終電を寝過ごしたら不思議な場所についた (195)


ぼんやりとした頭で外を見ると静かに電車が止まっていた。

振り返って駅名を見ると『風の分岐点』。


こんな地名あったか、と思ってドアの上にくっついている路線図を見ると、なるほど確かにある。

『猫尾っぽ』『狐尾っぽ』『クリーム木星町』……『風の分岐点』。


渋谷がねぇ。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1431598145


で、さらにここは終点だった。


「マジかよッ」


携帯を開くと案の定圏外だ。

どっ、と絶望と疲れとがのしかかってきて、椅子に身体を預ける。


ふと上を向けば釣り下がっている広告が扇風機の風に揺れていた。


『ダズニャックのまたたび酒、今年は十年に一年の当たり年!』

『取り換え式小指(箪笥の角用)』

『前の彼とは、違う笑顔。(新にこやか薬)』


並行世界、というのだろうか、こういうのは。

ため息をひとつついて立ち上がる。

とりあえず降りてみない事には何も分からない。


よく見ると電車内に残っている客は俺一人だけではなかった。

向かい合っている座席の、反対側の端に座っていた男が今荷物をまとめて、外に出ようとしている所だ。


ぴょこぴょことせわしなく動く、三毛の耳が生えている。


「あ、あのっ!」

「んー?」


中々精悍な顔つきの割に、その返事はのったりとしたものだった。

降りる彼に思わず声をかけた。


無人駅に二人きりでいる。


「どしたで?ニィはどっかで会った事あるかいニャ?」


少しイントネーションや語尾は違うが、とりあえず言葉が通じることに安心した。


「てか、ニィ、……黒髪……」

「ん?髪?」


震える手で指さす先には俺の黒髪があった。

その手にも三毛がびっしりと生えていることに少々驚く。


黒髪がそんなに珍しいのだろうか。

周りに人が居ないので判断がつかない。


「はーっ、初めて見たげな、黒て。 ニィはどっか遠いとこから来たんち?」

「あ、ああ、東京の銀座から……」

「??」


やはり通じないみたいだ。


「まあ、遠いとこならよく来やったでな、こんなさびぃ駅に」


彼は名をツガと言った。

この駅の近くで酒屋を経営しているらしい。

無精ひげ(頬に三本ずつある猫ひげではない)のせいで老けて見えるが、まだ14歳らしい。


俺の年を言ったら逃げ出しそうな勢いで驚いた。


「はあ?!29?! あ、アンタすぐに申請したら世界記録やんでそんなん……29て……よぼよぼやんけ……見た目12かそこらなのに」


寿命の基準も違うとは。


駅から出て(無人駅なので料金は払わなかった。一応元の世界の切符も買っていたので無賃乗車にはならないと思う)、しばらく行くとツガの経営する酒屋に着く。

道すがら事情を話すと、しばらくその店の方に厄介になれることになった。

懐の大きさに深く頭を下げる。


住み込みで働いて、寝床と飯はどうにかなりそうだ。


「実は俺の他に、店にはもう二匹猫がいるんだよ」(こっちの世界の方言に馴れたので、ここからはおよそ標準語表記)

「猫?」

「あーそうだねぇ、前の世界では人間の形したのとしか話せなかったらしいけど、こっちじゃそんな事はない。猫と人は話せるし、俺みたいに尻尾と耳の付いた混ざりもんも居る」

「ほう」

「ま、気のいい奴らなんだけど悪戯好きでね。まぁ友達になってみてくれ」


そして目的地に着いた。

御酒『ねんねこ』。


てっきり「大将、やってる?」を想像していたが、これはどちらかと言えば「マスター、いつもの」の方だな。

もうかなり遅い時間だったが、まだ明かりがついている。


ここに来るまでにかなり変わった家をいろいろ見てきたが、ここもすごい。

でっかい木を生きたままくりぬいて家にしてある。


「ベッド、ハンモックなのな」

「寝苦しかったら下にポタン綿あるから使ってね」

「ポタン綿?」

「うん、上から掛けるの」


ポタン綿は薄いかけ布団だった。

まさか、この形で自然界から獲れるとか言わないよな。


「ほいではさらばじゃっ」

「ねんねこー」

「ありがとう、おやすみ」


二匹が去ってから、ハンモックに身体を預ける。


奇妙な世界に迷い込んだもんだ。

だが妙に落ち着いていて、居心地がいい。


都会の喧騒も、精密機械の歯車も、上司の小言も書類の束もない。

あるのはゆっくりとした、不思議な時間の流れだけ。


「ねんねこ」


幼児語でおやすみ。

明日を楽しみにしながら、すぐ眠りに落ちた。

『月光タンポポ』


翌日。

起きてリビングに行くと二人と一匹が暴れていた。

この『ねんねこ』は一階がバー兼リビング、二階が寝室等の生活空間になっていて、下に降りるときは大黒柱から突き出した階段を使う。


「んにゃはははっ、ツガぁアその綿毛くれーーーっ!」

「楽しいのよう、面白いのよう」

「お前ら、毎年の事だがこれ猫じゃらしじゃないぞ!」


綿毛になった月光タンポポが四本、ツガの手に握られている。

猫たちが眼を輝かせて追っているのはそれだ。


「にゃーーーーん」

「にゃああああん!」

「やめろって綿毛が散る!!」


もしかして楽しい事ってこれか?


「全く、今年のハルワタリで使えなくなるとこだったぞ」

「どーも」


結局騒動は、二匹の頭にたんこぶを二つくっつけて終わった。

角度の違うお辞儀で謝罪する。


「おはようニニ、朝ごはん出来てるぞ」

「おはようツガ。タンポポちゃんと綿毛になってるな」

「オレが取ってきたのだから当然よ、オホホホ」


朝食を食べながら、「ハルワタリ」という謎の単語について聞いた。


「ハルワタリってのはこの辺であるオマツリの事だよ。店とかもたくさん出るんだけど、その綿毛使って飛ぶのがメインだな」

「飛ぶ?」

「まあまあ、楽しみにしておきなさい、オッホホ」

「今年こそオイラが飛ぶのだぜ、ニャハハハ!」


またはぐらかされた。


「夜になったらツンガリ森に行こう」


夜。


「ドングリまんじゅう安いよっ」

「はぁー夜のおともにトマトソーダ割はいかが」


賑やかだなぁ。

一体どこにこんなに住んでいたのか、と思うくらいに人や猫や動物で溢れかえっている。

でっかい葉っぱとつっかえの棒で簡単なテントを作って、誰もかれも、忙しそうにモノを売って声を張り上げている。


通りすがりに見た「火山おむすび」にちょっと惹かれた。


「多分狐尾っぽのへんからも店が来てるんじゃないかな。ホラ、あれとか」


ツガの指さす先には、『割って割れないコンコン卵酒』。

頭に鉢巻をした頑固そうな狐と、息子さんだろう、小さい子狐が店の外で精一杯声を張っていた。

様子が愛らしくて、思わず声をかける。


「やあキミ、一杯くれんかね」

「あ、オイラも飲む!」

「ヒヤムギも」

「何だ、皆飲むのか。 四杯くださいな」



「あんがとなっし、一杯銅貨三枚だよ! オヤジ、卵酒四丁!」

「あいよう! あんがとなっし!」


親父さんは店の冷蔵庫を開けると、中から卵を4つ取り出し、ピックのようなもので天辺に孔を開けてから渡してくれた。

その後で、ストローのような植物の茎。


「突っ込んで飲むんだよ」

「生卵を?」

「ははは、卵酒なんだから大丈夫」


横を見ればゴボウとヒヤムギはもうちゅうちゅうとやっていた。

真似をして啜ってみる。


「おおっ、ほんのり甘くてうまいぞこれ!」

「あの店のお酒、結構有名なんだよ」


不思議な甘さだ。

何にも混じりけがないような、透き通った味。


「ところで『割って割れない』って何なんだ?」

「ジャバラ卵は恐ろしく固くて、天辺のほんの少しのとこ以外は内側からしか開けられないんだよ」


「あらん、もうなくなったわあ」

「ヒヤムギの食欲には参るな」

「俺の、まだあるけど飲む?」

「きゃん、あんがとあんがとニニさまさま」


俺が差し出した残りもぺろりだ。

ヒヤムギは舌なめずりをしながら、また食い物屋屋台の物色を始めた。


「さあ、そろそろじゃないかな?」

「何が?」

「ハルワタリ」


屋台も慌てて閉める準備を始め、辺りは月光タンポポを持った人であふれた。

さっきの子狐も居る。


「ホラ、月光タンポポを見てごらん」

「うっ!」


それは燦然と輝いていた。

朝や昼とは比べ物にならないほど眩しい。


「月光タンポポは三日月の光を浴びて輝くんだ。地面に突き刺して」


地面に刺すとタンポポの茎はどくどく脈打ち、綿毛を膨らませてゆく。


「地面が吸収していた光を吸うんだよ。それで大きくなるんだ」

「へえ」


こんな植物は元の世界にはない。

こんな魅力的な性質は。


「さあ、始まるぞ」

「にゃん、オイラのタンポポが一番飛ぶのだ!」

「おっほほ、今年こそいただきよう」

「デブには無理さ」

「ほほほ、重さは関係ないでよ」


《皆さまお待たせしました、只今よりハルワタリを始めます! 茎に掴まって!》


一陣の風が吹いた。


「おっ」

「にゃっ」

「ほほ!」

「来たぜ」


ふわりと浮いた。

根元でふつりと切れた茎は、確かに俺の重さを感じていないようで、規則的な速度を持ったまま宙へ、いや月へ向かって真っすぐに昇っていく。


「渡るのよう、お月さんに向かっていくのよう」

「あれ、ヒヤムギの速度落ちてない?」

「冗談じゃないわっ、コラタンポポ、もーっと昇れェ!」


そうか、ハルワタリ。

今俺たちは贅沢なほど月光を浴びて、冬から春に渡っていく。


皆の乗った綿毛はさらさらと種をまきながら高く高く、中空に銀河を作った。


「おおっ、ニニのが随分上っているわよう!」

「ほう、こりゃ今年の一番はニニが取るかもなあ」


俺の乗った綿毛は一段と高く上った。

風の向くままにタンポポは浮き、またひとつ月に近づいた。


「こりゃ絶景だな」


見上げればはるか天高く、大きな大きな星のタンポポが煌めいていた。


――『月光タンポポ』【完】

見てくれてる人ありがとうございます。
ちょっと前石英がどうたら言うのを書いてたものです。

このSSは短編集のような感じになります。
これからもちょくちょく投下していくのでよろしくお願いします。


『海を見るには』


「あぢぃのじゃああ」

「ヒヤムギ止めて、余計暑くなる」

「ホラ皆、休憩で飴サワーでも」

「オイラ三杯くらい欲しい……」

「そんなに飲んだら汗が止まらなくなるぞ」


夏、夜。

ハルワタリから一月経ったくらいでもう、外では蝉が鳴き出していた。


『ねんねこ』の支柱である木も外観が変わって、店の中にまで青々とした葉が侵入していた。

葉っぱを少しちぎって絞るとライム果汁の様な液が出るので、お酒に入れて利用している。


「んめっ!」


飴サワーに舌鼓を打つ。

基本的にこの世界には機械が存在しないため、どうやって涼しく過ごすかは毎年の課題らしい。


「夜は少し涼しくなるからいいけどさ、昼はもうオイラ茹で猫になっちまうよ」

「ツガはこの暑さで良く働くわねえ」


店にはお客が一人残っているだけで、他には誰も居なかった。

時間はまだ早かったが、今日の店じまいは早そうだ。


「しかし見事なつくりだ…… 型は誰が?」

「それがよく分かんねえのじゃ。お前さんなら何か分かると思ったが」


話が盛り上がっていたのは、そのお客さんが持ってきた一つの楽器のせいだ。


「壊れたハープ……か。技巧を凝らして作っている割には弦が足りない」

「その張ってない弦のところに、意味不明な紋様が刻まれているのじゃな。そのまま弾いても音は出るけんど、安っぽいというか。とてもそんな作品を作れる職人の技とは思えんのじゃよ」

「んー難しいですね…… しばらくウチでお預かりしても?」

「ああ、そりゃ楽器も喜ぶでな、宜しく頼む。 じゃ、ワシはそろそろ帰るとするじゃよ」

「また来てくださいね」

「あいあい」


お客さんが帰った後、皆でそのハープをまじまじと見た。

元々ハープなど見た事はなかったがなるほど、不思議な色をしている。


「外側もすごいが弦もすごい……セレスト樹をくりぬいて、そこに水霧蜘蛛の糸が張ってある……」

「ねえねえ、それ貴重なのん?」

「機長どころの話じゃないよ……どれも神話の一歩手前みたいな素材だ」

「あらん」


よかったら前スレ教えてほしいな

>>47一応前書いたのは
「彼女の全身が石英で出来ていたこと」
「彼女の全身が石英で出来ていた事」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1424358066/)

これです!
でもこのSSとは関係ない話です……


海にそっとハープを浸す。


「おおっ」

「やった! 弦だ!」


店でヒヤムギのかけた水が張った弦とは違い、今度は壊れない。

どころか、ハープはパチパチと蒼い火花を飛ばすようになった。


「成功だ。水を弦にして、塩で固定しているんだ」

「なあ、弾いたら何が起こるんだ?」

「分からない。でも、この古文書に載っている楽譜を弾いてみよう」

「ツガはハープが弾けるのか」

「何故かね、一度も見た事ない楽器でも弾き方が分かるんだよ」

「へえ、すごいな」

「昔からさ」


ツガは傍の岩に腰掛けると、慣れた手つきでハープを置いた。


「では始めるよ」



「うっ」


弾いているそばから変化は起こった。

波が集まって大きな手の形となり、弾いているツガも、傍にいた俺も引っつかんで海の中に入れた。


余りの事に逃げられなかった。

もみくちゃにされながら海に引きずり込まれた。


「ツガ! ハープは?!」

「分からない!浜辺に置き去りに……って、あれ?」

「声……」

「……目も見えるし、息も、出来る。服も濡れてない」

「水の抵抗も感じない。地上にいる時のままみたいだ」

「おい、ニニ」

「え?」

「見ろよ」


とふりと底の砂に降り立つ。

周りにはサンゴ礁、大きな光の玉を頭にぶらさげたアンコウみたいな魚や、ワカメの林、スカートの様なヒレを翻しながら踊る、妖精のような生き物。


「すごい……」

「招待されたのかな、海に」


「深海に、こんな綺麗な景色が広がっているなんて……」

「見た事ない生き物ばかりだ。頬を撫でる冷たい水の風も、天上から射す光も」


キウリという人物は、あのハープを作って、ずっとこの景色を見ていたのだろうか。

妖精と戯れて、細やかに舞う砂は粉雪、海藻に寝て、朝になれば燦々と輝く太陽光に貫かれて。


身体中から海の匂いがした。

どこかで知らない生き物がすっと呼吸をするように鳴いた。


「格別だな」

「ああ、これがキウリの『海の見え方』か」


海が見える。

波打つ表面から深く潜って、音もないゆらぎの世界。


何生涯かかっても出会う事のない生き物たちが、静かにここで息をしていた。

次第に何をする気も起きなくなって、俺はゆっくりと目を閉じた。


ずっと上ではしゃぐ猫二匹を、少し思った。


――『海を見るには』【完】


「『手紙』?」

「『文字』『言葉の人』『不幸歩き』……呼び方は何でもいいが、今回はそうだろうなあ。この世に溜まってるよくない伝説の一つだ」

「治すやり方はあるのか?」

「ある。『手紙』に限って言えば前例がある。しかし構造が単純な割に難しいのじゃ」


ノブナガの話では、ヒヤムギが『見た』場所に行かなくてはならないらしい。

行って、もう一度『手紙』に会って、原因を『解決』をしなければいけない。


「『手紙』には多種類あってな、要するによくない言葉の渦に人を閉じ込めて苦しめる。自分たちの願いが叶わなかったからのう」

「願い?誰の?」

「たくさんの。お前さんのかもしれんの」

>>48
いまさらだけどありがとう
面白かった!


「とにかく行ってみるしかなさそうだな。ノブナガ、世話になった」

「今度酒おごれよ。後ヒヤムギの体力にも感謝しちょけ」

「体力?」

「雨の八節くらいで覚醒出来るんはそいつくらいじゃ。普通は嵐とか天元とか使うんだぞ」

「……そっか。治ったら美味しい物でも食べさせてやらないとな」

「かっか、それがええ」


唄医者から出ても以前として雨は降り続いて、行く先は全く見えない中を、手探りで進んだ。

>>71
見てくれてありがとう!


ツガが側に来た途端、そいつは動いた。

重たい言葉の塊をずるずる引きずりながら、ツガに近づいてきた。


≪あんな女のどこがいいのよ!!ふざけんじゃないわよ!!!≫


そして思いっきり浴びせた。

立ち尽くすツガの肩を掴んでガクガクと揺さぶる。


≪死≪お前が居≪君なんかいない方が良かった≫なけりゃ≫ね≫
死ねば愛さないいいのに≪お姉ちゃん何でぶ≪飾り≫つの≫殺意が沸く」
≪愛してる「って言ってたじ無理ゃな『は、嘘かよ』い!!アレは何だったの?!≫
「僕はキミが好殺す『クソが』きなんだ例え≪何でこんなに愛しているのに≫君が他の男と結『本当に好き』
婚していようが愛し合っていようが』≪愛ししてるのにてる≫馬鹿が他の男に「女に誰」
『邪魔』一片死んどけよ≪何で好きになってく≪過去は全部水に流してやるから俺の『そのくらい好き』ところに戻ってこい≫
れな「殺すぞ」いんだ≫ガキさえ産んでなけりゃ≪君が欲し『何で』好き」なのにい≫


「あ……ああっ、あ」


何て酷い暴力なのだろう、これは。

もう俺まで立っていられなくなって、どしゃ降りの地面に膝をつく。

まだ耳を塞いでは駄目なのか。


あの距離で聞いているツガの事すら考える余裕がなくなっていく。

隣りで、耳を塞いでいたはずのゴボウが倒れた。


≪こんなに愛してるのに!!≫


≪愛せ!≫


≪愛せ!!≫


『手紙』は、誰にも届かなかった思いを、叶わなかった願いを、一方通行の夢を、幾多の憎悪を、全て、


≪愛せェ!!!≫


叩き付けた。


「愛してみる……」


だから許してくれ。

自然と口から出てきた言葉は、彼らの言葉に耐え切れなくなった自分自身の弱さだった。


愛していない。

でもアイシテミル。


そう言う事でしか、逃げることが出来なかった。


「アイシテミル……」


これで助かる。

呟いてまず感じたのはそんな自分勝手だ。

一方通行の、愛の暴力。


苦しいのなら受け止めるしかない。

相手の望むように。


アイシテミル。

愛してみる。


きっと、『手紙』に書いてあるこの言葉を発していた彼らは、愛した誰かにそうして欲しかったのだろう。

でも叶わなかった。


だから想いは澱みになって、『手紙』になった。

『手紙』はやり場を失った愛の、はけ口を探した。


≪愛せ!!愛せ!!愛せ!!愛せ!!愛せ!!愛せ!!愛せ!!愛せ!!愛せ!!愛せ!!愛せ!!愛せ!!愛せ!!愛せ!!愛せ!!愛せ!!≫


相手が自分を愛さない事を、決して許さない。

ゆるぎない狂気が、『手紙』の隅々にまで行き渡っていた。


≪愛せ!!愛せ!!愛せ!!愛せ!!愛せ!!愛せ!!愛せ!!愛せ!!愛せ!!愛せ!!愛せ!!愛せ!!愛せ!!愛せ!!愛せ!!愛せ!!≫

「……」


その時、ずっと棒立ちだったツガが何かを呟いた。


≪愛せぇエ!!≫

「……」


もう一度言った。

ピタリと『手紙』の動きが止まった。






「私には、あなたを愛することは出来ない」


「さようなら」







≪ぼォオッ……ゴボボ、ガォォオオ……≫

「『手紙』が……崩れていく……」


あれ程までに咆哮していた『手紙』は、悲しげな声を響かせながら崩れていった。

どろどろと地面に落ちて、そのまま雨に溶けてなくなっていく。


雨の落ちる音が、ようやく耳に入ってくるようになった。


「あらん?」

「ん……」


ゴボウとヒヤムギも気が付いたようだ。

起き上がって不思議そうにあたりを見まわしている。


少し向こうで、ツガが倒れているのが見えた。


「ツガ!」


急いで駆け寄って彼を抱え上げる。

かなり消耗しており、脱力した身体を全て俺に投げ出してきた。


「ああニニ、久々に死ぬかと思ったよ」

「ツガ、無事でよかった」

「無事に見える?」


そう言うと彼は、疲れた顔で微笑んだ。


「『手紙』はさ、誰かに読んで欲しくてずっとあそこで待ってたんだよ。そこにたまたま迷い込んだヒヤムギが来たんだ」


帰り道。

俺の背中でツガは呟いた。


「『叶わなかった愛の結晶』……タイトルはそんなとこかな、『手紙』には色々種類があるけど、今回のは小さくて良かった」

「アレで小さな方なのか?」

「読むのに丸三日かかるのとかもあるらしいよ。大抵心がやられちゃって読み切れないんだけど」


考えただけでも恐ろしい。


「なあニニ」

「ん?」

「あんなに誰かを愛せる事ってあるのかな」

「……」

「叶わなくて苦しくて辛いのに、『手紙』になるくらい歪んだ思いなのに、それでも愛することを、彼らは止められなかったんだ」


「幸せな事、なのかもしれない」


「羨ましい、とも」


「なあニニ」


「間違ってるのは何なんだろうなあ」


「間違ってたのは誰なんだろうなあ」


ツガは答えを求めなかった。

そこから先は、すうすうと静かな寝息が聞こえていた。


「アイシテミル……」


誰にでもなく呟く。


雨は明日も降るらしかった。

灰色を湛えた空から降り注ぐ雨が、何かを洗い流してくれるような気がした。


――『アイシテミル』【完】


§4『星空の逆転と、つらら』


胸のポケットに何か入っているように思えて、手を入れたらそれが出てきた。

細やかな装飾を施された、金属製の小箱。


球のような形だった。

小箱、というよりは球形の容れ物と言うべきだろうか。


鍵はついていないようで、中からはかすかに虫の鳴くようなジーッという音がした。

振ってみても叩いてみても開かない。


装飾を正面から見ると、『∞』の文字の両端から二つの矢印が飛び出しているエンブレムが描かれている。


「一体……」


どこで作られ、どうして俺の胸ポケットに迷い込んだのだろう。

見ただけで相当な作品である事が分かる。


手には収まりがよく、握れば指の腹が装飾の溝をなぞった。

冷たい感触が心地よい。


いつぞやに見たハープを思い出す。


「ニニ―」

「どうしたゴボウ?」

「ツガが仕込み手伝ってってー」

「分かった、今行く」


とりあえず考えてもしょうがないか。

小箱を胸ポケットに戻すと、ゴボウと一緒に厨房へ向かった。


「ニニ、今日予約のお客さん多いからお願いね」

「16人かぁ……何かの打ち上げ?」

「ミャコ銀河楽団の演奏会が昨日ツンガリ森の方であってさ、その楽団員が皆来るの。こないだハープ持ってきたお爺さんも楽団員だよ」

「ふえー、あのオヤジ案外すごかったんだなー」


ゴボウが感嘆の声を漏らす。

確かに不思議な雰囲気のある人だったが、有名楽団の楽団員とは。


「あ、そっちのエビとって」

「? エビなんてないぞ?」

「……ヒヤムギの仕業だ!ゴボウ捕まえてきて!」

「合点!」


「にゅふふふ、ツガがなにやら準備してると思ったら、今日は大入りなのね。おかげでいい材料が……」


『ねんねこ』の近くのこんもりとした丘。

てっぺんに座る盗人の手には、エビのたっぷり入ったボウルがあった。


一つつまみ、殻ごと口の中に滑り込ませる。


「んめっ!ぷりエビのうまさは世界一よう!」

「あーっ! やっぱし食べてる!」

「んん? ゴボウじゃないの、さてはぷりエビの匂いに釣られてきたなっ」

「ツガが中で怒ってるぜー」

「なぬっ、何故俺の仕業だとばれたっ」

「他に誰がいるんだよ、お前食い物に対して見境なさすぎにゃろ」

「……ゴボウ」

「何?」

「ぷりエビ二匹あげるから見逃して?」

「はあ?」


ゴボウは呆れ顔。


「四匹はよこせ!!」

「ぜーったい嫌だ!後七匹しかいないのよう!!」

「よっこせーーー!!」

「嫌ぁあ!!」


盗人が二匹に増えた。


「ぜ、全部食った……?」

「どーも」

「ぷりーっ」

「ニニ、なくなってた時点で半ば諦めてたよ俺は」


お客さんが来る直前で二匹は帰ってきた。

頭を差し出しているのは来たるげんこつへの準備に他ならない。


「なくなったものはしょうがない。ゴボウとヒヤムギにあげる予定だったカキを出そう」

「カキ!」

「食べたいのよう!」

「ニニー、窯でカキ焼くから手伝って」

「はいはい」

「くおーっ何故オイラはぷりエビに負けたのだぁあーーーっ」

「食べたいのよう食べたいのよう!!」


その時玄関のベルがからころと鳴った。

お客さんだ。


「予約してたミャコ銀河楽団のものですだ」

「おかえんなさーい、席へどーぞ」


「腹減っただずっぺ」

「うぃー酒が飲みたいぞうー」

「ひょえ、綺麗な店」


ぞろぞろと入ってきたのは楽団員の面々。

団長らしきたぬきがツガに挨拶をして席に着いた。


「えーそれでは皆さん、昨日はツンガリ森での演奏お疲れでござんした。わだすも指揮棒を振るう手に思わず力が入ったでござんすが、最後まで良い演奏が出来たでご。今日は自由に飲んで、疲れを癒しておくんなっし。乾杯!」

「「「かんぱーいっ」」」


流石に有名楽団とだけあって、皆いいワインを次々に空けていく。

料理をつまみながら会話する姿も優雅だ。


「しかし久々の大盛況だ」

「皆食べっぷりも飲みっぷりも素晴らしいな。演奏家も体力勝負みたいなところがあるからな」

「前来た医者の先生たちもこんなだったな」

「うむ」


「でも普通は席が足りなくなるような団体て予約受けないよな。何で今回に限って」

「ふふ、ちょっとした俺のわがままでね、ゴボウとヒヤムギにはけっこう動いてもらったんだ。ぷりエビくらい見逃してやるさ」

「?」


ツガは意味深な笑みを浮かべて、それ以上は何も答えてくれなかった。

お客さんは相変わらず(あくまで優雅に)どんちゃん騒ぎを繰り広げている。


「うううっ いい気分だどーっ」

「こっこんないいワイン飲んだ日にゃ、思いっきり演奏せにゃ気が済まんだす!!」

「ほーだほーだ!」

「楽器ば欲しいどーっ」

「ほだほだーっ」


お客の様子が何だか変だ。

ツガを見ると楽しそうに顎をさすっている。


「ふふ、来た来た」

「何が?」

「まあ見てなよ」


ツガは席を立って大きなおなかをゆすっている団長のところに行き、こっそり耳打ちした。


「ポンズさん、表に準備出来てますよ」

「あーっわざわざあんがとなっし、支払いには色つけるでな。おおい皆!表に楽器があるぞう!!」

「なにぃ団長、それを早く言わんか―――っ!」

「わおう俺のトランペットが来とるゾウ!!」

「私のピアノも!」

「俺のもだ!!」

「さあ早く演奏しよう!」

「満点の星空に!」

「素敵な隠れ家『ねんねこ』に!」

「ミャオ銀河楽団に!」

「「「かんぱーいっ!!」」」


「ツガ、これは……」

「この楽団の人たちは皆、酔っぱらったら演奏せずにはいられないんだってさ」


余韻に浸っていると、この世界に来てはじめて、この世界の事について想った。

朝遅く起きて、朝ごはんを食べて、草木に寝て、風と遊び、自然を着て、夜を歌い、そうしてまた、笑って明日を迎えられる。


この世界には、求めていたものが全部あった気がした。

自由な時間、気安い服に、とても大きな自然と、太刀打ちできない不思議と、美味い酒と、食べ物と、気のいい奴らが居た。


不自由がなかった。

不自由を生むものもなかった。


ここには燦然と輝く自由があって、ただお腹いっぱいそれを満喫すれば、毎日を過ごせた。


俺はここにいていいのだろうか。

向こうの世界ではどうなっているのだろう。


納期が遅れたりとか、捜索願が出されたりとか。

いつか向こうに戻らなければならなくなって、浦島太郎のように、別世界のようになってしまった、あの時間の流れが速すぎる世界に帰るのだろうか。


俺は、戻りたいのだろうか。

果たして、この楽な世界に俺だけが居て、何となく心に抱えたもやを、罪悪感を、どうしたらいいのだろう。


胸の中で、カチッと音がした。








気が付けば空に立っていた。

足元で星が綺麗だった。





宙に浮いてはいなかった。

確かに透明な空気の上に立っていた。


足元にはどこまでも落ちていきそうな深い夜空が広がっていて、星々はその深さを示すように点々と違う位置で輝いていた。


上には覆うように地面が……いや、まともな地面は見えなかった。

ただ無機質な高層ビルがつららのように織り連なっていて、人工の灯りが、足元の星の代わりに光っていた。


「……これは……」


胸ポケットに手を入れる。

ついに開かなかったあの箱は簡単に開いていた。


中は時計の中身みたいに複雑で、平凡な目では何一つわからない。

ただ箱は開いていて、天地はひっくり返っていて、箱の中で機械がせわしなく歯車を回していた。


「何で、ビルが……」


ぶらさがった黒く鈍いつららたちは、この世界のものではなかったはずだ。

何故、今。


「へえ、ニニは新宿に住んでたんだ」

「?!」



どっと汗が噴き出た。


「ホラ、あれ東京都庁でしょ」


横を見ると、空に立ったツガが微笑んでいた。


――――『星空の逆転と、つらら』【完】





§5『ツガの秘密、ぼるいち』




「俺の名前、ツガはさ、先代の『ねんねこ』マスターがつけたんだ」


ツガはひどく衰弱した状態で見つかったらしい。

ノブナガと先代の甲斐甲斐しい看病のおかげで何とか一命を取りとめたのだそうだ。


「俺の倒れてた場所ってのが、ツンガリ森。そこからとって、ツガ。ペットみたいな安直な名づけ方だよな」


乾いた笑いが虚しくて、喉が苦しかった。

「ペット」という概念もこちらの世界には存在しない。

その常識の記憶のみが、ツガが元の世界の住人だという証なのだ。


「倒れる前の記憶はない。おぼろげに彷徨っていたことだけ何とか頭の隅に残っているだけ。耳と尻尾、それにひげはもうこの時には生えていた」


つまり彼の「混ざりもの」たる特徴全ては、彼の意志ではない後付けという事だ。

あの物知りのノブナガでも、原因は分からなかったのだろう。


あるいは、分かっていたのに話していないのか。


「これが俺の全部だよ。なあニニ、何もないんだ俺。正直言うとちょっと怖くてさ、ハハ、いつか俺なんていなかったように、何もなかったように消えちゃうんじゃないかって、ちょっと怖いんだよ。振り向いたら後ろに歩いてきたはずの道がなくて、自分が立っている場所の危うさに気づかされる」


「何より怖いのが、自分の命が少しも惜しくない所なんだ」


「ツガ」

「ニニ、お前に対しても俺は時々、残酷な仲間意識を芽生えさせてしまいそうで、怖い。いっそお前も、俺と同じようになっちゃうんじゃないか、きっとどっかで、なってしまえばいいとさえ思ってるんだ、俺も」


何も言えない。

それは彼の立場から見た、真摯な心だからだ。

同じ立場でない人間が口を出すべきではない。


ましてや、彼よりずっと記憶に恵まれている俺からは。

どんな気持ちだろうか。

自分を守るモノも、自分が守るモノもないというのは。


「ニニ、」


そう、何か言いかけた時、ツガは少し違う目をしていた。

心の闇は一瞬だけ影をひそめた。

俺の良く知っているツガの優しい目。


「……戻ろうか、ゴボウたちが心配するからな。箱に向かって『もう少しここに居たい』って言えば終わるよ」


「どこ行ってたのよう!もう楽器の片づけ終わっちゃったわよん」


当然のように見慣れた『ねんねこ』が目に入ってくる。

中に戻るとヒヤムギとゴボウは随分疲れた様子で、勝手に飴サワーを作って飲んでいた。


「ごめんごめん、全部任せちゃって。お詫びに倉庫のびわゼリー食べていいからさ」

「びわゼリー!」

「びわわっ! ゴボウ、早速取ってくるのじゃ!!」


二匹よりもツガの方が疲れているように見るのは、単に気のせいだろうか。

椅子にぐったりと身体を預ける様子は初めて見る。


とうきびサワーが欲しくなったのでツガにも要るか聞いて、二杯分用意した。


「ありがとうニニ」

「どーも」

「ふう、うまい」

「ツガが作った奴ほどじゃないけどな」

「あんま変わんないって」


「んにゅははっ、びわゼリーじゃっ ゼリー祭りじゃっ」

「んめっ!」


倉庫からでっかいボウルを抱えて戻ってきた二匹の手は既にゼリーだらけでべたべたしていた。

既に半分くらいなくなっている。


倉庫って店の裏だから戻ってくるのに一分かからないはずなんだが。

食欲とはかくも恐ろしい。


「くらえっ!」

「うっ 種飛ばしとは卑怯なり!」


じゃれている二匹を見るのは楽しい。

時たま飛んでくる流れ弾がなければなお良いんだが。


「!」


ふとツガを見ると寂しそうな微笑みを浮かべて二匹を眺めていた。


彼は何を考えているのだろう。

俺は何を考えるべきなんだろう。


心に浮かんだ安っぽい同情を、炭酸に溶かして飲み下す。


これから俺は、同情とか憐みとか同郷の志だとか、そんなのを一切抜きにして、彼の為に何が出来るだろうか。

ポケットに入ったノスタルジアを、今更ながらに大切に感じた。


――――『ツガの秘密、ぼるいち』【完】





§6『ヒヤムギに芸術』




「あの子は天才なのですじゃ」


アヅキはツガにそう漏らした。


「音の雫はあんな年端もいかぬような子供が、いや熟練の楽器術師でさえ考えもつかぬ構造をしているんでご。ツガさんなら分かるとは思うじゃすが」

「……普通は、『落とすと綺麗な音の鳴る宝石』で終わるでしょうね」

「その通りですじゃ」


アヅキは一つの楽器を手に取った。

出した音が空中に文字を描く、ピアノの一種。


音色で文字の色を、音量で線の太さを調節できる。


「あの子の楽器はキウリの作によく似ている。彼の楽器は『単純に音を出す道具ではない』とする楽器術の根底と、『ひたすらに清廉な音を』という楽器そのものの根底とを結びつけているのじゃす」

「その作品は……」

「アヅキの『鳴るキャンバス』。ただの駄作じゃよ」


ピアノを乱暴に弾くと、空中に茶色の様な、赤系が混ざった色がべったりと張り付いた。


「こんなものは楽器でなくとも良いのじゃ。空に絵をかくペンだってなんだって」


「ツガさんは以前『海の見え方』に触れていますのじゃな?」

「ええ」

「あの作品は楽器、それもハープの様な弦楽器でないと成り立たねえつくりをしてるでご。水で弦を張り、塩でそれを固定。一度弾けば海の中から世界を見ることが出来る」

「『海』や『ハープ』でないと成り立たない、強烈な世界観」

「そこじゃす。『他では代わりがきかない』絶対的な世界を、音楽と自然で構築するという事を、キウリはやってのけたのじゃす」


「そしてそれは今、あの子がしていることでご」


ここにある数多の楽器の中で、一体どれだけが、かけがえのない楽器術作品として存在できているだろうか。


アヅキは技術的には楽器術師の中でも相当なものを持っている。

しかし、それはあくまでキウリの築いてきたものの模倣であり、そこに独創はない。


「ワスの家の家系図じゃす」


彼は壁に掛けてある布を指さした。


「一番上がキウリ、その下のムジナ氏がキウリの直弟子に当たる我がご先祖様じゃす」

「キウリと、その他にも…… 名前にバツ印がつけられている人がいますね」


アヅキは悲しそうに目を伏せた。


「彼らは、天才故の孤独に耐えきれなくなった者達じゃすよ」

「自殺者、という事ですか」

「ナザレ・キウリ。享年15歳。彼は特に若くして亡くなっていますのじゃ」


『海の見え方』を調べていた時の事を思い出す。

確かに違和感はあった。


「天才とはそういうものだと、最近思うようになったでご。誰よりも突き抜けた才能がある分、誰もが持っているものに欠けやすい」


そうか、この人は彼らに娘さんを重ねているのか。

あの歳で『音の雫』は天才どころか異才だ。


技術的な部分でアヅキ氏が手伝ってこそだが、あと何年もすれば完全に超えてしまうだろう。


「ツガさん、これも何かの縁じゃ。どうぞあの子と仲良うしたって下さいな」

「はい。お願いされなくとも、俺からも友達になって欲しい」


あの子を見ていると心が躍る。


親から見ると余計に心配になるのだろうな。

誰よりも優れていてほしいと思う反面、皆と同じであって欲しいと思うのもまた親心。


そのジレンマは決して、汚れたものではないのだ。


「ありがとう、ありがとうツガさん」

「いえ、その、……」


だがこうも恐縮されては。

思わず苦笑してしまう。


当のナヅナちゃんは何も考えていないだろうな。

あの子は俺なんていなくても、きっといい友達にたくさん恵まれるはずだ。


何故だかそんな気がした。

少なくとも初対面の人のお尻にかぶりつけるようであれば、将来の心配は要らないな。


思わず吹き出すと、表の方で呼ぶ声がした。


「おおい、音の雫使ってみるから、皆で見ようぜー!」


ニニだ。

声に反応して、ずっと俺の手を握っていたアヅキ氏と目があった。

ふと冷静になってお互いに苦笑する。


「分かった、今行く!」


「さあ、お父さんも一緒に」

「そうじゃすな。あの子の楽器のお披露目と行きましょうがいな」


表に戻ると皆外に出ていて、ナヅナちゃんの手に握られた音の雫を見ていた。

手の中で宝石は、さっきより小さい。


「あ、おかえりなのら。今から鳴らすからよく聞いてるのら」


宝石は氷が解けるように少しずつ小さくなっていって、最後には蒸発して空へ消えた。


「くるぞ」


ぽつり。

【♪】


肌に小さな『音』が当たるのを感じた。


天から降り注いできたのは文字通り音の雫。

今度はピアノの音だけじゃなくて、別の楽器や、楽器じゃないモノの音や、喧噪や、雑踏や、無音。


全てが降り注いで、音楽の滝を作っていた。

混ざり合うそれらは決して不快ではなくて、まさに音楽と呼ぶべきものへと昇華していた。


「これは本当にすごい」

「一年に一回しか鳴らせないのが難点なのら」


手を翳せば音が落ちてきて弾け、次々に溜まっていく。


そうか、これは『雨』か。

キウリが海と融合したように、音の雫は雨との融合を形作っている。


音は雨になって、乱雑に、繊細なメロディーを奏でた。


全身が鼓膜になったようにびりびりと震えた。

何とも心地よい。


「ねえツガ」

「何?」

「ナヅナの楽器もすごいのら!」


そう言ってほほ笑む彼女は、天使のように無邪気だった。

この子ならきっと大丈夫。


「そうだな、すごいな」

「にひひひ、くすぐったいのら!」


だから今は、この音のように燦然と降り注ぐ愛情を、お腹いっぱい食べて欲しい。

自然も親も友達も、きっと彼女を愛してくれる。


「にゃはは、大漁じゃっ 大漁なのじゃっ」

「ぷりエビ買ってきたわよう」


不思議な満足感に浸っていると、俗世に塗れた奴らが帰ってきた。

というか今までどこかに行っていたのにも気づかなかった。


「あらん、何だかうるさいわねえ」

「耳をお休みにします」

「それはいい」


ボウルたっぷりのぷりエビを抱えて二匹はご満悦だ。

耳をぺったりと頭にはりつけて、むちゃむちゃとぷりエビを喰いだした。


ニニはすっかり呆れ顔。

アヅキ氏も口をあんぐりと開けていた。


「猫になんとやら、か」


向こうの世界の諺を思い出した。


一年後、また音の雫が結晶化した時に、ここにまた来よう。

そして今度は、猫どもは置いてこようと思った。


上を見れば音の雨に混じって、綺麗な光が差し込んできた。

ぷりエビよりこっちの方が良くなるまで、あと何年かかるだろう。


「ナヅナにもぷりエビ寄越すのら!」

「あーっ こぼれるこぼれる!」

「ゴボウ! 取り押さえるのじゃ!」


この素敵な楽器を作った張本人にさえ、それは分からない。


――――§6『ヒヤムギに芸術』【完】



§7『ツガの秘密、ぼるに』


ちょっと気を抜くとすぐハードモードね

>>167
§タイトル的にこうするしかなかったのです
ごめんちゃい


「はあ……はあ……」


それから彷徨って随分になるが、一向に何かが見えてくる気配はない。

不安が高まるにつれて、疲労とか空腹とか寒さを、より強烈に感じるようになってきた。


息を吐く唇が震える。


「……携帯、とかが、あればな、……はは」


言ってもしょうがない独り言。

掠れた笑い声を上げた拍子にどさりと尻餅をついた。


ああ


寒い


眠い


起きなきゃ


起きてどうするんだ


歩くのか、あの真っ白な無限を


嫌だな


眠い


どうせ


どれだけ歩いても


何もないんだ


眠ろう


「……ん……」

「眠った、はずじゃ……」


「ここは……?」

『「風の分岐点」』

「え?」

『ここは「風の分岐点」。君の通り道』

「……それって、駅の名前、じゃ……」

『駅の名前は土地の名前、土地の名前はここの名前、ここの名前は私の名前』


「何を……」

『ようこそ「風の分岐点」へ。二宮渡』


「……俺の名前……どうして……」

『全ての者に名前があり、君もまた例外ではない。ここは「風の分岐点」。差し掛かる君の分岐は、君が生を受けた世界からの通り道。仮宿の名前を使う事は、ここでは許されない』

「仮宿の名前……?」

『ニニ。それがマガリ ゴボウの付けた、君の新しい名前』

「ニニ……」

『その名前はこの世界の通行証。何者にも犯されず、何者にも左右されない、君だけのモノ。しかしこの世界で名前を得ることは、風の分岐を作るという事』

「なあ、アンタ!」


姿も見えない何かに言う。


『?』

「……もしかして、ツガに会ったことがあるか?」


『ツガ。それはスバラキ ネコメとガゼン ノブナガが名付けた、浅野 雄一郎の新しい名前』

「ノブナガ……そうか、あの医者もツガを助けてたんだっけ」

『先ほどの問いに答えよう。会ったことがある』

「!」

『彼もまた「風の分岐点」を通っていった』

「やっぱり……」

『君が生を受けた世界と同じところから来た。そして、分岐を進んでいった』

「さっきからその、分岐っていうのは何なんだ?」

『分岐とは分かれ道。自らの手で進んでいく方向を選択するための、選択肢の束』

「……つまり、俺は何かを選択しなきゃいけないって事か?」

『左様。分岐に差し掛かったのは君で六人目だ』






『元の世界に帰るか、こちらの世界に残るか、選べ』

「!!」


『君たちのような存在を「風の分岐点」では旅人と呼ぶ』


『君の居た世界と今いる世界は無関係だ。旅人と言えど二つの世界に居場所を持つことはできない。しかし二つの世界はいくつかの抜け道で繋がっている』

「抜け道……」

『一つは、放課後の教室で独り泣く事。二つは、路地裏で猫を撫でる事。目をつぶって商店街に入る事。終電を寝過ごす事。森で道に迷う事。そして』


『高い所から落ちる事』


「ツガは、どの方法で来たんだ?」

『彼は高層ビルの最上階から落下した』

「……」

『彼が「風の分岐点」に差し掛かった時、私はやはり同じ問いを投げかけた。彼はすぐに、残る道を選んだ』


『彼の耳や目、尻尾は枷だ。あの姿では元の世界に戻れない』


『また、残る事を選択した旅人は、元の世界での自分について知る権利を消失する』

「記憶喪失になるって事か?」

『単なる記憶操作ではない。元の世界での存在と逆の出来事が起こる』


『元の世界では、自分の事が何でも分かる代わりに他人の事は何もわからなかった。この世界に残る旅人は、自身について一切知れなくなる代わり、他の物事が手に取るようにわかるようになる』


『選択をするというのは手放し、手に入れる事だ。一方で幸せだったかもしれない未来を捨て、不幸かもしれない未来を進んでいく。その逆もしかり』

「俺は……どうすれば……」

『案ずるなかれ。これは君の日常でしばしば起こる、残酷で単純な選択の一つに過ぎない』

『大きな分岐も小さな分岐も、生きる上で幾度となく課せられる選択だ。今日玄関を左足から踏み出せばどうなるだろうか。昨日まで友人だった者を、今日無視したら? ……生命を全うするという事は、自身の前にある数々の分岐の中から一つを選んで、進んでいくことに等しい』


『さあ君は、どちらの未来が見たい?』


答えられる訳がない。

考えないように考えないように、頭の隅に追いやってきた問題だからだ。


偶然手に入った不思議で面白いこの日々を、生きていくだけで俺はいいのだろうか。

灰色のビルの立ち並ぶ変化のない日々を、生きていくだけで俺はいいのだろうか。


明確な答えは出ない。


少し考えさせてくれ、とは言えない。

時間は与えられてきた。


『手に入れるという事は、失う怖さと向き合う事だ。例え後悔しようとも、怖れて悩んで君が進む分岐は、どちらも決して間違いではない』

『隣の花は赤く見えるモノだ。ツガが今必死になって、自分自身について調べているように』


「俺は……」


きっと俺はこっちに残った時、ツガのようになる。

『今の幸せ』を口開けて待っているだけじゃ飽き足りなくて、もしかしたら自分が持っていたかもしれない『幸せの可能性』を必死に調べることになるだろう。


思えば彼はどの不思議に対しても、どこか一線引いた位置で、静かに見守っていたように思う。


ゴボウやヒヤムギみたいに、全力で何も考えずに楽しめたら。

けれど決してそんな風にはなれない事を、俺は正直に認めていた。


向こうに戻った時、俺はきっとこの世界を羨むようになる。

都会の喧騒も、精密機械の歯車も、上司の小言も書類の束もない。


このゆっくりとした時間の流れを思い出し、後悔しながら、社会のちっぽけな一部に組み込まれていくのだ。

今までと同じように。


「俺は……」


どうしたい。




『さあ、答えを聞こうか』














『おめでとう、そして「風の分岐点」は進まれた』






理由はどうか聞かないで欲しい。

元々一面真っ白なのに、それすら涙でよく分からなかった。




――――§7『ツガの秘密、ぼるに』【完】





§最終『そしてまた、ハルワタリの季節』




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