真姫「かたわれアイスキャンディー」 (60)



 So we must be careful about what we pretend to be.

(ゆえに、人は自らが演じるものについて慎重に考えざるをえない。)



 ――Kurt Vonnegut, “Mother Night”

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1426418507



  ◆  ◆  ◆

 チューペットアイスの食べ方はにこちゃんの部屋で教えてもらった。


 散らかってて座るとこないからって床に投げられた座布団の上で、
 反対側のベッドにちょこんと座ったにこちゃんに見下ろされながら、
 はじめ私は先っぽのとんがったとこを無理にちぎろうとした弾みで
 家のカギを落として 笑われたんだった。

 むっとしてカギを拾った私に、
  しょーがないわね、貸してみなさい、って
 ちょっとえらそうに言われて
 しぶしぶ渡したら、

 にこちゃんは細い両脇をしめて
 手首のスナップでアイスのくびれたとこを、


   ぱきん、

 とまっぷたつに折ってみせた。


 ぱきん、ぱきん。
 あの音と、
 付け根からくゆらせた細くて冷たい煙。

 受け取った半分から、
 見よう見まねでにじみ出た甘い汁をなめながら、
 アイスをくわえたまま片手でブログを更新する
 あの子の揺れる足首に見とれてた。


 今日にこちゃんはまだ来ない。

 私の部屋は広すぎるし、こんな冷たいの一人で食べきれない。
 食べきるなんて考えられない。
 早く来なさいよ。
 ぱきん。

 底がまるい方をコップに差して、とんがった方をくわえる。
 足を組み直してみたりするのも、
 部屋がうすら寒いからだ。

 アイスが冷たすぎるのも、にこちゃんが遅いからなんだ。


 それは質の悪いフルーツジュースをさらに薄めたような味で、
 前ににこちゃんが家の近くのビッグエーで
 線香やライターと一緒に買ってきた十本入りの最後の一本だった。

 なのに凍らせただけでなんだか甘みが増した気がするし、
 氷の冷たさが舌の表面を焼く感触だって気持ちいい。
 ざらざらした断面に舌をおしつけて
 無理やり溶かしていくのだってわるくない。

 にこちゃんには悪いけど、
 ハーゲンダッツよりこっちの方が私は好きになってしまった。
 一度凍らせて濃縮された汁の甘さが乾いた舌の裏側まで濡らしていく。

 歯のようにかたいプラスチック容器の
 小さく開いた穴に
 冷えた舌をさして、ちゅうちゅうと深く求めていく。


 食べ方を覚えた頃、あの子の肌の白さが好きだと気付いた。
 夜のように深い髪の色と違って、
 まっさらな肌はひたすらまばゆかった。

 いつかみた肩胛骨のなめらかな線は羽根の付け根みたいで、
 夜に夢で見るのも、
 本来の白い羽根を生やした姿だったりした。
 でもそこに手を伸ばすことは許されない。

 昨日の夢なんてひどかった。

 夢の中で私は地べたにへたりこんでいて、
 街灯の光も届かない暗がりで小石を積み続ける日々だった。
 そこに月の光を浴びたにこちゃんが
 上空から白い指先を差し伸べて、ふれた途端に私の重力がゼロになる。

 絡めた指の引力だけで私は地上を離れて、
 高度数百メートル、
 夜景の海にたゆたう東京スカイツリーや
 六本木ヒルズの点滅も遠く見下ろす上空かなた、
 もやがかった雲のなかへと連れ去ってくれる。

 どこまでも行ける気がした。
 アムステルダムのさらに向こうで、
 すべての罪を洗い流して、二人だけの国を建てて天上で暮らすの。

 そこまではよかったのに。


 音の速度で空を駆けながら、捨てた夢まで輝き出す頃、
 それなのに、
 どこかで積んだ小石の崩れる音が聞こえた。

 重力を返却された私の身体は
 みるみる地上に引きずり込まれて、
 手をつないだままのにこちゃんの羽根まで折れてしまいそうで、
 雲を破った風圧でゆがんだ顔が
 泣きじゃくった後みたいで思わず自分から手を離してしまえば、

 叩きつけられた場所は現実だった。

 シーツはいやな汗に湿っていて、
 充電し終えたケータイのランプも消えていて、
 午前三時四十七分、たまらず名前を呼んだ声は
 ベッドの向こうの闇に溶けるだけだった。

 あんな時間に打ったメール、
 また送れないまま下書きフォルダに入れてしまう。
 画面を閉じると充電器の赤いランプが点った。
 暗い部屋でその光は目に痛くて、自分から遠ざけて布団をかぶりなおす。

 それでも赤い光の残像は
 墜落直前に見たあの子の瞳と何度もシンクロしてみせる。


 コップに残した方のアイスの傷口から汁が涎のように滴りはじめている。

 私もプラスチックに噛み跡をつけて氷の汁をしぼり出しながら、
 少し伸びた髪を指に絡ませていた。にこちゃんまだ来ない。

 握った指の力で小さく痛みが染みて、
 自分の髪の毛が中指付け根の辺りに数本引っかかっていた。
 指の間から手のひらへと掛かる髪の細い線は引っかき傷にも見えた。
 同じような色をしたあの子の瞳を思い出して、
 振り払おうと手を振ったのに、乾きたての汗か何かで離れてくれない。

 蜘蛛の巣が張り付いた時みたいだった。
 だとしたら、私は何にとらわれてるんだろう。
 太股に擦り付ける。
 はらりと落ちた髪の毛、手のひらよりも傷跡のように見えた。


 髪の毛を抜く癖は中学に入るまでに忘れた。そのはずだった。
 ピアノの発表会の前夜。
 日能研の統一テストの帰り道。
 話の合わなくなったクラスメイトと、給食のバケツをこぼした日の昼休み。
 下校時刻まで家のカギを探し続けた一人きりの通学路。

 どうせ言葉はなんの意味も持たないって思い知ってたから、
 おなかの奥に落とし込んで、
 それでもはみ出した時には自然と髪の毛を引っこ抜いてた。
 パパに見つかってみっともないからやめなさいって叱られてから、
 代わりにスカートの裏の見えないとこで爪を立てて堪えてた。

 みんな、みんな昔のことだ。私はもうそこにいない。
 なのに今、
 チューペットアイスのかたわれはもうこぼれそうで、
 太股にはさっきの赤い線が散らばっている。
 にこちゃんまだ来てくれない。
 ぱきん。


「ひどい頭になってるわよ、あんた」
 玄関先で出迎えるなり、にこちゃんがそう云った。

 ほら、貸してみなさい、
 と私をぐいと引き寄せると、
 バッグから片手で器用にくしを取り出して私の髪の毛をすきはじめた。

 こうべを差し出す私の体勢はぶかっこうなもので、
 片手を壁に突いたまま、
 もう一方の腕をあの子の小さな腰に添えたりしてる。

 八月の直射日光に射たれたての肌から
 太陽とにこちゃんのにおいがほんのり香ってた。
 こないだとは逆だな、なんて密かに思い出したり。

 くしの歯が当たるのが、
 引っかいていくのが冷たいシャワーみたいで気持ちいい。
 いつもと違って、
 よけいなことは何ひとつ言えなかった。


 さ、できたわよ、ってにこちゃんが私の身体を返す。
 頭をぽんと軽くたたくのが手慣れている。
 妹さんたちにも同じように髪をとかしてあげる姿が目に浮かぶ。

 って、なにそれ、私、妹さんと同レベルなの?

 そらした視線の先には、白い指先と反射した光。
 にこちゃん、ちゃっかり手鏡で私の姿を見せつけてる。

「どう、さっきよりは良くなったでしょ」

 鏡の中の小さな自分とさえ目を合わせられなくて、
 まあまあね、これぐらい当然よ、なんて私の口がうそぶいた。

 ワンピースの下から伸びた脚、
 ソックスに隠される間際の白い肌。
 日焼けを特にしがちなあの子は今日も薄手の長袖を着ていて、
 いつかの夜だってあの肌に保湿クリームを優しく滑らせていた。
 まるで母親が自分の娘にするみたいに、真剣な顔で、
 祈りを込めるような手つきで。


 人の足下ばかりも見ていられなくて、
 バッグからはみ出た日傘とうなじの白さ、
 赤みの薄い唇と
 玄関ドアの向こうで縁石を照りつけてる白すぎる陽の光とを眺めやった。

 同じ白ならあのお人形さんみたいな肌の色の方が
 ずっといい。

「ねえ、いい?」
 なのに呼ぶから目が合ってしまう。
 赤い瞳。少し濾された鮮やかな血の色。
 そんな色した果実の酸っぱさが好きだった。
 さっき直してもらった、私の髪の色だって好きだった。

「あがって。外、あついから」

 すれ違った黒い髪からはらりと広がる匂い。にこちゃんのにおい。


 ドアがばたんと閉まって、施錠の音が耳にざわつく。
 あの色に誘われて振り向く。

 でも、
 今度はあの子の方がそばの置物を眺めてて、
 薄暗い玄関のなかではいつもより顔色悪そうに見えて、
 夢でみた唇を噛む顔と
 ちぎれて離れた指先とが
 目の前のにこちゃんに重なって見えて思わずなにか言おうとしたらあの子は

 一瞬目を見開いて、
 それから粉薬でも飲まされたような、ひどく後味の悪い顔をした。


 ちゃりん、

 と足下ににこちゃんからカギが落ちた。


「ありがと。……ごめん」

 にこちゃんが目をそらしたまま私から受け取った。



 にこちゃんが部屋に来た。
 冷凍庫から持ってきたアイス、
 もうほとんど溶けてテーブルの上を汚してた。

 さっき落としたカギ、ひんやりしてて指に気持ちよかった。


  ◆  ◆  ◆

 それから、にこちゃんと私の部屋でお話をした。



「真姫、ごめん。ほんっとごめん。……やっぱり、無理だった」


「いっぱい考えたんだけど、だめだったのよ」


「今のにこにはファンの人がいて、
 にこは、
 にこにーはスクールアイドル、アイドルなんだから」


「私は、こんな私のことを信じられないから」



「……ごめんなさい。

 にこは恋人には、なれない」


「あなたのこと、そういう形で幸せにはできない」


  ◆  ◆  ◆

 クラクションが鳴る 足下が白黒まだら模様でそこは横断歩道だった また大きな音
 フロントガラスの向こうから叫び声がする 陽射しが肌にいたい
 皮膚に染み込んで火傷を負わせてケロイド状になるほど陽の光がいたい
 私は私の身体を引きずるのに忙しい 忙しくすることに忙しい なにか聞こえる
 私をよけた車が背中のすぐ後ろを切り裂くように抜けていく ポッケにカギがある
 家のカギを握りしめてる
 手のひらにカギの矛先が突き刺さって痛いのにカギが離れてくれないから
 ずっと握りしめてる手のひらを刺し続ける
 私の背中から私の家の門まで伸びた何か精神的鎖みたいなよくわかんないそういうのが
 そのとき轢き潰された気がして
 私はまた腰を落とすしゃがむ髪の毛の爪を立てるかきむしる 何か声が聞こえて
 私は大丈夫ですとちゃんと答える大丈夫です大丈夫です大丈夫大丈夫私はなんともない
 大丈夫大丈夫だから話しかけないでお願いだから私は大丈夫だから
 私の周りに透明な油膜ができていてそれは泡の一粒を拡大したような形状で
 澱んだ水流に飲まれるようにして私の脚が私を運んでいく
 油膜の表面張力で通行人がはじかれていく 気温は高すぎて酸素濃度は低くて息ができない
 本日の最高気温30度降水確率2パーセント
 絶好の洗濯日和ですがお出かけの際はくれぐれも光化学スモッグ
 および熱中症にご注意くださいにこちゃんがいないにこちゃんがいない浴衣姿のカップル
 陽射しに顔を明るく照らされた二人連れ
 女の日焼けで茶色い手の甲
 そのなかで揺れる紅茶のペットボトル揺れる液体
 そうだ洗いそびれたにこちゃんのティーカップ私は繰り返そうとした
 再演しようとしたんだあの感触を重なり合うのをでも私ははじかれたティーカップはこぼれた
 テーブルを茶色く汚した私の油膜はあの子まではじいたにこちゃんはいない息ができない
 にこちゃんがいない「あれ? こんなところで」交差点の向こうの赤い色あの子の瞳みたい
 ふれたかったでも私の手は遠すぎた天使は上空に帰ってしまう私は堕ちて堕ちて
「さっき別れたばかりなのに、
 今度は真姫なんて……ハラショーね。って、ちょっと! 聞いてるの?」
 クラクションが鳴るそこににこちゃんはいな「もう、髪の毛くしゃくしゃじゃな……
 って、まだこっち赤よ!?」横断歩道の白と黒そして赤がやだいやだわたしのそばにいて
 にこちゃんわたしとひとつでいて




  「ねえっ、真姫ったら!」


 重力が掛かる、私が腕ごと引きずり込まれる



 やだ、向こうにまだあの子がいる!

 いるはずなのに、

「はぁ……
 横断歩道は信号をちゃんと見て渡りなさいって、習わなかった?」

 青い瞳が私を見つめる金色の髪がゆれている
 違う私は 「っ……もう、こんなことなら、二人に……」 私は引き寄せられて
 なにも見えなくなった腕の中に閉じこめられ「いや、やだ、
 わたしは、にこちゃんのっ、」

「はいはい落ち着きなさい。……ほんとに、もう」

 なによその目。
 そんな上から目線でわらわないで。


「ねぇ真姫、お昼は食べた?
 私これから表参道のイタリアンカフェに行くのよ」

 そんなの知らない。聞きたくない。はなして。

「ランチタイム十四時半までなのよ。
 とーってもおいしいんだから」

 だから離してってば。


 いいからついてきなさい、ごちそうするから、
 とその人が私の手首をつかんだ。

 かたすぎる私の腕が反射的に振り払おうとしたけど
 思ったより強い力で掴まれた私の腕と私は

 絵里に引きずられていく。

いったんここまで
書き忘れたけどにこまき
つづきはできれば数日中に


  ◆  ◆  ◆

 目の前には何故か焼きたてパンケーキ。

 タルト型の生地のくぼみに生クリームが満たされ、
 その上で濃い色のイチゴとブルーベリーが宝石みたいに飾り付けられている。
 焼いたばかりの熱と
 バターやメープルシロップの香りが鼻の奥にまでふんわり漂ってくる。

 ほど良い焼き具合や振りかけられた粉砂糖などから、
 相当腕のいいパティシエが作ったらしいことが分かった。
 というか、
 席の反対側でシロップをどばどば掛けてる人がいるせいで、
 甘い匂いがさっきからうるさい。


「やっぱりいいクリーム使ってるのよね……真姫、食べないの?」

 絵里がいう。
 口の端っこを白く汚して、
 右手にフォークを構えて左手のビンからシロップを垂らしながら。


「……食欲ないって、私、言わなかった?」

 まあまあ、とレモンタルトから目を離しもせずに空返事を返す。
 フォークが透明な蜜を塗りたくって染み込ませてゆく。
 この人、私の話を聞きやしない。


「あむっ……うん、
 よく分からないけど、もごもご、
 ほいひいもの食べたら、ごくっ、元気出るんじゃない」

 口にものを入れたまましゃべらないで。


「私、帰りたいんだけど」

「もったいない。
 でも、それならあなたが頼んだケーキは自腹ね」

 っ……
 何か叫びたくなりそうなのを堪える。
 代わりに重たい溜め息。
 こう、おなかの奥から魂ごとこそぎ落とすような。

 そしたら何もいう気力が失せた。
 みっともない姿を見せてしまった負い目はあった。
 それに、食事の場でこんな顔は見せるものじゃない。

 そうはいっても、
 そもそもこんなとこに連れ込んだのはあの人だった。


「ねぇ一口もらっていい?そっちのも好きなのよ」

「好きにすれば。 って、そんなに取るの?」

「私のもあげるわよ?」

 皿ごと持ち上げて差し出される。
 ダメだ、この人、話がまるで通じてない。


「そうそう、真姫知ってた?
 今日って神宮外苑で花火大会なんですって。
 ……ああっ! そんなに取っていいなんて、私言ってない!」


 スプーン二杯分くらいほおばって、後悔した。
 シロップかけすぎで味なんて全然わかんない。


 どうしたのよ、急に、
 なんてしおらしい声が聞こえるけど無視する。
 ストロベリーは残すつもりで端によける。
 そこにもう一本のフォークが冗談混じりで伸びたのをはねのける。

 あの人が変な声をあげた視界に入れずに一口運んだ。

「ね? ここ、穴場なのよ」

 まあ、わるくないわね、
 と返しても向こうの席の含み笑いが消えなかった。

 ……食べ終わったら、私、速攻で帰ろう。



「あなたたち、そっくり」

 なにか聞こえる。
 かみしめるとクリームの熱気が口の中で広がって舌に染み込む。
 おいしい。


「そうだ。
 ねぇ真姫、『魔法少女まどか☆マギカ』って知ってる?」

 なにその対象年齢ひくそうなタイトル。
 しらないわ、そんなの。

「やっぱり知らないのね? やった!
 私もこないだ亜里沙に見せられるまではお子さま向けアニメだと思ってたんだけど……

 ああ、ネタバレはよくないわね、うん」

 その話、長くなる? 興味ないんだけど。

 タルトで粘っこく乾いた口に紅茶を注ぎいれる。
 刺すような熱と香りが潤していく。


 絵里はときどき身振り手振りまで交えて、
 その、魔法少女なんとかってアニメの話を続けた。

 シロップをほんの少しだけ加える。


「でね、その『ひとりぼっちはさみしいもんな』って私、
 マミさんに向けた言葉だとも思うのよ! ほら、昔の私も同じだったから。

 あっマミさんってさっき話した先輩キャラね?」

 息継ぎの隙に向こうもタルトをすくってほおばる。
 勢いが見苦しいほどだけど、とろけた笑顔のせいで気にはならなかった。
 たかがお菓子を満面の笑みでほおばる姿にかわいげがあって、逆にしゃくだった。


「……絵里がそんな人だって、思わなかった」

「ふふ。
 最近よく言われるのよね、いい傾向かしら」


 小さく切り取るタルトの領地、私の方でも三分の一ほど削れてる。
 後に残してたストロベリーの、ほんの少しだけちぎって運ぶ。

 客席だけを淡く照らす薄暗い店内で、
 金色の髪が語るテンションに合わせて揺れてたりする。
 果肉から汁があふれて、口の中で甘酸っぱさが冷たく燃え広がる。


「私は断然マミさん派ね。
 あの寂しがりなのについついカッコつけちゃう所がたまんないわぁ。
 にこは杏子にハマってたけど」

「あの子も見てたの?」

 ……なによ、その顔。
 続けて。
 話すんなら。


「うん、そのアニメね?
 その佐倉杏子ちゃんって、
 アンズの杏って書くんだけど、家が貧乏で家族思いで。
 まあ事情があって家庭崩壊というか一家心中しちゃうんだけど」

「重たい設定ね……それ、本当に子ども向け?」

「私の話、本当に聞いてた?」

 ごめんなさい。
 タルトおいしくって。


「にこはそこまで悲惨な境遇じゃないけどね。
 その、私たちだって居るから。

 でもほら、聞いてる? 七月に忌引きした時のこと」

 うん。
 あの日、私の部屋で。
 きっとあなたよりも。


「にこのお母さんの実家、秋田だったかしら?
 どんなところなんだろう、北国ってだけで心が躍るんだけど。
 ほら、私の中のロシアが」

「行かなくていいわ。
 どうせ、ロクな所じゃない」


 ぱっと開いた青い目が私を見た。
 やっぱり、知らないんだ。

 真姫は行ったことあるの、
 なんていうから、地元のクチコミ、とだけ返した。
 向こうへ発つ前、部室であの子がはしゃいでたっけ。

 いいところなのよ、真姫ちゃんにも見せてあげたい、なんて言ってたのに。


 紅茶のトゲトゲしい熱が薄れて、丸みのあるぬるさに変わる。
 店内のぼんやりした光。
 口元で両指を組んで私の向こうを見ている絵里の目。

 小さく鳴ってるBGM、
 80年代ディスコの安っぽいカバー曲、無意味にせかされてイヤになる。
 曲の終盤で転調してクライマックスに向かう。全部壊したくなる。

 歌声も激しさを増す。
 かきむしりたくなる。




 ――ねえ絵里。

 私、にこちゃんと別れた。


 BGMの曲が鳴り止んだ。
 一瞬だけ、時が止まった気がした。

 絵里は、
 そう、とだけ言って目をそらした。



 またすぐ別の曲、やかましいホーンセクションから始まるの。
 店員が隣の通路を素早く抜けていく。

 爆弾を投げつけてやったつもりだった。
 でも、なんにもかわんない。


「……びっくり、しないの?」

 びっくりはしないけど、
 さみしいわね、って絵里はミルクティーを口に運んだ。



「いやその、だって……
 まず私もにこちゃんも同じ部活で、それに、二人とも女性で、」

「はぁ?
 私たちが気づいてないとでも思った?
 それともにこの前で今更そんなこと気にしてたの? 本当に?
 あなた、いま平成何年か知ってる?」

 尖った声が冷たく刺す。
 なにもいえなくなる。
 そんなことなんかじゃない、
 でも、今は確かに気にしてたとは言えないけど。


「にこがね、こないだ希と三人でお昼食べてた時なんだけど、言ってたのよ」

 まだ荒らげた声のまま。

「『私が結婚しなかったら、こころたちが結婚するのかな』って。
 『でもあの子たちがママになるなんて、想像もつかないわね』って。

 ……ばっかみたい。
 いま気にすることじゃないでしょうが、って」

 似てないわよ、にこちゃんの真似。

「そこじゃないでしょう、触れるとこ……
 まぁ付き合ってるとまでは聞いてなかったけれど、
 今ので腑に落ちたのは、そうね」



「……言ってた。
 私はにこにーだから、真姫が望む形で、幸せにすることはできないって」


 長いため息が吐き出された後、フォークがかつんと強い音を立てた。
 ざくっと大きく切られたタルト生地が勢いよく絵里の口に放り込まれる。
 なんであなたがやけ食いしてるの。


「本当に、なんなのよ、あなたたちは……
 あむっ、私のおばあさまなんてね、ごくっ、じゃなかった、
 ひいおばあさまは、
 旦那さんがカザフスタンの収容所に、もぐもぐ」

「……食べるか喋るかひとつにして」


 一瞬こっちを睨むと、音を立てて飲み込んだ。
 その息ごと勢いで吐き捨てるみたいに絵里が続ける。



「というか、あなた、本当は誰でもよかったんじゃない?」


 きゅっ、と自分の歯が舌をかじった。
 鋭い痛みが染み込む。
 言ってる意味がわからない。
 ふざけないで。

「だって案外執着なさそうだもの。
 にこじゃなくって、恋人っていう、
 寄りかかれる存在が惜しいだけなんでしょう」


 わざとらしい含み笑い。
 相手にする価値もない挑発だ。
 そんなの、わかってる。

「家のカギでも落として泣いてる子供と変わらないわね。

 どうせ、
 合い鍵が手に入れば満足できるんじゃない?」

「ちがう!」


 ぱきん、とフォークが音を立てた。


 手から外れてテーブルに転がったフォークを絵里が拾い上げる。
 私の手のひらに持たせようとする。
 指は開かない。
 絶対開けない。
 そんなのいらない。

「真姫」

 私の手を逃がさない絵里が私を見る

「なにが、違うのよ」

「にこちゃんは本当だった。
 私も嘘じゃない。
 代わりの偽物なんて知らない」

(そうだ、合い鍵なんかじゃ意味ないんだ)


「本当、って?」

「……ほんとうに、本当ってこと」

 絵里がゆるさないって分かってた。
 でも、あの日のことだけは絶対言わない。
 にこちゃんの、名誉にかけて。


「……本当のにこちゃんが、私とつき合えないって言ったんだから、
 こうなるしかなかったの」


 にこじゃなきゃダメなの、と絵里が聞いた。

 自分の指でフォークを取り戻して私が答えた。
 また絵里が言う。


「にこなら、どんな人でもいいのね?」

 青い目が胸の奥まで値踏みする。
 意味わかんない、
 でもうなづく。
 私は逃げない。

 私は、にこちゃんじゃなきゃダメ。
 それに、きっと、……そうだ。
 にこちゃんだって、きっと。





 ――だったら、「本当」なんて忘れなさい。


 表情を崩した絵里が手を引く。
 手の甲に掛かっていた感触がなくなる。
 急に次の曲がうるさく聞こえ出す。


「恋愛って、私よく分からないけど、楽しいものなんでしょう?
 楽しんだらいいのよ、妬けちゃうわね」

 皿にこぼれ落ちたイチゴをすくって口にしながら。
 私はまだ、のどの奥がドキドキしておさまらないのに、勝手に納めようとするんだ。
 この人、こんな人だった?


「私たちはそんな簡単なんじゃない。
 にこちゃんだって、」

「ねぇ真姫。
 あなた、お化粧くらい、ときどきはするでしょう?」

 す、っとその指が私の髪に触れかけた、くすぐったくて払いのけた。


「そのネックレス、かわいいわね。
 ティファニーかしら?」

 そんなのつけてたのさえ忘れてたのに。

「なにがいいたいの?
 言っとくけど私、エリーにそんな気持ちは」

 するとあの人、吹き出して手を振って否定してみせた。


「考えてみて。

 化粧や服選びって、
 悪い言い方だけど、ウソをついてることにならない?
 きれいに着飾った姿は、本当の自分とは違うものなんじゃない?」

「……ことりの前でも言えるの」

「違うわよ、そういうウソは、
 誰かにとびっきりかわいい自分を見せるためのウソなら、私は許せるって話」

 言いながら私のケーキをひとかけら持っていく。
 ちゃっかり皿に広がったチョコソースを塗ってから。


「真姫。あむっ……にこにーの夢は?」

「宇宙ナンバーワンアイドル。……食べながら話さないで」

「せいかい。
 それでね、あの子のキャラだって、」


 それくらいわかる。

 絵里の言葉は、
 味わってかみしめられた私のケーキ生地と一緒に
 喉の奥まで落ちて聞こえないけれど、
 私はその答えを知ってる。

 とびっきりかわいい、
 正直むかつくぐらいあいくるしい、
 世界でたった一つだけの、……絵里の言葉でいうなら、

 ウソ、だった。


「でも好きな人に、
 今日の服かわいいなんて言われたらうれしいでしょう?
 まして、小さい頃からずっとおしゃれにあこがれてきたなら、なおさらね」

 私は知ってる。
 にこちゃんが、夜ごとにあの白い肌を手入れしているのを。
 自分が一番かわいく見える角度を知ってて、写真とる時は変にムキになるんだ。

 知ってる。
 わかってる。
 全部わかってる。

 それでも私は、素顔のにこちゃんの方が、いいのに。



「真姫、私がμ'sに入る前のこと、見てたでしょう?」


 絵里は手を止めて、今日はじめて衒いのない顔をのぞかせた。
 ばつのわるそうな上目遣いと、赤みの差した頬で。

 さすがに、今も大概だ、
 なんて言葉は飲み込む。



「希の言うことも聞かないで、
 穂乃果たち、あなたも含めてね、ああいう感じで居た、
 そうすべきだって思いこんでた、うんまあ、反省したんだけど」

「その話、長くなりますか? 綾瀬会長」

「っ……もう! 先輩禁止よ!」

 フォークが伸びたので皿を引く。
 そしたらまたふくれた。
 そういえば、こないだにこちゃんに似たようなことされたっけ。


「……とにかくね。私、それで学んだのよ」


 とても穏やかな声だった。


「本当の自分なんて、そんなもの存在しないってこと」


 あるのは演技だけ、と絵里は付け加える。

 一瞬一瞬で、目の前の誰かや自分自身に向けて、
 強い自分、カッコつける自分、甘える自分、ダメな自分、
 なさけない自分、がんばる自分、それらを演じ続けているだけだという。

 μ'sに入ってから、
 服を着替えるようにいろんな自分を着替えていくのが今は楽しいって、
 少しはずかしそうに言った。

 出会った頃の花陽みたいな顔で、ひそかな自信も隠せないまま。


「だからね、あなたにできることは、
 にこが選んできたウソに、
 誰よりもまじめにつきあっていくことなんじゃない?」


 にこが自分の彼女役を演じさせてくれるのは、
 きっと、
 あなた一人だけなんだから。

 そう言って、私の頭に手を置いた。
 重みと指の動きがぎこちなくって、正直、にこちゃんの方がずっといい。

 でも、今はなんとなくそのままでいたかった。
 ……きっと私もそういう役なんだ、今だけは。


 私を気の済むまで撫でたあと、
 喉が乾いたのか、絵里が紅茶を飲もうとする。
 でもそのティーカップ、もうほとんど残ってない。
 パンケーキだって、皿には切れ目からこぼれた粉粒ばかり。

 ごまかすように、
 ちょっと語りすぎたわね、やっぱり私こういうのうまくないのよ、
 なんて今さら恥じらってみせる。


「……エリーがそんな人だって、思わなかった」

「最近よく言われるのよね……気を付けなきゃ」


 あんまりにもしょぼくれた、
 二歳くらい年下の妹みたいな顔をするので、
 ブルーベリーの残した皿ごと向こうにくれてやった。

 分かりやすく顔をゆるめる絵里をよそ目に、
 BGMの主旋律をぼんやり追いながら、私もカップを口に運ぶ。

 とっくにさめてしまってるけど、
 もう熱すぎる胸の奥にはちょうどいい温度だった。



 あの子のつかまえ方、六時までには見つけないと。


  ◆  ◆  ◆

 高層ビルの隙間を縫った日陰の裏道も絵里に教えてもらった。
 銀座線のガラス窓に自分の顔がちらちら映るのを気にしないのが大変だった。

 今日の私、きっとかわいくない。
 でも、いかなきゃいけない。


 半袖姿のサラリーマンや運動部の汗くさいバッグの込み合う車内を抜けて、
 ここでも少なくない浴衣姿や団扇のあおぐ腕をすり抜けて、
 地上に出るなり撃ち付けた三時過ぎの炎天下をよけるように人の少ない方へ歩いた、
 いや走った、
 もう駆け足だった、
 気が急いてぱたぱた走ってた、でもすぐ喉がかれるから普通の歩きにした。


 信号待ち、もう一度グーグルマップのアプリで目的地を探す。
 こんな場所、来たことなかった。

 向こう側の酒屋の看板、もう錆びて読めなくなってる。
 その隣のタイムズ駐車場、
 一台空いたスペースに停めようとしたプリウスが結局戻っていった。

 どこにでもあるような風景、
 なのに目を凝らしてしまうのは、にこちゃんの町だから?

 そよ風が首をなでてくれる。


 もっと駅から離れた方へ坂道を上っていく。
 切り通しに沿って、さらに上へ。
 蝉の鳴き声がじりじり響く。
 お供えの花を抱えたおばあさんを追い越していく。
 東京ってこんなに坂多かったんだっけ。
 もっといい靴がよかった。
 って、そんな靴じゃにこちゃんに会えないけれど。



 次の信号を曲がったところ、
 ストリートビューで確かめたとおりの入り口だった。
 お地蔵様と賽銭箱、
 こもった木々の奥深く、高台へと続く長い長い階段のその先。



 いた。

 あの子が長い石段を下りてくる。

 どうしよう、まだ心の準備できてない!


 下りてくる、
 おりてくる、
 ちっちゃいけどぴょこぴょこ揺れてる髪、
 さっき見たワンピ、
 左手に抱えたバッグ、それに枯れて腐った花のポリ袋、
 どうしよう、
 私まだにこちゃんに言うこと考えてない、
 わかんない、
 汗が垂れて目に入る、どうしよう痛い見えない、
 わかんないわかんない、
 そしたらあの二つの瞳が私を見つけた
 びっくりしたにこちゃんが最後の段で足首を捻って前に倒れ込んであぶない――





「……なんで、」

 ちゃりん、とにこちゃん家のカギが転がり落ちた。


 床に投げ出されたバッグから、財布とライターとお線香の箱がこぼれ出てた。
 投げ出された脚、傷はないか、もしあったらすぐ手当てしないと。
 なのに私は動けない。
 にこちゃんの顔を太陽から隠すのに精一杯で抱いてることしかできない。
 言おうとしてたことは全部こぼれ落ちてしまう。




「よりにもよって、なんで、あんたがいるのよ……?」


 どうしよう。
 蝉の音が頭の奥までうるさい。


いったんここまで
遅れててごめん
これでだいたい半分くらい

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