みく「サイキックと私」 (19)

「エスパーユッコ、今日もサイキックの修行ですよ!」

堀裕子は、トップアイドルに、さらに一流のサイキッカーになるために、今日も練習を欠かさない。

「裕子チャン、おはようにゃ」

前川みくは、サイキックの練習をする直前の裕子を見計らったかのように事務所の扉を開け、入ってきた。

「あっ、みくちゃん!おはようございます!
   ……そうだ!みくちゃん!よかったらですね、私の新しいサイキックをみくちゃんで試してみてもいいですか?」

「いいよーどんなサイキックなの?」

いつかは猫アイドルとして世間をにゃんにゃん言わせたいみくではあるが、アイドルデビューへのひたむき想いは強く、また仲間想いだとも評判であった。

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「実は、夢の中で成功したので、やるなら今しかないって思いまして……
 いつものサイキックとはかなり方向性が違うんですが、催眠術、といいますか……他人の意志を操れるんです、多分」

「にゃ!?どういうことなの!?」

みくは耳を疑った。
裕子のサイキックには彼女の実力なのか、はたまた科学では証明されないような不思議なことなのか、現実離れしたものがあるとみくも認めている。
しかし、これはその中でも群を抜いていた。

「裕子チャンがすごいサイキックアイドルだとはみくも知ってるにゃ。
 でも、催眠術なんて夢の中で成功したとしても、さすがに裕子チャンでも無理なんじゃないかな?」


「やらないとわかりませんが、エスパーユッコ、これは成功する気がするんですよ!
 だからみくちゃん、ちょっとだけ協力してください!」

みくには失敗するかもしれない不安と、意志を操るという得体の知れないことに恐怖があったが、やけに自信満々な裕子の様子で信用してしまった。

ここで断ると、裕子を傷つけてしまうかもしれないというみくの配慮もあった。

「わ、わかったよ……で、みくはどうすればいいかな?」

「じっとしててくださいねー」

そうして、相撲が突っ張りをするかのように、裕子は手を伸ばして平手をみくに向けた。

「むむむー」
裕子は目をつむり、みくに何かを送るような体勢をとった。

部屋から音が去り、外から小鳥の囀ずりが聞こえるだけになった。

しばらくそのままではあったがみくは何の変化も感じなかった。不安も恐怖も、杞憂だったか。

「裕子チャン、なにも起きないにゃ」

「あうう……また失敗しちゃいましたか……今度こそ成功すると思ったのに……
 エスパーユッコ、もっとサイキックの修行をですね!」

「みくもヒヤッとしたにゃ……」

「ごめんなさい!」

「それは封印したほうがいいかも。裕子チャンには、人を笑顔にするサイキックが一番だよっ」

「みくちゃん……ありがとうございます!」

裕子の笑顔は、見ていて心が晴れやかになる。みくは前からこの笑顔を好きだったので、先ほどのことも忘れてしまおうという気になった。何しろ、本人がもうしないと誓ったのだから。

それからみくは休憩所に立ち寄り、自動販売機でアイドルやプロデューサーの間で同じみの、赤色の缶の飲み物を買った。

『飲むと一日頑張れる』と評判であった。みくも体の底から、燃えるような力が沸き上がるのを感じた。その調子のままレッスン場へ向かおうと廊下に目をやると、多田李衣菜が通った。

みくと李衣菜は自身の目指すアイドルや音楽のスタイルの違いから、たびたび衝突が起こっていた。共に仕事をするとき以外には、ふとした拍子に口喧嘩へと発展してしまう。

みくは心底、李衣菜が嫌いではなかった。彼女もアイドルとしてデビューしたいという同じ士であり、その直向きな姿にはみくに通ずるところがある。そこはみくも認めていた。

「李衣菜ちゃんおはようにゃ」

「あっ、みくおはよう」

普段は事務的な挨拶しかしていない二人だがこの日は珍しく、みくは率先して声をかけた。裕子から元気をもらったからだろうか。

「またヘッドホンつけて。何聴いてるの?」

「あー、ロックなやつだよ。ほら、このベースの音が好きなんだ。くうぅ、この重量感が響くんだよなあ」

李衣菜がヘッドホンを外すと、みくにもそのロックミュージックに特有の、やや乱暴ではあるが繊細なリズムを刻む曲が聴こえてきた。

ロックだの楽器の音の良さだの全くの無縁の生活を送ってきたみくには、理解できないことであった。これの何が彼女を惹き付けるのか。疑問でしかなかった。

「これがロックなの?みくには全然わかんない。
 みくはポップなやつしか聴かないの」

「ええー!?みくも聴いてみなよーこれとか超ロックじゃん?」

渡されたミュージックプレイヤーには、みくが見たことも聞いたこともない歌手の名前と歌名が大きく表示されていた。ロックの世界では有名なのだろうか。その界隈とは無縁のみくにはわからなかった。

「これ誰なの?何て曲が有名なの?」

「うぇっ!?そ、それはだなー……有名かどうかなんてどうでもいいんだよ!この曲はすごくロックなんだ!」

「ふーん……ロックってよくわからないにゃー」

「それに李衣菜チャン、なんでもロックって言ってごまかしてない?
 ロックってなんなのさ」
自分の思うロックを突き進むので普段は考えたこともないロックについての詳細を問われた焦りからか、練習前だというのに、李衣菜の額に一筋の汗が浮かぶ。

「い、いや、ロックと思うかは人それぞれだからなー」

「じゃあ、李衣菜チャンはロックなアイドル目指してるんでしょ?何が目標なの?」

「そりゃいつかはバンド組んで、武道館か議事堂でゲリラライブだよ!」

「でも李衣菜チャン楽器とか弾けそうにないにゃ」

「い、今は弾けなくても練習していつかは弾けるようになるし」


「ふーん……でもみくの中では猫チャンが一番かな
 猫チャンはかわいいんだよー何度見ても触っても飽きないにゃ
 いつかは猫チャンの時代が来るに違いないよ!」

「いやいや!時代はネコよりロックだ!」

「な!?時代は猫耳にゃ!」

「ロックだし!」

「そんなにロックがいいなら一人でエアギターでもやってにゃ!」

「っ…!っんだとぉ!?」

その言葉とともに突如、李衣菜は体の自由が奪われる感覚に見舞われた。

李衣菜の脳が追い付かなかったのではなく、まさに体が石のように動かない。声も出ない。目の当たりにすることをただ見ているだけであった。





李衣菜が見たのは、みくは棟方愛海のような怪しげな手の動きをしていたことであった。

自分のキュートな猫アイドルとしての方向性を否定されたみくは、李衣菜の言葉に腹を立ててしまった。

ロックなんかじゃない、時代はかわいい猫チャンアイドルだという思いを訴えたかった。

そして朝一番、裕子が催眠術の練習をしていたことを思い出した。

何の脈絡もなく、本当に突然である。

あのときのみくは、今までにない体験に鳥肌、いや猫肌が立ちそうになった。

だが裕子のあの自信、猫アイドルとしての道を突き通す自分と似ているような気がした。その裕子に、みくは自分を重ねようとしていた。

―もしかしたら、裕子チャンみたいなことができるのかも―

何の根拠もなくそう思い立って、裕子がしていたようなことを李衣菜に仕向けた。

―李衣菜チャンは石にゃ、李衣菜チャンは石にゃ―

みくの小さい手が李衣菜に向けられたが李衣菜は気づいていない。

そして感情を言葉にしてぶつけた。楽器を弾くより、エアギターがお似合いだと。

瞬く間、指先に重みを感じた。

やがて弱った病人のようにおもむろに李衣菜の腕が動き、ギターを弾くような体勢をとった。はたから見たらまさに、エアギターの練習をしている李衣菜である。

みくも自身の行為を理解できなかった。いや、理解しようとしなかった。今の自分の力を享受していた。

―楽しい……!こんな気持ち、初めてにゃ……!猫チャンを蔑ろにした罰だよ、李衣菜チャン!李衣菜チャンが悪いの―

「にゃー!ぎゅいーん!」

李衣菜のほっそりとしなやかな腕が、激しいアップダウンのストロークを繰り返していた。

「李衣菜チャン、そんなのはロックじゃないなー
 あっ、ロックっていっちゃった」

李衣菜は目を見開いたまま、操り人形のようにただ腕を振るのみだった。

「そんなんじゃ武道館はまだまだだよ?
 うんうん、こんな感じかな?」

このみくには本気で恐怖していた。全く訳がわからなかった。だが何も抗えない。李衣菜は無力だった。ひたすら感覚のない腕を振らされていた。

「李衣菜チャン、うまいにゃ。割りと楽器の才能あるんじゃない?
 いや、実はみくがうまかったりして」

みくは度々の衝突による鬱憤を晴らさんと、心の奥底の黒いものが解放されて歯止めが効かなかった。

「李衣菜チャン、みくの目をじっと見てて……猫チャンの目って、形がすごくかわいいんだよ
 みくは猫チャンアイドルだから、猫の目をできるんだよ」

タブレット端末を称する橘ありすのように、みくは見えないタッチパネルをタップするかのような手の動きを繰り返すのみであった。

「うーん、やっぱり李衣菜チャンは本当はロックなんかより、かわいいのが似合うよ。二人で猫チャンアイドルを目指そうね……
 二人でゴールデンのお茶の間をなごませるの」

当初の李衣菜を懲らしめるといった目的からは離れ、感情の赴くままに李衣菜を猫アイドルに軌道変更しようとしていた。
みくのその黒目に光はなかった。

×タブレット端末を称する
〇タブレット端末を操作する



いつの間にか、謎の力はみくに馴染んでいた。これを解く方法も本人にはわからなかった。いや、考えようともしなかった。

みくは予備の猫耳を李衣菜につけた。李衣菜は猫耳を持ったみくが自分の頭に被せたことに気づき、これ以上ない屈辱と恥ずかしさを感じた。

エアギターに飽きたのか、李衣菜に猫の手をさせ、いろいろなポーズをとらせた。

「李衣菜チャンかわいいーやっぱりみくの目に狂いはないよ!
 李衣菜チャンは猫チャンアイドル!決まりね!」



ある日、静寂に包まれた朝の廊下で、二人のアイドルが姿を変えた。

その後、猫耳をつけて奇怪な動きをする二人のアイドルユニットが誕生したとかなんとか。

あんなことがあったなんて、たった二人しか知らず闇に葬られた。

完結です。

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