【オリジナル】30日後、私は死ぬ。 (13)

※厨二病注意
※人によっては鬱に感じるかも

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5/9

30日後、つまり6/8、私は死ぬ。
30日後、修学旅行があるのである。修学旅行で沖縄に行くのだ。次に沖縄に行くときが死ぬときだと決めていた。手帳に死の予定が入るとは、なんと素晴らしいことなのだろう。

これから、私の今までについて書こうと思う。馬鹿な中学生が書く文章なので読みにくいだろうが、どうか最後まで目を通していただきたい。
生きているうちには恥ずかしくて決して明かすことのできない「私」について知って欲しいのだ。


私には家族がいる。母と父と弟だ。
私は、母が大好きだった。でも、昔の優しい母はもういない。私が悪い子に育ってしまったので、興味をなくしたのであろう。仕方のないことだが、とても悲しい。
父は嫌いだ。父がいないとここまで生きてこれなかったであろうが、そんなことはどうでもいい。父はうるさい。
弟には、興味がない。3つ年下である。
ちなみに私は、中学3年の男子である。

幼稚園に通う前

母親とよく散歩に行ったことと、そこで見た景色をなんとなく覚えているだけだ。この頃、母はとても優しかった。

幼稚園に通っていた頃

私は、父の仕事の都合で毎年転園した。
2 度めの転園のとき、私は同じ組の女の子の前歯を折ってしまった。わざとではない。鬼ごっこをしていて押し倒してしまったのだ。その日、家に帰った後のことはよく覚えている。まず、母と向かい合って正座させられた。その後とても怒られた。最初は「わざとやった訳でないのに何故こんなに怒るのだろう」と思ったが、「わざとでなくても、人を傷つけてしまったのは事実だから」と納得した。

3 度目の転園のとき、知らない男の子にいきなりブロックを投げつけられた。この日のこともよく覚えている。私は、家に帰って母にブロックを投げつけられたことを言ったのだ。当然、慰めてくれるだろうと思った。しかし、母は「転園してきた子がどんな子か知りたかったのかもしれないよ」と言った。私はひどく衝撃を受け、混乱した。何故、母は私にブロックを投げつけた悪者を庇うのだろう。何故、私を慰めてくれないのだろう。この日起こったことはいわゆる《トラウマ》になった。

幼稚園年長のとき、私はお祭りの帰りに両親とはぐれてしまった。綺麗に舗装された川沿いの道だった。夜だったが、電灯が並んでおり、それほど暗くはなかった。そのとき、忘れられない出来事が起こった。白い着物をきた女が木の下に立っていたのである。産まれて初めてみる着物姿の女性に、無意識のうちに近づいていた。女性は、ロングヘアで垂れ目だった。当時の私には知らない人に話しかけるという発想がなかったので、そのまま通り過ぎた。言ってしまうと、たったそれだけの出来事だった。明確な理由はないが、その女性がはっきりと記憶に残っている。その後どうなったかは覚えていない。私にとって衝撃的だったのはそこまでということだろう。

今日はここまで

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