比企谷八幡「雪と」 渋谷凛「賢者の」 絢瀬絵里「贈り物」 (734)


サンタクロースさん。あんたに頼みがある。後生だから、聞いてくれないか?

欲しいものがあるんだ。ああ。たったひとつだけ、欲しいものが。

それさえあればなんにもいらない。他の何を捧げたって構わない。誰にも見せたりしないから、そいつを俺にくれないか。お願いだよ、この通りだ。

……え? そいつは何かって? ……いや、実はな、俺にも名前がわからないんだ。

冷やかしてる訳じゃないぞ。ただ、名前はわからんが欲しいんだ。それだけは違いない。

はは。悪い子だな、俺は。……無茶振りだが、どうにかならないか?

……本当か? 恩に着るよ。約束したからな。だったら俺はいい子にして待ってるよ。

……なに? 他の子の所も回るから、いつになるかはわからない?

……ああ。いいよ。ゆっくり、幸せ配ってきてくれよ。俺はずっと待ってるから。

ずっとずっと、待ってる。大丈夫だ。好きなもん、好きなだけで待てるんだよ、俺は。

その代わり約束してくれ。一番最後でもいいから、必ず来てくれるってさ。

……ああ、よかった。ありがとうな。それさえ聞ければ満足だ。

代わりと言っちゃなんだが、これを受け取ってくれ。俺のお気に入りなんだ。

紅くて、綺麗だろ? これが俺の一ドルと八十七セント。今ここにある、ありったけさ。

過去に誓いを。今に誇りを。きたる未来に、祝福を。

この一言を、あんたに。

メリー、クリスマス。


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<都内某所、夜。十二月二十五日。比企谷八幡、二十二歳>

八幡(吐く息さえ凍りそうな、寒い夜だった)


八幡(大学の六号館から出ると、外との温度の違いに思わず身震いしてしまう。門をくぐって外に出ると、駅まで続く大通りはクリスマスらしく輝かしいイルミネーションで彩られていた)

八幡「……そうか。今日は、クリスマスだったな」

八幡(人と関わることがないと、どうしても日にちの感覚は狂いがちだ。もっとも日付など今の俺にはどうでもいいが。たとえ三百六十五日のうちのどれかだとしても、生きるのが辛いことには変わりない)

八幡(そう。たとえ誕生日だって俺にとってはただの一日に変わりない。盆。正月。バレンタインデー。何が来ようと揺らがない。……ただ)

八幡(この日、だけは。クリスマスだけは、別だった)

八幡「…………あ」

八幡(鈍色の空は、忘れるなとばかりに無慈悲な白雪を降らせてきた)

八幡「……雪」

八幡「………………また、この日が来た、のか」


結衣『……ごめんね。ごめんね、ヒッキー。あたし、悪い子だから……』
雪乃『……じゃあね。……さようなら。さようなら、比企谷くん……』


八幡「……雪は」


八幡「雪は、嫌いだ」



八幡(独り言に応える者はいない。一人は嫌いじゃない。むしろ大好きとまで言い切るまである、が。色とりどりのイルミネーションを前にそれを吠えるのは何だか空しい)

八幡(クリスマス仕様になっているいつもの道から帰るのは何か癪だ。負けた気分になる。日陰者らしく、暗い裏道をぬって帰ってやるか)

八幡(駅への道を勘で探りながら歩いていると、まだ灯りがついている小さな花屋を見つけた。時間は九時になろうというところ。花屋なのに、めずらしい。そう思って俺は柄にもない寄り道をしてみることにした)

娘「いらっしゃいませ。ごめんね、お兄さん。もうあと数分で閉めちゃうんだけど……」

八幡「……あ、そすか。すんません」

八幡(綺麗な女の子が店番をしていた。思わずどきりとするほどだ。なにこの子、アイドル? ってレベル。洗練されたぼっちの俺は呼吸をするように目線を外す。すると、外した先には美しく紅い花束が咲き誇っていた。不意に、見惚れてしまう)

八幡(ふと、家で自分を待っている可愛い妹の姿が脳裏に浮かんだ。……今日はクリスマスだしな。あいつに贈り物をしても、許されるだろ)

八幡「あの。これ一本欲しいんですけど。……いくらですか」

八幡(そう言って、小銭入れの中身を見た。百と、八十七円入っている)

娘「あ、これ? ポインセチア? 一本187円だよ」

八幡「……ぴったりだな。じゃ、一本ください」

娘「ん、ありがと。はいどうぞ」

八幡「あざっす」

八幡(差し出される手に小銭を渡し、もう片手から花を受け取る。白くて、小さな手だった)



娘「この花ね、お兄さん。祝福って意味があるんだよ」

八幡「…………祝福」

八幡(澄んだ瞳の彼女はそう言った。祝福。その言葉が自分に向けられるのは抵抗があった。やはり、この花は小町に贈るべきだろう。……色んなことがあったが、結局いつも傍にいてくれたのは小町だったしな。生まれてきてくれてありがとう、なんて、な。柄じゃねーけど)

八幡(妹の笑顔を想像して、俺は小さく笑った。そんな様子を、花屋の娘さんは不思議そうに見ていた。……キモいと思われたな。こういう時は撤退だ。もう二度と会わねぇだろうし)

八幡「じゃ、あざっした」

娘「待って、お兄さん!」

八幡「……はい?」

八幡(後ろから声をかけられて振り返る。透き通るような水色の声。絹のように柔らかそうな黒い長髪を少し靡かせて、俺とは正反対な澄んだ瞳で、眼を見て彼女は言った)

娘「メリークリスマス。きっといいことあるよ。こんな夜だし」

八幡「……メリークリスマス。そっちもな」

娘「……行っちゃった。……なんだろ」



渋谷凛「優しい笑顔の人、だったな」


渋谷凛「……私も、あんな風になれるかな?」




八幡(花屋を出て、総武線の電車に揺られながら最寄り駅に付く。駅を出て家へと歩くころにはもうイルミネーションの姿はなかったが、相変わらず嫌いな雪は止んでくれない。狭い十字路の裏道に差しかかると、仄暗い街灯が一つだけ灯っていた)

八幡(ふと前を見ると、向こう側からスマホを見ながら歩いている女性がやってきている。暗くて顔もよく見えないが、街灯が照らしたその髪色は金だったように思う)



――ぶろろろろろろろろ。


八幡(横側から、少し急いだエンジン音)

八幡(女性は、気付いていない)

八幡「おいっ!!!」

八幡(俺の声に驚いた女性は、顔を上げても……足を止めることはなかった)

八幡「くそっ!!!」

八幡(無我夢中で飛び込んでいた。最後に見たものは、光を放つエンジン音の正体)

八幡(――黒塗りの、リムジン)

八幡(……ああ。昔、そんなこともあったな――)

八幡(俺の意識は、そこで途切れた)





女「ねぇ!? あなた、大丈夫!? しっかりしてっ!!」

女「……っ。救急車……救急車呼ばなきゃ!!」

女「もしもし!? 救急です! えーっと、えーっと場所っ……場所!? ここどこ……!? ここどこなの!? わからない、わかんないのよぉ!!」

女「そ、そうだ。あの子ならきっと……! ごめんなさい! すぐかけなおします! かけなおすから待っててください! おねがいします!!」

女「……もしもし!? ねえ希、今あなたの家の近くにいるんだけど、住所を教えて! 早く!」







絵里「お願い! 人が事故に遭ったの! 早くっ!」










アイマス×俺ガイル×ラブライブ
雪と賢者の贈り物







<数日後、朝。西木野総合病院>



八幡(目覚めたのは、事故から数日経った夜だった)

八幡(口元にあの緑のダースベイダーみたいなやつがくっついてて死ぬほどびっくりした。生きてるんだけどね!)

八幡(小町によると第一声は「……漫画みてえだな」で次が「はっ、死に損なっちまったか……罪な男だぜ」らしい。我ながらアホだ。それでもまあ、起きるなり顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにした小町が胸に飛び込んできたときは、生きててよかったなと思ったりもした。骨折だらけのボディに妹のダイブは痛すぎで今度こそ本当に死ぬかと思ったが)

八幡(片足とかあばらとか色々骨折して、退院できるのは三ヶ月後らしい。両腕が折れなかったのは不幸中の幸いだった。本が読めて退屈しなくていい。そんなことを思っていると、病室のドアが叩かれた)

八幡「どうぞ」

武内P「失礼します」

八幡(入ってきたのは、大柄な男だった。目つきが悪くて殺し屋かってレベル。人のことは言えんが。そんな大男は、入ってくるなり、深々と頭を下げた)

武内P「この度は、誠に申し訳ございませんでした」

八幡「ちょっ、いきなりそんなに謝られても困るんですけど! 頭上げて下さいよ、大体運転手さんからは昨日挨拶頂いてますが……」

武内P「ですが、私も同乗しておりましたので……」

八幡「いや、別に同乗してただけでしょ。むしろこっちが謝りたいすけどね、色々面倒だったでしょ」

武内P「そんなことはありません。断じて」

八幡「……はあ」

武内P「……?」

八幡「……どうしました?」

武内P「……いえ。あなたに既視感が少々。……気にしないでください」




武内P「具合の方は、いかがですか」

八幡「ああ、骨が折れたくらいなんで。三ヶ月くらい入院しないといけないんですけど、どうせバイトもしてないし、家から出ないんでまあ問題ないっす」

武内P「……身内の方からお聞きしました。大学生、なのでしょう? 通学の方は……」

八幡「一応今まで優秀で通ってるんで。三年後期なんて文系はゼミだけみたいなもんですし、事情説明すれば余裕でした。来期なんか大学通うの週一です。学費返せってゴネるまである」

武内P「……そうですか。少し、安心しました」

八幡「費用もなんかそちらの会社が負担してくれるらしいですし、少し申し訳ないっすね。まあ払ってもらいますけど」

武内P「はい、勿論。……失礼ながら、一つお聞きしてもよろしいでしょうか」

八幡「? なんですか」

武内P「貴方は、何故。あの時飛び込まれたのですか?」

八幡「なんでって……なんでですかね。俺が知りたいです。身体が勝手に動いたんで。未だにわかりませんけど、でもまあ――」


八幡「結果オーライじゃないすかね。もし俺が死んでても、ぼっちが一人減って女の人が一人助かる訳だから。世界にとってはそっちの方がいいんじゃないですか。まあ俺は自分が死ぬほど可愛いから絶対死にたくないですけど。やっぱ生きてるって最高だわ」


武内P「……ああ、なるほど。……誰に似ているか、ようやくわかりました」


八幡「……はい?」

武内P「……失礼しました。私はいつもこういう時、自分の世界に浸りがちです」

武内P「比企谷八幡くん。私は今日、謝罪のためだけに来たのですが……気が変わりました」

八幡「………………は?」




武内P「申し遅れました、私、こういうものです。……あなたに、お話があります」

武内P「よろしければ、アイドルのプロデューサーになってみませんか」

<同日、夜。西木野総合病院>


八幡「突然すぎて言葉を失ったわ。黒塗りの高級車に乗ってた暴力団の団員が、示談の条件を提示しに来たのかと思ったぞ」

小町「妹が悲しむからビデオ出演だけはやめてね、お兄ちゃん……」

八幡(半目で俺を睨むと、小町は俺の為にわざわざ買ってきてくれた小型のテレビに目線を映した。青い猫型ロボットのアニメからつけっぱにしていた小さな箱の中では、音楽番組が映っている)


春香『天海春香でーすっ! 今日はよろしくお願いしまーす!!』
グラサン『はーいよろしくお願いしまーす』


八幡「アイドル、ねえ」

小町「面白そうな話だよね! もちろんお兄ちゃんはこの話受けるんだよね! 忙しくなってもたまには妹にかまって欲しいかなーって。あっ、今の小町的にポイント高い!」

八幡「いや、やんねぇから」

小町「えっ、なんで!? アイドルのプロデューサーだよ!? もしかしたらアイドルとお近づきになれてあわよくば結婚できるかもだよ!? 小町ポイント満額で限界値突破しちゃうよ!?」

八幡「なんでって……だって普通に働くことになるんだぞ。俺まだ大学生だし。働きたくねぇ。死ぬまで親のスネをかじり続けていたい。禁断の果実だよな。骨の髄までしゃぶりたくなるほど美味い」

小町「うわぁ……本当ゴミいちゃんだなあ……。でもでも! アイドルと結婚できたらお兄ちゃんきっと専業主夫になれるよ! どうだ!?」

八幡「生憎だがそれは無理だ、小町」

小町「なんで?」

八幡「俺だぞ」

小町「……一言でなんでこんなに説得力あるのかな。それで納得できてしまう自分が悲しいよ。本当に小町的にポイント超低い」

八幡(よよよ、と芝居臭く袖で目を拭うふりをしながら、ベッドに腰かけていた小町は俺にもたれかかってきた)



小町「……こんな兄だけど。生きててくれて、本当に良かった。……良かったよ」



八幡「おいおい、もう昨日散々泣いただろ。そうやって兄想いなところは八幡的にポイント高いが」

小町「うるさい。本気で心配したんだよ」

八幡「……悪かったって」

小町「死んだらポイントも何もないんだから。もうこういうのは止めてね……って言っても聞かないんだろうな。それがお兄ちゃんなんだし」

八幡「知ったような口を」

小町「きくよ。小町が何年妹やってきたと思ってるの? お見通しだよ」

八幡「……ま、今回はたまたまだ。金髪の美人っぽい人が轢かれそうになってたからな。かっこつけたかっただけだ」

小町「そういう捻デレ、今はいい」

八幡「はいよ」

八幡(言葉を切ると、小町はまた俺の胸で少し泣いた。怪我した身体に、温かい体温が心地よかった)




小町「小町ね。プロデューサーの話、本当に受けてみたらいいと思うんだ」

八幡(泣き止んだ小町は、俺の肩に重みを預けて言った)

八幡「またそれか。第一俺はアイドルのことなんか全く知らんぞ」

小町「それはお兄ちゃんなんかスカウトした向こうが悪いんだよ。気にしなくていいの」

八幡「お前、推すなぁ……。何、そんなに兄が仕送りだけで暮らしてるの情けない?」

小町「うん、かなーりポイントは低いよ。でも、それだけじゃなくてね」

小町「お兄ちゃん、ちょっと無理して働いた方がいいと思う。……疲れて、何も思い出せないくらい」

八幡「…………なんでだよ」

小町「間があったね。本当はわかってるんでしょ?」

小町「お兄ちゃん、昔の傷、全然治ってない。気付いてる? 昔よりずっと暗くなったよ」

八幡「……傷って言ってもな。もう三年も経ってる。というか第一あいつらとは何もなかった」

小町「何もなかったから、こうなったんでしょ?」

八幡(瞳を射抜く妹の視線は、悲しくなるほどに鋭い。触れると、また決壊しそうだった)

小町「時間がすべてを解決するってよく言うけどさ。小町から見れば、お兄ちゃんには時間がありすぎだよ。色々無気力になっちゃうのもわかるけど」

小町「でも、無理しないと絶対に治らない傷ってあると思うんだ。色んなことに忙しくなって、バタバタして、空元気出して。そうやって嘘で出した元気が、いつか本物になることもあるって思うんだ」

八幡「…………」




小町「小町が高校に落ちたときもそうだった。あの時は本当に本当に悲しかったけど、でもあの時泣きながら無理して頑張った小町がいるから。高校もちゃんと楽しかったし、今こうやって元気にお兄ちゃんと一緒の大学に通ってる小町がいるし。それから、この先の未来の小町も」

小町「お兄ちゃんも無理すればこの先なんかあるかもしれないでしょ」

八幡「……俺は、別に」

小町「あー、もう! 相変わらずめんどくさいゴミいちゃんだなぁ! 今からもこれからもあるのっ! わかった!?」

八幡「お、おう……」


小町「大体今どき『俺はもうこれから先一人でいいんだ……』とか流行らないの! 一人くらい友達連れてきたらどうなの!? いくら妹との二人暮らしで連れて来づらいからってゼロは限度があるよ!」

八幡「仕方ないだろ。ぼっちなんだから。大学でぼっちを極めるってのはすごいことなんだぞ。過去問なしで全てを切り抜けなきゃいかんのだから。代返も不可だし。俺凄くね?」

小町「すごくないよ。本当にやだよこんな兄」

八幡「流石にノータイムでそこまで否定されるとちょっと凹むわ……」

小町「小町いつまでもこんな兄を持つの嫌だしなー。それにアイドルとお知り合いになりたいしなー。はっ、良いこと思いついた。あわよくばそこから高収入の俳優さんと仲良くなれないかな!?」

八幡(相変わらず底が浅いな、お前は。そう言おうとした)

小町「小町はお兄ちゃんをダシにして叶えたい欲望がいっぱいあるんだ。だからさ」

小町「小町のために、小町の未来の旦那さんのために、なんとかなんないかな」

八幡(昔どこかで聞いたセリフだった。だから)

八幡「……妹のためじゃしょうがねぇな」

八幡(俺はあえて乗ろうと思う。この愛すべき、比企谷小町の計略に)

小町「うん、小町のためだもんね。小町、わがままだからなー。しかたないなー」

八幡「ほんとだよ」

八幡(もたれかかった小町の頭をがしがしと乱暴に撫でる。すると小町はきゃーと言いながら俺の手に合わせて頭を揺らした)



小町「小町はここに、お兄ちゃんの孤独体質を改善するため、新生奉仕部の発足を宣言します!」

八幡「ふん。平塚先生にも無理だったんだ、やれるもんならやってみな。新部長さん」

小町「奉仕部部長……部長かー。もう叶わないと思ってた夢だけど、変な形で叶っちゃった」

八幡「あ? 夢?」

八幡(俺が聞き返すと、小町は少し恥ずかしそうに笑った)


小町「奉仕部! 入りたかったんだー」

八幡「……あ、そ。さっさと廃部できるように頑張るわ」

八幡(俺は再び妹の頭を撫で回しながら、ベッドのテーブルの上に置いた名刺を見つめていた)

八幡「ありがとな」

小町「どういたしまして」

八幡「……そろそろ帰りな。遅いから気を付けて帰るんだぞ」

小町「うん、じゃあ、おやすみ」

八幡「ああ、おやすみ」

八幡(病室のドアがぱたりと閉じた。あの人の――346プロダクションのお金で取った個室の病室の窓からは、美しい夜景が見える)

八幡(自分ももうすぐこの夜景を作る歯車となるべく働くのかと思うと気が滅入るが、妹の言葉を思い出すと頑張れるような気もする)

八幡(懐かしいやりとりだった。昔の俺は動くべき理由を上手く見出せず、立ちすくんでいた。それを助けてくれたのが小町だったっけ)

八幡(あの時も小町の為って大義名分を借りた。……結局回り回って、それが間違いだったって気付いたんだが)

八幡(昔に一度やらかした間違いなのに、またもう一度繰り返そうとしてる)

八幡(でも、それでいい。一度間違えたんだ、何度間違えたってもう同じだ。それに――)



八幡「俺は妹のためならたいていは許してしまう素晴らしい兄だから、な」



八幡(夜景に名刺をかざしてみる。流れ星が一筋、光った気がした)

<三カ月後、春。都内某所、346プロアイドル部門:クールプロダクション事務所前>


武内P「おはようございます、お待ちしておりました」

八幡「おはようございます。わざわざ会社の前にいてもらうなんて……」

武内P「私がスカウトしたのですから、当然のことです。どうぞ中へ」

八幡(武内さんは俺の一歩前を歩いて、事務所の中へ入っていく。346プロという名を冠しているが、事務所はごく普通の雑居ビルにあった。一階は居酒屋だったし。事務所は三階のようなので、エレベーターは使わず二人で階段を上る)

武内P「雇用契約等は病院で済ませましたので、本日はいきなり業務から入ります。一通り説明しますが、わからないことがありましたら事務員さんが一人いますので随時聞くようにしてください。若いですが、とても優秀な方ですよ」

八幡「はあ……。武内さんにも聞いていいんですか?」

武内P「いいえ、不可能でしょう」

八幡「え? 忙しいってことですか」

武内P「いえ。私はもう、この事務所で仕事をしません。四月付けで本社勤務になりました。役職的にはアイドル部門の統括……つまり部長ということになります」

八幡(聞いてないぞそんなこと……。マジか、いきなり知り合いゼロからスタートか。これが定められしぼっちの運命ってやつなのか)

武内P「私は三月までここのプロデューサーでした。つまり比企谷くんは私の後任であり部下、ということになります」

八幡「そ、そうなんすか……。なんか大任ですね」

武内P「そう固くなることはありません。大丈夫です」

八幡「はあ、ありがとうございます。上手くやれるといいんですが」

武内P「初めは無理です。当然」

八幡(……何というか。この人は寡黙そうというより、言葉が足りないんじゃないかと思い始めている自分がいた)

武内P「着きました。こちらです」

八幡(彼が事務所の扉をノックして、ノブを捻った)




絵里「おはようございま…………」




八幡(ビックリして心臓が止まりそうになる。多分彼女もそうなんだろう。そんなビックリしている自分を冷静に見つめるもう一人の自分が、まるで青春ラブコメだなと笑っていた)




絵里「聞いてないですよ! 比企谷くんが新任のプロデューサーだなんて!」

武内P「はあ。後任のプロデューサーが四月から勤務する、とはお伝えしたつもりですが……」

絵里「誰が来るなんて言ってないじゃないですか!」

武内P「……聞かれなかったので」

絵里「もう! またそういうこと言って! いつも言ってますけど一言足りないんですっ」

武内P「……申し訳ありません」

八幡(困ったように首に手を回す武内さんと少し怒った絢瀬さんを前に、俺は黙って傍観することしかできなかった。この空気感よ。身体に馴染みすぎててクセになるわ)

絵里「はっ、ごめんなさい比企谷くん! 今お茶を入れるから、そこのソファにプロデューサーさんと座ってて!」

八幡「あっ、ハイ」

八幡(事務所着いて第一声がアッハイとかなんなの俺……。流石すぎでしょ……)




絵里「はい、お茶。熱いから気を付けて飲んでね」コトッ

八幡「ありがとうございます」

武内P「………………」

絵里「プロデューサーさん……じゃなかった、部長さんの分はありません。罰です。ふんっ」

八幡(武内さんは俺の隣に座り、絢瀬さんは俺の向かいに座った。改めて見ると、息を呑むほど綺麗だ。雪みたいな白い肌に、宝石をはめ込んだかのような両の瞳。吸い込まれそうになって目を逸らす。黒いスーツ姿に、一つに括った金髪が映えていた。スタイルも……大変けしからんな。弊社のトップアイドルですって言われても普通に信じてしまいそうだ)

八幡「病院ぶりですね。わざわざ見舞いに何回か来てもらって」

絵里「何言ってるの、当然でしょ? ほんとに比企谷くんがいなかったら私、死んでたかもしれないんだし」

八幡(絢瀬さんは律儀にも、何回も見舞いに来てくれていた。その時はもう関わることがないだろうと思っていたし、綾瀬さんも忙しいようで長居をすることはなかったから、何を話したかをはっきりは覚えていない。ただ、何度もありがとう、ごめんなさいと繰り返していたことだけは覚えている)

絵里「改めて、あの時は本当にありがとう。あなたのお蔭で私、生きてるわ」

八幡「大げさですよ。本当にたまたまだったんでもうそういうのはやめませんか。……その、なんです。これから一緒に仕事していくんだし」

絵里「そう……そうね。そうします。努力するわ。うふふ」

八幡(手のひらで口を覆うと、彼女はお淑やかに笑った。大人の女性の笑みだった)

絵里「部長さん、私の紹介はされましたか?」

武内P「いえ、まだです」

絵里「そう、じゃあ私から改めて」

絵里「346プロ、クールプロダクション事務員の絢瀬絵里です。比企谷くんは大学四年生だったわよね? じゃあ歳は……比企谷くんの一つ上になるのかな。私も短大に居た頃から一年くらい仕事してたから、実質三年目ねー。年齢と両方の意味であなたの先輩になるわね! 私にわかることなら何でも教えるわ。色々聞いてね!」

八幡「比企谷八幡、大学四年です。アイドルのことはよく知らないんで足引っ張ることが多くなると思いますが……やる以上はしっかりやりたいと思ってます。よろしくお願いします」

八幡(深々と頭を下げた。こいつはもうバックレ可能なアルバイトじゃない。社会人としての仕事なんだという事実を噛みしめる)

絵里「ふふ、いいのよ。どうせまた部長さんが無理言ってスカウトしてきたんでしょ。最初は出来なくて当然なんだから、いっぱい間違えなさい」

武内P「また、とは……。いや、しかし今回は認めます。……比企谷くん。気負わずに、まずはやってみてください。大丈夫です。ずっと、見ていますから」

八幡(そんな二人の言葉を、どこか懐かしい気持ちで受け取った。『ちゃんと見ていてやるから、いくらでも間違えたまえ』いつか誰かにそう言われた気がする)

八幡「はい、よろしくお願いします」

八幡(俺はもう一度深々と頭を下げた。そんな俺の態度に、武内さんはまたさっきみたいに首に手を回した。それでは本社へ出勤します、と言い残すと彼はしっかりとした足取りで去って行った)



絵里「あの娘が来るまで少し時間があるわね」

八幡「あの娘?」

絵里「あなたの担当アイドルよ。今日、顔を合わせることになってるわ。……そうね、まずは346プロについてのお話をしようかしら。アイドル業界のこと、何も知らないのよね?」

八幡「765プロってところのメンバー全員の名前もわかりません」

絵里「…………ハラショー。逆にすごいわね……」

八幡「でしょう」

絵里「褒めてないわよ。んー、じゃあそのあたりの説明も一緒にしようかしら」

絵里「私たちが今いるクールプロダクションっていうのは、他のアイドル事務所とはちょっと変わっててね。比企谷くん、346プロのことはわかる?」

八幡「あ、はい。それなら。芸能プロダクションとして結構老舗ですよね」

絵里「そうそう、本社行ったことある? 本当に美城の名がふさわしいくらいでっかいわ。まあそれは置いといて、歌手や俳優をたくさん輩出してきたけど、アイドル部門が出来たのって実はここ数年のことなのよ」

八幡(そうなのか。色々なところに手を伸ばしているイメージがあったから、少し意外だ)

絵里「でも、さっき言ったと思うけど346のアイドル部門ってちょっと変わってるの。なんと傘下の事務所が三つあるわ。それがクール、キュート、パッションプロダクション。ちなみにウチに所属するアイドルのことを、シンデレラガールと呼ぶことも覚えておいて?」

八幡「なんで三つも事務所があるんです?」 

絵里「社長の方針ね。競争が発展を促す、っていう思想があるらしいわ。集○社と小○館の関係と同じって言ったらわかる?」

八幡「ああ、なるほど。理解できました」

絵里「うん、よろしい。上手く説明できたわ」

八幡(綾瀬さんは腰に手を当てて、むふーと息を吐いた。すごく……かしこくてかわいいです……)



絵里「所属するアイドルは上が決めることになってるわ。経緯は色々ね。オーディションから獲ったり、あなたみたいに一般人からプロデューサーがスカウトしてきたり、スクールアイドルからプロになれそうな娘を誘ってみたり」

八幡「……スクールアイドル?」

絵里「あれ、知らないの!? ……でも知ってたらきっと気付かれたわよね。当然か」

八幡「最後の方もごもごしてて上手く聞き取れなかったんですが……」

絵里「な、なんでもないわ! スクールアイドルっていうのは、一言で要約すればアマチュアのアイドルって感じかしら。ひとつの学校ごとにひとつのグループがあるのよ」

八幡「へえ。アイドル部、って感じですか?」

絵里「その感覚に近いわね。結構文化としては人気があって、ラブライブっていう有名な全国大会が開かれてたりするのよ。予選からすごく盛り上がるの」

八幡「どのくらい凄いもんなんですか? ラブライブって」

絵里「……そうね。ラブライブで優勝した学園が、廃校寸前の状態から今や倍率数倍の有名校になっている前例があるわ」

八幡「すげえな。そんな漫画みたいな話が本当にあるんですか?」

絵里「……あるのよ、本当にね」

八幡(そう語る彼女の表情は、なぜかとても誇らしげだ)




絵里「話を戻すわ。今は二度目のアイドル黄金期と言われていてね。アイドルがたくさんいるの! 小さな事務所がたくさん乱立してるわね。EランクDランクアイドルなんかは結構いるのかしら」

八幡「アイドルにもランクがあるんですか?」

絵里「ええ、そうなの。これについては後で資料を渡すわね。とりあえず感覚的に言えばCランクだとアイドル好きなら誰でも知ってる、Aだと国民がほぼ知ってるって感じかな? キュートには二人、Aランクがいるわよ」

八幡「へええ。後で調べておきます」

絵里「うん、仕事がしやすくなると思うわ。……でも、こんなにアイドルがたくさんいるのに、今メディアではそんなに多くのアイドルが取り沙汰されてるわけではないわ。どうしてかわかる?」

八幡「俺みたいにアイドルなんて誰が誰だかわからないって思ってる人が多いからですか」

絵里「……あなたはむしろ少数派。国民は結構アイドルに夢中よ、非国民さん」

八幡「俺の存在感の無さはついに国レベルまで到達したのかよ。これはもう県民としてディスティニーランドに国籍移すまである」

絵里「私も県民だけどあの帝国に国籍を移すのは怖いわね……じゃなくて」

絵里「要するに相対的な問題なの。他のアイドルたちが注目されないんじゃなくて、女性アイドル界では765プロが注目を集めすぎてる」

八幡「まあ、俺でも名前知ってるくらいですしね」

八幡(綾瀬さんはリモコンでテレビの電源をつけた。そうして適当にチャンネルを回していく)




料理家『今日のゲストは、765プロの高槻やよいさんです。よろしくお願いします』
やよい『うっうー! よろしくですー!』

芸人『現場の響ちゃん、そっちの様子はどうかな?』
響『はいさーい! 響だよ! 今日は葛西臨海公園に来てるんだー。マグロの数が減ってくのが、自分、本当に悲しいぞ……』

アナ『本日は世界的テニス選手ファラデー選手と、菊池真さんの対談をお送りしようと思います! 二人とも運動というものを極めた存在、いったいどんなお話がきけるのでしょうか!?』

司会『これは先日行われたパリのファッションショーの映像です。日本からは星井美希さんらがモデルを務めました。本当に堂々たる様子で、日本国民として鼻が高いですね』

CM『如月千早ベストアルバム、NowOnSale』




絵里「今少し止めたチャンネルに映ってたのが、765プロの娘たちよ。全員じゃないけどね」

八幡「言われてみれば、俺も何度か見たかもしれません。テレビほとんどみないのに」

絵里「そうよ、これが765プロ。……今のアイドル界に君臨する、13人のSランクたち」

八幡「は? Sランク?」

絵里「実質Aランクと変わらないけど、名誉称号みたいなものね。永世名人、竜王みたいな」

八幡「それが全員? 正体は圧倒的資金力で作った虚像とかなんですか?」

絵里「……あなたは普段アイドルにどんなイメージを抱いているのよ。そんなことないわ。765のメンバーは全員突出した能力を持ってる。名実ともにね。765プロと比べたら、普段レッスンを積んでる商業アイドルたちがみんな素人に見えるくらい」

八幡(おいおいおい。全員天上人とかどんなチートだよ。中学生の描いた小説か?)

絵里「だから今、世間ではアイドルって『765かそれ以外』なの」

八幡「なるほど。とりあえず状況は理解できました」

絵里「うん。でも、そーいうのって何か気に入らないわよね」

絵里「だから近いうちに、ウチのアイドルが全員ぶっ倒しちゃうんだから」

八幡(そう言って悪戯っぽく彼女は笑った。大人びた風格から覗くあどけなさもまた、淑女の嗜みなのだろう)



絵里「比企谷くんにはこれから、『ニュージェネレーションズプロジェクト』に選出されたアイドルを一人担当してもらうわ」

八幡「ニュージェネレーションズ」

絵里「そ。新しい企画で、各346のプロダクションに一人ずつアイドルが今年からやってくるわ。我らが346が見出した宝石の原石たちを各プロダクションがそれぞれ磨いて、お互い競争しながら上を目指していこう! っていうコンセプトよ。勿論本社から色々バックアップもしてもらえるの!」

八幡「圧倒的資金力で」

絵里「……こんなこと言うのも失礼かもしれないけど、あなた目が本当に、その……発酵してるわね」

八幡「よく言われます」

絵里「言われるのね……」

絵里「それで今日、その娘と初顔合わせをしてもらうつもりなの。もうすぐ来ると思うんだけど……」

八幡「はあ。何歳くらいの娘なんですか?」

絵里「今年から高校三年生。だから……今は十七歳なのかしら?」

八幡「げ、現役こーこーせー……。ふひっ」

絵里「ちょ、ちょっと。変な笑い方しないで!? 国家機構を召喚したくなる笑い声だったわ」

八幡「流れるように通報しようとするのやめません? いや、なに話せばいいか全然わかんねぇなと思って」


――こんこん。


絵里「あ、来た」

八幡「え、まじすか。待ってまだ心の準備が」

絵里「男の子でしょ、しっかりなさい? 大丈夫よ、落ち着いて話せば。愛想はないけど優しい娘だから。……はーい、入っていいわよ」





凛「失礼します……あれ?」





八幡(偶然というのはこうも続けて起こるものなのか。いや、偶然も二度続けばひょっとしてそれは)

八幡(一度見ただけなのに、忘れていなかった。鳥の濡れた羽みたいに艶だった髪。意志の強そうな瞳が俺の腐ったそれと対峙する。整った小さな顔だ。よく見ればピアスを開けている。だというのにネクタイは曲がっておらず、しっかりと着けている。黒いカーディガンのポケットに右手を突っ込み、左の肩にはカバンを下げて。窓から差し込む朝日が照明のように彼女を彩る。そんな姿が、たまらなく絵になっていた)



凛「……あの時のお兄さんじゃん! え、何で? 何でいるの?」

八幡「……覚えてたのか。まあ俺もなんだが」

絵里「あれ、凛ちゃんもしかして比企谷くんと知り合いなの?」

凛「知り合い、ってほどじゃないけど。一回うちの店に来てくれたんだ」

絵里「へえ、そうなの! 不思議なこともあるものね。紹介するわ、比企谷八幡くん。あなたのプロデューサーよ」

八幡(そう言われると、一瞬彼女は目を丸くした。だが、すぐ戻る。そして俺のことをじろりと見回すと、不敵にこう言った)



凛「ふーん、アンタが私のプロデューサー?……まあ、悪くないかな…。私は渋谷凛。今日からよろしくね」




八幡「比企谷八幡だ、よろしく頼む」

凛「ふーん……ふーん。凄いな、本当にこういうことってあるんだ。ふふっ、何か嬉しいな」

八幡(薄く笑う彼女。なんだ、年相応の女の子なんだなと少し安心する。渋谷はカーディガンのポッケから手を出すと、俺に差し伸べた。不意に、これじゃまるで俺の方がシンデレラみたいだな)

凛「一緒に歩いて行こうね、プロデューサー」

八幡「ああ。至らないとこだらけだと思うが、よろしく頼む」

八幡(繋いだその手は、温かかった)

八幡(薄く笑う彼女。なんだ、年相応の女の子なんだなと少し安心する。渋谷はカーディガンのポッケから手を出すと、俺に差し伸べた。不意に、これじゃまるで俺の方がシンデレラみたいだなと思ったりした)

凛「一緒に歩いて行こうね、プロデューサー」

八幡「ああ。至らないとこだらけだと思うが、よろしく頼む」

八幡(繋いだその手は、温かかった)



あうあう。脱字がございました。訂正しますね。

<昼、千代田区。皇居周辺>


八幡(よく晴れた昼下がり。春らしいぬるいそよ風が桜を揺らして、千鳥ヶ淵に流れていく。ボートをこいでいる人と、それを見ながら歩いている俺たちとでは時間の流れが違うようにさえ見えた)

凛「なんだかもうすっかり春だね、プロデューサー」

八幡「そうだな」

八幡(俺たちはというと、さっき絵里さんから聞いた他の二つの事務所へ向かっていた。三事務所は同じ区内にあるようでタクシーなんかを使えると楽なんだが)

絵里『経費節減! 甘えない!』

八幡(だそうで。……まあ、それを言った後こそっと俺にだけ聞こえる声で『電車でゆっくり行って、凛ちゃんと仲よくなったほうがいいでしょ』と言われたんだが。抜け目ない人だ。いや実際はただ経費を減らしたかっただけなのかもしれんが)

凛『ねえ、プロデューサー。今日は暖かくて気持ちいいし、せっかくだから歩かない?』

八幡(そんなわけで今に至る。革靴が真新しくて、歩くと少し痛いのは黙っておこう)


凛「歩いて正解だったでしょ。今日の朝、ハナコを散歩に連れてったときはまだ寒かったんだけどね」

八幡「犬でも飼ってんのか?」

凛「うん、そうだよ。昼間はお店の外に出してるんだけど、あの時は夜だったから見てないか」

八幡「俺の実家には猫がいるぞ。あんまり俺には懐かんが」

凛「ふふ、動物には色々わかるのかもね。なんて名前なの?」

八幡「カマクラ。うっせ、猫はあんま懐かねーんだよ」

凛「いい名前。白くてあったかそう」

八幡「ぬくいっちゃぬくいな。あいつ普段冷たいくせに、たまに空気読んでひざとかに乗ってくるんだよな。そこが憎めない」

凛「……飼い主に似るって言わない? ペットって」

八幡「俺にか? バッカ俺に似たらもっと身内には優しいに決まってるだろ。愛しすぎて引かれるまである」

凛「身内には優しいんだ。ふーん……。兄妹はいるの?」

八幡「いる。妹。世界一可愛い。やらん」

凛「……へ、へえ……………」

八幡(わかりやすくドン引いていた。だが可愛いは正義。妹は可愛い。つまり小町は正義。世界の真理なのだから仕方ない)

八幡「渋谷の家の犬はどんな感じなんだ」

凛「ハナコ? いい子だよ、忠犬って言葉が似合うかな。私が帰るの遅くなってもいつも玄関で待ってるんだ」

八幡「ふーん。飼い主に似てるかは知らんが、渋谷の犬は忠犬って相場が決まってるからな」

凛「ふふ、秋田犬じゃないけどね」


<同日、パッションプロダクション事務所近く。公園>

八幡「絢瀬さんから貰った地図のデータだとこの辺だな」

凛「小さいビルがいっぱいでどれだかわかんないね。誰かに聞いてみる?」

八幡「人に話しかけたくない。今スマホで詳細出すから待ってくれ」

凛「人に話すの嫌がっててプロデューサーできるの……」



莉嘉「未央ちゃーん☆ ほらはやくー!」

未央「はっはっはっ、そう慌てない慌てない! 今見せてあげよう、未央ちゃん魔球大リーグボール二号を!」

莉嘉「アタシそれ聞いたことあるー! 消えるまきゅーだ!」

未央「ふぁっはっは、とれるもんならとってみやがれー! それっ!」

莉嘉「あーっ! もう、未央ちゃんどこ投げてるのっ。ノーコン!」

未央「これこそ未央ちゃん特製消える魔球……」

莉嘉「未央ちゃんが取ってきてね☆」

未央「…………はぁーい」




八幡(近くの公園の入り口で俺が事務所の位置を調べていると、ピンク色のボールが転がってきて足に当たった。渋谷が不思議そうにそれを拾う)

未央「ごめんなさぁーい! そこの人たち、ボールとってくれませんかっ!?」

八幡(軽やかな足取りでこちらに走ってきたのは、ショートカットの快活そうな女の子だった。歳は渋谷と同じくらいだろうか? ピンクのブレザーともパーカーともつかないような上着が風に揺れていた。)

凛「あ、はい。……それっ」

八幡(渋谷の返球はふんわりと春の空に弧を描いて、女の子の胸元にストライクで到着した。綺麗なフォームだ。運動神経の良さがうかがえる)

未央「おおっ、ストライク! すごい! これはきっと将来未央ちゃんのライバルになるに違いない! 大リーグで会おうぜっ」

莉嘉「ストライクなぶん、未央ちゃんより上だと思うかな☆ アタシは」

未央「こらぁ、そこっ! 離れてても聞こえたぞ! 私の聴力を舐めるんじゃなーいっ!」

莉嘉「うわぁ、逃げろ逃げろぉ~☆ アハハ!」



八幡「……元気な子たちだなぁ」

凛「そういう娘が好み? ふふ、ちょっと私には厳しいかも」

八幡「そんな風に見えるか」

凛「んーん、欠片も」

八幡「ご名答。喋るだけで過労死しそうだ。情熱で溶ける」

凛「溶けるの!?」

八幡「繊細だからな。ドライアイスのように冷え切ってる自信がある」

凛「そのまま空気になるしね」

八幡「おいやめろ。なんで中学時代の俺のあだ名を知ってる」

凛「空気だったんだ……」

八幡(ジト目で見られてしまった。いや冷静に考えろ。女子高生アイドルに冷たい目線で見られる……ご褒美じゃないか? ないな。普通に悲しいわ。そんなことを思っていると、俺の後方から足音がした。じりっと、意を決したように大地を踏みしめる音がひとつ)





???「見つけた……こんなところにいましたか……」




八幡(可愛いよりもかっこいいという言葉が似合う、真面目そうな美女だった)



海末「こらぁーっ!! 未央っ! 莉嘉ぁっ! 見つけましたよ!」




莉嘉「あっ、ヤバイ☆ じゃーん! じゃーん!」

未央「げえっ、海末ちゃん!」

海末「人を三国志みたいに扱うのはやめなさい! 午後一からレッスンだと言ったでしょう! 今日から彼が正式に着任すると言うのに何してるんですかっ」

莉嘉「ち、ちがうのっ! あたしは未央ちゃんに無理やり連れてかれて!」

未央「ああっ、莉嘉ちゃんずるいぞ! 売りやがったなー!」

海末「未央……?」

未央「違うんだよ海末ちゃん! これには海よりも深いわけがあって! あ、今のはシャレとかじゃなくってぇ!」

海末「へええ……海のように広い心で言い訳だけは聞きましょう」

未央「……パ、パッションプロがアメリカ進出したときに備えて、大リーグボールの開発?」

海末「なるほどなるほど。では彼には、未央はトライアウトを受けに消えたと伝えておきますね」

未央「ごめんなさぁーい!! 初日から除籍なんてやだぁー!!」



凛「あの。すいません」

八幡(未央と呼ばれた女の子の頬っぺたをちぎれんばかりに両方から引っ張っている女の人のところに、渋谷は声をかけに行った。俺も後を追う。会話的に多分ビンゴだろう)

凛「パッションプロの園田海末さんですよね?」

海末「うっ……見られたくないところを見られてしまいました……。はい、そうです……」

八幡「知ってんのか、渋谷」

凛「むしろなんでプロデューサーは知らないの……園田さんは346のアイドルだよ?」

海末「プロデューサー? あの、失礼ですが貴方たちは?」

八幡「あ、すいません。クールプロダクションから来たこういうもんです」

八幡(懐から名刺入れを取り出す。小町からプレゼントされたそれは革製で、社会人の感触がした)

<同日、パッションプロ事務所>


海末「どうぞ。わざわざ挨拶に来ていただいてありがとうございます」コトッ

八幡「あ、お茶なんていいのに」

海末「いえ、客人をもてなすのは当然のことですから」

凛「ありがとうございます、いただきます」

未央「どうぞどうぞ、くつろいでいってね!」

海末「レッスンは遅らせませんからね?」

莉嘉「はぁい……」

八幡(園田さんから出されたお茶を飲む。事務所の中身はうちとほとんど変わらなかった。二、三人の事務員さんがせわしなさそうに仕事をしている)

海末「申し訳ありません。今プロデューサーさんは本社の方に行っておりまして。朝一で出てったのでもうすぐ帰ってくると思うのですが」

八幡「なるほど、新任は入れ替わりで行くのかもしれませんね。自分も今月中に出ることになってるんですが」

海末「そうなんですね。……会ったら本当にびっくりすると思います」

八幡「どんな人ですか? 部長みたいに殺し屋みたいな人ですか」

海末「ふふ、逆ですよ。可愛すぎるくらいです。だから立場がない、と言いますか」

凛「そんなに?」

未央「うん、すっごい。あれはなんというか、ずーるいよねぇ」

莉嘉「まさしくキセキってカンジ☆」

海末「自我の揺らぎを感じました」

八幡(日本でもトップクラスの美貌を誇るアイドルたちが一様にここまで賞賛するプロデューサーってどんな人だよ。大丈夫? 俺顔見たら消滅したりしない?)



海末「自己紹介が遅れてしまいました。園田海末と申します。歳は二十一で、ランクは……Cです、ね」

八幡(? 何だ、今の違和感)

莉嘉「城ヶ崎莉嘉だよ~☆ JCアイドルなんだ! ランクはまだEだけど、すぐにお姉ちゃんみたいにすごくなるんだ~♪」

未央「本田未央十七歳でっす! 実はアイドルとしてのお仕事は今日からなんだ。ニュージェネレーションズってやつに選ばれてここに来たの! よろしくね!」

凛「あ、じゃあ本田さんがパッション代表なんだ。私は渋谷凛。ニュージェネレーションズプロジェクトのクール代表だよ」

未央「本当に!? うわぁ、そうだったんだ! 渋谷凛……うん、しぶりんだね! しぶりん、今日からよろしくね!」

凛「し、しぶりん……。本田さんが初めて、そんな名前で呼ぶの」

未央「未央でいいよ! み・お! それじゃあ私が第一号ってことで!」

凛「……うん、わかった。未央。これからよろしくね」

未央「おうよ! 未央ちゃんをこれからよろしくっ!」

八幡(違和感……気のせいか? しかし眩しいやり取りだ。自分が一気に老けたような気がする。もし俺がこいつらと一緒に高校生やってたら、多分一度も話しかけることなく終わったんじゃないかね)

八幡「比企谷八幡、二十一歳。一応大学四年生だが、ほとんど学校もないし色々あって今年度からプロデューサーをすることになった。同じ傘下だからこれから先顔を合わせることも多いと思う。よろしく頼む」

凛「え、プロデューサーって学生だったの?」

八幡「そうだよ、聞いてなかったのか?」

凛「知らなかった。……ふーん、大学生かあ」

未央「ねえねえハチくん! 大学生ってどんなカンジ!? 人生の夏休みってホント!?」

八幡「ハチくんて……。基本暇だ。だからこんなことやってる」

莉嘉「でも大学生なのにプロデューサーってすっごいね! 大出世ってカンジ☆ キュートのプロデューサーさんは……確か、チュータイ? だってきらりちゃんが言ってたよ!」

未央「そういえば海末ちゃんも大学生じゃない?」

海末「私は後は卒論だけですから。ほとんど大学には行っていませんね」

凛「へえ……。なんか、みんなすごいな」

八幡(口々に語る面子を前に、渋谷の表情が曇った気がした。それを覗かせたのは一瞬で、ノックの音が俺の注意を奪い去る。それっきり渋谷のその顔のことは忘れてしまった。なぜなら、出てきた人物があまりにも衝撃的すぎたから)



???「ふぅ、ただいま!」


八幡「………………と」

八幡「戸塚…………?」



戸塚「――えっ?」

八幡(俺がその顔を見間違うはずもない。天使がそこに立っていた)




戸塚「ほんとに久しぶりだね、八幡! もう二度と会えないと思ってたよ」

八幡「大袈裟だ。高校卒業から四年会ってないだけだろ」

凛「それ、今さっきまでテンション振り切れてたプロデューサーが言う?」

未央「ぶっちゃけて言うと、うん」

海末「ちょっとアレでしたね」

莉嘉「きもちわるかったね♪」

八幡「おい、せっかくみんなが包んだオブラートを破かないでくれ。死に至る」

八幡(仕方ないじゃない。人間だもの。天使が来迎したらテンションの針を振り切ることもある)

戸塚「あはは、でもずっと会ってなかったんだもん。ぼくも嬉しくなっちゃった。八幡、高校の同窓会とか来ないし」

八幡「……同…窓……会……? オレ、ソレ、シラナイ。オマエ、ドウソウカイ、シッテルカ」

未央「感情がわからないロボットみたいになってるよ!? 大丈夫!?」

凛「なんかプロデューサーがどういう人かわかってきたよ……。辛かったんだね」

八幡「そういう同情っぽいのが一番心にくるんでやめてくれません? まあ招待状が来たところでどうせ行かなかっただろうしな」

戸塚「じゃあ、次あったらぼくと一緒に行こうね?」

八幡「……え、いや、それは」

戸塚「だめ?」

八幡「地球の裏側で開かれても行きます」

八幡(黒スーツ+戸塚+首をこてんと傾ける>>>戦術核の図式は今なおといったところか。反則だ。脊髄で返事してしまった。可愛すぎる)

凛「…………かわい」

八幡(小声で呟く渋谷。お前もそう思うか。わかる。これから共にいい仕事ができそうだ。そんなことを思っていると、渋谷がこっちによってきて耳打ちをする。少しどきりとした)



凛「ねえ、プロデューサー。やけに親しいね。こんなに可愛い人と。……やるね」

八幡「まあな。戸塚と知り合えたのは人生最大の美点と言える」

凛「…………もしかして、付き合ってたの? にしても一人称が僕って変わってるね」

八幡「……そうか、だよな。海末さんたちの反応も頷けるってもんだ」

凛「何、聞こえないよ。……もしかして本当に」

八幡「あのな、渋谷。石化呪文だ」

凛「は?」

八幡「戸塚彩加は、男だ」



凛「……………………………………え”?」



八幡(アイドルが出しちゃいけない声と共に俺のアストロンは成功した。極大呪文だから最悪自我が崩壊する怖れもあるが、この世の神秘に触れておくのは悪いことじゃない)

八幡「っと、時間だ。じゃあな、戸塚」

戸塚「あ、うん。また会おうね、八幡!」

八幡「ああ、仕事上そうなることも多いだろ。じゃ」

凛「男……男……。あの可愛さ……。アイドル、ワタシ、ヤメル…………」ブツブツ

八幡(俺の後ろを夢遊病者のようについてくる渋谷を引き連れて、事務所のドアをくぐって外に出た、その時)



戸塚「八幡!」

八幡(似合わない声だな、と思ったりした)

八幡「何だ?」

戸塚「また会おうね……ううん、また会うから。もう決めちゃった」

八幡「何だよ、強引だな。心配しなくても戸塚の誘いならいつでも飛んでくよ」

戸塚「ふふ、運の尽きだったね。ぼくとまた会っちゃったのは」

八幡「逆だろ。絶頂だ」

戸塚「ううん、合ってる。もう逃がさないからね? 意外としつこいんだ、ぼく」

八幡「何のことかはわからんが、相変わらず悪い言葉が似合わんな、戸塚は。……んじゃ」




莉嘉「あっ、さいちゃん! 下にタクシー来たよ♪」

未央「よっしゃ! じゃあタクシーまで競争だっ! エレベーター無しね!」

莉嘉「あーっ! 待ってよお!」

海末「こ、こら! 走らないで! ……もう」

海末(二人は私の制止も聞かず、階段を走っていきました。元気なのはいいですが、けがをしたらどうするつもりなのでしょう)

戸塚「あはは、ごめんね。園田さんには苦労をかけちゃうけど、僕もできる限りサポートするから」

海末「いえ、いいですよ。こういう役回りはもうすっかり慣れてしまいました。それに、私なら――」

海末「私なら、大丈夫ですから」

海末(パソコン作業に入って、ブルーライトをカットする眼鏡をかけた彼と目が合う。悔しくなるほど可愛い人。その目に何を見ているのでしょうか)

戸塚「ぼくは必ず園田さんをトップアイドルにするよ。765プロなんか目じゃないくらいのね」

海末「……強気ですね。私もできる限りのことはしますが」

戸塚「うん、なれる。園田さんなら。絶対ね」

海末(そんな可愛い外見とは裏腹に、放つ言葉は力強い。思わずどきりとしてしまいます。その自信の泉はどこから湧くのでしょう。是が非でも教えてもらいたいくらい)

戸塚「それにね」

海末「それに?」

戸塚「八幡には、負けたくないんだ」

戸塚「憧れるだけは、もう終わりにする」

海末「高校時代の友人と言ってましたね。その、彼は」

海末「彼は貴方の何なのです?」

海末(皮肉にも、私のセリフはまるでこの前落ちたドラマのオーディションのようでした)


戸塚「そうだねえ」

戸塚「後悔、かな」


<同日、ハンバーガー店>


八幡「何が食いたい?」

凛「あんまりお腹空いてないし、野菜バーガーとオレンジジュースだけでいいかな」

八幡「はいよ。頼んでおくから席とっててくんねぇか」

凛「わかった。レシートよろしく」

八幡「……ん」

八幡(そう言うと渋谷は窓際の小さなテーブルの二人席に腰掛けた。頬杖をついて外を見つめる姿には雰囲気がある。少し近付きづらいような)

八幡(普段学校ではどんな過ごし方をしているのか、ふと気になった)

八幡「待たせた。ほらよ」

凛「ん、ありがと」

凛「だけど本当にびっくりしたな、戸塚さん。はあ……」

八幡「いい加減立ち直れよ。大体人類が戸塚に勝とうってのが無理だ。天使なんだから」

凛「……プロデューサーはひょっとしてあれなの、男の人が好きなの……?」

八幡「アホか。戸塚は特別だ。戸塚は男とか女とかじゃなくて戸塚っていう存在なんだよ」

凛「気持ち悪いよ?」

八幡「丁寧に気持ち悪いって言うのはやめてくれ。本気っぽくて傷つく」

凛「ふふ、きもい」

八幡「そういう問題じゃねーよ」

八幡(じっくり言葉を交わしてみればほんとはただのそこらにいる容姿がめちゃくちゃいい普通の女の子なんだけどな。怖いなんてことは一切ない)



八幡「それにしても、奇妙な縁もあったもんだ。今日だけで何人会わねーと思ってたやつと再会したことだか」

凛「本当にね。ひょっとしたらまだ続くかも」

八幡「勘弁してくれ。これ以上誰かと会ったらそのごとにトラウマを呼び起こしかねん」

凛「一体どんな学生生活を過ごしてきたの……」

八幡「休み時間は机と同化してた」

凛「ごめん、また踏んだ」

八幡「だから謝るのが一番心にくるんだって」

凛「わ、わかった。気を付ける……?」

八幡(渋谷はどうすればいいのかわからないと言うかのようにオレンジジュースを啜った。ハンバーガーはまだ残っているようだ。発見もう一つ。食べるのは少し遅い)

凛「私、プロデューサーのこと一つわかったよ」

八幡「ん、何だ。大体否定してやるから言ってみろ。現代の新撰組7番隊組長とは俺のことだ」

凛「何言ってるかわかんないけど否定から入ると嫌われるよ? 女子高生からのアドバイス」

八幡(悪らしく即斬されると、渋谷は右手のハンバーガーを置いて微笑みながら俺を指さした)




凛「プロデューサーは、青春時代を間違いだらけで過ごした人」

八幡(人間、図星を突かれると出る表情は一つらしい)

八幡「……はは。たいした推理力だ、アイドル辞めて小説家にでもなっちまえよ」

凛「それ犯人が逃げに使うセリフだよね……」

八幡「証拠はないから疑わしきは罰せずで頼む。保釈金は払う。親が」

凛「その発言は死刑じゃないかな、わりと」

八幡(あきれたと言う代わりにハンバーガーをかじる渋谷。痛いところを突かれてしまった)

凛「うん、でも今の笑顔だ」

八幡「あん?」

凛「クリスマス、うちに来たでしょ。……その時もそんな顔して笑ってた。だからかな、覚えてたのは」

八幡(よく笑い方が気持ち悪いとは言われるが、まさか一回会っただけの花屋の店員に覚えられるほど俺の笑顔は腐っているのか? 忘れられないレベルとかなに? シュールストレミングなの? まあ、それは今にはじまったことじゃないが)

八幡「お前、それ言ってて恥ずかしくない?」

凛「っ! うるさい!」

八幡(おお、顔が真っ赤だ。こういう顔もするんだな)

凛「……大体。そういうプロデューサーはなんで覚えてたの、私のこと」

八幡「…………さあな。たまたまじゃねぇの」

八幡(そんなこと、言えるはずもない)

八幡(見た目がどストライクだったから、なんて)

八幡「ん、食べ終わったか。行くぞ。キュートの事務所はここから十分もかからん」

凛「わかった。あ、待って。ゴミ捨ててくる」

八幡「先に外出てるぞ」

凛「ん」



凛「寂しそうってわけじゃないけど。なんだろうな、あの顔。なんて言えばいいのかな」

凛(国語の成績は実はあまり良くない。プロデューサーは昔どうだったんだろう。気になる)

凛(もう少しで手が届きそうで届かないこの感じは、ちょうどこのオレンジジュースの残りの氷が、飲み捨て場に詰まって落ちない様子に似てる)

凛「あ、そういえば、お会計……」

凛(プロデューサー忘れてるのかな。あ、でも、ひょっとしたら)


凛『レシートよろしく』
八幡『……ん』

凛(もしかして)

凛「ふふっ、どっちなんだろ」

凛(あの顔を表す言葉はまだ見つからないけれど。わかったことがまた二つ)

凛(一つ、私のプロデューサーは捻くれている)

凛(もう一つ)

凛(でも、ちょっと優しい)


八幡「笑顔です、ねえ……。どいつもこいつも人の表情に好き勝手言いやがって」

八幡(外の空気は暖かい。車が通って風が吹いても、これまた小町がくれたネクタイピンのおかげで社会の首輪が揺れることはない。強固だ。死にたい。遅れて後ろの自動ドアが開く。そういえば俺も二つ、新しく渋谷について分かったことがある)

八幡(一つ、食い終わったハンバーガーの紙はたたむタイプ)

八幡(もう一つ)

八幡(俺の担当アイドルは、恥ずかしがらせると可愛い)

<同日、昼下がり。キュートプロダクション事務所下>
……ナイゾー、……サセロニャー……


八幡「なんか騒がしいな」

凛「本当だね、どうしたんだろ」

八幡(キュートプロの事務所は縦長のビルと違って、横にどっしりとした二階建ての建物だった。居酒屋のうちとは違い、一階は喫茶店になっているらしい。本日のメニューなどが書かれたA字型の黒板もあれば、外で食事を楽しむための白く四角いテーブルもある)

八幡(はずだった)

八幡「なんかバリケードみたいなの組まれてねーか。店の入口に」

凛「プロデューサーもそう思う? 私にもバリケードに見えるんだよね」

八幡「立てこもりでもあるまいし現代日本にバリケードなんてあるわけねーだろ」



みく「キュート喫茶店はみくたちが占拠したーっ!! 解放してほしければみくにCDデビューさせるにゃー!!」
杏「杏は週休八日制を要求するぞー! それか一月有給三十日だっ!」
穂乃果「あははっ、本物の立てこもりみたーい! パンをよこせー!」



凛「立てこもりだね」

八幡「立てこもりだな」

八幡(店の人たちはやれやれまたかと困ったように外で笑っている。深刻なものではないのだろう。通りがかる人はざわついてるが。店の人の中で唯一彼女らに近いウエイトレスだけがわたわたしていた)

店員「あのう……困るんですけど……」

みく「オーダーは?」

店員「ブレンドコーヒーです……」

みく「あ、じゃあ持ってっていいよ! ここ通ってにゃ」

店員「助かります~……?」

八幡「いいのかよオイ」

凛「いいらしいね。というかプロデューサー、今気付いたんだけど」

八幡「何だ」

凛「あの人たち、アイドルだと思う。だってほら、あの一番右で一人だけ楽しそうにしてる人、キュートプロの高坂穂乃果さんだよ」
八幡「マジか。アイドルが立てこもりとかスキャンダルってレベルじゃねーぞ。有名なのかあの人」

凛「有名なんてもんじゃないよ。346のエースだよ。Aランクだもん」

八幡「そこまで登りつめて何やってんだよ……」

凛「天然突飛で有名な人だからね」

八幡(このままでは事務所にも行けず、どうしたもんかと腕を組んでいるとブラウンのブレザーを着た女子高生らしき子が拡声器を持ってこちらに走って来た)



卯月『みくちゃん、杏ちゃん、穂乃果さーんっ! お願いだから出てきてくださいよーっ!』

みく「来たにゃ! 悪の手先、卯月!」

杏「交渉人をよべー! 杏はダンコ戦うぞー!」

穂乃果「ねーねー撃っていい? 撃っていい?」

卯月『撃たないでくださいよっ!? プロデューサーさんには私からもおねがいしますからぁっ!』

みく「うるさいにゃー! そんな口約束なんて信じないにゃ!」

杏「そうだそうだー! 大体杏はもうCD出したから印税で暮らせるはずだー!」



卯月「あわわ、どうしましょう……!」

八幡(拡声器を外して頭を抱えながら目をぐるぐる回している彼女を見ると少し気の毒だった。そんな彼女の手から、髪の毛を二つ括りにした小さな女性が拡声器をひったくった)

にこ『こらぁー! 舐めた真似してるんじゃないわよっ! 大人しく降参しなさい!』

みく「うぬっ、にこちゃんも増えただと……」

杏「舐めた……。なんか飴なめたくなってきちゃったぞ。はっ、ダメダメ! 杏は仕事を減らすんだ!」

穂乃果「ねぇー、にこちゃんもやろうよー! 楽しいよー!」

にこ『やらないわよ! 出てこないと今日のこと、海末に報告するわよ! いいの!?』

穂乃果「う、海末ちゃんに……? それだけはダメッ! じゃ、じゃあ穂乃果はここで降りるね、お疲れ様っ」シュバッ

みく「あーっ! 穂乃果さーんっ!」

杏「あ、杏は最後の一人になっても抵抗をつづけるぞ! 働かない、働きたくないんだー!」



八幡「わかりすぎる」

凛「わかっちゃだめでしょ……何言ってんの……」

八幡「不労所得は俺の二つの夢のうちの一つだ。小学生くらいの頃の」

凛「その時点でもう手遅れなんて流石に業が深すぎだよ……」

八幡(その夢を持ったからこそ、誰より現実を知っている)


凛「ちょっと? どこ行くのプロデューサー」

八幡「SATを呼ぶ。いい加減仕事にならん」



にこ「あーもう、本当バカばっかりなんだから!」

穂乃果「だって……楽しそうだったんだもん……」

卯月「うう……このままだとプロデューサーに叱られちゃいます……」

八幡「すいません、その拡声器借りていいですか」

にこ「あ、ちょっと!」

八幡(知ってるか、立てこもりって大体鎮圧されるんだぜ)




八幡『おいそこの立てこもりアイドル。いい加減出てきてくれないか』

みく「な、なんなのにゃ! あんたは!」

杏「そうだそうだ! なんだそのスーツ姿は! 社会の犬めー!」

八幡『俺か? 現実だ』

八幡(二人して怪訝な顔をされる。まあ当たり前か。ガチトーンでいくのも大人げないし、適当な感じでいくか)

八幡『まず一個めからいくぞ。お前らのしてる立てこもり、普通に住居侵入罪だぞー。三年以下の懲役か十万以下の罰金な。あと誰か拘束してたら逮捕監禁罪もハッピーセットで豚箱がライブ会場だ。勿論おもちゃも付いてない。なんならおもちゃにされるまである』

みく「そ、そんな現実は聞きたくないにゃ!」

八幡『いーや聞かせる。これはアニメ世界じゃねえ、現実だからな。存分に理不尽に泣くといいぞ。あとそっちのちっこい方』

杏「わ、私?」

八幡『そうだ、お前だ。お前の働きたくないという熱い想いは伝わった。最高だ。俺もそう思う。後で飴をやろう』

杏「でしょっ!! わかってる人だっ! 一緒に杏と有給三十日に向けて戦おうよ! あと飴ちょうだい!」

八幡『その夢は最高だけどな。飴で腹は膨れても夢で腹は膨れないんだ。印税で生きたいって言ってたな』

杏「そうだよ! 杏はこの前CDデビューしてシングル出したんだぞ! もう働かないもんね!」

八幡『そのことだが。お前キュートプロのアイドルだろ。印税出ても結構事務所に吸収されるぞ。せいぜいお前が得られるのは単価の1%程度だ』

杏「え……? そ、そうなの……?」

八幡『シングルCDが一枚大体千円だろ。一枚大体十円だ』

杏「待って。その先を聞いちゃいけないって杏の本能が言ってる! やーめーてーくーれぇー!」

八幡『残念だ。現実は待ってくれないんだ。お前がどれほどのアイドルかは俺も知らんが、CDデビューしたてってことは駆け出しだろ。このCD売れない現代でデビューシングルが超好意的に見積もって一万枚売り上げたとする。印税計算したら……十万だな』

杏「……じゅう…まん……?」

八幡『お前にやろうと思ってる飴なんだが、こいつが三百袋くらい買える』

杏「おおっ!!」

八幡『でも千葉で一人暮らしたら一か月で消える』

杏「……………あっ…え? ……ああ……あっ…」

八幡(衝撃のあまり言語を喪失していた。顔面は消しゴムをかけたように表情がない)

八幡『あ、そういや忘れてた』

凛「プ、プロデューサー? もう、もうその辺にしない?」

杏「あう…………あっ…?」

八幡『そっから源泉徴収されるぞ。税金だ、ぜ・い・き・ん。実収入はもっと低いぞー』


杏「…………う、う、う」
杏「うわああああああああ~~~~~!?!?!?!」





???「……隙が出たわね。今よ、諸星さん。行きなさい」

きらり「おっけおっけ☆ まっかせてー!」

きらり「にょわー!! 杏ちゃーん、みくちゃーん?☆ おいたしたら、だめだよぉ? それーっ!」

きらり「おっつおっつばっちしー☆」


――ウ、ウワアアアアアアアアアアア




八幡(その日、人類は思い出した……じゃないが。圧巻だった。二階の事務所の窓から立体起動装置無しで地上に降り立ったその子は、あらゆる壁をものともせずに奴らを鎮圧した。嵐のような出来事だった)

卯月「さすがきらりちゃんです!」

にこ「一方的な蹂躙だったわね……」

穂乃果「穂乃果だけ先に降りたから罪軽くならないかな……」

八幡「あの、すいません」

卯月「あ、さっきの!」

八幡「クールプロの比企谷と言うんだが。事務所まで案内してくれないか」

卯月「ああ、そうだったんですね! わかりました、ご案内しますっ♪」

八幡(素直で純粋そうな印象を受ける、愛想のいい子だった。他の二人も一緒に案内してくれると言ってくれた。仲の良さが伺える二人だ。知り合って長いのかもしれない)

八幡(事務所の扉は引き戸だった。島村が扉をノックする)



???「どうぞ……」


八幡(扉越しにかすかな声が聞こえてくる。聞いたことのある声かもしれない、とありえないことを思う。了承を得て、引き戸に手をかけた)

八幡(その引き戸が重かったのは多分、傷口を開くことになるからだったのかもしれない)



雪乃「……久しぶりね、比企谷くん」


八幡(時が巻き戻ったのかと、そう思った)

八幡(特殊な内装も何もない、いたって普通のオフィス。しかし、そこがあまりにも異質に感じられたのは、いるはずのない一人の女がそこにいたからだろう)

八幡(春の日差しの中、記憶とは違う姿がそこにあるのに、すぐにあいつだと分かる。心が、細胞が、彼女をいつまでも覚えていた)

八幡(――綺麗だ)

八幡(世界が終わったとしても、ずっと溶けない雪のようで)

八幡(……俺は、彼女の名前を知っている。彼女のことを知っている)

八幡(雪ノ下雪乃を、知っている――)


八幡「………………久しぶり、だな」

雪乃「驚いたわ。あなたが新しいプロデューサーだなんて。……本当に、驚いたわ」

八幡(今日は色々な再会があったが。その中でも一番――。俺は、夢を見ているのかな)

八幡「……お前は、知ってたのか。俺がここに来るってこと……」

雪乃「いいえ。外から拡声器で耳障りな声が聞こえるなと思って覗いたら、そこにあなたがいたの。……私は何も知らなかった。本当に、知らなかった……」

八幡「……耳障りは余計だよ。……全く、今日はなんて日だ」

穂乃果「ゆきのん、知り合いなの?」

雪乃「その呼び方はやめなさいと言っているでしょう……。そうよ」

雪乃「……昔の、ね」


凛「……すごいね、また、なんだ」

雪乃「また、ということは戸塚くんにはもう会ったのね?」

八幡「ああ、相変わらず天使で安心した」

雪乃「あなたの倒錯的な嗜好も相変わらずね。近くにいい二丁目があるのだけれど」

八幡「行かねぇから。再三言うが俺は男じゃなくて戸塚が好きなんだ」

雪乃「その台詞、知り合いの漫画描きのアイドルが『鉄板ッス』って言ってたわ」

八幡「芸能界にも海老名さんみてぇなのがいるのか……」

雪乃「変わり種が多いのは否定できないわね。それでこそアイドルなのかもしれないけれど」

八幡「まだ数人しか知らんが、確かに変わってる奴は多かったな」

雪乃「言葉のキャッチボールをしましょう? 相手がいるのだから」

八幡「それは俺がブーメランを投げていると揶揄しているのか」

雪乃「あら、そんなことはないわ。それよりあなたどこの部族出身? 豪州?」

八幡「めっちゃ揶揄してんじゃねぇか。ていうか同じ高校だろお前」



八幡(ああ、なんて懐かしい。この毒舌。この応酬。全てはもう、返らない覆水だと思っていたのに)

八幡(今この瞬間が懐かしく、愛しく、泣きそうになってしまっている自分がいた)



凛「あの、プロデューサー。みんないるんだけど……」

穂乃果「そうだよ! 穂乃果たちも相手してよ!」

にこ「雪乃。お楽しみのとこ悪いんだけど、にこたちにもちゃんと紹介してくれる?」


八幡(……。そうだよな、みんないるんだよな。なんか痛烈に恥ずかしい思いをしてしまった。雪ノ下はわざとらしい咳払いをすると俺たちを応接室に通した。座って待っていると、雪ノ下がおぼんに紅茶を乗せてやって来た)

雪乃「どうぞ」

八幡「……わざわざすまん」

凛「いただきます」

にこ「雪乃が淹れた紅茶は悔しくなるぐらいおいしいわよ。にこも飲みたくなってきちゃった」

卯月「絶品ですよねー! 私が淹れるのと何が違うんでしょう……」

穂乃果「穂乃果の家のおまんじゅう、一緒に食べるとおいしいよー!」

にこ「あんまり食べるとまた太るわよ」

穂乃果「あれーちょっと電波が悪いのかなー聞こえないなー」

八幡(知ってるよ、と言いかけてやめる)

八幡(姦しいという表現が似合う雰囲気の事務所だった。こうしてみると、事務所ごとの雰囲気はやはり違う)



雪乃「自己紹介が遅れたわね、渋谷さん。私はキュートプロダクションのプロデューサー、雪ノ下雪乃よ。そこの男と同じ高校に通っていたわ」

凛「あれ、私のことを知ってるんですか? まだ何もしてないのに」

雪乃「ニュージェネレーションズの企画考案には私も少し関わったから。……あなたのこれからに、期待しているわ」

八幡(期待。雪ノ下がその言葉を放つことに、時の流れを実感させられた)

凛「ありがとうございます。渋谷凛、十七歳です。今日からクールのFランクアイドルです。ニュージェネレーションズの名前に負けないように頑張ります」

卯月「わあ、じゃあ凛ちゃんがクール代表なんだね! 私、島村卯月、十九歳ですっ! ニュージェネレーションズ、キュート代表だよ! よろしくお願いしますっ」

凛「島村卯月、さん」

卯月「卯月でいいよ、凛ちゃん♪」

凛「ん、わかった。卯月、よろしくね」

卯月「はいっ、よろしくお願いしますっ」

にこ「……なんか新しい子たちが入ってくると、一気に老けた気がするわねー」

穂乃果「にこちゃんももうBランクだもんね! ババアのBだ!」

にこ「穂乃果うるさい! アホのAランク! 見てなさい、すぐ追い抜いてやるんだから! 言っとくけどにこの方が先輩なんだからねっ」

穂乃果「μ'sはみんな対等だもーん。ほら矢澤ー、焼きそばパンかってこいよー!」

にこ「生意気ーっ!」

穂乃果「あははっ、逃げろー♪」

八幡(二人は追いかけっこをしながら、部屋から出て行ってしまった)




雪乃「……あんな子たちだけど。二人とも、特に高坂さんの方はまごうことなき346のエースなのよ。クールの高垣楓とキュートの高坂穂乃果は346の二枚看板と言われているわ。知っていて?」

八幡「いや、知らん」

卯月「ええっ!?」

凛「だと――」

雪乃「だと思ったわ。アイドルの対義語のような男だものね」

凛「…………」

八幡「誰が現実だよ」

雪乃「あら、あなたがさっき外で言っていたんじゃない」クスクス


八幡(上品な笑い方だ。その姿は記憶の中と変わらない。……だが)

八幡「その、雪ノ下」

雪乃「何?」


八幡「髪、切ったんだな」


八幡(元が良いからどんな髪型でも似合うが。そうしているとその姿はまるで)

雪乃「……ええ。こうしていると――」

雪乃「姉さんに、似ているでしょう?」

八幡(そう言って、雪ノ下は笑った。何かを乗り越えた者だけができる、大人の笑み。でも、憂いも混ざっているようにも見えた。それは俺の主観だ。真偽の程はわからないけれど)

八幡(雪ノ下は姉のことを、自分の力で乗り越えたのだ)

八幡(時の流れ――)

八幡(彼女の変化が嬉しくて、赦されたようで、切なかった)



きらり「うー?☆ 雪乃ちゃん、お客さんかにぃ?」
雪乃「諸星さん……おかえりなさい。あとその両肩にぶらさがってる二人も。後で謝罪に行くわよ」
杏「……はっ? あ、杏は一体何を? そうだ、杏は印税で暮らすんだっ! 仕事したくないぞー!」
みく「ショックすぎて記憶を失ってるのにゃ……」
きらり「杏ちゃーん? 暴れるとぉ、またハピハピしちゃうぞ☆」
みく「にゃあああ!? 巻き込まないでええええ!」
杏「ぐああー!? わかったっ、レッスンするから力! 力抜いてぇ!」



雪乃「奇しくも今日はうちの所属アイドルが全員そろっているのね。紹介するわ、さっきあなたがいじめたのが双葉杏さん。見えないけど島村さんと同い年」

杏「一言余計だよ、プロデューサー。ふん、杏はあと一年で選挙にもいけるんだからなっ」

八幡「マジかよ……でもお前絶対行かないだろ。めんどくさがって」

杏「わかってるじゃあないか……。褒めてつかわそう」

八幡「肩でくの字にひっかかりながら言われてもな」

きらり「あ、ごめんねぇ☆ 今おろすからにぃ」

八幡(しかしこの子、大きいな。インパクトも。百八十越えてんじゃないか? 渋谷も背が高い方だが、一線を画してんな)

きらり「にゃっほーい! 諸星きらりだよ☆ あれあれ? あなたはぁ、なんて言うのぉ?☆」

八幡「比企谷八幡だ。よろしくな」

凛「渋谷凛です。よろしくお願いします」

雪乃「ちなみに諸星さんは双葉さんと島村さんと同い年よ」

卯月「そうなんですよね……」

八幡「人体の不思議展……」

凛「生命の神秘……」

八幡(渋谷も呟いていた。俺もそう思う)


みく「…………渋谷、凛」


八幡(赤い花の髪飾りを付けた猫キャラっぽい彼女は、諸星の肩から二本の足で人間らしくしっかりと地面に着地すると、凛を見つめた)

八幡(猫が時折見せる無機質な目線に似ている気もしたが)

みく「にゃっはっは! 初めましてだにゃん、八チャン、凛チャン☆ 前川みく、十七歳だにゃん! ゆくゆくはトップアイドルになるこの名前をとくと覚えておくとよいにゃ~♪」

凛「……あ、初めまして。同い年なんだね」


八幡(気のせいか)




みく「そうなるにゃ! で~も、凛チャンには負けないよ? トップアイドルになるのはみくにゃ!」

杏「猫なのにビッグマウスだね」

八幡「マウス違いだろ……」

雪乃「……こんなことを言っているけど。この子は去年度まで候補生だったの。アイドルとして動き出すのは今年から。渋谷さんや島村さんと同じ新人よ」

凛「え、そうなの」

みく「うぐ……。で、でも! 才能に時間は関係ないの! さっさとデビューさせるにゃあ!」

杏「やる気があって大変よろしい。つきましては杏の今日の雑誌の撮影をね?」

雪乃「へえ……その場合、埋め合わせとして双葉さんにはこのバラエティ番組のスカイダイビング企画のオファーを受けてもらうけれど」

杏「仕事って最高だよねっ! さあ労働労働っ!」

雪乃「あら残念。そんなに働きたいなら仕方ないわね」

みく「ちょっとー! みくも仕事したい! 杏チャンが飛べばいいんでしょ!」

杏「死んじゃうよっ! みくが飛べばいいじゃんか!」

みく「一発目の仕事がヨゴレなんて嫌にゃっ! 卯月チャンに譲るっ!」

卯月「ええっ!? あわわわわわわ……!!」

きらり「……みんなぁ?☆ 卯月ちゃんをいじめるとぉ」

きらり「めっ☆ しちゃうぞ♪」ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!!

「すいませんでした」


八幡「めっ☆ってなんだろうな」

凛「間違いなく滅☆だよね」





八幡(挨拶が終わり、俺と雪ノ下は事務室に移り仕事を教わった。経験者と話しておくのは悪いことではないでしょうと言ったのは雪ノ下だ。合理的だ。……合理的だから、その提案に従った。アイドル達は別室で各々親睦を深めているようだ。渋谷もぎこちないながらなんとかうまくやっているようで安心する)

八幡(一部のアイドル達が仕事に出始めた。ブラインドの外を覗くと、空がオレンジに染まっていた)



八幡「……そろそろ行く。仕事の邪魔をしたな」

雪乃「いいえ、いいのよ。……それにしても、数奇な運命ね」

八幡「……運命、ね。そういうの、信じない方だと思ってたが」

雪乃「そうね。自分でもそのつもりだったのだけれど、ね」

八幡「お前がアイドルのプロデューサーなんてやってる方がよっぽど数奇だと思うけどな。高校生の俺に言っても鼻で笑われそうだ」

雪乃「あら、人のことが言えて? 意外なのはお互い様でしょ」クスクス

八幡「……色々あったんだよ。話せば長くなる」

雪乃「色々、ね」

八幡「お前は何でプロデューサーをやってる?」

雪乃「……私にも色々あったのよ」

八幡「色々、ね」

雪乃「あの時から何年経ったのかしら」

八幡「三年と少し、だな」

雪乃「もう三年も経ったのね……。色々なものが、変わったのかしら」

八幡「あるいはまだ三年、かもな。変わったものも多いだろ」

雪乃「そうね……。でも、変わらないものもある」

八幡(昔と変わらない意志ある目線が、俺を捉えて離さない)

雪乃「あなたのその腐った目とかね」クスクス

八幡「悪かったな。腐ったものはそれ以上どうにもなんねぇよ」

雪乃「ええ、そのどうしようもなさが……懐かしくて……」

八幡(言葉を待っても、その続きが発されることはなかった)



雪乃「比企谷くん。私がプロデューサーをするわけを教えてあげる」

八幡「何だよ。色々じゃなかったのか?」

雪乃「ええ、そうよ。それも嘘じゃないわ」

八幡「雪ノ下雪乃は、虚言は吐かないもんな」

八幡(失言も暴言も、言えなかったこともあるけれど、な)

雪乃「よく覚えているじゃない。その通りよ」

八幡「ふん。たまたまだよ、たまたま」

雪乃「ふふ、そういうことにしといてあげる」クスクス


雪乃「私がこの職業に就く理由の一つはね」

八幡(続く言葉は、まるでタイムマシンのようだった)




雪乃「――変わらず、人ごとこの世界を変えたいと思っているからよ」




凛「……ねえ、プロデューサー。そろそろ帰らなくていいの?」


八幡(時空の旅から俺を引きもどしたのは事務室にノックなしで入って来た現在の象徴だった)

八幡「渋谷、ノックを――」
雪乃「渋谷さん、ノックはしなさいね」


八幡「あ……。くくく」

雪乃「ふふふ」

八幡(同時に言って、顔を見合わせて俺たちは笑ってしまった。二人して、ノックをしない先生のことを思い出したんだろうから)


凛「……何。なんかおかしい? せっかく人が呼びに来たのに」

八幡「いや、悪い。何でもねえよ」

凛「何でもないのに担当アイドルの顔見て笑うんだ。ふーん」

八幡「ちょっと昔を思い出しただけだ。ノックをしない先生がいてな」

雪乃「顧問だったのよ」

凛「……ふーん。ま、いいや。帰るよ」

八幡「ああ、そうしよう。……またな、雪ノ下」

雪乃「ええ、また。……比企谷くん」

八幡「何だ? 渋谷が怒るから手短にな」

凛「怒らないよっ。もう、先に外出てるから!」

八幡「怒ってんじゃねーか」


雪乃「その……。今度、あなたの色々も聞かせてね」

八幡「……ああ。気が向いたら、な」

雪乃「ふふ、そういうところは変わらないのね。それじゃ、また、ね」

八幡(遠慮がちに右手を胸元まで挙げて笑う雪ノ下。ブラインドから差すオレンジの陽光が、彼女の短くなった黒髪を染めた。記憶とは違うことばかりだ。髪の長さは違うし、スーツは着こなしてやがるし、高校の時にはしてなかったメイクも……)

八幡「ああ、また。……雪ノ下」

雪乃「なあに? 仕事があるから手短に」

八幡「ん、まあなんだ……その」

雪乃「さようなら」

八幡「早えよ! ……その、なんだ。綺麗に、なったな」

雪乃「…………き、急に何? 気持ちが悪いのだけれど。帰って。ほら」

八幡「ちょっ、そこまで言う? おい、押すな! わかったって!」



――ばたんっ!



八幡(引き戸はお笑い芸人のオチよろしく冗談みたいな速さで閉められた。そんなに怒らなくてもいいじゃないのよ……)

凛「ふぅーん。初日からよそのプロデューサー口説くなんて、度胸あるじゃん」

八幡「うおっ! いたのか!」

凛「外で待ってるって言ったじゃん。そんなのも忘れるくらい色ボケた?」

八幡「ちげーよ。建物の外かと思ったんだよ」

凛「……仲好さそうだったね」

八幡「どこがだよ。雪ノ下の連絡先すら知らないっての」

凛「照れ隠しだ? 今度こそ本当に付き合ってた人?」

八幡「ちげーよ。ってか何? 何でそんなに恋愛に食いつくの? 女子高生かよ」

凛「女子高生だよ」

八幡「そうだった」

凛「顧問の人のこと言ってたけど、同じ部活だったの?」

八幡「そうだ」

凛「何部?」

八幡「奉仕部」

凛「……絵里さんに、プロデューサーが仕事サボって女の人と喋ってたって報告だね」

八幡「やめろ。やめろください。本当だって。今度雪ノ下に聞いてみろ」

凛「……本当? 変な部活。やれやれ、これからプロデューサーが仕事サボらないように監視しないとだね」

八幡「馬鹿にするな。監視されようがされまいがサボるときはサボる。それが俺だ」

凛「ほんっと、駄目な大人だなぁ」

八幡「まあな。運の尽きだと思って諦めろ。……他のアイドルとは仲良くなれたか?」

凛「うん、ぼちぼち。特ににこさんとかトゲトゲしてるように見えて実は優しかった」

八幡「良かったな」

凛「あ、でも。あの子だけはちょっと違ったな」

八幡「あん? さっそく誰かと喧嘩したのか」

凛「ううん、そういうわけじゃないけど。あの子いたでしょ、前川みく」

八幡「ああ、あのエセネコか」

凛「言い方。普通に喋れたんだけど、なんて言えばいいのかな」

凛「時々、値踏みされてる……みたいな。鋭い視線みたいなのを感じたかも」

八幡「ふーん、まあ同じ新人だしな。気になったんじゃねぇの」

凛「うーん、そうなのかな? ふふ、いいんだけどね」

八幡「何で笑ってんだよ?」

凛「ん? ちょっと面白くてね」


凛「――案外、猫被ってるんじゃないかな、と思って」


<同日、18時ころ。東西線某駅>


八幡「……はい、はい。わかりました。お疲れ様です、失礼します」

凛「絵里さん、なんて?」

八幡「今日は初日だし直帰していいってよ。……なんつーか俺も色々ありすぎて疲れたわ。正直ありがたい」

凛「私もなんだか疲れたかな。帰ってお風呂に入りたい。……色々あったけど、これからよろしくね、プロデューサー」

八幡「おう、お前はいきなり担当が俺で同情しかないけどな。精々シンデレラガールの中でトップ目指して頑張ってくれ」

凛「ま、努力してみるよ。そういえば知ってる? シンデレラの意味」

八幡「人の名前じゃないのか?」

凛「灰かぶり姫、っていう意味があるんだって」

八幡「へえ、なんかイメージと違うな。……っといけね、帰りに食材買って来いって小町に言われてたんだった。またな」

凛「あれ? プロデューサーも東西線じゃないの?」

八幡「俺は総武線。じゃあな」



凛「あ、行っちゃった。……総武線の駅、十分は歩くのに。ふふ、送ってくれたのかな」

凛(雪ノ下さんとの話も、実は立ち聞きしてた。あの二人ってどういう関係なんだろ。地味に戸塚さんも気になるな。絵里さんとも知り合いっぽかったし。あの人、本当にナニモノ? 明日会ったら、ちょっとそれとなく聞いてみようかな。面白いかも)

凛「ふふ」

凛(自然と笑みがこぼれた。早く明日にならないかな、なんて)

凛(四月も始まったばかりだと夕方でもまだこんなに暗い。昼間のいい天気は放射冷却の前払いだ。とても寒い。プロデューサーと出会ったのも、こんな夜だった)

凛(聖なる夜――きっと、今まで"いい子"にしてたから)

凛「サンタさん、ありがとね」


海末じゃなくて海未な

<同日、夜。キュートプロダクション事務所>


ちひろ「雪乃ちゃん、今日はもう上がっていいですよ? 後は私がやっておくから」

雪乃「いえ、そういうわけには……」

ちひろ「ダメですー。ちゃんと見た? 進捗悪すぎですし数字間違えすぎです。これじゃ仕事してるとは言えませんよ?」

雪乃「……ごめんなさい」

ちひろ「……なんてね。仕方ないもんね。仕事になりませんよね」

雪乃「…………懐かしかった、ので」

ちひろ「おー? 本当にそれだけですかー? ……まあ、聞かないでおくね」

雪乃「……姉さんから、聞いていないんですか?」

ちひろ「陽乃が可愛い妹の秘密をぺらぺらと喋ると思う?」

雪乃「割と昔はぺらぺら喋っていましたが……」

ちひろ「昔は昔。今は今、ですよ」

雪乃「……」

ちひろ「……なーんて。そんな風に割りきれたら楽なのにね」

雪乃「……ちひろさん。私は、変わったでしょうか」

ちひろ「教えてあげてもいいですけど、聞くのはもったいなくないかな?」

ちひろ「どうせなら、男に判定してもらったらどうです? 女の子でしょう?」

雪乃「……ええ。そうですね」クスクス

ちひろ「私は慌ててメイク直して眼鏡外してスタンバイしたり、どうしてかわからないけどいつものシュシュを外したり、雪乃ちゃんのそういういじらしいところ、好きだなー」

雪乃「…………本当、嫌になるくらいよく見てるんだから」

ちひろ「ふふふ。見えすぎて辛いこともあるけどね」

雪乃「……意地です。ただの、女の子としての」

ちひろ「……そっか」

雪乃「……上がらせていただきます。お疲れ様でした」

ちひろ「うん、お疲れ様。……ちょっと、窓を開けてくれないかな? 桜、綺麗なの」

雪乃「ええ。わかりました」


――からら。


ちひろ「……わぁ。夜桜!」

雪乃「綺麗ですね」

ちひろ「うんうん。もう、すっかり春ですねえ」

雪乃「そうです、ね」

雪乃「……雪が溶けなくても、春は来るのね」


<数日後、午後。クールプロダクション事務所>

絵里「よーし、ものは試しね! やらないと覚えないわ!」

アーニャ「ふふ、プロデューサー……ジュラーユ・ウダーチ」

八幡「? それ、どういう意味ですか?」

絵里「ロシア語で頑張れ、という意味よ。期待に応えてね?」

八幡「プレッシャー……。というか絢瀬さん、ロシア語堪能なんですか?」

絵里「私はロシア人のクォーターなのよ。アーニャみたいにハーフじゃないけどね」

アーニャ「ダー……絵里、とてもロシア語、上手です」

八幡「何でもできるんだな。仕事も語学もできるとか反則かよ」

絵里「ほ、褒めたって手加減しないわよ。さ、比企谷くん。私が電話をかける役をやるから、比企谷くんは応対してね」

八幡「わかりました」

アーニャ「私、何すればいいです? 私も何か、手伝いたいです」

絵里「と、言ってもね……何を任せようかしら」

八幡「電話の音とかでいいんじゃないですか」

絵里「Cランクアイドルに電話の音だけやらせるとかどうなのよ!? プライドってもんが」

アーニャ「とぅるるるるる、とぅるるるる」

絵里「いいの!?」

八幡「いいんだ……」

アーニャ「とぅるるるるる」

絵里「ま、まあいいわ。やりましょう。ほら比企谷くん、電話を取って」

八幡「あ、はい。……もしもし、346アイドル部門クールプロダクション事務所でございます」

絵里「ででーん、はいアウトー。電話対応でもしもしはNGよ。次言ったら罰金ね」

八幡「うぐ、わかりました」

絵里「お電話ありがとうございます、でいいと思うわ。あと唐突だったとはいえ3コールかかっちゃったわね。基本電話は二コール以内で取るようにね。それ以上かかった時はお待たせいたしましたを付けると吉よ」

八幡「…………はい、わかりました。もう一回お願いします」カキカキ

絵里「ちゃんとメモを取るのね。偉いわ」

八幡「同じこと二回聞くのは効率が悪いですから。気が引けるしめんどくさいし」

絵里「後ろの理由が余計だわ……」

アーニャ「とぅるるるるるるる、とぅるるるるる!」

絵里「ほらまた鳴ったわよ!」



>>43 Oh ありがとうございます。 同時にこれから先大量に修正しなきゃいけなくて辛いことが判明しました。



八幡「巻き舌上手ぇ……さすがロシアだ。お待たせいたしました、お電話ありがとうございます。346アイドル部門クールプロダクション事務所でございます」

絵里「ハラショー! いいわ、次に行きましょう。……おっほん、文明放送の矢澤だが」

八幡「あ、はい、いつもお世話になっております」

絵里「来週収録のアナスタシアさんのラジオの件で変更が出たので、絢瀬さんと話したいのだが」

八幡「絢瀬さんですか? かしこまりました、ただいまお繋ぎ致しますので、少々お待ちくださいませ」

絵里「でっでーん! アウトー!!」

八幡「っだぁ! 何がダメだったんですか!」

絵里「取引先の人に対して、身内に敬語を使ってはいけないわ。綾瀬でございますか? が正しいの」

八幡「ビジネスマナーって面倒くせえ……」

絵里「マナーってそんなものよ。でも知らないと一生恥をかき続けるわ」

アーニャ「ででーん。うふふ、絵里、かわいいです」

八幡「本当にな。教えてくれてるのが綾瀬さんじゃなかったら帰ってるわ。ででーん」

絵里「ちょ、ちょっと何よ、からかわないでよっ。……ちょっと言ってみたかったんだもん」

八幡「ぐはっ」

アーニャ「ででーん。プロデューサー、アウト♪」

絵里「もおお! いいわよ、もう教えない! 恥晒してクビになっちゃえばいいんだわ!」

八幡「イズヴェニーチェ……」

アーニャ「わあ、プロデューサー! お上手、です」

八幡「さっき教わっておいてよかったな」

絵里「……誠意が足りてないわ」

八幡「日本語上手っすね」

絵里「普通に日本語喋れるわよ!?」




凛「……みんな何してんの?」






八幡(事務所のドアを開けるなり、開口一番渋谷は言った。ジト目で。学校は……ちょうど終わる時間か)

八幡「おう、渋谷か」

アーニャ「エリーチカ先生、ビジネスマナー、教えてます」

凛「ふーん。何か、楽しそうだったね」

八幡「楽しくねえよ。ヘコんでばっかだっつの」

絵里「もっともーっとボコボコになってもらうんだからね。全然本気じゃないんだから」

八幡「うええ……本気出したらどうなるんすか」

絵里「ちょっとプーチン入るかも」

八幡「ぜひ今のままでお願いします……」

八幡(怖すぎだろ。地球割れそうだもん)


絵里「でも、凛ちゃんも来たし今日のマナー講座はこれまでね」

八幡「そうですね。今日は俺も渋谷に付いていくつもりです」

絵里「それがいいわ。これから何度もレッスンを見ることになるだろうし、トレーナーに挨拶を済ませておきましょう」

アーニャ「ワオ、じゃあ凛、今日はレッスンですか?」

凛「うん、そうだよ。今日は自主練じゃなくて、トレーナーさんとの初練習みたい」

八幡「ああ、そのことだが。まだトレーナーさんたちがどういう体制でつくのか教えてなかったな」

凛「うん、教えて?」




八幡「トレーナーさんだが、渋谷には今年から346のトレーナーになったルーキーさんについてもらうことになった」

凛「へえ、そうなんだ。新人同士、上手くやっていけるといいな」

八幡「新人とはいえ、相手はプロだ。レッスンは間違いなく自分の為になるだろうな」

凛「うん、少し楽しみだよ」

八幡「あと、これも当たり前だが。トレーナーさんはお前の専属じゃない。渋谷にはこれからパッションの本田未央、キュートの島村卯月と合同でレッスンしていってもらうことになる」

凛「! そうなんだ」

八幡「どうした。不安か?」

凛「……ううん。私、部活とか入ってたことなかったから。誰かと何かをやるのが新鮮で。……ちょっと、楽しみかも」

八幡「俺なんか誰かと何かやるのは苦痛でしかないけどな。はーい二人組作ってーの命令。あれ考えた奴は絞首刑でいい」

絵里「体育くらいどうにかならなかったの……」

凛「プロデューサーの黒歴史は置いといて、ようやくアイドルらしくなってきたね。頑張るよ」

八幡「まあなんだ。初めは絶対上手いこといかないだろうが……頑張れ」

絵里「絶対って……もうちょっと他の言い方はないのかしら……」

アーニャ「でも、がんばれ、は言ってます。ふふ」


八幡「じゃ、行ってきます」

アーニャ「凛、ジュラーユ・ウダーチ!」

凛「あはは、えーっと……スパスィーバ、アーニャ」

絵里「ハラショー! 綺麗な発音ね。あ、比企谷くん」

八幡「? 何ですか」

絵里「向こうに行ったら、あの子によろしくね?」


<都内某所:346プロタレント養成所>


八幡「比企谷です、これから渋谷共々よろしくお願いします」



星空凛「星空凛です! こちらこそよろしくね! 凛も新任で至らないところいっぱいだと思うけど、精一杯頑張るね!」



八幡「俺も渋谷も新人なので。お互いカバーしていきましょう」

八幡(一足先に講師室へ赴いた俺は、担当の星空凛さんと顔を合わせた。しなやかな体格をしている。サイドアップに髪の毛を結って、黒のノースリーブの上に黄色のTシャツを重ね着していた。青緑のカーゴパンツとスニーカーが良く似合う、快活そうな人だと思った。いかにも運動ができそうだ)

星空凛「そうだね! 凛も初仕事、すごく楽しみだな~」

八幡「よろしくお願いします。自分はどこかで待ってるんで……。この辺りにどこか落ち着いて座れそうなところはありますか? なかったらレッスン終わるまで喫茶店とかで仕事をしてますが」

星空凛「あ、だったら一階の食堂がいいよ! 今の時間はあんまり人もいないし、静かなんだ~」

八幡「そうですか、だったらそこにいます」

星空凛「あ、でももしよかったら比企谷くんもレッスン見学するかにゃ? 勉強になると思うよ!」

八幡「にゃ?」

星空凛「あ、出ちゃった。えへへ、凛の口癖なの。最近治そうと思ってるんだけど、やっぱりふっと出ちゃうね。諦めたほうがいいのかなあ……」

八幡「まあ、いいんじゃないですか。そういうアイドルもいるし。……そうっすね、じゃあ仕事が一段落して途中からでもいいんならぜひ」

星空凛「うん、わかった! 今日のレッスンは201でやってるよ! アイドルの能力や適性を知るのも、プロデューサーとして大切よって絵里ちゃんが言ってたにゃ」

八幡「絢瀬さんとは知り合いで?」

凛「うん! 高校で部活が同じだったし、今でも遊ぶよっ」

八幡「へえ……最近思うが、世間って狭いんだな」

凛「あ、レッスンの時間だ! それじゃあまたあとでね、比企谷くん!」

八幡「うぃっす」

八幡(元気な人だな~。アイドルだったら絶対パッション……いや、あえてキュートかな。俺だったらそうする。絶対その方が受ける。キュート、キュートねえ……しかし)

八幡(雪ノ下がキュートとはな。笑わせるわ)

八幡(俺は自販機でマックスコーヒーを買いながら、食堂へ向かった。初レッスンが上手くいくことを祈りながら)

<同日、レッスン室201>

星空凛「はじめまして! 今日からみんなのレッスンを担当する星空凛です。よろしくねー!」

卯月「島村卯月ですっ! よろしくお願いしますね!」

未央「はじめましてっ、凛さん! しぶりんとおんなじ名前だねっ!」

星空凛「あはっ、そうだね♪ じゃあ凛も渋谷ちゃんのことはしぶりんって呼ぼうかにゃ~」

凛「知らぬ間にどんどん広まっていく……」

卯月「いいじゃないですか、二人とも凛ちゃんだと分かりづらいですし♪」

凛「うーん、まあいいか……」



星空凛「それじゃあ、レッスンを始める前にー。みんな、その場に座って?」

卯月「? わかりました」

未央「おおっ、なんだなんだ?」

凛(促されるままに、私たちは床に三角座りをした。それにしても、床も鏡もピカピカだね)

星空凛「うん、じゃあ、脚開いて?」

未央「ほえ?」

星空凛「聞こえなかった?」



星空凛「脚。ひ   ら   い   て   ?」

凛(この頃私たちは予想もできなかった。こんなにニコニコした人が――)



未央「いててててててて!?!?! 死ぬっ!! 死んじゃうよおおおお!!」

星空凛「うーん、全然ダメダメだにゃー。えいっ」

未央「ぎゃああああああああ!!!」

凛(無情。あまりにも無情……! 凛さんは軽やかな足取りで未央の後ろに回ると、手加減無しで背中を押した……! あああ、見てるだけで痛い。痛いよ!!)

凛「う、うわあ……」

凛(知らず後ずさりする私。物音を立ててしまった)

星空凛「しぶり~ん? どこ行くにゃ?」

凛「あっ……ああっ……」



凛「痛い痛い痛い痛い!!!!! 死ぬって!! 裂けちゃう!!! 裂けちゃうよ!!!」



星空凛「う~ん、これで? しぶりんも全然だめだね~☆」

凛(彼岸を見たよ……! 死ぬかと思ったよ!!)

卯月「ていっ」

星空凛「おっ、卯月ちゃんはやわらかいにゃ!」

卯月「えへへ、毎日やってますから」

未央「人間じゃない……」

凛「無脊椎動物……」

卯月「ちゃんと背骨ありますよっ!?」



星空凛「これね、全員、最低限脚を開いた状態で床にお腹がつくところまでもってかないと駄目にゃ」

凛「に、人間やめてる……」

未央「石仮面どっかに売ってないかなぁ」

卯月「毎日やってればできるようになりますよ! 未央ちゃん! 凛ちゃん!」

星空凛「うん、そうだよ! 毎日やれば必ずできるようになるにゃ。……でも、毎日やらないと絶対に出来るようにはならない」

凛「…………」

星空凛「柔軟性を上げることは全てにつながるよ! 全てのパフォーマンスの安定にかかわってくることにゃ」

星空凛「みんなは今はまだナニモノでもないけど、いずれ人の前で歌ったり踊ったりする本番がやって来る。その時に出来たり出来なかったりじゃとっても困るんだ」

星空凛「なぜならみんなは、プロだから」

卯月「!」

星空凛「プロってことは、人からお金と時間を取るってことにゃ。見に来る人たちはその日を楽しみにやって来るよ。その時に、出来ませんでしたなんてことは許されない。君たちには、人々を魅了する責任があるにゃ」

星空凛「自分はもう自己満足だけで完結しない世界に立っているってこと、忘れないで」

星空凛「凛は楽しくレッスンをやっていきたいにゃ! それが凛のモットーだからね。だから歌が上手くなったり、ダンスのキレが増して来たら、いーっぱい褒めてあげる!」

星空凛「でも、柔軟とかそのあたりのことでは絶対に褒めない」

星空凛「それはね、プロとして当たり前のことだからだよ。そのこと、覚えておいてね」

凛(ぴしゃりと寝覚めに冷や水を浴びた気分だったけど、私はこの時一つ確信した)

凛(おそらく私たちは最高に運がいい。この人は、出来る側の人間だ――)



星空凛「は~い、じゃあ次は片足立ち10分ね~☆」

凛「ああ……」未央「ひぃん……」卯月「いぇええ!?」

凛(……ちょっと、厳しいけど)


凛(ふらふらする世界。卯月がよろけて叫ぶ声がドミノのはじまり。三人同時に倒れちゃった)

凛(アイドルのレッスンでひとつ学ぶ。倒れた床は、結構冷たい)



八幡「……ふぅ、こんなもんか」

八幡(企画書を打ち終える。ここ最近作ったものの中では悪くない出来だ。後は絢瀬さんにチェック通して、ゴーが出たら奴らと打ち合わせすればいい)

八幡(これが渋谷メインの初仕事になる。……出来るならよりいいものにしてやりたい。戸塚や雪ノ下、綾瀬さんの意見ももっと聞いた方がいいだろう)

八幡(けっこうダメ出しされんだろーが、それでいい。ゲームは死んで覚えてなんぼだ)

八幡「小腹が空いてきたな」

八幡(そういや今日はこれのことばっかで昼休みロクに飯くってねーわ。俺が休みに仕事するなんて……自我が揺らいじゃう……)

八幡(そういえばここは食堂だ。何か食べるのもいい。カウンターに行って、窓口の上に貼ってある一品一品の写真付きメニューを確かめる)


八幡「ん? ……絶品346おにぎり?」

八幡(なんだこれ……他は全部チキン南蛮とかカルボナーラとか普通のメニューなのにこれだけ毛色が違うぞ。しかもなんでこれだけ文字が行書体なんだよ)



花陽「おおっ! それを選ぶとはお目が高いですっ!」



八幡(話しかけてきたのは、カウンターの向こうで一人待機してた食堂の女の人だ。若い。俺と同じくらいか? 柔らかい雰囲気を帯びた、温和そうな人だった)

八幡「どう絶品なんです、これ?」

花陽「それはもう凡百のおにぎりとは存在から違いますっ」

八幡「存在……」

花陽「お米の産地から私が完全監修してますから! おにぎりに一番適したお米です。おにぎりはね……素材が命なんですよ……!」

八幡「へ、へえ……」

八幡(この好きなもの推してるときのパワー感、すっげえデジャヴなんだが。誰だっけ。あ、俺か)




八幡「じゃあまあお腹も空いてるし、一つください」

花陽「ありがとうございますー! ……そういえばお客さん、見ない顔ですね」

八幡「ああ、ここに来るのは初めてなんで。これから来ることも多くなると思うが」

花陽「そうなんですかー。自慢になっちゃいますけど養成所の食堂はおいしいですよ! あ、わたし食堂員の小泉花陽と申します。よろしくお願いしますね」

八幡「クールプロのプロデューサーの比企谷です、よろしく」

花陽「クールの? あ、じゃあ今凛ちゃんがレッスンしてるところの!」

八幡「ん? うちの渋谷をご存じで?」

花陽「へ? 渋谷?」

八幡「え、今凛って。自分の担当アイドルは渋谷凛と言いますが……」

花陽「あ、ちがうんです! 凛ちゃんは、トレーナーの星空凛ちゃんのことですよ」

八幡「ああ、なるほど。そういえば星空さんも凛って名前でしたね」

花陽「そーなんですよ! 凛ちゃん、今日は初仕事にゃ―って朝からはりきってましたよ?」

八幡「仲がいいんですか?」

花陽「凛ちゃんとは幼稚園の頃からの知り合いなんですよ。小中高、って一緒で。大学はわかれちゃったんですけど、今また職場が一緒になりました。すっごく嬉しいです!」

八幡「へえ……リアル幼馴染か」

花陽「えへ、そうなんです。……はい、できました! 一口かじってみてください!」

八幡「あ、どうも。じゃあ失礼して」

八幡(その時、俺に電流走る――)


八幡「なんだこれ!? めちゃくちゃうめえ!!!」

花陽「でしょうっ!? 食堂で一番人気のメニューなんです! えっへん」

八幡「今まで俺が食ってきたおにぎりは三角の形をしたゴミだったのか……」

花陽「そ、そこまで言わなくても……」


デレマス組のデビュー年齢違うのはなんかなー



八幡「めちゃくちゃ美味しかったです。また来ます」

花陽「そう言って頂けるのが何よりも嬉しいです。待ってますからねー!」

八幡「あ、そういや201ってどうやって行けばいいかわかります?」

花陽「それならそこの階段昇って右手に曲がればすぐですよ。一番奥が喫煙所で、その右隣にあります!」

八幡「ああ、喫煙所あるのか。寄ってくかな……。あ、ありがとうございました、また」

花陽「はいっ、待ってますね」


花陽「よかったぁ、おいしいって言ってもらえた! この仕事してて、本当に良かったなぁ」


八幡(幸い喫煙所には誰もいなかった。スーツのポケットから一式を取り出して、煙草に火をつけた)

八幡「ふー……」

八幡(落ち着くってわけではないが、頭がぼんやりとする。何も考えなくていい)

八幡(外界から煙を隔つガラス張りのドアを見つめていると、ガラスのむこうの左側の引き戸から急に女の子が出てきて地面にへばりついた。あれは……本田か。続いてぞろぞろと出てくる)



未央「うえぇええん、もう無理ー! 体力ゲージカラッポだよお!」

星空凛「にゃはははは。まだこっからだよ~? 休憩明けが楽しみにゃ」

卯月「」

凛「ちょっと卯月? 大丈夫? 生きてる?」

卯月「ドナーカード……書いておきます……」



八幡(……なかなかハードらしいな。でもまあ当然か。アイドルって歌うだけじゃないもんな。歌いながら踊ったりするんだし。口パクかどうかは知らんが、少なくとも踊りながら笑わなきゃダメなわけだ。そりゃ体力鍛えなきゃいかんわな)

八幡(あ、渋谷のやつこっちに来るな。煙草消さねーと)

凛「サボり?」

八幡「バカ、ちげーよ。一仕事終わったから一服してんだ」

凛「本当に? ずっとサボってたんじゃないの?」

八幡「出来るんならそうしたいがな。本当だ」

凛「ふーん……」

凛「……煙草」

八幡「ん?」

凛「煙草、吸うんだね」

八幡「……ああ、まあな」

凛「ねえ、なんでそんなの吸うの? カッコつけ?」

八幡「……さあな。気が付いたら、って感じだ」

凛「税金の塊なのに」

八幡「俺が煙草を一箱買うことで国に貢献できる……俺はそういうところに幸せを感じるんだ……」

凛「何言ってんの?」

八幡「おいマジレスやめろ。言葉のナイフしまって?」

凛「……身体に悪いのに。そんなもの吸ってたら早死にするよ?」

八幡「…………だからだよ」

凛「え?」



卯月「凛ちゃ~ん、凛ちゃ~ん! 休憩、終わりですよー! ……終わって、しまいました」

未央「そうだぞしぶりん! モタモタするなぁ! 今回もまた地獄に付き合ってもらう!」

八幡「おら、行ってこい。サボってんじゃねーぞ」

凛「わかってるよっ。プロデューサーこそサボらないでよね」

八幡「それはない。今からお前らの練習見るから」

凛「え、そうなの?」

凛「……じゃ、頑張る」



>>54 感想ありがとうございます。年齢は登場人物の年齢層的に意図的にいじっています。最初に書いておくべきだったね、ごめんね。



星空凛「高音は喉から出しちゃだめ! お腹から! そういうやり方もあるけど基本は腹式呼吸してお腹から声を出すにゃ! 未央ちゃん、喉に力入ってるよー」


星空凛「1、2、3、4! 1、2、3、4! 卯月ちゃん、腰が引けてるにゃ! 体幹がブレるとあらゆる動きがダサく見えちゃうよ! しぶりんは下向かない! 鏡があるんだからそっちを見ようねー」


星空凛「え・が・お! しぶりん笑顔にゃ! 笑顔でゴリ押し! アイドルは笑顔に始まって笑顔に終わると言っても過言ではないにゃ! レベルを上げて笑顔で殴ろう!」


星空凛「未央ちゃん走ってる! 卯月ちゃんは遅れてる! しぶりんは……よし! あ、また目つぶったにゃ! ダメ!」


星空凛「よーし! そろったにゃ! 凄いよ!」


未央「や、やった……っ」

卯月「とうとう揃いました~……」

星空凛「うん、じゃ、もう一回最初からにゃ☆」

凛「……鬼。鬼がいるよ」

星空凛「ん~? 一回じゃ足りないのかにゃ?」

凛「いや! そんなことは!! 一回で決めます! 決めますから!」

星空凛「よろしい! 大丈夫、できるよ!」


星空凛「1、2、3、4! ……しぶりん、またステップが遅れたよ!」


凛「っ……はい! はぁ、はっ……」

星空凛「大丈夫?」

凛「……っ、あの」

星空凛「うん、ちょっと休む?」

凛「……もう、一回」

星空凛「!」

凛「もう一回っ。……お願い、します」

星空凛「……よーし! じゃあもう一回!」



星空凛「はい! それじゃ今日はこれでおしまいにゃ! みんなお疲れ様!」

未央「」凛「」卯月「」

星空凛「あはは、初日からはきつかったかな? でも、そのうち慣れるにゃ。ストレッチ忘れないようにね! 怪我したら意味ないからね~」



八幡(……きつそー。想像を絶するな。アイドルってみんなこうなのか? テレビで見る華々しい姿とは天地の差だ)

星空凛「あ、比企谷くん! 今日の分の報告書を渡すから一緒に講師室に来てほしいにゃ」

八幡「了解です。じゃ、行ってくるから渋谷は着替えてろ」

凛「……うぃーっす」

八幡「キャラ。キャラがブレてんぞ」

凛「知らない。もう立てない……」

八幡「……立ったほうがいいと思うけどな」

未央「ほほーう、これはこれは……」

凛「?」

卯月「凛ちゃん、お腹っ。お腹出てますよっ」

凛「っ! 馬鹿! ヘンタイ!」

八幡「退散退散」


<同日、講師室>


星空凛「あとは、ハンコおしてっと……はい! おしまい!」

八幡「ありがとうございます、お疲れ様です」

星空凛「なんのなんの! 凛はすっごく楽しかったよ、今日!」

八幡「色々と勉強になりましたよ。星空さん、意外と厳しくて驚きましたけど」

星空凛「あ、あは……。でも、こんなの高校の時の絵里ちゃんに比べたらまだまだにゃ」

八幡「絢瀬さんが? そうか、だから出るとき言ってたのか」

星空凛「絵里ちゃんのレッスンは鬼畜だったなあ……悪鬼羅刹にゃ」

八幡「何部だったんですか?」

星空凛「えー! 知らないの!? 凛たち、全国優勝したのになあ……」

八幡「え、凄ぇ。でも何か実績ないとうちでトレーナーなんてやれないか」

星空凛「当ったり前だよ! 結構厳しかったんだからねー? 倍率」

星空凛「えへへ、何か偉そうな言い方になっちゃうけど、凛たちを知らずによくプロデューサーなんてやってるね!」

八幡「……意外と毒舌家って言われません?」

星空凛「うん、たまに。なんでだろうねー?」


八幡(無自覚か……怖ぇ)



星空凛「凛たちはね、アイドル部やってたの! スクールアイドル!」

八幡「え?」

星空凛「今うちでアイドルやってる穂乃果ちゃんとか海未ちゃんとか、食堂にいるかよちんとか、あとは比企谷くんも知ってる絵里ちゃんもそうだよ!」

星空凛「凛たちはね、μ'sっていうグループを組んでたんだよ」

八幡「そんなこと、絢瀬さんから一言も聞かなかったな」

星空凛「絵里ちゃんは自分で言わなさそうだにゃー。でも、そこそこ凛たちは有名なグループだったんじゃないかな、アマチュアにしては」

八幡「へえ……後で調べてみます」

星空凛「……気になったんだけどー」

八幡「?」

星空凛「敬語、やーめよ? 多分、比企谷くんの方が年上だよ?」

八幡「……ん、でも」

星空凛「μ'sでは敬語禁止! これから一緒に頑張っていくんだから、やめよ?」

八幡「……わかった。そうする」

星空凛「えへへ、よろしい」



八幡「見た感じ、ニュージェネレーションたちはどうだ?」

星空凛「初日だったからみんなボロボロだったけど、見た感じみんな才能はあると思うにゃ。卯月ちゃんは正統派って感じだね! 現時点では一番能力が上だにゃ。多分、アイドルになりたくて一人でずーっと練習してきたんだと思う。伸ばしがいがあるね! あとは笑顔がやっぱり武器になりそう。未央ちゃんはダンスが特にいいと思う! 運動神経がいいんだろうね。高校の時の自分に一番似てるにゃ」

八幡「渋谷は?」

星空凛「現時点では一番能力が劣るにゃ。身体は固いし喉声使っちゃうし笑顔固いし。ダメダメダメだね。ダメofダメにゃ」

八幡「……oh」

星空凛「でも」

八幡「でも?」

星空凛「才能は一番あると思うにゃ。ふとしたことで一気に化けそうな」

八幡「本当に?」

星空凛「いや、正直わからないけどね。あはは」

八幡「おい」

星空凛「いや、嘘じゃないよ? カクショーが持てないんだー。凛もまだ新人だからね!」

八幡「無責任な……」

星空凛「ただのカンだからにゃ。でも凛は、一番しぶりんに期待してるよ?」

八幡「どうして?」

星空凛「才能って目覚めるものじゃなくて、磨くものにゃ。あの子はサボんないよ、多分」

八幡「……それも、ただのカンか?」

星空凛「これは確信! ぜったいだいじょーぶ! そういうところ、一番大事にゃ!」


星空凛「――だから、可能性感じたにゃ」

<レッスン室201前>


戸塚「あ、八幡!」

八幡「おお、戸塚。お前も送迎か?」

戸塚「いや、別の人のレッスンを見に来たんだよ。今日は間に合えば本田さんのレッスンも見たかったんだけどね。前の仕事が押しちゃって間に合わなかったんだ」

八幡「そうか、お前も大変だな。複数人を見るとなると」

戸塚「八幡もそうじゃないの?」

八幡「俺もそうなんだが、新人にいきなりは重いってことで色々事務員さんに助けてもらってるからな。実質負担分はそこまで多くない。今は渋谷のことに集中させてもらえてる」

戸塚「そっか。八幡だとすぐにぼくに追いつきそうだね」

八幡「んなことねえよ。今日は誰のレッスンだ?」

戸塚「園田さん。……ずーっと、気になっててね」

八幡「そうか。あの人、有名なんだってな」

戸塚「うん、実力派なんだー。レッスンにも一生懸命でね」

八幡「真面目そうだったもんな」

戸塚「うん、真面目すぎちゃうから……潰れちゃわないか、心配で」

八幡(こぼす戸塚の表情は少し暗い。優しいところは相変わらずか)


戸塚「ふふ、そういうところが八幡に似ててね。気になる」

八幡「はぁ? この歩く不謹慎に何言ってんだ」

戸塚「変わんないなあ。えへへ、そういうことにしておいてあげるよ」


八幡「あ、戸塚。例の企画書だが。今日チェック入り次第すぐそっちに送付する」

戸塚「ああ、ニュージェネレーションの! わかった、すぐチェックするよ」

八幡「抑えるのが撮影スタジオだけだから、GOが出たらすぐ実行できるんじゃないかと思う」

戸塚「わかったー。本田さんのスケジュール、今月はレッスンと月末のラジオ出演以外は何もないから、融通は効くよ!」

八幡「了解。雪ノ下にも連絡しとく」

戸塚「じゃあ、お願いします。えへへ、八幡との初仕事だねっ」ニコッ

八幡(圧倒的天使……! 笑顔がベホマズン……!)

八幡「ああ、頼む。いいものにしてやりたい」キリッ



凛「……デレデレしちゃって。情けないったら」

卯月「戸塚さん、相変わらず可愛いですっ」

未央「さいちゃん、ハチくんと会ってるときはめっちゃくちゃキラキラしてるんだよねぇ」

卯月「うわわ、それはもしかしてっ」

未央「もしかするかもっ♪」

凛「…………ふん」テクテク

卯月「あ、凛ちゃん?」



戸塚「八幡、今度またテニスしに行かない?」

八幡「あ? 俺高校の体育以来運動なんかしてねぇぞ」

戸塚「だったら尚更だよ。身体動かそう? 八幡は運動神経もいいし、慣れたらすぐ打てるようになるよ」

八幡「んー……まあ、気が向いたらな」

戸塚「ホントに!? じゃあ、休みの予定出たら教えてね? いつ? いつがいい?」

八幡(あっ、これ断れないタイプのやつだ……。でも、まぁ、戸塚だしな)

八幡「今月は無理だが、来月以降なら」

戸塚「来月以降ね。わかった、約束だよ?」

八幡「ああ」

凛「プロデューサー。早く事務所戻ろう?」

八幡「ん、ああ。ちょっと待ってくれ。戸塚、ちょっと連絡先教えてほしい奴がいるんだが」

戸塚「え? ……あ、わかっちゃった。ふふ、本当に連絡先知らなかったんだね」

八幡「連絡することなんてなかったからな。……だが、仕事だとそうも言ってられん」

戸塚「わかった、後で送っておくよ」

八幡「頼む。じゃ、行くか、渋谷」

凛「ん。友達と話すのもいいけど、ちゃんと私たちも見ててよね」

八幡「綺麗なお腹だったな、流石アイドル」

凛「っ! それは見るな! セクハラだよ!?」

八幡「まて訴えるのはやめろ。基本痴漢冤罪はかけられた時点で負けるから」

凛「冤罪じゃなくて普通に故意だったじゃん!」

八幡「お前が見せてきたんだろうが……」

凛「ち、違うよ! あれは事故! 不慮の事故だから!」

八幡「じゃあ俺被害者だろ」

凛「……何その言い方。現役女子高生のお腹見といて被害者面はないんじゃない?」

八幡「反省はしている。後悔はしていない」

凛「加害者!? そういう問題じゃなくて!」


未央「仲良いんだねー、あの二人!」

卯月「うーん、なんだか凛ちゃんに遠慮がなくて、私、悔しいですっ」

未央「相方としてはね! よっし、私もプロデューサーとスキンシップだ! さいちゃーん! 愛してるぜー!」

戸塚「はいはい。じゃ、ぼくは園田さんの方行ってくるねーお疲れ様ー」

未央「あしらわれたっ!?」

卯月「こっちも、仲、いいなあ……」

<同日、レッスン室308>


ベテトレ「よし、ここまでとする。お疲れ様」

海未「はい、ありがとうございました。……ふぅ」

戸塚(レッスンが終わり、ストレッチをする園田さん。結構ハードな内容だったのに、まだ少し余裕があるみたい。……流石だな。基礎体力がある証拠だ)

戸塚「園田さん、おつかれさま。今日はとても良かったよ」

海未「ありがとうございます。戸塚くん、今日も忙しい中ありがとうございます」

戸塚「何言ってるの、担当アイドルを最優先するのは当たり前のことだよ」

海未「そんな。私に割く時間があれば色々なことが出来るはずです」

海未「私なら、大丈夫ですから」

戸塚「…………そういうところが大丈夫じゃないんだよねぇ」

海未「? 何か?」

戸塚「んーん、何も。それより今日はライブバトル会場の下見だよね。送るから着替えてきて」

海未「そんな、場所はわかるので電車で行きますよっ」

戸塚「だーめ。園田さん、有名だから。移動中に騒ぎになったらどうするの?」

海未「……穂乃果ならいざ知らず。私ごときに、そんなことあるはずないじゃないですか……」

戸塚「あーもう。園田さんは四の五の言わずぼくに送られればいいの」

海未「ご、強引ですね。時々驚いてしまいます。……それにしても、送迎は今でも慣れません。なんだか自分がお姫様のようで」

戸塚「ふふ、違わないよ。園田さんはぼくのお姫様だからね。しっかり頂点まで送らないと」

海未「なっ、何言ってるんですか! っ……着替えてきます!」

戸塚「いってらっしゃい。待ってるよ」



ベテトレ「随分熱烈に口説くじゃないか」

戸塚「ふふ、そうだね。ずーっと気になってたからさ」

ベテトレ「……相変わらず君の吐く言葉は全部本当に聞こえて逆に嘘っぽいよ」

戸塚「それ、褒めてる?」

ベテトレ「まさか。あんまりアイドルを骨抜きにするのはやめてくれよ? 私の仕事に差し支える」

戸塚「え? 妬いてくれるの?」

ベテトレ「違うよバカ。レッスンに身が入ってないと私が怒らないといけなくなるだろう」

戸塚「あはは、わかってて言った」

ベテトレ「……ハァ。君は本当に変わったよ、テニス時代の純粋な君はどこへやら」

戸塚「ぼくは元からこうだよ。みんなが夢見てるだけ」

ベテトレ「……ある意味、アイドルのプロデューサーが一番似合う男なのかもしれないよ、君は」

戸塚「褒め言葉として受け取るよ。……本題だけど」

ベテトレ「ああ、なんだ」

戸塚「園田さんの様子はどう? 少なくともレッスンだけを見て」

ベテトレ「……逆に聞こう。君の眼にはどう写る? 園田海末のレッスンは」

戸塚「ぼくが言っていいの? ……そうだね、テニスしかしたことない素人のぼくの眼には」

戸塚「完璧、に見えた」


ベテトレ「……そうだ、プロの私の目から見ても完璧だ。ダンス、歌の表現力は現役アイドルの中ではトップレベルと言っていいだろう。課題があるとしたら笑顔周辺だが、それは各々の個性がある。そこにまで完璧を求めるのは酷というものだろう。ただ、彼女はこの高みに登りつめてなお、登ることをやめようとしない」

ベテトレ「レッスンを見る限り……今のところ、完璧だ」

ベテトレ「これで誰かに敵わない、という方がおかしいよ」

戸塚「うん、だよね」

ベテトレ「レッスンを見る限り、ではな」

戸塚「…………」

ベテトレ「最近の報告書を見た。あれは本当なのか?」

戸塚「うん、本当だよ。こんなことで嘘はつかない」

ベテトレ「……私にはレッスンを見てやることしかできない。そこは最善を尽くそう」

戸塚「ありがとう」

ベテトレ「君を信頼している。だから私は見守っていよう。……ふふ。案外、彼女は骨抜きになったほうがいいのかもしれんな」

戸塚「骨抜き、ねえ」

戸塚「これは骨が折れそうだな……」

<翌日。都内某所、撮影スタジオ>


スタッフ「はいOKでーす。機材変えるんで、その間休憩でお願いしますー」

穂乃果「はぁーいっ! おっつおっつばっちしー!!」

杏「穂乃果の撮影なのにどうして杏も来なくちゃいけないんだ……」

雪乃「まとめて撮った方がスケジュールとお財布的に楽だからよ」

杏「うぅん……楽するために効率化か……それは認めるけどやっぱり腑に落ちないよっ! 杏は部屋でごろごろしていたいんだっ」

雪乃「撮影現場にその駄目になる椅子を持ち込んでまだ我儘を言うのね……」

穂乃果「その椅子本当に気持ちいいよねっ! 穂乃果もダメになっちゃうかと思ったよこの前」

雪乃「あなたは元々駄目でしょう」

穂乃果「ひどいっ!?」

杏「この椅子から下りると……瘴気の多い室外では……杏は…呼吸が…できないっ……」

穂乃果「あはは、声が平泉さんみたい! おっさんだ!」

雪乃「竜吉公主か何かなのあなたは」

杏「ネイティブ・インドアンだから」

穂乃果「絶滅が早そう……」

雪乃「はあ……双葉さんは本当、アイドルというよりidleね」

穂乃果「しっかし暇だなー。えいっ」

雪乃「あ、こら! 返しなさい!」

穂乃果「ハアハア……ゆきのんの携帯っ……ハァハァ……」

杏「この時代にガラケーってところがそそるねえ……ぐへへ……」

雪乃「き、気持ち悪い!! なんなのその口調は」

穂乃果「昨日ネットで穂乃果の名前検索したら穂乃果ちゃんハァハァって書いてて面白かったから真似してるの!」

杏「勇者だ……エゴサーチ……だと…!?」

雪乃「ネットで自分の名前を検索するのはやめなさい! 死に至るわよ! ……というか、お願いだから早く返して!」


雪乃(……! しまった、待ち受け画面はディステニィーランドの時の――!)



穂乃果「ほほーう、ここまでゆきのんが取り乱すとは……あやしい」

杏「ふふ……今までよくも散々いじめてくれたなっ! 辱めてくれようじゃあないか! 杏ディフェンス!」

雪乃「ええいっ、邪魔よっ」ブンッ

杏(空気投げ……だと…? ガクリ)

穂乃果「杏ちゃんの犠牲は無駄にしないっ! ……どれどれ、まずは待ち受けを拝見」


雪乃(駄目――!)


――ぶーん、ぶーん。
着信中 080-XXXX-XXXX


穂乃果「あ、電話だ」

雪乃(た、助かった……)

雪乃「貸して。……知らない番号ね」ピッ

雪乃「はいもしもし、雪ノ下雪乃ですが」

???『あ、……雪ノ下か?』

雪乃「……? そうですが、そちらは?」

八幡『あー、俺だ。比企谷八幡』

雪乃「っ――!?」ピッ

穂乃果「あ、切っちゃった! いいの?」

雪乃「ま、間違い電話だったのよ」

杏「いてて……なにもキレなくてもいいじゃないか……」

雪乃「急だから驚いたのよっ。だ、大体どうして私の連絡先を」


――ぶーん、ぶーん。
着信中 080-XXXX-XXXX


穂乃果「あ、まただ」

杏「同じ人じゃない?」

雪乃「……少し席を外すわ。休憩終わったら引き続きお願いね」

穂乃果「おっけー、やみのまー!」




雪乃「……すぅ…はぁっ。……はい、雪ノ下です」ピッ

八幡『いきなり切んなよ! 流石にそれはねぇだろ!』

雪乃「あなたがいきなり電話をかけてくるからじゃない」

八幡『いきなりじゃない電話なんてあんのかよ逆に』

雪乃「屁理屈はいいわ。他を当たって? 詐欺ヶ谷くん」

八幡『道理を無理やり引っ込めやがって……あと詐欺でもねえ。ただの連絡だ』

雪乃「そうね、あなたのコミュニケーション能力で詐欺などおこがましいものね。同情するわ、振り込んであげる」

八幡『結局振り込んでんじゃねーかよ……そんなんだと変な奴にひっかかんぞ』

雪乃「私が?」

八幡『私に限って、とか思ってる奴ほど変なのにひっかかりやすいんだとよ』

雪乃「…………その変な奴に、言われたくないわ」

八幡『……電話だから、小声でディスんのやめろ。聞こえない』

雪乃「あらごめんなさい。電波も伝える人を選り好みするだなんて知らなかったものだから」

八幡「ちゃんと伝播するっつの。そろそろアンテナと一緒に腹も立ちそうなんで本題に入っていいか?」

雪乃「どうぞ。手短にね」

八幡『長引かせてんのはどっちだ……まあいい。この前顔合わせしたときに少し話したニュージェネ特集の件だが』

雪乃「ああ、あなたがメインで担当するアレね」

八幡『それだが、企画書が完成した。もう上と戸塚のチェックも入ってるんで、あとはお前待ちの状態だ。通ればすぐに実行に移せると思う』

雪乃「なるほど、了解しました。すぐにメールで送付してもらえるかしら」

八幡『そうしたかったが、お前のアドレスを知らんのでこうやって電話している。一応三事務所共用のドライブにアップしてはいるが』

雪乃「……そもそも、あなた私の電話番号知っていたかしら?」

八幡『最初は事務所の方にかけたんだが、千川さんって人が今はいないって言うもんでな』

雪乃「……あの小悪魔め。個人情報を……っ」

八幡『ああ、違うぞ。この番号は戸塚から教えてもらったんだ』

雪乃「……あら、そうなの」

八幡『ああ、昨日会ったときに俺が頼みこんでな』

雪乃「!」

八幡『仕事に必要、だったんでな』


雪乃「…………それだけ?」

八幡『……それ以外に、俺がお前に電話をかけることなんて、ないだろ』

雪乃「……そう、そうね。そうだったわ」

八幡『………………』

雪乃「……アドレスを教えるわ。この際だから携帯とパソコン両方を伝えておくわね」

八幡『ああ、頼む。今パソコンの前にいるんで大丈夫だ』



雪乃「――よ。以上で二つ」

八幡『……ん。試しに送ってみるわ』



――ぶーん。
件名:(non title)
本文:なし



雪乃「大丈夫、確認したわ」

八幡『ああ、それじゃあよろしく頼む。可能なら近々戸塚と一緒に顔合わせて打ち合わせしたいが、いけそうか?』

雪乃「スケジュールを見てみないと何とも言えないわね。後で連絡するから折衝してもらえるかしら」

八幡『わかった。じゃあな』ブツッ

雪乃「……切るのが早すぎよ」



件名:Re;
本文:馬鹿。


<数日後、昼下がり。クールプロダクション事務所>


楓「では、そういうことで。こちらもその週は誰を呼ぼうか思案していたらしいですから」

八幡「お願いします。今回は宣伝の面が強いんで、渋谷と協議してロハにするつもりです」

楓「あら、別に構わないのに。作家さんは気のいい人ですよ?」

八幡「結果的にこっちのが次の仕事に繋がるのかな、と。まあ小さな打算ですよ」

楓「ふふ、わかりました。……そうだ、比企谷くんはお酒、飲みますか?」

八幡「酒ですか? まあ付き合い程度には。強くも弱くもないですけど」

楓「わあ、本当ですか? 今度、飲みに行きませんか? 比企谷くんと凛ちゃんの歓迎会ってことにして」

八幡「渋谷は高校生だから飲めませんよ」

楓「じゃあ比企谷くんとさし飲みでも構いませんよ? いい日本酒を手に入れてですね」

八幡「いや流石にそれはハードル高すぎるんで……。絢瀬さんとかと一緒になら」

楓「絵里ちゃん、お酒弱いですからねー」

八幡「あれ、絢瀬さん弱いんですか?」

楓「そうなんです。肌が白いからすぐ真っ赤になっちゃって」

八幡「意外。ウォッカとか余裕で飲んでそうなのに」

楓「ロシアなのにね」

絵里「ちょっと、黙って聞いてたら好き勝手に! ロシアとお酒の強さは関係ないでしょ!」

八幡「さーせん」

楓「わあ、怒らせちゃった。恐ろしあ……うふふ」

八幡(……今の、シャレか? いや、まさかな)

楓「比企谷くん、お姉さんとのさし飲みは嫌ですか?」

八幡「いや、あの。ちょっとアレなんで」

八幡(凄いもったいないことしてるかもしれんが、346の高垣楓が男とさし飲みとか。駄目だろ。スキャンダルになったらもはや俺のクビが飛ぶくらいじゃすまねぇぞ)

楓「アレってなんです? お酒を避ける……ふふふっ」

八幡「いや、えっと」



――こんこん。がちゃ。



凛「こんにちはー」

八幡「た、助かった。渋谷、こっち来てくれ」

楓「あ、逃げた。ふふふっ、飲んでくれるまで許しませんからねー?」

凛「あっ、楓さんだ! すごい。珍しいね」

楓「はい、凛ちゃんこんにちは。私もそろそろ行かないといけませんね」

絵里「楓さんはこのあと、何でしたっけ?」

楓「今日は新曲のMVの撮影です。スタジオ撮りが終わったら、移動してロケ地に一泊で朝からまた撮ります」

絵里「ハラショー……ハードね……」

楓「そーなんですっ。だから終わったらご褒美にお酒飲みたいなっ、なっ」

絵里「うーん……少し考えておきますね」

楓「わあ、本当ですか? 嘘だったら私、怒りますよ?」

絵里「考えておきますねー」

凛「これが玉虫色の回答ってやつだね……」

八幡「必須スキルだぞ。お前も覚えとけ」

楓「凛ちゃん、今何歳でしたっけ?」

凛「十七です。今年十八歳になります」

楓「じゃあ、二十歳になったら一緒に居酒屋に行きましょうね? 約束ですよ?」

凛「わ、本当? 楽しみにしてますっ」

楓「ふふふっ、じゃあ指切りしましょう? ゆーびきーりげーんまーん――」




八幡「飲みに行く約束をしたところで俺から数点連絡だ。いいか?」

凛「…………」

八幡「おーい」

凛「あっ、ごめん! ボーっとしてた」

八幡「どうした、そんな小指見つめて」

凛「だって、あの高垣楓さんと指切りしちゃったんだよ? 凄いよね。人に自慢できそう」

八幡「そーいうもんか?」

凛「そうだよっ。だって私、楓さんのCD、音楽器に入ってるんだよ?」

八幡「……まあ、こいかぜは俺も入ってるけどな。お前もアイドルなんだ、これからもそんな調子じゃ困る」

八幡「渋谷凛。仕事の話をするぞ」

凛「え?」

八幡「今月末の土曜、前から話しておいた通り空けてあるな?」

凛「あ、うん。先週言われたから」

八幡「その日、お前には本田未央、島村卯月と共に雑誌の撮影とインタビューを受けてもらう」


八幡「――アイドル渋谷凛としての、初めての仕事だ」



凛「!」

八幡「ほら、これがプリントアウトした資料だ。撮影の日までに必ず目を通しておいてくれ」

凛「う、うん! わかった!」

八幡「はは、顔強張ってんぞ」

凛「わ、悪い? 緊張して当たり前だよ!」

八幡「いや、年齢相応で微笑ましくてな。お前、普段澄ましてるから」

凛「……年上ぶって。プロデューサーだって4つしか変わんないじゃん」

八幡「バッカお前俺は余裕で乗り切るわ先方に挨拶とかどうすればいいかとか全然緊張とかしてねえからなお前」

凛「ふふっ、年相応で微笑ましいね。普段澄ましてるから」

八幡「ま、茶番は置いといてよろしく頼む。……その、なんだ。これは俺の初仕事でもあるんだ」

凛「え、いっつもパソコンでカタカタッターンってやってるじゃん」

八幡「エンターキーに関しては謝る。あれは事務作業。今回のは、俺が企画した仕事なんだ」

凛「へえ……なるほどね。ふふっ、じゃあ頑張ってあげてもいいよ」

八幡「へいへい、どうかお願いします渋谷様」

凛「……うん。頑張り、ます。よろしくお願いします、プロデューサー」

八幡「……おう」

八幡(渋谷は、そう言って恭しく頭を下げた。この一月見てて思うが、真面目な奴だな、本当に。堅物ってわけでもねぇけど。そこらへんの匙加減が、魅力……だな)

八幡「基本的にその内容は社外秘だが、渋谷は未成年だからな。親が目を通す権利がある。一応こっちからも自宅に連絡するが、直接見せてあげてくれ。当然SNS等にこの企画のことを書き込むのは禁止だ。友人にも言うな。繰り返し言うが、社外秘だからな。こっちが指示するタイミングまで情報は漏らさない。……守れるか?」

凛「……うん、わかった。守ります」

八幡「ああ、頼むぞ。代わりってわけでもないが、不明瞭な点とか気になることがあったらすぐ俺に言ってくれ。直ちに相談に乗る」

凛「わかった。頼りにして、いいんだよね?」


八幡「……ああ。俺はお前のプロデューサーだからな。俺とお前はあらゆる情報を共有する。つまり、」
八幡「仕事のパートナー、ってことだ。安心しろ、何かあってもずっと後ろから見てっから」


凛「……うん! 了解、パートナーさん」

八幡「よし。次の連絡だがこれも仕事の話だ。次は――」

凛(プロデューサーと私の話は、陽が沈むまで続いた。こんなに時間が過ぎるのが早く感じたのは初めてだった)


<同日、深夜。凛の部屋>


凛「社外秘、か」

凛(机の上にホッチキスで留めた資料をぽんと投げる。こんなにも軽い紙なのに、社外秘という言葉の響きは重い)

凛「私……本当に、アイドルになったんだね」

凛(責任という言葉を背負うのは初めてだった。お店のお手伝いとはまた違う。自分に、自分たちの為に、色々な人やものが動こうとしていた)

凛(私、ちゃんと内緒にできるかな? 友達の恋愛相談とは訳が違うんだよ?)

凛(ちょっと重たいな。大丈夫かな。あ、でも――)



八幡『俺とお前はあらゆる情報を共有する。つまり、』
八幡『仕事のパートナー、ってことだ』



凛「ふふっ」

凛(思わず笑みがこぼれてしまう。私には何でも打ち明けられるパートナーさんがいるんだった。それなら、今夜もよく眠れそうだ)



<撮影当日、スタジオ>


カメラマン「それじゃあ今日はよろしくお願いします! まずは未央ちゃんから行こうか!」

未央「はぁーいっ! 美人に撮ってよー?」

カメラマン「ははは、未央ちゃんは元々美人だから心配ないよ」

未央「おっ、お上手だねー!」



八幡「あいつは本当、うっとおしいくらい元気だな」

戸塚「ふふ、八幡も少し分けてもらったら?」

雪乃「そんなことをしたら許容量を超えて破裂してしまうかもしれないわね」

八幡「人を上層に上がれない深海魚みたいに言うのはやめろ」

雪乃「あら、あなたの親戚でしょう? 目の感じがそっくりよ」

八幡「確かに生態は似てるかもしれんが俺はれっきとした人間だぞ」

戸塚「えー、でもぼくは大好きだよ、深海魚! ロマンだよねー」

八幡「マリンスノ下。俺のことはタツノオトシゴでもチョウチンアンコウでも好きに呼んでくれ」

雪乃「あなたの業は深海より深いと思うわ……」



未央「こう? こう!?」

カメラマン「おっ、いいねー! じゃあ未央ちゃんのソロショットはこれで終わり! 次、卯月ちゃんいってみようかー」

卯月「は、はいっ! え、えーっと! どんなポーズとればいいんですかね!? こ、こうですか!? あわわわわわ」

カメラマン「あはは、その表情おいしいね! いただきだ」



八幡「あいつは落ち着きがなさすぎるな」

雪乃「一応、あの中では最年長なのだけれど……」

戸塚「でも、そこが魅力なんじゃないかなっ。見てるとこっちが自然に笑顔になっちゃうみたいな」

雪乃「そうね。不器用なのだけれど、いつも頑張り屋さんで好感が持てるわ」

八幡「……ふぅん」

八幡(見た感じこそ違えど、どっかの誰かに似てるな)

雪乃「……なあにその目は」

八幡「元からだって言ってんだろ。悪かったな深海魚で」

雪乃「執念まで深いのね……」

八幡「不快にさせてすいませんでした」

戸塚「あ、島村さんの撮影がもう終わるよ? 次は――」

八幡「! 行くわ」

雪乃「ちょっと、どこへ? ここからでも見えるけれど」

八幡「……あいつから見て正面後ろ。壁際」

戸塚「……ぼくもついてく!」

雪乃「あ、ちょっと!」



八幡(撮影スタジオの全景を一番後ろから見た。真っ白で無機質な背景。アンブレラがパラボラアンテナのようにそこへ向けられている。ここにフラッシュが焚かれるんだろう。昔の人は写真の光は魂を抜くって信じてたらしいが、その気持ちがわかる気もする。見ているだけで息苦しくなる)

カメラマン「じゃあ最後は凛ちゃん、いってみようか!」

凛「は、はい!」

カメラマン「自由に動いてポーズ取ってみていいからね」

凛「じ、自由にって……」

カメラマン「ははは、固くならなくていいよ。そうだ、可愛く映るポーズを教えようか? 日○レポーズと言うんだが――」

八幡「……落ち着きがありすぎるのも問題だな。固くなり過ぎてる」

雪乃「そうね。少しくらいの固さは個性としてあってもいいけれど、これではね」

戸塚「自由にーって言われると、逆に何していいかわかんないのかもね」

八幡「そうだなぁ……確かに渋谷はそういうタイプなんだろうな。言われて何かこなす方が上手いとは思う」

雪乃「渋谷さんのこと、少しはつかめてきたのかしら?」

八幡「……人のことを完全に理解するなんざ不可能だ」

戸塚「でも、短い付き合いながらちょっとはわかったこともあるでしょ?」

八幡「……そうだなぁ。アイドルだから見た目は、その、なんだ、悪くない。キリッとしてるから愛想がないように見えてしまうこともある。でもまあ、実際のあいつは変に真面目だよ。愛想振りまけるほど器用じゃないだけで。笑わないわけじゃないし、一度受けた仕事とかは絶対投げ出さなそうだ。職人肌なんだろうな。あとこれは完全に主観だが」

八幡「頼れば必ず何とかしてくれそうな、そんな奴だと思ってる」

戸塚「……へえー!」

雪乃「…………」

雪乃(見た目こそ違えど、どこかの誰かさんに似てるわね)

八幡「……何だよその目は」

雪乃「いいえ。それより良いのかしら?」



カメラマン「う、うーん。ちょっと表情が固いねー。リラックスしてみようか?」
凛「は、はい……」



雪乃「うちの島村さんも良い進行とは言い難かったけれど、渋谷さんは少し難航しているのではないかしら。どうにかしてあげなくてもいいの?」

戸塚「うん、少しくらいなら撮影に影響しないはずだよ」

八幡「……いや」

八幡「ひとまず、休憩までこのままやらせてみる」

雪乃「…………」

八幡(俺は、一番後ろから渋谷を見つめていた。そうするのはどうしてか。ポリシーだから、としか言いようがないんだが)

八幡(ふと、渋谷と目が合う。いつもの意志の強い瞳に少しの翳り。思わず大丈夫かと言いたくなる)

八幡(だが、俺は何も言わない。代わりに目も逸らさない。ただじっと、一番後ろから見ていた)

八幡(それにしても、下手くそな笑顔だ。ぎこちなさを顔にはっつけたみたいだぞ)

八幡(俺は思わず笑ってしまった。そんな俺を渋谷はムッとした顔で見返す。おい、カメラ見ろカメラ。ブスになってんぞ)

八幡(そんなことを思っていると、渋谷は俺に向かって……いや、カメラに向かってか? べっと舌を出して、片目を瞑って中指を立てた。おいおい)


カメラマン「あっはっはっ! 凛ちゃん、そういう顔もできるんじゃん! いやー最高! あ、でも過激すぎるからこれはオフショットにしとくね?」

渋谷凛「……ふふっ。すいません」

八幡(――ああ、いつもの顔だ)

八幡(その瞬間を、プロが見逃すはずもない。カメラは魂じゃなく、渋谷の今日初めての笑顔を見事に吸い込んだ)




カメラマン「よし、お疲れ様! 休憩を少しはさんで、終わったら今度は三人で撮ろう!」

凛「はい、ありがとうございました」

未央「しぶりん! お疲れ様!」

卯月「とーっても可愛かったですよ♪」

凛「未央、ありがと。卯月、お世辞はいいよ。私、全然だったじゃん」

卯月「ううん! そんなことなかったですよ! あのべーってしたやつ、私、女の子なのにドキドキしちゃいましたっ」

未央「うんうん、迫真だったぜ!」

凛「……あれだけ演技じゃないからね」


卯月「あっ、プロデューサーさんが行っちゃいました。私、ちょっと聞きたいことがあったんで行ってきますね!」

凛「……私もちょっと行ってくる」

未央「よっし、じゃあ休憩後ね!」


凛「あれ、誰かと思ったら薄情者がいる」

八幡「薄くても情があるのか。まさか褒められるとはな」

凛「皮肉のつもりだったんだけど……」

八幡「知ってる。ほらよ、やる」ポイッ

凛「うわっ」パシッ

凛「……ありがと。これ何……マックスコーヒー?」

八幡「何……知らない…だと? 千葉県民のソウルドリンクだぞ」

凛「へえ、知らなかった。いただきます……」カシュッ

凛「――甘ぁっ! なにこれっ」

八幡「コーヒーの中に練乳が入ってんだ」

凛「うわあ……もう練乳って言葉だけで甘いよ。甘すぎ」

八幡「この味がわからんとは、お前もまだまだお子様だな」

凛「……こういうのって普通ブラックでするやりとりじゃないの?」

八幡「苦いこと多いから、コーヒーくらい甘くていいんだよ」

凛「ん……」


八幡「まあ、その、なんだ。……お疲れさん。次も頑張れ」

凛「ん、ありがと。私の方はごめん、だね。ずーっと固くなっちゃってて、ブスだった」

八幡「そうだな」

凛「む……そこは嘘でも『そんなことねぇよ』って言うところなんじゃないの? モテないよ?」

八幡「モテないのは元々だ、ほっとけ」

凛「大体、普通担当アイドルが撮影に困ってたら颯爽と助けるのがプロデューサーってもんじゃないの? パートナーさん」

八幡「そういうやり方もなくはないけどな。今回はなしにした」

凛「どうして」

八幡「魚を釣ってやっても成長しねぇだろ。釣り方を覚えないと意味がない」

凛「ん……」

八幡「簡単に与えられるものには価値がない。もし目の前に差し出されたら、それには必ず裏がある。圧倒的成長なんて簡単にはできないし愛はコンビニで買えねぇよ」

八幡「俺はリアリストだからな。変な理想は与えたくない」

凛「だから友達いないんだよね。人に嫌われそう」

八幡「……今のカウンターは効いたぞ」

凛「ふふっ、ざまあみろ」

八幡「ま、嫌われついでに言っとくが。渋谷、お前はアイドルとして上を目指すんだろ」

凛「……うん、一応ね」

八幡「じゃあ尚更言っとくよ。俺と組まされたことを後悔しろ」

八幡「この世に魔法はない。カボチャの馬車も、魔法使いも、ガラスの靴もありやしない」

八幡「一歩一歩、歩いて城まで行くしかねぇんだ」

凛「……ふふっ、本っ当、捻くれてるね」

八幡「そりゃDNAがねじれてるからな」

凛「その理論じゃ人類みんな捻くれ者だよ」


――休憩終わります! 準備お願いしまーす!


凛「はい! ……んじゃ、頑張ってくるね」

八幡「おう、頑張れ。……あとな」

凛「ん? なに?」

八幡「……何もしないからってお前のことが嫌いなわけじゃないぞ」

凛「……ふふ、ありがと。あ、プロデューサー」

八幡「何だ」

凛「それ、言ってて恥ずかしくない?」

八幡「っ! てめえ、意趣返しかっ」

凛「あははっ、行ってきまーす!」


カメラマン「はい、ポーズありがとう! この写真は特集の表紙に使わせてもらうよ」

未央「おおっ、楽しみー!」

凛「うん、私も」

卯月「本当ですね! 私、発売日は本屋にダッシュします!」

カメラマン「ははは、君たちのところには見本誌が届くだろうから、本屋に行く必要はないよ」

凛「見本誌……」

卯月「本当に……」

未央「プロみたーい!!」

カメラマン「ははは、じゃあ次は三人が自由にしているところを僕たちで勝手に撮らせてもらうよ。あ、ここにボールがあるから好きにつかってくれていい」

未央「おっ、やった! しぶりんとはあの日、こうやってメジャーをかけて戦う日が来ると思ってたよ! それっ!」ビシュッ

凛(卯月の顔面に秒で着弾。大リーグボールは流石だね)

卯月「きゃあっ!? もー! 未央ちゃん、痛いですよっ」

未央「あはっ、ごめんしまむー! しぶりーん、パスパス!」

凛「う、うん。それっ」ビシュッ

未央「おおっ、相変わらずいいフォーム! こっちもお返しだ―!」ビシュッ

凛(やっぱり卯月の顔面に着弾したボールは、ふわりと宙に舞った)

卯月「あうっ!?」

未央「しぶりん、スパイクスパイク!」

凛「――せいっ」バシッ!

未央「おおっ、ナイススパイク!」

卯月「凛ちゃん、すごーい!」

凛「……ふふ、ありがと」


カメラマン「いいね! その笑顔!」



未央「あはっ、さすが選考理由が笑顔のア・タ・シ!」

未央「でも、そんな私でもさいちゃんの笑顔に勝てるかは怪しいぜ……」

凛「なんか本当に天使って感じだよね……」

卯月「あれで男の人って言うのが驚きですよねっ。詐欺にあった気分です」

未央「さいちゃんはテニスもすっごく上手いって聞いたことあるよ」

凛「へえ……うちの人は絶対できなさそう……」

卯月「戸塚さんのプロデュース業ってどんな感じなんだろう。なんだかアイドルの方が似合う気がします」

未央「いや、ああ見えてさいちゃん、すっごくやり手らしいよ。みんなから聞いたんだけど」

凛「え、そうなの?」

未央「うんうん、らしいよ! なんか絶対この仕事は営業先と繋がりが太いアイドル事務所があるから取れないーって言われてたやつでも、平気で『再来週、ここのテレビ出演決まったよー』とか言って取って来るんだって」

卯月「うわあ、すごいです!」

未央「あの笑顔で押されたら断れないよねえ……何か業界一部じゃ微笑みヤクザって言われてるらしいよ、噂だけどっ」

卯月「あと意外と力持ちですよね、戸塚さん。さっき撮影機材の運搬手伝いしてましたけど、重たい照明片手で持ち上げてましたよっ」

凛「へえ……やっぱり、男の人なんだね」

未央「うんうんっ、あれで壁ドンとかされて、『ねえ、ぼくのものになってよ……』とか言われちゃったら!! きゃー!」

卯月「はわわわわわわ、こ、鼓動がっ! 十六分音符にっ!」

凛「落ち着いて卯月。下手したら死ぬよそれ」

凛(……そういえば、友達とこういう露骨に女子っぽい話するの初めてかも?)


未央「そう言うしまむーのプロデューサーはどんな人なのさっ? ゆきのんさん!」

卯月「そ、その呼び方すると怒っちゃいますよ。あはは……」

凛「うーん、可愛い系の名前が嫌だから? かく言う私もしぶりんはまだ納得してないけど」

未央「冷たいこと言わないでよしぶりん!?」

卯月「いえ、なんだかそういうわけじゃないみたいですよ。『その呼び方は特別だから駄目よ。やめて頂戴』って言ってました」

凛「あはは、卯月、似てない」

未央「うんうん、知的なのは似合わないねえ」

卯月「ちょっとぉ!? どういうことですか!? だ、大体、雪ノ下さんにもちょっと抜けてるところはあるんですからね!?」

凛「そうなの?」

未央「意外。もう仕事もプライベートも完璧美女って思ってたよ」

卯月「あ、でも、仕事してるときの雪ノ下さんは本当にカッコいいんですよ~! ブルーライトカットの眼鏡かけて、髪の毛が邪魔になるからってピンク色のシュシュでくくって。パソコンを打つ指がほっそりしてて綺麗で……。あと、たまに『今日もレッスンお疲れ様』って言って紅茶を出してくれるんですよ! もうそれが美味しくて美味しくて!」

凛「あ、それ私も飲んだ。お店のやつみたいでびっくりした」

未央「えー! いいなあ! 私も飲みたいー!」

卯月「えへへ、いいでしょう? キュート事務所だけの特権ですっ。ああ、雪ノ下さんともっと仲良くなりたいなあ……」

凛「確かに、ちょっと雰囲気があって気さくに話しかけにくいかも」

未央「ふふっ、しぶりんがそれ言う?」

凛「……耳がペイン」

卯月「でも、雪ノ下さんはいつかこっちに歩み寄って来てくれると思うんですよね! だからこっちからも近付きつつ、待ってますっ」

未央「……そんな雪ノ下さんだけど。ハチくんとはすっごい仲良いよねー」

卯月「あっ、それ私も思いました! 戸塚さんとももちろん仲がいいんだけど、もう比企谷さんだけは特別って感じですよね!」

未央「うんうん、気兼ねがないっていうかさ!」

卯月「雪乃さんがあんなに楽しそうなの、初めて見ました」

凛「……同じ部活だったらしいよ、二人は」

未央「え、そうなの!? 三人は同じ高校出身って言うのは知ってたけど、そうなんだ!」

卯月「なんだか運命的ですよねっ♪ 二人、そういえばなんだかいいカンジだしっ」

凛(確かに……何か、ありそうなんだよね。あの二人)

未央「ねえねえそこらへんどうなのしぶりん! 詳しく詳しくっ!」

凛「…………知らない」

卯月「ええっ、凛ちゃん、出し惜しみはなしですよう」

凛「いや、本当に知らないんだってばっ」ビシュッ

卯月「あうっ!?」

凛(あ、何故か力が……ごめん卯月の顔面)



未央「じゃあさじゃあさ、ハチくんってどんな人なの? それも知りたい!」

卯月「うんうん、凛ちゃんだけ言わないのはズルいです!」

凛「え、プロデューサー? どんな人かぁ、うーん」

凛「とにかく捻くれてる。後何かにつけて働きたくねぇって言ってる。双葉さんみたいだね」

未央「ダメじゃん!」

凛「うん、ダメだね。あと多分コミュ力はない。何かにつけてぼっちだったって言ってるし」

卯月「で、でも! 仕事はできそうですよ?」

凛「いや、そんなことないよ。しょっちゅうヘマして絵里さんにちょっぴり怒られてるの見るかも。まあ新入社員だからね、そんなもんでしょ」

凛「あと、嫌味なくらい現実主義者。アイドル業界なのに。大体アイドルに税金の話するってどうなの? 夢がないよね。税金と言えば煙草なんかカッコつけて吸っちゃってさ……」

未央「あ、あの? しぶりーん?」

凛「さっきのソロ写だってさ。一応私アイドルなのに。アイドルが目の前で困ってるんだよ? さっと助けちゃうのが大人の男ってもんじゃないの? ダメだよね。ほんっとダメ。そういうところ気が利かない。でも」

卯月「り、凛ちゃーん? 凛ちゃーん?」

凛「――でもね、」

凛「ずーっと私のこと見ててくれてる。いつも一番後ろからで、何にも言わないけど。ずっと見てくれてるんだ」

凛「そういうところは、嫌いじゃないかな」


カメラマン(――この子、良い顔するじゃないか。……いいな。もう一枚撮っとくか)

<同日、夜。クールプロダクション事務所>


絵里「今日は直帰でいいっていったのに、仕事熱心よね」カタカタ

八幡「それ誰に言ってます? 渋谷なら直帰しましたが」カタカタ

絵里「えー、比企谷くんに決まってるじゃない。新入社員が残業なんて生意気よ」クスクス

八幡「やめてください、仕事熱心とか名誉毀損ですよ」カタカタ

絵里「その言いよう、汚名挽回とか名誉返上って感じね……」

八幡「……まあ、何ですか。スッキリして帰りたいんすよ。俺は家が好きすぎるから家に心残り持ち帰りたくないんで」

絵里「? 比企谷くん、今月分の事務作業は全て終わってたわよね? あとは部長のチェック待ちが一件あったとはいえ……」

八幡「……や。まあそうなんですけど、そういうことじゃなくて」

八幡「今回の件、色々と手助けしてもらって本当にありがとうございました。絢瀬さんがいなかったらもっとリテイクの嵐だったと思うし、俺だけじゃ何もできなかったんで」

絵里「ちょ、ちょっと何よ急に。私は何もしてないわよ? ……あれは比企谷くんの力よ。誇りなさい? 私なんて最初の一か月は企画どころじゃなかったわ。本当に凄いと思う。なんだったら私、ちょっと悔しいもの」クスクス

八幡「よしてください。俺はまだ一人で何もできてないですよ。……人より倍の時間かけて、人並以下のことしかできてない」

絵里「それでいいのよ。みんなそこから始まるの。アイドルだって、プロデューサーだって、事務員だってそう。色んな人の力を借りて、少しずつ大きくなりましょう?」

八幡(……わかってはいるんだ。でも、不甲斐ねぇって思いは消えないよな)

絵里「それに、私たちはチームでしょ? どんどんどーんとお姉さんに頼りなさい!」

八幡「……カトリーナ級の先輩風だ」


八幡(豊満な胸をグーで叩いて、大げさにえへんと胸を張る綾瀬さんの姿が眩しい)

八幡(手元にある十枚程度の企画書、その初稿を見た。赤がたくさん入っている。丁寧な字だ。叩き直す文章の一つ一つに心遣いを感じる。字が綺麗な人は心も綺麗なのだと聞いたことがある。それは本当なのかもしれない)



八幡「でも俺は、自分のことは最低限自分でやれるようになりたいです」

八幡「自分のことは自分で。当たり前のことなんだ」

八幡(自分のことが自分でできて初めて、他人と歩く資格がある)

絵里「……強情なんだから」

八幡「一応、男の子なんで。見栄は張りたいもんなんですよ」

八幡「だから。これからは、黙って俺の分の事務作業をやっておくとかやめてくださいね」

八幡(俺がそう言うと、綾瀬さんは悪戯が見つかった子供のように笑って、舌を小さく出した)

八幡(……渋谷には悪ぃが、こっちは本当にドキドキすんな)

絵里「あら、バレちゃってたのね」

八幡「普通気づきます。現実世界に寝てたら仕事やってくれる小人なんているかよ」

絵里「わかんないわよー? かしこいかわいい人のところには来るかもしれないじゃない?」

八幡「……かもしれませんがね。じゃあ少なくとも俺のとこには来ねぇってわけだ」

絵里「可愛くないものね」クスクス

八幡「よく言われる」

絵里「だと思った」

八幡「……こほん。つーわけで、俺が頼るまでそういうのはこれからナシにしましょう。進歩がない」

絵里「はぁーい」

八幡「その代わり一人じゃ無理だと思ったらすぐ頼るんで。泣きつきます」

絵里「あはっ、なにそれ」

八幡「男の子なんで。女の人に甘えたい時もあります」

絵里「さっきと言ってることが540度違うけど?」

八幡「記憶にないですね。秘書がやったことで」

絵里「政治家か!」



八幡「じゃ、今日はこれであがります。お疲れ様でした」

絵里「比企谷くんも、初企画本当にお疲れ様! 家に帰ってゆっくり休んでね」

八幡「うっす。絢瀬さんも、無理せずたまには早く上がってくださいね」

絵里「うふふ、小人でも来たら考えておくわ」

八幡「…………」

絵里「あ、そういえば」

八幡「なんすか」

絵里「比企谷くん、もしかしてわざわざ私にこれ言うためだけに残ってくれたの?」

八幡「……んなわけないでしょ。借りっぱなしはスッキリしなかっただけです」

絵里「?」

八幡「それじゃ、また来週」

絵里「はぁい、また来週ね!」



絵里「ふふ、ひねてるクセに変なところだけ真面目なんだから」

絵里「ま、見ず知らずの人のために車に飛び込める人が、悪い人の訳ないのよねー」

絵里「オフィスに一人かっ、できる女っぽい私!」

絵里「……他人の世話焼いて、自分の書類作業が丸々一本残ってるとか笑えないのよね。はぁー」

絵里「ま、いっか。女の子だもの、見栄張りたいじゃない。水面下のバタ足ってやつ?」

絵里「……やばい。最近独り言多いわね……こういう時はスタドリあけてっと」プシュッ

絵里「――ぷはぁっ! よし、頑張ります! ファイルをダブルクリック……って、あれ?」


絵里「え、え、え? なんで!?」

絵里「全部やってある……なんで?」

絵里「? この下の.txtファイル、なにかしら?」カチカチッ


『これで貸し借りは無しです。たまには早く帰らないと肌に悪いんじゃないですか』
                                   

絵里「あ……」

絵里「ふふっ、本当に、もう」

絵里「一言多い小人さんもいたものね……」クスクス


<五月大型連休中、夜。クール事務所下の居酒屋「一休み」>

花陽「こんばんはー!」

凛「あっ、かよちんも来たんだ!」

絵里「ごめんね、先に始めちゃってるわ」

希「だからなー!? 地方公務員って言っても新任教師は大変なんよー? ちょっと、にこっち聞いてるー?」

にこ「あああわかってる聞いてるわよ! てか希はペース早すぎ!」

海未「完全に出来上がってるじゃないですか……」

花陽「あはは、凛ちゃん隣座ってもいい?」

凛「うん、いいよ!」

花陽「えーっと、じゃあ……店員さん、モスコミュール一つお願いします」

希「ウチも生ひとつ!」

絵里「希、明日に残っても知らないわよ?」

希「ええんよ、明日は休みだもーん」

にこ「今日はこれで全員なんだっけ?」

絵里「そうね。穂乃果はレギュラー番組の収録がどうしても外せなくて、ことりは仕入れ先との打ち合わせで今は海外。真姫は納期前で修羅場ってるらしいわ」

凛「みんな大変だにゃ……」

海未「全員が揃う日はなかったのですか?」

絵里「みんなの仕事が仕事だけに無理だったのよね……。今日が一番参加できる人数が多かったものだから」

海未「そうですか……。もうずっと、ことりたちとは会えていませんね」

凛「ライブバトルが始まるからね、繁忙期なんだよ。凛もこれから忙しくなるぞー!」

絵里「そうか、さらに仕事が増えるのね……憂鬱だわ」

希「ふふふ、えりちも一緒に地獄に落ちよう? 大体なんなんよ校務分掌って……教師なんて教えるだけでええのに……」

にこ「まさか希が音ノ木坂の教師になるとはねー」

希「採用試験一発パスなんよー? 崇めろ崇めろー」

凛「東京都のあの倍率をくぐりぬけるのはスピリチュアルとしか言いようがないにゃ……」

花陽「どうですか? 音ノ木坂は」

希「雰囲気とかはあのまんまやけど、アイドル部は本当に強なったね! もうUTXなんて目じゃないくらい! 一学年はJ組まであるし」

凛「り、凛たちの代は一クラスしかなかったのに……」

海未「昔は廃校しかけていたと聞いても、今や誰も信じないでしょうね」

絵里「そうねえ、本当にマンガみたいな話よねー」


凛「最初は絵里ちゃんも希ちゃんもアイドル部にいなかったしね! ……すいませーん、軟骨のからあげひとつー」

海未「ふふ、むしろ絵里に至っては敵でした」

花陽「ちょっと怖かったです……」

にこ「つんけんしてたわよねー」ニヤニヤ

絵里「ちょ、ちょっと! 昔のことでしょ!」

凛「学校の許可ぁ? 認められないわぁ」

絵里「やめて、やめてお願い」

希「懐かしいなあ、あれからもう三、四年くらい経つんやね。……すいませーん、明太マヨポテト一つー!」

海未「希、太りますよ?」

希「あ”?」

海未「ひいっ!」

希「ウチは言っとくけどウエストはえりちと一緒なんやからね!?」

にこ「……相撲ハレーション」ボソッ

希「表出よう? わしわしじゃ済まんからね?」

花陽「ケンカハヤメテー!!」

凛「そ、そうだよ希ちゃん、落ち着こう?」

希「……余裕やね、凛ちゃん」

凛「え?」

希「…………トレーナー受験生時代の知り合い、名前なんやっけ。確か、は」

凛「す、すとーっぷ!!!! その件はしばらく触れないでほしいにゃ!!」

海未「お、珍しく慌ててますね」ニヤニヤ

絵里「……認められないわぁ」ニヤニヤ

にこ「……緑茶ハイ。濃い目。うんと濃くして」

花陽「……あれ? 凛ちゃん、この話、もう解禁?」

凛「黙秘権! 黙秘権だから!」

希「えー! 言ってみ言ってみ~? わしわし? わしわしされたん?」

海未「りんがべー!? りんがべーなんですかっ!?」

にこ「ほらぁ、飲んで楽になりなさい? 大丈夫大丈夫、何言ってもお酒のせいよ」

凛「かっ……」

凛「帰りたいにゃあ!!!!」


絵里「あらら、希とにこ、寝ちゃったわ」

凛「もう嫌にゃ……あの酔っ払いの先輩たち……」

海未「災難でしたね」

凛「海未ちゃんが一番喰いついてたでしょ!! このムッツリ!!」

海未「なっ! ち、違います!」

絵里「沖正宗大とっくり、冷やで。あ、おちょこは一つで大丈夫です」

花陽「おー? あーやーしーいーですねー? ふふふー」

絵里「花陽って酔うとなんだかえろいわね……」

凛「そういう突っかかる海未ちゃんだってきっと浮いた話、あるんでしょ?」

花陽「アイドルですもんねー?」

海未「………………ないですよ」

絵里「……ん?」

花陽「間がありましたね」

凛「あったにゃ。これは……」

絵里「可能性感じるわね」

海未「な、なにも!! なにもないですから!!」

凛「絵里ちゃん、日本酒」ニッコリ

絵里「ちょうど沖正宗が来たわ」ニッコリ

海未「あの、あの、やめましょう?」

花陽「んー? ふふふ」

凛「自分だけ逃げようって、それは考えが甘くないかにゃー?」



海未「ううー……ちがうんれすよ……。好きとかそういうのじゃなくて……ただ……その…気になるなって言うか……たまに優しいなって思ったりするだけといいまひゅか……」
凛「くっ、ここまで来てそれだけしか吐かないとは……」
絵里「つまり気になってるだけ、というのが本当なんじゃない?」
花陽「きっと海未ちゃんに近しい人ですよねー? 今度レッスンに来た時、見ておきましょう」
海未「大体……これはちがうんれす……きっと……いま自分が上手くいってないから…ほかのことが……気になるんれす。弱みにつけこむなんて……ほんとうに…」
絵里「あ、これは落ちるわね」
凛「ううー! 凛だけ色々吐かされてずるいにゃあ! ちょっと海未ちゃん、それどんな人なの!?」
海未「……ん…」
海未「…………わたしより、かわいいひと……」
にこ「へっ!? や、やだもしかしてそれってにこのこと!?」
絵里「起きたと思ったら第一声がそれなの?」
凛「寝言は寝て言うにゃ」
にこ「ひどくない!?」


凛「ま、死んだ海未ちゃんは今度またじーっくり尋問するとして、絵里ちゃんは最近どう?」

絵里「どうって、私? なーんもないわよ。仕事して寝て起きて仕事してる」

希「なんか寂しいね」

絵里「うるさい。寝てなさい」

希「そう言わずに。タロットは小アルカナ、ディスクの二……『変化』って出てるんよー?」

にこ「希のタロットは馬鹿にできないものがあるからねー」

絵里「……あ。そういえば、変化といえば」

凛「おっ、あるの!?」

絵里「自分の会社の車に轢かれかけたわ」

花陽「エエッ!? ダイジョウブナノォ"!?」

希「あ、あのウチの家にクリスマスに来てた時か!」

絵里「そうそう、私がよそ見してたのがいけないんだけど。私を庇って男の人が代わりにひかれちゃって……」

凛「そ、それ大丈夫なの?」

絵里「幸いスピードはそこまで出てなかったから死傷にはならなかったの。本当に申し訳なくて、何度もお見舞いに行ったわ……」

花陽「良かったぁ……」

にこ「その人、見所あるわね。見ず知らずの人の為に飛び込むなんて」

絵里「本人はずーっと『たまたまなんで。そんなに謝られても困ります』って言ってたけどね」

凛「その人、もう退院したの?」

絵里「うん、この話には続きがあってね。三月末に退院したその人、本当に偶然なんだけど、なんと四月から新しく入って来るプロデューサーだったのよ!! ビックリして心臓が止まるかと思っちゃった」

希「へえー!! ウチが言うのもなんやけど、それは本当にスピリチュアルやね」

花陽「す、すごい……そういうことって本当にあるんですね」

にこ「……ん? クールプロの新人プロデューサー?」

絵里「あ、もしかしてにこも会った? 比企谷くんって言うんだけど」

凛「ええええええ!!!! そうだったの!?!?!?」

花陽「わたし、この前話しましたよ!」

凛「凛なんかもう何回もお仕事してるよ!? うわー、なんかすごい、もはや怖いにゃ!」

絵里「そっか、希以外はもうみんな会ってるのよね。狭い業界だから……」

希「えー! なんか仲間はずれにされた気分で嫌やね」


絵里「希も機会があれば会えるかもしれないわね。いい人よ、すごく。仕事の覚えもとっても早いし。ちょっとジェラシーだもの。……少し捻くれてるけど」

凛「あはは、あれはちょっとどころじゃないにゃ! かなりだよ!」

花陽「でも礼儀正しいですよねー。いっつも私と会う時は『今日もお疲れ様、うまかった』って言ってくれるし」

凛「最近三人で喋ることもたまにあるよね! ほんっと口悪いけど。『星空のそのにゃってやつなんなの? キャラ作り? 前川と被ってんじゃね?』とか言ってくるし。キャラじゃないからね!?」

絵里「………………二人には、敬語じゃないんだ」

凛「うん、そだよ? 凛が言ったんだ!」

絵里「ふーん……」

にこ「比企谷くんねー。自己紹介程度かしら。担当アイドルの渋谷凛ちゃんとは少し話したけど」

凛「おっ、凛イチオシの凛ちゃん! あの子はきっと化けると思うな!」

にこ「紛らわしいわね……。真面目な子って感じかしら。見た目ほどきつくはなかった」

希「にこっちはもうちょいキツめの外見でもよかったのになー?」

にこ「やかましい! にこはこういう方向性だからいいの!」

花陽「私はまだ渋谷ちゃんと話したことないなあ」

絵里「愛想はないけど、いい子よ?」

凛「そういうところ、担当コンビで似てるよね!」

にこ「あ、比企谷くんと言えば思い出した。あの人、うちの雪乃とすっごい仲いいのよね」

花陽「あ、それ知ってますー」

凛「比企谷くん言ってたよ、おんなじ高校でおんなじ部活だったんだって!」

にこ「ああ、それでなのね」

絵里「……私、知らなかった」

にこ「うーん、でも……」

希「どしたん、にこっち?」

にこ「いや、この前会いに来た時雪乃と話してるところ見たんだけど。……あれは、ただの部活の同僚って雰囲気じゃなかったわよ?」

花陽「初耳、初耳ですよ?」

凛「ほほう、これは……。明後日のレッスンが楽しみだにゃー?」

絵里「…………何よ。雪ノ下さんも比企谷くんも、そんなこと一言も……」

にこ「絵里、どうしたの?」

絵里「なんでもないっ! 店員さん、ハイボールひとつっ!」

希「えりち、弱いんやから無理は」


絵里「うるさーい!」


凛「あーあ、みんな寝ちゃったにゃ……」

花陽「まだ電車まで時間があるから寝かせてあげよ?」

凛「うん、そうだね! あはは、でもみんな二十歳超えたのに変わらないなー」

花陽「そうだねぇ。私はまた凛ちゃんと一緒に働けてうれしいなっ」

凛「凛も! かよちんとはずっと一緒だね、えへへ」

花陽「私は346の管理栄養士兼食堂員。凛ちゃんはトレーナーさん。絵里ちゃんはクールの事務員。にこちゃん、穂乃果ちゃん、海未ちゃんはプロのアイドルやってて、希ちゃんは音ノ木坂の教師」

凛「真姫ちゃんは医学部に通いながら作曲家、ことりちゃんはデザイナーやってるもんね。みんな凄い人ばっかりにゃ!」

花陽「さすが『女神の世代』だね!」

凛「あ、それ知ってる! 凛たちの代って伝説視されてるらしいね」

花陽「ふふふ、こんなに酔っぱらって寝てる人たちなのにね」

凛「ねー。みんな文句は言ってるけど、好きなことを仕事にしてるのが一番凄いなって思うよ」

花陽「……『それぞれが好きなことで頑張れるなら』」

凛「『新しい場所がゴールだね』……ふふ、凛は今でも歌えるにゃ」

花陽「まだ、スタート地点に立ったばかりだけどね」

凛「うん、きっとゴールもないんだろうね。凛はずーっと走り続けるにゃ!」

花陽「そうだね。凛ちゃん」

凛「ん?」

花陽「これからも、ずっとよろしくね?」

凛「……うん!」

<翌日、早朝。キュートプロダクション、事務所>

雪乃「おはようございます。……あら?」

みく「……おはようございます、プロデューサー」

雪乃「前川さん? こんなに朝早くからどうしたの? 今日は貴方、オフのはずではなかったかしら」

雪乃(いつも付けている猫耳のアクセサリーを今日はつけていない前川さんは、黙って私に雑誌を開いて差し出した。……この特集は)

『346プロ気鋭の新星! ニュージェネレーションズ特集!!』

雪乃(三人の表情は輝いていた。流石プロの腕というところかしら。……渋谷さんって、こんな顔で笑うのね。これは島村さんが食われないか心配になってきたわ)

雪乃(……? この紹介記事、句点の打ち方や語彙の感じ……)

『彼女たちのこれからの躍進が待ち望まれる。 文責:比企谷八幡』

雪乃(やっぱり)

雪乃「いい記事ね。三人の良さがよく出ているわ。名の通った雑誌だし、宣伝効果は覿面でしょうね」

みく「……今日は、お願いがあって来たの」

雪乃「……お願い?」


みく「――こんなもん見て、心穏やかでおれるほどみくはできた人間とちゃう」


雪乃(鋭い眼光で私を見抜くのは猫ではなかった。いつか私が見出した、抜身の刀身のようにぎらついた向上心を持つ女の子がそこにいる)

みく「……わかってる。みくは拾い上げで、まだそこまでの実力もない。……でも、何かに出たい」

みく「目立てばええってもんじゃないけど、目立ちたい」

雪乃「……それで、あなたらしくない立てこもりなんてしたのね?」

みく「……あれは、ごめん。でも本気やってわかってもらえるんならどんだけ怒られても構わんって思ったから」

みく「……プロデューサー。あの日の約束、覚えてる?」

雪乃「ええ。私が持ちかけたことだもの」

みく「……今年で、二年目。約束の……二年目」

みく「……お願いします。せっかちなのはわかってる。でも、チャンスが欲しい」

雪乃「……チャンス」

みく「夏の新人戦。それに、みくを出してください」

みく「それで、勝つ。相手が誰でも勝つ。約束する。……もし負けたら」


みく「契約通り、クビにして?」



雪乃「……」

みく「……お願い。じゃないと、何のために東京来たんかわからん……。お父さんに、お母さんに、……あいつらに! どう顔向けしていいかわからん!」

みく「遊びに大阪から来たわけとちゃう! 人生賭けに来たんです!」

みく「みく……今のまんまやったら、嫌や……」


結衣『あたし、今のままじゃやだよ……』



雪乃「!」

雪乃「……」

雪乃「…………いいわ。計らいましょう」

みく「!! ほんまっ!?」

雪乃「虚言は吐かないわ。……ただし、容赦はしないわよ。あなたが言ったことなのだし」

雪乃「負けたら、消えてもらうわ。……いいわね?」

みく「……うん。猫らしく、死ぬときはひっそり消える」

みく「――みくに、期待して?」

雪乃「……。ええ、そうさせてもらうわ」

雪乃「さて、そうなると色々グレーな力を使わないとね。本来存在しない枠に無理やりねじこむのだから」

みく「……あ、あの。ほんまに良かったん……?」

雪乃「相手に遠慮しているようじゃ欲しいものは手に入らないわよ。……覚えておきなさい」

みく「……うん。何か、みくとプロデューサーって、パートナーって感じとちゃうね……」

雪乃「……そうね」

雪乃「今この時をもって、共犯者ね」

みく「切り捨てられんように頑張らんとなぁ。……プロデューサー」

雪乃「なあに?」

みく「……ありがとう、ございます」

雪乃「……ふふ。気にしないで」

雪乃「――私、猫が好きなの。それだけよ」

<夜、八幡と小町の家>

八幡「ただいまー……」

小町「あ、お兄ちゃんお帰りー。ごはんできてるよー」

八幡「最高だ……八幡ポイントはもはやストップ高だぞ」

小町「あーハイハイ。いいからさっさと着替えてくる。ちゃんとズボンはコンプレッサーにかけてね。ハンカチ出すのも忘れないこと」

八幡「お前は母ちゃんかよ」

小町「可愛い妹だよ」

八幡「知ってる。先にメシ食うわ」

小町「はーい。今日は肉じゃがだよー」



八幡「いただきます」

小町「はい、召し上がれー」

八幡「……うまいな。ますます嫁にやりたくなくなってきた」

小町「どっかに嫁に行ってもお兄ちゃんの妹だよ?」

八幡「そういう問題じゃねえんだよ。いいのか嫁に行って。親父と俺が泣くぞ」

小町「うわあめんどくさー……」

八幡「だろ。それが嫌だったら嫁に行くな」

小町「脅し方が小町的にポイント最低だなー」

八幡「何とでも言え」

小町「じゃ、いいけど小町のこと養ってくれるの? お兄ちゃん」

八幡「嫌だ。俺は養われたい」

小町「ゴミいちゃんだなぁ……」

小町「でも、今はもう働いてるけどねー!」

八幡「……本当だよ。どうしてこうなった」

小町「嫁と言えばだよ! お兄ちゃん、これ!」

八幡(そう言うと小町は自室から一冊の雑誌を持ってきて、食卓に広げた)

小町「これ! お兄ちゃんが書いたんでしょ!」

八幡「ん、まあそうだ」

小町「みんなすっごく可愛いねー! どれ? どれがお兄ちゃんの担当なの?」

八幡「この三分割してる写真の右のやつだ。制服のポケットに手ぇ突っ込んでるやつ」

小町「へー! 綺麗な子だね! クールな感じの」

八幡「確かに可愛いか綺麗かで言ったら綺麗な方面の奴だな。俺みたいにクール」

小町「お兄ちゃんはクールじゃなくて根暗でしょ」

八幡「なにこの扱いやだ言い返せない……」



小町「そうだよ、嫁と言えばっ! ズバリどうですか! 嫁にできそうですか!」

八幡「相変わらず底が浅いな……んなわけねぇだろ。アイドルだぞ」

小町「いいじゃん! アイドルとの禁断の恋愛……それ小町的にポイント超高いよ!」

八幡「世間的なポイントは最低だぞ。一歩間違えば切り刻まれた渋谷の写真が事務所に贈られてきてインターネット方面は本能寺でずっとずっと待ってるになっちゃうだろ」

小町「大丈夫大丈夫! ばれなきゃいいの! つーかこれからっしょ!」

八幡「あと前提としてな、アイドルやるようなやつが俺に惚れるわけねぇだろ」

小町「……それはわかんないじゃん?」

八幡「わかるよ」

小町「わかんないの」

八幡「……譲らねぇな」

小町「譲りませんよ。……多分、雪ノ下さんだって同じこと言うと思うな」

八幡「何でそこで雪ノ下の名前が出てくるんだよ」

小町「んー、なんとなくってことにしとこうかな」

八幡「……そうかい」

小町「雪ノ下さんとは最近どうなの?」

八幡「どうって、話してる通りだ。偶然仕事が被って、時々一緒に仕事してるだけだ。最近連絡先知った程度じゃないか」

小町「! 連絡先知ったの!? 本当に?」

八幡「嘘ついてどうすんだよ。……ほら」

小町「うわ、本当だ」

――ぴこん。


小町「あ。お兄ちゃん、ライン来たよ。……お兄ちゃんにラインが来た!? Elly……しかも女の人ぉ!?」

八幡「お前は俺を何だと思ってるんだ……」




Elly<今日は迷惑をかけてばかりでごめんなさい。二日酔いでミスばかりなんて
   情けないったらないわ……( ;∀;) 明日何か埋め合わせをさせてね。
   あ、休憩中の話だけど! 絶対私の亜里沙の方が可愛いんだから!
   写真の提出を求めます。大至急。私の亜里沙のベストショットは今送ります!



八幡「うお……何だこの西洋美人。本当に妹か? ネットから拾ってきたんじゃねぇのか」

小町「お兄ちゃんぶつぶつ何言ってんの? 女の人からラインが来たからって……」

八幡「うるせ。……小町、ピースして笑ってくんね?」

小町「何、写真撮るの? シャチョサン、オカネトルヨー」

八幡「国籍どこだよ。いや、このラインの人同僚なんだが、今日の休憩中どっちの妹が可愛いかって話になってな。シスコン代表として負けられねぇだろ」

小町「何その対抗意識……その人も相当アレだね……」

八幡「これがその人と妹だ」

小町「……!? なにこれ! めっちゃ美人じゃん!! アイドルじゃないの!?」

八幡「俺も最初は驚いたが事務員さんだ。昔はスクールアイドルやってたらしい。絢瀬絵里さんって言うんだが」

小町「ん……絢瀬絵里? もしかして」

八幡「知ってんのか? なんか全国優勝してたりしたらしいが」

小町「うぇっ、やっぱりμ'sの絢瀬絵里じゃん! じゃあ妹は絢瀬亜里沙ちゃん? 無理無理無理! 小町そんな人たちに勝てないよ!!」

八幡「そんなことない。お前は宇宙一可愛い。少なくとも俺の主観では」

小町「……最後の一言が余計だよ」

八幡「お前より可愛い妹はいねぇよ。ほらほら、笑顔くれ」

小町「そりゃ妹は小町だけだからねぇ……。仕方ないなぁ、もう」

比企谷 八幡<お疲れ様です。あんなもので迷惑なら俺は普段仕事できませんよ。
       これ本当に妹ですか? ネットで持って来たりしてませんよね? 可愛い。
       でもやっぱり小町より可愛い人間はこの世に存在しない。ソースは俺。
       というわけで今撮った奴同封します。

       可愛い!! 無邪気な感じが比企谷くんと対極なのね!( ゚Д゚)>Elly 

比企谷 八幡<それは俺が邪気な感じだと言われてるんですかね……。

       想像にお任せ。でも顔付きは似てるのね。さすが兄妹(´▽`)>Elly 

比企谷 八幡<そっすね
 
               顔文字なしで4文字(・_・) おこってるの?>Elly

比企谷 八幡<そんなことないですよ(*'▽')
                    
                                お疲れ様>Elly

比企谷 八幡<顔文字なし4文字はやめましょうよ……。



【346プロ】アイドル部門総合スレッドPart25

134 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/05/06(水) 12:43,31 ID:kDlmook8
  お前ら今日発売のnonnaもう買った?

138 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/05/06(水) 13:23,04 ID:moks5F4g
>>134
  買った。ニュージェネレーションズだろ? これは期待していいのかな

145 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/05/06(水) 14:57,32 ID:kolmLDCx
僕は本田未央ちゃん!

189 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/05/06(水) 18:34,97 ID:LPKSh467
  新しい子たちが出てくるのはいいことだ。アイドルファンとしては応援一択だろ。
  しかしこの卯月ちゃんって子の尻は性的すぎませんかねぇ

191 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/05/07(木) 03:02,25 ID:Vduk278l
まあ今更何が出てきても765の敵にすらならんけどな。AVマダー?

201 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/05/07(木) 06:09,48 ID:FSxc9kGh
>>191
  はいはいおじいちゃん765病棟に戻りましょうね~



241 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/05/09(土) 09:42,74 ID:Sk0LumFp
俺は渋谷凛どんな子かすげえたのしみだけど。この子高垣楓みたいにならねえかな。
  たしか再来週の日曜の楓さんのラジオにちょっと出るだろ。久々に生で聴くかねえ。
  ラジオ初だろ。記念に録音しとこ。有名になったらドヤるのも悪くねえ。

321 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/05/09(土) 11:15,94 ID:DgIl49o0
  なんでもいいからパッションがもうちょい強くなればいいよオレとしては
  最高Cランクだぞ。補強はよ~

333 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/05/09(土) 14:23,55 ID:koleFgk0
いくらでも金貢ぐから本気で恋させてほしい CDだって何枚も買うから
  握手するためなら徹夜も余裕 それくらいの子待ってんだよね

335 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/05/09(土) 17:42,87 ID:mosdRgH7
  >>333
  気持ちはわからんでもねぇがレスの内容がくっせぇwwwwきもwwww

336 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/05/09(土) 19:31,77 ID:GdFtRwE9
こういう奴がいるからアイドルファンは民度が低いだの言われんだよ

338 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/05/09(土) 20:21,35 ID:87Dg6k09
まあまあ、通は静かに見守ろうぜ?
  何にせよこれからが楽しみだな。


<五月中旬、昼。浜松町ラジオ局喫煙室>

八幡「ふー……。いよいよか」

――こんこん。がちゃっ。


凛「プロデューサー、プロデューサー……。あ、いた」

八幡「うお。なんだ、渋谷か。ちょっと外で二分くらい待ってろ、すぐ消すから」

凛「い、いや。ここで大丈夫だから」

八幡「大丈夫じゃねぇよ。もうすぐラジオなんだぞ、喉痛めたらどうすんだ。いいから待ってろ」


――ばたん。


凛「あ、ちょっと! ……もう。なんで煙草なんか吸うんだろ」


八幡「はいよ、お待たせ。どした」

凛「ん……いや、実は、何もないんだけど」

八幡「あぁ? ……本当か?」

凛「いや……ごめん、嘘」

八幡「言っとくけど女子お得意の『察してよ』みたいなやつ、俺には無理だからな」

凛「え? プロデューサーが?」

八幡「そうだよ。自慢じゃないが『察した』と思って致した黒歴史は多いぞ」

凛「なにそれ。微妙に興味ある」

八幡「やめとけって、双方気まずくなって終わりだ」

凛「……はあ。わかった、プロデューサーにそういうの求めるのはやめとくよ」

八幡「そうしとけ」

八幡「他人に期待したって、ロクなことにはなんねぇぞ」

凛「それは、黒歴史からの人生訓?」

八幡「……そうだな」

凛(じゃあ、私には?)

凛(そう聞くのは少し怖いから、やめた)

凛「言葉にしないと伝わらないことってあるよね……よし」



凛「……めちゃくちゃ緊張してます」

八幡「……ま、それもそうか。初めてだもんな、ラジオ」

凛「まず公共の電波に声を乗せるのも初めてだよ。……情けない話、怖いんだ。失敗してパニくって喋れなかったりしたらどうしよう」

八幡「……そうか。まぁ、それが普通だわな」

凛「うん……未央なら話したくて話したくてうずうずするよとか言いそうだけどね」

八幡「あいつの場合どこカットしていいのかわかんなくなりそうだな」

凛「わかる。生放送とか怖いタイプだよね」

八幡「その点お前は安心できるって戸塚が言ってたよ。だから今回の仕事が来たんだが」

凛「よくそういう感じのこと言われるよ。しっかりしてるから、大丈夫だろうって。手のかからない子だなーとか」

八幡「羨ましい限りだ。手のかかる子だなとしか言われてこなかったぞ」

凛「たまに、そっちの方が羨ましくなる時ってあるんだ。……私も、たまには」

八幡「いやいや何言ってんの? お前も十分手のかかる子だぞ。俺からしたら」

凛「え? 私?」

八幡「自覚ねぇのかよ。いっつも危なっかしいからな」

凛「……そう言われると、なんか悔しい」

八幡「ワガママなやつ……どっちがいいんだよ」

凛「うー……! 私のどこが危なっかしいのっ」


放送作家「あ、渋谷さん、比企谷さん。高垣さん予定より早く到着したので、もう打ち合わせ始めてしまおうと思うんですが来ていただいても構いませんか?」


凛「あ、はい!」

八幡「すいません。すぐに向かうんで」

放送作家「ではでは、お願いします~」


凛「……この続き、いつか絶対聞くからね」

八幡「はいはい、覚えてたらな」

凛「それ絶対流すやつでしょ!」

八幡「ま、なに。手がかかるのは悪いことじゃねぇよ。その分、手塩にかけてると思えばな」

凛「口ばっかり回ってさ。手が焼けるよ」

八幡「やかましい。それよりどうだ」

凛「何が?」

八幡「緊張。ほぐれたか」

凛「……あ」


<居酒屋「かえで」収録>

楓「それでは今日のゲストに登場してもらいましょう。四月からなんと私と同じ事務所に所属してる新人さんです。ラジオ、なんと今日初めてだそうですよ? ふふ、有名になったら私、自慢しちゃいますね。そんな未来を信じんましょう……ふふふっ」

楓「346プロクールプロダクション所属、渋谷凛ちゃんです」

凛「こ、こんにちはっ! 渋谷凛ですっ、よろしくお願いします」

楓「ふふふっ、よろしくね、凛ちゃん。この前事務所で会った以来かしら?」

凛「はい、そうですね」

楓「一緒に飲みに行こうって言ったんですよね~」

凛「私は十七だから飲めないんですけど……」

楓「そうそう、だから凛ちゃんが二十歳になったら飲みに行く約束をしたんですよ」

凛「そうですね。指切りをしました」

楓「私、昔指切りのハリセンボンって魚の方だと思ってたんですよね~」

凛「えっ、魚じゃないんですか!?」

楓「うふふっ、あらあら」

凛「えっ、私十七年間ずっとハリセンボンって魚の、あれっ、違うんですか?」

楓「そんな凛ちゃんにたくさんの質問メールが来ているので読みますね~?」



八幡(……まあ順調な滑り出しだな。話の広げ方とかタイムキープの感覚とか、その辺も含めて高垣さんはマジ一流だ。歌えて踊れて喋れて可愛いってなんなの?)

八幡(ゲストコーナーは十五分程度だが、渋谷はやはり苦戦していた。しかしそこはやっぱり放送作家さんの台本の貢献や高垣さんの絶妙なフォローがあって、ラジオはつつがなく進行していった)

楓「もう一通大丈夫ですかね? ……大丈夫? いきましょう。日本酒ネーム剣豪大魔神さんからのお便りです。『楓さん、渋谷さん、越乃寒梅わ!』かんばいわ~」

凛「かんばいわっ。……あの、この挨拶って何なんですか?」

楓「私なりの愛なんですよ~。『僕は渋谷さんと同じで今年から高校三年生です』おっ、そうなんだ。『だというのに、どういう大学に行きたいとか、どんな勉強をしたいとか、全然思いつきません! 進路ってちゃんと考えないといけないのはわかってるんです。でも何をしていいかわかりません。周りの友達たちはちゃんとどこに行きたいとか考えてて、すごく焦ります。そこで質問です。渋谷さんと楓さんは、どうしてアイドルになったんですか? 進路についてどう考えていますか? 真面目な質問ですいません。是非きいてみたいです』……はい、ありがとうございまーす」

凛「あ…………」

楓「進路、進路かぁ。懐かしい言葉ですね。私はもうずーっと行きたいままにって歩いていたらここにいた気がします。ふふふっ」

凛「…………」


八幡『おい渋谷。話せ、事故になる』


凛「っ! 進路、進路ですか」

楓「凛ちゃんにはホットな話題ですね~。メールにもありますし聞いてみましょうか? 凛ちゃんはどうしてアイドルになったんですか?」

凛「あ……え、えっと」

楓「ふふふっ、ちなみに私はですね。モデルのお仕事を先にしていたんですが、当時プロデューサーをしていた人にスカウトされてね。最初は受ける気なんて全くなかったんですけど、プロデューサーさんの熱意に負けてアイドルになることにしたんです。すごーい寡黙でわかりにくい人なんですけど、アイドルのことになると熱意がむき出しでね。それで、この人がここまで夢中になるアイドルってどんなものなんだろう、どんな世界なんだろう? そう思ったのがキッカケです。そっからハートに火がついちゃって今に至りますね」

凛「へえ、そうだったんですか……」

楓「凛ちゃんもスカウト組だったよね?」

凛「そ、そうです。渋谷で歩いてて」

楓「あらあら、お名前と不思議なご縁ね。それで面白そうだと思ったのね?」

凛「そうです。……はい、そんな感じですね」

楓「うふふ、二人して参考にならなくてごめんなさいね。でも、いい悩みだと思います」

楓「もうおばさんの私から言わせてもらうと、そういう悩みって大人になるともうできないものですから、悩めるうちにいーっぱい悩んでください。大丈夫です、なるようになりますよ。あなたの目の前で早く決めろー決めろーって言ってる大人たちも昔は悩んでいたんですから」


放送作家「んー、ここ編集点にしちゃいますね。大丈夫ですか?」

八幡「あ、はい、すいません。お願いします」

放送作家「いえいえ、いいんですよ。年頃ですからね、答えにくいところだったのかもしれませんし」



楓「それでは凛ちゃんとはそろそろお別れの時間が近付いてまいりました~。早いですねえ」

凛「楽しかったです! 楓さんは本当に憧れの先輩なので、話してるのが夢みたいでした」

楓「大袈裟ですよ~。どうですか凛ちゃん、アイドルの世界は」

凛「そうですね……。まだわからないことばっかりなので、もっと楽しめるように色々勉強できたらいいなって思います」

楓「ふふふっ、そんなにうまくやろうと気張らなくて大丈夫ですよ。これは比企谷くんにちゃんと見てもらわないとですね~?」

凛「な、何でそこでプロデューサーの名前が出てくるの!」

楓「あっ、可愛い。そういう話し方でいいんですよ? 比企谷くんというのはですね、四月から入った弊社の新人プロデューサーくんなんですよ。今は凛ちゃんだけの担当なのかな。彼、本当に頑張ってるのでリスナーの……お客さんのみなさんもぜひ応援してあげてくださいね? いい子なんですよー本当に」

凛「良い子かなぁ。捻くれてるし煙草吸ってるし優しくも……ないことはないか」

楓「うふふ」

八幡(おいおい公共の電波で名前出すなよ。マジっすか高垣さん。あ、渋谷のやつようやくこっち見たな)

凛「あ、ガラスの向こうにいる。ま、一緒に頑張ろうね。……信頼してるよ」

八幡(リスナーに俺たちが見えるわけないのに、思わず俺は顔を逸らした。照れくさくって、直視できなかった)


楓「それじゃあ凛ちゃんのこれからの活躍、期待していますよ?」

凛「ありがとうございました、また呼んでください!」

楓「はい、勿論。それでは本日のゲストは弊社の渋谷凛ちゃんでした~」


<放送終了後、ブース横会議室>

放送作家「では直しはこういう感じでいきましょう。お疲れ様でした」

八幡「お疲れ様でした。今日はありがとうございました」

放送作家「いえいえ、とんでもない。渋谷さんには頑張ってほしいですね」

八幡「そうですね、喋りの方はやはりまだまだですが……」

放送作家「ははは、そうですね。でも、初めてにしては及第点じゃないでしょうか。最初から上手かったのは城ヶ崎の美嘉ちゃんくらいですね。あの子いるでしょう、島村さん」

八幡「ああ、はい」

放送作家「あの子とも別のラジオでこの前一度やりましたけど、終始テンパってててんやわんやでしたよ。逆にそれが好評でしたがね」

八幡「そこがあいつの短所でもあり長所でもあるといいますか」

放送作家「そうですね。渋谷さんは確かに未熟ですが、何か……こう……」

八幡「なんですか?」

放送作家「いやね、何か化けるんじゃないかなって思わせてくれるんですよ」

八幡「いや、そんな社交辞令をかけていただかなくても」

放送作家「いえいえ、本当ですよ。そういう資質が一番大事なんです。それって後天的には身に付きませんからね」

八幡「……そうですか。ありがとうございます」

――がちゃっ。

楓「あ、比企谷くん。作家さん。お疲れ様です」

放送作家「お疲れ様です」

八幡「お疲れ様です。あの、高垣さん」

楓「どうしました?」

八幡「渋谷がどこにいったか知りませんか。あいつ、ちょっとヘコんでたみたいで」

楓「ああ、それなら。さっきエレベーターの↑ボタンを押してたので――」

<ラジオ局、屋上>            
凛「…………」

凛(ハートに火がついちゃって、かあ)

凛(私の心にも燃え時が来るんだろうか。それはいつ? 心に火を点けるものは何?)

凛(山手線の駅は近い。高い高いところから私がスカウトされた場所の辺りを見渡していた)





<四か月前。クリスマス>
凛(あの日は何もなくて、ただ当てもなく渋谷をさまよっていた。クリスマスに華のJKが一人で何やってんだかって思われても仕方がない)

凛(友達はいないわけじゃない。誘いはあったけど気乗りしなくて断った)

凛(クラスの男の子に言い寄られたことも何度かある。でも断った。その気もないのに付き合うって、お互いにプラスにならないと思う。内面を見てくれ、とまで言わないけど外見だけ見られると流石にちょっとうんざりだ)

凛(一人で渋谷の街を歩く。クリスマスイルミネーションが幻想的で美しくて目を奪われた。だけど、素直に楽しむ気にはなれなかった)

凛(ウインドウショッピングを終えて、ハチ公の前で立ち止まる。時刻は夕刻過ぎだった)

凛「……お前はいいね。好きなものがあって」

凛(勉強も、部活も、恋愛も。そつなくこなす自信はあるけれど、何にも夢中になれないでいた)

凛(ハチ公は亡くなった今も飼い主を待っているのかな。好きなものを。ただ、好きってだけで)

凛「…………あ」

凛(首筋が冷たい。上空を仰ぐと、白い雪が落ちてきていた。私は避難代わりにスクランブル交差点正面の大型レンタル店に逃げ込んだ)

凛(二階の喫茶店でコーヒーを頼んで、窓際の席に座る。窓からはスクランブル交差点が見下ろせた)

凛(見下ろす限りの人、人、人――)

凛(誰が誰だなんてわからない。どこの誰ともわからないたくさんの人たちが、ものすごい速度ですれ違っていた)

凛(……私も。このままどこの誰ともわからない、ただの人間で終わっていくんだろうな……)




――ぶーん。ぶーん。

凛「ん……お母さんか。はい、もしもし」

母『あ、凛。今大丈夫? 暇してる?』

凛「クリスマスにJKが暇だと思ってるの?」

母『暇でしょ?』

凛「……暇だけどさ」

母『良かった。悪いんだけどちょっと帰ってきて店番代わってくれない? クリスマス料理作らないといけないのに買い物するの忘れてたのよ』

凛「えー……」

母『時給はクリスマス手当つけてあげるわよ』

凛「……はぁ、わかったよ。帰る」

母『お願いね~』

凛(電話を切って、外に出る。思わずまた天を見上げた。今日はホワイトクリスマスだ)

凛「……たまには、何かプレゼントはないのかな。サンタさん」

凛(良い子にしてるんだから――)



武内P「……すいません、少しよろしいでしょうか?」

凛「ん……?」

武内P「私、こういう者です」

武内P「――唐突なお誘いなのですが、弊社のアイドルになってみませんか?」


<同日、夜。凛の花屋>

凛「怪しい……。本当なのかな?」

凛(自分のお店のカウンターの中で一人、私は名刺を睨みつけていた)

凛「アイドルのスカウトって、本当にあるの? 大体なんで私が……」

凛(それにこういうのってアレでしょ。……えっちなやつかもしれないんでしょ)

凛「それにしても……」

凛「アイドル、か」

凛(嫌いなわけじゃないけれど、いつものようにピンと来ない。本当に? 私が? アイドル?)

凛「ないない、やめとこ」

凛(私は名刺を四つに折りたたむと、ゴミ箱に向かって投げた。……外れて手前で落ちた)

凛「おのれ、しつこい」

凛(投げたフォームそのままだったので、右手につけた腕時計が見えた。時刻はもう九時。閉店時間はとうに過ぎていた)

凛「あ、やば。閉めないと」

凛(そんなときだった。店に入って来る一つの人影)


凛「いらっしゃいませ。ごめんね、お兄さん。もうあと数分で閉めちゃうんだけど……」

八幡「……あ、そすか。すんません」


凛(ああ、あなたに出会ったのはそんな時だったよね――)


八幡「よう、こんなところにいたか」

凛「! プロデューサー!」                             八幡(柵に組んだ両腕を置いて遠くの景色を見つめている渋谷は絵になっていた。声をかけるのは少し無粋だと思ったくらいだ)

八幡(俺は渋谷から人二人分くらいの感覚を空けて、同じように柵に腕を乗せた)

八幡「お疲れさん」 

凛「ん……ありがと」

八幡(春のぬるい風が俺のスーツと渋谷の髪を揺らす。桜はもう散ってしまっていて、こいのぼりだってもう降りてしまっていた)

凛「今日の私、ダメダメだったな」

八幡「そうか? 作家さんは褒めてたぞ。及第点だってな」

凛「そんな社交辞令はいいってば」

八幡「……ふ」

凛「何。何か変なこと言った?」

八幡「いや、答えがそっくりだったもんでな」

凛「誰と?」

八幡「言っても喜ばないからな」

凛「気になるじゃん」

八幡「……俺と」

凛「……ふーん」

八幡「そこは『うわっ、プロデューサーと同じとか……』て言うところだと思ってたが」

凛「言わないよっ、私を何だと思ってるの」

八幡「俺の記憶の中では、女子にその反応以外頂いたことはなかったもんでな」

凛「……つらい」



凛「ああ、ほんと……。ガチガチだったし、最後なんて何も言えなかったし……あれは多分カットだね」

八幡「そうだな。お察しの通りだ」

凛「……はぁ」

八幡(渋谷は額を柵に押し付けてぐりぐりしていた。いつも涼しい顔をしている彼女がこんな風に露骨にへこむ姿を晒しているのは新鮮で、申し訳ないが少し微笑ましく感じてしまう自分がいた)

凛「笑わないでよ……。結構本気で沈んでるんだから」

八幡「いや悪い。そんなにへこんでるところ初めて見たもんでな。つい」

凛「性格悪いなぁ、もう」

八幡「それは誰より知ってる」

凛「本当だよ。……はぁ」

八幡「…………」

――かちっ。しゅぼっ。

八幡「ふー……」

凛「副流煙で死んじゃうかも」

八幡「風下で離れてるだろ? 嫌なら下で吸ってくるよ」

凛「……いいけどさ」



凛「もっと上手くやれるって思ってたんだ」

八幡「ん……ラジオか?」

凛「うーん、それもだけど……もっと色々。アイドルのこと」

八幡「……」

凛「自慢じゃないけど、何でもよくできる子で通ってきたからさ。だから、もっと上手くやれるのかなって」

八幡「さっき言ったが、お前の手のかかる所がそこだよ」

凛「え?」

八幡「何でも上手くやろうとしすぎだ。そんなに思う通りにはいかねぇよ」

凛「……そうかな」

八幡「そうだよ」

凛「まぁ、思い知らされてるんだけどね。今とか。何でもするする思い通りにはいかないのはわかるんだけど」

凛「でも、それってちょっと悔しいから。早く一人で何でもできるようになりたい」

凛「私、最近まで知らなかったんだけど結構負けず嫌いなのかも」

凛「それが今のモチベーションなんだ」

八幡(……一人で何でも、ね。同感だな)

凛「ねぇ、ちょっとアイドル失格っぽいこと言っていい?」

八幡「いくらでも言えよ。俺なんか人間失格って言われたまである」

凛「何それ、あはは」

八幡「鏡みたいな本だったが」

凛「んー?」

八幡「いや、なんでもねぇよ。どうぞ」

凛「うん、私ね。……私、実は、アイドルなんて興味なかったんだ」

八幡「…………」

凛「自分で言うと痛い子みたいだけど、私って結構なんでもできちゃうんだ。勉強もあんまり困らず都内有数の高校に入ったし、運動もそこそこできるつもりだし。……その、男の人に告白されたことだってあるし。見た目は悪い方じゃないのかな、なんて」

八幡「そうだな。可愛いよ、お前は」

凛「……な、なに。急に」

八幡「お前が言ったんじゃねぇか。客観的な意見だよ」

凛「……主観的には?」

八幡「いーから、続きは?」

凛「あ、うん。……だから、なんて言えばいいのかな。部活とか恋愛とか、どんなことにも夢中になれなくて」

凛「私、高校三年生でしょ。進路だって決めなきゃいけない。自分が興味ある事とか、やりたいこととか、そういうものがあればよかったんだけど、ないから」

凛「私はこのまま何もないまま生きていくのかなって思うとね……」

八幡「アイドルになるなんて普通の人生じゃないだろ?」

凛「うん、だからだよ」

凛「私、アイドルなんて興味なかった。街頭のヴィジョンで流れる歌も、雑誌を彩る人の姿も、テレビを賑やかす笑顔も、意識したことなかったから。毎日普通に生きてたんだ。今まではそれで不満に思ったこともなかったけど」

凛「もうすぐ私十八歳になるんだよ。大人になっちゃう。このままずっと生きていくのは、その……なんだかなって思っちゃって」

凛「そんな時かな。アイドルにスカウトされちゃって。最初は受ける気なんて全くなかったけど、その日に少し思うこともあって……受けることにしたんだ」

凛「――アイドルになれば、何か変わるかなって」

凛「全然好きじゃないけど、自分の為だけに受けてみたんだよ」



八幡「そうか……」

八幡(もう十八歳ね。まだ十八歳の間違いだろって思うけどな。……生きる動機がないと罪悪感を感じるってか。真面目な奴だよな、本当に)


八幡「なら、俺と同じだな。俺だってプロデューサーなんてなる気もなかったぞ。アイドルなんて全員同じ顔に見えたし、度々言ってるが働きたくもない」

凛「ふふっ、何それ」

八幡「動くことに立派な理由がなけりゃ、不安か?」

凛「そうなのかも。卯月も、未央も、他の人たちも。……みんなこの職業に憧れを抱いてるなって感じるから。私のような半端者がって、最近」

八幡「でもお前は少しとはいえ、自分を変えたいって思ったんだろ」

凛「変えたい、というよりは……変われるかな、って感じで」

八幡「ならそれも立派な動機だろ」

凛「でも下心だよ。私、自分の為にアイドルを利用してる」

八幡「それのどこがいけねぇんだ? 自分の為に何かを利用すんのは当たり前のことだ」

凛「……突き抜けてるね」

八幡「よくはみ出してるって言われるけどな。大体下心ほど純粋なもんはねぇよ。白川の清きに魚も住みかねて、だ。キラキラしてるあいつらより、そっちの方が人間らしいだろ」

八幡「俺は、お前の方が好きだけどな」

凛「っ……」

八幡「? どした」

凛「べ……別に。そんなこと言う人、初めて見たから。珍しいだけ」

八幡「そうかぁ? 俺より捻くれた奴はいくらでもいるぞ」

凛「捻くれた人って意味じゃなくて……」

八幡「どういう意味だよ」

凛「……なんでもない」

八幡「そうかい」


凛「ねえ、プロデューサーはどうしてプロデューサーになったの?」

八幡「黒塗りのリムジンに轢かれたから」

凛「真面目に聞いてるんだけど?」

八幡「真面目に答えてるんだが。去年のクリスマス……お前と会った後だな。本社の車に轢かれてな」

凛「え!?」

八幡「入院先で武内さんにスカウトされた。そんな感じだ」

凛「でも、プロデューサーの性格だったらスカウトされても受けなさそうだよね。『は? アイドルのプロデューサー? 何言ってんですか』とか言ってさ」

八幡「何そのムカつく口調。誰? もしかして俺なの? え? 俺もっとクールな感じじゃないの?」

凛「いっつもこんなだよ。で、どうなの」

八幡「ま、確かにな。最初は受けるつもりはなかった」

凛「じゃあ、どうして?」

八幡「その点、お前と似てるよ。俺は理由がないと動けない人間だからな」

八幡「妹に頼まれたんだ。……腐った性根を直してこいってな。俺もそうだ。目的の為にプロデューサーを利用してる」

凛「……ふーん。本当にシスコンなんだね」

八幡「もっと褒めてくれ」

凛「――ねえ。本当にそれだけ?」


雪乃『……ねえ、比企谷くん。……雪は、好き?』



八幡「……嘘はついてねぇよ。俺の志望動機は純粋な下心だ」

凛「妹の頼みに応えるのが?」

八幡「そうだな。まあ将来の夢のためってのもある」

凛「前も少し言ってたね。プロデューサーの夢ってなんなの?」

八幡「専業主夫。養われたい」

凛「うっわー」

八幡「なんでだよいいだろ専業主夫。働きたくない……」

凛「ま、応援しておいてあげるよ。叶うといいね」


凛「ね、プロデューサー。私、変われるかな」

八幡「知らん」

凛「……はぁ」

八幡「言ったろ。他人に期待すんな。俺のポリシーだ」

凛「わかるけどそこはさぁ」

八幡「俺はお前を変えてやれない。お前が勝手に変わるだけだ」

八幡「人に人が変えられるなんて、思い上がりでしかない」

八幡「だからお前は自分に期待しろ。自分が期待しないで、誰がお前を肯定する」

八幡「俺はずっと見ててやるよ。何もしない代わりにな」

凛「……うん。約束だよ」

八幡「指切りでもするか? ハリセンボン飲んでやるぞ、くく」

凛「……いじわる」

八幡「仕事だからな。一度受けた仕事は絶対に途中で投げない」

八幡「あ、バイト辞めたりしたのはノーカンな。俺がバイト辞めるのは俺が悪くない。社会が悪い。俺という存在が器に収まりきらなかっただけだから」

凛「仕事だから、か。プロデューサーらしいからそれでいいや。ふふっ、それにしても」

凛「プロデューサーの、その弱さを肯定してしまう部分。嫌いじゃないよ」

八幡「……そうか」

八幡「俺は、少し前からこんな自分が嫌いだけどな」


<週末、346本社内テニスコート>

八幡「本社にこんなとこがあったのか……。しかしでかいな」

戸塚「うん! 社員は無料で使えるんだけど、意外に知られてないんだー」

八幡「さすが天下の346だな……」

戸塚「じゃ、ストレッチしたらやろっか? 八幡」

八幡「お手柔らかにな。引きこもりが経験者に本気出されたら死んじまう」

戸塚「あはは、心配しないで。多分大丈夫だよ」



戸塚「はいっ」パーン

八幡「おっと」ポーン

戸塚「スキありー」スパァン!!

八幡「ちょっ!! 無理だろそれ!!」

戸塚「無理なところに打つのがテニスだよ、はちまんっ」

八幡「なんて性格の悪いスポーツなんだ……」

戸塚「よーし、次いこう次!」

八幡「おー……」

八幡(やっぱ戸塚も体育会系なんだな。俺の嫌いなノリだが……戸塚だったら興奮するな。素晴らしい)


八幡「よっと」スパンッ

戸塚「わ、うまい」ポンッ

八幡「せいっ!」スパーン

八幡(会心のショットなのにもう回り込まれてるんだが? なに戸塚ってエスパーなの? それとも俺と同じくらい性格が)

戸塚「あ」スカッ

八幡「お、おお……。珍しいな」

戸塚「あはは、やっちゃった。恥ずかしいな……」

八幡(おい頬赤らめてこの台詞とかダメだろ。アイドル全員廃業まである。プロデュースしたい。俺にプロデュースさせて? いやでも戸塚がアイドルをやれば全世界の人間が戸塚の魅力に気付く……? いやそれはダメだ。戸塚は俺だけの戸塚でいてほしい……)

戸塚「八幡? 次、八幡からのサーブだよ?」

八幡「あ、ああ。悪い」


八幡(それ以降のテニス対決は戸塚によるハイパーレイプタイム)

八幡(と、いうわけでもなかった。戸塚はたまにさっきみたいに空振りすることもあるし、ダブルフォルトをやらかすこともあったし、ホームラン級のアウトをかますこともあった。何より一歩も動けない、みたいな無情なショットはなかったように思える。それでも実力差は歴然だったのだが)



八幡「はぁ……、はぁっ……」

八幡(息切れるわ動悸がとまらねぇわでヤバイ。なんだこれ、恋?)

戸塚「あはは、疲れた? ちょっと休憩にしよっか」

八幡「お、おう……。頼むわ……」

八幡(戸塚は少しも息を切らさずに、左肩にラケットの打面を乗せて笑っていた。……? 左肩?)

八幡(そういえば……)

八幡「戸塚って利き手どっちだったっけ」

戸塚「ぼく? 右利きだよ!」

八幡(……おい、まさか)

八幡「今まで全部逆手でやってたのか……」

戸塚「あ、バレちゃった? あはは」

八幡「言葉もねぇわ」

戸塚「ふふ、テニスの王子さまだからね」

八幡「ウス……」

八幡(戸塚王国の建国はまだですか? と思っていると、戸塚は水買ってくるね! と言って自販機の方へ振り返った。その時の様子は忘れられそうにない)

八幡(戸塚は右手でラケットを地面に軽く投げてぽんと跳ねさせた。宙を舞うラケット。それを戸塚は振り向きもせずに背面で跳ね返ったグリップを掴んで見せた)

八幡(まるで手のひらに向かってラケットが吸い寄せられてるみたいだった。それぐらい、呼吸のように当然だと言わんばかりの動作)

八幡(その何気ない所作に、戸塚のテニスにかけてきた時間が滲み出ていたような気がした)


戸塚「――ふぅ。じゃあ、今日はこれで終わりにしよっか!」

八幡「………………」

戸塚「はちまん?」

八幡「……あぁ」

戸塚「あ、返事がある。まだ屍じゃないね。ふふ」

八幡(戸塚は最後まで息を切らさず、右手も使わなかった)

八幡「戸塚、上手すぎ……。なんで俺の打つとこ打つとこに先にいるんだよ。ペガサスなの?」

戸塚「うーん、テニスって相手のこと考えるスポーツだから。ぼくは八幡のことずっと考えてたからわかったんだよ!」

八幡(もうゴールしていいかな。男だけど。いやむしろ男だからいいのか……!?)

戸塚「ずーっと八幡とまたテニスしたかったんだ」

八幡「ずっとって……俺はそんなに上手くなかっただろ。壁としかやったことねぇぞ。あとマリオテニス」

戸塚「そういうことじゃないんだよ。八幡、ぼくと初めてテニスしたときのこと覚えてる?」

八幡「覚えてるよ。雪ノ下が鬼教官だったやつな。あぁ、そういえばテニスコートかけて葉山と三浦ペアと勝負したこともあったっけ……」

戸塚「勝ったのに葉山くんに全部持っていかれちゃったやつね」

八幡「仕方ねぇだろ。なんなら葉山が勝った方が客には良かったんだけどな」

戸塚「うーん、それはぼくが嫌、かな」


八幡「そうか? まぁあの時は三浦もとんがってたしな……」

戸塚「そうじゃなくて。ぼくは、八幡と一緒がよかったの」

八幡「……なぁ戸塚。一緒にオランダ行かね?」

戸塚「え? 急だね……でも八幡が行きたいならいつか一緒に行こうね!」

八幡(そう言って俺に笑いかける戸塚。純粋な好意だと信じたいのに、暗く深い心の底から奴が鎌首をもたげるのを感じた。ああ、なんて無粋な奴――)

八幡「戸塚は変わってるな。なんでこんなのに近づきたがるんだか」

戸塚「……自分を悪い人間だと思わせたがるのは、その方が楽だからでしょ?」

八幡「っ!」

戸塚「ぼくは楽させてあげないよ。八幡はいい人。ぼくの友達だもん」

八幡「……」

戸塚「……人は人を変えるものじゃないかな? 少なくとも、ぼくは変わったよ」

八幡「思い上がりだよ、それは。人は勝手に変わるもんだ」

戸塚「……ねえ、八幡。ぼくはテニス上手かった?」

八幡「なにそれ嫌味? さっきも言っただろ……。逆手であれとか上手すぎなんだよ……」

戸塚「……ふふっ。じゃあそれが答えだよ」

八幡「……?」




八幡「俺はもう少ししたら渋谷たちのレッスンが始まるから見に行く。戸塚は?」

戸塚「ぼくも養成所、一緒に行こうかな。あの人オフにしてるけど絶対いるだろうしね……。八幡、レッスンのあと何かある?」

八幡「俺? いや、今日は休日だから元々レッスンの見学はマストじゃないし、何もないぞ」

戸塚「ほんと!? じゃあ終わったら一緒に飲みにいかない?」

八幡「あ、ああ。いいけど俺ちょっと事務所に寄って取りたいもんがあるから九時とかになっちまうぞ。いいのか?」

戸塚「全然構わないよ! 約束ね!」

八幡「俺と飲みに行くって言ってテンション上がるのはお前くらいのもんだ」

戸塚「えー。そうかなぁ」

八幡「いつだか雪ノ下にいつかあなたのことを好きになってくれる昆虫が現れるわって言われたの思い出すなぁ……」

戸塚「……世の中、蓼食う虫は多いなあ」

<346プロタレント養成所:レッスン室>

星空凛「よし、じゃあ今日は最後に合わせてみよっか!」

未央「え、えぇー! もうヘトヘトだよ……」

卯月「未央ちゃん、最後だからがんばろ?」

凛「ん、いつでも」

星空凛「おお、しぶりんは頼もしいね! 疲れてるのはわかるけど、だからだよ! 疲れてるときが一番無駄な力が抜けるにゃ。ギリギリのところをもう一歩、が一番実力アップにつながるんだよ」

未央「うう……わかりましたよぉ。しまむー、しぶりん! 終わったら一緒にご飯行こうね!」

凛「未央、なんかその台詞」

卯月「フラグっぽいです……」

星空凛「へぇ……。まぁ、誰も『一回で終われる』とは言ってないけどね!」

未央「ひぃいい!! しぶりん、しまむー、集中だよっ!?」

凛「してる」

卯月「音楽お願いしますっ」

未央「あぁっ、ちょっと待って!」


八幡(上手いことやってんなぁ。あいつら誰も気付いてないけど終了十分前なんだよな。発破かけて集中させてんだな。ムラッ気の多い本田とかには効きそうだ。にしても……)


凛『I say――! Hey,Hey,Hey,START:DASH!』


八幡(こいつ、ここ一番の集中力はマジでずば抜けてんな。センターじゃないのに目線が引っ張られる、みてぇな。ダンスはまだまだプロレベルとは言い難いが……こいつこの前まで素人だったんだよな)


星空凛「ひっきーも休みの日にお疲れ様だね。偉いにゃ」

八幡「だって渋谷が来なかったら『この前のレッスン来なかったよね。ふーん。ま、いいけど』とか言ってスネるんだもん……あいつめんどくせえ……」

星空凛「無駄にうまいね……そのモノマネ」

八幡「まあ仕事してるときほとんど一緒にいるからな。特徴くらいは掴めて当然だろ」

星空凛「ふーん? ……はい、これ今日の分の報告書と今週分の概観!」

八幡「ん、お疲れさん。休みの日に悪いな」

星空凛「なんのなんの! 日々伸びてってる子たちを見るのは本当に楽しいにゃ」

八幡「そうか。後で目を通すが、渋谷はどうだ。もうそろそろ二ヶ月じゃないか?」

星空凛「伸びてるね。しぶりんはアイドルのメイン、歌とダンスどっちにも偏りがないのがいいと思うにゃ。成長率という意味では一番だね! 三人の実力差、最初はあったけど今はもうみんな同じくらいになってるよ」

八幡「そうか。なんとなく上手くなったな、くらいは俺もわかるんだが」

星空凛「あ、それすごいことだと思うよ」

八幡「そうか?」

星空凛「素人から見ていいなって思われるのが一番大事! 見てる人はみんなただの一般人だからね。何もわからない人にわからせるのは本当にむずかしいよー。それぐらい成長してるのかもね! それか、ひっきーの眼力がついたか、だね」

八幡「担当としては前者であることを祈るがな。……っと悪い、急がねぇと」

星空凛「何か用事?」

八幡「ちょっと夜に人と飲むことになってな。戸塚となんだが」

星空凛「あ、戸塚くん! わぁ、楽しそうだなー!」

八幡「何ならお前も来るか?」

星空凛「あはは、邪魔しちゃ悪いからやめとくにゃ。それにもうすぐあれがあるし」

八幡「? あれって何だ?」

星空凛「おっとと、ひっきーにはギリギリまで秘密ってことになってるから聞かないでくれるとうれしいにゃ」

八幡「良く分からんが、聞かないでおくよ」

星空凛「うん、じゃあ楽しんでね!」

<レッスン室205>

海未「ふぅ……、もう一回、行きましょうか」

戸塚「だぁめ。やっぱりここにいた」

海未「!? と、戸塚くん!? きょ、今日はお休みのはずでは」

戸塚「その言葉、そっくり園田さんに返すよ。今日はたまにの半日オフだから、ゆっくり休むようにって言ったよね?」

海未「う、うぅ……。担当アイドルが練習してるんだから、褒めてくれたっていいじゃないですか」

戸塚「そんなにオーバーペースでやると身体壊しちゃうだけ。プロなら休むのも仕事のうちだよ?」

戸塚「やめないなら、力づくで連れてっちゃうよー」ニコニコ

海未(う……!)ドキッ

海未「わ、わかりました! わかりましたからニコニコしながら近づかないでくださいっ!」

戸塚「その言い方、ちょっと傷つくなぁ……。ほら、早く早く」

海未「汗を拭いてから行きますから、先に出てください」

戸塚「わかった。そんなこと言って練習してたら覗くからねー?」

海未「しませんからっ!」

戸塚「あはは、それじゃ待ってる」バタン

海未「うー……! 本当にあんな顔して強引なんですからっ。性格悪いです、誰に似たんでしょう……」


海未「お待たせしました」

戸塚「うん、今日もお疲れ様。前にも言ったけど、やりすぎで身体壊したら意味ないからね?」

海未「はい……。わかってはいるのですが。なんだか、練習しなければ落ち着かなくて」

戸塚「そうだね……気持ちはわかるけど、身体が壊れたら他人に迷惑かかるからね」

海未「う……」

戸塚「ふふ、利くでしょ。他人を持ち出されると」

海未「戸塚くんはずるいですっ。どうしていつもいつも私の弱みばかり突くんですか」

戸塚「誠実な人の弱点はみんな似てるからねー」

海未「こんな意地悪のどこが天使なんでしょうか……全く世間は騙されてます。こんなんじゃ友達減りますよ?」

戸塚「あはは、そうだね。確かに同性の友達は少ないかも。……だからこそ」



――♪「悲しみに閉ざされて 泣くだけの君じゃない
    熱い胸 きっと未来を 切り開くはずさ」




戸塚「あ、八幡たちのところかな」

海未「この曲……」

戸塚「知ってる曲?」

海未「知ってるもなにも、私たちの曲ですよ。μ'sの」

戸塚「へえ、そうなんだ! あ、でもトレーナーが星空さんだから練習曲に使うのも納得だよね」

海未「この曲は、私たちが初めてライブでやった曲なんです。凛もその時はお客さんでした」

戸塚「最初から全メンバーがいたわけじゃないんだね」

海未「ええ。絵里なんてもう私たちを目の敵にしていましたからね。全然なってないーって。ふふっ、まあ絵里ほど踊りが上手ければそう言うのも当たり前なんですが」

戸塚「園田さんたちほど可愛い人たちがいれば、集客とかもの凄そうだね」

海未「戸塚くんに言われると嫌味にしか聞こえないですが……。最初はそんなことないですよ。それこそこの曲を三人でやったときは、最初お客さんが誰もいなくて。胸が締め付けられましたね……泣き出しそうで、帰りたくなったのを覚えています」

海未「私は恥ずかしがりの緊張しいで、いっつも肝心なところで逃げようとして。そんな私を引っ張ってくれたのが穂乃果でした」

戸塚「高坂さんが……」

海未「本当に懐かしいです。ことり、穂乃果……。もう、ずっと会えていません」

戸塚「……」

海未「私はつくづく、二人がいないと何もできないのだと……。最近、そう思います」

戸塚「そんなことない」

海未「やめてください。現に結果に――」

戸塚「やめない。園田海未は最高のアイドルだよ。自信をもってよ。君がいなければ、ぼくはここにいなかった」

海未「? それ、どういう――」


――がららっ。


未央「よっしゃぁあー!! 終わったぞーー!! ごっはんっ、ごっはんっ」
凛「うーん、最後少し体幹がぶれちゃったかな」
卯月「へとへとです……」



戸塚「あ、やっぱりニュージェネレーションズだった!」

海未「おつかれさまです」

未央「さいちゃん! 海未ちゃん!」

卯月「うわぁー! すごい、園田海未さんだ!」

凛「戸塚さん。久しぶりです」

戸塚「うん、渋谷さんも久しぶり! 会えて嬉しいよ!」ニコッ

凛「くっ……毎度の敗北感」

海未「あれ? 渋谷さん、靴が」

凛「え? あっ」

未央「うわぁ! ボロボロだよっ」

八幡「おう、お疲れ。どうした?」

卯月「あ、比企谷さん。凛ちゃんの運動靴がボロボロで……」

八幡「おぉ……。見事に靴底がぱっくりなっちまってるな」

未央「新しいの買った方がいいよ!」

凛「うーん、そうするよ。来週あたり買いに行こうかな」

八幡(……なるほど。覚えた)

八幡「お前ら早く着替えて来い。汗冷えたら風邪ひくぞ」

卯月「あ、はい!」

戸塚「ぼくは園田さんを送っていくよ! 本社の車で来てるし、送りがてら置いてくるよー」

海未「すいません、ありがとうございます。それではみなさん、またどこかで」


八幡「どした? 本田と島村はもう行ったぞ」

凛「今日さ、休みなのに来てくれたんだね」

八幡「誰かが来ないと拗ねるからな」

凛「拗ねないよっ」

八幡「まぁそれはついでだ。今日は戸塚と約束があったから寄っただけ」

凛「……どうせ私はついでだよ」

八幡「だーもう、お前は見ても見なくても拗ねんのかよ。めんどくせぇな」

凛「はぁ、でも見に来てくれてありがとう」

八幡「仕事だから」

凛「じゃ、ないでしょ。今日は休みだもん」

八幡「うるせ」

凛「ふふっ、めんどくさい人」

八幡「面倒くさがりなのは否定しないがな。おら、早く着替えて来い」

凛「ん。ねえ、プロデューサー、この後時間ある? 一緒にご飯食べない?」

八幡「俺じゃなくて本田と島村と行けよ。ラーメンラーメン騒いでたぞさっき」

凛「私はプロデューサーがいいの」

八幡「……悪ぃ、今日は先約がある」

凛「嘘だ。そんな友達いないでしょ」

八幡「失礼な。本当だ、戸塚と飲みに行くんだよ。その前に事務所に忘れもん取りに行くし」

凛「……戸塚さんと?」

八幡「成り行きでな。今日は昼間から会ってたからその時に約束したんだ」

凛「休みの日に会ってたの?」

八幡「休みの日に友達と遊んで何が悪いんだよ……」

凛「私とはオフに会ってくれたことないのに戸塚さんとは遊ぶんだね。ふーん」

八幡「……今会ってるだろ」

凛「そういうことじゃなくてっ」

八幡「大体お前と会って何すんだよ。会う理由がない。よって会わない、はいQED」

凛「むー……。ねぇ、私も行っていい?」

八幡「飲みっつったろ。未成年はラーメン食べに行けって」

凛「えぇ、いいじゃない。飲まないから」

八幡「ダメだ。もし誰かに見られたらどうする。飲んでなくても場所がアウトだ。大衆は邪推する生き物だからな、飲んでいようがいまいが関係ねぇんだよ」

凛「……わかったよっ。でも今度いつか私とも出かけてね」

八幡「機会があれば。行けたら行く」

凛「馬鹿。きらい」

八幡「言われ慣れてるわ」



八幡「ようやく行ったか……はぁ」

八幡「高校生相手に何ドキドキしてんだ、俺……」

<レッスン後、ラーメン屋「二十郎」>

凛「もうっ、何であんなにガード固いかな」

卯月「凛ちゃん、どうしました?」

凛「何でもない」

未央「そんな不機嫌な顔でもやし食べられても説得力ないよ……しぶりん」

卯月「うっうー、もやしです! ……多すぎません?」

未央「ごめんなさい、完全に甘く見てたよぉ……」

卯月「未央ちゃんが二十郎に行ってみたいって言ったんじゃないですかぁ!」

未央「だってここまでキツイって思わなかったんだもん!」

卯月「ああっ、早く食べないとまた麺が増えちゃいますっ」

未央「やばいよっ、ロットなるものを乱したらつまみ出されちゃうらしいから……」

凛「ごちそうさまでした」

未央「嘘ぉっ!?」

凛「ふん。戸塚さんにはデレデレしちゃってさ。私のこと邪険にしてばっかりなんだから。いいじゃん別に、たまには構ってくれたって……」

卯月「ううう、凛ちゃん、余裕があるなら手伝ってくださいよ~!」

<5月末日給料日夕方、346プロタレント養成所レッスン室301>

ルキトレ「以上が今回のライブ用の曲の振付になります。覚えましたか?」

杏「よーし覚えたよ。お疲れ様でしたっ!」

美嘉「いやいやいや!! 帰っちゃダメだから!」

アーニャ「ダー……杏、練習しましょ?」

雪乃(この子ったら本当に……。思わずこめかみを抑えたくなるわね)

杏「えぇー。でもみんなライブに向けて練習あるんでしょ。いいよいいよランク低い杏のためにわざわざ時間割かなくて。杏に任せてここは先に行けっ!」

ルキトレ「だめですよ、杏ちゃん。一応二人には課題を渡しています。問題があればすぐ対応しますし大丈夫ですよ。さ、パートごとに分けて反復練習しましょう?」

杏「い、いやだー! 杏の嫌いな言葉ランキングは一番が頑張るで二番目が反復なんだぞー!」

雪乃「双葉さん?」ニッコリ

杏「……はい。ね、ルキトレさん」

ルキトレ「何ですか?」

杏「パートわけなくていいよ。反復もいらない」

ルキトレ「え、でも」

杏「言ったじゃん、覚えたって。もし一発で通ったら杏、休んでいい?」

雪乃「出来たらね。本当にできたら飴をあげるわ」

杏「ホントっ!? ほほう、軽くひねってやろうじゃあないか……」


雪乃(そんなことを言って、彼女は本当に一発で一度見ただけの曲を通してしまった。……まあ、この子なら当然ね)

杏「ふぇぇ……疲れた。飴がしみるよ」コロコロ

雪乃「私と同じで体力がないのね。それ以外はずば抜けているけれど」

杏「さっきのやつ? 記憶力の問題じゃない?」

雪乃「掛け値なしにすごいと思うわよ」

杏「そうかな。多分同じことプロデューサーもやれって言われたらできるでしょ」

杏「プロデューサーからは同じにおいがするね!」

雪乃「あなたは私を買いかぶり過ぎよ。私にだってできないことはあるわ」

杏「……そーぞーできないなぁ」

雪乃「それで結構。そんなところ見られても恥ずかしいだけだから。それより次のシングルの話が来てるわ」

杏「え、もう? いやでもそろそろ稼いでおくか……」

雪乃「あら、殊勝ね。どういう風の吹き回し?」

杏「ひっきーに言われたんだよ。お金はすぐ無くなるって」

雪乃「あの男は本当に余計なことしか言わないわね。まあ、あなたが仕事してくれるならいいけれど」

杏「そういえばさ、プロデューサーは杏に何も言わないんだね」

雪乃「言ってるじゃない。仕事しろ」

杏「そうじゃなくて、こう、もっとまじめにレッスン受けろーとかさ」

雪乃「あなたはやりたくないからやらないんじゃなくて、できるからやらないだけでしょ」


もう全部書き終わってる感じ?


杏「……」

雪乃「あら、図星かしら。キャラがブレたら困る?」クスクス

杏「……仮にそうだったとして、どうしてわかるのさ?」

雪乃「そういう人が身内にいたのだもの。ソースは姉」

杏「へえ、お姉さんがいるんだ」

雪乃「そうよ。腹立たしいくらいなんでもできる姉」

杏「プロデューサーも大概じゃなーい?」

雪乃「私の比じゃないわ。自分もできるほうだとは思うのだけれどね」

杏「うわぁ、自分でそういうこと言っちゃう? 嫌われそう」

雪乃「そうね、否定しないわ。こうならないように気を付けなさい」クスクス

杏(……自嘲も絵になるんだから、反則だよねぇ)

杏「よし、じゃあも一回くらい練習してこようかな」

雪乃「まずいわね、傘を持ってきていないのだけれど……」

杏「降るなら飴の方がいいな、杏としては」

雪乃「あ、そうそう。今日の夜、参加でいいのかしら?」

杏「うん! ただ飯だからねっ、行くっきゃないよ!」

雪乃「わかったわ。絢瀬さんには全員参加で言っておくわね」

杏「ういー。じゃ、ちょっとお腹空かせてこよっかな」

<夜、クールプロダクション事務所>

八幡「ただいま戻りましたー……あれ?」

凛「お帰り。今日はテレビ局だったっけ」

八幡「おう、アーニャの収録の関係でちょっとな……って、なんでお前いるんだ? 今日はレッスンも何もなかったはずだが」

凛「ふふ、用がなきゃ会いに来ちゃいけないの?」

八幡「で、本当は何なんだ?」

凛「……反応がつまんない」

八幡「アホ。こちとら自意識こじらせて生きてきたんだよ。その程度で勘違いするか」

凛「少しくらい動揺してくれないとアイドルとして立つ瀬がないんだけどな」

八幡「そのパターンは中学の頃学習した。じゃんけん負けた奴の罰ゲームだった……」

凛「……女子ってえぐい」

八幡「で、結局なんなんだ? 教えてくれねぇならいいよ別に、仕事するから。絢瀬さんは?」

凛「先に下の居酒屋さんだよ」

八幡「え? もう上がったの? だって七時から事務所で仕事の引継ぎがあるって」

凛「うん、それ嘘。今日は下で346プロの合同歓迎会だよ」

八幡「おい、聞いてねぇぞ!」

凛「言ってないもん。だってプロデューサー、歓迎会やるって言ったら『あの、俺ちょっとアレなんで。忙しいんで。無理っす』とか言うでしょ」

八幡「俺の思考プロセス完全に読まれてんじゃねぇか……。仕組んだのは誰だよ」

凛「絵里さん」

八幡「はかられた……。マジか、誰が参加するんだ」

凛「知ってる人ばっかりだよ。戸塚さんも来るし」

八幡「おい渋谷。早く行くぞ。ドキドキしてきた」

凛「……立つ瀬はないけど腹がね、うん」




>>131 そうですよ!

<居酒屋「一休み」>

絵里「今日はみなさん、集まっていただいてありがとうございます。比企谷くんや新しいアイドルのみなさんの加入。そして戸塚くんの異動、武内さんの昇進……。まとめて祝おうと思ってスケジュールを確保しようとしたら、少し遅いこの時期になってしまいました」

ちひろ「本当に頑張ったんですからね! みなさん忙しすぎです!!」

にこ「悪いのはどこの会社よ……」

楓「まあまあ、にこちゃん。飲めるんだからいいじゃありませんか」

アーニャ「楓はいつもそれ、言ってます」

海末「穂乃果、本当に久しぶりですね」

穂乃果「そうかなー? そうだっけ?」

星空凛「凛はどっちとも頻繁に仕事で会ってるにゃ!」

花陽「おにぎりは、おにぎりはないんですかっ!?」

莉嘉「うわーすっごい! こどもビールなんてあるんだ!」

美嘉「こら莉嘉! 走り回らない!」

きらり「杏ちゃーん?☆ はぴはぴしてるぅ?」

杏「杏はおいしいご飯があればはぴはぴだよ。ほらほら、みくもはぴはぴー」

みく「にゃっ!? みくの前に魚料理置かないでよっ!?」

未央「フライドチキンがある! すっごい! ねえもう食べていいかな!?」

卯月「未央ちゃん、乾杯までダメですっ」

凛「みんなグラスもった? あ、そっち一つ足りない?」

戸塚「すごいなー、本当にみんな集めちゃうなんて!」

武内P「流石は絢瀬さん、千川さんと言ったところでしょうか」

雪乃「目が死んでいるわよ。諦めなさい、ちひろさんが絡んだ時点で逃げられないのよ……」

八幡「俺のは元々だからほっとけ。てかお前も遠い目をしてるぞ……」


絵里「よし、グラスは行きわたったみたいね。それじゃ、ちひろさんにお願いしようかしら」

ちひろ「何言ってるんですか、絵里ちゃんが一番頑張ってたでしょう? 絵里ちゃんがやってください」  

絵里「そんな、私は」

ちひろ「いいからいいから、ほらっ」

絵里「……うぅ、苦手なのに。えぇっと、それじゃあ皆さんグラスを持ってください! これからも新しい人たちと一緒に頑張っていきましょう! 今日の会計は全額本社持ちですっ!」

ちひろ「ヒャッハー!」

杏「ただ飯だー!」

絵里「それじゃあ……乾杯!」


――――「乾杯!」




にこ「お疲れ、比企谷」

八幡「あぁ、お疲れさん。いつぶりだっけか」

にこ「あんたが先週のアーニャのオーディションに付き添ってた時以来じゃない?」

八幡「そうだったな。ありがとよ、無事アーニャ『は』役もらえたよ」

にこ「何それ嫌味でしょムカつく―っ!! 言っとくけどにこが落ちたのはたまたまなんだから!!」

八幡「無理して大人のお姉さんっぽい役なんか受けるからだろ……」

にこ「うるさいわね! 同じような役ばっか受けてたら先がないでしょ!」

八幡「……驚いた。意外と考えてんだな」

にこ「ふふん、一流のアイドルともなると先を見据えないと駄目なのよ」

八幡「一流ね……。そういえば、ソロアルバム出すそうだな。おめでとさん」

にこ「あら、業界に疎いあんたからしたら珍しいじゃない。誰? 雪乃から聞いたの?」

八幡「まぁ、その辺からだ。やっぱりライブツアーとかやんのか?」

にこ「うん、もっちろん! 東名阪って感じかしら」

絵里「ふふふ、にこも偉くなったものよね~」

にこ「……アンタ、もう顔赤いわよ」

絵里「赤くなってるだけよ。どーも、矢澤にこのバックダンサーで~す」

八幡「?」

にこ「ちょっ、そんな昔の話まだ覚えてたの!?」

星空凛「あははっ、あの時は真姫ちゃんと絵里ちゃんは特に必死だったからねー」

八幡「どういうことだ?」

星空凛「昔、にこちゃんは凛たちのグループみんなはにこちゃんのバックダンサーだって家族に嘘ついてたにゃ」

絵里「まさか嘘が本当になるとはね~」

八幡「ふーん、バックダンサーねぇ……」



戸塚「武内さん、日本酒きましたよー」

武内P「ああ、戸塚君。ありがとうございます」

花陽「武内さん本当にひさしぶりですねー! 本社はどうですか?」

武内P「仕事に問題はありません。順調です」

ちひろ「違うでしょう? そういうことを聞いてるんじゃありませんよー」

武内P「と、言いますと」

ちひろ「楽しいこととか、苦労したこととか! お話をそこから広げないとっ。まったく、プロデューサーをやってた時から口下手なのは変わらないんですからっ」

武内P「も、申し訳ありません……」

海未「ここまで上に立てるちひろさんとは何者なのでしょう……」

美嘉「あれ、海未さん知らないカンジ?」

雪乃「武内さんとちひろさんは同期入社らしいですよ」

海未「ああ、なるほど。それでですか」

ちひろ「最近キュートには寄り付きもしないんだから。嫌われちゃったのかなーわたし」

武内P「そ、そういうわけでは。ただ引継ぎの仕事の量が膨大でして」

戸塚「……ふふっ、なんだかアレだね」

美嘉「ね★ 尻に敷かれてるダンナさんみたい」

雪乃「あの人には私も勝てません……」

花陽(あれ? 楓さん……)

楓「…………」

花陽(なんだろう、ずっとこっち見てるなあ?)


杏「アーニャは本当にすらっとして綺麗だね、ちょっと杏にもわけてくれてもいいんじゃないかな、身長とかおっぱいとか」
卯月「羨ましいです……」
アーニャ「そ、そう言われても、困り、ます」
きらり「杏ちゃんがもっと大きくなったら、もーっとはぴはぴだにぃ☆」
未央「きらりちゃんサイズの杏ちゃん……!?」
莉嘉「起こすのに笛とかいりそう!」
杏「人にカ○ゴン扱いされたのは初めてだよ……」


穂乃果「凛ちゃんは2回目だよね。穂乃果、昨日オンエアだった楓さんのラジオ聞いたよ!」

凛「きょ、恐縮ですっ!」

みく「しぶりん、固いにゃ……」

穂乃果「新しい子がどんどん入ってくるね! でも、穂乃果も負けないよ~!」

凛(……無邪気で本当に可愛いなぁ。これがうちのトップアイドルなんだね)

みく「……はい。みくは、穂乃果さんにも……しぶりんにも。誰であっても負けないにゃ」

凛「!」

穂乃果「あはは、頼もしいねっ! そんなみくにゃんには穂乃果のぶんのカレイをあげちゃう!」

みく「に”ゃっ!? お魚には負けるにゃあ!!! いらないです!!」



戸塚「八幡、お疲れ様ー!」

八幡「おお、戸塚。みんな結構席を動き始めたな」

雪乃「良かったわね、周りが気を遣える人たちばかりで」

八幡「まあな。小町から動かざるごと山の如しって褒められたからな」

雪乃「人はそれを揶揄と言うのよ。飲み会の席くらい動きなさい……」

戸塚「あはは、まあいいじゃない。……あ、電話。ちょっと外すね」

八幡「おう。富士山級の動じなさを誇るぞ、俺は」

雪乃「草も生えないというのはこういう状況を指すのかしら?」

八幡「おいちゃんと生えるだろ、月見草とか」

雪乃「……万年国語三位は相変わらずね」

八幡「伊達に恥の多い生涯を送って来てねぇんだよ」

雪乃「……富士山にはもう、雪は降った?」

八幡「……太宰も言ってたろ。愚問なんだよ」

雪乃「聞かないと悪いと思ってね」

八幡「聞く方が悪いだろ。……もう降ったどころか、ずっとだよ」

雪乃「そうね。……意地悪だったわ」

八幡「くく。お前が意地悪なのはいつものことだろ」

雪乃「ふふ、そうね。……あ、日本酒が来たわね」

八幡「どうです。もう少し交際してみますか、なんてな。くく」

雪乃「いいえ。もう、たくさん。……ふふっ」



凛「むー……」

凛(やっぱり、仲良いな。雪ノ下さんも、プロデューサーも、自分からは何でか近づかないようにしてる節はあるけど。いざ近付いたらあれだもんね。ていうか何が面白いのかわからない。何喋ってるんだろう。……暗号? ……何かイライラするなぁ。いつもより楽しそうで。私といるのはそんなにつまんない?)

絵里「なーんか、仲、いいわよね……」

凛「あ、絵里さん。顔赤い」

絵里「赤くなるだけで大丈夫よ、まだ。……あれ、本当に仲良いわよね」

凛「本人に聞いても否定するのにさ。絶対嘘だよね」

絵里「雪ノ下さんがあんなに毒吐きなの、知らなかったわ」

凛「じゃれ合いって感じだよね。プロデューサーもいつもより饒舌なの、お酒のせいだけじゃないと思う」

絵里「そうよねぇ、この前一緒に来た時も飲んでたけどあんまり変わらなかったし」

凛「……え?」

絵里「……あ」

凛「え、プロデューサーとここ来たの。いつ。なんで」

絵里「う。つ、ついこの前よ! しまったー、口止めされてたのに……」

凛「なんで口止め? も、もしかして二人で」

絵里「そ、それは違うわよ! 事務所でちょっと電話番だけしてたら、戸塚くんと飲みにいくけどあがりが一緒なら来ないかって……」

凛「あの日かっ! 私は行きたいって言ったけど断られたのにっ」

絵里「だって凛ちゃんはアイドルだし未成年でしょ。そっか、行きたいって言ったからナイショだったのね」

凛「大人組だけずるい」

絵里「ふふ、いいじゃない。普段四六時中一緒にいるんだから、お酒の時ぐらい借りてもいいでしょ。私は事務所以外で会ったことないのよ、彼とは」

凛「……絵里さんってもしかしてプロデューサーが好きなの?」

絵里「あら、もちろん。ちょっと目がアレだけど、命の恩人だし、最近は仕事も半人前以上だもの。頼もしいわー」

凛「そ、そういう意味じゃなくて」

絵里「ふふふ、いいわねー! 高校生の女子トークっぽくて」

凛「二人して子ども扱いするんだから……」

絵里「私もせっかくだからあそこに行ってこようかな。それじゃね」

凛「……こんな風に扱われたことないよ。はぁ」



戸塚「ねー、はちまーん。今度はどこいく?」

八幡「えぇまたどっか行くの……。動かざるごと山の如しって言ったぞ俺は」

戸塚「じゃあぼくが八幡の家に行けばいいのかな」

八幡「……いいけど。なんもねぇぞ」


海末「なぜ戸塚くんは比企谷くんの前だとああなのでしょう。私には全然優しくないのに……」

絵里「比企谷くんは戸塚くんの前だとちょっとアレよね」

雪乃「高校の頃からですよ、戸塚くんに対する倒錯的な嗜好は」

絵里「戸塚くんも笑顔倍増しって感じなのよね。これは……どうなのかしら……」

海末(うう、悔しい……。いや、これはアイドルとして、女としてですからっ。他意はないんです。きっとそうです!)

今全体のどれくらい投下した?

<居酒屋の外、喫煙所>

八幡「ふぅ……」

――かちっ。しゅぼっ。

武内P「ああ、比企谷くん。煙草を吸われるのですね」

八幡「ああ、ども。嗜む程度に。武内さんも?」

武内P「とは言っても自発的にはあまり吸いませんが。先輩が吸うもので、つい」

八幡「へぇ……」

武内P「今は、違う事務所にいるのですがね」

――かちっ。しゅぼっ。

武内P「…………ふぅ」

八幡「…………」

武内P「……プロデューサーは、いかがですか」

八幡「悪くはない、ですかね。覚えることが多くててんやわんやでしたが、少なくとも没頭できる程度には。やれることが増えていくってのは悪い気分じゃないです」

武内P「……そうですか。それは比企谷くんが仕事に向いているというだけで、プロデューサーの楽しみを知ることはまだできていないようですね」

八幡「そうですかね? 渋谷とかが頑張ってるのを見ると、まあ俺も人の子なんで良くしてやろうって思いますけど」

武内P「いえ、その答えではまだでしょう。まだ、比企谷くんはそこにたどり着いていない」

八幡「……根拠は?」

武内P「個人的な経験です。あなたはまだ、手にしていない」

八幡「クールそうに見えて、意外と主観的なことを言うんですね」

武内P「私は最初から比企谷くんには主観的です。えこひいきをしているのですよ」

八幡「……一番初めに会った時から、武内さんが俺に入れ込む理由がわからない」

武内P「最初に言ったとおりです。今も昔も、私が人を見出す理由はたった一つしかありません」

八幡「…………」

武内P「私は戻ります。また、会いましょう」



八幡(手にしていないもの、か。そんなもん本当にあるのかな)

八幡「ふぅ……」

――かちっ。しゅぼっ。

八幡「…………」

八幡(よしんばこの世にあるとして。それが俺の手に入るかどうかは別問題なのだ。求めよさらば与えられんな世界なら、俺はきっとこんなものを吸っちゃいない)

八幡(欲して欲して欲して。それが手に入るなら他の何もいらなくて。狂おしいまでに"それ"を求めて。……いつ現れると決まったわけでもないそいつを両手で掴むためだと言って、誰の手も掴むことはなかった。誰にも手を差し伸べなかった)

八幡(あの時からもう、問いに対する答えは動かない)

――『本物なんて、あるのかな』


八幡(……そんなもん、この世のどこにも)


――「プロデューサー、やっぱりこんなところにいた」


八幡「!」

凛「どうしたの、そんなに月が綺麗だった?」

八幡「……渋谷か。そのセリフ、あなたと見るとが前にないと誤用だぞ」

凛「……あ。漱石?」

八幡「そうだ。あんまり無意識に言ってやんなよ。ドキドキするから」

凛「プロデューサーが?」

八幡「クラスの男子共だよ。そうやって気まぐれな女に付けられた傷は死ぬまで残るんだぞ、男ってのは」

凛「ちょっとは勘違いしてくれないと、アイドルも傷が付くんだけどな」

八幡「言ってろ。その気もないくせに」

凛「……そうだね」

八幡「本当に隅っこで漱石読んでるようなぼっちにそんなこと言うアイドルの同級生がいたらテロだな。やられた側に同情しかねぇ……」

凛「ねえ、もしプロデューサーと私が同じ高校生で同じクラスだったら、どうなってたかな」

八幡「あぁ? そんなん決まってんだろ。一回も会話を交わすことなく終わりだろ」

凛「……そうかなぁ」

八幡「賭けてもいいぞ」

凛「うん、じゃあこれでよかった」

八幡「ん?」

凛「さっきね、ちょっと雪ノ下さんが羨ましかった。仲よさそうで。プロデューサー私とはあんなに近くないもんね」

八幡「……仲は良くないと思うけどな。ってか、俺と仲良くて嬉しいなんざ」

凛「何言ってるの? 嬉しいよ?」

八幡「っ……」

凛「だってプロデューサー、変だけどちょっと優しいんだもん。簡単には懐かないところが猫みたいで、逆に燃えるかも。同じ高校生だったら出会えなかったんだから、だったら今が一番だよね」

凛「ねえ、私たち、パートナーなんでしょ。仲良くなりたいに決まってるじゃん」

凛「どうして、いろんなことわかるのに、それがわかんないの?」


八幡(あ……)
――どくん。

八幡(雲間から覗く月明かりを浴びて、渋谷はふわりと笑った。純粋な好意を前に、心は久しぶりに強く揺れた。俺の中に潜む自意識の化け物がだからどうしたと抑えにかかる。好意なんてない。厚意なんだと身を切り叫ぶ)

八幡(この身に巣食う化け物は邪悪で強い。きっとこの感情の揺れも、すぐに収まり風化していくのだろう。だから)

八幡(だから、今だけは。この感情に身を任せていたいと願った)










>>141 文量だけ見たら四分の一って感じでしょうか。お付き合いいただければ幸いです


凛「プロデューサー、戻ろ? 絵里さんが酔っぱらっててね、面白いよ」

八幡(店に戻る渋谷の後ろ姿のなかで、店のサンダルを履いた足が目に止まった。ああ、そういえば)

八幡「渋谷、ちょっと渡すものがあるんだが――」



絵里「もー、比企谷くん、どこいってたの~? エリチカ、寂しかったんだから~」

八幡「ちょっ、近い近い! 絢瀬さんどんだけ飲んでんすか!」

八幡(やべぇって! 胸! 胸当たってるから!!)

花陽「流石μ's最弱ですぅ……」

星空凛「絵里ちゃん、お酒入るとダイタンになるからね……。セクシーだにゃ……」

八幡「絢瀬さん、もう飲まない方がいいと思いますよ……」

絵里「えー? だーいじょーぶよー、よってないよってない~、ふふー」ギュッ

八幡「酔っ払いはみんなそう言うんだ! 絢瀬さん、マジ近いって」

絵里「絢瀬さん絢瀬さんって、距離おかれてるみたいで、おねーさん寂しいな~?」

八幡「現在進行形でめっちゃ近いと思うんですが!?」

絵里「絵里って呼んでみてー? ふふふっ、ほらほら。言わないと離してあげないわよ~?」

八幡「え、えぇ……。無理っすよ……」

絵里「Я не понимаю вас~」

八幡「な、何言ってんだこの人」

アーニャ「仰ってることがわからないわ~、言ってるです。絵里」

八幡(……ああくそ! マジで心臓仕事しすぎなんだよ! 人間って鼓動の回数決まってなかったっけか? このままだと本当に死にかねん……!)

八幡「千川さん、助けてくれ!」

ちひろ「REC! REC!」パシャッ! パシャッ!

八幡「悪魔かよ……」

絵里「こらぁ、どこ見てるの~? ふぅ~」

八幡「言うから! 言うから耳はやめろって!」

八幡「え……絵里さん。離れてくれ」

絵里「っ……! Повторите, пожалуйста, ещё раа!」

八幡「離れろって! アーニャ、何て言ってんだ!?」

アーニャ「ごめんなさい もっかい言ってよ ぱーどんみー」

八幡「勘弁してくれ……」

戸塚「そうだそうだー、八幡はぼくと飲むんだよー?」ギュッ

八幡「戸塚。もっとだ。もっと強くだ」

花陽「なんだかんだで比企谷くんも酔ってますね……」



雪乃「……………」

にこ「ゆ、雪乃……?」

雪乃「なに」

穂乃果「か、顔が怖いよー……?」

雪乃「あら。どうして私が怖くなる必要性が生じるのかしら。あの男がいつどこで誰と戯れようが私には関係のないことなのだし。私と彼は何の関係性もないただの同級生なのだし」

穂乃果「……誰もひっきーのことなんて言ってないんだけどなぁ」

雪乃「何か言ったかしら」ニッコリ

にこ「ひぃっ! 何も言ってません!」

穂乃果「ほ、穂乃果は海末ちゃんのところに行ってこようかなー」



凛「…………」バキッ、バキィッ!

未央「し、しぶりん? フライドチキンって骨はたべなくていいんだよ?」

凛「……あぁ。すっかり忘れてたよ。ごめんね」

卯月「それって忘れるものなんですか……? そ、それにしてもおいしいですよね!」

凛「うん、メシウマなんだけどね。個人的にはメシマズって感じだよね」

凛「……バカ。節操なし。勘違いするようなこといっぱいしてるのはどっちなんだって話っ」



海未「むむむ…………!」

武内P「園田さん、どうかしましたか?」

海未「私、他のアイドルよりも先に勝たないといけない相手がいるような気がします……」

ちひろ「ふふっ、みんな色々ですね。そろそろお開きの時間でしょうか」

武内P「そうですね。そろそろ二十三時近くですし」

ちひろ「あっ、武内くん。おちょこが空いてますよ。注ぎますね」

楓「私が、注ぎます」

ちひろ「あ、楓さん」

楓「わたしが。注ぎますね?」ニッコリ

武内P「……ありがとう、ございます」


ちひろ「…………見えすぎて辛いこと、多いんだよ。雪乃ちゃん……」

<飲み会終了後、帰り道>

八幡「絢瀬さん心配だから送ってく。遅いからみんなで帰るようにしてくれ」

絵里「うー……。大丈夫よ~……」

八幡「そんな眠そうにして何言ってんすか。津田沼行きに飲まれますよ」

凛「私もそっちから帰ろうか?」

八幡「お前は電車違うし東京だろ。千川さんたちが同じ方向らしいから送ってもらってくれ。キュートは早抜けした前川以外全員一緒に帰っちまったしな」

凛「ん……わかった。別に一人でも大丈夫だけど」

八幡「バカ、こんな時間に一人で帰らせられるかよ。心配だから頼むわ」

凛「了解。ふふっ、こういう時は素直なんだね」

八幡「うるせ、さっさと行け」

凛「はいはい。また明日ね、プロデューサー」

八幡「はいよ、また明日な」



<帰りの電車内、キュートプロ>

穂乃果「今日、楽しかったなー!」

きらり「きらりも久しぶりにパッションプロのみんなに会えて嬉しかったにぃ!」

杏「きらりは元々あっちだったもんね。逆に海未ちゃんはむこう行ってからちょっと元気なくなってたかも」

にこ「そうかしら。にこは特に思わなかったけど」

杏「にこは鈍いからなぁー。はいはい、にっこにっこにー」

にこ「雑に扱うなっ! それに指間違ってるっ。こうよ、にっこにっこにー☆」

卯月「海未さんって元々キュートだったんですか?」

にこ「卯月までスルーしないでよっ!?」

雪乃「そうよ。トレードで移籍したのだけれど。本当に良くできる人で、私もよく助けられたわ」

――ぶーん。

雪乃「……? メール?」カチカチッ

雪乃「……っ!」

雪乃「……?」カチカチッ

雪乃「……はぁ。知ってた」



穂乃果「……ゆきのーん」ニヤニヤ

にこ「メールの相手、誰なの?」ニヤニヤ

杏「面白い百面相だったねー。これはメスの顔だよ」ニヤニヤ

雪乃「だ、誰でもいいでしょう。何なのあなたたちは、不快よ、その表情」

卯月「もしかして、……比企谷さんですかっ!?」

きらり「気になるー!☆」

雪乃「っ! 島村さん、諸星さん、あなたたちまでっ」

卯月「だ、だって! 私だって女子だから気になるんだもん!」

杏「その動揺、マヌケは見つかったみてーだな」

穂乃果「ほらほら吐きねぇ吐きねぇ。大丈夫、痛いのは最初だけだから……」

にこ「そうよそうよ。そろそろ高校の頃の話も聞かせなさいよ」ニヤニヤ

雪乃「に、にじり寄らないで頂戴っ。嫌よ、何も話さないんだから」

杏(……可愛い人だなぁ。同じ女から見ても)

卯月「どうなんですか、どうなんですかっ」

にこ「……あれ? 次の駅……」

穂乃果「ああ”っ! ゆきのんの最寄りだっ!?」

卯月「東京……とっくに出ちゃってます……」

杏「今から引き返して電車ある?」

きらり「にぃ☆」

杏「……。ねぇ、プロデューサー」

雪乃「……はぁ。仕方ないわね、今晩だけよ。言っておくけれど六枚も布団はないわよ」

穂乃果「やったーっ! お泊りお泊りっ♪」

卯月「尋問の続きですっ」

きらり「うー。きらり、おっきいから邪魔じゃない?」

杏「だいじょぶだいじょぶ、にこが風呂で寝ればいいんだよ」

にこ「さらっとなんてこと言ってんのよ!? 嫌よっ、明日ダンスレッスンなんだからぁ!」

雪乃「……帰りたい」

きらり「帰ってるよー?☆」

雪乃「知ってるわ……」

<帰り道、旧クール>

武内P「……高垣さん。ああ言った露骨な行動は控えるように言ったはずですが」

楓「違うでしょう? プロデューサーさん」

楓「二人の時は、楓で、って言ったじゃないですか」

武内P「……自分はもう、プロデューサーではないので」

楓「私にとっては、ずっとプロデューサーさんですよ」

武内P「……あなたがそのように不用心だから、私が脅されたりするんですよ」

楓「はい?」

武内P「……まあ、あれは私にとってもWinWinでしたから、良いのですけど」



楓「わたしがー、おばさんになーってもー♪」

武内P「……古い歌を、歌われるのですね」

楓「若い子にはまだ負けませんけどね。ふふふっ、会ってなさすぎて、おばさんになるかと思っちゃった」

武内P「最近、会えなくて申し訳ありません」

楓「ふふふっ、良いんですよ。たまにこうして会えるなら」

武内P「最近、記者も多い。気を付けないといけません」

楓「……いつか、人目を気にせず会えるといいですね」

武内P「あなたがアイドルである限り、それは不可能でしょう」

楓「そうです、ね」

武内P「怨みますか。アイドルという存在を」

楓「いいえ。歌うのは好きですし、あなたに会えたから」

武内P「…………」

楓「早く、頂点に立って。あなたを迎えに行きますから」

武内P「……」

楓(そんなことを言って、あの人はうっすらと笑った。そんな顔が大好きだった)

楓(早くあなたの下に行きたいから。……必ず、頂点へ)

楓「765プロなんて、なむこのもんじゃい。……ふふふっ」

<五月最終日:キュートプロダクション事務所>

雪乃「もう後戻りはできないわよ。いいのね?」

八幡「俺は、あいつらならやってくれると思っている。本番までの伸び率も加味してな」

戸塚「ぼくも大丈夫だと思う。経験から考えると確かにちょっと早いかもしれないけど、でも、やってみる価値はあるよ。あとは矢澤さんの意志次第だね」

八幡「矢澤はなんて言ってた?」

雪乃「……面白いからやってみなさい、ただ」

八幡「ただ?」

雪乃「並大抵の出来だったら、私の背景にもならないわよ、だそうよ」

八幡「はっ、大した自信だ。頼もしい限りで」

戸塚「そう言えるだけのものを持ってるからね、矢澤さんは」

八幡「じゃあ、頼む雪ノ下。無茶言ったんだ、折衝とかその部分は俺がやる」

戸塚「えー、ぼくも混ぜてよっ。ぼくだって本田さんの担当なんだしさ」

雪乃「それじゃあ、新しくできた作業分は三等分で行きましょう。……残業祭りね?」

八幡「おおよそ祭りってもんにいい思い出がないんだが……」

雪乃「また雑務なのね。宿業なんじゃない?」クスクス

戸塚「今度はぼくも運営委員の仲間入りだねー、ふふっ」

八幡「あいつらには誰が言うんだ?」

雪乃「あら、あなた以外に誰が言うの?」

戸塚「言いだしっぺが責任取らないとねー!」

八幡「マジか……。わかったよ。まずは星空に連絡からだな」

<夕方:養成所レッスン室201>

星空凛「ん……? しぶりん、ちょっと来てー? あ、二人はそのままストレッチしてていいよ」

凛「あ、はい」

未央「はぁい……。今日も疲れたなぁ、アイドルってみんなこうなのかなぁ」

卯月「…………」

未央「し、しまむー? しっかりぃ!」

卯月「心なしか、最近、量が……増えてる…気が……」



星空凛「もっかい声のテストしてみよっか。ピアノで音出すからね」

凛「え? でも、先月やったよね?」

星空凛「いいからいいから。せーのっ、La La La La La La……」

凛「――らーらーらっ、けほっ、けほっ。あーダメ、ここは出ない。ミックスボイス? って言うの? まだ全然わかんないんだよね」

星空凛「うん……やっぱりすごいにゃ」

凛「先月よりちょっとは出てたかな?」

星空凛「ちょっとどころか、高いほうが地声でhiDくらいまで出るようになってるにゃ……」

凛「あ、ホントですか? やった、嬉しいな。前は裏っぽくしてCが限界だったから、悔しくてさ」

星空凛「……うん! すごいにゃ! よしよーし!」

凛「わっ、凛さん。髪やめてよっ、今汗かいてるんだからさ」

星空凛「細かいこと言わないっ。このこのー! やるじゃん!」

星空凛(この伸び具合……。ひっきー、この子たちならきっとやれるよ!)


八幡「ういっす、お疲れさん」

卯月「あ、比企谷さんだ!」

未央「おっすおっすハチくん! 差し入れはっ?」

八幡「ある。星空、全員着替えさせてから休憩室に集めてくれ。例の話するから」

星空凛「おっけー! ああもうっ、楽しみだなあ!」

八幡「あぁ? お前、さっきまだ早いと思うにゃーとか言ってなかったか?」

星空凛「さっきはさっき、今は今! もうね、凛はこの子たちの今後が楽しみっ!」

凛「さっきから何言ってるの?」

八幡「話してやるよ。着替えて来い」



星空凛「よっし、全員傾注っ! お話を聞くにゃ!」

八幡「よし、じゃ、直球で言うぞ。お前らには来月末のライブに出てもらう」

未央「えっ、ライブ!? やったぁ! ついにだー!」

卯月「うわぁ……ライブ、ライブですよっ、凛ちゃん!」

凛「へえ……。ねえ、どこでやるの?」


八幡「Zepp東京だが?」


三人「………………は?」

卯月「あ……あ……」パクパク

未央「いやいやいや!! 何言っちゃってんの!?」

凛「何。逝っちゃってんの……?」

八幡「あー、つってもお前らの名義じゃない。名目は、矢澤にこのサポートだ」

八幡「お前ら三人には、矢澤にこのゲスト兼バックダンサーとしてライブに出てもらう」

八幡「ニュージェネレーションズ、初舞台だ」

星空凛「うーっ! テンション上がるにゃー!」

<夜、パッションプロダクション事務所>

戸塚「ただいまー……ってあれ、本田さん。珍しいね」

未央「あ、うん。たはは、ちょっと急すぎてびっくりしちゃって……落ち着かなくて」

戸塚「ふふ、紅茶飲む? 雪ノ下さんほど上手じゃないけど」

未央「ホント!? 飲む飲む!」



未央「ふぅ……。なんだか落ち着くねー」

戸塚「そっか、良かった」

未央「さいちゃんも大変だねぇ、一人でこーんなお転婆たちを相手にしてさ!」

戸塚「あはは、楽しいからいいんだよ。むしろ本望って感じかな」

未央「楽しいから、ねー」

戸塚「アイドルは楽しくない?」

未央「……ぶっちゃけ、レッスンはキツくて嫌いかも。サボりたいのだ。だから目がキラキラしてるしまむーとか見ると罪悪感がさー」

戸塚「ははっ、ぶっちゃけるねー。でもわかるよ、ぼくも練習は嫌いだったから」

未央「さいちゃんってテニスやってたんだよね?」

戸塚「うん、まあね」

未央「結構強かったのー? さいちゃんって」

戸塚「うーん、まぁまぁくらいかな、あはは」

未央「さいちゃんにも嫌いなものってあるんだねー」

戸塚「あるある、人間だもん。でも練習はしたけどね」

未央「嫌いなのにぃ?」

戸塚「そうだねぇ」

未央「ねね、さいちゃんはどうして嫌いなものも頑張れたの?」

戸塚「……弱いって思われるのが嫌だったからかな。練習は嫌いだったけど、弱いって思われるのはもっと嫌だったから」

未央「さいちゃんって結構負けず嫌いなんだね」

戸塚「そうかも。ぼくってさ、よくかわいいかわいい言われるんだけどね」

未央「実際そうだし……」

戸塚「うーん、他人がどう思うかは置いといて、まあべつにそう言われるのが嫌ってわけではないんだけど。そう言われて負けると軟弱だなーって思われるちゃうじゃない?」



戸塚「ぼくは誰が何と言おうと男の子だからね。かっこよくありたいんだ」



未央「今のはちょっとかっこいいかも!」

戸塚「そう言われるとちょっと嬉しいな、あはは。本田さんははどうしてアイドルになったの?」

未央「だって、アイドルってキラキラしてるし可愛いし! あとはね、菊池真さんいるじゃん! 真くん!」

戸塚「ああ、菊池さんね」

未央「私もあんな風にかっこいい人になりたいなぁって。一回だけ765プロのライブを見に行ったことがあってね! もう目がハートになっちゃった」

未央「それで勢いでオーディション受けてっ、面接官にさいちゃんがいてっ、今に至るよー!」

戸塚「そっかそっか」

未央「でもアイドルって難しいんだね。踊りながら歌って笑うのって難しいし、練習は厳しいし。私はさいちゃんみたいに頑張るこだわりとかないしなぁー」

戸塚「……ふふ、そっか。じゃあ尚更もうちょっと頑張らなきゃね」

未央「ええー?」

戸塚「やる気はやりながら出すものだし、こだわりだって見つけるもの。今回の舞台はきっとチャンスだよ。がんばれがんばれ」

未央「……さいちゃんって、たまに思うけど考え方がちょっと体育会系っぽい」

戸塚「ふふ、こういうのは嫌い?」

未央「んーん! ギャップ萌えってやつだよ! 未央ちゃんはとてもいいと思います!」

戸塚「あっ、女子高生から褒められた。嬉しいな」

未央「さいちゃんって好みのタイプとかないの!? 女子高生は知りたいなー!」

戸塚「ふふ、ナイショだよ」

未央「えぇー。ケチィー!」

戸塚「いつか教えてあげるよ、いつかね。……そろそろ帰ろうか。送るよ」

未央「ねーねーさいちゃん、今日帰りにどっか寄ってかない?」

戸塚「だめー。直帰させます」

未央「ちぇー。あ、じゃあさじゃあさ」

未央「さいちゃん、LIVE終わったらデートしよっか。これからのこと、話そう?」

<六月初頭、レッスン室305>

ベテトレ「矢澤。まほうつかいの終盤のハーフテンポになるところのダンスが歌につられているぞ。注意しろ」

にこ「わかったわ。にこぷりの方はどうかしら?」

ベテトレ「そちらは大したものだ。特に問題はない。にしても君、ゲスト曲の方は完璧だな」

にこ「高校生の頃死ぬほどやりこんだもの。身体が覚えてるわよ」

ベテトレ「高校生ねぇ……」チラッ


星空凛「はいダメー! 三人ともダメー! バミってる所からまたズレてるにゃ。一人だけ踊れたらいいってのはソロの時だけだよ。バックダンサーはその名の通りバッキング。緻密にやらなきゃだめにゃ。言い方は悪いけど誰も君たちを見に来てるわけじゃないよ。でも、乱れたら一発でバレるんだよ。気になるもん」

凛「なんだか、損してるって感じだね……」

星空凛「それでも、やんなきゃねー。これが出来るようになるとソロの時の精度がケタ違いにゃ。どんなことも経験になる!」

卯月「頑張りますぅ……」

星空凛「ダンスするとき、歩幅とか腕の振り幅とかを意識するといいにゃ。大袈裟に言えば百回やって百回同じ動きをやれるようになれればいいの!」

未央「Oh... ダンサブル精密マシーンだ!」

星空凛「そうだそうだ! 機械になるのにゃ! 無論コーラスのピッチもね?」

凛「うぐっ……」

星空凛「しぶりんはつられ過ぎ! 主旋律歌わないの! ちゃんと三度上でハモる! おらおらやり直しにゃ!」

三人「はぁい……」



ベテトレ「ふふ、星空君は容赦ないな。どうだい、彼女たちを見て」

にこ「……大したもんよね。この前まで普通の学生だったんでしょ?」

ベテトレ「そうだな。彼女たちの才能を加味しても、星空君の指導力が優れている証左だろう」

にこ「ま、でも見に来てる人たちにはそんなの関係ないからね。厳しくしてもらうべきね」

星空凛「にこちゃん、も一回合わせてもらっていい?」

にこ「ふふ。はいはい、何度でも」

卯月「今度こそ間違えませんから!」

にこ「あら、いいわよ間違えて」

にこ「たかが後ろ三人間違えても、私のステージは変わらないわ。安心してヘマしなさい」

凛「……!」

ベテトレ「よし、ではセトリの一曲目から行こう。これは本当にダンスとコーラスのみだからな、私も君たちの指導に入ろう」

未央「よろしくお願いしますっ!」

星空凛「よし、いくよー!」


――1、2、3、4!


星空凛「よーし、いったん休憩ね!」

凛「ふぅ……。まだまだ、だね」

未央「私もだー。まだまだ、もっともっといけるっ!」

卯月「今日は二人とも、モチベーションがすごいです!」

未央「うんうんっ、ライブが終わったらご褒美あるからねっ! モチベも上がるってもんだよ」

卯月「そうなんですか?」

未央「そうなのだ! さいちゃんに貰うんだー」

卯月「へえ……わ、わたしも雪乃さんに何かお願いしようかな」

凛「あ、雪乃さんって言うようになったんだ」

卯月「うんっ♪ この前、みんなで雪乃さんちにお泊りしたんだよ!」

未央「へー! あ、そういえばしぶりん」

凛「ん? なに?」

未央「新しい靴、買ったんだね! それ凄いかっこいいよ!」

卯月「あっ、だから今日はいつもよりモチベ―ション高いんですね♪」

凛「ふふっ、そうかも。買ったんじゃないんだけどね」

卯月「買ってもらったんですか?」

凛「……うん。初任給だったんだって」

星空凛(……あ。なるほどね)

凛「ガラスの靴じゃないってところが、あの人らしいよね」


<数日後。都内某所:撮影スタジオ>

カメラマン「凛ちゃん、久しぶりだね!」

凛「お久しぶりです、また一緒にお仕事ができて嬉しいです」

八幡「お久しぶりです。渋谷、スタイリストさんが到着したらしいからメイクを」

凛「わかった。行ってくる」


カメラマン「凛ちゃん、大分慣れましたね。物怖じしなくなりました」

八幡「まぁ、ちょっとビビってるくらいの方が可愛げがあっていいんですがね」

カメラマン「ははは、今のはオフレコにしておきますよ。今回は急なお話ですいませんね」

八幡「いえ、むしろありがたいくらいです。まだまだ新人ですから、仕事を頂けるのはあいつにとって本当にありがたい。自分も意外なところにコネがあるんだと上から思われるし、いいことしかない」

カメラマン「あっはっは! いいですね、そういう風にぶっちゃけてくれる人は僕は好きですよ。それに、今回の企画に合っている」

八幡「ロックバンド系女子……でしたっけ」

カメラマン「ええ。僕はこの前の撮影の時の凛ちゃんのアレが忘れられなくてですね。まさしくロックだったじゃないですか。いい子いないかってたまたま先方に聞かれたもんで、写真提出したら向こうが最高じゃないかって言ってくれまして」

八幡「……何が次の仕事に繋がるかわかんねえもんだなぁ」

カメラマン「ははは、この業界って思ったより狭いですからね。コネは大事ですよ」

八幡「つくづくぼっち殺しの業界だよなぁ……」


凛「プロデューサー、お待たせ」

八幡「お? ……おお」

八幡(ストライプが入った青いジャケットとスカートに着替えた渋谷は、やはり綺麗だ。いつものピアスもリングに変わっている。右手の指出しグローブなんて、普通の人が付けると痛いだけなのに彼女が付けると話は別だった。……カッコいいな)

八幡(極めつけは身につけたベースだった。茶色と黒……サンバーストって言うんだっけか? クールな彼女に似合う落ち着いた色だと思った。なんか、ギターじゃないところもこいつらしいな)

八幡「似合ってんな」

凛「……あ、ありがと。素直だね。それにしてもベースって意外と重たいんだね」

八幡「ただの感想ぐらい普通に言うわ。おい、そのベース高いんだから気を付けろよ」

凛「え? そうなの?」

八幡「サイトに載る販促用だからな。いいやつらしい。三十万は超えるぞ」

凛「ええぇ!? ちょ、ちょっ、それなんで今言うの!」

八幡「なんだっけ、サト……サトウスキーだっけか? そんな感じのメーカーのやつだ。あ、社員さん来たな、始めるぞー」

凛「知らなければ幸せなことってあると思うんだ……」



社員「それではスナップの方は終了ですっ。お疲れ様でした。それから今回は聞いていると思いますがスナップと同時に、雑誌付録の動画の方も撮影させていただきますね」

凛「はい。プロデューサーにそのことは聞かされてるんですけど、どんな風の動画を取るのかっていうのは詳しくは聞いてなくて」

社員「ああ、それはわたしがお願いしたんです。前情報なしで撮らせてもらいたかったので!渋谷さんには本当にゼロの状態からベースのレッスンを受けてもらって、その様子を収録するって感じの動画にしたいなって思ってます」

凛「あ、そうなんですか。ふふっ、楽しみかも。レッスンはどなたが?」

社員「僭越ながらわたしが担当させていただきます。わたしも昔はバンド女子だったんですよ」

凛「へえ、そうなんですか! だから音楽の会社に勤めているんですね」

社員「あはは、三つ子の魂ナントカって言いますか。いつの間にか仕事になっちゃいました」

凛「……そういうの、すごくいいと思います」

社員「ありがとうございます。カメラマンさん、準備は大丈夫ですか?」

カメラマン「いつでもおっけーです!」

社員「はい、じゃあいきまーす」

凛「よろしくお願いしますっ」



社員「――なので、チューニングするときは四弦から順にE、A、D、Gとなります。曲によってはここから半音ずつ下げたりもしますね。ちなみにさっきの撮影用のベースにはヒップショットというものがついてまして、一瞬でドロップDチューニングに――」


社員「それじゃ、一曲やってみましょうか!」
凛「えっ、早くない……?」
社員「いえいえ、本当に簡単ですから! 時間かかっても編集いじれば全然OKですんで。じゃあこれをやってみましょう、Don't say lazy」

凛「あ、私これ知ってるよ。アニメのやつだよね。ふふっ、私は右利きだけど」

社員「そうです! この曲は入門に最適で見せ場もあるので是非是非――」



社員「はい、それではおしまいです! ありがとうございました」

凛「ありがとうございました! ……その、すごく楽しかったです」

社員「ふふふ、わたしもです。この次も機会がありましたら是非」

八幡「ありがとうございました。こちらこそ願ってもないです」

カメラマン「ううん、こういう場を見るとこの業界にいて良かったと思うんだよなぁ……。安いけどさ」

社員「あはは、それは言いっこなしですよ」

カメラマン「おっと、やべやべ。凛ちゃんもオフレコでお願いね。上に怒られちゃうからさ」

凛「ふふっ、わかりました」

<移動中、車内>

凛「プロデューサーって運転上手いよね」

八幡「そうか?」

凛「うん、性格出てるって感じかも。安全運転」

凛(車間距離も広めだし、煽られても無反応ってところも)

八幡「当たり前だ。送迎中に事故に遭ったらどうすんだ。責任取れん」

凛「女の子は結構キズモノにされたいものなんだよ、ふふ」

八幡「抜かせ。変なのに捕まんなよ」

凛「……初恋もまだなんだよね。ちょっとは捕まってみたいかも」

八幡「……意外だな」

凛「そう? 確かに、少数派だとは思うけど」

八幡「なに、お前とかアイドルやるくらいだから大層おモテになるんじゃないの」

凛「……否定はしないけど」

八幡「うっわ、嫌な奴」

凛「でも、プロデューサーは多分、自分の値段がわかってるのに表に出さないような子の方が嫌いだよね」

八幡「…………よくわかったな」

凛「まあね。あ、信号青だよ」

八幡「あ、ああ」

凛「……色んな人がさ、……こくはく、してくれたりするんだけど、ね」

八幡「贅沢な悩みなこった」

凛「付き合ったことだってないわけじゃないよ。一度もしたことのないのに下らないって決めつけるのはなんかおかしいかなって、一回、中学の時。……でも、結局手を繋ぎもしないまま終わっちゃった」

凛「好きってなんなのか結局わかんなかった」

八幡「中学生の恋愛なんてそんなもんじゃねぇの」

凛「……ん、そうかもしれないけど。それから今に至るまでいろんな人に声をかけられたんだけどね。……見た目が好みだとか、ちょっと話しただけだったり、とかだけでさ」

凛「私が恋愛に理想を抱きすぎなのかもしれないけど」

凛「――少なくとも、それは本物じゃないのかなって」


八幡「っ!」

凛「? プロデューサー、どうかした?」

八幡「なんでもねーよ」

凛(……なんでもなくなさそうなんだけどな)

凛「ねね、プロデューサーは?」


――ききっ。


凛「わっ」

八幡「着いたぞ。降りろ」

凛「……逃げたね?」

八幡「何度も言ってるだろ、俺の思い出なんて痛いものばっかりだ。触れても誰も得しない。そんな暇あったらレッスンしとけ」

凛「いいもん。戸塚さんに聞くから」

八幡「あいつは何も知らねぇよ。良くも悪くもな」

凛「じゃあ、雪ノ下さん」



八幡「やめろ」
八幡「絶対に、やめろ」



凛「う……ご、ごめん」

八幡「! わ、悪い。怒ってる訳じゃねぇから」

凛「ううん、ごめん……。今のは私、無神経だった……」

八幡「……帰りは迎えに行けない。そのまま直帰で頼む」

凛「……わかった」


――ばたん。ぶぅーん。


凛「……ああああ。やっちゃった。やっちゃった! 馬鹿だ私!!」

凛「……冗談とかじゃなくて、ホントに触れちゃダメなところだったんだ」

凛「……ああ、私、何やってんだろ。馬鹿馬鹿馬鹿。なんにも上手くできてないじゃん……」

凛「うう、どうしよ、嫌われちゃったかな……? 謝んなきゃ……! うあああああ……!」

凛「…………はぁ」

凛「……雪ノ下さん、羨ましいな」

凛「……羨ましい?」





<夜、クールプロダクション事務所>

八幡「まーっつりだ、まつりだまつりだ」カタカタカタカタ

絵里「きょーおーは楽しい残業祭り~」カタカタカタカタ

八幡「……楽しくねぇよ」カタカタカタカタ

絵里「だめ。言ってはダメよ。終わらないから……。そっち終わりそう?」カタカタカタカタ

八幡「仕事は辞めることはあっても終わることはないんすよ……」カタカタッターン

絵里「知ってるわ……。進捗よ進捗」

八幡「予算の見積書は今終わりました。次は当日撮影してくれるところに送る仕様書を……」

絵里「え? 予算終わったの?」

八幡「一応。まあ上のチェック次第でリジェクトもあり得ますけど……」

絵里(……予想より早いわ。明日の昼頃を予想してたのに。成長してるのね)

絵里「やるじゃない。私はもう必要ないかしら」

八幡「何言ってんすか。絢瀬さんの方は?」

絵里「今絶賛再来月のアレのエントリー書いてるわよー。最初だけ色々手続きあってめんどくさいのよねー……」

八幡「あれ? 俺が送ったアーニャの報告書のチェックと楓さんのレギュラー番組のディレクターさんが、仕様変更に伴うリテイク出してきたやつどうなりました?」

絵里「へ? それはもう昼前には終わったわよ?」

八幡「…………マジすか」

八幡(仕事早すぎだろ……。俺だったら今日日付変わるまで戦っても終わんねぇぞ)

絵里「なぁに? どうかした?」

八幡「絢瀬さんはすげーなと思って。俺だったら終わりませんよ」

絵里「……」ピクッ


絵里「絢瀬さん、なんだ」


八幡「へ?」

絵里「ふぅん……」

八幡「ん、なんのこと……あ」

絵里「思い出したの?」

八幡「う……。ていうか、絢瀬さんも覚えてたんすね」

絵里「え?」

八幡「だってあの時、腕に」

絵里「え、あっ」

八幡(そう言うと絢瀬さんは透き通るような肌を、あの時みたいに真っ赤にした)

絵里「わ、忘れなさい!」

八幡「忘れろっつったり思い出せっつったり何なんすか……」

絵里「違うの、違うのよぉ! アレはお酒のせいなんだからっ。ああ、なんで私あんなこと……あああっ! 恥ずかしい! 死にたいっ」

八幡「まぁ結構飲んでましたからね。矢澤が結構勧めてくんだよな……曲者だわあいつ」

絵里「……ほらぁ、にこには敬語使わないくせに」

八幡「え、いや、だってあいつは矢澤だし」

絵里「私だって絢瀬絵里なんだけど? あ、そういえば凛と花陽にもっ」

八幡「勘弁してくださいよ。あいつらは年下じゃないすか……」

絵里「え? にこは私と同い年よ?」

八幡「え、マジすか。いやあいつはそういうキャラだからいいんだ」

絵里「むー……。μ'sは敬語禁止なのよ?」

八幡「俺μ'sじゃねぇし」

絵里「もうっ! ああ言えばこう言うんだから!」


――ぶーん、ぶーん。

八幡「あ、電話……渋谷からか。すません、出ていいですか?」

絵里「電話終わっても逃がさないんだからっ」

八幡「……こういうところが渋谷と違ぇ。はい、もしもし」ピッ


凛『あ、も、もしもし。渋谷ですけど』

八幡「知ってる。名前出るっての」

凛『そうなんだけど、電話するの初めてだからちょっと緊張しちゃって』

八幡「いまさら俺相手にする遠慮なんてあんのか」

凛『ふふっ、そういえばないね』

八幡「それはそれで何かアレなんだが……。で、なんか用か」

凛『あ、その、今日……ごめんね?』

八幡「……まだ気にしてんのか」

凛『だ、だって。ちょっとしつこかったのは本当だし……。あの、……ごめんなさい。嫌わないで、欲しい、かも』

八幡「……いいよ、そんなもん。一々気にしてねぇっての」

凛『ほ、本当!? ……良かったぁ』

八幡「用はそれだけか? 切るぞ」

凛『……む。用がなきゃ電話しちゃいけないの?』

八幡「そうは言ってねぇだろ。仕事中なんだよ」

凛『えっ? まだ仕事してるの?』

八幡「そうだよ、泣きたくなってくる。その、なんだ。……絵里、さんがまだ仕事してるから。早く戻りてぇんだ」

絵里「!」

凛『わかった。ごめん、邪魔したね』

八幡「ああ、じゃあな」 ピッ


八幡「……これでいいんでしょ」

絵里(電話を切ると、彼は一緒に私との視線も切ってぶっきらぼうに言った。きっと照れてる。大人びた彼のそんな子供っぽいところが微笑ましい)

絵里「ふふ、可愛いわね」

八幡「言っときますけど、呼び方だけですからね。よっぽど特殊じゃないと先輩にタメ口なんて俺には無理です」

絵里「えー」

八幡「えーじゃないです。てかマジで勘弁してください……」

絵里「ま、いっか。今のところはそれで許してあげる」

絵里(つい緩んでしまう私の表情を誰が責められるって言うんだろう。後輩いじりに満足した私は、再び仕事に意識を集中していった)


八幡「――さん」

八幡「絵里さん」

絵里「っ!? は、はい!」ドキッ

八幡「集中してるとこすいません。この部分なんですが」

絵里「ちょ、ちょっと待ってね。聞いてはいるから口で問題個所を言ってくれる?」

絵里(こ、これ、思ったよりドキドキするわね。慣れるかしら?)

絵里(……それにしても)


凛「……私は渋谷で」


八幡「ここは雪ノ下が言うには――」


絵里(雪ノ下さんも雪ノ下で)

絵里(私だけが絵里、か)



凛「……何か、いらつく」
絵里「……何か、いいわね」

<ライブ二週間前、昼。346プロタレント養成所レッスン室201>

『――にこっ☆』

ベテトレ「よし。それまで」

凛「……ふう」

卯月「やった! やりましたっ、ノーミスですっ!」

未央「あれれ? 今日、あんまり疲れてない?」

にこ「基礎体力ついてきたんじゃない? 凛のレッスンって体力つくから」

星空凛「にこちゃんも久しぶりにやってみるー?」

にこ「本番明日だから遠慮しとくわ。どう考えても調整向きじゃないわよあの内容……」

星空凛「えー、つまんなーい」


八幡「おお、今のは良かったんじゃないか」

雪乃「ひとまず基準点はクリア、と言ったところかしら」

八幡「厳しいな」

雪乃「そうかしら。現状だと矢澤さんだけに視線が集中してしまう気がするわ」

八幡「あくまでメインは矢澤だろ?」

雪乃「否定はしないけれど、わざわざバックダンサーを入れるのよ。一人でやっているのと変わらないのならやる意味はないわ。少なくともこの数曲は個としてより群として完成しなければ駄目よ」

ベテトレ「……本当に346の人間は優秀だな。私から言うことが無くなってしまったよ」

雪乃「いえ、そんな。出過ぎたことを申しました」

ベテトレ「何を言うんだ、建設的な意見とは誰が口にしてもいいものなんだよ。いやしかし、慧眼だね。雪ノ下さんはまだ現場に出て数年なのだろう? ……才能の世界か。社の方針通りだな」

八幡「『才能が輝く世界を』、ねぇ」

雪乃「胡散臭い方針よね、相変わらず」

八幡「全くだ」スタスタ

雪乃「どこに行くの?」

八幡「休憩がてら飯頼んでくるよ。矢澤に至ってはすぐに移動だし、小泉のおにぎりでも頼んでくる」

雪乃「あ、なら一つだけ。道中で双葉さんを見たら回収してきてくれるかしら」

八幡「は? あいつ、今日いんの?」

雪乃「午後からだから引っ張ってきたのに気付けばいなくなっていたのよ……」

八幡「遠い目すんなよ……わかったわかった、見つけたらな」

<食堂>

八幡「おう、小泉」

花陽「あ、比企谷さん。お疲れ様です!」

八幡「お疲れさん。ちょっと早いが、レッスン終わったらすぐ昼食渡してやりたいから今からおにぎり頼んでもいいか? 多いが八人分頼む」

花陽「わかりました! ちょっと時間もらいますね。あ、おにぎりといえばっ! これどうぞ!」

八幡「ん? なんだ?」

花陽「試作品の塩おにぎりですっ! 塩の配分とか考えないといけないのでまだメニューとしては出さないんですけど、良かったら食べてみてほしいです!」

八幡「ああ、サンキュ。ちょっと双葉を探さなきゃいけないんで今食うってわけにもいかんが」

花陽「杏ちゃんですか? そういえばさっき門の辺りで見ましたよ」

八幡「マジか、どっちの方だ?」

花陽「あのたばこが吸える方ですっ」

八幡「サンキュ、ちょっと行ってくる」


八幡「いた。呑気に芝生に寝転びやがって……」

杏「あ、ひっきーじゃん。杏を連れ戻そうったって無駄だぞ! こんな天気のいい日にレッスンなんて論外だねっ」

八幡「全くだ。こんな天気のいい日は家から一歩も出ずに本読んだりゲームするに限る」

杏「……ひっきーって、北風と太陽なら太陽側だよね」

八幡「俺が何か言ってどうにかなるならそうしてやるけどな。それに自分の分じゃない仕事はしない。面倒くさい」

杏「杏は面倒くさいことから解放されたくてアイドルになったのに、これじゃあ逆だよ逆」

八幡「雪ノ下の口車に乗せられたか」

杏「乗ってみたらトゲつきだったんだよ……。あーあ、ひっきー飴持ってない?」

八幡「生憎これしか持ってねえな」

――かちっ。しゅぼっ。

杏「その飴、おいしい?」

八幡「ふー……。苦いぞ、やめとけ」

杏「心配しなくても杏にはムリだよ。アイドルだしこんな身体だし」

八幡「は、確かに似合わねぇな」

杏「やれやれ、きらりの分を少しわけてもらえたら杏も煙草の似合う大人の女なのにさっ」

八幡「そういう問題じゃねぇと思うが……」



???「ううー……。ここどこなの~……。お腹も空いてきたの……」


八幡「……おい、あそこで歩いてる女の人、フラフラで倒れそうじゃないか?」

杏「ホントだ。まぁ今日は暑いからねぇ……」

八幡(帽子を深めに被ってるから顔がよく見えねぇが……金髪、だな。しかしいいスタイルしてんな。モデルか? アイドル業界でもあのプロポーションは中々お目にかかれないぞ)

杏「ヒッキー、鼻の下伸びてるよ。あと目が腐ってる」

八幡「後者は元々だっつの」

八幡(双葉とだらけたやり取りをしていると、女性は俺たちの目の前を通りがかったあたりでへなへなと崩れ落ちた)

八幡「! おい、大丈夫か」

???「お……」

杏「お?」

???「お腹空いたのぉ……」

八幡「……聞き違いか。なんて言ったこの人」

杏「シーセッドアイムハングリー」

八幡「この飽食の時代になんて人騒がせなやつだ……」

杏「ほっとくわけにはいかないけどね。杏食べ物何も持ってないよ」

八幡「あ、待て。小泉から貰ったおにぎりがあった」

???「おにぎり!?!? 欲しいのっ!!!」

八幡「うおっ、なんて食いつきだ! やるから襟から手を放せっ、ほら」

八幡(そいつは俺の手からおにぎりを奪うと即座に口に運び、……震え始めた)

???「お…………」ブルブル

杏「お?」



美希「美味しすぎるのっ!?!? なんなのなのこのおにぎり!! こんなのミキ初めてなのっ!!」



杏「!! ……まさか、本物?」

八幡(彼女が叫んだ拍子に、一瞬だけ帽子がずれて顔が見えた。芸術品のように整った身体にまさに相応しい、と思わざるを得ない。何より特筆すべきは、その眼だろうか)

八幡(まるでエメラルドをはめ込んだようなその瞳は、吸い込まれそうなほど透き通っていた。双葉もそれにやられたのか、ぽかんと立ち尽くしている)


美希「ねぇねぇおにぎりの人! このおにぎりどこに売ってるの!?」

八幡「おにぎりの人って……。これは売ってない、うちの食堂のやつだ」

美希「えーっ!? 売ってないの?」

八幡「346のタレント養成所の食堂な。食いたきゃタレントになれ」

美希「タレント養成所……わかったの! 今日はお仕事だから急ぐけど、今度また食べにくるの。ねえねえ、そこの小さい子、駅はどっち?」

杏「あ……、そこの道、真っ直ぐ歩けばすぐだけど」

美希「ありがとうなの! それじゃ、またねー!」タタタッ


八幡「何だったんだ今の……。台風みたいだったな」

杏「……ヒッキー、もしかして気付いてないの?」

八幡「ん? 何が?」

杏「わかんないなら、わかんなくていいと思う。ところで何あげたの? さっき」

八幡「小泉特製の塩おにぎり。まだ試作品らしいが」

杏「……えらい相手に塩を送っちゃったねぇ」




<移動中、車内>
凛「ここからどれくらいなの?」

八幡「あと三十分ってところだな。うちのお得意先らしい」

凛「ふーん、お付き合い長いの?」

八幡「いや、ブランドの歴史自体は短いんだが、うちにコネがあったらしくてな。業界でも一目置かれてる新鋭らしい。社長は俺と同い年なんだと」

凛「へえ、すごいね。……ちゃんとした衣装って着たことないから、ちょっと楽しみ」

<都内某所:服飾店「Little Birds」事務所>

八幡「初めまして、クールプロダクションのプロデューサーの比企谷八幡です」スッ


ことり「ご丁寧にありがとうございます! Little Birdsの南ことりです!」スッ


凛(うわあ、可愛いなぁ……。声であたまがとけちゃいそう)

ことり「クールってことは絵里ちゃんがいるところですよね! 元気にしてますかっ?」

八幡「ええ、元気ですよ。知り合いということはやっぱり?」

ことり「えへへ、はい! わたしもμ'sの一員ですっ」

八幡(この人もか。あと会ってないのは……二人か? しかし個性派揃いのグループだな)

ことり「今日はわざわざお忙しい中ありがとうございます! やっぱり受注生産だから、どうしても最初はクライアントさんと顔を合わせておきたくて」

八幡「いや、当然のことです。渋谷、挨拶しとけ。これから先きっと何回もお世話になるから」

凛「うん。アイドルの渋谷凛です。よろしくお願いします」

ことり「うんうんっ、よろしくね! ……凛ちゃん、可愛いね~! 写真よりずっとずっと可愛いよ!」

凛「え、あ、そんなことない、です」

ことり「そんなことあるある! ねねね、この前作った服があるんだけどちょっと着てみない!? 凛ちゃんきっとゴスロリとか似合うと思うんだぁ、あっでも趣味で作ったチャイナドレスとかも捨てがたいかも! あれもいいな――」

八幡(以下、南さんの忘我の時間が数分程度)


ことり「ごめんなさぁい、取り乱しました……」

凛「い、いや」

八幡「μ's慣れしてきたんで大丈夫です」

ことり「ほんとぉ? うー、恥ずかしいな。とりあえずお仕事のお話しますね?」

八幡「はい、お願いします」

ことり「今回はにこちゃんのバックダンサーをするんだよね。ということは、衣装はにこちゃんのものに合わせた感じがいいですか? にこちゃんの衣装も私が作ってるんです、完成品の
写真はこんな感じですっ」ピラッ

凛「うわ、可愛い……」

八幡「それに関しては、残りの二人のプロデューサーと協議したんですが。矢澤が可愛い系の衣装で攻めるんなら、あえて後ろはクールな感じの衣装の方が映像として映えるだろうって結論になりました」

ことり「なるほどなるほど、ちょっとシックよりな感じがいいんですね。白いシャツとグレーのベスト、みたいな」

八幡「あ、そんな感じです」

ことり「ちょっと待ってくださいね、今似てるようなデザイン図出しますから……はいっ、こんな感じです!」ピラッ

凛「! これ、いい」

八幡「良いと思います、三人で話したイメージにとても近い」

ことり「そうですか! でも既存のものをそのまま出すってなるとちょっと嫌だから、これに少しアレンジしちゃいますね。ハットとか付けるといい感じになるかもぉ」

八幡「そうですね。いっそのこと指ぬきグローブくらい突き抜けてもらって」

ことり「はぁあそれ良いですっ。いただき!」

八幡「大体の方針はそういう感じでお願いします。アレンジ加えたもののデザインが上がればすぐにこちらに送付してもらえれば」

ことり「わかりましたっ。それじゃー採寸だけさせてもらっていいかな?」

凛「はい、お願いします」

八幡「じゃ、俺は出てるんで」


ことり「……ふふっ」

凛「? どうしたんですか?」

ことり「なんかね、凛ちゃんって海末ちゃんと雰囲気似てるなって」

凛「そ、そうかな」

ことり「うんうんっ、カッコいいのにかわいいところがね」

凛「……愛想悪いってよく言われるのに」

ことり「そんなことないよっ、凛ちゃんは可愛いよー?」

凛「う……」

ことり「謙遜はなしっ。あのね、自分で自分のことかわいくないって思っちゃうと本当にそうなっちゃうんだからね! わかった?」

凛「……うん、わかった」

ことり「よろしい。今度言ったらことりのおやつにしちゃうぞー?」

凛「はい。……ありがとう、ございます」

ことり「そうやって照れると可愛いところがますます海末ちゃんと似てるー! きゃー!」

凛(一番可愛いのって、実はこの人なんじゃないのかな……。絵里さんといい、μ'sはずるい)

<夜、クールプロダクション事務所>

絵里「今日は先に上がるわね。定時なんていつぶりかしらっ」

八幡「お疲れ様です。あ、また会いたいって南さんが言ってましたよ」

絵里「あら、ことりと会ったのね。私もまた会いたいな……。元気だった?」

八幡「渋谷に興奮して服めっちゃ着せようとしてましたが」

凛「実は採寸の時に何着か着せられたんだよ……」

絵里「ふふ、相変わらずね。安心したわ。……おっといけない、約束に間に合わないわ。それじゃ、お疲れ様。凛ちゃん、明日もレッスン頑張ってね」

凛「うん、ありがとう」


八幡「…………」カタカタカタカタ

凛「…………」

八幡「…………」カタカタカタカタ

凛「……二人、だね」

八幡「ん、ああ」カタカタカタカタ

凛「…………」

八幡「…………」カタカタ

凛「……最近ね、ちょっと楽しくなってきたんだ」

八幡「……」カタカタカタカタ

凛「出なかった声が出るようになったり、勝手に身体が動くようになったり、お仕事でいろんな人に会えたりするとね。……ちょっと、楽しいかなって」

八幡「……そうか」

凛「色んな事がつまんないって私言ってたけど、そうじゃなかったのかもね」

凛「つまんないのは私だったのかも。まだ、言い切れないけど」

八幡「楽しめてきたんなら、何よりだ」

凛「うん」

八幡「…………」カタカタカタ

凛「…………」

凛「ステージ、楽しみだな」

八幡「…………楽しみにしてる」

凛「うん、頑張る」

凛「頑張るから、ご褒美欲しいな」


八幡「……ああ?」

凛「ライブの次の日、みんなオフでしょ?」

八幡「そうだな。でかいイベントが終わった後はできるだけ休みをくれるみたいでな、少なくともうちの事務所は休みだ」

凛「じゃ、その日ちょっと付き合ってよ。買いたいものがあるんだ」

八幡「えぇ……。学校の友達か本田と島村と行けよ。俺と言っても面白くねぇだろ」

凛「プロデューサーと、行きたいんだけど」

八幡「……蓼食う虫が湧く季節なのかね」

凛「だめ?」

八幡「……はぁ。わかったよ」

凛「やたっ」

八幡「お前が翌日外に出られるくらいのメンタルだったらな」

凛「もうっ、煽らないの」

八幡「はいはい……よし、終わり」ッターン

凛「あ、じゃあ私も。ね、帰りに何か食べていかない?」

八幡「天華一品に行きたいんだがそれでもいいならな」

凛「二十郎とどっちが厳しい?」

八幡「ベクトルが違うとしか言えねぇ……」

凛「ま、なんでもいいよ。一緒に食べられるなら」

八幡「……お前のようなやつと中学時代に出会わなくてよかったよ」

凛「え? なんで?」

八幡「さぁな」



凛(それからの毎日はあっという間に過ぎていった。無限に時間が足りていない気もした)

凛(ひとつだめなところが見つかると、もう一つだめな所が見つかった。それを直すともう一つ、というように)

凛(それでも私たちは時間がある限り鏡の前に向かった。この使命感はどこからくるのかな。失敗できないから? 大きい舞台だから? 初めてのライブだから? ……それとも、好きだから?)

凛(鏡と心に問いかけた。それでも答えは見つからない。だけどそれは、きっとステージの上にあるような気がしていた)

凛(――そして、とうとう前日がやってきた)


<ライブ前日、夜。ZePP東京>

スタッフ「はい、それでは舞台の確認に入ります。下から飛び出ての登場なので、足元の感覚は是非今回で掴んでおいてください。けっこう衝撃がありますので注意してください!」

三人「はいっ!」

スタッフ「矢澤さん、先に上手から入って位置の確認をお願いします」

にこ「わかりました」


八幡「でかいな……。初めて入ったわ」

雪乃「私も仕事で来るのは初めてね。キャパはスタンディングで二千四百人くらいだったかしら」

戸塚「あ、さっき情報来たけどもうソールドアウトだって! 当日券も出せないくらいらしいよ」

八幡「……あのちんちくりん、やっぱりすごいやつなんだな」

雪乃「そうね。やはりうちの主力だけあるわ」

戸塚「ぼく、PA席の方行ってくるね」

雪乃「私は少し物販の設営の方へ行ってくるわ。あなたはここで監督をお願い」

八幡「了解」

八幡(俺は大きな会場の一番後ろに行って壁にもたれかかって、舞台を見つめた。……思ったよりも遠い。ここからだとあいつらの顔までは見えないか? そんなことを思っていると、舞台の下からあいつらが飛び出てくる)
八幡(――島村を含め、誰も転倒しなかった。本田に至っては重力を手懐けたみたいだった。流石三人の中で一番動けるだけはある。……今日は、何も心配いらないな)


PA「はいそれでは、矢澤さんマイクテストお願いしまーす」

矢澤「はい、よろしくお願いします。はーはーはー、つぇ、つぇ。にっこにっこにー! あなたのハートににこにこにー! 笑顔届ける矢澤にこにこー! にこにーって覚えてラブにこー!」

PA「……はい、ありがとうございます。それでは後ろの方々、同時にコーラスマイクの発声お願いしまーす」

三人「La――――」

PA「はい、ありがとうございます。それじゃあ逆からやってくんで、動き込みで最後の曲から通しでお願いします」

にこ「わかりました。……あんたたち、用意はいい?」


凛「はい!」
未央「ばっちこい!」
卯月「お、お願いしますっ!」


八幡(少し三人とも動きが固いか? 特に島村……いや、今更粗を探してどうなる)

にこ「未央の、えーっと、上手のコーラスマイクの返しを少し強めにお願いします。……はい、大丈夫です! それじゃあこの設定でお願いします」

PA「はーいよろしくおねがいしまーす。次の照明の設定までちょっと時間があるので、バックの方々はその間再度位置取りの確認をおねがいしまーす」


凛「広い、ね」

未央「そーだねぇ。お客さん、どれくらい入るのかな?」

卯月「チケットは完売だって言ってたよ」

凛「完売……」

凛(私たちが今立っている広大なステージに、チェック用の色とりどりの照明が降り注ぐ。スモークを炊いたりもして、私たちの表情は蒼く、朱く、非日常の色に染まる)

凛(そんな明滅する私たちの前に広がるのは、ステージなんかよりはるかに大きな闇。ここに明日、たくさんのお客さんが現れるらしい)

凛(嘘みたいだと思った。明日上手くやれるだろうか。不安をどろりと溶かして満たしたような深淵に、魂をもっていかれそうになる)

凛(そういえば聞いたことがある。こちらが深淵を覗いているとき、深淵もまた――)

凛「あ……」

凛(身体が震えた。にこさんに、二人にバレていないだろうか。私はごまかすように闇の奥を見た)

凛(――そこに、あなたがいた)


凛(顔まではわからないけれど、きっといつもの気怠そうな目で私を見てくれている)

凛(明日もそこにいるんでしょ? なんか、なんとなくそんな気がするんだ)

凛(そういえば、うまくいけば明後日はプロデューサーと出かけるんだっけ。なら、頑張らなくっちゃね)

凛(震えは止まった。明日、カッコいい自分でいたい)

凛「ずっと私のこと、見ててね」

<前夜、キュートプロダクション移動車内>

雪乃「それじゃ、明日は頼むわね」

にこ「任せなさいって。私があんたの前で一度でもヘマしたことある?」

雪乃「手間ならかけさせられているけれど? あぁ、この前現場でよそのアイドルに掴みかかったのは誰かしら」

にこ「うぐっ……。それは謝るけど! でもそれはあいつが!」

雪乃「わかっているわよ、プロ意識に欠けて気に入らなかったのでしょ。あなたのその感情的なところ、嫌いではないけれど損をするわよ」

にこ「……わかってるわよ」

雪乃「と、プロデューサーとしては言っておくわ」

にこ「?」

雪乃「雪ノ下雪乃としては、よくやったわ、と言ってあげる」

にこ「……あんた、やっぱり私のプロデューサーよね」

雪乃「それじゃ、体調に気を付けて」

にこ「あ、待って。この車、事務所に戻すのよね?」

雪乃「ええ、そのつもりだけれど」

にこ「じゃあちょっとついでに養成所に寄ってあげてくれないかしら。……卯月が残っているのを見たって、きらりから連絡がね」

雪乃「わかったわ。……ふふ」

にこ「何笑ってんのよっ」

雪乃「あなたは誤解されやすいけれど、本当にお姉さん気質ね」

にこ「ち、違うわよ! あの子が今日もしケガでもしたらにこのステージに影響するから言ってるだけなんだからね!」

雪乃「はいはい」クスクス



<346タレント養成所:貸出レッスン室>

卯月「うーん……あと一回だけ確認しようかな~」

星空凛「悪い子はいねぇかー!! おらー!」ガララッ!

卯月「ひゃあっ!?」

星空凛「やーっぱり居た。もう、みくにゃんといい努力バカはこれだから」

卯月「えっ? えっ?」

星空凛「命令。今すぐストレッチしてシャワー。……OK?」

卯月「はっ、はいっ!」



星空凛「――ほら、ホットミルク」

卯月「わあ、ありがとうございます!」

星空凛「それ飲んだら、今日は帰らないと駄目にゃ」

卯月「……すいません」

星空凛「あはは、怖いのはわかるけどね。本番前に休むのは一番大事なレッスンだよ?」

卯月「わかっては……わかってはいるんですけど。今日、リハだったんですよ」

星空凛「知ってる知ってる。行けなかったけどね」

卯月「そこでも私、またミスしちゃって。練習ではできたんです。でも、明日もしできなくなっちゃったらどうしようって、そう思うと……」

星空凛「んー、そっかそっか」

卯月「あ、凛さん。コップ返します」

星空凛「……ねえ、しまむー。それ置いて立って?」

卯月「え? はい」

星空凛「じゃ、片足立ち十分! よーいどん!」

卯月「わわわっ!?」


――十分後

星空凛「はい、おわり!」

卯月「ふ、ふぅ。できて良かったあ……」

星空凛「……ほら、できたにゃ」

卯月「!」

星空凛「最初にレッスンしたとき、三人とも一気に倒れちゃったの覚えてる?」

卯月「はい。あの時は十分なんてむちゃくちゃだ~って思ったんですけど、毎日やればなんとかなるものなんですね!」

星空凛「うんうん。ところで今日、報告で聞いたんだけど、登場はジャンプ台だったんでしょ?」

卯月「そーなんですよ! こう、ごーって上がって、いきなりぴょーんと!」

星空凛「その時、しまむーはこけたかにゃ?」

卯月「いえ、大丈夫でした! ……あ」

星空凛「ほら、ね。少し前のしまむーだったら、きっとジャンプ台なんて不安定な場所で立てなかったと思うな。片足立ちが効いてるんだよ」

卯月「ホントだ……」

星空凛「練習は嘘つかないよ。凛が最初に言ったこと覚えてる?」

卯月「はい!」

星空凛「毎日やればできるけど、毎日やらないと絶対にできるようにはならない。……でも、しまむーはそれができるようになったんだよ?」

卯月「……」

星空凛「誇りなよ。凛はずっとみんなを見てたよ!」


卯月「はい……はい」

星空凛「本番でミスしないのって、ひょっとしたら無理かもしれないけど。でもしまむーはそれでいいんだと思うよ。そこがしまむーの魅力だよ!」

卯月「ミスが……ですか?」

星空凛「あはは、正確にはミスそのものじゃなくてね。しまむーはミスしちゃっても、きっと楽しすぎてやっちゃったんだなーって見た人は思うんだよ。それぐらい、アイドルやってるしまむーは楽しそうでキュートだにゃ。……ねえ、しまむーはどうしてアイドルになろうと思ったの?」

卯月「私が……私がアイドルになりたいわけは」

卯月「アイドルが好きだからです! ステージの上のアイドルはとってもキュートで楽しそうで、それを見ているお客さんも釣られて一緒に楽しくなって! まるで魔法みたいだなって!私も765の天海春香さんみたいな、あんなアイドルになってみたいって思ったからです!」

星空凛「そっか、じゃあ明日はその気持ちを忘れずにステージに立とうね! 凛もお客さんと一緒に見てるよ!」

卯月「はいっ!」


――こんこん、がららっ。


雪乃「失礼します……あら、星空さん」

星空凛「雪ノ下さん、お疲れ様です。しまむーはもう帰る準備できてますよー」

雪乃「あら、そうですか。余計なお世話だったかしら」

卯月「いいえ、迷惑かけてすいませんっ! 今出ます!」

雪乃「ねえ、島村さん」

卯月「なんですか? 雪乃さん」

雪乃「まだ、明日が怖い?」


卯月「……楽しみですっ!!」

<当日夜、ZePP東京>

アナウンス『本日はキュートプロダクション所属、矢澤にこ1stフルアルバム"Miracle Track"発売記念ツアーファイナル、"笑顔の魔法、にっこにっこにー"ZePP東京公演にご来場いただきまして、誠にありがとうございます。当会場は――』

――がやがや。がやがやっ。

八幡「うぇえ、なんて人だ。人がゴミのようだ……」

雪乃「本当ね、しかも喋るなんて」

八幡「俺を見て言うのやめてくれません? しかし、ここまで人が来るもんなのか……」

雪乃「あなた、アイドルのライブは初めてなの?」

八幡「ない。人の集まる所が嫌いだからな」

雪乃「……頭が痛くなってきたわ」

八幡「人に酔ったか?」

雪乃「相変わらず都合のいい解釈がお得意なのね」

星空凛「おーい、ふたりともー!」タッタッタッ

八幡「ああ、星空。来てたのか」

星空凛「教え子の初舞台だからね! 行くにきまってるにゃ!」

雪乃「うちの事務所の子たちも大体来てるわね。相変わらず高坂さんだけは過密スケジュールで無理だったのだけれど。ついこの前までごねてごねて大変だったわ……」

八幡「このド派手な献花はそのせいか……他の花の三倍くらいのサイズあんぞ」

星空凛「三人の様子はどうだった?」

八幡「他の二人は知らんが、少なくとも渋谷は堂々としてたぞ。……大したもんだよな」

雪乃「同じく島村さんもね。礼を言います、星空さん」

星空凛「わはは、なんのなんの!」

八幡「控室に付くのは今日は戸塚に任せてある。ま、本田も大丈夫だろ」

星空凛「そっかそっか、じゃあ安心だね?」

雪乃「矢澤さんに会わなくていいんですか?」

星空凛「えへへ、やめとくにゃ。どーせ真姫ちゃんが来てるだろうし、邪魔するのもねー」

八幡「? そうか」

星空凛「あ、もう始まるね! 凛、行くね」

八幡「ん、もう行くのか?」

星空凛「うん! やっぱライブは前の方で見ないとね!」

八幡「じゃ、俺も行くかね。雪ノ下は?」

雪乃「私は二階の関係者席があるから。あなたの分も取ってあったと思うけれど?」

八幡「今日はやめとく。柄じゃねぇし」

雪乃「そう。では、これを渡しておくわ」

八幡「? なんだこれ」

雪乃「サイリウムよ。アイドルのライブでは使うものなの。持ってないと浮いてしまうわよ。いや、あなたもともと浮いてたわね」

八幡「お前の認識に憂いてるよ俺は……。サンキュ、じゃあ後でな」

雪乃「ええ、またあとで」


――がやがや。がやがや。

ことり「凛ちゃーん!! 久しぶりー!」ダキッ

星空凛「ことりちゃん!! 久しぶりだにゃ! また可愛くなってる!」ダキッ

希「ちょっと痩せたんと違う?」

ことり「それを言うなら絵里ちゃんもじゃないかなー?」

絵里「お互い健康的な痩せ方をしたかったわね……」

花陽「今度そっちの事務所にもおにぎり持っていくね! 試作品が完成したんです!」

ことり「……あれー? 穂乃果ちゃんは聞いてるけど、海未ちゃんと真姫ちゃんは?」

絵里「真姫はにこの楽屋に会いに行ってたからそろそろ戻るんじゃないかしら。海未は……詳しくはわからないんだけど、来れないって言ってたわね」

ことり「そっかぁ……残念だなぁ」


――がやがやっ、がやがやがや。

アーニャ「もうすぐ、はじまりますね?」

きらり「にこちゃんのステージ、すっごく楽しみだにぃ!」

莉嘉「未央ちゃんたちだけずるいー! アタシも出たかったー!」

美嘉「そう言わないの。今度アタシと一緒にやろ?」

前川「……どんなもんか、見届けてやるにゃ」


――がやがやっ、がやがや。

八幡(数えると気が遠くなりそうなぐらい人がいた。やはり男性が多いが、老若男女と言っていいだろう。……これだけの、数千の人間があの幕の向こうのたった一人の存在のために集まっている)

八幡(口では何度も言って理解したつもりだったが。やっぱりあいつ、すげえんだな)

八幡(これだけの人の中、前に行くなんて俺には理解しがたい。だから、いつものように一番後ろの壁際にもたれかかった。周囲を見ると、皆サイリウムを折っている。俺も思い出したようにポケットからそいつを取り出し、折った。――まるでそれがスイッチになったみたいだった)

八幡(薄く流れていた音楽とぼんやりとした照明が一気に消えた)



――わぁぁあああああああああ!!!


八幡(途端に湧き上がる場内は、ピンク色のサイリウムで幻想的に彩られた。幕に向かってハートが桃色のレーザーで描かれる)

八幡(心を描かれた幕が、真ん中からゆっくりと割れていく。暗闇に現れるは、雄々しく小さな後ろ姿だ。背中は覚悟を現すのだと言う。なるほどそうだとその時思った)

八幡(観客の叫びに応えるようにドラムのシェイクビートが始まる。バンドインと同時に、彼女はそのトレードマークの二つ結びを勢いよく振り回して、満天の笑顔で振り返った)


『にこぷり! にこにこ! にこぷり!』
――Yeah! 『にこにこ!』
『にこぷり! にこにこ! にこぷり!』
――YeaH!
『Pretty Girl! ……こんにちは! 矢澤にこですっ!』


――わぁああああああああ!!


八幡(……これが、プロのステージなのか)

八幡(圧倒される。観客たちは心から夢中になっている。音の、声の一つ一つに臓腑を揺さぶられる。……魔法はあるんだって、信じたくなる)

八幡(組んだ腕の左指が自然とリズムを取っていることに気付く。サイリウムを握っている右手に心臓の鼓動がダイレクトに響いた。この灯は命でも燃やしているのだろうか)


八幡(そこから、洗練された彼女のステージを熱に浮かされたように見ていた。……相対性理論って本当なんだな)

八幡(――時間が飛んだみたいに、もう次の曲であいつらの出番になった)



スタッフ「MCあけたら行きます! スタンバイお願いします!」

三人「はいっ!」

凛(……! 未央、震えてる。大丈夫かな、私が――)


戸塚「本田さん、震えてる。ふふふっ、可愛いね」

未央「は、はー!? 震えてないし! 可愛いとかさいちゃんに言われたくないなぁ!」

戸塚「ああ、そっか。それは失礼しちゃった」

未央「ふんだ!」

戸塚「……ねぇ、本田さん。この前ぼくの好みのタイプのおはなししたよね?」

未央「あ、うん。結局教えてくれなかったけど」

戸塚「じゃ、今教えるよ」

戸塚「――ぼくはね、カッコいい人が好きなんだ」

戸塚「だからね。カッコいいとこ、見せてほしいな?」

未央「……うん! 任せろ!」

戸塚「よしっ」

未央「さいちゃんこそデートプラン決めといてよね! いい加減だったらダメ出しするよ?」

戸塚「ふふ、はいはい。それじゃ、行ってらっしゃい」

――ばたん。

卯月「ねえねえ未央ちゃん! デートってどういうことですか?」

未央「このライブが成功したらね、さいちゃんに連れてってってお願いしたんだ! それがこの前言ってたご褒美なのさっ!」

凛「……未央も、なんだ」

未央「え!? もってことはしぶりんも?」

凛「うん、ゴネたらしぶしぶ聞いてくれた」

卯月「実は私も、今日成功したら雪乃さんとお買い物しませんかって!」

未央「…………ぷっ」

卯月「あははっ」

凛「ふふっ。似た者同士、だね」

未央「だね! ……よーし、ニュージェネレーションズ、いくぞ!」

卯月「ジャンプするとき掛け声しましょうよ!」

凛「何にする?」

未央「そんなの」

卯月「決まってます!」

凛「……だよね!」


にこ『さて、そろそろ魔法使いを始めようかしら! いくわよ!!』

――うぉおおおおぉお!!


――♪『届け魔法 笑顔の魔法 みんなを幸せに
    にっこりの魔法 笑顔の魔法 涙さよなら
    にっこ にっこ にこにこーだよ♪』


    『ほら――楽しくなっちゃいなさい!!』



スタッフ『セクション突入! ジャンプ行きます! カウント!』
    
           「せえのっ……」
    


          ――にっこ にっこ にー!――
    





八幡
戸塚「「「よしっ!!!」」」
雪乃



にこ『On Backs――ニュージェネレーションズ!!』

――わああああああああ!!!




凛(その瞬間、時が止まった)

凛(宙に浮く私たちを待っていたのは、星めいたサイリウムの灯)

凛(燃えている。笑顔のお客さんたちが持っている心の灯火は、確かに酸素を喰って燃えている)

凛(私の瞳はそのとき、きっと導火線だった。暗い現実の世界に灯る輝く世界の魔法を吸い込んで、心の臓腑に辿り着く)

凛(凍っていた私の心は、今、燃え始めた)


――わああああああああ!!



にこ『みんなありがとう! ……ありがとう!』

未央『はぁ、はぁ……。やった……!』

卯月『ありがとうございまーすっ!』

凛(あぁ……。もう、終わっちゃうんだ……)

にこ『今日はみんな本当に来てくれてありがとう。にこは、今日みんなと一緒に時間をすごせて、本当に本当にうれしいです!』

――おれもだー!!!


にこ『あははっ、ありがとう! みんな、ニュージェネレーションズの子たちはどうだった?』

――わああああああ!! ありがとー!!

にこ『聞くまでもないみたいね。感想でもきいてみよっか……凛!」

凛『!』

にこ『どう? 初めてのステージは』


凛『……最っ高!!』

――わああああああああ!!


にこ『次で最後の曲です。……ふふふ、お決まりのやつありがとね。じゃあ曲に入る前に一つだけ。今回、にこは初めてフルアルバム出して、そのツアーをして、今ここにいるけど。……でもこれがゴールなんかじゃないからね! にこのアイドル生活は、まだ始まったばっかりだから』

にこ『ニュージェネレーションズも今日はありがとう。でも、あんたたちはもう今日から可愛い後輩なんかじゃない。頂点を争うライバルなんだからね!』


卯月『……はいっ!』
未央『待ってろー! すぐ追い抜いちゃうからねー!』
凛『負けないよ?』


にこ『ふふっ、頼もしいわね。新しい世代はそうじゃなくっちゃ。……それじゃあ最後の曲にいこうかしら。アルバムには入ってないけど、最後にどうしてもこの曲がやりたかったの。ふふ、にこのファンならきっと知ってる曲だから』

にこ『それじゃ、この曲を。にこたちを応援してくれるみんなに。ニュージェネレーションズの門出に。支えてくれるスタッフやプロデューサーたちに。……この曲を作ってくれた、親友の為に! 聞いて!』



にこ『START:DASH!』



にこ『I say――hey,hey,hey,START:DASH!』

凛『Hey!』

未央『Hey!』

卯月『Hey!』


『START:DASH!!』

<翌日、昼。竹橋駅>

凛「あ、来た。遅い。遅刻だよ」

八幡「まだ十分前じゃねーか……。いつから来てんだよ」

凛「……別にいつだっていいでしょ」

八幡「ライブの翌日くらい昼まで寝ればいいのによ」

凛「ハナコの散歩があるからね。そういう訳にはいかないよ」

八幡「立派なことで。……で、どこ行くんだ?」

凛「お茶の水のほう」

八幡「はぁ? じゃなんで竹橋なんだよ、総武線ユーザーなんだからお茶の水集合にしてくれよ……」

凛「私が東西線なんだもん」

八幡「明日から剛田って呼んでいい?」

凛「ふふっ、リサイタルが上手くいったんだから許してよ」

凛「ね、プロデューサー。歩こう?」


凛「わあ、紫陽花が綺麗」

八幡「そうだな」

凛「皇居って、散歩すると楽しいからさ」

八幡「なるほどな。だから竹橋なのか」

凛「うん。ちょっとランナーが邪魔だけどね」

八幡「事務所も近いし、最近千代田区ばっか来てる気がすんな」

凛「あ、そういえば絵里さんの高校も千代田区なんだって」

八幡「どこだっけか、μ'sがいたとこだよな」

凛「音ノ木坂」

八幡「……なに?」

凛「あれ。知ってるの?」

八幡「妹の母校だ。俺は行ったことねーけど」

凛「ふーん。……あ、千鳥ヶ淵だ」

八幡「……早いもんだよな」

凛「覚えてるんだ。初めて一緒に挨拶回り行ったとき通ったよね。もう、葉桜も残ってない」

八幡「三ヶ月か。会社に勤め出してからもうそんなに経つのか……。ひょっとして俺ってこのままズルズルと社の畜生として一生を終えるのか? え? やばくね?」

凛「年貢の納め時なんじゃない?」

八幡「夢を売る業界なんだから専業主夫の夢くらいいつまでも持たせてくれよ」

凛「夢見るだけなら自由だけどさ」

八幡「嗚呼、あそこのボートに乗って一日過ごすだけの仕事に就きてえ……」

凛「何言ってんの。……乗ってみる?」

八幡「いや、いい」

凛「そう? じゃ、次来た時一緒に乗ろうね」

八幡「ん、ああ」

凛「約束だよ」

凛「いつか、果たしてね」

<お茶の水、楽器街>

八幡「楽器屋がありすぎてどれがどれやらわからん」

凛「私も。とりあえず中古屋に入ろうかな」

八幡「聞いてなかったが何買うんだ?」

凛「……ベース。この前の撮影で、面白いなって思って」

八幡「へえ。いいんじゃないか」

凛「私も全然楽器わからないんだ。プロデューサーは楽器できる?」

八幡「家にギターがあるけどな。無事Fで挫折した」

凛「ふふっ、楽器できなさそうな顔してるもんね」

八幡「方向性の違いでコンビ解散すんぞ」


八幡「なんか初心者セットとかあんぞ。これでいいんじゃないのか」

凛「こういうのってしょぼくて安物買いの銭失いになるからやめた方がいいんだって。最初は中古で買って、音楽のことがわかってきたら二本目がセオリーだってさ」

八幡「それ、誰から聞いたんだ?」

凛「撮影のときの社員さん。メール送ったらばーって超長文が来たよ」

八幡「ああ、そうか。てっきり雪ノ下に聞いたのかと」

凛「え。雪ノ下さん楽器できるの?」

八幡「少なくともギターは上手いぞ。文化祭の時弾いてたしな」

凛「……本当に何でもできるんだね」

八幡「そうかね。意外と欠点だらけだぞ、あいつ」

凛「…………ふーん」

八幡「あ、おい。どこ行くんだよ」

凛「試奏。その辺うろついてればっ」

八幡(急に不機嫌になったな。……ないない。思い上がるなっつの。そんなことはありえない)


凛「――うん。これにします」

店員「はい、ありがとうございます。ただいまケースをお持ちいたしますので。お支払方法はいかがなさいますか?」

凛「現金一括で」

店員「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」

八幡「……漢だな」

凛「お給料入ったからね。高校生には多すぎるくらいだけど、こういう時くらいはね」


店員「あのう……」


八幡「ん?」

凛「なんですか?」

店員「その……不躾な質問なんですが、お客様はモデルなどをされていらっしゃるんですか?」

凛「うーん……似たようなもの? かな?」

八幡「俺に聞くなよ」

店員「ああ、やはりそうですか。道理でお綺麗でいらっしゃると思いました」

凛「あ、いや、その……どうも」

店員「実は当店、ただいまバンドガールキャンペーンを実施してまして。右手のコルクボードが見えますか?」

八幡「お、写真だな。めっちゃある」

店員「そうなんです。当店で楽器をお買い求めになる女性のお客様が、もし買い物の後にお写真の掲載を許可していただけますと、十万円までの楽器のお値段が二割引きになるキャンペーンでして」

八幡「へえ。安くなるんならいいんじゃないか」

店員「お客様はとても美人でいらっしゃいますので、撮らせていただけると当店としても大変嬉しいです!」

凛「うーん。じゃ、条件が二つ。この人と一緒に写ってもいいですか?」

店員「ええ、全く構いませんよ。お連れ様と一緒の写真も何点かございますので!」

八幡「えぇ……」

凛「プロデューサーが二割持ってくれるんなら撮らなくてもいいよ」

八幡「俺って写真大好きなんだよな。魂躍動しちゃう」

店員「ありがとうございます。それでは撮らせていただきますね――」


凛「ふぅ。ベースって結構重たいんだね」

八幡「持ってやろうか?」

凛「いい。自分で持ちたい」

八幡「そうかい。にしても、二つ目の条件。一枚持って帰りたいってなぁ……」

凛「いいでしょ。一緒に写真撮ったことないんだもん」

八幡「……いいけどよ。用は済んだし、帰るのか?」

凛「え? 何言ってるの?」

凛「せっかくのご褒美だもん。一日付き合ってもらうよ?」

八幡「……へいへい。イエス、マイアイドル」

<夜。帰り道>

凛「すっかり遅くなっちゃったね」

八幡「本当だよ。どうしてこう女子って奴らは買い物に時間がかかるんだ……」

凛「そんなこと言えるほど経験ないでしょ」

八幡「ほっとけ。妹もいるしそれぐらいあるわ」

凛「……なるほど。だからなのかな」

凛(私何も言ってないのに荷物とか持ってくれてるし。……そういえば、一緒に歩いてるとき、疲れたことないかも。歩幅、合わせてくれてるんだ)

凛(ああ、ほんとあなたって人はさ)

凛「優しいよね」

八幡「……何言ってんだ」

凛「ひとりごとだよ。得意でしょ?」

八幡「お前は皮肉の方が得意みたいだな」

凛「ふふっ、こんな人と三ヶ月ずっといたらそうなるよ」

凛「ねえ。プロデューサーは、優しいね。……今度は、独り言じゃないよ」

八幡「……ひとつだけ為になる話をしてやる。今から言うことは、決してツンデレの裏返し発言なんかじゃない。お前は何か勘違いをしてる」

八幡「――俺は、お前が思っているほど、いい奴なんかじゃない」

凛「……ふうん。そっか。ふふっ」

八幡「おい、わかってんのか?」

凛「うん。わかってるわかってる」

八幡「勝手にわかった気になるなよ。誤解だぞ、それは」

凛「誤解も、解のひとつでしょ?」

八幡「っ……」

凛「どうしたの? 変な顔。……あのね、ひとつ言っとくけどプロデューサーをいい人だなんて思ったことないから」

八幡「……は。お前は俺のトラウマを抉るのが得意だな。昔、同じことを言われたよ」

凛「そうなんだ。その人がどうだったか知らないけど、私はプロデューサーのこと」

凛「優しいから、厳しい人なんだなって思ってるよ。どういう意味かは教えない」

八幡「なんだそりゃ。考え方はわからんが、好意的解釈が過ぎないか」

凛「それでもいいよ。当たってても外れてもいいし、それに私がどう思おうとプロデューサーには関係ないし、何より変わってなんてくれないでしょ」

八幡「……そうだな。変わらないことに関しては定評がある俺だ」

凛「そんなあなたが育てるアイドルだよ。プロデューサーが何か言ったところで解を変えてくれるわけないでしょ」クスクス

八幡「捻くれた超理論だな」

凛「全くだよね。誰に似たんだか」

凛「……人に人が変えられるだなんて思い上がりだ、か」

八幡「いい言葉だ。言った奴はきっと絶世の美男子に違いない」

凛「そうだね。目はひどいけど、カッコいい人が言ってた」

八幡「……。調子狂うからやめてくれ」

凛「ふふっ、無理無理。悪役気取るにはツメが甘すぎだよ」


八幡(大きなベースを背負った渋谷はそう言うと、俺の数歩先へ駆けて、振り返った)

八幡(丸くて大きな月を背負う彼女の笑みが幻想的で、思わず足を止めてしまう)

凛「……ライブね、すっごく楽しかった。終わっちゃうのが寂しかった」

凛「レッスンは死ぬほどきつくて、正直行きたくないなって思った日もあったけど、それでもやってよかったって心から思えた」

凛「楓さんが、ハートに火が点くんだって言った意味、わかったんだ」

凛「お客さんがこっちを見てくれて、私も熱くなって。……忘れられない」

凛「プロデューサー、私ね。……私ね」


凛「アイドル、やってよかったよ」


八幡「……そうか」

凛「プロデューサーのお蔭でもあるんだよ」

八幡「いや、俺は何も」

凛「何を言おうと、私の思ってることは変えられないよ?」

八幡「……」

凛「だからね、終わったら言おうと思ってたこと、言うね」

凛「……ありがとね。これからも、一緒にいてね」

八幡(この感情を何と言い表せばいいのだろう。仕事冥利? ……いずれにせよ、言葉にならん)

八幡(彼女が俺に何を思っているのか、与り知ることはできない。他人が何を思っているかなんて理解することなんて不可能だ。頭はそうと知っているんだ)

八幡(それなのに、……それなのに。知りたいと思い始めている俺は傲慢なのだろうか)

八幡(それはなぜだ。……好きだからか。それだけは絶対にないと信じている)

八幡(たぶん今も昔も、俺が好きなのはたった一人だけだから。ではなぜ、知りたいと思う。いつも通りのアレなのか。……それこそもっとないと信じたい)

八幡(自ら問いかけた、きっと重要であろう問題の解答欄は空のままだ)

八幡「……ああ。半人前だが、これからもよろしく頼む」


八幡(けれど、今は思うのだ)

八幡(きっとそれは「今」解けないだけであって、いつかこの問いに答えを出せる日が来るのだと)

凛「うん。じゃ、帰ろっか」

八幡(明確な根拠が何一つなくて俺らしくないが、ここはひとつ彼女の笑顔に免じて空欄のままにしておこう)

八幡(そしてその時が来るまで、俺はまた忙しさに愚痴を吐きながらあいつを見ていよう)

八幡(右ポケットで震えた仕事用の携帯に彼女の新たな未来を感じながら、俺は凛として夜を裂くベースのシルエットを追いかけた)


ふー。というわけでしぶりん立志編、終了です。全体の30パーセントが終了しました。
今日中にまた書きに来ます。読んでいただいてありがとうございます。ではでは。

【346プロ】アイドル部門総合スレッドPart31

12 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/06/27(水) 08:43,34 ID:rTgs56W3
にこにーのライブマジで良かった。喉からCD音源って本当なんだな

18 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/06/27(水) 09:25,98 ID:Hd4EagHk
  まあまだ水瀬伊織の下位互換感は否めないけどな。346はまだまだよ

21 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/06/27(水) 09:55,62 ID:GhR4GklR
>>18 こいつ水瀬伊織じゃね?

25 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/06/27(水) 10:42,11 ID:lrS34mok

  それにしてもバックのニュージェネレーションズもかなり良かったんじゃね??
  あの子らって雑誌とかラジオのゲストとか地方ローカルTVのゲストとかばっかりで
  まだ全然大きな仕事してないよね??きてるきてるきてるよこれは

33 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/06/27(水) 11:46,89 ID:KlFr98T5
素人だからわからんけどダンスも歌も良かったよね。やっぱり才能ある奴はちげーな
  4月デビューだしそんなに練習してないだろうにあれとかな。やっぱ才能はいいっすね~

38 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/06/27(水) 12:22,91 ID:Dkim54Ws

  来週の346チャンネルはニュージェネ特集に決まったらしいな。録画不可避
  なんにせよこれでニュージェネの人気高まったのは確定的に明らか。
  グラビアはよ。しまむーのケツ供給が足りてないぞ。

55 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/06/28(水) 02:14,07 ID:kLpo34Sd

  これで来月からのLIVEバトルの楽しみも増えるよね~! 8月から新人解禁っしょ?
  海末ちゃん推しだったけど最近アレだし渋谷凛に夢中になりそう。正統派美人だよな~
  対戦発表が近い。今から楽しみで禿げあがりそうだわ

58 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/06/28(水) 06:09,01 ID:KeDs4E2W
夏に備えよう。――いくぞアイドル板。金の貯蔵は十分か?


<七月初頭、昼。クールプロダクション事務所>

八幡「暑い……クールビズとか焼け石に水だろってくらい暑い……」カタカタ

絵里「ダメよ……ウチはエアコンの温度は二六度って決まってるんだから……」カチッ、カチッ

八幡「金持ってんのにケチだなうちの会社は……」

絵里「ケチだからお金持ってるんじゃない?」

八幡「はぁ……。よし、一段落」ッターン

絵里「んーっ。私も」ノビー

八幡(あぁ薄着なのにそんなことしちゃ駄目! 目が! 目がダイソンしちゃう! すごく……ボッカチオです……)


絵里「……! ちょ、ちょっと! どこ見てるのよ!」

八幡「え、あ、その、さーせん」

絵里「ごめんで済んだら警察はいらないの!」

八幡「誠意を見せたら許してくれるってかーちゃんが言ってました」

絵里「その台詞のどこに誠意があるのかしら……?」

絵里「……はぁ、まあいいわ。油断してた私も悪いしね」

八幡「あのいや本当にすみません昼食奢るんで勘弁してください」

絵里「ふふふっ、よーし。じゃあ一休みのランチで許してあげる」

凛「こんにちはー……。あれ、プロデューサー、なんで机で土下座してるの?」

八幡「いやこれにはマリアナくらい深い理由があってだな」

絵里「ふーん? 実はさっきねー」

八幡「すいません! ほんとすいません! 渋谷にバレると絶対めんどくさいんでやめてください!」

絵里「えー。どうしよっかなー、うふふ」

凛「ちょっと。めんどくさいってどういうことなのっ」

八幡「そういうとこだよ……」



<数時間後、キュートプロダクション事務所>

凛「こんにちは、渋谷ですけど」

ちひろ「あっ、凛ちゃん! この間のライブ、とっても良かったですよ!」

凛「ありがとう。ちひろさんに褒められると嬉しいな」

ちひろ「雪乃ちゃんに会いにきたんでしょう? ちょっと待っててね、今少し出てるから」

凛「うん。発表があるんだけど、できたら企画主任の雪ノ下に直接聞いて来いってプロデューサーが」

ちひろ「ああ、そういえば今日は解禁日でしたね。わたしも楽しみになってきたな~!」

凛「? ボジョレーはまだだよ?」

ちひろ「……誰かにわたしが酒豪って言われました?」

凛「ううん。この前の歓迎会の時にそうなのかなって思っただけ。顔色全く変わってなかったしね」

ちひろ「鋭い。……凛ちゃんも、勝手に傷つくことがないといいね」

凛「?」

ちひろ「ふふっ、ごめんなさい。お茶を出しますから応接室にいてくださいね」



凛(やっぱりここの紅茶は美味しいな。雪ノ下さん、どこで買ってるんだろう)

みく「プロデューサー? ここにいるのかにゃー?」ガチャッ

みく「……あ」

凛「前川さん。お邪魔してるよ」

みく「……渋谷、凛」

凛(……まただ。愛くるしい猫のイメージと全然似つかないこの目線)

みく「にゃっはは! いらっしゃい! 存分にくつろいでいくといいにゃ」

凛「あ、うん」

凛(自意識過剰なのかな。目から何かを感じるなんて。……でも、視線に見えない力があるのは嘘じゃないもんね。最近痛いほど実感してるし)

凛「そう言えば。猫耳、事務所でもつけてるんだね」

みく「そうだよー。可愛いしね! 凛チャンは猫、好き?」

凛「うん、嫌いじゃないよ。家では犬を飼ってるけどね」

みく「じゃあ、凛チャンは犬派なんだ?」

凛「そうかも。最近プロデューサーに犬っぽいとか言われたりもしたね」

みく「へぇ……」


みく「……この前のライブ、良かったにゃ」

凛「本当? ありがとう。そう言ってもらえると嬉しい」

みく「にこちゃんってやっぱり流石だにゃ。可愛いのに熱さが両立してるライブって言うのかな。みくもいつかああいうライブをしたい」

凛「そうだね。今度はバックじゃなくて、自分たちの名前で人を呼べるように……」

みく「ニュージェネレーションズで?」

凛「うん。一つの目標かな」

みく「みく、ライブのときずっと凛チャンたち見てたよ! 初舞台とは思えなかったにゃ!」

凛「ふふっ、ありがと」



みく「――でも、みんなに自分が劣ってるとも思わないにゃ」



凛「!」

みく「……負けない。誰にも負けないよ」



雪乃「ごめんなさい渋谷さん。待たせてしまったわね」

凛「いえ。雪ノ下さん、仕事の時は雰囲気変わるね」

雪乃「そうかしら。特に姿勢などが悪いつもりはないのだけれど……」

凛「あ、違います。そういう意味じゃなくって、髪縛ってるし、眼鏡かけてるし」

雪乃「……比企谷くんには言わないでね」

凛「え、なんで?」

雪乃「内緒。それより前川さんを見なかったかしら? まったく、今日正式に通知すると言ったのに」

凛「さっきまでここにいたけど、レッスンに行っちゃった」

雪乃「そう、ありがとう。彼女には後から連絡ね。……渋谷さん、改めてライブお疲れ様。とても完成度の高い公演だったわ」

凛「うん……ありがとう、ございます……」

雪乃「? どうかした?」

凛「何も」

雪乃「そう? では話を続けるわね。初めてのライブはどうだった?」

凛「最高でした。何度でもやりたいって、そう思います」

雪乃「そう。ならば朗報と言うことになるのかしら」


雪乃「渋谷凛さん。あなたには八月のライブバトル新人戦に出てもらいます」

凛「! じゃあ、まさか相手って」

雪乃「……いい舞台を期待しているわ」



みく「渋谷凛。……相手にとって不足なし、にゃ」

みく(……勝負や、噛ませ犬)

<翌日、パッションプロダクション事務所>

美嘉「イチ抜け~★」

莉嘉「わっ、お姉ちゃん早い!」

未央「さすがカリスマッ、一番最初から四枚とかズルだよー!」

海末「むむむ……」

戸塚「ふふ、多分園田さんがジョーカー持ってるよ」

海末「どうしてわかるんですかっ!?」

戸塚「今園田さんが教えてくれた~」

美嘉「海末さん、わかりやすすぎ……」

未央「さいちゃんも結構いじわるだよね。はい次莉嘉ちゃん!」

莉嘉「えいっ! ……やたっ! 次でアガリー☆」

戸塚「ありゃりゃ、やっぱり姉妹だね」

海末「さあ未央! 引くのですっ」

未央「これかな? これかなー? それとも?」

海末「……!」パアァアア!

未央「あ、これがダメなやつだ! ちゃんみおドロー! よーし、あと一枚!」

海末「なあぁあ!? どうしてみんな私の手札がわかるのですか!?」

戸塚「いやいや、みんな運がいいんだよっ」ニコニコ

海末「むむむ……!」

美嘉(最初止めに来たのに結局海末さんが一番ノリノリじゃん……)



美嘉「おっ、海末ちゃん二枚でプロデューサーが一枚だ!」

莉嘉「ケッセンだねー!」

未央「さいちゃんの雌雄決する!」

戸塚「えへへ、いくよー?」

海末「来なさいっ!!」

戸塚「こっちかな?」

海末「はぁ……!」パアアァアアア!

戸塚「こっちかなあ?」

海末「えっ……」ズウゥウウウン

莉嘉(あちゃー……)

未央(口で言うよりバレバレだよぉ……)



戸塚「……ふふっ、じゃあこっちにしとくよ」スッ

美嘉「!」

莉嘉「えー!?」

海末「やったっ! ふふふっ、いい気味ですっ!」

戸塚「ありゃりゃ、ジョーカーだったか」ニコニコ



美嘉「ちょっとちょっと、八百長じゃないのアレ」ヒソヒソ
莉嘉「バレバレだったのにねー。やさしさかなー」ヒソヒソ
未央「いや……多分違うと思う……」


戸塚「はい、じゃあ選んでよ園田さん」

海末「勝たせてもらいますよっ。……こっちですか?」

戸塚「へえー」ニコニコ

海末「うっ……、こ、こっちでしょう?」

戸塚「かもねー」ニコニコ



未央「奴は遊ぶ気なんだよっ!」

美嘉「すごい、どっち持ってるか全然わかんない……」

莉嘉「ぽーかーふぇいす☆?」

未央「ババ抜きだけどねー」



海末「ううう……! わ、笑ってますけど実はこっちなんでしょう!?」

戸塚「あっ……」ピクッ

海末「! 力が入りました! こっちですっ!!」ピッ

戸塚「そっちはジョーカーだったのになー」ニコニコ

海末「うわああああああああ!?!?!?」

戸塚「ぼくの番~、こっちこっち」ピッ

海末「ああああああっ!?!?」

戸塚「あーがりっ、イエーイ」

莉嘉「いえーい!☆」パンッ!

海末「どうして……どうして勝てないのですかっ!?」バキッ

戸塚「よーし、お仕事しようっと」

海末「待ってください! もう一戦! もう一戦だけっ!」

戸塚「ええー? もう何回もやったじゃない」

海末「そこをなんとか! 収録までもう少しだけ時間はありますからっ!」

戸塚「頼み方に誠意を感じないよねー」ニコニコ

海末「ううぅ……! もう一戦だけお願い致しますこの通りですっ」

戸塚「はい、キュートプロの戸塚です。お疲れ様です、お世話になっております……」ピッ

海末「ちょっとー!?」



美嘉「意地悪だ……」

莉嘉「えー? でもさいちゃん、アタシたちにめっちゃ優しいじゃん☆」

未央「んんー? もしかしてそういうことなのかな?」

美嘉「? 何が?」

未央「……美嘉ねぇ、自称恋愛マスターなのに」

美嘉「自称って言わないでよ!?」

<パッションプロ、移動中車内>

海未「どうして私がバラエティ番組に呼ばれるんでしょうか? 一応かっこいい寄りの曲を歌うことが多いはずですのに……」

戸塚「知らぬが仏って言うじゃない?」

海未「はあ……?」

戸塚「それより来月の対戦表出たよ。もう見たかな?」

海未「いえ、まだです」

戸塚「ぼくの鞄の青いファイルの一番上にあるから見ていいよ。毎年恒例、新人戦は346同士の個人戦だから」

海未「新人戦、ですか」ピラッ



会場:千葉マリーナスタジアム
エントリーするプロダクション:346各プロダクション、876プロダクション、スターライトプロモーション、大村事務所、ひろしエージェンシー
出場者及びユニット:対戦組み合わせ
    渋谷 凛―前川 みく
    島村 卯月―園田 海未
    本田 未央―高坂 穂乃果
    日高 愛―春日 未来
    双葉 杏―城ヶ崎 美嘉
    インディヴィジュアルズ―ニューウェーブ
    新幹少女―魔王エンジェル   次項に続く



海未「新人戦の相手に穂乃果が出るのですか!?」

戸塚「本人の要望なんだってさ。困ったなあ、今の未央ちゃんじゃ逆立ちしたって勝てないよ」

海未「……未央ちゃん?」

戸塚「あ、目敏い。この前から名前で呼んでーって言われちゃってそうしてるんだ」

海未「……そうですかっ」

戸塚「八幡のところは前川さんとかあ。今からすごく楽しみだな」

海未「後で映像にて拝見しましたが、ニュージェネレーションズは素晴らしいですね。少なくとも私がスクールアイドルを初めた時、あれほど練度の高いステージを創り上げることはできませんでした」

戸塚「そうだねー! ああいうのを見ると、この仕事できて本当に良かったなって感じるよ」

海未「……私の時でも、そう思ってくれますか?」

戸塚「当たり前じゃない。君が一番だよ」

海未「っ……またそんな心にもないことを言って!」

戸塚「ええー? ぼく、園田さんには嘘ついたことないよ?」

海未「こ、こっちを見ないでくださいっ! 安全運転!」

戸塚「あははっ、はいはい」ニコニコ

海未(気に入りません気に入りませんっ! こちらはいつも赤面してばかりなのにこの人ときたらっ)



戸塚「さて。八月もよろしくね? 雪ノ下さんには悪いけど、容赦なく倒してしまおうよ」

海未「……はい。普段通り、やれることは尽くします」

戸塚「……終わったら、どこか一緒に行こうか。未央ちゃんだけは不公平だよね」

海未「えっ? いえ、そんな! 戸塚くんは忙しいのですから、私などに時間を費やさず休むべきです!」

戸塚「ぼくが行きたいんだ。だめかな?」ニコニコ

海未「うっ」

戸塚「おねがぁい!」

海未「……はぁ。わかりました。全く、戸塚くんはズルいです」

戸塚「わーい、ありがとう! じゃ、どこがいい?」

海未「そうですね。……テニス、ではどうでしょうか」


戸塚「……え? テニス?」

海未「比企谷くんとは行ったのでしょう? 私とは行けませんか?」

戸塚「……わかった、いいよ」

海未「あっ、なんですかその反応は。言っておきますが、私、結構スポーツは何でもできるんですよ? あれから少し練習もしました!」

戸塚「あはは、知ってるってば。……園田さんとは、久しぶりだね」

海未「リベンジです! 負けっぱなしは嫌なので!」

戸塚「ふふ、ババ抜きも練習した方がいいよ」

海未「余計なお世話ですっ。……あ、到着しましたね。それでは」

戸塚「待って。連盟の戦績表が更新されたから渡しておくよ」

海未「……いりません。捨てておいてください」バタン


戸塚「……ぼくだっていらないし、見たくないよ、こんなの……」




全日本アイドル連盟 識別番号3209
園田 海未(そのだ うみ) Rank:C
今年度LIVEバトル通算成績 7戦 0勝 7敗 0分


<数日後、夜。クールプロダクション事務所>

凛「~♪」

絵里「上がるわね。お先に。あ、あと明日私は本社に行く用事があるから午後から来るわ」

八幡「了解っす。お疲れ様でした」カタカタ

アーニャ「あ、エリ。私も、いっしょしていいですか?」

絵里「勿論。それじゃね」バタン


八幡「……」カタカタカタ

凛「~♪」

八幡「……おい」

凛「~♪」

八幡「おいって」

凛「……ん? あ、何?」

八幡「お前、イヤホンしてる上にヘッドホンって意味わかんねぇことしながらベースしてんのな」

凛「あ、これ? この小さいプラグがアンプになってるからその音をイヤホンで流して、原曲をヘッドホンで聞いてるの」

八幡「器用なことしてんな。それよりいいのか、明日も学校だろ。こんなとこで遅くまでベース弾いてていいのか」

凛「明日から学校ないよ。テストも終わって、夏休み」

八幡「な、つやす…み……?」

凛「そ。三年生だから宿題もないしね」

八幡「……俺も夏休み取っていい?」

凛「ふふっ、絵里さんに聞いてみなよ」

八幡「言える訳ねぇだろ。大体俺ももうすぐ夏休みだしなんなら人生の夏休みなのになんで働いてるんだろうな。意味わかんねぇ」

凛「まあそう言わない。アイドルと過ごせる夏なんてなかなかないじゃん」

八幡「そう思い込んどくか……。にしても、ライブバトルね……」

凛「イマイチよくわからないんだけど、ライブバトルって普通のライブとどう違うの?」

八幡「やることは普通のライブと変わらんが、その名の通り勝ち負けが決まる。アイドルのパフォーマンスに対して審査員のポイント、観客のポイント、視聴者のポイントで得点を合算。数字の大きいほうが勝ちだ」

凛「視聴者?」

八幡「インターネットでな、月額数百円で加入者はライブの中継を家に居ながら見ることができる。今はクリック一つで投票できちまう時代だからな。こいつがアイドルのプロ野球版みたいな感じで爆発的な人気らしい」

凛「なるほどね」

八幡「対戦方法は様々だ。連盟が指示したその月の課題曲を対戦者同士が一回ずつやったりだとか、一番を一人が歌ってもう一人はバックでコーラスとダンス、二番になったら交代とかな。あとは選曲も完全自由で先攻後攻を分けるだけとかもある。この方式の時は審査に曲の有利不利ができるだけ響かねぇように、似た系統の曲で戦う不文律がある」

凛「へえ……。ライブをする曲はなんでもいいの?」

八幡「アイドル連盟に登録されてる曲だったらな。うちの会社の曲は全部登録されてるし、なんなら知名度があるからμ'sの曲だって全部入ってるぞ」

凛「そうなんだ! またいつかSTART:DASH!とかやりたいな」


八幡「ただ……暗黙のルール? みたいなもんがあるらしい」


凛「? なにそれ」

八幡「765プロの曲を使わないこと、だとよ」

凛「……難しいから?」

八幡「違う。本家があまりにも上手すぎるんだ。やるからには相応の実力がないと、粗が目立ちすぎてポイントが得られない」

凛「うーん、でも逆に実力があればやっていいんじゃない? みんな知ってるからノリやすいだろうし」

八幡「……問題はそれだけじゃねぇんだよ。ライブバトルには二つルールがあってな」

八幡「ひとつ。自分、もしくは自分が所属するユニットの持ち曲をライブバトルでカバーされた場合、曲の持ち主はカバーされたアイドルに対戦を申し込む権利を得られる」

凛「うわ、それじゃ本物が出てくるかもしれないんだ。たしかにあそこが出てくると圧倒的に負けそうだね……。でも、対戦断ればいいんじゃない?」

八幡「そこでもう一つのルールだ。ライブバトルは基本、事務所がアイドルから対戦したい相手の希望を聞いて連盟に提出する。人気のあるアイドルなんかと共演したがるやつは多いから、ランクが上のアイドルは対戦を受けるかどうか自由に決められる。あ、新譜出すときとかは下からの願いでもランクがそんなに離れてなけりゃ絶対に希望が通るっていう例外ルールがあるがな。ビジネスだから。まぁ、ビジネスゆえに新譜で負けちゃったらマイナスプロモーショ
ンになるから、あんまりやる所は多くないんだが。……話が逸れた。これは覚えなくていい」


八幡「ところがだ。もし逆に、ランクが上のアイドルが下のアイドルに対戦を希望した場合、対戦を断ることはできねぇんだ」

凛「それじゃあ……」

八幡「そうだ。カバーしたら最後、765との正面衝突は逃れられない仕組みになってる」

八幡「俺は765のことをよく知らんから絵里さんからの受け売りになっちまうが、基本765は対戦権を得たら絶対に行使してくるらしい。それで相手をフルボッコだ」

凛「それ、ちょっと悪質じゃない?」

八幡「これも受け売りだが、彼女たちに悪意はないらしい。全員が全員、向上心の針が振り切れてるから向かってくる相手を心から歓迎するんだと。それに、一本でも多くライブをやりたいらしい」

八幡「強すぎるから、誰もライブバトルを彼女たちに申し込んでこない。逆に彼女たちがライブを申し込んでも、受け手は圧倒的に負けるのがわかっているから本気でやらない。怪我してますとか言うんだ。そうすれば負ける側に言い訳が立つからな」

凛「強すぎるが故の悩み……ってやつ? なんだか、少年漫画みたい」

八幡「獅子博兎を体現してる集団だからな。ある意味本気でタチが悪い」

凛「ふーん……。じゃあ、やっぱり現状のトップアイドルは765なんだ?」

八幡「そうだ。もし万が一、765プロにライブバトルで勝つアイドルがいたなら」

八幡「正真正銘、そいつがトップアイドルだな」

凛「……ふーん」

八幡「ま、お前はその前に目の前の相手に集中した方がいいぞ」

凛「あ、そうだ。この前ね、喧嘩売られたんだ。前川さんに」

八幡「やっぱお前ら仲悪いだろ……」

凛「私は嫌いじゃないよ? ただ、まだ自分の敵じゃないみたいなことを言われちゃった」

八幡「……そう言われてどんな気分だ?」

凛「そこまで本気になってくれるとアイドル冥利に尽きるかな」

凛「――ぜったい、負けない」

<翌日、養成所レッスン室103>

八幡「準備できたか? 失礼のないようにな」

凛「うん。でも、たった二曲だけなのに作曲家さんに挨拶するんだね」

八幡「……ま、布石ってやつだ」

凛「?」

――こんこん。がちゃっ。

???「お待たせしちゃって申し訳ありません。ちょっと講義が長引いちゃって」



真姫「作曲家の、西木野真姫よ。よろしくね」



八幡「プロデューサーの比企谷八幡です」

凛「アイドルの渋谷凛です」

真姫「二人ともよく知ってるわ。比企谷さんは凛や絵里からよく話を聞くし、渋谷さんは生で見たしね。いいステージだったわ」

凛「え? 見てくれたんですか、ありがとうございます!」

八幡「と、いうことは西木野さんもあいつらの?」

真姫「ええ、μ'sの一員。ちなみにμ'sの作曲は全て私が担当しているわ」

凛「START:DASH、すごく好きです。歌わせてもらって本当にうれしかったです」

真姫「そう言ってもらえると嬉しいわ。……あ、でも、また私の曲でいいの?」

凛「はい。私を大きな舞台で助けてくれたのがにこさんだから、それを返せるような曲がやりたいんです」

凛「何より、私、西木野さんの曲、好きだから」

真姫「……そ。好きにするといいわ」プイッ



八幡「なんか態度悪くないか?」
凛「死んでもプロデューサーには言われたくないだろうしあれはただテレてるんだよ」
八幡「どうしてわかる」
凛「似たようなのを散々見てるから」



八幡「――よし、堅苦しいほうの話は終わったんであとはお願いします」

真姫「了解よ。ピアノを使ってもいいかしら」

八幡「はい。じゃ、外に出てるんで」

凛「? さっきから何を言って――あ、プロデューサー!」


――ばたん。


真姫「さて、唐突だけどあなたの実力を試させてもらうわ。START:DASHはまだ歌える?」

凛「え、あ、はいっ、もちろん」

真姫「それじゃ、発声をしたら歌ってもらうわ。ピアノを弾いてあげるからそれに合わせてね」
真姫「いい? いくわよ――」



真姫「――うん。いいじゃない。あなたの音域はわかったわ。hiDあたりになると少し力が入るわね。難しいかもしれないけれど、高い音を出すときほど脱力を意識するといいわ」

凛「はいっ」

凛(西木野さん、ピアノだけじゃなくて歌がものすごく上手……。こんな上手な人、楓さんと如月千早以外で初めて見た)  

真姫「あなたの声は、いいわね。意志の強さを感じるわ」

凛「そんな。西木野さんに比べたら全然ですよ」

真姫「……敬語をやめてくれるかしら。苦手なの。真姫でいいわ」

凛「わかりま……わかった。真姫さん」

真姫「そう、それでいいの」クスッ

凛(あ、この人、こんな風に笑うんだ)


真姫「あなたはどんなアイドルになりたいの?」

凛「うーん。実は、誰かに憧れてこの世界に入ったわけじゃないから、誰みたいになりたいとかそういうのはないんだ。あ、でも海末さんみたいに黙々と出来る人にはなりたいかも」

真姫「そう。誰の背中も見てないというのはある意味長所になるし、いいんじゃないかしら」

凛「そうなんだ。でも、難しいことはわからないんだけど、この前のライブをして思ったんだ」

凛「ライブをもっとしたい。誰にも負けないくらいすごいライブをやりたい。来た人がドキドキして、熱を忘れられないようなライブをする、そんなアイドルになりたいな」

凛「私、今まで時間を無駄にしてたなって思うから。これから少しでも取り戻せたらいいなぁ……。何だか、ぐちゃぐちゃな答えになっちゃったね」

真姫「……そう。あなたが少しわかったわ」

凛(そう言うと真姫さんは薄く笑って、細い指を鍵盤の上に走らせた)

凛(聞いたことはないけれど、私好みで力強さを感じる音の旋律だった)

真姫「頑張んなさい。私の曲使うからには負けんじゃないわよ?」

凛「……うん!」


<数日後、朝。キュートプロダクション事務所>
雪乃「ごめんなさい、ではここのNG企画の予算見積はお願いするわね」

八幡「わかった。今日は千葉テレビだったな?」

雪乃「ええ、時間が近いからもう行くわ。あなたは?」

八幡「アーニャのレッスンを見に行くつもりだが」

雪乃「そう。ならついでにあの国民義務の反逆者、一緒に連れていってくれないかしら」

杏「勤労も納税も教育も全部嫌だー!!」

八幡「……なんかお前ことあるごとにあいつの処理俺に任せてないか?」

雪乃「餅は餅屋と言うじゃない。似た者同士だからやりやすいでしょう?」

八幡「一緒にすんな。俺はこいつと違ってサボると決めたら誰が何言おうとサボる」

雪乃「あなたには飴どころか鞭をくれてやりたいわ……」



八幡「おら、行くぞ。俺は他人の仕事を増やすのは大好きだが増やされるのは嫌いなんだ」

杏「おい、デュエルしろよ」

八幡「出たよデュエル脳。言っとくがライフ減っても一歩ずつ下がっていったりはしないぞ」

杏「杏とデュエルして勝てたらレッスンに行ってやる! そのかわり杏が勝ったら今日は一日有給にしろっ!」


八幡「ハア……。はいはい、で、何でやるんだよ」

杏「これだっ」

八幡「また懐かしいゲーム機を……V2の方か。2on2?」

杏「いや、手っ取り早く普通でいんじゃない?」

八幡「パーツの制限は?」

杏「特になしだよ」

八幡「了解」ピッ

杏「こいつっ、ためらうことなくベイオネットを……!」ピッ

八幡「お前こそベルにロウガセットとか付けてんじゃねぇよ! 悪魔か!」ピッ

杏「勝てばいいのさ、勝てば」カチャコロカチャコロ、バンッ

八幡「ま、その点じゃ同意だがな。……うわ、足」

杏「勝負は非情だよ、ひっきー」ドゴン! ドゴン!

八幡「この野郎……。おらっ」

杏「ちぃ。ステルスがうざい……!」

八幡「現世でもステルスの俺に死角はない」

杏「心まで痛いんだけど。ちょっ、痛い痛い!」

八幡「初代のマモルを完封した俺をなめんなよ。あぁ、ユリエ……」

杏「このシスコン! くっ、強い……っ」

八幡(……こいつ、対人慣れてねぇのか? ほとんどガンしか打ってこねぇな)

八幡「はい勝利。連行な」

杏「うぅう……そんなあ……」

八幡「約束守れよ。男らしくねぇぞ」

杏「ついてないよっ、杏は」

八幡「え、あ、おい、おま、言い方」

杏「ん? ……この動揺。ひっきーってまさか、スピッツ?」

八幡「…………愛してるの響きだけで人は強くなれねぇんだよ」

杏「……すまんことを聞いた」

八幡「うるせぇ立場的には魔法使いなんだからこれでいいんだよ」

杏「……ふーん。そっか。じゃ、プロデューサーと何もないってのは嘘じゃなかったんだね」

八幡「……ずっとそう言ってたろ。出るぞ。準備しろ」

杏「はいはい」

<346タレント養成所:レッスン室201>
アーニャ「わあ、プロデューサー。見に来てくれた、ですか?」

八幡「いい加減少し仕事も覚えてちょっと余裕ができてきたからな。調子はどうだ?」

アーニャ「ダー……。Неплохо、まあまあ、です」

美嘉「雪乃ちゃんはー?」

八幡「仕事でテレビ局。悪かったな俺で」

美嘉「あはっ★ 比企谷くんもアタシは好きだよ?」

八幡「はいはい嬉しい嬉しい」

ルキトレ「そろそろ始めますよー?」

杏(……女慣れてるんじゃなくて勘違いしないように過度に自制してるのか。目と性格以外悪くないのにな。だからモテないのかな? いやこれひょっとして卵か鶏かって問題?)

ルキトレ「あ、杏ちゃーん?」

杏「はいはい、やるよやるよー。そういえば杏の相手って美嘉だっけー?」

美嘉「そうだよ! 杏には負けないよ。買ってあそこの夏の新作を買うんだー★」

杏「あれ? 雀の涙ほどじゃなかったっけ、賞金」

八幡「お前ら両方CDデビューしてるだろ。スポンサーついてるから今回勝てば結構金いいぞ」

杏「局所的に本気を出す必要があるようだね! へーいルキトレー!」

ルキトレ「うう、いつもこのぐらいやる気出してくださいよ~!」



杏「ふー、きゅうけい。外に出てるよー」

ルキトレ「あ、もう。杏ちゃんったら……」

美嘉「アタシらはもう少し個人練してていい?」

アーニャ「ダー。美嘉、ライブバトルの練習、付き合います」

美嘉「ホント!? ありがと!」


八幡「なんか、すいませんね。あいつが迷惑かけて」

ルキトレ「うーん、わたしのレッスンがもっと良くなれば杏ちゃんも聞いてくれるのかなあ」

八幡「あいつは多分誰がトレーナーやっても変わらないと思いますが……」

ルキトレ「本当にもったいないです。杏ちゃんは、嫉妬のしようもないくらいの天才なのに……」

八幡「あいつ、一回見ただけで大体覚えますよね」

ルキトレ「杏ちゃん、絶対音感も持ってるんですよ。だからかピッチは外さないですし、何より一切の動きにムダがないんです! 一番合理的な動きを最初から引き当てちゃうんですよ! もし杏ちゃんが毎日ちゃんと練習して磨きをかければ、765に勝つことだって!」

八幡「それ、ひょっとして面倒くさがりの究極形なのかもしれませんね」

ルキトレ「なのに杏ちゃんときたら一曲終わるごとに逃げてばっかりで。二曲続けてなんてやったことないしダンサブルな曲なんて初めからやってもくれません! うー!」

八幡「……連れてきますよ」

<食堂>

花陽「あっ、比企谷さん」

杏「げげっ、もう追手が」

八幡「何してんだ?」

花陽「材料費とかの収支計算をしてたんですけど……」

杏「はい終わり。報酬はおにぎりでいーよー」

花陽「杏ちゃんがすごいんですっ! 桁が大きい計算なのにほぼペンが止まってませんでした!」

杏「こんぐらいインド人なら誰でもできるんじゃないの?」

八幡「おまえはインド人をなんだと思ってるんだ……」

花陽「杏ちゃん本当にありがとう! 今おにぎり作ってくるね!」タタタッ

八幡(……この桁数を一瞬で? 見た感じ足し引きだけじゃないんだが)

八幡(……税金のことも抜かりなく計算してあるな。……こいつ、あの立てこもりの時、ひょっとして……。考えすぎか?)

杏「どしたのひっきー。そんな心配しなくてもあってるよ」

八幡「……いや、俺は数学はさっぱりわからん。にしてもすげーな」

杏「そう? そんなにおかしい? だってひっきー7×8するときに一々考える? 数字聞いたらすぐ出るでしょ? そんなもんだよ」

八幡「理数系が得意なのか?」

杏「んー? あんまり勉強で苦労したことはないかなあ」

八幡(……スマホで適当に問題探して出してみるか。物理とかできなそうな顔してるし、こいつはどうだ?)スッ

八幡「スカイツリーの頂上からりんごを落としたら落下直前の速度はいくらになる? 重力加速度は9.8」

杏「スカイツリーって高さいくらなの?」

八幡「確か634mじゃなかったか?」

杏「じゃあ……秒速111.474mだね」

八幡「即答かよ……。待て、サイトには時速で載ってるから合ってるかわからん」

杏「時速だと401.306kmじゃない?」

八幡「……合ってる」


八幡(……634の開平方を一瞬でやるってどんな頭してんだ? ダンスも一瞬で記憶するし、こいつもしかしてマジもんの天才なのか?)

杏「なんだその目はっ。いかさましてないぞ!」

八幡「いや疑ってねぇよ。てかこんだけ何でもできるのになんでお前アイドルやってんだ? アイドルも、レッスンちゃんとやれば765越えだって出来るってルキトレさん言ってたぞ」

杏「んー? 杏がなんでもできる? 冗談でしょ」

八幡「やらないだけだろ、お前は」

杏「……二人して核心突いてくるねぇ。でも、杏がなんにもできないのは本当~」

杏「あのねひっきー。もしこう言われたら信じる?」

杏「あなたに三億円さしあげます。返さなくて結構です。好きに使ってください」

八幡「信じるわけねぇだろ。なんか裏があるに決まってる。世の中ウマい話はねぇ」

杏「そうそう、わかってるじゃん。そういうことだよ」

八幡「……? おい、どういう」


美希「あー!! この間の人たちなの!」


杏「げっ」

八幡「うおっ、この前の。どうやって入って来たんだ?」

美希「えー? 守衛さんにサインあげたら入れてもらえたよ?」

八幡「はぁ? サイン? わけわかんねぇこと言ってねぇで外出てくれないか。一応一般人入れちゃダメってことになってるんだ。おにぎりならやるから」

美希「…………え? もしかして、この人、ミキのこと、知らないの……?」

杏「あー、この人あんまし普通じゃないから気にしない方がいいよ」

花陽「お待たせー…………!?!?!?!?」

花陽「ヴェエエエエェエェエエ!?!? 星井美希ィ!?!?!?!」

美希「そうだよね。大体こうなるの」

八幡「ん……? 星井美希ってたしか」

花陽「何言ってるんですか比企谷さん765プロの星井美希さんですよ! トップアイドル集団の765の中でも全てにおいて卓越した能力を持ちあの伝説の日高舞に比肩すると言われている現代最高のカリスマアイドルですよ去年なんて全日本フォトグラフ大賞女性が選ぶ女の敵タレント一位を同時受賞し写真集の売り上げは30万部を超え」

杏「花陽、落ち着いて」

花陽「はっ!? ……どどどどうして星井美希さんがここに!?」

八幡(こいつが765の星井美希、なのか)

美希「この前この人にもらったおにぎりがとっても美味しかったからまた食べに来たの!」

八幡「あー、この前の試作品な。こいつにやったんだ」

花陽「そうだったんですか!? 光栄です光栄です今持ってきた分を全て差し上げますぅ!」

美希「わあ、ほんと!? やったー!!」ムシャムシャ

杏「あっ、それ杏のやつなのに!」

美希「……!! やっぱり美味しすぎるのっ!? なんなのなの! なんなのなの!」

花陽「ありがとうございますっ!」



杏「……置いてかれちゃったね」

八幡「小泉ってあんなにキャラ変わんのな。知らなかった」

杏「あれ、そっち? それにしてもひっきーってトップアイドルが目の前に居ても動揺しないんだね。あんなモデル顔負けのド美人なのにさ」

八幡「知らねぇし二度目だしな。大体見た目の好みで言うならし……」

杏「ん?」

八幡「……なんでもねぇ」



美希「うん! それぐらいならいいよ!」

花陽「本当ですかっ!?」

美希「じゃ、いこ?」

花陽「えっ、今ですか?」

美希「善は急げなのー!」

八幡「お、おい。お前らどこ行こうとしてんだ?」

花陽「え、ええと」

花陽「星井美希さんが、今から少しパフォーマンスを見せてくれるって……」

<レッスン室201>

美希「お邪魔しますなのー! あ、続けて続けて」

美嘉「……!? 星井美希さん!?」

アーニャ「……ничего себе」

ルキトレ「え、ええ!?」



美希「あ、この曲美希知ってるよ! TOKIMEKIエスカレートでしょ?」

美嘉「え、あ、はい!」

美希「城ヶ崎美嘉ちゃんだよね! この曲、可愛いから好きなの」

美嘉「本当ですか!?」

美希「ねね、一緒にやろうよ。アーニャちゃん、ちょっと変わってほしいの!」

アーニャ「ダ、ダー。構いません、です」

美希「ありがとなの!」


八幡「ゴーイングマイウェイすぎる」

杏「ま、せっかくだから見とく? 杏も練習しなくていいし」

ルキトレ「あ、あのあの。これは一体どういうことなんですか?」

花陽「楽しみですぅうう!! 動画撮りますー!!」



美希「アーニャちゃん、音源流してなの!」

美嘉「あの、美希さん。いきなり合わせて大丈夫なんですか?」

美希「うん、大丈夫なの!」


美希「何回もやったから」



八幡(TOKIMEKIエスカレートは俺も知ってる。城ヶ崎のレッスンは何度か見ていた。あいつが多忙な日々の中、できるだけレッスンを入れるように心がけていたのも知ってる。この曲はそんな城ヶ崎美嘉の一つの結晶だ)

八幡(目の前で行われたことは、ともすればその結晶を踏み潰す蹂躙だったのかもしれない)

八幡(……同じ動き、同じ声を出しているんだぞ。それなのにどうしてこうも違う)

八幡(星井の動作の一つ一つに目を奪われる。爪先まで神経が通っているようなその動きに、残像さえも幻視しそうだ。視線が切れない。動きに重力がある)

八幡(伸び伸びとした声のビブラートが鏡面に乱反射して部屋を駆け巡る。心地良さを通り越して、放心してしまった。真っ白になった心にカラフルな声が染みてくる。……そうだ、目の前では一緒に城ヶ崎がパフォーマンスをしているんだ。そんな当たり前のことさえ、忘れていた)

八幡("喰われる"って、こういうことを言うのか)

八幡(知らず、固く握りしめてしまった己の拳に気付く。拳の微細の揺れの正体。――これは、畏れだ)

八幡(今までずっと渋谷たちを見てきた俺にはわかる。……遠い。あまりにも、遠い)

八幡(こいつが頂点。トップアイドルの高み)

八幡(糸の切れた人形のように立ち尽くす俺のそばで、双葉が何事かを呟いた。その言葉が脳髄に届くことはない。頭を占めるのは、これからの渋谷たちの道のりに落ちる大きな山の影のことだけだった)



杏「……これが一番上かぁ」

杏「あと四段階、ってところかなぁ」


<翌日、346タレント養成所:レッスン室202>
星空凛「はい、今日は全体練習はここでおしまい!」

未央「え? 早くない?」

星空凛「ライブバトルの練習しなきゃダメでしょ? 一人ずつ見てあげるから順番ね!」

卯月「そうでした! 私っ、海未さんとなんですよ!」

凛「私は前川さん」

未央「私なんて穂乃果さんだよ! この仕打ちマジでどいひーだよ!!」

星空凛「……あはは、聞いたにゃ。やるからには、頑張らないとね」

卯月「はいっ! えへへ、私、海未さんと同じステージに立てるのが今から楽しみです!」

星空凛「……よーし! 海未ちゃんたちには悪いけど勝ちに行くにゃー!」


八幡「…………」

凛「? プロデューサー、どうしたの?」

八幡「いや、なんでもねえよ」

八幡(……比較なんて意味のないことだ。そもそも歯向かわなければいいだけの話だしな。こいつらは一歩一歩階段を上がってきゃいい)

八幡「ちっと煙草吸ってくる」


<タレント養成所:四階廊下>
凛「戻るの遅いな……。居るとしたらこの階なんだけど」

凛(それにしても、四階にもレッスン室ってあったんだ。……貸出室かぁ。私も家だけじゃなくてこういうところで詰めたほうがいいのかな?)

凛(喫煙所に向かって廊下を歩いて行くと、レッスン室の一つから音漏れが聞こえてきた。よく見ると引き戸が少し空いているみたい。少し好奇心が湧いて、その部屋を覗いてみた)


みく「はぁっ、はぁっ……!」

ベテトレ「なんだその程度か。高坂はお前と同じキャリアの時、終わった後笑っていたぞ」

みく「にゃ、にゃはは……。流石はμ'sのリーダーだにゃ……」

ベテトレ「これは持論だが。同じ土俵に立つ限り、相手を上に見る発言をするべきではない。自らに逃げ場を与えるな」

みく「……はい。よしっ、もう一回苦手な2番のBをお願いしますにゃ!」

ベテトレ「よし。先刻言ったことを意識しながらやれ。ルーチンワークを行うな。頭を使わない練習は時間をドブに捨てていると思え」

みく「はい! 頑張りますっ」

ベテトレ「言葉はいらん。結果で見せたまえ。私の休憩時間を使ってやるんだ、成果は返してもらおう」


凛(私と一緒に演る曲を前川さんは踊る。本番での私の位置にはベテトレさんがいた)

凛(扉の隙間から二人の練習を見つめる私は、知りたくもないことを知ってしまった)

凛(……前川さんは。前川みくは、現時点では私より一枚も二枚も上手だ。ダンスのキレも、声の滑らかさも、柔らかい表情も、全て)

凛(思わず足に力が入って、つま先が引き戸に当たり小さな音が鳴る)

みく「!」

凛(彼女だけがその音に気付いて、覗いている私と目が合う。そして次の瞬間、彼女は)

凛(口元を三日月に歪ませて、にやりと笑った)

凛(見られていると分かって、どこまでも不敵に。これが私だと言わんばかりに)

凛(私は居ても立ってもいられなくなって駆けだした)

凛(一秒でも早くレッスン室へ。……あんな視線を投げられて、穏やかでいられるほどできた女じゃない)

凛「今のままじゃ、ダメだ」


ベテトレ「? 今誰か居たか?」

みく「……好奇心って犬も殺すんかな。ふふ」

<数日後、午前。浜松町ラジオ局>

凛「改めましてこんばんは。第34代目シンデレラジオパーソナリティの渋谷凛です」

アーニャ「ゲストの、アナスタシアです」

凛「というわけで私がさっきのコーナーで負けちゃったから罰ゲームなんだけど……やだなぁ……」

アーニャ「リン。やらないのは、シドーフカクゴ、です。ふふふ」

凛「その日本語どこで覚えたの? ……まあいいや、覚悟決めるよ。えーっと、それじゃあ罰ゲームボックスから引くね。ちなみにゲームの内容、今日はプロデューサーと放送作家さんが決めたみたい」

アーニャ「あ、じゃあ私がドラムロールやります! だらだらだらだらだらだら」

凛「……引きたくないなぁ」

アーニャ「だらだらだらだらだら……」


凛「えいっ」
アーニャ「だんっ!」


『アーニャにホッポウリョウドカエセと言う』


凛「ちょっ!! ここカット!! シャレになってないから!! この字プロデューサーでしょ!? 何考えてんの!?」

アーニャ「何て、書いてありました?」

凛「冗談抜きで生命に関わるから言えない……。引き直します、えいっ」

『キュートプロのアイドル、諸星きらりちゃんのものまね』

アーニャ「ワオ! これはいいカード、引きました!」

凛「き、きらりのものまね……? えぇぇ……!!」

アーニャ「Вкусный! おいしいです」

放送作家『はい行きまーす』

凛「ちょ、ちょっと待って!」

放送作家『3,2,1、キュー』


凛「……に…にょわぁー☆ りんちゃんだにぃ……? りんちゃんのきゅんきゅんぱわー? でハピハピさせるにぃ……☆」

八幡『あはははははは!! はっははははっ、げほっ、げほっ』

凛「……うわあああああああ!!!」

アーニャ「あっ、リン! シュウロクチュウ、逃げちゃダメ、です」

凛「帰る! 帰るぅー!!」


八幡「いやー、今回のオンエアは楽しみだな」

アーニャ「ダー。音源、ほしいです」

凛「……二人とも嫌い」

八幡「スタッフさんにも受けが良かったぞ。作家サイドが乗ってる番組は面白いはずだ」

凛「どうも人柱です」

八幡「拗ねんなよ。それより今から移動して千葉でローカルテレビ番組の収録だぞ。交通費支給するから電車だけど領収書忘れないようにしてくれ。収録後は直帰でいい」

凛「わかった。あ、プロデューサー」

八幡「? なんだ?」

凛「今日、凛さんって養成所にいるかな」

八幡「確か今日は夜までいたと思うが……何か用事か?」

凛「うん、ちょっとね」

<夜、346タレント養成所講師室>

星空凛「お? しぶりん、こんな時間に珍しいね。どしたの?」

凛「収録が押してちょっと遅くなっちゃった。凛さんにお願いがあってきたんだ」

星空凛「お願い? ふふふ、ラーメンでも奢ってほしいのかにゃ?」

凛「……いつものレッスンとは別に、空いてる時間で個人的なレッスンをつけてほしいんだ」


星空凛「!」

凛「この前ね、ちょっと前川さんのレッスン見たんだ。……私より全然うまいと思う。このままじゃライブバトルで負けちゃう」

凛「ね、凛さん。私負けたくない。上手くなってね、またあんなライブをしたいんだ」

凛「お願いします。大変なのはわかってるけど、私に稽古つけてくれませんか」



星空凛「……君たち三人は本当にー!」

凛「……ダメ、ですか?」

星空凛「揃いも揃って! 大好きだにゃー!!」ギュッ

凛「わっ、凛さん! 苦しいよ!」


星空凛「よーし! よく言った! 考えてあげるから、一旦今日は帰るにゃ」

<翌日、夜。都内某所の屋台>
花陽「へええ……そんなことがあったんだ」

真姫「この現代によくもまあそこまで真っ直ぐな娘たちがいるものね」

凛「だよねだよね! もう凛は嬉しくてねっ。おじさん、ビールもう一本!」

花陽「三人同時ですかぁ。ドラマだなー!」

凛「嬉しいなぁ。真っ先に凛のところに来てくれるってことは、信頼してくれてるんだよね!」

真姫「そうじゃない? 未央は凛は厳しいって愚痴ってたけどね」

凛「なぬ。あいつは一人だけメニュー倍にしてやるにゃ!」

花陽「ちくわぶください。……そっか、真姫ちゃんもみんなに会ったんだね」

真姫「個性派揃いで面白いわ。いい曲が書けそうね。特にあの娘、凛」

凛「はぁい!」

真姫「アンタじゃないわよ。渋谷凛。……いい眼よね、穂乃果を彷彿とさせるわ」

凛「にゃはは、性格は真逆だけどね」

花陽「凛ちゃんは凛ちゃん推しだよね! あれ、なんかこんがらがっちゃった」

真姫「推しと言えば……あの娘が気になるわ。前川みく」

凛「しぶりんの対戦相手だよ」

真姫「え、そうなの? 困ったわね、どっちを応援すればいいのかしら。両方クライアントなのに」

花陽「ライブバトルはいつも応援する人に困るけど、今回は特にだね」

凛「海未ちゃん、穂乃果ちゃんかぁ。手ごわいにもほどがあるにゃ」

真姫「味方につけるとこれほど頼もしい存在もないけどね」

凛「……いや! 今回は敵にゃ! 正々堂々、ぶつかるだけだよ。あ、だいこんください!」

花陽「……海未ちゃん、最近調子悪いよね。大丈夫かな」

真姫「いくら音楽は競争の世界じゃないって言っても、アイドルそのものが競争の世界であることは否定できないわ。そこで生き残るためには……自分で自分を立て直す力がいるんじゃないかしら」

凛「シビアだね」

真姫「そうね……。でも、本当にそうだから」

花陽「……」

真姫「……でも、遊ぶだけならタダよね。今度、私たちでどこかに連れていきましょう? きっと海未ちゃん、休みの日も休んでないに決まってるんだから」

花陽「……うふふ」

凛「あははっ」

真姫「な、何よ! 何かおかしいこと言った!?」

凛「んーん! 真姫ちゃんはやっぱり真姫ちゃんだなって!」

真姫「何よ! イミワカンナイ!」

花陽「あ、二人とも見て。大三角形だよ!」

真姫「本当……綺麗ね」

凛「もう、夏だね」

凛(満天の星空の裏側に浮かぶのは、楽しい夏の思い出ばかり。今までもこれからも、どれだけ歳をとっても、凛はきっとあの青春を思い出す)

凛(願わくばこの夏が、あの子たちにとってもかけがえのないものになればいい)

凛(夏場の涼しい風を浴びてそんなことを思いながら、凛は日本酒の入ったコップを仰いだ)

<七月末、夜。クールプロダクション事務所>

絵里「……ハラショー……そんなのあり?」カタッ

八幡「……やばい聞きたくない」

絵里「手伝って……」

八幡「このパンドラの箱、希望入ってます?」

絵里「……今メール来て……来月の番組企画の予算、リジェクトだって……」

八幡「絶望しか入ってねぇ!! えっ……? 俺の方も二件? ……! やべぇ書式完全にミスってるしNGに関しては全却下!?」

凛「~♪」

絵里「なんでよー!! お金持ってるんじゃないの!? やだ! エリチカおうちかえる!!」

八幡「え、やばくないですかこれ期限七月中でしょ」

絵里「てれれれれ~ん、デスマ~チ~♪」

八幡「やっぱりのぶ代だよな。声変わりしてからもう十年以上経ってたの知ってます?」

絵里「え……うそ……でしょ……?」



星空凛「おっじゃまっしまーっす!!」バタン

八幡「本当に邪魔だわ帰れよ」カタカタ

絵里「遊びじゃないのよ」カタカタカタカタ

星空凛「え……? 何この扱い……」

凛「……あ、凛さん」

星空凛「おっ、しぶりんベース弾くんだ! かっこいいね!」

凛「ありがと。まだまだなんだけどね」

星空凛「今度真姫ちゃんに教わるといいよ!」

凛「え? 真姫さんってベースもできるの?」

星空凛「だってμ'sの曲ってドラムの打ち込み以外全部真姫ちゃんがレコーディングしたんだよ? あんなの演奏全部外注してたら高校生の凛たちじゃお金払えないよ!」

凛「……真姫さんって本当にナニモノ?」

八幡「星空、本当に何しに来たんだ? 暇ならこっちは猫の手でも借りたい状況なんだが」カタカタ

絵里「にゃーにゃー言ってるんだから貸してよ」カタカタカタカタ

星空凛「今日は二人とも怖いよ!? しぶりん、いこいこっ」

凛「うん、準備できてるよ。……今日から、お願いします」

星空凛「任せろにゃ!」

八幡「ん? お前らどっか行くのか?」

星空凛「そだよー!」


凛「今日から合宿、なんだ」

<夜半、養成所レッスン室201>

星空凛「もう今日はこれまで! 初日から飛ばし過ぎたらもたないよ!」

未央「はぁーい! ね、ね、しまむー! しぶりん! お風呂入ろうよ!」

凛「え? お風呂あるの? シャワーじゃなくて?」

卯月「いえ、この近くに二時までやってる小さな銭湯があるんです♪」

星空凛「へぇー。もう夜遅いから気を付けてね! 四階の柔道場にお布団敷いて寝といてね。明日は八時に朝食九時から練習!」

未央「うわぁー! なんかホントに合宿っぽいねっ!」

星空凛「ちゃんみおは寝る前にもう一回自分の動画見とくこと。ひどかったにゃ」

未央「ぐさーっ」

凛「卯月、いこ? 汗が気持ち悪い」

卯月「はいっ」

未央「あっ、ちょっとー! 置いてかないでよぉ!?」


星空凛「……なんかちゃんみお見てると高校時代の自分を思い出すにゃ」


<深夜、帰り道>

凛「ふう。……夜風が気持ちいいね」

卯月「すっかり夏です!」

未央「あははっ、しまむー髪の毛すごいことになってるよ?」

卯月「気にしてるのに!? 癖っ毛なんですよー」

凛「可愛くていいじゃん。うちのハナコも水で洗うとそんな感じだよ」

卯月「犬の次元で評価されてる……」

未央「洗うと言えばー。洗ってるとき見たけどしぶりんって胸小さいよね」

凛「身長高めだから普通だよ普通。未央も喧嘩売ってくんの?」

未央「わっはっは! このナイスバディの未央ちゃんに憧れる気持ちはわかるけどさー!」

卯月「本当にいい体型してるから羨ましいなぁ……」

凛「大体、卯月だってちょっとずるい」

未央「あ、それわかる! 男の人が好きそうな感じって言うかさ」

卯月「え、ええ!? 私は普通ですよー」

凛「お前のような普通がこの世にいるかっ!」

卯月「きゃー!? 凛ちゃん、髪の毛はやめてー!!」

<同時刻、クールプロダクション事務所>

絵里「ダメね……もう終電が来ちゃう」カタカタカタカタ

八幡「終電ってエモいですよね」カタカタ

絵里「語彙力が消えかかってるわよ……」

八幡「明後日まででしょう? キツイな……」

絵里「……こうなったら奥の手を使うしかないわね」

八幡「……まさか」

絵里「そのまさかよ。……残業手当はつくから安心して」

八幡「マジか……。はぁ、しゃあねえ。終わったら散財してやる……」

絵里「よし。それじゃあ今日はもう退散しましょう。明日は着替えを持ってきて」


絵里「――楽しい楽しい合宿の始まりよ」



<翌日昼、養成所レッスン室303>

ベテトレ「よし、いいだろう。短期間でよくここまでモノにした。おそらくだが、同世代でここまで出来るのは現時点でいないのではないか」

みく「は、初めて褒められたにゃ……」

ベテトレ「君は褒めるとつけあがるように見えて、そうではないとわかったからな。出し惜しみで伸びを阻害するのは非効率だろう?」

雪乃「猫を被っていますからね」

みく「なんのことかにゃ。ってかプロデューサーは猫好きでしょ!」

雪乃「被っている人を好きと言ったことはないのだけれど……」

みく「にゃはは、照れちゃって。じゃ、ルキトレさん。一昨日教わった基礎練のステップを見てほしいにゃ」

ベテトレ「なに? もういいだろう? 急がなくとも君には十分な力がついているよ」

みく「……十分じゃダメだにゃ。みく、才能ないから」

雪乃「卑下することはないわ」

みく「卑下じゃなくて、客観的な分析だにゃ。ねえベテトレさん。みくと凛チャン、同じこと教えて吸収率いいのって比べるまでもなく凛チャンだよね」

ベテトレ「それは……」

みく「うん、いいのいいの。それ、みくにもわかってるから。悔しいけどニュージェネレーションズはみんな凄いにゃ。特にあのライブの日から凛チャンの成長はおかしい。止まるとすぐに追い抜かれちゃう気がするにゃ」

雪乃「……」

みく「みく、凛チャンには負けたくないな。あの子より絶対凄いアイドルになりたい」

みく「見てくれた人ごとこの世界を変えるような、そんなライブがしたいの」

雪乃「!」

ベテトレ「……どうしてそこまで、彼女にこだわる?」

みく「にゃはは、どうしてだろうね? みくもわかんない。……ただ、凛チャンのあの目を見ると、期待しそうになっちゃうんだ」

みく「今度こそ、大丈夫なのかなって」

<同時刻、レッスン室201>
星空凛「この曲、本番ではやらないけどモノにすると絶対役に立つよ! シャッフルビートの曲はスネアの連打が六連符になるから、それに合わせてダンスがつくからね。この曲は凛の得意技! タップダンスチックな振付も大盤振る舞いだにゃ!」

凛「む、難しすぎだよ。ていうか最後バク宙ってなんなの……?」

星空凛「え? だって凛はできるよ?」

凛「凛さん基準で考えないでよっ」

星空凛「こらっ、特訓中は師匠でしょ! だって凛の曲だもん。他の人がやることなんて考えてないもんねー」

凛「……これ、できるようになるのかな?」

星空凛「まあ、最後のバク宙はおいといて他の難しいところは頑張ればできる! どんな難しいダンスも全て基本の発展形にすぎないにゃ! ひとつも疎かにしてこなかったから大丈夫だよ」

凛「えーっと……はっじーまりたーくなるRing ring ring a bell♪」キュッ、ダンッ

星空凛「はいダメー。三連符が取れてない! まずは聞き込みから始めたほうがいいかな」

凛「うぃっす、師匠」

星空凛「よしよし! 三連符のクリックとか一度聞いとくといいにゃ!」


八幡「シャッフルってなんだ?」

未央「私もよくわかんない。なんかリズムがツッツターン、ツッツターンみたいなやつなんだってさ! あれ楽しそう! 私もやりたーい!」

卯月「わあ……あんな曲、私が踊ったら絶対こけちゃいます」

八幡「難しそうなことだけしかわかんねぇな」

八幡(にしてもこいつ、マジで上達早すぎじゃないか? なんつーか、レッスンを見に来る度に良くなってるような……)

凛「はっ、はっ、……はぁっ。ダメ、走ってるね。今日はこの曲やっても無理だと思う。課題曲に戻ってもいいかな?」

星空凛「うん、そうしよっか。じゃ、しまむーたちは動画撮る用意して!」

八幡(……こんだけやってりゃ当然、か。効率の見極めも早い。今までも真面目だったが、矢澤のライブが終わってからの渋谷の熱意は段違いだ。やっぱ、勝ちてぇんだよな)

未央「準備終わったよー!」

卯月「いつでもオッケーです!」

星空凛「よしっ。じゃあ、今日は凛がみくにゃんの代わりをやるね」

凛「え? 師匠が?」

星空凛「言っとくけどこれ凛たちの曲だからね。クオリティ低いとすぐ喰っちゃうぞ!」

凛「……望むところだよ」


八幡「仕事が押してる。星空、こいつらを頼むぞ」

星空凛「支払いは任せろーバリバリ! ひっきーもお仕事がんばれ! ……よし、いくよ?」

八幡(渋谷も薄く笑って胸のあたりで俺に手を振り終わると、一気に表情を切り替えて鏡に向き直った)

凛「うん、いつでも」

八幡(優しい表情は一気に戦う女のそれに切り替わる。不意に高鳴った俺の心音が悟られないように、少し急いで部屋から出た)


――♪「Summer Wing!」


八幡「……頑張れ。勝てよ」

<同時刻、レッスン室103>
海未「お疲れ様です。次はドラマのオーディションでしたね。急いで準備します」

戸塚「いや、時間は余裕とってあるからゆっくり着替えるといいよ」

海未「そうですか? それではお言葉に甘えて、シャワーを浴びてきますね」


ベテトレ「悪くはない、ぞ」

戸塚「まだ何も言ってないよ?」

ベテトレ「顔に出てるよ。いつものポーカーフェイスはどうした?」

戸塚「……一緒にババ抜きしたからうつったのかもね」

ベテトレ「繰り返し言うが悪くはない」

ベテトレ「良くもない、がな」

戸塚「そっか。じゃあ、今回も危ないかもしれないね」

ベテトレ「おいおい。いくら急成長のニュージェネレーションズが相手でも、最近不調とはいえ彼女は園田海未だぞ。君の担当だ、信じてやらなくてどうする」

戸塚「担当だから……傍で見てるからわかることもあるよ。ぼくの勘だと、島村さんは今の園田さんにとって一番つらい相手かもしれない」

ベテトレ「……君の言うことは相変わらずわからん。少なくとも技量的な面で彼女が島村に劣ることはあり得ないと思うが」

戸塚「もしライブが技量だけで決まるなら、世界で一番素晴らしい音楽は世界で一番技術がある人間のものってことになるよ」

ベテトレ「……精神論は好かん」

戸塚「ぼくもだよ。でも、見てくれるのはやっぱり人なんだ」

ベテトレ「そう思うならすぐに手を講じたまえよ。笑って道化を演じるのが君の仕事か?」

戸塚「わかってる! ……でも、一歩ずつじゃなきゃダメなんだ」

ベテトレ「正当化して逃げてはいないか?」

戸塚「それだけは、ない」


海未「戸塚くん……? どうかしたのですか? 大きな声が聞こえましたが」

戸塚「おかえり、なんでもないよ。それより、いこっか!」


戸塚(心の距離は、一歩ずつ詰めなきゃダメなんだ。キツネは言ったんだ。飼い慣らさなきゃダメなんだって)

戸塚(ぼくがわかったようなことを言って、彼女は救われた気になって。……それで本当に終わり?)

戸塚(そうじゃない。そんなものはぼくが糸引くただの人形だ。アイドルじゃない。それは絶対、「本物」なんかじゃない)


海未「いつも、傍にいてくれてありがとうございます」

戸塚「あはは、居るだけしかできないけどね」

海未「いいえ。……心配をかけているのですよね」

海未「大丈夫です。私なら、大丈夫。次は絶対に勝ちますから! 頑張りますっ」

戸塚(……勝たなくてもいい。頑張らなくてもいい。そんな顔で笑わなくてもいいから)

戸塚(頼むから。大丈夫って言うの、やめてよ……)

<夜半、クールプロダクション事務所>

絵里「終電は実家に帰られたわ。いよいよ後戻りはできないわね……」カタカタ

八幡「強制背水の陣っすね」カタカタ

絵里「進捗どう?」

八幡「ひゅんひゅんひゅんひゅん」

絵里「ブーメランなのはわかってるから……」

八幡「まぁ朝まで頑張れば間に合うんじゃないかって感じですかね……」

絵里「こういう職種だから急に忙しくなったり暇になったりというのはわかるんだけどね」

八幡「あいつらの為ってのがせめてもの救いだな」

絵里「……ふふっ」

八幡「……なんすか」

絵里「いーえ。なんでも」カタカタ

八幡「……ヤな先輩」

絵里「可愛い後輩」


――ぶーん。ぶーん。


八幡「こんな時間に電話……雪ノ下?」

絵里「……むー」

八幡「そんな顔しないでくださいよ、どーせ仕事の話に決まってるしサボりませんから」

絵里「手短に済ませなさいよねー」

八幡「ベランダ出ます。……はい、比企谷だが」カララッ、ピッ

雪乃『夜分にごめんなさい。起こしてしまったかしら……』

八幡「日付も変わってないしまだまだ寝ねぇよ。どうした?」

雪乃『用事がないと電話してはいけない?』

八幡「…………は?」

雪乃『な、何よ。冗句に決まっているでしょう』

八幡「いやすまん。あまりに言いそうになさすぎて固まってしまった」

雪乃『本当に失礼ね。動脈も固まってしまえばいいのに』

八幡「遠回しに死ねって言うのやめてくんない? ……誰の入れ知恵だ?」

雪乃『……本当に何でもわかってしまうのね』

八幡「いつものお前しか知らんだけだ。で、何だ?」

雪乃『先日収録したローカル番組の件で急な仕様変更があったのよ。私も家に着いてから連絡に気付いたから、こんな時間になってしまったの』

八幡「そうか。少し待て……いいぞ」

雪乃『そう。それでは伝えるわね』


雪乃『報告は以上よ。何か質問はある?』

八幡「いや……特にはないが。放送は明後日だよな? もうすぐ明日になるが」

雪乃『そうよ。自分のアイドルの予定も忘れてしまった?』

八幡「いや、じゃあ連絡は明日の朝イチで良かったんじゃないか? 明日は打ち合わせもあるしわざわざ電話する必要なくねぇか」

雪乃『……やり残しがあるまま家にいたくなかっただけよ』

八幡「……まあな。その気持ちはわかるが」

――かちっ。しゅぼっ。

八幡「……ふぅ」

雪乃『……また煙草を吸っているのね。馬鹿』

八幡「なんだよ。動脈硬化になれって言ったのはお前だろ」

雪乃『固いこと言わなくていいのよ』

八幡「砕けたことも言うようになったなお前……」

雪乃『……渋谷さんの調子はどうかしら?』

八幡「良いと思うぞ。今も絶賛合宿中だ。星空がついてほぼマンツーで毎日やってるよ。夏休みだとはいえ、仕事もあるのに大した奴だ」

雪乃『そう……流石ね。でも、うちの前川さんだって負けてないわ』

八幡「お互い自分の娘は可愛くてたまらんか」

雪乃『あら。そんなことを思っていたのね』

八幡「失言だ。渋谷には絶対言うなよ、恥ずかしい」

雪乃『そんな不利になることするわけないでしょう。……一か月後ね』

八幡「そうだな。……熱い夏になりそうだ」

雪乃『私たちが、勝つわ』

八幡「お前が成績以外で俺に勝ったことあるか? 悪いがいつも通りだ」

雪乃『……ふふ』

八幡「はっ」

雪乃『ねえ。こんな風に笑える日がまた来るなんて、思ってもみなかったわ』

八幡「……悪かったのは俺だ。最後まで、俺は」

雪乃『言いっこなしでしょう。私だって、甘えていた』

八幡「…………」

雪乃『…………ねえ、比企谷くん』



絵里「ちょっとー! いつまで電話してる気!? 本当に終わらなくても知らないんだからね!」



八幡「え、うわ。日付回ってる! すいません! ……悪いがもう切らせてもらうぞ」

雪乃『……絢瀬さん? ちょっと待ってあなた今どこにいるの?』

八幡「事務所だよ。八月までに仕上げなきゃいけない仕事が急なリジェクトやらでてんやわんやでな。今日は事務所に一泊だ」

雪乃『…………二人きりで?』

八幡「……じゃあな。マジで喋ってる場合じゃない」ピッ


絵里「随分楽しそうだったわね。余裕があったら私の分あげるわよ」カタカタ

八幡「勘弁してくださいよ。最初はちゃんと仕事の話だったんですよ」カタカタ、カチッ

絵里「途中から違ったんだ?」カタカタカタ

八幡「……返す言葉もない」カチッカチッ

絵里「あーあ、いいわよいいわよ。どうせ私は三番目の女よ」カタカタ

八幡「は? 三番目?」

絵里「一番は凛ちゃん、二番目は雪ノ下さん」

八幡「何言ってんすか。一番は小町です」

絵里「……ランク外かぁ」

八幡「え、いや、そういうことじゃなくて。なんすかその順位。勝手に決めないでくださいよ」

絵里「自分で決めたら上方修正してくれる?」

八幡「……どいつもこいつも。俺に好かれてなんだって言うんだよ」

絵里「……だって、嬉しいじゃない」

八幡「…………俺があなたを助けたのはたまたまです。特別な意味はないんだ」

絵里「だから気を遣わなくていい、って言うつもりなんでしょ?」

八幡「……」

絵里「あら、びっくりした顔してる。ふふ、その顔に免じて今の発言は許してあげようかな」

八幡「……なんで」

絵里「そんなの、当たり前じゃない。あなたがずっと凛ちゃんを見てきたように、私だって比企谷くんを見てきたのよ」

絵里「誰も自分を見てないなんてことはありえない。……少しは、自意識過剰になってもいいんじゃない?」

八幡「……昔。それで嫌というほど痛い目見たんです。もう今更、治すことなんてできない」

絵里「……困った人ねえ」

八幡「ずーっとそう言われてきましたよ」

絵里「でも、あなたはそれでいいのかもね」

八幡「……」

絵里「欠点って、裏返せば味わいだもの。私はあなたのそういうところ、嫌いじゃないわよ」


八幡(包みこむような優しい声音で、彼女はそう言った。パソコンの向こうの彼女が今どんな顔をしているのか、俺にはわからない。ただ、見るのはやめておこうとそう思う)

八幡(……優しい女の子は、嫌いだ。今も昔も、俺だけにそうなんだと勘違いしてしまいそうになる。きっとみんなにもそうなのに。その優しさは俺だけのものだと、そう錯覚してしまう自分の浅ましさに腹が立つ)

八幡(真実なんてわかりたくない。箱なんて開かなくていい。未確定の猫のままで構わない。開けばきっと、希望の無いパンドラの箱なんだと気づいてしまうから)

八幡(俺のこの薄汚い本性を、優しいこの人には知られたくない。俺は勝手だ。他人が何を考えているか知りたい。なのに、自分の思考を差し出したくない。ただ一方的にわかりたいだけなのだ)

八幡(世界は等価交換だと何かで言ってた。だのにそんなの知るかと理を拒む、不変の悪性に笑みさえ浮かぶ)

八幡(ああ、人の優しさに触れるたびに実感する。俺の中にはあいつがいるんだ)


八幡(何も信じられぬと叫ぶ、邪知暴虐の王が――)



絵里「……比企谷くん?」

八幡「すいません、聞いてませんでした」

絵里「もう。私、近くの漫画喫茶にシャワーを浴びに行くけど、あなたも行く?」

八幡「……ええ。悪くないですね」

八幡(暑い夜だ。うんと冷たい水を浴びよう。いっそこんな汚い心も、洗い流せてしまえばいいのにな)

<深夜一時頃、346タレント養成所:柔道場>

卯月「ふぅー。今日も疲れましたね……」

未央「エアコン付けちゃダメかなー?」

凛「喉に良くないからダメだよ。窓開けるね」

卯月「わぁ、星が綺麗……。都会でも見えるものなんだねー」

凛「そうだね。……すごいな」

未央「扇風機つけるねー!」

凛「ちゃんと首振りにしてよ?」

未央「なんでやろうとすることが秒でバレるんだろう……」


凛「…………」カチカチ

卯月「凛ちゃん、寝ないの?」

凛「あ、このメール打ち終わったら寝るから。ごめんね」

未央「こんな時間に? 誰に?」

凛「プロデューサー。今日ね、徹夜でお仕事なんだって」

卯月「うわわ……大変なんだね~」

未央「一人っきりで事務所で!? それは寂しいねぇ……らぶめーる注入してやんなよ!」

凛「一人じゃないよ。絵里さんもいるって」

卯月「……えっ、じゃあ夜通し事務所で二人っきり?」

凛「みたいだね。……ふぅ、おわり」ピッ、カチッ

未央「えー!! それってなんだか……なんだかだねっ! 急接近とかしちゃったりして!」

凛「何もないと思うよ。多分」

未央「あれれ、なんだか思ってた反応と違うぞ……?」

凛「あのね、短い間だけどずっと見てるんだよ。あの人ね、人との距離急に詰められる人じゃないよ」

卯月「用心深いのかな?」

凛「あれは用心深いとかじゃないと思うよ。……なんだろう。怖がってる、のかな」

未央「それどーいうこと?」

凛「うーん、私にもまだはっきりとはわからない。でも、急いでわかる必要はないかなって。きっとゆっくり、わかるようになるんだよ」

未央「……大人だねぇ」ナデナデ

凛「ちょっと、やめてよ。鬱陶しい」クスクス

未央「ひどい!?」


卯月「……じゃあ雪乃さんは、ゆっくり比企谷さんと距離を埋めていったんだね」

凛「うん……そうなんだろうね。きっと昔、私たちの見えないところで……」

卯月「……」

凛「……」

未央「……ねぇ、しぶりん」

凛「……何?」

未央「ハチくんのこと、好きなの?」

凛「…………わかんない」

卯月「……そっかぁ」

凛「人、好きになったことないんだ。だからわかんない。……この気持ちが信頼なのか、それとも……」

未央「そっか。……そっかぁ」

凛「……私だけってズルいよ。未央は?」

未央「私ぃ? うーん、今はそういうのないかな。学校では特になにもないし、さいちゃんは優しいけどみんなの天使って感じだし」

卯月「そうなんだ」

未央「あとね、これは勘だけど、さいちゃんって海未ちゃんのこと好きなんじゃないかなって思うんだ」

凛「え、戸塚さんが? 私には全然わかんないな」

卯月「私もわからないなー。ずっとにこにこしてて」

未央「あはは、それはね、しぶりんの言うずっと見てたからってやつなんじゃないかな?」

卯月「……私はたぶん、雪乃さんが男の人だったらもう駄目になってたんだろうなぁ」

凛「あ、なんかそれわかる。すぐ落ちてそう」

未央「しまむーはちょろそうだよね!」

卯月「なんで私だけこの流れなんですか!? おかしくない!?」

卯月「……まぁ、憧れから入るタイプなのは、否定しないですけど……」

未央「おー? 今までのも吐け吐けー!!」

卯月「ちょっ、お尻触らないでよー!」


凛「……ふふっ。なんか、こういうの地味に憧れてたんだ」

未央「女子会って感じだねー」

卯月「酷い目にあった……もう寝ましょう……」

凛「ん、そだね。おやすみ」

未央「おやすみー」

卯月「おやすみなさい」


――りーりー。りーりーりー。


卯月「……虫の声。きれい」

未央「……だね」

凛「…………ね。勝とうね。絶対」

未央「うんっ」

卯月「三人そろえば、最強ですっ」

<未明、クールプロダクション事務所>
絵里「……」カタカタ

八幡「……」カタッ、カチッ

絵里「……よし、終わり。これで明日詰めれば、なんとか間に合うわー。んーっ」ノビー

八幡「……流石です。俺なら終わらない」カタカタ

絵里「頑張れー。……あぁ、眠くなってきちゃった」

八幡「寝てていいですよ。寝袋、むこうに置いてたんで」カチッ、カチッ

絵里「悪いけど、そうさせてもらうわね。……こっちで寝ていい?」

八幡「え? いやカチャカチャうるさくないですか」

絵里「いいの。ダメ?」

八幡「……好きにすりゃいいんじゃないですか」カタカタッ、カタッ

絵里「ありがと。好きにさせてもらうわね」


絵里(……相変わらずねえ。意識してるのは私だけなのかしら? これでも結構どきどきしてるのにな。男の人と一泊なんて初めてなのに)

絵里(魅力ないかなぁ。一応、可愛い目の部屋着持ってきたんだけどな。……仕事でそれどころじゃないか。それも少し寂しいな……)


絵里「よーし。できる私は先に寝させてもらうわね」

八幡「……ほんとヤな先輩だ」

――ぴっ。かららっ。


絵里「あれ、エアコン切っちゃうの?」

八幡「……だってつけたまま寝ると、絵里さんの喉に悪いでしょ」

絵里「……ふふ。ありがと」

八幡「どういたしまして」カタカタッ

絵里(ああ、あなたときたら。本当に――)


――ぶぅぅん。……ぶぅうん。
――かたかた。かたっ、かたかたかたっ。


絵里(窓の外からは、時折通る車の音。それ以外は彼のタイプの音が心地良く響いていた)



絵里「……あつい、わね」

八幡「……夏ですからね」カチッ、カチッ

絵里「色気のない夏でごめんね」

八幡「……μ'sのアイドルと一晩ですよ。これで色気がないって言ったら刺されますね」カタ

絵里「あら。意識してくれてるんだ?」

八幡「仕事がどっさり、ですけどね」

絵里「…………ごめんね」

八幡「……まぁ、なんですか」

八幡「こういう夏も、たまには悪くないでしょ。……たまににしてくれないと困るけど」

絵里「……ありがとう。おやすみ」


八幡「……おやすみ。絵里さん」


絵里(ディスプレイの光が写す彼の笑顔。きっと彼は油断していた。私に見えないと思ってた)

絵里(……そんな彼の顔を今見たのが、世界で私だけだという事実がたまらなくうれしい)

絵里(……そっか。そうなのね)


絵里(私、この人が好きなんだ)


絵里(白馬の王子さまのように助けてくれた彼だけど、実際はそんなに優雅じゃなくて。というかむしろ真逆で。普通の人間だから、最初からやっぱり仕事もできなくて。働きたくない働きたくないとか言って。……でも、愚痴を言いながら、きっちり仕上げて。そして私にちょっと優しい)

絵里(そんなこの人が、好きなんだわ。でも――)

八幡「……ん? メール入って……渋谷からか。……ふん、なんだよ。余計なお世話だっつーの。……頑張れ。頑張れよ」

絵里(ねえ、雪ノ下さん。気付いてる? この先どうなっても、誰かが傷付かずにはいられないこと。……彼は、気付いているのかな)

絵里(でも……仕方ないわよね。好きになっちゃったんだもの)

絵里(明日、どんな顔して話そうかしら。あ、朝から彼がいるのね。やばい。すっぴん見られるの恥ずかしいな。起きたらすぐ洗面台に行かなくちゃ。ああ、やだなぁ。きっと化粧のノリ悪いわよね……でも)

絵里(朝起きてすぐに会えるなら、それもいいかな、なんてね)

絵里(頬の熱さが夏のせいじゃないことが、その夜、少し嬉しかった)

<数日後、夜。東京都大田区居酒屋「全兵衛」>
武内P「すいません、仕事が押して遅くなってしまいました……先輩」


赤羽根P「いや、仕方ないだろ! むしろ予想してたより早かったくらいだ」


武内P「生二つ。……こうして全兵衛で飲むのも久しぶりですね」

赤羽根P「本当にな! お前が346に入ったばかりの頃はよく行ってたんだけど。このっ、出世しやがってよー! 早く忙しくなくなれよ!」

武内P「先輩に言われると嫌味にしか感じませんね。いい加減負けてくださいよ。大体忙しくて予定が取れないのはそっちでしょう」

赤羽根P「あはは、まあな。嬉しい悲鳴ってやつだよ」

店員「はい、生二つになります!」

武内P「ありがとうございます。……それでは、お疲れ様です。乾杯」

赤羽根P「乾杯!」

――かんっ。



赤羽根P「もうすぐだな、新人戦。あの娘たちが出るんだろう? ニュージェネレーションズ」

武内P「ええ、そうです。きっと素晴らしいステージを見せてくれるでしょう」

赤羽根P「なんて言ったっけ。あの、クールの……」

武内P「渋谷凛さんですか?」

赤羽根P「違う。そのプロデューサーの……そうだ、比企谷くんだ! お前の後任」

武内P「ああ、彼ですか」

赤羽根P「そうそう、なんかまだ若いらしいじゃないか。前はどこにいたんだ?」

武内P「どこにもいませんよ。ただの一般人でした」

赤羽根P「えっ、そうなのか!?」

武内P「はい。……私が、スカウトしました」

赤羽根P「! へえ、『ティンと来た』のか?」

武内P「ええ。……似ているな、と思ったのですよ」

赤羽根P「誰に?」

武内P「昔の私に」

赤羽根P「ははは。そりゃ二つの意味でよく見とかないとな」

武内P「ええ。彼らの成長が心から楽しみです」

赤羽根P「ようやく先輩の気持ちがわかったか?」

武内P「悪くないものですね。背筋が伸びる」

赤羽根P「だろ。……お前らも早く、ここまで上がってこい」

武内P「言われるまでもない。老害には消えていただきますよ」

赤羽根P「ははっ、言うじゃないか。言っとくけどあいつらは手強いぞー?」

武内P「身を以って知ってますよ。……それでも、彼らなら越えてくれると信じています」

赤羽根P「……よし! 月末は俺も観に行くよ。お前がそこまで言う娘たちがどんなもんか、映像じゃなくて生で見たくなった」

武内P「本当ですか。関係者席を用意しますよ」

赤羽根P「いやいい。やっぱアイドルは客席から見なくちゃな!」

武内P「では、ご一緒しましょう」

赤羽根P「ははっ、いいな! 学生時代みたいだ!」

武内P「ええ。……楽しみです」

<ライブ三日前、夕刻。346タレント養成所:貸出練習室401>
未央「あれ? みくにゃん! 遅くまでお疲れー!」

みく「にゃにゃ、未央チャン。お疲れ様だにゃ」

未央「精が出ますなぁ! ま、私もこれからダンスダンスなんだけどねっ」

みく「そっか、じゃあ頑張ってにゃ」

未央「うん、ばいばーい! ライブ頑張ろうね!」


みく「頑張ろうね、なぁ。ま、本来争うもんと違うしなー……っと」

みく「今日もありがとうございました! 鍵をお返しするにゃ」

ルキトレ「はいっ、お疲れ様です。じゃあみくちゃん、いつも通りここに名前書いてね」スッ

みく「わかったにゃ……あっ!」バサッ

ルキトレ「あっ、ごめんね! もう掴んだと思って手を放しちゃった。拾ってくれるかな?」

みく「はーい。あーあ、挟んでた紙がバラバラにゃ……」

みく(落としてしまった記入用紙を一枚一枚拾い集める。その中に、エクセルで作った表みたいな紙が数枚あった。拾い集める手を止めて、その表を読んでみる。それは練習室401から403までの利用記録をまとめたものだった)



利用記録 401-403 七月
7/27 前川みく 10:01-12:02(401) 渋谷凛 19:54-22:14(402)
7/28  園田海末 12:55-15:00(401) 渋谷凛 17:55-21:00(403)
7/29 渋谷凛  09:01-11:32(401) 前川みく 21:03-23:15(402)
7/30 島村卯月 06:55-07:56(403) 本田未央 19:55-20:30(403)
7/31  前川みく 11:00-13:00(401) 園田海末 17:00-19:34(402)

みく(……これは)


利用記録 401-403 八月
8/3 渋谷凛 09:00-12:00(401)  前川みく 13:04-16:01(401)
8/4 前川みく 11:00-12:31(401) 渋谷凛 19:01-22:00(402)
8/5 前川みく 09:00-11:29(401) 渋谷凛 12:00-13:00(401)

8/13 渋谷凛 17:55-20:00(401) 前川みく 18:00-20:30(403)
8/14 前川みく 11:00-13:00(401) 渋谷凛 19:00-21:01(402)
8/15 渋谷凛 10:00-12:00(401) 前川みく18:09-22:01(401)
8/16 渋谷凛 15:55-19:00(401) 前川みく19:31-22:00(402)
8/17 渋谷凛 16:01-17:00(402)



ルキトレ「あっ、それ一応見たらダメなんですよ?」

みく「それはルキちゃんの過失じゃないかにゃ?」

ルキトレ「うっ……。な、ナイショですよ? でもみくちゃんは毎日本当にすごいね! 本当に杏ちゃんに爪の垢でも飲ませたいくらい……」

みく「渋谷凛も、いっぱいだ」

ルキトレ「あ、そうなんですよ! 凛ちゃんも毎日毎日……本当に頭が下がります。ここには書いてないけど、他のお部屋もニュージェネレーションズのみんなの名前でいっぱいなんですよ。この場所を作った甲斐もあるというものです!」

みく「……なんか、『耳をすませば』みたいだにゃ」

ルキトレ「あっ、貸出カードのシーン? ふふふ、確かに似てるかも」

みく「はい、拾ったよ。じゃ、みくは帰るね!」

ルキトレ「あっ、みくちゃん!」

みく「んー? なんだにゃ?」

ルキトレ「ライブ、見に行くからね。わたしはみんなの味方だよ?」

みく「……うん! ありがとう!」


みく(いつもは寮まで電車で帰るけど、今日は歩きたい気分だった)

みく(夏場のぬるい風が髪を揺らした。空を見上げれば一番星。みくもいつか、あの星のようになりたい。その願いは変わらず胸の中で輝いている)

みく(街頭が少ない細くて暗い道に入った。アイドルが危険に遭うなんてあってはいけないことだから普段は歩かないけど、今日だけは特別に許可を出すことにした。その方が、星が綺麗に見えるから)

みく(頭の中で考えるのは彼女のこと。一目見た時から気になっていた。あの眼の意志ある輝きが頭上の光とリンクする)

みく(――きっと、期待していいんだ。あの子に対しては、もう何も被らなくていいんだ)

みく(練習室の貸し出し記録を思い出して、くすりと笑う自分がいる。あの映画の男の子は、女の子のことが好きだからからかっていたんだっけ。そうやってちょっかいを出して、気にしてもらって)

みく(それで、良いとこ見せようって余裕綽々でバイオリンを弾くんだよね。……本当は、裏でたくさん練習してたに決まってるのに)

みく(そんな男の子の不格好さが、今の自分みたいで少し笑えた。彼もずっと、本気にしてもらいたかったんだ)

みく「なんか、一目惚れみたいやなぁ」

みく(またぬるい風が首に吹きつけて、思わず後ろを向く。歩いてきた距離が思いのほか長くて感心したあと、また歩き出した)

みく「――Country roads, take me home~♪」

みく(自分の部屋までもう少し。それまで星見てゆっくり帰ろう。ご機嫌に歌を歌いつつ、故郷から歩いてきた遠大な道のりに、ゆっくり思いを馳せて)

みく(澄ませた猫耳から、昔日の声が聞こえた)

<前川みく、中学三年生。クリスマス>

――♪『CHANGIN' MY WORLD! 変わる世界 輝け
    CHANGIN' MY WORLD! 私の世界 私のモノ CHANGE!!』

みく(夢のような白雪が降った日だった)

みく(その日、みくの人生は変わった)

みく(きっかけは些細なことだった。どこにでもよくある話。友達がライブのチケットを買ったはいいけど、楽しみで熱を出して行けなくなってしまった)

みく(お金がムダになっちゃうからと譲ってくれたチケットで、アイドルのライブなんて初めてだからと興味本位で顔を出してみたのがきっかけ)


春香『一番後ろまで、見えてるよー!!』


みく「すごい……。すごい!!」

みく(765プロオールスターライブ。それがみくにとっての魔法使いの名前。あの日かかった魔法は、今も解けずにいる)


みく(その日からとにかくアイドルになりたかった。自分にも人ごとこの世界を変えられるような、あんな人たちのようになれたら。そんな一心で)

みく(ライブがあった日から、色々なオーディションに申し込んでみた。みくの有り余る情熱のおかげでオーディションには無事全て落選した。書類選考だけで落ちたことも多々あった。現実は厳しいということだった。大阪人はおいしいと思ったのに)

みく(そんなことを繰り返していたら、いつの間にか春が来て高校生になっていて、なんなら夏が迫っていた)


部長「1、2、3、4! 1、2、3、4!」

みく「……? みんなして何やってるん?」

部長「あ、前川さん。勉強終わったん? てか今回学年の順位一桁やったな! やっぱ眼鏡委員長は流石やな!」

みく「眼鏡関係ないやろ。……で、これ、何してるん?」

部長「部活!」

みく「部活? うちの高校、ダンス部なんかあったっけ?」

部長「あー、ちゃうちゃう! アイドル部!」

みく「はぁ? アイドル部? なんやそれ」

部長「最近同好会から部になってん! 今全国的にスクールアイドルの波が来てるんよ」

みく「……スクールアイドル? 何それ? 765プロとかと何か違うん?」

部長「あぁー面倒くさい! 家帰ってググれ! 練習やるよー」

みく「ちょっ、雑やなあ。……ええよもう、家帰って調べる」


みく(早速その日家に帰ってパソコンで調べ、スクールアイドルのこと色々を知った。いわゆるアマチュアのアイドル。高校生限定。ラブライブという全国大会。数年前の伝説こと『女神の世代』のこと。メディアの注目もあって、片田舎のみくたちの地域とは違って全国では市民権を得た部活であるということ。そして――)

みく「うわっ、この動画すごいなぁ。これが伝説のスノハレってやつか……。曲良すぎやん、プロが作ってるやろこれ。西木野真姫って誰? サムラゴーチ的なやつちゃう? ……ってかレベル高!? こんなん生で見たらみく絶対泣くわ……」

みく「……あれ? この人ら何人か見たことある。確か……」カチッ、カチッ

みく「……! やっぱり! 今注目されてる346の新人アイドルの!」


みく(スクールアイドルで活躍すれば、プロになることも夢じゃない、ということ)


<翌日、部室棟>
みく「あ、おった!」

部長「おっ、前川さん。どしたん?」

みく「あのな、お願いがあるんやけど……」

部長「ええよ! その代わり明日の三時間目の数Aのプリント写させてなー」


みく「――みくを、アイドル部に入れてほしい」

みく(そのことはちょっとしたニュースになった。真面目で物静かな委員長の前川さんが、アイドル部とかいうミーハーそうな部に入ったらしい、と)

みく(でもそんな評判はどうでもよかった。好きなことが思いっきりやれる喜びに比べたら些細なことだった)

みく(その夏から、みくのスクールアイドルとしての日々が始まった)

みく(アイドルというものは本当に難しい。テレビで見るとあんなにも簡単に見えるのに)

みく(アイドル部と言っても形だけの顧問をつけての部活だったから専門家もいないし、部員たちに歌や踊りの経験者なんて一人もいなかった)

みく(自分で考えるしかなかった。今思えば時間の無駄でしかない練習だってたくさんやった)

みく(誰がやれって言ったわけでもないけど、自分がやりたいから自分のためにがんばった)



<夏休み中旬、昼。校舎裏庭>
みく「1、2、3、4! 1、2、3、4! ……あ、ズレてるよ」

部長「ひええ……。合わん、合わんなぁ」

部員「ちょっと休憩せん?」

みく「ええ? まだ始まったばっかりやで?」

部長「でもなあ。このまま続けてもバラバラやから絶対合わん気ぃする」

部員3「あ、じゃあちょっと個人練する時間にせえへん?」

部員2「ええな! それでいこ!」

みく「………………」


みく(アイドルというものは、難しい。だからこそ嫌になるほど反復練習しかない、というのがみくの持論)

みく(アイドル部の練習は週に二回。少ない、と思うかどうかは人による)

みく(プロのアイドルとは違って、スクールアイドルは絶対に団体競技だ。だから全体練習が欠かせない。でも、全体練習をする前に個人練習を完璧にしないともっと意味がない)

みく(……なのに)

みく「はい。じゃ、も一回やろー!」

部長「よし、やろかっ。じゃあ次はうちがカウントとる!」

部員「休みたいだけやろ?」

部長「はははっ、バレたか。まあええ、やろやろ!」

部員3「よっしゃー!」

みく(……いや。みんな一生懸命やってる。じゃなきゃ貴重な夏休みにこんなことするわけない)

<その日、帰り道>

部長「あー、今日も疲れたなぁ。アイス買って帰る?」

みく「うーん、みくはやめとく。太りそう」

部長「そうか? じゃあコンビニ寄るからちょっと待ってて」


部長「ほい。パピコの半分」

みく「人がせっかくダイエットしてんのに!」

部長「そうか、いらんか」

みく「いらんとは言うてへん」

部長「現金なやっちゃ。……はー、しんどいなぁ。こんなんでライブとか体力もつかな」

みく「走り込み、走り込み」

部長「あんたって成績ええのに結構脳筋よな。……なあ、なんかライブでの憧れってある?」

みく「うーん……あっ! あれ! あれやりたい!」

部長「あれってどれよ」


みく「一番後ろまで見えてるぞー! ってやつ」


部長「あっはっは、ああ、あれな。てかあれ絶対嘘やろ! 見える訳ないし!」

みく「やっぱ嘘かなぁ。天海春香がやってたんやけど」

部長「確かにあの人は嘘つかなそう」

みく「……ま、ほんまかどうか、いつか確かめたるよ。……よし! 今日は走って帰る! ばいばい!」タタタッ

部長「……ほんまに、一生懸命なやつやなぁ」


みく(みくはひたすら練習を積んだ。走り込みもした。筋トレもした。女の子らしくなくなっちゃうかもしれないけど、ミスを減らせるならなんだって構わない)

みく(毎日、毎日。うだるような暑さの中、部活がある日もない日も一人の練習を欠かさなかった)

みく(そして夏休みが終わるころ、ある通知が全国のアイドル部に通達された)



部長「ラブライブの予選開催日が決まったでー!」

みく「! いつ!?」

部員2「これは……クリスマスやな。うちらも一応申込みする?」

みく「一応!? 出るに決まってる!」

部長「ははは、みくもこう言ってるし、出よ出よ!」

部員2「でも曲はどうするん? オリジナルしかあかんのやろ?」

部長「うちの彼氏、曲作んの好きやから頼んでみよか?」

部員4「出た出た、さりげない惚気」

部長「はっはっは、他人の僻みがうちの酸素!」

みく「ほんまに!? お願い! みく、どうしてもやりたい!」

部長「よし、じゃあそういう方向で行こう」

みく(その日から、ラブライブに向けての練習が始まった。みくはあの時、本当に楽しくて仕方なかった)

みく(初めてのオリジナル曲。初めての振り付け。テンションが上がることばかりだった。今思えばあの振付はない。名曲からのコピペでしかなかった)

みく(夏が終わり、二学期が来てもみくは可能な限り自分のトレーニングを積んだ。元々手段としてしか見てなかったスクールアイドルだけど、気が付けば生きがいになっていた)

みく(ラブライブに出たい。なんとしても出たい。あの日見たライブみたいに、人ごとこの世界を変えてしまえるようなライブをしたい!)

みく(練習、練習、練習。みんなもきっと陰で頑張ってるに違いない。みくも負けるわけにはいかない)

みく(自分に才能がないことはわかってた。なら他人より数倍時間をかけるしかない。努力で越えられる壁なら、何日かかっても積み上げて越えてやる!)

みく(一心不乱に舞っては歌う。陽が昇っては月が沈む。ずっとずっと繰り返した)

みく(そして、ついにライブ当日のクリスマスがやってきた。……思えば、自分がアイドルを志したあの日もクリスマスだった)

みく(運命が味方するなら、今日しかないと思っていた)

みく(みくは、全てを出し切った)

みく(自分たちと相手のパフォーマンスが終わって、電光掲示板に釘付けになる。自分たちの数字が出るはずの左側から目が離れない。心臓が飛び出そうだった。早回しになる鼓動。そしてついに、真っ黒な掲示板に審判の鉄槌が振り下ろされた。その瞬間目に焼き付いた光景を、みくは生涯忘れないだろう)







                   『234    VS    5766』








部長「やー、しっかし相手のとこめっちゃ凄かったな」

部員「ほんまにな! てかプロに曲外注したらしいで! そら負けるなぁ」

部員3「はははっ、どこぞの誰かの彼氏が悪い」

部長「何ぃー? どこの口がそれ言うんよ? 最近そっちは上手くいってへんくせに!」

部員3「うっ、それ言われると辛いな」

部長「はははっ。よしっ、ファミレスでも寄って帰ろか?」

みく「………………何で」

部長「ん? どしたん? みく」


みく「何で笑ってんの!?」


部員4「うわっ、何よいきなり」

みく「あれだけ一生懸命やったのに、ボロボロで負けたんやぞ!! 悔しないんか!! 何で、何で笑ってんねん!! 何で笑えんねん!! ふざけんな!!」

部長「……」


みく(情けなくて、悔しくて、解せなくて、もう感情がごちゃごちゃになって何が何だかわからなかった。ただ涙が止まらなかった。目の前で笑っているこいつらは何だ。共に高みを目指す仲間じゃなかったのか。熱量を預けられるパートナーじゃなかったのか)

部員2「えー、いや。そんなこと言われてもなぁ」

部員4「いや、確かに一回戦で負けるのは不本意ではあるけど。でも流石に全国まで行けるとは最初から思ってへんしなー?」

みく「…………は」

部員3「まぁ、楽しかったしええやん。アイドルは楽しんでなんぼやろ!」

部長「それは確かにな。うちらが楽しまな見てる人もおもんないしな」

部員2「そうそう、そこまでガチガチにやってもな楽しくないから。みくちゃんもちょっと力抜いたら? 張りつめすぎやで」

みく「…………はは」

部長「……」

みく(……ああ。自分が間違っていたんだ。きっと自分が抱いているものを、みんなも抱いているに違いない。何も言わなくても理解してくれているに違いない。言葉にしなくても伝わるものがきっとあるに違いないと。そんな都合のいい夢を、一人で見ていた)

みく(冷えていく自分の頭の中に追い打ちをかけるように、鈍色の雲から落ちてきたものがあった)


みく「…………雪」


みく(どうしてだろう。一年前の雪は、あんなにも暖かく綺麗に思えたのに)

みく(今降り落ちてくるこれは。そんなものはただの空気のゴミなのだと、無情に突きつけてくるように冷たい――)

みく「…………わかるもんやとばっかり、思ってたんやな」

部員2「ん? どした?」

みく「……みく、帰るわ」

部長「あ、みく! ちょっと!」

<夜、自室>

みく(電気も暖房も何もつけず、星明りすら入らない暗闇の中で一人、ベッドの上で膝を抱えていた。闇に浮かぶのは、あの日憧れた魔法の舞台。オーディションに応募しては落ち込んだ絶望の日々。天啓のように得た部活の情報。……飛ぶように早く過ぎていった、鍛錬の日々)

みく(本気で生きていけると、そう思っていたのに。自分だけだった。理想の光はマタタビのように心地良くて、誰もがその方向に歩いて行きたいのだと勘違いしていた)

みく(……他人になんて期待した、自分が馬鹿だった)

みく(暗闇の世界をポケットから洩れた光と振動が破った。……電話の通知は、部長からだ)


みく「…………はい」ピッ

部長「……うちや」

みく「……知ってる」

部長「………………」

みく「………………」

部長「……部活、やめるんか?」

みく「…………わからん。多分」

部長「……あの子らを責めんな」



みく「うるさい!!」



部長「誰もがあんたみたいに上手くなろう、強くあろうとしてるわけとちゃう。……楽しければそれでいいのも、真実や。正しいやろ」

部長「……自分が本気になるから、他人にもそうなれって言うのは傲慢や。違うか?」

みく「…………うるさいっ、うるさい……」

部長「うちかてそうや。アイドルは、楽しい。それだけじゃあかん?」

みく「楽しい云々の前に、ひっ、やらなあかんこと、ひっ、ある、やろ……。本気でやらな、楽しい、ひっ、わけないやん……。最低限、ひっ、仕上げな、見てる人が、ひっ、楽しいわけ、ない、やん……」

部長「……そうやな。それも正しいと思う」

みく「……みくは。みくはっ! 本気でやりたいんやっ! あんたらにとっては大事でも、みくはそんな表面だけの偽物なんか欲しくない!」


みく「みくは――本物が欲しい!」


部長「……そうか」

みく「……」

部長「……」

みく「…………みく、部活、辞めるな」

部長「……わかった。……なあ、みく」

みく「……何」

部長「部活、全部、下らんかったと思うか?」

みく「…………楽しかった。それだけは、嘘とちゃうよ」

部長「そうか。それだけ聞けて、よかったわ」

みく「…………じゃあ」

部長「……ああ。またな」


みく(電話が終わって、何ともなしにテレビをつける。皮肉にも映ったのはアイドル番組だ)

にこ『にっこにっこにー! みんなのアイドル矢澤にこだよー!』

貴音『面妖な……』

穂乃果『あ、貴音さんは知らない? にこちゃんは高校の時からこういうキャラ付けでねー!』

にこ『ちょっと!! キャラって言うのやめなさいよ!!』


みく「キャラ……キャラか」

みく(今思えばオーディションでは熱意を伝えるばかりで、他の子たちと比べて何かフックがあるのかと言われればなかった。失うものはない身なのだから、こんなやり方だってありかもしれない)

みく(テレビの光しかない真っ暗な部屋に、どこからか飼い猫がするりとやってきて膝に乗った。……いつもは懐かないのに、にくい子だ)

みく(人差し指で首筋を撫でた。気持ちよさそうに目を細める猫の瞳は、比喩ではなく爛々と光っている。タぺタム。暗闇の中で光を見つめるための神秘)


みく「猫、か。……それもええな」


みく(他人に期待したって何もない。本物なんて持ってない。だったら人に寄りかかるなんて時間の無駄。帯びた熱意は秘めてしまおう。他人になんて、偽物で十分)

みく(だからみくは――猫を被ろう)

みく(たった一人で、本物を掴むために)

<一か月後、自宅>

母「みく、あんたにお客さん」

みく「え? 誰も約束してへんよ?」

母「……346プロダクションの、雪ノ下さんって人」

みく「!!!」



雪乃「前川みくさんね。346プロ、キュートプロダクションプロデューサーの雪ノ下雪乃といいます。先日のオーディション、僭越ながら同席させてもらったわ」

みく「わ、わざわざ直接連絡いただけるなんて……!」

雪乃「……結論から言います。あなたをプロとしてスカウトすることはできません。先日の最終審査の様子を見て鑑みた結果、そう判断しました」

みく「え…………」

雪乃「プロとして、ということならね」

みく「……!? ど、どういうことですか!?」

雪乃「現時点でのあなたにはアイドルとしての見込みはない。しかし、未来のあなたには可能性があるかもしれないと私は判断しました」

雪乃「前川さんさえよければ、あなたを346プロダクションのアイドル候補生として迎え入れたいと思っています」

みく「なる!!! なります!!」

雪乃「は、話を最後まで聞きなさい?」

みく「あ、すいません……」

雪乃「アイドルになれるかもしれないと喜ぶ気持ちもわかるのだけれどね。忠告してあげるけれど、世の中に都合のいいだけの話なんて存在しないのよ?」

雪乃「あなたの目の前にいるプロデューサーは世間一般的にはアイドルを創り出す魔法使いなのかもしれないけれど、ひょっとしたら悪魔なのかもしれない」

みく「……どういうことですか?」

雪乃「まず一つ。346のアイドル養成所は大阪にはないわ。プロのアイドルのほとんどが東京で活動していることから自明だとは思うけれど、つまり、あなたは上京しなければならない」

みく「上京……」

雪乃「当然、学校だって転校しなければならないわ。あなたの年齢だったら辛いことかもしれないけれど、どうしても友人や両親と離れることになる」

みく「……」

雪乃「もう一つ。これが一番重要なことよ」

みく「……聞きます」

雪乃「アイドル候補生として上京する暁には、住む場所や食事は提供するし、レッスンする環境も提供するわ。でも、それも無限じゃない」

雪乃「タイムリミットは、二年。その間にあなたがアイドルとして芽が出なかった場合、契約は終了。そこからあなたがどうなろうと、私たちには知ったことではない」

みく「!」


雪乃「こちらも企業だから。慈善事業ではないのよ。個人の夢に出資するのではなく、利益の為に出資するの。わかって?」

雪乃「私たちはあなたにチャンスを与える。でも、あなたが失敗しても責任は取らない」

雪乃「……この意味、よく考えて返事してくれると嬉しいわ。人生は一度しかないのだし、親御さんとよく相談して――」


みく(目の前で、悪になりきれない綺麗な魔女が歌っている。……いいのに。利用しても)

みく(それが泥舟であっても構わない。海に向かって漕ぎ出せるなら。前にすすめるのなら)

みく(猫を被ると決めたその時から、もう決めてしまったから)

みく(もう、何があっても自分を曲げない――)


みく「――やります。やらせてください。両親は、絶対に説得します」

雪乃「……脅すようなことを言ったのは私だけど、本当にいいの?」

みく「確かに、親元を離れるのも将来に何の保証もないのも凄く怖いです。……でもっ! アイドルになれないことのほうが、もっと怖いです!」

雪乃「……そう」

みく(何度酷い目に遭っても、ただ城に行きたいとみくは願った。でも現実は非情だった。王子さまや魔法使いなんて現れなかった。お前の役目はシンデレラなんかじゃないと、冷たい世界は言ってくる)

みく(そう諦めかけていたみくの前で、王の従者はガラスの靴を差し出した。この靴、お前に履けるかと。だから――)

みく(たとえ足の一部を削り取ってでも、この靴を履いて城まで行くと誓った)


雪乃「あなたの未来に期待するわ。前川みくさん――」

<ライブ当日、昼。千葉マリーナスタジアム>

小町「お兄ちゃーん!」

八幡「おお、小町。……フェスフェスしい恰好してんな」

小町「せっかくだから楽しまないとね! 招待券、ありがと!」

八幡「せっかくの職権だから濫用しないとね!」

絵里「比企谷くん、お待たせ! 人が多くて……って、あら」

小町「あー!? 本物の絢瀬絵里さんだ!!」

絵里「あなたは小町さんね? 写真で見たし比企谷くんからよく聞いてるわ」


八幡「くそ、電波が繋がりづらい……。悪いがちょっと会場の外に出てくる。絵里さん、少しの間小町見といてください」

絵里「はいはい、わかったわー。……小町さん、良ければ連絡先紹介しない?」

小町「本当ですか! 願ってもないです!」

絵里「えーっと……はい、じゃあ読み込んでもらえるかしら?」

小町「はい! ……よしっ、できましたー」

絵里「ありがとう。これからよろしくね?」

小町「はい。……でも、小町はだーれもえこひいきしませんからね。外堀は埋められません!」

絵里「……やっぱり、わかっちゃうの?」

小町「あはっ、今絵里さんに教えてもらいました」

絵里「……小町さんはやっぱり比企谷くんの妹ね」

小町「うわぁ喜んでいいか微妙なラインだなー。まいっか。正直小町は皆さんに妬けますけどね。毎日疲れてて最近構ってくれないしっ」

絵里「ふふ、それは悪いことをしてるわね。人手不足なのに雇わないから、ウチ。こだわり派なんだって」

小町「そんなところにスカウトされるとは。兄も隅に置けませんなー」

絵里「隅に行きたがるんだけどね」クスクス

小町「あははっ、わかってるぅー」

絵里「……今日も暑いわね」

小町「そうですね! いい日になるといいなー!」



美希「ハーニィ! 見つけた!」

赤羽根P「げっ、美希!? なんでここに!?」

春香「私もいますよ、プロデューサーさん!」

赤羽根P「春香まで……!? ちょっと待て、まさか」

美希「千早さんと雪歩もいるの。関係者席で見るって言ってたけど」

赤羽根P「ハァ……。レッスン入ってるって言ってたから油断してた……」

春香「むっ、そんなに邪険にしなくたっていいじゃないですかー! きっちりノルマは終わらせてきたんですからね?」

赤羽根P「誰もお前たちが怠けてるなんて言ってないさ。ただ俺はプライベートで見に来たのになあ……」

美希「ミキはプライベートでハニーに会いたかったからいいの!」ギュッ

赤羽根P「ちょっ、離せ! 声も小さく! 変装もしっかり! お前なあ、毎回毎回誤解を生みそうな写真撮られる度に色々握りつぶす苦労知らないだろ!?」

美希「ミキ的にはそろそろスキャンダル出ても面白いと思うな! それでねらい目だと思ってライブを申し込んでくれるところが増えたら、退屈しなくて済むの」

春香「炎上マーケティング!? ダメだよ!?」

赤羽根P「ハァ……。お前たち、目立たないようにな。今日は周りがみんなアイドルファンなんだから特に。騒ぎが起こったら、他のアイドル達にも申し訳が立たない」

春香「わかってます! 武内Pさんに会うの、久しぶりですっ」

美希「ダンディだよね! 首に手を回す癖がカワイイの!」

赤羽根P「嗚呼……せっかく後輩と水入らずの予定が……」

<関係者席>

花陽「あわわ……わたしのような者がこんな大仰な席にいていいんでしょうか……」

真姫「関係者でしょ。堂々としてなさいよ」

花陽「……そうだね。あれ? 凛ちゃんは?」

真姫「今日はみんなと会わないようにしたいんだって。……どうしても、会うと応援したくなっちゃうからって」

花陽「……そっかあ」

真姫「あっ、あそこにことりがいるわよ。話してるのは……」

花陽「……!! 如月千早と萩原雪歩!?」


千早「ことりさん、この前のライブ衣装ありがとう。とっても素敵だったわ」

ことり「ありがとー! 千早ちゃんが着てくれたから衣装も可愛くなったんだよ! 今日もね、何人か衣装提供したから見てほしいなっ」

雪歩「今度私の衣装もお願いしていいですかー?」

真姫「ことり。こっちよー」

ことり「あっ、真姫ちゃんと花陽ちゃん! ふふふ、ライブがあるとみんなと会えるから嬉しいなー」

千早「真姫……? もしかして、西木野真姫さんですか?」

真姫「あら。天下の如月千早に知ってもらえるなんてね」

千早「そんな、私なんて。私、西木野さんの曲が好きなんです。海未さんに曲を提供されていますよね! 私、海未さんの大ファンなんです!」

真姫「……まあ、海未ちゃんはどんなに難しくてもものにしてくれるしね。作曲家として燃える相手なのは確かよ。……ありがとう」

雪歩「あっ、元μ'sの小泉さんですかぁ?」

花陽「えええ!? 雪歩さんが私のような矮小なコメツキバッタにも劣る存在を認知してくれてるなんて!? 幸せですっ、昇天しますっ!?」

雪歩「あわわわわっ、落ち着いてください!? そうですよねすいません私なんかが声をかけても嬉しくないですよねすいません穴掘って埋まってますぅ!!」

ことり「……なんだか、奇跡の出会いって感じだねー?」


八幡(うだるような暑さの中、夏のアイドルフェス――ライブバトル新人戦は幕を開けた)

八幡(ただでさえ音を上げてしまいそうな気温に加えて、人の熱気がたちこめる会場はさながら地獄だ)

八幡(熱気で歪んだ空気の向こうに、アイドル達の輝く舞台がある。彼女たちは、足りない、もっとだと客を煽る。それに呼応して、観衆は皆、鮮やかな光を振って酸素を燃やした。曲が終わると万雷の拍手を贈っていた。スコアボードに数字が現れるたび、どよめいていた。観客はきっと今、生を謳歌しているのだろう)

八幡(蜃気楼のように揺らめく空気に散らばるサイリウムの光のせいで、会場は浮世めいている。薄い酸素に息苦しさを感じる現世と遊離した会場にて、一番の熱源であるアイドルたちはそれでも満面の笑みを浮かべていた)

八幡(客の二酸化炭素が自分たちの酸素だなんて誰かが言ったらしいが、あながち嘘ではないのかもしれない。そんなことを思っていた)


星空凛「……ひっきー。もうちょっとで始まっちゃうね」

八幡「……星空。お前がこんな後ろにいるとはな」

星空凛「あはは、似合わないかにゃ?」

八幡「いや。むしろ見に来ないかと思ってたくらいだ」

星空凛「……まあね。あの娘たちの成果を見るのは楽しみだし、穂乃果ちゃんたちも一緒に見られるなんて夢みたい! ……なーんて思えたら楽だったんだけどなー」

八幡「お前の立場は複雑だよな、今回」

星空凛「そだねー。でも、凛は見届けるよ。順番がついちゃうのは辛いことだけど、でも、順番がつくから楽しいことだってきっとあるよね。凛、昔いっぱい競争したからそれもわかるんだ」

八幡「……そうなんだろうな。俺はお前と違ってあいつらに直接何か教えてやることもできないし、できることといったらこうやって見てやるぐらいだ」

星空凛「うん、でも、それでいいんだよ」

星空凛「アイドルって、見てくれる人がいないと成り立たないから。近くでも遠くでも、大人でも子供でも、一人でも多くの見てくれる人のために、アイドルはステージに立つんだよ」

星空凛「だから凛は最初から最後まで全部観るよ。ひっきーも一緒に見守ろう? それが凛たちにできる、唯一で一番のことだよ!」

八幡「……ああ。そうだな」

星空凛「とーこーろーで。しぶりんたちにはもう会った?」

八幡(……俺は、自分の右の掌に視線を落とした)

八幡『……気分は?』

凛『うん。最高』

八幡『そうか』

凛『プロデューサー。右手出して。パーで』

八幡『こんな手でよけりゃ、いくらでも』

凛『じゃ、最後の仕上げ。気合をもらうよ』

八幡(俺と渋谷は、勢いよくタッチを交わした。弾ける音が真夏の花火みたいだった)

八幡『ずっと見てた。やれるだろ?』

凛『やれる。だから』

凛『ずっと、見ててね』



八幡「挨拶は済ませた。あれ以上はいらん」

八幡(掌の感触はまだ残っている。花火はまだ消えていない。その輝きを見るまでは)

八幡(耳をつんざくのは暴力的なまでの歓声。新しい、消えぬ魔法をかけてくれと彼らは祈る)

八幡(正面のモニターに祈りは届く。映し出されるのは、俺が誰よりも知ってる彼女の名前)

八幡(熱量の残る掌を、ありったけの力を込めて握りこんだ)

八幡「……頑張れっ!! 負けんなっ!!」


――♪『Summer Wing!』



雪乃(見事、と。それ以外に何が言えるのだろう。こんな気温の中なのに、私は鳥肌が立つのを抑えられないでいた)

雪乃(最初に前川さんを見たのは地方で行われた一般募集のオーディションだった。お世辞にもプロの基準に達しているとは言えない歌とダンス。作りこみが浅いキャラ。……でも、誰よりも負けない熱意)

雪乃(最終選考で落とされるはずだった彼女を候補生にしたのは、私のわがままだった)


面接官『じゃあ、あなたはどんなアイドルになりたいのですか?』

みく『っ! みくはっ、みくを見てくれた人ごとこの世界を変えてしまえるような! そんなアイドルになりたいです!』


雪乃(自分の理想。綺麗な中二病だねと姉に笑われたそんな夢想を、取ってつけたような猫も被れず彼女は熱く語って見せた)

雪乃(そんな彼女に強く惹かれた。人に笑われてしまいそうな己の理想を、輝いた瞳で語る彼女に賭けてみたくなった)

雪乃(あがいてみてほしい。私も抱くその理想が、どこまでこの暗く冷たい現実に通じるのか見せてほしい)

雪乃(あなたが。……あなたこそが。私に再び『期待』という言葉を取り戻させてくれた、たった一人のアイドルなのだから!)

雪乃(行け……行け! あなたの練習量やプロ意識や想いは、私が誰より知っている。ずっとずっと、あなたを見てきたんだから!)


雪乃「頑張れーっ!! 負けるなーっ!!」



戸塚(出だしの透き通るようなハイトーンからもう心を持っていかれた。線対称のフォーメーションで踊り始める二人は、心からの笑顔で視線を交わす。互いの視線が雄弁に物語っている。勝負だ、と)

戸塚(一番の主旋律を歌うのは前川さんだ。会場の後ろを飛び越えて海の向こうまで飛んでいきそうなほど響く声が、美しくメロディラインをなぞる。これだけの声量をひねり出してなお、身体に一切のぐらつきはない。歩幅の一つ一つまで狂うことなく繰り出される正確精密なダンスに瞬きができない。一体何度動きをさらったのか、想像するだけで肌が粟立つ)

戸塚(バッキングを務めている渋谷さんの動きにも目を奪われる。彼女の挙動一つ一つには引力がある。カリスマ、と言うんだろうか。バッキングだからメインを喰うことはない動きだけど、なのに目が離せない。牙を納めながら忍び寄る獣のオーラを想起させる)

戸塚(Bメロに突入する。バックコーラスで複雑な譜割りのメロディを口ずさみながら踊らなければならない。――なのに、渋谷さんは余裕のその表情を崩さず、難なく歌い切って見せた。更に、自分にはこの程度じゃ足りないとばかりに、アドリブのダンシングフレーズを繰り出す。あれは……タップダンス!?)

戸塚(それに気付いても、前川さんは全く動揺しない。むしろ上等とばかりに更に笑った)

戸塚(サビのユニゾンが心地良い。何人ものお客さんがサイリウムを振ることを忘れて棒立ちになって聞き入っていた)

戸塚(間奏から二番に入る前の一瞬のブレイク。二人はまた視線を交わす。「どうだ、やってみろ!」「やるじゃん、ま、私の方が上手いけど」そんな会話が聞こえてくるようだ)

戸塚(二番に入った。主旋律を担う人物がスイッチする。前川さんのような声量はないけど、耳から足の爪先まで爽やかに通り過ぎていくような凛とした歌声が会場を駆け抜けていく。聴き入ってしまう。翠色の声が涙腺すら刺激するようだ)

戸塚(でも、渋谷さんをある意味際立たせているのが前川さんだ。バッキングは、基礎の集大成。その点において彼女は何者の追随を許さない。踊りが、コーラスが、楽曲にとっての不可欠な空気であるようにさえ感じる。前川みく無くしてこの楽曲は成り立たないのだと、誰もがそんな確信の中にいるようだった)

戸塚(彼女の笑顔が妖しく光る。なんと前川さんは、Bメロの複雑な動きを完璧にこなすだけでは飽き足らず、さっきの渋谷さんのアドリブフレーズを完全にコピーしてやり返した!)

戸塚(お客さんは湧きに沸いた。ぼくさえも、立場を忘れて一人の熱狂者になっていた)

戸塚(ギターソロに合わせて二人がシンメトリーに舞う。……ああ、なんて楽しそうなんだ!)

戸塚(この曲が終わらなければいい。永久に終わらないでほしい。ラスサビに突入した途端、途方もない寂寥に襲われた)

戸塚(陶酔感をもたらすユニゾンが終わっていく。後奏のコーラスの掛け合いには芸術品のように狂いがない。ああ、終わる。終わるんだ――)

戸塚(彼女たちの夏は、終わるんだ)

戸塚(演奏が終わって万雷の拍手に包まれる彼女たちの背中に、遠く明るい未来まで飛んで行ける夏色の翼が見える、そんな気がした)



凛『ありがとう……ありがとうっ!!』

みく『みんな、ありがとーう!!』

司会『二人とも、ありがとうございました! 素晴らしいパフォーマンスでしたっ!! ご観覧の皆さま、是非投票をおねがいします!! 集計の結果発表は、二人の今から行うエキシビジョンの後に発表となります!』



凛『最後の曲になります。今から歌うこの曲はね、夏休みに実は二人で決めたんだ』

みく『にゃはは、そうなんだ! みく達はね、二人とも高校三年生なの。受験真っ盛りだね。なのに、夏休みにやることと言ったらレッスンやお仕事ばっかりだにゃ』

凛『本当にね、一応優秀な学生だったのに。どこで人生狂っちゃったんだろう。……おかげで今、楽しくて仕方ないよ!』


――わああああああああ!!!


凛『普通の高校生の青春とはちょっと違うし、苦しいことだっていっぱいある。でも、私たちはこんな今の生活が、青春が、大好きです!』

みく『きっといつになっても、おばあちゃんになっても、みくたちはこの青春を思い出すよ! みくたちのありったけをこめて歌うから、聞いてくださいっ!!』



『――きっと青春が聞こえる』


<公演終了後、夜。千葉マリーナスタジアム一塁側観客席>
みく(あれだけたくさんいたお客さんも、大きな舞台も、さっきまで目の前にあったのに、今はもう何もない。吹き抜けの天井からは昼間の気温から想像できないほどの冷たい風が落ちてきて、夏の終わりを感じさせた)

みく「兵どもが夢のあと、か」

雪乃「今日の源平合戦はどうだった?」

みく「プロデューサー……」

雪乃「素晴らしかったわ。本当に」

みく「プロデューサーに言われれると素直に嬉しいな。嘘言わんから」

雪乃「そうね。虚言は吐かないの」

雪乃「だから、あなたに最初に会ったとき、期待していると言った言葉も嘘ではないのよ」

みく「……あの言葉、嬉しかった」

みく(舞台があった場所を見つめる。今でも思い出せる。何度だって思い出せる。生きてて一番気持ちいい瞬間だった。このまま時が止まればいいと、本気でそう思ったのは初めてだった。夏の幻が消えてしまった寂寥と舞台の余熱が、今も心で渦巻いている)


みく「みくな、他人にはもう期待せんって、あん時思ってた」


みく「――でも、それはもう終わりにする」

雪乃「……そう」クスクス

みく(ふと、舞台の前の一幕を思い出す)


凛『いよいよだね。あっという間だった』

みく『にゃっはっは! 悪いけど勝たせてもらうにゃ!』

凛『……いい加減そのキャラやめたら? 少なくとも私にはバレてるよ』

みく『……へぇ、よー見てるやん?』

凛『性格の悪さが挙動に滲み出てるんだよ。そりゃ猫被んないとアイドルできないよね』

みく『あんたは少し被った方がええんとちゃう? 愛想悪くて仕事入ってこんぞー』

凛『……ふふっ。言うじゃん』

みく『はははっ、あんたもな。しかしよーわかったな。同業者にはバレてないんやけど』

凛『ライバルを観察するのは当たり前でしょ』

みく『……ライバル』

みく(誰かに認められたいからアイドルをやってきたわけじゃないけど、その言葉はすとんと自分の中に落ちていった。……きっと、こういう認め合える相手を探していた)

みく『よし、じゃあこういうのでお決まりの握手とかやっとく?』

凛『いいよ。……あ、右手はやめてほしいかも』

みく『ん? なんで?』

凛『え、あ。……えーっと、そう。左手の握手は決闘だから』

みく『はははっ、しょーもないとこ拘るやつやなぁ。……ほら』グッ

凛『……うん』グッ

みく『……なぁ、渋谷』

凛『なに、前川』


みく『――お前に、期待しとく』


みく「さーて、ちょっと行ってくるかにゃ! しぶりんはどこか知ってる?」

雪乃「あれじゃないかしら。球場内でバックスクリーンの真下辺りに立ってる影。何しに行くの?」

みく「ちょっとした挨拶。プロデューサーも行くかにゃ?」

雪乃「仕事よ。連盟の人に呼ばれてるの」

みく「そっか。じゃ、おつかれさま!」

雪乃「ええ、お疲れ様。……本当に、おつかれさま。前川さん」

<同刻、バックスクリーン下>

八幡「……風邪引くぞ。十度以上下がってる。上ぐらい着ろよ」

凛「うん。後でね」

八幡「……ったく。ほら」バサッ

凛「わっ。……ありがと」

八幡「身体が資本なんだろ。次から上ぐらい持って来いよな」

凛「うん、ありがと。……ふふ」

八幡(吹きつける風に、渋谷が肩にかけた俺の上着と後ろ髪が冷たく揺れた。俺はその後姿を立って見つめる。寒いのか、スクリーンを見上げる渋谷は上着ごと肩を抱きしめていた)


凛「なんだか、あっという間の夏だったね」

八幡「そうだな。目の前のことを片付けてたら、いつの間にかって感じだ」

凛「一日も勉強しなかったし遊びにも行かなかったな」

八幡「そういや、俺も事務所と養成所にいる以外の記憶がねぇな……」

凛「……でも、こんなに充実した夏は人生で初めてだった」

八幡「……そうか」

八幡(早く移り変わる雲の姿がしっかりと視認できる。月の光がいつもより明るいせいだろうか。雲に隠れているが、夜の灯りには十分だ)

凛「初めて聞く音楽で、初めての踊りをやって。毎日知らないことを師匠から習って。レッスンだけじゃなくて撮影したり、初めてのテレビ番組に出てみたり」

凛「代替わりだけど、初めて自分の冠のラジオ番組を持って。スタッフに無茶振りされたりしたね」

八幡「諸星は喜んでたぞ。あの回、録音して音楽器に入れてるんだとよ」

凛「人生で初めての合宿もしたね。朝早くから夜遅くまで、もう死んじゃうかと思うくらいレッスンしたんだ。ここだけの話いっぱい吐いたし泣いた」

八幡「星空は意外とサディスティックだからな」

凛「初めての友達とのお泊りだったんだ。日付が変わっても友達が一緒にいるってなんかへんてこで、楽しいんだね。一緒にお風呂入るのはちょっと恥ずかしかったな」

凛「三人で歩いた深夜の星空は綺麗だったなあ。寝転んだ柔道場の畳は気持ちよかったなぁ。次の日もつらいレッスンがあるのに、三人で初めてした深夜の女子トークはドキドキしてやめられなかったなぁ」

八幡「……あの日、深夜に来たメールは不覚にも嬉しかった」

凛「そっか。……なんでそんなに頑張るかって言うとね。負けたくないって思える相手ができたからなんだ。あんなにも自分に本気になってくれる相手がいるだなんて、震えたからなんだ」

凛「初めて、誰かのおまけじゃなくて、自分のことを目当てにみんなが見に来てくれるライブが決まったからなんだ」

八幡(渋谷は、ぎゅっと俺の上着を引っ張って被る。その背中は震えていた)

凛「ねえプロデューサー。……寒いね」

八幡「……そうだな」


凛「ねえ、夢みたいだね。さっきまであんなにたくさんのお客さんがいて、大きなステージがあって、……私たちはそこで踊ったんだよね。歌ったんだよね」

八幡「ああ」

凛「夢みたいだったね。もう楽しくて楽しくて、心臓がかぁっと熱くなって。今でもずっと熱が消えないんだ」

凛「最高だった。楽しくて、時間が止まればいいなって思ったよ。……でも。でもね、プロデューサー……」






                 渋谷 凛    VS    前川 みく                  
     
           24,298 Points 25,702 Points






凛「私っ……負けちゃったんだね……っ」

凛「夢じゃ……ないんだねっ……」

八幡(気まぐれな群雲が離れて、月はその姿を現す。悪戯で柔らかなその光が、等身大の彼女の眼から零れ出る、心の滴を照らした)

八幡(脳髄を甘噛みされたような痺れが、心を打った。甘く染みていく身体の震えでその場から動けない。ああ……こんなことを思う俺は不謹慎だろうか。彼女は今、俺の記憶のどんなものより尊いのだと)

八幡(なんて、美しく高貴な涙を流すのだろうと)


凛「ごめんっ……ごめ、んっ、ごめ、んなさいっ」

凛「わたしっ、かて、なかった……かてなかった、よっ……!」

八幡「いい。……いい。何も言うな」

凛「わたし……くやしいっ! くやしい、よっ……!」

八幡「そうか。……そうだよな」

凛「ごめんっ……いま……見ないで。あなたに、こんな顔、見せたくないの……」

八幡「……ああ。なあ、渋谷」

凛「……なに……」

八幡(俺は空を見上げながら前へと歩いて行き、渋谷の隣を追い抜かして、一歩前の辺りで止まった)

八幡「寒いな」

凛「……うん」

八幡「上着貸して、寒いんだ。……背中、暖めてくれないか」

凛「…………馬鹿っ……カッコつけっ……。似合わない、よ……」

八幡「……今日だけ、だからな」

凛「……ばか」ギュッ

八幡「……なあ、渋谷」

八幡「誰も、見てないぞ」

凛「――っ」


八幡(その言葉で、想いは溢れた。決壊させてやれた。背中の震えと熱に呼応して、冷めきったはずの俺の感情の一部に熱が移る。この感情の名を、何と言ったか)

八幡(だが、ひとまず考えるのはやめておこう。今は彼女の気持ちの発露をただただ受け止めてあげたい)

八幡(ともすれば自分も泣いてしまいそうなのを堪えながら、ただ空を見上げる)

八幡(月よ、今一度だけは隠れてくれよと、そう願いながら)


みく(ただ一言、伝えるつもりだった。今日のステージは最高だった。また絶対にこんなライブをしよう。次だって自分が勝ってやると、照れ隠しを混ぜて)

みく(でも、彼女に近づいていくうちに、その頬に一筋流れる涙に気付いただけで胸がいっぱいになった)

みく(無粋なことはしたくないから、気付かれないよう猫足ですぐに引き返す)

みく(ほら、あいつに期待してよかった。ちゃんと応えてくれるから)

みく(もう本気で生きていいんだね。自分と同じく、本気で泣ける人間がこの世界にはいる。そのことのほうが勝ったことより何倍も嬉しかった)

みく(さあ、帰ってゆっくり寝て、明日もまた鍛錬に勤しもう。一歩でも大きくリードするために。あいつはきっと、泣いて終わるような女じゃない)


みく「おやすみ、ライバル」




八幡「もういいだろ。帰るぞ」

凛「…………もうちょっと」

八幡「そろそろ職員さんに怒られちゃうだろが。あといい匂いしてドキドキするからやめてくれ」

凛「え!? あ、汗臭かった!?」バッ

八幡「んなこと言ってねーよ、大音量で耳やられたか?」

凛「……あーあ、もったいないことしてるよ。女子高生アイドルに抱きつかれてたのにさ。もうこの先一生ないね」

八幡「この先頑張って偉くなって権力を有したら新人アイドルに仕事回す代わりにやってもらうか」

凛「冗談だってわかってるけどそれ絶っっっ対よそで言っちゃダメだからね!」

八幡「はいはい。それより帰るぞ。車で来てるから乗ってけ」

凛「……お言葉に甘える」

<帰路、車内>
凛「今日は疲れたな」

八幡「俺もだ。応援ってのは心底疲れるもんだな。明日が休みで本当に良かった」

凛「……応援してくれたんだ?」

八幡「……一々揚げ足取んなよ。性格悪いぞ」

凛「うつったんだよ。だから負けちゃったのかな」

八幡「引っ張る奴だなお前は……。見てる限りでは内容に差はなかった。ただ敗因があるとすれば……」

凛「プロデューサーの差?」

八幡「責任転嫁って上手い言葉だよな。転ぶ嫁って書くんだから」

凛「冗談。雪ノ下さんにだって負けてないよ」

八幡「……今回に限っては、僅差を埋めたのは積み上げた歳月の違いだったんじゃないか」

凛「……そっか」

八幡「ただ、俺はこういう精神論は嫌いでな。次やる時は圧倒的に叩き潰してやれよ。歳月の違いなんて知るかってな」

凛「……うん。ねえ、プロデューサー」

八幡「なんだ?」

凛「私、トップアイドルになりたい」

凛「この前まで、何にも熱くなれなかったなんて嘘みたい。好き。私、アイドルが好きだよ。こんなに熱くなれるものがあるなんて知らなかった」

凛「私、もう負けない。負けたくない。なら、目指す場所は一つだよ」

凛「頂点に……最短経路で走っていきたい」

凛「そのために、私は靴を貰ったんだと思うから」

凛「だから私は、走るよ。自分の為にも、もちろんプロデューサーの為にもね」

八幡「……頼もしいな。そんなお前に朗報だよ」

凛「え? なに?」

八幡「CDデビューが決まった。前川と同時にな」

凛「……嘘」

八幡「今日のお前にそんな嘘つくやついたら人間じゃねぇよ。本当だ。……ただし、前川の方は今日の戦果が評価されてEランクに昇格のオマケ付きだがな」

凛「気に入らない……。ん、待って。もしかしてシングル出すってことはまたライブバトルある?」

八幡「察しが良いな。レコ発兼販促って感じで来月早速だ」

凛「……ふーん」

八幡「……悪い顔してんぞ。せっかく今日で顔売れたのにその顔じゃ地上波に乗せていけん」

凛「ライブバトルのルール」

八幡「? ……あ、おい、まさか」

凛「『新譜を出すときはランクが下のアイドルの対戦希望が絶対通る』んだったよね?」

八幡「……はいはい。もう対戦希望に名前書いといてやるよ」

凛「ふふっ、ありがと。……着いたね。じゃ、またね」

八幡「ゆっくり寝ろよ。おやすみ」

凛「おやすみ。あ、ねえ、プロデューサー」

八幡「なんだ」

凛「背中、大きいんだね。……ちょっと、どきどきしたよ」

八幡「……バカ。寝てろ」

――ばたん。ぶうぅーん。


凛「あははっ、照れてた。……本当、ちょっとは反撃しないと私ばっかで不公平だもん」



八幡(熱くなった頬を冷ますために窓を開く。早速自分のやらかした行動を思い出して最高に死にたくなる。アクセルガン踏みでいきたい。あれは俺じゃない。俺じゃなかった)

八幡(また一つ黒歴史が増えてしまった……のかな。でも、あの時の俺はそうしたいと思ったんだから仕方がない)

八幡(何より彼女の涙は尊かった。月明かりを反射したあの滴は教えてくれるのだ。今、この時は決して間違えてなどいないと。「本物」を諦めるのはまだ早いと)

八幡(背中越しの彼女の体温がまた蘇る。熱くなる身体。……この熱さは多分、黒歴史をやらかした時に立ち上ってくる、あの掻痒を伴う熱じゃない)

八幡(……やめろ。考えるな。俺が抱いているのは幻想だ。そんなものが、本物であるはずがない。他人に期待するな。都合のいい幻想を強要するな。……勝手に期待して、勝手に失望する傲慢な自分に気付いて傷ついて――そんな過ちを何回繰り返せばいい?)

八幡(そして過ちの果てに気付くんだ。俺は、他人を愛することが出来ない壊れたロボットなのだと。他人の為に自分を傷つけることがただただ怖くて、手を差し伸べられない心なき人形なのだと)

八幡(ああ、俺は嫌になるほどたった一人を愛しているのだ)

八幡(この世で一番大切な、醜い自分を――)

八幡(そんな己のせいで壊れた彼女たちとの関係のことを、よもや忘れるはずもない)

八幡(……でも)


八幡「私は、走るよ……か」


八幡(あいつは言ったのだ。自分の為でもあるけれど、俺の為にも走ってくれると)

八幡(変わってみようかと思い始める自我に、邪知暴虐の王は怒号を放つ。人をまた信じようとして、無為に帰してしまう未来を思うと背筋が震える)

八幡(けれど、もし。人の為に走ると、そう誓う人間が現れるのなら。邪知暴虐の王も心を入れ替える、そんな未来もあるのかもしれない)

八幡「俺は……期待して、いいのかな」

八幡(虚空に問うた、生涯最大の設問に答える者は誰もいない。点滅する信号機を通過していく車は、けれど確かに答えが待つ未来の方角へと進んでいた)



ほい。というわけでみくにゃん編こと犬猫激闘編でした。シナリオはちょうど半分といったところですね。
続きを今日書くかどうかは用事が片付くか次第って感じです。相変わらず読んでいただける方、本当にありがとうございます。
ではでは。


一括置換!! 教えていただきありがとうございます……! いや、誤字は自分の至らないところ。誠に申し訳ございません。
SSを書くのは初めてなのですが、こうやって書いたものにレスポンスが返ってくるというのはかなりの衝撃です。ネット現代すごい……。

それでは再開させていただきます。レス、本当にありがとうね。

<九月初頭>

――♪『ずっと強く そう強く あの場所へ 走り出そう』

『私は――負けない』

『渋谷凛1stシングル、Never say never。Now On Sale』


みく「はい! お送りしたのは同期の渋谷凛チャンの曲で、Never say neverでした! みんなはもう買ったかにゃ? みくは発売前に渋谷から貰ったんだけどね。……にしても高い曲だにゃ。最後のラスサビのところ、その日までー♪の『の』のところとかね。ムズカシイことを言うと一気にhiDまで上がるにゃ。こーいう一気に上がったり下がったりの曲はとっても難しいの! ……流石渋谷って感じだにゃ。CMももう流れてる? 私は負けないってやつ……あ、もう流れてる。そっか! あ、でも」


みく「みくに最初負けたけどね! にゃははははははは!!」


みく「ま、渋谷のNever say neverもいいけど! みくのおねだり shall We~?も買ってね? お願いだよ? ……はい! 番組ではみんなの感想お便りをお待ちしてるにゃ! メールアドレスはーー」





――♪『仔猫じゃないのよ にゃお!』

『前川みく1stシングルっ! おねだりShall We~?』

『お願い、買って欲しいにゃ?♪』



凛「なーにが『買って欲しいにゃ?♪』 って感じだよねあの猫。ふふっ。オープニングでお送りしたのはキュートプロダクションの前川みくさんで『おねだり Shall We~?』でーす。みんなはもう買った? あの猫撫で声にフィッシュされて。……え? 当たりが強い? それはね、ちゃんと理由があるんだよ。ちょっとメール読むね。Rinkネーム釣られた魚さんからのお便りだよ」

凛「『凛ちゃん、こんばんは』……こんばんは。『いきなりですがタレコミます。みくにゃんがご自身の番組、週刊マタタビランドの最新回で凛ちゃんのシングルのことについて話してました! 難しい曲なのによく歌いこなしてて凄いって褒めてましたよ。でも最後、CMのセリフに突っ込んで、みくには負けたけどね! と元気よくdisってました。不謹慎ですが爆笑しました』……ちょっと作家さん、笑わないの。ふふっ。『……ぼくはお二人とものファンなので、もっと燃えろもっと燃えろと燃料投下させていただきます。早く三回目のみくにゃんとのバトルが見たいです! 個人的には早慶戦、阪神巨人戦みたいになっていけばいいなと思います。それでは、引き続きお二人を応援していまーす!』」

凛「そう、そうなの。こういうメールがもう山のように来てるんだよね。そりゃ触れないわけにはいかないじゃん? ……余計なお世話だよバカ猫! あ、先週のレコ発ライブバトル、見てくれた人本当にありがとう。おかげさまで前川相手に難なく勝つことができました。あと、なんと現時点で売り上げも1000枚くらい勝ってるそうです! やったね。ねえ聞いてる前川? 聞いてるよね多分。ねえ今どんな気持ち? ねえねえどんな気持ち? ……あははっ、うそうそ冗談。でも溜飲下げるくらいはね? 勝者としてはね? しときたいじゃん?」

凛「せっかくだからこのフリートークの時間はCDの話をしよっか。何から話そっかな。じゃあまずはレコーディングの話からするね。……レコーディングって初めてでさ、もうすっごく緊張した。周りの人がなんだか怖く見えちゃったりして。でも、真姫さんの顔見た時は安心したな。あ、真姫さんって言うのは作曲家さん。アイドルファンなら知ってる人も多いかな? そう、あの伝説のスクールアイドル、μ’sの西木野真姫さんだよ」

凛「でも結構練習したのに大分真姫さんにはダメ出しされたなぁ。一回歌うでしょ、そしたらブースの向こうで神妙な顔で真姫さんたちが協議するの。もうそれをブースで見てる胃の痛さったらなかったよね。……ま、でも苦労した分すごくいい歌になったと思うな」

凛「で、前川の話に戻るんだけど、お願いshall weの作曲も真姫さんなんだよ。真姫さんって現役医大生でしかも売れっ子だから、スケジュールを抑えるのが大変で……。そうです。なんとおねだりshall weとNever say neverは同じ日に同じスタジオで録りました!」

凛「私のレコーディングが終わってからお願いの方が始まったんだけど、もう凄まじい以外の感想が浮かばないね。あの曲、ジャジーなピアノとベースが物凄くかっこいいじゃない? 普段どんな音楽聞いてたらこんなお洒落なフレーズ思いつくのかなってぐらい。……あれ、全部真姫さんが弾いてるんだよ。私が弾いた方が早いわねとか言ってさ。……あの人、本当にナニモノなんだろうね。業界の宝だよ宝」

凛「初回の放送で言ったと思うけど私もベース弾くから、前川とCDを交換した後早速耳コピしてやってみたんだ。むっずかしい。本当にむっずかしい。リズムも複雑でAメロとか入るタイミングどこって感じだしBメロもスローになるし。ちゃんと弾けるようになるまでまだ時間かかりそうです」

凛「あの曲の間奏のにゃーにゃー言ってるところのキメとかも凄く難しいよね。でも、あれを前川はライブで完璧にやっちゃうんだからやっぱり流石だね。……一体何回聴きこんで練習したんだろう」

凛「……あれ? 前川の宣伝になってるじゃん。ダメダメここカットね! 編集点! ……その顔はオンエアに使う顔だね。あーもういいよ。こんな感じだけど今回もラジオRink、始まりまーす」


【346プロ】アイドル部門総合スレッドPart37


12 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/09/09(水) 08:33,34 ID:rTg7hgW3
 しぶりんとみくにゃんの百合営業じゃなくてガチで仲好さそうな感じ、すき


19 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/09/09(水) 09:24,99 ID:klDf32kl
 みくにゃんの方がタチだったらそれはそれで趣深い


21 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/09/09(水) 09:39,09 ID:KjhG54Df
 346の新人はほんとに実力派揃いで最高of最高って感じだ。
 それに来月は俺の穂乃果ちゃんと楓さんがついに765とやるんだろう?
 これはマジで346の時代来たな。


22 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/09/09(水) 10:03,55 ID:KlvbX5e3
 穂乃果ちゃんは俺のだけど346の時代来てるのは確か。新鋭では渋谷凛・前川みくを筆頭に
 ニュージェネレーションズの二人も凄い。俺ダンスやってたけど特に本田未央のそれは光る ものを感じるな。敗れはしたけど穂乃果ちゃん相手に健闘したと思う。
 地味にニートの杏ちゃんって今期無敗じゃね? いやそもそもあんまりバトルに出ないけど


30 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/09/09(水) 11:08,00 ID:Qwer5678
 しまむーさんマジで大金星おめでとう!!! 座布団ぶん投げたい気分だったぞ!!
 お祝いにケツで踏んでください!!!


32 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/09/09(水) 11:23,41 ID:Kmnh1245
 あの子何が上手いとか特にないけど応援したくなっちゃうんだよな。
 園田海未の方が断然うまいけどやっぱアイドルは笑顔でしょ。女神の世代もオワコン


34 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/09/09(水) 11:55,87 ID:ertYuiop
 オワコンとかいう言葉まだ使ってる奴いたの?(笑)
 えらいでちゅね~ 良い子は巣にかえりまちょうね~^^


35 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/09/09(水) 11:57,11 ID:kmnh1245
 出た出たwwwwwwwwμ's厨wwwwwww
 巣に帰るから君は土に還りましょうね~^^


38 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/09/09(水) 12:33,08 ID:kjtr54sd
 スルー耐性のないゴミばっかりかよ、半年ROMれ


40 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/09/09(水) 13:55,55 ID:Klop43Sd
 そういう反応もスルーできてないうちにはいるからな。
 いやーしかしアイドルたちはみんな彼氏も作らずオレらの為に日夜頑張ってくれてるんだ。
 そう考えると事務所も何も関係なく応援したくなるってもんよ


43 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/09/09(水) 15:43,11 ID:Mncx7890
 ま、ここは346の板だからね? とりあえず書くのは346のことに絞ろうぜ。
 新人と言えばまたnonnaで新しい子がクールに入ったって書いてたぜ。
 トライアドプリムスだっけ? 渋谷凛がリーダーやるらしい。
 ニュージェネはどうなるんだ?


44 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/09/09(水) 15:59,09 ID:fghswe87
 掛け持ちでやるんじゃね。渋谷凛、ライブ最高だから今月末の試合も楽しみだな。


46 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/09/09(水) 16:24,88 ID:LpIL9ghj
 喧嘩せずに俺たちのアイドルの今後を見守ろう? アイドルの秋、だね


<放送日、夜。キュートプロダクション事務所>

ちひろ「いいなあ、良きライバルって感じですね!」

雪乃「切磋琢磨という言葉を体現した関係ね。いいことだわ」

穂乃果「ただいまー!。あっ、凛ちゃんのラジオだ!」

ちひろ「そうなんですよー。まだ数回なんですけど、すごく安定してますね。みくちゃんの方のラジオはスタッフさんにいじられて毎回笑っちゃう感じなんですけど」

穂乃果「穂乃果あの回いっぱい笑った! あの魚食べさせられる回」

ちひろ「ふふ、本当に泣いてたみたいですよ?」

雪乃「あ、高坂さん。そういえばさっき通知が来たのだけれど、先日受けた漫画原作のドラマのオーディション、受かってたわよ」

穂乃果「嘘っ!? あのクールで神秘的なメインヒロイン!?」

雪乃「の、全然似てない妹の役」

穂乃果「……つらい」

雪乃「聞くところによると、あなたに予告なしでその場でやってもらった妹役がハマってて、監督が即決したそうよ」

穂乃果「……うーん。そう言われると悪い気はしないなー! よしっ、せっかく決まったお仕事だからね! どんな役でも全力で頑張るよ!」

雪乃「ちなみにそのメインヒロインはクールプロのアナスタシアさんに決まったわ」

穂乃果「うぐっ……アーニャちゃんに出てこられるとそりゃ穂乃果は選ばれないわけだよ……」

雪乃「適材適所ということね。クランクインは割と近いから注意して。はい、台本よ」

穂乃果「ありがとっ! いやー、でもまさか穂乃果の家の本棚に置いてる漫画のドラマに出られるなんて! 穂乃果あのキャラが好きなんだ、主人公の幼馴染の! なんか海未ちゃんに似てるんだ!」

雪乃「……なら、この人選も当然だったのかもしれないわね」

穂乃果「え?」

雪乃「その役、女優は園田海未さんに決まったわ。……おめでとう、初共演ね」

穂乃果「ホント!? やった、やったーっ! じゃあしばらく海未ちゃんといっぱい会えるんだねっ! はやく撮影にならないかな!?」

雪乃「落ち着きなさい。ほら、パン。ほら」

穂乃果「……穂乃果は鳩じゃないんだよ?」

雪乃「抱きかかえたパンを離してから言いなさい……。はあ、こんな人がうちのトップ……」

穂乃果「そうだよ! だから次のライブバトルは響ちゃんにも負けないぞー!」

雪乃「勝敗の行方はともかく、あなたたち二人の舞台ならきっと興行的に大成功だろうから心配はしていないわよ」

穂乃果「そんなこと言わずにさっ、ゆきのんもたまには穂乃果の勝利を願ってよ!」

雪乃「は?」

穂乃果「穂乃果っ、頑張って……! あなたならできるわ! 雪乃っ、信じてる! みたいなさ!」

雪乃「ちひろさん、上がります。お先に失礼します」

ちひろ「はーい! お疲れ様です!」

穂乃果「くるっくー……」

<翌日、朝。クールプロダクション事務所>

八幡「――報告は以上だ。何か質問はあるか?」

加蓮「アタシからは何もないや」

奈緒「が、頑張るっ!」

楓「ふふふっ、緊張しなくていいんですよ?」

アーニャ「精一杯、やります。比企谷さん、よろしくです」

凛「…………」

絵里「おーい、凛ちゃん? 聞いてる?」

凛「え、あ、うん」

八幡「よし。じゃあ神谷と北条は車に乗ってくれ。高垣さんとアーニャは時間に間に合うように向かってくれればいい。時間になったら俺も現地に向かう」

八幡「それじゃ絵里さん、後はお願いします」

絵里「わかったわ」

八幡「渋谷もオフに呼び出して悪かったな。帰ってゆっくりしてくれ」

凛「……うん」

絵里「よーし! 新体制、気合いれていくわよー!」

「おー!」



<移動中、車内>

加蓮「ねえ、プロデューサーも千葉県民なんでしょ? 奈緒もなんだよ」

八幡「身体はサイゼでできている。血潮はマックスコーヒーで心はららぽ。故に生涯に意味はなくその体はきっと千葉県で出来ていた」

奈緒「無限の県性じゃん……」

八幡「……お前、こっち寄りの人間なのな」

加蓮「こっち? どっち?」

八幡「わからなくていい」

奈緒「県民なのかー。高校とかどこだった?」

八幡「総武高」

奈緒「え!? OBだったのか!?」

八幡「……マジか、お前総武高なのか」

加蓮「じゃあプロデューサーも頭良かったんだ?」

八幡「なんでナチュラルに過去形なんですかね……。卒業して三年半くらいになるか?」

加蓮「へー! もうおっさんだね!」

八幡「やかましい。お前らももうじき卒業で賞味期限切れだからな。……なあ神谷」

奈緒「ん? なに?」

八幡「……奉仕部って、まだあるか?」



奈緒「――いや。何それ、部活? 聞いたことないな」

八幡「……だよなぁ」

<346タレント養成所、レッスン室202>

星空凛「じゃ、片足立ち十分ねー☆」

奈緒「ええええ!?」

加蓮「いやいやいや! 無理無理無理!」

星空凛「あれー? 聞こえなかったのかにゃ? ……やれ」

加蓮「ひいい……!」


八幡「……なんか懐かしいな」


星空凛「ふー。またしごきがいのある子たちを連れてきたね!」

八幡「部長殿の悪癖でな。先日の新人戦の時にスカウトしたんだとよ……。全く、仕事が増える下の身にもなってくれって話だ……」

星空凛「ぶちょーさんは飲み会の席でしか見たことないけど、人を見る目は確かだね! またまた原石が転がってきてたのしいにゃ!」

八幡「例外はどこにでもあるんだけどな」

星空凛「ふふふ。そんなことなーいよ」

八幡「……悪いな、ニュージェネの担当から一旦外しちまって。楽しくなってきた頃だろうに」

星空凛「んーん! あの子たちならちょっとの間見なくても自分でやってくれるよ! 正直戦略的な面では正しいと思うにゃ。まあその分二人には地獄を見てもらうけどねー」

八幡「……『アンタがアタシをアイドルにしてくれるの?でもアタシ特訓とか練習とか下積みとか努力とか気合いとか根性とか、なんかそーゆーキャラじゃないんだよね。体力ないし。それでもいい?ダメぇ?』」

星空凛「あはははははは!! 似てる似てる!!」

八幡「正直言ってることには同意しかなかったんだがな。いきなり言うからぶったまげたわ」

星空凛「体力ないのは本当だったにゃ。……でも、それ以外は嘘だと思ったんでしょ?」

八幡「……双葉みたいなのもいるから北条もありだと思っただけだ」

星空凛「照ーれーなーいーの。このこのーっ!」

八幡「うっぜえ……。っと、もう行くわ」

星空凛「あ、ひっきー。最近ここで海未ちゃん見た?」

八幡「いや、俺は見てないな。どうせ園田さんならどこぞの練習室にいるんじゃないのか。毎日のように来てるって聞いたぞ」

星空凛「……練習室の貸し出しカード、知ってる?」

八幡「名前書くやつだろ。四階とか渋谷と前川だらけだ」

星空凛「……あのね。あんまり言わないでほしいんだけどね」


星空凛「ここ一週間、園田海未の名前がどこにもないにゃ……」

<同日、都内某所弓道場>

海未(身体を張りつめると同時に、弓も張りつめる。背筋がぴんと伸びていないと、矢は真っ直ぐに飛んで行ってくれません)

海未(上手く行ったときのイメージを思い出して今の身体に重ねる。単純に考えれば、皆中出来た時の身体の動きをそっくりそのまま繰り返せば、全ての矢は的に当たるはずなのです)

海未(……上手くいったときのイメージ。最後に上手くできたのはいつでしょうか)

海未(震える矢の先。指を離す。力の入れどころを失って身体は弛緩)

海未(……放つ前から分かっていたのです。当たってくれないことなどは)

海未(武道には残心がつきものですけれど)

海未(最初から心が入っていなかったら、それは残心になるのでしょうか)


――ぶーん。ぶーん。


海未(後ろに置いていた、連絡以外に使わない古い折り畳み式の携帯電話が震えます。……表示された名前を見て、ほんの少しどきりとしてしまいました。他意はない、はずです)

海未「こほん。……はい、園田です」

戸塚『あ、園田さん? 連絡があるんだけど、今レッスン中かな?』

海未「……いいえ。今日はオフでしょう? ふふ、戸塚くんが組んだ予定ですよ」

戸塚『……うん、そうだね! じゃ、連絡するよ』


海未「――私が、ですか?」

戸塚『うん、おめでとう! 準主役級だよ! クランクイン近いから台本はすぐに渡すね!』

海未「……光栄です、ありがとうございます。私のような者を選んでいただけるなんて」

戸塚『もー。そういう言い方はなしだよ? 何度も言うけど自信を持ってよ。ぼくのアイドルなんだから』

海未「……ふふ。そうですね」

海未(いつもと同じ彼の軽口に違いないのですけれど、今日ばかりは素直に嬉しいです。世間一般では、カッコいい方のアイドルとして認識されている私ですけど。……私だって、女性なのです。男の人に褒められるのは嬉しいことなのでした)

海未(……何より、弱っているときに優しくされると)

海未「あの、戸塚くん。今日はオフでしたよね?」

戸塚「うん! 珍しく連休なんだー。家でゴロゴロしてるよ」

海未「……では、私がドラマで忙しくなる前に、今日」

海未「約束を果たしてはくれませんか?」


海未(私だって女の子なのです。……甘えたいと、そう思ってしまうのは罪ですか?)



<夕刻前、346本社内テニスコート>

戸塚「ふふ、いきなりでびっくりしちゃったなー」

海未「たまにはワガママもいけませんか?」

戸塚「それもそうだね! ……こうしてテニスするのは二度目かな?」

海未「あの時の私とは違いますっ! あれからたまにテニスも練習するようになったんです。戸塚くんはデスクワークで運動してませんし前と同じ結果になると思ったら大間違いです!」

戸塚「確かに、ぼくもあの時のぼくとは違うからなぁ」

海未「その澄まし顔が苦痛に歪む未来を思うと歓喜に踊る胸中を抑えきれません……」

戸塚「その前に準備運動だけはしっかりしようねー?」

海未「わかっています! ハリー、ハリーです!」

戸塚「あはは、元気だなぁ」


戸塚(……相変わらず、空元気が下手だなぁ)

海未「準備はOKです、いつでも!」

戸塚「お手柔らかにね」

海未「初回で初対面のアイドル相手に完全試合をしたあなたが何を言うんですかっ!」

戸塚「あはは」

戸塚(……上手くできるかな。やれるところまでやるしかないね)


戸塚「やっ」パンッ

海未「……?」スパンッ

戸塚「うわっと」パンッ

海未「隙有りですっ!」スパーン!

戸塚「……すごいや、本当に練習したんだね。動けなかったよ」

海未「……嬉しくありません。あの鬼畜サーブはどうしたのです?」

戸塚「もう打てないんだよ、あはは」

海未「むむむ、余裕ですね。今に打たざるをえなくさせてみせますっ!」

戸塚「ぼくはいつも本気なんだけどなー」


戸塚(それからぼくは変わらず全力を出し続けた。久しぶりのテニスはやっぱり気持ちがいい。気が付けばステップを踏んでいるし、ラケットの打面の角度を見ると脊髄反射で身体が動いた。呼吸をするように敵がスペースを空けるよう誘導しているし、大人げなくボレーでボールを返したこともあった)

戸塚(一線を退いた今も、鍛えたことは身体が覚えてくれている。その事実はやはり嬉しい)

戸塚(それにしても園田さんは上手だな。ちょっと練習した程度じゃこうはならないね。……何をやらせても結局一流になったんだろうな。集中しているのか、ゲームの途中から園田さんは一言も言葉を発さなかった)

戸塚(だから、ぼくも礼儀として全力で相手をした)

戸塚(試合は、あと十五点で園田さんの勝ちというところに来た)


海未「……」スパンッ

戸塚「よっ」パンッ

戸塚(足元の返しにくい球をライジングショットで返す。球のコントロールまでは上手くできなかったから、園田さんが立っている正面に山なりでボールが返ってしまった。打ちごろの球を前に、舞のような悠遠さでラケットを振りかぶる。彼女はそれを、予備動作とは真反対の印象を受ける荒々しさで、やけっぱちみたいに球を打ち付けた。考えるより先に足が動いた)

戸塚(跳ね返る場所は予想通り。早さもきっと対応できる。右手を前に構えて空間を測り、左手はテイクバックを取る。そうして一気に振りぬいた)

戸塚(……振りぬく時にはわかっていた。何度誰とやっても違和感がぬぐえないままだから。例えばそれは、スプーンでうどんを食べているようなぎこちなさと、歯を磨かないまま布団に入るような気持ち悪さを足したような感触で)

戸塚(忘れていた時間を思い出させるオレンジの空に向かって、ボールは大きく飛んでいった)


戸塚「あーあ……またやっちゃった」

海未「…………」

戸塚「……本当に負けちゃったか。悔しいなぁ」

戸塚(……相変わらずぼくは、カッコよくなれないなあ)

海未「……かに…………ださい」

戸塚「え――」



海未「馬鹿にしないでください!!!」




海未「手加減をしてくれなんて誰が言ったんですか……そんな風に優しくしてくれと誰が言いましたか!!」

海未「そんなに私が可哀想ですか!? あの移籍があった日からなにも上手くいかなくて、ついには出始めの新人にまで負けた私がそんなに情けないですかっ!!」

海未「せめてテニス位は勝たせてやろうとでも思ったのですか!? 馬鹿にするのもいい加減にしてください!!」

海未「あなたには……あなただけには! そんな目で見られたくなかったから!!」

海未「だから……だから、私は……こんなに苦しくてもっ……なのにっ…………」


戸塚(茜色に染まるテニスコートの上。彼女はその双眸を大粒の涙で濡らしていた。感情の爆発を前に、息をすることさえ忘れてしまいそうになる)


戸塚「ち、違う! ぼくはっ」

海未「何も聞きたくありませんっ……!」



戸塚(涙と一緒にその言葉をこぼして、彼女は走り去って行ってしまった)

戸塚「ああ……もう。ぼくは何をやってるんだ……」

戸塚(たった一人コートに立ち尽くして、ぼくは左手に握ったラケットを見つめた。長く暗い影が右腕に向かって伸びている)

戸塚(彼女のことになると、ぼくは何一つ上手くできないままだった。きっと冴えたやり方はいくらでもあるはずなのに、ぼくはこんなところで立ち尽くして、一体何をしているんだろう?)

戸塚(いや……彼女だけに限ったことじゃない、か。思えばこれまでに、誰かとこういう風に正面切ってぶつかったことがあったかな。……ない、よね)

戸塚(過去に思いを馳せると、思い出すのはやっぱり彼のこと。ぼくが思い出せる、青春で犯した一番の間違い)

戸塚(……八幡なら、どうするのかな。きっと彼なら上手くやれるのだと思う。でも、ぼくは彼じゃないから、どうしていいのかわからないんだ)

戸塚「くそっ」

戸塚(ぼくはまた間違いを犯そうとしているのだろうか。大事なものほど取り返しがつかないと、嫌というほど知っているのに)

戸塚(でも、今この瞬間は。再び間違えることに対する恐怖よりも)

戸塚(好きな女の子が泣いている前で何もできない自分が、ただ男として情けなかった)

<翌日、昼。収録、音ノ木坂学院>
八幡「女子高に入ったぞ……。夢が広がりますね……」
絵里「携帯のボタンを四つ押せばいいのね?」
八幡「表現の自由くらいくださいよ……最高法規ですよ」
絵里「隣の若いお姉さんじゃ物足りないのかしら。OGなんだけどなー」
八幡「わかってない。女子高ってのは秘密の花園なんですよ」
絵里「……夏場なんて下敷きでスカートの下から」
八幡「やめて!! いや!! 現実聞きたくないの!!」
絵里「あなたって現実主義者なのに変なところで夢持ってるわよね。プチッと潰したくなる感じの」
八幡「絵里さんに心のドレッドヘアーが見える……」
絵里「……比企谷くん、さっきからどうしてそんなに職員室の前で躊躇してるの?」
八幡「…………心の準備が出来てなくて」
絵里「? 希と知り合いだったの? いいわ、私がやるから」コンコン
八幡「あ、ちょっ」
???「どうぞ」
希「入って入ってー!」

八幡「はあ……失礼します。可愛い教え子が会いに来ましたよ」
平塚「相変わらず口の減らん奴だ……。変わったのは着る服だけのようだな」
希「あれー? 静さん、知り合いなんですか?」
平塚「前にいた高校での教え子だ、こいつは。妹共々面倒を見たんだ」
八幡「比企谷八幡です、よろしく」
希「あっ、よろしく! ふふ、えりちからいっぱい話は聞いてるんよー?」
絵里「ちょ、ちょっと! 希!」
平塚「東條の部活の友人とは君のことか。……なおかつ比企谷の上司。世の中とは狭いな」
八幡「台詞がおばさんくさいっすよ。さすが三十超えてるだけはある」
平塚「そんなに数年越しの鉄拳が恋しいか~そうか~」
八幡「待て! 俺は今生徒じゃない! 問題になるぞ!!」
平塚「残念ながら君は死ぬまで私の教え子なんだ。嬉しいだろー?」
八幡「のろわれていて はずせない !」
平塚「情熱のォ――!」
八幡「空ってどうして空なんでしょうね?」


希「なんか、静さん生き生きしてるなー」
絵里「……彼も満更ではなさそうだし」
希「……ん? やっぱりえりち、そういうことなん!?」
絵里「仕事の話をしましょう。撮影期間に借りる場所のことなんだけど」
希「μ's全員召集とうちとサシ、どっちがええかな~? いいお酒のアテになりそうやん?」
絵里「……うう。サシでお願いします……」

<同刻、中庭>

監督「はいカット! ……海未ちゃん、次回までに調整頼むよ!」

海未「……はい。申し訳、ありません」

監督「今日は彩加君いないのかな?」

海未「戸塚は、本日お休みを頂いております」

監督「そっかー。じゃあ次回でいっかな。はい、それじゃあお疲れ。次は天気崩れそうだからBスケの穂乃果ちゃんとアーニャちゃんの会話シーン行くよー。南さん、衣装の準備できてる?」

ことり「あ、はい! 今持ってきますねー!」

海未「……少し、風に当たってきます」


穂乃果「海未ちゃん、大丈夫かなぁ……」

アーニャ「集中、欠けてます」

穂乃果「海未ちゃんね、今日、穂乃果と一言もしゃべってくれなかったんだー」

アーニャ「熱、あるんでしょうか?」

穂乃果「はっ、そうかも。海未ちゃんって無茶するからなー。よしっ、早く終わらせて海未ちゃんのところに行こう!」

アーニャ「ダー。ふふ、頼りにしてます」

穂乃果「まっかせて! 12Pのシーンだよね!」

アーニャ「……21Pです」

穂乃果「あれー!?」

アーニャ「ふふふ、ホノカらしいです」



<夕刻、音ノ木坂学院屋上>

海未(鉛のように重く雲が立ち込めていました。冷たくなる風と共に、頬を大粒の水滴が打ち始めます。いつもならすぐに屋内に入るのに、そんな気分にすらなれません)

海未「……なんて、面倒な女なのでしょう。私は」

海未(心と身体が連動する悪癖はいつになっても治りません。今日もカットをたくさん出してしまった。……私の寿命も、これまででしょうか)

海未(柵の網に指を喰い込ませて、広がる街並みに目を見やる。景色の向こうに思い出すのは、この前のライブバトルのことでした)


卯月『精一杯頑張りますっ♪ よろしくお願いしますっ、海未さんっ!』


海未(あの子は穂乃果に似ています。天真爛漫なところも、誰に対しても壁がないところも、……アイドルが楽しくて楽しくて仕方がないといったところも)

海未(まるで太陽みたいで。……憧れてしまうのです)

穂乃果「海未ちゃん! やっぱりここにいた!」

海未「……穂乃果」

穂乃果「ほらっ、傘! 風邪ひいちゃうよ!?」

海未「……いりません。穂乃果が使ってください」

穂乃果「もうっ! じゃ、相合傘にしよ? お邪魔しまーす」

海未「……」

穂乃果「えへへっ」

海未「…………暖かいですね。穂乃果の、隣は」


穂乃果「なんたって『太陽の娘』だからね! しかし、ここに来るといっぱい練習したこと思い出すねー」

海未「μ's、楽しかったですね」

穂乃果「うん!! 最っ高!」

海未「私は穂乃果に引っ張られて入って……でも、本当に楽しかったのです。あの時は。ずっとあの時間が続けばいいと思っていました」

穂乃果「……?」

海未「……ねえ、穂乃果」

海未「アイドル、楽しいですか?」


穂乃果「――え?」

海未「今の私は……もう、首を縦には……」

穂乃果「……海未ちゃん」

海未「私は、いつも穂乃果に引っ張られて。でも、私がいないと、穂乃果が心配ですから……だから…………渋々……そんなつもりだったのに」

海未「でも、そんなことはありませんでした。穂乃果は、私がいなくても、素敵で。カッコよくて。……輝いてて……」

穂乃果「海未ちゃん? 何言ってるの!? そんなことないよ!!」

海未「逆でした……全く逆だった……」

海未「何もできないのは私の方だった!! 大丈夫じゃないのは私だった! 頼られてることに依存していたのは私だった! 一人じゃ何もできないのは、私だったんですよっ!!」

穂乃果「……ねえ、海未ちゃん。落ち着こう? 穂乃果がいっぱいお話聞くから。こんな寒いところにいたら風邪ひいちゃう。ねえ、穂乃果のおうち、いこ?」

海未「寒いのは、ずっとです……」

海未「あれから何をやっても上手くいかない。気のせいだって押し込めて、一人で頑張ろうって。でもどれだけ無理しても駄目だった。負けたら、量を増やして、駄目なところを直して……それでも、駄目でした。みんなみんな、私の悪口ばかりで。園田海未は終わりだって。ファンなんてやめるって。新しい子たちも、入ってきて……」

海未「ねえ穂乃果。……アイドルの、何が楽しいんでしょうか」

穂乃果「…………だめ」

海未「私の代わりなんていくらでもいる。ちょっと調子が悪くなったら叩かれる。人間関係に自由なんてない。誰も私たちが裏でどれだけのものを積んでいるかなんて知ってくれない。いつ仕事がなくなるかなんてわからない。頑張ったって報われるって限らない! 昨日私に差し出されていた掌が、いつ返るかなんてわからない!」

穂乃果「だめだよ、海未ちゃん」

海未「アイドルになっていい事なんてなかった! アイドルなんてならなければよかったっ! 私、私は――」

穂乃果「ダメっ!!!」

海未「アイドル、辞めますっ!」


――ぱしいっ!!!


海未(頬に雷が落ちた、と思いました。そうして続くのは赤い傘がコンクリートに落ちる音。強くなった雨粒が、逆向きになった傘に向かって音を立てながら溜まっていく)

海未(ああ、そうか)

海未(私、穂乃果に、はたかれたんだ――)

穂乃果「っ……! ご、ごめ……」

海未「っ!!」ダッ

穂乃果「海未ちゃん!? 待って!!!」

海未(屋上扉に向かって一目散に駆けだす私。一刻も早くこの神聖な場所から汚れた自分を消し去りたかった。そんな想いが通じたのか、ひとりでに扉は開いた)

――ばたんっ。

ことり「海未ちゃんっ!」

海未(――神様、これ以上私をいじめなくても良いではありませんか)

海未(私は顔を伏せて、すぐにことりの横を抜き去って駆け抜けていきました)


ことり「……ほのかちゃん、大丈夫?」

穂乃果「……あの時と、逆になっちゃった」

穂乃果「海未ちゃんも……こんな気持ちだったのかな……」

<翌日、夜>

凛「ラジオRink、今日もフリートークの時間だよ。今日は雨がすごいね。雨が降るとどうやって過ごすかって人によって違うから面白いよね。私は雨の日は家から出ないで、早めにお風呂に入って、ずーっとのんびり部屋で音楽聞いたりベース弾いたりするのが好きかな。私のプロデューサーは部屋でずっと本を読むのがいいって言ってたね。まああの人は雨が降ろうが降らまいが家にいるんだろうけどね」


凛「プロデューサーといえば最近うちの事務所に新しい子たちが入って来たじゃない? 加蓮と奈緒ね。私が言うのもなんだけど逸材だよ。で、その彼女たちを特訓するべくプロデューサーが今完全にそっちについちゃってて、今私の担当は臨時で絵里さんって人になってるんだ。最近事務所でも会ってないな、プロデューサー。元気にしてるのかな? ……完全に私事だったね。まあフリートークだからいっか」


凛「そういえば最近ツイッターを始めました。もうたくさんの人がフォローしてくれてるみたいで、本当にありがと。でもまだあんまり使い方がよくわからないから、だましだまし使っていこうかな。アイドルの人でもツイッターしてる人は多いよね。私、一番最初にフォローしたのがツイッターを教えてくれた未央。その次が卯月。で、その次はなんと千早さん。この前歌番組で一緒になったんだ。その時に友達になったの。歌のこと聞いたらとっても丁寧に教えてくれてね。やっぱり頂点にいる人って、性格も込みなんだなって思った」


凛「前川はツイート多いよね。一回ブロックしたら本当にヘコんでて笑った。すぐ戻したんだけどね? 逆に電子機器全然って人もいるね。楓さんはツイッターしてないし、パッションの海未さんなんてインターネット見もしないんだってさ。おうちが厳しくてあんまり子供のころから使ってこなくて、その名残って言ってたね。海未さんのおうち、すごいんだろうなあ。海未さんは歌もダンスも弓道も人格も何もかもできる人だから、ニュージェネレーションズでは密かなファンクラブができてるんだ。ふふっ」


凛「さて、お話があっちこっち散らばったところで、次の週のメールテーマを発表します。『雨の日の過ごし方、エピソード』雨が嫌いだったけどレインブーツを買ってもらってから外に出るのが楽しくなったとか、そういうのも大歓迎だからぜひぜひ送ってきてね。はい、じゃあフリートーク終わりっ」

凛「こんな雨の日、今、皆さんは何をしていますか? いい時間を過ごしてくれてると嬉しいな」


<同刻、新宿>

海未(秋の街角をさすらうと、どこにでも彼女たちの姿があることに気がついた)

海未(街を旅する音楽、ショッピングをする女の子の噂話、広告塔のてっぺん)

海未(765の、彼女らの輝く姿はどこにでもあるのでした。でも、最近は街を彩るのは彼女らの専売特許ではなくなりました。私は耳に聞き覚えのある声をキャッチして、ふと上を向く)

海未(大ガード近くの電気屋の大きなスクリーン。その中で、彼女は――穂乃果は、所狭しと弾けるような笑顔で駆け回っていました)

穂乃果『みんな! いっくよー!!』

海未(しとしとと降り注ぐ秋雨に行き交う色とりどりの傘の中、私は信号も渡らず立ち尽くし、ただ、じっとそれを見つめていました)

海未(あんなにも近かった穂乃果との距離は、画面の中と外のように途方もなく遠い)

海未(気付けば私はそのヴィジョンの中に、遠い過去の幻燈を映していました)

<四年前、クリスマス。羽田国際空港>

穂乃果「ことりちゃん! 元気でね! 身体に気を付けてね! メール送ってね!」

ことり「うんっ! 穂乃果ちゃんも元気でね! また二年後、絶対会おうねっ!」

海未「…………」

穂乃果「ほらっ、海未ちゃんも!」

海未「…………たっしゃで」

ことり「……もう。海未ちゃんが泣くなんて……ずるいよ……」

海未「だって……だって。寂しいではないですか……」

穂乃果「……ふふっ。えーい!」ギュッ

海未「わっ、ほ、穂乃果!?」

ことり「……えーい!」ギュッ

海未「ことりまで!? く、苦しいですっ」

ことり「もー。海未ちゃんはカッコいいのに可愛くてズルいぞー!」

穂乃果「そうだそうだー! こんなに可愛い親友は誰にもあげないぞー!」

海未「……親友」

ことり「そう! 親友!」

穂乃果「穂乃果たちはたとえ何歳になっても、どこに行っても、誰と結婚しても、ずーっとずーっと親友だよ!」

海未「……はい!」



<翌日、朝。音ノ木坂学院屋上>

穂乃果「ことりちゃん、行っちゃったね」

海未「……寂しくなりますね」

穂乃果「そうだねー。……よしっ。穂乃果は、ことりちゃんのいるパリに届くぐらいビッグになってみせる!」

海未「今度の相手は世界ですか。大学では何をするんですか?」

穂乃果「……うん。実はね、穂乃果、ずっとひとりで考えてたことがあるんだ」

海未「?」

穂乃果「それでね、昨日、ことりちゃんの姿を見て……決めたんだ。海未ちゃん、聞いてくれる?」



海未「大学に行かずにプロのアイドルになる……?」


穂乃果「うん」

海未「本気……なのですか?」

穂乃果「親友に嘘つかないもん。穂乃果は、本気だよ?」

海未「……」

穂乃果「μ'sとしての活動が終わってから、いくつかプロのお話は来ててね。ずっと迷ってたんだけど、今日、決心がついたの」

穂乃果「……ことりちゃん、振り返らなかった。二年だけだけど、寂しいに決まってるのに。でも振り返らなかったんだ。あの背中を見てね、穂乃果も背中を押してもらったの」

穂乃果「穂乃果も……私も、やりたいことに向かって進むよ! もう振り返らない!」

海未「しかし、大学に通いながらでも良いのではありませんか?」

穂乃果「ううん。穂乃果ね、大学って勉強したいことがある人とか、自分のやりたいことを探したい人とかが行くところだと思うんだ」

穂乃果「穂乃果はもうやりたいことがある。プロのアイドルになりたい。寄り道せずに、一人でも多く、みんなの夢を叶えるようなアイドルになりたい!」

海未「本気……なのですね」

穂乃果「うん」

海未「……同じ進路を辿ったにこが、今どういう暮らしをしているか、知っていますね?」

穂乃果「……うん。家族のみんなのためにアルバイトしてる。アイドルだけでまだ生計を立てられない、Eランクアイドル」

海未「そうです。にこのような熱意を持った努力家でさえ、簡単には上に行けない世界です。そして時間が経てば必ず上に行けるかどうかもわからないのですよ」

穂乃果「うん。でもいいんだ。お父さんも言ってくれた」

穂乃果「『お前のやりたいようにやれ。だが、一度やると決めた以上、逃げて家業を継ぐのは許さねえ。いいな?』って」

穂乃果「ねぇ、海未ちゃんもお父さんも、優しいから厳しいんだね。穂乃果はそんな人たちに囲まれて、本当に幸せだよ」


穂乃果「人生にホケンが利かなくてもいいの。それでも穂乃果は、アイドルになるよ」


海未「……ふふ、そうですか。穂乃果の決めたことです、私は応援しますよ」

穂乃果「ほんと!? 海未ちゃん大好きっ!!」

海未「というか止めたって無駄なのでしょう? いつものことなんですから」

穂乃果「うん…………ねえ、海未ちゃんはどうするの?」

海未「私、ですか?」

穂乃果「……穂乃果ね、知ってるよ。海未ちゃんにもお話、来てるんでしょ?」

海未「! どうしてそれを」

穂乃果「同じ事務所からだったからだよ。346プロダクションだよね」

海未「……私は」

穂乃果「……みんなのハート、打ち抜くぞ~☆ バーン! ラブアロー☆シュート!」

海未「ぎゃーっ!?!?!?!? どうしてそれを知っているのですッ!?」

穂乃果「あははっ、海未ちゃんとは小さいころからの友達だもん。恥ずかしがりやさんだけどアイドルにずーっと憧れてること、知ってるんだよ?」

海未「……しかし、私は……」

穂乃果「……海未ちゃんの、本当にやりたいことはなに?」

海未「私の……やりたいこと」

穂乃果「それが何だって、穂乃果は応援するよ。たとえアイドルじゃなくたっても!」

海未「……穂乃果」

穂乃果「叶え、みんなの夢! だよ。えへへ」

<同日夜、園田邸自室>

海未(恥ずかしがり屋で現実家の私は、いつも自分に素直になれないでいて。でも、そんな私をいつも引っ張ってくれたのが穂乃果でした)

海未(アイドルというものへの憧れと、これからの自分の未来を賭ける怖さの狭間で揺れ動くアンビバレントな自分がいました)

海未(その時、憧れに生きるか迷う自分に、穂乃果は背中を押してくれたような気がしたのです)

海未(その姿は、王子さまがガラスの靴を持ってきてくれたようでした)

海未(……もしこの靴が履ければ、自分は憧れのお城にいける。それに、何より)

海未(王子さまと。……穂乃果と、ずっと一緒にいられるのだと、そう思ったのです)


海未「……もしもし。穂乃果ですか?」

穂乃果『海未ちゃん! こんな夜中にどうしたの?』

海未「穂乃果は、アイドルになるんですよね?」

穂乃果『……うん! 絶対なる!』

海未「穂乃果を一人にするといつも大変なことになりますからねぇ」

穂乃果『むー! そんなことないよっ!』

海未「いいえ。そんなことあります。……そんな問題人物を一人にしておけません」

穂乃果『……え?』

海未「……私も、受けます。私だって、μ'sが、アイドルが好きなのです!」

穂乃果『そっか……そっか!』

海未「つきましては、監査料として両親の説得を手伝って頂きたいのですが……」

穂乃果『よーし! 穂乃果ちゃんにお任せだっ!!』

海未「助太刀をお願いします。お父様もお母様も、穂乃果には弱いですからね」

穂乃果『うんっ! ……海未ちゃん。トップアイドルになろうね!』

海未「ええ。……一緒に」

海未(こうして私は穂乃果と共に両親を説得し、四年生の大学できちんと活動と並行して学問を修めることを条件に、アイドル活動を許されたのでした)


海未(穂乃果と違って、自分に特別な才能がないことはわかっていました。ならば自分にできることは鍛錬あるのみでした。プロの指導を受けるのは初めてで、それはやはり厳しいものでしたが、慢心と縁を切れるのなら安いものです)

海未(一人で喋ることにも慣れてきました。どこでカメラを向けられるかもわかってきました。ライブの煽り方も学ぶことがたくさんありました。とにかく自分のできることは全力を傾けることでした)

海未(正直、苦しいことや嫌なことだってたくさんありました。人の前で笑うには泣かなければいけないことだってあるのだと痛感させられました。でも、それでも頑張れたのは、応援している人たちのおかげ。そして……何より、いつも傍で励ましてくれる穂乃果のお蔭でした)

海未(春が過ぎ、夏が来て、秋が訪れ、冬が終わって、また春が来る)

海未(アイドルと学業の両立は考えていた何倍も至難を極めましたが、充実していました)

海未(大学三年の春。ことりが帰ってきて、ブランドを立ち上げました。パリにいるころから数々の賞を受賞し、業界でその未来を待望されていたことりは、独立した途端瞬く間に売れっ子になりました。その夏、穂乃果は、歴代最短記録でBランクへの昇格を決めました)

海未(彼女たちの親友であることが誇らしかった。私は二人のような特別に秀でた何かはないけれど、二人に並び立つ者として恥ずかしくないような、そんな自分でありたいと思いました)

海未(そうすれば、ずっと三人で一緒にいられると思ったのです)


海未「そうですか、明日からまた海外へ……」

ことり『うん。ごめんね~? ことりも海未ちゃんたちに祝ってもらいたかったなぁ……』

海未「仕方がありませんよ。仕事ですからね。……それに穂乃果も、今月は休みが一日しかないようです。事務所ですら会わない状態ですから……」

ことり『そうなんだ……。穂乃果ちゃん、すごいなー!』

海未「ええ、そうですね。……ことり、二十一歳の誕生日、おめでとうございます」

ことり『ありがとっ! 海未ちゃんもCランク昇格おめでとう! ……二十一歳も仕事が恋人だー!』

海未「Little Birdsの若社長が寂しいことを言うのですね。しかし、創業からそれほど時間も経ってないですし、恋愛などする暇はありませんよね……」

ことり『でもこの恋人、ずっと飽きないから幸せなんだ~。えへへ』

海未「……ふふっ」

ことり『ねぇー、海未ちゃんは浮いた話ないのー? アイドルなんてモテモテでしょ?』

海未「アイドルが恋愛するわけないでしょう! 破廉恥です!」

ことり『え? でも、この前ことりが衣装作った人……』

海未「……ことり。アイドルは、恋愛をしないんです。わかりますか?」

ことり『……海未ちゃんも大人になったんだねぇ』

海未「大体、どの現場で会う殿方も初対面の私を浮いた言葉でちやほやしてばかり……。私は殿方の地位を上げる装飾品ではありません! 蝶よ花よと扱われたいわけではないのです!」

ことり『……海未ちゃんってなんだか売れ残りそうだよねぇ』

海未「なっ!? ことりなんてμ'sの中で一番じめじめした恋愛しそうって言われてたくせに!」

ことり『そ、そんなことないもん!』

海未「……やめましょう。不毛です」

ことり『そうだね……。はぁ、海未ちゃん可愛いのになぁ』

海未「……可愛い」

ことり『うん、そうだよ!』

海未「可愛いで思い出しました。ことりは商売柄私たちの本社の人間に知り合いが多いですよね。その中に、346のテニスチームに入っている人はいませんか?」

ことり『え? ……どうかなぁ、いるかもしれないけど。どうして?』

海未「……半年前、アイドルが一か月特訓を受けて、番組側が用意したプロの選手と戦ったらどれだけ通用するのかって企画があったのです。控えめに言って産業廃棄物級につまらない企画だったと思いますが」

ことり『控えめでそれなんだ……』

海未「そのプロの選手に挑む前に、346本社が有するテニスチームの選手と練習試合をさせてもらったのです」

ことり『へー、どうだったの?』

海未「……完全試合です」

ことり『え?』

海未「だからっ、完全試合です! 信じられますか!? 女性の、しかもアイドル相手に本気ですよ!? 花を持たせるという概念はないのですかっ! 殿方の風上にも置けませんっ!」

ことり『……さっき、どう扱われたいって言ってたかおぼえてる? 海未ちゃん』

海未「それはそれ! これはこれですっ!」

ことり『海未ちゃんってやっぱり売れ残る気がする……』

海未「とにかく! 私はあの殿方に一矢報いたいとずっと想い続けているのです! この前の私のライブのチケットをチームの監督と一緒に手配したのですが、音沙汰は一切ありませんし。機会があればぜひとも再戦を申し込みたいのですが、あの方のことを何も知らなくて……」

ことり『うーん、名前とかわかる?』

海未「確か、王子、と呼ばれていました」

ことり『変わった名前だねー? 特徴は?』

海未「……それが、その」

海未「あの人は、私よりも、断然可愛いかったのです……」

<現在、新宿>

海未(思えば、彼のことを初めて人に話したのはあの時だったのかもしれませんね)

海未(彼のことを思い出すと、昨日の別れが疼痛となって胸を打ちました)

海未「……面倒な女です。あんなの、ただの八つ当たりではありませんか……」

海未(……それでも、彼にだけは手加減されたくなかったのです。めんどくさい女だろうが売れ残り女だろうが何と言われてもいい。でも、彼だけは特別なのです)

海未(だって戸塚君は、この世界で初めて私を特別扱いしなかった人だから)

海未(……あの人に認められたい。八つ当たりするなんて間違っています。そんなの望んでいないのです。ああ、でも……)

海未「……喧嘩って、どうやって謝るんでしたっけ……」

海未(自分が悪いとわかっているのに、すぐに謝れないなんて)

海未「本当に、面倒な女」

海未(醜い自嘲は雨音に吸い込まれて誰にも聞かれることはありません。スクリーンから流れる穂乃果の無垢な笑顔と歌声に、まるで責め立てられているような気分でした)


<ライブ一週前、夜。765プロダクション事務所>

赤羽根P「そうか。いや、確かにそれがいいね。ここで無理をしても良い目が出ることはないだろうし」

戸塚「申し訳ありません。ぼくも、園田さんと四条さんの共演は本当に見たかったんですが」

赤羽根P「はは、そうだな。……ライバル的な目線で言うと、園田海未が復活するのは本当に怖いから塩は送りたくないんだが」

赤羽根P「でも、一人のアイドルファンとしては彼女の復調を心から願っているよ」

戸塚「ありがとうございます」

赤羽根P「戸塚くん。君ほど優秀なプロデューサーには釈迦に念仏かもしれない。でも、言っておくよ」

赤羽根P「今はそれでいいかもしれない。でも、ライブで失ったものは、結局ライブで取り戻すしかないぞ」

戸塚「……それは、敏腕プロデューサーの予知ですか?」

赤羽根P「経験だよ。この世に魔法はないんだぜ」

戸塚「あはは、嫌ってほど知ってます」

赤羽根P「うん。それじゃあ、彼女によろしく言っておいてください」

戸塚「はい。……赤羽根さん、来週、負けないでくださいね!」

赤羽根P「お、おいおい。そんな爽やかな顔でいきなり敵を応援するなよ。……ま、言われなくてもうちのアイドルは誰にも負けないさ」

戸塚「はい、それでいいんです」

戸塚「だって、最初にあなたたちを倒すのはぼくのアイドルだ」



小鳥「プロデューサーさん、お先に失礼しますね」

赤羽根P「はい、お疲れ様です。響、音無さん帰るそうだぞ」

響「ほんと? じゃあ一緒にかえろ! ……あ、帰りにペットショップに寄ってもいいかな? あそこなら遅くまでやってると思うから。ハム蔵のエサ、そろそろ切れそうなんだー」

小鳥「はい、もちろん」

赤羽根P「響ー。今週はもう会えないと思うから言っとくな。……頑張れよ」

響「相変わらず忙しすぎだぞー……。うん、わかってる! 自分、完璧だからな!」

赤羽根P「うん。なんくるなるなる」

響「じゃーね! またライブでなっ!」


赤羽根P「……で、千早。お前は帰らなくていいのか?」

千早「……音源を聞いていました」

赤羽根P「『こいかぜ』か? いい曲だよな」

千早「はい。何度聞いたかわからない。荘厳な曲調に同居する切なさが素敵です。……乱高下するヴォーカルの複雑さは、歌い手への挑戦状みたい。普通の人じゃとても歌いこなせない。……でも、高垣さんはそれを完璧に歌いこなしている」

赤羽根P「……対戦は不安か?」

千早「いいえ。歌への想いは誰にも負けない自信があります。……だから、今の高垣さんには負ける気がしない」

赤羽根P「俺にはわからないけど、千早も先月の楓さんのエキシビジョンを見たんだよな?」

千早「はい、あの時思いました。……あの人は、誰に向かって歌っているのかなと」

赤羽根P「…………」

千早「……慢心ですね。忘れてください」

赤羽根P「いや。頼りにしてるよ」

千早「……プロデューサー、今日は戸塚さんが来てからずっと嬉しそうですね?」

赤羽根P「あはは、顔に出てたか」

千早「…………不潔です」

赤羽根P「ちょっ、そういう意味じゃないからな!? ……後輩の足音が聞こえてきて、嬉しくなったのさ」

千早「……戸塚さんがあんなことを言うなんて、意外でした」

赤羽根P「聞いてたのか。……彼もやっぱり、男の子だよなぁ」

千早「私には未だ信じられないですけど……」

赤羽根P「そうか? 『俺の女を舐めるな』なんて啖呵、実に男らしいじゃないか」

千早「男の子語だとそうなるんですか? よく、わかりません」

赤羽根P「はははっ、女の子にはわからないさ」

千早「……海未さん」

赤羽根P「千早は、彼女のファンだったな」

千早「はい。私も、人としてああいう姿勢で生きたい」

赤羽根P「…………大丈夫。あいつが見込んだアイドルだ」

千早「ええ、信じましょう。それに」

千早「逆境を跳ね返せるアイドルは、最強です」

赤羽根P「ははは、千早が言うと説得力しかないな」

千早「……じゃあ、ここはひとつ戸塚さんに貸しを作っておきましょうか」

赤羽根P「ああ、そうだな」

<翌日夜、クールプロダクション事務所>

絵里「凛ちゃん、もう帰りなさい? 最近は仕事も増えてきて遅くなることも多いんだから、帰れる日はささっと帰った方がいいわよ」

凛「うん……もうちょっとだけ、ダメかな?」

絵里「うーん……じゃあ、あと三十分だけね」

凛「うん、ありがと」

~♪

絵里「……ベース、上手になったのね」

凛「うーん、そうかな。真姫さんが作るベースラインってすごくカッコよくて、それを真似してるだけなんだけど」

絵里「その曲、私と真姫と海未の曲なのよ。ソロが聞こえてきたから、懐かしくなっちゃった」

凛「そうだったんだ。私、一回生で聞きたいなぁ。絵里さん、またステージ上がらない?」

絵里「えぇー、嫌よ。もう体力が持たないわ。よっぽどのことがない限りステージに上がるつもりはないわね」

凛「金ならある」

絵里「おあいにくさま、お金じゃないのよ。というかあなた、最初の提案がお金ってもう完全に毒されてるわね……」

凛「あははっ、そうかな」

絵里「嬉しそうねぇ」

凛「……そうだね、嫌じゃないかな。あーあ、絵里さんがもう一度舞台に立ってくれれば会社に良し業界に良しファンに良しお前に良し俺に良しなのに」

絵里「ならディズニーの替え歌でも歌ってみる?」

凛「上に干されてモノリスになっちゃうよ……」

絵里「……あら、もうこんな時間。ほら、もうタイムオーバーよ。とっととベースしまう」

凛「タイムオーバーって実は和製英語らしいんだよね」

絵里「……時間稼いでも今日彼は来ないわよ。多分直帰」

凛「……バレてたか。あーあ、タイムアップだね」

絵里「何か用事だった?」

凛「……うん。でもまあ、よく考えたら次に会う時でいいかな。絵里さんももう帰る?」

絵里「私はもう少しキリのいいところまで仕事して帰るわ。気を付けてね」

凛「わかった。じゃ、またね」

――ばたん。


絵里「はあ……。まるで忠犬ね。ああも見せつけられてしまうとね……」

絵里「……あの子にはバレてない、わよね?」

八幡「何がです?」

絵里「きゃあっ!?!? ノノノノックぐらいしなさいよっ!!!」

八幡「すすすすいません。いや、この時間にいると思わなかったもんだから……」

絵里「私がもし脱いでたらどうするのよっ!!」

八幡「えっ、事務所で脱ぐんですか……?」

絵里「もののたとえよ! なんで私が引かれてるの!?」

八幡「矢吹の加護は受けてないんでありえないっすよ。そうなったら眼福ですが」

絵里「……へんたい」

八幡「この程度で変態呼ばわりされても困るんですが……」

絵里「えっ、更にディープなの……? 膝裏フェチとか……? 流石に対応できない……」

八幡「何で一番最初に出てくる候補が膝裏なんだよ……」


絵里「帰ったんじゃなかったの?」

八幡「そのつもりだったんですが、外せない用事が出来まして。人を待つまで時間があるならその分仕事して……仕事……? 仕事したがっている……? 俺が……?」

絵里「もうあなたのデオキシリボ核酸にしみこんでしまったのね……」

八幡「……まあ量がシャレにならんのは確かですけどね。トライアドの二人が安定するまでは仕方ないか」カタカタ

絵里「楓さんの分も等分だものね」

八幡「本当あの大きい子供は忙しすぎて困る。当分はアーニャとあの人にかかりっきりだ」カチッ

絵里「レコード会社のお偉いさんとやりとりするときの怖さったらないわよね……」

八幡「あの人、滑舌悪いですよね」カタカタカタ

絵里「そう! そうなの! だから電話で聞き返せないのよね!」

八幡「絵里さんも被害者だったか……」カタカタッ、カチッ

絵里「ほんっと、勘弁してほしいわよねー」

八幡「渋谷も会ってねぇな。……元気かね、あいつ」

絵里「……そうね。今日も撮影から直帰だったし、会えなくても仕方ないわね」

八幡「なんか、いつも一緒にいた気がするから落ち着かねぇんだよな……」

絵里「事務のお姉さんよりも現役女子高生の方がそりゃいいですよねっ。えーえー」

八幡「…………さっきから手が動いてないですけど、終わったんなら帰っていいですよ?」

絵里「あ、逃げた。……じゃあ、あと三十分だけ」

八幡「……待っても一緒には帰れませんよ。言ったでしょ、約束あるんですよ」

絵里「え……もう遅いわよ? ……一泊? お、女の人?」

八幡「だったら、今頃メロメロなんですけどね。本当にY染色体持ってんのかなあいつ」

絵里「あ……戸塚くんか。な、なんだ」

八幡「否定できないですけどそんな露骨に安心した顔しないでもらえますかね……」

絵里「あ、あはは。同じ独り身としてちょっと安心したというか……」

八幡「……まぁこんな忙しいと絵里さんでもそんな暇はないか」

絵里「しかし戸塚くんが夜遊びなんて本当に珍しいわね。比企谷くんは半休だからいいかもしれないけれど……」

八幡「……園田さんのことなんじゃないか、と思ってますけどね」

絵里「……海未。大丈夫だといいのだけれど」

八幡「ライブバトルの欠場は初めてだそうですね。……いい機会だし、全部聞いとくかね」

絵里「む。海未に興味があるの?」

八幡「……他人のことは知っとけば知っとくほど安心ですから。いざという時、役に立つ」

絵里「……絢瀬絵里、十月二十一日生まれ、現在二十二歳。好きな食べ物はチョコレート、嫌いな食べ物は梅干。趣味はアクセサリー作りで、特技はロシア語とバレエ。世界一可愛い妹が一人いて、高校生の頃は生徒会長をしながらスクールアイドルをしていて、全国で優勝。好みのタイプは包容力のある人ですっ」

八幡「…………」

絵里「……どう? 興味を持ってくれる?」

八幡「……絵里さんも、渋谷も。どうしてそんなに無防備でいられるんですか?」

絵里「だって、一緒に積み上げてきたじゃない。信頼してるのよ」

絵里「あなたの身の回りの世界って、多分あなたが身構えるほど冷たくないと思う」

絵里「ひょっとしたら、他人の方が見えてるものってあるのかもね」

<深夜、都内某所。Bar「月面闊歩」>

戸塚「今日はごめんね、八幡。手配をしていたらこんなに遅くになっちゃって……」

八幡「明日は休みだし構わんさ。戸塚があんな切羽詰ってすぐにって言ってんだ、断る方がおかしいだろ」

戸塚「……ありがとう。今日呼んだのは、頼み事があるからなんだ」

八幡「……ふ。懐かしいな。由比ヶ浜以外で初めてまともに奉仕部で依頼を受けたのが戸塚のテニスだったな」

戸塚「あれ? 材木座君は?」

八幡「ノーカン」

戸塚「あははっ、相変わらず手厳しいね。……でも、もう奉仕部はない」

八幡「……そうだな。なくなったのかもしれんし、あるいは……壊れたのかもな」

戸塚「あの時……ぼくは、何もできなかった」

八幡「おいおい、そりゃそうだろ。あれは奉仕部の問題なんだから、他所にいた戸塚が罪悪感を感じるのはおかしいだろ」

戸塚「うん。確かにね、ぼくはあの時、他人だった。……でもね。ずっと、ずーっと思っていたんだ」

戸塚「ぼくはね、八幡の親友になりたかった。あの時、何もできなかったとしても、友達としてただ傍に居ることはできたはずなんだ」

戸塚「君の話を聞きにいけばよかった。どうせ八幡は何も言ってくれないし、それで何が変わるわけじゃなかったとしても。……それが、ぼくの唯一の間違いだよ」

八幡「……正直なことを言うと、俺がお前にそこまで評価される理由がわからん。俺はお前をその……なんだ、可愛いからとちやほやしてきたが、特別何かをしたわけでもない」

戸塚「うーん……それは恥ずかしいから内緒かな」

八幡「……そうかい。見る目がねぇよな、目の付け所もシャープじゃない」

戸塚「……多分ね、面倒くさい人が好きなんだよ」

八幡「たしかに、園田さんは面倒くさそうだよな……」

戸塚「……八幡は自分以外に向けられる感情は良く気付くんだからさ」

八幡「当たろうが外れようがガッカリしないからな。自制しない分的中率が高い」

戸塚「ノーペインノーゲインって言うじゃない。だから彼女できないんだよ」

八幡「うるせ、ほっとけ。お前も今時好きな子はいじりたくなっちゃうとか流行らねぇぞ」

戸塚「……ふふっ。こういうの、初めてだね」

八幡「……そうだな。とりあえずモルツ頼むが、戸塚は?」

戸塚「同じがいいな」

八幡「はいよ。……さて、と」

八幡「部活は壊れちまってもう依頼は受けられないが、まぁ、なに。数少ない友人の相談くらいは乗るぞ」

戸塚「そうだね。あ、一緒に考えてほしいだけで、何かしてくれってわけじゃないから」

八幡「ん、そうなのか?」

戸塚「……男なら、好きな子は自分の手で助けたいものでしょ」

八幡「確かに、それはある」

戸塚「さてと、何から話せばいいのかなあ……」

八幡「思いつくまま、好きなように話せよ。……なんせ、夜は長い」

――かちっ。しゅぼっ。

八幡「……ふぅ」

戸塚「……そうだね。その前に、と」

八幡「ああ。何に乾杯? 海未の瞳?」

戸塚「あははっ。そうだね。……彼女の瞳に」

八幡「乾杯」

戸塚「完敗」

――かちんっ。


渋谷凛@ライブ前日 @Rin_428
いよいよ明日だね。出演者の皆さん、見てくれるファンのみなさん、よろしくお願いします!
いつも忙しい人も明日だけは是非見に来て欲しいな。……見に来てくれるよね?


本田未央 @Chan_Mio_Chan
@Rin_428 頑張れー!( `ー´)ノ 明日は撮影だから現地行けないけどPC前でしぶりんペロペロするね!!


うづき @April_island
@Rin_428 @Chan_Mio_Chan じゃあわたしはくんかくんかする!!(*'▽')


渋谷凛@ライブ前日 @Rin_428
@Chan_Mio_Chan @April_island こわ……解散しよ……。トライアドプリムスに集中します


本田未央 @Chan_Mio_Chan
@Rin_428 @April_island ごめんっ!( ;∀;) はすはすにするね!!


渋谷凛@ライブ前日 @Rin_428
@Chan_Mio_Chan @April_island まるで成長していない……


矢澤にこ @Nico2co2
成長する方の矢澤を見にみんな明日は絶対来てね!!!(*^^)v


ふたばあんず @Never_Ever_Labor
便乗とは汚いなさすがにこにー汚い


西木野真姫@M3あ-02a @Maki_Pile
@ever_Ever_Labor あなたも明日出るんでしょう。宣伝くらいしなさいよ


ふたばあんず @Never_Ever_Labor
@Maki_Pile ピンチヒッターだからなー。……ま、海未の代わりに出といて負けるのは無いよね。おっと、あまり調子に乗ってると裏世界でひっそり幕を閉じることになるからこの辺で


前川みく @CatMaekawa
@Rin_428 にゃはは!☆ 明日は穂乃果さんの応援のついでに見てやらんこともないにゃー?


渋谷凛@ライブ前日 @Rin_428
ねえ、スパブロってどうやるの?


みく『人をオチに使うなや!! ブロック解け!』

凛「なんでよ、いい流れだったじゃん」クスクス

みく『……まあおいしいのは認めるけど』

凛「明日は姉ヶ崎さんなんでしょ。杏に負けてから燃え方すごいよ」

みく『あいつは余計なことばっかり……。まぁ、でも上等やね』

凛「そういえば新しい子入ったんでしょ? 出ないの?」

みく『李衣菜ちゃん? んー、正直まだ前に出れるレベルではないかな。あと一年くらいかかると思うよ。めちゃくちゃしごきうけてるけど……』

凛「こっちも奈緒と加蓮は師匠にびしばしいじめられてるね。……その分、伸びもすごいかも。抜かされないように頑張んないと」

みく『そやねー。ま、プロデューサーもあの子に時間割いてるし、伸びてもらわんと困るかな』

凛「……あ。そっちもなんだ。……私、ここ一月顔見れてなくて……」

みく『ちひろさんもおるからええけど、正直オーバーワークやね。最近ずっと遅くまで仕事してるなぁ。アイドルまた増えたし、これはフリートレードもあるかも』

凛「フリートレード?」

みく『あれ、知らん? 346間でアイドルが移籍するやつ。移籍の狙いには人数調整とか、路線変更とか色々あるんやろうけど、上が決めて大抵は突然言い渡されるみたいよ』

みく『まあ、だから極端な話みくが明日パッションに移籍するかもしれんし』

みく『あんたがパッションの誰かとトレード、ってことが起きても不思議ちゃうなぁ』

凛「……え。それってさ、プロデューサーも変わったりするの?」

みく『? 何言うてるん? 当たり前やろ?』

凛「…………そっかぁ」

みく『あ、もうこんな時間か。今日は早めに寝るから切るな?』

凛「よっと」ピッ


前川みく @CatMaekawa
渋谷は一週間くらいミュート!!!!


凛「本当、おいしいよねぇ」クスクス

凛「……フリートレード、か」

凛(携帯を充電器に差し込んでパソコンを切る。前川のせいで冷めたホットミルクを下に降りてもう一度電子レンジで温めると、やりすぎたのかマグカップが熱くなってしまった)

凛(冷ましついでに自分の部屋からベランダに出る。秋の風は心地いいけれど、少し寂しいような感じがする)

凛「もしそんなことがあったら……もっと、会えなくなるのかな」

凛(思い出すのはレコーディングが終わって、奈緒と加蓮が初参加したあの朝礼だ)

八幡『今月は臨時体制で行く。俺は渋谷の担当を外れ、今月は絵里さんが臨時プロデューサーだ』

凛『え……』

八幡『俺は主演が決まったアーニャをメインでサポートしつつ、新人二人の強化を重点的に行う。強化の仕方はこっちも変則的になるんだが、今ニュージェネを持ってる星空から二人は毎日特訓を受けてもらう。俺も出来る限りそっちに顔を出すつもりだ』

アーニャ『ダー……りょうかい、です』

加蓮『アタシ、そんな体力ないんだけど!?』

八幡『体力つくよ! やったねたえちゃん!』

奈緒『……ネタのチョイスから破滅の未来しか見えない……』

八幡『話を戻す。で、星空も実績を認められてちょっと忙しくなってるから、これもまた今月だけ例外的にニュージェネの担当を外れる。代わりはルキさんがやってくれるそうだ』

絵里『これにはニュージェネの三人なら、凛が見ていなくてもきっと仕上がってくれるだろうって期待が込められているわ。勝手が違って戸惑うだろうけれど、どんな状況下でも実力を発揮できるようになっていないとね』

凛『…………』

楓『あの。私のほうはどうなっていますか?』

八幡『高垣さんに関しては俺と絵里さんで半々です。渉外の担当は俺がやって、その他を絵里さんに任せるといった感じですね。……希望が通りました。対戦相手は、如月千早です』

楓『! ……ふふふっ、ようやくですね』

八幡『――報告は以上だ。何か質問はあるか?』

加蓮『アタシからは何もないや』

奈緒『が、頑張るっ!』

楓『ふふふっ、緊張しなくていいんですよ?』

アーニャ『精一杯、やります。比企谷さん、よろしくです』

凛『…………』

絵里『おーい、凛ちゃん? 聞いてる?』

凛『え、あ、うん』


凛「……はぁ」

凛(その時は面食らったけど、たった一月だけだし。事務所に居ればいつでも会えるからまあいいかなって思ってた)

凛(でも、そうならなかったな。考えてみれば体制を変えるほど普通じゃないってことなんだよね、今の忙しさって。……事務所のソファで私がベースを弾いてて、絵里さんとプロデューサーがカタカタやってて。私がたまに休憩代わりにあの人を見てると、こっちに気付いて、あの人が文句言いだして。それに絵里さんが困ったように、でも満更じゃなさそうに笑ってコーヒーをいれる。そんな光景が当たり前だと思ってた)

凛「アリアリで砂糖は三袋なんて、あの人、将来糖尿になっちゃうかも」

凛(独り言に応えるようにまた秋風が吹いた。感傷を引き連れたそれは、私の心を通り抜けていく)

凛「……さみしい、な」

凛(無意味に事務所に長居しても、時間帯が合わなくていないし。ニュージェネのレッスンはたまに戸塚さんが来るくらいで雪ノ下さんすら来ないし。……二人とも、仕事の打ち合わせとかで夜遅くまで一緒にいたりするのかな。あの人、雪ノ下さんといるときは油断してる顔するんだよね)

凛(不意に、胸にひびが入ったような痛みがずきりと走った)

凛「……私、妬いてる、のかな」

凛(前川は言ってた。いつ誰がどう移籍するかなんてわからないって。……いつ、プロデューサーと離れてお仕事することになるかわかんないって)

凛(……そうなっても、私はお仕事するんだろうな。だって、この仕事、好きだし。寂しくても、別れがあっても……続けたいな)

凛(いつ何があるかわかんないんだ。それって怖いな。……でも、今はまだあの人が傍にいる)

凛「……そうだよね。今だ。今なんだ」

凛(相変わらず、心に渦巻くものの正体が恋なのか信頼なのか何なのか判然としないままだ。でも、確かなことは、今、あの人とずっといたいってこと)

凛(それだけは、絶対に「本物」だと思った)

凛「……よし、寝よう」

凛(自分の為に、ファンの為に……あの人の為に。明日も今を全力で走るだけ)

凛(明日はきっと会えるといいなと思いつつ、私はまた冷めてしまったミルクをゆっくりと飲み干した)

<ライブ当日>

凛『……ありがとう! 次はちょっと面白い曲をやります。私の師匠……ダンスとか歌とかを教えてくれる人ね。名前が一緒なんだ。凛って言うの。……そう、星空凛さん!』

凛『もう毎日ぼっこぼこにされてるんだけどね。……でも、私はあの人の足元にも及ばないって思ってます。恥ずかしいけど、尊敬してるんだ。……いずれ追い抜かすけどね!』

凛『じゃあ聴いてください! そんな師匠の曲です!』

凛『恋のシグナル Rin rin rin!』


赤羽根P「新幹少女がもう、足元にも及ばないのか……」

真美「兄ちゃん兄ちゃん、しぶりんってアイドルやって一年経ってないんだよねー?」

亜美「げげっ、そうなの? これは要注意ですなぁ」

あずさ「346プロ全体が流れに乗っているという印象を受けますね?」

赤羽根P「これでもし園田海未が万全な状態で戻ってきたらどうなるかな。……ははっ、楽しみだ!」

真「ちょっと! プロデューサーはどっちの味方なんですか!?」

赤羽根P「ははは、俺は全てのアイドルの味方さ」

美希「杏ちゃんもまた勝ったんだねー……。美嘉ちゃんだってこの前見た時より全然成長してたの。みくにゃんが負けるとは思わなかったなー」

春香「杏ちゃんって美希ちゃんに似てるよね!」

赤羽根P「そうだなぁ。確かに一昔前の美希にそっくりだ」

美希「むー! もう美希はレッスンサボってないの!!」

赤羽根P「わかってるって。……だから今のままでは危機を感じないなぁ」

あずさ「あ、次はいよいよ千早ちゃんの出番ですよ!」

赤羽根P「やっぱり新人の台頭ってのはいいもんだな。心が躍る。……けど、俺たち765プロはただの老害じゃないってことを、あいつにはわかってもらわないとな」

赤羽根P「……見てろ。これが頂点だ」

<最終戦前、関係者席>

八幡「彩加、部長を見つけた。スタジアムの南側3番出口の喫煙所にいるらしい。連絡入れといたからしばらくは足止めできそうだ」

戸塚「本当っ? ……よし、行ってくるよ」

八幡「……こんなことを言うとアレだが、交渉は敵が弱ってるとこを狙うのがコツだ。ある意味、今はチャンスなのかもな」

戸塚「……そうだね。今はなりふり構ってられないや! じゃあ、そっちはよろしくね」ダッ

雪乃「二人でこそこそと、一体何を企んでいるの?」

八幡「……そうだな。よく考えたらお前を口説かないと始まらないんだった」

雪乃「く、口説っ」

八幡「お、おい何勘違いしてる、言葉の綾に決まってんだろ。いいか、実はな――」


雪乃「……今ただでさえ仕事が増えているのに? 正気? 瘴気がついに脳にまで回ったのかしら? 大体そんなもの年間計画には――」

八幡「頼む」

雪乃「!」

八幡「今回のことについては完全に俺たちの独断だ。なんならきつい仕事は全部彩加が引き受けると言ってる。……ただ、そうとはいえ、やはり二人では限界がある。頼む、力を貸してくれ」

雪乃「……昔、こんなことがあったわよね。私が一度断ったとき、あなたが由比ヶ浜さんに吐いた言葉を覚えている?」

八幡「……『自分のことは自分で。当たり前のこと』か」

雪乃「……あなたは、見つけたの?」

八幡「……まだわからん。一生探し続けるんだと思う」

雪乃「……あなた、変わったのね。うれしくて……寂しいわ」

八幡「……そうかね。自分ではわからん。……ただ、あの時と決定的に違ってるのは」

八幡「その……なんだ。友達が目の前で困ってる。だから、助けてやりたい」

雪乃「……はぁ。わかったわ、手伝えばいいのでしょう。……もう、本当に押しに弱いんだから。嫌になる……」

八幡「すまん。若干確信犯なところもある」

雪乃「……誤用よ、それ」

八幡「それも確信犯」

雪乃「馬鹿。……埋め合わせはしてもらうわよ」

八幡「好きにしてくれ」

雪乃「……それにしても、戸塚くんは少々一人のためにやりすぎではないかしら? いえ、救いたくなる気持ちも十二分に理解できるけれど、それにしたってやりすぎではない? ……何か、裏があるの?」

八幡「そうだな、あるよ」

雪乃「何を企んでいるの?」


戸塚『惚れた女の子は、男なら自分で助けたいもんじゃない?』


八幡「悪いが、そりゃ男同士の秘密だ」

<終演後、選手控え室>

杏「あんまりこういうこと言いたくはないけど、まさにどうあがいても絶望、ってやつだったね。絶望ォォォだね」

美嘉「私はさすが穂乃果さんってカンジだったけど。あの空気の中、765に五千点差で抑えたんだから」

莉嘉「ねー!」

穂乃果「うー! でもやっぱり勝ちたかったなぁ。ゆきのんだって頑張ってくれたんだしそれに応えたかったな……。うがー! 次は勝つぞー!」

にこ「穂乃果、口調がうつってるわよ……」

みく「……ま、でも、山は高い方が登り甲斐があるってもんにゃ」

美嘉「みくにゃんはまずアタシに勝ってから言おうねー★」

みく「うにゃー!! ドームの音響のせいだもん! こんな天保山すぐに踏破してやるにゃ!!」

莉嘉「あのさー、楓さんは?」

杏「……見てない。そっとしておこうよ。ペルソナで言ってた」

にこ「……そうね。そういえば今日の346のMVPは? 相撲だったら確実に座布団が乱れ飛んでたわね、今日の内容は」

美嘉「いい加減凛の成長見てるとヘコむレベルになってきたよアタシ……」

莉嘉「凛ちゃんならさっき外でずっとキョロキョロしてたよー? 何か探してるのかな?」

杏「……なるほどね。……雪乃が男だったら杏にも理解できるもんかなぁ」

穂乃果「はえ? どういう意味?」

杏「飴食べる?」

穂乃果「食べるっ!」

――こんこん。

戸塚「お疲れ様。今入っても大丈夫かな?」

杏「にこが脱いでるけど別にいいよー」

戸塚「本当?」ガチャッ

にこ「ちょっとおおおおおおお!?!?!? 本当に脱いでたらどうするつもりだったのよ!!」

戸塚「ラッキーかな!」ニコニコ

美嘉「……さ、さいちゃん?」

穂乃果「何か吹っ切れたのかなー?」

みく「うんうん。男の顔にゃ」

にこ「うん……うん? 何か流されてない?」

杏「……で、どしたの?」

戸塚「うん。みんなにお願いがあるんだ。協力してほしい」

<同刻、ドーム外>
凛「……いないなぁ。もう帰っちゃったかな? ……私も帰ろうかな」

凛「後楽園から飯田橋で降りて乗り換え、かな」

凛(……あ、でも。水道橋まで歩いてみようかな。……ひょっとしたら、会えるかな、なんて)


「よう。久しぶりだな」


凛「!」

八幡「……んだよ、その反応。一月会ってなくて顔忘れたか」

凛「……久しぶり。元気だった?」

八幡「この顔が元気に見えるか?」

凛「本当だ、目がひどいことになってる」

八幡「初期不良だ。……元気だったか?」

凛「うん……。今、元気になった」

八幡(っ……こいつ、こんな色っぽかったか!?)

凛「お仕事、今日はもう終わり?」

八幡「ああ。ライブ後は休みくれる法則だけは生きてて本当にありがたい」

凛「ね。……じゃあ、今日はご褒美ちょうだい?」


凛「わあ……。夜の神田川ってなんかいいね。静かで、泳ぎたくなっちゃう」

八幡「……いいのか? 夜の散歩なんかで」

凛「宝石でもねだればよかった?」

八幡「正直金は有り余ってるからそれでも良かったんだがな」

凛「そんなの私だってだよ。……だから、代えられないものがいい」

八幡「こんなんでよけりゃ、いつでも」

凛「それ、嘘だね。一か月会えなかったじゃん」

八幡「は、そんなに俺が恋しかったかよ」

凛「うん。すごく」

八幡「っ……そこはいつも気持ち悪いって返すとこだろうが」

凛「あははっ、照れてる。ねえ、写真とっていい?」カシャッ

八幡「事後承諾にも程があるだろ!」

凛(ああ、楽しいなぁ。可愛いなぁ。そうだった、こんな優しい声をする人だったね)

凛「……だって、プロデューサー相手にかっこつけても意味ないんだもん。……もう、カッコ悪いところ見られすぎてて」

凛「いっつも後ろで見てたもんね。……今月は見てくれなかったけど」

八幡「根に持つ奴だな……仕事だから仕方ねぇだろ。ま、でも、俺が見てないからってどうこうしたわけじゃなくて安心したわ。いいパフォーマンスだった。……頑張ったんじゃね」

凛「……え? 見てたのっ!?」

八幡「会場入りにはいなかったけど後からちゃんと来たぞ。星空と後ろの方で見てた。……いいステージだった」

凛「く、来るなら言ってよ! てか一声かけてよ!」

八幡「別に俺一人見ようが見まいが変わらんだろ……てか会ってないんだから言いようもねぇし」

凛「変わるよ! 色々と! もうちょっと自分の価値を自覚しようよ!」

八幡「……お前には時々、全部見られてたんじゃないかと思う時があるよ」

凛「え?」

八幡「……性分なんだ。これは。もう治しようがない。……自分を低く見積もっておけば、変に期待することもない。期待が裏切られることはない。……自分が、傷つかなくてすむ」

八幡「……俺は、自分が好きなんだ。他人のことなんかより、ずっと」

凛「……そっか」


凛(この人に褒められると、口元が緩くなる。他の人が聞いたら呆れるような軽口さえ、心地良さを覚える。捻くれた考え方を見ても、仕方ないやって許したくなる。自分のためだと言い張る不器用な優しさに触れると、溶けそうになる。それから――)

凛(今みたいに、理性で固めた鎧の隙間から洩れる弱さを、抱きしめたくなる。慈しみたくなる。……愛しくなる)

凛(あなたに、ずっと囁いてあげたい)

凛「ねえ、プロデューサー。私は、あなたに見てもらえると嬉しいよ。頑張ったなって褒められると頬っぺた紅くなっちゃうよ。照れ隠しでも自分の為でもなんでも、優しさが私に向けられると心があったかくなるよ。……一人で頑張っていかなきゃいけないこの世界でも、一人じゃないんだって思えるよ」

凛「ねえ、私に期待して? 私は……」

凛「こわくない、よ」

凛(私がそう語り掛けると、あの人ははっと息を呑んで、その足を止めた。街灯がない夜の川沿いでは表情がきちんと見えない。けれど、見間違いじゃなければそのときの顔は、触れば薄皮一枚の膜がやぶけてしまいそうな、きっとそんな顔だったと思う)

八幡「…………どうしてそんなにまで……お前は…」

凛「私、愛想悪いし。……言葉にしないと伝わらないことってあると思うから。何も言わなくても伝わるものも、ひょっとしたらあるのかもしれないけど……それに甘えたくないのかもね」

凛「それに、いつ会えなくなるかわかんないじゃん。……私、自慢じゃないけど弱いから。言葉にできるうちにしておかないと、甘えられるうちに甘えないと、怖くて、寂しくて死んじゃいそうだから。……う、なんか恥ずかしいな」

八幡「……お前は、強いな」

凛「ど、どこが。迷うし泣くし拗ねるし、プロデューサーの前では弱いところばっかりで」

八幡「そうやって人に弱さをさらけ出せるところが、強い」

凛「……よくわかんない。でも、ありがと」

八幡「……ああ」

凛(それから私たちは夜の神田川沿いを歩き続けた。言葉は一つも交わさなかったけど、その沈黙が心地いいと感じる自分がいた)

凛(私の歩幅に合わせてゆっくりと歩いてくれる彼の横顔をたまに見つめては、気づかれる前に川に視線を逃す。そんなことを何度も繰り返している自分が少し可笑しい。歩きながら、私は心の器としか言いようがないものに、暖かい何かが少しずつ貯まっていることに気付き始めていた)

凛(それはきっと急に貯まるものではなくて、この川のように穏やかに、長い時間をかけて少しずつ私の心の中に流れていったのだ)


八幡「……あ、そうだ。言っとかねぇとな」

凛「何? どうしたの?」

八幡「……その。実は、頼みたいことがあるんだが」

凛「うん。いいよ」

八幡「まだ何も言ってねぇぞ」

凛「何だっていいよ。頼ってくれるなら」

八幡「……そうか、助かる」

凛「うん。……あ。駅、着いちゃったね」

八幡「これ以上遅くなるのもアレだし、詳細は明日伝えるわ。……また忙しくさせちまうと思う」

凛「何を今更。……うん、今なら言えそうだ」

八幡「?」

凛「……頑張るから、期待してていいよ」

八幡「……ああ。渋谷」

凛「なあに?」


八幡「……ありがとな」


凛(そう言って、彼は柔らかな笑みをこぼした。羽みたいにふかふかで、油断してる猫みたいな。見たこともない笑顔だった)

凛(……ああ。今、溢れた。器をつたう暖かなものが、身体中を巡ってこそばゆい)

凛(なんだ、こんなに簡単なことだったんだ。ずっとずっと、自分の中にあったんだね。知らなくてもわかることって、あるんだね)

凛(今すぐにでも口に出してしまいたいけど、今はやめておこう。……外に出しちゃうのがもったいないもの)


凛「……うん。ばいばい、おやすみ。プロデューサー」

八幡「ああ、おやすみ」

凛(お気に入りの音楽を聴いて、ゆっくり帰ろう。今日は入浴剤を使おうかな。……お風呂上がりはきっとマックスコーヒーがいい)

凛(寝るまでにたくさん特別なことをしよう。なんでもないこの一日を祝おう。そうして、ずっとこの日を忘れないように)

凛(秋の風はもう寂しくない。まんまるなお月様が浮かぶ、この肌触りのいい夜に)

凛(私は、鈴鳴りのような恋をした)

<翌日朝、346プロダクション本社>

海未(……悩みに悩んで、ついに結論を出しました。覚悟は出来ています。意志は固いです。書くべきものも書いて、あとは口に出すだけです)

海未「パッションプロダクション所属の園田海未です。十時にアイドル部門部長の武内さんと会う約束をしているのですが」

受付「はい、園田さんですね。お伺いしております。入館証をお渡し致しますね」

海未「ありがとうございます。場所はわかりますので」

海未(きっとこの人と挨拶をすることも、もう最後なのでしょうね)

――こんこん。

海未「失礼します。……ライブ後の朝早くから申し訳ありません」

武内P「いえ、好きでやっていることですから。……お話しがあるのですよね?」

海未「はい。実は……アイドルを、引退したいと考えています」

武内P「はい、聞けません。お話は以上ですか?」

海未「勝手な事を言っているのは重々承知で――……え?」

武内P「ですから、聞けません。……なるほど、タイミングまで見越していたのですね。さすが敏腕……。ここまで言い当てるとなると、私も感心せざるを得ませんね」

海未「ちょ、ちょっと待ってください! 何故なんです!?」

武内P「あえて言葉を減らしたのですが、それで引き下がってくれそうにはありませんね……」

武内P「ふう……。つい昨日、企画が通りました。まずはこの話を聞いてください」

海未「企画……?」


武内P「――346プロダクション、単独ライブです」


<同刻、都内某所。とある喫茶店>

真姫「――なるほど。話はわかったわ」

八幡「無茶な願いなのはわかってる。西木野も絵里さんも、多忙を極めてるのも重々わかってるつもりだ。……それでも、頼みたい」

絵里「…………」

真姫「ちょっと、絵里。いつまでむくれてるのよ」

絵里「……休みの朝に呼び出しだから……おめかししてきたのに……。来てみたら真姫がいるんだもんっ」

八幡「お願いできませんか。絵里さんの分の仕事は、期間中三人で分担するので」

絵里「そういう意味で拗ねてるんじゃないわよっ」

真姫「……いいわよ。私は、引き受ける」

絵里「真姫っ!?」

真姫「普段ならいつも通りふざけんなって蹴るところだけど。……でも、こういう事情なら話は別」

八幡「……自分から言っといてなんだが。いいのか、本当に」

真姫「あんたは会社のためにそこまで頭下げる人じゃないでしょ。……あの子のことで、私が、私たちが断るわけないじゃない」

八幡「……あの人が助かろうがなかろうが俺には関係ないがな。だが、上手くいくと俺の友人が喜ぶ。それで俺はいい事したって気分が良くなる。そんだけだ」

真姫「本当に捻くれてるわよね。そんなに一生独身がいい?」

八幡「一人は好きだが専業主夫も捨てがたいんだよな……」

真姫「呆れた……。ほら、絵里。いい加減機嫌直しなさい? もう心は決まってるんでしょう?」

絵里「むー……」

真姫「いいとこ見せるチャンスでしょ、受けなさいよ」ボソッ

絵里「……希ね?」

真姫「今あんたから教えてもらった」

絵里「このパターン何回目よぅ……。学習しなさいよ、私ぃ……」

真姫「で、どうするの?」

絵里「……わかったわよ。私だって海未が好きだもの」

八幡「……ありがとうございます。助かります」

真姫「私は講義があるから行くわね。依頼料はここの勘定ってことにしといてあげる」

八幡「え、いや、普通に後で正式に依頼料は――」

真姫「私は、いらない。……だから、絵里にはきっちり支払いなさい。それじゃね」

絵里「……ああいうカッコつけなところ、変わらないわねー」

八幡「実際カッコいいんだからいいんじゃないですか」

絵里「まあ、そうね。実はちょっと抜けてるところもあるんだけど」クスクス

八幡「じゃ、帰りますか。朝から申し訳なかったです」

絵里「……何言ってるの?」

八幡「え」

絵里「真姫も言ってたし、今日一日分、しーっかり身体で払ってもらうわよ?」

八幡「……荷物持ち?」

絵里「YES! YES! YES!」

八幡「もしかしなくてもオラオラじゃねーか。……はぁ」

<午後、撮影。音ノ木坂学院裏庭>
穂乃果「やる! やる! やるったらやる! やらせてくださいっ!!」

ことり「ほ、ほんとにいいのかなぁ……」

戸塚「うん。責任は全部ぼくが負います。……やって、くれる?」

ことり「……うん! よーし、燃えてきたぞー!!」

戸塚「ありがとう! じゃあラインのグループに招待するから、入ってほしい」

ことり「ネットの方もやっておくね。……ふふっ、なんか大きなイタズラみたい」

穂乃果「あ、ことりちゃん! 穂乃果もやり方教えて貰っていい? ゆきのんにもお話しておかなくちゃ」

戸塚「大丈夫。そっちはもう通ってるから。……よし、あとは東條さんだね。行ってくるか。二人とも、撮影大変だけど頑張って! それじゃ!」タッ

穂乃果「ほえー……フットワーク軽いねぇ」

ことり「……はぁ。ことりも、ちょっと服だけじゃ寂しくなってきたなぁ……」


<撮影後、講堂>
戸塚「……やあ、園田さん。捕まえた」

海未「……と、戸塚くん」

戸塚「ここに来たら会えると思ったんだ。屋上と二択だったんだけどね」

海未「……撮影に来ないとは思わなかったんですか」

戸塚「信頼してるから。そんなことできる人じゃないでしょ」クスクス

海未「……それ、褒めてないでしょう」

戸塚「あはは、バレた?」

海未「……嫌味を言いにきたんですか?」

戸塚「ううん。謝りに。……この前は、ごめん」

海未(……どうして。どうしてあなたが謝るのです。……八つ当たりをしたのは私の方なのに)

海未「……また、完全試合でよかったのに。打ちのめされれば、打ちのめしてくれれば、……こんなみじめな気持ちで、去らなくても済んだのに」

戸塚「……じゃあ、手を抜いて良かったのかもね」

海未「っ! どういう意味ですかっ!」

戸塚「だって、打ちのめされてたら園田さんは綺麗さっぱりアイドル諦めてたんでしょ。……そんなの、嫌だからね」

海未「どうして……どうしてあなたはいつも私にいじわるするんです! もういいじゃないですか! 終わりですよ! 死に水くらい大人しく取ってくれればいいじゃないですか!」

戸塚「……何を言われてもいい。でも、ぼくは君に辞めてほしくない。まだ君は立てる。出来るんだ!! 後悔してほしくない!」

海未「勝手に決めつけないでください! あなたのそれは押しつけでしょう!!」

戸塚「そうだよ! 勝手だよ! 余計なお世話だよ! うっとおしいだろうさ! 好きなだけぼくを嫌うといいよ! ……でも、逃がさないからな!」

戸塚「君はこの地獄に踏み込んだんだ! 引き入れたんだ! 今更楽な方に逃げられると思うなよっ!」

戸塚「ぼくは……しつこいんだ!」

海未「……なんなのですか。なんなのですか、貴方は……。可愛いだなんて嘘ばっかり。……顔だけじゃないですか。……どうして私なんかに、そこまで……」

戸塚「……怒鳴ってごめん。君に伝えることがある」

戸塚「十月の末。……346プロダクション単独ライブが開かれることになった」

海未「……知っています。今日、部長殿に聞きました」

戸塚「……そっか。園田さんには、それに出演してもらいます」

海未「…………」

戸塚「それに出た後。……アイドルを辞めたければ、好きにしてくれていい。ぼくと部長さんは、そう決めた」

海未「……なるほど。最後に面子は持たせてくれる、ということですか」

戸塚「……ぼくは、それまでに君の気が変わる方に賭ける」

海未「……もう、決めたのです……」

戸塚「……ライブ、楽しみにしてるよ」


海未(彼が去った講堂は私以外に誰もいなくて、自分の足音がこつんと遠く響きました)

海未(舞台に腰掛けて、誰もいない客席を見据えました。……何年も時間は流れているのに、あの時と寸分違わぬ景色がそこにありました。最初は誰もいなかった観客席。心が縄できつく締められたみたいに苦しかった)

海未(でも、あの時泣かずに頑張れたのは。……隣に二人がいてくれたからだった)

海未(あの時、空港でことりが旅立った日から、三人の別れは決定的なものになっていたのかもしれません)

海未(今でも思い出せる。初めて戸塚くんのことを話したことりの二十一歳の誕生日。それから彼女の多忙が更に加速して、ずっと会えなくなった日。……事務所を、移った日)


<一年前、ことりの誕生日>

ことり『へえ……そんな人いるんだねぇ』

海未「嘘のような話ですが……おっと、着信が入ってしまいました」

ことり『あ、じゃあ切っちゃうね。……海未ちゃん、ほんとにありがとね』

海未「いえ。言ったではないですか、ずっと親友だと」

ことり『……うん!』


海未「もしもし、雪ノ下さんですか? お疲れ様です。折り返しが遅くなって申し訳ありません。こんな遅くに珍しいですね。よほど火急の用でもあったのですか?」

海未「もしかして次のライブバトルのことでしょうか。……大丈夫です、次もキュートプロダクションの名に恥じぬパフォーマンスを……」

海未「――え?」

海未「…………フリー、トレード?」


雪乃「あまりにも電撃的で、その、……なんと言えばいいのか」

海未「どうして雪ノ下さんが謝るのです。……組織なのです、仕方のないことでしょう?」

雪乃「壮行会もすぐに行いたいのですが、……何分、こういう職業上、スケジュールが合わない上に、その……読めなくて」

海未「……ふふ、構いませんよ。この業界から去る訳でもありませんし、同じ傘下ではないですか。仕事をする機会も多いでしょう」

雪乃「……ええ」

海未「……その、にこと穂乃果は?」

雪乃「二人とも海外に旅番組のロケに行っていて、しばらくは帰りません」

海未「……ああ、そうでした。だから昨日も……どうして忘れていたのでしょう」

雪乃「………………寂しくなります」

海未「……ありがとうございます。もう、雪ノ下さんはちひろさんに負けない立派な戦力です。私は誇らしいですよ」

雪乃「入社したころからお世話になっていたのに、何も返せなくて……」

海未「……では、私の代わりに、新しく入ってくる子に良くしてあげてください。……諸星さん、という方だと聞いています」

雪乃「……はい。全力を尽くします」

海未「ええ。それがいい。期待していますよ」


海未「――私のことなら大丈夫。大丈夫ですから」


海未(今もずっと口にするその言葉。思えば使うようになったのはあの時からだったのかもしれません。その言い聞かせるような文言は目の前の人間に向けたようで、その実誰に言い聞かせるためのものだったのか)

海未(九月も半ば。夏を冷酷に断ち切ったように涼しく悲しい秋のことでした。枯れ落ちた紅葉を踏みしめるその音が、頭の中で鳴りやみませんでした)

海未(事務所が変わっても仕事は来ました。それはとてもありがたいことで、私は変わらず目の前の仕事に全力を注ぎました。私は特別なアイドルではないから、そんなことしかできません)

海未(私のレッスンの方法は変わりません。プロの方の指導を受けて、自分の反省点を洗い出す。そうしてその日の内容をノートに書いて、自己反省も書き連ねる。そしてそれを意識しながら個人レッスン。その内容ももちろんノートに書く)

海未(私だって練習が嫌な時もあります。でも、武道では一日怠ると一週間の遅れが出ると言います。鍛錬を欠かすことはできません。……だから私は、鍛錬の初め、いつもμ'sの曲を踊るのです)

海未(どのようなプロの作曲家の提供を受けても、やはり私が一番好きな曲は真姫が書いたμ'sの曲であることは変わりません。この曲を踊ると、いつでも私はみんなと一緒にいたあの輝かしい瞬間に戻ることができるから。だから、私は今この瞬間もμ'sの曲は全て踊ることができるのです。……恥ずかしいから、誰にもナイショですけど)

海未(変わったプロデューサーはいい人でした。女性ですが業界も長く、処理能力も高い。申し分のない人でした。しかし、彼女は左指に光る婚約指輪を私に見せると、今年一杯なのよと申し訳なさそうに、けれど恥ずかしげながらも幸せそうに笑うのでした)

海未(学生という身分のこともあり、結婚などどこか他所の世界のことだと考えていた私には少し衝撃でした)

海未(……結婚ですか。というよりできるんでしょうか、アイドルが。……穂乃果も、ことりも、いつか結婚するんでしょうか。好いた殿方と。……この世で一番愛すべき相手と)

海未(その時、私は二人の傍にいられるんでしょうか。一番好きな人が出来たとしても、私の為の心の空室は残されているのでしょうか。今でさえ、二人は仕事の山で会えないというのに)

海未(カバンの中の携帯電話を見つめて、目を閉じる。……二人からの連絡は何もないままでした)



<一年前、十月末日。幕張ヘッセ控室>

『園田 海未 VS 高垣 楓』
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海未「お疲れ様です。……見事でした、高垣さん」

楓「あ、海未ちゃん……。ありがとう、ね」


海未「Aランク、昇格おめでとうございます。……私も負けている場合ではありませんね」

楓「……海未ちゃんは強いんですね。おばさんなら負けた後なんて拗ねて居酒屋で日本酒ですよ?」

海未「高垣さんは勝っても負けてもお酒ではありませんか?」

楓「ふふふっ、バレちゃった? あんまり飲んでるのバレちゃうと、プロデューサーに怒られるから内緒よ?」

海未「良いことを聞きました。ジョーカーとして手札にしておきますね」

楓「海未ちゃんはジョーカーいつも残っちゃうんでしょう? うふふ」

海未「なっ、誰から聞いたのです!」

楓「なーいしょ。ふふふっ。……ねえ、海未ちゃん。この後予定は?」

海未「この後ですか? いえ、何もありませんが」

楓「じゃあじゃあっ、おばさんと居酒屋でババ抜きしましょう?」

海未「……まだおばさんって歳でもないでしょう。あと誘い方が下手すぎです」

楓「わたしがっ、おばさーんになーってもー♪ ……海未ちゃんは、お酒飲まなさそうだもんね」

海未「……ふふ。付き合いますよ」

楓「え。本当ですかっ?」

海未「なんですかその顔は。私だってお酒ぐらい飲めます! ……強くないですけど」

楓「わーいっ、やったやった! じゃあ私がお勧めのところに行きましょう! あそこはマスコミも嗅ぎ付けてなくて、とてもゆっくりできるんですよ。……あ、でも、本当にいいの?」

海未「アイドルだって、お酒が飲みたい夜もあるのです」

楓「……そうね。よし、行きましょう。プロデューサーに言ってくるからちょっと待っててくださいね? 帰っちゃダメですからね? ねっ?」

――ばたんっ。

海未「ふふっ。大きな子供なんですから。……穂乃果みたい」

海未「……お酒で嫌なことって、忘れられるんでしょうか」

海未(移籍して初のライブバトル。勝敗は負けでした。できることを全てつぎ込んだつもりだったのですが、高垣さんの方が何枚も上手だったのでしょう。……鍛錬が足りない、また見直さなければ。大丈夫。私は、大丈夫です)

海未(その日、私は久々にお酒を飲みました。高垣さんは化け物でした。沼でした)

海未(私は吐くほど飲みました。本当に、人生で初めてたくさん飲みました)

海未(吐くほどというのはものの例えです。だってアイドルは吐きません。トイレにも行かないのですから。……だから、トイレで吐くアイドルなんてそれはフィクションであり実際の人物や団体その他もろもろには影響しないのです)

海未(……とりあえずその日に学んだことは、お酒で何かを忘れることなんてできないどころか、忘れたいことが増える、ということでした)

海未「うう……海の藻屑となってしまいたい……」

楓「あっ、駄洒落ですか? そんな面白いことが言えるなら大丈夫ですね?」

海未「……バッド飲みニケーションですぅ…………」バタッ

楓「あっ、海未ちゃん? 海未ちゃーん?」

海未(あれ以来、高垣さんの誘いは断るようにしています)


放送作家「……残念です。……局自体が、大改変を行いたいようでした」

海未「……終了。……そうですか」

放送作家「切り抜けられたのは三浦あずささんのラジオくらいです。あのラジオ上手の美嘉ちゃんや、なんなら萩原雪歩さんの番組でさえ年内に終了になったんです」

海未「城ヶ崎さんのラジオが……」

放送作家「園田さんのせいではありません! レーティング自体はとても良かったですし、特に年配の方からの支持率は日本一でした! これはアイドルのラジオではありえないことなんですよ! ……本当に、不運だったとしか。……申し訳ありません」

海未「……ふふ、お気遣いありがとうございます。なぜ作家さんが頭を下げるのですか」

放送作家「……こんな、移籍などで大変な時に……」

海未「その気持ちだけで十分に嬉しいですよ。仕方ありません、全ての事物には終わりがあるのですから。終わらないレギュラーなどありませんよ」

放送作家「…………」

海未「私なら大丈夫です。さあ、終了までの年末まで、私たちはやれることをやりましょう。……そして機会があれば、また一緒に仕事をしましょう?」

放送作家「……はい! そうですね! 私も、それまでにもっと腕を磨いて権力を手に入れますよ。全てのラジオに影響力を与えます。そしていつか、園田さんを救います。約束です」

海未「ふふ、何ですかそれ。……期待していますね」

海未(色んな事が、螺旋のように渦巻き合っていました。私はただそれに飲まれていただけのような気がします)

海未(十一月。二回行われたライブバトルは、全て敗北を喫してしまいました。……番組の終了に心を痛めていたことも、事務所の移籍で慣れぬ心労があったことも、原因の一つではあったのでしょう。……もっと強くならなければ。プロなのですから、いかなる状況でも結果を出し続けないといけないのに。どうにかしなければ)

海未(鏡の前で踊り続け、歌い続け、トレーナーさんに見てもらう。記録する。そして修正、また自身に問い直す。足りないものはなんだろう?)

海未(いつものようにμ'sの曲を舞う私の脳裏に、みんなのことが浮かびます)

海未(……駄目です。みんな、社会人として頑張っているのです。私などがその足を引っ張るのはあってはならないことだから)

海未(それに私はプロなんです。一人でも、……穂乃果たちが傍にいなくても。自分で自分を立て直さねば、話にならないのですから)

海未(ああ、それにしても……苦しい。毎日とは、これほどまでに息苦しいものだったでしょうか)

海未(……誰か、助けてくれないでしょうか。それこそ、そうだ。私の手を取ってくれるような、白馬の王子さまがいればいいのに――)

海未(鏡に映る弱々しい自分を見て、涙がこぼれそうになりました。けど、ぐっと堪えます)

海未(なんて弱いのでしょう、私は。栄えある美城に名を連ねる存在だというのに)

海未(そういえば、聞いたことがある。白馬の王子さまが自分を救って世界を変えてくれるのだと心の中で潜在的に待ち望む女性は、シンデレラシンドロームに罹患しているのだと)

海未(……哀れな灰被り姫。意地悪なおばさんなんていないのに。落窪の姫君は、今日も助けての一言が言えない)

海未(年度末。あの日は確かクリスマス。街に雪が降りゆく中、私に積もるものは黒星ばかり。私はいわゆる、どつぼというものに足を踏み入れてしまったのでしょう。……人の口に戸は立てられないもの。ネットというものに疎い私でも、時折耳にする心無い言葉の数々)


『園田海未はどうした。移籍後全然じゃね?』
『何言ってんだ。今はもう双葉杏ちゃんの時代だよ』
『園田海未はオワコン、ってな。ハハハ』

海未(言葉も雪も重責も、肩に積もってゆくばかり)

海未「ふりゆくものは、我が身なりけり……か」



海未「……本当は。ほんとは平気じゃないんです。……大丈夫なんかじゃないんです……」


海未「…………誰か……」


海未「……だれか、たすけて…………」

海未(契約更新に来いと言われた事務所の入り口の前で、私は傘も差さずに雪と感情に身を任せていました)

海未(……すると、急に雪が止んだのです。いや、それは正しくない)


海未(――何者かが、私の頭上に傘を差しだしたのです)



「――うん。ちょっと、待ってて?」


海未「……え?」

戸塚「必ず助けるから、待ってて」

海未(その日は確かクリスマス。私が良い子だったかどうかはわかりません。サンタさんはいないことだって知っています。なのに、私が願ったからですか?)

海未(目の前に現れた彼が、あの日私には)

海未(――白い王子さまのように見えたのです)

<現在、十月初頭>


みく『いつもだったらこのお時間はコーナーをするところなんだけどっ、楽しみにしてた人ごめんにゃさい! 今日はちょっとお伝えすることがあるにゃ。だからちょっとだけみくにお時間ちょうだいね? ……いや、別にコーナーがなくなってほっとしてるわけじゃないよ? ……にゃっ!? もうホース持ってこないでよ! カレーうどんは食べないからっ!!』


みく『ああっ、もう。話がそれちゃったにゃ。えっとね、まず告知! 十月の末、ライブバトルの前日だね。なんとその日に346プロダクション合同ライブが行われることになりました! 場所はパシファコ横浜! ……もう情報出てるから知ってる人は知ってるのかにゃ? えっとね、みくもそれに出ます。それとこのラジオでよく名前が出る渋谷も。……それから、パッションプロのみんなだって』


みく『本当に急に決まったライブなんだけど、みくはこのライブとっても楽しみにしてるにゃ! 渋谷と共演するのだって楽しみだし、楓さんも、穂乃果さんも、……それから海未さんも! みんな、みーんなこのライブに出るんだよ! あと、なんか噂によるとそれだけじゃないみたいだにゃ。これは広告戦略とかじゃなくて、本当にみくたちアイドルにも何も知らされてないの。続報あるのかにゃ? ……みくも知っときたいんだけどなぁ』


みく『でね、確かにすごく重要なライブなんだけど、どうしてわざわざラジオで時間取ってまでこのことを言ってるかというと、みんなに協力してほしいことがあるからなの! ……それは何かというと、言えません! ……はい、スタッフさんいいズッコケありがとう。本場でも通じるよそれ』


みく『いや、これ本当にボケとかじゃなくて、言えないにゃ。言霊じゃないけど、名前を呼んだらバレちゃうから。……ヴォルデモートちゃうわ! イクスペリアームズ! ああっ、また逸れた! もう、作家さんはちょっと黙ってろにゃ! ……でも、言えないだけだから、書くことはできるの。だから、今放送を聞きながら携帯やパソコンを触っているみんな! 今すぐ番組公式ホームページやみくのツイッターを見てほしいの!』


みく『みんなの力が必要です。本当によろしくお願いしますっ! ……よしっ、早めに切り上げるにゃ。バレちゃだめだからね。クールに去るにゃ。……それにしてもスピードワゴンって最近お笑いで見ないよね。家なき子になっちゃったかにゃ?』


みく『はい! ……あれ、時間余ってる。えっ!? コーナーやるの!? もう今日は良くない!? ……え? このコーナーだけメールが千通越えてる!? ちょっ、もう、ほんまにふざけんなや!! あっ、違う、ふざけるにゃー!!』

<同日、346プロタレント養成所:レッスン室201>

星空凛「ほらどうしたにゃ! 立て! 立てよポッター! そんなんじゃ世界目指せないよ! 世界世界って言うけど世界甘く見んなよ! 熱くなれよ! お米たべろ!」

卯月「ルキさんが……ルキさんが恋しいです……」

未央「週一の査察なんていらないよう……!」

凛「ふふっ。やっぱりレッスンはこうじゃないとね」

未央「……しぶりんって、ドM気質?」

卯月「アスリート気質って言おうよ……」

――かららっ。

八幡「うす。おつかれさん」

未央「ハチくん助けてっ!! 凛さんがいじめるのっ!」

八幡「良かったな。そのうち快感になってくるだろ」

卯月「今日はずっといらっしゃるんですか?」

未央「スルー……。あれ、ちょっとクセになるかも……」

八幡「いや、すぐ出ないとダメでな。……星空」

星空凛「にゃ?」

八幡「ちょっと食堂まで顔かしてくれ」


八幡「――と、いうわけなんだが」

花陽「はわあ……」

星空凛「そ、そんなことして大丈夫なの?」

八幡「大丈夫だ。ちゃんと勝算もあるし予算も回収する。……あとは、お前ら次第だな」

花陽「やります! やろう、凛ちゃん」

星空凛「……かよちんなら、きっとそう言うと思ってたにゃ!」

星空凛「うん、やる! ……うーっ、テンション上がるにゃー!!」

八幡「……助かる。とりあえず、戸塚に話を通しておくから連絡をとるようにしてくれ」

星空凛「凛、場所のおさえとかならいつでもできるからそっちは任せて!」

花陽「わたしはお客さんで協力できそうな人がいたら、その人にお願いしますね。……美希ちゃんにもお願いしてみます!」

八幡「お前、餌付けに成功したのな……」

花陽「おにぎりは世界を救います!」

八幡「……いい部活だよ、ほんと」

<同日夜、貸出レッスン室402>

海未「あの後思い切ってさぼってみたのに、もう自動的に足が向くなんて……」

海未(習慣とはなかなか抜けないものです。一日三時間はレッスンをしないと、歯を磨かずに寝るような気持ち悪さを覚えるのです)

海未「……これが最後なのです。なら、最後くらいは有終の美を……」

――ばたん!

星空凛「やーっはろー! 海未ちゃん、久しぶりーっ!」

海未「きゃあっ!? ……り、凛!?」

星空凛「人の顔見てなんで来たみたいな顔するの辞めてほしいにゃ。ニュージェネの子たちといい結構傷つくにゃ……」

海未「あ、いえ……。仕事はどうしたのです?」

星空凛「今日はもう終わり! トライアドの二人を今日も特訓してきたよ!」

海未「ああ、あの新人の……」

星空凛「だーかーら。今日は、海未ちゃんのレッスンを見に来たにゃ」

海未「え……?」

星空凛「むっ、何その顔! 昔ならまだしももう凛はプロなんだからね! どんどん頼りにしちゃってにゃ」

海未「……ふふっ。変な感覚ですね」

星空凛「……ふーん。レッスン後に笑えてるといいね!」


<数日後、早朝。パッションプロダクション事務所>

海未「おはようございます……あれ?」

戸塚「……あ、おはよう」

海未「は、早いですね?」

戸塚「うん。朝マックがしたくてねー。あの安いコーヒーが好きでさ」

海未「それにしては少し早すぎる気がしますが……?」

戸塚「久しぶりだから時間覚えてなくて。……今日のスケジュールは把握できてるかな?」

海未「あ、はい。一応は」

戸塚「そっか、じゃあよろしくね。話しておいた単独の演目表、机に置いておくね。ぼくは今から外回り行ってくるから。それじゃね」ガタッ

海未「……はい。ええっと、これですね」

海未「……ええっ!? こ、これ、大丈夫なんでしょうか。私は歓迎ですけど……」

海未「……ああ。最後くらい、好きにやらせてくれるということなんでしょうね……」

海未「……確認が終わったし私も行きましょうか。……あれ? 空き缶?」

海未「……うちの自販機にもんすたーなんてありましたっけ?」

<同日、深夜。346プロタレント養成所レッスン室305>

絵里「い、息切れが……。もう、おばさんなのかしら……」

ことり「うう……身体が柔らかいの、じまんだったのにぃ……。痛いよぉ……」

希「…………無理……」

にこ「なぁに? まだ何もしてないじゃない。やーい! ドム!」

希「……終わったら……わしわし決定…………やからね……」

穂乃果「これはいきなり全体練習は無理っぽいねー?」

星空凛「習熟度別に分けたほうが良さそうだにゃ。はいっ、自主練用のメニュー!」

絵里「……めまいがしてきたわぁ」

――がちゃ。

真姫「ごめんなさい。遅くなってしまったわ」

凛「……うわぁ、すごい。本当にオールスターなんだね」

にこ「あれ、凛も来たの? ……その背中に背負ってるものはなに?」

凛「これ? ……ふふっ。秘密兵器だよ」

花陽「みなさーん! お夜食作ってきましたよー!」

希「食べるっ!!」

にこ「……朝青龍」ボソッ

希「……にこっちぃ。そんなに座布団みたいに空飛びたいー?」

絵里「の、希。抑えて抑えて」

ことり「……あ。今西武線全滅したよー?」

穂乃果「かえ~れない~♪ かえりたくないぃ~♪」

星空凛「ホテル柔道場はいつでもウェルカムにゃ!」

真姫「あぁぁ……誰よ深夜練やろうなんて言い出したバカは!」

にこ「時間合わないんだから仕方ないでしょ? ……そんなこと言ってきっちり来てるくせに」

真姫「……だって、海未ちゃんのためじゃない」

穂乃果「……ふぅーん」

真姫「ちょっとぉ!! 何よみんなしてニヤニヤして! イミワカンナイ! 早く練習始めるわよ!!」


凛「……ふふっ」

絵里「凛ちゃん、どうかした?」

凛「こういうの、いいなぁって。……μ'sって、いいチームだね」

絵里「ええ。世界一ね」

凛「絵里さんって本当にダンス上手だよね。びっくりしちゃった」

絵里「そ、そう? まあ、子供のころからやってるし……」

凛「絵里さんがアイドルじゃなくて本当に良かった。ライバルはいない方がいいもんね」

絵里「……そういうの口に出すようになっちゃって。目が腐るわよ?」

凛「あははっ。……でも、アイドルにならない今も、結局ライバルになっちゃったね」

絵里「……そう、ね」

凛「……私ね。負けるの嫌いなんだ。だから、誰にも負けないよ」

絵里「μ'sは地上最強のアイドルよ? 誰にも負けないんだから」

凛「そうやって胸張るのやめてくれるかな。物理的に勝てないんだけど……」

絵里「……結構チラチラ見てくるのよね。すぐ逸らすけど。……ふふ、かわいい」

凛「量より質だから。質だからね。腰とか私の方が細いもん。うなじとか結構見てくるんだからね」

絵里「……会話の内容が結構病気よね、これ」

凛「治らなさそうだし。困ったなぁ……」

絵里「……ふふ。とりあえず、今だけは勝負は置いておきましょう?」

凛「うん。そうだね。……真姫さーん」

真姫「アップは終わったわ。いつでもどうぞ」

絵里「よーし。……アイドル辞めるぅ? 認められないわぁ」

<数日後、朝。キュートプロダクション事務所>

卯月「それでは行ってきますね! 今日も頑張りますっ♪」

きらり「プロデューサーもぉ、今日もハピハピな一日になるといいにぃ☆」

雪乃「ええ。行ってらっしゃい。……ふぅ」

杏「幸せが逃げるぞー」

雪乃「諸星さんがその分はぴはぴしてくれるから大丈夫よ」

杏「その発言、大分疲れてるのわかってる?」

雪乃「……あなたはそのうさぎの椅子に座って寝て一日を事務所で過ごすのをやめなさい。昨日も夜遅くまでここにいたでしょう」

杏「寝て起きて寝る……それが私の生き様だっ!」

雪乃「……頭が痛いわ」

杏「……メイク、濃いよ。見る人が見たらばれちゃうと思うね」

雪乃「……相変わらず小癪ね」

杏「ヒマしてるからねー。人間観察くらいしかやることないもの」

雪乃「ヒマにしてるのはあなたでしょうに」

杏「……ねえ、どうしてそこまで頑張れるの? そんなに仕事できるんだからほどほどでいいじゃない。杏と一緒にダラダラしようよー。早死にしちゃうよー?」

雪乃「……私、最初は仕事なんてまるでできなかったでしょう?」

杏「……そういえば、そうだったねぇ」

雪乃「思い出すだけで寝台で頭を掻きむしりたくなるのだけれどね。だからたくさん人に迷惑をかけたわ。……たくさん人に、武内さんに、ちひろさんに、……海未さんに。助けてもらったの」

雪乃「私はあの人にまだ何も返せていない。……頂いたものをお返しするのは当然じゃない」

杏「……眩しいなぁ」

雪乃「え? 何か言った?」

杏「んーん。で、それが理由の八割なんだね。残りの二割がひっきーの頼みだからだ」

杏「惚れた弱みってやつー?」

雪乃「……な、なにを言って」

杏「みんなみんなわかりやすすぎだよね。プロデューサーは詰めも甘い。……隠したいならそのシュシュと眼鏡だけじゃなくて、携帯の待ち受けも隠さなきゃ。あとはおうちにあるスプラッシュマウンテンの写真。惚れてまーすって言ってるようなもんじゃん」

雪乃「……ひとつ、間違っているわ」

杏「えー?」

雪乃「……別に隠してはいないのよ。言わないし、言えないし、言えなかっただけで……」

<同日、昼。テレビ局>

海未「お疲れ様でした。失礼しますね」

伊織「お疲れ様。やっぱり、海未さんに任せると安心ね。ゲストの方も安心してたみたいだったし」

海未「いえ、そんな」

やよい「そうですー! 私、海未さんみたいなお姉ちゃんが欲しかったなーって!」

伊織「やよいもこう言ってるんだし、素直に褒められておきなさい?」

海未「……はい。ありがとうございます」

伊織「次のライブバトルはいつ出るの? 海未さんが出なかった先月の千早と雪歩の落胆ぶりったらなかったわよ」

海未「あ。い、いや、その」

やよい「……もしかして、おからだの調子が良くないんですか?」

海未「い、いえ! そんなことありません! 身体は大丈夫ですから!」

やよい「ほんとですか……? おだいじにしてくださいね!」

やよい「私、ずーっと海未さんとアイドルしたいですからっ!」

海未「うう……! し、失礼しますっ!」ダッ


伊織「行っちゃったわね。……身体は大丈夫、か」

やよい「うー……心配です……」

伊織「あ、そうだ。ちゃんと報告しておかなくちゃね」

やよい「指示にアドリブ利かせちゃったんですけど、とりあえずあんな感じで大丈夫だったんでしょうかー?」

伊織「……ほんとこの子の純情まで利用するなんて、見た目からは想像もできないわ……」


<同日夜、346タレント養成所レッスン室102>

海未「ふう。今日は撮影も早めに終わりましたし、九時くらいまではできるでしょうか……」

――こんこん。

海未「? ……はい!」

花陽「海未ちゃん、こんばんは!」

海未「花陽……? どうしたのですか?」

花陽「うん、たまたま、海未ちゃんがレッスン室に入っていくの見えちゃったから。あのね、もう晩ご飯食べたかな?」

海未「あ、いえ。そういえば今日はトーク番組の収録から雑誌の撮影まで合間がなかったので、何も食べていませんね」

花陽「だよねだよね! だから、海未ちゃんの為におにぎり作ってきたんだよ。良かったら食べてくれませんか?」

海未「……だよね? あ、ありがとうございます。わあ、暖かいですね。作りたてですか?」

花陽「うんうんっ! ちゃんとタイマーした炊き立てのご飯ですっ! この時間が命なんですっ! 暖かいうちに! ぜひっ!」

海未「ありがとうございます。それでは少し休憩にさせていただきますね」


海未「……美味しい。花陽のごはんは本当においしいですね」

花陽「本当? そう言ってくれるとすごくうれしいです」

海未「油断すると太ってしまいそうですねぇ。……体重が増えると身体の感覚がおかしくなってしまうので、注意しませんと」

花陽「……海未ちゃん、すごいなあ」

海未「? 何がです?」

花陽「穂乃果ちゃんなんて好きなもの好きなだけバクバク食べてるのに、ストイックですごいなぁって」

海未「ふふ。穂乃果は特別ですからね。私は特別ではないので、こういうところで頑張るしかありません」

花陽「……あのね、海未ちゃん。わたしはね、アイドルが本当に好きなんです。みんなを笑顔にできるアイドルが本当に大好き」

海未「知っていますよ。常人など比ではないほどの熱量でしたからねぇ」


花陽「……そんな私が、どうしてアイドルにならなかったと思いますか?」


海未「あ……」

花陽「色々な理由があるんです。わたしはアイドルが好きだけど、でも、わたしが思っているようなすごいアイドルにわたしがなれるのかなって思うと……怖かった。勇気が出なかった。それでご飯を食べていけるような人間になれる自信がなかったんです」

海未「……」

花陽「でね、わたしが今の仕事をしてる理由。……わたしはね、ごはんを作るのが好き。でも、もっと好きなのは、わたしのご飯を美味しいって食べてくれる人の顔」

花陽「その笑顔を見るとね、わたしは生きてて良かったーって思うんです。また明日も頑張って生きるぞーって思うんです」

海未「ええ……」

花陽「だから、わたしは考えたんです。わたしはわたしのできるやり方で、みんなを笑顔にして生きていこうって。……それからもし、わたしの作った料理をアイドルのみんなが食べてくれて、笑顔になってくれて、元気が出て、それでもっとたくさんの人たちを笑顔にしてくれたら、こんな幸せなことはないんじゃないかなって」

花陽「だからわたし、いーっぱい勉強して頑張って頑張って、それでようやく今のお仕事に就けたんです。……まだまだ半人前なんですけどね、えへへ」

海未「……花陽は、すごいですね」

花陽「ううん、こんなの全然凄いことじゃないんです。ただ、好きだからそうしてるだけで」

花陽「……ねえ、海未ちゃんもそうじゃないのかな? ……本当に、自分が特別じゃないからってだけで、それだけで頑張れるのかな?」


花陽「無条件に頑張れるのは、好きだからじゃないのかな?」

海未「……私、は…………」

花陽「……わたしは、このお仕事に誇りを持って生きてるんです。だから、わたしの料理を食べた人にはみーんな元気になってもらいたい。笑顔になってもらいたい。……そして、もっと多くの人を笑顔にしてほしい!」

花陽「そうして、一人でも多くのアイドルに長く強く輝いてもらいたい!」

海未「……!」

花陽「海未ちゃん、わたしのおにぎり食べましたよね? ……だったら、ずっとキラキラしてもらわなきゃ」

花陽「……海未ちゃん。アイドル、辞めないで?」

海未「…………花陽。どうして……それを…………」

――ばたんっ!

星空凛「感動的なシーンのところお邪魔するにゃ! 星空ハートマンの登場にゃー!」

海未「り、凛っ!? またあなたですかっ!?」

真姫「今日は凛だけじゃないわよー」

海未「……真姫!? し、仕事は!?」

真姫「あのねえ。華の女子大生が四六時中仕事ばっかしてるわけないでしょ」

花陽「もうっ。二人とも、遅いよ?」

星空凛「ご、ごめんにゃ。ライブに向けてニュージェネの子たちを見てたらつい熱くなっちゃって……」

海未「……あの。いったい三人は何の話をしているのです?」

星空凛「それはね! お前を食べるためさぁ!」

真姫「はいはい、馬鹿なこと言ってないで練習するわよ。ピアノ借りるわねー」

花陽「海未ちゃん。わたしたちはね、海未ちゃんのレッスンを手伝いにきたんだよ?」

海未「え……?」

真姫「当日は生演奏でしょ。練習もその方がいいに決まってるじゃない」

星空凛「今日も君が泣くまで練習をやめないにゃッ!」

海未(花陽は、その暖かな手を私に向かって差し出しました)

花陽「海未ちゃん、みんなでがんばろ?」

<翌日早朝、パッションプロダクション事務所>

海未(撮影の台本を置き忘れるとは、なんたる不覚。プロ失格です……。こんな早くに事務所が空いているはずはありませんが、うう、どうか都合よく開いていてはくれないでしょうか)

――かちゃ。

海未(……あれ? 開いている?)

戸塚「…………」

海未(……戸塚くん? もしかしてこれ、眠っているのですか? なんと珍しい)

海未(……相変わらず、殿方とは思えない美しさですね。睫毛も長くて……本当、妬けてしまいます)

戸塚「……ん。あれ……。やばい……寝てたのかぁ…………」

海未「……あ。お、おはようございます」

戸塚「……ん。……はよー…………」

海未(それはなんとも彼らしくない様子でした。髪の毛はぼさぼさになっているし、目は半開き。女の子のようにあどけなく綺麗に通る声は、土に触れたように低く濁っていました)

戸塚「……どうしたの。……辞表、破く気になった……?」

海未「撮影に必要な台本を置き忘れてしまいまして。今週から新しい方に変わるのを忘れていました」

戸塚「……そっかぁ。今日もそっちには行けないや。……ごめんね」

海未「……あの、大丈夫ですか? 体調が悪そうに見えて心配なのですが」

戸塚「……いい機会だからやり返しておこうかな」

海未「え?」

戸塚「ぼくなら大丈夫。大丈夫だから。ぼくなんかに心配する時間があったら、他の人のことを心配してあげてよ」

海未「っ!」

戸塚「……ふふ。似てるでしょ。だって、ずーっと隣で見てきたからね」

戸塚「……どうかな。言われた方の気持ちは。……園田さんはいろんなことがわかるけれど、どうもそれだけはわからないようだったから」

戸塚「たまには、人の気持ちもちょっと考えてほしいかも。あはは」


<同日、夕刻。346タレント養成所レッスン室401>
海未(彼に言われた言葉が、一日中頭から離れませんでした。……もやもやする。こんな気持ちで、大事なテレビの収録に行きたくはありませんでした)

海未(幸い、夜まで時間はあります。こんな時は身体を動かすに限る。……雑念が消えてくれていい)

――こんこん。

海未(……ちょっと待ってください、またですか? 流石に、何かおかしくないですか?)

海未(……いいでしょう。とっちめてやります)

海未「またですか!? いったい何のつもりですか!?」


春香「え、えっ!? いやあのそのっ、ごめんなさいっ!」
美希「いきなり怒られて流石のミキもビックリなの……」
千早「アポなしだもの。確かに失礼よね」


海未(この後、驚きのあまりしばし放心します。綺麗な景色の映像を見てお待ちください)


美希「……驚いたの。近くで見ると、こんなにすごいなんて……」

春香「うう。励ましに来たつもりが逆に凹まされてる気がする……」

千早「当然よ。彼女を誰だと思っているの? 園田海未さんよ?」

海未「……あの。あなたたちに言われても、嫌味にしか聞こえないのですが……」

春香「そんなことありませんっ! 海未さんは本当に本当にすごいですっ!」

美希「……投票ポイント、詐欺られてる気がしてきたの。黒井のおじさんが票買ったりしてるんじゃないの?」

千早「ここまで私を魅了しておきながら、引退なんてありえないです。海未さん」

海未「……前々からおかしいと思っていたんです。その情報、どこから得たんです?」

春香「か、風を伝って、私たちの心に……!」

美希「海未さん、答えは鏡の中にないの。ステージの上にあるの……!」

海未「……抽象的なことを言ってごまかそうとしていませんか?」

千早「海未さん、声の出し方ですが、歌詞の解釈によって身体のどこを使うかを意識するといいのかもしれません。例えばこの部分だと――」

海未「あ、ちょ、ちょっと待ってください! 今ノートを出しますから――」


春香「本当だったんだねぇ、噂のノート……」

美希「なの。ミキには地軸が横倒しになっても真似できないの……」

千早「……ああ、海未さん。私も頑張らなくては……」

美希「……千早さん、目がハートなの。やよいを見てるときとはまた違うヤバさなの」

春香「……最後のアレ、良かったのかなぁ」

千早「ねえ、事務所に戻る前に雑貨屋に寄ってもいいかしら? 額縁を買うわ!」キラキラ

春香「サインをもらう代わりに、情報の出どころのヒントを出すって……」


<ライブ三日前、夜。クールプロダクション事務所>
戸塚「……よぉし。これで、もう、明日リハしてリークするだけだね……」

八幡「ああ。例のアカウントの方は十分すぎるくらいだ」

戸塚「あっちの方も大丈夫。正直多すぎてバレそうだったからキュートプロダクションのほうに移動させたよ。……あとは、当日、みんなの頑張りに任せるだけ……」

八幡「……ああ。疲れたなぁ……」

戸塚「……本来年間計画にないライブだからね。……ああ、本当、二度とやるもんか」

八幡「スポンサー様様だよな。……お前……寝れてる……?」

戸塚「……人間って、二徹三徹しても動くものなんだねぇ。……ああ、眠いよ。今日は帰ってお風呂入って寝てやる……」

八幡「……ひでえ顔。目が腐ってるぞ」

戸塚「……いっつもこんな気持ちだったんだね。言わないようにするよ」

八幡「……今のお前は、……正直、かっこいいわ。本当に」

戸塚「……そっか。……そっかぁ。嬉しいなぁ……」

戸塚「君にその言葉を言われたくて、生きてきた気がするよ。……危ない発言かな、これ?」

八幡「……奇遇だな。俺も、お前の染色体が一個違えば、本格的に危なかったよ」

戸塚「ふふ……ごめん。……好きな人が、いるんだ」

八幡「そうかよ。……あーあ、振られちまった」

戸塚「……八幡は?」

八幡「…………まだ、怖い。でも……もう少しで、越えられる。……そう思ってる」

戸塚「……そっか。やっぱり、生きててよかったよ」


――ぶーん。ぶーん。ぶーん。

八幡「電話か?」

戸塚「うん。……お姫様からだ」

八幡「ま、確かに多少派手に動きすぎたわな」

戸塚「そうだね。……でも、今日までもってくれてよかった。お蔭でカッコつけられる」

八幡「……出てやれよ。また当日にな」

戸塚「うん。ばいばい、八幡」

八幡「ああ、お休み。彩加」

――ぴっ。

戸塚「はい、戸塚です」

海未『……園田です』

戸塚「何か用事かな? ……ぼく、ねむいんだけど」

海未『……何か私に、言うことはありませんか?』

戸塚「ある。アイドル、辞めないでほしい。ずっとぼくとトップアイドルを目指そうよ」

海未『……最近、ずっとおかしいと思ってたことがあるんです』

戸塚「……へえ」

海未『行く先行く先で私がアイドルを辞めようとしていることがバレていました。放送作家さん、ディレクターさん、レコード会社の社員さん、カメラマンさん、同じ346のアイドルさん。μ'sの仲間。……あまつさえはなんと、あの765プロの皆さんにもです』

戸塚「……そっかぁ。どこから聞きつけたんだろうね」

海未『……それだけならまだ違和感はありません。おかしいのは個人レッスンの時です』

海未『私が個人レッスンに入ろうとすると、いつも凛が現れます。真姫が来る時も、花陽が来る時もありました。……撮影と収録の合間の時間でレッスンをしようとした時なんて、あの765プロの如月さんたちが私に会いに来たんです。……花陽なんて、私がレッスンに入る時間に合わせてタイマーでお米を炊いていました』

戸塚「…………」

海未『誰かが私の手札を見ている。……誰か、私のスケジュールを完全に把握している者が、指示を出して私を包囲しているのです』

海未『……ジョーカーは、あなたしかいないではありませんか』

戸塚「……ふふ、じゃあここはお決まりのセリフだね。『大した想像力だ、もしもアイドルを辞められたら小説家にでもなるといい』」

海未『……みんな。みんな私に言うのです。混じり気のない、澄んだ瞳で』

海未『「あなたを尊敬しています。辞めないでほしい」と……』

戸塚「……こんな搦め手は嫌だった?」

海未『……ふざけないでください。こんなっ……こんなことをされたら……わたしは……』


海未『……うれしいに、決まってるじゃないですか……』


海未『……平気じゃなかった。大丈夫じゃなかった。……なのに、誰にも言えない自分がいた。努力を人に見せてはいけないと言いながら、誰かに褒められたいと思う私がいた! でも、一番の……願いは』

海未『そんな私を、誰かに見透かしてほしかった……』

戸塚「……」

海未『……ねえ。あなたは一体、なんなのですか……? どうして私にいじわるするのに、優しくしてくれるんですか……? ……私は、知りたいです』

戸塚「……その答えはね、電話じゃ言えないんだ」

海未『……どうしてです……』

戸塚「うーん。美学だから、かな? あはは」

海未『……またそうやって、私をからかう……』

戸塚「……ありがとう。知りたいって言ってくれて。嬉しいよ」

海未『……雪の日からのあなたは、いつもそう。大事なことほど優しい言葉ではぐらかして、裏側を見せてくれない。私を……女の子扱いする』

海未『……寂しいではありませんか。そんな時くらい、特別扱いしないでくださいよ』



海未『……もっと、いじめてよ……』




戸塚「……切るよ。どうにかなっちゃいそうだ」

海未『ま、待ってください。まだ何もあなたのことを聞いていません!』

戸塚「やだ、言わないよーだ。だって、自分のことをくどくど自分で話すなんて」

戸塚「そんなの、男らしくないじゃない?」

<翌日夕刻、346プロタレント養成所:食堂>

ベテトレ「ふぅ……明日か。上手くいけばいいのだが」

ルキトレ「……あの、姉さん。お客さんです」

ベテトレ「ん?」

海未「失礼します。……その、今、よろしいですか?」


ベテトレ「君がレッスン以外で私に会いに来るなんて珍しい。大事な日なんだから明日に雨を降らせるのはやめてくれたまえよ?」

海未「そ、そこまで言わなくても……」

ベテトレ「それにしても君、リハはいいのかね? 明日は本番だろう?」

海未「逆リハだから私は最初の方に終わったんです。終わった後、体調管理を徹底しろと言われてすぐに帰されました。……なんだか珍しいことですが」

ベテトレ「ああ……なるほどな。納得だ」

海未「講師室に行ったらルキトレさんしかいなかったので、取り次いでもらいました。……今日は凛は休みなのですか? そういえば、花陽の姿も見えませんね」

ベテトレ「星空は有給を消化している。小泉さんと合わせてどこかに出かけているのではないかな?」

海未「ふふ。相変わらず仲がいいですね」

ベテトレ「……それで、何を聞きにきたのかな?」

海未「……ベテトレさんは、戸塚くんのテニスチーム時代からの知り合いだと聞きました」

ベテトレ「ああ、そうだよ。私も昔は未熟だったのでね、テニスチームの方にトレーナーとして赴いて、修行を積んだんだ」

海未「……その、彼はどんな人だったのですか?」

ベテトレ「はははっ! ようやく聞きに来たのか。君は案外というかやはり奥手なのだな。もっと早く聞かれるのかと思っていた」

海未「なっ、なななっ、違いますっ! 破廉恥な気持ちはありませんっ! ただ、彼に直接聞いても何も教えてくれないから……」

ベテトレ「あー……やっぱりな。あの男は変なところで頑固だからな」

海未「本当に面倒くさいったらありません!」

ベテトレ「そうだな。君にそっくりだ」

海未「うぐ……」

ベテトレ「……君は何というか、本当に加虐心をそそるね」

海未「な、何を言っているんですか。……教えてください、どんな人だったのです?」

ベテトレ「……そうだなぁ、外見からは想像できないほどストイックな選手だった」

ベテトレ「練習を行わない日などなかったからな。心配で、会った日には必ず施術を受けてもらっていた」

海未「その、強い選手だったのですか?」

ベテトレ「……君はひょっとして、テレビやインターネットを見ない人かね?」

海未「あ、はい。家が厳しかったもので。今も、アイドル番組以外は見なくても特に困らないので……」

ベテトレ「そうか。彼は一時期、有名だったんだ」

ベテトレ「……彼は高校三年生の頃、全日本選手権に出場した。選抜にも選ばれていたな。我々のテニスチームに入った際、今では世界の四強と謳われているファラデー選手をハンデ付きとはいえ一度だけタイブレークの末に破ったこともある」

海未「……え。ええ!?」


ベテトレ「……彼はあの容姿だろう? 実力も相まって、局所的ではあるが一時期マスコミにアイドル的存在に祭り上げられようとしていた時期があってね。……『テニスの王子さま』なんて呼ばれていたものだ。懐かしいな。ふふ、一度言ってみるといい。苦虫をすりつぶした顔というものがリアルに見られるぞ」

海未「……あ。それ、心当たりがあるかもしれません」

ベテトレ「……実際は王子さまなんて優雅なものではなかったがね。自らに課す練習量は想像を絶するものだったし、試合内容なんて粘りに粘って最後に逆転する、なんてのがほとんどだった。対戦相手からはしつこい、しつこいと言われて嫌われていたよ」

ベテトレ「当時は性格の純粋さ故に頑張れるのだと思っていたがねぇ。近年の彼を見ていると、あれは私が作りだした偶像にすぎなかったのだなと思うよ」

海未「……でも。私、この前、テニスで彼に勝ちましたよ。辛勝でしたが」

ベテトレ「……ん? そんなはずはない。ありえないぞ」

海未「ですから、手を抜いていたんでしょう。初めに会ったときなど完全試合でしたから……」

ベテトレ「……いや、できなくもないか。それぐらい特別ということなのかな」

海未「どうしたのです?」

ベテトレ「質問するがね。彼は君とプレイするとき、どちらの腕を使っていた?」

海未「……え? そんなもの、右腕で……? あれ、右手を前に出していたから……?」

海未「……左腕、ですね」

ベテトレ「だろうな。彼の利き腕くらい知っているだろう?」

海未「……ますます落ち込みますね」

ベテトレ「……本気を出さないのではなく、出せないのだとしたらどうするね?」

海未「……え?」



ベテトレ「彼は右腕を使わないんじゃない。使えないんだ」

ベテトレ「――彼は、右肘を壊したんだよ。二度とテニスはできないと宣告されたらしい」

ベテトレ「それきり、二度とコートに立たなかった」


戸塚(動機はいつも単純だった。テレビの中の輝く選手。血が燃えたぎるようなアニメのキャラクター)

戸塚(ラケットを握ったのは、そんなありふれたつまらない憧れからだったと思う)

戸塚(憧れだけじゃ簡単に上手くはなれなくて、けれどそのもどかしさも込みでだんだんテニスというものが好きになっていった)

戸塚(残念ながら自分の才能は特別なものではないらしく、めきめき頭角を現すなんてことはなかった。人並みにサボるし、好きだけど毎日そのことを考えるほどでもなかった)

戸塚(……代わりに、特別なものがあることにも気付いた。自分の容姿だ)

戸塚(高い声は変わらなかったし、顔も成長していくとはいえやっぱり幼さが目立った。中学を卒業して高校一年になってもそれは変わらなかった)

戸塚(自慢になってしまいそうだけど、告白というものもたくさんされた。……話したこともない女の子から。理由を聞くと、ぼくに憧れたからだという。ぼくはそれを聞くたび、自覚しつつある自分の笑顔でやんわりと断るのだった)

戸塚(……自分の容姿は、実はそれほど嫌いじゃない。女の子にモテてうれしくない男はいないよね。でも、そんな感情とは裏腹に、人間関係を儚む自分も育っていった)

戸塚(……君たちは、ぼくに憧れると言うけれど。それは一体どこを見て言っているんだい? 外見、だけなんじゃないの?)

戸塚(外見は中身の一番外側とは言うけれど。そればかりでは、やっぱり悲しいじゃない。ぼくは女の子の地位を上げる装飾品じゃないんだから。……そんな冷めて人を見つめる気持ちは、簡単な憧れで何かを始めた自分に対する裏返しだったのかもしれない)

戸塚(それでも、弱い自分はそんな気持ちをおくびにも出さず、ただ笑うことしかできなかった)


戸塚(――そんな時、彼に出会った)

戸塚(いつものように、最初は軽い気持ちだった。弱い自分のテニス部をなんとかしようと、体育の授業でフォームがとても綺麗な彼を誘った。残念ながら振られてしまったけれど、あれよあれよと話は転がって、彼らとテニスをすることになったりして)

戸塚(そうして、どんどん彼を知っていった。……ぼくはどんどん、彼に魅せられていった)

戸塚(憧れた。今までのどんなものよりも強く、彼に。今まで触れたことのないような、突飛で独特な考え方。仄暗い現実を遠くまで冷静に見通す氷の瞳。自分が変わっていても、受け入れられなくても、それでいいのだと言い切れる心の強さ。誰かの為に身体を張るのに、誰にも誇らず言い訳しないその姿)

戸塚(その全てがカッコよかった。なりたい自分がそこにいた。きっとぼくの目線には恋のようなフィルターがかかっていて、みんなにはそう見えないとわかっていても、彼みたいになりたいと願った)

戸塚(彼はいつもぼくに可愛いだとか結婚してくれだとか冗談で言ったけれど、あの時、それがもし本気だったらぼくは完全に道を間違っていた自信があるくらいだ)

戸塚(憧れの篝火は、どこまでもぼくを走らせた。ぼくがどれだけ彼に憧れても、彼になれないのはわかってはいる。……他人になりたいなんて、もっとも彼が嫌うことだろうし。それでも、たとえ届かないとしても、その隣に並び立ちたいと。……親友になりたいと思う自分がいた)

戸塚(なら、そのためにぼくができることはなんだろう。全力を費やして、何か一つ自分はこれだと言い切れるもの。それさえあれば、彼の隣に立っても恥ずかしくない気がする。ふと、右の拳を握りしめるとラケットがあった。……例えば、この手に握るもので、ぼくは一体どこまでいけるだろう?)

戸塚(それから、サボることはなくなった。全力を傾けた。毎日何時間も何時間も練習した。その姿を、誰にも見られないようにした。誰かに褒められたいから頑張ってる訳じゃない。見られると、人に言うと、きっと魔法は解けてしまう)

戸塚(来る日も来る日もラケットを振る。走る。怒られる。その果てに勝つ。でも更に強い人が来ると負ける。負けたら、どうして負けたのか考える。そうしてまたラケットを振る毎日の繰り返し。終わらない地獄みたいだ)

戸塚(どうしてそこまで頑張れるのか。きっと答えは一つだ。……欲しいものが、あったから)

戸塚(並び立つためのその「本物」が手に入るなら、他には何もいらないと一途に願った)

戸塚(気付けば全日本の舞台にも立っていたけど、まだ満足はできない。もっともっと上に行きたい。見た目だけで憧れられる、つまらない存在になりたくない)

戸塚(346からプロチームの誘いが来た。大学には行かず、社員として働くことが登録の条件だという。……迷った。だから、それを口実に、たまには彼と話したいと思った)

戸塚(……もっと迷っていたのは、彼の方だった)

<四年前、十二月末>
戸塚「八幡っ。久しぶりだね」

八幡「……ああ。戸塚か」

戸塚「……元気ないね」

八幡「は。元気だと言われたことないんだが」

戸塚「あ、あはは。相変わらずだね……」

八幡「……そうだな。相変わらずすぎて……嫌になる」

戸塚「……何か、あったの?」

八幡「…………いいや? 何にもねぇよ。そういえば似非中国人のないアルってどっちなんだろうな。ないの? あるの? どっちなの?」

戸塚(……ああ、嘘をついている。ずっと彼を見ていたからわかる。こうやって茶化すのは、踏み込まれたくない時なんだ)

戸塚「それ、嘘でしょ? ……部活のこと?」

八幡「……すまん。俺たちの問題だ。……放っておいてくれないか」

戸塚「あ……」

戸塚(はっきりと見える拒絶の色。彼の得意な声なき言葉。まるで手負いの獣のような怖れを伴った獰猛さで、この先に踏み込めば容赦はしないと言っていた)

戸塚(だから、ぼくは――)

戸塚「……そうだね。ごめん」

戸塚(逃げて、しまった)

八幡「……いや、悪ぃな。本当に何もないんだ。……それより戸塚、選抜選出おめでとうな。なんか、手の届かない人間になっちまった気分だ」

戸塚「うぅん、そんなことないよ。全日本だって結局負けちゃったし。……まだまだ上があるってことなんだよね」

八幡「……果てがねぇな」

戸塚「そうだね。……もっと、頑張らないとね」

八幡「……たまには無理しないで休めよ。俺の胸で」

戸塚「ふふ、そうしようかなー?」

八幡「なっ、ちょっ、あれはその、それであれだ。あれだから」

戸塚「冗談だよ。……ぼくならまだまだ大丈夫だよ」

八幡「……俺もそうだ。しぶといことには定評がある」

戸塚「そっか」

八幡「ああ、そうだ。……戸塚、大学は受けるんだったか?」

戸塚「うん。一応ね」

八幡「そうか。そっちに進むにしても進まないにしても……頑張れよ。元気でな」

戸塚「……うん。八幡こそね」


戸塚(その時が、高校時代に彼と会った最後の日になった。薄明かりの街灯と煌びやかなイルミネーションの中、足を止めて曇り空を見上げる。額の上に冷たい何かが落ちてきた)

戸塚「雪……か」

戸塚「……あれ?」

戸塚(濡れているのは、きっと雪のせいだけじゃなかった。自然とこぼれ落ちたそれを拭ったとき、ようやく自覚した)

戸塚(自分はきっと、取り返しのつかない間違いを犯してしまったのだと。傷付けることを恐れずに、手を伸ばさなければいけなかったのだと)

戸塚(いくら悔いても、時間は戻らない。張り裂けるほどに思い知る。大事なものほど、取り返しがきかないようになっている)

戸塚「ぼくは…………何をしてるんだ……」

戸塚(傷付けるのが怖いから。嫌われるのが怖いから。だから踏み込むことを避けるなんて、それは彼が最も嫌う、欺瞞というものに他ならないのではなかったか)

戸塚「なんて……女々しい」

戸塚(これがぼくの、青春で犯した一番の間違いの話)


戸塚(それからぼくは346に就職した。本社勤務の仕事は多忙を極めたけど、だからと言ってテニスの方の手も抜かなかった)

戸塚(毎日が飛ぶように過ぎていった。一心不乱に目の前の出来事に当たった)


戸塚(気付けば三年の時が流れていた)


<一年前、夏。346本社テニスコート>

監督「ははは。どうせ映すならテレビ映えする奴の方がいいでしょう。近頃ファラデーの活躍のお蔭で名前も売れてきていますし」

海未「はあ……?」

女子アナ「いいですね! 『王子』にお願いしましょう!」

監督「では呼んできましょう。少し待っていてください」


監督「戸塚、ちょっと来てくれ。テレビが来ている」

戸塚「……またですか? あのー、ぼく、取材はお断りしているはずですが……」

監督「ああ、そうじゃない。今日はな、アイドルが企画をやるみたいなんだ」

戸塚「……企画? どういうことですか?」

監督「――というわけなんだ。話によると大分編集するらしいから、打ち合うところちょっととるだけでいいらしいんだよ。二ゲーム一セットマッチでいいから頼めないか?」

戸塚「うーん、監督の頼みなら断れないですね。本当に適当に打ち合うだけでいいんですか? ぼく、アイドルのことなんて全然わかりませんよ?」

監督「お前、346の社員だろ? いい機会だからアイドルも知ってこい。うまくやってくれよ? じゃ、俺は他の奴らの練習見てくるから」

戸塚「……わかりました。上手くやります」

監督「戸塚。わかっているな?」

戸塚「はい?」

監督「きちんと俺の分のサインももらってきてくれよ?」


女子アナ「そういうわけで、王子っ! よろしくお願いしますっ!」

海未「園田海未と申します。本日はよろしくお願い致しますね」

戸塚「あ、はい。よろしくおねがいします」

海未「……あの、どうかされましたか? 苦虫をすりつぶされたような顔をされていますが?」

戸塚「……なんでもないです! 『王子』です。よろしくお願いしますね」ニコニコ

戸塚(……実を言うと、その時メディアというものに反感を抱いていた。ぼくよりも上手な選手はいくらでもいるのに、アイドルみたいに祭り上げられるのは正直うんざりだった。強引な取材に辟易していたせいもある)

戸塚(連鎖反応的にアイドルというものにもバイアスをかけていた。アイドルはみんなメディアに作られた偶像だと思っていて、正直、みんな同じ顔に見えた。……その翌日は大事な試合も控えていたから、練習を邪魔されて心中穏やかじゃなかったこともある)

戸塚(とにかく、早く終わらせたかったんだよね。……失礼だったなぁ、アレ)


戸塚「サーブは園田さんからでいいですよー!」

海未「ありがとうございます。紳士なのですね。……それっ!」スパンッ

戸塚「……へえ。ファーストサーブ打てるんだ」ズバァンッ!

海未「……はい?」

戸塚「フィフティーラブ!」ニコニコ

戸塚(大人げないリターンエースを頂いちゃったと記憶している。全世界でアイドルにリターンエース決めたのってぼくくらいじゃないかな?)


海未「はぁ、はぁ……。や、やるじゃないですかっ……!」

戸塚「あ、あはは……」

戸塚(アイドルってそんな顔していいの? もう笑顔の欠片もないんだけど……。いや、ぼくが悪いんだけど。それにしてもこの人、園田さんだっけ。運動神経いいなぁ、素人なんだっけ。にしては身体の使い方やフォームがすごく綺麗だ。……八幡も、そうだったっけなぁ)

海未「まだ試合は終わっていませんからっ! 諦めない限り試合は続くのですっ!」

戸塚「逆安西先生……。いきまーす」

戸塚(あっ、そういえば映像使うんだっけ。まずいなぁ。……セカンドで打ってラリー何回か続けておけば、お望みの画は撮れるかな? ここから何点か取ってもらおう)

戸塚「よっと」ポーンッ

海未「……?」パンッ

戸塚「それっ」パーン

海未「……」パンッ

戸塚「わっとと」

戸塚(ぎりぎりラケットが届くタイミングに調節して、かろうじて拾えましたという形で園田さんの頭上にふわりと球を打ち上げる。……これなら決められるだろう)

海未「っ!」スパァンッ!

戸塚(やはり身体のバランス感覚がいい彼女は、打ちごろの好球を全身のばねを余すとこなく駆使してスマッシュを打ち付けた。……すごいなあ、スマッシュって実はけっこう打つの難しいのに)

戸塚(そんなことを他人事のように考えていると、スマッシュの球が自分の足元目がけて矢のように一直線で襲い掛かって来た。ぼくは何も考えていなかった。訓練した身体は最適化された動きをオートでなぞる。気が付けばボールは相手方のコートに目視できない速さで突き刺さっていた)

戸塚「……あ。ライジング、打っちゃった」

戸塚(打たれた園田さんはしばし何が起きたかわからないようで、ぽかーんとしていた。……この画、ぼくが編集者なら使うなぁ。そんなことを思っていると、はっと気を取り戻した園田さんがネット際に詰め寄って来た)

海未「な、なんですか! 今のは!」

戸塚「あ。えーっと、ライジングショットっていうんだけど」

海未「違いますっ! ショットのことを言っているのではありません!」

海未「なぜ手を抜いたのですか、と言っているんです! そんな偽物に勝って嬉しいわけがないでしょう! やるなら本気で来てくださいっ! 遠慮される側の気持ちも考えたらどうなのです!」

戸塚「――」

戸塚(言葉に平手打ちをくらった気分だった。家の鍵をどこかに置きっぱなしにしていて、どうしてこんなに大切なものを忘れてしまっていたたんだろう、というような)

戸塚「うん。ごめんなさいっ」

海未「……わかればいいのですっ、わかれば」

戸塚(腰に両腕を当てて、ふんっとドヤる彼女を見たとき、不覚にも可愛い、いじめたい、と思ったんだっけ)

戸塚(以来、意地を張りたいとき以外彼女には遠慮しないようにしている。……にしても、完全試合はちょっとやりすぎだったかな?)


海未「うぅ……!! 覚えていなさいっ!」ダッ

戸塚(ステレオタイプな悪役みたいな捨て台詞と共に走り去っていく彼女を見ると、また笑い出してしまう自分がいた。……可愛い人だなぁ。園田海未っていうのか。覚えておこう)

海未「……あ。監督にサイン、貰うの忘れちゃった……」



戸塚(それから少しした後のことだった。……右肘が使い物にならなくなったのは)

戸塚(不思議なもので、何か辛いことが起きた時の記憶ってはっきり覚えてないものらしい)

戸塚(ただ、ちぎれそうなくらい右肘が痛くて、お医者さんがお経のように何事かを唱えていたのだけは覚えている)

<一年前、八月。346プロダクションタレント養成所:講師室>

戸塚「出世したんだってね。おめでとう」

ベテトレ「ああ、ありがとう。……忙しくなるし、私はこれからアイドルの指導に特化することになるだろう」

戸塚「そっか。寂しくなるね。君はけっこうチームのみんなに人気あったんだよ?」

ベテトレ「整体に出向いた時鬼だの悪魔だの散々なじっておいてよくそんなことが言える」

戸塚「みんななりの照れ隠しだったんじゃないのかなぁ。そんなに深入りしたことないから本当かどうかはわからないけどね」

ベテトレ「おや。人気者だったと聞いているが?」

戸塚「外から見て人気者が内から見てそうとも限らないでしょ?」

ベテトレ「……」

戸塚「実はぼく、昔から同性の友人って殆どいないんだ。……元気にしてるのかなぁ」

ベテトレ「……本当に、チームを辞めてしまうのか…………」

戸塚「綺麗な顔してるでしょ。選手的に死んでるんだぜ~」

ベテトレ「戸塚っ!」

戸塚「……無理だよ。治すのに何年もかかるし、治ったところで元通りにはならないからね。お金が動いているんだもん。役立たずを置いておく優しさは期待できないからさ。……それなら、綺麗なうちに去ってしまったほうがいい」

ベテトレ「……」

戸塚「そんな顔しないでよ。仕事の方は評価されてるから、ずっと会社には居させてもらえるみたい。武内さんが強く推したんだって。あ、765の赤羽根さんって知ってる? あの人にももし追い出されたらうちに来いよって言ってもらっちゃった。路頭に迷う心配はないね!」

ベテトレ「……なぜ、笑っていられるんだ……」

戸塚「……男の子だからね。コートの外でも泣かないんだよ」

ベテトレ「……」

戸塚「……確かにね、それなりに絶望したし、悲しくて泣いたよ。……でも、ちょっと肩の荷が下りたってのはあるんだ。テニスは確かに好きなんだけどね」

ベテトレ「……そうなのか?」

戸塚「なんだか今言うと言い訳がましくなってしまうけど、実はテニスよりも大事なものがあったんだよ。本当に」

戸塚「ちょっと間違えたせいで、いつしか目的と手段が裏返ってしまっていたのかなぁ……」

ベテトレ「……そうか」


戸塚(右手に握るものが失せ、憧れの炎も時を経て消えかかってしまっている。今の自分は、昔の自分がなりたかったものになれているだろうか。答えは誰が知っているだろう。……寒い。生きるのって、こんなに息苦しいことだったろうか。これから、どうしていけばいいのだろう)


ベテトレ「昇進に伴ってな、上位アイドルの個人レッスンをつけることになったんだよ」

戸塚「アイドルに上位とか下位とかあるの?」

ベテトレ「君、本当に社員なのか……? では知らないかな。園田海未と言うんだが」

戸塚「え!? 本当っ!? ぼく、この前会ったよ!」

ベテトレ「なに? アイドルのことは何も知らないのではなかったのか?」

戸塚「この前とある企画でうちに練習試合に来たんだよ、テニスの。実はぼくが相手したんだ」

ベテトレ「ああ、アレか。この前テレビで見たよ。……でも君、映ってなかったが?」

戸塚「……あちゃー。やっちゃったかぁ……」

ベテトレ「……ん? どういうことだ?」

戸塚「いやぁー、ちょっと試合前で急いでたからね。あはは、完全試合しちゃった」

ベテトレ「……おい」

戸塚「いや、途中、手加減しようと思ったんだよ? ……そしたら、怒られちゃって」

ベテトレ「なるほど。彼女の言いそうなことだ。……さすれば、あの日の不機嫌は君が原因かな」

戸塚「え?」

ベテトレ「……レッスンなのに珍しく集中を欠いていてな。ぶつぶつ何か言っていたよ。『最低です。無神経。女の子の扱いを知らないのですか。馬鹿。次は勝ちます。馬鹿』だの云々」

戸塚「え、えぇ!? 彼女が手加減するなって言ったんだよ!?」

ベテトレ「私が知るものか。以来、何やらこそこそ嗅ぎまわっているようだぞ」

戸塚「……女の子って、本当面倒くさいね」

ベテトレ「女の私に向かって言うなよ……。ま、同意だがね。昨日など、テニスの方に顔を出していた事実を知ると私にコーチしてくれだの言ってくる。全く困ったことをしてくれた」

戸塚「あはは、いいじゃない。教えてあげなよ! やってたんでしょ? 正直、今の園田さんなら左手でやっても勝負にならないと思うからさ」

ベテトレ「簡単に言ってくれるなよ……疲れるのは私なんだぞ」

戸塚「今度暇だったら紹介してあげておいて。ぼくで良かったらコーチしてあげるよってね。暇になったからさ。あははっ」

ベテトレ「彼女が獅子身中の虫なんてやれる気質だと思うか?」

戸塚「あはは、確かに。まあでも、ぼくももう一度会ってみたいし、暇ができたらまた紹介してよ」

ベテトレ「ああ。……暇ができたら、な」

戸塚「うん、お願い! じゃ、ぼくお医者さんのほうに顔出すから。それじゃあねー」

――ばたん。


ベテトレ「……本当、女というものは心底面倒だよな。……戸塚」


戸塚(その話を聞いてから、ますますぼくは園田海未というアイドルに興味を持った。調べるば調べるほど、彼女に対して親しみが湧いた。彼女は高校時代、μ'sという半ば伝説と化したスクールアイドルグループの一員だったらしい。動画化されたラブライブ最終予選のスノーハレーションを初めて見たときは、感動して少し泣いた)

戸塚(そうして彼女のことを知るうちに、だんだんアイドルというものが好きになれていった。足音を聞いてそれがキツネだとわかるように。輝く星のどこかに空に消えた王子さまがいるのだと、優しい気持ちになれるように)

戸塚(また少し会ってみたくて、仕事にそれらしい理由をつけて養成所に出向いたりしてみた。出会えたのは、彼女の記録だった)

戸塚(膨大なまでの利用記録。あの華やかな彼女の裏側には、これほどまでに地味で、でも畏怖さえ覚えるひとつひとつの積み重ねがあったのだと知ると、誤解をしていた自分が恥ずかしくてたまらなかった)

戸塚(そのことを知ってから、彼女をメディアで見かけると不意に既視感に襲われることが多くなった。一体これはなんだろう?)

戸塚「うーん……直接会えたらわかるかな?」

<一年前、九月初頭。レッスン室401>

ベテトレ「……君、最近たまに来るようになったな」

戸塚「偶然を起こしにかかってるんだ。そっちの方が運命的じゃない?」

ベテトレ「意図的に起こしたらそれは必然じゃないのか……」

戸塚「うーん、今回も無理だったか。じゃあ次は会えるといいな」

ベテトレ「……君は本当にしつこいなぁ」

戸塚「あはは、よく言われる。……ん? なにこのノート」

ベテトレ「あ、それは園田のものだな。彼女はよくこの部屋を使うからな。忘れていったのだろう」

――ぺらっ。

戸塚「……これは」

ベテトレ「あ、こら。出歯亀はやめろ」

戸塚「…………うん。これ以上、ぼくが見ていいものじゃないね。……神聖、だな」

ベテトレ「私が返しておくよ。……どうした?」

戸塚「……ぼくって本当に感化されやすいんだなって、実感してる」

ベテトレ「……」

戸塚「ねえ、ますますもう一度会ってみたくなっちゃった。どうすればいいかな?」

ベテトレ「……ハア。君には負けたよ」

戸塚(そう言うと彼女は、鞄の中から白い長方形の便箋みたいなものを取り出してぼくに差し出した)

戸塚「? これ、なに?」

ベテトレ「……今週末行われる園田海未のレコ発ライブ。その関係者席のチケットだ」

戸塚「!」

ベテトレ「ノートまで見てしまったんだ。観たいし、観てやりたいだろう?」

戸塚「うん……うん! 本当にいいの!? これ、大事なんじゃないの!?」

ベテトレ「元々それは君のだ。頼まれて手配した二枚のうちの一枚だよ」

戸塚「え……なんで?」

ベテトレ「意地があるから教えない。ただまあ、私は負けたということなんだろうな」

戸塚「……?」

ベテトレ「ま、細かいことは気にするな。とにかく行ってこい。君のそんな腑抜けた顔は見てられんよ」

ベテトレ「――行って、本物を見てこい」


海未『本日ここに立てたこと。そして、私がここまで歩いてきた道のり。支えてくれる皆さんの存在。……その全てに、心から感謝を述べたいと思います。本当にありがとうございます!』

――ありがとー!!
――海未ちゃーん!!

戸塚(輝かしい蒼い光の中、ぼくは一人立ち尽くす。この気持ちを知っている。……そうだ、これだ。これこそが、ぼくの生きる理由。憧れる「本物」を、きっとあの人は持っている)

戸塚(眩しいのはライトやサイリウムのせいじゃない。彼女という存在が、見つめる誰も彼もの光を集めているから。その風景は桃源郷のようだとさえ思う。立ち尽くすぼくの耳に、たくさんの声が吸い込まれる)


千早「ああ……。なんて、美しいの……」
カメラマン「……やべ。震えて、定まんねぇ……」
雪歩「……格好いい。私も、ああなりたい……」
やよい「…………はわぁ……」
武内P「……素晴らしい」
赤羽根P「……勝てないな、これは。……凄い」


戸塚(ああ、憧れているのはぼくだけじゃない。ここにいる誰もが、彼女に包み込まれるように優しく膝を折っている)

戸塚(それは初めて海を見たときのような。蒼く雄大な命の母性に涙するような尊い気持ちで)

戸塚(思うように踏み込めず、間違えたまま生きても。半生とさえ言えるものを賭したこの腕が朽ちても。何もかも上手くいかないように思えるこの冷たい現実が、時折何より恨めしくても)

戸塚(それでも、世界は美しい。……彼女のステージを見ると、そう思えた)

戸塚「……砂漠が綺麗なのは、井戸を一つ隠しているからだ」

戸塚(ふと、昔演じた一節をそらんじる。きっとあそこに書かれていたことは真実だった)


海未『それでは、最後に。私の友人が書いてくれたあの歌を唄おうと思います。今日は来てくれて、観に来てくれてありがとう。みなさんが今ここにいてくれる。離れていても、きっとどこかにいてくれる。そんな暖かな事実が……私を何度でも奮い立たせてくれる、勇気の理由です!』

海未『また、私に会いに来てくださいね! 最後に――歌います!』


戸塚(ぼくはこの日を一生忘れない。……また、生きていく理由ができたから)


戸塚(それから彼女は落ちていく。きっと移籍したことが関係しているのだろうと予想が立った。何かしたい。何かしてやりたい。踏み込まずに失敗するなんて、もう嫌だ!)

戸塚(ぼくには八幡のように、後ろから見守る強さはない。雪ノ下さんのように、前から手を引く強さもない。ぼくが弱いのはわかりきっている)

戸塚(なら、ぼくは。――彼女の傍で、手を握ってやりたい)

戸塚(考えろ、考えろ、考えろ。そのためにぼくが出来ることは何だ。武器はあるか。ある。あるならそれは、何だ)

戸塚(ぼくだけが持っているもの。それは生きてきた経験と、この容姿。使えるものはなんでも使おう。見かけで騙せる者なら騙そう。自分が純粋な存在だと信じ込ませよう。親友なんて今はいらない。人当たりの良さで得たかりそめの絆を、人脈を駆使しよう。得た情報で、搦め手でもその位置を掴みろう)

戸塚(彼女の力になれるのなら、他人にどう思われたって構わない)

戸塚(目の前にそびえるは、クールプロダクション事務所。四月から栄転で武内さんが上の椅子に座ることは突き止めた。後任選出の権限を得ることも。連鎖的に浮かぶのは、目指す本丸の椅子。今そこに座る彼女の左手の薬指が光っていることも知っている)

戸塚(……ポケットに眠る携帯の中には、高垣楓と彼の関係を示す証拠たち)

戸塚(覚悟を決めた。――まちがえないために、まちがえる覚悟を)


戸塚「いくらだって汚れてやる……!」


戸塚(全ての戦いが終わった時。……街には、雪が降っていた。あの日は確かクリスマス)

戸塚(この愚者に贈り物なんていらない。けれどせめて、賢者よりも尊いあの子に、心からの贈り物を)



海未「……本当は。ほんとは平気じゃないんです。……大丈夫なんかじゃないんです……」

海未「…………誰か……」

海未「……だれか、たすけて…………」


戸塚「――うん。ちょっと、待ってて?」

海未「……え?」

戸塚「必ず助けるから、待ってて」

<346プロダクション単独ライブ当日、パシファコ横浜>

八幡(ライブに来るたび、よくもこんなに人がいるもんだと驚かずにはいられない。老若男女、まあだいたい男だが、それでも出自も立場も何もかも違う人間が決して安くはないお金を使って、今日という日にあいつらを見に来る)

八幡(すれ違う誰かともう会うことは二度とないのだろう。そう思うと、この空間というものは一種の奇跡のように思える。……奇跡か。そんなことを考えるようになった自分に、ふと笑みがこぼれた。俺はやはり変わったのだろう。けれどもう、そのことに対する怖れはない)

八幡(勇気の理由はなんなのか。それを考える前にただっぴろい会場からいきなり光が消える。特大スクリーンに向かって蒼い時計が映し出された。何万の光と歓声に押されて、オルゴールの音と共に時計の針が進んでいく)

八幡(考えるのは全てが終わってからでいい。今、時計の針は重なった)

八幡(響く鐘の音の中、壁に背中を預ける。仕掛けは効くだろうか。彩加は勝つだろうか)

八幡(……いや、きっと勝つ。ならば俺は、ただそれを後ろから見守ろう)


――♪『精一杯輝く 輝く星になれ
    運命のドア開けよう 今 未来だけ見上げて』


海未(落ち着かない私は、準備の時間にはまだ早いのに舞台袖にいました)

海未(ベースやドラムの低音が心地よく身体に響きます。打ち込みとは違う生のグルーヴが、奏者の呼吸さえ伝えるようでした。私の前で軽く体を動かしているのは、ニュージェネレーションズたち)

海未(……よくぞここまで短期間で練り上げたものです。震えすら覚える。観客はみな、舞台に立つアイドルが巻き起こす、甘い熱狂の中にいる)

海未(考えてみれば、きちんとお客さんの顔を見るのは久しぶりでした。ライブバトルの時はいつも、ずっとギリギリまで籠って音源を聞きながらノートを見返していた気がします)

海未(……輝いている。誰も彼もの顔もみな。きっとここに来たお客さんたちには、それぞれの理由があるのでしょう)

海未(例えばそれは私たちの誰かのファンだからであったり。友人の付き添いであったり。恋人とのデートであったり。仕事だからであったり。……何か、上手くいかないことがあったからだったり)

海未(舞台に立つ私たちには、その物語の一つ一つをわかってあげることはできません。けれど、それならせめて私には私のできることをしたいと思ったのです)

海未(思い出すのは昔のこと。音ノ木坂が廃校になると聞いて、ただ心を痛めるだけでしかなかった自分。けど、穂乃果は違った。そんな未来を変えてみせると憤然と立ち上がった。ことりはそんなあの子を、無条件に支えてあげると微笑んだ)

海未(――その姿に、ひどく憧れた。あの子たちが自分の友達であることが誇らしかった)

海未(二人に並び立ちたいと願った。そのためになんでもやろうと誓った)

海未(特別でないこの身にはそれはやっぱり厳しいことで、でも、それを帳消しにできて余りあるくらい、たどり着いた景色は美しかった)

海未(廃校の未来は変わりました。誰にも倒せないと言われた者たちに勝ちました。かけがえのない絆を得ました。……その果てに、たくさんの輝く表情に出会いました)

海未(奇跡は起きる。起こせる。私たちは、輝きを与えることができる)

海未(そんなことができるアイドルを、私は何よりも大好きになったから)

海未「だから、アイドルになったのです」


海未(未練など、あるに決まっています。辞めたくないに決まっていました。……けれど私は弱かった。一人でいても憧れの炎を燃やし続けられるほど、強くなんてないのです。夜の砂漠のように冷たいこの世界で、一人で生きていける訳がないじゃないですか)


海未「……誰か、助けて……」

海未(出番の前なのに、震えてしまう。口から零れるはどこかで吐いた悲痛な弱音。ああ、私はなんて女々しい――)


「――うん。ずっと、待たせたね」


海未「……え?」

海未(そんなはずはない。そんなはずはないのです。彼が来ているのは黒いスーツ。ライトだけの室内には、天気などないはずなのに)

海未(私には彼がまた、白い王子さまに見えたのです)

戸塚「本当に、ずっと待たせたね」

海未「……戸塚、くん」

戸塚「ずっとずっとこの日を待ってた。遠回りして手練手管を弄して時間をかけて、周到に回り込んだ。けど、それでも上手くできなくて。何もかもダメになるんじゃないかと思った」

戸塚「でも、ぼくはしつこいから。君を助けにいく日をずっと待ってた」

戸塚「……ずっと待たせてごめん。今日、ここに全部持ってきたから」

戸塚「海未さん」


戸塚「――君がかけてきた魔法が、君を救うよ」

海未「……え?」


穂乃果「うーみちゃんっ!」
ことり「お待たせっ!」


海未「……こ、ことり!? その衣装は!?」

ことり「えへへっ。可愛いでしょー? 最初のライブのリメイクなんだよ!」

穂乃果「むー。穂乃果は無視?」

海未「は、あの、いえ、そういうわけでは!? ……と、戸塚くん! これは一体どういうことです!? それに今、う、海未って」

戸塚「はいはい、邪魔者は退散するね。後は親友同士に任せたよ」

穂乃果「うん! ……さいちゃん、ありがと」

ことり「かっこよかったですよ?」

戸塚「……何のことだか、わからないなあ? ふふっ」


穂乃果「さいちゃんってあーいうの似合わないよねぇ」

ことり「えー? だからいいんじゃない。ギャップってやつでしょー?」

海未「ことり、穂乃果っ。いい加減私に説明を!」

穂乃果「……海未ちゃん」

ことり「……あのね」


――「ごめんなさいっ!!」


海未「……え?」

穂乃果「この前叩いちゃってごめんなさい! 海未ちゃんが事務所を移る時、会いに行けなくてごめんなさい! 楽しくなって、自分のことばっかり考えちゃってごめんなさい!」

ことり「海未ちゃんが辛いときに何もしてあげられなくてごめんなさい! 会社が忙しいからって、いろんなことをなおざりにしちゃってごめんなさい!」


――「海未ちゃんに甘えちゃって、ごめんなさいっ!」


海未「……ことり、穂乃果。何を言っているのですか。……そんなの、大人なのだから当たり前ではありませんか……」

ことり「大人の前に親友だよっ!」

海未「っ……! わ、わた、しは……」

穂乃果「海未ちゃんのバカ! うそつき! 意地っ張り! 頑固もの! ちっとも大丈夫じゃないくせに!」

海未「バ、バカとはなんです! 穂乃果の方が遥かにバカです!」

穂乃果「そんなの知ってるよバカ! でも海未ちゃんの方がバカだもん! もっと穂乃果たちに甘えてよ! 寂しいじゃん!」

海未「……黙っていたら好き勝手言って! ……あなたが、あなたたち構ってくれないから悪いんじゃないですかっ! 私がいなくてもそんなに楽しそうにして!! そんなあなたたちに、甘えられるわけないじゃないですか!! 迷惑かけられるわけないじゃないですか! ……だって、好きなんだもん!! 親友だって、言ったくせにっ!」

ことり「だったら、好きって言ってよ! 迷惑かけてよ! 怒ってよ! 言葉にしないとわからないよ! もっと構えって、言ってくれればいいじゃない! ……遠慮される側の気持ち、考えてよ!」

海未「だって、だって……嫌われるの、怖いんだもん! しっかりしてないと、見限られそうなんだもん! 私がめんどくさい女だってバレたら、ポイされちゃうんだもんっ……!」

穂乃果「ばかっ!! 海未ちゃんがめんどくさいのも実は甘えんぼさんなのも穂乃果たちにはとっくにバレバレだよ!! 今更そんなことで嫌いになったりするわけないでしょっ!」

ことり「親友だって言ったよ! 甘く見てたのは海未ちゃんのほうだっ! ことりたちはずーっとずーっと小さいころからの、一番最初の親友なのに! めんどくさいバカ女! 売れ残っちゃえ!」


ことり「売れ残って……ずーっとことりたちと一緒にいればいいんだっ!」


海未「っ……うぅ……!」

海未(二人は私を、四年前のように抱きしめました。懐かしい温度は、ひび割れた堤防をついに打ち壊してしまいした。洪水のように止まらない嗚咽と涙が、過去から持ってきた二人の衣装を暖かく濡らす)

穂乃果「吐き出しちゃえ! ぜんぶ!」

ことり「ほらっ、……甘えて?」



海未「……こわかった。……さみしかったよっ! へいきじゃなかったよっ……。でも……わ、たし……がんば、ったんだから……! ひとりで、がんばったんだからぁ! ……ほめてよっ……よしよししてよぉ……!」

海未「……だいすき、だよう…………!」


穂乃果「……うん」

ことり「……うんっ!」


海未「……あのう。ことり、本当に何しにきたんです?」

ことり「動かないのー。メイクぐちゃぐちゃなんだから」

穂乃果「あははっ、泣き虫ー」

海未「……むぅっ! でも、本当になぜ? それに穂乃果だって、今日はもう終わりのはずでは……?」

穂乃果「何言ってるの? まだ三つもあるよ、穂乃果」

海未「……は? だ、だってほら! このセットリスト表には!」

ことり「……うわあ。こんなの渡してたんだ」

穂乃果「どれどれ、見せて? ……あはははっ! めっちゃ丁寧だ!」

海未「……え?」

穂乃果「海未ちゃん。これね、全部うそだから!」

海未「……はぁぁあああ!?」

ことり「海未ちゃん、舞台に注目だよ?」


未央『ぐ、ぐわあー!? 足が、足がー!!』

凛『み、未央!? いったいどうしたの!?』

未央『た、立てない……! ひざに矢を受けてしまったー!?』

――わははははは!!
――棒読みすぎだろー!!

卯月『凛ちゃん……これ、どうしよっか?』

凛『……これじゃニュージェネでは使い物になんないなぁ。売ろうか。千円から!』

――千五百!
――三千!

未央『その辺のキャバクラより安い!?!?』

凛『シャチョサン。ホンダミオ、カワナイ?』

卯月『どれどれ……触ってみてもいいかね?』

凛『オサワリオッケーヨー』

未央『いいんかい! そこ踊り子にはお触りNGって言うところじゃないの!?』

卯月『よし……膝からいきましょう! …………ぐわあーっ!?』

凛『卯月……卯月ィィィィ!!』

卯月『膝の関節が曲がってしまいましたー!?!?』


凛『や、やばい……。未央と卯月はこのあと海未さんの演目に参加するのに! どうしよう!』

凛『他のみんなは今楽屋だ……間に合わない! そ、そうだ。あのね、みんな知ってる? 今日ね、この会場のどこかに女神さまが来てるらしいんだ。……え、なんで女神さまがアイドルのライブに? どうしてだろうね。文芸を司るのにも飽きてきたんじゃない?』

凛『女神さまだったらきっとどうにかしてくれるよね。……それじゃ、みんなの力を借りてもいいかな? このままライブ失敗したら私たちみんなクビになっちゃう。……ありがとう!』

凛『よーし、じゃあ私がせーのって言うから、そしたらみんなは、「助けてμ's!」って言うんだよ?』


海未「こ、この流れはまさか……」

穂乃果「そのとーり! 海未ちゃんのパートナーは穂乃果たちだぜっ!」

ことり「実は密かに練習してきたのだっ♪」


――「たすけてー! μ's!」


海未「あっ、えっ、行かなくていいんですか!?」

穂乃果「大丈夫、一回目はスルーって打ち合わせしてるから」

ことり「海未ちゃんの準備を整えるためなんだよー?」

海未「周到な……。……誰が仕組んだかわかりましたよ」


凛『あれ? 来ないね……』
未央『お前ら声が小さいぞー!』スクッ
卯月『お腹から! お腹からセイッ!』スクッ

――立ってんじゃねーか!
――わははははははは!!


凛『よーし! もう一回いくよ!』

卯月『恥ずかしがらずに!』


海未「……それにしてもこの出来の悪いヒーローショーみたいなのはどうにかならなかったんですか」

穂乃果「こ、ここの脚本、穂乃果なんだけどな……」

海未「……ふ。あははっ!」

ことり「いいじゃない。……だってここから、ヒーローショーなんだもん♪」


――助けて! μ's!


――♪『だって可能性感じたんだ そうだ 進め』


――わあああああああああああ!!!


八幡「……どうだよ、一番後ろから見る景色は」

戸塚「悪くないね。遠いけどさ。……最高だよ」

八幡「……正直、今まで不調でありがたかったな。ずっとこれをやられたら他の子が売れなくなる」

戸塚「バランスブレイカー?」

八幡「そうだな。トランプで言うとジョーカーだ」

戸塚「……ふふふっ」

八幡「? どうした?」

戸塚「いやあ。つくづくジョーカーに縁がある子だと思ってね」


ことり『みんなありがとー! えへへ、久しぶりだから膝が曲がらないかと思っちゃった』

海未『島村さんにわけてもらったらどうです?』

穂乃果『えー。今日はいいよいいよ。三人で水入らずしよっ?』

海未『あの、これ本当に打ち合わせしてないんですよ!? 私、さっき膝やられた二人とやることになってましたからね!?』

ことり『はいはーい。海未ちゃんはさっさと衣装変えてくるー! せっかくことりが作ったんだからね?』

――『そうそう。さっさと着替えてきなさいよね?』


にこ『にっこにっこにー! お待たせっ! 矢澤にこだよ!』
希『にこっち、そのネタまだやってるん……?』
花陽『み、みなさん、わたしのこと、知ってるのかな……?』
凛『もー! かよちんはもっと自信持つにゃ! ……あ、こんばんわ! μ'sだよっ! 突然だけどこのステージは凛たちが乗っ取ったにゃ!』


海未『……!? 希、花陽……凛!?』

希『ほらほら穂乃果ちゃん、ことりちゃん。海未ちゃん連れてってー?』

穂乃果『さー』

ことり『いえっさぁ!』

<舞台脇、衣装室>
海未「次から次へと、脳が追いつきません。……夢でも見てるのでしょうか?」

絵里「残念ながら夢じゃないのよねー」
真姫「諦めなさい。嵌められたのよ」


海未「絵里!? 真姫!? その衣装は、私と同じ……」

絵里「昔から思ってたけど、海未って本当にリアクションがいいのよねー。ドッキリにもかけられるか、そりゃ」

真姫「同性から見てもいじりがいがあるものね。異性ならよっぽどよね」

海未「……全部全部、戸塚くんの仕業なのですね。……あの、馬鹿」

絵里「口元締めてから言いなさい? ……いいプロデューサーに恵まれたわね」

真姫「私はあんな回りくどい男、趣味じゃないけど」

海未「む。戸塚くんのことを悪く言うのはやめてください」

真姫「……あーハイハイ。ごちそうさま」

海未「しかし、こんな、ライブを私物化するような真似……許されるのでしょうか?」

絵里「……言うと思ったわ」

真姫「海未ちゃんもたまには後先考えずわがまま言いなさい?」

海未「し、しかし……」

真姫「……はぁ。あの歓声が聞こえない?」


――うわああああああああああ!! りんぱなああああああああ!!!
――希ちゃあああああああん! にこっちいいいいいいい μ's!!!


海未「……こんなに、私たちのファンがいたなんて」

絵里「わ、私も予想外なんだけどね? ちょ、ちょっと怖くなってきたかも……」

真姫「……あいつ、多分μ'sのファンクラブに情報リークしてたわよ。直前になって」

絵里「直前なんだ……」

真姫「直前だったらネット以外には広まらないと踏んだんでしょ。海未ちゃんが聞きつける可能性を考えて。……本当、周到よね。微笑みヤクザとか言われてるの、嘘だと思ってたけど」

海未「……むぅ。なんだか、やり込められすぎて悔しくなってきました……」

絵里「ま、それは私も思ってたところね。……ねえ、やり返さない? あのね――」


海未「今二人ってどこにいましたっけ?」

絵里「二階関係者席の後ろの方ね。さっき見てきた」

真姫「あ、そうか、絵里も……。はぁ、勝手になさい。私はやんないわよ」

海未「……乗りましょう! 負けっぱなしというものは嫌ですからね!」

――がちゃ。

凛「話は聞かせてもらったよ。人類は滅亡する」

真姫「あら。時間?」

絵里「き、緊張してきた……!」

凛「ノリ悪いなぁ……」

海未「し、渋谷さん? ……あの、なんでそんなもの背負っているんです?」

凛「それはね。お前を食べるためさ」

真姫「師弟って変なところまで似るのね……」

凛「ふふ、でも絵里さんを喰っちゃうのは本当ー」

絵里「!」

凛「悪いけど、私がアピールさせてもらうよ?」

絵里「……上等! 緊張なんて吹き飛んじゃったわ」


星空凛『さてさて。次もμ'sが続くにゃ! ……えへへ、同窓会させてね』

星空凛『と言っても、今日の夜はみんなが知っての通り、海未ちゃんのためにあるんだけどね。……あ、まだ早いか。今のなし! なしにゃ! カットカット!』

星空凛『というわけで、次の曲のタイトルコールを――』

凛『――ちょっと、師匠。これさ、346の単独ライブなんだけど?』

星空凛『あっ、しぶりん。細かいこと気にしない! レッスン減らしてあげるから!』

凛『うぐ。それは魅力的だけど……でも私もライブしたい。曲やりたいな。ねえ?』

――そうだそうだー!
――凛ちゃーん!!


星空凛『ありがとー!』

凛『いや、今の私だからね?』

星空凛『いやいや、凛だよ! ……困ったなぁ、次の曲やる人はもう決まってるんだよ? ……真姫ちゃんとー』

――わああああああ!!

星空凛『海未ちゃんとー』

――わあああああああああああああああああああああ!!

星空凛『かしこいー?』
凛『かわいいー?』

――エリーチカァァァァアア!!!!!!!

星空凛『あはは、みんなノリいいねー! ありがと!』

凛『うーん……わかった。じゃあ歌うのは諦める』

星空凛『おっ、物わかりがいいね?』

凛『……その代わり、ベースなら弾いていいでしょ?』

星空凛『……よし。それなら認めよう! じゃ、凛はたいさーん!』


八幡「……は? あいつ、何言ってんの?」

八幡(観客席の全てがどよめき、驚き、……期待に震えていた)

八幡(だが観客席で一番ビビッてたのは間違いなく俺だったと思う)

八幡(渋谷は演奏陣のベーアンの後ろに隠れていたベースを取り出して肩から下げる。それは、あいつが初めて出た給料で買ったやつじゃなくて、確かいつかの撮影で使った高いベースだ)


――おい、あれサドウスキーじゃね?
――マジか。え? しぶりんってガチ勢?

八幡「……おい。聞いてないんだが?」

戸塚「言ってないからねー!」

八幡「……マジかぁ」

戸塚「敵を欺くには、まずは味方からっていうじゃない?」

八幡「……やけにスポンサーがいっぱい金出してくれるなと思った」

戸塚「ただ、上手くやってくれないと意味ないんだけどね」

八幡「ああ、それは大丈夫だ。あいつなら」

戸塚「……ふふっ。そっか」


八幡(暗転していく場内。舞台の上は青く仄暗い。通常の演奏陣より二歩も三歩も前に出た渋谷は、サイリウムの光しかないこちら側を見据える)

八幡(きっと、よくある勘違いなのだと思う。第一こっちは暗い。人もたくさんいる。大スクリーン越しに誰もが思うことなのだ、きっと。だというのに心臓がうるさい。紅潮した頬が光に照らされていないか気になる。……絶対に勘違いに決まってる)

八幡(――あいつが俺の目を見て、笑ったなんて)


凛『ふふっ。虜にしてあげる』
凛『――Soldier Game』


八幡(スティックのフォーカウントが広い場内に乾いて響く。ピアノとパーカッションが緩やかな導入を織りなし、そしてドラムが音程の高い太鼓を二回、三連打してそのまま両の腕を頭上に振り上げる)

八幡(それを振り下ろしてシンバルを叩いた瞬間、爆発的なまでの音圧とスモークが舞台から発された。白煙はとりどりの色彩を帯びて、現れた三人を妖しくも神秘的なベールで包む)

八幡(割れんばかりの歓声は、しかし三人だけに向けられたものではない。シンセサイザーの波に乗るように身体を揺らして、渋谷は涼しくも情熱的にベースラインを紡いでいた。聴きやすく歌うような低音のそれは、観る者を音の快楽へと誘う)

八幡(誰もが瞠目せずにはいられない。アイドルがそんなことできるはずないとみんな決めつけていたからだ。だが、彼女のそれはどうだろう。目の前に立って指板を一顧だにせずリズムを刻む彼女の姿のどこにも、作られた偽物は存在しない)

八幡(渋谷に奪われた注目を、舞う三人はすぐに取り戻す。合わせるのが数年ぶりだなんて全くの嘘みたいに、計算し尽されたダンスとメロディのコンビネーションでこの場を調伏する)

八幡(潤んだ唇から爪先まで目が離せない。三人が放つのは綺麗な色気だと思った。きっと他のどのμ'sが組んだとしても、この化学反応は起こせない)

八幡(一番のサビが終わる。真ん中にいるのは園田さんだ。気のせいか、こちらを見ている気がする)


――♪『私は誰でしょ? 知りたくなったでしょう? ならば恋かも
    私の中には秘密があるとして それを 君はどうするの?
            It's soldier game!          』

海未『また会えた時……訊こうかな♪』

戸塚「っ……!」


八幡(きっとファンサービスに違いないが、彼女はサビ終わりに右手で銃を作り、片目を瞑りながら宙に向けて空砲を放った。それは、誰に向けてのものだったのか)

八幡(一度静かになった後始まる二番は、畳みかけるような渋谷のベースから再び浮上していく。そこから、俺の視線は徐々に絵里さんに吸い込まれていった)

八幡(高く遠く透き通っていく歌声。息を呑むような艶美な表情。身体が痺れてしまって動けない気分さえする、徹底的に鍛え上げられた舞踊。……こんな人が、いつも自分の近くにいた)

八幡(夢見心地でいると、あっという間にサビに辿り着く。今度の真ん中は絵里さんだった)


――♪『私と来るでしょ? 触れたくなったでしょう? すでに恋だよ
          私といつかは 戦うべき相手         』


絵里『それは、君の理性かも♪』

八幡「っ!」

八幡(心臓が口から出そうだ。自意識過剰じゃない。今、絶対こっち観て……! 投げキス……!)

真姫・海未『I'm soldier heart――』

八幡(動作そのままに、絵里さんは歌を二人に任せて渋谷の方に歩いていく。あいつもそれに気づいて絵里さんに歩み寄る。両者、不敵な笑みを携えて。そんな二人の表情を俺はどこかで見たことがある。ああ、あれは確か、渋谷と前川がライブをしたときの――)


絵里『――負けないからね?』

凛「……上等!」


八幡(問いかけるような彼女の歌に、渋谷の笑んだ唇が少し動いた気がした)

――『It's sodlier game!』

八幡(舞台のすべての光が渋谷に集められた。彼女の引き締めた双眸が、刃物なような鋭さを以って初めて手元に向けられる。立てた方膝に武器を乗せたとき、どこからも息を呑む音が聞こえた)

八幡(細い右腕は暴れるように弦を引いては叩く。左腕は目視できぬ速さで縦横無尽に指板の上を駆けまわる。躍動する五指が生き物みたいだった)

八幡(機関銃のような低音の奔流が、見る者全ての心を打ち抜いていく)


戸塚「……ベースソロ。完璧だ……」
八幡「……は。お前、いっつも弾いてたもんな、それ……」

八幡(観客の熱狂は最高潮に達した。今まで見たこともない偉業が目の前で行われたことに、誰もが我を失って喝采を送った)


戸塚「……感動する。本当に何度でも思うんだ。……この仕事してて、良かったなって」

八幡「……ああ。もう、認める他ない」

戸塚「……感動してる?」

八幡「それもあるが。……違うものも大きい」

八幡「……暖かいな。ここは」

戸塚「うん」

八幡「そろそろ行けよ。せっかく働いたのが無駄になったらどうすんだ。俺はタダ働きなんか死んでもやらんぞ」

戸塚「あははっ。八幡はこんな時でも八幡らしいなぁ」

八幡「……変わることとらしくあることって、別物なんだな。ようやくわかった気がするわ」

戸塚「そっか。じゃあ後は三人に任せようかな」

八幡「は?」

戸塚「……逃げちゃダメだよ。自意識過剰なんて言わせない。見えすぎるくらい見えてるくせに」

八幡「……」

戸塚「傷付く覚悟をしなよ。解き直しができる時間は限られてるんだ」

八幡「……俺は」

戸塚「……でも、きっとそれも、傷付ける覚悟に比べたら……大したことないんだろうね」

八幡「!」

戸塚「ぼくの解き直しが届くかどうかはまだわからない。でも、答えはもう委ねた。委ねることができた」

戸塚「ぼくはようやく、憧れるだけじゃないぼくになれたよ」

八幡「……」

戸塚「何度だって問い直しなよ。変わった君でも答えは他人に求めないんでしょ? だったら答えはきっと自分の中にあるはずだよ。……間違えたら、何度だって問い直せばいい。間違いをそのままにしておくなんて、ぼくが憧れた八幡じゃない。比企谷八幡らしくない」

戸塚「変わることと、らしくあることって、違うんでしょ?」

八幡「……ふ。彩加も言うようになったもんだ。汚れちまって俺は悲しいな」

戸塚「ぼくは君のアイドルじゃありませーん。残念でしたー」

八幡「八幡的にポイント低い……」

八幡「……ぎりぎりになろうが、人に言われようが言われまいが、俺は好きにする。……きっと、自分好みの答えを出す。俺は俺だ。そこだけは、変わらない」

戸塚「……あははっ」

八幡「何笑ってんだよ」


戸塚「いいや。……それでこそ、ぼくが憧れた八幡だ」


海未(夢のような時間は飛ぶように過ぎていって。私は楽屋で一人、最後の衣装に着替えます。舞台では今、μ'sの面々と346のアイドルたちが共に歌っています。洗練された動き。一体、私に内緒でいつ、みなさんは練習をしていたのでしょう)

海未(着替え終えて、鏡を見つめます。……これだけのことがあってなお、弱々しく見える自分の姿がそこにありました)

海未(奇跡が起きている今夜ならいい。しばらくは頑張れるかもません。……でも、また折れてしまったら。私はそのたびにみんなに頼るのでしょうか。また魔法をかけてもらわないといけないのでしょうか。十二時の鐘に怯えながら、再びこの怖い世界を生きていかなければならないのでしょうか)

海未(……怖い。でも、続けたい。それでも、怖い。……勇気が出ない。理由が欲しい)

海未(この怖さを身に宿してなお、戦い続けられる勇気の理由が)


――こんこん。


海未「! はい」

戸塚「……やあ」

海未「……戸塚くん」

海未(――ああ、またあなたは現れる。私が助けてと言うと、いつもあなたはすぐ傍に)

海未「……あなたには言いたいことがありすぎて、何から言えばいいのかわかりません」

戸塚「……ふふ」

海未(矛盾ばかり、わがままばかり、面倒をかけてばかりなのに、それでもこの人は私の前では笑ってばかり。ねえ、どうしてそこまで強くいられるんですか?)

海未(そんなことを考えていると、私は彼の笑顔の中で最も哀しそうだったものを不意に見つけたのです。……そうだ。これだけは、何よりも先に言わなくてはならない)

海未「何より先に、あなたに言わなければならないことがありました。……ごめんなさい」

戸塚「……へ?」

海未「あのテニスの時。……私は、あなたに言ってはならないことを言いました。手加減などしていなかったのに。……私は何も知らずに、あんな酷いことを……」

戸塚「……あー。ベテトレさんが喋ったんだね?」

海未「ごめんなさいっ!」

戸塚「いいよいいよ、そんなことぐらい」

海未「そんなこととは何ですかっ! 私は積み上げることの尊さを何よりも知っています! 神聖なものなんですっ! ……それを、それを私は……知らないというだけで、汚したのですよ?」

戸塚「その言葉だけで十分だよ。きみが思い遣りのある人でよかった」

海未「……あなたは、なぜ言わなかったんですか。最初から言えばよかったじゃないですか。そのことは何も恥ではないはずです。……言ってくれれば、あなたも私も、こんな遠回りするようなこと、なかったじゃないですか……」

海未(私がそう問いかけると、彼はどこか遠くを見るように、しかし照れたような笑顔を崩さず、言うのでした)


戸塚「……昔、憧れた人がいた。その人は、大事な時には決して言い訳しなかった。積み上げたものを誇らなかった。優しい人だった。……そんな姿を、カッコいいと思ったんだ」

戸塚「ぼくも言い訳しない。男の子だもん。……女の子の前では、カッコよくありたい」

海未「……馬鹿。なんですか、それ。……つまらない理由です」

戸塚「つまらないかな? ぼくにとっては大事なんだよ」

海未「……めんどくさい人」

戸塚「君に言われたくないなぁ」

海未「……大体、男の子なら一人で優雅にお姫様をさらいに来たらどうなんです。無理やり抱きしめてキスしたらどうなんです。甘言を弄すればよかったんです。……有無を言わさず、抱けば良かったんです。こんな弱くてチョロくて面倒な女」

海未「けれどあなたときたら、優雅さの欠片もないじゃないですか。事務所なんかで寝て。髪の毛ぼさぼさにして栄養剤なんか飲んで。甘い言葉どころか厳しい言葉ばかりしかありませんでした。無理矢理抱くどころか外堀から埋めて、逃げ場を潰して他人をけしかけて……」

海未「これでは、王子さまなんて落第です」

戸塚「あはは……そうだね。上手くいかないや。なりふり構ってる暇なんてなかったなぁ」

海未「先程かっこつけたいと言ったのに」

戸塚「君を逃がす方がダサいよ。いくらでも汚れてやるさ」

海未「……あなたという人は、心底」


海未「――格好いい殿方ですね」


戸塚「…………タイム。ふ、不意打ちはダメだって」

海未「……あなたの作戦の効果は抜群です。怖いのに、あんなに辛くてやめようと思ったのに。……今、心の中に、二人の自分がいるのです……」

戸塚「……」

海未「……ねえ。最後の勇気を、くれませんか?……」

戸塚「……わかった」


海未(私は目を瞑ります。心臓は早鐘を打つけれど、こういう時は黙って待つのが淑女の作法だと聞きました。もう、言い逃れができません。……私は、彼に。戸塚彩加という殿方に、心底惚れてしまっているのでした)

海未(憧れたワンシーン。まるでお姫様のよう。……こんな夢が、今更叶うなんて)

海未(……あれ。ちょっと、遅くありませんか? ……焦らしている? この人ときたら、こんな時さえ――)

海未(そう思っていると、私の右腕はがしりと掴まれました。それは完膚なきまでに殿方の握力で、私は驚いて目を開いてしまいます)

戸塚「ほら、行くよ? 最初に言ったじゃない。全部、ここに持って来たって」

海未「――え?」


海未(彼に手を引かれて、たどり着いたのは舞台袖。そこから洩れる光が信じられなくて、私はただ立ち尽くす)

海未(広がっていたのは、おびただしいまでの海色の光。心のこもった横断幕。祈りの声)

――海未ちゃーん!! 辞めないでくれー!!
――お願い!!! 大好きなの!!!
――海未ちゃーん!!


海未「……こ、れは……?」

海未(私以外のキャストは既に舞台の上にいて、お客さんたちと同じ海色の光を両手に持っていました)

戸塚「ちょーっとスクリーン見ててくれる? すぐ戻るから」


穂乃果「指令でました! 上映お願い!」
美嘉「任せろー!★」
莉嘉「えいっ!☆」

海未(特大スクリーンに映し出されるのは、信じられない面々)


美希『こんばんわー! みんな元気? ミキだよ!』

響『はいさーい! 我那覇響だぞ!』

春香『こ、こけちゃう! こけちゃうから!』

千早『亜美! 真美! 押さないで!』

真美『えー』

亜美『亜美たちも写りたーい!』

やよい『も、もうつながってるんですか?』

貴音『会場と交信ができるとは……面妖な……』

伊織『カメラもうちょっと低くしなさいよ! デコしか写ってないじゃない!?』

真『痛っ、伊織! ボクに当たるなよ!』

雪歩『待ってっ。おめかししなくちゃ……!』

あずさ『うふふ、元気ですね~』


穂乃果「響ちゃーん! 久しぶりー!」

響『あっ、穂乃果も見えるぞ! はいさーい!』

千早『穂乃果さん。海未さんは?』

穂乃果「袖で足止め中! 今多分映像見てるよ!」

雪歩『ここここんばんはっ! 海未さんっ、はじめましてっ!? 萩原雪歩ですぅ!?』

美希『雪歩ったらさっきからキンチョーしっぱなしなの……』

にこ「じゃあ、そろそろ発表してくれるかしら?」

春香『はいっ! じゃあ私が発表しますね!』

海未(彼女が原稿らしきものを取り出すと、ワイプでパソコンの画面が切り取られます。……映し出されているのは、確か……ついったー、というものだったでしょうか? 私は目を凝らしてみます)

春香『今日までに集まった、園田海未さんを応援してくれたフォロワー数は……』


春香『百五十万、八人ですっ!!』


海未「……え…………?」

戸塚「フォロワー数っていうのはね、園田さんを応援するためにインターネットから支えます、って決意表明してくれた人の数だよ」

八幡「おい、雪ノ下。体力なさすぎだろ。台車押すだけなんだからしっかりしろ」

雪乃「……無理よ。あと何往復すれば全部運びきれるの……?」

放送作家「ははは、まあいいじゃないですか」


海未「戸塚くん……その大量の箱は? それに、比企谷くんや雪ノ下さん……作家さんまで」

戸塚「これはね。……全部、君へのファンレターだよ?」

海未「っ!?」


八幡「よし次行くぞ」
雪乃「……次、台車の上に乗っていいかしら」
放送作家「ははは」


千早『今から、リプライの中からいくつかを読み上げたいと思います』

美希『みんな、たくさんの気持ち……本当にありがとうなの!』


戸塚「見てみなよ。聞いてみなよ。……これが、君が今まで歩いてきた道だよ」

海未「……っ」

海未(私は大量の箱の中から何枚もその宝を掴みとり、一枚一枚慈しむように読んでいきます)


「ぼくは海未さんのファンです。海未さんのライブを見ると、自分も頑張んなきゃなって気持ちになります。アイドルでいてくれてありがとう。海未さんが大好きです!」


『わたしは海未さんが超超超好きです。カッコよくて憧れます! 将来、絶対アイドルになります! そのときわたしは海未さんに、海未さんに憧れてアイドルになったんですって言いにいきます! だから、その時までずっとアイドルでいてくださいね!』



『自分は今年から会社員です。慣れない仕事はしんどいし、辞めたいって思うことが何度もあります。でも、海未さんをテレビで見ると、また明日も頑張ろうって思えるんです。本当にありがとう。海未さん、自分より先に辞めるなんてナシですよ』



「当方、八十一歳の爺です。お恥ずかしながら、筆を執らせていただきました。孫に勧められて貴女を知ったのですが、今では妻と二人で年甲斐もなくてれびの前で正座しておる毎日です。らじおがまた始まる日を楽しみに、二人で長生きを誓っております。貴女のお声を再び電波で聴くまで死ねません。この老兵に生き甲斐を、どうか与え続けてはくれませんか」



「うみおねえちゃん。だいすき」



『ありがとう』



『だいすき!』



海未「っ……」
海未(視界が滲んで、もう何も読めませんでした)


戸塚「放送作家さんが、本当に色んなラジオでこのことを宣伝したんだ。一番最初に乗ってくれたのがあの人だった。……伝言だよ。約束は守りました、だって」

海未「……ぅ……うう……!!」

戸塚「ねえ、園田さん。ぼくはね、確かに色んなことを企んだ。いろんな作戦を練った。自分の力だけじゃなくて、いろんな人の力を借りた」

戸塚「でもね、どんなにぼくが策を講じても、誰に呼びかけたとしても。それだけじゃ君を救えない」

戸塚「ねえ、このたくさんの光が見える? このたくさんの想いが読める? ……君に惹かれた、憧れた者たちの祈りが聞こえる?」


ことり『だいすきだよー!』

にこ『あんたがいないと765に引導渡せないでしょ?』

星空凛『今度こそレッスンでへばらせてやるにゃ!』

希『公務員に逃げてもいいことなんかないよー?』

絵里『事務員もね! しんどいんだからっ!』

花陽『やっぱり海未ちゃんは、アイドルじゃないと!』

真姫『海未ちゃんがいないと、曲の書き甲斐がないわ』

凛『海未さん、辞めたらニュージェネ一同家の前で泣くから』

未央『自慢じゃないけど泣き声はうるさいからねっ!』

卯月『わたしもっ!』

みく『一七歳女性が家の前でにゃーにゃー泣きにいくにゃ! いいのか!』

美嘉『住所は特定済みだぞー★』

莉嘉『だぞー☆』

楓『居酒屋でお説教、ですよ?』

アーニャ『Пожалуйста……おねがい、します』

杏『……めんどうなことになる前に大人しくした方がいいと思うよ?』

きらり『きらり、海未ちゃんいないと、嫌だにぃ……』

貴音『貴女との手合せがお預けのままです。お預けはまこと、嫌なものです……』

雪歩『海未さんっ!! 私と焼肉に!!』

美希『雪歩、ブレなさすぎなの……』

千早『……海未さん。あなたは、私の憧れです』


亜里沙「海未さーんっ!!」

――海未さん
――海未ちゃん
――うみちゃんっ!!!



穂乃果『海未ちゃん。……叶えて? みんなの夢!』



海未「あぁ……ああぁ……」

戸塚「君は自分を特別じゃないって言う。何度言っても認めない。でも、見てみなよ。ここにあるものを」

戸塚「君が特別じゃなくても、君が積み上げてきたものは何より特別だ」

戸塚「君を救うのはぼくじゃない。君がかけてきた魔法だよ!」

海未「……うん。……うんっ……!」

海未(滂沱と流れる涙は暖かく、それはきっと心の温度でもあったのです。ああ、私は今まで何を見ていたんだろう。鏡ばかり見ていて。自分のことばかり見ていて。……振り返れば、こんなに暖かなものが世界に溢れていたというのに)

海未(大切なものは、見えなくてもそこにあったのです)


星空凛『よーし! それじゃあ、せーので「お願い、海未ちゃん」だよ!』
凛『いくよ! せーのっ!!』


――おねがい!! うみちゃーん!!!!


海未「ああ、いか、ないと……!」

戸塚「ふふ、忘れたの? 一回目はスルーだよ。ほら、衣装整えて?」

海未「……ばか。よういが、よすぎるんですから……」

戸塚「君に褒められると嬉しいなぁ」

海未「……こんなときまで、いじめて……」

戸塚「あははっ。君がいじめろって言ったんだよ」


真姫『あの子実はわがままだから。そんな声じゃ足りなかったんじゃない?』

杏『涙でも拭いてんじゃないの?』

絵里『ほーら、みんな。今声出さなかったら後悔するわよ? ファン失格!』


海未「……いつかの電話の続きを聞かせてください。どうして、私に優しくするんです?」

戸塚「……腕がダメになった時。どうしていいかわからなくなった。大したことないとみんなには言ったけど、そんなことなかった。曲がりなりにも人生のほとんどだった。……怖かった。昔日の憧れだけで生きていくには、この世界は寒すぎるから」

戸塚「でも、ある日。君を見た。恰好よかった。憧れた。また生きる勇気を貰ったんだ」

戸塚「君に背中を押してもらった。……だから、今度はぼくの番」

海未(そう言って、彼は私の背中を優しく押したのです)

戸塚「行っておいで。きみは、世界で一番のアイドルだよ」

海未「――はい!」


――おねがい!! 海未ちゃん!!

『ありがとう。……ありがとう、ございますっ……!』


――わあああああああああああああ!!


『もう、二度とアイドルを辞めるなんて言いません。大好きです。アイドルが、大好きです』

『傍にいるみんなが。私を見に来てくれるみんなが。声を届けてくれるみんなが……私を何度も奮い立たせる、勇気の理由です』

『最後に……歌います。これから先何度だって、喉が枯れたって歌うから、きっと会いにきてください!』

『――勇気のReason!』

――わあああああああああ!!!



戸塚「……ああ。園田海未だ。ぼくが憧れたあの子が、ここにいるよ」

雪乃「……きっと、伝説になるでしょうね」

戸塚「全部、報われたよ」

八幡「……彩加。言ったのか?」

戸塚「……あ」

八幡「おいおい……」

雪乃「? 二人して何を言っているの?」

戸塚「なんでもないです……」

八幡「まあしかし、ちょっとやりすぎたかもしれんな」

雪乃「……そうね」


――アンコール!!
――アンコール!!


八幡「……346側に用意はないぞ」

雪乃「あのね、さっき高坂さんがもう一度μ'sでやらせてって言ってたわ」

戸塚「本当っ? ごめん正直園田さんのことばっかり考えててそこまで頭が……」

八幡「! 雪ノ下、行くぞ」

雪乃「……それぐらい私に気を遣えないものかしら」

戸塚「え、ちょっと?」


海未「――戸塚くん?」


戸塚「……あ」

海未「……感動的な感じになって流しそうになりましたが、私は許しませんよ」

戸塚「え? なにが?」

海未「……目を瞑っていたのに。女の子に恥をかかせるなんて」

戸塚「……あー」

海未「……勇気。くれないのですか……?」

戸塚「……今しなきゃだめ?」

海未「こういうのは殿方からするものなんですっ! あと、するならちゃんと背伸びをさせ――!」

戸塚「……」

海未「……! んっ、な、なななっ! いきなりなんてっ!! 駄目です! 破廉恥です!」

戸塚「……やれって言ったり駄目だって言ったり、本当に君は面倒だなぁ」

海未「……面倒くさくない女の子など、いないのです」

戸塚「……あはは、確かにそうだね」


穂乃果「海未ちゃんっ、アンコールアンコール!」
ことり「ほら、一緒に行こっ?」


海未「ことり、穂乃果……」

戸塚「ほら。行ってきなよ」

海未「ええ。……彩加くん」


海未「――これから、一番可愛い私も見ていてくださいね?」
戸塚「……うん。どんなときも、ずっと」



――♪『たまにはゆっくり 君のペースで 
    やりたいことたち 見つめてごらん?
    その後 頑張れ! 全力でね』








――♪『どんなときだって 君を見つめてる』






はい! これにて海末ちゃん編、終了です。とつかっこいい。
シナリオ進度は75%。続きは明日で全部終わらせちゃおうと思います。サッとやってサッと帰りますね。

それではおやすみなさい。何度でも言いますが、読んでいただいて本当にありがとうございます。
では。

細かいかもだけど、菊「地」が菊「池」になってるとこあったよ

細かいかもだけど、菊「地」が菊「池」になってるとこあったよ

素晴らしい
乙です

良かった!乙です!
完結待ってる!

再会します。ラストまでノンストップで行きますね。
最後までお付き合いいただけたら幸いです。

【346プロ】アイドル部門総合スレッドPart50



345 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/10/27(土) 22:39,34 ID:kjfg5Rds
  俺はもし今この瞬間に死んだとしても、世界一幸せなアイドルファンとして死ねる。
  ありがとう。ありがとう。μ's、346プロダクション!!!
  俺もう一生ついてくよ!!1


347 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/10/27(土) 22:41,55 ID:DsGt63Ws
μ's生で見れると思わなかった。希ちゃん膝曲がってなかった。愛しい。
  てか海未ちゃん卑怯だわあんなん泣くに決まってんだろ
  もうあんだけ泣けたらヤラセだったとしても満足


351 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/10/27(土) 23:10,21 ID:StkrSdf4
  しぶりんベース上手すぎ。2年やってるけどソルゲなんて弾けねぇよアホか
  所詮なんでも才能の世界ってことか……ベース売ってくる


353 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/10/27(土) 23:41,56 ID:dsre5Hjo
  >>351 あれ弾けるのはすごいよな。脱帽と言うほかない。
  正直ソロは弾けるけどそれ以外の部分のグルーヴとか出すの難しすぎ。
  ベーマガでさっそくインタビュー決まっててワロタ


369 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/10/28(日) 01:39,34 ID:erSt34Wq
いやしかしマジで346旋風きてるな。今日のライブは十年に一回くらいの名演だった。
  俺のしぶりんやみくにゃん、楓さんと穂乃果ちゃん、ひょっとしたら杏ちゃんも本気
  出せば、これはマジで765たおせるだろ!! マジで!!
  マジで応援しかないわ。マジで。


371 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/10/28(日) 01:45,45 ID:SdrtDfvb
>>369 高垣楓がこの前千早ちゃんにフルボッコにされたの忘れたのかよ。
  持ち曲のこいかぜでだぞ? 何万ポイント差ついてたんだ。ありえねえよ


374 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/10/28(日) 02:13,46 ID:Grt54Sdl
>>371 今日ぐらい水差してやんなよ……。お前モテないだろ。可哀想に


420 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/10/30(月) 09:09,90 ID:Srtf1W3e
しかしもう10月終わっちゃうんだねー この調子じゃ11月もあっという間に終わって
  それでクリスマスが来るんだ。あぁ、またカップル板から非難しなくちゃ……


422 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/10/30(月) 09:31,21 ID:we56Fghj
俺たちにはアイドルがついてるじゃないか。サンタさんは実在するぜ?
  クリスマスプレゼントはきっともらえる。いい子にしてようぜ


423 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/10/30(月) 09:55,36 ID:Srtf1W3e
それもそうだね。信じてるよ、サンタさん


<十一月初頭>

凛『こんばんは。ラジオRink、今日も始まりました。えーっと、ライブ後初めての収録ということで……みんな、本当にありがとう! 心から感謝しなくちゃね。みんなのお蔭であの超大規模ドッキリは成功しました。……ドッキリと言えば、みんなもドッキリしたんじゃないかな? まさかライブにあの伝説のスクールアイドル、μ'sが現れるなんてね。ふふっ』



凛『私もいくつか共演させてもらって。本当に興奮しちゃった。まだ夢見てるみたいだもんね。カッコよかったなぁ。ライブDVD、いつ出るんだろう。もう予約始まってる? ……え、もうそんなに予約出てるの!? ……うわぁ。本当に伝説の夜だったんだね』



凛『……あー、あのCMね。うん、お恥ずかしながら。みんなもう見ちゃったかな。これ聞いてくれるくらいなら見てるよね。……はい。なんと私、ベース弾きました。一曲だけだったんだけどね。ドヤ顔でソロ弾いちゃってます。……恥ずかしいな』



凛『でも、今自分が出来る精一杯を出したつもりです。それなりに上手くいったと思うんだけど、どうかなぁ? ……あ、楽器長くやってる人とかにすごいダメ出しくらいそう。ふふっ、辛口は容赦してね。最近マックスコーヒーよく飲んでるくらい甘党なんだから』



凛『ライブの話したところでなんだけど、もうすぐまた次のライブがあるから、良ければそっちの方もぜひ見に来てほしいな。μ'sはいないけど私はいるよ。……ダメ? ふふ、冗談。でも来てほしいのは本当だからね。その日は初めてトライアドプリムスとして出るから、奈緒や加蓮のこともよく見てあげてね』



凛『……ライブ、ライブって忙しいなぁ。でも、嫌じゃないしむしろかかってこいって感じだね。常に上に挑戦していきたいな。歌でも踊りでもベースでもトークでも、何でもね。……ここだけの話、その日のライブ見に来ると、ちょっといいことあるかもよ?』



凛『……え? 何って? ふふっ、それは秘密かな。気になるんならライブ見に来てよね。はいっ、じゃあオープニングトークはこれでおしまい! 今日もみんなと繋がるラジオにしたいね』



凛『十一月。秋もそろそろ終わりで、また冬の足音が聞こえてきました。陽が落ちるのもすっかり早い。コートを出すか出さないか、長縄に飛び込むタイミングみたいで難しいよね。風邪引かないようにね? ――ラジオRink、スタートです』


<十一月一日、346プロダクション本社アイドル部門本部>

八幡「……マジですか」

武内P「大真面目です。私は、今しかないと考えています」

戸塚「しかし、ちょっと早すぎませんか? 確かに勝ちの目はゼロではないと思うんですけど、それでも厳しくないでしょうか?」

雪乃「……いえ、案外本当に今しかないのかもしれないわ」

武内P「勢いというものは馬鹿にできません。たたみかけるなら今です。……実力だけが全てを決める世界なら、先月あんな大がかりな仕掛けが必要なほど彼女は負けなかったでしょう」

戸塚「うーん、それを言われると弱いですね」

八幡「……俺は、賛成だ」

武内P「……」

八幡「あいつらは、少なくともあいつは……前に進みたがっている。こっちは挑戦者なんだ。リスクがないとは言わんが、リターンもその分大きい」

八幡「雪ノ下と彩加の方はわからん……だが、少なくとも俺は進みたいと思ってる」


八幡「……現状維持は衰退と同じだ。失うのを恐れちゃ、前には進めん」


雪乃「!」

武内P「……あなたは」

八幡「……? な、なんすか。俺は賛成したのにまさか背中から斬るんすか」

武内P「……いえ。……このことですが、私は何も勢いだけで言っているのではありません。切れる手札も増えました。確率は更に増すでしょう。……私は、彼女たちなら期待に応えてくれると確信しています」

戸塚「……そうだね! ぼくも啖呵切っちゃったからねー。やるって決めたら、とことんだ!」

雪乃「……いいわ。私も賛成。私だって、変えてみたい」

武内P「意志は一つ、ということでよろしいですね。……ありがとう」

八幡「!」

武内P「私は今……嬉しいのです。貴方たちに未来を託したのは、何よりも英断だった」

戸塚「あはは。お礼を言うのが早すぎますよ!」

雪乃「そうね。全ては終わってからです」

八幡「……やっちまいますか」

武内P「……はい」


武内P「奇跡を、起こしてしまいましょう」


雪乃「……意外だったわ」

八幡「そうか? 昔でも会議では踊らない派の革新派だったろ」

雪乃「そういうことを言っているのではないのだけれどね。……やるからには勝ちましょう」

八幡「負けず嫌いは相変わらずみたいだな」

雪乃「そう簡単に変わるなら誰も苦労しないわ。……けれど、そうね」

雪乃「私も、衰退は止めにしないとね」

八幡(その笑みは、俺が時折見る彼女の新しい笑顔だった。いつからそうやって笑えるようになったんだなんて、俺が言える義理はないけれど)

八幡「……お前、やっぱ変わったよな」

雪乃「それはお互い様でしょう。良くも悪くも四年、ということね」

八幡「……そうだな。さて、俺は事務所に戻るかね。……伝えにゃならんことが一杯だ」

雪乃「そうね。私の方こそこれから大変ね……」

八幡「……いけそうか?」

雪乃「あの鳴きたくないとわめくホトトギスが鳴くかどうかね。懸案事項は」

八幡「お前は鳴かせてみようの方だろ、多分」

雪乃「あなたは弱み握ろうとかいくらで鳴くのとかそんな感じではないかしら」

八幡「俺クラスの天下人となると手段は選ばないんだよ。効率的だろ」

雪乃「ぴいぴい囀る鳥ね。森へ帰ったら?」

八幡「今帰っても死ぬだろ、ホトトギスは」

雪乃「春の鳥だものね。……まだ、遠いわ」

八幡「……さて、行くか。あ、そういえば聞いたか? 写真のこと」

雪乃「……ええ。絢瀬さんのせいよね……」

八幡「まさか職員の写真もホームページにアップしてくれとはな……。765のサイトにも音無さんとか秋月さんとか赤羽根さんも載ってるし、前例がある以上な」

雪乃「……写真を載せるのって嫌だわ」

八幡「同感だ。だが……」

雪乃「上司命令」


八幡「……サラリーマンはクソ。確定的に明らか」




戸塚「武内さん」

武内P「ああ、戸塚君。……どうか、なされましたか」

戸塚「その……ライブの件、ありがとうございましたっ」

武内P「……流石に私も人生で二度、同じ人に恐喝されるとは思いませんでしたよ」

戸塚「人聞きが悪いなぁ。二回目は、ただのお願いですよ」

武内P「そうですね。……ただ、私にはどちらも都合が良かった。だから乗ったのですよ」

戸塚「あはは。しっかり利益分はもらってますもんね。ぼくには一銭も入らない」

武内P「利用し、利用される。いけませんか」

戸塚「いいえ? だってお金なんてどうでもいいですからねー」

武内P「……同感です」

戸塚「あれっ、じゃあそれ何に使うんですか?」

武内P「手札が増えたといいました。……お金で増える可能性があるなら、増やしておきましょう」

戸塚「……ふふ。よくわかんないですけど、お任せします」

武内P「ええ。任せておいてください」

戸塚「……高垣さんの方も、任せておいていいんですよね?」

武内P「勿論。……それに、折角だから利用させて頂きました」

戸塚「……あー、なるほど。ぼくもまだまだ敵いませんね」

武内P「現場を離れても、錆びついてはいないつもりです」

戸塚「あはは、これは一本とられちゃいましたね。それじゃ」

武内P「ああ、戸塚君」

戸塚「あ、はい。なんですか?」

武内P「誰かに脅されないよう、貴方も気を付けることです」


戸塚「……やっぱりかなわないや」

<同刻、キュートプロダクション事務所>

杏「……めんどうなことばっかじゃん。うあー……! 働きたくないぞー……!」

雪乃「……ライブの方は乗り気になってくれると助かるのだけれどね。でも、強制したところでなんとかならないから。あなたは」

杏「よくわかってるじゃん。飴あげよっかー?」

雪乃「いらないわよ。……押してダメなら諦めろと誰かも言ってたし」

杏「なんかそれすごいひっきーが言いそうなセリフだねっ」

雪乃「……」

杏「……あー、またもや名探偵しちゃったか」

雪乃「あなたのサイズなら黒の組織の目も掻い潜れそうね。アプリコットさん」

杏「それを言うなぁ……! いやだっ!! 本当に杏はやらないぞっ! 特にあのアプリコットとかいう糞ドラマだけは二度と嫌だっ! 絶対にだ!」


雪乃「あなたの言う糞ドラマとは、深夜枠の割に緻密に作りこまれた脚本、エキセントリックなキャラクターが好評を博し、ライトノベル原作ドラマ化は地雷確定という前評判を見事にひっくり返して、当時無名だった主演:双葉杏の名を世に知らしめたあの『アプリコットの涙』のことかしら?」


杏「やめろー!! 嫌味じゃないか! 事細やかに言うんじゃないっ!」

雪乃「……出世作でしょう。歓待こそすれ、無碍にするものではないと思うのだけれど……」

杏「今はもうマシになったけどヤツのせいでいっぱい女優のオファーが来るようになったんだっ! この恨み忘れるもんかっ、杏は演技がキライなんだ! たとえお金がいっぱいもらえても嫌なものは嫌なんだっ!」

雪乃「……こんなゴネられ方人生で初めてだわ」

杏「杏だってこめかみ抑えたくなるよー。楽して印税生活したいけど、苦しかったら意味ないじゃんね。杏はお金が欲しいんじゃないっ、楽して儲けたお金が欲しいんだっ!」

雪乃「……あなたのその腐った性根、絶対いつか叩き直してあげる」

杏「杏、痛いの気持ちいい人じゃないから甘々で優しくがいいなー?」

雪乃「……はぁ」

杏「…………くそぅ。大体、なんで今また『アプリコットの涙』なんだよう……」

雪乃「346が勢いに乗っているからでしょうね。今のアイドル業界を見て制作陣が盛り上がってしまったみたい。今、オーディションの原稿が配られているわ」

杏「……杏の記憶がおかしくなければ、あれ確か綺麗に終わったよね?」

雪乃「中学生編はね」

杏「くそっ、今考えても忌々しい! 杏はあの時、まだ高校生の歳だったんだからね」

雪乃「高校に通ってたらでしょう。偽造しないの」

杏「……はあ。高校生編があったんだ。それ、面白いの?」

雪乃「私も読んだことがないから知らないのだけれど、今回劇場化するエピソードは特にファンからの評判が高いみたいね。このエピソードは作品における重要な転換点になったらしいわ。また、情緒的だった点も特徴とされているとか」

杏「……ふーん。『消失』みたいな感じ?」

雪乃「……?」

杏「あー、アイボーで言うと『カヲル最後の事件』とか、円黄師匠シリーズで言う『夜の蠅』とか、そんな感じ?」

雪乃「……私が紅茶党なのは無関係よ。概ね理解したわ、そんな感じね」

杏「……うぁー。めんどうだなぁ……」

雪乃「……あなたがどうしても嫌だと言うのなら具申ぐらいはしてあげるけど、期待しないことね。大体私だって関わるのだから……はぁ、どうして母校なのかしら……。偶然とはいえ、嫌な一致もあるものだわ」


杏「……ん? どゆこと?」

雪乃「……原作者が千葉の総武高校出身らしくてね。舞台となったのもそこだから、当然ロケも総武高校で行われるわ。……私の母校なのよ」

杏「……ふーん。ねぇ、プロデューサー」

雪乃「何?」


杏「めんどくさいけど、飴くれたらやってあげんこともないよー?」

<十一月一週末、ライブ前夜。都内某所、居酒屋「全兵衛」>

武内P「……全く。ライブ前に居酒屋に行くアイドルは貴方くらいです。……楓さん」

楓「あ、プロデューサー……」

武内P「……お酒は飲まれていないようですね」

楓「もうっ。いかにお酒好きな私とはいえ、ライブ前はお酒を避けます。……ふふふっ」

武内P「そうですか、私は飲みますが。大将、生ビール一つ」

楓「……今度会ったとき酷いですよ?」

武内P「では、その時を楽しみにしていましょう」

楓「ふんだ。慣れてきたんですから。戸塚くんみたいですよ」

武内P「それはいいですね。彼の、彼らの強かさは見習いたい」

楓「……そうですね。だから、あんなすばらしいライブが出来た」

武内P「……」

楓「この前のライブの時。……私が、負けたとき。歌う前、千早ちゃんに言われたんです」

楓「『どこを見て歌っているんですか?』って」

武内P「!」

楓「私、その時言いそうになったんです。てっぺんだって。言いませんでしたけどね。……でも、結果はあの通りです」

楓「そりゃあ落ち込みましたよ。大の大人がずーっとですよ? ……プロデューサーにも、たくさん当たりました」

武内P「お蔭さまで翌日にお酒が残ることが多く、大変でした」

楓「あら。じゃあ無視すればよかったんですっ」

武内P「……人が悪い。するわけないでしょう」

楓「うふふっ、お返しです。……私、ずっとわからなかったんです。その言葉の意味が」

楓「でも、この前のライブ。海未ちゃんのライブを見て……やっと、すとんと落ちました」

楓「ああ、そういうことだったんだって。そしたら、無性にここに来たくなったんですよ」

武内P「……貴女と、初めて会ったのがここでした」

楓「うふふ、そうそう。あなたが美味しそうなホッケを食べてるもんだから。それもクリスマスの夜中に一人で、ですよ? 珍しいったら」

武内P「クリスマスに居酒屋で一人酒の女性の方が珍しいでしょう」

楓「ふふふっ、言われてみればそうかも。それ、口説き待ちみたいですね」

武内P「……ええ。だから、口説いたのですよ」


楓「ほいほい騙されちゃいました。こんなに酔える世界があるなんて。……酔わせてくれる人がいるだなんて。私、強いつもりだったのになー」

楓「……だから、あなたに責任を取らせたくなっちゃった。だって、酔わせた方が介抱するものでしょう?」

武内P「……ええ。そうですね」

楓「そのために、一刻も早くてっぺんに登りたくて。そうすれば、後悔なくこの世界を去って、大手を振ってあなたと歩けると。……でも、それじゃダメだったんですね。そのことに、気付けて良かった」

武内P「……ええ。ええ」

楓「……ねえ。あの日のように、一口、飲み交わしませんか?」

武内P「……ええ。高垣楓と交わすお神酒にしては、安すぎる気がしますけど」

楓「うふふっ。忘れちゃったんですか? 私は安い女ですよ。酔えるお酒とホッケとあなたがいれば、ほいほいついてっちゃうんですから」

武内P「……忘れるはずがない。好きな女性のことです」

楓「……ありがとう。愛しています。だから許してだなんて言わないけれど」


楓「――このお酒を飲んだら、我儘を一つ聞いていただけませんか?」


<ライブ当日、765プロダクション事務所>

美希「――あはっ。最高なの!」

春香「こういうの、久しぶりだねー!」

真「うわあ……相変わらずすごいなぁ……」

響「じ、自分、デビューがこれだったら間違いなく泣いてたと思うぞ……」

貴音「しかし、まこと山を覆う程の気概……見事です」

律子「……思い切った決断よね」

赤羽根P「…………」


赤羽根P(インターネットの生放送を、事務所のテレビに映し出す。狭く遠い液晶世界の中で、懐かしい光景が繰り広げられていた。最後にこれを見たのはいつだっただろうか?)


赤羽根P(……思えば遠いところまで歩いてきたものだった。こんな遠い旅路が最初、ふざけた宣材写真の撮り直しから始まっただなんて、今更誰が信じるだろう?)


赤羽根P(みんな様々な困難を乗り越えてここまで歩いてきた。俺だって怠けてきたわけじゃない。ハリウッドに修行に行き、本場の仕事術を学んだ。ひとつずつ、落ち着いてやれることが増えていった。プロデュース業が楽しくなっていった。そんな俺に、みんな笑顔でついてきてくれる)


赤羽根P(そんな輝く毎日を過ごしている途中、ふと後ろを向いてみると、そこには誰もいなくなっていることに気付いた)


赤羽根P(そう気付いた後でも、彼女たちは足を止めない。俺たちはみんな器用ではないから、手を抜くなんてそんなことはできない。後ろを振り返るのはもうやめよう、と思っていた)


赤羽根P(王者とはすべからく孤独である、とこぼしたどこかのライバル会社の社長が浮かぶ)


赤羽根P「――ははっ」

律子「……嬉しそうですね?」

赤羽根P「ああ。当たり前だろ!」


赤羽根P(――ほら見ろオッサン、俺たちのどこが孤独なんだ?)


――♪『スリルのない愛なんて 興味ある訳ないじゃない わかんないかなぁ?』


美希「『KisS』からの『オーバーマスター』なんて、わかってやがるの!」

響「観客席の盛り上がり方が異常だぞ……」

雪歩「加蓮ちゃんも奈緒ちゃんも、これがデビュー戦なんて……うう、へこみますぅ……」

真「それよりボクは海未さんの『迷走Mind』の方がやばかったと思うんだけど……。あの迷いの曲、ボク最初全然表現できなかったんだけどなぁ……。うぁ、やばい、鳥肌まだ消えないよ」

亜美「姉妹で被せてくるなんてねー」

真美「ねー。面白いね!」

やよい「あっ、ギターソロ来た! ……はわーっ!? 雪ノ下さんですー!?」

伊織「双葉杏の『ふるふるフューチャー』、もはや原曲残ってないわね……」

律子「でも、それでも逆に良さがある。天才ね。……美希への挑戦かしら?」

美希「……へー」


千早「海未さん……どうして私の曲じゃないの……? 海未さん……」

春香「ち、千早ちゃん? 目からハイライトが……」

貴音「……千早。おそらく、海未は譲ったのですよ」

千早「……え?」



楓『あら、すごい歓声。うふふっ、ありがとう。じゃあ、私がこれから何をやるのかはもうバレちゃってますね。私も765プロの曲からおひとつ、歌わせていただきます』

楓『でも、その前にひとつだけ。……えーっと、カメラはこれですか? よーし』

楓『千早ちゃん、見てますかー? この前はありがとうね。……もう、間違えません。お礼は言っておかなくちゃ』

楓『でーも。勝負は別ですよ? ……今なら言えます。私は、本当の意味で』


楓『――頂点に立ちます』


――♪『ずっと眠っていられたら この悲しみを忘れられる 
        そう願い 眠りについた夜もある    
      二人過ごした遠い日々 記憶の中の光と影

         今もまだ心の迷路 彷徨う
    あれは 儚い夢 そう あなたと見た 泡沫の夢 』



響「ア……アカペラ!?」

やよい「…………すごい……」

貴音「……まこと、落ちる楓の葉の様な……。心を、掴まれますね……」

真「……生で、観たいな」

伊織「……あの時みたいに、トラブルってことは?」

美希「ないの。歌う前、PA席に目配せしてたの」

律子「つまり?」

あずさ「……あらあら、うふふ」

春香「――堂々と、千早ちゃんに喧嘩を売りに来たんだね!」


――♪『眠り姫 目覚める 私は今 誰の助けも借りず
     たった一人でも 明日へ 歩き出すために 』


赤羽根P(サビの入りと共に音が溢れだす。わかっていても、肌が粟立つのを抑えられない。それは千早も同じだったようだ。けれど、それだけじゃない。画面の中で挑戦的な笑みを浮かべる高垣楓を見て、彼女の潤んだ美しい唇は弧を描いていた)


赤羽根P(俺には分かる。その笑みの正体が。……ずっと待ってたんだよな。乾いてたんだよな。より高みを目指すため、彼女は匹敵する者をずっと求めていたんだ)

赤羽根P(獰猛な王者の笑みは伝染し、ここにいる誰もがそれを浮かべる。みんな、来たるべき挑戦者を心より歓待していた)

赤羽根P(ああ、765プロはこうじゃなくちゃ。やっぱりお前らは最高だ)


赤羽根P「みんな。やることは決まってるよな?」

美希「うんっ! 当たり前なの!」

春香「私、頑張りますっ!」

千早「ええ。――私たちが、トップアイドルです」


<終演後、打ち上げ>

雪乃「……ああ。重かった。責任が重かったわ。レスポールより重いものなんてあるのね……」

穂乃果「でもでもっ! ゆきのん、めちゃくちゃカッコよかったよ! 結婚してっ!」

雪乃「人ごとだと思ってあなたは……。頼むならもっと早くに言いなさい……」

海未「えっ、事前から打ち合わせていたのではないのですか?」

杏「いや。完全に泊まりに行ったときのこと思い出しての思い付きだったよね……」

雪乃「一週間でギターソロだけだったからよかったけれど、もう何年も触ってなかったから一曲通してだと終わっていたわね……」

凛「いや、音作りとか凄かったよ。雪ノ下さん、今度スタジオで遊ばない?」

雪乃「嫌よ。そんな暇も気もありません」

穂乃果「ねぇねぇゆきのん! 次は『relatoins』がいい!」

雪乃「死ねと言うのね?」

八幡「……相変わらず、上手いもんだったな」

雪乃「っ、見てたの……?」

八幡「今日は最初からいただろ。むしろなんで見ないんだよ……俺そんなに存在感ないですかね……」

戸塚「高校の文化祭の時も弾いてたもんね! あれ凄かったなー」

絵里「あら、そんなことしてたんだ?」

ちひろ「見てみたかったなー」

八幡「ちょっと時間稼がないといけなくなって、即興でな。俺の部活から、雪ノ下と、もう一人舞台に立ったんだ」

杏「! へえ、二人だけで?」

八幡「いや、あとは教師とか雪ノ下の姉もいた」

ちひろ「……へえ。陽乃が……」

海未「あれ、比企谷くんは何をしていたのですか?」

八幡「……何も。後ろから見てただけだったよ」

穂乃果「あはははは!! ひっきーっぽいね!」

杏「そんな目立つことしそうにないもんなー」

八幡「まあな、よくわかってんじゃねぇか。飴やるよ」



凛「……ねえ、雪ノ下さん。あれ本当?」

雪乃「……本当よ。舞台には立たなかった」

絵里「舞台『には』ってどういうこと?」

雪乃「……はあ。鋭いわね。……確かに、舞台には立たなかったけれど……格好良かったの」

絵里「……それ、聞いてもいいかしら?」

雪乃「駄目に決まっているじゃない」

凛「!」

雪乃「あの時の彼の裏側は、私だけの……私たちだけの秘密」

雪乃「特に、あなたたちには内緒に決まっているでしょう?」

<翌日夜、都内某所居酒屋「全兵衛」>

戸塚「八幡、こっちだよー」

八幡「お、おお。武内さんは?」

赤羽根P「アイツなら今少し外しているよ。君が比企谷くんだね? 話は聞いてる」

???「ほお、彼がかね! ふふ、若き日のお前に似てると思わんか?」

???「冗談ではない。私はもっと澄んだ目をしていたぞ」

八幡「赤羽根さん……。彩加、横のお二人は?」



彩加「765プロの高木社長と961プロの黒井社長だよ」

八幡「なっ……はぁ!?」

高木「ははは、そう固くならなくていいよ。座りなさい」
黒井「フン。お前が渋谷凛のプロデューサーか。……素人にしてはよくぞあそこまで磨いたと褒めてやる」

赤羽根P「はあ、黒井社長。初対面の人間にその高圧的な態度はいい加減やめましょうよ……」

黒井「なぜ王者が媚びねばならん」

高木「まあそう言うな、黒井。比企谷くん、生でいいかね?」

八幡「あ、はい。いただきます……」

八幡(彩加が赤羽根Pと会わせたいって言うから、何か一つでも有益な情報を持ち帰ろうと思って来たら……なんだこれ!? 間違いなく今のアイドル業界で偉い人トップスリーのうち二人だろ……!?)

武内P「ああ、比企谷くん。来ましたか」

八幡「た、武内さん。この面子は……?」

赤羽根P「ああ、本当にただの偶然だったんだよ。俺とこいつは次にやるライブバトルの折衝ついでにここに来てね。君に会ってみたいと言ったんだけど、一人で来るような人間じゃないって言うからね」

戸塚「エサになってみたんだ♪」

八幡「……釣られたわ」

武内P「黒井社長と高木社長とは偶然居合わせたのです」

黒井「いつものバーでも良かったが、今日は日本酒の気分だったのでな」

高木「はっはっは。実は、ここはマスコミが入ってこられないセーフポイントなのだよ。外で大事な話をするときはここを使うようにしていてね」

八幡「……なるほど。良いことを聞きました、覚えておきます」

高木「はっはっは、それがいい。私たちの商売柄、マスコミは諸刃の剣だからね。常に取扱いに注意せねばならん」

赤羽根P「よし、じゃあ全員揃ったことだし改めて乾杯しましょう! ――乾杯!」


八幡(そこからは多人数がいる飲みの席あるあるみたいなもんで、話のグループがひとつになったりふたつになったりした。赤羽根さんは俺が苦手なリア充タイプかと思ったら案外強かな人だった。清濁併せ飲めるからこその頂点なのだろう。高木社長は社長とは思えないほど茶目っ気がある人だ。だがその言動の端々には器の大きさや洞察力の深さがあらわれていた。黒井社長は……本当エキセントリックなんだが、この人見てると何か既視感があるんだよな……)


高木「そう言えば比企谷くん。『アプリコットの涙』、ヒロイン役は渋谷くんに決まったそうじゃないか」

八幡「あ、はいそうです。ありがとうございます」

黒井「相手役は私のところの冬馬だ。足を引っ張ってくれるなよ」

赤羽根P「まあ、メインヒロインと言えばうちの春香もそうなんだけど」

戸塚「ダブルヒロインかあ。海未さんも受けたけど、落ちちゃったんだよね……」

武内P「クールからは神谷さんも受かったのですよね。神谷さんに関してはやはり現役でモデルの高校に通っているというのは大きかったのでしょう」

八幡「そういうの、やっぱ関係ありますよね」

黒井「無論だ。正直な話、渋谷凛に至っては出来レースにすぎん。ベースが上手いヒロインの役など、このタイミングで渋谷凛以外をキャストする無能がどこにいる。経済効果に桁単位の違いが出るだろうよ」

高木「オーディションは行われたのだったね?」

武内P「はい。一応」

八幡「……なるほど。形だけのってやつか」

黒井「不満か? ざらにあることだ」

八幡「いいえ? 過程はどうあれ、あいつは結果を出すでしょ。なら拘泥なんざしませんよ」

黒井「……ほう」

赤羽根P「若いのにヒネてんなぁ……」

戸塚「八幡は昔からこうですからっ」

黒井「フン、中々見所があるようだな。いつかの貴様にも見せてやりたいぞ、赤羽根。……おい大将、黒龍を空けてくれたまえ。比企谷、飲め。奢りだ」

八幡「……ありがとうございます」

赤羽根P「俺、日本酒苦手なんだよなー……」

黒井「貴様に奢る酒などない。カシオレでも飲んでいろ」

赤羽根P「……抑えろ、抑えろよ俺」

八幡「……おお。うまい」

黒井「ほう、黒龍の良さが分かるか。ますます見所のある奴だ! 気に入ったぞ!」

高木「しかし黒井。天海くんと天ヶ瀬くんが共演するとなると、またマスコミには気を張らねばならんな」

黒井「ウィ。相変わらず下種の勘繰りとはウザったいものよ。しかし、大衆を楽しませるのは王者の義務というものだからな! 心地良く掌で踊らせてやろうではないか! ハーッハッハッハッハ!!」

八幡「……おい彩加。黒井社長もう酔ってんのか?」

戸塚「ううん、素だよこれ。冬馬くんもよく愚痴ってたなぁ」

八幡「……なぁ、天ヶ瀬冬馬ってどんなやつなんだ?」

戸塚「…………ふーん?」

八幡「……別に他意はないからな」


戸塚「ふふっ、そういうことにしといてあげる。冬馬くんは961プロのアイドルだよ。女性アイドル界で言う765プロの立ち位置って言えばもうわかるでしょ? ジュピターっていうグループを組んでて、それのリーダーなんだ」

武内P「一時期961プロからは離れていたのですけどね」

黒井「フン、ジュピターも青かったからな。この黒井崇男の思想を推し測るには頭も時間も足りなかったのだろうよ」

赤羽根P「言っときますけど黒井社長は言葉足りなさすぎなんです! 完全にただの嫌がらせでしたからね色々と! 千早の音消しの件、許したけど俺は忘れてないからな!」

黒井「結果的に最高の演出になったから良いだろうが。庶民はいつまでも過去のことをグチグチと……」

武内P「間接的に高垣さんも恩恵に預からせていただきました。ありがとうございます」

黒井「高垣楓か。私もステージを見たがあの女は素晴らしいな。早く高木のところのヘッポコ如月なんとかなど掃除してくれ」

高木「はっはっは。聞き捨てならんなぁ」

赤羽根P「だーもう! やっぱ俺はアンタが嫌いだ!」

黒井「なぜ私が貴様なんぞに好かれねばならん俗物が! もう一度米国で出直してこい!」

赤羽根P「うるさい! アンタこそフランス行って勉強してこいよ! ルー語みたいな使い方しやがって!」

黒井「口だけは一丁前に回るようになったではないかへっぽこプロデューサー。……おい、大将! バカルディだ! バカルディを持ってこい!」

赤羽根P「なーにが王者だ。ハリウッド帰りなめんなよ?」

高木「はっはっは、若いねえ! いいだろう、酒の分は私が持とうじゃないか」

武内P「ああ、もう。先輩はすぐカッとなるんですから……」

八幡「……この人たち、本当に偉い人たちなのか? 完全に駄目な大人なんだが」

戸塚「あはは……」



高木「武内君。赤羽根くんを頼むよ。……あと、例の件だが、代表取締役として確かに承諾した。素晴らしいものを創り上げたまえ。期待しているよ!」

武内P「どちらも承りました。責任を持って家まで送り届けますので」

黒井「フ……フン……情けないやつだ……」

赤羽根P「あ、アンタだってフラフラじゃないか……」

戸塚「黒井社長とは方面が同じなので、ぼくが一緒のタクシーで帰ります」

黒井「ウィ……すまんね……」

戸塚「あはは、じゃあもっとパッションプロにもお仕事欲しいですねー」

黒井「……お前は本当に油断のならん男だ」

――ばたん。ぶぅーん――


高木「急に呼び立ててすまなかったねえ。お蔭さまで楽しい夜だったよ」

八幡「いえ、こちらこそ。……なんか、こちらが喧嘩を売る形になってしまいましたが」

高木「はっはっは! いいじゃないか、こうでなくてはLIVEバトルというものを作った甲斐がない」

八幡「……え?」

高木「おお、知らなかったのかね。アイドル連盟の会長は私と黒井だよ」

八幡「……ますますビックリです」

高木「ははは、まあ知らなくても勝負に影響することはないから安心したまえ。……私は理想家でねえ、なんとしてでもティンと来る娘たちが正当に輝ける世界を作りたかったのだよ」

八幡「ライブバトルがなかったら、346のアイドルたちは今この位置にはいません」

高木「私たちはチャンスを与えたにすぎない。登ってこれたのは君たちの実力だよ。誇りたまえ」

八幡「……はい。ありがとうございます。……高木さんたちがいてくれて良かったです」

高木「そう言ってくれると嬉しいよ。……年寄りになると、どうもすぐに感傷的になっていけない」

高木「……比企谷くん。この世に魔法はあると思うかね?」

八幡「無いと思いますね。そんなものがあればどんだけ楽か」

高木「はっはっは! 即答か! ……君はやはり、黒井に似ているところがあるよ」

八幡「……なんか嬉しくないですね」

高木「その反応も含めてな! ……渋谷くんの活躍をこれからも期待しているよ。スキャンダルにはくれぐれも気を付けたまえ。伸び盛りの時期に喰らうと致命傷だ」

八幡「……やけに気にしますね? いや、当たり前なのはわかっているんですが」

高木「はっはっは。なに、年寄りの小言だよ。若者には同じ轍を踏ませたくないと、そう思うのは自然だろう?」

八幡「……まだお年寄りと言うには早いでしょう」

高木「君たちに比べれば我々など老骨さ。……私と黒井にもそんな頃があったのだ。いや、懐かしい。あの頃も今と同じく、アイドル黄金期と呼ばれていたんだ。大衆にとって一人のアイドルの存在価値は、極限と言えるまでに高かった。……だからこそ……」

八幡「……」

高木「おっと、いかんいかん。言ってる傍から昔語りなど、老害以外の何物でもないねえ。はっはっは、私も酔いが回っているのかな? さあ、タクシーを呼ぼう」

八幡「……ごちそうさまでした。また、話したいです」

高木「ははは、若者にモテるのはいくつになっても嬉しいねえ。それではな。……最後に、比企谷くん」

八幡「はい?」

高木「……なにかあったら私たちに任せたまえ。若者は間違えるのが仕事さ。そうやって、歴史は繰り返されてきたんだからね。……ではな。私のアイドルたちはそう簡単に負けんよ?」


八幡(目の前のこの偉人の優しい瞳の奥には、俺の何十倍もの歴史や想いが眠っているのだろう。想像を巡らせたとして、何も届く気がしない。その深く広い海のようなまなざしに何かを問いかけることはできるが、無粋な気がして取りやめた)


八幡(あの視線は見抜いていたのだろうか。……俺が、感じ始めていることを。いくらなんでも自意識過剰かとも思うのだが、あの眼には全てが見通されている気もした。判断材料は何だ。敏腕社長の眼力か。はたまた魔法か……経験か)


八幡(ほろ酔いの頭に浮かぶ顔。それは誰か。散々後回しにしてきた最後の問題と向き合うその時が、タクシーのラジオの時報と共に迫っている気がした)

<数日後、早朝。346プロダクション本社アイドル部門本部>

武内P「全員揃いましたね。それでは、ただいまより全体集会を始めます」

武内P「先日のライブ、お疲れ様でした。世間に与えたインパクトは計り知れないものだったでしょう。……その分に伴って、公示があります」

武内P「まずは渋谷さん、前川さん。あなたがたは本日付でDランクアイドルに昇格です」

みく「にゃっ!?」

凛「……やった」

未央「ぐぬぬ、負けてらんないね! しまむー!」

卯月「はいっ! すぐに追いつきましょう!」

ちひろ「あれ、もしかして新記録なんじゃないですか?」

雪乃「そうね。昨日までの最短記録は高坂さんの一年と二日だったから」

穂乃果「へー、よくわかんないけどそうだったの? 穂乃果、記録とか何も覚えてないからなー」

海未「あれほど各地で記録を作っておいてよくそんなことが言えますね……」

武内P「そうですね。ですが園田さんほどではなくなります」

海未「……はい?」

武内P「園田さんは本日付でAランクです。異例の二階級アップとなりました」

海未「……えええええぇえええええ!?」

絵里「相変わらずいい顔するわねー」

楓「えー顔してますね? ……ふふふっ」

にこ「なーっ!? にこなんてBランクに来るまで四年くらいかかってるのに!?」

きらり「うきゃー!! 海未ちゃん、すっごぉーい!!」

穂乃果「穂乃果、お父さんに紅白まんじゅうお願いするね!!」

海未「ななな何かの間違いでは!? こんなことが許されるのですか!?」

武内P「逆です。単独ライブ以来園田さんの調子があまりにも良すぎるので、頼むから早く上のランクに行ってくれと陳情されました。同ランクのアイドルが相手にならないからと」

戸塚「……ふふ。流石だね」

海未「……あう。み、身に余る光栄です……」

八幡「……しかし、なんか二階級特進ってなぁ」

杏「完全に死亡フラグだよね。勲章作るー?」

海未「誰が戦死ですかっ!?」

武内P「他にもトライアドプリムスのお二人や諸星さん、アナスタシアさんが昇格を決めていますね」

アーニャ「спасибо……ありがとう、ございます!」

きらり「きっと杏ちゃんの助演が決まったのが大きかったんだにぃ!」

美嘉「ねー」

莉嘉「アタシたちは?」

武内P「この前ランクが上がったばかりなのでしばらくはないでしょう。……偉業でも成し遂げれば別ですが」

未央「美嘉ねぇ、エベレストでも登ってみれば?」

美嘉「そんな方面で売れたくなーい!!」

武内P「双葉さんはそもそも昇格に必要なライブバトルの出場数が規定数に達していませんでした。勝率は申し分ないのですが……」

杏「……ま、仕方ないよね。どーでもいいや」

雪乃「……」

にこ「にこは? 活躍してる方だと思うんだけど」

雪乃「そのことだけれど。……あと一勝でAランクよ、あなたは」

にこ「……ふぅん。その相手が……」


武内P「ええ。765プロとのバトル、ということになります。……ここで、一番大きなお知らせをしようと思います」

武内P「今西社長と高木社長が合意しました。各本社はもう動き始めています」


武内P「――十二月に、346プロ対765プロの特別ライブを行うことになりました」


「!!!」

武内P「正面戦争であり……頂点を決める、最終決戦となります」

奈緒「……マ、マジかよ……!」

加蓮「……エラい時期にデビューしちゃったなぁ」

未央「くぅうー! 燃えてきたぞー!!!」

卯月「春香さんと同じ舞台に……! 夢みたいですっ!!」

にこ「ついに……この時が来たのね」

戸塚「……頼んだよ?」

海未「ええ、勿論」

武内P「詳細の情報を述べます。日時は十二月二十五日午後十八時から。場所はニッセンスタジアム。キャパは十万。当日までに可能な限りの宣伝を打ち、世間の注目を集めます。ライブの様子は……地上波で、生放送。会場の内外を問わず、全ての人たちがパフォーマンスに投票します」

きらり「……うきゃー!?!?!?」

海未「地上波……」

にこ「前代未聞ね……」

武内P「そうですね。アイドル史においては、日高舞の時代のそれを遥かに上回る大事件でしょう。この話を持ち掛けたのはこちら側です。世間は346が本気だろうと受け取るでしょうし、こちらからもそうなるよう大々的に広告戦略を打ちます。一人でも多くの人間の心情をあらかじめこちら側に傾けておきましょう。無論皆さんにも手伝ってもらいます。……前哨戦は、既に始まっているのです」

絵里「なるほど、ターゲットを普段アイドルに興味を持たない層にも広げるんですね」

武内P「はい。大衆というものは挑戦者に好感を持つ人が多いですから」

美嘉「テキトーに高校野球付けた人が負けてる方応援したくなるみたいなカンジ?」

にこ「なんか嫌な例えね……」

海未「あの、そこまでする必要があるんでしょうか?」

八幡「……ある。やれることはなんでもやっておくべきだ。不確定な要素は出来るだけ減らして、味方にできるもんなら身近な親でもなんでも使ったほうがいい」

未央「そ、そこまで言う?」

八幡「……俺は星井美希のパフォーマンスを一度だけ今のお前ぐらいの近い距離から見たことがある。少なくとも現時点で、あれより技術と才能の粋に圧倒されたことは未だない」

加蓮「この捻くれプロデューサーがそこまで言うくらいなの……?」

楓「はい。……彼女たちの実力は本物ですよ。全員Sランクは、やっぱり異常です」

武内P「だからこそ、やれることは全てやっておきましょう。こちらとしては憎むべき悪役に仕立てるくらいの気持ちで行きます。気持ちだけ、ですが」

ちひろ「……でも、そこまでしておいて、もし今までのアイドル達のように大差で負けてしまったら……」

武内P「……はい。これから先のトップアイドルの座は勿論、今の地位さえ危ういかもしれません」

「!!!」

武内P「……ですが」



凛「勝ったら、私たちがトップアイドルだよ?」


武内P「!」


みく「わかりやすくて手っ取り早いやん。やったろ?」

楓「借りは返しまっせ~。うふふっ」

穂乃果「みくにゃんって普段そんな感じだったんだ!」

杏「間抜けは見つかったみたいだな。……はあ、また面倒なことになりそうだなぁ……」

卯月「……わたしっ! 頑張ります! 春香さんにだって負けませんっ!」

海未「……もう、何があっても迷いません」

雪乃「ノーペインノーゲイン、ね。……衰退なんて、いらないわ」

八幡「……ま、リスクで脅かすには相手が悪かったんじゃないですかね」

戸塚「うん。なんてったってねえ?」


楓「――大丈夫。あなたが育てたアイドルですよ?」


武内P「……全ては伝わったようです。私からは一つだけにしておきましょう」

武内P「勝ってください。――あなたたちは、最高だ」

<翌日、早朝。千葉、総武高校>

冬馬「柊冬也役をやらせてもらうことになった天ヶ瀬冬馬です! 今回こんなすげー作品に関われたことを誇りに思いますっ! いや、マジで大好きな作品だからテンション上がりまくりだぜ! 原作に負けないくらい絶対良い映画にします! よろしくお願いしますっ!」

杏「そんなに頑張らずにほどほどにしよう? 役柄通り杏は働かないっ!」

監督「あっはっは、杏ちゃんは前のシリーズから変わらないなぁー」

凛「氷川凛奈役をやらせていただく渋谷凛です。初めてのヒロイン役ですけど、一生懸命やります! 美春には悪いけど冬也はもらっちゃおうかな。ふふっ」

春香「あー! ダメだからね、凛奈に騙されないでね? 冬也くんっ」

冬馬「お、俺は冬也じゃねえ! まだ撮影始まってないだろ!?」

監督「早速サヤ当てかぁー。にくいねぇ、このっ」

奈緒「…………あのリア充オーラ、つらいぞ……」

八幡「…………アイドルが言うなよ。死ぬほど同意だが」

雪乃「諸星さん。あなたのシーンまで少し時間があるから、台本のチェックの合間に次のレッスンの予定を確認しておいてね。少し変則的だから」

きらり「了解だよー☆」

監督「よーし、それじゃー早速今日から『雪リレ』、撮ってくよー? じゃあ春香ちゃんのシーンから」

春香「はいっ!」



八幡「……なあ、神谷。今更なんだが、『アプリコットの涙』ってどういう話なんだ? 双葉が主役じゃないのかよ」

奈緒「な、なんだと……。ラノベの中じゃストーリーがめちゃくちゃ評価されてるんだけど、比企谷さんは知らないのか?」

八幡「俺は本は読むがラノベはあんま読まねぇんだよ。青いやつをちょこっとくらいだな」

奈緒「ええっと、安楽椅子探偵ものってジャンルわかるか?」

八幡「確か、探偵が捜査をせずに助手とかが集めてきたデータや証拠で真相を解明するやつのことだったか?」

奈緒「うん、そんな感じ。だから今回の依頼主が天ヶ瀬さんとかって感じになるかな。……探偵ものってキャラが薄くなりがちじゃん? だからラノベとは相性が悪いってよく言われてるんだけど、そんな評価を覆したのがこの作品だったんだ。とにかくぐーたらで、他人のことには全く興味ない。毒舌ロリっ娘。でも天才。そんな主人公五十嵐杏珠と、行動派巨大幼馴染の七星うららが事件を解き明かしていくって物語なんだよ」


八幡「……それ、まんま双葉じゃねぇか」

奈緒「そうなんだよな。リアルに当て書きなんじゃないかってよくネットでは言われてる。作者もアイドルファンらしいし。……アタシ、ドラマシリーズ見たときはリアル杏珠きたーって思ったもん」

冬馬「俺、ブルーレイボックス持ってるぜ! 何週したかわかんねーよ」

奈緒「あ、天ヶ瀬さん!」

八幡「……ども」

冬馬「奈緒ちゃんに比企谷だな。黒井のオッサンがこの前は迷惑かけたみたいだな……」

八幡「……俺は彩加から聞いたよ」

冬馬「戸塚からは色々聞いてるぜ! 仲良くしてくれよな!」

八幡「……葉山タイプか。はぁ……」

冬馬「ん、なんか言ったか?」

八幡「難聴系主人公かよ。よろしくなって言ったんだ」

冬馬「はっ、あれわざと言う作品あるよな!」

奈緒「……天ヶ瀬さんってこっち寄りだったのか。噂は本当だったんだ!」

冬馬「……クソ、誰が言ったんだ。まあいいけどな! 俺はラノベもフィギュアも何でも好きだぜ」

奈緒「あっ、じゃあ最近出たfigimaの受注生産の杏珠のフィギュアは!?」

冬馬「もちろんとうにショーケースの中だ! 何のためにアイドルやってると思ってんだ?」

八幡「何のためにアイドルやってんだよ……」


冬馬「んなことより、『雪のリレーション』の話だろ?」

八幡「それがサブタイトルなんだっけか? 原作の四巻に当たるってな」

奈緒「そうなんだ! 『雪リレ』は正直推理要素が薄いんだけど、逆にそれがいいんだ。杏珠が謎を解決したおかげで出会った三人が、切ない三角関係を繰り広げていくんだよ」


八幡「……三角関係」


冬馬「主人公の冬也はクラスでは目立たないけど、ギターが上手い。入学当初事故にあったせいで軽音部に入り損ねて、以来ずっとステージへの憧れを持ってんだが、ついに何も動き出せないまま三年最後の聖誕祭前を迎えるんだ」

奈緒「そんな冬也と、空気を読むのが上手くて誰にでも好かれる学園のアイドル天乃美春。賢くて美人なんだけど、空気の刺々しさと両親が黒い政治家だって噂のせいで孤立してるベース弾きの氷川凛奈が、色々な偶然を重ねて出会い、情を育てて……恋に落ちていくんだ」

八幡「……どっちとくっつくんだよ」

冬馬「身も蓋もねぇな!」

奈緒「んー、でも、結末がわかってても辛いっていうかな……」

八幡「売れてるからには、ちゃんとした結末があるんだろ?」

冬馬「ん、まあな。……この事件以降、杏珠は変わってく。人の気持ちを、理解したいと思い始めるようになるんだ。何にでも冷めてて、わからないもんなんてないってずっと言い切ってた杏珠が」

奈緒「それぐらい、三人の在り方が切なくて……美しかったんだよ」

八幡「……結局、どっちだったんだ?」

冬馬「今日、原作持ってきてるから貸してやるよ! 読んでこい、語り合おうぜ!」

八幡「えぇ、いいよ……。お前、汚したりしたら怒りそうだもん……」

冬馬「保存用観賞用布教用の三つ持ってるから心配すんなって!」

奈緒「基本だよな!」

八幡「やだこの子たち……クソオタクしかいないの……?」

冬馬「明日日曜だろ? 徹夜で読めるぜ!」

八幡「それは無理だ。今日はプリキュアの為に早寝しないと」

奈緒「ブーメランって知ってるか? 比企谷さん?」



× × ×

冬也『……くそ。このままじゃもう、どうにもなんねぇか? 諦めちまったほうがいいのかな……』

冬也『中学生みてーな理想だけどなぁ。……でもやっぱ、諦めきれねーよな……』

――わんわんっ! わんっ!

『っ! しまった! リードが!? ま、待て! プラム!』

――ききーっ!!!!

冬馬『!? ……あ、あんた! 大丈夫か!?』


凛奈『っ……つつ。……お前、無事かよ?』


――わんわんっ! わんっ!

凛『ふ、元気にしやがってよ。こっちは死にかけたんだぞ? ……っと』

冬夜『立てるか!?』

凛奈『……っ!』

――ぱしいっ!!


凛奈『てめえっ、飼い主だろうが! 何こんな道路で目ぇ離してやがる!!』

冬也『……あ』

凛奈『面倒見れないなら。……見捨てるくらいなら! 最初から首輪つけてんじゃねえ!』

――たったったっ。


美春『あ、あのっ! 大丈夫ですか!?』

冬也『……んだ。アレ……』

美春『えっ!?』

冬也『……俺より。あの人の方が、痛そうだった……』

× × ×

<同刻、総武高空中廊下>

八幡「…………」

雪乃「…………陳腐、ね」

八幡「……お前はやっぱ手厳しいな」

雪乃「……この作品のことを言っているのではないわ」

八幡「……よくあること、だったみたいだな」

雪乃「そうね。……私は下りなかったけれど」

八幡「俺はしっかり轢かれたしな」

雪乃「……」

八幡「……由比ヶ浜は、元気か?」

雪乃「……ええ。元気に女子大生してるわ。私の……親友よ」

八幡「そうか。それを聞けて良かった。……聞いて、よかった」

雪乃「……聞いて、くれるのね」

八幡「……聞けるようになったんだ。多分」

雪乃「奉仕部。……どうなったか、知っていて?」

八幡「ああ。俺達以外に部員はゼロ。平塚先生は転勤で……今は、もうないって聞いた」

雪乃「その通りよ。……でも、少しの間だけ、あの場所はまた開かれる」

八幡「……そうなのか?」

雪乃「撮影。五十嵐杏樹と七星うららの探偵部の部室には……奉仕部の部室だった、空き教室を使用することに決まったみたい」

八幡「……運命、か」

雪乃「……ふふ。あなたもその言葉に捕まった?」

八幡「認めたくないけど、な」


――かちっ、しゅぼっ。


八幡「……ふぅ」

雪乃「……馬鹿。校内は禁煙よ」

八幡「誰も見てねぇだろ」

雪乃「私が見てるじゃない。……そんなもの、やめてしまえばいいのに」

八幡「中身が真っ黒な言い訳が立つだろ」

雪乃「……なら、私にも吸わせなさい」

八幡「え、いや……むせると思うぞ」

雪乃「あなたにできて私にできないという事実が物凄く気に食わないの。渡しなさい?」

八幡「……はぁ。じゃあ今吸ってるやつやるよ」

雪乃「っ……」

八幡「んだよ。やっぱやめるか?」

雪乃「な、何を言っているの。……早く貸しなさい」

八幡「止めたぞ、俺は」

雪乃「……っ!? げほっ、けほっ! っ、けほっ!」

八幡「言わんこっちゃねえ……」

雪乃「……っ! こ、こんなものを……あなたは……」

八幡「……そうだな。もうすぐ、四年くらいじゃねぇかな」

雪乃「……犯罪者ね」

八幡「……なら、裁いてくれよ」

雪乃「できないわ。……私だって、悪いのだもの」

八幡「違うだろ。あの時、弱かったのは俺だろ。俺だけだっただろ!」

雪乃「違う! 私はあの時、安心してしまった! ほっとしてしまった! ……あなたの優しさを逆手に、自分のことを顧みた!」

八幡「……お前がそうやって庇うから、こんなもん吸うしかねぇんだよ……」

雪乃「庇ってなんかない。本当のことだもの……」

八幡「……お前も俺も弱くて馬鹿だ。……こう言やいいのかよ」

雪乃「……そう、そうね。……強かったのは、結衣だけだった」

八幡「……」

雪乃「……また、冬が来るのね」

八幡「……ああ」


八幡(喧騒の届かない、鍵のかかったあの部屋のことを思う。時ごと閉じ込めているならば、あの日の雪もそのままだろうかと)

八幡(過去に閉ざした扉が開かれようとしている。ならば、名残の雪を溶かす、その時は)

『今だよ、比企谷。……今なんだ』

八幡(ならば再び、もがいてあがこう。一度はないと決めつけたそれを、もう一度掴むために)

八幡(視線を雪ノ下にもっていく。昇った朝日が、昔よりずっと綺麗になった彼女を照らしていた)

× × ×

冬也『この依頼、頼めねーか? 俺の方でも探してみたんだけど見つかんなくてな……』

うらら『うんっ、わかったー!』

冬也『本当かっ!? 助かる! ……五十嵐たちに言えって、先生がな』

杏珠『お、おい待てうらら。私はやるなんて一言も言ってないぞ!』

うらら『でもでも、十一月中に一件も成果が報告できなかったら廃部だって先生言ってたよ?』

杏珠『……クソ、ここが無くなったらまともな部活に入らないといけなくなるのか。……あぁ、めんどくさい。でも、仕方ないか……』

冬也『……もし見つけられたら、本気で口説いてみる』

うらら『あっ、一目惚れかー!? いいなー☆』

冬也『ち、違う! ベース持ってたから……一緒に、聖誕祭のステージに出られたらなって』



美春『使ってない音楽室に幽霊が出るみたいなんだけど……それ、どうにかなんないかなぁ……!? みんなが怖いから解決してって言うんだよー!』

杏珠『……それ、君が引き受けたんでしょ? なら自分でどうにかすれば?』

美春『そんなひどいこと言わないでよっ!? み、見栄張っちゃったんですー!』

うらら『杏珠ー、力になってあげよーよ?』

杏珠『先生には一件でいいって言われてるんでしょ? なら面倒事増やさなくても……』

うらら『……だめぇ? うらら、力になりたいなぁ……?』

美春『……だめぇ?』

杏珠『うっとおしいなぁ。あざといぞ天乃美春』

美春『あざっ!? こ、これでも学園のアイドルって言われてるんだけどなぁ?』

杏珠『自分でそんなこと言うやつのどこがアイドルだ。わかったからもう帰ってよ』

うらら『わっ、杏珠っ、ありがと! やっぱり優しいねー!』

杏珠『断っても断ってもどうせしつこいだろうららは……。いい加減学ぶよ……』

美春『……うぅ。なによぅ、みんなみんな最近わたしのことなんだと思ってるのよう……』

うらら『えー? 美春ちゃん、一番はじっこのうららの国際クラスでも有名だよー?』

杏珠『同じく端っこの理系でもね。野郎が天乃天乃ってうるさいったらありゃしない』

美春『……そうだよね。でも、でもね。この前ね、話しかけたらさ』

美春『ああ、もうあん時のはいいから。それより戻ってくんねーか? あんたに話しかけられると、目立ってかなわん』

美春『だって! そんなこと言うんだよ!?』

うらら『えっ、男の子が……?』

杏珠『……恋愛相談なら他所でやってくんない? そんな一昔前のゲームのヒロインみたいな反応、もうお腹いっぱいだから。しっしっ』

美春『あー! またそんな風に言うんだから!』



うらら『で、練習時間とかはこんな感じ! あとは隣の軽音部室のことも聞いてきたよー!』

杏珠『……ふーん。なら天乃の方は解決か。あとは柊のほうだけど』

うらら『えっ、もうわかっちゃったの!?』

杏珠『今回ラッキーすぎだよね。答えの方から転がってくるんだもん』

――こんこん。

うらら『あっ、どうぞー!』

凛奈『……探偵部ってのはここであってるか? 探し物をしてるんだが……』

杏珠『……ほらね。また転がって来た。今回は一番つまんない依頼になりそうだね』


× × ×

<翌日、都内某所。スタジオ>

武内P「もうしばらくで準備が完了します。待機していてください」

凛「わかりました。……ふぅ」

八幡(会見用のスタジオの空気は、気のせいかひりつくように痛い。今からここで、武内さんと渋谷は346の代表として765プロに公式な宣戦布告を行う。世間は今、765対346の直接対決がいつどのように行われるのか、湧きに湧いている。ならばこそ、今から行われる公式発表は日本中に大きな衝撃をもたらすことになるだろう)


八幡(隣で揺れる小さな肩には、大きな責任と)

八幡(この役目はお前に任せたと笑う、みんなの期待が住んでいた)

八幡「いよいよ、か」

凛「……そう、だね」

八幡「……懐かしい顔してんな」

凛「え? 何が?」

八幡「お前が初めてラジオに出たとき。緊張しててわざわざ喫煙所に来ただろ。そん時も今みたいな顔してたよ」

凛「……恥ずかしいこと覚えてるよね」

八幡「いやな。なんか面白くなっちまって。……まだ可愛げが残ってんだな」

凛「ふふっ、こんな可愛いげのあるアイドル他にいる?」

八幡「……そうだな。いねぇな。少なくとも、主観的には」

凛「……ど、どうしたの? 照れるんだけどっ」

八幡「可愛くねえって言えば良かったのかよ」

凛「へ、変なの。……でも、ありがと」

八幡「……お前はいつも、自分の力で乗り越えてきた」

凛「そんなことないよ。いっつもプロデューサーに頼ってたじゃん。あなたがいなかったら、今の私はないよ」

八幡「いや。俺はいつも見てるだけだった。お前は勝手に乗り越えてったろ」

凛「……かもしれないね。でも、それでいいじゃん。……私、あの時、嬉しかった。不純な動機でも、アイドルでいていいって言われて嬉しかったよ」

凛「初めてだったんだ、そんなこと言われたの。こんないいかげんだった私でも、頑張っていいんだって。生きていいんだって言われた気がして」

凛「だから頑張れて、一生懸命になれた。だから本気になってくれる人が生まれた。在り方に憧れる人ができた。……辿りつきたい、場所ができた」

凛「プロデューサーは捻くれてるし、厳しいし、魔法のように仕事がこなせるわけじゃないよね。でも、私にはそれでいい。それがいいんだ。一歩一歩歩いたこの道のりが、何より愛しく思えるように。一人でだって歩けるように。そんな私にしてくれるあなたで良かった」


凛「……人には人を変えられないってあなたは言うけど、でも、変わっていく姿を見守ることだけはきっとできるんだなって思う」

凛「だから、比企谷八幡さん。ありがとう。あなたのお蔭で私は安心して変われたよ。私は私を好きになれたよ」

凛「見守っててくれて、ありがとう」


凛「――魔法使いじゃなくて、ありがとう」


八幡「……ああ」

凛「……ふふっ。やり返し、成功だね。顔ヘンだよ」



八幡(きっとそんな言葉を、誰かにかけてもらえるのをずっと待っていた。あなたはあなたでいいのだと。けれど、生きていく中でその言葉が俺に向けられることはなかった。だから、他人に期待するのをやめた。いつまで待っても降ってこないそれは、自分の手で掴み取るものなのだと思って)

八幡(一度、それが目の前にちらついた。欲しくて欲しくてたまらなかったものは四年前、確かに目の前にあったのだ)

八幡(手に出来ないはずの酸っぱい葡萄。俺は喜び勇んで手を伸ばす)

八幡(けれど、その途中。俺の中の邪知暴虐の王は叫んだのだ。その手を収めれば、ずっと甘い蜜に漬かっていられると。……だから、弱い俺は)

八幡(そうすれば三人のままでいられる。俺がその葡萄を口にしなければ、誰も一人にはならないのだと、そう信じて)

八幡(差しのばした手は葡萄ではなく、蛇の林檎を掴んでいた)

八幡(楽園は、壊れた。そんなものはどこにもなかった。……知っていた。この世にそんなものあるはずないと、きっと誰より知っていたのに)

八幡(王は笑った。貴様が守りたかったのは自分であろうと)

八幡(反発する心は認めたくなくて、だから本物なんてないと、そう思おうとした)

八幡(でも、ある。それは人ごとに違っていて、相変わらず俺にとってのそれは何だかわからない。けれど、今目の前で自力で掴んだ者がいる。ある。あるんだ。本物は、ある)

八幡(欲しかった言葉をくれた人は、それを手にして笑っている)

八幡(……並びたい。ふさわしくありたい。そのために、もう一度自分を好きになりたい)

八幡(俺は――変わりたい)

八幡(人の為に変わりたいと思うこの気持ちを、何と言うのだっけ)



武内P「始まります。準備を」

凛「はい。今、行きます」

八幡「……渋谷」

凛「ん? なに?」

八幡「緊張、消えたな」

凛「うん。みんなの期待背負ってここにいるんだよ。もう震えてなんていられない!」

八幡「そうか。じゃあ、ついでだ」


八幡「――俺も、お前に期待してるよ」


凛「……うんっ! 必ず応えるから、見てて!」

<午後九時、地上波生放送>

凛『こんばんは、春香さん。現場で毎日会ってるのに、こうして画面越しに会話するのは変なカンジだね』

春香『そうだねー! 今撮ってる映画だと、凛ちゃんとは無二の親友ですもんね!』

凛『うん。でも、凛奈と美春は……それと同じくらい、ライバルだよね』

春香『うん……そうですね』

凛『春香さん。いや、765プロの皆さん。私は皆さんを尊敬しています。同じアイドルとして、トップアイドルの皆さんには痺れられずにはいられないです。本当にすごい人たちだなって思います』

凛『でも、だからと言って負けられない。負ける理由にはならない』

凛『私は、私たちは。トップアイドルになりたい』

凛『だから、その座は貰います。どいてください』


凛『――私たち346プロは、クリスマスの夜。765プロとの直接対決を希望します』


春香『……はい。承りました! 王者として、トップアイドルとして。その挑戦、受けて立ちます!』

凛『私たちからのクリスマスプレゼント、皆さんも受け取りに来てください。待ってます!』

春香『凛ちゃんたちみたいな悪い子には、別のもの渡すね?』

凛『へえ、何?』


春香『引導、です』


凛『ふふっ、怖い怖い。……楽しみにしてます!』

春香『ええ、私たちだって!』



武内P『――以上が概要となります。最高の夜に致しますので、是非。現地に、画面の前にお越しください』

赤羽根P『私事になりますが、現在346のアイドル部門を率いてくれているこの武内くんは学生時代からの後輩です。一時期、彼はわが社に在籍していたこともあります。寡黙で実直な、素晴らしい後輩でした。……そんな彼が、私にどれほどのものを見せてくれるのか、個人的に楽しみにしています』


武内P『……この試合には、346のアイドル部門の今後がかかっています。我々としては、何としても勝利が欲しい。負けるわけにはいきません』

武内P『と、いう建前は置いておきまして』

赤羽根P『……は?』

武内P『……先輩。私はあなたに何度も助けていただいた。学生の頃からずっとです。あなたは私の憧れであり目標でした。それは今でも変わらない、が』

武内P『私も男に生まれたからには、負けっぱなしなど真っ平御免です。人より劣っているなどと、認めたくはないのですよ。……一度言ってみたかった言葉があるんです。このために765を離れたのかもしれません』


武内P『――いつまで先輩風吹かせてるんですか? 生意気ですよ』


赤羽根P『……ふっ。くっくく……』

赤羽根P『あっはっは! 馬鹿だよなあ、お前! よりによってこんな時に! あっはっは!』


赤羽根P『――いいだろ。かかってこいよ。春香の言う通り、引導を渡してやる』


<翌日、夜。346タレント養成所レッスン室102>

凛「……っ……。はぁっ……。げほっ、ごほっ!」

加蓮「……ごめん。…………もう無理みたい」

未央「か、加蓮。……大丈夫? はぁっ、はぁっ……」

海未「…………」

マストレ「身体が動かない者は別室で振付師や作曲者と対話を行え。全ての表現には意味がある。人力で全て抑えろ。他者の意を完全に斟酌し切った先に自己表現がある。……急げ、貴様らには時間が少ない。絶対王者と比肩せねばならないのだ。限界など草木をまたぐように軽く越えてもらわねば困る」



星空凛「世の中に……これより人性を無視したレッスンがあるのかな……」

ルキトレ「でも、斬新な発想……。わたしには、こんな効率的な方法は逆立ちしても思いつきません」

星空凛「門外不出って言うだけあるにゃ……」

ベテトレ「……神話だと思っていたがな。かつて日高舞の専属トレーナーを務め、彼女が引退してからはフリーに。法外な値段をふっかける代わりに、最大限の成長を約束する腕利き。しかも、気に入らん相手からの依頼は受けんというしな……」


戸塚「……なるほど、ここに使ったんだね」


マストレ「渋谷、どこへ行く?」

渋谷「吐いてきます。五分で戻ります。……今の、もっかい、お願いします」

マストレ「……フ。良いだろう」

マストレ「後の者は少しメニュー通りにこなしていてくれ。トレーナー諸君は監督を頼む。……双葉。ついてこい。星井美希と対戦するにあたって、話さなくてはならないことがある」


杏「杏的には休めてラッキーだから、いっつまでもお話してたいなー」

マストレ「……雪ノ下氏も、聞くのかね?」

雪乃「私は彼女のプロデューサーです。義務も……責任もあると思います」

マストレ「うむ……いいだろう。……双葉」

杏「はーい」

マストレ「おまえは天才だ。私が指導してきた天才……日高舞や星井美希にも勝る。いや、カテゴリーが違うとでも言うべきか。とにかく他のアイドル達とは一線を画している」

杏「えー何? 照れるなぁ、そんなこと言っても杏は働かないぞー?」

マストレ「……おまえは他の天才たちとは違う。彼女らがなぜ天才と呼ばれるかと言えば、感覚で全てこなせてしまうからだ。凡人が何歩も何歩も歩んでようやく会得する物事を、悠然と飛ぶ鳥のように一瞬でものにしてしまう。なぜと言われてもわからない。彼女らにとって空を飛べることは呼吸同然に当たり前のことだからだ」


雪乃「……」

マストレ「だが、おまえは違う。おまえはその気になれば自分がなぜ飛べるかを一つの余白無く語ることが出来るだろう。最短経路が一瞬で見えているだろう? 一度見たことを感覚の暴力で再解釈する彼女らとは違い、おまえは完全に記憶して完全に再現している。我流に見えるパフォーマンスも、全て計算の上に成り立っている」


マストレ「双葉杏は、理詰めの天才だ。……そんなおまえだからこそ、わかっているな?」

杏「……うん。そーだね」


マストレ「――今のおまえでは、絶対に星井美希に敵わない」


雪乃「っ! 何を仰っているんですか! 指導者だから何を言っても構わないと――」

杏「いい。プロデューサー。……いいから」

雪乃「双葉さん……」

マストレ「……自分の欠点は何か、わかっているな?」

杏「……うん。体力、だね」

雪乃「!」

マストレ「そうだ。……おまえはその身体ゆえか、体力が絶対的に足りない」

杏「……まぁね。だから杏はなーにもできないって言うんだよ」

雪乃「! まさかあなた、あんな身体に負荷をかけないだらけた曲しか歌わないのは」

杏「あはは、深読みしすぎ。動きたくないだけだよー?」

マストレ「……無償の奇跡など存在しない、と言うがな」

杏「まぁね。流石にハタチにもなるのにさ、身体育たなさすぎだよね。……この身体分の体力もないけど。杏の代償はそんな感じだね」

雪乃「あなたは……本当、賢い子ね。これほど長く一緒にいたのに、気付かなかったわ」

杏「ふふふ、だから竜吉公主って言ったじゃん。下界の空気はキツくてさ」

雪乃「なぜ、隠したの?」

杏「……言うのがめんどくさかったからね。言わなくても伝わるかなって」

雪乃「………………。ああ、なるほど」クス

杏「……え? 今の笑うところあった? さすがにこの天才でもわかんないなぁ……」

雪乃「いえ。……今、どうして私があなたをスカウトしたのか、わかった気がしたの」

杏「……変なプロデューサー」

マストレ「……いいか? 双葉、おまえには勝てない理由があるといった。体力の無さだ。だから勝てないという訳じゃない。全てはその原因から始まっているというだけで」

杏「……」

マストレ「……双葉。おまえは欲しいか」

杏「……何をさ」

マストレ「手を伸ばさねば届かない……『本物』の勝利だ」

杏「!」

マストレ「届くかどうか、どうにかなるかも、いかなる天才にも解りはしない。神でさえ」

マストレ「さあ、答えろ。一回切りだ、今しかない」

マストレ「大事なものほど、取り返しはきかないのだから」


× × ×

わからない。

わからないわからないわからない。

「ふざけるな……。なんだよ。なんなんだよ、それ……!」

彼女の口から溢れ出るのは、生涯で一度も問いかけたことのない他者への疑問。

天与の才は自覚している。幼い頃から、この身にわからぬことなど一つもなかった。

つまらない。他人も自分も何もかも。本気を出せばきっと理解しきってしまうから。

だから、人というものはくだらなくて、解き明かす価値のないものだと、そう思っていた。

証拠はそろった。だから、筋道立った未来は一つ。仮説など実証する価値もない。

答え合わせをする気になったのは、ただの気まぐれ。自分にとって都合のいい手足を失うわけにはいかないからと、そんな独善的な理由。また的中に決まっているのに。

けれど、目の前で繰り広げられているそれはなんだろう。


「おかしいよ……! お前ら、馬鹿なのか……!?」


最適解を弾き出した。きっと彼ら彼女らも、それがわかっているはずなのに。

なのになぜ、間違った答えを選ぼうとするのか。

「わからないよ……。どうしてそこまで、他人が大事なんだ……」

ああ、理解できない。不合理だ。腹が立つ。同じ人間とは思えない。

それなのに……それなのに。この心に渦巻く感情はなんだ。頬に滴るものの正体はなんだ。

「泣いてる……のか、私……は……」

涙が口に入る。蓄え尽くした知識が、それは酸っぱいだけだと言っているのに。

初めて舐めたそれは、杏の飴玉のように甘酸っぱかった。

× × ×

<数日後、深夜。キュートプロダクション事務所>

杏「…………」

――ばたん。

雪乃「遅くなってしまったわ……!? 双葉さん!?」

杏「あ、プロデューサー。遅くまでお疲れ様だねぇ。こんな夜中まで働くなんて信じられないよ、杏は」

雪乃「休み前だし別に構わないわ。あなた、今何時か分かっているの? 私なんて終電前よ?」

杏「……いやね、本を読んでてさ。久しぶりに時間忘れちゃったよ」

雪乃「あなたが本を……? 雪が降りそうね」

杏「し、失敬な。杏はこー見えて中学まで図書館っ子だったんだぞ」

雪乃「……不登校らしいわね。何を読んでいたの?」

杏「アプリコットの……四巻。『雪のリレーション』」

雪乃「あなたが役作りなんて。やっぱり雪じゃないかしら」

杏「……それでもいいけどね。杏、雪、好きだから」

雪乃「っ、こ、こっちを見て言わないでもらえるかしら」

杏「あ、なに、照れてんの? やっぱ可愛いなぁプロデューサーは。杏と付き合ってみるー? 杏は性別とか些細なこと気にしないぞー? 優しくするからさっ」

雪乃「嫌よ、あなたみたいな駄目人間。私にメリットがないじゃない。結婚しても絶対家事とかしないでしょう、あなた」

杏「否定できないのが辛いなぁ。……そりゃ同じダメでも、家事する専業主夫の方がいいよね」

雪乃「……生意気。からかわないで頂戴……」

杏「そんなにイジりやすい性格してるのがいけないんだよー」

雪乃「……みんな姉さんと同じこと言うんだから」

杏「……本当にメリットで人を好きになったり嫌いになったりできたらいいのにね」

雪乃「…………聞いたの?」

杏「んーん。本音と、鎌かけ。何かあったんだろうなってことくらいしか。いくら杏でもさ、知らないことはわかんないよね」

雪乃「私なんか鎌にかけて、どうするつもりよ……」

杏「うん。……杏も、知りたくなっちゃったんだ」

雪乃「……そう。……なんだ、もう……叶っていたのね」

杏「プロデューサー?」


雪乃「……どうせ事務所に泊まるつもりだったんでしょう? 車で来てるから乗っていきなさい。家でいいなら、泊めてあげる」

杏「……泊まったら、話してくれる?」

雪乃「……そうね」

雪乃「飴をくれたら、話してあげる」

× × ×

美春『えっ、ええええー!?』

杏珠『一々リアクションまでうっとおしいなぁ。二度は言わないよ。ムダだから』

美春『だだだだって! 解決してくれるって言ったじゃん!?』

杏珠『うららが行っても意味がないんだよ。君が確かめてこい』

美春『嘘つきっ! わたし幽霊苦手なんだよ!?』

杏珠『……あのな。幽霊なんているわけないでしょ。証拠と情報さえあれば、真実までの道はひとつだ。わかんないことなんて、この世にないよ』

美春『じゃ、じゃあせめて何がおきてるかだけ教えてよ!』

杏珠『喋るのがめんどくさい。それに、一粒で二度か三度おいしい方がいいだろ』

美春『……?』



冬也『もう締切まで時間がねぇ。……終わりか。……そうだよな。大体、聖誕祭に出るメンバー集められるくらいなら、途中からでも軽音部に入ってるよな……』

~♪

冬也『……隣の軽音部室、今日もか。結局窓越しのセッションはやられっぱなしだったな。んだよ、ベースでスウィープとか意味わかんねぇよ。……参った。すげえやつだな、あんた。俺も、あんたみたいなすごい人と。……気になるやつと。ステージに、立ってみたかったよ』

冬也『……月、綺麗だな。そりゃ輝夜姫も帰るよな』


~♪

冬也『! 輝夜の城か……。気が合うよな、つくづく。……最後だ。今までありがとな』


――♪「私は紅い薔薇の姫よ 優しくさらわれたい
    そっと囁いて 意味ありげに目をそらす
    あなたは白い月の騎士 逃さずに抱きしめて」


冬也『!? 月……いや、空中廊下の辺りか……?』

――♪「逃さずに抱きしめて この奇跡を 恋と呼ぶのね」

冬也『奇跡……。いや、考えてる暇はねぇ! ルーパーだ!』

~♪

冬也『! 合わせて……。サンキュ、愛してるぜ!』


――♪「私は黒い薔薇の姫よ 激しくさらわれたい
    だから微笑んで 追いかけてと目が誘う」

冬也(この際、幽霊でもなんでもいい! ……やっぱり、諦めんのは嫌だ!)

――♪「あなたも黒い月の騎士 瞳の奥は熱い」

冬也(俺は……みんなの前で、ギターが弾きたい!)

――♪「つかまえて 抱きしめて」

冬也「こんな奇跡、逃すもんかよ!!」

――がちゃっ!



――♪「この奇跡は」

――♪「恋を 呼ぶのね」



冬也『……』

美春『……あ……』

冬也『……お前、だったのか』

冬也『…………天乃、だったのか……』

美春『……!? じゃ、じゃあ、音楽室の幽霊って、柊くんだったの!?』

冬也『……天乃』

美春『な、なにかな?』

冬也『………………お前、歌、下手だな……』

美春『なーっ!?』


× × ×

<十二月初頭、夜。服飾店「Little Birds」事務所>

ことり「よしっ、パターン引き終わった! いいぞ~、いい子になるんだぞ~♪」

――こんこん。

ことり「んー? ……あっ!? 時間!?」

――がちゃ。

海未「ことりっ、一体いつまで待たせるのですか。穂乃果でさえ時間通りに来たのですよ?」

穂乃果「ひどいっ!? 穂乃果も時間くらい守るよっ! ……外国人基準で」

ことり「ご、ごめぇん! つい夢中になっちゃって……」

海未「全く、ことりは服のことになると全部飛んでっちゃうんですから。……私のこととか」

穂乃果「うわ、ねちっこい……。海未ちゃんって味噌汁の味にくどくど言いそう」

海未「誰が姑ですか!?」

ことり「うう……許して? おねがぁい……」

海未「……ふふっ、冗談です。怒っていませんよ」クスクス

ことり「……最近似てきたよねー」

穂乃果「ねー」

ことり「お泊り会は二人でやろっか、穂乃果ちゃん」

海未「なあっ!?」

穂乃果「そうだね。海未ちゃんはさいちゃんと泊まってればいいんだ。穂乃果たちは女二人で寂しい夜を過ごすもん……よよよ……」

ことり「ことり、穂乃果ちゃんならいいよー。ふふふっ」

穂乃果「あっ、言ったなことりちゃん! 本気にしちゃうぞ!」

海未「……ぅう。あんまり、いじめないでください……」

穂乃果「……もー!」ギュッ

海未「きゃあっ!?」

ことり「ずるいのですねー!」ギュッ

<海未の家、縁側>

海未「もう、すっかり冬ですね」

穂乃果「湯上りだと気持ちいー!」

ことり「そうだねぇ。……もうコートないと外歩けないなー」

穂乃果「時間が過ぎるのは早いね! 穂乃果たちももうみんな二十二歳になっちゃった。二十二歳だよ!? なんかすごくない!? 穂乃果全然変わってないよ!?」

海未「穂乃果はもう少し落ち着きを身に着けたらどうなのですか」

ことり「穂乃果ちゃんが落ち着いちゃったら死んじゃうよー」

穂乃果「マグロじゃないもん……」

ことり「……きっと、ライブの日までもあっという間なんだろうなー」

海未「……クリスマス、ですか」

穂乃果「あの日も、クリスマスだったよね。ことりちゃんがパリに行った日」

ことり「うん。忘れるはずないよ」

海未「……考えることは、同じでしたか」

ことり「……あの時ね、本当はこわかったんだ。もしパリに行って、勉強しても……みんながデザイナーになれるわけじゃないし。自分がどうなるかなんてわからないし……だから、巣立つのがこわかったんだぁ……」

海未「……」

穂乃果「……でも、ことりちゃんは振り返らなかったよね」

ことり「うんっ。だって、後ろで二人が見てるってわかってたから。わたしが歩いて行ったあと、二人も別々の道を歩くんだって、そう思ったら」

ことり「穂乃果ちゃんと海未ちゃんに、かっこいいところ見せたくなったの!」

穂乃果「……うんっ。本当にかっこよかったよ! だってね!」

海未「そのせいで、二人して人生が狂ってしまいました」クスクス

穂乃果「……クリスマス。ことりちゃんの作った衣装で、私たちが踊るんだね」

海未「それも、全国民の前で、です」


ことり「……夢、叶ったね」

海未「これからですよ、ことり」

穂乃果「そうだそうだ! やっぱり夢は勝ち取らないと!」

ことり「……うふふ、そうだね」

海未「ずっと、どこにいようと何をしようと、何年経とうと……三人は、一緒です」

ことり「誰といようと、も追加してほしいなー?」

穂乃果「本当だよ……」

海未「あなたたちはしつこいですっ! 大体私たちはまだ何もしてませんっ!」

ことり「まだぁ……?」

穂乃果「……穂乃果、アンコールの前、なんかごそごそしてるの見えたんだけど」

海未「ききき気のせいじゃないですか?」

穂乃果「……」

ことり「知ってる、海未ちゃん? ……冬でも、夜は長いんだよ?」

海未「日本酒は! 日本酒だけはやめてくださいっ!? 何でもしますからっ!」


穂乃果「……今ね、ちょっと思った」

ことり「え?」

穂乃果「もし、もしだよ? もしも、穂乃果たちの誰か一人が男の子だったとしても……。こんな風にいられたのかな、って」

海未「……それは」

ことり「……」

穂乃果「なーんて、意味ないか! そんなこと考えても」

ことり「……んーん、きっと一緒だったよ!」

海未「……ええ、そうですね。まぁ、そうなっても私はまたイチ抜けさせてもらいますけど」

穂乃果「海未ちゃんってさ、誘い受けってやつだよね! 最近杏ちゃんに教えてもらった!」

ことり「……こんな冬の夜には熱燗だよね? ね? ……なあ?」

海未「ごめんなさい! 調子に乗りましたっ、ごめんなさいー!?」

× × ×
美春『おはよう柊君! おはよう! おはよう!』

冬也『……本気で迷惑だ。マジで目立つからやめてくれ』

美春『……わたしの秘密を知って、ただで済むと思わないでよね』

冬也『秘密って、歌が』

美春『わー! 駄目! 駄目だから!』

冬也『……別に悪いことじゃないだろ。下手の横好きは』

美春『また下手って言った!? ……いいじゃない。……はぁ。わたしだって、本当の意味でアイドルみたいになりたいよ』

冬也『十分好かれてんだろ。俺以外には』

美春『……ちっ。そういう意味じゃなくて、みんなの前で歌えたらなぁって。……そんなことしたら、はりぼてがバレちゃうから……』

冬也『……なあ。利害は一致してるらしい。提案がある』

美春『……え?』

冬也『本物に、なってみねーか?』



冬也『いっつも合わせてくれてたの、あんただったのか……』

凛奈『……そうだよ、下手くそ』

冬也『……礼、言わせてくれ。犬、 助けてくれてありがとな。……あと、合わせてくれて』

凛奈『いい。自分の為にやったんだ』

冬也『……?』

凛奈『んなことより、眼鏡返してくれ』

冬也『あ、ああ。ほら』

凛奈『ったく……。見にくいったらなかったぞ』スチャ

冬也『すまねえ……』

凛奈『……この顔見て、なんか言うことないのか?』

冬也『……? いや、確かに礼ならいくらしてもし足りねえが……』

凛奈『っ……! ああ、そうかよ』

冬也『ま、待ってくれ! 頼みがある! ……俺と一緒に、聖誕祭のステージに出てくれないか!?』

凛奈『ああ。……絶っ対、ヤだね!』



美春『氷川凛奈さん、だよね?』

凛奈『……そうだけど。学園のアイドルさんが図書室に何の用だ』

美春『ねえ、なんで一緒に聖誕祭、出てくれないの?』

凛奈『……柊の差し金か。あいつに人脈なんてあったのか』

美春『……なんで彼に友達がいないこと、知ってるの?』

凛奈『……知らない。今適当に言っただけ』

美春『わたし、氷川さんと一緒にステージ出たいなー。だめぇ?』

凛奈『あんな歌と? ふふっ、笑わせんな』

美春『聞いてたの!?』

凛奈『図書室では静かにしろ。……良かったじゃん、あんな歌でも男は釣れるんだから。さすがは学園のアイドル様だ』

美春『……あれ、もしかして妬いてる?』

凛奈『名前通り頭ン中も春らしいな。とにかく、弾かない。じゃあな』

美春『あっ、行っちゃった。……なによぅ。逆だよ。釣れたどころか、エサにされてるのに……』

美春『あーもー! みんなしてなにさ! こうなったらみんなまとめて魅了してやる!』

× × ×

<数日後、夜。都内某所、ラーメン屋>

加蓮「こ、これが……噂のなりちゃけ……!」

凛「ギタギタ」

奈緒「強ぇえ……。アタシはあっさりで。加蓮もそれでいいよな?」

加蓮「う、うん……。でも、ジャンキーなもの結構好きだから楽しみ!」

奈緒「入院生活の反動か……。よくもまあ今あんなレッスン受けてるよな」

加蓮「っていってももう昔のことだからねー。まあ、未だに体力は課題だけど……」

凛「十分だよ。私なんて最初のレッスン、休憩入れてもバテバテだったもん。マストレさんのレッスンなんて考えられないかな」

加蓮「……へー。凛もそうだったんだ」


――ごとん。


凛「食す」

奈緒「ステージの時と同じ目をしてるぞ……」

加蓮「……え”? これ、脂……? い、いや! ラーメンなんかに負けない!」

<帰り道>

凛「ふー。美味しかった」

奈緒「お、おい、加蓮。大丈夫か……?」

加蓮「やっぱりラーメンには勝てなかったよ……」

凛「そう? そんなに多くなかったじゃん」

加蓮「あたしの分もちょっと食べててなんでそんな平気なの……?」

奈緒「その細い体のどこに消えたんだ……」

凛「食べても全部レッスンで消し飛んじゃうよね。それぐらい今やってるのはキツいかな」

加蓮「ん、確かにキツい! ……でもさあ」

奈緒「うん。ラーメン屋さんにまで『トライアドプリムスの皆さんですか? 応援してます、サイン頂けますか』なんて言われたらなぁ。やりがいもあるってもんだよな」

凛「……あ、広告出てるよ。ふふっ、皇国の荒廃この一戦に在りだって。日露戦争だっけ」

奈緒「……どっちが日本?」

加蓮「どう考えてもこっちでしょ。巨大ロシア軍かぁ……」

凛「それでいいじゃん。最後には勝つんだし」

奈緒「凛はいっつも、強気だな」

凛「幼稚で負けず嫌いなだけだよ」

加蓮「……中学の頃と、感じ変わったよね」

凛「そうだね。否定しないよ」

加蓮「うん。じゃないと、ここまで憧れなかった」

奈緒「……中学の時の凛のことは知らないけど、アタシもそうだ」

凛「何、二人して。おだてたって何も出ないってば」


加蓮「夏のステージ覚えてる?」

凛「覚えてる。絶対忘れるもんか。……前川め」

奈緒「あれ観てさ、二人して泣いちゃってな」

加蓮「バラすの恥ずかしいんだけどね。……もうなんだか、涙が止まんなくて」

凛「………………」

奈緒「だから、今、凛とアイドルしてんのってなんだか夢みたいだ。……でも、いつまでも夢見てるわけにはいかないよな」

加蓮「そーそー。なったからには全力で。憧れだろーがゲンフーケーなんだろーが関係ない」

奈緒「アタシたちは渋谷凛のオマケなんかじゃないって、日本中に教えてやるんだ」

加蓮「それで病院のベッドの前の子たちに元気をあげられたり、第二第三のあたしたちが出てきたらさ、そりゃーもう最高だよね!」


凛「……うん。うんっ……」


奈緒「!? ちょ、ちょっ、凛!? なんで泣いてんだ!?」

凛「……ぅん。うれ、しくて……」

加蓮「……やっぱ変わったよ。凛。ずっと魅力的になったね」

凛「わたし……ね……」


凛「このしごとやってて、よかった……」

× × ×

冬也『……そうか、どっかで会ってたのか』

凛奈『ふん。何時かは言わないぞ。……大体、嘘でも面識あるフリするもんじゃないのかよ。人を口説く時ってのは』

冬也『……いや、嘘は言いたくねぇ。本当のことだからな。氷川凛奈のことなんて知らなかった』

冬也『でも、今なら君を知っている』

凛奈『!』

冬也『頼む、氷川。俺と……俺とステージに立ってくれ』

凛奈『……考えといてやる』


美春『……考えとくっていったんでしょ?』

凛奈『まぁな。男があそこまで頭下げてんだ、流石に一蹴すんのも気が引ける』

美春『いちいち自慢される方の身にもなってよー! なんか気に入らない!』

凛奈『……はっ、それが本性かよ』

美春『悪いですかー? わたしは人に好かれたいの! 追われたいんです!』

凛奈『いいのか、私にそんなことバラして』

美春『え、だって氷川さん友達いないでしょ。バラせるの?』

凛奈『…………ふっ。あははははっ』

美春『な、なに笑ってるの! 言っとくけど両親が悪い人だからビビると思ったら大間違いなんだからね!?』

凛奈『じゃあお前、もしあの時私が轢かれてたらどうなってたと思う?』

美春『…………闇パーティーの、アイドルに、なってた……?』

凛奈『あはははは! お前、結構バカだな!』

美春『あー! またバカって言った! 毎回毎回なんなの二人とも!』

凛奈『…………安心しろ、何もしてくれねぇよ、あいつらは……』

美春『え、なに?』

凛奈『……引き受けてやる、って言ったんだ』

美春『! ほんとっ!?』

凛奈『馬鹿で音痴で底が浅いなんて見てられない。……私がちょっとはマシにしてやるよ』

美春『お、お手柔らかがいいなぁ?』

凛奈『……それであいつが落ちるとは思わないけど』

美春『! ……仕方ない、じゃあ必要経費ってことかなぁ』


凛奈『……ほんと、経費にしちゃ面白すぎた』



杏珠『はいはい。一件落着ってことでいいよね。あーじゃあレポ書いて先生に提出か。めんどうだなぁ……』

冬也『ありがとう、本当に世話になったな』

うらら『柊くん、他のメンバーは見つかったー?』

冬也『いや、まだだな。最悪打ち込みとか使ってどうにか……。でもドラムは欲しいな……』

杏珠『おいおい、流石に他のメンバー見つけてくれとかいう依頼は受けないぞ。何でも屋じゃないんだから』

うらら『――うらら、やったげよーか?』

杏珠『……は?』

冬也『!? ほ、本当か!? 経験は!?』

うらら『ううん、ない。でも、一か月あるよねー? なら頑張るよ?☆』

冬也『……もう、何て言っていいかわかんねぇ。本当にありがとう!』


杏珠『相変わらずうららのお人良しは度を越してるね。はいはいアガペーアガペー』

うらら『えー、だって、うららたちが出会わせた三人が何かやるんだよ? 助けてあげたいじゃん! それで上手くいったらちょー嬉しいかなって☆』

杏珠『……はー』

うらら『じゃ、うららが色々報告していくから、杏珠は聖誕祭終わったら改めて先生にレポート出しといてね! うらら、書き物苦手だから』

杏珠『はいはい。……締切伸びるんなら、まぁいっか』


× × ×

<数日後、夜。都内某所、とある屋台>

真姫「しかし、凛。あんたも屋台好きねぇ……」

星空凛「だってお外でご飯食べるの好きなんだもーん! ちょっと寒いけどにゃ」

花陽「そうだねぇ。今日は特に寒いです……。もうすぐ、雪でも降るのかなぁ?」

真姫「降るなら、ちゃんと会場に辿りつける程度の雪がいいわね」

星空凛「あの時はもう間に合わないかと思ったにゃ……」

花陽「でも、みんなの応援で間に合ってステージに立てたんだよね! みんなのお蔭です!」

真姫「四年経って違うのは、今度は私たちが裏方ってことね」

花陽「真姫ちゃんと凛ちゃんはちょっと舞台に上がるよね」

星空凛「うん、でもあくまでサポートだから。……主役は、あの子たちだよ」

真姫「私たちにできることは、あの子たちが当日何の心配もなく踊れるようにすること。……そう思うと、私たちもずっと誰かに支えられてきたのね」

花陽「そうやって支えられた人たちが、今度は次の世代を支えて……。そうやって、続いていくんだよ」

星空凛「……ここに前来たのは夏だったにゃ。覚えてる?」

花陽「うんうん。凛ちゃんがちょっとナーバスだったよね」

星空凛「かよちんにはバレてたかー……」

真姫「まだ海未ちゃんが調子悪かったのよね。……でも、もう負けないわ。最強の曲を書いたもの」

星空凛「あっ、あれ真姫ちゃん作曲だったんだ! 久しぶりに鳥肌立っちゃったにゃ」

花陽「えっ、新曲出るんですかっ!? 初回限定版予約しないと……!」

真姫「そんなことしなくてもあげるわよ……」

花陽「駄目ですっ! 自分のお金で買わないと意味がないんですっ!!」

星空凛「実は、振りをつけたの凛なんだ、あれ。……初めてだからむちゃくちゃやっちゃったんだけど、大丈夫かなぁ?」

花陽「海未ちゃんなら、きっと応えてくれるよ」

星空凛「うん、きっとそうだね! ……凛が見たときはまだタイトル付いてなかったけど、もう完成したのかにゃ?」

真姫「ええ。……みんなの未来にぴったりな、そんな曲になったと思う」

花陽「そっか。……そっかあ」

星空凛「あっ、見て! 冬の大三角形にゃ!」

花陽「……この前は夏だったのに。あっという間だね」

真姫「………………」

星空凛「真姫ちゃん、何してるの?」

真姫「……願いを。星にね」

花陽「やっぱり、真姫ちゃんはロマンチストだね」

真姫「……いいじゃない。こんなことしかできないんだもの」

星空凛「よーし、じゃあ凛もお願いしちゃおう!」

花陽「ふふ、じゃあわたしも」

真姫「……何よ。結局二人もするんじゃない」

星空凛「じゃ、せーのでお願いしよ?」

花陽「うんっ!」


――「みんながみんならしく、輝けますように」


× × ×

凛奈『天乃! てめぇいい加減にしろ! 何回目だ! ピアノの音聞こえねぇのか!』

美春『い、いやー。テンション上がっちゃって……』

凛奈『テンションで音程が変わってたまるか!』

冬也『お前、ピアノも弾けたのか……』

凛奈『金持ちの娘って感じだろ? ……まさか親に感謝する日が来るとはな』

冬也『ん? 氷川の親ってなんか偉いのか?』

凛奈『……そこそこ有名だと思ってたんだけど?』

美春『柊くんはぼっちだから噂も流れてこないんだよ』

冬也『うるせえ!』

凛奈『……はは。揃いも揃って。……馬鹿らしくなってくる』


うらら『遅れてごめーん! 練習やろっかー!』

美春『よーし! わたしの歌を聞け―!』




冬也『よし。輝夜の城は形になりそうだな』

凛奈『私がいて事故るわけないだろ。あとはボーカル次第』

美春『二人とも、なんでそんなに楽器上手いの……?』

うらら『うーん、難しいなぁ……』

冬也『七星は音量大きいから安心だ。しかし運動神経関係あんのかな……上達はえぇ……』

美春『……あっ、わかった! 二人とも友達がいないからだ!』

冬也『セッションしようぜ。Em一発で』

凛奈『百の十六分、四小節でソロ回しな』

美春『もー! 無視しないでよー!? 仲間はずれにしないでくださいっ!』

うらら『……うーん。難しいなぁ……』


冬也『あの曲のコード進行はなんかカノン進行を裏切る感じがめちゃくちゃいいと思う』

凛奈『イントロがA#から始まってたらもっと名曲になってたと思うけど』

冬也『アイドル歌謡は結構無駄がねぇんだよな……やっぱ売れるだけある』

美春『……うららちゃん、二人が何喋ってるかわかる?』

うらら『わかんなーい。暗号かなー?』

美春『ですよねー。……はぁ。入れないや……』





八幡『……くそ。外れか』

雪乃『……そんなことを言って最後まで読むのね』

八幡『金払ったからな。……あぁくそ、帯に騙された。本屋を襲撃したい』

雪乃『レモンイエローの爆弾でも投げつけてみる?』

八幡『そっちか。俺は広辞苑盗む方が浮かんだが』

雪乃『あなたの目、そういえばその著者の小説にも出てくるわね。傘を持ってきてないわ』

八幡『誰が死神だよ。てかあれは最後晴れたでしょ……』

結衣『……いろはちゃん、二人が何喋ってるかわかる?』

いろは『いや全く。何かの暗号なんですかねあれ……』

結衣『だよね。……入れないや。羨ましい、な……』


× × ×

<数日後、夜。346プロタレント養成所レッスン室202>

マストレ「良し。ここまでとする。身体を冷やすな。良く休むように」

未央「わかってますって。身体壊したら意味ないもん」

卯月「プロですからねー!」

凛「だね。卯月、タオル取ってくれる?」

マストレ「……貴様らに訓練を施した者の最大の勲功は、その卓越した職業倫理を涵養したことだな」



卯月「何だか、星空さんが褒められると嬉しいですね」

凛「……うん。師匠だからね」

未央「あー、すっかり遅くなっちゃったねえ。……帰ったらお風呂に漬かりたいや」

卯月「……そうだ! 二人とも、お着替え持ってきてます?」

凛「うん。マストレさんのレッスン汗やばくなっちゃうから……」

卯月「じゃあじゃあっ、銭湯行きませんかっ?」

未央「あっ、合宿の時の!? いいねいいね、いこ!」

凛「いいけど、電車大丈夫かな。未央って結構遠いし、明日朝十だったよね」

卯月「そのことなんですけど。……今日、両親、いないんです。だから、二人ともっ」

凛「……人生で初めて誘われたんだけど」

未央「身体、念入りに洗わなくちゃ……」

卯月「そそそそーいう意味じゃなくて普通に泊まりに来ませんかって意味です!?」

<深夜、卯月の部屋>

卯月「電気消しますよー?」

未央「冬の毛布は麻薬だねぇ……」

凛「……なんか卯月の匂いする」

未央「ほんと? くんかくんか」

凛「スーハー」

未央「あぁ卯月……卯月ィ! イエス! イエース!」

卯月「やめなさいっ!」バシッ

未央「枕でぶたないでよ……親父にもぶたれたことあるけど……」

卯月「変なことするからです! 凛ちゃんも!」

凛「匂いで思い出したけど、ちらほら聞くわんわんって何? 私に関係あるの? 確かに犬っぽいってよく言われるけど」

卯月「絶対に調べるな」

凛「卯月……?」

未央「しぶりん、凛わんわんは淫乱テディベアとか口裂けとかそういうやつだからググっちゃだめだよ?」

凛「えっ、あれと一緒なの……? わかった……」

卯月「凛ちゃんってたまに危なっかしいですよねー。……でも、Dランクかぁ」

凛「あんなのただの肩書じゃん。ライブの内容には関係ないよ」

未央「胸のランクは相変わらずだったけどね!」

凛「よこせ……よこせぇ!」

未央「あっ、こらっ、やめろぉ!?」

卯月「普通が一番……普通が一番……」

凛「卯月のどこが普通なの。これ言うの何回目かな……」

未央「ね。普通の人はあんなに頑張れないよ」

卯月「え、えへへ……そうかな……」

凛「……普通、かぁ」

未央「……なんかね、昔、普通の女の子に戻りたーいって言って引退したアイドル達がいたんだって」

卯月「……普通ってなんだろうね」

未央「うーん……。毎日学校通って、勉強して、部活して、たまに遊んで……恋して。そーいうのが、普通、かな?」

卯月「……きっと、そういうのも、悪くないことなんでしょうね」

凛「…………」

未央「でも、もう……それは嫌かな。戻れないや」

凛「!」

卯月「うん。知っちゃったらもう、戻れませんよね」

凛「……何か、幸せだな。私は周りに恵まれすぎてるよ」

未央「はっはっはっ、今頃気付いたか!」

卯月「私も、凛ちゃんがいてくれてよかったです!」

凛「うん。最初の戦友が未央で、卯月で……良かった」


凛「……それから。最初のパートナーがあの人で……本当に、良かった」

卯月「……そっか。普通じゃなくても、しちゃうよね」

凛「……未央だったよね。前に、聞いたの」

未央「うん。そうだった」

凛「今ならはっきり言えるんだ。……私、あの人が好き」

未央「……そっかあ。麻疹、って感じじゃなさそうだしね」

凛「うん。本気」

未央「ほんっとに、しぶりんはクールに見えて激情家なんだからさー」

卯月「……私、どっちを応援したらいいのかなぁ」

未央「雪ノ下さんねー。……あれさ、隠してるつもりなのかなぁ」

卯月「だと思う。……いや、でも、どうなんでしょう。隠してないようにも……」

凛「……見えてるのはそっちだけか。まあ、だよね……」

未央「ん? しぶりん何か言った?」

凛「……あれは多分、あの人に隠してるとか隠してないとかじゃないんだよ」

凛「バレてるんだと、思う。……二人ともそれがわかってるのに、気付いてないフリしてる」

未央「……何それ。意味わかんなくない?」

卯月「……比企谷さんは、雪ノ下さんのこと……どう思ってるのかな」

凛「人の気持ちなんて考えてもわからないよ。……今あの人がどう思っているか、誰が好きかなんて。……ただ」

未央「……ただ?」


凛「……昔はきっと、好きだったんじゃないのかな……」


凛「……いや。わかんない。わかりたいんだけど、ね」

卯月「……聞かないんですか?」

凛「……うん。きっとそれって、あの人の大事な部分だと思うから。いつか話してくれるその日まで、待っていようと思う。目の前まで歩み寄って、ずっと待ってるよ」

凛「……大事なのは、今。今なんだ。……あの人の過去も未来も全部、知りたいと思うなら……やっぱり、大事なのは、今なんだ」

凛「今、傍にいてあげたい。傍にいたい。それだけなんだ」

未央「……私には、わかんないや」

卯月「……思いやりって、そういうものじゃないかな」

未央「……思いやりってさ、そう言うけどさ……」

未央「……もし、相手を思いやって、そのせいで……。自分が欲しいもの、手に入らなかったら……バカみたいじゃん……」

卯月「…………」

凛「……ま。私はバカで欲張りだからさ。きっと全部手に入れてみせるよ」

凛「私は、言葉にするから。その点では誰にも負けてないつもり」

凛「……誰にも負けないって、それこそあの人に誓ったんだもん」

未央「……はー。一人だけ大人になっちゃってさ!」

卯月「……私も、いつか本当の意味で人を好きになれるのかなあ」

凛「……ふふっ。卯月、振られたら抱いてね」

未央「あっ、ちゃんみおの妾を!」

卯月「……もう。やめてよ凛ちゃん。惚れっぽいんだから、本気にするよ?」

凛「ふふっ、ごめん。正直卯月は遊びの女」

卯月「もー!?」

未央「……冬なのに、あったかいなぁ」

凛「……そうだね」

卯月「もう、寝よっか」

未央「うん。……ね、夏はダメだったけど、今度こそさ」

凛「もちろん」

卯月「三人で、勝ちましょう!」

× × ×

冬也『おお、ちょっとマシになってきたんじゃねーか? 氷川様様か』

凛奈『といっても、まだまだだけどな』

美春『……むー! そんなに下手下手言うんだったら考えがあるよ! 二曲目は「relations」がいい!』

凛奈『……私も歌えってか?』

美春『わたしにそこまで言うんだからりんりんは弾きながらでも余裕だよねー?』

凛奈『その名前本気で頭悪そうだからやめろ。……ふん。いいだろ、やってやる』

冬也『ちょ、ちょっと待て! 勝手に決めんなよ!? 俺スクウィールなんか出来ねぇぞ! 速弾き苦手だし! 特にアウトロのソロ頭おかしいだろあれ!』

美春『あれー? 散々人のことバカにしといて出来ないんだー?』

冬也『いや、バカなのは事実だからな。あっ、ごめんな、配慮が足りなかったよな……』

美春『急に冷静に謝んないでよ!? ……あーもー、ムカつく―!』

凛奈『……美人の頼みだぞ、男の子』

冬也『こいつの為に頑張るのは何か気が引けんなぁ……』

凛奈『…………なら、私にもカッコいいところ見せてくれよ』

冬也『……はぁ。しゃあねえ。それでもお釣りが来るけどな』

凛奈『言ってろ、下手くそ』

美春『……私のお願いは聞かないのに、りんりんのお願いは聞くんだ?』

冬也『……元々、俺の我儘だ。何でもやるつもりだったよ。察しろ』

美春『!』

凛奈『男のツンデレは流行らねえぞ』

冬也『お前はちょっとはデレを覚えたらどうなんだ……』



美春『ねえ、どうしてギター始めたの?』

冬也『……お前と似たような感じだよ』

美春『はい?』

冬也『……はあ。人に好かれたかった。平たく言うと、モテたかった。中学卒業してから始めてな……』

美春『あはははっ! 見る影もないよね!』

冬也『まぁ、色々あって失敗したんだが……。今となっちゃ、それでよかった』

美春『……なんで?』

冬也『モテたいつもりで始めたけど、次第にどうでもよくなっちまった。楽しすぎてな。んでまあ、思ったんだ。やっぱ無理なんてするもんじゃねえ。人の目を気にして生きんのはらしくない。ぼっちだろうがなんだろうが自分が楽しけりゃそれでいいんだ。俺は俺が大好きだからな。……遠回りできて、良かったと思ってるよ』

美春『…………変なの』

冬也『……ただ、まあ、なんだ』

美春『?』


冬也『……ありがとな。諦めなくて、すんだよ。……感謝してる』


凛奈『全く、お前のしつこさには辟易する……』

美春『りんりん、猫すごく好きだったんだね。目が本気だったよ?』

凛奈『……目が悪いだけだ』

美春『嘘だ。柊くんがちょっと見惚れてからコンタクトにしてるでしょ』

凛奈『してねぇよ。今日はたまたま眼鏡を忘れただけだ』

美春『……口を割んないなぁ』

凛奈『……私にここまでしつこく踏み込んでくるのはお前が初めてだ。うっとおしいったらありゃしない。空気読めるんじゃなかったのかよ』

美春『……わたしだって、りんりんみたいにズケズケ言ってきてぞんざいに扱う人なんて初めてだよ』

凛奈『……なあ、天乃。その呼び方やめてくれ』

美春『えー、なんで? 可愛くない?』

凛奈『なるほど、だから音痴なんだ』

美春『……じゃあ、凛奈だ』

凛奈『……好きにしろ』

美春『わたしも、美春がいいな?』

凛奈『……はぁ。もう帰るぞ、美春』

美春『! うんうんっ、それでいいんだよ! 凛奈!』

凛奈『お前に逆らっても結局押し切られるからな、もう学んだわ……』




結衣『ゆきのんはペットショップに行くとテコでも動かないよね……』

雪乃『本当はもう少しいたかったのだけれど……』

結衣『日が暮れちゃうよ!?』

雪乃『……そうね。由比ヶ浜さんの勉強の時間がなくなってしまうものね』

結衣『……あたしじゃヒッキーのレベルに追い付かないのはわかってるんだけどね。……でも、やっぱ諦めたくないじゃん……?』

雪乃『……由比ヶ浜さん』

結衣『せっかくゆきのんも手伝ってくれてるんだし! ……納得できるまで、やりたいな』

雪乃『…………そろそろ、その呼び方、変えない?』

結衣『……ゆきのん?』

雪乃『……雪乃、でいいわよ。……結衣』

結衣『……うん! 雪乃っ、今日もよろしくね!』

雪乃『……ええ』


雪乃『……心から。心から、あなたが彼に並べることを、祈るわ……』

× × ×

<数日後、夜。タクシー車内>

みく「……今日も、疲れたな」

凛「だらしない。私は全然大丈夫だけどね」

みく「今日過呼吸なってたのどこの誰やったかなー」

凛「汗でコケてたやつに言われたくないよ」

みく「……負けず嫌い」

凛「お前に言われたくない」

みく「ははっ、確かに。お互い様か。……言っとくけど、今回限りな?」

凛「私の方からも事務所に言っとくよ。やっぱり殴り合いの方が性に合うよね、お互い」

みく「……765プロと、か。数年前からは考えられんなぁ」

凛「チャンスはものにしなきゃ。どんな手段を使ってでもね」

みく「同感。……足削ぎ落としてでも、ガラスの靴があったら履く」

凛「ふふっ。通りで性格悪いわけだ」

みく「……言っとくけど、みくが勝ちたいだけやから。誰がお前の勝ちなんか祈るか」

凛「それでいいよ」

みく「自分のため、親のため、ファンのため……それから、プロデューサーのため」

みく「だから、お前の勝ちは祈らん。……言ってる意味はわかるな?」

凛「……うん。だったら、尚更負けるわけにはいかないね」

みく「……はぁ。アイドル失格やぞ。みくが落ち目になったらタレこんだろ。道連れ道連れ」

凛「ふふっ、嫌な相手に握られちゃったね。それは困るからなぁ」


凛「ずっと売れてくれなくちゃ、困る」


みく「……アホ。言われるまでもなーいにゃ」

× × ×

凛奈『……これが私だよ。黒い政治家の娘って肩書に縛られた……つまんない女だ。親はそつなくこなせて、人当たりのいい姉さんにかかりっきり。当の姉さんは……私を玩具程度にしか見ちゃいない。見ただろ』

冬也『……ああ』

凛奈『私は人形。……首輪を付けたまま、飼い殺しにされた、な』

凛奈『……昔、姉さんみたいになりたかった。……今もそうかな』

冬也『……ならなくていいだろ、今のままで』

凛奈『っ!』

冬也『あんな姉貴みたいになったお前とか正直気持ち悪ぃ。バランのねぇ寿司だろ』

凛奈『……本当、馬鹿だな、お前。……捻くれてるよ。こっちの方がいいとかよ』

冬也『まぁな。よく言われる』

凛奈『……けど、そんなお前なら、頼めることもあるのかもな』

冬也『? 何だ?』

凛奈『……いつかでいい。いつかだ。……いつか、私を助けてくれ』

冬也『はっ。お前の人脈の無さは知ってるからな。でかい借りができちまったし、いつでも言えよ』

凛奈『……別に、これは貸しじゃねえよ。得してんだから』

冬也『? ……しかし、お前が人形ね。冗談だろ。こんな口の悪くて楽器の上手い……美人の人形がどこにあんだよ。あんな喋る仮面みたいな姉貴より、お前の方がよっぽど人間らしいぜ』

凛奈『……』

冬也『……? どうした?』

凛奈『……私に媚び売っても、ソロは容赦しないからな』

冬也『わぁってるよ。……俺も、天乃に負けてらんねぇ。……あいつは、大した奴だな』

凛奈『……ああ。底が浅くて、馬鹿で。……でも、歌が上手くて、誰より優しい』

凛奈『私の――親友だ』

冬也『…………なあ、氷川。俺も……』

凛奈『悪い。それは無理だ』

冬也『っだぁ! まだ最後まで言ってねぇだろ!』

凛奈『言ったろ。お前と友達になるなんてありえない』

冬也『……はーあ。そうかよ、わかった。……俺の友達はギターだけだよ』

~♪


凛奈『……だって。お前とは……もっと別の……。……なのに……』
凛奈『…………できないよ……美春……』



美春『……本当、どうしてこうなっちゃったかなぁ』

冬也『? 何がだ?』

美春『本当はねー、ちょろっとあしらって、追わせて、私は待ってて。それで満足~みたいな感じが理想だったんだよ』

冬也『主語が不明瞭すぎて何言ってっかわかんねぇ』

美春『……でも、駄目だね。待ってて来る人じゃないってわかったから。もう待たない』

冬也『……よくわからねぇが、来ないもん待っても無駄だろうな』

美春『……うん。だから、待たないで……こっちから、行くよ』

冬也『……ああ、なるほどな。……そうだな。あいつ、言えない奴だからな。迎えに行ってやってくれ』

美春『……そうじゃないのに、そうなんだよね。……バカ』

美春『……凛奈ぁ。もう、わたし……ダメだよ……』





雪乃『……できない。…………できないわ……』
結衣『…………あたしは。…………えらぶよ……』



× × ×

<ライブ三日前、夜。都内某所、居酒屋「全兵衛」>

八幡「…………」

――かららっ。

黒井「……ん? 比企谷ではないか」

八幡「……黒井社長」

黒井「一人酒か」

八幡「一人じゃない時の方が珍しいですが」

黒井「ハッ。それの何がいかんのだ。王者とは孤高を飼い慣らすものよ」

八幡「全くだ。……人といるのは面倒だ。一人でも十分面白いのにな」

黒井「大将、黒龍をくれ」

八幡「昔は、考え事をするときは家で一人だったもんですけど。……今は、酒も飲める。それだけ、少し変わりました」

黒井「セレブな私は考え事をする時は最高級のワインを最高級の部屋で傾けるがね」

八幡「……金持ちの発言だ。俺には考えられん」

黒井「当たり前だ。若い貴様には金がないのだからな。金とは全てではないが、力の一つだ。力が無ければ選べない選択肢というものは無数にある。……若さとは、併せ持てん力だがな」

八幡「……」

黒井「皆甘っちょろいことばかり言う。力が全てではないとな。……戯けが。そんなものは負け犬の遠吠えに過ぎんというのに。高木のへっぽこアイドル共の鳴き声はあまりに説得力がない。……庇護されていることにも気付かぬ、愚か者共よ」

八幡「……高木社長は、古くからの友人なんですか」

黒井「宿敵だ。我が生涯において、最大のな」

八幡「……」

黒井「おそらく灰になるまで。……いや、灰になっても争い続けるだろう。私は奴とは相いれん。憎しみではない。矜持の問題なのだ」

八幡「……俺も、もう少しでこの業界に入って一年になります。いつまでも何も知らないわけじゃない」

八幡「……ブラックウェルカンパニー事件」

黒井「ハッ。また懐かしい単語を聞いたものよ」

八幡「高木社長は計画倒産に巻き込まれ、高級オフィスビルの新事務所への移転資金を全て騙し取られた。その陰には黒井社長の姿があった。本人は否定しているが、世間的に犯人は間違いなく黒井社長であると言われている」

黒井「それがどうした。強者が弱者を喰らうのは当たり前のこと。私が何の罪にも問われないのも、強者であるからよ。言われるまで喰らったことさえ忘れていたわ」

八幡「……あんなもん、信じる馬鹿がいんのかと思いましたよ。マスコミは偉大ですね」

黒井「……」

八幡「記録とか調べましたけどね。明らかに金の流れがでかすぎる。高級オフィスってことを差し引いてもです。移転の話の締結があまりに早すぎるのもおかしい」

八幡「……何より、あの高木社長がそんな質の低い詐欺にひっかかるのが一番不自然です」

黒井「……あの狸は軟弱者なのだ。私とは違う」

黒井「理由がなければ我儘一つも言えん。好きに金を使うことさえな」

八幡「……共謀をする宿敵なんているんですか?」

黒井「利害の一致だ。それ以外、ありえん」

八幡「……大将。俺にも、黒龍を」

黒井「やる。ボトルごと持っていけ」

八幡「……どうも」

黒井「……全くもって、この世は愚か者だらけだ。思う通りに振る舞えばいい。好きなものを喰らい、好きな酒を飲み、好きな女を抱けばいい。他人の心など、金で買えぬものなど……慮る必要などない。力を振るい、生きろというのに」

八幡「……力、ですか」

黒井「……」


八幡「…………ずっと。今日、ずっと、考えていました」

八幡「……アイドルにとっての、恋愛を」

黒井「…………老いた酔いどれの言葉だ。聞き流すがいい」

黒井「……貴様が生きている今が、アイドル黄金期だと言われていることは知っているか」

八幡「はい。二度目だとか」

黒井「……一昔前。伝説のアイドルと呼ばれた、日高舞が活躍した時代があった。それが最初の黄金期だと言われている。……私と高木が、お前くらいの年齢の頃だった」

黒井「当時、一人のアイドルが持つ偶像としての価値は極限と言えるまでに高かった。ネットが普及していないとはいえ、ファンの持つ力は高い。アイドルは聖マリアであることが求められていた。あの歩く荒唐無稽とまで称された日高舞ですら、結婚したのは引退後であったくらいだからな」


黒井「……そんな時代に、絶対王者を撃ち落とせるはずだった新星がいたことを、今では誰も覚えておらん」

八幡「……」

黒井「……昔、愚か者共がいた。頂点に辿りつくために命を燃やす女がいて、彼女を助けるために命を燃やした二人がいた。……若かった。愚かだった」

黒井「互いに譲れ合えぬのなら、白と黒をつけようと……そう誓った矢先だった」

黒井「……撮られたのだ。とある場面を」

八幡「!」

黒井「誤解であろうが何であろうが関係ない。大衆にはその写真が全てだった。金の為に増幅された悪意は、瞬く間に世界を覆った。……彼らにとって何よりタチが悪かったのは、その写真に嘘がないことだったがな」

黒井「流される前、止める機会はあったのだ。……だが。若い彼らには……絶対的に力が足りなかった」

黒井「……そうして彼女はこの世界を去り。……長い時間をかけて、他の誰かと幸せを取り戻した」

八幡「……」

黒井「……若者は間違えて良いだと? ふざけるな。遠吠えなのだ、それは。この世に間違えて良い設問などあるはずがない。奪っていい未来など、あるはずがないのだ」

黒井「何も手に出来なかったのは想い合うからではない。弱かったからなのだ」

八幡「……」

黒井「残された二人は決別し、それぞれの信ずる道を歩むことにした。ある者は理想を追い、ある者は手触りのある力を求めた。遠く長い道のりだった。……そんなことをしているうちに日高舞は引退し……アイドル界には、暗黒期が訪れた」

八幡「……暗黒期」

黒井「そうだ。日高舞世代の引退に伴い、アイドル界にはカリスマが足りなくなった。……それをどうやって補ったか。私は今でも気に入らん」

黒井「付与された『個性』、代替可能な才能無き『商品』。アイドルは各界への踏み台として、手段へと成り下がる。顔も覚えられぬ何十何百もの少年少女たちが、夢という餌に釣られ、金儲けの道具として浪費されていった」

黒井「百人単位のグループ。円盤の形をした握手券。煽りに煽る総選挙。……笑わせるなよ。あんなものは総選挙ではない。金で票が買えるなら、それは株主総会であろうが」

黒井「金とは、力だ。……目の前の人間の心は変えられなくとも、顔の見えない他人の心ならいくらでも買えてしまう」

八幡「……でも、カリスマが足りなかったんでしょう。それは、一つの戦い方で……力なんじゃないんですか」

黒井「そうだ。否定しない。私もその力を使って歩いてきた。染まったこの身に否定などできようはずもない。勝つ者が正しい。常々そう言ってきた。……だがな」

黒井「気に入らん。……気に入らんのだ。彼らが……私達が愛したのは、そんな世界ではない。彼女が輝こうと命を燃やしたものが、そんなものであっていいはずがない」

黒井「……そんな矜持だけで生きてきた二人が、全てを投げ打って変えたのが、今の世界だ」

八幡「……」

黒井「……貴様が誰と歩もうと、同じ轍を踏むことになろうと、私には知ったことではない」

黒井「だが、心せよ。貴様がもしそれを選ぶというのなら、それは十字架を背負うということなのだ。私達でも、見つめる者の心を変えることはできんのだからな」

黒井「傷付けるのも傷付けられるのも常人の比ではない。罪無き罪を釈明する機会もない。メリットなど砂粒一つほども有りはしないのだ。それを覚悟しておけ」

八幡「……黒井社長は、選んだんですね」

黒井「フン。何を言っておるかわからんな。……しかし、私がもし、その彼であったなら」

黒井「例え何万回生まれ直しても同じ道を選ぶだろう。後悔などない。例え理解されずとも」

黒井「背負わずして何が王者か。――王者は独り、我が道を征く者よ」



八幡「……雪、か」

八幡(東京にも、雪が降る。冷たい初雪が、お酒のせいで火照った頬を冷やした)

八幡(雪。四年前のあの時も、一年前のあの時にも、雪が降っていた)

八幡(雪は嫌いだった。罪を思い出してしまうから。……けど、きっと変わる)

八幡(一年前の雪からいろんな偶然に出会って。運命に出会って。……好意に、出会って)

八幡(俺は変わった。変わりたいと思うようになった。……そして、変われた)

八幡(だから、ついでに。この天から降る白雪も、好きだと思える自分に変わっていきたいと思うのだ)


――ぶーん。ぶーん。


八幡(ポケットで俺の携帯が震える。冷えた手で暖かいスマートフォンを握り、白く光った画面を見る)

八幡(白雪が、誰よりも優しい先輩の名前の上に落ちていった)



× × ×


雪乃『今日は、終わりにしましょう』

八幡『はいよ。今日はちょっと急ぐ。じゃあな』

雪乃『ええ。さよなら』


結衣『……ねえ、雪乃』

雪乃『……なあに? 結衣』

結衣『…………話、あるんだ。これからの……大事な話』

雪乃『……ええ、聞くわ』

結衣『屋上、行かない? せっかく、雪が降ってるんだもん』

雪乃『……雪』

結衣『あたし、雪、好きだな。……大好き』

雪乃『……行きましょうか』


× × ×

<ライブ三日前、夜。希の部屋>

希「にこっち、そのお肉まだ赤いよ? もうちょっと置いとき?」

にこ「ちょっとぐらい赤くても大丈夫よ。……あ、春菊ついてきちゃった」

絵里「ええ? 春菊美味しいじゃない」

にこ「昔喉に詰まらせてからトラウマなのよ……」

希「鍋に春菊入れるんやね。ウチはもやしとかつみれも入れたりしてたなぁ」

絵里「やっぱり冬に鍋をすると、日本人で良かったなぁって思うわねー」

希「せやねー。えりちはほんと、日本大好きやもんね。……二人とも何飲むー?」

絵里「カシスオレンジを貰おうかしら」

にこ「ライブ近いから禁酒中。お茶でいいわ」

希「ほいほいー。取ってくるー」

絵里「……相変わらずプロねぇ。事務員で良かった」

にこ「にこもそう思う。あんたがアイドルしてたら目の上のこぶよ……」

絵里「ふふ。褒めてくれてありがたいけど、職業アイドルは嫌ね。自由がないもの」

にこ「自由のなさで言ったら絵里もとんとんでしょ? 夏なんて会社に泊まってたじゃない」

絵里「……そうだったわね。いい思い出だなぁ……」

にこ「……ドM?」

絵里「違うわよ! ちゃんと休みも欲しいわよ。……安定して土日にあるわけじゃないけどね。はあ、やっぱり公務員になるべきだったかしら?」

希「その考えがミスフォーチュンを招くんよ……? 楽ちがうもん!!」

絵里「わかってるわよ、冗談に決まってるでしょ? 楽な仕事なんて結局ないのよね。……でも、やりがいがあるもの。それで満足!」

にこ「同感ね。……恋愛できないけど」

絵里「……隠れてすればいいんじゃないの?」

にこ「やらないわよ。リスクしかないじゃない。それに、にこにとってアイドルより価値のあるものなんてないの」

希「……リースクのない愛なんて、刺激あーるわけないじゃなーいー、わかーんないかなぁ~♪」

絵里「グッドラックトゥユ~」

希「……わかってても、やっぱり理屈ちゃうからね……」

にこ「さっすが、経験者はやっぱり言うことが違うわねー」

絵里「あ、懐かしい。大学二年の時のやつよね。……ダメだったけど」

希「っ! も、もう、あん時のことは忘れて!」

にこ「この世の終わりみたいな顔してたわよね。体重何キロ減ったんだっけ……」

絵里「毎日えりちー、えりちー、って電話口で泣いてたわねー? 可愛かったわー、相手の方に見る目がなかったとしか」

希「あーあーあー聞こえへん聞こえへん! やめて! 帰らすよ!」

にこ「希は本当攻撃力高いのに守備力ゼロね……。なんとか突撃部隊みたい。弟が持ってたカードの」

希「え、えりち、早く中華そば入れよ?」

絵里「逃げるのも下手だし。……毎回思うんだけど麺類って締めじゃないの?」

希「東條家では先発も中継ぎもいけるよ?」

にこ「……あんた、職場恋愛とかどうなの?」


希「に、にこっち! しつこいよ!?」

にこ「ここを逃したらしばらく勝てなさそうだし。もらえるもんはもらっとかないと」

希「おあいにく様で悪いけど、学校ではほんまに何もないんよ。毎日目の前の仕事で手一杯やね。……大体、職場恋愛だったらえりちでしょー?」

絵里「うぁ、こ、こっち投げないでよ!」

にこ「へっ? えっ、絵里が!? この堅物が!? えっ、好きな人できたの!?」

絵里「……せっかくにこにはバレてなかったのに」

希「自分だけ汚れへんとかナシやん? 一緒に沈もう」

にこ「な、なによ! にこだけ仲間外れなの!? 職場恋愛って、え……、ま、まさか……アイツ!?」

絵里「……何よその嫌そうな顔。いいでしょ、人の勝手じゃないっ」

にこ「いや、別に止めないけど……。変なのの方が競争率低くていいんじゃない?」

希「……にこっちって何も知らんのやね。よしよし」

にこ「撫でんなーっ! えっ、な、なに、どういうことなの……?」


にこ「――そっか。考えてみれば、去年のクリスマス……絵里を助けたのは、比企谷だったのよね」

絵里「うん。でも、それが理由じゃないの。きっかけは確かにそうだったかもしれないけど、彼のいろんなところを見てきて……じんわりと、好きになったのよ」

希「……罪な人やね」

絵里「ええ、そうね。……でも、彼の目線は多分…………他の……」

にこ「……そんなことどうしてわかるのよ」

絵里「なんとなく、かな。……好きだと、どうしても目で追っちゃうし」

にこ「……わかんないでしょ。絵里がもしそう感じても……言葉になってないものは、わかんないでしょ」

絵里「……」

にこ「言葉にしないで分かることなんて、本当にあるの? ……あるかもしれないけど。でも、勝手に決めつけて、分かった気になって……それって、何か……違う気がする」

希「……ねえ、えりち。えりちは……どうするの?」

希「……ウチは、えりちより素敵な女の子なんてこの世におらんって思ってる。比企谷くんもそう思ってるかもしれへん。……でも、もっと、素敵な子が……彼の中には、いるのかも」

希「……ウチは、言葉にすることだけが……一番いいことやとは思わないんよ。傷付いても、傷付かなくても……」

希「……ウチは。言わない強さだって、あると思う」


絵里「……二人は、やっぱり、私の一番の親友ね」

絵里(私は、手にしたワイングラスをかざして顔を隠しながら、自然と笑った)

絵里(暖かかった。たかが自分の恋愛ごとに、感情をむき出しにしてまで本気で考えてくれる親友がいる。そう実感すると、自然に笑みは溢れてきた)

絵里「……私ね。近く、彼に言おうと思ってるの」


絵里「好き、だって」


にこ「……」

希「……えりち…………」

絵里「……高校三年生の時、希が私に言ったのよ」

絵里「えりちの、本当にやりたいことは何? って」

希「……うん」

絵里「……あの時、色々なものを勝手に背負ってしまって、動けなかった。……でも、みんなが来てくれたから、私は素直になれた。やりたいことをすることができたの」

絵里「でも、きっと彼は待ってて来てくれる人じゃないから。……私から、迎えに行かなきゃ」

絵里「にこ、希。私は……変わったの。欲しいものを欲しいって言える自分になれたの」

絵里「私は、彼と一緒になりたいから。誰が彼を好きでも、彼が誰を好きでもそれは変わらない。傷付く覚悟も、ひょっとしたら誰かを傷付ける覚悟も……もうできた!」

絵里「私は、こんどこそ自分の力で本当にやりたいことをしてみせる」


絵里「――好きって、言ってくるわ」


希「うん……。うんっ……!」

にこ「……自信持ちなさい? このにこが、唯一敵わないって認めたアイドルなんだから」

絵里「ふふっ、なぁにそれ? 初耳なんだけど」

にこ「当然よ。初めて言ったんだから。……そんで、もう二度と言わないんだから」

希「……にこっちは本当に照れ屋さんやなぁ! このこのっ!」

にこ「ぎゃーっ!? 乳首は本当にやめて!? シャレになってないんだからっ!!」

絵里「あははっ」


絵里(心の底から感じる安寧。一世一代の決心をしたって、この暖かさは変わらない。きっとこの先何年経って、この手がしわくちゃになっても、私たちはこうして笑っているんだって確信できる)

絵里(ねえ、にこ。あなたは、言葉にしなくても伝わるものなんてないって言ったけど)

絵里(きっと、あるわよ。それも今、この場所に――)



絵里「……わぁ。雪……!」

絵里(遅くなった帰り道。私は手袋を外して、天からの贈り物を受け止める)

絵里(まるで気持ちが降ってきたみたいな白い雪が、火照った身体に降りてくる)

絵里(思えば、一年前。彼との出会いのその日にも雪が降っていた。ロマンチックどころか命がなくなりそうなほどセンセーショナルな出会いだったけど、きっと雪が降っていなかったら、彼と出会うことはなかったんだと思う)

絵里(そんな出会いがあったからこそ、彼と彼女らもまた出会ったんだと思うと、やっぱり切ないけれど)

絵里「……とーどーけて、切なさには♪」

絵里(親友の初めてのわがままで生まれたラブソングを口ずさむ。想いが、溢れそうだった)

絵里(……うん。言おう。欲を言えば今がいいけれど、電話口でなんて、そんなのは嫌だから)


――ぴっ。


絵里「……もしもし?」

八幡『……なんすか。今日はオフですよ。潰されちまったけど。……俺の耳は休みに仕事の話は聞こえないんです』

絵里「じゃあ聞こえるわね。プライベートな話だもん」

八幡『ああ言えばこう言う。さすがは俺の先輩ですね』

絵里「ふふっ。あなたのせいでこーんなに捻くれちゃったのよ?」

八幡『……酔ってんですか?』

絵里「そうね。酔ってるわ。間違いない」

八幡『……こんな夜中にどうしたんですか?』

絵里「どうにかしちゃったのよ」

八幡『はぁ? ……車の音。外ですか。あの、ちゃんとしっかり帰ってくださいよ。轢かれたらシャレにならん』

絵里「ふふ。また助けてくれる?」

八幡『アホですか。学習しないアホにかける命はありません』

絵里(……うそつき。大好き)


絵里「……比企谷くん、明日、暇?」

八幡『わかってて言ってるだろ……。明日は夜に母校ですよ。撮影です。……山場の、聖誕祭のシーンを撮るみたいだから』

絵里「そう。私は夜から空いてるのよ」

八幡『この酔っ払いめ。轢かれちまえばいい』

絵里「化けて出るわよ?」

八幡『八つ当たりも甚だしい……』

絵里(ああ、楽しいな。ずっと話してたいな。……好きだなぁ)

絵里「あのね、じゃあ、明日ね……撮影、ついていってもいい?」

八幡『は? そんなにあの映画が見たいんですか?』

絵里「ううん。……あなたが過ごした、学校が見たいの」

八幡『…………』

絵里「……だめ?」

八幡『……絵里さんは、変わり者だ』

絵里「英語で言うとスペシャルよ。いいじゃない」

八幡『……馬鹿。昔そんなこと言ってたやつは、苦労してたよ』

絵里「……あなたが、そんな風に喋ってくれるようになったこと。……本当に、心の底から嬉しいわ」

八幡『……いいよ。もう、何にもないけど、な』

絵里「うん。楽しみにしてるから。本当よ?」

八幡『絵里さんが嘘付かないのは、知ってるよ』

絵里「あら、そんなことないわよ? ちゃんとついてるわ。特別な時だけね」

八幡『……ふ。いいけどな。虚言だらけでも』

絵里「……舞台、楽しみにしてて?」

八幡『…………ああ』

八幡『ちゃんと最後まで見届ける。……それが、俺だ』

絵里「……また明日、ね」

八幡『……また明日、な』


絵里(さあ、絢瀬絵里。きっと最後のステージよ。賢く可愛く美しく、華麗に焼きつけてやりましょう?)

絵里(私だけの言葉を……私だけの声で)


絵里「明日は、晴れるかな」


× × ×


――わあああああああああ!!!
――すげぇ!! 美春ちゃん歌も上手かったのか!!
――ギターかっけぇ……誰だあいつ!?
――あれ……氷川凛奈か!?



冬也「……っし! ノーミスだ!」

凛奈「当然だ。私がいる横でミスったら蹴ってたぞ」

冬也「はは、ご褒美か。ならミスりゃよかったか」

美春『みんなー! こんばんわ! 今日はわたしたちの演奏を観にきてくれてありがとう!』

美春『ちゃんと、一番後ろまで見えてますからねー!』

美春『……二曲目。聞いてください!』


美春『――relations』


美春「わたしは……。わたしは、言うよ……凛奈」

凛奈「……ああ。きっと、お前たちなら……」

美春「……うそつき。凛奈だって、好きなくせに!」

凛奈「……馬鹿。……勝手に決めんな」

美春「冬也は……、冬也は! 凛奈のことが!」

凛奈「……違うよ。それも、違う。……親友だからって、言葉にしないこと、わかるわけないだろ……」

美春「……うそつき。……凛奈の、うそつきぃっ!」

凛奈「……きらいに、なったか?」


――♪『この恋が遊びならば 割り切れるのに 簡単じゃない』


美春「……嫌えるわけ、ないじゃん。……好きだよ。大好きだよ。二人とも、大好きなんだよぉっ!」

凛奈「……わがまま、いうなよ……」

美春「泣かないでよ。バカ凛奈……バカりんなぁ……っ!」

凛奈「……うるさい。うるさいよっ! みはるにいわれたら、おしまいだよっ!」

美春「……それでも。あたしは、言うから……」

凛奈「……ああ。……それでこそ、私の…………親友、だよ」

美春「凛奈っ。……大好き。大好きだからね」

凛奈「うん……。誰より、大好きだよ」


――わああああああああああ!!



美春『……最後の曲です。あっという間だったけど、本当に楽しかった……楽しかったなぁ』

凛奈『……今までも、これからも、時間はたくさんあるけれど。私たちの過ごした時間は、確かに本物でした』

美春『今、観てくれてるみなさんの心にも……きっと、こんな想いが育てばいいな』

凛奈『これが、私たちの……想いです』

美春『聞いてください』

美春『――最後の曲を』

× × ×


結衣『雪乃はさ、ヒッキーが言ってた本物……。何か、わかった?』

雪乃『…………』

結衣『あたしはさ、やっぱりバカだったからわかんなかった。ないのーみそで必死に考えたけど、やっぱりだめで。……わかんないことだらけだね。結局』

結衣『……でもね。でも……、このまま何もしないのだけは、嫌だって……それだけは、絶対にわかるの……』

雪乃『……結衣』

結衣『……雪乃。あたしは……言うよ?』


結衣『ヒッキーに、好きって、言うよ……?』


雪乃『……ええ。きっと上手くいくわ。……彼だって、あなたが……』

結衣『違うっ! そんなんじゃないっ!! あたしが……あたしが……聞きたいのは…………。……それに、ヒッキーは、雪乃が……』

結衣『……あたし、知ってるんだよ? ……雪乃だって。雪乃だって! ヒッキーのこと!』

雪乃『……違うわ。それは……あなたの…………妄想よ……』

結衣『……うそだ…………。うそだぁ……』

雪乃『……本当よ。……親友にだって、わからないことは……あるわ』

雪乃『……だって、言葉にしていないもの。……万能じゃないけれど……でも。言葉にしないものは……現れないから』

結衣『あたしには……あたしには! わかんない! わかんないよっ……!』

結衣『本物なんてわかんないっ! バカなんだもんっ! あたしにっ……わかるのはっ……』


結衣『ヒッキーが好きで! ……でもっ、雪乃が好きでっ! ……このままじゃ、やだってことだけなんだよぉ……!』


雪乃『……なか、ないでよ……。それが……、それがいちばん……ひきょうよ……!』

結衣『……あたしは…………言うよ』

結衣『……こわくても。泣くことになっても。どうなっても……受け入れるから』

結衣『だからあたしは……好きって言うよ』

雪乃『……うん。……うん』

雪乃『……結衣』

結衣『……なぁに? 雪乃。あたしの……親友』

雪乃『こんなに、さむくて、つめたくて、かくしていっても……それでも……』

雪乃『あなたは……まだ……』

雪乃『ゆきが、すき?』

結衣『……うん』


結衣『ずっと、だいすきだよ』


× × ×

<翌日、夜。総武高校体育館>

絵里「寒いのね。人がいないからかしら?」

八幡「この体育館は夏は暑い、冬は寒いで最悪だったよ。……変わってないみたいだな」

絵里「そう。……ここで、比企谷くんが過ごしていたのね」

八幡(冴え冴えとした空気のなか、二階の窓から入り込む月明かりだけが俺たちを照らす。今日はもう、雪は降らない。白くて丸い月が、雲一つない空に浮かんでいた)

八幡「体育は隅っこでサボってばかりだったけどな。……舞台に、登ったこともない」

絵里「じゃあ、やっぱり比企谷くんは冬也みたいにギターは弾けないのね」

八幡「当たり前だ。あんなことできたら、今頃こんなとこにはいねぇよ。ギターのできるイケメンはさぞかしモテるだろうから」

絵里「ふふ、そうね。……だから、あなたが、あなたでいてくれて……よかった」

八幡(俺の目を真っ直ぐ見返して微笑む彼女の姿に、呼吸が止まりそうになる。はっとこぼした息が、白く染まった)


八幡(絵里さんはそのまま俺の方を振り返らずに、一歩一歩舞台の上へと歩んでいく。こつこつとトーシューズで歩むような音が、彼女の凛々しさを追いかけていった)


八幡(壇上の彼女は振り返る。金砂をまぶしたような美しい髪と、闇を弾いた白い肌が、月のスポットライトを受けて光り輝いていた)

八幡(絵里さんは、また微笑む。その笑顔はまるで、女神のようだとさえ思う)

八幡(そうして彼女は息を大きく吸い込むと、たった一人の観客に向けて、歌った)


――♪『私は紅い薔薇の姫よ 優しくさらわれたい
    だから微笑んで 追いかけてと目が誘う』


八幡(音の無い世界に、神様のハミング。世界は今、ただ、このためにあった)


――♪『あなたは白い月の騎士 触れた手がまだ熱い
         逃さずに 抱きしめて     』


八幡(美しくて、カッコよくて、でも茶目っ気があって。そして、誰よりも……優しい先輩)

八幡(ああ、俺は決して騎士なんて器じゃないけれど。でも、きっとあなたは)


――♪『この奇跡を』


八幡(――きっと、世界のどんな姫より美しい)


――♪『恋と 呼ぶのね』


八幡(広い体育館にたった一人の拍手が響く。不思議と寒さは消えていた。俺の拍手を受けて、女神は微笑む)


絵里「ありがとう。これが絢瀬絵里……最後の舞台」

八幡「……」

絵里「ご清聴ありがとうございました。……どう、感想は?」

八幡「……絵里さんがアイドルじゃなくて……良かった」

八幡「……見せたく、なくなってしまう」

絵里「……罪な人。一番の褒め言葉なのに、苦しくなる」

八幡(絵里さんは笑みを崩さない。月のステージから、ただ、優しく俺を見つめていた)

絵里「雪が降っていた夜だったわよね。……あなたが、助けてくれたのは」

八幡「……ああ」

絵里「それから、春。もう一度出会って。私の騎士様はとんだ捻くれ者なんだってわかって、びっくりしちゃった」

八幡「……よく、言われるよ」

絵里「でも、あなたは捻くれ者だけど。文句言ってばっかりだけど。……でも、できないことをひとつひとつできるように頑張ってた。……あなたの時折見せる不器用な優しさが、暖かかった」

絵里「それから、夏。急な仕事が入って、二人で事務所に泊まったわよね」

八幡「……絵里さん、仕事早すぎて、泊まる意味なかったけどな」

絵里「……意味ならあったわ。ねえ、暑くて長い夜だったわよね。空けた窓から吹く風が気持ちよかった。あなたのキーボードを叩く音が心地よかった。あなたが雪ノ下さんと話してる時の顔が痛かった。……あなたの、笑顔が、可愛かった」


絵里「……あの日。恋に落ちたの」


八幡「……」

絵里「あなたが私を助けたからじゃない。奇跡に酔ってるわけでもないわ」

絵里「私はあなたの特別なアイドルとして、共に歩んできたわけじゃない。私はあなたの特別な同級生として、過去に特別な時間を過ごしたわけでもない。……私は、普通の事務員。あなたの、ただの先輩。ありふれた女の子」

絵里「でも、私は。ただのありふれた女の子として、ちょっと捻くれた、普通の男の子が好きになりました」

絵里「それが、何より、私の特別です」


絵里「……比企谷八幡くん。あなたが好きです」



絵里「私の、特別になってくれませんか?」




八幡「……俺、は……」

八幡(視界が滲む。暖かい。暖かい。言葉に形を宿した好意は、心に染みる)

八幡(……ずっと、思い上がらないようにしていた。自分が大切だったから。人に好かれているかもしれないという甘い期待が、自分を傷つけてしまうかもしれないから)


八幡(……でも。どれだけ身を遠ざけても、本当は気付いていた。知らないのならいい。けど、知ってしまったらもう戻れない)


八幡(誰かが言った。人を愛するということは、人を傷つける覚悟をすることなのだと。それに比べれば、傷付く覚悟さえ軽いのだと)


八幡(……逃げない。俺は、もうあの時の俺じゃない。選ばなかった俺じゃない)

八幡(俺は、俺に誇れる俺でありたいから)


八幡(濡れた目線の先の彼女は、そんな俺の決意を後押しするように柔らかくある。その姿はまるで、溶けるその時を待つ雪のようで)

八幡(……ああ。あなたも、気付いて……。でも……)

八幡(彼女は、いつも俺を助けてくれた。何もできない自分を怒らないでいてくれた。変われない俺の背中を、いつまでも呆れずに見ていてくれた。間違えないように、見張ってくれていた)

八幡(そして、今、彼女は。俺が間違うことのないように、最後の背中を押している)

八幡「……ありがとう。ありがとう」

八幡「……俺は、嬉しい。絵里さんみたいな素敵な人に好きになってもらえて、うれしい」

八幡「……自分が嫌いだった。捻くれてる自分がじゃない。偉そうなことを言って斜に構えているくせに、いざ、本当に大事な場面で逃げ出してしまった、昔の自分が……」

八幡「……でも、絵里さんは。こんな俺を好きだと言ってくれた。傷付くのを恐れて、逃げてばかりで……迎えに来るのを待ってるだけの、哀れな騎士を……迎えに来てくれた」

八幡「……ありがとう。ありがとう」

八幡「俺はもう、自分を嫌いになったりしない。手を伸ばすことを恐れない。あなたが好いたことを、誇りに思える人間になっていくから……」

八幡「……俺は、もう。きもちから、逃げない……」

八幡「……絵里さん」

絵里「……うん」







八幡「…………ごめん。俺には、他に好きな人がいるから。解決してない問題があるから。……絵里さんの特別には、なれない」







絵里「……そっか。…………そっかぁ」

八幡「……ごめん。……ありが、とう……」

八幡(洪水のように流れる嗚咽と涙は止まる気配がない。等身大の好意を受けた喜びと、それを受け取れない氷の疼痛が混ざって何が何だかわからない。感情の失敗作みたいな表情を、隠しも出来ずに晒していた)


絵里「……馬鹿ねぇ。どうしてあなたが泣くのよ?」

八幡「……だって…………だって、俺は……」

絵里「……あなたがそんな風に泣くところ、初めて見た」

八幡「……あたり、まえだ…………。はじめて、なんだから……」

絵里「……じゃあ、私だけだ?」

八幡「……ああ。そうだよ…………」

絵里「そっか。……じゃあ、特別はこれだけで許してあげる」

八幡(悪戯っぽく笑う彼女は、いつも通りで。俺はまた涙が止まらなくなる)

八幡(どうして、そんなに優しく強くあれるのか。俺にはわからないけれど)

八幡(きっとそれは彼女だけが持つ「本物」があるからなのだと、そう思った)

八幡(……こんなこと、残酷すぎて口に出すことはできないが。でも、もしも。そう、もしも)

八幡(もしも俺がこの人に、奉仕部のあいつらよりも早く出会っていたら。もしも四年前、傷付いたばかりの俺がこの人と出会っていたら。きっと、俺は誰よりも、この人に……)


八幡「……ほんと、だれかに、言うなよな…………」

絵里「ええ、もちろん。これが、私にとっての特別だから」

八幡「……ああ」


絵里「……伝えられてよかった。ありがとう」

八幡「……俺も、ありがとう……」

絵里「これからも、よろしくね? 私を振ったこと、後悔しながら仕事することねー」

八幡「……ああ。一生、大切にするよ……」

絵里「……それじゃ、鍵締めておいてね?」

八幡「……ああ」

絵里「……比企谷くん」

絵里「また、ね」


八幡(そう言って彼女は、最後まで笑ったまま月夜のステージから去って行った)
八幡(この世にないほど清らなる、優しい先輩の笑みだった)


絵里(明るい明るい夜道を、一歩一歩踏みしめて歩く)

絵里(家までもう少し。こんな時でも、都合よく家に飛んだりは出来ないから)

絵里(私は輝夜姫じゃない。終わったからって全部投げ出して、月に帰ることなんてできない。ままならないこの現実世界を、明日も生きてかなきゃいけないんだから)

絵里(この曲がり角を曲がったら、家だから。そこなら誰も見てないから。ポケットから鍵を出して、部屋を空けて、中に入って、そしたら――)

絵里(私は、最後の角を曲がった)



希「……えりち」

絵里「…………希?」

絵里(そこには、私の無二の親友が立っていた)

絵里「……どうして、ここに……?」

希「カードが、言っててん」

絵里「……嘘、よね」

希「……うん。嘘。……親友やから。昨日、なんとなく、ね」

絵里「……希には、何でもお見通しね」

希「そんなことない。……わかりたい、だけ」

絵里「……うん……」

希「……」

絵里「……」

希「……」

絵里「……今日、言ってきたの。……だめだった」

希「……うん。……うん……」

絵里「……でもね」

絵里「私、言えたの。……すきって、いえたの」

希「うんっ……!」

絵里(希は、私を抱きしめた。…………ばか……)

絵里(もう、だめ……)

絵里「ねえ、のぞみ……。わたしね、泣かなかった……」

絵里「なかなかったんだよ……?」

希「えりち」

絵里「…………うん」



希「もう、いいんだよ?」



絵里「――っ」

絵里「うう、う――!!」

絵里(最後の壁が、壊れた。私はついに泣いてしまった。積み上げた想いを誇るように、言えた自分を慈しむように、彼の泣き顔を思い出すように。私は全てを振り絞って、泣いた)



絵里「すきだったんだから……! だいすきだったんだから! 初恋だったんだから!」

絵里「ずるい……ずるいよ! どうして、どうして……どうしてわたしじゃないのよぉ!」

絵里「私が……私だけが! 下の名前だったんだから! それだけは誰にも負けてなかったんだから!」

絵里「あの人にワガママ言えたのも、教えてあげられたのも……私だけだったんだからぁ!!」

希「うん……うん……!」

絵里(何も考えずに思いの丈を吐き出す私の髪に、希の涙。……馬鹿。どうして、希が……)

希「えりち……頑張ったね。頑張ったね……!」

絵里「っ……! っ……!」

絵里(私はただ、泣いて頷くことしかできない)

希「……その痛みを、わかってあげることは、できんけど……」

希「でも、ずっと、いるから。いつまでもいるから。いやがっても、いるから」

希「その痛みがありふれた痛みになるまで、ずっといてあげるから」

希「だってそうやろ、えりち。ウチは、親友やもん」

希「好きな人はできたり、できなかったり。付き合ったり、別れたりするものだけど」

希「でも、親友だけは絶対になくならん。いつまでも、何があっても、そばにいるから」

希「ずっと一緒。ずーっと一緒に、おるからね?」

絵里「……うん。うんっ……!」

絵里(できたばかりの傷は痛くて、まだ涙は止まらない。きっとこれから先も、何回だって泣くだろう。そして何年経っても、この傷が無くなることはない)

絵里(けど、それでいいんだと思えた。私には、希が……みんながいる)

絵里(その事実があれば、私はこの最愛の傷と向き合うことができるはずだから)

絵里(だから、泣いて、泣き止んで。思い出して、また泣いて。でも、いつか笑って)

絵里(そんな風に、明日からまた生きていこう)

絵里(明日に歩く、少し手前の澄んだ夜。支え合う私たちを、月だけが見ていた)


× × ×

冬也『空中廊下、か……。ここで天乃を見つけたんだっけ』

美春『……うん。初めて、歌を聞かれたの』

冬也『……下手くそだったなぁ』

美春『今は?』

冬也『……言わなきゃダメか?』

美春『うん。冬也に、褒めてほしい』

冬也『……上手くなったよ。尊敬する』

冬也『お前の歌で弾けて、良かった』

美春『…………ありがとう』

美春『ねえ。やっぱり、嬉しいね。言葉にしてもらえると……嬉しいね』

冬也『……ああ』

美春『冬也。……ありがとう。見つけてくれて、ありがとう』

美春『出会ってくれて、出会わせてくれて、ありがとう』

冬也『……』

美春『……わたしも、言葉にするね』

美春『だから。もし、嬉しくなくても……聞いてくれる?』


冬也『…………ああ』



結衣『……雪、だね』

八幡『……雪か。濡れるし、滑るし、寒いし、いいことねぇよな』

結衣『でも、きれいだ』

八幡『……』

結衣『ヒッキーは、雪、好き?』

八幡『………………』

結衣『あたしは、好き。大好き。でも……雪より、もっと』


結衣『ヒッキーが、好きだよ』


八幡『……』

結衣『ずっと。ずーっと……好きなの』

八幡『……俺、は』

結衣『……ヒッキーは、気付いてたんだよね。……でも、優しいから。黙っててくれた』

八幡『……違う。違うっ!』

八幡『こんなもんが! こんなもんが優しさのわけがねぇだろ!!』

結衣『いいの。いいんだよ』

結衣『だから、ずっと……三人でいられた』

結衣『……でも、終わりだね。あたし、言っちゃった。言っちゃったもんね』

結衣『あたし、悪い子だ。我慢できなくなっちゃったんだ。……だって、どうしても欲しいんだもん。イヤなんだもん』

結衣『雪乃のこと、知ってるくせに……ヒッキーが欲しいんだもん!』

八幡『……!』

結衣『……ヒッキーが優しいの、知ってる。だってヒッキーは、たくさん傷付いてきたもんね。だから、人の痛みがわかるんだよね。だから、傷付きたくないし……傷付けたくないんだよね』

八幡『……ああ。ああ……』

結衣『あたし、知ってるもん。知ってるんだもん。ずっと見つめてきたんだもん。だって、あたしが……あたしが。一番最初に好きになったんだもん』

八幡『……』

結衣『……ごめんね。ごめんね、ヒッキー。あたし、悪い子だから……。ヒッキーが傷付くの、知ってるけど……でも、聞くね? ……ちゃんと、選んでね?』


結衣『あたしは、ヒッキーの彼女さんになれるかな?』


結衣『あたしを選んで……あたしと二人に、なってくれる?』

八幡『……由比ヶ浜』





八幡『………………すまない……』

八幡『俺には……他に…………』


冬也『……人と楽器を演奏したのは、初めてだったんだ』

凛奈『……』

冬也『一人で弾いたって楽しいんだ。そこに人がいなくたって、俺は楽しい。一人でも弾けるから、俺は好きになったんだ』

冬也『……でも。一人でも大丈夫だからこそ、二人でやることに意味がある』

冬也『俺は例え、相手が幽霊でも嬉しかった』

冬也『でも違った。幽霊なんかじゃなかった。枯れ尾花なんかじゃなかったんだ』

冬也『……俺の隣で、弾いてたのは…………氷川凛奈だったもんな』

冬也『……俺、知らなかったんだ……』

凛奈『……そうか』

凛奈『私は、ずっと知ってたよ。お前が私を知るずっと前から。三人になるずっと前の、私とお前が一人ぼっちだった頃から、知ってたんだ』

凛奈『……だから、楽器を始めたんだ…………』

冬也『……一人ぼっちの俺でも、誰かを変えられたんだな』

凛奈『……ああ』

冬也『……なあ、氷川』

凛奈『……』


冬也『俺と――』




結衣『……バカぁ。雪乃の、バカぁっ!!』

雪乃『……ええ…………』

結衣『どうして……どうして! どうしてそんなことしたのっ!! そんなことして、あたしが……あたしがっ…………!』

雪乃『……ええ。知って、いるわ。…………嫌いに、なった?』

雪乃『……嫌いに、なってよ…………!』

結衣『……バカっ。バカバカバカっ!! 雪乃はバカだっ!!』

結衣『でも、もっとバカで悪い子は、あたしだ……。あたしは、あたしは……ホッとした! ホッとしたんだ! 親友なのに……。しんゆう、なのに…………!』

結衣『雪乃は……雪乃はっ、ずるい!!』

結衣『あたしが雪乃を嫌えるわけないじゃんっ!!!』

雪乃『……ごめんなさい。…………ごめんなさいっ……!』

結衣『……ばか。……どうして、雪乃があやまるの…………』

雪乃『ごめんなさい……卑怯で、弱くて、ごめんなさいっ……!』

結衣『…………ねえ、雪乃』

雪乃『…………』

結衣『………………雪は、好き?……』

雪乃『……私は…………』


雪乃『私は――』



× × ×

<十二月二十四日、夜。総武高校奉仕部室>

八幡「……終わった、な」

雪乃「……ええ。お疲れ様」

八幡「言う相手を間違えてるんじゃないのか。双葉にかけてやれよ」

雪乃「いいえ。間違えていないわ。むしろ間違えているのはあなたの方」

雪乃「……だって、まだ何も終わっていないでしょう?」

八幡「……ああ。そうだな」

八幡(シールの貼ってある無名の表札。うず高く後ろに積まれた机。何も書かれることのない大きな黒板。閉め切った窓から差す光。主を失ったはずの部屋は、寡黙にこの時を待ち続けていたかのように、変わらないままでいてくれた)


雪乃「……四年ぶり、ね」

八幡「……変わってねぇよな」

雪乃「ええ。……変わったのは、制服と教科書くらい」

雪乃「……あの日から。四年前のクリスマスから。……私たちの時間は、止まったままだものね」

八幡「……ああ」

雪乃「けれど……もう、終わり。溶けない雪は、ないのだから」

八幡「……」

雪乃「……座らない? もう、紅茶はないけれど」

八幡(俺は頷いて、高校時代のように長机の端に置いてある椅子に座った。雪ノ下もまた、記憶の位置そのままに対面に座る。後ろの窓からは、鈍色の雲が立ち込めているせいで月が見えない。外から洩れる僅かな光が、記憶と違う彼女の髪と表情を照らす。雪ノ下の目線は、隣にある空席の椅子に向けられていた)


八幡(そこに彼女は、もういない)


雪乃「寂しいものね。時の流れって……冷たいのね」

八幡「変われない者には、な。……でも、あいつは違う。あいつだけは、違ったんだ」

八幡「あいつだけは……変わる勇気を、持っていたんだ……」

雪乃「……そうね。あの子は、前に進んだ」

雪乃「あの子だけが……冬を越えて春を迎えられる、強い女の子だった」

雪乃「……けれど、私は弱いから。あなたに甘えたから。……冬から、進めないの」

八幡「弱いのは俺だった。俺が……俺が! 弱かったから!」

八幡「お前の……初めての虚言に。嘘をつくなと、言ってやれなかった」

八幡「俺は、お前の本当の言葉が欲しいって……」



八幡「――本物が欲しいと、言えなかったっ!!」



八幡『……由比ヶ浜に。言われたんだ』

八幡『……こんな俺が、大好きだと…………』

雪乃『…………そう。…………おめでとう』

雪乃『……心から、祈りを。あなたと、私の無二の親友が……幸せな未来を、歩むことを……』

八幡『…………俺は……』


八幡『……うけとら、なかった。……断ったんだ…………』


雪乃『!!!』

八幡『……俺には、他に好きな人がいるから…………』

雪乃『……っ』


八幡『……なあ、雪ノ下。俺と……俺と――』




雪乃『……ごめんなさいっ……』




八幡『っ!』


雪乃『……それは、それはっ…………むり、なの……』





雪乃「嘘じゃ、ないわよ……馬鹿……。……だって、雪ノ下雪乃は、虚言を吐かないから……」



八幡『……ゆき、のした……』

雪乃『だって……。だって、私には……』

雪乃『他に好きな人が、いるんだもの……』




雪乃「私は、親友が……由比ヶ浜結衣が…………大好きだったんだもの……」

雪乃「……できない。できないっ! 私には、できなかった!!」

雪乃「あの子を傷付けて幸せになるなんて! そんなこと、できなかった!」

八幡「……だったら。だったら言えばよかったんだっ!! 由比ヶ浜より、由比ヶ浜結衣より大切なものなんてないって!!」

雪乃「言える訳ないでしょう!!」

八幡「なんでだよっ!!」

雪乃「嘘だからに決まってるじゃない! 私は……あなたが! あなたのことが一番好きだったんだからっ!!」

八幡「っ……。ざけんな……ふざけんな!! 遅えんだよ!! 四年遅いんだよ!! 雪ノ下雪乃は、虚言を吐かないんじゃなかったのかよ!!」


雪乃「あなたがっ、あなたが嘘をついていいって言ったんじゃないっ!!」


八幡「っ……!」



八幡『………………まだ、何も言ってねえだろ……』

雪乃『っ……!』

八幡『…………お前が言ったんだろ?』

八幡『……俺と友達になるなんてありえないって』



八幡『……ましてや、恋人になるなんて…………ありえないだろ……?』



雪乃『…………ええ。……そうね……』


八幡『断ったのは……お前じゃない、他に好きな人が……いるからだ』



雪乃「あなただって……あなただって!! 嘘をついたくせに!!」

雪乃「あなたは、私のことが好きだったくせにっ!!」

八幡「……違う。俺は、違うっ! 嘘をついてねぇ!!」

八幡「お前とはちっとも似ていないから!」

八幡「俺が……俺が好きだったのは! 他でもない自分自身だった!!」

八幡「俺は自分が好きだから! 誤魔化したんだ! 本当は欲しかったくせに!」

八幡「由比ヶ浜を……他人を傷つけてまで得る本物なんて、いらないって誤魔化したんだ!!」

雪乃「何よ……何よ! 嘘つき! 卑怯者!」

八幡「そうだよ、俺は卑怯だよ! そんなことも知らなかったのか!」

雪乃「言えばよかった……言えばよかったのよ! 俺は雪ノ下雪乃より自分が好きだって、卑怯者らしく言えばよかったのよっ!」

八幡「言える訳ないだろうが!」

雪乃「どうしてよっ!!」


八幡「嘘だからに決まってんだろうが!! 雪ノ下雪乃より好きな奴なんて、いるわけなかったからに決まってんだろ!!」


雪乃「……ふざけないで。ふざけないで……!」

雪乃「遅いのよ……! 四年、おそいのよっ……!!」



雪乃『……そう…………そう、なのね……』

八幡『……ああ。……そうだ……』

雪乃『……似ているわね、私たち』

八幡『……俺とお前が、似ているわけじゃない』


八幡『…………大事にしたかった人が、一緒だっただけだ……』


雪乃『……』

八幡『……』

雪乃『…………あ……』

八幡『……どうした?』

雪乃『……見て、比企谷くん。……雪が、降ってる』





八幡「…………」

雪乃「…………」

八幡「…………あ……」

雪乃「……どうした、の?」

八幡「……見ろよ、雪ノ下。……雪が、降ってる」

八幡(暗い窓の外を、白雪は落ちていく。あの日と同じような、白雪が)



雪乃『…………綺麗、ね』

八幡『…………ああ』

雪乃『……ねえ、比企谷くん。……雪は、好き?』

八幡『……俺は』

八幡『……雪は…………嫌いだ……』

雪乃『……奇遇ね。……私も、よ……』

八幡『…………あいつに、よろしくな……』

雪乃『……ええ。……比企谷くん……』




雪乃『……じゃあね。……さようなら。さようなら、比企谷くん……』




雪乃「……あの日から。あの雪から、私たちの時間は止まったままだった」

八幡「……でも」

雪乃「……ええ。私たちの時間は、春……また、動き始めた」

雪乃「私たちは春、再び出会った。……でも、違う。あんなものは、春じゃない」

雪乃「あんなものが、姉さんの名を騙っていい訳がない」


雪乃「擬きの春を、終わらせましょう?」



八幡「……ああ。俺は、変わった」

雪乃「……ええ。私も、変わった」

八幡(進み始めた時間と共に、彼女は立ち上がる。しんしんと舞い落ちる、羽根のように白く柔らかい雪を背にして。雪ノ下雪乃は、優美に俺に笑いかけた)

八幡(雪の女王のように気高く、上品なその姿は)

八幡(間違いなく、俺が生涯で初めて心底憧れ、愛した女の姿だった)





雪乃「――比企谷くん。好きよ」

雪乃「昔も今も。変わらず、あなたが大好きです」

雪乃「私と、付き合ってください」

<十二月二十五日、夜。最終戦、当日――ニッセンスタジアム>

小町「おにぃーちゃん♪」

八幡「げっ、小町!? お前、なんでここに……? チケットなら渡しただろ」

小町「じゃじゃーん!」

八幡「関係者パス……誰から貰ったんだ」

小町「絵里さん!」

八幡「……そうか」

小町「……隠せてないよ、顔~」

八幡「…………何でお前らってこういう話だけいっつも早ぇの?」

小町「それはね、小町たちは何歳になっても女子だからだよ!」

八幡「質問の答えになってねぇぞ……」

小町「……素敵な何かだけでできてるわけじゃないからね。甘いのも、辛いのもあるよ。女の子には」

八幡「…………ひどい奴だろ。お前の兄貴は」

小町「うん。酷いね。言い訳のしようがないね。女の敵だね」

八幡「……そこまで言う?」

小町「でも……同じ女でも、小町は妹だから。家族だから」

八幡「……」


小町「家族だから、小町は無条件でお兄ちゃんの味方だよ」


小町「だからね。お兄ちゃんがどんな選択をしても、小町はそれを受け入れてあげるんだ」

八幡「……四年前のことだ。俺が……選ばないことを選んで。二人と一人になるはずだった三人は、一度みんな一人になってしまった。その時、お前、なんて言ったか覚えてるか?」

小町「ん? 何か言ったっけ?」


八幡「『……そっか。お疲れ様。コーヒー飲む?』だよ」

小町「うわぁ淡泊だなー」

八幡「……俺はあの時、罰してくれる誰かが欲しかったんだ。溺愛してる妹だからこそ、鞭が欲しかったのかもしれない。でもお前は、何も言わなかったよな」

小町「……」

八幡「今改めて思う。やっぱりお前は俺の妹だよ。……何も言われないより、責められた方が楽だもんな。だからこそ、お前は何も言わなかった。……優しさって、甘やかすことじゃないんだ」

八幡「味方だからこそ……愛しているからこそ。手を差し伸べてはいけない瞬間があるんだ。人の未来を想うからこそ、傷付ける覚悟が必要なんだ」

八幡「憎まれてもいい。刺されることになっても構わない。見返りなんてなくたっていいんだ。……そいつが、前に進んでくれるなら」

八幡「そうやって誰かの未来を願うことを、きっと優しさって言うんだよな」

八幡「……そんなところに、お前は辿りついてたんだな。流石は俺の妹だよ」

小町「……お兄ちゃんには、いっぱいもらったからね」

八幡「何を?」

小町「えへへ、なーにかな。教えてあげない」

八幡「小町の癖に生意気な……」

小町「お兄ちゃんの妹だもん。生意気なのはしょうがないよ」

八幡「なるほど、納得だ」

小町「でしょ。……でも、教えないけど……本物なのは間違いないよ」

八幡「……そうか」

小町「……優しいお兄ちゃんは、選んだんだね?」

八幡「ああ。長い間、かかったけどな。……でも、ようやく回答できた」

小町「……そっか。だったら、お兄ちゃんに伝えなきゃいけないことができたね」

八幡「……ああ。聞くよ、部長さん」

小町「うん。……新奉仕部部長、比企谷小町から辞令です」


小町「――只今をもって、比企谷八幡は部活を卒業。奉仕部は、これにておしまいです!」


八幡「……はい。ありがとう、愛してるぜ」

小町「うんっ! 小町も愛してるよ、お兄ちゃん!」




八幡「……で。聞いてたんだろ? ……そろそろ出て来いよ」

凛「……相変わらず敏感なんだから」

八幡「プロのぼっちは人の気配に敏感なんだよ」

凛「嘘つき。元ぼっちでしょ?」

八幡「……否定しない」

凛「よし。いい変化だね」

八幡「……どこから聞いてた?」

凛「おにぃーちゃん♪」

八幡「……ほんっと性格悪くなったよな、お前」

凛「ふふっ。お蔭さまでね」

八幡「……すげー人だよな。全くうざったいったら」

凛「すごいよね。十万人だよ。テレビの前の人を入れたら、もっとかな」

八幡「渋谷凛も、でかくなったもんだ」

凛「これからもっと大きくなるよ。いずれは一人でここをいっぱいにしたいな」

八幡「お前は嘘をつかないからな……いや」

八幡「言った後、必ず本当にしてくれるもんな」

凛「もちろん。だって今日の私は魔法使い。夢を叶えるのがお仕事だもん」


八幡(俺に向かって彼女は凛として微笑む。その言葉を受けて、俺は先程武内さんや高木社長から貰った言葉たちを思い返す)


武内P『こんにちは、比企谷くん』

八幡『ああ、どーも。……いよいよですね』

武内P『そうですね。しかし人事は尽くしました。今更どうなるということもありません』

八幡『……凄いですね。俺なんか今もそわそわして仕方がない』

武内P『……』クス

八幡『……そんな風に笑うんですね』

武内P『人間ですからね。おかしいでしょうか』

八幡『おかしい……まぁ、確かに可笑しいかも』

武内P『……渋谷さんをリーダーに抜擢したのは、英断だったと自負しています。高坂さんでも高垣さんでもなく、渋谷さんを』

八幡『ええ。あいつは、応えてくれるから。……俺の、自慢のアイドルだ』

八幡『武内さん。俺とあいつをスカウトしてくれてありがとうございます。……俺は、この世界に入れてよかった』

武内P『…………ああ。その顔だ』

八幡『……?』

武内P『私があなたをスカウトした理由を、覚えていますか?』

八幡『……ああ。いっつもあんな抽象的な言葉で口説いてんですか?』

武内P『はい。今も昔も、私が誰かを口説く理由はたった一つだ』



武内P『――笑顔です。笑顔ですよ』



武内P『あなたの、笑顔が見たかった』

八幡『……』

武内P『今なら、プロデューサーの楽しみというものがわかりますか?』

八幡『……はい。なんとなく』

武内P『……プロデューサーとは、産む者。創り出す者』

武内P『夢を、笑顔を創り出すお仕事です』

武内P『そのことに、誇りを持って生きましょう』


高木『やあ、比企谷くん。調子はどうかね?』

八幡『そうですね、心配です。765の株価が』

高木『はっはっは! 言うじゃないか!』

八幡『いい戦いをしようなんて言いませんよ。できればワンサイドゲームがいい』

高木『高いハードルを掲げるねぇ』

八幡『その方がいいんです。高けりゃ高いほど』

高木『燃えるからかね?』

八幡『いいえ。ハードルは高いほどくぐりやすい』

高木『……ふっ。君らしいよ』

八幡『どうも。お褒めに預かり光栄です』

高木『……いつかの問いをもう一度かけよう。この世に魔法は、あると思うかね?』

八幡『相変わらず変わりません。無い』

高木『ほう』


八幡『……けど。あるって、信じさせてやりたい』


高木『……うん。うんうん。……いい答えだ』

八幡『……』

高木『比企谷くん。私は手品が得意でね』

八幡『……は?』

高木『まあ見ていたまえ。ここに千円札があるね? ……ほら、こうだ!』

八幡『……一万円に。最高の錬金術だ……』

高木『だろう? 私はこの手品が実に好きでねえ! 夢があっていいだろう?』

八幡『はい』

高木『だが、所詮手品だ。……魔法ではない』

八幡『……』

高木『そうだ、比企谷くん。この世に魔法はない。ないんだ』

八幡『……ええ』


高木『だからこそ。種も仕掛けも、あるのだよ』


高木『だからもし、人が魔法を信じると言うのなら、それはこの部分にこそある』

高木『私はそれを愛しく思う。魔法は人為なのだ。だからこそ、この世界は美しい』

高木『いつまでも魅了し、魅了されたい。……それが、私がここにいる理由だ』

八幡『……ええ。わかります』

高木『……若者よ。君の言葉を聞かせてくれ』


高木『――君はどうして、ここにいるのかな?』


八幡「ずっと、見ていたくなったからだな」

凛「? 何を?」

八幡「いつか見つけたサンタクロースだよ」

凛「……プロデューサーが現実主義者なのってさ、実は誰より夢見たいからだと思うんだ」

八幡「見てきたみたいなこと言いやがって」

凛「実際見てきたからね。夢見がちなのにへたれだから自制してきたんだ。期待しないと失望もしないから」

八幡「……」

凛「でもそれはもう終わったんだよね。……私に、期待してくれるんだよね?」

八幡「……ああ」

凛「だったら私は応えてあげる。応えてあげたいもん。……ね、プロデューサー」

凛「メリークリスマス。あなたの夢、叶えてあげる」

凛「いい子にしてたもんね。私があなたのサンタさんだよ」

八幡(……ああ。なんだ。やっぱり、間違ってなんかなかったな――)


凛「……黙ってないでよ。恥ずかしいんだけど?」

八幡「知ってる。わざとだ」

凛「……いい子だと思ってたのに、悪い子だった」

八幡「ははっ。慌てんぼうだから間違えんだよ」

凛「じっくり選んだつもりなんだけどなぁ……。あ、プロデューサー」

八幡「ん? 何だ?」

凛「妹さんとのお話聞いてたら思い出した。私も愛してるよ、あなたのこと」


八幡「………………なっ」

八幡(そういえば私ってケーキ好きなんだよね、とでも言うような告白だった)

八幡(それぐらい自然で、当たり前のことを言うような)

八幡(等身大で、そこに置いてあるような愛だった)


凛「お返事はライブの後でお願いね? どっちの結果でも仕事になんないからさ」

八幡「おま、お前っ…………」

凛「あ、またテンパってる。やーい。……言っとくけど本気だからね?」

八幡「……はぁ。思い知ってるよ。お前はいつでも本気だからな」

凛「うん。何にでも一番になるって決めたから。だから、遠慮しない。それが私だもん」

八幡「……」

凛「あなたの答えが、私の欲しいクリスマスプレゼント」

八幡「……じゃあ、欲しがるからにはわかってんだろうな?」

凛「……等価交換?」

八幡「当たり前だ。俺はあげるからには貰いたいんだよ」

凛「……はぁ。こんな時までプロデューサーはプロデューサーだね」

八幡「ああ。――そんな俺が、大好きだ」

凛「いいよ。欲しいものを言って?」

八幡「勝利」

凛「了解。行ってくるよ、パートナー」

八幡「ああ、行ってこい。――俺の、アイドル!」


――ぱちんっ!


八幡(交わしたハイタッチの音が、最後の戦いの火蓋を切った)


響「よーし! 円陣組むぞ! 円陣!」

亜美「ライブバトルで円陣組むなんて初めてー!」

真美「ねー!」

真「伊織、ほら。ボクの隣空いてるよ」

伊織「うん、ありがと」

やよい「うっうー! 今日もいーっぱい頑張りますっ!」

雪歩「……何だか高まってきましたぁ!」

あずさ「あらあら、雪歩ちゃんも頼もしくなったわね~」

貴音「……楽しみですね」

千早「ええ。私も」

美希「格の違いを見せつけてやるのー!」

春香「手加減無用、ですね!」

赤羽根P「ほら、律子も来いよ」

律子「わ、私もいいんですか? ……じゃあ音無さんも」

小鳥「ええっ!? わわわっ!?」


赤羽根P「よし、準備できたな! ……あいつらは手強い。苦戦するかもな。でも、俺はお前たちを信じてる。765プロを信じてるぞ!」

響「任せてほしいぞ! 自分、完璧だからな!」

伊織「やりすぎて壊してしまわないかしら。水瀬からカウンセラーでも送っとく?」

亜美「いおりんはいっつもそういうこと言う~」

真美「ねー! さっきまでずっと人形抱きしめてたのにねー!」

伊織「そそそそんなことしてないわよぉ!!」

雪歩「……大丈夫。大丈夫だよ、伊織ちゃん」

赤羽根P「ははっ、頼もしいな。……でも、忘れてないよな? 勝つことよりも大事にしなきゃいけないこと。それはなんだ?」

やよい「ありがとーって気持ち!」

真「見てくれる人の気持ち!」

千早「そして、何より……私たちが楽しむこと」

赤羽根P「そうだ! 勝ち負けなんて関係ない! 楽しいことが一番正しい!」

赤羽根P「だから、お前たちが一番楽しんで楽しませるんだ。そうすりゃいつも通り、自然と勝ってる!」

赤羽根P「行ってこい! お前たちは、最強最高のアイドルだ!」


千早「3!」

美希「2!」

春香「1!」

――「トップアイドル!!」


――♪『ARE YOU READY!! I'M LADY!! 始めよう
    やればできる きっと 絶対 私NO.1!!』


――わあああああああああああああ!!!


きらり「うひゃー…………」

にこ「なななななな中々やるじゃない?」

穂乃果「あははっ! にこちゃん、髪の毛まで震えてるー!」

海未「穂乃果、マイクがずれています! もうっ、こんな時まであなたときたらっ!」

アーニャ「……敵ながら、アッパレ、です」

楓「ふふふっ。アーニャちゃんも日本語がお上手になってきましたね~」

美嘉「……確かにビビっちゃうかもだけど。でも、マストレさんのレッスンより怖いものあるー?★」

杏「やめろ、名前を呼ぶんじゃない! 来ちゃうだろ!」

莉嘉「杏ちゃん、撮影中もずっとぼろぞーきんにされてたもんねー☆」

卯月「でも、今日は杏ちゃんが本気出すんですから怖いものなんてないですよ♪」

未央「そうだそうだ! このハチクの勢い、止めれるもんなら止めてみろー!」

奈緒「未央が破竹って単語知ってるなんて……意外だ……」

加蓮「奈緒ー? それディスってるよー? 大丈夫ー?」

みく「……全く。こんな時まで騒がしいったらありゃしないにゃ」

凛「ふふっ、いいじゃん。頼もしくない?」

みく「……まあにゃ」

穂乃果「よーしっ、円陣組んじゃお!」

海未「……何度組んでもいいものですね。円陣は」

楓「号令は、誰がかけますか?」

にこ「って言ってもねぇ。……決まってるじゃない」

穂乃果「うんうんっ! じゃあしぶりん、お願いね!」

凛「え、私?」

奈緒「当たり前だろ。リーダー」

未央「未央ちゃんがやりたいところだけど、ここは譲ってやろう!」

杏「主人公っぽい顔してるもんね。適任じゃない?」

みく「……しゃーなしだからにゃ?」

美嘉「期待させてよ? リーダー!」

凛「……うん。任せて」


凛「みんな、とうとう今日がやってきたね。……知ってる? 今日って、クリスマスなんだよ」

みく「なんともまあ、色気のないクリスマスだにゃ」

海未「ちょ、ちょっと! みんなどうしてこっちを見るのです!?」

にこ「……ま。色気はないけど、最高のクリスマスよね」

未央「特別な聖夜だよねっ! こんなの初めてだよ!」

凛「うん。だけど……特別なのは私たちだけ? 私たちだけじゃもったいなくない?」

凛「こんなに幸せなんだよ。みんなに配らなきゃ損じゃない?」

穂乃果「じゃあ、穂乃果たちはサンタクロースだ!」

楓「夢、見せてあげませんとね」

奈緒「うん。夢は、叶うんだ」

加蓮「病院で見ている子だちのためにも。……奇跡を、起こす!」

杏「ま、物語はハッピーエンドであるべきだよね。杏は報われない苦労なんて御免だよ」


凛「……うん、行こう。これは、物語――」


――「みんなで叶える、物語!」



――♪『お願い! シンデレラ 夢は夢で終われない
       動き始めてる 輝く日の為に  』



――わあああああああああああ!!!


戸塚(大きな大きな会場が揺れる。両プロダクションのオープニングセレモニーが終わり、次の演目からいよいよライブバトルが始まる)

戸塚(この試合は、団体戦。一人が勝てばいいというわけじゃない。計十六試合の勝敗の総合で決まることになっている。ぼくは、ポケットから対戦表を開いた)



オープニング・アクト

園田 海未―萩原 雪歩

我那覇 響―アナスタシア

城ヶ崎 美嘉―双海 亜美
    莉嘉    真美

渋谷 凛―四条 貴音

島村 卯月―天海 春香

本田 未央―菊地 真

諸星 きらり―三浦 あずさ
             次項に続く



戸塚(……祈るしかない。ぼくができることは、もう全て尽くしている)


――♪『ALRIGHT! 今日が笑えたら ALRIGHT! 明日はきっと幸せ
    大丈夫! どこまでだって さあ 出発オーライ!   』


海未「……彩加くん」

戸塚「わっ、海未さん。準備は終わったの?」

海未「はい。全て終わっています。……萩原さんのパフォーマンスは独特ですね。切なげなのに、勇気が出る、と言いますか」

戸塚「昔ね、萩原さんって人前に出るのが怖くてずーっと震えてたらしいよ。特に男の人が駄目だったらしくて」

海未「……全く見えませんね。堂々としたものです」

戸塚「だよねー。嘘だと思うんだけどなぁ。ぼくも初めて会った時から友好的だったし」

海未「……それは彩加くんだからじゃないですか?」

戸塚「そ、そんな風に睨まれても困るかな……」

海未「あなたは無自覚で色々と人を惹きつけていそうで心配です」

戸塚「……そんなに浮気性に見えるかなぁ」

海未「……うそです。……かまってほしかっただけじゃないですか…………」

戸塚「えー何? 聞こえないなー」

海未「あなたのそれはわざとでしょう!? もう騙されませんからね!」

戸塚(ぷりぷり怒っているお姫様をよそ目に、ぼくはステージ上で舞う萩原さんを見つめた。……本当にすごい。あの透明感のあるロングトーンと激しい運動量がなぜその小さな身体に併存できるんだろう。これが全員だというんだから驚きだ)


戸塚「……恐れ入るね。765プロには」

海未「全く、同じ人間とは思えませんね。軍隊顔負けの練度です」

戸塚「厳しい戦いになりそうだね。まぁ、勝つんだけど」

海未「……自信たっぷりですね」

戸塚「海未さんのハードルは高いよ? なにせ普通じゃ勝てないんだから」

海未「? どういうことですか?」

戸塚「わからない? このライブバトルで一番やっかいなのは、先入観。765プロが負けるわけがないっていう観客の先入観を壊さないことには始まらないんだよ」

海未「……ブランドでポイントが入ってしまうということですね」

戸塚「そう。だから誰かが勝たないとズルズル行っちゃってボロ負け、なんて未来もなくはない」

戸塚「だから、海未さん。勝ってね。最初が肝心だよ?」

海未「……あなたは本当にいじわるです。そんなに私をいじめるのが楽しいのですか?」

戸塚「だって、嫌じゃないでしょ?」クスクス

海未「………………ばか」

戸塚「海未さんはすぐ人に頼れる人じゃないけど、頼られるのは好きだよね」

海未「……ええ。好きな人には、頼られたいですね」

海未「甘えた分、甘やかしてみたいです」クス

戸塚「……お願いね」

海未「ええ、任せてください」


海未「――この嚆矢は、外しません!」


戸塚(何度見て、聞いてきたかわからない歌だ。ぼくは海未さんの歌なら全て歌えるし、下手をしたら振付を覚えている曲もあるだろう。熱心なファンのみんなも、おそらく同じなんだと思う)


戸塚(曲はCDの中に入っている。ライブの様子は動画で見ることもできる。……なのに、お客さんはお金を払って彼女たちを見に来る。それはなぜなんだろう?)


戸塚(難しいことはわからないけれど、でも、海色の光の中で泳ぐように歌い踊る彼女を見ると、すっと答えが下りてきた気がした)


戸塚(こんな理屈ではない感情を生み出せるアイドル達と関われることに、ぼくは誇りを持ちたい)


海未『はぁ、はぁ……。ありがとうございますっ!!』


――わああああああああああああ!!!


戸塚(ぼくはもうコートに立つことはない。輝くスポットライトの下に立つことはない。それは少し寂しいことなのかもしれない。けれど、今、憧れの視線を浴びて輝く彼女を見ると、また別の気持ちが湧いてくるのだった)


海未『私からの、とっておきの曲です! 私はもう誰にも負けません。私たちは、誰にも負けたくありません! 私が困っていた時、765プロの皆さんも助けてくれました。そのことは忘れません。一生の宝です』


戸塚(光の下に立てなくても、君たちをより輝かせる側に立つ、そんな人生だって悪くない)


海未『でも、だからこそ! 私は、全力を皆さんにお返ししたいと思います! 真っ直ぐ、実直に……不器用でも、それが私の生き方です!』


戸塚(だって、ぼくは戸塚彩加――)


海未『みんなが咲き誇る未来の為に、歌います!』


戸塚(君に、彩を加える者だから)


海未『――わたしたちは未来の花!』




赤羽根P「……お疲れさま、雪歩」

雪歩「……不思議です。人が怖いどころか、今ならみんな好きになれそうなんです」

赤羽根P「強いなぁ。未だに俺は犬が苦手だよ」

雪歩「……海未さん、すごいです。……こんなに、憧れる人に出会えるなんて思いませんでした」

赤羽根P「すっかりハートを射止められちゃったなぁ、雪歩は」

雪歩「はいっ。……でも、もう口にするのはやめます」

赤羽根P「……憧れると、勝てないもんな」

雪歩「……えへへ。嫌な墓穴、掘っちゃいました……」

赤羽根P「……あのやろ。宣言通りとはなぁ……」

雪歩「……響ちゃーん?」

響「はっ! べ、べ別に自分は隠れてないぞ!? ただ精神統一をな!?」

雪歩「ごめん。……お願い、できるかな?」

響「……任せてほしいぞ。雪歩にこうやってお願いされるのは初めてだな」

雪歩「えへへ、あんまり甘えるとずぶずぶいっちゃうからね……」

響「完璧な自分に任せろ!」

雪歩「……うん。お願い!」

赤羽根P「俺は、戻っているよ」

雪歩「はいっ。最後のオールスターで挽回しますっ!」

赤羽根P「ははっ、その意気だ! ……じゃあ、またあとでな」

雪歩「はいっ!」



雪歩「――行った、かな?」

雪歩「……ちょっとだけなら、戻っていいかな?」

雪歩「………………五分だけ、泣き虫に……」




園田 海未  VS  萩原 雪歩
335,678Points 285,674Points




アーニャ(私が育ったのは寒い国。寒くて大きな、星の綺麗な遠い街)

アーニャ(私の街では太陽が沈まないこともあった。白い夜みたいなそれは綺麗で、自分が空に溶けちゃうみたいな気持ちになる)


アーニャ(小さなころ、私にはお気に入りの時間があった。凍っちゃいそうなくらい寒い部屋を暖炉の炎で暖めて、おばあちゃんのボルシチを食べながら、窓からまるで神様のお絵かきみたいな白んだ空を見つめる。そんな時間が、歌やダンスと同じくらい大好きだった)


アーニャ(寒いことには慣れている。大きくなって引っ越してきた北海道も、私にとっては暖かい。暖炉の部屋さえあれば、私はどこでも平気だった)


アーニャ(何年か前。私はアイドルにスカウトされた。夢みたいなお話だった。おじいちゃんもおばあちゃんもおとうさんもおかあさんも、みんな私を後押ししてくれた)


アーニャ(私は決めた。私も、いつか見たあんな白い夜みたいに、綺麗になりたい)

アーニャ(寒いのには、慣れているつもりだった。けど、昔の私には東京がこの星のどんな場所よりも寒い場所に思えた)


アーニャ(言葉も何も通じない見知らぬ土地は、どこよりも寒く一人ぼっちな気がして。行ったことはないけれど、宇宙ってこんな場所なのかなって思った)


アーニャ(あの日の私はクドリャフカ。誰もいない宇宙でさまよう、無知で孤独なライカ犬)

アーニャ(きっとこのまま寒い宇宙で死んでいくんだって、昔の私は決めつけていた)

アーニャ(――でも、もう一人じゃないのね。私の宇宙船をノックしてくれる人がいっぱいいるから。話しかけようとしてくれるんだものね)


アーニャ(なら、私は言葉を学ばなきゃ。わかろうとしてくれるなら、わかりたいと思うもの)

アーニャ(私、宇宙に出てよかった。だって、そうじゃないとわからなかった。みんなの気持ちって、暖炉より暖かいんだって)


アーニャ(私の横で踊るヒビキは、日本の一番南から来たみたい。そこはどんなところなのかな。暖炉みたいに暖かい場所なのかな。ああ、また気になっちゃうなあ)


アーニャ(一番北からの私は知りたがりなんだ。ヒビキ、教えてくれない? 私はそう言う代わりにアイコンタクトを飛ばしてみる)


アーニャ(するとヒビキは私の言葉をわかったみたいに、にやりとキュートな八重歯を出して笑った。お日様みたいにぽかぽかする笑顔だった。きっとこの子は、私みたいな面倒なライカ犬でも可愛がってくれるんじゃないかなって、なぜかそう思った)

アーニャ(私がなりたい白い夜。あれも太陽だもんね)

アーニャ(今はまだ敵わないかもしれないけど。私、いつかあなたみたいになりたいな)


アーニャ「солнце?」
響「てぃーだって、言うんだぞ!」


アーニャ(お互いの言葉なんて何一つわからないのに、なぜだか分かり合えてるような気がしてる。やっぱり、アイドルって素敵だな。……よーし、決めた)


アーニャ(明日、オキナワの言葉の本を買おう)

アーニャ(太陽と月が踊るような舞台がいつまでも終わらないでほしいなと思いながら、私はじゃれ合うようにステップを踏んだ)


アーニャ「Счастливого Рождества、ヒビキ」
響「メリークリスマス、アーニャ!」



アナスタシア   VS    我那覇 響
145,687Points 453,231Points



凛「……ふぅ」

貴音「精神統一ですか?」

凛「! 貴音さん」

貴音「御機嫌よう。……姉妹対決は見なくてよいのですか?」

凛「美嘉と莉嘉は勝つよ。だから私は自分のパフォーマンスを上げることに集中する」

貴音「ふふ。まこと、豪気な女性なのですね。凛は」

凛「それこそ貴音さんも見なくていいの?」

貴音「はい。強者の余裕というものです」クス

凛「……私は負けないよ。貴音さんには泣いてもらおうかな」

貴音「私は現世では泣きません。そう決めているのです」

凛「あ、じゃあ泣いたことはあるんだ?」

貴音「ふふっ。それはとっぷしぃくれっとですよ、凛」

凛「銀色の女王はヒミツだらけだね」

貴音「秘密は女性の嗜みです。……女王に歯向かうとは、ぎるてぃです。ふふっ」

凛「あはは、怖いな。負けたらどうなっちゃうんだろ」

貴音「そうですね。……二十郎のらぁめんでいかがですか?」

凛「! いいね。私、二十郎好きなんだ」

貴音「なんと! これはいい話を聞きました。お勧めの店舗があるのです」

凛「あ、やっぱり店舗で味違うんだ。色々なところ回ったの?」

貴音「勿論。私はらぁめんと仕事には妥協せぬゆえ」

凛「それは楽しみ。……よろしくお願いします」

貴音「はい。今日の分のぎゃらは、無くなったと思っていてくださいね?」

凛「ふふっ、貴音さんこそね」


貴音「……来なさい。銀色の女王は、無慈悲ですよ」


凛(銀色の照明が白煙に包まれた女王を妖しく照らす。さっきまで会場が揺れるほど騒いでいたお客さんたちが、イントロが流れ出した瞬間、水を打ったように静かになる。演出で流れる鼓動の音が、まるで本物みたいだった)


凛(ハミングと共に貴音さんは空に向かって右手を伸ばす。そして、イントロが終わり歌が始まる前に訪れる無音の一瞬。その瞬間、貴音さんは柔らかく空を握りしめた)


凛(それだけで呼吸ができなくなりそうだった。まるで、心臓を掴まれたみたい)

凛(歌が始まる。貴音さんは普段からミステリアスだけど、舞台に立つとそんなものが比にならないくらい神秘的で妖艶だ)



――♪『光の外へ 心は向かっていく そこに何があるの? 確かめたい
       高く高く目指す景色の果てに 永遠が広がる
       追い詰められて 言葉無くして 思うのは       』


――♪『心の中に散った 風花』


凛(声に色がある。空間に染みて誰もを染めてしまうような)

凛(銀色の女王は無慈悲なまでに圧倒的な実力をこれでもかという程に見せつけてくる。私は、それに魅せられる)

凛(自分もこんな風になりたい。これを越えたい。……負けられない。私は――)


――♪『追い詰められて 言葉無くして思うのは』

凛(私は――負けない!)

――♪『心の中に散った 風花』


――わああああああああああああ!!!!


貴音『見せてみなさい、渋谷凛。私は、ここにいますよ』



真姫「……はぁ。どうしてあんたたちアイドルはそう喧嘩っ早いのかしら。もはやプロレスじゃない……」

星空凛「譲れないからじゃない? 凛はああいうの、結構好きだよ?」

凛「……師匠、真姫さん」

真姫「ま、譲れないってのは同意ね。……つまらないもの見せないでよ? 花陽が見てるんだから」

星空凛「うんうん、昔言ったにゃ。油断してると、喰っちゃうよ」

凛「当たり前じゃん。師匠と真姫さんこそミスんないでよね」

真姫「生意気言って。三年早いのよ」

星空凛「かよちんが見てる。カッコいいとこ見せなくちゃね!」

凛「うん。……行こう!」



――♪『あなたへのHeartBeat 熱く、熱く――!!』





凛(行くぞ。花陽さんの曲を、後ろで師匠が踊って真姫さんが弾くんだ。絶対に負けられない!)


――♪『止められない 孤独なHeaven 気付いてと言えないよ

       怖れてるHeartbreak 恋を消さないで    
      私だけの 孤独なHeaven 切なさが愛しいの  
    あなたへのHeartBeat 熱く 熱く 止められない! 』




凛(……ああ、にしても。私も失恋したらこんな感じになるのかな。きっついなぁ)

凛(……絵里さんと雪ノ下さん、言ったのかな。言ったよね。多分)

凛(…………怖い、な。……でも、欲しいから)

凛(歌とは違うもん。私は言うし、言ったんだ。振り返らないんだ)

凛(……なんか、変な感じだ。全部がゆっくりに見える。歌って踊る私と、真姫さんの綺麗なピアノに師匠の躍動的なダンス&コーラスを楽しむ私と、それを見つめて冷静に考えてる私がいる)


凛(なんだかおかしい。よくわかんないけど、冷静と情熱のあいだってここなのかな。私は思わずくすりと笑った)

凛(そんな私を咎めるように、師匠がふしゃっと荒ぶる猫みたいに視線を送ってくる。目って、会話できるんだね)


星空凛『笑ってないのー! 次だぞ! わかってんのかにゃ!?』

凛『わかってるわかってる。強者の余裕だよ』

星空凛『百年早いにゃ。……わからせてやる!』

真姫『はあ。……もう、勝手になさい』


――♪『熱く、熱く――止められない!』


凛(雪崩のように襲い掛かる曲のキメ。水のように自然で柔らかく入ってくる真姫さんのピアノと共に、師匠は私の横に躍り出る。師弟対決の始まりだ)

凛(スネアが四発――)



花陽「いっけー!!」

星空凛『いくよっ!』
真姫『遅れんじゃないわよ!』



凛(臓腑を揺らすサンバキックと共に真姫さんのピアノソロが始まった。さらさらと流麗に流れていく鍵盤の音に合わせて、師匠がダンスソロを踊っていく)


凛(十六分取りも三十二分もなんのその。難易度の天元を突破しているダンスを、師匠は華麗に踊りこなしていく。その顔にいつものあどけなさはない。切なさを歌う曲の真意を、言葉一つなく世界へ届けるプロがいた)


凛(こんなものを見せられたら――返したいと思うのが当然!)


星空凛『どれだけ成長したか、見せて?』
凛『自信無くして辞めないでよ?』



星空凛(凛と真姫ちゃんのピアノソロと入れ替わるように、スパニッシュギターが情熱的にかき鳴らされる。生意気な弟子は、凛たちに応えるように不敵に微笑んでダンスソロを踊り始めた)

星空凛(その笑顔に、かよちんの顔が重なった。まるでかよちんがここにいるみたい)

星空凛(目の前でしぶりんが踊る。切なさを残しながらも情熱的に、二律背反を美しく表現していく弟子の姿に、少しジェラシーも感じちゃう)


星空凛(フラメンコチックな踊りもタップを意識したような足さばきも、全部貪欲に取り入れてるそのダンスは、しぶりんという人物を体現しているような踊りだった)


星空凛(陶酔しきった表情は女の子なんてものじゃなく、熱情を身体で飼い慣らしてる女の表情だ。エロティックだなあ……)

星空凛(この子、きっと、恋してるんだろうなあ)

星空凛(凛もこんな顔してたのかな? よし、今度真姫ちゃんとかよちんに聞いてみよっと!)



凛『――よしっ! どうだっ!』

星空凛『まだまだ修行が足りないにゃ。十点ってとこかなー?』

凛『ゼロが一個足りないよ?』

花陽『け、けんかは止めてー!』

真姫『……ふふ。全く、しょうがない師弟なんだから』


――♪『あなたへのHeartBeat 熱く、熱く――止められない!』

――♪『熱いね Heaven!』


貴音「……見事!」




渋谷 凛   VS   四条 貴音
326,783Points 304,543Points   

<346プロ、楽屋>

ことり「よーしっ、可愛いよっ! その衣装、やっぱりほんとに似合ってる♪」

きらり「うわぁ……! きらりも着たーい!」

未央「いいね! きらりんが着てるところも見たいな!」

卯月「きっと似合います!」

ことり「うんうんっ♪ きらりちゃん、今度作ってあげるね!」

きらり「本当っ!? ことりちゃんっ、はぴはぴしてあげるーっ☆」

凛「て、手加減してあげてね? ……やっぱりこの衣装、良いよね。思い入れがあるんだ」

未央「私たちが初めて着た衣装だもんね」

卯月「ジャンプ台が最後まで恐怖でした……」

きらり「きらり、あの日見にいったんだよー!」

凛「あ、本当? ありがとね。……でも、あの日とは違うよ」

未央「今日は私たちがメインだもんね!」

卯月「あと、相手が……竜宮小町ってこともですね」

凛「ちょうど、今日も折り返しだからね。……大事なところに置いてくるのは当たり前か」



園田 海未―萩原 雪歩 ○
アナスタシア―我那覇 響 ×
城ヶ崎姉妹―双海姉妹 ○
渋谷 凛―四条 貴音 ○
島村 卯月―天海 春香 ×
本田 未央―菊地 真 ×
諸星 きらり―三浦 あずさ ×
前川 みく―天海 春香
ニュージェネレーションズ―竜宮小町
トライアドプリムス―プロジェクト・フェアリー
矢澤 にこ―水瀬 伊織
高坂 穂乃果―高槻 やよい
双葉 杏―星井 美希
高垣 楓―如月 千早

渋谷 凛  星井 美希
前川 みく―如月 千早

346オールスター―765オールスター



未央「嫌な流れだよねえ……。くっそー!! あと五千ポイントだったんだよっ!」

きらり「……ごめんねぇ?」

凛「いやいや、何言ってるの。相手は765プロだからね、楽な戦いにはならないよ。私だって危なかったしね……」

卯月「…………はあ。もっかいやりたいなあ。春香さんと、もっかい……。えへへ……」

ことり「う、卯月ちゃん? よだれ出てるよー?」

卯月「はっ!?」

未央「……案外、本当の最強って卯月なのかもしれないね」

凛「ふふっ、確かにそうかも。負けても楽しそうな人には勝てないもんね……」


――わあああああああああああああ!!!



前川 みく   VS   天海 春香
284,432Points    324,984Points



みく『にゃーっ!?』

春香『やったー! ありがとうございまーすっ!』




ことり「ありゃりゃ……」

未央「いーやーなー流れだー」

凛「あの猫が駄目なわけじゃないんだけどね。『I want』みたいなカッコいい曲を持ってこられるとちょっと春香さんに分がありすぎるかな」   

卯月「私たちが断ち切りましょう。……約束したもんね」

未央「うんっ。三人で、勝とう!」




――♪『I say――! Hey,Hey,Hey,START:DASH!』

凛『Hey!』
未央『Hey!』
卯月『Hey!』


『START:DASH!!』


――わああああああああああああ!!!


<765プロ、舞台袖>

伊織「……生意気ね」

亜美「そんなこと言ってー、さっきハモってたじゃーん♪」

伊織「こ、これは職業病よ!」

あずさ「あらあら。……しかし、若いっていいわね~」

律子「まだそんな年じゃないでしょう? 私も巻き添えになるからやめてください……」

伊織「……ま、老害は老害らしく新世代の邪魔してやりましょう」

亜美「りゅーぐーは一番古いユニットだもんね!」

律子「その通りよ。売れなかった765プロに一番最初の革命を起こしたのがあなたたち竜宮小町なんだから。……いつも通り自信もって行きなさい。あなたたち三人はどこへ出しても恥ずかしくない、最高のユニットよ」

あずさ「あら、それはちょっと違いますよ~?」

亜美「りっちゃん、何か忘れてない?」

伊織「…………四人は、でしょ?」

律子「……ええ! 私の分まで、見せつけてきなさい!」




――♪『キミが触れたから 七色ボタン 全てを恋で染めたよ
    どんなデキゴトも越えてゆける強さ キミがボクにくれた』



――わあああああああああああああああああああああああ!!!


伊織『ありがとうっ! 竜宮小町です!』

亜美『にっしっしー! 惚れんなよ~?』

あずさ『簡単には負けませんよ~?』

未央『やいやい竜宮小町っ! オマエラに言いたいことがあるっ!』

亜美『お~? なんだなんだ!』

未央『サインくださいっ!』

卯月『あっズルい! 私もっ!』

あずさ『あらあら。楽屋でいいかしら?』

亜美『お安いゴヨウだよー!』

凛『………………未央、卯月?』

未央『えっ、ダメ……?』

凛『私も欲しい』

亜美『あはははははは!!!』

伊織『……バカねぇ』

凛『伊織さんはくれないの?』

伊織『…………後でね』

亜美『いおりんったらツンデレー!』

伊織『もうっ! 本当何なのよ、あんたたちは!』

凛『ん? 私たち? 何なのあんたたちって聞かれたら』

未央『答えてやるのが世の情け!』


卯月『私たちは――新しい世代!』


伊織『!』

卯月『もう、私たちの時代ですっ!』

あずさ『……それはどうかな~?』

亜美『サインはあげても、トップはあげられないな~!』

伊織『口だけは達者ね。みんなそう言うのよ』

未央『心外だなー! 口だけじゃないぞー!』

亜美『ヘーコーセンってやつだね!』

あずさ『……わたしたちはアイドルですからね、口で争っても仕方ないわ』

凛『うん、そうだね。アイドルはアイドルらしく――曲で勝負!』

――おおおおおおおおおおおお!!!

伊織『舐めんじゃないわよ! ついてこられる?』


伊織『――SMOKY THRILL!!』



――♪『知らぬが 仏放っとけない 唇ポーカーフェイス
    Yo灯台 下暗し Do you know? 噂のFunky girl』


凛(スタジアムの真ん中に位置する私たちの舞台はパノプティコン構造で、360度全てから見られるようになっている。その楕円の舞台を二つに割って、私たちと竜宮小町は対峙する。線対称にマッチアップする相手は、未央が亜美ちゃん、卯月が伊織さん、そして私があずささん)


亜美『さすらうペテン師の 青い吐息♪』 「Ah……」
あずさ『手がかりに I wanna 恋泥棒♪』 「Oh!」
伊織『射止めるなら 覚悟に酔いどれ♪』


凛(コーラスとバックダンスに集中する私たちにひしひしとオーラが打ち寄せる。流れるように入れ替わっていく三人の歌に、見えない糸で繋がっているようなダンスのコンビネーションが私たちを圧倒する。竜宮小町の三人は、一人一人が個々の呼吸で動きながらもなおかつグループとして完成されていた)

凛(その事実に鳥肌が立つ。気の遠くなるほど長い時間、この人たちはこの曲を練り込んできたんだ。765プロ最初の王者の十八番は、私たちに容赦なく牙を剥く)


――♪『女は 天下の回りもの』

あずさ『痺れる くびれ♪』

――♪『言わぬが』

亜美『花となり 散りる♪』

――♪『秘めたる カラダ』


凛(畳みかけるようなサビが終わると共に、向かいの三人は私たちに向かってウインクをした。悠然と舞う乙姫たちは、自分の城に迷い込んだ生意気な小娘たちを挑発している)

凛(身体がかっと熱くなる。私はやっぱり単純だから、やられたらやり返したくなるんだよね)

凛(これでいいんだ。新しい世代はどこまでも生意気に。相手の土俵で暴れてこそ)

凛(やっかまれるくらいが丁度いいよね。ねえ――?)

凛(私がちらりと流し目をすると、未央と卯月も同じ顔をしていた。……やっぱり、気が合うね)


凛(三人一緒なら、誰にも負けない!)


凛『誘うリズムと あたしの陽炎♪』

――♪『心 乱れる Tonight!』

未央『そんなマーチング 真っ赤なカーテンコールへGo♪』


凛(ああ……気持ちいい! 生きてるって感じがする!)



卯月『いわゆる 愛のフルコースならば♪』
凛『月明かりに浮かべて 色付く♪』 「Woo!」
未央『ハレンチな夢 デザートに漂う♪』


凛(ドラムのゴーストノートが気持ちいい。見なくても誰がどこにいるのかわかる。二人が何を考えてるのかわかる。溶けそう。溶けてるのかな。わかんないやもう。ゾクゾクする。ああ、もう――)


凛(気持ち良すぎて、イッちゃいそう)




――♪『急がば 回れ My word let go!』

卯月『踊る肌 咲く♪』

――♪『宝の』

凛『持ち腐れ されど♪』

――♪『汗ばむ 砂丘』


凛(間奏に入ると私達は真ん中の境界を越え、入り乱れて踊り出す。密着するくらいの近さで互い違いに右足を出してあずささんと向き合う。汗ばみ赤らむ睫毛の長い表情がとてもセクシーだ。……こういうの好きかな、あの人)


凛(そんなことを考えているとスネアの表打ちが始まった。……もう少し、もう少しで始まる。思わず私と卯月がハラハラしてる。そんな私たちを見て、未央がそんなに頼りないかなぁ? とでも言うように苦笑した)


凛(そして、その時が訪れた。ドラムのフィルインと共に未央と亜美ちゃんが右手を挙げてセンターに躍り出る)

凛(765プロの曲の中でも一際異彩を放つ、二十四小節にも及ぶ長大なギターソロが始まった)

凛(亜美ちゃんと未央のダンスバトルがお客さんの熱気を煽る。私達の中で、踊りに置いて未央の右に出る者はいない。あの菊地真に並んだんだよ? やっつけちゃいなよ)


凛(指先までキレのある動きはしっかりとした体幹に支えられてこそ。未央の動きはタイムがジャストなのに、動きの軌道がわかるくらいゆっくりに見える。亜美ちゃんが三つ動く間に、未央は五つ分動いて間に二つゴーストを入れている)


凛(あれは習ったとかじゃない。考えるより身体が勝手に動いてるんだ)

凛(わかる。圧倒している。未央はきっと今この瞬間にも成長してる)

凛(ギターソロが終わる最後のステップ。未央は私たちだけに見えるように、後ろ手で小さくピースサインを送ってきた)

凛(あいつめ。……顔は見えないけど、きっと笑ってるんだろうな)

凛(これが終わったら、多分未央は言うんだ。思わず髪の毛をくしゃってしてやりたくなる、あの顔で)



未央「――どうよっ!」




ニュージェネレーションズ VS 竜宮小町
354,335Points 287,454Points

<765プロ、舞台袖>

美希「んー! やっぱりライブは最高なの! こんなにワクワクするのは本当にいつぶりかな!? 個人的には2ndのオールスターぶりなの!」

響「まさか竜宮が負けちゃうなんて本当にびっくりだぞ……」

貴音「それだけの勢いがある、ということですね。……勢いだけではありません。鍛錬に裏打ちされた実力があってこそ」

美希「別にレッスンしてるしてないとかどーでもいいの。今歌って踊るのが上手い人が一番なの」

響「……うーん。言い方は厳しいけど確かにそうだな。月日とか関係ないぞ!」

貴音「ええ。今踊っているとらいあどぷりむすの他の二人はつい最近でびゅうしたばかりなのでしょう? まこと、すばらしい」


――♪『青く透明な私になりたい 友達のままであなたの前で
    隠しきれない 胸のときめき 誰にも気づかれたくないよ』


美希「……そういえば、トライアドプリムスだったよね。ミキたちのコピーしたの」

響「……このセトリ組んどいてそういえばなんて、性格悪すぎだぞー……」

美希「あはっ☆ ジョーダンなの! ……でもやっぱり嬉しいの。自分の曲をコピーしてもらえるのって、なんだかこそばゆいの」

貴音「ええ。たしか……りすぺくと、でしたか。それを感じます」

響「照れちゃうよなー」

美希「……よし、いこっか!」


美希「――本物を見せてやるの」



――『Ready?』


凛「……あ」

凛(向かいの舞台で行われたことに、私は放心して立ち尽くすしかない)

凛(響さんが歌いながらとは思えない激しいダンスをこなす凄い人なのは知ってる。貴音さんが神秘的な雰囲気を広げていくような美しい歌を歌える人なのも知ってる)

凛(でも、でも……違う。星井美希さんは圧倒的に違う!)

凛(その全部の特性を兼ね備えながら、超えてる……!)

凛(あの人が私に向かって『KisS』の第一声を放った瞬間、怖くて吐き出しそうになった)

凛(舞い踊り誘惑するのは妖精。あるいは、妖星)

凛(プロデューサーが言ってた。自分が見た中で星井美希を越える者はいないって。……確かに、そうだ。あの人だって素直になるしかない)


――♪『スリルのない愛なんて 興味あるわけないじゃない 分かんないかなぁ?』



凛(残像すら幻視する踊り。マイクが無くても地球の裏側まで届きそうな黄金の声。暴力的なまでの才能を振り乱して、あの人は無邪気に笑ってる)


凛(これが、この人が……個の頂点。アイドルとして、人としての限界値)

凛(きっとこの人には悪気とかそういうのが無いんだ。純粋すぎて、向かってくる遊び相手をひょっとしたら壊してしまうことにも気付いてない)

凛(まるで百獣の王みたい。……本当かどうかわからないけど。ライオンが獲物を殺すとき、胸に抱く感情は確か)

凛(可愛い――だったよね)


――♪『ジェントルよりワイルドに ワイルドよりデンジャラス』

凛(ああ、怖い。怖いな。踊ったばかりの身体が寒くなりそう。震えてきたよ)

凛(……でも。こんなにも怖いのに、それなのに)

――♪『試してみれば?』

凛(きっと私が震えてるのは、怖いからじゃないんだ)

凛(美希さんが『オーバーマスター』の最後、獰猛な牙を見せて私を指さし微笑んだ)


美希『Good Luck To You!♪』


凛(百獣の王の牙を見せられた時の私の表情は最初、自分ではわからなかった。……私は、目の前に広がるモニターを見て初めて気付いた)

凛(自分の口元もまた、獣みたいに牙を見せて歪んでいたことに)



トライアドプリムス VS プロジェクト・フェアリー
103,401Points 521,446Points

<楽屋、346プロ>

凛「……負けたね」

加蓮「うん。……本気、だったんだけどね」

奈緒「あのさ、凛。最後、笑ってなかった?」

凛「……みたいだね」

奈緒「みたいだねって、他人事みたいに……」

凛「……あのさ。星井美希、怖くなかった?」

加蓮「ほんとそれ!」

奈緒「あの人何なんだよ人類じゃないだろ……。地球育ちのサイヤ人じゃないのか? 髪金髪だし」

加蓮「いやー、なんていうかさ。レベルの違い、感じたよね……」

凛「私もね、怖かったんだ。……こんなに人ってすごいところに行けるんだって。まだまだ上があるんだって。……それから」

凛「まだ、自分は上に行けるんだと思うとね。……何か、嬉しくなっちゃった」

奈緒「……凛はなんかスゲーよな」

加蓮「そだね。……言っとくけど、凛は星井美希に負けてないよ」

凛「どうだろ。負けるつもりはないけどね」


奈緒「…………アタシたちが、もっと早くアイドルになってたら……今日のだって……」

加蓮「奈緒」

奈緒「……うん。そうだな。ステージに立ったんだもんな。言い訳は無しだ」

加蓮「……今日は勝てなかった。それが全てだけど」

加蓮「次、勝とう。最後の出番だってあるし、あたしたちにはこれからもあるよ」

奈緒「……うん、そうだな」

加蓮「……」

凛「…………加蓮。ハンカチ、使う?」


加蓮「……ばか」

<765プロ、楽屋>

美希「あの子、最後笑ってたの!」

貴音「まこと、素晴らしい女性ですね」

響「美希に挑まれて笑ってたのって誰かなあ。千早くらいしか思いつかないぞ」

美希「あはっ☆ 最後、ミキと千早さんが凛とやるのにね! なんだかそれ、熱いの!」

伊織「……行ってくる」

美希「デコちゃーん。笑顔笑顔、なの」

伊織「……ふふ。あんたに心配されるようじゃ終わりね。行ってくるわ」

響「伊織は結構ひきずるから心配だぞー……」

貴音「ここ数年、負けたことなどありませんでしたからね」

美希「うーん。女は図々しくてナンボだと思うの」

貴音「美希は貞淑という言葉を覚えるべきです」

美希「それ覚えたらハニーも引っかかるかなー?」

響「美希の基準はいっつもそれしかないのか……。なあ、何か伊織にしてあげたほうがいいかな?」

美希「別に好きにしてもいいと思うけど、美希はやらないよ?」

貴音「……実力の世界、ですからね」

美希「うん。でこちゃんのことは大好きだけど、それとこれとは話が別って思うな」

響「……そうだな。それに、伊織なら乗り越えるに決まってるぞ!」

美希「あふぅ。……ちょっと次の出番まで充電するの。前になったら起こしてほしいの……」


響「あ、もう寝ちゃったぞ……」

貴音「ふふふ。いつになっても眠りたがりなのは変わりませんね」

響「もー……。起きたときに試合が決まってたらどうするんだ?」

貴音「美希なりの信頼ではありませんか?」

響「そうかなー? ……自分はただ寝たいだけなんじゃないかと思うぞ……」

貴音「……あるいは、寝ないといけないのかもしれませんね。代償として」

響「? どういうことだ?」

貴音「ふふふ。とっぷしぃくれっと、ですよ」

響「またそれか!? うがー!! いっつも貴音はそれでごまかして! 自分、馬鹿じゃないぞ!」

貴音「響は、可愛いですね」

響「え!? と、突然何を言い出すんだ!? ……でも……ありがと……」

貴音「それでは皆のところへ戻りましょう」

響「うん! …………あれ?」

<346プロ、舞台袖>

にこ「あっつい!! くっつかないでよ!」

絵里「冬だからいいじゃない」

にこ「そういう問題じゃないでしょ!? 次なんだってば!」

絵里「知ってるわよー。にっこにっこにー」

にこ「それメロイックサインでしょ!? 離れなさいよ……当たってんのよ……」

絵里「にこにはないものがね~」

にこ「だぁーうっざい!!」ゴンッ!

絵里「……頭突かなくてもいいじゃない」

にこ「あんたがこっち来るなり抱き付いて離さないからでしょう!?」

絵里「……そうやってにこも私を振るんだ……」

にこ「…………あーもう!」ギュッ

絵里「……チョロいな」

にこ「今チョロいなって言わなかった? ねえ気のせい?」

絵里「……エリチカ、今は人肌恋しいの」

にこ「……あんたさ、そういう面倒なところ前に出してれば良かったんじゃない?」

絵里「えぇ嫌よー! カッコ悪いじゃない!」

にこ「えっ、カッコいい路線で売り込んでたの……?」

絵里「こう、セクシーで頼りになるクールでアダルトな女の先輩みたいな……」

にこ「写真はイメージで実際の商品とは異なりがございますやつでしょそれ……」

絵里「あーうるさいうるさい!! 聞きたくない!」

にこ「……本当、こんないい子を振るなんてどうかしてるわ。去勢されればいいのに」

絵里「ちょっと、彼の悪口言うのはやめてくれる?」

にこ「あんた本当めんどくさいわね!!」

絵里「……だって、まだ好きなんだもん。……簡単に諦められるわけないじゃない」

にこ「…………別に、まだ諦めなくてもいいでしょ」


絵里「……そう、なのかな」

にこ「……アイツがどっちを選ぶにしろ、あんたが近いのは変わんないでしょ。凛だったらアイドルだからすれ違いが起きるかもしれないし、雪乃だったらあんたの方が距離の近い同僚でしょう? 籠絡のやり方はいくらでもあるでしょ? あんた何のためにそんなでかいおっぱい付けてんのよ! アダルト路線で攻めるんでしょ!? 使わないんならよこしなさいよ!」

絵里「…………そんなの、考えたこともなかったわ」

にこ「ふんっ。あんたの脳みそがお子ちゃまなのよ! 大体、一回告白してダメだったから何だっていうの? 人生は長いのよ。今は負けても、最後に勝つのはあんたかもしれないじゃない」

にこ「なのに勝てる可能性を捨てに行こうなんてアホよアホ! 穂乃果よりアホね!」

絵里「……ふふっ」

にこ「ちょっとぉ! 人がせっかく慰めてやってんのに何笑ってんのよ! もう知らないんだからっ!」

絵里「……にこは、優しいのね」

にこ「……ふん。今頃気付いたの?」

絵里「ううん。ずーっと知ってた」

絵里(きっとこの言葉は、色々な苦難が訪れても、決してアイドルであることを諦めなかったにこだからこそ言えるんだなって、そう思う)

絵里(……そっか、いいのか。まだ好きでも)

絵里「……ありがとう」

にこ「改まんなくてもいい。あんたとの仲でしょ」

絵里(ぷいっとそっぽを向くこの子は本当に変わらずいつも通りで、私は思わず破顔してしまう)

絵里「……うん。私、今は心のままに生きてみる」

にこ「そうしなさい。あんたはカッコつけてない方が可愛いわよ、金ぴかのぽんこつ」

絵里「……ひどい言われようだわ」

にこ「気が済むまでやってみなさい。それでボロボロになんなさい。……泣きたくなったら、いるでしょ。にこたちが」

絵里「……うん。諦めがつくまで、頑張る」

にこ「よろしい」

絵里(そう言うと、にこは私のあすなろ抱きから逃れた。……あ、でも)

絵里「……でも、一個だけ問題があるわ。どうしよう?」

にこ「は? 何よ?」

絵里「ずっとずっと好きで行き遅れちゃったらどうしよう? 私、結婚はしたいのに……」

にこ「……そうね。どうしても駄目だったときは仕方ないから」


にこ「――にこの所に来なさい? Aランクアイドルが、養ってあげるから」


絵里(にこはそう言い残して舞台へ向かっていった。小さくて大きな、頼もしい背中だった)

絵里(その日、私のもう一人の親友は)

絵里(幼いころから見てきた夢を、ようやくその手で掴んだのだった)

<346プロ、舞台袖>

雪乃「……調子はどうかしら、杏」

杏「……雪乃? どしたの、こんなとこに来て。杏がサボるとでも思った?」

雪乃「どんな顔をしているのか見たくなったのよ」

杏「こんな顔だよ。いつも通りのロリ天使」

雪乃「あら、いつも通りではないでしょう? ……似合っているわよ、その衣装」

杏「嫌味?」

雪乃「何度でも言うわ。虚言は吐かないの」

杏「……人生縛りプレイだねぇ。そんなに普通に生きちゃつまんない? 杏みたいにテキトーが一番だよ」

雪乃「……一度張った意地は抜けないものなのよ。昔、何でもスイスイ器用にこなして生きていく嫌味な女がいたものだから。だったら私は別のやり方で生きてやる、私はあの人と違うって、意地を張ってね」

杏「……お姉さん?」

雪乃「そうよ。……でも、駄目ね。あえて別の生き方を選ぶなんて、意識していることの裏返しにすぎないのだから。私はいつまでも姉の影を追っていたのよ」

杏「今違うんならそれでいいんじゃない?」

雪乃「……私が今もそうだとは思わないの?」

杏「人の影を追ってるつまんない人に杏が変えられるとは思わない」

雪乃「……」

杏「全く、ランニングなんて人生で初めてだったよ。移動も極力歩きだし。いやいや、今間違いなく人生で一番働いてるよ杏は」

杏「大体、星井美希とマッチアップなんてね、凛に任せとけばよかったんだよ」

雪乃「……でも、あなたは選んだ」



杏『――うん。欲しい。それ、あげたい人ができたから』



杏「……ま、杏の言葉なんて適当だから信用しちゃだめだよ」

雪乃「あなたは顔色一つ変えず嘘をつくのね。本当、そういうところが姉さんそっくり」

雪乃「あまりにうまくできた仮面だから、誰も仮面であることに気付かない。あの人はそれすらも割り切っていたけれど。……今は思うの。寂しくなかったのかしらと」

杏「……杏は、そんな」

雪乃「あなたの仮面の一つは飴かしら?」

杏「…………」

雪乃「……あなたに教えてあげたかった。……いいえ、自分にも言い聞かせたかったのかもしれないわね」

杏「……何を?」

雪乃「どんなに冬を生きても、春は来るのだと」

雪乃「……私は、あなたの春になれたかしら?」

杏「……ふん。いつまでも綺麗な中二病なんだからさ」

雪乃「見た目も十四歳のあなたに言われたくないわね」

杏「………………つまんないって、思ってたんだ」

杏「頭の方の育ちは早くてね。もう十四歳の頃にはどうでもよくなってたんだと思うよ。育たない身体のこととか、適当にあしらえばどっかに行く他人のこととか、……自分の未来とか」

杏「だってどうでもいいんだもん。何すればどうなるか、どうなってくれるかすぐにわかるし。タネがわかった手品って面白い? 恋って性欲のシステムでしょ? ……そんな風に思うと、なんか全部めんどくさいしどうでもよく思えてねー。自分がどうなろうと興味なかったんだ」


杏「……ただ、コンビニに入るのがめんどくさかっただけなんだ、あの時」

雪乃「……通りで簡単に捕まってくれると思った」



雪乃『あの、あなた……』

杏『あー、お姉さん。なんか頼み事? いいよ別に』

雪乃『……え?』

杏『ただし条件がある。……飴持ってない?』


杏「単純に甘いものが食べたかっただけなんだ。なのに雪乃の持ってた飴ときたら、酸っぱいんだもん」

雪乃「中々思い通りにならないでしょう。この世界というものは」

杏「流石にアイドルになるとは予想できなかったけどね。てっきりあのまま変なところにつれていかれて、ロリ物のAVにでも落とされかると思ったけど」

雪乃「な、なっ……!」

杏「……二人してこういう話に弱いんだからさ。擦れたフリして変だよねえ」

雪乃「……余計なお世話よ」

杏「……雪乃は変な人だ。テキトーに生きればいいのに自分を縛ったりするし、杏のことすぐ見破ってくるし、……綺麗事大好きなくせに、あんな斜に構えた現実主義者好きになったりするし」

杏「しかも、なんでかそれを言わないし。……馬鹿だよね」

雪乃「……ふふ。事実だから、言い返せないわね」

杏「……わかんなかった。わかんなかったんだよ。雪乃って人が」

杏「だってどう考えたって不合理じゃん。冴えたやり方、いくらでもあるよね。もっと幸せに楽しく生きる方法なんて無数にあるじゃんか」

杏「なのに、雪乃は選ばないんだ。……不器用だ。不合理だ。わけわかんないよ。……なのに、これでいいんだって笑うんだもん」

杏「……わからない。杏には、わからない。初めてだったんだ、そんなこと」

杏「……それが悔しいって思ったことはない。でも、なんでだろうね」


杏「そんな雪乃を見ると、なんか、涙が出そうになるんだよ」


雪乃「……」

杏「杏は。その涙の理由を……わかりたい」

杏「わからないから、わかりたいって思うんだ」

杏「……雪乃のせいだ。雪乃のせいで……安楽椅子から立つしかなくなったんだぞ」

雪乃「……ありがとう」

杏「……なんで雪乃がお礼を言うのさ」


雪乃「私の願いが、今日、叶ったから」


杏「……」

雪乃「……人ごとこの世界を変えたいと思っていたの。姉さんのように。彼のように。でも、そのためには憧れるだけではいけなくて。……誰かに、依存してはいけなくて」

雪乃「人を変えるために、無くてはならないものがある。二人にあって、私にはなかったもの」


雪乃「……それは、自分。自分なのよね」


雪乃「他の誰でもない、雪ノ下雪乃になること。たったそれだけのことを分かるのに、どれだけ時間をかけて遠回りをしてきたのかしら」

雪乃「人は一人で立てて、自分になれて、初めて人に並び立つ権利がある」

雪乃「一人でも大丈夫だから。他人が変わろうが変わるまいが、揺らがない自分をもっているから」

雪乃「だからこそ、人と一緒にいたいと、変えたいと願うことに意味がある」

雪乃「……あなたが私のせいで変わったと、そう言うのなら」

雪乃「私は多分、ようやく自分になれたんだと思うわ」

杏「……本当、へたれの依存体質だったくせにさ」

雪乃「……聞かせるんじゃなかった。大体、今違えばそれでいいと言ったのはあなたよ」

杏「む、そうだった。……行ってくるよ」

雪乃「ええ。……今の状況、わかっていて?」



園田 海未―萩原 雪歩 ○
アナスタシア―我那覇 響 ×
城ヶ崎姉妹―双海姉妹 ○
渋谷 凛―四条 貴音 ○
島村 卯月―天海 春香 ×
本田 未央―菊地 真 ×
諸星 きらり―三浦 あずさ ×
前川 みく―天海 春香 ×
ニュージェネレーションズ―竜宮小町 ○
トライアドプリムス―プロジェクト・フェアリー ×
矢澤 にこ―水瀬 伊織 ○
高坂 穂乃果―高槻 やよい ×
双葉 杏―星井 美希
高垣 楓―如月 千早

渋谷 凛  星井 美希
前川 みく―如月 千早

346オールスター―765オールスター




杏「わかってるよ。杏が負けたら勝ちは自動的に消滅でしょ」

雪乃「しかも相手は765プロ最強の星井美希」

杏「お客さんはこれで765プロの勝ちが決まったとでも思ってるんだろうねえ」

雪乃「お客は、ね」

杏「杏たちは違う。……だって杏は、プロだから。雪乃のアイドルだから」

杏「予想は裏切って、期待には応えてあげる」

雪乃「ええ、頼んだわよ。……ほら、飴」

杏「……いや」



杏「――もう、飴はいらないよ」



――♪『ねぇ 消えてしまっても 探してくれますか?』


杏(目の前で星井美希が歌い、舞う。マリオネットの心は星井美希の必殺ナンバーだ。公式戦が始まって以来、星井美希は負けたことがない)


杏(あらゆる才能を凌駕する感覚の化け物が、無邪気に目の前で笑っていた)

杏(みんな、これを見て怖いと思う。自分のやってきたことが紙屑同然に見えてしまうから。どれほどの距離が開いているかわからないから)

杏(……けど、杏は違う。何も怖くない。それは精神の境地に達したとか、そういうことじゃない)

杏(全部、わかるから。何をどうすればあの感覚を再現できるのか。一体どうして残像が見えるほどの舞がそこにあるのか。全部全部、見ただけで仕組みが分かるからだ)


杏(あの日見た星井美希と自分の差は四段階。機械的な鍛錬を繰り返し、足りない体力を可能な限り効率的に補う。自分をゲームのキャラクターのように客観視して、限られた時間で頂点の再現に必要なスキルのレベルを上げればいい)


杏(杏の実力は偽物。補った体力は付け焼刃。今日が終われば、しばらくは同じことはできないだろう。まるで十二時の鐘が鳴ったシンデレラみたいに)


杏(でもそれでいい。今は偽物でも構わない。今日、勝てばそれでいい)

杏(……それでも、自分の段階を引き上げる前から気付いていたことがある。それは、これだけの時間では、最適化したルートを辿っても星井美希には後一段階届かない、ということ。全く本当に大したもんだよ)


杏(なら、この差を埋めて勝つために必要なことは。杏は冷えた頭であの日の言葉を思い出す)


マストレ『双葉。貴様が星井美希に敵わないと言ったのは、実力の観点からじゃない。……単に、今のやり方では勝てないのだ。体力を補うだけの、今のやり方では』

マストレ『たとえ世界一固く美しい宝石を繰り出しても、じゃんけんの世界でグーがパーに勝つことはない』

マストレ『……相性が悪いのだ。邪道では、王道に勝てない』


杏(そう。杏のやってきたことは、邪道。あんずの歌も、崩しに崩したふるふるフューチャーも、極力動かず、気怠さや独自性を全面的に押しだして見ている人を味方につけるやり方)


杏(でも、星井美希の戦い方は違う。真っ向から超絶技巧の歌と踊りで、観客にこれでもかというくらい自分を魅せつける王道だ)


杏(杏の今までのやり方で真正面からぶつかったら、観ている人が全てのこの戦いでは絶対に勝てない。王道は、やっぱり勝つから王道だから)

杏(なら、どうするか。理詰めで邪道を突き進んできた杏は考える。……答えは一つ。単純明快)

杏(観ている者が全てなら、自分を観ている者全ての心をどうにかして掴んでしまえばいい)

杏(星井美希に実力で勝つ必要はない。試合にさえ勝てばいい!)

杏(杏はためらわない。邪道を突き進んできた者として、最後まで邪道らしく。冴えたやり方を選ぶだけ)


――わああああああああああああ!!

美希『ふぅっ……。ありがとうなの!!』



杏(予想を外して――期待に応える! それだけだ!)

杏「もう二度と、そこの小さい子なんて言えなくしてやる」


雪乃(何十万の視線を集め、舞い終わった黄金の偶像が舞台から去っていく。観客たちは未だ冷めぬ熱狂の後にいた。そして、なおも待っている。だらけた妖精が出てくるのを)


雪乃(舞台の照明が落ちた。観衆はどよめきの声を上げ、再び舞台がライトアップされて杏がその姿を現す瞬間を今か今かと待ちわびた。ピンク色のサイリウムを用意して)


杏『みんな、今日もわざわざ来てくれてありがとね。変わり者だよねえ、ほんと。……ちょっと、杏からのお願い。……今日はサイリウムの色、青がいいな』

雪乃(暗闇の舞台から広がる杏の声に、観客たちは不思議そうな様子でサイリウムを青色に切り替えた。……不思議に思うのは無理もない。彼女の曲に、青色の曲なんてないのだから)

杏『うん、いいね。この色もたまには悪くないかなー? ……なーんてね』

雪乃(観衆から笑い声がする。またこのアイドルときたら、気まぐれなんだからと。仕方ないなと、心を許すように)

雪乃(……本当にこの子は今まで全部計算で操ってきたのね。感心するしかないわ)

杏『あのね、今日何日か知ってる? 十二月二十五日だってさ。クリスマスだよクリスマス。……ほーんとこんな特別な日にまで観に来てくれるなんてさ。……ありがとね』

杏『えへへ、メリークリスマス。……今日だけ』


杏『今日だけ、本気を見せてあげる』


雪乃(その一言を引き金に、蒼い照明が舞台を照らす。誰もが息を呑むのが聞こえた)

雪乃(舞台に立つ、違う双葉杏の姿に瞠目せずにはいられない。絹のように美しい髪は、いつもと違って括られていない。ただ、下ろしているだけ。それがぞっとするくらい似合っていた。働いたら負けというやる気のないTシャツや人形はどこへ行ったのか。私も思わず見惚れてしまった、南ことり特製のドレスを身に纏う彼女の姿がそこにある)


雪乃(別人がそこに立っているようで、皆、放心せざるをえない)

雪乃(そんな心理の隙を、あの子は絶対に見逃さない)


――♪『風は天を翔けてく 光は地を照らしてく 人は夢を抱く そう名付けた物語』


雪乃(口を開いた瞬間、脊髄を刺されたみたいな震えが走った。この子は、一体誰だろう)

雪乃(私の、皆の知っている歌声ではない。今までの双葉杏とは声の出し方から違っている。耐えられず聴衆は吠えた。今から目の前で繰り広げられる出来事に、本能が先に反応するように)


――♪『arcadia...』


雪乃(ギターとシンセサイザー、バイオリンが絡み合って荘厳な調べを奏でる。杏はその音の奔流に合わせ、流麗なダンスを紡ぎ始めた)


――わああああああああああああああ!!!

雪乃(流麗で激しいダンス。乱高下し、高く透き通る歌の表現。その双方の超絶技巧を併せ持つ者だけが挑む権利を持つ、如月千早の楽曲――『arcadia』)


――♪『遥かな空を舞うそよ風 どこまでも自由に羽ばたいてけ
    始まりはどんなに小さくたって いつか嵐に変われるだろう』


雪乃(自由自在なビブラートがこの広いスタジアムを駆け巡っていく。あの小さな身体のどこにここまでの声量を引き出す仕組みがあるのか。常人には決して踏み入れられぬ領域を、理詰めの天才は妖艶な表情を浮かべて踏破していく。……その顔、犯罪的すぎよ)


雪乃(最短の筋肉と関節の運びで最大の効果を紡ぎだす踊りは、残像を残していくよう。星井美希だけが持つ神秘の動きを、容易いとばかりに杏は模倣していく。感心の暇さえ与えぬように、天使のロングトーンがサビをたたみかけていく)


雪乃(……ああ、本当に凄いと…………嫉妬も起きないのね)


――♪『翔べ 海よりも激しく 山よりも高々く 今 私は風になる 夢の果てまで
    ヒュルラリラ もっと強くなれ ヒュルラリラ 目指す arcadia!』


雪乃(割れるような歓声が、歌と同じくらいに巻き起こっている。杏は言った。これでも、星井美希にはまだ及ばないのだと。……けど、今湧き上がる熱狂は確かに彼女を越えている)


――♪『行け 炎よりも熱く 氷よりも鋭く まだ 私は輝ける 命尽きても
    キラリレラ 全て照らしてく キラリレラ 光る arcadia!』


雪乃(二番が終わり、間奏に入る。……けれど、魔法は長くは続かない。私は確かに見てしまった。呼吸が明らかに乱れ始めている彼女の姿を。計算高い面倒くさがりな天才ではなく、身体相応の女の子の姿を)


雪乃(その姿がモニターにも映し出される。私を含む誰もが、見たことのない表情だった)

雪乃(その表情は全くアイドルらしくない。双葉杏らしくない。めんどうで、疲れることなど絶対にごめんだと常日頃から言い放つ双葉杏の姿は消えてしまっていた)


雪乃(舞台には……モニターには。呼吸が乱れ、苦悶の表情を浮かべながらも、それでも一切身体を崩さず、懸命にダンスソロを貫き通す、あまりにも等身大の双葉杏の姿があった)


雪乃(この子が。こんな素晴らしい子が……言ってくれた!)

雪乃(私に変えられたと、言ってくれた――!)

雪乃「杏っ……」


――♪『さあ願いを願う者たち 手を広げて 大地蹴って 信じるなら』


杏『La――!!』


雪乃(最後のサビに入る前。杏は、叫ぶように声を伸ばした。激した気持ちが籠ったその声は、鈍色の雲を突き抜け、天まで届いていくようで)

雪乃(命を燃やして歌っているその姿に、私の目からは滂沱と涙が零れ落つ)

雪乃「……いけ。行けっ!」

雪乃「行け……私の、アイドルっ…………!」


雪乃「私の――親友っ!!」


――♪『今 私は風になる 夢の果てまで――』

――わああああああああああああああああああ!!!



杏『っ……! けほっ、けほっ!! はっ、はぁっ……! あり、がとう……!』

杏『……へ、へへ。これが……杏の…………本気……だ、よ……』

杏『……ねえ、観てた……? ……理想郷、あった、よ』

杏『本物――あったぞっ!!』


雪乃「うんっ……! うんっ……!」

雪乃(私の新しい親友は、心からの笑顔で私に向かって拳を掲げた)

雪乃(その目には、甘くて酸っぱい心の滴)

雪乃(透明なアプリコットの涙が、春の訪れを優しく知らせていた)


双葉 杏   VS   星井 美希
502,313Points 111,904Points


楓「千早ちゃん、こんばんは」

千早「高垣さん……」

楓「楓、でいいのよ。千早ちゃんの方が先輩なんだから」

千早「……出番前に対戦相手と話しにくるのは、楓さんくらいです。破天荒ですね」

楓「そう? 私、千早ちゃんのこと好きだから、いつでもお話したいですよ?」

千早「あんな嫌味を言ったのに、ですか?」

楓「嫌味なものですか。……口が酸っぱくなるのは、望むものがあるからでしょう? どうでもよかったら怒らないものね」

千早「……」

楓「千早ちゃんはいつも真摯だもの。ふふふっ、私みたいな適当なおばさんが気に障るのはしかたないか」

千早「そんなことはありません。……ただ」

楓「ただ?」

千早「……羨ましかった、のかも」

楓「……」

千早「私、こいかぜ、好きなんです」

楓「……そう。そうなの」

千早「……一番入り込んで歌が歌える時って、歌詞が重なる時だと思うんです」

楓「……届かなかったの?」

千早「届けないようにしてるんです。……私、叶うと、歌えなくなりそうだから」

楓「……千早ちゃんは、すごいな。私は我慢できない子だから、届けちゃった」

楓「本家さんなのにね。ふふふっ」

千早「別に誰に言われたわけでもないんですが。……私、脆いので」

楓「千早ちゃんが脆かったら私なんてお豆腐ですよ?」

千早「ふっ、お豆腐……! く、くくっ……」

楓「千早ちゃんはいつも笑ってくれるから好きです。ふふふっ」


楓「……歌は、誰の為に歌うんでしょうね」

千早「……」

楓「お豆腐はお豆腐なりに考えたんですよ。確かに最近の私は……ずっと、一人の為に歌っていた。二人の未来の為に歌っていた」

楓「きっと正解なんてないと思うんです。だって声が出れば歌は歌える。心に何を浮かべていようと、出ていく声は一緒なんです。……なのに、こんなにも違うのは、なんでなのかな」

千早「それは……」

楓「……私たちの恋って、裏切りかな?」

楓「何万人の人たちの前で、たった一人を思い浮かべて歌うのは」

千早「……私は、嫌です。だってみんな、たった一人の私を観にきてくれるんです」

千早「見えないからって裏切りたくない。ひいきなんてしたくない」

千早「…………だから、私だって、観てくれる人と対等であるべきなんです」

千早「一人のために歌うなんて、閉じた幸福じゃないですか」

千早「私は、選びたくない。…………それに、もし選んでも……どっちも、傷付くだけだから」

楓「……千早ちゃんは、誠実で優しいね」

千早「重い女なんです。だから、一人で立たないと誰かを潰してしまいます」

楓「想いは重い、か。ふふふっ。……ねえ、千早ちゃん」

千早「?」


楓「私の実家ね、スナックだったの。ふるーいカラオケの機械と安いお酒に、おじさんおばさんの常連さん。そんな人たちに囲まれて私は育ったの」

楓「私が学校から帰って歌うと、酔っぱらったお客さんたちがいつも楓ちゃんの歌は上手いねー上手いねーって言ってくれたの。私はそれが嬉しくってね」

楓「単純だからね、歌が大好きになったの。私は歌が好き。お酒も大好き。おやじギャグも好き。私の好きには理由があるの。その全部の好きが繋がる理由。……それはね」


楓「――笑顔なの。笑顔なんだ」


楓「実家にいたおじさんたちも、観てくれるお客さんも、一緒に歌ってくれる誰かも、……ずっとむすっとしてる寡黙な誰かさんも、全部笑顔にしたい」

楓「私はみんなを笑顔にするためにアイドルになったんだって、それを思い出させてくれたのは千早ちゃんなの。……ありがとう」

千早「……私は」

楓「でも、私は千早ちゃんとは違うから」

千早「!」

楓「一人の為に歌うのはやめても。……その一人を含めて、みんな笑顔にするのはやめない。この声が出る限り、歌うのをやめない。歌も恋人もトップもファンも、私はぜんぶいただきです」

千早「……それは、欲張りすぎな上に、辛すぎるわ」

千早「だって。……恋人なのに、愛しているのに、特別扱いしないということでしょう? その人の為だけの特別にならないということでしょう?」

千早「……そんなの、残酷すぎる。傷付けるだけじゃないですか!」

楓「うん。……でも、いいの。私、甘えんぼさんだから」

楓「あの人が傷つくの、知ってるけど止めないの」

千早「……私には、わかりません」

楓「うふふ。いいのいいの、わからなくて。……わかられないから、いいの」

千早「……私、楓さんが気に入りません」

楓「がーん!」

千早「だってズルいんだもの。毎晩お酒飲んでるくせにあんなに声綺麗だし。胸もあるし。身長高いし。不思議な人なのに私と違ってみんなに好かれるし。……私がずっとずっと悩んでること、けろっと結論出しちゃうし」

千早「気に入りません。……だから、負けないもん」

楓「……ふふふっ。千早ちゃん、可愛い」

千早「……私が勝ったら、その……今度、相談、聞いてください」

楓「じゃあ私が勝ったら居酒屋でお酒を飲みながら恋バナをしてもらいます。ふふふっ」

千早「私、強いですよ。歌もお酒も」

楓「おー? 両方楽しみですっ。海未ちゃんも呼ぼうかな?」

千早「本当ですかっ!?!? 約束ですよっ!?」

楓「もちろんですとも。……さ、行こっか」

千早「海未さんの前では負けませんよ」

楓「ふーん? ……誰に向かって、歌っているの? ふふふっ」

千早「……ふふっ。これは負けちゃいましたね」



――♪『渇いた風が 心通り抜ける 溢れる想い 連れ去って欲しい
    二人の影 何気ない会話も 嫉妬してる 切なくなる これが恋なの?』


武内P(二人の歌姫が恋を歌う。曇りの無いその声は、心に響いていく。高垣楓は、完全復活した。そしてこれから先もずっと歩いて行くのでしょう)

武内P(神秘の女神としての撮影を思い出す。城のような場所で、彼女は胸元がキャベツみたいだと言ったドレスを身に纏い、その手には鳥を止めている)


――♪『あなたしか見えなくなって 想い育ってくばかり
    苦しくて 見せかけの笑顔も作れないなんて』


武内P(――悩んでいた。彼女が歌を届ける相手に懊悩するように、自分もまた)

武内P(彼女を、籠の鳥にしても良いのだろうか。自分だけの姫君にして良いのだろうか。従者を愛したせいで危険に晒されるのは、姫の方だから)

武内P(立場故のジレンマ。この現代に身分違いの愛に悩まされるなど、全くお笑いだ)

武内P(……でも、あなたは。黙って延々と悩み込んでいる私に、こうすればいいじゃないですかとするりと笑いかけるのだ)

武内P(一升瓶を片手に、あの子供みたいな笑顔で)



楓『このお酒を飲んだら、我儘を一つ聞いていただけませんか?』

楓『……私、ずっと考えてました。あなたと歩いて行くために、早く頂点に立って、この世界を去ってしまうことを』

楓『でも、私、思い出したんです。初めて歌った時のこと。あなたと一緒に歩いてきた道のりのこと』

楓『……好きなんです。歌うのが、好きなんです。誰かに聞いてもらうの、大好きなんです』

楓『だから……だから。私、アイドルを辞めません。歌うのをやめません。たとえてっぺんに辿りついても、歩くのをやめたくないんです』

楓『この声が枯れてしまうまで。この身体が踊れなくなるまで。何歳児と呼ばれたっていいんです』

楓『あなたと私が大好きなアイドルを、無理になるまで続けたい』

楓『……これからずっと、あなただけの為に歌うことはできないし、あなただけの特別になることもできません。でも、あなたと別れるのは嫌なんです。それだけは、嫌。絶対に嫌』

楓『……ねえ、だから我儘を一つ』

楓『私が、アイドルとして歌えなくなるまで。……魔法が、消えるまで。待っててくれませんか』

楓『ひどいこと言ってるの、わかってます。……でも、だからこそ、甘えたい』

楓『私を、待っててくれませんか?』

楓『もう、若くて綺麗な女でも、アイドルでも……なんでもなくなってしまっても』



楓『――私がおばさんになっても、愛してくれませんか?』




――♪『ココロ風に 閉ざされてく 数えきれない涙と 言えない言葉抱きしめ
    揺れる想い 惑わされて 君を探している ただ君に会いたい only you』


武内P「……ふふ。何を今更」

武内P「あなたが我儘なのは、今に始まったことじゃないでしょう?」

武内P(私は今、心から笑っているのでした。……先輩に、みんなに、何より君に出会えたからこそ、私は笑える)

武内P(そのことに比べたら、君の悩みなどちっぽけなことだ)


武内P(――安心してくれ。遅刻には厳しいが、待つのは得意だ)


――♪『ココロ風に 溶かしながら 信じている未来に 繋がってゆく
    満ちて欠ける 想いはただ 悲しみを消し去って 幸せへ誘う』



武内P「待っていますよ」


――♪『優しい風 包まれてく あの雲を抜け出して鳥のように like a fly』



武内P「――十二時の、鐘まで」

<765プロ、楽屋>

美希「……千早さん、どうしたの?」

千早「? 何もないわよ?」

美希「千早さんが負けたのに泣かないなんて、雪が降るの」

千早「……美希は私が嫌いなの?」

美希「ううん、大好きだよ?」

千早「……もう、ストレートなんだから」

千早「ただ、ライバルっていいものね。そう思って」

美希「ミキにはわかんなかった感覚なの」

千早「過去形なのね」

美希「むー! お客さんの目はフシアナなの! 杏ちゃんよりミキの方が上手なの!!」

千早「でも、勝った方が偉いのなの~」

美希「それミキの真似!? 千早さんはミキが嫌いなの!?」

千早「いいえ。でも、ちょっと憎い」

美希「え……?」

千早「そうやって明け透けに好意を伝えられるところとか。私には出来ないから、羨ましい」


千早「……でも、私ももう遠慮しないことにするわ」

美希「!」

千早「ふふ。relationsの振られる方は美希よ」

美希「……あはっ。千早さんが戦いにくると結構辛いの」

美希「でも、負けないけどね。だってミキは最強だもん!」

千早「……まるで『雪のリレーション』ね。私はああはならないけれど」

美希「そう言えば曲も一緒なの!」

千早「……さて、いい加減終わらせましょう。もう負けるのなんて絶対に嫌」

美希「うん! 千早さんと一緒なら誰にも負けないの。……ねえ」

千早「? 何?」

美希「ライバルって、いいね」

千早「ええ。同感」


――♪『「べつに」なんて言わないで 「ちがう」って言って
    言い訳なんか聞きたくないわ 胸が張り裂けそうで
    私のことが好きなら あの娘を忘れて どこか遠くへ連れて行って』

<346プロ、舞台袖>

みく「あぁ……吐きそう……」

凛「毛玉?」

みく「ちゃうわ! 普通に吐きそうやの!」

凛「前川ってプレッシャーに弱かったっけ? 毎回煽ってきた記憶しかないんだけど」

みく「……わかってんの? みく達が負けたら勝ち消えるんよ?」



園田 海未―萩原 雪歩 ○
アナスタシア―我那覇 響 ×
城ヶ崎姉妹―双海姉妹 ○
渋谷 凛―四条 貴音 ○
島村 卯月―天海 春香 ×
本田 未央―菊地 真 ×
諸星 きらり―三浦 あずさ ×
前川 みく―天海 春香 ×
ニュージェネレーションズ―竜宮小町 ○
トライアドプリムス―プロジェクト・フェアリー ×
矢澤 にこ―水瀬 伊織 ○
高坂 穂乃果―高槻 やよい ×
双葉 杏―星井 美希 ○
高垣 楓―如月 千早 ○

渋谷 凛  星井 美希
前川 みく―如月 千早

346オールスター―765オールスター


みく「しかも相手は星井美希と如月千早……」

凛「なんか、カレーにハンバーグ乗せましたみたいな組み合わせだよね」

みく「あ、それわかる。美味しいに決まってるやんみたいな」

凛「片やこっちは酢豚にパイナップルみたいな組み合わせ」

みく「え? 奇跡の組み合わせってこと?」

凛「は? 何言ってんの? パイナップル邪魔過ぎでしょ」

みく「はぁ!? 美味しいやん、何言ってるん!?」

凛「……ほんっと、とことん気が合わないね」

みく「……言っとくけど、今っ回限りやからな!!」

凛「当たり前でしょ。大体ね、私にこんな小細工なしで勝てる実力あったら、前川とのペアなんて鼻で笑って断ってるよ!」

みく「あーあ、黒歴史が増えたなぁ……」

凛「……でも、負けたくないから仕方ない」

みく「同感」

凛「……私以外に負けちゃってさ」

みく「うるっさい! そっちこそ星井美希に負けたくせに!」

凛「……うるさいな。あれはトライアドプリムスだもん」

みく「うわ、言い訳すんの? だっさいなー」

凛「……ほおう。そんなにキャットファイトがしたい? バカ猫」

みく「キャンキャンうっさいわ! アホ犬!」

凛「……!」

みく「……!」


凛「………………はあ。やめよやめよ」

みく「生産性がなさすぎる……」


凛「……今日だけだからね」ギュッ

みく「きゃあっ!? い、いきなり手ぇ握んな!!」

凛「そういう演出なんだから仕方ないでしょ。もうすぐ出番だよ」

みく「…………むこうは男の奪い合いの歌やってんのに、なんで、こんな……」

凛「仲良くしよう? マイハニー」

みく「仮面夫婦やなあ。マイハニー?」

凛「私は誰にも負けたくない。負けるの、嫌いなんだ。特に前川には」

みく「そやな。みくも負けるのは大っ嫌い。特に渋谷には」


凛「……でも、私以外に負ける前川なんて、もっと嫌い」


みく「……!」

凛「勝つよ。相手が765だろうがなんだろうが、お前以外に負けるもんか」

みく「……」

凛「……どしたの? もしかして、まだ緊張してる?」

みく「……にゃ、にゃははは。緊張はもうどっか行ったよ」


みく「……ドキドキしすぎて、どっか行っちゃった」


――♪『La――La La La La La La La――La La La!』


凛『夢の 迷路♪』
みく『百合の 迷路♪』



――わあああああああああああああああ!!!!
――きましたわああああああああああああああああ!!! うわあああああああ!!
――ありがとう!!! ありがとう!!!
――尊い…………。



みく(お客さんの爆発的な声援が恥ずかしい。……恥ずかしい! 渋谷と手ぇ繋いでるところ見られるとかほんま無理無理無理!! 恥ずかしすぎるっ!!)

凛(ああ、こんなの序の口なんだよね……。これは仕事これは仕事。……よし)

みく(『硝子の花園』の振付はもう本当にあざとい。あざとすぎる。歌詞も直接的な言及はしていないものの、明らかに女性同士の禁断の恋愛をイメージした詞で、歌の掛け合い方もなんか、こう……えろい)


みく『Ah 二人きりで 硝子の花園へと♪』
凛『誰もいない 誰もいらない♪』

――♪『そっと 壊れそうに咲きたい』


みく(……それにしても)


――♪『秘密のブランコ あなたと揺れながら今 ただ優しく見つめ合うの』

凛『恋に 恋する♪』
みく『恋する♪』
凛『少女の♪』
みく『少女の♪』


――♪『静かなため息は Lonely 満ち足りた Lonely...』


みく(……みくがこんなにテンパってんのに、なんで渋谷はそんな平気そうなん?)

みく(なんか、気に入らんな。……よし)


みく『閉じ込めたい心を どこにも行かないように 寂しいのよ 私と♪』

みく(二番Aメロは徐々に近づいて行って最後にウインク。……でも、変えよ)

みく(渋谷の対応力、見せてもらお。ふふっ)


みく『ここにいてよ ……いつまでも』

――ちゅっ。


凛『っ!?!?』



――わあああああああああああああああああああああ!!!
――う、うわあああああああ!! きゃああああああああああああ!!


みく(えい。……ほっぺやから、セーフやんね?)

みく(あ、顔真っ赤。テンパってる。あははっ、やった。ざまーみろ)



凛『っ……Ah, 夢の迷路 硝子の蝶々たちは♪』
みく『誘いながら 誘われてる♪』

――♪『指で 壊れそうな羽ばたき』


みく(……ああ、もう。そんな涙目みたいにして真っ赤にならんでも。なんかこっちまで変な気分になってくる)

みく(春。初めて会った時から、こいつだけは何か違うと思ってた。初めてレッスンを見たときは買いかぶりかと思ったけど、後の伸びを見ると本当に恐ろしかった。自分なんてこいつはあっという間に抜き去ってしまうんじゃないかって)


みく(でも、そんな怖れよりも、ようやく本気をぶつけても受け入れてくれる相手が現れた喜びの方が、何万倍も嬉しかった)

みく(あの夏が忘れられない。あの熱さが、火照りが、ずっと身体から消えてくれない。認め合う相手からもぎ取った勝利の味はマタタビよりもトんじゃいそうだったし、反対に負けた日は悔しくて悔しくて寝れなかった上にご飯が食べられなかった。涙が出過ぎて脱水になりかけた)


みく(きっと、勝っても負けてもこんなに特別なのは渋谷だけで。……あわよくば、渋谷にとってみくもそうであればいいなと思う。……恥ずかしいから、確認しないけど)

みく(おそらく何年先も、ひょっとしたらアイドルを引退した後でも、こうして張り合っているのかもしれない。でも、それも悪くない)

みく(長い人生、張り合える相手なんてきっと恋人よりも少ないはず)

みく(あの夏の帰り道、まるで一目惚れみたいだと自嘲したことを思い出す。なるほど、確かにそうかも)

みく(負けたくないって気持ちは、恋煩いみたいやなぁ)


みく(……ん? こいつ、近付いてきてない? お、おい!)


凛『二人きりの花園で 眠りにつく♪』

みく「っ……!」


みく(渋谷は、妖しげな笑顔を浮かべてみくの後ろに回り込む。そこからみくを抱き込んで、渋谷は猫の手みたいに前にあげたみくの手首を掴んで、空いたもう一つの手で目隠ししてきた。そうして耳元で囁くように歌ってくる)

みく『髪を撫でる その手が っ……! 好き♪』


みく(っ!? こいつ、髪撫でやがった!! おのれ、喰らえ!)
凛(っ!? 手、甘噛みしないでよ!)


――♪『もーっと!』

みく(みくと渋谷は、お互い離れて抗議の目線を交わす)


みく「こ……この負けず嫌い!」

凛「前川が先にやったんでしょ!! やりすぎなんだよ!」

みく「髪撫でんなや! ちょっと気持ち良いからキモい!」

凛「うるさい! されたの初めてだったんだからね!?」

みく「……そりゃ悪かったにゃ」

凛「都合悪いところだけ猫被んの、ズルくない?」

みく「……はは、ごめん」

凛「……ふふっ。やったからには責任取ってよね。勝つよ」

みく「勿論!」


みく(目と目が合ったその一瞬だけで、何時間も会話をしていたみたいな気分がした。……ま、悪かったって)

みく(責任取って、一生殴り合うか。……なあ、ライバル?)


――♪『秘密のブランコ あなたと揺れながら今 ただ優しく見つめ合うの
    恋に 恋する 少女の 静かなため息は Lonely 満ち足りた Lonely』


――わあああああああああああああああああああ!!!!


みく『ありがとうっ!!』

凛『ありがと! ……前川、屋上』

みく『まあそう言わないにゃ』


みく(割れんばかりの大歓声。地球の灯りを全てここに集めたみたいな色とりどりの光。みくは、ただただ辺りを見回す。この瞬間を忘れないように。夢みたいなこの瞬間を、いつでも思い出せるように)


みく(一番後ろまで見ておこう。ずっと遠く、遠く――!?)




みく「……あ、……ああ、あ……」


みく「…………うそ……」


みく(みくは、首根っこをひっつかまれた猫みたいに意表をつかれて立ち尽くす。……そして、涙がこぼれてくる)


みく(奇跡が、そこに立っていた)

みく(こんな勝手な猫被りにも、神様はプレゼントをくれるのか。だって、そんなところにいるはずない。いるはずがない。いてくれるはずがない! ……なのに)



――「ファイト! 猫被り委員長!」




みく(みんな、そこにいてくれた。傷付けたのに、勝手を言ったのに、それでも。それでも、そこに居てくれた)

みく「……部長っ、……み、んな…………おとうさん……おかあ、さん……!」

みく(みんな。みくは、ここにいるよ。……頑張って、良かったよ!)

みく(精一杯の感謝を、あなたたちに。……なあ、部長)

みく(嘘じゃ、なかったよ――)





みく『一番後ろまでっ! 見えてるぞー!!!』






八幡「……これは。こんなこと、ありえるのか……?」

――すげえ!! 初めて見た!!
――なんだこれ!? 演出か!?





渋谷凛&前川みく  VS   星井美希&如月千早
297,803Points 297,803Points






八幡「……引き分け? なら、どうなるんだ?」


園田 海未―萩原 雪歩 ○
アナスタシア―我那覇 響 ×
城ヶ崎姉妹―双海姉妹 ○
渋谷 凛―四条 貴音 ○
島村 卯月―天海 春香 ×
本田 未央―菊地 真 ×
諸星 きらり―三浦 あずさ ×
前川 みく―天海 春香 ×
ニュージェネレーションズ―竜宮小町 ○
トライアドプリムス―プロジェクト・フェアリー ×
矢澤 にこ―水瀬 伊織 ○
高坂 穂乃果―高槻 やよい ×
双葉 杏―星井 美希 ○
高垣 楓―如月 千早 ○

渋谷 凛  星井 美希
前川 みく―如月 千早 △

346オールスター―765オールスター




八幡(七勝七敗一分……残るは一戦。引き分けが二回起こるのは考えにくい)

八幡(……なら、これが最後。最後の一戦で、勝敗が決まる)

八幡(……俺にできることは、なんだ?)


八幡「……ない。いや、一つだけか」


八幡(最後まで、見届けよう。それがいつも通りの、唯一にして最大のことなのだ)

八幡(そして、最後まで見届けたその後に。俺は俺の選んだ答えを、最後の一人に伝えようと思う)

八幡(……見せてくれ。お前たちの結晶を)


八幡(雪のように優しい、人為の魔法を――)

<765プロ、舞台袖>

春香「最後、かぁ」

真美「んっふっふー。もつれ込んだねぇ」

亜美「765プロ、危うし!」

響「…………あのな、怒らないでほしいんだけどな?」

やよい「……楽しかった、ですよね?」

雪歩「346のみんな、本気でしたもんね。……本気で、来てくれたもんね」

真「それって嬉しいよね。一人だって自分の勝ちを疑ってなかったしさ」

伊織「……それに、ちゃんとお客さんのことを想ってる」

あずさ「観てくれる人に感謝の気持ちを忘れないこと。そして何より、自分たちが楽しむこと。……そうやって初めて、私たちに夢を見てくれる人たちが生まれる」

貴音「アイドルとは夢を見せるお仕事、とは矢澤にこの言葉でしたね。ふふっ」

千早「……何だか震えるわ。こんなに夢を、奇跡を起こせる人たちがいるのね」

美希「そうだね。……でも、これはあくまで勝負なの」

美希「すっごいものに、カンドーさせてくれるものに境界なんてないってのはミキもわかるの。そもそもパフォーマンスに点数を付けること自体がすっごくブスイなの」

美希「でも。……わかってても、それは言っちゃダメなの」

春香「うん。私たちは、アイドルだから。一度ステージに立ったら言い訳はナシだもんね!」

千早「……勝ちましょう。私たちがより楽しく、私たちらしくあるために」

美希「あはっ☆ ……行こ? ミキたちが、トップアイドルだよ」


春香「うん。それが――」


「――それが、私たちの約束」

<346プロ、舞台袖>

凛「王手、だね」

みく「向こうもな」

穂乃果「勝ちたかった勝ちたかった勝ちたかったー!! うわーん!!」

海未「これで勝てばいいではありませんか。……私は勝ちましたけど」

にこ「なんかあんた、どんどん性格悪くなっていってない……?」

杏「……もう、ボロボロなんだけど。帰っていい? いや、ほんとに真面目に……」

きらり「杏ちゃーん、あとちょっとだけ、がんばろー?」

加蓮「きらり、杏を肩にかけてるとボロ雑巾にしか見えないよ……」

楓「今日はシャンパンにしましょうかねー?」

アーニャ「日本のクリスマス、チキン、好きです!」

奈緒「何でもう飲む酒と食べ物を決めてるんだ……?」

美嘉「莉嘉ー、今日お父さんも来てるから一緒に帰ろってメール来たよー?」

莉嘉「え、ホントっ!? よーし、パパにプレゼントねだっちゃお!」

未央「ああっ、私もライブのことで頭いっぱいでクリスマスプレゼント貰ってない!?」

卯月「未央ちゃん、大丈夫ですよ! サンタさんは靴下を置いておけばセーフです!」

みく「……え? 卯月チャンって、まさか、サンタ、信じて」

凛「こら前川。アイドルでしょ。夢を守らないと」

にこ「大丈夫よ。真姫ちゃんだってまだ信じてるわ」

みく「………………こんなんで、大丈夫なのかにゃ……?」

凛「あははっ! いいんだよ、これで。だって見てみなよ。みんな、負けることなんて考えもしてないよ」

みく「……信じる者はすくわれる」

凛「足元を?」


穂乃果「あははっ、何かひっきーみたい!」

みく「お前、今度は口にすんぞ」

凛「アイドルがレイプってシャレにならなくない……?」

海未「……雪が降りそうですね。あの最終戦の日も、雪でしたっけ。……懐かしいですね」

穂乃果「そーだったね! いきなりの吹雪でもうダメかと思ったなあ……」

にこ「今となってはいい思い出だけどね。……きっと、あの日みたいに、今日もいつか思い出の一つになるのね」

凛「じゃあ、やっぱり勝たなきゃね」

杏「どーせ思い出すんなら、甘い思い出がいいね。杏、酸っぱいの嫌いだもん」

海未「……心配しなくてもいいですよ」

にこ「ええ。だって相手は昔と同じく絶対王者なのよ。……だったら、負けるはずないわ」

穂乃果「そうだね。誰にも負けない、地上最強のラブソングだもんね!」

凛「……よしっ、行こう!」


――「未来が待ってる!」




雪乃(……彼女たちの歌を聞くと、自然と涙がこぼれてくる)

雪乃(まるであの日積もった雪を見ているようで。……今にも、空は泣き出しそう)

雪乃(私は雪のように積もった思い出を浮かべながら、人差し指で唇を触った)


――♪『ねえ 今 見つめているよ 離れていても』




雪乃『……そんなところで気持ち悪い唸り声をあげてないで座ったら?』

八幡『え、あ、はい。すいません』

雪乃『――ようこそ、奉仕部へ。歓迎するわ』







――♪『Love for you 心はずっと 傍にいるよ』




八幡『はぁ? そんなのお前も大して変わらんだろ。遠回しな自慢か』

雪乃『……え?』

八幡『理想は理想だ。現実じゃない。だからどこか嘘くさい』

雪乃『……腐った目でも、いえ腐った目だから見抜けることが、あるのね……』

八幡『お前、それ褒めてるの?』

雪乃『褒めてるわよ。絶賛したわ』



雪乃『私はこれでも姉さんを相当高く評価しているのよ』

雪乃『……私も、ああなりたいと思っていたから』

八幡『……ならなくていいだろ。今のままで』



――♪『もう涙を拭って微笑って 一人じゃない どんな時だって』



雪乃『……本当に、誰でも救ってしまうのね』

八幡『はぁ? 深読みしすぎだ。そもそも葉山がいないと成立しない。だから俺のおかげとは言えないんじゃないか』

雪乃『……』




八幡『別に嘘ついてもいいぞ。俺もよくついてる』

雪乃『……嘘ではないわ。だって、あなたのことなんて知らなかったもの』

雪乃『――でも、今はあなたを知っている』

八幡『……そうですか』

雪乃『ええ、そうよ』





――♪『夢見ることは 生きること 悲しみを越える力』




八幡『それでも、俺は……本物が、欲しい』

雪乃『ねぇ、比企谷くん。……いつか、私を助けてね』


――♪『歩こう 果て無い道 歌おう 天を越えて 想いが届くように
    約束しよう 前を向くこと Thank you for smile』




雪乃『…………綺麗、ね』

八幡『…………ああ』

雪乃『……ねえ、比企谷くん。……雪は、好き?』

八幡『……俺は』

八幡『……雪は…………嫌いだ……』

雪乃『……奇遇ね。……私も、よ……』

八幡『…………あいつに、よろしくな……』

雪乃『……ええ。……比企谷くん……』


八幡『……』

雪乃『……最後に、窓、閉めてくれる?』

八幡『……ふ。そんなのが、最後の依頼か。……いいよ』

――からら。

八幡『ほらよ、閉め――』

雪乃『……』

八幡『……っ。ゆ、雪ノ下、お前……!』

雪乃『……ごめんなさい。…………ごめんなさいっ』

雪乃『これだけ。……これだけ、貰っていくから…………』

雪乃『これがあれば、もう、何もいらないから……』

雪乃『……ごめんなさい。弱い女で、……寄りかかってばかりで、……ごめんなさいっ』


雪乃『……じゃあね。……さようなら。さようなら、比企谷くん……』



――わあああああああああああああ!!!


春香『……ありがとうございます! これが、私たちの……想いです!』

千早『…………あ』

響『……これは』

美希『……雪、なの』



絵里「雪……」
希「……綺麗、やね」
星空凛「……わあ」
ことり「……すごい」
花陽「…………はわぁ…」
真姫「……奇跡、ね」



雪乃「……ねえ、比企谷くん。雪は、好き?」


凛『……最後に、私たちの想いも聞いてください』

凛『……私たちって、生きてると必ず何かしら感じることがあるよね。今が楽しいだとか辛くて泣きそうだとか将来が不安だとか、優しくなりたいだとか、……誰かが好きだ、とか。ほんとに色々』

凛『……けど、それってさ。人に伝える意味があるかと言われると、実はないんじゃないかなって思うんだ』

凛『だって、好意とか不安とか悩みとか。人に伝えなくても、聞かなくても、私たちは生きていけるもんね。……私たちって、実は一人で生きていけるんだ』

凛『……でも、それじゃ、つまらないもんね』

凛『死んでるように生きたってしょうがないから。私たちは、楽しく生きたいと思うもんね』

凛『心なんてなくたっていい。……でも、あったほうが、楽しい』

凛『無くてもいいけど、あったほうがいい。……自分だけで終わりたくない。何かを伝えたい。何かを変えたい。人と関わりたい。わかりたい。……わかりあいたい』

凛『その気持ちを何て言ったらいいのかわかりません。表す言葉があるのかどうかもわかんないや。……でも、確かにそれは存在して、本物なんです』

凛『私は、伝えたい。どうにかして伝えたい。私はここにいるんだってことを』

凛『言葉にしないと伝わらない。言葉にしたって全部届くわけじゃない。……でも、届けたいんです。そのために、私はアイドルになったんだって思うから』

凛『……そんな、溢れる想いを。私たちはアイドルだから、私たちなりの方法で届けます』

凛『たった一秒だけでもいいから、私たちを見てくれるあなたが、幸せになりますように』

凛『この雪のように、あなたに優しく寄り添えますように』

凛『……聞いて、ください!』



雪乃「私はね……」


雪乃「――雪が、大好き」




凛『――Snow halation!』




――♪『不思議だね 今の気持ち 空から降ってきたみたい
      特別な季節の色が ときめきを見せるよ   』


八幡「……っ。ああぁ……っ……」

八幡(目の中が溶けたみたいに、涙が止まらなくなる。頬につたう涙が溶けた雪と混ざって、顔はもうぐちゃぐちゃだ。たった一人、彼女らを見つめる俺はどうしてか涙が止まらない)


八幡(歌う彼女らの想いの明滅が、雪を伴ってじわりと心に染みてくる。歌声は触媒となって、俺の中にある幾多の思い出を導き出す)


八幡(奉仕部での出会い。過ごした日々。別れの雪の日。心を殺した人形として過ごした数年。そして、あの、雪の日。絵里さんと出会い、渋谷と出会い、雪ノ下と再会した春)


八幡(飛ぶように過ぎていった夏。友達の為に走った秋。……そして、また、冬)

八幡(……いつかの冬。手に出来なかったものがあった。お互いがお互いを想い合うからこそ、手が届かなかったもの。「本物」なんかより大事なものがある、そう信じて俺は諦めた)


八幡(押してダメなら、諦めろ。それが俺の座右の銘。……でも)

八幡(諦めようとしても、どうしてもそれだけは諦められなかったから。色んなものと向き合って、考えて、差し引いて……それでも、残ったから)


八幡(だから、これこそが本物なんだ。俺は誰を傷付けたとしても、今度こそそいつを掴んで見せる。……勝手な論理だ。俺さえよければそれでいい。わかられなくていい。そう思っていたのに)


八幡(彼女たちは、俺に届けてくれるのだ。それでいい。それでいいんだと)

八幡(人になんて認められなくても生きていける。自分が自分を認めれば。一人で立てるのは誇るべきことだ。それ以上のものなんていらないのに)

八幡(それでも、彼女たちは尊い想いの光暈を届けてくれる。ただ、それが暖かくて)

八幡(人が傍で生きているというありふれたことに、涙が止まらないのだ)


八幡「……なあ、雪ノ下。雪は、好きか?」


――♪『初めて出会った時から 予感に騒ぐ 心のメロディ
        止められない 止まらない なぜ?  』


雪乃『――比企谷くん。好きよ』

雪乃『昔も今も。変わらず、あなたが大好きです』

雪乃『私と、付き合ってください』



八幡「俺はな……」


八幡「雪が、大好きだ」



八幡『………………ありがとう……』

八幡『……やっと、言ってくれた。……言葉にしてくれたんだな』

雪乃『ええ。……ずっと、待たせたもの』

八幡『……だから、俺も…………言葉にするよ』



――♪『届けて 切なさには 名前を付けようか "Snow halation"――』


八幡「……でも」



八幡『………………』

八幡『………………っ』

雪乃『……比企谷くん』

雪乃『…………がんばって……』

八幡『っ…………』




八幡『………………すまない……』

雪乃『っ……』

八幡『……俺には…………』


八幡「――雪より、もっと好きなものが、できたんだ……」


<十二月二十四日、夜。総武高校奉仕部室>

八幡「……俺には、新しく好きな人が、できたんだ…………」

雪乃「…………そう」

雪乃「……渋谷さん、ね?」

八幡(雪ノ下は一瞬だけ天を見上げると、俺に微笑みかけてそう言った)

八幡「…………ああ」

八幡(外の寒さに臓腑を晒したように胃が痛む。……それでも、言葉にしなくてはならない)

八幡「俺は……渋谷凛が…………好き、なんだ」

八幡(……ついに言った。言ってしまった。虚空に向かって言い放ったわけじゃない。誰かに向かって言葉にしたのだ。……だから、言葉に責任を持つ。嘘はない)


八幡(相手が虚言を吐かない雪ノ下雪乃だからこそ。……かつて、俺が好きだった人だからこそ。どれだけこの身が痛んでも、言わなければならない。責任を取らなければならない)

八幡(俺にとって誰かを愛するということは、選択に責任を持つということだから)

雪乃「……わかって、いたの」

八幡「…………そうか……」

雪乃「……少しの間、一人にしてくれるかしら」

雪乃「ちょっとだけ、泣くから」

八幡(雪ノ下は、そう言って変わらず俺に笑いかける。……ああ、そういうところなんだ)

八幡(本当は弱いくせに、でも、強くあろうとして。隙あらば誰かに自我をまるごと預けてしまいかねない自分の依存体質を自覚しながら、それでも一人で立とうともがいているところ)


八幡(その姿が、まるで水底で足を掻きながらも悠然とあろうとする白鳥みたいで)

八幡(……そんな姿に、比企谷八幡は憧れて……恋したんだ)

八幡「……ああ。……待ってるよ」




雪乃「……ごめんなさい。……待たせたわ」

八幡「……もういいのか?」

雪乃「……待たせると、置いて行かれるんだもの」

八幡「…………本当、口が悪いな。お前は。……今回のは特に死にそうだ」

雪乃「振られたのだもの。それくらい言わないと割に合わないじゃない」

八幡「……待ってろって、言わない方が悪い」

雪乃「……また泣くわよ。いいの?」

八幡「……悪かった、なんて言わねぇぞ。……存分に嫌ってくれていいんだ」

雪乃「無理よ。……泣けば泣くほど、好きになってしまうのに」

八幡「……」

雪乃「…………納得したいの。聞かせてもらえるかしら」

雪乃「……どうして、あの娘なのかしら」


雪乃「……醜いわね。嫌ってくれて構わないわ」

八幡「無理だ。そういう人間っぽいところに、俺は……」

八幡「っ……。失言だ、忘れてくれ……」

雪乃「……ずるい人」

八幡「……」

雪乃「……教えて?」


八幡「…………ただの偶然だったんだ。出会ったのは」

八幡「最初は愛想のないやつだと思ってた。アイドルになんてなるくらいだから、性格的に相いれることなんてないって思ってた」

八幡「……でもあいつ、全然違ったんだ。結構笑うし、アイドルになったのもほんとに高校生にありがちなありふれた悩みからだった。俺とは反対に、擦れた所のないやつだった」

八幡「……お前は知ってると思うけど、あいつ、最初はダンスも歌も一番下手くそだったよな」

雪乃「初めての企画でも、一番手間取っていたわね」

八幡「初めてラジオに出た時も、緊張して俺の所に来たりしてな。……終わった後、すげぇへこんでたのを覚えてる」

八幡「……でも、あいつはいつもそれだけで終わらなかった」

八幡「へこむだけなら誰でもできる。でも、あいつはへこんだ後必ず動くんだ。負けたくない、負けたくない……って言って。靴がボロボロになるくらい一人で頑張るんだ」

八幡「そういうところが、まず気に入った」

雪乃「……」

八幡「最初は、いい仕事相手に恵まれたなと思ってただけだった。それが変わったのは夏のことだ」

雪乃「私との話よりも絵里さんを選んで一夜を過ごした夏ね」

八幡「…………お前のとこの前川と、初試合があったろ」

雪乃「……ええ。夏休みのすべてを費やして、練習していたわ」

八幡「あいつもな。死ぬんじゃないかってくらい練習してた。そういう姿を見てると、意外かもしれんがこんな俺でもやっぱり勝ってほしいと思ったんだ」

雪乃「そうかしら。あなたはいつも、どうにかしたいと思う者には優しかったわ」

八幡「……記憶にないな」

雪乃「本人に自覚はないものよ」

八幡「……四年前以来、初めてだったんだ。他人の未来を願うなんて」

雪乃「……」

八幡「でも、結果は……負けだった」

雪乃「……どっちが勝ってもおかしくなかったと思うわ」

八幡「…………これは、誰も見てないんだ。俺だけが見た、あいつとの特別……」


八幡「……あいつな、泣いたんだ」


雪乃「!」

八幡「あんな澄ました顔してる奴が、崩れ落ちるくらい泣いてたんだ」

八幡「……あの涙が、忘れられない。……綺麗だった」

八幡「何かしてやりたかった。俺にできることなんて何もないことはわかってた。それでも、何かしてやりたいと心から思った」

八幡「……誰かと関わりたいって気持ちが恋なら、俺は多分、あの日にあいつを好きになってたんだと思う」

雪乃「…………そう」


八幡「ただ、お前は知っての通り……どっかの捻くれ者は自分を誤魔化すのが得意だから」

八幡「ずっと見えないフリをしていた。土壇場で逃げて大切なものを壊した自分が何かを欲しがる資格はない。結局また同じことを繰り返して誰かを傷付けてしまうのなら、求めない方がいい。気付かない方がいい」

八幡「こんな面倒な自分に好意を持つ人間がいるわけがない。好意を持ち続けてくれる人間がいるわけがない。そうやって、誤魔化して……」

八幡「……そんな俺に、あいつはストレートに言葉を投げてくれる」

八幡「己惚れじゃないよ。信頼してるよ。怖くないよ。裏切らないよ。……期待していいよ」

八幡「……本当に、口にするのも恥ずかしい言葉ばっかりだ。あいつも恥ずかしがってたしな」

雪乃「…………私には、できなかったことね」

八幡「大事な感情を言葉にするのは恥ずかしいし、怖い。……でも、あいつは言葉にする。なんでかは俺にもわからん。そういう奴なんだ」

八幡「言葉にすることは怖いけど、わかりあえないことはもっと怖いって、……そういう奴なんだ」

雪乃「……」

八幡「……俺は奉仕部でのことを渋谷に話したことはない。ただ、何か大事なことがあったってのはバレてんだ。ちょっと前、俺が過剰反応しちまってな……」

雪乃「……私も、杏たちに聞かれることは多かったわ」

八幡「……あいつもきっと、何があったのか知りたがってる。もしかしたら俺を救いたいからなのかもしれないし、ひょっとすれば、話せば俺は救われるのかもな」


八幡「――でも、あいつは聞かないんだ。聞きたいのに、聞かない」


八幡「こっちまで迎えに来てるのに、傍にいて見守るだけで。……自力で立つのを、待っててくれた」

八幡「あの言葉にしたがり屋が、ずっと黙って見守ってくれたんだ」

八幡「その厳しさが痺れるほど嬉しい。……嬉しいんだ」

八幡「あいつは俺の求める優しさを持っているんだと思うと、嬉しいんだ」

八幡「……並び立ちたい。あいつの隣に立って恥ずかしくない自分でありたい。過去を乗り越えてもう一度自分を好きになりたい。……変わりたい」

八幡「あいつのために、変わりたい」

八幡「一人で立てる二人になって、必要のない手を繋ぎたい」

八幡「あいつと一緒の……本物が、欲しい」

八幡「……だから。比企谷八幡は…………つまり――」


八幡「――渋谷凛を、愛しているんだ」



――♪『急いで いつの間にか 大きくなりすぎた "True emotion"
    夢だけ見てるようじゃ辛いよ 恋人は 君って言いたい 』



八幡「ごめん……っ……ごめんっ、……雪ノ下……っ」

八幡「……選べなくて、ごめん……。ごめんな……」

八幡「……俺、知ってた、のに…………。言葉に、しなくても、……伝わってた、のに」

八幡「…………俺は、あいつを、……好きになってしまったっ……」

八幡「……変わってしまって、ごめんな。約束したのに、ごめんなっ……」

八幡「……俺は。お前を……、助けて、やれない……」

八幡(涙が止まらなくて自分が枯渇しそうだと思う。それでも、涙は、嗚咽は止まらない。昔の俺と雪ノ下は言葉を交わしてきたわけじゃない。たった一つの単語をずっと封じて、あいつと時間を過ごしてきた)


八幡(わかってる。言葉にせずに伝わるなんて幻想だって。言葉にしないで交わせる約束なんてないんだって。……でも、確かに昔、あったんだ)


八幡(言葉にせずとも伝わるものが、あったんだ)

八幡(……あの時、由比ヶ浜の告白を受けていれば。誘惑を弾き飛ばして、雪ノ下に好きだと言っていれば。優しい先輩の恋心を受け止めていれば。雪ノ下の育てた想いを、改めて受け止めていれば)


八幡(全てが変わってしまう選択肢は無数にあった。……それらを、全て選ばずここにいる)

八幡(大切なものほど取り返しは利かない。人生にはセーブもロードもないのだから。だからこそ重い。だからこそ、尊い)

八幡(選ぶために選ばなかったことを、俺は誇る。傷付き、いくら涙がこぼれても)

八幡「……俺は、あいつが………好きだから」

八幡「……本物が、欲しいから……」

八幡「俺は、お前を………………選ばない」



――♪『届けて 切なさには 名前を付けようか "Snow halation"
    想いが重なるまで 待てずに 悔しいけど 好きって純情』


八幡「……でも」

八幡「………………ありがとう」

八幡「……ありがとう。ありがとう……」

八幡「……由比ヶ浜。雪ノ下。絵里さん。……渋谷」

八幡「…………好きになってくれて、ありがとう」

八幡「……なあ、俺。見てるか」


八幡「――確かに、あったよ」



――♪『微熱の中 ためらってもダメだね
    飛び込む勇気に賛成 間もなくStart――』


――わああああああああああああああああああ!!!


<終演後、スタジアム外>

雪乃「……ふふっ、なあに? 私に言っても意味ないでしょう?」

雪乃「……うん。うん。……ありがとう」

雪乃「……ねえ、結衣。私ね、言ったの」

雪乃「…………やっと、言えたの」

雪乃「……うん。やっと、終わったの」

雪乃「……謝らないわよ? あなたも四年前に言ったでしょう?」

雪乃「……うるさいわね。それができたら苦労しなかったわ。誰のせいだと思っているの?」

雪乃「……ふふっ、ごめんなさい。お互い様よね」

雪乃「…………今度、飲もうね。結衣」

雪乃「……うん。いっぱい、泣かせてね」

雪乃「……はい。おやすみなさい」

――ぴっ。



雪乃「……あら? 杏」

杏「だらしない顔してたよ。友達いたんだね」

雪乃「ええ。少ないけど、親友はいるの」クス

雪乃「……あなたがすぐに帰らないなんて。雪が降るわ」

杏「もう降ってるよ……」

雪乃「そうだったわね」

雪乃(私は苦笑をこぼしながら、スーツのポケットからあるものを取り出した)

雪乃(優しく落ちてくる雪に、昨日を映す)


雪乃『……そう』

八幡『……』

雪乃『理解はできたわ。……納得はしていないけれど』

八幡『……それでいいよ』

雪乃『…………簡単に諦めるとは思わないでね?』

八幡『…………やめとけよ。俺は、容赦しないぞ』

雪乃『いいのよ。性格だもの。高校生の頃から変わらなかったものが、急に変わる訳ないじゃない』

雪乃『ゆっくり、ゆっくり。……少しずつ、雪が溶けるまで』

雪乃『ふふっ。あなたなら知っているでしょう。この女は結構粘着質で、病的な負けず嫌いなのよ』

八幡『……ああ。嫌ってくらい』


八幡『もう、お前を知っている』


雪乃『…………ねえ、比企谷くん。窓を閉めてもらえるかしら』

八幡『……あのな。もうその手は食わない。第一閉まってるだろうが』

雪乃『あら、まだ覚えていたのね。迂闊だったわ』

八幡『……初めてだったんだぞ。……忘れるわけねぇだろ』

雪乃『奇遇ね。私もなの』

八幡『……』

雪乃『……これから先あなたが誰と恋しても、口づけても、……肌を重ねても』

雪乃『あなたと一番最初にキスをしたのは、私よ』

雪乃『……ふふふ。この呪い、一生背負って歩きなさい?』

八幡『…………重い女だ』

雪乃『駄目かしら?』

八幡『……いや。お前らしいよ』

雪乃『そういうところがズルいというのに、罪な人ね』

八幡『……お前曰く、犯罪者だからな』

雪乃『ええ。……だから、罰を与えるわ』


雪乃『…………今度は、これを私に頂戴?』



八幡『……煙草?』

雪乃『ええ。身体に悪いもの。……こんなものを吸っていたら、早死にするわ』

雪乃『……命令よ。煙草は、もう、やめなさい』

雪乃『そうして、一秒でも多く長生きしなさい。苦しみ続けなさい』

雪乃『長く長く生きて……死ぬまで、多くの人を傷付けた罪を背負い続けなさい』

雪乃『それが私の、あなたへの最後の依頼』

八幡『……わかった』

八幡『その依頼、確かに承った』

八幡『任せろ。依頼を解決するのは、得意なんだ』

雪乃『……ええ。いい顔だわ』

八幡『顔は悪くない方だ。一番最初に言ったことだぞ』

雪乃『目は悪いのだけれどね』

八幡『……それを言われるとどうしようもない』

雪乃『……ねえ、比企谷くん。雪が溶けると、何になるか知ってる?』

八幡『? 何言ってんだ? 水だろ?』

雪乃『残念。不正解よ』

八幡『……?』

雪乃『ふふっ。教えてあげる。……雪が溶けるとね』



雪乃『――春に、なるのよ』




雪乃「……」

――かちっ。しゅぼっ。

雪乃「…………ふぅ」

杏「……煙草、吸うようになったんだ?」

雪乃「ええ。……何となく、ね」

杏「……何だかさ」

杏「かっこいいね」

雪乃「……ふふっ。当たり前でしょう?」

雪乃「かっこつけてるんだもの」

杏「……みくと穂乃果と卯月ときらりが探してる。お泊り祝勝会がしたいって」

雪乃「……本当に元気ね。あの子たちは」

杏「全くだ。見てると目がつぶれそうだよ」

杏「……断っておこうか?」

雪乃「……いいえ。いいわ。みんなで祝いましょう? その方が、きっと楽しいし」

杏「わかった。向こうで待ってるみたいだよ」

雪乃「先に行っていてくれるかしら?」

杏「それ、吸っていく?」

雪乃「いいえ。少し、泣いていくわ」

杏「……わかった。後でね」

雪乃「ええ、後で」

杏「……あのさ、雪乃。小さくてごめんね」

雪乃「? どうして?」

杏「背中、貸せないや」

雪乃「……あんまり、泣かせないでくれるかしら」

杏「……へへ」

雪乃(照れてそっぽを向く私の小さな親友の頬は淡く紅い。まるであんずの花みたい)

雪乃(そういえば、杏の花も春に咲くのよね。そんな小さな偶然に、私はまたふわりと笑う)

雪乃「……あ」


雪乃(私の頬から、涙が零れ落ちる。それは雪解けの水のように自然で、なぜか暖かい)

雪乃(春の訪れが私を待っている、そんな気がした)

<十二月二十六日、夜。凛の家>

凛「……うう」

母「凛。熱、下がった?」

凛「……三十七度くらい」

母「あんたの体温じゃ駄目ね。……全く、ライブ終わってから倒れるなんて、お母さん心臓止まるかと思ったわ」

凛「……しょうがないじゃん。糸がきれちゃったんだよ」

母「比企谷さんなんて顔真っ青にしてたんだから。ちゃんと謝っときなさいよ」

凛「…………不謹慎だけど見たかったぁ。……有耶無耶になっちゃったぁ…………。ほんと、死にたい……」

母「……そんな死にたいあんたにお客さん。外で、待ってるわ」

凛「!!」

母「あっ、もう! ……すぐ飛んでっちゃうんだから」

母「……ふふふ。本当に、犬みたいね。あの子」



八幡「……よう。元気か?」

凛「……プロデューサー!」

八幡「全く、あんまり心配させんなよ……。冗談抜きで心臓止まるかと思ったぞ」

凛「大丈夫、もうぴんぴんしてるから」

八幡「アホか。そんなすぐ治る訳ねぇだろ。わざわざ休みの中出て行って調整したんだ。明日は仕事全キャンセルな。そのために診断書書いてもらったんだから」

凛「ええっ!? ……そんな」

八幡「……休みが入ってこの世の終わりみたいな顔するやつはお前くらいじゃないか?」

凛「……お仕事したい。生きてる感じがしないんだよ」

八幡(熱で紅くなっているであろう頬がこの寒い空気の中、際立って熱そうだ。そんな頬っぺたをぷくりと膨らませるて、渋谷は拗ねた顔をする)

八幡(そんななんでもない動作も、愛しいと思えた)


八幡「身体冷やしちゃいかんからな。手短に連絡するぞ」

凛「え。上がってってよ」

八幡「すぐ済むからいい。さっと聞いてさっと寝ろ」

凛「……はぁい」


八幡(店の前を数分に一度、ライトを付けた車たちがゆっくりと通っていってたまに俺たちを照らす。時間がまだ早いからか歩いている人もいないわけじゃない。寒いし、さっさと済ませてやろう)


八幡「まずは明日のラジオの収録だが、前川が代役を引き受けてくれた。ちょっと異例だが、ライブでの演出の件もあるしまあ打ってつけだろ」

凛「……もう二度とやらない、と思ってたけど……。引き分けだったし、もう一回くらいならいいよ」

八幡「しばらく共闘はねぇよ。仲良く喧嘩してろ。……ライブのインタビューは明後日に延期。同時にやる予定だった雑誌の撮影も同じく延期。あとは765プロに勝ったおかげで滝のように仕事のオファーが来てる。もう仕事を選べる立場になっちまったな」

凛「……できる仕事は、全部やりたいな」

八幡「ふ。殊勝な奴だよ、お前は。……あとは何かあったかな。そうだ、トライアドプリムスにあの金曜夜の歌番組のオファーが来たぞ」

凛「え!? 本当に!? ……やった!」

八幡「……一年前、病院のベッドの上で見てた番組にお前が出るなんてなぁ」

凛「大きくなりましたよ、渋谷凛も」

八幡「……くく。調子に乗りやがって」

凛「たまにはいいじゃん」

八幡「……まあな。お疲れさん、トップアイドル」

凛「ううん、まだまだ。まだ上に行けるよ。……走るのは、やめない」

八幡「……それでこそ、お前だよ」

凛「ふふっ。もっと褒めていいんだよ」

八幡「残念ながらこれ以上伝達事項は……あ、あったわ」

八幡「俺、お前が好きなんだけど付き合ってもらえないか?」

凛「……あ、うん…………」

八幡「よし。じゃあ全部言ったな。帰るわ」


凛「…………ちょ、ちょちょちょっと!! 待てっ! 何さらっと!」

八幡(もう顔が真っ赤で仕方ないから、言い逃げしてさっと帰ろうと思ったがそう上手くはいかないようだ。早足で去る俺の背中を、渋谷は走って追いかけてくる)


凛「……っ、わわっ」

八幡(するとあいつは熱でくらついたのか、俺に届く一歩手前あたりでふらりと倒れそうになる。俺は咄嗟に振り返り、前のめりに倒れてくる渋谷を抱きとめた)


八幡(車が通ったのか、一筋の光が真っ暗な世界を照らす。……俺の顔の真ん前で、渋谷は真っ赤になった顔を晒していた)

八幡(……近い! 暖かい! いい匂いがする! なんだこれ!)

八幡「おま、大丈夫かよ」

凛「……大丈夫じゃないよ! こんな大事なこと何さらっと言ってんの!」

八幡「……お前もそうだっただろ。恥ずかしいんだよ」

凛「……そうだけど!」

八幡「約束に応えただけだ、俺は。……ほら、離れてくれ」

凛「……やだ」ギュッ

八幡「っ!」


凛「……好きだよ。大好き。本当に好きなんだよ。伝わってる?」

八幡「……大丈夫だ。ちゃんと伝わってるよ」

凛「……色々言いたいこともあるし、聞きたいこともあるんだ。……でも、いいや」

凛「とりあえず言いたいことは、好きってことなんだ」

八幡「……ああ。いつか、ゆっくり聞いてくれ。……凛」

八幡「そしていつか、お前の話も聞かせてくれ」

凛「うん、八幡。……ずっと、隣でね」

<十二月二十七日、早朝。クールプロダクション事務所>


絵里「……はーあ。仕事したくないわ……」

絵里「どうして社会人って失恋しても仕事しないといけないのかしら。おかしいわ。間違ってる。間違ってるのは私じゃなくて社会の方。そうに決まってるわ」

絵里「……ああ、つらい。辛い。幸せと一本違いとか何言ってるの。馬鹿じゃないの」

絵里「…………まあ、今日も会えるから……いっか」

絵里「…………よしっ! 仕事納めは近いわ! 今日も頑張りましょう!」

絵里「さあ、ポストチェックから……」

絵里「……っ! 痛っ!」


絵里「……え? ……何、これ。……破片?」


絵里「………………え?」






絵里「……………………割れた、CD……?」













マキナ@346厨 @Final_root
あのさ、さっき出先で花買いに行ったときに撮ったんだけど
これ、もしかして渋谷凛ちゃん?
http://twwit.pic――

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【346プロ】アイドル部門総合スレッドPart83


24 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/12/26(土) 23:39,34 ID:kjfg5Rds
お前らツイッターに上がってる写真見た? あれもう明らかに渋谷凛じゃね


25 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/12/26(土) 23:42,34 ID:Lker543s
信じない


26 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/12/26(土) 23:44,98 ID:FesD2aSy
完全にハグしちゃってんだよなあwwwwwwwww
  シブカス冷えてるか~?wwwwwwwwww


27 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/12/26(土) 23:49,21 ID:Dsr4Wg3l
は? 意味わからん意味わからん意味わからん

  俺昨日ライブ行ったんだけど? 俺が一番凛ちゃん知ってるもんこいつ兄だよ
  何言ってんの? 凛ちゃんには彼氏なんていないし俺たちのためだけに歌うんだよ
  こんなよくできたコラとか作っても無駄無駄 コラだよな コラでしょ
  凛ちゃんは一人っ子だよ。兄なんていないよ。菜に行ってンの
  洗脳 辞めろ ふざけないで


29 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/12/26(土) 23:54,09 ID:Lkmd4r5t
何がクリスマスプレゼントだよ 俺らのこと嘲笑いながら踊ってたんだろ

  そんなに楽しいかよ 俺らみたいなの嘲笑って金吸い取って
  応援してた俺らにくれんのはこんなもんか
  もう怒りとか通り越してさ、どうでもいいわ
  てか疑問なんだけどなんでこいつ死んでないの? 生きてて恥ずかしくないの?


31 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/12/27(日) 00:01,34 ID:Kles4dFg
倒れて他のを支えただけ支えただけ支えただけ

  凛ちゃんって意外と頼りないもんね。この前夢の中で言ってたもん。
  お前らがあまりにも可哀想だから俺だけ知ってたけど教えてあげるわ
  凛ちゃんが俺を裏切る訳ない。頼むから嘘だと言ってくれ


35 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/12/27(日) 00:04,44 ID:Klmgdfr5
放心してた。気付いたら部屋にあるグッズ全部ぶっ壊してたわ

  許されるべきではない。制裁が必要。裏切り者は死ね
  これからぶっ壊したCD直接投函してくるわ。こんなもんで終わると思うなよ


38 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/12/27(日) 00:06,21 ID:operDf54
アアアアアアアああああああああああああああああ嗚呼嗚呼嗚呼
  やめてくれやめてくれやめてくれやめてくれ





【346プロ】アイドル部門総合スレッドPart98


456 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/12/27(日) 08:45,21 ID:ewSdfgty
  クール事務所のサイト落ちててワロタ
  てかお前ら騒ぐのもいいけど冷静になれよ
  渋谷凛抱きしめてるこいつ誰だ。特定の材料はないか?


461 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/12/27(日) 09:01,11 ID:kles4dFg
  暗くてよく見えないが、良く見えないってことは黒? スーツなんじゃないか
  学生の線はなさそうじゃね。受ける印象的にも
  完全に特定して叩き潰せ。二度とこんなことが起きないためにも


463 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/12/27(日) 09:04,97 ID:rght45S5
  社会人で渋谷凛と接点があるってもう346の社員とかしかねーだろ
  本社もありそうだが、三事務所のどれかにいるやつじゃねえか


469 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/12/27(日) 09:08,21 ID:ewSdfgty
  プロデューサーとか? キュートのPはこの前ギター弾いてた時見た。女だった。
  パッションプロも確か女だったよな
  渋谷凛も所属してるし、こう来るとクールの奴が男だったら一気に臭くなってくるな


490 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/12/27(日) 09:45,21 ID:KlomEwrf
  あのさ、報告。この前しぶりんがベーマガのインタビューで言ってた店あるじゃん。
  御茶ノ水の中古楽器店。今さっき押しかけて観てきたんだけど、こんな写真あった。
  このしぶりんの隣に立ってる奴、話題の写真のやつと同一人物臭くね?
  http://――


491 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/12/27(日) 09:46,70 ID:LkmbvSew
  ほんとだ。癖っ毛とか目元の感じとかそっくり。こいつじゃないか?


542 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/12/27(日) 10:32,22 ID:Lmfg34rf
  ずっとファンだった。正直たった一枚の写真で何が分かるって話だが。
  でも俺も気に入らねえ。こうなりゃ徹底的に調べあげるべき。俺も援護するよ。
  俺、結構初期から渋谷凛には目をつけてて、まだ無名だったころ楓さんのラジオに出てた
  それ、録音してたんだ。聞いてみれば気になることいってる。
  みんなも聞いてみてくれねえか?
  http://――


549 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/12/27(日) 10:45,21 ID:dfRsty54
  ヒキガヤって言ってンな。なんか親しそうだし、この写真の男がヒキガヤか?
  確定できないが可能性は高いな


590 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/12/27(日) 11:27,09 ID:rtyFswqe
  俺も今色々調べてたんだが、ヒキガヤって聞いて今電流走ったわ
  こいつ、ニュージェネレーションズの一番最初のnonnaの企画に関わってる
  特集ページの一番最後に文責:比企谷八幡って書いてあるわ。
  本当に渋谷凛の一番最初から関わってるし、そこからデキてたって説濃厚じゃね



597 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/12/27(日) 11:45,33 ID:Khgtf54t
  クール事務所の公式サイト復活してる! 朗報!
  オマエら最近職員紹介のページ追加されてたの知ってる?
  事務員:絢瀬絵里の横にプロデューサー:比企谷八幡全身写真で載ってます!
  上がってる写真と出てる情報に完全に合致するね。
  アイドル渋谷凛と抱き合ってるのはプロデューサー比企谷八幡!
  くぅ~w これにて特定終了ですw


611 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/12/27(日) 14:09,37 ID:6tgbhujn
  なんだよ なんなんだよ 結局茶番なんじゃないか ふざけるなよ
  わかってんだよ オレたちが アイドルに手が届かないなんて
  でもだからってこんなんおかしいよ オレたちはそんなん見たくないんだよ
  夢見せてくれよ アイドルってそうじゃないのかよ


615 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/12/27(日) 14:31,09 ID:kjsd5reD
  アイドルとか全員非処女に決まってんだろwwwww馬鹿かwwwww
  お前らが落としてる金で男とホテル入ってんだよwwww


714 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/12/27(日) 17:21,74 ID:Klme33ws
  てか写真一枚で騒ぎすぎでしょ。お前らあの子のファンなんじゃないのかよ
  年頃の女の子だから恋愛くらいするでしょ。本当のファンなら応援してやれよ


719 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/12/27(日) 17:43,99 ID:eriksd4f
  >>714 お前、それ自分の好きな子目の前で寝取られても言えんの?


721 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/12/27(日) 17:55,90 ID:LRDs5FG
  他板から興味本位で来るのやめてくれよ。お前らに何が分かるんだ
  そんな綺麗事とかいらねぇんだよ。だったらアイドルになんかなるんじゃねぇよ
  本当のファンだったら応援しろだ?ふざけんな!!!!!!!知るか!!!
  嫌なもんは嫌だろうが!!!かっこつけんな!!!気持ち悪いんだよ!!!
  精子飲んだ喉で歌なんか歌うな!!!!死ね!!!!!


723 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/12/27(日) 18:01,53 ID:98Dfergh
  ファンならアイドルの幸せ願えって言うけどさあ、その前に前提忘れてるだろ
  アイドルなら自分のことより俺たちのこと幸せにしてくれよ
  タダじゃねーんだよ 人生傾くぐらいかけてんだよこっちはよ
  俺の給料と時間返してくれよ


764 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/12/27(日) 18:49,72 ID:edFrsdFs
  !!! 大本営発表来たんだけど! クールのサイト見ろ!!
  22時から緊急記者会見、生放送だってよ!!
  例のプロデューサー直々に会見するらしい!!!!


765 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/12/27(日) 18:50,74 ID:kldsrtG5
  盛  り  上  が  っ  て  ま  い  り  ま  し  た


769 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/12/27(日) 18:51,92 ID:PPls45fg
  言い訳ぐらいは聞いてやるよ。早くしろ。逃げられると思うなよ
  どんな言い訳をしようが追いつめて社会から抹殺してやる


<十二月二十七日、朝。小町と八幡の部屋>

八幡(昨日の緊急出勤の代わりの休日。自分の睡眠を妨げる事務所からの電話を恨めし気に取ると、絵里さんの泣き声が飛び込んできた。眠気など、一瞬で吹き飛ぶ)


八幡(窓から広がる曇天と凍える寒さが、未来を象徴めいて冷たい)

八幡(……愚かだった。馬鹿か俺は。どうして、どうして気付かなかった!)

八幡(人の悪意というものに、何よりも過敏なこの俺が――!)


小町「……っ…………お兄ちゃん……っ!」

八幡「……小町」

小町「…………どうして? どうしてなのっ!! お兄ちゃんは、何もっ……」

小町「お兄ちゃんは頑張ったのに!! いっぱい苦しんだのに!! 辛いこといっぱいあったけど、選んだのにっ!」

小町「ようやく、ようやく……幸せになれるはずだったのにっ!!! どうしてっ!?」

八幡「…………泣くな、小町」

小町「……どうして。どうしてお兄ちゃんは泣かずにいられるの!?」

小町「おかしいよ!! こんなの、おかしいよっ!」

八幡(小町は、小さいころの記憶そのままに駄々っ子のように泣いていた。……ただ、俺の為に)


八幡(ああ、俺は能天気だろうか。こんな状況なのに、そんな姿を見ていると――)

小町「……馬鹿っ、馬鹿ぁ!! どうして笑ってんのっ!!」

八幡「…………そりゃ、代わりにお前が泣いてくれるから」

小町「……っ、こんな時に、かっこつけなくてもいいんだよっ!!」

八幡「……涙って、綺麗だよな」

八幡「俺の為に泣いてくれる人がいるってことは……幸せ、だな」


八幡(思えば俺はいつもそうだった。心を動かされるときは、いつも誰かの涙がある。その涙を拭いたいわけじゃない。涙を流している人がいるという、その事実をただ美しいと思う)


八幡(人の為に泣けるということが。自分の為に泣いてくれる人がいるということが。生きる為にはいらない心の動きに、痺れるほどに打たれてしまう)


八幡(涙。……涙)

八幡(心に思い浮かぶのは、誰よりも愛しく大切なあいつのこと)

八幡(お前は今も泣いているだろうか。悲しんでいるだろうか。……きっと、泣いているよな)

八幡(……でも)

八幡(お前は、泣いた後……言うもんな。それだけじゃ終わらないもんな。必ず動くもんな)

八幡(……ああ。俺にも、今、わかった。わかったよ、凛)

八幡(この気持ちが、いつもお前を突き動かしていた――)



八幡「――負けたくない」

八幡「……誰にも、負けたくない!」


八幡(お前たちの感情は理解できる。傷付けているのもわかる。……だが、負けたくない。気持ちをわかっていて、逃げない。負けたくないということは、遠慮しないということだから)

八幡(負けないためには、戦って勝つしかないのだ)

八幡(さあ、考えろ。思考しろ。お前の武器はそれだ、比企谷八幡)

八幡(現状を余すことなく把握しろ。人の感情の流れを読み切れ。高速化した思考で、最適解を導き出せ)

八幡(あの写真を撮られた。ならば相手が俺であることを特定されてしまうのは必定。しらばっくれることはできない。膨れ上がった感情を一番効率的に逃がす方法は何だ)


八幡(誤解は解けない。なぜなら誤解ではないからだ。俺たちの関係に、嘘はない。ならば本当のことを言うか。それも否だ。綺麗事で人の心は変わらない)


八幡(何よりその方法では渋谷凛の未来が閉ざされる。高木社長と黒井社長は過去にそんな事件があったと言う。前例がある。そのルートの可能性はゼロだ)


八幡(……ならばどうすればいい。俺は欲しい。都合のいい答えが欲しい)

八幡(俺は現実家になりたがる。誰より夢を見たいから。夢を見るためには、現実を見なければ始まらないから)

八幡(あるのだろうか。俺の求める答え。全てを叶える、夢のような答え)

八幡(俺が俺でありつつ、渋谷凛が渋谷凛であって、二人で手を繋げる、そんな答え――)



八幡「……………………ある」



八幡(……それはひらりと俺の中に落ちてきた。ひょっとすれば、それは贈り物)

八幡(昔の俺では選べなかった、今の俺だからこそ選べる贈り物)

八幡(それは雪のように冷たく残酷で、しかし、お互いを想い合う賢者たちにだけは手が届くかもしれない、暖かく優しい贈り物)


八幡(雪と、賢者の贈り物)


八幡(……ああ、なんてひどい。なんて冷たい。きっと誰もが、傷付かずにはいられない。なのに、手が届くかすらもわからないのだ)

八幡「……それでも」

八幡(それでも、俺は選ぶ。人を愛するということが相手を傷付け、相手に傷付けられる覚悟を決めるということなら)


八幡(俺は決めた。覚悟を決めた。未来を、決めた!)


八幡「それでも俺は、本物が欲しい!」


八幡(さあ、俺は動き出す。戦いを始めよう。最初で最後の、俺のステージを)


八幡「――凛。お前は、どうする?」


八幡(……もしも、欲しいものに形があるなら。それは――)

<同日、夜。千鳥ヶ淵>


凛「っ……! はぁっ、はぁっ……! ……八幡っ! どこっ!?」



八幡「……よう。こっちだ」

凛「っ……今まで、何してたのっ!?」

八幡「魔法の下準備。……ふ。それより、よく一発で辿りつけたな」


件名:待ち合わせ
本文:約束の場所で、待ってる


凛「……八幡と果たしてない約束なんて……一つしか、なかった……」



八幡『夢を売る業界なんだから専業主夫の夢くらいいつまでも持たせてくれよ』

凛『夢見るだけなら自由だけどさ』

八幡『嗚呼、あそこのボートに乗って一日過ごすだけの仕事に就きてえ……』

凛『何言ってんの。……乗ってみる?』

八幡『いや、いい』

凛『そう? じゃ、次来た時一緒に乗ろうね』

八幡『ん、ああ』

凛『約束だよ』

凛『いつか、果たしてね』



八幡「こんな真冬に乗る奴は他に誰もいないが、乗っていいってよ」

八幡「ほら。……約束を、果たそう」


八幡(氷のように冷たい水面を漕ぎ出して、俺たちは世界から取り残されたように静かな世界にたゆたう。凍てついた冬の風が、静かに船と凛の髪を揺らした)


八幡(無言で俯いている彼女の目には、涙)

八幡(同じ涙なのに、内臓が握りつぶされたように心が痛む。俺は思わず、天を見上げた)

八幡(空には綺麗な星と月。俺はふと、月の光に思い出を見る)

八幡(思えばいつも凛が言葉をくれる時、空には月が浮かんでいた。月光に照らされる彼女は神秘的で、いつも凛の言葉を受けて考える自分がいた)


八幡(お前がいなければ、俺は変われなかった。……だから、ありがとう)

八幡(目の前で静かに泣く少女を見て、俺は心の中で深くこうべを垂れた)

八幡(さあ、月が見ている。お前の答えを聞かせてくれ――)


八幡「……やられちまったな」

凛「……っ」

八幡「俺としたことが迂闊だったな。車の光で気付かなかった。シャッターも切られてたとはなぁ……」

凛「……っ、どうして……」

凛「どうしてっ!! そんなに平気でいられるの!?!?」

八幡「……」

凛「私が何をしたの!? 私が何をしたって言うのっ!!」

凛「ただ……ただ!! 人を好きになっただけじゃん!! それだけじゃん!!」

凛「ずっと傍で見てくれた人を、いいなって思って……愛しただけじゃん!」

凛「どうしてみんなそんな酷いこと言うのっ! どうして、どうして……誰も、祝って、くれない、のっ……」

凛「……みんなの思い描く私なんて知らないっ! 知らない! しらないしらないしらない! 勝手なこと言わないでよっ! 私は私なんだもん! 渋谷凛なんだもん! アイドルである前に、人間なんだもんっ!!」

凛「…………好き、なんだ。……すき、なんだ、よう……」

凛「あなたが、はちまん、が……、ひっ、……っ」

凛「あなたが、すきな、だけなのに……」


八幡(……見ててくれな、月)

八幡(……これが、俺の覚悟だ)


八幡「……俺が平気でいられるのは、なんでだと思う」

凛「っ……! わか、んないっ……。わたしが……どうでもよくなった? じゃまになった? ……きらいに、なった……?」

八幡「そんな訳ない。比企谷八幡は、渋谷凛を愛している」

凛「っ! じゃあどうしてっ!!」



八幡「……遅かれ早かれ、絶対に避けられない問題だったからだ」

凛「……っ」


八幡「……だってお前は、アイドルだからな。普通の人間じゃない。特別なんだよ」

凛「違うっ! 私は特別な人間なんかじゃない!」

八幡「お前の中ではそうでも、みんなの中では違うんだ。……お前は、特別な存在なんだ。人が描く偶像をその身に背負う、世界の一パーセントにも満たない特別な存在」

八幡「……凛。お前は、人を好きになることのどこがいけないと言ったな」


八幡「……ああ。いけないことなんだ。アイドルは、恋しちゃいけないんだ」


凛「……そんな…………」

八幡「理由がわからないわけじゃないだろ。……だって、俺とお前がそうなように、世界には男と女がいるんだから」

八幡「お前が女である限り、大多数のファンは男なんだ。みんなテレビの中で、雑誌の中で、ライブの中で歌って踊るお前に恋をする。だから、応援する。物を買う。会いにくる」

八幡「その事実から目を逸らすことはできない。法律で決まっていないからといって、アイドルはファン以外に恋をしちゃいけない」


八幡「――他の男を、愛しちゃいけないんだ」

凛「……っ。うぅ、うっ……」

八幡「……」


凛「…………そんなの、勝手だ……」

八幡「……」

凛「勝手だ!! 私が好きじゃないんじゃん!! 私を好きな自分が好きなんじゃん!! ちょっとでも思い通りにならないと、勝手を言ってるだけじゃない!!」

八幡「……そうだな」

凛「アイドルっておかしいと思う! 恋の歌を歌って、ファンのみんなもそれを喜んで!! でも、いざ私が恋したら掌ひっくり返してひどいことを言うんだ! 死ねって言うんだ!」

八幡「……そうだな」

凛「勝手に決めつけないでよ!! あなたたちに私の何が分かるの!? 八幡の、前川たちの何が分かるの!?」

凛「枕営業なんてしてないよっ! 好きな人とも寝たことないよ! 処女だよ!! 適当なことなんてしてないよっ!! 毎回毎回死にそうになほど練習してるよ!」

凛「見てもないくせにどうしてそんな酷いことが言えるの!? 何も手抜きしてないよ! 期待に応えるためにどれだけしんどいことしてるかわかろうともしないくせに!!」

凛「馬鹿にするな馬鹿にするな馬鹿にするな! バカにしないでよっ!! 愛してるからって、好きだからって何でも許されるなんて思わないでよ!!」

凛「私は人間なんだ! 十八歳のただの女の子なんだっ!!」

凛「……アイドルなんて!! アイドルなんてっ!!!!」


凛「…………っ……」


八幡(ただ、見守る。与えられた選択肢に意味はない。他人に選択を委ねてはいけない。大事なものは自分で掴み取らねば、意味がない)


八幡(さあ、選べ。お前はどうしたい)


凛「…………私は」

凛「……私は、八幡さえいれば。…………八幡さえいれば!!」

凛「アイドルなんてっ!!!」

凛「…………っ……」



凛「……………………よくない……」



凛「……どうでも、良くない……」



凛「…………私は、バカだ……」

凛「こんなに、良いところなんてないのに……自由なんてないのに……」

凛「……それでも……」

凛「……それでも、私……」



凛「……アイドルが、好きだ……」



凛「こんなに熱くなれるもの、他に知らないんだ……。好きなんだ……。あなたに、色々なものに出会えた、自分を変えてくれたアイドルが好きなんだ……」

凛「……私、アイドル、大好きなんだ……!」

凛「……でも、八幡も、大好き…………!」

凛「すきだよ…………えらべないよ…………!!」



八幡(――ああ。それだ)

八幡(その顔が、その姿が、その涙が。震えるほどに、暖かい)

八幡(だから、好きになったんだ)

八幡「……ありがとう。良く頑張ったな」


八幡(愛しさが溢れて止まらなくなった俺は、立ち上がっていた凛を抱き寄せる。素直に胸に飛び込んできた凛の重みで、船が揺れた。このまま二人水底に消えてしまっても、きっと俺は満足して死ねたと思う)


八幡「……がんばった。がんばったな。大好きだぞ」

凛「……っ、う、うう――」

八幡(そうして凛は、俺にしがみついて、存在を振り絞るように泣いた)

八幡(あの時は背中を向いてパートナーとしてだったが今は違う。正面を向いて、恋人として抱き留めた)

八幡(……この暖かさを、覚えておこう。ずっとずっと、忘れないように)



八幡「……なあ、凛。覚えてるか」

八幡「この世に魔法はないって、言ったこと」

凛「…………うん」

八幡「……もし、俺が魔法を使えるって言ったらどうする」

凛「……?」

八幡「欲張りなお前が、二つとも手に入れられるようになる魔法だ」

凛「!! ……あるの?」

凛「そんな……そんな奇跡みたいな方法が、あるの……?」

八幡「……奇跡なんかじゃない。魔法は、人為だから」

八幡「……だから、痛みを伴わずにそれを手に入れることは出来ない」

凛「っ……」

八幡「しかも、痛みを伴ったところで……本当に手に入るかどうかもわからない」

八幡「そんな不確かな本物がもしあれば、あるいは……」

凛「……」


八幡「……そんなものはないかもしれないな。……けど。けどな」

八幡「それでも、俺は欲しいんだ。お前との本物が」


凛「!」

八幡「……なあ、凛。お前には、あるか?」

八幡「いつか賢者となるために、愚者を振る舞う覚悟があるか?」

八幡「たったひとつを求めるために、他の全てを傷付ける覚悟があるか?」


八幡「――人を愛する、覚悟はあるか?」



凛「……私は」



凛「――それでも、本物が欲しい」


<十二月二十七日、二十二時。都内某所、スタジオ>

八幡(会見の会場につながる扉を開く。暴力的なまでのフラッシュが焚かれて、俺は思わず目を瞑る。やりすごして、なんとかもう一度目を開く。多すぎるほどの記者がそこにいた。改めて、渋谷凛という女の子の存在の大きさを思い知る。こんなすごい奴に、俺は恋をしていたんだな)


八幡(俺はあまのじゃくだから、こんな状況下でも自分の恋人を褒められたようで気分がいい。……ああ、いい気分だ。悪くない)


八幡(俺がつくはずの席の隣には武内さん。会見場の一番後ろでは戸塚と雪ノ下が壁に背を付けて立っていた。……面白いもんだ。二人とも、同じような笑い方をしてる。同じように、口元が動いていた)


八幡(「しょうがないやつ」、か。全くその通り――)


八幡(……さて、行くか)


八幡(男の子だからな。たまにはカッコつけとかねぇと)

八幡(見とけよ、凛)

八幡(これが、お前が愛した捻くれ者の最期だ)


武内P「会見を始めます。……比企谷くん、座りなさい」


八幡「……はぁ。いいんすけど、給料出るんすか? 今日、一応休みだったんですけどね」


――ざわざわ。ざわざわ。


武内「……座れ、と言っているのです。あなたは自分のしたことがわかっているのですか? ……それでは、後はお願いします」

八幡「……へいへい。仰せのままに」

記者「か、会見を始めさせていただきたいと思います。海王通信の記者です。……今回は、御社のアイドルの渋谷凛さんとの件について――」

八幡「……あー、もう一々まどるっこしい質問はなしにしましょうよ。全部俺が話しますね」

八幡「皆さん年の瀬に大変ですね。俺もなんだけどな。本当勘弁してほしいんだけど。……こんな薄給でこき使われるとは思わなかったわ。おまけにプライベートについても一々言及されるしな。たまったもんじゃない」

八幡「……段々腹立ってきたな。最初は謝罪? つうの? やれって言われたんですけどね。やめとくわ。俺の方も結構言いたいこと溜まってんすよね」


――ざわざわ。ざわざわ。


八幡「……渋谷の件ですか? ああ、そう。あいつ本当にわかってねぇんだよな。誰のお蔭で仕事が入ってきてると思ってんですかね。アイドルなんてプロデューサーがいなけりゃ何もできないんすよ。黙ってレッスンして仕事が入って来るわけないでしょ?」


八幡「そういえば、ウチの会社ではアイドルのことシンデレラガールって言うんでしたっけ? ……ははっ。まさしくその通りだ。ウチの会社は流石いいセンスしてる」


八幡「シンデレラの童話知ってます? シンデレラは普段からいじめられてて、舞踏会にも行かせてもらえない。そんな彼女のもとに魔法使いが現れて、魔法をかけて貰って、舞踏会に行く。そうして王子さまに見初められてめでたしめでたし、だ。いい童話だよ、本当」


八幡「この物語のミソわかります? ……結局のところ、シンデレラは魔法使いがいないと何もできないし始まらないとこなんですよ。シンデレラがたとえどれだけ美人でも、性格が良くても、魔法がない限り舞踏会には行けない。ハッピーエンドなんてないんですよ」


八幡「まさしくアイドルとプロデューサーそのものだ。プロデューサーが魔法をかけないと、アイドルは始まらない。俺たちがいないとアイドルなんてただの容姿がいいだけの女でしょ」


八幡「それをわかってねぇんだよな。……あの765プロに勝てたんだぞ? 俺のお蔭で。……だったらねえ? キスの一個くらい貰おうとしても許されるでしょうよ」


八幡「……まさか、あの距離からビンタくらうとは思わなかったけどな。はは、撮られてるとも思ってなかったな。予想外だらけだ、全く」


記者「な……! あなた、自分が今何を言ってるのかわかっているんですか!!」


八幡「……はー。自分で言った言葉の意味がわからないやつなんています? いないでしょ。何言ってんすか」


記者「っ……言葉が過ぎますよ!!」

八幡(……いいぞ。もっとだ。もっと喰いついてこい。煽ってこい!)

八幡(そんなもんじゃこの俺は揺らがねぇぞ!)



八幡「……この業界に入って特に思ったんですけどね。あんたら夢見すぎでしょ」

八幡(日本中のヘイトを俺に向けてみろよ。足りねえんだよ。……どうしたよ。そんなもんか? こんなもん、中学の時折本に告白した後の方がよっぽど居心地悪かったぞ)


八幡「あんたたちがアイドルに抱いてる理想は、全て俺たちがコントロールしたものだ。どうすればより客を集められるか。どうすれば多くのターゲットに刺さるか。どうすればもっともっと……金を落としてもらえるか。利益を出せるか。それだけですよ」


八幡(かかってこい。飛びついて来い。綺麗にコーティングされた悪意にしがみついてこい! そうやって都合のいい事実に群がって、いつまでも理想を抱き続けていろ!)


八幡「いやいや、プロデューサーってのはとても楽しいお仕事ですね。……思った通り、人を動かせる。流行を、存在を創り出すってのは女を抱くより気持ちがいい」


記者「っ!! あんた、いい加減にしろ!!」


八幡(ああ、気持ちがいい。人の悪意が俺のスポットライト。罵声がまるでカーテンコールみたいだ。……なるほどな、凛。お前が熱中するのも頷ける。確かに、この感覚は病み付きだ)


八幡「……はぁ。上手くいけばアイドルの心も操れると思ったんだがな。いつまでも理想を抱いてる女なんて、相手にするんじゃなかった」



八幡(さあ、喝采をくれ。アンコールは無しの一度きり。特とその目に焼きつけろ!)

八幡(今宵、俺がお前たちのアイドルだ――!)


八幡「……全く。アイドルなんて…………」




凛『ふーん、アンタが私のプロデューサー?……まあ、悪くないかな…。私は渋谷凛。今日からよろしくね』

凛『……うん。頑張り、ます。よろしくお願いします、プロデューサー』

凛『ずっと私のこと、見ててね』

凛『わたし……くやしいっ! くやしい、よっ……!』

凛『背中、大きいんだね。……ちょっと、どきどきしたよ』

凛『――魔法使いじゃなくて、ありがとう』


凛『……私、アイドル、大好きなんだ……!』




八幡「……っ」





凛『……私は』

凛『――それでも、本物が欲しい』




八幡「――」




八幡「――アイドルなんて、クソだ!」








戸塚「――お前ぇええ!! ふざけるなぁっ!!」





八幡(並み居る記者たちが、十戒のワンシーンのように割れていく。その中を、黒いスーツの王子は駆ける。時間にすれば、数秒にも満たない一瞬だった。なのに、それは驚くほどにスローに見えた)


八幡(握りしめた……右の、拳と。今にも泣きそうな親友の表情。全てをじっくりと見つめることが出来た。……くく。そんな顔すんなよ、親友)


八幡(顔に向かって拳は吸い込まれていく。……避けない。わかっていて、避けない)


八幡(……笑っていよう。最後まで傲岸に不遜に、大胆に)


八幡(だって、凛に怒られちまうだろうから)



八幡(――アイドルなら、最後まで笑顔でいろってな)



黒井「……」

高木「…………惜しい。実に、惜しい……」

黒井「……ククク。ハーッハッハッハッハ! これがあいつのやり方か!」

黒井「……これがお前の――王者の道か!」



八幡『どーも、黒井社長。お元気ですか?』

黒井『……お元気ですかではない。貴様、私の電話番号をどこで知った……』

八幡『嫌そうな声出しますね。まあ俺も電話かけられるの嫌いなんでわかりますけど』

黒井『……高木か?』

八幡『宿敵ですからね。相手の嫌がることすんのは当たり前でしょ』

黒井『…………貴様は、呑気に電話などしている場合ではないと思うが?』

八幡『逆ですよ。呑気にしてる暇がないから電話してるんです』

黒井『……揉み消しならできんぞ。アレはもう世の中に出回ってしまっている。いかに私が芸能界で力を有しているとはいえ、起こってしまったことを消すことはできん』

八幡『ああ、いや。そんなことは無理ですし頼もうと思ってないんで』

八幡『ただ、俺がちょいと奇跡を起こすんで。事後処理をお願いしたいんですよ』

黒井『何……?』

八幡『黒井社長なら、見ればわかります。……マスコミの操作はお手の物でしょう。ただ、ちょっとあいつに有利なようにしてくれればいいんだ』

黒井『……何を考えている?』

八幡『種のわかった手品を見るタイプの人じゃないでしょ、黒井社長って』

黒井『……』

八幡『……若い俺には金がない。力がない。それに加えて、昔は人脈もなかった』

八幡『でも、今なら人脈はある。……利用できるものは、全て利用する』

黒井『……なるほど。貴様の思考はもっともだ。結果を出せば過程は厭わない、その姿勢は確かに私好みではある』

黒井『――だが、貴様は黒井崇男を甘く見すぎているのではないか? 私が高木のように、無条件なお人よしとでも?』

八幡『……』

黒井『貴様なら理解できるだろう。人間は、タダでは動かない』

八幡『……対価』

黒井『そうだ。対価だ。私が貴様如きの為に力を動かすメリットはあるのか』

黒井『駒の為に動く王など、いない』

八幡『……対価なら、ある』

黒井『……ほう』

八幡『俺は、黒井社長とは違う。高木社長とも違う。他の誰でもない、比企谷八幡だ。……俺は、誰かを救えなかった二人とは違う』

黒井『っ……』

八幡『俺には力がなくても、力に繋がる糸は持ってる。……俺は違う。俺は全てを手に入れて見せる。自分の未来も守りたい女も、例えいくら遠回りしてでも両方掴んで見せる!』

八幡『俺は俺の道を征く。絶対に、もう間違えない』

八幡『……二人に正解を見せてあげますよ。理解できるかどうかは知りませんけど』

八幡『老人に楽しみをプレゼントです。若者を見守んのは面白いでしょう?』


黒井『……面白い。貴様はこの黒井崇男に啖呵を切ったのだ。そのことを理解するがいい』

黒井『つまらないものなど見せてみろ。貴様ごと、渋谷凛をこの世界から抹殺してやる』



黒井「……誰に理解されぬとも構わぬ。最後に自分が勝者であるなら」

黒井「王者は独り、己の道を征く者――」

黒井「……ククク。いいだろう、貴様の口車に乗ってやる。貴様が最後までそれを貫けるかどうか、老いた私の余興にしてやろうではないか」



八幡『……あー、あとそうだ。もう一個だけ旨味を提示しときますよ』

黒井『……?』

八幡『黒井社長、絶対友達いないでしょ。俺と同じだ』

八幡『……くく。飲み友達に、なってあげないこともないですよ』



黒井「……さて、行くか」

高木「動くのかね」

黒井「貴様と違って無駄にしていい時間などないのでな。情報は速さが命だ」

高木「……そうだな。微力ながら、私も助太刀させてもらおう」

黒井「……事務所に戻るならば全兵衛が近いだろう。全てが終わった後、大将に伝えておけ」


黒井「――黒龍のボトルを一本、保存しておくようにとな」


武内P「…………本当に、不器用ですね」

武内P「……そんなところまで、似なくて良いのに」




武内P『……本気、ですか』

八幡『はい、本気です。上手くやるんで……しっかり、クビにしてください』

武内P『…………なぜです』

武内P『……他に方法は…………ないのですか……』

八幡『……わかりません。ひょっとしたら……他に冴えたやり方は、あるのかもしれません』

武内P『ならば!!』

八幡『……でも、選んだんです。俺たちが、二人で選んだんです。他にやり方がないからじゃない。このやり方がいいから、選んだんです』

武内P『っ……』

八幡『お互いがお互いを傷つけあってもいい。だって、欲しいものがあるから。最後にそれを二人で掴めるのなら、どんなに辛い目にあってもいい。……二人でそれを選べたことに、俺は誇りを持ちたい』

武内P『……』

八幡『……すいませんね。こんな形で裏切ることになって。俺は本当に……この仕事が好きでした。嘘じゃない。それだけは、絶対に本当です』


八幡『……こっから先、色々迷惑をかけることになると思います。……でも、そんなの知らねぇ』

武内P『!』

八幡『くく。俺なんかをプロデュースした武内さんが悪いんだ。……アイドルの後始末は、プロデューサーがする。基本でしょ?』

武内P『……ふ。一本取られましたね』


八幡『――ありがとうございました。お世話になりました。あなたたちが……この会社が、大好きでした』

八幡『見出してくれて、ありがとうございましたっ!』



武内P「任せてください。……憧れだったのです。後輩の面倒を見ることは」



八幡『ああ、武内さん。……当日、しっかり見といてくださいね』

八幡『最後の恩返しをするから』




武内P「……ありがとう。見たかったものは、見れました」

武内P「――いい、笑顔でした」


絵里「頑張れ……がんばれ……がんばれっ…………」

絵里「がんばれ……がんばれ……がんばれっ!!」



絵里『っ……。ばか。ばかっ!!』

絵里『いなくならないで……いなくならないでよっ!!』

八幡『……すまない。……でも、決めちまったんだ』

絵里『あなたは……あなたはどれだけ私を泣かせれば気が済むのよっ!!』

八幡『……言い逃れできないし、しません』

絵里『あああもうっ!! そういうところが!! そういうところが逆に好きになっちゃうってどうしてわかんないのっ!?』

八幡『…………ふ。最近、ちょっと子供っぽくなったな』

絵里『……うるさいわね。友達のアドバイスよ。こっちの方が可愛いんだって』

八幡『……あんまり可愛くならないでくれ。誘惑されると困る』

絵里『……今の、わざとでしょ?』

八幡『はは。流石にばれちまったか』

絵里『あーもう! 性格悪いんだから! ……もう知らないっ!』

八幡『……』

絵里『……言っておくけどね、あなたなんてまだまだ仕事では私に及ばないんだから! ぺーぺーのひよっこなんだから! ……比企谷くんなんていなくても、事務所は回せちゃうんだから!』

絵里『新しい男の人が入ってきて、私がその人のこと好きになっても……知らないんだからね!』

八幡『……っ』

絵里『……あ。今反応した! 反応したでしょ!』

八幡『……してねえよ』

絵里『したもん! 絶対したもん! 私あなたと違って目はいいんだからね!』

八幡『うっせ。目が腐ってんのと視力は関係ねぇだろ!』

絵里『…………はあ』

八幡『……悪い』


絵里『…………いや。よくよく考えたら、これってチャンスよね』

八幡『……は?』

絵里『だってあの子はあなたに会えないけど、私はあなたに会いに行けるもの』

絵里『私、ただの事務員だもの。……誰と会っても、大丈夫』

八幡『…………盲点だな。考えたこと、なかった』

絵里『……よーし。見てなさい?』

絵里『私、あなたに泣かされてばっかりで気に食わないから……邪魔してあげる』

絵里『……簡単に本物なんて掴めると思わないでよ?』

絵里『この偽物は、手強いわよ?』


八幡『……報われないからやめとけって、何回も言ってんのに』

八幡『…………ふ。負けだ』

八幡『好きに、してください。……絵里さん』




絵里「がんばれ、頑張れ頑張れ頑張れ頑張れっ!!」

絵里「頑張れ……私が、恋した人!」

絵里「頑張れ…………っ」




八幡『……短い間ですけど、お世話になりました。ありがとうございました』

八幡『――またな、先輩』




絵里「私の――自慢の後輩っ!!」



雪乃「――只今、連絡が入りました。……病気療養中の渋谷凛が、自宅を抜け出してこちらにむかっているそうです」


――ざわざわ。ざわざわ。


雪乃「どうしても……どうしても。会見で、伝えたいことがあるようです」

雪乃「静粛に、お願い致します」

雪乃(あの男は、戸塚くんと警備員に連れられて去って行った。言葉で自らを殴りつけて、そして親友からの拳を受けて。その心中は、想像するだけでも身が張り裂けそう。……それでも、彼は最後まで笑っていた)

雪乃(……なら、私も。たとえあの男が見ていなくとも、最後まで私らしくあろう)



雪乃『……馬鹿げてる。馬鹿げているわ!! いい加減にしなさいっ!!』

戸塚『雪ノ下さん……』

八幡『いや……これが、最適解だ。両方を手に入れるための……』

雪乃『あなたは高校の頃と何も変わっていないじゃない!! これのどこが最適解だと言うのよ!!』

八幡『……変わったよ。雪ノ下。変わったんだ』

雪乃『……っ』

八幡『あの時の俺は、それしか選べなかった。周りに失うものはなくて、結果を出すために選べる手段はたったひとつだった。欲しかったものにはお前たちの依頼達成という目的も含まれていたが、半分くらい自己満足も入ってたんだ』

雪乃『……』

八幡『……でも、違う。今回は違うんだ。選択肢もある。失うものもある。誰かに頼まれたわけでもない。求めるものに、自己満足はどこにもない。……ただ』

八幡『俺はただ、守りたい。手にしたいんだ。欲しいものがあるんだ』

八幡『自分のことがどうでもいいわけじゃない。ただ、自分がどうなっても構わないと思えるほどに、掴み取りたいものがあるだけなんだ』

八幡『……相変わらず、この本物に相応しい名前は見つからないまんまなんだけどな』

雪乃『………………馬鹿。あなたは、馬鹿だわ……』

戸塚『……』

八幡『……彩加。お前は、わかってくれるよな』

戸塚『……うん。ぼくには、わかるよ』

雪乃『……戸塚くんまで…………』

戸塚『…………ふふ。だって、ねぇ?』

八幡『ああ。だって、なぁ?』


八幡『――男なら、惚れた女は自分の手で助けたいもんだろ?』




雪乃「……はぁ。それを私に言うところが、無神経だと言うのに。いい加減人から好かれることに慣れてもらえないかしら」

雪乃「……まあ、そういうものだと割り切れば、逆に愛着も湧くのだけれど」

雪乃「……ふふ、にしても」



八幡『じゃ、あとでな』

雪乃『……はあ。あなたには結局押し切られてしまうのね』

八幡『お前の攻略法は由比ヶ浜から学ばせてもらったよ』

雪乃『……ふふ。もう、あなたに知られているものね』

八幡『……なぁ、雪ノ下。俺と――』

雪乃『嫌よ。何万回繰り返されても答えは変わらないわ』

八幡『……嫌な奴』

雪乃『負けを認めるのは嫌だもの。……ずっと、勝ちを狙いに行くわ』

八幡『……そうかい』

雪乃『……負けず嫌いのついでに、一つあなたに勝っておこうかしら』

八幡『……?』

雪乃『……私、あなたの求める本物の名前……知ってるわよ』

八幡『…………それは、マジで悔しい』

雪乃『ふふ。お先に』

八幡『答えを言うなよ。自力で探すんだからな』

雪乃『ええ。ずっとずっと、もがき苦しんで探すといいわ』

八幡『……くく』



八幡『――やっぱりお前とは、友達になれないな』





雪乃「……本当に、馬鹿なんだから。どうして気付かないのかしら?」



雪乃「――それを、愛と呼ぶんじゃない」




凛(あなたの背中を忘れない。あなたの温もりを忘れない。あなたの優しい目線を忘れない)

凛(たとえこの身が灰になっても、あなたの愛を忘れない)

凛(本物が欲しい。全部全部抱きしめたい。例え誰を傷付けたって)

凛(だから、たとえ遠回りでも、何年かかってでも、好きだというだけで私は待てる)

凛(渋谷の犬は、忠犬だから)


凛(過去に誓いを。今に誇りを。きたる未来に、祝福を)


凛「……ずっと、待ってて」


凛「――走っていくから!」




凛「――みなさん、こんばんは。ファンの皆さんに言葉を届ける機会が、こんな形になってしまって申し訳ございません。……比企谷の非礼は、私が心からお詫びいたします。本当に、申し訳ございませんでした」


凛「……はい。比企谷から無理矢理言い寄られたのは、事実です。私は拒もうとしたのですが、ライブの後に高熱を出してしまい、体調がすこぶる崩れていたので、抵抗することが困難な状況でした」


凛「……ここに、病院の診断書があります。偽造ではありません。日時、症状、全て事実です。担当医に取次ぎをすることもできますので、後で是非お調べください」


凛「はい。結局、その後は自宅が近かったので母が来て、事なきを得ました。未遂だったので、私としては何かを咎めるつもりはありません。……ただ」


凛「ただ、残念です。ご存知の通り、比企谷は私がアイドルになった時からの相棒でした。こんな風にアイドルを捉えていたなんて……。すいません、動揺が隠し切れません。本当に……本当に。残念です」


凛「彼はとても仕事ができたから、私はそれに甘えていたのかもしれません。言葉にしなくてもコミュニケーションが取れているものだと錯覚していました。……もっと、言葉を尽くしていれば、こんなことにはならなかったのかもしれません」

凛「私は、比企谷には……」



八幡『俺とお前はあらゆる情報を共有する。つまり、仕事のパートナーってことだ』

八幡『……ああ。半人前だが、これからもよろしく頼む』

八幡『なあ、渋谷。……誰も、見てないぞ』

八幡『……ありがとな』

八幡『俺、お前が好きなんだけど付き合ってもらえないか?』



凛「っ……」




八幡『……そんなものはないかもしれないな。……けど。けどな』

八幡『――それでも、俺は欲しいんだ。お前との本物が』




凛「――」




凛「私は比企谷に対して、仕事相手以外の感情を抱いたことはありません」


凛「学校も、出席日数がぎりぎりの状況です。異性の知り合いは皆無に近いです」

凛「……わかっています。それを信じるか信じないか、それは言葉を受け取って頂く皆さんの自由です。……でも、私はわかってもらえるように言葉を尽くしたいと思います」



凛「……今回のことがあって、私は考えました。アイドルって、何なんだろうって」


凛「英語で、理想とか偶像とか……そういう意味らしいです。言葉通りの意味なら、私は歌って踊る……皆さんの理想ってことになります」


凛「……でも、本当にそうなんでしょうか。私は何かが違うと思います」


凛「知ってるかもしれませんが、私って人間なんです。アイドルより前に、人間。渋谷凛、十八歳、女性。高校三年生。メッキを剥がせば、私はどこにでもいる女の子なんです」


凛「私は実はみなさんの理想を叶えるために生きているわけじゃないんです。私は実は、私の生きたいように生きているだけなんです。やりたいことをやりたいようにやっている人間が、たまたまアイドルなだけなんです」


凛「歌って踊ることが好きで。誰かに向かって話すのが好きで。叶えたい目標に向かって、努力するのが好きで。……そんな私にとって、アイドルは本当に夢のような職業です」


凛「……私は、今ここで、誰にも言ったことのない秘密を明かそうと思います」


凛「今さっきそんなことを言いましたが、私は、本当はアイドルなんて興味なかったんです」


凛「歌と踊りなんてやったこともなかったです。数人の友達と以外話さなかったです。叶えたい目標なんて、なかったです。やりたいことなんて、何にもなかったんです」


凛「ずっとずっと、死んだように生きてたんです。アイドルのスカウトを受けたのは、ただ単に退屈だったから、何かが変わるかな……そんな軽い気持ちでした」



凛「変わったのは何かどころじゃありませんでした。人生が全部全部、変わっちゃいました」


凛「こんなに熱くなれるものがあるなんて知りませんでした。こんなにも頂点が欲しくなるなんて、思いもしませんでした」


凛「……好きです」


凛「……アイドルが、何より大好きです」


凛「誰に言っても恥ずかしくありません。私は、アイドルが大好きです」


凛「……初めてラジオに出たとき。進路についてのお便りがきたことがありました。そのお便りに、私は自信を持って答えることができませんでした。それが本当に、悔しくてたまりませんでした」


凛「でも、今なら言えるんです。自信を持って、私は答えられるんです」


凛「私は、大学生にはなりません。アイドルであることが何よりも好きだからです」


凛「こんな辛い世界で、夢や希望を人に与えることのできるアイドルが大好きだからです」


凛「……皆さんに、夢や希望はありますか?」


凛「アイドルじゃなくてもいい。何か自分のなりたいもの。かなえたいもの。……そういうものを、持っているでしょうか」


凛「私はそんな人たちが胸に抱くものを形にする手助けになりたい。直接じゃなくてもいい。いくら遠回りしたって構いません。一ミリでもいい。何か、人の手助けになればいい」


凛「……夢や希望がない人は、いますか?」


凛「いいんです。持っていなくても。私もそうだったから。それは何も、恥ずかしいことではないんです」


凛「……そんな人たちが、世界にたくさんいるのを知っているからこそ。自分がそうだったからこそ、私はこの職業に拘りたい」


凛「私は、あなたたちの生きる勇気になりたい。私のようになりたいなんて思わなくてもいい。私を見てアイドルになりたいなんて思わなくてもいい。……誰かの人生なんて、変えられなくたって構わないんです。私はしょせん、たった一人の人間だから」


凛「人には人を変えられません。人は、勝手に変わっていくものだと私は思います。じゃあ、私たちが他人にできることなんて何もないのかなんて、そういうことじゃないんです」


凛「……人には人を変えられなくても。ただ、見守りたい。寄り添いたいんです」


凛「変わっていくその姿を、見守ることだけはできると思うから。……私はアイドルであることによって、できるだけ多くの人に寄り添いたい。見守りたいんです」


凛「私はここにいるんだよって、伝えてあげたいんです。……だから、アイドルでありたい」




凛「……アイドルって、何でしょうか。私の答えはこうです」


凛「私にとって、アイドルとは生きることです」


凛「でも、アイドルって好き勝手は出来ません。アイドルは見ている人がいないと成り立たないから。皆さんの理想に……期待に応えなきゃ」


凛「それって、辛いことです。私は人間だから、食べたいものを食べたいです。行きたいところに行きたいです。好きなだけ寝たいです。練習なんてしたくないです。今はいないけど……好きな人ができたら、好きって言いたいです」


凛「でも、それは許されません。だって私はアイドルだからです」


凛「自分のことより、皆さんを愛さないといけないからです」


凛「……窮屈で、矛盾に満ちた生き方です。理不尽を沢山飲み込まないといけません」


凛「…………でも、好きなんです。私にとって、生きると同じことなんです」


凛「だから……だから、私はアイドルと心中します」


凛「人間である前に、アイドルであろうと思います」


凛「プライベートを全部撮影してもらったって構いません。練習のしすぎで女の子らしさがなくなっても構いません。旅行なんていりません。寝る時間なんてなくて結構です」


凛「私が私用で男の人と歩いているところを見たら、その場で刺し殺して頂いても構いません」


凛「私はアイドル渋谷凛でいる限り、ずっとあなたたちの恋人です」


凛「ずっと走り続けます」


凛「ずっと走って走って走り続けて……そして、いつかもう走れなくなる、その日が来たら」


凛「私は」



凛「私は――」





八幡『……俺はお前に、魔法をかけなかった』

凛『……うん。ずっと、自分で歩けって言った』

八幡『そして、お前はそうした。一歩一歩城まで歩いて行った』

凛『……うん』

八幡『だから、魔法使いがいなくても。十二時の鐘が鳴っても、お前は輝き続けられる』

凛『……歩くどころか、走るまで言った』

八幡『……ああ、そうだ』

凛『……八幡は。私に…………これをくれた』

八幡『……スニーカー。お前、まだ持ってたのか……』

凛『あなたは私に、ガラスの靴じゃなくてスニーカーをくれた』

凛『どこまでも走り続けられる、スニーカーをくれた』

凛『私はそれを誇りに思う。ずっとずっと、走れなくなるまでこれで走るから』

八幡『……そうだ。お前は俺のシンデレラ。……愛すべき、灰被り』


八幡『ずっと待ってる。ずっとずっと、お前のことを待っている』


八幡『だから――』


八幡『灰になるまで、走り続けろ! シンデレラ!』


凛『――うんっ!』






凛「――灰になって、どこか遠くへ飛んでいきます」

凛「どこか遠くの、私が愛した空に向かって」






―――――――


―――――


――――


――







八幡「……あれ? おかしいな……」

結衣「えー? ヒッキー、どうしたの?」

雪乃「おかしいのはあなたの生態系でしょう?」

八幡「ぼっちも人間の中に入れてくれよ……。いや、違うんだ……。何か、あれ……?」

雪乃「……一体、どうしたの?」

八幡「いやな。確かに、ポケットの中に何か入れたんだ。……いれたはずなんだよ。確か、そいつをずっと探していたような……?」

結衣「……何か、大事なものー?」

八幡「……ああ。それだけは間違いないんだ」


――からら。


戸塚「みんな、こんにちはー!」



結衣「あっ、さいちゃんだ! やっはろー!」

雪乃「こんにちは、戸塚くん」

八幡「おう、彩加か」

戸塚「あのね、また頼まれたんだー。テニス部に行くついでに、あの子たちひっぱってきてって」

結衣「えー!? またぁー!?」

雪乃「……あの人は、私達奉仕部をなんだと思っているのかしら」

八幡「……生徒会の便利な駒だな、多分」

雪乃「断りましょう。きっとあの人のためにもならないわ」

八幡「…………俺だけ行ってくるわ」

雪乃「……脅されているの?」

八幡「……妹関連、とだけ。亜里沙と小町め……あいつらは本当に……」

雪乃「……はぁ。もういいわ。みんなで行きましょう。……私も、姉さんを持ち出されていたらきっと断れなかったと思うし」

八幡「さすがシスコン」

雪乃「うるさいわよシスコン」


結衣「……もー!! 勝手に話決めないでよ! あたしも行くっ!」



絵里「よーく来てくれたわね! 感心感心!」

八幡「……また手伝いかよ。他誰もいないし。人望なさ過ぎでしょ、絢瀬先輩」

雪乃「さすがクラスメイトに担ぎ出されて生徒会長になっただけあるわね」

絵里「……あ、あなたたち。開口一番人をディスるのやめてもらえるかしら……?」

結衣「あー!? また希ちゃんいない!?」

絵里「……そ、そこに気付くとはやはり天才……!」

八幡「……はぁ。どうせ逃げられたから俺ら呼んだんでしょ。一色もうまいことサッカー部の方に逃げやがって……」

絵里「……ごめんなさいぃ。……今日も、その…………駄目、かしら?」

雪乃「……はぁ。女から見ても卑怯です、絢瀬先輩は」

結衣「うんうんっ! 可愛すぎっ!!」

絵里「……比企谷くんは?」

八幡「いらんこと言ってないでさっさと始めるぞ。今日こそ早く帰りたい」

絵里「……もー!」



八幡「……うわ。もうこんな時間」

雪乃「ごめんなさい。私、姉さんと約束があるから先に帰るわね」

結衣「あ、あたしも! ごめんね、今日はママと行くところがあって……」

絵里「ええ。こんな時間まで、本当にありがとう」

八幡「気を付けて帰れよな。……陽乃さんに、よろしくな」

雪乃「ええ。……また、会いましょう?」

結衣「バイバイ、ヒッキー!」


絵里「……いつもいつもごめんね?」

八幡「ほんとだよ。毎回毎回色気のないイベント。仕事ばっかりだ」

絵里「むー。そこはいいよ、気にすんなって言うところでしょう?」

八幡「嫌ですよ。絢瀬先輩のポイント上げても仕方ねぇからな」

絵里「……プリーズコールミー、絵里ちゃん」

八幡「異性を下の名前とかハードル高すぎて無理ですごめんなさい」

絵里「あら。ハードルは高ければ高いほどくぐりやすいのよ?」

八幡「……盲点だ。誰だそんなこと言ってたやつ」

絵里「ふふっ。誰でしょー?」

八幡「……ま、あれだ。来世に期待しといてくださいよ」

絵里「……ふふっ」

八幡「……」

絵里「……ねえ」


絵里「……後悔は、ない?」


八幡「ありますよ。むしろ後悔しかしなかったまである」

絵里「あるんだ!?」

八幡「……でも。後悔し続けたからこそ、選べた選択肢がある」

絵里「……」

八幡「昔の俺も、今の俺も、未来の俺も。……全部、俺は肯定する。変わらないことも、変わってしまうことも、悪じゃない。後悔したことも含めて、全部俺だ」

八幡「俺は俺だ。比企谷八幡だ。……俺は、そんな自分が大好きだ」


八幡「だから、これでいいんです」


絵里「……そっか」

八幡「……ええ、そうです」

絵里「……もういいわよ。上がっても」

八幡「え? いやでも、まだ残って――」


絵里「いいから。……あんまりあの子を待たせちゃ駄目よ?」

八幡「……くそ。ばれてたのか」

絵里「繋がる妹の輪」

八幡「もうあいつには金輪際相談しねえ……」

絵里「……ほら。行ってらっしゃい」

八幡「……ああ。じゃあな、絢瀬先輩」

絵里「ええ、またね」


――からら。


八幡「……待たせちまったな」

凛「いいよいいよ別に。私より大事なものがさぞかし沢山あるんだろうからさ」

八幡「……文句なら絢瀬先輩に言えよな」

凛「借りがいっぱいあるからなぁ」

八幡「……お前、なんかあの人に弱いよな」

凛「ど、どうでもいいでしょ。それとこれとは話は別! ……ふんだ」

八幡「……それでも、お前は待っててくれるんだな」

凛「……まあね。私、犬だもん」

凛「渋谷の忠犬は、待つのが得意なんだ」

八幡「……変わった奴だよ、お前は」

凛「英語で言うとスペシャルだよ。いいでしょ」

八幡「……意趣返しかよ。本当嫌なやつ」

凛「ふふっ。……ねえ」

八幡「あん?」


凛「やっぱり嘘だったじゃん」


八幡「……なにが?」

凛「いつか言ってたでしょ。私と八幡が高校時代に出会っていても、関わることなんてなかったって」

八幡「……よくそんなこと覚えてんな」

凛「あなたの言ったことだもん。全部覚えてるよ」

八幡「愛が重いな」

凛「何を今更。夢に出てくるくらいだよ?」

八幡「くく、まあな。お互い様だよ」

凛「ふふっ。……ねえ、知ってること言うね?」

八幡「知ってるけど、聞くわ」

凛「愛してる。灰になってもね」

八幡「ああ。灰になるまで付き合うよ。灰になってからもな」

凛「……そっか。やっぱり、間違えてなんてなかったね」

八幡「当たり前だよ。俺とお前が選んだんだぞ」

凛「……うん」

八幡「……愛してる」

凛「知ってるよーだ。……ねえ」

凛「探し物は、見つかった?」


八幡「ああ。――今、ここにあるよ」


凛「……そっか。じゃあもう大丈夫だね」

八幡「……ああ。甘い夢は、もう終わりにしないとな。起きられなくなっちまう」

凛「……ふふっ」


八幡「これもこれでいいんだけどなあ」

八幡「やっぱり、これだとなあ?」


八幡「――俺の青春ラブコメは、間違ってるよ」







――


―――


―――――



―――――――










<十年後。千葉県某所、花屋>






<十二月二十五日、夜>




八幡「…………あ?」


八幡(俺は浅いまどろみから目を覚ます。どうやらカウンターで寝こけてしまっていたようだ)

八幡「……くく。変な夢だったな」

八幡(あれからどれくらいの月日が経っただろう。高校生だった過去は遠い昔。歳も三十を超えてしまった。三十を超えたら人間的に少しは落ち着くかと思ったら、そんなことはなかった。結局、人間なんて何歳になっても本質は変わらないのかもしれない)


八幡「…………はぁ。寒っ」


八幡(吐く息さえ凍りそうな、寒い夜だ。ここ最近は駅になんて行ってないが、行けばきっと死にたいほどに眩いイルミネーションが輝いているのだろう。考えるだけで心が凍りそうだ)


八幡(店内を見回す。……愛情が注がれた、たくさんの花たちでいっぱいだ)


八幡(十年前の、あの日。俺は会社を去り、どうしたものかと思案していた。わざと留年をかまして、新卒でどこかの会社に入ろうかとも考えたのだが、世間での俺の悪評は思ったよりやばかったらしく、その道は無理だろうと結論を出した)


八幡(正直多すぎるくらいのお金を持て余していたから、しばらくはモラトリアムでも満喫をしようかと思っていたところに高木社長から声がかかったんだっけ)


八幡(千葉県の奥地。そこに、自分の後悔と誇りがあるのだと)


八幡(紹介されて行った花屋で、俺は全てを理解した。老いた店の女主人は、765プロの音無さんの面影があった。つまりは、そういうことなのだろう)


八幡(後から知ったことなのだが、ブラックウェルカンパニー事件で騙し取られたことになっていた資金は全てここに流れていたらしい。その訳を聞いたら、なんとも口元が緩んでしまう)



高木『だってねぇ、彼女は言っていたのだよ』

高木『将来の夢は、アイドルかお嫁さんかお花屋さんになることだ、とね』


八幡(……いいもんだ。夢が、叶うってもんは)



八幡「……やべ。店、閉めねぇと」


八幡(時間は九時になろうというところ。普通の花屋ならとうに閉店時間の領域だ。カウンターで寝落ちしてしまったせいで、珍しい店になってしまっている。店長に怒られちまう。……さっさと閉めよう。頼むから、客来んなよ?)


八幡(……はあ。そんなこと思ってると、来ちゃうんだよなあ、客って……)


八幡(身長は百六十台だろうか。帽子を深くかぶっていて、顔が見えない。眼鏡をかけている女性なのだけはかろうじてわかるが……)




八幡「いらっしゃいませ。……すいませんね、お姉さん。もうあと数分で閉めちゃうんだ」

女「…………」


八幡(女は、俺の声を聞くとびくりと震えた。だが、そのまま俺に背を向けて、ある花の前で足を止めた。……ああ、その花は)


八幡「……ああ、その花ですか? 一本、百と八十七円ですよ。綺麗な花でしょう?」

女「…………」

八幡「……今日はクリスマスですからね。だからってわけじゃないけど、ちょっと豆知識」


八幡「その花の名前は――」





女「――ボインセチア。意味は……もちろん知ってるよね?」







八幡「…………っ」



八幡「………………この、こえ……」



八幡「………………ばかやろう……」



八幡「…………待たせすぎなんだよ」





八幡「――凛っ!」







凛「――お待たせっ……」



凛「…………お待たせっ、はちまんっ……!」





八幡(ああ、この声。この仕草。……全部、凛だ)

八幡(凛が……やっと……)

八幡(心が痺れて、蛇口が狂ったように涙が止まらない。それはあいつも同じだった。あいつは邪魔っけな変装を全て放り捨てて、ただ、俺の胸元へ飛び込んできた)


八幡(万感の思いと共に抱きしめる。……ああ。……これだ)


八幡(これが欲しくて……ずっと、ずっと……)



八幡「十年も、待たせやがって……」

凛「十年も、待ってくれちゃってさ……」

八幡「……お前、よく、待てたな」

凛「……当たり前だよ。私、犬だもん。好きなもの、好きなだけでずっと待てるんだよ」

凛「渋谷の犬は、忠犬なんだ」

八幡「……ああ。……ああ。……綺麗に、なったな」

凛「……八幡こそ、よく、待てたね」

八幡「ああ、待てるさ。……だって、ハチ公だからな。お前と同じだよ」

凛「……そっか」

八幡「……ああ、そうだ」

凛「……私の夢、全部叶えたよ」

八幡「ああ。ずっとずっと、見てたからな」


凛「だから、今度は八幡の夢を叶えてあげるね?」


八幡「……俺の夢?」


凛「――専業主夫。私が何億稼いだか知ってる?」


八幡「……よくそんなこと覚えてんな」

凛「あなたの言ったことだもん。全部覚えてるよ」

八幡「愛が重いな」

凛「何を今更。十年越しだよ?」

八幡「くく、まあな。お互い様だよ」


八幡(見つめ合い、口づけを交わす。これからはずっと、何度でもいつまでもこうしていられる)


八幡(ああ……あった。探し物は、ここにある。本物はここにあったんだ)


凛「愛してる」

八幡「俺も、愛してるよ」



八幡(お互いがお互いを想い合うからこそ、手に入らないものがある。それは愚かでありながら美しい、賢者の贈り物なのだと誰かが言った)


八幡(だが、賢者の贈り物はきっとそれだけではない)


八幡(……きっとお互いがお互いを想い合うからこそ、手が届く本物もこの世界にはあるのだ)


八幡(定義は曖昧で、それは人ごとによって形を変える。今俺が手にしたものにつけた名前は、唯一普遍ではないのかもしれない。きっと俺よりも遥かに賢い人たちが、そいつに冴えた名前をつけるときがいつかやってくるだろう。……けれど、その時までは)


八幡(その時までは、愛でいい)



凛「……わあ! 八幡っ、外! 外を見て!!」

八幡「…………雪」



八幡(想いの結晶が、祝詞のように降り注ぐ――)





八幡「なあ、凛」


凛「なあに、八幡?」


八幡「……雪は、好きか?」








凛「――うんっ!! 大好きっ!」






八幡(舞い落ちる白雪と紅い花束だけが、静かに二人の未来を祝福していた)




これにて完結! 最後まで読んでいただいて本当にありがとうございました!

文章やシナリオで仕事をする憧れがあって、でももういつまでも憧れじゃいかんよなあと悟って実際に動くことに決めました。
でも何の実績もない自分に仕事を頼む奴はいないよな、じゃあどうしたらいいんだろう? と思ってたどり着いた答えがこれでした。
下手くそがなに生意気言ってんだという感想も甘んじて受けとめます! 逃げも隠れもしません! これが今の自分の全力です。

文章量は804kb、構想・プロットに一週、執筆に三ヶ月と三週、加筆修正に三日くらいでした。書くのは初めてです。
これが誰かの目に留まって、琴線に触れるものがあれば、ぜひなにか連絡くれたらなーと思います。
連絡用にtwitterを作っておいときました。よろしければぜひ~。  @Ring8_428


ひとつしか原作を知らない人にとっても、全部知ってる人にとっても、開拓したり読み返したりするキッカケになればこれ以上の幸せはありません。読んでくれたみなさまが幸せになりますよーに!
それでは、ありがとうございました(´▽`)ノ さよなら~

荒れる題材だからこそ
書き上げてから速攻で上げたわけだな
上手い方法だと感心するけど、
それ以上にこの筆量を仕上げた事実に戦慄するわ
マジですごいな。感動した

このSSまとめへのコメント

1 :  SS好きの774さん   2015年07月08日 (水) 19:02:39   ID: 1XC3CxO0

続きはよ

2 :  SS好きの774さん   2015年07月09日 (木) 17:27:57   ID: qytUMeFD

泣いた

3 :  SS好きの774さん   2015年07月10日 (金) 00:25:53   ID: 5Dnz7iWP

これはクロスの中でも屈指の名作ではないだろうか

4 :  SS好きの774さん   2015年07月10日 (金) 09:40:30   ID: A5ZLHPeK

すばらしい作品をありがとう

5 :  SS好きの774さん   2015年07月10日 (金) 10:39:45   ID: hjnZAznt

めっちゃ読み応えあって面白かった

6 :  SS好きの774さん   2015年07月10日 (金) 22:21:44   ID: 41PGtRSp

神ってた
ありがとうございます

7 :  SS好きの774さん   2015年07月11日 (土) 00:40:20   ID: mWB_ShI9

武内Pいらなくね。

8 :  SS好きの774さん   2015年07月11日 (土) 19:36:18   ID: -3KgMYEO

久しぶりの名作に出会えた

9 :  SS好きの774さん   2015年07月11日 (土) 20:05:59   ID: oIAR2yWt

シナリオでってんなら分かるけど、文章で仕事考えてるならなぜ地の文がないのだろう・・・

10 :  SS好きの774さん   2015年07月12日 (日) 22:06:23   ID: uJmAMgAd

読むのやに4日くらいかかったけど名作だな!

11 :  SS好きの774さん   2015年07月13日 (月) 10:13:54   ID: 8yEXpbYM

あと映画の撮影のやつホワイトアルバムだよね?

12 :  SS好きの774さん   2015年07月13日 (月) 23:55:28   ID: 5Dr3MJyu

後日談とかオマケが欲しいなぁ

13 :  SS好きの774さん   2015年07月17日 (金) 17:41:35   ID: CApkp0tT

久しぶりの名作だった。
ありがとう

14 :  SS好きの774さん   2015年07月17日 (金) 21:08:27   ID: GguEVBTV

最高だった!!!!

15 :  SS好きの774さん   2015年07月20日 (月) 09:21:39   ID: 71yQPI-K

これは名作やで

16 :  SS好きの774さん   2015年08月05日 (水) 16:08:44   ID: 2yEBGYzx

感動した!!!!!
途中から泣きっぱなし

17 :  SS好きの774さん   2015年08月21日 (金) 06:52:36   ID: T7plzvKW

すげえな、杏。

18 :  SS好きの774さん   2015年09月01日 (火) 19:07:23   ID: vlUpxMyB

文章を書く仕事になりたいだって?出版社にこれ持っていけば即採用だと思うよ

19 :  SS好きの774さん   2015年09月02日 (水) 22:35:43   ID: NlnLWm_j

途中からずっと泣いてた、冗談抜きに。
いや本当に名作だよこれは、このまま出版できるまである

20 :  SS好きの774さん   2015年09月10日 (木) 00:12:15   ID: GhEOIW17

泣いた・・・
高校に一緒に通ってても一緒になるのとか
すごくくるものがあった。
最後の畳み掛けがきれいで素晴らしいssだと思います。
また機会があれば別のssも見てみたいです。

21 :  SS好きの774さん   2015年10月04日 (日) 18:24:30   ID: Lc0zp8o_

名作だな。
それ以外言えないんだぜ。

22 :  SS好きの774さん   2015年10月08日 (木) 23:20:53   ID: mEquN_2x

凄い面白いssだな。めちゃくちゃ引き込まれたわ。でも現代日本だと八幡がマジで刺されそうだよな(笑)

23 :  SS好きの774さん   2015年10月18日 (日) 17:23:58   ID: zEJ-9rHx

マジで良作品!!

もし良ければ他のやつもあげてくださいっ!!!

面白かったです。

お疲れ様でした。

24 :  SS好きの774さん   2015年11月20日 (金) 17:11:46   ID: gj6sRUX4

これは神SSだな
しっかり作り込んであって面白かった

25 :  SS好きの774さん   2015年11月21日 (土) 04:10:21   ID: rN_Yqjie

初めてSSで号泣した
この作品を読めてよかっです

26 :  SS好きの774さん   2015年11月25日 (水) 17:04:07   ID: wOIBMsdu

絵里さんルートも見てみたい

27 :  SS好きの774さん   2015年11月27日 (金) 23:15:15   ID: eeP355Su

絵里のルート見てみたいなぁ。絵里推しなので(^^)
とても感動しました!!

28 :  SS好きの774さん   2015年12月24日 (木) 07:20:53   ID: o8lb11DJ

絵里推しじゃないけど、絵里ちゃんに恋したわ

29 :  SS好きの774さん   2015年12月26日 (土) 23:24:31   ID: KbgGadYI

初めてクロスSSで泣きました。
本当に、本当に、ありがとうございました。

30 :  SS好きの774さん   2016年03月23日 (水) 23:22:58   ID: zKKp31ZT

久々に面白いssだった
作者乙

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