時雨「黄昏の時刻」 (26)

短めです。
9割方書き溜め済み。誤字脱字直しながら投稿します。

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海を見下ろす丘の上。
時雨の黒髪が、向い風に揺れる。
一羽の鴎が黄昏の海原へと飛び立っていく。
次第に小さく消えゆく鴎の白が、燃える夕陽の紅に塗りつぶされる。
足元には、一輪の花がひっそりと咲いている。

かつて白露型の仲間は、輝かしい戦果を挙げた。けれど、もう誰も残っていない。
連日の猛攻を受け、戦局は衰落の一途をたどる。そして、もう誰にも止められない。
真珠湾上空にト連送が鳴り響いたあの瞬間、命と平和を費消する泥沼の惨劇が始まった。
しかし当初精強無比を誇った島嶼防空網も、潤沢な資源補給線も、
幾つかの致命的な敗北を経て破断され、後はもう一方的な蹂躙が繰り返されるだけだった。

それでも艦娘は戦い続ける。
それは、底の知れない奈落への永遠の墜落に等しかった。
閑散とした浜辺。誰もいない演習場。置き去りにされた長椅子。
もし艦娘が一人残らず海底に沈んでも、それでも世界は廻り続ける。
だとすれば、自分は何のために存在するのか。何のために戦い続けるのか。

そんな当たり前の疑問を抱くことも、時雨には許されなかった。
諦観に呑まれ絶望に伏すことも、安寧を求め感傷に浸ることも、許されなかった。
なぜなら、彼女は兵器であったから。
破壊と殺戮を忠実かつ正確に遂行することだけを求められる存在であったから。

数時間前、時雨は西村艦隊の一員としてスリガオ海峡への突入を命じられた。
南西諸島との補給線を死守すべく、フィリピン海の制海権を確保する、と。
そのために、深海棲艦及び輸送船に打撃を与える、と。
「了解しました、提督」
時雨は迷うことなく受け入れた。
兵器が口にできるのは、応諾の言葉だけだった。

夕凪を終えた風が向きを転じ、再び時雨に吹き付ける。
水平線に飲まれる夕陽の死に様を見届けてから、時雨は海に背を向けた。
寄せては返す波の音から遠ざかるように、兵舎に向かう。
空は急速に暗転し、月は輝き星は瞬く。
時雨はそれらに一瞥もくれず、ひたすら前を向いて歩き続ける。

丘に咲く一輪の花は、時雨が去った後も、夜の海を静かに見つめていた。

時雨が会議室の扉を開けると、同じ命を受け僚艦となる艦娘が揃っていた。
戦艦扶桑・山城、航空巡洋艦最上、駆逐艦山雲・満潮・朝雲。
編成目的が告げられずとも、囮であることは明らかだった。
それでも旗艦を務める山城は、作戦会議で笑顔を崩さない。
「よろしくお願いしますね、みなさん」
「よろしく」
「よろしく」

月並みな挨拶が交わされ、死への旅路を共にする予感が、静かに場を支配する。
仮想演習が始まる。
進行役の山城を除いて、全員が押し黙る。
希望的観測の机上に、楽観的な空論がばら撒かれ、最初から予定された勝利の帰結が示される。
死の予感が確信へと変わる。
形骸化した仮想演習を無意味だと指摘する者は、誰もいない。

淡々と時間だけが過ぎ去った。
作戦会議が終わり、解散が伝えられた。
各々は言葉少なに自室へ向かう。
同じように自室に戻ろうとした時雨に、山城が声をかけた。

「時雨さん。貴女にお話があります」
「僕ですか? 何でしょうか」
山城はただ部屋に来るよう告げ、扶桑と共に背を向けた。
一歩一歩ゆっくりと、噛みしめるように歩みを進める二人の後に、時雨は黙って付き従った。

薄暗い廊下を言葉もなく歩き続け、やがて目的地に辿り着く。
個室に招き入れられた時雨の背後で、扶桑が扉を閉めた。
空間が外界と隔絶され、否が応にも空気が張り詰める。
掛け時計の針が、コチコチと単調な音を立てる。

時雨が椅子に腰を下ろすのを待って、山城は、
「時雨さん。貴女は幸運艦と言われていますね」
と、語りかけた。

山城も扶桑も、幸運艦とは言い難い艦歴を持っている。
返答に窮する時雨に、山城はさらに言葉を進める。
「私たち姉妹は、明日が恐らく最後の出撃となるでしょう。
でも、たとえ捨身の囮でも、私たちは幸せです。
たとえ幸運に恵まれなくても、艦娘としての使命を全うできて、幸せです」
「……そう、ですか」

扶桑が緑茶を入れて、時雨に勧めた。
時雨はそれを少しだけ口にした。
熱かった。茶葉の香りが広がった。
時計の針が音を立て、山城はさらに語り続ける。

「私たち姉妹にも、感情はあります。沈みたくない。死にたくない。
艦娘は、ただの兵器ではありません。
時雨さん。貴女は、感情なき兵器よりも、命ある艦娘の命懸けの献身に価値を見出すことは、間違いだと思いますか」

時雨は逡巡した。
山城は言葉を継がずに返答を待つ。
時計の針は回り続ける。
一秒一秒を刻む針が一回りした時、ようやく時雨は口を開いた。
「絶対に間違いだとは、僕には言えません。
でも、感情が兵器としての行動に支障を生むことはあると思います」

山城は微笑んだ。
時雨の答えを予想していたようだった。
「時雨さん。私たちは、兵器としての心得と、艦娘としての生き方を、それぞれ別々に大切にしてもいいと思っています。
私たちは貴女のことをよく見ていました。明日の作戦の前に、これだけは伝えておきたかった」

コチコチと時計が針を進め、幾度目かの周回を終えた時、山城と扶桑が髪飾りを外した。
「時雨さん。これを貴女にお貸しします。明日の出撃には、これを付けて下さい。お守りです」
「私のものもお貸しします。今日のお話、心に留めておいていただけると嬉しいです」
「……ありがとうございます」
張り詰めた空気が和いだ。

とりとめのない雑談の微温にひとしきり浸った後、山城と扶桑の笑顔に送り出され、時雨は部屋を後にした。

もう日付が変わる時刻になり、兵舎は寝静まっている。
あまり足音を立てないように、自室への廊下を進む。
途中でふと、窓から差し込む光に誘われ、窓辺から夜空を仰いだ。

無数の星々が漆黒の闇の中に煌めいていた。
美しかった。
見事な星空だった。
この光景を眺めているのが自分だけだということが、惜しいくらいだった。
思わず外に駈け出した。
夕暮れの落日を見届けた丘で、再び頭上を見上げる。
時雨は驚嘆した。
満天の星空はこんなにも眩しいものかと。
この世界はこんなにも美しいものかと。
地べたに腰を下ろすと、一輪の花が時雨に微笑した。
時雨は心に誓った。
絶対に全員で無事に帰還しよう。絶対に平和な海を取り戻そう。
胸が熱くなる程の決意は、時雨には初めての経験だった。

それから24時間後。
暴風雨の吹き荒れるスリガオ海峡で、時雨が見たのは、無残な悲劇だった。
深海棲艦の精密な電探観測射撃と際限のない雷撃に、濃霧に惑う西村艦隊は一蹴された。
まず山雲が真っ先に被雷轟沈し、満潮は白熱した艤装が爆発して左腕を失った。
扶桑はその身を両断され、朝雲は頭部を吹き飛ばされて、潮流に流されていった。

次第に風雨は弱まり、濃霧が晴れていく。
しかし残る山城や最上と共に懸命の反撃を試みても、深海棲艦には一切通用しなかった。
やがて山城は執拗な雷撃に力尽き、最上は無数の砲撃を受け炎上した。
時雨はただ、見ていることしかできなかった。
傷付き殺されていく仲間を前にして、時雨は何もできなかった。
深海棲艦は、ただ漂っているだけの扶桑と朝雲に止めを刺し、時雨を猛追した。
時雨は退避しようとして初めて、自らの舵が故障していることに気が付いた。

ずっと前から、心のどこかで分かっていた気がした。
この戦いに勝つことはできない、と。
真珠湾のト連送は致命的な過ちだった、と。
いつまでも戦いを続けると、艦娘は誰一人生き残れない、と。

それでも時雨は今、一人の艦娘として、生き残りたいと思った。
昨夜の星空と花は嘘ではないと思いたかった。
決して落とさぬよう、髪飾りを固く手に握り締めて、時雨は駆ける。
絶え間ない砲撃が轟き、炸裂した爆薬が海面を瞬時に沸騰させる。
夥しい数の魚雷が、酷烈な殺傷力を孕みながら静かに迫り来る。
狂った舵を懸命に操り、時雨はひたすら疾駆した。

数時間にわたる追撃を振り切り、結局僚艦で生き残ったのは、時雨だけだった。

帰投した時雨は、昨夜の丘から海を眺めた。
時雨の黒髪が、雨上がりの風に揺れる。
時雨は、夕陽の末期の一筋が消えるまで、いつまでも水平線を見つめていた。

やがて夕闇が迫り、海色は紫紺から純黒へ転じていく。
腰を下ろすと、一輪の花が咲いている。
空を見上げると、満天の星の海が広がっている。
形見となった髪飾りは、星の光を微かに返していた。

鎮守府はいつまでも、消えた艦娘を待ち続ける。

けれど一戦一戦を終える度、濃密な死の気配はひっそりと滲んでいく。
帰らぬ艦娘の弔いに、慰霊碑に、捧げる花に、想い出に、そして自らの死の予測に。
兵舎は徐々に頽廃の色を帯びていく。
静寂の中庭。人影のない食堂。宛先を失った手紙の束。
幸せも不幸せも区別なく、現実は冷ややかに過ぎていく。

それでも時雨は、艦娘として生き続ける。
たとえ仲間を一人も救えなくても、たとえ自らの死が約束されていても。
雨は、いつか止む。
止めば、あの美しい星空をまた仰ぐことができる。足元の花に笑いかけることができる。
艦娘として生を享けた意味が、時雨はようやく解った気がした。

西村艦隊の惨劇から四ヶ月後。

夜明け前の輸送任務の途上、時雨もまた、海の波間に消えた。
最期の瞬間、瞑目する時雨は瞼の内に、夕陽に消える一羽の白い鴎を見た。
その頭上では美しい星空が、あの丘からは一輪の花が、沈む時雨をいつまでも見守っていた。

終わりです。
史実が辛くて、長くは書けませんでした。

次は少し雰囲気を変えて、飛龍か瑞鶴で書きたいなぁと思っています。
ありがとうございました。

スレタイに【艦これ】って入れ忘れた上に>>1にも「艦これ」って書き忘れました……
これは艦これSSです!すみませんでした……

雰囲気変えるのはギャグ系とか?

>>23
未定です……が、ギャグ系ではないと思います
史実を描くのは難しいなと感じたので、普通にエンタメ要素を入れて独自展開にするのもアリかな、と。
まぁ逃げなのかも知れませんが……。次はもっといいものを、と思ってます。

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