣言しても、店内は静かになるどころかより一層騒がしくなるばかりだ。三人組に向かって猛抗議するものもいれば泣き出すものもおり、人々の反応は様々である。

男2「うるせぇ、静かにしないと殺すぞ! 俺達は本気だ!」

 すると今度は、その右隣にいたやや背が低くて少し顔立ちが幼く、栗色の短い髪をした少年が前に出て、天井に向けて自動小銃を撃ちながら言った。まだ声変わりしてないようだし、多分こいつが最年少だろう。
 一番若そうな童顔の少年が銃をぶっ放した途端、店内は再び静かになった。

男2「今度許可なく喋ったら、こいつを眉間にぶち込むからな」

男1「全員手を頭の後ろで組み、床に跪け!」

 リーダーらしき男が命じると、言われるままに手を頭の後ろで組んで床に跪いていく客達。

男1「全員床に膝を突いたか? よし、しばらくそのままでいろよ。俺はこれから店主と話をしてくるから、くれぐれも変な気を起こすんじゃないぞ」

 店内を見渡してそう言ったリーダーらしき男は、客達に銃を向けながら店の奥へと消えて行った。残った男二人のうち、童顔の方は銃を構えながら客席の間を巡回して見張りを行い、少しでも立ち上がったり歩こうとした者がいれば銃口を向けて威嚇している。スキンヘッドの方は麻袋の番をしている。

 俺はしばらく状況を掴めずにいたが、ここに来てようやく自分達が犯罪に巻き込まれたのだと理解できた。相手はテロリストか。いや、麻袋を持っているところを見ると、銀行強盗かな。袋には引き出す予定だった俺の財産も入っているかもしれない。
 やり方によっては回避できただろう。例えば、店内で流れるラジオ放送に注意深く耳を傾けていれば、ニュースに気付いたかもしれない。また、食べ終わった後にインデックスのわがままを聞かず、そのまま店を後にしていれば巻き込まれずに済んだかもしれない。いずれにせよ、どんなに悔やんだところで今となっては後の祭りだが。やれやれ、退院したばかりだと言うのにとんだ災難だ。

???「ねえ。ちょっと君。ちょっとってば」

 突然、誰かが左袖を掴んで引っ張った事で我に返った。左を向くと、袖を引っ張っていたのは古代ギリシャ少女だった。彼女はすでに通路の床に跪いている。そして、彼女のすぐ上を向くと、銃口が目に飛び込んで来た。例の童顔男だ。

上条「ひいっ?! すみません今すぐ跪きますから!」

 素早く横目で右を伺うと、インデックスも跪いているのが見えた。いや、跪くどころか頭を抑えて蹲っているように見える。余程恐怖を感じているのだろう。一方、モンティは熟睡しているという事で見逃されているようだ。
 とにかく、今は逆らわない方が良さそうだな。俺は先程の指示に従おうと椅子から立ち上が…………ろうとしてうっかりバランスを崩して前のめりになり、勢い良く童顔を突き倒してしまった。しかも間が悪い事に、ちょうど童顔の顔面目掛けて頭突きをかます体勢だった。
 マズイ、と思った時にはすでに手遅れだった。

男2「痛え……よくもやりやがったな貴様!」

 激昂した童顔は鼻血を滴らせながら立ち上がり、銃口を俺の胸に押し付けて来た。怒りで歪んだ顔はすっかり真っ赤になっており、今すぐにでも引き金を引きかねない剣幕だ。命令に従わなかった事も合わせて、俺に虚仮にされたとでも思っているのだろう。

上条「いや違うんですよ! これは不慮の事故ってヤツでして……」

男2「不慮の事故だぁ? じゃあなんで顔に当たるんだよ! 大方『こいつ餓鬼っぽいから何やっても事故だとか適当に言っとけば誤魔化せそうだな』とでも考えてたんだろうが! 人のコンプレックスを馬鹿にしやがってこの野郎!」

 俺は必死で弁解したが、聞く耳を持ってくれそうにない。それどころか、かえって火に油を注いでしまったようだ。見かけによらず、頭に血が上りやすい質らしい。

男2「こいつ、どこまでも舐めくさった口利きやがって!」

 突然左頬に強い衝撃を感じたと思ったら、次の瞬間には仰向けで床に倒れており、額に銃口を突きつけられていた。口の中に病院内で幾度となく嗅いだ血の臭いが広がりはじめた事で、ようやく自分が銃床で殴り倒されたのだということを理解できた。

 一連のやりとりを受けて、店内は再び騒然とし始めたが、

男2「騒ぐな! 死にてえのか!」

 童顔が再び天井目掛けて銃をぶっ放して威嚇すると、瞬く間に静かになった。

???「ねえ。危害を加えないって話は……」

男2「あくまでも『邪魔をしなければ』の話だ。その約束を、こいつは自分から反故にした。外野の分際でこれ以上余計な口出しするならアンタも容赦しねえぞ」

 そう言って童顔は、恐る恐る尋ねてきた古代ギリシャ少女を睨み付けて黙らせ、再び銃口を俺に向けた。
 一連の会話から、ただではすまなさそうだという事は容易に理解できたが、それでも一応念のために訊いてみる事にした。

上条「あの……これからどうなさるおつもりで?」

男2「さっき警告した通りだ。見せしめとしてお前を殺す」童顔は冷たい声でそう宣言した。

男2「『風紀委員(ジュジュマン)』の回し者なのかどうか知らないが、銃を持った相手にここまでしたんだ。当然覚悟は出来ているんだろ?」

 言葉の端々から殺意が強くにじみ出ている。ああ、これは本当に死ぬな。しかし、病室に正体不明な大男が現れた時とは異なり、不思議と恐怖は湧かなかった。いや、『湧く暇がなかった』と言うべきか。俺のすぐ近くには女の子が二人いる。俺の命一つで彼女達に危害が加えられずに済むというのなら安い物だ。
 でも、たった5日とは……短い人生だったな。セミやカゲロウの方がまだマシだ。もう少し長生きして、色々な事を知りたかったが、どうやらその願いは叶いそうにない。あのインデックスという少女が俺に好意を寄せているらしいという事だけが残念だ。ごめんな、インデックスちゃん。君を悲しませないという約束を守れなくて。
 俺は観念して、目を閉じようとした……が、すぐにまた見開く事になった。

インデックス「やめてよ! 今すぐトーマから離れて!」

 突然インデックスが童顔に飛びかかったのだ。彼女は童顔の持っている銃を両手で掴み、そのまま取り上げようと格闘している。俺を守ろうとしてくれているらしい。

男2「何しやがる! このチビ!」

 童顔はインデックスを突き飛ばし、尻餅をついた彼女の方に銃を向けた。

男2「ちゃんと警告はしてやったからな。そんなに死にたけりゃあ、お望み通りまずテメエから……」そう言ってゆっくりと引き金に指をかける。

上条「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」

 我ながら驚くべきスピードだった。童顔が何をしようとしているのかに気付くや否や、俺は瞬時に起き上がり、そのまま走り出していた。俺にとってどのような存在なのか知らないが、身を挺して自分を守ろうとしてくれた少女を見捨てるわけにはいかない。
 一瞬の出来事であったはずなのに、一連の動作はひどくゆっくりに感じられた。それでも、このままだと俺がインデックスのもとに着くまでに引き金が完全に引かれてしまうのは確実だという事だけは分かる。頼む、間に合ってくれ。

 ——と、だしぬけに脇から短くて淡い栗色の髪をした少女が飛び出してきて、童顔とインデックスの間に立ちふさがった。俺はびっくりして一瞬その場で立ち止まった。
 その一瞬がまずかった。童顔も驚いたようだが、すでに引き金が引かれてしまっていた。
 気付いた時にはもう手遅れだった。
 銃声が轟いた瞬間、少女はインデックスを抱きかかえたまま数m後ろに吹っ飛ばされた。

おつ

>>113 ありがとうございます
 一瞬だけ店内を沈黙が支配した。が、次の瞬間にはあちこちで悲鳴が上がった。店内は瞬く間にパニックに陥ったが、今度は誰も止めなかった。当の童顔は、自分のしでかした事に自分でショックを受けているようだ。

上条「嘘……そんな……」

 俺にはまだ目の前で起きた事が信じられなかった。しかし、事実二人の少女は、床に仰向けで倒れたままピクリとも動かずにいる。わざわざ確かめるまでもなかった。あんな至近距離で撃たれたんだから。
 モンティを起こし、インデックスも連れてもっと早く店を後にしていれば。昼食の誘いを断っていれば。そもそも、自分が記憶喪失だとはっきり告白していれば。しかし、どんなに悔やんだところでもう手遅れだった。『すまなかった、申し訳なかった』というレベルじゃない。『存在しなければよかった』という思い。これが罪悪感かな。
 二人は俺の身代わりとして死んだ。そう考えると頭がおかしくなりそうで、なるべくその事実から目を逸らしたかった。しかし、そのような罪悪感と自己嫌悪の感情は瞬く間に燃えるような怒りに変わっていった。その怒りは、今も『信じられない』とでも言いたげな表情で震えている童顔野郎に向かった。

上条「この人殺し野郎が!」

 俺は両手の拳をぐっと硬く握りしめて童顔の方に歩き出した。殴るなり銃を奪うなりして殺してしまうかもしれなかった。こいつさえいなければ、彼女達が命を落とす事はなかったのだ。
 童顔は俺の姿を認めて一瞬怯んだが、すぐに元の威勢を取り戻して銃口を向けてきた。声が上ずっていたが。

男2「そ、それ以上近付くなっ! さもないとこいつらみたいに……」



「誰みたいに、ですって?」

 え? と思った次の瞬間、童顔の構えていた銃がものすごい速さで床に落ち、ガーンと大きな音を立ててぶつかった。いや、吸い寄せられたと言った方がいい。その勢いはかなりのもので、童顔はそのまま両手を銃と床の間に挟まれてしまった。

男2「ぐあっ! かっ、痛えええ! 指が折れたぁっ!」

 銃を離し、手を押さえて悶絶する童顔。

少女「二人も殺しておいて、さらに罪を重ねようとは見上げた度胸だわ……」

 声のした方向を見て、俺はさらに驚いた。

少女「まっ、死んでないんだけどね」

 ついさっきまで死んだと思われていた女の子が上半身を起こしていた。彼女はさらに、隣で倒れていたインデックスに声をかける。

少女「大丈夫? 怪我してない?」

インデックス「おかげさまで何ともないんだよ。ありがとう」

 驚くべき事に、二人とも生きていた。血が少しも流れていない時点で気付くべきだったかもしれない。

少女「そう、それはよかった」

 少女はそう言って、すっくと立ち上がった。薄茶色の瞳をしたその娘は目鼻立ちの整った顔をしており、傍目にも美人に見えるが、少し日焼けしていて活発な印象も与える。身長は5フィートより少し高いようであり、筋肉質で引き締まった体つきをしている。また、彼女は灰色のプリーツスカートに半袖のブラウス、そしてその上に袖無しのサマーセーターを着ていた。どこかの制服なのだろうか。
 彼女の体には、傷一つなかった。銃弾はかすりもしなかったようだ。しかし、あの距離では躱す暇などなかったはず。
 驚きに満ちた表情をしながら周りで成り行きを見守っている他の客も、多分俺と同じ事を考えているだろう。どうやって銃弾から身を守ったのかと。

 少女はそんな観衆の疑問にも答えるかのように、床に蹲ったままこちらを恐怖に満ちた表情で見ている童顔に向かって言った。

少女「どうして無事だったのか知りたい? 特別に教えてあげるわ。種明かししたところで何か有効な対策を取れるわけじゃなさそうだしね。
 簡単な事よ。まず斥力で弾道を逸らした。ほら、銃弾に使われる鉛って反磁性体でしょ? だからこの辺りに磁場を発生させた。磁力に反発して銃弾が逸れたというわけ。次に床に電流を流し、床そのものを電磁石にしたのよ。銃身は磁石に良くくっ付く鋼鉄製だからね。この建物が鉄筋コンクリート造で本当に助かったわ」

 少女はそう言って辺りの床を指し示した。フォークやナイフなどの金属製品が散らばったり突き刺さっている。

男2「そ、そんな馬鹿な話……」

 少女は童顔の方へ歩み寄りながら続けた。

少女「そう思うのも無理はないかもね、すごく高度な技術が必要だもの。周囲への影響をいかに抑えるか。引き寄せられた金属製品で誰かが怪我してもいけないしね。そのためには、どれほどの範囲と力が必要か精密に演算しなければならない。これと同じ事をするためには莫大な電力や大掛かりな設備が必要になるだろうし、発生した磁界が周りへ与える被害も計り知れない。実際、なかなか骨の折れる作業よ。でもね」

 少女はそう言ってニヤリと不敵な笑みを浮かべた。



少女「仮にも『電撃使い(エレクトロマスター)』の中で唯一の『L5』である以上、これくらい余裕で出来ないと話にならない……そうでしょ?」

>>117 ありがとうございます

 童顔が何か言おうとしたが、

少女「説明はここまで。しばらくおねんねしましょーね」

少女が彼の額に触れた途端、糸が切れた人形のようにクタッと倒れた。

 『L5』という単語が彼女の口から出た途端、先ほどまで静まりかえっていた店内は再びざわつき始めた。それも無理からぬ事だった。俺も、目の前の少女に対して胸の動悸を静められずにいる。とんでもない相手と出くわしてしまったという、圧倒的な恐怖感。それが俺の心の中のほとんどを占めていた。

 まずは、『L5』という言葉の何たるかについて説明しなければならないだろう。もっとも、俺も病院でごく基本的な話を聞いただけなので、説明も簡単な物だ。このアカデミック・シティが超能力者の街だという事は先に説明した通り。しかし、みんながみんな強い力を持っているわけではない。街の全人口230万人のうち、超能力開発を受けた学生は約8割、180万人ほどだ。その中でも約6割は、全く能力がないか、あってもほとんど発現しない者である。

 この街の超能力者は、その強さに応じて0から5までの6等級に分けられていて、どういうわけかフランス語で呼ばれている。全体の6割を占める『無能力者(アンカパシテ)』L0(LとはLevelの略だ)、せいぜいスプーンを触れずに曲げるくらいしかできない『低能力者(フェーブル)』L1、と言った具合に。その中で最強とされ、唯一『超能力者(シュルナテュレル)』を名乗る事が許されているのが(外で言う『超能力者』は、ここでは一般的に『能力者』と呼ばれる)彼女達L5である。

 何がすごいかと言うと、まずその希少性が挙げられるだろう。能力者は、等級が上がるのに反比例して人数もどんどん減っていくのだが、L5ほどにもなると街全体でたった7人しかいないと言う。180万からなるピラミッドの頂点に君臨する7人。

 L5がすごいのは数の少なさだけじゃない。その強さも図抜けている。L5の定義は『単独で軍隊と戦える程の、人を超える強力な能力』らしい。どれくらい強いかと言うと、7人だけで北米州の安全保障が全て賄えるほどとか。たった7人だけで、だ。ここまで来るともはや人間なのかすら怪しい。
 てっきり今後の人生の中で一度もお近づきになることはないとばかり考えていただけに、退院初日に、こんなところでばったり遭遇する事になったのが信じられない。しかも、目の前の明らかに自分より年下の女の子だが、だ。


 ちなみに俺はL0、つまり無能力者らしい。特別な力を何も持たないのは、自分でも実感できる。いくら力んでも何も出ないのがその証拠だ。それでも、初めて聞かされた時は少し残念に思った。
 しかし、今はそんな悠長な事を考えている暇はない。あの攻撃の矛先が今にも自分に向いたらと考えるとぞっとする。なるべく機嫌を損ねないようにしなければ……。

 すると、少女が突然俺の方を向いた。

少女「さっきは危ないところだったわ。相変わらず無茶な事をするのね、丸腰だってのに。お節介なところは昔からね」

 急に何を言い出すんだこの女は。俺のそんな戸惑いにも構わず、少女は腰に手を当てながら続けた。

少女「それにしても、こんなところで鉢合わせるとは奇遇ね。アンタもランチを食べに来たの? ここのピッツァは美味しいものね」

 まるで親しい友達にでも話しかけるような口調だ。過去の俺と面識があったのだろうか。だとしても、俺は向こうの事をなに一つとして知らないわけで、急にそんな事を言われても困る。
 かと言って、『俺の事を知っているのか?』だなんて 尋ねるわけにもいかなかった。もし本当に『前の俺』と知り合いだった場合、記憶喪失が一発で露呈する事となる。どう受け答えしたものか全く分からない俺の事など一向に意に介さず、彼女の話は続く。

少女「しかし本当についてないわね。ただ食事しようとしただけでこんな面倒に巻き込まれて。トーマス・カミジョーの行くところトラブル有り、なんてね」

 俺の名前を知っていた。もうこれで知り合いだった事は確定だ。もっとも、俺からすれば初対面だが。
 しかし、今は初対面の女の子が自分の事を知っていた事よりも、むしろ女の子の背後から片手でガトリング銃を構えた大男が接近している事の方が最大の懸案事項になりつつあった。
 少女はそんな事にはお構いなしに喋り続けている。

少女「困るわよねぇ。これじゃあおちおちカフェオレも飲めやしないわ」

上条「いや、それよりも後ろ……」

男3「動くな」

 遅かった。注意を促そうとした瞬間、少女の背中に銃口が突きつけられ、彼女はそこでようやく後ろを振り向いた。

少女「あら、てっきり口が利けないのかと思ってたけど喋れたんだ。声も想像していたほど低くないし……それはひょっとしてM134ミニガン? 本土じゃ軽量化に失敗したって聞いてたけどね」

 しかし、それでもなお余裕綽々としている。と、少女は再び俺の方を向いて言った。

少女「店内にいる人達、今から全員避難させなさい」

上条「へ? でも、なんで……」

少女「ここにいたら危ないからよ」

 逆らわない方がよさそうだ。俺は言われた通り、周りに向かって呼び掛けた。

上条「みなさーん! ここにいたら危険だそうなので、早急に避難してくださーい!」

 意外な事に、客達は指示に素直に従ってくれた。俺と同様、少女の実力を目で見て思い知ったからだろうか。

男3「おい! 勝手な事をするんじゃ……」

 大男が銃を発射しようとした瞬間、その前に少女が立ちはだかった。

少女「ちょっと! 用があるのは私でしょ?」

 どうやらあっちは任せっきりでよさそうだ。俺はインデックス達を真っ先に連れ出してから、急いで店の出入り口付近の通路に移動し、整然と並んだ客達を誘導した。店員達も手伝ってくれた。
 とにかく、迅速に済ませるべきだろう。大変な事が起こる前に。

男1「さっきから、何の騒ぎだ?」

 その時、店の奥からリーダー格が戻ってきた。


男1「店の裏に宅配用のバンが停めてあるらしい。連れて行く人質を選んだら、それに乗ってさっさとずらか……おやおや」

 リーダー格はすぐに自分の仲間に誰が何をしたのか見て取ったらしく、銃を構えながら少女の方へ近づいた。

男1「『超電磁砲(カノン・ア・ライユ)』だな?」

少女「あら、よくご存知で。でも、出来れば本名で呼んで欲しいわね」少女はリーダー格の方を向きながら言った。

少女「あいにく私には、ミカエラ・ミシェル・モハカというちゃんとした名前があるのよ」

モブ1「『超電磁砲』だって?!」

モブ2「ミカエラ・ミシェル・モハカって、エヴァーグリーン・プラトーの?」

 二人のやりとりを聞くや否や、それまでちゃんと列を作っていた客達は俺や店員達をはねのけて我先にと出口へ殺到した。どうやらこの娘はかなりの有名人で、相当恐れられているらしい。

男1「それは失礼、以後気をつけるよ。それと、うちの馬鹿がとんだ粗相をしちまったようで済まなかった。まさか第三位様御用達の店だとは思わなかったんだ。こうと知っていれば、別の所にしたのに」

ミカエラ・モハカ(御坂美琴)「全くだわ。部下の教育がなってないんじゃないの? せっかくの『ニガウリとエスカルゴの悪魔風ラザニア』が冷めちゃったじゃない」

 ミカエラ・モハカと名乗った少女は、さも不機嫌そうにその可愛らしい鼻をフンと鳴らして見せた。

男1「後できつく言っておくからそれで勘弁してくれ……さて、お次はアンタの番だぜ、ミス・モハカ?」

ミカエラ「何が?」

男1「これは一体、どういう事か説明してもらおうか」

 リーダー格はそう言って、手に構えた銃で床に転がっている部下を指し示した。表情は険しくなり、心なしか口調に怒りがこもっているようだ。

男1「近頃、あちこちで同志が命を落としているんだが、どう見ても高位の能力者に殺されたとしか思えない死に方をしているんだよ。もしそれがアンタの仕業なら、今ここで謝ってもらわないとな」

ミカエラ「人聞きが悪いわね。それとは一切関係ないし、彼にはちょっと眠ってもらってるだけよ。まあ、指の2、3本は無事じゃ済まなかったかもだけど。心配しなくても、あと何分か待てば病院に連れてってもらえると思うわよ」

 ミカエラ・モハカがそう言うと同時に、遠くからサイレンが聞こえてきた。しかしそれは、入院中に何度も耳にした救急車の物とは違うようだった。

ミカエラ「あら、結構早かったわね。別に通報しなくてもよさそう」

 サイレンを聞いて、二人のテロリストは目に見えて狼狽え始めた。

男1「もう追いついてきやがるとは! 一体どうして……」

ミカエラ「アンタ、こんな時に白昼堂々とあんな事して目立たないとでも思ってるの?」ミカエラ・モハカは、大男がもう片方の手で持ってきた麻袋を手で指し示しながら呆れ顔で言った。

ミカエラ「さっきラジオでアンタ達の事言ってたわよ、隣の学区で現金輸送車を襲撃した強盗三人組がこの辺りに逃げ込んだってね。今頃しらみつぶしに捜しているはずよ。もう諦めた方がいいんじゃない?」

 やっぱりラジオのニュースか。もう少し注意深く聞いておけばよかったな。

男1「そうはいかん。この金は、罪なき人民から不当に搾取した膏血。だから」

ミカエラ「『正当な持ち主の元に返さないといけない』。アンタ達が言いたい事はもう大体分かってるのよ。昨日燃料を分捕ろうとした奴も大義のためとかほざいてたし。でも」そこで彼女は、軽蔑するかのように目を細めた。

ミカエラ「不当な手段で人からお金を奪い、全く無関係の他人の命を平気で危険に晒せる連中に大義なんてあるとは思えないわね」

 仲間を傷つけられた挙句、自分達のしている事にケチをつけられたので頭に来たのか、リーダー格はギリ、と歯ぎしりした。

男1「話が平行線だ。どうやら、お互いに分かり合えそうにないな、ミス・モハカ。所詮お前らは支配階級、俺達『持たざる者』の苦悩など理解出来やしない」

ミカエラ「まさか! 理解はしているつもりよ、人並みにはね。私はただ」ミカエラ・モハカの額からバチッと小さな火花が出た。

ミカエラ「アンタ達みたいな連中が気に入らない。それだけよ」

 すでに店員達もあらかた店外に脱出していた。俺もすぐ外に出るべきだったのだろうが、少女とテロリスト達の会話をもう少し聞いてみたいという衝動の方が勝っていた。

男1「おいサイモン」リーダー格は大男に向かって言った。

男1「俺はこれから車を取りに行く。そこで倒れてるジョニーも連れてな。店の玄関に停めるまでの間、こいつを足止めしてくれ」

 そろそろだな。その後の展開が気になるが、命には替えられない。これ以上の長居は無用。そう思って俺も逃げようとした時、

ミカエラ「あら、逃がすとでも?」

 そう言ってミカエラ・モハカが足を踏み鳴らすと、突然天井から見るからに頑丈そうな防火シャッターがモーター音とともにするすると降りて来て、瞬く間に出入り口を完全に閉鎖してしまった。遅かった! 周りを見回すと、窓にも小さな鎧戸が降りつつあった。

ミカエラ「最新の全自動セキュリティーシステム、ちなみに電動よ。最近この辺りの店はどこも防犯に力を入れているからね。タイミングも悪けりゃ場所も悪かったのよアンタ達」

 そう言って彼女は厨房の方を指差した。その先では、格子状のシャッターが店の奥に通じる通路の上に降りつつあった。

男1「クソッ!」

 リーダー格は毒づくと、床に伸びていた仲間を抱え上げ、勢い良くシャッターの隙間から滑り込んだ。意外と仲間思いのようだ。

男1「出来る限り長く食い止めろ! 脱出口も確保しておけよ! いいな!」そう命じてリーダー格が店の奥へ消えて行ったのを合図に、大男は近くにあったテーブルを台座にしてガトリング銃をモハカに向けて構え直した。
 そこまではいい。さっきまでの一連の出来事を見る限り、彼女にはどんな銃も効かないだろうから。問題は、どういうわけか大男から見て彼女とだいたい同じ方向に俺もいるという事だ。二人の距離はせいぜい15mほどだろう。

ミカエラ「いくら軽量化したとは言え、やっぱり支えがないと一人じゃ扱えないのね。わざわざそんなデカブツせっせと持ち歩いてたなんてご苦労な事だわ。ま、どっちにしろ私には……」

 そう言いながらこちらを振り向いた時、彼女の顔から余裕に満ちた笑みが消えた。俺が中に取り残された事を知って慌てているようだ。

ミカエラ「……ちょっと! アンタまだ逃げてなかったの?!」

 その時、大男の構えたガトリング銃がモハカの方を向いたまま目にも留まらぬスピードで回り始めた。

 全て、ごく短い時間のうちに起こった事だった。まず、モハカは近くにあったパン切り包丁を手に取って素早く振り返り、ものすごいスピードでガトリング銃めがけて投げつけた。パン切り包丁は正確に回転部分の隙間に突き刺さり、そのまま引っかかって銃身の回転を止めた。1秒とかからなかったはずだ。
 呆気にとられていたら、彼女はほぼ一瞬で俺のすぐ目の前まで『飛んで』きた。

ミカエラ「じっとして!」

 突然胸の辺りを強い力で抱えられたと思ったら、次の瞬間に俺は宙を舞っていた。俺が飛び立ったすぐ後、さっきまで立っていた床や近くの壁が一瞬で粉々になり、すぐ後ろにあったシャッターまでもがズタボロになった。
 訳も分からないまま、俺は店内の空中をかなりの速度で飛んだ。通過した場所にはことごとく銃弾の雨が降り注ぎ、そこにあったテーブルや食器、調度品の類を塵に変えていった。

 掃射を間一髪で躱しながら、モハカは器用に側転宙返りをしながら店の片隅の物陰まで移動した。俺を抱きかかえたまま。わずか2秒ほどの出来事だった。

ミカエラ「流石、痛みを感じる暇すらなくあの世に逝ける『無痛ガン』と呼ばれるだけの威力はあるわね。あんなの一発でも食らったらおしまいだわ……大丈夫、怪我はない?」

上条「ああ、うん。おかげさまで」

 状況が飲み込めないまま、俺はそう返事するしかなかった。少女は筋力や運動神経も相当な物らしい。電気を自由自在に操れるらしいから、多分地磁気に干渉するなり筋肉に伝わる電気信号をコントロールするなりしていたのだろうが、それでもすぐ目の前で起きた事が信じられなかった。
 おまけに、生きるか死ぬかの瀬戸際だと言うのに彼女はやけに楽しそうにしている。どうやら俺は、とんでもない所に居合わせてしまったみたいだ。

ミカエラ「ねえ、ああいう銃の弱点知ってる?」

 突然尋ねられた。当然ながら、そんな事知るわけがない。そう言うと彼女は、

ミカエラ「幾つかあるんだけど、まず二つ挙げられるわ。まず一つは……」

 その時、銃声が止んだ。それに合わせて、相手に聞こえまいと彼女も声をひそめた。

ミカエラ「……すぐに弾切れになる事よ。1分間で3000発も消費するらしいし、何より本体が重すぎるせいで一度に持ち運べる弾丸の量が限られるからね。それからもう一つは、これから説明するんだけど……」

 言うなり彼女はすぐ近くの壁に触れた。すると、それまで煌々と灯っていた店内の照明が全て消えた。暗闇の中から聞こえるカチャカチャという音から察するに、大男は急な停電に困惑しているようだ。

ミカエラ「助けが必要な時に呼ぶから、それまでここで待ってて」

 俺にそう耳打ちすると、彼女は辺り一面真っ暗だと言うのに立ち上がり、そのまま大男がいた方向へ駆け出した。何も見えないはずなのに自信に満ちた足取りで、実際何かにぶつかったようには見えなかった。
 その時、室内の照明が再び点いた。

ミカエラ「ガトリングガンのもう一つの弱点、それは……」

 突然全ての明かりが消えたと思ったらまたすぐに灯ったうえ、同時に少女がすぐ目の前に現れた事に驚いたらしく、迎撃どころではなさそうだった。彼女はそれに構わず、姿勢を低くして猛スピードで大男目掛けて突進した。

ミカエラ「装填してから発射するまでに時間がかかる事よ!」

 それからはあっという間で、俺に出来た事と言えば相手に見つからない程度に頭を出して、戦いの行く末を見守る事くらいだった。彼女はそのまま台座のテーブルに勢い良くタックルをかまし(やはり見た目によらず力が強いらしい)、相手をテーブル諸共突き飛ばした。銃を構えたまま仰向けに倒れた大男目掛けて彼女はすぐに飛びかかり、隙を与えない。

ミカエラ「バッテリーで動く武器でこの私に挑もうだなんて、無謀もいい所だわ!」

 彼女は馬乗りになりながら左手で銃身を掴み、右手で大男の顔を鷲掴みにした。大男が右手を払いのけようとした所で、突然ビクンビクンッと何回か大きく痙攣して、床に倒れ込んだきり動かなくなった。

ミカエラ「一丁上がりっと」モハカは両手をパンパンとはたきながらこちらを振り返った。

ミカエラ「済んだからもう出て来ても大丈夫……あら、見てたのね」途端に得意げな表情になった。

ミカエラ「ねえ、今のどうだった? ほら、あの銃は電動だから、バッテリーの中に残ってた電気を全部アイツに流し込んでみたの。なかなかユニークだったと……なんで目をそんなにまん丸にしてるのよ。別にそこまで驚く事はないじゃない。ただ気絶させただけなんだし」

 驚くどころの話ではなかった。筋肉隆々の、馬鹿でかい銃を持った大男。普通の人間ならまず勝てないだろうし、俺はそもそも戦いたいとも思わない。それを嫋やかな女の子が一方的に制圧してしまった。それも、せいぜい5秒ほどで。戦いそのものが始まった時から数えたとしても、20秒もかかっていないはずだ。
 目の前で繰り広げられた出来事も不可解な点ばかりだ。まず明かりはどうやって消したのか。大量の電流を放出してブレーカーを落としたのだとしても、あんなに早く復旧するものなのか。なぜ一介の女子学生にあんな巨漢を突き飛ばすだけの力が出せたのか。そもそもなぜあんなに銃に詳しいのか。
 そして何よりすごいのは、あれだけの大立ち回りを演じたのにもかかわらず、疲れた素振りを全く見せていない事だ。息も切らしていない。彼女は本当に人間なのか。そして、こんな化け物と知り合いだった記憶をなくす前の俺は一体……。そんな訳で、俺が抱いていたのは驚きというよりむしろ恐怖に近い感情だった。きっと表情にも現れていた事だろう。

 ……と、彼女は何を思ったか、倒れた大男の手からガトリング銃をもぎ取ると引きずりながらこちらへ歩いてきた。

ミカエラ「うう……ホントに重い……」彼女はしばらく進むと立ち止まり、銃を杖のように立てて体を支えながら話しかけてきた。

ミカエラ「アンタもちょっと触ってみる? こんな機会滅多にないわよ? 何、心配する事はないって、バッテリーの電気は全部抜いて——」
 全て言い終わる事はなかった。突然店内に突風が吹き込んで来て、彼女を吹き倒したのだ。

ミカエラ「イテテ……一体何事なの?」
 盛大に尻餅をついたモハカはそう言って立ち上がろうとしたが、すぐにどこからか細い鎖が飛んで来て彼女の両腕に絡みつき、近くに転がっていた銃身に括り付けた。

男1「嫌な予感がしたんで、急いで戻って来てみたら案の定このザマだ。ちょっと目を離しただけでな」

 そう言いながら現れたのは、つい数十秒前に店の奥へ逃げたはずのリーダー格だった。もう戻ってきたとは! リーダー格はさっきの銃撃で壊れたシャッターの隙間から入ってきたらしい。そして、奴が左腕に抱え、頭に拳銃を突き付けていたのは……

上条「インデックス!」
 俺はモハカの指示も忘れて飛び出していた。

インデックス「トーマ!」
 インデックスはリーダー格の腕を振りほどこうと必死でもがいているが、何かに邪魔されてできずにいるようだ。

上条「テメェ、その娘を今すぐ離し……」

男1「悪いが外野は黙っていてもらおうか」

 突然、まるで大きな石でもぶつかったかのような重い衝撃を胸から腹にかけて感じ、そのまま5mほど後ろへ吹っ飛ばされた。俺はむせながら、肺から一気に吐き出された空気を必死で吸い込もうとした。腹だけでなく、強めに打った背中も痛い。それでも、奴とモハカの会話は耳に入ってきた。

ミカエラ「なるほど。目的の為なら罪のない女の子も平気で盾にするのがアンタ達の正義ってわけね。これで心置き無くぶっ潰せそうだわ」

男1「なんとでも言うがいいさ。おっと、能力を使おうとしたって無駄だぜ。言い忘れていたが、俺の能力はL3の『念動力(プシコキネーズ)』だ。英語で言うところのサイコキネシス」

 サイコキネシス、つまり念力か。道理で何も触っていない筈なのに殴られた感触があったわけだ。リーダー格はさらに続けた。

男1「しかもただの念動力じゃない。俺の能力で生み出された力には、どういうわけか電気を弾く効果があるのだ。絶縁体ってやつだな。そして、その力のフィールドでお前を取り囲ませてもらった。だから、得意の電撃はできないぜ」

 『電気を弾く』だって?
 俺は体の向きを変えてモハカの方を見た。なるほど、だからずっとあのまま反撃できずにいるのか。彼女は、鎖をほどこうと懸命に両手を動かしているが、能力を発動させているようには見えなかった。

男1「能力の効果が切れる頃には、俺達はもう安全な所へ逃げた後さ。さて、俺は戦友と軍資金を回収させてもらうとしよう」リーダー格はそう言いながら拳銃をしまい、どういう訳かさっきの戦いでも無事だった麻袋を右手で床から拾い上げた。同時に、床に伸びていた大男の体が少し宙に浮かんだ。

ミカエラ「今、はっきり軍資金って言ったわね。確かに聞いたわよ」

男1「民衆の金でもあるし、俺達の金でもある。そもそも俺達は民衆の為に戦ってるんだから当然だろう。揚げ足を取ろうったって、言質を与えるつもりはないぞ」

ミカエラ「結局ピンハネするのが目的なんだ。先に言っとくけど、アンタ達は絶対ロビン・フッドにはなれやしないわ。せいぜいジャコバン派かスターリニストが関の山ね」そう言ってモハカは再び口元に蔑むような笑みを浮かべた。鎖に悪戦苦闘してはいるものの、まだ軽口を叩くだけの余裕があるようだ。

男1「どこまでも癪に障るお嬢さんだな。でも、一体どこまで威勢を保っていられるかな?」そう言うリーダー格の左手の周りで、急に空気が揺らぎ始めた。まるで、何か目に見えない力が集まっているかのように。

男1「そういえば同志を散々いたぶってくれたそうじゃないか。その礼がまだだった事を思い出したよ。そこでだ、是非とも受け取ってくれ、この念力ボールをな」

 しかし、それはボールと呼ぶにはあまりにも大きそうだった。むしろ砲弾と呼ぶべきだろう。
 モハカは、さっきまでとは打って変わって焦りと恐怖に満ちた表情をしている。それもそのはずだ。全く身動きが取れず、能力も使えない無防備な状態であんな物を食らったらひとたまりもないだろう。

男1「さて、こいつを食らった後も減らず口が叩けるかどうか見ものだな」

上条「やめろぉっ!」

 割合とダメージが軽かったようで、すでに痛みは引いていた。俺は気付いた時には再び立ち上がり、丁度モハカを守るような格好でリーダー格の前に立ちはだかっていた。いくら相手が強すぎるからと言って、こんな卑怯な事が許されていい筈がない。

男1「おや、まだ懲りていないらしいな。もう少し痛いのをくれてやるとするか……」リーダー格がそう呟いた途端、念力「弾」は瞬時に1mほどにまで急成長し、奴の手を離れた。
 俺が何の対策も考えずにただ突っ立っている事に気付いたのは、丁度弾が放たれた時だった。どうしよう、どうやって防げばいい? しかし、じっくりと考えている暇はなさそうだった——と言うより、考えようとした時にはすでに弾が目の前に迫っていた。思わず目を瞑る。
 何もしないよりはましだ! 気付けば俺は、目を瞑ったまま無我夢中で右手を突き出していた——

ピキィィィィィィィィィィン!

 何か硬い物が砕けるような鋭い音と、スポンジが衝撃を吸収するかのような奇妙な感触。ああ、いよいよか……。

 それっきりだった。先ほどのような衝撃と痛みは、何秒待っても来なかった。
 一体何が起こったんだ……? 俺は恐る恐る目を開けた。右手は相変わらず前に伸びたままで、傷一つ付いていない。試しに手のひらを開いて、また閉じてみたらちゃんとその通り動いた。周りで何かが壊れたようにも見えない。一見、特に何かが変わったようには見えない。
 いや、一つだけ変化があった。リーダー格がさっきまでとは打って変わり、酷く動揺している事だ。

男1「お、お前! 何者なんだ、一体どうやって……」

 そんな事、俺にも分からない。なぜ念力「弾」が当たらなかったのか。俺に当たる直前で消えたのか、それともどこかへ飛んで行ったのか。消えたのなら、どうして消えたのか。そもそもあの音と感触は一体……。

 その時、インデックスがリーダー格の手に噛み付いた。

男1「ん!? アイテテテテテテ!」
 
 実際に噛まれた事があるので、その痛みは容易に想像出来た。それでもよほど痛かったらしく、奴は腕を少し緩めた。彼女はその隙を見逃さず、そこから素早く抜け出した。

インデックス「トーマ!」

上条「インデックス!」

 俺は駆け寄ってきたインデックスをひしと抱き締め、彼女もまた抱き返してきた。

男1「くそう! すまんが置いてくぞサイモン!」

 リーダー格が麻袋だけ抱えて転がるように店の外へ飛び出して行くのが見えた。しかし、今はそれよりインデックスとお互いの無事を確かめ合いたかった。

上条「怪我はないか、インデックス?」

インデックス「私は大丈夫なんだよ!」実際、見た所では特に怪我をしているようには見えなかった。

インデックス「私なんかより、トーマの方が……!」心配してくれるのか。

上条「いや、俺も大した事ないさ」そう言うと、インデックスはホッとしたようだった。

インデックス「そう、よかった……」

上条「ああ……」

 全くだ。二度も殺されかけたと言うのに、生きているどころかお互いほとんど無傷で、こうして再会出来たのは奇跡と言ってもいいだろう。神様に感謝しなければいけないかもしれない。とにかく、何事もなくて本当によかった。

ミカエラ「あのー、盛り上がってる所申し訳ないんだけど……」

 突然モハカに呼びかけられ、俺達二人は再会の喜びから一気に現実に引き戻された。

ミカエラ「これ、ほどいてくれない? 能力で縛ってるみたいなんだけど」
 彼女はそう言って、鎖で縛られた両手を差し出した。
 鎖は雁字搦めに彼女の腕に巻きついており、さっきと比べても、あまり緩くなったようには見えない。これをほどくのは容易な事ではないだろう。

上条「でも、どうやって?」俺がそう言うと、彼女は少し驚いた顔をした。

ミカエラ「どうやってって……右手で触ればいいだけじゃない。さっきみたいにさ」

 『さっきみたいに』って、あれか? 俺は、先ほどリーダー格の放った攻撃が突然影も形もなくなった事を思い出した。あれは、俺が右手で何かしたって事なのか……?

 その時、店の外からエンジンのかかる音が聞こえた。

ミカエラ「早くしてよ! このままじゃアイツ逃げちゃうじゃない!」

 モハカにそう急かされた俺は、腑に落ちないながらも仕方なくやってみる事にした。こんな簡単な事だけで解決するとは到底思えなかったが。
 俺は試しに、軽く指先だけで恐る恐る鎖に触れた。


ピキィィィィィィィィィィン!

 嘘だろ? またしても、あの音とあの感触。そして、俺が触れた途端、鎖は一瞬でほどけて床に落ちた。あんなに複雑な絡み付き方をしていたのに、だ。

ミカエラ「サンキュー!」

 鎖がほどけるや否や、モハカはそう礼を言って、シャッターの残骸を蹴飛ばしながらものすごい勢いで店の外へ走り去っていった。俺達も急いで後を追った。

 店の外では、テロリスト二人と麻袋を乗せた宅配用バンがすでに出発した後だった。それを見つめるモハカの一挙一動を、先に避難させた客や店員達が遠巻きに見守っている。

ミカエラ「随分と舐められた物ね……私の通り名を知らない訳じゃないでしょうに」

 彼女はそう呟きながら、スカートのポケットから何か銀色の物を取り出し、右手の親指で空中に弾き飛ばした。太陽に照ってキラキラと光るにつれ、投げた物が何なのか分かった。コインだ。

モブ3「あれは、2ペソ銀貨……」

 誰かがそう呟くと、すかさずもう一人の誰かが叫んだ。

モブ4「伏せろ! 例のヤツが来るぞ!」

 すると、俺の周りにいた人達が一斉に頭を押さえながら地面にしゃがみ込んだ。何事なんだ? 突然の出来事に戸惑い、どうすればいいか分からずにいるうちに、その瞬間がやってきた。

 高く放り投げられた銀貨は、クルクル回りながらそれを弾き飛ばした右手の親指の上に再び落ちて来た。彼女の右手は、走り去る前方のバンに向かってピンと伸ばされている。

ミカエラ「もし忘れたのなら、思い出させてあげる……」

 銀貨が親指に触れた瞬間、

ミカエラ「こ れ が 私 の レ ー ル ガ ン よ!」

凄まじい速度でバン目掛けてまっすぐ飛んで行った。

http://urx.red/rNMk

おつ

 もしこの時に何が起こるか知っていたなら、俺もうまく対処していただろう。しかし、その時の俺は周りの人達が何を警戒しているのかいるのかさっぱり分からなかったし、何より別の事で頭がいっぱいになっていて伏せるどころではなかったのでそのまま立ち尽くしたままだった。今から思えば、少ししゃがむだけでもまだマシだったろう。

 まず来たのは、とてつもなく大きな音と物凄い爆風だった。いや、超音速で銀貨を飛ばした事による衝撃波だったのかもしれない。俺はその衝撃波と轟音に打ちのめされ、派手にひっくり返った。強烈すぎて目を開ける事すらままならない。
 衝撃波が治まり、ようやく目を開けた時に見えたのは、後部の荷台が大きくひしゃげたバンが麻袋の中身らしき大量の札束を撒き散らしながら宙を舞っている光景だった。バンは宙返りしながらモハカのすぐ目の前の路上に屋根から落下し、壊れた荷台の扉や窓と言う窓から残りのお札を吐き出した。全て合わせるとかなりの金額になりそうだ。
 一生遊んで暮らせるほどの物凄い大金がすぐ手の届く所に転がっているとなれば、誰だって素通りなど出来やしないだろう。事実、俺の周りの客や店員達、偶然通りかかった野次馬達が我先にと群がり始めたが、

ミカエラ「コラ! ネコババするんじゃない!」

電撃で威嚇され、不服そうな表情をしながら離れて行った。俺も、もし頭の中が他の考えでいっぱいでなかったら、一緒に拾いに行ってただろう。しかし、実際には大金よりもはるかに気になる事があったのだ。
 俺の右手だ。強い念力をいとも簡単に無効化してしまったこの右手。最初の攻撃も、恐らくこいつが打ち消したのだろう。通算2回だ。一体どうやって?
 先ほどの出来事について考えているうちに、ある事も思い出した。それは、病院内で俺が「言わされた」話。『魔術で生み出された羽を右手で打ち消した』とかなんとか。『魔術』とやらがなんなのかさっぱりだが、もしあの話が真実なら、俺の右手にはそういった特殊な効果を打ち消す事のできる特別な力が備わっている事になる。この何の変哲もないただの右手に、だ。
 いや、もしかしたら左手もか? ひょっとしたら全身そうかもしれない。そもそも、一体俺はなんなんだ? いくら考えても謎が尽きる事がない。それどころか深まるばかり、次第に自分が人間であるという確信すら持てなくなってくる。

モンティ「いやぁ、こいつァおったまげ、噂に違わぬ威力だにゃー。あんなの至近距離で見せられたら酔いなんて一発で吹っ飛んじまうぜ」

 突然おかしな訛りで話しかけられて、俺はまたしても思考を中断させられた。声のする方を向くと、いつの間にか隣でモンティ・マッカンダルがニヤニヤと笑っている。ああ、コイツの事をすっかり忘れていた。顔が赤く、フラフラしている所を見るに、まだ酔いが完全に抜けきっていないようだ。

モンティ「前々から噂で耳にはしていたが、やっぱり百聞は一見に如かずだぜい。しっかし、今日はなかなかのラッキー・デイだにゃー。まさか、こうして本物の『レールガン』を間近で拝めるとは、俺達ゃホントにツイてる。なぁ、トミー?」

上条「お前、いたのかよ! と言うか、よく無事だったな! 一体いつ起きたんだよ?」

モンティ「シャッターが降りた音で目が覚めた。そんでしばらく店の隅に隠れながら隙を伺い、シャッターがぶっ壊れた拍子に脱出した」

 それって凄いのか、凄くないのか。驚嘆すべきか呆れるべきか迷っていると、サイレンの音が前後から近づいて来た。

 警備員(アンチ・カパシテ)と風紀委員(ジュジュマン)が到着してからの展開はあっという間だった。まず、全員仲良く気絶していたため、テロリスト共は呆気なく逮捕された。グチャグチャになったバンの中からは、目を回したリーダー格と童顔の二人と共に(あんな目にあってよく無事だったものだ)盗まれていた大金もしっかりと回収された。その後店の奥から縛られた店主も発見、救出された事で事件は一段落ついた。

 そして俺達は、現場の中心に居合わせていたという事で、店の前の道路で事情聴取……と言うほどではないものの、ごくを簡単に事件について説明する事となった。応じたのは俺とインデックスとモンティとミカエラ・モハカの4人。しかし、そのうちモンティは当時泥酔して寝ていたという事で対象から外されたばかりか、未成年なのに飲酒をしたという事で逆に検挙される事となった。なお、支払いはもう済ませたらしい。間抜けにもほどがあるが、それでも昼飯を奢ってくれた事には変わりはないのだから礼儀を欠かす訳にはいかない。

上条「今日はホントにありがとう!」

 おさげをした気の強そうな風紀委員の女の子に連れて行かれるモンティに、そう大声で礼を言うと、

モンティ「いいって事よ! その代わり、俺が困った時には頼むぜい!」そう叫び返しながら、

風紀委員の少女「いいから早く乗ってくださいまし! あなたこれで何度目ですの!?」

俺達の周りに何台も停まっているポリスカーのうち一台に押し込まれてそのまま去って行った。


 説明とは言っても、2、3個のごく簡単な質問に答えるだけで終わった。

女性警備員「犯人逮捕、並びに調査へのご協力に感謝します。あなた達がいなければ彼らを捕まえる事は出来ませんでした。本当にありがとう」

 聞き手の警備員は、説明が一通り終わるとそう言って律儀にもぺこりと頭を下げた。大きな眼鏡をかけ、長い髪を後ろで束ねた若いヨーロッパ系女性だ。少し幼さの残る顔立ちをしている。

ミカエラ「いえ、私は大して役に立ちませんでしたから……ほとんどは彼のお陰ですよ」モハカはそう言って俺の方を向く。

 すると女性警備員は、眼鏡の後ろの大きなまん丸い目をさらに丸くした。

女性警備員「まあ、あなたが……」

 一体何をそんなに驚く事があるのか。

女性警備員「あなた、カミジョーくんね? スティクス先生からお話は聞いてるわよ。気だてが良くて、空手の練習にも毎日顔を出す真面目な子だって……おっと、今日が初対面だったね」

 初対面の相手が自分を知っている事ほど怖い事はない。まだ名乗ってもいないのにこの反応。どうやら相当広い範囲の人間に面が割れているらしい。俺はそんなに有名なのか?
 俺が何か反応する前に、彼女は自己紹介を始めた。

女性警備員「初めまして。アムステルダム大学から教育実習に来たツェツィーリア・テソー(鉄装綴里)です。今は警備員第七三活動支部でお手伝いをさせていただいています。どうぞよろしく」

上条「いえいえ、こちらこそどうぞよろしく」

 ツェツィーリア・テソーか。英語読みだとセシリア・テセルかな? アムステルダム大学から来たとか言ってたけれど、世界中から学生が来るって話は本当だったんだな。ああ、俺もそうか。
 その後はしばらく一方的に話しかけられ続けた。その内容は、いずれも空手の大会で優勝しただの人助けをしただのと言ったもので、こんな高潔な人に会えた事が嬉しいとでも言いたげな口ぶりで滔々と語ってくれた。賞賛してくれるのはありがたいが、生憎俺にとって全く身に覚えのない事だ。ちょっと一区切り入れたくなった。

テソー「お店のご主人は、あなた達にお礼がしたいと……」

上条「あの、少し誤解なさっているようですが」

 急に遮られ、相手がまた少しビックリした様子したのにも関わらず俺は続ける。

上条「今回の件に関して僕はほとんど何もしていません。少し手伝っただけで、ほとんど彼女の手柄ですよ」そう言って、隣のモハカを手で示した。

モハカ「いえいえ、私は褒められるような事は何一つしていませんよ? お店を滅茶苦茶にしちゃったし、むしろ弁償しないといけないほどです」

テソー「保険に入っているから大丈夫だそうですよ。と言うか、あなた達もっとこの事を誇っていいのよ?」

 俺達二人の手柄譲り合い合戦にテソーさんは少し戸惑っていたようだったが、結局後日警備員の方から何らかの形で二人に返礼をするという事になったようだった。俺達は礼を言ってテソーさんと別れた。

ミカエラ「正直私、こういうのにはどうしても賛成出来ないのよね」話が終わってすぐに、モハカはこんな事を言った。

上条「それはまた、どうして?」

ミカエラ「問題の根本的な解決にはならないからよ。何か事件が起こるたびに強い能力者に手伝ってもらい、いちいち表彰するなり報奨金を出すなりするなんてあまりにも非効率的だわ。こんな事よりも先にやるべき事はたくさんあるでしょうに。だから私は断ろうとしたのよ」

 そう言いながら、モハカはつい先ほど別れ、自分の持ち場に戻ったテソーさんの方を振り向いた。俺が断ろうとしたのは、自分が褒められるほどの活躍をしていないと思ったからなんだけどな。そう思いながら、俺も続いてそちらを向く。

ミカエラ「先生や生徒が片手間に治安維持をやってるような有様じゃあ、この先増える凶悪犯罪には到底対応出来っこないわ。あの人なんか特にね」

 確かに、言われてみればそんな感じがする。ただでさえ童顔と大きな眼鏡のせいで実際の年齢より幼そうな印象を与えるのに、小柄な体躯なものだからまるで俺と同年代かもっと若い女の子のように見える。とても銀行強盗やテロリストのような凶悪な手合と切った張ったできるようには見えないし、正直言ってかなり頼りなさそうだ。彼女がカーキ色(で合っているはずだ)の軍服を着ていなかったら恐らく誰にも分からないだろうし、正直似合っていない。

 とはいえ、仕方のない事かもしれない。そもそもこの街の治安制度に問題があるのだから。詳しい事はよく知らないが、この街では教師の志願者からなる警備員(アンチ・カパシテ)と学生の志願者からなる風紀委員(ジュジュマン)が治安を守っているらしい。ボランティアの自警団に頼っているようではダメだという事ぐらい、いくら記憶喪失でも分かる。負担も大きいだろうし……


インデックス「トーマ! ほら、さっきの娘じゃない?」

 突然、隣にいたインデックスが俺の服を引っ張りながら前方を指差した。インデックスに促されながらそちらへ注意を向ける。
10mほど離れた所に、確かにいた。さっきの騒ぎですっかり存在を忘れていたが、例の古代ギリシャガールだ。いくら人混みの中とはいえ、あんな服装をしていれば見間違えようがない。それどころか、ある特徴が加わった事で先ほどまで以上に異常性が際立っている。それは、お揃いの黒いスーツに身を包んだ男達が周りにいるという事だ。男は10人ほど、いずれも20代から30代に見える。彼らのうちの一人が少女に2$ほどのお金を手渡しているのが見えた。恐らく先ほど言っていた交通費だろう。彼女の話は本当だったようだ。また、どうやら危害を加えられるわけではなさそうなので安心した。
 それにしても、古代ギリシャ風の衣装と黒服。明らかに異質な組み合わせだ。何よりおかしいのは、周りの野次馬や店にいた客達が彼らに対して全く注意を向けておらず、そもそも気付いてすらいないように見えるという事だ。普通、そんな人間が集団で移動していれば嫌でも目立つ筈なのに、誰一人として注目していない。と言うか、俺も指摘されるまで気付かなかった。
 しかし、その二つの点を抜きにしても、彼らは明らかに周りの人間とは異なっているように思える。それが何かは分からないが、とにかく決定的に違うのである。
 
インデックス「トーマ、まだあの娘の名前と電話番号聞いてないんだよね? 今聞きに行った方がいいんじゃない?」

 無茶を言ってくれるなよ。話しかけるどころか目を合わせる気にもなれないのに。

ミカエラ「え? アンタ達あの人と友達なの?」

インデックス「ついさっき知り合ったんだよ。ピッツァを分けてくれた優しい人なんだよ」インデックスが代わりに話してくれた。かつての俺の人間関係を知っている数少ない人間だろうから、こうして説明してくれると本当に助かる。

ミカエラ「へぇー。友達を作るのがホントにうまいわねアンタ」

インデックス「お褒めいただきどうも」

 まるで、親しい間柄であるかのように会話をしている。と言うか、かなり仲がよさそうだ。まさかこの二人は、以前にも面識があったのか?
 いや、この事について考えるのは後回しだ。今は目の前の問題に専念しなくては。やはり彼女の言う通り、話しかけた方がいいかもしれない。何の挨拶もなく別れるのは流石にどうかと思われるので、お互い無事にまた再会できた事を喜び、後腐れないように別れよう。二度と会わない相手だからこそ礼を欠いてはいけないのだ。
 まずは軽く会釈でもするか。そう思って足を踏み出した時、男達のうち一人の目がチラリと見えた。


 服装と気配のなさ。さっきからこの二点ですら説明しきれない違和感を感じていたが、この瞬間ようやくその理由が分かった。
 今まで見てきた多くの人間の目は、皆何かしらの感情や考えに従って変化していたし、それが普通だと思っていた。ところが、彼の瞳にはそれがない。それどころか生気すら感じられない。鏡のように周りの景色を映し出しているだけ。生きている人間の目とはとても思えない。俺の足は、一歩前に踏み出したきりそのまま動かなくなった。


インデックス「ねえ、トーマ! トーマってば!」

 インデックスの声で、ハッと我に返った。俺はあのまましばらく立ち尽くしていたらしい。

インデックス「もう行っちゃうよ。追いかけなくていいの?」
 そう言われて前を見ると、ちょうど古代ギリシャ少女が歩き去って行く所だった。男達を影のように従えて。
 しかし、追いかける気にはなれなかった。気配といい目つきといい、人間どころかこの世のものとすら思えない連中だ。一瞬目が合っただけであれなのだ。ましてや付いて行った日にはどうなるか。正直なところ、さっきのテロリスト共よりも怖い。直感も、これ以上関わり合いにならない方がいいと告げている。あの娘だって、色々とまともじゃなかったじゃないか。

上条「いや、いいさ。もう会う事のない相手だろうし」

インデックス「そう……なら無理強いはしないけど」

 それでも、本当の理由は黙っておく事にした。ごく短い間だけの関係だったとはいえ、友達を悪く言われるのは嫌だろう。今出来ることは、今の俺達が誘拐事件の犯行現場に居合わせているわけではないのを祈る事だけだ。通報する事も考えたが、これ以上彼女と関わる事も警備員の事情聴取を受ける事もごめんだったので結局やめにした。

ミカエラ「あの人達、もしかして学校の先生じゃないかしら? 今のは生活指導とか?」先生は先生でも精神病院じゃなく学校の……。なるほど、そう考えるのが妥当かもしれない。医師なら白衣を着ていないとおかしいだろうし。どうやら彼女が誘拐される可能性はなさそうだ。
 彼女は学校の先生方に付き添われながら帰って行った。これで一件落着だ。もう彼女の事で頭を悩ませる必要はないじゃないか。頭の中ではそう考えながらも、遠ざかる彼女の後ろ姿から視線を逸らす事がどうしてもできなかった。

ミカエラ「それにしても変ね。先生が生徒の生活費の面倒を見るだなんて。奨学金は十分貰っている筈でしょう?」

 何の気なしに言った事なのだろうが、今の俺には何かの不気味な前触れにしか聞こえない。「近いうちにあの娘と何らかの形で再会するかもしれない」という先ほどから脳裏をチラチラとよぎっていた不吉な考えが、その言葉を聞いた途端に少し強まったのを感じた。

 とにかく、何故だかちょっと嫌な予感がした。しかし、あくまでもただの予感であり、取り越し苦労で済むかもしれない程度の物であった。
 この時の俺には知る由もなかったのだ。まさか彼女との出会いがこの後の夏休み、さらには俺の運命そのものを大きく変える事になるだなんて。


#2 'Out of the frying pan' to be continued.

本日の投下はここまでとなります。半年以上もダラダラと進行が遅れて申し訳ありませんでした。次回から本格的に2巻の内容に入りますので、もうしばらくのご辛抱をお願いいたします。

あと、遅くなりましたが
>>138 ありがとうございました。



みさきちも早めに出しとくれ

>>150 ありがとうございます。
なるべく早く登場させるように努力いたしますので、どうかよろしくお願いいたします

>>147 訂正箇所がございます。

「まさか彼女との出会いがこの後の夏休み、さらには俺の運命そのものを大きく変える事になるだなんて。」

「まさか彼女との出会いがこの後の夏休みのあり方、さらには俺の運命そのものを決定する事になるだなんて。」

でお願いいたします。
記憶喪失なのに運命が「変わる」事が分かるなんておかしいですね。

1957年夏、英領キプロス――

 明け方。島の南部、トロードス山脈の山間にある街道沿いの小さな町からあらゆる連絡が途絶えて6時間、派遣された警官隊が最後に消息を絶ってから3時間がすでに経過していた。
生い茂る灌木を掻き分けながら、先槍騎士団(1st Lancer)の一部隊が山中を進んでいた。英国王室直属の十三の騎士団――この3年後、一つに統合される事になるが――の一つである彼らは、その名の通り「何者よりも早く敵陣を視察する」という彼らのみに課された任務に就いていた。

 『敵陣』は、連絡の途絶えた町からそう遠くない山奥にあるごく小さな集落。『異常なまでに膨れ上がった魔力の流れ』。その出処を早急に突き止め、害意があれば排除せよ。これが、女王陛下の代理人たるキプロス総督から伝えられた任務の内容だった。そして、魔力の出処を突き止めた所、どうやらその集落がそうらしいという事が分かったのだ。
 もっとも、支給されたのは施術鎧――装甲に魔力を通し、装着者の運動能力を20倍に高めるというもので、これ自体は第一級の霊装(talisman)であるが――と十字槍のみ、という通常通りの装備。これは、上層部が今回の事件をさほど深刻な物と見なしていない事を表していた。そして、彼ら自身も。
 件の町及び集落はすでに壊滅している事が予想されたが、この島では別段珍しい事ではない。近年、ギリシャ系住民とトルコ系住民の対立は目に見えて高まっており、互いにテロを仕掛け合うまでに先鋭化している。犠牲者が出る事もしばしば、むしろ誰も死なない方が珍しい。本来ならイングランド本国で王室の藩屏として機能すべき彼らがリチャード獅子心王ゆかりのこの島に駐留しているのも、ひとえに治安悪化のためだ。そして今回の事件も、トルコ系魔術結社が南部に多いギリシャ系住民を標的に引き起こした惨劇の一つだと推測された。すぐに片付く。我々はもっととんでもない連中を相手にしてきたではないか。サギーに太平天国……そいつらと比べれば大した敵ではない。誰もがそう考えた。
 しかし、そうは考えていても歴戦の騎士達は心中穏やかざる物を感じていた。

 まず第一の理由が、生存者が電話に残した最後のメッセージ。

「助、け——。あれは——人間じゃな……い。あれは   だ」

 その中には、古来より実在を否定されてきたある生き物の名前があった。古くから文書にその名が記されつつも、誰も姿を見た者がおらず、記録すら残されていない生き物。その強大な力を考えたら、存在しない以前にそもそも存在してはいけない生き物。人類など、とうの昔に駆逐されていなければおかしいからだ。まともな人間ならまず信じないだろう。事実、上層部はまともに取り合わなかったからこそロクな装備を支給しなかったのであるし、彼ら自身も馬鹿馬鹿しい戯言だと考えていた。
 しかし、ならばこの異様な雰囲気は何なのか。目的地にある程度近付いた辺りで、急に人の気配が全くなくなった。進路上にあった町や村、民家……それらのどこにも人っ子一人いないのだ。もちろん、最後に連絡のあった町にも。
 これが第二の理由。どうやら、件の集落を中心とした一定の範囲内で住民がいなくなったらしい。何よりおかしいのが、そのいずれにも直前まで使用されていた形跡がはっきりと残されている事だ。竈には火が灯ったままで、家の灯りも煌々としている。明らかに、打ち捨てられて数時間ほどしか経っていないと考えられた。

 本来存在しない筈の生き物について言及したメッセージ、そしてその内容を裏付けるような住民の謎の集団失踪。彼らが不安を完全に払拭しきれずにいたのはそのためで、むしろ高まりつつある。
 隊員達の士気が下がっている事を察知した隊長は、道すがら彼らを鼓舞し続ける事に苦労した。しかし、その努力は問題の村に着き、そこの光景を目にした時に全て水泡に帰してしまった。

 見渡す限り、灰、灰、灰。文明の発達から完全に取り残されたような小さな廃村は、粉雪のように真っ白な灰で覆い尽くされていた。農道、畑、民家の根、家畜の死骸。その全ての上に降り積もった夥しい量の灰は、風が吹くたび吹雪のように舞い上がった。

 『ある生き物』の死骸なのだろうか。もしそうであれば、その数は十や二十ではきかないだろう。だが、彼らが驚いたのはそれだけではない。

 夜明け前の薄明の中、吹きすさぶ灰の吹雪の中心に一人の少女が佇んでいた。黒く美しい髪を持つ、愛らしい顔の少女。歳は5歳か6歳か。なぜかその少女の足元にだけは灰が降り積もっていなかった。聖域に守られているか、或いは灰が怯えているかのように。
 そして、何より驚くべき事に、

「わたし————————」

少女はその身体に傷一つ負っていなかった。

「————————またころしたのね」

【クリック→http://3step.me/3agn

4円

>>155 訂正がございます

4行目、「民家の根」となっているところは、正しくは「民家の屋根」です。申し訳ありません

>>157 ありがとうございます

おつ

>>160 ありがとうございます

何度も申し訳ありませんが、またしても訂正がございます
>>155のラストですが、

 そして、何より驚くべき事に、

「わたし————————」

少女はその身体に傷一つ負っていなかった。

「————————またころしたのね」

 少女は、これがごく当たり前の事であるかのような口ぶりで言った。

↑こちらでお願いいたします

更新が長らく遅れて申し訳ありませんでした。

ヘ(^o^)ヘ
 ミカエラ・モハカと別れた後、俺達はひとまず俺が普段暮らしているという学生寮へ戻る事にした。しばらく学区内を散策して、観光がてら辺りの地理についてより詳しく覚えようかとも考えなかったわけではないが、それよりも今までに得た情報を整理し、考えるための時間が欲しい。何より、例の謎めいた古代ギリシャ少女の事を一刻も早く忘れ去りたかった。
 それに、この暑さだ。この辺りは熱帯に属しているらしく、周りの海のせいで湿度が高くなっている事もあってか、まるで蒸篭の中にいるようだ。ただでさえ一連の騒動でヘトヘトに疲れたのに、これ以上動き回ったら本当にどうかなってしまうだろう。まずは休息だ。学生寮でシャワーでも浴び、しばらく休もう。考え事はそれからだ。

 幸い、寮は中心市街地からそう離れていない所にあった。昼食をとった店から何分か歩けば着く距離にある。
 道中、スムージーの屋台があった。入院中に見舞ったり世話をしてくれた事、身の危険を顧みずにテロリストから守ろうとしてくれた事……それらへの感謝の意味を込め、インデックスに三つ買ってやると喜んでくれた。笑顔がすごく可愛い。

インデックス「あれ? トーマは飲まないの?」

上条「ああ、俺は別の物を買うから」

 本当の事を言うと、何かを口にしたいという気分ではなかった。不思議と喉の渇きもそれほど感じていない。
 すると、彼女は、

インデックス「一つあげる」

上条「本当にいいのかい? 俺が飲んじゃっても。数が減っちゃうのに?」

インデックス「私はまだ二つもあるから大丈夫。トーマは私の事よりまずは自分の身体の事を心配すべきなんだよ。こんな暑い日は何か飲まないと」

 そこまで気遣ってくれるとは……。ここまで優しいと、何か裏があるんじゃないかと勘繰りたくなる。そして次の瞬間には、人の親切を素直に受け入れられずに一度でもそんな疑い心を持った今の自分に嫌悪感が湧く。
 好意はありがたく受け取っておかなくては。今のところ、信用する事の出来る唯一の相手が彼女なのだから。疑うなんてもってのほかだ。それにしても、本当にいい娘だな。

上条「ありがとう!」
 俺は礼を言って差し出されたカップを受け取り、中に入った緑色の半固形物を勢い良く喉に流し込んだ。マスクメロン味らしい。氷の混じった『甘く』『冷たい』ジュースが、焼け付くように『熱い』喉を滴り落ちて潤していく感覚。とても『気持ちがいい』。それにしても、味や感覚を表す単語やその意味は知っていても、それがどんな物か知らないというのも我ながらおかしな話だ。

 俺が普段暮らしているという学生寮は7階建て、多分鉄筋コンクリート造だろう。薄汚れた白塗りのアパートメントで、所々塗装が剥げ落ちているなど、およそ最先端の街に似つかわしくない外観。建てられて4、50年は経ってそうだ。学生寮は街路沿いにあり、その両隣にもビルや集合住宅がおよそ2m間隔で立ち並んでいる。
 見た感じ、とても学生寮には見えない。むしろ産業革命期の労働者用集合住宅といった趣だ。しかし、手前に建っている看板には俺が在籍しているらしい『サートン高校』の名が書かれている。ここで間違いないようだ。

 中に入り、寮の管理人らしい中年男性が高いびきをかいている『管理人室』を横目に通路を進む。壁に掛けられた部屋の間取り図を確認してから奥にある古びたエレベーターに乗り込む。歩くたびにミシミシ言うので正直不安だが、かといって階段を使う気にもなれなかった。俺の部屋は4階にあるようだ。エレベーターに乗ると、インデックスがすぐさま4階のボタンを押した。中々物覚えもいいみたいだな。
 何十秒か経ったところでチャイムが鳴り、ガタガタと大きな音を立てながら扉が開く。降りた先は室内の共用廊下だった。俺の住んでいる寮は、3個か4個ほどの小さな部屋と共有のシャワー、トイレ、居間などからなるsuiteと呼ばれる幾つかの大部屋を何人かの同居人とシェアするタイプのものらしい。部屋は男女共用で、幸いルームメイトの中におっかない上級生はいないようだ。
 俺の属しているsuiteのドアは、廊下の突き当たりにあり、財布に付いていた鍵で中に入れた。中は意外にも広々としていて、外観に反して小綺麗だった。居間・キッチン・ダイニングルームなどを兼ねた共有の大広間から、幾つかの個室に枝分かれしているようだ。そして、その個室はsuiteの全員に割り当てられているらしいが、今いるのは俺達二人だけだ。他の住人はどこかへ出かけているらしい。
 プライバシーは申し分なし。でも、肝心の個室は? 部屋は狭くベッドが一つある他は、勉強机と幾つかの小さな本棚とクローゼットがあるのみだ。だいたい10㎡ほどのそれほど広いとは言えない部屋だが、住み心地は悪くなさそうだ。ただ、壁紙やカーペットが所々真っ黒に焼け焦げたり、ドアが新品だったりするのが引っかかるが。小火は本当だったらしい。

 大広間の隅にあるエアー・コンディショナーのスイッチを入れると、suite全体に涼しい風が行き渡り始めた。火照った体が冷めてくるうちに、冷静な思考も戻ってきた。しばらく涼んでからシャワーを浴びて、さっさと寝よう。そう思い立った俺は腰掛けていたソファーから立ち上がって個室に戻り、何か暇つぶしになる読み物を本棚から探したが、火事で焼けてしまったためか大した物は残っていない。仕方ない、備え付けのテレビでも見るか。スイッチを入れると、何やら劇がやっている。内容は夫の不倫を妻が問い詰めているという物。所謂ソープ・オペラってヤツだろう。
 それをぼんやり眺めながら考える。教科書の類も殆ど見当たらなかったし、このままでは今後の勉強にも差し支えるだろう。どんな本が入っていたのか知らないが、いずれ買い直しに行かないとな。
 勉強……そう言えば今は夏休みだったっけ。宿題の類は出されているんだろうか。そもそも俺は、普段学校でどんな勉強をしていたんだろうか……?ようやく一息つけたと思ったのに、また余計な考えが頭をもたげてきた。これではテレビに集中出来ない——と言いたいところだが生憎テレビの方も特に面白そうな内容ではなさそうだ。

 一方、インデックスの方は俺の事などお構いなしにキッチンの冷蔵庫を物色している。何か冷たい飲み物でも探しているんだろうか。俺もまた喉が渇いてきたところだし、ちょうどいい。

上条「おーい、俺にも何か持ってきてくれないか?」 


インデックス「でも、中に何も入ってないよ?」

 何だって? 俺は徐ろに立ち上がり、一緒に冷蔵庫の中を見に行った。大人数で共同生活を送っているのに食べ物も飲み物もないだなんて、そんな馬鹿な事がある訳——
 本当だ。何もない。ちょっとした物置ほどもある大きな冷蔵庫の中に入っていたのは、ソースやケチャップなどといった調味料ばかり。そんな物じゃ喉の渇きも癒えないし腹も膨れない。

上条「えっと、スムージーの残りは……」

インデックス「さっき全部飲んじゃったじゃない」

 頭が痛くなってきた。疲労感も先ほどよりも増しているようだ。炎天下の中また外へ買い物しに行けと言うのか、疲れて帰って来たばかりの俺に。他の連中、いつ出かけたのか知らないが気付いたら補充してくれても良いだろうに。

上条「そっか。じゃあ何か買ってくるから、それまで留守番頼むよ」

 ダルいやら、イライラするやらであまり動きたい気分ではないが仕方ない。まさか水道水を飲む訳にはいかないだろう。何が混じっているかも分からないのに。俺は財布を再び手に取り、ポケットに入れた。
 幾らかの冷たい飲み物と、あとはインデックスに何かアイスでも買ってやれば十分だろう。あの修道服は暑そうだ。食べ物は……今日はいいかな。元々シャワーを浴びたらそのまま早めにベッドに入るつもりだったのだ。先ほど食事を済ませたばかりなので腹は減っておらず、夕食を取るつもりはない。もっとも、インデックスが何か食べたがったら作るかも知れないけれど…………インデックスがここで夕食を?
 ふと、ある疑問が浮かんだ。そして俺は、彼女の方に背を向けたままその疑問を口に出した。

上条「そう言えば、インデックスってここに住んでるんだよな?」

インデックス「そうだよ。しばらくここでお世話になるってつい先週言ったばかりじゃない。そしたらトーマスも『いいよ』って言ってくれて……もう忘れちゃった?」

 それだけ聞けば十分だった。俺はぎこちなく返事をしてから急いで外へ出た。

>>167ありがとうございます

 正直、あれほどの騒動があった直後なのでまた外に出るのはあまり気が進まなかったが、仕方がない。まずは学区の中心市街にある銀行へ向かう。口座を確認すると、顔も知らない両親が仕送りしてくれているためかアルバイトのためか分からないが、結構な金額が入っていた。それをなるたけ引き出した。クレジットカードが問題なく使えた事からも、財布は俺の物で間違いなさそうだ。
 それにしても、記憶を失う前の俺は一体何を考えていたのか。自分より年下の女の子、それもシスターと同居するだなんて、罰当たりもいいところだ。いや、シスターでなくても、あんな象みたいな食欲の持ち主、よほどの経済力かなければ養えやしないだろう。どちらにしろまともな神経の持ち主とは到底思えない。理性より性欲が勝っていたのか? いくら思春期だったり女日照りだからと言っても、若気の至りで済ませるにはあまりにも大それているぞ……。

 いや、あれこれ悩むのは後だ。まずは買い物。そのために出てきたわけだし。必要なのは野菜、肉といった生鮮食品と幾らかの加工食品、そしてパンだ。一番上等なのは第11学区の生鮮市場の物らしい(第11学区には港があるのだ)が、ここからだと少し距離がありすぎる。この暑さで長距離歩くのは堪えるし、移動中に食材が傷むといけない。何より値段が高そうだ。だからなるべく近場の手頃な店で済ませたかった。
 そこで俺は、中心市街周辺にある食料雑貨店(グロサリー)やスーパーマーケット、ベーカリーのうち、なるべく安くて品揃えの豊富な店を探して巡り歩く事にした。

 最後に見つけた店、「『フォー・オール・ジョックス』マート("For all jocks" Mart)」でオートミールとコーンフレークを買って外に出た時(この店が一番安くて品数も多かった。最初からここにしておくんだった)、日は依然として高い位置にあるとはいえ、寮を出た時と比べてだいぶ傾いていた。
 俺は最初のオーストラリア系資本のチェーン店で借りたショッピングカート(名前は確か……ウールワースとか言った)に買った食料をしこたま載せると、それを押しつつ悠々と帰路につき始めた。カートを家まで持ち帰ってもいいというのは実に助かる。玄関前に置いておけば後日勝手に回収してくれるらしい。元々オーストラリア独自の制度らしいが、是非とも他の地域にも広めるべきだ。
 買い込んだ食料の総重量は優に10kgを越え、積載量を大幅に上回っていたが、安い店ばかり選んだので合計しても6$を越えなかった。
 我ながら大戦果だ。そしてこれだけ買い溜めすれば当分は食うに困らない筈。あの娘も流石にこれを全部一度に平らげるのは無理な筈だ。
 荷物はとんでもない重さになっているに違いないのに、全然苦にならなかった。緊張が解けて気持ちが軽くなったからかな。鼻歌の一つでも歌いたい、爽やかな気分だ。

 時間を確認した所、今はもう夕方のようだ。まだ昼間のように明るいというのに通りを歩く学生がどんどん増えているのもその証拠。きっとみんな寮や家に帰るのだろう。夏のフロリダの日照時間は長い。さて、だいぶインデックスを待たせちまってるようだし、俺も早く帰らないと。保冷剤として大量に入れてもらったドライアイスもだいぶ溶けてしまっている事だし。

 10分ほど歩いた所で、見覚えのある道路に出た。片側一車線と決して広いとは言えない道幅、2m間隔で立ち並ぶ古い建物、その中でも特に老朽化の進んでそうなアパートメント。間違いない、俺の寮とそれが面している道だ。幸い、最後の店からそんなに離れていなかったようで助かった。これならいつでも買い物に行ける。
 さっきからすぐ後ろに人の気配を感じているが、多分俺と同じように自分の住処に帰る途中の人だろう。警戒する必要はなさそうだ。それにしても、随分と静まり返っているな。

 買った物はカートに載せたままエレベーターで運ぼうか、それともインデックスを呼んで下まで取りに来てもらおうか。そんな事を考えながら、俺は建物の中へ入ろうとした。
 その時だった。


「また会ったね。元気にしてたかい、トーマス・カミジョー?」



 同時に、背中にものすごく熱い何か。咄嗟に俺は振り向きざまに右腕を突き出した。

ピキィィィィィィィィィィン!

 ああ、またこの感触だ。またしても例の音が鳴り響き、今にも俺を飲み込もうとしていた猛炎の奔流は一瞬で氷が砕けるかのように消滅した。初めから存在しなかったかのように、わずかな熱も残さず。そして通りには再び静けさが戻る。

 しかし、俺の心境は静けさとは程遠かった。バクバクという音がはっきり自分の耳にも聞こえるほど心拍数が跳ね上がり、息も荒くなっている。危機はすでに去ったというのにまだ右腕を下ろせない。
 そう意識する前に、ごく当たり前のように瞬間的に右手で対処した自分の反射神経にも驚かされたが、問題はそこではない。再び頭をもたげてきた右手に関する疑問も、いまやごく些末な事だ。

???「流石だね。あの瞬発力は健在みたいで、本当にほっとしたよ。やっぱり君はそうでなきゃ」

 目の前でニヤニヤ笑っている背の高い男に比べたら。そう、俺が恐怖を感じているのは、主に俺を背後から焼き殺そうとしたこの男に対してだ。というのも、以前にも見覚えがあったからだ。何を隠そう、こいつこそ俺が目覚めた日に突然病室に現れてカーテンを燃やしながら脅迫してきた大男に他ならない。

 決して忘れはしない。10代の少年そのものな若々しい顔立ちと不釣り合いな7ft(フィート)近い長身の聖職者——恐らく神父だろう。しかし、それは真っ黒な司祭平服(カソック)の上からローブを羽織っている事からかろうじて窺えるだけである。耳にはピアス、両手指には銀の指輪がはめられており、ひどく目立つ。中でも一番目を引くのが毒々しいほどにまで赤く染められた長髪であり、それが肩まで伸びている。
 一度見たらそう簡単には忘れられない外見。おまけに今は近くで良く観察する時間があるので尚更脳裏に強く焼き付いて離れなさそうだ。
 普通ならかなりの威圧感を伴ってそうだし、実際最初の印象もそうだった。しかし、こうして見ていると、体格の割に幼い顔立ちをしているお陰でいくらか緩和されているようだ。とはいえ、右目下まぶたには縦縞の刺青が彫られているし、口には火の着いた紙巻きタバコを咥えているので、やはりロクでもなさそうな印象を与える。それに、今気付いた事だが、強い香水を付けているらしく匂いが強烈だ。

 全体的に、博愛の精神を持って神の教えと共に慎ましく暮らすという一般的な神父像と大きくかけ離れた風体だ。むしろそこら辺にいるヒッピーや不良の仲間だと言われた方が遥かに納得がゆく。ちぐはぐな格好といい、行動といい、あまりにも怖すぎる。それこそ昼間のテロリスト共以上にだ。

上条「おっ、おまっ……え……」
 緊張で喉が引きつり、上手く声が出せない。一旦深呼吸してからもう一度話す。

上条「……お前、あの時病室にいた奴だな! 忘れちゃいないぞ! 今度は何をしに来やがった! そもそも一体誰なんだ!?」
 ようやく絞り出した声は、変に上擦って震えていた。

 一瞬奴は驚いたような表情を浮かべたが、すぐにクスリと小さく笑って
???「いや何、ちょっとした相談事があってね」
そう言いながら、懐からいくつかの大きな厚紙封筒を取り出した。

???「さっきはごめんよ。挨拶がてらちょっと脅かしてみたくなってね。まあ、ほんの冗談だと思って大目に見てくれよ。君は覚えてないだろうけど、僕らは親友だしね」

 冗談だと? あれが冗談で済むものか。もし一秒でも反応が遅れてたら今頃立ったまま消し炭になっていたところだというのに。それにこいつ、俺の名前だけでなく、記憶喪失だという事まで知っているのか? いや、でも知っていなければ病室であんな事言わないか……さっぱり訳が分からない。俺にはかつての人間関係に関する記憶が一切ないからなんとも言えないが、果たして本当にこんな奴と親しかったのだろうか?
 こいつは一体何がしたいんだ? 危うく人を焼き殺しかけたかと思ったら今度は挨拶もそこそこに頼み事とは……。

???「詳しい事はこの封筒を渡しながら話すけど、ちょっと頼まれてほしい事が……」

上条「悪いけどお断りさせてもらうよ。部屋にルームメイトを待たせてるんだ。鍵をかけ忘れてないかどうか心配で。それに、早いところ食材を冷蔵庫に入れないと傷んじゃうし。他をあたってくれ……おっと、建物を間違えてたよ。じゃあ、そういう事で」

 俺は中に入るのをやめて方向転換し、再び道路を歩き出した。寮の場所を特定されないよう、出来るだけ遠くへ離れて撒くつもりである。殴りつけようかとも考えたが、返り討ちに遭うかもしれないのでやめた。奴が俺に何をさせたいのか知らないが、どうせ麻薬の運搬みたいなロクでもない仕事押し付ける気だろう。そうでなくとも、ひどい目に遭うのは目に見えている。関わらない方がいい、というか絶対関わってはいけない部類だろう。

 と、俺が早歩きでその場から立ち去ろうとした時、

???「いいのかい? これはあの娘の身の安全にも関わる問題なんだけどね?」

上条「なんだって?」
そんな事を言われたら嫌でも立ち止まらざるを得ない。俺のすぐ後ろにいる奴は、満足したような声色で続けた。

???「一人しかいないだろう? 協力が得られないとなれば、君の側にいる彼女の身柄も保証できないよ」

 『彼女』。俺とあいつは、すでに数日前に病室で顔を合わせている。その時の出来事を考えれば、それが誰を指しているのかは明白だ。つまりこの不審者は、インデックスに危害を加えると脅しているのだ。
会ってからずっと、取って付けたような愛想笑いを浮かべていたが、すぐに本性を現しやがった。

上条「なあ」
俺はカートをそのままにして奴に向き直った。せめて釘を刺すくらいはしておかなければ。いずれにせよ、人質をとるような卑劣な人間をこのまま放っておく訳にはいかない。

上条「一体何を考えてるのか知らねぇが……」
奴を睨みつけながら足を一歩踏み出した時、

???『行け(Ehwaz)』
 何やら低い声で呟き、手に持っていた封筒の一つを人差し指でピンと弾き飛ばした。封筒はくるくると回りながらこちらへ飛んできて、俺の手の中に正確に収まった。
 なんて制球力の良さだ。投手にでもなればドラフト会議で引く手数多だろうに。
 しかし、奴の思いがけないアスリートぶりにしばしあっけにとられていたとはいえ、次の一言ですぐ我に返った。

???「ちゃんと受け取ってくれたか。ようやく話を聞いてくれる気になったんだね」

 なんだって? 俺はそんな事一度も言ってないぞ?
俺がそう考えているのを表情から読み取ったのか、奴はそれに答えるかのように続けた。

???「そんなつもりはなかったとでも言いたげな顔だね。でも現に君はこうして僕に近づいて封筒を受け取った。それは厳然たる事実だろう?」

上条「違う、あれはお前がインデックスに危害を加えるのを匂わすような事を言ったから……」ようやく口から言葉が出た。

???「インデックスに? 僕が?」
奴はキョトンとした表情を浮かべてみせた。まるで俺が馬鹿げた事を言っているかのような顔だ。

???「何を言っているのやら。僕が友人である彼女に危害を加える訳ないじゃないか。それに」奴はそう言いながら鼻から小さく息を漏らした。

???「僕はただ『君の側にいる娘』としか言ってないよ。君が勝手に早合点しただけだろう?」
そう言い終えると、奴は口元を得意そうにニヤリと緩めた。したり顔ってやつだ。
 悔しいがその通りだ。奴は一言も「インデックス」とは言わなかった。俺がそう考えただけだ。

 くそっ、まんまと一杯食わされたか。今から思えば何と言おうが無視すべきだったのだ。これじゃあ承諾したような物じゃないか。しかし、現に封筒を受け取ってしまった以上、今更悔しがってももう遅い。

???「大丈夫、心配はいらないさ。手間は取らせない。すぐ終わるごく簡単な話だからね」

 俺は舌打ちしながら残りの封筒を奴の手から引ったくった。こうなったからには仕方ない、話だけでも聞いてやる事にする。

上条「話を聞く前に、まずは自己紹介をしてもらおうか。俺だけ何も知らないのは些か公平性を欠いているからな」

 俺がそう言いながら何やら妙な文字が印字された封筒の閉じ口を強引にこじ開けようとすると、奴はそれを手で制して、

???「おっと、それは僕が開けるよ。『受け取れ(Gebo)』」

 奴がまたもや何かを呟いた途端、触れてもないのに全ての封筒の封が開いた。何か特殊なのりかシールでも使っていたんだろうか。声に反応して開くとは便利な物だ。

???「僕の名前はフォルティス・ナイン・スリーワン、イギリスの魔術師さ。綴りはF・O・R・T・I・S。ラテン語で『強い』って意味なんだけどね。インデックスとの関係はさっきも言った通り」

 随分と変わった名前だと思ったが、それよりもっと気になる事があった。

上条「『イギリスの魔術師』だって?」

Fortis931「ああ、既に彼女から聞いていたのか。だったら話が早くて助かるね……言葉通りさ。さっきの炎も、君の手元へ正確に封筒を投げられたのも、封筒がひとりでに開封されたのも、全部魔術によるものなんだ」

 いや、そんな事を言われてもすぐに納得なんかできない。そもそも魔術というものが何なのかすら知らないのだから。舞踏会に着て行く物がないシンデレラの為に仙女のお婆さんがドレスとガラスの靴を出してやったり、ランプを擦ったら魔人が出てきて願いを叶えてくれたりする、あれの事か? こいつが言っているのは「超能力」の事ではないのか?
 聞きたい事は山ほどあるが、生憎今の俺にそんな時間はなさそうだ。ただ目の前で起こった事をありのまま受け入れるしかない。どうにも腑に落ちないが。

上条「で、一体どのようなご用件で?」

Fortis931「第17学区にミタウ・インターナショナル・カレッジの支部校があるのは知ってるかな?」

上条「ミタウ・インターナショナル・カレッジねぇ……」

 そう言えば今朝の朝刊にそんな広告が出てたっけ。確か西海岸を拠点にしている大手教育会社で、テスト対策プログラムに通信教育に受験生向け予備校、果てはロースクールにまで幅広く商売を展開させていて、最近は外国人子弟向けに語学学校も運営しているとか。

上条「ああ、何年か前に出来た英語学校だっけ。非英語圏出身者向けの……」

Fortis931「そう。それだけ知ってれば合格だよ」

 フォルティスがそう言って指をパチンと鳴らすと、最初の封筒の中から書類が一枚飛び出してきて俺の目線と同じ高さにひらひらと浮かび始めた。どうやって飛ばしているのやら。これも『魔術』か。手に取ってみると、朝刊の広告とまるっきり同じ内容のチラシだった。

 実は、朝刊の広告で学校の名前を初めて目にした時に余りピンと来なかった。元々よく知らなかったのだろう。勉強に興味がなかったのでなければ、よほど英語が得意だったって事だろうな。

上条「で、頼まれて欲しい事ってなんだよ? アルバイトの募集でもしてるのか? トイレの清掃員ならともかく、新しく受講生を勧誘するなんて仕事なら生憎力にはなれないぜ」

Fortis931「ああ、それについては心配ご無用。何故ならこれ以上生徒を増やす必要がないからね。『信者』達からたんまりせしめた寄進で十分潤ってるらしいから」

上条「信者に寄進。それって、まるで何かの宗教みたいな……」

Fortis931「ご名答。外部にはほとんど知られていないけれど、実はそこはこの街の科学技術を崇拝する新興宗教と化してるんだ」

上条「新興宗教っていうと、真言を唱えながら瞑想すれば最高の極地に至れるとか、カウンセリングなどで精神性を高めていけばなんでも出来るようになるとか……」

Fortis931「そういうのに近いかな。まあ、教義なんてこの際大した問題じゃないけどね」

 学校は、少人数が教え教えられる場所だという特質上、どうしても閉鎖的になりがちだ。そんな環境の中で教えていれば、いつどんなきっかけでカルトに変質してしまわないとも限らない。そんな危うさも持っている。それはこの街においても例外ではないのだろう。
 けれど、それが一体どうしたというのだ。この男はパッと見た所、旧教(カトリック)の神父だ。十字教の司祭が「魔術」を使っていいのかという問題はさておき、とてもこの手のいかがわしい新宗教と縁があるようには見えない。それが元々十字教の分派だったというのならまだしも。
さっきから話が全く見えない。一体何が目的なんだ?

上条「なんだ、まどろっこしいな。勿体ぶらずに早く要点を話してくれよ。さっきも言ったようにこっちは急いでるんだから」正直、この話に若干興味が湧いている。

Fortis931「O.K.,分かったよ。単刀直入に話そう——」

 本日三人目に俺の親友を名乗った男は、タバコの煙を吐き出しながら言った。



Fortis931「——その英語学校が入っていた建物の中に監禁されてる女の子がいる。救出のため手を貸して欲しい」

>>180 ありがとうございます

 なんだって? 今こいつなんて言った? 俺の聞き違いじゃなければ……

Fortis931「建物そのものに関するデータは二枚目以降の封筒の中だ……ああ、読む時は気を付けてね。ここから先の資料は秘密厳守のため、一度目を通したら燃えてなくなるようになってるから。まずこちらが電気料金明細書で……」

上条「おいおいおい、ちょっと待ってくれ! 今、監禁されてる女の子を助けに行くって言わなかったか?」

Fortis931「ああ、そう言ったけど?」

 冗談じゃない。まだ右も左も、自分が何者なのかすら碌に知らず、あまつさえ退院したばかりだというのになぜ刑事ドラマの真似事などしなければならないのか。

上条「なぜ? なぜよりによって俺に頼む? 筋違いも甚だしい。まず然るべき機関に相談すべきじゃないか、例えば警察とか……」

Fortis931「残念ながら今回の件を警察に委ねる事は出来ない。いやそれどころか、この街の住民は皆この件に携わる事は出来ないよ。第一、手を出した所で解決できるものか。これは君にしか頼めない事なんだよ」

 何かの冗談だとしか思えないが、そう言うフォルティスの顔からは笑みが完全に消え失せている。思わず信じてしまいそうだ。

上条「いや、だからちょっと待てって。そんな事急に言われても……俺に何が出来るって言うんだよ? 犯人と取っ組み合いするとか、 銃撃戦の真っ只中に飛び込んで颯爽と女の子を助け出すとか、そんな映画じみたスタントなんか到底無理だ」

Fortis931「誰もそんな事をしろとは言ってないじゃないか。いいからそう急かさずに、最後まで話を聞いて。『フェスティーナ・レンテ(急がば回れ)』だよ」

 彼が古代ローマの格言を引用してきた所で、昼間出会った女の子の事を思い出した。そうだ、あれと言い友人の近親相姦と言い、この街ではその手の変人に事欠かないんだった。嘘じゃないとしたら、ただこの男の頭がおかしいだけかもしれない。言う通りについて行って、着いた先が精神病院だったなんて笑えないぞ。

上条「いやいやいや、お前俺を殺す気? 女の子を連れ込んで閉じ込めておく新興宗教なんて、どう考えてもまともじゃないぜ? そんなイカれた犯罪組織と戦わせるなんて、どうかして……」

Fortis931「どうかしてるのは百も承知さ。いいから最後まで聞いてくれ」

 いたって真面目な表情なのがかえって滑稽に見える。昼間のヘレニズム女といい、どうしてこの街はこういうおかしな人間ばかり暮らしているのだろうか。
 ふと、辺りが少し暗くなった。空を見上げると、太陽に雲がかかっている。光が遮られて弱まったので、だいぶ食べ物へのダメージは少なくなるはずだ。もっとも、雨が降るとなれば話は別だが。
この男の与太話にもう少し付き合ってやってもいいか。適当な頃合いを見て書類を捨ててずらかればいいだけだし。

今さらだけどスレタイdestroyよりbreak の方がいいよね
destroyだと一方的な破壊みたいなニュアンスになっちゃう

いんじゃね

>>183 >>184 ありがとうございます
スレタイは例のそげぶAAの改変ネタを元にしたものですが、確かにbreakの方が「相手の固定観念を打ち破って目を覚まさせる」といった感じの意味合いになって合っているかもしれませんね。参考にさせていただきます

Fortis931「……それで、校舎の中に監禁されている女の子だけれど、ご多分に漏れず彼女も超能力者なんだ。いかにもこの街らしいよ。ただ、ここが肝心なんだがその能力というのがなかなか変わっていてね。名前を『サン・フォール』と言うんだ。いや、『ディープ・ブラッド』って言った方が分かりやすいかな?」

 "Deep Blood"? どんな能力なのかまるで想像がつかない。それにしても、「深い血」とは、中々不穏な響きだな。

上条「それで、その『ディープ・ブラッド』ってのはどんな能力なんだよ? 普通の人間より血が濃いとか?」

Fortis931「まあそんなところかな? 実際、彼女の血にはある生き物を引き寄せて殺す特別な力があるらしいんだ。その生き物の事を僕達は『カインの末裔』と呼んだりもするけれど……」次に出てきた言葉はまたしても耳を疑いたくなる物だった。

Fortis931「……まあ簡単に言ってしまえば吸血鬼(ヴァンパイア)の事さ」

 吸血鬼、という名前が出たのを聞いて俺は確信した。ただこいつが狂っているだけか、あるいは俺をからかっているのだと。そうと分かればこれ以上話を合わせてやる道理はない。

上条「吸血鬼っていうと、あれだろ? ジョン・ポリドリやブラム・ストーカーの小説に出てくる、十字架やニンニクや日光が苦手な……」

Fortis931「そう。東欧では『ノスフェラトゥ』とも呼ばれる。生前に犯した罪によって死にきれずに蘇った死人であり、他の生き物から血を吸い取って生き永らえる呪われた化け物。元々死んでいるから再び死ぬ事のない、本当に生き物と呼べるのかさえ怪しい存在。だいたいこんな認識でいいんじゃないかな?」

 そんな馬鹿な。吸血鬼など現実にいる訳がないだろう。過去の思い出を全く覚えてなくてもそれくらい分かる。映画か漫画でも見過ぎたのか? 恐らくあのタバコの中にマリファナでも入っているんだろうが。

上条「そうかい。その英語学校はきっとピーター・カッシングが校長を務めているんだろうな。そんでもって先生はボリス・カーロフかベラ・ルゴシってとこかな?」首を横に振ってはっきりと拒否の意思表示をしながらゆっくり後ずさりした。

Fortis931「おい、真面目な話をしているんだぞ」

上条「分かってるさ、雪男もネス湖の怪獣も大海蛇も本当にいるって言うんだろ? ギアナ高地には恐竜がまだ生き残っているし、北部に行けばまだジャージー・デビルやスリーピー・ホロウなんかにも会える。でもまあ、残念ながら俺には無理だ、勝てっこない」俺は回れ右をすると、カートに手をかけてまた歩き始めた。今度こそ行くからな。

上条「悪いけど他をあたってくれよ。もっと強そうな奴。まあ、仮に誰も見つからなかったとしても吸血鬼は火に弱いらしいから一人でも十分だろ」

訂正がございます

>>186の「首を横に振ってはっきりと拒否の意思表示をしながらゆっくり後ずさりした。」の部分は無しでお願いします。
何度もすみません

Fortis931「待ってくれ、別に彼女自身は吸血鬼でも何でもない! ただ吸血鬼を引きつけて殺す力を持っているだけだ!」後ろから焦っているような声。

上条「分かってるさ。だけど、既に引き寄せられた奴が何匹か周りをうろついてないとも限らないだろ? それに巻き込まれるのが嫌ってだけだよ。まあ、ニンニクを何個か譲るくらいの協力は出来なくもないかな」無論、そんなつもりは毛頭ない。

Fortis931「ちょっと待て、最後まで話させてくれ! 確かに、ただ女の子が捕まっているだけなら僕だけでも十分だっただろうが、事態はそんな単純なものじゃないんだ! 『ミタワ・インターナショナル・カレッジ』は乗っ取られたんだよ!」尚も食い下がるとはしつこい奴だ。

上条「へえ、一体誰に?」俺はちょっとだけ歩調を緩めた。返答によっては少し協力してやってもいいかな。

Fortis931「……正真正銘本物の魔術師、より正確にはチューリヒ学派の錬金術師に」

 俺は返事をする代わりに足を速めた。ついて来ようものならすぐにでも走って逃げないとな。時間の無駄だし、何よりこれ以上付き合っていると何をされるか分かったものではない。

 別に錬金術を知らないわけじゃない。なんでもないような卑金属から金、つまり完全な物質を生み出すという中世の化学的かつ宗教的な試みで、時代が下るにつれ人間の肉体や魂なども対象になった。中にはイカサマもあっただろうが、多くの場合蒸留器の発明や塩酸の発見など多大な副産物をもたらし、その後の科学の発展に大きく寄与したと考えられている。言うなれば近代科学の大いなる礎だ。それくらい俺だって知っている。それを行う錬金術師が、よりによって現代の半端に科学を崇めるインチキ教団を乗っ取ったなんて、もし事実なら随分と皮肉が効いているじゃないか。

 しかし、そんな物は人々がまだ帰納法も質量保存の法則も知らなかった時代だからこそ成立し得た学問であり、今ではすっかり通用しなくなっているはず。今時そんな物を研究している人間が本当にいるのか。ましてやこの現代科学の中心地にだ。

 カルト教団に吸血鬼、お次は錬金術師と来た。一体全体、こいつはこんな子供だましじみた話をして何がしたいのか。
 カートに載せたままの封筒は、こいつの目の届かない場所に着いた時に、そこらへんのダストボックスなり側溝なりに投げ捨てればいいか。

Fortis931「逃げて誰かに知らせるつもりかい? 無駄だよ! 言い忘れていたけど、ここにいるのは僕と君だけだ! そこいら中に"??ila"の文字を書いておいたから、しばらく誰もこの通りに近付こうとはしないだろう。例え呼んだとしてもね!」

 どうせハッタリだろう。好きなだけ喚くがいい。こんな怪しい格好をして倫理観まで狂っている人間の言う事などどれ一つとして信用できない。もし本当に友達だったとしても、天下の往来で堂々と他人をバーベキューにしようとする危険人物のいう事なんか誰が信じるもんか。全く、厄介な奴に目を付けられたものだ。

 大声で叫べば誰かしら気付くだろうし、しばらく歩けば公衆電話の一つでも見つかるだろう。そしたら頭のおかしい放火魔——それも発火系能力者——が路上で暴れているって治安当局に知らせてやる。たとえ逃げても他の通行人が証言してくれるはずだ。いや、そうなればそもそも通報する必要もないかもしれない。あれだけの騒ぎを起こせば、嫌でも目撃者がいるはず……


 待てよ。じゃあさっきからなんでこんなに静かなんだ?

 違和感に気付いた俺は慌てて足を止め、辺りを見回した。目抜通りというほど大きいわけではないにしろ、決して小さいとも言えない通りだというのに、彼の言うとおり路上には俺達二人以外には誰一人としておらず、車一つなかった。俺の思い違いという線はなさそうだ。通りの彼方まで見渡しても人っ子ひとりいないし、人の話し声や靴音の類いは全く聞こえない。

Fortis931「だから言っただろう……」振り向くと、奴はいくらか落ち着きを取り戻した様子だった。

Fortis931「そこいら中に"??ila"と書いておいた、とね」そう言って口からタバコを取った。

上条「アースラ? アースラって誰だよ?」

Fortis931「『オースィラ』。ルーンだよ、特定の人間以外近寄らせないための。意味は、さしずめ『人払い』と言ったところかな?」
 そう言いながらタバコの吸い殻を持った手で指し示した先を見ると、電柱に小さな印が白い線で——多分チョークを使ったのだろう——描かれている。紐で菱形の輪を作ったような形。それも一箇所だけではない。他の電柱にも、建物の壁やさらには道路にまで書かれているみたいだ。

Fortis931「ああ、ルーン文字については知ってるよね?」

上条「おいちょっと待て。まるでただの文字に特別な力があるみたいな言い方だぞ」

Fortis931「事実、あるんだから仕方がないだろう。それよりも、ルーン文字が何なのか知っているのかどうか聞いているんだよね」

ああ、知っているとも。

上条「ゲルマン人が2世紀頃から使い始めた文字で、英語のルーツの一つ。24個のアルファベットそれぞれそのものが意味や力を持っていて——」

Fortis931「オーライ、それだけ知っていれば十分だよ」

 何故知ってるのかって? 知っているものは知っている。ただそれだけの話だ。そんな事はどうでもいい。問題は、この男がたった一人で通りから全ての人間を追い払ったと主張している事だ。それも文字を刻んだだけで。
 どこかに協力者が潜んでいてもおかしくないぞ。街路樹や茂みの裏、建物の陰、マンホールの中……人が隠れられる場所は沢山ある。

Fortis931「どうしたんだい、そんなにキョロキョロして? 誰かに協力してもらったんじゃないかと疑っているのか、それとも自分の見たものが信じられないのか……まあそんな所だろうね。信じるかどうかは君次第だ」

 そう言われて彼のほうを見ると、タバコの吸い殻を手のひらの上でコロコロと転がし始めた。
 すると、吸い殻に再び火が灯り、瞬く間に全て燃やし尽くしてしまった。後に残ったごくわずかな灰も、風に吹き飛ばされて消えて無くなった。
 明らかに自然に火がついたとか、中で火種がくすぶっていたとかいう燃え方ではない。何らかの力により、ものすごい温度でもって焼却されたように見える。指輪にライターを仕込んでいるとも思えない。こんな事を目の前でされてびっくりしない方がおかしい。
 俺は目の前で起きた出来事に驚く一方、またもや病院内で聞いた話を思い出しつつあった。

 なんでも、能力開発を受けた人間に発現する能力の数は、一人につき一つだけと限られているらしい。というのも、詳しい事はよく分かっていないらしいが能力の種類や性能は個人の才能や個性に依る所が大きいらしく、二つ以上持とうとすれば脳への負担があまりにも大きくなってしまうからだそうだ。
 翻ってこの男はどうか。印をつけただけで通りから通行人を全員追い出してみせ、何かを唱えただけで手も触れずに封筒を飛ばしたり開けたりしてみせた。そして、今はこうして炎を自由自在に操っている。手品で出来るような芸当じゃない。もし仮にたった一人でやってのけたという彼の話を信じるならば、果たしてこれだけの事が一介の超能力者に出来るかどうか。精神系に発火系に念動力系、少なくとも三つの能力を持ってないといけない事になるからだ。となれば、考えられる答えは一つ。彼は本当に超能力とは別の力——すなわち魔術——を行使している。つまり、どうやら彼は本当の事を言っているらしい。不本意ながらそう認めざるをえない。

上条「どうやら嘘って訳ではなさそうだな」

Fortis931「やっと信じる気になってくれたようだね」向こうはにっこりしながら、手を差し出して握手を求めてきやがったが当然俺は拒んだ。

上条「待てよ。その話が本当だって事と、俺がその話を信じるかどうかは別問題だ!」
 魔術の実在について納得できても、まだ理解が完全に追いついていないし不満があった。いや、不満しかなかったと言っていい。何をさせる気なのかさっぱりだが、少なくとも相手がかなりの面倒事に俺を巻き込もうとしている事だけは確かだろう。無茶苦茶だ。理不尽だ。

上条「考えてもみろよ。俺は過去の事を何一つ覚えちゃいないし、何より今日退院したばかりなんだぜ。まだ周りの環境もろくに把握できてないのに、いきなりそんな話をされて理解出来ると思うかよ? それも俺を二度も焼き殺そうとした奴に! おまけにその話ときたらよりによって吸血鬼がどうのこうのなんて冗談じみた内容ときたもんだ! 素直に『イエス』なんて言える奴が何処にいる!?」

Fortis931「『冗談じみた』、ねぇ……。本当に冗談ならどれほど良かった事か」
 フォルティスは顎を撫でながらしばらく考え込むように黙り込んでいたが、やがておもむろに口を開いた。

Fortis931「実を言うと、本物の吸血鬼を『生きて』その目で目撃した人間はこれまでに誰もいない。ただ真偽不明の情報だけが漠然と伝えられていただけなんだ。だから魔術師達の中でもこの話を真に受ける者はごく少ないし、僕だって正直半信半疑だった……『ディープ・ブラッド』の存在を知るまでは!」
 何かに怯えているかのような表情で言う。

Fortis931「存在すら定かではない生物の実在を証明し、なおかつそれを前提とする能力……まったく、『卵が先か鶏が先か』よりもタチの悪いジレンマさ。10年前、その女の子がキプロスの小さな廃村で保護された時、周りにどんな光景が広がっていたと思う? とんでもない量の灰だよ、明らかに何か大量の生き物の死骸から生じたとしか思えないほどの!」
 彼は小刻みに震える手で2本目のタバコを取り出して火を点けた。自然と点いたように見えるのは、例によって魔術を使ったからだろう。大量の灰ねえ、そういえば吸血鬼って死んだら灰になるんだっけか。

Fortis931「今の今まで誰も見た事がない。いるのかどうかすら定かでなく、だからいないものとして扱われてきた。それが今更になって、そんな得体の知れない存在を殺せるなんて能力が出てきたんだ。僕にだって訳が分からないよ。何も知らないのにどうやって対処しろと?」

上条「だから、異能の力を打ち消せる俺が必要だって事か。どんな奴だろうと異能から生まれたのなら対処可能だから」

Fortis931「理解が早くて助かります」

上条「ちょっと待てよ!この道のエキスパートであるアンタらですら分からない事が、門外漢で記憶もない俺に分かるわけないだろう!」
 それも、大の男が怖がるほどの事だ。人に何の躊躇いもなく火を放てる人間が。

Fortis931「訳あって本国やこの街に助力は乞えない。頼れるのは君だけだ」
 彼はゆっくりと煙を吐き出した。一服した事で少し落ち着きを取り戻したらしい。相当なニコチン中毒だな。

Fortis931「いいかい? 錬金術の主な目的の一つとして、人間の肉体や魂をさらなる高みへと引き上げる、というのがあるが、人間だけの力ではどうやっても限界があるものでね。語学学校を占拠している錬金術師は、どうやらその限界を克服するために人ならざる存在の力を借りようと思い立ったらしい。そこで不老不死である吸血鬼に目をつけたようなんだ」
 それが乗っ取りの理由らしい。その『ディープ・ブラッド』とやらで吸血鬼を呼び寄せるつもりのようだ。不確かな存在に縋るとは、よほど切羽詰まっていたと見える。普通なら馬鹿馬鹿しく思えるだろうが、今となってはまったく笑う気になれなかった。

Fortis931「病院の件はすまなかった。あの時は詳しく説明しようにも時間がなかったんだ。そして、今回もね」

上条「なんで?」
 病院で脅迫してきた事については、謝罪したので許してやるとしよう。

Fortis931「すでに錬金術師と『ディープ・ブラッド』は接触している事が考えられるけれど、さっきも言った通り力の根源は彼女の血液だと考えられている。それに、能力発動のメカニズムについては何も分かっていないというのが実情だ。当然奴も知らないだろう。だから色々な方法を試すはずだ。もしかすると彼女の身体に傷を付けて血を流させるかもしれない。もっとひどい場合は……」
 その先は言わなくても分かった。焦りすぎてまったく未知のものに頼ろうとするほど分別を失っている奴の事だ。人の一人や二人を殺す事などまったく気にかけないだろう。

Fortis931「それだけじゃない。もし万が一能力が発動してしまった場合、どれほどの数とも知れない『ソレ』がこの街に呼び寄せられるかもしれないんだ。もしそうなった場合、この街に住む多くの人が無事では済まないだろう。当然、その中にはインデックスも含まれる事になる。あの娘の身の安全にも関わると言ったのはそういう訳さ……」

 言い終えると、はっきりと俺の目を見据えた。

Fortis931「今言ったように、一刻を争う事態なんだ。悪いけど詳しく説明している時間はない。そして、正体不明な敵に対抗出来るのは君の右手だけ。勝手な事を言うようだけれど、是非とも君の助けが必要なんだ。だから頼む、協力してくれないかな?」


 さて、どうしたものか。俺は少し考えた。
 フォルティスの真剣な顔つきを見る限り、嘘をついているとは思えない。それに、魔術が存在するのなら、錬金術や吸血鬼が実在したとしてもおかしくなさそうだ。第一多くの人の命がかかっているというのだから、行くしかないだろう。
 結論が出た。この男の話に乗る事にしよう。まだ不安だけれど、謝っている事だしまた殺そうとしてきたりはしないだろう。

上条「一応聞くけど、いつ乗り込むつもりなんだ?」

Fortis931「明日だ。昼時には現地に到着し、日没と同時に行動を開始する」

上条「どうやら時間がないっていうのは本当みたいだな」

Fortis931「ああ。それに、もしこの後雨が降ったらせっかく描いたルーンが全部洗い流されて『人払い』の効果がなくなってしまう。そういう意味でも急がないと」

上条「なるほど……ちょっと考えたんだけど、やっぱり俺もついていくよ」

Fortis931「協力してくれるのかい?」

上条「元々そうするまで解放してくれないつもりだったんだろ? それに、一人よりも二人で取り掛かった方が早く終わりそうだしな」

Fortis931「ありがとう、恩に着るよ」

 彼はニッと笑って再び手を差し出してきた。今度は受け取って、そのまま二人で握手した。さしずめ交渉成立って所かな。
 実を言うと俺の方も、この男に対して少し興味が湧きつつあった所だ。何しろ俺が記憶を失った経緯を詳しく知る人物の一人かもしれないのだ。一緒に行動すれば何か手がかりが得られるかもしれない。

 さあ、後は寮に戻るだけ……おっといけない、部屋で待たせているインデックスの事を忘れていた。

上条「ところで、その間インデックスはどうする? 部屋を空ける事になるからその間誰も守れないぜ?」

Fortis931「彼女については心配いらないさ。第12学区に組織の拠点の一つがあってね、そこで預かっておくよ。なんなら今日からでもいい。大丈夫、仲間なのだから危害を加えたりはしない」

————————


上条「いい子にしてるんだぞ? 夕飯が少ないからって駄々こねたり暴れたりするなよ?」

インデックスは答えず、俺が宥めるために与えたロリポップを無表情でガリガリと齧り続けている。俺は彼女の右隣に立つフォルティスに言った。

上条「悪いな、こんな事してもらって」

Fortis931「構わないさ」

 俺が彼と一緒に寮へ帰ってきた時、インデックスはかなり驚いたようだった。いや、怯えていたとか警戒していたとか言った方が的確かもしれない。行き先については、念のためまた病院に検査を受けに行かなければならないと説明しておいた。うまくごませたようだが、それでも最後まで俺と別れたくなさそうだった。それから食べ物を冷蔵庫にしまうのを少し手伝ってもらったりして、今はまたこうして寮の入り口にいる。二人を見送るのだ。
 彼の提案には感謝している。おかげで助かった。あれだけの量を買ったとはいえ、本当に足りるのかどうか心配だったからだ。しかし、これなら足りない分の食べ物を買いにまた外出したり、彼女の機嫌を損なって噛まれる事を恐れたりせずに済む。買い物の費用が無駄になるじゃないかと思うかもしれないが、正直俺も少し腹が減ってきた所だ。自分の食べる量が確保されるという点でもこの申し出はありがたい。

上条「それで、明日の10時に中央図書館前で落ち合うって話だったよな?」

Fortis931「そう。人の目を引いたり怪しまれたりしないよう、交通機関はなるべく使わずそこから目的地まで移動し、12時頃には現地に到着するというスケジュールだ」

上条「何か身を守るための物は持って行った方がいいかな?」

Fortis931「不安なら構わないけど、役に立つかどうかは分からないよ……ああ、この娘の身の安全については心配いらない、しっかり保証するよ。そうだろ、インデックス?」

 フォルティスはそう言ってニコニコしながらインデックスの方を向くが、彼女は目も合わせようとせずにプイとそっぽを向いた。本当に仲が良いんだろうか。

Fortis931「とまあ、そういう訳で明日はよろしく頼むよ。ああそうだ、さっき渡した封筒のうち、一番下のやつの中身に目を通す事だけは忘れないでくれ。中は僕らが助け出す女の子に関する内容だ。いざ見つけたところで、その娘がどんな顔なのかも知らなかったらどうしようもないからね」

上条「一番下の封筒……ああ、これね」俺は一回り大きい封筒を手に取って示すと彼は頷いた。

Fortis931「それから、さっきも言った通り今回の件はくれぐれも他言無用で頼むよ」

上条「分かってるさ。言ったところで誰も信じないだろうし」

Fortis931「それを聞いて安心したよ。それじゃあ、今日はゆっくり休んで明日に備えてくれ」

上条「ああ、それじゃあまた明日」俺は手を振って二人を見送った。


 二人が去って間もなくザーザー降りの夕立が来た。彼の言った通りだ。例の呪文の効果はすぐに洗い流されてなくなるだろう。いやはや、ここまで考えていたとは恐れ入った。早めに買い物を済ませておいて本当に良かった。
 さて、まずはひとっ風呂浴びて、それからどうするか決めよう。汗をたっぷりかいたせいか身体がべたついて仕方がない。

 俺以外の同居人は皆外出していて、今日は帰ってこないと寮の管理人から聞かされている。つまり、今晩このsuiteにいるのは俺だけ、キッチンも冷蔵庫も俺が貸し切ったも同然だ。なんという偶然。
 衣服類はクローゼットの中かな? そう思って自分の個室に戻り、扉を開けて中を覗いた俺はびっくりして尻餅をついてしまった。ハンガーにかかった服の下、着替えの服(部屋着か寝巻きかは分からないが)とバスタオルが綺麗に畳んで置かれているその隣に自動式拳銃と弾薬箱が置かれているのだ。まさかそんな物があるだなんて思いもかけなかった。人を撃ち殺した事もあるのだろうか。本当に俺は何者なんだ?

 いや、悩むのは後だ。ひとまずクローゼットから見つけた着替えとバスタオルを持って廊下の突き当たりにある共用のシャワールームへ向かう。途中で誰かとすれ違うかなと思ったが廊下にもシャワールームにも人がいる気配がない。他のsuiteの奴もいないのかなと思ったが、よく聞くと廊下に面したいくつかのドアの向こうから楽しげに談笑している声が聞こえる。みんながみんな留守にしているわけではなさそうだ。
 手前の脱衣室で着ていたものをさっさと脱ぐと、そこにある洗濯機のうちの一つの中に放り込んですぐさまシャワールームに入り、バルブを捻る。たちまち熱いお湯が勢い良く出てきて身体中の汚れや不快感を洗い流し、すっかり冷え切った身体を温めてくれたが、同時にものすごい疲れがどっと押し寄せて来た。俺はシャワーにあたりながら備え付けのブラシやスポンジで残った汚れや垢を入念に落とし、最後に髪をシャンプーで洗ってから外に出た。なかなか「気持ちが良い」な、毎日入る事にしよう。

 部屋に戻って来た俺は大広間のソファーに腰掛けて一息つく。身体が重い。それに加え、シャワーで温まった事もあって眠くてしょうがない。俺はそのまま横になった。何もしようという気が起こらなくなってきた。
 でもこのままじゃいけない。眠る前に夕食を食べなくては。それに、目を通さなければいけない書類だってある……。

何のために?

 そうだ、一体俺は何でこんな事をさせられているんだ。俺は再び上体を起こした。初めて目覚めたのが病院で、ようやく退院できたと思ったらテロに巻き込まれ、やっとの思いで帰った来たばかりなのになぜ見ず知らずの他人を助けるために駆り出されなくてはいけないのか。それ自体はいいとしてもなぜ今なんだ。俺は大怪我していたんだし、第一自分が何者なのか全く覚えていないんだぞ。
 頼んで来たあの「魔術師」とやらにしたって、俺が記憶喪失だって事を知っているのならもっと詳しく教えてくれてもいいはずだ。どういう経緯で記憶を失い、元々どういう人間だったのか、と。それなのに説明の一つもなしだ。自分の素性すらろくに明かさなかった。
 要求に応じた俺も俺だ。ああなる前になぜ無視しなかったんだ。あんな状況になったらもはや拒否権など存在しないも同然じゃないか。あんな事を言われては断りようがないし、断ろうものならあの炎で焼き殺されていたかもしれない。
 おまけにあいつ、インデックスを連れて行きやがった。いや、預けたのは俺だ、俺のせいだ。俺とあの娘がかつてどんな関係だったのか皆目見当がつかないが、少なくとも彼女の身に何かあったら俺の責任となる事だけは確実だろう。
 
 シャワーを浴びて頭がスッキリしたためか、ようやく自分のしでかした過ちの重大さに気がついた。いや、落ち着いて冷静な思考が戻ってきたためかもしれない。暑さでどうかしてたなんて言い訳はできない。我ながらとんでもない事をしちまったものだ。
 苛立ちですっかり目が覚めてしまった。同時に空腹である事にも気付く。そうだ、夕食にしよう。腹が減っては何とやらだ、まずは食べなければ始まらない。これからどうするか考えるのは食事しながらでも遅くはないだろう。

 料理をやった事はないが知識ならある。しようと思えば出来ない事はないだろうが疲れていてとてもそんな気は起きない。ごく簡単に、TVディナーで済ませるのでいいか。食器洗いの手間も省ける。

 冷蔵庫に備え付けられた冷凍庫からパッケージを一つ出す。その中からフライドチキンやミックスベジタブルやポテトフライといった料理の入った金属製トレーを取り出し、コンビオーブン(普通のオーブンとしての機能だけでなく、電子レンジ、蒸し器など様々な機能を持っているからこの名前がある)の中に入れてスイッチを押す。
 そして温まるのを待つ間、居間のテーブルに皿とフォークを用意し、買って来たパンを切っていると、テーブルの端に置かれた例の封筒が目に入った。

 そういえば、中の書類に目を通しておけって言っていたっけ。

 そうだ、明日あいつに会った時にあれを顔めがけて叩きつけてやろう。そして言うんだ、インデックスを帰せって。顔も知らない女の子よりそっちを助ける方が大事だ。でもその前に、一通り読んで内容を確認しておく事は必要だろうな。
 うち一つを取り上げる。正面にデカデカと"TOP SECRET"(最高機密)の印字。ひょっとして、これってこの街の政府が直々に命じた事なのかな?そんな事を考えながら中身を取り出す。クリップでまとめられた書類の束がいくつか出て来た。
 そのうち一つを取り上げて読む。どれどれ、内容はいくつかの証言についてまとめられたものだ。女の子の暮らす学生寮の管理人は彼女が何ヶ月も部屋に戻って来てないと言い、周辺の学区でも彼女がスーツ姿の男達に連れられて歩いているのを目撃した者が何人もいるという。彼女の服装は……。

 チンという音が鳴った。音のした方向を向くと、オーブンからのようだ。料理が温まったという合図だろう。読み終わったら取りに行こうと思い、視線を戻そうとした瞬間、手に強い熱を感じた。慌てて手を離す。
 なんてこった。テーブルの上に落ちた書類は俺の目の前で瞬く間に燃えて、消えて無くなってしまった。まだ読んでいる途中だったのに。そういえばあいつ、一度読み終えたら燃えるようになっているって言ってたっけな。仕方ない、あとは食いながら、ゆっくり慎重に確認するとしよう。

 TVディナーの味は悪くない——美味かった。昼間のイタリアンほどではないが、少なくとも入院中の食事よりもいい。とはいえ、少し野菜が少なすぎる。何日も連続で食べる物ではないだろうな。

 さて、読み始めますか。

 ポテトを刺したフォークを片手に書類を手に取り、読む前に紙の裏側を調べる。やっぱりあった。括弧(ブラケット)のような小さな印が隅に描かれている。
 大方、例によってルーン文字とやらを使った魔術をかけて燃えるように細工してるんじゃないかと思ったが、ビンゴ。右手で触るとあの音が小さく鳴った。それを他の書類にも行う。これで何度でも読み返せるな。俺は安心して書類を読み始めた。

 いずれの内容も、中に未知の空間があり、そこに誰かが囚われている事を示すものだった。建物内部の見取り図には外から超音波などで探信した結果と食い違いがある事が赤いインクで書き込まれ、一緒に束ねられた竣工当時の設計図では人が一人生活できるだけの部屋を新たに作る事が十分に可能である事が示されている。どうやって調べたのか知らないが、電気料金明細書の数字はすべての部屋の使用電力量を勘定した結果よりも大きなものだ。
 書類の内容が嘘でないとすれば、どうやら彼の話は本当らしい。そうとなればより詳しく知りたくなるものだ。監禁されている女の子は誰なのか、犯人の目的は何か。

 俄然興味が湧いて来た俺は食べ物を一息に頬張ってあまり美味しくない水道水(これからはミネラルウォーターを買う事にしよう)で一気呵成に流し込んでから他の封筒を飛ばして一番大きな封筒に手を伸ばした。確か女の子に関する情報はこの中だったよな。


 『ディープ・ブラッド』なる物々しい名前の超能力者。一体どんな顔をしているんだろう。

 意外な事に中身はたった一枚だけのようだった。いや、よく見ると上の方に小さな紙がクリップで留めてある。顔写真だろうか。取り出した瞬間、小さな紙だけクリップから抜けてテーブルの上に伏せた状態で落ちた。
 書類はどうやら彼女が通う学校の在学証明書のようだ。彼女と所属校の名前が書かれている。

 アイシャ・アリンナ。それが彼女、『ディープ・ブラッド』の本名らしい。ミスティ・ヒル校の10年生、俺と同級生のようだ。

 ふむ、なるほど。さて、お次はお顔を拝見させてもらうとするか。写真か肖像画かは知らないが、これで合ってるよな。俺はテーブルの上から小さな紙を拾い上げ、顔の前に持って来て、





上条「…………!」

 言葉が出なかった。出るはずもない。こんな物を見せられては。
 紙はアイシャ・アリンナの顔写真だった。そして、その顔には確かに見覚えがあった。
見間違えるはずがない。昼間イタリア料理店で出会い、そして見送ったあの娘だ……!

 そういえばインデックス、あの衣装が古代ギリシャの女性神官の物だって言ってたな。彼女が教団の中で一種の巫女としての役割を与えられていたと考えればあんな恰好をしていた事に説明がつく。
 しかし、なぜあんな所にいたんだろう。監禁されているなら外に出られないはずじゃないか。俺はそこで彼女が何と言っていたか思い出した。

『3$。帰りのバス代』

 彼女は逃げている途中だったのではないか。別れる時に黒スーツ姿の男達に連れて行かれたところも他の学区での証言と一致する。きっと隙を見ては何度も逃げ出し、その度に見つかって連れ戻されていたんだろう。

『買いすぎ。無計画』
『やけ食い』
『10¢(セント)。今の全財産』
 じゃあなぜ、追われる身であるのにもかかわらず貴重な所持金をすり減らしてまで買い物だの食事だのと悠長な事をやっていたのか。もしかして、着の身着のまま逃げ出して来た彼女には、この街の交通機関の賃金があまりにも高すぎたのではあるまいか。

 僅かな区間だけでも、なけなしの金はみるみるうちに減って行く。さりとて歩いて行く訳にもいかない。何しろこの治安の悪さだ、途中で命を落としてしまっては元も子もない。どうしようもなくなった彼女は逃亡を諦め、せめて最後の思い出作りをと買い物や食事に勤しんでいたのではないか。
 いや、それだけじゃない。

『——。それは良い案』
 きっと彼女は、あの店での出会いに一縷の望みを残していたのだろう。誰か親切な人が交通費を貸してくれる事に期待をして。しかし、願いは叶わなかった。
 そんなに嫌だったのか。そこまでして自由になりたかったのか。自分は預言などしないというあの発言も、自分をそのように扱う教団に対する抵抗だったんじゃないのか。
それでも彼女は、『迎え』が来た時に一切抵抗する素振りを見せず、大人しく連れて行かれた。すぐ近くにいた俺達に何も言わずに。それは、無闇に助けを求める事で俺達をトラブルに巻き込んではいけないと彼女なりに考えたからではないのか。つまり、俺達を守ろうとしたのだ。
 そんな彼女に対し、俺は一体何をした。所持金が少なくて交通費を出せなかった事は仕方ないとしても、彼女が乞食ではないかと疑い、まともに取り合わなかった上あまつさえ狂人扱いした。いや、財布の金にしてもたとえ少額だったとしても貸してやるべきだったのではないか。無一文であるのよりは多少なりとも希望が持てるのだから。

 全ての謎が解けた今、責任の所在が誰にあるのかはっきりした。俺のせいだ。
 俺は再び苛立ちを覚えた。先ほどとは理由も大きさも段違いの、かつてないほどの苛立ち、いや怒りだ。彼女を物扱いするミタウ・インターナショナル・カレッジに、それを奪いに来た錬金術師に、自分を犠牲にしてまで最後の希望を踏みにじった奴の身を案じる彼女に、そして自分自身に対して。
 グッと唇を噛み締める。昼間のように口の中に血の味がしたが今は全く気にならない。記憶を失う前の俺の行動原理や交友関係など関係ない。これは俺の問題、今の俺自身の問題なんだ。嫌がるどころかむしろ率先して行かなければいけない。

 クソッ、どうしたらいい。俺は立ち上がって大広間を行ったり来たりする。悠長に飯なんぞ食ってる場合ではない。腹ごしらえはもちろん大事だろうが、他にやるべき事があるのではないのか。今この瞬間にも助けを求めている人がいるんだ。そして、それは本来俺が受けるべき痛みなんじゃないのか。

 ふとある事を思い出し、俺は個室に駆け戻った。すぐさまクローゼットに向かい、扉を開く。あった。先ほどと変わらずに、拳銃と弾薬箱が。拳銃を手に取り、弾倉を抜き出して中を確認する。弾が何発か抜けている。
 脇の弾薬箱はいくつか積んであり、そう簡単になくなりそうにはない。そのうち一つを取り上げ、中から弾を何発か取り出して装填した。
 俺はバス代を出して欲しいという希望を裏切ってしまった。だから別の形で応えさせてくれ。

 待ってろ、もう誰かに運賃をせびらなくてもいいようにしてやるからな。

>>208 訂正がございます。何度もすみません

脇の弾薬箱はいくつか積んであり、そう簡単になくなりそうにはない。そのうち一つを取り上げ、中から弾を何発か取り出して装填した。

脇の弾薬箱はいくつか積んであり、そう簡単になくなりそうにはない。そのうち一つを取り上げ、中から足りないぶんの弾を取り出して装填した。フォルティスは持っていっても役に立つ保証はないと言っていたが、それでもないよりはマシだ。

こちらでお願いいたします

また、最後の文ですが

待ってろ、もう誰かに運賃をせびらなくてもいいようにしてやるからな。

待ってろ、もうバス代なんかなくたって自由の身になれるんだ。

こちらでお願いいたします。

また、Fortis931の読み方について「フォルティス」とお書きしましたが、英語風の発音の「フォーティス」に直させていただくという事でお願いいたします。
それから、学園都市の「人工島」だという設定について、検討の結果やはり無理があると思われましたので島という設定はなしにさせていただくことになりそうです。(詳しくは後ほどお知らせします)

何度も申し訳ございません

まだ?

長らくお待たせして大変申し訳ございませんでした。
それでは再開いたします

第7学区中心市街地、学生寮より歩いて20分ほどの場所――


 真っ白な壁とその大部分を占めるガラス格子窓が目を惹く、中央図書館の巨大な建物。その正面を突っ切る歩道の傍に彼はいた。タバコを燻らせた背の高い神父なんてどうやっても見間違えようがないだろう。俺達は互いに軽く手を振ってあいさつした。

Fortis931「道に迷ってはいないかと心配したが、時間ぴったりとはね。なかなか幸先のいいスタートだよ」微笑みを浮かべながら言った、ように見えた。こんな言い方をしたのは光が図書館の壁に反射しているせいで当たりが眩しすぎ、相手の表情をまともに確認できないからだ。

上条「そりゃどうも」目を伏せながら返事をする。

Fortis931「昨日渡した書類はもちろん確認してくれただろうね?」

上条「もちろん。誰を助けに行かないといけないのかも分かっているさ」そして、俺がすでにその人物と面識を持っていたってことも。

Fortis931「それを聞いて安心したよ。ああ、インデックスについては心配いらない。厳重な結界で守っているからね」

上条「それはよかった」正直、今はインデックスよりもアイシャ・アリンナの方が気掛かりだ。それにしても眩しい。そろそろ目を開けるのが辛くなってきたな。

上条「さて、お互いあいさつも済んだ事だし、そろそろ行こうぜ。こんな暑い中ずっと立ち話している訳にもいかないだろ?」実際、昨日と同じくらいかそれ以上の暑さだった。空は機能にも増して晴れ上がり、既に太陽もかなりの高さに上がっている。昨夜降った雨のせいか、湿気も増えているようだ。
 俺の昨日と打って変わった積極的な姿勢に彼は少し驚いた様子だった。
 
Fortis931「どうしたんだい? 今日はやけに乗り気じゃないか」

上条「いや何、どうせやるならさっさと終わらせた方がいいんじゃないかと思ってね」まさか俺が彼女と会話を交わしたことがあるだとか、昨晩は罪悪感と後悔のためにロクに眠れなかっただなんて言うわけにもいかない。

Fortis931「そうかい。でも確かに、前向きに協力してくれるのはこちらとしてもありがたいよ。君の言う通り、そろそろ出発しよう。話なら歩きながらでもできるからね」

第17学区は街の中心にある湾の北部に位置し、マイアミ港の一角をなす工業団地だ。ここから北へ、海沿いの道を進んだ先にある。1時間も経たないうちに着くはずだ。

Fortis931「そういえば、これから戦うチューリヒ学派の錬金術師の素性についてまだ話してなかったね」道すがら、ふとフォーティスはこう切り出した。海の上を飛び交う海鳥を眺めていた俺は彼の方を向いた。

Fortis931「オーレオルス・アイザード。それが僕らの当面の敵の名前さ」
 当然ながら全く聞き覚えのない名前だった。彼の言葉から判断して、どうやら今日が初めての顔合わせだと考えてよさそうだ。

Fortis931「彼のオーレオルスという名は、彼の祖先である偉大な錬金術師の名前からもらったものなんだ。フィリップス・アウレオルス・テオフラストゥス・ボンバストゥス・フォン・ホーエンハイムという長大な名前の、その一部からね」そういわれてもピンと来ない。小首を傾げていると、彼は笑って言った。

Fortis931「おっと失礼、君達にはむしろパラセルススという名の方が馴染み深かったかな?」

上条「あー……」それなら知っている。

上条「スイスの医者だったっけ。確か初めて本格的に化学を取り入れた医薬品を作った人だったよな。それで伝統を重んじる学界と対立したとか……」

Fortis931「医者、か。なるほど、確かに世間ではそういう事になっているらしいね」

上条「違うのか?」

Fortis931「いや、概ねその認識でも誤ってはいないが……彼は錬金術の分野でも高名なんだ。それこそ世界で一、二を争うほどに。誰かしら一度は耳にしたことがあると思ったんだけどね。やはりこの街の人間は例外ということか……」最後の方は小さくなり、ちょうど脇をトラックが通り過ぎたこともあってよく聞き取れなかった。

上条「何だって?」俺は相手にも聞こえるよう声を張り上げた。

Fortis931「いや、何でもないさ、ただの独り言だから」
ああそうかい。俺はまた海鳥の群れに視線を戻そうとしたがまた呼び止められた。

Fortis931「ところで君、錬金術についてどれくらい知ってるのかい?」

どれくらいかって? まさか相当知らないとお話にならないとか言うんじゃないだろうな?

上条「そこまで詳しいってわけじゃないけど…」

 俺は知っている事を一通り話した。鉛などのような卑金属から完全な物質である金を生み出す試みだったとか、中には詐欺を働く輩もいたとか、科学の発展に大きく寄与したとか……。

Fortis931「なかなか詳しいな、驚いたよ。それだけ知っていれば及第点といってもよさそうだ」言葉と裏腹に大して心を動かされていないような口ぶりだ。

Fortis931「とはいえ、その知識だけでは十分とは言えないね。世間で言うところの、つまり君たちの考えている錬金術と、僕たちの世界でいう錬金術とでは意味合いが少し異なってくるのさ」

上条「と言うと?」

Fortis931「錬金術といえば、不老不死の薬を調合したり鉛を金に変えたり、なんていうイメージが強いけれど、それらは皆本来の目的を達成するために行う実験の副産物に過ぎないんだよ」

上条「実験か…」

人為的に設定された一定の条件の下で物の変化を観察し、ある理論や仮説が正しいかを確かめる事。まあ、実験とはそんな意味で大体合っているだろう。科学の分野で最も用いられる研究手段だ。でたらめに薬品やら金属やらを調合してそうなイメージのある錬金術にもそんな要素があったとは意外だ。これから出会う錬金術師とやらがどんな奴なのか全く想像がつかないが、最終目的が途方もないというだけでそれ自体は案外地に足のついたものなのかもしれない。ご先祖様が立派だったってだけで、実は大した事ないのかもな。

 でもそうだとしたら、「魔術師」の世界で言う錬金術と世間一般で言うところの錬金術との意味の違いとは一体?

上条「やっぱり公式とか定理を調べるのが目的なのか?」

Fortis931「そう。だが錬金術師には、その先に究極的な目標がある。そこが科学者との違いさ」

上条「世界の秘密を知るとか、そんなことか?」

Fortis931「中らずといえども遠からず、って所かな。彼らの究極的な目的は――」
 彼は一拍おいてから続けた。

Fortis931「世界のすべてを頭の中で再現する事さ。全ての法則を理解し、すべての謎を解き明かす事ができれば、世界をそっくりそのまま模して頭の中に構築できる事ができる」
 
上条「ふーん、なるほど。なかなか壮大な夢をお持ちのようですな」

 彼は期待していたような反応が得られなかったのか、意外そうな表情をしている。もっと驚いた方がよかったかな。

Fortis931「その様子だとよく理解できてないようだね。それがもし仮に実現したらどれだけすごい事なのか」

上条「だって、常識的に考えてあまりにも非効率的だろ? シミュレーションがしたいのならそういう道具を作ればいいだけの話だ。そうでなくても紙に数式を書きつけるなりすればいいのに、わざわざ脳みその中で再現しようとするなんてどうかしてる。脳は完璧な器官じゃないし、人間は誰しも間違いを犯すものだぜ」

 それを聞いてフォーティスはフフッと笑った。

Fortis931「だから、科学者とは違うって言っているじゃないか。彼らは別にクルタ計算機やENIACが欲しいわけでも天気予報がしたいわけでもないよ」

上条「じゃあ何だって言うんだよ?」

Fortis931「仮に自分の頭の中に思い描いたモノを、現実世界に引っ張り出せたらどうなると思う?」

上条「……」

 俺は答えなかった。フォーティスは構わず続ける。

Fortis931「魔術において、『頭の中の想像を現実に持ってくる』という手法はよく使われるものでね。『頭の中で正確に世界を思い浮かべる』力を有するということは、とりわけ彼ら錬金術師の中では大きな意味を持つのさ。『世界の全て』を己の手足として使役できるということに他ならないからね。天使や悪魔はおろか、神までも」

上条「……」

Fortis931「もちろん、とても難しいことだ。雲の流れ一つをとっても、気温や大気の動きなど様々な『法則』が支配している。ましてや世界全体となれば、その数は途方もないだろう。それらにもし一つでも誤りがあったら全部パー、召喚したところでたちまち消えてなくなってしまう。いびつな翼が空を飛べないのと同じで・・・・・・さっきからずっと黙りこくっているけど僕の話を聞いているのかい?」

上条「・・・ん!? ああ、悪い悪い。ちょっと難しかったもんだからついつい考え込んじまってさ。もう一回話してくれないか。頭の中で想像したものが何だっけ?」

 別に聞いてなかったわけじゃない。話の内容に思考が追いつけずにいただけだ。何を言っているのかさっぱり分からない。


Fortis931「『頭の中で正確に世界の全てを構築し、それを現実に引っ張り出して自由自在に使役する事』。それが彼らの目指す境地、そう言ったんだ」

あるいは、「分かりた」くなかったのか。

Fortis931「『万物が一者より来たり存ずるが如く、万物はこの唯一者より変容によりて生ぜしなり』――錬金術を学ぶものが聖典と見なしている『エメラルド板』という古い魔導書の一節だよ。この書物の中には他にも『唯一者の奇跡の成就に当たりては、下なるものは上なるものの如く、上なるものは下なるものの如し』という文もある。全ては一者より流れ出て、また一者に還元される。本来反対であるもの同士の一致によって絶対的な完全は実現する……これが彼らの思想。そして、彼らの最終的な目標の一つが、自己の頭の中にある主観的でミクロな主観世界と物質で構成されたマクロな実世界――その相反する世界を完全に一体化させることなのさ」
 一部よく聞き取れなかったが、概ね意味はわかった。  

上条「それってつまり……」

Fortis931「魔術が完成した暁には、この世界そのものを自由自在に操ることができるようになる。彼らの理論に従えばね。どうだい、これで理解してもらえたかな?」

恐怖を感じるというより、気が遠くなりそうだった。彼の語った事が正しいとするならば、俺たちは途方もない相手に挑もうとしているのかもしれない。しかし、その割にはなぜか言った本人が落ち着いているように見える。

上条「ああ、おかげで分かったよ。でもさ、そいつってかなりやばいんじゃないのか」

Fortis931「どうして?」

上条「だって、この世界そのものが敵に回ることになるんだぞ。そんなのどうあがいても勝ち目なんてないだろ。他ならぬ自分たち自身がその倒すべき『世界』の中に含まれてるんだぜ? 自分で自分を殴る結果で終わるのが目に見えてるって。さっきから余裕綽々に見えるけど、そんなに勝てる見込みがあるのかよ?」

 彼はにやつきながら答えた。

Fortis931「その点については心配する必要はないさ。安心するといい、きっと君の懸念はすべて杞憂で終わるだろう」

上条「なんでさ? だってやばいんだろ、その錬金術とか言う奴」

Fortis931「確かに脅威であることには変わりないね。もっとも、完成していた場合だが」

上条「完成していた場合? ってことは…」

Fortis931「そう。錬金術は、いまだ完成されていない学問なんだよ」

 フォーティスは吸い殻を吐き出すと勢いよく海に投げ捨てた。とても司祭のやることとは思えない。

Fortis931「例えば君、もし世界の全てを――砂浜の砂粒一つ一つから夜空の星の一つ一つに至るまで――語りつくせと言われたらどうする? とても生きているうちには終わらないと思うだろ? 僕なら3世紀あっても足りないと思うね」

彼は次のタバコに火をつけながら言った。

Fortis931「実は呪文自体は完成しているんだよ。ただ、それを唱えるには人間の寿命はあまりにも短すぎるのさ。何しろその内容は世界そのものについてなのだから。努力はしているみたいだよ。無駄を省いて少しでも短くしようとしたり、細かく区切って親から子へ、子から孫へと少しずつリレー式に詠唱させたりとか……」

上条「でも、まだ成功したものはいない、と」

Fortis931「その通り。完成された呪文に無駄など存在するはずがないし、代々子孫へ口伝てしてゆくと途中で内容が少しずつ変わってしまうだろうしね。でも、もし寿命を持たない生き物なら?」

上条「……どんな長い呪文であっても唱えきることができる。なるほど、それが吸血鬼の力を欲しがる理由……」

Fortis931「あるいはただ単に学究的な動機かもしれないけどね。でも、その可能性が高いだろう」

上条「そうか。なら安心しても大丈夫そうだな」口先だけでなく俺は心からほっとしていた。

 初対面の相手だとしてもどうにかうまくいきそうだ。実在するのかどうかすら怪しい
生き物をあてにするほど取り乱している奴だから。もっとも、本当に思慮分別を失っている
としたら何をしでかすか分からないということが懸念されるのはまた別だが。

Fortis931「僕がオーレオルス・アイザードを恐れるに足りないといった訳は他にもあって・・・おっと、それについて話すのは着いてからでも遅くないだろう。ほら、見えてきたよ」


 橋はとっくに渡り終え、倉庫やコンテナヤード、荷降ろし用のクレーンが立ち並ぶ埠頭の一つにたどり着いていた。彼が指さした先は歩道が整備され公園や商店が立ち並ぶ一区画。そこにその建物はあった。いや、建物「群」というべきか。
12階建ての、この辺りでは特に珍しくもない白くて四角いビル。それが、十字路を中心として四棟立ち並んでおり、その間の空中を渡り廊下(スカイウォーク)が道路をまたぐように巡らされている。学校というよりむしろビジネス・ホテルとでもいった方がいいような風情。

上条「すると、あれが・・・」

Fortis931「そう。ミタウ・インターナショナル・カレッジ、アカデミック・シティ支部校。僕らの目的地であり、敵の本丸だよ」

 この後の計画について尋ねてみたところ、行動を始めるのは陽が沈んでからで、それまでは周辺で待機する、とのことだった。明るいうちに動くと人目につくからだという。俺たちはひとまず近くのカフェの窓際の喫煙席で暑さを凌ぎつつ時間を潰すことになった。その間に注文するミルクセーキ代やサンドイッチ代はフォーティスが持ってくれると言ったのでご厚意に甘えることにした。

上条「悪いな、いろいろと世話をかけて」

Fortis931「いいってことさ。親友からのおごりだと思って、気兼ねせずゆっくりしてくれよ」

上条「ありがとさん」

一体俺は恵まれているのやらツイてないのやら。

上条「しかし……」俺はガラス窓の向こうにそびえ立つ『新興宗教』の牙城に目をやる。

上条「近くで見るとこう、なんというか今一つぴんと来ない建物だよな」

Fortis931「寺院の割にはあまりにも地味すぎるってことかい? そりゃそうさ、建物そのものはそんな目的のために造られたわけじゃないからね。あれは元々1920年代の不動産ブームの折にホテルとして建設され、先の大戦中に陸軍病院に転用されたきりそのまま放置されていたのをミタウ・インターナショナル・カレッジが購入したものさ。そのとき空中の所有権も丸ごと買い取られ、各棟を結ぶ渡り廊下が増築されたそうだ。ここら辺の経緯はむしろ君たちの方が詳しそうだがね」

上条「なるほど。建物丸ごと学校なのか」

 この中から彼女の居場所を探すとなると骨が折れそうだ。

Fortis931「しかし、いくら外見が普通でも、どこか異常だとは感じられるだろう?」

言われてみれば、確かに変だ。通りに面したビルの玄関だけ人の影がまばらだ。時々そこから中に入っていく人はいても、外へ出てくる人間は誰もいない。昼時だというのに。

Fortis931「ここ一か月間、あそこから外に出てきた人数は片手で数えられるほどさ。月に一回、食料や物資を運んでくるトラックが来るんだが、いつも裏口でのやり取りで終わっている。だから異常性には気づかない」

上条「なるほどね」

 それは普通じゃないな。今も中に多くの生徒が捕らえられたままだとすればとんでもないことだ。

上条「……それで、他の訳について知りたいんだけど」俺は視点をフォーティスに戻す。

Fortis931「何の?」

上条「何のって・・・そりゃあ、さっき言ってた理由さ。そのオーレオルスとかいう奴に対してそれほどビビらなくていいっていうのは何故なのかってことについてだよ」

Fortis931「ああ、それね」フォーティスは新たなタバコに火をつけた。

Fortis931「・・・実は錬金術師なんて名前の商売は存在しないんだよ」

上条「へ? でも、今さっき『錬金術師』って・・・・・・」

Fortis931「それは一種のあだ名みたいなものさ。いや、蔑称といってもいいかな。僕らの業界において、占星や錬金、召喚などというのはいわば教科のようなものさ。一通り基礎を身につけた上で、自分に合う専門分野を見つけてゆくのさ。そして、専門じゃない『教科』も一応は教養として嗜んでおくのが普通の魔術師のあり方なんだ。だけどオーレオルスときたら・・・」彼は言いながら笑い出した。

Fortis931「錬金術以外はからっきしダメでね」

上条「なるほどな」

 これには思わず俺もつられて笑ってしまった。唯一の得意分野が実現不可能な机上の空論なんて世話がないにもほどがある。恐ろしいどころかむしろ気の毒にすら思えるほどだ。

Fortis931「それに、奴はとても荒事に向いている質とは言えない。あいつは元々ローマ正教(Roman Orthodox Church)で隠秘記録官(カンセラリウス)という職についていたんだが…」

上条「ちょっと待った。カン・・・何だって?」

Fortis931「カンセラリウス。C・A・N・S・E・L・L・A・R・I・U・S。教会のために魔道書を書く人間のことさ。教会と敵対する魔術師がどのような魔術をつかってくるか、それに対してどうやって対抗すればいいか、いわば対策マニュアルを書く仕事。本来魔術はご法度の教会内において魔術の使用が認められている数少ない特例の一つさ」

 ローマ正教といえば、旧教(カトリック)諸派の中でも最大の信徒数と規模を誇る宗派だ。しかし、まさかそんな職業があるだなんて思いもしなかった。

上条「なるほど。それにしても、君たちの事情についてはよく分からないけど、そんな話俺にして大丈夫なのか? それ一般人に知られたらマズい類の情報じゃ…」何かとんでもない秘密を知ってしまったようで、俺は内心焦りを感じている。

Fortis931「何を言っているんだい? 君は十分立派な関係者じゃないか、心配するなよ。おっと、話が横道にそれたね。とにかく、そんな仕事をしていたこともあって、奴は知識こそ豊富だが力比べはさっぱりなんだ。生来実戦よりもデスクワークや頭脳労働が得意な、いわゆる典型的なホワイトカラーなのさ。自分から前線に赴くようなタイプじゃない。奴に出来ることといえばせいぜい器用な手先を生かした小細工――例えば校舎を要塞化して侵入者を拒む無数のトラップを仕掛けるとか――くらいさ。おまけに十八番の魔術ときたらとても人間にはできないような絵空事ときている。たぶん君でも問題なく勝てるよ。しかし――」

上条「そうかい、それを聞いて安心したよ。ところで、ずいぶんと敵の事情に詳しいようだけど、ひょっとしてソイツと知り合い?」

Fortis931「なんだい、いちいち人の話の腰を折らないと気が済まないのか君は。僕が誰の知り合いだろうとどうでもいいだろう? ああそうさ、友達でも何でもなく、ちょっと面識があっただけだがね。だけど今はどうだっていいだろう、敵同士なんだから」 
今までにこやかだったのに、急に機嫌が悪くなった。これはマズい、何か怒らせるようなことを口走ってしまったか。

上条「そうかい、いや悪かった、ごめんよ」

Fortis931「ふむ……まあ、いいだろう」

 また元の調子に戻った。どうやらこいつ自身の素性についてはあまり知ろうとしない方がいいみたいだ。

Fortis931「とにかく、オーレオルス自体は別に脅威じゃないんだ。問題は、彼が隠秘記録官だったことさ。教会内どころか世界でも数少ない、ね」

上条「・・・元はかなり偉い人だったってこと?」

Fortis931「当たり。教会の中でも高い地位と権力を有し、重責を担っていた者が主命に背いて突然出奔し、尚且つ異端行為に手を染め始めたんだ。教会側からすれば飼い犬に手をかまれたも同然さ。その『背信』の罪を罰するためなら彼らは戦争も辞さないだろう」

 戦争、と聞いて、思わず背筋にぞわりと寒気が走った。

上条「要するに、世界規模で指名手配されている賞金首のお尋ね者と?」

Fortis931「そういうことさ。いや、奴の首に賞金がかかっているのかは知らないけどね、連中も表ざたにすることなく秘密裏に始末したいだろうし。しかしライバルが沢山いることには変わらず、そして彼らが僕らにまで矛先を向けてこないという確証はどこにもないんだ。ほら、例えばそこにいる奴とかね」
 俺はフォーティスの指さした方向を向いた。カフェの奥の席に体格のいい一人の男が掛けている。しかし、どこか常人とは異なる異様な雰囲気を漂わせている。なんと形容したらいいのかわからないが、とにかく普通じゃない様子。さっきから何も注文せず、ずっと窓の彼方、ミタウ・インターナショナル・カレッジの方を瞬きもほとんどせず見据えているのも変だ。

上条「いや、確かに変だとは思うけどさ、いくら何でも早急過ぎないか? ちょっと挙動や雰囲気が変わってるだけで決めつけるなんて」俺はまたフォーティスに向き直りながら言った

Fortis931「いや、あれは間違いなくローマが送り込んできた刺客だね。同じ臭いがする。同業者だから分かるのさ、僕は。とにかく、面倒なことになる前にさっさと解決させたい。だから君を呼んだんだ」

 そして彼は立ち上がりながら言った。

Fortis931「悪いが少し席を開けさせてもらうよ。ちょっとやらなければいけないことがあるんでね」

彼は近くにいたウェイトレスを呼び止めて頼んだ飲食物の勘定を済ませると、店の隅にある木の板で囲われた公衆電話のブースに歩いて行った。

上条「ライバルは沢山、か…」

 言われてみれば確かにそうだ。自分たちとは別の理由で錬金術師打倒のため動いている勢力だって沢山あるだろう。何しろバックには世界宗教がついているんだから。しかし、いくら目的が同じだからって、彼らが自分たちに友好な態度をとってくれるとは限らない。むしろまとめて始末されるかもしれない。
 それに大勢の思惑が絡めば絡むほど問題は複雑にこじれてゆく一方だし、一度に様々な勢力が一斉に大挙して押しかけて大混戦、といった事態になれば必要以上に犠牲者が出るかもしれないのだ。
俺は懐に手を入れ、隠し持った銃の感触を再び確かめる。できればこんなものを使うことなく済んでほしい。しかしそれならば、なおさら迅速な解決が求められるだろう。せいぜい話し合いくらいで平和的に収めたいものだが。

 そんなことを考えながらフォーティスのいる電話ブースの方に目を向ける。相手と口論・・・になっているのだろうか。さっきからいったい誰と話してるんだ?
あ、目が合った。

Fortis931「代わってくれ。彼女はどうやら君と話しがしたくて仕方がないらしい」

 『彼女』? 俺は言われるままブースに歩み寄り、差し出された受話器を受け取って耳に当てた。電話越しなので少し変わってはいたが、確かに聞き覚えのある声だった。

インデックス「トーマ、大丈夫? けんさ?っていうやつに行かなきゃいけないみたいだけど、何か変なことされたりしてない?」

 開口一番に俺の心配をしてくれるとは。やっぱりあの娘に間違いないようだ。そういえば今日初めて会話を交わしたんだったな。俺は彼女の声が聞けたことでほっとした。

上条「ああ、大丈夫さ。検査はこれからだからな。少し時間はかかると思うけどなに、今日中に帰れるはずだから安心してくれよ。気遣ってくれてありがとな」

インデックス「ううん、お礼には及ばないんだよ。それにしても、私は電話なんて使ったの今日が初めてだからびっくりしたんだよ。トーマって普段からこんなややこしくて心臓に悪いものを使いなれてるの?」

 なんと、このご時世において電話が一般的な道具だという概念を持ってないとは! どんな過去を持っているのかは知らないが、およそ文明社会からかけ離れた生活を送っていたということだけは確かだろうな。帰ったらいろいろと教えてやることがあるな。

上条「いや、確かに最初はベルの音に驚かされるかもしれないけど、慣れればそんなにおっかないものでもないし何より便利なものだよ。電話っていうのは――」

そこで通話は途切れた。だしぬけにフォーティスが受話器をひったくったからだ。

Fortis931「すまない、もうすぐ始まるからせっかく盛り上がりそうなところ悪いけど切らせてもらうよ。後でまたかけ直すからさ」
 彼はそれだけ言うと受話器をガチャリと戻してしまった。

上条「おい、なにするんだよ!まだ話をしてる最中だってのに・・・・・・」

Fortis931「なにするもこうするもない! 悠長に話なぞしてる暇はないぞ! 見ろ! 本格的に動き出した!」

 そう言いながら彼が指さした方向、窓の向こうに俺は目を向けた。

 例の怪しい男はいつの間にか店を出ており、件の建物に向かって走り去ってゆく途中であった。何の気配も感じさせずに移動したことにも驚いたが、何よりも驚かされたのはその格好だ。男はいつ着替えたのか銀色の鎧兜に身を包んでおり、長剣を携えていた。まるで中世の騎士のようないで立ちだ。そんな目立つ姿をしているにもかかわらず通行人が誰一人として関心を向けていなさそうなのもまた不可思議だった。

上条「何なんだ、あれ……?」
 
 フォーティスは答える代わりに言った。

Fortis931「僕らも行こう。後を追うぞ」

上条「ち、ちょっと待てよ! まだ早すぎないか? 確か人目につきにくい日没以降に行動を始めるって話じゃ・・・・・・」

 店内の時計を見るに、時刻はまだ1時半を回ったばかりであった。

Fortis931「予定は前倒しで行く。いくら小細工するしか能のない相手だからって油断はできない。どんな罠を仕掛けてくるか想像もつかないからね。でも彼のすぐ後をつければ突破の仕方が分かるかもしれない。それに、君だって早くけりをつけて帰りたいだろう?」

 確かにフォーティスの言う通りだ。しかし、あまりにも展開が早すぎてなかなか思考が追いつかない。もう少し考える時間が欲しい。なぜそこまで急ぐ必要があるのか、そしてあの騎士はいったい何者なのか、知りたいことも沢山だ。

 何も返事がこないのにしびれを切らしたのか、フォーティスは無理やり俺の手をつかんで店外へ引っ張り出した。

上条「なあ、おい、ちょっと待てってば!」

 周囲からはさぞかし奇異な目を向けられていることだろうなと思いつつ、俺は走りながらフォーティスに尋ねた。

上条「なあ、あいつはいったい何者なんだよ?」

Fortis931「おそらくローマ正教が抱える一三騎士団の兵士の一人だ。連中、どうやら本気で首を獲りに来たらしい。奴は内部の状況を偵察するために送り出された斥候、といったところだろうな。本隊が到着する前に急ごう」


建物――南棟だ――の玄関口に近づくにつれ、よりその異常な雰囲気が周囲と際立って感じられた。ここだけほとんど人通りがない。走っているうちに、騎士が玄関の手動式回転ドアの前にたたずんでいるのが見えてきた。

上条「そろそろ止まろうか。下手に近づきすぎると尾行がばれるかもしれない」

 30mほど手前で立ち止まり、様子をうかがう。すると、騎士は回転ドアをくぐって建物の中に入っていった。正面から突入するっていうのか?

上条「見たかあいつ? 躊躇なく突っ込んでいったぜ。無鉄砲ってのはああいうのを言うんだろうな」
 俺がそうフォーティスに話しかけると、


Fortis931「追いかけよう。僕らも突入するぞ」


彼は肩で息をしながらそう答えた。大した距離は走っていないはずなのにもう息を切らしたっていうのか。でかい図体している割には体力がないな。いや、大事なのはそこじゃない。

上条「え? おい、ちょっと待てって! まさか正面から堂々と呼び鈴鳴らしつつお邪魔するっていうんじゃないだろうな!? 下手したら足踏み入れた途端待ち伏せくらって玉砕するかもしれないんだぜ? せめて裏口を探して忍び込むとか、ちっとは策を練るべきじゃないのか? 第一、俺たちまだ作戦なんて何一つ立てちゃいないんだ!」

Fortis931「入り口は正面玄関を除いては物資を運び込む搬入口がただ一つあるだけ、それも閉鎖されている。次に開放されるのは来月になってからだ。その辺はすでに下調べを十分に行ったから間違いない。無理にこじ開けようとしても敵に感づかれるだけだろう。それにあの男が何事もなく侵入に成功したところを見るに、入り口には特に罠は仕掛けられていなさそうだ。そして、いかなる異能の力をも打ち消す君の右手という、敵に対するこの上ない対抗策を既に僕らは持っているじゃないか……これで納得してもらえたかな?」

 そんなことを言われてもすぐ納得できるわけがない。こっちはまだ心の準備もできていないどころか、状況もまだ完全に把握し切れてないっていうのに。

そんな俺の心境を察したのか、フォーティスはビルを見上げながら言った。

Fortis931「確かに、中で何が待っているのか全く分からない。でも、行くしかないんだ。敵をただせん滅するだけならビルを丸ごと焼けば済む話だ。でもこれは違う。中で囚われている少女を救出しなければならないんだから、例え暗中模索でも入るしかないんだよ」
 そして彼は俺に向き直った。

Fortis931「君の右手が頼りなんだ。頼むよ」

 その様子は、とてもふざけているようには見えない。
 俺は改めてビルの玄関口へ向き直った。この先にあの少女、アイシャ・アリンナがいる。大の男がすくみ上るような場所にたった一人で閉じ込められているのだ。そんなこと、決して許されていいはずがない。
 俺は再び懐の拳銃に手をやった。冷たい感触を確かめた瞬間、身が引き締まった。
 覚悟は決まった。
 俺は玄関口――何の変哲もない回転ドアを見据えながら言った。

上条「分かった、行こう。当たって砕けろだ」

半年以上も更新できず申し訳ございませんでした
近日中に再開する予定ですのでもうしばらくお待ちいただきますようお願いします

おつ

>>231 ありがとうございます。大変長らくお待たせいたしました
冷静に考えたら当たり前のことだが、回転ドアの先に広がっていた光景はとても金城鉄壁の砦に似つかわしいとは言い難かった。埃一つ落ちてないほどに清潔で3階分の吹き抜けになったエントランスホールから、採光性を重視したガラス張りの壁や奥まった所にある4基のエレベーター、あのチラシ同様煽情的な文句が書き連ねられたポスターが何枚も張られている掲示板に至るまで、よくある小ぎれいなオフィスの玄関口――それがどんなものなのか俺はよく知らないが――といった趣だ。ただ違うのは、フロアを行き来しているのが勤め人ではなく俺達と同年齢かもっと年下の子供たちばかりだという事。自動販売機の周りにたむろして談笑する者、ベンチに腰掛けて難しげな語学書を読みふける者……いずれも休憩中の生徒たちなのだろう。それぞれ自分のことに集中していて、俺たちの存在を特に意識している様子はない。

小ぎれいではあるが…
上条「なんだか、パッとしないな」

Fortis931「アラモ砦みたいなのでも期待していたのかい?」

フォーティスが少し呆れたような調子で言った。確かに彼の言う通りだ。表向きは今でも語学学校という事になっているのであり、その実態を知るものは俺たち含めごくわずかなのだから。

Fortis931「とはいえ、油断はできないよ。やみくもに動くと危険だ。ひとまず辺りの様子を探りつつ奴を探そう」

 上階へと続く階段へ向かう途中、大勢の生徒が階段を下りてくるのが見えた。隠れた方がいいのではと一瞬考えたが、すぐにその必要がないという事に思い至った。誰もこちらに注意を向けていない。
すれ違う時にも、振り向きさえしなかった。誰一人として俺たちを気に留めていない様だ。

上条「妙だな」

Fortis931「そうだね。明らかに場違いな奴が二人もいるというのに、一瞥さえもくれないというのはたたごとじゃないね。別に禁煙じゃないってのならまだわかるが」

 俺はともかく、フォーティスの方は明らかに学生の身なりではない。これだけ生徒が大勢いる中で背の高い異様な風体の男がタバコを燻らせながら一人だけいたら嫌でも目立つだろうし、フロントの受付係なり警備員なり、誰かしら声をかけてきそうなものだが。
 ふと、ある馬鹿げた考えを思いついた。とても熟考の末の結論にはなりえない、可能性としてまずありえないような考え。俺はその思い付きを気後れすることなくそのまま口にした。

上条「なあ、もしかしてこれって、あえて俺たちを意識しないようにしてるんじゃなくて、実は本当に見えていないんじゃないのか?」

 てっきり一笑に付されると思っていたが、フォーティスの答えは意外な物だった。

Fortis931「ド素う・・・アマチュアにしてはなかなか鋭いね。実は僕もその線を考えていた所なんだ。彼ら一般人には我々のことが決して認識できないよう、何らかの魔術が施されている可能性も考慮に入れた方がいいかもしれない」

上条「マジか・・・」

 普通ならまずありえないことだが、ここでは何が起こるか分からない。

上条「でもさ、生徒たちには見えないとしたらむしろ願ったりかなったりじゃないのか? だって、どんなに派手な行動をしても絶対に怪しまれないってことだし…」

俺がそう言いながら後ろを振り向いた瞬間、目の前数十ft先に大きな何かが落ちてきた。それは派手な音を立てて床面に激突し、散らばった。

フォーティスも音を聞きつけ振り返った。

Fortis931「ん? 何だ?」

 しかしそれ以上興味を示そうとしないフォーティスを尻目に俺は落下物に近寄り、それから上を見上げた。
エントランスの最上部にあたる3階。よく見たら、墜落防止のフェンスが大きく壊れている箇所があった。まるで自動車でもぶつかったみたいに。
あそこから落ちてきたのか・・・。
 
 近づいてよく見てみると、落ちてきた物体は人型の金属塊のようだ。中世の甲冑みたいな形をしているが、ある種の航空機をほうふつとさせる流線型で現代的なデザイン。それが四肢を投げ出し床にあおむけに横たわっている。何らかの機械のようだ。しかし、仮にそうだとしてもすでに機能は失われているだろうというのは容易に想像がつく。というのも、その人型機械はぐしゃぐしゃに破壊されているからだ。人間で言う手足にあたる部位はひしゃげ、折れ曲がり、あるものは本体から完全にもげて転がっていた。その近くには踵から腰までの丈とほぼ変わらない長さの弓が転がっている。外付けパーツか何かだろうか。
ロボットか? だとしたらなんでこんな場所に?
砕けた関節の隙間、大きくへこんだ腹部にある大きな裂け目・・・いたるところから錆びたような臭いのする赤黒いオイルがとめどなく流れ出し、パーツの断面からは血まみれの人の手が飛び出し・・・・・・
人の手?
よく見ると、胴体の裂け目や関節の隙間から赤い中身が垣間見える。もしあれが、コードや内骨格の類じゃないとしたら? 実はロボットなんかじゃなく、鎧を着ただけの『人間』なのでは?
嫌な予感が頭をかすめる。じゃあ、このオイルみたいな液体は、まさか・・・・・・。

Fortis931「おやおや。何があったかと思えば」
フォーティスも近づいてきた。口調も表情も平然としている。こんな光景を目にしながら、眉一つ動かしていない。

上条「なあ、これってさ……」

Fortis931「施術鎧による加護と天弓のレプリカ・・・恐らくさっき突っ込んでいった斥候だろうね。いや、『だった』というべきか。もっとも、顔を拝まない事には何とも」彼はそう言ってから、頭部を覆う兜を脱がせるよう手で促した。
兜に手をかけた時、バイザー(目覆い)の隙間からかすかに空気の漏れる音がした。俺はまさかと思い、バイザーを(すごい重さだった)上に押し上げる。
現れた顔を見ると、確かに建物へ突入する際に見たあの男だった。目を閉じて苦しそうにしながらも、辛うじて呼吸をしている。

上条「生きている! よかった、今ならまだ間に合い・・・」

Fortis931「いや、こいつはもう死んでいるよ」

フォーティスが宣言した時の声があまりにも冷たく聞こえ、俺は思わず振り返った。相変わらず無表情だ。

上条「は? いったい何を言って・・・」

Fortis931「ああ、心臓が鼓動している一点のみに限れば確かに生きているね。でも折れた肋骨が肺を突き破り、全身の血管がずたずたになっている。恐らく臓器もほとんど潰れているだろうね。それにさっきの衝撃で首も折ったろう。これはどうしようもない。もう手遅れだよ」

上条「なに言ってやがる!」

 俺は分からなかった。何故ろくに見もせずにそんな風に言い切れるのか。なぜまだ息のある人の前で無神経なことが平気で言えるのか。
もういい、こいつ相手じゃ話にならん。俺はつかみかかりたくなる衝動を抑えつつ、すぐ脇を通りかかった学生たちに声をかけることにした。


上条「なあ、君達でもいい、すぐに救急車を呼んでくれないか? 見たろ? 今ならまだ間に合うかもしれないんだ」

彼らは何も答えない。あたかも俺たちが存在しないかのように談笑を続けながら歩き去ってゆく。こんな近くにいるんだから気づかないはずないだろうに。

上条「おい! すぐ隣で人が死にかけてんだぞ! さっさと救急車を呼べって・・・」

 たまたま近くにいた生徒の一人の肩を勢いよくつかんだ途端、ものすごく強い衝撃と肩が引きちぎれるかのような痛みを感じた。
慌てて手を放す。彼は俺がつかんでいようがつかんでいまいがお構いなくそのまま歩いて行った。
 強くつかんでいたにもかかわらず、思いっきり前に引っ張られたのは俺だった。いや、あれは引っ張るなんてものじゃない。車に手をかけたまま引きずられるかのような衝撃だった。相手は少しも揺れず、後ろに引っ張られてバランスを崩すという事もなかった。まるで俺の手が空気か何かであるかのように。そもそも人の肩をつかんでいるという感触がなかった。布や皮膚があんなに硬く冷たいだなんて……。

Fortis931「あれを見てくれ」

 俺はフォーティスがそう言って指さした先を見た。鎧から溢れ出した赤黒い血が床面を浸している。そこへ、一人の少女が通りかかり、血だまりの上をあたかも硬い床の上を歩くかのようにそのまま歩いて行った。靴底には血の一滴すらつかず、足跡が残ることすらなかった。
あの大量の血がまるでアスファルトか何かのような扱いだ。

Fortis931「なるほどね……」

上条「なるほどねって何が」

Fortis931「どうやらこれはそういう結界みたいだね。いわばコインの表と裏。『コインの表』の住人――何も知らない一般人の学生たちは『裏側』にいる僕ら魔術師を認識することは出来ず、逆に『コインの裏』の住人である僕らは『表側』には一切干渉できない。そして…」

 そう言いながらフォーティスは足元のカーペットの上に火のついたタバコを落とした。カーペットは焦げるどころか煤一つつかない。

Fortis931「建物そのものは『コインの表』らしい。今の僕らにはもはや自力でドアを開けることすらできない、完全に袋のネズミってわけだね。いやあ、実によくできた結界だよ。まんまとしてやられた。君も見事な推理力だったよ、ご明察」

 そんなことを言われてもちっとも嬉しくない。

上条「じゃあ、どうすればいいんだよ? 公衆電話を使うこともできなければ外へ運び出すこともできないなんて・・・・・・」

Fortis931「死人に対して、やるべきことは一つ」

 そう言いながら彼は懐から小さな十字架を一つ取り出した。

Fortis931「悪いがここから先は僕の領分だ。言い忘れていたけれど、僕は神父でもあってね」
 気迫に満ちた声だった。先ほどにも増して、表情にも真剣さが満ちている。
フォーティスは十字架を片手に今にも事切れそうな騎士の元へ歩み寄る。騎士の顔の近くにしゃがみ込んで十字架をかざすと、今までピクリとも動かなかった騎士の右腕がゆっくりと持ち上がった。潰れた右腕の籠手には【Partsifal】と刻まれているのが見えた。この男の名だろうか。
騎士は十字架を受け取ると口づけをした。
 
Fortis931「天にまします我らの父よ、願わくは、御名の尊ばれんことを、御国の来たらんことを・・・・・・」

 ふざけた風体や態度が嘘のようで、今の彼の姿はまごう事無き神父のそれだった。

Fortis931「我らを悪より救い給え。アーメン」

パルツィバル「アーメン」

 騎士の口が初めて動いた。よく耳を澄まさなければ聞こえないほどかすかな、それでいて確かな声だった。
フォーティスは小さく頷き、続けた。

Fortis931「主よ、永遠の安息をかれに与え、絶えざる光をかれの上に照らし給え。彼の安らかに憩わんことを。アーメン。主よ、わが祈りを聴き容れ給え。わが叫びを御前にいたらしめ給え」
 
 全てを聴き終えた途端騎士の右手がゆっくりと降りてゆく。全身の緊張が解けてゆくのがはっきりと見て取れた。そして、彼の表情は平穏そのものであった。
一切の苦しみから解き放たれ、すべての未練を断ち切り、魂を満たされて去ってゆく。
落ちた右手が床を打ち鳴らす音は、その旅立ちの合図のようだった。
フォーティスはひとしきり鎧を脱がせてから騎士の腕を胸の上で組ませ、その上に十字架を置き立ち上がると、俺の方を向いた。

Fortis931「行こうか。戦う理由が増えたみたいだ」

 本当に、何者なんだコイツは?

Fortis931「しかし、施術鎧をああもずたずたに引き裂くとは……」

 階段へ向かう道すがら、またもフォーティスの口から聞いたことのない言葉が飛び出した。

上条「何だ、そのセジュツガイって?」

Fortis931「ああ、施術鎧というのは文字通り魔術を施した鎧のことだよ。さっきの騎士が着ていたやつさ。物理攻撃の衝撃を吸収・分散させる力を持っていて、よほど強力な攻撃、それこそ水爆でも使わない限り装甲は破られないはずなんだ。反面魔術攻撃には弱くできているんだがね。いずれにせよ3階から突き落とされたぐらいでああ成るとは到底思えない。まさか、大量の学生に撥ねられるか踏み潰されるかしたのか、それともまた別の障害があるのか……」

 思わず身震いがした。どちらにしても今の俺にはぞっとする話だ。何しろ今の俺たちは『コインの裏』にいて、『表』に存在する人間や物には手も足も出ないのだ。さっきの手にかかった衝撃を考えると、どんな体格の人間だろうとどんな人数だろうととてつもない脅威になっているという事だけは間違いなさそうだ。水爆に耐えられる鎧を壊せるほどだなんて・・・。
これだけでも侵入者の命を奪うには十分なのに、この他にもさらに罠が仕掛けてある可能性があるだなんて、とてもじゃないが生きて帰れるとは思えない。というか、そもそも出る術がない。
先ほどは深く考えなかった結界の意味、今ようやくその恐ろしさが理解できつつあった。

 いや、一つだけ光明が見えた。先ほどの「結界」という聞き慣れぬ言葉。もしそれが魔術によるものならば、俺の右手で何とかなるのでは・・・・・・?
 さっそく壁を右手で叩こうとすると、早くも俺の意図を察したのかフォーティスが言った。

Fortis931「無駄だよ。この魔術の『核』を潰さない事にはね。そして、その『核』は結界の外にあるみたいだ。この手の魔術では定石だよ」

上条「そんな・・・」
 全身から力が抜けていくのを感じる。万事休す。金庫から出ようとしているのにその金庫の扉を開ける鍵が扉の外にあるだなんて……
 同時に別の感情が沸き上がってきた。怒りだ。
何故俺がこんなことをしなければならないのか。散々せがまれてついていったらこのざまだ。さっきからいったい何が起こっている? 俺はただこの男にだまされているだけなのではないか・・・?

 表情で俺の心中を察したのかフォーティスは言う。

Fortis931「こんなの聞いてないぞ、とでも言いたげな顔だけど、ここは戦場なんだ。死体の一つや二つ転がっていたとしても不思議ではないし、どんな罠が仕掛けてあったとしてもおかしくはないだろう? 頼むよ、君 の 右 腕 が頼りなんだから」

それだけ言って、さっさと先に行ってしまった。まるで俺自体はどうでもいいみたいな言い草だ。一瞬背中を蹴りつけたくなったが、その瞬間まだこの建物内に囚われているであろうアイシャ・アリンナのことを思い出した。こんな危険なところに捕らえられているのなら、猶更すぐに助け出すべきではないか? 彼女の顔写真を見つけた時に抱いたあの気持ちは嘘だったのか? そもそもあの男を信じてインデックスを預けてついてきたのは俺ではないか?
そう考えると、怒りをいやでも抑えざるを得なかった。俺はすぐに彼の後を追った。

上条「ちょっと待てよ! じゃあまずは何をすればいい?」

Fortis931「まずは隠し部屋を探そう! 一番近いのは南棟5階にあるカフェテリアの隣だ!」

 脱出の糸口をつかむためにも、今は我慢してこの男に従った方がいいだろう。

 階段を上るのはひどく骨が折れた。何しろ『コインの裏側』にいる俺達は『表側』に対して一切干渉することは出来ず、そしてこの建物は『表側』に属しているのだ。当然、床を踏んだ衝撃はすべて自分の足にそのまま跳ね返ってくる。
足腰にかかる負担は普段の比ではない。一歩一歩踏みしめるたびに同じ力が反対側からもかかるのだ。険しい岩山を登る時の感覚がこれに近いかもしれない。
それはフォーティスも同じのようだった。

Fortis931「敵、も・・・ゼェ・・・対等の条件であることを祈るしか、ゼェ、ないね。ハァ、少し荷物を減らすか」

 肩で息をしながらそう言ったフォーティスが軽く体をゆすると、銀色の重そうなものが落ちてきた。ひしゃげ、捻じ曲げられて既に原形をとどめていない鎧の籠手片手ぶんであった。

上条「それ、まさかさっきの死体から盗んできたのか・・・?」

Fortis931「人聞きの悪いことを。手持ち無沙汰だったから念のためにちょっと拝借しただけさ。第一、あれはもうとっくに魂の抜けたただの抜け殻なんだし、死者を見送る義務はとうに果たしたんだから何も問題はないだろう?」

俺はどんな言葉を浴びせたものか思いつかなかった。つくづく、呆れた神父だ。


階段を踏み外して数段分転げ落ちること3回、降りてくる人に鉢合わせて危うく押しつぶされそうになること5回。手すりにしがみつきながら何とか5階にたどり着いた時にはすでに窓から見える日は傾きつつあった。

誰もいないのを確認した上で、俺は床にへたり込み足をだらしなく投げ出して休息をとった。
Fortis931「休んでる暇はないよ。急がなくては」

上条「ちょっとだけだよ。くそ、これならエレベーターを使えばよかったぜ…おっと失礼」

Fortis931「『コインの裏側』にいる僕たちが『コインの表側』にあるボタンを押す方法があるというのならぜひとも教えてもらいたいな」

上条「分かってるって。一瞬忘れただけだ」
 それだけじゃない。もし仮に生徒たちに混じって乗り込むことに成功したとしても、次の階でより大勢が乗り込んで来たら圧死は避けられないだろう。『裏側』は一切『表側』に手出しできないのだから。

さて、5階についた。
フォーティス曰く、ここには図面と外部からの赤外線や超音波による測定結果との間に食い違いがあるらしい。知られざる空間、つまり隠し部屋が存在するということだ。

Fortis931「そして、図面によるとここらしいんだけどね」

カフェテリアへつながる廊下のど真ん中。フォーティスは何の変哲もない壁をコツコツと叩いた。

上条「でも、入りようがないんじゃどうしようもないじゃねえか」

Fortis931「そうだね。でも、確かめておくに越したことはないと思うよ。どんなに強固な結界が築いてあろうと、その主であるオーレオルスを始末してしまえばいいだけの話だからね」

上条「おいおい、始末って・・・・・・」

 やけに物騒な言葉を選ぶな。正直俺は、あんな目に遭っておきながらまだその錬金術師が本当に悪い奴なのか断定しかねていた。それに足る根拠が十分じゃないからだ。さっきの騎士だって正当防衛だったかもしれない。なのにこの男ははなから一戦交える気だ。殺すことすら辞さないだろう。

Fortis931「それから、なにやらあの食堂も怪しい。ちょっと見てみよう。そこに隠し部屋の入り口があるのかもしれない」


食事時ではないにもかかわらずカフェテリアには多くの生徒がいた。どうやら普段は自習用のスペースとして開放されているらしい。通路とは違いこちらでは人の動きは読みづらいため、ここでも気の休まることはない。むしろこれまで以上に神経を尖らせなければならない。

Fortis931「存外大したことないものだね」

 巧みに向かってくる生徒を交わしながらフォーティスが言った。

上条「何が?」

Fortis931「いやぁ、てっきり教祖様の御真影や像を祀った祭壇でもあるのかと思ってね」

 そう言いながらあたりを退屈そうに見まわすフォーティス。俺もつられて周囲を見渡した。

上条「確かに危険は低そうだけど・・・」
 そう呟きながらちょうど隠し部屋のある側の壁に目を向けた時、見慣れない単語が目
に入った。
 隠し部屋を食堂と区切るぶ厚そうな壁の前には狭い調理場があり、その手前は注文品を受け取るためのカウンターや出来た料理を入れておくショーケースが置かれた受け取り口になっている。その受け取り口のすぐ脇に貼られたポスター。そこに書かれた名前が引っ掛かった。

上条「『光十字減災財団へのご理解を』・・・光十字?」
 聞いたことがないのは当然だとしても、名前は知らないしどんな団体なのかも想像つかない。『前』の俺も知らなかったようだ。

Fortis931「この街で行われている研究を支援している協力機関の一つらしいね。他にもシカゴ大学や国立気象局とも協力関係にあるとか・・・・・・。ここら辺はむしろ君たちの方が詳しいんじゃ・・・おっと失礼、記憶を失っていたんだよね」

上条「別に構わないさ。それで、具体的に何をする団体なんだ?」

Fortis931「任務は主に防災研究の監督や資金の援助。政府への研究予算の申請や監査を補佐し、各研究機関の仲を取り持って利害衝突を防ぐ折衝役というのが主な仕事だって聞いたよ。
母体になった光十字は1500年前に西アジアで創設されたという成教系の医療団体さ。十字教系の慈善団体だから、まあ、救世軍みたいなものだろうね。ペストや赤痢やスペインかぜと戦ってきたって主張しているけどどこまでが真実なのやら……」

上条「なるほど」

Fortis931「元々本部はアテネにあったんだが、20年前に内戦から逃れるためアメリカに拠点を移したんだ。しかし解せないな、数年前から財政難で活動を停止していると聞いたのに・・・」

 よく見たら、カフェテリア内のいたるところにポスターが貼ってあるようだった。ポスターだけじゃない。光十字のものらしき銘板や十字架のオブジェも飾ってある。
どうやら活動を再開しているだけでなく、この学校の運営にも何らかの形で関与しているようだ。でも、なぜこんな学校なんかに?
いや、そんなことを考えるのは後でもいい。光十字云々は特段ヒントになりそうにない。

 上条「なあおい、そろそろ出ないか? 入り口を見つけたところで今の俺たちに中へ入ることは出来ないわけだし・・・・・・」

 俺がそう言いながら辺りを見回すと、一人の生徒と目が合った。その生徒は棒立ちで俺の方を向いていた。たまたま視線がかち合っただけかと思ったが、すぐに相手がどうやら俺を凝視しているらしいということが分かった。
 いや、一人だけじゃない。二人、三人、四人・・・・・・気が付けばそこにいた全員が俺たち二を眺めていた。人間らしいしぐさはどこにもなくなり、ただ無機質な瞳がこちらを見つめているだけ。どういうことだ? 『表』の人間は『裏側』には一切気づかないはずだろう?
 その時、生徒の一人が口を開いた。

男子生徒1「熾天の翼は輝く光、輝く光は罪を暴く純白――」

 彼が呟きだしたのは意味の分からない言葉。続いて、他の一人も彼の後に続き、

女子生徒1「純白は浄化の証、証は(男子生徒3)「行動の結果、結果は未来、未来は(男子生徒4)「時間、時間は(女子生徒2)「一律――」」」」

二人の声にすぐさま三人目の声が重なり、その上に四人目、五人目・・・・・・。
いや、数人だけではなかった。この部屋中の人間が一斉に唱え始め、すぐに耳を聾さんばかりの大合唱になった。同時に生徒たちの眉間にピンポン玉大の青白い光球が造り出されてゆく。

Fortis931「ああ、まずいな。第一チェックポイント突破ってところか。『コイン』が裏返ったらしい・・・・・・」

 フォーティスの呟いた意味を理解するまでにそう長くはかからなかった。

上条「まさか、今のこいつらは・・・・・・!」
 魔術師。

「罪悪とは己の中に、己「「の中に忌み嫌うべきものがあ」るなら」ば、熾天の翼「により己の罪を「暴き内側から」弾け飛ぶべし――ッ!」

 合唱が終わるよりも早く、俺たち二人は出口に向かって跳ねるように駆け出した。視界の隅に、成長の終わった大量の光球が一斉に二人のいた位置めがけて放たれるのが見えた。

 部屋から飛び出すや否や、背後で大爆発が起こった。背中に伝わった熱風からも、あの小さい光の玉一つ一つが相当な熱さと威力を持っていることが想像できた。

Fortis931「なるほどね。隠し部屋の近くにはこんな形で自動の警報を仕掛けている訳だ」

上条「悠長に推理している場合か! 見ろ、第二波が来るぞ!」

 そんな会話をしている間にもカフェテリアの入り口からは大量の火の玉が堰を切ったように流れ出してくる。

Fortis931「何をしているんだ! こんな時こそ君の右腕の出番だろう!?」

 そう言われて俺は試しに右腕で光球を触ってみるが、目の前に迫ってきたやつを二、三個消すのがやっとだった。

上条「無理だ! こんな量捌き切れるわけがない!」

俺たちは火砕流のように迫ってくる光の奔流から逃れるため、廊下をひた走った。そうするしかなかった。声はもはや建物全体を揺るがす大きさになっている。一つの部屋にとどまらず、建物中の人間が作り出す言葉の大渦だ。

上条「なあ、これはいったい何なんだよ!?」

Fortis931「バチカンの最終兵器、『グレゴリオの聖歌隊』さ。正しくはそのレプリカだがね。どうやら僕らはあの男を少々見くびっていたようだ」

上条「『グレゴリオの聖歌隊』?」

Fortis931「3333人の修道士を聖堂に集め、レンズで光を集めるように祈りの力を集中させ、魔術の威力を増幅させるんだよ。この学校の生徒の数は2000人ほどだったはず。レプリカとは言え、それだけの人数を動員しているのだとすればフルパワーなら本物とそん色ない威力のはずだ」

 2000人だって? 完全に閉鎖された建物の中でそんな数を相手に勝ち目なんてあるのか?

 そうこうしているうちに階段へたどり着いた。とにかく上へ向かうことにした。

上条「勝算はあるのか?」

Fortis931「『核』だよ。大勢の人間をシンクロナイズさせないとこの魔術は成功しない。その動力源となっている核さえぶっ壊せば無力化できるはずだ。恐らく結界の核と同じだろう」

上条「それってつまり結界の外にあるって事だろう? その結界から出られないって話なのに! どうするんだよ!」

 おしまいだ。万事休す。このままおとなしく焼き殺されるしかないのか。そんな絶体絶命の状況だというのにコイツ、ずいぶんと暢気に構えているな。その余裕はいったいどこから来るのか。

Fortis931「落ち着けって。秘策が一つだけある」

上条「じゃあ、さっさとそれを使ってくれ!」

Fortis931「そうかい」
 
 そう言ってフォーティスは俺の方を向いた。
か つ て な い ほ ど 楽 し そ う な 笑 み を 浮 か べ て 。

Fortis931「じゃあ、昼食代払ってもらおうか」

 嫌な予感がして身構えた時にはもう手遅れだった。

 どれだけ転げ落ちたか分からない。ただ、全身のあちこちがひどく痛い。どこか骨が折れているかもしれないし、我ながら生きているのが奇跡だ。
突き落とされる瞬間、すぐ背後から「お気の毒に、カカシくん」という声がはっきりと耳に入った。朦朧とした意識の中で階段のはるか上方をすぐ振り返るが、既に奴の姿はない。野郎、妙に馴れ馴れしいと思ったら、最初からこれが目的で……!

 仲間だと思っていた奴の裏切りに憤っている時間はなかった。痛みにうずくまっている間にも光の洪水はこちらへ狙いを定めて襲い掛かってくる。
 俺は痛む体を無理やり動かして階段を駆け下りた。少し視点を上げると、あらゆる階から光球の流れがどんどん合流して洪水を際限なく膨らませてゆくのが見える。逃げているうちに頭の中にある考えが浮かぶ。
もしかして、俺の位置は敵に完全に把握されているのではないか。あの男はここが魔術で外と区切られていると言った。もしこの空間が魔力か何かで満たされているとしたら? そして、俺の右手がその何かをも片っ端から打ち消してしまっていたとしたら?
 やはり俺は最初から囮として連れてこられたのではないだろうか。何故あの時断らなかったのだろう。

上条「ちくしょうが!」

 もうこんなところから一刻も早くおさらばしたい。自分が誰なのかもろくに知らないのになぜこんな目に遭わないといけないのか。

 階下から別の足跡が聞こえる。まるで俺の行く手を阻むかのように。俺は懐をまさぐり、拳銃がまだあることを確認するとそれを取り出した。誰であろうが俺の邪魔はさせない。

階段の先にいたのは一人の女の子だった。おさげにした黒髪に丸い眼鏡、歳は俺より一つか二つ上か。かわいらしい顔だが当然見覚えがない。

女子生徒3「罪を罰するは炎。炎を司るは煉獄。煉獄は罪人を焼くために作られし、神が認める唯一の暴力――」

 そして、残念なことに彼女もなんとかの聖歌隊とやらの統制下にあるようだ。言葉を紡ぐたびに眉間に浮かぶ青白い光の玉が大きさをと輝きを増す。

上条「どけ、俺には時間がない――」

 俺はそう言って拳銃を構えたまま押し通ろうとした。何なら引き金を引いたって構わない。


 その時だった、彼女の頬がばじっと弾けたのは。

上条「え・・・・・・?」

 いや、頬だけじゃない。一句一句を発音するたび、指、鼻、服の中、あちこちの皮膚が小さな破裂を引き起こしてゆく。

女子生徒3「暴力は・・・・・・死の肯定。肯、て――は、認識。に――ん、し――」

上条「もうよせ! やめろ! 無茶するな!」

 それでもやめない。体内もズタボロになっているのか口の端から血を垂らしながらも彼女の言葉は止まらない。とっくに光球は消え去っていた。

女子生徒3「・・・・・・き、は――己の、中に。中、とは――世界。自己の内面と世界の外面、を、繋げ」

 そこまで言った途端彼女の眉間が真っ二つに裂けた。それが決め手になったのか、彼女は沈黙し、しばらく棒立ちになったかと思うと前のめりに倒れかかった。
俺は彼女を受け止めた。まだ息はあるようだ。
俺は彼女を抱いたまま走り出そうとした。すぐそばまで例の光球が迫っているというのにまさか放っておくわけにもいかない。巻き込まれないよう、なるべく安全な場所まで運ぼうとした。
が、出来なかった。意識を失った人間の体がここまで重いとは知らなかったのだ。
そうしているうちに例の奔流が追いついてくる。逃げる時間はない。
 せめて盾になろう。俺はちょうど彼女に覆いかぶさるような体勢になり、そのまま目をぎゅっと閉じ――

  いつまで経っても、何の熱さも痛みも感じない。まるで時間が止まったみたいだ。俺は恐る恐る目を開けた。
 鼻先にまで光球の流れが迫ってきているところまではいい。問題は、なぜ俺たちを飲み込まんとしていた何百何千もの光の玉が空中にピタリと止まっているのか。
 やがて球体はまた動き出した。しかし、今度は下に向かって。無数の球体はまっすぐ床まで落ちると、そのまま消えてしまった。
 どういうことだ・・・・・・?


  カツン、とさらに階下から足音。俺は気絶した女子生徒の体を床に置き、下を覗き込んだ。
 夕暮れの日差しが差し込む次の階への出入り口。

 そこから『ディープ・ブラッド』アイシャ・アリンナがこちらを見上げていた。


#3 ' Damsel in distress'      to be continued.

更新が遅れて大変申し訳ございません。
本日より投下を再開いたします
長らくお待たせして大変申し訳ございませんでした。

ここから先は主人公の目線である一人称とそれ以外の三人称(所謂『神の視点』になることも)に頻繁に入れ替わる予定ですので、区別のために一人称シーンでは最初にヘ(^o^)ヘを、それ以外では☆をマークとして付けることとさせていただきます。

それから、今さらですが禁書3期放送おめでとうございます


赤髪の魔術師、ステイル・マグヌスは――先ほど蹴落とした連れには魔法名であるFortis931の方を名乗った。魔法名とは魔術の行使の際に自分の名前として真名の代わりに宣言するものであり、主に敵や殺害対象に対して名乗られることが多い――カフェテリアより上の階に着き、今は何の変哲もない長い廊下の真ん中に立っていた。あたりのリノリウムの床の上には血まみれの生徒が何名か横たわっている。まだ動くものもいればそうじゃないものも。人の少ないここでこのありさまなら、他の階はいったいどうなっている事か。

Fortis931改めステイル・マグヌス(以下ステイル)「あいつらしくもない・・・・・・見ないうちにまたずいぶんと歪んだな」

 ステイルはタバコの吸殻を燃やして処理し、次の一本に火をつけた。

彼は持ってきた騎士の籠手にルーンを刻み魔術を施していた。2000人分の魔力を囮で誘導して1カ所に集中させ、その出所を鎧でできた即席の探知機で探しだす。かつて北欧において全く異なる文明を有していたとされる謎の古代人種・ドヴェルグの金鉱探査術式を応用したものだ。もっとも、実物よりはるかにシンプルな仕組みだが。

ステイル「奴に優しくしてやっているとき、何度虫唾が走ったことか。最期くらいは役に立ってもらわないと困るよ」 

 そして彼はその魔術によって『核』がここの壁の中にあることを突き止めたのだ。

ステイル「こんな事だろうと思った。『表』で隠すという事は、『裏』に対しての絶対的な防御を意味する。『裏』にいる限り、『表』にあるものは例えハンバーガーの包み紙であっても剥がすことは出来ないのだから。ただし……」

 ステイルは床に鎧を放ると懐からルーン文字の記されたカードを一枚取り出し、右手に持つ。すると、カードから炎が上がる。炎はやがて巨大な剣を形作った。

ステイル「完全に塗り込める事ができれば、の話だけどね」

ステイルはそう言って、壁に向かって炎剣で大きく薙いだ。

何しろ建設されてから40年以上の時間を経ている上、学校が買い取るまで十数年も無人のまま放置されていたおんぼろビルだ。戦時中にも大分無茶な改築がなされたようだし20年前のハリケーンによる損傷もあるはずだ。一見堅牢だが、中は穴だらけでボロボロなのだ。
それに、ステイルの操る炎は一定の形を持たない。壁にひずみでできたほんのわずかな穴があれば、それがたとえ1mmにも満たない大きさであったとしてもそこから流し込むことができる。

かくして、ステイルはそれが何なのか分からないまま『核』を破壊した。核だけに『かく』して。ごめんなさい。
しかし、彼はあることを忘れていた。それは、結界がなくなった瞬間からこの建物に自由に干渉できるようになるということ。それは彼の操る炎とて同じ。
摂氏3000度、華氏にして5432度にも及ぶ炎に経年劣化した鉄筋コンクリートが曝されたらどうなるか。そして、壁の中には無数の水道管が縦横無尽に張り巡らされており、そこを通る大量の水が高温にさらされて一瞬のうちに気化したら何が起こるか。

彼がそれに気づき、対処しようとした時にはすでに手遅れだった。壁が耳をつんざくような轟音とともに破裂し、荒れ狂う爆風が彼を吹き飛ばし、後方の壁に叩き付けた。

 目を覚ました時、ステイルは自分が穴だらけの壁を背にへたり込んでいることに気付いた。したたかに打ち付けた腰をさすりながら立ち上がり、辺りを見回す。
ひどいありさまだった。天井には亀裂が走り、床のいたるところが抜け、壁のあちこちが吹き飛んでいるせいで廊下が半分外へ剥き出しになっているようなものだ。そして、『核』があった件の場所には幅20ft近い大穴が開いていた。穴の縁からは熱でひしゃげた鉄骨やら折れ曲がりズタボロになった配管やらが飛び出し、配管の一部からは水がちょろちょろと流れ出ている。辺り一面には水蒸気が立ち込めており、その光景は彼の故郷であるロンドンの濃霧を彷彿させた。
ともあれ、見たところ幸いにも爆発に巻き込まれた人間はいないようだ。尤も、下に降り注いだ瓦礫の下敷きになった者はいるかもしれないが。
犠牲者を増やさずに済んだことに安堵して、ステイルは自分で驚いた。この世界に足を踏み入れてから久しく、とうに人間らしさなど捨て去ったものと思っていたのだ。
あの男の顔が脳裏に浮かぶ。思えばあいつに出会ってからすべてがおかしくなり始めた。

ステイル(あてられたか……)「調子狂うなぁ」

???「自然、この術を目の当たりにすれば左様な偶感を抱くのも論無し」

 水蒸気の中から声が響く。方向を確かめる間もなく、何か光るものがステイルの頭めがけて一直線に飛んできた。
 とっさに身をよじっていなし、飛んできたものを目で追い正体を見極めようとする。
それは、黄金の鏃だった。大きさは短刀ほどもあり、尻からやはり黄金の鎖が伸びている。
黄金の鏃はそのまままっすぐ飛び、彼の数十ft後方の床に勢いよく突き刺さった。そこに倒れ伏していた生徒の背中を刺し貫いて。
ステイルが目の前で突然行われた所業に嫌悪を抱くよりも早く、生徒の体が弾け飛び、そのまま周囲の床もろとも溶け始めた。たちまちそこには何やら煮えたぎった液体の水たまりが出来た。

ステイル(強酸で溶かしたのとはどうも様子が違う・・・これは、もしかして純金?)

???「瞭然、どこに潜んでいようとも『偽・聖歌隊』(グレゴリオ・レプリカ)を使えば核の元までおびき寄せられると思っていた。そして果然、貴様はここにいる」

 声のした方向に鎖は一瞬で巻き戻されていった。
ステイルは声のした先へ振り向いた。
前方から誰かが歩いてくる靴音が聞こえる。足音をひそめる努力もすることなく堂々と歩いてくるのが分かる。

???「当然、侵入者は二人であったはずだが・・・・・・貴様の使い魔はどうした? よもや『偽・聖歌隊』に呑まれたのではあるまいな」

ステイル「使い魔じゃなくて疫病神と言ってほしいな。呑み込まれてくれたなら大助かりだが、生憎あれはゴキブリ以上にしぶといのでね」

 そう答えたステイルは、

ステイル(そういえばあいつ、ベッタニンの靴がお気に入りだったっけか)

至極どうでもいいことを考えながら水蒸気の中からぬらりと姿を現した足音の主と対峙した。

30ftほど離れたところに姿を現したのは、7ft近い長身の青年だった。イタリアのメーカーが製造した高価な革靴を履き、すらりとした体も長い脚も高価な純白のスーツに包んでいる。緑色に染め上げられたスリックドバックの髪のおかげで派手な服装がより際立っていた。

ステイル「オーレオルス・アイザードか・・・?」

 オーレオルス「純然、いかにも私こそパラケルススが裔、アウレオルス・イザードである」

 ステイル「そうか。なら話が早い。今日は『あの娘』の件についてちと話があって来たんだが、その様子だと残念なことにティーカップを片手にテラスでのんびり歓談とはいかなさそうだ」

 ステイルは間合いを取るようにゆっくりと後ずさりを始めた。

 オーレオルス「判然、怖気づいた様だな魔術師」

 ステイル「そりゃあね、あんな危なっかしいものを振り回されちゃ距離も置きたくなるってものさ。得物はエーテル体かい? とすると原料は空間に充満する魔力かな?」

 ステイルは口元にうすら笑いを浮かべながら言った。

 ステイル「それで、ここまで呼び寄せたからには、説得したいわけじゃないなら何か切り札があるってことなんだろうね? まさか錬金術しか芸がないのに僕に太刀打ちできるだなんて思っちゃいないだろう? 教えてくれよ、今日は何個霊装を持ってきたんだい? 今日はどんな手品を見せてくれるのかい骨董屋さ

 オーレオルス「依然、貴様・・・」

 巣穴から蛇が這いだすような動きであの黄金の鏃がその上衣の右袖から顔を出す。

 ステイル「おっと、図星だったかな?」

 オーレオルス「リメン・マグナ!」

 再びステイルの顔めがけて飛び出した。一瞬だった。
ステイルは今度は体を低く沈めて躱した。鏃は彼のはるか頭上を飛び去り、もう一人の生徒を周りの建築材もろとも黄金に変えてすぐにまたオーレオルスの袖の中へ巻き戻った。

ステイルは険しい表情になり、無言のまま立ち上がった。今度は黄金に変わった生徒の方を振り返りもしなかった。

オーレオルス「俄然、なぜ黙っている? 何を驚くことがある?」

 今度はオーレオルスの方がうすら笑いを浮かべる番だった。

オーレオルス「錬金こそが我が生業(たつき)、我が役。我が名の由来を忘れたとは言わさぬ」

 ステイルは答えない。

オーレオルス「『リメン・マグナ』は私が開発した、いわば『瞬間錬金』とでも呼ぶべき錬金法。我が『リメン・マグナ』はわずかでも傷をつけたものを即座に純金へと変換するのだ。必然、貴様とて愕然とし口をつぐまざるを得んだろうが、これで終わらせるなよ。貴様も得物を出せ。その魔女狩りの王(イノケンティウス)、実体なき炎の化身すらも変換できるかどうか俄然興味がわいた」

ステイル「驚くだって? まさかね。ちょっとした考え事さ」

 突然ステイルは話し出した。あまつさえケラケラと笑い出した。


ステイル「まさか君がこんな無意味なことのために長い時間費やしてたのかって思うとさ、哀れでならないよ」

 オーレオルス「何?」

 ステイル「魔術において肝心なのは結果じゃない、結果を求める過程の実験や検証だ。いくら薬の調合が早くても効能自体は何も変わらないだろ? それと同じさ、たとえ一瞬しかかからないとしてもその結果生じるのは従来の錬金法と同じ、金だ。これでできることといえばせいぜい金の相場を大暴落させてブレトン・ウッズ体制を崩壊させ、英国経済にとどめを刺すくらいのものだ」

 オーレオルス「何だと?」

 ステイル「ああイノケンティウスね、悪いがアイツは留守番だよ。使いどころは僕が一番分かっている。少なくともここじゃないってことはね。いや。こんな奴ごときに使うだなんてアイツからしたらあまりにも役不足が過ぎるってものだよ」

オーレオルス「唖然・・・」

 ステイル「いや、そもそも炎剣を出すまでもないんじゃないかな? こんなチャチな代物、素手で十分かもな。戦闘の心得がない錬金術師がわざわざ敵を呼び寄せるなんてどういう風の吹き回しかと思えば、なんだ、まさかこんなシケた手芸見せるため

オーレオルス「憫然、笑止!」

オーレオルスの右袖からリメン・マグナが射出された。撃ち出された刃は正確にステイルの右胸を射抜いた。
 しかし、どういうわけかステイルは苦悶の表情とともに頽れることもなければ黄金に変わる気配もなく立ち続けている。正確に心臓を射抜いたはずなのに、なぜ?
 そんなオーレオルスの疑問にもお構いなく、

ステイル「ああいや、そういえばこれが君のとっておきだったんだよな。いや、失敬した。もっとすごいものを期待してたんだけど。ああ、いやぁいやぁ実にお見事ハイハイ結構結構」 
わざとらしい拍手とともに嘲るような調子で言った。

オーレオルス「憤然、貴様!」

オーレオルスは拍手の音をかき消すようにリメン・マグナの射出を繰り返した。
射出と巻き戻しの速度が速すぎて、幾重にも残像が残ってゆく。そのうちにいつしかそこには黄金の光線が生じた。生身の人間には到底ついてゆけない速度だ。ものの数秒で、ステイルは上半身がすっかり蜂の巣となっていた。
それでもしゃべるのをやめない。

ステイル「一つ聞いておこうか。オーレオルス・アイザードが錬金術を学んだのはいったい何のためだ?」

 オーレオルス「知れた事」
 錬金術師は手を休めないまま答えた。

 オーレオルス「錬金の目的は真理の探究。人が人の形を保ったままどれほどの高みに上ることができるのか、それを探るために学び舎の戸を叩いた」

 ステイル「じゃあ、わざわざこんなところに立て籠もる必要がどこにある?」

 オーレオルス「・・・・・・・・・」

 ステイル「案の定答えに窮したか。それが影武者の限界だな。あらかじめ入力された情報しか知り得ない偽物に、本物がとる想定外の行動の真意はわからない」

オーレオルス「暗然、何が言いたい?」
 口調こそは平然としていたが、顔にははっきりと焦りの色が見て取れた。
ステイルはそれを無視して続けた。

ステイル「ふむ、基礎物質にケルト十字を用いたテレズマの塊か、それにゴーレムの術式も応用したかな? 実に精巧な自動人形(オートマタ)だね。そこは腐っても元ローマ正教隠秘記録官というわけか、実にマニアックで凝った造形だ」
まるで実際に顕微鏡かなにかで分析したかのようにつらつらと推論を述べてゆくステイル。

 オーレオルス「答えろ! 何が言いたい!?」

 二回目に聞くときには強い怒気をはらんでいた。

 ステイル「この期に及んでまだ分からないのか? 自分自身が一つの霊装にすぎないってことに」

 オーレオルス「何?」

 オーレオルスの動きが止まった。穴だらけのステイルの体がゆらゆらと揺れる。しめたとばかりステイルは続けた。

 ステイル「君はただ、『本物の』オーレオルスの術式によって生み出された、彼の姿や言動を精巧に模しただけの自動人形に過ぎない。それはそれで興味深いが生憎ぼかぁ用があるのは本物の方なんでね」

 オーレオルス・ダミー(以下ダミーと表記)「突然、何を、言い出すのだ? 歴然、それでは第一の前提から破綻するではないか」

 表情こそ平静を保っていたがその声は震えていた。

ダミー「当然、『リメン・マグナ』は私が開発した私自身の錬金法だ。必然、そうでなければこの力の源は何だというのだ?」

 ステイル「もちろん本物のオーレオルス・アイザードさ。そうに決まっている」
 
 ステイルははばかることなく言った。オーレオルスの強く握った右のこぶしがわなわなと震え出した。

 ステイル「すでに自分でも違和感に気付きつつあると思うけどね」

 ダミー「喧然、黙れ」
 自分は偽物なのか。今まで錬金法会得に費やした歳月も苦労も全部偽物なのか。

 ステイル「それになんだい、その『リメン・マグナ』とやら。魔術はあくまでも結果を導き出すための手段に過ぎないであって、その手段そのものを誇るなんて奴なら絶対あり得ないよ。薬草を飲んだら風邪が治った、ばんざーいなんてガキじゃあるまいし。その薬草の中の薬効成分を調べるのが錬金術師の本分だろ?」

 ダミー「黙れ・・・」
 ようやくこの手で会得した唯一無二の錬金法がただの借りものだなんて。

 ステイル「何度でもいうぞ偽物。僕が用があるのはオーレオルス・アイザード本人だ、お前じゃない。セキュリティ設備の一つや二つ壊すのは容易いが、お前は特に『あの娘』に触れている訳じゃないし、さすがに知り合いと同じ顔の奴だと気が引けるんでね。失せるならさっさと失せろ」
 
 ダミー「黙れ! 黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れぇぇぇぇぇぇぇぇいいいいいい!!!!!!」

 オーレオルスはあらんかぎりの声で咆哮しながら右袖からありったけの『リメン・マグナ』をめちゃくちゃに乱射した。量も速度も先ほどのものを大きく上回っている。

(続き)純金の弾丸を無限に撃ち出すマシンガンさながらの様相であった。溶けた黄金が裾や靴や袖にはね飛んで焦げようがおかまいなしだ。
今彼の心は、己の存在が揺らぐことへの恐怖、目の前の対象への怒り、そして、やはり目の前の敵に対する恐怖と不安で占められていた。あれほどの攻撃を受けながら純金と溶けるどころか斃れるそぶりすらみせない。 
もしかして、攻撃が一切効いてないのではないか・・・・・・。そして、どういうわけか敵の姿は着実に薄れつつある。

 なにかおかしい。そう思い始めた時、

ステイル「それに、本当はわかってるんだろう? 錬金術師オーレオルス・アイザードはこんなにあっさり負けるほど弱くはないはずだって」

声は後ろから聞こえてきた。振り向いた途端、暖かい風とともにステイルの姿が現れた。手から炎剣を出しながら。

ダミー(蜃気楼、か・・・・・・!)

熱せられて膨張した空気の中で光の屈折率が変わる現象。彼は蜃気楼を利用して偽の像を囮として投影し、己の姿を見えなくして背後に回り込んだのだ。
あるいは、水蒸気の中に身を隠したのか。いずれにせよ、こんな初歩的なやり方で背後を取られるとは・・・・・・!

すかさず『リメン・マグナ』で迎え撃とうとするも、わずかに相手の方が早かった。
右袖から鏃を出した途端、その手は袈裟懸けに振り下ろされた炎剣によって熱したナイフでバターを切り裂くよりも早く両脚もろとも切り落とされた。

ダミー「ごっ、がぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

  左腕以外の四肢をなくして這いつくばり、苦痛に顔をゆがめながら地べたを転げまわるオーレオルス・ダミー。それでもわずかに残った理性で、

  ダミー「洒然、右手がなくともまだ左手が・・・・・・」

   迎え撃とうとしたとき、周りの状況に気が付いた。
  壁の機材だろうが倒れている生徒の体だろうが無差別に変換しまくった結果、廊下はすでに崩落寸前、壁や床はほとんど残されていなかった。わずかに残った床からは、溜まった黄金の溶岩が滝となってはるか階下に流れ落ちてゆく。
  そして、自分がいるところはまさにその奈落へと続く大穴の縁だった。
   ステイルはつかつかと歩み寄り、ダミーの体に足をかけた。
 
  ステイル「言い残すことは?」

  ダミーは複雑な感情に顔をゆがませながら叫んだ。
 
  ダミー「I・・・I hate you!」

  ステイル「そうかい」

  ステイルは笑って、ダミーの体を蹴落とした。

長らくお待たせして申し訳ございません
執筆と投下のための時間が長い事確保できずにおりました
今後はなんとか時間を確保できそうです
それこら、現在第二巻の三沢塾編にあたる部分を投下しておりますが、時系列や作中人物の相互関係など色々な情報が錯綜しすぎて自分でも混乱し、また展開が複雑になりすぎて収集がつかなくなってまいりました。
そのため、まことに勝手ながらここはしばらく保留にしてその先の妹達編から再開させていただきます。
長らくお待たせした上にこんな身勝手な理由で内容を変更してしまい大変申し訳ございません。
近いうちにまた再開いたします

大変長らくお待たせいたしました。
それでは再開いたします。

ここ最近、ある夢をよく見る。とはいえ、よくあるような荒唐無稽で何の脈絡もないような内容ではない。日によって多少の違いはあれど、その内容はいずれも幼い日の記憶に基づくものだ。この街に来てまもなく、能力が初めて芽生えたばかり、そんなころの思い出。

 大きな病院の中、白衣の男性の隣で私がガラス越しに見下ろしているのは、手すり型の歩行補助器で体を必死に支えながら一歩一歩弱々しい足取りで前に進む一人の年老いた男性。
しかし、がっしりとした体格でそれほどひ弱だとは思えない。
 幼い子供は疑問に思ったことをすぐ口にする。それは当時の私とて例外ではない。

「あのおじちゃんだあれ?」

「あの方はフリードリヒ・パウルス将軍。スターリングラードの戦いでドイツ軍を指揮されたお方だよ」

「じゃあ偉い人なんだね」当時は自分の生まれる直前にものすごく大きな戦争があったという事実を漠然と知っていたくらいで、それがどのような内容だったのかは何一つ知らなかった。彼が忠誠を誓っていた国がしたことについても。すぐ上の先輩方には終戦直後の飢えと寒さの中で育った人も少なからずいるというのに。

「おじちゃん、昔の戦いで足を怪我しちゃったの?」

「いや、そうじゃないんだ。あの方は今現在、筋萎縮性側索硬化症、略してALSという病を患っているんだ」

「エー・エル・エス?」

「簡単に言えば、神経の異常のせいで筋力がどんどん低下していってしまう病さ。かのルー・ゲ―リック選手もこの病で命を落とした。中年以上のお年寄りに多いが、もっと若い人が発症することもある。はっきり言って今の医学には治療法がない。何せ原因が分からないんだからね・・・・・・」

 そう言って彼が指し示した別の方向の部屋には他の患者達。多くは30代から40代、あるいはもっと上に見えるが中にはまだ学校に通ってそうな若さの人や自分より少し上くらい子供もいる。
また視線を前の窓ガラスに戻すと、老人は歩行訓練機の端から端へと移動を終えUターンするところだった。よほど大変なのか、汗だくになっている。思わず手に力が入る。こういうものを見せられては気持ちを相手に移入せずにはいられない。気づいたら私は「おじちゃんがんばれ」と声援を送っていた。

しかしすぐに男性の残酷な宣言で冷や水を浴びせられた。

「でも、あのように必死にリハビリしても、筋力は下がる一方で根本的な解決にはならないんだ。残念なことにね。そして、このまま行くと・・・・・・」

 私は男性の顔を見やるが、暗くて口元しか見えない。

「やがて立ち上がることもできなくなり、最後には自力での呼吸や心臓を動かすことすら困難に・・・・・・」

 もうこれ以上は聞きたくも見たくもない。おのずと頬を涙が伝いだす。それを目の前の男性は優しく手でぬぐいながら(口しか見えないが)にっこりと微笑みながら言った。

「泣かないで。君の能力を解明し、人に移植することができるようになれば彼らを救うことができるんだから。君が彼らの希望になれるんだ」

そして私はいてもたってもいられず申し出る。

「いいよ。私のDNAマップだっけ?それ、あげる」

「生体電気そのものを操り、通常の神経ルートを使わず直接筋肉を動かす、ね。私には思いもつかなかったよ」

笑顔でそういうのは軍服姿のいかつい男性数名(今から思えば東ドイツの要人なのだから当たり前だった)を従えた車椅子の老将軍。リハビリを終えた帰り、施設の玄関で見送る場面だ。

「ご多忙の中でご足労いただき、誠に感謝いたします。元帥閣下」

 先ほどまで隣にいた白衣の男性が敬礼をする。それに対して同じく敬礼をする将軍。

「礼を言わなければならんのは私の方さ。ここへは治療のために来たのだ。老い先短い命だが、混迷の未来を照らす一筋の光明を見ることができたから安心して逝けるよ」

 それから私の方に向き直って言った。

「ありがとう、お嬢さん(フロイライン)。君の勇気ある決断のおかげで多くの人命が救われることになる。話によれば体の中の電気を自由自在にできる君の能力はALSだけでなくアルツハイマー病のような脳の病気を治すのにも使えるそうじゃないか。夢は広がるね。もっと応用すれば筋ジストロフィーだって治せるかもしれないな」

今から思えば筋肉そのものがダメになる筋ジストロフィーをたかが電気を操ったくらいでどうこうできる気がしないがそんなの当時の私には知る由もない。
「しかし良かったのかい? まだどれくらいの強さになるか分からないし、君だけの力なんだろう?」

私は笑顔で答える。

「いいの。全然平気だよ。私の力で人助けができるなら、なんだってするよ」

「君は偉いね。この歳で実に立派だ」将軍は私の頭をくしゃくしゃと撫で、私は照れとこそばゆさで思わず笑みを漏らす。

「しかし気を付けたまえよ。その優しさが命取りになるかもしれん。特にこの街ではね」

「どういうこと?」私は顔を上げて彼の顔を見やる。優しいことは良いことではないのか。

「つけ入ろうとする悪いやつがいるということさ。この街も、一皮剥けば私が居た世界大戦の戦場と変わらないかもしれん」

 その辺りから急に視界がぼやけ始める。同時に聞こえる声もどんどん遠ざかり始める。

「だから用心なさい。私たちがかつて犯した過ちを決して繰り返さずに。君は私よりも、否、これまでの歴史上のどんな武人や英雄や兵士よりも遥かに強く賢い女性になるのだから・・・・・・」





そして私は寮の自室のベッドの上で目覚めるのだ。
 夢を見るときには決まって自分のベッドから飛び出してきたルームメイトがいかにも好色そうなだらしない表情で涎をたらし鼾をかきながら腰元に絡みついているので、夢の内容について思い返す暇もなく電撃をまとった肘鉄を一発くれて叩き起こす。そうして一日が始まるのだ。

「僕らは一か月後、この休暇が終わったころに彼女を迎えに戻ってくる。それまで彼女のことをよろしく頼む」

 数日前、あのドク・クロウクの病院の一室で赤髪の魔術師、ステイル=マグヌスと誓った。ミタウ語学学校での事件。ある少女を一人の家庭教師にして親友として誰よりも想い、それを形にするために動いていたある男の悲しき運命。それは、その少女の心にも暗く影を落としている。

「あの娘を、インデックスをくれぐれも泣かせるようなことはしないでくれ」

 言うまでもないことだった。もう決して悲しませるものか。彼女を縛ろうとするどんなふざけた幻想も、宿命も、粉々に打ち砕いてみせると決めた。
 この右手に宿る、「幻想殺し(イマジンブレイカー)」と名付けた力で。

 それが今では遠い昔のことに思える。俺が守り抜くと誓いを立てた件の少女、インデックスはその小柄さに見合わぬ底なしの食欲で着実に我が家の家計を圧迫しつつあった。買いためた食料はわずか二日で底をつき、買い足しても買ったそばから消えていき、今ではオートミールだのシリアルだので飢えをしのぐ始末。育ち盛りで食欲旺盛だとはいえ限度ってものがあるだろう。
 もう手元に金がほとんど残されていない。おまけに我がお姫様は日々の食事量に満足しておらず肉もご所望のようでお手上げだ。
 さて、どうしたものか。アルバイトは洗っていた皿が割れたり面倒な客に絡まれたりしてほとんど長続きしない。治験にでも志願しようかと思ったがもうあらかた枠が埋まってしまっている。
道に落ちているココナッツの果汁を飲むことも考えたが一つ目でいきなり腐った奴を引き当てたのでやめにした。やれやれ、このままじゃ俺があのシスター様に食われちまいそうだ。
そういやこの街は海に面していたはずだ。魚の一匹や二匹、貝でもエビやカニでもいいが何かしら捕れるはずだろう。マナティやワニの保護区に指定されている水域もあるみたいだが少なくとも港はそうではないだろう。西に広がるエバーグレースの森に行けば食用に適するキノコや木の実の一つや二つ見つかるだろう。
とまあ、これで食糧問題は解決できるとしても、だ。も一つ厄介な問題に直面している。補講だ。
前にも云ったかもしれないが俺はお世辞にも出来のいい生徒とは言い難かったらしい。それでただでさえ膨大な夏休みの課題に加えて前学期のツケまで支払わざるを得ない状況に追い込まれているのだ。
 幸い補講があるのは平日の午前中のみ。つまり土曜と日曜は夏休みらしい完全な休日だ。つまりここでの自習によって両方の遅れを取り戻すしかないってことだ。

 そして真夏のカンカン照りの日差しの中、数日前に購入したバカに値の張る参考書を突っ込んだ鞄を小脇に抱えながら重い足取りで図書館に向かっていく途中、近道を使用と(当然ながら土地勘なし。元々知っていたのを一緒に忘れただけかもしれないが)路地裏に入ったらたちまち全身に刺青入れた見るからにガラの悪そうな連中に取り囲まれた次第。
8月12日。日の出から約1時間後の午前9時前後(現在サマータイム施行中である)のことである。

上条「何か御用で?」

輩A「もう分かってんだろ? 学生ローンの取り立てが最近きつくなっててよぉ。ちっとばかし金貸してくんねえか」

上条「生憎わたくしも持ち合わせはほとんどございません事よ。何かいいアルバイトとかご存じだったら教えていただきたいのですが・・・・・・いや待てよ、もし知ってたら自分でやってそんなはしたな借金なぞさっさと返済できていなければおかしいしそもそも返済が滞るほどにまでお借りになったあなた様ご自身の無計画さを恥じるべきでは」

 言い切る前に頬に重いパンチ一発。痛い。口の中が切れたためか血の味が広がる。

輩A「次なめた口利いたらぶち殺すぞ。四の五の抜かしてねえでさっさとよこせっつってんだよ」

上条「マジで持ってねぇんだよ・・・・・・」

輩B「オイ」

 今度は別の頭悪そうなやつが口を開く。

輩B「暗くてよく見えなかったが、コイツどっかで見おぼえねえか?」

輩A「そう言われてみれば・・・」

輩C「コイツ、サートン校の例の日本人じゃねぇか! 無能力(レベル0)なのに大能力者や超能力者とも対等に渡り合えるなんて触れ込みでいい気になってあちこちの喧嘩に首突っ込みまくってるアイツ! 俺らのダチを全員鑑別所に送りやがったのもコイツだぞ!」

輩D「『フォックスワード』なんてくっせぇ名乗り口上あげてるあの野郎か・・・・・・!」

輩E「道理で気に食わねぇ面構えしてやがると思ったぜ」

 当然ながら全く身に覚えがない。記憶を失う前の俺のことを言っているのか? ますます自分が何者なのか分からなくなってくる。やれやれ、『前』の俺から引き継いだ負債の額面はどうやらバカにならない大きさらしい。

 さっきまで俺から小遣いを強請ろうとしていた大男が俺の胸ぐらをつかみあげる。片手にはマチェーテ(山刀)。よく見たら他の連中も金属バットやナックルダスターや軍用ナイフで武装していた。

輩A「つーことなら話は別だ。悪いがオメェは生かしておけねぇ。仲間の弔い合戦として、これから魚の餌になってもらう。腹を掻っ捌いてやるよ。ジャップはハラキリ好きだから嬉しいだろ?」

 せっかく拾った命をこんなことでみすみす捨てるのは御免だったががっちり掴まれてて逃げようにも逃げられない。自分がどんな人間だったのかすら知らぬままこんな薄汚れた路地裏の染みとして朽ち果てなければいけないのか。せめて苦しまないよう一思いにやってくれ。
 目の前の男がマチェーテを振り上げると同時に目を閉じようとした。それと同時に視界がまばゆい光で塗りつぶされる。続いて耳をつんざかんばかりの轟音。

眩んだ目が見えてきたとき、まず視界に入ったのが俺を取り囲んでいたチンピラ共が全員倒れ伏している光景だった。髪も服もチリチリに焦げて、全員気を失っているのかピクリとも動かない。そして壁も路面も煤で真っ黒だ。焦げ臭いにおいも漂っている。よく知らないが『雷が落ちた時』がこんな感じだろうか。
 訳も分からず立ちすくんでいたら先ほど通った路地の入り口の方からコツコツと足音が聞こえてきた。そちらに目をやって、ようやく何が起こったのか理解できた。すなわち、俺を助けてくれた人物がいるということだ。
 そこにはダイナーで出会ったあの女学生があの時と寸分違わぬ姿でいた。


ミカエラ「相変わらずね、お馬鹿さん」

 それから1時間後。俺達二人は額の汗をぬぐいながら行列に並んでいた。行列の行先は最近できたというトルコ式サンドウィッチの屋台。
 何か助けてくれたお礼をと俺が申し出たところ、彼女が見返りに要求してきたのは意外なものだった。

上条「一日ボーイフレンドのふりをして欲しい?」

 絆創膏をミカエラに貼ってもらった頬をさすりながら尋ねると、暑いのか頬を紅潮させた彼女は無言で頷いた。それでも先ほど「アンタと私が、こ、こ、恋人に」とどもりながら切り出して来た時よりはだいぶ赤みが薄らいでいる。

ミカエラ「何度も言わせないで頂戴。かれこれ一週間言い寄られ続けていい加減うんざりしてるのよ。今日はいつになく機嫌がよかったから博物館の展示を見に行くのに少し付き合ってあげたけどそれでも鬱陶しいことには変わりないわ――あ、普通の二つお願いします。同じので構わないわよね?」
 気付けば俺たちが列の先頭になっていた。ミカエラは屋台に立っている売り子の金髪北欧系美少女――トルコ料理と銘打っているにもかかわらず――にミカエラは指を二本立てて注文数を示す。売り子の脇にかけてある立て看板に目をやり、俺は思わずのけぞりそうになる。

上条「7$!? こんなサンドイッチたった一つのために7$だと!?」
いくら記憶喪失だからってその値段が異常なことくらいわかる。おっと、思っていただけのはずがつい口に出てしまっていた。

上条「い、いえ…すみません」

少女「いいってわけよ。初めてのお客さんみんなびっくりするから。でも、うちでは最高級の具材を使ってるからね。サバは勿論、野菜も、パン生地も、スパイスやソースだって」

 玉ねぎとレタスを切り、サバを捌いて炙り、焼きたてのバゲットを切り分け……全ての工程を目にもとまらぬスピードで手際よくこなしながら上機嫌そうに答えた売り子はあっという間にサンドイッチ二人前を油紙にくるんで俺たちの前に差し出した。

少女「毎度あり。アタシが生息海域から種類、食べている餌や脂の乗り具合まで選りすぐった最上級のサバをたんとご賞味あれってわけよ」

上条「どうも……あ、自分の分くらい自分で払えるぜ」
 そう言って財布を出すより先に彼女が10$札と1$札4枚で素早く支払いを終えてしまっていた。

ミカエラ「いいわよ。いちいち出すの面倒でしょ。それに今日は付き合ってもらうわけだし」

 まあ、悪い気はしないかな。慢性的な金欠だし今朝から餓死しそうなくらい腹ペコだったし。

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