水本ゆかり「大丈夫……でしょうか」 (27)

水本ゆかりさんのクリスマスプレゼントのお話

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「……大丈夫、ですよね。うん。きっと、大丈夫」

大丈夫なはず。
昨日から、いえ、クリスマスに私が渡した演奏会のチケットを使いたいとPさんが申し出て下さった三週間前から、ずっと自分にそう言い聞かせてきました。

今日の服は散々悩みましたが、以前彼がよく似合っていると褒めてくれたものを選びました。
ブラウスにカーディガン、柔らかい生地のスカート。今では、私のお気に入りでもあります。

化粧は母の言いつけを守って、匂わない程度に。
装飾品は邪魔にならない物を。
髪は邪魔にならないよう、でも解きやすいようにゆるく束ねて。

披露する曲も余念無く練習しました。
楽器の手入れも抜かりなく済ませてあります。
あとは想いを込めて奏でるだけ。

変装もしっかりしています。
あとは悪目立ちしてしまう前に、目の前の扉の奥に通してもらえばいいんです。

大丈夫。

そう、きっと大丈夫。

場所も間違っていません。
プラスチックの表札に書いてあるのはPさんの姓。
建物の名前も合致していましたし、時間も約束通り、14時丁度。

大丈夫なはず、なんです。

準備は万端。

絶対に、大丈夫。

だって昨日は念に念を押して爪の先まで洗いました、今朝は早起きして湯浴みも随所の手入れもしましたし、キャリーケースには着替えも化粧品もタオルも一式入っています、準備が足りていないなんてことはないはず、あとはもうチャイムにかかっている指をもう少し進めれば彼はきっと優しく歓迎してくれるから、私はいつも通り微笑むだけ、だからあと一寸の勇気で、大丈夫、大丈夫、大丈夫……

「あ、やっぱりもう来てたんだな」
「ひゃっ!?」

……前々から思っていたのですが、Pさんに一つだけ不満があります。間が悪いです。

今、まさにチャイムを押すところでした。
あと10秒も待ってくれればきっと笑顔で応対できたはずなのに。なぜ、出てきてしまったのでしょう。
ここまで準備に準備を重ねた日の第一声が情けない驚嘆だなんて、ひどい話ではないでしょうか。

「……えっと、ごめん。キャリーの音が聞こえてたから、扉の外で待ってたりするかなと思って」

じろり、と視線で抗議すると、予想以上に彼は慌てふためいてしまいました。

……ごめんなさい、困らせるつもりはなかったんです。
悪戯心が出てしまって、つい。

「とりあえず、上がって上がって。寒いだろうし、人目もないわけじゃないからな」
「は、はい。……お邪魔します」
「どうぞ。何もない部屋だけど」

何もなくても、何があっても、今日はきっと特別な日。


一人暮らしの男性の部屋に入るのは、初めてです。
彼には内緒ですが、母に口裏を合わせてもらって寮に外泊届けも出してあります。

仮に曲を披露した後に、いつも通りの優しい声色で『遅くなる前に帰りな』と言われ、この部屋を後にしたとしても。
あるいは、ゆるやかな寛ぎの時間の中で、彼との関係を一歩先に進められたら、なんて私が思い描いている未来が実現したとしても。



「二人きりの演奏会」のチケットを渡したクリスマスの夜から。
今日という日は掛け替えのない思い出の一ページにすると、決めて来たんです。

・・・
・・

「意外と大荷物だなぁ」
「譜面台を持ってくるのに、キャリーケースが必要になってしまって。ほとんど隙間を埋める布しか入っていないのですが」

ごめんなさい。これも、半分くらい嘘です。

短い曲ですし、散々練習したので譜面は無くても一応、大丈夫なんです。
ただ、『着替えを持ってきた』という事実はあまりにも浅ましいように感じてしまって、家を出る直前に自分に言い訳をするように慌てて鞄に詰め込みました。


だから、布――替えの服や寝間着、下着等が空いているスペースを埋めているのは事実です。

……こうして言い訳がましくなってしまっていることが、一番浅ましいのかもしれません。

きっと彼が求めているのは静かに安らげるひととき。
目を細めながら私の奏でるフルートの音に耳を傾けてくれる姿を想像するのは、今まで彼と二人で歩んできた道のりを以ってすれば容易いことです。

けれど、私はもっと先があると思い込み、誰にも邪魔されずに二人で過ごす時間に想いを馳せています。
そのことを彼に直接伝えるなどできるはずもなく、あわよくば、上手くいけばと勝手な期待を寄せるだけ。

本当に、本当に浅ましい。

「折角だし、持ってきてくれたお菓子出そうか。お茶もあるから……」
「いえ、先に演奏させてください。……お菓子はPさんの感想と併せて、是非」


羞恥心に急かされるようにフルートを組み立て唇に沿えると、その冷たさに眉間に力が入ってしまいます。
ふとPさんに目をやると、調律に苦戦する私をにこやかに眺める彼の隣にはいつの間に用意したのか、マグカップが二つ、湯気を立てていました。

……もしかして、私のために用意してくれていたのでしょうか。

お茶を頂いてからでもよかったかな、という後悔は、すぐに温かくてこそばゆい、別の感情に押し避けられました。

キャリーケースの音が聞こえた、と言っていました。

なかなかチャイムを鳴らせない私のことを察して、温かい飲み物を用意して下さったのでしょうか。
本当は彼も、肩を寄せ合って語らうことを楽しみにしていたのかもしれません。

『恋は盲目とは言いますが、浮かれすぎでしょう』
理性はそう囁きますが、浮かれずにいるなんて到底不可能です。

自分でどんな理由を付けても説明し切れない、くすぐったくて、情けなくて、言葉で伝えるには少し勇気が足りないこの気持ち。
今まで喉に引っかかって出てくることがなかった慕情を息に乗せ、ようやく温まって音が取れるようになってきたフルートに吹き込みます。



今日の曲は『愛の挨拶』。
曲名を彼に伝えたら、驚くでしょうか。
察して頂けるでしょうか。

彼のことを想いながら、期待を添えて奏でればきっと応えて頂ける、なんて考えることは、夢物語なのでしょうか。

・・・
・・


Pさんと共にしてきた時間は短くはありません。彼のためにフルートを演奏したことも、何度かあります。
だから、私が想定していた彼の感想は、『やっぱりゆかりのフルートはいいなあ』『もっと人前で披露する機会を作っても』といったものでした。

「……え、ええっと……うん、いや、素晴らしい演奏だった。流石だな、うん。……うん」

でも、私が演奏を終えて膝の上にフルートを置いたとき、耳を赤くしながら彼が並べたのは歯切れの悪い称賛の言葉でした。


気がふっと遠くなるような痺れが頭の奥から滲み出て、私に囁きます。

私が想いを込めて贈った旋律は、しっかりと彼に届いているのかもしれない。
目に見てわかるほどに動揺し照れているのは、彼が気付いたからかもしれない。
私の空想は、もしかすると、空想と呼ぶほど非現実的ではなかったのかもしれない。

もしかしたら、今日は本当に、本当に特別な日になるのかもしれない。

胸の中で勝手に広がりきってしまった期待が、私の背中をそっと押します。

「あの……お隣、失礼しますね」
「あ、う、うん。どうぞ。……えっと、ゆかり?」

Pさんの肩に少し寄りかかるように座ると、彼の体が少し跳ねるように強張りました。
離れなさいと言われてしまう前に、矢継ぎ早に次の言葉を紡ぎます。


「今のは、エドガーの『愛の挨拶』という曲です。私も、出来るだけ……その、愛を込めて、演奏しました」
「……そっか。なんというか、すごく熱が入ってたから驚いたよ。やっぱりゆかりは演技が」
「演技では、ないです。……二人きりで、目の前にいるのがPさんだったから」
「……」
「ほ、本当はピアノ伴奏が付くんです。……あの、よければ今度、是非Pさんと」

「あ、あー、ピアノならさ、久美子とかの方が」

違います。
貴方でないと、意味がないんです。

松山、久美子さん。
私より、6つ年上だったでしょうか。
はっと息を飲ませるような美貌と、柔らかい人柄が印象的な方です。

女性としては、15の小娘より遥かに価値がある。
きっと私が出来ないようなことも、Pさんが私にはできないようなことも、出来てしまう。

湧き出るように現れた妬み心は、足りない勇気の代わりになってやると言わんばかりに私を突き動かしました。

「……嫌でしたら、振り払ってください」

彼の左肩に頭を預け、右手を絡めるように重ねると、彼は小さく溜息をつきました。

「……今日だけだからな」
「嫌です」
「ゆかり」

Pさんが叱るように、少し強く私の名前を呼びます。

ごめんなさい。
こんなことをしたら、貴方を困らせてしまうことはわかっているんです。
自分勝手で、変な独占欲まで出してきて。
面倒な子だと私でも思います。

「だって、私は」

でも、どうすればいいのかわからない。
わからないけれど、私を突き動かすものは『伝えるしかない』と囁いて止まないから。

ごめんなさい。ごめんなさい。


私が何を言わんとしているか察したのか、Pさんが私の言葉を遮ります。

「……ごめん。俺が考えなしに家に招いたのが悪かった」

やめてください、謝らないでください。
悪いのは私なんです、間違った道を歩もうとしているのも、口にしてはいけないことを言おうとしているのも全部私。
だから私を咎めてください。
貴方が謝る必要なんて少しもない。

「なら、なぜ招いてくださったんですか」
「それは……」

まさか聞き分けのいい、真面目な水本ゆかりがこんなことをするだなんて思っていなかったから。

知ってます。わかっています。
そういう風に育てられてきましたし、Pさんの前でもそのように振る舞ってきました。

「……演奏、よかったよ。機会があれば、伴奏もチャレンジさせてくれ」
「っ、私は……っ」

理性が『その先の言葉を口にするな』と、私の喉を詰まらせます。

駄目、やめておきなさい。
その先は言う必要はないでしょう。
一緒に演奏する約束でもして、いつもの距離に座り直してからのんびりお茶を頂いておきなさい。
祖母も言っていたでしょう、『人間、欲を出すと碌なことがない』、と。
あまり無理なお願いばかりしていると、彼を失うことになりますよ。


それでも、蛮勇なのか混乱なのか、私の奥底から噴き出た何かは理性の抑制を振り切り、想いを言葉にして吐き出すことを選ばせました。

「私は、ただ」

嬉しかった。

貴方が、私が成ろうとしている『何か』でなく、私を必要としてくれることが、他の人とは違う目で私を見てくれることが。

「Pさんのことが」

その喜びに身を任せていたら、いつの間にか貴方の笑顔は私にとって欠かせないものになってしまっていたんです。貴方の一挙一動に勝手に喜んだり、傷ついたりしている私がいて、そのことに気が付いたときに、私は変になってしまったんです。
狡賢く予防線を張って、言い訳がましく立ち振る舞って、盛りのついた猫のようにじゃれついて、私はこんな人間ではなかったはずなのに。

「……本当に、本当に」

貴方が可愛がってくれた、清純な水本ゆかりでいるためには、こんな感情は知るべきではなかったのかもしれません。
こんなに醜く、歪んで、貴方のことしか見ていない私になんて、なりたくなかった。

「……ごめん。本当に、俺のせいだな」

悪いのは全て、恋の味を覚えてしまった、私なんです。


ごめんなさい。




くしゃり。

彼の手が優しく私の髪を撫でたかと思うと、温かいものが一瞬、髪にに触れました。

「ありがとう、嬉しいよ。だから、泣かないでくれ」

Pさんが今までとはまるで違う慈愛に満ちた声色を発すると、温い吐息が髪の中に広がります。
肩の力が抜け落ち、為すがままにされていると、彼は優しく、優しく、私の髪を手で梳き始めました。

……はて。先程の温かい感触は、もしや。

「俺の方がこういうことは、しっかりしないといけないのにな。ごめん」
「……あの、Pさん」
「無下にはしたくないんだ。ただゆかりはまだ若いし、お互いに立場の問題もある」
「Pさん」
「ゆかりの場合は家も、だな。まどろっこしいと思うかもしれないけど、焦るのはまずいだろ?」
「Pさん」

なかなか言葉を途切れさせようとしない彼は、少し照れているのでしょうか。

なぜ、頭に口吻など。

わかりません。
わかりませんが、恋の病は、重病なんです。

少なくとも、恋なんてしたくなかったと思った次の瞬間に、天に昇る思いで浮かれる程度には。


思い切って体を伸ばして、彼のこめかみに唇で触れると、ほのかに苦い汗の香りが体の内に広がるのがわかりました。


「ふふ」
「……ゆかり。あのな」
「素敵な慰め方だったので。つい、真似してみたくなってしまって」

そう。きっと、Pさんと同じ。
『つい』愛おしくなって、それを示したくなったんです。

「……つい、なら仕方ないか」

そう。仕方ない。

惹かれ合うことも、そのことを言葉や頭で否定しても心の向きを変えられないことも、仕方ないんです。
そして、それはきっと、彼も同じ。

「ごめんなさい、泣き出したりしてしまって」
「……とりあえず、洗ってきな。腫れるぞ」
「はい。……でも、残念です。もう少しで、伝えられたのに」
「いつもそうやって強がる」

『いつも』。そうなのでしょうか。

いえ、きっとそうなのでしょう。
誰よりも私をよく見ている彼が言うのだから。

「さっきもなかなかチャイムが鳴らないから心配だったんだぞ」
「Pさんは過保護です」
「ゆかりは頑固だし、ちょっと先走りすぎ」
「大丈夫です。そこはPさんにきっちり保護して頂きますから」

敵わんなぁ、と参ったように彼が呟きます。

大丈夫。そう、大丈夫なんです。
私達は、大丈夫。

きっと、こうして補い合いながら共に歩けるんです。

「今日、決めていたことが一つあるんです。……『思いっきり特別な日にしよう』って。ふふ、さっきのはかなり、特別な思い出になりそうです」
「……そうやって笑ってくれるならした甲斐があったのかも、な」
「それはもう。また私が愚図ることがあったら、お願いしますね」
「あのなあ」

どこまでも優しい手つきで私の髪を撫でながら、彼はそう呆れます。



さて。
一個を手に入れてしまうと、もっと欲しくなるのも、人の性。

何から話したものでしょうか。

『家の問題』なんてあり得ない、ということ。
キャリーケースの中身。
隣で冷め切っている、マグカップの話。

ああ、恋をしているということは、なんて楽しいでしょうか。


それでは、ごめんなさい、Pさん。
もう少し、もう少しだけ今日という日を特別にするために、『つい』に付き合っては頂けないでしょうか。

おわり

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