奴隷「一族再興のためなら、俺は」 (105)

中世風ファンタジー系オリジナルSSです
ある程度プロットを作ってはありますが、最後まで書き溜めていないのでご了承ください
エログロ鬱は入る前に伝えます
NTRやレイプ(未遂含む)などの胸糞展開は絶対にありません
次レスから投下開始します

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1434621355


 奴隷市


競売人「さあお次はこちら!」

競売人「大陸西部、カルーアの森は最奥に密かに隠れ住むカルーア族の末裔です! 見てください、このたくましい筋肉! 幼さが残りつつも精悍な顔立ち! そして身体中の見事な刺青!」

競売人「素晴らしいでしょう、カルーア族は皆このような刺青を施しているのですが、その模様は一人ひとり異なっています! 何人か集めて、どう違うのかを見比べてみるのも面白いかもしれませんな!」

競売人「彼らの存在は、長らく帝都の大賢人でさえ知る者はいないとされていたほどの神秘! その理由は、なんとカルーア族の集落は、かの恐ろしき自然の悪意の具現“枯れ果てた庭”を越えた先にあったからなのです!」


貴族1「“枯れ果てた庭”って、大陸の西の方にある原野のことか? 帝都の精鋭魔術師が100人掛かりで調査に乗り出したのに、生きて帰ってきたのはたったの7人だったって話の」

貴族2「そのうちの5人も王に謁見する前に死んだんだってな。全身消し炭みたいに黒ずんでて、とても人間の身体とは思えないような有り様だったらしいぜ」

貴族1「おっそろしいとこだな……って、ならどうやってカルーアの森とやらまで辿り着いて、しかも奴隷をぞろぞろ連れて帰ってこれたんだ?」

貴族2「知らねーよ。別のルートでも見つけたんじゃないのか?」


競売人「いかがでしょう、有史以来初めて世俗に降り立った自然の民! ここで買い逃せば、後にも先にも二度とお目にかかれますまいぞ!」

競売人「下男にしても良し、観賞用にしても良し、夜のお供にしても良しの一級品! ちょっと冒険して金貨15枚からお願いします!」

競売人「18出ました、25、29、34……40、おっと、50出ました!」

禿貴族「わっはっは、悪いな皆の衆! あれはわしがいただいていくぞ!」

貴族1「(出たぜ、パゾリーニの変態親父だ。あいつに買われたが最後、一週間でぶっ壊されるって話だぜ)」

貴族2「(俺は3日って聞いたぞ。墓に入るときは原形留めないくらいめちゃくちゃにされてるんだってな)」


奴隷(下卑た面だ。反吐が出る)

奴隷(カルーアに授かったこの身が、あの男の手に触れられるなど許しがたい)

奴隷(だがいかにも間抜けそうな風体だ。隙をつくのは容易いだろう)

奴隷(そして、そのときが奴の最期になる)

競売人「えー入札される方いらっしゃらないようでしたら――」

少女貴族「…………」スッ


 ざわっ……!


貴族1「マジかよ……」

貴族2「冗談だろ……?」

競売人「――ひゃ、100ぅ!? 100! 100出ました!」


禿貴族「ぬぅ、小癪な!」

競売人「はい、105……130出ました。いかがなされますか?」

禿貴族「ぐっ……!」

使用人「だ、旦那様! これ以上は……」

禿貴族「分かっておるわ!」

貴族1「(すっげえ……あの禿野郎から見事にぶんどっちまった……)」

貴族2「(金貨130枚あったら、俺の屋敷が丸ごと買えるぜ? 正気じゃねえよ)」

競売人「では落札された方は引取り所までご足労願います!」

少女貴族「私は先に帰っている。後は頼んだぞ、エーデルワイス」


侍従「了解しました」

貴族1「(ん? あの嬢ちゃん、よく見りゃパステルナークの)」

貴族2「(しっ! 滅多なこと言うな!)」

侍従「……御嬢様」

少女貴族「言わせておけ」

侍従「……はっ」


 屋敷


侍従「パステルナーク家へようこそ。今日からあなたはここで働いてもらうことになります」

奴隷「…………」

侍従「言葉は分かりますか?」

奴隷「…………」

侍従「あまり反抗的な態度をとられると、こちらとしても相応の対応をしなければならないのですが」

奴隷「……俺はそれでも構わないが」

侍従「……御嬢様がお待ちです。お部屋に案内しますから、そちらでお話を聞いてください」

奴隷「…………」


 少女貴族の部屋


少女貴族「このドレスは何だか地味なような……別のものの方が……」ソワソワ

少女貴族「どんな風にお迎えしたらよいのか……椅子に腰掛けて? それとも立ったまま?」

少女貴族「うーん……」
 

 コンコン


侍従「連れて参りました」

少女貴族「ひゃっ!? は、入れ」

奴隷「…………」



少女貴族「お、おお……これはまた、近くで見るとますます……お、もう下がってよいぞ、エーデルワイス」

侍従「御嬢様、この者は」

少女貴族「下がれと言ったぞ」

侍従「……失礼しました」


 バタン


少女貴族「……その、遠いところからご苦労だった。大陸西部から来たのだったな? 長旅は疲れただろう、今晩はゆっくりと」

奴隷「連れて来られた」

少女貴族「あっ……す、すまない! そなたを不愉快にさせるつもりはなかったのだ!」

奴隷「…………」

奴隷(いきなり二人きりになるとは、よほどの馬鹿か、それとも手練か)


奴隷(だが、武器になりそうなものは十分にある。部屋そのものが幻想化されていない限り、いくらでも戦えるだろう)

奴隷(いつでも来い……!)

少女貴族(そ、そんなにまっすぐな目で見られては……恥ずかしいではないか!)

奴隷(俺が殺気を出した途端にほくそ笑んだ……やはり、切り札を隠しているようだ)

少女貴族(とても顔を上げれん……椅子に座るとしよう)

奴隷(何……!? あんな身動きのとりづらいクッションだらけの椅子に自ら座るとは……俺がいつ動こうと、完璧に対処してみせるということか)

少女貴族「そ、そう硬くなるな。そなたをとって食おうというわけではないのだ。楽にするがいい」

少女貴族(緊張しているのは、本当は私の方なのだがな……)

奴隷(くっ、俺の手の内など、全てお見通しということなのか……!)


奴隷「気遣いは無用だ」

少女貴族「そ、そうか……時にそなた、名を何というのだ」

奴隷「今はない。祖先の眠る地を離れた以上、カルーアから授かった名を名乗るわけにはいかない」

少女貴族「む……しかし、呼び名がないのでは都合が悪いではないか」

奴隷「…………」

少女貴族「よし、イレズミだ。そなたのことはこれからイレズミと呼ぶことにしよう! ……か、構わないか?」

奴隷「……何とでも呼んでくれ。どうせ仮初の名だ」

少女貴族「イレズミ、イレズミか……ふふふ、我ながらよい名を思いついたものだ」

少女貴族「私の名はヘレナだ。気兼ねなく名前で呼ぶがよいぞ」


奴隷「了解した……それで、俺の仕事は何だ。あの女に、君から聞けと言われたのだが」

少女貴族「そ、そうだったな。忘れていた」

少女貴族「……実のところ、特に何かさせたいことがあるわけではないのだ」

奴隷「…………」

少女貴族「そなたを私のものにした時点で、既に目的は果たされているからな」

奴隷「どういう意味だ」

少女貴族「だ、だから、その……私は、ただそなたが欲しかったから買ったのだ。それ以外に、理由などない」

奴隷(俺が欲しいというのに、させる仕事はないという)


奴隷(なるほど。つまり、この女の目当ては俺の生皮か。ならば、生きているうちは俺に用はない。そういうことか)

奴隷(美しい刺青が施された皮膚は高く売れるという。いや、わざわざ大枚はたいて俺を買い受けたのだ。自室に飾るつもりなのだろう)

奴隷(……まあ、ろくな目には遭わないだろうが、それでも殺されるのはごめんだ)

奴隷「……それは、少し困るな」

少女貴族「そ、そうだな! そういうのは、もっと段階を踏むべきだったな、すまなかった」

少女貴族(ス、ストレートに言い過ぎたか……かなり警戒されてしまったな。見た目よりも純情なのかもしれん)

奴隷「とにかく、俺に仕事をくれないか。力仕事ならひと通りはこなせる自信がある」

少女貴族「しかし、屋敷のことは今いる者で間に合っているからな……割り振りのしようがない」


少女貴族「うーむ……」

奴隷「…………」

少女貴族「とりあえず、今日のところは保留だ。明日の朝までに何かしら考えておこう」

少女貴族「では、下がってよいぞ」

奴隷「……ああ」

少女貴族「む、そうだ。エーデルワイス……侍女に何か聞かれたら、今日は屋敷の構造を覚えるように命令された、と言うように」

奴隷「了解した」

奴隷(元よりそのつもりだったが、公に許しが出たとあれば動きやすい)

奴隷「立ち入りが禁じられている部屋は?」


少女貴族「特にはないが……まあ夕食の鐘を聞き逃さないようにしてくれれば、何をしていてもよいぞ」

少女貴族(今日はイレズミのためにご馳走を作らせたからな。彼が食べ損ねてしまっては元も子もない)

奴隷(鐘の合図が聞こえない場所……地下には行くな、ということか)

少女貴族(待て、書斎には入られるのは困る。少々過激な書物があるからな……イレズミにはまだ早いだろう)

少女貴族(エーデルワイスたちにも気づかれていない……はずの秘密の部屋だが、万が一ということもある)

少女貴族「あーすまない、書斎らしき部屋を見つけても、気づかない振りをして素通りしてもらえると助かる


奴隷(下手に入れば命の保証はない、という警告か)

奴隷「言われるまでもない。俺もそこまで物好きではないからな」

少女貴族(察せられた――――!)

奴隷(……何故床を転げ回っている? 分からない、推測不能だ)

奴隷(やはり油断ならない……!)


奴隷「……ずっと扉の前にいたのか」

侍従「当然です。御嬢様にもしものことがあっては、お館様に申し開きできませんから」

奴隷「……全く気付かなかった」

侍従「……この際なので言っておきますが、私はこの屋敷ではあなたの先輩に当たる存在です」

奴隷「悪いが、俺は下男でもメイドでもない」

侍従「あまりこういう言い方は好きではありませんが……もう少し、立場というものをわきまえた方がよいかと思います」

奴隷「奴隷風情が粋がるな、と」

侍従「いえ、そういうことでは……」

奴隷「例え奴隷に身をやつしていようと、カルーアの眷属は強きにおもねるような真似は決してしない」

奴隷「その旨、よく覚えておいてほしい」

侍従「…………」

奴隷「彼女からの最初の命令は、この屋敷を見学することだそうだ。好きに歩き回らせてもらう」

侍従「……分かりました。他の者にも伝えておきます」

侍従「(やはり、彼を御嬢様のお側に置いておくのは危険やもしれません……こちらで内密に対処するべきでしょうか)」

侍従「(とりあえず、彼を一人にしないよう取り計らっておかなければ)」


 庭園
 

奴隷「――これでひと通りは回ったか」

奴隷(外観から薄々分かってはいたが……広いな)

メイド「あのー」

奴隷「……俺に用か?」

メイド「もしかして、今日お嬢様に買われてきた方ですか?」

奴隷「そうだが」

メイド「きゃーやっぱりー! すっごくかっこいい子がうちに来たって、私たちの間でも噂になってたんだよー!」

奴隷「……はあ」


メイド「お嬢様が見初めるくらいだから相当だと思ってたけど、想像より全然いいかも! この刺青とか、エキゾチックで素敵――――」

奴隷「触るな!」

メイド「ひゃっ!?」

奴隷「あ、いや……」

奴隷(しまった、つい素が……)

奴隷「その、女性に、あまり、慣れていないから、べたべた触られると、困る……」

メイド「なるほどなるほど。いやーごめんね~。わたしったらすぐ調子に乗っちゃうタイプだからさーあははは」

奴隷「ははは……」


メイド「ほーんと、こんなにいい加減だから、親に売られちゃったのかもねー、なーんて」

奴隷「……売られた?」

メイド「うん。うち貧乏だったから、飢饉のときに食い扶持がなくて。口減らし兼ねてぽいって」

メイド「まあ仕方ないよねー。そういう風に生まれちゃったんだからさっ」

奴隷「……そう、だったのか」

奴隷「君も、売られた身の上だったのだな」

メイド「あ、そういうのはやめてほしいかも」

奴隷「……そういうの?」


メイド「身売りされたから可哀想とか、そういう風に同情されるの好きじゃない」

メイド「私はそういう家に生まれちゃったの。ただそれだけ」

奴隷「……割りきっているんだな」

メイド「んーまあそうだけど、過ぎたことでくよくよしてたら人生もったいないじゃん? 私がこうして可愛くキュートでいられる時期なんて、後もう何年もないんだからさっ」

奴隷「……そんなことはない。君のような女性は、きっといくつになっても可愛らしいままだろう」

メイド「ふぇっ!? な、何だよいきなりー! 大人をからかうもんじゃないぞぅ!」

奴隷「冗談で他人を褒めることなどしない。今のは俺の本心だ」

メイド「む~~~~! と、年下のくせに生意気なんだよ――――!」ダッ


奴隷「……行ってしまった」

奴隷「確かに、年上の女性に対して『可愛らしい』というのは失礼だったかもしれない」

奴隷「そのあたりは、もっとしっかり使い分けなければいけないな……」

奴隷(でも)

奴隷(俺は、いつか必ずカルーアを再興させてみせる)

奴隷(そのためなら、手段を選ぶつもりはない)

奴隷(選んでいる余裕があるほど、俺は強くないから)

奴隷(……あのとき俺にもっと力があれば)

奴隷(誰も失わずに済んだのに)

奴隷(誰も泣かせずに済んだのに)

奴隷(……ずっと、何も変わらないままでいることができたのに)

今回の投下はここまでです
次回の投下は明日の夕方以降になります
読了いただきありがとうございました

こんばんは
今回の投下に参りました
次レスから投下開始します


侍従「イレズミさん。御嬢様がお待ちですので、すぐにこちらへ」

奴隷「すまない。もう少し急いでくるべきだった」

侍従「……? 早く食堂に入られては?」

奴隷「……主人と奴隷が同じテーブルを囲む道理はないだろう」

侍従「この屋敷ではそのようなことはありませんから、どうぞ中へ」

奴隷「……はあ」

奴隷(……どういうつもりだ?)


少女貴族「あ、イレズミ……こほん、遅いではないか! どこで油を売っていたのだ!」

奴隷「……この屋敷の中でだが」

少女貴族「そんなことは分かっている!」

奴隷(なら何故聞いたんだ……)

少女貴族「私が言いたいのはだな――――うちのメイドと、何をぺちゃくちゃと喋っていたのだということだ!」

奴隷「ただの世間話だが」

少女貴族「ただの世間話が配膳の間中メイドたちの間で話題になるはずがあるかっ」


少女貴族「聞こえていたのだぞ! やれ異国風の美少年だっただのやれ女心をくすぐる天然ジゴロ体質だのとまあぴーちくぱーちくと……!」

メイド「~~♪」

奴隷(どんな風に吹聴したんだこの女は……)

奴隷「俺は何もやましいことなどしていない」

少女貴族「本当だな?」

奴隷「ああ。ただ、容姿が優れていて器量が良いと思ったから、その旨を口にしただけだ」

侍従「まあ」


少女貴族「そ……それのどこがやましくないことなのだ!」

奴隷「……都の価値観はよく分からないな」

奴隷「自分の子を成してほしいと思った女性に、早くからアプローチをかけるのは当然のことだろう」

メイド「こっ」

侍従「あらあら」

少女貴族「……すると何か。イレズミ、お前はユークと子供を作りたいと、そういうことを言ったのか」

奴隷「さっきからそう言っているだろう」

奴隷「彼女は骨盤がよく発達しているし、母性が強そうだからな。家庭を築き、狩りの間留守を守ってもらうには理想的な相手だ」

メイド「~~~~~~っ!」

少女貴族「こっこっこの――――」

少女貴族「大バカ者――――!!」


奴隷(……結局、俺だけ別室で芋2つに水と塩か)

奴隷(まあ粗食には慣れている。芋も蒸かしてあるだけ上等だ)モグモグ

侍従「文化が違えば女性観も違うのは珍しいことではありませんが……もう少し言葉を選ぶことはできなかったのですか?」

奴隷「……どう選べばいいと」

侍従「ただ粉をかけただけで深い意味はないとか、社交辞令の一種だったとか……」

奴隷「あのメイド……ユークに声をかけたのは、彼女が魅力的だと思ったからだ。それ以外の言い方などない」

侍従「ですから、そう言えば御嬢様もあそこまで癇癪を起こすことはなかったと言っているのです」

奴隷「だから、俺はそう言っただろう」


侍従(……『あなたは魅力的だ』=『あなたに自分の子供を作ってほしい』になるということですか)

侍従「つかぬことをお聞きしますが、イレズミさんご自身に女性経験は?」

奴隷「ない。俺は童貞だ」

侍従「な、なら何故そのようなことを……」

奴隷「女性に好意を伝えるときはこういう言い方をしろと、親に教えられた」

奴隷「少なくともどこの家でも、俺の村では皆そう教えていたと思う」

侍従「……そういうことなら仕方ありませんが、これからは御嬢様のあなたへのお気持ちを思って、もう少し思慮深い行動を期待したいところです」


奴隷「……彼女の、俺への気持ち?」

侍従「ええ。昼間、何故あなたを買ったのかを、御嬢様ご自身が口にしていたと思うのですが」

奴隷「俺の生皮を剥ぐつもりだったということか?」

侍従「え?」

奴隷「……何かおかしいことを言ったか?」

侍従「……深刻な行き違いが生じているようですね。違います、御嬢様があなたを買われたのは――端的に言うと、あなたに一目惚れしたからです」

奴隷「……それは異性として、ということか?」


侍従「当然です」

奴隷「なるほど。しかし、理由はどうあれ、俺を買い取り、奴隷商人から解放してくれたことはとてもありがたいことだ。この恩義には、いつか報いなければならない」

侍従「ならば……」


奴隷「だがそれとこれとは話は別だ」


奴隷「悪いが、今の俺では彼女の気持ちに応えることはできない」

侍従「すぐにとは言いません。ですが、御嬢様のご好意を無碍にされるようなことだけは、どうかされませんようお願いします」

奴隷「…………ああ」



 扉の外


少女貴族「………………」


 ――――――――


侍従「……とのことですが」

少女貴族「……イレズミの言うことはもっともだ。恩を受けた相手だからといって、無条件に惚れてやらなければならない道理などない」

侍従「御嬢様……」

少女貴族「だからこれは、十分にありえたことなのだ。何も、悲しむことなど……っ!」

侍従「彼は、今は御嬢様の気持ちには応えられないと申したのです。ならば、いつか心が御嬢様に向く可能性は十分にあるということですよ」

少女貴族「……」グスッ

侍従「……心中お察しいたします。しかし、いつまでも悲嘆に暮れているわけにはいきませんよ。彼のことを想っているのは、御嬢様だけではないのですから」

少女貴族「む……そういえばそうだったな。おのれユークめ、主人の男に手を出すとは、全く呆れた奴だ……」

侍従「御嬢様の、ではございませんが」


少女貴族「い、いずれなるのだ! そうだ、こうしてはおれんぞ。あの雌狐にイレズミをかすめ取られぬよう、きちんと策を練らねばならん!」

少女貴族「だが私はもう眠い。今日のところはここで床につくことにするぞ……」

侍従「おやすみなさいませ、御嬢様」

少女貴族「うむ。これから忙しくなるからな。エーデルワイスもたっぷりと休息をとっておくのだぞー……」



侍従「(……最後の問いかけのとき。それまでは真っ直ぐ私の目を見て話していたのに、あのときだけ視線を逸らした)」

侍従「(せめて、御嬢様に仇なす道だけは、選ばないでおいて欲しいものです)」



 つづく

これにて今回の投下は終了です
読了いただきありがとうございました

お待たせしました
次レスから投下再開します


 明朝:イレズミの部屋


奴隷(……てっきりあの日の夢でも見るかと思ったが、しっかりと熟睡できたな)

奴隷(それ自体は何の問題もないのだが……やはり、複雑な気分だ)


 ――――――――


 食堂


少女貴族「イレズミ、そなたの仕事が決まったぞ」

奴隷「そうか」

侍従「あなたにはこの屋敷の雑務全般を担当してもらうことになりました」

奴隷「分かった。何をすればいい?」


侍従「まず、あなたは屋敷内の物品の補充について学んでもらいます。今日のところはユークの妹、ガーネットの買い出しに同行してください」

メイド妹「…………」ペコリ

少女貴族「帰ったら侍従に家事の何たるかをビシバシ叩き込んでもらうからな。これから当分、そなたには一時の暇すら与えられぬものと思え!」

奴隷「分かった。早く仕事を覚えられるよう努力する」

少女貴族「な、何だ。不満はないのか?」

奴隷「狩猟しか知らずに生きてきた身だ。必要な技術を身につけるには時間が掛かるだろう。休んでいる暇などないのは当然のことだ」

少女貴族「いや、その……休息が欲しくなったら、その旨を素直に伝えてよいのだぞ?」

奴隷「大丈夫だ。動き回るのには慣れている。心配はいらない」

少女貴族「そうか……ならばよいのだが」

メイド妹「…………」


メイド妹「今日一日、あなたの指導を仰せつかりました。ガーネットです」

奴隷「ああ。君のことはユークからも聞いている」

メイド妹「はい。私も、あなたのことは姉さんからから聞いています」

奴隷「そのことなんだが……彼女は俺のことをどう言っていたんだ?」

メイド妹「……素直で、可愛らしい男の子だと」

奴隷「それは嬉しい。……しかし、それだけでヘレナがあそこまで怒ったりするものだろうか」

メイド妹「若いのに身体がきゅっと引き締まっていて、なのに頬は歳相応にぷにぷにしていて、普段はこなれている風にしているのに、いざとなったら絶対あたふたするタイプだ、と」

奴隷「……いざとなったらって、いつのことを言っているんだ」

メイド妹「ご自分で分かっていらっしゃるでしょうに、わざわざ私に聞くのですか?」

奴隷「いや、そういう意図はなかったんだが」

メイド妹「行きましょう。エーデルワイス様に職務怠慢と思われては事ですから」

奴隷「……ああ」

奴隷(俺は何か、彼女の気に障るようなことをしただろうか?)


メイド妹「――これで市場はひと通り回りましたが、何か質問等はございますか?」

奴隷「いや、特にない。順路や品目も概ね記憶できた。次からは一人で来れそうだ」

メイド妹「……では、僭越ながら試験の真似事など。次の火曜日のお夕飯のご用意と、お嬢様のお召し物の修繕に必要な金銭の総額をお答え願います」

奴隷「ゼロ。センターストリートの仕立屋はパステルナークと年間契約を結んでいる。よって、修繕費は年始めに一括で支払っているはずだ」

奴隷「そして、火曜は家庭菜園の収穫物のみで料理を作るという慣例がある。冬になればいざ知らず、この季節なら問題はないだろう」

奴隷「ああ。近頃は妙な病が流行っているせいで、葉野菜の生育が芳しくないそうだな。なら日曜の特売で安く仕入れられる」


奴隷「まだ使い走りを任されるには早いようだ」

メイド妹「……いえ、確かに次回からはあなた一人でも心配はなさそうです。失礼いたしました」

メイド妹「少し、時間が余ってしまいました。夕方までしばらく余暇がありますが、どこか行きたいところはございますか?」

奴隷「ああ」

メイド妹「どちらへ?」

奴隷「奴隷市だ」

メイド妹「っ……!」



競売人『さあ、安いよ安いよー! 力仕事にうってつけの若い男が、3人まとめて何と金貨10枚だ!』

奴隷「はは。彼らが30人束になっても俺1人分にも満たないのか。野菜や果物ではあるまいし、人を十把一絡げに売りさばくとは、まさに神をも恐れぬ所業だな」

メイド妹「……行きましょう。不愉快です」

奴隷「そうだな。奴隷だからといっても、もう少しまともな衣類を着せてやるべきだ」

奴隷「あれではまるで見栄えがしない……体つきは悪くないというのに、ケチるところを間違えたな、商人め」

メイド妹「……あなたは」

奴隷「どうかしたか?」

メイド妹「……いえ、何でもありません」

奴隷「そうか。ならもう帰ろう。見るべきものは全て見た」

メイド妹「まだ、向こうの方にも市はありますが」


奴隷「……いや、ここは空気が悪い。君の身体に障ってはいけないからな。このあたりで切り上げよう」

メイド妹「……お気遣い、感謝します」

メイド妹「(私への配慮があること自体は事実だ)」

メイド妹「(でも、本当にこの人はこれ以上ここには用がない)」

メイド妹「(見るべきものは全て見たって……もしかして、同じ村の人間を探していた?)」

奴隷「しかし、やけに騒がしいな」


メイド妹「そうですか? 私には、いつも通りとしか……」

奴隷「東の通りの方だ。行ってみよう」

メイド妹「あ、待ってくださ――」


 パシッ


奴隷「はぐれてはいけない。しっかりついてきてくれ」

メイド妹「……は、はい」

メイド妹「(大きくて、力強くて、温かい手)」

メイド妹「(私にも、こんな風に手を引かれたことが――――)」



奴隷「失礼。何があったのか、教えていただけますか」

通行人「いつものことだよ。『戦線』の奴らがまた一騒動起こして、あっさりとっ捕まっただけさ」

奴隷「『戦線』……?」

メイド妹「奴隷解放戦線――――ある大賢人の宣託を借りて、奴隷制の撤廃を敢行しようとしている集団です」

メイド妹「まだ興ったばかりで規模も小さいですが……いずれ、彼らは大きな勢力となり、この世界にうねりをもたらすのでは、と」

奴隷「彼らに期待しているのか、ガーネット」

メイド妹「……この世界は間違っています。人が人を買い、虐げ、家畜のように扱うようなことなど、あってはならないことです」

メイド妹「このような行いを神が見過ごすというのなら、最早同じ人でしか」

メイド妹「私には力がありません。ですから、彼らのような人々に、期待を掛けることしか出来ないのです」

奴隷「……それは、結構なことだな」


構成員1「この世界は間違っているッ! 人を奴隷に貶めるような、畜生の所業が許されていい道理などないッ!」

構成員2「かの大賢人ベルトナムは言った! 『人とは皆生まれながらに平等だ』と! 人が人である限り、貴族も奴隷も、誰もが同等の権利を持たなければならないのだ!」

構成員3「お前たちに人の心はないのか!? 女衒に引っ立てられる母親を、泣き叫びながら呼ぶ子が農園主に引きずられていく様に、何の痛みも覚えぬというのか!?」

衛兵「やかましい! とっとと歩け、このクズ共!」

構成員1「ぐっ……! こ、この世界は……間違っている!」

構成員2「『人とは皆……生まれながらに平等だ』!」

構成員3「この世界は――――」


構成員123「「「間違っている!」」」


奴隷「…………」

メイド妹「あなたが故国の復興を願っているのなら、彼らの力を借りるのもよいかもしれません」

奴隷「……行こう。夕暮れも近い。侍従にどやされてしまう」

メイド妹「はい」

メイド妹「(……もう手を握ってはくれないのですね)」



 ――――――――


 深夜


侍従「お疲れ様でした。今日のところは、もうお休みになられても結構です」

奴隷「ああ。分かった。では、いい夢を」

侍従「どこに行くのです?」

奴隷「床に就く前に、月でも見ようかと」

侍従「……ご一緒しても?」

奴隷「監視のつもりか?」

侍従「いえ。そのようなことは……」


奴隷「信用されていないことは分かっている。隠す必要はない」

侍従「(ガーネットの報告では、奴隷の解放に興味を示す様子はなかった)」

侍従「(ですが、まだ……)」

侍従「……あなたの言動には、今のところさほど問題は見受けられません」

奴隷「それはよかった」

侍従「しかし、御嬢様に一切の害意がないと完全に証明されるまでは、一人で屋敷内を歩かせるわけにはいきません」

奴隷「そんなもの、証明できるわけがないだろう」

↑最後の奴隷のレス間違えました
これでお願いします


奴隷「どうすれば証明できるんだ?」

侍従「それはこれからの行動次第です」

奴隷「ヘレナに恩義を感じていることは事実だ。彼女を害することなどありえない」


侍従「その御嬢様が、あなたの一族再興の妨げになるとしてもですか?」


奴隷「……そんな仮定は無意味だ。悪趣味な質問はやめてくれ」

侍従「……失礼しました」

奴隷「月見はやめにしよう。今日はもう疲れた」

侍従「動き回ることには慣れているはずでは?」

奴隷「そんなに俺と月を見たいのか?」

侍従「私を口説こうなど、5年早いですよ」

奴隷「身持ちが堅いのは結構なことだが、行き遅れては元も子もないぞ」

侍従「…………」イラッ



メイド姉「ねえガーネットガーネット! 今日のイレズミくんどうだった? やっぱりかっこよかったでしょ?」

メイド妹「……姉さん。疲れているので、早く寝たいのですが」

メイド姉「明かりは消したんだし、後はもう目をつぶるだけでしょ? ちょっとくらい大丈夫大丈夫~」

メイド妹「いえ、それは姉さんが決めることでは」

メイド姉「クールな顔して可愛いとこあるっていうか、ウブなようで意外とませてたり、もう最高だよ~! あんな子弟にしたいなー!」

メイド妹「……はあ」

メイド姉「んもうテンション低いなー。どうしたの? 疲れてる?」


メイド妹「さっきそう言ったはずですが……」

メイド妹「(彼が『戦線』に興味を持たなかった理由は分かりませんが……エーデルワイス様に嘘の報告は出来ませんから、これでよかったのかもしれません)」

メイド妹「(……けれど)」

メイド妹「(もう一度、あの手に引かれて歩きたかった……)」

メイド姉「ちょ、ちょっと? 一人で世界に入らないでよガーネット? お姉ちゃん泣いちゃうぞ?」

メイド妹「…………」

メイド姉「何で寝ちゃうんだよー! せっかくイレズミくんのこと話したかったのにー!」

メイド妹「……姉さん」

メイド姉「あら、起きてたの?」


メイド妹「姉さんは、何も分かっていません」

メイド姉「え?」

メイド妹「そんな姉さんと話すことなど何もありません。では、おやすみなさい」

メイド姉「そ、それどういうことなの? ねえ、ねえってば」

メイド妹「――――――」zzz

メイド姉「い――――意味深なことだけ言って寝るなぁぁあああ!」


 つづく

今回の投下は終了です
読了いただきありがとうございました

間が空いてしまってすいません
次レスから投下開始します



 寝室


奴隷(あの奴隷市に、俺以外のカルーアの民はいなかった)

奴隷(既に買い手がついてしまったのか、それとも違う街に連れて行かれたのか)

奴隷(だとすれば、同胞を見つけるだけでもひどく骨が折れそうだ)

奴隷(俺一人の力では到底成し得そうにない)

奴隷(……奴隷解放戦線か)

奴隷(ガーネットがやけに入れ込んでいたが、正直彼女の目が黒い内に目標が達成されることはないだろうな)

奴隷(しかし、多少の情報くらいは持っているかもしれない)

奴隷(上手くいけば、カルーアの民もそこにいる可能性もある)

奴隷(……行くだけ行ってみるとしよう)



 屋敷外


奴隷「…………」タタタタタ

奴隷(案外すんなり抜け出せたな……泳がされているのか?)

奴隷(いや、考えても無駄だ。先を急ごう)

奴隷(『戦線』とやらのアジトがどこにあるのかは分からないが、彼らのような集団が団員の勧誘を行うとするなら夜だ)

奴隷(街まで出れば、後はどうにでもなる……!)

奴隷(……明日は明日の風が吹く、か。そのような思考は、村にいた頃は絶対にしなかったんだがな)

奴隷(行き当たりばったりでなんとかなるほど、あの森は甘くはなかった――――)


 ザッ!!


山賊1「止まれ!」

山賊2「命が惜しけりゃ、身包み置いていきな」

山賊3「子供がこんな夜中に出歩くなんてよくないぞぅ。こういう怖い大人に襲われちゃうからなぁ」

山賊4「このへんで張っとくと、たまに酔狂なバカが引っかかるんだ。こんなクソ山奥に何があるんだか知らねえがな」


奴隷「……追い剥ぎの類と見えるが、あいにく貴様らにくれてやるものなど何もない」

奴隷「それでもというのなら、相応の覚悟をしてもらう」

奴隷「貴様らでは、俺に指一本触れることはできない」

山賊1「抜かしやがる……やるぞ」



 じりじりと包囲網を狭めてくる山賊たち。

 それを無視して瞼を閉じ、自然体のままただその場に立ち尽くす。

 イメージするのは闇に溶けた自分。

 髪も、肉も、骨も、全て静かな夜の中に埋没させる感覚。

 冷えた夜気は吐息となり、僅かな雑音は心臓の鼓動にかき消される。

 自然と一体化することで、獣の五感から逃れるための狩人の技術。

 名前はない。

 ただ、『アレ』とだけ呼ばれた、森の民の絶技。

 これに卓越した者ならば、野の獣にすら気付かれずに森を動き回れるようになるのだという。

 しかし、当然そんな境地に至ってなどいないし、そこまでの強度など求めていない。

 明かりすらない新月の夜に、無骨者どもの感覚を誤魔化すことができればそれでいい――――



山賊1「……お、おい。あのガキどこに行きやがった?」

山賊2「いや、確かにさっきまでこのあたりにいたはずなんだが……」


 久しぶりだったが、何とか上手くいったようだ。

 その場から一歩も動いていないにも関わらず、山賊たちは夢から醒めたかのようにきょろきょろと辺りを見渡している。
 
 このままこっそりとこの場を去ってもいいのだが、彼らとて山に身を置く者。些細なことで感付かれてしまう可能性もないではない。

 今はこうして息を潜めているのが得策か。


山賊3「大方、どっかの木の陰にでも隠れてるんだろ。探すぞ!」

山賊娘「――――待って」


 突然頭上から声が降ってくる。

 見上げると、木の枝の上に一人の小柄な少女の姿があった。

 取り回しの利く小型の弓を構え、大柄な山賊越しにこちらをぴたりと狙っている。


山賊1「あ? 何だよナパ。どうかしたのか?」

山賊娘「……兄さん、ちょっと屈んでくれない?」

山賊1「おう、これでいいか――――」


 ヒュッ!


奴隷(…………ッッ!!)


 梟の羽音ほどの風切り音が、脳天をかすめていった。

 山賊と一緒に屈むのが、あと数瞬遅かったとしたら。

 間違いなく、彼女の矢に眉間を貫かれて絶命していただろう。


山賊娘「――悪い、勘違いだった」

山賊1「何だよ、ったく。ビビらせんじゃねーよ」

山賊2「急ごうぜ。もしかしたら、もう遠くまで行っちまったかもしれねえ」

山賊3「余計なことすんなよな、ったく!」


山賊娘「もう少しこのへんを見て回りたいから、兄さんたちは先に行ってて」

山賊1「おう。見つけても手は出すな。野郎、中々の手練だぜ」

山賊2「いつもの鳴き真似で呼ぶんだぞ」

山賊娘「うん、分かった」


 ざっざっざっざっざ…………


奴隷(視えていた……いや、動いていないことを薄々察していたのか?)

奴隷(まずいな、彼女がここに残るとなると、動けなくなってしまう)

奴隷(吹き矢で射るにしても、射程が微妙だ。それに、木が邪魔で顔が狙いづらい)

奴隷(どうしたものか)

山賊娘「…………」

奴隷「…………」


 咳払いすら命取りになりかねない緊張の中。


 オオオオオオオオオオオオオ!!!


奴隷・山賊娘「「ッ!?」」


 不意に、山を揺るがすような凄まじい獣の吠え声が轟き渡った。


奴隷(聞いたこともない鳴き声だ……ここの固有種か?)

山賊娘「……またヤツか」

奴隷(また?)

山賊娘「なあ、いるんだろ。そこのアンタ」

奴隷「…………」

山賊娘「共同戦線を張ろう。山から下りるまで手を組まないか?」

奴隷「…………」

山賊娘「ヤツは近頃ここいらで暴れてる化け物だ。弓も鉈も槍も、斧だって効かないんだ。絶壁から転げ落ちたってピンピンしてる。目をつけられたら、二人とも命はないよ」

奴隷(山中がざわついている……動物たちが怯えているようだ)


奴隷(ここは彼女の言葉を信じてみてもいいかもしれない)

奴隷「いいだろう。だがその前に――――」

山賊娘「決まりだね。じゃあ、」



山賊娘「アンタの役は囮ってことで」



 気配を解いた瞬間、二の腕に鋭い痛みが走る。

 射抜かれた。

 そう自覚したときには、既に身体は地面に倒れ伏していた。
 

奴隷「毒か……! くそ……!」

山賊娘「悪く思わないでくれよ。こっちも必死なんだから」

奴隷「き、さま……っ」

山賊娘「次会ったらアンタの女にでもなってやるからさ。それで勘弁してよ……ま、生きてればの話だけど」



 そう言い残し、少女は木々を伝ってどこかへ逃げ去っていってしまった。

 ぐるるるるる、という獰猛な唸り声が、どこからか忍び寄ってくる。

 生臭い獣の吐息。大地を踏みしめる足音。

 引き裂かれ、噛み破られ、ぼろぼろの肉片と化した己の姿を、脳裏から必死で追い払う。


奴隷(こんな、ところで……死ねるか!)

奴隷(俺はまだ、何一つ成し遂げてなどいないのだから……!)


 そうだ、まだ何かできることはあるはずだ。

 諦めてはいけない、死んでいった同胞たちのためにも、俺はこんなところで斃れるわけには――――


メイド姉「あ! 見つけましたよイレズミさん! もう、夜遊びなんていけないんですからね、全く!」


奴隷「……ユーク?」



 場違いな明るい声が、獣の吐息に重なって聞こえてくる。

 首だけで何とか上を見上げると、そこには山のような巨体の背中に跨がったユークの姿があった。

 簡素なデザインのネグリジェを身に纏い、いかにも寝床からそのまま来ましたといった風体をしている。


奴隷「どうして、ここに」

メイド姉「そんなの、イレズミさんがこっそりお屋敷から抜け出したからに決まってます」

メイド姉「実は私、今日付……じゃなかった、昨日付でイレズミさんのお世話係に任命されましたので、これからよろしくお願いします♪」

奴隷「お世話係? 下男の俺にか」

メイド姉「まあ、元々お嬢様が見初めて買い受けられたわけですし、いいんじゃないですかね?」

奴隷「……まあいい。そういうことなら、よろしく頼む」

メイド姉「はーい。……ところで、どうしてさっきから寝そべってるんですか? 夜ですからパンツなんか見えませんよ?」

奴隷「誰も覗こうとなどしていない……!」


メイド姉「ま、私寝るときは穿かない派なので、どっちみちパンツは見えませんけど」

奴隷「……痺れ薬を盛られたんだ。動きたくても動けない」

メイド姉「そ、それは一大事です! すぐに手当てしないと! ……くま吉!」

くま吉「がうっ」

 
 ヒョイッ


奴隷「……子熊になった気分だ」

メイド姉「あ、あはは……すいません、私の力じゃくま吉の背中にイレズミさんを載せられませんので……」

メイド姉「それじゃ、行きますよー! くま吉、ゴー!」

くま吉「がうっ」

奴隷「…………あまり揺らさないでもらえると助かる」



 メイドの部屋


メイド妹「おかえりなさいませ、イレズミ様」

奴隷「……ユーク。そういえば、君といい彼女といい、その口調はどうしたんだ」

メイド妹「エーデルワイス様の方から、正式にイレズミ様をお嬢様のご客人として接するよう指令を受けましたので」

メイド姉「そういえばそんな感じのことおっしゃってましたね」

メイド妹「姉さん……」

奴隷「あの獣は君が手懐けているのか?」

メイド姉「はい! 昔から動物には好かれやすいんですよ」

奴隷「……そういう問題なのか?」

メイド妹「そういう問題に出来てしまうところが、姉さんの摩訶不思議なところです」

メイド姉「おっと、無駄話してる場合じゃないよガーネット。早くイレズミさんの手当てしないと」

メイド妹「はい、では失礼します」

奴隷「ああ、頼む」


メイド妹「――傷は浅いですね。これなら、縫合の必要もなさそうです」

奴隷「そうか。ならよかった」

メイド姉「あ・と・は、毒の方を何とかしないとですね~、うふふ」


 懐からうっすらと白濁した液体で満たされた小瓶を取り出し、妖しげに微笑むガーネット。

 そこはかとなく寒気を覚え、思わず身震いする。


奴隷「……それは何だ」

メイド姉「私の動物たちの中に、毒消しになる体液を分泌する子がいるんです。ただ、これが経口で摂取しないと効果を発揮してくれないものでして……」

メイド姉「で、今イレズミさんは横になられていて自力で飲むことができないので、これからガーネットが口移しで」

メイド妹「待ってください。どうしてその流れで私がやることになるのですか」

メイド姉「あれあれ、もしかしてガーネットったら照れちゃってる? ダメだぞ、これは医療行為なんだから、そういうのは抜きにしないとね」


メイド妹「そのようなことはありません。恥ずかしがっているのは姉さんの方です」

メイド姉「ふ~ん、どうしてそう思うのかな?」

メイド妹「自分ですればいいことを、私に押しつけようとしているではないですか」

メイド姉「そんなことないよー。私はただ、ガーネットのためを思って」

メイド妹「医療行為なのですから、そういうのは抜きなのではないのですか」

メイド姉「うぐ」

メイド妹「下世話な真似は控えてください。それに、姉さんの方が慣れているでしょうから、ささどうぞ」

メイド姉「むむむむ……い、いいよ。私がやるよ。別に何も恥ずかしくなんかないもん。口移しなんて、鳥だってやってることだもんね」


 きゅぽんっと小瓶の蓋を取り、中身を一気に口に含むガーネット。

 そして、ぎくしゃくした動きで体の上に覆い被さってくると、そろりそろりと顔を近づけてきて、


少女貴族「――――だ、誰がそこまでしろと言ったのだバカものー!」


 勢いよくドアが開いたかと思うと、そこには脚を大きく蹴り上げた体勢のヘレナがいた。


メイド妹「お嬢様。いらしていたのですね」

少女貴族「う、うむ。イレズミが怪我をしたというから、容態を見てやろうかと思ってだな……って、そんなことはいいのだ!」

少女貴族「ユーク! お前のそれが経口薬だと聞いた試しは一度もないぞ! どういうことなのだ!」

メイド妹「……姉さん。私も初耳です。説明を要求します」

メイド姉『それは誤解です! 私はただ、イレズミさんとガーネットのことを思って(ジェスチャー)』

少女貴族「どういう誤解があるというのだ!」

侍従「御嬢様。ご病人がいらっしゃいますので」


少女貴族「む……とにかく、いらんことをするな。今度から、そういうことをするときは私を呼べ」

侍従「御嬢様?」

少女貴族「じょ、冗談だ冗談! 本気にするな!」

奴隷「……とりあえず、解毒をするなら早めに頼んでいいか」

メイド妹「そうですね。姉さん、別の薬はないのですか」

メイド姉『ごめん。もうない(ジェスチャー)』

少女貴族・メイド妹「「はあ!?」」

少女貴族「ど、どうするのだ! これではイレズミが朝まで痺れたままではないか!」

奴隷「そういうことなら、俺は構わないが」

少女貴族「私が構うのだ!」

侍従「……ユークやガーネットが口移しをするのに抵抗があるのなら、私が手ずから」

少女貴族「ダメだ。エーデルワイスだと、なんかいかがわしい」

侍従「…………」


少女貴族「よ、よし。ユーク、私に口移しでその薬を」

メイド姉『すいません。くしゃみが出そうです(ジェスチャー)』

奴隷・メイド妹・少女貴族・侍従「「「…………っ!?」」」

メイド姉『イレズミさん、失礼しますっ!(ジェスチャー)』


 ――――すうううう、とユークが鼻から大きく息を吸い込みながら上体を反らしていく。

 せめて飛沫だけでも、と口を開けて、来たる瞬間を待ち構えていると、


奴隷「――――!」

メイド妹・少女貴族「「…………!」」


 はむ、とユークが口に吸いついてきた。

 それと同時に、堰を切ったように流れこんでくる生暖かい大量の液体。

 溺死してはかなわないので、何とかそれらを上手く飲み下す。


 視界一杯に、ユークの心なしか潤んだ瞳がある。

 残った薬を押し出すためか、僅かに彼女はこちらに舌を差し入れてきた。


メイド姉「――――んっ」


 俺の舌に触れてしまったことに気づいたのか、驚いたように口を放すガーネット。

 唇の間で、滴った唾液がアーチを形作る。


メイド姉「……い、医療行為ですよ。医療行為。こんなのキスじゃないですよ、勘違いしちゃダメなんですからね」

奴隷「……ああ、分かってる」 


 人工呼吸くらいなら、村でも何度かしたことはあるし、それ自体には何の感情も抱いたことはなかった。

 だが、どうしてか彼女の口移しが終わるのは、ひどく名残惜しかった。




メイド妹・少女貴族「「…………」」

侍従「では御嬢様、お部屋に戻りましょう。あまり夜更かしをしては、お体に障ります」

少女貴族「う、うむ。そうだな。イレズミ、養生するのだぞ」

奴隷「分かった」

侍従「二人は空きの使用人室を使ってください。ベッドメイキングは済ませてありますので、すぐに寝られると思います」

メイド妹「ありがとうございます、エーデルワイス様」

メイド姉「あ、ありがとうございます……」


 三人が部屋を辞し、後にはエーデルワイスだけが残される。


侍従「…………」

奴隷「……無断で外出したりして、すまなかった」


侍従「それ自体については咎めだてはしません。御嬢様の客人としてここに滞在している以上、私はあなたの動向についてとやかく言う権利はありませんから」

侍従「私が知りたいのは、何のために外出したのか、ということです」

奴隷「……『戦線』に、カルーアの民の情報がないかと思った」

侍従「そういうことでしたら、御嬢様にその旨をお伝えすれば、暇をいただけると思います」

奴隷「どういうことだ」

侍従「ですから、御嬢様はあなたの一族再興に全面的に協力されるおつもりだということです」

奴隷「なるほど。それはありがたい」

侍従「それがどういうことなのか、皆まで言う必要はありませんね」

奴隷「……ああ」

侍従「では、私もお休みさせていただきます」


 バタン


奴隷「…………」

奴隷(……実際、事は理想的に進んでいる。なのに、どうしてか胸が痛む)

奴隷(俺は、一体どうすればいい?)


 つづく

これにて今回の投下は終了です
読了いただきありがとうございました

お待たせしました
短いですが次レスから投下開始します

すいません、加筆してたら一時間も経ってました
次レスから投下開始します



 早朝の庭園


奴隷「…………」テクテク

奴隷(……妙に早く目が覚めてしまった)

奴隷(この時間なら、まだユークやガーネットも起きてはいないだろう)

奴隷(エーデルワイスは……どこかに隠れて見張っているかもしれないな)

奴隷(しかし、これからどうしたものか)

奴隷(ヘレナの好意に甘えるのはいいが、今の俺では彼女に何の見返りも齎すことができない)

奴隷(身銭など銅貨一枚たりとも持っていないし、大体俺が手に入れられる金というのは、全て彼女からの給金なのだから全く意味がない)

奴隷(体で返すといっても、俺に出来る程度のことは他の使用人たちでも十分に務まる)


奴隷(残るはそれこそ……下衆過ぎるか)

奴隷(利用するだけ利用して、事が済んだらポイでは、あまりにも外道すぎる)

奴隷(そうでなくとも、そんなことをすれば間違いなくエーデルワイスに殺される)

奴隷(……? あんなところに花壇があったのか)

奴隷(誰かいるな)


メイド姉「ひゃっ……イ、イレズミさん?」


 そこに居たのはユークだった。

 踝まであるロングスカートとブラウス、エプロンドレスという、一般的なメイド服の組み合わせ。

 スコップを片手に土をいじっていたようだが、こちらに気づいて慌てて居住まいを正している。


奴隷「そこの花壇はユークが手入れしているのか」

メイド姉「はい。私とガーネットが二人で。……ここに来たばかりで、まだガーネットが塞ぎこんでいた頃に、お嬢様が自由にしていいと仰ったので」

メイド姉「お花って、いいですよね。水をあげたり、土を入れたり、肥料を撒いたり、虫を退治したり……あれこれ手間が掛かるんですけど、それを乗り越えれば必ず綺麗に咲いてくれるんです」


メイド姉「世の中、思い通りにいかないことばかりですから。こんな風に、小さくても努力が実った証を得ることができると、とっても嬉しくなるんです」

メイド姉「人生、まだまだ捨てたもんじゃないなって」


 種を播いてから日が浅いのか、しっとりと濡れた土だけがある花壇を、そっと撫でながら笑うユーク。

 人の世の不条理を知りながら、それでもそれを肯定することを止めない彼女は、ひどく脆い。

 いっそ全てを諦めて生きる方がどんなに楽だろう。

 何も期待をしなければ、何も失うことなどない。

 ああ、個体の維持という観点から見れば、その在り方は完璧だ。

 どんな理不尽も受け入れ、傷を負うこともなく、淡々と生命を消費し、子孫を残して死に絶える生命。

 ――――そんなもの、到底認められない。

 酸いも甘いも噛み分けてこその人生だというのに。

 人としての幸せを捨てた人間など、存在することだけが目的の獣に過ぎないのだから。


奴隷「…………」

メイド姉「もちろん、咲いてくれたお花たちの頑張りからも、たくさん元気をもらってますよ」

奴隷「……それは、とても良いことだと思う」


奴隷「上手く言葉に出来ないが……君に強く共感した」

メイド姉「そ、そうですか? 途中から急にぺらぺら喋り出しちゃってごめんなさいって思ってたんですけど……その、ありがとうございます」

奴隷「礼には及ばない。……何か、憑き物でも落ちたような気分だ」

メイド姉「憑き物、ですか」

奴隷「俺はどうすればヘレナに報いられるのかとずっと考えていた」

奴隷「金でも、体でも、俺では彼女にこれまでの恩を返すことなど出来ない」

奴隷「だが……そう焦ることはないんじゃないだろうか」

奴隷「目の前にあることを片付けていけば、いつかきっと俺でも彼女の助けになるようなことが見つかるはずだ」

奴隷「それまではとにかく、ヘレナのために尽くしてみようと思う」

メイド姉「…………」


奴隷「……開き直っていると思うか?」

メイド姉「開き直りでいいじゃないですか。どうにもならないことで悩み続けるより、よっぽど健全です。それに、お嬢様もお喜びになると思いますよ……あふ」

奴隷「眠いのか?」

メイド姉「そ、その、昨日はよく眠れなかったので……」

奴隷「何かあったのか?」

メイド姉「……わざと言ってます?」


 顔を赤らめ、むすーっと頬を小さく膨らませるユーク。

 そのあまりに少女然とした仕草に、思わずドキっとした。


奴隷「……配慮が足りなかった」

メイド姉「いいですよう。別に。経験豊富なイレズミさんにとっては、あんなの何てことないんですもんね」

奴隷「……いや、そんなことはない。あれは非常に快かった」

メイド姉「えっ!?」


奴隷「人目がなくて、体が麻痺していなかったら、あの場で君を押し倒していただろうな」

メイド姉「も、もう! からかわないでくださいっ!」

奴隷「はは、悪かった」

メイド姉「……今の、冗談だったんですか?」

奴隷「……本気だと思っていたのか?」

メイド姉「前科があるので」

奴隷「そうか……」

メイド姉「はい……」

奴隷・メイド姉「「……」」

メイド姉「じゃあ、一昨日のあれも冗談だったんですか?」

奴隷「いや、本気だ」

メイド姉「ど、どういうつもりなんですかっ。真剣に子供を作ってほしいとか言ったり、冗談で押し倒そうと思ったとか言ったりっ!」

奴隷「今の俺には所帯を持つ権利などない。だが、その時が来たら、必ず君を迎えに来ると。そういう意味で言った」

メイド姉「………………」

奴隷「……どうかしたのか?」

メイド姉「…………………………ばかっ」


 そう言い残し、ユークは植え込みの陰に消えていった。



奴隷「……早かったか?」


 出会って2日で求婚されては、相手としても迷惑に違いない。

 しかし、実際のところ彼女はとても魅力的なのだ。うかうかしていては、他の男に横からさらわれてしまうということもある。

 やはり恋愛というものは難しい。
 

奴隷「だから俺は、許嫁に逃げられたりするのだろうな」


 肩をすくめ、館の玄関へと踵を返した。

 爽やかな朝の陽射しを背に浴びながら、一人庭園を歩いてゆく。


奴隷「――特に、何か理由があるわけではないが」


 今日は、何かいいことが起こるような気がする。



 つづく


これにて今回の投下は終了です
読了いただきありがとうございました

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