唯「平沢唯は、転ばない」 (31)



りっちゃんと部室のベンチに向かい同士で座って天井を見上げてた。

お互いに何も言わない沈黙を先に破ったのはりっちゃんだった。

律「なぁ、唯。ここは平和かなぁ」

唯「なにそれ。どーゆーいみー?」

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律「意味なんてないよ、ただ、平和かなぁって思っただけ」

りっちゃんはボケーっとバカみたいな顔をして、
それなのに私の視線を感じ取って目が合った瞬間、
困ったように笑った。

私はりっちゃんに何かを言ってあげたいけど、
その空間で何が正しくて何が間違ってるのか、
よくわからなかった。

唯「平和ってさ」

律「うん」

唯「平らな和って書くでしょ」

律「うん」

唯「平らな和って立体的じゃないじゃん」

律「うん」

唯「だから、こう、シールみたいにどこにでもペタって貼れちゃったら、楽なのにね」

律「なんだそれ」

りっちゃんがちょっと、ふふって笑う。
漏れ出たそれにちょっとだけ心が嬉しくなる。

唯「だからさ、紙にマル描いて切り抜いてさ、粘着テープを裏側に貼り付けて

『あ、ここ平和だったらいいのに』

って思ったとこに張ってけばいいんじゃないかな」

律「それ意味ある?」

唯「わかんないけど。とりあえず目印にはなるじゃん」

律「何の?」

唯「りっちゃんが平和にしたいものの」


それからみんなが部室に集まって、
その話はそこでおしまいになった。

次の日。

珍しく朝練をしようと部室にやってきた私がみたものは、
部室のドアに貼り付けてある、
マルの書かれたポストイット。

なるほど。

これならどこでも貼れちゃうね、りっちゃん。

私はホッコリとした気持ちになって、
りっちゃんが平和であれと願う場所でギターを奏でた。


---

唯「ねぇ、澪ちゃん」

澪「なんだよ、唯」

掃除当番が久しぶりに一緒になって、
ゴミ箱のゴミを捨てに行くことになった時に聞いてみた。

唯「澪ちゃんってもう人前で歌うこと、平気になった?」

澪ちゃんは一瞬瞳をビュンと大きくして、
そしてコホンと咳をしていつもの自分を取り戻す。

澪「まぁ、1年生の時に比べたらマシになったんじゃないか?」

唯「うん。私もそう思う」

澪「思うなら聞くなよ」

えへへ、と笑って風に流す。

唯「歌うの楽しい?」

澪「......そりゃあ、まぁ」

照れ隠しに澪ちゃんはすかさず聞き返す。
そういう唯はどうなんだよ、と。

唯「私は自分からやりたいって言ったから」


澪「そうだった」

唯「歌うのは楽しいよ」

そう言うと、そっか、と笑って今度は澪ちゃんが風に流した。

お互いに歌ってるから、言わなくてもわかることがある。
横をチラッと見ると澪ちゃんも私の方をチラッと見てて。

どちらかともなく、しようがないなって、子どものイタズラを許してるお母さんみたいに、
ふふって笑っちゃった。

何も言ってないのに、澪ちゃんが言う。

澪「それでも、やっぱり私が歌ってるのはみんながいるからだよ」

何も聞かれてないけど、私はそれに黙って頷く。


ごみ箱は腕の中でカサカサ音を立てていた。
この中のものだって最初っからごみだったわけじゃない。
役目を終えたから、みんながポイって捨てちゃったんだ。

そう思うと、モヤっとしたものが胸の中を満たしていった。

あれれ。役目を終えちゃったら、もしかして人もゴミっぽくなっちゃうのかな。
もういらないよ、って誰かに見切りをつけられてポイって捨てられちゃうのかな。

りっちゃんが貼ったポストイットの平らな丸だって、
誰かにとってはゴミっぽく見えて、
糊の粘着力がなくなって床にでも落ちたりしたら、
それはもう、もう。

頭の中でコロコロと平らな丸が急な斜面を転がっていく。
だんだんスピードが上がっていって、あぁ、ダメだよ、その先には崖があって---その先はきっとダストボックスで、もう、もとには戻らない、もう、もう。

不意に澪ちゃんが言った。

「平らな和は立体的じゃないから、転がらない。
どこにも行けないけど、でもだからこそ、
そこに居続けることの難しさを知っている尊い和だ」

りっちゃんが教えたのかもしれないし、教えていないのかもしれない。


それは大した問題じゃない。

あれは目印だから、わかる人にはやっぱりわかってしまうものだから。

私に、照れ臭そうにへへっとかっこよく笑う澪ちゃんは、

次の瞬間。

ヒヤァと声を上げつまづいてゴミ箱の中身を廊下にぶちまけた。


ゴミ箱の中身はパラパラだったりコロコロだったりして、
床に転がって散らばっていく。

でも、そこにあり続けた。
転がっていきすぎなかった。
床の上に散らばって、そこにとどまり続けた。

いたたた、と言いながら澪ちゃんが涙目で立ち上がる。

物事はほんのちょっとの躓きによって、
誰かにとっての物の見方そのものを変えてしまうらしい。

うん。
やっぱり澪ちゃんは私の世界を明るくする歌姫だ。

澪ちゃんに手を差し伸べて、
できればそのままであり続けていてくれることを願いながら、
散らばったゴミを拾い集めた。


---

ムギちゃんに「軽音部どんな感じ?」って唐突に聞いてみた。

ムギちゃんは、あからさまに「えっ」って驚いた。

うわぁ、ムギちゃんがこんなに驚いたの見たことないかも。

紬「軽音部どんな感じ...。それは私にとって?それとも客観的に?」

唯「もちろんムギちゃんにとって、だよ」

間髪入れずに答えは返ってきた。

紬「絶対に守りたい場所よ」

唯「絶対に?」

紬「えぇ、絶対に」

唯「あの場所は守らないと無くなるの?
それとも誰かに攻撃されるから守らないといけないの?」

紬「うーん、どうなんだろ」

ムギちゃんは腕を組んで悩みだした。

唯「私たちには敵がいるの?」

紬「うーん、敵がいるのかしら」

ムギちゃんはムムムと唸る。

唯「守りたいってそういえばどういうこと?」

紬「今日の唯ちゃんはなんだか、大変ね」

唯「大変?」

紬「うん。心細いのかしら。答えがないと不安みたい」

唯「答えがないと不安。そうなのかな」

ムギちゃんは答えない。


紬「絶対に守りたいって言ったけど、なんというのかしら。
攻撃的な感じではなくて、あれなのよ。
そのままでいてほしいって気持ちが強いの、軽音部にとって、
私は特に」

唯「そのままでいてほしい」

紬「ええ、時間が経ったら何でも、簡単に変わってしまうから」

唯「変わることはいけないことなの?」

紬「いけないことじゃないわ。
でも、私はこのまま変わらずに5人のままでい続けたいのよ」

軽音部と聞いたけど、暗黙のうちに、
単語は違和感なく5人に移り変わった。


軽音部に入った。

ギターを買った。

コードを覚えた。

新しい曲ができた。

合宿に行った。

歳をとった。

年を越した。

学年が上がった。

あずにゃんにあった。

歳をとった。

学年が上がった。

卒業をしなくてはいけない。

この場所を去らないといけない。

マルはマルのままで転がるはずはないのに、
私たちは手を取り合って丸くなっても平坦ではいられない。

転がり続けて、止まらない。
崖の先には、ダストボックス。

誰かが告げる、さようなら。
受け入れるしかない、さようなら。

私たちの、平らな和は

誰かにとって

ただの、ゴミ。


唯「変わっていい変わると、変わっちゃいけない変わるがあるみたい」

紬「そうね。私もそれに気づいたの。つい最近まで知らなかったけど」

唯「それでもムギちゃんは変わらないで、そのままでいてほしいんだよね」

紬「ええ」

唯「変わらなくて変わってて変わる変わるはないのかな」

紬「私もそう思って探してるんだけど、ないのよね」

そう言って、ムギちゃんは寂しそうに笑った。

唯「変わっちゃったら、私たちは私たちでいられなくなるのかな?」

紬「変わらないように変わらなくちゃいけないのかもしれないわ」

唯「それは難しいね」

私たちは、崖から転がらないように和を転がすと同時に
自分たち自身も転がって、
まるで和か転がってないように見える環境の中に身を置かないといけないのかもしれなかった。

唯「ねぇ、それめんどくさくない?」

紬「正直、めんどくさい」

唯「認めるのはやいね」

紬「行動力ってそういうことだと思うのよ」

唯「なら、そんな方法探してるより私はみんなと温泉に入りたいな」

紬「それ、いいわね」

唯「えっ?」

次の日部室に行くと、
りっちゃんがポストイットで描いたマルの上の部分が少し消されて、
三本の湯気が出ていた。

ムギちゃんの仕業だな。

私たちは転がるしかないかもしれない
でも、その先で温泉につかれるのなら、転がるのも悪くないかも。

部室に入ると、ムギちゃんかお気に入りの席でじゃらんを開いていた。

唯「もしかして......温泉特集してたりとかしちゃってた?」

紬「るるぶもあるわよ」

そうして私はじゃらんを隅から隅まで見ているムギちゃんの左斜め前の席で、
るるぶを見ることになった。


部室に次に入ってきたりっちゃんはその光景とマークの上書きを見て、
「なるほど」と言ったきりそれ以上何も言わなかった。

なるほど。

どうやら、平らな和の精神は温泉マークの中に健在みたいだ。

何事も行動力。

私たちは変わっているようで、まるで変わらないバカばかりしている。


---

その日。
私は部室のドアを開けて入ってきたあずにゃんに抱きつこうとして、
澪ちゃんみたいに転んだ。

紬「唯ちゃん、受け身キレイ!」

澪「大丈夫か唯!?」

律「パンツは見えてないぞ!セーフだ唯!」

澪「パンツは今関係ないだろ」ごんごんごんごん

律「いたたたたたごめんごめんごめん」

唯「いたたた、みんなもう少し私の心配をしてよ」

グスンと鼻を鳴らして私は1人で起き上がろうとした。
そんな私の前にスッと差し出されるあずにゃんの小さな手のひら。

梓「何してるんですか、ほら、立ち上がってください」

大丈夫ですか?

と、私を無条件で心配してくれるその光景にほへぇーと釘づけになる。

転がった先には温泉はなかったし、
木の硬い感触に身体全身が癒されることはなかった。

はずなのに。

転んでしまったはずなのに。

私のへいおんな日常だったものがそこに散らばって、

容赦なくゴミになっていく。

そこにもう平らな和も温泉マークもあるはずはなくて、
あるものは変わってしまう私たちの変化でしかないはずなのに。


目の前には、

変わってしまった私に手を差し出してくれるあずにゃんがいた。

唯「私、転んじゃった」

梓「一番の特等席で見てましたよ。
結構ダイナミックでしたね。
ちょっとズペペペって滑ってませんでした?」

唯「うん。滑ったりもした」

顔を上げた私の顔を見てあずにゃんが笑う。

梓「ふふっ。鼻のとこ、擦り剥けてるじゃないですか」

唯「えっ。あ、いたっ」

触るとチリチリと鼻の頭がいたんだ。

梓「顔面から転ぶなんて、なかなかいい体験しましたね」

唯「いい体験? 転ぶことが?」

梓「少なくとも先輩に抱きつかれずに済んだので私は平和です」

唯「ほぇ」

「捨てる神あらば拾う神あずにゃんなのかもね」と言う。

あずにゃんは「なんですかそれ」って、笑った。

少し動かないでください、
と言ってあずにゃんが通学バッグから取り出した絆創膏を
私の鼻のてっぺんに貼る。

りっちゃんには「少年漫画の主人公みたいでいいな」とからかわれたし、

澪ちゃんには「落ち着きがないからそんなことになるんだ」と怒られた。

ムギちゃんは...

ムギちゃんはなんでか私を見てニヤニヤしてた。

ずっとニヤニヤしてた。

よく見たらあずにゃんも心なしかニヤニヤしていて、
というか、りっちゃんも澪ちゃんも私を見たらなんだかニヤニヤしていて。

私はその日の部活中、

私は鼻の頭がヒリヒリとして、
みんなは顔をニヤニヤとしていた。

頭にはてなマークがいっぱい転がり続けた。

家に帰って、
憂に「ただいま」と言うと
「ただいま」と言われるよりも先に
「それどうしたの」と絆創膏を指差される。

部室でのことを説明している最中も心なしか憂がニヤニヤしていた。

なんだよぉと思いながら部屋に入って制服を着替える。

鏡に映った自分の顔に「あーっ」と声をあげた。


鼻のてっぺん。

あずにゃんの絆創膏。

そこには平らな和が描かれていた。

なるほど。

あずにゃんめ。

みんながニヤニヤしていたのはこういうことだったのか。

唯「やっぱり...拾う神あずにゃんなのかも」

それからしばらく鼻の頭の擦りむきが治るまで、
私の鼻のてっぺんには平らな和が貼られ続けた。


誰かにとってはただの絆創膏のラクガキ。

オッケー認めよう。

誰かにとってはただのゴミ。

転がり続けて、ダストボックス。

だけど、違う。

私にとっては、違う。

それはりっちゃんによって、
澪ちゃんによって、
ムギちゃんによって、
あずにゃんによって、

平らな和をもたらす温泉マークになった。

だから、私は転んでも転ばないでいられる。

その先には温泉があって、それは変わり続けて変わっていくものであり続ける。

けれど、そこには敵なんていなくて、ただ私をニヤニヤと見ながらお茶をするみんながいる。

ニヤニヤされるのはちょっとムッとするけど、

「唯に貼るのは盲点だったなぁー」

と、りっちゃんがなんでかまるで別人になったように嬉しそうに笑っていたから、

全てよしとすることにした。

ここは軽音部。

ポストイットに書かれた温泉マークと
鼻の頭の平らな和に守られている場所。
そして、拾う神あずにゃんがいる場所。

私はまたあずにゃんに抱きつこうとして転んだけど、転ばなかった。

梓「ほら、唯先輩」

と、すぐさま手のひらが差し出される。

私は転びながら、
そこに居続けて、
でも、だからこそ、転ばないでいつづけられるみたいだ。

おわり

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