奈瀬「あら?進藤じゃない」(43)

ヒカル「え、奈瀬?」

奈瀬「久しぶりね」

ヒカル「そうだな」

奈瀬「あんた、こんなとこで何してんの?」

ヒカル「ああ。下宿でも探そうかなって。そういう奈瀬こそなんでこんなとこに?」

奈瀬「私は大学の帰り」

ヒカル「へー」

奈瀬「そうだ。この間本因坊になったんだって?おめでと」

ヒカル「ありがと」

奈瀬「それにしても、あんたも随分偉くなったわよねぇ。まさか桑原先生から
タイトル奪うなんて」

ヒカル「結構苦労したよ。あの爺さん、対局で仕掛けて来るよりも、盤外戦
仕掛けてくる方が多かったかから」

奈瀬「そうなの?」

ヒカル「うん。最終戦までオレに封じ手させないようにしてあったし。聞いてくれよ。
最終戦でオレが封じ手したら『どうじゃ、書き間違えてないか不安になって来るじゃろ』
とか言って脅してくるし」

奈瀬「うわー」

ヒカル「緒方さんにその話したら『お前もやられたか』って。あの爺、本当に
あの手この手で本因坊の座に座ってやがった」

奈瀬「なかなかえげつないわねぇ。でも、そんな相手からタイトルとったんだし、
やっぱあんたは凄いよっ」

ヒカル「あはは……。でも、オレの本当の闘いはこれからだよ」

奈瀬「えっ?」

ヒカル「オレはまだ桑原先生からタイトル奪っただけ。本当に
大変なのはこれからさ」

ヒカル「……上を倒してくのはそんなに大変な事じゃない。本当に怖いのは
下から追いかけて来る奴だから」

奈瀬「……」

ヒカル「まあ、オレもまだ若手だから、下っていうよりは同期だけどな。あと、
上もまだまだ返り咲く気まんまんみたいだから、そいつ等に負けないように
しないと」

奈瀬「……」

ヒカル「奈瀬?どうかした?」

奈瀬「あ、ご、ごめん。いや、なんだか進藤随分と大人っぽくなったなって」

ヒカル「そう?」

奈瀬「うん。私の知ってる進藤は生意気で目上の人に対してもタメ口で、背の低い
やんちゃ坊主だったもの」

ヒカル「タメ口は今もだけどな」

奈瀬「あはは」

ヒカル「でも、オレだって少しは成長したさ。奈瀬の知ってるオレって院生の頃の
オレだろ?奈瀬って和谷の研究会も来なかったし」

奈瀬「うん」

ヒカル「あれからもう3年だぜ。オレももう17だし」

奈瀬「そっか。……そうよね。進藤がプロ試験受かってからもう3年かあ」

進藤「そういえば奈瀬は今どうしてんだ?大学生ってさっき言ってたけど、
今年のプロ試験受けないのか?」

奈瀬「私は……進藤みたいに実力ないし。院生も卒業しちゃったし」

ヒカル「そっか。院生は18歳までだっけ」

奈瀬「うん」

ヒカル「でも、なんだかもったいないな」

奈瀬「えっ?」

ヒカル「奈瀬の碁、オレは結構好きだったよ。ツボに嵌ったときなんか
怒涛のように攻めてくるし。たまに思いがけないとこに打ったかと思うと
劣勢の局面でも跳ね返してくるし」

奈瀬「本因坊のタイトル持ってる進藤に言われてもなあ」

ヒカル「んなことないって。奈瀬は調子良いとき本田さんにも勝ってたじゃん。
本田さんだってプロで頑張ってる。そんな本田さんに調子が良いときだからって
勝ててる奈瀬が弱いハズない」

奈瀬「ありがと。お世辞でも、そう言ってもらえると嬉しいかな」

ヒカル「世辞じゃねえよ」

奈瀬「ふふっ。それより進藤。なんでまた下宿先なんか探してんのよ」

ヒカル「ああ、それ?それは家族と生活時間が合わなくなっちまったからかな」

奈瀬「ふーん?」

ヒカル「オレの家ってさ。おとうさんは普通のサラリーマンだし、おかあさんも
普通の主婦なんだよ。オレがプロになるまで碁界のことなんか何も知らなかった
普通の一般人」

奈瀬「ふんふん」

ヒカル「最近さ。オレ、対局で地方行ったり、いろんな研究会に顔出して夜まで
打ったり、たまに泊りがけで打ったりしてるんだ」

奈瀬「うん」

ヒカル「でも、オレがそんなんだから家族に迷惑かけててさ」

ヒカル「おかあさんもオレが家にいるのかいないのか分かんないから、ご飯の
準備してもいいのかしない方がいいのかとかで困ってたり、夜中にオレが家
に帰ったときなんか、疲れて寝てるおとうさん起しちゃったりさ」

奈瀬「ケータイで家に連絡とかは?」

ヒカル「仕事中は邪魔になるから切っちゃうんだよな。そうすると電源
つけるのも忘れちゃって」

奈瀬「ああ。和谷もそんなこと言ってたわね確か」

ヒカル「うん。家族はオレに何も言わないけど、やっぱりオレも和谷みたい
に下宿先さがしてそっちに移った方が良いかなって」

奈瀬「なるほどねー」

奈瀬「でも、あんた料理とかできんの?」

ヒカル「う……」

奈瀬「はあ。そんなとこまで和谷を見習わなくても良いのに」

ヒカル「あはは……。それより奈瀬、時間あるなら今から少し打たない?」

奈瀬「え?」

ヒカル「久しぶりに会ったんだしさ。一局打とうよ」

奈瀬「でもあんた、下宿先さがしに来たんでしょ?」

ヒカル「そーだけど。別に急いでないからな」

奈瀬「そうなの?それなら私は別に構わないけど…」

ヒカル「じゃ、そこに碁会所あるから入ろうぜ」

そんなわけで碁会所。

ヒカル「んじゃ、オレが握るな」ジャラ

奈瀬「これで」

ヒカル「2,4、6、……12。奈瀬が黒」

奈瀬「お願いします」

ヒカル「お願いします」

奈瀬「……」パチ

ヒカル「……」パチ

奈瀬「……」パチ

ヒカル「……」パチ

奈瀬「……」パチ

ヒカル「……」パチ

奈瀬「……」パチ

ヒカル(……なんだか、懐かしいな。こういうの)

ヒカル「……」パチ

奈瀬「……」パチ

ヒカル「……」パチ

奈瀬「……」パチ

ヒカル「……」パチ

奈瀬「……」パチ

ヒカル(最近ずっとピリピリした空気でばっかり打ってたからかな。あかりも
高校忙しそうにしてるし、あいつとも暫く打ってない)

ヒカル(ピリピリした空気が嫌なわけじゃないけど、たまにはこういうのも
いいかも)

ヒカル(佐為も言ってたっけ。気持ちを落ち着けるのに気楽に打つのも
悪くないって)

ヒカル「……」パチ

奈瀬「……」パチ

ヒカル「……」パチ

奈瀬「……」パチ

ヒカル「……」パチ

奈瀬(……やっぱり強い。危機迫る感じはしないし、落ち着いた雰囲気で
打ってるから本気じゃなのは分かってる)

奈瀬(でも、やっぱり進藤は強い。まるで指導碁打って貰ってる感じ)

奈瀬(……って、それもそうか。私、院生の最後の年でも上位には8位以内
に入れなくてプロ試験は予選から。かたや進藤は本因坊のタイトル持ってる
トッププロ。レベルが違って当たり前)

奈瀬(……やっぱり、プロを諦めて正解だったかな。こんなに強いのがゴロゴロ
いる世界じゃ私なんか)

>>13

×私、院生の最後の年でも上位には8位以内に入れなくてプロ試験は予選から。

○私、院生の最後の年でも上位8位以内に入れなくて、プロ試験は予選からだったし。

そして、ヒカル優勢の盤面のまま対局は進み。

奈瀬「ありません」

ヒカル「ありがとうございました」

奈瀬「ありがとうございました」

奈瀬「あー、やっぱ進藤には敵わなかったか」

ヒカル「でも、奈瀬も良く打ててた。強くなってるよ、奈瀬」

奈瀬「そ、そう?」

ヒカル「うん。やっぱりオレ、奈瀬の打つ碁好きだよ」

奈瀬「そんなにおだてないでよ。勘違いして、いつまでも未練たらしくプロ
になる夢追いかけさせるつもり?」

ヒカル「……」

奈瀬「ごめん。でも良いんだ。院生卒業した年に師匠からも離れたし」

奈瀬「今の私の周りに碁を打てる人なんて全然いない。伊角くんなんか
と違って、私の腕じゃ棋譜並べだけしてても上達しないもの」

ヒカル「奈瀬の周り、碁を打つ人いないの?」

奈瀬「うん。だから、久しぶりに進藤と打てて今日は楽しかったよ。ありがと」

ヒカル「オレも楽しかった」

奈瀬「そう?私みたいなへぼと打って楽しかったの?」

ヒカル「へぼなんかじゃねえって。オレ、久しぶりに奈瀬と打てて楽しかったよ。
気心が知れてるからかな。ピリピリした空気じゃなくて凄く打ちやすかった」

奈瀬「だからそれ、私が弱いからでしょ」

ヒカル「だからあ!」

奈瀬「はいはい。分かった、分かったから!もう自分が弱いなんて言わないから!」

奈瀬「でもね、私とあんたじゃ住む世界が違うの!そこんとこは自覚しときなさいよ」

ヒカル「…む」

奈瀬「やれやれ」

奈瀬「そーゆーとこは子供のままなんだから」

奈瀬「あんまりそんなこと言ってると、無理やり私の師匠にしちゃうわよ!
私がプロになるの諦めさせないんだから、それくらい面倒みる覚悟で言
ってるのよね!?」

ヒカル「な…」

奈瀬「ほら、困るでしょ。あんた忙しいんだから、私なんかに構ってないで
タイトルの防衛戦、どうやって戦うかでも考えときなさいよ」

ヒカル「……」

奈瀬「なによ」

ヒカル「分かった。オレ、奈瀬の師匠やるよ」

奈瀬「はあ?」

ヒカル「オレだって本因坊のタイトル持ってんだぜ。弟子を
取ってもおかしくねーだろ」

奈瀬「そりゃどーだけど、あんた本気で言ってんの?」

ヒカル「本気も本気。大真面目に言ってるよ」

奈瀬「なんで私にそんなに」

ヒカル「さっきも言ったろ。もったいねえって。それに奈瀬も諦めてないみたいだし」

奈瀬「わ、私は!」

ヒカル「本当に諦めてんなら、オレにそんな態度取るはずない!諦めきれないから
オレを挑発して自分に踏ん切りつけようとしてんだろ!見てて分かるぜ」

奈瀬「う…」

ヒカル「図星みたいだな」

奈瀬「し、進藤には分かんないよ!どれだけ頑張ってもプロ試験受からなかった
私の気持ちなんて!」

ヒカル「うん。分かんない」

奈瀬「だったらなんで!」

ヒカル「……オレも昔、碁をやめようとしたことあったんだ」

奈瀬「な…進藤が?」

ヒカル「うん。もう二度と自分は打っちゃいけないって、自分に
言い聞かせてた時期があった」

奈瀬「……」

ヒカル「でも、自分が打ちたいって気持ちは消えることはなかったな」

ヒカル「そして、ある日。囲碁仲間と打って気付かされたんだ」

奈瀬「何を?」

ヒカル「オレが碁を打つ理由」

奈瀬「!」

ヒカル「他の人から見たら、すごくちっぽけな事かもしれないけど、オレから
したら凄く大切な理由なんだ」

奈瀬「……」

ヒカル「だからかな。プロを諦めようとしてる奈瀬が、昔の自分にダブって見えた」

ヒカル「好きなんだろ、碁?」

奈瀬「……うん」

ヒカル「だったら奈瀬がプロになれるの手伝うよ。仲間だろ、オレ達」

奈瀬「進藤……。いいのかな?私、まだプロ目指しても」

ヒカル「やれるとこまで、やってみようぜ」

奈瀬「そっか……。うん、そうだね!」

奈瀬「よろしくお願いします、師匠!」

ヒカル「ああ!」

この翌年、奈瀬はプロ試験を受験する。
結果は惜しくも敗れてしまうが、女流枠での合格を決め、プロとなる。

その後、プロ試験に合格したときの気持ちを取材で聞かれた時、
彼女はこう答えた。

「自分の実力だけで受かったとは思っていません。
私は良い仲間、良い師匠に恵まれました。

いつか私も師匠のように、自分以外の誰かの為に存在
出来たらと、思っています」


千年、二千年が、そうやって積み重なっていく。
遠い過去と遠い未来をつなげるために。



奈瀬「あら?進藤じゃない」 終

おまけ


奈瀬「ねえ、師匠」

ヒカル「呼び方まで師匠にしなくていいよ。今まで通り進藤でいいよ」

奈瀬「じゃあ進藤」

ヒカル「ん、なに?」

奈瀬「進藤って下宿先さがしてたよね」

ヒカル「うん、まーな」

奈瀬「じゃあ、私の部屋に来ない?」

ヒカル「奈瀬の家?でも奈瀬の家族に迷惑掛るだろ」

奈瀬「それなら大丈夫、私一人暮らししてるから」

ヒカル「そうだったの?奈瀬の家って都内だったろ」

奈瀬「いつまでも親元にいたくなかったの」

ヒカル「ふーん」

奈瀬「それで、どうする?」

ヒカル「たしかに一緒に住んだらいつでも指導碁打てるか。オレはいいぜ」

奈瀬「えっ?あっ、そう?」

ヒカル「うん」

奈瀬(あれ、冗談で言ったんだけど、まさか進藤本気で言ってる?)

奈瀬「ね、ねえ進藤」

ヒカル「なに?」

奈瀬「ほんとーに私の部屋来る?」

ヒカル「うん。その方が奈瀬も勉強できていいだろ?」

奈瀬「あ、はは…」

奈瀬(今更冗談なんて言ったら怒られるかな。いや、でも進藤の言ってる事も
当然と言えば、当然か。もしかして気にしてるの私だけ!?)

奈瀬「あのー。先に言っとくけど、エッチな事とかしないでよ?」

ヒカル「お前、オレを何だと思ってんだよ」

奈瀬「だって、こんなに可愛い女の子と一緒に住むのよ!間違いが起こっても
おかしくないでしょ!」

ヒカル「あ……」

ヒカル「ご、ごめん!そっか、奈瀬は女だったな」

奈瀬「な、なに!?もしかしてあんた、私を女として見てなかったの!?」

ヒカル「いや、奈瀬って気が強いし、仲間って意識が強すぎて」

奈瀬「しんどぉぉぉぉ!!!」

ヒカル「わわわわ……」ダッ

奈瀬「こらっ!待ちなさいっ!」

ヒカル「ご、ごめんってばぁ!」

奈瀬「いーや、許さないんだから!」

この後、ヒカルの下宿先探しは白紙となり、しばらく自宅から奈瀬
の部屋に通ったり、奈瀬がヒカルの家に通ったりすることになる。

しかし、結局面倒だという理由で二人が同居生活するのに、そう時間は
掛らなかったという。

あかり「えええええぇぇぇぇぇっ!?」


今度こそ終わり

はい、私です

あっちはもう少しあかり活躍させれたらいいかなと思ってます

ヒカ碁ssは大抵あかりと奈瀬(とくに奈瀬)の出番がないので、
たまには奈瀬メインのssがあってもいいと思う今日この頃

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