モバマス太公望 (193)


・このSSは、商(殷)~周時代を舞台にした作品です。

・史実、伝説等と異なる点があります。ご注意下さい。

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~朝歌(ちょうか)~


姫昌(黒川千秋)「ここが朝歌の都か……」

千秋「噂には聞いていたけれど、よくこれほど広大な都を築いたわね」

鬼公「おお、周公ではないか。久方ぶりだな」

千秋「あら、久しぶりね、鬼公」

鬼公「まさか、貴殿も宴に招かれたのか?」

千秋「そうよ。受王から、天地開闢以来の盛大な宴を催すっていう招待状が来たの。
   もしかして、貴方も?」

鬼公「おう。しかし、この豪奢な都を見ることができただけでも、
   はるばる南下してきた甲斐があったというものだ」

千秋「北方の雄たる鬼公まで招くとはね」

兵「すみません。お二人は、もしかして周公様と鬼公様であらせられますか?」

鬼公「いかにも」

千秋「あなたは?」

兵「私は受王陛下より、諸侯の皆様を案内するようにと言いつけられております。
  すでに宴の準備ができておりますので、こちらへ」

鬼公「うむ。ご苦労である」

千秋「お言葉に甘えて、案内してもらおうかしら」

千秋(さすがは商の首都というべきかしら。
   末端の兵にいたるまで、よく教育されているじゃない)


~宮殿~


鬼公「おお! これは何だ……!?」

千秋「奥まで見通せないほどの、この庭園。それに、あちらこちらにある池から、不思議な香りが漂ってくるわ」

鬼公「うむ? この香りは……まさか、この池の水は酒ではないか!?」

千秋「本当ね……近くで嗅ぐだけで、酔ってしまいそう」

鬼公「!! 周公、あの林の木々を見よ。枝に、何かぶら下げてある」


~宮殿~


鬼公「おお! これは何だ……!?」

千秋「奥まで見通せないほどの、この庭園。それに、あちらこちらにある池から、不思議な香りが漂ってくるわ」

鬼公「うむ? この香りは……まさか、この池の水は酒ではないか!?」

千秋「本当ね……近くで嗅ぐだけで、酔ってしまいそう」

鬼公「!! 周公、あの林の木々を見よ。枝に、何かぶら下げてある」

千秋「あれは……まさか、屠殺した牛かしら?」

鬼公「いや、牛だけではない。羊や豚まであるぞ!」

?「周公様、鬼公様。宴席はこちらですよ」

千秋「貴方は?」

妲己(千川ちひろ)「初めまして。私は受王様に御仕えしている、妲己と申します」

鬼公「ほほぅ……噂によれば、妲己という女性(にょしょう)は、
   この世のものとは思えぬほどの美貌と聞いているが、まさかこれほどの美女とは……」

ちひろ「あらあら、鬼公様ってばお上手ですね」

千秋「……妲己さん、少し良いかしら?」

ちひろ「何でしょう?」

千秋「今回の宴には、どのような意図があるのかしら?」

ちひろ「意図というほどの、大仰な意味はありませんよ。
    受王様は、常日頃から国家に尽してくださる諸侯の皆さんを慰労したいとお考えになり、
    今回の宴を開催されたのです」

千秋「ふうん……それにしては、随分急な招待だと思ったけど」

ちひろ「そうでしょうか?」

千秋「それにこの朝歌はともかく、他の都市では生活に困窮している民が多くいると聞いているわ。
   こんな“酒池肉林”の宴を開催する金があるのなら、
   貧民の救済に充てるべきじゃないかしら?」

ちひろ「ははは。誰がそんな噂を流しているのでしょうか?
    見ての通り、この国は豊かです。
    それに周公様は、その貧民とやらを見たことがあるのですか?」

千秋「それはそうだけど……」

鬼公「周公よ、そのあたりにしておけ。せっかく招かれたのだ。
   受王陛下や妲己殿に失礼ではないか」

千秋「そうね……妲己さん、先ほどの非礼はお詫びします。どうか御赦しを」

ちひろ「頭を上げてください。先ほどの周公様の諫言は、民への愛情の発露でしょう。
    人の上に立つ者として、頭の下がる思いですよ」

ちひろ「さあさあ、こんなところで立ち話も何ですから、こちらへどうぞ……」

千秋「わ、わかったわ……」


ワイワイ ガヤガヤ


鬼公「う~む。これほど美味い酒と料理は、今まで食べたことは無いぞ!
   まことにこの庭園は、天上の楽園であるな!」

千秋「……」

鬼公「いかがした、周公よ。先ほどから箸が進んでおらぬようだが」

千秋「いえ、何でも無いわ……」

千秋(それにしても、随分多くの諸侯を集めたものね……
   私や鬼公だけではない。鄂公や土公も招かれたのか……)

ちひろ「どうしました、周公様。もしかして、料理がお口に合わなかったとか……」

千秋「いえ、そんなことはないわ」

ちひろ「それはよかった。さあ、極上の美酒も用意しましたよ。
    存分に召し上がれ」

千秋「あ、ありがとう……」ゴクッ

千秋「おいしい酒ね……」

千秋(あれ? 何かしら、この酒……急に手足が痺れてきたわ。
   そんなに強い酒だったのかしら?)

鬼公「あ……ああ……」バタッ

千秋「鬼……公……」

千秋(体が……動かない……どういうこと? 諸侯が皆、倒れ伏しているわ……)

ちひろ「ふふふ……皆さん、良い具合に眠ってますね。
    私の策が、こんなに上手く嵌るなんて思いませんでしたよ……」

千秋「ど……こと……妲……己……」


~朝歌・牢獄~


千秋「うう……ここは、一体……?」

ちひろ「気が付きましたか、周公様」

千秋「妲己! これはどういうことかしら?」

ちひろ「身に覚えがあるのでは?
    貴方達は謀反を計画し、商の転覆を目論んでいたのでしょう?」

千秋「身に覚えの無いことね。一体何の証拠があって……」

ちひろ「先日、崇公様から注進があったんですよ。
    鬼公、鄂公、周公の三名が、謀反を企てていると」


千秋「私達はこれまで、何代も前から商に忠誠を尽してきたわ!
   それをこんな形で無碍にするなんて!」

ちひろ「おっしゃるとおり、他の二名はともかく、貴方に関しては謀反の確かな証拠が無いので、
    困っているんですよね……
    ですから、しばらくこの牢で過ごしてもらいます。
    取調べが必要でしょうし……」

千秋「くっ、殺せ! こんな牢獄につながれて、生き恥を晒すなんてごめんだわ!」

ちひろ「まあまあ、そうおっしゃらずに……」

ちひろ「なぁに、白状すれば、優しく殺してさしあげますよ。ふふふ……」

千秋(迂闊だったわ。私も、これまでか……)


~豊邑~


姫発(椎名法子)「ああ、今頃千秋さんは、朝歌で宴会でもしてるんだろうな~」

南宮括「さぞ盛大な宴でしょうな。なにしろ、商の首都でございますから」

法子「朝歌って、そんなに大きな都なの?」

南宮括「ええ。この世に存在する都市の中で、最も高い城壁を持っているとか。
    また、受王が住まう宮殿は、天を衝かんばかりの高さだそうですよ。
    床や壁には金銀宝玉が飾られていて……」

法子「よくわかんないけど、とにかくすっごい都なんだね!」

南宮括「ま、まあ、そういうことですな」

伝令「殿下、殿下! 一大事でございます!」

法子「そんなに慌ててどうしたの?」

伝令「朝歌からの注進です! 朝歌にて、鬼公様、鄂公様、そして周公様が捕らえられました!
   また、他の中小数十の諸侯も連座して捕縛されたとのことです!」

法子「ええっ、千秋さんが!? どうして?」

伝令「どうやら、謀反の嫌疑をかけられたようです」

法子「早く千秋さんを助け出さないと……でも、どうすれば……」

南宮括「むむむ……殿下、私に一つ考えがございます」

法子「南宮括さん、何か良い案でもあるの?」

南宮括「いえ、私自身にはとても……しかし、この豊邑の近くに、
    神のごとき知恵を持つ隠者がいるとの噂を、聞いたことがあります」

法子「神のごとき知恵?」

南宮括「はい。その者が望むものを与え、召し出せばよろしいかと。
    あの者ならば、周公様をお救いできるのではと思います……」

法子「その人の名前は?」

南宮括「呂望、呂尚……などなど、様々な名で呼ばれておるようですな」

法子「あたし、その何とかさんって人を連れてくるね!」

南宮括「お待ち下さい! いかに知恵者とはいえ、かの者は一介の隠者です。
    殿下自ら赴くなど……」

法子「千秋さんが危機に瀕してるのに、そんな悠長なこと言ってられないよ!」


ドタドタ


南宮括「あ! 行ってしまわれたか……」


~朝歌 宮殿~


ちひろ「陛下、陛下はいずこに?」

受王「おお、妲己か。いかがした?」

ちひろ「鬼公と鄂公の処刑は終わりましたが、なぜ周公の処刑を始めないのですか?」

受王「そうしたいのはやまやまだが、周公に関しては確たる証拠が無いのでな」

ちひろ「しかし、崇公の進言により、周公が叛意を抱いていたのは確実です」

受王「鬼公と鄂公は数年前、大軍を催して南下しようとした事実があるから、それを罪に問えばよい。
   しかし妲己よ、これを見よ」

ちひろ「これは……?」

受王「各地の諸侯から、周公の助命嘆願が届けられておる。
   この勢いでは、近日中に百に達しようかと思われる」

ちひろ「しかし、諸侯達がなぜ……」

受王「それはわからん。だが、いかに商軍の力をもってしても、これだけの諸侯を潰すのは不可能だ。
   もしそんなことをしてしまえば、天下の人心は予から離れることになろう」

ちひろ「それもそうですが……」

ちひろ(これは、誰かが周辺の諸侯を指嗾したにちがいない。
    でも誰がこんなことを……?)

ちひろ(何にせよ、こんなことを考える者を生かしておくわけにはいきませんね。
    見つけ次第、始末しないと。
    それにはまず、今後の周の動静を見定めて……)

受王「どうした、妲己。そんなに険しい顔をして」

ちひろ「な、何でもありません、陛下……」


~牢獄~


千秋(この牢に入れられて、一体どれほどの時間が流れたのかしら……
   もう数ヶ月は経ったと思うけど……)

千秋(一応、一日一回は食事が出る。それに、思ったほど尋問も厳しくないし……
   でも、外の様子は殆ど分からないわね……たまに、風の音とかは聞こえるけど)


ガヤガヤ


千秋「人の声かしら……? それも、沢山いるみたい。
   こんなこと、今まで無かったのに……」

看守「周公様、よろしいですか?」

千秋「何かしら?」

看守「この部屋に、もうすぐ侍女が水をお持ちします。
   それで、お体をお清めください」

千秋「とうとう処刑されるのね。外の声は、見物の群集かしら?」

看守「そうではありません。各地の諸侯より、数え切れないほどの陳情が来ています。
   受王陛下はそれをお認めになり、周公様を解放するとのことです」

千秋「諸侯が陳情を?」

看守「はい」

千秋「一体どういうことなの?」

看守「申し訳ございません。私も、詳しい事情はわからないのです」

看守「それでは、私はこれで失礼します……」スタスタ

千秋「あ、ちょっと待って!」

千秋(……つまり、さっきのざわめきは諸侯のものだったのかしら?
   でも、どうして各地の諸侯が団結したの?
   どうして私のために……)


~豊邑~


法子「千秋さん、お帰りなさい!」

千秋「法子、苦労かけてしまって、ごめんなさいね」

法子「ううん、千秋さんが無事でよかったよ」

千秋「それで、どうやって私を助けることができたの?
   朝歌に集結した、あの諸侯達は一体?」

法子「あのね、呂尚さんっていう人が、千秋さんを助ける策を教えてくれたんだ。
   だからあれも、呂尚さんが全部やってくれたんだよ♪」

千秋「呂尚? 聞いたことない名前ね」

法子「そりゃそうだよ。その人、世捨て人だもん」

千秋「私は、世捨て人に助けられたのね……
   その呂尚さんにお礼が言いたいわ。呂尚さんは、今どこに?」

法子「渭水(いすい)で、釣りでもしてるんじゃないかな?
   あたしが会いに行ったときも、釣りをしてたもん。もしかしたら、今もいるかも」

千秋「分かったわ。行ってくる」

法子「体は大丈夫なの?」

千秋「ずっと黴臭いところに押し込められてたから、すこし喉が痛いけど大丈夫よ。
   留守をお願いね」

法子「うん。まかせて!」

老婆「お待ち下さい、周公様」

千秋「あら婆や、どうしたの?」

老婆「先ほど占卜をしたのですが、どうも不思議な卦がでましてな」

千秋「何かしら?」

老婆「周公様は川の畔にて、何か途轍もないものを手に入れられるであろうと」

千秋「よくわからないのだけど」

老婆「それが怪物なのか、聖獣なのかよくわかりませんが、
   とにかく、人智を越えたものであることは確実です」

千秋「ご大層なことね。私は相手が何であれ、正面から向き合うつもりよ」

老婆「それほどのお覚悟がおありなら、この婆やからは何も言うことはございません。
   気をつけて行ってらっしゃいませ」

千秋「ええ。行ってくるわ」


~渭水~


千秋「え~っと、法子が言っていたのは、このあたりのはずだけど……
   あら、本当に釣り人がいるわね。あの人が呂尚かしら?」

千秋「……あの、少し良いかしら?」

?「……」

千秋(返事が無い……)

千秋「貴方、いつもここで釣りをしているそうだけど、ここは良く釣れるの?」

?「……」

千秋(こんなんじゃ、釣れるはずないわね。
   釣り針が水面より上に垂れているし、そもそも釣り針に餌が付いてない)

千秋「名乗るのが遅れたわね。私の名は姫昌、周の国を統べる者よ。
   貴方の献策に助けられたと聞いて、お礼を言いに来たの」

呂尚(藤原肇)「……そうでしたか。私ごとき世捨て人に、わざわざありがとうございます」

肇「私は、呂尚、呂望など、色んな名で呼ばれている者ですから、
  どうぞお好きにお呼びください」

千秋(確かに、ただの隠者というわけではなさそうね。
   全身に纏っている雰囲気が、常人のものじゃない……)

千秋「そういえばここに来る前、占い師から妙なお告げを聞いたわ」

肇「お告げ、ですか?」

千秋「私は渭水にて、途轍もないものと出会うと」

肇「……」

千秋「私を助けるために、諸侯を糾合する……
   そんな策を思いつくのは、この世に二人といない」

肇「私は姫発様の、周公様をお救いしたいという熱意にお応えしたまでです。
  そんな大それた者ではありません」

千秋「今は、そういうことにしておいてあげる……
   ところで貴方、私の父・季歴を知ってるかしら?」

肇「太公と呼ばれていた人ですよね? 聞いたことがあります。
  名君の誉れ高い人物ですから」

千秋「私の父は、商の政を良くしようと、何度も歴代の商王に諫言してきたわ。
   でも、商は相変わらず人民を虐げ、ときには彼らを殺して神への生贄に捧げてきた」

肇「季歴様の、その後は?」

千秋「志半ばで倒れた。貴方の様な策士を渇望したままね」

千秋「貴方さえ良ければ、私に力を貸して。
   貴方こそ、“太公が望んだ”人物に違いないわ」

肇「貴方は何をお望みなのです? 富ですか? 権勢ですか? 名誉ですか?」

千秋「そのどれも要らない。私はただ、商の受王の政を糺したいの。
   重税に喘ぐ民を、解放してあげたい」

肇「それは、あなたの心からの望みですか?」

千秋「そうよ。嘘偽り無い、私の夢よ」

肇「……」

千秋「……」

肇(良い眼差しをしていますね。この人ならば、或いは……)

肇「……分かりました。これからは、周公様を主君と仰ぎ、尽力いたします」

千秋「ありがとう、“太公望”」

肇「太公望、ですか……」

千秋「好きに呼べば良いって言ったのは、貴方でしょう?」

肇「必ずや、その名に恥じぬ働きをいたします」

千秋「ふふっ。これからよろしくね」

肇「はい。よろしくお願いします」


~豊邑・広間~


法子「……それにしても、呂尚さん……じゃなかった、
   太公望さんが千秋さんに仕官してくれて良かった!」

千秋「さて、説明してもらおうかしら」

肇「何をです?」

千秋「二人は、私を助けるために諸侯を糾合した。具体的にはどうやったの?」

肇「ひとえに、周公様の人徳の為せるもので……」

千秋「冗談はやめて」

肇「いえ、冗談ではありませんよ……まず姫発殿下の名の下に、戦車を数十輌生産しました」

千秋「戦車を?」

肇「戦車は、騎馬戦を得意とする商軍の専売です。
  それがいつの間にか、豊かさの象徴のようになりました。
  他の国では、まず戦車を生産できる技術そのものが無いので」

千秋「確かに、それは言えてるわね」

肇「その戦車を、諸侯にばら撒いたというわけです」

法子「皆、戦車をあげるって言ったら、快く協力してくれたよ♪」

千秋「なるほど。でも、よくこの国で戦車を数十輌も生産できたわね。
   戦車の生産方法を知る職人なんて、この国にいないはずよ」

肇「ふふふ……こう見えて、私は以前戦車を間近でみたことがありますので、
  構造は知悉しているんですよ」

千秋(この人、何者なのかしら……)

法子「でも、生産するのに数ヶ月かかっちゃって、それで千秋さんを助けるのが遅れちゃったんだ。
   ごめんなさい」

千秋「いいえ。全ては私の油断が招いたことよ。すべての責任は私にある」

肇「……さて、周公様。川でのお話の続きですが」

千秋「何か良い作戦があるの?」

法子「川での話って?」

肇「周公様は、商の圧政を糺すべく挙兵されるとのことです」

法子「やっとこの時が来たんだね!」

千秋「少し気が早いわ、法子。
   商と周との国力差には、天と地ほどの開きがある」

法子「む~、そっか……」

千秋「それで、その差を縮めるために、何を始めるのかしら」

肇「手始めに、崇公を討伐しましょう」

千秋「そうしたいのはやまやまだけど、妲己の話を聞いたかぎり、
   受王は崇公の肩を持っているように見えたわ」

肇「まず、受王に文を送ってください。内容はこうです」

肇「今回の事件で、数十代にわたって商に忠誠を尽してきた、周の誇りが傷つけられた。
  何故、崇公如きの讒言を採り上げられるのか。崇公に、何の裁きもないのは公平な政とは言えぬ。
  よろしく受王陛下のご裁下を……と」

千秋「そんな文を送っても、のらりくらりと逃げられるんじゃないかしら」

肇「さっきの文章の後に、こう付け足すのです。
  もし崇公に何の裁きも無いようであれば、周国の総力を挙げて、崇公を討たん。
  これでどうでしょう?」

法子「なるほど。あたし達の手で叩き潰したほうが、わかりやすいもんね」

肇「それだけではありませんよ。周公様のおっしゃる通り、十中八九、受王は明瞭な回答を避けるでしょう。
  つまりはほぼ確実に戦になるわけです。私の狙いはそこにあります」

千秋「崇公を討って、何を?」

肇「地図を御覧ください。この周と、商との間にある国は何ですか?」

千秋「崇、ね……」

肇「もし崇公が裁かれるなら、有力な敵が一人いなくなるので、良し。
  逆に、崇公と戦になれば、これを討伐して崇国を攻略し、
  商へ侵攻するための橋頭堡とすることができます。
  どちらへ転んでも、私達の利となります」

千秋「でも、それは戦に勝てればの話でしょう?」

法子「大丈夫だよ、千秋さん。
   四海最強と謳われる周軍が、この程度の地方勢力に負けるはずないって!」

肇「それに、勝利をより確実にするための戦術も、私にはあります」

千秋「随分な自信ね」

肇「これは、私に軍の指揮をお任せいただけるなら、の話ですが」

千秋「では、太公望。貴方に周軍の指揮権を与えるわ。
   貴方の思うとおりに、軍を動かしてみなさい。
   将軍達には、ちゃんと言い含めておくから」

肇「ありがとうございます」

千秋「でもね、これは貴方の実力を試すことでもあるのよ。
   失敗したときはどうなるか、わかっているわね?」

肇「ええ。しかし、この首一つで贖えるとは思いませんが」

法子「頑張って! 太公望さん!」

肇「ご安心下さい、殿下。必ず、勝ってみせます」


~その夜~


肇「……というわけで、軍の編成を根本からやり直すことになりますが、
  いかに?」

千秋「あくまで集団で戦わせるという、貴方の考えはわかったわ。
   昼間にも言ったとおり、好きにしなさい」

肇「はい……」

千秋「にしても、半日でよくこれだけの軍改革案を創出できるわね。
   感心したわ」

肇「あの……話は変わりますが、少しよろしいでしょうか?」

千秋「何かしら?」

肇「これを御覧ください」スッ

千秋「どれ?……これはまた、随分古い剣ね。これは?」

肇「この剣を、鞘から抜いて欲しいんです」

千秋「抜くだけなら、貴方にもできるんじゃない?」

肇「いえ、これは重要なことなんです。
  千秋さんが抜くことに、意味があるんです」

千秋「そこまで言うなら、わかったわ」

千秋「ぐ……ぐぐぐ……」

千秋「はあはあ……これ、鞘の中で錆ついているか、折れ曲がっているか、どちらかね。
   このままじゃ抜けないわよ」

肇「そうですか……残念です」

肇(この人でも、駄目なのか……)

千秋「その剣、一体どうしたの?
   そもそも剣という武具は、王族にしか許されていないものだったはずよ」

肇「それは秘密です。ふふっ」

千秋「本当、貴方謎が多いわね」

肇「そうでしょうか?」

千秋「そうよ。呂尚とか呂望とか呼ばれてるけど、どれも本名じゃないんでしょう?
   貴方の出身も聞いてないし」

肇「それは、本当に必要なものでしょうか? 私の出生に、何か意味があるとは思えませんが」

千秋「言いたくないなら、詮索しないわ」

肇「確かに、私はどこの馬の骨とも知らない者に見えるでしょう。
  しかし、周国に対する忠誠は信じてほしいですね」

千秋「疑ってなんていないわ。
   私のために、大好きな釣りを止めて、ここまでしてくれているんだから」

肇「……」

千秋「まあ何にせよ、太公望。まずは、貴方のお手並み拝見といこうじゃない」

肇「ふふふ。お任せあれ」


~数ヵ月後 崇~


崇公「むむむ……」イライラ

側近「崇公様。緊張されるのはわかりますが、もう少し堂々と構えてください」

崇公「しかし、敵は海内最強の周軍だぞ……
   ああ、こんなことになるなら、受王陛下にいらぬことを進言しなければよかった」

側近「過ぎたことを悔やんでも致し方ありますまい。
   それに侵攻中の周軍は、およそ一万。それに較べてわが軍は二万。
   倍の兵力差を覆すのは、容易ではないでしょう」

側近「また、間者の報告によりますと、周軍を率いているのは太公望とかいう隠者だそうです。
   そんな者に軍を任せなければならないほど、周軍の人材不足は深刻ということでしょう」

崇公「それにしてもだ、周公は受王陛下に対し、崇公が裁かれぬのであれば、
   実力をもって討伐すると言い切ったそうではないか。
   そこまで言うのであれば、何か勝算があってのことであろう?」

側近「確かに、商の援軍を望めないのは痛手ですが……」

伝令「申し上げます! 周軍が西方二十里の地点に布陣しました!」

側近「周軍の兵力は?」

伝令「およそ、一万です」

側近「指揮官は誰だ? 南宮括か、それとも散宜生か?
   それとも周公の親征か?」

伝令「いえ。よく分かりませんが、周国で太公望と呼ばれておる者だそうです。
   どのような人物か、詳しくはわかりませんが……」

側近「やはり、ちかごろ噂の太公望でございますぞ!
   相手はどこの馬の骨とも分からぬ指揮官。
   これは勝ったも同然ではありませんか!」

崇公「うむ! お主がそう言うのであれば、間違いはなかろう。
   全軍を城外に展開せよ! 二万の兵力をもって、周軍を覆滅してくれる!」

側近「御意!」


~周軍 本営~


部将「太公望様。貴方様の読みどおり、崇軍は全軍城外に布陣しました!」

肇「そうですか。では、手筈どおりの布陣をお願いします」

部将「あの、太公望様、少しよろしいでしょうか?」

肇「何ですか?」

部将「周国は、四万の兵を動員できるはず。
   それなのになぜ、敵よりも少ない兵力を率いてこられたのですか?」

肇「それは、敵を油断させるためです」

肇「敵の倍の兵力を動員すれば、敵は恐れをなして篭城を選んだでしょう。
  そうなると、いずれ勝てるにせよ、時間がかかりすぎます。
  私は、明確に勝敗がつく、野戦をしたいのです」

肇「それに、倍の敵を打ち破ったとなれば、われら周軍の武威はあまねく天下に鳴り響き、
  周に戮力(りくりょく)してくれる諸侯の数も増えるはずです」

部将「ならば、太公望様には倍の敵を打ち破る策がおありなのですね」

肇「はい。しかしすべては、貴方がたの働きにかかっています。
  どうか、よろしくお願いしますね」

部将「はい! 決して、周軍の武名を辱めるような戦はいたしません!」

肇「では、これより崇軍を攻撃します。全軍に、総攻めの合図を」

部将「ははっ!」

崇公「敵はたったの一万じゃ! 押し包んでしまえ!」

崇軍「オオオオオ!!!」


ドドドド


肇「やはり、何の考えもなく、正面から迎撃してきましたか……」

肇「左右両翼は微速前進。中央部隊は後退しなさい」

側近「崇公様! 敵の中央が後退を始めましたぞ!」

崇公「ふん! 敵が何を考えていようとも、倍の兵力差は覆せまい!
   このまま一気に押し包んでしまえ!」

側近「はっ!」



肇「さあ、中央部隊、長槍を構えなさい! 突出してくる敵を、串刺しにしてしまうのです!
  左右両翼は、楯を前面に押し並べ、敵の猛攻に耐えなさい!」

側近「崇公様! 我らの中央部隊が、いつのまにか包囲されておりますぞ!」

崇公「なんだと! 両翼はどうなっておる!?」

側近「それが、敵の両翼部隊が楯を押し出しており、攻めあぐねております!」

崇公「ええい! 我らは敵の倍の兵力を擁しておるのだぞ!
   何故寡兵を攻め潰せんのだ!」

側近「戦線が広がりすぎております。両翼の大部分は、遊兵となっております!」

崇公「うろたえるな! 戦闘に参加しておるのは、ごく一部の兵力ではないか!」

崇公(太公望とは、何者なのだ? この魔術のような用兵は一体……?)

肇「作戦通り、敵の中央部隊が取り残されましたね」

側近「はい。敵の両翼も、中央集団の戦闘に加勢できていません。
   さあ、太公望様、騎兵隊の突撃準備は完了しておりますぞ!」

肇「わかりました。騎兵隊は私が直率します。
  あとはよろしくお願いしますね」

側近「そんな、総大将自ら敵に斬り込まれるなど……」

肇「周公様は、崇公の首級をお望みです。私は、周公様への手土産が欲しい」

側近「そうですか……御武運を、お祈りします」

肇「では、行ってきます!」

側近「敵の中央部隊が、左右に散開しました!」

崇公「しまった! 中央歩兵集団の背後に騎兵が居たのか!」


ドカッ ドカッ


崇公「ぬぅ、なんという突破力だ……」


パカラッ パカラッ


肇「見つけました!」

崇公「お前は!」

肇「崇公とお見受けしましたが、いかに?」

崇公「貴様が太公望とかいう隠者か! 素っ首たたき落としてくれる!」

肇「出来ぬことを言うものではありませんよ」

崇公「何を!」


ガキン!


側近「崇公様! お逃げ下さい! この敵は私が引き受けて……」

側近(そうは言うものの、こいつは相当な手練れだな……)

肇「その忠誠心は見事です。しかし、仕えるべき人物を見誤ったようですね」


ザクッ


側近(なに……奴の槍の穂先が全く見えなかったぞ……)

肇「こんな愚戦で、あたら命を散らせて……
  貴方のような愚物には、勿体無いほどの忠臣でしたね」

崇公「ええい! こうなったら、私みずから貴様を討ち取ってくれる!」


バキッ


崇公(何と言う膂力だ。槍が捻じ曲がったぞ)

馬「ヒヒン ブルブル」

崇公(いや、まずは馬を立て直すのだ……馬首を巡らして……)

肇「崇公! 覚悟!」

崇公(何だこの速さは……奴の槍の動きに、ついて行けぬ!)


ドスッ


崇公「ぐあっ!」

周兵「おお! 太公望様が、崇公を串刺しに!」

肇「崇公の首を斬り落とし、槍に突き刺して掲げて下さい。
  そうすれば、崇軍は総崩れになるでしょう」

周兵「さっそく、そのように致します」

肇「それから各部隊に通達を。逃げる者は追わなくても良い。刃向かう者だけを討ちなさい。
  これから崇城に入城しますが、略奪する者は斬る。以上です」

周兵「はい、通達します!」

肇(これで崇は片付きましたね。
  ようやく第一歩を踏み出した、というところでしょうか……)


~豊邑~


キャーキャー ワーワー


「みんな! 太公望様の凱旋だ!」

「たった一万の兵力で、崇を攻略してしまわれたらしいぞ!」

「なんと! まさに軍神ではないか!」

「周公様を貶めた崇公なんて、討ち取られて当然だぜ!」

「それにしても、堂々たる風格だな……世捨て人だと聞いていたが、なんという名将ぶりだ……」

「キャー! 太公望様、こっち向いてー!」

肇「ただいま帰還いたしました、周公様」

千秋「お帰り、太公望。見事な勝利だったわね」

法子「おかえりなさい!」

肇「あの、この民衆の歓迎は一体何でしょうか?」

千秋「さあ? でも、この国の民草は貴方のことを認めたようね」

肇「何だか恥ずかしいです。私、こういうのはあまり慣れていなくて……」

法子「太公望さん、大人気だもんね!」

千秋「崇を討伐した名将が、そんなことでどうするの。
   詳しい報告は、宮殿で聞かせてもらうわ」

肇「はい。遠征の旅塵を落としてから、参ります」


~宮殿~


千秋「……なるほど。わざと寡兵で戦を仕掛けたのは、そういう狙いがあったのね」

肇「まあ、これは奇策ですから。二度と同じ手は使えませんよ」

肇「そんなことよりも、今回の遠征について、
  商から何か言ってきませんでしたか?」

法子「何にも無いよ。文句言われる筋合いは無いもんね♪」

肇「それは重畳です。では、今後の戦略ですが……」

千秋「ゴホッ ゴホッ」

肇「大丈夫ですか?」

千秋「心配無用よ。でも、朝歌の牢獄に幽閉されて以来、何だか体の調子がおかしいの」

肇「話によれば、随分湿気の多い場所だったようですね。
  体調が優れぬようであれば、この話は後日ということにしますか?」

千秋「そこまで気を遣わなくても良いわ。話を続けてくれる?」

肇「かしこまりました……次の戦略は、国力の充実と外交です」

法子「あれ? このまま商に攻め込むんじゃないの?」

肇「商の最大動員兵力は、およそ四十万。周軍の独力で勝てる相手ではありません」

千秋「途方もない数ね……」

肇「しかし、一口に四十万と言っても、その大半は奴隷兵や諸侯の軍ですから、
  商軍の実数は十万というところでしょうね」

法子「つまり、諸侯や奴隷兵を動員させず、逆に味方にしてしまえば良いってこと?」

肇「炯眼ですね。姫発様のおっしゃるとおりです」

肇「現在でも、受王は民に重税を課し、民衆の間には怨嗟が渦巻いています。
  ここはあえて周の国力を充実させつつ、商の失政を待つのが上策かと」

千秋「そうすれば、重労働を課せられている奴隷達や、
   重税に苦しむ諸侯の調略が容易になるってことね」

肇「または、他の大国と同盟を結ぶのも策の一つかと思います」

千秋「貴方がそう言うってことは、目星がついてるのね」

肇「周に比較的近く、商と仲が悪く、有る程度の軍事力を保有する国。
  それは……」

法子「それは?」

肇「……召です」

千秋「それは無理ね。確かに召は、長年商に反目してきた国だけど、独立不羈の気風がある。
   誰とも手を組もうとしないはずよ」

肇「ですが、現在の召公様をご存知ですか?
  歴代の召公の中でも、不世出の名君と聞いたことがあります」

法子「なんて言う名前だったかな……
   そうそう、姓は姞(きつ)。名は奭(せき)。だったかな?」

肇「ですから、用意が整い次第、召に旅立とうと思うんです」

千秋「待って、貴方が自ら出向くの?」

肇「はい。生半可な文官では、召公姞奭様を説得できるとは思いません」

法子「それなら、せめて護衛の兵くらいは連れて行ったほうが良いんじゃない?」

肇「私一人で参ります。兵を連れては、いらぬ誤解を受けるでしょう」

千秋「貴方がそこまで言うなら仕方ないわね。
   じゃあ、貴方が召に行ってる間、私達は周軍の編成と調練に力を入れましょう」

法子「でも、調略の方は何だか難しそうだね」

肇「そちらは、戻ってから私が担当します。
  しかし、それらの戦略とは別に、まだ懸念が残っています」

千秋「まだ、何か心配することがあるのかしら?」

肇「商軍を丸裸にしても、受王の手元には、
  最強の僕(しもべ)が残されていますから」

千秋「その僕とやらが、商軍の切り札ということね」

法子「何ていう人なの?」

肇「豪勇無双の士、“悪来(あくらい)”です……」


~朝歌~


ちひろ「悪来さん、少し良いかしら?」

悪来(愛野渚)「ちひろさんか、どうしたんだ?」

ちひろ「最近、周の国が小うるさいの。なんとか出来ないかしら?
    という、陛下のご命令よ」

渚「周ねぇ……そうは言っても、ただの地方勢力だろ?
  商軍がわざわざ手をくだすまでもないと思うけどね」

ちひろ「でも、先日崇を討伐した手腕を見るに、予断は許せないと思うのだけど」

渚「まあ、一理あるか」

ちひろ「この国の為、周に対する防備を固めて頂戴ね」

渚(よくもまあ、この国の為なんて言葉を言えるな。
  本当は、自分の保身のためなんじゃないのかよ……)

渚「考えておくよ」

ちひろ「そんな悠長な……」

渚「私はなあ、受王陛下から商軍の主力を任されているんだぜ?
  おいそれと軍を動かすわけにはいかないよ」

渚「念のために一つ言っておくけどさ、私はこの国のために働いているのであって、
  別にアンタのために働いているわけじゃないからな。
  そこんとこ、わかってるんだろうな?」

ちひろ(なんと可愛気の無い……しかし、悪来の武勇を利用しない手はありませんからね……)

渚「なんだよ。またろくでもないことを考えているのか?」

ちひろ「まさか……では、これで失礼しますね……」

渚「……」

渚「まったく、陛下はどうしたんだろう?
  以前は、しっかりした政治理念を持った主だったのに、妲己が来てからというもの、
  なんだか振る舞いが粗暴になった気がするんだよな……」


~豊邑~


肇「えっと……道中の着替えに、食料に、鍋に……
  おっと、釣竿も持っていかなくては……」

法子「あ、もう出発するの?」

肇「はい。最後に、身支度の点検をしているのですが」

法子「ねえ、最近千秋さんの調子が悪いと思わない?」

肇「確かに、御顔の色も優れず、よく咳き込んでいますね」

法子「朝歌の牢獄から戻ってきたばかりなんだから、しばらく休んだらって言ってるんだけど、
   なかなか聞き入れてもらえなくて」

肇「私の見立てでは、千秋さんは恐らく、肺を病んでいるんだと思います」

法子「やっぱりそう思う? 太公望さんからも、何か言ってあげてよ」

肇「う~ん……私の方からも、静養するように注意しています。
  これ以上言うと、機嫌を損ねることになりませんか?」

法子「そうだよね……」

肇「まあ、本人が大丈夫と言ってるのですから、大丈夫なのでしょう。
  もし何かあれば、私に使者を派遣してください」

法子「わかったよ。それじゃ、行ってらっしゃい!」

肇「はい。行ってきます!」


~召~


肇「さて、ここから先が、召の領地ですが……」

召兵「待て! ここから先は、何人たりとも通行することは罷りならん!」

肇「待ってください。私は、周公の使者です。
  客人に対して武器を向けるなど、無礼だとおもいませんか?」

召兵「うるさい! 死ねっ!」

肇(問答無用に切り捨てるつもりですか……)

肇「しかたありませんね……」ヒョイッ

召兵「こいつ、槍を避けやがった!」

肇「そんな槍で、私を倒せると思っているのですか?」


メリメリメリ


召兵「うわぁ! 槍が勝手に拉げたぞ!」

?「どうしたのですか、騒がしい」

肇「おや、貴方は?」

姞奭(西川保奈美)「召の国を統べる者だといえば、わかるかしら? まさか、私に先に名乗らせるつもり?」

肇「では、貴方様が召公様なのですか。申し遅れました、私は周公の使者でございます。
  我が主からは、太公望と呼ばれています」

保奈美「ほう、太公望……噂には聞いている。その機略を周公に見出され、登用されたとか。
    先日の崇討伐も、貴方が周軍を率いていたそうね」

肇「これはこれは、とんだお耳汚しでしたね」

保奈美「それで、その太公望が何の用かしら?」

肇「召公様は、今の商の政をどうお考えですか?」

保奈美「残虐、暴戻、苛斂誅求……
    いろんな表現はできるけど、善政とは言えないと思うわ」

肇「では、商の政を糺したいとおもいませんか?」

保奈美「なるほど。周公は、商打倒のために力を貸せと言いたいのね?」

肇「簡潔に言えば、そうなります」

保奈美「無謀ね……たとえ周と召の同盟が成立したとしても、その兵力は商軍には遥かに及ばないわ。
     私は一国の主よ。一国の命運を、そんな勝ち目の無い戦いに賭けられると思う?」

肇「お言葉ですが、前提からして間違っております」

保奈美「は?」

肇「召軍は、商軍との戦いに参加していただく必要はありません。
  ただ、我ら周軍の背後を固めていただくだけで結構です」

保奈美「それってつまり、周軍独力で商軍を打ち破るということ?」

肇「はい。召軍には、商に与する豪族や諸侯の頭を抑えていただきたいのです。
  勿論、ただでというわけではありません」

保奈美「そうね。いくら直接戦闘に参加しないといっても、見返りがないことには……」

肇「商を打倒した暁には、現在の周の領土全てを差し上げます。
  これでいかがでしょう?」

保奈美「一介の使者に、そんな大それた約束ができる権限があるのかしら。
     とても信じられないわね」

肇「私の言葉は、周公様の言葉とお思いください」

保奈美「でも、何代にも渡って統治してきた領土を、そんな簡単に手放せるとは思わないわ」

肇「周公様は、商を打倒したいと強く願っておられます。
  この提案は、周公様がそれだけの悲願を抱かれているとお思いください」

保奈美「貴方の話は分かった。でも、今回の件は大きすぎる。家臣たちに諮ってみるわ」

肇「色よい返事をお待ちしております」

保奈美「私からも、一つ良いかしら?」

肇「何なりと」

保奈美「貴方は、確か世捨て人だったはず。なぜそこまで周公に肩入れするのかしら?」

肇「それは……天命とでも言いましょうか」

保奈美「天命、か。随分便利な言葉を使うじゃない」

肇「ふふっ、これも政治ですから……では、同盟の件、よろしくお願い致します」

保奈美「あら、もう帰るの? せっかくだし、今日は泊まっていけば?」

肇「いえ、国に戻ってから、やるべきことは山積していますので」

保奈美「そう。じゃあ、国境まで護衛をつけるわ」

肇「お心遣い、感謝します」


~豊邑~


千秋「……なるほど。召公からは、明確な返事をもらえなかったのね」

肇「はい……しかも私の独断で、周の旧領を与えると勝手に約束してしまい、
  申し訳ありません」

千秋「良いわよ。どうせ商を滅ぼしたら、商の旧領を貰うことになるのだから」

肇「これで最悪でも、召が商に着くことだけは無いと思われます」

千秋「後顧の憂いが無くなっただけ、僥倖ということかしら」

肇「いかにも」

千秋「次は、諸侯や豪族達の切り崩しだったわね。そちらの方はどうするの?」

肇「諸侯については、先の事件で戦車を贈っていますから、商打倒後の領地の安堵さえ約束すればよろしいかと。
  商国の廷臣達には、賄賂などを用いて寝返らせるという方法を考えています」

千秋「やはり、手を汚さずして国は獲れないか……」

肇「ご安心ください。汚れ仕事は、私の仕事ですから。次に、周軍の仕上がり具合はいかに?」

千秋「それなら、法子に一任してあるわ。各隊に戦車を配備し、戦車から指示を飛ばす。
   戦車へは、本陣から指揮を出す……貴方の編成案は、上手くいきそうよ」

肇「姫発様ご自身で、調練されているのですか?」

千秋「法子の軍才は、もう私を遥かに越えているわね。
   将来の周の君主として、着実に成長しつつあるわ」

肇「周公様、正直にお答えください。
  もしかして、お体の具合がよろしくないではありませんか?」

千秋「そ、そんなことない……」

肇「嘘ですね。最近、顔色がますますひどくなっています。
  誰も見ていないところで、吐血されているのも知っているんですよ」

千秋「……参ったわね。さすがに、太公望の目は誤魔化せないか」

肇「いまは療養に専念してください。
  健康を取り戻せば、いくらでも陣頭指揮ができるようになるでしょう」

千秋「いや、これ以上体調が良くなることは無いと思うの。
   最近、私は自分の天命に追いつかれそうな気がする」

肇「周公様……」

千秋「私は、自分の生命が天命に追いつかれる前に、商を倒したい。
   私に残されている時間は、そんなに残っていないのだから」

肇「わかりました。時期尚早だと思いますが、軍備が整い次第、朝歌に向けて出陣しましょう。
  一気呵成に攻め立てれば、或いは商を滅ぼせるかもしれません」

千秋「神算鬼謀の太公望が、よくそんな無茶なことを言うわね」

肇「ふふふっ。私は周の軍師である前に、周公様の臣ですから。
  臣は、主の心を忖度して働くものですよ」

千秋「ありがとう……では、法子に軍編成を急がせなさい。それから、各地の諸侯に檄文を」

肇「集結地点はどこに?」

千秋「この豊邑に。ここから、ひたすら東へ駆ける」

肇「ならば、商軍の即応能力から予測するに、会戦予定地点は孟津(もうしん)になるでしょう。
  河水を挟んでの対陣になりそうですね」

千秋「河水の東西を制してしまえば、商の喉元に刃を突きつけたも同然でしょう?
   孟津と崇の二方面から侵攻すれば、商軍を攪乱できるわ」

肇「お見事な戦略です」

千秋「この決戦の勝敗は、貴方の活躍にかかっていると言っても過言ではない。
   期待しているわよ」

肇「お任せください。この太公望、渾身の戦をいたします」


~孟津~


千秋「太公望、全軍の配置はどうするの?」

肇「我ら周軍は、孟津を渡渉し、そのまま商軍とぶつかります。
  集結した諸侯の軍は、孟津を渡渉させず、私達の対岸を守るような形で布陣してもらいましょう」

法子「あれ? せっかく集まってもらった皆は、戦闘に参加させないの?」

肇「はい。もしこの戦で諸侯に活躍させてしまうと、
  あとで諸侯から色々と口出しされることになりかねませんからね」

千秋「そういうことか。
   『私達の力で勝てたのだから、もっと恩賞を増やせ』と諸侯に言わせないってわけね」

肇「ご明察です。あくまで、周軍の主導で勝つという形にもっていかなくてはなりません」

法子「でも、大丈夫かな? 商軍は全部で十万。一方、私達は五万の諸侯軍と四万の周軍。
   数だけ見ればほぼ互角だけど、この戦は周軍四万だけで勝たなきゃだめってことでしょ?」

肇「敵の布陣をよく御覧ください。どうなっていますか?」

千秋「どうって……どこから渡渉してきても良いように、広がって……」

千秋「あ! そういうことね……」

法子「なるほど! さすが太公望さんだね!」

肇「ふふふ……では、姫発様は周軍を動かしてください。周公様は、諸侯軍に伝令を。
  渡渉地点は、私が指示します」


~商軍 本陣~


渚「我が軍は、中央に私が直率する四万。左右両翼はそれぞれ三万」

渚「……さあ、あんたの言うとおりに布陣してやったぜ。これからどうするんだよ」

ちひろ「結構です。こちらから渡渉する必要はありません。周軍が動くのを待ちましょう。
     彼奴らはその性質上、自分から動かねばならない宿命にあるのですから。
     反乱を起こしたのに商軍を討とうとしなければ、求心力を失いますからね」

渚「はいはい……今更だけど、陛下の愛妾たるあんたが、戦場になんか出てきても良いのか?
  守りきれる保障は無いぜ」

ちひろ「自分の身は、自分で守れますよ……
     さあ悪来さん、そうこうしているうちに、敵が動き始めましたよ。邀撃の構えを」

渚「どれどれ……諸侯軍は渡渉せずに、下流へ向かってるな。
  周軍は、諸侯軍のやや上流で渡渉するつもりか……」

渚「……あ! しまったッ!」

ちひろ「おや、どうしたんですか?」

渚「今すぐ全軍をまとめるぞ! このままじゃ負けるッ!」

ちひろ「そんなはずは……こちらは商の正規軍十万。
    一方敵は周軍四万に、烏合の諸侯軍五万。
    数の上では互角ですが、兵の錬度が違うでしょう?」

渚「敵と味方の布陣をよく見ろ! どうなってる!?」

ちひろ「敵は、諸侯軍が周軍の渡渉の後詰になっていて、商軍は包囲陣を形成して……はっ!」

肇「さあ! 目の前の商軍はたったの“三万”です!
  一気に蹴散らしてしまいなさい!」

法子「皆! 目の前の敵は、私達よりも“寡兵”だよ!
    敵の他部隊の救援が来る前に、やっつけてしまおう!」

千秋「諸侯軍は、渡渉の構えだけを取りなさい!
    援護に向かってくる商の中央軍、及び右翼軍を牽制するのよ!」

渚「どこから渡渉してきても良いように、全軍を薄く布陣してしまったのが間違いだったんだ!
  最初から全軍を一つにまとめておけばよかったッ!」

ちひろ「ど、どうすれば……」オロオロ

渚「ははっ! 陛下を誑かすその美貌も、政敵を蹴落とす姦計も、
  戦場では全く役に立たねえな!」

ちひろ「……」

渚「まあいいさ……全騎兵、私に続けッ! 馬は乗り潰しても良い!
  右翼の救援に向かうぞ!」

法子「よし! この右翼部隊は潰走させられるね! このまま追撃に移るよ!」

肇「……あ! いけません! 殿下はすぐに、味方を取りまとめてください!」

法子「どうしたの?」

肇「敵の中軍から、騎兵が迫ってきています!
  このまま追撃に移行してしまうと、横撃を食らってしまいます!」

法子「わかった。でも、このままじゃ間に合わないかも……」

肇「私に騎兵をお貸し願います。敵の騎兵を食い止めてみせましょう」

法子「でも、太公望さん自ら行かなきゃならないの?」

肇「黒地に、狼の意匠……あの旗は悪来です。
  あの敵は、私にお任せを」

部将「太公望様。敵騎兵は一丸となり、まっすぐこちらへ向かってくるようです」

肇「一か八か……貴方に五百騎を与えます。
  私が正面から悪来とぶつかっている間に、戦場を迂回して、
  敵中軍の本陣に向かって駆ける振りをしてください」

部将「振りで良いのですか?」

肇「ええ。もし商軍の総大将が悪来であれば、中軍には見向きもしないでしょうから、
  まっすぐこちらへ来るはずです。その時は反転し、背後から悪来の騎兵を攻撃してください。
  挟撃に持ち込みましょう」

肇「逆に、中軍に別の総大将がいるならば、悪来は中軍へ引き返すはずです。
  そうなれば、味方が態勢を整える時間を稼げます」

部将「なるほど、どちらに転んでもこちらに分があるということですね……
   かしこまりました。五百騎、お借りします」

肇「お願いします」

側近「悪来様! 敵の騎馬隊から、数百騎が離脱しました。中軍へ向かう模様です!」

渚「まったく、太公望ってのは食えない奴だな。そういうことか……」

渚「いいか! これより反転し、離脱した数百騎を追うぞ!
  そして、太公望の騎兵本隊がこっちにきたら、さらに反転して邀撃するッ!」

側近「よろしいのですか? 常に後背に敵を抱えることになりますが」

渚「問題ない。要は敵の頭を潰してしまえば良いってことさッ! いくぞ!」

肇「悪来は、五百騎の方に狙いを定めたようですね。このまま背後から……」

肇「いや、直前で再反転し、こちらの虚を突くつもりでしょうか……ならば!」

肇「離脱した五百騎と合流します。
  私が先頭を駆けるので、皆さんは私と同じ軌跡で駆けてください!」


パカラッ パカラッ

渚「チッ! 太公望の奴、私たちの脇をすり抜けていくつもりか!」

側近「悪来様、馬首を返しましょう!」

渚「いや、無理だ。騎兵は、すぐには向きを変えられないし、
  敵はその角度を計算して駆け抜けようとしている」

渚「全軍停止しろ! 槍の穂先をそろえて、敵に向けるんだ! 
  錐行陣を組めッ!」

部将「いやあ、太公望様、冷や汗が出ましたよ。
   偽装とはいえ、騎馬全軍で五百騎を狙おうとしたのですから」

肇「無事で何よりです。悪来とぶつかることはありませんでしたが、お互いの騎馬隊は停止していますし、
  これで時間は稼げましたね」

部将「あ! 太公望様、あれを御覧ください。敵の騎馬隊の中から、誰か出てきます」

肇「あれは、まさか……」

渚「よう! アンタが噂の太公望か? 私の名は嬴来(えいらい)。
  おっと、悪来と名乗ったほうが分かりやすいか?」

肇「お初にお目にかかります。私は、主君より太公望と呼ばれている者でございます」

渚「太公望と呼ばれている者……? 渾名だとは思ってたけど、本名は何なんだ?」

肇「申し訳ありません。名は、とうの昔に捨てました」

渚「そういうことか、まあいいさ……ところで太公望よ、一つ聞く」

肇「何でしょう?」

渚「どうして周なんかに仕えているんだ?
  アンタほどの才気なら、商でも充分にやっていけそうな気がするんだけど」

肇「強き者が、弱者を踏み潰し、蔑ろにし、搾取する。
  商の政は、天下を統べる者の政ではありません。周公様は、それを糺すとおっしゃいました。
  それは、大旱の雲霓を望むこと幾星霜、先代の周公から受け継がれてきた悲願です」

肇「貴方こそ、それほどの軍才を持ちながら、なぜ商に仕えているのですか。
  勿体無いことだと思うのですが」

渚「あたしは、父・飛廉の代から商に仕えている。
  私には政の善悪なんてわからないけど、今までの恩を忘れて寝返ることなんてできないだろ」

肇「小恩のために大義を忘れるとは、憐れですね」

渚「何だと!?」

肇「お互いに譲れないものを持っている。
  それが分かっただけで、良しとしようではありませんか」

渚「そうだな……さて、どうする? まだ戦を続けるつもりか?」

肇「両軍とも、本隊は立て直したみたいですね……私は一度、本陣に戻ります。
  戦を続けるかどうかは、私の主君が決めることですから」

肇「しかし、ここで更に一戦交えようと言うなら、受けて立ちますよ?」

渚「いや、楽しみは後に取っておくものさ。
  次に戦場で遭ったときは、この豪刀で切り捨ててやるぜ」

肇「ならば私は、貴方の首級を槍に突き刺し、朝歌の城壁に掲げてみせましょう。
  周旗と共に……」

渚「言ってくれるじゃないか」

肇「ふふふ……それでは、また……」

渚(久しぶりに、なかなかの猛者に出会えたな……)

~周軍 本陣~


肇「ただいま戻りました」

千秋「お帰りなさい。太公望」

法子「お帰り、太公望さん! 本陣からも、騎馬隊の駆け合いは見えていたよ!
   お互い、すごく目まぐるしく動いてたね!」

肇「殿下も、この短時間でよくぞ兵をまとめられましたね。
  それで周公様、戦は続けられるおつもりですか?」

千秋「両軍が睨み合いになってしまったから、どうしようか迷っていたのよ。
    貴方の意見を聞かせて」

肇「悪来は強敵です。商軍は悪来が率いているのか、他に総大将がいるのか、
  先ほどの駆け合いで探ってみましたが、どうもはっきりしません」

肇「商は全軍が正規兵。こちらは半数が諸侯の軍勢。
  数は互角でも、兵の錬度に差がありすぎます。
  ここは軍を退き、再度侵攻の機を窺うのが上策かと思われます」

千秋「ここで退いたら、諸侯が離反していく可能性があるんじゃないかしら?」

肇「いえ、逆に周に味方する諸侯の数は増えるでしょう。
  この数百年間、商軍に真っ向から挑んで互角に戦えた者は皆無です。
  寡兵で戦った周軍の強さは、この一戦で天下に鳴り響くでしょう」

法子「惜しいところまで来たのにね。
   ここさえ突破してしまえば、朝歌は指呼の間なのに……」

千秋「悔しいわ、とても」

肇「お気持ちは分かりますが、ここはこらえてください。
  いずれ、商を討つ機会は巡ってきますから……」

肇(戦の前より、顔色が更に悪くなっている……まさか……)

千秋「……」ドサッ

法子「千秋さん! どうしたの!」

千秋「ごほっ、ごほっ……がはっ!」ボタボタ

肇(この夥しい血は……)

千秋「本当に悔しいわ……商の天命が尽きる前に、私の天命が尽きようとしている……」

法子「そんなこと言わないで! ほら、しっかり!」

肇(どうして? この人こそ、天命を革める人だと思ったのに……)

千秋「法子、貴方なら周公として、立派にやれるはず。
   太公望と共に、必ず商を討ちなさい」

法子「あたしなんかに、そんなことできないよ……」

肇(なぜ、天はこの人の命を奪っていくのか……
  私の剣を、抜くことができなかったから?)

千秋「ねえ、太公望……」

肇「は、はい」

千秋「法子のこと、お願いね……」

肇「お、おまかせ……ください……」

肇(どうしよう……何か言わなきゃならないのに……
  この人が安心して逝けるように、気の利いた言葉を……)

千秋「ふふっ……死ぬ前に、珍しいものを見たわね……
   太公望が動揺しているところ……なんて……」

肇(周公様の目が、少しずつ閉じて……)

法子「死ぬなんて言わないでよ! お願い! 目を開けて!」

千秋「法子……人生とは、別れの積み重ねよ……
   一度別れを告げた者に、二度目は無いわ……」

法子「千秋さん……千秋さん!」

千秋「……」

肇(崩御されたか……)

法子「どうしよう……あたし、何にもできないのに……
   ずっと、千秋さんに甘えていて……うっ、うっ、うっ」

肇「殿下……いえ、周公様。私達は、共に大事なものを失いました。
  大事なものを失った者同士、力を合わせてまいりましょう」

法子「あたしなんかに、周公が務まるのかな……」

肇「ご安心ください。先代が崩御されたとは言え、家臣団は未だに健在。
  四海最強の周軍も、殆ど数を減じておりません。それに……」

法子「それに?」

肇「私がおります。ずっと、貴方の傍に……」

法子「……ねえ、貴方のこと、肇さんって呼んでも良い?」

肇「どうぞ、ご随意のままに」

法子「肇さんも、あたしのこと法子って呼んでね!」

肇「それは……」

法子「二人っきりの時だけで良いから、ね?」

肇「は、はい……」

法子「えへへ♪」

肇「……姫発様、いえ、法子ちゃん。無理をしてはいけません。明るく振舞ってもだめです」

法子「な、なんのことかな?」

肇「これから先、法子ちゃんは一国の主として、多くの試練に遭うでしょう。
  常に厳しい選択を突きつけられ、心に潤いは望めません。しかし……」


ギュゥ


法子「ふぇ? 肇さん、いきなりどうしたの?」

肇「今だけは、泣いても良いんですよ。胸をお貸しします」

法子「ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えて……」

法子「千秋さん……あたし、頑張るよ。必ず、千秋さんの夢をかなえてみせる……
   だから、見守っていてね……」

法子「千秋さん……千秋さん……うわあぁぁん!!」

肇「よしよし……いまだけは、好きなだけ泣いてください。
  これからずっと、私は法子ちゃんの傍にいますから……」

肇(周公様、いえ、千秋さん。法子ちゃんは、私がいつまでも支えていきます。
  どうか、私達をお導きください……)


~数ヵ月後 豊邑~


肇「あの、法子ちゃん。少し良いですか?」

法子「どうしたの?」

肇「この剣を、どうぞ」

法子「うわぁ、何この剣……鞘も柄もボロボロだね」

肇「この剣を、抜いてみてくれませんか」

法子「う~ん。でもこの様子じゃ、中身もさび付いているんじゃないかなぁ」

肇(やはり、この方でも無理か……)


ジャリジャリジャリ


法子「うわぁ! やっぱりさび付いてる! これじゃあ使い物にならないよ」

肇(まさか、本当に抜いてしまうなんて!)

法子「この剣、研いでも元に戻らないんじゃない?」

肇「……この剣は、差し上げます」

法子「えー……こんなボロボロの剣なんていらないよ」

肇「いえ、この剣が役に立つときが、きっと来ます。
  その時まで、肌身離さず持っていてください」

法子「こんなボロボロの剣が役に立つの? 信じられないけどな……」

法子「けど、まあいいや♪ 肇さんが、何の意味も無く、こんなこと言わないもんね」

肇(常命の人に、この剣を抜ける者がいるとは……)

法子「どうしたの、肇さん? さっきから難しい顔してるけど」

肇「はっ! いえ、何でもありません……」

法子「で、これからどうするの? 商軍は前に増して、西方の防備を強化してるみたいだけど」

肇「焦ってはいけません。先の遠征は、やはり時期尚早だったのです」

肇「いまは内政によって国力を高め、外交によって味方を増やしましょう」

法子「もっと手っ取り早く、商を倒せる方法は無いのかな?」

肇「すでに、商の廷臣達の切り崩しにとりかかっています。
  このままいけば、商の失政は取り返しのつかないものになるでしょう」

法子「なるほど。敵が自滅するのを待つってこと?」

肇「そういうことになりますね」

法子「でも、このまま放っておいたら、周辺の諸侯が次々に討伐されちゃうんじゃない?」

肇「正直なところ、小さな地方勢力など、どうでも良いのです。
  まあ、この言い方は残酷ですが……」

肇「同盟相手として、一番重要になってくるのは、やはり召でしょう。
  その気になれば、独力で商に対抗できるほどの国力を有していますし、商との関係は険悪です」

法子「でも、この前肇さんが召に行った時以来、特に交流とか無かったよね」

肇「盟約を結ぶか否かの返答は、随分先延ばしにされていましたからね。
  周公も代替わりしたことですし、このあたりで国主同士の会談の席を設けても良いかと思います」

法子「そっか。私が直接召公さんと話をすれば、上手くいくかもしれないってことだね」

肇「では、早速使者を派遣しましょう。場所は、渭水の岸辺に、どこか適当な場所を選んでおきます」

法子「ありがとう。あたしも、支度しておくよ」


~渭水~


肇「召公様、よくぞここまでお越し下さいました」

保奈美「いや、貴方達が呼んでるんだから、招きには応じないと」

法子「あたしが、周公の姫発なんだ! よろしく! あ、法子って呼んでも良いよ♪」

保奈美「名乗り遅れたわね。私は召公の姞奭。保奈美と呼んでくれても良いわ」

肇「さて、お互いに自己紹介も終えたところですし、早速本題に入りましょう」

保奈美「そうね。私達召は周に味方することにしたわ。
     そのかわり、商を打倒した暁には、周の旧領を全て貰い受けるという約束だったわね。
     相違無いかしら?」

法子「うん! その言うとおりだよ。あたし達周は、商の旧領に移ることになるけど」

保奈美「正直なところ、国内では議論が侃侃諤諤で、なかなか纏まらなかったの。
     でも先の孟津の戦で、周軍の実力は見せてもらったわ」

法子「よかったぁ~♪」

保奈美「ええ。後方支援や、周辺の諸侯の押さえはしっかりさせてもらうわ」

法子「えへへ、ありがとう♪」

保奈美(無邪気ね……)

肇「百の諸侯が味方するよりも、召公様にお味方していただく方が、よほど心強いです」

肇「さて、話は纏まりましたし、宴会にうつりましょうか」

法子「え、いつの間に……」

保奈美「あら、さすが太公望。気が利くじゃない」

肇「こちらから頼み込んだ盟約ですからね。
  召公様には、おもてなしをさせていただきます」

肇「どうぞ、お連れのお家来の皆様もごゆっくり……」


ワイワイ ガヤガヤ


法子「……でね、世間のドーナツ屋は、パイとか穴の開いてないパンを、
   新作ドーナツだとか言って売り出してるけど、
   穴が開いてないドーナツなんて、種の無いスイカといっしょだよ!」

法子「まあそれは個人の好みだから許してあげるけど、何だかんだ言って、
   ミ○ドが百円セールしてるときに買うのが一番だね!」

保奈美「でも自分の食べたい時に、そんなに安く買えるかしら?」

法子「大丈夫だよ! ずっと百円で売ってれば良いのにって思っちゃうくらい、
   しょっちゅうセールやってるから♪」

保奈美「なるほど……色々と考えさせられるわ」

法子「そうだ! 保奈美さんは、何か好きなのものとかあるの?」

保奈美「私? 私は、宝○を観賞するが好きかな。
     まあ、食べ物で言えば、お芝居を見る前に、“ボヌール”でジェラートを食べると、気分が高まるわ。
     そのジェラートはね、公演ごとに、主演のトップスターが監修した味に変わるのよ」

法子「へえ、なんだか楽しそうだね!」

保奈美「後は、“ブライト”でコーヒーやサンドイッチを味わいながら、武庫川の景色を楽しむも良いわね……
     まあ、宝○には劇以外にも楽しみ方があるのよ」

法子「そうだ! そのジェラートにドーナツ乗せたら素敵じゃない? のそっと」

保奈美「なるほど! それは良い案ね!」

肇(お二人とも、仲良くなったみたい。でも、何の話をしているのかさっぱりわからない……)

保奈美「そうだ! 宴会のお礼に、歌を披露してあげるわ。
     宴の余興に、丁度良いんじゃないかしら?」

法子「わあ! 聞いてみたいな!」

肇「召公様は、歌が嗜まれるのですか?」

保奈美「ふふっ。私は、歌を聞くだけじゃないのよ」

召の廷臣「お、召公様の歌だ!」


パチパチパチ


保奈美「コホン。では……」

潯陽江頭 夜客を送れば

楓葉荻花 秋索々たり

主人は馬より下り 客は船にあり

酒をあげて飲まんとするに 管弦なし

酔うて歓をなさず 惨として将に別れんとす

別るるとき 茫々江は月を浸せり

忽ち聞く 水上琵琶の声


法子「保奈美さんって、本当に歌が上手なんだね! 惚れ惚れしちゃうよ……」

声を尋ねて 暗かに問う 弾く者は誰ぞと

琵琶の声は止み 語らんとするも遅し

船を移し 相近づき 向かえて相見る

酒を添え 灯を巡らし 重ねて宴を開く

千呼万喚 始めて出で来るも

なお琵琶を抱きて 半ば面を遮る

軸を締め 絃を撥らいて 三両声

まだ曲調を成さざるに 先ず情あり


肇(あれ、この歌は……)

絃々に抑え 声々に想い

平生 志を得ざるを訴うるに似たり

眉を低れ 手にまかせて 続々と弾き

説きつくす 心中無限の事

撥を収めて 心に当りて画く

四絃の一声 裂帛の如し

東の舟も 西の舟も 顰まりて言なく

只見る 江に秋月の白きを



法子「すごい……泣いてる人もいる……」

自ら言う 元これは京城の女

家は蝦蟇陵下に在りて住む

十三にして 琵琶を学びて成り

名は教坊の第一部に属す

曲罷りては 曾て善才を伏せしめ

粧い成りては 常に秋娘に妬まれ

五陵の年少は 争って纏頭を贈る


肇(どうして、この歌を召公様が……?)

老大にいたり 嫁して商人の婦となる

商人は利を重んじ 別離を軽んず

前月浮梁に 茶を買いに去る

去りてより以来 江口の空舟を守れば

舟を巡る月明 江水に寒し

夜更けて忽ち夢見るは 少年の事

夢に啼けば粧涙は紅く 闌干たり

保奈美「……どうかしら、私の歌は」


シーン


法子「歌で感動するなんて、初めてかも……」

肇「何と言うか、孤絶していると言うのでしょうか、心に染み入る歌でした」

保奈美「二人に喜んでもらえてよかったわ」

肇「それにしても、どうしてこの歌をご存知なのですか?
  この歌は、私達より遥か後世の……」

保奈美「おっと、太公望、それ以上はだめよ」

肇「はぁ」

法子「肇さん、この歌を知ってるの?」

保奈美「これは二人だけの秘密よ、法子ちゃん」

法子「えぇー! そんなのずるい!」

肇「まあ、こればっかりは……」

肇(召公様……貴方は一体、何者なのですか……?)

保奈美「次に、宝○の細かすぎて伝わらないモノマネを……」

廷臣「おお! 召公様の十八番だ!」


ワイワイ


法子「次は何をするんだろう?」

肇「さあ?」

保奈美「では最初に……
    “お転婆なヒロインが、厳格な先輩や乳母に怒られるシーン”のモノマネを……」

保奈美「『まあ! 貴女と言う人は、何てことをしてくれるのでしょう!
      前 代 未 聞 だ わ !』」


\ドッ/


廷臣「あるある!」

法子「……ねえ、あれってあるあるネタなの?」

肇「いえ、私は知りませんが……」

保奈美「コホン。続きまして……」

法子「まだ続ける気だよ……」

肇「まあ、お喜びのご様子なので、私達は黙っておきましょう……」

保奈美「“主人公が、身分違いの恋を乗り越えようとして、ヒロインに愛の告白をするシーン”
     のモノマネを……」

保奈美「『苦しい! お前を見ていると、胸が苦しい!』」


\ドッ/


廷臣「あるある!」

法子&肇(ネタがわからない……)


チュンチュン


肇(結局、朝まで続いてしまいましたね……)

法子「ふわぁ……眠い……」

保奈美「……さあ皆! 最後はあの歌で締めるわよ!」

廷臣「おお! あの歌が無ければ締まりませんな!」

肇「良かった……やっと終わるみたいですね」

法子「次はどんな歌だろう……」


春すみれ咲き 春を告げる 

春何ゆえ人は 汝を待つ

楽しく悩ましき春の夢 甘き恋 

人の心酔わす そは汝 すみれ咲く春



肇(これは、聞いたこと無い歌ですね……)


すみれの花咲く頃 始めて君を知りぬ 

君を思い 日ごと夜ごと

悩みし あの日の頃

すみれの花咲く頃 今も心奮う 忘れな君

我らの恋 すみれの花咲く頃



法子(木漏れ日みたいに、暖かい歌だな……)


花の匂い咲き 人の心

甘く香り 小鳥の歌に

心踊り君とともに 恋を歌う春

されど恋 そはしぼむ花 春とともに逝く



法子(何だか……眠くなって……きちゃっ……た……)


すみれの花咲く頃 始めて君を知りぬ

君を思い 日ごと夜ごと

悩みし あの日の頃

すみれの花咲く頃 今も心奮う 忘れな君

我らの恋 すみれの花咲く頃


法子「……すぅ」スヤスヤ

肇(法子ちゃん、眠ってしまったみたい……最近働きづめで、ろくに休んでもいないから……)


ナデナデ


法子「ふへへ……くすぐったい……」ムニャムニャ

肇(せめて今だけは、ゆっくり休んで……)

廷臣「さすが召公様! お見事でした!」パチパチパチ

保奈美「しーっ!」

廷臣「はい?」

保奈美「ほら、あの二人」

法子「……」スヤスヤ

肇「……」スウスウ

保奈美「少し、はしゃぎすぎてしまったようね。しばらく、寝かしておいてあげましょう」


~朝歌~


受王「むむむ……」

ちひろ「いかがなさいました、陛下?」

受王「いや、最近朝歌の廷臣達の中で、出仕しない者が増えてきたような気がしてな……」

ちひろ「言われてみれば、確かに……」

受王「何があったのだ」

ちひろ「最近、廷臣達の間で病が流行っているようです。きっとそのせいではないかと思われますが」

受王「ほほう、その流行り病と言うのは、思わず周に寝返ってしまう症状でもあるのかな?」

ちひろ「ま、まさか!」

受王「間者の報告によれば、周の太公望とやらに唆される廷臣達がおるそうだ。
   いや、廷臣だけではない。地方の諸侯までも、周に味方しておるとか」

受王「それに、近頃朝歌の街中で盗賊が出るという話を悪来から聞いた。
   これも、おそらく卑劣な周の仕業であろう。あの忘恩の犬めが」

ちひろ「陛下、この国はどうなってしまうのですか?」

受王「案ずるな、妲己よ。そなたは、予が守ってやる」

ちひろ「はい、陛下……陛下と一緒なら、安心です」

受王「おお、そうかそうか。愛い奴じゃのう……」

ちひろ(この男も、そろそろ潮時か……)


~豊邑~


法子「ねえ、肇さん」

肇「どうかしましたか?」

法子「最近豊邑の中で、知らない人が多いなって思ったんだけど」

肇「ああそれは、商から降ってきた廷臣や、
  地方から戮力してくれる諸侯豪族が城下に集まっているからでしょう」

法子「いやいやいや。どうして商の廷臣がここにいるの?」

肇「あれ、前に言いませんでしたか? 賄賂などを用いて、商の調略を進めると」

法子「その成果がこれってこと?」

肇「はい。粘り強く進めた甲斐もあり、商の朝廷はボロボロです」

法子「じゃあ……」

肇「戦機熟せり、ということですね。商を家に例えるならば、柱や土台は腐敗が進んでいるのです。
  しかし、崩壊せずにもちこたえているのは、悪来率いる商軍が健在だからでしょう」

法子「商軍は相変わらず、周軍より数が多いんだよね?」

肇「我ら周軍は四万。対する商軍は奴隷兵や地方軍などをあわせて四十万。
  十倍の兵力差がありますが、問題無いでしょう。
  何と言っても、勢いは我らの方にありますから」

肇「“勝者ノ民ヲ戦ワシムルヤ、積水ヲ千尋ノ谿ニ、決スルガ若キ者ハ形ナリ”
  と言いますからね」

法子「どういうこと?」

肇「勢いが大事ということです。これは、私達より遥か後代の言葉ですが」

法子「肇さん、貴方って一体……」

肇「それはさておき、一つ提案があるのですが」

法子「何?」

肇「ここまで来たのですから、名乗りを変えてみてはいかがですか?」

法子「名前を変えるの?」

肇「先代の周公、千秋さんは、文をもって国を治められました。
  なので千秋さんには、“文王”の称号を追贈しましょう」

法子「なるほど。じゃあ、あたしは?」

肇「法子ちゃんはこれから、武をもって商を倒します。
  よって、“武王”と名乗られてはいかがですか?」

法子「武王姫発か……格好良い!」

肇「それは重畳です……さて、武王陛下。決戦に向かうお覚悟はいかに?」

法子「望むところだよ!」

肇「では、何も憂慮することはありませんね。これ以上、商の暴政を看過することはできません。
  受王に、膺懲の刃を下しましょう!」

法子「おー!」


~牧野(ぼくや) 周軍本営~


ザアアアア


「なんだ、この雨は……」

「もう十日も降りっぱなしじゃないか」

「こんな豪雨じゃ、戦なんてできねえよ」

「本当に、商を倒すことができるのかな……」

法子「毎日毎日雨ばっかり。なんだか気が滅入っちゃうな」

肇「そうですね。兵達の士気も芳しくありません」

法子「どうしよう。すでに牧野には、商の大軍が待ち構えてるっていう報告も入ってるし、
   ここで撤退したら、みんな周から離れていっちゃうかも」

肇「ご安心ください。この凶兆を、瑞兆に変えてみせましょう」

法子「どうするの?」

肇「まあ、見ててください」

肇「皆さん、聞いてください!」

周兵「何だ何だ?」

周兵「太公望様が、演説を始められるらしいな」

周兵「何かなぁ」

肇「かつて湯王は、鳴条の戦いで夏王朝の桀王を倒して、商王朝を創始したと言います。
  その鳴条の戦いは、一里先も見えないほどの豪雨であったとか。
  つまりこの豪雨は、天が我らを祝福しているのです!」

周兵「そ、そうなのか……」

肇「全軍、私の指を見なさい!」ビシッ!

肇「天よ! 我らを祝福して下さるそのお気持ちはうれしく思います。
  ですが、この雨により商軍の妖術は全て洗い流されたでしょう。
  願わくば、我らの戦場へ、光を!」


ザアアアア


周兵「……ん? あれ……」


ポツ ポツ


周兵「おいおい、太公望様が天を指差したら、雨が止んだぞ」

周兵「すごい! 久しぶりに太陽を見た!」

周兵「やっぱり、太公望様は常人じゃなかったんだ! まるで仙女ではないか!」


ザワザワ

法子(ねえ、肇さん。いまのどうやったの?)ヒソヒソ

肇(そろそろ雨が止む頃合だと思ったので、それにあわせて演説したといわけですよ。
  気象を読むなんて、釣り人には造作もないことです)ヒソヒソ

法子(なんだ、そういうことか)

肇(さあ法子ちゃん。いまです!)

法子(うん、わかった!)

法子「皆、太公望の力は見たでしょ!
   あたし達には、こんなに凄い人と、天が味方してくれてるんだから、勝利は間違いないよ!」

法子「商軍は四十万と言えど、周軍から見れば泥人形も同然!
   一気呵成に打ち砕き、受王の首を取る!」

法子「全軍、出撃!」


~商軍 本陣~


渚「嘘だろ……十倍の敵相手に、本当に攻めてくるなんて!」

受王「悪来よ、身の程知らずの周軍を、屠ってしまえ!」

渚「御意!」


周兵「うおりゃー!」ガキン

商兵「ひえ! 周軍ってこんなにも強かったのかよ! 聞いてないぞ!」

周兵「いまこそ、積年の恨みを晴らすときだ! くたばれ!」

商兵「お、お助けを……」

渚(……とは言うものの、周軍の精強さは尋常ではないな。
  最初は防戦に徹しておいて、攻め疲れたところを逆撃するか)

肇(敵は周軍の精強さに恐怖している。いまこそ……)

肇「皆さん、私の後に続いて、商軍へ勧告してください!」

肇「奴隷達よ! 諸侯達よ! いつまで商に屈しているのか!」

周軍「「「奴隷達よ! 諸侯達よ! いつまで商に屈しているのか!」」」

渚「奴ら、いったい何を……そういうことか!」

周軍「「「奴隷達よ! 周は汝らを解放しよう!
      諸侯よ! 周はそなたらの身分と領土を保障しよう!」」」

奴隷兵「解放……周の武王様は、俺達を自由の身にしてくれるのか?」

諸侯「身分と領土を保障か……
    武王は英明な君主と聞いてるし、受王みたいに重税を課したりはしないのかもな……」

渚(しまった! 敵は、目の前の周軍だけじゃない。身内にもいたんだ!)

周軍「「「そなたらの持っている武器は、誰に向けるべきものなのか! 圧政者を斃せ!」」」

奴隷兵「お、俺は、周軍につくぞ!」

奴隷兵「俺も! こんな生活、おさらばだぜ!」

諸侯「商から税を搾り取られるのは、もうゴメンだ! 皆、商軍を攻撃しろ!」


ウオオオオ ヤアアアア

受王「う、うそだ……これは夢だ……奴隷どもや諸侯達が、予を裏切るはずが無い」

渚「陛下」

受王「何じゃ」

渚「今ならまだ間に合います。早く朝歌の城内へお逃げ下さい」

受王「汝はどうするのだ」

渚「私は出来るだけ敵をひきつけ、陛下がお逃げする時間を稼ぎます。さあ、早く!」

受王「う、うむ。そ、そなたこそ、真の忠臣と言うべきであろうな。悪来よ、死んではならんぞ!」

渚「わかっています」

渚「おや、誰かと思えば太公望じゃないか」

肇「お久しぶりですね」

渚「この戦は、両国の命運を決するものだ。私達の決着も、つけたほうが良いんじゃないかな?」

肇「同感です」

渚「フン……周公、いや、武王は既に城内か。自分を囮にするなんて、見上げた忠誠心だ」

肇「それがわかっていて、どうして?」

渚「それは、私が武人(もののふ)だからさ! 最強の武を目指し、常に強敵を倒すことを考える。
  武人ってのはそういうもんじゃねえのか?」

肇「その清冽な武、嫌いではありません。では私も、武人として貴方を斃しましょう」

渚「いくぜ!」

肇「参ります!」


~朝歌 城内~


ちひろ「陛下、戦はどうなったのですか?」

受王「それが、敵の卑怯な策に奴隷どもや諸侯達が惑わされ、我が軍は壊滅した。
    いまは悪来が、敵を防いでおるが……」

ちひろ「私、怖いです……どうすれば」

受王「安心しろ、妲己。予がそなたを守ってやる。
    さあこっちだ。城外へ通じる秘密の地下道がある……」

ちひろ「うれしゅうございます。陛下」


ドスッ


受王「妲己……なぜだ……」

ちひろ「さようなら、陛下。短い間でしたが、お世話になりました」

受王「妲己、予を裏切ったな!」

ちひろ「裏切る? 人聞きの悪いことをおっしゃらないでください。
     私がいつ、陛下の味方だと言ったのですか?」

受王「予が、あれだけ目をかけてやったにも関わらず、恩を仇で返すのか!」

ちひろ「恩着せがましいですね……貴方は、私にとっての利用価値が無くなった。
     それだけのことです」

ちひろ「貴方だって、役に立たなくなった廷臣達を、弊履のごとく捨てるが如く処刑していたではありませんか。
     それと同じことです。貴方だけに許されて、私の行いが許されないのはおかしいと思いませんか?」

受王「……」

ちひろ「おや、もう死んでしまったようですね。
     地下道の位置もわかりましたし、城から出たら次は何をしようかしら……」

法子「待て! 妲己!」

ちひろ「おや、貴方は?」

法子「あたしは武王姫発! 文王の遺志を継ぎ、商に膺懲の刃を下す者だ!」

ちひろ「武王みずからお出ましとは、ご苦労様です」

法子「妲己、お前が諸悪の根源なんでしょ!
   受王を誑かして民を苦しめたのも、崇公の讒言を採り上げて千秋さんを投獄したのも、
   全部貴方の仕業だね!」

法子「それに、貴方の足元に転がってる人、受王なんでしょ! 自分の主君さえ殺すなんて!」

ちひろ「では、どうするというのです?」

法子「これ以上、貴方の好きにはさせない! その首、貰い受ける!」

ちひろ「フフフ……人間風情が、いきがるなよ!」ゴゴゴゴ

法子(妲己の全身から、どす黒い瘴気が……)

渚「てやっ!」ガキン

肇「甘い!」ガキン

肇(さすがに悪来は手ごわい……しかし、妙に手応えが無いような気がしますね)

渚「はあはあ……」

肇(もう息が切れている……ならば、次の渾身の刺突で!)

肇「やあっ!」


ドスッ


渚「ぐふっ!」ドサッ

肇「勝負ありましたね、悪来。さあ、何か言い残すことは……」

肇「あっ! 貴方、背中に深い傷が!」

渚「ばれちゃあしょうがねえな……
  あんたがここに来る前、奴隷に背後から切りつけられたのさ……」

肇「一撃が軽いと思ったのは、そういうことだったのですか。
  どうして貴方は、そこまでして商に身を捧げるのです?」

渚「前も言ったろ……今更、忠節を曲げることはできないって……それに……」

肇「それに?」

渚「戦場で死ぬのは、武人の本懐だ……これで恥じること無く、先祖の元へ逝ける……」

肇「貴方と言う人は……」

渚「最後に戦った相手が、あんたで良かったよ……
  願わくば、武王とあんたが築く平和な国ってものを……
  一目見て……みたかっ……た……な……」

肇「……」

肇(これが、忠臣というものか……)

肇「誰か、誰かいますか?」

周兵「ここに」

肇「悪来の亡骸を、丁重に埋葬してください」

周兵「太公望様は、どうなさるのですか?」

肇「私は、武王陛下の後に続きます」

周兵「かしこまりました」

肇(法子ちゃん、大丈夫かな……?)

法子「これでも食らえ! 妲己!」


ザシュッ


ちひろ「無駄無駄ぁ!」


ベキベキッ


法子「そんな! 槍が砕けた!」

法子「ならば、この矢で……」キリキリ

法子「えいっ!」ビュン

ちひろ「無駄と言うのがわからんのか!」


バキッ


法子「くそっ! 歯が立たない……」

法子(あの黒い瘴気は何だろう? あれを何とかして突破しないと、妲己を斃せない)

ちひろ「フハハハ! 人間如きが、この私を倒せると思っているのかァ?」

法子(どうすれば……)

肇「法子ちゃん! 遅れました!」

法子「肇さん!」

ちひろ「ぬう、まさかとは思っていたが、やはり貴様が太公望だったのか、
     姜子牙(きょうしが)!」

肇「お久しぶりですね、妲己。もう逃げ場はありません。観念しなさい」

ちひろ「フン、悪来は時間稼ぎもできなかったのか。使えん奴だ」

肇「真の忠臣に対して、その様な暴言、許せません!」

ちひろ「悪来も、所詮は私の駒に過ぎぬわ!」

法子「どうしよう、肇さん。妲己には槍も矢も効かなくて」

肇「法子ちゃん、今こそあの剣を抜く時です!」

法子「ああ、これ? 肇さんに言われた通り、ずっと持ってたけど」

肇「その剣ならば、妲己を斃せるでしょう」

法子「でも、この剣さび付いてるよ?」

肇「大丈夫です。心を集中させて、柄を握ってください。
  思いを込めれば、その剣は応えてくれるはずです」

ちひろ「ぬう! その剣は、まさか! させんぞ!」

肇「さあ、早く!」

法子「や、やってみる!」

法子(千秋さん、見てて! 千秋さんの夢は、この剣の一閃で切り開いてみせる!)ギュッ

法子(何だろう……柄を通して、力があたしの体に流れ込んでくる……)

肇「法子ちゃん、剣に選ばれた貴方なら、真名もわかるはず!
  真名と共に、その剣の力を解放するのです!」

法子(いつの間にか、柄も鞘も真っ赤に輝いている……)


シャキン!


法子「妲己! これで終わりだ!」

法子「秘剣! ファイヤーサークル・クランチ!」


ドゴォッ


ちひろ「ギィヤアアアアッ!!」ゴオオオオ

法子「やった!」

ちひろ「ぐ……ぬう……」ジタバタ

肇「これ以上は、無駄な足掻きというものですよ」

ちひろ「いやだ……せっかく、天界の縛鎖から逃れたとおもったのに……」

肇「もうお止めなさい、妲己」

ちひろ「死にたく……ない……死にた……く……」


サアアアア


法子「妲己の体が、砂のように溶けていく……」

法子「ねえ、肇さんって妲己と知り合いだったの?」

肇「はい。詳しく説明することはできませんが、浅からぬ因縁と言いますか……」

法子「妲己は、肇さんを姜子牙って呼んでたよね。あれが、肇さんの本当の名前なの?」

肇「一応、そういうことになっていますが、名前に意味があるとは思っていません。
  今までどおり、肇と呼んでください」

法子「うん♪ そっちの方が、しっくりくるよ……それにしても、これで全て終わったんだね」

肇「これで終わりではありませんよ。
  戦後処理が残っていますし、味方してくれた諸侯の論功行賞もしなくてはいけません。
  それに、商の残存勢力がまだ地方に残っていますし」

法子「天下を治めるって、大変だなぁ」

肇「ふふふ。根気良く進めていくしかありませんね」

法子「これからも、よろしくね!」

肇「はい!」


~数ヵ月後 朝歌~


保奈美「こんにちは」

法子「あ! 保奈美さん、久しぶり!」

肇「お久しぶりです。召公様」

保奈美「太公望も、久しぶりね。どう、法子ちゃん。朝歌での暮らしは?」

法子「あたしには、ちょっと広すぎるような気がするよ。
   それに、前までは軍の調練ばっかりで、体を動かしていればそれでよかったのに、
   いまでは毎日政治向きの話ばっかり。うんざりしちゃうよ」

肇「それが本来の君主の仕事です」

法子「う、うん……でも、皆が笑って暮らせる国を作るためだもんね! 頑張るよ!」

肇(法子ちゃんは、立派な君主に成長しつつありますね……)

保奈美「私は、周の旧領全てを貰い受けたから、充分満足しているわ……
     ところで、太公望はどんな褒賞をもらったのかしら?」

法子「えっと……あ……」

法子「あーっ! 忘れてた!」

肇「どうかしましたか?」

法子「どうかしましたか、じゃないよ!」

肇「?」

法子「肇さんの褒賞を忘れてたんだよ!」

肇「ああ、そんなことですか」

法子「そんなことって……」

肇「私は、特に欲しいものなどありませんよ。いまの暮らしで充分です」

法子「でも、商討伐の一番の功労者は、誰が見ても肇さんだし、
    肇さんにも何か大きな褒賞が無いと、対外的にしめしがつかないっていうか」

肇「そこまでおっしゃるなら……うーん」

肇「では、東海の一帯をいただければ……」

法子「東海のあたりだね。えっと……って、それまだ周の勢力範囲外だよ!」

肇「いずれ、周の勢力はそのあたりまで及ぶはずです。
  私に領土を下さるのは、その時でかまいません」

保奈美「貴方って、本当に無欲ね」

肇「そうでもありませんよ。私がもし一国を君主になったとき、どんな国名にしようかな、
  なんて考えるときもありますから」

法子「肇さんの国の名前かぁ、どんなの?」

肇「“斉(せい)”です」

法子「斉?」

肇「皆が斉(ひと)しく力を合わせ、斉しく生きられる。
  そんな国作りを目指したいな……なんて」

法子「いいね、それ♪ よーし、肇さんの国づくりの為に、頑張らなきゃ!」

肇「私も、今までよりも、より一層励みます。どうか、幾久しく」

保奈美「私も、ここまで肩入れしてしまったのだから、いまさら引き返せないわね。
     法子ちゃんの天下がどういうものか、見定めさせてもらうわ」

法子「ふっふっふ。あたしに任せてよ! 二人とも、これからはずっと一緒だよ♪」



おわり

・周の文王、武王が、商を倒した一連の戦いを“商周革命”と言います。
 このとき、周の参謀として活躍したのが呂尚です。

・呂尚は、「太公望」の呼び名で知られており、商打倒の後は一国を与えられました。
 この太公望の国こそが、後代の中国史に何度も登場する「斉」の始祖といわれています。

・日本では今日、釣り人を指して「太公望」と言いますが、
 これは文王が渭水の畔で釣りをしている呂尚を召しだした古事が原拠となっています。
 また、太公望といえば他にも、「覆水盆に帰らず」の古事が有名ですが、
 中国には他にも似たような逸話が数多く残っているので、必ずしも太公望が原拠というわけではないようです。

・明時代には、「封神演義」という荒唐無稽な娯楽小説が登場しますが、
 太公望自身が半ば伝説上の人物であるため、仙人のような扱いを受けるのも、仕方ないのかもしれません。


以下は作者の過去作です。
日本の歴史・古典ものですが、興味のある方はどうぞ。


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