末妹「赤いバラの花が一輪ほしいわ、お父さん」 (旧タイトル【BとYとK】) (1000)

※以前書いて中断した『BとYとK』の改訂版です※

昔々の物語。とある国、南の港町、初秋の暖かなある日。

商人「今回の旅はまず王都へ、次に北辺都市へ立ち寄ったら、まっすぐ帰るよ」

商人「さて、子供達。お土産は何がいいかな?」

長姉(19)「最新デザインの飾り付き帽子♪」

次姉(18)「大粒真珠のネックレス♪」

長兄(20)「特にないけど…どうしてもと言うなら趣味の木彫用の新しいナイフを」

次兄(16)「なめしていない熊の毛皮……」

末妹(14)「私は何もいらないから、元気に帰って来てね、お父さん」


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長兄「ははは、末妹は本当に欲がないな」

長姉「ふん、何よ、またいい子ぶって!」

次姉「お父さんに一番可愛がられているからって、調子に乗んじゃないわよ!」

商人「はっはっは、子供のくせに遠慮するんじゃない」

商人「赤珊瑚の指輪、ガーネットの耳飾り、何をねだっても構わんぞ」

末妹「それじゃあ…お花」

末妹「赤いバラの花が一輪ほしいわ、お父さん」

商人「わかった。赤いバラだな? きっ持ち帰るよ」

商人「では出かけるぞ。みんな留守を頼むよ」

商人「さあ愛馬、馬車をしっかり引いてくれ」ピシッ

馬「ひひーん!」

数日後、北辺都市から少し離れた土地、商人は帰途についていた。

商人「どうにか仕事も順調だったし、帽子とネックレスは王都で、木彫ナイフは北辺都市でいい物が見つかった」

商人「熊の毛皮は少し苦労した…どちらの街でも、毛皮工房にさえ在庫がなくて」

商人「北辺都市の郊外の村で、ちょうど家畜を襲った熊が仕留められた話を聞き」

商人「仕留めた猟師から買い取ったのだが…加工していない毛皮は本当に臭いな……」

商人「末妹のバラの花だけは、最盛期ではないためか、どこの花屋でも品切れ…困ったなあ」

商人「……おや、こんな森の中を通るのはおかしいな? まずい、一旦馬車を止めよう…どうどう」

馬「ひひん?」 ピタッ

商人「困った。夜中なのに、本格的に道に迷った…しかも人家が見当たらない」

商人「そう言えば…子供の頃に聞いた言い伝えでは、北の国境付近には……」

商人「近隣の人々が決して足を踏み入れない呪われた森がある、と…」

商人「もしかして、この辺りではないのか?」

わおおーーーーん

馬「ぶひ?ひんひーん!」

商人「馬が怯えている、落ち着いておくれ」

商人「遠吠えは狼か野犬かわからんが、無人の小屋でいい、少しでも安全な場所を探さないと」

ガサガサッ

馬「ひんっ!?」ビクッ

商人「頭上の梢が揺れている…大丈夫、小さな動物だ。それに、もう行ってしまった」

商人「おっ? 遠くに灯りが見えるぞ。行ってみよう。ハイヨー!」 ピシーリ

馬「ひん!!」

馬車:ガラガラガラガラ……

商人「森の奥にこんなに大きな屋敷があったなんて…もしもし、どなたか……」

呼び鈴:カランカラン

商人「誰も出て来ないが、門は開いている。入ってみよう」

商人「馬は庭木につないで、と。塀が高いから、門を閉めておけば狼だって入れまい」

商人「玄関のカギも開いていて、屋敷の中に入れたぞ。しかし誰にも出会わない」

商人「この部屋からいい匂いがする…温かい料理だ。おや、手紙が置いてある」

手紙『夜道に迷った旅人へ。作り置きのスープと簡単な料理ですが、ご自由にお食べください。料金は取りません』

商人「まるで私が来るのがわかっていたみたいだ。しかし、信用していいものか……」

料理の湯気:ほんわり~

ぐうううううううううううううううう

商人「うう、腹の虫が…馬車には携行食もあるが…我慢できない。いただきまーす!!」

商人「ふう、美味しかった…ごちそうさま」

商人「豆のスープに温めたパン、できたてのオムレツ、添えてあった野菜も新鮮だ」

商人「どなたか存じませんが、本当にありがとう……」

商人「ん? 皿の下に手紙が挟まっている」

手紙『お腹は膨れましたか? では、この応接間の隣の客間でお休みください』

商人「なんと」

手紙『ベッドは整えてあります。朝までごゆっくり。但し、他の部屋の扉は決して開かぬように』

商人「本当に不思議な話だが、ありがたい。お言葉に甘えて休ませてもらおう」

商人「そうだ、庭につないだ馬は?」

手紙の続き『馬にも水と飼い葉を与えて、休ませています。安心なさい』

商人「至れり尽くせりとはこのことだ。ああ、気が緩んだら眠くなって来た。客間に行くとしよう」

翌朝……

スズメ:チュンチュン

商人「もう朝か…ふわあ、よく眠れた。おや、枕元にまた手紙が」

手紙『おはようございます。疲れは取れましたか? お目覚めのミルクティをどうぞ』

商人「いつの間に、淹れたてじゃないか。…これも美味いな。手紙の続きは…」

手紙『部屋の片付けは気になさらず、どうかこのままお帰りください』

商人「屋敷の主人に挨拶もしないのは気が引ける。それに、道が……」

手紙『街道に戻るための地図を馬車に置いてあります』

商人「何か人に会いたくない事情でもあるのか? ならば、早々に立ち去るのが礼儀なのだろうな」

馬「ひひひん!」ゴシュジンサマー

商人「お前もゆっくり休めたようだな」ガチャ

商人「本当に地図が置いてある。ポケットに入れて行こう」ガサガサ

商人「……おや? 昨夜は気付かなかったが、バラの香りがどこかから漂ってくる」

商人「バラ…赤いバラ…末娘への土産……」

商人「だめだ、人様の庭、人様のバラ。しかも、恩人の」

商人「それとも…せめてこの目に焼き付けて、土産話として語ってやろうか?」

商人「そうだ、それがいい。きっと美しく咲いているだろう、見るだけ……」フラフラ

馬「ぶるる…?」トコトコ

商人「すごい、裏庭は一面バラが満開じゃないか!!」

バラの花:色とりどり~

バラの香り:漂い~

商人「あの赤いバラの木はひときわ見事だ、今まで見たことがないほど」

商人「…こんなにたくさん咲いているんだ、一輪、たった一輪だけ折り取るなら……」

商人「心優しいこの家の主人なら、許してくださるはず……」

パ キ ン

恐ろしい声「グゥオオオオオオオオオオオオオオオ!!」

商人「!?」

馬「ひいん!?」

恐ろしい声「親切の恩を仇で返すか、裏切り者!! 許すわけには行かん!!」

商人「こ、このお屋敷のご主人様ですか!?」

恐ろしい声「暖かい料理と柔らかなベッド、帰路の安全、それでは足りぬと言うか、強欲な男め!」

商人「…あ、ああ、なんて恐ろしい姿の人物だろう……」

馬「ガクガクガクガク」

商人「服を着て、二本の足で立ち、人語を発しているが……」

商人「熊のような巨体、毛むくじゃらの顔と大きな牙、頭の尖った耳、ギラギラ光る紫水晶のような瞳」

商人「…これは人間ではない、獣、荒々しい野獣だ……」

恐ろしい声の主(以下野獣)「今までなぜ姿を現さなかったか、わかるか? 貴様を怖がらせないためだ」

野獣「きっと善良な旅人だろうと、一宿一飯を与えた。なのに…盗人だったとは!」

商人「ゆ、許してください、いえ…申し訳ありません、お屋敷のご主人様……!」

野獣「土下座しても遅いわ! 貴様が手折った大切なバラ、その命で償ってもらう!」

商人「わ、私の命でよいのなら差し出しましょう……」

商人「しかしその前に一度だけ…家に帰らせてください」

野獣「たわけた事を!」

商人「い、家には5人の子が私の帰りを待っています」

商人「最期の別れとして、一目会いたいのです……」

野獣「ふん、残念ながらお前の妻はこのまま子持ちの未亡人となろう」

商人「私の妻…子供達の母親は、何年も前に亡くなっておりまして」

商人「特に末の娘は14になったばかり、父親までこのまま帰らなければ、どんなに悲しむ事でしょう……」

野獣「……」

商人「私は商人、南の港町で雑貨店を営んでおりますが、末の娘は看板娘として皆から愛されております」

商人「それもあの子が働き者で人懐っこい、心の優しい、謙虚な娘だからです」

野獣「この私に、両親とも失う娘を哀れんでもらって、解放されようという算段か? はっ、流石は商売人だな」

商人「…お洒落に目覚める年頃になっても、ドレスや宝石など一度もねだったことのない子」

商人「今回も、お土産には赤いバラ一輪を、と……」

野獣「…その娘のためのバラだったのか?」

商人「は、はい。それも、最初は私が無事に戻れば何もいらない、と言ったのです」

商人「どうしても土産を持ち帰ってやりたくて、無理にねだらせたのは私です」

野獣「親の自己満足だな。全く、人間というものは……」

商人「返す言葉もございません……」

野獣「よかろう。一度家に帰るがいい」

商人「ほ、本当に!?」

野獣「しかし、条件がある。その娘を伴って、ここへ戻って来るのだ」

商人「えええっ!?」

商人「な、なぜです、私の代わりに、娘の命を奪うと仰るのですか!?」

野獣「14年しか生きてない子供の命を奪ったところで、何の埋め合わせにもなりはしない」

野獣「私にとって、必要なのは生きている娘、意味があるのは娘の今後」

商人「そ、そ…そ、それは、つまり…つつつつつ、妻に娶りたいと、そういう意味ですか!?」

商人(女の子には殺されるより恐ろしい話じゃないか……!)

野獣「………………」

野獣「……私の目的を……貴様に説明してやる義務なんぞ、これっぽっちも、ない」

野獣「私にお前が殺されるか、娘を差し出すか、貴様はただどちらかを選ぶだけだ」

商人「く、くうううう……」ギリギリ…

野獣「戻ってくる時には、狩人や兵隊…お前の子以外の人間を連れて来てはならんぞ?」

野獣「私は魔法が使えるからな、そんな連中はどうにでもできるのだ」

商人「ま、魔法……。ぜぜぜ絶対そんなことはしません!神に誓って!」ガタガタ

野獣「では期限を決めよう。家は南の港町と言ったな」

野獣「では、5日後までに必ず来るように。これだけあれば充分だろう」

商人「さすがに無茶です! どんなに馬を急がせても片道で二日、いやそれ以上かかりますよ!?」

野獣「罪なき馬を酷使しろとは言わぬ」

野獣「私の魔法の地図に従えば、二日かかる道なら二時間で着く。そして……」

野獣「…上着のポケットに地図が入っているな? 手間が省けた」ポワーン

商人(…? 何が起きたんだ?)

野獣「後日ここに戻って来る時も使えるよう、追加の魔法をかけたのだ」

野獣「私の地図を信じなければ何日かかるか、いや、辿り付く事も不可能だろう」

野獣「で、期限までに戻って来なければ…どうなるか、察しはつくな?」

商人「……」

野獣「貴様にかける最後の情けだ。裏切るでないぞ?」

商人「…はい…承知致しました……」

野獣「あと、バラはそのまま持って行け。二度と元の木には戻れないのだからな」

それから数時間後。

馬の足音:闊歩、闊歩…

商人「困ったことになった……」

商人「子供達に…末妹にどう言えばいいのか……」

商人「…野獣のくれた地図、これ自体には、大きな道以外はまともに地形が描かれていないのに」

商人「動く赤い点が浮かんで道を示してくれる。本当に不思議な地図なのだな」

商人「…そして、野獣が魔法を使えるのも本当だ……」

商人「南の港町へ続く街道が目の前に…本当に二時間ちょっとしか経っていないぞ」

商人「お、赤い点が勝手に消えた」

商人「行きずりの旅人に、親切にしてくれた上、こんな珍品を渡してくれたのか」

商人「なのに、ああ…私はなんという愚かな事を……」

商人「家まであと少しだが、こうも足取りの重い帰宅は初めてだ……」

馬「ひん……」ションボリ

馬車:ガラガラガラガラ……

同日、南の港町、商人の家。

長兄「ええっ、またその屋敷に戻るって父さん!? しかも末妹を連れてなんて!」

長姉「末妹のせいよ! あんたがそんなもの欲しがるから!」

次兄「…あああ、まだ脂の残る熊の毛皮…むせかえる獣の臭い…堪らないよお」クンカクンカスーハー

次姉「あんたは相変わらずね、変態弟……」ケーベツ

末妹「お父さん、私をそこに連れて行って。お父さんが死んでしまうより、ずっといい方法だもの」

長兄「末妹、何を言うんだ! 俺が行くよ、父さんと二人で屋敷の主人を説得しよう」

長姉「あーウザい、末妹の偽善者発言が始まった」

次姉「行けば最後、帰りたいと泣いても通用しないのに、バカな子」

商人「しかし、約束を破れば私だけじゃない、お前達もどんな目に会うか……」

商人「何しろ相手はヒトではない、不思議な魔法の力を使う野獣なのだから」

次兄「…野獣?」ピクッ

次兄「父さん、屋敷の主人とは、人間ではなく、獣なんですか!?」ずいずいずい

商人「次兄よ、近い近い…あと獣臭い、毛皮を置け」

商人「…どんな決断をするにせよ、もっと詳しく話す必要があるな。実は……」

~かくかくしかじか~

商人「…という訳だ……」

長兄「やっぱり俺が末妹の代わりに行くよ。銃も持って行こう、野獣を倒してやる!」

次姉「だめよ、兄さん! お父さんだけじゃなく兄さんまでいなくなったら!」

長姉「そうよ、姉妹とこんな弟とだけ家に残されても、今までのように生活できない!」

商人「既に私は恩を仇で返して野獣を裏切ってしまった、もう約束は破れない」

商人「だが…その上でもう一度、野獣と話し合ってみよう」

末妹「私はもう決意しています。約束通り、お屋敷に行きましょう」

商人「約束は破れない、破れないが…お前のような小さな娘を…私はどうしたら……」

末妹「やだ、お父さん。私が小さいのは見た目だけで、もう14よ、知っているでしょ?」

末妹「それに私、頑固よ。行くって決めたらもう譲らないんだから!」

商人「…父さんには充分過ぎるほど小さいよ…末妹」ギュウ

次兄「一緒に行きます、お父さん、末妹!!」

商人「次兄!?」

末妹「お次兄(にい)ちゃん!?」

次兄「…野獣は末妹を連れて来いとは言ったけど、二人だけで、とは言ってないんだろ?」

次兄「それに父さんの子供以外の人間はダメだと言うなら、俺が同行しても約束破りにはならない」

次兄「相手の約束事にうるさい性質を逆手に取るんだ」

長兄「そうだけど…だったら長男の俺が……」

次兄「長男だからこそ家に残ってくれ。姉さん達を頼むよ!」キリッ

次姉「家にほぼ引きこもりで体力もない、ガリガリのドチビのくせに」

長姉「一日中毛皮を弄んで動物の絵ばかり描いている次兄が、何の役に立つんだか」

長姉「それにしても…その魔法を使える野獣だか怪物だかは、末妹をどうするつもりかしら?」

次姉「姉さんそれはアレよ。娘を連れて来いって事は嫁に寄越せって話」

長姉「あー……」ナルホド

長姉「でも、それが見た目10歳の小便臭いチビっ子じゃあ…怪物だって期待外れよね」

次姉「気に入らなければ胃袋に直行でしょ、ましてや余計なおまけの次兄は」

長姉「だけど約束を破れば家族皆にも危険が及ぶのなら、どうしようも無いわよ…ね?」

次姉「どうしようも無いわ。それとも姉さん代わりに行く?」

長姉「とんでもない!! なんで私が!?」

長姉「だいたい末妹がバラなんか欲しがったからでしょ!!」

次姉「そう、だから他に道はないの」

次姉「前向きに考えるの。引きこもりで変人の次兄とガキんちょの末妹がいなくなるのよ」

長姉「あ、家計の使い処が減った分、こちらに余分に回って来るかも」

次姉「その通りよ」

次姉(それに…お父さんの関心もね)

次姉「お嫁に行くまでは、それなりに良い暮らし続けさせてもらいましょ、私達……」

あれよあれよと日は過ぎ出発前夜、末妹の部屋。

長兄「末妹…荷造りは済んだか?」

末妹「あまり多くの物は持っていけないと思うの。カバン一つ分だけよ」

末妹「お母様が私に直接くれた十字架は持って行くけど」

末妹「他のアクセサリーは…前から欲しがっていたお姉さん達にあげて?」

末妹「これもお母様の形見だから、お姉さん達がこれからも使ってくれた方がいいと思うの」

長兄「あの二人の事まで気遣って…そもそも、お母さんの形見なら公平に分けられた物なのに欲しがるなんて」

長兄「おまけにこんな日に、男爵家のパーティーに出かけるとは……」

末妹「前から楽しみにしていたもの、仕方ないわ」

長兄「これも持ってお行き。俺が作ったものだが、お守りにしてくれ」

末妹「木彫りの聖母様の像…ありがとう!」

長兄「…お前の友達にお別れする時間は取れなかったなあ」

末妹「うん…だからね、お友達みんなに手紙を書いたの」

末妹「『遠い親戚のお家にしばらく行って来ます』って、これなら心配かけないでしょ?」

末妹「それぞれ宛名を書いた封筒に入れたから、お願い……」

長兄「ああ、みんなに渡してあげるよ」

次兄「兄さん、俺は毛皮…死んだ毛皮を卒業する」 ヌッ

末妹「お兄ちゃん」

長兄「唐突になんだ次兄」

次兄「動かない毛皮のコレクションより、もっと素晴らしいことを始めたいのさ」

次兄「言わばそれは昨日までの自分との決別。少年から大人に変わる男の決意の表れだ」

長兄「…よくわからんが、末妹のため勇気を奮い立たせてくれたお前を尊敬しているよ」

次兄「奮い立つのは勇気だけじゃないけどね。とにかくこれを受け取ってくれ」

長兄「お前が今まで溜めこんだ毛皮?」

長兄「…一番新しいはずの熊の毛皮…腐敗臭が混じってきてないか……?」

次兄「その毛皮だけは加工していないので仕方ない」

次兄「しかし工房に頼めば、防寒具か何か作ってもらえるだろう。本来の目的に役立てるべきだ」

長兄「わ、わかった。有効に使わせてもらうよ」

腐りかけの毛皮:臭気ぷ~ん

長兄「…オエエ」

長兄「…次兄は人付き合いは苦手だが、色々な本をたくさん読んで、そのせいか妙な所で(だけ)頭が回る」

長兄「きっと俺には思いもよらない事を考え付いて、末妹の助けになるだろう」

長兄「末妹を頼んだぞ」

次兄「まかして」

そんなこんなで、翌朝。親子3人は野獣の屋敷に向かった……

野獣「期限いっぱいだが、約束は守ったな、商人。まずお前ひとりが降りるんだ」

商人「……」ガチャ

野獣「娘を連れて来たのだな? 泣いて嫌がったか、それとも騙して連れて来たのか」

商人「ここでの出来事を子供達には説明しました、その上で末妹…連れて来た娘は……」

商人「私や上の息子が止めても、父親が殺されるより良い方法だと、進んで自分がこちらに来る事を選びました」

野獣「健気で父親思いの、良い娘ではないか。よし、馬車から降ろせ」

商人「…さあ、末妹、おいで」ガチャ

末妹「はじめまして、お屋敷の御主人さま……」

野獣「ふ、しっかりした少女だ。それにこの愛らしさ、将来さぞかし美しくなるだろう」

野獣「それから、私の事は『野獣』と呼ぶがいい。いや、ぜひそう呼んでくれ」

次兄「はじめまして、野獣様ああああああああああああああああ!!!!」ガバァ

野獣「!? な、なんだこの少年は!?」

次兄「隠れて様子を見ていたが、もう我慢できない!! この巨体、この筋肉の張り、この毛艶!!」クンクン

野獣「ええい離れんか! しょ、商人、貴様の息子か!?」

商人「…ええ、下の息子、末妹のすぐ上の兄です……」

野獣「こ、こんな奴に用はない…ちょ、鼻を擦り付けるな! 今すぐ連れて帰れ、娘だけ残してな!」

商人「娘だけを!?」

末妹「お父さん、私のことは構わないで。この方の仰るとおりにして」

末妹「私がバラを欲しがったのは事実。その償いを私がするのは当然です」

野獣「聡明な娘だ。…く、小僧、しがみ付くな、吸うな!!!! 貴様はセミか!?」

次兄「ちゅーちゅー、ああ、生きた毛皮の味…血の通った、体温のある獣の味……」

末妹「お兄ちゃん。野獣様の言葉に従って、怒らせないで…お父さんとお家に帰って」

商人「末妹……」

次兄「…でも、惜しいのは香水かなんかの香りがする所だな。野生のままの獣臭でいいのに、勿体ない」

野獣「貴様を喜ばせても嬉しくもなんともないわ…このっ!」ベリッ

次兄「あう」 ドテッ

野獣「…ぜえはあ…奴の涎が付いてしまった…鼻水も……」フキフキ

野獣「商人、さっさとそいつを馬車に乗せろ!」

商人「は、はい…。おいで次兄!」次兄の襟首むんず

次兄「こ、このまま父と俺が帰ったら…妹は貴方様に食欲的な意味で食べられちゃうんですか?」ズルズル

野獣「貴様の妹はこれからこの屋敷で暮らすことになる。赤いバラの償いだ」

野獣「命の安全は保障しよう、だが、どのように過ごすかはこの先お前達の知った事ではない」

次兄「目的は食用じゃないんですね? 嘘ではありませんね?」ズルズル

野獣「殺さぬと言ったからには殺しはせぬ。まして…私は確かに化け物だが、人間を食うほど悪食ではないぞ」

次兄「ふむ」ズル

商人「よいしょっと…。次兄、お前も末妹が心配だろうが、ここで大人しくしていてくれ」

商人「…野獣様、息子が大変なご無礼を…申し訳ありません」

商人「その上で図々しいお願いではありますが、今一度、話を聞いてはいただけないでしょうか……?」

野獣「娘以外に用はないと言ったはずだ」

商人「し、しかし…。 ? な、なんだ体が動かない、馬車から降りられない!」

末妹「お父さん!」

野獣「森を離れたら動けるようになる。早いところ家に戻るがよい」

末妹「お願いです! 少しだけ、二人にお別れをさせてください、野獣様!」

野獣「それくらいは許そう。長い別れになろうから、な」

商人「…本当に、私の軽率な行為で……」

末妹「もうそのことで苦しまないで。大丈夫、私の命を奪うつもりがないのは嘘ではなさそうです」

商人「殺されなくたって、お前はこんな寂しい場所で野獣と昼も夜も過ごすんだよ…いつ家に帰れるかもわからないのに」

末妹「そんなこと、私とっくに覚悟しているわ。…お姉さん達より先だけど、お嫁に出したと思ってください」

商人「…う、うううううう……」涙

野獣「キリがない、もういいだろう?」

野獣「馬車には自動的に家に帰るよう魔法をかけた、馬の身体に負担はかからない仕様だ」

馬「ぶひひぶひんひんー(足が宙に浮くー)!?」5cmホド

商人「末妹、末妹ーーー!!」

末妹「お父さん、お兄ちゃん……!」

野獣「…寂しいだろうが……」

野獣「名前は末妹と言ったな、お前はこれからここで何不自由なく暮らせるようにしてやろう」

次兄「俺の名前は次兄です!!!!」シュバッ!

野獣「うわああああああああああああああああ!!!!!!??????」

末妹「お兄ちゃん!? 馬車に乗っていたはず……!?」

次兄「ふ、末妹…あれは俺の服を着せた案山子だ。馬車に乗ってすぐ入れ替わった」

次兄「こんなこともあろうかと、道中の畑に打ち捨てられていたのを拾って馬車に隠しておいたのだ」

次兄「というわけで、末妹、安心しろ。俺が一緒に残ってやるぞ」

末妹「お兄ちゃん、私のために……」

野獣「ええい小僧、貴様に用はないと言っただろうが!? 今すぐ馬車を追って家に……」

次兄「えー、あのスピードでここから離れた馬車を今から追いかけろ、と?」

次兄「この鬱蒼とした森、俺みたいに土地勘のない無力な少年はどんな悲惨な末路を迎えてしまうのでしょう?」

末妹「お兄ちゃん……」涙目

野獣「…………」

野獣(…魔力を無駄に消耗してまで安全に家に帰す価値がこの小僧にあるとも思えない、とは言え)

野獣(こんな奴でも兄は兄、身ひとつで放り出そうものなら末妹嬢は心配するか…こんな奴でも)

野獣(それに…こんな兄でも一緒にいるだけで、末妹嬢は安堵するのだろうな…こんな兄でも)

野獣「仕方ない、ものすごく仕方ないが、おい小僧」

次兄「は、はい野獣様」

野獣「末妹嬢がここに慣れるまでしばらく置いてやるが、いつでも熨斗つけて送り帰す事はできるのだ、それは覚悟しておけ!」

末妹「…野獣様、ありがとうございます!!」

次兄「俺からもありがとうございます! 『何不自由なく』は求めません、なんなら使用人として貴方のお世話を!」スピョーン

野獣「同じ手を何度も食うか!」ヒラリ

次兄「いべ」ベチャ

末妹「お兄ちゃん、大丈夫!?」

次兄「あいたた、さすが獣の運動神経…華麗な身のこなし」

野獣「とりあえず、一応は、客人として扱ってやるしかなさそうだ……」クヤシイデモシカタナイ

野獣「末妹よ、腹が空いたろう。食事を用意してあるから、ついて来なさい」

野獣「…小ぞ…いや少年、お前も来るがいい」

次兄「はい、はいはいはい!」トテトテ

屋敷の中、応接間。

野獣「うむ、一人分だな、二人残ることは想定外だった。すぐできる料理を用意させよう」

末妹「野獣様、せっかくですが、私一人でこんなに食べられません」

末妹「御覧の通りこんなにチビですから、入る所がありません…兄と分け合います」

次兄「うーん、俺、偏食激しいだろ? 俺が食べられない物を末妹にやるよ」

野獣「き、貴様の残り物を末妹嬢にだと……!?」ビキビキ

末妹「ごめんなさい、お行儀悪い事をしては駄目ですよね。最初から取り分けます」

末妹「ただの好き嫌いではありません、兄は食べると体調が悪くなってしまう食材があるので……」

野獣「…ううむ……少年。後でその食べられない食材を教えろ」

次兄「へ?」

野獣「うっかり食べて貴様が病気にでもなれば、末妹嬢が心配するからな」

末妹「ありがとうございます、野獣様!」

次兄「ふむ…俺の直感は当たった、優しい面もあるようだな」

次兄「案外、妹がひどい事をされる心配は本当に杞憂かもしれん」

次兄「実益(妹を守る)と趣味を兼ねるつもりでついて来たが、もう少し趣味に重きを置いても許されそうだ」

野獣「私はしばらく席を外す。食べ終わった頃にまた来るから、気兼ねせずゆっくり寛ぐがいい」

野獣「終わったようだな。口には合ったか?」

末妹「ごちそうさまでした。本当に美味しかった……」

次兄「うちも小金持ちだけど、こんな料理は滅多に食べられないや」

末妹「そうだ、野獣様」

野獣「何だね?」

末妹「花瓶…一輪差を使わせていただけませんか?」

次兄「あれ、お前そのバラ持って来てたの?」

末妹「ええ、水がなくてもしおれない不思議なバラだけど……」

末妹「だからってカバンに入れっぱなしは可哀相だもの」

野獣「気に入ったのか。花は好きかね?」

末妹「大好きです。それに、お父さんが私にくれた」

野獣「……」

末妹「!! ごめんなさい!」

末妹「私のわがままのせいで、このバラは木から切り離されてしまったのに」

野獣「切り花となったからには、そばに置いて可愛がってくれ。気に入ってもらえて嬉しいよ」

末妹(…あ、今、笑った……?)

次兄「俺は貴方の体毛とガチムチ巨体が大のお気に入りです!!」

野獣「貴様は黙っとれ! おぞましい!!」

野獣「…一輪差だったな。メイドに持って来させよう」

末妹「お屋敷にあなた以外の方がいらっしゃるのですか?」

野獣「うむ、この機会だ、使用人達を紹介しよう」

女の子の声「ご主人様、一輪差を持って参りました」

次兄「! メイド服を着た二足歩行の兎!?」

末妹「まあ可愛い!」

次兄「茶色の体毛に大きな黒い瞳。ノウサギならばもっと耳が大きく顔もやや面長のはず、となるとアナウサギか」

次兄「草食小動物はサイズも体臭も物足りないが、兎の真価は丸い尻尾を備えたプリケツ。悪くないな」

兎のメイド「末妹様ですね。はじめまして。私はこの家のメイドです」

野獣「他の皆も入って来るがよい」

次兄「料理人姿の、二足歩行の穴熊だ」

次兄「アナ『グマ』とはついているがイタチの仲間、とは言えどっしり感と獣臭は捨てがたいものがある」

次兄「…やや年老いているが標準より大柄で固太り、かなりいい感じだ」

穴熊の料理長「わしは料理『長』…と言っても一匹しかおりませんが、今後よろしくお願いします、末妹様」

末妹「こちらこそ。お料理、とても美味しかったわ」

猫らしき動物「僕は庭師です。末妹様、よろしくお願いします!」

末妹「元気で可愛い猫さんね、よろしく」

次兄「動きやすそうな服を着た二そ(略)の山猫」

次兄「ヨーロッパヤマネコ。家猫よりやや骨太で大柄だが、サイズに大差はない。しかもまだ成獣になりきっていない個体だな」

次兄「せめて『オオヤマネコ』ならば大型犬サイズで抱きつき甲斐もあったのだが」

次兄「しかしさすが野生動物、家猫とは眼光が違う。なかなか良いぞ」

次兄「…親しくなればピンクの肉球ペロペロできる機会も巡って来るかもしれん」

野獣「そして最後が、執事の……」

次兄「!!」

次兄「来やがった! 直球が来やがった!!」

狼の執事「わたくしが執事です、末妹様。我々はかつて森の野生の獣でしたが……」

次兄「スーツ姿の狼、しかもなんて大きな! 二本足で立つとうちの長兄より背が高い!」

執事「主人には命が危ないところを助けられたのがきっかけで、更に魔法の力でお仕えできるようにしていただきました」

次兄「縦のサイズだけじゃない、あのぶっとい前肢と広い前胸部、見事な尻尾」

執事「主人の命令は絶対、主人のお客様は我々にも大切なお方」

次兄「あの体格と、比較的淡色で豊かな被毛…恐らくこの国ではレアな寒冷地の亜種の血が濃いか?」

執事「困りごとなどありましたら、どんな些細な用でもご遠慮なくお申付けくださいませ」

次兄「何よりあの首周りを覆う毛のふさふさ感!」

次兄「野獣様よりは確かに体躯で劣るとはいえ、二人並ばれたら俺はどっちを見つめていいかわからない」

次兄「なんという贅沢な悩み、楽園はここにあったんだ……!!」

執事「改めて、我々をこの先よろしくお願い致します、末妹様」

次兄「…しかし、誰一人として俺には挨拶がなかったのだが?」

執事「主人から云い付けられました」

執事「何やら呟きつつ粘っこい視線を向けてくる少年の存在は空気と思え、と」

次兄「いつの間に」

野獣「だが今ので皆の顔と名前は覚えただろう?」

野獣「執事、皆も、一応は末妹嬢の兄上だ。とりあえずは失礼のないように」

野獣「しかし最低限の我が身を守る行動に、私の許可は不要だからな」

メイド「末妹様、これから私があなたに付いて、身の回りのお世話をさせていただきます」

末妹「ありがとう、メイドさん」

次兄「俺には誰が付きっきりで世話してくれるのかな?」

野獣「彼の世迷言は極力無視する方向で」

執事・料理長・庭師「「「仰せの通りに」」」

※ ※ ※

……さて、これから語られますは、『美女』…将来の美女、今はまだ美少女、とでも言うべきでしょうか。
その彼女と、人語を話し魔法を使う不思議な『野獣』、そしてもう一人……少しばかり歪な意味での『獣好き』な
(今の時代ならばもう少し別の呼び方もあるのかもしれませんが)少年。
この三人を中心に織りなす、どこかで見たかもしれない、そうでないかもしれない物語です……

※ ※ ※

※というわけで、今日はプロローグまででした。今後はもう少し小出しでの更新になります※

ほほう面白そうじゃないか
元ネタの方は、最後野獣が人間になるのに納得いかなかった
野獣の方がカッコいいしモフモフなのに…

末妹と次兄がいなくなって数日過ぎた、商人の家。

次姉「どうかしら、新しい髪形。黒髪が肌の白さを際立たせるように、ってお願いしてみたんだけど」

長姉「なかなかいいわ。私の髪型はどう?」

次姉「素敵ね、流行の先端だと思うわ」

長姉「実は床屋を変えたのよ。北国の人のような天然の金髪はこの地方では珍しいから」

長姉「切るのだったら高く買いますよ…なんて、今までの店ではしつこかったの」

次姉「変えて正解よ。4年かけてここまで伸ばしたのに」

長姉「それにしても…私達はこんなに美しいのに」

長姉「先日のパーティーで知り合った殿方、誰一人連絡を寄越さないなんて」

次姉「姉さんはたまに手紙が来ているじゃない、ほら、名前出て来ないけど、あの」

長姉「幼馴染男!? 冗談じゃない、あんなの数に入らないわ!」

長姉「そもそも、近況報告ばっかりのつまんない手紙よ!」

次姉「昔はけっこう羽振りは良かったはずよね?」

長姉「両親が旅先で事故死した後に父親の借金が発覚して、遺産で借金チャラにして……」

次姉「ああ、嘘の投資話に騙されて乗っかったのが理由の借金だっけ」

長姉「結果プラスマイナスゼロの一文無しになったくせに、私に相手をしてもらおうなんて図々しいわ」

長兄「…お前達、相変わらずお喋りしかすることないのか?」

次姉「あら、兄さん、お出かけ?」

長兄「商談に行って来る」

長姉「一人で? お父さんは?」
 
長兄「父さんは今日も自室に閉じこもったままだよ」

次姉「まだ末妹のことを引きずっているの? いい加減、諦めたらいいのに」

長兄「それだけじゃない。次兄が独断で屋敷に残った事も気に病んでいる」

長兄「自分が不甲斐ないばかりにあの子達を犠牲にしてしまったと思っているんだ」

長兄「そういうわけで、二人とも…店番を頼む」

次姉「ちょ、なんでそうなるの!?」

長兄「俺は商談、末妹も次兄もいない、今の父さんには無理…お前達しかいないだろ?」

長姉「私達、店の仕事は素人なのに」

長兄「次兄はともかく末妹は10歳から一人で店番できたぞ」

次姉「わかった、わかったわよ!」

長姉「お客と世間話しながら品物を売ればいいんでしょ、こんなの簡単よ!」

長兄「任せたよ」

長兄「あと行き掛けに馬を知人に預けてくる」

長兄「しばらく遠出する用はないし、構ってやる時間が取れなくて可哀想だからな」

玄関のドア:バタン…

次姉「…末妹が小さい頃から手伝えるのは当たり前じゃない」

次姉「私と姉さんは、それくらいの歳には王都の寄宿学校にいたのよ」

長姉「学校は違うけど兄さんもよ、あの歳まで家でずっと暮らして来たのは下の二人だけ」

長姉「次兄は小さいころ病弱だったから、家に家庭教師を呼んで」

長姉「末妹なんてお父さんが手放したくないって理由で、家からこの町の初等学校に通わせて……」

次姉「…あーなんか面白くない! こうなったらガンガン売りまくって兄さんを驚かせてやる!!」

そのころ、野獣の屋敷では。

野獣「ここに少しは慣れたかね、末妹」

末妹「野獣様。ええ、野獣様も、執事さん達も親切にしてくださいますから」

野獣「退屈ならば、本のたくさんある部屋や様々な楽器を置いた部屋もある、メイドに案内させよう」

末妹「…私は囚われの身なのに、遊ばせてもらってよいのでしょうか」

野獣「お前を囚人として扱う気はない。客人として持て成しているつもりだ」

野獣「むしろ、自分の家だと思って欲しいくらいだよ」

末妹「野獣様」

野獣「何だね?」

末妹「バラの償いと仰るのなら、私に何かして欲しい事があるのではないのですか……?」

野獣「…率直だな」

末妹「っ、ごめんなさい、私、失礼な質問を」

野獣「いや、それで良いのだ。お前の疑問は尤もだからね」

野獣「望む事はひとつだけ、お前はただ、ここに居てくれればいい。何かをしてもらおうとは思っていない」

末妹「……」

野獣「そして、お前が居続けてくれるためならば、私はどんなことでもしよう」

野獣「何か私に望むことがあれば、遠慮せず言ってくれ」

メイド「末妹様」

末妹「メイドちゃん」

野獣「すっかり仲良くなったようだな」

メイド「庭師がご主人様のお言いつけで、庭を案内したいと」

末妹「野獣様……」

野獣「行っておいで、お前は花が好きだと言っていたからな」

末妹「ありがとうございます」

庭師「末妹様、メイドから聞いたでしょう? 僕がご案内しますよ!」

末妹「嬉しいわ、ここに来た翌日から昨日まで雨だったから、外に出るのは初めて」

庭師「メイドちゃん、君も手が空いていたらおいで」

メイド「…また私に雑草処理させる気でしょ?」

メイド「一緒に行くけど、その手には乗らないんだから!」

>>32 読んでくださって、ありがとうございます。
※今日はここまで。多忙と体調不良でペース下がります、すんません。

屋敷の前庭。

次兄「うーん、日向ぼっこしていたら眠ってしまったようだ」ノビー

次兄「ん、誰か来る…末妹と…小獣コンビか」

次兄「女の子と二足歩行の猫と兎が花咲く庭を仲良くお散歩」

次兄「一般向けには無難な…女子供に好まれるモチーフ」

次兄「好んで描きたい題材でもないが、こんな光景を『現実に』目にする人間もそういまい」

次兄「せっかくなのでスケッチしとくか」

次兄のカバン:パカッ

次兄「鉛筆と紙、と」

末妹「すごい! コスモスにアリッサムにゼラニウム…こっちではもうこんなに秋のお花が咲いているのね」

庭師「末妹様のいらした南の港町はここよりずいぶん暖かいと聞きました、まだ夏花の季節なのでしょうね」

末妹「みんな庭師さんがお世話しているの?」

庭師「僕の事は『庭師』でいいですよ」

庭師「確かにそうですけど、へへ、庭の花達にはちょっとだけご主人様の魔法がかかっているんです」

庭師「虫に食われもしなければ病気にもなりません。だから庭師のすることと言えば」

庭師「雨風で傷んだ部分を整えたり、咲き終えて枯れた花を取り除いたり…」

末妹「ここのお花も枯れるの?」

庭師「ええ」

末妹「私がもらった…父が折った赤いバラは、まだ活き活きして花弁一枚も欠けていないわ」

庭師「ああ、バラ達はまた特別なのですよ」

庭師「屋敷の裏庭、僕らはバラ園と呼んでいますが、あそこにだけは僕の手は入っていません」

メイド「バラ園だけはご主人様が世話をしています」

末妹「…よほど大切なのですね」

メイド「ご主人様も、ここのバラについての詳しいお話は執事様にさえされないんです」

庭師「僕ら使用人が知っているのは、一年中、いつまでも枯れない『魔法のバラ』と言う事と」

庭師「末妹様が仰るように、ご主人様にとっては『非常に大切なバラ』だって事だけです」

末妹「……」

次兄「ふむ…描き始めると意外と興が乗ってきた」カキカキ

野獣「…何をしているのかと思えば」

次兄「野獣様!?」バッ

野獣「満面の笑みで振り向くな…続けろ。少し離れた所から見させてもらおう」

次兄「へいへい」

次兄(ちっ、さすがに行動パターンを覚えられたか、隙がなくなってきた)

次兄(しかし向こうから接近して来るとは新展開だ)

次兄(ここはおとなしくスケッチに没頭しておくか)

野獣「なかなか上手いな、少年」

次兄「いい加減、名前覚えてくださいませんかね」カキカキ

野獣「む、そうであったな。次兄、いや、なかなかどころの腕前ではないぞ」



メイド「…やっぱりここのハコベは最高」

メイド「歯応えも甘さも絶品ね!」パリパリプチプチ

メイド「ああ、オオバコも美味しい! あ、こっちにはカラスムギ!!」 モシャモシャモグモグ

庭師「その調子でどんどん食べ尽くしてくれ」

野獣「すごいな。庭師やメイドの立ち姿といい……」

野獣「白黒の鉛筆画だというのに、毛並みの風合いまで伝わって来る」

次兄「そう、俺は動物の絵は初対面の相手にも感心されるレベル」カキカキ

野獣「…褒めちぎってやるつもりでいたのに、なんだ? 二匹の真ん中の……」

野獣「位置的に末妹嬢だと思うが…なんというか」

野獣「壊れた案山子とナメクジの融合体にしか見えん」

次兄「…これが、俺が画家を目指そうと思わない第一の理由」カキカキ…

次兄「人間を描こうと思った途端、デッサンもフォルムも総崩れ」

次兄「しかし絵描きを仕事として成立させるには、肖像画や宗教画の依頼もこなさねば」

次兄「好きな物だけ描いてても商売として成り立たない事くらいは俺にもわかる」

次兄「俺だって一応は商人の息子だからな」…カキカキ

野獣「…お前の素質ならば、勉強次第ではなんでも描けるようになると思うのだが……」

次兄「いかん、独り言の声が大きかったぞ」

野獣「獣の絵が商売にならんのなら、お前がその第一人者になってみてはどうだ?」

次兄「……は?」



末妹「…メ、メイドちゃん、大丈夫?」

メイド「…もぉ、だべられないよぉ……」ゲプゥ

庭師「やば、途中で止めるべきだったかな」タラーリ

さて、商人の店では。

次姉「いらっしゃいませ~」

客「あれ?確か…次姉さん、おや、長姉さんもいるじゃないか。店であんた達に会うのは初めてだよ」

長姉「父の具合がちょっと悪いもので、きょうだい力を合わせなくては…ホホホ」

客「商人さんが…また腰痛の悪化かね?」

客「そう言えば末妹ちゃんの姿が見えないな」

長姉「…あの子は先日、怪物のえじk…いえ、遠くのお屋敷にお嫁に行きました」

客「ええ!? 突然だなあ…それにうちの婆さんの世代ならともかく、13、4で嫁入りは今時ちょっと早くないかね?」

客「…あ、商人さんの具合が悪いってそのせいか」

客「末妹ちゃんの事は目に入れても痛くないほどだったものなあ!」

次姉「……」

次姉「相手の方に強く望まれて嫁いだのです、それにもう決まった事ですわ」

次姉「あの子がいなくたって、私達にも店番くらいできますのよ」

次姉「そう…末妹にすらできることが私にできないはずがない……」

次姉「というわけで、お客様! 本日のお勧めはこちらになっております!!」

客「は、はいはいはいっ???」

長姉「…急にどうしたのこの娘?」

屋敷の庭。

野獣「…3人から目を離していた間に」

野獣「メイドがひっくり返ってしまったようだが……?」

次兄「第一人者って、なんのことでしょうか」

野獣「ああ、思いつきで口から出ただけだが」

野獣「動物を描いて一流になった画家が今までいないのなら」

野獣「お前がその分野を開拓して、成功した最初の一人になってはどうか、と」

次兄「そう簡単じゃありませんよ」

次兄「何より俺には恩師や友人レベルの人脈すらないし」

次兄「ぶっちゃけ家では引きこもりでしたから……」

次兄「家だって俺のための人脈を金で買える程の大金持ちじゃない」

野獣「だがお前のその絵は…人間の絵は置いといて…見た者の心を動かすぞ」

野獣「次兄にそれをもっと描かせたいと願う人間が、きっといるはずだ」

次兄「……」

野獣「…すまんな」

野獣「もう長いこと人の世と関わらずに生きて来た、世間知らずの獣の戯言だ」

野獣「だがな」

野獣「私にこんなことを言わせるほど、次兄の絵に力があるのは信じていいと思う」

次兄「…野獣様」

野獣「頼みがある、今考えたのだが」

野獣「屋敷にいるうちに、私の絵を一枚、描いてくれるかね?」

次兄「……!」

次兄「ぜひ!ぜひとも…描かせてください!」

野獣「ありがとう」

次兄「その時はどうか裸身で! 布を一枚も身につけぬ、野生のままの荒ぶる裸身でぇぇぇ!!」ハァハァ

野獣「……やっぱり忘れてくれ…頼むから……」

庭師「だめですよ、あなたにそんな事はさせられません!」

末妹「あら、いいのよ」

末妹「メイドちゃん小さな兎さんだもの。私でも抱っこして運べるわ」

メイド「うええ…ぐるじぃぃぃぃ……」

末妹「お薬が必要じゃないかな……?」

庭師「お屋敷の地下には、あらゆる薬草や薬効のあるスパイスの保管庫があります」

庭師「混じり合った香りが強烈過ぎるからって、嗅覚の鋭い僕ら使用人は入れない部屋ですけど」

庭師「食べ過ぎの薬くらいはご主人様があっという間に調合してしまうんですよ」

次兄「ほほう」

末妹「あら、お兄ちゃん…と、野獣様」

末妹「お兄ちゃん達も二人でお散歩していたの?」

野獣(『二人で』とか勘弁してくれ……)

次兄「俺は久しぶりに絵を描いていたんだ。ほら、庭師くんとメイドさん」

野獣(末妹嬢の部分は切り取ったな)

庭師「うわあ、お上手ですねえ! (ただの変な人じゃなかったんだ)」

末妹「やっぱりお兄ちゃん上手ね。今度は他の皆さんのも見たいなあ」

末妹「って、それより野獣様、メイドちゃんが」

野獣「ふう……調子に乗って食べた奴は回復してから説教するとして」

野獣「それを知りながら調子に乗せた奴もいたようだな」

庭師「ごめんなさい……」

野獣「メイドは私が預かって手当てしよう。すぐ治る、心配いらん。庭師、手伝え」

庭師「は、はい」タタタ

末妹「……」

末妹「…不思議に思っているの」

次兄「ん?」

末妹「お父さんを脅した恐ろしい野獣様と、こうして私達が目にする野獣様が結びつかない」

次兄「ま、確かに。基本的に優しそうで紳士だし(何より思った以上に素敵だし)」

末妹「お父さんが死んでしまうか、生きている私が償いをするか、どちらかしか選べないから、私は『こっち』を選んで」

末妹「会ってみてわかった、野獣様、私を殺さないでいてくれるのは本当だって」

末妹「…でもね…殺されるわけではなくても、本当はとっても怖くて心細かった」

次兄「そりゃそうだろう。我慢してたんだろ? 父さんの気持ちを思って」

末妹「やっぱりお兄ちゃんには見抜かれてしまうのね」

次兄「そりゃ、きょうだいでお前と一番長く一緒に過ごしたのは俺だから」

末妹「…お兄ちゃんがここに留まってくれて、どんなに心強かったか」

次兄「今は馴染んでいるよな、メイドさん達とも仲がいいし」

次兄(俺ももっと野獣様及び執事さんとの距離を詰めたいものだ)

末妹「メイドちゃんは可愛いし私に好くしてくれる、他の皆さんだって」

末妹「それでも、私達の家で…家族一緒に、お父さんの元で暮らすのが一番だと思う……」

次兄「末妹……」

末妹「お兄ちゃんが家に帰されたら…私は一人……」

次兄「お前がここにいる限り、俺も一緒にここにいるよ。どんな手を使っても残るつもりだ」

次兄「どんな手を使っても、ね」

その夜、商人の家。

長姉「あーあ、疲れちゃった。お肌のためにも早く寝なきゃ……」

長兄「長姉、今日は店番お疲れ様」

長姉「あら、珍しいわね。兄さんが私に優しい言葉なんて」

長兄「二人で頑張ってくれたからね。本当はもっと早くこうなって欲しかったが」

長兄「しかし予想以上の売り上げで驚いたよ」

長姉「当然よ、私達の手にかかれば容易いわ!」

長姉(…ほぼ全部、次姉の働きだけどね。私は世間話担当)

長兄「また頼むかもしれないが、もう安心して任せられそうだ」

長姉「ねえ、あの子の…次兄の毛皮で作った防寒具」

長姉「あれ全部売れたのよ?」

長兄「うん、それも嬉しかったよ」

長兄「次兄が撫でまわし顔を擦りつけ時々しゃぶってた毛皮だから」

長兄「勿論よくよく洗浄したとは言え、買ってくれたお客様には少し申し訳ないが……」

長姉「あれは正式に仕入れた品物じゃないから、要するに、売り上げは臨時収入よね?」

長姉「だから…私達がもらっても構わないわよね?」

長兄「…はあ…珍しく褒める所があったと思えばすぐこれか……」タメイキ

長兄「正直、今後の事は父さんがいつ仕事に戻ってくれるかにかかっている」

長兄「だから当分は家計を締めて、貯蓄にもっと勤しむべきだと思うんだ」

長姉「え…これからもっと節約しろって言うの? 食いぶちが二人も減ったのに!?」

長兄「自分の弟妹にひどい言い方だな」

長兄「あの子達の事で、家族にもいつ何が起こるかわからないとつくづく痛感したよ」

長兄「もしもの時のためにお金を取っておくのは悪い事じゃない」

長兄「それに、これは言いたくなかったが…父さん今までお前達二人に甘過ぎた」

長姉「甘いって、どういう意味よ! それなら末妹にだって……!」

長兄「お前と次姉が店を手伝わなくても、何も言わなかっただろ?」

長兄「小遣いも与えているのに、ねだられるまま高価な服や装飾品を買い与え……」

長姉「だ、だから、親孝行できる結婚相手を探しているんでしょう!」

長姉「そのためにお洒落をして、パーティーに顔を出して」

長姉「大金持ちと結婚して、今までの分を返せばいいじゃない!」

長兄「欲望のまま着飾って遊び歩いて異性を選り好んでいるとしか思えないが」

長兄「それが親孝行って、物は言いよう、か? でも俺には通用しないな」

長姉「…次姉も、次姉だって納得しないわ」

長兄「あいつとはもう話をした」

長兄「渋々ながらも、納得してくれたぞ」

長姉「…!?」

長兄「次姉はこうも言ってた」

長兄「物を売る仕事ってちょっと面白いかもしれない、って」

長姉「な、何よ、何よ…あの裏切り者……」

長姉「看板娘だった末妹に今さら対抗しているつもり……?」

長姉「それなら…もう私は店なんか手伝わない」

長姉「次姉がやってくれるんでしょ!? あの娘にだけ頼みなさいよ!」

長姉「私は自由にさせてもらうわ! へそくりだって貯めてたんだから!!」ダダダダダ

長兄「おい、長姉……」

長姉の部屋のドア:バーーーン!!

…ミシミシ…パラパラ…

長兄「…家じゅうが揺れる勢いだ」

長兄「やれやれ…とりあえず、妙な事をしないよう目を離さないでおくか」

長兄「昔は、あんな面倒くさい娘じゃなかったんだけどな……」

※今日はここまでです※

おつ、素敵だ

誰かの夢の中。

(その昔『とある国』の北東部は、今は忘れ去られた小国の領土だった)

(かつての狭い国土の三分の一をも占めた森にあるこの屋敷は、野獣が暮らす前は王家の別荘で)

(更に元を辿れば…機械いじりの好きな変わり者の伯爵から王が無理矢理奪った屋敷だ)

(屋敷に仕掛けられた数々の罠、玄関の上にある大時計と連動して自動的に開閉する門)

(戦の技術に応用できると思ったらしい)

(王は周囲の大国に攻め込む準備という名目のため、王妃は自分の贅沢のため)

(国民に重税をこれでもかと課し、逆らう者…親身に忠告する者にさえ厳罰を与え)

(自分と意見の合わない血族すら、強引な理由をつけて王位継承権を剥奪し、国外に追放した)

(たった一人の世継ぎの王子はもうじき二十歳、贅沢にも興味がなく、戦はもっと馴染まなかったが)

(何しろ消極的で小心者、例えば王や王妃が「黙ってここに立っていろ」と命ずれば「はい」と答えて)

(「もう行っていい」と言われるまで大人しくその場に佇んでいる、そんな性格)

(王にとっては『操り人形』…いや、王に言わせれば「何をやらせても駄目な出来損ないの世継ぎ」だったので)

(置いておくだけの『お飾り人形』に他ならなかった)

(国には王家よりずっと歴史の古い魔術師のギルドがあった)

(王家さえ…傲慢な王でさえ口を挟めない、ある意味、聖域で)

(形だけの僅かな研究費を国から援助する事で、逆らわせないようにするのが精一杯だった)

(ギルドにはいくつかの魔法を、学費を払いさえすれば誰にでも教えるという部門があって)

(そこでは王族も物乞いも関係ない、教わりに来る者は分け隔てなく扱われた)

(城の暮らしになじまず、民の中にも身を置く場のない王子の息抜きは)

(週に2~3回、そこで魔法を習う事だけ)

(人一倍白い肌と王妃から受け継いだ灰色がかった金髪を、マントと帽子で覆い)

(もっと珍しい薄紫色の瞳は、色ガラスをはめた伊達眼鏡で誤魔化し)

(こうやって変装した姿で、護衛も付けずに城下町を徒歩で通り抜ける)

(教えてもらえる魔法は人を傷つける力のない…これも王の価値観では役に立たない呪文ばかり)

(手を触れず茹で卵と生卵を見分ける魔法だの、絡まったモップを一瞬でほぐす魔法だの)

(王子にはそれが楽しかった、むしろ人を殺す術など覚えたくもなかったのだ)

(ギルドの図書館には本の貸し出しを手伝う若い娘がいた)

(ギルドでも王子の正体を知る者は、魔法使い達の他には彼女ただひとり)

(貧しい出自で図書館に勤めるまで字の読み書きもできなかったが、短い期間に独学で文字を習得した彼女)

(本当の意味で賢く、勤勉で、心の優しい、よく笑う娘)

(いつしか王子と唯一冗談が言い合える、そんな仲になっていた)

真夜中、野獣の屋敷、次兄の客間。次兄は眠れない様子。

次兄「昼寝したせいか眠れんな……」

次兄「ここらで今後の対策を練ってみるか」

次兄「まずは趣味部門」

次兄「毛皮ライフから生身の獣ライフへの移行は始まったばかり」

次兄「さて、この屋敷にはどんな動物とも違う野獣様と、人語を解する野生動物がいる」

次兄「千里の道も一歩から、フルコースも前菜から」

次兄「まずは兎メイドのプリケツ観賞から達成したいところ」

次兄「…む?」

次兄「尿意が来たか……」

次兄「遠いから面倒だが、トイレに行ってくるか」

次兄の客間のある階、その廊下。

次兄「窓からの月明かりのおかげで灯りがいらないな」

次兄「…問題は、スカートに隠れてしまっている点だ」

次兄「兎とは言え、言葉を喋り、着衣で過ごし、女子として振舞い」

次兄「そして末妹と仲が良い」

次兄「つまり…兄が自分の妹の友人に向かって『お兄さんにスカートの中を見せて?』と頼んだらどうなる?」

次兄「…………」

次兄「一点の曇りもない変態、いや、もう犯罪者だ」

次兄「俺は決して『妹』とか『小さい女の子』といった存在に対しての執着はないが」

次兄「末妹の事は妹として普通に可愛いと思うし守るべき存在だと思っている」

次兄「俺が病弱でしょっちゅう寝込んでいた時、小さな手で看病してくれるあの子にどれだけ励まされたか」

次兄「そんな末妹に嫌われ軽蔑されたら凹むどころでは済まないだろう……」

月明かり:フッ…

次兄「……う、月が雲に隠れてしまった」

次兄「廊下が真っ暗だ、面倒くさがらずランタンを持ってくるべきだった」

何かの物音:…ぴったん、ぴったん

次兄「……?」

ぴったん……

聞き覚えのある声「あら、次兄様ではありませんか?」

次兄「その声…メイドさんか?」

メイド「ええ、驚かせてしまったらごめんなさい」

メイド「人間さん達は夜目が利かないですものね」

次兄「…昼間の腹痛は治ったの?」

メイド「お気遣いありがとうございます」

メイド「ええ、夕方にはすっかり。ご主人様のお薬であっという間に」

メイド「その後こってりしぼられましたけど…恥ずかしいから忘れてくださいな」

次兄「ま、よかったよ。末妹も心配していたし」

次兄(こんな夜中に、俺の進行方向から来たと言う事は彼女もトイレだったのか)

次兄(この棟のこの階にはトイレが一つしかないから、使用人と共用でも我慢してくれと野獣様が言ってたな)

次兄(俺の客間の右隣が末妹、そのまた右隣がメイドの部屋だからな)

月明かり:サーッ

次兄「……お、月がまた顔を出した」

メイド「では私はこれで」

次兄「……!?」

メイド「どうかされましたか?」

次兄「メイドさん、裸…しかも、四足歩行……」

メイド「ああ、これはご主人様の私達への配慮です」

メイド「就寝時間から起床までは人間の真似事…服と二本足から解放されて」

メイド「ゆっくり身体を伸ばして休むがいい、って」

メイド「二本足の時も、魔法のおかげで身体に無理はかかっていないのですけどね」

メイド「では本当に、これで失礼します。おやすみなさい」ぴょん

ぴったん、ぴったん…トオザカルー

次兄「…月の光に照らされるプリケツと毛糸玉のような尻尾」

次兄「まさかこんな形でこんなに早くお目にかかれるとは」

次兄「…朝になったら忘れずにこの記憶をスケッチしておこう」

次兄「それにしても」

次兄「この階のトイレは俺でもちょっと窮屈なくらい狭いから」

次兄「体の大きい野獣様や執事さんはまず使わないだろう」

次兄「つまり、今夜のようにトイレに起きた裸体の執事さんや野獣様に偶然出くわすことは期待できない」チッ

次兄「ま、野獣様は寝る時も着衣なんだろうけど」

次兄「…そう言えば野獣様はどういう種族のモンスターなんだろう?」

次兄「子供のころから熟読した『世界大動物図鑑』でも『図説:幻獣&魔獣』でも見たことのない外見」

次兄「『なんとなく似ている』程度のものならいるが、人語を解し基本的に温厚、なんて性質は当て嵌まらない」

次兄「末妹からバラ園についての話も聞いたけど」

次兄「なんとなく、俺達のみならず、使用人達に対しても色々秘密が多そうなんだよな……」

次兄「…でもそんなミステリアスなところも魅力的」ポッ

次兄「っと、忘れてた、尿意尿意」バタバタバタ

※今日はこんなもんで。※

>>53
ありがとうございます。

誰かの夢の続き。

(気弱で心の幼い王子と生真面目な娘の会話はいつも図書館のカウンター越し)

(それでも王子は満足だった)

(あの呪文を知るまでは……)

(当時、小国内部では民衆の不満はますます膨れ上がっていたはずだが)

(ここ十数年の間に何度も『反乱分子』の集団は潰されて、不満を持つ人々を率いるリーダーも以降は現れず)

(重税に困窮する人々はひたすら疲弊しきっていた)

(そんな中、王子の二十歳の誕生日を祝う舞踏会が開かれることになった)

(王妃の提案、いつも通り、王子を口実にして自分が楽しみたいだけの……)

(そして王の提案で、会場は城ではなく例の別荘を使う事になった)

(他国から招待する来賓に城下の悲惨な状態を見せたくなかったのだ)

(王子の二十歳の誕生日が近付く中、城に奇妙な客が現れた)

(ローブに身を包み素顔を仮面で隠した男は『西の島国から来た魔法使い』と名乗った)

(…それは嘘で)

(この国の魔術師ギルドを随分前に追放された男だと知ったのは、もっとずっと後の事)

(客人は王子に、ギルドでも見た事のない魔法の指南書を差し出した)

(『人の心を読む魔法』)

(王子も存在は知っていたが、元々は戦闘中に使用される呪文)

(生きるか死ぬかの瀬戸際でなければ不要であるはずの呪文)

(それゆえギルドの魔法教授所では教えることは禁じられていた)

(…どころか禁じられた魔法の中でも最上位の呪文だった)

(他のどんな呪文より、人間関係を、社会生活を)

(ヒトの世界を破壊してしまう恐ろしい呪文だから、という理由)

(王子も知っていた、それが禁忌であることも、その理由も。)

(その一方で…王子はあまりにも単純で子供だった)

(自分に笑いかけてくれる魔法図書館の優しい娘)

(同時に彼女と立場の近い人々の間に広がる王家への不信、不満、憎悪)

(「彼女は本当のところ、私をどう思っているのだろうか?」)

(「彼女の心の内すべてを知りたいわけではない」)

(「たったひとつ、私への本心を、ただ一度だけ知りたい」)

(…気付けば、王子は男に金貨を渡し、代わりに指南書を手にしていた)

(本人に自覚はなかったが、ギルドの魔法使いは皆知っていた)

(王子の魔法使いとしての素質は稀に見るほど高いものだと言う事を)

(現に、呪文の習得にそれ程の時間も労力も必要なかった)

(そしてこの呪文で心を読むためにはしばしの間、相手の体に触れ続けていなければならない)

(王子は彼女を舞踏会に誘おうと考えた……)

更に数日後、野獣の屋敷。

末妹「ごちそうさま」

次兄「今日の朝飯も美味かった。料理長さん、アナグマなのに上手だなあ」

末妹「料理長さんが言うには」

末妹「アナグマは人間と同じで雑食性だから味覚が近いので、料理人に選ばれたんですって」

次兄「…わかったようなわからんようなだが」

次兄「草食専門や肉食専門よりは、確かに扱える食材の幅が広くなるかもしれん」

メイド「食後のお茶ですよ~」

コポコポコポ……

次兄(あの前足で器用に茶を淹れるなあ)ニクキュウモナイノニ

末妹「いい香り……」

メイド「紅茶に香草をブレンドしているんですよ。今日はレモンバームです」

メイド「紅茶の葉はご主人様が『どこかから』手に入れていますが」

メイド「香草はうちの菜園で育てたもので、生のまま、乾燥させたもの、用途に合わせて使い分けています」

次兄「菜園なんてあったのかい」

メイド「前庭の一角の、小さなスペースですけど、庭師と料理長が共同で世話をしています」

末妹「そこも見る事ができるのかしら」

メイド「ええ、いつでもご案内しますね」

メイド「野菜と香草が少しずつ常に何種類か育っているので、花よりは地味ですが、あれはあれで美しい光景です」

メイド「それに、とっても美味しそ……」

メイド「……こほん」

メイド「見たくなったら、いつでも声を掛けてくださいませ、末妹様」

次兄「菜園か……」

商人の家、自室でゴロゴロする長姉。

長姉「あーあ、最近めぼしいパーティーもないから退屈……」

長姉「いつもと違うアクセサリーをつけて気分を変えてみようか」

長姉「と言っても、あれもこれも、最近使ったものばかり」

長姉「あ、これ…末妹の持ってた紅縞瑪瑙のブローチ」

長姉「2、3年前までは確かに欲しかったけど、今こうして見るとデザインが子供っぽくていまいちね」

長姉「でも、はまっている石は小さいけど質はいいって次姉も言ってた」

長姉「そうだ、作り直しに行けばいいのね!」

長姉「元々、お母様の形見は裸石の紅縞瑪瑙だったもの」

長姉「末妹に渡す時に、お父さんが既製品のブローチ台をつけたはず」

長姉「だから台にだけ手を加えても、問題ないわよね?」

長姉「…かと言って、このために貴重なヘソクリを使うのも……」

長姉「兄さんからお小遣い貰うのはあきらめたし」

長姉「お父さんの部屋にこっそり行って、気弱になっているお父さんを言いくるめて?」

長姉「駄目か。今のお父さんには財布を持たせていなさそうね、兄さんが」

長姉「…最近の次姉に頭下げるのはなんだかシャクだし……」

長姉「そうだ、あの地図…魔法の地図は?」

長姉「みんな忘れている頃だけど、確か居間の飾り棚の引き出しにしまい込まれたはず……」コソコソ

長姉「うまいこと見つからずに持ち出せた♪」

長姉「さて、これを質屋に…この恰好じゃ目立つわね」

長姉「学校に行っていたころのブラウスとスカート、まだ着られるかしら」ゴソゴソ

長姉「……久しぶりに見たけど、何の飾りっけもない、つまらない服」

長姉「あと、胸がちょっとキツくなったわ……」

長姉「仕方ないけどね。スカーフで髪も隠してと」

長姉「これなら知り合いに質屋に入るところを見られても、私だとは気付かれないでしょ」

朝食後、屋敷内某所。

次兄「何日か、屋敷の中をウロウロして気付いた事がある」

次兄「昨日は壁があった場所に今日は何もなかったり」

次兄「逆に何もなかった廊下に壁ができている事がある?」

次兄「俺達の客間がある階は今の所そんなことはないけど」

次兄「…野獣様の魔法と解釈できなくもないが」

次兄「この屋敷には、あちこちにからくりがあるのかもしれん」

次兄「その証拠にほら、あったりなかったりする壁は」

コンコン

次兄「叩くとこの軽い音」

次兄「塗装で周囲の壁と同じように石造りのように見せかけているが」

次兄「正体は木製で、しかもそんなに重さもなさそうだ」

次兄「少なくとも新しい建物ではないだろうが…誰がこのからくりを作ったんだろう?」

その頃、長姉は…

看板【年中無休 ~あなたの味方、さわやか質屋~】

長姉「質屋の主人が腰を抜かしていたわ」

長姉「なんでも、100年以上昔に失われた魔法技術だとか何とか」

長姉「詳しい事はわかんないけど、それならもう少し高い値段で買い取ってくれても……」

長姉「…って言ったら、貴重な珍品だけど真価が理解できる人はごく限られるから微妙なんだって」

長姉「ま、とにかく、ブローチの直し代としてはお釣りが来るわ。残りはヘソクリに回しましょ♪」

若い男性「長姉? 長姉じゃないか」

長姉「あ」

長姉「…幼馴染男」

幼馴染男「いつも王女様みたいな恰好で歩いているから声が掛けにくかったけど」

幼馴染男「今日はどうしたんだ? まるで子供の頃みたいで…よく似合っている」

長姉「よ、よ、よ、よく似合っている、ですって!!!???」ビキビキブチブチ

長姉「好きでこんな恰好しているんじゃないわよおおおお!!!!!!!!!!」

幼馴染男「ご、ごめん!? 気に障ったなら謝る!」

幼馴染男「じゃあ店の手伝いか何かで? 聞いたよ、お父さんの調子が悪いんだってな」

長姉「我が家には神に誓って借金はないからご心配なくっ!!」

幼馴染男「…うちの親父の事か、耳が痛いなあ……」

幼馴染男「確かに借金の理由はしょーもなかったけど、事故に遭わなければ何年かけても返済する予定はあったんだ」

長姉「うちの店は兄と次姉がいれば安泰なんですって」

長姉「父も元気になればまた忙しく働くわ」

長姉「そしたらまた自由に買い物だって観劇だってパーティーにだって行ってやるんだから!」

幼馴染男「なんだかわかんないけど…苦労しているようだね」

長姉「あんた程じゃないわよ、この貧乏人!! 落ちぶれ成金!!」

幼馴染男「君と次姉の通ってた女学校には、悪口の科目もあったのか…?」

幼馴染男「お金は少ないなりに平穏に暮らせているんだ。仕事…収入だってあるし」

長姉「天文学者の助手とか言う、まっとうな人には理解不能の仕事でしょ?」

幼馴染男「君の言うまっとうな人がどういう人を指すかわからないけど」

幼馴染男「本当は、子供の頃からずっと天文学者になりたかったのさ」

長姉「…それは初耳だわ…子供の頃から相手になんかしてやらなきゃよかった……」

幼馴染男「そうかな、当時の君ならそうは言わなかったと思うが」

幼馴染男「とにかく生前の父も理解して、無理に後継ぎにならなくていいと」

幼馴染男「金銭的に応援をしてやるって言ってくれていた、実現しなかったけど……」

長姉「あなたの師匠とやらに家政夫でいいから雇ってくれと頼み込んだって噂を聞いたわ」

幼馴染男「その通りだよ」

長姉「男のプライドはないのかしら?」

幼馴染男「先生は住み込みで僕を雇ってくれて、今や大事な仕事も任せてくれるほど信頼してくださっている」

幼馴染男「何年先かわからないけど、いずれ本格的に独立の後押しもしてくれるとお言葉もいただいた」

幼馴染男「…そうなったらあの約束に一気に近付く事が出来るよ」

長姉「あんたなんかと何か約束した記憶はないわよ?」

幼馴染男「君があの学校に行く前…8歳のときだった」

幼馴染男「確かに君に言ったよ、『大きくなったら天文学者になって……』」

幼馴染男「『新しい星を発見して、長姉の名前を付けるんだ』って」

長姉「」

ふたたび、屋敷内某所。

謎の音「…むぐ…むぐ……」

次兄「…?」

謎の音「むぐ…むぐううう……」

次兄「…鼾だな、重低音の」

次兄「この動く壁のすぐ向こうから聞こえるぞ」

次兄「と言う事は、この壁が下りている間は西の端の階段から一階へ行って」

次兄「東の端の階段からまた登らねば辿りつけん」

次兄「ここは二つの階段の中間地点、面倒だな…だが」

次兄「これが野獣様か執事さんの鼾なら……」

次兄「労力を払う価値もあると言うもの」

次兄「寝顔ゲットの為に急がば回れ」

次兄「上手く事が運べば観賞しながらスケッチも出来るかもしれない」

次兄「さすがにあの二人なら、触れようものならすぐに起きるだろうからな」

屋敷某所、動く壁の裏側。

次兄「…はあ…はあ……」汗ビッショ

次兄「け…けっこう早足で…駆けつけてみたら」

次兄「壁にもたれて眠っているのは」

料理長「…むぐう…むぐう……」

次兄「料理長さんじゃないか……」ヘナリン

次兄「しかしぐっすり眠っているな」

次兄「早起きだから、お歳のせいで疲れるのかね」

ズボンと上着の間から腹肉たぷーん

次兄「だらしないな」

次兄「むしろそこが良い」

次兄「お年寄りにあまり過激な事は出来ないが」

次兄「…これくらいは許されるだろう」テヲダス

腹肉むにゅ

料理長「…むぐう?…むぐ……」メヲサマサナイ

次兄「…腹の弛んだ贅肉」タプ

次兄「例えば自分の父親のそれからは目を逸らしたいのに」タプタプ

次兄「それを覆っているのが毛皮と言うだけで何故こんなにも魅力的なのだろう」タプタプタプタプ

次兄「おっほおおおおおお気持ちいいいいいいいい」タプタプタプタプタプタプタプタプタプタプタプタプタプタプ





数分後…いや、もっとでしょうか?

次兄「…ふう」

次兄「要するにアナグマの腹肉をタプタプしただけだが」

次兄「なかなかよかった……」ニヘヘ

次兄「タプタプしすぎたせいで右手がちょっと痺れて…しばらく鉛筆を持てそうにないが」

次兄「この感触を覚えておく事はアナグマの絵を描く時にも役立つだろう」

料理長「…むぐう…むぐう……」

次兄「本当によく眠っているな」

次兄「楽しませてもらったよ」

次兄「後で、いつも美味い料理のお礼を念入りに言っておこう……」

商人の家、長姉が帰宅すると……

次姉「姉さん、出掛けていたの?」

長姉「あら…次姉」

長姉(…あんまり会いたくなかった)

次姉「珍しい恰好で、どこ行ってたのよ」

長姉「あんたに関係ないわ! 私なんかいなくたって店は回るんでしょ!」腕ブンブン

長姉「…おー痛い」

次姉「何やったのよ、右手、腫れてない?」

長姉「ちょ、ちょっとね…野良犬を一匹、殴ってきたから」

長姉(あのあと思わず…反射的に幼馴染男をぶん殴ってしまった……)

長姉(倒れて気絶しちゃったので逃げて来たけど…あのくらいでは死なないわよね?)

次姉「気をつけなさいよ、狂犬だったらどうするの」

次姉「あら? そのブローチ」

長姉「ギク」

次姉「この紅縞瑪瑙…末妹のブローチを直したのね」

長姉「お、お店の売上には手を出していないわ!」

次姉「…ヘソクリ貯めていたのは知ってたから」

次姉「でも、なんだか…デザインは一見よさそうに見えるけど」

次姉「台の銀の質が、前より下がっていると思う」

長姉「ちょっと、ジロジロ見ないでよ、触らないで」

次姉「あ、こんな所がメッキだなんて…お父さんがつけた台には純銀をもっと使っていたはず」

次姉「どこの店よ、これにいくら払ったの?」

長姉「たった○○(金額)で直してもらったの、お得でしょ」

次姉「これに○○も!? 元の台も店に回収されたんでしょ!? 完全に足元見られたわ、カモにされたのよ!」

長姉「何よ、そんなこと言ったって…あげないわよ!?」

次姉「姉さん、お父さんが買ってくれた宝石は信頼できるからいいとして」

次姉「プレゼントは誰から貰ったかだけ重視して」

次姉「まともに宝石自体の価値を調べたことなんかないでしょ?」

次姉「私は違うわ、宝石や貴金属の本は出来る限り読んだし」

次姉「パーティーに行って身分の高い女性と知り合えば」

次姉「身に付けている宝石を褒めて気分を良くさせて、じっくり見せて貰って」

次姉「質の高い物はどこが違うのか…だんだんわかるようになってきた」

長姉「…ちょっとくらい目利きの真似ができるからって、偉そうに……」

次姉「そうよ、私のやってる事はまだおままごと。だからこれからもっと勉強したいの」

長姉「勉強って…あんた修道院学校を卒業した時、もう二度と勉強なんかするもんか! って」

次姉「鞭で叩かれながら、いい成績取るためだけの『お勉強』ならもう沢山だけど、興味のある事はもっと知りたいわ」

長姉「うちの店に宝飾部門でも作ろうっての? そんなことやってたら、行き遅れるわよ!」

次姉「…納得行かない結婚なら、急いですることもないわ」

長姉「あんたも末妹みたいに化け物とでも結婚させられるか、心配なの?」

次姉「違うわ、そんなんじゃない」

次姉「今までの…4年前に家に帰って来てからの生き方が…急につまんなくなったのよ」

長姉「……!!」ブンッ

次姉「その振り上げた手をどうしたいの?」

長姉「……」フリーズ

次姉「私を引っ叩きたいならそうすれば? でもその理由は何なのよ」

長姉「何よ…偉そうに…偉そうに、偉そうに偉そうに偉そうに!!」

長姉「あんただってあの子が…末妹がいなくなって清々していたくせに!!」

長姉「あの子の抜けた隙間に収まって、お父さんや兄さんに可愛がられたいだけのくせに!!」

次姉「…………」

長姉「ほぉら、図星でしょ!? 何も言えなくなった!!」

次姉「……」ツカツカ

長姉「な、何よ、殴る気? あんたにそんな資格…!」壁ニオイツメラレ

ド ゴ ッ

長姉「」

長姉の顔のすぐ横、壁に穴が開いた。

次姉「…そうよ」

次姉「私に姉さんを殴る資格はないわ」

次姉「末妹と…ついでに次兄にも…詫びる資格だってありゃしない」

次姉「…わかっているわよ」

長姉「……」ヘナヘナ

次姉「ちょっと頭、冷やしてくる」クルッ

次姉「…あと、右手も……」

長姉「……」ヘタリコミ

ドキドキドキドキドキドキドキドキ……

長姉「…あの娘、私より細いけど背が高いから…は、迫力が……」

長姉「……」

長姉「…何よ……」

午睡の夢。

(飾り人形の王子でも考えた事がないわけではない)

(「自分の治世になったなら」)

(「王族の贅沢より、意味のない戦の準備より、もっと有効なお金の使い方もできるはず」)

(町で見かけた、皮膚病だらけの痩せこけた幼い子供達)

(金を持っていそうな男を選んで誘っては家の中に消えて行く、どう見ても十代前半の少女達)

(少なくともこれらは改善しなければならない最優先課題と思っていた)

(必要なもの…皆に行き渡る量の食糧や日用品、教育の場、働きと対価が釣り合う仕事、それから……)

(…しかしそれらが自分にできるのはいつの話なのだろうか? 二十年後? 三十年後?)

(父は、現王はいつ王座から退くのか、その時王子は何歳になっているのか?)

(王はある日、面と向かって王子に言った)

(「お前が二十歳になったら早く嫁を取らせ子を作らせる」)

(「孫が生まれたらその教育は余が引き受け、幼いうちからしっかりと余の教えを叩きこめば……」)

(「お前のような腑抜けではない、王位を譲る意義のある、頼もしい後継者に育つだろう」)

(自分には次代の王としての価値もないのか、と悲しくなったが)

(王子は『いつものように』黙ったまま曖昧に微笑み、そこで用事を思い出した振りをして)

(一刻も早く王の声が聞こえない場所へと逃げ出す事しかできなかった)

(……成程、自分は確かに『腑抜け』以外の何者でもない)

(これでは誰も、何も、守れやしない)

(民どころか、自分の手が触れられるほど近しい誰かさえも)

(こんな自分が彼女と結ばれることは…最初から諦めている)

(だから、彼女に知られずに彼女の自分への思いを知りたい理由は)

(この先も生きて行くための支えとなる『思い出』が欲しいだけ)

(それだけのためならば、たった一度ならば、『禁じられた呪文』の使用も)

(「……きっと許されるはず」)

昼下がり、野獣の屋敷。

次兄「やあ、料理長さん」

料理長「次兄様、昼ごはんも残さず食べてくださって嬉しいよ」

料理長「ご主人様から聞いたが、あなたは動物の絵が上手いらしいな」

料理長「わしは人間のゲージュツとかなんとかはさっぱりわからんが」

料理長「よかったら…アナグマの絵を一枚、お願いできないかね」

次兄「いいですよ、あなたをモデルに?」

料理長「…実は、雌のアナグマを、だが」

次兄(雌? …アナグマ用のスケベなピンナップ…とか??)

料理長「アナグマ風情が可笑しいかもしれないが」

料理長「わしには森で暮らしていた頃に、長年連れ添っていた女房がいて」

料理長「この屋敷でご主人様にお仕えする前に、死んでしまったのだが……」

次兄「……」

料理長「今日、休憩時間に昼寝をしていた時、久しぶりに女房の夢を見てね」

料理長「あいつはわしのこの腹を、前足でタプタプ揺すって遊ぶのが好きだった」

次兄(あ)

料理長「なんでよりにもよってその時の事を夢に見るのかわからんが……」

料理長「目が覚めた時、なんだかとても懐かしい気持ちになって」

料理長「はは、本当に可笑しいな、ただの年寄りアナグマのくせにな」

次兄「いいですよ、奥さんを描きましょう」

次兄「さっそく今日からでも取り掛かりましょう」

料理長「ほ、本当かい!?ありがとう……」

次兄「細かい特徴なんかは教えてくださいね?」

料理長「勿論だよ、お、お礼は何がいいかな!?」ウキウキソワソワ

次兄「いいですよ、あなたはいつも美味しいもん作ってくれるから」

次兄(こっちも散々タプタプを楽しませてもらったし)

次兄(さて…次なるターゲットは……)

そのころの商人の家。

長兄「仕入れから帰って来たら」

長兄「今朝まで何もなかったはずの壁に穴が開いて、妹達がどちらもそれぞれ右手に包帯を巻いている」

長兄「それに、二人ともどういうわけか非常に話しかけづらい雰囲気だ」

長兄「家政婦さんは何があったか知らない様子だし」

長兄「…父さんはたぶん相変わらずだし……」

長兄「父さん、昼食は食べたかなあ?」ドアガチャ

商人「……」椅子に座ってボー

長兄「家政婦さんや俺が促せば、着替えもするし顔も洗うし物も食べるけど」

長兄「少し食べてやめてしまう…ほら昼食もパン半分かじっただけだ」

長兄「あとは日がな一日、あの椅子に座ってボーッとしているだけ」

長兄「身体はどこも悪くないと医者(せんせい)も言うし、父さんまだ43なのに」

長兄「…老人介護ってこんな感じなんだろうか?」

商人「末妹……」

長兄「口を開いたと思えば、ああやって末妹の名前を。五回に一回弱で次兄の名も」

長兄「やはり全財産はたいてでも、狩人をできるだけたくさん雇って伴って行くべきだったのでは?」

長兄「…こういう事を言えば、次兄が『脳筋』って言ってくるんだよなあ」

長兄「末妹を殺しはしないと約束をしたらしいが……」

長兄「人間ではない怪物の言うこと、信用に値するのだろうか?」

長兄「…でも、相手は魔法を使うんだ、約束を破れば家族全員が危険に晒されていた可能性がある」

長兄「さらに雇った人たちまで巻き込んでしまった時は……」

長兄「『魔法使い』なら対抗できるかもしれないが、百年以上前から」

長兄「この国、いや、この大陸からは殆どいなくなったって学校で習ったし、当然会ったこともない」

長兄「やっぱり次兄と末妹の決断は正しかったのか?」

長兄「せめて、あの子達がどうしているかだけでも知る手段があれば……」

商人「うっうっうっ……」嗚咽

長兄「…父さん……」

商人「末妹…末妹!!」ガッシ

長兄「ちょ、父さん!?」

商人「末妹、末妹…あうあうあうあうあ」グリグリワシャワシャ

長兄「な、なんで末妹の名を呼びながら俺の頭を抱え込むんですか?」

商人「末妹…妻と同じ、この髪……」

商人「母親譲りの、艶やかな栗色の髪…うううう」

長兄「…ああ、きょうだいの中で母さんと同じ髪の色は、俺と末妹だけだったな……」

長兄「しかし、性別といい体格といい他には全く共通点はないのに」

長兄「…ねえ、父さん?」

商人「……」

長兄「父さん、最近、次姉が店を手伝ってくれるようになったんですよ」

商人「……」

長兄「長姉は相変わらずですが…最近は割とおとなしくはしているようです」

商人「…次姉が……?」ハンノウガオソイ

長兄「末妹と次兄だって、帰ってくる可能性が無いわけではありません」

長兄「あの子達が戻って来た時に、4人で店で働いていたら…驚くでしょうね」

長兄「その時は元気な顔を見せてあげましょう、父さん」

商人「…ううううう……」

商人「…私は我が子さえ守れない…不甲斐ない…駄目な父親だ……」ウナダレ

長兄「父さん……」

長兄(…こうやって、項垂れた父さんの頭を改めて見てみると)

長兄(後退してきた額と、頭頂部の空白地帯がつながりそうになって来たなあ)

長兄(俺もいずれ『こんな感じ』になるんだろうか?)

長兄(それでも父さんが『こんななった』のは30過ぎてからと記憶しているが)

長兄(次兄と末妹がいなくなって、父さんが引きこもって以来)

長兄(俺も枕につく抜け毛が…なんとなく増えつつある気がするんだよな)

長兄(俺まだ二十歳なんだけど)

長兄(早くまた家族全員そろって平穏に暮らしたいものだ……)

夢のつづき。

(城のある都から遠く離れた屋敷、機械仕掛けの屋敷、王家の別荘)

(自分の二十歳の誕生日を口実に開かれた舞踏会の場で)

(王妃に呼びつけられた理由、王子にはわかっていた)

(「なぜあんな卑しい身分の娘がここにいるのか」)

(魔法図書館で働く娘、もちろん王子が王妃に内緒で招待した)

(自分の誕生日に免じてただひとつのわがままを許して欲しいと頼むと)

(形の上では王子を溺愛していた王妃は渋々)

(舞踏会の後、他の招待客のように別荘に泊まらせる事は許さず)

(その晩のうちに馬車で王都へ送り返す事を条件に、承諾した)

(もとより娘自身が、早く家に帰りたがっていたのだけれど……)

(「王子様、私がここにいるのはどう考えても場違いです」)

(「それに私、踊れません……」)

(招待状には、いつも世話になっているお礼、という言葉を入れた)

(彼女が来ているドレスは招待状と共に王子が贈ったもの)

(正確な寸法は当然測ることはできなかったので)

(それでも着られるよう、紐やボタンで調節できる仕様にと注文した)

(ここまでされては、彼女も断ることはできなかった)

(「無理に誘って悪かった」)

(「しかし、それでも君と踊りたかったんだよ」)

(「私の動きに合わせて、足を動かしていればそれでいい」)

(「…さあ娘さん、私の手をお取りください」)

(彼女は少し考えて、王子に言った)

(「身分の高い方は気まぐれだって世の人は言うけれど」)

(「王子様は優しいお方。私に一生一度、今夜限りの夢を見せてくださると思うことにします」)

(彼女はそっと、王子の指に触れる)

(……)

(…王子も彼女も、いや、屋敷にいた人間全て、知らなかった事がある)

(ギルドの魔法使い達を金で雇った人々の集団があった)

(目的を同じくして集った人々は、下級貴族から貧民窟の住人まで、職業や地位は様々)

(各自が自分の生活水準の中で精一杯の…人によっては犠牲を払ってまで用意した金で)

(魔術師ギルドが受けた依頼は)

(『王と王妃と、王子の暗殺』)

※休憩しますよ※

次姉強ぇなおい

翌日、野獣の屋敷、野獣の部屋。

執事「ご主人様……?」

野獣「……」

執事「…お昼寝中か、よく眠っておられる」

執事「もうすぐお茶の時間だが、もう少し寝かせておこう」退室

執事「末妹様達のほうはメイドが準備しているだろう」

執事「料理長も午前中からはりきって胡桃入りのサブレを焼いているし」

執事「この離れた場所からでも甘い香りがする」

執事「料理長が、胡桃は次兄様の好物だから、と言っていたが」

執事「しかもわざわざ末妹様から彼の好物を聞き出したとか」

執事「……」

執事「末妹様の兄上とは言え、初対面のご主人様に無礼を働いた……」

執事「……あの次兄様を喜ばせたい、のか????」ワケガワカラナイヨ

末妹「執事さん」

執事「おや、末妹様」

調理室。

メイド「料理長さん、まだ終わらないの? 三時になっちゃうわ」

料理長「待っておくれ、メイドちゃん」

メイド「…あら、胡桃のサブレ、予定通りの数があるじゃない」

メイド「このお皿もう運びますよ!?」

料理長「待っておくれったら……」

料理長「サブレの生地が余ってしまったのでね、楕円形に型抜きして」

料理長「真ん中にジャムを流し込んで、縁を白ザラメで飾って……」

料理長「鏡のクッキーを作っているんだ」

メイド「末妹様にぴったりだわ、とっても綺麗なお菓子ですもの!」

料理長「次兄様の好物を教えてくれて、それを秘密にしてくれて」

料理長「末妹様は大事な協力者だからね」

料理長「こっちは末妹様へのお礼のつもりだ」

メイド「それなら待てます、だけど早く仕上げてね!」ワクワク

執事と末妹。

執事「もうすぐお茶の時間ですよ、応接間へどうぞ」

末妹「ごめんなさい、いつもは来ない所まで来てしまって……」

執事「謝る事はありません」

執事「あなた様はこの屋敷のどこの廊下も歩いて良いし」

執事「鍵の開いている部屋には、どこに入っても構わないのですよ」

末妹「…ありがとうございます」

末妹「あの、執事さん……」フタリデアルイテイルヨ

執事「はい?」

末妹「皆さんは…執事さんやメイドちゃん達はいつお食事を?」

執事「我々はそもそも凝った料理の味はわかりませんからね……」

執事「やはり料理長が用意はしてくれますが、あなた様達の感覚では、きっと料理とも言えない代物です」

執事「それに各自食べられる物や食べる回数も違いますから」

執事「朝に一日分を受け取って、好きな時間帯にそれぞれの部屋で食べています」

執事「食事と眠る時くらいは本来の姿に近い状態でくつろいでほしい、と言う主人の配慮ですね」

末妹「では野獣様は…おひとりでお食事をされているんですよね?」

執事「そうです」

末妹「兄や私とは、お食事やお茶の時間が違うのですか?」

執事「…いいえ、ほぼ同時刻にしています」

執事「大幅にずらしては、料理長の準備が大変になりますから」

末妹「ご自分のお部屋で?」

執事「ええ。つまり、なぜ末妹様達と同席しないのか、それをお聞きになりたいのですね」

末妹「…はい」

執事「人間であるあなた様が奇妙に思われるのも当然ですね」

執事「あなた様のお家の、あなた様がご存知の」

執事「『客人』と『家の主人』…人間同士のしきたりとは何かが違う」

末妹「……」

執事「主人に提案してみましょう」

執事「この家のあるじならば、この家のお客様と同じテーブルにつくのが礼儀でしょう、と」

末妹「…あの、私」

末妹「……」

末妹「ごめんなさい、私は本当に物を知らない子供で…どう言えばいいのかわからなくって」

執事「立場をわきまえない無礼な娘と思われるのでは、とご心配ですか?」

執事「主人はただ」

執事「あなた様を怖がらせたくないため、ご自分で決めた時間しか顔を出さず」

執事「話す時も距離を置き、ご自身の獣の臭いであなた様の食欲をなくさないよう」

末妹「…私は野獣様が…けもの臭いとは思いません」

末妹「兄は『香水の匂い』と言っていましたが、あれはバラの香り…野獣様からは微かなバラの香りがします」

末妹「それに野獣様は優しいお方だと私はわかっています、あの見かけを怖いとは思いません」

末妹「ですから、私達を気遣って、という理由でしたら…それは必要ありません」

末妹「でも、もし、野獣様が同席をお嫌だと仰るなら」

執事「いいえ、末妹様」

執事「今のあなた様のお言葉を伝えれば、主人は喜びますよ」

執事「もしかしたら今日のお茶から同席してくださるかもしれません」

執事「そうなったら、次兄様もさぞかし喜ばれるでしょうねえ」

末妹「あ、いえ、そんなつもりでは…と言うか、そのあの」アワアワ

末妹「…兄が…ご迷惑、とんでもないご無礼を…本当にごめんなさい!」

執事「ふふ、いや、こちらこそすみません」

執事「…末妹様、主人やわたくしに対し、聞きたい事や話をしたい事がある時は」

執事「メイド達と話をする時のように、あなた様の言葉で話をして良いのですよ?」

執事「あなた様は本来、もっと素直で率直なお方のはず」

執事「…と、主人が申しておりました」

末妹「……」

執事「おや、メイドが待ち切れずに探しに来たようです」

メイド「末妹様、こちらにいらしたんですか!?」パタパタ

執事「メイド、先に末妹様を応接間へお連れしなさい」

執事「それでは、主人を呼んで来ましょうか」クルリ

メイド「え…ご主人様を??」

末妹「…もしかしたら、一緒にお茶を召し上がってくださるかも…と」

メイド「ええええ、本当ですか!?」

メイド「よかったあ、私、ずっとそうすればいいのにって思っていたんですよ!」

メイド「だって、せっかく招いたお客様と同じものをお食べになるのに」

メイド「同じ時間にそれぞれ別のお部屋でお茶もお食事も、だなんておかしいですもの」

末妹「……」

執事の声「メイド!」

メイド「あ」

メイド「執事様、すっごく耳がいいんだった……」

末妹「執事さんの仰る通り、先に行ってましょう?」

またも午睡の夢。

(王子は娘の手を握ると、彼女には聞こえぬ声で呪文の詠唱を始めた)

(唱え終わるか終らぬうちに……)

(気が付けば彼は闇の中に一人佇んでいた)

(何が起きたかわからないまま、王子は彼女の名を呼び、辺りを見回す)

(自分の両脇に倒れていたのは自分の両親、王と王妃)

(二人とも苦悶と絶望の表情を顔に貼りつかせたまま微動だにしない)

(王子は恐慌状態になって娘の名を呼び続ける)

(彼女の無事を確かめたかったのか)

(…彼女に取り縋って恐怖から救い出して欲しかったのか)

(聞き覚えのある誰かの声が王子を呼び、周囲に光が戻る)

(そこにはやはり自分と、倒れ動かない両親がいるだけ…いや)

(聞き覚えのある声の主が目の前にいた)

(魔法教授所で一番熱心に自分を指導してくれた魔法の師匠)

(同時に、貧しい娘の賢さ勤勉さを見抜いて、図書館の仕事を斡旋した人物でもあった)

(師匠はギルドが受けた依頼について話し、王と王妃は既に絶命していると告げた)

(魔法使い達は、王と王妃の心臓が止まるまでのほんの一瞬の間に『悪夢』を見せた)

(夢の中では『数か月が経って』おり)

(国に革命が起き二人は捕えられ裁判にかけられ)

(自分達が苦しめた民衆の手によって『彼らの行いに見合った最期』を遂げていた)

(そこまで話を聞いて、王子は)

(「では王の世継ぎであった私も、ここで死ぬのですね」)

(「師匠、これだけは教えてください、彼女は…どうなりました?」)

(師匠が言うには、自分達が頼まれたのは三名の暗殺だけで)

(舞踏会の客…他国の来賓やこの国の貴族達、大金持ち)

(そして別荘に連れて来ていた城の使用人達は)

(明日の朝、何事もなかったかのように自分の家で目覚めるだろうと)

(王家に従うこの国の権力者がその後どうなるかは、魔法使い達の知るところではないとも)

(そして図書館の娘については)

(舞踏会の招待状を受け取った時から王子の手を取るまでを)

(『本当に』夢だと思うように仕向けてあるということを、付け加えた)

(王子は安堵して、呟いた)

(「それでしたら、私も…心残りなく死ねます……」)

メイド「末妹様、お茶のお代わりいかがです?」

末妹「ありがとう、いただくわ」

野獣「昼前に調理室の前を通りかかった時に、いい匂いがしていたのはこれか」

野獣「こんなに胡桃がたくさん入った焼菓子は初めてだが、なかなか美味いな」

次兄「一体何があったというのか」ボリボリ

次兄「お茶受けのお菓子が胡桃ぎっしりのサブレと言うだけでも嬉しいのに」ボリボリ

次兄「…この場に野獣様が同席しているだと……?」ボリボリボリ

末妹「お兄ちゃん、口に何か入っている時の独り言はお行儀が悪いわよ」

野獣「ふ、最初にお前達が来た日を思い出すな」

野獣「あの時も、食事の席で末妹嬢が次兄の面倒を見ていた」

次兄「…モムモム」租借中

次兄「ズーゴクン」お茶飲み

次兄「…あの日は俺達が食べ始めると、野獣様は席を外し、食べ終わると戻って来られましたね」

次兄「もちろんわざわざ遠路からやって来た俺達、というか末妹のために用意された食事だから」

次兄「屋敷の正式な食事時間じゃなかったけど」

次兄「次の日からは食事やお茶の前後に姿を現す事も無くなった」

次兄「野獣様のモンスターとしてのプライドかなあ、とか俺を警戒しているのかなあ、とか」

次兄「理由は色々推測していたんですけどね」

次兄「それが、どういう風の吹きまわしで…いや正直嬉しいんですけど」

末妹「……」

野獣「…ちょっとな。私の気が変わった、それだけだ」

次兄「それだけですか…そう仰るならそれでいいか」

野獣「しかし次兄、お前は率直な奴だな」

野獣「…ま、初対面の事を思い起こせば…私を最初から怖がっていなかったことは明白だが」

野獣「なんにせよ、お前は変わった奴だからさて置き」

野獣「末妹嬢は本当に私が恐ろしくないのかね?」

末妹「…私も、率直に言っても構いませんか?」

野獣「ん? ああ、構わん」

野獣「むしろそうしておくれ」

次兄(ほう)ボリボリ

末妹「…父から野獣様のお話を聞いて、私…もっと恐ろしいお姿を想像していました」

末妹「想像のお姿の恐ろしさが10だとすれば」

末妹「実際のお姿の恐ろしさは…6くらい?」

野獣「数値で表現されたのは初めてだよ」

末妹「だから、全然怖くなかったのとは、また違うのです」

末妹「最初は一生懸命、怖がっていないふりをしていました」

野獣「……」

末妹「でも…私に対しての野獣様の態度は、とても優しく穏やかで」

末妹「お料理はとても美味しかったし」

末妹「予定になかった(その上あんなことをした)兄の事まで気遣ってくださって」

末妹「使用人の皆さんを紹介してくださった時には、随分緊張もほぐれて……」

末妹「それと…初対面の瞬間…なぜかはわからないけど思ったのです」

末妹「『このかたは嘘はつかないはず』って」

野獣「……」

次兄(お…野獣様がハッとした表情を)ボリボリ

末妹「あ、ごめんなさい!? 生意気が過ぎました…!」

野獣「正直な感想なのだね、末妹」

末妹「は…はい」

野獣「それでいいのだよ」

野獣「お前の率直な言葉を私が怒る理由はない」

野獣「尤もお前は、怒られるのが怖いという理由で言葉を選んでいるわけでもなかろうが」

野獣「私にはわかるよ、相手を傷つけたくなくて言葉を選んでいると」

次兄「俺はいつでも正直で率直ですから」ボリボリボリボリ

野獣「お前は少しくらい私を怖がってくれ」

末妹「…ふふ……」

メイド「さてと…このへんで」

メイド「ねえ次兄様、今日のお菓子は美味しかったですか?」

次兄「あ、ああ。美味いのはいつもだが」

次兄「胡桃ぎっしりで嬉しかった」ゲプ

メイド「ふふ、そうでしょう」

メイド「実はね、これ、料理長からの、絵を描いてくれたお礼ですって」

メイド「お礼は何もいらないと仰るので、せめて好物の胡桃が入ったお菓子を、と」

次兄「お礼? まだ描いている途中なんだけどなあ」

次兄「…あれ、なんで俺が胡桃が好きなの知ってんの?」

メイド「うふふ、末妹様に協力していただきましたあ」

次兄「なるほど…そういう事か」

メイド「それで、こちらのお皿はぜひとも末妹様にって、料理長が」

末妹「まあ、とっても綺麗で可愛いお菓子!」

メイド「真ん中にはツヤツヤのジャム、周囲はザラメで飾って……」

メイド「女性の手鏡を模ったお菓子なんですよ」

末妹「素敵、料理長さん本当に何でも作れるんだ」

メイド「勿論お二人の分もあります、どうぞ」

次兄(俺はとっくに腹一杯だから、部屋に持ち帰って夜食にでもしよっと)

野獣「ふむ…『鏡』か……」

その夜の夢。

(しかし師匠は)

(「言う事はそれだけか? …愚かな、心弱い、哀れな我が弟子よ」)

(「依頼をしてきた人々には、王の直系であるお前は『王の存在の一部』に過ぎないが」)

(「お前と言う人間を知る我々の間では、王子の処遇について意見が分かれた、依頼を受けた上でもなお、な」)

(「王子として生きる道は失っても、お前自身を生かす方法はいくつかあった」)

(「しかし…お前は我々にとって許されない事をやらかした」)

(王子はそこで初めて、禁忌を使った事を知られていたのだと気が付いた)

(「…指南書を手に入れた時点で、相談をしてくれたなら」)

(「いいや、せめて、己の死を前にして、禁を犯したことを罪と思い、告白してくれたなら……」)

(王子は師匠達への裏切りを心の底から悔いたが、すべては遅かった)

(師匠は続けた)

(「お前がこれから受ける罰は、まず、このままこの場所で200年の眠りに着くこと」)

(「次に、目覚めた時には今と違う姿……」)

(「自身の心の内に相応しい姿に変わっていること」)

(「その姿である限り、この屋敷とそれを取り巻く森から出る事は叶わないと言うこと」)

(「森を抜け出そうと踏み出した足は、凍り付いたように動かなくなる、引き返すしかできなくなる」)

(「そして…屋敷の裏庭のバラ園。あれはお前が丹精したものだったな」)

(「王子のすることではないと王が蔑み、虫が出るからと王妃が嫌がったにも関わらず」)

(「あれだけが、両親に逆らってまでお前が自分の意思で守り抜いたもの、そうだな?」)

(「あのバラから『目に見えぬ根』を長く伸ばし、お前の心臓に根付かせた」)

(「お前の自由な意思の象徴が、今度はお前を縛り付ける」)

(「お前が生きている限りバラは枯れも散りもせず、お前が死ねばバラも枯れ、二度と新しい芽を出す事もない」)

(「そしてバラの花が折り取られた時…正確には、バラを欲した人間が花一輪でも手にした時」)

(「代償としてその日のうちに相手に手を下さなければ、残りのバラも枯れ、枯れ切った時にお前も死ぬだろう」)

(「ここで、唯一の救い…救済の可能性も…与えよう」)

(「バラの花を欲した人間を、殺さずに受け入れることをお前が選んだ時、相手の死による代償は『保留』される」)

(「そして相手がお前を心から信じてくれて、お前がその信頼に誠実を持って応え」)

(「その誠実さが相手に伝わった時…お前はようやく完全にバラの呪縛から解かれる」)

(「世の信頼しあう人々には、お互いに心を読む魔法がなくてもできることだ、しかしお前にはできなかったことだ」)

(「だから…一度受け入れた相手と信頼を築きあげる途中で、お前からそれを諦め、放棄して」)

(「そんなお前に対し、相手が怒り、悲しみ、失望、拭えない不信…このような感情を表した時には」)

(「…やはり相手を殺さなければ、お前はバラと共に死にゆくだろう」)

(王子にとっては、200年の眠りだけで十分すぎる罰だった)

(目覚めた時、図書館の娘はとうにこの世からいなくなっているのだから……)

(師匠はなおも続けた)

(「眠りに着いている間、この屋敷には誰も入れないよう我々の魔法で完全に隠蔽され、動物さえ入り込めない」)

(「屋敷の建物自体も時間を止める」)

(「建物が老朽化して200年の間に崩れでもして、お前が眠りの途中で死んでしまっては意味がないからな」)

(…王子はそれでも一向に構わないと思った)

(「目覚めた後は、お前は自分の力で我が身とこの屋敷を守らなくてはならない」)

(「今の魔法の力はそのまま残してやろう、心を読む術を除いて」)

(「お前のたぐい稀な実力ならば、魔法を上手く使えばここで独りでも生活はできるだろう」)

(「知性と記憶も手つかずにしておくが、お前の正体、過去とバラの秘密に関する話だけは」)

(「誰かに語ろうとした瞬間に言葉を失う、誰にも話せなくなる。話せない理由すら説明できない」)

(「裏庭のバラだが、雨風や鳥や獣、また人間であっても完全な過失によって傷付いたならば何も起こらない」)

(「しかし同時に、花に惹き付けられる人間を拒む事もできない」)

(「バラに人が近づくことを防ぐには、屋敷ごと誰も入れないよう閉ざしてしまう他にない」)

(屋敷ごとバラ園を閉ざし、人間と触れ合わず寿命を終えるか)

(屋敷に招き入れた、バラを折り取るかもしれない人間と関わるか……)

(人を惹き付けるが故に手折られ傷付く運命にある美しい花)

(そんな儚い存在と一蓮托生になるのか……)

(ならば、200年後と言わず、今すぐ誰かバラを折ってくれ、切ってくれ)

(そのまま共に枯れて散って朽ち果ててしまいたい、と)

(王子が叫ぼうとした瞬間、その意識は暗闇に沈んだ……)

野獣の屋敷の某所。

次兄「庭師くん、庭師くん」

庭師「あれ、次兄様」

次兄「これ、なーんだ?」パッ

庭師「大きな麻袋とエノコログサ……」

庭師「僕をじゃれつかせようって魂胆ですか?」

庭師「その意図はよくわかりませんけど」

庭師「あいにく、仕事中はその程度で惑わされないように心掛けています」

次兄「さすがだね庭師くん。だが、これはどうかな?」

袋の口:くぱぁ

庭師「開いた袋の中から、何かの香草の香りが……?」

庭師「…キャットニップか、考えましたね」

次兄「庭の菜園に生えていたのさ」

庭師「確かにネコ科の動物はその香りに弱いけれど」

庭師「キャットニップはご主人様が召し上がる料理やお茶にも使うので栽培しています」

庭師「庭師がいちいち酔っ払っては仕事にならないからと」

庭師「ご主人様の魔法で耐性をつけていただきました」

次兄「つまり君はこの香りでも惑わされないと。それなら」

次兄「この、固く栓をした小ビンに何が入っているかわかるかな?」

庭師「茶色い粉末…さあ……?」

次兄「屋敷の地下の薬草とスパイスの保管庫にあったのさ」

次兄「まさか東洋の珍しい生薬まで揃っているとはね…」

小ビンの栓「ポン」

庭師「にゃっ!?」

庭師「な、なんだろう、この香り」

庭師「魔法をかけてもらう前の、キャットニップを嗅いだ時のような気分」

庭師「でも…この香り自体は初めてだ……」

次兄「これを袋の中にパッパとね♪」

次兄「更に袋の口の前で」

エノコログサ「パタパタパタパタ」

庭師「う、うわあ、理性が、理性があ……」

次兄「これはマタタビという東洋の植物を乾燥させたもの」パタパタパタ

次兄「あれだけ保管庫に膨大な種類があれば、野獣様も滅多に使わない薬草もあるだろう」

庭師「あああ…エノコログサが、袋が…未知の香りが僕を誘うよお……」

次兄「野獣様には黙っておくよ」パタパタパタ

庭師「うわああああああ、この香りに、あの粉にまみれたいいいいいいい!!」ルパンダーイブ

スボッ

庭師「狭いよー薄暗いよー楽しいよー」ゴロゴロゴロ(転がる音)

庭師「いい匂いが、気持ちのいい匂いがするうううう」ゴロゴロゴロ(喉を鳴らす音)

庭師「…はっ…駄目だ駄目だ、まだ勤務時間中……」ザッ

庭師「……」

庭師「ふあああああもうどうにでもしてえええええええ」コロコロクネクネ

次兄「…ふ、山猫も家猫も変わらんな」ノゾキコミ

次兄「しかしモノの本によるとあまり長時間トリップさせると体に負担がかかるとか」

次兄「早めにミッションを完遂せねば」

次兄「この袋の端っこの糸。これを一気に引っ張ると…」

糸:シュルルルッ

麻袋→麻布:バサッ

次兄「麻袋から一枚の麻布になるのだ」

庭師「うふふふふ、ゴロゴロ…うふふふふ、ゴロゴロ…」ラリラリ

次兄「すっかりあっちの世界に旅立っている」

次兄「マタタビ凄い。東洋の神秘」

庭師「この世は天国だあああああ、バンニャーイ」両手ナゲダシー

次兄「これなら両前肢いけるかな」むんず

次兄「それでは本日のメインイベント……」

次兄「肉球ペロペロ祭の開幕です」

商人の家、次姉の部屋。

長兄「次姉、ちょっといいかな」

次姉「何、兄さん?」

長兄「手の怪我はどうだ? 包帯しているじゃないか」

次姉「…これはなんでもないのよ」

長兄「まあ詮索はしないよ。それより…お前も、うちの地下室にある金庫の事は知っているだろ?」

次姉「ええ、あのすごく大きくて、とてつもなく重い」

次姉(持ち上げようと試みたことないから、本当の重さ加減は知らないけど)

次姉「特別製の金庫の事でしょ?」

長兄「そうだ。あの金庫にはうちのほぼ全財産が入っていて、必要な分のお金だけその都度取り出している」

長兄「今あそこの鍵を持っているのは父さんと俺だけだが」

長兄「そろそろ、お前にも一つ預けておこうと思う」

次姉「…!」

次姉「…信用していただいてありがたいけど、断るわ」

長兄「どうして? お前は真面目に店の仕事をやっているし、今の父さんの状態を考えても」

次姉「ううん、まだまだ、私、自分が信用できないもの」

次姉「お金が自由に出し入れできると思ったら……」

次姉「私はまた、浪費家で遊んでばかりの悪い次姉に戻ってしまうかもしれない」

長兄「そんなことは……」

次姉「兄さんがさせないわよね。でも、私は怖いの、自信がないの」

次姉「むしろ……」ゴソゴソ

長兄「…お前の宝石箱?」

次姉「私の持っている貴金属や宝石も、当分のあいだ金庫にしまってほしいの」ドン

次姉「普段使いにしても違和感がない程度の物だけ、手元に残しておくわ」

長兄「…………いったいどうしたんだ、次姉……」

次姉「その顔、いくらなんでも驚き過ぎだと思うけど」

次姉「パーティーに着て行くようなドレスも衣装箱にしまうわ」

次姉「もちろん永遠にじゃないけど…昔の私に戻らないって自信ができるまでの間ね」

長兄「…お前にしては大変な決意だと思うよ」

長兄「わかった、次姉の気持ちは受け止めた」

長兄「金庫の鍵については現状維持、お前の大切な宝石は俺が責任持って預かろう」

次姉「ありがとう、兄さん」

次兄と庭師……

次兄「庭師くんのネコ科肉球をペロペロにペロ尽くし、気が付いてみると……」

庭師「…すぴょー…すぴょー……」

次兄「気持ち良さそうに熟睡している」

次兄「彼の全身に付着していたマタタビ粉はブラシを使ってきれいに払い落し」

次兄「念のため固く絞ったタオルでも拭き取り」

次兄「マタタビ粉まみれの麻布も床にこぼれた粉も、この蓋付きの缶に密封した」

蓋付きの缶:カーン

次兄「証拠隠蔽は完璧だが…問題は」

庭師「すぴょー……」

次兄「彼の記憶の中での一連の出来事」

次兄「…実は、やや強引な手口を、ちょっとばかり後悔している」

次兄「今更ながらのてめえ勝手な理屈だが、さすがに嫌われたくはないのだ」

次兄「ほら、欲望に突っ走った世の男性がその対象に罪悪感を覚えて気まずくなる、あの感じ」

次兄「……『感じ』というよりは、むしろそのもの?」

次兄「世の中によくある話と違うのは、同性といえど共感してくれる人が世界中探してもいないような」

次兄「オンリーワン且つワーストワン、これが今の心境です……」

庭師「…うーん……」フニャ

次兄「」

庭師「…くぅあああああああ、よくねたああああああああ」のびーーーーーーー

次兄「にににに、庭師くんっ?」

庭師「あれぇ、次兄様…なんでこんなとこにいるんですぅ?」ネボケー

次兄「…君こそ、どうしてこんな所で寝てたのか…な?」

庭師「え…僕は、確か…ここで次兄様に呼び止められて……?」

庭師「……」

庭師「…そこから先の記憶が曖昧だ…おかしいな?」

次兄「きっと疲れていたんだ、そのせいだよ!」

庭師「…そうかな、そうかも…確かに目が覚めたのに、なんとなくだるい……」

次兄「そう、絶対疲れているせいだから!」

庭師「ですよねえ…もう今日は執事さんに話して、休ませてもらおうかなあ」

次兄「それがいいよじゃあ俺はこれで食事の時間だ末妹が待っているだろう」イッキニシャベッタヨ

庭師「はい、次兄様、また明日……」テヲフル

庭師「…もうちょっと、ここで昼寝していこう……」ゴロリ

庭師「…すー……」

次兄「酒に泥酔すると、前後の記憶がすっぽ抜ける人間が時々いるが」

次兄「庭師くんは人間ならばそのタイプなのかもしれないな」

次兄「……助かった、とりあえずは」ホー…

そして誰かの夢。

(……………………)

(どれ程の時間が過ぎたのか、夢を見たのか見なかったのか……)

(王子の最後の言葉、悲しみの叫びは、外に吐き出される直前に内へと呑み込まれた)

(そのまま『叫びたい心』は200年間くすぶり続け)

(王子を獣の咆哮が相応しい、元の姿とは似ても似つかないかたちへと、すっかり変えてしまっていた)

(少しでも以前の名残が残っているのは瞳の色くらいで、しかし目の形は獣のそれ)

(鏡に映し出されたのは…全身褐色の毛に覆われた、恐ろしげな、見た事もない大きな獣の姿だったが)

(あの愚かで、心弱く、哀れな王子の姿よりは遥かに『まし』に思えた)

(そう思うと、不思議と)

(しばらくは『野獣』として生きてみようかという気力が沸いて来た)

(最初は獣の唸り声しか出せなかったが、少し練習すれば人間の声も出せたし使い分けもできた)

(人間の声もテノールからバスには変わっていたが、今の外見には似合いだろう)

(次に半日かけて広い屋敷の中を探索し、もう半日で城の周辺を探索した)

(建物は師匠が時間を止めたと言った通り、中も外も傷んでおらず)

(大時計と連動している門は、王が舞踏会の前に装置を解除したままで普通に手動になっているけれど)

(「そう言えば、私は門を操作する装置がどこにあるか知らないな…」)

(城の中の日用品もどうやら同じく時を止めていたようで、200年前のままと思われた)

(そして裏庭では)

(この200年間、人が手入れし続けて来たかのように美しくバラ達が咲き誇っていた)

(最初のうち、野獣は屋敷で寝泊りをすることを除けば)

(本物の獣のように必要最低限の糧を森に求めて暮らした)

(幸いなことに、その大きさに関わらず野獣の身体は多くの食料を求めなかった)

(食べられる植物かどうかは魔法で鑑定できたので、効率よく採取を行い)

(3日に1匹だけと決めて川魚を捕る、捕れない日は諦めるだけのこと)

(しばらくのち、野獣は庭の片隅に食用の野草を育てる事を覚え)

(『収穫の日を楽しみにしている自分』に気付いた時)

(同時に、ようやく、『孤独な自分』をも自覚した)

(更にそれは、今現在の外の世界を知りたい『欲』にも繋がって行く……)

※今夜はここまで。次回以降はもっと小出し投下になります…※

>>93
行き場のない感情を右ストレートに込めて、そんな感じです

ある日、商人の家、長姉の部屋。相変わらず暇そうな長姉。

長姉「あー……」

長姉「私のヘソクリ、残りこれだけになっちゃった…」チャリンチャリン

長姉「…あれは私が7歳くらいの時かしらね」

長姉「お昼休み中のお客がいないうちの店で、次姉とかくれんぼして遊んでいたら」

長姉「目の前にあった売り物の紅茶の缶が消えて、小さな革袋が降って来たの」

長姉「びっくりして大声出したら次姉に見つかったんだっけ」

長姉「お父さんに言っても最初は信じてくれなくて、でもその革袋の中には金貨が詰まっていて」

長姉「しかもデザインからすっごく昔の貨幣のはずなのに、使われたような傷や摩耗が殆どない」

長姉「これは不思議だってことで、お父さんは憲兵さん呼んじゃって、正直に話した結果」

長姉「憲兵さん曰く『実は国内各地で、たまぁに同様の現象が起きています』」

長姉「『妖精か何かの仕業としか思えないのですが、人外相手の事件はぶっちゃけ我々にはお手上げでして』」

長姉「『特に治安にも影響が出ていないので、おおごとにしないで、黙って金貨は取っときなさい』…って」

長姉「…あれが今、私の目の前で起きてくれたらラッキーなんだけど」

長姉「どんな妖精か神様か悪魔か知らないけど、着なくなった服でも、金貨と交換してくれないかしら?」

長姉「……」

長姉「退屈……」

そのころ、野獣の屋敷では。

メイド「末妹様、菜園をご覧になりたいんですか?」

末妹「ええ」

メイド「ちょうど庭師が手入れをしている時間ですね、さっそく行きましょうか」



庭師「…で、こちらが芽キャベツです。もう少し秋が深まれば収穫期になります」

末妹「わあ、茎についた芽キャベツは初めて見たわ! 面白い形ね」

メイド「収穫を終えた後の茎や葉っぱは、私が美味しく」

庭師「ナスはうちの庭ではそろそろ終わりですね。紫も緑も白もあります」実ノ色デス

末妹「昨夜のナスのグラタンもこれなのね、本当に美味しかった」

メイド「こっちは、私は茎も葉も好みませんから収穫後はすぐ土に埋めて肥料にします」

末妹「…野菜の種や苗はどうやって手に入れているの? 森には生えていないでしょ?」

メイド「ご主人様は色々な物を『どこかから』入手してくださいます」

庭師「方法は僕らはあまり気にしないんですが…代価は払っている、と前に仰っていましたねえ」

メイド「今朝も料理長が小麦粉と砂糖の残りが少なくなったのに気付いて、私からご主人様にお知らせしました」

メイド「いつもなら、そろそろ調理場に運ばれている頃です」

ちょっとだけ前の時間、野獣の部屋。

野獣「……さてと、小麦粉と砂糖だな」

野獣「金貨の箱を開くか」

金貨の箱:がぱぁ

野獣「かなり使ったが、まだこんなに残っている」ジャラジャラー

野獣「私の父が、舞踏会に呼んだ外国の王族への賄賂として用意した金貨……」

野獣「結局、当初の目的には使われずに終わったが」

野獣「…小麦粉の大袋ならば、この革袋にこれくらいか」ジャラララ

野獣「砂糖はこんなものかな」ジャララ

野獣「金貨の入った革袋を魔法陣に置いて、呪文を唱える」

金貨の袋が消えた!

ある町の製粉工場。

作業員1「!? ここにあった小麦粉の大袋が消えた!?」

ボトッ

作業員2「…と思ったら、革袋が天井(?)から降ってきた!?」

作業員1「おい、この袋…金貨が詰まっているぞ」

作業員3「旦那様(製粉会社の社長)を呼べ!」

同時刻の砂糖を扱う店。

店員1「!? ここにあった砂糖の袋が消えた!?」

ポトッ

店員2「…と思ったら(以下略)

野獣の部屋の魔法陣の上

小麦粉の大袋デーン

砂糖の袋テーン

野獣「…森で採取も庭で栽培もできない物は、こうやって手に入れて来た」

野獣「相場がわからんのでいつも適当な金額だが……」

野獣「金貨と無生物の交換という魔法だから本当は金貨一枚でも成立するが、あまりに気が引けて」

野獣「…『魔術師ギルドの裏歴史』という特殊ルートでのみ出回った書物によると」

野獣「あの魔術師ギルドを追放された男は、この魔法の効果を少し変えて」

野獣「人身売買に利用しようと目論んで除名処分されたとか」

野獣「…奴に出会わなければ、私は……」

野獣「いやいや…そんな事を今さら考えるのはやめよう」ブンブン

野獣「小麦粉と砂糖を運ばなくてはな」ヨイショ

野獣「執事が気付けばすっ飛んで来るが、自分でやりたい気分なのだ」

執事「ご主人様!? わたくしが運びますよ!!」ビュン!

野獣「ほらな」

執事「呼んでくださればすぐに参りましたのに」

野獣「せめて砂糖くらい運ばせてくれ…いい、いいから」

執事(小麦粉袋担いでる)「使用人の立場として、ご主人様にこんな事は」

野獣(砂糖袋抱えてる)「たまには運動がてらさせてくれ」

野獣「私とお前くらいしか、この屋敷では力仕事ができる者はいないし」

執事「運動でしたら…末妹様と、なんでしたっけ、箪笥…ではなくて…だ…ダ……」

野獣「ダンスだな」

執事「それです…すみません、人間の言葉を使えるようになって随分経つのに」

執事「未だに、耳慣れない言葉はなかなか覚えられなくて」

野獣「気にするな、しかし…ダンスか……」

執事「正直に申し上げますと、わたくしも具体的にはどういうものか、よく…いえ」

執事「どういうものか、『さっぱり』わからないのですが」

執事「人間やそれに近い生活をする生き物は」

使用人達は野獣の種族を亜人か魔族の類だと『漠然と』思っています。

執事「『音楽』に合わせて『踊る』のが楽しいのでしょう?」

野獣「誰でもと言うわけではないが、な」

執事「何より、末妹様もたまには体を動かされた方が健康にも良いと思います」

野獣「…それもそうだな、考えてみるか」

野獣(あの舞踏会以来だ……)


※今日はここまで。当面は小出し投下で進行する予定です※

その日の午後、どこかの廊下。

次兄の足音:てくてく

次兄「メイドさんのプリケツ、料理長さんの腹肉、庭師くんの肉球は攻略(?)済み」

次兄「しかし次のステージは一気に難易度が上がる」

次兄「執事さんのふかふか首毛とふさふさ尻尾」

次兄「そして野獣様の、衣服に隠されたもっさもさの『胸毛』」

次兄「野獣様は俺の知る限りでは謎生物だから、裸体は想像の域を出ないが」

次兄「初対面でしがみついた時に服の上からでもわかったぞ、あの毛のボリューム……」

次兄「たまんねえ」

次兄「これが人間式の胸毛ならば、近付けられたら16歳の男が号泣する勢いでキモチワルイのに」

次兄「四匹ともかつては森の野生動物と言っていたが、執事さんは特に」

次兄「あの体格、大きな犬歯、そしてよく見ると顔に古い傷跡」

次兄「厳しい生存競争を戦って生き抜いた歴戦の勇士、森林の王者だったに違いない」

次兄「まだ成獣になりきっていないメイドさんと庭師くん、年老いた料理長さんのような隙は見せてくれまい」

次兄「不思議な力を持つ野獣様に至っては、もう不意打ちが成功しない限り、言うに及ばずだ」

次兄「ん」ピタ

誰かの足音:コツ…コツ…

次兄「廊下を歩いてくるのは野獣様じゃないか、あ…立ち止まったぞ」

次兄「こんな廊下で何をやっているんだろう、使用人の誰かも近くにはいないようだし」

次兄「つまり俺と二人っきり」イベントハッセイノヨカン

次兄「まだこっちには気付いていないようだが、声を掛けない手はない」

次兄「……?」

次兄「本当に何しているんだろう、壁の一部を…組まれた石のひとつを手で押している?」

次兄「俺には全く届かない高さだな」

ボコォ

次兄「!?」

次兄「押した石が飛び出して来た!?」

次兄「それをもう一度押した…と。元通り平らになった、と」

ゴゴゴゴゴゴゴ……

次兄「低い唸るような音と、微振動…あっ」

次兄「俺と野獣様の間に、あの動く壁が降りて来た!」

次兄「また遠回りは面倒だ、と言うかその頃には野獣様が別の場所に移っているかもしれん!」ダダッシュ!

次兄「野獣さまああああああああああああああ!!!!」

野獣「な」

次兄「滑り込みいいいいいいいい!!!!!」ズッザアアアアアアアア

動く壁:ピシャン☆

次兄「…セーフ」

野獣「……次兄か……」

次兄「ども」ウヘヘ

野獣「何をやっておる、壁に挟まれたら危ないではないか」

次兄「この壁って木製だし、見た目より軽いんでしょ、大怪我はしないのでは?」タチアガリ

野獣「怪我は大したことなくても、挟まり方では誰かが操作するまでその場から動けなくなるぞ?」

野獣「私は、お前だったら挟まれているくらいでは助けないし」

次兄「ひどい」

野獣「…ズボンが破れてしまったな。このやんちゃ小僧が……」

次兄「自分で繕いますよ。これを末妹やメイドさんにやらせたら怒るでしょ、野獣様が俺を」

野獣「裁縫なんかできるのか?」

次兄「昔、うちには住み込みのばあやがいて…父親が子供の頃から家で働いていた人ですけど」

次兄「母親が亡くなってから、2年前に歳のせいで引退して田舎に帰るまで」

次兄「俺達きょうだいの母親代わりにあれこれ世話をしてくれたり色々なことを教えてくれたり」

次兄「俺は小さい頃、身体がずいぶん弱く病気がちで」

野獣(…そんな風にはこれっぽっちも思えないが)

次兄「遊ぶのもほとんど家の中で、末妹がばあやから裁縫や編み物を習っている時は」

次兄「近くに行って、飽きるまでは一緒に教わったこともあります」

野獣「色々と意外だな」

次兄「ところで野獣様、この動く壁は故意に動かしていたんですね」

野獣「ああ、これか……」

野獣「仕掛けは屋敷中の至る所にあるが、何日かおきに時々こうやって操作をしている」

野獣「内部が錆ついて動かなくなって、こうやって降りたまま二度と上がらなくなっても困るからな」

次兄「メンテナンス作業ってわけですね」

野獣「そういうことだ」

次兄「しかし高い位置に操作する仕掛けがあるんですね、俺には届かないや」

野獣「前の持ち主が何を考えていたかは知らないが」

次兄「前の…ってことは、元々野獣様のお屋敷ではなかったんだ?」

野獣「……」

野獣「ずいぶん古い時代の話になるが、最初にこの屋敷と機械仕掛けを作った人間がいて」

野獣「別の持ち主の手を経た後、長いこと無人になり、そこに私が住み着いた」

野獣「大雑把に説明すると、こんな感じだ」

次兄「ふーん」

野獣「で、その機械仕掛けを作った人間が、何を考えていたかは知らないが」

野獣「あまり誰にでも手が届いても危険だからではないか、例えば子供が悪戯したり……」

野獣「特にお前のような悪童が」

次兄「…野獣様、俺の事をガキ扱いし過ぎ、と言うか」

次兄「末妹の『兄』とすら本当は思っていないんじゃないですか?」

野獣「確かに、見ているとお前の方がちょっと体が大きいだけで、どっちが『上』かわからなくなる」

次兄「俺は見ての通り無邪気で純真ですからねー」プクー

野獣「ははは、そう拗ねるな」

野獣「とりあえずお前も背が伸びたら届くようになる(かもしれん)ぞ」

次兄「こー見えても、もうすぐ17になります、諦めていますよ身長の事は」

野獣「そんなことはない、17ならまだ伸びるだろう」

野獣「私だって少年の頃はずっと小柄な方だったが、18歳から急に伸びた」

次兄「…野獣様と比べたってなあ……」

次兄「……?」

次兄(そっか、今までその発想はなかったが、ひょっとしたら……)

次兄「ねえ野獣様?」

野獣「何だ?」

次兄「野獣様って、元々は『人間』だったりします?」

野獣「!」

次兄「え」



……

……



次兄「……」

次兄(一瞬だが燃えたぎるような眼光、まさに『野獣』と呼ぶに相応しい)

次兄(あんな野生剥き出しの眼で睨みつけられたら普段の俺なら大喜びのはずだが)

次兄(…今のはマジで怖かった……)

野獣「……」

野獣「…!」

野獣「すまん! すまなかった、怯えさせるつもりはなかったのだ」

野獣「……そんな顔をしないでくれ」

次兄(……俺、今どんな顔してるんだ?)

次兄(「気にしていませんけどぉ(ヘラヘラ)」……)

次兄(「とんでもない!むしろ御褒美です(ハァハァ)」……)

次兄(何か言え、俺……)

野獣「すまなかった」クルリ

次兄「っ」

次兄「……野獣様!」

次兄「すみません、でした……」

野獣「……お前が謝る理由はない」

…コツ…コツ…

次兄「……」

※今日はここまで※
昨夜と連続ですが、更新できない日はできないので、できそうと思ったらやっちゃいます。

>>136 ありがとうございます

次兄は色んな意味で命知らずだな
だがそのモフモフへの情熱…解らなくもない

その夜の夢。

(魔法を駆使して手に入れた書物によると、この屋敷のある森一帯は)

(屋敷の前の持ち主、機械好きな伯爵の怨念が渦巻いていて、足を踏み入れた人間は呪われる)

(…王子が眠りについて間もない頃から、そういう話になっていた)

(伯爵の怨念と人々が思ったのも無理はない)

(王が屋敷を手に入れたのは、王子が13歳の時)

(いくら書状や部下を使いにやって譲渡を求めても、伯爵の意思は固く)

(王はある時とうとう、王子を交渉役に派遣した)

(城から伴った強面の付き人に囲まれて王子は王の書面を読み上げるが、伯爵は首を縦に振らず)

(埒が明かないと判断した側近は、王子に耳打ちした、この通りに言えと)

(「あと一週間与える、よく考えておくように」)

(王子は最後にそう告げると、側近たちに伴われて屋敷を去った)

(子供ながらに失敗したという自覚はあった)

(最後のセリフも、言われた通りを繰り返しただけだが、どんな意味を含んでいるかはわかる)

(『一週間以内に色よい返事をしなければ、そなたの安全は保証しない』)

(帰り際、年端も行かない王子は震えっぱなし)

(「僕が交渉を上手にできていたら、血を見ることなく伯爵から譲り渡してもらえたはずだ」)

(「僕のせいで、伯爵は殺されてしまうかもしれない……」)

(後になって思えば、王は最初から王子の交渉に期待などしておらず)

(王子による直接交渉はあれこれ手を尽くしたという既成事実を作るために過ぎなかった)

(そして一週間…伯爵からは音沙汰がなく、八日目に王は大勢の兵士を屋敷に派遣した)

(王子は結果だけを聞いた、兵士を前にしてもなお伯爵は渋ったので、その場で斬り捨てられた、と)

(これは国民にも周知され、一層、王に逆らうことの恐ろしさを印象付けた)

(…『真偽』は今となっては確かめようがない)

(歴史書の類を読んでも、当時に近い年代に書かれたものほど、屋敷を奪われた伯爵がどうなったか記載は曖昧だ)

(できることは、自分が生きている間だけでも、この屋敷を『大事に使う』ことだけ……)

(あの日、王子の二十歳の誕生日、王家の舞踏会の翌朝)

(王と王妃と、そして『王子』も、森を遠く離れた王城で亡骸が発見された)

(苦悶の形相を浮かべた王と王妃のそれはまだ新しく、不思議な事に『王子』だけは)

(王子の服を着てはいたが、『まるで何年も前に埋葬されたかのような、完全な白骨』だった)

(舞踏会の場にいたはずなのに気が付けば家で眠っていた招待客達は)

(自分達に起きた不思議な出来事も含め、これは王を恨んでいたであろう伯爵の呪いだと言い始めた)

(呪いでなければ説明が付かないし、呪いであれば王子の亡骸の不思議も説明できる)

(王家に協力的だった貴族達は民衆よりも呪いを恐れたか)

(ある者は他国へ逃げ出しある者は今更になって王家への批判を始めた)

(一夜にして王家が滅びた小さな国は程なくして)

(あっさりと平和的に南側に接する大きな国…つまり現在の『とある国』に吸収されて消滅し)

(困窮していた人々の暮らしも順調に改善されて行ったという)

(魔術師ギルドはそれとほぼ同時に各地へ分散し、その力を弱め)

(どこか別の地、別の世界に、居場所を求め去ったという説もあったが…とにかく)

(周辺諸国の人々の生活からも、徐々に魔法自体が忘れ去られて行った)

(王子の故国は歴史的にどう扱われて来たかと言えば)

(『圧政で国民の不満が溜まって来た頃、突然の流行り病で王家が死に絶えたため滅びた』)

(尤も人々の間では、あれは病なんかではなく、呪いだ、怨念だと言い伝えられて来たが……)

(そして歴史書には、公的に何も残さず二十歳になった日に『死んだ』王子については殆ど記載がなく)

(物語風に脚色された歴史読み物では、大概、王と王妃の尻馬に乗って民を虐める高慢で残忍な王子)

(「違う、私は……」)

(「私は……」)

(…何もしていない、いや、できなかった、いや、何もしようとはしなかった。少なくとも、しようとしなかったと同然だ)

(「私の『後世の評価を甘受する苦悩』など、苦しみの内にも入るまい」)

(そして魔法図書館の娘)

(結局、彼女に触れていた時間は短くおまけに踊りながらだったためか、心は読めなかった)

(今となっては、自分の事は何とも思っていなかったと、そうであって欲しいと願うだけ)

(あの後、彼女はどういう生涯を送ったのか)

(下層階級に生まれしかも女性、更に国自体が今や存在しない)

(どこにも記録が残らない、調べようがない条件は、あまりに揃い過ぎていた)

(「…せめて、心安らかに平穏に一生を終えたと信じたい……」)

(誰ひとり、何ひとつ、守りきることができず、人から恨まれた『王子』)

(それはもう『死んだ人間』であり『死んで良かった人間』でもあると野獣は思う)

(ここにいるのは、王子では…人間ではなくなった『野獣』)

(それだけで自分の罪が雪がれたとはさすがに思ってはいないが、いつか)

(いつか、バラの呪縛から完全に解かれる日が本当に来たのなら……)

(「私は、王子だった過去からも完全に自由になれるのだろうか?」)

(そうであればいいのに、と野獣は願わずにはいられない)

(今の姿は)

(今の姿は見せかけだけに過ぎない)

(獣の外見をしただけの『人間』であることには目を瞑って)

(『野獣』として自由を得ることを願わずにはいられない……)

※今日はここまでなのです※

>>144 キャラ関連のコメありがとうございます。正直嬉しいす

真夜中。次兄の客間。

次兄「……」

次兄「さっきもおしっこして来たのに眠れん」ゴロン

次兄「結局夕食の席に野獣様はいなかった、執事さんは用事があって、と説明していた」

次兄「明日の朝食にはまたおいでになります、とも……」

次兄「つまり、その時には顔を合わせることになるわけで」

次兄「三択です」

次兄「1・いつも通り『おはようございます』」

次兄「2・それとも『昨日は本当にごめんなさい』」

次兄「3・『野獣様の正体が、過去が何であろうと俺の気持ちは変わりません!』」

次兄「(続き)『何故かって、大切なのは今! 今の全身、特に胸毛が、フサフサモフモフの貴方が全てなのです!!』」

次兄「……」

次兄「3は…俺の今の偽らざる本音なのだが…却下」

次兄「ストレート過ぎる」

次兄「自然な関係に戻ってから、もう少しソフトにさりげなく伝えるべきだろう」

次兄(他人が聞いていたら『それは本当に伝えるべき言葉なのか?』とツッコミが入るかもしれないが)

次兄「2も…もう蒸し返すな、だよな。却下」

次兄「1しかないな」

次兄「あまり普段と様子が違っていても、末妹を心配させてしまうし」

次兄「…末妹と言えば…俺の趣味と実益における『実益方面』がすっかりおろそかになっていたのでは?」

次兄「『兄として妹を守る』」

次兄「…具体的な行動、なんも起こしてねええええ!」ゴロンゴロン

次兄「末妹は屋敷の皆とうまくやってるし…俺も野獣様に追い帰すとか全く言われなくなり」

次兄「平穏すぎて緊張感がないせいだ」

次兄「……」

次兄「野獣様は本当に、どういうつもりで末妹をここに置いているんだろう?」

次兄「『父さんが折ったバラの償い』が何故」

次兄「客人として丁重にもてなし、不便のないよう使用人をつけ、外に出る以外は自由に振舞わせ……」

次兄「罰を与えるよりよっぽど不可解な扱いじゃないのか?」

次兄「はっきりした理由は教えてくれないだろう」

次兄「末妹も疑問に思っているはずだが、教えてくれないのを察して、問い質したりはしないと思う」

次兄「きっと野獣様の正体と同じで、彼のトップシークレットに当たる」

次兄「そしてこの二つは密接に絡み合ってると見た」

次兄「…屋敷に来て間もない頃は、そう遠くない未来」

次兄「なんとかして、平和的に二人揃って家に帰る手も探せるだろう……と考えていたが」

次兄(ちなみに俺の虹色プランでは帰宅後も野獣様や執事さんとはペンフレンドとして関係が続く予定)

次兄「そう簡単な話ではないのかもしれない気がして来た」

次兄「でも」

次兄「まずは目先のこと…野獣様との親密な関係の修復」

次兄(今まで親密な関係かどうかはいかがなものか? と俺の冷静が囁くがそれは情熱で捻じ伏せて)

次兄「その…目的とか手段とか計算とかじゃなくてさ」

次兄「あんな申し訳なさそうな寂しそうな顔をさせてしまった事を、なんとかしたいだけ」

次兄「…だったら俺にできる事は一つ」ガバ

次兄「どうせ眠れないんだ、灯りをともして、っと」

翌朝。

コツ…コツ…

野獣「朝食で…次兄と顔を合わせるのだな」

野獣「不自然に振舞っては末妹嬢をも心配させてしまう」

野獣「まずは普段通り、おはようの挨拶…が良いのだろうな……」フゥ

次兄「おはようございます!!」シュバァ!

野獣「おおおうっ!?」ビクッ

野獣「…次兄」

野獣「…なんだ、廊下の曲がり角で待ち伏せたりして……」

次兄「おはようございます。挨拶は大事なことなので2回言いました」

野獣「…おはよう」

次兄「実はですね。お渡ししたいもんがありまして」ゴソゴソ

次兄「これ…この絵、野獣様を描きました。あ、ちゃんと服着てます」

野獣「え……?」

次兄「どんなもんでしょ?」

野獣「……」

野獣「…素晴らしい…な、目の前でモデルになったわけでもないのに……」

次兄「いっつも見てますからね」ボソ

野獣「嬉しいぞ…ありがとう、ありがとう…次兄」

野獣「描いてくれるとは思わなかった…本当に嬉しいよ……!」

次兄「……」

次兄(顔に毛がなければ、頬が紅潮しているのが見えるんだろうか)

次兄「野獣様って、なんか子供みたいですね」

野獣「……」ピク

次兄「やべ」タラーリ

野獣「…次兄には言われたくないぞ、と腹の中では思っているが」

野獣「素晴らしい絵に免じて、言わずにいてやろう」

次兄「言ってるし」

次兄「…喜んでもらえて、俺も嬉しいです」ウヘヘヘヘ

次兄「じゃ、先に朝食の場に行ってますよ!」タタッ

野獣「あ、おい……」

野獣「……」

少し後、朝食の席で。

メイド「ご主人様、スープのおかわりはいかがですか?」

野獣「ありがとう、いただくよ」

野獣「…それで、馬に乗るのは許してもらえたのかね、末妹」

末妹「ええ、『うちの馬なら大人しくて賢いから乗っても良い』となりました」

末妹「走らせなければ、という条件付きですけど……」

野獣「いやいや、女の子でそれだけ出来るのは大したものだ」

メイド「…ご主人様、ご機嫌ですねえ」

メイド「今朝、お目覚めになったばかりの時は、なんとなく塞ぎこんでおられたのに」

次兄「……」

次兄(俺の絵も、野獣様のご機嫌に貢献してたら嬉しいな……)

末妹「乗馬服ですか? 上の兄が小さい時のお古です」

末妹「いえ、古着なのは一向に構わないのですが」

末妹「8歳くらいに着ていたという服が今ぴったりで…それがちょっと恥ずかしいです」

野獣「お前もまだ14歳だ、これから伸びるぞ」

次兄「そうそう、兄さんがちょっとでか過ぎるだけー」

野獣「…次兄は乗馬に興味はないのか?」

次兄「俺、運動神経は半端なく鈍いもんで」

次兄「…あと、うちの馬は賢い奴だから…なんとなく(俺から)危険な匂いを感じ取っているのかもしれません…」ボソ

野獣「…ああ……」サッシタ

野獣「(話題を変えようかな)末妹よ、うまく行けば今日、お前に見せたいものが『届く』予定でな」

末妹「…私に見せたいもの? なんでしょうか?」

野獣「それはその時のお楽しみだ」

野獣「…内緒にしておけよ、メイド」ヒソヒソ

メイド「私だって心得ていますー」ヒソヒソ

次兄(俺が見たいものは貴方のフサフサ胸毛ですけどね)ミルクグビー

※今日はこのへんで。明日は更新お休みの予定です※


ペンフレンドww

同じ日、夕食前のこと、応接室。

末妹「赤いドレス……」

末妹「綺麗…まるで赤いバラの花みたい!」

野獣「気に入ったかね」

野獣「ここに来た最初の日、メイドが寸法を測っていただろう?」

野獣「いつかお前にプレゼントしたくて、用意したのだよ」

末妹「」

野獣(金貨と物品を交換する呪文と、自分の魔法を遅く発動させる呪文とを組み合わせて使用)ベンリデスネ

野獣(手紙付きの金貨を先に仕立屋に送り込み、時間差で出来上がったドレスと交換)

野獣(手紙には注文の詳細と多少…いや、かなり脅迫めいた内容も盛り込んで、完成日時を指定)

野獣(上手く事が運んで一安心だ……)

野獣「どうした、ただでさえ大きな目が見開きっぱなしではないか?」

末妹「…ほ」

末妹「…本当に、私がこれをいただいて良いのですか?」

野獣「末妹嬢以外に誰がそれに袖を通すのかね」

野獣「無駄にさせないでくれ」

末妹「あ…ありがとうございます! 野獣様!」

メイド「えへへ、きっと素敵でしょうね、私も寸法を測った甲斐があります」エッヘン

次兄(物欲の薄い末妹でも、やはり女の子、嬉しい事には違いないんだろう)

次兄(この子の平服と礼服以上の、姉さん達が持っているようなおしゃれ着なんて今まで見たことないものな)

次兄「俺にはタキシードとは言いませんので、継当てのないズボンなんかを」

野獣「ふむ…執事用に入手したが、サイズが小さくて一度も履いていないズボンがあったな」

野獣「さすがに庭師に履かせるには大き過ぎるが、そう言えば次兄には丁度よさそうだ」カルクチニマジレス

次兄「環境と家計に優しいリサイクル最高」イエーイ

次兄(せめて一度でも執事さんが履いたズボンなら嬉しかったが)

野獣「もうひとつある、これをご覧」

末妹「なんでしょう…飾りのついた木箱?」

野獣「蓋を開くと」カパ

音楽:♪~♪~~♪~

末妹「オルゴール!? オルゴールですね!」

野獣「見るのは初めてか?」

末妹「だって、うちのお店でも扱っていないし…すごく高価なんですもの」

野獣(オルゴールが比較的最近の発明で珍しいのは知っていたが)

野獣(父親…商人は平民にしては裕福なほうだろうに、それでもおいそれと買えない品とは)

野獣(…オルゴールの店に後で追加の金貨を送っておくか)

末妹「音を鳴らす仕組みを作るのがすごく難しくて、職人さんがあまりいないのでしょう?」

末妹「一度でいから、実際に見て、音を聴いてみたかったの…」

末妹「こんなに早く願いが叶うなんて」

野獣「気に入ってくれたかね」

野獣「見て聴くだけじゃないぞ、これは末妹嬢のものだよ」

末妹「……」ミアゲテル

野獣「ほら、またそんな顔をする」

野獣「これもお前にあげるために用意した、何度も言わせるな」

末妹「…こんな…素敵なドレスとオルゴール…本当に、もらっていいのかしら……」ポー

野獣「ああ、勿論だ。ただ、代わりにひとつだけ私の頼みを聞いてくれ」

末妹「え?」

次兄(俺空気)

野獣「そのドレスを着て、このオルゴールの音楽で、私と踊ってほしい」

その日の夜、屋敷の大広間。

末妹「…着て来ました……」キラキラフワフワー

野獣「おお、やはりよく似合っている…いや、思っていた以上だ」

末妹「…何度も何度も言いましたが、私、踊ったことはないのです」

末妹「本当にちっちゃな頃、真似事で遊んだくらい」

末妹「姉達はダンスを習っていましたし、パーティーにもよく行きますが私は」

末妹「…元々、どちらにも興味はなくて」

末妹「本を読んだり馬に乗ったり、そちらの方がずっと……」

野獣「気にすることはない、と私だって何度も何度も言っている」

野獣「最後に踊ったのは、とんでもない昔だから、古い時代のステップしか知らないし」

末妹「古いも何も、本当にわかりませんから」

末妹「…野獣様の足を踏んでしまうかもしれませんよ?」

野獣「はは、お前の足に踏まれても、スズメがとまった程度にしか感じないだろうな」

野獣「私の動きに合わせて、足を動かしていれば…それでよい」

野獣「さあ、末妹、私の手をお取り」

大広間の一角。

次兄「オルゴールを伴奏に」

次兄「降るような星の夜、二人きりの舞踏会」ナガレルノハボサノバデハナイガ

次兄「ちなみにギャラリー及びスタッフはカウントしません」

次兄(ギャラリー)「…ロマンティックな光景のはずだが」

次兄「こうも体格差が極端だと最早シュールな光景だな」

次兄「身長だけでも、野獣様は末妹とたっぷり1m以上の差があるから、見た目的にはほぼ2倍」

次兄「そこに幅と厚みも加えたらその体積は末妹何人分か答えよ」

次兄「と、計算したくもなる程にシュールな光景なのだ」

次兄「…決して嫉妬でこんなロマンの欠片も無いことを言うのではない」

次兄「今、野獣様が屈んで末妹を胸に引き寄せたのはそういう振付だから」

次兄「う、羨ましくなんかないんだからね!」

メイド(スタッフ)「次兄様、相変わらず賑やかな独り言ですね」

次兄「…あ、メイドさん」

メイド「次兄様は、あの『ダンス』とやらは嗜まれないのですか? あ、アップルティーとプチケーキをどうぞ」

次兄「ありがと、もらうよ」

次兄「ダンスねえ、音楽に合わせ相手を気遣いつつ手と足を別々に動かすとか、想像だけで脳がこんがらがる」

次兄「朝も話したが、身体を動かす事は全般的に苦手だ」

メイド「でも時々、人間離れした動きをなさるようにお見受けしますが?」

次兄「愛の成せる技だ」ケーキパク

メイド「次兄様の仰る事の半分は本当に意味不明ですが」

メイド「それにしても…ご主人様とっても楽しそう、こんなご主人様は久しぶりです」

次兄「ど素人の末妹をリードしている様子を見るに」

次兄「俺にはよくわからんが上手なんだろうな、野獣様」

次兄「末妹も、ぎこちないなりに楽しんではいるようだ」



むにっ

末妹「ああっ!? ごめんなさい、またまた野獣様の足を!」

野獣「構わん、本当に痛くもなんともないぞ」

野獣「それより慌てるとお前が足を挫く、だから落ち着け」

末妹「は、はい……」

庭師「次兄様、メイドちゃん」

次兄「庭師くん」

庭師「なんだか珍しい事をやってらっしゃると言うので見に来ました、へへ」

庭師「…二人でくるくる回って、あれがカブト虫と赤いテントウ虫なら僕の野生の本能を大いに刺激しますね」

メイド「お二人が昆虫サイズじゃなくてよかったわ」

料理長「わしらも仕事が一段落したので、見に来ましたよ」

次兄「料理長さん、わし『ら』…?」

執事「なるほど、これがダンスと言う行為ですか」

次兄「執事さん!?」ウレシイオドロキ

執事「…わたくしが主人に『ダンス』を提案してみたのですが」チョットドヤガオ

執事「なかなか面白い動きですな、興味深い」

料理長「そう言えば、ここにお仕えするようになって間もない頃」

料理長「森へキノコ狩りに行った時、野営中のジプシーとかいう人間の集団を見かけました」

料理長「彼らも『音楽』に合わせくるくる動いて、あれも『ダンス』だったのでしょうな」

料理長「しかしあれはかなり忙しない音楽と激しい動きで、こんなにゆったりとはしていなかった」

次兄「俺はあまり詳しくないが、音楽と踊りと言っても種類がたくさんあるんだよ」


※とりあえず、ここまで※

>>160 ペンフレンドを持つことは、この世界の当時のナウなヤングにはイカす行為でした

野獣「ふむ、観客が増えたな」

末妹「…恥ずかしいな……」

末妹の胸元:キラッ☆

野獣「そのペンダント…十字架か、いつも着けているのか?」

末妹「え、ええ…普段着だと外から見えませんが、ずっと着けています」

末妹「お母さ…母の形見なんです」

末妹「亡くなる少し前に、私のお守りとして、母の手でじかに首にかけてくれたそうです」

野獣(「くれたそうです」…か)

野獣「…お前が物心つく前なのかね?」

末妹「ええ、美しく元気な人だったと聞いていますが」

末妹「私を産んだために体調を崩し、最後には肺炎を起こして、出産から二カ月後に……」

野獣「……」

末妹「だから私は全く母の記憶がなくて」

末妹「幼かった次兄もほとんど覚えていないとは言っていますが」

末妹「上の兄や姉達はよく覚えていて、甘えたい盛りに母を失ってしまいました」

末妹「更に、父は子供達にはちゃんとした教育を受けさせたいからと」

末妹「王都にある学校…上の兄をかつて父が通った、姉達を母が通った寄宿学校に、それぞれ入学させて」

末妹「3人とも年2回の帰省を除けば、家から離れて暮らしていました」

野獣「何歳(いくつ)くらいの頃だね?」

末妹「上の兄と上の姉は、9つから15まで」

末妹「飛び級で上の姉と同時に入った下の姉は、8つから14まで」

末妹「それぞれ学業は優秀だったと聞きますが、寂しかったと思います」

野獣「お前と次兄は寄宿学校には行っていないのか?」

末妹「ええ、そうです。ずっと家で育ちました」

末妹「体の弱かった次兄といつまでも甘ったれの私を、父は心配したのでしょうね」

野獣「…末妹よ」

末妹「はい?」

野獣「お前は自分の兄姉に、負い目を感じているのかね?」

末妹「!」

野獣「そんな口ぶりだからな」

野獣「兄姉を遠くの学校で学ばせたのも、お前が親元で育ったのも、それは父親の判断だ」

野獣「それに、母親が亡くなったのは自分のせいとでも思っているのか?」

末妹「……」

野獣「父親がお前にそう言うのか? それとも昔いたという住み込みのばあやか?」

末妹「違います!! 父は…父から聞いたのは、母がどんなに素敵な人だったかという話と」

末妹「…母がどれほど子供達…私達きょうだいを愛していたか、という話だけ」

末妹「ばあやだって、母が直接私に教えたかったことを代わりにたくさん教えてくれました」

末妹「母の思い出話を、笑顔で語りながら、です……」

野獣「では」

野獣「他の誰かに…言われたのか……?」

末妹「……」

末妹「今まで誰にも話した事はありませんが」

末妹「上の兄…私の6歳上の長兄が15で家に戻って来た時」

末妹「それから間もなく、母方の親戚という方が3人、家にいらして」

末妹「母の従兄に当たる皆さんですが」

末妹「後々知った話では、父が以前とても世話になった方々で」

末妹「うちの店は、南の港町では老舗と呼ばれるほど以前から商いを続けていますが」

末妹「私や次兄が生まれる前…父が祖父から店を継いだ頃、昔からのお客さんの信用をなかなかいただけず」

野獣「確かに、若くして老舗の店を継ぐのは大変な重圧だろうな」

末妹「いちじ経営が傾いた時に、ずいぶん助けてくださった恩人なのだそうです」

末妹「で、その日は小さい頃可愛がってたという長兄に、何年かぶりに会いに来られ」

末妹「うちの家族とお客様がそろった会食の席に次兄がいなかったのは何故だ、という話になり」

末妹「次兄は熱を出して寝込んでいたので、それを父は説明して、詫びました」

末妹「その場はそれで済んだのですが」

末妹「後からばあやのお手伝いで、客間に私一人でお酒を持って行くと……」

以下、末妹の語りの内容を、回想シーンでお送りします。

(親戚1「次兄はまた寝込んでいるのか…この家の子供の様子を聞けば、いつもこうだな」)

(親戚2「長兄は15だがもう立派な若者だ、同じ兄弟であの出来の悪さと来たら」)

(親戚3「まだ女学校に行っている長姉と次姉も、母親以来の優秀な生徒らしい」)

(親戚2「全く、下の二人はいらなかったんじゃないか?」)

(親戚1「おい、末妹がそこにいるんだぞ」)

(親戚2「聞こえていないさ。それにこんな小さい子供、なんの話かわかるものか」)

(親戚3「次兄は体も貧弱で病気がち、15まで生きられるかもわからんし」

(親戚3「おまけに酷く内気で、ろくに喋りもしないそうだな、利発ではきはきとした長兄とは本当に大違いだ」)

現在時間の野獣「ちょっと待った。次兄が内気で無口だと??」

現在時間の末妹「体が弱い頃は見知りで、それでも家族とは喋っていましたけど、口数は少ないほうでした」

(回想シーンの親戚3「末妹もな」

(親戚3「父親はそうとう甘やかして手放さないようだが…」)

(親戚3「次兄があんなのじゃなければ、下にもう一人作ろうなんて思わなかっただろうよ」)

(親戚2「その通りだ。おまけに末妹を産んだせいで死んでしまうなんて」)

(親戚1「いくらなんでも言い過ぎだって……」)

(親戚2「事実じゃないか。葬式の時だって、上の三人と来たら可哀相で見ていられなかったぞ」)

(親戚2「赤ん坊だった末妹は何も知らないけどな」)

(親戚3「次兄も3歳になる前か、母親の記憶はないだろう」)

(親戚2「次姉のように早熟で賢い子供だったら別かもしれんが、普通以下の出来では尚の事さ」)

(親戚3「上の三人は、ある程度の歳になるまで家を離れて丁度よかったかもしれないな」)

(親戚2「ああ、母親の思い出が残る家で、母親を死なせた妹を目の当たりにして暮らすより余程いい……」)

現在時間の末妹「……」

現在時間の野獣「当時のお前だって」

野獣「大人の話とは言え、自分に関わる話も理解できない程には、幼くもないのにな……」

末妹「…お酒を置くためのテーブルは小さい私にはちょっと高くて」

末妹「落としたりひっくり返したりしないように慎重に、と思ったら時間がかかってしまいました」

末妹「話をそこまで聞いて、ようやくお酒と水差しとグラスをテーブルに並べ終えて、客間を出る事ができました」

野獣「…で、誰にもその話はできなかったのだな?」

末妹「熱で苦しんでいた次兄には、もちろん言えませんでした」

末妹「口を開けば泣いてしまいそうで、父やばあや、上の兄を心配させてしまいそうで」

末妹「…いえ、それ以上に、これは誰にも言ってはいけない話だと子供ながらに思ったので」

末妹「今まで…誰にも……」

野獣「その親戚とやらは」

野獣「長兄と姉達…というよりも、お前達の母親にずいぶん思い入れがあったのだろうが……」

末妹「……」

野獣「ひどすぎないか?」

野獣「第一、お前と次兄も同じ母親の子だ」

末妹「……」

野獣「なぜそこまで言われなくてはならない?」

野獣「その無責任な立場からの放言を、お前は真に受けているのかね?」

末妹「…とにかく悲しい気持ちと、事実だから仕方ないという気持ち、両方が常にありました」

野獣「百歩譲って事実であったとしても、お前を悲しませた彼等の言葉は理不尽でしかない」

野獣「『仕方ない』などと自分を納得させる理由はどこにもないのだぞ」

末妹「『事実であったとしても』……?」

野獣「例え『事実』であろうとも、お前にとっての母親の『真実』は父親から聞いた話と」

野獣「ばあやを通して教わったこと、お前が身に付けている形見の十字架……それだけではないのか?」

末妹「…そう…でしょうか……」

野獣「お前も他のきょうだいと同様に母親に愛されて、家の者もそれをわかっている」

野獣「これで充分だろうに」

野獣「お前はそれ以上の何かを求めているのか?」

末妹「…い…いいえ……」ジワー

野獣「」

野獣「…あ、す、すまん、これではまるで詰問しているようではないか」

野獣「そんなつもりはない、ああ、こんな時でも私は怖い顔しかできないし…泣くんじゃない、な?」オロオロ

末妹「…平気です」

末妹「ただ…何だか…気が緩んじゃって……」

末妹「あの時、実は私……」

末妹「…一人で自分の部屋に戻って、泣こうと思っていましたが」

末妹「ばあやにお手伝いが終わったと知らせなきゃならないのを思い出して」

末妹「それから次兄にお薬を持っていたり、父に勉強を見てもらったり、と」

末妹「やらなくてはならない事が案外たくさんあった物ですから」

末妹「結局、そのまま涙は呑み込んでしまいました」

末妹「…その時の涙が今頃…5年ぶりに出て来たみたい……」

末妹「やだ、踊りながら泣いていたら、みんな変に思いますね」

野獣「私の大きな図体なら隠せるぞ、ほら」

野獣「見ている皆、こういう踊りは詳しくないのだ、こんな振付と思うだけだ」

末妹「や、野獣様、そんなに膝と腰を曲げたまま踊られては……」

野獣「私は頑丈にできている、この程度で筋肉痛を起こすほどヤワでも年寄りでもないぞ?」

末妹「……」ポロポロ…

末妹「…ありがとうございます……」ポフ

次兄「またも野獣様の胸に末妹が」

次兄「しかもさっき以上に密着、いや、服越しに埋もれていると言ってもいい」

次兄「なんというけしからん振付、もっとけしからんのは末妹にその価値は全く理解できていない所」

次兄「兄として実の妹に嫉妬とかつくづくアレだと俺の理性は囁くが」

次兄「あああ禁断の語句が喉元まで出かかっている! 『末妹、そこを代われえええぇ!!!!』…と」

メイド「もう出ていますよお」

次兄「…ハッ」

次兄「やばいやばい、思わず我を忘れてしまった」

次兄「しかし本当に野獣様にはきつい体勢だな」

次兄「俺と執事さんなら身長差的にもう少し収まりいい感じにならないか?」

次兄「寄り添えば、ちょうど執事さんのふっさり首毛が俺の顔の正面に」

次兄「左右の頬を代わる代わる擦り寄せ、匂いを嗅ぎ、あわよくばペロペロちゅーちゅー」

執事「狼の聴力とはどの程度かご存知ですか?次兄様」

次兄「…ちゅーちゅー……」

次兄「聞こえていたんですね」

執事「人間の子供は狼を恐れるものだと思っていましたが、貴方様と来たら恐れるどころか」

次兄「生まれ育ったのは港町で、周辺地域にまとまった山や森もなく、鳥以外の野生動物などまず出会わない」

次兄「お伽噺の狼はそれはそれは恐ろしいし」

次兄「現実の狼は家畜を飼う人や、人里離れた土地を行く旅人が最大級警戒しなければならない獣なのも理解できる」

次兄「それでも野生の獣は基本人間を恐れるものだし、襲ってくるのはそれなりの理由と条件があるからで」

次兄「『狼』と言うだけでその存在を闇雲に恐れたところで、人類になんの得があるのか? いや、ない」

次兄「と、これが俺の持論です」

執事「…次兄様は本当に珍しい人間ですね」

次兄「でもそんな持論さえどーでもよくなるほど執事さんと野獣様は俺の好みのど真ん中ですから」ゲッヘッヘ

執事「…………精神衛生上、最後の一言は聞こえなかった事とさせていただきます」耳ペターン

オルゴール:♪~~♪♪~♪~~♪~


※今日はここまで。舞踏会編おわりです※

良い雰囲気だ(次兄の方は見ないように)

その夜の夢。

(野獣が空白の200年間の歴史を書物からおおまかに得て)

(更に季節がいくつか廻った頃……)

(師匠達の強力な隠蔽魔法が解かれた影響だろう、盗賊が屋敷の存在に気づいたらしく)

(最初は偵察か、一人だけ)

(身を隠して獣の唸り声を聞かせると慌てて逃げ帰った)

(「…仲間を引き連れて戻って来ないとも限らない」)

(「師匠も言っていた、『お前は自分の力で我が身とこの屋敷を守らなくてはならない』と」)

(「まずはまた吠え声で脅し、それが通用しなければこの姿で恐れさせよう」)

(「あの手この手でも駄目ならば、最後の手段で魔法を使ってみる」)

(しかし直接的な殺傷能力のある魔法は何一つ覚えていない)

(…さて、どうしたものか?)

(「そうだ、物の形状を変える魔法…いくつか種類はあるが、あれの練習用の呪文は習得している」)

(『金属を3秒間だけ羽毛に変えることができる呪文』だ)

(あくまでも練習用だから、その効果自体に意味も実用性もないと当時は思っていたが…)

(「刃物や飛んでくる銃弾を羽毛に変えればその時点で勢いは格段に下がる」)

(「3秒もあればそのまま地面に落ちる、仮に当たったとしても傷は負わないはず」)

(「…呪文発動のタイミングを間違えれば危険だが」)

(「やはり武器を使わせる前に恐怖を与えて、戦意喪失させるのに越したことはないな」)

(「…獣の声だけではなく、態度や口調で凄みを利かせる練習でもしようか?」)

(「この巨体と、顔のつくりは充分に怖いのだから、より効果的に利用しないと」)

(『予行練習』を積みながら、いつ来るか、いつ来るかと)

(数日間、眠れぬ夜を過ごし、休まらない頭が疲れ果て微熱を帯びて来た頃に、それはやって来た)

(銃を手にした3人連れの盗賊)

(幸いと言うか…連中はほぼ野獣が思い描いた模擬実験どおりに動いてくれた)

(服を着た見たこともない毛むくじゃらの大きな生き物が)

(人間の言葉で凄みを効かせて喋り出すと、彼らの恐怖は最高潮に達したらしく)

(まず兄貴格らしい男が撃ってきて、他の二人もそれに倣う)

(三発の銃弾は全て羽毛と化して野獣の周囲に舞い散り、前庭の地面に落ちてから、元の鉛玉に戻る)

(呆気に取られる盗賊達に、練習を積んだ台詞を、ここぞとばかり言い放つ)

(出来ることなら、次の弾を装填する気力を削いでしまいたかったので。)

(「どうした、貴様等の頼りにしている銃とやらはそんなものか!?」)

(「見ただろう、私は魔法が使えるのだ、今のはほんの小手調べに過ぎぬ!」)

(「もっと恐ろしい目に遭いたくなければ…」)

(言い終わらぬうち、盗賊達は踵を返して逃げ出した)

(「…………」)

(もう戻って来ないと確信し、野獣はその場にへたり込む)

(初めてだった)

(誰かと争うことも、凄んだことも、獣の吠え声を除けばあんなに大声を張り上げたことさえ)

(「でも…できた、できたぞ、私にも『戦うこと』ができた……」)

(それでも気を抜けず、野獣は寝ずの番)

(緊張の中で魔法を一気に使い過ぎた反動もあるのか、割れるように痛む頭を太い首で支えながら)

(翌朝、小石を包み込んで塀の外から庭に放り込まれた手紙、部屋に戻ってそっと広げる)

(その内容を要約するとこんな感じ)

(昨日の連中が屋敷を狙った理由は、金品宝物への期待はさほどでもなく、目的は屋敷そのもの)

(隠れ家として恰好だと考えたらしい)

(結論としては、とある国および周辺国の『盗賊ギルド』は今後いっさい野獣の屋敷に手を出さないという)

(だから呪わないでくれ、危害を加えないでくれ、と続いている)

(実際は、その手の魔法は一向に使えないわけだが)

(そのように勘違いしてくれたのならこちらには好都合)

(今日の日付の後に、これっぽちも知らぬ人名だが、各地のギルド代表者らしき署名が連なっている)

(それは盗賊達から屋敷の主への『宣誓書』だった)

(「」)

(読み終えると同時に、野獣はベッドに倒れ込んだ)

(倒れこむのと眠りに落ちるの、どちらが先だったかは思い出せない)

(目が覚めて、手近な食糧…干したプラムを頬張り水で流しこみ、とりあえず空腹を満たすと)

(金貨と引き換えに『新聞』を魔法で取り寄せた)

(盗賊の宣誓書の日付と比べると、自分は四日間も眠り続けていたらしい)

(記事には、国王が最近発表した声明、各地の主要都市での様々な出来事等が掲載されている)

(この屋敷この森の外では、当たり前だが人間達の営みが続けられて)

(人の世は止まることなく刻々と変わって行くのだ、と改めて思う)

(「必要最低限、世間で何が起きているかを知らなくては屋敷を守れないのかもしれない」)

(毎日ではないにしろ、新聞を読み、遠く離れた場所を覗き込む魔法を時折使用し)

(…後にして思うと、単に情報が欲しいだけではなかったのかもしれない)

(やがて、野獣は簡単な料理に興味を持ち)

(自分が動ける範囲内では手に入らない材料等を金貨と引き換えに入手することも始めた)

(自分のための料理でさえ、とにかく何かを作り出すことは『楽しかった』)

(もともと…王子であった頃から孤独には慣れてはいたが)

(城で大勢の自分の世話をしてくれる人間に囲まれながらも感じていた孤独に比べたら)

(この孤独はなんと『楽しい』のだろうか)

(……そんな『平穏な生活』が何年続いただろうか)

(春先の、まだ風が冷たいある日、野獣が森を散策していると)

(「…おや、珍しいな。人間がこんな所に。……盗賊の類ではなさそうだが?」)

(それは旅の途中で道に迷ったらしい、一人の聖職者)

(冷たい風を避けるように森に入って来たが今にも倒れそう)

(野獣は相手に見つからないうちに屋敷に引き返すと、門の外に灯りを灯し、門の鍵を解除した)

(次に、玄関から入ってすぐの場所に、魔法で手に入れたパンとチーズ)

(自分が庭で育てた香草で作った暖かい茶をテーブルに置いた)

(玄関先だが、風がしのげるだけでも違うだろう)

(そして毛皮のマント、真冬に森で凍死した大きな雄鹿の死骸から作った物)

(ここに置いた食べ物と茶は自由に食していいと置き手紙)

(余ったら遠慮せず持って行きなさい、とも)

(しばらく休んで、ここを立ち去る時にはこのマントも着て行きなさい、とも書いた)

(灯りに導かれて現れた聖職者は、いちいち神に感謝しながら、置き手紙のとおりにして)

(最初よりは随分と元気になって、風がやんだ頃を見計らい、再び旅立った)

(裏庭のバラに気付く事すらなく……)

(その姿を窓からこっそり見送りながら、野獣は自分の行いを振り返った)

(「私は何を思ってこんな事をしたのだろう?」)

(「放っておけなかった? 人恋しくなった? 気まぐれ? …過去の罪滅ぼしのつもりか?」)

(一つ言えるのは、自分はまた同じ事をするかもしれない)

(どうかバラに気付かないでくれ、バラを欲しないでくれ、)

(私に人を殺させないでくれ、と祈りながら相手を見守るこの行為を……)

(敷地内に人間を自ら呼び寄せたのは、これが『一回目』)

(『二回目』はそれから数年後)

(二人組の男、職業はわからない、中型犬を一頭連れていた)

(これで猟銃を持っていれば猟師だったかもしれないが、どちらも銃身の短い拳銃しか持っていない)

(やはり置き手紙を置いたが、彼らは疑い深く)

(この時の食事は多めに用意したパンと燻製肉とミルク、これらを全て犬に毒見させてから口に入れた)

(…この時点で少しだけ、飛びきり恐ろしい咆哮を聞かせて男達を追い出してしまいたくなったが)

(問題ないと知るや、誰だかわからない相手に感謝しながら食べ始め)

(犬にも改めて分けてやったので、許してやることにした)

(彼らが出て行く際、ちょっとしたアクシデントがあった)

(庭に一匹の野ネズミが入り込み、犬が興奮してそれを追いかけ始め)

(男達は慌てて犬を追いかけるが、野ネズミと犬はあっという間に裏庭へ回った)

(野ネズミは首尾よくバラの間を縫って奥へ奥へと逃げ、犬の牙から無傷で逃れる事ができたが)

(飛び付いた犬によってバラが一株、根元近くからへし折られてしまった)

(自分が押し倒したバラの棘に逆襲された犬はギャンと鳴き、尻尾を巻いて飼い主の一人に飛びつく)

(犬を抱きかかえた男は青ざめて相棒に話しかける)

(「おい、やべえよ、やっちまったよ」)

(もう一人も蒼白になって茎を手で起こそうとするが、無駄な抵抗)

(「見つかったら…弁償物だよなあ、こんな立派なバラ……」)

(「早く立ち去ろうぜ、犬の悲鳴を聞いても誰も出て来ないんだ、ばれちゃいない」)

(野獣は窓から一部始終を見ていたのだが)

(「そうだな、今のうちに…」)

(すっかり二人と一匹の姿が見えなくなってから、野獣が裏庭に来てみると)

(せめてもの…だろうか、銀貨が数枚、置いてあった)

(バラが傷つけられたのは完全な過失、しかも動物のしでかしたこと)

(「今回は少し肝を冷やしたが…バラになぞ興味を持たないか、ああいう男達は」)

(「彼らには『思わず手に取りたい美しい花』ではなく『傷つければ高くつきそうな花』なのだろうなあ」)

(「…お陰で『お互い』命拾いしたと言えるかもしれんが」)

(野獣が少し水を与えただけで、皮一枚で根元と繋がっていたバラの株は起き上がり、みるみる元気を取り戻した)

(師匠が言った通り、本当に、『何も起こらな』かったのと同じ……)

舞踏会翌日、野獣の自室。

野獣「……」

野獣「朝食で末妹嬢と会った時はなんとか誤魔化せたが」

野獣「案の定、腰と膝に来た」イタタタ

野獣「湿布薬を調合して、なるべく大人しくしていよう」

野獣「しかし無駄に過ごすのもな」

野獣「部屋で出来そうなことは……」

野獣「…私の前では決して出さないけれど」

野獣「末妹嬢は家族の事で気を揉んでいるに違いない」

野獣「とりあえず、鏡の魔法で商人の家の様子を見てみよう」

野獣「…何年ぶりかな、この術を使うのは」

野獣「見たい場所にある鏡に映った風景が、そのまま目の前の鏡に映し出される」

野獣「同じ鏡は1日に90秒間しか覗けないので、あまり実用的でもないのだが」

鏡「もにょもにょもにょ」

野獣「お、何かが映った。これは…応接間か」

野獣「小さい鏡なのか、狭い範囲しか見えないな」

野獣「私は商人の顔しか知らないが、子供はあの二人の上に他3人」

野獣「末妹嬢の話では、上から兄1人と姉2人」

野獣「青年が家政婦らしき女に何かを指示している」

野獣「この魔法はなんとか音も聞こえるが、鏡が小さいせいか、はっきり聞き取れん」

野獣「末妹嬢と同じ髪の色、この若者が上の兄…長兄なのか、鏡よ?」

鏡「ソウダヨー」

野獣「…若い筈だが落ち着きのある雰囲気、けっこう長身、なかなか逞しい体つきの好男子」

野獣「次兄とは似ても似つかんな……」

野獣「場面が変わった、これは商人の店の店舗だな」

野獣「広く内部を映している、店員が不審な客がいないか見渡すための鏡だろうか」

野獣「店番をしている若い女、これが片方の姉か」

鏡「ソウデスー」

野獣「黒髪で長身痩躯、美人の部類に入るが、ぱっと見は恐ろしく勝気そうな……?」

野獣「上質だが華美に過ぎない服装と装身具」

野獣「日用品からちょっとした高級品まで扱う店の店員としては、適切だろう」

野獣「客にはてきぱきと対応しているみたいだな」

野獣「この若さでなかなか商売の才はありそうだが…もう少し愛想も欲しいところ……」

野獣「末妹嬢とは似ても似つかんな」

野獣「また場面が変わった。女性の部屋か」

野獣「…こんな昼間から、まるで夜会のために着替えたかのようなドレス姿」

野獣「椅子から立ったり座ったり、部屋の中をうろうろしたり、落ち着かんな」

野獣「もう一人の姉なのか?」

鏡「ソウダケド」

野獣「生まれつきならばあの地方に珍しい金の髪はとても豊かで」

野獣「中背で女性らしい体つき、美人には違いないし、異性には魅力的なはずなのに」

野獣「なんだろうか、勝気以上に傲慢で高慢で鼻持ちならん女のように見えてならない」

野獣「……雰囲気を私の母親に重ねているだけかもしれないが……」

野獣「とにかく末妹嬢とはますます似ても似つかん」

野獣「この3人、次兄、末妹」

野獣「私は一人っ子だったからわからんが、きょうだい個性さまざまにも程があるのでは」

野獣「もうひとつ、この部屋は……」

野獣「見覚えある中年男、商人だ」

野獣「しかし、会った時より一回りしぼんでしまったように見える」

野獣「……」

野獣「声が小さすぎて聞こえんが、唇を読めば」

野獣「『末妹』とずっと呟き続けている……あ、今、一度だけ『次兄』とも」

野獣「我が子を失った喪失感だけではないな」

野獣「『自分のせいで』という罪悪感が彼を苛んでいるのだろう」

野獣「たった一つ、これくらいなら許されるだろう、と」

野獣「甘い考えで犯した罪により、大切なものを失って、それを悔い、嘆く男……」

野獣「…まるで誰かにそっくりではないか」

野獣「…くそ……」

野獣「とにかく、こんな父親の姿は末妹嬢には見せられん」

野獣「もう少し元気ならば、彼女の客間の鏡にこの術をかけてやろうと思ったが」

鏡の覆い布:ファサァ

野獣「私だけは時々、この鏡で様子を窺ってみよう」

野獣「……」

野獣「…解決するのは簡単だ」

野獣「末妹嬢をすぐにでも家に帰す、それだけで、この父娘は再び幸福に暮らせる」

野獣「しかし、そうすれば私は……」

野獣「……」


※今日はここまで※

>>182 見ないようにして正解です。

屋敷内某所。

次兄「末妹」

末妹「お兄ちゃん」

末妹「あら、手に持っているのはペロペロキャンディ?」

次兄「ゆうべはお楽しみでしたね」

末妹「…恥ずかしいわ、合計7回も野獣様の足を踏んじゃったもの」赤面

次兄「後半の振付は接触が多かったようだが」

末妹「ドキ(泣いていたの、気付かれた?)」

次兄「その件について率直な感想をお聞かせ願います」ずいっ

末妹(なぜ私の顔の前にキャンディ突き付けるのかしら)

末妹「感想と言われても……」

末妹「…そうね…とても暖かくて、気持ちが落ち着いた…かな?」

次兄「温もりと安らぎですと!!??」

末妹「う、うん」ヒキギミ

末妹「別の言い方をすれば…お父さんじゃないけどお父さんみたいな…感じ?」

次兄「…そっちでしたか」

次兄(一瞬、末妹も俺と同様『目覚めて』しまったのかと思ったが)

次兄(さすがにそれはないか、とりあえず安心した)

末妹「小さい子みたいで恥ずかしいから、今のは誰にも言わないでね?」

次兄「お、おう、心得た」

次兄「それから…キャンディはお前にあげる」ホイ

末妹「あら、私がもらっていいの?」

次兄「料理長さんの手作りだってさ。じゃあまた後で」クル

末妹「…ありがとう」

末妹(結局何がしたかったのかしら)

次兄「『お父さんみたい』とか言われちゃったら具体的な詳細を聞く気が失せるじゃないか」スタスタ

次兄「服越しの胸毛のボリュームとか、シャツのボタンの隙間からチラリとのぞく胸毛の色とか、そういう詳細を」スタスタ

次兄「尤も普通の女の子は…そんな所に興味は向かないから覚えちゃいないか」スタスタ

次兄「…そう、末妹は普通の女の子、それは何よりだ」スタスタ

次兄「俺は別に『ライバル(?)が増えなかった事』に安堵しているわけではないぞ」スタスタ

次兄「さすがに妹にはノーマルな道を歩んで普通に幸福になってもらいたい」スタスタ

次兄「それに俺の影響でそっちの趣味に目覚めたとでもなろうものなら」スタスタ

次兄「父さんにも天国のお母さんにも、兄として申し訳ないからな」スタスタ

次兄「…普通に幸福……」ピタ

次兄「普通…の生活…が、あってこそ、だよな……」

次兄「今ここにこうしているのは楽しいが」

次兄「いつかはこの日々にも終わりが来るのだろう」

次兄「俺が望むのはできるだけ誰も不幸にならずに済む終わり方」

次兄「もちろん、他の皆だって不幸な結末なんか望んではいないと思うが」

次兄「俺はそのために何ができるんだろうか……?」

執事「おや、末妹様」

末妹「あ、執事さん」

執事「昨夜は素晴らしいものを見せてくださって、ありがとうございます」

末妹「…野獣様はともかく、私ったらあんなみっともないダンスで」

末妹「野獣様を痛い目に遭わせた上、ずいぶんお気を遣わせてしまいました」

末妹「…せっかくのドレスとオルゴールが勿体ないわ……」ペロキャンカジカジ

執事「それは料理長の試作品ですか」

末妹「試作品?」

執事「料理長は貴方達がここにおいでになってから、色々と新しいメニューに挑戦しているのですよ」

執事「ここ数日は特に、菓子のレパートリーを増やそうとしているようです」

末妹「試作品とは思いませんでした、とっても美味しいから」

執事「前にも話しましたが、我々には菓子や凝った料理の味はよくわからないので」

執事「貴方様や次兄様や主人…失礼ながらも、本番で食べさせたい方に味見していただくしかないわけですが」

執事「末妹様が美味しいと仰るのなら、料理長も自分の腕に自信を持てるでしょう」

末妹「……」キャンディペロ

末妹「…あの、執事さん」

執事「はい?」

末妹「失礼な質問だったらごめんなさい。なぜ、執事さん…達、は」

末妹「このお屋敷で働くようになったのですか?」

執事「…メイドではなく、わたくしが淹れたものでもよろしければ」

執事「お茶でも飲みながら、応接室でお話ししましょうか」


※短くてすみません。続きは土曜日ぐらいかと…(時間未定)

レスありがとうございます。嬉しいです

>>201
ピュアな妹ちゃんになんて破廉恥な質問をするんだ!

※すみません。前回の更新で眠くて>>205を推敲途中で貼ってしまいました……

>>205から以下の内容に差し替えますです

※※※


末妹「試作品とは思いませんでした、とっても美味しいから」

執事「前にも話しましたが、我々には菓子や凝った料理の味はよくわからないので」

執事「貴方様や次兄様や主人…失礼ながらも、本番で食べさせたい方に味見していただくしかないわけですが」

執事「末妹様が美味しいと仰るのなら、料理長も自分の腕に自信を持てるでしょう」

末妹「……」キャンディペロ

末妹「ふだんは忘れがちですけど…執事さん…達、は、森の動物…なのですよね」

執事「ですね」

末妹「…私は本物の『狼』という生き物を今まで見たことはなくて」

末妹「生まれ育ったのも港町で、狼や大きな野生の生き物が近くに現れたという話も聞いたことがありません」

末妹「だから、人から聞いた話や物語の中の狼しか知りませんでした」

執事「例えば、お伽噺の狼は、それはそれは恐ろしく描かれている、のですよね?」

末妹「…はい」

末妹「だから…あの、失礼な言い方かもしれませんが、なんだか不思議…です」

執事「それはそうですよね、不思議なのは当然です」

執事「ここで働くようになった理由…初めてお会いした時のわたくしの言葉、覚えておられますか?」

末妹「ええ…野獣様に命が危ないところを助けられて、と……」

執事「お時間があるようでしたら、そのあたりをもう少し詳しくお話ししましょうか」

執事「と言うより…貴方様に聞いていただきたいのです」

末妹「…私は構いませんが、執事さんのお仕事の邪魔をしては」

執事「メイドではなく、わたくしが淹れたものでもよろしければ」

執事「お茶でも飲みながら、応接室で」

執事「ミルクティです。どうぞ」

末妹「ありがとうございます」

執事「わたくしは紅茶抜きで」タダノミルク

執事「そうですね、主人と出会う前の話から始めましょう」

執事「他の三匹にも共通していますが、森で暮らしていた頃の事は、断片的にしか思い出せません」

執事「しかし、ここへ来るきっかけになった出来事はよく覚えています」

執事「森にいた頃、わたくしは森の狼の群れのひとつを統べていました」

執事「8年前の冬、森に雪が例年よりたいへん多く降ったせいか、主な獲物である鹿が激減してしまいました」

執事「鹿は深い雪が苦手です。おそらく、少しでも雪の少ない地域へ多くが移動したのでしょう」

執事「とにかく、そのためわたくしの群れは食料に困窮しました」

執事「…人間が飼っている家畜を襲えば手っ取り早いのかもしれませんが」

末妹「……」

執事「わたくしは『人間の恐ろしさ』を『嫌と言うほど』知っていましたので」

執事「もっと以前にわたくしと人間との間に何かあったためかもしれませんが、それが何かは思い出せません」

執事「とにかく、わたくしには家畜を襲うという選択はありませんでした」

執事「しかし、人間の恐ろしさを知らない群れの若い狼の中には『手っ取り早い方法』を選ぼうとする者がいて」

執事「結論から言うと、わたくしに従わない若い雄狼の数匹が結託し」

執事「不意を突いて集団で、わたくしに襲いかかって来ました」

末妹「まあ……」

執事「皆わたくしよりは一回り小さな体格で経験も少ない狼でしたが、『数』と若さには敵いません」

執事「こちらにも油断…驕りがあったのかもしれませんがね」

執事「相手にもいくらか傷は負わせましたが、深手を負って、命からがら逃げ出したのはわたくしのほうでした」

執事「ほとぼりが冷めた頃を見計らい、群れに戻ろうとしても、件の連中に見つかれば殺される勢いで追われ」

執事「傷のために、自分一匹のための小さな獲物を狩るのもままならず」

執事「それからは自分が率いていた群れの仲間から逃げ回りながら、細々と生き延びる日々が始まりました」

執事「日々、と言ってもわたくしの体力が長くは続かず」

執事「数日後の吹雪の日、森の中の開けた場所で馬車を停め休憩している人間達がいました」

執事「人間は馬車の中ですが、馬は外」

末妹「…っ」

執事「…貴方様には恐ろしい話でしょうね、やめましょうか?」

末妹「いいえ…続きを聞かせてください」

執事「承知しました」

執事「空腹と傷の痛みで、もうまともな判断はできなくなっていたのでしょうね」

執事「馬車に繋がれ丸々と太った馬は、手負いのわたくしでさえ仕留める事が出来そうに見えて……」

執事「その状況で風上から吠え声を上げて襲いかかる」

執事「群れを率いていた頃のわたくしならば、考えられない行動です」

執事「音と臭いで、馬はかなり距離のあったわたくしの存在に気付き、高く嘶きました」

執事「馬車の人間も当然、野生の獣のことは警戒していたはずです」

執事「銃声が轟いて、牙どころか前足の爪さえ馬に掠りもしないうちに、わたくしは雪の上にもんどり打って倒れました」

執事「銃弾は右の後足の付け根に当たり、殆ど歩けなくなりましたが」

執事「吹雪で人間達の視界が利かないのをいいことに、どうにかその場から離れ」

執事「しかし、どこをどう逃げたのか…それこそ思い出せません」

執事「動かない足を引きずりながら、ずいぶん歩き回った気はするのですが…」

執事「ふと気が付けば、わたくしはそこの…この応接間の、そこの暖炉の前にいたのですよ」

末妹「え」

執事「森の中で…たまたまこの屋敷の近くで力尽き、そこを主人が拾ってくださったのです」

執事「不思議なのは、その状態で主人が話しかけてくれた言葉を」

執事「今と違ってただの狼だったにも関わらず、わたくしははっきりと覚えているのです」

(野獣「狼よ、出来る限りの傷の手当てはしたが、お前はこのままでは今夜一晩もつまい」)

(野獣「お前の森での一生は今日で終わりだが」)

(野獣「ある方法を使えばお前はまだ生きられる、いや、生まれ変わると言うべきか」)

(野獣「……そこから先、私と共に、ここで送ってみないか?」)

執事「後から主人は、いくつかの魔法を組み合わせてわたくしに使ったと言いました」

執事「魔法の事は理解できませんが、翌朝、どこも痛まない身体で久し振りに軽快な気持ちで立ち上がったわたくしは」

執事「自分の今後の一生を、この方の…目の前にいる主人のために捧げようと」

執事「生まれて初めて使う…主人が与えてくださった『言葉』で、忠誠を誓いました」

執事「…これが、わたくしがここにお仕えすることになった、全てです」

執事「そして2年後の晩秋、主人は死にかけた、年老いた穴熊を連れて来ました」

執事「猟師が撤去を忘れて放置された古い罠にかかっていたとかで」

執事「一昨年の夏には、何者かに足を噛み砕かれた巣立ち前の仔兎」

執事「本人の記憶では、猟師に巣穴を襲われ、親きょうだいはすぐに捕えられ…」

執事「一匹だけ生き残って森の奥まで逃げて来ましたが、追跡してきた猟犬に足を噛まれたそうです」

末妹「メイドちゃんですね……」

執事「同じ年の秋、散弾の弾が腹に当たった山猫の仔」

執事「巣立ち前に親が病気で死んでしまい、空腹のあまり餌を探しに人里に立ち入って撃たれたと」

執事「…いずれも、わたくしと同じように主人に命を助けられ」

執事「こうやって主人のために働く力、貴方様達と話せる言葉、人間並みの長い寿命を与えられました」

末妹「…皆、人間に傷付けられたのがきっかけで、ここに来たなんて」

執事「主人に聞かれた事があります。人間を恨んではいないか、と」

末妹「……」

執事「わたくしは、狼としてではなく、わたくし自身の考えであると前置いて、こう答えました」

執事「人間も、動物と同じく自分の身や家族」

執事「その他にも色々な…時にはよくわからない『何か』も守って暮らしている」

執事「ですから、何かを守るため、その妨げになるものを排除しなくてはならないのは理解できます」

執事「そして…わたくしは森で暮らしている頃」

執事「ひたすら人間との諍いを避け、かわし、逃げる、それを続けて来ました」

執事「あの冬の日、人間に殺されかけたのは自分のミスです」

執事「だからと言ってむざむざ死んでやるのは、断じて嫌だったので」

執事「必死に逃げた結果ご主人に出会えました、それで今ここにいます」

執事「それだけの話です……と、答えました。」

執事「他の三匹も三者三様の答えを返していましたが」

執事「結論は皆だいたい似たようなものでした」

執事「主人と共に生きる今は幸せ、そして貴方様と出会えた事は楽しい」

執事「…わたくし達が、主人の元に居続けたいと思う理由です」

末妹「色々なお話し、ありがとうございます、執事さん」

執事「最後まで聞いてくださって、わたくしも嬉しいですよ」

末妹「執事さん達は、本当に野獣様のことが大好きなんですね」

執事「ええ、仰る通りです」ニコ

執事「最後に付け加えるなら」

執事「主人が貴方様と楽しく過ごされている様子を見るのは、より幸せです」

末妹「……」

執事「貴方様にこの話を始めた理由」

執事「主人はあまり自身のことを語りません、わたくし達相手にも」

執事「特にこの屋敷に来る以前のことは、欠片ほども言葉にしたことはありません」

執事「我々はそれでも一向に構わず、現在目の前にいる主人を信じ敬愛することはできますが」

執事「しかし『人間同士』は、秘密が多すぎると相手の信頼を得にくいものだ、と聞きます」

末妹「……」

執事「主人はご覧のとおりの姿で『野獣』と名乗っていますが、わたくし達の本来の姿である『動物』よりも」

執事「ずっとずっと、『人間』に近い存在であるとわたくしは思っています」

執事「…主人とそっくり同じ『種族』が地上のどこかに存在するか、しないのかすら、わたくしにはわかりませんし」

執事「主人が屋敷の、森の外の世界と、そこに住む貴方達の所へ自ら足を伸ばさないでいる、その理由もわかりません」

執事「ですが、今、主人の近くにいる人間である末妹様にはどうか…主人に親しみを持っていただきたい」

末妹「…私に、野獣様のことをもっと知って欲しかった、そういうことですね?」

執事「その通りです」

執事「わたくし達はある意味、主人のことを『何も知らない』のかもしれませんが」

執事「主人がとても孤独であるということは、わかります。いえ、わかっているつもりです」

執事「末妹様は幸い、主人の見た目や暮らしぶりを必要以上に恐れたりはなさらないお方」

執事「……貴方様のご都合やお気持ちを考えもしない、実に身勝手な願いかもしれませんが、どうか」

末妹「いいえ、執事さん」

末妹「私も、野獣様ともっと仲良く…お友達と思ってくださるような存在になれたら、と考えています」

末妹「…こんな、バラの盗人、いえそれ以前に」

末妹「物知らずでなんの取り柄もない、甘やかされて育った私のような子供に」

末妹「そう思っていただける資格があるなら、ですが……」

執事「末妹様」

執事「貴方様とお話をした後の主人や、貴方様のために何かを準備する主人の姿を、見せてあげたいですよ」

末妹「…?」

執事(…いつか、わたくしや他の誰かを介さずとも、その時は来るでしょうね)

執事(ご主人様が、わたくし達には想像もつかないほどの孤独から抜け出せる日が)


※少しお休みです。次回は執事の過去を野獣目線で?※

>>207 次兄は自覚ある破廉恥な男で尚且つ堂々としています。サイテイデス

夢の中。

(このあと『三回目』はしばらく訪れなかった、その間(かん)の出来事)

(ある年の冬、今から8年近く前になるだろうか)

(野獣は屋敷の近くで瀕死の狼を拾った)

(それまでも森で傷つき衰弱した動物に出会ったことはあったが)

(大概は、この得体のしれない服を着て人間のような仕草をする大きな『獣』から逃げ出す程度の元気は残っており)

(もう少し弱っていても、せいぜいその場で応急処置をすれば済む程度の軽症か)

(それとも見ているうちに死体になってしまうほどの重症か、の両極端だったので)

(屋敷に連れ帰ったのはその狼が初めてだった)

(この傷と、衰弱している様子では、通常の手当では助からないだろう)

(「…いくつかの魔法を組み合わせて使えば、あとはこの狼の生命力次第で助かるかも?」)

(「『彼』の野生の獣としての一生が今日で終わるのだとすれば……」)

(「……」)

(「そうして助かったとしても、それはもう、元の『狼』なのだろうか?」)

(もしかしたら…『また』罪深い事をしようとしているのかもしれない、との思いも胸をよぎったが)

(思い留まることは、しなかった。)

(翌朝、立ち上がれるようになり、『言葉も喋れるようになった』狼は)

(野獣の姿に気づくなり、ためらわず、こう『言った』)

(「ご主人様!!」)

(野獣としては、狼にそう思わせるよう仕向けたつもりはなかったので、最初は戸惑ったが)

(「…何かの本で、飼い犬の忠誠心は狼由来と読んだことがある」)

(「その説が事実かどうかはともかく……」)

(「わかった、お前は今日から私の『従者』だ。そして私は『主人』としてお前に責任を持とう」)

(「これからよろしくな」)

(バラと屋敷と、もうひとつ)

(野獣が守るべき存在が新しく出来た)

(しかも初めての、心のある、意思を持つ存在……)

(この森には旅人が入り込む事はたまにあっても)

(件の言い伝えのせいで近隣地域の住民はまず訪れなかった)

(それでも数年に一度くらいはごく少数の猟師が森の獣や野鳥狙いで入るらしく)

(彼らにも生活がある、用を済ませたら綺麗さっぱり立ち去れば別に良いのだが)

(ごく稀に厄介な忘れ物を残して行く)

(狼を拾った2年後の晩秋、野獣もごくたまにしか入らない森の中心部で)

(どう見ても数年前に仕掛けてそのまま放置されたらしい、錆びついたトラバサミに一頭の穴熊がかかっていた)

(少しばかり年をとってはいたが、骨格も肉付きも通常より一回り大柄な雄)

(さんざん暴れたらしく、周囲の土や草は荒らされ、罠に挟まれた前肢はちぎれかけ)

(口から泡を吹き、半開きの目は曇り、もう細い息しかしていない穴熊を、やはり野獣は連れ帰ることにした)

(外した罠も持ち帰り処分することも忘れなかった)

(それから更に4年後)

(今から2年前の夏、ちっぽけな茶色の塊が門の隙間から屋敷の庭に入り込んできた)

(穴兎のまだ幼獣)

(引きずった片方の後肢は、肉食獣の牙で細い骨が噛み砕かれている)

(傷はそれだけだったが、足の傷は兎にとって命取り)

(おまけに恐怖で小さな小さな心臓は爆発しそう)

(「……運のいい奴だ」)

(野獣はつぶやくと、自分の大きな片方の掌に乗ってしまう雌の仔兎を、丁重に掬い上げた)

(さらに同じ年の初秋、森に最も近い人間の村がある方角の『森の出口』)

(野獣が足を進められなくなる境界線ぎりぎりの場所)

(散弾を腹に受けた山猫の幼獣が草むらに倒れていた)

(「雄の仔だが『メイド』と年頃は同じくらいだろう、いい友達になるかもしれない」)

(野獣は虫の息の山猫の仔をそっと抱き上げ、傷口にハンカチを宛がうと)

(草露で冷え切った体を暖めるように自分の懐に入れた)

(四匹の獣達は月日と共に『使用人』としての振る舞いも板に付き)

(特に執事は、見事なほどに彼らをまとめ上げてくれる)

(そして)

(野獣として暮らし始めて30年ほどになる今年)

(夜の屋敷周辺の様子を軽く見回って、木々伝いに戻って来た、山猫の庭師の知らせ)

(「森で馬車に乗った人間が迷っていますよ、ご主人様」)

(『三回目』。それが、あの商人だった……)

その日の夜、野獣の部屋。

野獣「商人の家の様子が気になる。一度見てしまうと、こうなってしまうのだな」

野獣「商人の部屋の大きな姿見は今朝使ったので、今日はもう見られないが」

野獣「部屋の中に、小さな鏡のついた置物があったはず」

鏡「チョットミヅライケドネ」

野獣「…代わり映えせんな」

野獣「商人は椅子に座ってぼんやりしているだけ」

野獣「上の兄がちょうど食事の世話をしに来ているが、ほぼ無反応」

野獣「今度は…店舗のガラス戸に映る光景だな」

鏡「ヤッパリミヅライッスネ」

野獣「黒髪の姉が『閉店』の看板を出すところだ」

野獣「金髪の姉は自室で暇そうにゴロゴロか……」

鏡「スガタミニケショウダイニカベカケニテカガミニ…カガミオオスギデスヨ、コノヘヤ」

野獣「商人の部屋だけ出さないようにすれば、末妹に見せても良いだろうか?」

野獣「……」

野獣「父親が家族の食事の席にいない、店に顔も出さない」

野獣「商談や仕入れに出掛けるのも兄だけ……」

野獣「余計心配するだろうな」

野獣「この屋敷に迷い込んだ時のように、取引のために旅に出ていると思わせるか?」

野獣「いいや、そんな誤魔化しは必ず綻ぶ」

野獣「それに」

野獣「何も見えず、知らずに、それ故に心配しながらも、家族は元気に違いないと信じている今の彼女と」

野獣「鏡に映る、意図的に一部が隠された光景を、父親が元気で働いている証拠として支えにする彼女」

野獣「どちらが見るに忍びないか、考えるまでもない」

鏡「モイッスカ?」

野獣「…ああ、ご苦労だったな、鏡よ」

鏡の覆い布:ファサ…

野獣「…ふ、結局は私の気分次第か……」

(「お前を囚人として扱う気はない。客人として持て成しているつもりだ」)

野獣「何が『客人』だ」

野獣「私の気まぐれで弄ばれる哀れな虜囚」

野獣「今の彼女は、それ以外のなんだと言うのだ?」

野獣「……」

野獣「…特に大きな動きがないのならば」

野獣「結論を急ぐ必要もあるまい……」

野獣「ただの先延ばしなのは自覚している」

野獣「この姿になり、年齢を重ねて」

野獣「他者からは多少なりとも強そうに見えるとすれば、それは表面上の言動だけ」

野獣「真実の私は、臆病者で優柔不断な王子のままなのだ……」

別の『誰か』の、夢の中。

(医者「…今のうちに、奥様とお話を」)

(商人「わ、わかりました」

(商人「子供達、もっと近くへ……」)

(商人の妻「…私の赤ちゃん…末妹……」)

(ばあや「奥様、末妹様ですよ」)

(商人の妻「末妹…あなたの事は、数えるほどしか胸に抱く事ができなかったのが心残り……」)

(商人の妻「私の分も皆から愛されて、優しい子に育つのよ」)

(商人の妻「これを…私の十字架をあげるわ、私に代わってあなたを守ってくれる……」)

(乳児末妹「ふにゅ…?」)

(商人の妻「次姉…次姉は一番の甘えん坊だから」

(幼次姉「おかあさまぁ……」ぐしぐし)

(商人の妻「凄く心配なのだけど、あなたはとっても賢い子」)

(商人の妻「皆に必要とされ尊敬される、素晴らしい女性になるわ……」)

(商人の妻「泣かないで、大好きよ、次姉」)

(商人の妻「次兄、おいで」)

(幼次兄「…おかーしゃま?」ジョウキョウガリカイデキナイ)

(商人の妻「…まだこんなに幼い、体も弱い子、申し訳ない気持ちでいっぱい……」 )

(商人の妻「元気に大きく育ってくれたら、それだけで私は嬉しいわ」)

(幼次兄「…うん、わかった」ジツハワカッテイナイ)

(商人の妻「ふふ、いい子……」)

(商人の妻「長兄」)

(幼長兄「はい、お母さま」)

(商人の妻「あなたは強い子、妹達や弟と仲良くして、お父様を支えてあげるのですよ……」)

(幼長兄「ぼくがみんなをまもります。お母さま、しんぱいしないで」)

(商人の妻「ありがとう…お母さん、安心したわ」

(商人の妻「長姉……」)

(幼長姉「おかあさま……」)

(商人の妻「私のお姫様、花のように美しく、お日様のように輝く子」)

(商人の妻「あなたの笑顔は、家族を照らしてくれるわ」)

(商人の妻「どうかこのまま…このまま曲がることなく、真直ぐに育ってね……」)

ドアを叩く音:コンコン

ドア越しの長兄「長姉、長姉、起きてくれ」

長姉「…何よぉ…兄さん、朝っぱらから…」もぞり

長姉「ん、何かしらこれ」

長姉「涙…? 寝ながら、夢見ながら泣いてたの、私?」

長姉「…どんな夢、見てたんだっけ??」オモイダセナイ

長兄「長姉!」

長姉「はいはい、起きたわよ兄さん!!」ガウンハオリーノ

長姉の足音:ドスドスドスドス

ドア:ズバーン!!

長姉「何よ!!!!!?」

長兄「…おはよう。朝からすまん」ノケゾリギミ

長兄「父さんが部屋からいなくなった、どころか家の中にもいない」

長姉「お父さんが…!?」

長兄「悪いが、みんなで手分けして探したい。今日は店も開(あ)けない、協力してくれ」

野獣の部屋では。

鏡「ゴランノアリサマデス」

野獣「なんだ、商人の家が早朝から慌ただしいな」

野獣「商人の寝室がもぬけの殻だ、このせいか」

野獣「…向こうに鏡さえあれば、家以外の場所も見える」

野獣「別の魔法をいくつか組み合わせれば、商人の居場所を探す事もできるはず」

野獣「鏡、頼むぞ」

鏡「ガンバリマスワ」

野獣「…ここか、港? 船着き場?」

野獣「鏡ではなく、磨かれた金属だな。舟の部品かな」

野獣「あああ、複数の魔法を即興で混ぜたせいか、90秒ももたない、もう消えてしまった」

野獣「別の場面が映った、揺れている…水面だな、海面だ」

野獣「よく見えないが、商人が…海を覗き込んでいる?」

野獣「え、商人の体が鏡に、いや、海面に近付いて……」

野獣「」

野獣「商人が海に飛び込んだ!!!?」

執事「どうされました、何事ですか、ご主人様!!」ダダダダ

野獣「執事か、本当に耳のいい奴だな……」

ドア越しの執事「ご主人様? 何かあったのですか!?」

野獣「執事よ、なんでもないのだ。用があればこちらから呼ぶから、今は下がれ」

執事「…は、はい」

野獣「騒がせたな」

野獣「…行ったか」

野獣「商人はどうなったか、使用時間を過ぎた、海面はもう覗けんな」

野獣「尤も乱れた水面では意味がないか」

野獣「居場所が特定できたので、あの港に焦点を合わせ、鏡の魔法だけ使おう」

野獣「ただのガラスでも、金属でも、映り込みさえすればなんでもいい」

野獣「…む、人がたくさん集まっている、港や停泊中の船にいた人々か」

野獣「救助しようとしているのだな、それも当然か」

野獣「さすが海の男揃い、あっという間に引き上げられた」

野獣「…息はあるようだ」

野獣「よかった……」ホー

野獣「老舗の店の主人、知人も多かろう、顔を見て驚いている人間がいる」

野獣「すぐ家に送り届けられるだろうが」

野獣「商人の子供達は、このあと大変だろうな……」


※続きは今夜にでも。読んでくださる皆様、ありがとう※

しばらくのち、商人の家。

長兄「と、父さん、どうしてこんなことしたんだ……」

次姉「お父さん……」

長姉「……」

医者「幸い、助け出されるまでの時間が早かったおかげで、命に別条ありません」

医者「念のためこのまま明日の朝まで安静に」

医者「…ですが」

医者「この先、目の付く場所に刃物や紐状の物は決して放置せず」

医者「誰か一人は必ず側に付くようにしてください」

長兄「…はい」

医者「では、今日はこれで。明日また来ますよ」

長兄「ありがとうございました。…家政婦さん、見送りお願いします」
 

次姉「兄さん」

長兄「次姉、父さんには交代で付くようにしよう」

長兄「おそらく、これから、噂を聞いた常連のお客や取引先の人が押しかけて来ると思う」

長兄「そっちの対応は俺がするから、まずしばらくはお前に父さんを任せたい」

次姉「わかったわ。どうせお店も休むしかないだろうし」

長姉「……」クル

次姉「姉さん?」

長兄「長姉、どこ行く」

長姉「どこって、自分の部屋に戻るのよ」ドアノブガチャ

長姉「お父さん、命に別条ないんでしょ。それに看病は次姉がやるんでしょ」ドアバタン

長兄「お前にも手伝って欲しい。まだ話は終わっていない」ガチャバタン
 

長姉「放っておいてよ!」スタスタスタ

長兄「待てよ、待てったら」グイ

長姉「……」キッ

長姉「……どうせ末妹が戻って来なくちゃ元気になんてならないわ、私でも次姉でも代わりになれない」

長姉「お父さんはあの子がいなきゃ駄目…あの子さえいたらいいの」

長姉「…もう末妹はいないのに」

長兄「だから残った俺達で父さんを支えないと」

長兄「それに末妹達が戻って来ないとは限らない」

長兄「野獣は父さんに『末妹はここで暮らすことになる』と言ったそうだ」

長兄「あの子達が生きている限り、希望を捨てるべきじゃない」

長姉「化け物の言う事なんか信用しているの?」
 

長兄「…本当はどんなにお金をつぎ込んでも、こちらから取り返しに行きたいさ」

長兄「しかしそれは奴との約束を破ることになる、相手はただの獣じゃない」

長兄「不思議な力…魔法が使えるんだ」

長兄「怒らせたらどんなに恐ろしい事が起きるか」

長姉「つまり手も足も出せないってことでしょ?」

長姉「生きていても帰って来ないんじゃ死んだと同じよ」

長姉「もう、いないのよ」

長兄「だから、残ったきょうだいで父さんを支えて……」

ダンッ!!

長姉「」ビクッ

長兄「何度、同じこと言わせるんだ!?」

長兄は、長姉の頭上の壁に右の拳を叩きつけた。穴こそ開いてないが、かなりの強い力で。

長姉「…に」

長姉「…兄さんが…怒るなんて……」

長兄「…すまん」

長姉「…な、なんで、謝るの……」

長兄「出来ない事をやれと言った俺が悪かった」

長兄「お前に何かをさせるのはやめた。今、決めた」

超姉「兄さん…!?」

長兄「が、せめて父さんが口を聞いてくれるようになるまで」

長兄「俺の目の届く範囲内だけでも、大人しくしていてくれ」

長兄「その程度なら、お前にだって出来るだろ?」

長兄「見せかけだけ取り繕ってくれれば、それで充分だからな。」

長姉「……私には…期待しないって意味……?」

長兄「……」

長兄「俺や次姉を手伝うのは嫌なんだろう?」

長姉「っ」

家政婦の声「長兄様ー、お客様がお見えです」

長兄「は、はい! 今行きます!」クルッ

タタタタ……

長姉「……」

長姉「何よ……」

長姉「…なんで皆…なんで私ばかり……」

翌日、朝食後。

野獣の屋敷、野獣の自室

野獣「商人の家はどうなったかな」

野獣「いつも1日1回に決めて集中的に窺っているから」

野獣「今日は短時間ずつ複数回に分けて見てみようか」

野獣「30秒の砂時計を目安にして……」

鏡「ハイドウゾ」

野獣「商人の部屋」

野獣「この時間だが商人はベッドにいるか、昨日溺れかけた人間ならば仕方ないな」

野獣「一応は目を開けている、今は眠ってはいない」

野獣「黒髪の姉が付き添っている」

野獣「話しかけているが、全く無反応だな……」

野獣「昨日の様子を見るに、下手に動き回られるよりは安心かも知れないが」

野獣「ドアの近くに空になった食器の乗った盆、枕元には手をつけていない食事」

野獣「空になったほうは次姉がここで食事を摂った後で、もうひとつは商人のものだろう」

野獣「30秒は短いな。長兄はどこにいるか」

野獣「自室にはいないが」

野獣「机の上に何か作りかけの木彫りとナイフが出しっぱなし」

野獣「周囲は木屑だらけだ」

野獣「そう言えば、末妹嬢も長兄が作ってくれたという木像を持っていたな」

野獣「次兄の動物画に比べると趣味の域を出ないが、なかなか良いセンスだとは思う」

野獣「ベッドはきちんと整って…使った形跡すらないような印象だが」

野獣「まさか一晩中、寝ずに木彫に没頭していたのか?」

野獣「…寝ずにというより、むしろ、眠れなかったのだろうな」

野獣「もう一人の姉も自室だが、まだ寝間着のまま、顔はいつにも増して不機嫌そう」

野獣「アクセサリーも着けず、着替えもせず、髪形も整えず」

野獣「この娘ですらそれどころではない気分なのか」

野獣「一旦、閉じよう」

鏡の覆い布:パサリ

野獣「見るのを中断するには覆い布をかぶせるだけで良いのだ」

野獣「90秒の使用時間が切れていないことが前提だが、その日のうちに再び見たい時は合い言葉さえ不要」

野獣「後は、昼過ぎと夕食後にまた30秒ずつ見てみよう」

同日、末妹の自室。

メイド「おととい本のお部屋から持って来たご本、もう読んでしまわれたんですか?」

末妹「ええ、お屋敷に来るまで、町の図書館に通って半分以上読んでいた本なの」

末妹「ここで続きが読めてよかったわ」

末妹「読み終わった本を返しに行ってくるね」

メイド「私もご一緒しますー」



末妹の足音:てくてく

メイドの足音:ぽてぽて(二足歩行バージョン)

メイド「それを返されたら、また新しいご本を持って来ますか?」

末妹「今日はこのあと庭のお花を見たいから…本はまた別の日にするわ」

メイド「末妹様、バラ園はまだご覧になっていませんよね?」

末妹「…そうね……」

メイド「ご主人様のお時間が空いていたら、一緒に裏庭に出られてはどうでしょう?」

末妹「……」

メイド「…末妹様?」

野獣「メイド」

メイド「あ、ご主人様」

末妹「野獣様…」

野獣「メイド、本はお前が返してこい」

末妹「…そんな、これくらい自分でやります」

末妹「メイドちゃんにはこの本でも大荷物ですし……」

野獣「いい運動だ、最近のメイドは少し引き締めた方がいいからな」

メイド「秋は脂肪がつくんですもの」プンだ

野獣「その後、ついでだから久し振りに本棚の埃を払っておいてくれ」

野獣「お前の届く範囲で構わないからな」ヒョイ

末妹「あ、本」

野獣「しっかり持てよ」ホイ

メイド「げええ重い」ヨロメキ

末妹「メ、メイドちゃん……」

メイド「へ、へっちゃらです、ご主人様のお言い付けですからっ!」フンヌ!

野獣「頼んだぞ。私と末妹嬢はバラ園を見て来る」

末妹「野獣様?」

メイド「はあい、行ってらっしゃいませえ」ヨタヨタトサッテユク

野獣「本は引き摺らなければ途中で下に置いて休憩して構わんぞー?」

メイド「お気遣いありがとうございますうう」トオザカル「ガンバレ私ー」

末妹「…本当に大丈夫かしら」

野獣「さて…裏庭に出ようか、末妹」

末妹「……」

野獣「さあ?」

末妹「は、はい」



野獣の足音:コツコツ

末妹の足音:てくてく

野獣(花の好きな末妹が、今までバラ園を見たいとは一度も言わなかった)

野獣(彼女があの場所をどう思っているか、私はおおよそ『わかったつもり』になって、誘わずにいた)

野獣(本当の所は、どう思っているのか)

野獣(一度きちんと末妹の口から聞いてから誘うかどうか決めようか、とも思ったが……)

野獣「……」コツ…

野獣「この扉から裏庭に出られる」

末妹「……」

野獣「さあ、おいで」

末妹「…はい」

扉:ギギィ……

末妹「……!」

末妹「バラの香りで溢れている……」

末妹「白いバラ、黄色いバラ…赤いバラ」

末妹「…やっぱり…綺麗……」

野獣「……」

野獣「無理に誘い出してしまったね」

末妹「…わかっていらしたんですね、私の気が進まないでいたのを」

野獣「実のところ、お前はこの場所をどう思っているのだ?」

野獣「正直に答えて欲しい」

野獣「お前が話し終えるまで、私は何も言わないよ」

末妹「…怖かったんです、バラ園に来るの」

末妹「私が父にねだったお土産のバラ一輪、軽い気持ちで選んだのですが」

末妹「父の…人ひとりの命と引き換えになるとは思ってもいなかった……」

末妹「そう思うと怖くなってしまったんです」

末妹「気軽に、花一輪を木から切り取って私に下さい、と頼んだ自分の言葉が」

末妹「そして…それを気付かせるこの場所が」

野獣「……」

末妹「この真っ赤なバラ、私がもらったバラの木…ですよね?」

末妹「あの一輪をここに戻せたら一番いいと思っています」

野獣(それは私も考えたことがある)

野獣(誰かにバラを折られても、私が魔法で繋げば、無かったことにできるのではないか、と)

末妹「…それでも父や私がバラを盗んだ罪は消えないのでしょうけど」

野獣(一度自分で折り取って試してみたが、出来なかった)

野獣(動物や風がへし折ったバラは私の魔法を使うまでもなく生き返ったが)

野獣(意図的に折ったバラだけは繋げられなかった、ましてや他人が折った物は試すまでもなかろう)

末妹「自分の生まれた木に戻れるだけでもどんなにいいか」

末妹「…でも、それは出来ないんですよね……」

末妹「だから私にできるのは、野獣様の仰ったとおり一輪差しのバラを可愛がって」

末妹「見る度に優しいお父さんを、懐かしい家を…自分のわがままを、思い出す」

末妹「それしかできないんです」

野獣(少女が父親に花一輪ねだった『わがまま』がなんの罪になろうか)

野獣(商人の命や末妹の幸福と引き換えになる価値を付加したのは、私なのだ)

末妹「……」

末妹「でも…こうして実際に来てみると」

末妹「バラ達はとっても綺麗」

末妹「私がどう思っているのもお構いなしで、精一杯咲いている姿はとっても綺麗」

末妹「ただただ…綺麗」

末妹「だからこの場所は『美しい場所』だと、今は思います」ニコ

野獣(…そう言ってお前は、私に向かって笑顔を見せるのだな……)

末妹「……」

末妹「…このバラ園をどう思うかを、話し終わりました」

野獣「では…私も少し話をしようか」

野獣(『秘密』に抵触せず、どこまで話せるかな……)

野獣「私がこの屋敷に初めて来た時、裏庭のバラは人に踏み荒らされていた」

野獣(屋敷の機械仕掛けで自分達に害が及ばないかと、父が兵士達に調べさせた際にな)

野獣「私は水と肥料をやって、手入れをして…なんとか『バラ園』と呼べる程度に修復した」

野獣(父には馬鹿にされ、母には蜂や蛾が集まるからやめろと言われたが)

野獣(花が咲いて、客に褒められるようになってからは何も言われなくなった)

野獣「確かに愛着もある、私には大切なバラだ、たかが一輪、たかが一株、とは思ってない」

野獣「でもな、知っていると思うが、花は…植物は強い」

野獣「花一つもぎ取っただけでは死にはしない」

野獣「これは魔法がかかって枯れないバラだが」

野獣(枯れない以外に、このバラが例外なのは)

野獣「本来は、冬が来て枯れたとて、春になれば新芽が出て花の季節が来ればまた咲く」

野獣(根の先にある私の心臓が止まれば、完全に枯れて二度と蘇らない事)

野獣「根が死なない限り、そう簡単に命は終わらないのだ」

野獣(私には選べたはずだ、バラを折った人間に危害を加えない代わりに)

野獣「それを、花ひとつと人ひとり、引き換えだとお前の父に告げた私は」

野獣(バラに詫びながら、共に枯れて朽ちて行く道を)

野獣「理不尽で残酷だと、お前は思わないか?」

野獣(それができなかったのは…今の私には守るべき存在、執事達がいたから)

野獣「…どう思う?」

野獣(そして、もしかしたら相手と心を通わせ、信頼関係を結ぶ事ができるのでは、と思ったから)

末妹「…私は」

末妹「野獣様が私に何を求めていらっしゃるのか、よくわからないままです」

末妹「それが、もどかしい……」

末妹「それがわかれば、きっと私は」

末妹「…こんな子供が、生意気でごめんなさい、でも他の言い方を知りません」

野獣「構わない、続けておくれ」

末妹「私は」

末妹「野獣様と、本当の友達になれるのに、と思っているのです」

野獣「……!」

野獣「お前は、私と、友達になりたい…のか……?」

末妹「メイドちゃんとは随分仲良くなりました」

末妹「執事さんも、野獣様と出会った時のことを、詳しくお話ししてくださいました」

野獣「執事が……」

末妹「料理長さんや庭師くんも、自分の知っている事はなんでも話してくれます」

末妹「でも野獣様は…私に嘘はついたりしないけれど」

末井妹「沢山の教えてくださらない事を、誰にも言わずにおられる事を、きっと抱えていらっしゃる」

末妹「私には、そんな気がしてならないのです」

野獣「末妹……」

末妹「言いたくても言えない理由…事情…も、あるのだろうと、思います」

末妹「けれど、そうであっても」

末妹「私はもっと…野獣様とお話がしたい、野獣様のお話が聞きたいのです」

末妹「こんなことを望むのは、おかしいでしょうか?」

野獣「…いいや」

野獣「ちっともおかしくはない、お前は優しい子だからな」

野獣「私のような化け物の心まで、思い遣ってくれる」

野獣「…そうだな…いつか…洗いざらい話そう、言えなかった理由も含めて」

野獣(こんな良い娘を)

野獣「その時は、私を本当に友だと思ってくれるかね?」

野獣(家族から、普通の幸福から切り離すのはやはり許されない)

末妹「…野獣様はよろしいのですか? 私なんかが…友達で」

野獣(近いうち必ず、当たり前の日常に帰そう)

野獣「何を言う、こんなに嬉しい言葉をお前から聞けるなんて」ニコ

末妹「……」

末妹「野獣様、笑ってくださった……」

野獣(私も覚悟を決めよう……)

野獣「風が冷たいな、そろそろ中に戻ろうか」

末妹「はい」

野獣「今度からは、末妹から裏庭が見たいと言った時に来ような」

末妹「さっきのお話…いつか……」

末妹「いつか、ずっとずっと先になっても」

末妹「約束、してくださいますか…?」

野獣「ああ、いつか」

野獣「その日を迎えられるように、努力しよう」

野獣(…お前にとうとう)

野獣(隠し事どころか、嘘をついてしまったな……)

同日、数時間後。

鏡「ホンジツ3カイメデスネ」

野獣「商人は昼も今も、朝の状態と変わらない」

野獣「あれ以来、末妹達の名をつぶやいている様子すらないし」

野獣「…今は兄が付き添っているようだな」

野獣「食事の盆の内容は見る度に変わってはいるが、いずれも手をつけないまま下げられたんじゃないか?」

野獣「ガラスの水差しの水も朝から減っていないように見える」

野獣「食事はともかく、水も飲まないのでは、安静にしていても身体がいくらももたないぞ」

野獣「目を開けてはいるし息もしてはいるが、まるで死人の顔……」

野獣「……」

ファサッ

野獣「執事!」


※今日はここまで。もうしばらくシリアス展開(?)は続きます※

予告なしで休む日もあるかもですが、その時はごめんなさい

バラ園の二人、絵になるな

次兄「…執事さんが俺達を?」

末妹「ええ、二人で一緒に野獣様のお部屋に、って」

次兄「夕食の席にも野獣様いなかったよな。何かあったのか?」

末妹「メイドちゃんの話では、考え事があると仰っていたって」

執事「お二人とも揃われましたね。では、ご案内します」

次兄「野獣様の部屋ってこの辺りだったのか」

執事「ご主人様、お連れしました」

次兄「んで、部屋の中はこう…と」キョロキョロ

野獣「ご苦労、お前は下がって…いや」

野獣「部屋の外で待機していてくれ」

執事「畏まりました」

次兄「そして、これが部屋の匂い…と」クンカクンカ

野獣「…さて、二人とも、まずはそこの長椅子にお掛け」

次兄「なんのご用ですか、一体?」ヨッコイショ

末妹「……」トナリニトン

野獣「二人とも、今夜寝る前に旅支度をしておくんだ」

次兄「へ?」

末妹「え……」

野獣「明日の朝、お前達を家に帰す」

末妹「な、なぜですか?」

次兄「俺だけ追い返すならともかく妹も? どーゆーことです?」

野獣「落ち着いてお聞き。商人が…お前達の父親が、病床に就いている」

末妹「…お父さんが!?」

次兄「!?」

野獣「もっと詳しく話すと…ここ最近は塞ぎ込んで部屋に籠り、元気がなかったらしいが」

野獣(…この先はとても言いにくい)

野獣「昨日の朝、一人で突然家を抜け出し…港に来て、海に飛び込んでしまった」

次兄「な」

末妹「…嘘……」

野獣「幸い港にはたくさん人がいたので、溺れるより前、あっという間に救助された」

野獣「今は自分の家にいて、お前達の兄姉と一緒だが、そのまま寝込んでしまったようで」

野獣「自由に出歩くより安全かもしれないが」

野獣「身体はともかく、精神はどれだけ弱っているかと……」

次兄「父さん…何やってんだよ……」

末妹「…ああ、お父さん……」カタカタ

次兄「…野獣様、どうして貴方がそれをご存じなのですか?」

野獣「こちらの鏡とあちらの鏡、鏡同士を通じて見たい場所を見られる、という魔法がある」

野獣「お前達の家の様子をそっと窺ったのだ」

野獣「この屋敷では、他所の場所と手紙のやり取りなどはできないからな」

野獣「何か変わった事があれば知らせるつもりで見ていたのだが、ここまで大変な事が起きるとは」

末妹「…それなら…それなら、私にも…今の家の様子を、父の様子を見せてください…お願いです」

末妹「お願いです、お願い……!!」

野獣「…いいだろう、少し待て」

野獣「執事」

執事「お呼びですか、ご主人様」

野獣「お前の聴力(みみ)ならば中のやり取りは聞こえていただろう」

野獣「…近くにいてくれ。『一人』はちょっと耐えられそうにない」

執事「仰せのままに」

野獣「先に言っておこう。同じ鏡は一日に90秒しか使えんし、音も微かにしか聞こえない」

野獣「大きな姿見は私がさっき見ていたのでもう使えないが、部屋にもう一つ、小さな鏡のついた置物がある」

次兄「元はお母さんの部屋にあった置物だ」

鏡の覆い布:ペラリ

野獣「…これだな」

野獣「少し見づらいが、辛抱してくれ」

鏡「ドウゾ」

末妹「…お、お父…さん?」

次兄「…生きてはいるみたいだけど…こんな……」

次兄「こんな、まるで、別人、いや…抜け殻のような」

野獣「……」

末妹「私が…私がお父さんの側にいれば……」

野獣「末妹」

次兄「野獣様、こっちの様子…俺達の無事を今すぐ伝える手はないんですか?」

野獣「双方向にする方法もある、ただし」

野獣「…誰でもよいが、誰かが、向こうの鏡に『私が決めた同じ合言葉』を使わなければならない」

次兄「……」

末妹「…お父さん…私は無事です、元気です、心配しないで」

次兄「末妹」

末妹「ごめんなさい、お父さん、ごめんなさい…今すぐ、私は」バシ

次兄「鏡を叩くな、危ない」

末妹「お父さんの所に、帰ります…帰りたい…」バシ、バシバシバンバンバン

次兄「やめろって!!」グイ

鏡「ミガイタ銀板ナノデワレマセンヨー」

末妹「帰りたい、帰してください、帰して…帰るの…!」

次兄「……」ギュ

野獣「次兄」

次兄「…野獣様」

野獣「末妹嬢の荷造りは、メイドと…お前も手伝ってやれるか?」

次兄「…帰れる、んです…か…? 本当に?」

野獣「私の使える魔法に、遠くだろうが、道がなかろうが」

野獣「人間を一瞬で元いた場所に帰せる呪文がある」

野獣「本当なら今すぐにでも帰してやりたいが、ちょっと面倒な魔法でな」

野獣「呪文を『掛けられる』側がひどく取り乱していては、失敗してどこへ飛ばされるかもわからない」

次兄「俺は冷静ですよ、俺がしっかりしなくちゃ」

野獣「お前もさっきからひどい顔色だが?」

次兄「……」

野獣「する必要のない無理はするな」

野獣「だから荷造りを終えたら今夜はもう休んで、明日の朝…発てるようにしてやろう」

末妹「…お父さ…う、うう…ああ……」シクシク

野獣(…見ていられない)

野獣「執事…メイドを呼べ」

執事「皆も獣の耳と獣の勘を持っています」

執事「全員、部屋の外で様子を窺っていますよ」

末妹の客間。

メイド「末妹様のお荷物は、こんな感じでよろしいでしょうか」

次兄「…うん。万が一、後で妹から不平不満が出ても俺が責任を持つ」

メイド「さすがはお兄様」

次兄「……」

メイド「今のは冗談でも皮肉でもなく、心からです」

メイド「次兄様がいてくださって、本当によかった、本当に」

末妹「すーすー……」ベッドノナカ

次兄「よく眠っている」

メイド「ご主人様のお薬がよく効いているようで」

次兄「薬を飲ませてから、しばらくメイドさんを撫でていたのも良かったと思うよ」イヤシコウカ

メイド「でも、今夜はそばにいてあげてくださいね?」

次兄「言われなくても」

次兄「…俺も一人でいたくないし」

メイド「……では、私はこれで失礼致します」ペコリン

メイド「いつも通り隣の部屋にいますから、何かあればご遠慮なく」

次兄「うん、ありがとう」

次兄「……」

次兄「末妹?」

末妹「すやすや……」

次兄「…ぐっすりだ」

次兄「末妹とよく遊ぶようになったのは、お前が4歳くらいの頃からだっけか」

次兄「俺が具合悪くて寝込んでいる時は、チビのくせに何かと世話を焼いてくれて」

次兄「本を読んでくれたり、水を持ってきてくれたり」

次兄「側にいてくれるだけでも、ずいぶん元気付けられた」

次兄「だからお前が辛い時は、俺がお前を元気付けてやりたい」

次兄「って、思っているんだよ」

次兄「ずっと前から、そう思っている」

次兄「……思っているけど、お前はいつも元気で明るいし店のお客にも好かれて友達もいて」

次兄「片や、俺は稀に見るダメ人間だから……」

次兄「自分の楽しみを優先したり、趣味を優先したり、欲望を優先したりしている」

次兄「まあ内容的にはこの3つは全部同じようなものだがとにかく」

次兄「こんな兄で、つくづくごめん」

次兄「それでもこれからの一生、お前がどんな人生を送ろうと、俺がお前の兄ちゃんなのは変わらない」

次兄「お前のために、俺にできる事であれば、頑張る」

次兄「頑張りたい」

次兄「……頑張りますから見捨てないでくださいこの通りですから」土下座

メイド「末妹様は見捨てたりしませんよ、安心してくださいな」ヒョッコリ

次兄「独り言聞こえていましたか」

次兄「…安眠妨害だったね、ごめん」

メイド「ほどほどにされて、お休みくださいね」ヒッコミ

次兄「……」

次兄「自分の部屋から布団持ってきて…この部屋で寝よう」ジブンハユカノウエ

次兄「しっかり眠ろう、俺がひっくり返るわけには行かないもんな」

翌朝。

次兄「……ふにょ?」

次兄「もう、朝か…」モゾリモゾリ

末妹「おはよう、お兄ちゃん」

次兄「っと、お前は起きていたのか」オキアガリ

次兄「…もう着替えてるのな。寝起きいいなお前」

末妹「皆のおかげで、ぐっすり眠れたから」

末妹「…昨夜は…心配かけて、本当にごめんなさい……」

次兄「謝ることじゃないし」

次兄「とりあえず、今は落ち着いてるか?」

末妹「うん」コクリ

次兄「そんならよかった」

次兄「俺は昨日の服のまま寝ちゃったから、着替えなくていいや」

メイド「おはようございます、次兄様、末妹様」

次兄「おはよ、メイドさん」

執事「おはようございます」

次兄「執事さんまで!?」

末妹「おはようございます……」

メイド「お二人とも、お食事の用意ができましたよ」

末妹「でも」

執事「急ぐお気持ちはわかりますが、貴方様達を空腹のまま送り出したくないのが、わたくし達の総意です」

執事「かと言って時間も確かに惜しいので、軽い朝食と温かい飲み物をこちらにお持ちしました」

執事「メイドひとりでは一度に運べないので、狼の手も借りたいという状況ですな」

メイド「お二人で気兼ねなくどうぞ。終わった頃を見計らって下げに来ます」ペコリ

次兄「執事さん、メイドさん、ありがとう」

次兄「末妹、食べよう。せっかく用意してくれたんだ」

末妹「…うん」

(食事中)

次兄「サンドイッチうめー」モムモム

末妹「……」モグ…

末妹「私の分も荷造りしてくれて、ありがとう、お兄ちゃん」

次兄「メイドさんも手伝ってくれたよ。女の子の荷物は俺にはよくわからないし」

次兄「でも総責任者は俺なので、お気づきの点がありましたら、お客様窓口担当お兄ちゃんまでお知らせください」

末妹「ふふ……」

末妹「…オルゴールとドレスは、ここに置いて行くのね」

次兄「うん、オルゴールは繊細な機械だから迂闊に持ち歩きたくないし」

次兄「あっちでドレス着る機会もないだろ?」

次兄「それにどっちも高級品だから、姉さん達には目の毒だ」

次兄「ドレス本体は二人ともサイズが合わないけどさ」

次兄「付いている一番大きい飾りは、本物のルビーだって執事さんが」

末妹「る」

次兄「執事さん自身は、野獣様から聞いただけだからガラス玉と何がどう違うのかわからない、って言ってたけど」

末妹「……知らなかったわ」チョットアオザメ

次兄「姉さん達がルビーやオルゴールを奪い合う姿は見たくないからなあ」

次兄「第一…少なくとも一度は、またここに戻って来るんだし」

次兄「俺だけは『もう来るなよ』って言われそうだけどね」

末妹「…戻って…?」

次兄「来るんだろ? 家に帰りっぱなしじゃないだろ?」

次兄「いつになるかわからないけどさ、父さんが元気になったら……」

次兄「家にいつでも帰れるってわかったんだから、逆にいつでもこっちに来れるんじゃないか?」

末妹「いつでも」

末妹「…いつでも行き来できるかもなんて、考えたことなかったわ」

次兄「まあ父さんの…家の状況次第だけど」

次兄「って言うかさ、お前にまたここに来る気があるのが前提だけどさ」

次兄(俺にはあるけど)

末妹「…うん」

(野獣「…そうだな…いつか…洗いざらい話そう、言えなかった理由も含めて」)

末妹「そうね、私…またここに来る、戻って来たい」

(末妹「さっきのお話…いつか……」)

(末妹「いつか、ずっとずっと先になっても」)

(末妹「約束、してくださいますか…?」)

(野獣「ああ、いつか」)

(野獣「その日を迎えられるように、努力しよう」)

末妹「約束したもの……」

少しのち、野獣の自室。

メイド「末妹様、末妹様に会えばお父様はすぐ良くなりますよ。だから元気出してくださいね」

末妹「ありがとう、メイドちゃん」

末妹「また来るからね」ナデナデ

メイド「待っています」スリスリ

次兄(末妹とメイドさんが抱き合って別れを惜しんでいる)

次兄(正確には末妹に抱き上げられたメイドさんが短い前足を肩に立てかけている状態だが)

次兄(とにかく俺も執事さんと別れの熱き抱擁を交わしても許されるのでは?)チラ

執事「……」ジー

次兄(…こっち見てる)

次兄(野生の勘で何かを察したか、さすが執事さん、隙がない)

次兄(でもそんな執事さんやっぱり素敵)

末妹「料理長さん、庭師くん……」

料理長「人間は疲れた時には甘い物を食べるといいと聞きます、これは少しですが」

料理長「日持ちのするお菓子を作りました。お二人で食べてください」

庭師「今回は僕も手伝いました…へへ」

末妹「ありがとう…嬉しいわ」

野獣「…さあ、お前達。気持ちはわかるが、そろそろ……」

メイド「…はい。またお会いできますものね」

庭師「『しばしのお別れ』ですよね」

料理長「強い魔法を使うにはご主人様も集中しなくては、わしらは退室しよう」

メイド「末妹様……」

末妹「また会おうね、メイドちゃん」

野獣「執事、お前は立ち会ってくれ」

執事「そのつもりです」

野獣「さあ…始めようか」

野獣「まず末妹にはそこの魔法陣に入ってもらう、当然、次兄にもだが」

次兄「複雑な形だなあ、描くのに時間かかりそう」

末妹「……」

野獣「不気味に見えるだろうが、怖い物ではないぞ、安心しろ」

末妹「は、はい」

野獣「真ん中の小さい円の中へ、そう…次兄はその隣に」

野獣「ここで末妹に魔法をかけるが、そのためには」

野獣「お前自身が心を平穏にして、家に帰りたいと強く願うことが大切だ」

野獣「どんなに家に帰りたいと思っても、心が乱れていては、うまくかからない恐れがあるのだよ」

野獣「大丈夫か、末妹?」

末妹「…ええ」コクン

次兄「んで、この屋敷に戻る時はどうすればいいんでしょ?」

野獣「……」

野獣「…うむ…これは往路と復路、1回ずつ有効でな」

野獣「戻る時に魔法陣は必要ない、他に誰もいない静かな部屋で同じように強く念じれば良いだけ」

野獣「ただし、今回はこちらに戻る魔法を安易に使えないようにしておく」

野獣「親孝行に専念して欲しいからね」

野獣「二週間を過ぎなければ、どれだけこっちに戻ろうと思っても何も起こらない」

次兄「時限装置つきの魔法ですか」

野獣「そういうことだな。末妹よ、準備はいいか?」

次兄「…あの、俺には?」

野獣「この魔法は魔力を一度に大量に消耗するので、一回一人分しかかけられないのだ」

野獣「しかし、術をかけられる末妹嬢としっかり手をつないでいれば」

野獣「荷物と見なされて一緒に運ぶことができるから安心しろ」

次兄「俺の扱いはついに手回り品にまで堕ちた模様」テツナギ

野獣「次兄は手荷物だから、普段通り雑念や邪念しか心になくても一向に構わんぞ」

次兄「手荷物だって帰りたいパワーの援護射撃できますよ」

野獣「さあ、末妹…心は落ち着いているか?」

末妹「大丈夫です、野獣様」

野獣「家に帰りたい、父親に会いたいと、強く願うのだ」

末妹「…野獣様、ありがとうございます」

末妹「向こうが落ち着いたら、お父さんにきちんと話をして、安心してもらった上で」

末妹「正々堂々とまたここに来ます、約束します」

野獣「……」

野獣「家に帰ることだけを考えて…集中しなさい」

末妹「はい」

野獣「二人とも、ここから先は何も喋ってはならぬ。目を閉じるのだ」

末妹「……」

次兄(…野獣様と執事さんもしばらく見おさめ)

野獣「…ブツブツ……」(小さな声で詠唱)

野獣「…っ」

執事「!」

執事(…お二人の姿が、消えた)

野獣「終わった……」

野獣の膝が、がっくりと折れ、巨体は床に尻餅をついた。

執事「ご主人様っ!?」

野獣「だ、大丈夫だ、緊張と共に足の力も抜けただけ……」

野獣「…執事よ、私の態度は不自然ではなかったか?」

執事「何を仰っているのかよくわかりませんが」

執事「さ、わたくしの前足におつかまり下さい」

執事「お寂しいのを我慢しておられたのですね、無理もありません」ヨイショっと

野獣「……」

執事「しかし、また戻って来られますよ。あちらが早く平穏になって、末妹様も安心できますよう」

執事「こういう時は、祈る、と言うのでしたっけ。祈りましょう」

野獣「そうだな…末妹の心が安らかであるよう」

野獣「…家族と幸せに過ごせるよう……」

……


※今夜はここまで。明日は更新できないかもしれません※

>>263 そう言っていただけると嬉しいです。
故に己の表現力不足と誤字が悔やまれる…末井って誰

南の港町、商人の家の裏庭。

末妹「……」

次兄「末妹?」

末妹「お兄…ちゃん?」

次兄「なんか…そろそろ目を開けてもいいような気がするんだけど」

末妹「私もそう思う、なんだか懐かしい…潮風の香りがするもの」

家政婦「…末妹様? 次兄様?」

末妹「その声は」

次兄「(東洋人を祖母に持つご近所からクールビューティーと評判の)通いの家政婦さん(24)」

家政婦「…そんな所で、何をされているのです?」

末妹「え?」目パッチリ

次兄「そんな所?」目パカ

末妹「……! お兄ちゃん、ここ、屋根の上!!」

次兄「のおおおお!?」アタフタアタフタアタフタ

末妹「とりあえず煙突につかまって、ほら」ガッシ

次兄「…はふぅん」ヒッシ

家政婦「連絡もなしに久し振りにお家に戻られたのはいいとして、お転婆が過ぎましてよ、末妹様」梯子テニトリ

家政婦「次兄様も、女の子をやんちゃな遊びに付き合わせてはいけません」梯子タテカケ

次兄「…しばらく顔を見なかった我々が忽然と屋根の上に現れたという最大の突っ込みどころを軽くあしらい」ソローリ

次兄「淡々と適切に対処する家政婦さん、さすがだな」梯子オリオリ

長兄「どうした、何の騒ぎ……」

末妹「お兄さん」梯子ノトチュウ

次兄「やあ兄さん」

長兄「」

商人の部屋。

末妹「…お父さん」

商人「…ぐー…ぐー…」熟睡

長兄「横になったままだというのに、こんな事になってからは『眠って』いなくてね」

長兄「このままでは身体がもたないので、今朝、往診に見えた先生(医者)が薬で眠らせることにした」

長兄「一応安全な薬だが、切れるまではちょっとやそっとでは目覚めないそうだ」

長兄「しかし…こうして目の前にお前達がいて」

長兄「お前達からどうやって帰って来たのかを聞いた後でも、まだ信じられんのだが……」カイツマンデハナシタヨ

次兄「兄さんは堅物だから自分の目より常識に重きを置くタイプ」

長兄「…本当に…その野獣というのは魔法の使い手なんだな……」

次兄「姉さん達は付き添いもしないのかい?」

長兄「…次姉は俺以上に父さんに付いている」

長兄「お前達がいなくなってからは店の手伝いでも頑張ってくれたが」

次兄「次姉ねえさんが……」

長兄「今は店も閉めているから、看病は主に次姉にお願いしているんだ」

長兄「でも、今日はどうしても出掛けなければならない用事ができてね」

長兄「早い話、クレーム客の対応だが、その品物を直接売ったのが次姉だったから」

長兄「相手方も俺が代わりに行くどころか、付き添っても納得してくれないみたいで……」

長兄「次姉ひとりじゃどうかと言ったけど、あいつも頑固でね」

次兄「長姉ねえさんは何をやってるんだ?」

長兄「…だいたい部屋に閉じこもっているみたいだな」

長兄「たまにどこかフラっと出掛けるが、もう殆ど小遣いもないからあまり派手な事もしていないようで」

長兄「どっかで時間を潰しているんだろう」

次兄「……」

末妹「お父さん、こんなに痩せてしまって…」

次兄「痩せたと言うよりしぼんだ感じ」

次兄「身体は悪い所ないって本当に?」

長兄「ろくに飲み食いしていないから、脱水症状はあるらしいけどな、今の所はそれだけ」

長兄「ただ、この状態が続くと身体のあちこちどんどん弱ってくるから、そうなると……」

次兄「でも末妹が帰って来たからね」

末妹「…早く目を覚ましてほしいわ。私はここにいますよ、お父さん…」

……

同時刻、野獣の部屋。

鏡「…ダソウデスヨ」

野獣「まだ会話は出来ないようだが、父親には会えたのだな」

執事「一安心です」ホッ

庭師「無事に帰られてよかったですね」

料理長「こうして遠く離れても様子を見ることができるとは」

料理長「ご主人様の魔法というものは、本当にありがたいお力ですな」

鏡の覆い布:ファッサリ

メイド「ねえご主人様、魔法の鏡の合言葉をお二人にも教えておけばよかったですね」

野獣「ん?」

メイド「お二人だって、お父様が落ち着かれたら、今度はご主人様の様子を知りたくなると思いますよ?」

野獣「……」

午後、引き続き、商人の部屋。

長兄「父さんはそろそろ目を覚ましてもおかしくない頃だが」

長兄「しかし、お前達も旅の疲れがあるだろうに」

次兄「マジで一瞬にして帰って来たんだってば、言っただろ?」

長兄「そ、そうだったな…どうもお前の言うとおり、常識が先立ってしまうんだよな……」

末妹「お父さん、私は元気でしたよ、怖い目にも一度も遭いませんでした」

末妹「野獣様が本当は優しいかただと最初からわかっていれば、お父さんも安心だったのに……」

商人「…む…?」ピク

末妹「お父さん?」

商人「…うー…ん…?」モゾ

末妹「お父さん! 私ですよ、末妹です…!」

商人「…う? む??」マバタキ

末妹「こっちを見てくれた…お父さん」

商人「…お、お、おおお……」ワナワナ

商人「ああああ神様…ありがとうございます」ウルウル

商人「…最後の最期に、末妹の幻を…見せてくださるとは……」

商人「これで…これで、幸せに妻の所に旅立てます…待ってろよ妻……」

次兄「ちょ、ちょっと待て父さん」ズイッ

次兄「いまわの際の幻覚だったら、俺までいるのに疑問は持たないのか?」ドッコイショ

次兄「しかも今ほら、こんな変な姿勢で父さんの視界に割り込んでいるのは不自然だろ?」ヌオーン

商人「…次兄……」

商人「お前のことだって、忘れてはいなかったよ…一日何回かは思い出していたからね」

次兄「それ以外の時間は忘れていたと言っているのと同じだ」

次兄「とにかく、父さんはまだ死なないから」

次兄「死にかけ経験についてはベテランの俺が言うんだから間違いない」

次兄「今も父さんを診に来る先生から過去3回は『覚悟した方がいいでしょう』発言を引き出したんだからな?」

商人「……」

商人「…次兄…本物の…実体の、生身の次兄…なのか?」

次兄「俺だけじゃない、末妹だって実体だ」

長兄「末妹、父さんの手を握ってあげて」

末妹「お父さん、私は本当に目の前にいますよ」ギュ

商人「…暖かい…本当に…本物の末妹……」

商人「末妹、ああおうおあああおおおおおおおお」ガバァ

末妹「お父さん!」ヒシッ

長兄「父さんが久し振りに生きた人間らしく…よかった……」

次兄「…兄さんにはずいぶん苦労をかけたみたいだね」

長兄「」

次兄「兄さん?」

長兄「……お前、確実に、額の、生え際を見て、言ったよな????」ソフトクビシメ

次兄「自意識過剰被害妄想」ジタバタ

商人「本当に…お前達が無事でよかったよ……」

末妹「お父さんも元気を出してね」

商人「…よし、まずは着替えるぞ、いつまでも寝間着を着ていては末妹に心配をかけるからな」ヌギカケ

末妹「お父さ」

次兄「待て父さん、実の娘とは言え乙女の前でいきなり裸身を晒すのは紳士失格だ」

長兄「そうそう、落ち着きなよ。俺と次兄で手伝うからさ」

商人「そ、それもそうか、すまんすまん」

長兄「着替えたら少し何か食べようか、父さん?」

次兄「そもそも俺だって実の父とは言え」

次兄「人間の中年男性の緩んだ腹肉だの存在意義のわからない胸毛だの本当は見たくもない」

長兄「親に向かってその言い草は」

商人「…よくわからんがとりあえず謝った方がいいかな」

次兄「父さんが悪いんじゃない。神様からつるすべの肌と面白味のない体毛しか与えてもらえなかった人類全体の不幸だ」

次兄「何故、神は人間をわっざわざ御自身の似姿に創りたもうた?」

次兄「獣達を作った素材と勢いで一緒に創造してくれたら充分だったのに余計なひと手間加えやがって」

商人「次兄次兄、ちょっと危険な発言だよ」アワアワ

長兄「…末妹、次兄は向こうで何かあったのか?」

末妹(ふっさふさの獣さん達に囲まれて暮らしていた所を、突然この家に戻って来たから)

末妹(でも迂闊に言うともっと心配されそう……)

次兄「着替えは渋々手伝うよ、嫌々手伝うから、末妹は席を外して」

長兄「だからどうして余計な副詞をつける」

商人「…見苦しい父親で本当にすまん……」

末妹「わ、私、部屋で荷物を片づけてくる!」ピュン

で、末妹の部屋……

末妹「…自分の部屋も久しぶり」

末妹「片付けると言うほど大げさな物はないけれど」

蓋付きの小さな缶:カラン

末妹「…料理長さんのお菓子」

末妹「今朝の話なのに、ずいぶん昔のような気がする……」

厚紙の筒:コロン

末妹「…バラの花」

末妹「身近に置きたくて持って来ちゃった」

末妹「うちの一輪差しはどこにあったかな、家政婦さんに聞いた方が早いかも?」

次姉の声「…あの子達が帰って来たって本当!?」バタバタ

家政婦の声「ええ、次姉様がお出かけになられてすぐ……」

長兄の声「次姉戻ったのか、あの客は」

次姉の声「その話はあと!! 末妹は!?」

長兄の声「…じ、自分の部屋に」

迫り来る足音:ダダダダダダダダダダダダ

部屋のドア:バタン!!

次姉「…末妹……」

末妹「お姉さん」

次姉「末妹…本物なのね…幽霊でも妖精でもないのね…?」

末妹「ええ、本物よ」ニコ

次姉「……」

ポロッ

末妹「え」

ポロポロボロボロボロボロボタボタボタボタボタ

末妹「お姉さん!?」

次姉は床にへなへなと座り込んで泣きじゃくり始めた。

次姉「…い…生きてた…生きていたなんて……」ぐしぐし

末妹「…お姉さん」

次姉「しかも元気で…生きていても、酷い目に遭ってるだろう、とか……」ぐしぐし

末妹「…野獣さ…お屋敷のご主人様は、親切なひとだったのよ」

末妹「お姉さんにも心配かけちゃった…ごめんなさい、泣かないで」

次姉「…この涙は違うの……」ぐじぐじ

次姉「確かにあんたが無事でよかったとは思ったけど」ぐじ

次姉「これで私は許されるって……」ハンカチダシ

次姉「あんたがいなくなってせいせいした、いなくなってよかったと思った私が許されるって」ズビー

次姉「…そう思って安堵した、身勝手極まりない醜い涙よ…!」ぐしゅ

末妹「……」

末妹「私も…お屋敷ではお姉さん達がいなかったから」

末妹「誰にも嫌味とか言われないのは気が楽だなあ、って思ったことあるんだ」

末妹「…『せいせいした』はお互い様だと思うの」テヘ

次姉「一緒にしないでよ…悪いのはこっち」

末妹「でも私、小さい頃からお父さんを独り占めして…お姉さん達はいつも……」

次姉「その話はやめて」

末妹「……」

次姉「『今は』やめて、そのことについては私も話し出したら止まらなくなるから」

次姉「今さら仲良し姉妹になろうなんて、虫のいい事は考えていないけど」

次姉「あんたが嫌じゃなければ…私達これからもっと……」

末妹「もっと…?」

次姉「!…ごめん、なんでもない! 忘れて!!」

末妹「お姉さん、私達もっと色んな話をした方がいいと思う、時間はこれから沢山あるから」

末妹「私も、そう思っているの……」

次姉「末妹……」ぐしゅ

次姉「あんたには…勝てないわ、降参……」ハナカミズビー

商人の部屋。

長兄「次姉と末妹はまだ話をしているのか」

商人「…次姉にもずいぶん負担をかけてしまった」

商人「ずっと付いていてくれたのに、海に飛び込んでから末妹に会うまでの記憶が殆どないんだ……」

ドア:カチャ……

次兄「お、末妹」

次兄「…と、次姉(ねえ)さん」

次姉「…お父さん!?」

商人「おお、本当にすまなかったな次姉…もう心配いらないよ」

長兄「まだ歩き回るのは無理だけどさ」

長兄「さっき久し振りに食事もできたんだ、きっと近いうち元の生活に戻れるよ」

次兄「姉さんと話をしてたのか?」

末妹「うん、でも…まだまだこれから、もっといっぱいお話ししなくちゃ」

次姉「次兄、あんたも生きてたのね」

次姉「…しかもなんとなく以前より無駄に元気そうで」

次兄「姉さんのそんなシンプルで堅実そうな服装と髪型は何年ぶりかな」

次兄「でも意外と似合っているよ」

次姉「…ふん、褒めたって何もあげないからね」

次兄「…あれ? 姉さん、目が赤い?」

次姉「……」ヒュッ

次姉のミドルキック:ズム

次兄「」ドサリ

末妹「お、お兄ちゃん…!? しっかり!」ユサユサ

商人「これこれ、年頃の娘が…弟を蹴っちゃいかん」

長兄「年頃とか関係ないと思うけど…鈍い音したし」

次兄「」

商人の部屋のドアの前。

……

長姉「…何よ、この家族団欒風景……」弟シロメムイテイマスガ

家政婦「あら、長姉様、そんな所で何をなさって」

長姉「しーーーーーーっ!!」

家政婦「……」

家政婦「黙っていろと仰るのなら黙っていますね」

家政婦「ところで…お夕食は今日もお部屋に運びますか?」

長姉「……」コクコク

長姉「あと、夕食まで少し出掛けるわ」(小声)

家政婦「承知致しました」

街のちょっとした広場、のベンチ。

長姉「……二人が帰って来てお父さんが元気になって」

長姉「いよいよ私が家の手伝いをする理由も入る場もないじゃない」

長姉「次姉だって…末妹が帰ってきたらもう用済みになるんだから」

長姉「私と違って賢いくせにわからないのかしら?」

長姉「…そうよ……」

長姉「…何が『姉妹揃って成績優秀』よ……」

?「…長姉?」

長姉「誰っ!?」バッ

幼馴染男「そ、そんな激しい勢いでしかも怖い顔で振り返らないでくれる?」ドキドキ

長姉「…幼馴染男」

幼馴染男「ベンチの隣…いいかな?」

長姉「隣のベンチなら座っていいわ」

幼馴染男「…ありがと」トン

幼馴染男「あの…君んち、何日か前からお店も閉めて…お父さんが前よりもっと大変だって聞いたよ」

長姉「にも関わらずブラブラしている不良娘でございます」

幼馴染男「そ、そんな事が言いたいんじゃない」

幼馴染男「…君がわりと元気そうなだけでも…よかった。心配したよ」

長姉「…近々店は再開すると思う。お父さんも何日かしたら仕事に戻るんじゃないの」

幼馴染男「え、本当かい?」

長姉「末妹が…次兄もだけど…今日突然帰って来たの。寝たきりがあっという間に起き上がって」

幼馴染男「そうなんだ、嫁ぎ先から…って、次兄くんも家にいなかったのか?」

幼馴染男「街の噂じゃ末妹ちゃんが嫁いだらしいって話だけで、次兄くんの話は一切出て来なかったなあ」

長姉(…次兄は元から引きこもりだから、誰もいなくなったのに気付かなかったのね)

長姉「正確には嫁いだとはちょっと違ったんだけど…表向きそっちの方がわかりやすいからよ」

幼馴染男「何やら色々事情があるみたいだが……」

幼馴染男「まあ…よかったよ。これで一安心だね」

長姉「あんたもあの子が帰って来て良かったと思う?」

幼馴染男「だって、そのことでお父さんが元気になったんだろ?」

幼馴染男「君の心配や負担が軽くなったのは良い事だ」

長姉「別に私には負担なんてかかっていなかったわ」

長姉「お父さんが寝込んで忙しかったのは兄と次姉だけ」

長姉「私なんか役立たずだもの、二人とも私には期待しないで、私抜きで、店や家を取り回していたの」

長姉「私はヘソクリの残額ばかり心配していた、やっぱり不良娘よ」

長姉(…なんで私こんな話を幼馴染男にしているんだろ…?)

幼馴染男「…人には向き不向きってものがあるよ」

幼馴染男「俺が父親の仕事を引き継ぐには適性がなかったのと同じで」

幼馴染男「たまたま、今回の事では君を活かせる場面も仕事もなかっただけなんだろう」

長姉「…慰めているつもりかしら」

長姉「じゃあ、私はどんなことなら向いていると思う? 私の役目って何?」

幼馴染男「君は……」

幼馴染男「…美しいことが大切な役目」キリッ

長姉「ああん!!!???」ビキビキビキブチブチブチブチブチブチィ

長姉「バ・カ・に・し・て・る・の!?!?」ゴゴゴゴゴゴ

幼馴染男「ヒィィ!?」

幼馴染男「そ、そんなメドゥーサみたいな表情で睨むなよ…石になりそう……」

長姉「なれるもんならなればいいのよ! 学者で成功するより早く広場の名物オブジェとして歴史に残るわね!!」

幼馴染男「別にふざけて言ったんじゃない。人を和ませるのも才能だと考えている」

幼馴染男「子供の頃の君はとても…昔から顔立ちも整っていたとは思うけど」

幼馴染男「それ以上に、すごく笑顔のきれいな女の子だと思っていたんだ」

幼馴染男「笑顔だけじゃない、君の話し方、仕草、人の話を聞く時の表情……」

幼馴染男「全部がすごく…なんて言うのか、キラキラしててさ」

幼馴染男「ここ何年かの、着飾って歩いてた君よりよほど…お姫様みたいで、花みたいで、太陽みたいで」

幼馴染男「輝く星みたいで…大好きだったんだよ?」

長姉「」

幼馴染男「…今度はベンチごと僕をひっくり返すつもりか」

幼馴染男「無理だよ、固定してあるから」

長姉「…ハァハァゼェゼェ」汗ダクー

長姉「…なんなの、なんなのあんた、なんなのよ!?」

長姉「ご機嫌取ったって相手になんかしてやらないんだからねこの甲斐性無し!!!!」ブンッ

長姉の靴が片方、幼馴染男の顔面に飛んできた!

幼馴染男「おうっ!?」キャッチ!

幼馴染男「そう何度も痛い目に会うわけには行かないぞ」ホッ

幼馴染男「長姉……」

幼馴染男「……片足しか靴を履いてないのに、もうあんな遠くへ走り去って」

幼馴染男の視線:長姉の靴をジー

幼馴染男「この片っぽの靴、どうしよう?」

幼馴染男「…しかし、短気なシンデレラだなあ」

幼馴染男「前途多難だ……」フゥ


※今回はここまでです。誤字怖いよ誤字※

野獣の屋敷。

野獣「私の様子を知りたくなる、…か」

野獣「次兄と末妹もだが、メイド達も何も知らないからな」

野獣「私が既にあの兄妹に嘘をついていると言う事を」

野獣「末妹にかけた魔法は往復ではない、家に帰るだけの片道の魔法だった」

(師匠「……一度受け入れた相手と信頼を築きあげる途中で、お前からそれを諦め、放棄して」)

(師匠「そんなお前に対し、相手が怒り、悲しみ、失望、拭えない不信…このような感情を表した時には」)

(師匠「……お前はバラと共に死にゆくだろう」)

野獣「……」

野獣「二週間を過ぎて、末妹にまだこちらに戻る気があれば……」

野獣「私が教えた通りに戻る方法を試すその時、私の嘘に気付く」

野獣「彼女は純真ゆえに傷付くだろう…が」

野獣「家族の愛情で癒される傷だ、実際それだけ愛されてもいる」

野獣「向こうからこちらの顛末を知る手立てはないのだから、私が死にゆく事も知らないまま」

野獣「所詮は人と相容れぬ存在、気まぐれで弄んだ人間を不要になったから手放しただけ」

野獣「…そう思って、二度とこのような化け物とは関わらぬよう」

野獣「平穏な生活の中で暮らしてくれれば良い。」

野獣「末妹が騙されたと知れば、あの次兄さえも私に愛想を尽かすだろう」

野獣「…あとは、使用人達…皆の事もきちんと片を付けてやらなくては……」

商人の家の居間。

次姉「…つまり、弁償金目的の完全な言いがかりだったのよ。品物には何の問題もないわ」

次姉「口煩い小金持ちのマダムが、たぶん他の店相手に上手く行ったので味を占めたんでしょ」

次兄「小金持ちの店と小金持ちの客の一騎打ち」

次姉「小娘1人なら言いくるめるのは容易いと思ったみたい」

次兄「ノッポの大娘だけどね」ボソリ

長兄「本気出した次姉の頭と口の回転には敵わないだろうよ」

長兄「お前もすっかり頼もしくなったもんだ」

長兄「…これで、長姉とせめて普通の会話ができるようになれば文句なしなのに……」

次兄「食事の時も顔を出さないの?」

長兄「あいつの分は、家政婦さんに部屋に運んでもらっている」

長兄「俺としては長姉から歩み寄ってくれるのを待ちたいので、あまりこちらから構わないようにしているが……」

次姉「私の事も最大限避けているみたいで」

次姉「たまに視界の端を一瞬横切るから呼び止めても、無視、徹底無視よ」

次兄「…次姉ねえさん相手にさえ、そんななのか」

次姉「誰とも顔を合わせないよう、外出時も窓から出入りしているくらいだもの」

長兄「次兄も心配だろうが…長姉の事はとりあえず俺と次姉に任せてほしい」

長兄「末妹にもそう伝えてくれ」

家政婦「長兄様」

長兄「なんですか、家政婦さん」

家政婦「先程、お店の入り口の前にこれが」

次姉「…姉さんの靴だわ?」

次姉「きれいに磨いてあるけど…どうしてそんな場所に、しかも片方だけ?」

長兄「…よくわからんが長姉の部屋の前に置いておくか」

長兄「そうしておけばいつの間にか部屋の中に回収されていると思う」

次兄「野生動物の餌付けに近いものが」

長兄「餌じゃ釣られてくれない分だけ、動物より厄介かもしれないな」フゥ

商人の部屋。

商人「すこー……」ネイキ

末妹「お父さんたら、お話ししているうちにソファに座ったまま眠っちゃった」

末妹「毛布を掛けて、と……」ファサ

末妹「今日は暖かいし、風邪はひかないと思うけど」

商人「…うーん…末妹……」ネゴト

末妹「はい、私はここにいますよ、お父さん?」

末妹「……」

(野獣「ただし、今回はこちらに戻る魔法を安易に使えないようにしておく」)

(野獣「親孝行に専念して欲しいからね」)

末妹「野獣様の優しいお心遣い」

末妹「お父さんがもっと元気になったら、きちんと話そう、きっとわかってくれる」

商人「…くかー…お前が無事で…よかったよ…すこー……」コレモネゴト

末妹「そしたら今度はお父さんに笑って送り出してもらえる」

末妹「だって、友達の家に行くだけだもの」

末妹「…あれ?」

末妹「『これから友達になるひとの家』が正しいのかな?」

末妹「メイドちゃん達とはもう友達になれたけど…あのお家のご主人様は野獣様だし」

末妹「…順番がおかしいって思われるかな?」

末妹「お父さんにどうやって話すか、もっと綿密に考えた方がいいのかしら……?」ウムム

末妹「……」

末妹「あの約束が果たされる『いつか』……私はとても楽しみです、野獣様……」


※短いけど眠いので今日はここまで。レスくださる方もロムの方も(いらっしゃれば)ありがとう※

翌朝、誰かの夢の中。

(幼長姉「ねえ幼馴染男くん」)

(幼長姉「わたしの名前をつけてくれるお星さまはいつ見つかるの?」)

(幼幼馴染男「ぼくが大人になって、りっぱな天文学者になってからだよ」)

(幼長姉「それじゃあ、ずーっと先の話なのね」)

(幼幼馴染男「そうなんだ、ごめんね……」)

(幼長姉「ううん、ずっとまってる。楽しみは長いこととっておくほうがワクワクがつづいてすてきだもの」)

(幼幼馴染男「ほんとうに? まっててくれる?」)

(幼長姉「うん、10年でも20年でも30年でもまってる! やくそくする!」)

(幼幼馴染「ぼくもできるだけ早く見つけられるようにがんばるよ!! やくそくする!」)

目覚まし時計:ジリンジリン

ベシッ★

目覚まし時計:ジリ…シーン

長姉「……」ノソリ

長姉「…そう言えば…確かに、10年以上前、そんな話をしたような気がする……」

長姉「だからって、しょせん、たかが、小さな子供の頃の約束じゃないの」

長姉「……」

長姉「昨日の夕方」

(長姉「なぜこの(幼馴染男に投げつけた)靴が私の部屋の前にあったの……?」)

(夕食を運んで来た家政婦「ああ、お店の前に置いてあったのですよ」)

(家政婦「次姉様が、長姉様の靴だと仰るので、ならばお部屋の前に置いておこうと長兄様が」)

(長姉「…お店の前に持って来た人を誰か見た?」)

(家政婦「いいえ、靴を見つけたのは私ですが、気がついた時には既に靴だけが……」)

(長姉「…そう。わかった、ありがと」)

長姉「幼馴染男……」

長姉「質屋の帰りにぶん殴った時のこと、まだ謝っていなかったわ……」


※今日はこれだけなのです。続きは土日に……※

同じ朝、別の誰かの……

(次兄「俺はついに桃源郷に辿り着いたようだ……」)

(次兄「『世界大動物図鑑』で見たあらゆる国のさまざまな獣達が俺を取り囲んでいる」)

(次兄「比較的大型な獣が中心、且つ要所要所に小獣もちりばめられた隙のない配置」)

(次兄「しかも俺の一番近くにいるのは野獣様と執事さん」)

(次兄「そして微妙な隙間にジャストフィットしている料理長さん、庭師くん、メイドさん」)

(庭師「僕の肉球、プニプニしていいんですよ。なんならペロペロしても」プッニィ)

(メイド「ほら、私の尻尾とお尻が見たかったんでしょう?」プリーン)

(料理長「わしの腹肉も、何度でもタプタプして構いません」タプタプゥ)

(野獣「さあ次兄、私を好きなだけモフモフするがよい。ほら、夢に見た胸毛だぞ」モファサァァァァ)

(執事「わたくしの首毛と尻尾も、ご遠慮なく堪能ください」フッサリャァァァァァァァ)

(次兄「いやあああああああ幸せでマジどうにかなっちゃうのおおおおおおお」)ハーレムエンド

長兄の声「次兄、いつまで寝てるんだ!!」

次兄「」目パカー

次兄「……夢かよ」チッ!

長兄の声「次兄、起きたか? お前が来ないと朝食が始まらないんだ」

次兄「もうそんな時間か……はいはい、起きますよーだ」モゾモゾ……

ドア:ガチャ

長兄「おはよう」

次兄「おはよ…先に食べててよかったのに」

長兄「長姉だけじゃなくお前までいないのはどうかと」

長兄「久しぶりに父さんが居間に出てきて食事をするんだ、可能な限りきょうだい揃っていた方がいい」

次兄「へえ…昨日の今日でずいぶん元気になったね」

長兄「無理はきかないし、外出や来客の相手もまださせられないが、あまり俺達には病人扱いされたくないようで」

長兄「少しでも早く元の生活に戻れるようにって、父さん自分から言い出したんだ」

次兄「……末妹パワーだなあ」

野獣の屋敷。

メイド「さてと、末妹様と次兄様のお部屋をお掃除して、お二人が戻って来た時にそなえなきゃ……」

庭師「きのう発たれたばかりで掃除? 二週間しないと戻れないのに」

メイド「ほこりは毎日だって溜まるわ」

メイド「……それに…末妹様がいなくなってから、時間を持て余している気がするの」

メイド「末妹様達がここに来る前だって忙しく働いていたはずなのに、どうしてかなあ……」

庭師「…確かに、僕もなんだか物足りないよ」

庭師「僕らとご主人様、5人の暮らしに『戻っただけ』なのにね」

庭師「……?」

庭師「ご主人様だ」

メイド「末妹様のお部屋から出て来たわ」

庭師「手に持っているのはドレスと、確かあれ、オルゴールだっけ?」

メイド「ご主人様?」

野獣「お前達……」

野獣「……末妹達の客間を、掃除に来たのか」

メイド「ご主人様、末妹様のドレスとオルゴールを持ち出されたんですか?」

庭師「僕らに言いつけてくれたらいいのに」

野獣「うむ…屋敷の中を歩き回っている時に、ふと思い立ったのでな」

野獣「誰かを呼びつけるまでもなく、自分でやろうと思ったのだ」

メイド「どこに運ばれるんですか」

野獣「……私の部屋だ」

野獣「このオルゴールの音楽が私も気に入ってな、使ってくれる末妹がいない間は、勿体ないではないか」

メイド「ドレスも勿体ないからご自分でお召しになるんですか?」

庭師(…実際はこのドレス、ご主人様が頭に被った段階で破れてしまうだろうけど)

庭師(ピッチピチのドレスを無理やり着たご主人様をうっかり想像して僕うわあって気分)

野獣「いやその…ほら、末妹の部屋は日当たりがあまりに良いから」

野獣「二週間とは言え、少しは色褪せてしまうだろう?」

野獣「同じ壁にかけておくなら、私の部屋の方がマシだと思ってな」

庭師(衣装箱に納めるか、カーテン閉めておけばいいんじゃないかな?)

メイド「……」

メイド「わかりました、では私達はお掃除をしてきますね」

野獣「あ、ああ、頼んだぞ」

庭師「え、いつの間にか僕も手伝うことになってる?」

メイド「……苦しい言い訳ってああいうのかしら」

庭師「?」

メイド「ご主人様、お寂しいんだわ」

メイド「末妹様のドレスとオルゴール、見える場所に置いておきたいのね」

庭師「…ああ、そうか」

庭師「鏡で向こうの様子を見ることはできても、短い時間だし、お話ができるわけでもないもんな」

庭師「昨日からなんとなく元気もないし……」

メイド「でも、たった二週間だもの」

メイド「必ず戻るって約束されたもの、末妹様」

庭師「うん、そうだよね」

庭師「僕は末妹様にまた喜んでもらえるよう、それまで庭の花と野菜の世話を頑張るよ」

メイド「でも今は掃除を手伝ってね?」


※ここまで。また短いです。寝ます、すみません※

商人の家、朝食後の居間。

長兄「…で、明後日には、あずけている馬を引き取りに行こうと思うんだ」

商人「あいつ(馬)の元の持ち主、牧場主さんか。それなら安心だ」

商人「色々ありがとう、長兄。牧場主さんへのお礼のことを、後で話し合おう」

末妹「あの子が戻って来たら、私もお世話を手伝うわ」

長兄「末妹はあいつに好かれているからな」

次兄「俺とは正反対……」ボソ

商人「店のお客様や取引先にも色々と心配をかけてしまったな」

長兄「店は明日にでも再開しようと思う。次姉もその準備に取り掛かっている所だ」

長兄「しばらくはまた俺と次姉が中心でやって行くから、父さんはしっかり養生してくれ」

商人「本当に、お前達すっかり頼もしくなって……父さん嬉しいよ」

少し後、次兄の部屋。

次兄「……という感じで我が家の状況は順調に良い方向へ向かっている模様」

次兄「末妹はもうしばらく父さん係として配置」

次兄「理由は、中途半端に回復して来た病み上がりにうろつかれても正直困るので、という意味をもっと表現は遠回しに兄さんが」

次兄「俺も何かしようか? と申し出たのだが」

次兄「それならお前の部屋を何とかしてくれ、と」

次兄「……野獣様の屋敷に旅立つ前と同じ状態だが」

次兄「そんなにひどいかなこれ?」

次兄「愛読書と画材とスケッチブックと着替えと寝具が極めて合理的に配置されているではないか」

次兄「だってよく使う物なのに何故いちいち収納しなければならないのか?」

次兄「……世間ではこの状態を『散らかっている』と呼ぶんだけどさ」

で、野獣の屋敷。

メイド「……次兄様、滞在中は『掃除はいらない』って仰っていたから言われるままにしていたけれど」

メイド「何これ何これ何よこれ!?」

メイド「助手(庭師)がいてよかった、さあ、今日は一日かけてこの部屋やっつけるわよ!!」ウデマクリー

庭師「うひぇぇぇ……どうせ次兄様が戻って来たら元の木阿弥なのに……」

商人の家、次兄の部屋。掃除開始から15分経過。

次兄「…よし、第一段階突破。本は全て本棚に納めたぞ」

次兄「ああ疲れた、休憩休憩」ベッドニゴローン

次兄「……屋敷の俺が使っていた客間も」

次兄「野獣様や執事さんやメイドさんが見たら『何だこれは!?』状態なのかな」

次兄「一日しか経っていないけど、みんな今ごろ何やっているんだろう?」

次兄「……もしかすると、リアルタイムで野獣様に魔法の鏡で覗かれているのでは?」ムッハー

次兄「……」

次兄「俺だけは鏡に映れば速攻で場面転換させられるのが現実だろうなあ、うむ……」

次兄「……?」

次兄「しまったああ! 合い言葉を知ってたら、こっちの鏡からお屋敷を覗くこともできるんだった!!」ジタバタ

次兄「…あの時はさすがに動転していて、そこまで頭が回らなかったからなあ」

次兄「まあ、親孝行に専念しろと言ってくれてたし……聞いた所で教えてはもらえなかっただろう」

次兄「末妹と改めて話し合う必要はあるが、二週間を過ぎれば例の魔法で手荷物として戻れるんだし」

次兄「…妹にしか魔法を掛けてくれなかった真の理由は、俺が単独で戻ることを警戒したためであろう……」

次兄「深く考えると悲しくなってくるが俺は強い子めげない子」

次兄「別方面のアプローチから野獣様との距離を縮めてみようと画策した」

次兄「頭の中を整理するためにもメモ書きしてみよう」カキカキ

次兄「まず」

次兄「南の港町を含むこの地域は我が国のかなりの南部に位置するが、父さんの世代くらいまでの人は」

次兄「子供の頃に『北部の国境付近には呪われた地として誰も近寄らない森がある』と聞かされて育ったという」

次兄「父さんも最初に森で迷った時にそう思ったらしい」

次兄「田舎の初等学校レベルの歴史の授業でも習う、昔あったという小国の位置が国の北東部」

次兄「馬車で向かった時の所要時間を考えると明らかにおかしいが、それは野獣様の魔法の効果だからな」

次兄「昔の小国の位置と森を含む一帯は、重なるのに間違いないだろう」

次兄「そして、言い伝えで言う呪われた云々は小国が滅んだことと関わりがあるらしい」

次兄「もっと近隣の地域なら詳しい話が伝わっているだろうが、何百年も経ち、距離的にもここくらい離れると曖昧だ」

次兄「実際、父さんは迷い込んだのに呪われたりなんかしていない」

次兄「野獣様に出会ってからが父さんには災難だったかもしれないが、バラの件がなければ無事に帰れたと思われる」

次兄「まともな人間は自分の意思で踏み込もうと思わない場所ってことで、長いこと野獣様もお屋敷も守られて来たんだ」

次兄「我が家の人間は一連の出来事を大っぴらに口外はしていないしそのつもりもないが」

次兄「また誰かがあの森に、お屋敷に迷い込んで、呪いの存在を疑い出したら? 野獣様の魔法を恐れない人間だったら?」

次兄「魔法だの呪いだの恐るるに足らんと豪語する人間だって少数派とはいえ今の世の中には少なくないし」

次兄「うちだって兄さんがちょっと脳筋程度だが、もし家族全員がガチで脳筋だったりしたら本気で武装して乗り込んでいたかも」

次兄「呪術師や魔法使いがどこの町や村にも暮らしていた時代とは違うんだ」

次兄「知りたいのは呪われた地と呼ばれる由来の詳しい内容」

次兄「知ったところで、すぐさま野獣様に直結するとは限らないが」

次兄「それを取っ掛かりに新たな扉が開く可能性は大いにある」

次兄「野獣様の過去や正体にこだわるつもりはない、これは誓ってもいい、がそれとは別に」

次兄「ほら、好きな人の事は色々知っていたいでしょ? な気持ちが半分」

次兄「あと半分は……俺が野獣様達を守ろうとか言うのはおこがましいけどさ」

次兄「いつかもしかして人間と接触せざるを得なくなった状況が来たら、アドバイスくらいできたらいいじゃん? な気持ち」

次兄「……とりあえず、図書館で歴史や民間伝承の本を漁ってみるか」

次兄「地方都市にしては充実した蔵書が売りだからな、この町の図書館は」

次兄「……ふあ」アクビ

次兄「ちょっと寝てから…掃除で疲れちゃった……」フニュニュ


※今日はここまで。週末あまり進まずすみません、明日も少し投下する予定。※

>> 331 野獣は紳士です。クンカクンカスーハーペロペロしたがる変態は次兄一人でお腹いっぱいです

南の港町、とある安宿。

宿の従業員(以下、従業員)「ご滞在は一週間っすね。では、料金前払いでお願いしやっす」

白髪の五十代半ばと思しき男(以下、白髪)「うむ…これくらいで良いか?」チャリンチャリン

従業員「……お客さん、なんすかこれ? 見たことないコインっすよ」

白髪「これで払ってはいかんのか?」

従業員「うーん……困ったな……おやっさんを呼ぶか」

従業員「おやっさん! おやっさん!!」

宿屋の主人(以下主人)「なんだ従業員、昼寝するから呼ぶなと言ったろう……」フアァ

主人「こちらのお客さんがどうかしたのか? …ん? 見たことないコインだと、どれどれ……」タメツスガメツ

主人「……うーん、こりゃ古い時代に作られた物だが、本物の金貨だぞ」

主人「お客さん、失礼しました。うちの若いもんが無知なばかりに…… ほらお前も謝らんか」ペコリ

従業員「すんませんっした」ペコリ

白髪「いやいや、こちらも準備が悪かったようだ、泊めて貰えるだけでもありがたい」

従業員「んじゃ、部屋に案内しやっすね」

宿の客室。

従業員「これ、今朝の新聞っす」

白髪「ありがとう」

従業員「夕食は6時っす。それまでごゆっくり~」パタン

白髪「やれやれ、最近の若い娘は言葉遣いがなっとらん」

白髪「おっと、一例を見て『最近の若者』と一括りにしてしまうのはよくないな」

白髪「これでは自分が若いころ忌み嫌っていた頭の固い年寄りと同じだ、気をつけねば……」

白髪「どれ、新聞を読むか。……印刷技術や紙の質はずいぶん向上したようだな」バサリ

白髪「ん? この日付????」

白髪「なんという事だ、儂は30年も寝過してしまったのか!?」

白髪「2~3年の誤差ならば想定内だったが、眠りの魔法の効き目を強めるための処置を念入りにやり過ぎたのだろう」

白髪「……ま、過ぎてしまったことは仕方ない」

白髪「ということは…あの『愚か者』が予定通りに目覚めていれば」

白髪「儂と大して変わらん年代になっているわけか」

白髪「しかし、30年か……」

白髪「ううむ、こうなるとまだ『あの場所』にいるかどうか……」

白髪「その前に…まだ生きているのかどうかすら怪しいぞ」

白髪「まず、『あの場所』の様子を探ってみるか」

宿屋のフロント。

従業員「しっかし、何者っすかね、あのおっさ…お客」

従業員「まだ9月だってのに、ローブでしたっけ? あんな暑そうなもん着込んで」

従業員「お話に出てくる魔法使いみたいっすよ」

主人「何者でもいいさ、金を払ってくれたらお客様だ」

主人「しかも外国から来たのか知らんが、こっちの貨幣に換算すればかなり多めに払ってくれた」

主人「良いお客様だ、滞在中はサービスしてやろうじゃないか」

従業員「ウチではおかず一品増やすとか、その程度しかできませんけどねー」


※今回も短くてすみません…次回は近日中、なるべく間を置かずに※

進められる時は進めたいものです……


新展開か

誰の夢かはお察しください。

(野獣「……と言うわけで、悪い子にはお仕置きが必要だ」)

(執事「ご主人様の仰る通りです。次兄様にはお仕置きをたっぷり差し上げましょう」

(次兄「おほおおおおおおおご褒美ご褒美いいいいいいいいいい!!」)

雨音:サーサー……

次兄「んあ?」パカ

次兄「……また夢だったか」ガックリ

次兄「ま、考えたら夢に決まっているわな、野獣様と執事さんが俺にあんなことやこんなことを」

次兄「しかし、家に戻ってきたのは昨日の朝だというのに、今朝の夢といい」

次兄「今の昼寝の夢といい、自覚している以上に欲求が不満していないか俺?」

次兄「うっかり過ちを犯さないように気をつけねば」

次兄「……想定するに他人様の飼育動物に飛びかかってモフり倒し舐め回す行為くらいだけどさ、俺の場合の過ち」ジュウブンメイワク

雨音:サーサー……

次兄「…雨か。図書館行こうと思ったのにな、今日は諦めよう」

次兄「さっきの夢の続きを期待して、二度寝でもするか……」モニュニュ

安宿の一室。

白髪「鏡の魔法」

白髪「教授所で教えていたこの魔法には使用制限があったが、オリジナルは何時間でも使えるのだ」

宿の鏡「ぽわ~ん」

白髪「む、あの屋敷には誰かが住んでいるのは間違いないな」

白髪「お、動く者がいる。服を着ているが…ずいぶん大きな……」

白髪「まさか、この服を着た褐色の毛むくじゃらの巨体があいつなのか?」

白髪「……瞳の色が同じ、それに鏡を通して伝わってくる魔力は紛れもなく奴のものだ」

白髪「なるほど、泣き叫びたくても出来ない苦しみが200年積み重なって、この姿を作ったか」

白髪「かつての砂糖菓子で拵えたような若造とは似ても似つかん」

白髪「これでは人間だれもが恐れをなし遠ざかるだろう、バラの呪縛から解放される望みも薄いな……」

白髪「……?」

白髪「なんと、服を着た狼と話をしているぞ」

白髪「狼だけではない、小さな動物達も。狼、穴熊、山猫、穴兎……全部で4匹いる」

白髪「みんな二本足で立ち、人語を喋っている、あいつの魔法か」

白髪「……奴の魔法の力があれば、工夫次第で一人でじゅうぶん暮らして行けるだろうに」

白髪「話し相手が欲しかったのだろう、あの寂しがり屋め……」

白髪「…しかし」

白髪「人間と関わることを諦めて、獣の屋敷の主として一生を終えるつもりだろうか?」

白髪「その方が確かに平穏かもしれんが……」

白髪「ま、とりあえず様子を窺おう。何しろ情報が少なすぎる」

白髪「情報といえば、今の時代の世の中はどうなっているのか」

白髪「とりあえずこの町の治安が悪くないのは幸いだが、当面は慎重に行動せねばな」

白髪「ん? 魔法を使ったな、何をしている?」

白髪「この角度だとよく見えんな、鏡ほど鮮明ではないが、奴の背後の窓ガラスに切り替えよう」

白髪「……向こうも鏡の魔法を使っている所だ。儂の呪文と違って、一回に使える時間は短いが……」

白髪「ふむ…鏡に映るは、どこかの家の中か。あいつとはどんな関係があるのやら?」

白髪「ソファに掛けた髪の薄い中年男に小さな少女が寄り添っている」

白髪「和やかな雰囲気で談笑している、どうやら親子らしい」

白髪「今度は…何かの店の中か。若い男女が…どういう関係かはわからないが…帳簿を見たり棚の品物を確認したり」

白髪「お次は、なんだ? 部屋の窓から金髪の女が外に出ようとしているぞ??」

白髪「……外から窓を閉めて、そのままどこかへ行ってしまったようだ。なんなんだいったい」

白髪「今度はまた別の部屋か。えらく散らかって、ベッドの上では少年が眠りこけている」

白髪「……ニヤニヤしたり手足をジタバタさせたり枕を抱きしめてゴロゴロしたり、しかも眠ったまま」

白髪「ヨダレを垂らして不気味な笑みを浮かべた寝顔」

白髪「……あんまり長く見ていたい光景ではないな」

白髪「多少、奇行の見られる家族もいるようだが、まあごく普通の家庭だな」

白髪「単なる覗き見趣味か、それとも縁のある人物があの中にいるのか」

白髪「ん? 誰もいない部屋が映ったぞ……」

白髪「少年の部屋とは対照的にきれいに片付いた、うーん、女の子の部屋だな、さっきの幼い少女か」

白髪「いよいよこれでは覗き趣味だ……困った奴め」

白髪「……?」

白髪「机の上の一輪差し…あの赤いバラは…普通のバラではないな」

白髪「強い、しかも、儂にも覚えのある魔力を纏っている」

白髪「あいつの、『王子』の心臓に根を張ったバラだ」

白髪「あの娘が…バラを欲し折り取った人間…あいつとバラを通じて関わった人間というわけか」

白髪「……事は既に動き出していたのだな」

白髪「やれやれ、この時代に目覚めてまだ右も左もわからぬと言うのに、あいつの一大事に立ち会う羽目になるとは」

白髪「儂の役目は、見届ける事。愚かな元弟子と、バラの呪縛の行く末を」

白髪「関わって選んで結果を導き出すのは、当事者にしかできないのだ、儂は何もしてやれんぞ……」

白髪「してやれんからな?」


※今回はここまで。※

わかりにくいが、鏡で商人の家を窺っている野獣の様子を、野獣の部屋の窓ガラスに映りこんだ光景として白髪の男が見ています。白髪からは野獣の背中と野獣が覗いている鏡(と、そこに映るもの)が見えている、と…本編中で伝っていればいいな…

>>343 いつもありがとうございます。

乙!

乙、ちゃんと伝わってるぜ
(いつもレスしてるのバレててめっちゃ恥ずかしい)

覗かれているとは露知らぬ、野獣の屋敷……

メイド「ご主人様、次兄様の客間を掃除していたら、こんなものを見つけたんですよ」

料理長「何だい、紙切れかい?」

野獣「それは……」

メイド「これも次兄様が描いた『絵』でしょうか?」

メイド「でも……何でしょう『これ』は??」

執事「葉っぱが貼り付いた干からびかけの蛙にしか見えませんな」

野獣「…これは、次兄が末妹を描いたものだ」

野獣「庭師とメイドと、前庭を散歩した時のな」

メイド「末妹様ですって????????」

庭師「でもあの時、僕やメイドちゃんの絵はすごく上手で…どうしてこんな……?」

野獣「次兄はな、人間だけはまともに描く事ができないのだ」

料理長「ご自分と同じ人間を、ですか? …不思議ですねえ」

野獣「ああ、不思議な…変な奴だ」

野獣「しかもあんなに仲の良い妹だというのに、全く……ふふ……」

執事(末妹様達が帰宅されて以来、ずっと笑顔を見せなかったのに)

執事(ようやく笑ってくださいましたね)

野獣「私の部屋に…私を描いてくれた絵の横に飾っておこう」

メイド「こ、こんなもんをですかあ??」

野獣「これだって、末妹の絵姿だし、次兄の『作品』だからな」

庭師(確か『ぜんえーげーじゅつ』ってこういう物だったかも?)

白髪の男の回想。

(白髪「この地方支部も、おおかた撤退のための整理が付いた」)

(白髪「後はお前達だけでなんとか始末ができるはずだ、頼んだぞ」)

(魔法使い1「支部としてはたった10年の歴史ですが…これも時代ですかねえ」)

(魔法使い2「しかし先生、お考えは変わりませんか?」)

(白髪「儂はもう今の時代での仕事はすべて終えた、個人的な心残りももう持っていない」)

(魔法使い2「魔法図書館の手伝いだった娘の事ですか」)

(白髪「彼女を辛抱強く待ち続けた男の求婚を、あの娘が受け入れたのが2年前」)

(白髪「19で知り合った娘が27の年増になるまで、熱心に求婚し続けた男も実に粘り強いが」)トシマウンヌンハムカシノハナシナノデ

(白髪「接吻どころか告白もしないまま『死んでしまった』相手を理由に、男を拒んできた娘も相当な頑固者よ」)

(白髪「とにかく、あの夫婦がどうにか円満で子供も生まれたのを見届けた儂には」)

(白髪「本当に『この時代に』思い残す事はない」)

(魔法使い1「あとは、200年後…いや、190年後に心残りがあるのみ、というわけですね」)

(白髪「ああ、あの愚か者を、我々ギルドの魔法使いの誰もがいない時代に送り出すのは色んな意味で……」

(白髪「その、気になると言うか」)

(白髪「とにかく、結果を見届けすらしないのはあまりにも無責任だと思ってな、実行した者として」)

(魔法使い1「元師匠として元弟子が心配だ、と正直に仰っても構いませんよ?」)

(魔法使い2「約束通り、先生が眠りに付いたら地下室は封印して」)

(魔法使い2「中からしか、しかも魔法でなければ開けられないようにしますが……」)

(魔法使い2「190年後がどんな時代になっているかは誰にもわかりません」)

(魔法使い2「目覚める前に地下室ごと埋もれる危険もあれば、魔法使いが迫害される時代になっているかもしれません」)

(白髪「埋もれる危険があるのはともかく、後半はお前らが頑張らんか」)

(白髪「我々は『円満に』この国や周辺諸国から姿を消す努力をして来た」)

(白髪「お前達も、これから何年もかけてその仕事を続けるのだ」)

(魔法使い1「この建物の跡地は、何か住民に役立つ施設として利用してもらえるよう有力者に交渉中です」)

(魔法使い1「とにかく堅牢で見た目も優美ですからね」)

(魔法使い1「これを壊そうって人間は今後少なくとも200年は現れやしませんよ」)

(白髪「では、そろそろ行くぞ。世話になったな、重ね重ね、後を頼む……」)

(魔法使い1「…この言い方が正しいかわかりませんが、お達者で、先生」)

(魔法使い2「190年後の世界がよい世界でありますよう、祈って…いえ、そうなるように、頑張ります……」)

現在。

白髪「……結局、儂は190年に加えて30年…合計220年後の世界で目覚めたわけだが」

白髪「後を託した弟子達も、どういう人生を送ったのだろうな」

白髪「そして、あの娘」

白髪「夫になった男は平民ではあったが貧しくもなく、だったが、あれから幸福な生涯を過ごせたのだろうか……」


※短いけど今回はここまで※

>>350-351 本当ありがとう。
>>351 間違っていたら失礼かなあと思いつつ「いつも」と入れてしまいました。ハズカシガラナイデー


※今夜の更新はありません。お詫びと言うのもなんですが設定(?)チラ出し※

野獣>>>>>執事>長兄>商人=王子>次姉>>長姉>>次兄>>末妹>>料理長>>>庭師>メイド

メインキャラ(?)の身長対比はおおよそこんな感じ。他のキャラは適宜どこかに位置します
>の数は大雑把なイメージで、1個につき何cmという意味ではありません(獣達の身長は耳の長さ含まず)

キャラクターの身長一覧のイラストとか眺めるの好き

王子が思ってたより背高いな。大人しいから小柄なイメージだったわ
師匠と幼馴染はどのくらいだろなー

南の港町……

次兄「昨日の雨も無事あがり、目の前には市立図書館、うーん、ここに来るのも久しぶりだ」

次兄「そもそも外出じたい滅多にしないからな俺は……」

次兄「200年以上前に当時の技術の粋を集めて建てられた…何かの施設…の再利用らしいが」

次兄「現代の一流建築家さえハンカチ噛んで悔しがるほどの美しさと頑丈さは外観だけでも観光スポットとして名高いとか」

次兄「……おかげで周囲には本も読まないのに人間がやたら多い、これだけが俺には難点だなあ」

次兄「ま、足早にすり抜けて建物に入ってしまえばあとは静謐な空間が待っているのです」サササ



白髪「目覚めてここの地下室から出て来たのは早朝で、誰もいなかったから気付かなかったが……」

白髪「地方支部の跡地が図書館になっていたとはな」

(魔法使い1「この建物の跡地は、何か住民に役立つ施設として利用してもらえるよう有力者に交渉中です」)

白髪「……交渉が実を結んだようで、何よりだ」

白髪「儂が眠っていた間はどのような歴史だったのか、ここで調べてみよう……」

次兄「……むーん、滅びた小国のことはどの本を読んでも同じような書かれ方」

次兄「昔、あの森を含む一帯を治めていた小国の王家はある日…何年の何月何日かまで明確に、突然滅んだ」

次兄「歴史書では、王と王妃、そして唯一の後継ぎだった王子の3人が流行り病で死亡したため」

次兄「尤も、人々の言い伝えでは呪いとか怨念とかで殺された説が有力」

次兄「例の屋敷の最初の持ち主だった伯爵が屋敷を無理矢理奪った王家を恨んで…と」

次兄「王家が滅びて以降、呪われた地として人々が近づかなくなり、そのまま現在に至る」

次兄「…ここから先はなんの記述も見つからないので、俺の推測」

次兄「王家が滅んでから、いつ頃からかはわからないが空家になった屋敷に野獣様が住み付いた」

次兄「伯爵の呪いとやらは野獣様がなんとか出来る程度のものか、やっぱり最初からなかったか、だろう」

次兄「そもそも…屋敷を明け渡してからの伯爵がどうなったかの記録がない」

次兄「人を直接殺すほどの怨念を持つならよっぽど残忍に殺されたとか、そんな最期なんだろうけど……」

次兄「固い歴史書でも脚色された歴史読み物でも、筆者により伯爵の最期の描写はまちまちなんだよな」

次兄「要するに真相は後世の歴史家にも不明ってことで」

次兄「とりあえず、閲覧した本を書架に戻すか……」ヨイショ



白髪「やれやれ、なぜ儂が読もうとした本の場所にはことごとく『閲覧中』の札が置かれているのだ」

白髪「『貸出中』でないだけマシだが……返却を待つしかないな」

白髪「む、ちょうど戻しに来たな」

白髪「見たとこ13かそこらの、しかもとても難しい本など読むようには見えない子供だが」

白髪「はて、あの顔と、ぼやけたような色調の赤毛、どこかで見たような……?」

次兄「……んしょ、っと。ふう。」

次兄「本は重いから、数冊に及ぶと、か弱い俺には重労働」

白髪「思い出した! あいつが覗いていた家の少年だ」

白髪「散らかった部屋で、昼寝をしながらジタバタしてニヤついていた挙動不審な少年だったな」

白髪「……これも何かの縁だ。声を掛けてみよう」スタスタ

白髪「なあ坊や…そこの少年?」

次兄「うぃ? 俺?」

次兄「……誰、この白髪頭のおっさん?」

次兄「う、よく見ると意外と目が鋭いな。どことなく猛禽類っぽい」

次兄「鳥類は個人的な守備範囲からは外れるが、大型猛禽類にはちょっとだけ興味があるのは秘密です」

白髪「……奇妙な独り言だのう」

次兄「しまった、音量に注意を払っていなかったぞ」

次兄(野獣様の屋敷で独り言をメイドさんに聞かれツッコミ入れられるのがいつの間にかクセになっていたかもしれん)ヤバイヤバイ

白髪「この本が戻ってくるのを待っていたんだよ」

次兄「あ……すんません」

白髪「いやいや、謝るような事じゃない。若い者が勉強するのは良いことだ」

白髪「歴史に興味があるのかね? それとも学校の宿題か何かで?」

次兄「前者っす。地域と時代限定ですけどね」

白髪「ほほう。ところで、君はここにはよく来るのか?」

次兄「んー、今日は久しぶりだけど、この後ちょっと通う気はあります」

白髪「ほう。ではまた会うかもしれんな」

次兄(……このおっさん、もしかして、俺のけつを狙う、じゃなかった、俺をつけ狙う…変態!?)オマエガイウナ

白髪「…男の子をどうこうしようと言う趣味は、まっっっっっっったく持ち合わせていないから、安心しろ」

次兄「やべ、聞こえていました?」タラリ

白髪「何を思ったか知らんが、顔に警戒の色を浮かべたからな」

白髪「ま、気にしないでくれ。儂は本を閲覧することにするよ」

白髪「……私語が過ぎるのも、この場所では好ましくなさそうだしな…それじゃ」スタスタ

警備員「……」ジー

次兄「うむ、警備の人の『静かにしやがれオーラ』が出まくりだな」

次兄「…俺も新しい本を探そう」

次兄「民間伝承の本を、もう少し漁ってみようかな……」テクテク



次兄「しかしもう夕刻も近い、手早く本を借りて帰るかな」

次兄「地域別に分類されているのはありがたい」

次兄「…ん? なんだ、ここにある場違いみたいな変なタイトル」

次兄「背表紙には『今だから話せる!あの真相』……」

次兄「どう見てもゴシップ本です」

次兄「オモテ表紙には副題が。『私は機械仕掛けの屋敷を作った伯爵の子孫だ!』……」

次兄「…………」

次兄「なんですと!???」

次兄「薄いけどまだきれいな本だ、最近入ったのか? …司書さんに聞いてみるか」

~数分後。

次兄「何年か前に、町の本屋から売れない本を買い取った中の一冊だそうだ」

次兄「私家版なので最初から十数冊、あまり大事にもされなかったせいか、現存する物は2~3冊もないらしいが……」

次兄「この本と、もう2~3冊めぼしい本を借りて、家でゆっくり読もう」


※今夜はここまで。次兄がどんどん下品になっていくような※

>>360 長兄は商人より明らかに大きいけど、商人(王子)と次姉の身長は数字にしたら次姉の方が小さいね、程度なので
商人王子次姉の見た目はほとんど同じ身長かな。王子も微妙に商人より小さいので=にしようかどうかは実は迷ったあたり……

白髪のおt…師匠は次姉と長姉の間、男性としては小ぶり、でも魔法使いにしてはガッチリ系のイメージ。
幼馴染男は商人よりやや背が高いが長兄より商人より少しヒョロイい(王子ほどでもない)、ついでに図書館娘は長姉くらいかと

商人の家、次兄の部屋。

次兄「編者前書き」ペラリ

次兄「本の編者として名前が出ている人物は『伯爵の子孫』」

次兄「七代前の先祖は例の『小国』の人間だったが、国が滅びる数年前に『西の島国』に移住」

次兄「先祖が小国にいた頃はどういう仕事をしてどんな人物だったかは子孫もよく知らないらしい」

次兄「更に、三代前の女性…曾祖母に当たる人物…が嫁いで来たのが、この国の王都のとある家」

次兄「編者は王都で生まれ育ち、本が書かれた今から数年前の、更にもう少し前のこと」

次兄「曾祖母の遺品を整理中に、七代前の先祖の『手記』を発見」

次兄「それを紐解いて初めて先祖が何者だったかを知り、手記を私家版として出版することを決めた」

次兄「そんな事ができるから、そこそこ裕福ではあるんだろうな、殆ど売れなかったのは痛手には違いないだろうけど」

次兄「というわけで、前書き以外は見つかった伯爵の手記そのままだそうだ」パラリ

数時間経過……

次兄「……この本に書かれた内容が事実だとして」

次兄「どの歴史書でも『ひでえ国王』となっていた小国の王はこの本でもひでえおっさん」

次兄「最後に寄越した交渉役に『一週間以内に良い返事がなければ殺す』と言わせ、しかも交渉役は年端も行かぬ王子」

次兄「強面の側近に囲まれて、いかにもやむを得ずこの役を引き受けたその姿は、伯爵さえ同情を禁じ得ず」

次兄「交渉はあくまでも形式上に過ぎず、目的はその脅し文句を伝えるためだと伯爵にもバレバレ」

次兄「そんな王の真意を幼い王子には理解できるはずもなく、『失敗に終わった結果』に青ざめ震えながら城に帰った」

次兄「王の詰めが甘かったのは機械マニアの横の繋がりを舐めていた事」

次兄「伯爵には周辺諸国に機械いじり趣味の仲間がいて、王に目を付けられているのを知った彼等から心配されており」

次兄「さすがに身の危険を感じた伯爵は、早くに親兄弟を亡くし未だ独身だったので身軽だったことも幸いして」

次兄「屋敷を諦め、持てるだけの財産を抱え、協力者達の助けもあって、西の島国の機械仲間の元へ身を寄せた」

次兄「一週間目、王の命を受けた兵隊達が屋敷に踏み込んだ時には誰もいませんでしたとさ」

次兄「王はそれが悔しかったのか、国民達に『伯爵は最後まで抵抗したのでその場で処刑した』と公式発表」

次兄「そして異国の地に骨を埋める決意をした伯爵は」

次兄「身分を隠し、名前を変え、仲間の協力で機械技師の仕事を得」

次兄「結婚もして平穏な生涯を終えて」

次兄「その血筋は現在に至る」

次兄「……」

次兄「王に残忍に殺された伯爵なんかいなかったわけで、つまり王家を恨んだ呪いもなかった事になるんじゃないかな」

次兄「勿論、手記が眉唾物なら話は別だけどさ」

次兄「……」パラ…

次兄「小国が滅んだ後」

次兄「伯爵自身も『自分の呪いで王家が滅ぼされた』と言う噂を聞き、後年こんな感想を手記に残した」

『私(伯爵)も名を変え過去を隠し別人として暮らしていたから、今更否定しようとは当時は思わなかったが』

『ただ本当に私が王家を呪ったとしても、哀れな王子を一夜で白骨にするなどという』

『恐ろしい殺し方だけはやらないだろう、これは誓ってもよい』

『あの日、私の前に交渉役として現れた小さな王子は、単に自分の父親である王を恐れていただけには思えず』

『私を死なせずに済む方法を、彼なりに探って、頭を巡らせ心を砕き』

『王の作った台本から外れても、言葉を選んで交渉に臨んでいた……少なくとも私にはそう見えた』

『あれからまた何十年も経って、今まで誰にも語ったことは無いが』

『王子がどこかにひっそり生き延びて、私のように自由になっていれば良いのに、と』

『ある意味、身勝手極まりないかもしれない思いを、私は心の片隅に抱き続けている……』

安宿の一室。

白髪「……」

宿の鏡「ソンナニジックリミツメチャイヤ///」

白髪「……お前そのものを見ているわけではないぞ、鏡」

白髪「そもそも野太い声でその台詞はやめんか」

白髪「……魔法で追跡したが、少年の家は港の比較的近くにある雑貨屋なのだな」

白髪「何の本を借りて帰ったのかと思えば、あの屋敷に関する本だとは」

白髪「細部を見るに内容には信憑性がある」

白髪「手記を書いたのは本物の伯爵に違いない、異国で生き延びたのか」

白髪「儂と出会った頃の王子は15歳だったか、既に屋敷は王の手に渡っていて……」

(王子「……あの時、交渉を上手にこなしていれば、伯爵は死なずに済んだのです」)

(白髪(まだ髪は白くない)「本気で思っているのか? あの王が、お前の交渉に期待していた、と?」)

(王子「じゃあ、僕が屋敷に行っても行かなくても、結果は同じだったと…あなたは、師匠はそう仰るのですか?」)

(白髪(以下師匠)「ああ、どう考えても、お前を送り込んだのは形だけの交渉の場を設けるためだ」)

(王子「僕のしたことは、無駄だったのですね……」)

(王子「今に始まったことじゃない、物心ついた時から、父の掌で踊らされるだけ」

(王子「いいえ、踊ることもできない、僕はその飾り棚にある陶器の人形と同じ」)

(王子「生まれてから死ぬまで、同じ姿勢、同じ顔で、持ち歩かれて置かれた場所で微動だにしない、あの人形と同じ」)

(師匠「そういじけるな、何しろ伯爵が本当に処刑された証拠は残っていないのだ」)

(王子「生きていれば……魔法で探し出すことはできないのですか?」)

(師匠「ギルドの魔法使いでも(現在では、数百キロに及ぶ追跡の魔法を使えるのは儂だけだが)直接面識がない相手を追跡し」)

(師匠「探し出すことは、不可能なのだよ」)

(王子「そうだ、それなら僕にその魔法を教えてください、伯爵と面識がある僕ならば」)

(師匠「(お前ならすぐ習得できるだろうが)距離があまりに離れ過ぎていると、面識があっても探し出すのは無理だ」)

(師匠「それでも構わないのなら、教えてやろう」)

(師匠「で……あれからどうだ? 伯爵を探してみたのか?」)

(王子「いいえ、だめでした……見つかりません」ションボリ)

(師匠「まあ、遠くに逃げて生きている可能性もあるからな、そう思って…あまり気に病むな」)

(師匠「伯爵の件は、お前が罪の意識を感じる理由はないのだから」)

(師匠(…と言った所で、はいそうですねと納得するようなこいつではないがな……))

(王子「……」)

師匠「……この少年とあいつに接点があるのかどうかはまだわからん」

師匠「しかし、縁があれば、いつかあいつも伯爵が生き延びたと知る日が来るだろう」

師匠「しかし、本当にあいつは、魔力だけは逸材だった」

師匠「一気に魔力を使うと、体力と精神力も消耗して回復まで時間がかかる欠点があり」

師匠「殺傷能力のある魔法は全く身に付かないという、これまた珍しい素質の持ち主だった」

師匠「何よりもあの弱すぎる心をどうにかしなければ」

師匠「あの国の王子として生まれなくても、本格的な魔法使いになるのは困難だっただろう」

師匠「しかしそのおかげで、父王に、人畜無害な魔法しか覚えられない『無能』な王子と思いこませることもできた」

師匠「王があいつの高い魔力に気づけば、戦闘用の魔法は使えなくとも」

師匠「何らかの形で必ず利用しようと考えただろうからな」

師匠「王だけではない」

師匠「王家が滅びてまだ間もない頃、恩恵を受けていた一部の貴族の中には」

師匠「王子が生きていると信じて探し出し、担ぎ上げて、王家を復活させようと目論む動きもあった」

師匠「それも数年間のうちに消失したが」

師匠「…………」

師匠「200年間眠らせたのは確かに『罰』」

師匠「同時に、あらゆる物から王子を守るためでもあった」

師匠「あいつが自分の正体やバラの秘密を誰にも語れないのと同じように」

師匠「儂もあいつにそれを伝えるわけには行かない」

師匠「バラの呪縛から完全に解放されるまでは……」


※今夜はここまで。華の無さ過ぎるシーンが続いて作者涙目※

いや凄く大事な回だろう
200年後に一人ぼっちなんて残酷だと思っていたけど、そんな理由があったんだな…

早朝。

雨音:ザーザー……

長姉「…スー…スー…」

(次姉「姉さん、こんな所にいたの? …何泣いてるのよ?」)

(長姉「ぐす……もうだめ。私、ついて行けない……」グシュグシュ)

(長姉「今度の試験、私、ぜったい落第するわ。もう限界……」グシュ)

(次姉「姉さん頑張って来たじゃない、弱気になっちゃ駄目。それに落第したら、私達、クラスが別れるのよ」)

(長姉「そうよ、だから来期からあんたと私は別クラスになるの、寄宿舎の部屋も離れちゃうのよ!」ズビー)

(長姉「だいたい私には無理だったの、あんたほど頭良くないんだから、なのに年々、勉強は難しくなって……」グシ)

(長姉「次姉が休み時間も寄宿舎でも付きっ切りでわからない所を教えてくれたし」)

(長姉「私も『さすがお母様の娘』と言われるのが嬉しくて、あんたについて行こうと頑張ったけど……ここまでよ」ズビビー)

(次姉「……それなら私も、今度の試験は半分くらい白紙で出すわ。一緒に下位のクラスに行きましょ」)

(長姉「あんたにはお母様の娘ってプライドはないの!!??」キシャー)

(次姉「そりゃ私だってそれが誇らしくて頑張っているけど……じゃあ、どうすりゃいいのよ?」)

(長姉「わかんないっ! それがわかれば苦労しないわよおおお!!」ビャー)

(次姉「全く……」フゥ)

(次姉「……この手は使いたくなかったけど…仕方ない」)

(次姉「私もこのギスギスした寄宿学校で、姉さんと離れるのは嫌だもの」)

(次姉「姉さん、ちょっと危険な方法だけど……聞いて?」ボソボソ)

雨音:ザアアアアアアア

長姉「……あぅ」パチ

長姉「雨の音で、目覚ましより前に目が覚めちゃった……」モゾモゾ

長姉「いつ頃だっけ……入学して3年くらい経ってたかな」

長姉「次姉は1年飛び級にも関わらず、入学以来、不動の学年上位の常連」

長姉「私もそれまではなんとか上位にぶら下がっていたけど、急に授業内容が難しくなって」

長姉「進級試験を目前に、心折れちゃったのよね。そしたら次姉が……」

(次姉『ちょっと危険な方法だけど……聞いて? 試験の時に姉さんに答えを教えてあげる』)

(次姉『念のため、予想問題の解答を仕込んでおく方法も考えてみるけど』)

(次姉『バレるようなヘマはしないわ、まかせて……でも、姉さんは姉さんでしっかり勉強もするのよ?』)

長姉「次姉の提案には驚いたけど、おかげで試験は合格点、進級後のクラスでも……」

長姉「カンニングの方法をあれこれ考えてくれたり、宿題を見つからないように写させてくれたり」

長姉「……あの娘(次姉)は厳しいから、それと並行して授業の予習復習も鬼のようにさせられたけど」

長姉「でもやっぱり私は、あの学校のレベルに合わなかった……」

長姉「最後まで実力は身に付かないまま、インチキで成績上位に残ったまま卒業」

長姉「これは墓場まで抱えて行く、次姉と二人だけの秘密」

長姉「真面目なお父さん、型物の兄さん、いい子ちゃんの末妹には絶対わかってもらえないもの」

長姉「……あと、人の心の機微が理解できそうにない次兄にも」

雨音:ザアア……

長姉「この雨じゃ今日は出かける気にならないわ」

長姉「……そうよ、次姉とはいつも一緒で、あの娘は誰より私をわかってくれた」

長姉「学校でも、実力で首席になれる頭のあの娘が、根気よくこんな私の勉強に付き合ってくれた」

長姉「なのに…もう何日、次姉と話をしていないんだっけ……?」

長姉「…………」

雨音:ザアアア……

長姉「……何よ」

長姉「私ひとり悪者にして、仲間外れにして、音を上げるのを待つつもりなら、こっちだって意地があるんだから」


※今日はこれだけ。平日はペース落ちますわ※

>>380  >凄く大事な回
そう言ってもらえるとありがたいです……


※今日はちょっと更新無理そうです、すみません…※

せめてもの?おまけコーナー
使用人のアニマル四匹組は人間だったら何歳ぐらいか(物語の時点で)
狼執事=40代後半 穴熊料理長=60歳ぐらい 山猫庭師と穴兎メイド=共に15歳くらい
野獣に出会う前と魔法の力で使用人になってからでは歳の取り方が違ったりする

野獣の屋敷、野獣の部屋……

オルゴール:~♪~♪~~♪~

執事「ご主人様、料理長が今夜はヤマドリタケのクリーム煮を作るそうですよ、お好きですよね」モリデトレルキノコ

執事「……ご主人様?」

野獣「スースー……」

執事「……読書しながら椅子にもたれて眠ってしまわれたか、本が膝の上に落ちている」ヒョイ

執事「ん? 本と思ったが、『日記帳』?」

執事「いかんいかん、『日記とは見てはいけないもの』だったな、ご主人様からそう教わった」イソイデトジー

執事「このまま起こさずに退室するか」コソーリ

野獣「…スースー」

オルゴール:♪~~♪♪~

……野獣が読んでいた日記のページ

『一週間ぶりに魔法ギルドの図書館に行き、彼女と話をした』

『彼女が図書館に入り三か月、最初に言葉を交わした日から二か月半』

『今日初めて私がこの国の王子と知ったそうで、物凄く驚いていた』

『もちろん今まで通り接してほしいので、そうお願いした後、彼女の年齢を聞いてみた』

『年齢は十七、私よりひとつ下。年下とは思わなかったと言うと……』

『「そんなに老けて見えますか?」と、どうやら少し機嫌を損ねてしまったようだ』

『彼女はとてもきれいで笑顔もかわいらしいので、老けているとは思わないが』

『本当に親切でしっかりしていて、まるで姉ができたみたいだと思っていたから……』

『思っていた通りを告げてみたところ』

『彼女は一瞬きょとんとして、噴き出して、それからしばらくの間、笑い続けていた』

『それで私の失言はうやむやになってしまったが、彼女の機嫌は治ったと思っていいのかな?』

(……出会ってから永遠に別れたあの日まで、二年足らずの短い月日)

(日記に書き残した彼女とのたわいもない会話、当時の私には本当に楽しく)

(確かに愛らしい顔立ちではあったが、それ以上に笑顔が、人柄が素敵だと思った)

(今もそう思う気持ちに変わりは無い)

(……)

(商人が末妹を語った言葉)

(商人「それもあの子が働き者で人懐っこい、心の優しい、謙虚な娘だからです」)

(商人「…お洒落に目覚める年頃になっても、ドレスや宝石など一度もねだったことのない子」)

(年頃も違うし、商人の身なりからある程度裕福なのはわかったから、育った境遇も違うのは容易に想像できたのに)

(彼のあの言葉で、私は何故か図書館の娘を思い出し、その少女に会ってみたくなったのだ)

(そうして連れてこられた末妹は)

(あまりに小さくあまりに華奢な体、あどけない容貌、栗色の髪、緑の瞳)

(年齢を聞いて想像した以上に幼い外見、髪と瞳の色も違う)

(そう、図書館の娘とはまるで似ていないのに)

(私はふたりを重ねて見ていた)

(……私は歳を取り過ぎ末妹は若過ぎて、王子が図書館の娘を想うのとは違う想いだとしても)

(だとしても、末妹が傍に居てくれたなら)

(傍にいてくれるのが末妹だったら)

(私はバラの呪縛からも、過去からも、自由になれるのでは、と)

(小さな女の子の形で目の前に現れた『希望』に)

(私は縋ったのだ……)


※今夜はここまで。読んでくださる皆様(何名様であっても)ありがとうございます※


※更新できません、今回はおまけもなし。すみません……寝ます……※

>>395
ゆっくり休みなはれ
身体は大事に


※すみません、夜になると電池切れる模様。明日の明るい内に更新します※

>>396ありがとうございます…ホント身体は大事ですわ…

商人の店。

雨音:サーサー……

次姉「せっかく店を再開したのはいいけれど、こう何日も雨続きじゃお客様の入りはいまいちね」

長兄「この地方は秋が深まる今時期だけ雨が多いから、これで通常運行だけどさ」

長兄「そんな中でも、常連の方が父さんの顔を見に来てくれたのはありがたいよ」

呼び鈴:チリンチリン

長兄「お客様だ、いらっしゃいませ」

次姉「いらっしゃいませ」

師匠「ふむ……様々なものが売っているのだな……お嬢さん、鉛筆はあるかね?」

次姉「そちらの棚の……兄さん、取ってあげて」チカクニイルノデ

師匠(この二人は兄妹だったのか)

長兄「はい、こちらです」

師匠「ありがとう(ふむ、二世紀前の品より随分使いやすそうだ)」

師匠「(これも技術の進歩だな)では、3本もらおうか」

師匠「では代金を(この国の現行貨幣に両替済みなので問題なし)」チャリン

次姉「丁度いただきます」

師匠「なかなかいい店だ。また来よう」チリンチリン

長兄「ありがとうございました」

次姉「……」

長兄「どうした? 次姉」

次姉「何か違和感あると思ったら……今のお客様、少しも雨に濡れていなかったの」

長兄「えっ?」

次姉「店のすぐ前まで馬車で来た様子でもなかったし、あの上に外套を着ていたら、入る時に脱ぐのが見える筈だし」

長兄「店の前の庇に入ってから、傘を扉の外に置いて入って来たんだろう」

次姉「それにしても……」

長兄「今は小降りだし、近くの辻馬車の停留所から傘をさして来たとしたらそんなに濡れないだろ?」

次姉「……そういうものかしら」

雨:サー…ザー…ザーザーザー

師匠「またも雨足が強くなってきたが、雨を弾く呪文は便利だのう」パシパシ

師匠「この呪文、あいつには教えないまま終わってしまったな」

??「んほおおお雨やなのおおお雨らめええええええ」バチャバチャバチャバチャ

師匠「ん? 向こうから(奇声を発しつつ)上着を頭から被って走って来る少年は……」

次兄「っと、おっさんじゃないですか」バチャ

師匠「そこの酒場の軒先で雨宿りでもしないかね」

次兄「ん、でも、家まであと少しだから」

師匠「雨雲の様子を見るに、すぐまた小降りになるだろう、それを待った方がましだ」

師匠(この子にも雨を弾く魔法を怪しまれない程度……五割くらいかけてやるか)ポエン

酒場(昼間は閉店中)の軒先。

次兄「やーんジャケットぐっしょり」シボッテジャー

師匠「君の家はこの近くなのか(我ながら白々しいがな)?」

次兄「ええ、ここからも見える、ほら、あの雑貨店っす」

師匠「ほう、儂はさっきあそこで鉛筆を買ったのだよ、偶然だな(これも白々しいが)」

次兄「店番におっかないネーチャンがいたでしょ?」

師匠「ん? 黒髪の背が高い娘か? かなりの美人ではないか」

次兄「え? よその人にはそう見えるんだ」

師匠「君の姉なのか? 特に態度も愛想も悪くはなかったぞ、むしろ印象良かった」

次兄「ふーん……俺が思っている以上に(兄さんの贔屓目だけじゃなく)ちゃんと仕事しているんだ」

師匠「君はまた図書館に?」

次兄「ん、そうです。朝はまだ霧雨だったし、戻る時も小降りになったのを見計らって走って来たのにな」

師匠「面倒がらずに傘を持ち歩くことだ」

次兄「むー、おっさんだって手ぶらじゃないですか」

次兄「……その割に、濡れていませんね?」

師匠(おっと、意外になかなか鋭いぞ)

師匠「……このローブは特殊な薬剤を塗布してあってな、雨をはじくのだ」

次兄「マジで? 便利だな、父さんにそんな製品があるのか聞いてみようっと」

師匠(ああしまった、商売人の子供だった!)

師匠「……ここだけの話、まだ開発途中の薬剤で……儂は研究者から高額の報酬で極秘の任務を引き受けておる」ヒソヒソ

師匠「自分が軽率だったとはいえ、口外したことがバレたら儂は無報酬の上に罰金まで払わされるのだ……」ションボリーナ

師匠「誰にも言わず、これ以上詮索しないでくれたら、完成の暁には君の店に安く卸してもらえるよう話をしてみよう」

次兄「……うん、わかった。誰にも言わないよ。しかし、世の中にはまだまだ知らない職業があるんだなあ」

師匠「すまんな、恩に着るよ(咄嗟の出まかせを信じてくれるとは、顔の割に素直な子だ)」

師匠「今日は本を借りてこなかったのか」

次兄「今日は借りた本を返却して、後は閲覧だけです」

次兄「さすがに借りた本が雨に濡れたらえらいこっちゃですし」

師匠「意外と常識があるな。お、雨雲の切れ間に差し掛かった、雨が弱まったぞ」

次兄「ホントだ。じゃ、俺行きますね、また!」バッサ

師匠「ああ、またな」

バッターンチリリン タッダイマー! イラッシャ…ナニアンタミセカラハイッテキテ!! バチコーン

師匠「……ここまで聞こえるぞ」

師匠「……」

師匠「あの少女……少年の妹か、接触できる機会はなさそうだな」

師匠「尤も、女の子に理由なく近付いても家族に怪しまれそうだし」

師匠「いきなりこちらから、あいつやあいつの屋敷の話を振ろうものなら尚更怪しまれるだろう」

師匠「…バラを通じて出会い、あいつを解放してくれる可能性を持つ少女」

師匠「それをなぜ今、手放して家に帰しているかはなんとなく理解できる」

師匠「問題はこの後、あいつは少女をどうするのか、だ」

師匠「……まあ、どうするのか知ったところで」

師匠「余程他人に危害でも及ばない限り、あくまでも儂の立場は見守るのみ」

師匠「その姿勢は変わらんぞ」

師匠「……腹が空いたな、どこかで飯でも食うか」

師匠「宿屋の従業員のおすすめにでも行ってみるか」

師匠「あの小娘、口は悪いが人柄は悪くない、信用しよう」

雨音:サーサー……

商人の自室。

末妹「雨続きね、お父さん」

商人「天気がよければ友達とでも遊びに行けるのに、私の相手ばかりで退屈だろう?」

末妹「まだお父さんを置いて出かけたりなんてできないわ」

商人「私ならもう大丈夫だよ、雨さえ降っていなければそろそろ外出しようとも思っていたんだ」

商人「取引先のご心配かけた皆さんとかね、この市内だけでも回ろうかと」

末妹「大丈夫なの?」

商人「身体の調子もお前達のお陰ですっかり良くなった、近いうち仕事にも戻りたい」

商人「その前に、最低限でも挨拶回りをしておきたくてね」

商人「私もこれからは気をしっかり持って、皆に今回のような心配を掛けないと約束するよ」

末妹「……」

末妹「お父さん、私ね……」

次兄の声「ぴああああああああああああああああ」

商人「な、何事!?」

末妹「!?」

次兄の声「ほっぺ痛いよおおおおおおおおお」

末妹「お兄ちゃんの声だ。どうしたの?」ドアガチャ

次兄「おう、末妹……姉さんに、次姉ねえさんに引っ叩かれたよお」ヒリヒリジンジン

末妹「うわあ、ほっぺ真っ赤……」

次兄「図書館帰りに雨に降られ、自宅玄関まで回るのが面倒で店舗側に飛び込んだらこのざまです」シクシク

末妹「よく見たらずぶ濡れ……風邪ひいちゃう、早く着替えないと」

次兄「昔と違って、これくらいでは風邪ひかないから大丈夫」ポタポタ

次兄「でもこの格好で家の中うろうろしていたら家政婦さんにも叱られそうだから、着替えてこよう……」

末妹「ほら、このタオル使って」ファサ

次兄「お前だけは俺にいつでも優しい」ウルウル

末妹「まあ、廊下にも水滴が点々と……私が拭いておくから、お兄ちゃんはお部屋に行っててね」

次兄「末妹は我が家の天使です」オガミツツタイジョー

末妹「もう、ふざけないで……さてと、雑巾はっと」

商人「……」

商人「そうしていると、お母さん(=商人の妻)みたいだよ」

商人「髪や瞳の色だけじゃない、顔もますますそっくりになって」

末妹「……」

家政婦「あら末妹様、そんなことは私がやりますのに」

末妹「あ、家政婦さん(見つかっちゃった……)」

家政婦「次兄様でしょう? ずぶ濡れで帰って来られたのは存じています」

家政婦「廊下を拭くのは私がします。長兄様達も休憩に入られるそうなので、次兄様のお着替えが済みましたら」

家政婦「旦那様と三人で居間においでください。暖かいココアを用意していますので」

商人「気が利くなあ。ありがとう家政婦さん、次兄も体が冷えているだろうから……」

家政婦「長姉様のお部屋にも運びますから、冷めないうちに召し上がっていただきますわね」キコエルヨウナコエデ

長姉(自室のドアの内側)「まるでドアにへばりついて聞き耳立てているのがバレているかのように」

長姉「……ココアは大好物だからありがたいけど」

長姉「何よ、お父さんたら相変わらず……何が『お母さんそっくり』よ」

安宿の一室。

師匠「ただいま」

師匠「……人柄は信用できても」

師匠「味覚は信用ならん、そんな人間もいるのだな」

師匠「残すのは性に合わんので、頑張って平らげたが……」フゥゥゥゥゥゥゥゥ

師匠「それとも、宿の食事が素朴な家庭料理だから気付かなかっただけで」

師匠「儂の味覚が今の時代について行けないだけなのか?」

師匠「……鏡であいつの屋敷でも見てみようかと思ったが、少し休もう」

師匠「おっと、買ってきた鉛筆を鞄から出しておくか」トリダシ

師匠「そう言えば、少年の部屋のあちこちにいくつもいくつも転がっていた指先ほどの木片」

師匠「今思うと、この鉛筆を限界まで使い込んだ成れの果てだな」

師匠「儂が知っている昔の鉛筆とは形状が違うから、最初はわからなかった」

師匠「それにしても読書は好きそうだが、だからってそんな勉強熱心にも見えないが」

師匠「何よりゴミ箱の概念がないのか? あの少年には」

時間は少し前後するが、次兄の部屋。

次兄「うお痛ってえ!?」

次兄「……あーあ、裸足で鉛筆の残骸踏んじゃったよ」アシノウラニクイコミー

次兄「そう言えばここ1年ほど、俺の部屋のゴミ箱を見た覚えがない」

次兄「この部屋のどこかに埋まっているだろうから、暇な時に発掘しよう。それより替えの靴下っと……」ゴソゴソ


※今夜はここまでです※


※すみません、今日は無理そうです……明日も休みます。次回4/29(時間帯未定)※

居間。

次兄「あーあったまる」ココアズビー

商人「……もう痛くないかい、次兄?」

長兄「確かに俺達、物心ついた頃から『店側から出入りするな』って躾けられていたけどさ」

長兄「だからっていきなり引っ叩くのはどうかと」

次姉「……今後は気を付けるわ。ごめんね」ボソ

次兄(次姉ねえさんも丸くなったというか成長したもんだ)

次兄(口に出すと反対側も引っ叩かれそうだから黙っているけどね)

末妹「……」

末妹(野獣様とのお茶の時間にココアが出た時は)

末妹(うちの味より甘かったなあ)

末妹(メイドちゃんが言うには、野獣様が甘いものお好きだからって)

末妹(明日で一週間、みんな今頃どうしているのかなあ)

窓越しの雨音:サーサー

末妹(あっちも雨が降っているかしら……)

野獣の屋敷。

雨音:サーサー……

執事「ご主人様、何も雨の中にバラの様子を見に行かなくとも」フキフキ

野獣「それくらい好きにさせてくれ。止むのを待っていては、いつ外に出られるかわからないではないか」

執事「それにしても、(特注サイズの)雨傘もささずに……」フキフキ

庭師「ご主人様、僕らみたいに体ブルブルして水払うの苦手ですものねえ」フキフキテツダイ

メイド「あったかいココアですよ、ご主人様。」

野獣「……すまんな」

メイド「雨が冷たくなってきましたね、そろそろお山の上に雪が見られるかもしれません」

メイド「『南の港町』は雪なんてめったに降らないのでしょうね」

野獣「……」

庭師「今度また末妹様が来られる頃には、このへんも初雪かな?」

メイド「やーね、まだ早いわ。あと一週間後の話じゃない」

庭師「それもそうだね」

執事「戻りの魔法が使えるようになっても、すぐに来られるとは限らないぞ?」

執事「お家の都合もあるし、ご家族ともよく話し合われてから、こちらに来る日を決めるだろう」

庭師「うーん、人間というものは色々めんどうですね?」

しばらくのち。野獣の部屋。

野獣「……メイドと庭師」

野獣「やはりまだ子供だ、無邪気に『末妹の戻る日』を楽しみにしている、そして、おそらく末妹と次兄も」

野獣「…期待を持たせているのは私だがな……」

鏡「」シーン

野獣「……何をしているかな」



次兄「うーん、もう少しこのへんの毛並みは濃い色合いで」カキカキ

次兄「……うむ、執事さん喜んでくれるかな?」



野獣「次兄、執事の絵を描いているのか」

野獣「再びこちらへ来た時の、執事への手土産か……」

野獣「末妹は何をしているだろう」

野獣「……?」

野獣「なんだろう、この動きは」

野獣「一人でダンスの練習……か?」

野獣「足元に開いて置いてある本は…入門書のようだな、図書館からでも借りて来たか」

野獣「……」

野獣「何年か後に役立つだろう」

野獣「彼女に本来そうするべき相手が現れた時に」

商人の家、末妹の部屋。

末妹「……思っていた以上に、一人じゃ練習にならないなあ」フゥ

末妹「次姉おねえさんが『読まなくなった本あげるわ』って、私にくれた中にダンスの入門書があったから」

末妹「思い付きでちょっとやってみようと思ったけど、先は長そうね……」本パタン

末妹「……」

末妹「知識のない私でも、野獣様のダンスがお上手だったのはわかるわ」

(野獣「最後に踊ったのは、とんでもない昔だから、古い時代のステップしか知らないし」)

末妹「つまり、誰かと踊ったことがあるんだ……」

末妹「……当たり前よね、私よりずっと長く生きていらっしゃるんだもの」

(執事「主人はあまり自身のことを語りません、わたくし達相手にも」)

(執事「特にこの屋敷に来る以前のことは、欠片ほども言葉にしたことはありません」)

末妹「……野獣様は、どんな人生(獣生?)を送って来られたのかな」

末妹「生まれた時からずっと一人ぼっちだったわけではないでしょう、きっと」

末妹「お屋敷で一人で暮らす前は、どんな方が野獣様のそばにいたんだろう……」

末妹「いつか、そのこともお話してくださるのかな」

末妹「私も、もっと野獣様に話をしたい、家族のこと、友達のこと、それから」

末妹「……私は14年しか生きていないし、この町以外で暮らしたことはないし、その中で出会った人しか知らないけれど」

末妹「それでも、優しい野獣様なら『つまらない話だ』なんて思わないで、聞いてくださるよね?」

末妹「……」

末妹「その前に、お父さん達とよく話し合わないと」

末妹「あと一週間で戻る魔法が使えると思ったら、気が急いちゃったみたい」

末妹「やっぱりまだまだ子供だわ、私……」


※今日はここまで。できれば明日も少し※

全体の半分以上は来ている筈ですが、気長に付き合っていただけましたらありがたいです


末妹ちゃんの気持ちも、少しずつ変わってきてるんだなー

翌日。

末妹「おはよう、お父さん。久しぶりにいいお天気よ」

商人「おはよう。そうだな、いい天気だ」

商人「朝食が済んだら、出掛けるよ。昨日言ったとおり、ご心配をかけた皆さんに顔見せをしなくちゃ」

長兄「俺も一緒に行くよ、父さん」

次兄「久しぶりの外出だからって、調子に乗って無理して体調でも崩されたら困るから、だよね」

長兄「俺は(さすがにそこまでハッキリとは)言っていない」

商人「……私も長兄が一緒なら心強いが、店はいいのか?」

次姉「私がいるから大丈夫」

末妹「じゃあ、私がお店を手伝う」

末妹「……お姉さんがよければ、だけど……」

次姉「何言ってるの、こっちから頼もうと思っていたくらいよ」

末妹「…!」

次姉「このお天気ならお客様も大勢押し掛けそうだけどね、あんたこそ大丈夫?」

末妹「うん、頑張る!」

次兄「ふむぅ、この二人がまともに姉妹しているのを初めて見たぞ」

長兄「馬車は、箱馬車まではいらないよね?」

次兄(荷物も積める、父さんが仕事で遠出したり、俺達が野獣様の家に行った時の馬車だな)

商人「ああ、小さいほうで充分だ」

次兄(二人掛けの座席に幌をかけただけの簡素な軽装馬車)

次兄「どっちも父さんが知り合いから捨てる筈の中古を引き取って修理したもの、父さん手先は器用だもんな」

次兄「人生は何かにつけ不器用だけど」

末妹「お兄ちゃん、独り言がまた大きい声になってる……」ツンツン

次兄「おっとっと」

次兄「いかんな、俺はこんなにも脳と声帯がゆるい男だったか」ジチョウジチョウ

次姉「……ほんと、次兄は無駄に口数が多くなって」

次姉「小さい頃……と言ってもそんなに昔でもないか」

次姉「確か12、3歳まで、不安になるくらい無口だったのが今では信じられないわ」

商人「性格明るくなったのは良いことだよ」

次姉「明るくなったと言うか……」

次姉「やめた。今度は言葉の暴力って言われそう」

次兄「聞かずともだいたい酷い言葉が出かかっていたのは理解できました」

長兄「……次姉も、末妹や次兄に(も一応)優しくなって来たな」

長兄「これで長姉が、せめて会話だけでもしてくれたら……」

商人「長姉……もうずっとまともに姿を見ていない」

商人「やはりここは、私が父親としてあの子に」

長兄「いや、直接のきっかけを作ったのは俺なんだ」

長兄「父さんは心配しないで」

長兄(……かと言って、打開策があるわけでもないが)

長兄(あの娘があんなに意地っ張りだったのはさすがに予想外だったなあ)

そのころ、長姉の部屋。

目覚まし時計:ジリンジリン

長姉「はうあ」パチ

長姉「……久しぶりに雨音の聞こえない朝ね、ふああ……」

長姉「カーテンの向こうはさしずめ陽光が降り注いで、ってところかしら」

長姉「……だからこそ、開けたくない……」モソモソゴロゴロ

長姉「朝ごはん食べ終わるまで、閉めたままにしておこう」ノソリノタリ

長姉「でも、何日かぶりに外で気晴らしが出来るなあ」

長姉「ありがたいことに、雨で暇な時に箪笥をくまなく漁ってみたら、銀貨が何枚か見つかったし」

長姉「ま、大事に使わないとね。まずはご飯ご飯……ドアの外に」ガチャ

朝食のプレート:テテーン

長姉「うん、家政婦さんは時間に正確ね♪」



長姉「こっそり洗面所も使った、着替えもした、小銭も持った、さて出掛けますか」

長姉「今日も窓からね」コソコソ

商人の声「じゃあ行ってくるよ」 末妹の声「行ってらっしゃい」

長姉「っと、お父さんお出掛け!?」ピタッ

軽装馬車:カラカラカラ……

長姉「……小さい馬車が出て行くわ、兄さんも一緒ね」

長姉「街なかで出会わなきゃいいけど……」

長姉「髪形変えて、あまり着たことない服を着て行くかな」

長姉「……おさげにして、スカーフ頭に被って、一番地味なブラウス着て……」

長姉「あーあ、せっかくいい気分だったのにケチがついた気分よ」

長姉「……どこ行こうかな、お父さん達に出会いそうにない場所……」


※短いけど今日はここまで※

ちょっと眠くて推敲が甘め(今に始まったことではゲフンゲフン)


乙 次兄がいいキャラしてるわ

そして、街のちょっとした広場。

長姉「多分お父さんはお得意さん達の家を挨拶回りだから、こんなところには来ないでしょ」

長姉「まだ午前中だから人影もまばらね」

長姉「小さな孫を遊ばせているお年寄り、犬を連れての散歩、ベンチで日向ぼっこする若い男性……」

長姉「日向ぼっこどころかグースカ眠ってるわ、だらしない格好……」

長姉「しかもよく見りゃ幼馴染男じゃない」

長姉「……殴った時の謝罪とか靴を届けてくれたお礼とか色々あるけど」

長姉「今日は関わらないでおこうっと」ススス

長姉「それにしれも、本当に昨日までの雨が嘘みたいな、さわやかな秋晴れ」

長姉「上手く行かないことも面白くないことも忘れて、こう両腕を広げて」

長姉「深呼吸なんかしてみたくなっちゃう♪」スウゥゥゥー……パシュン

長姉「……『ぱしゅん』?」

メロンのような何か×2:コンニチハ

長姉「……ボタン!? ブラウスのボタン! 胸のボタンが弾け飛んだ!? やだ、三つも取れてる!!!!」アセアセ

長姉「とりあえず、しゃがんで胸を隠そう……」

長姉「しゃがんだまま大きな木の陰に移動、っと」カサカサカサカサカサ

長姉「……下着はつけているとは言え、こんな所を人に見られたら」

長姉「学校に行ってた頃のブラウスだから、確かに今の私には胸がきつかったけど、糸も古くなっていたのね」

長姉「頭のスカーフを首に巻けば胸元が隠せるかしら?」

長姉「……いっそ胸丸出しで、誰かわからないように顔のほうを隠す?」

長姉「それはないわ、落ち着くのよ私」

長姉「もっと安心して体を隠せる物は……」キョロキョロ

長姉「あ、上半身カバーできそうな板切れを発見……壊れたベンチの残骸ね」

長姉「どう考えても広場の管理者がずさんだけど、今だけは感謝」ヒョイ

長姉「……」

長姉「この格好、他人から見たら、じゅうぶん変な女ね」ハァ

長姉「これで街を歩いて家まで帰れとか、どんな罰ゲームよ……」

若い男性「あ、あの……」肩トントン

長姉「!?」

長姉「いやあああああああああ!! 痴漢!! 変態いいいいいいいい!!!!」ブンッ!!

板:ズバキャッ

幼馴染男「」

長姉「板が割れちゃった!? って、幼馴染男!!??」

幼馴染男「……お、驚かせて悪かった、でも見ていない、見ていないから……」ユラァ

長姉「こっち向かないでええええええ!!!!」グキッ

幼馴染男「」

長姉「しまった、首、首が!?」アタフタ

幼馴染男「……だ、大丈夫、この程度じゃ死なない、たぶん……」クビダケアサッテノホウヲムイテイマス

幼馴染男「う、上着。上着を貸すよ、これ着て帰りな、長姉……」ヌギヌギ

男物のジャケット:バサァ

長姉「血がついてる」

幼馴染男「うん、板でぶん殴られた時に出た鼻血だね……」クビハソノママデス

長姉「……ごめんなさい」

長姉「着たわ。もうこっち向いていいわよ?」

幼馴染男「……わかった。でも首がなんだか動かせないから、体ごと方向転換しないと」ヨタヨタ

長姉(今度は首だけこっち向いて首から下は違う方を向いているわ……)

長姉「首は私にはどうしていいかわからないけど、鼻血だけでも拭いてあげる」フキフキ

幼馴染男「ありがとう……」

長姉「……ねえ、どうしてベンチで眠っていたの?」

幼馴染男「ああ、それは」

幼馴染男「昨夜、久しぶりに雨が上がったからね、先生と二人で久しぶりに星の観測をしたんだ」

幼馴染男「いつも以上に星がきれいに見えて捗った、その記録をまとめたりしているうちに徹夜してしまって」

幼馴染男「先生も今日は休養日にしてくれると言うので、朝の空気を吸いに散歩に出て」

幼馴染男「広場のベンチで一休みと思ったら、いつの間にか眠ってしまったんだ」

長姉「そう、とにかく、あなたがここにいたおかげで助かったわ…………ありがとう」

幼馴染男「うん、君の助けになれて、よかった……」

幼馴染男「……話しているうちに、首も少しずつ動かせるようになってきた。心配いらないよ」

長姉「本当にごめんなさい。あの……この間、ぶん殴っちゃったことも含めて。あと、靴を届けてくれて、ありがとう」

長姉(……言えた)

幼馴染男「……なんだか今日の君は、そのおさげの髪形のせいだけじゃないと思うけど」

幼馴染男「昔の君みたい、あ、殴るなよ??」

長姉「首の角度がまだ半分くらいしか戻っていない人なんか殴れないわよ」

幼馴染男「うん、君ともう少し話をしたいけど、俺はこんなんだし……」

幼馴染男「君も血飛沫のついた男物の服を着たままじゃ落ちつかないだろう」

長姉「そうね(どちらも私のせいだけどね……)」

幼馴染男「今日は帰るよ。君も家に帰って着替えるといい」

長姉「ええ、そうするわ」

幼馴染男「送って行きたいところだけど」

長姉「気にしないで、家までそう遠くもないから」

長姉「じゃあ、またね?」

幼馴染男「ああ、またね……」


※今回はここまで。次回更新は早くても5/6夜です。※

>>416 >>422 他、読者の皆さん? ありがとう
諸事情でちょっとペースは落ちる予定ですが、完結までよろしくお願いしますです

商人の店。

客「それじゃ、これ蝋燭の代金ね」

末妹「ありがとうございます」

客「あと、薪はまだないのかい?」

末妹「あ、すみません、薪は10月からなんですよ」

客「だろうね、いやいいんだ、気にしないで。もしかしたら…と聞いてみたが、来週また来るよ、じゃあね」

次姉「そっちの棚は並べ終わった? 次兄」

次兄「……なぜか俺も手伝わされる羽目に」ドウシテコウナッタ

次兄「しかし、薪なんてうちで扱っていたんだな」

末妹「季節商品ね、10月から3月までしか置いてないの」

末妹「町はずれにある…ほら、お父さんのお友達の材木屋さん、知っているでしょ?」

末妹「そこから切れ端とか枝とか、不要になった部分を買い取って、重さで揃えた束にしたものを…」

末妹「薪として、買い取り価格で売っているの」

次兄「…それなら儲けがないじゃん」

次姉「湿気らないように保管して束にする手間を考えたら、儲けがないどころか損だけどね」

末妹「でも、この町は近くに薪を拾えるような森や山がないから」

末妹「まとめ買いを切らした時の間に合わせに丁度いいって、喜ばれているのよ」

次姉「薪をメインで買いに来る人はうちに来ないから、おまけのような物よ、サービスの一環」

次姉「材木屋さんも自分の所で薪として売るより手間は省けるし、入ってくるお金は同じだし、で助かるもんね」

次姉「しかし今から期待しているお客様がいるなら、少し店頭に置いてみようかしら? 今週中に10月になるのだし」

次姉「……というわけで倉庫から運ぶわよ、次兄、手伝いなさい」

次兄「うええええ!?」

次姉「……」ギロリ

次兄「手伝います手伝います、お姉さまあ……」トホホ

次姉「末妹、戻るまでこっち頼むわね」

末妹「はい」



末妹「おつりです、お確かめください」

女性客「末妹ちゃん、少し見ない間になんだか大人っぽくなったわねえ」

末妹「そ、そうでしょうか?」



末妹「遅いな……お兄ちゃんが慣れない力仕事で怪我していないといいけど」

呼び鈴:チリンチリン……

末妹「いらっしゃいま……」

親戚2「おや、末妹じゃないか。お前一人かい?」

親戚3「商人さんはいるかな?」

末妹「…!」

親戚2「5年ぶりだ。覚えているか?」

末妹「……親戚2さんと、親戚3さんですね。お久しぶりです」

末妹「父は兄…長兄と出掛けています」

親戚2「それでお前ひとりで店番か。不用心だな」

末妹「次姉と次兄も一緒です、今は物を取りに倉庫へ」

親戚2「おお、次姉がいるなら安心だ。ま、弟妹を子守しながらでは大変だがな」

親戚3「姉さんに迷惑をかけるんじゃないぞ?」

末妹「はい」

親戚3「……店番ならもっと愛想よくしなさい、そんな硬い表情では客が逃げるぞ」

親戚2「全く、甘やかされた末っ子はこれだから……」ブツブツ

末妹「……」

親戚2「ところで、末妹、お前はいくつになったっけ?」

末妹「今月、14になりました」

親戚2「相変わらずとてもそうは見えんが、言われてみればあれから14年か、もうすぐ命日だな、親戚3」

親戚3「ああ、彼女が出産で亡くなってからな」

末妹(……お母様)ギュッ

親戚2「……」

親戚2「下唇を噛んで眉間に皺を寄せて、人前でそんな可愛げのない表情をするのは感心しないね」

親戚2「ましてや客商売、お前の父さんはそんなことも教えてくれないのか?」

親戚3「全くだ。お前の母親も姉達も、もっと幼い頃から厳しい寄宿学校で勉強も礼儀も教え込まれていたのだぞ」

親戚2「商人さんは礼儀正しい商売人と評判らしいが、手元に置いた子供の躾は行き届かなかったようだ」

親戚3「……それでも顔立ちはますます母親似になって来た、余計面白くない」ボソ

親戚2「ここに来る前、カフェで町の噂を聞いてな」

親戚2「なんでも末妹がどこかへ嫁に出されてまたすぐ戻って来た、とか」

親戚3「何かの間違いだと言う人も多かったが、噂が出るくらいだ、何事もない筈ないだろう?」

末妹「……(だめ、話せない)」

末妹「か、勝手に、父に勝手にその話をしては駄目だと、言われています……」

親戚3「ふん、『赤の他人』には駄目だろうな、だが我々は親戚だ、お前の母親の従兄だよ」

親戚2「それに……知っているとは思うが、商人さんが困っていた時に助けてあげた事もある。いわば恩人だ」

末妹「ごめんなさい、それでも……お話できません」

親戚3「つまり、とても人に話せない真相ってわけか」

親戚2「その歳で、そんな幼いなりをして、知らない所では何をやっているやら……」フフン

末妹「……」

親戚3「……泣きもしないか。5年前と同じだな」

末妹「!」

親戚2「我々だって、9つにもなろうという子供が、本当に『あの話』を少しも理解できないとは思わないさ」

親戚3「あの場で泣き出せば、少しはご機嫌でも取ってやろうと思っていたのに、本当に可愛げのない」

末妹「……」グッ

(野獣「『仕方ない』などと自分を納得させる理由はどこにもないのだぞ」)

末妹(……野獣様、私はこの人達の前では泣きません、頑張ります……)

親戚3「強情だな、はっきり言ってやろうか、お前は」

次姉「待たせたわね末妹! 次兄が手間取っちゃって!」ザッ

次兄(姉さん俺には口を出すなって)ヌッ

親戚2&3「「おお、次姉」」ニパー

次兄(予想に違わず俺のことはガン無視です)

次姉「あらまあ、親戚2と親戚3のおじさま達じゃありませんか、ご無沙汰しておりますわ」ニッコリ

親戚3「すっかり美しくなって、それに声が従妹ちゃん(=商人の妻)そっくりじゃないか」ホクホク

次兄(この声は姉さんの営業用ボイスだが、それはさて置き『従妹ちゃん』呼びですと?)

次姉「お二人には私がお相手を努めさせていただきますわ、次兄、末妹を連れて奥へ」

次姉(早くしなさい)ギラリ

次兄(は、はいっ)コクコク

次兄「行こう、末妹。あとは姉さんに任せて」

次兄「……遅くなってごめん」ボソ

末妹「お兄ちゃ……」ジワ

次兄「もう少し我慢」

末妹「う、うん」ササッ

次姉「……さて、こちら(店舗)からおいでになったと言う事は、何か品物を買っていただけるのでしょうか?」

親戚3「え? あ、なんだ、お小遣いか?? それなら最初から渡すつもりだったよ、いくら欲しいの?」

次姉「あら、買ってくださらないのですか? 置いてある品物はお気に召しませんこと?」

親戚2「いやそうじゃなくてね、店の客として来たんじゃない、商人さんの具合が悪いとかで、お見舞いにね」

親戚3「しかしもう元気になられたようだな、忙しくてなかなか日程が取れなかったんだよ、悪かったねえ」

次姉「……三番街のカフェに入られた時、その少し前に父と兄が立ち寄った、つまり外出中だと知ったそうですね」

親戚3「え?」

次姉「そこでこの5年間で、末妹がうちの看板娘としてちょっと名が知れたことも」

次姉「突然姿が見えなくなったと思ったら一週間前に戻ってきたこと、一部では嫁いだとの噂もあること」

次姉(出どころは私と姉さんで店番をした時の世間話だろうけど)

次姉「それから、寄宿学校から帰ってきた私と姉がここ3、4年ほど遊び歩いていた話と」

次姉「末妹がいなくなった時から、少しはまじめにやっているようだ、って話も」

次姉「お聞きになったそうですね、あのカフェはひときわ常連で賑わうから、この町の噂話が絶えないのですよ」

親戚2「……親戚1に会ったのか」

…………

少し前、住居側の玄関先。

親戚1「……では、親戚2と親戚3はまだ来ていないのですね」

家政婦「ええ、お見えになっておりません」

親戚1「おかしいなあ、先に行っているから後は商人さんの家で、と話していたのに……」

次姉「あら、どなたかと思ったら親戚1のおじさま」庭ヲヨコギリ中

次兄「あ、見覚えあるな。お母さんの従兄さん3人組で、いちばん影の薄い人だ」

次姉「声、声、音量!」ガスッ

次兄「薪の束で豪快にツッコミ入れないで……」イテエヨ

親戚1「次姉と……まさか、次兄なのか?」

次兄「はい、他ならぬ次兄ですけど」

親戚1「(体型は相変わらずだが)ずいぶん顔色もよくなって、見違えるほど健康そうだなあ」

親戚1「我々が来る時は、いつも寝込んでいたのにな」

親戚1「ところで、親戚2と親戚3を近くで見かけなかったかい?」

次兄(なんとなく感じ悪いほうの二人か)

次姉「いいえ、お見かけしておりませんわ、ご一緒でしたの?」

親戚1「うん、商人さんが病気だと聞いたのが何日か前でね」

親戚1「日程の調整がうまく行かず、ようやく今日、3人揃ってこの町に来れたのだが」

親戚1「ここへ来る前に立ち寄った三番街のカフェで色々と…この家の最近の様子を…聞いてね」

次姉「……この家の様子?」

親戚1「カフェを出るなり私一人が手土産の買い物を任されてね、あとの二人は先に行っているから、と」

次姉「カフェで何がありましたの? どんな話を聞きましたの? 手短に説明お願いしますわ、おじさま」ズンズンズンズン

親戚1「……ちょ、わかった、話すよ」タジタジ

…………

次姉「……5年前あなた方がこの家…この町に来た頃は」

次姉「末妹はただの普通の小さな子供、私と長姉はこの町ではちょっと評判の『名門』女学校での優等生」

次姉「それがあなた方の知らない5年の間に評価は一変」

次姉「町の人には、派手に着飾って遊び歩く私や長姉より、真面目で勤勉な末妹のほうがずっと評判がいい」

次姉「あなた達には面白くないでしょうね、兄や姉、私を、ことさら可愛がってくださいましたもの」

親戚3「次姉は噂を否定しないのかい、お前達がここ何年も、店も手伝わず遊び歩いていたなんて」

次姉「……ろくに花嫁修業もしないくせに、名門女学校とやらの卒業生、店の名前と父の経済力、これだけを武器に」

次姉「財産持ちで家柄のよい結婚相手を求めて、あらゆるパーティーに出ていたのは事実ですもの」

次姉「ま、相手が見つからなかったから、今もこうして家にいるのですけど……」

親戚2「け、結婚相手なら私達が探してあげよう。資産家の知人ならたくさんいるんだ、なあ?」

親戚3「あ、ああ、王都にいる貴族の子息達と知り合うチャンスも作ってあげるよ?」

次姉「せっかくのお申し出ですけど」

次姉「姉はどうかわかりませんが、私は今のところ商売の仕事が楽しくてたまりませんから」

次姉「……ところで、当初の目的は果たせませんでしたが」

次姉「上流階級の方々とわずかばかりの繋がりが出来たおかげで」

次姉「色々と余計な話も耳に入って来ましたのよ、色々とね」

親戚3「余計な話……?」

次姉「母が生まれ育った、つまりあなた方が今も住んでおられる西端都市では」

次姉「母は若い頃、才色兼備と呼ばれ、同年代の殿方の人気者だったそうで」

次姉「年頃になればあちこちの……上流階級の複数の男性からも求婚されたと聞きます」

次姉「しかし母には幼い頃から兄妹のように育った従兄達がいて、彼等のガードはたいそう堅く」

次姉「しかもそのうち二人は兄や従兄としてどころか、異性として一方的に彼女に熱を上げていたとかなんとか」

親戚2&3「「そ、そ、それは」」アワワ

次姉「それ自体は一向に構いませんわ、従兄妹婚だって法的に問題ありませんし、青春の思い出は恥じることでもありません」

次姉「ですが、あなた方の従妹…私達の母は19になって間もなく」

次姉「南の港町では老舗と呼ばれる雑貨店の、跡取り息子の元へ嫁いでしまった」

次姉「ひょんなことで知り合って半年後、確かに短い期間かもしれませんが、地道に交際を続けていた二人」

次姉「とは言えあなた方にしてみれば寝耳に水、どこぞの馬の骨に掻っ攫われた想いでしょう」

次姉「そう思うのも人間の感情です、それが悪いとは誰も言いません」

次姉「……問題は、そのあと」

親戚3「な、なんだね?」

次姉「ここから先は、私達の父から聞いた話です」

次姉「父は祖父母が年老いてからの子、結婚して数年間で祖父母は相次いで亡くなり、店を継ぐことに」

次姉「地方都市ながら、貿易で栄える町でそれなりの歴史を持つ店」

次姉「当時二人はまだ二十代、乳飲み子含む幼い3人の子を抱え、苦労はあって当然でしょう」

次姉「そんな矢先」

次姉「何代も良い関係を保ってきたはずの西端都市の仕入れ先が、先代が亡くなると同時に一斉に手を引いてしまった」

次姉「勿論、全てではなかったとは言え、南の港町ではうちの店でしか手に入らない品物が店頭から消えて」

次姉「おまけに、それに纏わるそれこそ根も葉もない噂まで飛び交い、日ごとに経営は悪化」

次姉「母とばあやも、子供達の世話に追われながらも内職で家計を支え」

次姉「それでも僅かに残ったお得意さんのため、父は何とか自力で店を立て直そうとするも、過労で体を壊し」

次姉「……そこへ噂を聞いて駆け付けたのがあなた達二人と親戚1さん」

次姉「各自の経済力に応じ、具体的にはあなた達が四割ずつ、親戚1さんは二割」

次姉「無担保無期限で、当面の生活費には充分な金額を貸してくださいました」

次姉「その上、件の仕入れ先と親交のあったあなた方は彼らを説得して回り、その甲斐あって取引も元通り復活」

次姉「あなた方三人には、感謝してもし切れない……と、ここまでが父の話」

親戚2「そ、そうだよ。商人さんは借金をすぐに返してくれたし、こちらには最初から恩に着せるつもりもなかったが……」

親戚3「大事な従妹の子供である、可愛いお前達を見捨てておけなかったんだよ」

次姉「で、ここからは、私が某公爵夫人主催のパーティーで聞いた話」

親戚3「」

次姉「父が店を継いだ途端、取引を切った業者で一番影響力のあった経営者は、あなた方と旧知の仲」

次姉「百年以上の関係をひっくり返したと思えば、あなた方の説得であっさりと元鞘」

次姉「誰かさんの台本通りに事が運んだ……そう考える人がいたっておかしくないでしょう?」

親戚2「ちょっ、台本だなんて」

次姉「先代は高齢とは言え突然亡くなったのです、ろくに引き継ぐための整理もできていないまま」

次姉「ですから、もともと店の経営が危うくなる要素はありました」

次姉「『誰かさん』が具体的にどのような手を使ったかは推測の域を出ませんし」

次姉「何よりパーティーの席での噂話です、どこまで根拠があるかは確かめようもありません」

次姉「おじさま達がどのような感想を持つかもおじさま達の自由です」

親戚3「なんだ、そんないいかげんな話か……」ホッ

親戚2「やはり次姉は賢い、噂話を頭から信じ込むような愚かな娘である筈がない」ウムウム

次姉「そして最後に、ここからは、先程そこのドアの背後で私が耳にした話」

親戚2&3「「」」

次姉「今度は説明するまでもありませんね」

次姉「パーティーで聞いた噂の数々より、正直、今日のこちらの方が私には衝撃でしたわ」

次姉「とりあえず我が家の名誉のために……末妹が嫁に行った云々の真相ですが」

次姉「こちらにも色々と事情があるのです、家庭の事情というものが」

次姉「あの子の言うとおり、家長である父の許可も得ずに詳細をお話しするわけにはいきません」

次姉「ただひとつ確かなことは」

次姉「おじさま達が期待するような下品で下種で下劣で下卑た裏事情は全くございません、残念ながら」

次姉「そんな噂を立てさせてしまったのは、あくまでも保護者である私達の過ち、お恥ずかしい限りです」

次姉「……で、あの子に『5年前』と仰いましたね、一体なんの話ですの?」

親戚3「さ、さあ、な、な、何の話かな、お前の聞き間違いじゃないのかな……」ハハハ

次姉「……」

次姉「この薪、うちの売り物ですけど」ドン

親戚2「は?」

次姉「見てくださいな。薪と呼ぶには太過ぎませんこと?」

親戚3「??」

次姉「一般家庭のかまどには、ちょっと入りにくいでしょう」

次姉「買ってくださったお客様に手間をかけさせては申し訳ありませんから……」スッ……

親戚2「な、何を」

次姉の右拳:ズダーン!!

親戚2&3「「」」

薪:パカーン

次姉「……まあ、きれいに四つに割れましたわ。この調子で、太い薪を全て割ってしまいましょう♪」ゴクジョウノエガオ

親戚3「わ」

親戚3「わかった、わかったから! 全て話す! 白状する! 懺悔する! そして……」

親戚2「謝るから、我々が悪かった、許してくれ!!!!」

次姉(うまく行った。この薪だけ、あらかじめ細工をしておいたのよね)

親戚3「……子供の頃から仲の良かった従妹が、お前達の父親と結婚したのは、確かに面白くはなかった」

親戚2「親戚1だけは、彼女が選んだ人ならばと祝福していたが」

親戚2「我々二人は子供じみた嫉妬を捨てられず……」

親戚3「しかしやがてお前達という子も生まれ、我々もそれぞれ結婚して家庭を持った」

親戚3「こちらも大人になって普通の親戚付き合いをしていこうと決心した頃だ、商人さんの父上…先代さんが亡くなった」

親戚3「西端都市の商売人の間でも、先代さんの急逝は話題になってな」

親戚2「この店と取引のある我々の知り合い…学生時代の友人だが、酒の席で漏らした」

親戚2「『南の港町の老舗雑貨屋、跡継ぎは少しばかり小心者の坊ちゃん気質と聞くが』」

親戚2「『今後もあの店と取引を続けて大丈夫だろうか、跡継ぎと親戚関係になった君達に相談したい』と」

親戚3「我々は酒に酔って悪乗りを……いや、酒のせいにしては駄目だな、とにかく彼にこう言った」

親戚3「『商人さんはああ見えて女好き、浮気をしては従妹を泣かせていると聞く』」

親戚2「『もちろん従妹はそんなことをおくびにも出さないし、あくまで人伝の噂だ、しかし』」

親戚2「『しかし確かに彼女は結婚してから少しばかり痩せてしまった、これは間違いなく事実だ』…と」

次姉「……」

親戚2「……幼い年子3人抱えている母親は痩せても不思議じゃないのにな」

親戚3「抑え込んだはずの嫉妬が根底にあったのは確かだけど」

親戚3「冗談のつもりだった、酒の席での悪ふざけ、軽い気持ちだった、なのに……」

親戚2「気がつけば本当に知人はこの店、商人さんとの取引をやめてしまっていた、他の仲の良い経営者数名と共に」

親戚2「商人さん一家は困るだろう、が、真っ先に我々に助けを求めてくるだろう、そう思っていた」

親戚3「しかし商人さんは誰も頼らず一人で頑張った挙句、とうとう倒れてしまい」

親戚2「このままでは従妹も子供達もどうなるかわからない、ようやく私達は援助を申し出た」

親戚3「親戚1は真相を知らないまま、援助に賛同してくれただけだ」

親戚3「知り合い達の説得には確かに時間も労力もかかったが」

親戚3「結局のところは、商人さんの地道な努力と実直な人柄が関係を回復させたのだ」

親戚2「最終的には、噂に流された自分達が悪かったと、彼等から商人さんのため謝罪の席を設けたくらいだ」

次姉「……それは初めて知りましたわ。父は、全てはあなた方のおかげとしか」

親戚3「そういう人なんだ、わかっている、我々が……敵うわけがない」

次姉「では次に、末妹とあなた方の間に何があったかと言う話……」

次姉「実は、5年前のことは親戚1さんから聞きました、時間がなかったので要点だけですが」

次姉「ご自分の口から出た言葉、5年前とは言え、覚えていらっしゃいますよね?」

親戚2&3「「う」」

次姉「私の口からはとても出せない酷い言葉ですから、ここでは繰り返しません」

親戚2&3「「……」」

親戚2「わ、我々にとって、長兄と長姉とお前は、従妹…お前達母親の思い出を共有できる血の繋がった存在だ」

親戚2「だから正直、下の二人よりずっと可愛かった、しかも幼くして親元を離れて、余計に目をかけてやりたかった」

親戚3「そして母親の記憶が強く残っている、それ故に悲しみが深いお前達が、あまりにも可哀想で」

親戚3「間違っていたかも、いや明らかに間違っていたが、お前達可愛さで出た言葉なんだよ、それは本当だ」

次姉「……人は間違いを犯します」

次姉「私もかつては父の愛情を独占されたという思い込みから、末妹に嫌味な態度を取っていました」

次姉「おじさま達の心の内を責める資格は私にはありません、実際に可愛がってくださった恩もあります」

次姉「が」

親戚2&3「「」」

次姉「心の内に留まらず、態度や言葉で表したのなら、別です」

次姉「人間として情けないとは思わないのですか、大の大人が親子ほど年の離れた、あんな子供に」

親戚3「……と、ところで次姉、声がさっきまでと違うのだが?」

次姉「こちらが私の地声ですのよ」

次姉「……あんな子供が、何年間誰にも、仲の良い次兄にも言わず」

次姉「末妹は私よりもずっと、家族から、周囲の人から愛され、だからもっと堂々としていればいいものを」

次姉「明るく振舞っていてもどことなく自分に自信なさげ、それが余計にイライラさせたけど、やっとわかった」

次姉「あの子はお母様の事で、ずっと『負い目』を感じていたのね」

親戚2&3「「……」」

次姉「私は、寄宿学校で辛いことがあっても常に姉が一緒」

次姉「お互い慰め合い時には八つ当たりし合い、そんな相手がいた」

次姉「あの子は一人で我慢し続けて、なのに家族の誰もそれに気付いてあげられず……」

次姉「そればかりか、私はあの子がいなければいいとさえ思っていたなんて……」

次姉「情けないったらありゃしない!!!!」ズドドドドドドドドド

細工していない薪:パカーンパカーンパカーンパカーン

親戚2&3「「 」」シロメ

次姉「……」ハァハァ……

次姉「……そう、人間ですから、あなた達が末妹を気に入らなくとも、愛せなくとも、それは仕方がないことです」

次姉「たとえ客観的には理不尽極まりない理由であっても」

次姉「ただあの子の、いえ、私達家族のいる場ではそれを表に出さないで欲しいのです」

次姉「一時的に取り繕えばいいだけ、おじさま達はいい大人なのです、それくらいできるでしょう?」

次姉「それともできないほどの愚か者なのですか、お母様の従兄のあなた方は!?」

親戚3「……本当に、本当に、すまなかった。人として最低だった」

親戚2「彼女がいなくなった悲しみ、商人さんへの嫉妬、お前達への同情、全てがごちゃ混ぜの」

親戚2「やり場のない気持ちの矛先を、何の落ち度もない……」

親戚2「わかってはいるんだ、何の落ち度もない末妹へ、ぶつけてしまった」

親戚3「謝って済むことではないが、私達は従妹にも顔向けできない事をしてしまった、恥ずかしい……」

親戚1「……次姉、私からも謝るよ」

次姉「親戚1おじさま」

親戚1「3人の中では私が一番年長、本来なら諌める役でなければならないし、子供の頃はそうしていたが」

親戚1「いつの間にか、若くして財産を持った彼等と力関係が逆転していた」

親戚1「5年前だって……私はもっと真剣に止めるべきだった、そうすれば末妹に残酷な言葉を聞かせずに済んだのに」

次姉「……」

親戚1「親戚2、親戚3。もう帰ろう」

親戚1「次姉。商人さんへの謝罪の場は、日と場所を改めて、必ず持つよ」

次姉「おじさま……」

親戚1「お前達」

親戚2&3「「は、はい」」

親戚1「今、我々三人にできることはひとつしかない」

親戚1「この子達の心にこれ以上さざ波を立てないよう、一刻も早くこの家を立ち去るだけだ」

親戚1「本来なら三人とも、この子達から『顔も見たくない』と罵られて然るべき存在なんだぞ?」

親戚2&3「「……」」

親戚1「まだ言い足りない事があるなら、見当違いの相手にぶつける前に、私に打ち明けてくれ」

親戚1「子供の時と同じようにじっくりと聞いてやる、兄貴分としてな」

…………

その日の夕方。

商人「……私の留守中にそんなことがあったのか」

商人「本当に自分が情けない、5年前のことも……なぜそばにいて気付いてやれなかった、駄目な父親だ……」

長兄「俺も同じだ、あの子がそんなに辛い思いをしていたなんて」

次姉「済んだことはどうにもしようがないわ、それよりこれからの話でしょ」

商人「……末妹への仕打ちは許せないが、本来ならあの二人は私を責めたかったのだろう」

商人「親戚1さんは謝罪の場を持つと言ってくれたそうだが、私もなるべく冷静になって、彼等とよく話し合おうと思う」

商人「もちろん大人同士の問題だ」

商人「お前達は、頼りないとは思うだろうが、ここは父さんを信じて任せておくれ」

次姉「おじさま達に…あの二人にもうへりくだる必要はないわ、百歩譲っても対等の立場なのよお父さんは」

次兄「そうそう。反省の言葉に偽りがないとして、今後はおとなしいだろうけどさ、とにかく父さんは堂々としていなよ」

長兄「で、末妹は大丈夫か? あの子が熱を出すなんて滅多になかったが」

次姉「医者(せんせい)の話では、神経的な疲労が一気に出たのだろうって」

次姉「でも、明日にでも下がる熱だから心配はいらないと」

商人「可哀想に、私のことも含めて、以前から気疲れが溜まっていたのだろう……」

次姉「ちょっと様子を見てくるわ。汗をかいてたら着替えが必要だし」ガタ

末妹の部屋。

次姉「末妹?」ガチャ

末妹「……お姉さん」ヨイショ

次姉「ああ、起き上がっちゃ駄目、ほら、ちゃんと毛布かけて」バフ

次姉「昼間よりは少し良くなってきたかしら、でもゆっくり休むのよ?」

末妹「ごめんなさい……」

次姉「嫌ね、どうして謝るの?」クス

末妹「お兄ちゃんから、何があったか聞いたわ。かいつまんで、だけど」

次姉「……あいつめ。ま、でも、あの子ならあんたが余分に気を遣うような話し方はしないでしょう」

末妹「あのね、話してくれた最後に」

末妹「『悪いオジサン達は姉さんが成敗したからおとなしくなるでしょう、だから何も心配するなよ』って」

末妹「で、今のお姉さん、右手に湿布している……」ユビサシ

次姉「……成敗……」

次姉「ち、違うの、暴力はふるっていないから! た、薪を割っただけだから!!」

次姉「次兄ったらどこをどうかいつまんだのよ……」

末妹「でも、私のために怒ってくれたのは違わないでしょ?」

次姉「うーん、あんたのためでもあるけど、私のためでもあるからね」

末妹「お姉さんのため……?」

次姉(一緒に過去の悪い私も『成敗』できたからね、これからは本当に前を向けるわ)

次姉「今のは独り言だから聞き流して。それよりも、ね」

末妹「?」

次姉「前から思っていたのだけど、あなた次兄だけは『お兄ちゃん』呼ばわりで」

次姉「兄さんや姉さん、私にはちょっとだけ、他人行儀なのよね?」

次姉「そりゃ私達3人とは、離れて暮らした時間が長かったけど……」

末妹「ご、ごめんなさい」

次姉「だからね、謝ってほしいんじゃなくて、その……」

次姉「そろそろ、呼び方を変えても、ってそう思っただけ」

次姉「順序として次兄の次に年の近い私から、くだけた感じで……どうかしら?」

末妹「くだけた感じ」

末妹「『お姉ちゃん』……とか?」

次姉「」ピクッ

末妹「や、やっぱり駄目だった?」ハラハラ

次姉「……うひ、うひ、うひひひひひひ……」

末妹「お姉さ」

次姉「うひひ、うはは、『お姉ちゃん』、くすぐったい、くすぐったいわ、なんなのこれ」ドコドコドコドコドコドコ

末妹「ひ、左手も痛めちゃうわ!?」

次姉「手加減してる、手加減してるから、私の手もあんたの箪笥も壊れやしないわ、うはははは」ドコドコドドドドドドドドドド

末妹(なぜこんなに高速で連打できるのかしら)

次姉「……うん、いきなりはちょっと無理があるわね、私の精神的な問題で」

次姉「思った以上にハードルが高かった」

次姉「当面は二人きりの時だけで、少しずつ慣らして行きましょうか、うん、そうしましょう」ウンウン

末妹「お姉…さんが、それで良ければ」

次姉「だから、私の許可が出ないうちに人前で『お姉ちゃん』と呼んだら……」

末妹「は、はい」ゴクリ

次姉「私、顔から火を噴いて周囲を焼き尽くすからね?」

末妹「…それは困るから気を付けます」シンミョー

末妹「……」

末妹(お話ししたいことが増えました、野獣様……)


※今回はここまで。次姉主役回でした※

しばらく予告はできません、当面不定期になりそうです……

乙 次姉可愛すぎる

野獣の屋敷……

鏡「……トイウワケデシタ」

メイド「ご主人様、よかったですね! わるもの達は末妹様の姉上様がやっつけてくれましたよ!」ピョンピョン

メイド「あいつら、すっごく嫌あぁな感じで現れたのに、最後はシュンとしちゃって」ビョンビョン

メイド「こういうのが『ざまあ見やがれ』ですよね!?」バッタンバッタン!

庭師「メイドちゃん、テンション高過ぎ……と言うか、跳ね過ぎ」

メイド「庭師君だって、後半はあの二人…ゲスオヤジーズが鏡に映ったら毛を逆立てて威嚇してたくせに」

庭師「勝手にコンビ名つけてるし」

料理長「しかし、末妹様がお部屋でグッタリされているのを見た時はわしも血の気が引いたが……」

料理長「どうにか落ち着かれたようで安心したよ、すぐ元気になるといいな」

執事「あれほどの目に遭えば具合が悪くもなるさ、まったく、あんな優しくて可愛らしいお方を……」

執事「……」チラ

野獣「……」

執事(ご主人様、向こうの家のあらゆる鏡やガラスや金属反射を使って、最後まで様子を見守って)

執事(メイド達と同じように一喜一憂されていたのに、事態が一段落して安心した途端に……)

メイド「ねえご主人様、もっと喜びましょうよ、鏡をご覧になっている間はあんなに興奮されていたのに」

野獣「……うん? ああ、私も喜んでいるぞ。鏡の向こうの出来事に、こちらは為す術なく歯痒かったが……」

野獣「あの姉があんなに頼もしいとは思わなかった、嬉しい驚きだよ」

メイド「嬉しいって言う割に、今はなんか冷静だしめっちゃ真顔だし……」ムー

執事「メイド、いい加減にしろ。失礼が過ぎるぞ、お調子者め」

メイド「はぁい、ごめんなさい」ショボン

執事(……メイドの言う通りではあるのだがな)

執事(ここ数日のご主人様は、どこかおかしいと言うか…今までとは何かが違う)

執事(鏡で末妹様の様子をご覧になりながら顔をほころばせたり心配したり、それはいいとして)

執事(突然、今のように無表情で心はここにあらず、という様子になられる事もしばしば)

執事(他には…末妹様の赤いドレスと、次兄様が描いてくれたご主人様の肖像画、同じく末妹様(?)の抽象画)

執事(お部屋の壁に並べて掛けたこれらを眺めながらボーッとされていたり、かと思えば)

執事(雨や風の日、真夜中に、黙って外の様子を見に行かれ、邸内に戻られた際に初めて我々も気付く始末)

執事(……単に寂しさだけが原因とは思えない)

執事(そもそも約束の『二週間後』が近付いているのに……)

執事(ご主人が何を考えておられても、言動にどのような意図があっても、わたくしは従うのみ、とは言え)

執事(何故だかはわからないが、何なのだろう、この気持ち、この感覚)

執事(これが人間の言う『胸騒ぎ』なる物かもしれない……)

翌朝、商人の家、末妹の部屋。

次兄「入るよ、末妹? おはよ。ついでに姉さんも」ニュイ

末妹「お兄ちゃん、おはよう」

次姉「おはよ……もー、お父さんと兄さんとあんたが取っ替え引っ替えで来るんだから、末妹も疲れちゃうわ」

次兄「昨日よりはずっと元気そうだけど、まだ熱あるの?」

末妹「だいぶ引いて微熱程度なの、昨夜は汗かいちゃったけど、そのおかげで」

次姉「そういうわけだから、取り敢えず出てってくれない?」

次姉「寝間着を替えに来たんだけど、さっきからお父さんも兄さんもあんたも、タイミング悪いったらありゃしない」

次兄「おぅふ」

次兄「それは大いにすまなかった、俺は慎み深い紳士なので即座に席を外しましょう」ソソクサ

次兄「末妹、また後で」

末妹「うん、ごめんねお兄ちゃん」

次姉「次兄が紳士ならこの世に変質者は存在しないわ」ボソ

ドア:バタン

末妹の声「自分でできるわ、お姉…さん」

次兄(『さん』の前の妙な間はなんだろう)

次姉の声「背中の汗を拭かないと、一人じゃ無理」

次兄(おっとこれでは立ち聞き、紳士失格だ、早く離れなくては)ソロリ

次姉の声「……あんたって、本っっっっ当に『ない』のねえ」シミジミ

末妹の声「…!? や、やだぁ!? 次姉お姉さんだって長姉お姉さんと一歳しか違わないのに」アワアワ

次姉の声「これだけあったら充分でしょ、むしろ私のほうが標準、あっちが規格外なの!」

次兄「こ」

次兄「これが世に聞く……女子同士の会話ってやつですかい?」

次兄「やばい俺の危険察知器官(どこにあるのかわからんけど)が警戒音を発している、マジで離れよう」ッピュー

次兄「……」

次兄「なんか昨日を機に距離が一気に縮まったなあ、あの二人」

次兄「あともうひとつわかったこと」

次兄「俺は人体を構成する部位には軒並み興味が希薄だからよくわからんが……」

次兄「……末妹も、一応『気にしていた』のか……な????」ジブンノムネポンポン

……

次姉「これでよし、と。少し眠りなさい、お昼近くにまた来るわ」

末妹「ありがと、あの……お姉ちy」

次姉「ストップ!! 部屋を立ち去る直前は禁止!!」

末妹「(ビクッ)は、はい」

次姉(廊下に出たら誰に顔見られるか、わかったもんじゃないからね)

次姉「……じゃ、また後で」

ドア:パタン

次姉「末妹の着替えた寝間着」テニモッテルヨ

次姉「今日は家政婦さんが午後から来る日だっけ、これくらい私が洗濯しちゃえ」

次姉「……洗濯なんて寄宿舎生活以来だから、うちではやった事ないけど……」

次姉「水と石鹸……とりあえずお風呂場、かしら?」

風呂場へ続くドア:ガチャ

??「ぎゃああああああああああ!!??」

次姉「ひゃあああ!?」

次姉「……ね」

次姉「姉さんじゃないの、朝からここで何やっているのよ」

長姉「あと、悲鳴を上げるのは服を脱いでからでも遅くないんじゃないの?」

長姉「じ、次姉……」ドキドキ

長姉(くっ、私とドアの間には次姉、背後はお風呂場で行き止まり……し、進退窮まったわ)

次姉「……そう言えば、家族の誰もお風呂場で姉さんとカチ合った事ないわね」

次姉「姉さんがこんなに何日もお風呂を我慢できそうにも思えないし、いつ入浴していたのかしら」

長姉「……」ムゴン

次姉「ま、家政婦さんでしょ? 家政婦さんがうまいことみんなの入浴時間を調整してくれて」

次姉「姉さんが部屋からお風呂場を往復する間も、誰とも会わないように気を配ってくれたのでしょうね」

長姉(……図星)

次姉「全くもう、みんなに迷惑掛けて、何やってんだか、この頑固者の姉は……」フゥ

長姉「……通して」

次姉「?」

長姉「そこ通して、ここから出たいの」

ミスった。>>459を以下と差し替え

次姉「……ね」

次姉「姉さんじゃないの、朝からここで何やっているのよ」

次姉「あと、悲鳴を上げるのは服を脱いでからでも遅くないんじゃないの?」

長姉「……次姉……」ドキドキ

長姉(くっ、私とドアの間には次姉、背後はお風呂場で行き止まり……し、進退窮まったわ)

次姉「……そう言えば、家族の誰もお風呂場で姉さんとカチ合った事ないわね」

次姉「姉さんがこんなに何日もお風呂を我慢できそうにも思えないし、いつ入浴していたのかしら」

長姉「……」ムゴン

次姉「ま、家政婦さんでしょ? 家政婦さんがうまいことみんなの入浴時間を調整してくれて」

次姉「姉さんが部屋からお風呂場を往復する間も、誰とも会わないように気を配ってくれたのでしょうね」

長姉(……図星)

次姉「全くもう、みんなに迷惑掛けて、何やってんだか、この頑固者の姉は……」フゥ

長姉「……通して」

次姉「?」

長姉「そこ通して、ここから出たいの」

次姉「まあまあ、ここで私と鉢合わせたのも何かの縁、久しぶりに少しだけ話さない?」

次姉「お父さんや兄さんには黙っておくから、二人とも今日はずっと店舗に出ているし」

長姉「……あんた風呂場に用があったんじゃないの」

次姉「これ洗濯したかっただけだから後でも大丈夫、姉さんこそ」

長姉「……私もこの服を洗いに来ただけよ」

次姉「男物のジャケットじゃない、誰の?」

長姉「誰のでもいいでしょ、あれこれ詮索したいなら何も話したくないわ」プン

次姉「はいはい、わかったわかった。とりあえず、私の部屋にいらっしゃいよ」

次姉「姉さんだって、今日は『聞きたいこと』があるんじゃないの?」

長姉「う」

長姉「……少し、だけよ? あと、話の流れによっては黙秘権を使うからね?」

次姉「はいはい」

……

次姉の部屋。

次姉「……姉さん知っているんでしょ、きのう西端都市からおじさま達が来ていたの」

長姉「……」

長姉「昨日は図書館に閉館時間までいたのよ、珍しくね」

長姉(幼馴染男は帰宅した方がいいと言ったけど、なんとなくすぐ戻るのは嫌で、図書館に行ったのよね)

長姉(血飛沫を見られないようジャケットは裏返して着たわ)

長姉(それはそれで人から見れば妙な格好だったでしょうね)

長姉「で、夕方に帰って来たら」

次姉「窓から帰って来たのね」

長姉「……なんとなく家の中の雰囲気が変で、家政婦さん捕まえて聞いたら、末妹が熱を出したって」

長姉「あの子は見た目より丈夫だから病気なんて珍しいとはいえ、そんな事だってあるでしょうに」

長姉「またお父さん達は大袈裟に心配するのかしらと思っていたら、家政婦さんが話を続けて」

長姉「おじさま達がいらしていたけど、もう帰られた、って……」

次姉「で、家政婦さんからはどこまで聞いているの?」

長姉「……5年ぶりに来たのに、すぐ帰られるなんて」

長姉「何があったのか家政婦さんに尋ねても」

長姉「『詳しいことは存じ上げません、ご家族の方にお聞きになられてはいかがでしょう』…の一点張り」

次姉「そうね、彼女ならそう言うでしょうね」

長姉「……」

次姉「聞きたい?」

長姉「……聞く代わりに、一緒に食事をしたり、兄さんたちと話をしろ、って交換条件なら聞きたくない」

次姉「あっはは、姉さん相手にそんな手段は無意味なことくらい知ってるわ」

次姉「無条件で話すし、姉さんが聞いた後に何をするかもしないかも、好きにしたらいいのよ」

長姉「……」

次姉「で、聞きたい?」

長姉「……聞きたい」ポツリ

…………

長姉「親戚2おじさまと親戚3おじさまが、お母様を好きだったとは……」

次姉「本人達も認めたも同然ね、あの態度は」

長姉「……お父さんを援助してくれた時も、裏にはそんなことがあったなんて」

長姉「しかもあんた、私達が出席したパーティで聞いたのね、なのに今まで知らなかった話だわ」

次姉「姉さんは会場に入ったらすぐ男の人達に取り囲まれて、そのまま踊りに行っちゃうでしょ」

次姉「私は最初に主催者の奥様や、その取り巻きのご婦人がたのグループに挨拶に行ってたの」

次姉「すべてを鵜呑みにする価値はなくても、選別すれば貴重な情報を収集できる機会だからね」

長姉「だけど、後から私にも教えてくれた話の中には覚えがないわ」

次姉「我が家に関係の深い、しかも良くないほうの話は、姉さんに聞かせたくなかったの」

次姉「鵜呑みにしちゃダメって前置きしても、姉さんの中でふるいに掛けたら、印象の強い部分しか残らないんだもの」

長姉「……」プー

次姉「……ごめん」

長姉「いいの、少なくともあんたよりはずっとバカなのは自覚しているもの」

長姉「しかも……末妹にあの二人が」

長姉「私達は家にいなかったけど、5年前に来た時も、8つか9つのあの子相手に……」

次姉「私達と兄さん、それと次兄と末妹、扱いに違いがあったのは姉さんも気付いていたでしょ?」

次姉「訪ねて来たのは5年ぶりでも、家に帰った私達には手紙をくれて、たまにこっそりお小遣いを忍ばせてある時も……」

長姉「うん、兄さんはお金だけ送り返したらしいけどね、五人に公平でなくちゃ受け取れないって」

長姉「それも私達三人が学校を優秀な成績で卒業した(私は実際はインチキだけど)ご褒美だと思っていたわ」

長姉「なんにせよ、『末妹憎し』だったなんて思いもよらなかったわよ」

長姉「だいたい5年前も昨日も、お父さんにバレることは考えていなかったのかしら?」

次姉「……私達が末妹に嫌味を言う時、お父さんに言いつけるかも、なんて考えた?」

長姉「……」

長姉「考えていたら最初から言わないし、あの子は言いつけたりするような性格じゃないし……」

次姉「あの二人もそう思ったのよ」

次姉「まあ言いつけたとて、お父さんの性格と立場なら『恩人』である自分達には強く出ないという自負もあっただろうし」

次姉「更に言うなら、借金を返し終わったお父さんと繋がりが切れたって、彼等にはなんの損もない」

次姉「兄さんと私達、ううん、最悪、私達二人だけでも味方につけていれば、それで構わなかったんでしょうよ」

長姉「……」

次姉「まだ聞きたいことある? なければ、この話はおしまい」

長姉「あんた、今日は」

次姉「?」

長姉「店を手伝うようになったからあんたは変わったけど、今日はひときわ、なんて言うのかな」

長姉「晴れ晴れとした、というか、身軽になった、って表情なのは、そのせいなの?」

長姉「おじさま達をえーと、ドーナツじゃない、ど…ど」

次姉「もしかして『恫喝』?」

長姉「そう、ドウカツした時に、あんたも色々な物が、吹っ切れちゃったの?」

長姉「不満も寂しさも悔しさも……」

次姉「……」

次姉「私は不満も寂しさも悔しさも、違う物に置き換えることができたわ」

次姉「結果的に、だけどね。気が付いたら、それらのあった場所に違う物が置いてあったの」

次姉「もちろん、小さな不満や寂しさや悔しさは、まだあるわ」

次姉「完全に消えはしない、でもそれは誰だって持っているの、兄さんも次兄も、末妹も、お父さんも」

次姉「それなら、誰でも持っているような物に振り回されて暮らすのは、なんだか……勿体なく思えて」

長姉「勿体ない……?」

次姉「ええ、時間も、私自身も」

長姉「……あんたはいいわよ。才能も生き甲斐もあるもの、それを見つけたんだもの」

長姉「私にはなんの取り柄もない、誰かに必要とされる価値もないもの」

(幼馴染男「君は……」)

(幼馴染男「…美しいことが大切な役目」)

長姉(って、なんで今こんなこと思い出すのよ!?)

次姉「……そうかしら」

次姉「私は姉さんがそばにいただけで、何度も救われたわ、今でも感謝しているのに」

長姉「」

長姉「かかか、感謝しているくらいならなんで……」

長姉「なんで、あんたは私を置き去りにするのよ……」ポロ

次姉「姉さん」

長姉「どうして、私を置いて、どんどん先に行っちゃったのよお……」ボロボロ

次姉「ちょ、泣かないでよ」アタフタ

長姉「寂しかった、寂しかったの、あんたが私のそばにいてくれない事が、何より寂しかったの……!」グシグシズビー!

次姉「ね、姉さん、ジャケットで鼻かまないの!?」

次姉「しかもさっき洗濯するとか言ってたジャケット……誰のなのよ本当に」

長姉「次姉のバカ、冷血女……嫌いよ、嫌い!」グスグス

次姉「嫌いとか言いながら、なに私にしがみついてんの」ヨシヨシ

長姉「うえっく……ぐす、ぐしゅ……」

次姉「……姉さん?」

次姉「……放ったらかしにして、ごめんね?」

…………

次姉「……落ち着いた?」

長姉「……うん」グスッ

次姉「焦らなくてもいいけど、姉さんがこれから何をしようと、私は味方。約束する」

次姉「あまりにも酷すぎる場合は除くけど、そうなっても私は愛を持って接するからね?」

長姉「……うん、ありがとう」

長姉「あのね、今は…もう少しだけこのまま見守っていて欲しいの」

次姉「ふんふん」

長姉「……私だって、次姉みたいに前を向きたいけど」

長姉「そのために必要な『何か』が、あんたとは違うと思うから」

長姉「だから、それを探すのを邪魔しないで、結論を急がせないで?」

次姉「わかった。もし私にできる事があれば協力するから」


※今回は、ここまで。※

>>451-453
ありがとう、励みになります。完結までガンバルヨ

その日の午後、商人の家の居間。

商人「……このお金は何だい、次姉?」

次姉「私と姉さんの二人だけが、親戚2おじさまと親戚3おじさまに貰ったお小遣い……と、同額のお金」

次姉「金額はそのつど日記に付けていたのを確認したから、間違いないわ」

長兄「長姉がよくこれだけの金額を出せたな」

次姉「姉さんの分は私が立て替えています」

次姉(姉さんは手持ちのアクセサリーでも売らない限り、現在ほぼ文無しだからね)

次姉「親戚1おじさまが設けてくださる席で、お父さんからお返しして欲しいの」

長兄「二人分ならけっこうな額だと思うが、まだそんなに持っていたのか」

次姉「結果として、私のヘソクリ残額は銀貨3枚になったわ」

商人「……」ウーム

次姉「お父さんの立場を少しでも弱くする要素は、可能な限り排除した方がいいと思うんだけど」

商人「お前達が彼等を信頼して、可愛がってもらったことは、恥じる事ではないと私は思うが……」

次姉「……」

次姉「私達可愛さで、と二人が言っていたのは嘘ではないと私も思うし」

次姉「手紙や、掛けてもらった優しい言葉まで、なかった事にするつもりはないわ」

商人「うむ、それでは、こうしよう」

商人「柔らかい物腰だろうと、その場で目に見える形で『突き返す』のは場の雰囲気を荒立てる」

商人「だから、私はお前達の意思だけを伝えようと思う、これだけはお返ししたいと言う、ね」

商人「お金の行き先は、全てを話し合った末に決まるだろう」

商人「彼等と話し合う場には持って行かないが、決まるまでこのまま父さんが預かろう」

次姉「……わかった。お父さんに任せます」

長兄「じゃあ、俺が金庫に入れて来るよ」

商人「ああ、では金庫の鍵を……」ゴソゴソ

長兄「俺も持っているよ、大丈夫」

商人「……私の鍵は、誰が持っていてくれているんだい?」

長兄「……えっ?」

次姉「?」

そのころ、末妹の部屋。

次兄「末妹、入っていい?」コンコン

末妹「うん、どうぞ、お兄ちゃん」

次兄「失礼します」シュルン

次兄(裏声)「さて、お加減いかがでしょうか、末妹様?」

末妹「……メイドちゃんの声真似じょうずね、驚いちゃった」

末妹「お昼過ぎからまた少し眠って、さっき目が覚めたんだけど、もうすっかり良くなったみたい」

末妹「自分ではもう起きてもいいと思うけど、次姉お姉さんもお父さんもまだ駄目だって……」

次兄「俺だって駄目だと言うよ?」

末妹「……そうよね」フゥ

次兄「とは言え回復具合を考えると、そろそろ退屈している頃と思われます」

次兄「少し話をしていい? 疲れない程度で引き揚げるけどね」

末妹「いいわ」コクリ

次兄「んじゃ、あまり時間をかけたくないので手っ取り早くね」

次兄「お前さ、また野獣様の屋敷に行くという意思はある?」

末妹「うん、帰りの魔法が使えるようになったら、すぐにでも!」

次兄(裏声)「即答ですのね」

末妹「だけど、お父さんにはまだ話をしていないの」

末妹「お父さんが元気になったと思ったら、私がこんななっちゃって」

次兄「……そうだな、今日や明日に切り出しても、許可を得られない可能性が高い」

次兄「しかし、ま、末妹の意思が確認できただけでも収穫があった」

次兄「お前が父さんに付き添ってた間はそんな話ができなかったからな……」

次兄「次にどうするかは明確になった、お前が全快したら二人で今後の事を相談しよう」

次兄「だから、明日の朝まで充分に静養して回復に努めるがよろし」

末妹「……やっぱりお兄ちゃんがいると心強いな」エヘヘ

次兄「……」

次兄「5年前の事、気付いてあげられなくて、ごめん?」

末妹「え……」

末妹「お兄ちゃんが謝るようなことじゃないわ」

末妹「……私、誰にも知られちゃいけないと思って、隠していたもの」

末妹「悲しかったのと同じくらい、自分が悪い事には違いないって思い込んでいたし……」

次兄「お前が悪いなんて、そんな」

末妹「でも、野獣様は、それは理不尽だって教えてくれたの」

次兄「……野獣様が?」

末妹「踊りながら、お話をした時よ」

次兄「あの舞踏会の夜か」

末妹「だから、昨日だって頑張れた」

末妹「お母様が守ってくれて、お兄ちゃんもお父さん達も私を理解してくれるって、信じる事ができた」

末妹「お姉さんが来てくれるまで、自分に負けないで頑張れた」

末妹「野獣様がその勇気をくれたの」

末妹「……情けない事に、体のほうが心より先に折れちゃったけどね」

次兄「……」

次兄「そっか」フヘヘヘヘ

次兄「偉いよ末妹、立派だよ。褒めてつかわす」ナデ

ナデナデナデナデナデナデナデナデナデナデナデナデナデナデナデナデナデナデナデナデナデナデナデ

末妹「ちょ、お兄ちゃん」

末妹「そんなに頭なでられたら、擦り減ってますます背が縮んじゃう……」

次兄「今のうちに一生分なでておきたいんだ、おとなしく従いなさい」ナデナデナデナデ

末妹「……変なお兄ちゃん」ナデラレナデラレ

次兄「変なのは今に始まった事でしょうか、いや、ない(自覚はあります)」ナデナデナデナデ

次兄(兄が知らない間に妹は大人になって行くんだなあ、嬉しいような寂しいような)ナデナデナデナデ


※ここまで※

良い家族

いっぽう、安宿の一室。

師匠「……鏡の魔法で、あいつの屋敷とこの町の雑貨屋を交互に覗いて来たが」

師匠「あいつ…『野獣』と名乗る『王子のなれの果て』と、図書館で会った少年とその妹に、面識があるのは間違いない」

師匠「肝心のあいつ自身が何を考えているかはいまいちわからんが」

師匠「ウサギのメイドはじめ、あいつに仕える動物達は兄妹との再会を心待ちにしているようだ」

師匠「そしてどうやら兄妹の方も、『野獣』達に再び会う事を望んでいる」

師匠「……言葉を話す『獣』達」

師匠「屋敷で共に暮らす4匹の獣達に使われた魔法」

師匠「呪文を組み合わせて使う方法はひとつではないが、いずれにしても」

師匠「例えば…此方にある物をあちらに移動させるような単純な効果とは、まるで訳が違う」

師匠「物の在りようを変えてしまうのだからからな」

師匠「しかし在りようを変えられた物は元の姿に戻ろうとする、その力は地味なれども強い」

師匠「仮に、意思のある生き物が変化した姿で在り続けることを望んでも、一切お構いなし」

師匠「従って(術者の生存中はともかく)、術者の死後まで効果を維持するには強大な魔力が必要になる」

師匠「我ら魔法ギルドの魔術師集団が、王子とバラと屋敷に掛けた魔法のように……」

師匠「問題は……あいつはそれをどこまで理解しているか、だ」

師匠「王子の能力が並外れているとは言え、そこまでの力は持ってはいない筈」

師匠「おそらく奴の命が尽きれば、人語を解し二本足で歩き、異種同士が仲良く助け合うあの獣達は」

師匠「魔法を掛けられていた間の事も忘れて、元に戻ってしまうだろう、単なる森の野生動物に」

師匠「……」

師匠「だがな、そうなったとて」

師匠「元々野生だった獣が、飼い主の管理下から再び森に放たれるだけ、それだけだ」

師匠「4匹とも今さら野生に帰って生き延びる事ができるとも思えんが、たかが獣ではないか」

師匠「儂の知った事では……」

師匠「………………」

師匠「……全く無責任な『主人』だな、どこまで情けないのだ我が元弟子は!?」

師匠「ペットであろうと召使であろうと、一旦引き受けたからには相手の一生に責任を持たんか!!」プンスカ

師匠「……」

師匠「この時代に目覚めるまでは想定もしていなかった」

師匠「…何より儂が30年も目覚める時を間違えてしまったのが一番でかいが……」

師匠「その30年間もの長い間、あいつがあの変化した姿で生き続けていたこと」

師匠「そして『あの姿』のあいつを慕う存在が現れたこと」

師匠「召使の動物達と、人間の子供達……雑貨屋の年端も行かぬ末娘と、すぐ上の兄」

師匠「鏡を通して様子を伺うだけではなかなか掴めないが」

師匠「……我々が昔かけた魔法に、なんらかの変化が起きている可能性もなきにしもあらず」

師匠「覗き込むだけではない、違う方法を使えば探りを入れる事もできるのだが」

師匠「あいつに儂の魔力を、儂の存在を覚られないようにするのは、ちょっと困難だろうな……」

師匠「だが、バラの呪縛の件に決着が付けば、儂もあいつにどう関わろうと自由だ」

師匠「獣達の処遇だけではない、今後のあらゆる事をもっと真剣に考えさせねばならん」

師匠「屋敷や森から外の世界へ行き来可能な身になったあいつに、この時代であちこちに迷惑を掛けられてもたまらんからな」

宿の鏡「……」シーン

師匠「……思った以上にもどかしいものよ」

師匠「ギルドの魔術師仲間と『王子には直接関わらない』という契約を交わし、覚悟の上でこの時代に来たとは言え」

師匠「決着が付くまで、見守る事しかできないとは……」

商人の家、居間。

長兄「……と、これが今の状況だ。で、末妹はどうだ?」

次兄「兄さんが見た時とあまり変わらないと思うよ、順調に回復している」

次兄「……それで、父さんがどよーんとしている理由は」

次兄「確認のため繰り返すけど、父さんと兄さんしか持っていない我が家で一番重要な金庫の鍵を紛失した、と」

次兄「肌身離さず持っていた鍵がないことに気付いたのは、ついさっきの話だが」

次兄「てっきり、自分が正気ではない間に、次兄か次姉が鍵を預かってくれていると思い込んでしまった、と」

次兄「で、紛失したことと、今の今までそれに気付かなかったことにショックを受けて」

次兄「更に、これからは家族のために以前以上にしっかりせねばと決意した反動もあって、余計落ち込んでいると」

次兄「……整理すると、こういうことだよね?」

商人「ああああああああああああああああああああああああああ」アタマカカエテミモダエ

次姉「傷口に塩と辛子と胡椒と酢を塗り込んでどうするのよ!?」ゲシッ!

長兄「……父さんが何だかスパイシーなマリネにでもされそうだな」

長兄「次兄はデリカシーに欠ける発言を慎むべきだが、事実は事実、認識した上で対策を講じないと」

長兄「合鍵を作るのは簡単だけど、念のため金庫の錠前ごと交換した方が安全だと思う」

商人「……私も賛成だよ……」フラァ

商人「肌身離さず持ち歩くため、靴の内側に専用のポケットを作った」

商人「自分の家以外で靴を脱ぐことはまずないし、逆立ちでもしなければ鍵は落ちない構造になっていて、安全だと思った」

商人「それを失ったということは、恐らく、いや、疑いようもなく、私は港で鍵を紛失したのだと思う」

商人「海に飛び込んだ時にね……」

長兄「……」

商人「そうなると、港の海底の泥に埋まっている可能性が最も高いが、もしも……」

商人「港で救助してくれた人達を疑いたくはないけれど、仮に彼等に悪意はないとしても」

商人「私の手元にない以上、悪意のある人間の手に渡っている可能性がないとも限らない」

商人「その人物がこの家の重要な鍵だと気付かないという保証もない」

商人「……少しでも危険性がある以上、錠前も鍵も取り換えるべきだ」

次姉「でも、うちの金庫の錠前はかなり特殊で複雑な作りをしているんでしょ?」

次姉「この町の錠前屋さんで大丈夫なの?」

長兄「あれを作った時は、父さん馴染みの錠前屋を通して、王都の職人に依頼したんだ」

長兄「今回もその方法になるだろう、いいよね、父さん?」

商人「それしか方法はないからね……日数はかかってしまうが、仕方ない」

長兄「それじゃ、さっそく行ってくるよ」

商人「待て、私が行くよ」

商人「錠前屋は…彼は私のここ最近の事情も知っている友人だ、失くした状況も説明した上でお願いをする」

商人「お前達ばかり頼りにしていては申し訳ないし」

商人「頭を抱えて沈み込むのは、さっきまでの30分間でもうやめにした」

商人「それに、せっかく病気が治った末妹に、また暗い顔を見せるわけには行かないだろう?」

長兄「父さん」

商人「ここ一週間ほどで、弱くて情けない駄目な自分と向き合ってきたつもりだったが、まだまだ足りなかったようだ」

商人「この先もまた、今はまだ気が付いていないだけの、向き合う場面に出くわすかもしれないが……」

商人「その度にいちいち落ち込んではいられないからな」

次姉「……お父さん」

次兄「」

商人「……それより、次兄は大丈夫かい? 次姉の足元に突っ伏したまま動かないが」

次姉「ハッ」

長兄「そ、そうだった、おい次兄しっかりしろ!?」

次姉「……だいぶ自制が効くようになったと思っていたけど」

次姉「私も、この反射的に手や足が出る自分ともっと向き合わないと……」

翌早朝、商人の家の馬小屋……

商人「さて愛馬よ、今日のご機嫌は……」

馬「ひひひんひんひひひ(おはよう旦那様)」

末妹「おはよう、お父さん」

商人「末妹!?」

商人「お前の様子を見に行くにはまだ早すぎる時間と思っていたが……こんなに早起きをして」

商人「しかも病み上がりなのに、外の仕事かい!?」

末妹「私もう大丈夫よ、昨日の午後にはほとんど治っていたもの」

末妹「それに、いっぱい寝すぎて早く目が覚めちゃった」

末妹「外の空気が吸いたくなって、この子(馬)の世話をしに来たのよ」

商人「確かに顔色もいいし元気になったのは認めるが、あとは父さんがするよ、中に戻りなさい」

末妹「でも」

次兄「よう末妹、ここにいたのか。父さんも、おはよう」

末妹「お兄ちゃん」

商人「!? い、いったいどうしたんだ、次兄がこんなに朝早く自力で目を覚ましているなんて!?!?」ガクガクブルブル

次兄「天変地異でもあるまいに、そのリアクションは大袈裟だ父さん」

次兄「昨日は気絶から部屋に運ばれてそのまま眠ってしまったらしく、13時間も経てば流石の俺も目が覚める」

末妹「気絶??」

次兄「おっと、なんでもないからね」

次兄(鍵を失くした話は父さん自ら追い追いする予定だし、姉さんに拳骨でぶん殴られた話は騎士の情け(?)で黙っておこう)

商人「……ちょうどよかった、次兄、末妹を連れて家に入っておくれ」

次兄「そうだね、まだ無理はさせられないからね。おいで」

次兄「朝食まで暇だったら、少し『あの話』をしよう」ボソ

末妹「あ……わ、わかったわ」ボソ

末妹「また後でね、お父さん、馬さん」

商人「ああ、朝ごはんの席でね」

馬「ひひんぶるるひん(またねお嬢さん)」


※ここまで。寝落ちます※

>>477-478  ありがとうございます


師匠は野獣に会えないのか
見守るだけはつらいな


※たぶん今週あまり更新できません。1回くらいはできそうですが、すみません※


※お知らせのみなのにあげちゃった、ごめんなさい…※

乙、めっちゃ残念だけど我慢して待ってるぜ
無理はいかんものな残念だけど

……回想。

魔術師ギルド幹部…以下「幹部」

(幹部1「結局、王子の扱いについては今の時点では決められないということか」)

(幹部2「暗殺依頼の最低限の成功条件は王と王妃のみ、後は魔術師ギルドの裁量に任せる、との一文もある」)

(幹部3「依頼人達の中にも、王子には同情する意見が少数ながらあったそうだ」)

(幹部3「先の一文は最終的に全員が合意したそうだが」)

(師匠(=幹部4)「……」)

(幹部1「幹部4、正式ではないとは言え自分の弟子も同然だから複雑なのはわかるが、今さら私情は挟むなよ?」)

(幹部3「……やはり君は外れた方がよいのでは?」)

(師匠「いや、暗殺依頼は別にしても、あいつは禁忌を習得した件の責任を負わねばならん」)

(師匠「それに…王が死ねば王族寄りの貴族達は黙ってはいないだろう」)

(師匠「王子だけ生きていると知った時の彼等が、どのように動くかは想像がつく」)

(師匠「王子も公式には『死んで』貰わねばならない事に変わりない」)

(師匠「……あいつが禁忌を実際に使用するか、罪の意識はあるのか、それにも左右されるがな」)

(師匠(いずれにせよ、こうなってしまっては図書館の娘と平穏に暮らせる未来だけは与えてやれそうにない……))

…………

…………

(師匠「お前を信用して明かすが、王子は、本当は死んではいない。だが、お前とは永遠に会えなくなった」)

(図書館の娘「……!!」)

(師匠「……儂をいくら責めても良い。だが、どうかお前には自分の幸福を掴んで欲しい」)

(師匠「それがあいつの願いでもあるはずだ」)

(図書館の娘「王子様は…遠いところにいらっしゃるのですね。そこで生きて行かれるのですね?」)

(師匠「あ、ああ……そういうことになるな」)

(図書館の娘「そのほうが安全で平穏に暮らせるのならば、私も遠くから王子様の幸せを祈って暮らすことにします」)

(図書館の娘「元々、王子様と私のような卑しい身分の娘では、結ばれるなどとは望む事も許されないこと」)

(師匠「……」)

(師匠(お前のその『物分かりの良さ』に救われたと思っている儂は、つくづく最低だと自分でも思う……))

(図書館の娘「それでも私は」)

(…………)

師匠「『それでも私は』」

師匠「……その後、あの娘はなんと言葉を続けたっけな……」

商人の家、末妹の部屋。

次兄「野獣様が俺達を送り出す時に話していた『二週間』まであと五日となったわけだが」

次兄「今日1日くらいは、お屋敷に戻る話を切り出さない方がいいと思うんだ」

末妹「でも、そうなるとお父さん達を短い日にちで説得しないとならなくなるわ」

次兄「まあ……こうなっては五日後にすぐ戻れない覚悟も必要かもしれない」

次兄「俺だって、早く野獣様達に会いたいけどね」

次兄「と同時に、父さん達を納得させる手立ても講じなければならないだろう」

次兄「だから、今度は向こうでの滞在期間を限定して『○日後に家に帰ってくる』と父さんに約束をするんだ」

次兄「家族と約束したと言えば、野獣様も当然、その期日を守ってまた俺達を家に帰してくださるだろう」

末妹「お父さんが信じてくれるかしら……」

次兄「そう、そこで、野獣様がいかにジェントルマンで誠実なお方かをアピールしなくては」

末妹「……私達が行き来するために野獣様に魔法の力を使わせて」

末妹「本当にご迷惑にならないのかな」

次兄「そこをためらうか妹よ!?」ヌババーン

末妹「そ、そうじゃないの、ただ……もっと野獣様に負担をかけずに済む方法があれば、って思っただけ」

末妹「……あと、お兄ちゃんのその不思議なポーズの意味がわからない」

次兄「……うむ、これは確かに奇抜すぎたか」

次兄「この体勢は見た目以上に本人は苦しいのだ。やっぱり楽な姿勢に戻そう」シュピン

末妹(だからその理由は、って疑問を持っては駄目なのよね、きっと……)フゥ

次兄「とりあえず、既にかけてもらった魔法で屋敷を再び訪れた後は」

次兄「また家に帰るため、最低一回は野獣様に魔法を使っていただかねばならん」

次兄「それはやむを得ない所だが、ここでひとつ兄ちゃんには考えがある」

次兄「帰還するための魔法は、大量の魔力を使い、しかも使用時は集中しなければならないと仰ってた」

次兄「それに比べ、鏡の魔法は……もう少し気軽に使っていたようなフシがないか?」

末妹「そう言えば……」

次兄「んで、一度呪文をかけた鏡は、同じ合言葉を使うだけで双方向にできるとも仰っていた」

次兄「……だから、野獣様に再会した時、俺からある提案を持ちかけようと思う」

次兄「鏡の魔法の合言葉を教えてもらって、自分の家にいながらお互い様子をやり取りできるようにするのだ」

末妹「!」

次兄「初めは野獣様たちと文通ができればと思っていたが……」

次兄「まともにあの屋敷へ行きつく道もなければそんな場所へ手紙を運んでくれる郵便屋もいそうにない」

次兄「手紙の行き来にも魔法を使うしか手段がなさそうなら、鏡を使っても同じこと」

次兄「おまけにお互いの顔を見ながら会話ができるんだ」

次兄「通信手段として実に斬新」デンワモナイジダイデス

次兄「これならいつでも話せるし、お互いの今の様子を知ることもできる」

次兄「しかも、野獣様の魔力も(たぶん)無駄に大量消費しなくて済む(と思われる)」

次兄「末妹が家を空ける回数や時間が少なくなれば、父さんも安心するよ」

末妹「お兄ちゃんすごい……鏡の魔法を使うなんて考え付きもしなかった」

次兄「もちろん、野獣様がこの提案に賛同してくれるかどうかだけど」

次兄「お互いの良い関係を築くために努力することには、それだけでも意義があると思う」

末妹「……お兄ちゃんが一緒に野獣様のお屋敷にいてくれて、本当によかった」

次兄「ああ、俺達は同志だ。野獣様と友達になりたい同盟の同志だ」

次兄「ともに頑張ろう!!」

末妹「うん!!」

次兄(末妹は純粋に、俺は欲望を過積載という、些細な違いはありますけどね)

……

…………

誰も覚えていない話。

小国の王の別荘、森の中の、機械仕掛けの屋敷。

師匠「……王子よ。我が弟子よ。お前は既に200年の眠りの中にいるが、この声だけは聞こえるはずだ」

師匠「これから話す内容は、お前が再び目を覚ました時には記憶から消えてしまう」

師匠「そして、お前のバラの呪縛が解ける時に、再び思い出すだろう」

師匠「目覚めたお前は恐らく……まともにヒトの姿はしていないはずだ」

師匠「その姿でお前は呪縛から解放される日まで生きていかねばならないが」

師匠「解放されたお前は人間の姿に戻る」

師匠「と同時に、異形の姿で過ごした日々を失う」

師匠「……正確には、完全に忘れはしないけれど」

師匠「その日々を『自分の実際の体験』とは思わずに、『長い夢を見ていた』と認識するだろう」

師匠「王子ではない姿で過ごした日々が、何年だろうと、何十年だろうとな」

師匠「それがお前にとって、その時お前の傍にいる『誰か』にとって」

師匠「喜びとなるか、新たな試練の始まりとなるかは……お前次第だ」

…………

南の港町、いずれ図書館となる魔法ギルド地方支部の地下。

(魔法使い1「……確認ですが、先生はご存知ですよね?」)

(魔法使い1「190年後に目覚めて、王子が生きている時代に一緒に存在するからには」)

(魔法使い1「王子と同様に『あの話』を、先生もお忘れになる、ということを」)

(師匠「ああ、王子が呪縛から解放される時までは、儂も完全に忘れ去っていると、充分にわかっておる」)

(魔法使い2「その時が来れば、場合によっては、先生も辛い思いをされるかもしれませんね……」)

(師匠「儂の精神はそこまでヤワではないわ」)

(師匠「あの愚か者が『自由』と共に何かを得るのか、引き換えに何かを失うのか、全てあいつ次第」)

(師匠「そして、その日が来れば儂がどう関わろうとも、それももう自由だ」)

(師匠「儂はあいつを見守り、場合によっては色々叩き直してやらねばならんかもしれん」)

(師匠「……この会話も、儂は190年後には忘れているのだろうな」)

…………

今は、誰も覚えていない話……


※おまたせしまし。今夜はここまで※

>>488 >>491 ありがとう&すみません…

次兄の部屋。

鉛筆:カキカキ……

次兄「うむ、お土産にする絵はこんなもんかな」

次兄「束ねて、汚れないように軽く包装して、忘れないうちに鞄に入れておこう」ガサガサ

次兄(……ここから独り言を無音にします)シー

次兄(机の上に残った絵は、お土産用の絵を描く際の余った勢いで内面より湧き出すごとく紙に叩きつけられた……)

次兄(完全なる個人的な趣味の絵です!)デデーン

次兄(今は裏向きに伏せてあるから鏡の魔法でも見つかりません…たぶん)

次兄(こちらは野獣様や執事さん、いや末妹にさえ見られてはならない)

次兄(これ以上人格を疑われては、さすがに……)

次兄(鍵のかかる引き出しにこのまましまっちゃいましょう)ゴソゴソ

次兄(これだって、対象や方向性や発散方法が違うだけで若者にはありがちな現象と言えない事もないと信じたい)ガチャガチャ

次兄「……さて、お昼ごはんの時間だなあ」ノビー

次兄「そして午後からは末妹と交代で店の手伝いだ」

次兄「父さんの心証アップ狙いは否めないが、何より末妹が昨日の今日で俺一人遊んで過ごすわけにも行かないからな」

安宿の一室。

師匠「ふむ、あの少年の鉛筆は絵を描くために使われた物か」

師匠「動物の……あいつの屋敷の動物達と獣の姿をしたあいつの絵ばかり」

師匠「芸術はさっぱりだが、少年にしてはかなりの腕前のようだな」

師匠「……時々、机の下に潜って他にも描いていたらしい様子もあったが」

師匠「妹の方はすっかり元気になったようで、朝から働いている」

師匠「それが嬉しいのか、今朝、黒髪の姉が心底からの良い笑顔で妹の頭を撫でていた」

師匠「……兄弟姉妹とは良いものだな、儂もあいつも一人っ子だが」

師匠「しかし、もう一人の姉はと言えば……」

師匠「ん、ちょうどその姉の部屋に家政婦が昼食を運んできたようだな」

商人の家、長姉の部屋。

部屋のドア:……

長姉「昼食の時間……この足音……家政婦さんね」ドアニヘバリツキー

部屋の外の家政婦(さて、いつも通りお盆をドアの前に置いて、っと)

部屋のドア:バッタン!!

家政婦「」

長姉「び、びっくりさせちゃった?」

家政婦「……長姉様」

長姉「あ、あ、あの、家政婦さん、いつもありがとうね!?」

長姉「に、兄さんの言いつけだとわかっているけど、私のために余分な仕事を増やさせて」

長姉「言いつけ以上に気を遣ってくれているのも知ってるわ、だから本当はずっと……かかか、感謝してたのありがとう!」

家政婦「……」

長姉「……でも、もう少しだけ、この生活を続けるから……」

長姉「もうしばらく…迷惑もかけ続けます、ごめんなさい……」

家政婦「……長姉様ったら」

長姉「は、はいっ!?」

家政婦「なんなんですかいきなり、面白いお方ですねえ本当に」クスクスクス

長姉「」

家政婦「お昼ごはんが冷めてしまいます、はい、温かいうちに召し上がってくださいね」テワタシ

長姉「は、はい、いただきます!」ウケトリ

家政婦「では、また後ほど……」

長姉「……」オボンモッタママ

長姉「家政婦さん、笑うんだ……今まで見た事なかった」


※読んでくれてありがとうございます。今回はここまで、短くてすみません※

商人の家、居間。

商人「金庫の新しい錠前と鍵もあと10日ほどで届くだろう」

商人「それまで1本だけの古い鍵は引き続き長兄が持つ」

商人「新しい鍵は私と長兄、そして次姉にも管理してもらうことにした、だから合計3本だ」

商人「次姉ももう一人前だからね」

商人「本人は最初まだ自分には早いと言ってたが、私と長兄と3人で話し合った結果、最後は承諾してくれたよ」

商人「……と、ここまでが今お前に話せることだ」

商人「私が鍵を失くしたと聞いた時は心配しただろう、だが、こうして家族が支えてくれる」

商人「父さんまだまだ頼りないけど、皆のおかげで頑張れる」

商人「お前のためにも、もっと強く前向きな父親にならないとね」

末妹「……」

末妹「よかった、お父さんが(また)気落ちしているんじゃないかって思っていたの」

商人「全く落ち込まないのは無理でも、立ち直るまでの時間は格段に短くなったね」

商人「……って次兄に言われたよ」

末妹(お父さんに面と向かって言うあたりどうかなって思うけど、お兄ちゃんお世辞を言えない人だからきっと本当ね)

末妹「今お父さんが元気なら、私は何も心配しないわ」

商人「お前も顔色がいいし、すっかり体の具合もよくなったようだね。安心したよ」ナデナデ

末妹「……今朝、次姉おねえさんにも同じこと言われてめいっぱい頭なでられたの」

末妹「昨日のお兄ちゃんといい、本当に擦り減っちゃったらどうしよう私……」

商人「はっはっは、父さんは正直、今のままでいて欲しいけど」

商人「何しろ成長期だからな、しっかりごはん食べてよく眠ったらどんどん大きくなるさ」ナデナデ

末妹「だといいけど……」

末妹(早く背が伸びたらいいのにな)

末妹(今のままじゃ、本当に野獣様の半分しかないんだもの……)

……

野獣の屋敷、野獣の部屋。

鏡「デスッテヨ」

野獣「末妹も元気になったな、もう心配なさそうだ、よかった」

野獣「…次にあの顔を曇らせるのは、間違いなく私だが……」

鏡「キョウハオヒトリデスネ」

野獣「?」

鏡「シツジサンタチハイッショニゴランニナラナイノデ?」

野獣「……」

鏡の覆い布:バサリ

鏡「」

野獣「我ながら未練がましいものだ」

野獣「終わりが来るのを知っているのに、いや、私自身の手で終わらせようとしているのに」

野獣「まだ何も知らずに幸せそうな末妹の姿を、少しでも多く記憶に刻みつけておきたいとは……」

商人の店。

呼び鈴:チリンチリン

次兄「いぃりゃっしゃああせえぇぇい!!」

常連客(ビクッ)

次姉「次兄、変な声出さないの、真面目にやりなさい!!」

次兄「ふざけていません、大真面目ですー!」ナミダメ

次姉「……ええ、そうね、引き籠りで人見知りのあんたに慣れないことをさせるほうが悪いわね」

次姉「お客様のお相手は私がするから、できるだけ口をきかないで、私に言われたことだけやってなさい」

次兄「畏まりましたお姉様……」

常連客「……珍しい組み合わせだねえ、今日は君たち二人かい」

次姉「弟が自分から店を手伝うと言い出したので、姉としては応援したい所ですけどね」

次姉「お客様がいらっしゃる度、第一声で驚かせてしまうので……」

常連客「次兄くんは内気な子だから緊張してしまうんだろう、確かにちょっとびっくりしたが、気にしていないよ」

常連客「ところで、末妹ちゃんの具合はまだ悪いのかね?」

次姉「いいえ、お陰様ですっかり元気になって、午前中は店にも出ていました」

次姉「大事を取らせて午後から次兄と交代させているだけです、ご心配おかけしました」

常連客「そうか、それなら安心だ」

常連客「さてと、いつもの石鹸を三つと……ランプのホヤを一ついただこうかな」

次姉「ランプのホヤですか、あちらの棚にサイズが三種類ありますが?」

常連客「いちばん大きいやつを」

次姉「次兄、大きいホヤを取って」

次兄「これだね? よっ、と……」

次姉「あああ、あんたは背伸び程度じゃ無理、踏み台があるでしょう!?」

次姉「ちょ、限界まで背伸びするから足が攣ってるじゃないのバカなの!?」

次姉「その棚は割れ物が多いから寄り掛からないでぇ!! あああああ!!」

(数分後)

次姉「……ふうぅ、なんでランプのホヤ一つ割らずに取ってもらうだけで、こんなに疲れなきゃならないの……」

常連客「……なんだか申し訳なかったねえ」

次姉「いいえ、私の判断ミスでした。私が監督責任者として至らなかったのです、ええ、そうですとも、ええ」

次兄「……ごめんなさい」

常連客「ありがとう、それじゃ帰るよ。商人さんにもよろしく伝えておくれ」チリンチリン…

次兄「まいどありぃ……」ペコリ

次姉「……ったく、結局、品物は無事だったからよかったものを、あんたって子は!!」

次兄「ごめんなさいごめんなさい! 反省してるから殴らないで蹴らないでええ!!」オドオドビクビク

次姉「……」

次姉「殴る蹴るは(一応)封印したから、代わりにほっぺでもつねろうと思っていたけど」

次姉「そこまで怯えられたんじゃね、やめておくわ」

次兄「……おやめになってくださるの?」チラ

次兄(よ、よかった……あの剛腕でつねられた日には頬の肉が回復困難なほど変形しかねん、びろーんって)ホッ

次姉「但し、二度目はないからねっ!!」

次兄「はっはい!」ピシィ

そのころ、街のちょっとした広場。

長姉「……」

長姉「一昨日貸してくれた、幼馴染男のジャケット」

長姉「洗ったらどうにか汚れも落ちたし」

長姉「生乾きに家政婦さんから借りたアイロンかけて、乾燥具合やシワ伸ばしもまあまあ及第点よね?」炭火式アイロン

長姉「…使い慣れないからちょっとこのへんが…薄く焦げちゃったけど、目立たないわよね?」

キョロキョロ

長姉「……今日はいないか」

長姉「まあ、ほぼ毎日この辺りをぶらついているようじゃ、逆に不安だわ」

長姉「……」

長姉「たった今、自分の発言が思いっきり自分に刺さったけれどね……」ココロズキズキ

長姉「でも仕事で忙しいならともかく、ひょっとして(私が捻じった)首の具合が悪くて……?」

長姉「あれから寝込んでいるとか、最悪、死……」

長姉「いやいやいや! それはないわ!」

長姉「毎朝じっくり新聞読んでる兄さんが知った名前の死亡記事に気づかないわけないもの!」ブンブンブンブン

長姉「そもそも兄さんと同い年で、次姉も交えて三人で遊んだこともあるけど、いつの頃からか」

長姉「遊びに来る時に、兄さんじゃなくて私を名指ししてくるようになったのよね」

長姉「幼馴染男は男子にしてはおとなしい子だから、単に兄さんと好みの遊びが合わないのかな、と思っていたけれど……」

長姉「……もしかして、私のことが好きだったりしていた…とか?」

(幼馴染男「『新しい星を発見して、長姉の名前を付けるんだ』って」)

(幼馴染男「君の心配や負担が軽くなったのは良い事だ」)

(幼馴染男「輝く星みたいで…大好きだったんだよ?」)

(幼馴染男「うん、君の助けになれて、よかった……」)

長姉「…………」

(幼幼馴染男「ほんとうに? まっててくれる?」)

(幼長姉「うん、10年でも20年でも30年でもまってる! やくそくする!」)

(幼幼馴染男「ぼくもできるだけ早く見つけられるようにがんばるよ!! やくそくする!」)

シュボッ

長姉「あれ全部、本気だったの……?」

長姉「昔なじみのよしみってレベルじゃなくて……小さい頃も、今も……ずっと私のこと……?」カァァァァァァァ

長姉「やだやだ、顔が熱い! 池、池! それとも噴水がいい!?」アタフタ

長姉「いやいやいやいや、何をしようとしているの私!? 落ち着くのよ!!」

長姉「深呼吸深呼吸」スーハー

長姉「……」

長姉「私ったら、今まで彼のこと、何だと思っていたのかしら……」

長姉「……」

長姉「真面目に考えてみようかな」

長姉「ここ最近の私の所業を考えると、まだ間に合うのなら、って気分になってきたけど」

長姉「……今日はこのまま帰りましょう」

長姉「ジャケットもただ返すだけじゃなくて」

長姉「何か気のきいたお礼の品、手作りのクッキーとか添えて?」

長姉「…………クッキーって、小麦粉と砂糖と、あと何で出来ているんだっけ??」

長姉「また家政婦さんの協力を仰ぐか、その前に…次姉にも相談してみようかな……」


※ここまで。更新遅くてすまぬ……週末に少し進めたいけれど次回未定※

余談。野獣の身長は250cmで末妹は133cmってイメージです。数値はともかく見た目的には1/2ですね


※週末頑張ろうと思ったら体調崩して寝込む羽目に。必ず戻るけど今はごめん※

元気でないと何をするにも困難だ。気長に待っているから養生しなっせ
乙しか出来ないけど、応援してるよ

http://m1.gazo.cc/up/19064.jpg


※とりあえず報告※

思ったよりは回復順調で、日常生活はなんとか送れるよーになりました
でも夜しか書けないので、時間的&体力的に再開にはもう暫くかかりそうです、ごめんなさい

>>518 凄く凄く嬉しい! ありがとう、励みになります!

おつ 久々に最初から読み直したらやっぱり次兄のキャラが次兄で良いな


※早ければ今週のどこかでぼちぼち再開予定(518イラストをデスクトップに置き士気を鼓舞)※

>>520 ここからでも読み直してくれる人がいるんだな…嬉しいです、ありがとう
 

おお、楽しみだ。でも無理するなよー
(しかし勢いで描いちゃったけどめっちゃ恥ずかしいなこれ)

その夜、長姉の部屋。

次姉「で、相談したいことってなあに?」

長姉「その前に、今日のうちの様子は?」

次姉「そーね、お父さんは金庫の鍵紛失事件から、一応は立ち直ったみたい」

次姉「冬向け商品の仕入れの計画を立てるからって、書斎で帳簿や資料の山を相手にしていたわ」

次姉「兄さんは男子校時代の友達という人がはるばる王都から訪ねて来たので、珍しく私用でお出掛け」

次姉「家政婦さんはいつも通り、今日はお天気がいいからって応接間と客間の窓をピカピカに磨いてくれた」

次姉「私は午前中は末妹と、午後は次兄と二人で店番」

次姉「次兄にだけは、まだまだ一人で店の仕事を任せられないって、改めて思った……」ハァ

長姉「末妹、もう元気になったのね」

長姉「ほんと、あんなちっちゃい割に丈夫なんだから」

次姉「……」ジー

長姉「な、何よ」

長姉「あの子に対する皮肉でも嫌味でもないからね!? そんな棘のある言い方しなかったでしょう!?」

長姉「……しなかったつもり」ボソ

次姉「いきなり全部変われるとは思っていないし」

次姉「末妹関連で姉さんを責める資格はないもの、私には、ね」

長姉「私だって……これからは少しでも末妹に、ついでに次兄にも優しくしなきゃ、って思っているもん……」

次姉「うん、だけど、それ『も』焦らなくていい」

長姉「わかってる」

次姉「話を戻しましょ。今日の出来事はこれくらい、で、相談したいことって?」

長姉「……クッキーって、小麦粉と砂糖と、あと何で出来ているの?」

次姉「……………………はあ?」

……

次兄の部屋。

次兄「ふええ、今日は疲れたよお……」ベッドニボフ

次兄「人見知りはほぼ解消されたつもりでいたが、接客と思えばついつい身構えてしまうなあ」

次兄「その上、姉さんがすぐそばで睨み効かせていたら出来る事だって出来なくなっちゃう、そう思わなくて奥様?」

次兄「……今のは言い訳ですけどね」

次兄「しかし、暴力が行使されなかっただけまだマシと言えよう」

次兄「……明日はいよいよ父さんにあの話をするんだ」

次兄「あくまでメインは末妹、俺はフォロー役に徹する予定」

次兄「…俺の場合は徹底した沈黙こそが最大の防御にして最強の攻撃ではなかろうかと思わんでもないが」

次兄「とにかく、明日はもう一度、末妹とリハーサルをしてから臨もう」

次兄「……でも今夜は疲れた、もう眠りたい」

次兄「俺の趣味の絵のような(あられもない姿の)野獣様と執事さんが、夢に出てくることを祈りながら……」

次兄「夢の中だけでも、俺とめくるめく…かんのー…の…」ウトウト

次兄「……ぐぅ……」ネオチ

……

再び、長姉の部屋。

次姉「へえー、幼馴染男に。幼馴染男ねえ、ふーん」

長姉「な、何よ」

長姉「お礼と、親切を暴力で返してきたお詫びを兼ねているのよ、手作りのお菓子くらい添えたっていいじゃない」

次姉「そうね、お礼とお詫びは大切だからね、人間関係の基本だものね」ニマニマ

長姉「あーもう感じ悪い! いいから材料さっさと教えなさいよ!!」プンスカ

次姉「説明することはできるけど…まさか姉さん、材料さえ揃えたらできると思っている?」

長姉「え、だって……材料全部混ぜて形を整えてオーブンで焼けばできあがり、でしょ?」

次姉「……なんだか不安になってきた」

次姉「『初めてのお菓子作り』が『初めての消し炭製造』になりかねないわ」

次姉「焦っちゃだめよ、姉さん。材料云々の前に、もう少しきちんと計画を立てるべきよ、ねっ?」

末妹の部屋。

末妹「明日はお父さんにあの話をするのね」

末妹「お兄ちゃんも助けてくれると言ってくれたけど、どうなるのかな……」チラ

一輪差のバラ:「」

末妹「……野獣様のバラ」

末妹「お屋敷にいた時は、このバラを見るたびにお父さん達や家の事を思い出して」

末妹「戻ってからは野獣様やメイドちゃん達、お屋敷の出来事を思い出す」

(メイド「…はい。またお会いできますものね」)

(執事「ですが、今、主人の近くにいる人間である末妹様にはどうか…主人に親しみを持っていただきたい」)

(野獣「今度からは、末妹から裏庭が見たいと言った時に来ような」)

末妹「もっと近くに住んでいたら、お屋敷の皆さんが人間だったら」

末妹「……あんなことが出会うきっかけでなかったら」

末妹「自由に行き来することが、もっとすんなりと許されたのかな?」

末妹「それとも、今頃まだ、ううん、このさき一生、出会うことさえなかったのかな……」

末妹「……」

末妹「どんなきっかけでも、皆さんが人間じゃなくても、出会う前には戻れないもの、それだけは確かなこと」

末妹「わかってもらえるように、頑張らなくちゃ……」

末妹「……ふあ」アクビ

末妹「寝不足じゃ頭も働かないものね、もう寝ようっと……」

……


※短いけど今夜はここまで。毎日更新はしばらく無理っぽいですが、ゆるゆる進めます※

余談。休養中にふと思い立って話中の時系列整理などしてみたら結構いいかげんだった件
(9月とかもうすぐ10月になるとか入れなきゃよかったチッ)
「数日後」の一部を「翌日」に置き換えるとギリギリ辻褄合うとか、そんな感じです

>>522 ありがとう(全体的にイメージ通りで髪型はイメージ以上ですた)


※前回より短いけど作者的にキリの良い所まで投下※

そして長姉の部屋。

次姉「姉さん、このチラシ見て」ピラッ

長姉「なあに……『料理教室』? 『受講生募集』……」

次姉「講師の名前は知ってるでしょ? 市長さんの親戚筋の、西通りの未亡人」

長姉「ああ……その昔、今は亡き旦那様の胃袋を掴んで虜にしたとかで有名な」

次姉「そう、それに姉さんは知らないだろうけど」

次姉「足が少し悪い本人に代わって、娘さんが時々うちの店にタワシや食器の磨き粉をなんかを買いに来るの」

次姉「で、今月から週に2回、自宅で料理教室を開くことにしたそうよ」

次姉「愛妻家の旦那様が料理上手の彼女のために家を大改装して作った、レストラン並みの立派な厨房だとか」

長姉「うん、自宅一階の三分の一を占めるって私も聞いたことあるわ……」

次姉「ほら、ここ、今月の予定が書いてあるけど」

次姉「10月の1回目は『クッキーをはじめとした簡単なお菓子作り』だって」

長姉「……!」

次姉「どう? 習ってみる?」

長姉「で、でも、受講料はどうするの? 私もあんたも、今はほとんど自由になるお金がないじゃない」

次姉「兄さんが月末…と言っても昨日の事だけど、お給料をくれたのよ」

次姉「必要な金額は無期限無担保で貸してあげる、そんなに高い金額じゃないし、ね」

長姉「……次姉」ガッシ

次姉「な、何? 私の腕を掴んだりして」

長姉「あんたも一緒に来てよ」

次姉「……」

次姉「だめ、姉さんもう子供じゃないんだから、それに二人分払うには金額的にちょっと心もとないの」

長姉「でも、でも……一人だと恥ずかしい……」

次姉「『超初心者対象』って書いてあるでしょ、ここに来るみんな条件は同じよ」

次姉「それに姉さん意外と器用だもの、手を使う作業は一度やり方を覚えたら、きっと大丈夫」

次姉(カンニングのテクニックも早く身に付いたし)

長姉「わ、わかった……ちょっと不安だけど、頑張ってみる!」

次姉「その意気よ! 応援するからね!」

次姉(……よかった)

次姉(料理については私も知識と理屈ばかりで、実践が伴わないってバレずに済んだわ)ホッ

長姉「で、お菓子作りの回はいつかしら?」

次姉「そう言えば日にちまで確認していなかった。どれどれ……」ピラ…



長姉・次姉「「明日!?」」

翌日、朝食後。末妹の部屋。

次兄「違う! そこはもっと感情を込めて!」

末妹「は、はい!」

末妹「お父さん、お話があります」

次兄「今の表情いいねえ! もう一回その顔で『お父さん』から行ってみよう!」

末妹「……いつになったら肝心な話の内容に入れるの?」

……

同時刻、長姉の部屋。

長姉「お金とエプロン、メモと鉛筆も持ったし、窓を開けて、っと」

次姉「じゃあ頑張ってね、姉さん。窓は私が閉めておくから」

長姉「……ねえ、誰にも言わないでよ?」

次姉「わかっているって。いつも通り、時間つぶしの散歩だとみんな思うわ」

次姉「この先は姉さん次第よ。ご武運を」

長姉「うん、また夕方にね、色々ありがとう」

窓:パタン……

~~~~

西通りの未亡人宅。

長姉「……な」

長姉「なんで……あんたが、ここにいるのよ……!?」

幼馴染男「やあ、長姉」


※ここまで。次回は土日のどこかで最低1回の予定です※

長姉「『やあ』じゃないわよ! なんで男のあんたが料理教室にいるのかって聞いてるの!!」

幼馴染男「なんでって、料理を覚えたい以外に理由はないけど、そんなにおかしいかな?」

幼馴染男「実は、先生(天文学者)と奥様がしばらく旅行に行くことになってね」

幼馴染男「東の国境都市に嫁いだ娘さんに赤ちゃんが生まれるので、結婚相手のご両親に招待されたんだって」

幼馴染男「助手として留守番を任されたけど、奥様がその間の食事の心配をしてくださって」

幼馴染男「他の家事は住み込み助手の仕事として分担もするが、食事だけは奥様が一手に引き受けていたから……」

幼馴染男「先生も、いい機会なので僕も料理を少し覚えたらどうか、と仰って」

幼馴染男「こっちも自由時間が多くなる分、遊び歩くより有効に使いたいし……帰る実家もないし、ね」

幼馴染男「そこへこちらのお宅で料理教室が開講になるとの話を聞いて、渡りに船というわけさ」

長姉「ででででで、でも、料理教室に男性が習いに来るなんて、講師だって断るに決まっているわ!!」

幼馴染男「夫人は奥様の古くからのお友達だから…先生の助手ならば大歓迎だってさ」

長姉「」

幼馴染男「……君も料理を習いに来たんだろ? お互い頑張ろう」

長姉「帰る」

幼馴染男「え?」

長姉「家に帰る! 幼馴染男と一緒に料理なんてできるもんですか!! 帰る!!!!」

未亡人「……あら、もしかして商人さんのところの……確か、長姉さん?」

長姉「っ!?」

未亡人「やっぱり! 大きくなったけど、その綺麗な金髪、若葉色のひとみ、可愛らしいお顔…昔の面影があるわ」

長姉「……」

未亡人「あなたは小さかったから覚えていないでしょうけどね、昔は商人さんのお店でよくお買い物したのよ」

未亡人「磨き粉といいタワシといい、質の良い品が揃っているからお気に入りだったの」

未亡人「8年前に足を痛めてからは遠出が辛くなって、娘に買い物は任せていたのだけど……」

長姉「は、はあ……」

未亡人「女学校に行く前のあなたとお話をしたこともあるのよ、本当に可愛らしくて、忘れられなかったわ」

未亡人「…あなた達のお母様、若いのにとてもよく気の付く素敵な方で、本当に親切にしていただいたのよ」シンミリ

長姉「う」

未亡人「あの方の小さな娘さんが美しいお嬢さんになって、うちに料理を習いに来てくれるなんて…本当に嬉しいわ…」ホロリ

長姉「ううううううううう」

長姉(お母様の話を出されると弱いわ……)

未亡人「あらもう10時、開講時間だわ。先に来ていた生徒さん達が待っているわね」

未亡人「さあ長姉さん、それから幼馴染男さん、厨房はこちらよ、どうぞ」

幼馴染男「こっちだって。行こう、長姉」

長姉「……くっ」

長姉「…わかったわよ、こうなったら腹を括る! 料理でも幼馴染男でもなんでも来やがれなのよ!!」ドスドスドスドス

商人の家、末妹の部屋。

次兄「よし、訴えかけのリハーサルはこんなもんでいいだろう」

末妹「……ホッ」

次兄「次は更に詳細なシミュレーションを。俺が父さんの役、熊のぬいぐるみが兄さんで着せ替え人形が次姉ねえさん」

末妹「」

商人の店。

次姉「そろそろ料理教室が始まる時間ね」

次姉「姉さんは一度パニくったらとんでもない方向に飛んで行くけど、今回はそこまでの要素はない……はず……」

長兄「……」ボー

次姉「……兄さん?」

長兄「…っ、はい、何、何ですか?」

次姉「どうしたのよ、兄さんらしくもない。今日は…と言うか、ゆうべ帰宅してから、何かおかしいわ?」

次姉「遅くまでお友達とお酒飲んで来たせいかと思ったけど、今朝になってもこれじゃ」

長兄「……なんでもない」

長兄「ちょっと疲れているだけ」

次姉「体力には自信のある兄さんが? まあ、無理はしないでね」

長兄「うん、本当になんでもないから、心配かけてすまん」

長兄(……)

時間は少し戻り、昨日の話。

友男「長兄、以前より更に背が伸びて肩幅も広くなって、しかもますます美形になりやがって、羨ましい限りだぞ!」ワハハ

長兄「何言ってるんだ、友男こそ婚約者がいるんだろ?」

友男「へへ、そのことなんだが……」ニマ

友男「彼女がさあぁ、もう可愛くって可愛くってえええぇ!」デヘヘヘ

長兄「惚気かい」

長兄「で、どんなひとなんだ? この際だから洗いざらい喋っちゃえよ」ツンツン

友男「それはさすがに恥ずかしい、酒の力を借りなきゃ……」テレテレ

長兄「じゃあ酒場が開く時間までおあずけだな」

夜の酒場。

長兄「そう言えばお前と酒を飲むのは初めてだなあ」ホロヨイ

友男「当然だ、学校で一緒だったのは15歳まで、手紙以外で実際に会うのは卒業以来だから……」グビー

友男「……」

友男「長兄。酒の力を借りて言う」キリッ

長兄「?? 友男、素面だった時よりしっかりしてないか?」

友男「俺はどうやら酔うとこうなるタイプらしい、それはさておき」

友男「長兄、すまん!!」

長兄「な、何だ? 何があった??」

友男「婚約者だが、俺達と同い年、5年前は王宮に一番近い立地の女学校の生徒で、父親の職は建築家」

長兄「……?」

友男「心当たりがあるがろう? 彼女はお前も知っている娘、どころか、お前の元カノなんだ!!」

長兄「!?」

友男「しかも…付き合いは俺達があの学校を卒業して間も無く始まった」

友男「交際2年目には、早くも親同士も婚約を勧めてくれるほどの仲に」

友男「……俺と彼女の名誉のために言っておくが」

友男「俺から彼女に告白したのは、お前達が完全に別れた後、お前がこの町に戻ってからだ」

長兄「……そ、そんな、だが、それなら何も……お前が謝る理由なんて……」

友男「だけど、お前が彼女に振られたと聞いて、俺はお前を慰めながら内心ほくそ笑んでしまったのは事実なんだ!」

長兄「友男!?」

友男「ずっと前から好きだったんだ、お前達が付き合い始める前から、彼女が好きだったんだよ!」

長兄「……知らなかったよ」

長兄「卒業と同時に、この町で将来家業を継ぐことを理由に振られた時は悲しかったが、今はわかる」

長兄「付き合っていると言いつつ、キスもしないばかりか肩を抱くこともせず、こっちから告白しといて手を繋ぐまで半年弱」

長兄「そんな俺は、彼女に愛想を尽かされても仕方なかったと、後になってつくづく思った」

長兄(今、次兄の声で 『それは果たして付き合っていたと言えるのでしょうか?』 という幻聴が聞こえたが)

長兄「そんな鈍感な俺だ、お前の秘めた想いにも気づかず、友男を…知らぬ間にずいぶん傷つけてしまったと思うと」

長兄「だから、俺に謝ることなんか何もない、むしろ……礼を言いたいくらいだ」

友男「お前……」

長兄「俺にこんなことを言う資格はないかもしれんが、彼女を幸せにしてやってくれ、いや、二人どうか幸福になってくれ」

友男「長兄、ちくしょう、なんて…なんて良い奴なんだ……」ウルウル

友男「こんなお前に、今現在、結婚の予定どころか彼女すらいないなんて!!」ブワワッ

長兄「」

長兄「……こ、これからも、変わらず友人でいてくれ、なっ?」

友男「長兄ーーーー!!」ガバァ

長兄「ははは、馬鹿だな、泣くなよ友男…」ポンポン

長兄(…泣きたいのは、号泣したいのはこっちですけどねこの野郎)グリグリスルマネ

長兄「……」

長兄(俺は鈍感な上にエエカッコしいだと自覚した、少なくとも友男が言うような良い奴なんかじゃない)

長兄(…こんな俺から妹の……長姉の心が離れていくのも当然だな……)

夜は更けて行く……


※眠いのでここまで※

商人の書斎……

ドア:コンコン

商人「誰かな?」

次兄「父さん、入っていい?」

商人「次兄か。お入り」

ガチャ

次兄「お邪魔しやす」ニュッ

末妹「私も一緒」ヒョコッ

次兄(この場にいるのは父さん一人、パターンAか、展開によってはBもありだろう)

商人「おやおや、二人揃って、どうしたんだ?」ニコ

次兄(よし、Go!)ビッ

末妹(はい!)

末妹「お父さん、お話があります」

商人「うん? 何だい?」

末妹「…お父さん、今から10日前、私達がどうしてお家に戻って来れたか、その話…覚えている?」

商人「……」

商人「ああ、覚えているよ。野獣が……魔法でうちの様子を見て、私が『死にかけた』と知り」

商人「私の…父親のそばにいろと言って、家に返してくれた……そうだね?」

末妹「そうよ。お父さんは…そのことを、どう…思っているのかしら……?」

商人「どう、って……」

商人「…」チラ

次兄「……」

次兄(父さんが俺を一瞥したけど、とりあえず今は黙して語らぬ所存です)シーン

商人「…」

商人「そうだな、野獣という人物、正確にはヒトではないかもしれないが、とにかく恐ろしい存在で」

商人「私にとっては愛する我が子を奪った憎い存在でもあり」

商人「……元はと言えば私が罪を犯したためだが、それを頭で理解してはいても」

商人「『たかがバラ一輪、そのために何故、私達家族が離れ離れになって苦しまねばならないのか?』と」

商人「お前達がいない間、自分自身を責め続ける一方で、その感情が湧きあがるのを拭い切れなかった」

末妹「……」

商人「しかし、お前達はこうして無事に帰って来た」

商人「そもそも野獣は、彼は」

商人「森で迷った私を屋敷に招き入れ、温かい食事や寝床を用意して、馬の世話まで」

商人「魔法の地図まで貸してくれ、自分はついに顔を出さないまま立ち去らせようと」

商人「……それを私は一方的に全てぶち壊してしまったのだが」

末妹「お父さん…」

商人「で、帰って来たお前達の元気な様子に安心し、そしてお前達の話を聞いて、考えた」

商人「野獣は……彼は親切な人物には違いあるまい。少なくとも残忍とか凶暴とかそんな表現は似合わない」

商人「ただ、彼の所有するバラが絡むと話は別なのだ、おそらく」

商人「魔法を使う、しかもヒトならざる存在、私には計り知れない理由が何かあるのかも知れん」

商人「非常に重い意味のある大切なものなのだ、代償に私を殺しても、お前を囚われにしても釣り合う程に」

商人「……どうかな? 私の推測は、大きくずれてはいないと思うのだが?」

次兄「……」

末妹「…野獣様も、お屋敷の執事さんも、あのバラが、バラ園がどんなに野獣様にとって大切なものかをお話ししてくれました」

末妹「そして、バラの持つ意味は野獣様自身しかご存じなくて」

末妹「野獣様はバラの秘密を他人に伝えるができない…できない理由も含めて…誰にも語れないとも」

商人「そうか」

商人「彼がお前達を帰してくれたのは慈悲や親切といった心を持つ故だ」

商人「しかし、間違いなく予定外の出来事でもあったはず」

商人「……バラ盗人の『贖罪』は、終わったのだろうか?」

商人「最近はそれが少し気になるよ」

末妹「……」

末妹「野獣様は、私達が家に帰ってから二週間を過ぎた時に」

末妹「私にお屋敷に戻る意思があるのなら、家に帰って来た時と同じように、一瞬で戻れる魔法をかけてくれました」

商人「…」

次兄(…父さんの眉間にちょっと皺が寄った)

商人「家に残るもあちらに行くのも、お前の選択次第、というわけだね?」

末妹「そうです」

商人「二週間と言うと、あと四日、か」

商人「……末妹はどうするつもり、どうしたいのだい?」

末妹「私は」

末妹「四日後すぐにとは言わないけれど、近いうちに一度、お兄ちゃんと一緒にお屋敷に戻りたいです」

末妹「お父さんが元気になった報告と、お礼を言いたい」

末妹「……野獣様だけでなく、仲良くなったお屋敷のメイドさんにも、戻ると約束をしたので」

商人「……」

末妹「でも、滞在する日数を決めて、お父さんと約束して、その日にちゃんとお家に帰ります」

末妹「……野獣様は、私がそうしたいと言えば聞いてくださると思います」

商人「それは次兄と二人で決めたと解釈していいね?」

末妹「はい」

商人「ふむ……」

商人「……頭ごなしに『行っては駄目だ』とは言わないが、すぐに返事はできないね」

商人「少し、考えさせてくれないか?」

末妹(お兄ちゃん…?)チラ

次兄(よくやった)グッ

末妹「……ありがとう、お父さん」

末妹の部屋。

次兄「それでは反省会を始めます」ドッカリ

末妹「はい」チンマリ

次兄「100点満点の75…いや、80点だな。上出来です」

末妹「そうかしら…」

次兄「何よりも…気付かなかった? 父さん、俺達を子供扱いしていなかった、少なくとも今迄に比べたら」

末妹「え?」

次兄「元凶となった己の行為を責め苛みながら、野獣様への憎しみも拭えなかった、と言ってたよね」

次兄「自分の気持ち…塞ぎ込んでいた間のことも、かなり正直に話してくれた、俺はそう思うけど」

末妹「……」

次兄「有無を言わせぬ(あくまで父さんなりの)高圧的な態度も、子供騙しでお茶を濁す態度も」

次兄「今回は使えない、使うべきではないと思ったんだろうな」

次兄「だから、真剣に考えた上での返事をくれるのは間違いないだろう」

末妹「…お兄ちゃんがいたからよ」

末妹「私だけならやっぱりおチビ扱いだったと思う」

次兄「…そうかなあ??」

次兄「ま、それはさておき、今は父さんの返事を待とうじゃないの」

末妹「そうね…」

末妹「…お兄ちゃんには、いい返事を貰える確信があるのね?」

次兄「確信? ないよ?」

末妹「…………ないの?」

次兄「五分五分…や、6:4ってところかなあ」

次兄「4のほう、『ノー』という返事だった時はまた次の手で行きましょう」

次兄「実は水面下で次の手もあれこれ考えているけど、それはまた後でね」

末妹「……お兄ちゃんやっぱり頭いいのね、次から次へと色々考えて」

次兄「自分では賢いとはこれっぽっちも思わないが、(お前と野獣様と)俺自身の趣味のためなら最善を尽くすよ」キリッ

次兄「……間違えた、お前と野獣様(と俺自身の趣味)のためなら最善を尽くしますから許してください」ヘイシンテイトウ

末妹「……わかっているから、隠さなくていいのよ?」

末妹「…」

末妹「お兄ちゃん、ありがとう。やっぱり頼りになる」

次兄「お礼は不要だよ。言ったろ、お前と俺は同志なんだから」

次兄「それに、お前にはお前にしかできない事がある、その機が巡ってきたら頼むよ」

末妹「……私にしかできない事? それは何?」

次兄「教えてあげない、今はね」

末妹「えー…」ナニソレー

次兄(父さんが疑問を持ったとおり、『償い』は完遂していないはずだ)

次兄(それができるのは、やっぱり末妹しかいないのだろう)

次兄(ここから先は俺の勘と言うか願望も入っているかも知れんが)

次兄(おそらく『それ』は野獣様に関する何かを変える力があると思う)

次兄(そして『それ』が野獣様にとって良い変化であれば、ああなってこうなって更には……)

次兄「芋蔓式に俺との距離も縮まろうってもんですよ」フヒヒ

末妹「……」

末妹(何か聞こえたけど黙っていようっと…)

……

西通りの未亡人宅、料理教室会場。

未亡人「……どうですか、お菓子作りはひとつ間違うと台無しになってしまいますが…」

未亡人「逆に、手順が正しければ、このように立派な完成品ができあがるのです」

未亡人「私の料理教室の第一回目にお菓子作りを選んだのは、このため」

未亡人「レシピを守ることの重要性と、出来上がった時の喜び、これらを同時に、そしてわかりやすい形で味わうことができる」

幼馴染男「うんうん」ココロカラノウナズキ

長姉「…」チラリ

幼馴染男のクッキー:キラキラー

長姉のクッキー:モッサリー

長姉「……材料もレシピも同じなのに何が違うのかしら……」

幼馴染男「いやあ、いきなりお菓子作りとか実用的な意味でどうかなと思ったけど、楽しいものだね!」

長姉「ね、ねえ、幼馴染男?」

幼馴染男「何だい?」

長姉「何枚か交換しない? 他の人の作ったものを食べ比べてみたら勉強になると思うの」

幼馴染男「本当!? 嬉しいな、君の手作りを食べる事ができるなんて!」

長姉「くっ…」

長姉「は、初めてにしては、男の人にしては綺麗に美味しそうにできたじゃない? 褒めてあげるわ!」

幼馴染男「君のも素朴で……このイビツな所が、田舎のおふくろさん風でいいと思うな」

長姉(これで悪気ないのよね、こいつ……)

受講生1「ねえ、あの人…料理教室が始まった時から思っていたけど、ちょっと…よくない?」

受講生2「そうね、男の人なんて珍しいと思ったけど、よく見たら素敵」

長姉「」ピクッ

受講生1「生地を混ぜるときの手つきとか、恰好良かった」

受講生2「ただハンサムなだけじゃないわ、真面目で優しそう……」

長姉(あの娘達、私と同じ年か少し下? よく見たら幼馴染男以外の受講生は若い女の子ばかり……)

幼馴染男「ねえ長姉、俺は今月ずっと通うけど、君は?」

長姉「わ、私は……」

長姉(……当初の目的はお菓子作りのみ、次姉から受講料をもらうのも限りがある……)

受講生2「あの人、彼女とかいるのかしら?」

受講生1「フリーなら、私…ちょっと頑張っちゃおうかな!?」

長姉「」

長姉「もちろんよ! 毎回通うわ!!」

長姉の何かに火がついた……


※ここまで。そろそろ話を動かしたいがさてどうなるやらです※


次兄と末妹ちゃん可愛い
次兄もだなんて僕はどうかしてしまったのかなスカリー

商人の家、長姉の部屋。

次姉「へえー、なかなか上手にできたじゃない。しかも二種類作ったの?」

長姉「……」ダンマリ

次姉「ふーん、こっちの素朴な見た目の田舎風のタイプも、ざっくり感としっとり感が混在した面白い食感で悪くないけど」

次姉「やっぱり女の子が作るならこっちよね。表面のツヤといい、可愛らしい形といい、サクサク軽い口当たりといい」

長姉「…………」プルプル…

次姉「? どうしたの?」

長姉「…と、ところで、次姉。ちょっと客観的な意見を聞かせてくれないかしら?」

次姉「クッキーについてはじゅうぶん客観的に評価したつもりだけど」

長姉「クッキーじゃなくて!」

長姉「……幼馴染男だけど、あんた最後に会ったのはいつだっけ? 子供の時以来?」

次姉「幼馴染男に? そうね、去年の今頃、姉さんと港のお祭りに行った時に偶然会ったでしょ、私はあれ以来よ」

長姉「そうだった、それなら今と見た目は変わらないわね…」

長姉「でね、幼馴染男はうちの兄さん程には背が高くないし、兄さんよりかなりヒョロいし、兄さん程ハンサムでもないけど」

長姉「世間一般の同年代の男性の中では、どのくらいのレベルだと思う? あくまでもパッと見の印象で!」

次姉「……」

次姉「今更というか、なぜこのタイミングでそれを私に意見を求めるのか理解しかねるけど」

次姉「うーん……そうねえ、お父さんとお母様の結婚式の肖像画、思い出せる?」

長姉「? う、うん。」

次姉「髪の毛ふさふさでお腹が弛んでもいない、あの若いお父さんの礼装じゃない普段着の姿を想像してみて?」

長姉「……してみたわ?」

次姉「それを20代前半の男性の…背格好も平均的で、顔も実に平凡」

次姉「ありふれた、どこにでもいそうな容姿のサンプルにして」

次姉「幼馴染男は、比較すると……どう?」

長姉「……あれ? かなりカッコよく思える……」

次姉「でしょ? 比較の対象が最初から間違っていたのよ」

次姉「で、何かあったの? あったんでしょ? 幼馴染男の関係で」

長姉「……あんたには隠しても無駄ね。実は」

~かくかくしかじか~

次姉「……料理教室でばったり出会うとはね」

次姉「男性は彼一人なの? そしたら外見以外にも、その場での『希少価値』が付加されるから」

次姉「普段、街で出会う以上に『素敵な男性』に見られちゃうわねえ」

長姉「うううう……」

長姉「……で、ここから先は、言いにくい事なんだけど……」モジモジ

次姉「姉さんの発想なんてわかっている。皆まで言うな」

次姉「次回以降も料理教室に通いたい、でも受講料をどうしよう、でしょ?」

長姉「……そうよ」ボソ

次姉「…」フー

次姉「まだ、お父さんや兄さんに頭を下げようって気は起きないんでしょ?」

長姉「うん。兄さんには『まだ』こっちから折れたくはないし」

長姉「お父さんに謝った場合を想像しても、その横で兄さんがドヤ顔している場面まで浮かんで…だから嫌」

次姉「……週2回、次の給料日までにあと7回も開講されるのか……」

次姉「わかった、なんとかしましょう。姉さんの(成長の)ためだもの」

長姉「本当!? 嬉しい、次姉大好き!!」ガバッ

次姉「ちょ、姉さん姉さん」

次姉「単純に喜ぶのは早いわ、まずは発想の転換が必要よ」

長姉「発想の転換……?」

次姉「料理教室のチラシ、裏面にもこんな募集があったの」

長姉「何々…『準備・後片付け・材料購入の助手を募集しています』?」

長姉「『報酬もしくは受講料免除の特典を選択可能』……」

次姉「お菓子作りの一回だけならここまで考える必要はなかったんだけどね」

次姉「姉さん、どうせ自由になる時間は沢山ある(端的に言うと暇だ)し、どうかしら?」

長姉「でも……私、働いた事ないし……」

次姉「他の受講生がいない所で、材料や下準備を覚える事ができるのよ?」

次姉「これ以上の上達の早道は、ないと思うんだけど……?」

長姉「……できるかな、私に」

次姉「できるわ、どんな事だって寄宿学校での日々に比べたらずっとマシよ」

長姉「…うん、まずはやってみる、当たって砕けろって言うくらいだから!」

次姉「できれば砕けないでね」

次姉「……」

次姉(姉さんが前を向くための起爆剤は、恋だったみたい)

次姉(応援はしたいけど、なんとなく寂しいような……)フッ

次姉(…………何これ、まさか親心ってやつ?)


※ここまで。次回は早くても金曜夜かな?※

あなた疲れているのよ>>553

商人の店、閉店直後。

商人「今日もお疲れさん、長兄。今日は仕入れたばかりの毛糸がよく売れたのか」

商人「こんなに暖かい日でも暦はとうに秋、冬を意識する頃だものな」

長兄「……うん」ウワノソラ

商人「…どうしたんだ? お前がそんなにぼーっとしているのは珍しい」

長兄「なんにも……考え事してただけです」

商人「そうかい? お前は意外と抱え込むタイプだからちょっと心配だよ」

商人「それに、あまり思い悩むと頭が」

長兄「!」ビビッ

商人「頭が痛くなるぞ?」

長兄「…………大丈夫。生まれてこのかた、外傷以外の原因で頭痛なんか起こした事がない」

商人「お前は本当に丈夫で、3歳の時のハシカ以外に病気で寝込んだことなんかないものなあ」

商人「しかし、これは体力に限らないが、自分を過信していると痛い目を見るぞ」

長兄「…過信……」

商人「…なんてな、10日前まで生ける屍さながらだった私が、支えてくれたお前に忠告なんておかしな話だが」

長兄「いや……父さんの言う通り、俺は思い上がっていたのかもしれない」

商人「思い上がり? 長兄が?」

長兄「父さん…俺、男子校に通っていた15歳の時、恋人がいました。過去形です」

商人「……だ、男子校でっ!?」ハワワ

長兄「え? ……っ、いや、そうじゃなくて、同じ王都で女学生だった女の子ですよ!?」

商人「あ、そういう意味か……」ホッ

長兄「話を戻すと……俺の通っていたのは父さんの母校でもあるから、知っているとは思うけど」

長兄「校外奉仕活動のスケジュールがその女学校と重なる時があって、それで知り合ったんです」

長兄「数ヵ月間は奉仕活動の休憩時間に話をしたり、図書館で一緒に勉強をしたり、そんな中で徐々に親しくなって」

長兄「彼女が15歳の誕生日を迎えた日を機に、思い切って告白したんです」

商人「うんうん、私も昔は覚えがあるよ、青春だねえ」

長兄「……彼女はすごく喜んでくれて、だから彼女も前から俺の事が好きで、告白を待っていたんだろうと思っていました」

長兄「だから、俺がどんな事をしても彼女が俺に愛想をつかすことはないだろう、くらいに考えていた」

商人「……『どんな事をしても』」

商人「も、もしやお前は、その娘さんに対し欲望に任せて非道な行為を働いた、とか!?!?」アババババ

長兄「その逆。結果的には、いわゆる『釣った魚に餌はやらない』というやつでした」

長兄「俺としては、その……」

長兄「…二人で観劇やピクニックに出かけたり、えーと……キスしたり…なんかはまだ先でいいと気長に考えていて」

長兄「いいえ、彼女が求めていたのはきっと、もっとさりげない、小さな、でも明確に好意を現す態度だったのでしょうね」

長兄「俺はそれすらしなかった」

長兄「それどころか、告白後は『好きだ』と言った事さえ」

商人「……」

長兄「更に言うなら、俺は一般的に女の子が向こうから寄ってくるタイプだったらしく」

商人「…うん、私の息子とは思えないほど背も高いし美形だし」

商人「お前達の母方のお祖父様が若い頃にそっくりだけどね」

長兄「他の女の子に頼まれて奉仕活動中の力仕事に手を貸したり、図書館で高い所の本を取ってあげたり」

長兄「……それを恋人として交際を始めた彼女が見ている前で、しかも何度も」

長兄「そして俺はその『意味』にも気づいていなかったという」

商人「……ああ」

商人「それは減点が多すぎたよ、長兄……」

長兄「そうです。結論から言うと、交際が始まって7カ月後、お互いが自分の学校の卒業を間近にしたある日」

長兄「彼女の方から別れを切り出してきました……」

商人「そう……」

長兄「向こうから嫌われる事はないだろうと無意識のうちに思い上がっていた、その上、相手の心の変化にも気づかない鈍さ」

長兄「15歳当時ならまだ未熟だった、幼かった、と至らなさの言い訳もできるが」

長兄「……どうやら俺は成長していなかった」

商人「ま、またお付き合いしていた女の子に振られたのかい!?」

長兄「いえ、妹の……長姉のことです」

商人「長姉の……」

長兄「父さん、俺達が小さい頃のこと…男子校に行く前、覚えていますか?」

商人「覚えているよ。長姉も次姉も『お兄ちゃん、お兄ちゃん』と」

商人「長兄の後をついて回って、お前もなんだかんだ言って邪険にはせず、相手をしていたなあ」

商人「二人より1年早くお前を寄宿学校に送り出してからは、しばらくの間、寂しがって泣いていたな……」

長兄「ええ、だから俺は、妹達はいまだに『お兄ちゃん大好き』なんだと心のどこかで…思い上がって」

長兄「今、不貞腐れて閉じこもっている長姉も、きっと、必ず、向こうから折れて謝ってくれると」

長兄「疑いもせず信じ込んで、知らぬ間に…取り返しのつかないほど長姉の心を傷つけていたんです……」

商人「……」ウーム

商人「私も、長姉と次姉の育て方…自身のあの子達への接し方には思うところがある」

商人「野獣の屋敷と関わってからのここ1カ月で色々あった、その間、私もあれこれ考えたんだ」

商人「次姉はそれでも不甲斐ない父親などあっという間に乗り越えて、立派に成長した」

商人「元々とても賢くて逞しい子だった、だから自分の生き方を自分で見つけ出せたのだ」

商人「……長姉は、本当は人一倍寂しがりで傷つき易く、依存心も強い」

商人「幼いうちに寄宿学校に放りこんで寂しい思いをさせた後ろめたさから」

商人「家に戻ってからはねだるままに金品だけ与えて結局は放置した、それが大きな過ちだった」

商人「もっと目を掛け、話を聞いてやり、心を配ってやらないといけなかった」

商人「末妹をそうして育てたように……」

長兄「……」

商人「しかし、今からでも遅くない……私から長姉に謝って」

長兄「いや、それなら俺が先に。前にも言ったが、こうなった直接の原因は俺にあるから」

商人「とはいえ全ての元凶は私にある。それに女心は私の方がまだ理解できるつもりだ、とにかくここは任せてくれ」

長兄「……どうせ俺は、万が一妹達に聞こえたら思ってぼかした表現するけど、女性とどうにかなった経験もありませんよ!!」

商人「! お、お前、まだそういう経験がないのかい!?」

商人「去年の今頃に港のお祭りで一緒に歩いていたきれいな娘さんは? てっきり今も付き合っていると……」

長兄「父さんに見られていたとは……彼女とだったらお祭りの後の『今夜は帰りたくないの』というセリフに」

長兄「『ご家族と喧嘩したなら仲裁に入ってあげるよ』と本気で返したばかりに」

長兄「『乙女に恥をかかせるなんて!!』と引っ叩かれておしまいですよ!」

長兄「あっ、て言うかそこで自覚ができていれば今頃は!?」

長兄「……とにかく傷口抉らないでよぉ!!」ブワワッ

商人「お、おい、長兄!?」

長兄「うえっぐ……俺なんて、俺なんか……人の気持ちが理解できない顔だけの無神経男と呼ばれて、いずれは」

長兄「年齢とともに外見もどうにかなって身も心も醜い孤独な中年男として朽ちて行くのがお似合いなんだ…うえっぐ」

商人「取り乱しつつも『外見もどうにかなる』というぼかした表現に私への気遣いを感じるよ、どうせ頭髪の話だろう」

商人(……しかし、長兄が泣くのを見るのは妻が亡くなった時以来だな)

商人(思えば、小さな頃から兄だ、長子だ、跡取りだと、何かと重圧を掛けてしまっていたかも……)

商人(末妹達の話を相談しようかと迷っていたが、それは長兄に頼らず私が答えを出すべき問題なのだな)

商人(何より、今はこの子の悩みをこれ以上増やしては……)

商人「……なあ長兄、秋の夜長だ、今夜は二人、男同士で飲まないか?」

長兄「……」グシュ

商人「一人でちびちび楽しんでいた銘酒の味を、そろそろお前にも教えたい」

商人「そして、飲みながら長姉にどう接するか話し合おうじゃないか。大丈夫、あの子についてはまだ間に合う(はず)」

長兄「……」コクリ

商人「よし、弟妹が寝静まった頃に書斎へおいで」

商人「まずは落ち着いて、夕食、いやその前に(涙と鼻水でぐじゃぐじゃの)顔を洗わんとな……」

商人「……長兄は今や私の頼もしい相棒だ、そう思っていることは忘れないでおくれ」

…………

翌日、朝食後。

家政婦「末妹様に、お客様ですよ」

末妹「私に?」

家政婦「末妹様くらいのお歳のお嬢さんで、友1様と友2様、友3様です」

末妹「私の友達だわ!」パァァ

商人「おお、あの子達か。末妹、久しぶりに遊んでおいで」

末妹「でも」

末妹「お店は? お長兄(にい)さんの具合が悪いんでしょ?」

商人「長兄なら心配ない(二日酔いだからね)」

商人「店なら、私も次姉もいるよ。品物の出し入れなら次兄も手伝ってくれる」

商人「元気な顔を見せておいで」

末妹「……」

末妹「ありがとう、お父さん」タタッ

次兄「窓から見える、俺もあの子達の姿は久しぶりに見るな」

次兄「……みんなまた背が伸びて、末妹以外は俺の身長を既に抜いているのではなかろうか」

次兄「しかも3人とも決して大柄な方ではなく、ごく平均的な妹と同年齢の少女の体格と言えよう」

商人「お前もこれからまだまだ伸びるから安心しなさい」

次兄「俺もうすぐ17だもん、さすがに」

商人「お前の『もうすぐ』ってどれ程なんだ? まだ16歳3カ月、むしろ今の歳に『なったばかり』じゃないか」

次兄「時間の感覚には個人差があるとだけ言っておきましょう、それ以上のコメントは差し控えます」フンス

商人「……」

商人(考えたら、この子は赤ん坊の時は5歳まで生きられないと言われ)

商人(5歳を過ぎれば10まで、10を過ぎれば15まで生きられないと言われて)

商人(その頃から徐々に体力もついて、あまり寝込まなくもなり、やっと丈夫になってきたかと思った矢先)

商人(14の終わり頃に今迄で一番の重病になって、晩冬から初夏まで何カ月も容態は一進一退を繰り返し)

商人(15の誕生日も病床で迎えたのだっけな)

商人(……それから僅か1年で、この間、発熱や腹痛ひとつ起こさず)

商人(人並みとまでは言わないが、依然と比べ物にならないほど活発で健康になったので)

商人(昔をついつい忘れてしまいそうだが、きっと次兄には、年齢を重ねる事は普通以上に深い意味を持つのだろう)

商人(誕生日が来れば、すぐにその次の誕生日が心待ちになったとしても、無理はない……)

商人「……」ポン

次兄「…ふひゅえ!?」

次兄「な、なんすか父さん、俺の頭に手なんか置いて!?」

次兄「まさか、父さんと色が似ている俺の髪を手から吸引して自分の物にしようとか、そんな黒魔術か何か!?」

商人「違う」

商人「……お前の想像力、妄想力かな、独創的にも程があってそこまで来ると感動さえ覚えるよ」ワシャワシャ

商人「とりあえず、このひどい寝癖をきちんと整えないと女の子にモテないぞ?」ワシャ

次兄「人類の女子にはそそられないので」キッパリ

商人「……わかってはいたが、ううむ」ワシャ…

商人「……西の島国には女性の動物学者兼探検家がいると聞いたなあ」

商人「これからの時代、そんな女性学者も増えてくるかもしれない」

商人「お前が大人になって、そういう人とお近づきになれたら、世界の珍獣との出会いも期待できるかもしれないぞ?」ナデ

次兄「…!?」

商人「しかし、どんな女性に対しても、身だしなみは紳士として最低限のマナーだからね」ナデナデ

次兄「……なるほど、(動物との)出会いのチャンスはいつどこに転がっているかわからないから常に備えよ、という教えか!」

次兄「いいことを聞きました、ありがとう父さん、俺の髪30本くらいなら吸い取っていいよ!!」

商人「……………………だから違うと言ってるだろうがあ」グッシャグッシャグッシャラギリギリギリ

次兄「いて、いてて、やめ、ほんとに抜けちゃうやめてええぇ!?」バタバタ

…………


※ここまで。脱字等は脳内保管プリーズ…次回は日曜日?※

毎度おなじみ、街のちょっとした広場。

末妹「友1ちゃん、友2ちゃん、友3ちゃん……」

末妹「みんな久しぶり、会えてすごく嬉しい」

末妹「……でも、帰って来たのにこちらから連絡しなくてごめん、家も何かと忙しくて」

友1「私達も帰って来たとは聞いていたけど、商人さんの具合が悪いとも聞いていたの」

友1「だから気にしないで、仕方ないもの」

友2「でもよかった、元気そうで」

友3「お手紙もらった後に、何やら変な噂をあれこれ聞いて、皆で心配してたの」

末妹「ありがとう。噂は噂だもの、私はこのとおり何も変わりはないし、こんなに元気よ」

友2「そうよね。で…学校にはいつ来るの?」

友3「もう一カ月も来ていないものね、寂しいな」

末妹「……」

末妹「ごめんね。まだはっきり決まってはいないけれど、私またあちらにしばらく滞在するかもしれない……」

友3「また遠い親戚の人のお家に?」

友2「その人って、どれくらいの『遠い親戚』なの?」

末妹「……」

末妹(ごめんね、皆に心配かけたくないばかりの嘘だったけど……)

末妹(そこまで考えておけばよかったのかしら?)

末妹「わ、私も実はよくわからないんだけど、そのお家のご主人様は」

末妹「お父さんのお祖父様のそのまた従兄のお孫さん」

末妹「……少し間違っているかもしれないけど、だいたいそんな感じだったと思うわ」

末妹(本当はその後に『…の、見ず知らずの赤の他人』と続くのよね…)

友1「じゃあ、商人さんと同じ年代になるのかしら」

末妹「……たぶん、少しは上だと思う、正確には私も知らないの…」

末妹(野獣様っておいくつなのかしら? 人間だとしたら、なんとなくお父さんより年上になりそうだけど)

友3「ふうん、ねえ、それならその人には子供さんとかいないの?」

友2「そうそう、例えば私達と同じくらいの歳の人は、そのお家にいなかったの?」

末妹「……同じくらいの」

末妹「お子さんはいないけど、使用人の、庭師さんとメイドさんが(人間だとしたら)あまり変わらないのかな?」

友2「へえ……ねえねえ、その庭師さんって男の子? どんな感じ? 顔は?」

末妹「え」

末妹「えーと……男の子、よ。顔は……目がくりっと大きくて、可愛い」

友2「可愛いの!? じゃあ背は高い? 脚は長い!?」ズイ

友3「お話しした? 優しかった!?」ズズイ

末妹(な、なんなの、身を乗り出して?)タジタジ

末妹「……背や脚は(猫としては)普通じゃないかな」

末妹「お話もしたわ。優しいし、毎日忙しく働いて立派だと思う」

友2「いいじゃないいいじゃない!」ワクワク

友3「他に、例えば二十代くらいまでのイケメンな男の人とか……いなかった!?」ワクワク

末妹「(人間だったら)二十代」

末妹「……いないわ。執事さんが四十代くらいで、料理長さんはもっと上」

友2「おじさんばっかりなのね……」ガッカリ

友3「……なーんだ」ガッカリ

末妹(…なんなのこの反応)

友1「二人とも、それぐらいにしたら? 末妹ちゃん呆れているでしょ」

友3「友2ちゃんは彼氏がいるからほどほどにすべきだけど、私は別にいいじゃない」

末妹「カレシ」

友2「やだ、親同士が決めた婚約者だって言ったでしょ!」カァ

友1「あ、末妹ちゃんはまだ知らなかったっけ」

友3「ほら、一昨年に私達の学校を卒業した某先輩さん。私達の三つ上の」

末妹「ああ、友2ちゃんのお隣さんで小さい頃からのお知り合いの?」

友3「友2ちゃん、あの人と先月婚約したんだって」

友2「もー、形式だけだってば。私も彼も全く今までどおり」

友2「勉強を教えてもらったり、お互いの小さい弟妹も交えてみんなで遊びに行ったり…昔も今もそんな感じ」

友3「恋人通り越してもう家族…夫婦みたいなものねー」ニヤニヤ

友2「からかわないでったら!」プンスカ

友3「へへ、真っ赤になってるー」

友1「だーかーら、いい加減にしなさいってば!」

友1「だいたい、友2ちゃんが恋バナに持っていこうとしたからこうなったんでしょ?」

末妹「」

末妹「……やたら男の人について聞いてくるのは、そーゆー理由だったんだ……」

友2「なんだ、わかっていなかったのか」

友3「やっぱりお子様ねー」

友1「やめなさいってば……友3ちゃんはせめて毎朝自力で起きられるようになってからそのセリフ言いなさい」

末妹「いいの、友1ちゃん」

末妹「恋愛の話題を私に振られたのは初めてだけど」

末妹「みんなの雰囲気は今まで通り変わっていなくて、なんだか嬉しい…」

末妹「……あ、友2ちゃんはちょっと大人になったのかな?」

友2「なっ、末妹ちゃんまで、やーだー」

友1「自業自得でしょ、もう」

末妹「ふふ……」

…………

長兄の部屋。

ドア:ガチャ

商人「……少しはよくなったかい、長兄?」

長兄「……」モゾリ

長兄「…家政婦さんの持ってきてくれた蜂蜜入のハーブティが効いたようで、マシにはなりまひた…」ボヘー

商人「そうか、で、どこまで記憶があるかな……?」

長兄「……」

長兄「父さんがお母さんと知り会う前の彼女と既にどうにかなった経験があったのと」

長兄「お母さんとは結婚するまで清い仲だったと聞いて」

長兄「『なんとなくそれズルいいいいいい!!』と叫んでぶっ倒れた所までは…覚えています……」

商人「…酒に呑まれがちな割に酒席での記憶が飛ばないタイプか、それはそれで難儀な」

長兄「で、さっきまで眠っていた時の夢に、久しぶりにお母さんが出てきまして」

商人「妻が……」

長兄「記憶を元に俺の脳内で構築された都合のいい『お母さん』なのはわかってはいますが。曰く」

長兄「『お父さんは私と付き合い始めた頃、どのように交際を続けたいか、私をどのように想っているのか』」

長兄「『そして、もうお互い将来を意識する年頃だったから、二人の未来をどう考えているのか……』」

長兄「『きちんとお話してくれたの。だから、ほとんど手紙でしかやり取りできないお付き合いでも、安心していられたのよ』」

長兄「……と、このように」

商人「うむ……お前の脳内産物にしては実際のお母さんにかなり近いね」

長兄「俺に足りなかったのは触れ合いや言葉以前に、もっと根本的な」

長兄「相手への誠実さだと、つくづく痛感しましたよ」

長兄「自分は今まで、どちらかと言えば誠実な人間だと」

長兄「いや、少なくともそうあろうとしている人間だと、自負していたのにこれか、と……」

商人「恋愛に対してだけ重度の朴念仁なだけだと思うよ?」

長兄「しかし、落ち込むのはもうやめにします」

長兄「幸い、15の時の彼女も、去年別れた彼女も、今は幸せだと聞いているので」

長兄「俺も、もう過去は振り切って前向きに生きて行こう、そして」

長兄「恋愛対象に限らず、今まで以上に他者に誠実であろう、と思います」

商人「相変わらずお固いが、立ち直ってくれて何よりだ」

商人「お前も今からでも、時には私に甘えていい…と言うか、私に色々曝け出してくれて構わんぞ?」

商人「振り返ってみると、妻が亡くなってから、お前だけは殆ど年相応の子供扱いをしてやらなかったものな……」

長兄「……その言葉だけで充分ですよ」

長兄「それで、前向きの第一歩として、まずは長姉の問題を……」

商人「………………そうだったな」フゥ

…………

友1「もしも今度、そのお家に行ったら、どれくらいで戻るの?」

末妹「……まだ決まっていないし、お父さんともっとお話しなきゃならないけど」

末妹「きっと、そんなに長くはならないわ」

末妹「前は、戻る予定がはっきりしないまま出掛けたけど……」

末妹「今度は『何日後に戻って来る』とみんなに約束してから行けると思うの」

友3「そうなんだ……また寂しくなるけど、約束があれば安心して待てるわ」

友2「絶対、絶対戻って来てね!?」

友1「まだ決まってないって言ってたでしょ、気が早いなあ」

友1「……」

友1「北の地方だって言ってたね? これから寒くなるから、体に気を付けて……」

末妹「うん……みんな、ありがとう」

友2「友1ちゃんも気が早いじゃない!」

友1「だって、この前はいきなり私達の前からいなくなっちゃったから」

友1「なんだか…不安になってきて……」

末妹「本当にごめんねみんな、でも……大丈夫」

末妹「私、約束を守るから」

友1「…なんだか、末妹ちゃんが私達の中で一番大人っぽく見えるよ」

友2「そうね、どことなく、なんて言うか…強くなった? みたい」

友3「あの末妹ちゃんが、しばらく会わないうちに成長したのね…」シミジミ

友1「だから友3ちゃん、そのセリフはおかしいって」

末妹「そんなことない、私なんかまだまだ一人じゃ何にもできない子供だもの」

末妹「だけどね、大切に思える人が周りにいるって、私を大切に思ってくれる人が周りにいるって」

末妹「色んなひとに支えられているって」

末妹「前よりも、もっと信じられるように、強く思えるようになったんだ」

末妹「……もし私が成長したように見えるのなら、きっとそういう事かもしれない」

末妹「もちろん、みんなも私の大切な人達に入るからね」

友1「……末妹ちゃん!」ギュー

末妹「わ」

友3「あ、ずるい! 私も!」ギュッ

友2「私もー!」ムキュー

友1「ほんとに、ほんとに、早く、この町に戻って来てね」

末妹「……うん」コク

友2「また学校に来てね、一緒に遊ぼうね」

友3「……また勉強教えてね?」

末妹「ありがとう、みんな……大好き……」キュッ

…………

商人「……結局、昨夜は長姉対策までほとんど話ができなかったし」

商人「今も長兄を長姉に見立ててシミュレーションしてみたが、うまく行かないものだなあ……」ハァ

長兄「そりゃ無理があるでしょう、色んな意味で」

長兄「……そうだ。この、メロン大の半球型クッション」

商人「?」

長兄「これをこう、二つ並べて壁にぶら下げたら、長姉のモデルとしてかなりのリアリティが出せるのでは……?」

商人「長兄、長兄!! まだ昨夜の酒が残っているな、酔ってるな!?」ペシペシベシベシベチベチ!!

長兄「あうあう」イタイヨ

数分後…

長兄「……すみません、今度こそしっかり目が覚めました」ヒリヒリ

商人「本当にしっかりしておくれ……」

商人「……結局のところ私達も、一切構えたりせず、長姉に心の内を曝け出す事が必要なのではないだろうか?」

商人「我々側に父親だ、兄だという意識があるうちは、今のあの子は心を開かないと思うんだ」

長兄「曝け出す」

長兄「では、長姉の前で酒を飲んでグダグダな自分を」

商人「違うから」

商人「自分の考えを…長姉に望むことを、きちんとした言葉と態度で包み隠さず伝える、これしかないだろう」

長兄「……それにはまず、長姉が話を聞いてくれるように舞台を整えないと」

商人「それだが、ここで次姉の力を借りてはどうだろうか」

長兄「次姉……」

長兄「長姉は、次姉が店を手伝っていること面白く思っていないのですよ?」

次姉と長姉の和解は、長姉の希望により他の家族には秘密です。

商人「……ううむ…」

商人「強引な方法を使っては、ますます心を閉ざしてしまうだろうし……」

長兄「なんですか、女心はわかっている筈じゃなかったんですか、父さん」

商人「しかしね、次姉も長姉については色々考えていると思うんだ」

商人「とにかく、次姉に相談するだけでもいい手が見つかるかもしれない」

長兄「結局、今の我が家で最も頼りになるのは次姉ですね……」

……

次兄の部屋。

次兄「髪をきつめに引っ張られたけど、あれでも手加減してくれたおかげで無事、これがうちの父さんの優しさである」

次兄「毛根の痛みは一時的なものです」

次兄「さて、末妹は友達と、街の広場へ」

次兄「もしや父さんも『またしばらくの間、友人達とお別れ』を想定していたが故、末妹を送り出した?」

次兄「……いやいや、それはあまりにも我々に都合の良い解釈と言えましょう」フルフル

次兄「『友達』かあ」

次兄「俺にはひとりもおりません」

次兄「長姉と次姉が女学校に旅立った後だな、俺は6歳」

次兄「家庭教師が付いているとはいえ、やはり父さんは俺を」

次兄「せめて体調の良い時だけでも、町の学校に通わせたかったらしく」

次兄「かと言って、少し前まで姉達が通っていた、妹もいずれ入るであろう同じ初等学校は恥ずかしい、と俺は拒んで」

次兄「結果、家から離れた…市内では我が家から一番遠くにある初等学校に編入手続きをしてくれた」

次兄「そして初登校日。送ってくれた父さんの馬車が見えなくなると同時に、校地内の噴水に叩き込まれましたよ」

次兄「主犯は四つ上の上級生と聞く」

次兄「『お前は気持ち悪い顔をしているからこうなるんだ』」

次兄「もう相手の顔も忘れたのに、水に落ちる寸前、奴が放った一言は忘れられません」

次兄「……今思うと」

次兄「俺はそこの学校の近所に当然暮らしたこともなければ、立ち入ったこともない」

次兄「しょせんは子供、自分の周辺が世界の全て、見慣れない相手はそれだけの理由で『変』『怖い』『気持ち悪い』…」

次兄「…とレッテルを貼り付けることで排除という名の整頓をして、とりあえずの安心感を得る」

次兄「そこへ奴の取り巻き連中が煽るものだから、集団心理がエスカレートしてああなったと推理」

次兄「……笑顔が爽やかではないとは今でもたまに言われるので、本当に俺の顔は気持ち悪いのかもしれませんが」

次兄「まあとにかく、俺の次の記憶はこの部屋のベッド、そして二度と、父さんはどこの学校に行けとも言わなくなった」

次兄「……そのままなんとなく現在に至る」

次兄「十年間、別に友達が欲しいとも、自分にいないことの自覚も、ほとんど意識した事さえなかった」

次兄「妹が家の近くの学校に入って、友達ができたと聞いた時は安心したし嬉しかったけど」

次兄「俺は別にこのままでいいのです、何よりも」

次兄「人間の同年代の友人よりも、もっともっと、親密になりたいと切に欲する存在に出会ったから!!」キラキラ

次兄「再開の暁にはまず…俺への態度が軟化してきた野獣様から攻略」

次兄「上手に事が運べば」

次兄「今はツンしかない執事さんも、あの野獣様への忠実さを考えたら、デレるのも時間の問題!!!!」ババーン

次兄「……おっと」

次兄「また独り言の音量がどんどんクレッシェンドして最終的にフォルティシモになっていた……」

次兄「誰かに聞かれていなかったろうな? 店の休憩時間だし、誰かが家の外にいる可能性も」カチャ

次兄「……おや」

次兄「長姉ねえさんが窓から出てくる所だが、窓の内側…長姉ねえさんの部屋に、誰かがいる?」

次兄「窓から手を振って長姉ねえさんを送り出して、長姉ねえさんも笑顔で応えて去って行った……」

次兄「あの服の袖……次姉ねえさんだ」

…………


※もう少し進めたかったけど眠いのでここまで※

次兄は変態だけど気持ち悪くなんかないよ!
あっ、ちょっと待ってやっぱり少しだけ気持ち悪いかも…
でも良いやつだよ!ホントだよ!

昼下がり、商人の店。

長兄「次姉、午前中はお疲れ様」

次姉「あら兄さん、気分は良くなったの?」

長兄「ああ、もう大丈夫。で、このあとの店番は俺が替わろう、いや、替わってくれないか?」

次姉「でも」

商人「次姉、すまんな。私がお前と話しをしたいのでね」

次姉「お父さん?」

……

商人の部屋。

商人「そこの椅子にお掛け」

次姉「……」トン

商人「突然呼び出して悪かった、しかし、どうしても次姉の力が必要だと思ってね」

次姉「私の力を……」

次姉「……予想はつくわ。姉さんのことね」

商人「さすが、お前は察しがいいな」フゥ

商人「だかそれなら話は早い、実は長姉と話し合う場を持ちたいのだが……」

しばらくのち。

次姉「要するに、お父さんは長年姉さんに寂しい思いをさせてきた事を」

次姉「兄さんは、姉さんのほうから折れて来るのが当然と思っていた傲慢さを」

次姉「謝らなくては姉さんが心を開いてはくれない、とそう思った…と言うか、思い直したわけね」

商人「ああ、そうだよ」

次姉「……」

次姉「今はまだ詳しくは言えないけれど、姉さんは姉さんで、頑張っている所なの」

次姉「もう少しだけでいいの、もう少し、このままそっとしてあげてくれない?」

商人「しかし、もう何日もあの子の姿をまともに見ていないし、声も聞いていないし、1日でも早く……」

次姉「お父さん」

次姉「末妹と次兄が旅立つ前に、安心させてあげたいんでしょ?」

商人「っ」

商人「あの子達から、聞いたのか……」

次姉「…ううん。私が知ったのは偶然。あの子達は、私が知っている事を知らないはずよ」

次姉(そう、昨日……)


時は昨日、所は商人の店。

次姉「兄さん、ほんとにおかしいわ。ケガだけはしないでね?」

長兄「……うん」ウワノソラー

長兄「…いてっ!?」

次姉「兄さん!?」タタッ

次姉「……薪のささくれた棘が手に刺さったのね。いつもの兄さんなら気を付けて手に持つのに」

次姉「大きな棘、けっこう深いわ、血が出てる。手当しないと」

長兄「いいよ、こんなのケガのうちに入らない」

次姉「商品や帳簿に血が付いちゃうでしょ! 今日の兄さんならやりかねないわ!」

次姉「奥から包帯取ってくる。兄さんは傷口を軽く洗って来て」

次姉「そこの水差しの水を……流しかけるのよ、水差しに手を突っ込まない! 店の外に出てから!!」

次姉「……全く、常識までぶっ飛んでしまったのかしら?」

次姉「包帯は居間の戸棚に……」ツカツカ

次姉「……末妹の部屋」ピタ

次姉「あの子もすっかり快復したし、今夜あたりから……例の、二人きりの特訓を……」

(脳内次姉「それじゃ、まず朝一番に私と出会った場合を想定して、はいっ!」)

(脳内末妹「お…おはよう、お姉…ちゃん」)

(脳内次姉「『おはよう』まで、つっかえなくていいのに」)

(脳内末妹「だって…『おはよう』と『お姉ちゃん』どっち先にしようか、一瞬迷っちゃったの……」)

(脳内次姉「今の方が『お姉ちゃん』てすんなり言えたじゃない、もーこの子ったら!」

次姉「……」ボー

次姉「ハッ」

次姉「いけないいけない、妄想している場合じゃない、毛皮臭を嗅いでウットリしている次兄でもあるまいし」ブンブン

次姉「……次兄」

次姉「部屋の中から次兄の声がする、しかも……次姉ねえさんとか言ってるわ?」

次姉「二人で何の話を……」キキミミ

次兄の声「……もう一回、今度は兄さんも次姉ねえさんもいない場合」

次兄の声「二人に見立てたぬいぐるみと人形はこっちに寄せて、っと」

次兄の声「父さん一人のパターンで話を切り出してみよう、俺を父さんと思って、はいっ!」

末妹の声「お父さん、お話があります」

次姉(……何の練習をしているの?)ピタ

次姉(…………)

次姉(またあの怪物の屋敷に行きたい、って!?)



次姉「あらかじめ家に帰る日にちをお父さんと決めて、怪物…野獣にもそれを約束させる」

次姉「野獣が信用に値する存在かどうか、私にはまるでわからないけれど」

次姉「あの子達が野獣を信用しているのには、それだけの理由がちゃんとあるはず」

次姉「……お父さんもそう思って、二人を送り出すことにしたんでしょ?」

商人「……まだ返事はしていないが、ね」

次姉「お父さんの気持ちはわかるけれど……でもね」

次姉「今の姉さんには『末妹のため』このタイミングで仲直りしたがっているとしか取られない」

次姉「そしてそれは一番、思わせちゃいけないことよ」

商人「……」

次姉「姉さんなら大丈夫」

次姉「末妹には私から話すわ、また家に帰ってくる時には、今度は姉さんも二人を出迎えてくれる、って」

商人「……わかった」

商人「次姉を信じて、ここは任せるよ。長姉のことを一番理解できるのは、結局はお前だからな」

 


※ここまで。次回は近日中、久し振りに別サイドの話も書きます。たぶん。あとこの話に登場する建物の間取りは全て謎※

>>589 次兄に代わってありがとよ

商人の家。

末妹「……ただいま。遅くなってごめんなさい」

商人「いいんだよ、末妹。それより、お腹は空いていないか?」

末妹「友2ちゃんがみんなの分のアップルパイを焼いてきて……4人で広場で食べたの」

商人「そうか、それはよかったね」

商人「しかし、家政婦さんがお前の分の昼御飯を取っておいてくれた筈だが、どうしたものか……」

末妹「あ…」

末妹「家政婦さんに謝って来ます」トトト

台所。

家政婦「心配いりませんよ、末妹様」

家政婦「買い置きの食材ですぐ用意するつもりでしたから、無駄にはなりません、ご安心を」

末妹「よかった…」ホッ

家政婦「末妹様も、これからはご家族以外とのお付き合いが増えてくる年頃です」

家政婦「若いかたがお友達と出掛けられたら、外食される可能性も考えて臨機応変に対応しなければ」

末妹「……若いかた」

家政婦「ええ、もう貴女もお姉様達と同じ、立派な淑女ですからね」

末妹「淑女」

末妹「……ピンと来ません……」

家政婦「今はそれで良いのです。周りからそのように扱われることによって、徐々に自覚も作られて来るのです」

家政婦「ここ一カ月ほど、お家から離れておられた時期を挟んで、末妹様はずいぶん大人になられました」

家政婦「少なくとも私はそう感じます。なので、私は貴女を一人前の淑女と思って接することにしました」

末妹「一人前」

家政婦「だからと言って、背伸びをすべきとは思いませんよ。自然な末妹様をご家族の皆様は愛しておられますから」

末妹「家政婦さん…」

家政婦「……あら、私としたことが、お喋りが過ぎましたわ」

家政婦「お願いですから、旦那様達には内緒にしてくださいね?」シー

末妹「くす……ええ、淑女同士の約束ですね?」シー

…………

商人の店。

次兄「兄さん、頭痛薬持って来たよ」

長兄「…おう……」グンニョリー

次兄「午前中は寝込んでいたんだろ、無理することないのに」

長兄「……ああ、次姉と父さんの話が終わったら、どちらかにやっぱり店番を替わってもらおう……」

次兄(『次兄に任せるよ』とは言わないんだ)

次兄(尤も、本当にそう言われたら速攻でお断りする所存でしたがね)ソウイウヤツデス

次姉「兄さん、話しは終わったわ。もう休んで」

長兄「次姉」

次兄「姉さん」

次姉「次兄に頼まれて頭痛薬を渡したと家政婦さんから聞いたから…やっぱり兄さんだったのね」

長兄「うん、さっきはああ言ったが、今日は休ませてもらうよ……すまん」ガタ

長兄「で、話の方は…」

次姉「それはお父さんから聞いて?」

長兄「…わかった。じゃあな」タイジョウ

次兄「おだいじにー」フリフリ

次姉「……何、次兄、手伝ってくれるの?」

次兄「接客以外ならば」

次姉「ま、ありがたいけどね。じゃあ早速、そこの毛糸玉を並べ直してくれる?」

次兄「ほいきた」サッサ

次兄「……」

次兄(姉さんと姉さん、いつの間に仲直りしたんだろう?)ホイホイ

次兄(たぶん、父さんや兄さんは知らないだろうなあ……)ホイホイ

次姉「……あんたには芸術的センスとかいう物が備わっているのかもしれないけれど」

次姉「同じ色の毛糸は一まとめにしてくれない? 1個だけ買っていくお客様は殆どいないのよ、探しにくいったらないわ」

次兄「あ、そういうものなの? じゃあ直す」ホイホイホイホイ

次姉「…………やればできるじゃないの」

次姉「しかも寒色と暖色で列を分け、濃淡で順に並べて…これならずいぶん探しやすいわ」

次兄「どんなもんですー」ドヤァ

次兄(…よかった。並べ方で遊ぶなとか言われながらビンタが飛んでくるかと、内心ヒヤヒヤしておりましたの)ホッ

次姉「誰にでも一つくらい、いい所があるものねえ。一つくらいは」

次兄「そこ強調しなくても……」ショボン

呼び鈴:チリンチリン

次姉「お客様……次兄! あんたは『無言で』お辞儀っ!!」奇声ヲ規制

次兄「はいっ!?」ビビッ

次姉「いらっしゃいませ~」営業用ボイス

次兄「……」ペコリン

師匠「……戸を開けた一瞬、凄まじい緊張感を感じたのだが……?」

次兄「あ、おっさんだ!!」

次姉「次兄っ!?」ビュッ!

師匠「!!」

次姉「 あ あれ? 右腕が突然、異様に重くなって……?」ググッ

次兄「……?」ボウギョシセイ

次兄「……なんだかよくわからないけど、助かった模様…」

次姉「……封印したはずなのに、つい手が出そうになっちゃった」

次姉「駄目ね、いくら次兄だって、噛んで含めるように言い聞かせれば理解できないこともないでしょうに」フッ

次兄「俺の理解力はその程度と認識しておられるのですね」

次姉「しかもお客様の前、私が悪かったわ次兄」

次兄「……ううん、姉さんから見たら、お客に無礼を働いたとしか思えないからね」

師匠(……振り上げた右腕だけに、過剰な空気抵抗を掛ける魔法が間に合った)ホー

師匠(幸い、娘の激情も瞬間的なもので、理性で治めてくれたようだ)

次兄「実は、この人、俺の知り合いなんだ」

次姉「ええっ!? お客様、本当ですか!?」

師匠「ああ、お嬢さんも覚えていてくれたかね、あの雨の日に鉛筆をここで買ったのを」

次姉(白髪の小柄な五十過ぎの男)

次姉(穏やかそうな顔立ちに不釣り合いな鋭い目つきといい、このローブ姿といい)

次姉(何よりも雨に濡れていなかった不自然さといい、忘れやしないわ……)

師匠「ここは品揃えが良いので、また買い物に来たよ」

次姉「本日はどのようなものをお探しですか?」

師匠「数日後、少し遠くまで旅に出る予定でね。旅行に便利な物を買いに来たんだ」

次姉「あら、そうですの。お仕事か何かで?」ナニゲナイセケンバナシ

次兄「この人の仕事は、新薬の被験者だよ」

次姉「」

師匠「……少年」ギロリ

次兄(やばっ、極秘任務だった!!!!)アワワワワワ

次兄「俺の勘違いでしたー、本当は…よくわからないけどとにかく真っ当なお仕事でーす☆」テヘペロ

次姉(……この雰囲気、堅気の人ではないとは思ったけど、この年齢でそんな怪しい仕事にしか就けないなんて)

次姉(人には色々事情があるのね、でもリピーターになってくださるお客様は良いお客様)

次姉(それに、次兄が懐く(?)なら根はそんなに悪い人間じゃない筈、動物並みにそういう所『だけ』鋭いから)

師匠「さてと、まずは旅行鞄をいただこうかね、お嬢さん」

次姉「あ、はい、こちらの、王都の革細工職人の手によるものが、お薦めですが……」



次姉「色々買ってくれたわ。お金持ちなのは間違いなさそう」

次姉「……でも、本当にどこで知り合ったのよ、次兄」

次兄「何日か前、市立図書館で同じ本を探していて、それが話すようになった切っ掛けだよ」

次姉「ふーん……ま、いいけどね」

次姉「しかし、そこで知り合うなら女の子にしておきなさいよ、状況だけなら恋愛小説の出会いの場面の定番よ?」

次兄「余計なお世話ですー、同族の異性との出会いなら姉さんこそ」

次兄「! っ、そっ、たっ、とお! なんでもありません! なんでもありませんからノーモア拳骨ノーモアビンタ!!」プルプルプルプル

次姉「……別に異性に飢えても焦ってもいないから、気にしていないわ」

次兄「……そう? 以前はやたらコシのタマ、じゃなかった、玉の輿、玉の輿! って結婚願望が」

次姉「あれは……以前はこの家へ『不満』があったし、自分の生き方が見つからないのもあって」

次姉「世間的に良い条件の結婚をすることだけが今より幸福になれる方法と信じて…ううん、信じ込もうとしていた…せいよ」

次兄「この家への不満」

次姉「……あんたから見たら、お父さんからお金もドレスも欲しいまま与えられ、好き放題やって暮らしていた私に」

次姉「なんの不満があった、って思うでしょうね」

次兄「好き放題暮らしなら俺もなかなかの物ですから」

次兄「欲しいままの毛皮と画材と書物、日がな毛皮を堪能しつつ自室でゴロゴロ……」

次姉「……言われてみればそうだった……」

次姉「とにかく、家への不満というか、正直…お父さんへの不満だったの」

次姉「今だから言えるけど、ずっとずっと、お父さんの愛情が末妹にばかり注がれていると思い込んで」

次兄「……」

次姉「その間違った虚しさを、更に間違った方法で埋めようとしていたのね」

次姉「今は仕事も楽しいし、まだ見ぬ相手といつか出会いがあったら」

次姉「焦らずにその人とお互い納得できるお付き合いがしたい、そう今は思うわ」

次兄「……」ホヘー

次兄「姉さんホントに大人になったね……」

次姉「あんたがガキなのよ、全く」フフッ

次兄「」

次兄「…ね、姉さんが、俺に微笑みかけただとおぉぉーーーーーーっ!?」ガクガクガクガクガクガクガクガク

次姉「……」

次姉「今までのどんな失言より傷つくんだけど」

次姉(これでも、最近はだいぶ次兄にも優しく接してきた筈なのにな……)フー

…………

時間は少し前、野獣の屋敷、野獣の部屋。

鏡「……」

野獣「ふむ……次姉と次兄の店番か」

野獣「…ほう、毛糸玉を……面白い並べ方じゃないか、何より美しい」

野獣「やはり次兄は、絵画的な才能に生まれながら恵まれているようだな」

野獣「……あれを生かせる道に進んで欲しいものだが」

野獣「ん、客か」

野獣「喋っている言葉がよく聞こえないので、どういう縁か知らんが、次兄と知り合い?」

野獣「仕立ての良い流行の服、黒々とした髪でまだ30歳くらいの、長身の青年紳士、そんな見た目だな」

野獣「……ん? 向こうの鏡が少し曇ったぞ」

野獣「接客サービス用のお茶の湯気か……」

野獣「この二人はこれくらいにして、末妹の様子を見てみよう」

野獣「台所にいるようだな、家政婦と何かを話している」

野獣「……楽しそうだな」

野獣「年代は違っていても女同士、お喋り自体が楽しくもあるのだろう」

野獣「……」

野獣「…本当に、愛らしい笑顔だ」

野獣「この先も、いつまでもこの笑顔を見守っていられるのなら、もう実際に会えなくても構わない程なのに……」

……

野獣の部屋の外。

メイド「……ご主人様ったら」ウロウロ

メイド「末妹様が悪いオヤジに苛められてご病気になって元気になって、でもそれから後は」

メイド「私ばかりか執事様にも魔法の鏡を見せてくれないなんて……」ウロウロ

メイド「それどころか、部屋にも入れてくださらない」

メイド「お食事も摂らず、おそらくは水だけで三日間も過ごしていらっしゃる」ウロ……

メイド「……末妹様も近々ここに来られるでしょうに」ピタ

メイド「ご主人様が何を考えておられるか、何をされたいのか、私はわからなくなってしまいました……」

…………

安宿の一室。

師匠「ふむ、見た目以上に収納力が高い鞄だ、確かに価格以上の良品と呼ぶにふさわしい」

師匠「あの商人はなかなかの、いや、相当の目利きと見た」

師匠「……あいつが儂の買い物の様子を鏡で見ていたかどうかはこちらにはわからんが」

師匠「もしもの際の隠蔽工作は完璧なはずだ」

師匠「あいつの見ている鏡に映る儂の像はまるで別人の姿に」

師匠(少しくらい実物より見栄えを良くしても罰は当たらんだろうて)

師匠「儂が魔法を放てば、こちらの近くにある鏡は湯気を当てたように曇る」

師匠「これの方法を編み出すのはなかなか大変だったが、儂が眠っていた地下室に魔導書も保管しておいてよかったわ」

師匠「さて……ここしばらくは兄妹の家をつぶさに長時間、鏡で観察してきたが」

師匠「あの兄妹に屋敷を期限付きで再び訪れたい意思があること、父親もどうやら許そうとしていることがわかった」

師匠「いよいよ『その日』が目の前に迫ってきたようだ」

師匠「……今度は何日かぶりにあいつの屋敷を覗いてみようか」

宿の鏡「ハイハーイ」

…………


※今夜はここまで。思ったより野獣サイド書けなかったので続きます※

野獣の屋敷。

執事「メイド、そんな所で何をしている」

メイド「あ……」

執事「……お前もご主人様が心配か」

メイド「一昨日、食欲がないから食事はいらないと断って」

メイド「その時は、そんな日もあるでしょう、くらいに思っていたのですが…そのまま昨日も今日もいらないって……」

メイド「ご病気だったらお世話だってするのに、部屋には入るなって」

執事「わたくしも、一昨日の夜を最後に、部屋に入れてもらえないまま」

執事「我々に隠れて何かを食べている様子もなさそうだ」

執事「第一そんな事をする意味もないが」

メイド「今のご主人様は、まるごと全部が意味不明です……」

メイド「弱っているご主人様の姿を見たら、末妹様だってどんなに悲しむか」

執事「……ううむ」

執事「聞き耳を立てれば、物音もするし、お一人で何か喋ってもおられるので、まだ動けなくなるほどではなさそうだが」

執事「お命の危機の兆候が見られたら、どんな方法を使っても部屋に押し入らなくてはならないかもしれん」

メイド「そんな事態にならないことを、人間だったら神様あたりにお願いするんですよね?」

執事「そうだな」

メイド「つまり、それ以外のことは何もできないって意味ですよね……」

執事「ご主人様の命令に従うことが我々の『全て』だが、その命令がないというのは辛いものだな」

執事「自分達の存在意義まで見失ってしまいそうだ」

メイド「執事様まで弱音吐かないでくださいよお」クスン

執事「しかし、あと三日もすれば末妹様が来てくれる」

執事「末妹様が会いたいと仰ったら、さすがに顔を見せてくださるだろう」

メイド「……それでもご主人様が『会わない』って仰ったら、その時はどうしたらいいんですか……?」グシュ

執事「……」

執事「考えたくないことを考えさせないでくれ、お前という子は、本当に……」ハァ

……

安宿の一室。

宿の鏡「コンナヨウスデス」

師匠「何をやっておるのだ、あの馬鹿者は」

師匠「人間よりはいくらか頑丈な肉体とはいえ、このまま水だけで凌いでいては弱るばかり」

師匠「あんなに自分を慕っている使用人達を不安にさせて……」

師匠「数日後にはあの兄妹も訪れるだろうに」

師匠「…………本当に、あの子らを再び来させるつもりがあるのか? あいつには」

師匠「発動まで時間制約をかけているとは言え、鏡越しでなく実際に少女に会えば」

師匠「実際に移動の呪文が掛けられているかどうか儂にはわかるはず」

師匠「今朝、彼女が友人達と広場に出かけたのはチャンスだったのかもしれないが」

師匠「……あの年頃の女の子の集団に、どのように言葉を掛ければ不審に思われないか、いまひとつ自信がなかった……」ハァ

師匠「こんなローブ姿でこの街を歩いている人間も他にいないものな」

師匠「儂のアイデンティティーとして、これを着替える気にはならんが」ガンコモノ

師匠「どうにもタイミングを外してばかりいるが、やはり店番と客という出会い方が最も自然だろう」

師匠「あいつの屋敷も気になるが、ちょっと今まで以上に少女をよく観察して、店に出る時を狙って訪ねてみるか」

…………

夕方、商人の家、長姉の部屋。

窓:カタン

次姉「おかえり、姉さん」

長姉「ただいま次姉!」

次姉「嬉しそうね、面接はいい手ごたえだったの?」

長姉「その場で採用よ! 何より、私の字を気に入ってくれて……受講生に配るレシピも書いて欲しいって!」

次姉「姉さん、子供の頃から字は」

次姉「…字『が』きれいだったものねえ。よかったじゃない」

次姉(おかげで、女学校の教師陣からの良い印象を保ち続けられた感はあるのよね)

長姉「明後日、二回目の料理教室があるわ、準備のための仕事は明日からよ、頑張らなくちゃ!」

長姉「これも次姉のおかげよ!! ありがとう!」ギュー

次姉「私も嬉しいわ、頑張って、姉さん」

次姉「……」

次姉(あの子達が早くて三日後に旅立つかもって話は、まだしない方が良いわね)

……

その夜の夢。

(次姉(9)「何見てるの、姉さん」)

(長姉(10)「次姉…どうしてあの子ばかり、毎月お父さんに来てもらえるの……?」クスン)

(次姉「…私達と同じクラスの、侯爵娘か」)

(次姉「入学と卒業の時のほかには、家と寄宿舎の行き帰り、つまり長期休暇の始めと終わり以外は」)

(次姉「家族は校舎にも寄宿舎にも入ることを許されない、ってきまりだけど」)

(次姉「侯爵娘は例外なのよ、最近ようやくわかってきたわ」)

(長姉「『れいがい』って、また難しい言葉使ってる! イヤな子!」ピー)

(次姉「……特別扱いってことよ。父親の侯爵様はこの学校にすごくたくさんのお金を寄付しているからね」)

(長姉「お金ならうちのお父さんだって持ってる、私達も特別扱いしてもらおうよ!?」)

(次姉「……『お金持ち』のレベルが違いすぎるわ」ハァ)

(次姉(しかも、私、去年の入学年度に見ちゃったのよね))

(次姉(訪問して来た侯爵様が学長にお金を渡して『うちの娘の成績を、これでどうか…』って』))

(次姉(身を潜めてじっくり話を聞いたら、要するに、侯爵様も自分の娘がそこまでバカとは入学させるまでわからなかった、って))

(次姉(同じ最上位クラスに彼女がいる理由に合点が行ったわ、どう考えてもうちの姉さんより遥かにひどいもの))

(次姉(私は実力で絶対負けない自信があるけど、姉さんがもし今のクラスから落ちこぼれて、彼女が残っていたりしたら))

(次姉(それはあり得る話だけど、納得できない……))

(次姉(授業と課題だけじゃ不十分、私がついて、姉さんをみっちり勉強させないと))



(侯爵娘(11)「次姉、あんたなまいきなのよ」)

(子分8(11)「そーよ、そーよ」)

(子分9(11)「生意気なのよ」)

(次姉(10)「……侯爵娘様、私なんかに、何のご用で?」)

(次姉(学年で一番体格のいい二人を新たに子分に加えたのね、護衛のつもり?))

(侯爵娘「あんただけみんなよりひとつ下、とびきゅーのくせに、へーみんのくせに、どうしてそんなにえらそうなのよ!」)

(次姉「私は自然に振舞っているだけです、成績だって、学長も認めざるを得ない実力ですもの」シレッ)

(侯爵娘「ふん、しまいでひるもよるもがりべんしないと、いいせいせきとれないくせに」)

(侯爵娘「なーーーんにもべんきょうしなくたって、おなじくらいのせいせきのわたしのほうがあなたより上にきまってるわ!」)

(子分8「そうよ、侯爵娘様は凄いのよ! 宿題忘れても、授業中眠っていても」)

(子分9「進級試験が白紙でも、上位クラスにいるのよ! 凄すぎるわ!」)

(次姉「……」)

(次姉(真正バカと、釈然としないものを感じつつ見返りを求めて離れられない子分、か……)フゥ)

(侯爵娘「ためいきとかますますなまいき、こぶんども、あなたたちのちらかをみせてやりなさい!」

(子分8「とえええい!」)バキッ

(子分9「おりゃああああ!」)グシャッ

(次姉「」)

(侯爵娘「どう、びびってこえもでないでしょ!?」フフン)

(次姉「細工した厚板を真っ二つにし、同じく細工したレンガを握り潰す、か。わかり易過ぎて、呆れた……」)

(侯爵娘「さっき長姉にみせたときも、あのこったらぷるぷるふるえて、けっさくだったわ!!」)

(次姉「…!」)

(侯爵「さあ、こぶんども、いくわよ! おとうさまのおみやげのこうきゅうなおかしで、おちゃにしましょう」)

(子分8「待ってました」)

(子分9「これがなきゃ、従ってなんかいないわ」ボソ)

(次姉「……」)

(次姉「…負けてたまるか」クッ)



(長姉「ねえ、次姉。どうして勉強の前後に腕立て伏せなんかしているの?」)

(長姉「何これ、寝る前に腹筋1000回? …あんた何を目指しているの?」)

(長姉「あんた最近、手が空いていればいつも胡桃を片手に二個ずつ握っているわねえ」)



(次姉「体を鍛えたら思わぬ効果があったわ。長時間同じ姿勢を保つためにも、筋力が必要だったのね」)

(次姉「おかげで今まで以上に勉強がはかどる、授業に集中もできる!!」)



(長姉(12)「もうだめ…もうこのクラスについて行けない、落第するの、次姉とも離れちゃうの……」グシュグシュベソベソ)

(次姉(11)「……この手は使いたくなかったけど…仕方ない」)

(次姉「私もこのギスギスした寄宿学校で、姉さんと離れるのは嫌だもの」)

(次姉「姉さん、ちょっと危険な方法だけど……聞いて?」ボソボソ)

……

真夜中、次姉の部屋。

次姉「……」パチ

次姉「目が覚めちゃった、でも夜明けまではまだまだね」ふあ

次姉「……子供心に、何の勉強もしない侯爵娘が賄賂で上位クラスに残るよりは」

次姉「長姉に人一倍勉強もさせながら試験はカンニングで乗り切らせた方が、それよりもマシだと思ったのよね」

次姉「なんにせよ、不正行為には違いないんだけどさ」

次姉「……私だって、姉さんと離れたくなかった、一緒にいたかっただけ」

次姉「姉さんが頑張ってくれるのも、好きな人が出来たのも、すごく嬉しいけど」

次姉「……寂しい、なんて言っちゃ駄目ね」

次姉「さて、朝まで寝なおすか。……昨夜の夢はよかったなあ、続き見れないかな」

次姉「姉さんと末妹が私を奪い合う嬉し恥かしい夢」キャッ

次姉「……………………あれ?」

次姉「……これって危険な兆候? 私、人として駄目になりかけている??」

次姉「一家に変態は(次兄が)一人いれば多過ぎるくらいと思っていたのに……」

次姉「……前言撤回して、夢も見ないで朝まで眠れますように……」ボフ

……


※今夜はここまで。気がつけば600超えました…読んでくれてありがとう。今度こそ話を進める予定…※

翌日……

商人「長兄、次姉。今日はお前達二人に店を頼みたいのだが、いいかい?」

長兄「構わないよ、父さん(二日酔いも完治したし…)」

次姉「その格好、お出掛け?」

商人「ああ。最後に昼食を食べて戻る予定だから、そんなに遅い時間にもならないけどね」

商人「次兄と末妹と一緒に、港のお祭りに行って来るよ」

……

そんなわけで、港。

人々の賑わい:ザワザワガヤガヤ

末妹「そう言えば、毎年この時期だったわ」

次兄「町の人は『お祭り』と呼んでいるし、港の管理者や市長の許可ももらっているけど」

次兄「船でやってきた異国の商人達が申し合わせて一斉に開いている、単なる催し物の集まりなんだよな」

商人「自国の輸出品の宣伝にはなるからね、この日に合わせて見世物や占いの小屋もやって来るし」

いつぞやの憲兵「やあ、商人さん。これから異国の商人と商談ですかな?」

商人「ははは、この子らと単に遊びに来ただけですよ。見回りお疲れ様」

次兄「憲兵さんも巡回してはいるけれど、とりあえずは女子供にも危険のない健全な催し物です」ゲンバカラオオクリシマシタ

商人「……子供と言えば、次兄はずいぶん小さい頃、一人でこの祭りへ来たことがあったなあ」

次兄「5歳の時だよ、覚えてるよ」

末妹「私は小さすぎて覚えていないけど、後から話を聞いたわ」

商人「当時の次兄がお手伝いのお駄賃を貯めていたのは知っていたが」

商人「まさかそれを握り締めて、5歳の子供の足で港まで迷わず来るとは思わなかった」

次兄「あの頃にしては珍しく、すこぶる体調が良かったんだ」

次兄「港の方角は何となく知っていたし、お祭りに向かうであろう人々の流れについて行けば間違いないと子供心に思って」

次兄「……で、歩いて空腹になってか、物珍しさに惹かれてか、出店で見たこともない食べ物の匂いについつい釣られて」

商人「今のお前なら絶対やらないだろうが、まだ小さかった、自分で判断なんてできないさ」

商人「その中に、次兄が食べると体調を崩す食材が使われていたのだな」

次兄「味は良かったんだ、いい匂いもしていたから新鮮だったはず」

商人「ああ、私も実は食べたことがある。味付けはこの国にはないものだが、美味には違いない」

次兄「でも結局それで具合が悪くなって、吐きまくった後にひどい寒気はするわ体に力は入らないわで」

次兄「おまけに幼児並の短絡思考で『バレたら叱られる』しか頭になくて」

商人「『並』どころか疑いようもなく『幼児そのもの』だからね?」

次兄「俺は愚かにも自分から人気のない倉庫の裏に隠れて、結局そこで倒れているのを見つけられたらしい」

商人「次兄の姿が見えなくて家中探している時に、知人がぐったりしたお前を家に運んできたから、驚いたのなんの……」

次兄「でも、その頃には具合もある程度落ち着いて、安らかな寝息を立てていたはずだ」

商人「……細かく覚えているね。私もばあやも、あの時は生きた心地がしなかったよ」

商人「目を離した自分が悪かったとばあやは泣いていたが、それは私も同じだ」

次兄「……勝手に出かけて勝手に知らないものを食べた俺が一番悪いんだよ」

商人「とにかく、お前の顔を知っていて家に届けてくれた知人と、お前を見つけてくれた異国人の……」

商人「見世物小屋で働く人だったかな、彼らには本当に感謝だよ」

次兄「見世物小屋の人にもお礼ができたんだっけ?」

商人「ああ、彼はこの国の言葉は話せなかったが、見世物小屋の主人に仲介してもらってね。直接会えてよかった」

次兄(……実は、倉庫の裏で発見されてから父さんの知人に預けられるまで、皆に言ってない話がある)

次兄(寒気を感じつつ、意識朦朧とする中、通りかかった異国人の男が俺を抱きかかえ、見世物小屋に運んでくれた)

次兄(そこには見たことない二匹の大きな獣……猫を細長く巨大にしたような、黄色に黒い斑点の脚の長い動物と)

次兄(大きな犬にも見えるが、犬にはありえない縞模様の奇妙な骨太の耳の尖った動物)

次兄(後日、図鑑で調べたところ、南の国にいるチーターとシマハイエナとかいう肉食の猛獣らしいが)

次兄(明らかに異種なのに、仲良く寄り添っていたのを覚えている)

次兄(今思い返せば安全のためか口輪をはめられ鎖に繋がれていたが、それを抜きにしてもおとなしかった)

次兄(二匹とも俺を助けてくれた男をよくよく信頼しているのかもしれないが、それはともかく)

次兄(抱き上げた俺の体がずいぶん冷たいと感じたんだろうな)

次兄(男は俺を、寝そべる二匹の獣の間に挟み込んで、人を呼びに行ったのか、すぐ立ち去った)

次兄(大きな獣の息遣いで微かに動く毛皮に覆われた身体は、獣臭くもあったが、それはそれは暖かく、実に心地よかった)

次兄(体が暖まるにつれ、不安だった心も安らかになって、そのままスヤスヤ眠ってしまった)

次兄(次の記憶は自分の部屋、視界を覆い尽くすばあやのふとましい体と泣き顔…結局誰にも叱られる事もなく)

次兄(……そして、俺が得たのは、知らない料理は自己防衛すべきと言う教訓と)

次兄(動物の、獣の、アニマルの、けだものの、もふもふの…素晴らしさ、奥深さ……)

次兄(ある意味、俺の一生は11年前に決まってしまいました)

次兄(あのふっさふさの生命体達と同じこの地球に生まれてきて本当に良かったと心から思ったあの日)

次兄(おかげで俺はいまだに小型獣よりは適度な大型の獣、草食獣よりは肉食獣)

次兄(スベスベではなくもふもふの手触りに惹かれるのでしょう、と自己分析し)

商人「……そんな次兄がこんなに元気で、(それなりに)大きく育って、本当によかった……」

次兄「ハッ」

次兄(……全然聞いていなかったが、父さんの思い出話はまだ継続していたのか)

末妹「体が弱くても生命力の強い人がいるって、前に学校の先生が仰ってた、きっとお兄ちゃんはそういう子だったのね」

次兄(お前も父さんと会話を続けていたのか、まったく気付かなかった……)

商人「……小さくて、か弱くて、ひたすら守るべき存在だとばかり思っていた次兄も16歳、末妹も14歳、早いものだ」

商人「大きくなったお前達が一生懸命考えて、父親に真剣にぶつかって来た、父さんも真剣にその答えを出そうと考えたよ」

次兄(え? え? 何の話? 何の話をしているの????)

商人「……二週間だ。とりあえず、二週間したら父さん達の待つ家に帰ると、必ず約束してほしい」

商人「野獣の元を再び訪れ、彼やお屋敷の皆さんにお礼を言って、色々と楽しいお話をしておいで」

末妹「……お父さん!!」

次兄「  」ボーゼン

…………


※繋ぎ回なので短いけどここまで。次回は土日に最低でも1回※

学○ひみつシリーズ(嘘)・次兄のひみつ でした

すべすべも、ぷにぷにも、ごつごつも、ざらざらも、もふもふも
みんな違って、みんな良い。

商人「さて、せっかくお祭りに来たんだ、昼食は3人で一緒に食べるとして」

商人「港のどこからでも見える大時計が正午になったら、『英雄の銅像』前で待ち合わせ」

商人「……それまで、好きなところを見ておいで?」

次兄「わ、わかった。俺、あちこち回ってきますです」シュタッ

次兄(少しの間ひとりになって、頭を冷やしたくもあり……)

末妹「……私はお父さんと見て回りたいな。いいでしょ?」

商人「お前がそうしたいなら、勿論いいよ」

人々の賑わい:ワイワイガヤガヤ

商人「家で待っているみんなへのお土産は、こんな感じかな?」

末妹「そうね。あ……お父さん、あのお店、覗いていい?」

商人「いいよ。どれどれ……」

出店の店員「このスカーフ、珍しい色使いだろう? お嬢ちゃんなら、リボン代わりに髪に結んでもいいね」

末妹「わあ、きれい……」

商人「気に入ったかい? では、それをいただこうか」

出店の店員「ありがとうございます♪」

末妹「嬉しい、一目見て気に入ったの……ありがとうお父さん!」

商人(以前、長姉にねだられた同じ一枚のスカーフの価格で、これが50枚は買えるなあ)

商人(これもモノは悪くないがね、織りも染色もなかなか丁寧だ。工房が無名なだけで……)

商人「他にも欲しいものがあったら、なんでも言っていいんだよ?」

末妹「ううん、このスカーフがすごく気に入ったから、満足。あとは見て歩くだけで、じゅうぶん楽しいもの」

末妹「あ、お父さん。『小鳥占い』だって」

商人「ああ、東洋の見世物だよ。小鳥がくじを引いて運勢を占ってくれるんだ。寄って行くかい?」

末妹「うん!」



占い師「ハイ、ソレデハ今カラ、コノ可愛ラシイオ客様ノ運勢ヲ占イマース」代金マエバライ

鳥籠の戸:スッ

小鳥「ピピピ……」チョコチョコ

末妹「うわあ、可愛い……」

小鳥「ピピ…ピ」ウーム

小鳥「ピ!」コレダ!

占い師「ヨシヨシ、ゴ褒美ダヨー」

小鳥「ピ」ドヤァ

くじ:パラリ

占い師「…健康運・現状維持 美容運・今後上昇 仕事(勉強)運・勤勉ハ尊シ 恋愛ウ…」

商人「」ピクッ

占い師「…………オ嬢サマニハチョト早イカナー?」

商人「……占いは占いだ、続けてください」オトウサンソンナチイサイオトコジャナイヨ

占い師「恋愛運・山アリ谷アリ、最後ニハ幸セニ」

商人「……ありがちかな。ま、大概の人は通る道だよ」ハハハ

末妹「……」

占い師「総合運……今ノ願イ、五割程度ハ確実ニ叶ウ、残リハ努力次第、ト。コンナンデマシタ」

末妹「努力次第……ありがとう、お姉さん、小鳥さん」

占い師「ドイタシマシテ」

小鳥「ピピッピー」バイバーイ

商人「楽しかったかい?」

末妹「うん、小鳥もすごく可愛かったし、占って良かった」

商人(誰に当たっても無難な文言にはなっているのだけどね、こういうのは)

商人(私も珍しいものが見れたし、この子が楽しめたなら良しとしよう)

末妹「……」

末妹(占いは占い、だけど)

末妹(自分の願いを叶えるには努力しないと、ただ待っているだけではダメなのね)

末妹(当たり前の話かもしれないけれど、私、出来ることをがんばろう)

末妹(がんばって、野獣様と本当の友達になるんだ)

…………

次兄「馬に跨る『英雄の像』」

英雄の像:ムゴーン

次兄「南の港町ではメジャーな待ち合わせスポットで、英雄のモデルとなっているのは……」

次兄「……なっているのは、誰だったかな」

次兄「お、思い出した。200年以上前の王の弟君の、若い頃の姿だ」

次兄「250年前、まだ二十歳そこそこの王子だった頃、無敵を誇る軍を持っていた西の島国との戦いで戦績を上げ」

次兄「しかも双方の犠牲者を最低限に抑える戦術を編み出したとかで、のちに西の島国との和平にも一役買い」

次兄「戦の20年後、即位したばかりの王様……王弟殿下の兄は、例の事件で混乱していた北の小国の民を受け入れ」

次兄「平和的に我が『とある国』の領土にしたのだが、その裏で活躍したのがこの王弟」

次兄「その領土を虎視眈々と狙っていた周辺国の王を説得するなどの努力も惜しまず」

次兄「おかげで小国の土地を巡る周辺国との無駄な争い、流血を避けたという意味でも、我が国の英雄なのだった」

次兄「ちなみに普段は王都ではなく、この南の港町郊外のお城に住んでいたそうで、所縁の地ってわけです」

次兄「……家庭教師からもあらかた習った筈だが、野獣様絡みで図書館で読んだ歴史書には詳しく書いてあったな」

次兄「しかし実物が銅像通りの姿の人物だったとしたら、長身でいい体で知的な男前、いいケツした名馬を乗りこなし……」

次兄「王子様はこーでなきゃ、って人物だね」

次兄「……機械オタク伯爵を説得に来た小国の王子様ってのは、どんな人だったんだろう」

次兄「あの手記によると、実際に伯爵が会った王子はまだ子供だったけど、全体的にも同情的な書かれ方」

次兄「他の歴史書には信憑性ある描写が少なく…要するに、印象の薄いパッとしないショボい貧相で地味な王子だったのか」

次兄「何も功績を残さず、あまりにも早く死んじゃったから、仕方ないのかな」

次兄「そう言えば、親である小国の王や王妃の肖像画も見たことがない」グウ「腹の虫」

次兄「…大時計が11時58分を指している」

次兄「腹が減った、父さん達早く来ないか…お」

商人「おーい、次兄」

末妹「お兄ちゃーん」

…………

野獣の屋敷、その一室。

野獣「……」

野獣「執事達が立ち入れない部屋はいくつかあるが、殆どはその理由を説明してある」

野獣「ただひとつ、この部屋だけは理由もなく立ち入りを禁じていた」

野獣「忠実な執事達は、その疑問を口にしたことはなかったが……」

野獣「天井から床までの外されることのない覆いが掛けられた奥の壁」

野獣「この紐を引くと……」グイ

覆い:サーッ

野獣「……この壁には両親の大きな肖像画が掛っている、ふたりの結婚を記念して描かれたものだ」

野獣「小国には相応しい画家がいないとして、当時のとある国の著名な肖像画家を招いてな」

野獣「王自身に、自分の国の芸術や文化をまともに育てようという気がなかったのだ、当然と言えば当然だ」

野獣「……母は私に、王子に似ている、顔つきも、白い肌も、金灰色の髪も。違うのは瞳の色くらいだ」

野獣「父もかなり肌は白い、生まれついての銀髪、右目は淡い水色、左目は赤」

野獣「瞳の色素が人一倍薄かったのだろう、現れ方は違うが、私に引き継がれたようだ」

野獣「……お互いに、個人としては望まぬ婚姻だったと聞く」

野獣「どうだ、この絵。二人の表情に、それが表れているではないか」

野獣「この画家の腕前…ある意味、恐ろしくさえある」

野獣「……この時代に目覚めて、200年間の美術史や、画家の自伝を読んだことがある」

野獣「とある国と西の島国が戦をしていた時代に、画家が敵国の貴族を描いた絵すら大切に保管されているのに」

野獣「この絵が存在した記録はどこにもないばかりか、画家自身が小国の王と王妃の肖像画を描いた事に一切触れていない」

野獣「無い事にしたかったのだろう、腕の良いあまり彼等の内面まで描いてしまった、この不幸な結婚の絵を」グイ

覆い:シャッ

野獣「200年の眠りから目覚め、屋敷内を探索し、この部屋で肖像画を見つけた時」

野獣「今後二度とここには立ち入るまいと思って、施錠をした」

野獣「……つくづく臆病者なのだ、私は」

野獣「舞踏会の夜を、ふたりから受けた扱いを、自分がふたりの子である事実を、思い出すのが」

野獣「……ふたりが罪人として死んだのに、自分がまだ死なないでいる現実を思い知らされるのが、恐ろしかった」

野獣「しかし、私ももうすぐ……罪人として死に行く」

野獣「強くなれなかった罪、変われなかった罪、寂しさに負けて森の獣の命を弄んだ罪」

野獣「自分を信じてくれた少女の心を傷付けた罪」

野獣「……師匠、今なら私にチャンスをくださったと理解できます」

野獣「しかし私はやはり、愚かで弱すぎる、駄目な弟子だったのです……」

…………

その夜、商人の家、長姉の部屋。

長姉「……でね、講師先生が仕上がったレシピを見て、すごく喜んでくれて」

長姉「受講生に配る分だけじゃなく、保存用も書いて欲しいって言ってくれたの」

長姉「誰かに認められるのがこんなに嬉しいなんて!」

次姉「本当によかったわね、姉さん。はい、これ」

長姉「……なあに? 黒真珠のイヤリング……」

次姉「父さんが次兄と末妹を連れて港のお祭りに行ってきたの。これは姉さんへのお土産」

次姉「南国の真珠採りが直接持ってきたから、お店は通していない分、購入価格はすごく安いんだけど」

長姉「……お父さんが選んだなら品質はいいわね」

長姉「ふうん、デザインもいいじゃない、さすがお父さん」

次姉(真珠のアクセサリーにしようと決めたのはお父さんだけど、この品を選んだのは末妹)

次姉(言わないでって頼まれたし、私も言わないほうがいいと思うから、黙っておくけどね)

長姉「……ねえ、はっきり言ってあんたの真似だけど、これ……」

次姉「ん?」

長姉「兄さんに頼んで、当面の間、金庫にしまって貰ってくれない? これだけじゃなく、私の宝石ぜんぶ」

長姉「あ、これもあんたの真似だけど、普段使いにできそうなものだけは残しておくわ」

長姉「せっかくお金を貰って働くようになったんだもの、自分の財産は自分で稼いだお金だけと思って」

長姉「正直、形から入るつもりなんだけどね。実際、手元にそれしかなかったら、心底そう思えるようになるわ」

長姉「……そう思えるようになったらいいな、と思ったの」

次姉「……姉さん」

長姉「でも本当の理由は言わないで。私への教育的指導として次姉が部屋からこっそり持ち出した、でもいいから」

次姉「わかった。姉さんの本気、受け止めた」

次姉「とりあえず、明日の料理教室(本番)も頑張ってね」

……

さらに夜更け、次兄の部屋。

次兄「さすが気配りのできる男・父さんと、思い遣りあふるる末妹」

次兄「兄さん、姉さん達、家政婦さんへ。お祭りで皆のお土産を買うという発想は、俺には欠片もありませんでした」ゴメンネ

次兄「そもそも我が心はあれから浮足立っております」

(商人「野獣の元を再び訪れ、彼やお屋敷の皆さんにお礼を言って、色々と楽しいお話をしておいで」)

次兄「野獣様&執事さんとの再会が、いよいよ現実に目の前に」

次兄「そう思うと、今まで抑え込んでいた諸々が、滾る沸き立つ奮い立つ!!」ドオォォォン

次兄「……焦ってはいけません。まずは当初の計画通り、末妹と野獣様との喜びの再会を温かく見守りましょう」

次兄「新生・芋蔓的ツンデレアニマルパラダイス計画の第一段階です」

次兄「今夜のところは(都合の)良い夢が見られるよう」スッ…

次兄「枕の下へ……俺が描いた野獣様と執事さんの裸身図(想像)を挿入」ポフ

次兄「夢では何をしても自由、夢では何をしても自由、夢では何をしt……」

次兄「……グー」


夜は、更けて行く……


※今夜はここまで。※

>>628 うむ。

翌日、料理教室……

受講生3「あら、レシピを書く人が変わったのかしら。前より見やすくなったわ」

受講生4「前回のお菓子のレシピも新しく書き直されたそうよ。せっかくだから、帰りにもらって行こうよ」

長姉(ふふふ……言わないけど、それ私が書いたのよ)ニヤニヤ

幼馴染男「どうしたの、長姉。ご機嫌だね」

長姉「えー、理由を聞きたい? どうしても聞きたい? どうしてもおぉぉ?」モジモジ

幼馴染男「へ? …いや、君が話したくないなら無理に聞こうとは」

長姉「そんなに聞きたかったら仕方ないわ、幼馴染男にだけ教えてあげようかなあ~」

受講生1「あ、あの男の人、今日もいるわ」

受講生2「帰りにカフェに誘ってみようか?」

長姉「!!」クワッ!!

受講生1&2「「」」ビクッ

受講生1「……な、なに、あの娘、もしかしてあの人の彼女?」ガクガク

受講生2「凄まじい殺気だわ……取って喰われそう……」ブルブル

……

商人の家。

商人「次兄、魔法で野獣の家に行く時、荷物を持っては行けるのかな?」

次兄「うーん(そもそも俺が荷物扱いだから)、行けると思うよ」

商人「それなら、これはほんの少しだが……私から」ドン

商人「あまり多くても持って行けないかもしれないから、とりあえずこれだけを」

次兄「何これ、ジャガイモと岩塩と高級紅茶……?」

商人「現金だったら、ちょっと露骨かなと思ったのと」

商人「相手が森の中の一軒家に暮らす魔獣(?)だから、お金が必要なのかどうかがわからなかったので、現物で」

商人「いつぞやのお詫びと、お前達の宿代がわりと、我が子へより優しくしてほしいという」

商人「……自分のしたことを思えばいくらの足しにもならんかもしれないが、少しでも伝えたいんだ、私の気持ちだ」

次兄「……父さん」

次兄「ありがとう、野獣様も、料理長さんもきっと喜ぶよ」

商人「……屋敷の使用人は何人いるんだい? お前達の話に出てきたのは、メイドと、料理長と」

次兄「執事さんと、庭師くん。全部で4ひk…人。メイドさんと庭師くんは俺達と同年代(人間ならば)」

商人「ふむ、私が迷い込んだ時の料理はてっきり魔法で出したのかと思ったが」

商人「それだけ使用人がいれば、私に気付かれないように準備をしたり運んだりもできなくはない、かな」

次兄(たぶん、小さくてすばしこい庭師くんやメイドさんなら隠密行動も容易くできるかもね)

商人「……すまんな、ちょっとした好奇心で気になっただけだ」

商人「使用人の皆さんもお前や末妹に親切にしてくれたんだろう? よろしく伝えておくれ」

次姉「お父さん?」

商人「おや、次姉」

次兄「姉さん、お店は?」

次姉「午前中は兄さんと末妹が出てくれるって」

次姉「……でね、ちょっと金庫に入れたい物があるの。鍵は兄さんから預かったけど、お父さん立ち会ってくれる?」

商人「あ、ああ……いいけど」

商人「新しい金庫の錠前が届いたら、お前も鍵を1つ持ち歩くんだ。今から一人で開け閉めしていいんだよ?」

次姉「うん、今回はまだ『練習』。だから一緒に来て?」

商人「わかったよ。で、何をしまいたいんだ?」

次姉「姉さんの宝石箱」

商人「長姉の? なんでまた」

次姉「……ちょっとね。色々考えた結果。これも姉さんのため」

商人「そ、そうか……まあ、これ以上は詮索しないよ」

次兄(……俺が思うに、姉さん達は既に和解が済んでいる)

次兄(きっと長姉ねえさんに了承済み、もしくは長姉ねえさんの意向だろう)

商人「じゃ、ちょっと地下室に行って来るよ次兄」

……

商人の店。

呼び鈴:チリンチリン

末妹「お客様ね。いらっしゃいませ」

長兄「……あ、あなたは」

師匠「やあ、君は先日も店にいたな」

師匠「……そちらのお嬢さんも妹さんかね? はじめまして」

末妹「はじめまして……」

長兄「ええ、一番下の妹です」

長兄「私(営業用一人称)と次姉がいた時が最初、それから一昨日、次姉と次兄が店にいた時も来てくださったそうですね?」

師匠「ああ、三回目だね」

師匠(三回目の来店でようやく、この少女に会う事ができた……)

師匠「今日は旅先への手土産、贈り物によさそうな物を……紅茶の詰め合わせがいいかな」

長兄「末妹、選ぶの手伝ってあげて」

末妹「はい」ガタ

師匠(お、向こうから近付いて来たか。これは僥倖)

末妹「……これが王都で人気の、果物の香り付き茶葉」

末妹「これは、西の島国では有名な銘柄です。純粋な茶葉の香りを楽しむならこちらを」

師匠「ほう……こんなに種類があるのか」

師匠(…………)鑑定中

師匠(……? この娘、今はなんの魔法も掛けられていない?)

師匠(あの阿呆とはいえ、そんな失敗をするとは考えられん)

師匠(ということは……最初から往復の魔法と偽って、片道分しか掛けなかったのだな)

末妹「こちらは、珍しい東洋のお茶が一缶入っている詰め合わせです」

末妹「……お客様?」

師匠「ああ、すまんすまん。ちょっと考え事をしていたよ」

師匠「……そうだな、その…手前にあるやつにしようか。包んでおくれ」

末妹「これですね? ありがとうございます」

師匠(……本当に、あいつは何を考えているのか、この娘は騙されているとも知らずに……)

……

料理教室。

幼馴染男「豆のポタージュスープって案外簡単なんだ、事前に豆を水につけておかないと駄目だけど」

幼馴染男「しかし、君が受講の傍ら助手の仕事も始めたなんて、本気で料理を覚えたいんだね」

長姉「ええ、これも自分磨きよ」ホホホ

受講生1&2「「…」」チラッ

幼馴染男「うん? 君達何か用?」

般若面「………………」ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ

受講生1&2「「……」」サササ……

幼馴染男「…引っ込んじゃった。なんなんだろう?」

長姉「さ、さあ? あなたの服にスープでもこぼれていたんじゃないの?」

幼馴染男「えっ、そりゃ恥ずかしいな、どこ? 拭いてくれる?」

長姉「はいはい……」フキフキ

長姉(……どう? あんた達の付け入る隙なんかないのよ)チラ

受講生2「…ああ、これは彼女確定だわ……」

受講生1「ちょっと残念、でもまあ彼氏探しが目的で来てるんじゃないから諦めよっと……」

長姉(勝った……勝ったわ、勝利したわ次姉!)フフフフフフフフ

幼馴染男「……何笑っているんだい? 本当に今日の君はご機嫌だね、これもいい仕事に就けたお陰かな」

……


※今夜はここまで。※

おまけ。
兄弟姉妹で一番頭脳明晰なのは次姉。次兄も実は匹敵する頭脳は持っているが、人格その他に諸々の問題を抱えているためご覧のありさま(ついでだが美形兄妹中、唯一父親似の平凡な容姿)。長兄は平均よりは上程度だが更に努力でカバーするタイプ、何かと柔軟性に乏しいのが難点。末妹も平均よりは上で努力型、柔軟性はあれど遠慮がちな性格が難点。長姉も素質は悪くはないが感情的で堪え性もない、しかし支援者と具体的な目的があれば努力もできる。……作者が作中で表現できているかはさて置き


※今日は休みます。火曜か水曜か木曜の夜、今よりもう少し早い時間で(たぶん)※

商人の家、居間。

商人「明日で『二週間』になるが、どうするんだいお前と末妹は」

次兄「……正直、すぐにでも行きたいんだけどさ」

次兄「父さんから兄さん達にはもう説明したのかもしれないが、俺や末妹の口からも皆にきちんと話しをしたい」

次兄「そのためとその後にも少しは時間を必要とするから、明日一日はまだ家を出ないよ」

次兄「今度は戻る日を決めた上での旅だけど、俺達と野獣様達はこれから先も交流を続けられるよう…」

次兄「…これから先も交流を続けたいんだ、だから俺達は野獣様にも改めてその気持ちを伝えたいし」

次兄「その前に、兄さん達の弟妹は『ヒトならざる存在』と、人呼んで『怪物』と、友達付き合いを続けるつもりだ……と」

次兄「兄さん達に、俺達自身がきちんと言いたい、言わなくちゃ駄目だ」

次兄「そして、兄さんや姉さんがどう考えるかを自分の耳で聞かなくちゃ、と思うんだ……」

商人「……」

次兄「あの野獣様より、比べ物にならないほど残忍で凶暴で、それ以上に狡猾で」

次兄「狡猾だからこそお日様の下で大手を振るって堂々と暮らしている人間なんて、いくらでもいる」

次兄「……実際には、まだそこまでのひどい人間と俺は出会ったことはないけどさ」

次兄「父さんや俺が暮らすこの世の中は、そういう連中もひっくるめた上での『人間の世の中』だ」

次兄「呪いの言い伝えに守られて、周囲を『人間の世の中』に囲まれた屋敷でひっそり暮らしている野様獣は」

次兄「身体が大きくても、『恐ろしい』外見でも、魔法が使えても、それでも」

次兄「どんなに小さくて孤独で不利な存在なのだろうかと、今では思う」

次兄「野獣様には人間の味方が必要なんだ、『人間の世の中で暮らしている人間』の味方が」

商人「次兄、お前……」

次兄「……俺も末妹も、まだまだ父さんに守られている未熟なガキだから」

次兄「敵意のある人間から野獣様を守る、とか、人間社会との架け橋になる、とかご大層なことはできないし言えないけど」

次兄「万が一の際には、うちの地下野菜貯蔵庫に野獣様を匿うくらいはできるはず!」

商人「……そこだけあまりに具体的だから、父さんリアルに想像できちゃったよ」

商人「人間の味方が必要、か……」

次兄「俺の勝手な思いだよ。父さんは、どう思う?」

商人「我が子の友人が危険な事に巻き込まれた時、友を見捨てて自分だけ逃げなさい、などと子に言う親にはなりたくない」

商人「……親としての本音はさて置いて、だけどね」ボソ

次兄「父さん」

商人「うん、不安もあるけど……私は嬉しいんだ。お前が『友達』を欲しいなんて」

次兄「……人間の、同年代の、じゃなくても?」

商人「次兄に同年代の友達を作ってやれなかったのは、配慮が色々と足りなかった父さんの責任だが」

次兄「……」

商人「『動物好き』なお前が、小さい頃からペットを飼いたいとねだったことは一度もなかった」

商人「欲しがったものは、毛皮と動物の本」

商人「最初は不思議だったが、やがて理由がなんとなく理解できてきた」

商人「私は子供の頃から馬が好きで、学生の時も乗合馬車の馬小屋でアルバイトをしていたくらいだが」

商人「人慣れた家畜、物言わぬ動物でも、お互い通い合うものがなければ仲良くはなれない、何度も思い知らされた」

商人「……次兄は、生身の動物に対しても、きょうだい以外の同年代の子供達に対しても」

商人「身近にいて欲しいと思った相手に自分の心が通じなかったらどうしよう、受け入れられなかったらどうしよう、と」

商人「それが怖くて踏み出せなかった、そうだろう?」

次兄「…………」

次兄「父さんは俺の過去、俺という人間を、美化しすぎです」

次兄「10年前の初等学校の件、父さんは何も悪くないし、俺には人間の友達は今でも不要だと思っているし」

次兄「好みの獣には一方的でいいから欲望にまかせてスキンシップを図りたくなる、この瞬間でさえ」

商人「たとえそうであっても、今の次兄はあの野獣の『人間の味方』になろうとしている」

商人「私は、それがただただ、嬉しかったんだよ」

次兄「……父さん」

次兄「俺、父さんの子供でよかった。父さんが俺の親でよかった」

商人「おいおい、唐突に何を言い出すんだ次兄」デヘヘ

次兄「うちの美形揃いのきょうだいで俺の容貌だけ平凡でぱっとしないのは父さんに似たからで」

次兄「昔は引き締まった体型もあり少しはモテたと聞くが、今やすっかり冴えないおっさん」

次兄「緊張感の欠片もなく重力に囚われた腹肉、胸毛と反比例した頭髪は冬の荒野で靴下臭い」

次兄「いっぽう商人としては誰もが認める誠実さと、商品を見極める目の確かさ妥協の無さ」

次兄「製造主の人柄と職工達の待遇に至るまで、自分で納得できなきゃ取引しない徹底ぶり」

次兄「阿漕には稼げないし、この国が平和で安定しているからこそ成り立つやり方だけど、固定客は離れない」

次兄「でも国が乱れたらうちみたいな店は真っ先に潰れるだろうね」

商人「生活必需品のみに切り替えるとか、こう見えても危機対応については常に考えているが……聞いてないね」

次兄「そして男としては生ぬるく物足りないお人好し、且つお調子者の面もありプライベートでは時として短絡で軽薄浅慮」

商人「……父さん泣いてもいいかい?」

次兄「それでも、才色兼備で人格者のお母さんが好きになった男だから何かしら長所はあったわけで、そうだろ?」

次兄「少なくとも、とうとうこの歳まで再婚しないほどお母さんとラブラブだったのは間違いないし」

商人「らぶらぶ…………」

次兄「……財産があっても食い潰すだけの怠惰な親、逆に親が身を粉にし働いても不幸にして貧しい家」

次兄「そのどちらでも、俺みたいに虚弱な子供がこの歳まで生きていられる筈がない」

次兄「それに…もっと大金持ちで勤勉な父親でも」

次兄「質実剛健を偏重するガチゴチ体育会系の家風だったりしたら」

次兄「俺の居場所は無くて、やっぱり生きては行けなかったと思う」

次兄「病気で何度か死にかけた時はどれほど心配してくれて、手を尽くしてくれたかも知っている」

次兄「次男でしかも第四子のための薬や治療費を出せる経済状況もだけど」

次兄「それ以上に、父さんが父さんみたいな人だったからこそ、俺はこうして居られると」

次兄「改めて実感できたんだ」

商人「……次兄」

商人「私も、お前という子がいてくれてよかった、こうして、元気に…こんなにいい少年に育ってくれて……」

商人「本当に、よかった」ギュウゥゥゥ

次兄「ぷぉ」ムギョ

商人「……末妹を頼んだぞ」

商人「間違いなく、新しい友達のもとへ送り届けて、そばにいて、また連れ帰っておくれ」

次兄「…」

次兄「まかして」

…………

長姉の部屋。

長姉「あの子達が、また怪物の家に戻るって!? どれだけ馬鹿なのあの二人は!!」

次姉「姉さん、声が大きい」

長姉「何よりお父さんがそれを許したなんて、ますます意味わかんない……」

次姉「説明するわ、聞いて」

長姉「……いらない」

長姉「私を仲間外れにしている間に話が進んだんでしょ、で、あんたも兄さんも、お父さんに異論はないんでしょ?」

次姉「あー…」

長姉「お父さんも兄さんもあんたも、末妹とのしばしの別れをたっぷり惜しんであげたらいいのよ」

長姉「私の知ったこっちゃないわ」ガタ

次姉「姉さん、帰ってきたばかりなのにまた出かけるの?」

長姉「末妹達が次に家を出るまで、私は家に帰らない。泊まる場所くらいあるんだから!」

次姉「ちょ、幼馴染男? 先生ご夫妻のお宅に住み込みでしょ、旅行に行くのもまだ先でしょ、ご迷惑よ」

次姉「それとも料理教室の、西通りの未亡人宅? なんて説明するのよ」

長姉「…………」ぐぬぬ

長姉「じゃ、じゃあ、代わりにあんたが部屋から出て」グイ

次姉「ちょ、押さないでよ」

長姉「あんたもお父さん達もいないものと思って暮らすわ、だから視界に入らないで」グイグイベチ

次姉「いないものって、うちのご飯は(ちゃっかり)食べるくせに…ねえ叩かないでよ!」

長姉「嫌ならとっとと出て行けばいいじゃない!!」ベチベチベチベチツッパリツッパリツキダシ

次姉「姉さ」

ドア:バッタン!!

ガチャガチャ…

次姉「鍵かけたわね、姉さん!」

ドア:シーン……

次姉「話すタイミングを読み誤ったか、私としたことが……」ハァ

次姉「……」

次姉「拗ねてるだけよ、頭が冷えたら落ち着くわ」

次姉「……そうよね?」

…………

で、同日夜。

長兄「次兄と末妹の口から聞けてよかったよ」

長兄「俺が思っていた以上に、お前達は色んなことを真剣に考えていたんだな……」

次姉「どんな目に遭うかわからない状況から無事に帰って来た上、その相手と友達になろうなんて」

次姉「悪い野獣じゃなくてよかった、なのかもしれないけれど」

次姉「何よりあんた達が強かったおかげだと思うの」

末妹「私達が……?」

次姉「そう、次兄も末妹も強いわ、お父さんより兄さんより私より、ね」

次兄(……次姉ねえさんより強い俺ですと?)ムムム

次兄(……ああ、想像力が燃え尽きて真っ白な灰と水蒸気に……)プシュー

次姉「だから、今度も無事に戻って来ると信じて待てる」

次姉「……信じているからね」

末妹「うん……」

商人「というわけで、三人とも同じ思いでお前達を送り出せるよ。そりゃ、少しの間さみしい思いはするが」

末妹「三人…」ポツ

次姉「…………」

商人「うん、長姉がこの場にいないのは残念だけど……」

商人「あの子だって色々考えた上で行動している、もう大人だ、お前達が必要以上に心配することはない」

商人「大丈夫、次にふたりが帰宅する時は長姉も一緒に皆で出迎えるよ、って…あれ?」

商人「この話をするのは次姉の役目だったか、すまんすまん、ハハハ」

次姉「……」シーン

商人「っ」

商人「……お、怒っているのかい? ごめん、ごめんよ次姉……」ビクビクオドオド

次姉「? う、ううん、違うの。考え事してただけ……」

商人「そ、それならいいが」

商人「家政婦さんは今日はもう帰ってしまったから、明日みえた時に話をしよう」

末妹「私からお話しするわ、お父さん」

商人「そうか、任せたよ」

次兄「明日は1日かけて、しっかり旅支度をしたいと思うんだ」

商人「ああ、それがいい。不備があっては先方に失礼にもなるからな」

末妹「……」

長兄「どうした、末妹。鏡の正面に立ったりして?」

末妹「ひょっとしたら、だけど……野獣様、魔法の鏡でご覧になっていますか?」

末妹「少しだけ…1日だけ余分に、待っていてください。今度は、お土産も持って行きますね」

…………

安宿の一室。

宿の鏡「アラ、カワイイコ。ダンナモオスキデスネー」

師匠「……はぁ」タメイキ

師匠「あの子達に魔法は掛かっていない、儂は今の時点では関われない」

師匠「要するに、何も起こらない、いや」

師匠「騙されたことにあの娘が気付いて、それを嘆いたら」

師匠「あの愚かで阿呆で情けないポンコツな元弟子の命は……」

師匠「あああ、儂にできるのは死者の後始末しかないと!? せっかく誤差含む220年を追いかけて来たのに!!」

隣室とを隔てる壁:ドン!!

師匠「……いかんいかん、隣人か。壁が薄いのについ大声を……」

師匠「このボロ宿も、たまには儂以外の宿泊者がいるのだったな」

師匠「お詫びに今夜は良い夢を見られる魔法をかけてやる、壁越しに」ポヨン

師匠「……明後日か」

師匠「あの兄妹を見守る傍ら、何か打つ手は本当にないか、諦めずに考えてみよう、悪足掻きでも」

師匠「…あの子達の思いが、愚か者の思い込みを上回れば」

師匠「儂は奇跡という言葉は嫌いだし信じてもいないが、変則的な事態が起こり得る可能性ならば、なくはないかもしれん」

師匠「……」

師匠「不確かな要素を当てにするとは、儂も老いぼれたかもな……」ハアァァァ

…………


※今回はここまで。※

翌日……

家政婦「せっかくですから、どうか楽しんで来てくださいな、末妹様」

家政婦「今度はお家のことを心配なさる必要はないのですから」

末妹「ええ、ありがとう、家政婦さん……」

家政婦「それより、お着替えの衣類は足りますか? 他にも必要な物を思い付かれましたら、お知らせくださいませ」

末妹「私は大丈夫だと思うけど……お兄ちゃんはちょっと心配だなあ……」

末妹「ちょっと聞いてきますね」トトト

次兄の部屋……

末妹「あら? ドアに隙間が……」

ドア:キイィ…

末妹「お兄ちゃん?」ヒョコッ

次兄「!!」ビックン!

次兄「ここここここここここここら、末妹!?」

次兄「乙女が思春期真っただ中にある若年紳士の部屋の扉を不用意に開くものではない!!」ジタバタドドドド

末妹「ご、ごめんなさい!?」ビビッ

末妹「ドアがちょっと開いていたものだから……」

次兄「ぬ、ドアが開いて!? くっ……完璧な防御と思っていたのに詰めが甘かったわあああああああ!!」ズガアアアアン

末妹「あ、あの……?」オドオド

末妹「ちょっとだけだから、隙間がね、指で表すとこれくらい」8ミリテイド

次兄「な、なんだ、その程度か……深呼吸深呼吸」スーハー

次兄「……ふう。いや、なんだ、施錠を忘れたどころかぴっちり閉めなかった俺が悪かったのです」

次兄「声を荒げてすまなんだ、何の用?」シュタッ

末妹「な、なんだったかしら、記憶が飛んじゃって」

末妹「あ、思い出した…あのね、旅の荷物に着替えや必要な物はないかって、家政婦さんが……」

次兄「ああ……それなら心配いらないよ。二週間だろ、パンt…下着は三枚をローテーションすれば十分」

末妹「これからあちらの地方はここよりずっと寒くなるから、洗濯物もきっと乾きにくいわ」

末妹「前の二枚が乾かないうち、最後の一枚も洗うことになるかもよ?」

次兄「え? 一枚を4~5日ほどもたせれば、滞在中に一度も洗う必要は」

末妹「………………」ジー

次兄「」

次兄(自覚があるかどうかは窺い知れないが、末妹が眉間に微かな縦皺を寄せて俺を見つめている……)

次兄「……兄ちゃんが悪かった。あと三枚追加しておきます」

次兄「自分で他の荷物も見直してみるよ、リストアップしておくから後でチェック頼む」

末妹「……自分でできるのね? 大丈夫ね? 本当ね?」

次兄「大丈夫、きちんとしないと野獣様達にも失礼だからね。お前のおかげで改めて意識付けが成された」

末妹「わかったわ、じゃあまた後でね」

次兄「うむ、世話をかけたな」

ドア:パタン…

次兄「……ふぅ」

ドアの鍵:ガチャ

次兄「部屋の窓ガラスはカーテンで覆い、鏡は伏せ、金属光沢のあるものは布をかぶせたりベッドに突っ込んだり」

次兄「鏡の魔法対策は万全との油断から、慢心したものと思われます」チラ

机上に伏せた紙の束から発する瘴気:ズゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…

次兄「……父さんに昨日語ったのは、あれもまた俺の偽らざる思い」

次兄「野獣様や執事さん達がこれからも平穏に暮らし続けるための力になりたいのは本心」

次兄「それはそれとして、いよいよ目の前に迫った再会の時」

次兄「顔を見た途端、はじけそうな俺の想いが勢い余って暴発したら…俺自身にも制御できる自信はない」

次兄「不測の事態を予防するために、またも紙に叩きつける形で発散し解消せねばと……」

次兄「朝っぱらから描いて描いて描きまくりました、絵をですよ」

次兄「……結果、今まで以上に誰にも見せられないモノが紙上に降臨」チラ

机上(以下略):ヌオオオオオオオオオオオオオオオオオオ…

次兄「鏡の魔法対策はぬかりないが、とにかくこれも鍵のかかる引出しに封印しましょう」ガチャガチャ

次兄「……」

次兄「これがある限り、俺はどこに行こうとも、何が何でも生きて再びこの部屋に帰らねばならぬ運命(さだめ)」フッ…

次兄「……さて、パンツの替えを追加せねば」

次兄「末妹だって女の子、怒らせようものならそれなりに恐ろしい相手になり得るのです」イソイソ

…………

野獣の屋敷、野獣の部屋。

野獣「……1日だけ余分に待っていてください、か」

野獣「すまぬ、末妹、次兄」

野獣「……ドレスとオルゴール、せめてこれを末妹のもとに届けたい」

野獣「その後、これをどうするかは彼女の自由だがな」

野獣「金貨と引き替えに無生物を移動させる魔法……」

野獣「いや、それだとあの家の金貨をこちらが貰わねばならないのか」

野獣「例え一枚であっても金の管理があれだけしっかりしている家だ、迷惑を掛ける」

野獣「かと言って、これからやるべきことを考えると、魔力を大量に使う呪文は使えん」

野獣「……ううむ、一定以下の重さならば、生物無生物問わず無条件で送り届けられる魔法もあったな」

野獣「軽い物しか運べない。人間ならばせいぜい赤ん坊が限界だから、実用性は乏しいので忘れていた」

野獣「これと、時間を遅らせて発動させる魔法を組み合わせた魔法陣を……」

野獣「……これでよし。明日、末妹が真相を知る頃に、家に届くだろう」

野獣「あとは……執事達」

野獣「この部屋の、あの魔法陣を見られたくない。居間に皆を召集することにしよう」

野獣「主人としての、最後の務めを果たさねばな……」

野獣の屋敷、居間。

庭師「メイドちゃん、なんで僕等いきなり呼ばれたんだと思う?」

メイド「さあ……あ、今日明日にも末妹様が来られるから、お出迎えのお仕事のお言いつけかしら!?」

料理長「しっ、静かに。ご主人様だよ」

野獣「集まったか……」

執事(……お窶れになったな)

野獣「……皆、覚えているか。それぞれ、この家に来た時…私と初めて出会った日を」

執事「……」

メイド「何をいきなり仰るのかしら」

執事「ええ、覚えておりますとも。今ここにいるわたくし達の全てが始まった日です」

野獣「……私がお前達にしたこと、その意味が、わかるか? 本当の意味が」

執事「本当の意味……?」

野獣「森の獣だったお前達に、人間の言葉を喋らせて、人間の真似事をさせる」

野獣「お前達が物言わぬままでは、寂しかった、耐えられなかった」

野獣「……自分の孤独を紛らわせるだけに、お前達を生まれたままとは違う生き物に作り変えてしまった」

野獣(人の心を読む魔法と、どちらが重い罪だろうか?)

執事「……」

野獣「贖罪になるかどうかはわからんが」

野獣「私にできることはお前達を解放して、それから」

野獣「この先、死ぬまで独りきり、ここで暮らすことだ」

メイド「え」

野獣「……というわけで、明日の朝にお前達の魔法を解こう」

野獣「私との生活を全て忘れ、森や草原に戻り、自由に暮らすがいい」

庭師「…ちょ、ちょっと、ご主人様!! ひどいよ!!」

執事「庭師!」

庭師「だって……」

メイド「そ、そうだ、末妹様たちは? もうすぐここに来られるんでしょう?」

野獣「あの二人は、二度とここに来ることはない」

メイド「……え、だって!? またここに来るための魔法をかけたって!」

野獣「あれは、嘘だ。家に帰す分の魔法しかかけていない」

執事「……!」

メイド「ちょ…え? あの、だって、そんな!? ご主人様が、末妹様を騙したって仰るんですか!?」

野獣「その通りだ」

メイド「……そ……そんな……どうし…て……」グシュ…

料理長「……話し合いにはなりそうにないですな」

料理長「庭師、メイド。今日はご主人様をそっとしといてあげよう、な?」

執事「……我々はこれで失礼致します。明日また改めて、お話をしませんか」

執事「末妹様のことは……お会いできないのは残念ですが、こうなった以上わたくし達にはどうすることもできません」

メイド「ご、ご主人様が会いたいと思ったら、不思議なお力で…お呼びすること……できるでしょ……」グシュ

野獣「……」

執事「今後の事は、そんなに性急に決める事もありますまい」

執事「しかし、どうか忘れないでください」

執事「わたくし達は貴方様のお側にいるためだけに生まれ変わったと言う事を」

野獣「…………」

ドア:パタン…

野獣「……性急に決める事はない、か」

野獣「しかし、もう私に時間はないのだ。お前達の返事を、待つまでもない……」

…………


※今回はここまでです。次回は未定、なるべく早く。※

その夜。商人の家、末妹の部屋。

末妹「私もお兄ちゃんも荷物は万全(たぶん)、明日はいよいよ……」

末妹「……家に帰ってきた時と同じように、今度は『野獣様のお屋敷に行きたい』と願うだけ」

末妹「大丈夫、できる。お兄ちゃんも一緒だし」チラ

机上の一輪差のバラ:アイカワラズキレイ

末妹「……バラには、今回は私が帰るまでお留守番をしてもらおうかな」

末妹「メイドちゃん元気かなあ。きっと元気だよね」

末妹「すっかり冬毛に生え換わって、前よりもっとムクムクコロコロになっているかもしれない」

末妹「他の皆さんも冬毛かな。執事さんも、あの銀色がかった毛並がもっとフサフサになって」

末妹「……お兄ちゃんが大喜びしそう」

末妹「野獣様も、夏場と冬場で毛が生え換わったりするのかなあ?」

末妹「会えばわかるよね……ふぁ」

末妹「……スー…」

……

次兄の部屋。

次兄「ぬあああああああ心がさんざめいて眠れんんんんんんん!!」ジタバタ

以下省略。

…………

翌朝。野獣の屋敷、野獣の部屋。

野獣「生真面目な末妹だからな、朝食を摂って、身支度を整え、家族に挨拶をしてから……」

野獣「私が教えた通り、次兄と二人で……おそらくは自分の部屋から、こちらへ向かおうと試みるだろう」

野獣「……それにしても、今朝は執事達の姿が見えない。声も聞こえない」

野獣「昨日のことを怒っているのかもしれないが、屋敷の中にはいるはずだ」

野獣「皆を元に戻すにも魔力を大量に使う、魔法を使わずに探し出したいが」

野獣「……さて、規則正しいあの家のことだ、いつもの朝食時間を考えると、そろそろ……」

鏡「ハイハイ」

……

商人の家、末妹の部屋の前の廊下。

末妹「……そろそろ、行ってきますね、お父さん」

商人「うんうん、二人とも風邪などひかないように、それから……」

次姉「お父さん、それ何回目? 皆、目いっぱい別れの挨拶は交わしたじゃない」

次兄「キリがないのでこれくらいで切り上げさせていただきましょう。ささ、末妹……」

商人「あ……」

長兄「父さん、笑って送り出すって言ったじゃないか」

家政婦「行ってらっしゃいませ、次兄様、末妹様……」

家政婦「……」チラ

観葉植物「」

家政婦(……気にはなっておられるんですね、全く)フイッ

観葉植物(……)ドキドキ

末妹「心配しないで。ちゃんとお父さんとの約束を守ります」

部屋のドア:ガチャ…

末妹「じゃあ、ね」ニコリ

次兄「ギャラリーの皆様、あらかじめ説明もしましたが、この先はお静かにお願い致します」シー

次姉「ええ、わかってる、だいじょうぶ」

商人「頼んだよ、頼んだよ、次兄……」

ドア:パタム…

末妹の部屋の中。

末妹「お兄ちゃんと手をつないで、あの時と同じように……」

末妹「目を閉じて、心を落ち着けて」

末妹(野獣様のお屋敷に行きたい、野獣様達に会いたい……)

次兄(野獣様…執事さん……)ワクワク

末妹(……………………)

末妹(……あれ?)

……

野獣は。

野獣「……何度試しても無駄だ」

野獣「……」

野獣「まだ、諦めないのか……」

野獣「もうこの部屋の鏡になるものは全て使い切る、末妹の部屋は見えなくなる」

野獣「……」

末妹達は。

末妹「何かの間違い……何かの間違いよ、絶対、野獣様の所へ行くんだから」

次兄「試しに荷物を減らしてはまた繰り返し、とうとうお手持ちは俺だけになったが、それでも……」

次兄「……お前一人ならいけるかもしれないぞ?」

末妹「だめ、二人で会いに行くの!」フルフル

末妹「野獣様はお兄ちゃんの事も待っているから、待って……野獣様が、待っ……」ポロ

次兄「っ」

末妹「野獣様、どうして……どうして? 会いたいのに、約束した、のに……・」ポロポロボロボロボロボロ

次兄「と、とりあえず少し休もう。平常心でなければ成功しないんだ、休んで、心を落ち着けて、また……」

末妹「…野獣様、私、どうしていいかわかりません……どうしたら……」グスン…グシュ

次兄「末妹……」オロオロ

野獣は……

野獣「……」ズキ

野獣「ふ、思っていた以上に身に堪えるな、これは……」

鏡「ジカンギレ」フッ

野獣「……さようなら、末妹、次兄」

鏡の覆い布:ファサ

野獣「お前達ふたりは、本当に優しくて純真だった」

野獣「いい子達だ、それに見合う幸せな人生が待っているだろう」

野獣「……執事?」ユラ

野獣「執事を、料理長を、庭師を、メイドを……探さなくては」

野獣「皆を解放するのだ、自由にしてやらなくては……」

…………

野獣の屋敷地下、薬草とスパイスの保管庫。

メイド「ご主人様が朝から私達の魔法を解くため探しているからって、ここにいるけど……」

メイド「……あああああー!鼻がおかしくなるううう!!」ジタバタジタバタ

料理長「……(料理人が鼻をやられては厄介なのでガッチリ鼻栓しております)」イキハクルシイ

庭師「ううううあああ…キャットニップには耐性があるはずなのに…」

庭師「…この多様多彩なアロマの混沌の中に、恐らく似たような作用の薬草があるううう……」

庭師「なぜか両手の肉球がムズムズしてきたよお…なんか開いちゃ駄目っぽい記憶の扉も開きそうだよおおお」

執事「まさか我々が『入るな』と言われているここに籠っているとは、ご主人様も思わないだろう」

執事「皆、(鼻が)苦しいだろうが少しの辛抱だ」

執事「我々がこのご命令だけは聞けないと理解していただかなければ、話も始まらない」

料理長(ストからの交渉に持ち込むわけですな)

庭師「僕の理性、お願いだから崩壊しないれええええええらめえええええ」ビクンビクン

メイド「庭師くんはもう駄目そう……」

執事「……」

執事の回想(昨夜の話)

(料理長「執事さん、わしはご主人様がそうされたいのならば、森に戻ってもいいと思うのですよ」)

(執事「しかし……お前はもう森での暮らしは」)

(料理長「もちろんこの年寄りは何日も生きてはいけないでしょう、しかしわしは充分に生きました」)

(料理長「森の暮らしは殆ど思い出せないが……女房は何年もの間、わしの子を何匹も産んでくれた」)

(料理長「森での生活はきっと『幸せ』だったと思います」)

(料理長「そして女房が死に、わしもすぐに後を……と思っていた矢先、ご主人様に拾われて」)

(料理長「思いがけず今までと全く違う生き方ができて、しかもそれもまた『幸せ』だった」

(料理長「その新しい『幸せ』をくださったご主人様が、この先をお独りで暮らすことをお望みならば」)

(料理長「それに従うことは道理にかなっていると思うのです」)

(執事「……」)

(料理長「……と言うようなことを、さっき庭師とメイドに話したら」)

(料理長「あの子達は怒るんです、『料理長さんがいなければ誰が料理を作るんだ』と」)

(料理長「ご主人様は我々を手放すからその必要はないだろう、と言ったのですが」)

(料理長「『絶対、末妹様はここに戻ってくる』と」)

(料理長「『末妹様は約束を破らない、たとえ時間がかかっても』」

(料理長「『それに末妹様には次兄様がついている、次兄様はそのためにどんな手だって使うはず』」

(料理長「『だから、あのお二人のために美味しい料理を作らなくちゃ駄目だ』と」)

(執事「あの子達が……」)

(料理長「それを聞くとね、わしも現金なもので、また会いたくなってしまったんですよ」)

(料理長「あの可愛らしく優しい末妹様に、女房の絵を描いてくれた次兄様に」)

(料理長「ご主人様も一緒にいらっしゃる席でね」)

(執事「……わたくしも、自分一匹なら、ご主人様のご命令であればどんな結果になろうと従っただろう」)

(執事「が、年老いたお前も、野生で生きる術を覚え切らないまま親の庇護を失った庭師とメイドも」

(執事「魔法を解かれ森に放たれても、数日と生きてはいられないだろう」)

(執事「使用人の長として、皆も従わせる事は皆を見殺しにする事に等しいと考える」)

(執事「それに……」)

(執事「ご主人様も心の底では、末妹様達が戻られる事を望んでいるのでは、と思う」)

(執事「いつかまた、お二人をここに招く日のためにも、わたくしはお前達を守らなくてはならないし」)

(執事「もう一度話し合い、お考えを改めていただくように説得することも辞さない」)

(執事「ご主人様が使えるようにしてくださった『言葉』とは、そのためにあるはずだ」)

……

メイド「……執事様?」

庭師「」シロメ

執事「よし、そろそろこの部屋を出て、ご主人様にこちらから会いに行こう」

執事「皆でもう一度、話をしてみるんだ。きっとわかってくださる」

……

屋敷の裏庭。

野獣「もうバラ達が……萎れ始めている」

野獣「……皆、どこに隠れている?」

野獣「屋敷の中のめぼしい場所、表庭、探し回ったが誰も会えず…」

野獣「……最後に来た裏庭(ここ)にもいない」

野獣「私は皆ほど耳も鼻も優れていない、人間と同じくらい鈍い……姿かたちはこうでも、ただの人間に過ぎない」

野獣「姿も見せず、返事もしてくれない者は探せないのだ」

野獣「時間が、もう時間がない……」

野獣「時間が……」

野獣「……皆が、元に戻るのを望まないなら、それもよい」

野獣「確かに今更、野生の生活に戻っても生きては行けまい」

野獣「あまりにも無責任な主人に失望して、姿を隠しているのだろう」

野獣「ならばせめて謝りたいが……もう無理だろうな」

野獣「……使用人達と、あの兄妹と、共に過ごした日々は楽しかった、しかし」

野獣「私のしたことは……執事達を、獣とも人ともつかぬ中途半端な化け物の仲間に引き入れ」

野獣「……一つの人間の一家を、不幸に陥れかけた」

野獣「あの日々は、新たな私の罪と、犠牲の上にあったのだ」

野獣「……謝って済む物なら…何かと引き替えても取り戻せるなら…」

野獣「……」

野獣「……師匠」

野獣「やはり私は、あの日、バラと共に、朽ちて行くべき……でしたね」

野獣「無力で…愚かな……王子として……」ザッ

野獣「…末妹…」

野獣「末妹が…私にとって、何かの意味なんて持たない存在であれば……よかった」ガサ

野獣「心優しい少女と、とんでもない変わり者の少年、屋敷の皆……ここで一緒に過ごせれば……」

野獣「……ただただ…あの日々が少しでも長く、続いて…欲しかった」

野獣「……私が心から望んだのは、それだけ……だったのです」 ド サ ッ

……

屋根の上の庭師「……!!」

庭師「皆に知らせなきゃ、ご主人様がバラ園で倒れてる!」タッ

……

執事「……どうやら息はしておられる。虫の息だが」

メイド「明け方はあんな大きな声で私達を探していたのに……」アタフタ

メイド「きっと末妹様のお父様と同じで、寂し過ぎてご病気になってしまったんだわ……」オロオロ

執事「……ん?」イワカン

執事「バラが……萎れている?」

庭師・料理長「「台車持って来ました」」ゴロゴロ

……

野獣の部屋。

メイド「ご主人様のお部屋が一階でよかったと、今日ほど思ったことはないわ」

庭師「しかし、台車に乗せるのとベッドに上げるのが……」

料理長「執事さん、大丈夫ですかな……? わしら、不甲斐なくて申し訳ない」

執事「…平気だ、力仕事が、できるのは、この中で、わたくししか、いないものな……」ゼェハァ

執事「ご主人様の体重は、ヒグマ並だ……」

メイド(ヒグマ持ち上げた事あるのかしら)

庭師「ねえ執事さん、バラ園が……」

執事「…ああ、お前も気付いていたか」

執事「真冬の雪にも真夏の日照りにも平気な魔法のバラが、こんなことは初めてだ」

執事「きっと何か…我々には理解できない何かが、確実に起きているのだろう、ご主人様とバラ園に」

執事「これは推測だが、ご主人様が弱っているせいでバラも萎れているのだと思う」

メイド「そんなことが……」

執事「あと、これも推測…いや、こうあってほしいという願望だが…」

執事「バラが完全に枯れ切るまでは、きっとご主人様も死にはしないと思う」

庭師「ぼ、僕、バラに水をやってみる!」タッ

執事「次の推測はもっと確信に近い」

料理長「……根拠は?」

執事「…これも勘に過ぎないが……」

執事「末妹様がここへ戻って来られたら、きっとご主人様は助かるはずだ」

メイド「……やっぱり私わかりません、ご主人様がなぜ末妹様に嘘をついてまでお会いにならないのか」

執事「料理長、お前にはわかるか?」

料理長「……ええ、わかります。末妹様は、ご家族に大切にされているお子だからです」

料理長「商人様が、我が子を身代りにして平気でいられる親ならば、ご主人様はお二人を帰さなかった筈」

執事「だろうな。だが、末妹様には帰る家がある、身を案じてくれる家族がおられる」

執事「そして、あのかたもご家族も、人間の世の中で暮らす人間だ」

執事「人から見ればご主人様もいわゆる『怪物』と呼べる存在、人語を解する獣であるわたくし達も含めて」

執事「まともな人間の親ならば、我が子が怪物と付き合うことを良しとはしない」

執事「末妹様の、末妹様のご家族の平穏な暮らしを壊さぬよう、ご主人様はお二人と別れることにしたのだ」

メイド「末妹様たちのために……?」

執事「そしてご主人様は、末妹様と離れた結果、ご自身がこうなることもご存じだったはず」

執事「主を失った我々の行く末を思えば、何もかも忘れ野生に戻った方がましだと思われたのだろう」

メイド「それが私たちのため、ですって……?」

メイド「……ご主人様、私、難しい事はわかりません」

メイド「だって兎ですから、皆の中で一番、のーみそちっちゃいですから……」

メイド「だけどその私よりも、ご主人様、おバカです」ベッドニヨジノボリ

執事「メイド」

メイド「人間の親は子供が怪物と付き合うのを良しとしない、なんて、だからもう来させないって、おかしいです」

メイド「ご自分が怪物と仰るなら、怪物ルール貫きましょうよ」

メイド「商人様を脅して末妹様を無理矢理連れて来させた時のように、人間の常識なんか知るもんかって態度で……」

メイド「これからの事だって、簡単です」

メイド「ご主人様と商人様が寂しくならない間隔で、末妹様に行ったり来たりしてもらえばいいだけじゃないですか」

メイド「それだけの事なんでわからないんですか、ご主人様のバカバカバカバカバカ!」

メイドの前足:カシカシカシカシカシ

執事「ご主人様の顔を引っ掻くんじゃない」ヒョイ

メイド「お言い付けで爪は丸く整えています、こんな剛毛みっしりのお顔がこの程度で傷付くものですか!」バタバタバタ

メイド「……?」

メイド「執事様、あれは何です?」

執事「ん、末妹様のドレスとオルゴールだが」

メイド「そんなことはわかっています! それが置いてある床ですよ!」

執事「あれは確か……魔法陣だったか。末妹様達を家に帰す時に使った模様だ。あの時と少し形は違うようだが」

執事「末妹様達を真ん中の円に立たせて、その後に二人の姿が消えた」

メイド「家に帰す……じゃあ、あれはドレスを末妹様の家に送り届けようって意味ですか?」

執事「わたくしには魔法のことはさっぱりわからないが……それは考えられる話だな」

メイド「駄目です、それこそ本当に『もう二度と来るな』って言う、駄目押しじゃないですか!!」ピョーン

執事「メイド!?」

メイド「この円の外に出せばいいんでしょう!?」

メイド「よいしょ、よいしょ……これくらい、私の力でも押し出せます」

魔法陣:フアァァァ…

執事「! 魔法陣が微かに光って、メイド、離れろ!」

メイド「え」

料理長「メイドちゃん!」ダッ

執事「近付くな!」ガシッ!

メイド「」

フッ……

料理長「あ、あああ……」ヘタッ

執事「メイドの姿も、床の魔法陣も消えた……あの時と同じだ」

料理長「ど、どこへ行ってしまったんだろう……」オロオロ

執事「きっと末妹様の家だ、こちらに残ったドレスとオルゴールの代わりに」

執事「……そうだ、この部屋の鏡!」

鏡の覆い布:バサッ

…………


※ここまで。続きは土日のどっかで※

商人の家、居間。

次姉「ひどい、許せない! 人間とか獣とか魔物とかって問題じゃない」

次姉「女心を弄んで期待させて裏切るなんて、男として雄として最低最悪よ!!」ドゴドゴドゴドゴドゴドゴミッシミッシ

長兄「次姉次姉、柱が折れる、家が倒壊する、マジやめて」

末妹「……やっぱり、私なんかが友達になりたいなんて……ご迷惑だったのかな……」スン…

次兄「違う! お前は悪くない、俺のせいだ、『兄妹セットでお買い得』、思えばこの戦略が失敗だった」

次兄「俺が野獣様や執事さんに絶えず送り続けた熱い視線こそが大迷惑であったのだろう……」

次兄「『次兄は着脱自由な完全オプション』として売り込めば末妹までこんな思いをしなくて済んだのに!!」ウオォォ

商人(次兄もフォローしてあげたいが、自己分析が的確すぎて『そうだね』としか言えそうにない)

商人「末妹……」

末妹「…うっ、うっ……」シクシク

商人(なんと言葉をかけてやればいいのか、本当に、何かの間違いなら良いのに……)

家政婦「……こんな時になんですが旦那様、長兄様、お使いのかたがメッセージを持ってこられました」

商人「どなたのお使い? ……この名前、確か長兄が商談をした新しい取引先だな」

長兄「家がこんな状況だが、すっぽかすわけにも行かない相手だ、とにかく行って来るよ」

次姉「仕方ないわ、行ってらっしゃい……」

毛玉のようなもの:ポテッ

次姉「……お父さん? お父さんの足元に突然何かが」

毛玉のようなもの:モゾリ…

商人「……え?」

毛玉のようなもの「……ぎゃああああああああああああああああああああ!?」

商人「うわあああああああああああああああ!?」

次姉「な、何、何事!?」

兎「いやあああああ!! 人間×大人×男=猟師よ、猟師に捕まるうううううううう!!!!!!!」バッタンバッタン

次姉「う、兎!? 兎が喋った!?!?!?!?」

商人「こ、こいつ、部屋中跳ねまわって!!」

末妹「メイドちゃん!?」

次兄「!!」

メイド「…末妹様!? 末妹様!! 会いたかった会いたかったあああああああああ!!!!」ッピョーーーーーーーン!

末妹「メイドちゃん!!」ダキッ

メイド「うええええええ、怖かった……末妹様……会いたかったぁ……」キュッ

末妹「私もよ、メイドちゃん……」ギュー

商人「……次兄、これは一体……?」

次兄「父さん、俺達、別に意図的に隠そうとしていたつもりはないんだ」

次兄「でも、積極的に話そうともしなかったのも事実。……このメイドさんだけじゃない、お屋敷の使用人達は」

次兄「こうして人語を解する森の動物……森の動物だった獣達、とでも言えばいいのかな」

商人&次姉「「」」

商人「た、確かに、野獣の使用人ならば人間ではないかもしれない、とは思ったが……」

末妹「……ごめんなさい」

商人「謝ることはない。お前が仲良くなったというメイドとは、その小さな兎のことだったのか」

メイド「……あ、よく見たら商人様……鏡で見たことがある」

メイド「あの、失礼しました、私、猟師に追われた過去があるので、人間の大人の男性の姿を目の前にすると……」

末妹「メイドちゃん……」

次兄「それはしょうがないよ」

次兄「でも、どうしてメイドさんが突然この家に現れたんだ?」

メイド「……!」

メイド「こうしちゃいられない、末妹様! ご主人様が、ご主人様が!!」

末妹「!?」

……

執事達……

鏡「コノヨウナジョウキョウデス」

執事「……とりあえずメイドは無事、末妹様がいれば安心だ……」ホー

料理長「おや庭師、戻ってきたのか」

庭師「執事さん、ご主人様は?」タタッ

執事「良くも悪くも、今のところ変わり映えはしない。バラもか?」

庭師「うん、バラだって簡単には枯れたくはないはず、萎れては来たけど頑張っているよ」

庭師「……え、なんでメイドちゃんが鏡の向こうに…末妹様と一緒にいるの!?」

……

商人の家、居間。

末妹「野獣様は……私達の事を思って嘘を……」

次兄「うううううううう、やっぱり心優しいお方、紳士の中の紳士です」涙ドバー

次姉「……それが本当だとしたら、許してあげてもいいわね」フン

商人「……」

メイド「そして、執事様が仰るには、おそらくバラが枯れ切った時、ご主人様のお命も……」

末妹「……!」

末妹「一輪差のバラは!?」

次兄「持って来る」タッ

次兄「……やっぱり萎れかけている」サッ

次兄「そうだ、鏡……合言葉を使えば家の鏡から向こうの様子が。メイドさん、魔法の鏡の合言葉知らない?」

メイド「鏡の…合言葉……確か、バラがどうとか……」エート

メイド「……執事様はご存じの筈ですが、すみません、私は……」

メイド「近くで聞いていたはずなのに、覚えられませんでした」

次兄「……そうか」ガクー

末妹「このバラが完全に枯れてしまわないうちは大丈夫なんでしょう?」

メイド「……おそらくは、ですが」

次姉「でも、ここにいて何ができるの?」

商人「……地図」

商人「そうだ、魔法の地図、あれを使ったら、馬車で二時間もあれば!」

居間へ続く扉の前。

観葉植物「!!」ギクーン

観葉植物(どうしよう……内緒で持ち出して質草にしたまま、すっかり忘れていた……)

家政婦「……もしもし」ポン

観葉植物「うっひゃああああ!?」ピョン

家政婦「これは見事に隠れましたねえ」

家政婦「でも朝は末妹様のお部屋の前にあった鉢が、いつの間にかこんな所に来ているのはどう考えても不自然ですから」

長姉「……ばれちゃ仕方ないわ」ゴソゴソ

商人の声「…ない! ないぞ、地図がない!!」

次姉の声「ええっ!?」

長姉「あ……」

家政婦「長姉様……?」

居間の扉:バタン!

次姉「家中を手分けして探すのよ、手当たり次第」

長姉「」

次姉「……姉さん」

長姉「……地図を探し出すって、何のために?」

次姉「立ち聞きしてたの? 決まっているわ、末妹を野獣に会わせるためよ」

長姉「あんたまで、怪物を助けたいの?」

次姉「野獣がどうなろうと私には関係ないけど、末妹を泣かせたくない」

次姉「と言うより、悔いを残させたくない」

次姉「自分勝手な思い込みで自滅しかかっているお馬鹿な野獣に、末妹の口から言いたいことを言わせてあげたいの」

長姉「……出てこないわ、地図は……」ボソボソ

次姉「っ、どういうこと!?」

商人「長姉!? 部屋から出てきてくれたのか!」

長姉「……お父さん」

商人「長姉……まともに姿を見るのは久し振りだ」

商人「……なんだか痩せたんじゃないか、可哀想に」

次姉(ここ半月以上、一日の半分くらい町を暇潰しで歩き回り、仕事も始めて、むしろ引き締まって来たんだけどね)

長姉「わ、私の心配するふりなんかしないで! どうせ、それどころじゃないくせに!」

長姉「私と何日かぶりに顔を合わせても、お父さんは末妹の事で頭がいっぱいなんでしょ!?」

末妹「長姉お姉さん……」

次姉「姉さん、こんな時に何を!!」

長姉「地図は出てこないわよ、私が質屋で、お金に替えちゃったんだから!!」

末妹「……!!」

次姉「姉さんっ!?」

商人「長姉!!」

次兄「なんですとおおおおーーーー!?」

次姉「姉さん、どこの質屋よ、白状なさい!!」

商人「質屋……お金だ、お金を持って受け出さなくては、早く……」

商人「……金庫を開けなきゃ現金はない、いま金庫の鍵は一本だけ、鍵は長兄が肌身離さず……」

次兄「兄さんは……取引相手の所にお出かけ、その人の家に…?」

商人「家で話をしているとは限らない、どこかのカフェとでもなると、手当たり次第に探す羽目に」

次姉「小銭が少しくらいはあるでしょ、家中からかき集めるの! 兄さんを探し出すより早いわ」

長姉「……私を、怒らないの?」

次姉「そんなことしている場合じゃないもの! ああ、こんなことなら宝石まで金庫に入れなきゃよかった!」

商人「か、金目の物を集めよう。質屋で地図と引き替えたらいい、長兄が戻ったらすぐにでも現金を持って受け出せば」

長姉「……『さわやか質屋』よ」

商人「!! そうか、わかった、とにかく小銭と貴金属をありったけ……」

長姉(あの日、そのお金を持ってブローチを直しに行く途中、幼馴染男に会って、ぶん殴っちゃって……)

長姉(家に帰って、次姉と喧嘩したんだった)

長姉(……私が知らない間に、地道に宝石の勉強をしていた次姉が憎たらしくて……羨ましかった)

次兄「我が蔵書から、自然史の名著の初版本を。近年再評価されている著者なので、価値は上がっているはず」

末妹「……お父さん、純銀だって言ってたでしょ、これ……」スッ

次姉「! お母様のくれた十字架じゃない、そんなことしたら怒るわよ!?」

末妹「でも……私、お金になりそうなものこれしか持っていない、それにすぐ取り戻せるんでしょう?」

末妹「みんなに助けてもらうばかりじゃ、私」

商人「これだけは持っていなさい。代わりに出せるものはあるんだから」

次姉「一時的だろうと、それを手放したらあんたを許さないからね、末妹」

末妹「……わかった……ごめんなさい」

メイド「ううううう毛皮とお肉を差し出しますって言えたらいいんだけどさすがにできないううううう」ウロウロ

長姉(……私の味方をしてくれると言った次姉に、一昨日またも八つ当たりして閉め出して)

長姉(そして、今こんなことになっているのは、私のせい)

長姉(何やってんだろ、私……)

長姉(殴られても首を折られそうになっても、幼馴染男は私を嫌わなかったけど)

長姉(もし彼が、この状況を見ていたら……)

長姉「…………うちのお金を使うことなんかないわ」

次姉「姉さん、まだそんな事を!」

長姉「お父さんやあんた達が真面目に働いて得たお金よ、私の不始末のために使っちゃ駄目」

長姉「家政婦さん、持ってきてほしい物があるの」ボソボソ

家政婦「……長姉様?」

長姉「お願い」

次姉「何、姉さん、髪を束ねたりして」

家政婦「長姉様、鋏ですが」

長姉「ありがと」スッ

次姉「!!」

ザクッ

末妹「お姉さん!?」

ザクザクザクザク……バサリ

ベリーショート長姉「……次姉、私が以前に通っていた床屋に持って行って。その足ですぐ質屋に」

商人「……長姉、あ、あんなに、あんなに大切にしていた髪なのに……お前……」

次兄「父さんが『大切な髪』と言うと妙な説得力が」

長姉「金額は、あんたに教えたブローチの直し代のちょうど二倍」

次姉「あの時の……」

長姉「この地方で、これだけ長い天然の金髪はそうそう手に入らないから、喜んで言い値で買い取ってくれるだろうけど」

長姉「もしも床屋が出し渋ったら、あんたなら値段を吊り上げる方法があるでしょ?」

次姉「……うん、しっかり預かるね、姉さん。念のため、質札も持って行く。その方が早く済むわ」

長姉「私の部屋の机の、一番上の引き出し」

次姉「わかった、じゃあみんな、地図を取り戻してくる! お父さんは馬の用意を」

末妹「私も手伝う、黙って待っていられないの」

商人「ああ、助かるよ。馬小屋へ行こう」

メイド「私も何かできることがあればー」ピョン

家政婦「私は思い付いたことがあるので、そちらの準備をさせていただきます」

家政婦「……長姉様、後でその髪、綺麗に整えさせて下さいませ。きっと素敵になります」

長姉「…………ありがとう」ボソ

次兄「……」

長姉「……あんたは馬小屋に行かないの?」

次兄「俺に手伝えることはないので」

長姉「そう、あんたも私も能無しの役立たずだもんね」

次兄「でも長姉ねえさん、働きだしたんだろ?」

長姉「っ、ちょ、次姉ったら、喋ったわね!?」

次兄「ううん、偶然、姉さん達が仲直りしたらしいのを知ってさ」

次兄「何があったのかなんとなく気にしていたら、一昨日、庭でこれ拾っちゃって」ピラ

長姉「あ……家で書いた、料理教室のレシピ……窓から出かける時に、一枚落としたのね」

次兄「姉さんの筆跡だもの、これ。すぐわかったよ。もちろん誰にも見せていないし言ってない」

長姉「……」

次兄「何がきっかけか知らないけど、長姉ねえさんも頑張っているんだな、って」

次兄「だから俺も、内に秘めていた将来の目標を父さんに話してみようかな、なんて考えたんだ」

次兄「末妹との今度の旅を終えて、家に帰って来てからね」

長姉「あんたの将来の目標……世界中の動物を触り舐めまくるって夢じゃなくて?」

次兄「それは趣味の追求だから別の話。将来の目標については、父さんより末妹より、先に話したい人がいるからね」

長姉「ふーん。ま、後で知る日まで今の話は忘れておいてあげる」

長姉「……」カミノケサワサワ

次兄「……姉さん、後悔してない?」

長姉「……髪はいくらでも伸ばせるわ。お父さんと違うもの」

長兄「一言多いぞ」

次兄「兄さん、帰って来たのか」

長兄「長い話じゃない、2~3の確認事項で終わったが、どうしても今日中に話をしたかったそうだ」

長兄「で、馬小屋に父さんと末妹の姿があったから、話を聞いたら……長姉、お前……」

次兄「……兄さん、メイドさんに会わなかった?」

長兄「うん? メイド服を着せた兎の…腹話術人形のことか、末妹が抱いていたが」

次兄「兄さんの融通利かない脳が、人語を解す兎を拒否したものと思われます。現実を見ましょう、逃げてはいけません」

長兄「俺がいない少しの時間で色々な事がありすぎて頭が処理し切れないんだ、その件は後でじっくり噛み締める」

長兄「とりあえず、お前と末妹を送りだしたら、長姉とじっくり話をしたい。父さんと……次姉も交えてかな」

長兄「と言うか、長姉の話をじっくり聞きたい。言いたいことはたくさんあるはずだ」

長姉「……兄さん」

次兄「俺は改めて荷物の確認をするか。軽装馬車を使うことになるだろう、あれなら末妹にもなんとか扱える」

家政婦「できました。このバスケット、内側にクッション材を取り付けてあります」

家政婦「メイドさんには、道中この中に入っていただきましょう。少しくらい馬車が揺れてもこれならば」

家政婦「足元は爪がかかるようにバスケットの網目が露出しているので、踏ん張りも利きます」

次兄「ありがとう家政婦さん! サイズも大きすぎず狭すぎず、流石だ」

末妹「馬と馬車の用意ができたわ、荷物を積みましょう」

商人「小さい方の馬車だが、お前達とあの荷物なら充分だ」

次兄「後は、次姉ねえさんを待つだけ……」

……

そして、安宿の一室。

宿の鏡「イドウスルヒトヲオウノハケッコウタイヘンデスヨ」

師匠「……次姉は床屋で無事に目的の金額を手に入れることができたようだ」

師匠「この場合、無事で済んだのは床屋だな」

師匠「魔法の地図か……」

師匠「魔法の地図の本体は、白い紙に大雑把に線が引かれただけにしか見えないが」

師匠「作り出すには特殊な技術と大きな魔力を必要とするので、魔術師ギルドでの複数の魔術師による作業になるのだ」

師匠「調べたところ、魔法が世の中から失われた現在でも時々各地で地図本体は発見されるようで」

師匠「手間暇がかかっている品ゆえに、そこそこ高額で取引される」

師匠「一度完成した地図を使うのは簡単だ、そのつど目的地を『刻み込む』だけで、経路が自動的に浮かび上がる」

師匠「ただし、魔法で刻み込まねばならない」

師匠「微弱な魔力でよいし、呪文も簡単なので、魔法使いであればたいがいの初心者でも使えるが……」

師匠「目的地に辿り着けば、もとの大雑把な白い地図に戻ってしまう」

師匠「一般人には、目的地が刻み込まれ尚且つ未使用でなければ実用性はない」

師匠「そのため、現代での価値はあくまで『そこそこ』止まり、欲しがるのは魔法史の研究家くらいなものだ」

師匠「む、次姉が質屋に辿り着いたようだな」

師匠「……元金分だけでなく、しっかり利息分も床屋から貰っていたようだ、抜かりない」

師匠「質屋の主人が封筒を出して来た、なるほど、鏡越しにも魔力を感じる」

師匠「目的地が刻み込まれているかどうかの差は魔力で言えば些細だ、実物を目にしなければ判定できんが」

師匠「……いくらあの馬鹿者でも、一般人が使用できる状態の地図を取り返しもせず持たせたままにするだろうか?」

師匠「しかも、娘を奪われた父親に」

師匠「あの商人の性格ならば、強引に娘を取り戻そうという発想は元よりなかったのだろうが」

……

執事達。

執事「もう、居間の鏡になりそうなものは全て使い尽くしてしまった」

庭師「戸棚の金具までピカピカに磨かれているおかげで、かなり助かったけどね」

執事「玄関は見えるか……? 次姉殿が帰宅されたかどうかを知りたい」

料理長「ご主人様のように、家の外に出た人まで追跡することはできませんからな」

……

次姉。

次姉「ただいま、みんな! 地図よ!」

次兄「次姉ねえさんが帰って来た!」

長姉「……よかった、髪を切った甲斐があったわ」ホッ

末妹「……長姉おねえさん……」

末妹「ありがとう、ここまでしてくれて、ありがとう……」

長姉「か…勘違いしないで、あんたのためでも、怪ぶ…野獣のためでもないから」

長姉「……『ある人』に顔向けできない恥ずかしい女にはなりたくないと思っただけ、私の都合よ」

末妹「それでもいいの、私は嬉しい……ありがとう」キュ

長姉「……馬鹿な子ね全く、だから私は、あんたなんか……」

長姉「……」

長姉「……ま、悪い気はしないけどね」ボソ

メイド「あああよかったあ、ご主人様の地図、これで末妹様を会わせることができます……」

家政婦「メイドさん、よかったですね」ナデナデ

メイド「ありがとう家政婦さん、あなたいい人です!」

家政婦(……可愛い、実は最初見たときから撫でたかったの……)ホワワ

商人「間違いない、私が野獣から受け取った地図だよ」

商人「次兄、使い方は教えた通りだ、大丈夫か?」

次兄「今はまだ真っ白だけど、大きな道を外れたら赤い点が浮かび上がって、行き先を示してくれるんだね?」

末妹(……バラの花、萎れてはいるけれど、まだ花弁も落ちていない)

末妹(紙筒に入れて……やっぱり持って行こう)

長兄「末妹、乗馬服に着替えたんだな」

末妹「うん、少しでも動きやすい方がいいと思って……」

長兄「お前は軽装馬車の扱いもなかなかだけど、うちの馬と相性がいいからな、任せたよ」

末妹「私の扱いよりも、あの子が賢いからよ」

商人「……心配しても始まらない、魔法の地図を頼りながら馬を駆るのは不思議なほど軽快な乗り心地だった」

商人「まずは、無事に辿り着くだろうと信じている」

商人「次姉が言ってた、お前達は強いと。本当に大変なのは、向こうに着いてからかもしれないが」

商人「私もお前達の強さを信じることにしたよ、きっと『友達』を救える……」

商人「ふたりで助け合って、そしてどうか笑顔で家に帰って来てくれ」

次兄「わかった、父さん」

末妹「……行ってきます、お父さん」

家政婦「次兄様、メイドさんはこのバスケットの中に」ヨイショ

次兄「しっかり抱えているよ。あ、肩にかけるベルトまでつけてくれたんだ、至れり尽くせりだ」

末妹「馬さん、私とお兄ちゃんをお願いね」ポンポン

馬「……」チラ

次兄「我が家の馬。馬種は中間種、町の郊外の父さんの友人牧場生産。牡馬。鹿毛、6歳……」

次兄「大丈夫、お前は父さんの大切な馬、言わば家族であり財産でもある、そんなお前に不埒を働くほど俺はアレじゃない」キリッ

馬「……ひんひひひん、ぶるひひんひひんひん(信じましょう、お嬢さんのためです)」

次兄「わかってくれるか、馬。よし、頼むぞ」

長兄「…………お、お前まさか、いつの間にか普通の動物と会話できる術を身に付けたのか……?」ガクガク

次兄「まさか。単なるフィーリングだ、しかしなんとなく通じ合ったような気はする」

次兄「俺のコミュニケーション能力も上がったのかもしれないな……」

バスケット「末妹様、次兄様……どうか、ご主人様を……」

末妹「まだ私に何ができるかわからないけれど……」

末妹「野獣様の傍に行きたい、会いたい、それだけ。そのために、頑張るから」

……


※半端ですが今日はここまで。明日も更新予定※

街中(「まちじゅう」じゃなく「まちなか」)。

カツカツカツカツカツ……ガラガラガラガラガラ……

通行人「……」ジー

次兄「……重い箱馬車を選ばなかったのは、馬の負担を減らし少しでも早く着くようにという父さんの配慮」

次兄「この軽装馬車だと乗員はほぼ丸見え、人通りの多い市街地では速度も上げられない」

通行人「……」ジロジロ

次兄「…末妹もだが俺も実年齢より3歳は下に見られるから」

次兄「小さな子供が保護者の同伴もなく馬車を駆っているようにしか見えないのだろう……」

次兄「しかも御者として手綱を握っているのが年下の女の子と来ては、世間的には奇異な光景でしょうな」

次兄「ま、人目を気にしている場合ではありません」

馬「ひん」

末妹「街を抜けたら魔法の地図が使えるようになるのね、お兄ちゃん?」

次兄「ああ、父さんの話では……糸杉林の丘、知ってるだろ?」

次兄「俺達を屋敷に連れて行く時は丁度あの辺りで、赤い点が浮かんできたそうだ」ゴソゴソカチャカチャ

末妹「……何? 手鏡と……金属板? 紅茶缶の蓋も?」

次兄「メイドさんが言うには、執事さんは鏡の合言葉を知っている、それなら」

次兄「メイドさんを心配して家の様子を窺っていたかもしれないし、俺達が向かっているのも知っているかもしれない」

次兄「屋敷に着くまで約2時間、1つの鏡につき90秒なら、80個の鏡が必要だが……」

次兄「さすがにそこまでは無理でも、鏡及び鏡として使用できそうな物を合計16個ばかり用意できた」

次兄「執事さーん、見ていますか」カガミニムカッテ

次兄「一つ鏡を使い切ったら、6分間の間隔を置いて次の鏡を使えば、断続的に我々の様子を知ることができまーす」

末妹「お兄ちゃん、凄い! さすがだわ」ココロカラソンケー

バスケット「……執事様、見ていてくれたらいいけど……」

……

その頃の執事達……

執事「なるほど、次兄様、考えましたな……」

執事「しかし、家を出られたらもうおふたりの様子を見るのは不可能かと思いましたが」

執事「馬車に乗り込むまでの間、駄目もとで窓ガラスや金属を伝って途切れないように姿を追ってみた所、案外上手く行った」

料理長「狼の、獲物を追う習性の成せる技ですな」

執事「……ご主人様、頑張ってください、もうすぐ末妹様達がこちらに到着しますよ」

野獣「…………」

料理長「……反応はないが、我々の声が届いていればよいですな」

庭師「窓から見る限り、バラの様子もあれから変わらない……少しずつ元気は失っているのかもしれないけれど」

……

糸杉林の丘。

師匠「……と言うわけで、瞬間移動の呪文で先回りしてみた。林に潜んでおれば見つかるまい」

師匠「……」

羊「んめへええええええええええええ」

師匠「この丘一帯が羊の放牧地とは知らなんだが……こらローブをもしゃもしゃするな」

……ガラガラガラガラ……

師匠「ん、あれか。……馬車を停めたな、様子を見てみよう」

……・

次兄「……むむ?」

末妹「……どう?」

次兄「すまん、もう少しだけ馬を進めてくれないか。ゆっくりな」

末妹「……はい」ペチ

馬「ひん」カッポカッポ

……

末妹「もう少し、北に向かって馬を進めてみるわ」ペシ

次兄「うーん、地図をかざす角度を変えてみようか?」

バスケット「……こういう時は、神様お願い、ですよね。つまり、私は他になんにもできないのです……」

……

師匠「……もう10分以上、周辺をウロウロしているぞ」

師匠「ん、こっちに近付いてきたな。もう少しこっちに来れば……地図の判定もできる」

師匠「…………む」

師匠「……やはりな、目的地は刻まれていない、か……」

……

野獣の屋敷。

鏡「コノサキ、バシャニショウジュンヲアワセマスカー?」

執事「頼む」

執事「……ううむ、小休止を挟んでまた鏡を見ても、同じ場所をウロウロしておられる……」

執事「ご主人様の地図が使い物にならないのか?」

庭師「……ご主人様、ご主人様、聞こえていれば、ですけど」ミミモト

庭師「末妹様達、地図さえ使えるようになればこちらに来られるんです」

庭師「……お願いです、お二人に力を貸してあげてください」

料理長「ご主人様……貴方様がどんなに拒んでも、あのお二人は決して諦めないでしょう」

料理長「頑固さでは敵いません、どうか……間に合ううちに、折れてください。二度と会わないというお言葉を、翻してください……」

野獣「…………」

……

次兄「末妹、泣くなよ、お前が泣いたらメイドさんがストレスで死んじゃうからな」

末妹「……大丈夫、馬車を出した時から、道中泣かないって決めたの。お兄ちゃんこそ、青い顔で脂汗垂らして」

次兄「む、そんな顔してたか、いかんいかん」ベチベチベチ

次兄「ほーら赤みが差した! 案ずるな!」ヒリヒリヒリ

……

師匠「……可哀想だが、もう……」

羊「めえええええ」ペロペロ

師匠「旅行鞄を舐めるな、買ったばかりだと言うに」

師匠「……ん、なんだ?」

師匠「微弱だが、明らかな……魔法の力を感じる、これは……」

師匠「……魔法の地図に目的地を刻む呪文」

師匠「しかし、こんな遠くまで届かせるために、ありったけの力を使ったな。これが限界か」

師匠「地図に定着させるだけの力はもう残っていない、時間が経てばそれも消え失せる」

師匠「……」

師匠「……奴には魔法を使ったという自覚もあるまい」

師匠「死の覚悟も、本当は生きたいという自分では気づかぬ望みも今は無く、ただ『会いたい』」

師匠「この子らに再び会いたい一心で、無意識のうちに呪文を紡いだか……」

師匠「……全くもって、あいつの素質は儂には底知れん、本人も上手いこと使えないわけだが」

羊「めへえ?」ローブカプー

師匠「……ああ、羊が邪魔だなあ、危害は加えたくないが追い払いたいぞ」

師匠「試しにちょっとばかり周囲に魔力を放出してみよう、羊が何かを感じ取って避けてくれるかもしれん」

師匠「他者の放った呪文が共鳴して、力が増幅される可能性もあるが」

師匠「それはあり得んな、この近辺に魔法使いは儂しかおらんからなあ」ポォォォン

羊「……んめええ」ローブモッチャモッチャモッチャ

師匠「おやしまった、羊には効果がないか、代わりに何かが起きたかもしれんが些細な変化だろうて」

ミロ、チズニアカイテンガ! ヨカッタ、バシャヲススメルワネ!

師匠「……行ったか」

師匠「で、儂は他にやらねばならない事がある、あの子達と屋敷の様子は鏡で見続けるが」

…………

商人の家、長姉の部屋。

家政婦「ほら、長姉様。いかがでしょう?」

次姉「……素敵、こうやって整えたら短髪も悪くないわね」

長姉「家政婦さんのセンスがいいのよ、気に入ったわ」

家政婦「で、長姉様。本日のお夕食は、どちらで召し上がります?」

長姉「……」チラ

次姉「……」ニコ

長姉「……居間の食卓で、みんなと一緒に」

家政婦「畏まりました。では、そろそろ夕食の準備にかかりますね」スッ

長姉「……あの子達、どれくらいで到着するって言ってたっけ」

次姉「お父さんが言うには、街を抜けて2時間ちょっとだって。だとしたら、もう着いている頃だけど……」

…………

馬車。

カカッカカッカカッカカッカカッカカッカカッカカッカカッカカッカカッカカッ

次兄「執事さーん、ちょっとロスタイムはあったけど、心配しないでくださいねーーー」

末妹「馬さん、急がせてごめんね」

馬「ひーひぶひん(平気ですよ)」

次兄「どう考えても街道を外れているのに、めっちゃ整備した道を」

次兄「…どころか、競馬場でも走っているかのように軽快だ」

末妹「……メイドちゃん、大丈夫?」

バスケット「はい、私は元気ですよー」

次兄「お、バスケットの蓋のここ、押し下げられるようになっている?」カチャ…

次兄「小窓が開いた、家政婦さんの細工かあ」

メイド「わあ、お外が見えますー」

メイド「……なんだか馬車の周りの景色がよく見えませんね、どんな場所を走っているんでしょう?」

次兄「魔法の地図の赤い点に従って走り出してから、こんな感じなんだ」

次兄「馬の足取りは『やや駆け足』程度なのに、人の乗っていない馬が全力疾走しているかのように景色が流れて行く」

次兄「いや、きっとそれ以上だな。現実にはあり得ない速さだ、さすが魔法の地図」

末妹「前もよく見えないわ、なのに不安はないの、この子も知った道を行くかのように落ち着いている」

次兄「赤い点はこの方向をまっすぐ指している、このまま進んで」

カカッカカッカカッカカッカカッカカッカカッカカッカカッカカッカカッカカッ

末妹「……前の景色がはっきりしてきた、森よ、森が見える……!」

次兄「! 赤い点の動きが止まった……消えた」

馬「ひひん!!」

末妹「……お屋敷! お屋敷が見えてきた!!」

メイド「ああああご主人様!! 末妹様ですよ!!」

次兄「うおおおおおおおお野獣様ああああああああああ!!」

……

執事「門を開くぞ、庭師は馬を休ませるための仕度を」

執事「料理長はそのままご主人様についていてくれ、門を開けたらすぐ戻る」

執事「馬にわたくしの姿を見られたら、怯えさせてしまう」

料理長「執事さんも狼には変わりありませんからな……」

料理長「ご主人様、もうすぐですよ、もうすぐ」

野獣「…………」

…………


※今回はここまで。次回は近いうち※

屋敷に着いておしまい、ではないです。今言えるのはそれだけ

野獣の屋敷、前庭。

メイド「ふう、やっと動かない地面に降りられた……」ポテン

次兄「門扉を閉めて……っと」ガシャン「とりあえず荷物は馬車ごと置いていこう」

末妹「馬さん、とりあえずこの木に繋ぐね。お疲れ様……」ナデナデ

馬「ぶるる……」スリスリ

庭師「末妹様、次兄様!」

車輪付き水桶&飼い葉桶:ゴロゴロー

メイド「庭師くん!!」スッピョーン

庭師「メイドちゃん、無事で良かった!」

庭師「馬の事は僕にまかせてください。……馬さん、また会ったね」

馬「ひん(やあ)」

次兄「父さんが一泊した時も、君が馬を世話してくれたのか」

末妹「この子お願いね、庭師くん」

庭師「さあ、急いでご主人様の所へ」

メイド「ここからは私が案内します!」ピョン

次兄「助かる、あれだけ滞在していても間取りが把握し切れていないもんな」

末妹「野獣様、ようやく着きました、待ってて……!」

……

野獣の部屋。

料理長「かろうじて息をしている、という状態ですな」

執事「……足音が近付いて来る、ドアを開こう」

ドア:ガチャ

メイド「執事様!!」

執事「しっ、静かに!」

末妹「執事さん……」

執事「貴女様をお待ちしておりました。お入りください」

次兄「……執事さん」

執事「……末妹様を、よくぞ無事に連れて来てくださいました。感謝します、次兄様」

次兄(むしろ俺が連れて来てもらった側だけど)

料理長「……おお、末妹様、次兄様。ご主人様、おふたりが到着しましたよ」

野獣「……」

末妹「野獣様……!」

執事「さあ、もっとお近くへ」

次兄「…おふぉう!?」

次兄「な、なんで野獣様、上半身が裸(ら)……」クラクラ

料理長「少しでも息が楽になればと、服を脱がせましたが……?」

執事「それに心音がもう微かで、服越しでは耳を寄せても聞こえないのです」

末妹(……泣かない、泣きません、野獣様)キュッ

末妹「野獣様、私です、末妹です」スッ

末妹「聞こえますか、私の声。お顔に触れる私の手、わかりますか……?」

次兄(さすが邪心の欠片もない末妹、なんの抵抗もなく野獣様に触れている……)

次兄(しかし俺には夢にまで見た野獣様の胸毛…想像以上のボリューム、全身の褐色の被毛とは対照的な金灰色)

次兄(……そして柔らかそう、ふわっふわ! めっちゃ肌触りよさそう、ふわっふわぁ!!)プシ

執事「…………」ギラリ

次兄「」ゾクッ

次兄(執事さんの目むちゃくちゃ怖ええ!!)ガクブル

次兄(『心では何を思っても自由だが、断じて言葉にするな態度に出すな、さもなくば喉笛噛み裂く』って目で訴えている!)

次兄(いかんいかん、鼻血を見られてはまずい、拭き取らねば、こらえねば、九九を逆から暗唱しようククハチジュウイチ……)

末妹「お兄ちゃん、お兄ちゃんも声を聞かせてあげて?」

料理長「わしは席を外します、こちらへ、次兄様」

次兄「……」チラ?

執事「…………」ハァ…

次兄(すっっっげえ『仕方ない』って表情だが、一応は許してくれたようだ)オズオズ

次兄(不意打ち(=胸毛目撃)を食らった直後はダメージが大きかったが、今はどうにか平常心、大丈夫)

末妹「野獣様、わかりますか。私の兄です、次兄ですよ」

次兄「……野獣様、俺、お土産にたくさん貴方達の絵を描いて持って来ました(人に見せられる絵です)」

次兄「また喜んでくれるかなって、楽しみにしてきたんですよ?」

末妹「もっとお耳の近くで話して?」

次兄(……ううう、野獣様の、(俺的には)美しいお顔が目の前に、保て保て俺のガラスの平常心)

末妹「野獣様、私もお話ししたいことがいっぱいあります」

末妹「鏡でご覧になっていた事もあるかもしれませんが、私の口からお伝えしたいんです……」

野獣「……」

メイド「ご主人様、末妹様ぁ……」クスン

執事「メイド、お前がご主人様の様子をお二人に教えてくれたおかげだ」

執事「お二人以外の人間がたくさんいる場所は恐ろしかっただろうに、よく頑張ってくれた、そして無事でよかった」

メイド「執事様……」

末妹「野獣様、兄と私はこの先も野獣様達とお友達でいられるにはどうすればいいか、あれこれ考えてみたんですよ」

末妹「そんなに難しい方法ではないと思います」

末妹「何より、離れていたってお互いの事を思っていられたら、それはもう友達です、そうですよね?」

末妹「……でも、その前に……約束がありましたよね、私達」

末妹「野獣様が、全てをお話ししてくださるって、その時こそ本当に私とお友達になってくださるって……」

末妹「……お会いしなければ話をすることもできないのに」

末妹「私をお屋敷へ来させないなんて、約束を破るおつもりだったんですか、いえ、そのおつもりだったのですよね?」

次兄「末妹?」

末妹「地図の事はたぶん忘れておられたのでしょう、だけど」

末妹「メイドちゃんから聞きました、私にかけた魔法は片道で、メイドちゃんや執事さん達には」

末妹「野獣様と過ごした思い出も全て忘れさせて森に離す、そう仰っていたと」

末妹「ひどすぎませんか? ……私、怒りますよ?」

執事「末妹様」

末妹「私と兄だけならともかく、大好きな野獣様のために何年も尽くして来られた皆さんに、なんてひどい仕打ちを」

執事「末妹様、それでも主人はわたくし達の事を思った上で」アワアワ

末妹「そのご命令だけは聞けないって執事さんも仰っていたじゃないですか! それもメイドちゃんから聞きましたよ!」キッ

執事「……スミマセン」ショボン

次兄(かつてこの森の最強狼だった執事さんが尻尾を足の間に挟んだ!!)

末妹「……野獣様、長いこと独りぼっちで、執事さん達に出会ってやっと独りじゃなくなって」

末妹「なのにどうして……今頃になって、ご自分から、こんな……」ポロ

メイド「末妹様、泣かないで……」オロオロ

末妹「私だって泣きたくない……泣きたくないのに、泣かせているのは野獣様ですよ……」ポロポロ

末妹「野獣様、お願い……」ポタポタ

末妹「お願いですから、目を開けてください、口をきいてください、執事さん達に、謝って……」ポタボタボタ

末妹「……うっ、うう……」ギュウ…

次兄「末妹……」

次兄(末妹が野獣様の胸毛に埋もれつつしがみついているにも関わらず、嫉妬の感情が湧き起こらない……)

次兄「…ふっ、末妹の純粋さに俺の邪念も今だけは浄化されてしまったようだな」

メイド(私達にかろうじて聞こえる程度ですが、また声に出ていますよ?)

執事(邪念が浄化されたらこの人は丸ごといなくなってしまうのでは?)

野獣「…………」


※ごめんなさい、今回これだけ※

執事と料理長はそれぞれの種としては標準より大きめ。
庭師とメイドは標準……となるとかなり小さな体なので、色々不都合や不合理や絶対無理だろもあるでしょうが
そこは山猫と兎の運動能力&野獣の魔法&屋敷のあちこちに踏み台がある…等でなんとかなってるって事で。

末妹「ぐす……やだ、泣かないって決めたのに、私……本当に泣き虫……ぐす……」

執事「末妹様……」

野獣「……」ピク

末妹「……?」

執事「!!」

ドア:バタン!

庭師「馬は庭の東屋で休んでいます、安心してください」

メイド「しーーーーっ」

メイド(静かにして、今……)ヒソヒソ

末妹「野獣様……? 今、動いた……?」

次兄「!」

末妹「お兄ちゃん、野獣様の手を握って」

次兄「う、うん」キュ(大き過ぎて俺の手では『握った』とは言えないが)

末妹「野獣様……聞こえていますか、ねえ……私はここですよ、私の兄もいますよ……」

野獣「…………う」ピク…

野獣「……その、声、は……」

末妹「……!」

野獣「……まさか、末妹…か……?」

末妹「ええ、私です、末妹です、野獣様!」

執事「ご、ご主人様……!」

次兄「あの、俺もいますよ、嫌だなんて言わないでくださいね?」ギュ

野獣「次兄……次兄なのか……これは、お前の手か……」

末妹「執事さん達も一緒ですよ」

野獣「執事、そうだ、さっき声がした……いるのか、執事……どこにいる?」

執事「わたくしだけではありません、皆もいます」

野獣「皆……料理長、庭師、メイド……近くに、もっとそばに来てくれ、触れてくれ、頼む」

野獣「……まだ、私を……主人と思っていてくれるのならば」

メイド「うわあぁぁんご主人様! ずーっと私達のご主人様ですよぉ!」ピョン

庭師「へへ…ご主人様、よかった……」スタッ

料理長「ご主人様、一時はどうなるかと思いましたよ」ノソリ

野獣「……お前達……」

野獣「すまん、頭は次第にはっきりして来たが……瞼がとても重いのだ」

野獣「末妹、もっと声を聞かせてくれ、次兄もほら、もっと私に寄り添ってくれ、末妹のように」

次兄「!」

次兄(公認! 公認! 本人からのお許しが出た!!)ムッハー

執事「……」キラリ

次兄「っと」

次兄(……ご心配なく。我が心は今、新雪の如く清廉潔白。今だけね。期間限定)

次兄(この俺、普段着纏いて金灰色の毛になんとかかんとか)モフゥ

次兄(…………ふおおおおお、がんばれがんばれ俺の、淡雪よりも儚い理性!!)モッフモッフ

末妹「野獣様、誰も離れていなくなったりしませんよ、執事さん達も、私達兄妹も」

野獣「……こんな私を、見放さず、見限らずに、か……」

野獣「……う、眩しいぞ……」パチ…

メイド「ご主人様、目が開いた」

野獣「はは…まるで、真っ暗な洞窟から抜け出したようだ」シパシパ

末妹「野獣様」

野獣「末妹……(涙の跡が)」

野獣「ああ、すまん、私はお前を泣かせてばかりいるな……」

末妹「謝る相手が違いますよ、野獣様……」ゴシ

野獣「……そうか、末妹が怒っていたのは、夢ではなく実際の出来事だったのか」

野獣「執事よ」

執事「はい、ご主人様」

野獣「…料理長、庭師、メイド……」

料理長&庭師&メイド「「「はい」」」

野獣「皆に私がした事は、お前達への裏切り、お前達の心を踏み躙る行為だった」

野獣「許してくれとは言わないが、それでも謝らせてほしい……すまなかった、本当に」

執事「許すも何も、最初から……そうでなければ、わたくし達は今この場にはいませんよ」

メイド「よかったあ、私達、嫌われていなかったんだ、よかったあぁ……」エーン

野獣「お前達……」

野獣「……しかし……末妹、次兄、どうやってここに来たのだ?」

末妹「魔法の地図です。前に、父に貸してくださった魔法の地図」

次兄「俺達を来させないとか言っておきながら、地図の事は忘れていたんでしょ?」

野獣「……まさか、そんなはずは、ない」

野獣「森で迷った商人が家に帰り、末妹を連れて再び戻ってくる、その分だけしか呪文はかけていない」

野獣「商人が家に着いた時点で、あの地図は新たに魔法で目的地を刻まねば、使用することはできなくなっていたはずだ……」

末妹「でも、地図に赤い点が浮かんで導いてくれたから、私達こうしてここにいるんですよ」

次兄「不思議ですね、でも……(愛の)奇跡が起きちゃった、ってやつ?」スリスリー

野獣「……奇跡、か」

野獣「それも良いかもしれん、理由はどうあれお前達はここにいる、それが全てだ」

執事「だいぶ声にお力が戻って来ましたね」

野獣「ああ、何故か身体だけは重たい甲冑でも着込んでいるかのように、動かせないが……」

野獣「…………」

野獣「…奇跡ついでに、もしかしたら……話せるかもしれない、そんな気がする」

末妹「話せる……?」

執事「?」

野獣「末妹よ、どうやら……意外と早く、約束を果たせる時が来たかもしれないぞ」

末妹「……!」

野獣「お前と二人きりではないが、それでも構わないか、それとも、皆と一緒に聞くのは嫌か……?」

末妹「嫌だなんて、そんな!!」ブンブン

末妹「お願いです、お話ししてください、聞かせてください……!」

…………

某所、鏡の前。

師匠「……!?」

師匠「あり得ん、あの姿を保っている状態で、己の秘密を言葉にし、他人に聞かせるなどとは」

師匠「……これは、この後も儂の予想外の出来事が起きてもおかしくはない、ないが……」

師匠「……ええい、儂としたことが、どんどん思考の中に感情的な願望が入って来て…冷静な分析ができん」

師匠「兄妹や屋敷の動物達の健気さに、ほだされたとでも言うのか、ああもう老いぼれたな儂も!?」ムキー

師匠「……なんにせよ儂はまだ彼等に関われないのだ、遠くから見守るしか」

師匠「それより儂には儂のやるべき事が待っている、気を引き締めて行かねば……」

…………


※ここまで。次回のキーワードは かくかくしかじか です※

>>726 下から四行目 ちょっと間違えたので訂正。些細なので読み飛ばして構わないレベル
×野獣「商人が家に着いた時点で、
○野獣「商人が末妹達と共に屋敷に着いた時点で、

野獣と末妹達……

…………

執事「……ご主人様は、かつては人間だったのですね」

メイド(ひょええええ、私には難しい話はわかりませんよおおお)グルングルン

末妹「……」

次兄「俺が読んだ歴史書に出ていた、滅びた小国の王子が……野獣様だったなんて」

野獣「……歴史書か。碌な書かれ方ではなかっただろう? 少なくとも、王子として愚かで無力であったのは間違いない」

野獣「嫌いになったか?」

次兄「いいえ野獣様、俺は今こそ言うべきであろうこの言葉を……貴方に贈ります」キリリ

野獣「うん? どんな言葉だ?」

次兄「……野獣様の正体が、過去が何であろうと、俺の気持ちは変わりません、大切なのは今です」

次兄「そう、今の全身…特に胸毛が想像以上にフッサフサモッフモフの貴方が全てなのです、全てなのですよ!!」ドドォーーン

野獣「」

野獣「…………お前はそういう奴だったな」フゥ…

野獣「ある意味、安堵したが」

末妹「……野獣さ、ま……」

野獣「末妹」

野獣「約束は果たした。が……お前に、またもそんな顔をさせてしまったな」

野獣「やはり末妹の友を名乗る資格はないようだ、こんな私では」

末妹「…っ」フルフルフル

末妹「……野獣様、私が思っていたよりずっと…ずっと長い時間、孤独だったのですね……」

野獣「長い時間と言っても、そのうち200年は眠りの中だぞ」

末妹「そうじゃなくて……野獣様、私、母は前にも言った通り、亡くなりましたが」

末妹「短い時間でも、記憶はなくとも、どれだけ愛してくれたか……わかります、知っています、勿論、父だって」

末妹「……野獣様にはご両親が揃って、でも……」

末妹「子供が、親から……価値がないものとして扱われるなんて」

末妹「……親から、愛されているとは思えないなんて……」

野獣「……」

末妹「私には兄達や姉達もいます、それだけじゃない」

末妹「小さい頃面倒を見てくれたばあやも、お医者さんも、今の家政婦さん、仲良しの友達、お店のお客さん、それから……」

末妹「自分の生まれた町しか知らなくて、たった14年しか生きていませんが」

末妹「私は独りぼっちじゃないです、たくさんの人が周りにいるから」

末妹「……野獣様は……王子様ですから、周りにもっともっとたくさんの人がいたでしょう、なのに」

末妹「心を許せた相手は、ただひとりの女の子で」

末妹「……そして、そのただひとりの人と友達になる自由さえ、許されなかったのですね……」

野獣「……王子の孤独は、王子の…私の弱さが招いた孤独、言わば自業自得だ」

野獣「元より、彼女の傍らにいられる資格などなかったのだよ」

末妹「野獣様、でも、図書館の娘さんの心はどうなんですか、その人の気持ちは、確かめもせず」

野獣「確かめようとして、失敗した結果がこの有り様だと話したつもりだが」

末妹「その失敗もひっくるめて、娘さんはどう思っていたのでしょう……考えた事ありますか?」

野獣「……特になんとも思っていなかった、と思いたい」

末妹「そんなわけないじゃないですか! 野獣様ったらいっつもそう!!」

一同「「「「「「」」」」」」

末妹「方法は間違っていたかもしれない、罰を受ける理由はあったのかもしれない、ですが」

末妹「わけもわからないまま突然離れ離れにされて、悔しさとか理不尽に思ったとか……私なら納得できません」

末妹「いいえ、仕方ないと納得するなと仰ったのは野獣様です、そうですよね」

野獣「お前には何ひとつ落ち度もなかったが、私は末妹に比べると、あまりに罪深く……」

末妹「娘さんがどう思ったかって話をしているんです」

末妹「確かめる方法などなかったのはわかります……思いを馳せるのも、きっと、辛かったのでしょう、それも……」グシ

野獣「……」

末妹「……私、こんな……甘えん坊の物知らずの小娘が、生意気ですけど」

末妹「なんだか自分で自分が止められなくなっちゃいました、だからこの勢いのまま言わせてください」

次兄(……どうしよう)

次兄(俺の謎の危険察知器官が、警戒音を発するか否かの段階で逡巡している)

末妹「執事さんも、料理長さんも、庭師くんも、メイドちゃんも、私も、次兄(あに)も野獣様のことを」

末妹「そして、きっと、いいえ間違いなく……図書館の娘さんは王子様の事を」

末妹「好きなんです、大切に思っているんです、好きの内容や表わし方はちょっとずつ違うのかもしれませんが」

野獣「……なぜ、図書館の彼女もそうだと、末妹には思えるのかね」

末妹「だって……魔法使いの師匠様という方が仰っていたのでしょう?」

末妹「『舞踏会の招待状を受け取った時から王子の手を取るまでを『本当に』夢だと思うように仕向けてある』と」

末妹「娘さんは王子様が好きだった、少なくとも…どうでもいい相手とは思っていなかった」

末妹「師匠様はそれをご存じだったのでしょう」

末妹「だからこそ、舞踏会の夜を娘さんにとって無かったことにしたかった、違いますか?」

野獣「……全く、お前は……」

野獣「お前はとんでもない子だな、末妹……ふふふ、ははははは……」

執事「ご主人様」

末妹「え……な、何がおかしいんですか!?」

野獣「末妹がそう言うのならば、私も信じてみたくなった、そして……認めざるを得なくなってしまった」

野獣「……私は自分で思っていた以上の馬鹿者だった、と」

末妹「野獣様」

野獣「向こうからどう思われていようとも、信じていればよかった、大切に思っていればよかった」

野獣「向こうに信じてもらえる、大切に思われる価値がこちらにあるかどうかなんて、それこそどうでも良かったのだ」

野獣「そうだろう、次兄よ?」

次兄「うぇぃ?」ハトニマメデッポー「なにゆえ俺に振るんですか」

野獣「どんなに疎まれようとも嫌悪されようとも侮蔑されようとも、好意を押し売りしてくるのがお前ではないか」

次兄「……野獣様、俺だけは何を言っても傷付かないと思っているでしょ……」ヨロヨロ

メイド「少なくとも立ち直るのはお早いですよねー」

庭師「うんうん、踏まれても起き上がる力は、庭のどんな頑固な雑草よりも強力です」

野獣「ある意味次兄を見習うべきだと本気で思っている、末妹のこともな」

野獣「お前達の優しさと心の強さ……昔の私に、お前達の何分の一でもそれがあったなら」

執事「もう、過去を悔いる言葉は不要なのでは、ご主人様」

料理長「その通りです」

末妹「……野獣様、これからの事を考えませんか」

末妹「執事さん達はこの先もずっとずっと、野獣様とご一緒です」

末妹「そして、私と……次兄(あに)も、今からは本当に、野獣様の友達です」

末妹「友達だから、野獣様がこの世界で……お屋敷や森の外で何かしたいことがあれば、そのお手伝いをさせてください」

末妹「図書館の娘さんの事が気になるなら……その後の足取りを調べることだって……」

野獣「……」

末妹「その前に、きちんとご飯を食べて、以前のように元気になってくださいね」

末妹「お話しする言葉はしっかりされて来たのに、動くのは首から上と手を少しばかり……」

末妹「心配です……」

野獣「……すまんな、どうしたことか、身体が借り物であるかのように自分の自由にならないのだ」

野獣「だが心は軽やかだ、こんなに楽な気持ちになれたのは、いつ以来だろうか……」

野獣「……」

野獣(……そして、忘れていた話も思い出しました、師匠)

野獣(同時に……どうしたことか、自分に関するあらゆる事が不思議なほど良く見通せる)

野獣(理屈ではなく、染みわたるように理解できる……)

末妹「野獣様……?」

野獣「末妹、今から本当に友達になったと、言ったな」

末妹「ええ、私達は……友達です」

野獣「そうか、嬉しいよ……本当に、嬉しい……」

野獣「安心したせいか、疲れが出た、眠くなってきた」

野獣「……末妹、次兄…執事、料理長、庭師、メイド……」

野獣「皆……すまないが、少しだけ……眠らせて欲しい」

執事「ええ、お休みくださいませ。まだご無理はなさらないほうがよろしいかと」

末妹「野獣様、このままお傍にいても、構いませんか?」

次兄「……ってゆーか、俺も……なんか、どっと眠気が……」モッフリ

次兄(…あ、これってもしや、野獣様と同衾なのでは……)

末妹「……そうね、私も…今まで気を張ってたせいかしら……」ウトウト

庭師「僕も眠いですぅ……ちょっとだけ……」フニュー

料理長「……いかん、夕食の用意を……しなくて…は」

メイド「簡単なものでいいでひょ……明日の朝、そのぶん豪華にひて、ご主人様と、末妹しゃま…達、に……」

メイド「」コテン

執事「……わたくしも…抗いがたい眠気が……申し訳ありません、少し…少しだけ」

次兄(……うおおおお、執事さんも!? 同衾万歳! 同衾万々歳!!)

次兄(……あ、落ち、りゅ……)

次兄「……ぐぅ……ぐぅ」

末妹「…すー…すー……」

野獣「……」

野獣「私は幸せだ、いや、もっと前から……」

野獣「本当は、幸せだったのだ……」

野獣「……」



   眠っていたのは、短い時間

   後になって思えば、ほんの短い時間でした……



末妹「…あ、野獣様……?」

執事「う、ご主人様……?」

次兄「…ああモフモフ…野獣様の胸毛モフ…モ、フ……?」スベ

次兄「え」スベスベ……

次兄「……すべすべですと!?」ガバ

次兄「   」

末妹「え……野獣様……?」バッ

末妹「……っ」

執事「あ、あなた様、は……?」

末妹「……あなたは……」

末妹「……あなたは……だ…誰、ですか……?」

金灰色の髪の若者「……え……え?」



   ほんの短い時間、だったのに。



……………………


※今回はここまで。次回は早くても土曜日の予定です※

野獣の部屋の二人と四匹、そして……

料理長「……おかしいですな、わしも老いが目に来たのか……」シパシパシパ

庭師「そ、それなら僕の目だっておかしいよ、だって、ご主人様と全く同じ『匂い』なのに……」

末妹「全く同じ匂い……?」

執事「同じ種同士、血縁や同じ巣…家で暮らす家族は匂いが限りなく似ることはあっても」

執事「匂いを誤魔化したり臭覚を惑わす細工でもしない限り、他者と全く同じ、という生き物はまず存在しないのです」

執事「通常、人間には嗅ぎ取れない程の僅かな違いらしいですが……」

メイド「どうして、どうして、匂いだけならご主人様そのものなんですよぉ、この人間さん」パタパタパタパタ

末妹「野獣様、そのもの……」

次兄「   」サキホドカラビドウダニシナイ

金灰色の髪の若者「……き、きみ、たち…を」

末妹「!」

末妹(この人のひとみの色……野獣様と同じ)

若者「し、知っている……ゆ、夢に…出てきていた……」

末妹「…夢?」

若者「……どうして…わ、私は、幸せな…幸福な夢を見ていたんだ、なのに、何故」モゾ…

執事「あ」サッ

執事「毛布から出てはいけません、その、人間は下半身に下着も着けずに人前には出られないのでしょう?」ガバッ

メイド「! あわわ、末妹様の前で」ピョーン「それはいけません!」ボスッ

若者「……っ」

若者「……なんにせよ起き上がれない、力が入らな……い」パタ

若者「……何故、私は……解放されたのではなかったのか、過去から」

若者「…………王子という自分自身から、自由を得たのでは、なかったのか……?」

末妹「! あなたは」

末妹「……野獣様のお話されていた、小国の、王子様……?」

若者「……」

若者「もう、生まれた国も、生まれた王家もないが、小国の王子だった人間ならば、この私だ……」

末妹「では……あなたは、野獣様」

次兄「   」ヘンカナシ

若者「……私は『野獣』とは違う」

若者「国と共に滅び損ねた、かつて王子と呼ばれた無力で愚かな、何もできない人間……」

若者「君達の大切な彼では、野獣ではない、彼は、ここには『いない』!!」バサッ!

末妹「……!!」

次兄「…ハッ?」

メイド「毛布に完全に潜っちゃいました、人間様……」

毛布の塊「……」シーン

執事「……何が起きたかはさて置いて、末妹様、そして次兄様」

執事「こちらの…王子様でしたっけ」

毛布「……『王子』とは呼ばないでください」ボソ

執事「……このお方が、主人と全く同じ匂いと言われても、お二人は戸惑うばかりでしょう」

末妹「執事さん……」

執事「貴方様達は一度この場を離れて、とりあえずはお休みになってください」

執事「……わたくしも正直この先どうしてよいのか見当もつかないのですが」

執事「いまだにお二人は主人の大切なお客様、大切なご友人には変わりありませんから、最優先に考えねば」

執事「それが我々の仕事です……メイドよ、以前の客間にお連れしなさい」

メイド「は、はい」ポッテン

料理長「わ、わしは夕食の用意をしましょう、しなくては」バタバタ

庭師「僕、もう一回バラの様子を見てきます!」シュッ

末妹「…お兄ちゃん?」

次兄「……モフモフ」ボー

末妹「バラ、そうだ、荷物と一緒に馬車に乗せたままね」

末妹「荷物を降ろさなくちゃ、そんなに重たいものはないから」

次兄「……モフモフ」ポケー

末妹「私ひとりでも大丈夫。馬さんの様子も見たいし……」

末妹「あ、お父さんからジャガイモそのほか預かっているんだった、料理長さんに直接渡したほうがいいかな?」

末妹「……そうよ、私くらいはしっかりしなくちゃ、悩んでいる場合じゃない」

末妹「今いちばん戸惑っているのも、苦しんでいるのも、私じゃないもの、ね?」

末妹「だからここにいる皆さんのため出来る事を頑張ります、それでいいんですよね、野獣様……?」

次兄「……モフモフ……」

…………


※まだ金曜日だけど…すみません。次回はもう少し長く投下※

なお、同じ匂いの者はいない云々は、少なくともこの世界での話と思っていただければ。
なんにせよ人間の鼻には判別できません、という設定


次兄立ち直れんのかこれ

某所、鏡の前。

師匠「……儂の入浴中に何が起きた」ユアガリホカホカ

師匠「そうだな、この程度の短時間ならば」

師匠「鏡に映った出来事そのものは無理だが、魔力の動きがあった場合は遡って痕跡を辿ることもできる」

師匠「むむ」

師匠「……あいつ、眠りの呪文を使ったのか。術者以外の、周囲の感情を持つ生き物全てに効果を及ぼす呪文だ」

師匠「しかし、今の奴に残された力では1時間と効果は続かなかったようだな」

師匠「そして、眠りの呪文と並行して別の魔力の動きが……」

師匠「これは230年前に、我々魔術師団が王子にかけた魔法、最後の効果」

師匠「王子の心臓とバラの根とは分離し、王子は元の姿を取り戻し、バラはただの園芸植物に戻り」

師匠「……奴は異形の姿で暮らした日々を、『夢の中の出来事』として記憶に整理する……」

師匠「途中で何かと想定外が起こったので、ひょっとすると、とも思ったが」

師匠「魔術師ギルド幹部クラスが集結しての最強の呪術だ、多少の捻れはあっても、結果だけは変わらなかったか……」

師匠「……む?」

師匠「もうひとつ、何だ? 弱すぎてなんとも判別し難いが、この『力』は……?」

師匠「非常に気になるし、儂もようやくあいつに関われる自由は得たが、まだ時期は早い」

師匠「これくらいの試練を自力で…いま傍にいる者達の力を借りてでも凌げなくては、いいか阿呆弟子よ」

師匠「貴様自身が凌げなければ、貴様だけではない、儂の230年も無意味となるのだからな」

…………

野獣の屋敷、末妹の客間。

末妹「家からまたここへ持ってきたバラ一輪」

末妹「……萎れてはいたけれど、一輪差しの水に活けたら花は元気になってきた」

末妹「でも、花弁の少し茶色くなった部分までは戻らないのね」

末妹「……普通のバラの切り花みたい」

メイド「庭師くんの話では、裏庭のバラも瑞々しさを取り戻してきたけれど……」

メイド「以前ほど鮮やかではないって、おそらく、外の気温はバラには少し寒いせいだろうと」

メイド「……いつも、雪の中でも夏と同じように元気よく咲いていたのですけどね」

末妹「……『不思議な魔法のバラ』ではなくなったのね、きっと」

メイド「ところで、末妹様……次兄様のご様子は……?」

末妹「……」

末妹「どこか遠くを見ているような眼で、呼び掛けてもとても小さな声で何か呟くばかり……」

末妹「私達の無事を知らずにいた時の、私の父みたいで」

メイド「次兄様、もっと図太…いえ、強いお方だと思っていたのに」

末妹「今はショックを受けて戸惑っているだけだと思うの」

末妹「……私だって……」ポツリ

メイド「末妹様…」シュン

末妹「ごめんね、メイドちゃん……一番、戸惑って辛いのはあなた達なのに」

メイド「一番とか二番とか、そんな順番はありませんよ、どうしていいかわからないのはみんな同じです」

末妹「……」

執事「メイドの言うとおりですが、それでも別格でどうしていいかわからなくなっておられるのは」

執事「主人の部屋にいる、あのお方でしょうな」

末妹「執事さん」

末妹「……王子さ……じゃなかった、ええと、あの方のご様子は……?」

メイド「私はとりあえず『人間様』と呼ぶことにしましたよ(『ご主人様の匂いがする人間のひと』の略です)」

執事「あの後はひとこともお話しにならなず、毛布に頭までくるまったまま、どうやら眠ってしまわれたご様子で」

執事「かなりお身体も弱っておられる様子なので、目覚めていても出歩きはしないでしょうが」

執事「何か食べ物とサイズの合う衣類を用意しなくては、と……」

末妹「私にもお手伝いできることがあれば」

執事「お気持ちはありがたいですが……次兄様も、心配ですので」

執事「次兄様を励ますことができるのは、末妹様しかいらっしゃいません」

末妹「……ええ、そうですね」

メイド(執事様が優しくしてあげたらいっぺんに元気になりそうな気もします)

……

(……)

(目が覚めたとき、『私』は独りで、大きな二本足出歩く『獣』で)

(『彼女』も師匠も、それどころか私を直接知る人々は全て、とっくにこの世界のどこにもいないのも知っていた)

(もしいたとしても、事情を知らない限り、王子どころかヒトだとは誰も思わないはずだ)

(そうして私は『野獣』として生きてみることにした)

(屋敷の機械の仕組みを手探りで覚え、盗賊を追い払い)

(何かが必要だと思えば、森で採取、庭で栽培、物によっては魔法で手に入れ、『20年以上』を独りで暮らし)

(それだけでも王子だった生活に比べると充分に楽しかった)

(……彼女がいないことだけを除けば、だけど。)

(執事と出会ってからの…最後の『8年間』はもっともっと幸せだった)

(そして……バラを通じて私と関わったあの女の子が、野獣を信じ、友だと認めてくれた、そのおかげで)

(私は自分の望み通り、野獣として…王子だった過去からも罪からも自由になれた)

(そのはずだった、少なくとも『私』はそう思った……)

(…………)

(師匠の最後の言葉を思い出したのは、その時)

(全ては、長い長い、幸せな、一眠りの中での夢)

(野獣と出会ったひとびとには現実に起こった事なのに、私にとっては『夢』での出来事)

(『本当に』目が覚めた私はやはり独り、やはり彼女も師匠も、生まれた国も失われたこの世界の中)

(自分の感覚ではほんの『昨日』、二十歳の誕生日を迎えた、弱くて愚かな)

(王子と呼ばれた男……)

…………


   どこへ行ってしまったのでしょう、私と約束を交わしたひと

   私に大切な人達を信じる勇気を、自分から人や物事に働きかける強さをくれたひと

   私の新しい友達は、どこへ行ってしまったのでしょう……



…………

商人の家。

長姉「……でね、お父さん、兄さん。おかしいと思わなかった?」

長姉「この私が次姉と、女学校での成績がそんなに変わらなかった、なんて」

長兄「……長姉も次姉の姉だし、お母さんの娘だし」

商人「お前が本当に努力を重ねた成果だと思っているが……?」

次姉「……」

長姉「……怒っていいの、ううん、怒ってくれたらいいなって思うんだけど」

長姉「私……入学から3年目を過ぎたころから、勉強もしてはいたけれど……」

長姉「……試験は、殆どカンニングで乗り切っていたの」

商人&長兄「「」」

…………

野獣の屋敷、次兄の客間。

次兄「……」ポヘー

次兄「モフモフ……うえぇぇ…」ポロ

次兄「……うえっく、うえっく……モフモフぅ……野獣様あぁ……」ポロポロポロ

ドア:カチャ

末妹「……お兄ちゃん?」

次兄「!」スボッ

末妹「……羽根布団に潜っちゃった(でも、あれから初めて自分から動いたのを見たわ)」

末妹「ねえ、お兄ちゃん、昨日お屋敷に着いてからから何も食べていないのね」

末妹「このままじゃ病気になっちゃう、何か持って来るね?」

羽根布団「……」

羽根布団「……食欲がない」ボソ

末妹(喋ってくれた)

末妹「そう、だったら無理強いしないわ。水差しの水は替えてきたから、喉が乾いたらもちゃんと飲んでね?」コト

羽根布団「…」モソリ

末妹「(頭のほうが一回だけ動いたから、頷いたって事でいいのかしら?)じゃあ、後でまた来るね……」

ドア:パタン……

羽根布団「……」

羽根布団:バサ

次兄「……わかっているんだ、末妹に余計な心配をさせているのは……」ボソ

次兄「昨日の夕方から今朝にかけては本気でもう死にゆく気分でおりましたが」

次兄「あの子もどれだけ我慢しているのか、と思えば……」

次兄「……民話、伝承、小説と、フィクションも色々と読みましたが、各時代、各国にある変身譚の常套……」

次兄「やんごとなきおかたが最後には呪いが解けて外見も元に戻ってめでたしめでたし」

次兄「めでたし……」

次兄「……ベタにも程がありませんこと!?」ウワァァァァァン

次兄「……わかってはいても、どうやって受け入れろと言うのだ」

次兄「みっしりと体毛に覆われ、高さだけでも俺より1mも大きく逞しいガチムチ巨体の謎生物・野獣様がいきなり」

次兄「瞳の色と、胸毛がそのまま頭部に移動したような金灰の髪しか共通点のない」

次兄「あんな、なまっちろい貧弱ヒョロヒョロの」

次兄「……なまっちろい貧弱ヒョロヒョロ度合いなら良い勝負ですが」

次兄「あと身長は推定次姉くらい、明らかに負けていますが」

次兄「あと顔」

次兄「……一般受けの良い容貌を備えた若い人間のオスなど世界一どうでもよい生き物ではありませんか(俺的に)!?」

次兄「なんだいなんだい、同じハタチなら、うちの兄貴のほうが余程いい男だもん、身長と体形も含めて」イジイジ

次兄「そして野獣様はもっともっと素敵な性別♂だもん……」

次兄「あの外見とあの年齢で、時々子供のような表情を見せるからギャップなんとかもしようと言うものですよ!」

次兄「見るからに頼りない若造が母性本能をくすぐる仕草を見せたとて、そこに何を見出せと言うのか!!」

メイド「……次兄様に何か見出されても困るでしょうね」ヒョコッ

次兄「」

次兄「ナンデココニイルノデスカー」アババババ

メイド「この部屋の左隣の左隣が私の自室ですし」

メイド「エプロンを誤って濡らしてしまったので、取り替えに来たら何やら次兄様の声が聞こえるので……」

メイド「気が塞ぐあまり、とうとうお心がおかしくなられたのかと思って、びっくりしたんですよ」

次兄「……心配してくれたのか」

メイド「でも、部屋に入ってみたらなんだか以前の次兄様みたいで、それで思い出しました、元から……でしたね」

次兄「メイドさん痛烈」ヨロヨロ

次兄「こう見えても落ち込んでいるんですけど、かつてないレベルで……」

次兄「……俺、ここへ来たら、野獣様にお話ししたいことがあって」

次兄「ここへは二週間の滞在って父親と約束していて、後で時間はたっぷりあるから、野獣様が元気になってから話そうと」

次兄「……結果、伝えられないまま、こんなことになって……」

メイド「……」

次兄「ごめん、聞き流してくれ」

次兄「メイドさん達のほうが、ずっと前から野獣様と一緒で、もっともっと辛いよね……」

メイド「……次兄様や末妹様には奇妙に思われるかもしれないのですけど」

メイド「私も執事様も、料理長さんも、庭師くんも」

メイド「なんだか、ご主人様が完全にいなくなってしまった気が、いまだにしないでいるのですよ」

次兄「……それは、同じ匂いのあの王子様がいるから」

メイド「そうかもしれませんが」

メイド「うまく言えませんけど、またお会いできる気がしてならないのです」

次兄「……」

メイド「えへへ、私、難しいことはわかりませんから、のーみそ小さいし」

メイド「こうなって欲しいなあ、って、それだけなのかもしれません」

メイド「あ、しまった、仕事中だった!」ピョン

次兄「メイドさ」

メイド「末妹様にこれ以上、悲しい顔させちゃダメですよー」スッタカター

次兄「……」

次兄「重歯目ウサギ科推定体重2kgのメイドさんにまで気を遣わせて、俺って男は……」セルフコメカミグリグリ

次兄「……それはそれとして、あの話だけはもう封印せざるを得ない」

次兄「一番伝えたかったひとに伝えられない限りは、将来の目標ごと……誰にも……」

……

商人の家。

商人「……さすが才女のお母さんの娘と褒められるのは、重圧だったけど誇らしかった」

商人「そして、長姉も次姉も、離れ離れになりたくなかった、か……」

長兄「……」

商人「お前達がどんなに寂しい思いをして、それでも一生けんめい期待に応えようとしていたかを」

商人「私は薄々感じながらも、目を逸らしていた……」

長姉「ごめんなさい、私がしたことは、お母様の名誉も……」

次姉「持ちかけたのは私、卒業まで続けさせたのは私よ」

商人「私はこのことでお前達を怒ったりしないよ」

商人「元はと言えば、お前達と、お前達の寂しさと向き合って来なかった私が全ての元凶だ」

商人「家に帰って来てからも、お前達を好き放題にさせることで」

商人「長姉と次姉は楽しそうだと、幸せなんだと思い込んで……自分の僅かな後ろめたさにも目を瞑ってた」

商人「……じっくりと話を聞いてやった事は、一回だってなかったくせにな……」

長姉「そうよ……お父さんが……元はと言えば、お父さんが悪い」クッションムンズ

長兄「おい長姉、怒って欲しいと言っときながら何を」

次姉「ごめん兄さん」ガッシ

長兄「……次姉!? 俺を羽交い絞めか!?」

次姉「お願いだから姉さんを止めないで」フルネルソン

長兄「」グエ

長姉「お父さんが悪い! お父さんのバカ! お父さんのバカバカバカ!!」

クッション:ボフボフボフボフボフボフボフボフボフボフボフボフボフボフボフボフ

商人「…長姉…すまん…すまなかった……」

長姉「寂しかった! ずっと寂しかったのよ!!」

クッション:ボフボフボフボコ ボコボコボコガスゴス

長兄(…と、途中からクッション握ってる拳も当たっていないか……?)

クッション:ボコボフ……ボフ……

長姉「…っはあ、はあ…ふう、はあ…はあ……」

クッション:ボトッ

次姉「……姉さん」ホールド中

長兄「……」ホールドサレ中

長姉「お父さん」

商人「はっはいっ」キンチョー

長姉「私達を愛してくれたお母様の思い出があるのはどんなに幸福か、わかるわ」

長姉「仕事で忙しかったお父さんが知らない、お母様との思い出もたくさんあるの、次姉とその話ができるのも幸せなこと」

長姉「それすらない末妹が不憫で、だからお父さんが優先して来たのも、わかるの」

長姉「そこまで私バカじゃないから」

商人「……」

長姉「……明日から、出来る範囲で…もっともっといい娘になる努力をして」ボソ

長姉「末妹と次兄が戻ってきたら……優しくなれるよう、いいえ、優しくします、少なくとも普通の姉になります……」ボソボソ

長姉「だからもう少しお父さんを叩かせて!!」

商人「そ」

商人「それで済ませてくれるのか……」

商人「お前は、今でもじゅうぶん優しい子だよ……」

長姉「……」ジワ

クッション:ババババババババババババババババババババババババババババババ

商人「」

…………

野獣の屋敷、夕食後。

料理長「よかった、次兄様が食事を摂ってくれて、本当によかった……」

メイド「おかわりまでしてくれました、安心しましたぁ」ホッ

庭師「末妹様も笑顔見せていましたよ、ご心配だったのでしょうね」

執事「ああ、もう次兄様は大丈夫だ……」

執事(……それでも、あの次兄様が、以前ほどの元気は取り戻せていない)

執事(それと…もうひとつ重大な問題が)

執事(次にお二人を無事に家に帰してあげることは、可能なのだろうか?)

執事(ご主人様は王子様だった頃から魔法の使い手と聞いたが)

執事(相変わらず一言も話さず、ベッドに潜ったまま殆ど動かないあのお方を、我々はどうするのが良いのだろうか)

執事(飲まず食わずで、このままではあの方は死んでしまう)

執事(……あの方が死んでしまったら、末妹様達は家にも帰れず……)

執事(その時は我々も、どうなってしまうのだろうか……)

…………

野獣のいない、野獣の部屋。

ドア:コンコン…

若者(執事さんかな、ノックは不要と言ってあるのに、それとも他の誰かかな)

若者(申し訳ないけれど、誰が来ても同じですよ……)

末妹「……入ります、よ?」カチャ…

若者()

若者(この声、バラの女の子…確か、末妹だったな)

末妹(執事さんの言うとおり、相変わらず毛布の塊ね……)

末妹「いつもの執事さんじゃなくてごめんなさい、執事さんからお手伝いを頼まれたので」

末妹「……新しいお水と、蜂蜜を持ってきました、小さなテーブルに置きますね」コトッ

末妹「手を伸ばせばベッドにいたままでも届きますよ、でも、ちゃんと目で確認してくださいね、倒すと危ないですから……」

毛布「……」

末妹(お返事なし、か……)

若者(……そう言えば、この子達……どうやってここから家に帰るのかな)

若者(馬車で来たんだっけ、ならばまた魔法の地図を使えるようにしてあげるのが一番だろう)

若者(……滞在中の食事はどうしているのかな)

若者(森や庭で手に入らない食品を、野獣は魔法陣を使って、金貨と交換して手に入れていたが……)

若者(そうだ、執事さん達の食事も、森や庭だけでは調達しきれず、素材を野獣が手に入れていた)

若者(狼や山猫は完全な肉食だからと、肉屋で捨てるような部位の新鮮なものを、金貨と……)

若者(彼らが森で狩りをするのは、何かとリスクも伴うからな)

若者(……?)

若者(ひょっとして、今までそこまで考える余裕がなかったけれど)

若者(魔法がないと、お客さんも使用人も大変なことになるんじゃないか、この屋敷?)

若者(屋敷近辺で手に入らないもの、新鮮な卵とか、ミルクとか)

若者(あと、執事さん達が狩りをしなくても済むように)

若者(……ちょっと見たくないけど、『夢』で覚えがあるのは、鶏や鵞鳥の臓物とか頭とか……)ウエップ

末妹「……眠っておられますか? それとも……」

若者(あ)

末妹「私、行きますね。また来ます……」カタ

毛布「待っ、て」ボソ

末妹「…!」

毛布「……あのう、明日の朝ですが、8時に……執事さんと、料理長さんに、ここに来て貰うよう、お伝えして欲しいのです」ボソボソ

毛布「用件の内容は……来てみればわかると思いますから……」ボソソ

毛布「……お願いです」ボソ

末妹「……わかりました、お伝えします」

末妹「私からも、お願いです、お水飲んで、蜂蜜少しでも食べてくださいね」

末妹「物足りないかもしれませんが、弱っているお体に負担がかからなくて滋養のある物、今のお屋敷にはそれしかないので」

毛布「……ありがとう」ボソ

末妹「あの、お話してくださって、嬉しかったです。おやすみなさい……」

ドア:パタン……

若者「……」

……

その夜の夢……

(……あれ? ああ、夢ね、これは)

(夢か、これは)

(末妹(なんだろう、私の他にも、誰かが))

(次兄(誰かがすぐそこにいるな、どうせ夢だけどさ))

(末妹「お兄ちゃん」)

(次兄「末妹」)

(次兄「俺の夢にお前が出てくるのは久しぶりかもなあ」ソモソモニンゲンジタイアマリデナイ)

(末妹「え……これは私の夢よ?」)

(次兄「またまた、お前は俺の記憶が再構築した都合のいい妹です」)

(次兄「だから俺が三べん回ってニャーと鳴け、と願えばお前はその通りの行動を取るのだ、ほれ」)

(末妹「…………」)

(次兄「あれ」)

(次兄「うおお、まさか本当にこれは末妹の夢なのか」)

(次兄「末妹の記憶が再構築した俺が、末妹の夢の中で、あんなことやこんなことを考えていると言うのか!!」)

(次兄「つまり、末妹が、末妹が……汚れてしまったあああああああ!?」ブワワワッ)

(末妹「……確かに、おかしいかも。私の夢だと思っていたけど、なんだか……」)

(末妹「だって、それならお兄ちゃんはもう少し……もうちょっと……あの……」)

(末妹「……だから、私の夢とは言い切れないと思う……」)

(次兄「夢の中でもお気遣いありがとうございます」)

(次兄「でも、夢にしても非常に不思議な状況なのでは、これって……」)

(??「……次兄の夢の中でもあり、末妹の夢の中でもある」)

(次兄「へは?」)

(末妹「その声……!?」)


※すみません。眠いからまた次回※

>>743
姫兄さまに涙なんか似合わないし

> 次兄「……一般受けの良い容貌を備えた若い人間のオスなど世界一どうでもよい生き物ではありませんか(俺的に)!?」
>
> 次兄「なんだいなんだい、同じハタチなら、うちの兄貴のほうが余程いい男だもん、身長と体形も含めて」イジイジ
>
> 次兄「そして野獣様はもっともっと素敵な性別♂だもん……」
>
> 次兄「あの外見とあの年齢で、時々子供のような表情を見せるからギャップなんとかもしようと言うものですよ!」
>
> 次兄「見るからに頼りない若造が母性本能をくすぐる仕草を見せたとて、そこに何を見出せと言うのか!!」
>
> メイド「……次兄様に何か見出されても困るでしょうね

> 一般受けの良い容貌を備えた若い人間のオスなど世界一どうでもよい生き物

解る…解るぞ次兄…
次兄と趣味が合い過ぎて人としてやばい
俺は断じて変態ではない。強いて言うなら、末妹ちゃんの夢の中の次兄くらいのレベルだ!(自慢気)

ほげぇ変なレスしちまったごめん
ど、動揺なんかしてねーし!

真夜中、商人の家、商人の書斎。

商人「秘蔵のブランデーはこの間ふたりで空にしてしまったから、今日は軽めのシードルでいくか」シュワシュワ

長兄「賛成です。俺は深酒はやめておくべきだと身に染みたし……」カンパイ

長兄「で、父さん……殴られた所は大丈夫?」

商人「ああ、クッションだったからね。叩かれている最中はけっこうキツいものがあったが、怪我はない」

商人「時々長姉の拳も当たりはしたけど、それは過失だから、あくまで事故」クイ

長兄(ところどころ痣になっているけどなあ)チビ

商人「長姉はお喋りだけど、肝心な時は口下手と言うか、感情が先立って言葉が追い付かない子なのだな」クイ

商人「それがあのクッションでボコボコに現れたんだと思うけど……」

商人「……これが次姉じゃなくて良かったなあ、とは殴られながら正直思ったよ」グビ

長兄「確かに、武器がクッションでも洒落にならなかったでしょうねえ……」

商人「話を戻すと」グイ

商人「長姉がやり場のない感情を吐き出し、それを私が受け止める、あの子と私に必要だったのはそれだったんだ」グイ

商人「西通りの未亡人さんの所で仕事も始めたと言うし、」ゴクゴク

商人「字の綺麗さで採用されたとか、自信になる、よかったよ」

商人「次姉も何かと手助けしてあげているようだし」グイグイ

商人「しだいに落ち着いた良い娘に、昔のような明るい娘に戻ってくれる事だろう……」グビビー

長兄「……あれで人当たりが良くなったら、異性にモテるでしょうねえ」ナニゲナク

商人「」ピキ

商人「ささささ、酒が不味くなる話題はやめてくれないかなあ長兄!?」プルプルプル

長兄「……ぷっ、父さんのほうが酒が回ってきたね」

長兄「将来の俺の義兄弟達はみんな苦労しそうだなあ、3人か……」クスクス

商人「人の心配している場合かあ、この未だに、ど……女性とどうにかなった経験のないお前が!!」

長兄「」

次姉の部屋(書斎と位置が近い)。

次姉「……何? お父さんの書斎がなんだか騒がしいわねえ」ムニャ

次姉「耳栓して寝ようっと」カポ「……スー」

…………

末妹と次兄の夢の中。

(野獣「こんな形でしか姿を現すことはできなくなったが……」)

(末妹「や、野獣様……」)

(次兄「……は、はわわわわおおおおおおおにょええええええええええええ」プルプルプルプルプルプル)

(末妹「……私の夢であり兄の夢でもあると仰ったのは、どういう意味ですか」)

(野獣「夜が明けて目覚めた時、お前にも次兄にも、全く同じ夢を見たという記憶が残る」)

(野獣「正確に言うと、夢とは違うがな。肉体がないだけで、実際に起きている出来事なのだ」)

(末妹「実際に……?」)

(野獣「私がこの状況を『作った』」

(野獣「夢の形式を取ってはいるが、私が作ったこの『場所』に、お前達二人の精神…と言うか、魂とでも呼ぶべきかな」)

(野獣「末妹と次兄に会いたくて、この場に呼び出した」)

(次兄「とっととと、ということは……目の前にいるのは……本物の……」)

(野獣「そうだ、お前達の記憶にある『私』ではないぞ、確かに此処に存在する『私』だ」)

(末妹「……本当に、本当の、野獣様なんですね……会いたかっ…」ジワ)

(野獣「末妹」)

(次兄「野獣しゃまあああああああああああ会いたかったにょおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」グワヴァッ)

(野獣「」)

(次兄「ふにぇぇぇぇ……ぐすん、会いたかったんでひゅ、くすん、野獣様だいしゅきぃ……」セカイイチウレシクナイダイシュキホールド)

(野獣「右脚にガッシリと……本当にお前はセミのような」)

(野獣「うむ、その、次兄が伏せってしまった時は本気で心配したものだが……ま、元気になってよかった、うむ」)

(末妹「…………ええと(どうしよう)」)

(野獣「……私は地面に腰を下ろしたほうがよさそうだな」ドッコイショ)

(野獣「末妹、お前も傍においで」)

(野獣「右膝は縋り付く次兄に貸しておくとして、お前も左膝に乗っかって構わんが」)

(末妹「膝」)

(末妹「……で、できません!! ちっちゃい子じゃないんです、それはできません!!」ブンブン)

(野獣「そ、そうか、すまんすまん、お前はもう一人前の淑女だものな、どうにも私はデリカシーがなくて」)

(野獣「とにかく左隣においで、ここの地面は服が汚れる事もない、直に座って大丈夫だぞ」)

(末妹「……はい」チョコン)

(野獣「乗馬服姿も悪くはなかったが、やはりお前にはいつもの服が似合っている」)

(野獣「……いきなり姿を消したから驚いただろう、すまなかった」)

(末妹「なぜ……こんなことになったのですか……」)

(次兄「ぬう、精神体なのに温もりが、体温がありゅう……」ギュー)

(野獣「……どう説明したらいいかな」)

(野獣「野獣が屋敷から姿を消し、代わりにあの男…王子がお前達の前に現れたのは」)

(野獣「230年前に私に魔法をかけた、師匠はじめ魔術師ギルドの魔術師団の力によるものだ」)

(野獣「そして、私がお前達にこうして今、話ができるようになったのは、野獣自身の力であり」)

(野獣「……王子の力でもある」)

(末妹「……?」)コクビヲカシゲテカンガエル

(野獣「お前達に話した、私にかかっていた魔法の話、覚えているか?」

(末妹「ええ、バラを欲した人間と信頼関係を結んだ時、魔法は解ける」)

(末妹「そして、ご自分にかかった魔法に関する話を、他の人にすることはできない、と」)

(野獣「そうだ。だが、実はあの話には続きがあった」)

(野獣「魔法が解けるその時まで、私自身も忘れ去っている話だったのだが……」)

(野獣「魔法が解けた『私』は人間の姿に戻り、それと同時に異形の姿で過ごした日々を失う、と言うか……」)

(野獣「その日々を『自分の実際の体験』とは思わずに、『長い夢を見ていた』と認識して、記憶にしまいこむ」)

(野獣「王子ではない姿で過ごした日々が何十年間だろうと……な」)

(末妹「……」)

(野獣「あの時、私の身体が異様に重く、動かせなかったのもそのせいだ」)

(野獣「身体は王子に戻りかけていた、言わば、王子の身体が野獣の身体という重たい鎧の中に入っていたようなものだ」)

(次兄「……」オモテヲアゲ)

(次兄「もしかして、俺達みんなが眠くなったのは、野獣様の魔法?」)

(野獣「……そうだ。肉体が変化する様を見せたくなかった」)

(野獣「時間は数秒とかからないが、野獣の血肉が溶け落ちて一瞬で蒸発しその内側から王子が姿を現す」)

(次兄「……精神的外傷必至っすね」)

(野獣「そんなわけで、あの男…王子にとっては野獣が過ごした30年間も、一晩の夢での出来事」)

(野獣「王子が200年間の眠りにつく時から、野獣が消えるのは決まっていたのだ」)

(末妹「そんな……そんな」)

(末妹「では、私が……私がバラを求めたせいで……野獣様は消えてしまったのですか……?」)

(野獣「え」)

(末妹「バラを求めた人間と心を通わせられなければ死んでしまう」)

(末妹「だけど、その相手と信頼し合う事ができても、消えてしまうのなら……」)

(末妹「バラが折られなければ、野獣様はずっと、このお屋敷で執事さん達と暮らしていられた……」)

(末妹「何も起こらなければ、私と出会わなければ、いつまでも」)

(野獣「それは違う、これでよかったのだ、私とお前が出会うのは正しい事だった」)

(野獣「お前に私と出会ったことを後悔して欲しくない、どうか、出会わなければよかったなどと、言わないでくれ」)

(末妹「でも……でも……」グス)

(野獣「どちらにせよ寿命が尽きれば死んでしまう、これでも人間だ、あと20年かそこらで」)

(野獣「寿命で死んだのでは、あの王子が姿を現すことは決して無い」)

(末妹「……」)

(野獣「魔術師団にかけられた魔法はあまりに強力で、しかも、元のあるべき姿に戻すための魔法だ」)

(野獣「こちらに変化したままでいたいという意思があっても、逆らえる筈がない」)

(野獣「……しかし、私は執事や末妹達と過ごした日々を失いたくはなかった」)

(野獣「失わずに済むなら、野獣の姿を捨てても構わなかった」)

(次兄(だ、大事ですよ! そこ重要ですよ!))

(野獣「……そして王子は、元に戻ることを拒んでいた」)

(野獣「結果、野獣は肉体を失ったが、完全に消えたりはせず、精神だけは残ることができた」)

(野獣「……だから、こうしてまたお前達と話ができる」フフ)

(末妹「野獣様、笑ってる……」)

(野獣「ああ、嬉しいからな。お前達とまた会えて、話ができて、本当に嬉しい」)

(野獣「肉体を失ってもこの屋敷からは出られないようなので、お前達がここを訪れ、寝泊まりしてくれなければ会えないけれど」)

(次兄「俺、来ます! この先も野獣様に会いに来ますよ!!」スリスリスリスリ)

(野獣「太腿に頬を擦り寄せるのは遠慮して欲しいが」)

(野獣「お前はどうしたい、末妹」)

(末妹「わ、私も……野獣様とお話ししたいこと、もっとたくさんあったのです……あったのに、なのに」)

(野獣「うむ、安心したぞ」ニコ)

(野獣「……執事達にもお前達にも出会わなければ……私は今頃、本当に消えていただろうな」)

(野獣「末妹、お前と出会ったから私は消えたのではない。お前と出会ったから、私はまだこうして存在できるのだ」)

(末妹「……そうでしょうか」)

(野獣「私がそう言うのだから、信じてくれ。そして、そんな顔をしないでくれ」)

(末妹「……ごめんなさい」)

(野獣(……ふむ))

(野獣「……実は、バラを欲した者が私との出会いを後悔するのなら、私は今度こそ消滅してしまうのだ」)

(末妹「えっ」)

(野獣「ああ、私の精神が残った事を、お前が喜んでくれないから…消えそうだ、消えてきた、服に隠れて見えない部分から」)

(次兄「や、野獣様!? 末妹、しょっぱい顔やめろ、笑え、笑うのだ!!」アワワワワ)

(末妹「や、野獣様、ごめんなさい! 私も嬉しいんです、もっともっとお話ししたいの!!」)

(末妹「だから消えないで!! また目の前からいなくなったりしないで!!」ギュッ)

(末妹「……お願いです、あんな思い、二度とはいや……」ギュー)

(野獣「……」)

(野獣「ありがとう、末妹のお陰でこの先も留まっていられそうだ」ポンポン)

(末妹「野獣様……本当に、もう大丈夫ですか? 消えたりしませんか?」)

(野獣「大丈夫。お前が私に残っていて欲しいと望む限り、消えはしないよ」ナデナデ)

(野獣(咄嗟の演技だったが……しかも我ながら大根にも程があった))

(次兄「俺も強く望んでいます」ガッシ)

(野獣「うんうん、わかってるぞわかってるぞ」メモクレズ)

(次兄「なにそのおざなり感」)

(野獣「……さて、まだまだ話をしたい所だが、そろそろ明け方だ」)

(野獣「また明日の夜以降、お前たちを呼ぶからな、今度は一人ずつかもしれん」)

(末妹「……野獣様、執事さん達には」)

(野獣「今夜、お前達より先に四匹まとめて呼び出し話をした。だからあまりこっちは時間が取れなかった」)

(野獣「意外とすんなり受け入れていたな、まあ、あの者達は何事も理由なんかはあまり気にしないからな」)

(末妹「野獣様が今いらっしゃること、それが全てなんですね」)

(野獣「だな。さあ、朝まであと少しだが、ぐっすり眠って疲れを取るがいい」)

(野獣「……あと、あれを……二人とも、昔の私を、頼む。非常に心苦しいが……」)

(末妹「……あの方ですね。王子様だったあの方」)

(次兄「えー……」)

(野獣「あれが言わば私の土台と言うか、本体と言うか、とにかくあいつが死ねば私も瞬時に消えてしまうのだ」)

(次兄「まじですか」)

(野獣「さて、そろそろ私も休もう。今後の話はまた追々、な」)

(野獣「そして末妹、次に私と会う時は、もっとたくさん笑顔を見せておくれ、約束だ」)

(末妹「……はい、野獣様」コク)

…………


※今回はここまで※

>>761 よくあることです(たぶん)、キニシナイ

翌朝、商人の家、居間。

商人「……」

長兄「……」

商人「……すまなかった。私が悪かった、長兄」

長兄「いや、その……俺も父さんの気持ちを考えもせず」

商人「『娘達、3人とも嫁にはやらんんん!!』なんて台詞が自分の口から出るとは思わなかったよ」

商人「そのあと軽く暴れてお前に取り押さえられるなんて、失態もいいとこだ……」

長兄(昔はそれなりに鍛えていただけあって、抑え込むのは意外と苦労したよ)

商人「……その前に、お前の心を傷つけるような発言も」

長兄「もういいです、もう蒸し返さないでくださいそれはお願いですから」

長兄(俺まで酔っていたら収拾つかなくなっていただろうけど、自制しておいてよかった)

商人「……次兄が知ったらなんて言われるかなあ」

長兄「『末妹過保護パパから娘3人過保護パパにクラスチェンジしましたー』くらいは……」

居間の扉の前の次姉「……」

次姉(二人がいたから朝の挨拶をしようと思ったけれど、なんか話し込んでいて声かけにくいわね)

次姉(ところどころ聞こえるけど、何の話しているのかな)

長姉「……おはよう、次姉」ふわぁ

次姉「あ、おはよ、姉さん」

長姉「こんな戸口で何しているのよ、中に入るなら入っちゃえば?」

次姉「うーん、でも、なんかお父さんと兄さんが話し込んでいてね」

長姉「朝っぱらから何の話?」

次姉「断片的にしか聞き取れないけど……なんだか、娘は嫁にやらんとかなんとか」

長姉「え……まさか、お父さん!!」

次姉「ちょ、姉さん!?」

居間の扉:バーーーン!!

商人&長兄「「!?」」

長姉「やだ、結婚なんてまだ先の話よ、そもそもちゃんとしたお付き合いどころか、告白すらまだだってのに!!」

商人「お付き合い? 告白??」

長姉「でもいずれは認めて欲しいの、お父さんだって彼のご両親が亡くなった時は当時の私以上に彼の心配してたでしょ!?」

商人「はい? はいい??」

長姉「優しい人なの、子供の頃から私の事を好きだったって、純粋な人よ、私には勿体ないくらい……」

長姉「お父さんも昔、幼馴染男は素直な良い子だって言ってたじゃない、あの頃から彼は変わっていないわ」

商人「幼馴染男……??」

長兄「……お前、幼馴染男と付き合っているのか??」

長姉「え」

長姉「……その話をしていたんじゃないの?」

次姉「……アチャー」

…………

野獣の家、次兄の客間。

次兄「……目は覚めたけど、出て行くにはちょっと早い時間かな」

次兄「昨夜のあれは……まさしく夢だけど夢じゃないってやつですか?」

次兄「末妹も同じ夢を見たと言うなら確信が持てるけど」

次兄「……本当だとして、話を整理してみよう」

次兄「野獣様にはこれからも夢の世界で会える、けど、……現実と言うか物質世界とでも言うか、とにかくこっちの世界?では」

次兄「目覚めている時、肉体を持った野獣様とは、やっぱり会えなくなった、のか……」

次兄「本当は230年前から消えることは運命づけられていた、忘れていただけで」

次兄「それが、執事さん達や末妹に会いたい一心で留まる事ができた」

次兄(『末妹と俺』と言わないあたり、人間的に成長して謙虚さも身に付けたと思っていただきたい)

次兄「それも野獣様が凡人じゃなくて魔法使いだからできた芸当だろうな」

次兄「……野獣様は、俺達と話しをした時の記憶が今後も積み重なって行く」

次兄「肉体は無いけれど、普通に生きているのと同じだ、肉体は無いけれど……」

次兄「……肉体……骨太の骨格、逞しい筋肉、モフモフの体毛……」ジワ

次兄「……いずれにしても、俺がモノにできたり逆に俺をモノにしてくれる肉体(の持ち主)ではなかったのですが」ゴシ

次兄「でも、これなら俺は『あの話』を野獣様にすることができる」

次兄「そして……」

次兄「あの貧相な王子様は昔の野獣様で、野獣様の基礎、野獣様と表裏一体、野獣様の原材料、そんな感じ」

次兄「野獣様が言うには、へたれ王子様が死んでしまえば野獣様も今度は本当に消滅してしまう」

次兄「確かにそれは理に適っている」

次兄「……ここでひとつの大胆な仮説を」

次兄「へっぽこ王子様がいる限り、野獣様が肉体を持って復活する可能性もあり得なくはないってもんですよ!!」ドーン

次兄「一生とは言わない、時々入れ替わって貰えば充分」ゲヘヘ

次兄「しかし、その方法はと言えば……皆目見当がつかん」ウーム

次兄「……確か『ジュニア黒魔術入門』、町の図書館の少年少女読み物コーナーにあったはず……」

次兄「いやいや、同じシリーズのラインナップが『ジュニア刺繍入門』『ジュニア苔類採取&標本入門』とかだもんな」

次兄「黒魔術と言いつつ子供のおまじないレベルでしょう」フムゥ

次兄「ま、先は長い、いずれ何らかのチャンスも巡ってくるでしょう」クックック

次兄「と」

次兄「ひとつ根本的な問題を忘れていたぞ」

次兄「野獣様が現実世界からいなくなった今、この先も俺達、本当にこの屋敷に来ることができるんだろうか……?」

次兄「今後、ポンコツ王子様が誰とも会わないと言って完全に引き籠っちゃったら?」

次兄「……野獣様が独りで暮らしていた時のように、執事さん達の世話にならなくても」

次兄「魔法を活用したら、引き籠ったままでもどうにか生活して行けないこともないんだよな……」

次兄「不安になってきた」

……

末妹の客間。

末妹「……昨夜の事、ただの夢とは思えない……」

末妹「お兄ちゃんが起きたら確かめてみよう」

末妹「……魔法が解けたら野獣様が元の姿に戻るのは、最初から決められていた、忘れていただけ」

末妹「それは野獣様のお話にあった師匠様達がかけたとても強い魔法の力」

末妹「野獣様が、心……魂かな、とにかくそれだけでも残ったのは、野獣様自身の魔法の力」

末妹「夢の中でこれからも皆と会える、お話ができる事は、野獣様は嬉しいって……笑って……」

末妹「……」

末妹「私だって、それは嬉しい」

末妹「何より、また野獣様が消えてしまうのは嫌……だから今度、夢でお会いできたら笑顔でいる、約束したもの」

末妹「でも……」

末妹「何かな、この気持ち、もっと素直に喜びたいのに……」

末妹「……だめ、ぐじぐじ悩んでいたら野獣様が夢の世界からも消えちゃう、しっかりしないと」

末妹「それから、王子様」

末妹「って呼ばれたくないんだった。あの方…なんて呼んだらいいのかしら」

末妹「メイドちゃんの言う『人間様』は、悪いけど、さすがにいくらなんでも」

末妹「とにかく、もしもあの方が私やお兄ちゃん、執事さん達まで完全に拒んでしまったら……」

末妹「……でも、私達の勝手であの方に無理強いはできない……」

末妹「……」

末妹「ううん、野獣様と同じ心を持っている人よ。私はともかく、執事さん達のこと」

末妹「きっと考えてくれる、心も開いてくれる……野獣様と同じく優しい方だって、信じよう」

末妹「そう言えば、きのう言付かった用事…執事さんには伝えたけど……どんな用件なのかな?」

……

午前8時、野獣の部屋。

執事「……ご用件とは、これでしたか。新鮮なミルクと卵と葉物野菜その他、そしてこっちの桶には……」

料理長「……新鮮な肉屋の廃棄部位の諸々……ですな」

毛布「すみませんが、早く持って行ってください。臓物の血の匂いが……」ウプ

毛布「あと、朝食には間に合わなくてすみません」

毛布「魔法陣を描く時間を見越せば、最初から無理なのはわかっていたので……」

料理長「ええ、久しぶりに保存食を使わない昼食が用意できます、本当にありがとうございます」

料理長(蜂蜜と水差しの水も少し減っている、よかった。それに、この食材があれば元王子様にも……)

執事「ありがとうございます、感謝して使わせていただきます」

毛布「……あと、執事さん」

執事「はい?」

毛布「あの兄妹のこと、心配いりません。魔法の地図には『南の港町』と刻み込みました」

毛布「あの子達は、いつでも家に帰りたくなったら帰れます……」

執事「……!!」

執事「ありがとうございます! 末妹様達にもお伝えします、きっと安心されることでしょう……!」

毛布「もうひとつ」

毛布「私の……本名を教えます、今度から必要であればこう呼んでください」

執事「は、はい!」

執事(正直助かります、呼び名がないのは不便なもので)

毛布「男の名前ではないと父親にも馬鹿にされたのですが、魔術師ギルドではこの名を名乗りました」

毛布「『菫花』と、故国の言葉でスミレの花と言う意味です」

毛布「……故国の王家の風習で、とある魔法使いが付けてくれました」

執事(スミレ、成程、瞳の色からですか)

執事「承知致しました、菫花様。改めて、今後ともよろしくお願い致します」

菫花(……今後とも)

毛布「ええ、こちらこそ……よろしくお願い致します……」ボソボソ

……


※今回はここまで。次兄ゲス回でした※

わりとどうでもいいけど王子の本名は「きんか」もしくは「すみればな」そのどちらかの読みで頼みます。敢えて実在の人名らしさを排除したいので。あと同じ字を使う名前のお方、すみません


補足(蛇足)。「菫花」も固有名詞のつもりではなく作者としては記号のつもりです


※すみません。今日は更新なし※

商人の家。

長姉「……早とちりしちゃった、私」

次姉「私も迂闊だったわ」

長姉「お父さん達に話すのはまだ先でいいと思っていたの、まだそんな仲じゃないんだもの」

商人「まあ、ね……幼馴染男君と料理学校でたまたま一緒になっただけで」

商人「そして彼の気持ちも確かめていない段階じゃ、私もとやかく言いようがないさ」

長姉「両想いなのは間違いないわ!」

商人「」

商人「子供の頃の話だよねえ?」

長姉「ううん、子供の頃から、今も、ずっと私の事が好きだって……」

長姉「さっきから私、何回も言ってるのに」

長兄「父さん、認めてあげようよ。彼は父さんも知っての通りいい奴だよ、俺も賛成だ」

商人「……」

商人「天文学者さんご夫婦とも、話をしたほうがいいかな……」

商人「お二人は幼馴染男君の親のようなものだ、どうせなら将来も見据えた上で、堂々とした交際をしなさい」

長姉「将来……!」

長姉「ありがとう、お父さん! お父さん大好き!!」ギュッ

商人「う、うんうん、どっしり構えた心の広い父親を目指す事にしたよ」ウヘヘ

商人「でもな、まだお前をお嫁に出すのは色々と不安だから」

長姉「ねえ、次姉、聞いた!? お父さんが認めてくれたの、嬉しい! さっそく彼にも教えなきゃ!!」ピョンピョン

次姉「よかったわね姉さん、ああもうこうなったら話なんか聞かないからこの人は」ハァ

商人「 」

長兄「……父さん、暴走する前に、早いところ天文学者さんに相談(根回しかな)したほうが良さそうだね……」

…………

野獣の屋敷、調理場。

執事「昨夜は、末妹様から声をかけていただくことで何か事態が好転すれば……と思ったのだが」

料理長「予想以上の効果があったようですな」

執事「わたくしが何度部屋に入って声をかけてもほとんど返事は返ってこない」

執事「それなら意外な人物が声をかけたら何かしら反応してくださるのでは、と思ってね」

料理長「閉じこもっておられた殻を『驚き』でこじ開けた、というわけですな」

執事「そういうことになるかな」

料理長「そして、こじ開けられた先にいらしたのが可愛らしいお嬢さんでは、無視もできないでしょうな」

執事「……あ」

執事「そこまでは考えていなかった」

料理長「おやおや。わしはてっきり、執事さんの事ですからそこまで読んでおられると思いましたよ」

料理長「あのお方は完全に人間です、そして望めば屋敷や森の外へ出ることだってできる」

料理長「末妹様や次兄様がお友達になってくだされば、どれだけ心強いかと思いますよ」

執事「そうだな、しかし、その前になんとか食べる物を食べてもらって、元気になっていただかないと」

料理長「それについては考えがあります」

…………

馬の繋がれた東屋。

末妹「菫花様」

末妹「よかった、お名前を教えてくださって。やっぱり呼び名がないと不便だもの」

メイド「確かに『人間様』よりはいいですねえ」

庭師「末妹様達がお帰りになる時の心配もなくなったし、よかったですね」

馬「ぶるる♪」

庭師「さて、ブラシ掛けはこんなもんでいいかな、馬さん」ヒョイ

末妹「庭師くんのおかげで私の手が届きにくい所もブラシが掛かって助かるわ、この子ブラシ好きだから」

メイド「庭師くんが背中に乗ってもちっとも嫌がりませんね」

末妹「もう仲良しだものね、この子が生まれた牧場にも猫さんが何匹もいて、馬さん達と仲良がいいの」

庭師「僕は山猫ですけどまあいいや、大きな動物は襲って来ない限りは嫌いじゃないです」

メイド「あら? くんくん……甘い香りがする。調理場のほうから」

庭師「ふんふん、本当だ。僕には受け付けない食べ物の匂いだけど、これは林檎を甘く煮ているんだな」

メイド「ジャムかコンポートね」

末妹「……ふたりとも、鼻が利くのね。私にはさっぱりわからないわ」

次兄「おお末妹、やはり馬の所にいたか。庭師くんとメイドさん共々おは…おそよう」

メイド&庭師「「おはようございます」」

末妹「おはようお兄ちゃん……朝ごはんの時にいなかったけど」

次兄「明け方一度目覚めて、その後うっかり二度寝してしまいました」テヘ

次兄「目覚めたらベッドの脇に朝食のお盆が置いてあったけど、メイドさんかな? ありがとうね」

メイド「執事様ですよ、私はちょっと手が離せなくて」

次兄「の」

次兄「のおおおおおおおおお千載一遇のチャンスを逃すとはああああああああああああ!!!!」ゴロゴロゴロゴロ

次兄「執事さんの甘く渋いバリトンが耳元で囁かれている最中に眠りこけていたなんてえええええええ!!」ゴロゴロゴロゴロ

末妹「……お兄ちゃん、馬さんが怯えるから地面を転がらないで」

メイド「ぐっすり眠っておられたので、起こさないように無言でそ~っとお盆を置いて、すぐに退室されたそうですよ」

次兄「……」ムクリ

次兄「執事さん的には正しい判断と言えるでしょう、さすが使用人の長、危機管理はぬかりない」ショボン

次兄「気を取り直して、と。馬のお世話が終わったら、ちょっと末妹に話がある」

末妹「……もう終わっているわ。中に戻る所だったの」

次兄「好都合」

……


野獣の部屋。

ドア:コンコン

執事「菫花様、入りますよ? 執事と、料理長です」

毛布「……ノックはいりませんよ」

執事「失礼します」

執事「貴方様のおかげで、末妹様や次兄様にも美味しい食事を召し上がっていただけます」

毛布「それはよかった、育ち盛りに食事は大切ですから」

料理長「で、新鮮な卵と牛乳が手に入ったものですから、わしはこんなものを作ってみました」スッ

毛布「……甘い香りがする」

料理長「林檎のコンポートに、カスタードクリームを添えたものです」

料理長「林檎は森から採ってきたもので、人間がそのまま食べるには硬くて酸っぱ過ぎる野生種ですが」

料理長「時間をかけて甘く柔らかく煮てあるので、スプーンでも切れますよ」

毛布「……」モゾリ

王子「……そのものを食べたことは無いけど、味は想像がつく。林檎のタルトは好きなお菓子でした」バサ

執事「きっと気に入りますよ。どうぞ」

王子「……」モグ「……美味しい。すごく」

料理長「ああ、よかった」ホー

料理長「……以前、ご主人様が子供の頃から林檎のタルトが好物だと話していたので、それならば菫花様の好物でもあるかと」

料理長「しかしタルトの生地は、弱っておられる貴方様のお体にはまだ重いでしょう」

料理長「中身の具だけならば、あっさりして消化にも良いし、と考えましたが……」

王子「……『夢』の中で、野獣が…料理長さんの料理やお菓子は美味しいと言っていました」モグモグ

王子「本当に美味しい、と言うか、私の口に合う……」

執事「貴方様の好みに合うのは当然ですね」

料理長「ご主人様の為だけの料理人として、わしはただのアナグマから生まれ変わったのですから」

王子「……そうでしたね、そうでした」モグ……

王子「……」ポロ

執事「菫花様」

料理長「泣いてはいけません、鼻が詰まって味がわからなくなりますよ」

王子「……私は、どうやって君達に……償えば、いいですか……?」ポロポロ……

料理長「償いなんて」

執事「貴方様が我々に償う何かなどありません、ただ……どうか生きていてください、願うのはそれだけです」

王子「……生きて……」グスッ

執事「貴方様はこれから屋敷や森を出て、どこか人間の町で暮らすことだってできます、それは貴方様が決めること」

執事「しかし、どこにいても、ご自分を大切に、できるだけ長く生きて、そして幸せになって欲しい」

執事「わたくし達の主人が過ごした日々を、無駄にしないで欲しい、それだけなのです」

王子「……」グス……

執事「正直に言います、隠し事は苦手なので」

執事「昨夜の我々四匹の夢に主人が出て来ましてね、貴方様の事をよろしく頼む、と言われたのですよ」

王子「夢に、ですって?」

執事「主人が言うには、夢の形は借りているが、肉体がないだけで本物の主人そのものだと」

執事「魔法の話とか、難しい事は我々わかりませんが、本物の主人がここにいる、それだけは確信できましたよ」

王子「……」

執事「こんな事を言われても菫花様にはきっと信じられないでしょうが」

執事「いずれ、貴方様の『夢』にも姿を見せるとの話でしたので、その時になれば……百聞は一見にしかず、です」

王子「……野獣が……存在している……」

王子「それが本当だとすれば、私も嬉しいが、それはそれとして」グシ

王子「……私はまだまだ、自分が今後どう生きれば良いのか、見当もつきません」グシグシ

王子「しかし……簡単に生きるのを止めてしまうのは、出来ないみたいですね、色々な意味で」…モグ

王子「これはとても美味しい、元気になれそうです」

王子「体力付けないと、良い考えも浮かびませんね。だから、とりあえずまともに動けるようにはなりたい」

王子「……今後の事を考えるのは、それからです」

執事「それで充分です」

執事「じっくりお考えください、我々はそれを出来る限り手助けさせていただく事を望んでいます」

……

野獣の屋敷、前庭。

次兄「……お前も同じ経験をしたという事は、やはり昨夜のはただの夢ではなかった」

次兄「ということは、俺もお前も野獣様も、あの場ではそれぞれ自分の意思で動けるわけだ」

末妹「私も、きっとお兄ちゃんにも同じ事が起こったとは信じていたけど」

末妹「いざこうやって確認して間違いないとわかってみたら、やっぱり不思議……」

次兄「そもそも野獣様と関わってから俺達に起こった出来事は不思議まみれだけど」

次兄「改めて思った、野獣様がすごい実力の魔法使いだからできたんだよ」

次兄「……それでも、師匠とか言う人達の……魔術師ギルドの凄腕連中にかけられた術には勝てないわけだが」

末妹「……」

次兄「野獣様は物質的な実体を失った、でも精神体としては存在する」

次兄「そして俺達は目覚めている間は野獣様に会う事はできない……これが俺達の向き合うべき現実だ」

末妹「……っ」ジワ

次兄「! お、おい、泣くなよ!? そんなつもりはなかった、ごめんごめん!!」アタフタ

次兄「お前が泣いちゃったら野獣様の存在が危うくなるっぽいし、そのためにも泣いたららめぇぇ!」ヌユデゥーム

末妹「   」

末妹「……お兄ちゃんとしては面白い顔とポーズのつもりだと思うけど」

末妹「それがあまりに独創的過ぎると、笑うより前に途方に暮れてしまうものなのね……」

次兄「くっ、やはり末妹の真っ当な感性には受けが悪かったようだな……」シュルルン

末妹「でも、笑わせようとしてくれたのはわかるわ、ありがとう……」

末妹「後ろ向きになるのはやめる、って何度も自分にも言い聞かせているのに、ごめんねお兄ちゃん」

次兄「いやいや、お前は優しい子、この件に関しては多少過敏で繊細な反応を示して当然であろう」

次兄「俺も野獣様の実体が無い事実は残念だが、それにはいかがわしい意味しかない気がしてきた……」ボソ

末妹「いかがわしい」

次兄「……にょっ!? 今のは独り言だから聞き流してくれ」

次兄「俺とお前が悲しくなったり自己嫌悪に陥ったりするためにこの話を始めたつもりはないぞ」

次兄「どんな形であれ、俺たち野獣様が好きなんだから、野獣様の言うとおり前向きに考えて笑っていようじゃないか?」

次兄「今までだって不思議だらけなら、この先も何が起きるかはわからないわけだし」

次兄(……肉体を持って復活の可能性云々の話は、まだ誰にもしない方がいいだろう)

末妹「……うん、お兄ちゃんの言うとおりね」

末妹「野獣様の望みは、私達に笑っていて欲しい…だもの、それが、私達が野獣様のためにできることだもの」

末妹「またあの場所で会う約束もしてくれた、それが楽しみなのは違いないわ」ニコ

次兄「…やっと笑ってくれた」ヒヘヘ

次兄「ま、元気出そうぜ。執事さんやメイドちゃんみたいな、シンプルな考え方を見習うのも有りかもな」ポン

末妹「……うん」コクリ

次兄「んじゃ、また後で。天気が良い内に、パンt……下着を洗濯して干します」タッタッタ

末妹「お洗濯」

末妹「お兄ちゃん、成長したのね……」シミジミ

末妹「……」

末妹「野獣様が実体を失ったのは、私だって寂しいと思う」

末妹「でも、そう思うのが『いかがわしい』事になるのかな?」

末妹「お兄ちゃんが残念に思う理由……モフモフしたりペロペロしたりチューチュー吸ったりできないから……」

末妹「私は別にそんな事をしたかったわけじゃないから、うん、やっぱりお兄ちゃんとは違う。……のかしら」

末妹「……今度は一人ずつと会うかもしれない、って野獣様は」

末妹「私とは、いつ会ってくださるのかなあ……」

……


※今回はここまで※

王子の名がややこしいので、表記は「王子」に統一しまし。物語中での登場人物からの呼び名だけ本名の菫花だったり場合によって変わったり。ブレブレですみません

同日、南の港町。天文学者の家……

天文学者「商人さんとは、3年前の市の記念行事でお会いした際に少しお話をして…それ以来ですな」

商人「覚えていてくださいましたか、先生のような我が町の名士に……光栄です」

天文学者「で、折り入ってお話とは……どのような?」

学者妻「商人様、お茶どうぞ」カチャ

商人「ああ奥様、恐れ入ります」ペコリ「実は……」

~かくかくしかじか~

天文学者「長姉さん……ですか。ええ、あの子から話は時どき聞いております。小さい頃よく遊んだ可愛らしい娘さんで」

天文学者「今となってはそれはそれは美しい、そして素敵なお嬢さんだとか」

商人「……ええまあ」

学者妻「私の友達も、素晴らしいお嬢さんが料理教室の助手になってくれたって、大喜びですのよ」

商人「……褒めてくださるのは本当に親としてはありがたいのですが、あの子はまだまだ……」

商人「私が甘やかして育てたばかりに家事も殆ど、いや全くと言っていいほどできませんし、お恥ずかしい話、金銭感覚も……」

商人「働き出したのも、初心者向けの料理教室と聞いて通い始めたのがきっかけですし」

学者妻「それなら心配いりません。幼馴染男でしたら料理以外たいがいの家事はこなせますし、当然私だって現役です」

学者妻「結婚してから家事や家計のやりくりを少しずつ覚えて行くのも、私は決して悪くはないと思うのですが……」

商人「            え?」

天文学者「ということで、ご安心ください商人さん」

天文学者「我が家では明日からでも、長姉さんを幼馴染男の花嫁として歓迎しますよ!」

天文学者「……と言いたいところですが、私達夫婦は今月の中旬から、ちょっと長めの旅行に出掛けるのです」

天文学者「戻ってくるのはどんなに早くても来月末でしょうか」

天文学者「結婚式や、若夫婦が寝食を共にするための準備などは、それから始めることになると思うのですが……」

商人「は? へ? あの?」

学者妻「ああ、それでしたら年明け早々を目標にしてはどうかしらね、区切りもいいわ」

商人「……ちょっ

天文学者「いいねえ、幼馴染男が用事から帰って来たらさっそく話をしよう、あの子にも心の準備が必要だからな」

商人「   」パクパク

敗色濃厚。

野獣の屋敷。末妹の客間。

末妹「野獣様にいただいた、ドレスとオルゴール……」

執事「ええ、貴女様達がお家にいらっしゃる間は主人の部屋にあったのですが」

メイド「当然、これはもう末妹様の物ですからね、またこのお部屋に戻しましょう」

執事「今度お帰りになる際は、これもお持ちになってください」

末妹「……ありがとうございます」

末妹「でもなぜ、野獣様のお部屋に移したのかしら」

メイド「ご主人様、末妹様にお会いできなくて寂しかったんですよぉ」

末妹「…っ」

執事「メイド!!」

メイド「あ」

執事「この部屋はあまりに日当たりがよすぎするので、それが理由ですよ」

執事「今後は壁に掛けないで、クローゼットの中に吊るされたほうがよいでしょうね」

末妹「そうですね、そうします。大事にしなくちゃ……」

メイド「あの、ごめんなさい、ほんと私バカで、どうしましょ」オロオロアタフタ

末妹「気にしないで、メイドちゃん」

末妹「野獣様のことで泣かないって決めたの、だから私は大丈夫。心配掛けてごめんね」ニコ

メイド「……ふあああ、笑ってくださったあ……よかったああああ」フゥゥー

執事「……」

執事「…さて、そろそろお茶の時間ですな」

執事「今日は料理長が林檎とカスタードのたっぷり詰まったタルトを焼きましたよ」

末妹「わあ……私の大好物です」

執事「それはよかった。さて、次兄様はお部屋ですかな、声を掛けて一緒に行きましょうか」

……

その夜。誰かの『夢』……

野獣「……全く。予定が狂ってしまった、今夜は末妹を呼ぶつもりだったのに……」

野獣「しかし奴にはここらで一度、ガツンと言っておかねばなるまい……」

次兄「ひゃっほぅ野獣様ぁ!! 俺をピンで呼んでくださるとはぁぁ!!」ドドドドドド

野獣「」ヒョイッ

ビッターーーーーン

次兄「いでで……なんで夢の中に石壁があるんだ」ヨロ

次兄「って言うか、ここはお屋敷の中の一室ですね。前回は今思うとお屋敷の前庭でしたが……」

野獣「次兄は入ったことのない空き部屋だが、基本的にお前達の客間と造りは変わらん」

次兄「調度品もない、殺風景な部屋ですね。どうせなら野獣様のお部屋がいいのにぃ」

次兄「……って言うか、夢なのに痛みは感じるんだな、この前は野獣様のぬくもりも」

野獣「夢のような現実だからな。ただ、私も実際の皮膚感覚なのか記憶による錯覚なのか、いまいち区別はつかないが」

次兄「難しいことはさておき、今宵はお招きありがとうございましたあぁぁぁ!」ピョーン

ペチッ

次兄「」

次兄「うううう、ハエでも叩くよに……」

野獣「お前を呼んだのは他でもない」

野獣「次兄、お前……最低最悪だな。下衆度合いに磨きがかかって来たぞ」ハアァ

次兄「う゛ぇ?」

次兄「な、何のことかなフフフ……ぱ、パンツなら紳士のたしなみとして1日置きに交換していますよ!?」

野獣「そんな話ではない」

野獣「あのな、次兄。私を慕ってくれるのは嬉しいが……私の肉体を物質世界に呼び出す黒魔術など存在しないし」

次兄「う」

野獣「あったとしても、少なくともお前に習得できるような代物ではない」

野獣「まして、王子の……菫花の肉体を礎にしようとかなあ……」

次兄「えーとえーと」タラーリ

野獣「しかも……もっと呆れた事には…」

野獣「お前、私を……本気で、いやらしい目で見ていたのか……」ハァァァァァ

次兄「いやらしい目」

野獣「言い逃れはできんぞ、しかと聞いたのだから」

野獣「……私を……モ…モノにしたかっただの何だの……」ボソボソ

次兄「う、うう……」

次兄「い、いやらしいのはどちらでしょうね野獣様!?」

野獣「何?」

次兄「俺はぼかした表現しかしていません、野獣様の言う『モノにする』とはどういう意味ですか!? 説明して御覧なさい!」

野獣「お、お前な」

次兄「それともなんですか、野獣様は凸と凹とが合体した状態しか思い浮かべなかったとでも仰るので!?」

野獣「おい」

次兄「快楽とは、愛の最終形態とは、果たして粘膜同士の接触のみなのでしょうか、いや、ない!」

野獣「あの…」

次兄「そのような固定観念こそが様々な可能性を、多種多様な愛の形を、人類自ら狭めているのです!!」ドバーン

次兄「……そんなわけで、俺の望みは野獣様のエロい想像に比べたら、実に小さくてささやかでお手軽な行為なのですよ」

次兄「ただ、俺はキモいから拒まれてしまうのです……」ショボン

野獣「な、なんかよくわからんが、一応、言い過ぎたと謝っておくか」

野獣「それより、お前……私に何か話をしたい事があったのでは? 雰囲気的に、まじめな話のようだが?」

次兄「……野獣様、俺達が起きている間の出来事もお見通しなので?」

野獣「ああ、この姿になってからな。屋敷の敷地内限定だし、鏡の魔法と同じで一度に一か所しか見えないが」

野獣「鏡は必要ないし、時間の制限もない、いつでも見たい相手の状況を何度でも見ることができる」

次兄「そうなんだ……うーん、迂闊な言動は差し控えたほうがいいのかしら」

次兄「逆に言うなら、下手に取り繕ってもあんまり意味はないって事でしょうかねえ」

野獣「お前の場合は見え見えのバレバレでも少しくらいは取り繕って貰いたいのだがなあ……」

次兄野獣様にしたかったお話ですが、もう少し自分の中で整理して、改めて」ヌギ

野獣「そうか、うむ、今夜のお前を説教するつもりで呼んだ状況よりは機会を改めたほうが良いな」

次兄「そうです、今夜はもっと違う話をしましょう」ヌギ

野獣「……次兄、なぜ服を脱ぐのだ?」

次兄「ご安心ください、上半身のみです。ズボンのベルトさえ緩めません」バサリ

次兄「野獣様も上半身だけで構いません。俺一人さっさと脱いでしまうのは恥ずかしいから一緒に、ささ」

野獣「だから、理由を聞いておるのだ!!」

次兄「俺の主張する多様な快楽の形のひとつを実践してみせましょう」

次兄「俺のスベっとした少年の素肌と野獣様のモッフモフ、二つの異なる触感が絡み合い織りなすハーモニー」ウットリ

野獣「」

次兄「物質世界ではとても実現不可能ですが、ここは皮膚感覚は現実そのものな夢の世界」

次兄「そう、夢では何をしても自由、夢では何をしても自由!!」ニジリ

野獣「おい! 私はお前の記憶が構築した都合の良い私ではないぞ!?」

次兄「そんなことは百も承知、寧ろ、だ か ら こ そ !!」ジリジリ

野獣「前言撤回……言い過ぎどころかまだまだ甘かった…… ……?」

野獣(……なんだ、この…何かの、力? 私の屋敷に向かって来ようとしている?)

野獣(まずいな、こんな事をしている場合ではないかも。だがまだ次兄達に知らせる段階ではない……)

野獣「次兄よ、私は今夜はここで去る。お前は朝まで熟睡するがいい」

次兄「野獣様ったらそんなこと言って逃げる気でしょ!?」ニジリニジリ

野獣「いずれにしても逃げるつもりだったが、とにかく行くぞ、おやすみ」パチン

次兄「へ?」

次兄「……あぅん、意識がブラックアウトすりゅう……」ヘナヘナ

野獣「……眠ったか。こいつはこれでいいとして」

野獣「こっちはどうしたものか、まずはもう少し状況を正確に見極めねば……」

…………


※今回ここまで。おやすみなさい※


※夢の中の会話に( )つけるの忘れていた……誤字脱字と合わせ、脳内保管お願いします※

少し時間は戻って、夕方。商人の家。

商人「……ただいま……」ドヨ~ン

家政婦「お帰りなさいませ旦那様。お出かけになられた後、お客様が……」

……

長兄「お帰り父さん」

次姉「お帰りなさい」

長姉「お父さん!」

商人「なななな、なんで君がウチにいるんだ幼馴染男君!?」

幼馴染男「お邪魔しております。休養日だったので、私用で書店に入ろうとした所、靴の革紐が切れたせいで転倒しまして」

幼馴染男「確かこちらのお店では靴紐も扱っていたはず、と立ち寄り、買い物だけ済ませて帰ろうとしたのですが」

幼馴染男「長兄君と次姉さんに引き留められまして……」

商人「長兄、次姉、お前達いいいいいいいいいいい!?」

長兄「だって、転んだ時にできた擦り傷の手当てもしてあげたかったし」

次姉「お仕事のない日なら、いい機会だと思って……」

次姉(姉さんがすっかり忘れていた彼のジャケットも返せるし)

長姉「お父さん、実はね」

商人「うわあああああああこうして外堀が埋められて行くうううううううううううう」オロオロジタバタ

次姉「……」

次姉の営業用ボイス「お願いですあなた、落ち着いてくださいな」

商人「は、はいっ!?」ピシ!

次姉の地声「落ち着いたところで、話を聞いてくれる?お父さん」

商人「…………はい」

長兄(さすがお母さんそっくりの声、父さんに効果抜群)

次姉「まず結論を最初に話すわ。私からでいい? 姉さん」

長姉「う、うん」

次姉「姉さんは、将来的に添い遂げたい相手は幼馴染男以外に考えられない」

次姉「だけど、今までまともに男の人と付き合った経験もないので、正直しばらくは恋人気分を味わいたい」

次姉「お付き合いする中で天文学者さんご夫婦とも親しくなれたらいい、何しろ姉さんはお二人と面識がないから」

次姉「幼馴染男の話では、ご夫妻は心の広い方々だから」

次姉「至らない嫁でも寛容と忍耐を持って接してくださるだろうけど、それを当てにして甘えてしまうのはあまりに申し訳ない」

商人「……」

次姉「だからもう少しだけ、最低でも春まで、いいえ、1年くらいは自分の家で花嫁修業を積みたい……」

次姉「せめて、今よりはマシになりたい、なれたらいいな、って」

次姉「あと……続きは姉さん、自分で話して」

長姉「……あのね、お父さん」

商人「長姉……」

長姉「天文学者さんご夫妻や、お父さんに認められた上で幼馴染男と付き合えるのは、すごく嬉しい」

長姉「でもね、私……お父さんとまともに話しができるようになったの、ついこの間でしょ」

長姉「……もう少しの間、お父さんの娘として、お父さんの家で、お父さんに親孝行をさせてほしいの」

長姉「幼馴染男も、それが一番いい方法だねって、言ってくれたし」

幼馴染「そもそも両想いと初めて知ったのは今日ここで、ですから僕も頭と心が追い付いていません」

商人「…………」うるうるうるうる

商人「長姉……!!」ガバァ

長姉「お父さん、もうしばらく、お世話になります……」

長兄「……そういうわけで、よろしく頼むよ、幼馴染男」

幼馴染男「う、うん……君と義兄弟なんて不思議な気持ちだけど、こちらこそよろしく……」

次姉「しかし、次兄と末妹が帰って来たら……びっくりするわねこりゃ」

…………

次兄の夢の翌朝、野獣の屋敷。

庭師「魔法の鏡が?」

執事「ああ、合言葉だけで使えるようになっていたはずの、ご主人様の部屋の壁掛け鏡がな」

執事「……菫花様が現れて以来、使えなくなってしまったんだ」

執事「末妹様に、お家のご様子を時々見せて差し上げたかったのだが……」

執事「菫花様の話では、最初に魔法を掛けた術者が『いなくなる』と効果が消える魔法があって、鏡の魔法もその一つだそうだ」

メイド「じゃあ、菫花様に改めて最初から魔法をかけてもらえば……?」

執事「試していただいたが、何故か鏡が……あの銀板鏡だけでなく、鏡という鏡が反応しない」

執事「それは菫花様にもはっきりとした理由はわからないそうで、あくまでも推測で、と前置きをされて仰るには……」

(王子「おそらく、この家の鏡という鏡が、自分達を自由にできる術者として『野獣』を強く認識してしまったのでは?」)

(王子「野獣自身が解除しなければ、おそらく新しい術者を認識できないのだろう」)

執事「……と」

料理長「うーん、菫花様がご主人様の元々の姿、と言っても鏡にとっては判断基準が違うのでしょうなあ……」

……

そのころ、屋敷の別の場所。

末妹「おはよう、お兄ちゃん」

末妹「今日もいいお天気よ、昨日お洗濯した物は今日中に乾きそう」

次兄「おはよう。うむ、パ…下着と畳はフレッシュなほうが良い、ってね」

末妹「……タタミ??」

次兄「東洋の諺だ、畳は絨毯と床板を足しっぱなしにしたような敷物らしい。うろ覚えだから間違っているかもしれんが」

次兄「それはさておき、昨夜……お前、野獣様に呼ばれたか?」

末妹「野獣様?」

末妹「ううん、気が付いたらもう朝だったわ」

次兄「なんと」

次兄「昨夜は俺の(アレな)夢からさっさと立ち去ってしまったから、てっきり(口直しに)末妹に会いに行くと思ったんだがなあ」

末妹「え……」

末妹「……後回し、ううん、それはいいけど……ちょっとでも時間を取ってくれなかったんだ……」ボソボソ

次兄「ん? 何か言った?」

末妹「そうね、野獣様も、私にばかり時間と魔法の力を割くわけにはいかないものね……」ボソ

次兄「……俺とどんな話をしたとか、ひょっとして聞きたい?」

次兄(聞かれても、アレをありのまま答えるわけには行かないが。哲学的論議を交わしたと婉曲的表現でもしておくか)

末妹「ううん、いい」フルフル

末妹「それより、もう朝ごはんの時間よ。私、先に行くから」タタッ

次兄「あ、おーい…」

次兄「……なんだか、素っ気ないですわねえ……?」

……

別の誰かの朝寝の夢。

(??「おい……私の声…聞こえるだろう?……」)

(「……?」)

(王子「!」バッ)

(野獣「やっと気づいてくれたか。こうして『お前』と二人称で話しかけるのも妙なものだが」)

(王子「……野獣」)

(野獣「やれやれ、回復してきたとはいえ、気力はともかく体力もかなり衰えているな。私のせいかも知れんが」)

(野獣「しかし、お前が元気になるのを待っているわけにも行かなくなった」)

(王子「執事さん達が言っていたのは、本当だったんだ……君が肉体を失ったまま存在しているなんて」)

(野獣「その話をゆっくりするのはまた後で」)

(野獣「いいか、よく聞くんだ。この屋敷に強い意志を持って向かってくる人間の集団がある」)

(王子「……!?」)

(野獣「偶然迷い込んで来た連中とは全く違う。二十数年前に金品狙いでやって来た3人の盗賊とも違う」)

(野獣「昨夜のうちはまだ確証が持てず、先ほどようやく形になった」)

(野獣「屋敷近辺より遠くにあるものは今の私には見えないので、思念だけを感じ取っているに過ぎないが」)

(野獣「10人ばかりの人間が見事なほど迷わず、真直ぐ此処へ向かっているのだ」)

(王子「ど、どういう事?」)

(野獣「盗賊達ですら、小国があった頃の古地図を頼りに、長い年月の間、途中に出来た地図にない障害物……」)

(野獣「歴史の新しい建物や町や森林に戸惑い、考えながらやって来たのだからな」)

(野獣「ところが、連中はそれらを実に効率的に避けて通り、正確に元の道に戻っては進んで来る」)

(野獣「魔法の地図か、違う方法か、いずれにせよ魔法を使わなければあり得ない」)

(野獣「……私以外の、この時代に存在する魔法使いの協力を仰いでいる可能性はある」)

(王子「でも……攻撃的な存在とは限らないでしょう?」)

(野獣「友好的とも限らんだろうが。とにかく、私には使えなくなったが、お前には出来ることがある」)

(野獣「鏡の魔法を使うのだ、連中も鏡でなくとも光る金属のひとつも持っているだろう」)

(王子「そ、それが、屋敷のあらゆる鏡が反応しなくなっていて……」)

(野獣「それも承知している、だから鏡に知らせた、『お前達の術者は消えていない』とな」)

(野獣「さあ、目を覚まして、壁にかかった銀板鏡に合言葉を言うのだ」)

(王子「め……目を覚ましたら、君と相談ができなくなる」)

(野獣「この屋敷でお前は独りではないだろう!?」)

(野獣「皆と相談し、お前が長き眠りの『夢』で見た私の三十年から必要な情報を思い出し、使える魔法を見極め」)

(王子「そう言えば…あの盗賊達は屋敷の建物そのものが主たる狙いだったのでは?」)キンピンジャナク

(野獣「ええい昔の事だから間違えたわ。しかしお前、あんなことまで思い出せるのなら、意外と頼もしいかもしれんな…」)

(野獣「……もう一度言う、皆と話し合って、お前と皆にとって最も善い方法を探るのだ」)

(野獣「いいか、今や私は直接物質世界に干渉できないのだから、お前達しかいないのだ」)

(野獣「幸い此処に到着するまで時間はありそうだ、場合によっては逃げるのも手だがな」)

(王子「……」)

(野獣「頼むぞ……守るべき者を、守ってくれ……」)

…………


※今回ここまで。次は日曜日か月曜日夜?※

件の盗賊の目的云々は本当に忘れていたよ、作者が!

野獣の部屋。

毛布「……」

毛布「ハッ」

王子「こうしてはいられない」ガバッ

王子「しかし今の自分は体力だけではなく魔力も低下している、いざという時のため、上手に節約しないと……」

王子「……銀板の鏡」

鏡「マスターカラオネガイサレマシタ、ヨロシクー」

王子「よろしく……よし、特定の人間の位置を探る魔法と組み合わせて」

王子「名前もどんな人物達かも知らないが『この屋敷に向かって移動している人間』で絞り込めば」

王子「……見えた! 南西から、山裾を馬に乗って進んでいる、武器……殆どが銃剣つきの長銃、何人かは短銃も持っているな」

王子「武器や装身具、金属ならばたくさん所持してはいるが、やはり平らな鏡面と違って見辛い」

王子「……重そうな甲冑はつけていない、私の頃とは服装がかなり違うが、この時代の軽騎兵か」

王子「だが、魔法の地図を使っていれば、こうして周囲の景色まで確認できるのはあり得ない」

王子「中心に貴族風の男…ひときわ大男に囲まれているからよく見えないが、この人物の私兵達と考えるのが自然かな?」

王子「貴族風の男が1人、あとは武装した男達が……9人」

王子「あの中に魔法使いらしき人間はいなさそうだ。道を探すために魔法を使えば私にはわかるし」

王子「あ、あっちの金属面が曇った、馬の鼻息か……あ、戻った」

王子「……知識でしか知らないが、地図以外の道案内の魔法具もかつては存在していた」

王子「二世紀前でも、魔術師ギルドの高位の魔法使いしか所持していない貴重な品だったが」

王子「『魔法使いも表社会に出ないだけで少数は現存する可能性もある』とは、野獣を通して読んだこの時代の本にもあったし」

王子(『ジュニア黒魔術入門』とかいう怪しげな本だったけど)

王子「とにかく、魔法使いの協力を仰げば、地図と同じように誰にでも使えるようにはしてくれるだろう」

王子「距離を測定できるかな? あれとあの呪文を組み合わせてみるか」

王子「……ふむ、あのペースを維持するならば、屋敷に到着するまで……あと3時間くらい?」

王子「よし、ここまでわかれば……皆を集めて、次の事を進めなくちゃ。鏡、また後で頼むよ」

鏡の覆い布:パサリ

しばらく後、野獣の部屋。

王子「……というわけで、身を隠すか屋敷から逃げる、これが最も確実な方法だと思いますが」

王子「逃げると言っても、今の私の魔力では、残念ながら一度に全員を瞬間移動させることはできません」

王子「微弱な魔力でも数回は書き換えのできる魔法の地図を使って、ここから離れるのが確実でしょう」

執事「ここから逃げる……」

次兄「……屋敷を離れたら、野獣様は」ボソ

末妹「……」

王子「……次兄君?」

執事「主人が我々の夢に現れるのは、我々がこの屋敷にいる間だけなのです」

王子「……!」

王子(そうか、彼はいまだにこの場所に囚われたままなのか)

王子(もしも離れている間に、屋敷を他人に奪われたら……)

王子「……私は残りましょう。彼等の目的はわかりませんが、話し合ってみます」

王子「離れた場所に避難した君達は、鏡でこちらの様子を伺い、安全を確認してから戻ってください」

王子「そのため、地図には屋敷の場所も刻んでおきましょう」

末妹「で、ですが、菫花様おひとりで……」

執事「あまりにも危険です」

王子「……もしも私が失敗した場合は、ここへは戻って来ないでください」

末妹「……!」

執事「菫花様!」

王子「なあに、二世紀前の呪いなど信じない物好きな貴族が、単なる興味本位でやって来たという可能性もあるのです」

王子「『人間』が普通に暮らしていれば、興味をなくして立ち去ってくれるのでは?」

次兄「ええええい、この世間知らずの脳味噌お花畑のポンコツ王子様め!!」

次兄「あっ王子って呼ばれたくないんだっけ、じゃあポンコツ様!!」

王子「へ」

末妹「お、お兄ちゃん!?」

次兄「黙って聞いてりゃ、国籍なし戸籍なし職歴なし生年月日は自称250年前の引き籠り軟弱甘党男子……」

次兄「こんな怪しい人物に居住権? 永住権?? ……いずれにせよ、認められるものですか!!」

次兄「最悪死刑か終身刑……は無いにしても前科が付くのは間違いなし」

次兄「良くても『頭と生い立ちのかわいそうな青年』として修道院かどこかに保護されて数年間は監視付き生活」

次兄「いずれにしても、世間から社会復帰を果たしたと認められる日が来ても」

次兄「この屋敷はポンコツ様の『家』ではなくなってしまう……そうなったら俺達も二度とここには足を踏み入れられない」

次兄「それは駄目! 絶対駄目! 俺達は認めないし許しません!!」ブンブン

王子「し、しかし……他にどうすれば良いと」

次兄「うちの父さんがここを別荘として購入します!!」ドドーン

末妹「」

執事「次兄様!?」

次兄「俺と末妹は忙しい父親や兄姉に代わって現地視察、その結果、めでたくお買い上げお金は後払い」

王子「だ、誰にお金を払うと?」

次兄「うーん、とりあえず個人の土地でないのなら、国…王様に払うって言っておけばいいんじゃない?」

次兄「執事さん達4匹は我が家の可愛いペット、ポンコツ様はまあ……存在が大っぴらになっても不味いでしょ?」

次兄「洋の東西を問わず、世界各国には家に住み着く妖精伝説があり、大事にすれば家人に幸運をもたらすとか何とか」

次兄「だいたいどこでも、なんとなく家に住みついているらしいけど姿は見えず、でも時々ご飯はあげとくかー、みたいな存在です」

次兄「うん、ポンコツ様はこの屋敷に暮らしているっぽい曖昧な妖精的存在、これが一番しっくり来る!」

次兄「妙案だろう末妹!?」ドヤ

末妹「…………」

王子「む、無理ですよね? そもそも、お父上の知らない所で」

末妹「……私、働くわ。一生かかってもそのお金を稼ぐ」

王子「ちょ」

次兄「勿論俺も将来的には働きます。具体的には野獣様に真っ先に話したい内容に関わるので、ここでは言えませんが」

次兄「無理があると言えば無理があるので、相手の出方を見てからこの作戦を決行するのを前提とした上で」

次兄「魔法の地図には屋敷と我が家の往復にしてもらい、俺が合図をしたら末妹は早馬で帰宅」

次兄「父さんを連れてまた戻って来る、往復時間は多く見積もっても4時間」

次兄「俺は交渉しつつ時間稼ぎ、まさかたかが地方都市の小売店主が魔法の地図なんか持っているとは思わないので」

次兄「『もうそろそろ父が予定通り到着する頃です』と言ってる間に本当に父さんが現れたら信憑性アップ」

次兄「後は交渉のプロ(=商人)に任せておけばなんとかなりますよ」

執事「……商人様が協力してくださるでしょうか?」

次兄「末妹がおねだりすればイチコロ。『ねえお父さん、私あのお屋敷がほしいの♥』これっすよ」」

末妹「……(複雑)」

次兄「第一『呪われているから要らん』と200年以上放って置かれた土地屋敷、我が家が潰れるほどの金額にはなりますまい」

王子「……お金なら、この家にありますよ」

次兄「なんですと?」

王子「執事さん、食糧や本を屋敷の外から手に入れる魔法には、物と引き換えに金貨が必要でした」

王子「元はと言えば私の父親……小国の王がこの屋敷に持ち込んだお金です、異国から招いた来賓達への賄賂として」

王子「野獣は物と引き換えるため少しずつ使っては来ましたが、それでもまだかなり残っている」

王子「現代の相場に換算した貨幣価値はわかりませんが、溶かして金塊にしても大層な量になるはずです」

王子「ほら、この箱です」ガパァ「ね?」ピカピカジャラジャラー

一同「「「「「「」」」」」」

次兄「……これなら一括払いで釣銭が来そうだが、父さんが脱税容疑でもっとえらいことになりかねん」

次兄「見つからないよう箱は隠して、小出しで支払うのが無難?」ムム

次兄「しかし現金があれば話は早いぞ。購入する意思と頭金を払える財力があるとアピールできれば有利に働く」

執事「本当にそれで相手を説得できるのでしょうか?」

次兄「所詮、人間の大人なんぞ金持ってる奴に弱い、汚い生き物ですからねえ」ゲヘ

執事(次兄様はその汚い生き物を詐欺紛いで出し抜こうとしている少年ですがね)

次兄「正直、行き当たりばったりという不安はあるけど、他に方法はない、最善を尽くすのみ」

次兄「残り時間は僅かだが、皆ともっと細かい打ち合わせを……」

……

屋敷を囲む森の中。

馬の足音:カッポカッポザッシザッシ

軽騎兵8「旦那、あの建物でしょ。ほら、見えてきた」

軽騎兵5「お前は目がいいなあ、木立に隠れて見えん」

貴族?「この先は面倒な遠回りは要らん。あと少しだ、馬も頑張れ」

遮眼帯着けた芦毛の馬×10「ぶるるる」「ひひん」メンドウナノデイゴ芦毛馬

軽騎兵9「……呪いの地……呪いの屋敷……怖いよ怖いよぉ」カタカタワナワナ

軽騎兵7「……ちっ、なんで志願したんだよこの腰抜け小僧」

軽騎兵3「しっかりしろ9、我らのご主人様も迷信に過ぎないと言ってたではないか」

軽騎兵5「しかし、綿密な測量と国内最高の地図職人によって造られた地図とはねえ」

軽騎兵6「そうでもなければ通常の地図からは失われた土地、こんな効率よい道を選べるものか」

軽騎兵7「魔法でも使えりゃ別だがね」

軽騎兵4「お前らお喋りが過ぎるぞ、黙って進め」

馬の足音:カッポザッシカッポザッシ

……

屋敷内某所。

執事「主人が時折動かしていた動く壁」

執事「初めてここを訪れた人間ならば、壁を下ろして出来たこの空間の存在にはすぐに気付かない」

メイド「次兄様が仰るには……」

(次兄「作戦はすばしっこく立体的に動ける庭師くんに手伝ってもらおう」)

(次兄「料理長さんはお年もあるし、幅広のボディがもちもちぽってんと動く姿は射撃心を煽りそう」)

(次兄「執事さんは何しろでかいから、いくら足が速くても目立ってしまう、その上」)

(次兄「狼は多くの人間には恐怖、一分の人間には憎悪の対象、見つかった途端に撃たれてしまうかもしれない」)

(次兄「あと兎は美味しい食材。特にメイドさんは若くてぽっちゃり系だから空腹の兵隊に耳を掴まれ煮立った鍋の中にポーイ」)

(メイド「耳を掴まれぶら下げられたらその時点で致命傷ですよ」ガクブルガク)

(次兄「だから三人は隠れていて、末妹と一緒に」)

(次兄「俺が合図を出せば庭師くんが伝言としてここへ伝えに来る」)

(次兄「壁越しでも執事さんやメイドさんなら聞きとってくれる」)

(次兄「そしたら執事さんが仕掛けを動かして、西側の壁だけ開く。末妹が出たら次の合図までは、また閉じ籠って欲しい」)

(次兄「末妹は馬に乗ってポンコツ様が魔法で開錠してくれた裏門を開けて出て行く。でいいよなポンコツ様」)

(王子「ええ、門を抜けてすぐ地図を使えば普通の人間には決して見つかりません」)

(次兄「これはパターンA。うちの父親をここへ連れてくる場合」)

(次兄「パターンB。馬を出す際、全員が脱出する方法」

(次兄「全員を詰め込んだ軽装馬車を我が家の馬一頭に引かせる事になるが」)

(次兄「父さんと荷物が乗った我が家の大きいほうの馬車を普段から引いている馬だ、許容範囲かな、と)

(次兄「馬が怯えることを考えたら、執事さんは身を隠す必要があるかもだけど」)

(次兄「二つの合図の違いを混同しないように、庭師くんしっかり覚えてね」)

(次兄「で、ポンコツ様は……仕方ないけど我が家の長男、俺の兄と言う設定で交渉役」)

(次兄「子供にしか見えない俺一人が前に出るよりは話を聞いてもらえるでしょう、一応」)

メイド「……と、このように」

料理長「確かに、お二人が『忌み嫌われる』狼を手懐ける人間と受け取られるのも、交渉に不利な材料となりましょうが」

執事「このわたくしが、何もできないのは実に歯痒い……」

末妹「執事さん達を守っていると思えばこそ、兄も良い結果を出すため最善を尽くせます」

末妹「私もできることを精一杯するだけです、皆さんのため、野獣様のため……私自身のため」

末妹(……野獣様、昨夜は私を呼ぶ暇もなかったのはこれが理由ですね)

末妹(やきもち焼いてごめんなさい)

末妹(小さな手助けで精一杯ですが、私も頑張りますね)

……

屋敷正面玄関前。

王子(今度こそ、今度こそ失敗はできない。救うため、守るための戦いだ……)

次兄「……大丈夫ですか、ポンコツ様」

王子「え、ええ。君こそ」

次兄「俺は大丈夫。貴方はなんだかわからないけど半病人のような状態だし」

王子「……無意識のうちに二人分を捻り出すのは大変だったのでしょう。私も野獣も」

王子「物質世界にいる私は消耗しても、いずれ回復は可能なので」

王子「一時的に私の体力と魔力をギリギリまで削って、それを材料に創られた野獣が私から切り離される」

王子「結果論ですが、ふたりが別々の存在になった理屈は、こういう事だったのでしょうね」

次兄「……ポンコツ様、出産並みの大仕事だったんだなあ」

王子「しゅっさ」

王子「なななななな、何を言うんだ君は!?」

次兄「生身の野獣様とポンコツ様、二人で創った新生・精神体の野獣様を、命懸けで生み出しちゃったんでしょ?」

次兄「うちの母親とちょっと重なったような気がして胸がキュンとしてしまった」

王子「重ねなくていいよ、誤解、錯覚なんだから!! 何より君の母上様にたいへん失礼だよ!!!!」プツン

王子「……あ、逆上したら目眩が…………」フラフラパッタン

次兄「え」

次兄「っちょ、気絶しちゃった!? 産後の肥立ちが悪い人に無理させすぎた!!」アタフタ

次兄「庭師くん、大至急執事さん呼んで!!」



執事「……菫花様に何をしたんですか次兄様」ジー

次兄「悪いことは全て俺のせいにしないでください。あながち間違いでもないけど」ヨイショ

執事「手を離して大丈夫です、しっかり背負えました」

次兄「このまま皆が隠れている場所へ運んでください、今は寝室よりも安全だからね」

次兄「……手足が冷たいから、意識が戻るまで執事さんが寄り添って暖めてあげると良いかと思いますがね」ギリギリギリギリ

執事「なぜ貴方様が歯軋りを?」

次兄「この胸に燃え盛る嫉妬の炎を抑え込みながらの経験者によるアドヴァイスです」

次兄「執事さんの密な下毛と美しい上毛からなる保温性に優れた被毛および人間より高い体温で包み込んであげて、どうぞ」クッ…

執事「……とにかく心を込めて介抱させていただきます。では次兄様、ご武運を」タッタッタ

次兄「さて」

次兄「計画に少々の変更はあるが、やれるところまで頑張るだけです」

次兄「……鏡は『覆い』をめくるだけで使えるんだったな」

次兄「二人とも手が塞がるのは避けたかった、あとポンコツ様が鏡に向かって魔法を使うのが楽なようにと……」モゾモゾ

次兄「俺のシャツをめくると上半身の前面に肩から紐で下げた銀板鏡」バッ

次兄「……下を持ちあげるように傾けると、なんとか自分でも見えるのです」

鏡「ショウジュンハ、アワセタママナノデ、ダイジョウブー」

次兄「……ふむ、こいつらの前方の視界を捉えている鏡面はあるかな?」

鏡「セントウノヤツノ、ボウシカザリニウツル、フウケイデス」

次兄「……! 屋敷の正門がもう見えているんだ」

次兄「ありがとう鏡、また後で」ゴソゴソ

次兄「あと少し、ここまで来たら対峙は免れない」

次兄「ポンコツ様に協力してもらう予定だった作戦の他にも、いくつか対抗手段は考えているけど……」

次兄「まずはこの外見を最大限に活かし、『何も知らない無邪気な少年』を装って相手の出方を見よう」

次兄「庭師くんは引き続き木の上に身を隠し待機してくれ」

庭師「了解」


※連休中は更新できなくてすみません。今回ここまで※

>>1
作中はもうすぐ冬だけど、暑中お見舞い申し上げマッスル。
いつも楽しませてくれてありがとう。これからも楽しみにしております。

http://m1.gazo.cc/up/21089.jpg


※ペースまた落ちてすみません。本編更新はまた後ほど※

>>817
小獣コンビ可愛い、ありがとう、嬉しい!

屋敷の手前、森の中。

貴族?「目的地は目前だが……ここで一旦、止まってくれ」

軽騎兵1「畏まりました。全員、馬を止めろ!」

葦毛馬達「ひひん!」ザッシ「ぶるる?」ザザッ「ぶひひん…」カッ…ポ

軽騎兵5「高い塀に囲まれているなあ」

貴族?「すまんが、周辺を一回りして来る。君達はここで待機していて欲しい。戻って来るまでは1殿に従ってくれ」

軽騎兵2「お一人で? 大丈夫ですか、誰か付けましょうか」

貴族?「いや、心配は要らない。まずいと思ったらすぐ戻って来るさ。では、馬、行こうか」ピシリ

葦毛馬10「ひん!」カッポ カッポ

軽騎兵5「やれやれ、ご主人様の友人だか恩人だか知らんが、気紛れなお方だねえ」

軽騎兵6「ご主人様の命令ならば従うのみだろ」

軽騎兵5「ま、報酬を前払いしてくれたんだから文句は言えねーよな」

軽騎兵9「……な、なんて不気味な屋敷だろう……」プルプルカタカタ

軽騎兵3「9よ、落ち着け。我々がついているんだぞ、何を恐れる事がある」

軽騎兵7「無理っすよ、こいつは俺と同じ山奥村の出身だが、村長さん家の末息子で」

軽騎兵7「祖父さん祖母さんに育てられたせいか、過剰に呪いだのバチだの化け物だの怖がるんすよ」

軽騎兵2「山奥村か…教会の教えと土俗の宗教が混じる、珍しい信仰の根づいた土地だったっけ」

軽騎兵7「さすがに今時そんなのは年寄りくらいっすよ」

軽騎兵1「よし、みんな馬から降りて、少しの時間だが休ませよう」

軽騎兵4「馬は意外と元気だな。俺達も小休止とするか……、おい、7、来た道を戻ってどこに行く!?」

軽騎兵7「小便っすよ小便!」ガササ

軽騎兵5「……暇だな」

軽騎兵8「ああ、暇だ」

軽騎兵9「コワクナイコワクナイコワクナイ……」ブツブツ

軽騎兵5「……なあ、9よ。このへんでちょっと男を上げてみちゃどうだ?」

軽騎兵9「ひ、ひえっ!?」ビクッ

軽騎兵5「こっそり屋敷の様子を見て来いよ。なに、門扉の鉄格子からちらっと伺うくらいさ」

軽騎兵9「で、でも……依頼主さんが屋敷周辺を見回っていて、僕達はここにいろと……」

軽騎兵8「馬から降りて、木々に身を隠しながら行けば誰にも見つからないさ」

軽騎兵5「それで何もないとわかればもうお前も怖くないだろ? 何か怪しい様子があってもすぐ引き返せばいいだけだ」

軽騎兵9「で、でも、5さん……」オロオロ

軽騎兵8「3さんの言うとおり、背後には俺達が控えているんだし、万一の時はお前も銃を持っている」

軽騎兵8「それに、目のいい俺が見ていてやるよ」

軽騎兵5「第一、いつもいつもいつも7に腰抜け呼ばわりされて悔しくないのか? いくら同郷の先輩だからって」

軽騎兵9「うぐ……」

軽騎兵5「勇気のあるところを見せたら、7だってお前を見直すと思うぜ?」

軽騎兵9「わ、わかった……行って、きます!」

軽騎兵5「その意気だ、だが、銃は簡単にぶっ放すんじゃねえぞ?」

軽騎兵9「だ、大丈夫です! ちょっと見て戻って来るだけですから!」

軽騎兵8「……行っちまった」

軽騎兵5「ま、あの小僧の事だ、半分も行かずに葉擦れの音にびびって戻って来るだろうさ、へへ」

軽騎兵8「小便漏らさなきゃいいが」

……

野獣の屋敷内某所。

末妹「……で、私が父の元へ向かった場合、父の事ですから」

末妹「あの子……今ここにいるうちの馬をそのまま使いはしないと思うのです」

末妹「代わりの馬を手配して、それからこちらへ向かうことになるでしょう」

末妹「ですから、その分すこし時間がかかってしまうとは思いますが、皆さん心配しないでくださいね」

執事「貴重な馬を貸してくださいますかね?」

末妹「牧場主さんをはじめ、馬仲間といいますか、馬友達とも言うべき知り合いは何人かいますし」

末妹「父の馬扱いは本職並みと言われていると噂で聞いたことはあります、信用はあると思うのですが……」

料理長「尤も、末妹様を一人旅立たせることなく、収まってくれるのが一番でしょうな……」

王子「……」グッタリー

末妹「菫花様、大丈夫でしょうか?」

執事「最初よりはいくらか顔色もよくなられて来ました。いまだに目を覚ます気配はありませんが」

執事「……貴女様という淑女の前ですが、もうしばらく、わたくしが裸でいる事をお許しください」

末妹「暖めるには毛皮で直に包んであげなくちゃ、それに狼さんなら服を着ていないほうが普通かな? と思いますよ」

末妹(……いつもの姿に慣れていたせいか、執事さんが服を脱ぎ出した時は目のやり場がないような気が一瞬したけど)

末妹(錯覚だったみたい)

メイド(次兄様がご覧になったら嫉妬で気絶しそうな光景ですねえ)

……

屋敷を囲む塀の外側。

貴族?「『隠蔽』は完璧、例え屋根や木の上からでも、馬も自分も見えはしまい」

葦毛馬10「ぶるる……」

貴族「……このへんでいいか」ゴソゴソ……

貴族?「いくら身嗜みを整える仕草をしても、移動中の馬上で頻繁に覗き込むのは不自然だからな」

小さな手鏡:キラリン☆

貴族?「全く、護衛なんぞ不要と言ったのだが……おかげで余計に気を遣うばかり」

貴族?「ま、あの若者達のせいではないが」

……

末妹達。

王子「……うーん?」

メイド「あ」

末妹「菫花様? よかった……」

王子「……ああ、そうか。気を失っていたのですね」

王子(夢の中で野獣が何かを伝えようとしてくれていたようだが、話を聞く前に目覚めてしまった……)

料理長「無理はなさらず、このままここで休んでいてください。お水、飲みますか?」

王子「……」ムクリ

執事「菫花様、駄目ですよ起き上がっては」

王子「……トイレに行きたいのです」ヨロ

執事「では、わたくしがお伴を」

王子「大丈夫です、心配しないで、すぐ戻りますよ。その代わり、動く壁の仕掛けを操作してくれたら助かります」

王子「外に出たら、今度は私が閉めますから……」

料理長「仕掛けは普段隠れているだけで、意外とあちこちにありますからな」

メイド「でも、菫花様か執事様でないと、壁の仕掛けに手が届かないですものね」

動く壁:ゴゴゴ…↑(ヒラク)

王子「ほら、意外と足取りがしっかりしているでしょう? では、行ってきます(トイレに)」

末妹「お気をつけて……(おトイレとはわかっていても)」

動く壁:ゴゴゴ…↓(トジル)

末妹「……」

メイド「末妹様、そんな不安そうなお顔しないでください」

末妹「え…私、そんな顔してたんだ」

末妹「…菫花様もだけど、見えない場所にいるひと達…庭師くんと兄も、どうしているのかと」

執事「外が騒がしくなれば、わたくしにはわかります。馬が十頭もいれば多少の嘶きも聞こえましょう」

執事「遭遇せずに引き返してくれないかとは、『祈って』おりますが……」

……

屋敷内、一階の廊下。

王子「次兄君一人に任せてしまうのは申し訳ない、私は一応、この家の主人なのだから」

フラフラ…トス

王子「……まだ無理だったか、壁伝いで歩くのが精一杯……」

王子「いやいや、しっかりしないと、野獣とも約束したんだ」グッ



正面門扉の外側。

軽騎兵9「……12、3歳の赤毛の男の子がいる、普通の子供にしか見えないが」チラ

軽騎兵9「こんな場所に普通の子供がいるわけない、となるとあれは、おばあ様の言ってた小鬼か、やはりこの屋敷は……」ゾーッ

軽騎兵9「幻術で人間の振りをしているんだ……くっ、僕は騙されないぞ」

軽騎兵9「しかし、おばあ様の話では小鬼は多少の悪戯者なだけで、さほど危害はないらしいが」

軽騎兵9「せめて他に魔物の仲間がいないか確かめてから戻ろう……怖いけど」

玄関の戸:ギ……

軽騎兵9「!」

王子「……次兄君」ヨロ

次兄「ポンコツ様!?」

軽騎兵9「や、屋敷の中から出てきた人物……死人のように青白い顔、折れそうな細い体」

軽騎兵9「おじい様が読んでくれた西の島国の本に出てきた、悲しげな声で嘆く、不吉な妖精に違いない」ガクガクガク

軽騎兵9「でも確か話では女の妖精……言われてみれば、男か女か、よくわからない顔立ちだけど……」

軽騎兵9「とにかく、まだあいつらに気付かれないうちに、みんなに知らせ……」

樹上の庭師「誰っ!?」

軽騎兵9「!!」ビビビックゥ!

王子「!?」

次兄「」

軽騎兵9「」


鉄格子を挟んで、次兄と軽騎兵9の、目が合った。


※今夜はここまで。あつはなついね※

軽騎兵達。

軽騎兵7「ふー、ジョロジョロ出続けてキレが悪かったのなんの、年寄りか俺は……」ガサ

軽騎兵6「はは、我慢し過ぎだったんだろう」

軽騎兵4「遅いから熊にでも襲われたのかと思ったぞ、7」

軽騎兵7「途中で見つけた足跡の事ですか? たしかにデカさなら熊並みですが」

軽騎兵7「だとしたら相当前についたやつでしょ。細部…指や爪の跡がわらからないほど形が崩れていたし」

軽騎兵6「さすが山育ち」

軽騎兵7「靴でも履いていたような…となると、熊どころか足跡かも怪しいね、あんな巨大な靴を履く生き物なんて」

軽騎兵7「さてと……ん、9の奴はどこ行った?」

軽騎兵8「あいつなら屋敷の様子を見に行ったぜ」

軽騎兵7「!? 誰かと一緒なのか!?」

軽騎兵5「一人でだよ。男を上げたいんだとさ」

軽騎兵7「あのガキにそんな発想があるか、この状況でそんな命令が出るわけもないし……さてはお前らだな!?」

軽騎兵5「おい心配すんなよ、どうせすぐベソかきながら戻ってくるって」

軽騎兵7「ちっ……」

軽騎兵7「ったく、連れ戻して来る!!」ザッ

軽騎兵5「……本人の前だと悪口ばっかりの癖に」

軽騎兵8「素直じゃないねえ」

……

末妹達。

末妹「……菫花様、遅いですね」

料理長「途中で倒れてでもいたら大変ですな、探してきましょうか」

執事「いや、わたくしが行く。本当に倒れておられても、そのまま運んで来れるからな」ゴゴゴ↑

執事「思い過ごしだと良いが……」ゴゴゴ↓

……

正面玄関前の次兄達。

樹上の庭師(ああ、思わず声が出てしまった、こんなことになったのは僕のせいだ)

庭師(銃を持った人間を見て、恐怖で次兄様の言いつけも吹っ飛んでしまったんだ、僕の臆病者……)

庭師(死角になっている窓からそっと入って執事さんにこの状況をお知らせしよう、他の人間達が来ないうちになんとかしないと)

庭師(どんな方法で解決できるか、見当もつかないけど……)ヒラリ


次兄(……どうしよう)

次兄(兵士の格好とはいえ俺とあんまり年齢の変わらん奴だが、銃持ってますよ?)

次兄(おまけに筒先こっち向いてんですけど、無暗に人間に向けちゃいけないって躾は受けていないのかしらん?)

次兄(……おかげで微動だにできないではありませんか)


王子「」←目を見開いたまま意識混濁中


鉄格子の向こうの軽騎兵9(どうしよう……)

軽騎兵9(正面からだとますます僕より幼いただの子供にしか見えないが、逆に後ろの妖精は更に死霊のような顔色に)

軽騎兵9(おまけにさっき、木の上から聞こえた声、あれも小鬼の仲間に違いない)

軽騎兵9(この銃を下ろしたら何をされるかわからないぞ、これでは微動だにできない……)

……

屋敷裏手。

貴族?「む、この状況は非常にまずい」

貴族?「臆病な少年兵を面白半分にけしかけた阿呆がいるようだな」

貴族?「とにかく今は彼を刺激しないようにせねば、その裏で迅速に対応策も……」ブツブツ

貴族?「まずは『隠蔽』を維持したまま裏門を開いて、塀の内側に入る、と……よし、馬、行くぞ」

葦毛馬10「ぶるる」カッポ

……

森の中、屋敷正門まであと少し。

軽騎兵7(いたいた、いやがった、あのバカ、立ち尽くしてやがる)

軽騎兵7(……う、門の中に…建物の前に誰かいるぞ、無人の屋敷じゃなかったのか)

軽騎兵7(門扉と9との間にも草木が茂っているからよく見えんが……子供と……なんだあのまっ白い、幽霊みたいな……)

軽騎兵7(けっ、何が幽霊だ、9じゃあるまいし!)ブンブン

……

屋敷内、一階廊下。

庭師「執事さん!?」

執事「おお、庭師どうした、もう早や次兄様の合図があったか!?」

庭師「執事さんこそ、末妹様達と隠れていたんじゃ」

執事「目を覚ました菫花様がお手洗いに出て行ったまま戻られないのだ、見なかったか?」

庭師「菫花様なら次兄様と一緒に玄関の前にいますよ、それで……大変なんです!!」

執事「!?」

……

現実の時間では数秒間と過ぎていない、夢の中。

(「……ろ、しっかりしろ!」)

(王子「……野獣!?」)

(野獣「いいか、気をしっかり持つんだ、皆を守りたければな」)

(野獣「私が……野獣が盗賊を追い払った時の『夢』を思い出せ、あの呪文……お前にも使えるはずだ」)

(野獣「いざという時はあれを使え。発動のタイミングさえ間違わなければ」)

(王子「……あ、あれは『我が身』のためだったから、一か八かの勝負にも出ることができた」)

(王子「しかし、今度はまかり間違えたら、次兄君が……!」)

(野獣「それでもお前にしかできん、そしてお前には他の手立てはない」)

(王子「……」)

(野獣「お前を弱らせた要因の私が言うのもどうかとは思うが、意識が遠くなっている場合ではないぞ、頑張れよ」)

王子「……」

王子(!)

王子(そうだ、気をしっかり持たないと)

王子(門の向こうにいる少年兵を刺激しないよう、聞こえないように、詠唱を……)

王子(距離が近い、発動のタイミングが遅ければ最悪だ)

王子(……この少年兵はひどく怯えている、まるで私のように臆病なのだな……)

王子(願わくば、引き金を引かずにいてくれよ、頼む)


軽騎兵7(ちくしょう、9め、自分が何をしているのか、わかっているのか?)

軽騎兵7(中の奴が人間だろと化け物だろうと、この状況で引き金を引かせるわけには行かねえ)

軽騎兵7(不意を突いて、固まっている隙に銃を奪うか……?)



執事「この窓から出るか。庭師はここにいろよ」

庭師「執事さん……」オロオロ

執事「お前のせいではない、気に病むな」

執事「おそらくその人間は、若いせいもあるだろうが、銃の扱いに熟練しているとは思えない」

執事「至近距離ならともかく、離れた場所ならばなかなか『動く的』には当たらないものだ」

庭師「……狙撃手の気を引く作戦なら、執事さんより僕の方が」

執事「お前のような小さな生き物にはそもそも気付かないかもしれないぞ、大丈夫、ヘマはしない」バッ



貴族?「!!」

貴族?「『執事』め、早まりおって!! 馬、急げ!」ピシン!

……

軽騎兵9(……どうしたらいいんだ、もう緊張感に、耐えられない……)

執事「ウォォォーン!!」ザザザザッ!

王子「っ!?」

次兄「執事さん!? 来ちゃだめだ!!」

軽騎兵7「9!! 俺だ、7だ!!」バッ

軽騎兵9「う、うわあああああああ!?」




 乾いた音が響いた。




……

末妹「っ!?」

メイド「……この音、私知ってる」

料理長「!!」

貴族?「くっ、『間に合った』か、それとも……」

葦毛馬1~9「ひひーん!?」「ひひん」「ぶひひん!」

軽騎兵3「馬達が……どうどう、静まれ!」

軽騎兵2「屋敷の方から!?」

軽騎兵5「や……やべえ」

軽騎兵8「あ、あいつ……」

軽騎兵1「全員、直ちに屋敷に向かえ! 馬はそのままここに残し、銃は忘れるな!」


……


…………


軽騎兵9「う、撃つ気はなかった、撃つつもりなかった、で、でも、指、指が……!」ガタガタガタガタ

軽騎兵7「落ち着け、9! 糞め、指が硬直してやがる……」ググ

軽騎兵7「いいか、俺がやった、今のは俺なんだ! 撃った銃を俺の手に……早く、皆が来る前に……!」


……


…………

次兄()

次兄(ぱぁんって言いました。ぱぁんって)

次兄(銃声ですよね? 今の銃声ですよね??)

次兄(あ、あれ? 空が見えますよ? 俺、地面に仰向けに倒れていますか?)

次兄(なんか衝撃受けたかなーとは思ったけど)

次兄(……そっか、死んじゃうのか、死にかけるのは人生四度目だが今度こそ本気で)

次兄(ということは)

次兄(…………家の机のカギのかかる引き出しの中身)

次兄(あれを開くのは器用な父さんか、それとも次姉ねえさんが力づくでか、いずれにせよ)

次兄(発見→家族会議→焼却→家族の秘密=あと末妹にも超秘密。この流れは避けられまい)

次兄(そして俺の葬式では)

次兄(司祭様の『家族思いの健気な少年でした、穢れなき魂に救いあれ』というお決まりの文句が墓地に響く中で)

次兄(父さんと兄さんと姉さん達の脳裏に浮かぶのは……)

次兄(『次兄が紙に描いた絵』という名の、各自が生涯胸に秘めて行くであろう家族の秘密)

次兄(…………)

次兄(何という、血も凍るほどの恐怖でしょうか)ゾゾー…

次兄(せめて、せめて! すぐ傍らにいるポンコツ様に『机ごと燃やして』と一言告げねば! 最後の力を振り絞ーり!!)

次兄(いや、って言うか人生の最後に一番心配するのはそれかよ俺!? もっとこう、人として、最後に思いを馳せるのは!!)

次兄(最後に……最後、の?)

次兄(……あ、あれ? 死ぬような気がまるでしませんが??)


……


…………

王子「……」ゴクリ…

王子「!!」

宙に舞う羽毛:ヒラ……

羽毛:ヒラ……ヒ

鉛玉:ポトン

次兄「……」

次兄「…………な」

次兄「何が、あった、の……?」ムクリ…

王子「次兄君っ!!」

執事「次兄様っ!!」ダダッ

貴族?「いかん、『沈黙の術』」ピローン

執事「!?」ビクッ!

執事「」パクパク

次兄「し、執事、さん……?」

次兄「…………執事さんが全裸!!??」

軽騎兵7「起き上がった!? あのガキ、生きてるのか!?」

軽騎兵7「おい9、お前が撃ったガキは無事だ、お前は人を殺しちゃいねえ!!」

軽騎兵9「……あ……7さん? どうしよう、僕……」

軽騎兵7「落ち着いてよく見ろ、中にいる奴は生きてるぞ!!」

軽騎兵9「で、でも、血が、血が出ています!」

軽騎兵7「あァ? ついさっきは何ともなかったのに? しかしよくわからんが元気だぞ、喜色満面で小躍りしてるじゃねえか!?」

王子「次兄君、鼻血鼻血、すごい鼻血……」アワアワ

次兄「むほぉぉ、執事さんの…執事さんの美しい銀色の毛並みが惜しげもなく太陽の下に晒されて!!」スキップスキップ

次兄「ここは天国、いや、天国以上の天国みたいな地上の楽園かあああああ!!」ピョンピョン

執事「    」

貴族?「……ふう、脅かしおって」

王子「……!」ハッ

王子「あ、あなたは!?」

次兄「…………へ?」クル

次兄「お、おっさん!?」

次兄「そんな立派な恰好だからわかんなかったよ、あの怪しいローブはどこに、ってか何故ここにいるの!?!?」

貴族?「余計なこと喋るな、まとめて……」ピローン

王子「」

次兄「」

庭師&料理長&メイド「次兄様、菫花様、執事さん(様)!!」ダダダッ

貴族?「こいつら、ああもう……」ピローン

庭師&料理長&メイド「「「」」」

末妹「お兄ちゃん!!」トタタタタ

次兄(末妹!?)

ガバァ!

末妹「……びっくりした……銃声が聞こえたから……」

末妹「私が料理長さんを肩車して、なんとか壁の仕掛けを動かして……」

末妹「……窓から顔を出したら、お兄ちゃん、地面に倒れているんだもの……」ギュウ

次兄(……末妹、心配掛けたな)ギュー

次兄(俺は確かに撃たれた、真正面から、至近距離で。なのに、どうして……?)

末妹「……でも、無事でよかった……怖かった、怖かったんだから」グスッ

末妹「その血は鼻血でしょ? わかっているから大丈夫」フキフキ

次兄(さすが我が妹です)

次兄(……ん、シャツに焼け焦げたような穴が)

次兄(!! 銀板鏡!?)ヌギッ

軽騎兵7「……あのガキ、服の中に金属板を仕込んでいた!?」

軽騎兵9「だ、だから無事だったのか」

軽騎兵7「子供のくせになんて周到な、あいつ只者じゃねえ……何者だ」

次兄(鏡、返事しろ鏡ぃーーーー!!)ユサユサ

鏡「……ハイヨ」小声

鏡「ナンダカネ、アタルシュンカンニ鉛玉ガ羽根ニカワリマシテ」

鏡「マトモニクラッテイテモ、アナタサマヲムキズデマモルジシンハアリマシタガネ」フンス

鏡「キョウハイロイロアッテツカレマシタ、マタアシタ」

次兄(お、おう……また明日)

軽騎兵1「9、7!! 何があった!?」

軽騎兵8「9!!」

軽騎兵5「7、9!! 大丈夫か!?」

軽騎兵2「あっ……依頼主様、いつの間に中へ!?」

貴族?「お、おおう、それにはまあ色々あってな」

軽騎兵1「さっきの銃声は何だったのですか!? そしてこの……」

軽騎兵1(どういう取り合わせなんだ、服を着た穴熊と猫と兎と…何も着ていない狼)

軽騎兵1(いやいや、こんな美しい人慣れした狼がいるものか、犬に違いない、あとは男の子と女の子と、もう一人……)

軽騎兵1「……この、子供達と動物達と、瀕死にしか見えない若者は!?」

貴族?「そう…この若者こそ儂が20年ほど前に旅の途中で恋に落ちた……行きずりの女性に生き写し」

次兄(はあ!?)

王子(し、師匠!?!?)

軽騎兵1「このお方が、あなたの仰っていたご子息でしたか」

師匠「風の噂で彼女が儂の子を産み落としたとは聞いていたが、その子が回り回ってこんな辺鄙な地に流れ着いていたとは」

師匠「儂が命がけで手に入れた裏社会の情報は、真実だったのだ」

師匠「呪われた言い伝えのあるこの屋敷が、この気まぐれで煩悩具足な独身放浪貴族の私生児を守ってくれたのだな……」

師匠「可哀そうに、あまりの衝撃にこんな蒼白になって、声も出ないか、悪い父親を許してくれ息子よ……」ヨヨヨ

王子「  」

次兄「……ん、やっと声が出せるな」ンン

末妹「……お兄ちゃん、あの人、うちのお店に来たお客様……」

次兄「しっ、ここは何も知らないふりをするんだ」

次兄「なんだかよくわからんが、ポンコツ様達にとって悪い展開にはならない気がする、野生の勘だけどな」

師匠「この動物達は孤独な我が息子の心を慰めていた可愛いペット達」

師匠「少年と少女は旅の途中で父親とはぐれ森で迷子になった兄妹、数日前、偶然この屋敷に辿り着いた子供達だそうだ」

師匠「……そうだったな、坊や?」

次兄「は、はい、そうです、初対面の立派なおじさん!! な、妹よ!?」

末妹「ええ、何もかもその通りです!!」コクコクコクコク

軽騎兵7&9「」ポカーン

軽騎兵6「1さん、いったいどういうことですか?」

軽騎兵1「すまん、聞いての通り複雑な事情で、尚且つ依頼人様も確証が持てない情報だと悩んでおられた」

軽騎兵1「そこで、表向きは屋敷と付近一帯の下見と称して……」

軽騎兵1「我々の主人の他には、私と2、3、4にしか知らされなかった秘密の任務だったのだ」

師匠「頼む、我が息子だけではない、子供達にもこの動物達にもいっさい危害を加えないようお願いしたい」

師匠「……無事息子が発見されたから、追加報酬はこんなもので」金袋ドッサ

師匠「さて、『息子』よ」スッ

王子「」

師匠「……お前への沈黙の呪文はもうしばらく解けない、我慢しろ」ヒソヒソ

師匠「230年ぶりの再会だ。儂はあの頃より10年ほど年は取ったがな」

王子「……」

師匠「詳しい事情は後で説明するが、とにかくだ、お前と獣達はこの先もこの屋敷に住むことができる」

師匠「この屋敷は儂の所有物、そしてお前はさっきの話の通り、『儂の隠し子』だからな」

王子「!?」

師匠「今は儂に話を合わせろ、大丈夫だ、悪いようにはせん」

師匠「……あと、あの娘は、あの後どうにか幸福な人生を送ったようだ。これも後でゆっくり話してやる」

王子「……!!」フラッ…

師匠「おっと」ドサ

末妹「!」

軽騎兵1「ご子息!?」

師匠「心配するな、あまり体調が優れない所に予想もつかない出来事が重なって、その緊張が一気に解けたのだ」ウソデハナイ

師匠「……本来ならばこの場で君達の労を労うべきだと思うが、息子がこの状態では……」チラッ

軽騎兵1「いいえ、もう充分過ぎるほどの報酬はいただきました、その上、無事ご子息と対面されて……本当によかった」

軽騎兵1「馬の疲れも取れました、我々は元来た道を引き返します、主人にも良い報告が出来ることを嬉しく思います」

軽騎兵4「えー…あの可愛い子に酒でも注いで貰えるかと期待したのだが」ユビサシ

末妹(わ、私!?)

軽騎兵3「き、君、小さい女の子を愛好する趣味があったのか……」ヒイタヨ

軽騎兵1「そうだ、その子達、迷子ならば我々が預かって家に帰しましょうか?」

軽騎兵4「いい考えです!」キラキラ

次兄「おいこら」

末妹「」

師匠「いやいや、それには及ばん。儂が責任を持って送り届けよう、それまでは引き続きこの屋敷に滞在させる」

次兄&末妹「「……ホッ」」

軽騎兵6「……あ、そう言えば」

軽騎兵6「すっかり忘れていましたが、さっきの銃声は」

軽騎兵7&9「!!」

師匠「何、あれは息子と少年に、あの大きな『犬』が近付いて来たのを9殿が見たので」

師匠「驚いて狼と見間違えて…こんなにそっくりではやむを得まい、追い払おうと空中に向かって威嚇射撃をしたのだ」

次兄「う、うん、俺も見ていただけだけど、だいたいその通りでしたー!」

師匠「……な、そうだな? 7殿、9殿」

軽騎兵7「は、はい、間違いありません!!」

軽騎兵9「……あ、ありがとうございます……」

執事「」コクコク

師匠(執事まで首を縦に振らんでもいい、全くこの家の動物達は……)

師匠「子供達を怖がらせてしまったようだが、勘違いとはいえ人命救助のためだ、誰も傷つかなかったし…許してやっておくれ」

軽騎兵5「……すまなかった、俺の悪ふざけのせいで」

軽騎兵8「俺も調子に乗っていた、本当に悪かった」

軽騎兵7「……ふん、俺じゃなくて9に謝れよ」

軽騎兵9「いいえ、僕も……改めて、武器を持つ立場の重みを思い知りました……」

軽騎兵7「運が良かった。たった15のお前が、何の罪もない子供を死なせなくて、本当に……」

次兄(俺の方が年上ですけどねー)

軽騎兵9「……あと、7さん、ありがとうございます」

軽騎兵7「な、なんだよ!? 礼を言われる筋合いはねえぞ!!」

軽騎兵2「何を赤くなっている、7。さあ皆、馬の所に戻って帰り支度をしよう」

軽騎兵1「依頼成功のお祝いに…旅の前にご主人様の許可もいただいている、途中の商業都市で宴会だぞ!」

軽騎兵達「おおー!」「やった!!」「酒が飲めるー」「行っとくが、1さんが選ぶ酒場に幼女はいないからなー!」

軽騎兵1「では、また後日、依頼人様」

師匠「ああ、君らのご主人の家にまた顔を出すよ」

……

……


※今回ここまで。師匠の事情語りは次回に※

余談。なんとなく、ぼんやり18世紀くらいの設定です。銃は普及してはいるが軽騎兵たちの銃も先込め式(銃剣付き)、一発撃つごとにしこしこ弾込めなので連射はできません

引き続き、屋敷前庭。

師匠「……行ったか。さて、とにかくこいつを部屋に運ぶか。執事、手伝ってくれんか?」

執事「!」

師匠「安心しろ、おぬしが二本足で歩き人語を解することはわかっておる。沈黙状態も解除してやろう」ピロン

執事「……あ、貴方様は、いったい……」

師匠「後で説明してやる。それより……菫花だが、思ったより状態が悪い、早く寝室へ」

執事「は、はい!!」

次兄「ポンコツ様、確かにひどい顔色だ」

末妹「私にもできることがあれば……」

料理長「お、わしらも話せるようになった」ホッ

メイド「わ、私は何を手伝えばいいでしょう、えーとえーと、老けておられる人間様!!」

庭師「……あのさぁ、メイドちゃん」

師匠「儂のことは師匠と呼ぶがいい。そうだな、全員…とにかく一緒に来てもらおうか」

……

野獣の部屋。

末妹「菫花様、しっかりしてください……」

執事「またわたくしが暖めましょうか?」

次兄「ううううう羨まけしからんううううう」

師匠「いや、それには及ばん」

師匠「みんな疲れただろう、朝までここで休むがいい」ポワワン

次兄「へ?」

末妹「え」

メイド「ふぁ」

ズルズル……コテン

一同「「「「「「スー…スー…」」」」」」

師匠「ふむ。4匹と2人、こんなにあっさり眠りの魔法にかかるということは、やはり疲れもあったのだろう」

師匠「掛け布団の代わりに、各自に最適な温度を保てるように特殊な空気の膜を纏わせる、と……」フワワーン

師匠「これで風邪はひくまい」

末妹「スヤスヤ……」

師匠「正直、今の菫花に彼等がしてやれる事は何もないのだ」

師匠「心配するあまり神経を擦り減らすよりは、この方が余程……」

師匠「さてと、儂はあいつと一緒に、こいつの治療に取り掛かるか」

…………

……

夢の中、のような場所。

(師匠「おい、元弟子」)

(野獣「師匠……」)

(師匠「230年ぶりの再会、積もる話もしたい所だが、後回しにしなければならん理由ができた」)

(師匠「王子……菫花がちょっとマズい状態でな。かなり無理をした上に、安堵で気が緩んだせいだろう」)

(師匠「お前を生み出すために消費した力は、本来、時間が経てば回復するが…それを待つほどの余裕が無い」)

(野獣「で、では、どうしたら良いのですか」)

(野獣「……執事達や末妹達の前から、また誰かがいなくなってしまうのは……」)

(師匠「ふむ、お前と儂が元凶だ、我々が責任を持って助けてやらねばならん」)

(師匠「ちょっと良いか?」ムンズ)

(野獣「え、師匠、私のどこを掴んで」)

(師匠「これくらいちぎっておくか」ブチブチブチブチー)

(野獣「!?!?」)

(師匠「見てみろ。お前の一部だ」フワフワ…)

(野獣「……透き通った、見えるような見えないような? フワフワした? 丸いかたまり……?」

(師匠「儂でもなければこんな芸当はできないとは言え、肉体がないお前だからな、どこを引きちぎっても『欠損』はしない」)

(師匠「ただ、ちぎり取った後のお前は全体的に小さくなっている」)

(野獣「……あ、そう言えば、師匠との身長差が」)

(師匠「背丈だけではないぞ」)

(師匠「言わば、お前の縮尺1/10の粘土像から少し粘土を引きちぎって玉にし、残った分で縮尺1/12の像を作るようなものだ」)

(師匠「これくらいの量ならサイズが変わる以外に特に影響もないし、しばらく立てば元に戻る」)

(師匠「そして菫花には応急処置として充分な量だろう、これを受け取れば後は2~3日ですっかり回復する」フワフワー)

(野獣「そうですか、助かるんですね……」ホッ)

(野獣「では、早く菫花に」)

(師匠「あー、それは『本人同士』の方がよい。儂では、ちぎるのは簡単でもくっつけるのは面倒でな」ポイッ)

(野獣「私が?」キャッチ「どうすれば?」)

(師匠「夢に呼び出して、どこでもいいからちょっと強めに押し付けてでもやればよい」)

(野獣「……と言うことは、菫花は逆に大きくなったりするのでしょうか?」)

(師匠「それはない、吸収されて……要するに、内部の虫食い穴に『それ』を充填して修復する、これが近いかな」)

(野獣「建築材みたいですね」)

(師匠「さて、儂も少し疲れた。お前が菫花を相手にしている間、休ませてもらおう」)

(師匠「終わったら私を呼べ、今夜は儂と話をしよう」)

(師匠「……使用人と兄妹は、朝までゆっくり休ませて、目覚めてから話をしようと思う」)

(師匠「彼等、特に兄妹には謝らねばならんこともあるのでな」)

(師匠「南の港町で出会って、お前と関わりがあると知ったので正体を隠して近付いたのだ。無論それだけではないが」)

(野獣「……」)

(野獣「とりあえず菫花にこれを渡して…くっつけて? …きましょう。また後ほど、師匠」)

……

(野獣「師匠、終わりました」)

(師匠「おお、どうだった、あいつは」)

(野獣「夢の中でもぐったりとして、死にそうな顔で、それでも…どこか、満足そうで」)

(野獣「呼びかければ反応はありましたが、殆ど口も聞けないほど弱っていたため、これは急いだ方がいいかと」)

(野獣「先ほどのフワフワを胸のあたりに置いて、上からゆっくり押し付けたところ」)

(野獣「師匠の仰る通り、すーーーーっと溶け込むように入りこんで……消えて」)

(野獣「顔色が良くなったかと思うと、安らかな寝息を立て始め……もう大丈夫だろうと、そのままにして戻って来ました」)

(師匠「そうか、うむ、儂のちぎった量は適切だったようだ」)

(野獣「……師匠、私を追って、この時代に来たのですか」)

(師匠「うむ、お前のような間抜けの阿呆の世間知らずを、ひとり放り出すのもあまりに無責任かと思ってな」)

(師匠「この時代で人々に迷惑をかけられても困るし、うむ」

(野獣「どんな理由であれ、嬉しいですよ私は」ニコ)

(師匠「……笑った顔がまた怖い。よくあの少女は平気だな」)

(野獣「慣れだと思います。あと、ここが貴方の所有物という話についてですが……ハッタリではないでしょうね」)

(師匠「正真正銘、私の持ち物だ。現国王の本物の署名が入った証文だってあるぞ」)

(野獣「いったい、どうやって……」)

(野獣「本当に大丈夫なのですか? 後々、大変なことになりませんか?」)

(師匠「お前、儂の弟子だった魔法使い1と2のことは知っておるだろう。正式な儂の弟子であり助手の」)

(野獣「ええ、お二人とも私より少し年上でしたね。確か小国の民ではなく、とある国の民でしたっけ」)

(師匠「そうだ。そして、当時の小国の王、お前の父が出入りを許す異国人ということは……わかるな?」)

(野獣「……かなり地位の高い家柄の子息、というわけですね」)

(師匠「彼等の子孫の家系はいまだに大きな力を持っている、王族との繋がりも」)

(師匠「そして、二人とも子孫に『師匠という人物が自分の時代に現れたら力になって欲しい』と引き継いでいた」)

(師匠「公式には『師匠』は197年前にひっそり亡くなった事になっているが、その前に」)

(師匠「221年前に爵位を授かって男爵となった」)

(師匠「金で買った爵位と一部で噂されたが、そんな人間は掃いて捨てるほどたくさんおるから問題なし、そして」)

(師匠「更に翌年、55歳にして若い愛人との間に長男が誕生した」)

(野獣「……は?」)

(師匠「あくまでもそういう設定なのだ、正式な妻ではないのはどうせ架空の人物ならばその方がボロが出ないからな」)

(師匠「『師匠男爵家』は細々と続き、しかし代々が人嫌いのためか世間に顔を出すことは滅多になく」)

(師匠「この時代に生きている儂はその子孫で、今から55年前に生まれ」)

(師匠「成人すると同時に遺産を散財し始め、30年前には気まぐれで『呪われた屋敷』を遺産で購入した」)

(野獣「……屋敷にかかっていた師匠達の隠蔽魔法が解かれた頃ですね」)

(師匠「おそらくお前が知っている以上に世間ではひどい噂が出回っていたので、誰も欲しがる者のいない土地屋敷」)

(師匠「……ま、魔術師ギルドが意図的に念入りにばら撒いた噂だがな」)

(師匠「驚くほど安く、国王の許可もあっさり降り、人々の話題に上ることもなかった」)

(師匠「ついでに、その5年くらい後に盗賊ギルドの下っ端連中が何やら屋敷に興味を持ち動き出したようだから」)

(師匠「裏ルート経由でちょいと揺さぶってやったら、あっさり手を引きおったらしいぞ」)

(野獣「え」)

(野獣「……私ひとりの力で追い出せたわけではなかったのですね。なんだか残念です……」ションボリ)

(師匠「いやいや、揺さぶっただけで簡単に退くとは思えず、賄賂や少々の揉め事は覚悟していたそうだが」)

(師匠「盗賊どもはなんだか願ったり叶ったりという雰囲気で、拍子抜けするほどだったらしい」)

(師匠「実際にここに足を踏み入れた経験のある連中は、化け物がどうとか言っておったそうだ」)

(師匠「お前の『戦い』は無駄ではなかった、自信を持て」)

(野獣「……ということは、師匠は私と盗賊とのいざこざを御存知だったのですか?」)

(師匠「お前、あの兄妹が家に帰っている間、あらゆる時期の日記をひもといては読み返してばかりいたではないか」)

(野獣「あ、鏡の魔法……ですね」)

(師匠「さよう。で、話を戻すが」)

(師匠「この屋敷に住んでいる若者は、20年前、放浪癖のある儂がとある町の行きずりの女性との間に成した子」)

(師匠「身籠ったと知るや儂は女性の前から姿を消し」)

(師匠「女性は男の子を産んで10年後、極貧の中で亡くなり、子供は縁者や孤児院をたらい回しにされながら育ち」)

(野獣「なんというひどい父親」)

(師匠「全くだ。哀れな母親が実在しないのは救いだが」)

(師匠「さて、母親から『まだ見ぬ父親は八代目師匠男爵』と聞かされて育った少年はやがて青年となり」)

(師匠「あれこれ調べた末、呪われた屋敷が父親の家の所有物と知り、苦労した揚句辿り着いた。今から2年ほど前だ」)

(師匠「世間の冷たい風に晒されすっかり傷心の私生児は、そのまま無人だった屋敷に住み着き」)

(師匠「動物だけを友にして暮らしている……と、そんな噂を裏社会から入手した儂は数少ない『旧友』を訪ね」)

(師匠「我が子に詫びるべく、旧友の協力を得て到達困難な屋敷に向かったのである」)

(師匠「……と、これが筋書きだ」)

(野獣「実際は、どのように『旧友』ことお弟子さんのご子孫との繋がりを得たのです?」)

(師匠「儂はギルドの支部だった建物の、秘密の地下室で眠りについていたわけだが」)

(師匠「魔法使い1の子孫が一応は監視をしていたそうで、儂が目覚めた事はすぐに知れた」)

(師匠「宿屋に滞在中の儂に手紙をよこし、家に招かれ、そこで初めて『儂』が30年前に屋敷を買ったところまでを聞いた」)

(師匠「菫花が私生児云々は、儂から提案した話でな」)

(師匠「弟子達は子孫も含め、王子が眠りに付いた直後の魔術師ギルド内での取り決めにより」)

(師匠「この屋敷に直接関わることはできなかったからな、『王子』の生死すら知らずにいた」)

(師匠「で、ここへ来る時は一人で十分、というか魔法で一瞬でも来られたのだが……」)

(師匠「話の流れで、子孫の私兵達が護衛で付いてくれることになり、そうなれば大っぴらに魔法を使うわけにもいかん」)

(師匠「表向きは精密な地図を持っているということにして」)

(師匠「実際は、気付かれないよう地味に最短距離を探る魔法を使って、勿体ぶって辿り着いたわけさ)

(師匠「お前も、菫花も、他の皆も生きた心地がしなかっただろう、本当にそれはすまなかった」)

(師匠「……あの少年、次兄も危ない所だった」)

(野獣「あれこそ、生きた心地のしない瞬間でした……」)

(師匠「心臓ぶち抜かれても直後ならば儂の力で救命してはやれるのだが、そういう問題でもないからな」)

(師匠「菫花の呪文で助けられたのは色々な意味でよかった」)

(野獣「……隠しておられたのは止むを得ません、この時代の人々に、魔法使いが現存していることを知られるわけには」)

(野獣「お弟子さんのご子孫達は例外でしょうが、彼等だって非常に気を遣って暮らしておられるのでしょうね」)

(師匠「どちらの弟子の子孫達も、連絡を取り協力し合いながら、儂の存在と秘密を守り続けてくれたのだ」)

(師匠「護衛に付いて来た軽騎兵達も、自分の主人には忠実であっても、魔法はとうの昔に失われた力という認識で」)

(師匠「出自や育ちは様々、魔法を忌み嫌う者がいたり、極端に恐れおののく者がいても仕方がないことだ」)

(野獣「みんな無事でした、誰も傷ついてはいません、今はそれが全てです」)

(野獣「それに、菫花は長い年月を越えてこの時代に存在することを許されました、師匠達のおかげで。そうなのでしょう?」)

(師匠「そうだな。儂も許されたようだが」)

(野獣「私はこれからは自信を持って、こう言えますよ」)

(師匠「うん?」)

(野獣「あの舞踏会の夜に王子が受けたのは、死に行くための罰ではない、生きて行くための試練だったのだ、と」)

(師匠「ようやく気付いたのか、この愚か者で鈍感で臆病者の愚かな弟子め」)

(野獣「愚かって2回も言われてしまいました」)

(師匠「何度でも言うわ、そう簡単にバカが治ってたまるか……」)

(師匠「……」)

(師匠「……『お前』を生かしてやれなくて、本当にすまなかった。それだけは、どうあっても不可能だった……」)

(野獣「いえ、私は『生きて』いるじゃないですか、ここに」)

(野獣「師匠の、魔術師ギルド幹部の強力な呪術に逆らって、こうして」)

(師匠「…確かに予想外だった。あり得ないことが起きて儂も驚いたよ」)

(野獣「でも、私ひとりの力ではありません」)

(師匠「ああ、それもわかっている……」

(野獣「……師匠、ありがとうございます。見捨てないで下さって」)

(師匠「よい、もうよい。礼を言うのはこちらだ、儂こそ報われた、お前に救われたのだ……」)

(野獣「師匠のそんな顔、初めて見ました」)

(師匠「ああ全くもう、こんなこと口に出すつもりはなかったのだぞ!? この話は本当に終わりだ!」)

(野獣「はいはい……ところで」)

(野獣「執事達はあまり人間社会のゴタゴタには疑問を持たないかもしれませんが」)

(野獣「当事者の菫花はともかく、次兄や末妹にもこの話をするのですか?」)

(師匠「……何も説明しないわけには行くまい。かいつまんで話しはする」)

(師匠「次兄には『汚い大人』呼ばわりされそうだが」)

(野獣「似たような発想で窮地を乗り切る方法は考えていたようですけど」)

(野獣「それより、師匠が二回も愛人に子を産ませ、うち一人は見捨てたなんて話、末妹には聞かせたくないのですが……」)

(師匠「……うむ、先祖と子孫だから別人だし、儂も女も独身だから不倫ではないし、なにより架空の話だが」)

(師匠「あまりあの年頃の娘に話すような内容でもないわな」)

(師匠「ま、そこらへんはどうにかするから任せておけ」)

(野獣「うーん、ちょっと不安ですが、信用しましょうか」)

(師匠「あとは……別の話をお前は聞きたいのではないか?」)

(野獣「別の話」)

(師匠「菫花が気絶する直前の儂の言葉。お前も『聞いていた』のだろう?」)

(野獣「……菫花に後で詳しく話してやるとも仰っていましたよね? 私もその時に聞きますよ」)

(野獣「師匠もそろそろお休みになりたいでしょう? 夜が明けてしまいますよ」)

(師匠「お前がそう言うなら……」)

(野獣「師匠の一言が事実ならば、私も胸を撫で下ろせます」)

(野獣「何度か調べようとはしましたが、ありふれた女性名、小国の貧民には苗字もなかった」)

(野獣「いくら魔法が使えても、屋敷に居ながらの調べ物は限界がありましたね」)

(師匠「平凡ながら幸福な人生だった事は保証しよう」)

(野獣「平凡な幸せ、何よりではありませんか」)

(師匠「そうだな。儂とお前には、縁のないものだったがな……」)

…………


※今夜はここまで。怪しいおっさん二人の会話回でした…※

翌朝。

スズメ:チュンチュン

末妹「ん……」モソ

末妹「……やだ、いつも間にか眠っちゃってた?」ガバ

メイド「……ふぇ、末妹様……?」ピョコ

末妹「メイドちゃん、あ、料理長さんと庭師君も……?」

料理長「…うむむ……ふわぁ」モゾリ

庭師「……くあぁぁぁぁぁ~」ノビー

末妹「思い出した、皆で集まった時に、師匠様が……、菫花様は!?」

毛布の塊「……スースー」

末妹「全身潜ってしまうのは癖なのかしら。そーっと……」メクリ

末妹「……顔色は良さそうね。どうかしら?」

料理長「ええ、昨日よりはずいぶん良さそうですなあ。よかった」

末妹「このまま眠らせておきましょう」ファサリ

メイド「師匠様と……執事様と次兄様がいらっしゃいませんね」

庭師「師匠様が看病されていたのかな? 僕の記憶では、執事さんと次兄様も僕らと一緒に眠っちゃったと思ったけど」

ドア:カチャ…

執事(着衣)「…………」ノソリ……

メイド「あっ執事様…………すっごい御機嫌悪そう」

執事「……おや末妹様、お目覚めでしたか。皆も……」

末妹「おはようございます、執事さん」

執事「師匠様が一晩中ついておられたそうで、菫花様はもう心配いらないそうですよ」

執事「料理長、メイド。末妹様達の朝食の支度を。菫花様には、目を覚まされるのを待って、ご本人に確かめてからで良いだろう」

執事「その間に、私は師匠様のためのお部屋を用意しよう。メイド、手伝っておくれ」

メイド「は、はい」

執事「末妹様はいつもの席でお待ちください、師匠様もすぐに参られます。お腹がお空きでしょう」

末妹「あの……兄がどこにいるかご存知でしょうか」

執事の首毛:ブワワッ

末妹「」

末妹「……なんでもありません、ごめんなさい」

末妹(今度は何をしたのかしら、お兄ちゃんたら……)

執事「し、失礼致しました、つい過剰反応してしまいました」アワワ

執事「次兄様ならお風呂場です、少し遅れましょうが、じきに食卓にお見えになるでしょう……」

末妹「お風呂場?」

風呂場。

次兄「うん、服の洗濯終わり。俺の手と顔から胸にかけて広範囲の洗浄も終了」

次兄「……スズメのさえずりに目を覚ますと、目の前に執事さんのふっさふさの首毛」

次兄「昨日は結局全裸のまま眠ってしまった執事さんの胸に抱(いだ)かれ、逞しい前肢はさりげなく俺の肩に」

次兄「そして、安らかな寝息を立てる執事さんの美しい横顔がカーテン越しのまろやかな朝の光を浴びて……」

次兄「自分が着衣である状況だけが恨めしかったとは言え」

次兄「なんという絵に描いたような朝チュン、これが興奮せずにいられましょうか」

次兄「……執事さんの毛皮と俺の上半身は次の瞬間、赤い血潮にまみれました。鼻血ですよ」

次兄「目を覚まし状況を理解し怒りを隠さず尚且つ他の皆を起こさないよう気遣う執事さん、使用人の長の鑑(かがみ)」

次兄「……」

次兄「……さて、どうやって謝ろうか……」

次兄「とにかく、末妹達が待っているだろう、朝食の場へ行かねば」

次兄「……あ、着ていた服、全部洗っちゃった…………」ドウシヨウ

見苦しいシーン省略。

……

>>850
間違えた。メイド忙し過ぎだ……

>>850-851 なかった事にして、内容まるっと差し替えます、すみません…

翌朝。

スズメ:チュンチュン

末妹「ん……」モソ

末妹「……やだ、いつも間にか眠っちゃってた?」ガバ

メイド「……ふぇ、末妹様……?」ピョコ

末妹「メイドちゃん、あ、料理長さんと庭師君も……?」

料理長「…うむむ……ふわぁ」モゾリ

庭師「……くあぁぁぁぁぁ~」ノビー

末妹「思い出した、皆で集まった時に、師匠様が……、菫花様は!?」

毛布の塊「……スースー」

末妹「全身潜ってしまうのは癖なのかしら。そーっと……」メクリ

末妹「……顔色は良さそうね。どうかしら?」

料理長「ええ、昨日よりはずいぶん良さそうですなあ。よかった」

末妹「このまま眠らせておきましょう」ファサリ

メイド「師匠様と……執事様と次兄様がいらっしゃいませんね」

庭師「師匠様が看病されていたのかな? 僕の記憶では、執事さんと次兄様も僕らと一緒に眠っちゃったと思ったけど」

ドア:カチャ…

執事(着衣)「…………」ノソリ……

メイド「あっ執事様…………すっごい御機嫌悪そう」

執事「……おや末妹様、お目覚めでしたか。皆も……」

末妹「おはようございます、執事さん」

執事「師匠様が一晩中ついておられたそうで、菫花様はもう心配いらないそうですよ」

執事「料理長、メイド。末妹様達の朝食の支度を。菫花様には、目を覚まされるのを待って、ご本人に確かめてからで良いだろう」

執事「その間に、私は師匠様のためのお部屋を用意しよう。メイドは手を離せんから、庭師、手伝っておくれ」

庭師「は、はい」

執事「末妹様はいつもの席でお待ちください、師匠様もすぐに参られます。お腹がお空きでしょう」

末妹「あの……兄がどこにいるかご存知でしょうか」

執事の首毛:ブワワッ

末妹「」

末妹「……なんでもありません、ごめんなさい」

末妹(今度は何をしたのかしら、お兄ちゃんたら……)

執事「し、失礼致しました、つい過剰反応してしまいました」アワワ

執事「次兄様ならお風呂場です、少し遅れましょうが、じきに食卓にお見えになるでしょう……」

末妹「お風呂場?」

風呂場。

次兄「うん、服の洗濯終わり。俺の手と顔から胸にかけて広範囲の洗浄も終了」

次兄「……スズメのさえずりに目を覚ますと、目の前に執事さんのふっさふさの首毛」

次兄「昨日は結局全裸のまま眠ってしまった執事さんの胸に抱(いだ)かれ、逞しい前肢はさりげなく俺の肩に」

次兄「そして、安らかな寝息を立てる執事さんの美しい横顔がカーテン越しのまろやかな朝の光を浴びて……」

次兄「自分が着衣である状況だけが恨めしかったとは言え」

次兄「なんという絵に描いたような朝チュン、これが興奮せずにいられましょうか」

次兄「……執事さんの毛皮と俺の上半身は次の瞬間、赤い血潮にまみれました。鼻血ですよ」

次兄「目を覚まし状況を理解し怒りを隠さず尚且つ他の皆を起こさないよう気遣う執事さん、使用人の長の鑑(かがみ)」

次兄「……」

次兄「……さて、どうやって謝ろうか……」

次兄「とにかく、末妹達が待っているだろう、朝食の場へ行かねば」

次兄「……あ、着ていた服、全部洗っちゃった…………」ドウシヨウ

見苦しいシーン省略。

……

朝食後の調理場。

料理長「わしの料理は師匠様のお口にも合ったようで、よかったよ」カチャカチャ

メイド「次兄様はおとなしかったと言うか、誰とも目を合わせませんでしたねえ」カチャ

師匠のための客間。

執事「さて、こんな感じで良いか。あとはご本人の希望を聞いてから整えよう。庭師、ご苦労だったな」

庭師「へへ、僕もなかなかベッドメイキングが上手でしょ?」

ドア:コンコン……

庭師「あれっ、どなた? カギはかかっていませんよ」

執事「……この匂いは……」ピク

ドア;キィ……

次兄「……えーと、執事さんこちらだって聞いたから……」ヌー

庭師「あ、僕、席外しましょうか?」

執事「いや、いてくれ。すまんが一切口を挟まず、緩衝材として」ピリピリ

庭師「なんだかよくわかりませんが、承知しました」

次兄「あのー、執事さん、今朝は失礼致しました、いやホンットすみませんでした!!」ドゲザー

執事「故意でないのはわかっていますよ、仕方がないんですよね、貴方様はそういうお方なのですからね、わかっています」

次兄「ううううう……トゲトゲしいよぉ……」

次兄「……俺の事は嫌いになってもいいですが、見てほしいものがあります」ドサ

執事「?」

次兄「……色々タイミングが悪くて渡しそびれていたお土産……」

次兄「先に渡した食料品は父から、これは俺からです」

執事「……庭師、その包みを開いてくれ」

庭師「はい……ん、紙の束、『絵』ですね」パラ

庭師「僕やメイドちゃんや料理長さん。あ、執事さんの絵もありますよ。ほら、こんなに」

次兄「家で描いてきました、あの二週間の間に」

執事「……わたくしは絵なぞわかりませんし、貴方様に描いてくれと頼んだ覚えも」

庭師「あ、ご主人様」パラ

執事「…!」

庭師「たくさんありますよ、あ、これ、末妹様と踊られた時の服だ」

執事「……細かい所までよく見ていらっしゃるのは、わたくしにも理解できますが」

庭師「執事さん、これ、お屋敷のどこかに飾りませんか」

庭師「それならご主人様にも見えるでしょ?」

庭師「夢の中に絵は持って行けないですから」

執事「……」

執事「そうだな、ご主人様の絵は皆が出入りする居間に飾ろう」

執事「お前達の絵は描かれた各自に渡そう、それでいいですかな、次兄様」

次兄「ふぇ? は、はい、よろしかったら皆さんがお持ちになってください、その後は煮ても焼いてもー!!」

執事「よし、では分けるか。これはお前、これは料理長、こっちはメイド……そしてこれはわたくし」

次兄「へ」

次兄「執事さんも、もらってくださるんですか?」

執事「……他の者に渡してもどうしようもないでしょう、それだけですよ」

執事「それにいただいた限りはわたくしの所有物です、どうしようと勝手ですからね」

次兄「ありがとうございます、ありがとうございますうぅぅぅぅぅぅぅ!!」ゴタイトウチー

執事「……ふー」タメイキ

執事「貴方様は本当に奇妙な人間です……充分わかっていたはずなのに」

執事「……もっとこちらも貴方様に慣れたほうが、後々お付き合いも楽になるかもしれませんね」

……


※今回ここまで。誤字とか一人称とか今回のとか最近ミス多い…気を付けます。すみません※

野獣の部屋。

毛布「……うー…ん?」モソ

師匠「おう、目が覚めたか」

毛布「……!?」モゾッ

王子「師匠……!!」バサッ

師匠「おはよう」

王子「……本当に、貴方は師匠なのですね……まだ信じられない」

師匠「挨拶は返さんか」

王子「……おはようございます」

師匠「背中の後ろにクッション積んでやったから凭れ掛れ、ほれ」

師匠「メイドに暖かいカミツレ茶を持ってきてもらった」

師匠「1時間くらい前だが、儂の魔法で適温に保っておいてやったぞ。まずは水分を摂れ」

王子「は、はい……」クピ

王子「……おいしい」フゥ

師匠「まったく、料理長の料理といい、メイドの淹れる茶といい、高級ホテルにも劣らんわな」

王子「……夢に野獣が出て来まして……彼と師匠が、私の命を助けてくれたのですね」

師匠「お前を弱らせたあいつと、そんな状態のお前に無理をさせた儂が責任を取っただけだ」

師匠「さて、食事と話、どちらを先にしようか?」

王子「……では、お話からお願いします」

師匠「よし」

休憩をはさみ、小一時間後……

王子「……師匠男爵家、ですか」

師匠「儂が予定より30年も遅れて目覚めたせいで大変だったらしいが、そこはなんとか弟子の子孫達が頑張ってくれた」

師匠「まあ、文字通り名ばかりの貴族とはいえ、『身分』に、その時代に存在しない人間が200年以上守られたのだ」

師匠「それに貴族でもなければこんな怪しい屋敷など手に入れたがるものか」

師匠「世間に知れたとて『貴族ってのは物好きだな』で済まされるのだ」

王子「そんなものですか」

師匠「そんなものさ」

王子「……私を、その物好きな男爵の『息子』としたのは何故ですか」

師匠「存在するのだかしないのだかわからん、家に憑いた妖精の方がよかったか?」

王子「次兄君の提案、鏡で知ったのですね」

師匠「少年もなかなか考えたな、とは思ったが」

師匠「お前には人間として世間の中で生きて欲しかったのだ、それにはこの時代での出生の証拠がないとな」

王子「世間の中で……」

師匠「さて、『初代は愛人に産ませた子を認知し二代目として爵位を相続させ、なんだかんだと家は続いて来た』が」

師匠「『八代目は愛した女性とその子を20年間も放置した罪滅ぼしに、遡って亡くなった女性と正式な婚姻手続きを取る』」

師匠「『男爵は妻子を日陰者から引き上げる代わり、自分の爵位を国王に返上することを申し出た』」

師匠「『二代目以降、社会に貢献した実績もないことから、返上はすんなりと認められようが』」

師匠「『寛容な我らが国王は、屋敷と周辺の土地、必要最低限の財産だけは元男爵の手元に残してくださるだろう』」

王子「…………は?」

師匠「……儂が手紙を魔法で『旧友』に届ければ、後は彼が面倒な手続きをしてくれる手筈になっておる」

師匠「一応、数か月じっくり考えた事にして、手続きを始めるのは年が明けてからにしてもらうがな」

師匠「『父親は庶民に格下げ、子は師匠男爵の庶子ではなく、庶民師匠の正式な嫡出子になる』」

師匠「『今後、親子は労働による対価を得て暮らすことになるだろう』」

王子「男爵の身分を捨てるのですか?」

師匠「長き眠りについていた間は守ってくれた肩書とは言え、今となっては必要ない、むしろ重荷だわい」

師匠「書類上は継続していた証拠があっても実在しない男爵家だ、国から給付金が払われた事実もなければ」

師匠「我が男爵家に搾取されていた人間も当然おらん、ならば『貴族として社会的責任を果たす』義務はどこにもなかろう?」

師匠「ならば放棄して誰が困るか傷つくか、なあ?」

王子「……えーと、えーと……そういうものですか……??」

王子「……結局のところ、お弟子さんのご子孫ばかりに、多大な苦労を掛けていませんか?」

師匠「彼等とは約束を交わしてある」

師匠「儂にしか出来ない方法で、今後たっっっぷり恩返しをしてやる約束だ」

王子「師匠にしか?」

師匠「儂の最も得意な魔法は攻撃系だが、今の世の中さすがに戦でもない限り、活用の場はない」

師匠「だが、次に得意なのはなんだった? これもお前は不得手だったが」

王子「…………呪術でしたね」

師匠「『本物の』身分の高い人間は何かと大変でなあ、ずいぶん助かります、と儂に感謝しておったわ」ニヤリ

王子「」

王子「……詳しく内容を聞かない方が賢明なようですね」ゾワワ

師匠「話すつもりもないが、お前が考えた最悪の行為よりはなんぼか穏便だから安心しろ」

王子「……だからもういいですってば」

師匠「わかったわかった」

王子「……あの、師匠」

王子「感謝はしているんですよ。私と、使用人の獣達が、暮らして行ける場所を……ありがとうございます」

師匠「何を言う、お前の真の試練はこれからだぞ」

師匠「晴れて庶民となったからには世間に揉まれ働き対価を得て暮らす、お前には未知の世界で未知の体験だ。大丈夫か?」

王子「頑張ります。今の私には、守るものがありますから」

師匠「その言葉、しかと聞いたぞ」

師匠(正直不安は拭えんが、今は言うまい)

師匠「……さて、お前が良ければ、次の話をしようかの」

王子「……図書館の彼女の話、ですか? 聞かせてください!」

師匠「簡単に話すと、彼女は27歳で誠実な男と結婚し、28歳で長男、30歳で長女を授かり」

師匠「孫は合計5人、72歳の時に夫に先立たれるが」

師匠「その後も子や孫達と共に暮らし、76歳の生涯を安らかに眠るように終えた。おしまい」

王子「…………」

王子「いくらなんでも簡単過ぎやしませんか」

師匠「これ以上、何か必要か?」

王子「……いいです。ちょっと疲れて来ましたし」ゴソゴソ「寝ます」バッサ

師匠「拗ねたか。不貞寝か」

毛布「……」シーン

師匠「ちょっとからかい過ぎたか。あのな、あの娘の子孫に会いたくないか?」

毛布「……!!」

王子「ご存知なのですか!?」バサリ

師匠「もちろん、全員には会わせられないぞ。ごくごく一部になる」

師匠「ひ孫は12人、その子供らは27人……更に代を重ねていけばどえらい人数になるからな」

師匠「そして200年以上経っているぞ、何代も替わって、そこまで離れるともはやあの娘とは他人と変わらん」

王子「……それでもいいです」

王子「彼女が幸せな母親になったのなら、孫も、そのまた子供も、ずっと平穏であるようにと望んだでしょう」

王子「子孫がいるのは、その望みが叶った証拠ですから、それを私の目で確かめたい」

王子「一人でもいい、姿を見るだけでも」

王子「その人が幸福に暮らしてさえすれば……」

師匠「わかった、いずれ会わせてやろう」

師匠「まずは元気になって、そこから先こそお前には大変だろうが、少なくとも今よりはマシな人間になってからな」

王子「……頑張ります。約束しましたからね」

師匠「おう、せいぜい頑張れ、書類上の我が息子よ」

……


※師匠腹黒物語でした。最近の展開、女っ気薄くて反省※

読んでくださってありがとうございます。
諸事情により、お盆の少し前あたりまで更新困難になります、すみません
プロットはできているので、その間にいくらか書き溜めできれば……


※お知らせのみ。今週中、一回は更新できそうです。
 来週からまたぼちぼちと。このスレでとりあえず完結させる予定ではあります※

読んでくださる皆さん、本当にありがとうございます。最後までよろしくお願いしまし…

>>870
お盆乙ドスエ

http://m1.gazo.cc/up/21860.jpg
※生者は乗ってはいけません

引き続き、師匠と弟子であり書類上の父子……

王子「……そう言えば」

師匠「なんだ?」

王子「貴方は『おはよう』なんて仰っていましたが、窓の状態から考えると、夕方近いですよねこれもう」

王子「今、何時ですか? 私はどれくらい眠りこけていたのでしょう?」

師匠「午後四時半だな。ほぼ丸一日近く眠っていた計算になる」

王子「……そうでしたか」

王子「あの、他の皆さんに事情の説明は……」

師匠「兄妹と使用人達にはもう話したぞ。当事者のお前に先にするつもりだったが、いつになっても目を覚まさんのでな」

師匠「危ない目にも合わせてしまったし、兄妹の事は騙してもいた、それを詫びたが」

師匠「儂の行動はお前や野獣のためだからと、許してくれた、というか怒ってもいないと」

師匠「優しい子達だな」

王子「……そうですね。野獣が思い入れるのもわかります」

師匠「で、話は変わるが」

師匠「お前は、屋敷を儂のものとすることを許してくれるのか?」

王子「……もちろんです。そうでなければこの場所を守れない」

王子「そもそも、私自体がこの屋敷に暮らしてよいものか……」

師匠「使用人達は野獣にお前の事をよろしくされたのだ、あとはお前がお前の意思で決めろ」

王子「私の意思……」

師匠「あともうひとつ……公的には儂がお前の『父親』となるが、それは構わないか?」

師匠「事後承諾と言ってしまえばそれまでだが、お前の気持ちとして」

師匠「お前の両親を殺したのは」

王子「…………」

王子「このことで、師匠達や依頼をした民への恨みはありません」

王子「遅かれ、魔術師ギルドでなくても、誰かがきっと王家を……」

王子「多くの犠牲を生み出した上で滅ぼされるよりは、こうなったのはきっとずっと良いやり方だったと思います」

王子「しかし、私だけが生き残ったのはまた別の話です」

王子「私が両親の屍の上で生きて行くのは、人として、両親の子として、正しい事なのでしょうか?」

師匠「……お前な、執事に言われた事を忘れたか?」

師匠「儂は鏡で見ていたからな」

王子「執事さん……」

(執事「しかし、どこにいても、ご自分を大切に、できるだけ長く生きて、そして幸せになって欲しい」)

(執事「わたくし達の主人が過ごした日々を、無駄にしないで欲しい、それだけなのです」)

王子「……私そう簡単に死ぬわけにはいかないような、そんな言葉でした……」

師匠「だろう? 野獣も言っていた、230年前のあれは、死に行くための罰ではない、生きて行くための試練だったのだ、と」

王子「……『彼』の場合、30年間を生きてきた実感ですよね。でも、『私』の時間は……」

王子「あの舞踏会の夜から、いくらも経ってはいないのです」

師匠「ああああ、もう、いつまでもグダグダぐじぐじグルグル堂々巡りか!!!!」

王子「」ビクッ

師匠「ついさっきお前は図書館の娘の子孫に会うため頑張ると言ったではないか!!」

王子「会いたいとは思います、でも」

師匠「会えたら、もう思い残すことは無いとか言い出すつもりではあるまいな!?」

王子「ええと、あの……」オロオロ

師匠「『それ』だけを人生の目標とか思わせるつもりで言ったのではない!!」

師匠「こうなったら本音を言うぞ、儂の本音!! 言わぬが花と思って黙っていたが、もう我慢できんわ!!」

師匠「執事達の思いだの、野獣の生きてきた時間だの、それを慮る事は否定しないが……」

師匠「儂の苦労だのここまで追って来た決意だのを、本当にわかっているのかお前は!!」

師匠「お前の気持ちがどうだろうと、他の者たちが何を考えていようと、儂はお前に人並みの人生を生きてもらいた……いや」

師匠「何がなんでもお前に人並みの人生を全うさせるぞ!! 中途半端で投げ出す事は神や民が許しても儂が許さん!!!!」

師匠「儂はそうとう長生きする予定だから、お前は簡単には儂から解放されんぞ!?」

師匠いいか、何が正しいとかどう在るべきとか、そんなもんは後からついて来るのだ」

師匠「とにかくまずは生きる事に必死になってみろ、出来るはずだ、お前にだって……」

師匠「昨日のお前は屋敷を、獣達を、兄妹を守るために動こうとしたではないか、結果はさて置いてもな」

王子「あ……」

師匠「……両親の件で気持ちの整理がつかないのなら、そうだな、いつか墓参りにでも行くか?」

王子「え」

王子「墓、ですって? あのような最期を遂げた二人に?」

師匠「200年以上過ぎて、元の国もない、既に史跡扱いだわな。非常に地味ではあるが隠れた観光名所にもなっているぞ」

王子「か、観光名所…」

師匠「多くの人間には忘れ去られているが」

師匠「少なくとも、今の時代は唾を吐きかける人間よりは、花を供えてくれる人間の方がいくらか多いだろう」

師匠「『人の上に立つ者として、この暴君のようにはなるまい』という反面教師的価値かもしれないが、な」

王子「……父上と母上の、墓……」

師匠「既に歴史上の人物なのだ、小国の王と王妃も」

師匠「……世継ぎだった王子も、儂含め魔術師ギルドの魔法使い達も」

師匠「今を生きている我々には、遠い過去の物語になったのだ」

王子「……」

王子(師匠、まるでご自分に言い聞かせているようだ)

師匠「とにかく、お前のスカスカ脳味噌に難しい事を考えろとは言わん」

王子(スカスカって)

師匠「まずはお前にどちらかと言えば生きていて欲しい者達のために、しばらくは生きてみろ」

師匠「そのうち、自発的に生きたくなる理由もついて来るだろうて」

王子「……それで本当にいいのですか」

師匠「それで構わん、いずれお前も忙しくなったら考えるより行動する方を優先せざるを得なくなる」

師匠「体が回復したら、いろいろ忙しくさせてやるからな?」

王子「……今度こそ、頑張りますと、誓います」

師匠「どうせお前の事だから何かあればまた折れそうだがそれも込みで人生だ、改めて、せいぜい頑張るがいい」

ドア:…コンコン?

師匠「ん? ためらいがちなノックが。 誰だね、お入り」

ガチャ…

王子「次兄君?」

師匠「おう、少年ではないか。菫花に用か?」

次兄「ええ、少々時間をおくれやすです」ヌルン

師匠「ドアを大きく開けて入って来んか、なぜ狭い隙間からすり抜けるように入って来る」

次兄「癖なもので」

次兄「えーと、手短に済ませます」

次兄「俺が銃で撃たれたのに助かったのは、実はポンコツ様の呪文のおかげだとおっさんに聞きました」

次兄「で、お礼を言いに来たんです、早い方がいいかなと思って。本当に、ありがとうござっした!」オジギー

王子「……間に合うかどうか、いちかばちだったけどね。上手くいってよかった」

次兄「おっと、さすがに命の恩人にポンコツ様はひどいよね? なので、呼び方を変えることにしました」

次兄「今までポンコツ様とかへなちょこ様とか使えない様とかへっぽこ様とか言って、本当にごめんなさい!!」ドゲザー

王子「ポンコツ以外は初めて聞いたんだけど……」

次兄「名前の意味から可愛らしくスミレちゃんとか呼んでみようかな案も浮かんだが、それはそれでハードル高かったんでやめて」

王子「うん、やめてくれて正解」

次兄「普通に『菫花さん』って呼びます。いいですか?」

王子「私もそう呼んでもらえるとありがたいよ、次兄君(普通でよかった)」ニコ

次兄「……よかった」ニヘヘ

次兄「じゃ、それだけです。お大事に菫花さん」ススス

王子「は、はい。またね次兄君……」

次兄「あ、お邪魔しました、引き続き親子水入らずでどうぞ、おっさん」パタン

師匠「…………」

師匠「…儂の呼び方は『おっさん』のままなのか」フゥ

…………

その夜……

(次兄「……お屋敷の応接室だな、ここは」)

(次兄「この『夢』の感じは、野獣様かな?」)

(野獣「ああ、今夜は手っ取り早く済ますぞ」ヒョッコリ)

(次兄「きぃぃぃぃぃぃえぇぇぇぇぇぃやっほぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」カンキノサケビ)

(野獣「奇声を発するのはやめろと言うのだ」デコピン)

(次兄「おぅぐ!?」)

(次兄「……野獣様の力でデコピンって現実世界なら洒落にならんのですが……」イッテェ)

(野獣「手加減はしている。さて、本題に入る前に……お前、よく頑張ったな」)

(野獣「智恵を巡らせ、武装した兵士達に何の武器も持たずによく立ち向かって皆を守り抜いた、お前は勇敢な少年だ」)

(次兄「……結局のところ、俺は何にもできませんでしたよ」)

(次兄「元々相手に敵対するつもりはなかったんだもの、野獣様達のお師さんだし。俺も最後は菫花さんに助けられたし……」)

(次兄「誰にでもヒーローになれる瞬間があるかもとうっかり思ってしまいましたが、残念ながら例外はつきもの」)

(次兄「……っつーか、日頃の行いの当然の帰結かもしれませんけどー」)

(野獣「そう卑下するな、何より私が手放しで褒めているのだぞ、素直に喜んだらどうだ?」)

(次兄「……褒めてくれるんですか、俺の事」)

(野獣「いつも次兄に(だけ)は辛辣だから信じて貰えんかもしれんが、今回を労わなくていつ労えばいいのだ、お前を」)

(次兄「……ふぇ」)

(次兄「嬉しいよぉぉぉ」エーン)

(野獣「おいおいおい、泣くほどか。余程、褒められ慣れていないのだな……」)

(野獣「さて、そろそろ本題に入りたいのだが、お前、私に話したい事ってなんだ?」)

(次兄「……あの話ですか。うん、お話しします」)

(次兄「野獣様、俺ね、王都の美術学校に行こうと思うんです」)

(野獣「……!! 画家を目指すのか!?」)

(次兄「ええ、モノになるかは当然わかりませんが、とにかくそれに近付く一歩として」)

(野獣「しかし……商人には、父親には話したのか? 学費もそれなりにかかるだろう」)

(次兄「……うちの父、俺には店の手伝いはいよいよ人手の足りない時しか頼まないし」)

(次兄「病弱だったころはともかく、まあまあ健康になってからも上の学校に行くよう勧めたりはしなかったから」)

(次兄「我が家は小金持ちだし、父には俺を職歴なしのままなんとなく養う覚悟もあるのかもしれないけれど」)

(次兄「そんな父親なのを良い事に、俺はもう少し甘えてみたくなって」)

(次兄「次に家に帰ったら、一生かけても返すから俺を美術学校に通わせる学費を出して欲しい、と頼むつもりです」)

(次兄「……父親とは、すぐに承諾の返事は貰えなくても速攻で拒絶もして欲しくないから、じっくり色々話をしたい」)

(次兄「もちろん野獣様がきっかけを作ってくださったことは、しっかり伝えるつもりです」)

(野獣「私が」)

(次兄「野獣様は、俺に絵を描いて欲しい人がきっと現れる、それだけの力が俺の絵にある、と言ってくれたひとだ、と」)

(次兄「完全に自分のためだけだった絵を、他の誰かのために描いてみたいと思ったのは、あの後ですし」)

(野獣「次兄、お前……」)

(野獣「私の言葉で自分の将来を決めたと、そう言ってくれるのか……?」)

(次兄「ま、家を離れてひとりでどう生活するかとか、それより何より人物画が描けないのはどうするか、とか」)

(次兄「入学試験を受ける前になんとかしなきゃならない課題はあるのですがね」)

(次兄「とにかく、野獣様にお話ししたら、家に帰る前に次は末妹に話をします」)

(次兄「きっと理解して、応援してくれるはず」)

(次兄「練習してまともに人間が描けるようになったら、作品として初めて描く『人物』画は末妹にしようと決めているんです」)

(野獣「お前達、本当に良い兄妹だな。私は一人っ子だったからわからんが」)

(次兄「俺と末妹は同志……今は野獣様と友達になりたい同盟の、だけど、きっとその前から」)

(次兄「小さい頃から、なんだか同志だったような気がするんです」)

(野獣「同志?」)

(次兄「お互い物心ついてから、一番一緒に過ごした時間の長い家族で、でも、そろそろ俺達も大人になるから」)

(次兄「今後は今までのようにはいられない、少しずつ、あるいは突然、距離が離れては行くんだろう。それでも」)

(次兄「お互いが別々に、どこにいても何をしていても、違うものを見ていても、誰と一緒にいても」)

(次兄「俺はいつでもいつまでもあの子の味方でありたいし、励ましていたい」)

(次兄「俺は充分、味方して貰ったし励ましても貰ったから、その分さえ一生かかっても返せるかわかんないけど」)

(次兄「うまく言えないけど、なんつーか、そんな存在なんです、兄妹である以外に呼び名をつけるなら『同志』」)

(次兄「……と、俺だけが勝手に思っているだけなんですがね」)

(野獣「……」)

(野獣「ふふ……本当に良い兄だな、良い兄妹だな、お前達は……」)

(次兄「ふへへ……話、逸れちゃいましたね」)

(次兄「俺の話は終わり。で、野獣様も陰ながら応援してくれたら嬉しいな、と……」)

(野獣「当たり前だ、応援するぞ、応援させてほしいぞ」)

(野獣「続報があれば、また知らせておくれ、必ずだ」)

(次兄「もちろんです、嬉しい、うへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへ」)

(野獣「……人の多い王都で暮らすなら、もう少し鏡を見ながら笑顔の練習をした方がいいかな……」)

(野獣「さて、お前とはまた後日ゆっくり話すとして、今夜は妹に時間を取ってやるつもりなのだ」)

(野獣「そろそろ行くぞ、またな」)

(次兄「……そう言えば野獣様、今夜の格好は末妹と踊った時の服だ?」)

(野獣「ああ、ちょっと気が早かったな。この世界では誰でも一瞬で着替える事が出来るのだが」)

(次兄「誰でも」)

(次兄「なーんだ、じゃあ俺も一瞬で脱ぐことだって可能なんですね」)

(野獣「 や め ろ 」ゾワッ)

(野獣「今夜は良い気分のままで末妹に会いたいのだ、頼む……」)

(次兄「大丈夫、俺だってたまには空気を読めるのです。『読むのです』ではないところに注目」)

(次兄「話せてよかった。今夜は心から安眠できます、またね、野獣様」)

(野獣「ああ、またな。……頑張れよ」)

(野獣「……さて、末妹を呼ぼうか」)

(野獣「『舞台』はどこがいいかな……大広間、それとも……」)

…………


※眠いので一気に貼りました、今夜はここまで。次回は来週です。久し振りに野獣と末妹のイベントですわ※

皆さん読んでくださってありがとうマジありがとう。
>>872
うわああああああああありがとう!!
一応馬なので末妹が乗馬服とか兄妹の色とか性格の出ている表情とか細かい部分がめっちゃ嬉しい!!

……まだ同じ夜……

(末妹「ここは……?」)

(末妹「……裏庭のバラ園ね。でも、塀もお屋敷の建物も見えない、バラの植え込みが遠くまで拡がっている」)

(末妹「本当のバラ園とは違うのに、この香りは全く同じ」)

(末妹「ここは野獣様の夢の世界ね……」)

(「昨日も一昨日もお前を呼べなくてすまなかった、末妹よ」)

(末妹「野獣様……!」)

(末妹「いいえ、昨日は菫花様が大変でしたし、それに一昨日だって……」)

(末妹「……ごめんなさい、野獣様」)

(野獣「うん? 何を謝るのだ?」)

(末妹「……あの、私……昨日の朝、兄を相手にヘソを曲げてしまいました、ご存知かもしれませんが……」)

(野獣「なんだ、あのことか。ヘソを曲げたと言うほどでもないだろうに」)

(野獣「少しばかりの膨れっ面なぞ可愛らしいものではないか、気にするな」)

(末妹「やだ、やっぱりご覧になっていたんですね……」カァ)

(野獣「本当はお前も呼ぶつもりでいたのだが、次兄と話している間に屋敷に近付いて来る存在を知ってな」)

(野獣(その前に、あの夜、先に次兄を呼んだ事こそ予定外だったのだが…目的は説教、末妹には話しづらい内容だし……))

(末妹「一時はどうなる事かと思いましたが、お屋敷に害を成す人達ではなくて、本当によかった」)

(末妹「……私は隠れていただけですが、菫花様や兄が守ってくれたおかげで……」)

(野獣「お前だって次兄の作戦では重要な位置にあったのだ、それにお前がそばにいてメイドも料理長も心強かったと思う」)

(野獣「さて……そろそろ本題に入ろう」)

(野獣「私のこの服装、覚えているね?」)

(末妹「ええ、大広間で踊った時の」)

(野獣「そうだ。さあ、お前もあの夜の自分の姿を思い起こしてごらん」)

(末妹「……あ、普段着が赤いドレスに変わって……」)

(野獣「そう、そして……ほら、聞こえるだろう?」)

……♪~♪~~♪~

(末妹「オルゴールの曲……」)

(野獣「さあ末妹、一緒に踊ってくれるね?」)

(末妹「……」コクン)

(末妹「相変わらず、下手ですけど」エヘ)

(野獣「ふふ……私がそれでも一向に構わないのも、相変わらずだ」)

(野獣「……さあ、私の手を取っておくれ、末妹」)

(末妹「はい、野獣様……」)

オルゴール:♪~~♪~♪♪~♪~~

(野獣「うん、確実に上手になっているな」)

(末妹「……次姉がくれた本の中にダンスの入門書があって」)

(末妹「少しだけ、家で練習していたのです」)

(末妹「やはり一人だと、あまり捗りませんでしたが……」)

(野獣「お前は運動神経が良いのだ、正式に習えば誰より上達するぞ」)

(末妹「……そこまでして習うほど、私には踊る機会もありませんから」)

(末妹(野獣様とこうして踊れたら、それでいいんです……))


※短いけどここまで、ごめんなさい。二度目の舞踏会編、しばらく続きますので……※

~♪~♪~~♪~

(末妹「……今お話しした3人が、私の一番仲が良い友達です」)

(野獣「ふむ。男の子の親しい友達はいないのか?」)

(末妹「? 学校で会えば、皆と普通にお話しはしますけど、6歳からほぼ同じ顔触れなので」)

(末妹「小さい頃ならともかく、大きくなるにつれ自然と男女それぞれ別行動になって行ったと思います」)

(野獣(……友達の一人は年上の少年ともう婚約していると聞いたし))

(野獣(これだけ可愛らしくて優しい末妹なら、男子にもモテるのではと思っていたが))

(野獣(この様子では特にボーイフレンドもいなさそうだ))

(野獣(しっかりしてはいるが、その方面はまだまだ子供なのだな))

……

(末妹「……で、父が言うには、東洋の小鳥占いという見世物だそうです」)

(末妹「翼は灰色で、頭が黒くてほっぺは白、嘴の赤い、きれいな可愛い小鳥」)

(末妹「私は初めて見ましたし、この国では珍しいけど、東洋ではよく飼われているそうです」)

(野獣「それは文鳥という鳥だろう」)

(野獣「昔、東洋から招いた客が私の父…小国の王に献上するつもりで持って来たが」)

(野獣「王も王妃も生き物を好まなかったので持ち帰らせた、父王も馬には乗れるが自ら世話はした事もない」)

(野獣「当時の私はお前よりもっと幼く、その小鳥が欲しくてたまらなかったが、勿論、言い出せなかった」)

(末妹「……」)

(野獣「だがそのお陰と言うか……植物ならば自室や庭の片隅でこっそり育てる事も出来ることに気付いてな」)

(野獣「それらの世話で覚えた事は、後に、踏み荒らされたバラ園を蘇らせるのに役立ったよ」)

(末妹「お世話の丁寧さに加えて、お優しい心がきっと植物にも伝わるのでしょうね」)

(末妹「ところで、野獣様ご自身は馬には乗れるのですか?」)

(野獣「……むむ」)

(野獣「今のこの体格(体重?)ではどうあっても無理だが、王子だった頃から……な」)

(野獣「菫花を見ればなんとなくわかるだろう、運動神経はとにかく鈍かったので」)

(野獣「そうだ、末妹。ここにいる間だけでも、あいつに乗馬を教えてやってはもらえないかね」)

(末妹「私が、ですか?」)

(野獣「この屋敷で暮らすと言っても、たまには人里に用事もあるだろう、しかし最も近い村さえここからは遠い」)

(野獣「普通の生活が送れる立場で無闇に移動魔法を使うのもどうかと思うし、馬を扱えた方が便利かと思ってな」)

(末妹「……うちの馬ならばおとなしく賢い子ですから、初心者の練習向きかもしれませんが」)

(末妹「何よりご本人にやる気さえあれば……私の教えは大したことなくても……」)

(野獣「ううむ、本人のやる気か……」)

(野獣(そこが一番の難関かもしれんな、元気になったらちょっと話してみるか))

……

(末妹「大広間での舞踏会の夜にした話……覚えていますか?」)

(野獣「ああ、5年前の話だな」)

(末妹「実は、家に戻っていた時に……」)

……

(野獣「……そうか。で、次姉の呼び方を変える事はできたのか?」)

(末妹「いいえ、それはまだです」)

(末妹「……練習も殆どできなかったので、人前で『お姉ちゃん』と呼んでいい許可も出ていません」)

(野獣「はは……お前の姉も、そんなに恥ずかしがらないでも良いのになあ」)

(末妹「ふふ……」)

(末妹「……」)

(末妹「野獣様、私、あの日は頑張ったんですよ。泣かないように、負けないように」)

(野獣「……ああ、わかるぞ。頑張った、立派だったと、わかる」)

(末妹「負けなかったのは、野獣様がくださった勇気のおかげなんです」)

(野獣「勇気?」)

(末妹「自分が間違っていないと信じられる、私の大切な人達もそれを支えてくれると信じられる、勇気です」)

(末妹「……5年前の自分にはただ辛く悲しく、仕方ないと思い込んで、心が小さくなって」)

(末妹「持つ事ができなかった、勇気……」)

(野獣「お前の心は元から強くてしなやかだと私は思っているが」)

(野獣「ひとつ成長するきっかけを作ったのが私だと言ってくれるのなら、それは素直に喜びたい……」)

(末妹「……私、野獣様と出会えて、本当によかった」)

(末妹「今もこうしてお話もできるし、一緒に踊る事も」)

(末妹「野獣様があのまま消えてしまわなくて、本当によかった……」)

(野獣「……」)

(末妹「今の言葉に偽りはありません、私の本当の気持ちです、心の底からの」)

(末妹「……なのに、なぜ」)

(末妹「なぜ今の私は、こんなに寂しさを感じているのでしょうか……?」ジワ)

(野獣「!?」)

(末妹「ごめんなさい、これは後悔とかじゃないんです、出会えてよかったからこそ、今こうしていられるからこそ……」ポロポロ)

(末妹「だからこその、涙なんです……」ポロポロ)

(末妹「……だって…私、私っ……」グシ)

(野獣「あ、あの、末妹……」オロオロ)


※野獣がうろたえ始めた所で今回はここまで……小出しですみません※


※ちょっとまた最近リアル多忙気味で、読者の皆様すみません。次回は土曜日でしょうか…※

旧タイトルはまさしく美(少)女と野獣とケモナーですよ

おまけ。商人一家の身長設定。

商人174cm 商人妻163cm 長兄185cm 長姉160cm 次姉172.5cm(まだじわじわ成長中らしい) 
次兄150cm(一応成長期) 末妹133cm(次兄に同じ) …現代的な感覚ですが、こんな感じですわ 



(野獣「と……とにかく泣くんじゃない、お前が泣くと、私は正直、どうしていいのかわからなくなる……」)

(末妹「……」グシ)

(末妹「……私も…どうしていいか、わかんなくなっちゃいました……」ポロ)

(末妹「泣かないって決めたのに、笑顔を見せると約束もしたのに……」ポロポロ)

(野獣「……」)

(野獣「……末妹が良ければ、だが」)

(野獣「お前達を家に帰す前の日にバラ園で話をした時のように、自分の思いを口に出してごらん?」)

(野獣「言葉にすることで、自分の気持ちを整理できる」)

(野獣「……かもしれないから、やってみる価値はあると思うが……」)

(野獣「な、お前の心の内を聞かせておくれ、まとまりがなくても良いから……」)

(末妹「野獣様……」グス)

(末妹「……野獣様の姿が消えて」)

(末妹「兄が一時は寝込んでしまって、メイドちゃん達も戸惑って、だから私はしっかりしなくちゃと思って……」)

(末妹「今思うと、あの時は、野獣様が『いなくなった』事を悲しむのは後回しに……いいえ」)

(末妹「できるだけ、『もうお会いできないかも』とかは、考えないようにしていたのですね……」)

(末妹「さっきの言葉の通り、夢の中で再会できた時、野獣様が消えていないとわかった時は嬉しくて……」)

(末妹「……ですけど、目が覚めて」)

(末妹「眠っている間にしか、夢の中でしか会えないのを寂しいと思ってしまって」)

(末妹「それではいけないって、野獣様を悲しませてしまうって、自分に言い聞かせても」)

(末妹「そう思ってしまうのを、自分で止められなくって……」)

(末妹「お屋敷の客間で目が覚めて、皆さんと会っても、野獣様とおはようの挨拶を交わすことはない」)

(末妹「料理長さんのお料理、メイドちゃんの淹れてくれるお茶、野獣様と一緒にいただくことはできない」)

(末妹「バラも庭師君の手入れが必要になったけど、その花に野獣様の手が触れることはない」)

(末妹「執事さんが、メイドちゃんには重くて運べない野獣様の靴をお手入れすることもない……」)

(末妹「……お屋敷の皆さんと一緒に、お日様の下にいる野獣様を見ることは、もう……」ジワ)

(野獣「……」)

(末妹「……私、わかりました」)

(末妹「野獣様と同じ世界で生きて行けないことが、すごく寂しいのです……」ポロポロ)

(野獣「末妹……」)

(末妹「ごめんなさい、わかっています、それは誰にもどうにも出来ない事だと」)

(末妹「こうしてまた会えるのに、こうしてお話しする時の野獣様は何も変わっていないのに……」ポロポロ)

(野獣「末妹が寂しいと思うのは、悪い事ではないぞ、泣くことも」)

(野獣「私はお前に救われた、だからそれをお前にも喜んでほしいと、単純に考えていたが」)

(野獣「お前の気持ちをしっかりと考えてはいなかった……」)

(野獣「……お前の罪悪感を消したくて、泣くのを見たくなくて、笑顔でいてほしくて」)

(野獣「脅すような嘘までついてしまった、すまなかった」)

(末妹「……」グシュ)

(末妹「私次第で夢の世界からも消えてしまうってお話……ですか?」グシ…)

(野獣「ああ、あれは嘘なのだ。悪かった、すまない」)

(末妹「野獣様ったら……」ポロ)

(末妹「……野獣様の嘘は、いつも優しい嘘……」ポロポロポロポロ)

(野獣「」)

(野獣「お、おい、あの、その、そこは怒る部分だと思ったのだが……」アタフタ)

(末妹「……っ、ひっく、ひっく……」グス)

(野獣「……本当に、すまん、私は何度お前を泣かせただろうか……」ギュッ)

(末妹「…っ」)
 

(野獣「……こうしてしゃがみ込んでも、私はお前よりまだこんなに大きい」)

(野獣「こうして胸に抱けば私の両腕で隠れてしまうほど、お前は小さい」)

(野獣「……そんなお前が泣くと、私は本当に」)

(野獣「実際に消えたりはしないが、消えてしまいたくなるほど辛くなってしまう」)

(末妹「野獣様……」)

(野獣「……しかし、今はお前が泣くのを堪えている姿のほうがもっと辛い」)

(野獣「どうか……気の済むまで泣いておくれ」)

(野獣「お前が泣きやむまで、こうしているからな」)

(野獣「……それとも、嫌か?」)

(末妹「……」フルフル)

(末妹「……私、ごちゃごちゃになってきました」)

(末妹「野獣様とお話ができて、一緒に踊れて、嬉しくて」)

(末妹「でも、夢の中でしかそれができないと思えば寂しくて」)

(末妹「だけど、こうしていると、なんだかとても心が安らいで、落ち着いて……」)

(末妹「なのに、やっぱり泣きたいです、思い切り、泣きたい……」)

(末妹「そして、その理由がわからなくなって来ました……」)

(末妹「自分のことなのに」)

(野獣「誰しもそんな時はある、とりあえず泣くがいい、気が晴れるとは思う」)

(末妹「……本当に、泣いていいんですか……?」)

(野獣「私がいいと言うのだから、いいのだよ」)

(末妹「……うう」ポタポタ)

 わあぁぁぁぁ……ん
 


※今夜はここまで。もうちょっと、この場面続きます※
 

夢の中のバラ園。

(野獣「……」)

(末妹「……」スン…)

(野獣(…泣き止んだか?))

(野獣(……よしよし)ポンポン)

(末妹「……っ」ジワ)

(末妹「……ふぅぇ…っ」ポロ…ポロ)

(野獣「 」)

(野獣(ど、どうしよう、再び泣き出してしまった……))

……

同じく夢の中のバラ園、別の一画。

(白バラの茂み(……))

(白バラの茂み(困った))

(白バラの茂み(そもそも野獣がこのような形で残った例は、儂も生まれてこのかた初めてだし知る限り文献にも載っていないし))

(白バラの茂み(寝入り端になんとなくあいつの事を思い浮かべただけで、勝手に此処に来てしまうとは……))

(白バラの茂み(誰でも出来るとは思えん、儂の魔力があってこその成せる技とは容易に推測できるが今はそれより))

(白バラの茂み(帰り方がわからん))

(白バ(以下略)に隠れている師匠(この『夢の中』で眠ってしまえば離脱できるようだが、欠片ほどの眠気も感じない))

(師匠(……肉体は部屋で眠っておるのにな))

(師匠(儂は確かに野獣の意思の如何に関わらず此処にいるのは事実だが))

(師匠(だからと言って、自分の意思で来たわけでもない))

(師匠(要するに、儂は覗きをしているわけではない! 断じて!!))

(師匠(……相手が例えば少年ならば平気で出て行けるのだが、この雰囲気では存在を気付かれるのさえ拙いではないか……))

(師匠(……))

(師匠(どう解釈すれば良いやら、あのふたりの関係を、いや……))

(師匠(本人達もおそらくは、自分達に呼び名は付けられないのではなかろうか……?))

……
 

(末妹「……」グシ)

(末妹「ご、ごめんなさい、野獣さ、ま……」)

(末妹「私ったら…こんなに、泣き虫だったなんて……」スン)

(野獣「……気にするな」)

(野獣(お前を泣かせているのは間違いなく私なのだろうが))

(野獣(それを口にすれば余計、泣かせてしまいそうな気がするのでな))

(末妹「……野獣様」)

(野獣「ん? なんだ?」)

(末妹「大広間で踊った時、野獣様に寄り添っているあいだ」)

(末妹「暖かくて、気持が安らいで」)

(末妹「私、『お父さんじゃないけどお父さんみたい』って思ったんです」)

(野獣「……お前の大好きな父親みたいか、光栄だな」フフ)

(末妹「ええ、でも……」)

(末妹「あのあと野獣様が家に私たちを帰してくださって、父と再会して、以前のようにすぐそばで暮して」)

(末妹「そうしているうち、『父みたい』よりも『父じゃないけど』の方が、より重要みたいな気がしてきて……」)

(野獣「?? どういうことだ??」)

(末妹「肉親じゃないのに、家族じゃないのに、触れ合っていてこんなに落ち着くことができて」)

(末妹「……安心して涙も見せられる男のひとは、野獣様の他にいないんですもの、なんだか不思議です……」)

(野獣「……」)

(末妹「……私がいつまでも悲しいのは、きっと」)

(末妹「私にとって、野獣様の存在が、特別だから、掛け替えがない……から」)

(末妹「もちろん、家族も友達も、どのひとも、それぞれ掛け替えのないひと、ですけど」)

(末妹「……野獣様は、その……何と言えばいいのでしょう」)

(末妹「『友達』という存在はどんどん増えて行くし、増えるほど幸せだと思うのですけど)

(末妹「たったひとりしかいない方がいいって、ひとりしかいないからこそ幸せだって、そう思える」)

(末妹「……私にとってそう思える存在なんです、野獣様って……」)

(野獣「末妹……」)

(師匠(……なんとまあ))
 


※ここまで。亀更新ですみません……※
 


※告知。8/31(もう今日)のどこかで更新します。おやすみなさい……※


※間違えた、8/30でした……マジで寝ます※

全ては睡魔のせい
眠りなはれ
ゆっくり眠りなはれ

(末妹「でも、その野獣様と出会えるのは、もう……夢の世界だけ……」)

(末妹「……ぐす……」)

(野獣「末妹」)

(野獣「私が思っていたほど、お前は幼くなかったのだな……」)

(野獣「……いや……本当に幼い女の子と思っていれば、贈り物にドレスを選んだりはしないか」)

(野獣「……」)

(野獣「私は最悪の男だ、お前の心を弄んでおいて」)

(野獣「その責任も取れない身だと言うのに、まだお前と親しくありたいという図々しい願いを持っている」)

(末妹「ぐすっ……最悪でもなければ、図々しくもありません!!」)

(野獣「 」)

(野獣「……ふふ、お前は怒らせると恐いな」)

(末妹「からかわないでください……」グシュ)

(末妹「ご自分を蔑むような言葉、私は聞きたくないだけです……」ポロポロ)

(野獣(ああ、また))

(野獣(……夢の中とは言え、泣かせているのは私にしても、こんなに泣いて大丈夫だろうか?))

(野獣(えーと、末妹に気付かれないように、今の彼女の部屋を見れるだろうか?))

(師匠(……あいつ、何をやっておるのだ、少女を胸に抱えたまま右手をまっすぐ前に突き出して))

(師匠(ん、人差し指と親指を、寸法でも計るように何もない空中で開いて……))

(師匠(……開いた指の間に何かが現れた?))

(師匠(別の場所の風景だ、まるで魔法の鏡をそこに作ったかのような))

(師匠(なるほど、あいつはああやって夢の世界から物質世界での出来事を見ていたのか))

(野獣(……案の定、身体も眠りながら泣いているな))

(野獣(よし、閉じるか)シュッ)

(師匠(ふむ、手の平で拭き取るように撫でれば閉じるのか)コウキシン)
 

(野獣(私も子供の頃は覚えがあるが、大泣きした後は脱水症状起こして頭痛はするわ吐くわで))

(野獣(実年齢はともかく、こんな華奢で小さな体、すぐに水源が尽きてしまうのでは))

(野獣(しかし気の済むまで泣いてくれと言った手前、そう簡単に今度は泣くなとも……)ウウム)

(末妹(……すん、くすん……))

(師匠(……どうせあいつだ、少女が泣き続けるのを何とかしたいと思いつつ、手立てもなくグダグダ考え込んでいるのだろう))

(師匠(魔法使い同士限定の初歩的な『念話』、あいつはいまいち苦手だったが……))

(師匠(お互い肉体という器がない今なら、逆にうまく行くかもな))

(野獣(……?))

(野獣(誰かが私を呼んでいる……?))

(師匠(おいこら、弟子。儂が教えた念話を忘れてはいないだろう?))

(野獣(師匠っ!?))

(師匠(儂もバラ園にいる、身を隠してはいるがお前たちの姿は見えている))

(師匠(教えた通り、口で話す時と同じように、儂に伝えたい言葉だけを頭の中で組み立てろ))

(師匠(組み立てたら、儂に向かってそれを『押し出せ』))

(師匠(貴様が使った禁忌と違って、勝手に思考を読むことはできないのだ、それも知ってるだろう?))

(野獣(…………))

(野獣(あ、あの、何故この場にいるのですか……?))

(師匠(後で話す、何にせよお前の責任であろう事は間違いないと思うが)フンッ)

(師匠(それより、この修羅場をどう収拾を付ける、この色男め))

(野獣(修羅場? 色男?))

(野獣(……なななななな、何を仰るのですか師匠!? そんなんじゃありませんよ!!))

(師匠(ふむ、意外と容易く念話を使いこなしているではないか))

(師匠(で、どうする? このまま少女の気が済むまで黙ってじっとしているか?))

(野獣(……私は彼女にそうするように告げましたが))

(野獣(どうも私がいる限り、泣きやませることはできないような気がしてきて……))

(師匠(じゃあどうする? 呪文で眠らせて強制退場させる手もあるな、それなら休養にはなるだろう))
 

(野獣(彼女の意志を無視して、勝手にそんなことはできませんよ、今回に限って言えば))

(師匠(と言って、このまま夜が明けるまで泣きやまなかったら))

(野獣(……師匠))

(師匠(何だ?))

(野獣(末妹の心配をされるのはわかります、が……))

(野獣(それ以前に、私に対して、つくづく過保護ですよねえ))

(師匠「なっ」)

(野獣(しっ、声に出ていますよ))

(師匠(こ、この……))

(師匠(……生意気になったなあ、ポンコツ弟子め))

(師匠(正直言って、どうして良いのかわからなくなっていた癖に、全く……))

(野獣(ええ、ですから師匠に声を掛けていただいて良かった))

(野獣(驚かされたおかげで、私の凝り固まった頭がほぐれましたよ、ありがとうございます))

(師匠( ))

(師匠(……ったく、自分で何とかできるならやってみろ、黙って見ていてやる))

(野獣(重ね重ね、感謝します、師匠……))

(野獣「……」)

(野獣「末妹?」)

(末妹「…っ」ピク)

(末妹「な、何でしょう……?」グシ)

(野獣「予定外で申し訳ないが」)

(野獣「このまま、少し私の話を聞いてもらっても良いか……?」)

(末妹「野獣様……は、はい」)
 


※ここまで。>>906ありがとう。『話』は決まっていてもシリアスパート(一応)は台詞に悩むなあ……※

(野獣「『王子』だった頃の私にも、心を許し、傍にいると落ち着く相手がいたよ」)

(野獣「誰の事か、もうお前は知っているよな?」)

(末妹「……ええ、魔法図書館の娘さん……ですね」)

(野獣「そうだ」)

(野獣「お前と違って、血の繋がった肉親は安らぐ存在ではなかったが……」)

(野獣「それは別にしても、やはり彼女は私にとって唯一と言える存在だ」)

(野獣「生まれて初めて、恋をした相手だからな」)

(末妹「恋……」)

(野獣「ああ、末妹に恋の話は少し早いかもしれないな?」)

(末妹「……!」)

(末妹「野獣様、さっき私を『思っていたほど幼くはない』って、仰っていたではありませんか」)

(末妹「私、物知らずで苦労知らずで確かにまだまだ子供ですけど」)

(末妹「それでも、野獣様が図書館の娘さんの傍にいて、どんなに幸せを感じていたか」)

(末妹「それをわからないほどの、何も知らない小さな子供ではありません……」)

(野獣「……そうか、わかるのか」フフ)

(末妹「ええ、だって私も……」)

(末妹「野獣様にきっと……恋をしているのだと……思います……」)

(末妹「私の、初めて、恋をした相手、です……」ギュ)

(師匠(……))

(野獣「……とうとう、お前の想いに呼び名を付けてしまったな」)

(末妹「いいえ、私、もっと前からわかっていた……」)

(末妹「でも、でも……これを恋だと呼ぶ資格、私には無いのです」)

(野獣「何故そう思うのかね?」)

(末妹「…………次姉(あね)のくれた本の中に」)

(野獣「え?」)

(師匠(へ?))
 

(末妹「恋愛小説がいくつかあって、主人公の女の子達は……」)

(末妹「……好きになったひとのためなら、他の何もかも捨てても良いと」)

(末妹「友達すら、家族すら、時には捨ててまで、好きなひとと共に生きようとしていました」)

(末妹「……そうでなければ恋と言えないのなら、私は……」)

(末妹「私の場合は、恋ではないのかも知れません、いえ、きっと違うのでしょう……」)

(野獣「……っく」)

(末妹「?」)

(野獣「くくく、はは、なんだ、そんな理由か、ふふふ、ははははは……」)

(末妹「な、何がおかしいんですか!?」)

(野獣「なあ、お前はきっと考えたのだろう、私がお前達と同じ世界で生きられないのなら」)

(野獣「逆にお前が此方の…私の夢の世界で暮せはしないか、と」)

(末妹「……」)

(野獣「しかし、朝になればお前は必ず目が覚めて此処から出て行く」)

(野獣「もしかしたら、私や師匠のような長き眠りの魔法を思い出したかもしれない」)

(野獣「私や師匠の話で理解できたと思うが、その魔法が解けない限り現実世界での肉体はいっさい年老いる事がない」)

(野獣「末妹の家族や友人達が年齢を重ね、いずれ寿命が尽きても……」)

(野獣「あるいは、私のように肉体を失えば」)

(野獣「しかし普通の人間であるお前の精神だけが、この夢の世界に残れるという保証はどこにもないし、それに」)

(野獣「……早い話が、現実世界での死を選ぶ事だと、お前ならば理解できるだろう?」)

(末妹「……」コク)

(野獣「例え可能であっても、方法がいくつかあっても、お前が何を失い、誰がお前を失い」)

(野獣「それを思えば、踏み切れるわけがない」)

(末妹「……」)

(野獣「お前が家族を捨てられない娘なのは知っている、捨てられないほどの良い家族であることも」)

(野獣「話は簡単だ、私はそんなお前がとても気に入っている、それでこそ私の好きな末妹だ」)

(野獣「……だから、私と家族を天秤にかける事じたいが無意味なのだよ、末妹」)
 


※今夜はここまで。諸事情でバタバタしてまして、すみません。次回でたぶん舞踏会編終了。たぶん※

(末妹「…………」)

(末妹「どうしましょう、私」)

(末妹「今になって、なんだか恥ずかしくなってきました……」カァァ)

(野獣「末妹」)

(末妹「やだ、ほっぺた熱いです、どうしよう、どうしましょう」ペチペチペチペチペチペチ)

(野獣「お、おい」オロオロ)

(野獣「叩けばますます熱くなるではないか、恥ずかしがることはないぞ、私なら……その、気にしていないから」)

(野獣「い、いやいやいや!? 違うぞ! 気にしていないわけがない、なんとも思っていないという意味ではなくて、あの……」)

(野獣「えーと、うん、末妹に好意を持たれて私は嬉しい、だからお前は恥じる事なぞ何もない、堂々としていろ!」)

(末妹「そ、そういうものなのでしょうか……?」)

(野獣「そういうものだ、信じろ!」デーン)

(師匠(……そうだろうか)ハァ)

(末妹「……くす」)

(末妹「ふふ…なんだか…落ち着きました。ありがとうございます…」)

(野獣「そうか、ふふ……」)

(野獣「……末妹よ」)

(野獣「私はな…自分の気持ちを誰かに伝える事ができなくて後悔した事が、たくさんある」)

(野獣「お前にはそんな後悔はしてほしくない、過去を振り返って嘆くばかりの、私のような生き方はしてほしくない」)

(末妹「野獣様……」)

(野獣「でもお前は言えたな、自分の想いを私に伝える事が出来た、私とは違う……」)

(野獣「私はそれを受け止めて、そしてその上で」)

(野獣「……お前が前に進むための、手助けをしてやりたいと思う」)

(末妹「……前、に」)

(野獣「末妹、よくお聞き」)
 

(野獣「私もお前が大好きだ、大切に思う、いとおしい、お前の幸せを願ってやまない」)

(野獣「しかし……お前のこれからの長い人生に幸福を与え続けてやれるのは、私ではない、理由はさっきも言った通りだ」)

(末妹「……っ」ジワ)

(野獣「お前と私は、結ばれる事はできないのだ、わかるな?」)

(末妹「……わかっています、それは、無理……だと……」ポロ…)

(野獣「……」)

(野獣「…だがな、恋の結末とは実を結ぶか壊れるしかないのだろうか、と私は思うのだよ」)

(野獣「想い人の幸せを願って、願い続けて、そしてそのひとが幸せになったのなら」)

(野獣「例え傍にいるのが自分ではなくとも」)

(野獣「そのひとへの想いは無駄にならず、報われたと思っても良いのではないかと」)

(野獣「恋の結末が、まるで親が独り立ちする我が子を見送るような形で終わっても」)

(野獣「逆に、子が親に見送られ独り立ちするような形で終わっても」)

(野獣「……お互いが友人に戻ることで終わっても、決して虚しい結末ではないと、私はそう思う」)

(野獣「いや……そうだと信じたい」)

(師匠(あいつ……))

(末妹「……野獣様……」)

(野獣「負け惜しみに聞こえるだろうか、結局、欲したものを手に入れられず、誰も何も守れなかった弱い人間の」)

(末妹「……いいえ」フルフル)

(野獣「ありがとう」)

(師匠(……ああ、図書館の娘の言葉を思い出したぞ))

(師匠(王子は生きてはいるが、二度と会うことはできないと告げた時の、あの娘の言葉……))

…………
 

……………………

図書館の娘「それでも私は、結ばれなくても報われる想いもあると、信じたいのです」

図書館の娘「王子様が幸せになってくだされば、きっと私の心も報われる、そう信じたい……」

師匠「……ならば、お前も幸せにならなくては駄目だな」

師匠「あいつもきっと、お前の幸福を願っていることだろう……」

図書館の娘「時間が必要かもしれません、でも」

図書館の娘「師匠様の仰る通り、王子様が私の幸福を願っていらっしゃるのが本当なら、私も」

図書館の娘「王子様のお心を裏切ることのないように、生きて行ければと、思います……」

……………………

…………

(師匠(……結ばれずとも、報われる、か……))

(野獣「……次兄も言っていたな、愛の行き着く形はひとつではない、と」)

(野獣(めいっぱい省略してみたが、間違ってはいないと思うぞ))

(末妹「次兄(あに)が……?」)

(野獣「あいつはどれほど邪険にされようとも私や執事に」ミナマデイワナイ)

(末妹「……実は、私も少しだけ羨ましかったんです」)

(末妹「あんなふうに、好きですって真っ直ぐに言える、次兄の強さが……」)

(師匠(あれが羨ましいかなあ、少女よ))

(野獣「むしろ図太さという気もするが」)

(野獣「あいつの発想の柔軟さやめげなさには、多少は見習うべき部分もなくもないのかもしれない、例えば」)

(野獣「私相手のお前の初恋が終わっても、お前は決して何かに負けたわけではないぞ、そう考えてみてはどうだ」)

(末妹「……」)

(野獣「……そして、お前がいつか……他の誰かに恋をしても、それは自然なことだ」)

(野獣「その時が来たら、余程ひどい相手でもない限り、私は応援するぞ」)

(末妹「!!」)

(末妹「野獣様、いくらなんでもひどいです!! なんでそういう話をするんですか!?」)

(師匠(どこまでバカだ、あの男は……)ヤレヤレ)

(野獣「う、そうか、すまん、また私は失敗してしまったようだな」)
 

(野獣(図書館の彼女が幸せな家庭を持った話を思い出して、つい、末妹の将来に重ね合わせてしまった……))

(末妹「あんまりです、あんまりです!!」ポスポスポスポス)

(野獣「すまん、はは、悪かった、本当に私は愚かだ、悪かった……よしよし、ちっとも痛くないな、末妹の拳は」)

(師匠(笑っとる場合か、嘘でも痛がってやれっつーの))

(末妹「……」ポス…ポス)

(末妹「……野獣様」キュ)

(野獣「……」)

(野獣「……すまなかった」ギュ)

(末妹「私、幸せになりますから、野獣様の望みなんですよね、それが」)

(末妹「……けれども、何が幸せかは私が決めます」)

(末妹「それでも、いいですか……?」)

(野獣「……ああ、いいさ」)

(野獣(今は、な))

(野獣「お前の思うように、お前らしく生きておくれ、私はそれを見守っている、ここで……」)

(末妹「…………」ギュ)

(野獣(……人は変わり行く、先の事は誰にもわからない))

(野獣(そして、末妹の前に広がる未来の可能性は、果てしないはず))

(野獣(だが、もう少し時間が必要なのだろう))

(末妹「……グス」)

(野獣(……また泣かせてしまったか))

(野獣(そうだな、うーむ……師匠?))

(師匠(? なんの用だ、このデリカシーの欠片もない阿呆弟子め))

(野獣(昨日、菫花にくっつけた私の一部とやら、あれは私の生命力と考えていいですか?))

(師匠(う、うむ。そうだな、今のお前を作っている素材だ、現実世界の肉体を形作る血肉に相当する))

(野獣(ということは、あれ自体に私の魔力や記憶や知識は含まれませんね?))

(師匠(ああ、だからあくまでも素材で……))

(野獣(よいしょっと)ブチ)

(師匠(お、お前!?))
 

(野獣(……真珠の一粒くらいですね))

(野獣(師匠、末妹はここでも、現実世界でも眠りながら泣きっぱなしで))

(野獣(泣き疲れて、身も心もかなり消耗してしまいますよね))

(野獣(ですが、これくらいあれば明日の朝に気分良く目覚められる程度には回復するんじゃありませんか?))

(師匠(『それ』を、まさか少女に与えるつもりか?))

(野獣「いけませんか? 彼女に何か悪影響があるならやめますが……」)

(師匠(いや……その量ならばまあ、お前の言う程度の効果で済むかと……))

(師匠(そもそも、お前と菫花とのやり取りとは違う、他人にうまく定着するとは限らんぞ))

(野獣(では、駄目元で))

(師匠(おい?))

(野獣(……)シーン)

(師匠(全く……それなら儂がこっそり回復魔法をかけてやったのに))

(野獣「末妹、これをごらん」)

(末妹「……小さなガラス玉?」グシ)

(末妹「でも、硬い物には見えない……透き通っているのになんだか、柔らかそうな……?」)

(野獣「お前の母親が、十字架の首飾りにお前を想う心を託したように」)

(野獣「私はこれをお前に与えたい」)

(野獣「お前がどこにいようとも、これを『持っている』限り、私の心もお前に寄り添っていると思っておくれ」)

(野獣「ただし、お前が受け入れてくれるのならば、だが……」)

(末妹「……『それ』は、何ですか? どうやって受け取れば良いのですか?」)

(野獣「お前は何もしなくてもいい」)

(野獣「これが何かは、受け取ってからお前が答えを出せばいい」)

(野獣「ほら、手を出して。渡すぞ」)

(末妹「え……これで、いいですか……?」スッ)

(末妹「……あ」)

(末妹「なんだか、すごく、暖かい……こんな小さなものなのに」)

(末妹「これは……野獣様に触れた時と、同じ暖かさ……」キュ)

末妹は『それ』を、思わず自分の胸にそっと押し抱く……
 

(末妹「……?」)

(末妹「消えた、ううん、私の中に溶け込んで行く感じがする」)

(末妹「……暖かい、不思議……心が安らいで行く……」)

(野獣「……『それ』はお前の一部になったのだな」)

(野獣「お前ならきっと、受け入れてくれると思ったよ」)

(末妹「……」)

(末妹(これが何か、私、わかった……))

(末妹「……野獣様」)

(末妹「泣いてばかりで心配かけてごめんなさい、もう大丈夫です」)

(末妹「これから、もっと強くなれます、もっと笑えます、心から、そう思う」)

(末妹「野獣様から、すてきな贈り物をいただきましたから……」ニコ)

(野獣「……そうか」ニコ)

(野獣「さあ、もう朝まで時間がない、そろそろ眠ると良いかもな」)

(末妹「……はい」コク)

(野獣「寝付けなさそうなら、魔法をかけてやるが?」)

(末妹「大丈夫です、今は本当に静かな気持ちですから……」)

(末妹「……ひとつだけお願いです、もう一度オルゴールの音楽をかけてくれますか? あの曲を聴きながら眠りたいのです」)

(野獣「ああ、そう言えばいつの間にか鳴り止んでいたっけ」)

……♪~♪~~♪~

(末妹「……ありがとうございます」)

(野獣「また私の肩に凭れかかって良いぞ、ほら……」)

(末妹「……」トン)

(末妹「おやすみなさい、野獣様」)

(末妹「また……こちらの世界で、お話してくださいね……」)

(野獣「ああ、おやすみ……」ナデナデ)

(末妹「……スゥ」)

…………
 


※今夜はここまで……次回は師匠の説教回です(予定)※
 

(師匠「……少女は物質世界に戻ったか。眠ったのだな」)

(野獣「師匠」)

(師匠「……泣かせては慰め、慰めては泣かせ」)

(師匠「自ら放火しては消火し再び火を放ち、を繰り返すかの如き愚行だのう」)

(野獣「ええ、いくつになっても女心の、いえ、人の心の機微には鈍感なままですね、私は」)

(師匠「全く……お前なんぞのどこが良いのか、あの少女は」)

(野獣「本当にそうですね。私は最低です、最低な男です」)

(野獣「確かに、泣いて泣いて疲れ果てているであろう末妹が心配ではありました、それは嘘ではありませんが」)

(野獣「自分があの穢れを知らない少女の初恋の相手だと自覚した途端に、男としての欲が芽生えたようです」)

(師匠「欲、だと?」)

(野獣「結ばれぬ運命だと、友人同士であるべきだと、言い聞かせておきながら」)

(野獣「物質世界の人間には不可能な方法で、自分にしかできない方法で、彼女に私の痕跡を残したのです」)

(野獣「彼女の将来の、まだ見ぬ伴侶に嫉妬したのかもしれません」)

(師匠「……素材は素材に過ぎん」)

(師匠「それにあれっぽっちの欠片、少女の生命力と一体化した瞬間」)

(師匠「どころか、お前から切り離された時点で既にお前のものではなくなっている」)

(野獣「事実として師匠の仰る事が正しくても、彼女にとっては」)

(野獣「私の身の一部を分け与えられた、それが全て」)

(野獣「そう思わせるように仕向けましたからね、しかも母親の形見の話を絡ませて、卑怯の最たるものです」)

(師匠「……」)

(野獣「最低最悪の、助平爺ですよ」ポロポロ)

(師匠「……お前」)

(野獣「…………」ボロボロボタボタ)

(師匠「なあ、罪悪感を覚えるのは間違いだぞ」)

(師匠「お前は今更になって後悔しているのだろう、あの行為によって少女がお前に縛られてしまうのではないか、と」)

(野獣「……」コク)
 

(師匠「なに、心配はいらん」)

(師匠「もっと強くなれる、もっと笑えると、お前に約束していたではないか」)

(野獣「約束」)

(師匠「少女は強い娘だ、そしてそれは支えてくれる存在があってこそだと知っている賢い娘だ」)

(師匠「そして、支えてくれる者たちを裏切らない、誠実な娘だ」)

(師匠「そんなことはお前の方がよく知っている筈ではないか?」)

(野獣「……あ」)

(師匠「もっと信じろ、お前の愛する者達を、彼等に愛されているお前自身を」)

(野獣「……」)

(師匠「お前はこの先、今回以上に物質世界に存在できない故のもどかしさを味わうことになる」)

(師匠「時として生身の存在に嫉妬する事だってあるだろう、それは仕方のない話だ」)

(師匠「お前が『生きて』心を持っている限り」)

(野獣「……ええ」)

(野獣「泣いたり笑ったり、怒ったり、沈んだり凹んだり萎れたり腐ったりする心ですが」)

(野獣「手放すつもりは一切ありません」)

(師匠(マイナスな状態が多すぎるけどなこいつの場合))

(野獣「この心で感じてみたい事はこれからも沢山あります」)

(野獣「私の手で自然な在りようを変えてしまった使用人達」)

(野獣「人の世で自分が決めた人生を歩く菫花、将来の夢を叶えるため己を磨く次兄」)

(野獣「これからますます美しく成長し、素晴らしい女性になるであろう末妹」)

(野獣「物質世界で生きて行く皆の今後を見守りながら、今まで以上に一喜一憂していたい……」)

(野獣「……あ、もちろん師匠の人生も」)

(師匠「露骨に取って付けなくともいいわい」)

(師匠「さて、過ぎたことは取り戻せない、くっつけて溶け込ませた物は取り出せない」)

(師匠「そして、お前が少女への思い遣りに忍ばせた小さな下心には結局のところ実害はない」)

(師匠「儂もこんなことでお前を責めたくはない」)

(野獣「師匠」)
 

(師匠「末妹へ語った言葉をそのままお前の真実として、堂々としておればよい」)

(野獣「……ありがとうございます」)

(野獣「やはり、師匠と再会できてよかった……」ニコ)

(師匠「……うむ、儂もお前の獣の顔に慣れて来たようだな」)

(師匠「なかなか良い笑顔ではないか」

(師匠「……さて、うっかり紛れ込んでしまったが、こんなに長居するとは思わなかったわ」)

(野獣「そう言えば、そもそも何故この場に師匠が」)

(師匠「こっちが聞きたい。寝入り端にぼんやりお前のことを考えていたら、どういうわけかバラの茂みの陰にいた」)

(師匠「お前の魔力と儂の魔力の相乗効果だろう、今後は気をつけねば」)

(野獣「私のことを気にかけてくださっているのですね」)

(師匠「ふん、たまたまだ、たまたま」)

(師匠「疲れた、もう眠る、目覚めるまで儂を起こしに来るなと、執事に夢枕で伝えておけ」)

(野獣「は、はい、わかりました」)

(野獣「……寝付く時間が遅かろうと、いつも目覚めるのは早い時間でしょうに」)

(師匠「年寄りだと言いたいのか、さほど変わらん年齢のくせに!」)

(師匠「ふん、お前も休め、肉体がなくたって精神体にも休息は必要だ」)

(野獣「ええ、そうします、おやすみなさい師匠」)

(師匠「おう、おやすみ」)

日が昇るのは、もう少し先……

……

末妹「……すやすや」

末妹「…野獣様……」ムニャ

……

次兄「……くかーくかー」

次兄「…野獣様、げへへ……」ムニョ

…………


※今回はここまで。長い一夜でしたが、次回は翌朝から。読んでくれてありがとう※

翌朝、末妹の客間。

末妹「……ん、窓が明るい……朝ね……」モゾ

末妹「……眠りについたのはかなり遅かった筈なのに、ぐっすり眠れた感じがする」

末妹「野獣様…」キュ

末妹「……何事もなかったみたい、透き通った、柔らかな小さなガラス玉のような、暖かい」

末妹「あれは野獣様そのもの、私にはわかったわ。もう存在を感じることはできないけれど、すっかり溶け込んだからなのね」

末妹「これからも私と共にある、きっと私を守ってくれる……」

……

末妹「おはよう、お兄ちゃん」

次兄「おお、おはよう末妹!」キラキラ

末妹「なんだか、今朝は爽やかね、お兄ちゃ」

末妹「あ、いつもは違うって意味じゃなくて!」アワワ

次兄「いやいや、正直でこそお前。それより…末妹に話したい事があったんだよ、聞いてくれ」

末妹「私に?」

次兄「ああ、ようやっと野獣様に話をすることができた、だから次に話したいのはお前なんだ」

次兄「実は……」

……

末妹「美術学校、そして、絵の仕事を……」

末妹「すごい! お兄ちゃんならきっと成功する、私も応援するわ!」

次兄「ま、その前に父さんに許しを得ないとなあ」

次兄「きっと下宿か寮で暮らすことになるんだろうけど、一人暮らしが成り立つかって辺りも課題だしー」

末妹「……あ」

末妹「そうか、王都の美術学校に通うってことは、家を出るのよね……」

次兄「……寂しくなるけど、俺もまだ目指す学校に受験できる年齢じゃない、もう少し先だよ」

次兄「何より、離れていても兄妹だからね」キリッ

末妹「お兄ちゃん……」

末妹「そうね、ずっと一緒ね。別の場所にいても、私達は……」
 

次兄(とか言って、俺ずーーーーっとこの先も家にいたりしてね、一生…)

次兄(…って、シャレになってませんけどー)トホホ

次兄「そうだ、お前の夢にも野獣様が現れたろ?」

次兄「俺との話を済ませたら、末妹に時間を取りたいって言ってたから……」

末妹「……」

末妹「…うん、私もお兄ちゃんに話さないとね」

……

次兄「……そうか」

次兄「お前も、本当に…大人になっていたんだなあ」シミジミ

次兄「野獣様に自分の気持ちを伝えられたんだ、それだけでも立派だよ」

末妹「でも、私は結局、泣くしかできなかった」

末妹「野獣様に心配をかけて、そんな私に贈り物まで……」

次兄「ふむ、女の子を慰めるにはやはりプレゼントってわけですね」

次兄「さすがは紳士、女性扱いのテクは侮れない、で……」

次兄「何もらったの?」

末妹「……えっ、と」

末妹「……どう言えばいいのかな、野獣様の……うーん」

末妹「野獣様そのもの、と言えばいいのかしら?」

次兄「 は へ ? 」

次兄「野獣様そのもの、つまり野獣様自身」

末妹「そうね、そんな感じかな?」

次兄「いや、夢の世界での話、野獣様の夢の世界、でも、感覚は現実世界と同じなんだよな……その世界で」ブツブツ

次兄「……野獣様の、野獣様を、もらっちゃった、と??」

末妹「え、ええ」

末妹「野獣様そのものだったって、私にはわかったわ。同じ暖かさだったもの……」

次兄「   」

……
 

野獣の夢の世界……

(野獣「ああああ、一段落した話だと思っていたら、ややこしい事になってしまった」アタフタ)

(野獣「絶対誤解しているぞ次兄は、いや、これは私に言い逃れをするなという意味なのか、いやいや」)

(野獣「私が助平呼ばわりされるのはやむを得なくとも、何よりも末妹の名誉が危機に」)

(野獣「くっ、わかっている、それもこれも私が悪い、だからこそ一刻も早く私がなんとかせねば……しかしどうしたものか」)

(野獣「しめた、師匠がまだ眠っている、師匠!?」)

……

末妹「お兄ちゃん、お兄ちゃん……?」ユサユサ

次兄「」

末妹「目を開いたまま気絶している、どうしよう……いったい何がお兄ちゃんを」

師匠「……難儀しているようだなあ」ノッソリ

末妹「師匠様!?」

師匠「ああ眠い。……心配するな少女よ、兄は儂にまかせておけ」

末妹「で、でも……」

師匠「思春期の少年というものは複雑なのだ、時として男同士でなければ解決できない問題も生じる」トカナントカイッテミル

師匠「大丈夫、数時間後には元気になっておる、いいから君は朝食を食べておいで」

師匠「さあ次兄、儂の部屋に行こうか?」ガッシ

次兄「」ズルズルズルー

末妹「…引き摺られてる」ハラハラ

師匠「あ、石造りの廊下でこれは拙いか。魔法で数センチ浮かせて、っと」フワン

師匠「これで怪我はせん、心配いらん。では、また後で……」

末妹「は、はい……」

師匠(……部屋で眠りの魔法をかけて、そうでなければあいつに会えないからな)

師匠(あいつと儂で…あいつめ、ひとりじゃ自信が無いとかなんとか…少年の誤解を解く、と)

師匠(全く、野獣含めて世話の焼ける小僧しかおらんよな、面倒臭いったらないわ)フゥ

…………
 

でもって、次兄と野獣と師匠……

(次兄「……だいたい理解しました」)

(次兄「野獣様の行動に肉欲的な意味はなし、実際にそのような効果もなし、当然末妹にもまっっっっったくそんな認識はなし」)

(次兄「でも精神的には嫉妬心が抑えきれなかった、と言うわけですね」)

(野獣「……そうだ、軽蔑しただろう? 彼女が純真なのを良い事に……」)

(次兄「末妹には言えませんねえ」)

(野獣「……ああ、虫のいい話だが黙っていてほしい」)

(師匠(儂が口を挟む必要はなさそうだな今のところ))

(次兄「…………ねえ、野獣様」)

(野獣「うん?」)

(次兄「野獣様も、神様でも聖人君子でもなく、ただの男だったのですね」)

(野獣「そうだ、聖人たれと振る舞った覚えもないが、むしろ普通以上に弱い男だ」)

(次兄「俺にだって末妹に一生言わずにおきたい事くらいあります、今の野獣様と一緒ですね」)

(次兄「そう、この前の野獣様の夢での出来事とか!」ヌギヌギッ)

(師匠「」)

(野獣「こ、ここで服を脱ぐな!!」)

(次兄「おっと」チャクイー「……ほんとに頭で思っただけで服の脱着可能なんだなあ」)

(次兄「話を戻して……末妹だっていつまでも純粋なだけの子供じゃありません」)

(次兄「いつか、何年先かわかりませんが、何かのきっかけで野獣様の本心に気づく可能性もあるでしょうね?」)

(野獣「う……」)

(次兄「でも末妹は野獣様を軽蔑したりしませんよ」)

(次兄「あの子は…野獣様の弱いところや残念なところもひっくるめて『愛して』います」)

(次兄「何しろ、この俺を変態ダメ兄貴としっかり認識したうえで大切にしてくれる妹ですから!」ドドーン)

(次兄「……野獣様が嫌われるくらいならその前に俺が見限られていますって、その時は二人で傷を舐め合いましょう」)

(野獣「お前が舐め合うと言えば物理的な意味にしか聞こえない」)

(次兄「とにかく我々は今後もあの子に嫌われないように」)

(次兄「表に出せないような言動は最低限に留められるよう、日々の努力を怠らずに暮らそうではありませんか!」キリッ)
 

(師匠(どんな努力なのだそれは))

(野獣「……ありがとう、お前は優しいな、次兄……」)

(次兄「そうそう、しょっぱい顔はやめましょう」)

(次兄「もちろん約束通り俺からは決して話しませんよ、男同士の秘密ですからね」)

(野獣「……」)

(野獣「…私には、子供の頃から友達らしい友達がいたことがない」)

(次兄「だけど『ガールフレンド(図書館の娘さん)はいた』とか言おうものなら俺はともかく世間のモテない男子はキレますよ?」)

(野獣「しかし、対等な男友達がいたのなら、こんな感じだったのだろうか?」)

(野獣「……馬鹿な話も、弱みも、恥ずかしい秘密も打ち明けられる、お互い飾らずにいられる、そんな意味での友達が、な」)

(次兄「…………友達」)

(次兄「俺にも16年間、そう呼べる存在はいたことないし求めたこともないけれど」)

(次兄「野獣様とは友達になりたいって、漠然と思い続けては来たけれど」)

(次兄「そうか、世間一般の人々が持っている『友達』ってのは、こんな感じ……なのか?」)

(次兄「友達……」)

(次兄「……ふへ、ふへへへへへへへへ……」カァァァァァ)

(次兄「ふへ、恥ずかしい! 野獣様に愛してるとか大好きとかは言えるけど、友達って、マジに考えたらめっちゃ恥ずかしい!!」)

(野獣「は、恥ずかしい? 恥ずかしいのか!? こら、赤くなるな、私も恥ずかしくなって来るではないか……」ボッ)

(次兄「や、野獣様ったら、顔は毛に隠れているけど耳が! 耳介の毛の薄い部分が真っ赤!! ふへへ」)

(野獣「ぬ、お前こそ耳までどころか、つむじの地肌まで真っ赤ではないか!! うはは」)

(師匠「……………………」)

(師匠「……いったいなんなのだ、こいつらは」)

(師匠「こいつら精神年齢は大差ないとは前々から思っていたが」)

(師匠「ふたりとも、幼年期から段階を踏んで家族以外と人間関係を築く過程をすっ飛ばして成長した結果がこれか」)

(師匠「ま、当初の目的通り、少年の誤解が解けて元気にもなったから、良しとしようかの……」)

……
 

野獣の部屋。

ドア:コンコン

王子「……どうぞ」

執事「おはようございます、菫花様」ガチャ

王子「おはよう、執事さん」ニコ

執事「お身体の具合はいかがですか、お食事はどうなさいます?」

王子「すっかりとは言えませんが、だいぶ好くなりました。そろそろ、食事は皆さん(人間限定)と同じでも問題なさそうです」

執事「そうですか、ええ、いつまでも病人食では力も湧きませんからね」

執事「さっそく運んで来ましょう」フリフリ

王子「執事さん尻尾を振ってる、もしかして自覚ない?」

王子「……私が回復しているのを心から喜んでくれているのか……」

厨房。

料理長「そうですか、多めにブリオッシュを焼いておいてよかったですよ」

料理長「夏に木苺を摘んで作ったジャムも今日開封しました、これも少し持って行ってください」トリワケー

料理長「ところで、師匠様も次兄様も朝食の席にはいらっしゃいませんでしたね?」

執事「ああ、何やら次兄様に起きたため、らしいが、末妹様もうまく説明できないようで」

執事「メイドが話し相手になっていたから、お一人でのお食事もさほど寂しくはなかったと思うが……」

師匠「何か食べるものはあるかね?」ヌッ

執事「っ!? 師匠様ではないですか!?」ビビクン

執事(このわたくしに気配を感じさせず背後に忍び寄るとは、やはり只者ではありませんな……)

師匠「二人分、頼む。儂も次兄も朝食を食べそびれての」

次兄「おはよ、執事さんと料理長さん。お腹空いたー」ハラノムシグー

料理長「すぐに温め直します、お二人の分は取って置きましたからね」

師匠「うん、その盆は菫花の分か。では、儂が運んでやろう。あいつと一緒に食べる」

執事「それは構いませんが…次兄様はどうされます?」

次兄「うーん、天気がいいから庭で食べようかなあ。おっさんとポn…菫花さんは親子水入らずで、どうぞ」

……

前庭。

次兄「屋外がこんなに暖かいのも今のうちだろう、これからどんどん秋も深まって冬に近づく」

次兄「ティーセットも貸してくれた、セルフお茶淹れ」コポコポ

次兄「貴重な日光浴の機会です」ズスー

次兄「うーん、この場所はそう言えば野獣様に俺の絵を覗き込まれた場所」モグモグ

次兄「ああ、ジャムべっとりの焼き立てブリオッシュたまんねえ」

次兄「……あの時は、末妹と庭師くんとメイドさんが庭を散歩していたなあ」カチャカチャ

次兄「目の前で作ってくれたチーズオムレツも絶品……っと?」

…メキャベツガ、モウジキタベゴロデスヨ ワア、シュウカクノトキハテツダワセテ! シュウカクゴノクキトハッパモタノシミデスー

次兄「奇しくも三人が今日もお散歩しているではありませんか」

次兄「……相変わらず幼児向け絵本の挿絵のような光景」モグ

次兄「そうだよな、あんな末妹の見た目に…(自主規制)…する変態ではないよなあ、野獣様……」

次兄「その一方で、子供から少女へ、少女から女へ日々成長しつつある末妹」ズビー

次兄「と言うか、その精神は既に俺の精神年齢を追い越して…」

次兄「…物心ついた頃からこちらは後れを取っていたような気もしますが」

次兄「俺も負けずに『大人』にならないとね、色んな意味で」モグモグ

次兄「……それにしても」ゴクン

次兄「手に何か持ってるな、末妹」コポコポ

次兄「大事そうに抱えて、紙にくるんであるけど……」ソヨソヨ

次兄「お、風向きが変わった。こちら側が末妹達に対し風上に」



メイド「ふんふん、ミルクティの匂いがしますー?」

庭師「って言うか、次兄様の匂いだよ。この近くにいらっしゃるよ?」

末妹「お兄ちゃんが?」

灌木の茂み「……さすがにバレますわよね奥様」ガサ

次兄「末妹、今朝は心配かけたね、もう大丈夫」ニヘヘ

末妹「お兄ちゃん!」

……
 


※今回はここまで…※

末妹「もう大丈夫なの? いきなり気絶したから驚いちゃって……」

次兄「おっさん(と野獣様)のおかげですっかり元気に、だからもう忘れて? 忘れて忘れて」エコー

次兄「で、遅い朝食をおっさんは菫花さんの部屋で、お兄ちゃんはお庭で摂っていたわけです日光浴がてら」

末妹「そうだったの……よかった、何かとんでもない病気かと思っちゃった」ホッ

メイド「食べ終わったのでしたら、食器は下げてきましょうか?」

次兄「いいんだ、後から自分で持って行くよ」

次兄「それより、みんな何か用事があって庭に出たんだろう? 俺のことは気にしないで」

末妹「別にお兄ちゃんがいて困る事でもじゃないから、そうだ、よかったら一緒に来て?」

次兄「来て、って、どこへ?」

末妹「裏庭。バラ園に」

裏庭のバラ園。

次兄「……あれ、ずいぶん花や葉が落ちている」

末妹「今の時間は暖かいから意外かもしれないけれど、早朝は急激に冷え込んだの」

末妹「ここのバラは、本来、春から夏までに年一度だけ咲く種類を集めていたそうよ」

次兄「それをおっさんやおっさん仲間の魔法の力で枯らさずに咲かせていたんだな、そして、魔法が解けて」

次兄「よく考えたら200年以上咲き続けていたんだよな、寒さだけじゃなく、その反動もあったのかもね」

末妹「……ええ、そうかもしれない」

末妹「一輪差しのバラも、窓辺に置いていたら冷気に当たったみたいで……」ガサ

次兄「あ、お前の持ってたその包み」

末妹「……花弁も葉も、一気に落ちてしまったの、全部拾い集めたけれど」

末妹「お父さんが、この赤いバラの木から折り取ったバラ、私達が野獣様達に出会うきっかけになったバラ……」

次兄「……」

末妹「近いうち、ここのバラも寒さで全部枯れてしまうはず」

次兄「そうだな、寂しいよな……」シンミリ

末妹「だからね、寒さで枯れた葉や花、剪定した茎も集めて」

末妹「堆肥を作ってね、それで今度はもっと綺麗なバラを咲かせるの」

次兄「『今度』……」
 

末妹「野獣様が仰っていたの、植物は強い、簡単にその命は終わらない、って」

末妹「だから今は枯れて雪に埋もれても終わりじゃないわ、また春になったら花達に会える」

メイド「堆肥の作り方は、以前にご主人様が庭師くんに教えてくださったんです」

庭師「僕が来るまではご自分で野菜や花を育てておられたので、良い配合をあれこれ研究されたそうですよ」

庭師「もっとも、今までバラに堆肥は必要なかったので、初の試みになりますが…」

庭師「今朝このバラ園の様子を見て、せっかくだから落ちた葉を役立てようと思いついたんです」

庭師「みんな寒さで落ちただけで、病気はついていないんです、良い堆肥になると思います」

末妹「……私の一輪のバラは元の木に戻れないまま枯れたけど、今度はバラの木の糧として戻るのよ」

末妹「庭師くんのお話を聞いて、私から、一緒にこれも使ってほしいとお願いしたの」

次兄「……そうか。じゃあ、何を手伝えばいいかな?」

庭師「そうですね、落ちた葉っぱや花弁を拾い集めて、この木箱に入れてください」シャリンガツイテルヨ

メイド「私も非力ですが集めますー、次兄様は力持ちだから助かりますね」

次兄「……そりゃこのメンツの中じゃ一番力持ちだよなあ、俺」

末妹「地面も落ちている葉っぱも乾いているから拾い易いわ。茎の刺に気をつけてね、お兄ちゃん」

……

(野獣「……なるほど、堆肥を作るのか。ああ、うまく発酵してくれるか、カビを生やさないかと心配になるなあ……」ハラハラ)

(野獣「庭師には夢を通して助言を続けてやろう、その前によく思いついたと褒めてやらねばな」)

(野獣「……普通のバラになったからには、冬が近付けば枯れるのは当然だ」)

(野獣「しかし……同時に私の命と共に枯れる運命から解放されたのだ、来年以降も咲くことができる」)

(野獣「末妹は私だけではなく、バラ達をも救ってくれたのだよ……」)

……

次兄「……あらかた集めたかな」フゥ

庭師「おかげで作業がはかどりました、ありがとうございます」

末妹「最後に……私のバラも、木箱の中に……」ガサ

末妹「さよなら」ソッ…

次兄「……」

末妹「……そして、またこのバラ園で会おうね」

…………
 


※今回はここまで、一輪のバラとのお別れでした※

次兄への応援(なのか?)ありがとうございますです

屋敷内某所……

庭師「……で、最初に温度を上げさせると、悪いカビや嫌な臭いの元が退治されるそうです」ペラペラ

庭師「この工程が済めば、その後に出てくる白いモフモフしたカビはむしろありがたいんですって」ペラペラ

次兄(土には良くてもそのモフモフは愛でる気になれんなあ、俺は)

庭師「で、放ったらかしはいけません。時々かき混ぜる必要があります。微妙な変化を見るためにも……」ペラペラ

メイド「……すやぁ」

末妹「メイドちゃん、立ったまま眠ってる」

次兄「講義してくれるのはありがたいけど、そういう話は一緒に作業しながら聞いたほうが覚えられるからねえ」

庭師「それもそうですね。お二人とも滞在中はお手伝いしてくださるなんて、嬉しいけれど申し訳ありませんね……」

末妹「ううん、ぜひ手伝わせて欲しいの。だから色々教えてね」

末妹「ところで、堆肥が完成するのはいつ頃かしら?」

庭師「…………えっと」

庭師「実はですね、一から自分で作るのは初めてなんです」

次兄「はい?」

庭師「今迄、前庭の花や野菜用の堆肥は、ご主人様が以前から作って来たものに新しい材料を継ぎ足していたので」

庭師「いま使える分も裏庭に回すには量が足りないし、せっかくだからバラ専用のやつを最初からやってみようと……」

末妹「そうだったの……」

庭師「夢でご主人様に聞いておきますね」

……

(野獣「庭師め、以前に教えたような覚えがあるのだが、さては忘れてしまったか」)

(野獣「そう言えば講義形式で語ってやった時は居眠りしていたっけなあ……」)

(野獣「あの製法ならば一年ほど熟成させないと、だから来年の春咲きに使うには間に合わない」)

(野獣「……しかし、末妹は『あのバラ』との『再会』を楽しみにしているだろうな……」)

(野獣「それだけじゃない、あの四人の張り切りっぷり…………」ムムム)

(野獣「…………少しだけ魔法で発酵を促進してやるくらいならインチキではないよな? な? なあ?」)

(野獣「私には手を出せないから、菫花に頼まねばならんが」)

(野獣「庭師には『材料と温度湿度等の条件とお前の腕が良かった』と説明して手を打とう」ポン)

……

メイド「ふあぁ、あれ、私、立ったまま寝ちゃってましたねえ」

次兄「器用だなメイドさん」

末妹「ふふ……あら、師匠様と菫花様よ、本のお部屋から出て来た……」

師匠「やあ、君達。窓から見ていたよ、裏庭で遊んでいたのかね」

次兄「庭師君の手伝いで働いていました」エッヘン

王子「ああ、もしやと思ったらやっぱり…堆肥を作ろうとしていたんだね」

庭師「そうか、菫花様に聞けばいいんだ。あのう、堆肥が熟成するまでどれくらいかかりますか?」

王子「…………えっと」

次兄「さっきの庭師君と同じリアクション」

王子「ごめん、城で暮らしていた時は確かに園芸が趣味で、堆肥作りも思い付いた事はあるけれど」

王子「……両親にとっては、作る過程は決して『きれいなもの』ではなかったからね、場所も必要だし」

王子「作り方を勉強するよりも前に、お小遣いで農家から買った方が手っ取り早く、目立たずにできたから」

王子「荒れたここのバラ園を手入れした時も、買った肥料しか使っていない」

次兄「そうか、野獣様の知識はここで一人暮らしを始めてから勉強した成果か」

王子「私も、野獣の経験や知識の全てを『夢で見た』わけじゃない、ところどころの断片しか残っていないんだ」

末妹「菫花様、お身体は大丈夫なんですか?」

次兄「わかった、トイレに行きたかったんでしょ」

王子「確かについでに行っては来たけど主目的じゃないからね、ありがとう、ずいぶん今日は体調がよくなったんだよ」ニコ

師匠「ちょっと屋敷の中をあちこち歩いてみたいと言うのでな、儂もド暇だから付き合ってやっておるのだ」フンス

メイド(ご心配なんですよねー、バレバレです)

次兄「で、次はこっちの部屋に入るんですか? ……俺は入った事ないな、ここ」

末妹「私もよ。メイドちゃん、ここは何のお部屋?」

メイド「……うーん、実は私も入った事ないのです、と言いますか……」

庭師「僕ら使用人、皆この部屋には入らないようにって言いつけられていたんですよ、執事さんさえ」

メイド「色んな理由でいくつか私達が入れないお部屋は他にもあるのですが、理由もなく、というのはここだけですー」

王子「……ここは、私が自分の足で入らなければならない部屋で、自分の目でしっかりと見なくてはならない物があるのです」

末妹「……?」
 


※今夜はここまで。可能ならば明日も少しは…※

師匠「……ひとりで本当に大丈夫か?」

王子「ええ……むしろ、誰かと一緒の方がキツいかもしれませんね」

師匠「それもそうか。では……がんばってこい」

王子「はい」カチャ…

ドア:パタン…

師匠「さて、頃合いを見て迎えに来てやるとして……」

末妹「…………」

師匠「……少女よ、そんなに不安そうな顔をするな。別に、あの部屋には魔物が棲んでいるわけではない」

次兄「そうなんだ、思い詰めた顔してたから、冒険小説にあるような試練の部屋かなんかかと思った」

師匠「……確かに、試練と言えば試練だな、あいつにはな」

師匠「あの部屋に何があるか、話してあげよう。皆、そこの…本の部屋へ」

……

本の部屋。

師匠「この本だったな」カタ

師匠「これはとある著名な画家の自伝だが……名に覚えはあるかね? 少年、君ならば」

次兄「…知ってるよ、自国や周辺国の美術史関係の本は一通り読んだし」

次兄「200年くらい前に活躍した大画家で、王族や貴族の肖像画をたくさん残している」

次兄「他の国の王家からも頼まれて描いていたくらいだって」

師匠「正解だ、少年。では聞くが……『他国の王家』とはどこの国々か知っているかね?」

次兄「え、んと、確か、西の島国と、東と南と北それぞれの大きな隣国、だったかな」

師匠「ああ、公式にはその四つの国だが……実はもうひとつ、異国の王族を描いている」

師匠「自伝にも書き残していないがな、この国から見ると北東に接して『いた』小国の、最後の王と王妃を」

末妹「もしかして……」

師匠「そう、あいつの両親だ。そして、あの部屋にはその肖像画がかかっている」

師匠「……野獣も200年の眠りから目覚めて間もなく、あの部屋を、肖像画を見つけた」

師匠「そこであいつは思い知らされた、幼い頃から両親に受けた扱いを、自分が両親の子である事実を」

師匠「両親が罪人として民と我々魔術師ギルドに処刑された夜を、両親を殺した我々によってまだ生かされている現実を」

末妹「……」
 

師匠「一度に押し寄せるそれらにあいつは耐えられなかった、部屋を飛び出すと鍵と魔法の両方で施錠し、二度と立ち入らず」

師匠「その後に出会った使用人達にも入るなと言い付け、従順な彼らは理由を聞かされずとも素直に従った」

庭師&メイド「……」

師匠「そして、奴は30年ほど経って、ようやくあの部屋に足を踏み入れた」

師匠「肖像画を前に、自分の弱さと、自分の罪、近付いて来る自分の死を、再確認するために」

次兄「それは……!」

末妹「もしかしたら、それは……私達を、二度と会わないつもりで家に送り帰したあとの……?」

師匠「そうだ、その頃には使用人達を解放する決意もしていただろうな」

師匠「菫花は、夢の記憶としてその場面を『思い出し』」

師匠「野獣はひとりで死にゆく覚悟をするために、両親の姿に向き合ったと、知ったのだ」

末妹「……菫花様は……なぜ、あのお部屋に……?」

師匠「あいつはこう言った」

(王子「野獣にとってこの屋敷や森から出られない生活は、むしろ安らぎでもあったでしょう」)

(王子「そんな暮らしの中で最も恐ろしいものはあの部屋でした、ですから人生の最期を受け入れるため足を踏み入れました」)

(王子「私は外の世界と接して生きて行くことにしました、そこにどんな恐ろしい事が待ち受けているか想像もつきません」)

(王子「それならば、屋敷の中で最も恐ろしいものから目を背けていては、先が思いやられますよね」)

(王子「だから私は、皆と生きて行くために、両親の姿に向き合おうと思います」)

末妹「皆と……生きて行くために……」

師匠「続きがある」

(王子「野獣も、本来ならば、可能であるなら、皆と一緒にこの世界で生きていたはず、だとすればやはり同じ事をしたでしょう」)

(王子「これからの人生、私は野獣と共にあるのです。私から今の夢の世界にいる野獣が作られたのではない」)

(王子「本当は、野獣から今の私が切り分けられた」)

(王子「切り分けられたけれど、私は野獣の欠片、この私を作っているものは『野獣そのもの』なのです」)

末妹「……!」

師匠「野獣の『代わり』ではなく、野獣と『一緒に』試練を乗り越える、と……あいつの理屈だと、そう言う事らしい」

師匠「……とか言っておきながら、あいつ、絵を見た途端に気絶でもしていなければ良いのだが?」

師匠「そろそろ迎えに行こうか」

……

肖像画の部屋の前…

師匠「……部屋から出るまでは頑張ったようだな」

末妹「菫花様!?」

メイド「しっかりしてくださいー!」パタパタ

王子「」グテー

師匠「しっかりせえ、ほれ、儂の苦手な(しかもしょぼい)回復魔法っと」ポニュン

王子「……あ?」パチ

師匠「どうだ、向き合えたか?」

王子「……皆さん……」

次兄「おっさんから聞いたよ」

王子「……ええ、どうにか、乗り越えることができました」

王子「絵は絵です、きっと、今度は普通にここへ立ち入れるようになるでしょう」

王子「……ただ、次回はもう少し時間を置かせてほしいですけどね」

師匠「ここに入るも入らないもお前の自由よ」

師匠「早い話が儀式に過ぎんからな。客観的には無意味でも、当事者が何かを得たと言うのなら、それが儀式の存在意義だ」

師匠「儂もそれに倣って、強くなったではないかお前も……と、言っといてやろう」

王子「……ありがとうございます、師匠」ヨイショ

末妹「立ち上がって大丈夫ですか?」ハラハラ

王子「ええ、身体はほとんど大丈夫です。……あの、そのうち、乗馬を教えてくださいね?」

王子「さっき気絶している間、野獣に『馬に乗れるようになれ、末妹(さん)の教えを乞え』と言われて……」

次兄「え、菫花さん馬に乗れないんだ、王子様なのに!?」

末妹「お兄ちゃんったら……私も野獣様と約束しました、私でお力になれるのなら」

メイド「打ち身の痛みに効くハーブティーってあったかしら?」

王子「もう落馬すること前提ですか……?」

庭師「末妹様の馬さんなら優しいから、きっと大丈夫です、僕も手伝いますよ!」

師匠「……ふむ」

師匠(お前に『も』友達がいつの間にかできたようだな、よかったではないか。自覚するまで儂からは言わないが)

…………


※ここまで。諸事情につき多忙だったりなんだりで次回までしばらく開きます、すみません※


もう少し、です。

おっさん達のティータイム
http://m1.gazo.cc/up/23404.jpg

なにげに食べ物の描写も秀逸
胡桃ぎっしりのサブレ、甘いココア、林檎のコンポート、ブリオッシュにチーズオムレツ…ああ旨そう食べてみたい
メイドちゃんが草食べてるシーンすら美味しそうww

王子「気を失っている短い間の話ですが、野獣はよく頑張ったと言ってくれました。あと、これからも頑張れと」

王子「門の外に出て、森の外に出て、出来ることを増やし、出会う人々を増やし」

王子「……助けてくれる存在がいるのだから、恐れるなと」

末妹「……」

師匠「馬に乗れと言うのもその一環か」

王子「ええ、でも、その前に…」

…………

その夜。

(野獣「森の外側に本当に出られるか試してみたい、とそう言うのか…」)

(次兄「おっさんと二人で瞬間移動でもして森の端っこに飛んで行けばすぐ済むでしょーが」)

(次兄「おっさんが冗談で弁当持って遠足でもしてくるかと言ったもんだから」)

(次兄「メイドさんが本気に取った上に大乗り気で、張り切って準備しますよ、と」)

(次兄「となるとおっさんも冗談とは言えないし、じゃあせっかくだから皆で行こうかと」)

(次兄「おっさんの診立てでは、もう一晩も休めば菫花さんの体調も問題なかろうって話だし」)

(次兄「……と言うわけで明日は菫花さん父子と小獣コンビと俺達兄妹と執事さんと料理長さんでピクニックへ」)

(野獣「要するに全員ではないか」)

(次兄「執事さん料理長さんは残るから行ってらっしゃいと最初は」)

(次兄「でも留守の護りならおっさんが魔法で半日くらい屋敷を隠蔽するのは訳ないからって」)

(次兄「あとはついでにキノコや木の実狩りでもして来ようと、それなら料理長さんも仕事になるし」)

(次兄「執事さんは道中の対野生動物型護衛要員として」)

(野獣「師匠がいれば護衛は事足りるがな」)

(次兄「ええ、実際は大きな獣や人間には遭遇すらせずに済むよう対策するってコッソリおっさんは言ってました」)

(野獣「……執事が一緒で正直嬉しいのだろう? お前は」)

(次兄「はいそれはもう!!」キラッキラー)

(野獣「…………で、当の本人は?」)

(次兄「菫花さんは話の進行に置いてきぼりでポカーンと」)

(野獣「うむ、予想はできた」)

(次兄「末妹が心配して声かけたら、我に返って状況把握してると言ってたので大丈夫かと」)
 

(次兄「ところで野獣様、なぜ今夜も俺が最初なんです? 昨日の今日なら、真っ先に末妹でしょ?」)

(野獣「う」)

(次兄「ま、なんとなく気まずいのもわかりますがねー」)

(野獣「ううう」)

(次兄「……あの子なら大丈夫ですって、それより毎度俺の後回しにされたらいいかげん嫉妬しますよ?」

(次兄「俺個人としては、我が家の天使と呼んでも過言ではないと思っている程ですが」)

(次兄「末妹も聖女ならざる普通の女の子です、たまぁには拗ねたりヤキモチ焼いたりするんだから」)

(野獣「……」)

(野獣「そうだな、お前達の帰宅する日も近付いているし、私も…思い出を増やしたい…」)

(野獣「ありがとう、末妹に会いに行く。……気を遣わせてすまんな、次兄」)

(次兄「いえいえ、本当に恋敵になっちゃったとはいえ変わらず可愛い妹ですからねー」)

(次兄「では、このへんで眠りの呪文プリーズ。おやすみなさい」)

(野獣「ああ、またな」ニコ)

(次兄「ささやかな願望として、野獣様の胸に抱かれて眠りに落ちたいなー」チラッ)

(野獣「とっととおやすみ」ポワワン)

…………

(末妹「師匠様は、間違いなく呪縛は解けていると仰ったのですが」)

(野獣「……自分の目で自分の足で実感したいと、菫花はそう言うのだな?」)

(末妹「ええ、野獣様の記憶の夢では、それが野獣様の望みでもあったから、と……」)

(野獣「ああ、確かに解放された暁にはそうしたいと…思っていたよ」)

(野獣(末妹、本当に普段通りだ。次兄の思った通り、私が妙に意識し過ぎるのだな))

(末妹「野獣様、菫花様の新しい第一歩を見守っていて、見届けてくださいね」)

(野獣「ああ、勿論。お前達も、あいつをよろしく頼む」頭ポン)

(末妹「はい」エヘ)

(野獣「……もうひとつ頼みついでに」)
 

(野獣「菫花だがな、王子の地位は失ったし、お前や次兄とそう年代に差があるわけじゃない」)

(野獣「あいつは思ってもなかなか言い出せない性格だし」)

(野獣「礼儀正しさはお前の美点でもあるが」

(野獣「……『様』付けはそろそろ変えてやってもらえないだろうか?」)

(野獣「普通の、どこにでもいるようなハタチの若者として接してほしいのだ」)

(野獣(更に言うなら精神年齢は末妹より幼いぐらいだし……))

(末妹「……でしたら、次兄(あに)に倣って『さん』付けで」)

(野獣「うむ、そうしてくれるとありがたい」)

(末妹「……あの、野獣『様』は、そのままでもよろしい……でしょうか?」)

(野獣「……ううむ、そう言えばあまり意識していなかったが、なんとなく定着してしまった感があるからな……」)

(野獣「お前が呼び易ければそれが一番だと思うぞ」)

(末妹「……ちょっと試してみても……いいでしょうか?」)

(野獣「ああ、構わんよ」)

(末妹「……野獣『さん』……」ボソ)

(野獣「……はい。」オヘンジ)

(末妹「~~~~~~~~~~っ」ボボボッ)

(野獣「な、何故赤面するのだ!?」アワワ)

(末妹「わ、私にもよくわかりませんっ! でも、何故か気恥ずかしいのです!!」ペチペチペチペチ)

(野獣「ああ、こら、赤面する度に自分の頬を叩く癖は直しなさい!!」アタフタ)

(野獣「……な、今迄通りでよい、さっきも言ったが、お前がその方が自然に呼べるなら……」)

(末妹「……そ、そうですね……」シュゥゥゥ)

(野獣「ほら、深呼吸でもして」)

(末妹「え、ええ…」スーハー「……はふ。落ち着きました、すみませんでした……」)

(野獣「まあよい。とにかく、森の中は足場の悪い場所もあるから気を付けるんだぞ、お前は特に」)

(野獣「……いや、次兄や菫花の方が運動神経という点ではより不安かもなあ……」)

(末妹「あの、失礼かもしれませんが……師匠様は?」)

(野獣「あの人はああ見えて頑健かつ身軽なのだ、私が知っていた頃より多少お年を召したとは言え、まだまだ……」)

……
 


※お久しぶりです。今夜はここまで……次回で「ある意味『一区切り』」となる予定です※

>>954 今や屋敷の保護者ポジション三人組、ありがとう!!あと食事シーンは作者が楽しんでいたりしますww
 

翌朝、東屋。

馬「ひひひん!」

末妹「ごめんね、お留守番させちゃうけど、師匠様がお屋敷ごと魔法で隠してくださるから安心してね」

末妹「今日のコースは馬さんには足場の悪い所もあるし、明日から忙しくなる分、今日はゆっくり休んで」ポンポン

馬「ぶひひん♪」スリスリ

末妹「いい子ね」ナデナデ

庭師「ブラシ終わりましたよ、末妹様!」ピョン

末妹「庭師君、いつもありがとう」

師匠「ふむ、つくづく良い馬だな。明日からの菫花の訓練用には勿体ないくらいだが……」

師匠「ま、下手な馬に乗せてド初心者のあいつに怪我をされても困るからなあ。よろしく頼むよ、末妹嬢?」

末妹「……とにかく最初は慣れていただく事が大切です、私にできるのはそのためのささやかなお手伝い」

末妹「菫花様…さんは野獣様と同じで優しいかたです、だからいずれ相性の良い馬とも出会えるでしょう」

師匠「ふむ、確かに少年の頃から臆病者のくせに動物好きではあったからな……」

師匠「なあ馬よ、明日からあの腰抜けを頼むぞ、ん?」ポン

馬「ふひひんひぶるるひん」サイゼンヲツクシマス

末妹「じゃあ、また夕方にね、馬さん」

…………

少し後、屋敷正門の出口。

王子「……野獣は時々森に出掛けては、森と外との境界、自分の足が止まる場所は何処か、…を確かめるように歩き回りました」

王子「勿論、彼が森に出掛けたすべての回数を私は夢に見た(覚えていた)わけではありませんが」

王子「それぞれの方角がどのような場所かはだいたいわかります」

王子「この森は屋敷がほぼその中心にあり、四つの角が東西南北を指した正方形に近い形をしていて」

王子「北西には大きな川、南西や南東は人里や街道に近い、北東は平原と接しその先には隣国との国境である山脈が聳え」

王子「風景も一番良いけれど、人目につく可能性が薄いのはなお好都合、野獣が他の場所より多く北東の境界線へ足を運んだ理由です」

王子「……というわけで、北東の『森の出口』が今日の目的地です、皆さん」

師匠「ではそろそろ発つか。隠蔽魔法をかけるぞ」

次兄「……すごい! 本当に見えなくなった、屋敷や塀のあった場所に森が広がっている」

師匠「巨大な鏡の箱ですっぽり覆ったと考えてよい。周囲の風景が映り込んでいるのだ」

師匠「それから、我々以外でここに近付く者は、理由はわからぬままにこの場所を回避するようにしてある」

師匠「塀より内側におれば何が変わったのかさっぱりわからないのだがな」

末妹「……行ってきます、馬さん、そして野獣様」

……
道中、森の中。

執事「メイド、わたくしから離れるなよ?」

メイド「は、はい!」ピッタリ

庭師「僕も料理長さんも周囲を見ているよ、安心して、メイドちゃん」

末妹「それに、私達もいるわ」

次兄「ん? 結局、執事さんが行くことに決まってから、おっさんは護衛の魔法のネタばらししたんでしょ?」

師匠「ああ、しかしそのことで執事と話していくうちに、メイドにはやはり護衛が必要とわかってな」

次兄「ということは……おっさんの魔法で避けられるのは大きな動物、ってあたりに問題が?」

師匠「鋭いな少年。この呪文は人間の旅の安全を図るため肉食の獣を近寄らせない効果がある」

師匠「かと言って、小獣まで避けていては、例えば旅の途中で毛皮が必要になった時に不便極まりない」

師匠「だから、大きさで言えば狼やせいぜい大山猫までが最小限度だ」

師匠「狐やイタチの類は人間にも同行する馬にも殆ど脅威にはならんし、同時に良い毛皮の供給者だ」

次兄「なるほど、でもウサギには充分過ぎる脅威ですもんね、その獣たち」

師匠「魔法とはあくまで人間を基準として発達し細分化し掘り下げられた、当然ではあるが、改めてそう感じたよ」

王子「……(人間が基準)」

師匠「どうした、もう疲れたか? かなりゆっくりペースで来ているのだがな」

王子「いいえ、ちょっと考え事を……」

王子「……我々が使う魔法の存在そのものが、人間の勝手ですよね、なんて事を……」

師匠「ああ、それだから今の時代には必要ない存在なのだ」

師匠「この200年間、魔法に代わってどんな人間にも使用可能な様々な『力』が、これまた人間の勝手で強くなりつつあるからな」

師匠「……ま、その手の話は退屈な秋の夜長にでもゆっくり語り合おうか、それより……料理長が立ち止まったぞ」
 

料理長「くんくん……この匂い、周辺に食用キノコが生えています。採取は帰りにするとして、場所の確認だけしておきましょうか」

料理長「次兄様、末妹様。よろしかったらご一緒しませんか、見分け方を教えますよ」

末妹「わあ、いいんですか? 面白そう!」

次兄「『ジュニア毒キノコの見分け方入門』って本は読んだことはあるけど……」

料理長「それより食べられる種類を覚える方が早くて安全なのですよ。さ、こちらです」ポッテポッテ

庭師「僕も手伝いますよー」タッタッタ

執事「わたくしは荷物番も兼ねて待っています」オスワリ

メイド「当然私も」チョコン

師匠「儂も少し休むか、と」ドッコイショ

王子「……ふう」ヨッコラショ

師匠「やはり疲れたか。仕方ないか、思ったよりずっと回復は早かったが、まだ病み上がりには違いない」

王子「平気です、いえ、確かに疲れはしましたが、この程度は少し休めば」

王子「そもそも…ここまでほぼ平地で来ましたが、この先は歩きにくい斜面を登ります、今へばっている場合では!」キッ

師匠「うむ、頑張れ頑張れ。人生にはちょっとくらいの無理は必要なのだ、たまにはな」



料理長「……小さすぎるキノコや、逆に育ち過ぎたものは採りません。ほどよい大きさのものも採り尽くさず残しましょう」

料理長「この場所からこの種類の群生をなくさないためと、お仕えして間もない頃のご主人様の教えです」

次兄「さすがは野獣様」ウンウン

料理長「こちらのキノコ。人間には苦いだけらしく食用には向きませんが、毒ではないので山の動物達は食べます」

料理長「で、この2つはご覧の通りそっくりで生える場所も似ていますが、区別の仕方はわかりますかな?」

末妹「……え、ええっと……?」ミワケツカナイ

庭師(僕らは匂いで違いがわかるけどね)

次兄「……あ、裏側の色か、こっちは黄色がかった白、こっちはよく見ると薄い灰色だ」

料理長「正解です、さすが次兄様」

庭師「すごいなあ! 人間のひとだから鼻も利かないのにと思ったら、こんな微かな色の違いで見分けるなんて」

末妹「お兄ちゃんすごい、やっぱり絵を描く人は観察眼が違うのね」

次兄「うひょひょ、皆、もっと褒めてもいいのよ?」



料理長「お待たせしました、皆様」

末妹「食用キノコが3種類も見つかったの」

師匠「ほうほう、それは後から楽しみだな。酒のつまみに持ってこいだ」



庭師「思っていたよりは急な斜面だなあ、僕にはなんでもないけれど」ヒョイヒョイ

料理長「わしもまだまだ若い者には負けないつもりですぞ」モッコモッコ

メイド「菫花様ぁ、大丈夫ですか?」ピョンピョン

王子「……ぜえはあ……や、野獣がここを登っている姿は、大した事ないように見えたけど……」フラフラ

王子「体のサイズからして違う事を忘れていました、彼との対比で、この斜面も小さく見えていた、のですね……」フラフラ

師匠「儂にもそれほどの斜面とは思えんのだが……それはともかく、手を貸そうか?」

王子「結構です……さっき拾った棒を…杖にしていますから……それに、この程度で……へこたれ……」ヒザガクガク

執事「末妹様は大丈夫ですか?」

末妹「私は平気、でも」チラ

次兄「ピ……ピクニックって…言ってたよねえ……登山とは、聞いていないわよ、奥様……」ヨロヨロ

末妹「二人とも、野獣様のご心配が当たっちゃった……」



そのころの野獣。

(野獣「指で『仮想の窓』を開く、と」シュパー)

(野獣「……此処に来てすぐの頃は、塀に囲まれた屋敷の敷地内しか見えなかったが」)

(野獣「この世界での力がまだ充分はなかったのだろう、日を重ねるごとに塀の外側の森の中も、遠くまで見えるようになった」)

(野獣「今日はもう森の境界線の様子も間違いなく見えそうだ。さて、あいつらは何処にいるやら」)

(野獣「お、いたいた。北東に向かっているか……」)

(野獣「…………あの斜面、菫花と次兄の体力ではやはりキツいようだなあ」フゥ)

(野獣「この二人に合わせて皆ゆっくりペースとは言え、末妹は元気で何より」)

(野獣「師匠も軽々と歩いている、あれで全く魔法を使っていないのだからなあ、相変わらず丈夫なかただ」)

(野獣「あ、菫花の足が縺れてよろけた、ああ、次兄にぶつかって、わああああ!?」)

(野獣「…………執事の支えと師匠の呪文が間に合った、危うく次兄も菫花も斜面から転げ落ちるところだった」ホッ)

(野獣「しっかりしてくれよ、本当に……」)


※今夜はここまで。ピクニック回つづく。※

師匠「もう少しだ、頑張れ。登り切ったら二人に(しょぼい)疲労回復魔法をかけてやるぞ」

次兄「……ほ、ほんと? ありがたひぃぃぃ……」フラフラ

王子「こ…これは私の試練なので…魔法での回復は不要です……次兄君にだけ、かけてあげてくださいぃぃ……」ヨタヨタ

次兄「」

次兄「……お、お気持ちだけで結構、俺もいりまへん」ヨレヨレシツツキリッ

メイド「次兄様、ここで張り合わなくたっていいんですよお」

師匠「気が変わったら儂はいつでも応じてやるぞ」

末妹「お兄ちゃん、本当にもう少しだからね……」



師匠「登り切ると……ほら、いい景色だぞ。ご覧」

執事「……ああ、なんとなく見覚えがあります。ただの狼だった頃に来た事があるのでしょうね」

料理長「狼さんは行動範囲が広いですからなあ……わしは森の暮らしは長かったが、この場所は初めてです」

メイド「ほあー、向こうの高いお山はもう雪化粧ですねえ」

庭師「あれー、この草原、草が枯れ始めて……なんだか菫花様の髪のような色になっていますよ」

末妹「わあ、草原がお日様の光できらきらしている、向こうのお山も真っ白で、きれい……」

(野獣「ふむ、境界線の外も壁に阻まれたように見えなくなるわけでもないのだな」)

(野獣「自身がこの場所に立った時と同じように、目が届く範囲の外の世界は見えるのか」)

師匠「夕日を受ければ金灰どころか黄金に輝いて見えるのだろが、帰り時間を考えるとそこまで長居はできないかな」

次兄「……にぇ? 帰りも、歩き、でひゅかぁ……」ヘロヘロ

末妹「お兄ちゃん、見て、素敵な景色よ」

王子「…………」ヘニョヘニョ

師匠「おう、既に声も出ないか、しかしよく頑張ったな」

王子「」ドサァ

末妹「!?」

師匠「大丈夫だ、このまま少し休ませてやれ」

次兄「俺も休憩しましゅ……」グニョー

師匠「二人とも、もう少したくさん食べて身体動かして日に当たらんとな、これからは」



次兄「……んあ?」パチリ

末妹「目が覚めた? お昼にしましょう。料理長さんの作ってくれたお弁当よ」

料理長「チーズとハムのサンドイッチ、豆のピクルス、スモモの蜂蜜煮ですよ」

執事「わたくしと庭師は、塩もスパイスも使っていない特別製の茹でソーセージ」

庭師「これも料理長さんのお手製ですね、おいしそう」

執事(いつもの原形を留めた臓物では、人間の皆さんの前ではちょっと見た目が悪いですからな)

料理長「わし用は、今日はリンゴです、それからこれはメイドちゃんの干しクローバー」

メイド「フレッシュな草を現地調達すると食べ過ぎるから、自重して今回はこれだけですー」

師匠「湧き水を汲んで来たぞ。お茶にしよう」

執事「銅の茶器セットとヤカンを持っては来ましたが、しかしお湯は?」

師匠「そうだな、ここは遠足らしく、そのへんの石で簡易なかまどを組もう」



師匠「……できたな。では、水を満たしたヤカンをかまどの上に置いて……」キュリーン

ヤカン:フツフツ…シュンシュンシュンシュン

次兄「え、ここまでしたのに魔法で沸かすんですか? かまど組んだ意味は!?」

師匠「こういうものは雰囲気が重要なのだ、それに空気が乾燥しているから火を使いたくないのでな」

王子「……ふにょ?」パチリ

師匠「やっと目が覚めたか。ほれ、起き上がってまずは熱い紅茶でも飲め」

王子「……気絶していたようですね。我ながら情けない……」オチャズゾー

師匠「今更くよくよするな、お前が情けないのは周知の事実だからな」モグモグ

王子「」

次兄(おっさん辛辣)モグモグ

末妹「スモモの蜂蜜煮どうぞ。紅茶に合いますよ、菫花さん」

王子「あ、ありがとうございます」

次兄「……あれ、呼び方変えたの?」ヒソヒソ

末妹「う、うん。お兄ちゃんに合わせたの」ヒソヒソ

王子「……」

王子(今朝がたに見た夢で、彼女からの呼び方が変わっても自然に受け入れるように、と野獣が言ってた)

王子(今日のこの様子も、きっと窺っているのだろうな)モグ

師匠「ふむ、シンプルだがいずれも美味いぞ、料理長」

料理長「ありがとうございます」

メイド「しゃくしゃくしゃく……」

庭師「メイドちゃん、現地調達はしないんじゃなかったの?」

メイド「草じゃなくて木の葉だからセーフですよーだ」



メイド「ちょっとだけ、食べすぎました……ちょっとだけ」グェプ

庭師「今度は僕には責任ないからね!」

王子「……」

師匠「……さて、昼食を食べて一息ついて、そろそろ今日の第一の目的に取り掛かろうか……?」

末妹「第一の目的」

王子「……野獣は、ここを訪れると……」ガサ

王子「ああ、ちょうどこの場所です。ここから見た向こうの山の形といい」

王子「……今、私が立っている場所から半歩前へ、両脇の2本の白樺を結んだ線があるとして」

王子「その線を越えようと試みた野獣の足は凍りついたように動かなくなった、何度試しても」

王子「……森と外の世界との境界が、そこなのです」

師匠「そう、そしてお前は、自分の足でその線を越えに来た」

師匠「いや、越えられるのか確かめに来たのか、それとも……」

師匠「……越えられるほどの度胸が自分にあるのか、それを試しに来た、かな?」

王子「…………」

王子「野獣と一緒に試練を乗り越え、野獣と共に生きて行く、そう誓いました、約束しました」

王子「……なのに、なぜ私の足はこれ以上前に進まないのか」

王子「きっと彼は今も見ているのでしょう、もどかしいと思っていることでしょう」

王子「……わかっています、わかっているのに……」

(野獣「……短い期間に一度に何もかも乗り越えようなんて、お前には最初から無理なのだ」)

(野獣「焦らなくて良い、気負わなくて良い、お前が弱い事は私が誰よりもわかっている」)

(野獣「もう少しだけ時間が必要だ、師匠も皆も、それは理解を示してくれる筈だ、ゆっくりと……」)

師匠「……出直すか、何も今日でなければ駄目だと言う理由もない……」フゥ

末妹「…………」

末妹「菫花さん!!」ザッ

王子「……え?」

末妹「右手、失礼しますね!!」ギュ

王子「え? え??」アタフタ

末妹「お兄ちゃん、左手をお願い!!」

次兄「お、おうっ!?」パシッ

王子「」

メイド「あっこれ知ってます、『両手に花』って人間さんは言いますよね? 次兄様がお花かはさて置きー」

師匠(息の合った兄妹…と言うより、ほぼ条件反射だな)

末妹「さあ菫花さん、私達と一緒に」

末妹「……一緒に、前に進みましょう。野獣様もきっと背中を押してくれます」

末妹「この手、離しませんから」キュッ

王子「……末妹さん」

(野獣「末妹、お前……」)

次兄「お、俺も離さないからね!? 野獣様が一部始終見守っている限り、何が何でも!」ガッシ

次兄「って言うか、一回踏み越えない限りは絶対離さないよ! 屋敷に帰っても寝る時もトイレでも一緒、嫌でしょそんなのは!?」

王子「……う、うん。確かに」コクコク

末妹「さあ、1、2の3、で行きますよ、いいですか」

王子「……わかった」コク

メイド「がんばって、菫花様」 庭師「きっと大丈夫!!」

末妹「いーち、にー、の……」

三人「さんっ!!」

…………

…………

何を恐れていたのだろう、外の世界をだろうか、いや、おそらく違う

閉じこもっていられる理由を、自分以外の何かのせいにできなくなる、そっちのほうを。

……そして、きっとそれは彼女に見抜かれていた……

…………

末妹「……『境界線』の外ですよ?」ニコ

王子「う、うん……出られた、出られるんだ……」ボー

次兄「野獣様ぁー、見てますかぁー?」テンヲミアゲテ

王子「……ありがとう、二人とも。たったこれだけの事なのに、僕は何を恐れていたんだろう……」

王子「そう、何も怖い事はなかったんだ」

王子「少なくとも、君達が……こんなに優しい君達が、生まれ育った世界で」

王子「……そして、図書館の娘さんが幸せに暮らしていた世界なのだから」ニコ

庭師「菫花様ー!」タタタタ

メイド「できたじゃないですか、信じてましたよー!」ピョンピョン

王子「ふふ、君達も応援してくれたね、ありがとう」

師匠「やれやれ、相変わらず子供だな、単細胞の弟子よ」

師匠「この程度で調子に乗って甘く見ていると……」

師匠「…………」チラ

料理長「よかった、本当に、よかった……長生きはするものです」

執事「ご主人様、ご覧になっていますか……貴方様が30年間夢見た外の世界へ、菫花様が……」

師匠「……ま、良いか。この光景に水を差すほど野暮でもない」

師匠「全く、どいつもこいつもあいつに過保護で、先が思いやられるわい」オチャズソー

(野獣「……貴方も相当ですよ、師匠」)

(野獣「菫花よ、お前の人生の時間では、愛する女性を永遠に失って見知らぬ時代に放り出されて、まだ日も浅い」)

(野獣「しかし今お前は孤独ではない。大丈夫、多少情けない程度では見捨てたりしない者達ばかりだからな」)

(野獣「……多少、で済むように頑張ってくれよ?」)

(野獣「そして、ありがとう末妹……お前という娘は、本当に……」)

その日の夕方……

師匠「さて、隠蔽魔法は解いたぞ」

屋敷の門:ギイィィ…

次兄「たっだいまー!」

メイド「帰り道は師匠様の回復魔法のおかげでお元気でしたねー」

末妹「そうだ、馬を見て来なきゃ。餌やお水は置いてきたけど、寂しがっているかも……」

庭師「僕も行きますよ、ブラシかけてあげよっと」

次兄「水を新しいのに取り換えたりしなくていいかな? 手伝うよ」

メイド「うわー、次兄様が自分からお仕事を申し出るなんてどういう風の吹きまわしでしょう」

料理長「わしは帰り道で採って来たキノコをきれいに掃除して、そして夕食の準備をしましょう」

メイド「私もお夕食の準備にー」

料理長「今夜は三種のキノコのソテーですよ、師匠様。ワインもおつけしましょう」

師匠「うむ、楽しみにしているよ」ホクホク

執事「菫花様、お疲れですか?」

王子「いいえ、大丈夫です。ありがとう」

王子「なんだか、疲れているはずなのに今は体も心も、とても軽いのですよ」

王子「……あの線を越えてから、思い込みかもしれないけれど、何かが僕の中で変ったようで」

執事「ええ、表情が明るくなりましたねぇ」シッポユラユラ

師匠(一人称も変わった、と言うか、昔に戻った)

師匠(十代半ばから父王に威厳のある喋り方をしろと矯正されて、一人称は変わったが気弱そうな口調はとうとう変わらず)

師匠(王が後継ぎとしてのこいつを見限るようになったのは、そのあたりだったか)

師匠(今となっては、見限られて良かったわ。おかげで、性格は親に似ずに済んだからな)

師匠(……いいや、儂のその認識こそ間違いかもしれん。元々こいつは、親のようになる要素は持っていなかった)

師匠(王、いや、進む道の分かれた元・学友よ。お前の過ちは、自分の子を愛さなかったことだ)

師匠(この子は、お前の救いになったかもしれないのにな……)

王子「そうだ、馬に挨拶をしてこようかな? 明日からよろしく、と……」

…………


※今回ここまで。日にち空いちゃってすみません。次回までにちょっと書き溜める予定です※

…………

屋敷の中庭。前庭や裏庭と違い、芝生以外は特に何もない場所……

馬「ぶるる……」カッポカッポ

王子(鞍上)「……意外となんとかなるものですね、講師と馬が良いのは前提として」

庭師(馬の頭上)「僕はー?」

王子「勿論、君もいるおかげだよ。役目は助手ってところかな……」

末妹(手綱の引き手)「菫花さんが積極的な事が一番ですよ」

次兄(見てるだけ)「いや、末妹はやっぱり人に何か教えるのが上手なんだよ」

末妹「お兄ちゃん?」

次兄「お前の友達……友3ちゃんだよな、昔から勉強教えてあげていたんだろ? 放課後や休みの日にさ」

末妹「学校の、私達の先生はいい先生だけどちょっと厳しくて」

末妹「友3ちゃんは委縮しちゃうのね、気を楽にして取り掛かればちゃんと頭に入って行くのに」

末妹「でも最近は自信がついてきたみたいで成績も上がって、たまにしか聞いて来なくなったわ」

王子「……それが成果ですよ。お友達の成績が上がったのは、末妹さんのおかげ」

師匠(冷やかし)「成績が上がった以上に、自信がついたのはその子にとってよかったと思うぞ」

師匠「そんな素晴らしい先生がついているのだから、お前も成果を上げなくてはな、菫花」

王子「わかっています、既にほら、落ちずに馬に乗れているじゃありませんか」

師匠「ああ、以前のお前の乗馬はひどかったからなあ」

馬「ひん」カッポカッポ

末妹「友3ちゃんにも、菫花さんにも、私ができるのはちょっとしたお手伝い」

末妹「少しでもお役に立てるのなら、それだけで嬉しいです」

庭師「僕、これが終わったらバラの堆肥の様子を見てきますね」

…………

少しのち、裏庭の片隅……

木箱の蓋:カパァ

庭師「……あれ? 仕込んで二日しか経っていないのに、もう熟成完了している??」

…………

昼食時後のくつろぎタイム。

次兄「あの堆肥がもうできているって?」

庭師「確かにあれから暖かい日が続いて、条件は悪くはなかったんですけどね」

庭師「菫花様にも見ていただいたのですけど、なかなか質の良い物が出来上がっているって、へへ」

末妹「すごい、庭師くんの腕が良かったのよ」

王子「……(夢で野獣が……)」



(野獣「……というわけで、お前には庭師達が作ったバラの堆肥を熟成させてほしい、秘密裏にな」)

(野獣「ほら、自家製酒の熟成期間を短縮させる呪文があっただろう、我々は下戸で酒に興味がないから忘れていると思うが」)

(野獣「短縮と言っても通常はせいぜい八掛け程度だが、そうだな、お前の魔力なら……」)



王子(……だからって、ちょっと短縮し過ぎたな、ついつい力を入れ過ぎて呪文が暴走してしまった……)

王子(幸い出来上がりは悪くなかったし、今のところバレてはいないみたいだけど)ドキドキ…

庭師「でも、これで確実に雪が降る前にバラ達に肥料をあげる事ができます」

末妹「ふふ、今から来年のバラが楽しみ! きっときれいに咲くわ……」

王子「……」

王子(ま、喜んでくれるなら、いいかな……)

……

夢の世界。

(末妹「菫花さん、頑張り屋さんです。お身体ももうすっかり心配なさそうですし、あの様子ならすぐに上達するでしょう」)

(野獣「末妹が付いていてくれるからだよ。昨日といい今日といい、お前のおかげであいつも……」)

(野獣「で、いずれこの屋敷でも馬を飼う話を師匠と菫花で検討しているそうだな?」)

(末妹「ええ、うちの子のような大きな馬までは必要なさそう、それでも丈夫であることに越した事はないだろう、と」)

(末妹「それなら騾馬がいいんじゃないか、って師匠様が」)

(野獣「ああ、いいかもしれん。騾馬と言っても色々いるから、一概には言えないが」)

(野獣「子供の頃に見た、司教様の乗っていた騾馬は本当に可愛らしかったなあ!」)

(末妹「……くす」)
 

(野獣「ん? 何かおかしかったか?」)

(末妹「ご、ごめんなさい。騾馬の話を師匠様が出した時、菫花さんも『騾馬は可愛いから賛成です!』…って」)

(野獣「う、うむ……別にお前が謝ることではないが」コホン)

(末妹「騾馬、可愛いですよね。お耳とか特に」)

(野獣「そ、そうだな、可愛いよな……」)

(末妹「こんな感じですよね。兎さんみたいな耳で、よく動いて……」ピコピコ)

末妹は両手の指を頭の横に立てて動かした。騾馬の耳を真似ているのだろう。

(野獣(……そうしているお前はもっと可愛いぞ))

(末妹「そうだ、野獣様がご覧になった司教様の騾馬は、どんな子だったのですか?」)

(野獣「え」)

(野獣「……えーと……なにぶん昔の話だから、だが、覚えているぞ」)

(野獣「体の毛は灰褐色、鼻先と目の周りが白くて、長い耳の内側も白くてふかふかだったな」)

(野獣「そして、黒い目は笑っているようで……本当に愛らしくて美しい騾馬だったよ」)

(末妹「じゃあ、そういう子が来てくれたらいいですね」)

(野獣「ん、騾馬を飼うのはもう決定なのかい?」)

(末妹「はい、師匠様に協力してくださったお弟子様のご子孫のかたが、家畜の生産者にも顔が広いとのお話なので……と」)

(末妹「師匠様はさっそくお手紙を書かれるそうですよ」)

(野獣「なるほどね……楽しみだな」)

(末妹「楽しみと言えば、私たちもお手伝いした庭師君のバラの堆肥がもう完成したんですよ。ご存知でした?」)

(野獣「……お、おう、それは知っているぞ、すごいな、気候も材料もよかったが、何より庭師の腕がよかったのだ」)

(野獣「もちろん、末妹や次兄、メイドも手伝ってくれたおかげだな、ははは(……バレてないバレてない、大丈夫)」ドキドキ)

(末妹「明日、お天気が良ければみんなで堆肥をバラ園に埋める作業をしますよ」)

(野獣「お前も? お前に力仕事をさせると言うのか」)

(末妹「ぜひやらせて欲しいってお願いしました、迷惑にはならないよう頑張ります」ニコ)

(野獣「みんなって事は次兄もか? あいつも自分から申し出たのか?」)

(末妹「ええ、兄も。乗り掛かった船だしー、と言って、自分から」)

(野獣(遠足で体力のなさを改めて自覚したのかな……))

…………


※今夜はここまで。省略できる部分は省略した書き方をしようとは(今更)思いつつ……※


お馬さん何気に出番多いよな
庭師くんと仲良くて微笑ましいわー

……………………

(「…今日の昼間のこと、どのくらいご覧になっていました?」)

(「……」)

(「午前中から今日は裏庭のバラのために堆肥を埋める作業をしました、お天気も良かったので」)

(「庭師くんと執事さん、メイドちゃん、菫花さん、次兄(あに)、そして私の6人で」)

(「執事さんがいたので、力仕事は助かりました。メイドちゃんは穴掘るのが早いんですよ、道具もないのに」)

(「でも、今朝から兄と菫花さんは筋肉痛であちこち痛いって」)

(「師匠様が『一昨日の遠足が今頃来たか、お前たちそんなに若いのにどうなっておるのだ!?』って」)

(「ええ、畑作業はふたりとも頑張っていましたよ」)

(「執事さんの新調した作業着姿が新鮮だ、と痛がりながらも兄は喜んでいました……」)

……………………

(「…だって執事さんたら遠足の時もいつものスーツで来るんですよ?」)

(「だからおっさんが町まで瞬間移動して作業着を買ってきてあげたそうです」)

(「あ、菫花さんの社会復帰が本格的になってきたら、その手の魔法は極力使わないようにすると言ってましたよ」)

(「……?」)

(「筋肉痛ですか、いやいや、筋肉が作られるための通過儀礼ですからね、これは」ポージング)

(「でも心配してくださって嬉しいですよおおおお!!」ガバァ)

(デコピーン)

……………………

王子「次兄くん、末妹さん。ほら、お家の様子ですよ」

鏡「オヒサシブリー」

次兄「よう、鏡……あ、うちの居間だ」

末妹「……よかった、お父さん元気そう」

次兄「俺達と父さん約束しただろ、以前のようにクヨクヨ心配なんてしないさ」

次兄(……ここに来てからの話を聞いたらぶっ倒れそうだけど、射殺されかけたなんて)

末妹「そうね。あ、長姉おねえさん、切りっぱなしの髪を整えたのね。似合ってる、素敵……」

末妹「……表情が明るいわ、あんな楽しそうにお父さんや家政婦さんとお話ししている様子も、初めて見た……」

次兄「あれ、長姉ねえさん出かけるのか。きっと仕事……料理教室だな」
 

末妹「長兄おにいさんと次姉お姉ちゃんはお店に出ているのね」

次兄「『お姉ちゃん』?」

末妹「」

末妹「お、お願いだから内緒にしてねお兄ちゃん!? お家が火事になっちゃうから!!」アワワ

次兄「……なぜそこで火事が」

次兄「ま、ここは聞かなかったことにしましょ(いずれ知ることになりましょうから、ね)」

王子「……いいですね、仲のよさそうな家族……」

次兄「こう見えても色々あったんですけどね。結果オーライと言うべきか、それとも棚から豆と米のケーキとでも言うべきか」

王子「棚から何とかという言葉は知らないけど、たぶん…思いがけぬ幸運が転がり込んだ、くらいの意味でしょう?」

王子「色々あっても関係が修復できるならば、元々それだけの下地と、各自の努力もあった筈」

王子「やっぱり良い家族なのです、そして皆さんそれを大切にしたいと思っているから、仲直りしようと頑張れる筈です」

王子「黙って待っているだけでは、幸運は転がっては来ません」

王子「……僕の勝手な憶測ですけどね」

末妹「いいえ、きっと菫花さんの仰るとおり」

末妹「相手に気持ちを伝え、相手を受け入れて、それは時には大変かもしれないけれど、そうして私達はわかり合える」

末妹「家族であっても同じです、私はそう思います……」

次兄(俺空気)

次兄「……お。店にお客さんだ。あ、あれ? 何やってんだおっさん!?」

王子&末妹「!?」

王子「……師匠、瞬間移動ですね……」

末妹「あ、この前買って行かれたのと同じ紅茶を」

王子「そう言えば、君達のお家から買った紅茶をお弟子さんの子孫さんへの手土産にした、とか話していました」

王子「気に入ってもらえた、とも言っていたので、きっとまたその方へのお土産ですね……」

次兄「……店内の鏡に向かって手を振ってるぞ。俺達が見てるのバレてんじゃね?」

王子「師匠の実力ならば、魔力の反応に気付いたのかもしれません」

末妹「……お茶目なかたですね……」

…………

……………………

末妹の日記。

菫花さんの乗馬の腕前は、日ごとに上達しています。

秋が深まる中、約束通り、芽キャベツの収穫をお手伝いさせてもらって

それを使った料理長さんのお料理も、もちろん美味しかった……

……

楽しい日々は、あっと言う間。

野獣様には、昼間起こったことをお話しして、笑い合って。

夢の世界は時々お兄ちゃんが一緒だったり、菫花さんも一緒の三人で、野獣様と会った時もありました。

野獣様は呼んでいないのに師匠様が何故か一緒にいたことも1回だけ

お兄ちゃんは『俺も夢に乱入できるチャンスが!?』なんて言ってたけど、師匠様くらい魔力がないと無理だそうです。

もう10月も半ば…

メイドちゃんはじめ、獣の皆さん達はますますフカフカになって……

……お兄ちゃんが執事さんのますますキラキラフサフサの毛並みを見て……

……このことは書かないことにします。

でもね、メイドちゃんがこっそり教えてくれたけど、執事さんはご自分のお部屋にお土産の絵を貼っているそうです。

お兄ちゃんには、とりあえず家に帰るまでは秘密にしておこうかな?

そして…あと二日で、お父さんと約束した二週間が……

……………………
…………

メイド「もうすぐお別れですね、寂しいです……」シュン

末妹「また会えるわ。お手紙も書くね」ナデナデ

次兄「……そうだ、鏡を使うための呪文を教えてもらっていない」

次兄「うちの鏡に同じ合言葉を使えば、この屋敷と双方向で相手の様子を見られる、と」

次兄「執事さんも知っているらしいが、野獣様に無断で、しかも俺には教えてはくれないだろうなあ……」

次兄「菫花さんに聞くかな、いや、ここはやはり合言葉を設定した本人の野獣様に直接聞くべきだろう」

次兄「あと二晩ある、帰宅までに一度くらいは俺も呼んでもらえるだろ、うむ」

……


※今回はここまで。※

>>979
ネットで見た馬と猫が仲良くしている写真が可愛くて、なんとなく仲良しにしてみました。馬や牛の畜舎に猫が入り浸るのもよくあるよーです

……

(野獣「ふむ、お前の家と鏡を双方向にして、実際に会えなくともお互いの様子を交流する、か……」)

(次兄「今回お屋敷に来る前に考えたんですよ。色々あって、帰宅間近の今まで頭から抜けていましたが」)

(野獣「なるほどな。しかし、お前たちの他…特に家族以外の人間には決して知られたくはないから、あまり迂闊には」)

(次兄「……信用してくださらないんですかぁ~?」クイッ)

(野獣「いやそうではなくて、いやすまん、わかったから顎に人差し指を当て小首を傾げての上目遣いはやめろ」)

(次兄「野獣様にお許しいただけたら、家族にはそういう手段を使う話はします。しかし、実際に鏡を使うのは俺と末妹だけ」)

(次兄「そこは一線を引きますよ。口止めなら大丈夫、すでに父も兄達もこのお屋敷と魔法の存在を知っているんですから」)

(野獣「……確かに、今更ではあるな」フゥ)

(次兄「では、合言葉を教えてくださいな」)

(野獣「それより、お前達が帰るまでに専用の鏡を用意しよう。屋敷内には使っていない鏡もたくさんあるからな」)

(野獣「合言葉を使わずとも、覆いを外すだけで使えるように調整しておく」)

(次兄「……・」)

(次兄「……野獣様、なんだか合言葉を俺達に知られまいとしていませんかぁ~?」クイッ)

(野獣「そのポーズでの上目遣いはやめろと」)

(次兄「実はやらしー言葉だったりしませんかぁ~?」クイッ「野獣様って意外とムッツリスケベだからあり得るかもぉ~?」クイッ)

(野獣「だから右に左に傾げるなと!! あと誰がムッツリ助平だ!?」ガシィ)

(次兄「ひええ、片手で頭つかんでぶら下げるの反則反則」ジタバタ)

(野獣「…………わかった、教えてやる。お前のうざさに負けた……」ストン)

(野獣「いいか、一度しか言わないぞ」)

(次兄「心して聞きます」正座)

(野獣「『かぐわしき小さな赤いバラ、陽だまりの庭に踊るそよ風、小雀のさえずりに耳を傾けまどろむひととき……』」)

(次兄「……」)

(次兄「率直に言って、乙女チックなカフェのメニュー表を読み上げているかのような印象を受けますね」)

(野獣「……………………」グワッシィ)

(次兄「やめやめやめごめんなさいすみませんもうしませんギブギブ」ジタバタジタバタ)

(野獣「なんにせよ専用の鏡は用意する。実際の作業は菫花になるが」ポイッ)

(次兄「……いでで…放り投げないで下さいよ、尻餅ついちゃったじゃないですか」サスリサスリ)

(次兄「お花とか小鳥とか…可愛いモノがお好きなのはわかっていますよ、そんなに恥ずかしがることないじゃないですか」)

(野獣「……むぅ」)

(次兄「魔法の鏡の提案、受け入れてくださってありがとうございます」)

(野獣「……末妹、いや、お前達の帰宅が近くてメイドが特に寂しがっているからな。あいつがしょぼくれていると、屋敷の空気が重くなる」)

(野獣「礼を言うのはこちらだ。ありがとう次兄」)

(次兄「…………うへへへへ」セキメン)

……


※進まなくてごめんなさい、今回これのみ※
あと、今更ながら「魔法の鏡の『合言葉』」は所謂『パスワード』と思ってくださると助かります…『山』『川』じゃなくて。ほんと今更…

次スレあってもいいんじゃない?
あとちょっとだとしても、残りを気にしながら書き込むのは作者も読者もつらいでしょ

※お久しぶりです、すみません。今回はお知らせのみ※

多忙なのもあったけれど、今のスレ内に収めるため構成をどうしようとか
あれこれ考えつつ書いたり消したりしていたら、なかなか進まず……

>>988
ありがとう。
自分でも次スレ立てようかどうしようか…と考え始めていたところなので、
このあと985の続きを多少キリの良い所まで2~3レス投下してから
次スレを立てて「ちょこっとだけ」を気を楽にして(?)書こうかと思います

※次回、お話の投下は明日か明後日の夜で※

野獣の屋敷、中庭。

馬:カッポカッポ

師匠「馬に座る姿が安定してきたな」

次兄「そうだね、初日とは比べ物にならないや」

王子「末妹さんのおかげですよ」

馬「ひん?」

王子「馬くんも庭師くんも素晴らしかったよ」ポンポン

庭師「へへへー」

末妹「もう、この子以外の新しい馬でも心配はないと思います」

メイド「皆さーん、そろそろお茶の時間、ですよぉー……」デクレッシェンド

師匠「なんだ、あの元気なメイドが暗い声で?」

庭師「寂しいんですよ、僕だって……」ボソ

末妹「……」

次兄「ふむ、今回の滞在で最後のお茶会だな。みんなにあの話をしてみるか」

……

居間、お茶会…

次兄「……というわけで、野獣様からお許しも得ましたのでー」

メイド「では、お家に戻られた末妹様とお話をすることもできるのですね!?」

末妹「ええそうよ、メイドちゃん」

王子(元気のなかったメイドさんの表情が一気に明るくなった、よかった……)

師匠(考えたな少年……だが、わが弟子よ、そう簡単に許してしまってよいものか……)

次兄「そしてもうひとつ、最後に野獣様と約束したことがあります。末妹には、お茶会の前に話を済ませていますが」

師匠「……?」

次兄「野獣様は、魔法の鏡の使用を許してくださった後……」



(野獣「鏡で交流する周期をあらかじめ取り決めてはどうだね?」)

(野獣「その理由は一つではないが、使用の頻度が多くなるほど家族以外の人間に知れてしまう危険も大きくなる」)

(野獣「……何より、本来ならばこの時代には存在し得ない魔法技術を使うのだからな」

(次兄「……はい」)

(野獣「だからこそ便利な『力』に溺れることなく自制しなければ、自重しなければ」)
 

(野獣「私の言っていることがわかるか?」)

(次兄「わかりますよ。俺は野獣様に誓います」)

(次兄「魔法の力をちょっぴり貸していただきますが、それによってお屋敷の平穏が脅かされないよう努めます」)

(次兄「もしも俺達が誓いを破れば、即刻お屋敷を守るために、俺達に遠慮なく最善の策を取ってください」)

(次兄「現実世界で実行するのは菫花さんかおっさんになるのでしょうけど」)

(次兄「その後の『それ以上』のことは、野獣様と…おっさん達にゆだねます」)

(野獣「……よく言ってくれた」)

(野獣「実際のところ、師匠がいる限り、此処は何が何でも守ってくださるのだろうが」)

(野獣「屋敷と屋敷に生きる者達を、お前や末妹も大切に思い、守りたいと考えてくれていると私は信じている」)

(野獣「だからこそ、万一の際には厳しい決断も必要だと、お前はちゃんと理解できるのだな、おそらく末妹も……」)

(野獣「……昔の私にはなかった『強さ』だ」)

(次兄「野獣様……」)



次兄「末妹も納得してくれました」

末妹「ええ、私達、野獣様とのお約束を守ります」

次兄「その上で…俺達が過ちを犯さないよう、おっさんと菫花さんには厳しく見張っていて欲しいのです」

王子「僕もですか?」

次兄「できる範囲で構いませんから」

メイド「ど、どうしましょう次兄様が終始まともなことしか仰っていません!?」ヒィィィ

次兄「メイドさん、聞こえているからねー?」

師匠(多少のトラブルは儂がなんとかできるが、な。しかし、この子達ならとりあえず心配はいらんだろう……)

師匠「聡明な子供達よ、君等のような人間がもっと多く存在していれば、この世界から魔法を失わせる必要もなかっただろうに」

次兄「そりゃ言い過ぎですよ、買いかぶりです」

末妹「そうですよ、私達そんな大それた人間ではありません。このお屋敷の皆さんが大好きなだけの、普通の……」

次兄「俺だって『大好き』に変態要素がたっぷり含有されているだけの普通の少年です」

師匠「……普通、か。そんな所も君達の良い所だ」

師匠(そうだろう、わが弟子よ?)

(野獣「ええ、その通りです、師匠……」)

……………………


※今夜はここまで。この続きはもうちょっとですが、次スレで※

次スレ

末妹「赤いバラの花が一輪ほしいわ、お父さん」(最終章と後日譚)

末妹「赤いバラの花が一輪ほしいわ、お父さん」(最終章と後日譚) - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1445949058/)
 

新スレうれC
次でもお絵かきしていい?

http://m1.gazo.cc/up/24224.jpg

次スレに本編投下するタイミングで依頼を出す予定です。

>>995
ありがとう!!かわいい…嬉しい
次スレでも歓迎です


野獣の外見は詳しく明記しておりませんが、尻尾は確かにないですね。
フランス文学の原作の挿絵は角があったりイノシシベースだったり、デ○ズニーはライオンぽいけど
うちの野獣は「なんとなく肉食動物っぽい猛獣顔」と思っていただけたらありがたいです。
首から下はアラスカヒグマとマウンテンゴリラを足して2で割って更に二足歩行に特化させたとでも言えばいいのか…
足や手は毛が生えているけどわりと人間ぽいです(サイズはでかい、靴も服も特注です)

※そろそろこちらは依頼出します。以降次スレで※

>>998
詳細にありがとう
せっかくだから1000までいきまっしょい

というわけで当スレのハイライト、金灰色の野に降り立つ次兄
http://m1.gazo.cc/up/24371.jpg

>>999
ありがとう、笑ったwwwwww肩の上も芸が細かいww

では、また次スレで…

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