姫「置き去りにされた世界の中で」 (364)

―1st days―
―――始まりは何処か
   問うても問うても答えは無い

   夜空に浮かぶ月が淀む
   まるで、透明な砂に埋まるように
   偽物の空
   ああ……始まってしまった……―――



姫「……何者だ、お前は」

男「な、何者ったってなぁ……」

姫「どうやってここへ入ってきた?普通ならば入ってこれるはずがない」

男「俺だって知らねェ!気が付いたらここにいたんだ!」

姫「どういうことだ」

男「俺が聞きたいくらいだ!」

男(確か、あの宝玉をのぞき込んでから……クソッ!なんだってこんなことに……!)




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―――
――――――

その出来事が起こる数日前の事
この乾燥した地域のど真ん中にある街の酒場で俺は一人の商人が目に入った


男「おい、そこの犬耳の女。変わった服着たお前だ」

商人「狼です。はいはーい、私ですかー?」

男「見たところ旅商人のようだが……ある道具の情報を知りたい」

商人「情報ですか?物によってはお金取りますけど……で、何でしょう?」

男「ああ、"幻想玉"という物を探している」

商人「へぇ……」


あ、注意書き忘れてた
地の文だらけでさらに長いので苦手な人は回避推奨

男「なんだ、知っているのか」

商人「そりゃもう、この地方では有名な"神器"ですからね。色々伝説もありますし地元で知らない人はいないんじゃないですか」

男「そんな伝承で伝わったような情報何ていらん。俺が欲しいのは場所と方法だ」

商人「あなた、冒険者ですか。もしや手に入れる気でも?」

男「お前には関係ない、それを知っているか知っていないかだけでいい、教えろ」


"その手"の業界であまりいい噂は聞かない有名な獣人の商人
腕のいい剣士と屈強な魔物、そして訳の分からん生物を従え各地を荒らして回っているとよく聞くが、顔を合わせてみればただの小娘だ
それに今は護衛もいない
ただ、そういう奴こそが有力な情報を持っていたりする。使えないのなら適当に切り上げればいい話だ


商人「ふーん、一商人にそんな事聞きますかねぇ普通」

男「目についたからだ、他に理由は無い。何を警戒している」

商人「そりゃ、"腕に袖からチラッと何か"が見えもすれば警戒もしますよ。結局のところ、どこかで私の噂でも嗅ぎ付けたりなんかしちゃって……」

男「……詮索はお互いの為にならんぞ」

商人「はいはい。ま、そこは何かの巡りあわせって事にして……」

商人「言ってしまえば"知っています"。ですが、生半可な腕では到底辿りつけませんよ。危険を伴います」

男「構うかよ、それを承知で探しに行くんだ」

商人「……わかりました、では私の知っている限りの情報を教えます」


この町より北西へ進んだ先にあると言われる巨大な地下遺跡……いや、都市ともいえる広さか
数百年前に滅んだと言われる文明の跡地
誰の手も加えられずにそのままの形で残っているらしい


商人「その遺跡の中央部に存在する建物の最上階に今は安置されているそうです」

男「確証はあるのか?」

商人「確証かどうかの決定打にはなりませんけど。私、一度そこに足を踏み入れたんですよ」

男「何かあったのか?」


曖昧な証言ならば必要ないのだが……
照れくさそうに。いや、バツが悪そうに商人は言葉を綴る


商人「えっとまぁなんというか……罠だらけでしてねぇ」

商人「進めば進むほど警告から徐々に警戒、そして殺意に変わっていった物でした」

男「それで引き返してきたって訳か」

商人「ええまぁ。私は最上階へは行けませんでしたが……おかげで仲間がちょっと体中に矢が刺さりまくりまして今治療を受けている最中なんですよ」

男「そいつ、それでよく死なないな……」

商人「死んでるのか生きてるのかよく分からない子なもので」


男「お前もそいつを手に入れようって魂胆だったのか?」

商人「あわよくばそうしようとは思っていますが、何分私は観測の依頼を受けていましてねぇ。迂闊に盗ったりなんてしたら後で女神さまの天罰が下されますので」

男(こいつの訳のわからない話はどうでもいいのだが……)

商人「で、ここに遺跡を辿った時にザッと書いた見取り図があるのですが。そこそこ出来はいいと思うんですけど」

男「……なんだ?」


商人「ヌッフッフ、なーんてことはありませんよ!ご購入いただければ情報料の方は値引きさせていただきますので!」

男「大した情報でも無かった癖に抱き合わせまでしてくるか……チッ、いくらだ」

商人「まいどありー」


足元を見られた気もするが。これを余計な出費と取るか、それとも投資と取るか
この先向かう地下遺跡でハッキリさせるとしようか


――――――
―――



男「……」

男「油断した」


数日かけて探索をしていた
何てことはない、聞かされた通りの話だっただけだ

広い
とにかく広い

膨張でも何でもない、ありのままのこと
まさしく都市に匹敵するその広さに眩暈さえ感じた


そもそも、本来国を上げ、立ち入ることを禁止されている場所
誰も知らない抜け道から、ほぼ知識が皆無な状態で歩き続けなければならない為精神的疲労も積み重なっていく
それを知っているあの商人は、やはり只者では無かったか


男「一応、万端の準備はしてきたが……探索は骨が折れるな」


俺が目的とする"幻想玉"はこの遺跡の中心部に存在する建物の最長部の部屋にある……らしい
が、これでもこの業界は長い。隈なく捜索してくつもりではあるが


男「やっぱり先に確かめておくべきか」


風化した街並み
多くの人々が生活していたであろう跡が今でも残っている
既にこの数日でいくつかの場所は調べた
まだここに築かれている多くのものには興味がある、価値がありそうなものを拝借していきたいところだが
やはり優先すべきは"幻想玉"
早々に目的地へ向かうことにした


それにしても、驚くべきことにあの商人から買い取った見取り図は非常に正確なものだった
高めに"ぼられた"気もするが、そこは流石に商売人というべきか。十分に値段に釣り合うものだ


男「ここか……」


目の前にそびえるは巨大な建造物
現在の物と比べて至ってシンプルだが
所々小洒落た模様、時代を感じさせるものが描かれている
その辺りに、時の流れによる文化の違いが見て伺える


男「罠らしいものはここまでなかったみたいだが。要はここからが本番ってところか」


そう、順調にここまで来れたがまだ問題は残っている
枝分かれした安全な道を、正確に記された地図を頼りに進む

しかし、これが案外すんなりと通れるものだ
いくつか他のルートは自分でも確認できたが、今は地図に示された安全な場所を通っている
商人一行が引っかかったであろう罠はこことは違う道に集中しているようだ
気を付けるべきは穴くらいか

罠とは決して呼べない物
一度空いたら空きっぱなし、長い年月を経ているのか抜けてしまった床が多数


男「もうすぐ最上階か。このまま楽に進めるといいが」


……だが、おかしい話だ
ここまでいくつものルートを確認し、罠を起動させて進んできたのならこの地図を描いたあの商人はここまで来たのは当然だろう
ならばなぜ、あともう少しというところで引き返した

仲間が負傷したからといえばそうだろう
だがあの様子を見た限りでは命に別状があったわけでもない
仲間に対して情がないというのならば話は別だが……


ならば、既に持ち出されている……?
そう考えれば納得がいく

本人は観測と言っていたが持ち出したいとも言っていた
仮にすでに持ち出したのなら俺に吹っかけて用済みになったこの地図を売りつけたのか
思えばこれはあの商人が描いたという保証もない
勿論、俺に本当の事を話す理由も無い


男「くそ……ッ!まさか図られたか?」


美味い話には裏がある。よくあることだ
こんな簡単な手段に引っかかる辺り、気取っているだけの冒険者だと自分でも思う


しかし、幸いというべきかなんというべきか
目的である場所につくと、その考えは空回りしているだけだと知る


男「……あった!」


暫定本物
確かにそこに"幻想玉"と呼ばれる神器らしきものが存在した


男「これだこれ!あー心配して損した!」


この地上に存在しない素材で作られている"神器"
神の使う道具として作られたそれは時に人々を救い、時に人々を苦しめることもある
しかし、そういった作用を持たない便利なものや意味の無いものもある

幻想玉と呼ばれるこれは意味のない部類に入るのだが


男「かつてこれ一つで数多の戦争が起こったと言われるほどの逸品だ」

男「その宝玉を覗けば七色に輝く美しい幻想が見られると伝えられているが……」

男「だが、昔の連中も馬鹿だね。美しいというだけで奪い合い殺しあってきたんだからよ」


それは国の力を示すこととしては十分
天界からの神の落とし物である神器を持つということは、国としての地位を上げるのに一躍買っていたのだから
その時代に置いては……の話だが


男「厳重に管理されていると思っていたがそうでもなかったな」


まだ本物かどうかはわからない
たとえ宝箱の中に入っていようが野ざらしにされていようが重要なのはそこだ


男「だが……ッ!?」


一瞬、何か物音が聞こえた
壁を背にし、注意深く辺りを見渡す
しかし何も見えてはこない


男(気のせい……か)


明らかな老朽化で建物自体が脆くなっている
きっとその影響だろうか、背にした壁も少し触れただけで石が剥がれ落ちてきた


男「この音か……こんな簡単に崩れるなんて、危ないな」


辺りに崩れやすくなっている場所は無いか、慎重に調べ終え改めて探索を続ける


男「この部屋も最長部の一室でしかないみたいだ。狭いし暗いし……窓はあるな」


遥か昔の遺跡の建造物にガラスというものなど存在せず、吹き抜けになった窓からこの地下遺跡が一望できる
とはいえ、空は真っ暗
ここは地面の中に埋まった遺跡、当然といえば当然だ


男「しかし高いところから見るとこうもわかりやすいか……広すぎるだろう」


今一度、自分が歩いてきたであろう街並みを見て改めて驚く
外の確認を済ませ、部屋の中を見渡す


見たところこの部屋はお世辞にもいい部屋とは言えない
収納棚と思われるものや石造りのベッドなどが置かれているが他には何もない

ここにはどんな人物が暮らしていたのだろうか……


男「ま、いいか。そんなことよりも今はだな」


この宝玉が本物かどうか確かめるべきだ
目を凝らして見ればわかるだろう


色無く輝くその光は、幻想を映し出す
今過去未来、夢現実。その所有者が望むビジョンを映し出す


それは夢

それとも幻

光の中に捉えられたその景色は

やがて辺りを照らし数多もの欠片となる

安らぎに近い、とても暖かな物を感じ

静かに目を閉じた




「……」

――――――
―――



そして今に至るということになるが


姫「……人を呼ぶぞ」

男「待て!どうなっていやがる!?俺はさっきまで遺跡の中でこの宝玉を……」

姫「宝玉だと?」

男「あ、ああ。こいつだ」


本来ならば手に入れたお宝を見せるようなことはしない方がいいだろう
気が動転していたのか、目の前にいる少女に光り輝くその玉を見せてしまった


姫「ッ!?貴様、いつの間に私から"まやかし玉"を奪った!?」

男「まやかし……?この"幻想玉"のことか?」

姫「ええい!そんなものどうでもいい!返せ!!」


我が物と言わんばかりに、乱暴に幻想玉はこの手から引きはがされた


男「なっ!そいつは俺が見つけた宝だぞ!お前が奪っていい道理などあるか!」

姫「これの所有者は私だ、お前のようなどこの馬の骨だかわからん者に持たせる訳にはいかん」


白い肌、まだ幼さが残る少女
しかしその威圧感はどこか高貴なものに感じた
物怖じする俺に少女は続ける


姫「……で、お前。どこからここに入ってきた」

男「どこからって……俺が知りたいくらいだって言ってんだろ」


姫「ふぅん……なるほどな」


まじまじと、俺の姿を頭の天辺からつま先まで見る
怪訝に、不思議に。恐怖よりも興味が勝ったのか、少女は石造りのベッドに腰掛けたまま指さす


姫「まぁいい、お前もどうやら訳が分かっていないようだしな。実際私にもわからないけれど」

姫「お前が突然現れたのは……思い当たる節はあるが確証はない、しかし……」

男「……?」

姫「ん?どうした?」


男「そのベッド……」

姫「別に、珍しいものでもないだろう。適当な大きさに斬られた石に布を何重にも敷いただけのものだ」


いや、俺が注目したのはそこじゃない

この部屋の間取り

部屋に取り付けられた棚
適当な大きさのベッド

そしてそのすぐ後ろには大きく空いた横長の窓
ここからではよく見えないが、人々の活気を感じられる

これは……


姫「言いたいことがあるならハッキリ言え」

男「お、おい。お前……」

姫「待て、その場から動くな」

男「ッ!」


ここから少女とは少し距離が離れている
流石に信用はできないのだろう、この距離を保って話ことを提案される
提案というよりも強制だ
しかし、こちらも嫌な考えが頭を巡る。今はその言葉に従い現状を把握しなければならない


男「わかった、俺はここからは動かない。だから俺の質問に答えてくれ」

姫「……いいだろう、なんだ?」

男「お前は何者だ、ここはどこだ」

姫「はぁ?お前は何も知らずにここに侵入してきたのか?」


そんなものは当然だ、知りもしない


姫「いや……それも当然か……ふん」

男「?」

姫「いい。ともかく答えてはやろう」

姫「私はこの国を統べる一族の娘。いうなれば姫だ」

男(なるほど、強気な立ち振る舞いはその為か)


姫「そして、我が一族が統治するこの地は乾燥した大地の中央に位置する国」

姫「何度かこの玉をめぐり戦争が起こったが……まぁこの通り、この歴史の中で健在と言わんばかりに受け継がれてきた由緒ある国だ」

男「戦争……それで」

姫「次は私から質問だ。答えないとは言わせないぞ」

男「あ、ああ。答えられる範囲でなら」

姫「お前、この国のものでは無いようだが、異邦者か?見たことのないようなものを着ているが」


俺の服装は至って普通。冒険の邪魔にならないような機能性を重視した服だ
目の前の姫と名乗った少女は面積の少ない薄い服装をしている
この暑い気候を部屋の中で過ごすことを考えれば妥当ではある


姫「まさかと思うが、お前は別の世界から来た者ということではないだろうな?」

男「は?何言ってんだ」

姫「いや、いい……言ってみただけだ」


このお姫様のよくわからない戯言はとりあえず置いておくとしよう

窓の外からは光が照らす。この位置からでは外の様子はよく見えない
だが確かにわかること、それはこの部屋がさっき"俺のいた部屋"ととても似ているということ


風化していた棚は綺麗な色で塗られ、石造りのベッドは鮮やかな装飾をされている
この間取りと家具の位置、どれを見ても一致している

俺はまさか、あの宝玉の力で……


姫「何を黙っている、私の質問に答えろ」

男「ん?す、すまん……」


その態度にどうも恐縮してしまう


判断する要素は無きに等しい……しかし、そう考えると色々と合点がいく
ここで原因を作ったと思われる"幻想玉"をもう一度手に取ってみたいが


姫「ふん、答えられないのならそれでも構わんが。そろそろ人を呼ぶことになるぞ」

男「ま、待ってくれ、確かにこことは違うところから来たってことは俺も理解はできた」

姫「ほう?」

男(一応話は合わせるか……)


男「だが、恐らくだ……なんだ、お前の持っているその宝玉が原因でここに来てしまった……みたいだ、多分。だから一度それを俺に……」

姫「断る、これは私にとって命と同等の価値があるものだ。おいそれと人に渡すようなものでもない」

男「くっ……」


もう一度調べてみないことにはわからない
ひょっとしたらあの神器が見せている幻なのかもしれない
だとすればもう一度さっきと同じことをすればこの状況からは抜け出せられるはず


男(……姫といえど所詮は子供。力ずくで奪い取ることも出来るだろう)


男「ええいままよ!」

姫「そうだな……異の者よ」

男「な、なんだ?」


飛び掛かろうとした直後に声をかけられ思わず後退る
怪しく構える俺に彼女は目を細めて睨み付ける


姫「……お前今何しようとした」

男「お気になさらず、どうぞ」

姫「ふん、まぁ飛び掛かろうとした寸前に思いとどまったみたいだから水に流しておいてやる」

男(バレていたか、中々迂闊な行動も出来ないな)


姫「……賭けをしよう」

男「賭けだと?」


突然何を言い出したかと思えば
気でも狂ったか、はたまた始めから来るっているのか
侵入者に対して理解しかねる事を提案する


姫「ああ、簡単なものだ。お前はどうしてもこの"まやかし玉"が欲しくて仕方がないみたいだからな。お前が勝てば貸してやってもいい」

男「命と同等の価値なんじゃなかったのか?そんなものを賭けの対象にして……」

姫「暇つぶしだ。こうして誰かと話すもの久しいからな」


男「久しい?家族とは顔を合わせないのか?」

姫「ワケあってな。多少口を利くといえば機械的なことしかできん使用人くらいだ。これがまたつまらん奴だ」


自傷気味に笑うが、そんなことは今はどうでもいい
ともかく乗るかどうかと問われれば乗らないわけにはいかな状況だ


姫「ああ、説明しなければな。なに簡単だ、私がこれから使用人を呼ぶ。それが男か女かを当てるだけだ」

男「なんだ、そんなこと……お前!?」


手に取ったベルのようなものをチリンと鳴らす
するとすぐに、カツカツと音を立てて廊下を歩く何者かの気配を感じた


姫「ククク……さ、どっちだ?答えろ」

男「ちょっと待て!始めから俺を捕える気で……!」

姫「もう来てしまうぞ?3、2、1……」


言うまでもない。ここで取り押さえられたりなんてしたら面倒極まりないだろう
急いで近くにあった樽の中に入る
急を要するとはいえこんなことで誤魔化しきれるとは思えないが、無いよりはマシか


姫「フフ……、時間切れだ」


何が時間切れだ
元々対等な立場ではなかったにせよ、これではただの道化だ


姫「ご苦労、ああ悪いな。特に用はない、下がっていいぞ」

男「……?」

姫「樽の中……気になるか?ああ、ネズミが一匹入り込んだだけだ。構わなくてもいい」


どういうことだ?
彼女は俺を捕える訳でもなく、本当に使用人を呼びよせただけ
それもきっちりと用はないと付け加えて


姫「気になるのなら見てもいいが、口外するなよ?私は楽しんでいるのだからな」

姫「いや……口にできるハズもないか」

男(見ていいワケも口にしていいワケもないだろう!?)


先ほどと同じ足音がこちらに近づいてくる

こんな訳の分からない場所で変な連中に絡まれた挙句妙な目に合うのはごめんだ
俺は意を決して近づく足音に飛び掛かることにした


しかし、だ


男「ッ!?」


相手に飛びつくことは叶わなかった
いや、初めからそこには"何もなかった"


姫「あっはっはっは!!やはり驚いたようだな!」

男「な、何なんだよ一体……」


姫「簡単なことだ。よく見てみろ」

男「……あれ」


落ち着いてその場をもう一度よく見る

すると、そこには大きな靴が床に二足
そしてこれまた大きな帽子と手袋が宙に浮かんでいた


男「な……なんじゃこりゃ」

姫「聞きたいか?聞きたいだろう?」


男(なぜそこで目を輝かせて喋りたがる)

姫「此奴は我が一族の魔法術が生み出した結晶、"スケルマター"という生物だ」

姫「この通り、姿形のない摩訶不思議な生物だ。ここにいてここにはいない、口も利かない文句も言わない疲れも知らない」

姫「だからこうして働き手として重宝している。1体しかいないから私専属のようなものだがな」

男「透明人間ってやつか……」

姫「人の形をしているかどうかも分からないけどな」


聞いたことがある
遥か昔、魔法がこの世界大体的に伝わる前に魔法を使える一部の人間たちがその不思議な力を研究していたという話
その一環で、ありとあらゆる実験を繰り返し偶発的に生まれた生命がいたことも
その過程は今では考えられないほど非道なことも行っていたらしい

今の時代、昔よりも管理され完成された魔法が存在している。そんなことは許されないし出来もしないだろう


姫「ま、召使のようなものだから。気にするな」


透明なその生物は俺の姿を確認しても、特に何もすることもなくその場を立ち去った
言われた事以上のことはしない
先ほど少女が言った機械的というのはこういうことなのだろう


姫「おーおー、お前足が酷いことになっているぞ」

男「は?何が……うわ」


咄嗟に飛び込んだ樽の中身は果物が敷き詰められていた
思いきり飛び込んだせいか、踏みつけた勢いで果肉が飛び散り靴がベタベタになってしまっている


男「こりゃ……酷いな」

姫「ふふっ、酷い奴だ。この地域では貴重なものをこうもあっさりとダメにするとは」

男「あー……」


砂漠地帯での果物の扱いは、それこそどんな宝石にも変えられないと彼女は言う
しかし、そう言った本人は特に気にする様子もなく、ただこちらを見てクスクスと悪い笑みを浮かべているだけ


姫「しかし……お前の勝ちだな」

男「は?」

姫「賭けだ賭け。お前は必至すぎて忘れていたのかもしれないが、私は十分楽しませてもらったよ」

男「ちょっと待て。俺はその賭けの答え出していないぞ」

姫「いや、お前は正解を当てたよ」


姫「アレが男か女かなんてのは私も知らない。だから答えないことが正解だ」

男「答えがないのが答えってか?そんな頓智じゃあるまいし……」

姫「まぁいい。久しぶりに遊べて私も少し気が楽になった。ほら、こっちにこい。まやかし玉を貸してやる」


納得のできない決着だがそうも言ってはいられない
せっかくだ、貸してくれるというのらばその言葉を信じよう


姫「だがこれはお前が望むような宝でも何でもないぞ?人の心を惑わし、そして幻を見せるだけの玉」

姫「これでお前は何をするつもりだ」

男「そんなもの、価値は俺が決める。名が通ったお宝なら効力なんてオマケ程度だ」

姫「名が通った……か。そいつを見せびらかして名声でも上げようというのか?」

男「一応冒険者……として。極端な言い方だがそういうことになるな。手っ取り早く金が手に入る方法だ」


そう、俺が神器を欲する理由はただ一つ
名を上げたかっただけ

有名になればそれだけ上級の依頼も受けられるしギルドから補助金も出る
"真っ当に生きる事が出来ない"俺にとって、唯一生き残る手段
ギルドは死の商売人だ
成果さえ上げればどんな組織からでも隠れ蓑にしてくれる


遺跡を探索していた理由も、ただ単に好きだからとそんな訳もなく、何か発見があれば報告を
そして新たな事実を見つけることが出来ればまた名が上がる。美味しいことこの上ない
あることない事つらつらと、言い訳のように説明を続ける
勿論先ほどまで居た場所の事は伏せてある、妙な混乱と現状との食い違いを指摘されたらどう返せばいいのか分からなくなるだろう


姫「ほう……だが果たして、お前は冒険者と言えるのか。私にはお前は無法者にしか見えないが……」

男「……」

姫「まぁそれはいい。で、貸してほしいのか?そうでないのか?」

男「いやいや、貸してくれるのなら是非!」

姫「どさくさに紛れて盗もうなどとは考えるなよ?先のスケルマターは念じるだけで人をバラバラにできる力を持っているぞ」


それはそれは恐ろしいことで
勿論、魔法生物に喧嘩を売る気は毛頭無い。俺も命は惜しい


姫「……まぁ、嘘だが」


ウソかよ


姫「触れるだけだ、私のこの手からは離しはしない」

男「えっと……こうか」


不安半分で彼女の言うとおりに宝玉に触れる
冷たいそれは微かな光を放ちながら、何かを待っているようだった


姫「己の見たいもの、望む景色を想像し、創造しろ。そうすれば後はこの宝玉がすべてを見せてくれるはずだ」

男「望むもの……」


俺が今望むものそれは……


姫「……」


姫「……」

姫「……」

姫「消えた……か」

姫「まやかし玉を置いて……」

姫「まったく、面妖な奴だ」



「……」


――――――
―――


男「ッ!!」


強く打つ胸の鼓動
詰まる息に滝のように流れる汗


男「帰って……来れたのか?」


起き上がったその視界は暗い部屋。持ち込んだランプだけが辺りを照らす
何も変わらない石造りのその部屋は、ただ静かに俺を迎え入れた


男「夢……だったのか」


確かに覚えている
そこの窓からは光が差し、下に見える人々の暮らし
ふてぶてしくもそこのベッドに座っていたのは姫を名乗る少女

入口のすぐ横には果物の詰められた樽……


男「は、無いな……」


"夢"

そう、夢という一言で片づけてしまえばこの話は終わりだろう
手に取られたこの幻想玉を抱えてさっさとここから出て行ってしまえばいい


しかし……


男「夢じゃないんだな……これ」


靴にしっかりと染みついた果物の汁
ここにそんなものは……こんな寂れた場所に在るはずがない

何があったのか、整理するまでもない
今ここで俺は、この"神器"によって起こりえない体験をしたのだ

そう俺は錯覚した



"過去へ飛んだ"


――――――
―――



一度道を覚えてしまえば楽なもので、帰りは数時間程度に街へと戻ることが出来た
知識がない分、探索前の場所はどうしても寄り道や行き止まりで時間を取られてしまう
冒険者なら誰だって経験することだろう


男「だが、戻って早々することと言えば……」

男「お、いたいた」


真っ先にしたことといえば、俺に吹っかけてきたあの商人を頼ることだった


商人「おんや?あなたですか」

男「探していたんだ、話がしたい」

剣士「何だコイツは。ナンパか?斬るか」

商人「いやいやいや!?アンタ何でそんな喧嘩腰なんだよ!?」

男「……」


今回は護衛がついている
男手数人がかりでも物ともしない、魔剣を携える腕利きの女剣士
普段は落ち着いているが喧嘩っ早いとも聞く。妙な動きは見せない方がいい


剣士「……」


ジッと俺を見つめるな。集中して話が出来ん


商人「はいはい、お小遣いあげますから。これで何か買って食べてきなさい」

剣士「ん」


僅かな金を手に取ると、剣士は近場の屋台へ赴いていく
随分と手慣れた扱いをしている
商人は呆れたようなこちらの態度を気にすることもなく話を切り出す


商人「それで、話とは何でしょう?」

男「あ、ああ。まずは礼が言いたくてな。ありがとな、正確な地図や情報を……」

商人「そーんな前置きはいいですよ。あなたは対価を支払って買ったんですから、この業界でそんな礼なんていりませんよ。本題本題!」


そこはプロと言うべきか、お道化て振る舞っていても上辺だけの言葉には耳を貸さない
客との距離は一定のままだ
随分と強かな一面を持っている


男「それで、だ」


俺は遺跡を回ってきた事を話した
何を体験したかは言えるハズがない
何故なら……


商人「で、盗ったんですか?」

男(来ると思ったよその質問……)


今俺のカバンの中には遺跡の最上部にあったその"神器"が入っている

そう、つまり盗ったのだ


男「残念ながらそれらしきもの自体がなかったよ。出来がいいこの地図も無意味なものに終わっちまったって話」

商人「あらあらそりゃ残念。それじゃあ私たちも仕事になりませんねぇ」

剣士「……おい」

商人「はい?なんでしょう?」

剣士「……いや、いい」


口に物を含んだままみっともない姿で再び現れた剣士
二人で何か話し込んでいるが……確か幻想玉の観測をすると言っていたか
存在するかどうかはコイツら自身が現物を見ていない以上、分かることもないだろう
俺が持っているということも誰にも知る由もない


男「それでさ、このまま手ぶらで帰るってのも癪だからよ。あの地下遺跡について色々と調べることにしたんだ」

商人「おや?そっちにも興味おありで?」

男「まぁな」


幻想玉の情報はこれ以上聞いても無意味だろう
彼女達の中では"存在しない"のだから
逆に、ここで聞いたりなんてしたらまた盗ったのかどうかを疑われる

故にこう言った方がまだ好感がある

俺はあそこで見た夢か幻か分からない物の真実が知りたくなった
本当ならば、早いうちに手に入れた神器をギルドに収めておきたいが……それはいい、猶予はあるだろう

ただの好奇心
そう、たったそれだけだ


男「知りえる限りの事でいい。文献なんかも持っていたら買おう、だから教えてくれ」

商人「ヌッフッフ、そこまで言うのなら……」


この後、俺は商人にこの地域の伝承や歴史を綴った本一式を言葉巧みに買わされることになる
それによって見えてきたことが多い……が
これは収穫というべきか、余計な出費というべきか……


―――遥か昔、この砂が覆い尽くす不毛の地を切り拓いた者たちがいた

―――その者たちは神器である幻想玉を持ち、絶対的な権力を示し、次第に人が集まり一つの小さな国を作り上げた

―――僅か数年で王族となった彼らは、魔法を使い数々の産物を作り出し国は発展していく


男(その過程で生まれたのがあそこにいた魔法生物か)


宿で床に就いた俺は半ば強引に買わされた書物の山を読み耽っていた


男「何が好きでこんなもん読まなきゃいけないんだか」


そうは言いつつも次の頁を捲る


―――だが、その発展も時を経るごとに弱くなっていく

―――幻想玉を巡る戦いで国は疲弊し、次第に国力をも失っていった

―――この時代、魔法は魔族のみが使う禁忌のものとされており、王族は他国の者達から忌み嫌われた

―――繰り返される戦いの中、その重圧と国民からの不満の声に耐えきれず、隠居

―――そしていつしか幻想玉は失われ、行方知れず

―――国は形を成すことが出来なくなり、他国の進行と共に自然と人々は離れ、そして消えていった


男「……」

男「伝承ってのはどこまでが真実か史実か、嘘か想像か分からないところがあるな」


丁寧に書き綴られた本を捲っていく手はいつの間にか止まっていた

幻想玉は失われることなくそこにあった
戦争を経験したその国は疲弊していたどころか確かに栄えていた

夢か幻か……
いずれにせよ、気にはなる


男「明日、また遺跡へ行って調べてみるべきか……」


興味を惹かれると、まるで麻薬を打って気が違ったかのように求めてしまう
あの宝玉が見せた景色はそれほどまでに俺の心を射止めた

これもまた神器であるが故の魅力……魔力か

当初の目的を忘れ、どこか心を躍らせる自分に気が付かぬまま布団を被る

明日は早い。また違った発見をする為に旅に出よう
幻想玉に導かれたあの瞬間のように、俺は静かに目を閉じた


――――――
―――



―2nd days―
―――沈んだ日はまた昇る
   光と影を交えたままに

   決して変わらぬその結末に
   私は何を待つのだろう
   心は何を待つのだろう……―――


姫「……驚いた、というより呆れたな。またこうして私の前に顔を出すとは」

男「ハハ……」


開口一番でこれだ

正しい幻想玉の使い方が分からない以上、違う場所で違うことをするのは大きなリスクを背負うこととなる
だったら同じ場所で同じことをすれば……
実験は見ての通り成功した。俺が昨日と同じ場所に出るという結果を出して


姫「私に気でもあるのか?悪いが求婚は全て断っている。これでも相手は選びたいからな」

男「お前みたいな子供に興味なんて無い。興味があるのはこの玉だけだ」

姫「ふぅん……」


何を諦めたのか、彼女は昨日のように手に取られたその宝玉を取り返そうとはしなかった


男「どうした?もうコイツには執着しないのか?」

姫「取り返したところで無駄なようだからな。昨日、お前が消えたあとまやかし玉がそこに転げ落ちた。結果的にはまた返ってくる、だから今は預けておいてやる」

男「預けるねぇ……」


この神器の仕組み自体はよく分からない。が、こちらとしてはありがたい話だ


一息ついて沈黙が続く中、不機嫌そうに振る舞いながらもこちらへの興味を隠せないのか、横目で何度も様子を伺っている

構ってほしいのか?そんな事をふざけて言ったものなら、脛に目掛けて手に持っていた果物を投げつけられる


男「ず……随分と酷いことをするな」

姫「大の大人がその程度でうずくまるな」


弾けたその果物からは甘い香りが漂う。ただし、また靴を果汁で濡らして……
見た事のないような硬い果物を全力で投げつけられれば誰だって痛いだろう


姫「で、今日は何の用だ?」

男「用って言ってもな……」


実験で来た、なんて本当の事は言っても信じてくれはしないだろうし、信じてもまた果物が飛んできそうだ


男「お前に会いに来た……なんて言ったらロマンチックか?」

姫「冗談は軽々しく言えるんだな。もう一発行くか?」

男「悪い、勘弁してくれ」


その手に握られた色鮮やかなものは今投げつけられたものと同じ
あんな硬いものをまた当てられたらたまったものでは無い


姫「だったら真剣に答えろ。私は真剣に聞いているんだ」

男「ハァ、分かったよ。言うよ、特に理由はない。移動しようとした先が偶然ここだったって話だ」

男「昨日と同じ、何も理由はない」

姫「……悪意はないようだ、まぁ信じよう」


本当の事ではないが嘘でもない
信じてくれるのならそれに越した事はないだろう


姫「さて、それでは今日は何をして遊ぶか」

男(まさか俺を使って昨日みたいに遊ぶ気か)

姫「そんな顔をするな、2度目となると同じものでは笑いはとれん。直接遊ぶだけではなく、見て楽しむ事もしてみよう」


分かりやすい顔をしていたのか
そんな俺の表情から言いたいことを察した彼女が付け加える


姫「ほれ、今日は外で面白いものが見える。どうだ、お前もこっちに来て見てみろ」


ベッドを叩いてこちらに来いと催促をする


男「昨日の警戒心はどこへ行ったんだ?」

姫「今日はスケルマターが早めにくる日だ。お前が変な気を起こしてもまぁなんとかなるさ」


随分と無警戒……あるいは魔法生物への信頼が大きいのか


男「それで?何が見えるって?」


このまま遠くで立ちっぱなしというのも何だ
遠慮せず彼女の隣へ座りこむ


姫「ああ、見ていればわかるさ」


窓の外には太陽が燦々と照らす町並みが見える
砂漠の真ん中に存在する都市。石で造られた建造物、簡素な出店が立ち並ぶ
人々は物を売り、また買いながらその営みを繰り返している


姫「どうだ?我が国は。随分と栄えてるだろう?」

男「へぇ……見下ろすとこんな感じなのか」


素直に感心する
まだ過程の域を出ないが、ここは俺がいた世界よりもずっと過去
あの廃墟と化し地中に埋没した景色が今、目の前でこうして息をしている
長い歴史の中で消えていった都市の本当の姿。そう思えば感慨深いものがある


姫「もうすぐ始まるぞ」

男「始まる?何が」

姫「旅芸人の出し物だ。あそこを見ろ」


指さされたその場所は、中央に位置するこの場所から離れた大きな広場で開かれた舞台
その場に似合わない風貌の男女達が小道具を広げている
辺りには今か今かと待ちわびる大勢の人、ひと、ヒト……


姫「国から国へと旅をしている者達だそうだ。世界中で人気らしくてな、我が国へ来ると知って皆大はしゃぎ」

姫「フフ……見てみろ、あそこの子供なんて近くで見ようと必死に人ごみをかき分けて行ったぞ」

男「よく見えるなそんなの……」


ここからかなりの距離があるがよく見えているようで……
彼女は語りだしたら止まらない、喋りたがりのようだ。その場のどうでもいい事さえ話題にしてしまう


姫「さぁ始まるぞ。旅芸人たちの一喜一憂、笑いと驚きの大舞台」

男「何だよそれは」

姫「あの芸人たちの売り文句だそうだ」


見ろとは言われたものの、どうもここからではよく見えない
だというのに、彼女は楽しそうに一芸一芸説明してくる
そのペースが続きに続き、こちらも聞き入ることしか出来ない

魔物を使った一芸
獰猛な野獣に火の輪を潜らせ得意げにする獣使い
ポールを使ったアクロバット
次から次へと飛び移り、無茶な格好を決めながら組体操
失敗したらご愛嬌、そこはアドリブで補う事で


男「よく見えないから正直お前の説明がないと分からん」

姫「私は何度も見ているからな、次に何をするかは見てわかる」


流石は一国のお姫様
超人気と謳われる旅芸人の芸を何度も見ているとは


舞台も中盤に差し掛かったころ、彼女の口から一つの提案がこぼれる


姫「なぁ、賭けをしよう」

男「またかよ、今度は何だ?」


渋りつつも、興味もないものをずっと見せつけられ聞かされていた俺にとってはマシな話だ


姫「次の芸……綱渡りとやらが始まるのだが」

男「まさか落ちるか落ちないか……とか言い出す気か?」

姫「その通りだ。どちらに賭ける?」

男「正気か?」


余りにも幼稚、あるいは単純な事だ
今までの言動からも読めていたことだが、やはりまだ子供と言ったところか
「何かあるのか?」と、不審に思いながらもその賭けを承諾し話を進める


男「で、何を賭けるんだ?」

姫「そうだな……お前が勝ったらこの果物をくれてやる。負けたら……まぁそれはいい。私が楽しみたいだけだからな」


対等だから成立する賭けだというのに、それは無いだろう……
手に握られたのは先ほど投げつけられた硬い"アレ"


男「頭に一発お見舞い……なんてことはないだろうな?」

姫「自分から掲示しておいてそんなことはしない。さぁ、落ちる落ちない、どっちだ?」


芸人たちにしてみればいつもやっている事
こちらをハラハラさせながらも、終わるころには何事もなくやってのけるのが芸というものだ
当然選ぶのは"落ちない"だが……


男「"落ちる"、だな。ここは」

姫「ほう……どうしてそれを選んだ?」

男「誰もが選ぶ方を選択しても面白味が無いだろ?安全牌を切ったところで賭けという形は意味を成さなくなる」

姫「捻くれ者め。だからあえて逆の考えをしたということか……ああ、そういうのは嫌いではない」


捻くれているのならそちらも相当……
言いかけた所で強く睨まれたためすぐに口を閉ざす
お転婆なのは困ったものだ


とはいえ、こちらにデメリットが無いからこそ無難な方は選ばなかったが
そうこう話しているうちに賭けの題目である綱渡りが始まる

慣れたもので、最初のうちは恐る恐るといった風に渡っていたものが、順を追って過激になっていく
彼女曰く「そうやって魅せている」だそうだ。本当かどうかは分からないが

確かに、その僅かな足場で危なげな足取りならば客は釘づけだろう
その目に映る期待感は芸人への心配か、はたまた最悪の結末の怖いもの見たさか

綱の上で芸人がそのしなりを利用し飛び跳ねる
その時


男「危なッ……」


こんな離れた場所からでも確認できた
突然風が吹いたのか着地点がズレ、芸人は滑るように綱から落ちてゆく
咄嗟に手を伸ばし綱をつかもうとするが、それも叶わず背中から……


男「うわ……大丈夫かアレ」

姫「賭けはお前の勝ちだな」

男「お前な……流石にこんな時にそういうことは……」

姫「よく見ろ、あの芸人は無事だ」


得意げに親指で舞台を指し示す
そこには綱の下で何かをバネに跳ね飛ぶ人の姿


男「トランポリン……?」

姫「クク……いつもあそこに都合よく置いてあるからな」

男「お前なぁ……」


またしてもからかわれたか

芸は終わり盛大な歓声と共に悠々とフィナーレへと向かっていく


男「知ってたのか?こうなる事を」

姫「何度見ていると思っているんだ。私は私が答えを知っている賭けしかしない、相手の反応を見るのが面白いからな」


何とも性格の悪いことで
彼女曰く、相手の喜怒哀楽を見るのが楽しみだとか
ずっとここに居て、人の顔なんて見る機会がない故か

姫「あー、楽しかった!こうして人と話すのは、やっぱり悪くはないな」

男「……」


一国の姫だ、こうして丁重に扱われるのも頷ける。しかし


男「人と話したいのなら親に我が儘でも言って相手くらい用意してもらえばいいだろう。それも許されないのか?」

姫「……」


地雷を踏んだのか、彼女の顔つきは険しいものとなる
余り触れてほしくはないのか、表情に出す。辛そうに、悲しそうに


姫「あのな、王族を舐めるな。簡単に出来る訳がないだろう。そう御家の事情に軽々しく踏み込むと、女も近づかないぞ」

男「悪かったな」

姫「……ずっと一人なんだよ、私は。これからも……」

男「はぁ?」


彼女の眼は遠くを見つめる
その窓から見える圧巻の街並みよりもその先を
ずっとずっと遠くの景色を


姫「……さ、今日の所は終わりだ。丁度旅芸人たちも後片付けに入っている」


いつのまに……と、既に舞台を畳んでいる彼らを見つめる
立つ鳥跡を濁さず、といった言葉があるが
彼らは客と最低限の触れ合いのみに抑え、とっととその場から撤退していく


姫「見ようによっては情が無いだの言われそうだな、アレは」

男「あくまで芸を見せに来ているだけだからな。それも仕事でだ」

姫「割り切るか……寂しいものだな」


そう言った彼女の横顔は、やはりどこか遠くを見ているように思えた


姫「まぁいい、お前も早く出ていけ。私はもう眠い」

男「まだ日は落ちきっていないぞ」

姫「姫である私にそんな理屈は通用しない。わかったら退け、邪魔だ」


"今日は終わり"と言う言葉はどうやらこちらに向けられていたようだ
言われずとも、ここに残る必要は無い
俺は石造りのベッドから降り、来た方向へ歩き出す……と


男「うおあッ!?」

「……」


大きな帽子が宙に浮き、大きな靴が地べたを這う
いつの間にか背後に魔法生物が忍び寄っていた


姫「言っただろう?今日はすぐに来ると」

男「音もなく近づいてくるか普通……」

姫「配慮が足りんのだ。別に困ることではないが」


もしくは空気を読んでその場で待機していたか
まったく心臓に悪い


姫「早くしろ、喧しくて寝付くことも出来ない」


その場で横になり、彼女はすぐに寝息を立て始めた
はしゃぎ疲れたのかとても眠りが深いように見える


男「こんなに早く眠れるなんて、一種の特技だろ。ったく、やっぱりまだまだ子供だな」


本人には聞こえるハズも無いが、ため息混じりに一言告げる
その様子を見ていた魔法生物がこちらの服を引っ張り催促する


男「分かったっての、出てきゃいいんだろ。ん?」

「……」


魔法生物に改めて目をやると、その手に……宙に浮いた大きな手袋の平には果物が一つ握られていた


男「あ……賭けの」


ゆさゆさと大きな帽子は縦に揺れ、無言のまま魔法生物は頷く


どこから話を聞いていたのかは分からないが、彼女が賭けの品を渡すのを忘れていたフォローなのか、公平に見ていたからなのか
どちらにせよ、何も答えない以上分かりはしない


男「お前、案外気が利くな」

「……」


勿論無言
素直に果物を受け取ると、魔法生物は持ってきていたであろう水をベッドの脇に置いた
飲み水だ。これを交換するために今日は早く来たようだ


さぁ、もう留まる理由もない
幻想玉を掲げまた念じる
元の場所へ、元の時代へ

眩い光に包まれながら、そこから姿を消した



「……」

姫「スゥ……ん……フフ」

「……」


――――――
―――


実験は成功、成果は上々と言ったところか
その後、あそこの場所以外でも何度か同じことを試したが、遺跡内ならどこでもあの時代に飛ぶことが出来る
お姫様には出ていけと言われたが、これをやめろとは言われていない
言い訳がましいが、あちらは俺の正体なんて知る由もないだろうから関係も無い話だ


男「街中を歩くのは……流石に危険か」


当然だ。過去に飛んだとしても、その時代にそぐわない恰好をしている人間が容易に出歩けるわけがない
この時間で宿に帰るのもちと遠い。このままこの時代の遺跡で一晩を明かすことにしよう


ここでの寝泊りは初めてではない、初探索の時に数日過ごしている
適当な廃墟で火を起こし、そこを拠点としていた


男「念のためだが、食糧を持ってきていて正解だったな。時間を忘れて没頭していた」


俺らしくもない
いつもは仕事ならば寄り道などせずに、手早く済ませ切り上げる
しかし、今回はその仕事さえ終わっているのにも関わらず、こうして立ち往生だ


男「これも、神器の魔力ってやつかねぇ」


神の創りし物の意図など人には分かるはずもない
だが、"それ"には確かに魅せられるものがある。俺はその気に当てられたのだろう


男「さて、飯も食ったし今日はこの辺で寝るか……あ」


ふと、先ほど受け取ったものを思い出す


男「そういや果物貰ったんだったな。可笑しな話だ、あっちから問題なくこちらに持ち込めるなんてな」


身に着けている物、ないしその中に入れている物は全てそのまま持ち出せる

そしてこの果物、見た事もない形をしている
珍しいものなのか、またはもうこの世界に存在していないのか


手に据えたナイフでその硬い皮を慎重に剥いていく
水分は少ないのか、皮だけでなく実も硬い訳だが


男「ん……歯ごたえがあるなこりゃ」


カリカリと音を立てながら頬張る
味の方は……中々と言うべきか。案外しっかりとした味だ


男「硬さからして疑ったけど、食べてみりゃ確かにこれは果物だな」


少ないといってもちゃんと水気はある
必ずしも既存のものに当てはまることはないだろう


男(林檎とかアーモンドが混ざったようなような奇妙な感じだけど)


そんな他愛のない事を思いながら、今日という一日が終わる
心の片隅に、その果物の所有者であった彼女を無意識のうちに記憶の中で追いながら

この時間になると、光が無いせいもあって体が震える
妙に冷めた身体が気になり、中々寝付けずに時間が過ぎた
そうして、いつの間にか眠気に誘われて……


――――――
―――



―3rd days―
―――それはきっと幻だ
   誰かが見せた空ろな夢だ

   たとえ幾度の光を見ても
   私の心は閉ざされる
   誰も知らない世界の闇に―――



何も幻想玉一つに拘る理由は無い
手中に収まっている限り、後は手放さなければいいだけ

他に有効活用できることも踏まえる
この力を使って過去の世界に飛び、そこで手に入れたものを元の世界で売りさばく、なんて事も出来るハズで……


男(変装……変じゃないよな?)


昨日、少しだけ探索した街中を歩く
適当にくすねた衣装で最低限、この時代に溶け込める恰好をしているつもりだが


男(よっぽど変だったら奇異の目で見られるわな)


多種族の交易が見られるため人種については誰も触れないだろう
これならば問題なく行動できそうだ


男「しかし広いな……」


遺跡を見て回り、そしてこの時代でも上から見下ろした時点で分かっていたことだが
今いるこの広い大通りは人の流れも多く、市場は活気に溢れている

露店を開く者、店舗を構える者、客を引く者、誘われる者
食糧、玩具、衣類、武器……
生きる上で必要なもの、そうでなくとも沢山の娯楽品が調達できよう


男「人の営みってのは時代を経ても変わらないんだな」


「よう兄ちゃん!そこにあんただよ!」

男「……俺か?」


不意に声をかけられる
どうやら客引きに捕まったらしい

しかしこれは好都合。並ぶ商品に目を通し、説明を受けて堂々と品定めが出来そうだ


「あんたここは初めてかい?妙にソワソワしてたけど」

男(ああ……マジか)


都会に出てきた田舎者によくある傾向だ、恥ずかしい


いくつか適当に商品の案内をされてそれを聞き流してく
実際、金にもならなさそうなものを紹介されても時間の無駄だ


男「……」

男(あの姫様、こういうの知ってんだろうか)


何を考えているのだか。頭に彼女の顔がよぎる

現代でもあまり目にかかれない物にいくつか目星をつけ……その場を後にする
店員に引き留められたが、こちらは買う気などサラサラ無いのだ
その意思が分かると機嫌が悪そうに店の中へ引っ込んでいく


その後、店を回り適当に時間を潰す
面白そうなものを見つけては店に顔をだし、また出て行って……

通り過ぎる人々、顔を合わせる店の人間
どいつもこいつも昨日の旅芸人の話が多いことだ
見に行っていない者でさえネタが知れ渡っている
ネタバレはやめてやれ。芸人たちの食い扶持を潰してやるな

何度かひやかしを繰り返していくうちに日は暮れていった


男「こんなもんか……」


いつの間にか背負っていたカバンはこの時代の物品でパンパンに膨れ上がっていた


男「案外簡単なもんだな」


勿論金など払っていない
払えるはずがない、持っていないのだから

そう、何故ならこれらは全て……


ふと空を仰ぐ
見上げれば雲一つ無く、夕暮れと共に薄らと星空が見えてきた

その真下には、俺がこの時代に初めて訪れた場所……


男「流石に、下からじゃあの窓の中は見えないな」


気にならない訳がない
この都市のド真ん中にこんな大きな建造物があれば誰だって注目する

しかし、そんな事を思うのは余所者だけだ
その事をたった今痛感することとなる


「止まれ!そこのお前!そこのお前だ!」

男「ん?」


呼び止めたのは屈強な男
兜を被り、その手には槍と盾を持つ典型的な兵士の姿


「怪しいな、何者だ」

男「怪しいってアンタ……」


目の前の大きな建物以外に何もないこの場所で、堂々と見上げていれば怪しくもある
現地人にとっては当たり前の光景だ、余所者以外にそんなことをする奴なんてそうはいないだろう


男「俺は旅行者だよ。怪しくも何ともない」

「こちらも仕事でやっている。少し荷物を見せてもらえばそれでいい。最近、この場所を狙ってくる野盗が出るらしいからな」


あぁ、そこまで疑ってますか
こんな場所で何をどうしでかせば危ない人物と断定できるのやら


下手に抵抗すればさらにややこしいことになるだろう
ここは相手の指示に従い荷物を渡す
幻想玉は念のために服の下に身に着けている
これを失えば一巻の終わりだ


「……ふむ」


兵士が漁っているものは俺が調達してきたものだ
どれもこれも……まぁ、言ってしまえば盗品だ

だが、それが分かることも無い
一度だって騒ぎにはならなかった
発覚するにしても、もう少し後のことだろう


一しきり調べ終えると、兵士は荷物を突き返してきた


「協力感謝する。しかし、あまりここをうろつくな。不審者と思われても仕方がないぞ」

「へいへい、そりゃよく分かりましたよ」


不機嫌に荷物を受け取り、もう一度この建物を見上げる

再び起こしたその行動に呆れたのか、兵士は口調を崩し語り掛ける


「そんなに気になるのか?これが」

男「気になるだろうな。旅行者としては」


あくまでもそこは強調しておくとしようか

仕事柄、あまり喋ることが出来ないためか、ここぞとばかりにダムが決壊したかのように兵士は嬉々として言葉を続ける


「それもそうか……ここは王族の住居となっている。いうなれば城だ、他の地方とは大きく形は変わるがな」

男(知ってる)

「この都市を作るにあたり、初めに造られた建造物であり、そしてこの国の象徴ともいえるものだ。旅行者ならそれくらい調べてこい」

男「悪かったね。パンフレットとか見ないタチなんで」

「……だが、それも今では違う役割となってしまったがな」

男「?」


兵士は目を伏せ顔を俯けた
何か思うところがあるのか、そこからは口を噤んだまま何も言わなくなってしまった


男「違う役割ってのは……なんだよ」


この間は気に入らない
しかし、こちらから切り出したその話題は、兵士にとってはあまり口に出したくない物だった


「すまないな、国の体制の事情だ。一般の、それも旅行者に話せることではない」


思わせぶりな事を言ったのはそちらだろう
と、そんなことは思っても口には出さない
それほどまでに兵士の顔はどこか哀愁を漂わせていた

気になることは全てあのお姫様に聞けばいい
国の事情に首を突っ込むな、と言われそうでもあるが


これ以上ここに居ても仕方がない
適当な場所で幻想玉を使い、元の場所へ戻ろう

行動に移そうとしたその矢先、何を思ったのか、兵士は俺の身体の一部に目をやった


「お前、その右腕はどうした?」

男「ッ!」


布を巻きつけ、リングの飾りつけをした右腕だ
ファッションとしても成立しているし、この時代でもなんら不自然ではない
……それを今更なんだというのだ


「巻き方が不自然だったからな。まるで何かを隠しているような……おい、ちょっと見せてみろ」

男「ッ!!触るんじゃねぇ!!」


軽く腕を掴まれるもすぐに振り払う
鳩が豆鉄砲くったように唖然としている兵士を気にせず、俺はその場から立ち去ろうとする
だが、その拍子に腕に巻かれていた布はハラリと宙を舞い、右腕に隠されていたものを曝け出してしまった


「それは……刻印?貴様、まさかとは思うが……ッ!?」


その言葉を言い切る前に、兵士の喉に銀色の光を放つものを突き立てた
柔らかな感触と共に、弾けだした温かいものが全身を覆う

喋りたがりのお前が悪いんだ

俺を引き留めたお前が悪いんだ


……すっかりと日は落ちていた

太陽が出ている内は暑く、引っ込んでしまえば風が冷たい

そんな風に吹かれながら、静かに目を閉じる

あの窓の中にいる一人の少女の事を考えながら、俺は幻想玉を手に取った
今日は行くことは出来なかった
また明日は訪れてみよう
招かれてはいないが、きっと退屈はしないだろう

お互いに……




「……」


――――――
―――



男「どうだ?珍しいだろ?」

商人「んー……」


翌朝、現代に戻り早速行動に移す
出所不明なものを普通の商店が買い取ってくれるとは思わない
かといって、他のどこかに売りつけるにしてもたかが知れている物

そうなれば答えは一つ、旅商人に流すのが一番だろう


商人「確かに珍しいものですが……こりゃまた難儀な」

男「商売人がケチつけるつもりか?相当なレアものだと思うが」


この商人が珍しいもの好きだということは調べがついている
だからこそ今度は吹っかけ返すつもりでいたのだが……


商人「ほぼガラクタですよ」

男「何だと!?」


商人「こういった嗜好品というものは時代を経てさまざまな流行により移り変わっていきます」

商人「例えばこの石製の笛。確かに作りも丁寧ですし装飾も綺麗です、が」

商人「これが人気だったのは遥かに昔でしょうね。確かに普通の店では扱いは無いでしょうし、見る人が見ればそれなりの値段はつくと思いますが……私はいりませんね」

商人「他にもこういった同じような小物や、そうでなくても武器なんかも古い型というだけで特には……」

男「ま、待てよ!年代的価値とかそういうのは……」

商人「こんな素人が見ても新品だってわかる物にそんなものある訳ないでしょうが!」


俺は阿呆か
言われてみればそうだった……

例えあちらから持ってきたとしても、俺の手元にある時点でそのまま綺麗な形で残ってしまう


商人「あーあ、期待して損した。あ、それら全部処分するなら無料でやっときますけど?」

男「いらん!!それで転売なんてされて、本当に小銭程度にしかならなかったら余計に惨めだ!!」

商人「チッ、まぁそれはいいとして……」

男(今の舌打ちは何だ)


こちらのしかめた表情を見て見ぬふりをし、商人は小さな袋から次々と細々したものを出して並べていく
色鮮やかなそれらは奇妙で怪しげな魅力を持っている


商人「見て楽しむ触って楽しむのならこれ!今流行りの物をズラッと並べさせていただきました!」

男「それを……どうするんだ」

商人「どうするって?売るに決まってんでしょ」

男「誰に?」

商人「貴方に」

男「……」


悪戯っぽく笑みを作ると、商品を軽く小突いた
着物から出ている尻尾がピョコピョコと揺れているのは楽しんでいるからか
自分の買い取りは蹴っておいた上でこういった踏み込んだ商売をしてくるとは、何とも図太い神経をしている
面だけは可愛い為に余計にタチが悪い


商人「そうですね……今はこれが一番の売れ筋ですかねぇ」


一つ、手のひらに収まるものを差し出す

透き通るガラス、中心はくびれた管で出来ている
外枠は木材で作られ、その美しい形状を保持している


男「砂時計……?いや、しかし」


本来砂で埋められるハズのその中には水が詰められている


商人「水時計と言いましてね。まぁそれ自体は珍しくもなんともないのですが」

男「そんなもんを売ろうってのか?」

商人「私はそんなつまらない物は扱いませんよ。この中には魔力を帯びた液体で満たされています」

商人「まぁともかく見ていてください……」

男「……これは」


自慢げに語る商人はその水時計の仕掛けを説明した
美しい魔法を見せるが如く……


商人「最近仕入れた中でも特にお気に入りなんですよ。今ならお安くしておきますが、いかがですか?プレゼントなんかにはもってこいですよ」

男「プレゼント……」


その言葉に何故か食いついてしまう


男(……いかんいかん、俺は何を考えとるんだ)

商人「迷うのなら行動!やらなきゃ後悔必至!自分の感情を誤魔化さずに!」

男「……」


商人と別れ、半時ほど経った後
俺はここ数日で通いなれてしまった道を歩いていた
遺跡への道、寂れ風化した街並み、そしてあの場所へ


男「……ホント、何やってんだ俺は」


手には商人の口車に乗せられて買った一つの水時計
渡すような相手はいない、それなのに
俺はあの場所でただ退屈そうに窓の外を眺めていた彼女の事を思い浮かべていた


男(特別な感情を抱いている訳ではない……ただ)


ただ

可哀想に思えただけだ。あんな場所で一人で居ることが
俺には理解できない、孤独というものを背負った彼女が……


――――――
―――


―4th days―
―――もう飽きた
   どれほどの時が過ぎようとも
   私を知り得る者などいない

   ああ、恋しい
   人の温もりがただただ恋しい―――




姫「ん?遅かったじゃないか」

男「来ることを期待していたのか?」

姫「それなりに……な。昨日は寂しかったぞ?」

男「言ってろ」


この数日、僅かな時間しか会っていないのにも関わらず、お互い軽い口を叩ける程には近づけていた


姫「それで、昨日は随分とこの国の市場を満喫いていたみたいじゃないか」

男「何で知ってるんだよ」


彼女は親指を立てて自分の隣を指し示す
そこには見覚えのある大きな帽子がと手袋が宙を浮いていた


男「ああ、そういう事……」

姫「ここから偶然お前の姿が見えたからな。後をつけさせた」

「……」


水を飲んでいたのか、魔法生物が持つ盆の上には器が乗せられていた

相変わらず無言の魔法生物の横で、歯を見せて悪い笑顔を浮かべる
彼女からしてみれば茶目っ気を見せたつもりだろう


男「で、俺が何をしていたかそいつから聞いたって訳か?」

姫「いや?前にも言ったがこいつは喋らない。だから何をしていたかは適当に身振り手振りで伝えられた」


随分と回りくどい
しかし、それでは後をつけた意味もあまりないだろうに


姫「大まかに行動を把握できればいいと思っただけだ。意味は無い、ただの遊びだ」

男「趣味が悪いな」

姫「結構。暇を持て余している以上はどんな手段を使っても解消したいからな」


男「なら、もっと他に方法はあるんじゃないか?例えば……」

姫「例えば?」

男「外に出てみるとか」

姫「……」


表情が変わった
戸惑い、呆れ、諦め……
どうとも取れる複雑なもの、彼女にとっては難しい事なのだろうか


姫「それは……叶わん事だ」

男「何故?」

姫「だから、余り人の事情に踏み込みすぎると……ふん、何度も言わせるな」

姫「しかし、だ。何故そんなことを突然言い出した。我が国の市場はそんなに楽しかったか?」


こんなところに閉じこもっていては勿体ないだろう
街の人達と比べたら彼女はそもそも色白すぎる、あまり健康そうには見えない、と付け加える
鬱陶しがるように彼女は手を払いその言葉を聞き流す


姫「あのな、私は一国の姫だ。そう易々と民と同じ場所を歩くことなど出来ない。余計なお世話だ」

男「つってもだな……」

姫「お前はそんなに私を外に出したいのか。他に何か理由でもあるのか?」


違う、ただ一つ考えてしまったことがあっただけだ


男「お前がまるでこの場所に……鳥籠の中に閉じ込められている鳥みたいに思えてな」

姫「……」


自分から望んでここにいる訳ではない。この数日の彼女を見ていて感じた
かといって自ら出ようともしていない。出る事を躊躇っている
簡単に出る事が出来ないのもそうだろう、そこは当たり前だ。だが……
まるで、この場所ですべてを、何かを待っているかのように

こんなことを言い出したのも、単純な話がお節介のようなものだ
可哀想な悲劇のヒロインを見るような目で彼女を見ている
幻想玉を手に入れてから興味だけで動いている俺は、彼女の変化を眺めていたいと思い始めていた


姫「それは果たして美しき鳥籠なのか、それとも無限の牢獄か……」

男「?」


力なくうなだれるその重い頭を上げ、彼女はこちらに向き直す
横目でこちらを見たと思ったらまた目を伏せる


姫「……しかし鳥籠に例えるとは、とんだ詩人だなお前は。そういう事を口に出して恥ずかしくないか?」

男「う、うるせぇな……」


今の一連の行動が嘘かのように、人をたしなめるような生意気な顔に戻る
彼女の考えていることはいまいち分かりにくい


姫「それはどうでもいいとしよう。出せ」


出せ?
何を出せというのだろうか。彼女は差し出した手をこちらに向ける


姫「やけに大荷物を抱えていたらしいじゃないか。一つ二つ私に手土産でも買ってくれたんだろう?」


それを出せとは、何とも図々しい


男「残念ながらそんなものは無いね。置いてきた」

姫「ハァ!?」


どうも今日はそれで俺を弄り倒そうと考えていたらしく、落胆してしまった
あんな無価値と言われてしまったものをそう持ち歩きはしない

元々土産にする気も無かったが……


姫「ふん……私に媚を売ってどうにかしようとしてきた連中は多々居たが、お前のように何も持たずに私の下へ訪れる無礼な奴は初めてだ」


初めて会ってから4日も経っているのに今更だろう


男「……分かったよ」

姫「ん?」


とはいえ、せっかく買ってしまったものだ。渡してしまってもいいだろう、暇つぶしと話題の種にはなる
ポケットにしまい込んだ水時計を彼女に見せる
種は明かさないように横に向けて


姫「これは……砂時計か?いや、水……?」

男「ああ、その通りだ」

「……」


興味を持ったのか、ベッドから上半身を乗りだし食い入るように見つめる
となりに居た魔法生物も心なしかこちらを見つめているように思えるが……


姫「この砂漠の真ん中に水気を帯びた物を仕入れてくるとは、洒落た奴だ」


透き通るガラスをその眼に焼き付ける
よっぽど珍しいのか、無意識に手を伸ばしている
勿論触らせはしない。水時計を素早く彼女から引き離し一つ、提案する


男「よし、賭けをしよう」

姫「ほう、私のマネをするつもりか?……私が出題する物ではないから乗り気ではないが。ま、いいだろう」


やはり乗ってきた
こうして彼女に暇つぶしを提供してやるのもまた面白い


男「んじゃまずは……コイツは水時計って言ってだな、砂時計の亜種みたいなもんだ。見た事は無いか?」

姫「無いな。ああ、とても美しい作りをしている……賭けに使うのか?」


そう、賭けに使う小道具はコイツだ
そして、賭けの賞品としての役割も持ってもらう


姫「何?」

男「お前が勝ったらくれてやる。その代り、俺が勝ったら……」


言葉を続ける前に、彼女はその身を縮めて抱きしめるように構えた
次いで宙に浮いた帽子と手袋が割って入り込む
何か勘違いしているようだが、俺はそんなことをしようとは微塵も思っていない


姫「……違うのか?」

男「阿呆、ガキの身体に興味は無いっての。まぁいいや、俺が勝ったら……特には何もいらん」

姫「正気か?賭けにならないじゃないか」

男「お前、自分が前にやった賭けを思い出して見ろ」


自分の頭に手を当て探るような仕草をしている
昨日の今日だろうに、そこまでオーバーアクションを取る必要もないだろう


姫「そういえば私も同じような事をしたな」

男「あくまでお互いに暇つぶしだ。その程度の感覚でいいだろう」


笑みを浮かべて彼女と顔を合わせる
軽い気持ちで出来る暇つぶしだ、お互いに損は無い


姫「では早く内容を説明しろ。つまらなかったら承知しないぞ?」

男「それは聞いてからのお楽しみ……」


よほど自信があるのか、彼女はどっしりと構えてその時を待つ


ルールは至ってシンプル
たった一つの問いかけ、たった一つのくだらないやり取り
誰も出来るハズのない技


男「簡単だ、誰にだってわかる。俺が時を戻せるか否か、だ」

姫「何……?」


驚くのも無理はない
そんな大層な事は誰にだって出来やしない
例えそれが世界を救った勇者様だろうと、名のある賢者様だろうと


彼女は無理だと笑うか?からかうなと怒るか?
それとも無意味な問いかけに呆れるか?
切り返す言葉は用意してある、どう転んでも俺にしてみれば対処は容易だ

しかし、彼女が見せたのはそのどれでもなかった


姫「時を……戻すだと?ありえない、あってはいけない……」

男「……?」


それはほんの少しの動揺
そして妙に冷めた態度
予想していなかった反応にこちらまで驚いてしまった


姫「そんなこと、誰にだって出来っこない。"神でもなければ"……」

男「……言葉の綾だよ。出来る訳ないだろ」

姫「あ、ああ……そうだな、ああ。そうでなくては……」


一見冷めたような態度だが、僅かにおかしくなった彼女にこちらが冷静さを欠き、うっかりと答えを言ってしまう
そうでもしなければ、話が進みそうには無かった


改めて話を戻す
先ほどの態度の変化は気にはなるが、詮索しない方がいいだろう
既に賭けの答えは見えてしまっているが、そこは暇つぶし
気にすることなく先へ進める


姫「だが、いいのか?既にお前は自らの口で答えを言ってしまった。これでは私が必然的に勝ってしまうじゃないか」


顔色が優れないままに自ら話を蒸し返してくる
なんて奴だ


男「……お前まさか演技であんな態度を取ったんじゃないだろうな」

姫「さて……な。それはいいが、私を納得させるだけのことはしてくれるんだろう?」


彼女は悪戯な笑みを浮かべ生意気そうに頬杖を付く
随分とハードルを上げてきたものだ


だが楽しませる自信は十分にある
不敵な笑みを浮かべる俺に彼女は期待を寄せる

水時計をテーブルの上に乗せると、ベッドから身体を乗り出した
その隣にいた透明な魔法生物もまた、大きな帽子をユサユサと揺らしながらこちらを伺う


男「よく見ていろよ……」


一人と一匹は、その手から離された水時計に釘づけになる


上部からは今にも水滴が落ちそうだ。しかしいつまで経ってもその水は雫となることは無い
怪訝に見つめる彼女を横目に、水時計をクルリと一回転させる
するとどうだろう、満たされていた水がみるみるうちに上へと逆流していく

姫「これは……」

「……」

男「逆水時計って言うらしい。魔力で重力が逆さまになってるんだと」


色付きの水が浮力で上に登っていくものとはまた違う
透明な水で上部が満たされていくのだ


男「形、量、そして魔力の分配。全てが計算されつくしてこの水時計を創り上げている、立派だろう?」

姫「時を戻す……か。中々上手い事を謳うではないか」

男「そいつはどうも」


褒められて嬉しくないわけがない、が
これはコイツを売った商人の受け売りだ
話の種にはなった。今はあの無茶苦茶な奴でも感謝はしておこう


姫「クク……世の中、変わった魔法があるのだな。こんな下らんことにまで使えるものが……」

男「楽しそうで何よりだ。ほれ、やるよ」


テーブルの上の水時計を彼女へ投げ渡す
危なげにそれを受け取ると、驚いたようにこちらに言葉を投げかける


姫「いいのか?本当に貰ってしまって」

男「言ったろう?暇つぶしだ、お互いにな」


元々俺には使い道のない物
本当に、どうしてこんなものを買ってしまったんだか

彼女は受け取った水時計を大切そうに抱える


姫「初めてだよ……損得抜きで私にこんなものをくれる奴は」

男「お返しだ。この前果物をご馳走になったからな」


借りは作りたくないタチで、嘘でも自然とそんな言葉が出てくる


姫「そうか……だが嬉しいものは嬉しい。素直に私の言葉を受け取っておけ」

男「ああ、そうしておく」


何故か、彼女が今とても身近に感じた

姫という立場から傲慢に振る舞う訳でもない
気高くも美しいままに
されどその振る舞いはただの小娘
普通の人と何も変わりはしない


姫「……ずっと、手元に置いておけたら……どれほど嬉しい事か」

男「?」


彼女が不意打ち気味に言い放ったその言葉の意味は分かりはしなかった
まるで、いつかその手の中から消えてしまうと言っているようにも思えた


話を終えた後、彼女はまた眠るといい、俺は追い出されることになる


男「今日もまた随分と眠るのが早いんだな」

姫「苦しみたくはない。長く続けていればそれだけゆっくりと行ける……」

「……」

男「?」

姫「気にするな。さぁ、帰った帰った。会いたくなったらまたまやかし玉で私を訪ねて見せろ。お前なら歓迎してやらんでもない」


僅か数日足らずで随分と株を上げたものだ


男「また気が向いたら来てやる」


ぶっきら棒にそう答えると、彼女から一つ注意を促される


姫「明日は構わん。だが明後日は来るな」

男「ん?どうしてだ」

姫「どうしても、だ。会いたいのなら明日か明後日以降にしろ」


疑問に思うのは当然だ。都合が悪いのか、それならば仕方がない
彼女にも生活はある。人と会う約束でもあるのだろう

既に"会う"という事を前提と考えていることに気づかぬまま、俺は幻想玉を掲げ、また元の時代へと帰っていく
彼女たちの言葉を知らずして……


姫「行ったか」

「……」

姫「……お前は」

「……」

姫「覚えているか?」

「……」

姫「答えるハズも、答えられるハズも無いか。知りはしないのだから……この私以外、誰も……」

「……」


――――――
―――



ここに来て考える事でもないのだが、俺はどうも抜けている

商才も無いのに商人に吹っかけようとしたり、急がなければならないのにずっとこの場で立ち往生したり

ヒトという生き物は一度快楽を味わうと時を忘れ、果ては目的さえ忘れて没頭する
それがどういう形であれ……

そして今この状態だ


商人「おんや?今日はお勉強ですか?」

男「今はお前に用は無い、あっちへ行ってろ」


今日は酒場で以前この商人に買わされた歴史の資料を再び読み耽っていた
適当な折にまた遺跡へ向かうつもりだが、この商人に関わるとまた何か買わされかねない

急いで片付けをはじめ、その場を去ろうとする
しかし、相手の方が上手く立ち回るわけで……


商人「いやー、どうでしたか?あの逆水時計。相手の方は喜んでくれましたか?」

男「……」


ドンと反対側の席に座ると、商人はふてぶてしくも昨日の商品の感想を聞き出そうとする


商人「んー、わかりますよー!貴方は見たところ旅人のようですし、大方ここに在住の人にでも渡したんでしょう」

商人「ヌッフッフ。叶わぬ恋と分かっていても、抑えられないのが男女の仲!絆を紡ぐ一つのプレゼント……妄想が捗りますねぇ」


余計なお世話だ
この女は人の神経を逆なでするのが趣味なのか?


男「何度も言わせるな、俺はお前に用は無い。それとも、お前は俺に何か用事でもあるのか?」

商人「いえ?特には」


呆れて声も出ない
無理に付き合う必要も合わせる必要もないと判断し、足早にその場から立ち去る

しかし、商人は「一つだけ」と、言葉を投げかける


商人「深入りしすぎると、痛い目を見るのはあなたですよ?」

男「……何のことだ」


俺の足を止めるのには十分だった

心当たりはある
ならばこいつは何を知っている?どこまで知っている?
やましい事があるからこそ、その言葉を聞き返してしまう


商人「約束とは違いますが……まぁ一応忠告ですよ。私もヒトの子ですし、残酷な結末は見たくは無いので」

男「どういうことだ?」


その顔はとても神妙で、とても心配そうで……

返そうにも言葉が見つからない
意味が分からないその忠告に、戸惑いを隠せない表情を見て、商人は口を開く


商人「いやぁ、旅人の恋愛事情なんて最終的には破局で終わっちゃいますからねぇ!こんな愉快な……おっと、こんな悲しい話は他には無いと思いまして?ハッハッハ!」


まったく、かしましい娘だ!!

先ほどの雰囲気などどこかへ消え去り、何故か人の、それもありもしない話で笑い始める
大的外れなその言葉の羅列を聞いて安心し、ようやくその場から離れることが出来た


商人「……」

剣士「……おい」

商人「あ、いたんですか」

剣士「そんな顔をするくらいなら全て話して止めればいいだろう」

商人「……こちらもこちらで目的がありますから、それは出来ないですよ」

剣士「知ってる。だが、私はお前のそんなしみったれた顔を見たくはない」

商人「……止めちゃいけないんですよ。これはきっと……」

剣士「ふん……」


――――――
―――



―5th days―
―――それは無駄な時だったのか
   有意義なものだったのか
   今となっては分からない
   それでも自由の利かないままに
   私の時は流れゆく
   後悔だけが流れゆく―――


姫「ああ、待っていたぞ」


もう5日目にもなる
彼女は何の警戒も無く俺を迎え入れた

こんな短い期間で随分と仲良くなれたものだ


姫「今日は何をする?悪いが、寝床から立ち上がることは出来ないがな……」


その明るい表情とは裏腹に、顔色はあまり優れない。無理をしているのだろうか


姫「気にすることではない……そうだな、今日は特に何がある訳でもない。話でもしよう」


そしていつも通り勝手に方向性を決める
これなら安心か


姫「あー……昔話でもしてやろう。それでいいか?」


遠慮しがちにこちらに了承を求める
お前が話したいのならそうすればいい、お互い暇つぶしの付き合いなんだ
そうしたいのならそれで……


男「聞いてやるよ。実のある話なら退屈もしないからな」

姫「フフ、随分と持ち上げるな……ありがとう。それは遠い遠い昔の話、誰も知らない世界の話」


また"あの目"だ
どこかを見ているようでどこも見ていない
遥か遠くを見つめるように、虚空を見つめるように


姫「かつて、不毛の地に一つの国があった」

姫「小さな小さな国……人々は生きるために働き、子を産み、そして死んでいく」

姫「そんな当たり前の光景が広がる、なんてことはない国があった」

男「……」

姫「国を作った者達は、さらなる発展を目指し、禁忌とされていた魔法の研究を始めた……魔法、分かるか?」


この時代では広く知られず、魔族にだけ使うことを許された異形な術
今でこそ珍しくも何ともない"それ"は、きっと彼女たちにとっては悍ましいものなのだろう


姫「ああ、その顔は分かった顔だな。続けよう」

姫「戦争にも生活にも役立つその技術は、やがて国を支える重要なものとなっていった」

姫「……だが、独学では限界があった。より強力な魔法を使うには"学ぶ"必要があったからだ」

姫「魔法を使える魔族との接触はとてもではないが危険すぎた。そしてあまりにも途方もなさ過ぎた」


魔族……今では普通の"ヒト"として扱われている
地上に出てきた彼らは、時の流れの中で俺たちの生活に溶け込み、そして同じように生き、同じように死んでいった
時を経て、なんら変わらないその命を見た地上の……俺たちの先祖は、彼らを受け入れた

だが、大昔はそうはいかない

自分たちとは違う見た目、違う力を持つ彼らとは分かりあうことは出来なかった、しなかった
異を排除し、否定し続け、世代が大きく変わる長い年月が経つまで、それを認める事が出来なかったのだ

……恐らく、ここがその時代に当たるのだろう


姫「行き詰まりを感じ始めていた魔法という技術は、ある一つの道具を見つけることで目覚ましい昇華を始めた」

男「道具……」

姫「"神器"。神の創りし強大な魔力を宿した器」


彼女は俺の片手に持たれた幻想玉を指さし答えた


姫「他国の視察に出ていた家臣たちが偶然見つけたそれはすぐに王族に届けられたそうだ」


姫「ヒトの知恵というものは恐ろしいものだ」

姫「一たび手がかりを手に入れればたちまち新たな力とする」

姫「手に入れたその新たな力で火を起こし、水を操り、緑を作り……」

姫「砂漠の中の小さな国は、みるみるうちに発展を繰り返し、いつしか大国とまで呼ばれることになった」

男「……まるで、この国のみたいだな」

姫「……どうかな」


濁したような返事を返す
何か思うところがあるのか、その表情は複雑さを感じさせる


姫「人々はその力を讃え、謳歌し、王族達をまるで神のように崇めた」

姫「ある国の者達はその神器をめぐり、その国に戦を仕掛け。またある者達は野盗として神器を奪うために争い……」

姫「幾度となく繰り返されるその戦いを退け、国はなお健在であったそうだ」

姫「しかし、そんな大国であろうとも、いつか終焉を迎える時がくる」


何故?
ここまでの話ならばそんな唐突な事態にはなりえない
強いて言うのならば魔法の酷使、あるいは兵の疲弊……
自然と口に出されていたその疑問に肯定するように彼女は頷いた


姫「ああ、そのどちらもだ」

姫「きっかけなんていくらでもあった。ただ力に任せ、騙し騙しに突き進んでいただけだったのだ」



姫「……結局、全ては見かけだけの……仮初の力でしかなかった」

姫「魔法の力ですべてを支配出来ると勘違いをした王族達は、その力をもって愚かしくも新たな命を作ろうとした」

男「魔法生物……」

姫「そうだ」


吹き抜けになった窓から下の街を見下ろしながら、淡々とした口調で言い放つ
禁忌とされていた魔法という名の力で命を弄ぶ

それは昔だろうと今だろうとあってはいけないことだ
命を育むことを許されるのは、この地に生まれ、そして土に還るものだけなのだから


姫「魔法生物は生殖能力を持たない。そして死して大地に還ることも無い、魔力は離散しそこから無くなる。生きるとも死ぬとも違う、ただ存在しえるだけの者」

姫「元々、魔法の乱用自体には反対の声も上がっていたが、それが大きな引き金となり……」

男「謀叛か」

姫「今までその力に頼り、助けられていたこともありあまり大きな声では言えなかったのだろう。だが、今回はそうはいかなかった」


簡単な話だ
禁忌を行うことによる他の国からのバッシング
そして度重なる戦争

例え連戦連勝だとしても、国民からしてみればその重圧に耐えきれる訳もない
そこへ魔法生物の話と来た。これ以上は黙っていることも出来なかったのだろう


姫「そうしたこともあり、王宮の関係者達は秘密裏に捕えられ、隠居という形で王宮から追い出されることになった」

姫「……まだ王族を慕う者も沢山いた。だからこそ、そういった話でまとまったが、言ってしまえば扱いは罪人だ」

男「……」


罪人、咎人

聞きたくもない一番嫌いな言葉だ


姫「……顔色が悪いぞ?大丈夫か?」


お前の方がよっぽど悪い
言い返すと、すかさず枕元に置かれていたあの硬い果物を脛目掛けて投げてきた


男「や、止めろよ……」

姫「心配してやった女に対して失礼な物言いだったからつい、な」


痛み悶える俺のことなどつゆ知らず、話は続く


姫「国は王に代わり新たな代表を立て、幾ばくかの領土と魔法技術の全て、そして神器を手放すことを決めた」


他国との溝を作らず、そして今まで築き上げてきた物を手放すことでその後の衝突を避けようとしたのだろう
だが、国と国との間柄、そう簡単に話が進むことは無い


姫「直接的には攻め入られることは無かった……らしいが、やはりその後は目に見えて国は衰退していった」


たとえ間違った方向だったとはいえ、向上心を欠いた国に未来は無い
ゆっくりと、それでいて着実に、その国は形を保つことが出来なくなっていったのだと……


姫「ただ、報いが来ただけなんだ。ヒトの掟に背き続けた報いを……」

男「……」


男「それが……この国か?」


聞いてしまった
疑問に思っていたことだ。所々で濁していたが、まるで彼女は自分の身にあった事のように話す
そう思わない方が不自然だろう


姫「ククク……そうか、よく分かった。お前は阿呆だ、筋金入りのな」

男「アホってお前……」


少し溜めた後、彼女はこちらを見ることなく、片手で顔を覆い笑い出した


姫「阿呆も阿呆だ、当然だろう。自分の国の事を話しているのなら、今ここに在る国は何だというのだ、まったく呆れて物も言えん」


国、神器、魔法生物
俺が前に読んでいたこの国の歴史に共通するワードこそ多いものの、確かにこの国は"今は"健在だ
自分のことだとしたら、この時代に生きている彼女が話す内容としては確かにおかしい


姫「だから初めに言ってあっただろう?誰も知らない世界の話、と」

男「大昔の伝承か、あるいは作り話ってか?」

姫「ああ、どうとってもらっても結構。ありえないだろう?今もこうして存在している自分の国の哀れな行く末を語るなど」


奇妙な感じはしたが、そこは物理的に納得せざるを得なかった
こうして時間を超えて遊びに来ている自分が一番納得できない状態だという事は忘れておこう


しかし、気になることはもう一つあった


男「なぁ。罪人として捕えられた王族ってのは、その後どうなったんだ?」

姫「……」


ピタリと動きを止めてこちらに顔を向けないまま目を瞑り、彼女は静かに答える


姫「大罪人と言えど、今まで自分たちを導いてきた人間だ。酷い扱いは受けなかったさ」

姫「寧ろ……好待遇とも言えるだろうな。あることを除けば」

男「あること……?」


姫「罪人の証である刻印をその背に入れられ、外には出られない」

男「ッ!」

姫「そして一般には知られず、誰にも語られぬまま、処刑された……顔を隠され、背中の罪の証だけが語る名も無き者として、な」

男「そんな……」


当然といえば当然だ
隠居というのはあくまで形式、本来なら責任を取るべき事だ
いや、要因はそれだけではなかったのだろう。全ての悪をその身に押し付けられた……名も無き罪人として


姫「だが、王族は誰一人としてその決定に異議を唱えなかった……何故だかわかるか?」


分からない
助かりたいと思うはずだ
自分達が築き上げてきたものすべてを捨てられている
俺ならば何か行動しなければ気が済まない、ましてや処刑などと……


姫「それはな……」


姫「国を愛していたからだ」

男「……」


男「そんな馬鹿な話が……」

姫「ただ国を思い、愛し、周りが見えなくなっていただけの不器用な一族だったんだ」

姫「これから先、どのような形になろうとも民たちが生き延びていく未来を信じて」

姫「国の為に生き、そして国の為に死んでいった……悲しい話だ」


分からない
分からない

俺には分からない


死んで何になるというのだ

それが本当に誰かの為になるというのか

ただの自己満足ではないか

現に国は衰退している

どうして大人しく死を選んだのだ

裏切られたのに……その愛する者達に殺されて何になる……

俺には……分からない


姫「理解が追いついていない顔をしているな。お前にはちと小難しすぎたかな」

男「……一国を担っている訳じゃないからな。お前と違って、俺には一生分かりそうもない」

姫「愛するものが出来ればわかるようになるさ……ただ規模が違うだけだ」


ご丁寧に、年下の女に意味不明な説教をされてしまった
何を悟った風な口を利く……と言えばまた反撃を受けかねない
喉まで出かかった言葉を押し込めて、彼女が再び口を開くのを待った


姫「ちなみに、神器はその時にどさくさに紛れて失われたそうだ。王族の誰かが隠したか、あるいは関係者が持ち出したか……真相は闇の中だ」


破棄をしたと公言しても、その力を求めるものは五万といるだろう
だからこそ有耶無耶にして終わりにしたという事か


姫「ま、言うまでもないが他国の王族お抱えの盗賊が後を絶たなかったそうだ。それ程までに神器というものは魅力的なのだろうな。お前が欲したように」


あるかどうかも分からない物を探す、途方もない事だ
だが、それは手にしたものに莫大な富と権力を与える。どんな手を使ってでも欲しいだろう
俺だってそうだった


姫「あくまで"道具"としてではなく、"尊き物"として扱う側面が強い。畏れ多くも神の創りし器だ、調べはしてもあまり罰当たりな事も出来んさ」


しかし世の中には神器を完全に"道具"として割り切って使い潰した奴もいる


男「そういや神器をぶっ壊したって奴がいたな……」


この世界からずっと未来の、俺のいる時代の話
先の戦争で破壊されたと言われる聖剣
この時代の人間には信じてはもらえないだろうが……


姫「いるのか、そんな馬鹿が?」

男「あ、ああ、まぁな」

姫「ふぅん……だが、魅入られる前に処分するのも一つの手だろう」


意外な返答が返ってくる
まるでその行動に肯定するかのような言い方に驚きを隠せない


姫「前にも言ったが、神器はあまりいい物ではない。人が持つには過ぎた力でしかない」

姫「そのまやかし玉もまた……」


彼女にとって神器はあくまでその程度の物でしかないようだ


姫「さて、話すのも疲れた。私はそろそろ眠るかな」

男「ん?今日も随分早いな」

姫「私とて暇ではない。お前がいない間は疲れるような事をしているのでな」


薄い掛け布団を手に取ると、それを身体に纏わせ横になり、力が抜けたようにパタリと寝そべる
帰ろうか?と声をかけると、彼女から一言返事が返ってくる


姫「私が寝入るまでそこに居ろ。寂しい」


随分としおらしい

らしくないその態度に疑念を抱きながらも、俺は彼女の言う通りその場に残り暇を潰した


数十分が経った後、静かな寝息と共に彼女の意識はまどろみの中に消えたようだ
それだけを確認し、俺は幻想玉を掲げ元の時代に戻ろうとした……が


男「ッ!」

「……」


いつの間にか背後に大きな帽子が宙を舞っていた
スケルマターだ


男「お前……ホントいつも音もなく近づいてくるな。足音聞いたの最初に会ったときだけだぞ」

「……」


驚きを隠せない俺を無視して、魔法生物は代えの水を彼女のベッドの枕元に置く
これは日課なのだろうか、残されていた水が入っていたであろう瓶は手際よく片付けられていく


「……」


盆の上に瓶を乗せ、立ち去る魔法生物を見る
すると、ピタリと立ち止まり何やらこちらを見ているようだ
……向きが分からない以上向いているかどうかは手袋と靴の方向で確認しているが


男「どうした?俺に何か用か?」

「……」


勿論だが返事は無い
恐らくこの無防備なお姫様に変な事をしないかと心配しているのだろうが、俺はそんなことはしない
かといって、変な誤解の末に獲り殺されても困る。そそくさと再び幻想玉を掲げ、その場から立ち去ることにする
まるで夢から覚めるような歪な感覚に苛まれながら、俺はその世界から姿を消した

そういえば、明日は来るなと言われていたな
ここで約束を破って信用を無くすのも避けるべきか

さて、明日はどうするべきか……


姫「う……ぐっ……」

「……」

姫「ハァ……ハァ……ッ!」

「……」


「…………」



―――
――――――

大丈夫だ、必ず助かる!

希望を持て!きっと何とかなるさ!

時間さえかければみんなきっと……!


きっと


きっと……


――――――
―――



男「……ッ」

男「……クソッ!」

男「嫌な夢を……」


胸を強く打つ動悸に襲われながら目を覚ます

夢を見るたび、過去の出来事が俺の心臓に楔を打つかのように深く刻み込まれる

俺は……


―6th days―
―――私は全てを知っている
   だから私は何も知らない
   
   始まりも終わりも、全てを見てきた
   だから何も怖くない、でも全てが怖い―――



とうとう六日目だ
この時代にどっぷりと浸かり楽しんでいる事を自覚している

それは神器に魅せられたからか、それとも彼女に魅せられたからか……


男(しかし、今日は来るなとは言われたものの……)


どこに、とまでは言われてはいない
彼女が会いたくないのならばそれでいいだろう。また後日伺えば

今日はこの建造物の探索

建物の内部で幻想玉を使い、こっそりとこの時代の内部を見て回っている
元の時代ではただ廃墟と化していただけの内部も、ここでは頑丈な壁で覆われている
……そもそも今回の探索理由は、散々資金繰りに失敗してきて、このまま手ぶらでこの地を去ることになるのが癪になっただけだ
何か稼ぎが出来ないかどうかという最後の悪あがきでしかないのだが……



男(……?おかしいな)


以前商人から買い取った地図を右手に、ランプを左手に持ち先を進んでいる
しかし、俺が元の時代で来た道を進んでいるにも関わらず、兵士もいなければ罠も無い
だた真っ暗な道が続くだけ。ある程度は覚悟していたが、これでは肩透かしを食らった気分だ

商人たちが元の時代で罠を機動させたであろうルートを避けて進もうとしても、そこに通じる道すら無い


男「こりゃどういう事だ」


元々は別の通路で、長い年月の経過による風化で道はそれぞれが繋がってしまったのか
そして一切の繋がりは無かったものとすれば……一体ここは何のための道だろうか


長い一本道が続く中、やがてその終着点が見えた


男「お、おいおい。何で道がないんだよ……」


行き止まりだ
道はここで途絶え、目の前には辺りとなんら変わりのない壁が俺の前を遮る

困ったことに、どうやらこの道は普段ヒトが通ることを想定していないようだ


男「俺は入口から入った訳でもないし、何より出口が見つからない……」


幻想玉を使い通路の途中から入ってきている以上、文句が言える立場ではないが
謎だ、どうしてこのような通路が存在するのか
来た道を戻り、壁を入念に調べる。もしかするとここは隠し通路の類なのかもしれない、だとすればどこかに通じる抜け道が……


引き返す途中、空気の流れが変わる
一見何ともないようなことだが、この密閉されているであろう場所で微かながら濁りを感じた

……この長い通路の先に何かが見える


男「ッ!」


明かりだ
壁や扉から指す光ではない。それは動いている


男(兵士……!?隠し通路じゃないのかここはッ!)


仕事柄これでも夜目が利く
戻ろうにも行き止まり。このままでは鉢合わせは必至
幻想玉を使って帰ろうにも、安全が保障できない
元の時代で穴だらけの場所に出ようものなら最悪落下して大怪我だ


男(どうする……)



せめて時間を稼ごう
無様に来た道を戻り、再び行き止まりの前まで来てしまう
最悪、この場で幻想玉を使い元の時代に帰るしかない

あるいは、以前のように兵士を……


その時、僅かだが背にしていた壁が動いた

ズルズルと何かが引き摺られる
石と石、そして若干の砂が混じり、臼で引いたかのような音とともに今俺が行き止まりと思っていた壁から光が差した

勿論俺は何もしていない


男「……ッ!」


世界が反転する
それも物理的にだ


「……お?」

「……」


突然開いた壁から一瞬を垣間見る暇もなくその身体は投げ出されたのだ
鈍い痛みを負いながらも、状況を理解出来ずにただ目の前の光景を見る事しか出来ずにいた


「警備は順調だ、そちらも異常はないな?」

「……」


大きな帽子と大きな手袋
宙に浮いたそれらは、兵士の言葉に反応するようにユサユサと縦に揺れた


男(スケル……マター……?)


透明の魔法生物は兵士と親しそうに会話をしている
と、言っても、兵士が一方的に話しているだけで魔法生物は言葉を発しないのだが


「この前は済まなかったな、お前が―――を連れて―――どうなっていたことか」

「……」

「ま、実際は―――だったが……何はともあれ助かったよ」


頭を強く打ったか、意識が朦朧としてよく聞こえない


「……―――せいで警備を強化することになって、俺もこんな―――を見て回らなきゃいけなくなるとは」

「……」


「所で、どうしてお前からここへ?姫様は―――だろう?」

「……」


男(あ……不味い……)


「……結局、使われなかったんだな……―――まで。―――はないのか?」

「……」

「ハハッ、お前に聞いても仕方がないか……俺たちは、もうどうすることも―――……」

「…………」


男(ダメだ……意識が……)

「……」


暗闇に消えていく視界の中で
一瞬、ほんの一瞬だけ
顔も見えないハズの魔法生物が、こちらを睨んだように思えた……


――――――
―――



男「ッ!?」


頭を走る鈍痛と共に目を覚ます
ここはどこだ?
さっきの兵士は?魔法生物は?

辺りを見回しても、何もない


男「……あ」


痛みの箇所を抑えると、覚えのない物が巻き付けられていた


男「っ……包帯も……何なんだよもう……」


毛布をかぶせられ、傷口には何かを塗られ包帯を巻かれているようだ
頭に負った怪我はどういう訳か治療が施されている


男「一体誰が……ん?」


今俺が寝ていた頭元には、ご丁寧にもあの果物が皮を剥かれて置かれていた。これで誰が俺をここに連れ込み、治療したのかはすぐにわかった
兵士に見つからないように助けてくれたのか、はたまた違う理由があったのかはともかく
あの魔法生物は妙なところで気が利く。やり過ぎたという詫びのつもりなのだろうか

呆れながらも果物を一口齧る。口の渇きが気になっていた分丁度いい
水分を取れたのか、身体の熱もスッと引いていく

改めて周りをよく見れば、先ほど気を失った場所とは違うという事がわかる

窓のない薄暗い部屋、もう日は落ちかけている。部屋の外からの明かりも少ない
ここはまるで何かの調合室だ。それらしい道具もいくつか置いてある


男「……出よう」


気を取られる程の物でもない
ここでいつまでも寝ている訳にはいかない
おぼつかない足取りでこの部屋を後にする


ここがどこかは分からないが、この建造物の見知った場所に出るまでは幻想玉は使えない
今の状態では、出る場所によっては怪我じゃ済まなくなる

長く続く石の道
いくつもの小さな部屋に目もくれず、変わらない景色を通り過ぎていく

高い金を出して買わされた地図を思い出せ、あるハズだ。俺の知る場所が


男「……ああ」


……あった

見知った道、見知った間取り


その先にある部屋から微かな明かりが零れる
彼女がいる場所だ

その安定しない足取りは、不思議と足早になっていく
見も知らぬ場所に放り出された不安からか、誰か知っている人の顔を見たくて仕方が無かった

彼女に会おう、また話をしよう
きっと彼女は俺を迎え入れてくれる……そう信じて


男「おい!遅くなったな!今日も来てやったぞ!」

「……」

姫「……ッ」


様子がおかしい

彼女の顔色は明らかに悪く、息が細い
青ざめたその表情は、こちらの存在を確認すると怒ったように
いや、悲しそう……?困っている……?

どちらとも取れるだろうその顔に精気は無い


姫「何故……」

男「?」


何故?
息も絶え絶えに問いかけた


姫「何故……ここへ……来た」


ああ、そうだ
忘れていた
……愚かしくも、彼女の言いつけを忘れ
俺はその"踏み入れてはいけない"場所に辿り着いてしまった


姫「言ったぞ……私は……」

姫「"来るな"と……」


言い訳がましく反論する

どうしても顔が見たかっただの、冗談の一つでも飛ばしに来ただの
しかし、彼女はそれでも晴れた顔は作らない


「……」


もう何も聞く気はない
そう一言、こちらに告げると
彼女はそのまま動かなくなった


男「……おい、ヒトがせっかく来てやったというのに、早速眠ってしまうとはあんまりじゃないか?」


……返事はない


男「そう怒るな、悪いとは思っている。確かに約束は破ってしまったが、まぁお互いに暇を潰せるのならそれでいいだろう」

男「またお前の話でも聞かせてくれ、今度はまた違う手土産でも持ってきてやるからさ」


……おかしい

こちらが生意気な口を利けば皮肉か果物が飛んでくるところだ
確かに彼女は寝付くが早いのは知っている
それでも、今しがた話していた途中なのにそうも簡単に意識が落ちるだろうか


男「おい!どうなってるんだ!!」


彼女の隣に佇んでいた魔法生物に詰め寄る
話が通じないと分かっていても、このスケルマターには他に聞き出したい情報もある
彼女と話が出来ないのなら、こちらを頼るしかほかない


男「なんとか言ったら……ッ!!」


伸ばした手を跳ね除けられる

その透明な魔法生物は一度、握り拳を作り小刻みに震えた
まるで、人間が取る"口惜しさ"の仕草を真似るように


ダメだ、コイツとは意思の疎通が取れない
何を考えているか分からない不気味な生物から目を逸らし、もう一度、そこに眠る彼女に目をやる


男「……?」

一つ
その時、ある一つの事に気が付く

幼くも美しいその姿よりも
白く透き通るその肌よりも

彼女は……


男「……動いて……無い?」


今まで確かにそこに"在った"
だが、もうここには"無い"

抜け殻だ
目の前にあるのは彼女の形をした"ナニか"でしかない


男「う、ウソだろ……?オイ!息を止めてるんじゃない!!驚かそうとしているのか!?なぁ!返事をしろ!!」


必死の呼びかけも虚しく、返事は返ってこない
この6日間、絶えずこの場に存在し続けたものは、もう無くなってしまっていた

俺の声だけが部屋に響く
確かにここには2人と1匹がいるのに
その声は寂しく響く


冷たくなっていく身体を見つめることしか出来ない

信じられない
だって、彼女はこんなにも

美しいのに……


男「ッ!あ、ぐッ!!」


強い鼓動が胸を打った
喪失感からか、それとも頭の傷が開いたからかは分からない

目の前が燃える
比喩ではない、本物の炎が目の前で渦巻き熱を放つ

いつのまにか、と言えるほどのほんの一瞬の出来事だ

視界が霞む
強い吐き気に見舞われる
世界が歪む


先のものとはまた違う
今度は"世界が壊れる"感覚が脳髄を襲う
息が詰まる、呼吸が出来ない

ただ気絶するだけではない
全てが消えてなくなる


「……」


魔法生物が彼女の枕元で何かをしている

その光景を最後に
意識が飛んでいく
真っ赤な景色に身を焼かれ


「……」


世界を置き去りにして



小休止
これで半分くらい
再開時期未定

再開


―――
――――――

ヒトという生き物はとても脆い物だ
肉体的にも、精神的にも
弱い箇所をとんと突いてやれば、簡単に崩れてしまう

昔、自分の力で多くのヒトを救おうとした愚かな人間がいた

だが、その人間はヒトを救うだけの力も知識も持ち合わせてはいなかった

必死に足掻いた、でもダメだった
知識を蓄えた、それでも解決出来なかった

親しき友人、恩人が耐え難き苦しみを味わっている
その人間は、何もすることが出来なかった

……その人間に出来た、たった一つの事
苦しみから解放するための……


ああ……どうしてヒトという生き物は、こうも簡単に……


――――――
―――



男「がッ!!ああッ!!」

商人「うわビックリした!?」

男「なッ!?……??」


凄まじい胸の鼓動と、肩を大きく揺らす自分の息で目を覚ました
辺りは真っ暗な闇、俺の真上には心配そうに覗き込むあの商人

状況が理解できないまま上体を起こし、相手の反応を待つ


商人「お、お決まりのセリフを言わせてもらいますが……大丈夫ですか?」


大丈夫に見えるか?
……ああ、そう見えるのなら、きっと大丈夫なのだろう

心臓は徐々に落ち着き、深海から一気に引き上げられたように、呼吸が困難となっていた肺も今では正常に活動している
納得を得られたからか、少し身体が楽になった


商人「そうですか、そりゃよかったよかった」

男「……」


何がよかっただ
どういった経緯があってここにいるかは分からないが、あまりこの女とも一緒に居たくはない
幻想玉の事もある。こちらが所有している事は知られたくない
少し距離を置き、現状を問いただす


商人「倒れていたんですよ、遺跡の中で。それで、この娘が安全な場所まで貴方を連れてきたって訳です」

剣士「……」

男「お前が俺を……?悪いな」


本当は悪いとも思っていないが、こうでも言っておけば相手も嫌な気はしないだろう
しかし、変な借りを作ってしまった
コレをネタに何か買わすように詰め寄られなければいいが……


剣士「下手に動くな病人、迷惑だ」

男「……ッ」


話によると、遺跡の探索に来ていた剣士が偶然にも高熱を出して気絶していた俺を発見したらしい
一人では対処できないという事で商人を呼んで来たとの事だ


商人「既に簡単な手当はしてありましたが、頭の傷口が開いていたのでまた包帯を巻きなおしておきましたよ」


ああ、本当だ
結構な量の血が服まで垂れてきている
今更ながら、あの魔法生物め。随分と乱暴に扱ってくれたものだ


商人「もう夜が降りてきます。この地下都市も光が無くなりますので急いで出ましょう」


この地下都市は綺麗に地下に埋まっている
上を見ればドーム状の大天井、所々に空いた穴から僅かな光が差し込む程度
夜になればそれが月明かりに変わる。当然だが、こちらで明かりを持ち込まなければほとんど何も見えない

足取りのおぼつかないままの俺を支えながら、彼女達は暗い廃墟を歩き出す


思い出せば吐き気を覚える
冷たくなっていくヒト
抜け殻となった体はゆっくりと血の気が引いていく
そして……

……?
俺は、何を思い出したんだ?
目の前で空っぽになってしまったあの少女?
いや、それだけではない
もう一つ……
自分の過去を。誰一人救う事の出来なかった、自分の"罪"を……



「……」


――――――
―――



日も完全に落ち、夜
街は仕事終わりの大人たちで活気付く

あのまま宿屋に届けられたのだが、そのままあの二人の女に"借り"を宣言され食事に付き合わされている
多少なりとも回復した俺を見て夕飯を奢れと、何ともケチな事を吹っかけてきた


商人「ただ奢るだけじゃないですけどね。この娘、すごく食べるから覚悟しておいてください」

剣士「……フン」


頬を目いっぱい膨らませながら黙々と食事を貪るその姿はまるで子供か

確かに、危ない所を彼女達に助けられたのは事実だ
このくらいでチャラにしてくれるのなら安いものだ


商人「おんや?貴方は食べないんですか?勿体ない」


勿体ないもなにも、どれだけ食べるか分からんそこのブラックホール胃袋を持つ剣士に備えなきゃならんだろう
迂闊にこちらが注文して足りなくなったら笑えない


剣士「おかわりだ。今の豚肉を3皿追加しろ」


……本当に何皿食うつもりだコイツ
注文を受けた小柄な少女が伝票に慌てて書き足してゆく
そんな可愛らしい仕草に、あのお姫様を不思議と重ねながら、退屈を感じていた

俺の視線が白けている事に気が付いたのか、商人は話を切り出してきた


商人「それで、ですけど。どうしてあんなところで血まみれで倒れていたんですか」


こっちが聞きたいくらいだ
詳しい情報も話せない以上、曖昧な返答しか出来ない
出来る事ならばこちらも思い出したい光景ではなかった
流石に無視して押し通せるような事ではない。助けて貰った以上はある程度放す必要がある
本当の事を言わない様に気を付けながら言葉を選ぶ


商人「で、要約すると……頭打って気絶して、それを誰かが勝手に治療して、そして関係ない所で貴方はまた気絶したと?そんな滅茶苦茶な……」


嘘は言っていない、嘘は


商人「ま、通り魔ならぬ治療魔なんてのもいるんですねぇ。普通なら追剥上等なもんですけど」

男「へぇ、その割にはアンタも俺を助けたじゃないか」

商人「口ではこうは言いますが……まぁ死にそうな人間放っておくほど腐ってませんので」


「無論下心あっての行動ですが」と、最後に一言付け足して
言わなきゃいい事をワザワザ口に出す。しかし、その表情は年相応の娘にしか見えない笑みだった

ああ、この娘は心優しいのだろう。言葉の端々から俺に気を遣う様子が伺える


下らない談笑の中、次々と料理が運ばれてくる
しかし、その中に剣士が頼んだ覚えの無い物が届けられた


剣士「ん?テーブルが違うのではないのか?こんなもの私は頼んでいないぞ」


ぶっきら棒に突っぱねようとする彼女に商人は慌てて間違いではないと釈明し、それはテーブルへと無事に辿り着いた


商人「アンタ一人が料理を頼んでると思うなよ!?私も私で注文してたからな!?」


どうやら商人が注文した品だったようだ
お小言を連ねる彼女の言葉を無視して剣士はまた食事を始めた
このチグハグなコンビはいつもこのようなやり取りをしているのだろう
お互いに慣れたように口を動かしている。動かす理由は違うのだが……


男「……アンタは何を頼んだんだ?」


白く濁った液状のものに大雑把に刻まれた具が浮かんでいる
あまり美味そうにも見えないそれに不思議と興味を持った


商人「この店の裏で育ている果物を使ったスープですよ。栄養価が非常に高い上に鎮静作用があるそうです」


どうぞ、とその一皿を此方に差し出してきた
これを飲めと……?


商人「その為に注文したんですから。さっきから食事には手を付けてないですし、病み上がり何ですから何か口にしないと持ちませんよ」


気を使ってくれたのか
そう、気を使ってくれたのなら早く宿に返してほしいものだ


あまりありがたい見た目はしていないが、お言葉に甘え頂くことにした
果物らしい甘みが抑えられたそれはすんなりと口の中へ注がれていく
嫌味の無い後味に不思議と手に持ったスプーンが次へ次へと口に運ばれていく
俺好みの味だ……力が漲ってくる


商人「昔から薬としても重宝されていたとか。加工が地味に面倒らしいので注文なんてされると地味に嫌な顔されますけど」

男「そりゃ大層なもんだな。で、この料理の金は誰が払うんだ?」

商人「ん」


こちらに向けられた人差し指から目を逸らし、俺は今日一日の事を振り返る

遥か遠い過去に遡ったあの場所で、俺を襲ったあの出来事を……
明日、もう一度幻想玉を使いあの場所に行ってみよう
直接的に最悪の事態を……"死"を確認したわけではない。俺の勘違いかもしれない

ここまで関わった以上、その結末を見届けなければならないという思いが俺の胸を圧迫していた
こんな気持ちになったのはいつ振りだろうか……


――――――
―――



―7th days ……?―
―――何度泣き叫んだだろう
   何度気が狂っただろう
   
   私が愚かでした
   でも……
   それでも私は……―――


姫「……」

「……」

男「あは……はははははは!」


ああ、思い過ごしだ
何てことは無い、今日も問題なく彼女は窓の外を退屈そうに眺めていた
昨日の出来事はただ頭を打ったことで俺の中のトラウマが呼び起されただけの事だったようだ

彼女は……"ここに生きている"



姫「不気味に笑って……ハァ、また来たのか」

男「ああ、懲りずに来てやったぞ」


小さなため息とともにそう呟いた彼女は以前のような笑みを浮かべる
昨日起こった事全てがまるで嘘の事かのように


男「昨日は悪かったな、約束を忘れて会いに来ちまって。丁度調子が悪くなってたんだな」


その話を出すと、彼女の表情は一瞬だけ曇りを見せる
地雷を踏んだ、と焦る前に、彼女の顔は悪戯な……またいつもの悪い顔になる


姫「クク……馬鹿め、アレはフリだ、フリ」

男「お、おいおい……冗談キツすぎるぞ」


こちらは酷く心配したのだ、嘘でもやめてほしい位には


男「迫真の演技だったな。俺を困らせるだけにやったとは思えない程」

姫「面白い事ならばなんだってやってやろう。お前はせっかく見つけた玩具なのだ、とことん私を楽しませてみろ」


よく言う
このくらい口が利けるのならば何も言う事はない
安心してまたこの小さなお姫様と話が出来た
こんな程度の事が楽しみな日課になるなんて、数日前の俺が知ったら度肝を抜かすだろう


姫「……しかし、な」

男「ん、どうした?」


思いつめたようにこちらを伺う
その眼差しは真っ直ぐに俺を捉える
彼女は何かを言おうとして、すぐにその口を閉じ目を伏せた
短い沈黙の中、気まずい雰囲気になる


男「言いにくい事ならば言わなくてもいいぞ」


我慢の出来ない俺が先に口を出す
ハッとしたかのように、彼女は顔を上げてまた俺を見る


姫「いや、なに。お前に言いにくいようなことなど毛ほども無いのだが」


失礼な奴だ
眉を八の字にしてその生意気な態度を注意してやる
案の定、堅い果物は脛を飛んできた


姫「馬鹿め……いや、バカだからこそ、こうも私を引っ掻き回すか」


何の意図があるか分からないその言葉に、少し胸が時めいた
俺は何を考えている、文字通りの馬鹿か


姫「ところで……その頭はどうした、怪我でもしたのか?」


唐突に振られた話題に反応して、思い出したかのように頭に手をやる
今の今まで忘れていたが俺は怪我人だ
本当なら今日くらい宿でゆっくり休みを取るべきなのだろうが、こちらの時代への興味が勝っていた


姫「以前の時点で既に治療を受けていたようだが」

男「ああ、そういえば昨日既に包帯巻いたままここへ来たっけな。大したことないよ」


なんせ記憶が曖昧だ、明確に思い出す事が出来ない


「……」


彼女の隣に浮かぶ大きな帽子と手袋
そうだ、昨日の出来事全てに立ち会ったこの魔法生物に聞けば……


男「この考えも何度目だよ……」


口が聞けないと何度思い出せば覚えるのやら
物言わぬ大きな帽子は、心なしかこちらをジッと見ている気がした


姫「見舞いの品だ、一つ持っていけ」


突然の彼女の仕草に慌てて身構える
その手に持たれているのは例の果物


姫「……別に思い切り投げようとはしていないぞ」


そうは言われてもそいつには何度も痛めつけられている
嫌でも反応してしまうだろう


男「ありがたく貰っておくよ。貴重なものなのに悪いな」

姫「一国の姫たる私がこの程度の物を民にくれてやらんでどうする。気にするな、欲しいのなら好きなだけ持っていけばいい」


随分と豪快な提案をしてくれる
そんなに持ち歩けるものでもない為、カバンにいくつか入れるだけにとどめておく


姫「ああ……本当に何個か持っていくのだな、遠慮のない奴だ」


言われたとおりに動いただけなのに、どの口が言うか


その後、またしばらく他愛のないような話を続ける
この一週間、まだ話していなかったお互いの事
やれ姫とはどんなものだ、やれ冒険者はどういうものだと
既に時代の流れなど感じさせない程にまでお互いに近づけたようだ

そう、いつも通りだ
いつも通りに話していた

ただ一つ、彼女が謝罪をしてきた事を除いて
一変して空気が重くなり、彼女の眼には涙が浮かんだ


姫「……」

男「どうしたんだよ、突然」


すまないと一言告げると、本当に申し訳なさそうに頭を下げている
立場を考えても在り得ない光景だ。彼女は一体何をしたというのだろうか


姫「……無くしてしまったのだ」

男「無くした?何を……」

「……」

姫「……お前から貰った、大切なものを」

男「あ、まさか……」


そのまさかだったようだ
逆水時計
彼女に渡したプレゼントだ


姫「……」


流石にこの短期間で無くされたとなったら一言何か言ってやりたい
しかし、彼女の落ち込み様を見ると、そんな言葉など口には出せなくなる
その頬には、確かに雫が伝っていたのだから


男「泣くことはない、気にしてないから顔を上げろ」


涙を流す程大切に思っていてくれたのか
嬉しい反面残念な気持ちも湧き上がってくる
女の涙というのはどうもやきもきさせる
たとえそれが年端もいかない少女だろうと、堪えるものがある


男「本当に必要なら、また同じものを買って来てやろうか?」

姫「え……」


驚いたようにこちらを見る
その言葉を言われるとは考えていなかったようだ
自分でもこんな事を言うとは思ってもみなかった


姫「どうして……怒らないのか?」


怒りたい気持ちもあるが、今はそれより彼女の涙を見たくないと思っていた
不思議なものだ、こんな感情がまだ自分の中にあるとは


姫「……いや、すまない。大丈夫だ、迷惑をかけたな」


涙を拭うと、またいつものお姫様の顔に戻る
ただの我が儘を一般市民である俺に押し付けるような事はしたくないそうだ


男「何だそりゃ」

姫「ここでまた同じものを強請るのも恰好がつかんだろう。無くしたのは私の責任だ、その尻拭いを押し付けるような真似は出来ん」


ごもっともな意見だが、涙まで見せられたら男としては黙ってはいられない
ここは冗談でも10個20個くらい買って来てやろうと言っておく
「期待しているぞ」と笑われてしまったが……

あくまでも旅商人が売る程度のものだ、再び購入できない値段でもない
彼女はいいと言うが、一方的にまたプレゼントするという約束をして今日は帰ることにした


姫「やはり傷が痛むか?」


心配そうにこちらを見つめる
病み上がりな分、体力的な面で不安が残る
会おうと思えばいつでも会えるんだ、今日くらいはこちらが早く切り上げても大丈夫だろう


男「それじゃあ俺はこれで」


幻想玉を掲げ念じる
不安が安心に変わるという事は何と心地のいい事だろう
昨日の景色は夢幻で、今日の景色が現実で
変わらない事がよかったと思える

ああ、今日はよく眠れそうだ……


姫「……」

「……」

姫「……外へ」

「!」

姫「外へ出てみたな……久しぶりに」

姫「あの男と」

「……」


――――――
―――



男「無いだって!?」

商人「アハハ……申し訳ない」


帰って早々、商人に声を掛けるも落胆する返答しか得ることが出来なかった
逆水時計は売れ筋の小物だったらしく、老若男女ヒトを選ばず飛ぶように売れていったのだという
当然だが、商人も俺個人だけに商売をしている訳ではない。文句を言おうにもお門違いだと言い返される
納得せざるを得ない理由を突きつけられ頭を抱える
ああ、どうするべきか。買ってきてやると豪語した以上、他に何か代わりの手土産でも……


商人「貴方も随分とまぁ……入れ込んでますねぇ。そんなに魅力的な女性(ひと)ですか?」

男「……」


些細なものではない、大きな変化だ
既に自分でも気づいている


商人「一応再入荷できるかどうかだけ調べておきますよ。気に入ってくださっているのなら同じものをご用意いたします」


そういった商人の言葉は耳には残らなかった

分かっている
決して神器に魅せられている訳ではないだろう
俺は、彼女が気になって仕方がない

恋愛感情や親心ではない
惹きつけられる
その儚い存在に……


――――――
―――


―8th days ……?―
―――変化というものは唐突に訪れる
   それは嵐のように現れ、そよ風のように消えていく
   私の心を打つその風は
   新たな希望をもたらす

   ただ冀う、絶望からの救済を
   それが、空望みだという事に気が付かぬまま―――



姫「アハハ!見ろ、アレが我が国が誇る巨大石碑だ!」

男「ふーん、こりゃ中々……」


8日目
意外な事が起きた
今朝早くに会いに来た俺にまったく予想だにしていなかった言葉を聞かされた

今日は外に行くぞ

どういう心境の変化か、今まで自ら拒否していた外出を提案したのだ


少し過去に遡る
魔法生物は既にその事を聞かされていたのか、手際よく準備を終えると、この建物から抜け出す道へと案内した
お姫様という事で、やはり外出自体は自由にいかないのだろう
自分でも気の利かない無茶な事を聞いてしまったと今にして思う。自由に動けない相手に外に出ろとは、酷な話だ

そして案内されたのは、以前俺が通った真っ暗な通路


男「この通路は……?」

姫「王族専用の隠し通路だ。有事にはここから逃げられるようになっている」


なるほど、出入り口がカモフラージュされていたり妙な位置に設置されていたとは思ったがそういう事か


姫「もう、使う事も無いのだがな……」

男「……」


その有事とやらが無くて使う事が無いのならば喜ばしい事だろう
もっとも、今はお姫様の悪巧みの為に利用されている
その方が平和的で、最悪の事態に使われるよりはマシか


真っ暗な道をランプの明かりだけを頼りに進む
何度か角を曲がり、その先に微かな光が見えた


男「出口か……おっと?」


適当な距離で魔法生物がこちらに待てとジェスチャーで伝える
そのまま先行し、手慣れた様子で隠し扉を開けると、外へ向かって行ってしまった

何をしているのだろうか。僅かな時間をここで過ごすと、また魔法生物は戻ってくる

どうやら人払いをしていたようだ
確かに、姫が抜け出したとなれば大事になるだろう
しかし、喋る事の出来ないコイツがどう兵士たちを言いくるめたのか。謎である


そして今に至る
彼女はあれやこれやとこの大きな都市を案内する
以前この辺りは一通り回ったのは黙っておいた方がいいだろう
その方がお互いに気分がいい

通り過ぎる人々は、彼女の顔を知らないのか少しテンションの高い娘程度にしか思っていない
顔を知っている兵などにバレてしまうのではないかの内心ヒヤヒヤしながらの外出だが、近くで魔法生物が見張っているらしいので大丈夫だろう
いつもの帽子と手袋、それに靴を脱いでいるせいでこちらもどこにいるのか判断出来ないが

大通りを進む
朝という事で朝市が賑わっている
まだ日は昇り切っておらず、本来ならば涼しい位なのだが、この場所は活気付いて違う意味で暑苦しい


姫「何か買おうか?」


それは男の俺が言わなければいけないセリフだろう
しかし、この時代の通貨を持っていない以上そんな事は口が裂けても言えない
彼女の前で盗る訳にもいかない。せっかく築いた信頼関係を崩す程愚かではない

彼女は持て歩ける適当な料理を店から二つ見つくろい、こちらに差し出した


姫「ここの店は美味いぞ。私も何度か食べたのだが、どれも絶品だ」


自慢げに語るが、それは何度もあそこから抜け出しているという事か

苦い顔をして否定も肯定もしない
俺はこの国の関係者でも兵でもないから煩い事は言わないが、魔法生物もよく許可するものだ


姫「許可というよりはただ私の言いなりになっているだけだがな」

男「止める権限も無いって訳ね」


さて、受け取ったパンのようなものを食べる、味は随分と素朴なものだった
彼女の言う絶品とは随分と安い物だ
塩ゆでしたササミと乾燥させて歯ごたえの良い豆に少ししょっぱい特製のソースを目一杯かけてサンドしたもの
腹には溜まるだろうが、舌には物足りなさが残る


姫「随分味が濃い方だと思うが、どれだけお前は舌が肥えているんだ」


地味なところでジェネレーションギャップが出たものだ
俺の時代ではバリエーションが豊かな味で、飽く事の無い食事が提供されるのが当たり前だが
遥か大昔のここではそんな事は言っていられないだろう


姫「フン、物足りないのなら自分で開発でもしてみるのだな」

男「そうだな、余生は冒険者を脱却して小さな店でも開くかね」

姫「……」


冗談を交えながら食事を片手に店を回る
朝市では洒落たようなものはまだ売りに出さないだろう
少し見て回った後、休憩を挟み再び店を巡る


「よっ!そこのお二人さん!」

男「……げッ!?」


見知った顔に呼び止められる
ここは数日前に立ち寄った店だ

勢いのいいその声に応え、彼女は店内に足を運ぶ
今日も以前と変わらず小物を売っているようだが……


姫「どうした?入らないのか?」


そうは言っても、こちらにはあまり顔を合わせたくない理由がある
あの日、俺が立ち寄った後にいくつか商品が消えていたはずだ
見たところあまり客入りがよくない店だ、"誰が盗っていった"かなんてのはすぐに分かるだろう


なるべく顔を合わせないように壁と仲良くお見合いをしながら這うように店に入る
当然怪しまれるわ彼女からのバッシングはあるわで……


「お兄さん、悪いけどこっち向いてくれないかな?怪しすぎるよアンタ……」

姫「……?クク……お前まさか、やましい事でもあるのか?」


その通りですよお姫様
なんとかやり過ごす事は出来ないかと思考を張り巡らせるものの、残念ながらそんなに頭の回転はよくはない
そしてあろうことか、前方不注意のまま商品棚に足をひっかけ派手に転げ回る
恰好が付かないにも程がある。彼女は大笑いを、店主は苦笑いをしている


とんだ災難だ。結局顔は晒され醜態まで見せてどうしようもない
最悪、咎められても幻想玉を使って逃げる事も出来る
だが、彼女を放置することも出来ない為それは避けたい。出来れば権力でも何でも使ってお咎め無しで事を終えたいが……

しかし、店主は俺が思っていたものとは違う反応を見せた


「変わったお客さんだねぇ。そうだ、災厄除けのお守りなんてのも売ってるんだけどどうだい?」

姫「ほう、コレは面白い形をしているな」

男「あー……」


呆気にとられる俺を放置し、二人は商品に付きっきりになる
当然だ、今までの行動も以前この店に立ち寄った時の事も、どちらも怪しまれても仕方がない位だ

なのに……何故?


姫「これをくれ」

「はいよ、包もうか?」


彼女は首を横に振ると、そのまま俺の手を引き店を出る
取引を終えると、店主もまた店の奥へと引っ込んでいく
何度かこちらと目も合わせたハズだが、まるで初めて会った人間かのような接し方だった
そう、ただの客としてしか見られていなかった


姫「お前とあの店の者に何があったかは知らんが、挙動のどれ一つをとってもひたすらに怪しいぞ」


とうとう注意までされてしまった
気恥ずかしさを咳払いで誤魔化し、また道を歩く
どうやら、幸いなことに店主は俺のこと自体を覚えていなかったようだ
それどころか商品が盗まれていたに気が付いたかどうかさえ怪しい

ホッとしたと同時に、あの店の行く末を心配してしまう


姫「ほれ」


と、突然。彼女がこちらに何かを差し出してくる
どうやら先ほど購入したお守りらしい
何故それを俺に?疑問符を頭に浮かべながら彼女に問う
すると、鼻で笑い小馬鹿にしながら間を置く


男「な、なんだよ……」

姫「なに、ツイていないお前に少しでも災厄除けの加護があるよに願ってこのお守りをくれてやるのだ、ありがたく思え」


また生意気な口を利く
だが、これも彼女なりの気遣いなのだろう
邪険にする理由も無い。素直にその好意を受け取ると、彼女は優しい笑顔を作った


その後、何軒か店を回り、知った場所での買い物も済ませていく
どこもかしこも俺が盗みに入った店だったが、誰も俺の事を咎めはしなかった
大丈夫かこの国は……

随分と長く歩くころ、人々の流れが止まる大きな広場に辿り着いた
この場所は数日前にも賑わっていたと記憶しているが……


男「ん?確かアレは……」

姫「……」


妙な既視感を覚える
設備、配置、そして舞台
この場に直接居合わせていた訳ではないが、確かにそれはあの日見た旅芸人の一座だった


姫「なんだ、今日も来ていたのか」


白々しく答えると、彼女はそのまま通り過ぎようとする


男「お前、知ってただろ。またコレをやるって」

姫「まぁな。だが私は何度も見たし、お前ももう見ただろう」


ため息交じりにそういうと、渋々その場で立ち止まる
見たいのか?と問われたが、別にそういうつもりではない。1週間前の旅芸人が早くもここで再公演をしていたのが気になっただけだ


姫「熱望があったのだろう。ま、私はもう興味はない。以前にお前とは語りつくした話題だしな」


御尤も。遥か遠くからとはいえ、一度見た物をまた見せられては、俺ではなく彼女が退屈だろう


姫「まぁ……お前が見たいというのならそこで待っていろ。何か適当な飲み物でも買って来てやろう」


……それは、男の俺のセリフではないだろうか
何度も言うが、金を持たない俺がそんな事を言うのは格好悪いので決して口に出さないが
彼女はそのまま近くの店に飲み物を買いに行った
鳥籠の中のお姫様だと甘く見ていたが、随分と慣れたように振る舞っている


しばらく話し込んでいると、彼女は店の前から手でバツの字を作り何やらジェスチャーをしてくる
どうやら飲み物を作るのにまだ時間がかかるようだ
この砂漠の乾燥地帯では見ないような果物の数々、それをその場で加工するのだろう
時代や環境を考えると随分豪勢なものだが、それは彼女の財力を頼るとしよう

一人取り残された俺は、退屈しのぎに旅芸人の芸を眺める
以前と同じだ、人間同士が危ない形で奇跡的にバランスを保ちながら組上がっていく組み体操だ

丁度その芸も終わりを迎え、次の準備を始めている

確か、この次の芸で彼女と賭けをしたな
綱渡り。落ちるか落ちないか簡単な賭け
俺の勝ちで終わったものだが。さて、落ちるまでが芸らしいが、一度見たものをまた繰り返し見せるのは芸人としては失格だ
ましてや一週間前に公演したばかりだ、そう何度も同じことはしないだろう


綱を渡るその足取りは重い
冷や汗をかいているのがここから見ても分かる
その足取りはまるで慣れていない者の歩き方だ
まだ入団したばかりの新人だろうか、目は見開いて棒を持つ手は震えている

大丈夫か?と周りのギャラリーも不安になる

ついこちらも手に汗握ってしまう
何せ前とは違い下には何も置いてはいない

そして、ここでまさかのジャンプ
台本通りの芸にしても危険すぎる
すると、突然。運の悪いことに、今日一番の強風が吹き始める


危ない!
誰かが声を荒げると同時に、その一言で団員達が一斉に動き出す
芸人が足を踏み外すその瞬間に、下で待機していた者達がすぐさまトランポリンを滑らせる

背中から落ちた芸人は間一髪、弾力のある床で跳ね回る
落ち着いた頃合いにトランポリンから着地し客席に向かって勢ぞろいで一礼をする


男「前と同じじゃないか……演技かよ」


多少白けてしまったが、間近で見るのはやはり臨場感があってまた抱く感想も変わる
半分だけ得をしたと思いながらも周りの反応を伺う
二週連続で同じ芸を見せられても、彼らにしてみればネタは既にバラされているようなものだ
見に行かなかったそこらの人間にまで知れ渡っていたのだ、そう何度も感動する物ではない


しかし、その予想に反して周りはヒートアップしていた

芸人の生還に拍手し喝采を送り
口笛の音は飛び合い喧しいほどの歓声が波のように押し寄せる

若干冷めてしまっている俺とは正反対の反応に戸惑いを感じていた
なんだ……?この妙な感じは……?


姫「そんな目で周りを見てやるな。ほれ」


忘れていた頃に現れた彼女は、手に持った色鮮やかな飲み物を手渡してきた
話によると、砂漠の真ん中に位置するこんな場所では大きな娯楽はこれくらいしかないらしい
都会の、それも未来の華やかさを知っている俺からすれば、それは不思議な光景にしか見えなかった

だが……この拭えぬ違和感は何だ

"同じ"なのだ

まるで別視点から見たような既視感

そう……"同じ"なのだ


……
日は既に大きく傾き、月が薄らと顔を出す頃
俺たちは、お姫様の閉じこもる巨大な建物の外に居た

ここまででいい、と
そう言うと、どこで待機していたのか
また音も無く現れた魔法生物に彼女は連れられていく
どうせなら最後まで付き合うと言っても、彼女はそれを拒んだ


姫「出る時と入る時では若干難度が違ってな。今の時間は警備がより厳しくなる、最悪隠し通路に入ってくることもあるだろう」


俺が前に運悪く遭遇したのがその見回りだったのだろう
大人数で動くには都合が悪い。お姫様はともかく、部外者である者が侵入などしていればただでは済まないだろう


一人と一匹と別れ、その場を後にする
彼女との交流を楽しんでいる自分に、どこか満足している
思えば、ここ数年はずっと逃げ続ける生活で精神が張りつめていた

空を見上げる、確かめる
高く聳え立つ"鳥籠"
彼女はその中から、少しでも自由になれたのだろうか
柄にもない事を考えながら、幻想玉を使おうとした

その時だ


「そこの男!なにをしている!」


ゾッとした
背筋が凍り付く


「何をしているのかと聞いている」

男「……あ、ああ……」

「ん?なんだ、何を驚いているのだ?」


そこに居たのは
確かにあの日、俺が……


俺が喉笛を刺してやったハズの兵士だった


「まぁ、突然声を掛ければ驚きもするか……すまないな、こちらも仕事でやっているのだ。持ち物の確認だけでもさせてくれ」


おかしい、やはり何かがおかしい
一切の事を覚えていなかった店主、芸への既視感
そして今、目の前に喉を潰してやったハズの兵士が平然と声を出している
双子か?そっくりな兄弟でもいるのか?そんな馬鹿な話は無い

あの時、俺は殺す気で刺した
トドメこそ躊躇った、だが瀕死になっていたのは確認した
助かったにせよ僅か数日で喋ることなど出来るハズが無い、ましてや一切の傷跡も残っていない

この国には瀕死の人間を回復させるだけの薬でもあるのか?
いいや、一兵にそんなものを使う訳がない
この時代に禁忌とされている魔法を使って治癒をした?
例え魔法だとしても、俺の知る限りでは短期間でここまでの修復は出来はしない。それに伴う代償もある

なのに……こいつは……!


「えっと?特に目立つ物は持っていないな……お、綺麗なガラス玉を持っているな。というより、これしか持っていないのか」


勝手にボディチェックを済ませていくと、兵士は特に不振なところの無い俺を解放した


「祭事に乗じてよからぬことをする輩が多いからな。芸人たちが舞台を開いている最中に盗みが何件も起こったそうだ」


仕事疲れからか、溜まった鬱憤を口に出していく

俺の事も覚えていないのか?
一切こちらの事を咎めることなく、やはり喋りたがりなのか
いつの間にか公演内容の話にすり替わっていた


「実は、私の友人はあの旅芸人と親しいらしくてな。噂に聞いた話では、今日の綱渡りの演技のアレは事故だったらしいな」


……何だと?


「見ている分には楽しかったが、やはり落ちるという事は想定されていないらしい。あの備品を投げ入れなければ大参事になっていたとか」


どういうことだ、一週間前も同じ事をやっているのだぞ。それが演技では無かっただと?


「一週間……?おいおい、あの旅芸人が前にこの国に来たのは2年も前の話だぞ?久しぶりだからこそあそこ前賑わっていたんじゃないか」


戦慄した
今までの常識が全て打ち砕かれていく気がした
そして、今日遭遇した違和感が一つの糸で繋がっていく

在り得るのか?
いや、ありえないなんてことは決してない

これは、神器である幻想玉が見せる世界だ。なにが起こっても今更不思議ではない

回った店で誰も俺を覚えてなかったことも、この兵士が俺を覚えていない事も
違う、覚えていないのではなかった


始めから

知らなかったのだ


仮説の域を出ない
なんて、察しの悪いことは言わない

誰もが俺を知らず、一度見たハズの光景に飽きもせず喝采を送り
死者が蘇り、また同じ場所で見張りをしている

そして……冷たくなった彼女がまた俺に笑顔を見せてくれる


彼女は確かに覚えていた
俺の事を、彼女だけが


そう、この世界は……繰り返されている
一週間にも満たないこの時間を

この俺と、たった一人の少女を除いて……


姫「……」

「……」

姫「奴は……」

姫「気が付いただろうか」

「……」

姫「お前には……知る由も無いか」

「……」


――――――
―――


―3rd days―
―――巡り巡る、世界は廻る
   たった一人の少女を残して

   幾度となく繰り返される
   時の流れは止められぬ
   誰にも止めることなど決して―――


男「どういう事だ!何故言わなかった!」

姫「言ったら何かしてくれるのか?憐れむか?同情するか?そんな感情、私はいらんぞ。もうこの呪縛からの解放などとうに諦めている」


何も言い返す事は出来ない

いてもたってもいられず、俺は翌朝早速彼女の部屋に乗り込んだ
言い訳もせず、アッサリとこの世界の理を認めた


彼女はずっと一人だ
この国が滅んだと言われてからの数百年
たった一人でこの場所で
何百、何千回と
人間では考えられないような途方もないこの時間を繰り返してきた


姫「ま、お互いにいい暇つぶしとなったのだ。気が付いたなら丁度いい、この辺で手切れとしよう」

姫「お前も、まやかし玉……神器に魅入られれば"元の世界"に帰れなくなるやもしれんからな」


それだけを伝えると、そのまま彼女は黙り込む
これ以上話す事はないという風に、頑として目を瞑ったままだ

俺が見ているのは過去の世界などではない
今までの経験、そして彼女の言葉を読み取れば分かる
幻想玉が、神の創りし神器が作り出した"擬似的な別の世界"だ


男「……なぁ、教えてくれないか」


諭すように声を掛けるも、それでも口も開かない
ただの暇つぶしとしての付き合いだったのだ、それ以上に踏み込むのはおかしい話だ

だが、それならば何故彼女は俺に"見せた"
何故この世界の背景に気が付かせる要因をわざわざ俺に……


姫「寝る」


無造作に置かれていた布団を手に取ると、彼女は不貞寝を始めてしまった
もう話す気など無いのだろう。これ以上はこちらも何も出来ない


姫「……」

男「……」


お互いに沈黙したまま、幻想玉を掲げる

"これ"は決して所有者に富や力を与えるようなものではなかった

一人の少女を、無限の牢獄に閉じ込めただけの……腐った器でしか……


――――――
―――


男「……」


いつもの酒場で酒を貪る
今日はダメだ、酒でも飲まなければ気分が晴れない


商人「相席いいですか?」

男「……」


またお前か
何のつもりかは知らないが、また彼女は俺にちょっかいをかけてきた


商人「あ、すみません。早速なんですけど、逆水時計……あれ再入荷の目途が立たなくて。申し訳ないです」


もうどうだっていい
そんな事を伝えに来たのか?


商人「何かお困りの様でしたので、ここは私が相談相手になってあげようと思いましてね?」


余計なお世話だ鬱陶しい。商人らしく商売だけしてろ


商人「いえね?ここに来てから儲けて儲けて仕方がないなって話を私もしたかったんですよ、アッハッハ」

男「……チッ、その割には貧乏生活してるみたいじゃないか」

商人「……ま、食費がですねぇ」


ヒトの気も知らないで……
くだらない与太話を話す為だけに俺に近づいたわけでもあるまい
適当に奢るから、それでどこかへ行けと突き返そうとするも、彼女はそれを拒んで来た


商人「振られたんですか?」

男「ぶッ!!」


突然の発言に酒が喉につかえて吹き出してしまう
こいつは何を言っているんだ


商人「女性の扱いって難しいですからねぇ。あ、私は殿方とお付き合いをしたことが無いんですけど、姉がよく彼氏と揉めているのを見ているのでね」

商人「それでつい相手の方が可哀想だと思う時があるんですよ。結構理不尽な要求とは普通にしてきますし」

商人「大方、余計な事して怒らせたとかそんな話じゃないですか?デリカシーなさそうですし、あなた」


半分正解だが半分大外れだ、彼女と俺はそういう関係ではない
否定しようにも商人は耳も貸さずにこちらを憐れむ
そんな目で見ないでくれ、辛いだけだ

あそこで何もしてやれなかった事が……とても辛い


商人「気にかかるのなら、何度もぶつかってみるのもいいんじゃないですか?不器用なら不器用なりに、自分を見せることだって必要ですよ」

商人「それが例え、解決できない大きな壁だったとしても……誰かが"彼女"を必要としているのなら、それはきっと、今までの行為は何かを求めている事なんじゃないですかね」

男「え……?」

商人「ああ、あんまり私も踏み込んだことは知りませんよ!?ホント辛気臭い顔してたんで声かけただけですから!」


気にかかる言葉があったが、身振り手振りで誤魔化してくる
この商人は一体何を言おうとしている……


商人「ともかく!ウジウジ悩むよりは行動あるのみです!あ、今回は私が奢っておきますよ!サービスですサービス!アハハハハハ!!って高ェッ!!どんだけ飲んだんだコンチクショウ!?」


勝手に騒ぎながら何も注文することなく勝手にレジへ向かい
勝手に金を払って勝手に帰って行ってしまった


男「……」


そうだ、確かに俺に世界の真実を教えたことには何か意味がある筈だ
もしかしたら……
自惚れでなければ、この考えは当たっているだろう

彼女は俺に助けを求めている
声なき声で、ずっと誰かを待ち続けていたのではないか

自分を、あの檻の中から助け出してくれるヒトを


……だが、彼女は諦めていた


長い年月の中、あの世界を抜け出す方法を模索していただろう
色々な事を試したのだろう
でも、それでもダメだった

何も見えない暗闇の中で、ただ時が流れるのを静かに待つ事しか出来なかったのだろう

……俺に何が出来るというのだ


残っていた酒を一気に飲みほす
喉が焼けるような高いアルコールだ、ムッとむせ返るものを抑え、酒場を後にする
酒場の娘が心配そうに声を掛ける。やめてくれ、どうしても彼女を思い出してしまう


……月夜に散らばる星々を見て思い浮かべる

自分にしてやれた事が、それが最善だと誰が決めるのか
後悔だけが残るのならば、いっそ全てを見なかったことにして立ち去ればいい

そうだ、俺はそうして生きてきた
そうして都合の悪いことから目を逸らして……
あの日の事を忘れようとして……


こんなものは手放そう
懐に隠された幻想玉を強く掴み、ギルドへ歩き出す
今回の仕事はこれで終わりだ

俺も、神器を献上した名のある冒険者として一躍有名となるだろう
そうすれば、ギルドの要人として扱われ、誰からも追われることのない生活を迎えることが出来る

そうだ、早くこんなもの!誰かに渡してしまえ!もう誰だっていい!こんな呪われたものなど!!


……路地裏に差し掛かった
首筋に冷たい"何か"か突きつけられ咄嗟に立ち止まる
それはとても美しく、真っ青な反りの無い……

刃だ


「……どこへ行く、"咎人"」


鋭い殺気が襲う
冷や汗が噴き出す
明確な死が見える
このまま軽く引けば、簡単に命の旅路が終わってしまう程に

人間は……脆い


あれほど飲んだにも関わらず喉が渇く
恐ろしさのあまり声が出ない
冷酷な死を悟るというのはこういう事なのか

しばしの沈黙の後、殺意の正体が物陰から姿を現す
静かな怒りを燃やすその眼光は、俺をしっかりと捉えていた


男「……ッ」

「もう一度聞こうか、どこへ行くつもりだった?」


女だ
青く長い髪を靡かせ、伸ばした華奢な腕には凶器が握られている
……間違いない、あの商人の用心棒である剣士だ


何の真似だ、俺はただギルドに足を運ぼうとしていただけだ
お前たちの客である以外に接点などない。それがなんだ、この仕打ちは


剣士「この先にあるのは、所謂"裏のギルド"というものだが。まさか、そこまで堕ちている人間という訳でもあるまい」


……裏のギルド
数々の種類のあるギルドも、元を辿れば"冒険者ギルド"という冒険者を支援する場所から派生したものだ
裏のギルドも例外ではない。真っ当な冒険者達ではまず受けないような汚い仕事を主としている
盗み、殺し、常人では吐き気のする当然な行為を平気で行う連中が集まる
だが、そこで功績さえ残せば一気に成り上がれる
特に、裏のギルドはそういう面が強く出ている

全てのギルドは繋がっている
だからこそ、そういった一面を知っている冒険者たちからは"ギルドは死の商人"と言われている
その繋がりは一国の権力よりも重い
匿ってもらえれば、もうこの国の治外法権だ。誰からも追われることは無くなるのだ


剣士「悪いがお前の素性は既に知っている」


知っていてなお商売を吹っかけていたのなら、あの商人はとんでもなく大きい肝っ玉を持っている
俺の表向きの罪状を知っているのなら……関わり合いなどしたくは無いだろう


男「俺を……どうするつもりだ」


恐怖を抑え、声を絞り出す
カラカラに擦れた聞き取りにくいその音は、剣士にはしっかりと伝わった


剣士「ここで殺す事は簡単だ。だがそれでは……生温いッ!」


触れていた刃が離れた瞬間、身体が宙を舞う

僅かに見えたのは、剣士の肘
続けて、倒れた頭に足が乗る
強く踏みつけられ、ミシミシと軋んでいくのが分かる


男「があああ!」


まだ治りかけの傷が痛む
意味の分からない理不尽な暴力に屈してしまいそうになる
いっそ死んでしまった方が楽なほどに

……死んでしまった方が……


剣士「何故私に殴られたかまだ分からんようだな、"仲間殺し"が」


氷のような冷たい言葉で攻められる
かつての俺の罪が何だというのだ
お前に何の関係があるというのだ


剣士「……お前は、今まさに取り返しのつかない事をしようとしていた」

剣士「ウチのは深くは追及しなかっただろうが、酷く悲しんだ顔をしていた。私はそれが気に入らない」


なんて勝手な理由だ
ヒトの事情に足を踏み入れておいて、覚えの無いことで責められどうしろというのだ

ん?まて……


男「取り返しの……つかない事……だと……?」


剣士は沈黙した
語る口は持たないという事か
だが、思い当たる節ならば一つだけ思い浮かんだ


"幻想玉"
今まさにこれを手放そうとしていた
奴らは知っているのか?俺がこれを持っている事を……だとしたら何故今まで放置していた
何が目的なのだ……

考え出した様子を見て、剣士は足を頭の上から降ろした
圧迫感から解放されてもなお痛みは消えない
素早く動けない俺に見かねて、剣士は無理矢理にこちらを立たせる


剣士「何を迷う必要がある……」

男「……?」

剣士「目の前でお前に救いを求めているんだ。他の誰でも無いお前に」


彼女の顔が目に浮かぶ
彼女の笑顔が

だが、身の毛がよだつ
また過去を思い出す
冷たい雨が降るあの場所で
起きた惨劇を
俺にしか出来なかった

救済を……


剣士「……友を、家族を失うのは辛かろう。その痛みは私も知っている」


剣を収め、剣士はこちらから背を向ける


剣士「これは、お前の過去を清算するための物語だ」


その言葉にハッとする
逃げ続けた数年を思い返し、そして悔やんだ
あの日……俺は、俺には他に何か出来たハズだ

誤った選択肢を選んだ俺に
俺はあの日の俺から逃げ続けていた


剣士「その思いを"彼女"に重ねたのなら、今度は違う道を選んでみろ」

剣士「次にまた逃げ出したのならば……今度こそ殺す」


強調し、威圧する

そうだ、俺はもう……あんな思いをしたくない
逃げるのではない、向き合うんだ
かつての俺と……彼女と


薄汚れた道端から立ち上がり、剣士を見つめる
その決意に満ちた表情を見ると、悟ったように彼女は笑みを作る


剣士「……お前のカバンの中にあった果物、一つ貰っていくぞ」

男「……は?」


ゆっくりと間を取り、さり気なく拾われた硬い"アレ"
どういう訳かいつのまにかスラれていたようだ
なんて奴だ、ヒトが真剣にお説教を聞いて気持ちを新たにしていたのに
なんだこの仕打ちは


剣士「そう奇妙な顔をするな……ん?」


果実を齧ろうとしたものの、臭いを嗅ぎ始める
確かに数日前の物だが、腐っていたのだろうか


剣士「……これ、以前お前が飲んでいたスープの臭いに似ているな」

男「……ッ!」


突然、頭の中に嫌なものが過った


常に部屋に置かれた樽、その中に入れられたこの果物
定期的に差し出されていた水の入った瓶
近い場所にあった調合室
スープを飲んだときに説明された鎮静作用
果実を食べたときに感じた急激な寒気

そして……

静かに眠るように……冷たくなっていく彼女


男「……クソッ!!」


思うがままに走り出す
嫌な予感が的中しない様に祈る

他には目もくれないで、また来た道を戻る

あの場所へ……


剣士「……フン」

商人「なーにしてるんですかこんな所で」

剣士「見ていたのか?」

商人「まぁ、途中から」

剣士「……口が過ぎたな」

商人「随分優しいんですね、貴女は」

剣士「お前ほどじゃない」

剣士「……今度こそ救ってこい、"優しい咎人"」



―――
――――――

変わらないのならばいっそ、その方がよかった
奴は私に退屈を与えた
奴のいない退屈を……私に刻み込んだ


事の発端は、私の我が儘から始まった

謀叛を起こされ、王家は崩壊
親兄弟、そして私も皆捕えられ、そして罪人としての烙印を押された

原因などいくらでもあった
だが、引き金を引いたのは私だった

「まやかし玉を手放すなど!この国を衰退させるつもりか!」

その頃、私は王位継承の為に躍起になっていた
実力のあるものが王を継ぐそれが我が一族の掟だった
この疲弊した国を救うために、私は上に立つつもりでいた

あくまで国を想い、国の為に尽くそうとした
他国からの威嚇に屈せず、戦い続ける事を選んだ

私は神器を魅入ってしまったのだ
多くの可能性を映し出したそのまやかし玉は
私に尽きぬ欲望を与えていた……

しかし、この一言が全てを終わらせる切っ掛けとなった


要人達の逆鱗に触れるのは当たり前だった
私は目先の事しか見えていなかった
魔法技術の放棄は国を崩壊させることを意味していた
それがどれだけ痛手かは皆分かっていた

だが……民の事は考えてはいなかった

それが尊きものだという事に……私は気づいてなどいなかった

公にされたのはそれからしばらく経った後だった

国の経営は全て王族を支えてきた者達に任せ、王族達は隠居した

国中にはそう伝えられた
民たちは内心衝撃を受けるとともに、安堵していた
戦いに怯えていた日々も終わりを告げると

その真実は、王族を捕え罪人として我が城に閉じ込めた
民たちは黙認した、その事実を知りながら

名無しとして捕えられた我々の罪状は

罪状は……無い


私達王族はとても慕われていた
我々を捕えた重鎮達も例外ではない
民たちからもそうだった

ただ一つ、魔法という禁忌とされる技術の探求を理解されなかっただけなのだ

彼らは私達に最後の機会を与えた

「まやかし玉を置いて逃げろ。こことは縁の無い地へ」

それが彼らの……国を作ってきた我ら一族への最後の感謝の気持ちだったのだろう


だが、誰もその誘いを受ける事は無かった

我が父は頭に袋を被せられ、無名の罪人として斬首された
その顔は最後まで優しい笑顔だった

我が母は誰もいない隙を見計らい毒を飲んで冷たく死んでいた
その顔は何か満たされたような顔をしていた

我が兄は部屋で首を括って死んでいた
この世に怨むものなど無し、と書置きを残して

我が姉は窓の外から飛び降りた
誰も悪くはない、時代が証明してくれる、そう言い残して


私は……一人だけ取り残されてしまった
失意の中、逃げる事も出来ず、死を恐怖する日々を続けた


流れる時間の中、ただ処刑の時を待つだけになってしまった
何故誰も苦言一つ残さなかったのか
何故誰も……私を恨まなかったのか

それを悟ったのは、私が処刑台に立ったとき

父と同じように、袋を被せられ名も無き罪人としてここに立ったとき

見えたのだ

民たちが泣いていたのを

感じたのだ!

兵士たちの手が震えていたのを

聞こえたのだ!!

私を支えていてくれた者達が……声を上げたのを


愛していたのだ!!
この国を、民を

この世界を……


その時私は酷く後悔した
こんな瀬戸際まで、私はこんな"神器"に縋っていた事を
これさえあればどうとでもなると高を括っていた自分を恥じた

私は……願ってしまった


生きていたいと

また、彼らとやり直したいと


そして
隠し持っていたまやかし玉が
その歪んだ私の願いを、呪いへと変えてしまった


――――――
―――


―4th days―
―――私が愚かでした
   繰り返される時の中で、またやり直せると信じて
   私が愚かでした
   愛する者を失っても、生き延びようとして
   私が愚かでした
   真実に気が付く事もしなかった
   
   私が愚かでした
   でも……
   それでも……幸せでした―――



男「……」

姫「酷い顔をしている……今語った事が全てだ」


こんなことがあっていい筈がない
彼女は国の為に尽くした、そして国を想い……死んでゆく筈だった
だが、彼女に下されたのは神の気紛れ
永遠の苦しみ……



数刻前
まだ日も昇らない時間、俺は幻想玉を使い再びこの世界を訪れた

嫌な予感が的中した
丁度、魔法生物があの瓶を運んできていた

その傍らに、加工された何かを添えて

それを口に含もうとした矢先に俺が飛び掛かった
彼女は悲鳴を上げ、俺は魔法生物に思い切り殴り飛ばされる

剣士に暴力を奮われ、ここまで全力で走らされ、そしてこれである。なんて日だ


だが怯んでもいられない
零れ落ちた湿った粉末の臭いを嗅ぐ
間違いない、いつも俺の脛目掛けて投げられる"アレ"だ

なんのつもりだ、と
そう言われても仕方がない。止めに来たのだと声を張る

彼女は怒りを顕にし俺の頬を引っ叩く
これも仕方がない。覚悟していた

オマケと言わんばかりに脛目掛けて果物を投げられる
それは想定していない


落ち着いた頃に、ようやく口を利いてくれた

あの果物は、彼女が長い年月の中を苦痛なく過ごせるようにするために必要不可欠なものらしい
鎮静効果に目をつけ、それを加工し数日のうちに接種し続ける事で眠る時間を増やし
そして最後は冷たくなって死んでいく

彼女の母が使った毒薬を改良したものだ
それは改良と言っていいのか……定かではないが


耐え切れなかった
いくら自殺をしたところで、またすぐに1日目が始まる
だったら眠ればいい
何も思わず、何も考えず。眠って一週間にも満たないこの時間を過ごせばいい
彼女はその考えに辿り着いた。全てを諦めたが故の苦肉の策だった

いつも1日目に薬の調合表を魔法生物に渡して作らせていたらしい
週に一度の作業だ
最低限の同じことを繰り返すだけで後は眠る……

彼女にとってはこの世界ので起こるすべての事は一通り体験した退屈な事なのだ
あまりにも……惨すぎる


そして、強情にも引き下がる事をしない俺に諦めてか
過去に起きた出来事を全て話してくれた


姫「……それで、お前は何をしに来た。私が安らかに死ねる機会を潰して何がしたい」

男「俺は、お前を救いたい」

姫「笑わせるな。高々十数年生きただけのガキに何が出来るか」


言葉の重みが違う
既に可能な限りは挑戦してきただろう
そして、全て打ち砕かれてきただろう

そんな彼女を、俺は……それでも俺は救いたかった


姫「偽善を私に押し付けるな、安っぽい感情だ。失せろ、私にその顔を二度と見せるな」


そういう訳にもいかない
俺は決心したんだ、もう見捨てたくはないと


姫「ああ、分かったぞ。私の身体が目当てか……まぁいい、一度くらいなら抱かれてやっても構わん。それで気が済むだろうて」

男「そんなつもりはッ!」


こちらの言葉など意に返さず、彼女は衣服を脱ぎ始める
美しいく白く、そして透き通る肌
穢れを知らぬその身体に、つい見惚れてしまう

そして……


姫「……」

男「その背中は……」


偽物の月が照らす光の下
映し出されたのは黒く濁った模様だ


姫「罪人としての刻印だ。本来ならば……生きる事も許されん」


彼女が見せたその背の証は
痛々しく刻まれたそれは、俺の腕のものと類似していた
そう、忘れてはならない
彼女は救済と同時に、贖罪を求めているのだ


姫「私一人が救われようなどと、誰が許してくれようか」


決して己を許すことが出来ず、ただ存在し続けた
生きる事も死ぬ事も出来ない罰をその背に刻み
彼女はここに在った


姫「おい、その気がないなら服を着るぞ。寒い」

男「え?」

姫「え?じゃない……まったく、からかい甲斐の無い奴だ」


急ぐようにまた服を着る
残念だ、もう少し見ていたかったのだが

だが、そうも冗談は言ってはいられない
考えろ、何かあるはずだ。彼女を解き放つ手段が


姫「無駄だ、既に一通り考え付く事はした」


国から出ようとしてもダメだった
その先が無かった、ただ真っ白な砂漠を歩き続けるだけだった
そして振り返ると、いつもそこに国があった

どんな死に方をしてもダメだった
飛び降りても、頭を潰しても
股から頭の天辺まで無残に切り裂いても
1日目に戻るだけだった

その元凶となった神器の破壊もダメだった
この世界には神器を破壊できるだけの技術も力も無い


姫「……もう帰れ、お前は退屈しのぎが出来たと思えばそれでいいだろう。私もお前を記憶に留めておこう、それでいいじゃないか」


あちらさんはどうも追い払いたいようだが……


姫「情を移すなよ偽善者。私は普段の生活に戻るだけなのだ」


諦めてしまっている彼女を立ち直らせ無い限りは進展しないだろう
だったら、こちらにも考えがある


男「いいだろう、出て行こう」

姫「……ああ、そうだ、それでいいんだ」


いくら顔を逸らしても声から分かる
お前は助けを求めている
俺はここから出ていく
だが、ただ出ていくわけじゃない


姫「……おい、待て!まやかし玉を置いてどこへ行く気だ!」


そんなものは必要ない
彼女に幻想玉を手渡し、部屋から出ていく


男「悪い、スケルマター。外まで安全に出られる方法を教えてくれ」


ジッと彼女の隣に立っていた魔法生物は、拒むわけでもなく素直にその言葉に従った


姫「待てスケルマター!そんな事は許可しない!お前はお前で何を考えている!元の世界に帰れと私は言ったのだ!」

姫「深夜は警備が厳しい、無謀にも程があるぞ!!」


そんな事を言われても、一度決めたのだからもう曲げはしない
だが、彼女は言っても聞かないだろう、だから


男「賭けをしよう」

姫「なんだと?」


男「俺がこの世界に残って解決方法を見つけられるかどうかだ。当然、お前は俺が見つけられない方に賭けるな?俺は逆だ」

姫「この期に及んで何をッ!」

男「何年、何十年、何百年かかるか分からんが……お前をここから出して見せる」

男「賭けの品は……そうだな、俺が勝ったときに貰うとしよう」


自分でも頭の悪いことを言い出したと思った
久しく彼女との賭けをしていなかったことを思い出し、そして啖呵を切った

何百年と言ったが、例外的に俺の時も進まなくなるとは限らない
だが、命の続く限り

この命を
幼く、気高い、健気な、そして
美しい彼女の為に捧げよう

これは自己満足だ
彼女を解放する……

偽善者と言われても、その通りだ
だが、俺は

もう後悔したくはない……!


――――――
―――



姫「……出て行ったか」

姫「何故……お前は」

姫「そこまで……」

「……」

姫「帰ってきたか……スケルマター」

姫「……いい。もう下がれ」

「……」


「……」

姫「何をしている、下がれと言ったハズ……ッ!」

姫「お前……その手に持っているものは……何だ!?」

姫「ああ……」

姫「どこで拾ったんだ……」

姫「どこで……」

「……」


―5th days―
―――もういい

男(まずは手当たり次第に調べろ、話はそれからだ!)


―6th days―
―――やめろ

男「時間切れ……ッ!クソッ!視界が歪む……吐き気がする……アイツ……自分で死なないとこんなにも……苦痛を……!!」


―1st days―
―――やめろ!!

男「はは……まさかこの世界から追い出されるとはな……結局、幻想玉経由しなきゃここに来れないから、週に一回はアイツの顔を見ることになるんだな。それが救いか」


―3rd days― 
―――やめてくれ……

男「国の全容は分かった、まずはコイツら全員に何があるかを……」


―6th days―
―――頼む……

男「ハズレか……!!クソッ!!」


―2nd days―
―――これ以上……

男「あの旅芸人達……間違いない、ジスト王国の密偵だったか。もしかしたら原因はアイツら……?」


―3rd days―
―――これ以上私に……

男「畜生ーーーーーー!!図星だったのかよ!!アイツらまだ追って来やがる!!何ループしたかは分からんがこんなの初めてだぞ!!」


―6th days―
―――希望を与えるな!!



――――――
―――


―1st days―
―――夢であってほしいと願った
   だが、それは現実
   私にとっての現実
   彼にとっての幻
   週に一度、彼の顔を見て安心する自分がいる
   
   もう、こんなことに付き合う必要は無い
   もう私は満足した、私の為に尽くしてくれた貴方に
   だからもう……私の事は忘れてください……―――


姫「……」

男「なんて顔してるんだよ」

姫「43回目だ……あの日から私に会った回数は」


単純計算で258日か、まだまだ
お前が歩んで来た道よりずっと短い
まだやれる、まだ大丈夫



姫「大丈夫なものか!!繰り返す日々の中、駆けずり回って!時に追われて!!」

姫「何故そうも私の為に動く!!どうして放っておいてくれない!!」

姫「余計に……苦しくなるだけだ……お前が居なくなった後の事を考えると……また私は一人に……」


震える少女を抱きしめる
ああ、彼女から生を感じる。生きている事を実感できる
これが分かったらまた頑張れる

彼女はまた希望を持てた
だから、もうあの日から自分で自分を殺すという事を行っていない
きっちり6日で世界が終る。それが全てを物語っている

……行こう


姫「待て!」


逃がすまいと彼女は袖をつかむ
そんな涙を一杯に溜めないでくれ


姫「教えてくれ……」

姫「お前の……事を。お前の過去を」

男「……」


その時
初めて彼女が俺の過去を聞いた
やっと、聞いてくれた

ああ、やっとこの苦しみを
誰かに話すことが出来る……



―――
――――――


名も無き集落に、俺は辿り着いていた

冒険者になって一旗あげようと実家を飛び出したはいいものの

田舎者の俺にそんな成果を上げられる事も出来ず、こんな辺鄙な場所に辿り着いていた


ここは居心地が良かった
人々は俺を温かく迎え入れてくれた

あろうことか仕事までくれた
生きる術を教えてくれた

とても掛け替えのない……家族になった


集落に移り住んでから数年が経ったある日
病が流行るようになっていた

始めこそ風邪の初期症状のようなものだった
だが、日が経つごとに徐々に重く、最後には動けない程にまでなっていた

元々、雨がよく振り湿気が多い場所だ
菌が繁殖するのを大きく手助けするような気候だった

俺は近場の都市から医者を呼んだ
かなり離れているが、ここいらでは一番大きな場所

魔王国首都・ナツァリア
その名前とは裏腹に、全ての施設、設備が高水準に整った最先端の国だ


この呼びかけに答えたのが、魔王軍の医師達だった
これで皆が元気になる、そう信じて疑わなかった
……だが、事は上手くは運ばなかった


男「なんで……どういうことだよ!!このまま帰るって!!」


今の技術でこの病を治す事は出来ない
その答えを出した


男「見捨てないでくれ……みんな、俺の大切な……家族なんだ……」

「……」


視察に来ていた魔王軍の総隊長であるオークが苦い顔で言う


「すまねぇ。俺たちの力不足だ」


戦争が迫っていたこともあってか、俺たちに構っていられないのか
魔王軍たちは少数に医師を残し引き揚げて行った
他の国にも応援を頼むから、しばらく待ってくれと言った
だが

話が違う……

すぐに助けてくれないのならと、他の援助を突っぱね、俺は単独で彼らを救うと決意した


日に日にやせ細っていく家族たち
どうする事も出来ない自分に苛立ちを覚える

この場で無事なのはたった一人
ならばと、手に取ったのは医学の本だ


長い期間、俺は学んだ
足りない頭を精いっぱい使って

当然のことながら、そんな付け焼刃が通用する事も無い

衰弱してく彼らが痛々しい
無力な自分を呪った

ただ只管に呪った……


病が流行って1年
いつの間にか戦争も終わり、外の世界は戦後処理に追われていた

驚くことに、ウチの集落は死者が誰一人として出ていない
それは決して喜ばしいことではない


「あ……ああ……」

男「皆、大丈夫。希望を持つんだ、必ず……関らず助かるから」


既に生きる屍と化した彼らは、苦しむことしか出来なかった

命を奪わぬ病
死ねぬ苦しみがどれ程のものか、想像を絶する


余所者だった俺がかかる事の無かったこの病
どうやらこの地の人間だけが発祥する物らしい
遺伝的なものなのか、まるで呪われた血ではないか

他者から不気味がられ、迫害され
そしてここに集った者達

それでも彼らは懸命に生きて、生きて、生きて
ただ、そうしてきただけなのに……


長い苦しみの中、俺をこの地に迎え入れてくれた一人が言った
何てことは無い、こんな状況になれば誰しもが思う事だ


「殺してくれ」


手足は動かず、満足に食事をすることも出来ず
それでも、苦しみから逃れるために栄養を無理矢理点滴で補給し
ずっと、死ぬことの出来ない身体と精神は
とっくの昔に限界を迎えていた


どうか
どうか愛するその手で
トドメを刺して


出来る筈がないだろう
この手を汚せと言うのか
家族を殺せと言うのか
俺一人に業を背負えと言うのか


違う
他に誰がいるというのだ


俺しかいない
他人なんて信用できない

俺がやるしかない
これは、俺にしか出来ない事なんだ

俺が……唯一彼らにしてやれる恩返しだ


銀色の刃物をその手に持った

喉元に突き立て、それを深く押し込めた

ああ……重い
ああ……これが、ヒトの命の重みか

こんなにも簡単に……命は旅立っていった

人間はどうしてこんなにも……脆いのだ


延45人
その日、俺が奪った命の数
俺が救った命の数

流した涙は、いつの間にか雨に変わっていた
そして、集落を焼き払い、その炎で彼らを弔った
自らの身を焦がさんばかりの、真っ赤な炎で……

これが正しかったのか
それとも過ちだったのか

今でも分からない


……皮肉なことに、この後すぐにこの病の原因が発覚した
この地は本来雨があまり降らない地域で、雨の中に含むまれる微量の魔素とこの地特有の菌が特殊反応を起こし発生するものだったらしい
近年になり、雨が多く降るようになって、元々抵抗の無かった彼らの身体を蝕んでいくのには時間は掛からなかった


俺はその後、国に捕えられた
魔王国は先の大戦で解体され、隣国であるジスト王国と合併していた
俺はその王国で殺人罪を背負わされた

あんまりだ
俺は、俺の出来る方法で彼らを解き放った
それが倫理的に許されない事だとしても……

それと同時に、後悔に見舞われていた

あの時、素直に助けを求めていれば
もっと早くに、彼らを本当の意味で救えたのではないかと


この腕に罪人としての刻印を刻まれ、俺は投獄された
旧魔王軍からの弁護もあり、情状酌量の余地ありだという声もあった
だが、下されたのは死刑だ

明確な情報が出回っていない世間には仲間殺しと後ろ指刺され、白い目で見られ
そんな事は耐えられた
しかし、今でも思い出す
あの感覚を
肉を裂き、ズブズブと飲み込まれていく刃物の間隔を


このままではいられなかった
生きた屍と化していくこのままでは
それでは、俺は何のために彼らをこの手に掛けたのか分からない
俺は生きなければ……

彼らの分まで生きて……


――――――
―――


男「生きて……俺は……何がしたかったんだろうな」


いくら問いかけても答えは出ない
ただ、命が惜しかっただけなのかもしれない


姫「簡単だ……償いたかったのだろう。誰かから……許しを得たかったのだろう」


彼女は簡単に答えを出した
二人は合わせ鏡だ
お互いの望む物を、お互いが知っていた

自分では気が付かなかった事を、こうも簡単に……


男「……そんな所だ、俺の腕に刻まれた"コイツ"は、俺にあの日の事を忘れるなって意味が込められているんだろうな」


そう言い聞かせれば、ここに彼らが生きていると思える
俺に力をくれる


姫「難儀な奴め」

男「お前にだけは言われたくはないな」


久しぶりに長く喋った
そして、ようやく
肩の荷がおりた気がした


一しきり話を終え、休憩を挟む
他に話したいことはない、全てを出し切ったのだ
しばらくの沈黙を破るように彼女は問いただした


姫「……それよりも、だ。答えを聞かせろ」


彼女としてもこの200と数十日付き合ったのだ
出来るか出来ないか、と言うのは気になるところだろう


男「難しいな……答えには限りなく近づけた気がしたが」


分かっている、この世界に特異点が二つあることくらい


姫「一つは私、そしてもう一つは……」


幻想玉
彼女をこの無限の牢獄に閉じ込めた元凶だ


男「……こればかりはどうする事も出来ないな」


恐らくは神器の破壊が何らかの変化をもたらすだろう
だが、そう簡単にはいかない

神の創りしその器は、通常の技術では破壊など出来はしない


姫「かつて神器を破壊した男の話をしたな……アレはどういう状況だったのか分かるか?」


俺の知る限りでは、同じ力を持った神器をぶつけたと言われている
力の入れ方によっては一方的な破壊となるが、同等の力を充てることが出来るのならあるいは……


姫「無理だな……この世界に神器はこれしか存在しない」


先にそれも調べた
国中探しても見つからない、神器はこれ一品のみ

ならば外から持ち出すか……それも叶わない

天界からの落とし物、そんなものがいとも容易く手に入るほど世間は甘くはない
博物館行きの代物だ、個人が所有することなどまずありはしないだろう


また振り出しだ
本当に、どうする事も出来ないのか


男「……」

姫「なぁ、やめにしないか?お前も辛かろう……」

男「お前以上に辛い思いをしたらやめてやるよ」


勿論、そんな日は決して来ることはない


男「俺からも一つ聞かせてくれないか?」

姫「……何だ?」


ずっと気になっていたことがある
気を使わせたのならば悪いとも思う
彼女はあの日からずっと、薬を服用せずになるべく眠らない様にしていた
6日目に苦しんで次のループを迎えるというのに、俺に付き合ってくれた
その理由が聞きたかったのだ


姫「……お前が希望を運んできたからだ」


短く答えると、彼女はこちらにあるものを差し出してきた


男「お前……それ……」


あの日
彼女が涙を流し、無くしたと言った


姫「逆水時計だ」


本来ならば6日目を迎えた時点で、外から持ち込まれたものは消えるらしい
彼女は今まで試した事は無かったと言ったが、俺の持ち物を密かに盗んで実験して、それは見事に的中したのだという
いつの間にそんな事をしていたのやら


姫「だが、この逆水時計だけは違ったのだ」


この逆水時計は商人から買ったなんてことはないただの商品でしかない
特別な力が無いなんてことは知っている。そんな貴重なものを売り歩く理由が無い

なのに何故コレは……これだけは存在しているのだ?


姫「いつも、最終日を迎える前に必ずスケルマターが持ってくるのだ……どこからともなく」


すっかり存在を忘れていた大きな帽子が部屋の隅に突っ立っていた
そうか、コイツがどこかからこれを拾ってきているのか


理由は分からないが、どうやらこの水時計もこの世界では異端の存在らしい

一つ手がかりを得たところで、逆水時計を彼女から受け取ろうとする……が


男「ッ!」

姫「しまった!」


その手から滑り落ち、あらぬ方向へと飛んでゆく

それが、たったそれだけの事が

二人の運命を
彼女の止まった時間を再び動かした


姫「ッ!!」


宝玉にぶつかったそれは、何度か跳ねた後に床に転がった
水時計は無事だ、傷一つ無い
案外丈夫に出来ているものだ
だが、驚くのはそちらでは無かった


男「……幻想玉に、ヒビが……」


決して傷を付けることの出来なかったその神器は

無造作に亀裂を作っていた



―――
――――――

―――神器

神の創りしその器は
人々に知恵、力
欲望のままに、強欲に
富、名声を与える


それは穢れを嫌い
それは己の存在の否定を嫌う


神の創りしその器は
あまりにも脆い

あまりにも……儚い


――――――
―――


―6th days―
―――もう何も望まない
   彼との思い出は作れた
   悔いはない
   後は流れに身を任せよう
   新しい朝日を迎えるために―――


男「準備はいいか?」

姫「……」

男「だから、その顔はやめろ。何回も言わせるな」


上手くいけば、今日が最後になるだろう
彼女が夢見た明日を迎えるために、どれだけの日々を耐え抜いてきたか、俺には分からない


姫「もし……」

男「ん?」


不安がる彼女を抱きしめる
それもそうだ、確証がないまま始める事だ
だが、もうこれしか方法が思いつかない


姫「もしも失敗して、お前までこの世界に閉じ込められたら……」

男「その時はその時だ。お前と一緒に、お前の罪を背負ってやる」


屈託のないその笑みは、心からのものだった
偽りの無いその言葉は、彼女を想うからこそのものだった


警備の者は誰もいない
外には"都合よく"繋がれた馬が一頭放置されている


男「誰が置いて行ってくれたんだろうな」

姫「心当たりは……十二分にある」


自身たっぷりに彼女は語る
行ってしまえばこの場所に勤めていた兵士たちは皆彼女の味方だ
それどころか国中全て……
彼女を逃がす為にいつだって準備は出来ていたのだ


いざ馬に乗ったそんな時
物陰からひょっこりと大きな帽子が現れる
魔法生物……スケルマター
コイツにも随分と世話になったものだ


「……」


見知った果物と、一つの袋を差し出してきた
どうやら餞別のようだ
毒に使われていたものを渡すのはどうかと思うが
袋の中身は種……まさかこの果物の種か?育てろと?


姫「なんだ、気が利くじゃないか」


この魔法生物もただ言いなりになっていた訳ではないという事か
しっかりと芽生えていたその感情に感謝し、その場を後にする


男「……行こう」

姫「ああ」


準備は整った
全ては運命に任せよう
彼女の背負うものが勝つか、存在するかどうか分からない神などという虚像が勝つか


馬を走らせる
全速力で大通りを駆け抜ける

心なしか、多くの人々から声援を受けているように感じた
何百年と付き合い続けたこの国に、彼女は見守られている気がしていた

出口だ
本来ならば静かに出ていく筈だった

なのにどうも……


姫「アイツら!」

男「捕まえるつもりか、俺たちを?」


兵士たちが一斉に並び、こちらを見ている
威圧感のある光景だ、ここを抜けなければいけないのか


だが、誰一人として前へ出ようとはしなかった
皆その場で敬礼し、温かい眼差しでこちらを見ている


姫「随分と大がかりな見送りだな」

男「泣いているのか?」

姫「……嬉しくて涙を流したのは、いつ振りだろうな」


姫は国を愛した
そしてまた国も姫を愛した

彼女の償いは……とうの昔に終わっていたのだ


兵士の列を通り過ぎ、そして国を抜け出す
自由へ向かって、走り出す


男「本当に真っ白なんだな……」


その光景に驚いた
透明な砂が辺りを覆う

それがいくつも折り重なって白く見える


姫「気を付けろよ、後ろを振り返るとすぐに国に戻される……」


その忠告を胸に、ひたすらに馬を前に走らせた


終わりの見えない白い砂漠
どこまでも果てしなく続く砂の波

もうすぐだ……もうすぐ全てが終わる


姫「なぁ、一つ聞き忘れていた」

男「どうした?こんな時に」

姫「賭けだ。お前が賭けに勝ったら、私は何を差し出せばいい?もうお前にくれてやるものなど全て失った立場だ」


そんな事を言うな
賭けに勝てばそのまま貰っていけるものが目の前にある


姫「嬉しいことを言ってくれるな」


共に生きてゆこう
咎人と呼ばれた二人は口を揃えてそう言った

きっと、これからもずっとその痛みを分かち合って行けるだろう


姫「ッ!始まった!また時が繰り返される!」

男「やっぱり気持ちが悪いな、この感覚は」


時が繰り返される
その輪廻を断ち切る為に
たった一つ……見つけた方法


男「幻想玉……決してそれは人々に幸福を与える物では無かった」

姫「……さらばだ、まやかし玉……ありがとう、そして、さようなら……」


右手に持たれたガラス細工の宝玉
そして、左手に添えられた時を奏でる水時計
二つを重ね合わせる

音を立てて崩れゆく
脆く、儚く、美しく……
今、神器は否定された
唯一と思えたその力を
時を戻すという、神にしか許され得なかったその愚行を

簡単に
こんなにも簡単に……


男「見ろ……」

姫「ああ……」

男「……夜明けだ」







―New days―




――――――
―――



幻想玉が砕け散った
長きに渡る私の役目が終わりを告げた

ああ……どうか
どうか幸せに……


商人「こんにちはー……って、うわああああああ!?げ、幻想玉が!?じ、神器が……」

剣士「久しぶりだな、元気にしていたか」


商人さんと剣士さん
この人達にはお世話になった
あと二人
変な幽霊さんとウサギちゃんがいるのだが、今日はここには来ていないようだ


商人「神器が……歴史的遺物が……」

剣士「呆然としているところ悪いが話を進めるぞ、全てが終わったようだな」


この二人には案内人の役割を演じてもらった
姫様を救うためには、どうしても誰かが生贄になる必要があった
私ではダメなのだ


剣士「私達はある人からの依頼で、あの優しき咎人の救済を命じられた」


それと、幻想玉が抱える呪いの解呪と合致したのだ
その男の人が幻想玉を狙ってやってくる野盗だと知って私は反対したのだが
それでも自分たちを信じろと持ち掛けてきた
不思議と悪い気はしなかった、いや、それに縋ってみたいと思っていた
私だって神経がすり減っていたのだ……誰かに託したくもなる


商人「で、結果はこんなもんでしたが……いいんですかね、コレ」

剣士「奴も納得して幻想玉の中の世界に留まったのだろう、それでいいだろ」


でも、どんな結末を迎えたかは私には分からない
またループが始まったのかもしれない、新しい朝を迎えられたかもしれない
それは……あの二人だけが知るだろう


姫様が亡くなったあの日から、私はずっとこの幻想玉を護ってきた
姫様の魂が閉じ込められていると知って、破棄することなど出来なかった

時代は流れ、幻想玉は行方不明という扱いでこの世界から姿を消した

でもそうじゃない、私がずっと持っていた
いつか、誰かが姫様を助け出すまでずっと……


商人「それじゃ、観測も終わったので私達はもう行きますね」

剣士「達者でな」


彼女達とももう会う事はないだろう
残念だな、仲良くなれたのに
……私が一人ぼっちになってしまった


商人「さようなら……スケルマターさん」

「……」


さようなら
未来を……ありがとう


――――――
―――



後は私は消えるのみ
自らの意志で魔力を離散させて死ぬことが出来るのだから、姫様よりはずっとマシだろう

今までの事を思い返す
私が外の住人だという事に姫様は最後まで気が付かなかった
それを知ってしまえば……
救う手立てがないにもかかわらず、姫様に希望を与えてしまう
だからそれは出来なかった

ただ機械的に仕事をこなし、言われたとおりに毒薬を作り
そして……
とても心苦しかった
私の手で姫様を殺していたのだから


逆水時計もそうだ
本当ならば隠し通す事も出来ただろう
でも、あの男の人が姫様を変えた

だから、私も"あたかも逆水時計があの世界に留まっていた"ように見せたのだ
希望を与えるために
6日目の夜、逆水時計を私が持ち出して外に出てまた中に持っていけば……まるでそこに初めからあったかのように振る舞える

結果的にそれが正しい方向へ向いたのだからよかったのだろう
神器は対消滅を起こした
己の存在を否定する物体を神器は許さない
……これも、後から知った話だから、あの時はどうする事も出来なかったのだけれど


そして、役割を終えても、一つだけ心残りがある

やっぱり結末を知りたい
例えどうすることが出来なくても、私には知る権利がある
その後の事が……


ああ、地上の街に来るのは何百年ぶりだろう
華やかな街並み、色鮮やかなネオン
時代は変わった、いい方向にも悪い方向にも

私のような透明な生物が通りを歩いていても気にも止められない
過去よりもずっと色んな生物がこの地上に生きている
もっと遅くに産まれていたのなら……私もみんなに受け入れられたのだろうか


「……?」


ふと気が付いた

とある酒場の裏だ
確か、あの商人たちの行きつけと言っていたか。こんな場所にあったのか


見覚えのある木が成っている

……そこに存在するはずがない

だって、その木は……その果物は
あの国が消えた時に、絶滅したはずのものなのだから


「あ、気になりますか?」


女の子に声をかけられる
小さな子だ、可愛らしい
しかしどこか……面影がある


「この木は先祖代々ウチが守ってきたものなんですよ」


ああ……これは


「乾燥したこの大地に貴重な水分をもたらしてくれた、飢饉のときは生命を与え多くの人々を救った」

「心を落ち着かせるその果実は、万病にも利くと言われているくらいです!全世界の同じ木は全部この木から産まれた種から出来たものなんですよ。物凄く数は少ないですけど」


それは間違いなく……ああ、間違いない
私が二人に与えた種だ


私が知り得る過去では姫様は首を刎ねられ亡くなっている
でも、ここに確かに存在した
彼女が……いいや、彼らが生きた証が

これは、神器がもたらした奇跡なのだというのだろうか

未来は既に決定していた

あの二人は……幸せになれたのだ


「よかったら食べていきます?えへへ、お父さんの料理はおいしいですよ!」

「……」

「ようこそ!数百年続く老舗の酒場"優しき咎人"へ!」


大きな帽子を縦に振り、私は酒場へと導かれていく

姫様……
もう少しだけ、私も生きて行こうと思います

貴女を見届けた私も
もう少しだけこの世界を……見ていきたいと思います




姫「置き去りにされた世界の中で」 fin

終わった
一旦止めた部分が去年書いたところで
再開した部分が2日前に急いで書き始めた箇所

今回は前のと違ってホント書いてて楽しかった

もしお付き合いしていただいた方がいましたら、どうもありがとうございました

過去作
http://blog.livedoor.jp/innocentmuseum/

可能ならリンクして欲しいです……(媚た目)

ああ、そうそう
触れるの忘れてたけど魔法生物は♀です
結局主人公二人は分からず仕舞いで賭ける以前の問題だったという

このSSまとめへのコメント

1 :  SS好きの774さん   2015年09月01日 (火) 08:25:36   ID: Kt7gBrDr

すごい面白かった!

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