男「ごく普通の生活がしたい。妹を殺したけど」 (95)



 妹を殺した。

 ちょうど今から一時間ほど前。

 階段の手前で妹の背中を押したんだわ。
 予想外に力が入ってたんだろうな。頭から落ちていった。
 
 殺すつもりではなかった、と思う。

 ここ数日、あいつがウザかったのと。
 今日。普段よりだいぶ早い時間に起こされたせいだ。
 ムカついてつきとばしてしまった。それだけ。
 
 で、頭から落ちた妹はなにも言わなくなった。


 思いっきりゆすっても、ぶっ叩いても、名前を叫んでも、なんの反応も返しゃしない。

 床に向いていた顔をもちあげてみた。

 赤い血があふれていた。
 前髪の下でおでこがぱっくりと割れている。
 そして、開きっぱなしの目。

 思わず悲鳴が漏れて、妹の顔から手をはなした。
 

男「ああ、死んだのか」


 無意識に出た言葉はふるえていた。

 最悪だ。こいつのせいで、俺は人殺しになってしまった。


男「いや、でも」

 家で起きたことだ。
 このバカをつきとばした事実は、世界で俺しか知らない。


 事故として処理されるんじゃね?
 

 だけど、仮に階段から足を踏みはずしたとして。
 実際にこんなふうになるか?

 家で人が死んだ場合、警察が調べに入るという話を聞いたことがあるんだよな。
 
 それだけじゃない。俺はかなりの力で妹の背中を押した。
 こいつのからだを調べられたら、事実は簡単にバレてしまうかもしれない。
 
 しかも、知ってる奴がいる。
 俺と妹の仲がここ数日、険悪になってることを。


 いっそのこと警察を呼んで、正直に話すか。
 
 世の中には少年法なんてもんがある。
 未成年だったら、たとえ人を殺しても死刑にはならない。

 そこまで考えたあたりで、ふと一番重要なことを思い出した。
 
 親のことだ。

 親は二人とも海外に出張している。帰ってくるのは、まだ先のこと。
 つまり、うまくやれば妹の死をごまかせるかもしれない。


男「うまくやる?  どうやって?」


 ダメだ。頭の芯が錆びついている。
 当たり前だ。死体と同じ空間にいて、冷静でいられるはずがない。
 
 なにをどうしたらいいのか、まるでわからない。

 
 逃げるように急いで学校の支度をして、俺は家を飛び出した。
 

 もちろん、死体になった妹を振り返ったりはしなかった。


 意外なことに学校に着くころにはある程度、冷静になっていた。

 そりゃそうか。

 死体と同じ空気を吸っていないってだけでもかなりちがう。


友「今日の夜さ、お前ん家ってあいてる?
……って、なんか顔色ヤバくね?」


 休み時間。隣のクラスのヨシダに呼ばれて教室を出た。


男「あいてないよ」

友「はあ?  なんで?」

男「あれだよ。もうすぐ親が帰ってくるんだよ、海外から」

男「だから掃除しようと思って。今日は特に用事もないし」

友「そんなの明日にしろよ。つーか、お前の妹にやらせりゃいいだろ」

友「あ、たしかケンカしてたのか」


 「どっちにしてもやってくれないから、絶対に」と、俺は言った。


 両親が不在の俺の家は、わりと多くの友達が来る。ようはたまり場だ。
 ヨシダとは中学からのつきあいで、こいつもその一人だった。


友「だいたいお前、今日だぜ、今日」

男「今日ってなんかあったっけ?」

友「マジで言ってんのかよ。信じらんねえ」
 

 仲はそこそこいい。だけど。
 俺が妹を殺したと知ったら、こいつは俺をどうする?


男「とにかく今日、明日あたりは絶対にダメなんだよ。ごめんな」

友「なんだよ、つまんねえの」

 ヨシダが戻ったあと、俺は考えてみた。
 
 妹を殺したのが俺だと知ったうえで、なんらかの形で俺に協力してくれる人間はいるのか。
 


 LINEの友達の欄を見てみる。
 おおよそ150人。
 この中にいるか?  人殺しになった俺を助けてくれる奴。

 知らず知らずのうちに、俺はヨシダが去った後の廊下を目で追っていた。

教師「タケダ、ちょっといいか?」

 数学の教師が話しかけてきた。

男「はい。なんですか?」

教師「お前の妹、アキ。どうした?」

男「どうしたって?」

教師「休みの連絡がなかった。なにがあった?」

 予想していた質問。
 それでもすこしだけ言葉に詰まってしまった。


男「風邪です。もしかしたら、インフルエンザかも」

教師「昨日まで元気だったのに」

男「ほんとは僕から先生に伝えに行こうと思ってたんですけど」

男「すみません。朝はちょっと寝坊してドタバタしちゃって」

教師「まあ、これから休むときはきちんと連絡してくれな、もちろんご両親から」

教師「あっ、お前の家は」

男「はい。今も海外にいるので。でも、今度こういうことがあったら、必ず僕から連絡します」


教師「うん。それからインフルエンザだったら、きちんと診断書をもらっておくように」

男「はい。ほんと、うちの妹が心配かけてすみません」

教師「風邪は誰でもひく、しゃあない。……お前、その手どうした?」

男「え?」

教師「指先、赤くなってるぞ」


 信じられないことに、先生に言われてはじめて気づいた。
 俺の指先は真っ赤に染まっていた。洗い忘れていた血だ。妹の血だ。


 手を洗っていたら、休み時間が終わってしまった。
 他人の血はこんなに気持ち悪いものなのか。

女「いたいた。どこ行ってたわけ?」

 教室に戻って席に着くと、前の席のハナが俺をふりかえった。

男「トイレだよ。なんか用事?」

 ハナが目をそらす。
 かえってくる言葉がなにか、簡単に予想がついた。


女「今日、家に行ってもいい?」


男「ごめん。今日はちょっと」

女「どうして?  なにか用事でもあるの?」

 俺はどちらかと言えば、すぐに友達を作れるタイプだった。
 そのせいか、一年ごとにまったくちがう友達とつるんでいる。

 そんな俺にとってハナは、数少ない小学校からの仲良しだった。


女「も、もしよかったら。今日はいっしょに」

 ハナの言葉がとぎれる。
 正直に言えば、俺はこの子がキライじゃなかった、むしろ。
 
男「その、別の日ならどう?  今日はダメなんだ、どうしても」

女「昨日、アキに聞いたよ。今日はなんにもないって」


男「いや、そのアキなんだけど」

 風邪をひいた。そう言いかけてやめる。
 ハナならお見舞いに行く、なんて言いだす可能性があった。

 妹のアキとハナもまた仲がいい。いや、それより。

女「なんで急にだまるのよ」

男「ちょっと耳かして」

女「耳?  えっと、うん」

 すこしだけビクッとしながらハナがこちらに耳を向ける。


男「ここだけの話な。あいつ、急遽海外に行くことになったんだよ」

女「うそ?  あたし、そんな話聞いてない」

男「朝からバタバタしてたんだ。それにあいつ、ちょっと体調も悪かったみたいだし」

女「だからLINEの返事もこなかったのかな」


 自分のまゆ毛がピクリと動いたのがわかった。
 
 そうか。

 そういう部分からも、ボロが出る危険性があるのか。


男「あいつになんか伝えたいことでもあった?」

 ハナは首を横にふった。
 この感じは嘘をついてるわけではなさそうだ。

 そんなことより。俺は机に向かっていていいのか。いや、いいわけがない。


 現実逃避して目の前の問題から目をそらしていては、俺は破滅する。

 死体が待っている家には帰りたくなかった。
 だけど早く帰らないと。

 俺は席を立った。
 ハナがなにか言ってきたけど答えなかった。
 


 職員室に行き、担任に帰りたい旨をつたえた。
 見抜かれそうな嘘ではあったけど、日ごろの行いのおかげだろう。
 あっさりと帰ることがゆるされた。

男「入る、か」

 家のドアをあけようとして、手に力が入らないことに気づく。
 息を吸って扉を開いた。

男「うっ」
 
 思わず扉を閉めそうになった。
 


 くさい。くさすぎる。

 手で口もとをおおう。
 まさか、もう妹のからだは腐りはじめているのか?

 いや、今は冬だ。そんな簡単に腐るはずが。

 じゃあ血のにおい?

 おそるおそる玄関に入る。
 
 妹の死体は朝と変わらず階段の下で、うつ伏せの状態で横たわっていた。


 よく見るまでもなく、フローリングの床が変色している。

 あいつの血のせいだ。クソが。

 綺麗好きな母さんが、この床の惨状を見たら、きっと怒るにちがいない。
 
 いや、たとえ父さんでも。
 いや。誰であろうと、この床を見逃すことはないだろう。

 妹のからだをまたいで、廊下の物置から雑巾と洗剤を取り出す。軍手もだ。
 床を掃除するには妹のからだはジャマだ。


 軍手をはめ、服越しに妹の腕をつかむ。
 生きていたって、こんな奴のからだ、直にさわりたくない。

 死んでるなら、なおさら。

 もちあげようかと思ったけど重い。
 そのまま引きずってやる。すこしだけ場所を移動させた。
 

 掃除をはじめる。
 洗剤をつけた雑巾でこする。なかなか血はとれない。
 思いきって熱湯をかける。

 床が白くなる。
 ワックスが溶けたのか?


 うんざりした。


 床がかわくのを待って、母親のクローゼットから掃除機を取りだす。
 薄くなった血だまりにのせると、いちおう変色した部分は隠れた。
 

男「死体、どうしよう。ていうか」


 床の掃除?  馬鹿か?

 先に対処するべきは死体だ。
 やっぱり俺は混乱している。


 燃やす。バラバラ。腐る。待つ。捨てる。食べる。凍らす。埋める。死ぬ。


 言葉が断片的に浮かんでは消えていく。
 

 一つたしかなのは、どの方法もすぐには実行できないということ。
 燃やすにしても、バラして捨てるにしても。

 一方で、時間をかけるのは避けなきゃならない。


 結局、数時間かけてやったことと言えば、においの処理ぐらいだった。
 死体をどうしたらいいのか。
 なぜかこれについては、一つとしてまともなアイディアが出てこなかった。


 「どうするの?」と誰かの声が背後で聞こえた気がした。
 今、この空間にいるのは俺だけのはず。
 
 ふりかえる。やっぱり妹の死体が横たわっているだけだ。


 なぜか不意に、怒りが湧いた。
 

 二人だけで暮らすようになって妹がひどく鬱陶しい存在だと気づいた。

 家事や手伝いを全くやらないわけではないが、基本的には俺まかせだし。
 とにかくだらしない。
 
 そのくせ俺にはやたら頼みごとをしてくる。

 なんで死んでまで俺をふりまわす?


 ほこりまみれの物置に妹の死体をつっこんだ。
 特になにもしていない、そのままの状態で。


 そのままダニにでも食われて死ね。

 あっ、もう死んでるのか。


 問題はなにひとつ解決してなかったけど、すこしだけ気分がらくになった。



 ピンポーン。不意にインターホンがなった。

男「はい、なんですか」

 つい普段のくせでドアを開けてしまった。

女「ごめん。突然来ちゃって」


男「な、なにしに来たんだよ?」

女「今日、どうしても言いたいことがあって」


 俺はバカか。こんな状況で、どうして簡単に扉を開けたりしたんだ?
 そしてこいつはなにを言ってる?


男「今日?  今日ってなにかあったっけ?」

女「本気で言ってるの?  今日、誕生日でしょ?」

男「誰の?」

女「あんたの」


 ようやく思い出した。
 そうだ。今日はたしかに俺の誕生日だった。


 おそらくヨシダも覚えていたんだろう、俺の誕生日を。
 肝心の本人は妹殺しでそれどころじゃなかったというのに。


女「ほら、ケーキも買ってきたんだ」

男「そっちの袋は?」

女「食材。せっかくの誕生日だし、あたしが手料理をつくったげる」

 
 物置に妹の死体がなければ、俺は彼女を抱きしめていたかもしれない。
 だけど。今は……。

女「あがっていい?」


 かなり前からハナは、俺のことを好きだと思っている。
 
 勘違いではないと思う。

 でなければ、わざわざ俺の誕生日にこんなふうに押しかけてきたりしないはず。

女「ねえ。なんか言ってよ」

 ふとこんな状況にもかかわらず、奇妙な興味がわいてきた。
 もしハナは妹の死体を見たらどんな反応をするのか。

男「いいよ。あがってよ」

女「よかった。断られたらどうしようかと思った」

 そこでハナが眉をひそめ、鼻をぴくぴくと動かした。

女「変なにおいしない?」 


 靴をぬいだハナがそのまま異臭に導かれるように、物置へと近づいていく。
 背筋が伸びてしまう。
 一瞬でも死体を見た彼女がどんな反応を見せるのか、と興味をもった自分が信じられなかった。

女「どうしたの?」
 
 俺は彼女の腕をにぎっていた。


男「たぶん、あれだ。ちょっと腐らせた食材を廊下に置きっ放しにしてたんだ」

女「なんでまた?」

男「ただ忘れただけだよ。それより早くハナの手料理が食べたい」

女「……あたし、今日は特にがんばるから」

 俺の一言で、ハナはにおいへの関心をなくしたようだった。


 ハナの手料理は母さんのものほどではないけど、かなりうまかった。


男「うまい。うまいよ」

女「もっとゆっくり食べなよ。ごはん粒、ほっぺについてる」
 

 人を殺すと食欲がなくなるのかと思ったけど、そんなことはなかった。
 昼から食べてないせいもあったが、すでにご飯は三杯食べている。

女「そういえば、誰かから誕生日プレゼントはもらった?」

男「ううん。もらってないよ、誰からも」

 なぜかハナが首をかしげた。ハナは言った。


女「あたし、あんたへの誕生日プレゼントを考えたんだけどさ」



女「いいものが浮かばなかった」


女「だから今、聞こうかなって思って。なにか欲しいもの、ある?」

男「タイムマシンかな」

女「あのさあ」

男「冗談だよ。欲しいのは本当だけど」

女「……あたしじゃ、ダメ?」

男「それは冗談?」

女「本気。ずっと言えないし、言うタイミングもわかんなくて」

女「好きなの、あんたのこと」

 ハナは耳まで真っ赤にして、それでも俺から目をそらなかった。


 素直に嬉しかった。

 あたりまえだ。
 たとえそれがどんなブスだろうと。
 女子から告白されりゃ、たいていの男子は多かれ少なかれ浮かれる。


 だけど。なんでよりにもよって。
 
 たとえば昨日とかさあ。
 昨日、告ってくれよ。

 そしたら俺は、妹をつきとばすことも我慢できたかもしれない。
 それどころか妹の存在そのものをゆるせたかもしれない。


女「な、なにか言いなさいよ」

男「ごめん。驚いたんだ、突然すぎて」


 俺は椅子から立ちあがって彼女の前に立った。


女「な、なによ?」


 怯えたように俺を見あげる。
 ハナの目がうるんでるように見えるのは、俺の気のせいか。

 そのまま俺は彼女を抱きしめた。
 ハナのからだがビクッとはねる。無視して抱きしめる力を強める。

 俺は勃起していた。彼女に当たっていたけど、もうなんかどうでもよかった。

女「な、なにこれ?」

男「なにが?」

女「な、なんでもない!」

 そのあとはなんかキスとかしたり、すこしだけ胸にさわった。
 興奮した。その瞬間だけは妹のことを忘れた。その瞬間だけ。
 


男「これからは彼氏彼女の仲だな」

女「そう、だね」

男「って言っても、なにかがすぐに変わるわけじゃないだろうけど」

女「……でも、今日は記念日になったね」

男「記念日?」

女「あたしとあんたが恋人になった日」


 ハナの言うとおりだった。

 この日、俺の誕生日はハナとの記念日になった。
 そしてもうひとつ。

 今日は俺が人殺しになった日だ。



 食事を済ませ、ハナを家まで送った俺は、次に妹のスマホをいじることにした。


男「くそっ」


 予想してはいたけど、スマホにはパスワードが設定されていたせいで開くことができない。

 てきとうに生年月日をいれた。
 言うまでもなく、キーは解除されない。

 俺がスマホをいじってる間にも、何回もLINEが反応した。

 グループLINEだ。
 返事をよこさないアキを心配する内容のものが、何件も表示される。

 ピンポーン。またインターホンがなった。
 うぜえ。

 ていうか、今は何時だと思ってる?


 さすがに同じ轍をふむような真似はしない。
 インターホンカメラを見る。


友「おい、いるんだろ?」


 カメラをのぞきこんでいたのはヨシダだった。
 よく見ると、うしろに何人かいる。

 なんどもインターホンの音がリビングに鳴り響く。
 
 居留守を使おうと思ったが、あかりがついていてはそれも無理だろう。
 なんどもインターホンが鳴る。イライラした。

 なぜか普段なら我慢できそうなのに、俺はその音がゆるせなかった。
 気づいたときには玄関の戸をあけていた。


友「早く出ろよな」

 俺の姿を確認すると、悪びれもせずにヨシダが言った。
 ヨシダのうしろにいた連中は、一年のころ、俺と仲がよかったヤツらだった。


男「なにしに来たんだよ」

友「なにキレてんだよ。あれ?  キレてるんですか?」

男「……」

友「そう怒んなって。せっかく誕生日プレゼントもってきてやったんだぜ?」

 ヨシダがよくわからないDVDを俺に手渡した。


男「なにこれ?」

友「先輩からもらったAV。すげえぜこれ、全部無修正」

友「なんなら今からみんなで鑑賞会やるか?  ん?」

男「は?」

 いいね、と他の奴らまで同意しだした。

友「おっしゃ。じゃあ先にコンビニ行って菓子でも買うか」

男「ちょ、ちょっと待てよ」

 
 ふざけんな。
 なんでお前らなんかを家に。


男「今日はマジで勘弁してよ。な?」

友「またまたー。そんなこと言っちゃって」


 今までにもこういうことがあった。
 だがこれまでは、なんだかんだ家にあげてきた。

 だけど今日は、ダメだ。本当にダメだ。

 「とりあえずあがろうぜ」と一人が言った。
 ヨシダもそれに「そうだな」と同意する。

 本当にやめてと俺が言っても、聞かずに入ろうとする。


 気づいたら、俺はヨシダをぶん殴っていた。


 昔からケンカの真似事はよくしていたけど、本気で人を殴ったのははじめてだった。

 殴った腕が痛い。
 ヨシダは鼻をおさえながら俺に言った。

友「なにすんだよ!?」

男「お前みたいな奴がいるからダメなんだよ」

 
 その言葉は自然と口から出てきた。


男「こんな時間に人様の家にあがりこもうとする、お前みたいな非常識な奴が」

男「犯罪を犯すんだよ!  人殺しとかな!」


 ヨシダはポカンとして、俺の言葉を聞いていた。

 俺は家に入って、扉の鍵をしめてチェーンをかけた。


 しばらく家の外から罵声が聞こえたり、インターホンが鳴りまくった。

 しかしそれも、しばらくすると終わった。
 静寂が戻ってくるにつれて、俺の感情も冷めていった。


男「人を殴った。俺が?」


 もし俺が警察に捕まって、ヨシダが俺について証言したら。
 まさに今どきのキレる若者として、俺は世間にさらされるだろう。

 いや、ちがう。今のはどう考えても悪いのはあいつだ。
 あいつは俺に殴られて当然のことをしたのだ。

 ヨシダとは金輪際縁を切ろう。

 母さんも言っていた。


 「友達は選ぶべきだ」と。


そうだ、友達ならほかにいくらでもいる。
 わざわざクズとつきあって不快な思いをする必要はない。

 
 とにかく今日は寝よう。
 明日は祝日だ。明日からどうにか……

 ふと物音がした。場所はなぜか一瞬でわかった。

 物置だ。妹を閉じこめた。

 
 本当に寝ていいのか?

 腐っていく妹の死体が脳裏に浮かぶ。吐き気がした。

 ……やはりなにか防腐処理をしておくべきか。


 すこし調べてわかったが。
 死体を綺麗に保つためにドライアイスを使ったりする方法があるらしい。

 あるいはホルマリン漬けか。

 だけど、ドライアイスなんて今はない。
 ホルマリン漬けなんてそもそもありえない。

男「あっ……」


 一つ浮かんだ。
 
 物置の扉を開ける。息は止めたままの状態。

 明かりはつけなかった。
 妹の死体を見ないためだ。

 気があせっていた、うっかり素手で死体にさわってしまった。
 冷たい。思わず手をはなした。悲鳴も出た。


 自分の呼吸が浅くなってるのが自覚できた。
 全身の肌が粟立ってるのも、なんとなくわかった。

男「きもちわるっ……!」


 タオルは複数用意して、妹を再び引きずる。
 脱衣所まで連れてきたところで、妹を床に投げた。

 
 俺が思いついたのはキンキンに冷えた水で、死体を冷やす方法だった。

 氷はコンビニかスーパーで調達してしまえばいい。


男「脱がしたほうがいいか?」


 服の袖をつかむ。
 迷う。服は着せっぱなしでいいのだろうか。

 
 だけど結局服を脱がすという選択肢は捨てた。

 妹の裸。
 気持ち悪い。
 見たくないし、見たら俺の目が腐ってしまうかもしれない。


 苦労して死体を浴槽につっこむ。

 水を入れる。冬の水道水はかなりつめたかった。


 やはり明かりはつけなかった。
 
 今朝は感じなかった恐怖が、俺に死体を見ることを拒否させた。

 人殺し。そうだ、やっぱり俺は人殺しだ。

 このことはいつ明るみに出るんだ?
 そして。そうなったとして、俺はいったいどんなふうに世間にさらさられるんだろう。

 男子高校生が実の妹を殺害したあげく、その死体を隠そうとした。
 
 きっと、あることないこと様々な憶測が並べられるのだろう。
 勝手に俺の普段の生活や性格、それから過去。
 交友関係や妹との仲、学校でのポジション。

 そういったあれこれが、興味や悪意から第三者にねじ曲がって世の中に伝わる。
 
男「くそっ」


 湯船に浸かっているのは妹のはずなのに。
 まるで俺自身が、深く暗い水の底にいるかのような錯覚を覚えた。


男「俺は普通だ」


 俺は言った。

 俺は普通だ。真実の意味でどこにでもいる、ごく普通のつまらない高校生だ。

 特別まじめでもないが、かと言って悪いことをするわけでもない。
 友達だってまあまあいるし、人当たりだって悪くない。
 友達を殴ったことなんてほとんどないし。
 
 ケンカをしたってすぐに仲直りする。
 
 親の言いつけだって、ある程度はまもる。
 もちろん反抗したりすることもあるけど、そんなのは誰だって同じだろ。

 俺を知ってる連中ならみんなこう言うに決まってる。


 「彼が人を殺すとは思えない」と。
 


 妹との関係はどうだ?


 たしかに特別仲がいいわけじゃなかった。

 だけどそれは普通だ。兄妹なんて、仲がいいほうがきもちわるい。


 ケンカしたら、2、3日口をきかないなんてこともめずらしくなかった。
 つい最近も、つまらない言い争いをした。

 ここのところ妹が担当するべき家事をやらなかった。
 だから注意した。
 そしたら機嫌を悪くした。しかも自分が悪いのに、

妹「お兄ちゃんは口うるさい」

 などとぬかした。

 ここ数日は友達の家に入り浸って、夜にも帰ってこなかった。
 
 そうだ。おかしいのはあいつのほうじゃないか。


 だいたい人を殺す奴は異常かもしれないが、人を誤って殺してしまったら。
 普通の人間なら、それこそおかしくなるに決まってるじゃないか。


 俺がこんなことをしているのだって……!


 いつのまにか、妹の腕を握っていた。

 冷たくなった腕は、同時にひどく硬くなっているような気がした。
 気のせいかもしれない。
 
男「お前のせいで俺は」

 
 恐怖は消え失せていた。
 かわりに怒りのようなものが、胸のおくでふつふつとわいてきた。

 俺は風呂の明かりをつけた。


 真っ先に俺の目に飛びこんできたのは、青白い顔だった。

 べったりと張りついた前髪の下で、割れた額から流れた血がかたまっていた。

 完全に血の気の失せた唇。
 青ざめた頬は今朝見たときより、さらに白くなってるようだ。

 よく見ると、肌の一部が変色しているような気がする。
 あざか?  それともべつのなにか?

 浴槽にもたれかかった妹は、やっぱり死体だった。

 物言わぬ死体。

 だけど、今のこいつは無言で俺を追い詰めようとしている。

 こんなゴミクズのせいで俺の人生は、両親の人生は。


俺「死ねよ。ほんとうぜえ」

 死体にむかって俺は言った。


 とりあえず家から一番近い24時間営業のスーパーに行くことにした。
 
 そこで夜食のお菓子や防腐用の氷を購入した。
 なぜか足取りが軽い。財布の紐もゆるい。
 こんなにバカみたいに金を使ったのは、はじめてだった。

 そもそもこんな時間に一人で出歩くことじたいがめずらしかった。
 

 ふいにポケットの中のスマホがふるえた。
 俺のものではなく、妹のもの。


 妹のスマホはいじろうにも、ロックされていた。パスワードがわからない
 しかも今、スマホがふるえたのはあいつの友達からのLINEだった。
 


 「どうしたんだよ昨日から連絡ないじゃん」という、返事を催促する内容。

 鬱陶しいことにスタンプが連続で送られてくる。
 LINEの送り主は知ってる。


 妹のクラスメイトで、ときどきうちに遊びに来る後輩だった。
 妙になれなれしい上に敬語を使ってこない。
 あんまり好きになれないタイプ。


後輩「あれ?  先輩じゃん」

 
 そして。スーパーから家に帰る途中、俺にうしろから声をかけてきたのがその後輩だった。


男「こんな時間になにしてるの?」

後輩「なんか今日、お母さん出かけてて。オヤジはいつもみたいに家いなくてさ」

後輩「だからブラブラしてた。てか先輩こそなにしてんの?」

男「ちょっとお腹がすいたんだよ。それでスーパーに買い物しに行ってた」

後輩「なんかウケるんだけど」

 そう言って笑った。
 なにが面白いのか。まったく理解できない。

後輩「つーかアキ元気?  朝からLINE帰ってこないんだよね」

後輩「学校来ないし。てか家に行っていい?」

男「誰の?」

後輩「もちろん先輩の家」


男「いや、時間を考えようよ。もう夜中だよ?」

後輩「いいじゃんべつに。明日って休みっしょ?」

後輩「しかも先輩とこって親いないじゃん。アキとも語りたいし。ねー、ダメ?」


 女を殴りたいと思ったのは生まれてはじめてだ。

 なるほど。こういうときに使うのか。
 親の顔が見てみたいっていうのは。


 こういういかにも脳みそと尻がかるい馬鹿女は、ホームレスにレイプでもされりゃいい。


 類は友を呼ぶとはよく言ったもんだ。

 馬鹿妹にはバカな友達が見事に吸いよせられたようだ。

 しばらく拒否し続けたが、それでも後輩は行きたいと駄々をこねた。


 ふと興味がわいた。

 こういう馬鹿が死体を見たら、どんな反応をするんだろう?


男「……わかったよ。うちに来てもいいよ」

 気づいたら、俺はそんなことを言っていた。

後輩「やっぱ先輩優しいわ」

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