紬「飼猫のころしかた」 (40)

季節は冬。
物語は梓の何気ない一言から。

梓、純、憂の3人は既に軽音部を卒業しており、メンバーは菫と直だけ。
そんな2人に気を遣って。あるいは、単純に心地がいいからという理由で、梓達3人は部室によく遊びに来ていた。

その日は後輩2人組が談笑中。
横で梓が菫の淹れた紅茶を飲みながら勉強していた。話題は巡り、2人の会話は菫のお姉ちゃんこと琴吹紬の話に――。
そんなとき梓の口からふと漏れた。

「ムギ先輩かぁ、久しぶりに会いたいなぁ」

「そういえばお姉ちゃん、今帰ってきてますよ」

「ん、そうなんだ」

「会いますか? それならお姉ちゃんに聞いてみますけど」

特に考えてした発言ではなかったので、梓は少し戸惑う。
でも、特に断る理由もないように思えた。
会いたいと思ったのはほんとうなのだから。

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「いいよ、自分でメールするから」

「そうですか、お姉ちゃんきっと喜びます」

直との会話に戻る菫を横目に、梓はメールを打ちはじめる。

帰宅後、何通かのメールを交わした結果、紬とは土曜日に会うことになった。
図書館で集合して、軽く勉強会をやって、それからご飯を食べる約束だ。
梓はまだ受験を控えている身である。
紬の、受験生の梓と遊び回るわけにはいかない、でも会いたい、という意向を汲んで、勉強会をやろうということに落ち着いたのだ。

梓はわくわくしていた。
ちょっとお茶目でとても優しかった先輩に久しぶりに会える。
どんな風に変わっているのか、どんな話をしてくれるのか。
楽しい気持ちのままで眠りに落ちた。

土曜日。
図書館に先にきていたのは紬だった。
梓が来たことに気づくと、彼女は軽く微笑みながら近づいてくる。

「梓ちゃん。久しぶりね」

「お久しぶりです、ムギ先輩」

挨拶のあと、紬はもう一度ふふ、と笑った。
梓は少し照れくさく感じてしまう。

「積もる話はあるけれど、先に勉強しましょうか」

紬は気合いの入った顔でいう。
彼女は真剣なのだろうが、先程の優雅な感じとの落差が少し滑稽で、あぁ、この人はちっとも変わっていないのだ、と梓は安心した。

勉強会は紬主導で行われた。紬手作りのN女子大予想問題集を解いて、わからないところがあれば、筆談でヒントをもらう。
テキストを用意してくれるとは聞いていたが、手作りの予想問題集が出てくるとは思っていなかったので、梓は驚いた。
あまりによくできていたので純と憂にも見せてあげようと思った。

英語、国語、地理。予定していた三科目について勉強が終わった頃には、とっくに正午を過ぎていた。

「お腹すいたね」

「はい、それにちょっと疲れました」

「スパルタ過ぎたかしら」

「そんなことないです。それにとっても勉強になりました」

「そう?」

「でも、この問題集もらってしまっていいんですか?」

「ええ、だって梓ちゃんのために作ったんだから」

「忙しい中、すいません」

「梓ちゃん、それは違うわ。大学生って全然忙しくないのよ」

「やっぱりそうなんですか?」

「ええ、とってもとっても暇なの。だからちょっと張り切りすぎちゃった」

「でも、そのお陰で助かりました」

「そういってくれると嬉しいな」

軽く雪の積もった道を、おしゃべりしながら歩く。
こうやって二人でおしゃべりしていると梓は少しくすぐったい感じがする。
紬の純真すぎる部分に触れると、なんだか落ち着かないのだ。


「ア!」


紬が突然大きな声をあげた。

「この子」

「猫ですね、でも」

歩道から少し逸れたところに、黒猫が横たわっていた。
僅かに動いているから生きているのはわかる。
けれども、横になってぐったりしているその姿から、相当弱っているのが見てとれた。

紬は猫を抱き抱える。
黒猫はなすがままという感じで、ほとんど生気を感じられない。

「梓ちゃん、このあたりに動物病院」

「こっちです」

梓に先導され、紬は走りはじめた。
放置するなんていう選択肢は二人にはなかった。

つづく。

動物病院に着き、急患だと告げ、黒猫を預け、待つことしばらく。
獣医の先生に命の別状はないと告げられ、2人はほっと胸をなでおろした。

診断の結果は栄養失調と老化からくる衰弱だった。
獣医が言うにはこの猫は軽く10歳を越えているらしい。
野良猫でこの歳まで生きる子は滅多にいないそうで、彼自信も驚いていると告げた。

話し合いの結果、今日一日入院して点滴を打ってもらい、明日引き取りにくることに決まった。

動物病院からの帰り道。

「助かってよかった」

「はい」

「でも、あの子どうしよっか」

「元々野良みたいですし」

「そうね。でも」

紬は心配だった。
ノラに帰したらまたすぐに倒れてしまうかもしれない。
それに最近はノラ猫を取り巻く環境も厳しくなり、保健所に連れていかれて処分される子も多いと聞く。

一度関わってしまった命に無責任になるのは嫌だと紬は思う。
そしてそんな彼女の想いを梓も何となくだが察することができた。
だから梓は言った。

「引き取ってくれる人を探してみましょうか?」

「梓ちゃんが?」

「はい」

「ダメよ。梓ちゃんは受験生だし。それにあの子は老猫だから」

いつ死んでしまうかわからない。
だから誰かに引き取ってもらうのは申し訳ない。

「だから、うちで預かろうと思うの」

「うちって、ムギ先輩のお家でですか?」

「うん」

話がまとまった後、2人はペットショップに立ち寄った。
猫を飼うからには色々と準備が必要なのだ。

買い物を終えた後、2人は別れた。
帰り道、紬は空腹を感じて思い出した。
梓ちゃんとお昼ごはんを食べれなかったな、と。

次の日。2人は動物病院へ。
猫を引き取り、昨日買ったキャリーケージへ入れる。
診察料を払った後、公園へ立ち寄った。

「それじゃあ出すね」

そう言って紬がゲージの蓋を開けると、黒猫はゆっくりと出てきた。
2人を伺うように、一歩一歩、恐る恐るという感じで。
梓が頭を撫でようと手を出すと、手で威嚇されてしまった。

「梓ちゃん、大丈夫?」

「びっくりしましたけど大丈夫です」

今度は紬が同じように撫でようと試みると、猫はまた手を振り上げて威嚇した。
けれども紬は猫の手を避け、強引に頭を撫でた。

頭をゆっくり撫でた後、そっと手を這わせて今度は喉元を撫でる。
すると黒猫は気持ち良さそうに喉を鳴らした。

「やっぱり猫さんはここを撫でられるのがいいんだ」

「ムギ先輩、猫の扱いに慣れてます?」

「そんなことないの。でもこうすると良いって聞いたことがあったから」

「じゃあ私も」

そう言って梓が喉を撫でようとすると、キシャーという鳴き声で威嚇されてしまった。

再び紬が撫でると猫は抵抗しない。

「むぅ、こいつぅ」

梓が不満を漏らす。

「うーん。そうねぇ。餌をあげてみたらどうかしら」

紬は用意しておいた猫缶を開けて、中身を手の上にのせる。
すると黒猫は寄ってきて、餌をぺろっと食べた。

「ほら、梓ちゃんも」

梓も餌を取り、手のひらに乗せた。
猫は最初警戒していたが、ゆっくり近寄ってきて、ぺろっと食べた。

餌を食べた後も猫は梓の手をぺろぺろ舐めていた。

「梓ちゃんの手、おいしいのかしら」

可笑しそうに笑いながら紬が言う。

「う、くすぐったいです」

「ふふ、もう撫でさせてくれるんじゃない?」

紬の言うとおりだった。
梓が左手で猫を撫でると、特に抵抗されなかった。
しかし、撫でられているときの猫の顔は……。

「なんか、撫でさせてやってるって顔してますね。偉そうです」

「でも気持ちよさそうだよ」

「そうでしょうか」

なんだか猫に下に見られている気がして、梓は腑に落ちなかった。
ただ、楽しそうに猫と戯れている紬を見ると、そんな不満を口に出すのは無粋な気がしたので黙っておいた。

そうして遊んでいるうちに紬は気づいた。

「この子のヒゲ、変わってるね」

紬の呟きを聞いて、梓は猫をまじまじと見る。
確かに頬のヒゲがちょっと変だ。
長いヒゲが左に6本。右に3本。

「アンバランスですね」

「老猫だから仕方ないのかな」

そう言うと紬は猫の頭を撫でた。
猫は目を細め、少し嬉しそうな顔をした。

しばらく猫と触れ合った後、紬は猫をキャリーケージに戻し、公園を後にした。
公園を出ると紬の家の者が迎えに来ていたので、その場で2人は別れた。

次に紬と梓が出会うのは数ヵ月後、桜が花咲く頃のことである。

つづく。

春。
N女子大学入学式の数日前。
寮の一室に琴吹紬と中野梓はいた。

「それで、梓ちゃん、本当によかったの? 唯ちゃん達と同じ寮じゃなくて」

「はい」

「エアコンもついてないよ?」

「かまいません」

「でも、憂ちゃんや純ちゃんもあっちの寮にしたのに」

「ムギ先輩があちらの寮を出たときには決めていましたから」

「そう? 梓ちゃんがいいならいいんだけど……」

紬が諦めたように一つため息をつくと、笑みがもれた。
というのも先程から紬はできるだけ感情を表に出さないように努めていたのだ。

黒猫を飼うことを決めた当時、実家で預かってもらう予定だった。
唯達と一緒に暮らしていた寮はペット禁止だったからだ。
しかしその後調べて見ると、N女子大には寮が4つあり、そのうち一番古いこの寮だけはペットを飼えることが判明した。
紬はすぐに転寮手続きをとり、こちらの寮に越してきた。
唯達と離ればなれになるのは辛かったが、大学で毎日のように会えるので、我慢しようと決めたのだ。

梓がN女子大に合格し、こちらの寮に来ると知らされたとき、紬は嬉しかった。
しかし同時に心苦しさも感じた。
梓が唯達と離れ紬と同じ寮を選ぶのは、この黒猫が理由に違いない。
この子を飼うと決めた自分が犠牲になるのはいい。
ただ、そんな自分の理由に梓を巻き込むのは申し訳ない。
なので「嬉しい」気持ちができるだけ表にでないようにしていた。
だが、梓の決意は固いようだった。

「梓ちゃんが隣に来るって、ユズ。よかったね」

紬は膝の上に陣取っている猫の背中を撫でながら話しかける。
ユズと名付けられた黒猫はくつろいだ様子でそれを受け入れる。

「気持ち良さそうです」

「ええ、すっかりなついてくれたわ」

「私も撫でてみていいですか?」

「もちろん」

梓はおずおずと手を伸ばし、ユズを撫でようとする。
黒猫はそんな梓を一瞥した後、そっぽを向いた。
特に撫でられることに抵抗はしないが、反応もしない。

「やっぱり、なんだか下に見られてる気がします」

「ふふ、そのうちなついてくれるわよ」

そう言って紬は黒猫の背中を撫でる。
実に気持ち良さそうである。
梓が不満そうな顔をしても猫はそっぽを向いたままだった。

「ところで梓ちゃん。荷物はいつ届くの?」

「今日の夕方……後2時間から3時間後の予定です」

「それじゃあ御手伝いさせてもらえるかな?」

「いいんですか?」

「ええ、もちろん。今日からお隣さんだもの」

そう言って力こぶしをつくって見せた紬。
張り切って見せる彼女をみて、梓は小さく微笑んだ。

つづく。

こうして紬と梓はお隣さんになった。

黒猫のためとはいえ、紬は前の寮を出たことを少なからず後悔していた。
自分で決めたことであっても、やはり唯たちと同じ寮で過ごせないのは辛いことだった。
もちろん遊びにいくこともあったが、ユズの世話もあるので、あまり入り浸っているわけにもいかない。
仲間内で寮でのことが話題になるたび、ちょっとした疎外感を感じてしまうのだ。

しかし、梓がきてから、それも少しずつ変わっていった。

1限目に講義のある日は、梓が起こしに来るようになった。
できるだけ周りに隠してきたことだが、紬は朝が弱い。
特に春先は布団の誘惑に勝てず、目覚まし時計が鳴っていても後3分…5分…と誘惑に負け、遅刻してしまうこともあった。
前の寮にいたときはこっそり澪に頼んで起こしてもらっていたのだが、こちらの寮に来てからは隠し通してきた。

それは梓が来てからも同じで、話すつもりはなかった。
しかし紬が知らないうちに澪を通して伝わってしまったらしく、いつの間にか梓が起こしに来ることに決まっていた。

梓は軽い気持ちで澪の依頼を受けた。
紬を起こしにいけばユズに会えるし、先輩の寝顔もちょっと見てみたい。
だが、これが結構な大仕事だった。

紬は本当に朝が弱い。
どれだけ目覚まし時計が五月蝿くても起きようとしない。
肩を叩いたり、呼びかけたりしてもまるで反応してくれない。
仕方なく布団を引っぺがすと紬はようやく目を覚ますのだが、その横には大抵ユズが眠っており、1人と1匹から抗議の目を向けられる。
せっかく起こしにきているのに4つの目で睨まれるのは納得がいかなかった。

この理不尽を回避するために梓は色々試した。
録音式の目覚ましに変わった音を入れたり、耳に息を吹きかけたりもしてみたが、全く効果はなかった。
試行錯誤を重ねて一ヶ月。ようやく梓は答えにたどりついた。

共用キッチンでパンをトーストして、それを持って紬の部屋に行くようにしたのだ。
こうすると香ばしい匂いにつられて紬はすっと目覚め、ポッドでお湯を沸かし、2人分のコーヒーをいれてくれる。

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