男「はじめてのビジネスホテル」(32)

― 会社 ―

上司「今度の出張の件なんだけれども」

男「はい」

上司「俺は始発で直行すれば、現地に間に合うから当日家から向かうつもりなんだが」

上司「君の家からじゃそうも行かんだろう」

上司「というわけで、前日のうちに現地で泊まってもらうわけにはいかんか?」

男「かまいませんよ」

上司「すまんね。じゃあ、よろしく頼むよ」

男(ふっふっふ……)

男(あの時は、“仕方ありませんね、仕事ですから”というテンションで答えたが)

男(内心はひゃっほう、と飛び上がりたい気持ちであった)

男(なぜなら――)

男(ビジネスホテルに泊まるなど、今まで経験したことがなかったのだから!)

男(はじめてのビジネスホテル!)

男(これ、テレビ番組とかでやったらウケるんじゃないか? ……ウケるわけないか)

当日――

男(会社を早めに退社して、ようやく現地についた)

男(んでもって、あのちょいと古びたビルが俺の泊まるビジネスホテル!)

男(うおお、緊張するなぁ……)

男(だが、今の俺はれっきとしたビジネスマン! 会社の看板を背負ってるんだ!)

男(恥をさらすわけにはいかない!)

男(行くぞ!)ザッ

― ビジネスホテル ―

ホテルマン「いらっしゃいませ」

男「こ、こんにちは」

男「本日、予約をしていた○○ですが」

ホテルマン「○○様ですね。当ホテルをご利用いただき、誠にありがとうございます」

ホテルマン「当ホテル、前払い制となっております」

男「は、はい」

ホテルマン「領収書の名前はいかがいたしますか?」

男(領収書きたあああああ!)

男(領収書ッ! なんとオトナでビジネスな響きか!)

男(たまらないな、この感覚! 出張してるって感じだァ!)

ホテルマン「あの、お客様……?」

男「!」ハッ

男「××株式会社、でお願いします」

男「後株でね」キリッ

ホテルマン「……へ?」

男「あ、いやいやいや! なんでもないでぇっす!」

ホテルマン「お部屋は305号室となります」

男「はい」

ホテルマン「こちらがキーとなります」ジャラッ…

男(へぇ~、ヌンチャクの出来そこないみたいな形だな)ジャラッ…

男「アチョォ~!」ヒュヒュヒュン

ホテルマン「キャッチ!」パシッ

男(……できる!)

ホテルマン「室内の電気を使う際は、このキーを――」

男「あ、大丈夫です、分かります」

男(ちゃんと予習してきたもんね)

ホテルマン「そうですか、ではごゆっくりどうぞ」

男(305号室……)

男(ここが俺の部屋か……)

男(つまり、今夜から明日の朝まで、ここは俺の城というわけだな!)

男(一日駅長ならぬ、一日城主!)

男「うふふ、ふふ……」

男「うわっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは!」

男(いざ、入城!)ガッ

ガチャッ ガチャチャッ ガチャッ

男(なんか入れにくいぞ、これ……)

男「しまりがいいねェ~、げへへへ、なんつって!」

男「お、入った」ガチャッ

― 305号室 ―

男(暗いな……)

男(電気つけなきゃ……)パチッ

男「あれ!? つかない!? なんで!?」パチパチパチ

男「電気系統をやられたか! ええい、つけぇ! ついてくれぇ!」パチパチパチパチパチ

男「――あ、そうか! 電気を使うには、キーを差し込まなきゃいけないんだった!」

男「差し込む穴はどこ!? どこ!?」



ホテルマン『室内の電気を使う際は、このキーを――』

男『あ、大丈夫です、分かります』



男「場所をちゃんと聞いとくべきだった! くそったれめ!」

男「ゲームとかでもよくこういうミスするんだよな、俺って!」

男「んで、もう一回聞こうとしたらもう話してくれないパターン!」

男「あ、これか!? これだ!」グサッ

パァッ…

男「あ~、電気ついたぁ~」

男「よかったぁ~」

男(こうして、人類は電気という新しいエネルギーを手に入れた)

男(しかし、それが新たな争いの火種になるとは、まだ知るよしもなかったのである……)



男(それっぽいナレーションも決まったし、部屋を見てみるとすっか!)

男「スーツをかけとくクローゼット!」バァンッ

男「バスルームとトイレ!」バァンッ

男「ダブルベッド!」

男「テレビ! もちろん液晶!」

男「よれよれなLANケーブルに、ちっこい湯沸かし器もあるよ!」

男「うむ、いい! 実にいいぞ! この必要最低限っぽさが、実に素晴らしい!」

男(さて落ちついたところで――)

男(お札とかが貼ってないか、額縁の裏をチェック!)

男(もしビッシリお札が貼ってあったらどうしよう……!)ブルブル…

男「……」ガタッ

男(貼ってない……)

男(ホッとしたけど、ちょっと残念、かも……)

男「続いて――」ヌギヌギ…

男(とりあえず全裸になる!)スッポンポーン

男「おほおおっ! なんという開放感! これだ! これなんだよ!」

男「生まれたままの姿――これこそがヒトの究極形態!」

男(部屋の中にあるデカイ鏡に映してみると……)

男(おおっ、すばらしい肉体美!)ムキムキッ

男(――って全然大したことねーけど)ヒョロ…

男「ハックション!」

男「さぁて着替えて、明日の支度するか」ズズッ…

男(明日は基本的に俺は付き添いだけど、資料は作っとかなきゃいけないからな)

男「……」カタカタッ ターン

男「明日の支度はこんなとこだろう」

男(……決まった。ビジネスホテルでビジネスしちまったよ……俺。かっこよすぎる)

男「……」グゥゥ…

男(……腹、減ったな)

男(ホテルの近くにコンビニあるし、なんか買いに行くか)

― コンビニ ―

男(とりあえずは……弁当だよな)

男(あと……お茶も欲しいし、ビールも欲しいな。あと、チューハイ)

男(酒があるならつまみもだ。惣菜を一つ二つ買っとこう)

男(菓子も欲しいよな。ポテトチップスに、ビスケット、ゼリー系も欲しい)

男(おっと、甘いのばかりじゃなく柿ピーもつまみたい)

男(ついでに、漫画も買って行くか。夜は長いしな)

男(それと……)

店員「2416円になります」

男「どぅわ!?」

男(おいおいおい、マジかよ)

男(2000円超えって……明らかに買いすぎたな)

男(コンビニでこんな買ったの、いつ以来だろ……)

男(今日一晩でこんなに食えるか……? ま、いいや、なんとかなるだろう)

― 305号室 ―

男「……」グビッグビッ

男「っぷはぁ~、うめえ!」

男「普段、晩酌なんかしないのに、ビールがやたらうめえ!」

男「見える、見えるぞ! 広大な麦畑が!」

男「ビール飲みながら食べるコンビニ弁当が、これまた最高だ!」モシャモシャ

男「なんか、いつもより2倍増しくらいでおいしく感じるよ!」モグモグ

男「ギャハハハハッ!」

男(普段バラエティ番組なんかちゃんと見ないけど)

男(おもしれぇ~!)

男(いつもより3倍増しぐらいで、面白く感じちゃう!)

男(これはあれか?)

男(ビジネスホテルという特異な閉鎖的空間が)

男(バラエティ番組の楽しさを増幅させているのかぁ!?)

男「ウイ~、しこたま飲み食いしたし、そろそろ汗を流すかぁ……」

男「ションベンしてと……」ジョロロロロ…

男「はぁ~、スッキリ」ブルブルッ

男(ん? 浴槽にタオルがかけてあるな)

男(ああ、これがバスタオルだな。やけに硬いけど、ま、こんなもんか)

男(んじゃ、シャンプーとボディソープで体あ~らおっと)

男(シャワーの温度調節は、水と湯の量をバランスとって調整すればいいんだな)キュッキュッ

ジャー…

男「つめてっ!」キュッ

ジャー…

男「あちぃ!」キュッ

ジャー…

男「つめてぇぇっ!」キュッ

ジャー…

男「うわっちぃ!」キュッ

男(シャワーの温度調節ムズすぎだろ、これ!)

男(さっきから熱いのと冷たいのを行ったり来たりだ!)

男(これを一発で適温にできなきゃ、真のビジネスマンとはいえないんだろうなぁ……)

男「あ~、スッキリした」ゴシゴシ…

男「体をしっかり拭いて、と。 ――ん?」チラッ

男(うげぇ!?)

男(棚の上に……ちゃんとしたバスタオルが……!)

男(ってことは今、俺が使ってるこのでかいタオルの用途はなんだ? なんなんだ?)

男(そうか! 床に敷くためのやつか! どうりでやたら硬いわけだ!)

男(ええい、もう遅い! これで拭く!)ゴシゴシ…

男「色々アクシデントもあったが、なんだかんだいってサッパリしたな」

男「……さて、そろそろ寝るか」

男(すっげえごわごわしてるな、この布団)ゴワゴワ…

男(でも、これはこれでアリかも。クセになりそうだ)

男(おやすみ……)



男「ぐぅ……ぐぅ……」

翌朝――

男「ふぁぁ……」

男(緊張と興奮のせいか、目覚ましセットした時刻より、だいぶ早く起きちまったな)

男(眠れたような、眠れてないような……なんだか不思議な気分だ)

男(朝食はフロント横の部屋でバイキングだったな)

男(混まないうちに、とっとと済ませとこう)

― 朝食部屋 ―

男(えぇ~と、これと、これと……)

男(普段、朝食なんかちゃんと取らないのに、パンをかじる程度なのに)

男(パンにハム、野菜、と妙に栄養バランスを考えた構成にしちまってる)

男(なんでだろ……)

男「……」ムシャムシャ…

男「うん、うまい!」

そして――



男「チェックアウトをお願いします」

ホテルマン「かしこまりました」

男「ホワタァ!」ヒュヒュヒュン

ホテルマン「キャッチ!」パシッ

男(……できる!)

ホテルマン「ありがとうございました。いってらっしゃいませ」



男(どうでもいいけど、またこの人かよ……。この人何時間働いてるんだ?)

……

……

……

男「おはようございます!」

上司「おはよう、どうだった? ホテルは?」

男「なかなかよかったです」

上司「フフ……なかなか、か」

男「?」

上司「どうせハメを外して無意味に全裸になったり、無駄に買い込みすぎたり」

上司「シャワーの温度調節手こずったり、はりきって朝食取ったりしたんだろ?」

男「げぇっ!?」ギクッ







おわり

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