七海千秋「プロ野球」 (25)

自分が歩くたび、希望ヶ峰学園の廊下に靴音が響く。見える景色は、鉄板が打ちつけられた窓ばかり。

僕は足早に購買部へと向かう。手中には、モノクマメダル。

木板の扉を開けると、目的のモノはすぐに目に入った。モノモノマシーンだ。

コイン投入口。ガラスケースの向こうには色とりどりの、卵状カップ。

ガラスを軽く叩き、背部の方も覗いてみる。トラップが仕掛けられている様子はない。

僕は震える手でコインを投入した。一息吐き、つまみを捻る。

マシンが吐き出した景品を手に取るが、僕は首を傾げるしかなかった。

朱色のボタンがついているだけで、それ以外に機能はないように見える。

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「やあ。苗木くん」

耳障りな声にぎょっとする。視線の先には一体のぬいぐるみ。

「何しに来た」

「そう邪見にしなさんな。 ボクは邪魔しにきたんじゃないんだよ」

うぷぷぷ、と自称学園長、モノクマが不敵に笑う。「用があるのはそのスイッチです」

「押すとどうなるのさ?」

「慌てない慌てない」

左右で表情が違う、歪なデザインをしたぬいぐるみは腕を組む。

背丈は僕の半分もないのに、どうしてか、威圧するような空気に包まれていた。

しばらくの沈黙の後、言葉を発す。「これは舞台チェンジ装置だね」

「舞台チェンジ……」

「意味は…まあ分かるでしょ?」

「意味自体は…でも押すとどうなるのさ」

「うぷぷぷぷ」

耳障りな笑い。

「苗木くん。 押すか押さないかは君の自由だ」

そう言って、僕が言葉を発する前に煙のごとく姿を消した。手中にある、ちっぽけなスイッチを見つめる。

舞台チェンジ。舞台とはなんだろう。いま居る希望ヶ峰学園のことだろうか。

「苗木くん」再びどこからか現れ、

「言い忘れてたよ。この装置のこと、誰かにいったらもう効果なくなるからね。
みんなに相談なんていう甘ったれたことはしないように。じゃあ」

まくし立て、姿を消す。僕はゆっくり、ゆっくりと赤色のボタンに指を近づけ、押す。

目の錯覚なのか。装置が金色の光を放った。

強烈な眩暈に襲われ、よろめくように床に座り込んだ。重くなった瞼を必死で持ち上げる。

誰か来てくれ。声を出したが、実際に発せられたのは空しいかすれ声だった。

ギシリと軋む音が聞こえた。背中には固い感触。黒い世界に、少しずつ光が入ってくる。

遠くからは誰かの掛け声。時折聞こえる渇いた音。僕は体を起こす。

途端、湿布の臭いが鼻をつき、顔をしかめる。ここは医務室だろうか。

薬品が詰められた戸棚。その横には姿見。

ベッドから見て左に、所々錆びついた事務机が鎮座し、そこにはポータブルテレビが放り置かれていた。

僕はベッドから降りる。部屋には熱気が漂っていて、体からは汗が染み出ていた。

なんとなしに歩き回り、姿見の前に立つ。映しだされた姿を見て絶句した。

かわいいと言われてしまう顔と女の子より低い身長。どちらも苗木誠そのままだ。

おかしいのは服装。野球のユニフォームを着ていて、足にはソックスを履いていた。

突然、鏡に誰かが映し出された。鏡越しの女は、暢気に手をひらひらと振っている。

痩せ形の体型で、大きく膨らんだ胸は僕と同じユニフォームを着ているせいか、色気は微塵もなかった。

「おはよ。苗木くん」

見知らぬ女子が僕の名を呼ぶ。色白の顔。少し垂れ気味の瞳は温かみのある印象を受ける。

「押したんだね。スイッチ」黙り込む僕に歩み寄ってくる。「さすが超高校級の幸運」

「僕を知ってるの?」

彼女はゆっくりと頷く。

「私は七海千秋。 なんていうか」七海は斜め上を向き、「君の案内人って感じかな」

そう言って、片目を閉じた。

聞きたいことは山ほどあるけれど、あまりにも多すぎて何からどう聞いていいのか迷ってしまう。
 
「じゃ、さっそく行こっか?」

 「行くって?」

 「探索、かな?」

微笑むと、ゆったりと歩き出す。僕は七海の背中を追う。背番号50を背負う、頼もしく見えた背中の後を歩く。

七海におずおずとついていき、通路を抜けると緑のベンチが置かれた場所へと行き着いた。

この場所。テレビで見たことがある。目の前には、ならされた土と綺麗に手入れされた芝生のグラウンド。

青いフェンスで囲まれ、センター方向には有名な炭酸飲料メーカーの広告。

空はオレンジ色に染まっていて、夕暮れ時を思わせた。

「よーっす苗木。 大丈夫だったの?」

 「江ノ島さん?」

クマの絵が描かれたキャップを、ラッパーのように斜めにかぶった女子がいた。

ショートカットにはなっているが、明るめの髪はそのまま。

学園でも雑誌でも露出の多い服装をしているせいか、彼女のユニフォーム姿は新鮮だった。
 
「どーもー」

きゃはは、と甲高い笑いも変わっていない。

 「あ、そうそう」

何かを思い出したようで、表情が変わる。

 「なに?」

江ノ島さんは一歩近寄って声を潜めた、

「葉隠の奴のこと。あいつはあいつで落ち込んでるみたいだからさ。 怒んないでやってよ」

「あ、ああ…」

言われても、生返事しかできない。危惧していたことがさっそく起きてしまった。

僕が知らない出来事について振られたらどうするのか。もっと対策しておくべきだったと後悔した。

「とにかく何もなくて良かった良かった」

江ノ島さんは満足げに頷くと、じゃ、と手を挙げてベンチ裏へと消えていく。

「それで」僕は七海の方へ向き直る。「葉隠くん云々って何の話?」

七海の視線は天に向く。そらんじるように言葉を発す。

「キミの打撃翌練習の時にね、葉隠くんの投げたボールがすっぽ抜けちゃって」

「それってかなり危険なんじゃ…」

「メット越しだったからね。 意識はあったし」

そうだったのか。最初医務室で気が付いた時。

あれは眠りが目が覚めたのではなく、目は覚めていて、意識が乗り移ったということなのか。

「あ、ちょうどいいとこだよ」

七海の視線の先。ゲージで囲まれたバッターボックス。

大神さくらがどっしりと構えをとっていた。投手が足を上げ、球を放る。

大神さんが豪快にバットを振り抜くと同時に、耳をつんざく打球音がベンチまで響いてきた。

二球目、三球目も変わらず、特大な当たりをスタンドにぶち込んでいく。

それに驚いていたのもつかの間。次に打った大和田くんも負けていない。

左打席に立った彼は、二球ほど、場外へとかっ飛ばし、ぼくはただ口をぽかんと開けているしかなかった。

「あの二人はうちの中軸。 次はブルペン行こっか」

「確か、ピッチャーがいるとこだよね?」

「正しくはリリーフのピッチャーだよ。 あ、でも試合前は先発の人もいるかな?」

先ほど通った通路。僕の目覚めた場所を通り過ぎた、

さらに奥。スチール製の扉の前に着く。

その部屋は、ピッチャーマウンドを模した場所が二つほどあった。その脇で、4人の選手が談笑している。

 「やあ、七海さんお疲れ」

最初に僕らに気付いたのは、色白の男の子だった。

「おす」

七海のだるそうな挨拶。

「誠ちゃん、体は大丈夫っすか!」

髪にメッシュの入った女の子が、ずいっと顔を近づけてきた。

「ああ、大丈夫。 ありがとう」

「苗木くん、今日はベンチに入るの?」

帽子を目深く被った女の子が、鋭い目を向けてくる。質問には七海が答えてくれた。

「今日は大事をとってお休みだって言ってたよ。監督が」

「うへえ。まじかよ。苗木の役目、あたしとコマエダがやるってことじゃん」

江ノ島さんが口を尖らせた。「ミオタ、あんたまじしっかりね」

「私からもお願いしよっかな」

七海は微笑み、小さく合掌を。

「任せてくださいっす。 ここまで16勝してるんすから!」

メッシュの女の子は、ミオタというらしい。

「頼もしい限りだね。できれば七回まで投げてくれるとありがたいな」

色白の男の子が遠慮がちに言った。

やりとりから察するに、メッシュの子はミオタ。色白の男の子はコマエダ。

名を知らないのは、鋭い眼光の彼女だけか。

突然、七海が僕の耳元で、まかせてとささやいた。ゆっくりと戦刃さんに近づき、

「ねえ戦刃さん、監督からの伝言、いいかな」

「何」

「直球も磨けって」

戦刃と呼ばれた彼女は、

「わかってるよ」

目を逸らしてぶっきらぼうに言った。僕は少ししてから、七海の意図に気付く。

僕に聞こえるように呼名して名を教えたわけだ。七海に向かって眉をあげ、感謝の意を伝える。

彼女の機転のおかげで、この場にいる面子の名は知った。

「うし」

ミオタがグローブを引っ掴み、ネットをくぐった。途端、口は堅く結ばれ、凛々しい空気が彼女を包む。

豪快なフォームから球を弾き出した。ぱぁん。と気持ちの良い音が響く。

「ケガすんなよー」

江ノ島さんが声を張る。ミオタは聞こえているのかいないのか、真剣な面持ちで球を放り続けた。

投げるたびに舞う土埃。コマエダが。イクサバが。江ノ島さんが。

マウンドを見つめる全員が、大きく目を見開いていた。きっと僕も。

「澪田唯吹。それが彼女の本名だよ」

傍らにいる七海が言った。「今日の先発投手だったかな」他の人には聞こえない、囁き声。スローテンポな語り口。七海は続ける。

「狛枝凪人、江ノ島盾子、戦刃むくろ」

僕は頭の中でメモを取る。「あと、キミと私。この五人はリリーフ」

自分が投手だったことに心底驚いた。野球で一番目立つのは投手だ、と聞いたことがある。

僕の人生の立ち位置といえば、目立つ誰かの後ろが常だ。

「あとの細かい役割は試合が始まってから教えた方がいいよね」

彼女は語尾を上げながらも、得意げに腕を組んでいた。

不思議と、偉そうにしている印象はない。多分、温かみのある大きな瞳のせいだろう。

「よろしく頼むよ」

試合が始まると、僕たちはブルペンから戦況を見守った。

澪田は毎回のようにピンチを招きながらも、なんとかかわし続ける。無失点のまま、五回のマウンドへ。

足取りは重く、大きく息をはいていた。

 「この回までだね」狛枝が言う。

 「と、なれば六回は私かな」七海が言った。

 「だろうね」深く頷く。「でも、幸いというべきかな。一点リードしてるし、五、六回しのげば僕らの勝ちだ」

僕たちは、パイプ椅子に腰かけ目前にあるテレビを注視している。

座り方にも各々の個性があって、前のめりになっている戦刃、狛枝、僕。

ぼんやりとして、見ているのか見ていないのか分からない七海。足を組み、ニヤケ面を浮かべている江ノ島。
 
「あっ」狛枝の声でテレビへ目をやる。

澪田が右中間奥深くへ長打を食らった。無死二塁。

「あいつスタミナなさすぎっしょー」

「七海さん」狛枝が意味ありげな視線を七海へと向ける。

七海は頷き、グローブをはめ、投球を始めた。肩をつくったほうがいい、と伝えられたのだろう。

「うっし!」

江ノ島さんが勢いよく立ち上がる。澪田が、坂本を三振に打ち取ったらしい。一死二塁。

「唯吹いいぞ。あと二人ぶっ殺せ」

「ちょ、ちょっと江ノ島さん。熱くなりすぎだよ」

狛枝が笑ってたしなめた。「あ、トガミくん。どうしたんだろ?」

眼鏡をかけた巨漢の捕手がマウンドへ向かった。「小笠原だかんねー。警戒するのも無理もないっしょー」

「ここはトガミくんのリードにも注目だね」

トガミは一体何を言ったのか。澪田は外角を攻めるピッチングから一転、徹底してインコースをつき始めた。

小笠原を空振り三振。続くラミレスも空振り三振にしとめ、この回を終える。

テレビ画面は、生気を抜かれたような表情の澪田を映す。

江ノ島さんは、うっしゃーと叫び、狛枝は安堵の息をはいた。僕はブルペン中に響けとばかりに、拍手をする。

たった五人しかいないブルペン。広くもない土塗れの部屋で、いつのまにか、熱い連帯感が生まれていた。

6回から上がった七海は、切れ味鋭いスライダーとシュートのコンビネーションで打者を幻惑した。

何事もなく三人で退ける。

ブルペンに戻ってくると、ホールドゲットだぜ。と控えめにガッツポーズをしていた。

7回狛枝はフォークボールを決め球に、三者三振。

8回の戦刃はさらに凄かった。スピードこそないものの、直球がコーナーにズバズバ決まる。

加えて多彩な変化球をも操っていた。

「どうして彼女を先発させないの?」僕は訊いた

「スタミナが信じられないほどないからね。リリーフしかできないんだ」

七海は悔やむような口調でそう教えてくれた。

9回、江ノ島。。常時150km後半の直球でゴリ押しするスタイル。見事、三者三振に打ち取った。

「さ、いこっか」

「行くってどこに?」

「勝利を讃えるためにかな」

歩き出した七海の後をついて行った。軽いハイタッチをナインと交わす。

数時間振りに見あげた空には、あちこちに散らばった星がきらきらと輝き

僕らの勝利を祝福しているようにも見えた。




お わ り

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