とある後日の幻想創話(イマジンストーリー)4 (859)

※注意
>>1は文才無し。ぐだぐだ注意
・ジャンルは禁書×東方。苦手な方はブラウザバック
・『幻想入り』および『学園都市入り』ではない。言うなれば禁書世界をベースにした世界観クロス
 具体的に言えば、東方キャラが禁書世界の住民として出てくる
・独自解釈、キャラ崩壊、設定改変が多数。オリキャラもたまに出る
 東方キャラについては、もはや別物と言ってもいいほど改変される可能性が大
・時系列は禁書本編終了後。本編は開始から一年で完結している設定
・設定の反映は旧約まで。それ以降はパラレルワールド
 新約の設定は>>1の都合に合わせて反映したりしなかったり
・基本日曜更新。ただし不定期になることも稀によくある


過去スレ
とある後日の幻想創話(イマジンストーリー)
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パチュリー「P P I W F A R O W S(つがいが吹き散らす熱情は白銀の環を成し)――――!?
      けほっ、ゲホッ! ゲホッ!」



突然パチュリーは詠唱の途中で大きく咳き込み、その場に蹲る。
しかもそのまま収まる様子はなく、何度も何度も咳を繰り返し、満足に呼吸をすることすらままならない。
時折ゼー、ゼーと喘鳴を響かせながら、咳の音はやがて鋭い音になっていった。


気管支喘息。
アレルギー、細菌、ウイルス等の原因による気管支の炎症が慢性化することにより、
発作的に咳や息切れ、痰等の症状を複合的にそして激しく発現する呼吸器疾患の一つ。
パチュリーが患う持病であり、今も尚も体を蝕み続ける病魔。
彼女に薬漬けの生活を強要し、魔術を満足に扱えなくしている原因。


気管支喘息の発作が起こる引き金は、自動車の排ガスや煙草と言った粉塵や、急激な気温変化、そしてストレスだ。
『戦場』という粉塵が飛び交い、肉体を酷使し、生死の駆け引きをする環境に晒されれば、発作が起こっても不思議ではない。
しかし今の彼女にとって、『この場で発作が起こる』という事実自体が不可解極まりないことだった。


パチュリー(何でこんな時に……薬はまだ効いてるはずなのにっ!)



パチュリーはこの公園に来る前に、気管支喘息の発作を抑える丸薬を飲んでいる。


発作が起こった時点で呼吸すら出来なくなるのだ。
魔術に『詠唱』と言うプロセスが必要とされる以上、発作が起こることは『戦闘不能』を意味し、
それはそのまま『死』という最悪の結末に直結することになる。


魔術師である彼女にとってはあまりにも重すぎる枷。
その枷を出来るだけ軽くするために、彼女は発作を抑える薬を毎日服用している。
それは彼女の亡き父親、ロータス・ノーレッジが残した研究資料から生み出されたものだ。
パチュリーは自身の侍女とも言えるリトルの手を借り、それを制作していた。


その丸薬を飲んでいる以上、発作が起こることはあり得ない。
確かに『症状を抑える』ものでしかない以上、絶対に起こらないとは言えないのだが、
それを加味しても確率かなりゼロに近いはず……パチュリーはそう判断していた。
第一、そうでなければこの場にいない。何時起こるかもわからない発作に怯えながら戦闘など、出来るわけがない。
それであればもっと他の、然るべき対策を立ててから事に望んでいる。


だからこそ彼女は、この場で発作が起こると全く考えていなかった。


レミリア「午後10時21分。 予定通りね」

パチュリー「かひゅっ! けひゅっ! 何、を……?」



息も絶え絶えなパチュリーを見下げながらレミリアはそう口にする。
当のパチュリーには、その言葉の真意が全く理解できない。
今の時刻が何を意味するのか。一体何が『予定通り』なのか。


レミリアの言葉の脈略のなさ。
突然の喘息による酸欠。
その二つがパチュリーの思考を混乱に陥れる。


そんな、まるで何も理解できないと言うような顔をしている彼女を見て、レミリアは諭すように語りかける。


レミリア「別に、何のことはないわ。 『この状況は私が見た通りだった』というだけの話よ」

レミリア「私が持つ超能力……貴方なら聞いているはずよね?」

パチュリー「ヒュー、ヒュー……っ、『運命観察』……!」

レミリア「正解。 その通りよ」



『運命観察』。
レミリアが学園都市の超能力開発を受けて会得した超能力。
未来に於いて必ず訪れる、避けようのない『運命』を見る能力である。


レミリアの超能力については、パチュリーも土御門から聞き及んでいた。
もしその超能力が戦闘に用いられる類のものであった場合、その対策も必要になるからである。
しかし『運命観察』は『予知能力』の一種であり、戦闘で使えるような代物ではなかったため、
今に至るまで思考の埒外にある事柄であったのだが。


レミリア「さっき私は『貴方たちを迎え撃つために吸血鬼へと体を造り替えた』と言ったわね?」

レミリア「実はね、本格的に準備を始めたのはつい最近……大体1ヶ月前からなの」

レミリア「それ以前は刻印どころか、魔術なんて一切使ったことはなかったわ。 下手に騒ぎ立てられたら面倒だし……」

レミリア「第一、貴方達イギリス清教のことを考えたら……ね?」

パチュリー「……!?」

レミリア「貴方も疑問に思ったはず。 『イギリス清教から逃れられたはずのレミリア・スカーレットが、
     何故わざわざ自身の存在を曝け出すことをしたのか』って」

レミリア「その答えは私の能力……『運命観察』で『貴方達が学園都市に来て私と対峙する未来を見たから』よ」

レミリア「私が見た未来は『どんなことがあろうとも』覆すことはできない。 いくら妨害しても、
     要因を排除しても、それを嘲笑うかのように『運命』は忍び寄る」

レミリア「だからその未来を見た時点で、貴方と私が出会うことは必然になったの」

レミリア「そしてそれは、私の存在がイギリス清教に察知されることを意味する……」

レミリア「だから私は刻印を使った。 発見される時期が早まるリスクを踏まえた上でね」


『運命観察』で見た未来は覆すことはできない。
つまり、どんな対策を講じても未来の訪れを阻止することはできず、精々その時期を遅らせることしかできない。
ならば阻止することは諦め、その未来が訪れた時に起こる被害を最小限に抑えることに注力すべきであることは明白である。


だからこそレミリアは、イギリス清教に自分のことが見つかる時期が早まることを承知の上で、魔術を使うことに踏み切ったのだ。



レミリア「と、まぁ私の能力の解説はここまでにして、本題はここから」

レミリア「……昨日の夜、私が寝ているときに勝手に能力が発動したの」

レミリア「その時見た未来は今日の戦い……始まりから結末までの一部始終だったわ」

レミリア「どうなったと思う? ……って聞くこと自体、意味無いことなんだけど」

パチュリー「なるほど、ね。 最初から、茶番だったということ……」


レミリアはこの戦いの始終を、能力を使って見ている。


つまり、彼女は知っていたのだ。パチュリーが戦いの最中において、気管支喘息の発作を起こすことを。
だからパチュリーが呪文を詠唱しているときに何もしなかったのだ。



パチュリー「ってことは、何? 戦いの間……必死になってる私を、心の中でずっと嘲笑ってたの?」

レミリア「そんなわけないわ。 貴方は私に向かって『魔法名』を名乗った」

レミリア「私は持ってないけど、それが何を意味するのかは知っている」

レミリア「その想いを無下にするなんて……そんな低俗なこと、するわけがないでしょう?」

パチュリー「そう……」

レミリア「さて、と。 大分脆くなったかしら?」


レミリアはパチュリーを守るエメラルドの石盤に手を触れ、強く力を込めて押す。
すると、壊れるはずのない石板にいとも容易く罅が入り、そして砕け散った。


もはやパチュリーには、石板を維持するだけの魔力が残されていないのだ。
ただでさえ枯渇寸前だったところに、加えて喘息の発作が起こったのである。
彼女の体力は既に限界。魔力の精製どころか立ち上がることすらままならない。
敵を目の前にして、抵抗する素振りすら出来ない状態だった。



レミリア「……」ガシッ!

パチュリー「ぐ……」



レミリアはパチュリーの首を掴むと、そのまま片手で持ち上げる。
レミリアの身長がパチュリーのそれの半分しかないために、吊り下げられるような状態にはならなかった。
俯せの体勢から下半身の部分だけを地面に引きずられ、体をくの字に折り曲げられる。
腰に大きな負担がかかり、鈍痛がパチュリーの頭を突き刺した。


パチュリー「か、ぁ……」

レミリア「ふふふ……貴方はどんな死に方がお望みかしら?」

レミリア「絞殺? 刺殺? それとも、ひと思いに頭を潰して欲しい?」

パチュリー「あ゛っぐ……」



レミリアは苦しそうな顔をしているパチュリーを紅の目で見つめながら、残虐な選択肢を提示する。


それに対し、パチュリーから返ってくるのはくぐもった喘ぎ声のみ。
喉の部分を強く捕まれているのだ。喋ろうとする以前に、満足に呼吸することも出来ない。
このままでは、彼女が酸欠で気絶するのも時間の問題。
レミリアが首を離さない限り、彼女の返答を聴くことは無理だろう。



レミリア「……」グッ



だが、レミリアは手を離さない。
パチュリーが話せる状況でないことを理解していないわけでない。そんなことは重々承知している。
そもそも彼女には、最初からパチュリーの返答を聴くつもりなど無いのだ。


―――――パチュリーの最後は、既に決まっているのだから。


レミリア「……ま、最初から決まってるんだけどね」ブンッ!

パチュリー「あぅっ!」ドサッ!



レミリアは気怠そうな声でそう言うと、パチュリーを無造作に投げ捨てる。
地面に叩きつけられたパチュリーはそのまま地面を転がり、俯せの状態で停止した。
そしてレミリアは、力なく立ち上がろうとする彼女の頭をその足で踏みつける。



ガッ!



パチュリー「っ……!」

レミリア「私が見たのは『貴方が喘息の発作を起こす』ことだけじゃないわ」

レミリア「もっとその先……『この戦いの結末』までが能力で見た範囲よ」

レミリア「……パチュリー。 貴方はこの戦いの結末がどうなるのか……知りたかったりする?」

パチュリー「けほっ……どう、なるのかしら?」

レミリア「貴方は死ぬわ。 死因は頭蓋骨陥没。 正確には粉砕されるんだけど」

レミリア「私の足によって貴方の頭は粉々に砕かれるの。 たっぷり詰まったピンク色の脳を飛び散らせてね」

レミリア「それがこの戦いの結末。 私が見た避けようのない『運命』よ」


レミリアから告げられた死の宣告。『パチュリーはレミリアの手で惨殺される』。


もしもそれが彼女のハッタリなどではないとしたら。
本当に超能力を使って見た結末なのだとするなら。


パチュリーがこの場を脱して生き残る確率はゼロ。それは変えようのない終着点。
何か機転が効いた発想が頭の中に突如閃くなどといったことはないし、
自身の仲間――――土御門元春がこの場に現れたりすることも無い。


『非情なる運命』が、今まさに彼女の命を奪い去ろうとしていた。


パチュリー「……」



しかしそれを目の前にして、パチュリーの様子には何の変化も無かった。
絶望に震えるわけでもなく、現実を否定する暴言を吐くわけでもない。
少しもがく様に、体を小刻みに動かしてはいるが、大きく狼狽する素振りは無かった。


その様子を見てレミリアは、不思議そうな目で足元の女を見つめる。



レミリア「……取り乱さないわね。 予想でもしてたのかしら? 少しは足掻くものだと思っていたのだけれど」

パチュリー「……この貴方に会うと決めた時から、ある程度覚悟はしていた」

パチュリー「元から穏便に済むとは思っていなかったし、十中八九殺し合いになることはわかっていたわ」

パチュリー「怖くないってわけじゃないけど、死を前にして泣き喚くような無様は晒さないつもりよ」

レミリア「なるほど。 イギリス清教の魔術師としての最低限のことは心得ている、と。 御大層なことね」


レミリアは半ば呆れたようにそう口にする。


パチュリー、そして『必要悪の教会』。
彼らはイギリス清教に敵対する存在を排除するために、自ら汚れ仕事を請け負う者達。
そして、レミリアとフランドールの両親を殺した者達。
そのような存在を前にして、レミリアが抱いている感情は実に淡白なもの。
彼女の心に中にあるのは『怒り』や『憎悪』ではなく、『哀れみ』の感情だった。


『死を恐れない勇気』。それは確かに尊いものなのかもしれない。
俗に『英雄』と呼ばれる者達は須らくその心を持ち、数多の困難を打ち破って来た。
本能の克服。それを成す困難さ故に、彼等は人々から賞賛され、崇拝される。


だが、それは本当に称えられるべきものなのだろうか?


レミリア「でも、そんなんじゃ駄目ね。 死ぬことを怖がらないなんて、生物として失格よ」



『死への恐れ』を捨て去ると言うこと。それは、『自ら死に近づく』ことに他ならない。
それはある意味、生物として最も重要なものを失っているのではないか。
もしそのようなことを躊躇せずにできる人間がいるとしたら、その者は正しく『狂人』と言って差し支えない。


そんなものは真っ平御免だ。故にレミリアは『死を恐れる』。
しかし勘違いしないで欲しいのは、彼女は『死から逃げている』というわけではないということだ。
もしそうであれば、彼女は最初からこの場に、戦場にはいないはずである。
『死を恐れる』という言葉の意味は、『甘んじて死を受け入れない』ということ。
どんなに絶体絶命の状況に瀕したとしても、生きることを諦めずに最後まで活路を模索する。


悪あがきだろうと何だろうと構わない。その姿を鼻で笑われようと気にする必要はない。
生きるために足掻くことの何が悪い。それは命あるものであれば、行って当たり前の行為である。


レミリア「まだ終わってない。 貴方が死ぬ時刻は定まっていない。 私が見ていないから」

レミリア「だから、貴方に足掻く意志があるのなら、少しは延命できるかもしれないわよ?」

パチュリー「……」

レミリア「……聞こえてるのかしら?」

パチュリー「……止めを刺さないの? 私の頭を潰せばこの戦いは終わるのに」

パチュリー「私は貴方にとっての親の仇で、貴方たちの命を狙う人間。 遠慮する理由なんて無い筈……」

パチュリー「それなのに貴方は、こうして無駄話をしている。 それは何故?」

パチュリー「まだ私と殺し合いをしたいから? それとも……『私を殺すことに躊躇でもしているのかしら?』」

レミリア「……」グッ!

パチュリー「うっ……」



レミリアは無言のまま足に力を込め、より強く地面に頭を押しつけられたパチュリーが苦しそうに呻く。


レミリアの表情は真顔。その顔からは彼女の心情を量ることはできない。
いや、僅かにではあるが動揺と腹立ちのようなものが垣間見られた。


レミリア「……言いたいことはそれだけ?」

パチュリー「……ええ」

レミリア「抵抗するつもりもないのね?」

パチュリー「そうしたいのは山々なんだけど、体が動かないわ」

パチュリー「もうまともに詠唱できないし、何より体力が限界……といったところかしらね」

パチュリー「そもそも貴方に体を抑えられている時点で、抵抗なんて無意味でしょう?」

パチュリー「だからもう良いわ。 ……貴方を止められなかったのが心残りだけどね」

レミリア「……」

パチュリー「最後にお願いなんだけど、やるなら一気にやってくれないかしら? 死ぬなら楽に死にたいし」

レミリア「わかったわ。 お望み通り、ひと思いにやってあげる」


レミリアはパチュリーの願いをいとも簡単に承諾した。
最早これ以上の問答は無意味だと判断したのだろう。


彼女は僅かな失望を顔に除かせながら『敗者(パチュリー)』を見下ろす。
それはパチュリー最後まで抗うことを諦めてしまったこと対するものなのだろうか。



レミリア「貴方なら打ち破れると思ってたのだけれど……まぁいいわ」

レミリア「さようなら、パチュリー・ノーレッジ。 楽しかったわよ」



レミリアはそう呟くと、パチュリーの頭に乗せている足に力を込める。


そして――――











「お、ああああぁああぁぁぁぁあぁあッッッ!!!」



咆哮が、辺り一帯に轟いた。










今日はここまで
質問・感想があればどうぞ

これから投下を開始します


激情が乗せられた声の波動。
レミリアでもパチュリーでもない、何者かから発せられたそれは、
瞬く間に公園の敷地内を伝播し、大気を大きく揺さぶる。
普通の人間であれば、それを聞いただけで思わず足が竦んでしまいそうな声量。
突然耳を貫いたそれに対し、レミリアも力を込めかけていた足が一瞬金縛りにあったかのように硬直した。



「っああぁぁぁぁああぁぁぁッッッ!!!」



さらに響く大声。その声と共に、何者かが全力で疾走する音が聞こえてきた。
その音は明らかに、レミリアの下に向かって近づいてきている。



レミリア「――――」



それを理解したレミリアが、咄嗟にそちらの方向に目を向けたその瞬間。
誰かの剛拳が、彼女の頬を捕らえた。


バキィッッッ!!!



レミリア「がッ……!?」



不意打ちで顔を殴られたレミリアは、そのまま受け身を取ることも出来ないまま吹き飛ばされる。
彼女は5メートルほど宙を舞った後、地面に勢いよく叩きつけられた。
しかし流石というべきか、彼女はそのまま地べたを無様に転がることなく、体制を立て直して起き上がる。


殴られた頬に鈍痛が走り、口の中に血の味が広がる。
吸血鬼の体を手に入れる上で血の味は文字通り散々舐め尽くし、今となっては慣れてしまったはずのものなのだが、
やはり自分の血の味に限ってはそうではなく、何とも言えない不快感が沸々と心に沸き上がる。
おそらく自分の身が傷ついているという事実が、その感情を発露させているのだろう。



レミリア「くっ!」



当然のこの場に闖入者に対し、鋭い視線を投げかける。


そこにはレミリアを殴った時の姿勢――――右腕を大きく振り下ろした状態のままこちらを睨み返す少年の姿。
全力疾走をした名残か、息を荒く吐き出しながら肩で呼吸をしている。


身長は大体レミリアの頭頂部が腹部に届くくらい。およそ170センチメートルといったところか。
格好は白のYシャツに紺のズボンと、何とも特徴のない服装をしており、一般的な高校生のようにも見える。
しかし体の肉付きはかなり良く、どうやら肉体派のようだ。
二の腕に鍛えられた筋肉の隆起が浮かび上がっているのが目視できる。
レミリアをノーバウンドで数メートル吹き飛ばす辺り、腕力は相当なものと伺えた。


顔はお世辞にも美男子とは言えるものではない。精々中庸といった所か。
だが相手を射貫くような鋭い目が、その男の印象を強烈に脳裏に焼き付ける。
烏の羽のような艶のある黒髪はヘアワックスで固められており、その形は大きな毬栗を連想させた。



レミリア「お前は……誰だ?」



レミリアはその少年に何者なのかを問うた。
そうした理由はその男とはまるで面識が無く、初対面であったこともあるが、
だがそれ以上に『彼がこの場に存在している』という事実に衝撃を受け、故に正体を知ろうとしたのだ。


この公園はパチュリーが施した『人払い』により、一般の人間は近寄るどころか注意すら向けられないようになっている。
公園に正面から入ることが出来るのは、術者本人が立ち入りを許可した人間だけだ。
それ以外の人間は解呪の魔術を用いて無理矢理打ち破るしか方法がない。


ならばこの男は魔術を扱える魔術師なのか?
その問いに答えるならば、それは『否』と断言出来るだろう。


その判断の根拠は大きく分けて二つ。
一つ目は、普通の魔術師であれば『拳で殴り飛ばす』などという直接的な攻撃手段をとるはずがないという点。
もちろん、魔術師全てが魔術を飛び道具として戦う者達ばかりというわけではない。
魔術と武術を併用し、遠近両方に対応できる者も当然ながら存在する。
だがそれは、あくまでも『武器を用いて戦っている』に過ぎず、
己の肉体、つまりは自分の足で走り、自分の拳で殴り合いをする様な者は皆無といっても良い。
仕事柄そう言った技術を身につける魔術師もいるだろうが、それはかなりの少数派だろう。


二つ目は、彼からは魔術を使っているような様子が見受けられない点。
レミリアの顔を殴り飛ばした時のパンチの威力は、確かにかなりものではあるが、
それでも通常の人間がもつ腕力で生み出すことが出来る範囲内に過ぎなかった。


もしも仮に己の拳のみで戦場を渡り歩くような超肉体派の魔術師がいたとする。
当然ながらその者は、敵の猛攻を凌ぐために自身の肉体を魔術で補強するだろう。
そうした場合、目にも止まらぬ速さで動き回り、巨岩をいとも簡単に粉砕するくらいの身体能力を付与するはずだ。
接近戦を挑む以上、それくらいのことはしなければ渡り合うのは難しいと言える。
そして、そんな人間の拳に顔を殴り飛ばされたとしたらどうなるか。
ほぼ間違いなく頭部が粉砕するか、首元から千切れるに違いない。運が良くても顔面陥没は必至である。


だが目の前の少年に殴り飛ばされた時に、そんな凄惨な状態になることはなかった。
己が持つ吸血鬼の肉体の御陰かとも思ったが、この体は筋力については優れているものの、
耐久性に関して言えば人間のそれとほぼ変わらない。
多少の傷はものの数分で傷跡残さず治るが、頑丈さという点で言えばそれほどでもなく、
ナイフで切られれば傷は付くし、打撲や骨折も当然起こりうる。


人と何ら変わらない耐久力であるレミリアの顔を、痣が出来る程度しか傷つけることが出来ない。
明確な敵意を持っていて、且つあれだけの気迫が籠もっていた以上、魔術を使わず手加減したということも考えにくい。
つまり、あの拳の威力がこの少年の全力であり、魔術を使っていない素の力であると推察した。


「……」

レミリア「……答えなさい。 貴方は誰?」



先ほどの問いに無言で睨みつけるままである少年に対し、レミリアは苛立ちを隠さずに再び問う。


魔術師でもないのにこの場に現れた少年。
何から何まで異質すぎるこの人間を前に、『未知への不安』がレミリアの心に芽生え、
それが『焦燥』という目に見える形となって表面化していた。
彼女にとってしてみれば、この男の介入は全くの不測の事態。
単純に予想していなかっただけではなく、『自身が見た未来にも確認できなかった真のイレギュラー』だった。



パチュリー「っ、貴方……何故……?」

「大丈夫かパチュリー? 助けに来た」



足下に倒れていたパチュリーが弱々しく少年の顔を見上げる。
それに対して少年は振り向くことはなく、しかし足下の女性を安心させるかのように、力強い声で返答した。
儚げに地面に跪く女を守るように、その身一つを壁として立ちふさがる様は、まるで姫を守護する騎士のよう。
何の武具を身につけていない丸腰の状態ではあるが、その体から漲る闘志は姫を守るのに相応しい。



レミリア「……」

「……」



レミリアと少年の視線が交差する。


片方には漠然たる疑念が。もう片方は確固たる決意がそれぞれ宿っている。
言葉が交わされることもなく、緊張の糸が限界まで張り詰める。


そして短くも長い時間が経ち、緊張の糸がついに切れるかと思われたが――――



パチュリー「ゲホッ、けほっ!」



パチュリーが体を起こしながら大きく咳き込んだ。胸を押さえながら苦しそうに体を震わせている。
喘息は少し収まったようだが、やはりまだ引きずっているらしい。
時折、掠れた呼吸が微かに周囲に響く。


少年「! おい、無理すんな……」



その声を聞いた少年は、そこで初めてレミリアから視線を外す。周囲の空気が少しだけ軽くなった。
彼は本当に心配そうな表情を浮かべて彼女の側に屈む。



パチュリー「コホッ……大丈夫よ、これくらい。 ……それよりも、何故貴方がここに?」

パチュリー「私は関わらないようにしっかり忠告したはず。 それを反故するなんて……」

パチュリー「貴方、自分が今何しているのかわかっているの? ――――上条当麻」

上条「……」



パチュリーは膝をついたまま、氷のような視線で少年――――上条当麻を睨みつける。
その視線は明確な怒りを込めたものであり、その目を見た者に背筋に氷を押しつけられたかのような、
ヒヤリとした錯覚を覚えさせられる程の眼力である。


一方、当麻はパチュリーの視線を前にして、自嘲したような笑みを浮かべる。
その顔は諦観と達観を合わせたような、少し複雑な表情をしていた。


上条「あんた、レミリアとフランをイギリスに連行するつもりなんだろ? 吸血鬼を創る魔術を広めないために」

パチュリー「! 貴方、何故それを……!」

上条「ステイルから全部聞いたよ。 あいつが素直に教えてくれたのは、今考えるとちょっと意外だけどな」

上条「あんたや土御門が俺達に作戦を邪魔させないように、本当のことを黙ってたってことは理解してる」

上条「確かにそれは世界の危機を考えれば正しいことだし、必要なことだってことはわかるさ」

上条「でも、それだとインデックスとフランドールは絶対に不幸なことになっちまう。 それだけはどうしても嫌なんだ」

上条「誰かが不幸になって得られる平和なんて俺はいらない。 あんたから罵倒を浴びせられても、これだけは絶対に譲れない」

上条「俺が、俺達が誰も悲しまないハッピーエンドってのを迎えられるようにしてやる」


パチュリーはその言葉を聞き、思わず口を閉ざした。


『誰も悲しまないハッピーエンドを迎えられるようにする』。
それが意味する所が何なのかを理解できないような彼女ではない。
つまるところ当麻は、レミリアもフランドールもイギリスに連行させず、
尚且つ吸血鬼を製造する魔術も跡を残さず破壊すると言っているのだ。
パチュリーと土御門に課せられた任務を無意味なものしかねない発言である。


では彼の考えに対して、パチュリー直ぐさま反論を並べ立てたのかと言えばそうではない。
パチュリー自身、任務の遂行に当たって起きる結末――――インデックスとフランドールの仲が引き裂かれることに対し、
何の感情も抱いていないというわけではないからだ。


友人との永劫の別れ。
幼少の頃に於いて、彼女はスカーレット家の滅亡――――レミリアとフランドールの死を理解した時、
父親の死も相まって筆舌に尽くしがたい虚無感というものに襲われた。
さらに追い打ちをかけるように母親が病で死んでしまい、その結果彼女は後見人となった父親の友人の言葉に耳も貸さず、
一時期は自室こもって読書に没頭するようになってしまった。
その1年後に何とか持ち直すことは出来たが、今でも当時のことは忘れていない。


そんな経験をしたことがある彼女だからこそ、当麻の言い分対して即座に反論できなかったのである、


パチュリー「……無理よ。 そんなことなんて、出来るわけがない」



そうは言っても、彼の言葉をそのまま鵜呑みにするわけがない。
仕事に私情を挟まないというのも一つあるが、そもそも彼の言葉は説得力に欠ける。


確かに、彼が求める『全員がハッピーエンドを迎える』という結末は素晴らしい。
それに対して異論を挟むつもりはない。全て丸く収まるのなら、それに越したことはないのだから。


しかし、彼はそれを『願望』という形でただ口にしただけである。
『どうやってそれを叶えるか』という手段が明らかでないのだ。
それでは首肯して同意することなど到底できない。


上条「できるさ」

パチュリー「――――」



だが彼はそれを知ってか知らずか、力強い口調で『できる』と断言した。


それを聞いたパチュリーは、思わず目を丸くする。
一体どこからそんな自信が湧いてくるのか、彼女には不思議でならない。
本来であれば、彼の言い分など直ぐさま妄言として切って捨てているはずのこと。
しかしそれが出来なかったのは、彼の目から絶対的な自信というものが垣間見えたからだ。



パチュリー「何か策があるの?」

上条「ある。 しかも土御門のお墨付きだ」

パチュリー「……彼にも会ったのね」

上条「あぁ。 今あいつには用事を頼んでる。 インデックスは今あいつ一緒にいる。 フランもだ」

パチュリー「一体何が起きているのか、是非ともご教授願いたいのだけれど――――」



現状を聞こうとした彼女だったが、それを知ることは叶わなかった。
何故ならばその言葉の続きを遮るようにして、突然怒りの叫びが二人を襲ったからだ。


レミリア「貴様ァッ!!! フランに……あの子に何をした!?」

パチュリー「ッ!?」

上条「……」



当麻が振り返ると、そこには憤怒の表情をしたレミリアの姿。


いや、憤怒などという生易しい物では無い。
その顔はまさに『鬼の表情』であり、その視線だけで人を殺せそうな勢いだ。
体からは『真紅のオーラ』と錯覚してしまうほどの怨嗟があふれ出している。


彼女が激怒している理由は言わずもがな、『フランがインデックスと一緒にいる』と聞いたからだ。
インデックスはイギリス清教のシスターである。今レミリアが敵対している組織の人間だ。
その清教の人間がフランドールと一緒にいる。しかも『土御門』という名の、
明らかに清教の関係者と考えられるもう一人の人間と一緒に。


それらから連想できることは何か。おそらく、万人が口を揃えてこう言うだろう。
『フランドールはイギリス清教に捕らえられたのだ』と。


レミリアはここに来て、目の前にいる謎の少年を『敵』として認識した。
最早彼が何者であろうと関係ない。そんな些細事は、彼女の妹のこと比べれば塵芥に等しい問題だ。



上条「……」



怒れる吸血鬼を前にして、当麻はゆっくりと立ち上がり彼女を見据えた。


その目からは、怯えの感情は全く見受けられない。
目を逸らすことなく、相手と同等かそれ以上の強い眼力で見つめる。
そして彼は、微塵も臆することなく堂々とこう宣言した。










「初めまして、だな。 俺の名は上条当麻。 ――――レミリア・スカーレット、あんたを止めに来た」

今日はここまで


公式でJKサイキッカーktkr!
電波塔も引き倒すあのパワーならレベル4間違い無し!
妄想が捗りますね


質問・感想があればどうぞ

残念ながら、上条さんの出番はまだなんじゃ


これから投下を開始します






――――7月28日 PM9:42






土御門「予定時刻まで後20分……」




時間は、少しばかり遡る。


人々が自身の家で就寝の支度をし始め、人が出歩かなくなる時刻。
閑静な住宅街の一角。家屋と家屋の間にある狭い小道。
その薄暗がりの中で、土御門は自身の腕時計を見つめながら呟いた。


彼が居る場所は学園都市第14学区。
海外から学園都市に留学してきた学生達が住まう、俗に『外人村』と呼ばれる区画である。
しかし『村』と言うにはかなりの広さを誇り、アジア圏、中東圏、西欧圏といった形で、
区画が文化圏毎に更に細分化されている。
その集まる文化圏の多様性を見れば、世界中からの留学者がどれほど多いのか、容易に察することが出来るだろう。


その様々な文化が混在する第14学区に於いて、土御門が今居る区画は欧米圏。
中でも特に欧州の色が濃い場所であり、且つ学生ではなく大人達が多く住む区画である。
建物は煉瓦を中心とした石材を用いて建築された家屋が殆どであり、
立派なものになると意匠を凝らした鉄柵に、更にはこぢんまりとした庭園が付属したものまで存在する。
無論、土地面積が限られる学園都市の住宅事情を考えると、そういった豪勢な家屋は数少ない。
そのような家屋に住めるのは、ある一定の地位を確立した人間に限られる。


土御門(人影も疎らになってきた。 これなら、周囲の人間に気づかれずに行動できそうだ)

土御門(後は『標的』出掛けるのを待つだけだが……)



生粋の日本人であるはずの彼が、何故このような場所にいるのか。
その理由は単純、『仕事』のためだ。ただし、その『仕事』はかなり物騒なものだが。


イギリス清教から彼に下された任務は『吸血鬼製造の魔術の抹消』である。
その任務を遂行するにあたって、彼が今成すべき仕事。
それは魔術を保持しているであろう人物――――レミリア・スカーレットの妹、フランドール・スカーレットを捕縛することだ。
姉の対処は戦力的に上であるパチュリーが担当し、土御門は比較的捕縛が簡単と思われる妹の対処をすることになっていた。


どうしてそのような、戦力を分散するような作戦にしたのか。
それは姉のレミリアが、件の魔術を用いて吸血鬼化している可能性があるからである。
確証があるわけではない。しかし、その予想が現実のものとなった場合、土御門では対処することが出来ず、
パチュリーとコンビを組んでもただの足手まといになってしまうからだ。


彼は魔術を使うことが出来ない。
正確にはそうではないが、使う度に文字通り『身を削る』ことになる。
敵と面向かった状況で血反吐を吐きながら戦うのは、どう考えても無謀だ。


ならば、魔術ではなく他の手段――――体術や拳銃ならば役に立てるかと言えば、そうでもない。
確かに、彼の体術は容易に人が殺せるほどの力量であり、拳銃の腕も一流である。
それは幼い頃より行ってきたスパイの経験と、学園都市の暗部に所属していた頃の経験により培われたもの。
命の遣り取りが日常的に行われている世界において、絶対に生き延びるために会得した技術の数々だ。
そこらのチンピラ程度であれば、多人数であっても苦もなく制圧できると彼は自負している。


しかしそれらの技が通用するのは、あくまでも『普通の人間』が相手だった場合のみ。
人外である吸血鬼にそれがどれだけ通用するというのかわからないが、
それほど有利には働かないであろうことだけは間違いなかった。



土御門(だからオレが、対処が容易なレミリアの妹を担当し、パチュリーは一人でレミリアと対峙することになった)

土御門(『最善の策』って訳じゃないが、少なくとも現状で考えられる中で最もマシな策だろうな)

土御門(不安があるとすれば、吸血鬼の情報が少なすぎることと、パチュリーの体調か……)


土御門(吸血鬼の情報は直接会ってみない限りは知りようがないから仕方ないとして、
    やはり最も懸念すべきはパチュリーの持病だな)

土御門(薬で抑えるとは言っていたが、万が一のこともある)

土御門(手っ取り早く妹を捕まえた上で脅しをかけて、戦闘を中断させた方が良さそうだ)



吸血鬼の力を手に入れたであろうレミリアを、正面から相手して勝利を収めることは困難である。
ならば、戦うことなく相手を御することが出来る策を用意すればいい。
例えば、彼女のアキレス腱である存在――――フランドールを人質にして服従させるといったように。


『人質を取る』という作戦は、普通に見れば卑劣極まりないものなのかもしれない。
しかし戦いに於いて、相手の弱点を突くのは至極当然のことである。
確実に勝利を手にしたいのであれば、一々手段など選んではいられないのだ。


土御門(オレが『標的』の妹を首尾良く捕まえることが出来れば、それだけ手間を省くことが出来る)

土御門(『標的』には不確定要素が多すぎるからな。 これが一番確実な方法だろう)

土御門(無論、人質を無視するケースも考えられるが……それは無いと言い切れるな)

土御門(奴の周辺を洗ってみたが、周囲の人間からはかなりの好印象を持たれている)

土御門(人格にそれほど難があるわけでも無し、人並みの倫理観は兼ね備えているはず……)

土御門(たった一人の身内を見殺しにするような、薄情な人間じゃないことは確かだ)

土御門(こっちとしてはかなり好都合なことだがな……)


レミリアがそれなりに真っ当な性格をしているという事実は、土御門にとって朗報であった。


彼女がフランドールに情を抱いている。
つまりそれは、フランドールは人質として機能するということである。
もしも彼女が人質を意にも介さないような冷淡な人間であったのならば、この作戦は成り立たない。
人の情につけ込む。卑劣ではあるが、だからこそ強力な策となりうるのだ。


土御門(さて、そろそろ出てきてもおかしくはないんだが……)



土御門は物陰からレミリア・スカーレットが住まう『家』を睨む。
いや、『館』と表現した方が正しいだろうか。周囲にある一般的な家屋よりも二回り以上も大きい。
土地面積が逼迫している学園都市の住宅事情を考えると、その敷地の広さは異常である。


しかしそれ以上に、圧倒的な存在感を放っているのが『館の色』だろう。
ここ一帯に建てられている建物は、基本的に灰色と茶色を基調としており、比較的に落ち着いた雰囲気のものが大半だ。
ところがスカーレットの館は外壁、屋根、窓の枠に至るまで全てが、その名の通り『紅』で統一されている。
しかも普通の『紅』ではなく、少々黒ずんだ、もっとわかりやすく表現するならば『静脈の血液』のような暗赤色だ。


塗装をする際に人間の生き血をそのまま用いたかのような――――
常識的に考えればあり得るはずがないのだが、今回は事情が事情なだけに、そんな考えを抱いてしまう。
『吸血鬼が住む』というだけで、そこには恐ろしい何かがあるような錯覚に囚われてしまうのだ。
それだけ吸血鬼という存在は、『強大な怪物』の代名詞として人々に認知されているということなのだろう。


土御門(下調べの段階である程度知ってはいたが……予想以上に大きな建物だな)

土御門(しかも目に毒なくらい真っ赤だな。 『標的』の趣味なのか?)

土御門(赤色に対して固執するようになった? 吸血鬼化の影響か? 推測の域を出ないな)

土御門(どちらにせよ、この敷地から妹を見つけ出すのは少々骨が折れそうだ。 何かおびき寄せる方法があれば良いんだが……)



ギィ……



土御門が思案していると、どこか遠くから僅かに木が軋む音が聞こえてくる。
音がした方向はレミリアが住む紅の館。その玄関の木製の扉が開かれようとしていた。



土御門(……来たか)



土御門はその様子を、物陰で姿を隠しながら注意深く観察する。
やがて館の扉が開け放たれると、中から一人の少女が悠然と姿を現した。


桃色をベースとして、所々にフリルが付いた可愛らしいスカートを着込み、
青みがかっている銀髪の頭には服と同じ色のナイトキャップ、そして足には紅色のブーツを履いている。
中世の貴族の娘のような出で立ちであり、現代社会においては奇天烈としか言い様がない。
しかし背後の西欧色が前面に強く押し出されている建造物が、その少女の姿を違和感のないものに仕立て上げていた。



レミリア「……」



その少女――――レミリア・スカーレットは静かに玄関の扉を閉めると、
出掛ける挨拶もせずに無言のまま、軽い足取りで石の階段を下りた。
淡い月光に晒されたその姿は何処か神秘的であり、同時に妖しい雰囲気を醸し出している。
その光景は、一枚の絵画に納められると思える程様になっていた。



土御門(指定した時刻まで後10分……ここから公園まで、徒歩で丁度辿り着く時間か)

土御門(怖じ気づいて出てこないのかと思ったが、その心配はいらなかったか)



そんなことを考えている土御門を余所に、レミリアは鉄柵の門を開けて敷地の外に出た。
そして自身の手で扉を閉めると、夜の道をたった一人で歩いて行く。


土御門(……見送りには誰も出てこなかったな。 まぁ、当然か。 奴と一緒に住んでる人間は妹とメイド一人だけだからな)

土御門(聞く所によると、『標的』と妹の仲は良いものではないらしい。 過去に何かあったらしいが……)

土御門(メイド……十六夜咲夜の方は数時間前に家を出たまま戻ってきていない。
    ここいら一帯の監視カメラをジャックしたら、6時頃に出掛けていく姿が確認できた)

土御門(何しに出掛けたのかは、絶対的な根拠はないが大方予想は付く)

土御門(最近起こっている『連続通り魔事件』は、おそらく『標的』があのメイドに指示したものだろう)



『連続通り魔事件』における最大の特徴である、『被害者の血液が抜き取られている』という事実。
その事実とレミリアの存在が結びつけられるのは必然のことと言える。
実際、一部のオカルト好きの人間には吸血鬼の仕業ではないかとまことしやかに噂されているのだ。
一般人ですらそうなのだから、オカルトに全身が浸かっている土御門が気づかないはずがない。



土御門(……それにしても、未だに戻らないのは少しおかしいな。 何かあったのか?)

土御門(いや、それは今考えることじゃない。 重要なのは『潜入するなら今が絶好の好機』だということだ)

土御門(オレにとってすこぶる相性の悪いあのメイドが居ないのは有難い)

土御門(後は『標的』がいなくなれば、妹は無防備も同然だ。 これ以上のチャンスはない)


レミリアはパチュリーと出会うために家を留守にし、十六夜咲夜は今尚も帰宅する気配はない。
つまり、この瞬間こそがフランドールを捕縛できる唯一の機会であり、これを逃す手はない。


一つだけ懸念があるとすれば、自身が潜入している時に咲夜が帰ってくる可能性があることだが、
土御門としてはその心配はあまりないと思っている。
何故ならば、仮に彼女がレミリアから与えられた仕事を終えたとして、
その時向かうのはこの館ではなく、レミリアの元であると考えているからだ。


入手した『血液』がレミリアにとって重要なものであるならば、
咲夜はそれを届けるためにまず主の元へと向かうであろうことは容易に想像が付く。



土御門(この非常時にメイドに対して妹を守るように指示をしなかったのは、
    その血液の存在が妹以上に重要だと言うことを意味する)

土御門(それだけ重要なものなら、先に自身の元に届けさせるように命令するはずだ)

土御門(……他に妹を守らない理由があるとするなら、『妹を守る心配がない』と確信している場合か)

土御門(『標的』が持つ『運命観察』……それを使って判断した?
    もしそうだとするなら、オレは妹の捕縛に失敗することになるが……)

土御門(……悩んでいても仕方ないな。 奴が見た未来が何にせよ、ここで足踏みをしている訳にもいかない)


相手にどんな思惑があろうとも、敵前逃亡など許されるはずもない。
そもそもそんなことをしても意味はないのだ。


レミリアが持つ超能力は『確定した未来』を見せるものである。
彼女が『土御門がフランドールの捕縛に失敗する』未来を見たのであればその通りになるし、
更には『土御門がフランドールを捕縛しようとする』という行動までもが確定事項となる。
つまりは、この場であれこれ考えたとしてもレミリアには筒抜けだと言うことだ。


ならば自分がするべき事は、彼女が見た『運命』の先――――
『未確定の未来』に対して、有利に働くように行動することだ。



土御門(……さて、これで建物の中にはの妹しか居なくなったな。 始めるとするか)



レミリアの姿が見えなくなったことを確認した土御門は、周囲に気を配りながら館の門前へと向かった。


この館の門には電子制御の施錠が施されており、無理にこじ開けようとすれば警報が鳴るようになっている。
解錠するには12文字の英数字を入力しなければならず、当てずっぽうで解錠するのはほぼ不可能。
玄関の扉に付けられた鍵と合わせて、この館は二重の施錠によって守られているのだ。


また館を囲う石垣にもセンサーが取り付けられており、石垣を乗り越える不審者を感知して警報を鳴らす。
ただの空き巣であれば、確実に防ぐことが出来るであろう強固なセキュリティである。


しかし土御門にとって、この程度であれば侵入に苦労するわけがない。


土御門(今オレの手の中にあるのは、このセキュリティシステムを制作している会社から極秘に入手したアンロック番号のリスト)

土御門(これの中から館のセキュリティに使われている番号を抜き出して入力すれば、あっという間に解錠できるって寸法だ)

土御門(いやはや、これを手に入れるためには結構な労力をかけたな)

土御門(スキルアウトがたむろするスラム街……そこ点在する情報屋を何件も梯子したんだからな)

土御門(今回はかなり時間が厳しかったから、こうして間に合って良かった)

土御門(えーっと……暗証番号はこれだな)ピッピッピッ



カチャンッ!



制御板に数字を打ち込んでいくと、軽い音と共に施錠が外れる音が響く。
門の扉を静かに押すと、扉は音を立てることなく開かれた。



土御門(……誰もいないな?)



もう一度周りを見渡してみるが、周囲には人影は全く見られない。
この分なら、誰にも気づかれることなく潜入することが出来そうだ。
仮に見られたとしても深刻な問題にはならないが、後々の証拠隠滅にかける手間を考えれば、注意するに越したことはない。



土御門(さて、早い所捕まえてパチュリーの所へ向かわないとな)



館に敷地内に足を踏み入れた土御門は、足音を殺しながら玄関口へと歩いていった。

今日はここまで
質問・感想があればどうぞ


甘くみてると館の外壁に塗られるぞ土御門‥
‥ってかあの凶悪能力については何の情報もないのか?

あとトリップはどうしたんだ作者

永夜組に新設定来ちゃったね(ニッコリ

>>67
酉付け忘れました。ごめんなさい
フランの能力の情報については勿論土御門も知っています

>>68
これ以上設定増えると大幅に路線変更しないといけないんですけお!
いや、想定していたストーリーの変更はモチベにかなり影響するんですよ本当に
ネタ投下は嬉しいんですが、設定を練り直すのは中々しんどい

これから投下を開始します






     *     *     *






フラン「……」ペラッ



第14学区の一角に存在する紅の館――――スカーレット邸。
その館の家主であるレミリア・スカーレットの妹、フランドール・スカーレットは、
二階にある自室のベッドの上で本を広げながら寝転がっていた。


今、この館には彼女以外誰もいない。
この館に住み込みで働いているメイドは夕方頃に家を出たきり未だ返っては来ず、
彼女の姉も用事があるといって、こんな夜中にも拘わらず何処かへと出掛けていった。
結果として館に一人残された彼女は、微睡みが自分を襲うまでの暇な時間を潰すために、
こうして静かに読書にふけっているのである。


フラン「……」ペラッ



黙々と本を読み進めていくフランドール。ページを捲る音だけが部屋に響き渡る。
外の喧噪すら聞こえてこない静かな室内。静かさのあまり耳鳴りが聞こえてきそうだ。


今のフランドールの様子は、年頃の女の子にしては少々大人しすぎるようにも見える。
普通であれば居間でテレビを見たり、携帯電話で友達と会話したりとそれなりに騒々しいものだ。
親と一緒に住んでいるなら自省の念が働くであろうが、ここは住民の大半が学生である学園都市。
一人暮らしが当たり前なこの街で、自身を律することが出来る子供は果たして何人いるだろうか。


このように、自分の部屋で読み物をしているだけでも珍しい部類と言えるが、
それに加えて彼女が読んでいるのは『文学小説』。『漫画』のような一般の学生が良く見るものではない。
アガサ・クリスティ作の『And Then There Were None(そして誰もいなくなった)』である。
いい年をした大人が好むような推理小説を彼女は読んでいるのだ。
『文学少女』と言えば聞こえは良いが、当麻やインデックスと一緒にいた時の様子とは全くといって良いほど真逆であった。


フラン「One little indians boy left all alone; He went and hanged himself and then there were none.
    (一人残ったインジャン・ボーイ その子が出てって首を吊り そして誰もいなくなった)」



小説の一文を小さく口ずさむと、フランドールは静かに本を閉じる。
今日の読書はここで終わり。続きはまた明日だ。


閉じた本を本棚に戻すと、再びベッドに俯せで飛び込む。
ボフンッ、というくぐもった音と共に、日干しした洗濯物特有の芳しい匂いが部屋に広がった。
取り込まれてから大分時間が経っているが、今でもその匂いが消えることはない。



フラン「んー……」



鼻腔を通り抜ける心地よい香りを思いっきり吸い込む。
少々息苦しいが、彼女はそんなこと微塵も気にならなかった。


数分ほど香りを堪能した後、彼女は転がって今度は仰向けになる。
天井にはこぢんまりとしたシャンデリアがぶら下がっており、部屋を仄かな灯りで照らしていた。
無論、それは蝋燭を使うような古臭いものではなく、LEDを用いた近代的なそれであるが。



フラン「……つまんない」



フランドールは茫然と空を見上げながら、そんなことを呟く。


姉からお仕置きとして外出禁止令を出されてから早3日。
フランドールは未だに一歩も外に出ることは叶っていない。
『3日』と聞けば非常に短いように思えるが、当の本人としては一ヶ月近く経ったかのような、強い閉塞感と憂鬱に苛まされていた。
何をどうやっても、陰鬱な気分が払拭できないのである。
お仕置きを受けているのだから、そうなるのは当然のことと言えなくもない。


しかし、こうして家の外に一歩も出られなくなったのはいつ以来だろうか。
いや、正確には一歩も『出なくなった』と表現した方が正しいか。


自身の身に起きた『とある事件』が切欠となって、家に引きこもるようになったのが今から7年前。
その頃は『世界』というものに対して極度の恐怖を抱いていて、外に出るどころか姉に対しても口を聞くことができなかった。
『もしものこと』があったら、それが原因で本当に自分の心が壊れてしまうのではないかと恐れたのだ。
結局、トイレやお風呂に行きたい時以外は一歩も自室から出ることは無かった。
その数少ない自室からに出る機会があった時も、家にやってくる訪問者に対して神経を尖らせていたのである。
もちろん、誰かが家に来ても狸寝入りを決め込んでいた。


そうやって、無気力な生活を続けていたのが今年の初めまでの話。
7年すれば色々と気持ちの整理がつき、心に余裕が出来た結果、『このままでは不味い』と思い始めたのだ。
スキルアウト達のように非行に走ることなく、そう考えるに至ったその理由は、
彼女にも『一族の誇り』というものが心の何処かにあったからなのだろう。


彼女は自分自身を変えるために、その第一歩として『外に出たい』と姉に進言した。
7年も引きこもっていたにも拘わらずそのような決断するのは、些か大胆すぎるようにも思えるが、
そういった判断が出来たのは、彼女の思い切りの良い性格によるものかもしれない


兎にも角にも、彼女はある意味一大決心をして行動を移したわけだが、残念ながら決意は裏切られることになる。
どういうわけか今度は姉の方が『フランドールの外出は許可しない』と言い始めたのだ。
それを目の前で言われた時、フランドールは愕然とした。


訳がわからなかった。
姉の突然の心変わりも、そうなってしまった理由も、何一つ理解できなかったのだ。


早々出鼻をくじかれたフランドールは、当然のごとく姉に対し抗議の声を上げ、その理由を追及したが、
姉は『あなたは知らなくていい』の一点張りで教えてくれることはなかった。
結局フランドールは、姉の意図を何も理解できぬまま現在に至っている。



フラン「……どうして」



再び俯せになり、顔を枕に埋めながらフランドールは恨めしそうに呟く。


自分に対して懲罰を行ったことに対する憤怒。
何も教えてくれないことに対する鬱屈。
そして、かつての姉のことを知るが故の落胆。
その他にも大凡良いとは言えない様々な感情が彼女の中に渦巻き、少しずつその心を荒ませ始めていた。


――――いっそのこと家をぶっ壊して、そのまま何処かに消えてしまおうか。
あまりの苛立ちに、邪な考えが時折脳裏に過ぎることがある。
が、それを実際に敢行するに至るまでの感情が起こることはなかった。


そんなことをして何になる。何の解決にもならない。
家を飛び出した所で、街を彷徨っている所を『警備員』に保護されて結局は連れ戻されるだけ。
そもそも、自分には一人でこの街を生きていける力など無いのだ。
全く以て、誰が考えても骨折り損にしかならない。


だが、このまま何もせずにずっと閉じ込められるのも嫌である。
詰まる所、彼女は現状に対する嫌気と現状を打破しようにもどうすることも出来ないという、
二重の焦燥によって板挟みになっているのだった。



フラン「……みず」ゴソッ



フランドールは力なく起き上がると、ベッドから降りて部屋の扉へと向かう。
全く眠気が襲ってこない上に、胸のむかつきが収まらないのだ。
何かを口に入れないと、このむかつきを抑えることは出来ないだろう。


確か、冷たい飲み物が冷蔵庫の中にあったはずだ。
水でも牛乳でも紅茶でも何でもいい。コップ一杯の冷えた飲み物が欲しい。
部屋を出た彼女は、それだけのことを考えながら台所へと足を動かした。



フラン「……」トットットッ



光が乏しい暗い廊下を、ぽつぽつと一人で歩く。
姉が出掛ける前に不要な電灯を消したのか、廊下には最低限の明かりしかついていない。
無駄に多い館の部屋の殆ども、その室内は真っ暗闇となっていた。


自分の足音以外、何も耳には聞こえてこない。
さながら皆が寝静まった深夜に目を覚まして、一人でトイレへと向かう時のようだ。
本当であれば、何かしらの恐れの感情がわき起こるのだろうが、
今の彼女には恐怖に対して反応できるほどの心の余裕はなかった。


やがてフランドールは、部屋に備え付けられた大きな冷蔵庫の前に辿り着く。
相変わらず、この家に似つかわしくない無骨な姿である。


大分昔のことなので記憶がかなり朧気だが、この機械は確か、何処かの家電量販店でセールだった時に姉が買ったものだったはずだ。
あの頃は姉も若かったから、つい調子に乗ってそんなことをしてしまったのだろう。
姉はレベル3、自身もレベル4の能力者だったこともあって、お金が多少余っていたことも理由の一つかもしれない。


とにかく、姉がその時行った衝動買いはどう考えても馬鹿としか言い様がないことは普遍の事実である。
あの頃はメイドもおらず、姉の自分の二人きりだったというのに、大家族が用いるような大容量のものを買ってきたのだ。
大き過ぎる冷蔵庫は、必要な分だけ入れると隙間だらけのがらがらな状態となり、
かといって詰め込んだりしてしまうと、使い切ることが出来ずに食材を腐らせてしまう。
つまり、自分たちの身の丈に合わないものを買ってしまったということの他ならない。


姉の言い分では、『もしも大人数を家に呼んで料理を振る舞うことになった時に、
大きい冷蔵庫があれば材料をたくさん入れておくことが出来る』とのことなのだが、
『そんな限定的な状況なんて早々起きるようなことではないだろう』と突っ込みを入れたい気分であった。
しかし面と向かって言ってしまうと何が起こるかわからないので、その気持ちは心の中にしまっている。


フラン(お姉さまってば、仕事の人とかメイドとかに会っている時はいつも格好良く振る舞ってるけど……)

フラン(私から見たら、もの凄く変なんだよね。 ほんと、バカみたい。 我が儘なくせに……)



フランドールは声に出さずに、自分の姉に対して愚痴をぶちまける。
『何かと小言を言うが、先ずはその言葉を自分自身の向けるべきなんじゃないのか』と。


姉は我が儘で、負けず嫌いな人間だ。
今回のフランドールの謹慎についても、『妹から目を離した』という非が彼女にはあるはずだというのに、
それを棚に上げてフランドールのみに罰則を与えてしまっているような状況である。
少しくらい反省なり何なりをする素振りを見せるならまだ良かったのだが、
そんなものは何処の吹く風といった様子で普段通りに生活しているのだ。


そんなに自分の非を認めたくないのか――――フランドールは心の声で姉を罵倒する。
自分一人だけが罰を与えられているこの現状を、彼女が不満に思わないはずがないのだ。
だが、その不満を外に出すことはない。自棄になろうにも心の中のもう一人の冷静な自分が、
感情のままに暴走しようとする彼女を引き留めていた。


フラン「……っ」



心の中に燻る苛立ちを振り払うかのように、乱暴に冷蔵庫に手を突く。
ドンッ!と、扉を開くにはどう考えても似つかわしくない鈍い打撃音が響いた。


しかし、フランドールにそのことを気にする素振りはない。
乱暴なことをしているという自覚はあるのだが、『それがどうした』といった様子だ。
姉を前にして自棄になれない以上、こうして物言わぬ機械に八つ当たりしなければ、
心に内に溜まった苛立ちを発散することすら出来ない。
だから冷蔵庫が倒れるのではないのかと思うくらい、彼女は思いっきり手を叩きつけたのだ。


端から見れば、彼女が我を失いかけているように見えるだろう。だが、まだ彼女は冷静である。
何故ならば、自身の能力を使って冷蔵庫を粉々にしていないのだから。


フラン「……はぁ」



フランドールは嘆息しながら冷蔵庫の扉を開こうとする。すると――――



ピンポーン!



と、来客を知らせる呼び鈴が彼女の耳に飛び込んできた。
フランドールは不意打ちで襲ってきた音にびくりと体を震わせ、音が聞こえてきた方角――――部屋の出入り口を恐る恐る見る。


こんな時間に来訪者とは。一体全体、何者なのだろうか?
姉の仕事仲間か?いや、今までこんな夜遅くに彼等らが来訪したような記憶は無い。
そもそも、他人をこの館に招き入れるようなこと自体が非常に稀なのだ。
フランドールに配慮してのことなのか、それとも姉自身が招きたくないのかはわからないが。


フラン「……本当、めんどくさいわね」



兎にも角にも、来訪者を確かめなければなるまい。
別に任されたわけではないのだが、現状に於いてはフランドールが実質この館の留守番をしているのである。
正直に言うとこんな役目は御免なのだが、やらなければやらないで後々良くないことが起こる可能性も否定できない。


例えば、本当に来訪者が姉の仕事仲間だった場合。
フランドールが狸寝入りを決め込んでいたことが彼等を通じて姉の耳に入ってしまうかもしれない。
その結果、謹慎の期間がさらに延長されることになってしまう……かもしれない。そんな事は真っ平御免だ。


ただでさえ心の余裕がない状況で降りかかってきた、面倒極まりない仕事。
これで何度目になるかもわからない溜息を付きながら、フランドールは玄関先へと足を向けた。


フラン「えっと……」ピッ



玄関へと着いたフランドールは、横の壁に貼り付けられた少し大きめのモニターを起動する。
これは来訪者が不審人物なのかどうかをチェックするための、所謂『テレビドアホン』と呼ばれるものである。
学園都市に限らず、外であってもそれなりにハイテクな家屋であれば備えられている機械だ。


『学園都市製』とくれば、大抵の人はオーバーテクノロジーが付加された得体の知れない機械なのかと身構えるだろうが、
これに限っては外のものとは殆ど変わらない、何の変哲もないテレビドアホンである。
そもそも『テレビドアホン』として必要な機能は、外の様子を知るためのカメラとモニター、
そして外にいる人間との意思疎通を可能とする通話機能があれば十分なのである。
それ以外の機能は蛇足であり、本来であれば必要のないものだ。


ところが、やはり学園都市には狂った発想をする人間がいるらしい。
巷には玄関先に芳しい芳香を漂わせたり、軽快なBGMを流したりする用途不明な機能がある商品や、
X線を照射して相手の持ち物を調べたり、催涙スプレーを噴射して不審者をその場で撃退できたりするという、
少々過剰すぎる機能をもつ商品が流通しているそうだ。


そんなものを一体誰が欲しがるのか些か疑問を呈する所であるが、驚くべきことに、
ヘンテコな機能が付いているにも拘わらず購入する人間がこの世にはいるらしい。
造る方も造る方だが、買う方も買う方である。これだから無意味な商品がいつまで経っても市場から無くならないのだ。


フラン(……見えてきた)



フランドールはモニターに映し出される映像をのぞき見る。


見えるのはいつもの見慣れた光景。
我が家の領域と外を隔てる、鉄柵の門が見える。
塵一つ無くしっかりと掃除された、見るも殺風景な門先が広がっていた。


フランドールはモニターのコントローラーを操作し、更に広い範囲を見渡す。
遠くに見えるのは、石造りの階段に木製の扉。言うまでもなく、我が家の玄関だ。
扉の両脇には大きな花瓶が置かれ、ケイトウが黄色い花を咲かせている。
外に取り付けられた白熱灯の明かりが、玄関を肌色の光で照らし出していた。


玄関から外に向かっては石畳延びており、その道の両脇には綺麗に整備された花壇がある。
花壇にはガーデンシクラメンが紅い花弁を大きく広げていた。


さらに横へとカメラを動かすと、こぢんまりとした小さな池が見える。
何時のことかは忘れたが、姉が気まぐれに拵えたものだ。
完成した時に洋風の館には似つかわしくない、錦鯉の稚魚が数匹放たれていた。
今ではかなり大きく成長し、二代目、三代目も一緒に泳いでいる筈だ。


……そう言えば、最近姉が魚に餌をやる光景を見ていない。
大方、メイドに世話をさせているのだろう。自分の持ち物なのだから、世話くらい自分でして欲しい。



フラン(……?)



玄関の外を観察し始めてから数分。
カメラで捉えることが出来る大方の範囲を見渡した所で、フランドールは来客者が見あたらないことに気づく。
インターホンを押したであろう人間が、何処にも見受けられない。


もしかして、ただの悪戯なのだったのか――――
そんなことを考えつつカメラの視点を戻した所で、彼女は一つの異常に気がついた。


フラン(そういえば、門が開いてる……?)



『門が半開きになっている』。ただそれだけの、何の変哲もない光景。
だがフランドールにとって、それは違和感しかないものであった。


あの門を開くことが出来るのは家内の者達だけだ。
鍵を解錠するために必要な12文字の暗証コード。
そのコードを知るのは館の住人であるフランドールとその姉、そして館で働く一人のメイドである。
それ以外の人間が館の敷地内に入りたい場合、家内の誰かに門を開けてもらわなければならないのだ。


フランドールにあの門を開けた覚えは全くない。
自分の部屋に閉じこもって本を読んでいたのだから当然である。
そして出掛けている姉やメイドが、門を閉め忘れるということも考えにくい。
ならば、どちらかが帰ってきたのだろうかと考えるが、
自分の家のインターホンをわざわざ鳴らす者などいるはずもない。


開くはずのない門。それが何故か開いている。そこから導き出される答えは――――











――――知るはずのない暗証コードを知る何者かが、あの門を開けたということだ。










今日はここまで
質問・感想があればどうぞ

これから投下を開始します




ガシャンッ!



フラン「――――!?」



突如どこからか聞こえてきた破砕音に、フランドールは全身の毛が逆立つ。
方向からして、音の出所はおそらく館の外れ。丁度トイレがある場所だろう。
そしてこの固い物が砕ける音を考えるに、トイレの窓ガラスが割れたらしい。


何故ガラスが割れたのか。その理由は考えるまでもない。
あの門を開けた何者かが、窓ガラスを割ってこの館の中に侵入してきたのだ。


フラン「……っ」



フランドールはその場に蹲り、息を殺して身を潜める。


侵入者は一体、どのような目的でこの館に入り込んできたのか?
真っ先に頭に浮かんだ疑問だが、それは侵入者本人に聞かなければ知りようのないことだ。
故に今は侵入者の思惑など、さして重要なことではない。


今考えなければならない問題は、『侵入者が館に入り込んでいる』という事実。
現状に於いて、館にいるのはフランドールただ一人。
姉もメイドも出払っていて、いつ帰ってくるのかわからない。
つまりは、フランドール一人で不審者を対処しなければならないということだ。


不審者の対処。日常生活ではまず体感することは出来ないこの状況。
実際にその場面に出くわしたとして、その時冷静に対処出来る人間はどれだけいるだろうか。
相手は姿形もわからない、そして人を傷つける手段を持っているかもしれない危険な存在である。


ましてやここは、超常的な力を使いこなす人間が数多くいる学園都市。
近づかなくとも人を死に至らしめられるような、凶悪な手段を持つ者がそこかしこに居るのだ。
その危険度は、学園都市の外にいるそれらよりも、比にならないくらい違う。
だからこそ、2階のフランドールの部屋に明かりがついていても躊躇なしに押し入ってこれるのだ。


そんな危険人物が今にも目の前に現れるかもしれないと言うこの状況。


大半の人間はパニックに陥るだろう。
辛うじてそうならなかった人も、心臓が早鐘のように鳴り響くはずだ。
フランドールの場合もその例に漏れることなく、緊張のために口の中が乾き、全身に冷や汗をかいている状態だった。



フラン(どうしよう。 このままここにいて、変な奴が入ってきたら逃げられない)

フラン(でも、移動したら鉢合わせになるかもしれないし……)



ダイニングキッチンと廊下を出入りする扉は1箇所しかない。
そしてフランドールが今いる場所は、その扉の正面に位置する台所の影である。
つまり、不審者が部屋の出入り口の前で陣取った場合、逃げようとするフランドールの姿を見過ごすことはない。


この部屋に残るとほぼ確実に袋の鼠なる。
『ほぼ』と付けたのは、彼女の能力を使えば壁に穴を開けて逃げ出すことが出来るからであるが、
それはあくまでも最終手段であり、彼女としては出来る限り使いたくない。
その手を使わずに袋の鼠を回避するためには、今すぐにでも部屋を出て何処かに移動した方が良いことになる。


しかしこの部屋を出たからといって、当然身の安全が保証されるわけではない。むしろ危険は大きくなるだろう。
不審者が今、何処で何をしているのか全くわからないのだ。
移動している最中にばったりと出くわすことも、十分にあり得る話である。
この部屋は玄関に近いので直ぐに外に出ることは可能だが、それでも不安は拭えない。


不審者がこの部屋に来ないことを祈りながら身を潜め続けるか。
鉢合わせになるリスクを覚悟で、この部屋を飛び出し外に出るか。


彼女が取ることが出来る行動は二つに一つ。



フラン(……ここから逃げよう)



結果として、フランドールが取った選択肢は後者であった。


何故その選択肢を選んだのかは、彼女自身もよくわかっていない。
ここに居て追い詰められるよりは、一刻も早く外に出た方が良いと考えたのかもしれないし、
例え不審者に出くわしたとしても、自分の能力を使えば何とか逃げられると思ったのかもしれない。


はたまた、もっと別の理由があるのか……


フラン(……いない)



フランドールは扉の影から廊下の様子を見渡す。


廊下には人らしき影は見受けられない。どうやら不審者は近くまで来ていないようだ。
不審者が立てる物音も、先ほどの窓ガラスが割れる音以降聞こえてきていない。
ここまでの音がないと、かえって不気味ですらある。


何処かの部屋に入って物色でもしているのだろうか。
いずれにせよ、これから逃げる身としては好都合だ。
危険な場所に何時までも留まる理由はない。さっさと家から離れた方が良いだろう。


フランドールは足音立てないように注意しながら台所を出る。
そして忍び足で玄関に辿り着くと、扉のノブに手をかけてゆっくりと押し開いた。
軋む音を出すかもしれないと戦々恐々だったが、その心配は無用だったようだ。
扉はスムーズに開かれ、広々とした外の光景が視野に広がった。


フラン(……何処に行こうかな)



周囲の様子を見渡しながら、フランドールは頭の中で考える。


これからの行動について、大まかなこと既に決めている。
まず不審者がいるこの館から離れ、しばらくの間何処かで時間を潰す。
ある程度時間が経ったら、不審者が家を去った事を確認しに戻ってくるのだ。
家を無断に離れたことに姉が文句を言うかもしれないが、今回に限っては十分な理由がある。
『必ず納得してくれる』などと楽観視するつもりはないが、自分に全面的な非があるわけではないことは説明できるはずだ。


それはそれとして、当面の問題は『どこで暇を潰すか』である。
ここは数多くの人間が住まう、家屋がそこかしこに乱立する居住地区。
ファミレスや漫画喫茶のような、暇潰しに適した施設があるのはここから大分離れた場所だ。
日中なら選択肢の一つとなっただろうが、生憎今は日がどっぷりと沈んだ夜中。
夜間の外出は街の規則により禁じられている。それは学校に通っていないフランドールにも当てはまることだ。
道端を徘徊している所を、『警備員』にしょっ引かれることだけは勘弁したい。


すると、他に候補があるとすれば近くのコンビニだろうか。
適当に雑誌を立読みするだけでも、十分な暇潰しになる。
夜のコンビニも柄の悪い人達が屯するらしいので、本当の所は余り近づきたくない。
ただ夜の街を出歩くのは久しく経験していなかったので、それなりに楽しみにしている自分もいたりする。


フラン(……何も聞こえない)



家を出る前にもう一度耳を澄ます。が、やはり物音は聞こえてこない。
余程物色に夢中になっているのか。とにかく、逃げ出すなら今が好機である。


不審者が物色の気が済むまで、どれだけ時間がかかるだろうか。
物取りを理由にこの屋敷に来ているのであれば、それほど時間はかからないと思う。
住民が家に居ることを理解した上で犯行を行っているのだ。
いつ『警備員』が駆けつけてくるのかわからないこの状況。
手早く盗るものを盗って、早々に立ち去るだろう。


フラン(……よし)



遠くにある半開きになった門を見据え、フランドールは心を決める。


門までの距離はおよそ10メートル。走れば5秒もかからず到達できる。
が、勿論そんなことはしない。走る音が館に居る不審者に聞こえてしまうかもしれないからだ。
だから焦らず、慎重に、ゆっくりと行くことにしよう。


フランドールは門へと向けて静かに歩き始める。
未だに屋内から物音は聞こえてこない。だがそれは、最早どうでも良いことだ。
この館から離れることができれば、自分の身の安全は保障されるのだから。











しかし、彼女のその考えは、実に浅はかなものであった。











パシュンッ!



フラン「うぁ……?」クラッ



不意に耳に聞こえて来る、空気が勢いよく抜けるような音。
その瞬間、首筋にチクリとした痛みが走ったかと思うと同時に、強烈な睡魔がフランドールを襲う。
体の力が抜けて立つことができなくなり、その場にへたり込んでしまった。


突然、前触れもなく起こった体の不調。
睡魔は抗おうとするその意思すら混濁せしめ、蟲惑な眠りへと誘う。
それに驚く暇もなく、彼女の意識は深淵の奥底へと引き摺り込まれていった。



「――――さて、おねんねの時間だぜい? お嬢ちゃん」



そして、彼女の意識が闇に沈みきるその刹那。
軽い雰囲気を感じさせる男の声が、何処からか聞こえたような気がした。

今日はここまで
質問・感想があればどうぞ

フラン?「クックック……そのままにしておけば良かったのにねぇ。中途半端に眠らせたりなんかするから、”私”の方が目覚めちゃうんだよぉ?」

フラン?「という訳でぇ……///」

フラン?「お礼に殺してやらぁ!!!!!!!!!!!!!」


 ---(全略)---


学園都市は今日も平和だった(邦子的川越調)

これから投下を開始します






     *     *     *






土御門「……眠ったな」



土御門は足元に倒れ伏し、静かな寝息を立てているフランドールを見下ろしながら呟く。


その右手には一丁の拳銃。
少女を抗い難き眠りへと誘った、一発の魔弾を打ち出した元凶である。
彼はそれを手に持って館の玄関の影に身を隠し、フランドールが外に出て来た所に撃ち込んだのだ。


今回、フランドールを捕縛するにあたって彼が立てた作戦。
それは『中に潜む相手に揺さぶりをかけて、自分の前に飛び出させる』というもの。
窓ガラスを割ることでフランドールの不安を煽り、外に逃げようとした所を捕らえようとしたのだ。
屋内に突入して捕まえるのも一つの手ではあったのだが、それを実行するには幾つか問題があった。


一つ目は、発見するまでにフランドールが外に逃げ出すかもしれないという点。
屋内に侵入したとして、土御門は建物の内部構造を詳細に知っている訳ではない。
そのような条件の中で標的を捜し出すのは非常に時間がかかる。
一方フランドールにとっては自分のテリトリーであるため、その身を隠すのは容易だ。
つまり『地の利』というアドバンテージの違いが、土御門とフランドールの間に存在するである。
まぁ、そもそも館の窓という窓が逃げ口になっている時点で、中に入って捕縛しようとするなど愚の骨頂なのだが。


二つ目は、フランドール自身に身を守る手段がある点。
彼女がただの一般人であれば、多少こちら側が不利だったとしても突入を強行したはずだ。
地の利の違いがあったとして、それを埋め合わせるのに十分な技術と経験が土御門には備わっているからである。
彼は幾重にも渡って命のやり取りを繰り返してきている猛者。逃げた獲物を追跡することなど手慣れたものだ。
生半可な人間が彼の追跡から逃れることなど不可能に近い。例え超能力を持っていたとしてもそうそう結果は変わらない。


ただ今回の相手は、『ただの一般人』と呼ぶには少々難しい。
確かに、フランドールは殺し合いなど演じたことも無い人間である。
実際に調べたというわけではないが、こればかりは確実と断言してもいい。
この日までの間、姉のレミリアを含めて彼女らの動向を監視していたのだが、
フランドールからは殺人を犯した者特有の『雰囲気』というものが感じられなかったからだ。


しかし彼女が真っ当だったとしても、彼女が持つ能力はそれ以上に危険極まりない。
『触れただけで物体を粉砕する能力』。その言葉だけでも危険性は十分に計り知ることができる。
何も考えずに捕縛しようとすれば、間違いなく触れた瞬間にこちらの体が粉々になっているだろう。
故に、彼女の面と向かい力ずくでねじ伏せる方法は難しいと言える。
この他にも能力を使って館を破壊され、崩落に巻き込まれる可能性も憂慮すべき事柄だった。


そして三つ目は、姉のレミリアが魔術を使って館に罠を仕掛けている可能性がある点。
レミリア・スカーレットが魔術師であるということは周知の事実である。
本来であれば、超能力開発を受けている彼女が魔術を使えるはずが無いのだが、
彼女が持っているであろう『吸血鬼の肉体』が、その無理を道理としてしまう。
故に、彼女が魔術を用いて何かしらの防護策を館に講じているかもしれず、
その中に突っ込んでいくのは自殺行為でしかない。


このような館に侵入する上での様々な問題を考慮した結果、
土御門は『標的を炙り出して仕留める』という方法を選択することにしたのだった。



土御門(問題があったとすれば、吸血鬼かもしれない奴に麻酔弾が通用するかだったが……杞憂だったようだな)

土御門(人間相手なら着弾して数秒で昏睡させることができるから、本来ならそんな心配をする必要は無いんだがな)

土御門(さて、さっさとこいつを担いでパチュリーの下に向かうか)


土御門はフランドールを担ぎ上げようとその場にしゃがみ込む。


ここからパチュリーの公園までそれほど遠くは無いが、人一人を担いで行けるほど近いというわけではない。
何より、少女を担いで徘徊している姿でも誰かに見られたら、間違いなく誘拐と判断されて『警備員』に通報されるだろう。
スパイである土御門にとって、そのような事態は不都合以外の何物でもないのだ。


そこで彼は何処からか自動車を拝借し、フランドールをそれに乗せて運搬することにした。
普段は海原に任せてはいるが、彼もそれなりに運転技術を心得ている。
無論、運転免許など持っているわけではなく、スパイ稼業を営むために身につけた技術なのだが。



土御門(普段から鍛えているとはいえ、気を失った子供を担ぐのは骨が折れそうだ)

土御門(筋肉が弛緩している分、バランスを取るのが難しいからな)

土御門(車を止めている場所まで少し距離がある……先に車を持ってくるべきか?)

土御門(しかし、その間に目を覚まされる可能性もある、か。 やっぱりもう一人くらい人数が欲しい所だな)

土御門(人員不足とは言え、一人しか派遣しないとは……いや、愚痴を零してもしょうがないか)



心の中でぶつくさと小言を言いつつ、フランドールの体に手をかける。
そして、そのまま持ち上げようとして――――











「おい! 何やってんだ!」










何者かの怒声が、広い庭に響いた。


土御門「……」



土御門はその声に一瞬身を固くするが、すぐさま平静を整える。
予期せぬ部外者の乱入は想定外のことではあるが、それで冷静さを失うようなことは無い。
何故ならば、この問題は自分達の任務には大きな支障を及ぼさないからだ。


彼に右手には、麻酔弾が込められた拳銃が未だに握られている。そして相手側にはこちらの顔が見えていない。
つまり麻酔弾を使って眠らせてしまえば、こちらの素性を知られることはないのだ。
暫くは『金髪のアロハシャツを着た男』の捜索が『警備員』や『風紀委員』の手で進められるだろうが、
似たような格好をした人間はこの街にいくらでもいる。
ましてやここは、住民の9割近くが日本国外からやって来た人間で占められているのだ。
先にそちらの方に捜査の目が向くことは想像に難くない。
生粋の日本人である彼の下にまで捜査の手が伸びることは、殊更に考えにくいと言える。


しかし――――


「――――こっち向けよ、『土御門』!」

土御門「!?」



相手がこちらの素性を知っているとなれば話は別。そのような作戦など全くの無意味だ。
例えその作戦でこの場を凌いだとしても、その人間の口から噂が広まってしまうだろう。


作戦の前提を覆された彼に残された手段は二つ。
自傷覚悟で魔術を使い、その人間の記憶を消すか。それとも『死人に口無し』を実行するか。
何れにせよ、その人間と一悶着を起こさなければならないという事実は不変であり、
これ以上に無い面倒事であるということには変わりない。



土御門(――――いや、まて)



と、そこまで考えた所で、土御門の頭に一つの疑問が浮かび上がる。
『そもそも何故、土御門の素性を知る者がこのような場所に居るのか』という疑問だ。


彼の学園都市の知り合いは大きく分けて二種類。
片方は『何も知らぬ一般人』。表の世界で平和に過ごす人々。
親しい友人の一人である青髪ピアスや、自身彼にとって命をかけるに値する義妹である土御門舞夏といった存在である。
彼らが第7学区を遠く離れたこの場所に現れる理由が、果たしてあるだろうか?
少なくとも、土御門が考える限りでは見当たらない。


もう片方は『自身の仕事仲間』。裏の世界の住民たち。
ステイル=マグヌスや神裂火織、パチュリー・ノーレッジといった同じイギリス清教所属の面々、
元暗部の仲間である一方通行、海原光貴(エツァリ)、結標淡希等々である。


果たして、彼らがこの場に現れる可能性はあるのか?やはり、無いと言い切れるだろう。
ステイルや神裂はここから遥か彼方のイギリスに居り、パチュリーはレミリア・スカーレットと戦闘中。
暗部の面子には、こちらから要請が無い限りは一切関わらないよう釘を刺してある。
一方通行に関しては、この約束が守られるとは思っていないが。


兎に角、自身の記憶の中にはこの場に現れうる知人など記憶の中には――――











――――いた。しかも、とびっきりの『厄介者(トリックスター)』が。











何故今まで、その男の顔が思い浮かばなかったのだろうか?


無意識に考えないようにしていたのか?だとすれば、自分は実に愚鈍である。
あの男ほど厄介事に首を突っ込み、周囲を困らせる人間はいないというのに。
自分が知り得る中で、最もこの場に現れる可能性が高い人間だというのに。


パチュリーの言葉を真に受け、安心してしまっていたのか?だとすれば、自分は実に浅墓である。
あの男がこちらの忠告を素直に聞いて、大人しくなどしているはずがないというのに。
不幸になる人間がいると知った上で、黙ってそれを静観できるような男ではないというのに。


土御門は硬直しきった体を、軋む音が聞こえるような動作で以って動かし、自身の背後を見た。
その視線の先に居たのは、まぎれもなく――――











上条「……」

土御門「!? カミやん……!」











上条当麻。
土御門元春にとって最も身近な人間の一人。
そして今の状況に於いて最も会いたくない存在が、憤怒の表情でこちらを睨み付けていた。

今日はここまで
ちなみに次回からまた過去編が始まります


質問・感想があればどうぞ

上条に関わるなってわざわざ言うからwwていうかいくら何でも情報漏らしすぎだろ

>>131
レミリアやフランドールが事件の被害者であるを信じている状況ならば、
パチュリーの言葉を素直に聞いて大人しく引き下がったでしょう
その言葉とは逆の、二人が魔術師で捕縛されて処刑されるかもしれないと知ってしまったからここまで来てしまったわけです
そしてその真実を彼に告げたのは……




これから投下を開始します


レミリアとフランドールがこの学園都市にやって来たのは、今から大体10年前のことだ。


何故こんなイギリスから遠く離れた場所に来ることになったのかと言えば、
それは父親から突然極東の島国へ留学するように言い渡されたからである。
その留学の話は突如降って湧いたものであり、話を聞いた二人は当然の如く大いに驚いた。
何せ唯の一度すらも相談されずに、父親の独断で決められてしまっていたのだ。
更にはその時点で出立の日が明後日に迫っており、殊更二人を驚愕させた。


『何故留学しなければならないのか』。『どうしてこんなに急なのか』。
未だ幼かったフランドールはただ驚くだけで終わったのだが、姉のレミリアは直ぐに疑問を父親に投げかけた。
当然父親もそれを予想しており、レミリアに対してその理由を口にしたらしい。
『らしい』という曖昧な表現なのは、フランドールはその内容を全く知らないからである。
何故知らないのかと言えば、聞く前に父親の命を受けた執事の手で部屋を連れ出されてしまったからだ。
故に、父親の意図を知るのはその場にいた姉と母親だけである。


どうして父親は急な留学の理由を告げなかったのか。
今となっては、フランドールがそれを知る術はもう無い。


ただし、一つだけ言えることはある。
それは話を聞き終えた姉が、部屋から出て来た時に一瞬だけ見せた険しい表情。
そこから読み取ることができる事実。それは、その話は『決して良い話題では無かった』ということだ。
その時の記憶は、今でも彼女の記憶の片隅に残っている。


そしてその数日後、二人は父親の知人らしき男に連れられて英国を旅立ち、
遥か1万キロメートルの彼方にある極東の島国に降り立つことと相成った。


彼女達にとっては初めて踏みしめる異国の地。
文化、言語、街並み、そしてそこに住む人々……
自分達が住んでいた国と同じものなど殆ど無く、まさしく『異世界』と呼んでも過言ではない場所。
見聞でしか知らなかったその光景を実際に目の当たりにした時、
フランドールの異国に対する不安は風が煙を吹き飛ばすかのように霧散した。


何せ、目につくもの全てがある種の新鮮さを感じさせるものであり、
そして彼女の興味を強く引き付けるものばかりなのである。
あの小奇麗に振る舞っている姉ですらも隠しきれない『興味』の感情を顔に覗かせていたのだから、
天真爛漫な性格であるフランドールの心の内が、『憂慮』から『好奇心』へと傾くのは自然なことと言えた。


しかし異国の文化をじっくり堪能する間もなく、二人は自分達の留学先である『ある街』へ向かうことになる。


その街の名は『学園都市』。
世界でも一、二を争う敷地面積を持つ『学園』であり、それと同時に世界最高峰の科学技術が集約されている『街』である。
そして何よりも特筆すべきことは、『超能力』と呼ばれる一昔前までは空想上の存在でしか無かった異能を、
街に住む学生達を被験者として開発を行っているという点だろう。


空想上の存在をどのようにして現実の物としたのか。
理論の基礎すら存在しなかったはずのものを、瞬く間に現実のものにするという謎の技術。
『宇宙人から技術を供与された』と冗談交じりに評しても、それを真実として受け止めてしまいかねない程の異常だ。
そしてその異常を解明するために様々な人々が挑戦を繰り返しているが、真相は未だにコンクリートの壁の向こう側である。


時代を数十年先取りしていると評されている『科学技術』と『超能力』という名の異能。
それらをほしいままにできるその街は、いつしか母国ですらも手玉にとり、
既に一つの国家として事実上成立している状態となっていた。


そんな科学の総本山の街に、『科学』とは真逆である『魔術』の世界で生活を送ってきた少女二人が住む。
それは本来であれば、絶対にあり得るはずの無い状況である。
他の魔術師がそのことを聞いたならば、衝撃のあまり茫然自失となるか、もしくは戯言として嘲笑するだろう。
もっとも科学と魔術の確執など、幼いフランドールにとっては与り知らぬことなのだが。


兎にも角にも、少女二人は遠い異国の地にて生活をすることになった。
そこには父親も母親も、自分の身の回りを世話してくれる召使いたちもいない。
生きていく上で必要なことは、全て自分達の手で行わなければならないのである。
今まで親の庇護の下で暮らしてきた二人が、その状況に不安を覚えないはずが無い。


しかし幸運なことに、彼女達には『父親の知人』という存在がいた。
少女達の父親から依頼されたのだろう。彼は暫くの間ではあるが、彼女達の世話を焼いてくれたのである。
仕事の都合上、頻繁に出会えるというわけでは無かったのだが、それでも少女達にとってはこれ以上に無い心強い存在だった。


そしてもう一つの、彼女達にとっての強い味方がいた。それは学園都市で生活する大人――――教師達の存在である。
彼らは学園都市の仕組みがよくわからない少女二人のために、子供では如何ともしがたい問題を代わりに解決してくれた。
住居の問題だとか、交通機関の利用法だとか、学校への編入の手続きだとか、様々なことを手とり足とり教えてくれたのである。


無論、教師達がそのように親切にしてくれたのは、何も少女二人が特別だったからではない。
未だ発展途上にある学園都市。その今後の成長の要となる学生達を徐にするなどあり得ない。
つまりは大人達が彼女達に親切にしたのは、個人的な感情を抜きにすればあくまでも仕事上のことでしかない。
しかし、例えそうだったとしても、少女二人にとっては助けとなる存在であったことには変わりなかった。


こうして二人は、知り合ったばかりの大人達の手を借り、学園都市にて第二の人生を歩み始めることになった。
当然、彼らの助力があったとして、何事も無く平穏に暮らすことができたわけではない。
何せ彼女等はまだ子供。『社会』と呼ばれる汚濁をよく知らぬ、うら若き乙女たちである。
余り治安が良くない学園都市。騒動に巻き込まれることもあったし、誰かに傷つけられることもあった。
それは『学園都市』で生きていく上で必ず経験することであり、そして避けられないことである。


親の加護の無い、二人だけの学校生活。
辛いことは多々あった。だがそれでも、フランドールにとっては充実した生活であったことは間違いない。
異国の友達と一緒に遊ぶのはとても楽しいし、先生達も自分に対して優しくしてくれる。
今まで見たことも無い、お掃除ロボといった最新鋭の機械がそこかしこで動き回っていて、
外をただ歩きまわっているだけでも退屈するなどということは無い。
そして極めつけは、『超能力』と呼ばれる摩訶不思議な力である。


彼女の子供心を擽るものが溢れかえっているのだ。
故にそんな些細な不安など、一々気にする余裕などなかったのである。
姉のレミリアも、本人から直接聞いたわけではないが、内心は同じだっただろう。


こうしてフランドールとレミリアは、極東の島国に於いて新しい生活を始めることになった。











――――その数年後。


学園都市の生活に慣れ、その街の不思議が当たり前になり、少々生活に物足りなさを感じ始めた頃。
フランドールの身に『ある事件』が降りかかることになる。










今日はここまで
というわけで、これよりフランドール(+レミリア)の過去編(in学園都市)を始めます


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――――7年前 7月中旬






本格的な夏が始まり、蝉達が木陰でけたたましい合唱を奏で始める季節。
その日、とある学校で行われた『身体検査』において一人の超能力者が誕生した。


その者の名前はフランドール・スカーレット。
3年ほど前に学園都市に来た留学生の少女である。
外国人留学生が集う第14学区で、同じ留学生である姉――――レミリア・スカーレットと共に暮らしていた。


フランドールがどこで生まれたのか、どのような経緯で学園都市にやってきたのかは誰も知らない。
彼女の同級生や学校の先生は勿論のこと、当人ですら良くわかっていなかった。
そしてそのことについてどんなに調べて回っても、情報が全くと言っていいほど見つからないのである。
その不可解なほどの情報の少なさが故に、一部の人の間では彼女の出自についてまことしやかに噂されていた。











――――曰く、戦禍によって孤児になっていたところを、外部の学園都市の関係者が保護した。


――――曰く、学園都市が秘密裏に提携している組織から、試験的に編入させられた。


――――曰く、外部の著名な人物の娘であり、その身分を隠すために情報が伏せられている。











他にも色々とあるが、いずれも信憑性が無いため、その全てが『突拍子もない噂』として片付けられていた。
つまり、たまに話題にあがることがあっても、結局はそれっきりという程度の知名度だったのだ。


だが今回の『身体検査』によって、彼女は否が応にも多くの研究者達から注目を浴びることになる。
その理由は、『弱冠10歳という年齢で、レベル4相当の能力を身につけた』という事実だ。
彼女のような幼い年齢で突然高レベルの能力を修得する事例は少なく、非常に珍しい。


超能力の『強度』を決めるのは、『自分だけの現実の確固さ』と『演算能力の高さ』。
つまり高レベルの超能力に目覚めるということは、『強力な妄想力』と『並はずれた頭脳』を持っていることと同義なのだ。
何れの力も、伸ばすためには『本人の才能』と『鍛錬する時間』が必要であることを考えてみると、
この二つを突然手に入れてしまうことがどれだけ稀有なことなのかがわかるだろう。


学園都市の超能力開発の歴史に於いて、非常に稀少な事例。
それは超能力開発に携わる研究者が興味を引くには十分な要素である。
故に、彼女に注目が集まってしまうのは致し方ないことと言えた。


しかしこれ以外にも、フランドールの注目度が上がる事になった原因がある。
それは彼女の能力が今まで前例のない、特殊な能力であるということだ。
分類上は『念動力』に属していると考えられている代物ではあるが、
その実態は『念動力』に分類するにはあまりにも特異で、かつ強力すぎるものだった。


『物質崩壊』。それが、フランドールの超能力が授かった名である。
その能力でできることは、『物質を構成する原子同士の結合を強制的に解裂する』こと。
ざっくりと言ってしまえば、『触れたものを分解する』ということである。
物質中にある脆い部分――――傷や歪みといった部分に集中して念動力を作用することで、
どんな頑丈な物質も簡単に破壊することができる。
単純ではあるが、それ故に非常にわかり易い力。それが『物質崩壊』という能力であった。


学園都市に数多く存在する超能力者の中でも、高位に位置するレベル4の誕生。
それを前にして、能力の持ち主であるフランドールが通う学校の教師達は喜び半分、戸惑い半分という心境だった。
では何故素直に喜べなかったのか。


基本的に高位の超能力者というものは、それ相応の超能力研究の設備が整っている学校に通うのが普通である。
高位になる期待がかかった能力者も、青田買いによって優秀な学校に引き抜かれてしまうのが常であった。
故に、格としては平凡でしかないその学校に入学し、そして卒業していく生徒の殆どはレベル0かレベル1の能力者であり、
レベル2やレベル3ともなれば、学年で一人か二人いればいい方という状態だったのだ。
つまり、その学校にとって『レベル4』という存在は規格外の存在であり、
扱い方というものがわからず困惑してしまったのである。


加えて、周囲を取り巻く環境の変化に警戒したということもある。
低レベルの超能力者しか在籍していないその学校は、超能力開発を重きに置く学園都市にとって見れば、
『無価値なものしか存在しないゴミ捨て場』のようなものだ。
大きな研究所から能力開発の提携を相談されることはなく、学園都市上層部から御眼に叶うこともない。
『有用な鉱石(超能力者)』を発掘する際に出てくる、『無用な廃石(無能力者)』を隔離するためのボタ山でしかない。


無論教師達は、自分達の学校がそのような眼で見られていることをよく知っていた。
ただその立場を覆すような気概はなく、半ば諦める形で甘受していたのだった。


しかし今回の出来事は、その状況を一変させることになる。
フランドールの登場は、言ってしまえば『ゴミの山』の中から『ダイヤモンドの原石』が発見されたようなものだ。
間違い無く、それを手に入れようと多くの人間がこぞって手を伸ばし始めるだろう。


つまり学校外から一気に注目が集まり、フランドールを巡って争奪戦が繰り広げられるということ。
学園都市の超能力研究に於いて、実用的とされている超能力のレベルは3以上である。
そして超能力の希少性は、レベルが上がると共に増していくのだ。


その中でレベル4の存在は『それなりに希少』な部類に入るが、
フランドールの場合はそこに『能力自体の特異性』が加味される。
彼女の能力は、彼女以外に持つものが存在しない、言うなれば『唯一無二(オンリーワン)』の能力だ。
その特徴は能力に対し、他とは一線を画する大きな価値を付加する。


彼女の能力を公開した数日の内に、超能力開発の名門校や最先端の技術研究所などと言った、
各々の方面からオファーが殺到することは想像に難くない。
高位の能力者を受け入れるということは、学校にとってはそのまま自身のブランド価値を高めることに繋がり、
研究所にとっては新たな研究分野を開拓することで、更なる研究費を獲得して設備を潤沢することにもなる。
どちらにとっても得られる恩恵は測り知れず、彼女を欲する者達があの手この手を使って勧誘し始めるだろう。


無論そんな状況を、学校側が容認するわけがない。
偶然ながらも己の手中に入った『ダイヤモンドの原石』を見す見す手渡すようなことはしない。
既に諦めていたはずの彼らの野心に火がついたのである。故に彼らは、外野から横槍を刺される前に手を打った。


教師達は『身体検査』の結果を公に公表する前に、フランドールを自分たちの下へと呼び出した。
公表する前に呼び出したその理由は、無用な騒ぎが起こるのを避けるためだ。


何も知らぬフランドールに対し、教師達は『能力開発』の個人授業を設けて能力の使い方を訓練することを提案した。
能力に目覚めたばかりの彼女に直接指導することで、能力によるトラブルや自己を抑え、
そしてさらに磨きをかけて昇華するという名目である。


勿論それは表向きの理由で、『レベル4の超能力者を手放したくない』という邪な考えが絡んだものだ。
各方面から呼びかけがあったとして、最終的に行くかどうかを判断するのはフランドール本人。
ならば先に当人に対して媚びを売り、学校側へ引き留めようとしたのである。


様々な欲望が渦巻く中で、教師達は呼び出したフランドールに対し事の顛末を説明した。
真の意図は影に隠しつつ、諭すような優しく、そして暖かな口調で。
『君の能力は素晴らしい可能性を秘めている。先生達の下で訓練すれば、更に素晴らしいものにできる』と告げたのである。


普通の子供であれば、彼らの言葉をそのまま鵜呑みにして首を縦に振っただろう。
『先生達は自分の身を案じてくれている。そして、自分に対して期待してくれている』。
誰だって自分を大切に思ってくれれば嬉しいし、期待してくれれば悪い気はしない。
ましてや『教師』と『生徒』という、ある種の上下関係が成り立っているのだ。
教師達の提案を断るなど『本来であれば』あり得るはずの無いことである。


そうであるはずなのだが……


フラン「……やだ」



教師達から個人授業の説明を聞いた時、フランドールはあろうことか露骨に嫌そうな顔を浮かべ、
先生達に向けて冷ややかな目線を投げつつはっきりとした拒絶の意思を口にしたのだ。
予想外の反応に対し、教師達は半ば唖然とした表情で棒立ちになった。


しかし『予想外』とは言うものの、それは教師達の『大人の立場』から見た意見であり、
『子供の立場』と『能力開発の内容』から考えてみれば、至極真っ当な感情だったりする。


実はこの『能力開発』の授業、物凄くつまらないのだ。
やることと言えば、よくわからない薬剤を服用したり、奇妙な模様が蠢く映像を視聴したりすることのみ。
時たま小道具を使ったゲームらしきことをすることもあるが、それを差し引いても退屈なことこの上ない。
勉強嫌いな子にとっては夢のような授業であるが、暇が嫌いなフランドールにとっては苦痛でしかないのだ。


そんな授業を、彼女に対して個別で設けるというのである。
個人授業を受けるということは、『他の子供達とは別に教師達の監視下で一人授業を受ける』ということに他ならない。
他の子供達と一緒だから何とか耐えられているというのに、それから引き離された上、
大人数の大人に囲まれた条件下で受けなければならないのである。


正直に言って、そんな環境に放り込まれてしまったら退屈過ぎで死んでしまうだろう。
だから彼女は非常に露骨なまでの嫌悪の表情を浮かべたのだ。
合理性よりも己の感情に流されてしまうあたり、彼女はまだ精神的に幼いと言えるだろう。
ただそのおかげで、一部の教師達の陰謀を阻止することができたのではあるが。


結局その日はフランドールが教師達の説得に応じることは無く、話は一端保留という形で落ち着くことになった。
いくらなんでも話が急過ぎるし、無理矢理従わせることなどできるはずもない。
彼女にも考える時間は必要だろうということで、『その場に於いては』そのように話が決着した。


勿論、教師達に悠長に構えていられるような時間は無い。
何故なら、期限までに『身体検査』の結果を纏めて上層部に報告しなければならないからだ。
その期限が過ぎてしまえば、否が応にもフランドール名は世間に知れ渡ることになる。


それだけは何としても避けなくてはならない。
そしてそれを避けるためにも、フランドールの返答をただ待っているわけにはいかない。
教師達は本人の知らない所で、次の手を打つべく動き始めたのだった。

今日はここまで
質問・感想があればどうぞ

これから投下を開始します






――――PM 5:12






フラン(面倒くさいことになっちゃったなぁ……)



学校からの帰り道。
フランドールは学校専属のスクールバスの椅子の上で、一人心の中でごちた。


窓から見える空は蒼く澄み渡り、白く輝く太陽が『まだまだ働け』と地を這う人間達を睨みつけている。
それに対して哀れな労働者達は、己の食い扶持を稼ぐべく疲れた体を引き摺って歩き回っていた。
そのおかげなのか、街の活気は未だに衰えることを知らず、寧ろこれから来る夜へ向けてさらに白熱してきているようにも見える。
おそらく労働者達は、このまま一日が終わるまでひと時も休むことは無く、
家に帰った後は布団に入って泥に沈むように眠ることになるのだろう。


そんな『社会の奴隷達』の様を、フランドールは何の感慨も抱くこと無く茫然と眺める。
就労の義務の無いフランドールにとっては、目の前であくせくしている有象無象など何の関係も無いことだ。


フラン(個人授業、か。 やだなぁ……)



道行く光景を見飽きた彼女は、視線を地に落としながら自身に降りかかった災難を嘆く。
その災難とは、今日の昼に起きた一つの事件――――それ程仰々しいものではないが――――のことである。
突然自分に宿った『超能力』。それを『制御する為に個別でカリキュラムを組む』と先生達に持ちかけられたのだ。


学園都市にやって来てから早5年。今になってようやく手に入れることができた力。
周囲の子供達が、低位であれど超能力を持っているという状況に歯噛みをしていた彼女にとって、
今回の知らせは内心飛び上がらんばかりに喜ばしいことであった。
その超能力のレベルが破格の『4』であることには、流石の彼女も現実感を覚えることができなかったが。


しかしその喜びもつかの間、『個人授業』の話をされたことで彼女の喜びは冷や水をかけられたかのように冷めてしまった。


フラン(能力開発のお勉強って、いつも同じことばっかりでつまんないんだよね)

フラン(注射されるか、簡単なミニゲームで遊ぶだけだし……それだったら勉強してた方がまだマシよ)

フラン(男子は勉強しなくてもいいって大喜びしてるけどさ)



幼少の頃から自宅で勉学をさせられていたフランドールにとって、
『勉強をする』という行為自体に対する苦痛というものはあまり無い。
喜びを感じているというわけではなく、ただ慣れてしまっているだけなのだが。


それよりもむしろ、彼女にとってこの上なく嫌なことは、つまらないことを永遠と続けさせられることである。


拷問に一つに『単純作業の反復』というものがある。
これは無意味なことをひたすら行わせることで、対象に精神的苦痛を与えるというものであるが、それと似たようなものだ。
超能力を会得する為には、能力開発の授業を受けることは致し方の無いことなのだが、
それを加味しても、あのつまらなさは正しく拷問である。
もう少し工夫を凝らせば幾分か改善できそうなものだが、教師達にそのようなことをする気配は見られない。
勉強嫌いの子供ができる原因は、実はそこにあるのではないかと思う。


フラン(とりあえず『何日か猶予をやるから、良く考えてくれ』って言われたけど……)

フラン(やりたくないものはやりたくないし……どうしよう)

運転手「スカーレットさん? 着きましたよ?」

フラン「え? あ、はい」



ふと気が付くと、バスはいつの間にか自宅の前に停車していた。
どうやら随分と考え込んでいたらしい。


周囲からは、『早く降りろ』という非難の視線がこちらに向けられている。
フランドールはそれをさらりと受け流しながら、そそくさと荷物を纏めてバスを下車する。
そして背後で扉が閉まる音がしたと思うと、バスはそのまま後腐れなくその場を走り去っていった。


フラン「さて、と」



目の前に聳え立つのは、一戸建てのマンション。その建物こそがフランドールの自宅である。
総階数15階。壁面の色は純白であり、太陽に照らされている姿は目が眩むほど眩しい。
フランドールはその光に目を焼かれないよう、視線を地に落としたまま建物の中に入って行った。


中に入ると、1階のエントランスの奥には3台のエレベーターが備え付けられているのが見える。
その機械の箱こそが、地上と学生達の部屋を結ぶ唯一の道だ。


このマンションには階段が存在しない。
避難用のものは存在するが、無論普段は鍵がかかっており、学生が利用するのはこのエレベーターだけである。
何故そのような構造になっているのか。災害等の緊急時を考えれば、階段はあった方がいいはずだ。


そんな当たり前の常識を逸脱した建物になってしまっている理由。
その答えは単純、この建物を設計した人物の常識がずれていたからである。
実はこのマンションのエレベーター、夜の9時を過ぎると『ある仕掛け』が作動する。
その仕掛けとは、『次の日の朝までエレベーターが完全に停止する』というものだ。
簡単に言ってしまえば、『門限』のようなものである。


何でも、学生が夜中にこっそりと街へ繰り出したりしないように、
そしていつまでも夜更かしをする学生へのお仕置をするために考案されたらしい。
設計者としては学生達には真っ当に育ってほしかったのだろうが、その気遣いは間違った方向に発揮してしまったようである。
学園都市では時折、『常識は投げ捨てるもの』と言わんばかりの奇天烈な製品が出回ることがあるが、
こんな所にまでその非常識さを発揮しなくてもいいのではないか。



ヴゥゥゥゥゥゥン…… ピンポーン!



低い唸り声のような音が聞こえた後、周囲に明るい電子音が響き渡る。
フランドールが呼んだエレベーターが1階に到着した合図だ。
エレベーターは静かにその口を開け、自身の召喚者をその身に受け入れた。



フラン「……」



引き上げられる鉄の籠に揺られながら、フランドールは備え付けられた鏡を見る。


そこに映るのは自分自身の姿。
白色の帽子に紅色の服。帽子には大きなリボンが結ばれており、少々頭でっかちな印象を受ける。
足には白色のソックスと、同じく白色の子供靴。
白人特有の色白な肌も相まって、遠目に見れば一着のタイツを履いているかと勘違いされるかもしれない。
頭から足にかけて白、紅、白と、何やらおめでたい配色になっているが、
日本人では無いフランドールにとっては全く関係の無い話である。


フラン(……疲れてるのかな)



鏡の中の自分の顔を良く見ると、目のあたりに少し疲れが見て取れた。
いつもより瞼が下がってきており、明らかに眠そうな表情をしている。
昼間に先生達との濃密な面談があったのだ。疲労してしまうのも無理からぬことだろう。



フラン「う~……ん」



フランドールはその眠たげな目を擦り、そして大きく背伸びをする。
このままぼぅっと鏡を見つめ続けても良かったのだが、彼女の部屋がある階は建物の上部に位置する為、
エレベーターの遅さも相まって、到着するまでには少々時間時間がかかる。
それまで何もしないというのも暇なので、少しでも疲れを紛らわせるために軽い運動をすることにしたのだった。


何度かその場の思いつきである我流のストレッチをすると、再び鏡面へと向かって見る。
完全に、というわけではないが、先ほどとは大分マシになったようで、筋肉の強張りが若干解れた。
もうそろそろ自分の部屋がある回数に到着する時間である。続きは家に帰ってからにすることにした。



フラン(家に帰ったら外さないと……)



再び電子音が鳴り響き、鉄籠の扉が開け放たれる。
フランドールはエレベーターの外に出ると、自宅に向かって歩いていった。

短いですが今日はここまで
質問・感想があればどうぞ

姉は隣りの部屋?

>>172
レミリアとフランは相部屋です
レミリアにはフランの保護者としての立場もあるので


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     *     *     *






フラン「ただいま~」



フランドールは帰宅の挨拶をするが、それに対する返答は無い。
ただ彼女としては予想通りのことだったらしく、気にする様子は皆無だ。



フラン(おねえさまは、まだ帰ってきてないみたい)ドサッ!



自室に入ってランドセルをそこら辺の床に放り投げると、部屋にある少し大きめのベッドの上に腰を下ろす。


フランドールとレミリアは一つ屋根の上に暮らしている。
本来であればあり得ないことであり、普通は学校の寮で暮らすのだが、
レミリアは『保護者』の立場であり、彼女の強い要望もあって特別に例外が通されていた。
ただしレミリア自身も学生であり、彼女一人だけでは当然不安が残るため、
何か異常が起こっていないか定期的に教師が訪問に訪れている。


フラン「さて、と……」



少しの間ベッドの上で呆けていた彼女だが、ふと思い出したかのように立ちあがると、そのままトイレへと向かう。
そして備え付けられた洗面台の前に立ち、鏡を凝視したかと思うと、その指を自身の目へと差し入れた。



フラン「んっ……」



目を大きく見開き、目じりを抑えつつ数回瞬きする。
すると目の中から黒色の何かがぽろりと落ち、彼女のもう片方の手のひらへと吸い込まれた。


その物体の正体とは、黒色のカラーコンタクトレンズ。
ただし度は無く、瞳に色を付けるためだけの娯楽用品である。
何故彼女がそんなものを付けているのか。その理由は、再び鏡に映る彼女の顔に示されていた。


フラン「んー……ちょっと紅くなってきてるなぁ、『眼』」



彼女の眼球。その瞳孔の部分が紅く染まっていた。
完全な真紅というわけでは無く、ただ若干紅く濁っている程度のものだが、
それでも普通の人間には無い違和感を際立たせている。


その眼はフランドールが気付いた時には、いつの間にかそうなっていたものだ。
常日頃からそうなっているというわけではなく、一ヶ月に一度の周期でこうして瞳孔が変色するのである。


突然目の色が変わるなど、普通の人間であれば何かの病気ではないのかと不安になるだろう。
しかしその異常を前にして、フランドールが動揺することは無かった。
それもそのはず、同じように眼が紅く、しかも日常的にそうなっている人間が彼女の身近にいたからだ。


その人間とは他でもない、彼女の姉のレミリア・スカーレットである。
レミリアの眼は妹と同じく紅いが、周期的にではなく恒常的にそうなっている。
故に姉はその眼を周囲の人間から隠すために、日頃から黒のコンタクトレンズを付けていた。


フランドールが姉と同じようにコンタクトレンズを付けているのも、同様の理由によるものである。
コンプレックスを抱いているというわけではないが、それでも他者の好奇の視線は気になる。
それに同学年の友達に知られでもしたら、しつこい冷やかしを浴びせられるのは想像に難くない。
彼女にとって、そんな面倒臭い状況は真っ平御免だった。



ガチャッ!



「ただいま」



フランドールがコンタクトレンズを仕舞おうとしていると、玄関口から来訪者の声が聞こえて来た。
少し低い、コントラルトの声色。聞き間違えるはずもない、姉のレミリアの声だ。
どうやら学校での勉学を終えて帰宅したらしい。


フラン「おかえり」

レミリア「あら、フラン。 帰ってたの?」

フラン「うん、ついさっき」



わざわざ玄関先に出て出迎えるようなことは無く、フランドールは声だけで挨拶を交わす。
姉妹の会話にしては、少々素っ気なく感じられるやり取り。
その理由は、フランドールは堅苦しい礼儀作法が好きではないからである。
レミリアも妹の心情については理解しているようで、そのことについてはあまり気にしているようには見えなかった。


一通りの作業を終えたフランドールは、洗面台から居間へと移動する。
そこには荷物をテーブルの上に置き、制服から私服に着替えている途中の姉の姿があった。


フラン「今日は早いのね」

レミリア「部活が休みになったからね。 中間テストも近いし……」

レミリア「他の子達もテスト勉強に専念すると言っていたから、テストが終わるまでは遊ばずに勉学に勤しむつもりよ」

フラン「ふーん……そうなんだ」



中間テスト。そう言えば、もうそんな時期だったか。


確か数日前に、学校の先生から中間テストの出題範囲について説明があった気がする。
今回のテストは前回の内容が簡単だったこともあり、少し難しめにするらしい。
当然生徒たちからは非難轟々であり、それを鎮めるために先生が苦労していたのを覚えている。


『自分もそろそろ勉強しなきゃ』等とぼんやりと考えていた時、
レミリアが突然真顔になって質問を投げかけて来た。


レミリア「……そう言えば貴方、私に先ず言わなきゃならないことがあるんじゃないの?」

フラン「え?」

レミリア「貴方、超能力を身につけたらしいじゃないの。 それを報告するべきじゃないのかしら?」

フラン「!? どうして――――」

レミリア「『どうして知っているのか?』、ね。 簡単なことよ、貴方の学校から連絡があったからよ」

レミリア「授業中にいきなり呼び出されたから、何事かと思ったけどね」

フラン「……そうなんだ」



話を聞くに、学校側が勝手に姉に対して情報を漏らしたらしい。
何か色々と言われるだろうと予測し、その話は姉には教えないようにしようと思っていた矢先のことだったので、
その事実はフランドールの心を大きく揺さぶることになった。


『なんてことをしてくれたのよ』と心の中で悪態をつくが、学校側の判断は間違っていない。
レミリアはフランドールの保護者だ。何かあった時、生徒の情報を保護者に伝えるのは当然のこと。
『フランドールが超能力を得た』という報せをレミリアに入れるのは、学校側にとっての義務である。


レミリア「それにしても、フランが能力者に、ね……先を越されちゃったわ」

レミリア「それで? 貴方の先生からある程度の大まかな話は聞いたのだけど、
どうやら個別授業を受けるように言われたみたいじゃない?」

レミリア「それに対して貴方は難色を示したようだけれど……それは何故かしら?」

フラン「何よ、お姉さまも同じことを言うの?」

レミリア「『同じ』?」

フラン「授業は私のためだとか、もっと強い能力者になれるとか……」

フラン「そんなの、もう聞き飽きたんだけど」


『この授業は君のためになる、とても素晴らしいものだ』。
『授業を受ければ、君はさらに上へと目指すことができる』。
それらの言葉は、教師達から耳にタコができるくらい聞かされた言葉だ。


確かに、その言葉は偽りのない真実であろう。
その授業を受ければ、フランドールの超能力はさらなる高みに登ることができるかもしれない。
彼女に可能性を見出した者にとって、それをただ腐らせるようなことはしたくないはずだ。
その考えは学園都市の常識に沿うならば至極尤もなことであり、そこに異論を挟む余地はない。


しかし、そんなことはフランドールにとっては全く興味の無いものだ。
現時点での彼女のレベルは『4』だが、その格は学園都市の能力者の中でも上層に食い込む位置にある。
学園都市に住む子供であれば、誰もが憧れるだろう高みに辿り着いているのだ。
これで不平不満を言おうものなら、それこそ他の者達に眼の敵にされるだろう。


それに、これより上の領域であるレベル5になるためには、天賦の才と途方もない労力が必要だ。
四六時中研究所にすし詰めとなり、研究者の手で身体のあちこちを弄り回されるのである。
そこに自由など無く、待っているのは『超能力を調べるための実験動物』という待遇しかない。
そんな扱いを受けてまで、彼女は更なる力を付けたいという気になれなかった。


レミリア「……」



一方指摘されたレミリアは、此方を見たまま一言も言葉を発しない。
それが意味することは何か。言うまでもなく『図星を突かれた』ということだろう。
自分がこれから言おうとしたことを先んじられたのだ。それで思わず、言葉が詰まってしまった。



フラン「……やっぱりね」



そんな姉を見て、フランドールは蔑むような眼を向けながら呟く。
姉が敵であるということを見抜いた優越と、そして僅かながらの失望。その感情が彼女の顔に酷薄な笑みを浮かべさせる。
それはあたかも、小悪党を心底見下す人の顔のようであった。


しかし、彼女は決して『善人』などでは無い。
自分が我儘を言っているだけであり、そこに『正義』などという孤高なものが存在するはずがない。
第三者が見れば全員が全員、我儘を言うフランドールを『悪』と見なすだろう。
だが、今の彼女にとって自身の善悪のことなどどうでも良いこと。
重要なのは『姉が敵である』ということであり、『敵の謀略を見抜いた』ということだけである。



フラン「友達から聞いたんだけど、レベルが高い能力者ってずっと研究所に缶詰になってるみたいじゃない」

フラン「体を好き勝手に弄られて、何も無い時はずっと監視されるとか……」

フラン「そんな面倒でつまらないことなんて、絶対にしたくないから!」



フランドールは口を閉ざし続ける姉に対し、畳みかけるようにして
そして最後に明確な否定の言葉を叫ぶと、そのまま外へと飛び出してしまった。


姉と一緒にいることが耐えられなくなったのだろう。
これ以上の追及を避けるために、彼女は半ば衝動的に行動したのだ。
当然、行く先など決めているはずない。その周辺をぶらぶらと徘徊することになるのは目に見えている。


レミリア「……はぁ、仕方ないわね」



開け放たれた玄関の扉を見やり、レミリアは呆れるように小さく溜め息をついた。
自身の言葉に対してフランドールが何かしら反発することは予想していたのだが、
話の展開が全く自分の思い描く通りになるとまでは思いもよらなかったのである。
少しくらいはこちらの話を聞いてくれるとは思ったのだが、わき目もふらず飛び出してしまうとは。



レミリア(ま、暫くすれば戻ってくるでしょ。 それよりも……)

レミリア(説得は失敗、か。 まぁ、元からあまり期待できなかったのだし……)



『それほどのことでもないわね』と、心の中で一人ごちる。
元々期待薄だったのだ。彼女がその事実に何かしらのショックを受けることはない。
強いて言うならば、心の中に残っているのは無駄骨を折らされたことに対する徒労感くらいだろうか。


レミリア(それにしても、どう報告しようかしら? 期待されているのだし、
     『はい、無理でした』なんて簡単に済ませるのも私の威厳に関わるし……)



レミリアがフランドールを説得しようとしたのは、彼女の善意によるものだけでは無い。
そのもう一つの理由。それは、フランドールが通う学校から依頼されていたからだ。


その依頼がされたのは、フランドールが超能力を修得した知らせが来た時と同時。
つまり、学校で授業中に呼び出しされた時のこと。
勉学を途中で打ち切られて何事だろうと職員室に向かった先、
教師から手渡された電話越しにそのことを伝えられたのである。



レミリア「はぁ……まったく、面倒なことになったわね」



彼女は大分傾いた太陽を眺めながら、人目を憚らず大きな溜息をついた。

今日はここまで
質問・感想があればどうぞ

体を好き勝手弄るつもりなんでしょ?同人誌みたいに!同人誌みたいに!

虹彩が紅い程度、学園都市なら普通に居そうだけど……ww

>>190
薄い本が厚くなるな……これ以上は厚くならないか

>>191
虹彩が赤い人の数は人類の人口の0.001%程度。アルビノの人間がそれ該当するそうです
スカーレット姉妹はアルビノではないので、それにも拘わらず虹彩が赤いのは非常に珍しいということですね

これから投下を開始します






――――PM2:13






『授業中、申し訳ありません。 至急お伝えしたいことがあり、ご連絡させていただきました』

レミリア(……いきなり何かしら)


レミリアが通う学校の職員室。
教師から受け取った受話器を耳に押し当てたその時、フランドールが通う学校の人間は不意にそう口にした。


何が起こっているのか上手く飲み込めないこの状況。
此方の質問を待たずに話を進めようとする相手に文句をぶつけたくなるが、レミリアは済んでの所で留まる。
周りに教師達がいるのだ。変に騒ぎ立てれば碌でもないことになるのは目に見えている。
彼女はふつふつと湧き上がる怒りを収めつつ、相手の言葉を待つ。



学校側『本日行われた『身体検査』の結果、フランドールさんが超能力を修得していると判明しました』

学校側『能力名は『物質崩壊』。 念動力系の能力に分類され、『強度』は『4』です』

レミリア「……そうですか。 ご連絡ありがとうございます」


矢継ぎ早に説明する相手に対し、レミリアは努めて冷静に返答する。
何故なのかはわからないが、察するにどうやら学校側は相当焦っているようだ。
社会人としては考えられない礼を失する態度から、そのことを読み取ることができる。
いや、直接レミリアの学校へ連絡してくること自体が既に異常と言えるだろう。


だが、そのことを指摘するのは尚早だ。
相手の不可解な反応に違和感を覚えながらも、レミリアは静かに話を聞き続けた。



学校側『はい。 ですが、本日貴方にご連絡させていただいた理由はそれだけではございません』

学校側『フランドールさんの今後について、保護者でいらっしゃる貴方にご協力をお願いしたいのです』

レミリア「協力……?」

学校側『フランドールさんの能力ですが、少し危険なものであることがわかっていまして……』

学校側『使い方を間違えると、大事故に繋がる可能性が示唆されています』

学校側『フランドールさんは能力に目覚めたばかり……能力を使う上で注意すべきことをしっかり理解しているとは言い難い』

学校側『そしてもう一つ、彼女の能力は今後も伸び代があると判断されております』

学校側『以上のことから、私達の方でフランドールさんに超能力を扱う上での必要な教育を施すこと、
そして超能力の向上を図るために個別のカリキュラム考案したのですが……問題が生じまして』


そこで電話口の人間は声のトーンを低くして言い淀む。


何故、学校側がなりふり構わず自分に連絡をしてきたのか。
その理由を、レミリアは今までの話の流れからある程度察することができた。
学校側の行動とフランドールの性格。それから導き出される答えは一つ。



レミリア「……妹がその案を拒絶した。 そういうことですか?」

学校側『! ……お察しの通りです』

レミリア「まったく、あの子ときたら……要件というのはあの子にその案を飲むよう、
     私に説得して欲しいということですか」

学校側『そうです。 ある程度の猶予を与えるので、もう一度よく考えるようには言い渡したのですが、
    このままだと返答の内容が変わるとは思えませんので』

学校側『フランドールさんのためでもありますから、おいそれと引き下がるわけにも参りませんし……』

学校側『出来るだけ早めに、良いお返事を頂きたいのです』

レミリア(なるほど……)


レミリアはここで学校側が言いたいことを完全に理解する。


要は、学校側は自分達の口では説得できなかったから、その役目を自分に任せようというのだ。
確かに自分はフランドールの保護者である。保護者の立場を使って、フランドールを説得することは可能だろう。
都合良く利用されているようで少し気にいらないが、だからと言って断ってしまうのも考え物だ。


レミリアはフランドールの姉であると同時に、保護者としての立場も有している。
ここで学校側の提案を拒絶するということは、その立場を放棄することと同じ。
そして、レミリアとフランドールが同じ屋根の下で共に暮らしていられるのはその立場があってこそ。
本当であればフランドールは、学校付属の寮に暮さねばならないのだから。



レミリア(向こうの提案を断るのは無理ね。 あの子が私の眼の届かない所に行ってしまうのは危険だわ)

レミリア(ここは科学の街。 私たち魔術側の人間にとっては、敵地の真っただ中にいるようなもの)

レミリア(わざわざ孤立するような状況を造るのは愚策もいいところね……)


レミリアは静かに、そして素早く考えを巡らせる。


レミリアとフランドールは、元を正せば魔術の領域に属する人間だ。
超能力開発を受けた時点で魔術を捨てたも同然なのだが、それでも立つ位置が変わったというわけではない。
例え魔術を使えなくなったとしても、『魔術を知っている』という点は変わらないのだ。
彼女達はどう頑張っても、『魔術を知らない真っ当な科学側の人間』になることはできない。


それを考えると、『科学』と『魔術』の間にある確執は避けられない問題だ。
この二つの陣営が長年にわたって戦争状態にあるということは、レミリアも父親からよく聞かされていた。
今でこそ互いに不干渉を貫いているが、過去に於いては血生臭い争いを何度も繰り返していたと聞く。
レミリアにとっては心底どうでもいいことなのだが、だからと言って無関係を貫くことなどできはしない。


『科学』と『魔術』が敵対している以上、本人に意思とは無関係に彼女達は『学園都市の敵』である。
今は平穏を享受しているが、実際はいつ学園都市の尖兵に攻撃を仕掛けられるかわからないのだ。
レミリアは自傷覚悟であればある程度身を守ることができるが、フランドールは何の力を持たない一般人に等しい存在。
互いに離ればなれになるのは、二人にとって何の良い結果も齎さない。


故に、レミリアに学校側の要求を断るという選択肢は存在しなかった。


レミリア「わかりました。 その依頼、お受けします」

学校側『おぉ、ありがとうございます!』

レミリア「いえ、妹のためでもありますし、私は無能力者ですから……能力関係についてはお任せします」

レミリア「あの子が私の言うことを素直に聞いてくれるかはわかりませんが」

学校側『説得できなかった場合についての対処は考えておりますので、例えそうなっても気に病む必要はございません』

レミリア「えぇ」



電話越しでも伝わるほどの大袈裟な感謝の言葉を聞きながらも、レミリアの心中は冷静そのものであった。


他者に感謝されることが嫌いというわけではない。
寧ろ他者からの好意は自身のパラメータとなる重要なものであり、
一族の名を背負っている彼女にとっては『名声』の面で好ましいことである。


それにも拘らず愉悦を得ることができなかったのは、心にしこりの様なものが残っていたからだ。
話の始まりから抱いていた『あの疑問』。それを解消するべく、レミリアは電話越しの相手に質問をぶつける。


レミリア「……一つだけ、尋ねてもよろしいでしょうか?」

学校側『何でしょう?』

レミリア「貴方の言動から、何やら随分と急いでいる印象を受けたのですが……それは何故?」

学校側『いえ、それはですね……』

レミリア「私としては、本来なら個別授業を受けるかどうかはフラン本人が判断すべきことだと思います」

レミリア「あの子も馬鹿ではありませんから、そちらの厚意には気付いているはず……」

レミリア「じっくり話し合いさえすれば、自分から納得して個人授業を受けるでしょう」

レミリア「それなのに貴方達はあの子との対話を早々に諦め、私という身内に縋りついた」

レミリア「傍から見れば、教師としての義務を放棄したようにも捉えられますが……?」



相手の言い訳を許さないかのように、レミリアは言葉を覆い被せていく。
こうして自身の考えを口にしていくにつれて、学校側の行動の中にある不可解な点が徐々に明白になってきた。


そもそも、話の展開が急過ぎるのだ。
フランドールが超能力を会得していることが発覚したのは、恐らく昼頃のこと。
それから数時間の内にフランドールへの個別授業の案が学校の中から出て、
それを本人に提案した所拒絶され、さらにその説得の御鉢がレミリアに回ってきたのである。


普通であれば、数日かかって展開される話であるはず。
それを考えると、学校側がどれほど焦っているのかが改めて理解できるだろう。



学校側『えー、それは……』

レミリア「……」



言葉が詰まり、中々二の句が継げない学校側。
その様子に対し、レミリアの心の中にある猜疑心が急速に膨れ上がっていく。


質問に答えられない時というのは、『答えると自身の都合が悪くなる』、
そして『その場凌ぎの言い訳を考えている』時と相場は決まっている。


つまり、学校側はレミリアに対し何らかの後ろ暗いものがあるということだ。
無論、それなりに歳を食った大人であれば息を吐くように嘘八百を並べることができるのだろうが、
レミリアと相対している大人はそれだけの機転は持ち合わせていなかったらしい。
ただ単純に、子供であるレミリアに急所を突かれるとは予想していなかっただけかもしれないが。


レミリア「……結構です」

学校側『はい?』

レミリア「先ほどの質問については、お答えしなくて結構です」

学校側『し、しかし……』

レミリア「答えられないというのであれば、これ以上詮索はしません」

レミリア「貴方も組織に属する人間です。 しがらみで思うように動けないこともあるでしょうから」

学校側『……』



レミリアは電話越しの相手に労わり言葉を投げかける。
しかし実際の所、その言葉に相手を思いやるような感情は乗せられていなかった。


今の彼女の内にあるのは、学校に対する『不信』のみ。
『相手は自分達に何かを隠している』という、断定こそはできないが半ば確信めいた考えがあり、
そして彼らが隠しているであろう『何か』についても、彼女はある程度察知していた。


レミリア(大方、フランの能力を狙っているんでしょうね)



学校側が今、何を考えて行動しているのか。どうしてこれほどにまで焦っているのか。
学園都市に蔓延する『超能力至上主義』。全てにおいて超能力を優先するその価値観を鑑みれば、理由など容易に推し測れるだろう。


『一人の超能力者の価値』は『幾千の無能力者の価値』よりも遥かに勝る。
学校側にとって能力者の生徒が居るのと居ないのとでは、得られる恩恵は雲泥の差があるのだ。
つまり彼らとしては、能力者であるフランドールは垂涎ものの存在なのである。


故に彼らはどんな手を使ってでも、彼女を手に入れたいと考える。
――――例えば、『身内を利用して彼女を説得する』等の方法を使ってだ。


レミリア(何ともまぁ、随分と姑息な手を使うものね。 倫理に欠けた狂人には相応しいのかもしれないけど)



レミリアは相手の愚劣な考えを、心の中で侮蔑した。
妹を、フランドールをただの『超能力を持った人間』として扱うとは。


本当であれば自身の手で八つ裂きにしてやりたいところだが、無能力者である彼女にそんな力があるはずもない。
正確には手段はあるのだが、諸刃の刃であるそれを使ってまで奴等を粛清するのは余りにも危険過ぎる。


直接指摘して釘を刺すことも考えたが、狂科学者たちがこちらの発言を意に介すとも思えない。
加えて、此方の不信は明確な根拠が無い直感的なものであるため、指摘してもはぐらかされるだけだろう。
故に、彼女はその意思を声色に乗せることだけでしか表示することができないのだ。


レミリア「フランの説得は、先ほど申し上げたようにきちんと行います。 断るつもりはありませんのでご安心を」

レミリア「能力を手に入れた人が道を踏み外すのを、私も何度か見てきていますので……」

レミリア「それと、あの子のことをいち早く教えてくれたことには心から感謝しています」

レミリア「今後も、『あの子のことを大切にしてくださいね?』」

学校側『……了解しました。 それでは吉報をお待ちしております』

レミリア「えぇ。 それでは」ガチャン!



レミリアは相手が通話を切るのを待たずに、少々乱暴に受話器を置く。
プラスチック同士がぶつかる軽い音が職員室に響き渡った。

今日はここまで
質問・感想があればどうぞ

これから投下を開始します






――――PM 7:23






レミリア(……帰ってこないわね)ジュー



レミリアはフライパンを揺すりながら、未だに帰ってこないフランドールを考える。


彼女は今、料理の真っ最中。
部屋の中には香ばしい肉が焼ける匂いが漂い、そこにいる者の胃袋を刺激する。
彼女がフライパンを勢い良く振り上げると、中から挽肉の大きな団子が宙へと舞い上がった。


今日の料理はハンバーグ。フランドールの好物の一つである。


本当であれば、今日造る料理をハンバーグにするつもりは全く無かった。
そもそも無能力者(フランドールは本日晴れて能力者になったが)であり、
奨学金をあまり多くもらえない彼女達にとって、肉料理などそう頻繁に食べられるものではない。
貧乏学生の例に漏れず、もやしやキャベツ、そして特売の卵を用いた健康的とは言い難い格安料理を作る予定だった。
勿論亡くなった両親の遺産はあるにはあるが、それについては成人するまでなるべく手を付けないようにしていた。


では何故路線変更をしたのかというと、言ってしまえばフランドールのご機嫌取りのためである。
反抗期なのかは定かではないが、フランドールは最近目立って姉に不平不満を漏らすことが多くなった。
言葉上は普通であるが、声の端々に棘が混ざり始めている。


一応保護者の立場であり、彼女の親代わりを務めている以上、
フランドールとの仲が悪くなるのは絶対に避けたいことであり、何とか仲を取り持ちたい。
しかし反抗期の子供の対処法を、同じ子供であるレミリアが知るはずもなく、
精々できることと言えば物を使って釣り上げることぐらいであった。



レミリア(変な意固地を出して門限までに帰ってこない、なんてことにならなければいいけど)

レミリア(あの子ったら、ケータイも持たずに出て行ってしまったし……)



フランドールが部屋に携帯電話を置いていってしまったことから、今彼女と連絡を取る術は皆無である。
不機嫌な状態のまま家を飛び出してしまったことを考えると、連絡が取れないというのは不安要素でしかない。
変な気を起こして危険地帯に入り込み、事件に巻き込まれてしまったとしても、彼女は姉に助けを求めることができないのだから。


こちらからフランドールを探しに行くことはできる。
しかし彼女がどこにいるのかわからない以上、門限まで見つけることができないか、入れ違いになる可能性の方が高い。
それよりであれば、こちらは動かずに待っている方が賢い選択だろう。
無論、これはフランドールに今日中に家に帰ってくる意思があればの話になるが。



レミリア「結局、無事に帰ってくるのを待つしかないか……っと」



程良い焦げ目が付いたハンバーグを再びひっくり返しながら、レミリアはそう結論付けた。



レミリア(そろそろかしら……)



火の通り具合を見るべく、レミリアはハンバーグを爪楊枝で少し突く。
すると穴が空いた場所から、透明な肉汁が弾けながら飛び出してきた。
どうやら良く火が通っているようだ。これ以上焼くと表面が焦げてしまいそうなので、そろそろ頃合いだろう。


少し大き目の皿を棚から取り出すと、予め刻んでおいたキャベツを手早く敷き、
さらに惣菜のマッシュポテトとミニトマトを数個添える。
そしてフライパンをコンロから引き上げると、中に入っている大きなハンバーグを静かに皿に移した。
仕上げに残った肉汁をその上に少しかけて完成。パチパチという軽い音と共に、微かな白い蒸気が立ちあがる。


レミリア「ん~~~……我ながらカンペキね」



料理の出来栄えを見て、レミリアはそう自賛する。思わず写真に撮ってしまいたい衝動に駆られた。


今でこそ彼女は人並みに料理を作ることができるが、学園都市に来た当初といえば、それはもう散々であった。
何故かと言えば、イギリスに居た頃は館のメイドが作ってくれていたこともあり、
彼女自ら料理をしたことなど一度も無かったからである。
そして学園都市に来て間もなく、『ここで暮らすためには自炊することも必要だろう』と考えて行動を起こした結果、物の見事に失敗。
施行錯誤の末できたヨクワカラナイモノを、冷たい目線を向ける妹の前で泣く泣く食したのは今でも鮮明に覚えている。


そんな時代と比べれば、今のレミリアの料理の腕は格段に向上している。
少なくとも、友人を呼んで料理を振る舞う位は出来るだろう。



レミリア(今度、誰かを呼んで料理を御馳走するのもいいかもしれないわね)



そんなことを考えつつ、彼女は料理が入った皿を運んで行った。






――――PM 8:35






レミリア「……遅い」



8時半頃を指し示している時計を見やり、レミリアは少し苛立ちながら呟く。
眼前に据えられたテレビには、中年の男性が黒板に向かって文字を書き連ねる様子が映し出されている。
内容は高校数学。レミリアはその番組を見つつ、今日自身に課せられた宿題を片付けていた。


学園都市のテレビ番組は、外部のそれと比較して教育系のものに偏っており、
その反面娯楽番組は非常に少なく、放送時間も限られている。
特に小中高それぞれの学校で学ぶ授業を解説する『教育番組』が一際多く存在し、
ゴールデンタイムと呼ばれる時間帯でも平然と高校の数学解説をやっていたりする。


教育番組がテレビを席巻してしまっているのは、学園都市の方針によるところが大きい。
この街では教育には関係の無い、娯楽に関わる商品には法外な税金がかかる。
しかしその代わり、勉学に関わる商品についてはほぼ無税と言っても差し支えないほど税金が低い。
詰まる所、教育番組は無料で視聴できるが、本格的な娯楽番組を見たい場合は別途で受信料が必要となるのである。


『学生の本分は勉強である』という、大人にとって至極真っ当な正論を反映した結果であった。


レミリア(宿題が終わっちゃったから、やることが無くなってしまったわ)ピッ

レミリア(それに、料理もすっかり冷めてしまったし……)



レミリアは味気のない番組を流し続けるテレビを消すと、テーブルの上に広がる料理を見て眼を細める。


料理をテーブルに運び、フランドールの帰宅を待つこと1時間。
折角作った妹用のハンバーグはすっかり冷めてしまい、油が固形化して白くなっているという有様だ。
電子レンジを使って温めればそれでいいのだが、彼女としては出来たてを食べさせたかったこともあり、
何とも言い難い無念を心の中でひしひしと感じていた。



レミリア(門限まで後少し……まだ余裕はあるけど、どうしたものかしら)



マンションの中央エレベーターが休止するまで残り30分。妹が帰ってくる気配は未だに無い。
少し待てば頭を冷やして戻ってくるだろうと考えたのだが、どうやら見通しが甘かったらしい。
フランドールの心中は、レミリアが思ったよりも荒れていたようだ。


これは非常に不味い。
門限を過ぎたら最後、フランドールは明日までこの建物から閉め出されることになり、
逆にレミリアはこの建物から一歩も外に出ることができなくなるのだ。
果たして、家に帰ることができなくなった妹は一体どのような行動を取るのだろうか。



レミリア(最悪、『警備員』に連絡した方が良いかしら……?)



レミリアは最終手段として、『警備員』を利用する案を思いつく。
もしもフランドールが帰ってこなかった時は、『警備員』に保護してもらおうという考えだ。
最も安全で確実な方法である。しかし、その案を考えた当人の表情は優れなかった。


彼女としては、出来るだけ『警備員』や『風紀委員』といった公安機関のお世話にはなりたくない。
理由は様々ではあるが、敢えて挙げるとするならば『自身が魔術師の端くれだから』である。
科学と魔術は互いに相反するもの。彼女の立場で考えると、敵陣のど真ん中に入り込んでいるようなものだ。
そんな場所で目立つ行動を取るのは、どう考えても賢いとは言えない。


彼女の用心深さをただの杞憂だとする人がいるかもしれない。それは一理ある。
科学が全てを占めるこの街に於いて、『魔術』などただの空想上の産物に過ぎない。
現に、レミリア達が街に住み始めてから一度も『魔術』という言葉を耳にしたことは無かった。


おそらく、この街に『レミリアが魔術師であること』を見抜ける人間はいない。
彼らにとって、魔術は『存在しないもの』なのだ。魔術が存在しないのならば、当然魔術師も存在しない。
『存在しない存在』を見抜くことなどできはしないのだから。


だがそれは所詮『おそらく』であり、絶対確実とは言えないものだ。
もしかしたらこの街の何処かに、自分達と同じように潜入している魔術師が居るかもしれない。
そして、その人物とばったり出くわしてしまったら。そうでなくとも、自分達のことを知られてしまったら。
その時点で今までの平穏は脆く崩れ去り、最悪破滅を迎える可能性すらある。


故に、例えそれがほんの僅かな可能性であったとしても、ゼロでは無い以上用心するに越したことは無い。



レミリア(でも、万が一の時に何も出来なかったら本末転倒だし、今回ばかりはしょうがないかしらね)



しかし『警備員』の手を借りなかったがために、フランドールの身に何かがあってしまっては意味が無い。
本当に必要な時に限っては、多少のリスクには眼を瞑る必要があるだろう。


そう判断したレミリアは、『警備員』に連絡を取るべく受話器を手に取ろうとした。ところが――――


ガチャッ!



その行動を遮るようにして、玄関先から扉が開く音が聞こえてきた。



レミリア(……帰って来たみたいね)



音を出した人物に当たりを付けた彼女は、受話器にのばした手を引く。


おそらく、フランドールが戻ってきたのだろう。
彼女が家を飛び出してから3時間余り。その間何をしていたのかは知る由もないが、
おそらくこの周辺をただ歩き回っていたのだろうとレミリアは想像した。


フランドールは財布も持たずに飛び出していっていたので、何処かの店で暇つぶしをすることは出来ない。
ホテルに泊まって一夜を過ごすなど、尚更あり得ないことである。
また特別に親密な友人を持たない彼女が、その友人の家に転がり込むとは思えない。
何よりも、彼女の友人が居るであろう学校の寮と自宅は、歩いて向かうには距離が離れ過ぎている。


故に家を飛び出したフランドールが最終的に取る行動は、次の日の朝になるまでこの街の何処かで野宿をするか、
もしくは大人しく自宅に戻るかのどちらかに帰結するのは必然であった。
もっとも、野宿をした場合はレミリアから依頼を受けた『警備員』が彼女を補導し、
自宅に連れてくることになっていたはずなので、どちらにしても結果は変わらなかったのだが。


レミリア「フラン、今までどこに――――」



レミリアは玄関に赴き、帰宅したフランドールを迎え入れる。
感情のままに行動した不出来な妹を刺激しないように、穏やかな口調を装いつつ。
しかしその言葉は、最後まで紡がれることはなかった。



フラン「……」

レミリア「フラン、貴方……」



レミリアはフランドールを見て、その場に棒立ちになる。
目の前に立つ妹の姿は、自身が想像していたものとはかけ離れたものだったからだ。


顔、腕、足……全身に見られる擦り傷と打撲。
血こそは流れていなかったが、赤く腫れ上がったそれは元から色白の彼女の肌にはあまりにも目立ち、
特に顔の傷は実際の怪我の度合い以上に、見た目の痛々しさを強調している。
彼女が着ている服は何故か灰色に染まっており、何処かに引っかけたかのように破れている箇所もあった。
これではもはや、その服を着ることは二度と出来ないだろう。


しかしそれ以上に、レミリアの視線を引いたのが『眼』だ。
普段の快活な彼女の様子からは考えられない『座った眼』。家を飛び出す前とは違った、覇気のない眼だ
それが生み出す周りの全てを拒絶するかのような眼光は、レミリアの体に深く突き刺さり、その場に縫い付けた。


レミリア「何が――――」

フラン「――――」ダッ!



数瞬の後、金縛りから解かれたレミリアは重苦しくその口を開く。
しかし事情を聞くより先に、フランドールはその追求から逃れるようにして足早に姉の脇を通り過ぎた。


そして彼女は自身の部屋に飛び込み、そのまま部屋の鍵をかけてしまう。



レミリア「フラン! 何があったの、フラン!」



レミリアは慌ててそれを追いかけ、フランドールに対し扉越しに声をかけるが時既に遅く。
部屋に閉じこもった妹は、沈黙を保ったまま取り合おうともしない。
姉の侵入を拒む木製の扉は、その時に限っては重く頑丈な石扉のように思えた。


一体、妹の身に何があったのか――――
扉の前に立ち尽くすレミリアの頭の中に、様々な仮定が思い起こされる。
しかし仮定が確証に至ることはなく、その思考は濃霧の中を歩くかのように定まらず、彷徨っていた。


妹の口から語られない限り、真実を知ることは出来ない。だが、少なくともこれだけは言えることがある。
それは彼女の身に起こったことは、『決して良いものではない』ということ。
どの程度『良くない』のかはわからない。ただ、それが軽いものであることを願うしかない。



レミリア「……」



どうすることも出来なくなったレミリアは、妹をそのままにして居間に戻る。


戻って眼に付いたのは、テーブルの上に並べられた2皿の料理。
一つは自分の、もう一つは妹の分。すっかり冷め切ってしまった料理の姿は彼女の心に寂寥をもたらした。
無言のまま椅子に座ってナイフとフォークを手に取り、ナイフでハンバーグを丁寧に切り分け、その一切れを口に含む。


レミリア「……冷たくて、美味しくないわね」



口の中に入れた肉塊を噛みしめながら、ぽつりと言葉を漏らす。


不味い。とてもではないが、『美味しい』と言える代物ではない。
口の中に広がる塩の味と、凝固した油のぬるぬるとした舌触り。
もそもそした食感のそれを、しっかり味わって食べようとは到底思えなかった。


ただ、この料理を『不味い』と思える理由には、味や食感以外にも何かある気がする。
レミリアはその理由をぼんやりと考えつつ、冷めた料理を最後まで食し続けた。

今日はここまで
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フラン「……」



レミリアが冷めたハンバーグを一人で食べている頃。
フランドールは自室のベッドに上に蹲り、身じろぎ一つせずにいた。


部屋に明かりは付いておらず、カーテンまでも閉めきっており、一寸先も見えない暗闇である。
更には、今夜は新月のために月明かりが入り込むこともない。
闇に眼を慣らしたとしても、辛うじて物の輪郭がわかる程度にしかならないだろう。
もっとも、顔を伏せてしまっている彼女にとってはあまり関係のないことなのかもしれない。


顔はほぼ全てが膝の下に隠れており、その全貌をうかがい知ることはできない。
また彼女は家に帰ってから着替えもせずにいるため、衣類はぼろぼろのままだ。
それを身に纏っている後ろ姿は、心なしか見た目以上に小さく見える。


どうして、彼女はこのような姿になってしまったのか。
その理由を知るには、彼女が家を飛び出したその後について詳しく読み解くしかないだろう。






――――PM 6:22






フラン(あ~……どうしよ)



街の中を一人で歩きながら、フランドールは一人頭の中で悶絶していた。


姉の追及を振り切るように家を飛び出してから数十分。
目的地も定めずに無我夢中で走り回った結果、彼女はいつの間にか街のど真ん中にいた。
周囲には授業や仕事帰りの人、そして夕飯の材料を買い求めている人でごった返している。
誰も彼もフランドールのことを眼に止めることはなく、追い立てられるように足早に歩いていた。


その光景を見て彼女は急激に孤独感じることになったが、この事態を引き起こしたのは彼女自身。
責めるべきは他者ではなく、姉から逃げ出した自分本人であることは疑いようもない。
しかし『自省』などという大人な判断が出来ない彼女には、レミリアに対してぶつくさと不平不満をぶつけることしか出来なかった。


そんな子供な行為暫くしていたフランドールではあるが、やがてその『不満』は次第に『焦り』へと変化してくる。
姉に対して粗暴な口利きをしてしまったという事実。それによる後悔が首を擡げてきたのである。


レミリアは彼女にとって、口うるさくはあるが頼りになる姉だ。
家の管理をしているのは彼女だし、フランドールが通う学校からの連絡を受け取っているのも彼女である。
言ってしまえば、レミリアはフランドールの親代わりであり、
フランドールがこの学園都市で暮らしていけるのは、全てレミリアのおかげなのだ。


何から何まで世話になっている姉に対し、何の感謝の念も抱かないなどという恩知らずな性格はしていない。
彼女自身は自覚していないが、心の何処かで姉に対し羨望のようなものをもっている。
その想いが、幼いながらも彼女に自責の念のようなものを抱かせたのだろう。



フラン「うぅ~……」



顔を俯き、時々低い唸り声を上げながら街の中をフランドールは歩く。
端から見れば少々不審に見える姿であったが、そんな彼女の様子を気にかける者はいなかった。
しかしそのおかげで、彼女は『姉への釈明』についての思考に集中することが出来たのだが。


フラン(早くお姉さまに謝らないと何言われるか……でも、今戻るのは気が引けるし……)



今すぐ家に帰り、姉に対して謝罪するのか。
それとも、ほとぼりが冷めるまで待つのか。


彼女の思考はこの二つの選択肢の内、どちらを選ぶのかで判断をしかねていた。
普通に考えれば直ちに姉の元へ参じ、自身の非礼をわびるのが最良だろう。
己の失敗の後始末を先延ばしにすれば、手痛いしっぺ返しを食うのが当たり前である。


しかし再三言うように、幼子のフランドールにそのような大人びた判断が出来るはずもない。
仮に頭の中では理解していたとしても、『姉に対する恐怖』が行動を躊躇させてしまうだろう。
従って彼女に出来ることは、後ろめたさを感じながらも街中を徘徊することしかなかった。


フラン(もう少ししたら、戻ろうかな……でも……)



戻らなければならないと心の底で理解しつつも、覚悟ができずに踏みとどまる。
そんなことを繰り返して、どれだけの時間が経ったのだろうか。
時計も携帯電話も持たない今の彼女に、それを知る術はない。



フラン「……あ」



それからさらに、いくらかの時間が経った頃。
ふと無意識に顔を上げると、空が夕日に紅く染まっている光景が目の前に広がっていた。


見渡す限り立ち並ぶ高層ビル群の彼方に、輝きが鈍った太陽がぷかりと浮かんでいる。
ビルの隙間からこっそり街を覗き込んでいるように見え、
太陽がこの街から離れることを名残惜しんでいるように思えた。


フラン「きれい……」



ぽつりと、そんな言葉をフランドールは漏らす。
毎日見ているはずの夕暮れだというのに、今この瞬間においては、
心深く染み入る『何か』をそれから感じ取ることができた。


こんな風に茫然と空を見つめたのは、果たしていつ以来のことだろうか。
普段は全く気に留めなかったが、いざこうしてみると改めて空の大きさを身に沁みて感じ取ることが出来る。
それと同時に、自身が持っている悩みが見る見るうちに縮こまり、まるでくだらないもののように思えた。


『今は昔と比べて、空が狭くなった』と人は言う。
確かに、天高く聳え立つビルにより、目に見えるものは減ったかもしれない。
しかし、それでも空は、地上が如何に変わろうとも変わらずそこに在り続けているのだ。


フラン「……暗くなっちゃった」



結局フランドールは、太陽が完全に沈み行くまでそれを眺めていた。


足元を見ると、自身の影法師は既に無く、形のはっきりしない冥暗が映るのみ。
周囲では闇に沈む町を照らそうと、街灯の明かりがぽつぽつと付き始めている。


これより先は夜の時間。
昼間の活気に満ちたものとは違う、妖しい雰囲気が漂う『宵闇の街』が現出する。


そしてその世界において、フランドールの存在はあまりにも不釣り合いだ。
高校生や大学生といった、有る程度年を重ねた青年たちならまだしも、
年端もいかない小学生、しかも女の子が歩き回って良い場所ではない。
この街は、弱者に対してはそれほど優しくはないのだ。


そのことについては、フランドール自身も理解していた。
夜の街がどれほど危険なのかは、学校の先生から再三聞かされている。
そして犯罪に巻き込まれた生徒達が、一体どのような末路を迎えたのかについても。
子供達の事を考え、詳しく内容が語られることはなかったが、『それ』がどれほど恐ろしいことなのかは知っていた。


そして今、自分は犠牲になった生徒達と同じ『一人で夜の街にいる』という状況下にある。
自身を守る『盾(大人たち)』はこの場に無い。言うなれば、今の自分は暗い森に迷い込んだ脆弱な兎である。
『腹を空かせた狼(犯罪者)』に狙われたら最後、抵抗も出来ずに餌食となるしかないだろう。


その事実に気づいたフランドールは、急に強烈な不安に駆られた。
先ほどまでは全く気にしていなかったというのに、自覚した途端に恐怖が首を擡げてきたのだ。
まるで、不意に獰猛な肉食獣と相対した時のような。突然の出来事に一瞬呆けるが、
状況を理解した時に改めて襲い来る『あの恐怖』と似ていた。


フラン「早く、帰らないと――――」



誰かに聴かせると言うこともなく、ぽつりと言葉を漏らす。


その言葉が出た理由は、自身の中の不安を少しでも吐き出すため。
居るはずのない『誰か』と会話することで、平静を保とうとする無意識の行動である。
しかし、それは所詮付け焼き刃に過ぎない。心の中の不安は吐き出した以上に大きく膨れあがっていった。


やがてフランドールは、ゆっくりと自宅へ足を向け始める。
最早彼女の中には、姉に対する後ろめたさは微塵も残っていない。
『その程度のこと』など、自身に迫る危険に比べれば実に些細な問題である。
その代わりとにかくここから離れ、安全な場所へ行きたいという思いが強く支配していた。


彼女の足は迷いを見せることなく、帰路の道を進んでいく。だが――――











「よう、お嬢ちゃん。 俺達とイイことしない?」










少し、行動に移すのが遅かったようだ。


思わず足を止め、声をする方を見やるとそこには。
下卑た笑いを浮かべた男達がこちらを見ていた。

今日はここまで
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休日だというのに筆が進まない。書き溜めがががg



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     *     *     *







「ちっ、暴れんじゃねぇよ!」

フラン「いやっ、離して!」



それから数分後。
フランドールは男たち3人に、半ば誘拐される形で人の気配がない路地裏へと連れ込まれた。


周囲には見上げるほどの高さの高層ビルが建ち並び、空を非常に狭く見せている。
その空には星が瞬き始めているが、月はその顔を覗かせていない。
それもそのはず、今宵は『新月』。月が空から姿を消す日である。
故に月明かりに照らされない路地裏はいつも以上に闇が深く、人の本能に原初の恐怖を訴えかける。



フラン「きゃっ!」ドサッ!



人の眼が届かない場所に辿り着くと、フランドールの腕を引っ張っていた男は彼女を乱暴に前に突き出す。
その勢いのままフランドールは前につんのめり、その膝と手を地面に突いた。
手の平が強く擦れ、僅かに血が滲み出す。服には土埃が付き、真紅の衣装の所々を灰色に彩った。


男1「さて、と。 どうする?」

男2「どうするってお前、そんなもん決まってるだろ」

男1「俺が聞いてるのはどんなシチュがいいかってことさ」

男2「シチュって言われてもな……いつも通りじゃダメなのかよ?」

男1「3人でマワして終わりじゃ飽きるだろ? 偶には変わったことしないとな」

男2「まぁ……お前がそう言うなら別にいいけどさ」



フランドールをそっちのけで楽しげに会話を進める男たち。
会話の内容はほとんどわからなかったが、自分に『何か』をしようと相談していると言うこと、
そしてそれは碌でもないことであるというだけは理解できた。


フラン(どうにかして逃げないと……!)



フランドールは逃げる算段を立てるが、現状では難しいと言わざるを得ない。


人がいる大通りからはそれほど離れてはいない。
全力で走れば、比較的簡単にたどり着くことができるだろう。
しかし、男3人を振り切ってとなるとその難度は跳ね上がる。
未熟な小学生のフランドールの足では、男達の足からは逃げられない。


加えて用心深いことに、男たちはフランドールの逃げようとした時に対処出来るように策を立てていた。
ガタイの良い男2人が正面と背後に1人ずつ。彼女を挟むようにして仁王立ちしている。
彼らの脇をくぐり抜けるのは至難の技だろう。


そして残った1人は、フランドールにほぼ密着するにまで近づいており、ほとんど彼女を真下に見下ろす形になっている。
ここまで近づかれては、少しでも不審な動きをした時点で容易く取り押さえられてしまう。


それは正に二重の檻。
この手慣れた手口を見るに、おそらく男たちは過去に同じ手段を使って、
数多くの女性たちを毒牙にかけてきたのだろう。


男1「一斉にぶち込むか、両手に茎にするか……お前はどっちがいい?」

男2「好きにしろよ。 俺は別にヤれればそれで良いし」

男1「なんだよ、つまんねぇな。 こんなカワイイ娘とヤれる機会なんて滅多にねぇんだぞ?」

男2「別に俺はロリコンじゃねーし。 むしろ熟女派だし」

男1「いままで散々JC相手にしてきたくせに、何を今更言い逃れしてるんだよ」

男3「良いからさっさとしろよ~。 こちとらこの日のために1週間も溜めて来てるんだからさぁ~」

男2「うるせーよ、この性欲魔人」

男1「あ~、もうその時その時で考えるか」

男2「仕込みは任せたぜ」



一通りの相談が終わると、フランドールの目の前に立っていた男が再び彼女に向き直る。
彼の眼は完全に獲物の品定めをする獣のそれであり、他の2人も同様である。


男1「さて、痛い目に会いたくなかったら脱ぎな。 脱がねぇなら俺が脱がせてやる」

男1「ま、そうなったらそのきれ~な服は使い物にならなくなるけどな」

フラン「……」

男1「……おい、聞いてるのか?」



フランドールは俯いたまま、沈黙を貫いている。
恐怖で足が竦んでいるのか、それとも男達に対する精一杯の抵抗か。
顔が見えないこの状況では、そのどちらとも取れなかった。



男1(へっ、健気でやんの。 俺としては無理矢理の方が好みだけどな)



しかしその行動は、男の劣情を更に刺激させる結果にしかならなかったようだ。
彼は内心舌なめずりしつつ、フランドールに手を伸ばす。


どこから先に手を付けようか?
上着を無理矢理破き、幼い乳房を弄り回してみようか?


下着を脱がせて、そのまま本番に突入するのも良いかもしれない。
その場合は少女が泣き叫ぶ事になるだろうが、この場所なら多少声が大きくなろうとも誰かの耳に届くことはないだろう。
つまりは、『全ての事が終わるまで』自分たちを邪魔する者はいないということだ。



男1「さぁて、先ずは――――」










ブンッ! ドガッ!


突如、その言葉を遮るように周囲に何かがぶつかる鈍い音が響く。
周りで待機していた他の男達は反応することが出来ず、ただ呆然とその音がした方を注視した。
視線の先にはフランドールと男が相も変わらず立っている。
少女は俯いたまま顔は見せず、男はその少女に手を伸ばしたままだ。


ただ、一つだけ変化があった。フランドールの右足が、思いっきり振り上げられているという変化が。
そしてその足の先は、男の秘部へと深く突き刺さっていた。



男1「――――」ドサッ!



急所を蹴り上げられた男は、無言のまま前のめりになりながらその場に崩れ落ちる。
手の平を突いて受け身を取ることもなく、豪快に倒れ伏した。


男2「おい――――」

フラン「――――!!!」



そんな仲間の姿を見た男の1人が、慌てて声をかけようとする。
想定外且つ衝撃的な光景を前に、彼の頭の中から少女の存在が完全に消し飛んだ。


その瞬間をフランドールは見逃さない。
極限の状況で思いついた、咄嗟の打開策。そして、それにより生み出された光明。
これを逃せば、この先自分を待ち受けているものは破滅だけである。
彼女は弾けるようにして、この場から逃走を開始した。しかし――――



男3「おぉっと! 逃がさないよ~ん」

フラン「っ!?」


それよりも先に、もう一人の男がフランドールの腕を掴み取る。
まるで彼女がどんな行動を取るのか、予め判っていたかのような素早い動きだ。
唯一の脱出の機会を潰された彼女は、驚愕と恐怖で全身が硬直した。



男3「ん~? なんだか随分と驚いてるみたいだけど、そんなに意外だった?」

男3「君は俺達を不意打ち驚かせてる隙に逃げるつもりだったみたいだけど、残念だったね~お見通しなんだよね」

フラン「……っ」



男は口角を釣り上げ、ニタニタしながらフランドールを見下ろしている。


随分と軽い言動を繰り返していて、仲間の内からも残念な印象持たれていた様子から3人の中で一番警戒していなかったが、
その予想に反して、どうやらこの男がで一番厄介な存在だったようだ。


男3「にしても、あいつも馬鹿だな~。 不用意に近づけば、手痛い反撃を食らうのは判りきったことなのにさ」

男3「『窮鼠猫を噛む』って諺知ってる? 獲物を追い詰めた時は、今まで以上に警戒しなきゃならないんだよね~」

男3「ほんと、この言葉を造った昔の人達には頭が下がるよね~」



男は蘊蓄を長々と垂れているが、フランドールにとっては至極どうでも良いことである。
この場から逃げ出す千載一遇の機会を逃した――――その事実だけが、彼女の心に暗澹たる影を齎していた。


これから自分はどうなってしまうのか。
きっと、自身の予想以上に酷い目に会わされるに違いない。
何故なら、男達に反抗してしまったのだから――――


最早フランドールに抵抗する意志は無く、自身が行ったことに対して後悔し、これから降りかかる悲劇に恐怖するのみ。
そんな彼女の心境を知ってか、男は彼女の腕をしっかりと捉えつつも気の抜けた声で仲間に呼びかけた。


男3「お~い。 そっちは大丈夫か~?」

男1「」ピクピク

男2「駄目だな、完全にイッちまってやがる。 こりゃ暫らく目ぇ覚まさねーぞ」

男3「あらら、残念。 で、どうする? 俺達2人で楽しんじゃう~?」

男2「それもそうだな。 こいつには悪いが、起きるまで待ってると流石に誰か来るかもしれねーしな」

男2「それに――――」



ガッ!



フラン「あぐっ!」

男2「ダチに手を出したツケは、さっさと払ってもらわないとなぁっ!」


男は拳を握りしめ、フランドールを思いっきり殴りつける。
そして尻餅就いた彼女を、今度はそのまま勢いよく足蹴にし始めた。


彼の顔に浮かぶのは怒り、そして愉悦。
前者は仲間を傷つけられたことに対しての、後者はそれを行った者に報復できていることに対してのものだ。


仲間を傷つけられたことは、彼等の完全な自業自得である。
しかし、暴力をふるう彼にとっては自身に行いの善悪などどうでも良く、
『自分達に刃向かった』という事実のみが彼等の感情を扇動し、激高させる理由となっていた。



男2「オラァ! さっきまでの威勢はどうしたよ、オイ!?」

男3「ヒュウッ! 激しくやるね~」

男2「自分の立場は徹底的に教え込まないとな。 どうだ、お前もやるか?」

男3「流石にリンチしたら死んじゃうでしょ」

男2「この程度じゃ死にゃしねーよ。 ま、骨の一本ぐらいは折れるかもしれねーけどな」ガシッ!

フラン「っ! ぅうっ!」


男がそんなことを呟くのを耳の端に聴きながら、フランドールはただひたすら痛みに耐える。


名も知らぬ男から向けられる、一方的な『敵意』と『暴力』。
それは彼女が今まで生きてきた中で初めて自身に向けられたものであり、故に彼女を心の底から恐れさせた。
親に叱られた時とも、姉を怒らせた時とも違うその『恐怖』は、幼子の精神を劇毒のように蝕んでいく。


親であれば、きちんと反省すれば許してくれた。姉であれば、素直に謝罪すれば怒りを収めてくれた。
しかしこの男には、反省も謝罪も全く意味を成さないだろう。
それをした所で、この暴力は収まらないことを彼女は直感的に理解していた。


暴力を一方的に受け続けるしかないという『絶望』。
そして、この状況を生み出してしまったことに対する『後悔』。
彼女の心の内にあるのは、この二つの感情のみ。


ガッ! ガシッ!



フラン「ぁ! ぐっ!」



暴力の嵐は収まらない。
男の蹴りは少女の絹肌に数多の傷を刻み、蹂躙し続ける。
既にフランドールの姿は、服の汚れと体の傷で眼にも当てられない。
痛みに次ぐ痛みで意識は朦朧とし、まともな思考も出来なくなっていていた。


――――正常な判断力を失った脳は、本能に従う。
身体に絶え間なく加えられる苦痛。そして、極限にまで追いやられた精神状態。
それらの要素は、彼女に『死』の気配を感じさせるには十分なものだ。



フラン(――――嫌だ)



そしてその『死』は、フランドールの『生への欲求』を煽り立てる。
それは生物であれば誰しもが持つ、至極当たり前のもの。


しかし子供の場合、その欲求は大人のそれよりも貪欲だ。
『生への欲求』は『死への恐怖』を瞬く間に押し流し、彼女を『逃避』へと走らせる。
そこに理屈も打算もない。それが可能かどうかは別であり、『ただ本能のままに行動する』だけだ。










死にたくない




















死にたくない死にたくない死にたくない




















死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない
死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない
死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない
死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない
死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない
死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない
死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない
死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない
死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない
死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない
死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない
死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない




















フラン(死にたくないっ!)










ビシィッ!!!

中途半端ですが、今日はここまで
質問・感想があればどうぞ

幼女にはちょいとキツめのイヤボーンでしたか

東方新作では世界観を崩壊させそうな奴が複数
禁書新巻には作中最強を更新するキャラが複数

このインフレ被りはただの偶然‥だと信じたい

マジかよスキルアウト(と、思われる不良)最低だな

>>272
命の危機に能力が覚醒する展開。形は違えどよくある話
仕方ないじゃない、使いやすいんだもの

>>273
オティヌスの世界破壊に比べれば惑星を投げるなんて大したことじゃないからへーきへーき
というか、このままだと強さの順が『ヘカT<オティ』になってしまう不具合。仮にも神なのに……
僧正みたいに魔神しちゃう案もあるけど、間違いなく上里に追放されて過去の人になってる可能性が……

>>274
幼女に暴行する奴はギルティですね


男2「――――んあ?」



周囲に聞き慣れない、とても大きな音が響く。固いものが割れた時のような乾いた音だ。
本来なら聞こえるはずのないもの。しかしそれは、幻聴と片付けるには余りにも大きすぎた。



男2(まさか、誰かいるのか?)



一つの可能性を考慮した男は、その音の出所を探るべく周囲を見渡す。
この路地はただの一本道。視界は開けており、陰に隠れられそうな大きな物は置かれていない。
誰かがいれば、直ぐに眼に付くはずである。


男2(――――!?)



しかし男が視界に納めたものは『人間』ではなく、『それ以上に恐ろしいもの』であった。


それは『亀裂』。
周囲に立ち並ぶビルの壁に、蜘蛛の巣のように黒い紋様がビッシリと描かれているではないか。
しかも、その亀裂は一刻一刻と広がりを見せている。まるで壁を蝕むかのように。


一体何故、急にこのような現象が起こったのか?ただの老朽化として片付けるには余りにも異質すぎる。
男は亀裂の原因を探るべく、罅の後を眼で追いかける。
すると、その先にあったのは、自分が足蹴にしていた少女の姿。
蹲る彼女が手を突いている地面からだった。



男2「まさか、お前が――――!?」

男3「ちょっと、速く逃げないと不味いんじゃないのコレ!?」


ビシッ! ビシシィッ!



騒ぐ男達を尻目に、亀裂は更なる音を立てて広がりを見せた。
罅の隙間から粉が吹き始め、小さな破片が飛び散り始めている。


ビルが倒壊するのは時間の問題。冷静に考える余裕すらないだろう。
もはや少女の存在など、彼等の頭の中から完全に頭から抜け落ちていた。



男2「う、うおぉぉぉぉぉ!!!」

男3「おい、置いてくなよ! って、こいつ重……!」



命の危険を感じた男達は、倒れた仲間を担ぎ上げて脱兎の如くこの場から逃げ出した。






     *     *     *






フラン「――――」



ビルの亀裂が広がる中、その場に一人残されたフランドールは力なく立ち上がる。


既にビルの倒壊は秒読み段階。画礫が何時降り注いでもおかしくはない。
今の彼女は、正しく命の危機に瀕していた。


ビルの倒壊に巻き込まれて生きていられる人間など、学園都市の中でもごく一部に限られる。
多少の崩落であれば、落下する画礫を『念動力』であれば制止させ、
『発火能力』であれば灰燼と化し、『発電能力』や『空力使い』であれば磁力や風で弾き飛ばせただろう。
しかし、総重量数万トンにも及ぶ大量の画礫全てとなると、一介の超能力者では不可能だ。


バキィッ!



今までよりも一際大きい音が鳴ったと思うと、上空から人の頭部ほどの大きさを持つコンクリートの塊が、
フランドール目掛けて真っ直ぐに落下してきた。


コンクリートはとても重い物質だ。例え小振りなものであったとしても、
それなりの高さから落下すれば容易に人を殺せる凶器となる。
ましてや、今落下してくるものは少なくとも十数キロはあるであろう代物。
それが10メートル以上の上空から落下してきているのだ。
もしもそれが直撃でもすれば、少女の頭はトマトが鉄球に押しつぶされるかのように粉砕され、
辺り一面は『少女の頭だったもの』で紅く塗りつぶされる事になるだろう。


しかし、自身がそのような危機的状況にあることを自覚していないのか、
フランドールは相変わらず顔を下に向けたままだ。
前髪に隠されているために、その表情の全てを窺い知ることは出来なかったが、
少なくとも良い表情は浮かべていないと言い切れた。


灰色の石塊が迫る。
無垢な少女の頭蓋を、その頑強なる身で圧砕するために。
既にその結末は目の前。最早フランドールにはそれを回避することは出来ない。


そして、灰色の凶器がその頭に触れ――――











バシュンッ!



気の抜けるような音と共に、石塊は文字通り『粉砕』された。











フランドールの頭にかつて石塊だったものが、粉塵となって降り注ぐ。
それをまともに被った彼女の髪は、金色からくすんだ灰色へと変わっていった。
しかし彼女にそれを気にするような様子は見られず、そのままふらふらと歩き始める。


建物が限界に近づいてきたのか、次々と大小様々な石塊が降り注ぐ。
しかし、その何れもフランドールの体を傷つけることは叶わない。
触れた傍から砕かれ、粉となって散っていく。


この現象の原因は、彼女が身につけた能力にある。
本人は未だ気づいていない、学園都市の技術により植え付けられた異能の力。
その力の効果は『触れたもの全てを分解する』というもの。
聞くだけにも末恐ろしい能力を、フランドールはこの状況において開花させたのだ。
しかし、本人としてはその力を自分の意志で扱っているわけではない。
それは言ってしまえば、防衛本能に過ぎないものだ。


自身に宿っていると聞かされていた超能力。
それを極限状態の中で無意識に理解した。それだけのことに過ぎない。



ゴゴゴゴゴ…………!



廃ビルが本格的に崩壊を始める。
人の手で生み出され、そして人から捨てられたその歴史に幕を閉じる。
その崩落の最中、フランドールはその場から忽然と姿を消した。

短いですが今日はここまで。
質問・感想があればどうぞ

これから投下を開始します






     *     *     *






フラン「……」



家に帰宅してそれなりの時間が経った頃。
フランドールは未だに自身のベッドの上で蹲っていた。
初めの頃と姿勢が全く変わっておらず、まるで一つの石像のようである。



フラン「……っ」ギュッ



唐突に、彼女は自信の服を強く握りしめる。まるで、何かに耐えるように。


その理由は、彼女は再び恐怖していたからだ。
この街の薄暗がりの中、心ない男達に暴力をふるわれたことに対して。


あの災難から逃れ、家に帰り着くまでの間はその恐怖をすっかりと忘れていた。
その代わり道中の記憶は全く無く、言ってしまえば放心状態で帰巣本能に従いながら歩いていたことになる。
そして我が家に辿り着き、玄関先にいた姉を見て我に返り、
逃げるようにして自身の部屋に閉じこもったその時、再度その恐怖を思い出したのである。



フラン(どうして、こんな事になっちゃったんだろ……)

フラン(先生の言うことを聞かなかったから? お姉さまから逃げ出したから?)

フラン(それとも……)



自身が巻き込まれた不幸。その原因を、彼女は自問自答する。
人は自信に降りかかる災難に、何かしらの理由を求めようとするが、それはある種の危機回避によるもの。
災難の原因を理解すれば、それを解決し、災難を回避することが出来るから。


それでは、フランドールが今回の災難を回避するためには、一体何が必要だったのか?






先生達の話を素直に聞き、超能力開発の授業を受ければ――――


姉の追及から逃げ出さず、彼女の説得を聞き入れれば――――


変に意地を張らずに、直ぐに頭を冷やして家に帰れば――――


姉から出来るだけ離れようと、街まで遠出などしなければ――――


男達に眼を付けられた時、形振り構わず逃げ出せば――――






思い返してみれば、災難を回避するチャンスはいくらでもあった。
最適な選択肢を選んでいれば、あのような暴力を受けずに済んだのだ。
今回の不幸の全ては、自身の身勝手な行いが招いた結果である。


しかし、フランドールはどうしても己の罪を素直に受け入れることが出来なかった。
頭では判っている。しかし、感情がそれを拒んでいるのである。
己の罪を認めることは、精神的な苦痛を伴う。それは自尊心を自ら傷つける行為だからだ。
さらにそこから自身の行いを正すとなれば、それなりの覚悟が必要となる。
大の大人でも難しいというのに、身も心も未成熟な彼女がそれ出来る理由など無い。


そして己の罪を認めることを拒否した彼女は様々な思考の末、ある一つの結論に至った。


フラン(もしも、あの力が使えたら……)



自身が持つ、ビルをも容易く崩壊させる力。
もしもその力をあの場で使えたなら、あのような輩を恐れることなど無かった。
それどころか、逆に彼等を後悔させることも出来たはずである。その圧倒的な力で。


教師達の懇願や、姉の小言という厄介事を持ち込んできた超能力。
しかし今の彼女にとっては、自身にのし掛かる一切合切の問題を解決してくれる一条の光に思えた。



フラン「……ぁは、ははは」



口を大きく歪ませながら、フランドールは嗤う。
一体何故自分はこんなにも悩んでいたのか。答えなど、直ぐ目の前にあったではないか。
この結論に早く至れなかった自分がとても馬鹿馬鹿しく、また滑稽に思えた。


先ほどまでの陰鬱な雰囲気は霧散し、代わって満ちあふれる活気があたりを包む。
自信を悩ませていた荷が下ろされたのだ。喜ばないわけがない。
今まで悩んできた分、それを解した時の爽快感は格別。彼女の心中は実に晴れやかであった。


フラン(そうよ。 この力があれば、もう何も恐く無い。 みんなみんな、『これ』でぶっ飛ばしちゃえばいい)

フラン(まだ自分でもこの力はよくわかってないけど、それはこれから知っていけばいいし)

フラン(先生達なら、喜んで教えてくれるだろうしね)

フラン(お姉さまの言うとおりなっちゃったのは、ちょっと癪だけど……)



フランドールは、心の中でそう溜息を付く。
姉に対して強く反発してしまった手前、その姉の言うとおりに行動するのは気が引ける。
だがそれは、自身の目的の達成――――超能力の制御を学ぶためであれば些細な問題だろう。


大きな力というものは、持っているだけでも抑止としての力が働く。
それをちらつかせるだけでも相手を萎縮させ、更には自信の言いなりにしてしまうことも可能だ。
上手く扱えるようになれば、大半の粗暴な輩はその場で追い返すことが出来るようになるだろう。


そして何より、超能力を持つということは周りから羨まれる存在になるということでもある。
フランドールの同学年には、未だ超能力を発現してない人が多い。
発現していても、その大半はレベル2以下。レベル3に至っては片手で数えられる程度である。


しかし、彼女の超能力は破格のレベル4。言ってしまえば学校の頂点に上り詰めたのだ。
今はまだ学校の皆には知られていないが、彼女が学校側の提案を受け入れた時点でそのことが公になるのは必至。
その時、クラスの皆は一体どんな反応を示すのだろうか。
驚愕か、それとも羨望か。今から楽しみで堪らない。


とにかく、そうと決まれば直ぐ行動。行動の速さは彼女の取り柄である。
しかし粋がってはみたものの、時計を見ると時刻は既に夜中の11時だった。かなりの時間考え込んでいたらしい。
この時間帯では、流石に姉も寝静まっているだろう。起こせば何を言われるかわからないし、行動は明日に回すしかないだろう。


フランドールは再び思考を巡らせながら、ぼろぼろになった衣服を着替えるのだった。






フランドールは己の力を自覚し、それを自分の誇りとした。
自身の存在を更に価値のあるものに昇華せしめる一要素と考えたのだ。


それは何も、彼女のみが考えるような特別な思考というではない。
超能力は一人に一つ。一見同じような能力でも、その中で得手不得手が必ず存在する。
言ってしまえば超能力とは、『その人だけが持つ唯一無二の力』なのである。


故に、その力を自身の利点として捉えることは当然のこと。
彼女のような幼子ともなれば、その力に舞い上がってしまうのは自然な反応だろう。


しかし注意しなければならないのは、『矜持』と『慢心』は非常に似たものであるということだ。


自身の利点を誇りに思うことは、決して悪いことではない。
自分に自信を持つことは本人の精神を安定させる上で必要なことである。
しかしそれが行きすぎて、待たざる者を卑下するようなことはしてはならないのだ。
大きな力には常に責任が伴う。その責任を自覚出来て初めて、漸く一人前と言える。


しかし、年若いフランドールがそのことに気づけるはずもなく。
それが後に、更なる悲劇を招くことになる。





今日はここまで
質問・感想があればどうぞ

これから投下を開始します






     *     *     *






あの事件の後に、彼女の身の回りで起こった出来事を簡潔に纏めると以下のようになる。


始めに事件の翌日の朝。
超能力に目覚め、それをものにしようと決心したフランドールは、
姉に対して開口一番に個人授業を受けることを承諾する旨を伝えた。


前日から180度ひっくり返った妹の態度は、レミリアに相当な衝撃を与え、
妹に昨日何があったのかを聞きそびれてさせてしまうほどであった。
フォークに刺したハムエッグを口に含んだまま固まってしまった姉を尻目に、フランドールはそそくさと食事を済ませ、
テキパキと準備をした後に悠々と学校へと向かうのだった。


学校に着いてから彼女は、教室に足を運ぶことなく真っ先に職員室に向かい、
大きな欠伸をしながら朝礼の準備をしていた担任に対して、姉と同様に個人授業の件を説明した。
突然のことに驚いた担任ではあったが、その驚きはたちまち喜びへ早変わり。
そしてその情報は直ぐさま他の教師達へ伝播し、その結果朝礼は中止となる事態になった。


『学校の威信に関わることなのだから、代わり映えのしない朝礼など後回しにするべき』ということなのだろう。
フランドールの超能力を正式に申請するため、教師達は先ほどの倦怠な雰囲気は何処へやら、
生き生きとした表情で忙しなく職員室内を動き回り始めるのだった。


その後職員室に騒動を起こしたフランドールは、その日の授業に参加することはなかった。
何故なら能力開発に関わる色々な手続きのため、一仕事しなればならなくなったからである。
教師の手助けがあるとはいえ、分厚い書類の中身に余さず眼を通す作業は苦行そのものであったが、
これも仕方のないことだと自身に無理矢理納得させ、少々汚い字でサインを記していった。


さらにその翌日。
筋肉痛になった指を揉みながら登校した彼女を待ち受けていたのは、同級生からの熱烈な歓迎であった。
良く見知った友達――――特に女子からもみくちゃにされながら理由を聞いてみると、
どうやらフランドールが能力者なったという情報が何処かから漏れていたらしく、
さらには昨日の昼頃には既にクラス全員に知れ渡っていたようである。
大勢の目の前に立って挨拶でもしなければならないのかと気に病んでいた当人にとっては、何とも拍子抜けな話であった。


そしてホームルームの時に改めて超能力を得たことを皆に伝えると、
またもや前日のように授業に参加することなく、担任により別室に連れられ、
今度は自身が受ける個人授業についての計画の説明を受けた。


説明によると、個人授業を行う時間帯は大きく2種類に分けられるらしい。
1つは能力開発の授業時。他の皆とは別々に、彼女専用に用意されるもの。
そしてもう1つは放課後。皆が帰った後に追加で授業を受けるというもの。
これは一時限あたり50分程度で済ませ、それを毎日行う予定らしい。
フランドールはこの二つの授業を毎日受けることになったのである。


何故そのような時間の割り振りになったのか。
それは能力開発の授業時間を利用するだけでは、圧倒的に時間が足りないからだそうだ。
超能力者になったからと言って、フランドールは未だ学生の身である。
能力開発ばかりにかまけて、本業を疎かにするようなことはあってはならない。


しかし時は既に7月半ば。言うまでもなく、学校側の授業スケジュールは既に確定している状況である。
このスケジュールには、フランドールのような高レベルの能力者を育てる授業を挟み込む余地など無かった。
とはいえ、何も手を打たずに彼女の能力をこのまま腐らせるのは論外である。
そこで教師達は苦肉の策として、放課後に授業を設けたのだった。


特に部活に入っていないフランドールとしては、時間の都合という意味での問題は無いが、
休息の時間を削られ、尚かつ更に宿題を課せられるとなると、やはりいい気はしないものだ。
しかしこれも、能力を上手く扱うためには必要なこと。
彼女は心にそう言い聞かせ、一人孤独な授業に望むのだった。






1ヵ月後――――






教師「――――このように、世界にある全ての物質は、『原子』と呼ばれるとても小さな粒が集まって出来ています」

フラン「……」カリカリ



それから1ヶ月余り過ぎた頃。
フランドールの個人授業は滞りない進展を見せ、現在は自身の能力について勉学に励んでいた。


今彼女が行っているのは、個人授業のカリキュラムの一つである『座学』。
己が持つ超能力。それに密接に関係する科学理論について詳しく理解するためのものだ。
その理解を深めることにより、超能力の出力や安定性を向上することが出来る。


ただの科学理論で超能力を理解できるのか。超常的な力を把握できるのか、疑問を持つ者もいるだろう。
確かに、超能力は普通の物理法則では考えられないような、様々な現象を引き起こす。


何も無い所に電気や炎を生み出す。
三次元的な移動を無視して、物質を瞬時にワープさせる。
動力不明の力を用いて、物体を自在に動かす。
人の心を読み取り、また人に心を読ませる。



今挙げたのは、数ある超能力の内のほんの一部に過ぎない。
この他にも普通の常識では測りきれない能力はごまんとあるのだ。
しかし如何に不可思議なものであったとしても、『科学』の枠組みから逃れられることはない。
何故なら超能力は、『科学によって生み出されたもの』だからだ。
そして超能力が科学である以上、『必ず人間に理解されなければならない』。
科学とは神が生み出した『秩序(ルール)』を、人間が理解するために生み出した『道具(ツール)』なのだから。



教師「――――この原子同士を繋いでいる力には色々あり、その中で最も強いものが……」カッカッ

フラン「……」カリカリ



黒板に書かれた文字をノートに書き留める。この他にも、時折教師から出される問題に答えなければならない。


『個人』授業なので教室にいる生徒はフランドールだけであり、教師から出された問題は全て彼女対して向けられたものだ。
逃げ場のない状況で教師に質問攻めにされるなど、一部の学生達にとっては拷問のようなものだ。
しかし『自分に当たるかもしれない』という、授業特有の重圧を受けなくて済むという点では、
覚悟が出来てしまえば精神的には良いのかもしれないが。


教師「これにより物質の中に生じた歪みによって、原子同士の結合が断絶。結果として物質は切断されるわけです」カッカッ

フラン(っ!? 間違った。 消しゴム消しゴム……)

フラン(あぁ、また離されちゃった。 早くしないと消されちゃう……)



教師の板書がとても早く、それを追いかけることに少々苦労しているようだ。だが、それについては諦めるしかない。
この個人授業は、元々その年の学校側の教育スケジュールに中には存在しなかったもの。
ただでさえ余裕のない計画を再度切り詰め、それで出来た空き時間に無理矢理ねじ込んだのである。
授業のスピードが足早になってしまうのは仕方のないことであった。


教師「……さて、フランドールさん。 ここで問題です」

フラン「! はいっ!」

教師「先ほども言ったように、原子を繋ぐ結合は様々あります」

教師「その中でも『共有結合』、『配位結合』、『イオン結合』、『金属結合』の4種類には、その結合の仕方に共通点があります」

教師「さて、その共通点とは何でしょうか?」

フラン「えーっと……」



フランドールは机の上に広げられた教科書とノートのページを捲り、質問の答えを探す。


彼女が用いている教科書は、学園都市外では主に高校生が勉学に使用するものである。
本来であれば、この教科書に書かれている内容は彼女が学ぶ学問のレベルを完全に逸脱している。
しかしこの場所は、外よりも2、30年は進んでいる科学技術を持つ街。
外では難解な科学理論も、この街の住人にとっては常識中の常識だ。
更には学園都市が発見し、外には秘匿になっているような新理論により、
外の常識がここでは別物に塗り変わってしまっている場合すらある。


従って、明らかに身分不相応の高度な内容を扱った教科書を用いていたとしても、
この街の住人にとっては至極当たり前のことなのである。


フラン「えーっと、『電子』……?」

教師「正解です。 では『電子』がどのように関わっているのかまで答えられますか?」

フラン「えっと、『互いの原子が電子を渡し合うことで、結合が形成される』……」

教師「その通りです。 きちんと予習してきているようですね」

フラン「……」ホッ



無事に正答出来たことに、フランドールは安堵する。
使っている教科書は難解な文字が多く、読み解くだけでも精一杯だ。
事前に予習をしてこなければ、間違いなく授業についていけなかっただろう。
一方、教師はフランドールの答えを受けて、更に専門的な内容の話を展開し始めていた。
『量子論』だの『超弦理論』だの、フランドールにとっては1割も理解できない内容ではあったが。


このように、フランドールの授業は主に『物質はどのようにして成り立つのか』を中心に行われている。
特に、『原子同士を繋ぐ力』に関しては詳しく解説しており、その結合力の計算の仕方など、
明らかに大学レベルの知識まで教え込まれていた。


では何故、そのような知識を教えられているのか?
それはその知識が、『フランドールの超能力』に大きく関わっているからに他ならない。


彼女が持つ力の名は『物質崩壊』。
その力の概要を一言で言い表すとすれば、『触れただけであらゆる物を破壊する力』である。
原理としては、物質の中にある僅かな歪み――――例えば結晶同士の境界にある結合の欠陥――――を、
『念動力』により力をかけることで歪みを増大させ、破壊するというものである。


この世の全ての物資には、何処かしら脆い部分がある。
それは生物であっても例外ではなく、当然人間にも存在する欠陥だ。
非常に範囲が狭いかつ小さいものであり、人の眼には決して見えぬものであるが、
彼女の能力はその箇所に限定的に働きかけ、その結果『全ての物質を崩壊させる』のだ。


つまり、彼女の能力が物質を形ある物にするために不可欠な『結合』に影響するものである以上、
その『結合』の知識について徹底的に教育を施すことは確定事項であった。


教師「……おや? もうこんな時間ですね」

フラン(あ、いつの間にか時間過ぎてる)



ふと、教師が顔を向けた方向を同じようにつられて見てみると、時刻は既に授業時間を過ぎていた。
板書を書き写す事に忙しかったために、時間を気にする余裕など全くなかったが、
思い返せば長いようで短いような、そんな授業であった。



教師「もう少し進めたかったのですが、仕方ありません。 今日はここまでにしましょう」

教師「今日も宿題がありますので、予定表を見て必ず解いて来てくださいね」

フラン「先生、ありがとうございました」


フランドールが起立して一礼すると、教師は微笑みながら教室を後にする。
一人教室に残された彼女は、帰宅する準備をするべく机の上に広げられた書物を鞄の中に仕舞い始めた。


外からはグラウンドで練習している野球部の声が聞こえる。
その声は教室の中を僅かに木霊し、孤独感を一層煽り立てた。
もうこの学校には、フランドールのクラスメイトは一人も残っていないだろう。


彼女はまだ幼く、部活に入る年齢でもないため、学校に残る用事というものがないのだ。
何もせずに校内をうろうろしていれば、教師達に早く帰るように注意されることは目に見えているし、
第一そんなことをするよりだったら、友達と街を遊びに行く方が良いに決まっている。
故に、彼女が一人学校に取り残されるのは自然の成り行きである。



フラン(放課後に授業なんて当たり前だし、宿題の数も凄く多い)

フラン(みんな遊べる時間も殆どなくなっちゃったけど、まぁいっか)

フラン(これのおかげで、みんなに自慢できるんだからね)



しかしフランドールはそのことについて、それ程気にしてはいなかった。


確かに、放課後友達と一緒に遊べないのは辛い。
だがそれ以上に、日中に於いて周囲から注目の的になるのである。
学校でたった一人のレベル4。その事実は同級生達に羨望の情を抱かせるには十分な要素であり、
そしてそれを一挙に独占することも容易なものなのだ。



フラン「さて、と。 早く帰って、さっさと宿題終わらせよっと」



最後の教科書を鞄に詰め込み、しっかり鍵をかける。
片手にぶら下げると、中に入った書物による加重が腕に大きく掛かった。
日常の授業に使う本の重さと、個人授業に使う本の重さ。
それは、他の子供達では味わうことの出来ないものである。


彼女は片肩から感じる重みにちょっとした優越感を感じながら、彼女は教室を後にするのだった。

今日はここまで
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――――PM 8:37






レミリア「フラン、ちょっとこっちに来てくれないかしら?」

フラン「んー? いいけど……」



その日の夜。
宿題を片付けていたフランドールは、前触れもなくレミリアに呼ばれた。


内容が全く知らされない急な呼び出し。
その時点で嫌な予感しかしないのだが、後の面倒を考えると拒否など出来るはずもない。
解きかけた宿題に後ろ髪を引かれつつ、渋々部屋へと向かう。


居間に入ると、そこには椅子に座ったまま考え事をしている姉の姿。
テレビは点いておらず、雑音の無い静かな空間の中で彼女は思案していた。
その表情は憤怒とも困惑ともつかない、何とも表現し難いものであり、本心を伺い知ることは出来ない。
そんな姉の様子に不安を感じながらも、フランドールは無言のまま姉の向かいの席に座った。


レミリア「……」

フラン「……」



沈黙が彼女達を支配する。
フランドールが座った後も、レミリアは一言も言葉を発しなかった。それどころか、身じろぎすらしない。
妹が目の前に座っていることは、とうの昔に気づいているだろうに。
直ぐに話を繰り出さないのは、話すことを迷っているのか、それとも……



レミリア「……………………フラン」

フラン「……何?」



数分ほどそうした後、漸くレミリアは重い口を開いた。
開かれた真紅の瞳は、静かに自身の妹を見据えている。
自身と同じ色の瞳。見慣れているはずのものなのに、何故かフランドールはそれに一抹の恐怖を覚えた。


その恐怖は一体どこから来るものなのか。普通に答えるならば、『姉に小言を言われる事』からなのだろう。
それだけとは言い切ることのできない、漠然とした『何か』があるように思えてならない。
ただ、その『何か』を理解することはできそうにない。


レミリア「貴方が能力に目覚めてから一ヶ月……調子はどうかしら?」

フラン「調子? ……そこそこかな」

レミリア「そう。 躓いたりしてない? 勉強が上手くいってないとか」

フラン「特に何も。 何も問題ないよ」

レミリア「……それは、よかったわ」



他愛のない会話を繰り広げる二人。しかし、そこには和気藹々とした様子など微塵も感じられない。
レミリアの声には抑揚が感じられず、フランドールに至っては警戒心が剥き出しだ。
お互いに腹の探り合いをしているようにも見え、とてもではないが居心地の良い雰囲気とは言えない。



フラン「……お姉さま」

レミリア「何かしら?」

フラン「言いたいことがあったら早く言ってよ。 私、まだ宿題が残ってるんだから」

レミリア「……」


フランドールはレミリアに対し抗議し、早く終わらせるように催促する。
宿題のこともあるが、それ以上にこの雰囲気の中にいることが耐えられなかった。
何せ、姉の考えが全く読めないのである。フランドールにしてみれば、時刻のわからない時限爆弾の前にいるようなものだった。



レミリア「……1ヶ月前」

フラン「……?」

レミリア「貴方が超能力に目覚めた晩のことだったかしら?」

レミリア「家を飛び出して、ぼろぼろになって帰ってきたことがあったわね?」

フラン「……それがどうかしたの? 喧嘩しただけだって言ったはずだけど?」

レミリア「聞いた話だと、その日と同じ日にビルの崩落事故があったらしいのよね」

レミリア「崩落の原因は不明。 爆発物を使った形跡もなく、捜査は難航しているようだけど……」

レミリア「噂に聞いた話だと、能力者の仕業らしいのよね」

フラン「……」


レミリアは淡々と言葉を紡ぐ。
それを前にフランドールは、ただ沈黙を貫いていた。


レミリアが言うビル崩落事故を引き起こした犯人。
それが自分自身であることを、フランドールは理解している。
当時は暴力を受けた後で意識が朦朧としていたために、いくつかの記憶が抜け落ちている。
だがあの時、自身の能力がビルに亀裂を走らせ、崩壊に追い込んだことは覚えていた。



レミリア「……」

フラン「……」

レミリア「……フラン、貴方に一つだけ言っておくことがあるわ」

フラン「何よ?」



幾許かの沈黙の後、再び姉は口を開く。先ほどと同じように、その言葉に抑揚はない。
だが明らかに違う点が一つだけある。彼女は何かを見透かすような眼差しを向けていた。


まさか、気づかれたのか――――そんな思考がフランドールの脳裏を過ぎる。
彼女が事件を起こしたという証拠はない。あったとしても、それをレミリアが知ることはできない。
姉はただの一般人。事件の捜査状況を一般人に情報を漏洩させる程、『警備員』の管理は杜撰ではないはずである。
よって、姉が持っている情報は人からの又聞きでしかない。


しかし、それを承知の上で疑いの目を向けているとするならば……
フランドールは姉の次の句に備えて身構える。


そして――――











レミリア「……力を過信すると、痛い目を見るわよ?」











フラン「……???」



その言葉の意味を、フランドールは直ぐに理解することができなかった。
それは自身の予想から外れた言葉であったために。
そして、『その言葉を口にした理由自体を解せなかった』ために。


てっきり、姉にビル崩落事件の犯人ではないかと問い詰められると思っていた。
それは今までの会話の流れを考えれば当然のこと。むしろ、それ以外の考えに至る方がおかしいと言える。
彼女は一瞬の思考の空白を経て、直ぐさま我に返り、頭の上に疑問符を付けながら再度姉に問うた。



フラン「どういうこと?」

レミリア「使い方を誤ると、碌でもないことになるってことよ」

レミリア「この言葉、良く肝に銘じておきなさい。 でないと……後悔することになるわ」

フラン「ちょっと――――」



ところが、レミリアは妹の疑問に答えることは無かった。
彼女は席を立ち、そそくさと自室へと戻ってしまったのである。
残されたフランドールは、氷解しない疑念を抱えたまま呆然と椅子に座り続けるのだった。

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     *     *     *






レミリア「……何がしたかったのかしらね」



レミリアは自室のベッドに座り、ぽつりと言葉を漏らした。


その声には心なしか、疲れと呆れの感情が滲み出ている。
まるで自嘲するかのように、彼女は僅かに口角を釣り上げて薄笑いを浮かべていた。



レミリア(本当、こんなことに悩むなんて…… どうしちゃったのかしら、私)

レミリア(あんなもの、気にすること自体がおかしいのに。 疲れてるのかしら?)

レミリア(こんなんじゃ、学校のみんなに笑われるわね。 しっかりしないと)



己の不甲斐なさを叱責しながら、その一方で精神に活を入れる。
それは自身の心を安定させるため。自傷行為のようなものだが、案外落ち着くものだ。
独り言なので人前でやったりすると、間違いなく変な目で見られるだろう。


何故そんなことしなければならないほどに、彼女は悩んでいるのか。
事の始まりは今日の朝。彼女が目覚めた時に遡る。


――――夢を見たのだ。そしてそれは、とても恐ろしい夢だった。


残念ながら、どのような夢を見たのかを詳細に思い出すことは叶わない。
夢の内容を細部まで記憶して目覚めるなど、そうそうあることではない。
殆どは覚醒と同時に記憶から抜け落ちるのが当たり前。
仮に覚えていたとしても、漠然とした印象しか残らないのが『夢』というものだ。


しかし全てを覚えていなくとも、その夢の一場面が余りにも強烈すぎて。そして鮮明すぎて。
あたかも目の前で見たかのように、あの光景が網膜に張り付いて離れないのだ。











妹が、フランドールが血まみれになって立ち尽くしている。


例え夢であっても、そんな光景をどうして忘れることができようか。











驚愕のあまり、夜中に大声を上げて飛び起きてしまったほどだ。
幸いフランドールに気づかれることはなく、夜中に騒ぎになる事態は避けられたが、
冷静になるまでに相当時間がかかり、結局朝まで再度寝付くことはできなかった。
それから今日丸一日、今に至るまでその夢を忘れたことはない。



レミリア「……っ」



それを再び思い出してしまったのか、レミリアの表情が強ばる。
夢の中のフランドールは、全身にべっとりを血を浴びながら、虚ろな目で呆然としていた。
あの血が誰の物なのかは判らないが、少なくとも妹の物ではないことは確かだ。
夢なのでもしかしたら覚えていないだけなのかもしれないが、妹の体に傷らしきものは見られなかった。
だがそれは裏を返せば、『誰かの返り血を浴びていた』ということになるわけだが……


レミリア「……ふ、言った傍からこれじゃあ駄目ね」



心を落ち着かせようとして、結局できていないことに気づく。
多少のことなら動じないと思っていたが、案外自分も脆いものなのだとレミリアは改めて自覚した。


彼女はどちらかというと自尊心が強く、そして強気な人間だ。
かつては歴史ある一族の次期党首として、様々な教育を受けていた身である。
誇りある一族の長としての身の振る舞い方を、彼女は既に身につけていた。
その結果としての、幼い容姿からは想像もできない大人びた思考と発言。
それは彼女を初めて見る者に、強烈な違和感を与えるには十分なものだ。
しかし、だからこそ彼女は学生でありながら、フランドールの保護者的な立場にいることができる。


だがそんなレミリアでも動揺し、取り乱すことはある。
いくら教育を受けたとしても、彼女は年端もいかない少女だ。
彼女の中にあるのは『知識』だけであり、『経験』が欠如している。
不測の事態への対処方法は未だ不慣れであり、焦燥に駆られるのは当然のことだろう。
ただ、それでも動揺を表に出さないのは流石と言った所だろうか。


レミリア(……いい加減にしなさい、私。 何故こんなにも恐れているの?)

レミリア(所詮アレは夢に過ぎない。 『空想』を恐れるなんて、ばかばかしいにも程があるでしょう?)

レミリア(こんなことはさっさと忘れてしまうのが一番。 こんな小さな事で悩むなんて、私らしくないわ)



再度自分に言い聞かせて、今度こそ心の中の不安を取り払う。
無理矢理ではあるが、これで悩みを断ち切ることができた。


『夢』は所詮『夢』だ。
夢に深い意味なんて無いし、ましてや『夢が現実になる』なんてことがあるはずもない。
超能力であれば、もしかしたら――――などと考えもしたが、そもそも自分は無能力者である。
妹とは違い、何の特別な力も持たない一般人にすぎないのだから。



レミリア(なんて、自分で言ったら自虐もいいところね)

レミリア(さぁて、明日の準備をしなくちゃ……)



夢のことを頭から完全に忘れ去ると、レミリアは明日に向けて準備を始めるのだった。

今日はここまで
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――――数日後






「ねぇねぇ、最近できたお菓子屋さんのこと知ってる?」

「ゲームセンター向かいにできたお店のこと?」

「そうそう! この前の日曜日に行ってきたんだけど――――」



真夏の昼下がり。学校では丁度お昼休みの時刻。
子供達が勉強漬けの一日の中で、纏まった休息を得ることができる唯一の時間帯である。


教室内でただひたすら駄弁りながら過ごす者。
体育館やグラウンドで運動に汗を流す者。
教師からの注意も顧みず廊下を走り回る者。
図書室に出向いて静かに本を読みふける者。


時間の使い方は多種多様であれど、皆が皆思うままに行動している。
辛い勉学の事を一時ながらも忘れ、楽しそうに趣味や遊びに興じていた。


そんな男子の叫声やら女子の歓声があちこちから響き渡る中。
昼休みに何故か机に向かって勉強している変わり者が一人。


フラン「……」カリカリ



金髪の少女――――フランドールは、自身に課された宿題をこなすべく鉛筆を走らせていた。
机の上には個人授業に使う教科書と参考書。そしてA4版の学生ノートである。
獣医の雑音を気にも留めないその様は、まるで体が机と一体化したかのようにも見える。
年頃の小学生としては、少々異様ともいえる姿がそこにはあった。



女子1「フランちゃんったら、ま~た勉強してるの?」

女子2「最近、休み時間中ずっと勉強してるよね?」



そんな彼女の様子が気になったのか、二人の女子が傍に近寄ってくる。
折角の休みをそっちのけで勉強しているのだ。興味を持たない方がおかしいだろう。
だが実際興味を持っても、彼女達のように近寄ってくる人間は珍しいといえる。
一種の鬼気迫る姿から近寄りがたい雰囲気が出ているためだろう。
宿題を片付けているフランドールに話しかけるのは、席が近く会話をすることが多い彼女達くらいのものだろう。


フラン「こうでもしないと終わらないのよ。 まだ半分しかできてないし……」

女子1「ふーん……」



フランドールは友達に目を向けることもせず、ただひたすら鉛筆を動かし続ける。
一方少女2人は机の上に広げられている教科書や参考書を覗き込んだ。


目に飛び込んでくる、見たこともない漢字と難解な図面。
それらが所狭しと並び、まるで何かの紋様のようにも思える。



女子1「……」

女子2「……」



たちまち彼女等の顔の眉間に、深い皺が寄せられた。明らかに『理解できない』といった顔つきである。
フランドールが使っている教科書は、範囲が限られているとはいえ早くとも高校で学ぶものばかり。
それをただの小学校低学年の子供が理解できるはずもなく、彼女等はノートとそれを何度か交互に見た後、
少しばかりの溜息をついて首をかしげた。


女子1「わっかんない」

女子2「私も」

フラン「でしょうね」

女子1「フランちゃんはわかるの?」

フラン「だって、教えられてるし……わからないと先生から怒られるし」

女子2「……大変だね」

フラン「まぁ、ね」



短い会話が続く。しかしそれでも、机に向かう少女の手が休まることはなかった。


そしてその後、一同に沈黙が訪れた。話すことが無くなったためである。
フランドールは宿題を片付けることに躍起になっていて、周りを気にする余裕はない。
少女達はそれを眺めるだけであり、今までのようにおしゃべりをすることもなく、
近くの椅子に座ってぼうっとするだけである。


ただ悪戯に時間を無駄にする行為。
フランドールは別として、取り巻き少女達にとっては貴重な休みを浪費する愚行である。
しかし彼女達にとしては、そんなことは最早どうでも良かった。
というより、『おしゃべりする』ことも『フランドールを観察』することも、彼女達の中では同じ事なのだ。
外から見れば無駄なことでも、当人にとっては同じ『暇つぶし』に過ぎない。


そうして幾許かの時間が流れた後、女子の片割れがふと思いついたように言葉を口にした。



女子1「……ねぇ」

フラン「ん?」

女子1「そろそろ見せてよ、フランちゃんの能力。 あれからもう大分経ってるんだよ?」

女子2「1ヶ月位前だっけ? 能力者になったの。 ビックリしたよね」

女子1「なんだかすごいみたいだけど、まだ一回も見せてもらってない!」


フラン「無理。 先生にまだ使うなってきつく言われてるから」

女子1「そんなの無視しちゃえばいいじゃん」

フラン「あのね……約束破って怒られるのは私なんだけど」

女子1「みーたーいーのー!」

フラン「うるさい!」



駄々をこねる少女に対し、フランドールは苛立ちを隠さずに怒鳴る。
どうやら相当宿題に手こずっているようで、その焦燥が彼女に荒い言葉を吐かせたのだろう。
だがそんなことで怯む少女達などではなく、むしろ駄々がエスカレートしていった。


『見たい、見たい』の大合唱。その声は廊下まで響くほどだ。
挙げ句の果てには体を揺すってガタガタと椅子を鳴らす始末。
近くでこうも騒がれては、勉強に集中することなどできはしない。
全く以て迷惑千万であるが、注意したどころで効果は薄いことは先ほど見たとおりである。
仕方なくフランドールは、取り巻きを黙らせるために『とっておき』を使うことにした。


フラン「あーもう、放課後お菓子でも奢ってあげるから、それで勘弁して」



そのとっておきとは、『餌を与えて黙らせる』というもの。
愛玩動物よろしく、食べ物で大人しくさせるのだ。
フランドールが能力者になってから、女子の騒ぎを沈静化するために新たに編み出した手法である。


本当であれば、こんな方法などそうそう使えるものではない。
毎回お菓子を奢っていては、いくらお金があっても足りないからである。
ではどうしてこんなことが出来るのかと言えば、偏に彼女がレベル4の能力者になったおかげだ。
月に1回もらえる奨学金の額が、以前と比べて倍にまで跳ね上がったのだ。


よってフランドールの財布の中は、小学生とは思えないほどリッチな状態になっており、
お菓子を買う程度であれば容易に無くなることはないのである。


女子1「本当!?」

女子2「さっすがレベル4。 太っ腹だねぇ~」

フラン「……はぁ」



先ほどの騒ぎは何だったのか。2人とも目を輝かせながらこちらを見ている。
お菓子をちらつかせた途端大人しくなった一同を見て、フランドールは呆れたように声を漏らした。
何やらお菓子目的でたかられているような気がするが、これも仕方のないことだと割り切る。


彼女は超能力を持てば良いことばかりであると思っていたようだが、そんなことはない。
有名になると言うことは、それと同時に厄介事にも巻き込まれやすくなるのだ。
有名人には多くの人が集うが、皆が皆いい人というわけではないのである。
『敵意』や『嫉妬』と言った負の感情をぶつけられていないだけ、まだマシと言えよう。


女子1「それじゃフランちゃん、お願いね~」

フラン「わかってるわよ……」



憎たらしいほどの笑顔を見せる友人を余所に、フランドールは再び机に向かう。
この遣り取りだけで、貴重な休み時間の多くを浪費してしまった。早く後れを取り戻さなければ。


彼女が勉強を再開しようとすると――――



「あなたたち、何してるの?」



フラン「ん?」

女子1「うげっ……」



声がした方向を見ると、教室の出入り口に一人の少女が立っている。
髪が桃色の、少し堅物な印象を受けるその子は、眉間に皺を寄せてこちらを睨んでいた。

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フラン「……なんだ、委員長か」

委員長「なんだとはなによ。 口の利き方には気をつけて」



ぶっきらぼうに言うフランドールに、『委員長』と呼ばれた少女は厳しい口調で非難する。
しかし非難された本人には、反省の色は見られない。


フランドールと委員長。
彼女等の仲は最悪とまではいかないにしても、良好な関係とは言い難かった。
その理由は二人の性格が、致命的と言っていいほどそりが合わないためである。


委員長は言ってしまえば『真面目』という言葉が歩きまわっているようなものであり、融通が利かず頑固な性格である。
そして何事にも本気で取り組み、決して中途半端に妥協することは無い。
そんな性格から来る不真面目な男子に対して事あるごとに説教をする様は、もはや日常風景と言っても良い。
故に一部の同級生からは煙たがられているのだが、その反面、教師達からの信頼は厚かった。


それに対してフランドールは、『全く』とまではいかないにしても、それほど真面目な性格では無い。
興味を持った事柄に対しては積極的に動くが、そうでないものに対してはいい加減に対処してしまう。
そして彼女は『熱しやすく、冷めやすい』。仮に興味を持ったとしても、途中で飽きてしまうこともしばしばある。


『毎回のように本気を出すのは疲れるだけ』。
『結果さえ出してしまえば、やる気なんて関係ない』。


ある意味合理的だが、ある意味では不真面目にも捉えられる価値観を持っているのが彼女であった。


真面目さに価値観を見出すことなく、程々のやる気で物事を解決しようとするフランドール。
真面目過ぎる性格であるが故に、他人の不真面目を許容できない委員長。


これが漫画等で見られる『真面目な学級委員長と不真面目な生徒』という、
よくあるシチュエーションであったのならそれほど問題は無かっただろう。
『口煩い学級委員長の説教を、のらりくらりと受け流す生徒』。そんな構図が出来上がったはずである。
それに於いては『柳に風』の如く、正面から衝突するようなことは無い。


しかし困ったことに、フランドールにはそのようなことが出来るだけの器量はなかった。
自身と真逆の思考を持つ存在が居るという事実に、我慢ができなかったのである。
故に彼女は、委員長に対し露骨なまでの敵意を抱いていた。


ところが、そこまで不仲だったにも拘わらず、実際に二人が正面からぶつかったことはこれまでにない。それは何故か?
それは彼女二人の間には、かつて『超能力を持っているかいないか』という明確過ぎる一つの差があったからである。


フランドールは最近レベル4相当の超能力を持っていると判断された身であるが、
過去に於いては僅かどころか全く能力を持っていない、レベル0の無能力者だった。
一方桃色髪の少女は、以前から学内では数人しか存在していないレベル3相当の能力者である。
その二人がぶつかればどうなるか。その結果は火を見るよりも明らかだろう。
そしてそれを理解できないほど、フランドールの頭は悪くない。


『力を持つ者』と『力を持たざる者』。
『超能力』はこの街、『学園都市』の根幹であり、最も重要視されるものでもある。
どんなに頭脳明晰でも、どんなに聖人君子であっても、『超能力を持っている』という価値には代えられない。


露骨なまでの超能力至上主義。
それは『学園都市』が抱える病であり、容易に直すことができない難病だ。
時には周囲の人間からの侮蔑として。時には本人の心の内に湧き上がる劣等感として。
その病は子供達の心を蝕み、追い詰め、食らい尽くすのである。


フランドールも例に漏れず、その毒牙の犠牲となった一人だ。
『負けたくない相手が、自分が持っていないものを持っている』という事実は、
ある種の敗北感を彼女に植えつけるには十分である。
そして何より、『むかつく奴を見返すことができない』という状況が彼女をこの上なく苛立たせていた。


しかし、それはもう過去の話。二人の間柄は、以前とは大分違っている。
言うまでもなく、フランドールが能力を得たことで『超能力の有無』という明確な違いが無くなったためだ。
加えてフランドールはレベル4相当の能力者であり、その力関係は逆転したと言えるだろう。


フランドールは、相手よりも優位な立場に立つことが出来るようになった。
つまりは、それまでのように委員長に対して引く必要がなくなったということでもある。



フラン「それで、一体何?」

委員長「放課後の外出は禁止になってるでしょ。 それなのに、外出するみたいな話をしてる」

フラン「めんどくさいなぁ。 一々私のやることに口出さないでよ」

委員長「クラスの風紀を守るのが私の役目よ。 危険なことをするつもりなら止めるわ」

委員長「それに貴方こそ、私に口を出されないように気をつけたらどうなの?」


ところが、力関係が変わっても人間関係は依然として変わっていなかった。
相も変わらず委員長は、フランドールの一挙一動に目くじらを立て、その都度彼女を諫めている。


フランドールとしては、超能力を持った時点で委員長からこちらに従うと考えていた。
『自身がそうだったのだから、相手もそうだろう』という思考に基づくものである。
そして委員長が事あるごとに自分に突っかかってくるのは、自分よりも力があるからだとも考えていた。


だが実際の所、そんなことを気にしていたのはフランドールだけであり、
委員長は彼女のことをどうとも思っていなかったのだ。
フランドールは委員長のことを『気に入らない奴』として敵視していたが、
委員長にとってのフランドールは、『少しひねくれた同じクラスの人』程度でしかない。
委員長にはフランドールを見下しているつもりなどないし、自身の力を傘に優位に立とうなどとも思っていない。
彼女が口うるさく言うのは、純粋に委員長としての使命を全うしようとしているからにすぎない。



しかし残念ながら、フランドールは委員長の考えに事実に気づいていない。
そして、委員長もフランドールにどのような目で見られているか知らない。
お互いに相手がどう思っているかなど理解することはなく、すれ違いばかりが続いていた。


フラン「ほんっと、あなたって生意気よね」

委員長「……どういうこと?」

フラン「毎回毎回口出しして、一体何様のつもりなの?」

委員長「言ったでしょ、私は委員長。 クラスのみんなを正しく纏めるのが役目よ」

フラン「別に、あなたに纏めてもらおうなんて思ったこと無いんだけど」

委員長「貴方がそう思わなくても、誰かが纏めなきゃいけないわ」

フラン「自分勝手ね。 そもそも、委員長なんて居ても居なくても同じでしょ」

フラン「あなたが委員長になったのは、他の誰も成ろうとしなかったじゃない」

フラン「みんな委員長なんてどうでも良いのよ。 むしろ、そんな面倒くさいものなんかこっちから願い下げなの」

フラン「あなたのことなんか誰も望んでないわけ。 その辺わかってる? 『委員長さん』」


委員長に対しフランドールは辛辣な言葉を投げかける。
その発言の一言一言に、彼女の敵意が乗せられているかのようだ。
相手の心をより深く抉るように、言葉を選んでるようにも感じられる。
『お前の存在なんて誰も望んでいない』と、相手の存在を全力で否定している。


実際の所、現状を鑑みると彼女の言葉は嘘ではない。
委員長がクラスの者から大部分から避けられているのは、紛れもない事実である。
真面目すぎる性格に加えて、極度のお節介焼きでもある彼女。
何か事あるごとに周りに口出しをし、さらには長々と説教をする人間を好く者など、
その者と同類の人間か、余程の物好きな人間しかいないはずである。



委員長「確かに、私はクラスの皆に嫌われていることは自覚しているわ」

委員長「私のような説教臭い人間なんて、嫌われて当然でしょう」

委員長「『先生達と仲が良い』という点も、その理由の内に入るでしょうね」

委員長「でも、皆に嫌われたとしても、誰も望まなくても、私は与えられた役目を果たすだけよ」



しかしその事実を指摘されても尚、委員長が狼狽えることはなかった。
むしろ、その逆境を目の前にして燃えているという節すらある。
相も変わらず彼女は、強固な意志が見え隠れする眼でフランドールを見据えていた。


フラン「……」



一方その反応を見たフランドールは、眼を見開き、そして顔を強ばらせることになる。
その愕然とした表情は、己の予想から外れた事象を目の当たりにした時のもの。
委員長を言い負かそうとしたのに、全く堪えていないのである。
言い負かそうとした当人にしてみれば、明確な敗北感を覚えるものだった。


だが考えてみれば、委員長の反応は当然のことといえるだろう。
周囲の人間の行動に対して口出しするには、自分の考えに自信を持っていなければならない。
何故なら迷いを抱えていると、その発言に力がなくなってしまうからである。
言葉に強い芯が通っているからこそ、人はそれに耳を傾け、心が動かされるのだ。
批判されたからといって簡単に意志を曲げてしまっては、何度も他人に口出しなどできはしない。


フラン「……………………は」



僅かな間が空いた後、フランドールの口から乾いた笑いがこぼれた。
口角が僅かながら釣り上がり、眉をひそめ、眼からは覇気が霧散している。
その表情は正しく、『失笑』の一言が相応しい。


そしてその時、彼女は目の前の少女に対し言論で勝つことを放棄した。敗北を認めたのだ。
そう認めざるを得ないほど、委員長の意志は固いことを自覚したのである。
ただし勘違いしてはいけないことは、それは『全面降伏』という意味ではないということ。
勝負の方法は、別に口論だけというわけではない。もっと単純明快でわかりやすい方法も存在する。


例えば――――『腕力による勝負』とか。


フラン「――――あー、ほんと、うざったいわねっ!」

委員長「!」



突然、フランドールは大きく右手を振りかぶった。
彼女の細腕が大きくしなり、末端の手の平が相手の頬に吸い込まれる。



バチィンッ!



次の瞬間、教室に大きく打音が響き渡った。その音は紛れもなく、肌同士がぶつかる音である。


フランドールの右腕は、委員長の頬の手前で止まっていた。
腕を止めたのは、委員長本人の左手。彼女はすんでの所で、防ぐことに成功したらしい。
彼女は腕に走る衝撃に苦悶の表情を浮かべつつ、目の前の少女を睨みつけた。

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委員長「……っ、いきなり、何をするの?」

フラン「うっさい! 黙って殴られなさい!」



その抗議を意にも介さず、フランドールは相手を睨み返した。
彼女は止められた腕を戻し、間髪入れずに今度は蹴りを放つ。



委員長「っ!?」



委員長はその蹴りを、後ろに下がることによって躱そうとする。
が、それには距離が近すぎた。足裏が委員長の腹部を捉え、彼女は後ろに吹き飛ばされる。


ドサッ!



委員長「ぐっ……」

フラン「ふん、思い知った?」



尻餅をついた委員長を、フランドールは薄笑いを浮かべながら見下ろす。
その瞳に浮かぶのは明らかな侮蔑。相手を見下す蔑みの眼である。
憎き相手を見下ろすことが、これほど清々しいものだったなんて――――
フランドールは心を支配する高揚感に、一人酔いしれていた。



委員長「貴方っ……」ギリッ

フラン「くすくす……謝るなら今の内だよ?」

女子1「やっちゃえ! フランちゃん!」

男子1「なんだなんだ?」

男子2「みんな! フランと委員長が喧嘩してるぞ!」



騒ぎを聞きつけた他の子供達が、何事かと集まってくる。
そして状況を理解した者から次々に、二人に対して野次が飛ばし始めた。


日頃の委員長への不満を晴らすためにフランドールを応援する者や、
逆に生真面目な部分で共感を覚えている委員長を応援する者。
どちらに味方をするわけでもなく、ただただ騒ぎを楽しむ者もいれば、遠巻きにその光景を眺めている者もいる。


いずれにせよ皆に共通していることは、普段とは違った出来事に興奮を覚えているということだろう。
いつもの代わり映えのない日常に退屈していた彼等にとって、フランドールと委員長の喧嘩は興味の絶えないものだ。
例えそれが悪いことだとわかっていたとしても、内から沸き上がる狂熱に耐える術を持っていなかった。
まるで蜜に誘われる羽虫の如く子供達は喧噪に群がり、いつしかその騒ぎは教室の外にあふれるまでになっていた。



委員長「こんな騒ぎになっちゃうなんて、委員長失格……」



その光景に委員長は、現状を生み出してしまった己の不甲斐なさに歯噛みする。


大きくなりすぎたこの騒ぎを、彼女一人で抑えることは既に不可能。
先生達が来れば自然と沈静化するだろうが、そのような事態の収束を彼女は望んでいなかった。
それは、彼女が持つ矜持なのだろう。自身の役割を果たせずに終わることだけは許せなかったのだ。


だから彼女は、無理矢理にでも己の力でこの騒動に幕を下ろそうとする。
例えそれが、自身が最も嫌う方法であったとしても。


委員長「……後で先生に怒られるかもしれないけど、仕方ないわね」



委員長は疲れたようにそう呟くと、上に向けて腕を伸ばした。
次の瞬間、部屋中の塵や埃が舞い上がり、手の平に集まり始めた。
灰色の球体は見る見るうちに大きくなり、やがて野球玉程度にまで成長する。



委員長「……こんな狭い場所じゃ、これが精一杯かな」

男子1「出たぜ、委員長の超能力――――『千里霧中(エアゾール)』だ!」



男子がその光景に叫ぶまもなく、委員長は手の平の球体をフランドール目掛けて飛ばした。
飛ばされた球体は二人の丁度中間まで来ると、大きく膨れあがり拡散する。
そして靄が相手を覆い込もうとする様子を見た彼女は、開いた手の平を今度は強く握りしめた。


フラン「……!」バッ!



相手の意図に気づいたフランドールは、反射的にその場から飛び退く。彼女の体が靄を突き抜け、外へと放り出された。
その次の瞬間、靄は再び一点に集合し始め、元の球体の姿に戻る。
もしもあの場所に留まっていたならば、あの靄にまとわりつかれて身動きが取れなくなっていた所だ。


委員長が持つ超能力、『千里霧中』。
『念動力』の一種に分類され、小さな粒子――――塵や砂など――――を操る能力。
大きさが規定に収まっていれば何でも良いらしく、煙や霧なども操作でき、
それらの形を自在に変えたり、一箇所に集合させて固体として扱うこともできるそうだ。


その特性故に、土埃が飛散するような場所では驚異的な強さを誇る超能力であり、
噂ではその力を使って、絡んできた5人のスキルアウトを一撃で吹き飛ばしたと言われている。


フラン「あぶ――――がっ!?」



相手の攻撃を避けたことに安心しようとした刹那、フランドールの首元が突然強く締め付けられた。


何事かと見やると、そこには自身の首に巻きつく灰色の糸が見えた。
そしてその線を辿って行くと、行き着く先には先ほど避けたはずの塵の集合体が。
なんと言うことはない、フランドールは委員長の攻撃を避けた気になっていたが、
実際のところ全く逃げ切れていなかったのだ。



委員長「もしかして、避けたつもり? だとしたら残念だったわね、そこはまだ射程圏内よ」

委員長「まぁ、この教室から逃げでもしない限りは、避けることなんてできなかったけど」

フラン「このっ……!」



首を抑えてもがくフランドールを、委員長は冷めた目で見つめる。
フランドールの首を捉えた糸は、時が経つに連れてどんどん太くなっていった。
糸の根源である球体が、その身を縮めて糸を太く、強固にしているのだ。
いずれは塵の全てが首に巻きつくことになるだろう。


委員長「貴方はもう、私の手から逃れられない。 これで終わりよ」

女子1「ちょっと委員長! フランちゃんを離しなさいよ!」

女子2「そうよそうよ! この堅物!」

委員長「断るわ。 今離したら、何をしでかすかわからないし」

委員長「それよりもそこの男子。 静かにして」

男子1「えぇ~! もう終わりかよ!」

男子2「つまんねーの!」

委員長「黙りなさい。 いい加減ににしないと……」

男子1「うっ……」



委員長は騒ぎ立てる男子に対し、無言の圧力をかける。
その剣幕に臆したのか、その男子を含めた野次馬が一斉に口を噤んだ。


目前には委員長の手により首を捕まれているフランドールの姿。
彼女は脱出しようと暴れているが、一向にそれが成される気配はない。
灰色の糸は首にしっかりとへばり付き、逃げることを許さない。


もしも逆らったら、自分も同じ目に会うかもしれない――――そんな予想が野次馬の中を伝播する。
無論、委員長がフランドールにしたことと同じ事をすると決まったわけではない。
むしろ、その可能性は低いだろう。元々委員長は、武力による制圧を望んでいないのだ。
このような状況になっているのは、フランドールが力で委員長を従えようとしたからに過ぎない。


だが、今の彼等にその考えに至るだけの余裕はなかった。
そして何より、委員長の剣幕と気迫が彼等の予想に現実味を帯びさせていた。
故に、野次馬達はぶつくさ言いながらも彼女の言葉に従うしかなかった。


フラン「くっ、この……!」



その光景を余所に、フランドールは依然として委員長の束縛から逃れようとしていた。
首にまとわりつく糸を、どうにかして引きはがそうとする。
だが、その糸は強固の一言。まるでピアノ線を相手にしているかのようである。
微細な塵の集まりに過ぎないはずなのに、それはあまりにも頑丈すぎた。


それもそのはず、糸を作り上げている力の元は委員長の『念動力』。
その力によって粒子同士をつなぎ合わせ、その結果一本の糸を成している。
『念動力』とは物理法則から外れた力。人間の常識を逸脱した代物。
『念動力』を使えば、鋼線よりも頑丈な糸を創り出すことも可能なのだ。



フラン(ちくしょうっ……こんなっ……!)



どうすることもできない状況、己の醜態が晒され続けている状況に、フランドールは焦燥、屈辱、憤怒に支配される。
周りの様子を見ると、野次馬の注目は委員長だけに向いていた。フランドールのことなど気にも留めていない。
彼等は既に、『フランドールは委員長に負けた』と考えているのだ。


こんな筈じゃ無かったのに――――彼女は心の中で歯噛みする。
そもそも、面と向かって争うこと自体が間違いだったのだ。
『強度』としてはフランドールの方が格上とはいえ、能力者としての経験の差が違いすぎる。
その事実は、フランドールが終始能力を使わなかったことに対し、
委員長は躊躇いもなく人に向けて能力を使った所に現れている。


委員長は『超能力の扱い方』というものを心得ている。
その言葉の中には、単純に『超能力を操作できる』というだけでなく、
『超能力を使うべき状況を判断できる』という意味合いも含まれている。
彼女の中には能力を使うべき『基準』というものがあり、それがあるからこそ迷い無く能力を行使することができる。


その『基準』は、実際に超能力者にならなければ定めることができない。
力をいつ、どのように使えばよいのか。それは当事者になった時に初めて理解できるもの。
故に、それを持たないフランドールには『今、力を使う』という選択肢が頭に浮かんでこなかった。


フラン(っ、こうなったら……!)



だがそれは、あくまでも『力を使う機を判断できなかった』というだけである。使おうと思えば使えるのだ。
まだフランドールの敗北が、完全に決定付けられたというわけではない。


彼女は能力の演算を開始する。自身にまとわりつく糸に触れ、その性質を理解し、破壊しようとする。
この力を自身の意志で使うのはこれが初めて。能力に覚醒した時は意識が朦朧としていたし、
それ以降は先生達の許可がなければ使うことができず、その性質を知るための実験として使用したことがあるのみ。
言ってしまえば、今回が初めての実践ということなる。


自分に上手く能力を扱うことができるだろうか?
そんな不安が、彼女の脳裏を過ぎる。


今まで実験として色々な物を壊してきたが、超能力が作用しているものには試したことはない。
委員長の『念動力』により造られた一本の糸。それに自身の能力が作用するのかは、全くの未知数。
『糸の破壊に失敗し、結局逃げられなかった』ということも十分あり得ることである。


この行動が、必ずしも成功するとは限らない。だが、何もしなければ何も変わらない。
だから彼女は、この策が成功することに賭け、行動に移した。


フラン(物を壊すには、物質同士を繋ぐ力を切っちゃえばいい筈……)

フラン(この糸を繋ぐ力は『念動力』だから……………………これだっ!)



フランドールは糸が帯びている力を見極め、それに自身の能力を作用させる。
委員長の『念動力』に、自身の『念動力』をねじ込み、糸を形成する力を妨害する。


すると――――



ブツンッ!



鈍い音と共に、触れた部分から糸が千切れる。果たして、フランドールの策は成功した。
彼女の能力は、『念動力』によって造られた糸にも効果があったのだ。


フランドールが持つ『物質崩壊』は委員長と同じ『念動力』に分類されるものであり、互いに干渉することができる。
ならば純粋に出力が上回る彼女の『念動力』が、委員長のそれに劣ることなどあり得ない。


フラン(物を壊すには、物質同士を繋ぐ力を切っちゃえばいい筈……)

フラン(この糸を繋ぐ力は『念動力』だから……………………これだっ!)



フランドールは糸が帯びている力を見極め、それに自身の能力を作用させる。
委員長の『念動力』に、自身の『念動力』をねじ込み、糸を形成する力を妨害する。


すると――――



ブツンッ!



鈍い音と共に、触れた部分から糸が千切れる。果たして、フランドールの策は成功した。
彼女の能力は、『念動力』によって造られた糸にも効果があったのだ。


フランドールが持つ『物質崩壊』は委員長と同じ『念動力』に分類されるものであり、互いに干渉することができる。
ならば純粋に出力が上回る彼女の『念動力』が、委員長のそれに劣ることなどあり得ない。


委員長「なっ――――!?」

「おぉっ!」



束縛を逃れたフランドールを見て、委員長は目を開く。
それと同時に、予想外の展開に周囲が一気に色めき立った。


フランドールがクラスの皆の目の前で能力を披露するのはこれが初めて。
彼女の能力の情報については、噂程度の物は伝わっていたものの、その詳細を知る者はクラスのどこにもいなかったのだ。
その理由は、教師達がフランドールの超能力の情報が不用意に広がる恐れ、
許可無しに能力を使わないよう釘を指したからであり、フランドールも律儀にそれを守っていたからである。


だが今回、彼女の頭に血が上りその約束を忘れたことで、超能力の正体があらわとなった。
その超能力に対し、委員長は自身の能力が破られるほどのものであることに驚愕し、
クラス一同はついに明かされる未知の力に、熱い視線を送る。
この瞬間、この場にいる人間の全ての視線がフランドールに集まっていた。


だがそれを前にして、当の本人はまるで気に留める様子はない。
彼女の頭の中は、『目の前の敵をどう打倒するか』ということしかなかった。


フラン「……ははっ!」

委員長「くっ!」



フランドールは素早く身を起こすと、委員長目掛けて突進する。
それに少し遅れて、委員長が再び相手を束縛しようと能力を行使した。


再び、灰色の糸がフランドールに迫る。しかし、それらが標的を捉えることは無かった。
フランドールが糸を手で乱暴に鷲づかみにし、自身の『念動力』で片っ端から破壊したのである。
糸を自力で壊せるとわかった以上、それを恐れる必要など無く、その行動には一分の迷いも存在しない。
彼女は糸を手で握りつぶしながら、ものの数秒の内に委員長の下へと辿り着いた。



委員長「そんな……!」



自分の能力が全く効かない。その事実に委員長は大きく狼狽する。


ものの一分とかからずに覆された戦況。それを冷静に受け入れるには、彼女はまだ若すぎる。
彼女は荒事を経験したことがあるとはいえ、その対処には『力による強引な排除』という手段しか執ったことがない。
『戦いの最中に戦略的な方法を考える』などという経験は無かった。
故に彼女は、突然訪れた危機的状況に対して咄嗟の判断をすることができない。


フラン「あはは、これでおしまい――――」



思考停止により棒立ちとなった委員長を目の前に、フランドールは自身の腕を相手に目掛けて突き出す。
狙うは相手の衣服。それを粉々に破壊し、身包み全てを奪い去ろうとした。


『貴方に最高の屈辱を与えてやる』。
『公衆の面前で裸体を晒し、皆の嗤いものになってしまえ』。
フランドールは邪な願いを込めて、口元を歪ませながら委員長へと飛びかかる。


――――いつもの彼女ならば、そのような考えなど持つはずがない
いくら相手を憎たらしく思おうと、所詮それは子供の感情。
そんなものから生まれるのは、重箱の隅をつついたような幼稚な仕返しかないだろう。
ましてや相手を辱め、陥れるなどという下卑な発想などできるはずもないのだ。


だが今の彼女の心の内は、何処からとも無く湧いて出た目の前の相手への憤怒と憎悪で満たされていた。
感情に身を任せて相手へ復讐することへ、一種の喜びを見出してすらいた。
そして、普段と比べて明らかにおかしい自身の行動に疑問を挟んでいない。


フランドールの心が突然、別人のように変わってしまったその理由。
それが『己の体の内にあるものが為だ』などと、彼女が知るはずもなかった。


委員長「い――――」



目の前に迫り来る魔の手を前に、委員長は半ば反射的に体を動かす。
彼女はまだ、フランドールの腕にどのような力が宿っているのかを知らない。
ただ、一つだけ理解したことがある。それは、『相手の力は自身のそれを凌ぐもの』であると言うことだ。


そして今、その得体の知れない力が宿った腕が、自身に触れようとしている。
『それ』が自身に触れたら最後、一体どのような事が起こるのか。それはわからない。
しかしわからないからこそ、訪れるであろう『未知の結末』に彼女は恐怖した。










――――だから、仕方のないことだったのだろう。


彼女がフランドールの腕を、その手で振り払ってしまったのは。

今日はここまで
質問・感想があればどうぞ

これから投下を開始します


ボンッ!!!



フランドール「――――え?」

委員長「――――あ?」



何かが破裂するような、大きな音が教室に響いた。


その時、フランドールも委員長も、彼女等を取り巻く子供達でさえも一様に静まりかえる。
皆が皆、突然起こった出来事に、その光景を目の前にして呆然としていた。











委員長の右腕が。



フランドールの腕をふり払ったその腕が。



まるで最初から無かったかのように、跡形もなく消し飛んでいたのだ。











ブッシュゥゥゥゥッ!!!



委員長「あ、あああああああぁぁぁぁぁあぁあぁぁぁぁぁぁぁ!?!?!?!?」



一瞬の間を置いて、委員長の肩口から鮮血が噴水のように吹き出す。
瞬く間に、床一面が赤よりも紅い色に染まっていった。
そして、先ほどまで右腕のあった場所から血が吹き出す様を見て絶叫する少女。
その叫び声には、腕を失ったことからくる驚愕と恐怖が入り交じっていた。



委員長「あ、あぁ……」



ドチャッ!



一頻り叫んだ彼女は失血によるショックか気を失い、糸が切れた人形のように血の海の中へと倒れ込む。
水気を多分に含んだ雑巾を、地面に叩きつけたかのような音が響いた。


彼女の肩の傷口からは、勢いは衰えているものの未だに血が流れ続ける。
その血は血溜まりを更に大きく広げ、すでに教室の四半分を染め上げるほどだ。
止めどなく流れ出る生命の源。委員長が少しずつ、着実に死へと近づいていることが見てわかった。


「う、うわああぁぁぁぁ!!!」



周りで見物していた子供達が、次々と悲鳴を上げる。
恐怖が一同に伝播し、一瞬にして教室はパニックに陥った。


心の内に沸き上がる恐怖心により、その場から一目散に逃げ出す者。
凄惨な光景に立ちすくみ、ただただ泣き叫ぶ者。
精神的ショックのあまり、自ら意識を手放す者。


精神的にも肉体的にも未熟な彼等は、恐怖という名の本能に従って狼狽するしかない。
血を流して倒れている委員長を手当てすることもなく、ただおろおろと動き回るだけだった。


しばらくして、騒ぎを聞きつけた教師達が現場へと駆けつけてくる。
そして目の前に広がる光景を一目見て、一瞬その場に棒立ちとなった。
何せ、騒ぎの中心であろう2人の内の1人は血の海に倒れ込み、
もう1人は全身血まみれになりながら立ち尽くしているのだ。
その光景を見せつけられて、動揺の一つもしない人間はいまい。


しかし彼等は成熟した大人。子供達のように恐慌に陥るなどと言う無様な醜態は晒さない。
直ぐに我に返った彼等は取るべき行動を頭の中で瞬時に弾き出し、それを行動に移す。


事の顛末を把握しようと、周囲に事情を聴く者。
あるいは泣き叫び、あるいは逃げ回る子供を落ち着かせようとする者。
流血する委員長駆け寄り、応急処置をしようとする者。


彼等は事態を収束させるために、素早く動き出した。


フラン「――――」



阿鼻叫喚に陥った教室。その中で、フランドールはただ1人呆然としていた。
今彼女の眼前に広がっている地獄。それがあまりにも非現実的で、夢の中を漂っているかのよう。
それを生み出したのは自分であるにも拘わらず、まるで他人事のような眼で眺めていた。


彼女は委員長の血飛沫を正面から浴び、まるでペンキを被ったかの如く全身が真紅で彩られている。
瞳には生気が無く、目の前に広がる光景を『ただ眼に映している』だけ。
それはまるで、血の池地獄から這い出してきた幽鬼のような姿。


周りからなにやら叫び声が聞こえるが、頭の中に入ってこない。
耳と脳の間をつなぐ回路が壊れてしまったかのようだ。
男子の絶叫も、女子の叫喚も、教師の大喝も。全てが耳障りな雑音でしかなかった。


意味を持たない、ただのノイズのみとなった世界。
そこに佇む彼女の耳に、一つだけ明確に理解できる『言葉』が飛び込んできた。











『バ ケ モ ノ』











フラン「ぇ――――?」



ふと思い出したかのように、頭の中が真っ白なままフランドールは周囲を見渡す。
とある女子が、恐怖と侮蔑と敵意をかき混ぜたかのような視線が向けていた。
相手の存在そのものを、徹底的に否定するかのような眼。
その存在を跡形もなく消し去ることを望むような、そんな眼だ。


しかし今の彼女にとって、その事実は二の次でしかない。


瞳を向ける子供は、先ほどまで仲良く会話していた少女だったのだ。
クラスの中でもそれなりに親しかった彼女が、恐怖の眼をこちらに向けている。
いつも笑顔を浮かべているはずの顔は、その眼のせいで酷く歪んでいるように見えた。


心にちくりと何かが刺さる。
そして再び周囲を見渡して、また一つ気づいた。
少女だけでなく、自身を見つめる子供全てがその眼をしているということに。


濃密な負の感情が込められた数多の眼光が、彼女の体に突き刺さっていく。
じくじくと、図太い針が皮膚に食い込んでいくような。
そして針に含まれた毒がじわじわと心身を蝕んでいくような、そんな錯覚に襲われた。


フラン「――――ぁ」



それを見たフランドールは、理屈も過程も吹き飛ばして一つの答えを導き出す。


『自分はもはやまともなニンゲンではない』ということに。
『ニンゲンの枠から外れたバケモノだ』ということに。
人の枠を超えた力を手に入れたその代償として、『人間の環』から外されてしまったと理解した。


『人を人たらしめるもの』とは何か。
『人の胎から生まれ落ちれば人』か?それはノーだ。
確かに『種族』という因子は個の存在を決定するには必要なものではある。


だがその種族が『人間』という枠組みになると、途端にその因子だけでは頼りないものになってくる。
なぜなら『種族』という因子は『生物学的に』個の存在を決定づけるものでしかないからだ。


人間は『社会的生物』である。


個々の人間は、生身では猫にも劣る力しか持ち合わせていない。
それ故に、彼らは群れることによって己の非力を補おうとした。
さらには『爪と牙』という野生の力を放棄し、代わりとして『頭脳』というあらゆることに応用可能な力を手にしたのだ。


その結果、人間は頭脳を用いて群れることにより『社会』と呼ばれる大規模な集団を構築し、
地球上のあらゆる種族に対抗しうる手段を手に入れることになる。


その『社会』に属するためには、『人間から人間と認められなくてはならない』。
それは、『社会的』に個の存在を決定づける方法に他ならない。
『生物学的』にも『社会的』にも『人間』と判断された時、その個は初めて『人間』となりうるのである。










それならば、『人間という名の社会』から外されたフランドールは、果たして人間なのだろうか?


フランドール「う、うあぁぁぁぁあぁあぁぁぁぁぁ!!!」



突如の頭痛にフランドールはその場に座り込む。
精神が不安定になったときに起きる『自分だけの現実』の暴走。
脳細胞の異常な活発化により、フランドールの脳に大きな負担がかかり始めた。
そして何より問題なのは、『自分だけの現実の暴走』とは『能力の暴走』と同義であり――――



「――――っ!?」

「――――、――――!!!」

「――――!? ――――!!!」



床にうずくまるフランドールを見た教師たちが、何か叫び声を上げる。
彼女の身に何が起こっているのかを察知し、その場全員に避難を促そうとした。


だが恐慌状態に陥っている状況下で、その声が届くことはない。
教室の中には、未だにその場から動くことの出来ない子供であふれていた。


フラン「あぁあぁぁ……!」



バキッ!!!



教師達が仕方なく子供達を強引に教室から連れ出そうとしたとき、フランドールに更なる異変が起こる。
頭を抱えてうずくまる彼女を中心として、床に亀裂が入った。
その亀裂は蜘蛛の巣のごとく次々に広がっていき、見る見るうちに教室全体にまで達する。



「――――!?!?!?」



それを見た教師たちは、これから何が起ころうとしているのかを察知し、一瞬にして血の気が引いた。
彼等は慌てて子供達を抱え、部屋から飛び出そうとして――――











その直後、校舎の一角が轟音を立てて崩落した。










今日はここまで


今年最後の投稿になります
今年はリアルの忙しさもあって、殆ど進めなかったのが心残りです
話の流れとしては後半の中頃にさしかかったところなので、なんとかエタらずに済みそうです
まだ最後まで書ききってはいないんですけどね

どれほどの方がご覧になってくださっているのかはわかりませんが、
来年も何卒よろしくお願いします


それでは皆様、よいお年を

あけおめことよろ
今年最初の投下を始めます






――――7月28日 PM10:03






土御門「カミ、やん……」

上条「……」



空に浮かぶ満月に、煌々と照らされる中。
スカーレット邸の玄関前において、土御門元春と上条当麻が対峙していた。


土御門は自身の足下で眠る少女――――フランドール・スカーレットの近くにしゃがんだまま、
背後の突如現れた親友を返り見て硬直している。
それに対し、当麻は土御門を睨みつけたままその場から動く様子はない。
しかしその顔から迸る怒りの感情は、今にも土御門に対して殴りかかってきそうな気迫を携えていた。



上条「……土御門、お前、『フランに何をした?』」

土御門「……」



ぽつりと、ただしはっきり聞こえる声で当麻は問う。
彼はたった一言だけ、目の前の男に自身の疑問を口にした。


しかしその一言は、土御門をその場に射止めるには十分な代物。
その言葉の言外には、『下手な言い訳は許さない』という明確な意思が付随している。
いかに当麻を言いくるめるかを全力で思案していた彼にとって、
正しく心を鷲掴みにされたかのような錯覚を覚えるものだった。


だが土御門の精神は、その程度で錯乱状態に陥るような軟なものではない。
彼は幼少のころから闇の狭間を生きてきた人間である。
このような状況など、星の数ほど経験してきたのだから。



土御門「……麻酔を使って眠らせた。 暴れられると困るからな」

土御門「能力を使って無暗矢鱈に破壊し始めたら、いくらオレでも手がつけられない」

上条「……」



土御門は己の行いを、嘘偽りなく当麻へ曝け出した。
下手に虚言を並べない方が、これからの話を円滑に行えると考えたからである。
その予想は当たっていたようで、彼の発言に対して何か強く言いだすことを当麻はしなかった。


土御門「それでカミやん、どうしてこんなところに居るんだにゃー?」



ある程度考えを纏めた土御門は、話し方を普段使っている猫被りに戻す。
そしてゆっくりと立ち上がると、いつものおどけた表情を造りながら当麻に問いかけた。


しかしながら、その疑問は彼の中で既に氷解している。
どうして目の前の男がこの場に居るかなど、当人の性格を鑑みれば考えるまでもないことだからだ。
故にこの問いは、あくまでも会話を自身のペースに乗せるためという意味合いしかない。



上条「そんなの決まってるだろ。 お前やパチュリーを止めるためだ」

土御門「止める? 一体何をだ?」

上条「フランとレミリアを、イギリス清教に連れて行くことだ。 知ってるんだよ、お前達がこれから何をしようとしているのか」

土御門「なーるほど……一つ聞くが、そのことを何処で?」

上条「ステイルだ。 聞いたら教えてくれた」

土御門「ステイルが? 良く教えてくれたもんだな」

上条「それは俺もそう思う」


土御門は一連の話の中で、一つの疑問について思考を巡らせる。


何故、ステイルは当麻にこちらの情報を教えたのか。
『上条当麻に教えるな』と直接釘を刺したわけではないので、それが原因と言われればそれまでである。
しかしステイルほどの人間が、自身の行動が何をもたらすのかについて全く気づかないとはあり得ない。


当麻に事件の詳細を伝えることは、彼を事件に突っ込ませると言うことであり、
ひいてはインデックスを事件に巻き込むと言うことである。
インデックスの身を誰よりも案じているであろう彼が、
彼女に危険が迫るようなことをするとは思えないのだが……



土御門(ステイルの奴、一体何を考えている……?)

上条「……土御門」



当麻の声に、土御門の思考は現実へと引き戻される。
ステイルの思惑は気になるが、それを考えるのは今するべき事ではない。
目の前で仁王立ちしている親友をどうするのか。それがまず先だ。


土御門「ふぅ、カミやんの言いたいことはよ~くわかったにゃー。 ……その上で聞こう」

土御門「……カミやん、自分が何を言っているのかわかっているのか?」

上条「……わかってる、わかってるさ」

土御門「いいや、わかってないな。 カミやんがやろうとしていることは、イギリス清教への明確な反逆だぞ?」

土御門「しかも単なる業務妨害じゃない。 俺達の任務は『最大主教』の直々の指令だ」

土御門「それを邪魔することが何を意味しているのか、留年ギリギリのカミやんでもわかるはずだぜい?」

上条「知っている。 俺がお前達の邪魔をすればイギリス清教に目の敵にされることも、
インデックスがイギリスに連れ戻されることも、全部わかっている」

上条「だけど、それでもなんだ。 俺には、フラン達が連れて行かれるのを黙って見ていることなんてできない」

上条「例えそれで平和になるとわかっていても、誰かが不幸になるのを無視するなんてできねぇ!」

土御門「おいおい、まさかカミやんの都合でインデックスに迷惑をかけるつもり――――」

「それは大丈夫なんだよ」


少女の声が響いたかと思うと、当麻の背後――――屋敷の門の陰から人影が飛び出してきた。


白いベールのついた帽子に、長い青色掛かった銀髪。
それを風に靡かせながら、その者は小走りでこちらに駆け寄ってくる。
その姿は、土御門にとっては慣れ親しんだもの。


イギリス清教の切り札。10万3000冊の魔道書を脳に刻み込んだ最強の防護壁。
『禁書目録』もとい、インデックスであった。



土御門「インデックス……カミやん、やっぱり連れてきたのか?」

上条「……あぁ」

土御門「イギリス清教に所属している身としては、あまり彼女を危険な場所に連れまわしてほしくはないんだけどにゃー……」

禁書「つちみかど」



インデックスは土御門に呼びかける。
彼女の眼は、当麻のそれとはまた違った、とても澄んだ色をしている。
邪なものを感じさせない純真無垢な瞳は、当麻とはまた違った圧迫感を感じさせるものだった。


インデックスは土御門に呼びかける。
彼女の眼は、当麻のそれとはまた違った、とても澄んだ色をしている。
邪なものを感じさせない純真無垢な瞳は、当麻とはまた違った圧迫感を感じさせるものだった。



禁書「お願いだよ、つちみかど。 ふらんを連れて行かないで欲しいんだよ」

禁書「ふらんは何も悪いことはしてないし、吸血鬼の魔術だって何とかなるかもしれない」

禁書「だから……もう少しの間だけ待ってて欲しいんだよ!」



インデックスは嘆願する。
その姿はまるで、あの時の――――インデックスにかけられた1年ごとに記憶を消される呪いを解くために、
期限が迫る中で上条当麻が神裂火織とステイル対して食い下がった時のそれとよく似ていた。
彼ほど迫力こそはないものの、その言葉に込められた感情は比べるべくも無い。



土御門「……残念だが、『禁書目録』の頼みでもそれはできないぜい」



しかし、土御門はその嘆願を拒否した。
もし彼がただの一般人だったのであれば、その姿に心を動かされもしたのだろう。
彼女の姿は、人の心に罪悪感を沸き上がらせるには十分に足るものである。
だが、公私を区別できる土御門にとっては意味のないものであった。


土御門「吸血鬼の存在はイギリス清教だけじゃなく、魔術サイド全体に関わる問題だ」

土御門「個人の都合でどうこうできるほど、今回の案件は軽くはないぜよ」

土御門「仮に俺達が引いても、いずれは他の奴等が嗅ぎつけてくる」

土御門「ローマ正教に見つかりでもしてみろ。 『捕縛』だなんて生ぬるい事なんてせずに、
その場で首を切り落とされること間違い無しだ」



それに、と土御門は付け加えながら再び当麻を見て、更に言葉を紡ぐ。



土御門「カミやんだってわかっているだろう? こいつらを放置する事が如何に危険なのかが……」

土御門「下手すれば、魔術サイド全てを巻き込んだ戦争が起こる。 しかもかなりの規模になるだろう」

土御門「インデックスがいる以上、そして彼女が発見者である以上、学園都市だって無関係を決め込めるじゃないんだぜい?」

土御門「戦争を防ぐには、スカーレット家が生み出した魔術を欠片も残さず排除するしかない」

土御門「そしてこいつらが魔術で吸血鬼化しているとなれば、今度は魔術の痕跡を消すだけじゃあ足りなくなる」

土御門「殺すか、もしくは未来永劫幽閉し続けるしかないんだ。 誰の手にも触れられることの無いようにな」

上条「本当に殺すしかないのか? 本当に永遠に閉じ込めるしかないのか?」

上条「もしかしたら、まだ手があるかもしれないだろ!?」

土御門「そんな手があったらとっくに使っている。 根拠の無い希望的観測は止めろ、上条当麻」


土御門はついに、当麻の意見をばっさりと切り捨てた。


上条当麻は甘い人間だ。彼は敵味方、善悪問わず救おうとする。
言ってしまえば、理屈など度外視して、感情のままに行動するのだ。


『人を救う』ことは素晴らしいことだ。それに異論を挟む余地はない。
だが問題は、彼は救う人を選ばないのだ。相手がどのような人間であろうと手を差し伸べてしまう。
世界を滅ぼそうとする人間であろうと、自分に対して耐え難い苦痛を与えた人間であろうと、
その者が不幸の沼に足を囚われていれば、助けようとしてしまうのである。


それが如何に危険なことなのか、彼はわかっていない。
悪人を救おうとすれば、彼自身も共犯となる。つまり、周囲を敵に回すことになるのだ。
以前にも彼は、全世界を敵に回した少女を救おうとして同じような目にあっている。
あの時は運良く生きながらえたから良かったものの、今度もそうなるとは限らない。


これ以上上条当麻に無謀なことをさせることは、土御門としても容認できることではなかった。
だからこそ彼は親友を諦めさせようとする。


上条「……そうかよ。 なら――――」

土御門「力尽くで、か? カミやん? らしくないな。 いつもの説教はどうした?」

上条「そうでもしないと止まりそうにないからな。 お前と口論したって、説得できそうもねぇし」

土御門「よくわかってるじゃないか……勝てると思ってるのか? この前のようにはいかないぜい?」

上条「上等。 俺だってあの時と同じじゃねぇよ」

禁書「とうま……」



軽口を叩き合いながらも、2人は静かに臨戦体勢へと入る。


彼等は以前にも、こうしてぶつかり合ったことがある。
一戦目は土御門元春の勝利。二戦目は、上条当麻の勝利で終わっていた。
互いに一勝一敗。この三戦目でついに優劣がつくことになる。


土御門「一時の感情で無計画に動き回るのは、カミやんのいつもの悪い癖だ。 いい加減そろそろ学習するべきだぞ」

上条「助けたいと思って助けることの何が悪いんだよ。 誰から何を言われようと、俺は自分を貫き通す!」

上条「俺は絶対に――――諦めたりなんかしねぇぞッ! 土御門ッ!」



上条当麻は、不幸になりそうな人を助けるために。
土御門元春は、世界と自身の大切な人を危険から遠ざけるために。
2人は己の信念のため、この場でぶつかり合う。そして、勝利した者だけがその信念を貫徹できるのだ。



上条「……いくぞ!」

土御門「……」



幾許かの睨み合いの末、2人はついに足を踏み出した。

今日はここまで
質問・感想があればどうぞ

乙!
友人同士の引けない戦い……青春してますね

んで、レミパチェはどうしてるのか

>>429
レミパチュは現在弾幕ごっこをしております
時系列的には巻き戻っておりますので


これから投下を開始します


上条「うぉらァッ!!!」ブオン!



当麻は土御門の腕に向けて拳を放つ。


能力も特別な技術もない、素人丸出しの拳。しかしそれこそが、上条当麻が持つ唯一の武器。
鍛え上げられた肉体から繰り出されるそれは、大の男を軽々と吹き飛ばす程の力を持っている。
それにより沈んでいった者は数知れず。土御門もまた、その拳を身に受けた者の1人である。



土御門「ふっ!」



しかし一度拳を受けたからこそ、それを見切るのもまた容易い。
何より土御門は、あらゆる暗殺武術を極めた人間である。
肉体、精神共に疲弊していたあの時ならいざ知らず、十全な状態の彼に大振りの攻撃など届くはずもない。


彼は自身に向かって突き出された拳を危なげなく躱すと、その腕を自身の腕で絡め取る。
そして相手の力をそのまま利用し、背負い投げの要領で勢いよく投げ飛ばした。



上条「うっ!? ……とっと!」



そのまま地面に叩きつけられると思われたが、当麻は上手く体を捻って着地した。
流石、と言うべきか。事あるごとに何十メートルも吹き飛ばされてきただけある。
咄嗟に受け身を取るのは朝飯前というわけだ。



上条「危な――――!?」



ブオッ!



着地の姿勢でしゃがみ込んだまま、背筋に悪寒を感じ取った当麻は、反射的にその場から飛び退く。
すると間一髪、彼の瞳には目の前から相手の拳が遠ざかっていく光景が映し出された。


顎へと正確に狙いを定めた正拳突き。
もしもまともに食らっていたら、いくらタフな当麻といえども、昏倒は避けられなかっただろう。
起こり得たかもしれない未来に冷や汗を流しつつ、彼はさらに土御門から距離を取る。


が、土御門は当麻を逃がすまいと俊足で以て一気に肉薄した。



当麻「――――!?」

土御門「……」ブンッ!



瞬きする間も無く迫り来る、金髪サングラスの男。その脇から、居合のようにして握り拳が打ち出される。
距離は目と鼻の先。避けるにはあまりにも時間が足りない。
だが対処しなければ、その拳は自身の鳩尾へと吸い込まれる。


避けることはできない。ならば、受けるしかない。


ガシィッ!



土御門「!」

上条「……!」



当麻は迫り来る拳を手の平でうけ、しっかりと掴んだ。
直ぐさま土御門のもう一方の拳が同じようにして突き出されるが、それも辛うじて受け止める。



上条「ぐぐっ……!」

土御門「くっ……!」




二人の両腕、すなわち四本の腕が橋を作る。
ここからは純粋な力くらべ。互いに相手の拳を押し返そうと、さらに力を込める。


しかし力は拮抗し続け、一向に状況は変わらない。2人の腕力はほぼ同等だったのだ。
幾多の修羅場を迎え、その度に乗り越えることで鍛え上げられた肉体。
境遇は違えど、彼らは紛うこと無き歴戦の戦士である。
その力に容易く優劣をつけることなどできはしない。


単純な力勝負では、決着はつきそうにない。
では、『力』以外で勝敗を分けるものといえば何があるだろうか?
次点に来るものとして考えられるのは、力を扱う『技術』だろう。



上条「おわっ!?」



突然、当麻は勢い良く前へとつんのめった。
原因は無論、土御門にある。彼は力比べを早々に切り上げ、『その腕を引いた』のだ。
相手を押し返すようにして力をかけていたところに、急にその支えを奪われてしまえば、
バランスを崩してしまうのは当たり前の話である。


当麻は不意を突かれ、完全に自身の足元を見る体勢となる。
そして見下ろした視線の先には、土御門の膝が自身の顔面へと向かってくるのが見えた。


ガスッ!



何かが勢いよく擦れるような、鈍く乾いた音が響く。当麻の前額から鮮血が飛び散った。
土御門の膝が届く前に首を捻り、辛うじて直撃を回避したのだ。
咄嗟のことで躱しきれなかったようだが、頭を粉砕されることに比べれば遥かに良い方である。



上条「う、おおおぉぉぉぉおぉぉおお!!!」

土御門「!?」



当麻は咆哮を上げ、前のめりの体勢のまま土御門へと突進した。
己の重心を思いっきり前へと移し、全体重を相手にかける。


こうなると、次にバランスを崩すのは土御門の方である。
相手をこちら側に引きつけようと、体の重心を後ろに下げていたためだ。
このままでは無様に倒れ込み、当麻にマウントを取られてしまうだろう。
そうなったら最後、再び起き上がることは二度と叶うまい。


土御門「甘いッ!」

上条「うっ!?」



しかしそこは熟練の格闘家である土御門。彼の頭の中では、瞬時に次に移るべき行動を弾き出していた。
彼は相手の勢いに逆らうことなく『相手の下に滑り込むようにして、わざと自ら倒れ込んだ』。
2人の位置関係は土御門が下に、当麻がその上に覆い被さる形となる。


一見、相手の突進に対して早々に屈したように見える。その認識はある意味で正しく、そして間違っている。
だが彼は『屈した訳ではない』。この動作は次の動作へ繋がる布石。
彼は仰向けに姿勢のまま、当麻の腹部を思いっきり蹴り上げた。



ドスッ!



上条「がっ――――!?」



体の中からミシミシと、背骨の悲鳴を上げる音が聞こえる。
腹部が圧迫され、胃の中の咀嚼物と肺の中の空気が逆流しそうになる。
喉の奥から迫り上がってくる強烈な不快感に、全身から嫌な汗が噴き出した。



だが、それを意識する暇もなく彼の視界が反転する。
視界には土御門の顔があったはずが、いつの間にか満天の星空へと様変わりしていた。
それに遅れて全身を包む浮遊感。その時初めて、自身が投げ飛ばされたことに気づく。



上条(やばっ――――!?)



このままでは背中から地面に叩きつけられることに気づき、慌てて体を捻って姿勢を立て直す。
俯せの姿勢で地面に手を突き、落下の衝撃を和らげる。衝撃が腕の隅々を伝播した。


その痛みを噛みしめながら当麻は、反撃を避けるべく急いで起き上がる。
多少のふらつきはあるが、問題は無い。まだ戦うことはできる。
見やると、土御門も同じく起き上がる所であった。ただし、当麻のようにふらついてはいないが。



禁書「とうま!? だいじょうぶ!?」

上条「俺は大丈夫だ、インデックス」



不安な顔持ちで声を上げるインデックスを安心させようと、何でもない風を装って答える。


しかし実際の所、腹部を蹴られた痛みは容易には看過できない。
土御門が手加減してくれたおかげか、口から血を吐くような重篤ものではなかったが、
それを差し引いたとしても身体へのダメージはかなり大きいようだ。
蹴られたことによる鈍痛は勿論のこと、喉の奥から沸き上がってくる嘔吐特有の不快感。
それらの襲い来る感触が、当麻の心身をじくじくを蝕み始めていた。



土御門「カミやん、諦めろ。 今ので判っただろう? お前の攻撃は単調で隙がありすぎる」

土御門「そんな力任せの攻撃じゃあ、いつまで経っても俺には当てられないぜい?」

上条「まだだ……これ位のことで、諦めて、たまるかよっ!」

土御門「いい加減にしろ。 本当なら、最初の段階で投げ飛ばしたりせずに腕をへし折っても良かったんだぞ?」

土御門「第一に、だ。 そんなフラフラの状態で、まともに俺と戦うことができるのか?」

上条「ぐっ……」



土御門の最後の一言に、当麻は苦い顔をした。
目の前の天の邪鬼の発言は的を射ている。反論の余地すら無い。
腹部に一撃を貰い、体力を大きく削られた今となっては、当麻が勝利する可能性は無きに等しい。


元々万全の状態でやり合ったとしても、勝率など高が知れているのだ。
幾たびの戦いの最中、上条当麻が身につけた『攻撃の予兆を感じ取る』という戦いの才能。
それを以てしても、土御門がこれまで築き上げてきた戦闘技術には遥かに及ばないのだから。


しかしそれ以上に、彼が持つ『もう一つ強味』が生かせないことの方が致命的である。


上条当麻の『話術』。
彼から紡ぎ出される言霊は、ある時には相手の『心の隙間』を突き崩して動揺を誘い、
あるときには迷いの直中にいる者の背中を後押しし、奮い立たせる。
彼は遥かに強大な敵との戦いを、言葉の力を借りて有利に進めてきたのだ。
自覚していたわけではない。だが例え無自覚でも、その力は紛れもない上条当麻が持つ力である。


しかしそれが通用するのは、相手が『心の隙間』を持っている時、
そして何より『良心の叱責』を持っている時だけである。
自身の考えに確固たるものを持っている者には当麻の言葉は届かないし、
彼の言葉が『道徳心』から出るものである以上、良識が欠如している者にも同様に効果はないのだ。


そして今回の例に当て嵌めるならば、土御門は前者の人間である。
土御門は心に迷いを抱えているわけではない。明確な意志を持ってこの場に立っている人間だ。
彼の意志は、言葉だけで容易く揺り動かせるほど甘くはない。


上条(不味いな……このままじゃ、いつまで経っても土御門をフランから引き離せない)

上条(腕っ節は同じくらいだけど、経験は土御門の方が上……俺の大振りな攻撃じゃあ、直ぐに見切られちまう)

上条(まともにやり合っても勝ち目は薄い。 だけど、それ以外に方法がない)

上条(何とかフランのことを諦めてくれるように説得できれば良いんだけど、策は浮かばねぇし……)



フランドールを助けるには、どうにかして土御門を説得し、止めなければならない。
しかし、それを成すための確かな言葉を、当麻は未だに探し出せていなかった。
無情にも過ぎ去っていく時間。このままでは何も事態は好転しない。


それに、この場に居ないレミリアやパチュリーのことも気掛かりだ。
レミリアはこの事件の首謀者。何を思ってこのようなことをしでかしたのかは知らないが、
目的があって行動している以上、それを邪魔する者に対しては容赦しないだろう。
そしてパチュリーも『吸血鬼退治』に駆り出されている以上、相当な腕を持つ魔術師のはず。
『最大主教』の命もある。戦いになった際は全力で事に当たるだろう。


そう考えると彼等二人がいる場所が、自分が今いる場所よりも遥かに殺伐しているだろうことは容易に想像出来る。
戦闘、しかも純粋な殺し合いに発展していてもおかしくはない。
辿り着いた時には既に、どちらかが死んでいても何ら不自然ではないのだ。


そうなる前に、何としてでも止めに入らなければならない。
しかしそのためには、この状況を打開しなければならないのだが……



禁書「あっ……!」

上条「っ!? どうした、インデックス――――」

土御門「む……?」



思考が無間に陥りかけた時、インデックスが突然、何かに気づいたように声を上げる。
彼女の視線は土御門の背後に注がれていた。


釣られて同じように自身も眼を向けると、そこには。
俯きながらも立ち上がった、フランドールの姿があった。

今日はここまで


原作では上条さんは魔神との戦いの経験で土御門よりも強くなっている気がしますが、
このSSでは上条さんと土御門の力関係は『御使堕し』の時から若干差が縮んだ程度になっています
あまりインフレし過ぎると色々と前提が崩れてしまいそうなのでこのような形にしました


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これから投下を開始します


フラン「――――」



その姿は、お世辞にも『安心』と言えるものではなかった。


彼女は体を前後にゆらゆらと揺らしており、その様子は少し小突けば簡単に倒れるのではないかと思えるほど。
顔を伏せているため、その表情を窺い知ることは出来ない。
それはまるで陽炎のよう。瞬きすれば消え去ってしまいそうな、そんな不安に駆られるものだった。



上条(眼が醒めた……のか? いや、まだ意識が曖昧なのか……)



フランドールの傍に駆け寄りたい衝動に駆られるが、すんでの所で押し留める。
彼女と自身との間には土御門元春がいる。それは、二人の間に難攻不落の城壁があることと変わらない。
それを乗り越えることができなければ、視線の先に立つ少女には触れることすらできないだろう。


上条(今すぐ様子を見に行きたいけど、先ずは土御門を何とかしないと……!)



故に考える。如何にして間に立つ男を打倒するかを。
例えそれが無理難題だとわかっていても、思考を止める理由にはならない。



土御門(馬鹿な……もう目覚めたのか!?)



当麻が思案している一方で、土御門はフランドールの姿を見て戦慄する。
『フランドールが眼を覚ました』。ただそれだけの事実が、彼にとっては信じられないことだった。



土御門(あの麻酔は少なくとも丸3日は効果があるはずだぞ!?)

土御門(まさか、吸血鬼化の影響か? それで薬物に耐性が……!?)



フランドールに撃ち込んだ麻酔は、並みの人間であれば1日そこらでは眼を覚まさない強力なもの。
薬品の分量を間違えれば、『眠るように死ぬ』という言葉をそのまま実現できてしまうほどの代物だ。


上条(今すぐ様子を見に行きたいけど、先ずは土御門を何とかしないと……!)



勿論、そのような薬品を使っていることには理由がある。
もしも拉致している途中でフランドールが眼を覚まし、その能力を使われたとしたら。
その時点で、彼のこれまで練ってきた計画が破綻しまう可能性が高いからだ。


フランドールの捕縛に失敗した場合、レミリアに交渉する際の重要なカードを失うことになる。
『人質を使って相手を脅迫する』という、外道ながらも有効的な策を使うことができなくなる。
そうなれば、今回の任務の難度は格段に跳ね上がるだろう。
いくら多様な魔術を行使し、多彩な策を弄することができるパチュリー・ノーレッジであっても、
『もどき』とはいえ吸血鬼を相手にして楽に事を進めることはできないはずである。


だからこそ彼は、任務を確実に遂行するために強力な麻酔薬を持ち出したのだ。


にも拘わらず、フランドールはものの10分もしない内に覚醒しかけている。それは何故か。
その理由は単純。『人の身であれば3日は眼を覚まさない』のであれば、『人の身でなければ早期に眼を覚ますことができる』。
即ち、『フランドールの肉体は普通の人のそれとは違う』ということであり、
『フランドールの肉体は吸血鬼化している可能性がある』ということに他ならない。
吸血鬼の肉体であれば、あるいは薬物の効力を打ち消すことができるのかもしれない。


土御門(ちっ、また効くかはわからないが……もう一度――――)



土御門は内心舌打ちしつつも、再び麻酔銃を構える。


例え麻酔の効果が薄かったとしても、『一時的にでも眠った』ことは紛れもない事実。
フランドールが起き上がったことは計算外だったが、まだ修正できる程度の問題だ。


眼を覚ましてしまうのであれば、その度に麻酔を打ち込めばいい。
1発では足りないのであれば、2発、3発と打ち込めばいい。
何と言うことはない、ただそれだけのことである。



上条「おい、ま――――」


パシュンッ! パシュンッ! パシュンッ!



当麻の静止を最後まで聞くことなく、土御門は麻酔銃をフランドールへと向け、その引き金を引いた。
軽い音が三回続き、それと同じ数だけ銃口から毒牙が飛び出す。


たった一発だけでも人を眠り姫にしてしまう麻酔弾を3発。
それだけの数を受ければ、常人であれば間違いなく麻酔の過剰摂取で危篤状態へと陥るだろう。
危篤になるだけならまだ良い。最悪ショック症状を起こして死んでしまうかもしれない。


土御門元春、上条当麻、そしてインデックス。
3人が3人、フランドールが凶弾によって倒れる未来を想像して――――










パンッ!



不意に、気の抜けたような音が響いた。


上条「――――え?」



当麻は土御門の凶行を止めようとした姿勢のまま、その場に硬直する。
そしてあっけに取られた顔のままそれを眺めていた。


彼の瞳に映るのは2人の姿。
相も変わらず、顔を伏せたまま佇んでいるフランドール。
そして、彼女に拳銃を向けたまま立ち尽くしている土御門。
何の変哲もない、それだけの光景。おかしい所は何も見あたらない。
だが当麻はそれを見て、強烈な違和感を感じ取っている。


――――フランドールは土御門の銃弾をもろに受けた。
彼女にそれを回避する素振りはなかったし、第一あれは回避できないものだ。
ならば何故、彼女は未だに二本の足で直立することができているのだろうか?


その問題は、次の瞬間氷解することになる。



土御門「チッ、遅かったか!? こいつ能力を……!?」

上条「……!」



土御門の舌打ちと、それに続く危機感を帯びた声。
その一言、二言で、当麻は今起きた現象の全容を理解した。


何故フランドールは銃弾を受けて立っていられるのか。その答えはフランドール自身の能力にある。
自身に触れた物質の悉くを破壊する超能力『物質崩壊』。
おそらく彼女は、その能力を使って銃弾を自身に着弾した先から破壊したのだろう。



フラン「……」

上条「……フラン?」



当麻は目の前の少女に恐る恐る問いかける。
しかし、その答えが返ってくることはやはり無かった。


彼女の足が一歩、前へと踏み出される。


ビシィッ!



その一歩で、鋭い音と共に石畳に大きな罅が走った。


だが、それだけでは済まない。果たしてその亀裂は何処まで走ったというのか。
亀裂は地中深くにある水道管までをも破断し、それによって隙間から地上へと向かって勢いよく水が噴き出す。



ズズンッ!



土御門「うっ……!?」

上条「う、わ……!」

禁書「きゃっ……」



そして止めとばかりに、一帯に激震が走る。
足下を見やると、所々地面が崩れて穴が開き始めていた。


学園都市の敷地面積は、外部からの供給無しに都市機能を持続するにはあまりにも狭い。
その問題を解決するために、学園の地下には何層にも渡って地下都市が広がっている。
地下都市を支える壁や柱は、日本国を度々襲う地震に耐えるために最高の耐震素材と耐震技術を駆使して生み出されたものだ。
例え壮絶な大地震が起き、関東一円が壊滅状態になったとしても、学園都市の地下空間は何事もなくそこに在り続けるだろう。


しかし、如何に堅牢な建造物でもフランドールの能力の前には全くの無力。
どんなに強固な構造にした所で、彼女の力にしてみれば砂上の楼閣であることは変わらない。
故にその力に晒された地下空間の壁面は、砂の如く崩れ去るのみ。
そして地下が崩れ去れば、地上も同様に崩落するのは当然の帰結である。



上条「――――ッ!」



当麻は崩れ始める足場の中で何とかバランスを保つ。


――――このままここにいるのは危険だ。
あと少しすれば地面は陥没し、この場あるもの全てが奈落に飲まれるだろう。


禁書「あぅ……」

上条「!?」



亀裂が走る音に紛れて耳に届いてくる声。
振り向くとそこには、その場にへたり込んで身動きが取れなくなっているインデックスの姿。
そして、彼女の目の前には既に崩れ始めている地面が――――



上条「インデックス!」



ドッガァッッッ!!!



それを見るや否や、当麻は叫び声と共に弾けるようにして駆けだした。
同時に、彼の周囲が轟音を響かせながら堰を切ったように崩落を始める。


徐々に不安定になる足下。
落とし穴を全力で踏み抜いた時のような、地に足がつかなかった時独特の奇妙な感覚を足に感じながらも、
目の前に広がる罅の入った地の中から、足場となり得る安定したものを持ち前の観察眼で見極める。
その姿は端から見れば、地に落ち行く瓦礫を足場に空を歩いているように見えるだろう。


そんな、ただ一度でも成功し難い神業を幾重にもこなしながら、当麻はインデックスの元へと辿り着く。


上条(間に合えッ――――!!!)



インデックスの足場が崩れ落ちるその刹那。
当麻は彼女の腕を掴み取り、渾身の力で引き上げた。



禁書「わっ……」



間の抜けた声を漏らしながら、インデックスは空に放り上げられる。
そして幾許かの時間を滞空した後、彼女の体は傍の花壇へと着地。
花弁が周囲を舞い上がり、その芳香が鼻をついた。

今日はここまで
質問・感想があればどうぞ


落ちる足場!アクションゲームの定番だね!(錯乱)



??「花を潰した?どこの誰の仕業かしら?」

フランの能力で学園都市がヤバい

芳香「お肌はケアしてる」

紅魔邸「じ、冗談じゃねぇ!ここは幻想郷じゃねーし、俺だって紅魔館でもないってのに、結局壊されるのか!?」

>>461
アニメでも黒子助けるためにやってたからへーきへーき(白目)

>>463
不可抗力だから……(震え声)

>>464
本気出せば学園都市を楽々壊滅できそうなの結構いるから、多少はね?(レベル5話)

>>465
防腐剤はNG

>>466
紅魔邸(の庭)は犠牲になったのだ……

これから投下を開始します


禁書「っ、とうま!?」



インデックスは自身を助けてくれた少年の安否を知ろうと、痛む体を無視して起き上がる・
軟らかい土の上に落ちたため、幸い大きな怪我をすることはなかったものの、
その衝撃は彼女の体に少なからずの痛みを与えていた。


起き上がった彼女の目の前に現れたのは、直径5メートルは在ろうかという大穴。
穴は地中深くまで開けられ、その底を計り知ることはできない。
まるで、その地面だけが巨大な型抜きでくりぬかれたかのように、穴は綺麗な円の形をしていた。


一度その穴に飲まれてしまえば、おそらく二度と這い上がって来られまい。
まさか落ちてしまったのか――――そんな最悪の結末がインデックスの脳裏を過ぎった時。



「っぶねぇ……」

禁書「!」



どこからとも無く聞こえてきた声。
その方向を見やると、少年――――上条当麻が穴の縁から這い上がってくる所だった。


彼はあり得たかもしれない『転落死』という結末に冷や汗をかきながら、歯を食いしばって崖をよじ登る。
辛うじて引っかかっている片足に神経を集中しつつ、もう片足を器用に動かしながら足場となる場所を模索する。
そうして十数秒程かけて脆くなった断壁から足場となる箇所を見つけると、その足場を思いっきり蹴り上げ、
当麻はやっとの事で崖上へと帰還することができた。


荒い息を整えつつ、彼は眼前の奈落を眺める。
後一歩遅ければ、崖淵に捕まることができずに闇の底へと真っ逆さまだっただろう。



禁書「とうまっ!」

上条「え? あぁ、インデックスか……怪我はないか?」

禁書「私は大丈夫。 とうまこそ……」

上条「へへ、そんな顔するなって……上条さんは、こんな事ではへこたれませんことよ?」

禁書「もうっ!」

上条「っと、それよりも土御門は……!」



己の身を心配するインデックスを余所に、当麻は穴の向こう側へと視線を移す。


足場が崩れ落ちる直前、土御門は当麻と逆の方向に身を投げ出していた。
つまり、彼は崖の向こう岸にいるということ。穴に落ちたのでなければ、姿が見えるはずである。
そして同じように穴の向こうには、この大穴を造った本人であるフランドールがいる。


もしあの2人が同じ場所に立っているのであれば。状況は非常に拙いと言わざるを得ない。


「アハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!」



一帯に狂笑が響く。


当麻が見やるとそこには、争っている二人の姿があった。
フランドールは顔を破顔させ、笑い声を上げながら。
土御門は顔に苦悶の表情を浮かべながら。


いや、よくよく見るとただ争っているわけではないようだ。
土御門が圧倒していると思いきや、予想に反してフランドールが責め立て、土御門は逃げの一手に出ている。
素人丸出しの大振りな拳を前に、土御門はただ避けることしかしていない。
彼が持つ技術ならば、簡単に相手の動きを封じることができるにも拘わらず。



土御門(拙いな……体術は素人のそれだが、予想以上に拳速が速い。 何より所持している能力が危険すぎる)

土御門(少しでも掠っただけで死に至る魔手か。 一方通行でもあるまいに……!)



土御門はフランドールから無造作に突き出される腕を、細心の注意を払いながら躱していく。
少女の拳撃は、愚直ではあるがそれを補って有り余る程の速さを持っている。
が、武術家である彼としては見切り易く、それ自体は脅威に値するものではない。
問題はその拳に付与されている異能――――超能力に問題があった。


フランドールの超能力は『触れた物質を分解する』というもの。
つまり、指先一つでも体の何処かに触れられてしまった時点で、自身の体はバラバラになってしまうのだ。
彼が持つ知識の中で例えるならば、『海原光貴(エツァリ)』が行使する魔術の一つである、
『トラウィスカルパンテクウトリの槍』の効果を全身に纏っているということ。
その魔術の威力を十二分に理解している土御門にとっては、体の傍を腕が通過しただけで冷や汗ものだ。


加えて、こちらの攻撃はその全てが能力に阻まれて相手に届くことはない。
肉弾戦など以ての外。不用意に手を伸ばそうものなら、その端から腕が分解されてしまうだろう。



土御門(俺に残された攻撃手段は、銃に込められた麻酔弾5発と緊急時のための実弾カートリッジが3本……)

土御門(どれもこれも、コイツを止めるには無力な代物だ。 こんな事になるんだったら、
多少の手間をかけてでも他の手段を揃えるべきだったか)

土御門(……それにしてもこの変貌、何が起こっている?)

土御門(情報では、こんな戦闘狂じみた人間じゃなかった筈だが……)



土御門は攻撃を捌きながら、肉薄してくるフランドールを見る。
彼女は口角が裂けそうな程の笑みを浮かべつつ、『紅い瞳』でこちらを見ていた。


事前の調査において彼は、『フランドールは引っ込み思案で大人しい性格である』と結論づけていた。
彼女はかつて、阻止相応の活発な少女であったが、7年前に起こした事件により引きこもりがちになったと聞く。
おそらく、自身の能力が怖くなったのだろう。自身の力が他人を傷つけたという事実は、少女の心に深い傷を負わせたはずだ。


彼の同僚にも似たような境遇の人間がいたから、そのことは簡単に想像がついたし、
その感情は容易に克服できないということも理解していた。
だからこそ彼は、重装備をせず身軽な体で捕獲作戦に望んだのだ。
それはフランドールが攻撃的な性格ではなく、それ故に御しやすいと想定したためであり、
予定では存在していたはずの十六夜咲夜を無力化するには、武力よりも奸計が効果的だと判断したためもであり、
そして何より『余程追い詰められなければ、フランドールが能力を行使することはないだろう』と確信したからである。


だがここに来て、土御門の予想は大きく裏切られた。
引っ込み思案である筈の少女は、狂気を帯びた瞳を携えながら嬉々として拳を振るってきている。
体の動きは土御門が評したように、素人に域を出ないものであるが、勢いだけは眼を見張るものがある。
つまり、攻撃の仕方にまるで躊躇がないのだ。彼女は明らかに、『相手を傷つけるため』だけに行動していた。


自身よりも大柄な男に、怯むことなく攻め入る少女。
その姿を見て、彼女を『大人しい性格である』と判断する人間はどれだけいるというのか。
もしいたとしたら、その者の眼は節穴と言いきっても良いだろう。


土御門(いや、それを言い出したら、コイツの本性の見抜けなかった俺自身の眼が節穴って事になるか――――!?)



ビュオッ! バチンッ!



土御門の思考の僅かな隙を突いて、フランドールの腕が彼の頭部の脇を通過する。
その際に掠った彼のサングラス。それが掠った部分から朽ちるようにして崩れていく。



土御門「ぐっ……!」



粉砕されたサングラスの破片が、土御門の視界を覆い尽した。
彼は眼を守るべく、反射的に瞼を閉める。


それはこの場に於いて、明らかに致命的な隙。即、死に繋がる危険な行為だ。
どんなに戦い慣れた者でも、視界を奪われた状況では判断が遅れてしまう。
例え一瞬だったとしても、その僅かな空白は生死を左右するには十分すぎる。


フラン「くすくす……」



そしてその隙を、目の前の少女が見逃すはずもない。
フランドールは土御門が眼を瞑ったと見るや否や、好機とばかりに構成を更に苛烈にする。
ただでさえ防戦だった戦況が、更に劣勢に立たされる。
今まで危なげなく躱せていたものが、体を擦る一歩手前になるまでになった。



土御門「クソッ!」



自身が立たされた状況に悪態をつくが、時は既に遅く。
問題を解決するための手段も時間も、最早彼には残されていないのだ。
何れ訪れる破滅を如何に引き延ばすか。彼にできることと言えば、ただそれだけ。


フラン「っ、あ゛ぁ!!!」



ズガンッ!!!



未だにしぶとく粘る土御門に、良い加減嫌気が差したのか。
フランドールは足を大きく振りかぶり、渾身の力で地を踏みしめる。
次いで、強烈な地鳴りと共に大地がめくれ上がった。



土御門「ぐおっ!?」



土御門はめくれ上がった地面と共に、空へと高く打ち上げられた。
辛うじて保たれていた均衡。それすらも容易く打ち崩される。


状況は最悪を極まった。空中では自由に身動きすることができない。
眼下には、こちらを見上げているフランドールの姿。
いつの間にか血のように紅く染まった眼が、土御門の体を射貫く。
彼女の顔は、獲物を仕留めることができる事実に歓喜していた。


「う、おおぉぉおぉぉぉおぉぉぉおおおおっっっ!!!」



その状況を吹き飛ばすかのような大声が轟く。


その声が誰のものなのか。それは考えるまでもない、上条当麻のものだ。
危機に陥っている土御門を救うため、全速力でもってこちらに走り込んできていた。
『いつものカミやんだにゃー』――――彼の必死な形相を見てそんなことを思うのもつかの間、
当麻は捲れ上がった地面の一つを踏み台にし、土御門目掛けて飛び上がった。



ズダンッ!



上条「土御門――――!」

土御門「カミや――――」



当麻は落下をする土御門を受け止めようと、その両腕を伸ばす。
助走は十分。加えて彼の脚力を持ってすれば、土御門の所にも容易に届くだろう。


『まさか男に抱えられることになるとは』などと場違いな事を思いつつ、何気なしに空を見上げて――――









フラン「――――」



自分よりも遥かに高所からこちらを見下ろし、落下してくるフランドールの姿があった。











土御門「――――来るなッ!!!」




















ブシャッ

今日はここまで
質問・感想があればどうぞ

これから投下を開始します






     *     *     *






――――目覚めは最悪だった。



途切れていた意識が僅かに覚醒した時、私が真っ先に感じたのは体の前面に触れている石のように固い物体。
少しばかりひんやりとしたそれは、頬の骨やら膝の骨やらを強く刺激して私に鈍い痛みを与えていた。
次いで気づいたのは、口の中に広がる埃っぽい味と鼻を突く青臭い匂い。
金属のような独特の苦みと、青葉をすりつぶした時特有の臭気だった。


やがて思考にかかった霧が少し晴れて、段々と体の感覚が戻ってきた時、
私はそれらの刺激の原因が『自分が俯せで地面に倒れているからだ』と気づいた。


何故、倒れているのか。私の身に何が起きたのか。
そんな疑問が浮かんだが、それは瞬く間に濃い霧の中へと紛れてしまった。
思い出そうにも意識が合間合間に途切れ、果てには『思い出そう』という気持ちすらおぼつかない。
口と鼻に感じる不快だけははっきりと感じながら、思考の堂々巡りを繰り返す。


両手で十分に数えられるくらいの思考のループを繰り返しつつ、
やがて顔面から感じる不快に我慢できなくなった私は、それから逃げるために起き上がろうとした。


だけど、動かそうとした体は動かなかった。全身に力が入らなかった。
例えるなら、春先のふかふかのベッドで気持ちよく寝ていた所に、
無理矢理叩き起こされて起き上がらなければならなくなった時に似ている。


体中から感じ取れる筋肉の弛緩。そして、言葉で表すことが難しい不思議な心地よさ。
頭の中がぼうっとしていたこともあって、まるで夢の中にいる気分だった。
とは言っても、口に感じている苦みと鼻に感じている臭いは相変わらずだったから、
お世辞にも『良い夢』と言えるような代物じゃなかったけど。


動かそうと思っても動かない体と、嫌な味と匂いにイライラしていると、
今度は聞き慣れない音が耳に飛び込んできた。


「そ で    、どうし       に居る     ?」



耳の穴に水が入った時のような。音がこもっていて、良く聞き取れない。
辛うじて判ったことと言えば、その音は『人の声である』ことと、『自分が知らない人の声である』こと。


何者かもわからない人間が、私の傍にいる。
その事実にちょっと不安になったけど、体が動かないんじゃどうしようもない。
私は起き上がることを一旦諦めて、聞こえてくる声に集中することにした。



「例    平 に  と     ても、   不 になる   視     でき  !」



すると今度は、さっきの人間とはまた別の声が聞こえてきた。
固い決意を感じさせる、金剛石のように美しい声色。
何処かで聞いたことがある声だった。


ただ、その声は誰のものだったか。
記憶を掘り返そうにも、やはり頭がぼやけて上手くいかない。
まるで笊を使って水を掬い上げるかのように、思考がぼろぼろとこぼれ落ちていく。


「お願  よ、  みかど。    を連 て    で欲 い   」



また別の人の声が聞こえてくる。
今度の声は明るく、硝子のように透き通っていて――――それでいて何処かに優しさを感じるもの。


そこで漸く気づいた。
私はこの声の持ち主を知っている。彼等は、私にとって大切な人達。
不相応な力を得て調子に乗って、その結果大切なものを壊して。力に怯えて閉じこもった最低な私。
そんな私と一緒にいてくれた人達。


最初はそんな気持ちはなかった。
変な男達に絡まれていた私を助けようと、初対面なのに友達のように振る舞った人。
無視することもできたはずなのに、あの人はわざわざ厄介事に飛び込んできた。


最初は、変な人だなと思った。でも話をしてみると、少しだけ面白い人だと思えた。
おねえさまから逃げてきた私は何もすることがなかったから、その人に付いていくことにした。


そして、あの子に会った。
純白の修道女を着た、『シスター』という言葉をそのまま形にしたかのような人。
だけど、実際は見た目通りに腕白で、食べることが大好きな人。


私はやっぱり、変な子だと思った。
シスターと言えば神職なのだから、とても慎ましい人だと想像していたのに。
だけど、そんなあの子を微笑ましく思う自分がいて、同時に羨ましくも思った。
だってあの子は、薄汚れた私と違って何処までも真っ白だったから。


そして私は、あの子とまた遊ぶ約束をした。私の家の場所を教えて、いつでも会えるようにした。
他の人と遊ぶ約束をするなんて、いつ以来のことだったっけ。
あの時からできるだけ他の人と関わらないように生きてきた私にとって、
その繋がりは嬉しくもあり、恐ろしくもあった。


私がかつてどれだけ酷いことをしたのか、彼等には教えてない。
この体がとっくの昔に血で濡れている事を、彼等には伝えていない。
もしも本当ことを知られてしまったら。
私はその可能性を心の何処かで恐れていた。


だからそれは、とても精巧にできた氷細工のようなもの。
僅かに触れただけでも砕けて、放っておけば融けて消えてしまう儚いもの。
だけど、いつかは消えて無くなってしまうものだとしても、私にはそれを手放すことが出来ない。


もう得ることはできないと思っていた宝物。
そんな大切なものを、簡単に捨てるなんて、できるわけないじゃない。


「俺は絶対に――――諦めたりなんかしねぇぞッ! 土御門ッ!」



あの人が大声で吠える。今度こそ、その言葉をはっきりと聞き届ける。


何故あの人は、そんなにも必死になっているのだろう?
そもそも、どうしてこんな所にいるのだろう?


わからない。
わからないけど、たぶん誰かを助けようとしているんだろう。
私の時と同じように。


「うぉらァッ!!!」

「ふっ!」

「うっ!? ……とっと! 危な――――!?」



あの人と誰か。二人が争う音が聞こえる。
拳を振るう風切りの音。それを避ける布刷りの音。
未だに動けない私にはその光景を見ることはできないけど、耳に届く音だけでそれを思い描く。


「う、おおおぉぉぉぉおぉぉおお!!!」

「甘いッ!」

「うっ!? がっ――――!?」



重い音と一緒に、苦悶の声が聞こえた。


――――あの人が苦戦している。
あの人は果敢に攻めてるみたいだけど、相手はそれより上手。簡単にいなされて反撃されたみたい。
気迫はあの人の方がある。だけど、それだけじゃどうにもならないほどの歴然とした差が相手との間にあるのかもしれない。


「カミやん、諦めろ。 今ので判っただろう? お前の攻撃は単調で隙がありすぎる」

「まだだ……これ位のことで、諦めて、たまるかよっ!」

「いい加減にしろ。 本当なら、最初の段階で投げ飛ばしたりせずに腕をへし折っても良かったんだぞ?」

「第一に、だ。 そんなフラフラの状態で、まともに俺と戦うことができるのか?」

「ぐっ……」



苦しい声を上げながらも立ち向かおうとするあの人。
それに対して、相手がその力の差を言葉で突きつけた。


その言葉を前に、あの人は反論することができない。おそらく、自分でもわかっていたのだろう。
自分の実力では、相手に届かないということに。万に一つも、勝利する可能性が無いことに。


――――なんて、馬鹿な人。勝てもしないのに戦いを挑むなんて。
無茶。無謀。骨折り損の草臥れ儲け。そんな言葉がぴったりの、実に愚かな行為。


『気合いで劣勢を覆す』なんて、フィクションの中では良くある話だけど、そんなものは所詮絵空事だ。
実際の世の中なんて、何でもかんでも気合い一つでどうにかなるようなものじゃない。
むしろ、気合いで解決できることなんて高が知れている。
そんなことは誰だって、頭が良ければ子供ですら知っていること。


だから、あの人は本当に、本当に馬鹿な人なのだ。
あの人を見た者は皆が皆、口を揃えて同じ事を思うはず。
不可能だと判りきっていることに、どうしてそこまで執着するのかって。


だけど――――そんなあの人のことを、馬鹿だとは思うけど嗤うことができない。
どうして?そんなこと判りきっている。心の内に渦巻く感情。それを私は理解していた。


私は、あの人のことが羨ましいんだ。
傷つきながらも困難に立ち向かう、その姿が。
挫けそうになっても諦めない、その心が。


あらゆる事から逃げて拒絶してきた私には、それらがすごく尊いものに思えて。
同時に直視できないほど輝かしく、眩しかった。











――――助けなきゃ。


あの人が酷い目にあっている。もう一人の誰かに傷つけられている。
あの人は無能力者だ。私と違って、何の力も持たない一般人。
喧嘩は強そうだけど、結局はそれだけの話。超能力者が相手ではあまりにも無力だ。


加えてあの人が戦っている相手は、素手でもあの人より強いらしい。
二人の会話を聞けば、相手が手加減していることなんて簡単にわかる。
そんな相手が超能力まで使い始めたら、その先に待つのは――――


だから、私が助けなきゃ。守らなきゃ。
守らなきゃいけないのに、私の体は動いてくれない。力が入らない。
私の体はその役目を忘れてしまったかのようにピクリともしない。


なんでこんな時に限って。大事な決断した時はいつもそう。
その決断を踏みにじるかのように、いつも邪魔が入るのだ。
私が外に出ようとした時、おねえさまがそれを拒んだように。


まさか、これがおねえさまが言った私の『運命』なの?
私は自分の力では絶対に何かを成し遂げることはできない。
人形師に操られるマリオネットのように、自分の意志では何もできない。それが私の『運命』だというの?


そんなのは嫌だ。
誰かに縛られたまま、ただ言われるがままにされる人生なんて嫌だ。
なのに、こんなにも私は必死になっているのに、この体は私の命令を拒絶する。
その事実が、私の心を焦燥に苛ませてくる。


何でもいい。満足に動かせる体が欲しい。
早くしないと、あの人がもっと傷ついてしまう。
私にしかできないのに。私が不甲斐ないから、あの人が辛い思いをする。
そんなのはもう嫌だ。私の所為で誰かが傷つくなんてもう沢山だ。


だからはやく、はやく、はやくはやくはやくはやくはやくはやくはやくはやく――――――――――――――――










――――――――――――――――アイツヲコワサナイト。











ドクンッ!











体に熱がこもるのを感じる。グツグツと、血液が沸騰を始める。





                                         熱サノアマリ、喉ガドンドン渇イテイク。





体を流れるのは強烈な電撃。脳からの信号が全身の神経をこじ開け、ビリビリと駆け巡る。





                 強烈スギル電気信号ガ神経ヲササクレ立タセ、針デ滅多刺シニ刺サレタカノヨウナ激痛ガ走ル。





筋肉がそれに呼応し、錆び付いた歯車のような音を響かせながら駆動する。





                                余リ余ッタえねるぎーヲ発散シヨウト、体ガ勝手ニ動キ出ス。





――――――――――――――――目の前が、真っ赤に染まった。





今日はここまで
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これからと投下を開始します


立ち上がったワタシの、血の色に染まった視界に移るのは三人のニンゲン。
一人目はカミジョウトウマ。今ワタシが守るべきモノ。
二人目はインデックス。ワタシの大切なトモダチ。


そして、最後のヒトリ。金髪でサングラスをかけた男。


コイツだ。コイツがあの人をイジメてるんだ。
ワタシの大切なモノを奪おうとする悪い人。許してはならない大罪人。
コイツを倒せば大丈夫。あの人を助けることができる。





――――コイツヲコワシテシマエバ、ミンナガシアワセニナレル。






「おい、ま――――」





どこからか響いてくる声に意識を戻すと、男が手に持つ何かをこっちに向けていた。
手に握られているのは、黒光りする鉄の塊。どうやら拳銃のようだ。しかも本物。
その男は驚きと敵意を滲ませた顔で、ワタシに銃口の照準を合わせている。



その奥には、男の行動を止めようと手を伸ばしているあの人の姿が。
あの人がそんな行動を起こすのは当然。何せ、ワタシが拳銃を向けられているんだから。
だけど、間に合わない。男とあの人の距離は5メートル以上も離れている。
引き金に手をかけ、今にも撃鉄を下ろそうとしている男の行動を止めるには、それこそ瞬間移動でもしないと無理。


パシュンッ! パシュンッ! パシュンッ!



男が引き金を引く。
撃鉄が落ち、薬莢を打ち鳴らし、火薬が爆発し、推進力を得た弾丸が銃口から飛び出す。
その一連の流れが、まるでスローモーションのように感じられる。
いや、それは錯覚じゃない。実際ワタシには、その動きが手に取るようにわかった。


銃口から飛び出した弾丸の数は3発。
弾丸の形はよく見る楕円形のものじゃなくて針状。たぶん、麻酔銃みたいなものなのかもしれない。
そうか。ワタシがいつの間にか眠っていたのも、コイツが原因か。
コイツをコワス理由がまた増えた。もう、容赦なんてしない。
ワタシの力で、跡形もないくらいグチャグチャにしてやる。


麻酔弾がワタシの元へと飛んでくる。眉間に1発。首筋に2発。
避けることはできない。銃弾の軌道を見ることはできても、体がそれに追いつかない。


――――でも、問題無い。ワタシのチカラがあれば大丈夫。
拳銃なんてオモチャ、怖がることなんてないんだから。


極限まで引き延ばされた時間の中で精神を研ぎ澄ませる。
自分の中にあるチカラを操る姿を思い描き、コンマ一秒後の光景をイメージする。
麻酔針がワタシに触れた瞬間、それを片っ端からぶっこわす。



「チッ、遅かったか!? こいつ能力を……!」



男が焦ったように口を開く。
それは当たり前。ワタシのことを仕留められると思ったのに、平然としているんだから。
ワタシは麻酔針が当たる部分を超能力で覆った。触れたものを、みんなバラバラにしちゃう『膜』。
超能力の膜に当たった麻酔針は、触れた傍から粉砂糖みたいに崩れていった。


なんて、無力。無力すぎて、変な笑いが出てしまいそう。
拳銃なんて、ワタシの能力の前では存在すら無いに等しい。
そして、それを向ける金髪の男なんて、これっぽっちも怖くない。


さて、どうしようか。
男は動揺しているみたいで、まだこっちを睨みつけている。
このまま『壊し(コロシ)』に行ってもいいんだけど、それだとなんか物足りないし。
折角だから、どーんとすごいことをしてみたい気もする。


――――そうだ、『あれ』をやってみよう。もしかしたら、すごいことが起こりそうだ。
理由なんて無い。ただの思いつきなんだから。


精神を集中する。ワタシの能力の全てを、足の裏にかき集める。
じんわりと、ナニカが足下を覆っていくのを感じる。暖かいような、むず痒いような、そんな感覚。
能力を一箇所に集めるなんてことはやったことがなかったから、少し違和感を覚える。
だけど、それ以上に心を満たすのが高揚感。全力でチカラを使うなんて今まで無かったから、こんな感情は初めて。


そろそろ、足がしびれてきた。もういいかもしれない。
ワタシは足に集まったチカラを、地面に向けて解き放った。


ビシィッ!



下から大きな音が聞こえる。ワタシのチカラで地面が砕ける音だ。
だけど、それだけじゃ終わらない。ワタシのチカラはこんなものじゃない。
ソレは地中奥深くまで食い込み、そこにある全てを蹂躙する。



ドッガァッッッ!!!



轟音が響く。大きく地面が揺れたけど、ワタシの体がぶれることはない。
まるで地面に突き立つかのように、ワタシはしっかりと二本足で立つ。
その一方で、金髪の男は震動で体がよろついていた。



「!? ちぃッ!」



このチャンスを見逃すわけがない。
ワタシは金髪の男目掛けて走り出し、チカラを纏った右腕を振り下ろした。


だけど、当たらない。
すんでの所で気づいたのか、男は体を無理矢理捻ってワタシの拳を躱し、そのまま逃げ出そうとする。
その姿は狼から逃げようとする小兎のよう。見ていると、わるい感情がむくむくと心の中に擡げてくる。
当然、ソレを黙って見ているワタシじゃない。あの人を傷つけた奴を、生かして帰したりはしない。


ワタシは男を追いかける。
体が軽い。まるで全身が羽毛になったかのよう。
崩れ落ちる大地を、ボールのように跳ね回る。
そして何度かソレを繰り返すと、あっという間にあの男に追いついた。


ふわりと軽やかに男の後に降り立って、間髪入れず腕を上げて、男に目掛けて振り下ろす。
だけど、やっぱり当たらない。男は向こうを見ていたはずなのに、後ろに目が付いているみたいに避けた。
飛び出すようにして避けたから、地べたを転がって無様だけど。
面倒くさい奴。さっさと死んじゃえばいいのに。


男は急いで起き上がると、私の方に向き直って睨みつけてきた。
サングラスのせいでどんな目をしているのか見えないけど、たぶんもの凄いことになっているんだろう。
それこそ、普段のワタシなら泣いて逃げ出しちゃうくらいに。今は怖いどころか滑稽に見えるけど。
今まで逃げてたくせに、虚勢を張っているのが丸わかり。大方、最後の抵抗という奴なのかもしれない。
まぁ、向こうから逃げなくなっただけ良しとする。


良い加減に飽きたワタシは、心の倦怠に従ってさっさと終わらせることにした。
適当に腕を振りかぶり、男の顔面目掛けて突き出す。もちろん、能力付き。
皮に掠っただけでも頭が粉々になるだろう。


――――当たらなかった。ちょっと首を捻られただけで、余裕を持って躱されてしまった。
私の心の中に苛立ちが生まれる。少し乱暴気味に、今度は思いっきり蹴りを繰り出した。
もろに当たればお腹に綺麗な風穴が空くだろう。


――――またしても躱された。男はワタシの足の長さを見切ったようで、少し後ろに後退した。
そのせいで、ワタシの足はギリギリ届かなかった。まるで目の前でお預けを食らったようで、すごくむかつく。


業を煮やしたワタシは、怒りのままに男へと殴りかかる。
三撃目。四撃目。五撃目――――――――――――――――二十四撃目。
当たらない。何度やっても避けられる。余裕綽々で、ということはなくなったけど、それでも紙一重で躱されてしまう。
こう何度も躱されると、意地でも当てたくなる。当てた時は、もの凄く爽快そうだ。


バラバラに千切れ飛ぶ体。一面に降り注ぐ血の雨。
――――アア、タノシミデシカタガナイ。


「――――ハ」



ワタシの口から勝手に笑いがこぼれ落ちる。
想像した世界が余りにも『凄惨(ウツクシ)』すぎて、それだけで頭がどうかなってしまいそう。
ばくばくばくばく。心臓が早鐘を打ち鳴らし、マグマのように熱いナニカが全身を駆け巡る。



「アハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!」



気づくとワタシは大声で笑っていた。自然と、自分でもわからないうちに。
肺が。喉が。じくじくの痛むくらい大きな声で、ワタシはいつまでも嗤い続ける。
やがて、ワタシの中にナニカがぬるりと入り込んできた。






――――タノシイの?



                                               ――――うん。 楽しいよ。



――――何がタノシイのかな?



                                              ――――あれ? 何でだっけ?


――――わかんないの?



                                     ――――わかんないけど、楽しいものは楽しいよ。



――――じゃあもっと教えてアゲル。



                                                      ――――え?























ブシャッ











「――――あれ?」



ふと、私は我に返った。


視界に入るのは、見るも無惨な姿となった家の庭。
綺麗に整備されていたはずの花壇はめちゃくちゃに踏み荒らされ、そこに咲いていた花は花弁を散らしている。
家と門を繋ぐ石畳には大きな亀裂が入り、場所によっては大きく捲れ上がっていた。
そして何より眼に付くのは、底が見えないくらい深い大きな穴。
覗き込んだらそのまま吸い込まれてしまいそうな、そんな恐ろしさを感じるものだった。


一対何が起きたの?私は今まで何をしていたんだろう?
そんな疑問が思考を支配するが、それが長く続くことはなかった。


「――――っ!?」ズキン!



突然、私を襲う頭痛。そして脳裏に蘇る光景。


乾いた銃声。
足元から伝わる衝撃。
大地が軋む音
舞い上がる土埃。
そして、狂気に彩られた笑い声。


それを幻視したのは刹那。だけど鮮烈でとても生々しく。
私の精神を、一瞬にしてごっそりと削り取っていった。



(っ、なんだか、臭い……?)



締め付けるような頭痛に悩まされながら、つんと鼻を突く匂いに私は顔をしかめる。
生肉を鼻に押しつけられたかのような、湿っていて生ぐさい匂い。
夏の暑さも相まって、呼吸する度に噎せ返りそうだ。
私は思わず、自分の鼻をつまもうとして――――










「――――――――――――――――え?」



自分の手が、真っ赤になっていることに気がついた。


赤よりも赤い『紅』。
手に纏わりついたソレは空に浮かぶ月の光に照らされ、艶やかな光を放っていた。
少しばかり粘りを帯びた液体が、手のひらから線を描きながら腕を伝い、肘から地へ滴り落ちる。
ぽたり。ぽたり。規則正しいリズムで紅い液体は地に堕ち、その音を奏でていた。


どうして■に濡れているんだろう?
どこも怪我をしていないのに。痛いところなんて、どこにもないはずなのに。


どうして。どうして私の手は、体は――――チニヌレテイルンダロウ?



「あ、ぅ……」



茫然としたまま意味もなく視線を下ろすと、私の体が血に染まっていることがわかった。
ペンキを頭から被ったかのように。自慢の服は余すところなく、紅一色になっている。
既に乾き始めて赤黒くなっている場所も、そこかしこにある。


頭に手を伸ばして触ってみると、ぐしゃりと自分の髪の毛が湿っているのがわかった。
絞り出された液体が顔を流れ、左目の眼球に入り込む。
軽い痛みと共に、私の視界の半分が赤のフィルターを通したかのようになる。


そして、そのフィルターを通した先には。
血の海に沈むあの男と、それに縋っているあの人の姿が――――

今日はここまで
質問・感想があればどうぞ

カエル医者「今すぐ連れて来い!間に合わなくなっても知らんぞー!」

土御門をやっただけで鳴りを潜めた?フランの狂気は……いや、吸血鬼化前ならそんなもんか?
それともアカインドでもしてやがるのか……

吸血鬼!悪魔!フランドール!

>>523
貴方の出番は終盤までないです(無慈悲)

>>524
フランにとって過去の出来事はかなりのトラウマものなので、そのショックで一気に正気に戻ったんです
暴走時の記憶は殆ど残ってないので、改めて惨状に直面することとなったわけですが

>>526
死体蹴りはやめて差し上げろ(切実)

これから投下を開始します






     *     *     *






上条「おいっ土御門! しっかりしろっ! おいっ!?」



上条当麻は足下に転がる親友に対して必死に声をかける。
しかし親友は彼の声に反応することはなく、だらりとその四肢を投げ出していた。


土御門元春は今、自身から吹き出した血の海の中に沈んでいる。
彼の肉体は至る所が裂け、剥き出しになった肉から鮮血を垂れ流し続けている。
トレードマークであるはずのアロハシャツは余すことなく真紅に染まり、最早元の色などわからない。
その姿は、誰がどう見ても死体としか見ることができないほどであった。


――――彼はフランドールの魔手をその身に受けた。上条当麻を危機から遠ざけた代償として。


あの時、当麻が土御門を助けようと飛び上がった刹那。土御門は当麻を静止させようと警告を発した。
何故ならば、上条当麻の『幻想殺し』はフランドール・スカーレットの『物質崩壊』に対して相性が悪いからだ。
『幻想殺し』は『右手首より上』という、限定的な部分にしか効果がない。それ以外の部分は一般人と同じ。
故に超能力や魔術を打ち消すには、『右手を対象に当てる』という操作が絶対に必要となる。


この動作こそが、『幻想殺し』が持つ弱点の一つ。
『幻想殺し』を打ち消すモノに当てることができるかどうか。


例えば広範囲に効果を及ぼすようなものであれば、どこでもいいから一部分に触れさえすればいい。
『範囲が広い』ということは『的が大きい』ということ。範囲が広ければ広いほど、『幻想殺し(みぎて)』を当てることは容易になる。
場合によっては右手を前に突き出しているだけで、向こうから異能がぶつかってきて消滅するだろう。


その一方で、効果の範囲が狭いものほど右手を当てることは難しい。動きが早ければ尚のこと。
空飛ぶ羽虫を素手で捕まえることが困難であるのと同じように、『幻想殺し』は小さく素早い異能には不得手だ。
当麻自身の危険察知能力のおかげで、その弱点はある程度カバーできているが、何事にも限度がある。
銃弾の如き速さで雨あられと異能を降り注がれてしまっては、『幻想殺し』も対処しきれないのだ。


効果範囲の違いによって生じる相性。フランドールの超能力はそう言った意味で相性が悪い。
彼女の能力の効果範囲は彼女自身の肉体。彼女の超能力を止めるためには、『幻想殺し』で直接体に触れる必要がある。
こちらから動かなければならないため、その分余計な手間がかかるのだ。


しかし、それだけならば問題ない。直接触れなければ効果を発揮しないのは『物質崩壊』も同じこと。
『幻想殺し』も『物質崩壊』も、その効果範囲は自身の体から逸脱しない。故に、両者の戦いは必然的に肉弾戦となる。
そして、肉弾戦は上条当麻の得意分野だ。体格差も考えれば、彼がフランドールに後れを取るなどあり得るはずもない。



――――そう、普段の彼女であったのなら。



フランドールは今、大凡一般の少女から逸脱した身体能力を持っている。
それは、体術は素人のそれでありながら、土御門に対し『撤退できない立ち回りをさせる』程のものだ。
そんな彼女が繰り出す素早い連撃を右手一本で捌ききるなど、
いくら当麻が肉弾戦を得意とするとはいえ、それは余りにも危険すぎる。
故に土御門は当麻を遠ざけようとしたのだ。最悪の事態を回避するために。


しかしその行動は、自身を危険に晒す結果となってしまった。
親友の無謀な行動を止めよう動いた彼は、その代償としてフランドールの腕を避ける時間を失ってしまった。
その僅かな時間さえあれば、足止めの手段を一つでも取れたかもしれないのだが、その時には既に遅く。
フランドールの渾身の右腕を無防備な腹部に受け、彼女の能力を一身に受けた結果。
彼は全身から鮮血を吹き出し、その体を自らの血で染めた。


上条(くそっ、俺なんかのために……ふざけやがって!)



当麻は心の中で悪態をつく。土御門に身を庇わせてしまった己自身に。
その不甲斐なさに、自己嫌悪に陥りかける。


ただ、一つだけ幸運なことがあった。
本来であれば土御門の体は破壊され、四肢は飛散していた。
いや、血煙となって跡形もなく霧散していたかもしれない。
にもかかわらず彼が原形を保ち、尚かつ五体満足でいられるのは、当麻が彼の体を触っていたからだろう。
『幻想殺し』のおかげでフランド-ルの能力が中途半端に解除され、結果として全身に裂傷が走るだけに留まった。



上条(血が止まらねぇ……いくら『肉体再生』持ちだからって、これじゃ……!)ビリッ!


だがそうだとしても、土御門の命が危険に晒されていることには変わらない。
未だ血を垂れ流し続ける土御門を何とか助けようと、当麻は着ている服を千切って応急処置を行う。
しかし彼の努力を嘲笑うかのように、土御門の血液は段々と体から失われていく。
傷の範囲が大きすぎるのだ。布きれ一枚二枚で覆いきれるようなものではない。
当麻の行動は正しく、『焼け石に水』と言えるものである。


だがそれでも、何もしないよりはマシだ。
ただの人ならば生存は絶望的であろうが、土御門はレベル0ながら『肉体再生』の超能力を持っている。
『破れた血管を徐々につなぎ合わせる』というそれだけの能力であるが、有るのと無いのとでは雲泥の差だ。
今は危篤状態ではあるが、峠さえ越えれば能力で徐々に回復していくだろう。
無論それは、峠を越えるまで保てばの話ではあるが。


禁書「とうまっ……!? もとはる!?」



当麻の元に駆け寄ってきたインデックスは、目の前の惨状を見て硬直した。


土御門は己から流れ出た血の海に身を投げ出し、当麻は両手を血に濡らしながら土御門の治療をしている。
べっとりとへばり付いた鮮血によって彼等の衣服に描かれたコントラストは、見ているだけで吐き気を催しそうだ。
漂ってくる血生臭い匂いがインデックスの鼻腔に油のようにまとわりついた。


その壮絶な状況に一瞬思考が真っ白になるが、当麻に声をかけられたことで直ぐに現実へと引き戻される。



上条「インデックス! 手を貸してくれ!」

禁書「う、うん! でも、どうしたら……」

上条「布が足りない。 お前の修道服を代わりに使いたいんだが、いいか?」

禁書「それは大丈夫なんだよ!」

上条「すまん、後で返す」


インデックスは修道服をつなぎ止めている安全ピンを外し、袖の部分を当麻に渡す。
嘗ては『歩く教会』という名を持つ数少ない至高の魔術礼装であり、
今では『幻想殺し』で破壊されたために、ただの破れた衣服になっている修道服。
しかしながら、自身にとって最も思い入れのある服であるそれを、彼女は躊躇いもなく手放した。


当麻はインデックスから渡された修道服を使い、最も出血が多い部分に宛がって止血を施す。
傷口が小さい部分については、既に能力による修復が始まっていたため、大きな傷口さえ何とかすれば大丈夫の筈だ。



土御門「う……ぐ……」



傷口に触られた痛みか、土御門が小さく呻き声を上げる。
意識はまだ戻らないが、呻き声を上げることができた分、快方には向かっているはず。
後はこのまま状態を維持して、『肉体再生』に任せても大丈夫になるまで持ちこたえれば――――


「あ、ぅ……」

上条「――――」



当麻の耳に声が届く。それは、怯えを帯びた少女の声。


体が凍り付く。氷水を頭からぶっかけられたかのように、全身の筋肉が強ばる。
呼吸が止まる。空気が水になったかのように、息をしようとしても酸素が肺に入ってこない。
全身が鉛のように重くなり、上手く体が動かなくなった。
しかしそれらを無理矢理振り払い、当麻はぎこちない動きで声がした方向を向く。


そこには、土御門を血濡れにした原因である少女が。
彼女の体は土御門の血液に塗れ、紅白が特徴的であった衣服は紅一色に染まりかけている。
右腕は血飛沫を近くで被ったためか、未だ血液が地に落ちていた。


全身に血を浴び、滴らせ、呆然としたままの少女。
その光景はまるで、良くできたホラー映画の一コマのようだった。


フラン「いっ、ぁ……」



当麻に目を向けられた少女の様子が、茫然自失から瞬く間に恐怖を帯びたものに変わる。
その姿は、怖いものを目の前にして怯える子供のそれと違いはない。
先ほどまでの狂気が嘘のよう。まるで憑き物が落ちたかのように、
少女は、フランドールは今にも泣き出しそうな顔でこちらを見ている。



上条「フラ――――」

フラン「い、やぁああぁぁぁあぁぁあぁあああ!!!」



当麻が声をかけようとした所で、フランドールは堰を切ったように絶叫する。
小さな手の平で顔を覆い隠し、そのまま逃げるようにして館の中へと走り去っていった。



禁書「ふらん!?」

上条「インデックス! フランを追うんだ!」

禁書「で、でも……」

上条「大丈夫だ! 土御門のことは俺に任せろ! だから早く!」

今日はここまで
質問・感想があればどうぞ

インさんはヒロインなんだからもっと出張っても良いと思うの


これから投下を開始します







     *     *     *







フラン「はぁッ、はぁッ、づっ、あぁっ……!」



柔らかな明かりに照らされたほの暗い廊下の中を、フランドールは疾走する。
名伏しがたき恐怖から逃げるように。服が乱れるのを気にもせず。脇目もふらず。
肺が悲鳴を上げようとも、体の筋肉が激痛を訴えようとも、彼女の足が止まることはない。


心の中に渦巻くドロドロとしたナニカ。そしてその心を縛り上げる、茨の如き鎖。
ギリギリと、じくじくと。外側から、内側から心が蝕まれていくのを感じる。
今の彼女には、自分が壊れないように耐えるのが精一杯。
その他のことに気を向ける余裕など、ましてや自身の体を労る気持ちなど、微塵もあるはずもなかった。


フラン「あ、ハァ、っ……!」



館の中を走り続けたフランドールは、やがて力が尽き果てその場にへたり込む。
もう、体が動かない。壁を支えにして立とうとするが、足で体を支えることすらできなかった。
しかしそれでも、少しでも目に見えぬ恐れから逃れようとして、彼女は腕の力のみで地を進み続ける。


その姿の、何と無様なことか。
ずりずりとのたくるその様は、地面を這い回る芋虫と相違ない。
全てから逃げ出した惨めな私には似合ってるか――――などと、彼女は心の片隅で想う。


やがて腕の力も尽き、身動き一つすら取れなくなった頃。
フランドールは息も絶え絶えに仰向けになって天井を見上げた。


ここは何処だろう?
無駄に広い館だ。闇雲に走ったために、自分がどこにいるのかもわからない。
玄関から近いのか、離れているのか。一階にいるのか、二階にいるのか。
全くわからない――――しかし、そんなことはどうでも良かった。


フラン「どう、して……ひ、ぃ……ぐっ、どうしてぇっ……!」



フランドールは止めどなくあふれ出る涙を、顔が血で濡れることも構わずに腕で拭い、
体を震わせながら、嗚咽を漏らしながら泣きじゃくる。
親に叱られ、自室でぐずつく幼子のように。


こうならないように今まで気をつけてきたのに。
あんなことになるのは。あんな思いをするのはもう嫌だったから。
自分が持ってしまった危険な力に近づけさせないために、
差し伸べられようとした救いの手すら、振り払ったはずなのに。


現実は、いとも簡単に彼女の願いを粉々に打ち砕いた。
いや、『現実』のせいではない。そんなもの、責任転嫁も甚だしい。
彼女は彼等の大切なものを。他ならぬ自分自身の手で壊してしまったのだ。
自分が最も恐れた結末を、自分が引き金となって引き起こす。
あまりにも滑稽。こんなできの悪い悲劇など、そう簡単にはお目にかかれない。


フラン「うっ、ふ、う゛ぅ……!」



これから私は、どうすればいいんだろう?
フランドールは、ただそれだけのことを考える。


――――今更おめおめと、二人の前に戻ることなどできはしない。
あんなことをしてしまったのだ。彼等は私のことを心底憎んでいるだろう。
いや、もしかしたら恐怖しているかもしれない。
7年前のあの日。今と同じように全身血まみれになった私。
その私を、バケモノを見るような目で見ていた『友達だった』人達。
もしもあの二人が、彼等と同じような目で私のことを見たとしたら。



フラン(――――やっぱり、私は。 外に出ちゃいけなかった)



変われると思っていた。歩き出せると思っていた。
かつての幸せで平穏な日々を、もう一度過ごせると。
追い出されてしまった人々の温もりの輪に、再び入ることができると。
根拠もない、あり得もしない幻想に縋ろうとしていた。


自分の力が怖くて。それ以上に、周りの人達のことが怖くて。
お姉さまのことすら拒絶して、家に閉じこもった私。
呆然として過ごす毎日。何の価値も生み出さない自堕落な生活。
みんなに嫌われないのなら、あの視線を向けられないのならそのままでも良いと思った。
だけど、そんな惨めで情けない自分が大嫌いな私も心の何処かにいて。
『臆病な私』と『不遜な私』。二人の私がずっと、心の中で言い争っていた。


事件から3年経った頃。少しだけ、ほんの少しだけ『変わらなければならない』と心の中で思い始めた。
心の中の『不遜な私』が、『臆病な私』を押し返し始めた。
だけど、どうすれば変われるのかわからなくて。なにより、本当に変われるのか不安で。
結局私は悶々とした思いのまま、何もできずに無意味な時間を過ごした。


そして2年経って。私はいても立ってもいられなくなって。
自分がやらなければならないことをあれこれと、頭の中で何回も反芻し始めた。
だけどやっぱり、外に出る勇気はなかったから、結局は閉じこもったままだったけど。


そこから更に2年の月日が経ち。やっとの事で私は覚悟を決めることができた。
悲鳴を上げる『臆病な私』を無理矢理押さえつけ。震える手を何とか鎮め、ドアのノブを回して外に出た。
トイレの時と、時たま入るお風呂の時くらいにしか通らない廊下を、びくつきながら歩き。
鋼鉄のような重々しい威圧感を放っていると錯覚しかけた、姉の自室の扉を開いて。
あれ以来碌に会話をしていなかったお姉さまに、私は血を吐き出しそうな気持ちでその思いを伝えた。


だけど、お姉さまはそれを許さなかった。
当然私は反抗した。私の決意を、泥靴で踏みにじられたかのように思えたから。
もう一度羽ばたこうとした翼を、思いっきり折られたかのように思えたから。
お姉さまに対してありったけの罵詈雑言を浴びせて、これでもかと言うほど喚いて。
ごねにごねて、結局お姉さまが折れて何とか外に出ることができた。


どうして、お姉さまは私を外に出そうとしなかったのか。
あの時はわからなかったけど、今なら理解できる。
むしろ、どうして今までわからなかったんだろう。
もっとよく考えていれば、こんなことにはならなかったのに。


――――お姉さまはみんなを私から守るために、私を閉じ込めようとしていた。
私は触っただけで何でも壊しちゃうバケモノ。そのバケモノから、みんなを守ろうとするのは当然のこと。
お姉さまは当たり前のことを、当たり前のようにしようとしていただけなのに。
それなのにバケモノの私は、人と一緒にいられると思い上がって檻の外に出ようとした。


その結果がこの様。わかりきった結末。
また壊して、傷つけて、不幸をまき散らしてしまった。
ばかばかしすぎて、もう後悔の感情すら起きない。
私の中には、もう何も無い。ぽっかりと穴が空いているだけだ。


もう、どうでもいい。
もう一度掴むことができたはずの希望も。
それを自ら潰してしまった絶望も。
皆と一緒に笑顔でいたいという夢も。
未だに独りで孤独に涙を流している現実も。


何もかもが、どうでもいい。
そんなものに振り回されるのは、疲れた。


いっそのこと、このまま跡形もなく消えてしまえたら――――











「ふらん……?」











フラン「っ……!?」



耳に中に滑り込んでくる澄んだ声。
その声にタールのような泥沼から意識を引き上げられると同時に、私の体はびくりと大きく痙攣する。
まるで金縛りにあったかのように、体中の筋肉の隅々が石のように動かなくなった。


心臓の動悸が止まらない。荒い呼吸が静まらない。
酷い風邪を引いた時のように、嫌な寒気と噴き出た汗が体にまとわりつく。
口の中が酸っぱくなり、危うく吐きそうになる所を何とか押しとどめた。


誰が私を呼んだのか。誰が私の後にいるのか。それは振り向かなくてもわかっている。
彼女は私にとって、とても大切な人。待ち焦がれていた人。
だけど、今は絶対に顔を合わせたくない人でもある。
会いたいけど、会いたくない。二つの全く違う感情が、『私』を真っ二つに引き裂こうとする。


振り向いて、あの子に縋り付きたい。己の罪を、全て吐き出してしまいたい。
そうしたら、どれほど楽になれるだろうか。この重荷を下ろせることができるだろうか。
この心の痛みを拭い去れるなら、とても魅惑的な行動にも思える。
だけど、それはできない。できるはずがない。
臆病者の私には、自分の体を処刑台に差し出すような勇気など無い。
もしもそれで、あの子が私のことを嫌ってしまったら。
私の心は、グチャグチャに、跡形もなく潰れてしまう。


そんなことになるくらいだったら、このまま逃げてしまった方が良い。
怖いものから逃げるのは、何もおかしいことじゃない。
生き物なら、同然の行動。責められるべきことは何も無い。
――――それだというのに、私の体は、勝手に、背後を見ようと動いていた。


やっぱり私は、一人でいることには耐えられないみたい。
どんなに強情を張っても、本心だけは偽れなかった。
だいたいそうでなければ、私は外に出ようとは思わなかったはずだから。


ぎちぎちと、ゼンマイを回すかのようにゆっくりと首が動く。
紅く濁った私の双眼が、あの子の姿を捕らえた。










誰も羨むような、蒼銀の豊かな髪をしたシスター。
インデックスがそこにいた。

今日はここまで
質問・感想があればどうぞ



村人A「死者が出るのなら出番かしら」
青い女「死体なら作り直してあげるわ」

これから投下を開始します






     *     *     *






インデックスは傷ついた土御門を介抱する当麻にその場を預け、
フランドールを追って館――――スカーレット邸へと向かった。
友達が住んでいる大きな館。一度だけ外観を見たその建物に足を踏み入れた時。
彼女の視界に広がったのは、『アカ』のみであった。


紅。赤。朱。
大凡、それら以外の言葉では言い表せない。
床に敷かれたカーペットならいざ知らず、天井、壁紙、窓枠に至るまで、全てがその色に統一された光景は、
紅茶色の外観から想像していたものを、遥かに超えるものであった。


血塗られた城。
人の生き血を啜る怪物が住む人外魔境の地。
一歩踏み入れたら最後、自身もその真紅の壁に取り込まれ、そのまま一部となってしまうかのような。
そんなあり得もしない未来を幻視し、不意に寒風に吹かれたかのような震えが走る。


禁書「……っ!」



眼球に突き刺さる生々しい色調に、一瞬だけ思考を奪われてよろめく。
彼女は完全記憶能力の保持者だ。一度見たものは、外部から手を加えられない限り忘れることはない。
今この場で見たものも決して忘却することなく、永遠に脳髄へと刻まれるのだろう。
その時に感じた、心の底が冷え付くような感覚と一緒に。


だが、どれがどうした。
インデックスは絡みつく恐れを振り払うように、頭を大きく振りかぶる。
そして意を決したようにして、自ら血の沼へとその歩み足を進めた。
自分の友達が、フランドールが救いを求めているのに、そんなことで怯えていてどうする。
自身はイギリス清教の修道女。神の教えを伝え、迷える子羊を導く者。
そんな私が、未だ涙を流している『子羊(フランドール)』を救わずに逃げるなどあってはならない。


禁書「ふらん、どこ……?」



インデックスは赤黒い廊下をただひたすら駆ける。
引き裂かれるような叫びと共に逃げ出した、大切な友達を見つけるために。


しかし、それを成すことは容易ではない。言わずもがな、スカーレット邸は広大である。
学園都市に来て以来、これだけの広さを持つ邸宅にはお目にかかったことがない。
いくら彼女が完全記憶能力を持っていたとしても、未知の建物の内部構造を予め把握することなどできるはずもなく。
故に彼女は、ただひたすら友達の背中のみを求めて当てもなく走り回るしかない。


アカの風景が次から次へと過ぎ去っていく。
まるで、巨大な怪物の腸の中を潜り込んでいくような感覚。
この廊下が怪物の腸なら、自身はさしずめ咀嚼物の言った所か。
歩みを止めてしまうと、心も体もドロドロに溶かされてしまうのではないか――――
そんな思考を振り払うように、彼女は足を動かし続けた。


幾つかの廊下、曲がり角を通り、道すがらの扉を開けて部屋の中を確認する。
無意味に過ぎていく時間。徐々に体に溜まっていく疲労。抗いがたき焦燥が彼女に襲い来る。
どれだけの時が経ったのか。時計を持っていないので、それを確認する術は彼女にはない。


まさか、もうこの場所にはいないのでは――――
その考えに至ろうとした時、インデックスの耳が自身の足音以外の音を捕らえた。



「ひっぐ、ぐす……」



押し殺すような。いや、押し殺しきれずに啜り泣く声。
微かではあるが、インデックスにとっては聞き覚えのある声。
それを聞いた彼女は、弾けるように音が聞こえた方へと走り出した。


それは例えるなら、磁石に引き寄せられる金属ように。
もしくは、花の芳香に誘われる蝶のように。
脇目もふらず、それだけを求めて近づいていく。


禁書「――――」



真っ赤なカーペットが敷かれている路の上。シャンデリアの淡い光に照らされる中。
一人の少女が、フランドール・スカーレットが地に伏せていた。


ぐすぐすと鼻を啜り、カタカタと背中を小さく震わせ、嗚咽を漏らしている。
はじめて会ったとき時の快活なイメージとは反対の、怯える小兎のようにも思えるその姿は、
インデックスに少なからずの衝撃を与え、思考を吹き飛ばすには十分であった。



禁書「ふらん……?」



一瞬の空白の後。ふと思い出したかのように、ただ呆然と声をかける。
思考を停止したその言葉には、喜怒哀楽のどの感情も乗ることはない。
自分の口から出たはずなのに、誰かに喋らされているような。
まるで他人事のように感じながら、言葉を発していた。


フラン「っ……!?」



びくりと、フランドールの体が大きく跳ねる。
インデックスのことに気づいたのか、啜り泣くことはなくなった。
しかし震えは止まらないまま、彼女は少しばかり体を起こし、
ゆっくりとインデックスの方へと向き直った。


その時、インデックスは見た。フランドールの『紅く染まった瞳』を。


ルビーのように鮮やかな紅色をした『ソレ』。
『ソレ』が湛えている光は余りにも妖しすぎて、一目で人が持ちうるものではないと理解できるほど。
見ているとそのまま吸い込まれそうな。そんな錯覚を覚える。


もしかしたら、彼女は吸血鬼になっているかもしれない。
瞳が紅いのは、吸血鬼だからなのかもしれない。


この場は曲がり形にも戦場であり、目の前の相手が怪物の可能性がある。
本来であれば真っ先に自身の身を案じ、警戒しなければならないはずなのに。
それなのにインデックスは、フランドールの瞳を見て『綺麗だ』などと思ってしまった。


禁書「ふら――――」

フラン「っ、来ないでぇっ……!」



近づこうとするインデックスを、フランドールは絞り出すような声で拒絶する。


恐怖と後悔、そして深い悲哀。
それらの感情がフランドールの面貌、フランドールの声色となって、
インデックスの視覚と聴覚に深々と突き刺さり、心の奥底まで侵入する。
じくじくとほじくり返されるような痛みを前に、彼女は思わず足を止めた。



フラン「やめて、こないで……じゃないと、あなたを壊しちゃ……!」

禁書「ふらん、落ち着いて! 大丈夫だから!」

フラン「だめなの、『私じゃないワタシ』が……!」

禁書「……!」


インデックスの説得を、フランドールは頭を抱えて首を大きく振り、尚も否定する。
その姿を見て、インデックスの心の中に『心配』とは別の『疑念』の感情が芽生えた。
『フランドールは何かを恐れている。だが、恐れ方が何処かおかしい』と。


確かに彼女は自身が持っている能力を使って、土御門元春を傷つけた。
ありとあらゆる物を触れただけで破壊するという超能力『物質崩壊』。
当時の彼女の様子は何処か普通ではなく、その行為が果たして本人の確固たる意志によるものなのかは疑問だが、
例えそうだとしても彼女が能力を使って誰かを傷つけたことには変わりない。
危険な力を人に使って血の海に沈め、その返り血を浴びたのだから、
正気に戻った彼女がその光景を見て取り乱してしまうのは当然だ。
その力が自分にとっての大切な存在――――インデックスや上条当麻に向かうことを恐れることも。
フランドールが自分達を守るために自身を拒絶しようとしていることを、彼女は痛いほど理解していた。


ただ、一つだけ疑問がある。それは、フランドールが今しがた口走った言葉。
『わたしじゃないわたし』。まるで、自分が多重人格であるとでも言うかのような。
あの時、彼女の様子がおかしかったのはそれが原因なのか。それを知る術は持ち合わせていない。
ただ確実なことは、フランドールは『自身の存在すらも』心の底から恐れている。


フラン「……あの時と一緒なの」

禁書「あの時……?」



ぽつりと、少女は言葉を漏らす。
体の震えは消え、時折聞こえた啜り泣く声も無い。
しかしその代わりに、諦念と自嘲の思いが、僅かに覗ける顔から読めた。


少女は懐かしむかのように口を開く。



フラン「そう、今から7年前の話。 私がまだ普通に外に出られた頃のことよ」

フラン「私はその時受けた『身体検査』で、この超能力を手に入れた」

禁書「超能力……『物質崩壊』のこと?」

フラン「うん。 手に入れた時点での『強度』は既に『4』だった。 あなたは知らないと思うけど、これは異常なことなの」

フラン「大抵の人はレベル1とか2とかから始まって、少しずつ訓練してレベルを上げていく」

フラン「それはこの街に7人しかいないレベル5だって例外じゃない。 最初から強い人なんてほんの一握り」

フラン「だから、あの時は周りの反応はすごかったわ。 みんな私のことを褒めちぎるんだもの」

フラン「レベル4どころか3すらいない学校だったから、仕方のないことだったのかもしれないけどね」


微かに笑いながら――――いや、『嗤い』ながらフランドールは話し続ける。
その嘲りを多分に含んだ『嗤い』を向けているのは、他ならぬ自分自身。
過去を思い出す度、それを言葉にする度に、彼女の心はズタズタに引き裂かれていく。


とめなければならない。言葉を紡ぐのを止めさせなければならない。
そう思いつつも、インデックスは終ぞ体を動かすことができなかった。



フラン「最初は面倒なことになったと思ったわ。 何でって、先生達とかお姉さまはいらないお節介をかけてくるし、
友達は事ある毎にちやほやしてくるし……」

フラン「正直に言って、鬱陶しいことこの上なかったわ。 家出しちゃうくらいにはね」

フラン「だけどね、ある日気がついたの。 この力は、すごく素晴らしいものなんだって」

フラン「力があれば誰にも舐められない。 嫌な奴は、みんなぶっ飛ばしちゃえば良いんだって」

フラン「――――よく考えたら、その時点でああなるのは決まっていたのかもしれない」


スイッチを切るように、嗤いが途絶える。
そして既に書かれていた台詞を朗読するように、単調な声色で話し出す。
ぞわりと、空気が体を嘗め回すような異様な感覚に襲われた。



フラン「今でも思い出せる。 あの日、私は仲が悪かったクラスメイトと喧嘩した」

フラン「アイツのことは前から嫌いだった。 いつもちょっかいを出してきて、説教してくるんだもの」

フラン「あの顔を殴り飛ばせれば、どんなに良いか……そんなことを、何度思ったかわからない」

フラン「でも、思うだけで何もできなかった。 アイツは、私よりも先に力を手に入れてたから」

フラン「そのせいで、私はずっと我慢するしかなかった」



言葉の一つ一つに質量があるような。そしてそれらが、肩に次々とのし掛かってくるかのような。
自身の体が目に見えない圧に悲鳴を上げるのを感じながらも、インデックスは目の前の処女から視線を外さない。


いや、視線を『外さない』のではなく『外せない』。
まるで魅入られたかのように、彼女の眼球は釘付けになってしまっている。
例えるならば、打ち棄てられた子犬を不意に見つけてしまった時のように。
目の前の少女を見て沸き上がった感情が、彼女の心を支配している。



フラン「だけど、私は力を手に入れた。 だから、今までの鬱憤を晴らすためにアイツに喧嘩を売ったの」

フラン「その時のアイツの顔といったら。 ほんと、傑作だったわ」

フラン「アイツの力を、正面から潰してやったんだもの。 信じられないって顔してた」

フラン「それでね、呆けた顔になったアイツをね、力を使って――――コワしてやったの」



そう口にし、首を上げた彼女の顔には。
何の感情も込められていなかった。

今日はここまで
質問・感想があればどうぞ

能力を使う時に腕が消し飛ぶ人も居るしな

>>575,576
だって、腕が変形するってかっこいいじゃん?(中二並感)


これから投下を開始します


禁書「――――」



インデックスは、ただただ絶句した。
彼女が知りうる少女からは、余りにもかけ離れたその表情に。


これが、『あの』フランドールだというのか。
能面に埋め込まれた二つの灼眼。僅かに見開かれた目から感じるものは『狂気』の二文字。
その色は『紅』にも拘わらず、底なしの『黒』を帯びているようでもあり。
先ほどの吸い込まれるような感じとはまた違う、それこそ魂を剥がされ、
引きずり込まれるかのような、禍々しい引力を携えていた。


しかし、その表情は直ぐに再び自嘲めいたものへと代わり、
けらけらと軽く乾いた嗤いと共に、再び口を開く。


フラン「ふふ、えぇ、本当にすごかったわ。 アイツの肩からスプレーみたいにぷしゅーって血が吹き出たの」

フラン「勿論、私はそれをまともに浴びて血だらけ。 丁度、今みたいにね」

フラン「もの凄く臭くて、頭がくらくらした。 どうにかなりそうだったわ」

フラン「いえ、その前から既にどうにかなっていたのかもしれないけど」



インデックスは、自分の体が震えているのを感じた。それは、寒さからではない。


それは人ならば誰もが持ちうる、当たり前の感情。しかし、今は決して抱いてはいけないもの。
救うべき相手を前にしてそのような感情を抱いてしまうなど、実に浅はかで愚かしい。
そんな感情が芽生える程度の覚悟なら、最初から助けなければいいことだ。


フラン「ねぇ、インデックス。 あなたは、自分の中にあるナニカに怯えたことってある?」

フラン「自分の中にある、認めたくないけど確かにある感情のこと」

フラン「潜在的な狂気、と言えばいいのかな? それのことよ」

フラン「例えば、人の血を見るのが堪らなく好きだったり、必死になって頑張っている人を、
自分の手で絶望の底にたたき落としたくなったり」

フラン「その逆で、絶対に許しちゃいけない悪い人を、何でかわからないけど擁護してみたくなったり」

フラン「そんな思いがね、悪いことだとわかっているのに、どうしても抑えきれなくなるの」

禁書「……」



自分の中に、認めたくない自分がいる。
それはおそらく、人が持ちうる『悪性の自我』のことだろう。


人は必ずしも清廉潔白な存在ではない。
そうであるが故に『倫理』や『道徳』という物が存在し、それらを戒める鎖としている。
人が人であるが故に、自身の個を得てしまったが為に抱えている『大罪』。
その罪を犯さないために、人はあらゆる文言を並べ、自身を雁字搦めに縛っている。
だがそれでも、人の中に渦巻く我欲を、『悪欲』を御しきることは出来ない。
ふとしたことで、鎖が緩んだ一瞬の隙を突いてソレは心を食い破らんと暴れ回る。
そしてソレを抑えきれなくなった時。人は悪の道へと走ることになる。


しかしそれは、誰もが経験していることだ。
自分の感情が抑えられなくなることは、別段珍しいことではない。
相手の言動が気に入らなくて、ついつい口汚く罵倒してしまったり。
自身の境遇に不満を感じて、その鬱憤を周りに当たり散らしてしまったり。
精神が未熟な子供は当然として、大の大人であっても己の悪欲に身を委ねてしまうものだ。


だから、それらを行ってしまったことを恥じる必要はない。
悪行に走ったことがない人間がいたとするならば、その者は『聖人』か『狂人』のどちらかだろう。
もしも恥じるとするならば、それを顧みずに同じ過ち繰り返す愚かさに対してするべきである。


だからフランドールは、そこまで思い詰める必要はない。
彼女はまだ若い。道を踏み外すこともあるだろう。
まだ引き返せる。己の過ちを認め、それを正すことができる。
それなのに……


フラン「……あの時も、さっきもそう。 自分でもわからない内に、いつの間にか狂ってる」

フラン「目の前にあるモノを、コワしたくてコワしたくて仕方なくなるの」

フラン「それに、さっきので確信したよ。 私の狂い方、前と比べて明らかに酷くなってる」

フラン「あの時はまだ自分が何をしているのかわかったのに、今はもうわからない」

フラン「私がワタシに食べられていくの。 少しずつ少しずつ、飲み込まれていくの……」



フランドールは諦めてしまっていた。
蝕まれていく自我を前に、彼女は抗う様子を見せない。
虚ろな声で、淡々と言葉を口にしていく。


数えれば、たった二度の過ち。
しかし、その過ちは彼女の心を『くの字』に折り曲げるには十分すぎるもの。
人を傷つけるならまだしも、その行為を嬉々として行った。しかも、自覚があるから尚悪い。


もしも最初から多重人格だったのであれば、その人格に罪を押しつけることも出来ただろう。
責任転嫁に過ぎず、何の解決にもなりはしないが、それでも本人の心の平穏は辛うじて保たれる。


だが、フランドールの場合はそうではない。
何時からおかしくなったのかはわからない。如何にして狂ったのかもわからない。
彼女の中に全くの別の、凶悪で残忍な人格が生まれていたとして、
果たしてそれが彼女の人格と何時入れ替わったのかがわからない。
もとより、本当に『入れ替わった』のか。もしかしたら、『浸食された』のかもしれない。
じわじわと気づかない内に新たな人格に影響され、結果として凶行に走った可能性も捨てきれないのだ。


『本来の人格』と『新たな人格』。
その二つに境界を敷けない以上、フランドールは己の成した罪から逃げられない。
故に彼女は今、拭い去れない罪に押し潰されようとし、そして己が『ナニカ』に蝕まれていくことに恐怖している。



フラン「だから、私のことは放っておいて……このままだと、あなたに何をするのかわからないんだもの」

フラン「もしかしたら今にも、気が狂ってあなたを襲うかもしれない」

フラン「この力で、あなたをぐちゃぐちゃにしちゃうかもしれない」

フラン「そんなこと、耐えられない。 それくらいだったら、ずっと一人の方がいいよ……」

禁書「そんな……」

フラン「心配しなくても大丈夫だよ、インデックス。 一人でいることには慣れてるから」

フラン「7年間ずっと、この家に閉じこもってきたんだもの。 いつもの生活に戻るだけだよ」

フラン「そう、いつもの、つまらない毎日に戻るだけ……」


フランドールは、乾いた笑いを浮かべながら語り続ける。
その瞳には光が無く、焦点も合っていないように見える。


自分が今何を言っているのかさえ、わかっていないのではないか。
目の前のインデックスをも忘却し、譫言のようにぶつぶつと呟き続けている。
再生機能が壊れた、古いテープレコーダーのように、己の心の内を吐露し続けている。



禁書「――――」



インデックスはその光景を前に、何も出来なかった。


彼女はイギリス清教の『禁書目録』。
その立ち位置は組織の中では殊更肝要であり、他の者とは一線を画す。
組織での役割故に権力を得るは許されないが、身分としてみれば十二分に破格の扱いだ。
本来ならば、数百の修道女の上に位置しているはずの者。それが『禁書目録』という存在。
だが、そんな大層な身分であるはずの彼女は今、何も出来ずにその場に立ち尽くしている。


結局の所、その身分は他人から与えられたものでしかなかったということだ。
清教を守護する最固の城壁。それ故に、彼女は籠の中の小鳥として飼われていた。
いや、ただ飼われるだけならばどんなに良かったか。
『人間』として扱われているだけ、まだマシというものだろう。


悪いことに、彼女は組織の中に於いては『人間』ではなく『道具』だった。
そして組織は、自我を持つ道具である彼女を律するため、彼女の体に細工を施した。
一年毎に訪れる脳の記憶限界。それに伴い必要となる記憶の消去。
周期的に記憶を消すことで彼女の意識を一新し、自身の在り方に疑問を持たせないようにする。
その呪いは一年前の七月二十八日、上条当麻の右手で破壊されるまで続いた。


――――人の心を動かすためには、『重みのある言葉』が必要だ。
そしてその言葉は豊富な経験、確固たる意志の中から生まれ出でる。
心に響く名言を残す者は、往々にして波瀾万丈の人生を送っている。
平凡に生きている軟弱者の言葉などに、誰が耳を貸すというのか。


インデックスは今から2年ほど前までの記憶しか持っていない。
それ以前の記憶は消されてしまい、最早取り戻すことは叶わない。
かつての自分がどんな思いを持って、どんな風に歩いて生きていたのかわからない。
自分の傍にいて励ましてくれた人も、そして掛け替えのない大切だった人ですらも思い出せない。
言わば彼女は、知識だけを与えられた赤子のようなものだ。


つまり、何が言いたいのかと言えば。
過去を失ってしまった彼女には、人を説得させられるだけの確かな言葉を生み出せないということ。
どんなに着飾った言葉を並べ立てても、理屈立てた言葉を発しても、彼女の言葉は何処までも空虚だ。
外側だけで中身が無い。聞こえは良くても現実味が無い。
聞いたのが大人ならば、子供戯れ言として鼻で嗤われるだけ。
歳が近い者であっても、『お前に私の何がわかる!』と言われて突っぱねられてしまうだろう。


インデックスには、理屈をこねくり回して誰かを説得することは出来ない。
だから、今彼女に出来ることは――――


禁書「……」カツンッ



足を一歩、前へと踏み出す。
しっかりと大地を踏みしめるように。目の前の少女へと歩み寄る。


膝を持ち上げ、少しばかり前に下ろす。
ただそれだけの動作だというのに、生気を根こそぎ奪われたかのように感じる。
体は鎖を巻き付けられたかのように重い。それどころか、後ろに引っ張られているような錯覚すら受ける。
一度気を抜いたら最後、そのまま引きずられて二度と彼女の下には辿り着けない。そんな気がする。


だから、そうならないように。大切なものを失わないように。
しっかり前を見て。体を奮い立たせて歩き出す。


フラン「……どうして、どうしてなの? どうして近づいてくるのよッ!?」



少女は白い修道女の行為を見て、目を見開いて絶叫する。
その叫びは既に悲鳴のようであり、彼女の心を剥き出しにしたかのよう。
過呼吸を起こしたかのように息を大きく乱し、体を縮ませているその様は、
何処をどう見ても年相応の子供でしかない。


――――あぁ、なんて馬鹿馬鹿しい。
こんな子を、誰かのために自分を犠牲にするような優しい子を怪物扱いしていたなんて。
そこらの人間よりも優しい心を持つ彼女が、どうして卑下されなければならないのか。


わかっている。忘れてなんかいない。
この子はスカーレット一族。イギリス清教に牙を剥いた異端者の一人。
そして彼女の中には、何かおぞましいものが居ることも。
十字教の一員として、イギリス清教の『禁書目録』として。
反逆者を、神に仇為す吸血鬼を断罪しなければならない事は。


だが、それがどうしたというのか。
今のフランドールは狂気に犯されていない。彼女はこんなにも純粋で温かな少女だ。
彼女を見捨ててしまったら、今度こそ本当に身も心も化け物に墜ちてしまうだろう。
そんなことはさせてはならない。自身の目の前で誰かが闇に墜ちるなんて、許せるものか。


フラン「私はバケモノなのよ!? どんなものも触っただけで壊しちゃう怪物なの!」

フラン「それに、私は、壊すことを心の何処かで楽しんでる……私は狂ってるのよ!」



フランドールが拒絶する。だが、足は止まらない。
互いの距離は、初めのころの半分を既に切っていた。


――――フランは救われることを望んでいない。諦めてしまっている。
自身に巣くう狂気を受け入れて、そのまま自壊しようとしている。
それが彼女の願望であり、自身の行為はそれを叩き潰すものだ。


だからこの行動は。この思いは。
自分の欲望からこぼれ落ちた身勝手なものだ。
相手の都合を考えず、己の行動理念のみで救うなど、偽善の最たるものだろう。


だけど、例えそうだとしても。私は彼女を助けたい。
その場では恨まれることになっても、いつか一緒に笑い会える時がまた来ることを願って。


フラン「嫌、おねがい……」



あの子との距離はもう僅か。2、3歩足を踏み出せば辿り着く。
ただその数歩の間に、どうしようもなく深い溝があるようにも思えた。
望みが真逆なのだから、それは当然のことなのかもしれない。
最後の『拒絶(まよい)』が、私の目の前に立ちはだかる。


それを前にして私は。戸惑うことなく前へと踏み込んだ。



フラン「おねがい、だから……来ないでよぅ……!」


――――フランは泣いていた。
ぽろぽろと瞳から泪を流し、啜り泣いていた。
彼女にはもう、私を突き放す気持ちも、覚悟も無い。
ただ、目の前にいる誰かを怖がっている少女がいるだけ。


そんな彼女を、私は正面から抱きしめる。
しっかりと両手で背中を抱え、自身の胸へと引き寄せた。


フランの体は、思ったよりも華奢だった。
私の両腕を回してもまだ余るくらい、彼女の体は小さく、そして柔らかい。
当麻の体に抱きついたことは何度もあるけれど、フランのような小さな女の子にしたことはあまりない。
『女の子の体ってこんなに柔らかいんだなぁ』と、心の何処かで思いつつ、ぎゅっとフランにしがみついた。


フラン「あ……」



フランは、呆けたような声を上げる。
今彼女がどんな表情をしているのかはわからないけれど、
もし見ることが出来たのなら、さぞや気の抜けた顔をしているのかもしれない。
彼女にしてみれば、いきなり抱きしめられるなんて想像もしていなかったことだろうから。


彼女の体の震えが、私の体に伝わってくる。
それだけじゃなく、不規則な呼吸の音も、早鐘を鳴らしている心臓の鼓動も一緒に。



禁書「大丈夫だよ、ふらん。 怖がらなくてもいいんだよ」



そんな彼女に、私はそう言葉を口にした。
びくりと彼女の体が一際大きく跳ねて、一気に息づかいが荒くなった。
そして、戸惑いを隠せない声で私に答える。


フラン「でも、私は――――」



彼女は繰り返そうとする。自己の否定と、私を拒絶する言葉を。
それを私は遮って、別の言葉を彼女に覆い被せた。


禁書「そんなの、気にしなくていい。 ふらんはふらんだよ」

禁書「元気いっぱいで、太陽みたいに明るい私の大切な友達。 友達を助けるのは、当たり前のことなんだよ」

禁書「だから、怖がらないで。 自分を追い詰めないで」

禁書「たとえ何があっても、あなたが誰であっても、私はあなたの傍にいるから。 だから――――」










「あなたはもう、一人ぼっちじゃない」


フラン「――――」



その瞬間、時が止まる。


刹那でありながら、永劫とも思える空白。
その中で、フランドールは泣きじゃくることも忘れて呆然とした。


修道女の、インデックスの言葉が、すとんと綺麗に彼女の中に落ちる。
言葉から滲み出るインデックスの思いが、彼女の心を覆っていた暗霧を吹き払い、
そして乾いた大地に滴った水滴のように染み込んでいく。


言葉の通り、心が洗われるようだった。
自分の中に巣くっていたドス黒いナニカが、綺麗さっぱりと霧散していた。
代わりに残ったのは、『あたたかいもの』と『小さな棘があるもの』。
その二つが、心の中を節操なく転がり回っていた。


フラン「……いいの?」

禁書「うん?」

フラン「本当に、私は、あなたと一緒にいてもいいの?」


フランドールは途切れ途切れに問い返す。『私には、あなたの傍にいる資格はあるのか』と。
インデックスの言葉は素直に嬉しい。だけど、心がまだ納得していないと。
人生の半分もの間、彼女を悩ませてきた罪の意識。それを振り払うのは容易ではない。


だが、不可能ではない。現に、フランドールはインデックスに許しを求めている。
それは彼女が自分自身を許そうとしている証拠。その切欠が欲しいだけ。
心の底から自分は許されないと思っているのなら、問い返すなんてことはしないだろうから。



禁書「いいよ。 私はあなたの友達なんだから。 遠慮なんかしなくていいんだから」

禁書「だからもう一度、あなたの笑顔を見せてほしいな」

フラン「……………………ふっ、ぐすっ、うぇぇっ……!」



再び嗚咽を漏らし、泣き出すフランドール。
しかしそれは、嘆き、悲しみから流されたものではなく。


二人はそのまま、寄り添うようにして互いに抱きしめあっていた。

今日はここまで
質問・感想があればどうぞ

GWだったのに全く筆が進まんかった……書き溜めがががg


これから投下を開始します






     *     *     *






土御門「……ッ! げほっ、がはっ!!!」

上条「! 大丈夫か!?」



土御門がフランドールの凶手に倒れ、当麻がそれの応急処置に取りかかってから数分。
当麻の献身的な介護の甲斐があったのか、彼は予想よりも早く息を吹き返した。


気管に詰まった血塊を口から吐き出し、土御門は大きく咳き込む。



土御門「げぇほっ! ごほっ! ……カミやん、か?」

上条「喋るな! 血は止まったけど、まだ動けるほどじゃない」

上条「皮膚は治ったけど、中の方はまだみたいなんだ。 所々鬱血してる」

上条「無理に動いたら、また血が噴き出しちまう。 内臓にもダメージがあるだろうし、安静にしといた方がいい」

土御門「そう、か……」


当麻の言葉を聞き、土御門は苦しそうに首肯した。


彼の体の至る所に走っていたはずの裂傷は既に消え、失われる血液は無い。
しかし裂傷があったはずの場所には生々しい紫の斑点が残り、まるで打撲のような様相を呈している。
皮膚の部分の傷は『肉体再生』縫合されたものの、内部の血管は未だに破れているためだ。
滲み出た血液が皮膚の下に溜まり、痣のようになっていた。


更にはまだ痛みが残っているのか、もぞもぞと体を捩らせている。
まともに動けるようになるまでには、もうしばらく時間がかかるだろう。
無論それは『体を動かしても大丈夫』という程度のことであり、戦線復帰の観点から考えると絶望的だ。
本来であれば、今すぐにでも病院に連れて行かなければならないのだから。



土御門「助けられちまったな……ほんと、情けないにゃー……」

上条「そんなこと言うなよ。 お前こそ、俺を助けようとしてくれたんだろ? 情けないなんてことはねぇよ」

上条「いくら『肉体再生』があるからって、無茶しすぎだとは思うけどな」

土御門「無茶ばっかりしてる、カミやんには言われたくないぜい……」

上条「ほっとけ」


土御門「……………………んー」

上条「どうした?」

土御門「いや、ほんとは女の子に介護してもらいたかったんだけどにゃー」

土御門「野郎、しかもカミやんに看病されちまうなんてにゃー……こんな機会があるなんて、夢にも思わなかったぜい」

上条「土御門さん? 流石の上条さんでも怒りますですことよ?」

土御門「自覚があるなら、さっさと行きすぎた自己犠牲を矯正することをお勧めするぜい? ま、無理だろうけどな」

上条「ぐぬぬ……」



軽口を叩き合う二人。先ほどまで殴り合っていたのが嘘のようだ。
そもそも嵐が過ぎ去ってしまえば、普段の間柄などこんなものなのだろう。


殴り合いの最中に横槍が入ったものの、結果としては土御門が地に倒れ、対して当麻は五体満足。
決着は既についた。過ぎ去ったことを何時までも引きずるようなことは、この二人の間に関してはないと言うことだ。


土御門「さて、どうしたもんかな……こんな体じゃあ、フランドールを捕まえることは出来そうにない」

上条「おい、まだそんなこと言ってるのか?」

土御門「当然だ。 オレの任務はまだ終わっちゃいないんだからな」

土御門「動けるんだったら体を引きずってでも奴を追いかけている所だ」

土御門「……いや、まて。 フランドールは何処に行った? 辺りにはいないみたいだが……」

上条「フランは屋敷に逃げていったよ。 インデックスが今追いかけている」

土御門「上条当麻、お前――――」

上条「『自分が何をしたのかわかっているのか』、か?」

土御門「……そうだ、奴はイギリス清教とっては大罪人だ。 しかも清教の手を逃れて、
あまつさえ学園都市に潜伏し続けていた魔術師」

土御門「そんな奴の所に『禁書目録』を一人で行かせるとは……!」


土御門の語調が強まる。
その瞳に宿るのは憤怒。しかし彼が怒るのは当然のことだ。
『禁書目録』はイギリス清教とって、替えの利かない最重要人物。
彼女を失うことは、イギリス清教を守る城壁を失うことに等しい。
それを敵側の魔術師に送り込むなど、これほど愚かしい行為は存在しないだろう。


しかしそれ以上に、土御門としてはあれほどインデックスを気遣っていた当麻が、
いとも簡単に彼女を死地へと送ってしまったことが信じられないのだろう。
発狂したフランドールの恐ろしさを身近で感じていたのだから尚更である。


しかしそれを前にして、当麻は臆するでもなく、少しばかり沈黙した後に口を開いた。



上条「たぶん、お前が考えてるような心配は無いと思うぞ」

土御門「……は?」



その言葉に、土御門は訳がわからないとでも言うかのような顔をする。
『心配』とはおそらく、自身が想像している通りのことだと思うが、
その必要がないと言い切る理由がわからない。


上条「フランの奴、泣いてたんだ」

土御門「何?」

上条「あの後血だらけになった自分を見て、泣いてたんだ」

上条「それと、悪い所を見られた子供みたいな顔もしてたっけな……」

上条「その後、悲鳴を上げて屋敷の中に逃げていったよ」

土御門「……」

上条「なぁ土御門、本当にお前が考えているような奴なら、そんなことすると思うか?」

上条「もし本当に危険な奴だったんなら、あんな風に泣くなんてこと、しないと俺は思う」



もしも、フランドールが人を傷付けることを何とも思わない人間だったとしたら。
あのように血だらけの手を見て驚愕し、罪を糾弾された罪人のような、後悔が極まった表情をするはずがない。
あんな顔の少女を見て、それに追い打ちをかけるようなことを当麻が出来るはずもなく。
それ故に彼は、土御門からフランドールを擁護する立場に立った。


端から見れば、彼を愚かな人間だと思うだろう。そしてそれは、実際にそうである。
常識的に考えれば、友人を血だるまにした人間に対して抱く感情など、良いものであるはずがない。
侮蔑に視線を送り、口汚く罵り、手を振り上げてもおかしくはないのだから。


土御門「……はぁ、しょうがないにゃー」



土御門は当麻の言葉を聞き、やれやれといった顔で軽く溜息をついた。
その溜息には呆れに加えて諦めの色が乗っている。


上条当麻が理屈を度外視した行動をとるのは、今に始まったことではない。
『英雄』などと揶揄されてはいるが、彼は『善悪』に基づいて動くわけではない。
彼の体を動かす要因は、彼自身の心から湧き出るもの。
『善』だから助けるのではなく。『悪』だから倒すのではなく。
簡単に、端的に、身も蓋のない言葉で言い表すとしたら。
『自分がそうしたいから、そうした』ということだ。


解ってはいたことだが、何度実感しても慣れないものだ、と土御門は思う。
土御門は『スパイ』という身分である以上、その思考は合理的だ。
余程のことがない限り、感情を優先して動くことはない。
だからこそ、上条当麻の言い分は『理解』できるものの、『納得』までは中々出来ないのである。


ただそのことを何時までも突っついても、今更どうにもならないことはわかりきったことなので、
その感情はさっさと水に流してしまうことに決めたのだった。


土御門「あい、わかった。 カミやんの行動については今更だし、これ以上はとやかく言わないぜい」

上条「あぁ……すまねぇな、土御門」

土御門「謝るくらいならこんなことはしないで欲しいんだけどにゃー……まぁ、そのことは置いといて、だ」

土御門「カミやんの言い分だと、フランドールはそこまで危険な奴じゃない」

土御門「仮にそうだとして、あの状態……暴走とでも言えばいいのかわからんが、おそらく吸血鬼化による影響だろう」

上条「そうなのか?」

土御門「ただの推測だがな。 奴等の親父……先代のスカーレット当主は、
自身を吸血鬼化した後に発狂したという記録が残っている」

土御門「線があるとしたらそれだろうぜい」

上条「……フランは完全に吸血鬼になっちまったのか?」


当麻は土御門の言葉を聞き、ぎくりとして恐る恐る問い質す。
彼の考えでは、フランドール達をイギリス清教の標的から外すには、吸血鬼化をどうにかしなくてはならない。
しかし完全に吸血鬼化してしまっているとしたら、おそらくはもう手の施しようがないだろう。


だが幸運なことに、土御門は当麻の言葉を否定した。



土御門「いや、それはないだろう。 もしそうなら、この程度で済んじゃいない」

土御門「吸血鬼の戦闘能力なんざ噂でしか知らないが、それを鑑みてもこの状況は温すぎると思うぜい」

上条「そうなのか……いや、よかった。 まだ手遅れじゃなくて」

土御門「手遅れかどうか判断するには、まだ早いとおもうがにゃー……で、どうするんだ?」

上条「どうするって……」

土御門「とぼけるのは感心しないな。 ……何か策はあるのか?」

上条「それは……」


当麻は土御門の言葉に返答を窮する。
その言葉は正しく、今の彼にとっての急所であるが故に。


土御門が怪我によって行動できなくなったことで、フランドールが捕縛されるという事態は防がれた。
怪我した本人には申し訳ないが、一先ず目的が達成されたことは喜ばしいことと言える。
だが、結局の所そこ止まり。問題は何も解決していない。
自分たちが、本当に向き合わなければならないこと。それは――――



土御門「カミやんはフランドールに危険はないといったが、イギリス清教の問題とはまた別だ」

土御門「奴が危険であろうと無かろうと、吸血鬼化の魔術の持ち主であることは間違いない」

土御門「イギリス清教が求めているものが、あくまでもその魔術の抹消である以上、奴は永遠にお尋ね者扱いってことだ」

土御門「裏を返せば、それさえ達成できるのであれば、スカーレットの奴等がどうなろうと知ったことじゃないってことだけどな」

上条「知ったことじゃない?」


土御門「あぁ、スカーレット家の処断は10年前に既に完了している。 それを今更取り消すということはない」

土御門「いや、『出来ない』といった方が正しいか。 処断の完了を取り消すということは、
    『神の意志を執行せずに今まで見過ごしていました』と宣言するようなもんだからな」

土御門「ローマ正教やロシア成教に対する体裁がある以上、自身の弱味を晒すようなことはしないはずだぜい」

上条「ってことは、その魔術さえどうにかなればフラン達は助かるのか?」

土御門「理屈上はそうなるにゃー」



イギリス清教としては、スカーレット家がどうこうよりも、吸血鬼化の魔術さえどうにかなればいいらしい。
魔術をどうにかする具体的な方法は一先ず置いておいて、イギリス清教が求めているものがはっきりとしたことは収穫だ。
相手が望むことがわからないと、自分が為すべきことも曖昧になってしまう。
これで具体的な方策を改めて練ることが出来るだろう。


上条「イギリス清教を諦めさせるためには、吸血鬼化の魔術に関するものを全部取っ払わなくちゃならない」

土御門「その通り。 で、その排除するべきものは大きく分けて三つある」

土御門「一つ目が吸血鬼化の刻印。 刻印はスカーレット一族の証のようなもので、代々受け継がれていくものだと聞いている」

土御門「レミリア、おそらくフランドールにもだろうが、体の何処かに刻まれているはずだ」

上条「それは俺の『幻想殺し』でどうにかなると思う。 魔方陣みたいなものだろうし、それを見つけて触ればいいはずだ」

土御門「実際何処にあるかはわからないけどにゃー。 ……そして二つ目が刻印の構築方法、それにまつわる情報だ」

土御門「レミリア達の刻印を破壊した所で、その構築方法が残っていたら意味がない」

土御門「刻印の拡散を防ぐためにも、それに関わる情報は徹底的に抹消する必要がある」

上条「『ヴォルデンベルクの手記』はイギリス清教に保管されているんだよな? ってことは、あとするべきなのは……」

土御門「レミリア達本人が、構築方法を知っているのかどうか。 ま、これに関しては奴等の頭の中を覗いてみるしかないにゃー」


上条「頭の中を覗くって……あまりいい予感がしないんですけど」

土御門「確かに、他人の記憶を弄くるなんて趣味が悪すぎる。 『心理掌握』の例もあるからな」

土御門「一歩間違えれば廃人コースまっしぐらだ。 普通なら、そんな七面倒くさいことはしない」

土御門「『疑わしきは罰せよ』精神で、あっという間に幽閉だろう……普通なら、な」

土御門「カミやんが拝んで拝んで拝み倒せば、もしかしたら『最大主教』も心変わりしてくれるかもしれん」

上条「それはどうなんだ? いくら俺でも、そこまで融通を利かせてくれるとは思えないんだけど」

土御門「いや、カミやんはねーちんを初めとした聖人が数人に、レヴィニア=バードウェイといった魔術組織のトップ、
    挙げ句の果てには元魔神までいろんな奴と繋がりを持ってるからな」

土御門「流石の『最大主教』も、カミやんを易々と敵に回すようなことはしないはずだぜい」

上条「そんなものなのか?」

土御門(……知らぬは本人ばかりってか。 実際の所、既に籠絡されちまってるんだけどにゃー)


驚く事なかれ、『必要悪の教会』の首魁、『最大主教』ことローラ・スチュアートは、
既に上条当麻によって手籠めにされているのだ。


ちなみに組織の中でそのこと気づいているのは土御門だけである。
他の面々であるステイルや神裂はローラの行動に異常を感じつつも、
腹黒なことで定評のある『最大主教』が恋に目覚めたなどと露ほどにも思っておらず、
ついにはローラ本人でさえも自身の感情の揺れを十分に理解していない。
生まれてこの方、まともに恋愛などしてこなかったことによる弊害であろう。


土御門としてはローラに教えても良かったのだが、放置すればもっと面白いことになると予感し、
本人が自分のよくわからない感情に狼狽するのを、ニヤニヤしながら見ることにしていた。


閑話休題。


上条「ってことは、やっぱり一番問題なのは……」

土御門「どうやら、流石のカミやんも気づいているみたいだな。 いや、そうじゃないと困る」

土御門「問題は刻印によって生じる肉体の分解と再構築……言ってしまえば吸血鬼化だ」

土御門「どのくらい刻印が浸食しているのかはわからないが、姉妹共に確実に影響を受けているとオレは睨んでいる」

土御門「さて、どうする? 半端とはいえ、彼女達は吸血鬼だ。 真人間に戻すには、
    吸血鬼化した肉体とそうでない肉体を選り分け、吸血鬼化した部分を排除しなくちゃならない」

土御門「右腕だけ、肝臓だけみたいに区画毎にきっちり分かれて浸食しているならそれも出来るだろうが、
    そんな都合のいい展開を期待するのはナンセンスだ」

土御門「細胞レベルで混ざっているとなれば、カミやんの行きつけの医者でも不可能だと思うぜい」


土御門の言うとおり、彼女達を元に戻すためには吸血鬼化した肉体を取り除かなければならない。
だが、それを行うためには吸血鬼化した部分を見分ける方法と、更にそれを選択して取り除く方法が必要不可欠。
そんなことが出来る人間など、果たしてこの学園都市に、いや、魔術側にもいるかどうか。


かの『冥土帰し』でさえも匙を投げてしまうのではないか。
そんなことはあり得ないと思いたいが、それでも不安は拭えない。
そもそも彼を、魔術側には関わらせたくないという思いもある。


せめて、吸血鬼化している部分を選択的に排除できるような方法があればいいのだが、
そんなご都合主義に極まる夢のような方法などあるはずが――――










上条(――――――――――――――――待て)


ふと、彼の脳裏を何かが掠める。
それは僅かな違和感だったが、現状ではそれにすらも縋りたい。
当麻はその違和感をシャベルにして、自身の記憶の山を掘り起こす。



上条「吸血鬼……破壊する……いや、でも……」

土御門「……」



急に黙りこくった当麻を見て、土御門はその様子を見守る。
おそらく彼は何かに気がついたのだろうが、あえて話しかけることはしない。


スカーレット姉妹を救うのは、あくまでも上条当麻である。
間違ってでも土御門ではないし、故に彼が手助けすることはない。
最後に彼女等の手を取るのは、当麻自身でなければならないのだ。
土御門は『必要悪の教会』の一員であり、課せられた任務がある。
その任務を無碍にする行動をとるわけにはいかない。


数分ほどの逡巡の後、当麻は大きな諦観と少しばかりの覚悟を決めた顔となる。
策こそは見つかったものの、出来ればそれは使いたくないといった様子だ。
どんな答えを見つけたのか気になる土御門は、茶化すようにして当麻に催促した。



土御門「考えは纏まったかにゃー? さぁ、この土御門先生がカミやんが考えた案を評価してやるぜい?」

今日はここまで
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――――7月28日 PM10:10






学園都市に存在する、数多ある建物の中の一つ。
とある高校が所有する女子学生寮の一室。
その中で一人の少女が何をすることもなく、呆然とベランダから外を眺めていた。


屋内に灯りは点いておらず、電気機器のランプだけが蛍のように光っている。
故に部屋の光源は、専ら窓から差し込む月明かりのみ。
空から降り注ぐ明かりが部屋を淡く照らし、少女の影法師を細長く作っていた。


少女は空を見上げる。視線の先に浮かぶのは、億にも届く年月の間大地を見下ろし続けてきた満月。
それは普段見せている純白の姿から、ルビーにも似た紅い色へと様変わりしている。
まるで、自身の血潮を振りまいているようにも見えた。


その姿を見て、少女は『あの時も。こんな色だった。』と、心の中で漏らした。
彼女の心の中に去来するのは嘗ての記憶。忘れようにも忘れられない、惨劇の記憶。


――――少女は元々、この国の山奥にある小さな村に住む娘だった。


世界を巻き込んだ未曾有の大戦。それに敗北した日の本の国。
瓦礫となった土地を立て直し、欧米に追い縋るようにして復興と近代化を推し進めていく国に反して、
少女が住む村は大戦前後も変わることなく、その国の原風景を残し続けた。


別に、何か意図があってそれ残したわけではない。ただ取り残されただけに過ぎない。
交通の便も悪く、開発して何か利するということもない土地。
そこにあるというだけで他に意味のない場所であるが故に、その村は国から、世間から忘れ去られた。


だが、それがかえって良かったのかもしれない。
世界から切り離されたその村は、世俗から一切無縁の場所となった。
外では資本主義という概念の中で、何かに追われるようにして人々が行き交っていたのに対し、
村の人々は昔からの生活を享受し、そのことに感謝して変わらぬ毎日を過ごし続けた。


日の出と共に、布団から起き上がり。


河のせせらぎを傍らに田畑を耕し。


虫の囀りを背に負って家路に就き。


月に見下ろされる中で静かに眠る。


幾度となく、何十、何百、何千と繰り返される日常。
そこには変化など生じるはずも無く、ただ単調な毎日が巡り続ける。
しかしながら、そこには確かに『幸福』と呼ばれ得るものがあった。
外の人々が忘れて久しい、大切なものが。


少女はその村の中で、片手で数える程しかいない村の童子として大切に育てられた。
祖父母や両親。周りに住む、最早家族同然とも言える隣人。そして幼なじみの子供達。
彼等は皆が皆、彼女にとって大切な宝物。少女は温かな人々に囲まれながら日々を過ごしていた。


――――そう、『過ごしていた』のだ。


予兆はなかった。もしあったというのなら、誰かしらが気づいていたはずだ。
単調な流れの中にいる者にとって、『変化』はどうしようもない『違和感』として感じてしまうもの。
故に『それ』は前触れ無く突然に降りかかり、当たり前であるはずの日常を霞のように吹き散らした。


始まりは、実に些細なものだった。
村人の一人が、山菜を採りに山に登ったまま、夕方になっても降りてこない。
心配した身内の人々は彼を捜しに山に入り、他の村人も無事を願って待ち続けた。


結果として、空が紅く染まり始めた頃に彼は漸く見つかった。
山の中腹辺り、そこに生えていた杉の木の下にもたれ掛かっていたのだ。
歩き回って疲れたのか、口も利けないほど弱っているようだったので、
身内の一人が彼を担いで、やっとのこと何とか下山することができたそうだ。


人々は彼の無事を心から喜んだ。
例え身内ではなかったとしても、この小さな集落に於いては掛け替えのない家族だったから。
――――その喜びが、直ぐに絶望に歪むとも知らずに。


助け出された男は、ふらつくように立ち上がると、直ぐ傍にいた彼を支えていた家族――――
その者は彼の兄だった――――に近づき、思いっきり前から抱きついた。
助かったことに喜びを感じたのだろうと、一瞬和やかが雰囲気が周囲に漂ったと思った瞬間、










「ぎ、あああぁぁあぁあぁあああぁあっっっ!?!?!?」










突然耳を劈くような絶叫が周囲に響いた。


その声は、正しく断末魔に等しいもの。
一同の背筋に、氷柱を脊椎に押し込まれたかのような震えが走る。
声の方を見やると、相も変わらず兄を抱きしめている男の姿。
相も変わらず、兄弟愛をかんじる光景である。


――――兄の顔が、恐怖に歪んでさえいなければの話だが。



「――――!?」



それを見て、人々はその場に石のように硬直した。


彼等の心に沸き上がったのは、『驚愕』。
人が人の首筋に食らいつく。その非現実さに、『恐怖』よりも真っ先にその感情が舞い降りた。
一体何が起こったのか。どうして男は、自分の兄に噛みついているのか。
疑問が疑問を呼び、人々の間に混乱が次々と伝播していく。
自身の目に映る理解しがたいものを、必死になって解そうとするがために、
今自分が如何なる状況に立たされているのかに気がつけない。


この場に於いての最善な行動は、何振り構わず逃げ出すことだったというのに。










――――そしてその村は、地獄そのものとなった。


眼球を真紅に輝かせ、異常にまで伸びた犬歯を剥き出しにした『人だったモノ』が周囲の人間に次々と食らいつく。
そして食らいつかれた者もまた、餓鬼のような呻き声を上げ、他の人間に襲いかかる。
狂気が狂気を産み、正気は狂気に飲まれていく。それはあたかも、細菌が増殖していくように。


その光景は、パニック映画のありふれた一場面のようであり。
故にそこには、『希望』などという都合の良いものなど存在しなかった。
たった一人を除き、村民のその全てが人を襲う怪物へと変貌したのである。


彼等は知る由もなかった。
その惨劇が魔術の世界で最も恐れられる生物の一つ、『吸血鬼』と呼ばれる存在の手よって引き起こされたのだということに。
自分達は吸血鬼の手によって、彼等と同じ存在にされてしまったのだということに。


結局の所村民達は、真実を知ることもなくその日の内に死んだ。
日の光を浴びて消滅したのではない。殺されたのである。


村人の悉くが吸血鬼となった中で、唯一生き残った少女。
彼女の手によって――――正確には彼女が持つ異能の力によって、
元凶の吸血鬼諸共、灰燼となって崩れ去ったのだ。


後には、灰吹雪に包まれた無人の村が残った。
吸血鬼を誘い、その血を吸った吸血鬼を滅する異能。
後に『吸血殺し』と呼ばれる力を持った黒髪の少女を一人残して。


その時の光景を、少女は今でも覚えている。


自分の見知った人々が。
共に笑いあっていた友人達が。
一緒に布団に入って眠った両親が。


まるで腹を空かせた獣のように、自分に向かって躙り寄ってくる。
地平線に沈み往く太陽。天からこちらを見下ろしている満月。そして夕日に染まった村々。
世界が血の池地獄に沈んだかのように。そこには『紅』しか存在しなかった。


あの時自分がどんな感情を抱いていたのか、今ではもう思い出すことは出来ない。
驚愕。困惑。恐怖。絶望。その何れかもしれないし、全部かもしれないし、そうじゃないかもしれない。
ただ『そういうことがあった』という事実のみが、心に焼きついている。


その地獄を経験しながら、彼女がこれまで正気を保っていられたのは。
村の皆が最後まで少女の身を案じていてくれていたと言うことだろう。
己の内から沸き上がる吸血衝動。『吸血殺し』によって制御不能となっていたはずのそれを、
彼等は最後の最後まで理性によって押さえつけようとしていた。少女を傷付けまいとしていた。
結局我慢できずに、少女の血を吸って皆が皆灰になってしまったけれど、
そのことだけが彼女にとって唯一の救いであり――――同時に、心を抉る楔にもなっていた。


本当は自分達を助けて欲しかったはずなのに、少女の身を心配していた村人達。
彼女の肢体に食らいつく末期、何度も何度も謝罪を口にしていた人達。
そんな心優しい彼等を、彼女は自らの手で殺してしまった。


『吸血殺し』は自身の意志で調節することが出来ない超能力だ。
それは誘蛾灯のように吸血鬼を際限なく誘き寄せ、そして血を吸った吸血鬼を例外なく滅ぼしてしまう。
当時は能力の自覚すらなかった彼女。そんな彼女を責めることなど、一体誰が出来ようか。


しかし、例え自身に責任が無いのだとしても。
彼女はその罪から逃れることは出来ない。いや、そもそも逃げようなどとは思わない。
どのような理由であれ、彼等の命を摘み取ったのは紛れもなく己自身。
そればかりは否定しようのない事実なのだから。


だから彼女は、赦されることを望まない。


(だけど。 ただ一つだけ。 願いがあるとしたら。)



生まれ持ったこの力。一方的な殺戮しか引き起こさない力。
呪いとも思えるその力を、誰かのために役立てることが出来たのなら、
どれはどんなに素晴らしいことだろうかと思う。


『吸血殺し』はイギリス清教からもらったアクセサリ、『ケルト十字架』の力で封印されている。
その十字架を首に下げている限りは、過去に彼女が住んでいた村で起きたような惨劇は二度と起こらないだろう。
それは嘗て彼女が何よりも望んだことであり、彼女が学園都市に来た理由でもあった。
紆余曲折はあったものの、彼女の望みは既に叶えられている。これ以上何かを望むのは、ただの欲張りだ。


ただそれでも、時折夢見るのだ。
この力を誇り、誰かのために役立てている自分の姿を夢想する時が。
あり得ないとわかっていても、いや、わかっているからこそ願ってしまう。


(……っ。 ちょっと。 風に当たりすぎたみたい。)



不意に体を走った震えに、少女はぽつりと言葉を漏らす。
学園都市は外の都市部とは違って、コンクリートの建造物だらけにも拘わらず夏場に熱帯夜になることがない。
どんな技術を使っているのかはさておき、夜間の熱中症にならないのは非常に喜ばしいことだ。
しかし、マンション等の高所では時折肌寒い風が吹くことがある。
あまり長く当たっていると、体が冷えて風邪を引いてしまうかもしれない。



(……もう寝よう。)



高校生が就寝するには些か時間が早すぎる気もするが、このまま月を眺めていてもどうしようもないのも事実。
見たいテレビ番組も特にないため、早々に床について英気を養うことにする。
早寝早起きは健康の秘訣。村に住んでいた頃からの習慣でもあるため、抵抗はない。


少女はベランダから屋内に入り、窓を閉めようとして――――










「――――――――――――――――!?」



その時、少女の鼻腔を如何ともし難い不快臭が掠めた。


腐りかけた肉を顔に押しつけられたかのような、独特の臭い。
一度嗅いだら最後、彼女の鼻を、気管支を通り過ぎて肺までをも浸食していく。


「……っ!」


紅の夕日とくすんだ灰色。
フラッシュバックする嘗ての記憶。
それを振り払いながらも、少女は再びベランダへ向かう。


このような出来事は、今回が初めてというわけではない。
ここ最近――――正確には1ヶ月ほど前から――――夜中に濃密な血の匂いが流れてくることがあった。
あれは吸血鬼の臭い。忘れようにも忘れられない、彼女にとってのトラウマだ。



「北……少し東寄りから……?」



ベランダから身を乗り出し、風向きを確認する。


風は北北東の方角から流れてきている。
確か、あの方角は第一、第四、第五、第十四学区があったはず。
それにしても、あそこまで濃い臭いが流れてきたのは初めてだ。
今までは臭いは感じ取れても、どこから来ているのかまではわからなかったのに。


(何か。 良くないことが起こってる。)



自身の知らないところで大変なことが起こっている。
しかもそれは、本当だったら自分が当事者でなければならないもの。
『吸血殺し』がある以上、それは避けられないことであるはずなのに。


それなのに、自分は蚊帳の外となっている。
とすると、自分の代わりに巻き込まれているのは、まさか――――



プルルルッ プルルルッ プルルルッ



突然、屋内から電子音が鳴り響く。
それにぎょっと身を竦ませ、恐る恐るそちらを見やると、
机の上に置かれた携帯電話が所持者である少女を呼んでいた。


この状況で着信した携帯電話。
心の中のざわつきを無理矢理抑えつつ、災厄のコールを響かせるそれを手に取った。


着信画面に表記されていたのは――――

今日はここまで
質問・感想があればどうぞ

・・・・風が、・・・・くる!・・・・

>腐りかけた肉を顔に押しつけられたかのような
嫌すぎww

>>644,>>645
芳香ちゃんは娘々がいつもケアしてるから大丈夫……のはず


これから投下を開始します






――――7月28日 PM10:32






レミリア「上条当麻……」



レミリアは目の前の青年が名乗った名を、噛みしめるようにして呟いた。


自分と友人だった女しかいない……いや、いるはずのない公園。
紛争地もかくやといわんばかりに破壊され、荒廃したこの場に現れた異分子。
自身が持つ能力『運命観察』にも囚われなかった男。



レミリア(コイツは、一体……)



自分が見た運命とは外れた未来が訪れる。
これまで自身の超能力が見せた運命は、それこそ両手では数え切れないほどあったが、
このようなことは、『ただ一度を除いて』起こったことはなかった。






     *     *     *






――――その『一度』が起きたのは、今から一年前。
舞台は学園都市のみならず、世界でも有数のお嬢様学校である常盤台中学。
関係者以外は、例え王族であっても入ることは出来ない聖域に於いて、
年に一度だけ、限られた区画のみが一般に公開される時期がある。


『常盤台中学女子寮盛夏祭』。その祭りに雑誌の編集者として訪れた時のことだ。


学生寮の住人と、彼等に招待された学生達がごった返す中で、レミリアが目的としていたのは、
催しの中で最も注目を集めていた項目である『学園都市第三位によるヴァイオリン演奏』だった。
学園都市の広告塔でありながらも、『常盤台中学』に属するが故に外部への露出が少ない少女『超電磁砲』。
その彼女に接触し、インタビューをして記事を仕立てれば、他雑誌よりも優位に立てると目論んでのことである。
情報の価値を決めるのは『新規性』と『希少性』、そして『需要の有無』。
『超電磁砲』の生の声ともなれば、それらの要素を全て満たしていると言えるだろう。


勿論、時の人である彼女に易々と近づける等という甘い考えは持ち合わせていない。
レミリアと同じく『超電磁砲』との接触を狙っている対抗馬は山ほどいるが、
間違いなくその全てが、接触どころか近づくことすら許されず警備員に追い出されることになるだろう。
雑誌記者は、有り体に言えばハイエナのようなものだ。『餌(ネタ)』になると判断した存在に対する執念は凄まじい。
そんな存在であるが故に、学園側は害獣の排除に手を緩めることはありえない。


だが、それだからこそ取材する価値があるというもの。
ここで追い払われて諦めるならば、最初からこの場には立っていないのだから。


目的の会場についた時、その場所は演奏会を目的とした生徒と報道関係者である大人でごった返していた。
生徒は憧れのレベル5である『超電磁砲』を一目でも見るために。
大人はレミリアと同じく、『超電磁砲』に接触して情報を得るために。
それぞれの思惑を胸に秘めた者達によって、会場はまさに混沌と化していた。
その混雑具合に少しばかり遅れたかと思いもしたが、何とか空席を見つけたレミリアは、
30分後の演奏開始時間までの間、喧噪と圧迫感の中で辛抱強く待ち続けることになった。


やがて演奏時間となり、壇上へと姿を現した『超電磁砲』。
恭しくお辞儀をした少女に、会場が矢庭に静まりかえった。
レミリアは少女の姿を捕らえ、少しばかり眼を細める。


レミリアが『超電磁砲』を直に見たのは、その時が初めてだった。
他の者の例に漏れず、彼女の中にある『超電磁砲』の人物像は与えられた情報の中での物でしかない。
そして一目見た時の第一の感想と言えば、『猫かぶりした少女』というもの。
それはただの直感でしかなかったが、『超電磁砲』は『お嬢様』と呼ぶには少しばかり御転婆な雰囲気が感じられたからである。
その予想は一年後、物の見事に的中することになったわけだが。


『超電磁砲』による、中学生としては十二分とも言える腕によるヴァイオリン演奏は、
特段変わったようなこともなく、順調に進行していった。
演奏時間が10分弱のものを3曲。学園祭の催しとしては丁度良いくらいだろう。


そして全ての演奏が終わり、喝采の中で『超電磁砲』は退場していく。
レミリアも『超電磁砲』に対し、パラパラとそれなりの拍手を送った。
ここに来た目的は演奏会ではなく、あまり無関係なことに気をとられてはいけないのだが、
祭りを楽しまないのも些か無粋であるとの考えから中途半端な拍手となった。


しかし祭りを楽しむのはここまで。これからは雑誌記者としての仕事が始まる。
演奏会を聞き終え、会場から人々が次々と流れ出ていく中で、
楽屋の裏に消える彼女を追おうと席から立ち上がろうとした――――その時にそれは起こった。







唐突に起きた立ちくらみ。


目の前に映る、この場のものではない光景。


多くのコンテナが積み上げられた敷地。


地面に網の目のようにして張り巡らされたレール。


血まみれになって倒れ伏している、虚ろな目をした少女。


月に照らされながら狂笑を上げている白髪の男。


その惨状を見て激高するもう一人の少女。


二人の人間が激突する。


飛び交う瓦礫。迸る雷光。吹き上がる突風。爆発。


そして――――まき散らされる少女の■■。






数秒にも満たない間に起こった出来事を前にして、レミリアは為す術無くその場に崩れ落ちた。
辛うじて椅子にもたれ掛かったが、猛烈な吐き気と共に冷や汗が吹き出し、身動きを取ることすらままならない。
異常に気づいた係員の手を借りて何とか事なきを得ることは出来たものの、『超電磁砲』に会うことは終ぞできなかった。


自身の視界に映し出された、ここではない、何時のものともしれない情景。
あの現象は紛れもなく自身の能力によるものだと、レミリアは落ち着いた後に考えた。


『運命観察』は自身の意志で制御できるものではなく、何時それが発動するのかはわからない。
今回のように日常生活の中で突然発動することもあれば、夜の睡眠中に発動することもある。
能力を得た当初は何時発動するかわからない能力に、少々憔悴していた時期もあったが、
慣れた今となっては驚きこそはあるものの、それが何時までも尾を引くようなことはなく、
冷静に超能力が見せた情報を吟味できるようになっていた。


にしても、あそこまで生々しく鮮明な運命を見たのは何時以来のことだろうか。
もしかしたら、初めて運命を見た時に匹敵するかもしれない。
今でも夢に見ることがある。妹が、フランドールが血まみれになったあの光景に。


――――そのようなことはさほど重要ではない。問題なのは、今回見た運命の内容だ。


運命の中に出てきた者達。出てきた人物は計3人。
一人は白髪の男。この男については、何者なのかは見当もつかない。
あのような狂った笑いをする知り合いなど、自身の記憶の中には存在しない。
むしろ、いて堪るものか。狂人とお近づきになるのはこちらから願い下げである。


二人目の少女は……こちらは先ず置いておこう。
この少女のことを考えるのは後回しにした方がいい。


問題は三人目の少女。
あの少女には心当たりがある。ありすぎると言ってもいい。
何故ならば、その少女の姿を直に見たばかりだったのだから。
茶色がかったショートヘアー。常盤台中学の学生服。あの姿は『超電磁砲』に間違いない。


その『超電磁砲』が、どのような理由であの場所に立つことになったのか。
あの白髪の男との関係は。何故その男と戦うようなことになったのか。
そして地に伏していた少女――――彼女が何故、『超電磁砲と瓜二つ』だったのか。


どんなに頭を捻っても、納得のいく答えを出すどころか、その切欠さえ掴むことができない。
『運命観察』が見せるのは『結果』だ。それに至るまでの『過程』は想像するしかない。
しかし想像するにしても、あの運命はあまりにも不可解であり、過程を知るには自身の想像力では限界だった。
白髪の男はまだしも、問題は『超電磁砲』と瓜二つの少女。あの少女は、一体如何なる存在なのか。


ただ似ているだけの他人? 
それにしては似通いすぎている。双子なのではないかと思えるほどに。


ならば『超電磁砲』の双子? 
そんな話は聞いたこともない。それが本当なら、噂の1つでも立ちそうなものだ。


だとすると、考えられるのは――――



そこまで考えたところで、レミリアはそれ以上の思考を放棄した。
頭の中に湧き出そうになった1つの回答。それを知覚してしまうのを拒否したのである。
深入りしすぎると碌な事にならないような気がする――――
それは雑誌記者として働く中で身につけた、一種の感のようなものだった。


ただ、1つだけ理解してしまったことがある。
理解するも何も、あの映像が全てを物語っているのだが。
それは、運命の結末。『超電磁砲』の最期。
白髪の男により少女の命が散らされるという、残酷な未来。
レミリアがそれを見たことで、『超電磁砲』の破滅は確定してしまった。


しかしその事実に、当人の内心は驚くほどに穏やかであった。
人一人が死ぬというのに、それに対する感慨は微塵も起こらないのである。
これも偏に、運命を見ることに慣れてしまったからだろう。
自身が見た運命は変えられない。それは今までの経験の中で裏付けされた確固たる事実。
それを覆すなど不可能。しようとするだけ、労力の無駄というものだ。


それはある種の諦観とも言えるかもしれない。
過去に於いては、認めたくない運命に対して何度も反逆したものだが、今となってはその気概など無くなってしまった。
超能力の発動によって一方的に突きつけられる運命を、ただそのまま受け入れる。
そんな風になってしまってから、一体どれだけの時間が経ったのか。
今となっては知ることはできないし、知ったとしても詮のないことだった。


だからレミリアは、『超電磁砲』が死んでしまう運命を見たとしても特に何かをしようとは思わない。
一人の少女の行く末を、ただ憐憫の情を抱きながら傍観する。ただそれだけだ。
1つだけ心残りがあるとするならば、『超電磁砲』に対して最期のインタビューができなかったことだが、
それも仕方のないことだと諦め、彼女は目的を果たさぬまま帰途に着いた。





しかし彼女の中の常識は、数ヶ月後あっけなく覆されることになる。
『超電磁砲の生存』という形で。






     *     *     *






レミリア(――――まさか、いや、そんな……!?)



ほんの一瞬にも満たない回顧。
嘗て起きた、自身の常識を粉々に打ち砕き、そして一筋の光明を見せた出来事。
その回想の中で、レミリアは1つの可能性に辿り着いた。


――――もしや、この男がそうだというのか。


この男が、死に往く結末にあった少女の運命を――――己の力を打ち崩したというのか。


思い返せば、予兆らしきものはあった。それも数日前のことだったはずだ。
イギリス清教のシスター、インデックスが自身の住み家に訪れるという運命。
自分はそれを見た時、彼女を立ち入らせないために一計を立てた。


そして、その計略は成功した。
シスターは従者に言いくるめられ、館に立ち入ることなく帰途に着いた。


しかし、それで終わりだっただろうか?
何の憂いもなく、その出来事は結末を迎えたか?


――――否。その夜、己の従者が口にしていたはずだ。


シスターの付き添いで来た男。


そうだ。見た運命の中にそんな男の姿は影も形もなかった。だから男はその場に存在しないはずなのだ。
しかし、自分はその男のことを『能力の範囲外に位置する存在』として放置した。してしまった。


何故そんなことをしてしまったのか?
それは、自分自身の力に疑問を抱いていたからだ。信じきることができなかったからだ。


起きるはずのない『運命の回避』。
一年前のあの時から、自分は能力が見せる運命に対し懐疑的になっていた。
意識していたわけではないが、知らず知らずのうちに『運命』を一歩退いた視点から見るようになっていた。
それまで『運命とは絶対不可避なものである』と頑なに信じていたことの反動だろう。
一度自分を裏切ったものに、再び全幅の信頼を寄せるなどできるはずもない。
だから自分はその異常を、最も注目しなければならない情報を『ただの誤差』として認識してしまった。


――――根本からして、自分は間違えていたのだ。
『運命』は常にこの世の行く末を示し、そしてそれは必ず起こる。
『運命』が見せる未来が、訪れないことはあり得ない。


だがもし、万が一『運命』が外れることがあったとしたら。
それは自身の能力に因る『ただの誤差』等では決してない。
『運命』を無理矢理ねじ曲げるような存在が現れたということなのだ。
絶対的なモノに抗う英雄のような、そんな規格外の存在が。


そして今目の前に、それを可能とする男が居る。


レミリア「何故っ、今になって――――」



レミリアがその事実を認識した時、先ず心の内に沸き上がったのは泥濘に囚われたかのようなやるせなさ。
次いで沸き上がったのは、心の臓に絡みつき、嘗め回すかのような怒りの炎。


何故7年前に、自分の前に現れてくれなかったのか。
もしそうであったなら、フランドールが人を傷付けることも無かったはずなのに。
自身に宿った力を恐れ、自身の内に篭もることもなかったはずなのに。


予兆を感じていながらも、それに気づいた時には既に手遅れだった。
事の顛末を知ったのは、妹が運び込まれた病院で『警備員』から説明を受けた時。
『予兆』と『現実』が一つの線で繋がった時、レミリアはその場で崩れ落ちそうになり。
しかし、自身がもつスカーレット家としての矜持故にそれはできなかった。


あの時ほど、己の愚行を後悔したことはない。
あの時ほど、己の無力を呪ったことはない。
心に傷を負い、部屋に閉じこもった妹に対し何もできなかった。
身内の一人、唯一の肉親すら守れないなど、一家の当主として唾棄すべき事。
だからこそ、レミリアは壊れかけた妹を守るために『ありとあらゆる手を尽くした』のだ。


だがこの男の存在を知った今となっては、そんな不幸も陳腐なものに思えてしまう。
お前の不幸など、取るに足らないモノだと。
その不幸を打開しようとした労力の悉くが無意味であると。
目の前に突きつけられているように感じてしまう。
突然降って湧いた理不尽に、レミリアは怒りを抑えることができなかった。


しかし、それ以上に許せないのは。
『自分達の不幸を打破するであっただろう存在が、自分達を絶望の底に叩き落とそうとしていること』だろう。
自分達を救えたはずの存在が、自分達の敵として立ちふさがっている。
その事実を前に、彼女の理性は瞬く間に焼き切れた。


レミリア「お前がっ、お前がぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」



レミリアは激昂する。
最早彼女に心の内には、目の前の男を欠片も残さず排除することしかなくなっていた。


本当ならば、自分達を弄ぶ『神』と呼ばれる存在に対してこの憎悪をぶつけたい。
だがそんなことができない以上、抑制できない彼女の怒りは何処かに矛先を変えるしかない。
ならば、その向く先が『彼女にとっての理不尽そのもの』である目の前の男――――
上条当麻になるのは当然の帰結である。

今日はここまで
上条さん、面識もない幼女(吸血鬼もどき)に八つ当たりされるの巻


質問・感想があればどうぞ

ここからの戦闘描写ではニーアのVS魔王の時の曲でも脳内再生してみるか

>>671
BADEND確定じゃないですかやだー!!!


これから投下を開始します






     *     *     *






上条「……っ!」



当麻は怒りに吠えるレミリアの姿を、少しばかり手で遮りながら見る。


レミリアから向けられていた敵意。
それが明確な殺意へと変わった瞬間、『威圧』と呼ばれるものが風のように押し寄せてきた。
その表現は比喩では非ず。実際に突風が吹いたかのように、彼のYシャツは大きくはためく。
砂埃は吹き上がり、壊れた噴水から吹き出た水は何処かへと吹き飛ばされていった。


まるで台風の最中にいるかのようだ。
膨大な魔力は、ただ存在するだけで世界に大きな影響を及ぼすらしい。
その原理を当麻は詳しく知らない。知ったところでどうとなるわけでもない。
何よりその事実は今に於いて、さして重要なことではない。
『レミリア・スカーレットが、明確な形で自身に敵対した』。
重要なのはその一点のみである。


レミリア「が、アアあぁぁぁぁァァァァァーーーーッッッ!!!」



ブシッ! ブシュッ!



彼女の肉体から水漏れのように血が吹き出る。頭から。腕から。脇腹から。脹ら脛から。
ありとあらゆる部位から余すことなく噴出し、既に紅く染まっていた服を更に色濃く染め上げる。
しかし、彼女の咆哮はその痛みによるものではなく、それすらも凌駕する憤怒によるもの。
本当であれば、立っていることすら苦痛であろうというのに。
それに反して、彼女の両足は根を張るかのように直立し、血が滝のように流れ落ちる体を支えていた。


レミリアが何故あれほどまでに怒っているのか。
それはおそらく、自分達が彼女の妹――――フランドールに手をだしてしまったからだろう。
彼女が何の目的で、このような事態を引き起こしてしまったのかは知らない。
もしかしたら、自分では想像もつかないようなことをしでかそうとしているのかもしれない。
だが少なくとも、妹のことでこれだけの怒りを抱けるほど『まともな感性を持っている』ことに、
当麻は少なからずの安堵の感情を抱いていた。


上条(吸血鬼とか言ってるけど、やっぱり人と同じじゃないか)



当麻その事実を再確認する。
例え人ならざる存在に墜ちかけようとも、レミリアもフランドールも心は人なのだ。
他者の心を解し、他者のために動くことができる『普通の人間』。
それならば、彼が歩みを止めることは決してない。


嘗て一人の『魔神(しょうじょ)』を助けようとした時と同じように。
例え彼等が人ならざるものであったとしても。救いの手を差し伸べない理由にはなりはしない。



パチュリー「ケホッ! っ、すごい土埃……落ち落ち寝てもいられないわ」

上条「!」



背後を見やると、パチュリーが体をふらつかせながら起き上がるのが見て取れた。


月の意匠が施された帽子は、レミリアから発せられた突風のためか何処かへと飛ばされており、
露わになった紫の頭髪も同じく突風でかき乱されてしまっている。
均整の取れた顔は少々青ざめており、未だ体が不調であるということが明白だった。
しかしその眼は未だ衰えてはおらず、おそらく今立ち上がることができているのは気力のみによるものなのだろう。


当麻はその姿を見て、思わず心配の言葉を彼女にかける。


上条「パチュリー、起きて大丈夫なのか!?」

パチュリー「こんな状況で寝ていることなんて、できるわけがないでしょう?」

パチュリー「無理にでも起きてないと、無防備のまま巻き込まれることになるわ」

パチュリー「それに任務として派遣させられた手前、一般人の貴方に全部投げ出すのはプライドが許さない」

上条「でも、そんな体で戦えるわけが……」

パチュリー「その点は心配無用よ。 貴方たちが睨み合っている間に、ある程度応急処置はしておいたわ」

パチュリー「本当の応急処置だから、大きくは動けないけど……なにもしないよりはマシでしょう」



そう口にしつつ、パチュリーは服についた埃をはたき落とし、目の前のレミリアを睨めた。
紫水晶のような瞳孔が、吸血鬼に墜ちかけている少女を捉える。
レミリアの体から放出されている魔力。濁流のようなソレを全身に受け止めながら。


パチュリー「上条当麻、もう一度だけ確認するわ」

上条「……なんだ?」

パチュリー「あの子は魔術を使って体を吸血鬼に造り替えてしまっている」

パチュリー「そして『最大主教』のオーダーは『吸血鬼製造の魔術の完全なる根絶』……僅かな痕跡も残してはならない」

パチュリー「だから私達、イギリス清教の観点からでは彼女に対する対処法は『殺害』、
もしくは『行動不能にしてからの捕縛および恒久的な拘留』しか取り得る手段はない」

パチュリー「だけど貴方にはそれ以外の――――言ってしまえば、穏便な手段を所持している……それでいいわね?」

上条「あぁ。 俺の手にあると言うよりは、それができる奴を知ってるってだけなんだけどな……」

パチュリー「オーケー、わかったわ。 それだけ聞ければ十分よ。 詳しい話は全部終わった後で聞くから」

パチュリー「その時まで私達が生きていれば、だけどね。 で、これからどうするの?」

上条「まずレミリアを何とかして落ち着かせないと……」

パチュリー「とすると、武力行使しかないわね。 話し合いでどうにかなる様子でもなさそうだし」

上条「だよな……」


上条を荒ぶる少女の姿を見て、内心溜息を漏らす。
手の内の策を実行するにも、先にこの場を治めてからでないとどうにもならない。
すなわち、レミリアを平静に戻すのが最優先の事柄であると言える。


しかし彼女の激昂を見るに、話し合いどころか言葉に耳も貸してくれなさそうだ。
こちらへの返答の代わりとして、握り拳が飛んできそうですらある。平和的解決というものは望めそうにない。
となると自分達の残された手段は、やはり一つしかない。



上条「パチュリー、レミリアの奴ってどれだけ強いんだ?」

パチュリー「とりあえず、桁外れの筋力とそれに付随する俊敏性ってところかしら?」

パチュリー「踏みしめるだけで地面をたたき割り、眼で追うのが難しいくらい素早いわ」

パチュリー「魔術の心得もあるみたいだけど、リスクがあるから早々使わないと思うわね」

上条「……そうか、わかった」

パチュリー「驚かないのね?」

上条「不幸なことに、そういう奴等とは何度もやり合ってきてるからな。 もう慣れたさ」

パチュリー「……ご愁傷様ね」


何でもないことかのように言う当麻を見て、パチュリーは肩を竦めた。


『聖人』だの『魔神』だの、人外とも言えるような輩と拳を交えてきた彼にとって、
『少しばかり力があって素早い』相手など、最早慣れたものだ。
『理解できる』という時点で、脅威の部類からは大凡外れるものと言える。
彼が相手にしてきた存在とは、それほどにまで常識とはかけ離れたものだった。


だが、それを理由にレミリア・スカーレットを舐めるようなことは決してしない。
上条当麻が立ち向かうのは『力』に非ず。相手の存在意義とも言える『信念』なのだから。



上条「パチュリー、辛いだろうけどサポートを頼む」

パチュリー「了解。 でもさっきも言ったけど、今の私にできることは限られるわ」

上条「大丈夫だ。 タイミングは任せる」



当麻はその言葉を最後に、悠然とした足取りでレミリアの方へと歩んでいった。
その足取りには怯えは見られない。両手を固く握りしめ、目の前の少女を見据える。


レミリア「はっ、ぐっ……話し合いは終わったか?」



ぞわりと、底冷えをするような声でレミリアは当麻に言葉を投げる。


血液で顔面にへばり付いた青髪。その隙間から覗く眼孔。
口から剥き出しになった犬歯は異様なほど長くなっており、その表情と相まって猛獣のような印象を受ける。
全身に生じた裂傷とそこから滴る血液。それらに彩られた彼女はもはや、動く死体と表現しても過言ではない。
しかしその姿に反して、彼女から感じられる生気はあまりにも濃密に過ぎる。
魔力による突風はいつの間にか収まっていたが、その代わり眼に見えない圧迫感が一帯を支配していた。



レミリア「そうだ、お前のせいだ……お前さえ居なくなれば……」



片手で頭を抑えつつ、レミリアはぶつぶつと何かを呟く。
その様子は、どう見ても正気を失っているようにしか見えない。
彼女から向けられる殺気は収まることを知らず、当麻の肌に突き刺さる。


数秒ほどの静寂。嵐の中の一瞬の静けさ。
しかしそのことを当麻が感じることはできなかった。
それはあまりにも細事なもので、そしてなにより脆すぎた。



レミリア「お前が……お前がァァァァッッッ!!!」



レミリアはぎょろりと真紅の眼球を当麻に向けて。悪鬼のような表情をその顔に浮かべて。
そして堰を切ったかのような叫びと共に、彼に対して飛びかかった。

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その速さ足るや、10mは離れていた二者の距離を言葉通り『一瞬で』詰めるほど。
一連の流れを見た者がいるならば、その者は『瞬きする間に移動していた』と評価するかもしれない。
それは正しく弾丸。そんな速さで向かってきた存在に対し、直ぐに反応できる者などいるはずもない。
できるとするならば、それは弾丸となった本人だけだろう



ブォンッ!



人間砲弾となったレミリアは眼前の少年に対し、その腕を振り上げる。


少女に相応しい、すらりとした華奢な右腕。
戦う手段としてはあまりにも頼りなさ過ぎるように見えるそれは、
その身に刻まれた刻印の恩恵により、人の頭蓋をも粉砕しうる凶器と化す。
人を遥かに凌駕する、吸血鬼の筋力により生み出されるスピード。
そして、それにより生み出される破壊力は相当なものだ。


人体の大部分を占めている物質は水である。
そして水は高速で叩きつけられた時、コンクリートにも匹敵する硬度を持つようになると言われている。
『血袋』とも揶揄される人体の一部を高速でぶつけられたとしたならば、
その衝撃は如何ほどのものなのか。想像に難くはない。



上条「――――!!!」



そんな迫り来る棒状の血袋を、当麻は事前に知っていたかのように避けた。
半身ほどその身を右にずらし、レミリアの突撃と右腕による攻撃を躱す。
風切り音と共に、彼がいた場所を少女の体が通り抜けていった。


上条当麻が持つ特技、『前兆の感知』。
相手の僅かな筋肉の動きから、先に起こすであろう行動を予測する技術。
未来予知にも匹敵する判断力は、怪物同士の戦場でも渡り合える存在へと彼を押し上げる。
しかしその技術を持ってしても、心中は穏やかにはならない。


当麻(っ! 速い!)



前兆を察知してから、彼の肉体が動き始めるまでには僅かな間がある。
それは彼が人である以上、どうしても生じてしまう隙。
レミリアがその隙を突く速さで襲いかかってきたならば為す術はない。
相手の行動を読めたとしても、避けられなければ意味がないのだ。


しかし幸いのことに、レミリアの速さは彼の察知能力と動作速度の許容に収まるものであった。
だが安心はできない。対応できたにはできたが、余裕は殆ど無いと言ってもよい。
一瞬でも判断に遅れたならば、攻撃を躱せずに直撃してしまうだろう。
その先に待つのは、逃れようもない『死』のみだ。


ぞわぁっ!

上条「!?」



突進を避けたことを確認する間もなく、当麻の背筋を強烈な悪寒が走り抜ける。
そして直感に従うまま、彼はその場からできるだけ遠くへと全力で飛び退いた。
レミリアが反転し、再び襲いかかってきたのだ。
当麻に攻撃を躱されてから地面に足を着き、再び彼に飛びかかるまでにかかった時間は1秒足らず。
あまりにも速すぎる突撃の再来に、当麻は内心で冷や汗を流す。


後方に勢いよく体勢を崩した結果、半ば背面跳びのような形となるが、
持ち前のバランス感覚で体の位置を矯正し、危なげなく着地する。
しかし、そのことに安堵する余裕はない。これから彼は、
この曲芸師のような所業を何度も繰り返さなければならないのだから。


レミリア「がァッ!!!」



三度目の突進。
鋭い声と共に、今までよりも更に勢いを増して襲い来る野獣。
当麻はそれを視認するより先に、音のみを頼りにしてレミリアの強襲を察知し、
彼女の攻撃から身を遠ざける最善の行動を弾き出し実行する。
小柄な体から生み出される風圧が、彼の髪をがむしゃらにかき乱した。



当麻「っ!」



避けると同時、当麻は背後を振り向く。しかし、そこには既にレミリアの姿は無く。
彼の目に映ったのは、捲れ上がった地面が宙を舞う光景のみであった。少女の姿は影も形も残されていない。
明らかに、初撃よりも速度が増している。もはや確認する暇すらない。



上条(拙い、見失っ――――)

「後ろだ、餓鬼が」



周りを見渡す間もなく、背後から聞こえてくる死神の声。
首筋の舐めとるような怖じ気を振り切り、声の方向を見やったその先には。
硬い握り拳を造り、腕を大きく振りかぶるレミリアの姿があった。


レミリア「死ね――――」

「U A M S(水の精霊よ、数多の壁となれ!)」



少女の拳が当麻の顔面に振り下ろされるその瞬間、女の声が辺りに響き渡り、
二人の間を遮るように、当麻を護るようにして水の柱が吹き上がる。
目下から突き出す水流を視認したレミリアは、その身を翻してそれを躱した。


空に打ち上げられた水は辺り一面に降り注ぎ、地面を泥にして跳ね上げる。
全身に冷水を被った当麻は、それを気にすることなく水柱の影に隠れた。
周囲を見渡し、レミリアの姿を再びその眼に捉える。



レミリア「邪魔をするなぁッ! パチュリー・ノーレッジ!」



レミリアは自身の邪魔をしたパチュリーに怒声を浴びせていた。
怒りのあまりか、当麻の方には完全に気が向いていない。
周囲には水柱が節操なく乱立しており、その身の一部を振りまいている。
視界は最悪。集中豪雨にも似たこの状況では、件の魔術師を見つけることは叶わない。
おそらくパチュリーは、この場所から離れた場所で魔術を行使しているのだろう。


パチュリー『上条当麻、私からの援護はこれが精一杯よ』



どこからともなく、パチュリーの声が聞こえてくる。
土砂降りにも関わらず耳元で囁かれているような、妙にはっきりした声だ。



パチュリー『ありったけの魔力をつぎ込んだわ。 これならしばらくの間は持続するはずよ』

パチュリー『その代わり魔力を使い切ったから、これ以上手助けすることはできないけど……』

パチュリー『ついでに簡易的な聖水式の術式を施しておいたわ。 本当に僅かだけど、その水には聖なる力が宿っている』

パチュリー『本来は自軍の補助のために使う物だけど、『幻想殺し』を持つ貴方には無意味ね』

パチュリー『でも、吸血鬼になりかけているあの子には有効の筈。 私達が知るあの吸血鬼なら、だけどね……』

パチュリー『傷を与える程の効果はないわ。 でも、動きを縛る程度ならできる筈よ』


確かに言葉通り、レミリアの様子を見ると体の動きが鈍くなっているように見える。
未だにパチュリーの姿を探しているが、その動作にキレがない。全身に重石を着けられたかのように緩慢だ。


パチュリーの思惑通りになったことを喜ぶべきか。
それとも吸血鬼に一刻一刻と近づいているレミリアに焦燥を抱くべきか。


ざあざあと降りしきる雨の中を当麻は駆け出す。
レミリアに気づかれないように気配を消しながら。
激しい雨足と雨音のおかげか、近寄るのは容易であった。
彼女が平静を失っていたことも大きいだろう。未だにあり得ない程の殺気をまき散らし続けている。
彼女は敵に対する攻撃の躊躇が一切なくなる代わりに、思考が一つに固定化されやすくなっていた。
故にパチュリーに怒りが向いている間は、彼女はパチュリーのことしか考えることができない。
彼女の思考が逸らされるのは他者による干渉があって初めて起こる。



上条「らあぁぁっ!!!」



レミリアの背後から、当麻は雄叫びを上げて彼女に目掛けて両手で握り固めた拳を叩き込む。
狙うは後頭部。正確無比に、全霊を込めて殴り抜いた。

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ズガッ!!!

レミリア「っ!? がっ……!」



鈍い音と共に、レミリアは前に大きくよろめく。
一回りも体が大きい男の拳をまともに受けたのだ。普通であれば地面に倒れ込んでもおかしくはない。
しかし彼女は片足を前に踏み出し、衝撃に耐える。よろめきは見られず、意識の混濁もないようだ。



上条(あまり、効いてない!?)



全力で殴ったにも関わらず、よろめく程度に終わったその事実に当麻は驚愕する。
生身の体であれだけの眼に止まらぬ高速移動を行うのだ。
それに耐えられるような体になっているのは当然と言える。
しかし話に聞いていたとはいえ、実際に目の当たりにすると驚きを隠せない。


この事実は、当麻にとってかなりの問題だ。
言うまでもなく、彼の主な攻撃方法は四肢を使った近接格闘であり、それ以外の方法は持ち合わせていない。
肉弾戦が不利と言うことは、それはそのまま戦局自体が不利ということである。
パチュリーの補助があるとはいえ、この事実を覆すのは如何ともし難いだろう。


一方、その容姿に似合わない頑丈さでもって奇襲を凌いだレミリアは、
敵意の方向を背後にいる少年に切り替え、憎悪の感情を滾らせながら振り向き様に反撃を試みた。
振り返りの遠心力を加えた、鋭い拳が放たれようとする。



上条「っ!」

バキィッ!!!

レミリア「ごっ――――!?!?!?」



だがそれを予期した当麻は、追撃としてレミリアの振り向きに合わせて更に拳をお見舞いする。
フックを効かせたパンチがレミリアの頬に突き刺さり、皮膚と皮膚、骨と骨が衝突した時の凄惨の音が木霊した。
顎部に加えられた衝撃が彼女の脳を揺さぶる。歯が何本か折れ、口から飛び散っていく。


だがその程の衝撃にも関わらず、レミリアの両眼はしっかりと相手の姿を捉えていた。


ズドッ!

上条「ぐ、ぁ――――!?」



唐突に体を走り抜ける衝撃。そして遅れてやってくる耐え難い痛み。
レミリアの足が当麻の胴体、正確には肋骨部分に直撃していた。
『只ではやられない』。その意志をのせたレミリアの右足は、当麻の体に鈍重な衝撃を送り込む。
ミシミシと体が軋む。肺の中の空気が無理矢理押し出される。
酸欠で意識が遠のき、視界がストロボのように点滅する。


互いに攻撃を食らい合った2人は、弾かれるようにして逆方向に吹き飛ばされた。



どしゃっ!

上条「ぐぁっ!」

レミリア「づっ!」



泥を大きく撥ね飛ばしながら、二人はそれぞれ勢いよく墜落した。
当麻は白のYシャツが。レミリアは紅みがかったスカートが。
土の茶色によりべっとりと汚れ、斑模様を呈していた。


一見、同じような状況立たされているように見える二人。
しかしその身に受けた傷には歴然とした差がある。
無論、傷の大きさは当麻の方が上だ。聖水の雨で弱体化されているとはいえ、
吸血鬼の肉体から繰り出される蹴りは、鍛えられた人間のそれを軽く凌駕する。
本来であれば肋骨は粉砕され、それらが心臓に突き刺さり即死していた。
故に、『骨に罅が入る程度』で済んだのは幸運と言えるだろう。


脇腹に捻子を数十本ねじ込まれたかのような激痛を耐え、当麻は四つん這いから体を起こして立ち上がる。
本当であれば激痛に悶絶して直ぐには動けないはずだが、それを彼は圧倒的な精神力で押さえ込んだ。
過去に腕を切断したこともあるのだ。この程度の痛みなど、最早慣れている。


一方のレミリアも、おぼつかない足取りで立ち上がろうとしていた。
当麻を睨もうとしているが、彼女の眼の焦点は明らかに定まっていない。
顎の強打によって脳が揺さぶられ、平衡感覚を狂わされているのだ。
如何に体が頑丈でも、流石に脳はそうも行かないらしい。
今彼女の視界は、さぞグロッキーなことになっているのだろう。
だがそれでも、彼女からあふれ出る闘志は留まることを知らない。



レミリア「やるじゃ、ないか。 吸血鬼である私にここまで縋り付くなんてね」

上条「そりゃどうも。 でもパチュリーの援護がなかったら、こうはなってないさ」

レミリア「だろうな。 動き難いったらありゃしない。 お前の攻撃も躱せずに殴り飛ばされることにもなっている」

上条「俺としては穏便に話し合いで解決したいんだけどな……降参してくれないか?」

レミリア「……ふん、お断りだ」


レミリアは当麻の言葉を一笑すると、自らの魔力を右腕に集中させた。
紅電が迸り、バチバチという音と共に真紅の槍が具現する。
それと同時に彼女の体から血が吹き出るが、その傷は直ぐさま消え去り止血された。


ざりっと左足を前に出し、腰を低くする。右手で槍を握りしめ、左手はただ柄に添えるだけ。
その姿はお世辞にも、槍術を学んだ者の構えには到底及ばない。
しかしその一方で、人が編み出した術には存在し得ない『獣のような雰囲気』を感じさせる。



レミリア「パチュリーが施した『人払い』の結界。 その中にどうやってお前が入ってきたのか、未だに分からないが……」

レミリア「今となってはお前が何者かなんて、最早『どうでも良いことだ』」



ぽつりと獣は呟く。
少しばかり前のめりになり、槍を握る手に力が籠もる。
その力に呼応するかのように、槍は鈍い光りを明滅する。


レミリア「お前は私の障害物。 それ以上でもそれ以下でもない」



獣の気配が濃密になる。
彼女の周囲がぐにゃりと歪んだように見えたが、それは錯覚だ。
しかしそう錯覚してしまうほど、彼女の気迫は凄まじい。



レミリア「邪魔者は排除するだけ。 それ以外に、理由なんていらない」



空気が悲鳴を上げている。キリキリと金切り声を上げている。
それは間違いなく幻聴であるが、本当に聞こえたかのように当麻の鼓膜にへばりついて離れない。
ザワザワと寒気を感じ、勝手に冷や汗が吹き出して彼の体を濡らす。



レミリア「お前を殺して、パチュリーを殺して、フランに手をかけた奴も殺して……全員皆殺しにして仕舞いだ!」


ドンッ!と、地面が爆ぜた。


愚直な直進。だがそれ故に最速。
只ひたすら前に進むために解き放たれた脚力は、一分も余すことなく地へと突き刺さり、
そのエネルギー全てが前方への推進力へと変換される。
得物を手に持ちながらも、その速さは先ほどに勝るとも劣らない。
レミリアは風のように流れていく背景を気にも留めず、目の前にいる少年のみを直視する。


風よりも速い突撃から繰り出される刺突。
迷いが一切含まれないその一撃は、岩石をも容易く貫く魔の一刺しへと成り果てる。
刺し貫かれた部分には、歪みのない真円の穴が刻みつけられるだろう。


無論、それを只呆然と見ている上条当麻ではない。
彼は1秒にも満たないその間、レミリアの動きを察知して行動に移した。
レミリアの突撃に対し、その射線から『僅かに右へとずれる』。
レミリアからつかず離れずの微妙な距離。その行動の意図明らかに回避ではない。
彼女の俊敏性は脅威だ。一度目を外してしまえば、再び眼で捉えることは難しい。
それならば。眼で捉えられている今にのみ反攻の機が存在する。


上条「……っ!」



当麻は右手の拳を握りしめる。彼にとっての唯一、且つ最大の武器。
それをカウンターでレミリアに叩き込むことこそが、彼がとるべき最善の策。
愚直な直進に対して間を合わせることなど、彼にとっては難しいことではない。
眼の前の危険に自ら身を差し出すことなどいつものことである。
故にその策は、彼にとっては失敗する要素のないものだ。


――――しかしそれは、相手の意図が彼の思う通りのものであったらの話であるが。



ズガッ!



不意に何かが砕けるような、小さな音が聞こえた。
見やると、レミリアの槍が地面に突き刺さっている。
正しく表現するならば、『レミリアが地面に槍を突き立てている』。
当麻の場所から5メートルほどの地点。そこで彼女は自身の槍をバネにして、棒高跳びの要領で飛び上がった。


上条「なっ!?」



見上げる当麻を置き去りにして宙に舞った彼女はぐんぐんとその高度を上げ、
降りかかる雨の中を突き抜けて、最終的には10階建てのビルの高さまで達する。
紅い月光によって薄く紅色に染まった夜空を背に、水濡れの地上を、そして上条当麻を俯瞰した。
片手に握る槍を肩より少し上に持ち上げ、体を大きく後ろに撓らせる。
その構えから連想できる次の行動はただ一つ。


上条当麻はそれを予見し、大地に突き穿たれようとする槍を回避しようと行動しようとし――――



パチュリー『避けては駄目! 防ぎなさい!』



耳元に響いたパチュリーの叫びを聞いて、行動を修正しようとした刹那にそれは起こった。


突如、目の前に広がる極光。
それは当麻が眼を覆う間もなく収まり、次に見えたのはあり得ないほどの大きさにまで肥大した真紅の槍。
物理的に大きくなったわけではない。先ほどの膨大な光がレミリアの槍に収束し、
それでも収束しきれなかった光が帯のようにしてその周囲にまとわりついている。
その光が槍を大きく見せているだけだ――――元の10倍にも、20倍にも。



上条「――――!」



当麻は咄嗟に自分の右腕を動かそうとする。
しかしそれよりも速く、レミリアの腕が、握られた紅槍が振り下ろされる。
キュンッ!と鋭い風切り音が鳴り響き、一筋の流星が当麻に降りかかった。

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ギャギギギギギギィィィッッッ!!!



金属同士が擦れ合うような、身の毛がよだつ不快な音が大気を劈く。
吸血鬼の肉体から生み出される膨大な魔力をこれでもかとぶち込み、尚かつ一点に纏めて破壊に特化させた魔槍。
それは上条当麻が持つあらゆる幻想を瞬時に食らう右手『幻想殺し』に接触するも、
その身に宿る膨大な力を支えにして消滅の運命に抵抗し、消え去らぬままに軋む音を上げながら直進を続ける。


その推進力は、当麻が全力で踏ん張ってやっと拮抗できる程度の力。
一瞬でも気を許せば、圧し負けて胴体を容易く貫かれてしまうであろう。
しかも推進力は一向に衰える気配を見せず、今尚目の前の獲物に食らいつこうと迫る。
このままの状態が続けば、当麻の方が先に力尽きるのは明白。
その証拠に、足が地面を掘り返しながらズリズリと後ろへと押し込まれていた。


上条「ぐ、あぁぁぁああああっっっ!!!」



力押しでは防げないと悟った当麻は、『防ぐ』のではなく『逸らす』事に意識を向けた。
手の平に突き刺さらんとする槍。それに乗せられた自分に向かうベクトルを、自分から逸れるように力を与える。



バギュインッ! 



すると硝子が砕けるような音と共に、槍は手の平を弾かれて当麻の右へと逸れていった。
ドゴン!という鈍い音を立てて槍が地面へと突き刺さり、砕かれた地面が瓦礫となって周囲に襲いかかる。
当麻はその石礫を払いのけながら、先ほどの槍のことを考察した。


『幻想殺し』のおかげで威力が削がれていたから良かったものの、
もしも力が削がれずに直接地に突き刺さっていたとしたらどうなっていたことか。
もしかしたら、着弾した場所を中心にクレーターができていたかもしれない。
そしてその爆発に巻き込まれて、自身は無惨な死体を晒していたかもしれない。
パチュリーが自身に『回避』ではなく、『防御』を選択させた理由を彼は今理解した。



レミリア(防いだだと!?)



一方上空にいるレミリアは、自身の槍を正面から防がれたことに眼を見開いていた。


あの槍にはパチュリーに対して使った量の、倍以上の魔力が込められている。
それ故に、着弾した時にもたらされる破壊力は先ほどの比ではない。
彼女としては公園の全域を更地にするつもりで放ったのだが、
その意図に反して起こったのは、大幅に威力を削がれ地面を僅かに砕くという結果のみ。


小型ミサイル級の威力を持つ力の塊を、真っ向から防いだというその事実。
一体目の前の男は何者なのか。それを考えたところで、回答に辿り着けるわけがない。
二人は初対面であり、何も語ることなく戦っているのだから。
レミリアは目の前の男について『敵である』ということしか知らない。


だからレミリアは、『上条当麻』という存在について、あれこれと推察することを放棄した。
思考の泥沼に嵌ってしまったら最後、悪循環に陥って平静を失ってしまう。
戦いの最中で他のことに気をとられてしまうのは命取りである。


『あの男はこちらの全力を真っ向から受け止める力を有している』。今重要なのはその事実のみ。
それならば、別の方向から責め立てるだけだ。


レミリアの体から重力に逆らう力が失われ、自由落下を始める。
その僅かな間に、彼女は再び手の中に自身の得物を生み出した。
姿形は一緒だが、その中身は全くの別物。『当たれば相手を貫ける程度』の魔力を込めた簡易なものである。
それを強く握りしめ、当麻に向かって素早い身のこなしで放り投げた。



上条「!」



バキィン!



レミリアの行動に気づいた当麻が咄嗟にかざした右手。
その手に寸分違わず直撃し、破砕音と共に槍は霧散した。


『逸らされる』のではなく『かき消される』。
その結果の差異を生み出したのは、槍に込めた魔力の違いによるものだとレミリアは気づく。
小さな魔力を込めた槍では容易く打ち消され、多くの魔力を込めた槍では拮抗するものの弾かれる。
何とも厄介な力だ。単発の攻撃ではあの不可思議な力を突破するのは難しい。
だが勝機は見えている。あの力はどうやら手だけにしか効果を及ぼさないらしい。
全身を包んでいるのであれば、わざわざ手をかざす必要など無いのだから。


それならば、自分がとるべき戦術は――――


レミリア(――――数で責める!)



レミリアは再び槍をその手に生み出す。
先ほどの槍を右手に3本、左手に3本。計6本の真紅の槍。
それを当麻に目掛けて、『一度に全部投げ飛ばした』。


神速で迫る6本の尖槍。
当麻は心臓の鼓動が一瞬不安定になるのを感じながら、その光景を見据える。


自分に当たらないものはどれか。
自身の身のこなしで避けられるものはどれか。
右手で打ち消さなければならないものはどれか。


その3つの事柄を瞬時に思考し、正答を導き出した。


当たるのは6本中3本。内1本は確実に回避可能。
残り2本については、その内のどちらか1本を打ち消す必要がある。
始めに動く方向は左側前方。飛び込みながら体を捻り、腹部を狙う1本目を回避。
頭部に目掛けてくる次の1本は、首を右に捻って回避。
胸部に迫る最後の1本は予め右手をかざして破壊する。


自身が生き残るために必要な動作。それを正確無比に実行する。



ドゴンッ! ズサァッ! バギンッ!

上条「ぐっ!」



果たして、上条当麻はその命を繋ぎ止めた。
しかし無茶な動作が祟って体の節々が痛み、碌に着地もできなかったために膝や肘に擦り傷が生じている。
そして何より槍自体は避けたものの、槍のよる地面破壊から生み出された数多の石礫は避けきることはできず、
それによって全身をくまなく叩かれる結果となった。


全身に走る痛み。しかしそれにかまけている時間はない。
上空を見ると既にレミリアは次弾を用意し、投擲を行う寸前であった。


レミリア「そらそらァッ!」

上条「クソッ!」



ズドンッ! ボゴッ! バキィンッ! バガンッ!



豪雨と剛槍が降り注ぐ。
その中で当麻は全力で走って回避し、避けられない槍を片っ端から右腕で叩き落としていく。
だが多勢に無勢。右手1つでは全てを捌ききることができるはずも無く。
1本、また1本と彼の体には切創が刻みつけられ、血が服に滲んでいった。



レミリア「チッ、ちょこまかと……!」



レミリアは絶技とも呼べる身体能力で回避を続ける当麻に舌打ちしつつ、地面へと降り立つ。
そして今度は自身の背丈よりも5倍も長い槍を生成し、その槍を無造作に当麻目掛けて振り下ろした。


上段からの振り下ろし――――当麻は真横に跳び、ズバン!と槍は地を叩く。


下段からの切り上げ――――当麻は背中を大きく逸らし、槍は彼の前髪を僅かに切り取る。


一端引いてからの鋭い突き――――当麻は体をくるりと回転させ、槍の上を滑るようにして避ける。



ガシッ!



レミリア「!?」



突如、彼女の手に槍を通じて異様な感覚が伝わってくる。
見やると、当麻が『左手を使って』槍を掴み取っていた。彼は掴んだ槍を、渾身の力で引き寄せる。
片方は小学生ほどの小柄な体格。もう片方は高校生男子の大柄な体格。
この両者が引き合いをすればどのような事になるのか、それは想像するまでもない。
吸血鬼の肉体を持っていたとしても、不意打ちではその力も十分には発揮できない。
よってレミリアは、大きくつんのめる形で当麻の方へと引っ張り寄せられた。


ぽーんと、半ば飛ぶような形で彼女は槍にしがみつきながら宙を舞う。
足は地を離れ、その場に留まろうと踏ん張ることもできない。槍に導かれるがままに引き寄せられていく。


そして彼女の向かう先には。
右手を強く握りしめ、こちらを睨め付ける当麻の姿が――――



上条「ッッッ、らあッ!!!」


バゴンッッッ!!!



彼の剛拳が、再び彼女の顎を捉えた。
大凡、人が出せるとは思えないような鈍い音が響き、ミシミシと彼女の顎骨を軋ませる。
その衝撃で彼女の歯は今度こそ無惨に砕け散り、異常に伸びた犬歯がへし折れて吹き飛んだ。

今日はここまで
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レミリア「――――」



当麻の強烈なアッパーカットで空へと打ち上げられたレミリアは、
体を弛緩させたまま数秒ほどゆっくりと空を舞い、やがて少し離れた場所へ頭から墜落した。
ドチャッ!という水音を聞きながら、当麻は俯せのレミリアを睨みつける。
先ほどの比ではない力で、急所である顎を殴り飛ばされたのだ。
流石に起き上がることはできないだろう――――と思った矢先。



レミリア「が、ぅ……」

当麻(マジかよ……)



常人ならば確実に意識を刈り取られているはずの一撃。
それを受けて尚、レミリアは立ち上がろうともがいていた。


驚愕。そして戦慄。
明らかに人間を超越した耐久力。これが吸血鬼というものか。
聖水の雨を被ってこれなのだ。もしパチュリーの援護無しに戦っていたとしたら、結果はどうなっていたのだろうか。
おそらくここまで有利に決着がつくことはなかっただろう。
嘗て経験した命を捨てるような戦い。それを再び繰り返すことになっていたかもしれない。



レミリア「まだ、だ……! まだ、終わって、ない……!」

上条「……いや、もう終わりだよ、レミリア。 お前は戦えない」



雨が降りしきる中、当麻は自分でも驚くほど平坦な声でそう断じた。
全身が泥水に塗れ、地べたを這いつくばっている彼女。
こちらを睨んでいるように見えるが、その眼は焦点が合っていない。
未だに気迫があるようにも思えるが、それは只の強がりにすぎない。
ズタボロになった少女に更に追い打ちをかける気には、彼は到底なれなかった。


しかし、レミリアは当麻の言葉を断じて認めようとはしない。


レミリア「戦えない!? そんなわけがないっ! まだ私には立つ足がある! 拳を作る腕がある!」

レミリア「手足の1本も引きちぎれないお前が……勝ったような口を利くなぁっ!!!」



レミリアは叫ぶ。文字通り、血反吐を吐きながら。


超能力者が魔術の行使することによる副作用。
戦闘中における幾度にも渡る魔術の使用は、吸血鬼に由来する治癒力の許容範囲を遥かに超えた損傷を彼女の肉体に齎していた。
今まで問題無く動けていたのは、肉体中を循環する魔力が吸血鬼としての治癒力を活性化させ、副作用を相殺していたからだ。
しかし当麻に殴り飛ばされた衝撃により、集中力が途切れたことで魔力の循環が停止。
それに合わせて治癒力も失われてしまい、その結果今まで無理をしていたツケを支払うことになったのである。


だから、彼女はもう戦えないのだ。
これ以上は悪戯に苦しみを引き延ばすだけだというのに。
それでも尚、彼女の瞳から憎悪の炎が消えることはなかった。


レミリア「ここで私が倒れたら、誰があの子を守るのよ!?」

レミリア「気づいた時には父も母も殺されていて、故郷には二度と帰れなくなっていたわ……」

レミリア「街の外には十字教。 街の中は魔術師である私達にとって敵の科学。 
私達に本当の安住の地なんて、この世の何処にも存在しない」

レミリア「それでも外よりは中の方が安心だったから、この街で生きていくことに決めたのよ」

レミリア「だけど敵陣の中じゃ何時、何が起こるかわからない。 次の瞬間には、街の全てが敵になるかもしれない」

レミリア「もしかしたら、私達が生きていることに気づいた奴が、この街に乗り込んでくる事だってあるかもしれない」

レミリア「そして、もしそうなってしまったら、何も知らないフランには自分の身を守ることなんて出来ない」

レミリア「只でさえ強すぎる自分の力に怯えているのに、殺し合いなんて出来るわけ無いじゃない……!」



フランドールは幼すぎたが故に、自身の両親が殺された事実を知ることはなかった。
それどころか『魔術』というものすら、彼女の記憶の中には残っていない。
つまり『スカーレット家の魔術師』と言えるのは事実上レミリア一人であり、
フランドールは魔術というものに関しては最早、一般人同然なのである。
そのことが果たして良いことなのか、それとも悪いことなのか。それはレミリアにもわからない。



もしも妹が両親の死の真実を知ったとしたら、十字教を相手に復讐しようとするだろうか。
もしも妹が一族の魔術を知っていたとしたら、自身と一緒にこの場で戦っていただろうか。


あり得たかもしれない未来。しかしそのことを考えるのは無意味だし、してはならないことだ。
フランドールから魔術を隠し、偽りの両親の死を教えたのはレミリア自身なのだから。
妹が魔術から身を守れなくなってしまったのは、他ならぬ自分の責任。
だから彼女はどんな存在が相手でも、どんな手を使ってでも無力な妹を守りきらなければならない。


それがレミリア・スカーレットの贖罪。
大切な肉親を欺いてしまった罪を償うための、彼女に残された唯一の手段だった。



レミリア「だから、あの子を護れるのは私だけ。 あの子に危害を加える奴は、神様だって許さない」

レミリア「十字教だろうが何だろうが知ったことか……誰だろうと挽き潰してやる……」

レミリア「私達に楯突けばどうなるのか、思い知らせてやるッ!」



レミリアは再び立ち上がる。目の前の敵を駆逐せんが為に。
そうしなければ、己に課せられた十字架に押し潰されてしまうから。
例えそれが自身を死地に追いやる行動であったとしても、彼女にはもう選択肢が残されていないのだ。
手足が潰れたとしても、彼女が戦いを止めることは決してないだろう。


レミリア「許さない、赦さない、ゆるさないユルサないゆるさナイユルサナイ……!」



彼女の口から呪詛のように言葉が零れ出す。
その顔は鬼の形相。視線で相手を殺せそうな程。
視界に入ったものを串刺しするかような憎悪は、その全てが目の前の人間、上条当麻へと向けられていた。


心の内から沸き上がる、圧倒的な破壊衝動。
嘗てレミリアの父も同じように破壊衝動の波に飲まれ、多くの人間を殺戮した。
このまま行けばやがて、彼女自身も破壊のみを求める怪物へと身を堕とすだろう。
彼女に刻まれた『竜の子の刻印』は、人間を吸血鬼へと昇華する代償として、
人の命を奪うことも躊躇しない残虐性を所持者に植え付ける。


人間から吸血鬼になるために支払わなければならない代償。
そしてそれは、かの『刺刑王(カズィクル・ベイ)』を生み出した原因とも言えるものなのだ。

今日はここまで
質問・感想があればどうぞ

粘るな。やっぱり納豆食ってる奴は違うな

>>738
納豆を無限に生成する妖怪の話はNG
ここのレミリアも納豆好きではありますが、
無限の納豆(アンリミテッド・ファーメント・ビーンズ)の使い手ではありませんのであしからず


これから投下を開始します


――――元々『竜の子の刻印』は、嘗てのワラキア公国の国王『ヴラド三世』が考案したものである。


当時のワラキア公国は、ルーマニアやオスマン帝国といった強国に囲まれた、不運な小国に過ぎなかった。
とりわけオスマン帝国に至っては、西欧で最大勢力の神聖ローマ帝国と拮抗するほどの力を有しており、
何時攻め入られて滅ぼされてもおかしくはない状況にあったのだ。
そんな情勢で王位へ就いたヴラド三世は、常日頃から国を護るための力を求めていた。
最早、病的と言ってもいい。オスマン帝国の人質となり、ハンガリーの謀略によって父親を殺され、
更には敵国同士の代理戦争として身内と殺し合った彼は、何者にも犯されることのない強大な力を望むに至ったのである。


しかし神聖ローマ帝国やオスマン帝国に匹敵する力など、一朝一夕で手に入るようなものではない。
兵力は兎も角、彼の二国は双方共に強大な魔術国家でもあったのだ。
神聖ローマ帝国は十字教最大派閥であるローマ正教を内包し、その恩恵を最大限に受けることが出来る。
一方オスマン帝国も多くの宗教を受け入れ、十字教、回回教、六星教などによる多種多様な魔術を有している。
正しく魔術界の双璧。もはや彼等によって行われる魔術界の覇権争いに介入するなど、自殺行為も甚だしい。
下手に干渉したが最後、あっけなく踏みつぶされることになるのは明白である。


だが、それでもヴラド三世は諦めることが出来なかった。
敵が如何に強大であったとしても、それに迎合する選択肢は彼の中には存在しない。
今まで不本意に思いながらも敵国の傀儡としてしか生きて来られなかったが為に、
国王になってまでも人形として生きることは、決して許容できることではなかったのだ。
とは言っても、正攻法では敵わないということも純然たる事実。
故にヴラド三世は、葛藤の末に外法を用いて力を得ることを選んだ。


彼が目に着けたのは、伝説上の存在である種族『吸血鬼』。
血を啜り、不死の肉体を持つと言われる怪物である。
彼等の存在については民間伝承の中でのみ語られていたものであるが、
現代とは違って当時の民間人多くはその存在を固く信じ、そして恐怖を抱いていた。
そしてそれは魔術界にも当てはまり、魔術師達は不死の肉体を持つ存在、
さらにそこから連想される、無尽蔵の魔力を持った吸血鬼の魔術師の出現を警戒していたのである。


強大な魔力を持つ魔術師。彼等を味方に出来たら、どれほど良いことだろうか。
それを実現できれば、ワラキア公国は瞬く間に列強国の仲間入りを果たすことが出来るだろう。
だが実際は、その手段を執ることなど不可能である。相手は存在するのかどうかもわからない埒外の者達だ。
魔術が生まれて数千年。未だに御伽話の域を出ない存在に遭遇する事を期待するなど、あまりにも現実的ではない。
ならば、どうするか。どのようにすれば彼等の力を借りることが出来るのか。
散々悩んだ末に彼が思いついたのが、『偶像の理論』を利用することだった。


『偶像の理論』とは、姿や役割が似ているものは互いに影響し合い、性質や状態、能力までも似てくると言うもの。
この理論を実際に使用している具体例を挙げるとするならば、『丑の刻参り』が当てはまる。
藁人形を目に似せることで双方を同調させ、藁人形に釘打ち付けることで間接的に相手を呪い殺すことが出来る。


また、十字教の信者が常に身につけている十字架も『偶像の理論』を利用したものだ。
十字架が聖なる力を宿すのは、それが神の子が処刑される際に用いられたものを模しているからである。
『十字の形』という部分だけを似せたものなので、得られる力は元の億分の一でしかない。
だがそれは裏を返せば、それ程にまで力を分割されても十二分に効果を発揮できるということを意味し、
原本の十字架がもつ膨大な力を間接的に示唆していると言えるだろう。


そして姿形を似せることでオリジナルの力を借り受けるという方法は、道具だけに当てはまるものではない。
それは生物に関しても同じであり、十字教の中ではそれを利用して破格の力を手にした者が存在する。
十字教の開祖である『神の子』に生まれつき似ていたが為に、神の力の一端をその身に授かった者達。
『聖人』と呼ばれる彼らは、奇跡とも言い切れる偶然によって何者にも揺るがされない立場へと収まった。


生物同士であったとしても、身体的特徴あるいは魔術的記号を似せることで偶像の理論を成立させることができる。
それが意味することはただ一つ。『吸血鬼に似た体を造りだせば、吸血鬼と同じような力を手に入れることができる』ということだ。
偶像の理論を利用して吸血鬼の肉体を手に入れ、それによって得られる無限に近い魔力を自国の軍力とする。
それこそが、ヴラド三世が思い描いた構想であった。


だが言葉にするのは簡単でも、実際にそれを行うには問題が山積みだ。
その中でも最たるものが、『吸血鬼がどんな存在なのか分からない』ということだろう。
『偶像の理論』を成立させるためには吸血鬼の体を模倣すればよいのだが、その『吸血鬼の体』というもの自体が謎に包まれている。
似せようにも元となるものがわからないというのに、その理論を成立させることなどできはしないのだ。


だが全くの八方塞がり、手がないというわけでもない。
吸血鬼がどのような存在なのかについては、人々の口伝の中にその答えがある。


たかが口伝と侮る無かれ。
『火のないところに煙は立たぬ』と言うように、情報には必ずその元となったものが存在する。
吸血鬼の伝承はそれこそ、中東や西欧ではそこかしこから聞こえてくるほどありふれたものだ。
大半が偽情報だろうが、それだけの数があれば幾つかは本質を突いた情報があってもおかしくはない。
そしてその情報を総括することが出来れば、もしかしたら吸血鬼の秘密を暴くことが出来るかもしれない。


その僅かな望みをかけて、ヴラド三世は行動に移した。
世界中に間諜を放ち、吸血鬼に関する情報を集めさせる。
村落に伝わる伝説から、井戸端で話されるような噂話まで余すことなく記録するよう指示した。
それに加え、ヴラド三世は間諜たちにあることを取り決めさせた。
吸血鬼の存在は魔術界、特に十字教の者達にとって危険視されている存在である。
もしもワラキア公国が吸血鬼を探していると周辺国に知られれば、
オスマン帝国だけでなく神聖ローマ帝国をも敵に回すことになりかねない。
その危険を回避するためには、間諜をワラキア公国と関係がないように偽装させ、
尚かつ行動を出来るだけ目立たせないようにしなければならない。
その問題を解決するため、間諜達に偽名として統一した名前を持たせた。


その名は『ヴォルデンベルク男爵』。
吸血鬼研究の第一人者と『設定された』一人の男。
間諜達は一人一人がヴォルデンベルク男爵となり、吸血鬼の情報を集める。
そして集められた情報は架空の存在である、ヴォルデンベルク男爵によって取り纏められるのである。
名前のみが共通している、姿形がまるで違う者達。仮に敵国がその存在に気づいたとしても、そう易々とその本質には近づけまい。
そうして始められた吸血鬼の探索は5年の歳月をかけて行われ、情報の真贋を精査した上で一冊の手記に纏められた。
その手記はワラキア公国において数少ない魔術師家系である『スカーレット家』に委ねられることになる。


スカーレット家に与えられた使命は、集められた吸血鬼の情報を元に、
自身の肉体を吸血鬼の近い肉体に組み替える魔術を構築すること。
本当であれば長い期間をかけて行われる新しい魔術の構築。
ところが彼等に与えられた時間は、本来必要とされるものより遥かに短かった。
与えられた時間はたったの二年。それだけヴラド三世は焦っていたのだ。


そんな短時間では、まともな形で魔術を成立させることなど出来ない。
吸血鬼の肉体に辛うじて近づけることは出来るだろうが、どんな弊害が生まれるかわかったものではない。
だが指示を出しているのは一国の王である。王の勅命に逆らうなど出来るはずはないし、
そもそもスカーレット家に逆らうつもりなど欠片もなかった。
限られた時間の中、魔術を完成させるにはどうするべきか。
彼等がとった行動は、言ってしまえば『とにかく数をこなす』ということであった。
片っ端から魔術の刻印を作成し、それを人間に刻み込む。
刻印を刻まれた者がどうなるかについては考えない。
何か変化があれば重畳。生死は些細な問題ということである。


幸いにして、その狂気に塗れた実験に使える『囚人(モルモット)』は豊富にあった。
散発的に起こる戦争から得られる捕虜達、ヴラド三世が政敵と認めた貴族、その他諸々である。
スカーレット家は彼等を十分に活用し、日夜実験に明け暮れた。
その間、彼等の館の地下からは断末魔の声が絶えることはなく、館の周辺には夥しい数の墓標が生まれたという。


そうして、僅かな歳月で生み出された魔術である『竜の子の刻印』。
その試作の被検体に名乗り出たのは、他ならぬヴラド三世その人であった。
おそらく我慢の限界だったのだろう。オスマン帝国からの執拗な貢納の催促と、政敵である自国の大貴族による謀略。
内にも外にも敵がいる状況、いつ自分の身に何が起こってもおかしくはない。
故に彼は、それらの敵対する存在に対し一刻も早く力を見せつけ、牽制をかける必要があったのである。


魔術に関しては、ヴラド三世も国を治める者としてある程度の知識がある。
中世に於ける戦争は『魔術の戦争』と言っても過言ではない。
表では兵士達が剣や槍、あるいは弓を使って合戦を行うが、本当の主戦場は裏で行われる魔術を使用した戦争である。
裏の戦争に比べれば、表の戦争など子供同士の喧嘩のようなものだ。
何故ならば魔術を使った戦争は、剣や槍を使ったそれよりも遥かに効率よく敵を殺すことができる。
故に軍を動かす者として、魔術を学ぶのは必須事項であった。


ヴラド三世への『竜の子の刻印』の移植。それは何も滞ることなく成功した。
刻印の発動にも問題なし。発動には処女の血が必要であるという点には多少顔を顰めたが、必要なこととして彼は割り切る。
ただ一つ誤算だったのは、刻印の効果は直ぐに目に見えた形で現れるものではなかったことということだ。
スカーレット家の見立てでは、完全に体が組み変わるまでには最低でも一年の月日を要する。
しかもそれは、刻印を常時発動し続けた場合のこと。そのためには、彼は毎日血を飲み続けなければならない。
ただその事実を知って尚、ヴラド三世の決意は揺るがなかった。
血を飲み続けるという下賤な行為。それを行う覚悟をしてでも、彼は国を守りたかったのだろう。










だが、彼の願いはある意味最悪の形となって成就されることになる。


人が人以上の力を手にするためには、相応の対価が必要だ。
聖人が神の力を手にする代わり、常に力の暴発による自滅の危険を背負うように。
無論それは『竜の子の刻印』についても当てはまる。
そして当然、ヴラド三世やスカーレット家もそのことを理解していた。


――――いや、『理解しているつもりだった』。
彼らは理解していたが、対価の程度を見誤ったのだ。
毎日血を飲み続けることなど、対価と呼べるものですらないことに。
本当は、もっと大切なものを犠牲にしなければならないことに。


結論から言うと一年後、ヴラド三世は不完全ながら吸血鬼となった。
『不完全ながら』と言っても、本物と比較することができないので憶測ではあるが、その見立てに間違いはない。
吸血鬼は不死の存在なのだ。死亡が確認された彼は、本物にはなれなかったということである。
では彼の計画は失敗したかと言えば、必ずしもそうとは言い切れない。
不完全であっても吸血鬼である。寿命は飛躍的に伸び、その結果彼は膨大な魔力を手にした。


ただ一つ問題があったとすれば。
彼の性格が、別人のように変わり果ててしまったことだろう。


その後に起こったことは、歴史書に記された通りである。
彼は自身に敵対する貴族達を一切の躊躇いも無く処刑し、国の権力を掌握。
さらには貢納の要求のために来訪したオスマン帝国の使者を串刺しにした。
そしてそれに激怒したオスマン帝国が、大軍を率いて攻め込んできた時。
彼は捕虜にしていた数万のオスマン帝国の兵士を、全て串刺しにして野に晒したのだ。


ヴラド三世が、何故そのような残虐行為を平気で行えたのか。その理由を知る者は最早いない。
彼の凶行は『彼自身が異常者であったから』ということにされ、
周辺国がそれを真実として大規模なプロパガンダを展開したからだ。


やがてヴラド三世は、『竜の子(ドラクレア)』から『悪魔の子(ドラキュラ)』と呼ばれるようになった。
『竜の子』の名は彼の父、ヴラド二世が『竜公(ドラクル)』と呼ばれていたことに由来するものであるが、
聖書においては『悪魔サタン』は竜の姿として描かれることがあったために、竜と悪魔は同一視されていた。
それ故に『竜の子』と呼ばれていたはずのヴラド三世は、後世において『悪魔の子』と呼ばれるようになり、
さらには父も『悪魔公』と蔑まされることになったのである。


そして彼は死後400年の後、一人の小説家によって吸血鬼のモデルとして取り上げられることになり、
人々から『吸血鬼ドラキュラ伯爵』として広く知られることになる。
事実は小説より奇なり。魔術師たちは今も尚吸血鬼の存在を頑なに否定しているが、
魔術を知らぬ者たちは、無自覚ながらも吸血鬼の存在について真に迫るに至った。


一方、歴史の表に出ることがなかったスカーレット家はどうなったのか。
彼等の結末を一言で済ませるならば、『関係者は皆、一人残らず死んだ』。


ヴラド三世の身に起こった異変を真っ先に察知したのは、他ならぬ彼等であった。
刻印発動の経過観察のため、常に彼の傍にいたのだから当然である。
だがそれでも、その時には全てが手遅れの状態となっていた。
ヴラド三世は元々、歳をとるにつれて気性が荒くなっていたために、
『性格の凶暴化は刻印の影響によるものである』と即座に判断できなかったのだ。
故に彼等が気づいた時にはもはや、刻印によるヴラド三世の人格浸食は末期に至っていた。


スカーレット家は即座に『竜の子の刻印』を停止することを進言。
合わせて『人造吸血鬼による自軍の戦力補強計画』の中止を請うた。
彼等は暴走した吸血鬼によって自国が破壊されることを恐れたのだ。
まぎれもなく、彼らの行動は国を守るための善意によるものである。
しかし皮肉にもその行動は、他ならぬヴラド三世によって国への敵対行為として判断されてしまった。


国の存亡の全てをその計画に賭けていたヴラド三世にとっては、計画を否定する存在は正しく国賊そのもの。
その言葉をその耳に聞いた時、怒りに思考の全てを奪われた彼は、有無を言わさず魔術師達を皆殺しにした。
最も卑しい処刑とされる『串刺しの刑』を、彼らに生きたまま施したのである。


魔術師達が全滅したことで、『竜の子の刻印』の研究は完全に途絶するに至った。
それと同時に、その魔術の詳細を知る者もこの世には一人としていなくなった。
『竜の子の刻印』はワラキア公国にとっての切り札と言えるもの。
諸外国に情報が漏れることは国家の危機と同等のことであったが故に、
魔術に関する情報は極々限られた者にのみ知らされていたのだ。


後に残されたのはヴォルデンベルク男爵の名が記された手記のみ。
ワラキア公国の間諜達が西欧全土から集めた吸血鬼の情報と、
それらの文章に紛れ込ませる形で魔術師達が記した『竜の子の刻印』の術式。
魔術界を震撼させる禁術が記された一冊ノートは、ヴラド三世の計画に関わることが無かったがために、
奇跡的に粛清を逃れたスカーレット家の生き残りに継承されることとなった。


彼らはこのノートを手に入れた折、研究に携わっていた同族から聞いていた『人類種からの脱却』、
『我々の悲願』といった断片的な情報から、『魔術の完成はスカーレット家の目指すべき到達点』と判断。
道半ばで死んだ同族の遺志を継ぐため。そしていつしかその無念を晴らすため。
彼らはスカーレット家の威信をかけて、『竜の子の刻印』の完成に腐心するようになっていった。

今日はここまで
当時の情勢に関しては囓った程度なので、突っ込みどころ満載だとは思いますがご容赦を


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――――そして現代。


500年もの間絶えることなく脈々受け継がれてきた研究は、それを成してきた一族に一切の恩恵を与えることなく、
むしろ恩を仇で返すかのように一族の少女を破滅に追いやろうとしている。
それはまさに『呪い』。人ならざる怪物に近づこうとした愚者に下された断罪のよう。
一族が己の犯した罪科に対し、全ての命を以て償うまで、その呪縛が解かれることはないだろう。


残念ながら、その事実に気づけるものは誰もいない。
かの魔術の真実は歴史の闇に葬られてしまった。答えの無い設問に解答することなど出来るはずもない。
故に少女達を蝕む呪いを知り、それを解くことが出来る者はこの世の何処にも存在しないのだ。


だが――――


上条「……そうかよ」



だからといって、少女達を見捨てる理由にはならない。
現に彼女達が『何か』に犯され、苦しんでいることはわかるのだ。
知ることは出来なくても。理解することは出来なくても。
助けを求める者達の手を取ることは、誰にだって出来るはずである。



上条「もしもお前が『自分しかフランを救えない』と思ってるなら――――」



そしてそれを理解しているからこそ、上条当麻は走り続ける。
何処かに困っている人がいる。それに気づいた自分がいる。
たったそれだけのことで、彼は足を動かすことが出来る。拳を振るうことが出来る。
誰にでも出来て、誰にとっても成し難いことを彼はこなし続けられる。


だから今回のことも、何時も日常の中で行っている『人助け』と変わらないのだ。
助けるはずの少女達が怪物に成り果てようとしていても。
その少女達と殺し合い一歩手前の闘争をすることになっても。
彼にとって見れば、『人助けするための一過程』に過ぎないのだから。



上条「自分達には誰も手を差し伸べてくれないと思ってるなら――――」



よって彼はここに宣言する。
誰かを助ける際に立ちはだかる幾重もの障害。『無情なる幻想』と『非情なる現実』。
人々を不幸に陥れる様々な災禍を、渾身の力で打ち砕くように。


彼は『救済の言霊』を理不尽に向かって叩きつける。











上条「まずは、そのふざけた『絶望(げんそう)』をぶち殺す!」













レミリア「う、嗚呼ああぁぁぁァァァァァッ!!!」



当麻の宣言を聞き届けるか否かにおいて、レミリアは目の前の相手に目掛けて突貫した。
口から零れ出すのは絶叫。目尻から流れ落ちるのは血涙。
狂気に囚われた野獣のように、少女は地を走り抜ける。
理性の欠片も見られないその姿は、底まで魔に墜ちてしまったかのように見える。


だが当麻の目には、彼女の姿が『親に駆け寄る泣いた子供』のように映っていた。


おそらくそれが、レミリアが自ら心の奥底に封じ込めた『弱さ』なのだろう。
彼女親を殺され、敵地に移り住み、信用できる者がいない四面楚歌の中で、たった一人の妹を護り続ける。
周りに助けを求めるどころか、弱音さえ吐くことすら許されない。そんな生活を10年もの間続けてきたのだ。
彼女が抱え込んでいた苦悩は如何ほどのものだったのか。所詮、部外者である当麻には知る由もない。


だがその苦悩は今ここで、彼女の内から漏れだそうとしている。
普段の彼女であれば、押し殺した感情を吐露するなどということはしなかっただろう。
冷静に目の前の敵を消し去る方法を思案し、間違っても突貫などと言う行動を起こすことはなかった。
だが今の彼女は普通ではない。その身は半ば人ではなくなっているが為に、心の扉が弛み始めていた。
それ故の叫び。10年もの歳月の間降り積もった、救いを求める心の声。


そんなレミリアの姿を見て、当麻の決心は今まで以上に強固となった。
彼女達を必ず絶望の淵から救い出してみせる。必ずハッピーエンドにしてみせる。
例えこの身が削がれようとも、彼女達を笑顔にしなければならないと。そう改めて誓った。


ものの数秒で接近してきたレミリアから右手が突き出される。
目標は上条当麻の頭部。直撃したら最後、彼の頭を水風船のように破裂させる凶悪な一撃。
例え掠ったとしても、肉を剃刀の如く抉りことが出来るだろう。
その一撃から『無傷で生還したい』のならば、全霊を以て回避しなければならない。
だが当麻は、あえてその手段をとることはしなかった。


レミリアの腕が彼の顔の横の傍を通り過ぎる。
バチッ!と、何かが弾けるような音と共に、当麻の脳髄に激痛が突き刺さった。
彼女の腕が耳を掠ったのだ。耳の一部が千切れ飛び、小さな肉片と僅かな血液が宙を舞う。
だが、そんなことは気にしない。耳の一つや二つくれてやる。それくらいなら、支払う代償としては安いものだ。
当麻は己の右手を握りしめる。全神経を集中させ、自身が持つ唯一無二の『拳(ぶき)』を掲げる。
二人の体がすれ違い、極限まで圧縮された時間の中で、互いの視線が交錯する。


レミリア(――――)



この時レミリアはふと我に返り、そして悟った。
瞬刻の間、自身の眼に映った上条当麻の素顔。彼の中に携えられた感情を、彼女は確かに理解したのだ。
黒曜石のように澄んだ瞳。その中心に座するのは、砕けることのない金剛石の如き意志。
『絶対にお前を止めてみせる』。その言葉が、嫌が応にも彼の瞳を通して伝わってくる。


ここまで力強い瞳を持った人間に、今まで会ったことがない。
ここまで純粋な心を持った人間に、今まで会ったことがない。


こんな状況にも関わらず、場違いにも彼女は上条当麻の瞳に見惚れてしまったのだ。


この男は絶対に折れない。
例え神が相手であっても、彼は屈することなく立ち向かうのだろう。


だから、彼に会ってしまった時点で私が負けることは必定だった。
フランを傷付けてしまった過去に何時までも怯えている私が、
未来をこの手で掴もうとひたすら邁進する者に勝てるはずがなかったのだ。






――――瞬刻の時間が過ぎる。


思考に埋没したレミリアが、そこから抜け出すことは終ぞ無く。
当麻の右拳が、無防備な彼女の顔に深々と突き刺さった。





今日はここまで
短すぎてワロエナイ

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     *     *     *






上条「はぁっ、はぁっ……!」



荒く息を切らしながら、上条当麻はその場に膝をついた。
地面の砂利が手の平を小さく突き刺し、泥水が指の隙間を流れていく。
頭を流れ落ちる雨水が眼に入るが、それを拭う気力すら今は起きなかった。


脇腹を蹴り飛ばされ、全身を瓦礫で打ち付けられ――――最早痛くない場所など何処にもない。
その中でも特に激痛なのが、つい先ほど千切り飛ばされた右耳。まるで赤熱した火鋏で挟まれたかのようである。
更には未だに降り続く雨が傷を痛めつけ、思わず悲鳴を上げてしまいそうだ。
手で押さえたい衝動にも駆られるが、還って悪化させることは眼に見えているので、歯を食いしばりながら我慢した。


見やると5メートル程離れたところに、レミリアが仰向けに倒れ伏している。
気絶しているようだ。全力で顔面を殴ったのだから、当たり前のことであるが。
いや、それは些か希望的観測か。レミリアの肉体の半分は吸血鬼。未だに意識が残っていることも十分にあり得る話だ。
だが今すぐに起き上がるということはないと思いたい。こちらも相当無理をしているのだ。
戦えないことはないが、動きに精彩を欠くことになるのは目に見えている。
このまま終わってくれるのであれば、それに越したことはない。


パチュリー『終わった……のかしら?』



どこからともなくパチュリーの声が聞こえてくる。
その懐疑を含む声色を聞く限り、やはり彼女もレミリアの再起を警戒しているようだ。
魔術師だからこそ、吸血鬼という存在を知っているからこそ、当麻よりもその思いは強いのだろう。



上条「俺があいつを調べようか?」

パチュリー『そうね……その方が良いわね。 私は魔力切れでもう体がギリギリだし、
喘息持ちの私がその雨の中に入るのは、正直遠慮したいわ』

パチュリー『あの子の無力化が未だに出来ていない危険性を考えると、雨を止めるのも尚早だろうし……』

上条「あぁ、わかった」


当麻はそう言葉を返しながら、重い体を引きずってレミリアの元へと近寄った。


当のレミリアの様子と言えば、一目で見た感想は凄惨の一言に尽きた。
可愛らしい意匠が施されていたであろうドレスは、半分以上が破れたり、燃えたりして消失してしまっている。
辛うじて残っている部分についても、その大半が皮膚にただへばり付いているだけであり、
自身の血液や泥に酷く汚れていることもあって、もはや服としての機能を果たしていなかった。


一方で肉体の傷はというと、何故か先ほど当麻が殴り飛ばした顔面部分の痣以外の傷は見られない。
全身血まみれにも関わらず、命の危機に関わりそうな怪我は一切見られないのだ。
辺りの惨状を見るに、レミリアはパチュリーとも死闘を繰り広げていたはず。
加えて戦いの最中に行った魔術の行使。能力者である彼女は他の例に漏れず、
土御門のそれと同じように副作用として全身から血が噴き出していた。
それなのに殆ど無傷。その事実から、吸血鬼の再生能力が如何ほどのものなのか窺い知れる。



上条(意識は……………………ないか。 呼吸をしてるから、死んでるわけでもない)

上条「パチュリー、大丈夫みたいだ」


その言葉から数秒後、降り続いていた雨が突如止む。
空には数多の星と紅い月が浮かんでおり、先ほどまで雨が降っていたことなど微塵も感じさせない。
不意に一陣の風が公園を吹き抜け、水に濡れた体から戦いの余韻を瞬く間に奪っていった。


やがて聞こえてきた水溜まりを歩く音に対し、そちらの方角を見やると、
パチュリーが些か疲れた様子でこちらの方に向かってくるのが見えた。
その足取りはやや遅く、未だ魔力切れの症状が残っているように見受けられたが、
少なくとも先ほどのような身動きが取れない状態から回復しているようだった。


パチュリーは当麻の右耳に簡易的な治療魔術を施すと、地面に伏せたまま目を覚まさないレミリアを見下ろす。
彼女の表情をその背後に立つ当麻から見ることは出来ない。
ただその背中から感じられるものは、如何ともし難い虚無を感じさせるものであり、心なしか姿も小さく見えた。
今、彼女は何を思っているのだろうか。嘗てパチュリーとレミリアが知人の間柄であったことは土御門から聞き及んでいる。


嘗ての友人と殺し合う。例えそれが偶然に因って齎されたものであり、
お互いの立場上仕方のないことだったとしても、そう簡単に割り切れるようなものではないだろう。
表面上は平静を取り繕っていても、内心は深い傷を負っているのは想像に難くない。
本人は絶対にそれを認めることはないであろうが。


「終わったか?」



湿った空気の中を、男の声が通り過ぎる。
当麻がここに来る途中で一旦別れ、別行動をとっていた土御門元春が戻ってきたのだ。
彼はこの場の雰囲気に似合わない、いつも通りのにやけ顔を浮かべながらそこに立っていた。
ただサングラスに隠されて見えないその瞳には、表情とは裏腹の真剣な感情が宿っているように思われた。



上条「土御門!?」

土御門「どうやら、問題無く事は済ませられたらしいな。 ここに来るまでの間、気が気じゃなかったんだぜい?」

パチュリー「随分と遅い到着ね。 こっちは怪物相手に立ち回ってたのに、随分と余裕そうじゃない?」

土御門「いや~実はヘマをやらかしたせいで、こう見えても全身が痛くて結構辛いんですたい」

土御門「本当ならさっさ切り上げてお休みしたい気分なんだにゃー」

上条「土御門! お前、動いて大丈夫なのかよ!?」

土御門「その心配は御無用だぜい、カミやん? 『冥土返し』謹製の塗り薬のおかげで、表面上の傷は完治してるにゃー」

土御門「ま、流石に内臓までは無理だけどな。 今でも口の中が血の味しかしないぜい」

パチュリー「ふぅん……貴方とあろう者が、そんな大怪我を負うなんてね。 油断でもしたのかしら?」

土御門「油断というか、予想外のことだがな。 まぁそんな訳だから、遅れたことについては勘弁してほしいですたい」


そんなことを口にしながら、土御門はへらへらと笑う。
全身を、それも体の内外問わず裂傷を刻まれたというのにこの態度。
本当であれば立っていることすら苦痛だろう。しかし彼の演技は、自身が重傷患者であるということをまるで感じさせない。
そんな様子に当麻とパチュリー一同は呆れつつ、脱線した話題を強引に戻す。



上条「土御門、インデックスとフランはどうしたんだ? 姿が見えないけど……」

土御門「あの二人なら、乗ってきた車に待機させてる。 フランドールの方は疲労で眠ってるがな」

土御門「俺の知り合いに監視させてるから、何か起こったらすぐわかるぜい」

パチュリー「で、これからどうするの? 詳しくは聞いてないけど、いい方法を見つけたそうじゃない?」

パチュリー「二人を『処刑塔』に幽閉せずに済ませられる……そんなご都合主義の最たる方法を」

土御門「あぁ、そうですたい。 まだいくつか問題が残っちゃいるが、不可能じゃあないって方法だ」

土御門「博打染みた部分もあるにはあるが、やって損はない」

パチュリー「へぇ……で、どんな方法なのかしら? 立案者さん?」


パチュリーは立案者である当麻に視線を向け、その眼を細める。


吸血鬼製造の鍵を握っているレミリアとフランドール。本来であれば、二人は『処刑塔』への幽閉は免れない。
だがあろう事か、上条当麻はその結末を回避できる画期的な方法を知っているという。
心の底では思うところはあっても、結局考えることをしなかったパチュリーにしてみれば、些か複雑な心境である。
組織としての立場があり、そして何より良くも悪くも合理的になりすぎてしまった彼女には、
その行いをすることは土台無理な話だったのかもしれない。
『生き別れになった友人』としてより、『組織に敵対する存在』としての認識が先に来てしまったのだ。
そんな自分になってしまったことを後悔しているわけではないが、言い得ない靄が心に巣くうのを感じていた。


言ってしまえば、パチュリーは当麻に嫉妬しているのだ。
自分では出来なかったことを成してしまったこの少年に対して。
だが彼女は、自身の心に生じた靄が『嫉妬』と呼ばれるものであることに気づいていない。
元々他者との交流を殆どすることがなく、そのことを気にも留めずに生きてきた彼女にとって、
自分と他人を比較して、あまつさえ自身が誰かの後塵を拝することに感情を抱くことなど無かったのだろう。
だから彼女は理由の思い当たらない、しかし確かに存在する不快感に苛立っていた。


上条「ん? 説明したいけどまだ……」

パチュリー「どんな方法かわからないけど、巫山戯たものなら試作魔術の実験台になってもらうから」

上条「え?」

パチュリー「試したいものがあったのよね。 『幻想殺し』なら大丈夫そうだし、丁度良かったわ」

パチュリー「ま、当たり所を間違えるとケチャップになるものもあるけど……」

上条「……どうしてパチュリーさんは怒ってらしているのでせうか? 俺、何もしてないよな?」

パチュリー「知らないわよ、そんなこと」

上条「いや、それは理不尽すぎると思うのですが……」



パチュリーからの特に理由が思い当たらない敵意に対し、当麻は思わず辟易する。
まさか自身が嫉妬されているなど露ほども思っていない彼に、パチュリーの心境を察することなど出来るはずもない。
が、知り合いから心当たりのない敵意を向けられて平然としていられるほど剛胆というわけでもなく。
当麻はパチュリーに理由を問い質そうとして、その前に土御門が会話に割り込んできた。


土御門「カミやん、役者は揃っちゃいないが説明くらいはしても良いと思うぜい?」

土御門「『彼女』のことは心配しなくても良い。 カミやんが頑張っている間に説明は済ませておいたからな」

上条「そうなのか?」

土御門「善は急げってにゃー。 ま、向こうもこうなることは薄々感づいていたみたいだからな」

土御門「特に滞ることもなく、スムーズに話は済んだぜい」

上条「……………………怒ってたりしたか?」

土御門「言葉の節々に棘を感じたくらいかにゃー。 まぁ、そのくらいですたい」

上条「うげ、マジか」

土御門「彼女に黙ってたこと、後でじゅ~ぶんに謝っておくんだな」

上条「いや、だって仕方ないだろ!? こんな事に巻き込めるわけ無いだろ!?」

土御門「カミやん、女の子ってのはどんな理由があっても約束を破られるのは嫌なもんなんだぜい?」

土御門「下手に言い訳するより、とりあえず土下座しといた方がいいにゃー」

上条「ちくせう、不幸だ……」

土御門「カミやんにとっちゃ、土下座なんて朝飯前だからそんなに気を負わなくても大丈夫ですたい」


これから起こるであろう出来事に対してうな垂れる当麻に、全く慰めにもならない、
そもそもその気すらない言葉を土御門は笑いながら口に出す。
そんな戦闘後とは思えない空気の中、しびれを切らしたパチュリーは二人に食ってかかった。



パチュリー「そんなことはどうでも良いわ。 その方法は一体何なの? 早く教えなさい」

土御門「そうだな、雑談はここまでにしておくか。 んじゃカミやん、説明をお願いするぜい」

上条「俺がか? お前が説明した方がわかりやすいと思うんだけど……」

土御門「カミやんが提案したんだから、カミやんが説明するのが筋ってもんだ」

土御門「フォローはしてやるから、大船に乗った気持ちで話していいぞ」

上条「泥船じゃなきゃいいんだけど……」



ぶつくさ言いながら当麻は目前のパチュリーに眼を据える。
彼女の視線はまるで物理的に当麻の体に穴でも開けるとでも言うかのように、ギラギラとしたものとなっていた。
胴体に抉り込まれるかのような視線に冷や汗をかきながら、若干乾いた口を開く。


上条「えっと、まず、状況の把握からだな……レミリアとフランが幽閉されようとしている理由は3つある」

パチュリー「えぇ、自らを吸血鬼に変貌させる刻印を所持していること、その刻印に関する知識を知っていること、
そして彼女自身が半ば吸血鬼化していること」

パチュリー「この内のどれか1つでも可能性がある時点でアウト。 幽閉は避けられないわ」

土御門「最悪の場合、刻印の知識を知るために拷問コースまで行っちまう可能性もあるけどな」

土御門「ただそれをやっちまうと、力を手に入れる代わりに特大の爆弾を抱えることにもなるから無いと思うぜい」



吸血鬼を抱えることは、確かに自陣の戦力を飛躍的に高めることが出来る。
たった数人いるだけでも、魔術サイドのパワーバランスをちゃぶ台返しの如くひっくり返すことも可能だろう。
しかも聖人と違って、時間をかければ量産も出来てしまうのだ。これほどにまで魅力的な術式は存在しない。
その存在を知った魔術師ならば、ありとあらゆる手段を用いてそれを手にしようと躍起となるに違いない。


だが十字教の一角であるイギリス清教にとって、吸血鬼の存在は唾棄しなければならないものだ。
『魔術師』としてではなく、『十字教の信徒』として。神に呪言を吐き付ける存在である吸血鬼は、
神を心の底から信奉する者達にとって不倶戴天の怨敵と言えるだろう。
故に吸血鬼をその身に受け入れることは、猛毒を自ら摂取するようなもの。
魔術師の坩堝と評することが出来る『必要悪の教会』であっても、それを看過することはあり得ない。


上条「刻印は俺の右腕で破壊できるだろうから問題はない。 刻印を作る方法も、レミリアの頭を覗けば何とかなるみたいだ」

上条「俺としてはそんなことはしたくないんだけど……」

土御門「ちなみに記憶に関する役目はパチュリーに任せるつもりだぜい」

パチュリー「ちょっと、本人に相談もせずに何勝手に決めてるのかしら?」

土御門「まぁまぁ、赤の他人に任せるよりかは大丈夫だからって判断ですたい」

土御門「何も知らない魔術師がいきなり吸血鬼の存在を知ったとして、予想外のトラブルが起こらないとも限らない」

土御門「その場でレミリアの脳を破壊するかもしれないし、そんなことになったら眼も当てられない」

土御門「何より約束したイギリス清教の面目は丸潰れだ。 ただでさえ、カミやんには借りがあるんだからな」

土御門「それよりだったら、旧友のお前さんがやった方がまだ安心って事さ」

パチュリー「……………………はぁ、もういいわ。 で、あと一つはどうするつもりなの?」

パチュリー「あの子達の体を何とかしないと、結局の所手詰まりでしょう?」

上条「そのことなんだけど――――」

土御門「……ちょっと待て、カミやん」

上条「え?」


当麻が言葉にするより先に、土御門がそれを制した。
眼を向けると、何やら公園の向こう側を眺めているようである。


何か不味いことでも起きたのか?
良くない存在が接近しているのかと一瞬警戒したが、それがただの杞憂であることに気づく。
何時にも増して口角を釣り上げ、おちゃらけた雰囲気を醸し出すその顔を見れば一目瞭然だ。
そんな彼は軽く一息ついたかと思うと、見なくてもわかるような浮ついた雰囲気の視線をこちらに向けて告げた。



土御門「どうやら、我らが待望の巫女さんがおいでなさったようだぜい?」

上条「!」



その一言で、当麻はこちらに向かってくるのが誰なのかを察した。
この事件の解決の鍵となる人間。吸血鬼を呼び寄せて滅する異能の持ち主。
そして、記憶を失った『今の上条当麻』が初めて救い出した少女。


姫神秋沙。
いつもはすまし顔で口数も少ない彼女が、息を切らしてこちらに駆け寄ってきた。

今日はここまで

ふと見渡すと禁書スレが殆ど無いことに気づく
もしかしたら吸血鬼編が終わり次第、小説形式に書き直して別の場所で続けるかも

質問・感想があればどうぞ

待望の巫女?「休憩時間があり過ぎるってのも、暇で問題ね」ズズズ...


別の場所でやってくれるにしても、誘導か宣伝はしてよね!

>>788
妖々夢編になれば出番あるから許してくださいお願いします

正月明けってことでちょいと忙しいので来週に投稿する予定
そう言えばどのくらい放置でスレ落ちしたっけここ?一ヶ月?

これから投下を開始します


姫神「はぁっ、ふっ、……上条君。」

上条「……姫神」



呼吸を落ち着けつつこちらに向けてくる彼女の瞳には、一言では言い表せない感情が込められているように思われた。
結局、彼女に相談することなくここまで来てしまった当麻への非難か。
それとも、彼女を危険晒したくない当麻の考えを蔑ろにしてしまった事への負い目か。
いずれかなのかはわからないが、二人は幾許かの間気まずい視線を交わすこととなった。


そんな二人を余所に、姫神秋沙のことを知らないパチュリーは彼女のことを土御門に尋ねる。


パチュリー「土御門、彼女が事態収拾のための鍵なのかしら?」

土御門「そうだにゃー。 カミやんが用意した現状打開のための必殺の手札ですたい」

パチュリー「必殺の手札、ねぇ……何処にでも居そうな日本の女子高校生といった感じだけど」

土御門「外見はそうでも、中身は結構複雑な事情を抱えてるんだけどにゃー……『吸血殺し』と言えば判るか?」

パチュリー「! まさか、それって……」

土御門「そのまさか、だにゃー」


土御門はにやりと口角を釣り上げるが、それとは対照的にパチュリーは文字通り頭を抱えて溜息をつく。
彼女は上条当麻が提案する作戦というものを土御門の言葉で察したわけだが、
その作戦が余りにも荒唐無稽すぎるものだったからだ。
それこそ、それを容易に悟ってしまった自分の頭脳を呪いたくなってしまうほどの。



パチュリー「……彼が言う作戦のことは大凡見当がついたわ。 本当に……えぇ、本っ当に馬鹿げた作戦ね」

土御門「まぁ、誰だってそう思うだろうな。 出来の悪い都市伝説をクソ真面目に信じるようなもんだ」

土御門「こんな事を魔術師達の面前で発表しようものなら、今世紀最高の笑い話として拍手喝采間違いなしだぜい」

パチュリー「ふざけないで。 それを判っていながら、どうして彼の案に賛成したのかしら?」

パチュリー「貴方はもっと合理的で、現実主義的な人種だと思っていたのだけど?」

土御門「おいおい、そいつは心外だぜい。 流石に親友の命がけの頼みを合理性だけで切って捨てるような薄情者じゃないにゃー」

土御門「まぁ、論理もへったくれもないようなものだったら問答無用で却下してたけどな」

土御門「俺がカミやんの案を採用したのは、偏に『吸血殺し』の存在があったからだ」

土御門「吸血鬼の存在は御伽話だ何だと言われてるが、現実としてそいつらを滅ぼす能力は存在する」

土御門「しかも『吸血鬼もどき』もこの場にいるときた。 それなら一丁、試してみる価値はあるんじゃないかと思ってな」


吸血鬼を殺すとされる異能『吸血殺し』。
『竜の子の刻印』によって生み出された人造吸血鬼。
この二つが関わり合った時、一体何が起きるのか?


『吸血殺し』は人造吸血鬼にも正常に機能するのか?
それとも人造吸血鬼は所詮まがい物でしかなく、『吸血殺し』は不発に終わるのか?
はたまた、自分達の予想を外れるような不可思議な現象が生じるのか?


これは正しく、魔術界の歴史に残る実験と言えるかもしれない。
もしも『吸血殺し』が発動するならば、それは吸血鬼がこの世に実在することの証明に他ならないからだ。
外部の魔術師に情報が漏れでもしたら、界隈が瞬く間に混乱に陥ることになるのは必定である。
吸血鬼を抹消しようとする者と、吸血鬼をその手に掴もうとする者。
魔術界を二分に分ける戦争が勃発することになるだろう。


それを考えると、レミリア達が学園都市に居ることは非常に幸運である。
この街は魔術から最もかけ離れた場所。前統轄理事長が管理していた昔であれば、そうとは言い切れなかったのだが、
今では魔術を欠片も感じさせることのない、純粋な科学の街である。
魔術と科学の間に交わされた不可侵条約の下、魔術師は許可を得ずにこの街に侵入することは出来ない。
学園都市の上層部にしても、内部にいる魔術師である対して一定の監視を行っているだろうが、
実際に何をやっているのかを正しく理解できる者は少ないだろうし、ましてやその情報を外部の魔術師に横流しするはずもない。
従って、この場所では外部に対する吸血鬼に関する情報漏洩を心配する必要は無いのだ。


パチュリー「……胃が痛くなってきたわ」



だが、今パチュリーが気にかけていることはそんなことではない。
そんな魔術界の常識を覆すような実験を、『とりあえずやってみようぜ』というコンビニに行くような感覚で行おうとしている事実。
そして自分自身が、その実験の渦中にいつの間にか位置してしまっているということに辟易しているのである。


確かに彼女は科学に対して偏見を持たない、魔術師の中では変人と評される人間だが、
だからといって常識を一切合切かなぐり捨てているというわけではない。
『常識に囚われない』ことと『非常識である』ことは全く別なのだ。
この異常事態に対し、『はいそうですか』と首肯するのは魔術師としての矜持が許さないのである。



パチュリー「まさか、こんな事でこの案件に関わったことに後悔する羽目になることは思わなかったわ」

土御門「気持ちはわかるぜい。 だが、こればっかりは諦めてもらうしかないですたい」

パチュリー「そんなことは判ってるわよ……それにしても、やっぱり貴方は平気そうね?」

土御門「カミやんがぶっ飛んだ行動するのはいつものことだからにゃー」

土御門「それなりに付き合いも長いし、もう慣れたというか、慣れなきゃやってられないというか……」

パチュリー「ご愁傷様、とだけ言っておくわ」

土御門「そこは、『私が支えてあげる』って言ってくれてもいいんだぜい?」



そんな巫山戯た事を口走る土御門を余所に、パチュリーは視線を当麻の方へと戻した。
するとそこには五体投地で土下座している上条当麻と、それを無表情で見下ろす姫神秋沙の姿。
先ほどの話を鑑みるに、彼は無断で行動を起こしたことについて姫神に謝罪している真っ最中なのだろう。
一見大人しそうな彼女が男一人を土下座させるとは。意外と強気な部分もあるようだ。
これは少しばかり、認識を改めた方が良さそうだ。これから協力し合う相手なのだから、
相手の性格というものを正しく知っておくに越したことはないとパチュリーは考える。


――――実際の所その思考は、こんな状況でコントのようなことをしている二人に対しての、
ある種の現実逃避じみた行動であるのだが、そのことに彼女が気づくことはなかった。

今日はここまで
質問・感想があればどうぞ

今年もダラダラやっていくと思いますのでよろしくお願いします

これから投下を開始します






     *     *     *






今回の事件の顛末を一言で表すならば、『最悪の事態にはならなかった』と表現できるだろう。


異端者として故郷を追われ、異国の地に隠れ潜んでいた二人の少女は、
一人の少年とその仲間達の手によって破滅の危機から救い出された。
最上の理想である『誰も傷付くことなく』とまでは流石にいかなかったが、
『絶望の結末(バッドエンド)』を回避できたことは素直に喜ぶべきことだ。


――――戦いを終えた彼等の行動を纏めてみよう。


先ず始めに一行は、気絶したレミリアを担いで用意した車に乗り込み、策を実行するに相応しい場所へと移動した。
去り際に徹底的に破壊された公園の惨状について、今後どうなるのかと当麻は心配したが、
土御門が言うには学園都市が『大規模なガス爆発事故』、もしくは『極秘実験における影響』として徹底的に隠蔽するらしい。
今回の件はイギリス清教と学園都市双方共に、『絶対に表沙汰にするべきではない』という点で意見が一致していた。
吸血鬼の刻印の情報が漏れでもしたら、世界をひっくり返したような大騒ぎになることは眼に見えている。
現在の不安定な情勢の中で騒ぎが起きるのは、魔術側にとっても科学側にとっても好ましくない。
従って学園都市が手を抜いた隠蔽工作をするということはあり得ず、心配はいらないだろうということだった。


事情を知らぬレミリアが目を覚まして暴れ出さないように、パチュリーが彼女に催眠魔法を施す。
そして少しばかり窮屈な車に揺られながら数十分ほどかけて彼等が向かった行き先は、
入院した者はどんな症状の人間であれ、完治が約束されるという第七学区の病院。
何故その場所に行く必要があったのかといえば、レミリア達を人間に戻すための策は、
病院を経営している冥土帰しの手を借りる必要があったからである。


レミリアとフランドールの肉体は刻印による不完全な吸血鬼化によって、
『人間の肉体』と『吸血鬼の肉体』が混在した状態となっている。
通常の方法では、この二つの肉体を選り分けることはほぼ不可能だ。
冥土帰しならば時間をかければ可能かもしれないとのことだが、残念ながらそんな余裕は無い。


イギリス清教は事態の早急な収拾を望んでいる。
それだというのに、魔術側にとって核地雷と呼べるものを学園都市に預けるなど、
ましてや地雷の解除のために長々と時間をかけるなど許されるはずもない。


当麻でさえも一度は詰みかと思ったこの状況。しかし、それを覆す手段は彼の身近に存在した。
それが姫神秋沙『吸血殺し』。嘗て数多の吸血鬼を葬ったと噂される破魔の紅血。
もしもその噂が正しいとするならば、『吸血鬼の肉体』のみを選択的に取り除くことが出来るかもしれない。
正にこの状況にお誂え向きの能力。だが早々全てが都合良く済むわけではなく、解決すべき問題もある。


その問題とは、『彼女等が自身の肉体を破壊される事に、果たして耐えられるのかどうか』。
『吸血殺し』は保持者である姫神秋沙本人でも、一切制御することが出来ない。
血を吸わせた時点で、彼女等の肉体は人間の部分のみを残し、文字通り『破壊』される。
フランドールはおろか、全身の半分近くを変化させてしまっているであろうレミリアに至っては、
『吸血殺し』を口にした瞬間、自身の肉体の半分を一挙に失うことになるのだ。
常識的に考えればその時点でほぼ即死。仮に運良く生き残ったとしても、重篤な後遺症を抱えて生きていくことになる。
これではどんなに良く見積もっても、『大団円(ハッピーエンド)』とは言えないだろう。


つまるところ、それを回避するための冥土帰しなのだ。
『患者が望むものなら何でも用意してみせる』と豪語する彼ならば、もしかしたら――――
その一縷の希望を求めて、上条当麻は世界最高峰の医師を頼ったのである。


刻印の記憶は土御門とパチュリーに。吸血鬼の肉体は姫神と冥土帰しに。
当麻がするべき事は、スカーレット姉妹の肉体に刻まれた刻印を『幻想殺し』で消すことだけだ。
何から何まで他力本願であるが、異能を消す右手しか持ち得ない彼にはそれしかできることはなかった。


不満がないと言えば嘘になる。
特に彼としては、姫神秋沙をこの件に関わらせるつもりは毛頭無かったが為に。
彼女に対しては、頼る必要がなかったのならばこの一件を最後の最後まで隠し通すつもりだった。


姫神秋沙と吸血鬼。この二つは決して切り離せない。
過去において彼女の身に何があったのか、上条当麻は詳しく知らない。
本人が余り語ろうとはせず、当麻も積極的に聞き出そうとはしなかったためである。
三沢塾の事件の当時に見た、愁いを帯びた顔。それを鑑みれば、容易に踏み込むべきでは無いことは察しがついた。
同時に、彼女はそのことに関して未だ『何か』に後悔をしているのだろうということも。
それ故に姫神秋沙に対してこの一件を知らせることは、彼女が持つ自責の念を更に深くさせてしまう気がして憚られたのだ。


だが当麻が憂慮していた懸念は、実のところ全くの杞憂だった。
遅ればせながら事件に気づいた彼女が真っ先にとった行動は、当麻が自分に対し事件を隠していたことを責めること。
吸血鬼をどうこう言う前に、彼女は当麻が自分との約束を破ったことを真っ先に糾弾したのである。
自身の想像の埒外である行動をとった彼女を見て、一瞬唖然とした当麻であったが、
次いで襲ってきた『言い訳は許さない』という圧倒的な重圧と眼光を前に、
当麻は唯々その場に土下座して謝罪の言葉を口にすることしか許されなかった。
ただその心中においては、『事件を知ることが姫神の重荷にならない』という事実に心底安堵していたのだが。


冥土帰し「来たね、待っていたよ」

御坂妹「こんな夜遅くに病院に厄介になるなど、夜遊びは程々にした方が良いと思いますが。
と、ミサカは紛う事なき非行少年たちにジト目を向けます」



第七学区の病院に辿り着いた一行に待ち受けていたのは、既に受け入れ準備を済ませていた冥土帰しと担架を担いだ『妹達』の面々。
どうやら土御門が予め連絡を入れていたようだ。『妹達』は眠り続けるレミリアを担架に乗せると、風のように院内へと運び入れていく。
さながら軍隊のような手際の良さに舌を巻くが、彼女達の出自を考えれば当然のことだろう。
パチュリーはレミリアに催眠をかけ続けるため、当麻達と一旦別れ『妹達』に同伴していった。


その作業の中で冥土帰しは、少しばかり溜息をつきつつ土御門に対して愚痴のようなものを零す。


冥土帰し「まったく、僕としては患者が現れるのをみすみす見逃すようなことはしたくないんだけどね?」

冥土帰し「突然電話で『これから怪我人が出るから治療の準備を頼む』なんて言われる身にもなって欲しいね?」

土御門「それに関しては申し訳ないと思ってる。 だが、あんた以外に頼れる医者がいなかったんだ」

土御門「魔術と科学の双方に通じていて、尚かつ信用に足るとなると数限られるからな」

冥土帰し「魔術に関してはアレイスターと知り合いだったというだけで、そこまで詳しい訳じゃないんだけどね?」

冥土帰し「まぁ、求められたからには全力で答えるのが僕の信条だ。 彼女は絶対に救って見せよう」

冥土帰し「勿論、君たち二人も完治させてから退院させるよ?」

上条「ハハハ……」



一瞬冥土帰しの目が鋭くなったのを見て、当麻は気まずい顔をしながら頬を掻いた。


冥土帰しの病院は当麻の行きつけの病院であり、今までの間に数え切れない程お世話になってきている。
それこそ、既に病室の一つが事実上彼の専用になってしまっている程には。
何らかの事件に巻き込まれて怪我を負った場合、必ずと言っていいほどここに入院することになるのだ。
そんな明らかに不自然なことになったのも、おそらく裏でアレイスターが糸を引いていたからなのだろう。
自身の目的の要である上条当麻を、万が一にでも死なせないために。
学園都市の中でも最高峰の医療技術を持ち、尚かつ信用できる彼の庇護下に入るようにしたのかもしれない。


一行は今後の方針について話し合うため、冥土帰しの後について彼の診察室へと足を運ぶ。
その道中で当麻に背負われたまま眠っていたフランドールと、彼女と一緒にいると言い出したインデックスを病室の一室に預けた。
当然の如く二人が一緒になることに土御門は難色を示したが、御坂妹をお目付役として宛がうことで溜飲を下げてもらう。


残った二人は冥土帰しに誘われるがまま、彼の仕事部屋へと入室する。
喜ばしいことではないが、冥土帰しの診察室も当麻にとっては見慣れたものだ。
決して広いとは言えない部屋の中には、彼専用のデスクと回転椅子。
壁際には多くの医学の専門書が収められた本棚が一列に立ち並んでいる。
大方仕事の途中だったのだろう、やや使い古された鉄製のデスクの上には、
点けっぱなしになっているパソコンと、患者のカルテの束が置き去りとなっていた。



冥土帰し「とりあえず君たちの治療については後で話すとして、先に本題に入ろうか」



冥土帰しは少年二人を椅子に座らせると、開口一番にそう繰り出した。
その眼の中に携えるのは、プロの医師としての意気込み。
先ほどよりも明らかに雰囲気が変わった冥土帰しに、当麻達の背筋に緊張が走る。



冥土帰し「大まかなことは土御門君から電話で聞いているよ。 何でも今運ばれてきた子の全身を蝕んでいる、
悪性の細胞を除去することに協力して欲しいそうだね?」

上条「はい。 ただ、それを取り除くことについては俺達の力で何とかできます」

上条「先生にはその後のことをお願いしたいと思って……」

冥土帰し「ふむ……つまりそれが『そちら』に関わることというわけだね?」


土御門「そうだ。 レミリア・スカーレットの全身に散在している細胞は魔術側の手で作られたものだ」

土御門「そうである以上、そいつは既存の医療技術でどうこうなるようなもんじゃない」

土御門「あんたの腕前の疑うわけじゃないが、まず間違いなく治療には時間がかかるだろう」

土御門「そしてその時間を許せるほど、今は余裕がある状況じゃない。 だから細胞の除去は俺達の手で行わせてもらう」

冥土帰し「君たち子供に問題を丸投げするのは、大人としての矜持が許さないんだけどね……」

冥土帰し「ただ、必要ないと言っているところに無理矢理介入するのも考えものか。
わかった、そのことについてはより詳しい君たちに任せるとしよう」

冥土帰し「勿論、不測の事態に備えて立ち会いはさせてもらうけどね?」

土御門「そうしてくれると助かる」

冥土帰し「となると、僕は君たちが仕事を終えた後のアフターケアをすることになるわけだけど、
具体的には何をすればいいのかな?」

土御門「それは――――」


土御門は冥土帰しに対し、自分達がこれから行う治療の方法、そして冥土帰しに行って欲しいことを伝えた。
嘘偽りなど一切ない。吸血鬼のこと、『吸血殺し』のこと、治療によって齎されるであろう事象など、全ての情報を開示する。
当麻は彼らしくないその姿に少しばかり困惑した顔をしていたが、それも無理からぬことだろう。


土御門元春は自他共に認める嘘つきであり、その何重にも張り巡らせた虚偽によって己の本性を覆い隠す。
そのようなことをする理由は、彼が科学と魔術を橋渡しする仲介役であり、
それと同時に双方の陣営に潜入している多重スパイであるがため。
蜘蛛の糸を綱渡りするかのような非情に危うい立場に立っている以上、
容易に他人に対し本心を見せるのは、ギロチンに自身の首を自ら晒すようなものだ。


だがそんな彼であっても、嘘をつくタイミングは弁えている。
冥土帰しは上条当麻の作戦を成功させる為の最重要人物だ。
彼の力無くしては、レミリアとフランドールを救うことは不可能。
ここで情報を出し惜しみしては、彼の十全な力を借り受けることは出来ない。


冥土帰し「……なるほど、君の話からするに、かなり大がかりなことになりそうだね?」

土御門「あぁ、少なくとも体の大半を欠損した患者を生きながらえさせるだけの設備が必要だ」

冥土帰し「となると、必要となのは失われた臓器の代替と、細胞の再生を促進する培養液、後は生命維持装置かな?」

冥土返し「培養液と生命維持装置は『妹達』の調整に使っているものを転用できそうだね?」

冥土返し「代替臓器はいくつかスペアがあるはずだから、彼女達の体型に合ったものを一通り用意しよう」

冥土返し「後は設備を置く場所だけど、結構規模があるから場所は限られるね?」

冥土返し「君達が作業を終えた後直ぐに執りかからないといけないから……土御門君、
どのくらいのスペースが必要なんだい?」

土御門「いや、場所はとらない。 そこら辺の診療台の上でもできる」

冥土返し「そうか、それは都合がいい。 なら設備を置く大部屋と診察室が近いエリア……
ふむ、5階の南西にある区画が丁度いいね」

冥土返し「至急、設備をその場所に設置するとしよう」


冥土帰しがそう言ってからの行動は早かった。


彼は手の空いた『妹達』や夜勤の看護師達に指示を出し、必要な物資を手際よく目標の場所に輸送させる。
1時間どころか10分もしないうちに齎された準備完了の報告に、当麻ならず土御門も心の底で舌を巻くことになった。


確かに彼が『超』のつく程の一流の医者であることは重々承知しているが、いくら何でも早すぎである。
彼だけでなく周囲のスタッフも優秀でなければ、こうも迅速な対応は出来ないだろう。
改めて冥土帰しの――――否、この病院の規格外さを二人は実感したのだった。



土御門「さて、果たして上手くいくかにゃー?」

パチュリー「今頃になって何を言ってるのよ、貴方は」



診察室へ向かう道すがら、土御門は独り言のように呟く。
それに対し、隣を歩いていたパチュリーが眉間に皺を寄せながら睨みつけた。



土御門「いや、今更ながら俺達のやってることは実に非合理的なもんだと実感してな」

土御門「この作戦は『吸血殺し』という存在だけを柱にして成り立っているようなもんだ」

土御門「それだけでも危ういってのに、肝心の『吸血殺し』は実体もよくわかっちゃいないものときてる」

土御門「常識的に考えれば、こんな作戦を実行するなんて正気の沙汰じゃない」

パチュリー「だから言ったじゃない。 馬鹿げた作戦だって。 そしてそれを黙認している貴方も大馬鹿者よ」

土御門「正論過ぎてぐうの音も出ないな。 ……そう言いながら、結局ここまで一緒に来てるあんたも同類だぜい?」

パチュリー「本当にね……」


ふぅ、と肩を竦めて溜息をつくパチュリー。
死んだと思っていた親友と再会し。そして再会したばかりの親友と死闘を繰り広げ。
親友に敗北した挙げ句、命を諦めかけたところを助けられ。
最後には親友を助けるべく、こうして一世一代の賭けに出ようとしている。


今日という日は、一人の人間が体験にするには余りにも濃密すぎる一日。
まともに自身の気持ちの整理をする余裕もなく、ここまで走ってきた彼女の心労は如何ほどのものか。
常人であれば疲労の色を隠せないはずであるが、しかし彼女の表情にはさほどの陰りは見られない。
むしろ体の重石が取れたかのような、少しばかりの清々しさが感じられた。



土御門「ま、兎も角これで俺達も背水の陣って訳だ」

土御門「『最大主教』に報告もしないで、現場で巻き込まれた一般人に諭されて博打紛いのことをしようとしている」

土御門「もしもばれたら大目玉……今まで築き上げてきた立場やら何やらが跡形もなく吹き飛ぶって寸法だ」

土御門「オレのスパイ稼業も、そろそろ卒業ってところかにゃー……」

パチュリー「私としては本さえ読めれば、後はどうなっても良いわ。 今の立場が惜しいわけでもないし」

パチュリー「図書館の管理はリトルにでも任せて、隠居生活もいいわね」

土御門「その歳でもう隠居か? 第一、『最大主教』がそんな悠々自適な生活を許すと思ってるのか?」

土御門「あの女狐ことだ、嫌がらせで読書とは無縁の猫の手を借りたいくらい忙しい部署に配属されるぞ」

パチュリー「……………………心配いらないわ。 もしそうなったら、跡形もなく吹き飛ばしてあげるから」

土御門「おぉ、怖。 世界広しといえど、『最大主教』に正面切って攻撃仕掛けられる奴なんか片手で数えられるかどうかだぜい」


腕を組んで怯える仕草をする土御門であるが、その隠そうともしない口角の釣り上がった顔を見ては説得力など皆無である。
しかしその不敬な姿を見た当のパチュリーは、何も言うことなく黙って歩くばかりであった。



上条「大丈夫さ」

土御門「何?」



そんな会話をしている二人に対し、前を歩く当麻が不意にそんな言葉を零す。
怪訝な顔をする一同に向かって振り返る彼の顔には、不安の感情など一切見て取ることは出来ない。
その代わりに張り付いている感情を言葉で表すとするなら、それは『確信』。
そう、彼は自分の考えた一連の策の成功を確信している。



土御門「随分と自信満々だな、カミやん。 ……何か根拠でもあるのか?」



余裕を持ちすぎている立案者の顔を見て、土御門は不可解そうに眉間に皺を寄せて問い質した。
すると当麻は少し困ったような、嬉しいような嬉しくないような、何とも言い難い表情をしながら頬を掻く。



上条「ちょっと、思うことがあってな」

土御門「は?」

上条「いやさ――――――――」











上条「『不幸の避雷針』なんて呼ばれてる俺がいるのに、俺を差し置いて不幸になる奴なんているわけないだろ?」
だから、あいつ等に『人間に戻れない』なんて不幸が起きるわけないさ」










今日はここまで
質問・感想があればどうぞ

やべぇ、話が纏まんねぇ。残りはそれぞれの視点のエピローグを書くだけなんだが
後レジェンドでワイルドなゲームのせいで時間ががががg

というわけで次投稿には時間がかかりそうです。申し訳ない

これから投下を開始します






     *     *     *






ふと気がつくと、私は地面に仰向けに寝そべっていた。
眠りから覚めたにしては、余りにもあっさりし過ぎている目覚め。
電球にスイッチを入れたかのような覚醒に違和感を覚えつつも、私は目の前の光景に意識を向ける。


空を見上げた瞳に映るのは、木立の隙間から顔を覗く血のように紅く染まった満月のみ。
星の姿は見受けることは出来ず、その瞬きを望むことは叶わない。
心なしか月から発せられる赤い光が、まるで質量を持っている液体のように空を舐め回っているように見える。
もしやあの光は、月が食らった星々の血液だとでもいうのだろうか。


一瞬過ぎった思考に、不快感が胃の奥底から広がり、体の末端まで染み渡る。
その悪寒から逃げるかのように、私は弛みきった体の筋肉を叩き起こし、ぎこちない動作で上半身を起こした。

すると次に視界に飛び込んできたのは、自分を包囲するかのように立ち並んだ木々。
鬱蒼と生い茂った森は月の光が地上まで落ちることを許さず、地を這いずり回る深淵達に闇の楽園を提供している。
そのおかげで目が届く範囲は自身から数メートルといった有様であり、
『一寸先は闇とはこのことを言うのか』などと場違いな考えが浮かぶ始末。


無音が一帯を支配している。風の音どころか、生命の息吹さえも感じられない。
これほどまでに緑が生い茂っているというのに、鳥の囀りも、虫の羽音さえも聞こえないのだ。

『緑の砂漠』とも表現できるだろうか。それ程までにこの場所には命の気配が存在しなかった。
自身の乱れた呼吸の音が耳を突き抜け、心臓の鼓動が体を大太鼓のように叩き続けている。
自分が生きているという感触。それがどうしようも無く気持ち悪く、私の心をぞりぞりと削っていく。

この感情は『孤独に対する恐怖』だ。それが私を押し潰そうとしてくる。
心の奥底から湧き出す悪寒。それを抑えようと、身を抱えたくなる。大声で叫びたくなる。
昔、私が過ちを犯してしまった頃に散々感じたそれに、非常によく似ていた。


私はその状況に耐えきれずに立ち上がり、そして行く当ても無いのに足を動かし始める。
その足が向かう先は闇。何処の方角を向こうとも闇しかないので、選択肢など初めから在りはしない。
紅く染まった木漏れ日が地面に残す、血痕のような斑点だけを頼りに前へ前へと進んでいく。

ガサガサという落ち葉の音。パキパキという枯れ枝の音。それらを音楽にして、私は道無き道を歩んでいく。
それからしばらくした頃、私は何やら開けた場所が先にあることに気づいた。
逸る気持ちを抑えつつ、それでも足が早歩きになることは抑えきれずに先を目指す。


そしてものの数分もしない内に森を抜けた私は、目の前の光景に思わず息をのんだ。
広がるのは、向こう端の木々が針の先のように小さく見える程の広大な湖。
四方八方を森で囲まれた中にあるこの場所は、まるで世界のヘソのようだ。
風波一つ立たない湖面は巨大な鏡のようであり、空の月を模様の細部までくっきりと映し出している。
空の月と地上の月。その二つは双眼のように、湖岸に立ち尽くす私を睨んでいる。


幾許の間呆然としていた私は、妙なものが視界の中にあることに気がついた。


館だ。それもかなり大きい。

私もそれなりに大きな家に住んでいるけれど、目の前にある建物はそれ以上だ。
何せ遠目から見ても分かるくらい大きな塀がある。私の身長の5倍くらいの高さがありそうだ。
加えて館と塀の遠近から考えれば、塀の中も相当な広さだろう。最早、『城』と表現しても良いかもしれない。
屋上から突きだした、巨大な時計盤が備え付けられた塔がより『それっぽさ』を醸し出している。


湖の畔に聳え立つ城。ただの人がその言葉だけを聞いたならば、さぞ荘厳な情景が脳裏に浮かぶことだろう。
だが今私の目の前に映る建物は、人々が思い描くようなものとはかけ離れたものだと断言出来る。それは何故か。

『紅い』のだ。屋根の色が紅いとか、紅月の光に照らされているから壁が紅いとか、そんな次元ではない。
『全てが紅い』。空からペンキをぶちまけられたかのように、真紅に染め上げられている。
唯一の例外は時計盤だけだ。その部分だけがくり抜かれたかのように白かった。


そんな異様な雰囲気が漂う建造物に対し、私はどうしてなのか、その目を離すことが出来なかった。
まるで眼球が固定されたかのように、視線を逸らすことが出来ない。
それどころか、無性にその場所に行きたいという感情が湧いてくる。
そして何よりも不思議なことは、その事実に微塵も不快感を覚えないことだった。


ふらふらと、何かに操られたかのように、足が勝手に動き出す。
あの妖しい建物に向かうような、さしたる理由などある筈がない。
そもそも、何故この場所にいるのかさえ分からないのだから。


それだというのに、私の足が止まる気配はない。
理由なんてないのに、そこに行かなければならないという考えが振り払えない。
そもそも振り払おうにも不快感がないのだから、私がその正体不明の誘惑に抗える道理などなかった。


視界が壊れたテレビのようにコマ落ちする。

ある時には、私は湖畔の傍を唯々歩き続けていた。
ある時には、私は浮遊感と共に空の月を見上げていた。
ある時には、私は体に風を受けながら湖の上を進んでいた。

意識が定まらない。麻薬を打ち込まれたかのように、心地よいしびれが全身を支配している。
私の眼が映す光景を、脳が解釈することが出来ない。
明らかに異常なものな、それを異常と判断することができない。


どれ程の間、そんな状態になっていたのだろう。
始まりがあやふやで、過程すらも定かでないのに、そんなことがわかるはずがない。
ただ、終わりだけは明白だった。豆電球に電気を通すように。パチンという幻聴が聞こえそうなほどはっきりと。
私の意識は、突然微睡みの中から引きずりあげられた。


眼前に聳えるのは、先ほど遠目で見ていた紅の館。私はその門前に立っていた。
重量感のある鉄柵の門に右手を触れると、それは想像に反して驚くほど簡単に開かれる。
その動作には殆ど重さを感じさせず、自分から勝手に動いたかのように。
まるで私を招いているかのようにさえ感じられた。

今日はここまで
質問・感想があればどうぞ

ネタが浮かばないせいで滅茶苦茶短くてなってすまない……

このSSまとめへのコメント

1 :  SS好きの774さん   2015年06月05日 (金) 15:21:52   ID: G-KpbNY-

続き期待します

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