モバP「ユーレイ・アイドル」 (229)




アタシ、アイドル。

 いや――“元”アイドル?



なぁに?

「なんで疑問系なの」って……仕方ないでしょ。



アタシ、いまユーレイみたいな状態になってるんだから。




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・シンデレラガールズ短篇SSの実験作です
・346? なにそれおいしいの?
・地文あり

まったりお付き合いください

アタシ、気付いたときは、どこかの大きな道路にいたの。

正確には、道路の上空……っていえばいいのかな。

よく3Dのゲームとかで、操作する主人公を斜め後ろから俯瞰してるでしょ? あんな感じの視点だった。

眼下には、居眠りなのか脇見運転なのか知らないけど、軽自動車が歩道に突っ込んでて。

その近くに、アタシが力なく転がってた。

頭から、血をたくさん流しながら。

フロントガラスにクモの巣が張ってたし、轢かれてそこに頭を打ったんだろうね、きっと。

どうでもいいけど、血って意外と黒く見えるんだね。


で、アタシの横では、スーツを着た男の人が泣き叫んでて。

大の大人が哭くなんてみっともないなぁ、って呆れちゃったけど。

今にして思えば、あの人はアタシのマネージャーだったのかな。

そうこうしてるうちに数分で救急車がきて、慌ただしくアタシ――だったもの――を載せて走り去っていったよ。

うまく事態を掴めていないアタシは、その場でしばらくぼーっとしてた。

そりゃ、気付いたら空中に浮かんでて、自分で自分の身体を眺めてる、なんて状況にさせられちゃ……ね。

こんな超常現象、いざ当事者となると実感は全然湧かないモンだ。


自分の名前は憶えていない。

いや、そもそも何者なのかもよくわかっていないんだ。

アタシはアイドル、ってさっき自称したけれど、それだって雑誌の表紙に

『今、注目のアイドルたち!』

というキャプションと一緒に自分が載ってるのを見かけたからそう判断しただけだし。

詳しい中身まで読みたかったけど、ページを捲ろうとしたら手がすり抜けちゃった。

ユーレイだもんね。


この身体になって、既におよそ四時間くらいが経ったと思う。陽が西へ傾いてきた。

あてどもなく漂い、いまアタシは、どこかの公園のベンチに座っている。

ユーレイなんだから、別に座らなくたって、ふわふわ浮いていたり、どんな姿勢でもいいっちゃいいんだけどさ。

ま、こんなものは気分だ。

今後のことを考えるのに、座っていた方が頭も廻しやすい。

アタシは、顎に右手を添えて思考に耽った。

まあ、そこまで高尚なことを考えているワケじゃないけど。

兎にも角にも、自分が何者なのかが判らないことには始まらないよね、ってことくらい。

……そうは言っても、どうやって調べよう?

物に触れられないから本や資料は漁れない。

誰かが立ち読みしているのを覗き込む? それとも電気屋に行って、テレビを眺めようか。

でも立ち読みする人が目当てのページを開くとは限らないし、テレビにアタシのことが出てくるかも不透明だ。

結局、自分以外の要素に左右され、受動的になるしかない。

「あー、こんなことなら、救急車が来たとき、ぼーっとしてないでついて行けばよかった……」

いきなりの事態に面喰らってたのだから、それは致し方ないことではあるけれど――

やれやれ、と肩を落とす。

まあ、救急車が飛び込む大きな病院なんてそこまで多くはないはず。

しらみ潰しに近場から覗いていこうかな。

何となくだけど、自分以外の要素に翻弄されるより、能動的な方がいい。

よし、と意気込んで立ち上がると、不意に、やや強い風が駆け抜けた。

でも、アタシにはそれが感じられない。すり抜けてしまうから。

梢がざわめき揺れているのを視て、そう判断しているだけ。

意外と人体の皮膚感覚って、状態を認識するのに大きなウェイトを占めているんだね。

どうでもいいことに感心しちゃう。



――

物に触れられないのは不便だけど、或る意味ではとても便利だ。

建物も壁も関係なく通れちゃうんだもん。

普通の肉体がある状態では到底不可能なスピードで、探し回れる。

探索を始めてからさほど時間は経っていない、三つ目の病院。

一般病室から手術室、霊安室に至るまで覗いた結果、アタシはICUに横たわる自分を探し当てた。

その過程で、他の病院や病室の、どうやら“視える”らしい一部の人には驚かれてしまった。

そりゃーさすがに、壁からいきなりにょきっと出て来たユーレイに視線を向けられ、

「この部屋も違う。はい、次」

と素通りして隣の部屋へ消えて行かれれば、度肝を抜かれるのもうべなるかな。

ま、やむを得ないこととして目を瞑ってもらおう。


アタシの“本体”が寝ているICUは、隔離された大きな部屋。

何人もの患者がずらりと寝かせられていて、その誰もがぴくりとも動かない。

まるで蝋人形が並べられているかのよう。

そして、無機質な機械の音だけが不気味に響いている。

不思議と病院には抵抗のないアタシだけど、この場所は別だ。

ちょっと気圧されて息苦しい。

でもそんなことを言っていても仕方ないから、ひとまずアタシは自分が寝ているベッドの方を視る。

頭に白い布が被さっていないということは、命は保ったようだ。よかったよかった。

じゃあアタシは幽霊じゃなくて幽体離脱ってことかな?

うーん、めんどくさいから『ユーレイ』でいいや。

ベッドに横たわっている身体は、撥ねられたというのに、頭部以外には大きな外傷がない。

交通事故ともなれば、腕や足の一本二本くらい折れてそうなものだけど。

不幸中の幸い、ってやつかな?

ただ、その頭部は、包帯でぐるぐる巻きになっている。

近づいて、まじまじと眺めてみた。

かなり幅広の包帯だ。救急箱に入っているものとはまるでレベルが違う。

その隙間から栗色の髪の毛が、はみ出るように伸びている。

包帯から視線を下へずらすと、顔面には、軽いかすり傷がある程度。

もしアタシが本当にアイドルなのだとしたら、商売道具が無事でよかった。

自分自身の顔を、鏡越しではなく直接外から見る機会なんてないだろうから、とても新鮮。

へぇ、結構カワイイじゃん、アタシ。

きっと他の人からは、こういう風に見えてるんだね。


そうやってアタシが“自分観察”をしているうちに、ドアの向こうから話し声が聞こえてきた。

アタシに割り当てられたベッドは、ICUから外へとつながる出口に一番近い場所。

少しだけ室内を振り返りながら、さっと壁を抜ける。

すると廊下には、お医者さんと壮年の女性、そして例のマネージャーと思しき人がいた。

あの女性―ひと―は、たぶん、母親……のはず。でもはっきりしたことはわからない。

一所懸命に記憶の糸を手繰ろうとしても、磨りガラスの向こう側にあるような感じなんだ。

思い通りに回らない脳味噌がもどかしい。

思考を諦めて会話に耳を傾けると、お医者さんからアタシの容態の説明がされているところだった。

髪の一部が剃られて、おでこの生え際から後頭部まで、ものすごく大きなメスと縫合の痕があるそうだ。

なんでも、頭蓋骨を切って取り外す開頭手術をやったらしい。

……前言撤回。不幸中の幸いでもなんでもなかったね。予想以上に重篤だった。

っていうか、頭の骨をカポッと出し入れしても人間って生きていられるんだ……不思議なものだね。

アイドルとして顔面が無事だったのはよかったけど……

髪が一部とはいえ剃られちゃったら、しばらくはテレビとか雑誌とかには出られないよねぇ。

まあ、或る程度伸びればエクステで誤摩化せるし、手術痕は髪に隠れるだろうから大丈夫かな、たぶん。

……退院できれば、の話だけどね。

……なんか自分で言ってて鬱鬱としてきちゃった。やめよ。


「治る見込みは……どうなんでしょう」

男の人が憔悴しきった顔でお医者さんに訊いている。

「運良く、と言っては恐縮ですが、硬膜外血腫なので硬膜下血腫やクモ膜下出血よりは予後良好のはずです。
 しかし――」

お医者さんは、そこで一度言葉を切った。

ちらりとタブレット端末の電子カルテを見てから、視線を男の人に戻す。

「――原因不明の重度昏睡状態にあります。外部からの刺激に、脊髄反射以外の反応を見せません。
 それ以外の体機能はすこぶる健康なものの……この状態が続くと、遷延性意識障害となるでしょう」

「そ、それはつまり……」

哀願するような顔で問うマネージャーに、お医者さんは目を瞑り、残酷な宣告をする。

「俗に言う“植物状態”です」

「そ……そんな……」

マネージャーは、頭を両手で抱えて、ガクリと膝を床に突いた。

母親は、ハンカチを目に当てている。

アタシといえば――未だにあまり実感が湧かない。

もちろん、ショックはショックだけど、アタシは実際ここにいるんだもん。

他の人に認識してもらえるかどうかはともかくとして、自我はきちんとここに在る。

「あ、そうか。アタシがこのまま身体の中へ戻ればいいんじゃない?」

そう独り言ちてICUへ入り、よっこらせ、と自分の身体に重なった。

……あれ?

何も起こらない。

単に、ユーレイとしてのアタシが、自分の本体をすり抜けてふわふわ浮いているだけ。

え、ウソでしょ……マジ?

重なる場所が悪いのかと思って色々試してみても、素通りするばかり。

そこまでして、初めて、強烈な恐怖と震えが襲ってきた。

え……これヤバくない……?

もし、ずっとユーレイのままでいなければならないとしたら……

どうしよう、アタシ。

このまま戻れなかったらどうしよう。


「プロデューサー!」

「状況はどうなってんだ!?」

アタシが顔を青くしてICUの外に出ると、大きな足音とともに、女の子が二人、廊下を駆けてきた。

その子たちには見覚えがあった。

雑誌の表紙に、アタシと一緒に載ってたから。

でも、ポートレイトで披露していた可愛さはどこへやら、今は焦りの色しか見られない。

二人は、うなだれる男の人と、ドアに仰々しく書かれた『集中治療室』の文字を見て、絶望に顔を歪めた。

「そんな……まさか……」

「う、嘘だろ……?」

慌てて男の人は立ち上がり、

「い、いや、命は助かった。だから大丈夫だ。じきに回復するさ!」

と、必死に取り繕った。

っていうか、この人、マネージャーかと思ったらプロデューサーだったんだ……

「お前たち、まだブーブーエスで別件の収録が残っているだろう。社長に引率を頼んでおく。
 ひとまずタクシーで局へすぐ向かってくれ。明日も早いから、終業後は直帰するんだ」

ショックを受けていながらも、監督者らしいスケジュールの把握ぶりでアイドル二人に指示を出す。

メモや手帖を見なくても即座に予定を口に出せるなんてすごいね。

しかし、黒いストレート髪の子はかぶりを振って、

「い、いやだよ! こんな状況で知らんぷりしてカメラの前に立つなんて冷淡なことできない!」

色素が薄い癖っ毛の子も同様に「あたしもそんな薄情なこと無理だって!」と拳を握った。

そんなわがままを、プロデューサーは強い調子でたしなめる。

「お前たちはアイドルだろう! プロだろう! カメラの向こうに、お前たちを待っている人々がいるんだ!
 たとえ仲間が斃れようとも、仕事中は振り返らず前を向け!」

強い叱責に二人は、ビクッと身体を、そして表情を硬くさせた。

「こんな状況だからこそ、お前たちが引っ張っていかなきゃならない。
 “仲間同士、背中は安心して自分たちに任せろ”という気概を持つんだ」

プロデューサーが強い調子でそう諭す。

ギュッと苦しそうに目を閉じ、小さく頷いた彼女たちは、すぐさま回れ右をして駆け出して行った。

その悲壮な覚悟の顔は、同性のアタシから見てもキレイだった。

プロ根性ってすごい。自分も同じ立場であろうことを棚に上げて、アタシは感心している。

正直、男の人のこともちょっと見直した。

プロデューサーっていう立場の人間は伊達じゃないね。

ま、第一印象が事故現場での情けない姿だったんだもん、驚くのも仕方ないよ。

あの人と意思疎通できれば、アタシを身体に戻すための相談が可能なのだろうけど……

試しに、目の前に立って手を振っても、まったく気付く様子はない。

もちろん、身体をトントンと叩こうとしたって手はすり抜ける。

アタシは肩を落とし頭を垂れて、自らの腕をぎゅっと抱き締めた。

怖い。

自分は、これからどうなるんだろう。

怖いよ。

ベッドの傍に寄って、震える嘆息をこぼした。

それでも――

自身の本体を無事見つけることができたんだから、ひとまず今は、それだけでもよしとしよう。

そう考えなきゃ、やっていけないよ。

本体と並ぶようにして、ベッドのマットレスへ倒れ込む。

いきなり突拍子もないことが色々起こりすぎて、疲れてしまった。

自分の隣に自分が寝ているという妙な気分の中、ゆっくりとアタシは目を閉じた。

これで目を開けたら夢でした、ってならないかな……



ひとまずここまで



・・・・・・

かすかに身じろぎ、ゆっくり瞼を上げると、周りの景色は一変していた。

大仰な機械がずらりと並ぶICUじゃなくて、普通の病室だ。

お医者さんが『意識がない以外はすこぶる健康体』って言ってたし、すぐ一般病棟へ移されたんだろうね。

ICUは切迫している人の入る場所だもん、貴重な枠をのんきに潰しておくことが許されるところじゃない。

何回かまばたきして目がはっきりしたら、まずやることは、自分の状態確認。

うん、相変わらずユーレイだ。

半ば予想通りだけど、やっぱり多少はショック。

おもむろに嘆息して身を起こすと、ベッドのすぐ横に、プロデューサーがじっと座っていた。

枕元に置かれた心電図モニタには、規則正しいアタシの心臓の息吹が、綺麗な波形となって流れていく。

彼はその画面を弱々しく眺めながら、アタシの本体の右手を、両手で握っている。

そして視線を手許に落とし、アタシの指先のネイルをゆっくり撫でた。

案じてくれてるのは嬉しいけれど……

憔悴しきって、とてもやつれた顔をしている。

アタシがこうなったからなのか、プロデューサー業は元々激務なのか。

その両方かもしれない。

それにしても、プロデューサーともあろう立場なら、アタシが抜けた穴を埋めるリスケとかで忙しくないのかな?

もう全部頭の中で済ませちゃったとか?

いづれにしろ、イレギュラーな事態に遭遇して安穏で済むわけがない。

もし無事戻れたら、お詫びとお礼に、スタミナのつく料理を作ってあげようかな……。

アタシがもともと料理上手だったら、の話だけど。

あー、そうだ、そうだよ。アタシ、自分自身のこと調べなきゃ。

本体を見つけて寝ちゃったけど、未だにアタシがどこの誰なのか、自分でもわかってないんじゃん。

まずは名前から調べよう。


よいしょ、と立ち上がって、病室から出る。

入口に貼られている名札を確認しようとすると、

「……あれぇ?」

そこには、病室の番号『233』とともに、『4656』という謎の数字しか書かれていなかった。

不思議に思い、ナースセンターまでふわふわ漂って行き、コール盤を眺めてみる。

やっぱりそこにも、233号室と書かれた下に『4656』とだけ。

頭上に疑問符を掲げつつ、首を傾げた。

もしかしてアタシってナナシノゴンベ?

と、おかしな思考が浮かんだが、即座に「ないない」と自分で自分に突っ込みを入れる。

しかし、名前が書かれていないのもまた事実だ。

そこに書かれているのは、名前の代わりに、数字だけなんだもの。

ん?

名前の“代わり”に、数字。

他の人は、名前は書かれているけれど病室以外の数字は書かれていない。

あ、そうか。もしかしたら……

アイドルだから、名前を掲げちゃうと色々とマズいのかも。

もしマスコミが押し寄せでもしたら、大きな迷惑がかかるもんね。

溜息を吐きながら、とぼとぼと病室へ戻る。

名前くらいなら余裕余裕、と気を抜いていたら初っ端からこの苦戦っぷり。

はぁ、先が思いやられるなぁ。


部屋へ戻ると、アタシが出ている間にやって来たのだろう、黄緑色の制服を着た女の人がいた。

プロデューサーと書類を見ながら打ち合わせをしている。

「病状の説明は……」とか「プレスリリースと会見は……」とか聞こえてきた。

十中八九、アタシに関することだよね。やっぱり相当バタバタしているみたいだ。

申し訳なく思いながらベッドに近づくと、彼女の陰に、小柄な女の子がいた。

入口からは隠れていて気付かなかった。

この子もアイドル?

見た感じ結構幼そうだから、制服の人が迎えにいった帰りなのだろうか。

長い前髪で右目が隠れ、袖の丈が妙に余った、不思議な格好をしているその子。

そして、その近くには……まさかとは思うけど。

“ホンモノ”が浮かんでる気がするんだよね。

話をしている二人をよそに、寝たきりなアタシの本体を少し訝しむ目で見ている。

そして、ぽつり、つぶやいた。

「プ、プロデューサーさん、ちひろさん……ここに寝てるの……う、器……だけ……中身、ない……」

ちひろと呼ばれた女の人とプロデューサーが、一瞬の静寂ののち、勢い良く顔を女の子に向けた。

「ど、どういうことだそれは!?」

泡を食って問いただすプロデューサーに、ベッドの方を見ていたその子は

「ぬ、抜け殻なの……」

と彼の方へ振り返る。

すると、ちょうどプロデューサーの後ろに立っていたアタシは、彼の肩越しに彼女と目が合う形となった。

「あ……!」

そう小さい声を漏らして、彼女はプロデューサーではなく、アタシと視線をはっきり交わらせた。

――この子、アタシのことが、見えてる……?

その様子に、プロデューサーは彼女の視線を追ってアタシの方を振り返った。

しかし彼にはアタシが見えないから、微妙に視線は外れてしまう。

首を何度も振って、女の子と、アタシのいる虚空をかわりばんこに見ている。

そんなプロデューサーに構わず、その子は驚いた声音で呼び掛けてきた。

「かっ、加蓮さん……!」

……自分で自分の名前を探そうと思っている時には、ついぞ見つからなかったのに。

こうやって期せずして判明してしまうなんて、神様は、なかなかイタズラ好きのようだ。


「アンタ、アタシのことを知ってるの!?」

「えっ」

アタシが身をずいっと乗り出して訊くと、その子はびっくりして、若干おどおどしたように後ずさった。

そんな様子がじれったくて、彼女の目の前まで、プロデューサーの左側を通り抜けて足早に移動する。

彼女は、しっかりアタシの移動に合わせて視線を動かす。やはり、これは間違いない。

「アタシのこと、見えてるんだよね?」

自分より十センチは背が低いであろう、小柄な少女を見下ろすように凝視して問うた。

「……う、うん……ぼんやりと……でも、慣れれば……はっきり見えてくる……」

「アンタ、誰なの? アタシ、誰なの!? アタシの名前、カレンっていうの!?」

「え……加蓮さん……一体どうしたの……?」

答えてはくれたものの、その顔は泣きそうな感じ。

かなりアタシのことを怖がっているようだ。

“ホンモノ”が彼女を護ろうと、ずいっと身を乗り出してきた。

……ちょっと威圧しすぎちゃったかな。

念願の手掛かりがつかめるかも知れない、と気がはやってしまった。失敗だ。

敵意はないんだよ。知りたいだけなの。

“ホンモノ”はアタシの内心を察したのか、部屋の隅へ気配を潜めた。


「おい、小梅、なんだ、なにが起こってるんだ?」

プロデューサーが、狼狽した様子で問うてきた。

彼にはきっと、小梅と呼ばれたその子が虚空を見つめながら独り言をつぶやいているようにしか見えないはずだ。

彼女はプロデューサーに、とつとつと語る。

「加蓮さん……ここにいる……でも……よ、様子がおかしい……」

「ど、どういうことだ?」

アタシ以外の三人――見方によっては四人――全てが困惑した表情になった。

「アンタ、小梅ちゃんっていうんだね? ごめん、気を急いて、威圧するような感じになっちゃったね。
 実は、アタシ自分のことがよくわからないんだ。憶えてないっていうか」

小梅ちゃんとプロデューサーの間に、ずいっと顔を割り込ませて、そう釈明した。

「え……憶えて……ない……?」

アタシは頷いて、隣で呆けた顔をしている男の人を、指差して言う。

「うん。辛うじてわかってるのは、どうやらアタシはアイドルで、この人がプロデューサーらしいってこと。
 その他のことは、なんにも知らない。自分の名前すら憶えてないの」

「そ、そんな……」

小梅ちゃんは瞳を揺らして絶句したのち、プロデューサーの方を向いて

「か、加蓮さん、幽体離脱してて……けれど……どうやら記憶を喪っているみたい……」

と説明した。

「加蓮が……加蓮の身体から抜け出た魂がここにいるのか!?」

アタシから少し外れたところを指し示して、プロデューサーが興奮気味に訊いた。

小梅ちゃんは小さく頷き、「せ、正確には……もっと右……」と、彼の指を、ガイドする。

「もうちょっと……そう、そこ」

ジャストでアタシのいる位置を示したところで小梅ちゃんが止めた。

プロデューサーとちひろさんは驚愕に目を見開いている。

そんな彼らに向かって、小さく手を振った。

――見えてはいないだろうけれど。

そのまま小梅ちゃんを向いて、バツの悪い表情で問う。

「ひとまずさ、アタシの名前を教えてくれない? いつまでもナナシノゴンベだとちょっと気分的にツラい」

「あ、えと、『ほうじょうかれん』さん……。くわえる……と……ハスって書いて……かれん……」

彼女は、空中をなぞって漢字を書いた。

細かい部分まではわからないけど、雰囲気さえ掴めば何を示しているかは理解できる。

http://i.imgur.com/UKdqB8A.jpg
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「北条加蓮……か。ありがと、助かったよ。どうしてか病室の入口に名前が掲げられてないからさ。
 自分で自分の名前がわからないオマヌケな状態だったんだ」

ウインクして礼を述べると、小梅ちゃんも、少しだけ、はにかんだ。

言われてみれば、確かに『北条加蓮』っていう響きが、何となく懐かしい匂いを憶える。

するりと頭の中へ入ってきたということは、きっと嘘ではないんだろうね。


その後、アタシは彼女に通訳を頼んで、プロデューサーたちから色々と訊いた。

CGプロという事務所に所属していること。

クールさが売りのアイドルとして活躍していること。

さっき来ていた二人、渋谷凛・神谷奈緒と、トリオユニット『トライアドプリムス』を結成していること。

今度行なわれるトライアドプリムスのライブのために、独り、別メニューの練習をこなした帰りに轢かれたこと。

ここにいるのはプロデューサーのPさん、事務の千川ちひろさん、ホラーアイドルの白坂小梅ちゃんであること。

ついでに、小梅ちゃんと一緒にいる『あの子』のことも。

話を聞くたびに、CGプロとか、トライアドプリムスとか、「あーどっかで聞いたことがあるかも」って思う。

曇っていたガラスが、徐々に徐々に晴れていくような感じ。

モチロン、まだ確信には至らないけれど。


とはいえ、今はひとまず彼らの話を信じるしかない。

じゃなきゃ、アタシにはまるで何もわからないままになっちゃうもん。

「で、まあ、まず大まかなことはわかった」

アタシは腕を組んで頷きながら、

「……正直にいえば、まだ混乱してて何ともいえないんだけど」

肩をすくめて舌を出す。

それよりも――

「記憶は追々でもいいとして、アタシのこの状態、どうする? ずっとユーレイでいるわけにもいかないでしょ」

アタシは小梅ちゃんに向かって、半ば愚痴るように言った。

その話が、彼女経由でプロデューサーたちにも伝わる。

場の全員、考え込むように床へ視線を落とした。

兎にも角にも、本体が目覚めないことにはどうしようもない。

まさかユーレイのまま仕事をするわけにもいかないし、そもそも実体がないのに活動なんて土台無理な話だ。

「普通に、自分の身体に覆い被さるだけじゃ駄目なのか?」

Pさんは、あまり期待していなさそうな顔をして訊いてきた。

「モチロン、一番最初に試してみたよ。結果は自分の身体をすり抜けてプカプカ浮いてるだけでーしーた」

自分で言ってて、やれやれと思う。つられて語尾が変な風に伸びてしまった。

それを小梅ちゃんに伝えられた彼は「やっぱりな」という様子でうなだれる。


そんな中、小梅ちゃんがおずおずと切り出した。

「こ、これ……き、聞いた話なんだけど……」

一度言葉を切って、Pさんとアタシを上目遣いで交互に見る。

「じ、実体と……魂が分離したのを……も、元に戻すには……
 状況が発生した当時の身体を……再現する必要が……あ、ある……らしい、って……」

「アタシの状態を再現する?」

「そ、そう……身体に接触しているもの……全部……例えば、ふ、服とか……」

それを聞いて、ふとアタシは気付いた。

アタシ、ユーレイなのに服をまとっている姿をしてるんだ。

たぶんこれは、学校の制服。

てっきり、ユーレイとか霊魂にとって、衣服は関係ないものだと思っていた。

「み、身につけているものにも……その使用者の、た、魂が……宿るものだから……
 それら……全て含めて、その人を構成している……よ、要素っていえる……」

言われてみれば、確かにそうだ。

よくイメージされる幽霊が白装束で身を包んでいるのって、遺体に白い死装束を着せるからだよね。

納得。

同時に、『素っ裸なユーレイじゃなくてよかった』とも思う。

でなきゃ、“視える”人に、アタシの魅惑的な裸体を晒してるところだったよ。

え? 見たい? ダーメ。


「い、今……加蓮さんの本体が着ているのは……入院用のガウンだから……元に戻れなかったのかも……」

小梅ちゃんの解説を聞いた全員が、ドアの横に掛けられているアタシの制服に目を向けた。

事故時の衝撃で、ところどころが擦り切れている。

ピンクのリボンタイは裂け、もはやタイとしての体を成していない。

そのうえ、空気に触れ黒ずんだ血が、肩から胸にかけてたくさん付いていた。

修繕やクリーニングはもう無理だろう。後日新しい制服を下ろすことになるんじゃないかな。

Pさんが、ガラス細工を扱うかのように衣紋掛けをそっと取る。

「ちひろさん、自分は外に出ているので、加蓮に着せてやってくれますか」

「わかりました。小梅ちゃん、二人で着替えさせてあげましょう」

ちひろさんと小梅ちゃんがお互いを見て頷き合い、Pさんは静かに病室を出て行った。

ガウンを脱がせるのにアタシの上半身を二人が持ち上げる。

本体の腕がだらりと力なく垂れ下がった。

首や頭は小梅ちゃんが支えててくれてるからまだいいけど、その姿はまるで人形みたい。

……いや実際、人形と変わりないんだよね。内側に血が巡っているという違いだけで。

中身のない、ただの容れ物―ウツワ―。

アタシは、自分の身体の現状を再認識させられて、少しだけ目を背けた。

「可哀想に……痛かったでしょうね……」

ちひろさんは、アタシの腕をぼろぼろの制服に通しながら、か細い声で言った。

あまりに哀しそうな目をするので、努めて明るく、

「いや、正直、気付いたらこうなってたから、痛みは全然わからないんだけどね」

と茶化す。

小梅ちゃんがちひろさんにそれを伝えると、やや苦笑気味にアタシ本体の頬を撫でた。

そして病室の扉を開け、「終わりましたよ」とPさんを呼ぶ。

本体のこの姿は事故当時のことを思い起こさせるのだろうか、Pさんは、部屋へ入るなり顔を大きく歪めた。

それを取り払うかのように頭を振って、「よし、じゃあ始めよう」と一回、手を叩く。

小梅ちゃんがこっちを見るので、アタシはウインクをしてから本体に寄り添う。

そして、意を決して身体を重ねた。

――ああ、これで戻れる。


ひとまずここで一旦切ります
おやすみなさい


==あの子がこのスレを見守っています==



――

加蓮の病室へ入ると、ちひろさんと小梅がいた。

扉を開けた瞬間、予想通り、Pさんは眉根を寄せたけど、その顔には「ああやっぱりね」という色も見えた。

それより、何だか空気が妙な感じなのが気になるんだけど……


「はァ!? 加蓮が幽体離脱ゥ!?」

あたしは素っ頓狂な声で、Pさんの口から出た信じがたい言葉を反復した。

なんでも、いま加蓮のユーレイはベッドの端っこに坐って、あたしと凛を見ているのだそうだ。

小梅は「ここ……だよ」と指差すが、あいにくあたしには何にも視えない。

あまりに現実離れしたことを言われ、たまらず凛の頬をつねる。

「ちょっと奈緒、なにするの。痛いじゃない」

そう言って凛は、眉を顰めてあたしの頬をつねり返してきた。

……痛いぞ。

夢じゃないのかよ、これ。

現実を認識するためのお約束の“儀式”を経て、加蓮の本体に目をやると。

何故か、事故当時の制服を着せられているんだよな。

「なんで加蓮がわざわざこんな痛ましい格好になってるの?」

凛もあたしと同じことに気付いて、Pさんに問うた。

「実はな……」

Pさんや小梅の説明によれば――

身体と魂が離れた瞬間の身体状態を再現することで、加蓮は戻れるはずなんだってさ。

……でも実際は、うまくいかなかったらしい。

「か、加蓮さんは……、最初の時よりは……馴染む感覚がする……って……言ってる……けど……」

小梅が、申し訳なさそうな顔で加蓮の声を代弁した。

「ってーことは、アプローチそのものは間違ってないんだよな? たぶん」

「の、はず……。『あの子』も頷いてるし……。で、でも……何がいけないのか……わ、わからない……」

あたしの、なかば独り言に近い疑問にそう同調するけど、声音は弱々しい。

「どこか細かい部分を再現しきれていないんじゃない?」

顎に手を添えた凛が、彼女の方を向いて小首を傾げた。

「ど、どこだろう……」

小梅は、加蓮が坐っているであろう場所の虚空と、ベッドに横たわる本体とを交互に見比べている。

何度も視線を往復させるものの、何が足りないのかは掴めないようだ。

あたしと凛は、そんな小梅の様子を祈るように見つめるだけ……

加蓮を視るのは、彼女に頼るしかない。

何もできない自分がもどかしい。


「ご、ごめんなさい……わ、わから……ない……」

しばらく粘った小梅が、肩を落として白旗を揚げた。

その様子があまりにも儚げだったので、あたしは慌ててフォローする。

「い、いやいやいや。小梅はとてもよくやってくれてるよ」

「そうだよ。加蓮の存在を認識できない私たちの方が不甲斐ないよ。ユニットを組んでいるくせにね」

凛も頷きを添えて自嘲気味に笑うと、少し離れて見ていたPさんが申し訳なさそうに、こめかみを力なく掻いた。

「そう言われると俺としても辛いな……」

「あっ、ごめんプロデューサー……浅慮だった」

「いや。凛のいうこともまた事実だからな、きちんと受け止めないと」

Pさんはそう言って首を微かに振り、そして一息軽く吐いた。

「まあそれでも、奇妙な形とはいえ加蓮と意思疎通が図れるようになったのは僥倖だよ。小梅、ありがとう」

「こ、これくらいしか……できること……ないから……」

小梅は、そう言って、はにかむ。みんな、それにつられて少し笑顔が戻った。

「さ、もうこんな時間だ。ひとまず今日は解散しよう。じきに面会時間が終わる」

Pさんが一度手を叩いて告げた。このあと、ちひろさんと共に事務所へ戻るという。

二人とも、マスコミ対処のために泊まり込むそうだ。

「なあ加蓮、おまえは今夜どうするんだ?」

あたしはベッドの端、加蓮が坐っている――であろう――空間に、疑問を投げた。

虚空に独り言をつぶやくようなこの変な感覚は、たぶん、いつまでも慣れそうにない。

端から眺めれば、頭がイッちゃってる人にしか見えないもんな。

「え、っと……今夜は……じ、自分の、本体と……一緒にここで寝る……って言ってる……」

「そっか、そうだな。それがいいよな」

“通訳さん”を横目で見て相槌を打った。

凛とあたしは明日早いから、小梅も一緒に、社長が送ってくれる。

……正直なところを言えば、このまま夜通し加蓮のそばにいてやりたい。

でも、あたしはプロだ。

――いや、ここにいる全員がそう。

仕事を、自らの役割を、疎かにするわけにはいかない。

幽体離脱しているとはいえ、加蓮の魂が存在しているとわかっただけでも、いくばくか気分は晴れたから。

あたしは、“横たわる加蓮”に左手を軽く振り、帰途へ就いた。


今日は時間切れ
次回は数日くらい間が空くかもしれません

画像芸と酉芸は紙や支部じゃできないよね
冒頭で実験作と称した所以です



・・・・・・

翌日午後、朝早くからの収録を終えた凛とあたしは、事務所に顔を出した。

「おーっす……て、あーだいぶバタバタしてるな」

午前中に、加蓮が事故に遭ったと報道発表をした影響だろう。

事務所はだいぶせわしない状態だった。

社長まで雑務に駆り出され、ちひろさんに至っては両耳で同時に電話を捌いている。

……どんな芸当だ、ありゃ?

ひとまず、凛と一緒にお茶を淹れて、Pさんたちへ持っていこう。

「――はい、いつもありがとうございます。はい、本人に伝えておきますね。きっと喜びます」

急須に茶葉を入れているとき、ちひろさんの声音がやや変化した。

発表内容が内容なだけに、問い合わせへの対応だけでなく、ファンからのお見舞いの電話も多い。

正直な話をすれば、このタイミングで電話されるのは少々厄介だ。

対処すべき事柄が多いから、『ただの見舞い話に構ってられない』というのが本音。

しかしちひろさんは、そんな様子をおくびにも出すことなく、柔らかな応対で流していく。

本当にあの人は事務のプロだ、とあたしは舌を巻いた。

もちろん、ファンからの厚意は、とてもとてもありがたいことなんだけどな。

こんなときは、メールや手紙にしてくれると、こちら側としては助かるんだよなぁ。

ファンには届くことのない思考を廻しつつ、注いだお茶を一口、ずずっと啜った。

うん、いい塩梅だ。

凛と二人、軽く頷き合う。

給湯室を出て、凛はPさんへ、あたしはちひろさんの許へ。

ことり、湯呑みをデスクに置くと、

「あら奈緒ちゃんありがとう」

ちょうど受話器を戻した彼女が、あたしを向いて笑みをこぼした。

「だいぶてんやわんやしてんね」

「ふふっ、これでもだいぶ落ち着いてきた方なのよ」

「マジすか」

そう言って髪をかきあげ嘆息した瞬間、また電話が鳴った。

休憩など赦さんぞ、なんていわれているような気分だ。

あたしが両手を軽く挙げて首をすくめると、ちひろさんは口を開けて苦笑い、また電話応対に戻っていった。


凛やあたしはアイドルの立場上、電話には直接出られない。

けれど、その裏で補佐することはできる。

資料やアポ表などをちひろさんやPさんへ渡す飛脚屋をやっていると、あっという間に夕方になっていた。

「ねえプロデューサー、次のライブ、どうするの?」

Pさんの作業が途切れたタイミングを見計らって、凛が問うた。

今度行なわれるトライアドプリムスのライブまで、あと一週間。

加蓮が幽体離脱したままの状態では、開催できるかどうか雲行きが怪しい。

よしんば元に戻れたとしても……

事故に遭ったあの身体では、パフォーマンスなど到底無理なことは火を見るより明らかだった。

「それなんだけどな、興行取りやめにするか、二人でこなすか――どちらにすべきか迷ってるんだ」

Pさんは額に手を当てて唸った。

あたしたちのライブを楽しみにしてくれているファンの期待を裏切るわけにはいかない。

かといって凛とあたし、二人だけではトライアドプリムスとはいえない。

トライアドプリムスは、凛、あたし、そして加蓮の三人が揃ってはじめて成り立つものなんだ。

「落としどころとしては、加蓮を早急に元に戻して、ビデオレターみたいな形で出せれば一番なんだろうが」

そのやり方はあたしも聞いたことがある。

かつて竜宮小町という人気ユニットが、そうやって急場をしのいだのだとか。

「なら、早く加蓮を元に戻す方法を考えないと……」

「ああ。そうなんだが、あいつが元に戻れないのはなぜなのか、何が悪いのか皆目見当がつかん」

凛の言葉に相槌を打つPさんだけど、その顔は苦々しい。

戻れない原因がわからないことには、有効な手だてを打てないから。

「加蓮を視られて、直接話ができるのが小梅しかいないもんなあ……」

あたしは事務椅子の背もたれに体重を全て預けて溜息を吐く。

その言葉に凛が反応した。

「あれ、プロデューサー。そういえば小梅は? いつもだったらこの時間は事務所に来ているはずだけど」

「あぁ小梅は加蓮にずっとついてくれてるよ。今の加蓮にとっては唯一、直接話せる相手だしな」

曰く、小梅から今朝方、申し出があったそうだ。

彼女に入っている仕事は、どうしても動かせないものを除いて他のアイドルに割り振り済みという。

「いうなれば、加蓮専属の白坂マネージャー、か。ふふっ」

凛はそう言って軽く笑い、しかしすぐに表情を戻して

「でも小梅にだけ背負わせるのは心苦しいね。私、ちょっと様子見てくる」

と腰を上げた。

「あーじゃあ、あたしも行こう。Pさんどうすんだ?」

「俺も行きたいのは山々だが、なにぶんこの状況じゃな……」

凛につられ、立ち上がって鞄を掴みながら訊ねると、彼は散らかった事務所に目をやって肩を落とした。

すると話を耳に挟んでいたちひろさんが、

「いっときに比べて幾分か問い合わせは落ち着いてきましたし、あとは社長と私だけでも大丈夫ですよ」

事務机の上へ山積みになった書類の陰から顔を覘かせてそう笑い、事務所の出口を指差した。

「むしろ、加蓮ちゃんを看に行ってあげてください」

心なしか、ちひろさんから後光が差しているように思える。

「わかりました、ありがとうございます。何かあったら連絡ください。飛んで戻ります」

Pさんが申し訳なさそうに会釈して、車のキーを持って席を立った。

あたしたちは、ちひろさんに手を振って事務所を後にした。




・・・・・・・・・・・・


本日二度目のノックが鳴り、扉が開かれる。

アタシの病室にゆっくりと入って来たのは、Pさんと、ユニットのメンバー(らしい)、凛さん、奈緒さんだ。

「よーう、加蓮、調子はどうだ?」

奈緒さんが、アタシのいる場所とはやや見当違いな方向に手を振った。

「あはは、アタシはそっちじゃなくてこっちだよ」

笑って答えると、小梅ちゃん経由で奈緒さんに伝わり、方向を修正して再度手を振ってきた。

この小梅ちゃんがいることで、間接的ながら誰とでも意思疎通を図れるようになった。

アタシにとってそれがどれだけ助かっていることか。

本体に戻れない、原因もわからない、いつ解決するか道筋が見えない、記憶もない。

正直いって、こんな状況に置かれたら、普通は発狂してもおかしくないと思う。

それでもなんとか平静を保っていられるのは、小梅ちゃんがきちんとアタシを認識してくれるから。

そしてPさん、凛さんや奈緒さんが、アタシを強く気に掛けてくれるから。

自分が一人じゃないとわかるだけで、とても心強いよ。

とはいえ、全ての会話を小梅ちゃんの身ひとつに依存してしまうわけで。

わざわざ面倒にも、アタシの言葉を、その会話の度に通訳してくれる。

その点だけが、少し申し訳ない。

詳しくは話してくれないけど、彼女にだってアイドルとしての仕事があるはずなのに。

どうやってか、アタシにずっとついてくれている。

「……ありがとね。アタシ、小梅ちゃんのおかげで……助かってるよ」

小梅ちゃんに、感謝を述べると、彼女は頬を赤くした。

「え、べ、べつに……じ、自分には……それくらいしか……できないから……」

照れているのか、ささやくような声。

「ん? 小梅どうしたの?」

その彼女の様子を、凛さんが不思議そうに見て訊いた。

「あ、か、加蓮さんに……助かってる……って言ってもらえて……」

奈緒さんがその回答に合点がいった様子で、

「そうだな、加蓮だけじゃない。あたしたちも小梅には助けられてるよ。ありがとな」

と微笑みながら小梅ちゃんの頭を軽くポンポンと撫でた。

次の瞬間。

「うええぇぇぇっ!?」

いきなり奈緒さんが、大きな叫び声を上げて、驚くあまり部屋の隅までバネのように吹っ飛んだ。

「――! ――ッ!?」

目を見開き、口をパクパクとさせて、声にならない声を上げている。

そして再度小梅ちゃんに突進し、彼女の肩から頭にかけてを抱きかかえるように引き寄せた。

「わ、わぷっ……」

いきなりのことに小梅ちゃんも目を白黒させている。

その奈緒さんの目線。

彼女の紅い瞳が、アタシの眼を、はっきり射抜いていた。

これまで、アタシのいる大まかな方向はわかっても、目線まではっきり交わらせることはできなかった。

それが可能なのは、アタシを視られる小梅ちゃんだけ。

でも、今、奈緒さんが小梅ちゃんと同じように、アタシの目をしっかり見ている。

様子を察知した凛さんが、同様に小梅ちゃんを自らの胸に引き寄せ――

すぐに、ぴくりと、しかしはっきり、その碧い切れ長の眼の形を変えた。


「加蓮! 加蓮ッ!」

歓喜のあまりの叫び。

そのうるささは、日頃のボイストレーニングの賜物だろうか。

なまじ、彼女は奈緒さんと違って特に寡黙―クール―だったから、ギャップもひとしおだ。

「……アタシのこと、視えてる?」

「視える、視えるし声も聞こえるよ!! 加蓮がいる!」

大きく破顔する二人と、何が起きているのかよくわかっていない様子の小梅ちゃん。

凛さんと奈緒さんを交互に見る彼女に、Pさんが寄った。

「すまん、小梅、ちょっといいか」

そう言って、小梅ちゃんの手を握った彼は、その瞬間、驚きと喜びに少し飛び上がった。

「小梅に触れると、加蓮が見えるぞ!」

「えっ、わ、私が……媒質のはたらきを……し、しているって……こと……?」

「そうだ、きっとそうだ」

Pさんが笑って大きく頷いた。

小梅ちゃんは、三人にそれぞれ抱きかかえられて、まるでぬいぐるみのようになっている。

「あれ……? でもお化けとか、加蓮以外の霊は見えないな」

「あの子と違って……加蓮さん、ゆ、幽体だけど、存在自体は……こ、この世のものだから……じゃないかな?」

奈緒さんの疑問に小梅ちゃんが返す。

その言葉に、凛さんが心なしか安堵の顔をしたのは、たぶんアタシしか気付いてないだろうね。

ということは……みんなは、小梅ちゃんに触れても『あの子』のことは見えないんだ。

アタシはやっぱり夢と現の“中間の位置”に存在しているんだなぁ。改めて不思議。

「でもずっとその状態だと小梅ちゃんが大変そうだね。凛さんや奈緒さん、Pさんと話せるのは嬉しいけど」

眉の尻を下げて苦笑すると、三人ともハッという顔をして彼女を離した。

「そうだな……すまんなぁ、小梅」

「う、ううん……いいよ」

小梅ちゃん自身、あまり抱きかかえられた経験はないのだろうか、頬を朱に染めてはにかんだ。

「あーやっぱずっと触ってなきゃ見えないんだな」

「とは言っても、奈緒も私も、そしてプロデューサーも四六時中小梅に触れてるわけにはいかないし……」

やはり彼女から離れたら、即座にアタシのことが見えなくなるみたい。

奈緒さんと凛さんが、少し困った顔をすると、小梅ちゃんは「わ、私は……別に、いいけど……」と笑った。

「小梅に触れることで、加蓮と直接意思疎通ができるようになったのは非常に大きな前進だな。だが――」

Pさんの言葉を凛さんが引き継ぐ。

「これだと加蓮からのパッシブ方向は、小梅に教えてもらわないとわからないね」

「よしんば教えてもらっても、小梅に一度に触れられる人数だって限られるしなぁ」

凛さんと奈緒さんがそれぞれ残念そうに嘆息した。

うーん、Pさんをはじめ、彼女たちに用事があるときは小梅ちゃんに頼んで伝えるしかない、か。

ちょっと不便だし、なによりも小梅ちゃんに負担をかけちゃいそうなのが一番心苦しい。

でもアタシだけじゃどうしようもないしなぁ。

……ぐちぐち悩んでも仕方ないね。

「ま、そんなこんなでアタシに付き合わせちゃって申し訳ないけどさ、ありがと、小梅ちゃん。ヨロシクね」

「だ、誰かの助けになれるのって……嬉しいことだから……だ、大丈夫……」

アタシが手を差し出すと、彼女はおずおずと、それでいて照れくさそうに、手を伸ばす。

どうせすり抜けちゃうだろうけど、こんなものは気分だ。

助けてくれる子に、せめて握手の真似事くらいはしておきたいもん。

そう思って期待せず伸ばしたアタシの手先。

予想に反して、柔らかく握られる感触があった。

「……あれ?」

「んなぁああああああ!?!?」

アタシが首を傾げるのと、Pさん凛さん奈緒さんが飛び上がるのは、同時だった。



――

「こんな単純なことで問題が一つ解決するとはな……」

Pさんが、こめかみを抑えて安堵のため息をついた。

全員同じ動きで大きく頷く。

や、自分自身もびっくりだよ。

アタシ側から小梅ちゃんに触れてみようなんて、ハナっから試す気がなかった。

こないだPさんに触れようとしたけど実際無理だったもん、どうせすり抜けちゃうんだから意味ない。

――そう思ってた。

まさか、こんなふとしたきっかけで懸案が解消されるなんて。

ベッドのふちに坐るアタシの隣、小梅ちゃんも同じようにちょこんと腰掛けている。

アタシと彼女の手はつながったままだ。

「でもこれで、凛さんたちに用があるときはいつでも話しかけられるね」

やれやれ、という感じに肩をすくめて笑うと、凛さんが怪訝な顔をして口を尖らせる。

「ねえ、さっきもだけどさ、なんで私のことを“さん付け”で呼ぶの? いつも通りに喋ってよ加蓮」

……察するに、こうなる前のアタシはみんなを呼び捨てにしてたってことか。

うーん、でもなぁ。

「今のアタシにとってはほぼ初対面も同然だからさ……なんか馴れ馴れしく呼び捨てにするのは抵抗が、ね」

二人はアタシの言葉で「あっ」と気付いた。

「そっか、記憶喪失だってつい忘れちゃってた……ゴメン、今は加蓮の呼びやすいようにしてくれていいよ」

「だなー。今は少しでも加蓮の負担にならないようにすべきだもんな。奈緒さん、ってなんかくすぐったいけど」

奈緒さんが腕を組んで、笑いながら相槌を打つ。

これで、あとはアタシが本体へ戻れれば一応解決、かな。

まぁ、それが一番の問題なんだけど。

「ねえ、アタシが元に戻るには、何かが足りないんだよね?」

たしか、本体を事故当時の状況と同じにしないとダメっていう話だったはず。

小梅ちゃんがコクリと頷いたけど、その仕種は少し心許なそうだ。

こんな現象、滅多にあるもんじゃないし、力強く断言できないのは仕方ないよね。

でも、今のアタシはそれを信じて進んでいくしかない。

「Pさんや凛さん奈緒さんもアタシのこと見えるようになったし、何が足りないのか調べてくれないかな」

幽体は鏡に映らないので、アタシが自分で原因を探るのは難しいんだ。

Pさんも、そしてユニットを組んでる凛さん奈緒さんも、アタシといる時間が小梅ちゃんよりは長かったはず。

だから、みんなから見えるようになった今ならわかるかも。

全員が「うーん」と、アタシとアタシの本体を交互に覗き込む。

「そうだなぁ……加蓮は凛と違ってピアスをしていないからその線はないと思うが……」

Pさんが顎に手を当ててつぶやくと、

「あ」

凛さんと奈緒さんが同時に声を上げた。

「この寝てる加蓮、星のネックレスつけてないじゃん」

奈緒さんが左右の鎖骨の間を人差し指で示し、凛さんもそれに頷く。

「加蓮、レッスンするとき以外はアクセつけてること多いもんね。ほら、ユーレイの方にはあるよ」

「あ、ほ……ほんとだ……お、おぼろげに……ネックレス、ある……」

小梅ちゃんがアタシの首元を、目を細めて見つめながら言った。

つまり、事故に遭った際、当然アタシはネックレスをしていたはず、か。

答えが見えてきたようで、小梅ちゃんも、凛さんも奈緒さんも、そしてアタシも少し顔が綻ぶ。

「しかしな……」

唯一、Pさんはあまり浮かない顔。

「加蓮が身につけていたものは、全てこの部屋に置いてあるはずなんだが……ネックレスはこれまで見てないぞ」

確かに、部屋に置いてあれば、わざわざこんな悩むまでもなくアタシの本体につけさせていたはず。

つまり、この部屋へ移されたときには、既にネックレスの痕跡はまったくなかったということになる。

「手術するときに捨てられちゃった……とか?」

「ちょっと訊いてくる」

奈緒さんがすぐさまテキパキと動く。向かうはナースステーション。

タッタッという足取りで出て行ったその人影は、しかしトボトボと意気消沈した顔で戻ってきた。

「手術の際はアクセサリーを全て取って保管するから、何かしら身につけていたら必ずわかるはず、だってさ」

「となると……加蓮がここへ運び込まれる前に、ネックレスは取れてしまったということか……」

Pさんが沈痛の表情で呻いて、凛さんは頭を抱え込んだ。

「どこで失くなったのか判らないんじゃ……どうするの……?」

彼女の長い黒髪の陰から、誰に問い掛けるでもない、か細い声が絞り出された。

病院の外で紛失したとなると、一気に困難な状況になる。

いづれにしろ、探し出すのは途方もない労力と確率の話だから。

事故の瞬間? 担架に乗せられた際? 救急車の中? ストレッチャーで院内を疾走しているとき?

「一番可能性が高いのは事故現場だよね……」

アタシの口から漏れたつぶやきに、凛さんと奈緒さんがすぐさま反応した。

「プロデューサー、探しに行こ」

Pさんの腕をぐいっと強く引いて踵を返す。

「あ、それならユーレイのアタシが飛んでった方が早いんじゃ?」

「はは、休んでていいよ。Pさんもあたしたちも、加蓮のために何かをしてやりたいんだ」

奈緒さんがそう苦笑して、三人急いで病室を出て行く。

けれど。

――事故に遭ってから時間が経ちすぎているよ。

アタシの心中に湧いた言の葉は、必死の彼女たちの前には出せなかった。

自分が当事者のはずなのに、こんなドライに考えられちゃうのはどうしてだろう。

果たせるかな、数時間後に戻ってきたみんなは、目を瞑ってただ頭を横に振るだけだった。


今日はここで時間切れです、おやすみなさい


いづれ は、いずれという字面が個人的に落ち着かないので。
同様に 頷く も平仮名にするとしたらうなづくと自分は書きます。
まあ手癖みたいなもので、特に深い意味はありません。

りょううめはイイものだ……
だからこそ自分じゃなくとも誰かがやるだろうという思いがあります(他力本願

http://i.imgur.com/euwSoJg.jpg




・・・・・・・・・・・・


あれから三日が経った。

結局、ネックレスは未だ見つからない。

私も奈緒も、そしてプロデューサーも毎日タイミングをみつけては現場へ足を運んでいるのだけど、収穫はゼロ。

そもそも、ネックレスが本当に現場で失くなったのかすら不透明な状況で――

進展がないということは、つまり加蓮の続報を出せないということ。

事故から数日が経つのに未だ詳報のない加蓮の容態を、殊更脚色して報じるマスメディアが増えてきた。

一昨日、加蓮の代打として歌番組の収録へ赴いた際は、局のディレクターがしつこく訊いてくるので参った。

「加蓮ちゃん、様子はどう? 闘病ドキュメンタリーとか撮らせてくれないかなあ? 率取れると思うんだけど」

他人の不幸な出来事をご飯の種にする彼らの姿勢には気分が悪くなる。

こっちは、どうすれば加蓮を元に戻せるか毎日気を揉んでいるというのに。

――かといって、私には愛想笑いで適当に会話を濁すことしかできないんだ。

自分の無力さを、これほど恨んだことはないよ。

面白可笑しく取り上げる人々から仲間を守ってあげられないなんて、ユニットリーダー失格だと思う。

結局、アイドルといえど、高校生の小娘にできることなんて片手でこと足りるレベルなんだ。

それを、ここ数日で厭というほど思い知らされた。

だからせめて、私のできる精一杯のことをやらないといけない。

今日は小梅が夕方までどうしても外せない仕事のある日。

彼女がいなければ加蓮とコミュニケーションは取れないけれど、こんな時こそ私がそばにいないとね。

加蓮の身体を元に戻す方法も、記憶を取り戻させる方法もわからない。

それでも仲間なら、寄り添っていたいと思うのは当然でしょ?

というわけで、授業をさぼって加蓮の病室にいる。

越堀高校だもん、適当に理由を捏ち上げればいくらでも休めちゃうんだよ。

本当はやってはいけないことだけど、こんな時くらいは大目に見てほしい。

「……よし、っと。これで少しは華やかになったかな」

実家から持ってきたポピーの束を花瓶に生けて、パンパンと手を叩く。

思い立った時にすぐ欲しい花を用意できるのは、実家が花屋をやっている人間の特権かな。

――キレイだね。

ふと、本来は聞こえないはずの、加蓮の声が、耳に届いた気がした。

それはきっと、プラシーボ。

ずっとトリオを組んできたからこそ、彼女ならそう云うだろうって、わかるんだ。

「ふふっ、そうでしょ? うちは花屋だからさ、欲しい花があったら云ってよ」

こんな“独り言”にも慣れてきた。

最初は会話にならないつぶやきを発することには抵抗があったのだけど、順応とはかくも恐ろしいものだね。

ベッドの隣に椅子を持ってきて坐る。

加蓮の本体は、相変わらずだ。

お医者さんが「脳以外はすこぶる健康体」と云うだけあって、傍目にはただ寝ているようにしか見えない。

今日は心なしか、頬の血色が良さそう。

つんつんと突ついたら目が覚めたりしないかな……

「おーっす」

あろうことか加蓮本体の顔にちょっかいを出しているタイミングで、奈緒が入ってきた。

「……なにやってんだ、凛?」

私は奈緒の怪訝顔を完全にスルーして、逆に質問で返す。

「……授業サボったの?」

「人聞き悪いこと云うなって! 四限が自習になったから自主休講キメただけだよ!」

私の追及に、やや呆れた表情と大きな声で否定してきた。

それも世間ではサボりの範囲に入ると思うんだけど。

自分のことは棚に上げて、心の中で突っ込みを入れた。

奈緒は私より学年がひとつ上で、月出高校に通っている。

学校は違えど、芸能系の学級だから、私と同様に出席周りはあまりシビアではないはず。

まあ、未来の自分たちが必死にカバーすることを期待して、今は二人で加蓮の傍にいよう。

「さってと、予想外にこんな早く凛も来ていることだし、じゃあ今日もやりますかー」

奈緒が鞄をテーブルに置いて、ブラウスの袖を捲った。

私も動きやすいようカーデガンを脱ぐ。

掛け布団を剥いで、奈緒と私は加蓮の身体の下に腕を滑り込ませた。

彼女のケア。これは事故以来、日課になったことだ。

医療的な措置、たとえば痰の吸引とかはナースさんに任せなければならない。

けれど、そうでないことは極力自分たちでやってあげようと、プロデューサーやみんなと決めたんだ。

人間は、ずっと同じ体位で寝ていると、身体に様々な不調を来してしまう。

一番わかりやすいのは床ずれかな。

普通の人だって、一晩寝ている間、無意識に何度も寝返りを打つ。

それだけ、同じ体位で寝るというのは身体に負担がかかることみたい。

だから、自力で動けない加蓮を、こうやって定期的に体位交換する。

「よし、っと。んじゃあたしこっち支えておくから、凛は膝の方をよろしくな」

「ん、OK」

加蓮を横向きにさせた私たちは、次に四肢を曲げ伸ばしてストレッチさせる。

拘縮――つまり寝たきりで関節周りの筋肉が固まってしまうことを防ぐため。

これを怠ると、たとえ今後加蓮を元に戻せても、アイドル生命は終わりだ。

普段の私たちだって、柔軟運動を一日疎かにしただけでも、愕然とするほどに動かせなくなるからね。

「しっかしまぁ……なんていうか、意識がない無抵抗の身体をまさぐるって、何度やっても妙な気分になるよな」

奈緒が、加蓮の肩や肘をぐいぐい動かしながらつぶやいた。

事情を知らない人がこの会話を聞いていたら通報されてしまいそう。

面妖な背徳感からか、顔が少しだけ朱に染まっている。

仮に自分が加蓮みたいな状態になったとしたら、って置き換えて考えてみると――

糸が切れた私の身体を誰かに色々と触られ弄られるのは、やっぱりどことなく気恥ずかしいはず。

女の子同士だし、ユニットの戦友―なかま―だからまだいいけど……

「だね。しかも加蓮自身はこの光景を見ているわけだし」

いまは小梅がいないから、ユーレイがどこにいてどこを見ているのかはわからない。

でも、少なくともこの部屋には居るはずだ。

もしかしたら、幽体の身でもストレッチ運動をしていたりするのかも知れない。

「さて、こんな感じでいいかな」

上肢、下肢、手首や足首、指、そして股関節に至るまで柔軟を終えて、掛け布団を元に戻す。

血行が良くなったのか、加蓮の頬はさっきよりも更に紅くなっていた。

「……なあ、凛」

ベッドを挟んで対面に坐った奈緒が、加蓮の顔を見ながら私に呼び掛けてくる。

その声音は、真剣だ。

「この状態で……今週末のライブ、どうするべきだと思う?」

そう。結局、どう対処するか決定打を見出せないまま、ずるずると、ここまで来てしまった。

もちろん、奈緒も私も、そしてプロデューサーも、ライブを中止するという選択肢は早々に外したけれど。

「うーん、加蓮のことを周知したとはいっても、“トラプリ”を期待して来てくれる人には申し訳ないよね……」

言うまでもなく、今回のことは加蓮に責があるわけじゃない。

それでも、私たちはプロとして、お客さんの要求や期待には、100%の力で応えていかなきゃならないから。

「だよな。まあ、ライブまでに加蓮が起きたとしてもステージには立てないだろうけどさ」

だから、次善の策として加蓮によるビデオレターという形式を採ろう、と先日話し合ったんだ。

そのためには一刻も早く身体を元に戻さないといけない。

なのに、あと一歩のところで阻まれ、解決する道筋を一向に見つけられていない。

焦りや、気の逸りだけが募ってしまう。

それが集中力を削って、昨日のレッスンではトレーナーさんに二人して厳しく怒られてしまった。

ライブを間近に控えているのに身が入らないとはなんという体たらくなのか、って。

奈緒は年長者だから、私はリーダーだから、それぞれ顔に出そうとはしないけれど、内心では相当凹んでいる。

尤も、一番つらいのは加蓮自身。私が弱音を吐いているヒマはないんだ。

黙々と考え込んでも、いい案が出て来そうな様子はない。

奈緒が頭の後ろで手を組んで、天井を見上げる。

「はー、こう云う話をするときは一応加蓮とも意思疎通できる状態にしておきたいな……」

と、大きく嘆息した。

そのぼやきには、肩をすくめるしかない。

「それは仕方ないよ。加蓮と話すには小梅が来てくれるのを待……」

そこまで言って、私は自分たちがあまりにも単純すぎる見落としをしていたことに気付いた。

奈緒も気付いたようで、「あ」と呆けた顔をこちらに向けてきている。

そうだ。加蓮が小梅と触れていれば、誰もが認識できるんじゃないか。

ビデオレターにしようとしたから駄目なんだ。

加蓮のユーレイが、直接メッセージを伝えればいいだけのこと。

なんでこんな簡単なことに気付かなかったんだろう。

……灯台下暗しって、まさにこのことだね。

と、手を叩こうとしたその刻。

「……でもさ、実際小梅と一緒にステージへ立っても、記憶ないのに生本番は無理じゃないか?」

奈緒が、一転、眉根を寄せて云った。

記憶を全て喪っている今の加蓮からすれば――

そんな状態で本番に臨んだところで、どうすればいいのか皆目見当がつかないであろうことは明らか。

難しい学会のテーマだけ聞かされて、いきなりプレゼンテーションに登壇させられるのと同じだよね。

なんの事前準備も専門知識もない状態で放り出されたって、こなせるわけがない。

ビデオレターなら台本とか編集とかでどうにかなるんだろうけど、ステージじゃそうはいかない。

帯に短し襷に長し。

俄に光明が見えたかと喜んだ分、意気消沈への反動も大きく、二人して肩を落とす。

見えたと思った答えが、再び、遠くへ霞んでいくように感じた。

そもそもカメラには映るんだろうか…映像として残ったらアウトな気が



――

今日の病室の空気は重かった。

凛さんと奈緒さんが、今週末に迫っている――らしい――ライブへの対処を話し合っているんだけど……

あまり旗色は良くないみたい。

ライブへ来てくれたお客さんへ、アタシからどうやってメッセージを伝えるか、っていう、難しい課題。

予め決めておいた文章を読むことくらいならできそうだけど、反応を見てのアドリブは、まず無理だよね。

今のアタシは素人同然。そんな身でステージへ出ても、アタシもお客さんも困惑して終わっちゃう。

記憶がないんです、なんてカミングアウトもできないだろうし――

やっぱり、ここはアタシの身体だけでなく、記憶も早々に対処しなきゃいけないのかも。

……とは云ったってねぇ。

どうやって思い出すかなんて、身体を戻すこと以上に五里霧中。

一応、頭に電気刺激を送ることでシナプスを活性化させるとか、なにやらアプローチ方法はいくつかあるみたい。

でも、それは本体の方に処置すればユーレイのアタシにも同じく効果が出るの?

そうでないなら、今後アタシがもし身体へ戻れた時、どっちの持っている情報が優先されるの?

そもそも意識がないのに、処置の効果は見極められるの?

わからないことばかり。

まあ……今こうやってアタシがユーレイになってるだけで充分非科学的だし、理解できないんだけど。

なんか、考えれば考えるほどわからなくなっていくカンジ。

頭が痛くなってきた。

そして何よりも、歯がゆくなるほどに中途半端な自分の状態が厭になる。

ユーレイで、記憶喪失で。

せめてどちらか一方だけでも回避できてれば、まだ断然マシだったのに。

どうしてアタシや、アタシを心配してくれる人たちがこんな思いをしなきゃいけないの?

あ、ヤバ。ちょっと泣きそう。

ねえ神様、見ているんだったら何か云ってよ。


気がつけば、陽が西に傾く時分。

凛さん奈緒さんとともに――彼女たちには見えてないだろうけど――頭を抱えていたら、ノックの音が三回響く。

「お、おはよう……」

するすると引き戸を開けて、小梅ちゃんが入って来た。

芸能界は、いつでもどんな時でも「おはよう」なんだってさ。

三者三様に挨拶を返すけど、部屋を覆う重い空気を、彼女は敏感に察知したみたい。

「あ、か、加蓮さん……ご……ごめんね、今日、遅くなって……」

小梅ちゃんが謝る必要なんてないのに、そう云ってアタシの手を取る。

途端に、凛さんも奈緒さんも、アタシの場所を認識した。

「あ……加蓮、今日はそこにいたんだね」

と、二人がアタシを見た瞬間、はっと表情を変えた。

「しまった……今ここで話すべき内容じゃなかったんだ」

奈緒さんが微かにつぶやいた。声が震えている。

……アタシ、もしかしてそんなに酷い顔してるのかな……?

「ごめん、加蓮。今日ここで私たちが話していたことは忘れて。忘れられなくても忘れて」

凛さんが血の気の引いた顔で混乱したフォローを入れてきた。

二人ともこれまで気丈に振舞っていたように見えて、その実、相当な狼狽を持っていることが簡単に感じ取れる。

「ゴメン、凛さん、奈緒さん。アタシが不甲斐ないせいで……余計な気苦労かけちゃってる」

「違う! 加蓮は悪くない!」

凛さんが、アタシの肩をはっしと掴もうとして、その手が空を切った。

勢い余ってバランスを崩し、ベッドに手を突く。

それがより一層現実を突きつける結果となったのか、彼女は肩を震わせた。

「……ごめん、加蓮。ごめん……私が泣いてるヒマなんてないのに、加蓮の方がつらいのに。ごめん……」

壊れたレコードのように言葉を繰り返すその姿は見ていて痛ましい。

凛さんには、ユニットリーダーとしての相当な重圧もあるのだと思う。

トライアドプリムスは、結合力と相互カバー力にとても秀でたユニットだと、Pさんから聞かされている。

なまじ三人が強固に噛み合っていた分、その中の歯車たったひとつにでも何か異変が起きると、非常に脆い。

異変が動揺を呼び、動揺が伝播して、全体を機能不全へと陥らせてしまう。

今のアタシは当事者としての記憶がないから、第三者の心持ちで状況を眺めることになる。

そんな自分の見るトライアドプリムス―アタシたち―は、瓦解の一歩手前まで来ているように思えた。

世間で注目されるアイドルといっても……アタシ含め、みんな、イレギュラーに対応できない子供なんだ。

再びノックの音がして、Pさんが入ってきた。

小梅ちゃんを玄関先で下ろしてから、駐車場に車を入れてきたらしい。

アタシたちの様子を見て、ぴくりと眉を上げた。おおよその雰囲気を読み取っている。

けれど、あまり取り乱す様子はない。

「あ、あたしら、週末のことをみんなで相談しようって思ったんだけどさ――」

奈緒さんが、要求されてもいないのにあたふたと説明しだした。

「それが、加蓮の負担になっちまった……みたいで。は、話を切り出したあたしが考え無しだったんだ」

年長者の意地だろうか、全てを一身に背負おうとしているみたい。アタシもフォローしなきゃ。

「あーいや、アタシがちょっとだけ思い詰めた顔したのをみんなが深刻に受け止めちゃってさ、たはは……」

Pさんはこっちに歩み寄って来て、しどろもどろな奈緒さんや嗚咽が止まらない凛さんの肩に手を置いた。

「仲間想いのお前たちだからこそ、そう遠くないうちにこう云うことが表面化すると思っていたよ」

お前たち三人の誰も悪くないんだ、と優しく語り掛けてくれた。

そして、未然に手を打てなかった俺の責任だ、とも。

Pさんにしたって今の状況で打てる手数は多くないだろうに、やっぱり大人って損な役回りだね。

「ひとまず何か飲むなりしてみんな落ち着こう。負の連鎖で心が厭な方へ廻っているからリセットしようか」

ひとしきり凛さんの背中をさすって、アタシの頭もぽんぽんとしてくる。

本来ならすり抜けるはずなのに、絶妙な位置で止めるから本当にアタシに触れてると錯覚しちゃう。

重苦しい空気を入れ替えるように、テレビを点けてから、Pさんが振り返った。

「こんなときにはコーヒーだ」

そう云って戸棚から豆を取り出して、ミルにかける。

「あ、じゃ、じゃあ、私も……て、手伝う」

小梅ちゃんが、コーヒーメーカーのタンクに水を入れるよう、すぐにPさんの後ろを追い掛けた。

「り、凛さんたちも……の、飲も……?」

きっといたたまれなくなって、彼女なりに雰囲気を変えるきっかけを作ろうとしてるんだと思う。

奈緒さんと凛さんははっと気付いたように小梅ちゃんに頷き、丁寧な動作でカップを出す。

ミルから、挽き立ての豆ならではの、とてもいい芳香が漂ってきた。

コーヒーは苦いからミルクや砂糖を入れない限りは飲もうと思わないけれど、この薫りは好き。

なんか、とても落ち着くんだよね。

コーヒーメーカーが、コポコポと音を立ててドリップする。

この音も耳に心地よい。

眼を閉じて、しばらく鼻と耳だけに意識を集中させると、さっきまでの不安感はいつしか鳴りを潜めていた。

「コーヒーの匂いにはリラックス効果があるんだとさ。そして、飲めばリフレッシュになる」

気分転換には最高の飲み物さ、と人数分のカップに注ぎながらPさんが相好を崩した。

「お前たち、味はどうする?」

「あたしはブラックで。砂糖は二つ」

奈緒さんは冷静さを取り戻しつつあった。手を軽く挙げて答えている。

「ほいよ了解。そして小梅と凛には、こうだ」

砂糖を少しと、たっぷりのミルクを入れて。

Pさん自身は、何も加えずにそのまま。

「加蓮は……すり抜けて持てないよな。飲めないけど、せめて薫りを楽しんでくれ」

そう云って、同じく何も加えていないコーヒーを、お洒落なカップでアタシの前に持って来てくれた。

芳醇なそのアロマは、色に例えれば橙だと思う。

爽やかな……それでいて暖かい、南国のお陽様のよう。

「――俺の判断だが」

テレビをBGMにしばらくカップを傾けたPさんが、おもむろに話し始めた。

「ライブは、凛と奈緒、二人だけでやる。トラプリではなく『凛&奈緒』として、加蓮のことは一切出さない」

芯はしっかりしているけれど、悲壮感はない声音。

重い決断のはずなのに、どこか軽やかで。

もしかしたら、そんな心理効果もテレビに期待して、点けておいたのかも知れない。

「今の加蓮に必要なのは、とにかく休息。そして俺たちがするべきは、加蓮を元に戻す情報集めだ」

アタシのことは、完全休養と云う名目で、回復させられるまで一旦表舞台から完全に退かせる、って。

世間が『北条加蓮』を忘れてしまうリスクを冒しても、トラプリ全体が崩壊することは避けなければならない。

そこには一種冷酷な計算も介在しているのだろうけれど、アタシ自身、ちょっとほっとしてる。

いくら小梅ちゃんに触れていれば存在は認知してもらえるとは云っても――

こんな、記憶が飛んで右も左も判らない状態のうちにアイドルの真似事をさせられたら、正直しんどいと思う。

凛さん奈緒さんの手助けをできないのは、ちょっと心苦しいけど……ね。

二人も覚悟を決めたのか、お互いを見詰め合って強く首肯し、こちらを見てくる。

アタシも、目線を交錯させたまま、ゆっくり頷く。

長針が真上を廻って、テレビでは音楽番組が始まった。

その様子が目に飛び込んでくる。画面の中には、眼前の人物がいた。

件の人、凛さんがつぶやく。

「あ、これ一昨日のやつだね」

アタシがこうなって、急遽代打で収録に臨んだものだ。

もし事故に遭っていなければ、今頃あそこに映って、全国のお茶の間へ届けられているのはアタシだったんだね。

この『IF』って、ちょっと不思議な感覚。

……あれ?

しばらく見ていると、何かがちょっと、引っ掛かる感じがした。

凛さんが――今アタシの目の前にいるアイドルが画面内で歌っている曲は……漠然と、合っていない気がした。

「Bメロ、複前打音が甘くてブレスのタイミングも遅い」

「えっ?」

アタシが無意識にぽつりと漏らしたつぶやきに、凛さんが驚いて訊き返してきた。

その台詞に、アタシも「えっ?」と逆反応する。

「あれっアタシなに云って……」

いや……違う。


――だってね 勇気の欠片―カケラ―

――君が描く未来―あす―へ連れ出して欲しい


この詞、この旋律……


――神様が呉れた時間は零れる あとどれくらいかな


そう、この歌……知ってる……



――そんな距離が今は優しいの


 ――泣いちゃってもいい?



薄荷―ハッカ―……

アタシの……デビュー曲!


途端、これまでの光景が頭の中で爆ぜて、フラッシュバックした。


アイドルに憧れ、それでも身体が弱いことで勝手に諦めてて。

なのに何の因果かスカウトされ、飛び込んだ芸能界。

そして、そこで出会った仲間たち。

凛、奈緒。 ――そして、Pさん。

ひねくれてたアタシを甲斐々々しく目に掛けてくれたみんな。

凛に引っ張られて、そしてファンの後押しで、奈緒とアタシは同時にCDデビューできたんだった。

どうしてもスタミナが二人より少ないから、ここ最近はそれをリカバーする特殊メニューをこなしてた。

トライアドプリムスのライブのためにね。

ヘトヘトのアタシに、Pさんが毎日送り迎えで付き添ってくれたっけ。

あの日、疲れ切っていたせいで、突っ込んでくる車に対処できなかった。

とてもゆっくり、白い鉄の塊が迫ってきて、そして――

「…………」

曇っていて向こう側を見通せなかったガラスが、どんどん晴れる感覚。

全てのジグソーピースが、ものすごい勢いで音を立て、はまっていく。

アタシ、全部思い出せた。

思い出せたよ。


「ありがとう。……凛、奈緒。みんな」

しばらく眼を閉じて深呼吸し、ようやく発した一言。

すっと瞼を上げると、アタシの戦友―なかま―が、驚きと歓喜に、身体を震わせている。

「加蓮……私たちのこと、思い出したの!?」

「うん、これまでのこと、全部……記憶が甦ったよ」

そして、「支えてくれてありがとう」と「迷惑掛けてゴメン」の、万感の想いは言葉にならず。

アタシは一度、深く頭を下げた。

特に小梅ちゃんは、おそらくここ数日で最も世話になった――そして元に戻れるまで頼るだろう『相棒』だ。

彼女も、そして『あの子』も、我がことのように喜んでくれている。

ホントにアタシって、みんなのお蔭でここまでやってこられたんだなぁ。

一人称「私」(後期加蓮)にならないのか…

今度はアタシが、報いる番。

「――Pさん、それから小梅ちゃん」

そして、もう一度頭を下げる番。

「お願いします。ライブに出させてください。パフォーマンスはできなくていい。舞台で語れれば、それでいい」

凛と奈緒だけでステージをこなせるようなタイムテーブルの構成変更が、既にPさんの周囲では進んでいるはず。

そこへ再変更をねじ込むのは、大きなわがまま。

なにより小梅ちゃんの手を煩わせることは百も承知。だけど……

「小梅ちゃんごめん。自分勝手なことだって判ってる。でもお願いしたいの。ファンに、自分の言葉を伝えたい」

彼女の手を両手で握って、懇願した。

「わ、私は……Pさんや、凛さん奈緒さんさえ……い、いいなら……全然、構わないよ……」

「まあ俺の方も大丈夫だ。加蓮のトークを挟むくらいなら造作もない」

Pさんがカレンダーを見遣って頷く。

そしてしばらく考えたのち、

「んーじゃあ、折角だし小梅もトライアドプリムスとして加蓮の担当箇所をやってみるか?」

……とんでもないことを云い出した。

「はァ!? Pさん正気かよ!」

「そうだよプロデューサー! 本番まであと数日しかないのに!」

驚きのあまり奈緒と凛が立ち上がって詰問するが、Pさんは柳に風。

「本気も本気。正気さ。どうだ小梅、お前ならこなせると思うが?」

準備時間的に一曲くらいしかできないだろうけどな、と不敵に笑う。

「凛さんたちさえ、よければ……。ク、クールなユニットも……一度、やってみたかったし……」

小梅ちゃんは控えめに笑った。

こう見えて意外と胆力あるし、負けん気が強いんだよね、この子……。

その微笑みを見た凛が、ゆっくりと坐り直す。

「……わかった。小梅がそう云うなら、私はOK。奈緒もいいよね?」

「あ、ああ。……けど、あと数日でできんのかな……」

二人とも承諾したけど、奈緒はやや不安顔。凛が肘で小突く。

「できるのか、じゃなくて、やるんだよ。小梅、ライブまで徹底的にしごくよ。覚悟してね」

小梅ちゃんは、任せて、とばかりに破顔して、小さくガッツポーズした。

こりゃ、思ったより豪華なことになってきたね?


時間切れ、おやすみなさい。
※詞の一部を変えてあるのは某団体対策です。察して。

>>180
わかりやすさを優先して、作中の一人称は全て統一させてます。
加蓮:アタシ
奈緒:あたし
凛:私

>>185
なるほど了解。一応加蓮の「アタシ」って諦めが強い時期の一人称で、
初期R特訓前の親愛低い時期と一部のぷちエピのみ、他は前向きになってから「私」なんで気になった、すまん




・・・・・・・・・・・・


週末。

2500人を収容できる都内のライブハウスの中は、青一色に染まっていた。

『凛&奈緒 フロム トライアドプリムス』の紡ぐ歌とパフォーマンスが、客席を沸かせる。

事前に北条加蓮―アタシ―の欠席がアナウンスされていたにも拘わらず、満員御礼。

とてもありがたいことだった。

凛のソロと奈緒のソロ、MCを挟んで、デュオ。

途切れることのないエンターテインメントは、アタシの欠けた穴を感じさせない出来だ。

でも三人分の仕事を二人でこなすのは、いくら鍛えている凛と奈緒とはいえ厳しい。

その回復を図るタイミングに、小梅ちゃんのソロとアタシのトークが配置された。

特に小梅ちゃんの出演はサプライズとして扱われ、このことは今の今まで秘密裡に進められていた。

デュオを三曲終えると、凛がステージの先端に立って、観客席を煽る。

「みんな、暖まってる!?」

青いサイリウムが、それに応えて激しく躍動した。

「今日、実はスペシャルゲストを呼んでいるんだ!」

舞台半ばで奈緒が叫ぶと、初めて公開される情報に館内はどよめいた。

凛が両手を広げて、言葉をバトンタッチ。

「私たちと同じクールアイドルとしてお馴染みの、この子!」

イントロが流れ、中央から、ステージ下に待機していた小梅ちゃんがせり上がる。

冒頭数秒を聴いただけで、熱心なファンの中には気付いた人もいるみたい。

色々な場所から、一足先に雄叫びが上がっている。

「白坂小梅で―― 小さな恋の密室事件!」

客席全体がゲストを視認した瞬間、怒濤の歓声が合流し駆け抜けた。

奈緒が小梅ちゃんとハイタッチして入れ替わり、凛とともに舞台下へ消える。

完全に役者が入れ替わると、曲の静かな導入部に引っ張られるかのようにざわめきは収まってゆく。

ゆっくりとした青いサイリウムの動きだけが、一面を支配した。

 ――ふわり触れた 至近距離
 ――とろり融けた 二人きり

緩急がめまぐるしく変わる、難しい曲。

でも、訓練されたファンの人々には、まるで戸惑いが見られない。

 ――それなのに 「如何して?」

急転直下、舞台照明が赤く焚かれると同時に、サイリウムも青と赤の協奏曲となる。

ちょっとちょっと、おかしいでしょ、なんでそんな一瞬で合わせられるの!?

さっきまで小梅ちゃんが今日出るって知らなかったはずなんだよこの人たち!?

これまで何回もステージを演ってきたけど、毎度々々この統率力・順応力には目を見張るものがある。

こちら側が舌を巻いちゃうよね……

呆気に取られているうちに、ホワイトノイズで曲が終わり、ライトが絞られた。

はっと気付いて、急いで小梅ちゃんの隣へ向かい、手を取る。

彼女が、こちらを向いて微笑んだ。手に持つマイクを、アタシの口元に寄せてくれる。

強く頷いて、息を吸った。


「みんな、今日はトライアドプリムスのライブに来てくれてありがとう」

次の曲は何かな、と期待に静まっていた暗闇の中へ、アタシの声が響く。

いないはずの人間の言葉に、客席はざわついた。

どういうことだ、何が起きてるんだ――ガヤガヤと、戸惑いが広がっていく。

そこへ、照明が再帰した瞬間。

この日一番の歓声が爆発した。……そう感じるのは、自惚れかな?

――加蓮だ! 加蓮がいるぞ!

――かれえええええええええええんんんんんん!!

アタシを呼ぶ声が聞こえる。

アタシを求めてくれる声が聞こえる。

「みんな、心配かけてゴメンね! 既に知ってると思うけど、アタシ、事故に遭っちゃったの」

ファンのみんなに心を込めて謝り、深々とお辞儀をする。

そして幾つかの事実をぼかしつつ、見通しを説明した。

手術は成功、このとおり命に別状はないこと。

今こうやって立っているのは特別の措置で、これから治療や回復に専念しなければならないこと。

どれくらい経てば復帰できるかは、まだ詳しくわからないこと。

「――きっと、きっと復活して……さらに輝く姿を見せるって、誓うからね!」

最後は少し涙声になりながら、強く云い切った。

そんなアタシに、ファンが励ましの言葉を掛けてくれる。

ずっと待ってる、って暖かい言葉を云ってくれている。

ああ、アタシ……ちゃんとアイドルとしてメッセージを出せたよ。

達成感が、この身を包んだ。

凛と奈緒がステージへ出てきて、小梅ちゃんとアタシを挟むように並ぶ。

「これからも、トライアドプリムスと北条加蓮を、宜しくお願いします!」

凛、奈緒とともに、ありったけの想いを、この一言にぶつけた。

怒濤の歓声と青い光のうねりが、大きく、大きく渦巻いて、鳴り止むことがない。

みんなで、方々に手を振って応える。

奈緒が、一歩前に脚を出した。

「よし、ここから特別プログラムだ!」

そして凛も同様に踏み出す。

観客席からアタシへの視線を遮って、スムーズに姿を消せるようにするため。

「加蓮の代わりに小梅が助けてくれるよ! せーの!」


 ――オルゴールの小箱!


ユーレイ・アイドル、一世一代の大舞台――その幕が、まもなく下りる。



――

ライブは大成功と云って差し支えなかった。

小梅ちゃんは、見事アタシの受け持つパートをこなしてくれた。

「だ、代役……た、楽しかった、よ……」

そう云ってはにかむ彼女の笑顔が印象的だ。

撤収作業やら何やらを済ませ、夜の帳が下りる時分。

あれからアタシたちは、全員で幹線道路沿いの事故現場に来ている。

通行車両の多さは云わずもがな、道に面してセレクトショップやレストランが並び、人通りも相応。

都内の道路としては歩道が広く、ブロックタイルの敷き詰められたそれは幅員3メートルほどあるだろうか。

この余裕あるクリアランスのおかげで、件の事故は、複数人が巻き込まれる大惨事にはならなかったんだろう。

……まあ、そんな条件でも轢かれてしまう自分の不運さには参るね。

とはいえ、賑やかな場所なのは実に不幸中の幸いだったと思う。

もしこれが人気のない裏路地だったとしたら、アタシは今頃本当の幽霊になってたかも知れないんだから。

地面には砕け散ったガラスやプラスチックの片し切れない残滓と、うっすら血の跡が残っていて――

これらが消えるまではもうしばらくかかるかも知れない。

「うん、ユーレイとしてのアタシの記憶、まさにここから始まってるね」

そう、気付いたらこの上空に浮かんでいた。

何故だか、それが遠い昔のように思える。実際は少ししか経っていないのにね。

「加蓮、大丈夫?」

凛が心配そうにアタシを覗き込んだ。

トラウマでPTSDなど発症しはしないかと気を揉んでくれているみたい。

「うん、大丈夫。みんながいてくれるし」

アタシは笑いながら、小梅ちゃんとつないだ左手をぎゅっと握って掲げた。

ならいいけど、と凛が苦そうな哀しそうな笑みを浮かべる。

あれ? なんだろう……

そんな凛の向こう側から、妙にアタシへの視線を感じる……気がするんだよね。

そこは道沿いの、事故があったすぐ目の前のお店。

果たして、洋菓子店の人が、こちらをじっと見詰めていた。

「あのー……北条……加蓮さん、ですよね?」

ゆっくりとした足取りで近づいて、遠慮がちに話し掛けてきた。

「あ、はい、そうです。その節はお手数をおかけ致しました」

店の前で事故られたのだ、アタシも被害者とはいえ、この人も多大な迷惑を被ったに違いない。

救急車の手配等をしてくれたはずだし、一種、命の恩人でもある。頭を下げて礼を述べた。

「えっと……だいぶ重症だったのでは……?」

「幸い命に別状はなく、今日だけ、外へ出られるように手を打って頂いたんです」

戸惑いながらに訊いてくるその人に、にこやかな笑みと堂々とした態度で返す。

いざというときの方便は、芸能界にいればイヤでも巧くなるものだよ。

「あの刻は大変お世話になりました、彼女らのプロデューサーをしております、Pと申します」

それでもこれ以上直接応対させるのは好ましくないと考えたのだろう、Pさんが名刺を出して話を継いだ。

何回かの会話のキャッチボールのあと、その人は店の中へ戻って、再度外へ出てきた。

「あのあと片付けと掃除をしていたらこれが落ちていることに気付きまして、保管しておいたんです」

そう云って差し出す手には――

アタシの、ネックレスがあった。

「あ、これ!」

全員が同じ台詞を驚きとともに吐き出し、同じリアクションで覗き込んだ。

中央にゴールドスターがあしらわれ、かつてアタシの首元を控えめに彩っていたもの。

本来のジョイントではない部分でちぎれ、ところどころに血がこびりついたままで、黒く乾いている。

ワイヤーの内側にも入り込んでしまっているから、完全に綺麗にすることはもう不可能だろう。

それでも。

探していたアタシの片割れ。

ついに、最後の1ピースに、辿り着いた。

これさえあれば……

戻れる。

アタシ、戻れるんだ!

Pさんが、何度もお礼を云って、大事にネックレスを受け取る。

その人も肩の荷が下りたのか、にこやかに店の中へと戻っていった。

すぐさまPさんは腕時計を確認して、

「この時間ならまだ間に合いそうだ、病院へ行こう」

みんな、逸る気持ちを抑え切れない様子で頷き合う。

さながら、RPG終盤のラストダンジョンへ乗り込む勇者たちのようだった。



――

病室に、規則正しい機械の音が響いている。

呼応するかのように、加蓮の本体の胸も、ゆっくり上下していた。

この姿のみ見れば、ただ単に寝ているだけで昏睡中だとは全くわからない。

でも、間もなくそれにも終止符が打たれる。ただ寝ているだけの彼女に戻るんだ。

奈緒が加蓮の栗色の髪をかきわけて、私がネックレスを首の後ろでつなげる。

いつも通りの、みんなと笑い合っていた加蓮の姿が完成した。

今から思えばわずか一週間余りの出来事だったけれど――

加蓮のいない、加蓮としての意識や記憶が存在しない世界が、どれだけ辛いものなのか骨身に沁みた。

「あ、いけそういけそう!」

ひとまず手先だけ本体に触れてみた加蓮が、手応えを感じたのか嬉しそうにはしゃぐ。

ついに、この不可思議な現象が終わって、これまでの日常が手に返ってきそう。

辛い日々だったとはいえ、このユーレイな加蓮がいなくなってしまうのも、それはそれで寂しい。

いや……いなくなる、っていうのはおかしいか。

二つが一つに戻るだけなんだから、ね。

「ね、凛、奈緒、小梅ちゃん、Pさん」

加蓮が、ゆっくり、「ありがとう」と眼を閉じた。

その声音はとても暖かかった。

「アタシ、頑張ってリハビリして、すぐ戻る。そしてみんなに報いるって、約束するよ」

もう二度と、めんどくさーい、なんて云わないからさ――と笑って。

みんなが、お互いの顔を見合って、大きく頷く。

「それじゃ、また後で。小梅ちゃん、本当に、ありがとね」

加蓮は右手を振りながら、小梅とつないでいた左手を離した。

すぐ、私の目には、見えなくなる。

加蓮の様子を窺っていた小梅が、ややあって手をひらひらと振り、つられて、余った袖も揺れた。

「か、加蓮さん、無事に……も、戻れたみたい……。もう、見えない」

終わった。

あぁ……終わったんだ。

ほっと安堵の息を、ひとつ、吐―つ―いた。

担当医の先生を呼んで、診断してもらう。

「昏睡状態から、通常の睡眠の脳波に変わっています」

驚きの表情で、脳波計を凝視し、その紡ぎ出す波形を指でなぞった。

しばらく信号を観察してから、ふぅ、と独り頷き、こちらを向く。

「まだまだ予断は許しませんが、これなら、おそらく植物人間とならずに済むでしょう」

お医者さんのお墨付き。全員が、顔を輝かせた。

特にプロデューサーは、心労も相当なものだったんだと思う。

いつもは控えめにしか笑わないこの人が、今回ばかりは頬を目一杯緩ませている。

「よし、それじゃ起きるまで、そっとしておいてあげよう」

私たちは、加蓮を元の入院着に着替えさせてから、病院を後にした。

玄関口を出て、振り返る。

いつもは大きな威圧感を放つ無機質な建物が、今は、加蓮を護る、重厚な砦に見えた。




・・・・・・・・・・・・


気がつくと、天井の規則正しい模様が目に飛び込んできた。

うーん、あれぇ……?

掛け布団にくるまったまま視線を左右に向けると、変な機械や妙なチューブ。

そして鼻を突く薬品の匂い。

ここは……病院だろうか?

それにしても、こんな光景、まったく見覚えがないんだけど。

どうしてアタシが入院なんかしてるの?

頭の中はハテナマークだらけ。

それが意味するところはよくわからないけど、漠然と、何かがおかしいと思う。


……なんだろう、妙なカンジ。

しばらく考え込んでいると、控えめな音を立ててドアが開いた。

そこには、ナースさんが立っていた。

どうやら、アタシはいつの間にかナースコールを押したらしい。

まるで身体に染み付いた所作であるかのような、自分の無意識の行動に驚いた。

「目が覚めたんですね。今、担当の先生を呼んできますから」

部屋を覗き込んだナースさんが、優しい笑顔を残して再び去っていく。

あっ、行っちゃった……

本当はすぐにでも色々と訊きたいんだけど。

ねえ、一人にしないでよ。

何もわからないのに。

――そう。

病院にいる理由だけならまだしも。

“何もかもがわからない”のに。


首筋に寒気がする。

何も考えられない。

何も考えたくない。


思考がうまく回らないまま、どれくらい経っただろうか。

静寂は唐突に破られた。

「加蓮! 目が覚めたんだって!?」

「お、おい凛、慌てんなよ! 気持ちはわかるけど!」

「だって奈緒! あれから四日も経って、加蓮はもう起きないのかもと覚悟してたんだから仕方ないでしょ!」

「そ、そりゃあたしだってそうだけどさ!」

ドアが乱暴に開けられて、女の子が二人、大焦りでアタシの病室に駆け込んできた。

その後ろからはスーツ姿の男の人も。


でも――



――みんな、誰?


――カレン って ダレ ?

こんな人たち、知らない。

なのにいきなり上がり込んで、さもアタシを知っているかのような素振りをみせている。

薄ら寒い。

何なのこれ?

新手の宗教?

怖い。

怖い、怖い。

言葉を交わした記憶なんてないし、そもそも見覚えすらなく。

みんな小綺麗な面立ちや格好をしていても、そんなの、関係ない。

異様な事態に気持ち悪すぎて吐きそう。

眉根を寄せて、首から上だけをその不審者たちに向ける。

二人の女の子が、驚いたように動きを止めた。

「アンタたち……誰?」

疑心暗鬼に満ちた視線と問いを投げ掛けると、たちまち病室の空気が凍り付いたような気がした。

アタシには、その理由が、わからない。



やおら、一番はじめに飛び込んで来た、長い黒髪の子が声をあげて泣き崩れたけれど。



アタシには、その理由が――わからない。


~了~

バッドエンドだったか…原因はなんなんだろうな



エンディング代わりに置いときます
ユーレイにちなんでUREI 1176を多用しました
https://soundcloud.com/shiburin/gedaechtnisstoerung


>>222
幽体よりも実世界に存在し続けた脳の状態の方が優先される、という単純な理屈です。

なので自分の中では、ユーレイだったときと同じようにハッカを聴かせれば回復します。
もちろん読む人によって、このまま永久に戻らない加蓮の世界線があってもいいですし
再度別のアプローチで記憶を甦らせるドラマがあってもいいですし。

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