【ハチワン】スーパー将棋マンガ大戦【3月・しおん】 (285)


3月のライオン
ハチワンダイバー
しおんの王
BLOOD~真剣師将人~
盤上の詰みと罰

のクロスオーバー。

一応1個か2個知ってれば楽しめる作りにしたつもりですが、根幹はハチワンなのでご注意。

・棋譜は素人仕事【←重要】
・恋愛要素などは一切無し
・作中の空白期間などには独自解釈、オリ要素あり
・細かい部分の時系列の整合性は無視
・序盤かませ犬のキャラたちは追々活躍します


ここにはいないと思いますけど将棋が好きだけどSSはあまり読んだことがない、という方にも読みやすいようスタンダードな味付けにしたつもりです。


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1425453917


第一局

時系列
ハチワン:鬼将会崩壊~原作最終回のあいだ(ネタバレありの為未読の方は注意してください)
3月のライオン:序盤
しおんの王:中盤
将人:1巻終了時点


 プロとアマチュアの違いがもっとも大きい競技ってなんだろう、と訪ねたことがある。


 ある者は、よく知らないけど野球じゃないかと答え、またある者はいやいやボクシングではないかとも、あるいはゴルフやロードレースであるとも答えた。

 だが、その調子で何人もの人間に質問を繰り返すと次第に、ある一つの答えが多いと気づいた。

 アマチュアの中でも毎年、全国トップレベルの能力を持つほんの数人だけがようやく、プロを“目指すこと”を許されるその競技は、世界最強の頭脳スポーツと呼ばれ、10の220乗に及ぶ手の変化は神へと至る道とさえ言われる。


 千駄ヶ谷の将棋会館からの帰路を歩く桐山零(れい)もまた、そんな将棋のプロ棋士の道をゆく一人であった。


零「だから、それなら桐山ワクチンじゃなきゃおかしいじゃないか」

二階堂「オレの名が入った戦法を作りたいんだよ。いや作ってほしいのだよ! 親友であり宿敵であるお前の手でっ!」


 一手損角換わりを憎む生粋の居飛車党である二階堂晴信にとっては、その対応策は喉から手が出るほどに欲するものだ。

 別の勉強会にすでに参加している二階堂であったが、年齢も段位も近い零を心友(しんゆう)と称して頻繁に行動を共にしている。

 一人を好む零としてはあまり歓迎したいものでも無かったが、どうにも内向的な自分にとって、彼が心許せる数少ない友人であることはそれなりに自覚していた。


零「イヤだよ。そもそもオレは振り飛車も居飛車も指せるから一手損角換わりは自体はそんなに驚異じゃないし」
 
二階堂「なにおう!! 兄者だって後藤九段だって羽仁(はに)名人だって居飛車党じゃないか!」


 将棋における戦法は持久戦や急戦等々数あれど、大きくは2つに分類される。
 
 攻めの要である飛車を初期位置の2筋周辺で使用する居飛車と、中央の5筋よりも左で使用する振り飛車だ。

 前者は一撃の突破力、破壊力、そして頑強な防御を併せ持つ場合が多い。言うなれば空手や柔道のような格闘スタイルの戦法である。

 逆に後者は臨機応変な攻守と軽いフットワークが売りだ。こちらは言わば、ボクシングや合気道のような戦法である。


零「いや羽仁名人はたまに振り飛車も指すし、生粋の居飛車党ではないだろ」


 羽仁真は先日、激闘の末に宗谷四冠から名人位を奪取した現状最強と名高い棋士だ。


零「だいたい、対振り飛車で居飛車という時点で一手得してるんだから、振り飛車側も何かしら対策がないと戦えないんだし。当然のことだろ」


 二階堂のような居飛車党がいる一方で、風車を得意とするスミスや新石田流を編み出した鈴木八段のような振り飛車のスペシャリストも当然いる。

 古来から引き継がれた最低限のルールの内でなら何を指しても構わない、まさにバーリトゥードの異種格闘頭脳戦。それが将棋なのだ。



二階堂「うむ。鈴木八段といえば、また将聖戦で的当(まとあて)八段と対局することになりそうだな」

零「あぁ、あの鬼将会の事件も含めて因縁の対決だしな」


 棋界のみならず日本全土を、いや世界中を震撼させた鬼将会事件。

 将棋という凶器によって多くの尊い命が失われた恐ろしいテロ事件はいまだ記憶に新しい。

 それに、幾人かのプロ棋士もそれに関与していた。


 弱きを助け強きをくじくべくして参戦した鈴木八段や同じく命を落とした海豚七段はまだしも、事情はあれども鬼将会討伐組の行く手を阻む立場で将棋を指した的当 元将星と森根 元名人は当時、連盟からタイトル剥奪、および謹慎と重い処分が下されていた。

 今でこそ落ち着いたが、当時は将棋会館にもマスコミが殺到して蜂の巣をつついたような大騒ぎであった。

 棋士たちは記者に追われて俯いたまま早足でタクシーや地下鉄を目指す、まるでゴシップに翻弄される芸能人のようだった。



零「あの時は凄かったよな。無視してもずっとマイク向けて追われてさ」

二階堂「オレはじいやに車を回して貰っていたのでよく知らんがな」

零「いや、本当に凄かったよ。改札までついて来られてさ、この辺りの通りもマスコミがいて……あ、そうそうちょうどあんな風に……? ……ん?」



 そうそう、と指さした先には男に付きまとわれている様相の少女がいた。



二階堂「おや、あれは……」


 困ったように首を横に振る少女に、男は行く手を阻むように前へ前へと回り込んでいた。


零「……っ」


 思わず駆け寄る。


 人と話すのは苦手だし、揉め事もごめんだ。

 神園九段のような、面倒くさいから人付き合いは嫌いだというスタンスならばまだ良いと思うのだが、零の場合どうにも他人を前にすると萎縮して何を喋って良いのか分からなくなってしまうのだ。

 おかげで自慢ではないが二階堂以外に友人などほぼいない。これでは何のためにプロ棋士を兼任してまで自腹で高校へ通っているのか分かったものではない。

 そして、さらに困ったことに、こんな性格なのに曲がったことは許せない頑固な一面を持ってしまっているのだ。



零「何かお困りですか? 道に迷ったなら自分が案内しますよ」


 すかさず少女に付きまとっていた男に声をかける。

 もちろん男が道を尋ねていた訳ではないと知っている。

 更に言えば、変質者やナンパの類でもない。

 以前に自身が経験したのと同じ、無理矢理追い回してくる悪質な類だ。おそらく身の危険はないが、追い回される側は大きなストレスを被る。



男「いや、そうゆう訳じゃないから。お構いなく」


 案の定、迷惑そうな反応を示すハンチング帽の男であったが、更に追い打ちをかけたのは二階堂だった。


二階堂「ほう、NHK杯の本戦出場経験もあるプロ棋士には目もくれず育成会の女子に付きまとうとは、これはよっぽど悪質な記者と見えるな。出版社と編集部の連絡先を教えて貰って良いかな? それとも警察のほうがお好みかな?」

零「ぇ?」



 育成会、という言葉に改めて少女を見返す。

 言われてみれば将棋会館で何度か見かけたことがあるような気もする。


 素性を見抜いた二階堂の言葉にバツが悪くなったのか、男は舌打ちだけ残してそそくさと去っていった。


二階堂「まったく。人のプライバシーを食い物にする連中め!」

零「あ、えっと。育成会の人だったんですね。大丈夫?」


 零の問いに、だが少女は無言で頷くばかりだった。



 歳の頃は11~3歳だろうか。

 零の親しいところにも中学2年生の少女がいるが快活な彼女とは打って変わって、こちらは静かな物腰の少女だ。

 だが、それにしても声もないほどに、男に不快なことをされたというのだろうか。


二階堂「桐山」


 しかし二階堂の声と、少女の穏やかな笑顔にそれも否定される。

 ショックで声もない、という様子ではない。


 
零「……? きみは……?」



 少女の口から言葉は紡がれなかったが、代わって鞄からいそいそとスケッチブックが取り出された。

 その様子に、零はようやく彼女の境遇を理解した。





紫音【 はじめまして。安岡しおんです。】

紫音【 助けていただいてどうもありがとうございます。 桐山五段 二階堂四段。】








 スケッチブックにサインペンで綴られた文字はお世辞にも達筆とは言えなかったが、丸っこい暖かみのある書体だった。





---…………


結局、二階堂の提案で紫音の自宅付近まで道を共にすることとなった。


紫音【 このあたりで大丈夫です。】


 しばらく歩いたところで、再び紫音がペンを走らせた。


零「そう? なんなら家の前まで一緒に行くけど」

二階堂「いや、我々がご一緒してはかえって親御さんに心配をかけてしまうだろう」

零「あぁ、確かに」

二階堂「では。気をつけて」


紫音【 とっても助かりました。ありがとうございます。】



 ニコニコとスケッチブックを向けてくる様子を見ていると、喋ることが出来ない以外は至って普通の女子中学生に見える。

 むしろコミュニケーション能力に欠ける自身の方が声など、よっぽど無用の長物だと思わずにはいられなかった。




二階堂「ちなみに彼女の父親は安岡八段だ」

零「え!?」

二階堂「去年に兄者と繰り広げた激戦は記憶に新しいな」

零「たしか四〇代に入ってから調子を伸ばしてきたって、いっとき結構注目されてたよな」

二階堂「うむ。あるいは家族を養うべく大黒柱として奮起したのかもな」


 零としては本音では先ほどの少女、紫音の声について訪ねたいところもあったが、それがあえて口にして良いものかは気を許した二階堂相手にも計りがたいところがあった。



二階堂「そういえば彼女が声を失ったことについてだが」


零「って! 言うのかよそれ! マズいだろ。大抵の場合、本人は深くふれて欲しくないところだろ」


 零としても、自分がいわゆる『ぼっち』であるとか、生い立ちがどうとか、正直他人にふれて欲しくない箇所はある。


二階堂「本人はそうかも知れないな。だが悲しいかな普通に週刊誌や新聞に載っている話だし、実際のところは第三者としては、そういったことを知っていた方がかえって当人のデリケートなところに触れずにすむ」



 相変わらずだ。この二階堂は金持ちのボンボンで空気が読めないくせに人間関係のそういった機微を見抜いてしまう。

 確かに棋士にはこういったタイプが稀にいる。

 パワー負けしない棋力があるのは前提として、棋士は2通りの才能を持っている。


 一つはひたすら盤面と一体化するタイプ。盤駒に精神を預け、世界樹の根の如く際限なく広がる一手一手とひたすらに向き合うタイプだ。

 もう一つは、人間の内面を見透かすタイプ。本当に僅かな一挙一動、一手一手から相手の中に秘められた将棋を自身の内に再現し読み切ってしまうタイプだ。

 二階堂には後者に通ずる才能がある……のかもしれない。



二階堂「それに……うむ。桐山は彼女のことを知っていた方がいい」

零「……? なんだよそれ」

二階堂「まぁオレも新聞や兄者から聞いた話が大半だが」



 二階堂の口から聞かされた安岡紫音の生い立ちは零の想像より遙かに壮絶なものであった。


 紫音は4歳の頃、本当の両親を何者かに惨殺されて以来、ショックで声を失っている。


 そしてその犯人は、いまだ判明していない。


 そして今なお……いや、彼女が棋士になった今だからこそ、事件に関する悪質な取材や嫌がらせが相次いでいるのだ。




零「…………」


二階堂「まぁ、知ったうえで何かをする必要は無いがな。だが気を使うにしろしないにしろ、知っていたほうが良いこともある」



 二階堂があえてこの話をした理由が分かった気がした。


 そもそも彼は、良し悪しだけで他人のデリケートな問題をおいそれと語る男ではない。

 だが安岡紫音と同じ境遇の桐山零は、彼女の問題を知っていた方が良いと判断されたのだろう。



 零もまた幼くして本当の両親を失い、将棋をだしに他人の家へと転がり込んだ。



 無力な子供である自分の居場所を守るために、義父の本当の子供を蹴落としてまで、将棋に対して偽りの愛情を注ぎ続けたのだから。




---……


 もともと零が他人に近寄らない性格であったせいも多分にあるのだろうが、人間関係というのは不思議なもので、顔見知りになったとたんに将棋会館では紫音と頻繁に出会うようになった。


 もっとも、他愛のない挨拶や将棋の話を数分して終わる程度であったが。

 零も彼女も自分から積極的に会話を組み立てるタイプではないので当然といえば当然だ。


 その日も、家路につこうと靴棚へ向かったところで紫音と出会った。

 基本的に他人とのコミュニケーションを試みるのは苦手だが、昔から他人の顔色を伺って生きてきた零にとって、紫音の様子がおかしいのはすぐに分かった。


 A4程度のコピー用紙を手にしたまま、紫音はぼんやりとそれを眺めている。

 いや、紙面を見てはいない。視線は手元を通り抜けてもはやどこにも焦点はあっていない。

 場所と状況からして、靴棚にあった手紙か何かを手にしたのだろう。




零「安岡さん?」


 背後から紙面をのぞき込んで零は思わず肩が震えた。

 続いて耳元で鳴っているかのように心音が高鳴る。



 そこにはドラマや映画でしか見たことの無いものがあった。

 新聞から切り出した文字が継ぎ接ぎされた紙面。








--安 岡 シ 音 の 両親 を 殺した 犯人 ハ 鬼将会 に イ る








 その文面を読んでも、すぐには理解できなかった。


零「……なっ!!?」


 気づけば尻餅をついてへたり込んでいた。


紫音「……!」


 ようやく背後の気配に気づいた紫音が振り向き、手を差し伸べてくれたが零はすぐに立ち上がることは出来なかった。


零「……あ、あの。ごめん。見るつもりは無かったんだけど」


 だが紫音は微笑み、すぐにスケッチブックをとりだした。


紫音【 ただのイタズラです。たまにあるんですけど、ビックリさせてごめんなさい。】


零「……そ、そう……なんだ」

ハチワンの大介見てから現実の大介見ると「おお、もう…」って気分になって悲しい悲しい…
あと、月下の棋士はクロスしないんすね



 イタズラですむ訳がない。

 両親を殺された少女に対して、イタズラや冗談でその話題を掘り返すなんて、真っ当な神経でできる訳がない。

 まして鬼将会の名は棋士にとって、ある種のタブーなのだ。

 プロ棋士を含む何人もの人間を命を奪ったテロ集団。ましてや将棋で人名を奪うなど、この平成の世にあってはならない。

 
零「そ、そうだよね。鬼将会はあの事件で壊滅したらしいし」


紫音【 ご心配をおかけしてすみません。】

紫音【 でも他の方も不安にさせてしまうと申し訳ないので、このコトは内緒にしてください。】


 強い。

 そう思った。


 この中学生の少女はずっと戦い続けているのだ。

 両親を奪った見えない犯人と。そして自身を取り巻く環境と。


ハチワンとしおんは読んでた
期待してる。菅田は出るのだろうか…


 
---……


 力にはなってあげたいが、知り合ったばかりの他人、それも年下の異性のプライバシーに深く踏み込むのも何だか気が引けて、なんともモヤモヤした気分にさせられた。

 そんな気持ちのまま数週間が過ぎた頃、それは起こった。


零「……ったく。何で俺が買い物に付き合わされなきゃいけないんだよ」


 買い物に適した都心の繁華街へと来てみたは良いものの、零はこういった場所の歩き方は苦手であるし、二階堂も持病がある。



二階堂「まぁ良いではないか。先日、川本家へお邪魔したことで改めて、将棋の普及の大切さを考えさせさせられてな」

零「まぁ確かにあの絵本は凄く分かりやすかったって、モモちゃんもヒナちゃんも言ってたけど」

二階堂「うむ。あの件もあって創作意欲をかき立てられてな。今回は基本的な序盤中盤終盤の組立を描いてみようかと思っている」


 ひょんな縁から零がお世話になっている川本家、その次女、そして三女には二階堂の将棋解説絵本が大好評なのだ。



二階堂「これまでは画材はじいや達にまかせていたのだが、たまには自らの足で選んでみないとな」



 おかげさまでこの張り切りようだ。



>>18
ウォーズの早指しは少し悲しくなりましたね

>>20
3月のライオンの零はこの第一局の主人公なので、
逆に読んでなくても楽しんでもらえると思います。


早速将棋知っている人が来てくれて嬉しいです。

対局中は盤面図とかも貼っていくので、将棋好きな人もそうでない人も楽しんで貰えれば幸いです。



零「買い物したらさっさと帰るからな」

二階堂「うむ。分かってい……ん? あれは安岡嬢ではないか?」

零「え?」


 二階堂の言葉に車道を挟んだ反対側を見ると、確かにショートボブヘアの少女が一人で歩いている。



零「本当だ。こんなところに一人で?」

二階堂「む? 立ち止まったぞ」



 中学生の少女を遠巻きに、男二人見守る姿には一抹の不安を覚えたが、ひとまず様子を伺ってみることにした。

 見れば手にしたメモと正面のビルを交互に見比べている。


二階堂「あの小ビルに入っていくな」

零「こんなところに何の用事が……ん? いや、あのビル……2階が道場だ」



 ちまたの将棋指しが集まる将棋道場。鬼将会事件で将棋ブームが起きて以降はいっそうの繁盛を見せているが、通常は現役の奨励会や育成会の者が立ち寄ることはあまり無い。




二階堂「なるほど。目的は道場であったか。知人がいるのかも知れないな」


 安心した様子の二階堂に対して、零は違う気持ちだった。


零「いや、だとしてもわざわざこんな所一人でくるかな?」


 そう言っている間に紫音はビルの中へと消えていく。


零「……」

二階堂「……ふむ。そんなに不安なら少し中にお邪魔してみるか」

零「……は? いや、無理だろ!!」



 ありがたいことに将棋というのはA級やタイトルホルダーのみならず、若手を応援してくるファンも多い。ましてや零も二階堂もテレビや雑誌での露出もそれなりだ。

 将棋道場などに入った日には騒がせてしまうのは目に見えている。



二階堂「なに。今は正装ではないし、ちょうど良い所にコンビニエンスストアがあるではないか」

零「……」



 ちょうども何も今時コンビニなんて街中をあるけば20mおきにでもあるが、特に言及はしなかった。




---……


二階堂「うむ。完璧だな」


 中指でくいとサングラスを上げながら二階堂が呟く。

 もう少し身長があればギャング映画の幹部にでも見えなくもない。


零「…………そうかな?」


 つられて零もサングラスをくいと上げるが恐らく、いや確実に似合っていない。



二階堂「さぁ、これで素性を見抜かれる心配はあるまい。いざ突入だ」


 言うが早いか、二階堂が道場の扉を開く。


 入ってみればすぐさま眼前に紫音の姿が現れた。

 何やら困った様子の席主の男性に対して、しきりに何かを訴えている。


 一生懸命サインペンを走らせてはスケッチブックを席主に見せてを繰り返していた。

 確かに筆談でコミュニケーションを迫られれば一瞬戸惑うが、毎日様々な人間と接してきた席主がそれだけで戸惑うとも思えない。



零「あの……どうかしました?」


 サングラス姿の少年の登場に席主はこれまた驚いた様子だったが、二階堂の貫禄のおかげか流石は接客業の一種というべきか、落ち着いた様子で対応してくれた。



席主「お兄さんがたも初めての顔だねぇ。いやね、このお嬢ちゃんが奥の部屋で指したいって言い出すもんだからさ」


 そう言って席主は親指で後ろを指す。

 見れば対局中の客の顔が並ぶさらに奥に一つ扉が見える。


零「奥?」

席主「そう。お兄さんがたは『これ』やる人?」



 言葉とともに席主が目線の高さに掲げた千円札の意味は零にも分かった。

 鬼将会事件で規制が厳しくなったとは言え、これが無くなることは無いだろう。

 真剣。すなわち、賭け将棋だ。


 話から察するに、奥はそう言った目的の対局者が集まるのだろう。

 当然プロ棋士として、賭け将棋を行うなどあってはならないことである。

 それは奨励会や育成会の所属棋士も同様なのだが……。


席主「いくらお嬢ちゃんが奥で指したいと言っても、今は警察も結構厳しいから、未成年に真剣はちょっとねぇ」


 と、ここで零は自分をじっと見上げる紫音に気が付いた。

 分かってはいたが、こう間近で顔見知りに見られてはサングラスの変装程度では意味をなさない。



零「やっぱりあの時の手紙を見て……?」



 真剣を手がかりに鬼将会を追おうと言うのだろうか。

 そんな零の声を聞いてか紫音はペンを走らせる。


 だが、スケッチブックを向けられたのは零ではなく席主であった。


席主「……うん? あぁそうゆうことかい。うーん。じゃあ仕方ないかなぁ。お兄さん方は奥の席料、1人7千円ね」

零「…………ぇ?」


 なにごとかとスケッチブックを覗き込んでみれば、予想だししない内容が綴られている。



紫音【 この2人は社会人で私の兄です。真剣の将棋を見学させてくれるって約束していて・・・・・・】



 怒るよりも呆れるよりもまず、彼女が見た目よりも強引な少女なのだと驚かされた。



二階堂「うむ、ではお言葉に甘えて失礼しようか。支払いはカードでもよいかな? うむ? 無理? ならばこれで」



 そして当然のように2万円を出した二階堂には呆れた。



---……


 いざ奥の部屋へ入ってみると、想像よりも広く、表向きの対局スペースと同じくらいはあるように見受けられた。



紫音【 なんだか、かってなコトを言ってしまってすみません。】


零「いや、俺たちこそ勝手に付いてきてごめん。たまたま安岡さんの姿が見えたから」

紫音【 ここからは一人でだいじょうぶです。お金もお返ししますね】



 表情こそ微笑んでいたが、綴られた文字からは少女の意志の堅さを伺い知ることができた。


二階堂「なに、オレもこういった場所には興味があった。自分たちの意志で来たのだから気遣いは無用だ」


 どこまで察しているのか、二階堂は紫音のことを深く追求する様子は無かったが、零はやはり心配せずにはいられなかった。



零「余計なお世話かも知れないけど、この間の手紙の信憑性がどうであれ、闇雲に探したって手がかりは見つからないよ」

 
 真剣師集団と名高い鬼将会だが、もちろん全ての真剣師が鬼将会という訳ではない。





 とはいえ、自慢ではないがこれまでの人生、悪い遊びも知らず悪友なんてものも当然いない零にとって賭博なんてものは、『なんだか怖い人がからんでいそう』というイメージが拭えない。



零「それに、安岡さん一人じゃここでは……」


 部屋入るだけでも苦労したのに、と言い掛けたところで零の言葉は遮られた。


中年男性「おう。お嬢ちゃん。真剣やるのかい? おじさんの角落ちでいいから2千円で一局どうだい?」


 どうやら席主は違い、真剣師たちは公序良俗といったことには興味が無い様子で、一目で未成年と分かる紫音にも平然と対局を申し込んできた。


零「どうするんだよ二階堂。いくらなんでも賭け将棋はマズいだろ」

二階堂「ううむ。興味はあったが実際に指すのは問題ではあるな」


 現役のプロ棋士が真剣を指したなど知られれば謹慎では済まないかもしれない。

 だが紫音は困った様子も無くスラスラとペンを動かす。


紫音【 よろしくおねがいします。でもそちらからお金は結構なので私が勝ったら教えてほしいことがあります】


中年男性「スケッチブック? あぁそうゆう感じの子ね。いいけどおじさんあんまり物知りじゃないよ?」

紫音【 かまいません。それと平手でダイジョウブです】



 紫音の手際のよさに零は舌を巻くしかなかった。

 自分などより遙かに優れた機転とコミュニケーション能力を持っている。



零「なるほど……。金は賭けないやりかたでいくのか……」


 凄いもんだなと二階堂の方を振り向いて見ればそこに姿は無く、


二階堂「うむ。金はいらんがオレが勝ったらあそこの少女の質問に答えてほしい」


 すでに初老の男性を前に駒を並べていた。


零「まじかよ……」



 自分も対局をしたほうが良いのだろうか。いやそれともどちらかの対局を観戦するべきなのか。

 キョロキョロと辺りを見渡していると、1人の青年が自分を見ているのに気が付いた。


青年「一局どう?」


 声をかけてきたベストにワイシャツ姿の青年は、気の強そうな他の真剣師たちと違って温和そうな印象だ。



零「え? いや、俺は賭けはその……」

青年「聞いてたよ。金は受け取らないけど情報が欲しいんだろう? 凄いね。まるで探偵やスパイの潜入捜査みたいだ」

零「い、いや。そんなんじゃ……」

青年「分かってるって。ほら、キミの先手で構わない」


 青年に促されてついつい席へ着く。



零「じゃ、じゃあ。宜しくお願いします」

青年「お願いします」


 とは言え、真剣師がどんな将棋を指すのか興味はあった。

 鬼将会事件で電波ジャックされて放送された対局はどれも凄い棋譜ばかりだった。


 もしもプロの将棋を格闘技に例えるとすれば、真剣は叩き上げの野武士、あるいはストリートファイターのようなものだ。

 自分の将棋とっても、参考になるところがあるかも知れない。



零(……って、いけない。プロだってバレないようにしなきゃ)


零(……飛車先を突いてこない。いや、右の銀をこのまま攻めに使うつもりか? なら戦型は……)

青年「さて、これでいけるかな」


 零の読み通り、青年は腰掛けた右銀に合わせて飛車を6筋へ振る。

 7筋の歩も突いて桂を跳ねる気も満々だ。



零(……右四間飛車)



 飛車、角、銀、桂馬の攻め駒のチカラを一点に集中させるパワー将棋のお手本のような戦法だ。

 だが、強力であるがゆえに対策も広く講じられている。


 アマチュアの級位者ならまだしも、一定のレベル以上の指し手にはその突破力は期待できない。


---……


青年「うーん。難しいな」


 数十手ののち、攻めが途切れる。

 だが、零の予想通りかと言えば、一概にそうとも言えなかった。


青年「ならばこうだ!」

零(想像以上に強い。お手本通りの手だけでは受けきれない……でもっ!)


 強引な銀打ちから攻めの継続を試みる青年であったが、


零(……その銀は受けに使うべきだった。俺の矢倉に手が届いた瞬間、こっちの詰めろがかかる)


 零の冷静な攻めに次第に受けが無くなっていった。

 だが内面的には、予想を裏切られたのはある意味では零の方であった。



零(あんまり手加減できなかった……! この人アマ名人くらいの実力は余裕であるぞ……!!)


 初心者狩りの武器として打ってつけの右四間飛車であったが、この青年のものは練度がまるで違う。

 アマチュアなら負け無しを名乗れるほどの実力だ。



零「これが……真剣……」


 思わず呟きを漏らした頃、青年が持ち駒をバラバラと盤上へ撒いた。


青年「ありません。いや、強いねキミ」


 降参の意志を示した青年がお手上げとばかりに両手をひらひらと上げる。



青年「それだけ強ければプロになれるんじゃない?」


 もうプロです。とは口が裂けても言えない。



青年「あぁ勝ったら金のかわりに情報が欲しいんだったね。何が知りたいんだ? おいしい真剣を指すならこの辺よりも、今は秋葉原がアツいよ。脂の乗った真剣師がゴロゴロいる」


 しかも青年は零が喋る間もなく話し続ける。



零「あ、いえ。聞きたいことの話はもう結構です。忘れてください」


 喋ってくれるのはありがたいが、零としては情報なんてない方が良い。

 なし崩し的に紫音に助け船を出してしまったが、あの脅迫めいた手紙の言いなりに、紫音が鬼将会に近づいたとして、彼女の境遇が好転するとは思えない。

 紫音の精神的な強さと度胸には驚いたが、きっと下手に協力しても彼女のためにならないはずだ。



青年「それに、俺は行ったことないけどイチオシだって評判のメイド喫茶も紹介できる」

零「い、いえ。ですからもう……」




青年「あぁ、それとも鬼将会の情報の方がお好みかな?」





 思わず駒を片づけていた手を止めた。


零「…………ぇ?」



 青年の方へ視線を向けなおそうにも、体は歯車のかみ合わない絡繰のようにぎくしゃくとしか動いてくれない。




青年「いや、冗談だよ。この時期に真剣師デビューする将棋指しは鬼将会事件に影響された人も多いからな」


 平静を装いつつなんとか向き直ってみれば、青年は肩をすくめつつ立ち上がっていた。


青年「おもしろい将棋だった。勉強になったよ」

零「い、いえ……」


 続けて零も席を立つ。

 二階堂と紫音の対局も終わっている頃だろう。


青年「でも……」

零「……?」


青年「本当に鬼将会を探しているのなら、覚悟が必要だ」



 青年の呟く声に思わず再度振り向くが、その先にあったのは射抜くような鋭い視線だった。




零「……!!? ……な、なんですか? 覚悟って?」



 意図せず数歩後ずさってしまう。

 対局中に目つきが鋭くなる棋士はたくさんいるが、この青年はそういったタイプではなかった。

 強力な攻めを行いつつものらりくらりと安定感のある将棋を指してきたのだ。

 それが今は、まるで猛禽類のような眼光を放っている。



零「……っ」

青年「……さぁ、なんだろうね」


 だが青年は問いには答えずに零の肩をぽんと叩くと、笑顔を残して踵を返してしまった。



---…………


二階堂「きり……いやK山っ!」


 青年の後ろ姿を眺めていると、背後から声をかけられる。


零「いや、なんだよK山って」

二階堂「ここで本名を出す訳にはゆくまい。桂山っぽくてよいではないか」

零「一緒だよ。なんだよ桂山って。誰だよ」


二階堂「オレのことは三階堂と呼ぶがよい」

零「……んで、その三階堂クンは何の用なのさ」



 真剣に勝利したことは言うまでもなく分かっている。先ほどの将棋で真剣師の強さは分かったが、プロ棋士には遠く及ばない。


二階堂「オレの2局目の対局相手が安岡嬢の知りたいコトを知っているようでな」

零「……」



 何だかんだで140手の長期戦になってしまっていた零に対して、二階堂なら並みの相手に2回戦こなしていても不思議ではない。

盤面図作るので中断


獣人右角になれば……と思ったけど
右角は目的がないときは勝ちに固執してなかったっけ

>>41

作中明言されていませんが、通常時は独立将棋国家で絶対無敵って訳ではないので実力なりだと思います。

ってなんで急に右角の話するんですか!!?

飄々としたベストの青年……何者なんだ ゴゴゴ……



 それにしても、まさか本当に情報が出てきてしまうとは思わなかった。


二階堂「今あそこで話している」


 見れば紫音は部屋の一番角で長髪の男と話していた。



零「……」



 大抵の場合、物事はそう上手くは運ばない。

 定跡を学んでも、事前にいくら研究しても盤面は自分の思い通りには進まないはずなのだ。

 だがこれでは簡単に目的を果たしすぎている。

 紫音の元へ歩み寄ると、男の調子のよさそうな声が聞こえてきた。



長髪の男「あぁ。そう。その通り。だから安全な方法を紹介できるよ」



 紫音の筆談に対して、身振り手振りで答える男は、さながらやり手のセールスマンのようにも見えた。

  

長髪の男「だからすぐには無理だけど、来週の今日、またここに来てくれれば情報を紹介するよ」



 どうやら横から聞く限りでは、日を改めて鬼将会のことを教えるということのようであった。

 傍目に見ている零としては決して喜ばしいことでもない。

 鬼将会。一連の事件ですでに壊滅したはずの組織だ。

 だが、調べれば調べるほどに、知れば知るほどに、何かが近づいてくる気がする。



 自分たちは正義のヒーローでも、どこぞの特殊部隊でもない。

 所詮はただの子供だ。

 いくら将棋が強くても、桐山零にできることなどたかが知れている。
  

 なのに、紫音は更に突き進む強さを持っている。

 自分と同じ、いや自分よりも過酷な境遇でありながらも紫音は穏やかな物腰の中に確かな強さを持っている。

 育った環境の差? 違う。どんな環境であれ他者と競い合い、上を行かねば棋士として生き残ることはできない。



 自身の人生のために義姉、義弟の人生を狂わせ、満足な口を持ちながら友人も満足に作れない自分とは違う。

 桐山零には無い強さを安岡紫音は持っている気がした。





---…………


 一週間の間、紫音を説得して止めさせようと何度も考えた。

 何度も考えた結果、結局今日こうして再びここへ来てしまった。

 道場の前に集まった3人で顔を見合わせる。



紫音【 これ以上ご迷惑はおかけできませんし、今日はわたし一人でも・・・】


 いつも通りの丸っこい文字を見せられるが、そうはいかない。



零(正直、逃げたいくらい不安だけど安岡さん一人を行かせる訳にはいかない)

二階堂「しかし、件(くだん)の鬼将会が目的であったとはな。あの事件で壊滅したのだろう」



 そうだ。鬼将会はもう潰れたはずだ。

 きっと、先週の男はいない。イタズラだ。



二階堂「なにはともあれ、桐山。変身だ」

零「……」



 自分にいい聞かせつつ、サングラスを装着しいざ道場へ突入した。




 先週同様に席主に金に秘密の料金(?)を支払い、奥の部屋へと立ち入る。

 扉を開ければすぐに先日と同じ姿が目に入る。

 長髪の男は一番手前の席に一人で座っていた。



長髪の男「やあ。待っていたよ」


 男の様子もまた、一週間前とまったく変わらない。



紫音【 こんにちは。】

長髪の男「じゃあ早速行こうか」



 挨拶を交わすやいなや、男はドアノブへ手をかけた。


紫音「……?」

零「行くって……どこに?」


長髪の男「キミたちの疑問を解決できるところへ」



 零の疑問に対して、まったく解決することなく男は率先して歩き出す。




零「いやあの、ここじゃダメなんですか?」


長髪の男「いやいや。ゲームとかでもそうでしょ? まずは酒場やお城でイベントを発生させる。でも物語が進むのは、街の北の洞窟や祠。そう、別の場所」



 意気揚々と歩く男であったが、零も二階堂も意味がまったく分からず顔を見合わせるしかなかった。



長髪の男「はい到着」


 ビルを出て、男は不意に立ち止まる。



零「到着って、ビルから出ただけじゃないですか? 何もありませんよ?」

長髪の男「いやいや。ここにあるじゃない」



 だが男が親指で指したのは隣の小さなペンシルビルだ。


零「ここって……看板も何も出ていませんよ」


 ビルには何一つ看板もポスターも表札もない。そもそも将棋道場の隣にまた将棋関係の某かがあるなんてそんな上手い話はない。



長髪の男「そこの将棋道場のビルは8階立てだ。上に行けばネイルサロンもあるし、トレーディングカードショップにタイ式マッサージ店、占い屋も入ってる」



 言いながら男は出てきたビルの看板をなぞるように指さす。




長髪の男「対するこっちのビルはたったの4階建て。面積も半分くらい。そして、看板もない」


零「……?」

長髪の男「そしてこのビル。もちろん鬼将会とは関係ない」

紫音「……?」



 喋りながら再び歩き出した男に零たちもついて歩いた。

 中を見てもやはり何のビルか分からない。


長髪の男「ただし、実は。裏の真剣の会場だったりする」



 2階まで上ったところで、鉄扉を前に男が立ち止まる。



長髪の男「氷村(ひむら)だ」

零「……はい?」

氷村「オレの名前さ」




 初めて見たとき、セールスマンのような男だと思った。

 だが、どうにもこの男の飄々とした態度には胡散臭さを感じる。

 それも隠すことの無い胡散臭さ。『オレって胡散臭いけど、でも付いてきてくれるよね?』といった自信が見て取れる。


氷村「んでさっきの話の続き。お姫様の為に、ラスボスである魔王を倒そうと意気込む勇者サマ。でも、序盤~中盤に戦うのは必ずしも魔王軍じゃない。中ボスなんて大概ストーリーの本筋とは関係のないヤツが殆どだ」

零「……はぁ」


 男にはあいにくだが3人ともビデオゲームには余り興味がない。

 気を利かせた氷村の解説も特に意味は持たなかった。



氷村「と言うわけで、ここで真剣を一局指してもらいます」


 言うが早いか、扉が開かれる。



零「……!!」

二階堂「……!!」

紫音「……!!」



 そこにあったのはワンフロアまるまる、和室だけだった。

 窓は磨り硝子で、棚も家具もない。

 部屋の中心に対局スペースが一席あるだけだ。



 それだけなら、まぁ良くは無いが許容範囲なのだが、


零(な……なん……だよこれ……)



 部屋の全周を覆うように、壁沿いにスーツの男たちがわんさかいる。

 サングラスに、パンチパーマ、入れ墨も見えるし顔に大きなキズのある者もいる。


 明らかに堅気の人々ではない。



氷村「彼らがこの真剣の立ち会い人だ。君たちには、この対局の指し手として一方についてもらう」

零「…………ばっ!」


 そんなバカなと言いたかった。

 訳も分からずつれてこられたあげく、いきなりヤクザの前で賭け将棋を指せだなんて、出来の最悪なB級Vシネマでもそんな唐突な展開はない。



 氷村「残念だけど、今日は一局しか用意できなかったんだ。さ、誰が指す」

二階堂「……バカバカしい!」



 そうだ。勝手につれて来られて、こんな対局に乗る必要はない。




氷村「あら。二階堂四段は辞退か。じゃあ桐山五段?」

二階堂「……!!」

零「……!!」

氷村「それとも、紫音ちゃん指す? 育成会でもトップクラスどころか、タイトル棋士も一目置く実力だって聞くけど」


 名乗った覚えなど無い。

 この男は最初から、自分たちの素性を見破った上で、近づいてきていたのだ。


零「な、なんでこんなこと……!?」

氷村「これ自体に目的はない。元々、鬼将会の目的はオーディエンスに生唾モノの将棋を提供すること。そして『プロ棋士=最強』ではないと証明すること。そして将棋の普及。これだけだ」



 確かに先のテロ事件でもそうだ。

 手段はどうあれ、やっていたことはあくまでも将棋だ。

 本当にただのテロを起こしたいのなら、最初からミサイルを使えば良かったし、カタチだけ将棋を普及したいのならもっと脅迫めいた方法もあったはずだ。

 やり方は乱暴なのに、将棋に対しては誠実。だからニュースごしに見ていた零は鬼将会が分からなくて、その内に記憶の片隅に追いやっていたのだ。



氷村「それに、目的があってオレたちを探してたんでしょ? ズバリ、それって、紫音ちゃんのプライベートに関係のある話なんじゃない? ここで帰ったら、何も聞けないよ?」

紫音「!!」

零「……っ!! あの手紙は、あなたが!!?」

氷村「お?当たり? ……いや。何となく想像できる話だけど、多分それとオレたちとは関係ない。でも、キミたちが聞きたいことがあるなら、答える。ただし、やることやったらね」



 結局、話を振り出しに戻されてしまった。


氷村「心配しなくても、これはただのよくある真剣だ。中継で流す訳でも、キミたちの懐にファイトマネーが入る訳でもない。まぁ欲しいというなら払わせるけど」

零(とは言え……賭け将棋なんて。週刊誌とかで読むと何百万も賭けてる場合もあるみたいだし……)


氷村「ちなみにこの対局には双方、5千万円が賭かっている」


紫音「……!!」

零「ごっ……!!??」

二階堂「……」



 あまりにも桁が違いすぎる。将棋でそんな大金を扱うなど……と考えたところで、先の事件では何人もの真剣師が、文字通りの意味で命を賭けて対局していたことを思い出した。




氷村「もイッコちなみに。これは言う必要は無いんだけど、オレ的にはあえて言っちゃう。相手側はお抱えの真剣師がいて、資金も潤沢にある組なんだけど、こっちが手を貸す組はもう火の車」


零「……?」

氷村「分かりやすく言うと、払える金が無いから売られる。男も女も売られて、国内か海外か、生きて使用されるのか、バラして使用されるのかも不明」



 もはや非日常すぎて意味が分からなかった。



氷村「だからまともな指し手を立てることすら出来なかった。勿論オレはこの程度の代指しはしない。壊滅したとは言え鬼将会残党ブランドは安くないからな」

氷村「あぁ、もしかしたら分かりにくかったかも知れないから言うけど、オレはキミたちよりも強い。んで多分、今日の対局相手も」



 プロ棋士を指して自分の方が強いなど、少し前ならば酔っぱらいの戯言以下だった。

 だが今は、鬼将会の名が絡めばそれすらも信憑性を帯びてしまう。



氷村「さて、誰が指す? ちなみに対局は頭上のカメラを通して、部屋の壁沿いに沢山あるモニターで観戦できるよ」


 そう言われても勇み足で進めるはずもない。

 どんなに自信家でも、他者の人生まで賭けて将棋が指せるはずがないのだ。



零「……」

二階堂「……」

紫音「……」


 沈黙が重たい。

 考えれば考えるほどに、軽い気持ちで踏み込んだのが間違いであったと思える。

 自分が無理にでも止めれば良かった。

 あの時とおなじだ。幸田家の家族関係を壊してしまったように、大切な友人たちまで不幸にしてしまった。


零(……いや。まだ引き返せる。こんな対局受ける必要はないんじゃ?)


 だがまるで零の心中を見抜くかのように氷村が口を開き、



氷村「ちなみに、誰も指さなければ当然、不戦敗になる」



 あくまでも自分は指さないと言わんばかりにいやらしく肩をすくめて見せた。



零(…………いや、そんなの関係ない! 不戦敗になったって、俺たちは関係ない。見ず知らずの赤の他人だ。そんなの俺には関係ない!)

零「そn……」



 何とか拒絶の言葉を口にしたところで、一歩踏み出した紫音の姿に遮られた。



紫音【 わたしが指します。】



桐山「……!」



 胸元に掲げられたスケッチブックをみて目眩がした。


零「無茶だよ! ご両親の……犯人のことを知りたい気持ちは分かるけど……」



 途中まで言って、紫音の手が震えているのに気が付いた。


零(……違う。両親を殺した犯人とか、そうゆうのじゃない。さっきこの男の言った、売られるとか何とかって、見ず知らずの人たちの為に戦おうとしてるんだ)



 強い。そう思った。

 12歳の少女が強面が顔を連ねるなか、5千万円を賭けて対局しようと言うのか。




零(……とめろ!! ……代わるって言え!! 俺が指すって……)


零「……」


 出会って以降、名人も一目置くという紫音の棋力は噂に聞いていたが、だからと言ってこの局面を少女に任せるというのか……。



零(くそ!! なんか言えよ俺!!)

二階堂「いや……ここはオレが指そう」



 紫音を制して二階堂が前へ出るが、歩き方がぎこちない。顔色も悪いように見える。



零(……二階堂は持病があるだろうが!! それにアイツは四段、俺は五段だぞ!!)

零「……」


 口を開こうにも言葉が出ない。

 一歩踏みだそうにも足が動かない。


氷村「じゃ~、見栄え的に紫音ちゃん。まぁイカついオッサンしか客いないけど。二階堂クンは顔色悪いし」



零(……負けたらどうなるかなんて考えるな。言う! 俺が指すって!! 俺が指すって言うぞ!!)





零「……っ……ぁ……」



 言えなかった。


 氷村に連れられて紫音が部屋の中央へと向かっていく。


零(なんでだよ!! 言えるだろ!! 震えてるじゃないか安岡さん! ちょっと待ったって言え!! 息を吸って口を動かしながら吐くだけだ。言ってやる!!)


 
「ちょっと待った」



 不意の声に氷村たちのみならず、壁沿いに立っていた強面たちも一斉に振り向く。



 そして、零も思わず振り返る。

 言葉は、零の口から発されたものではないからだ。




「その真剣。俺が貰おう」





 そこにいたのは、一度見た顔だった。




零「貴方は……」


 先週、3人で隣のビルの道場を訪れた際、自分が対局した青年だ。


氷村「いやいやいや! お前、いきなり登場して何言ってんの!? ここはこの3人の誰かが指すから燃える展開なの。悲しい過去を持つ表の将棋指しが裏の世界を知る登竜門で、そうゆうところが燃えで萌えなの!」



 だが青年はそんな氷村を無視して、零へと歩み寄ってくる。


青年「やぁ。また会ったな」

零「は、はぁ」


氷村「聞けよ! お前が指してもちっとも面白くないんだよ。なぁ。何でお前がここにいる!?」


 苛立ちを見せる氷村に対して、だが青年は飄々としていた。



青年「たまたまこのビルに入っていくアンタたちが見えてたからな。それに彼のことは良く知っている」

零「……ぇ?」



青年「あの強さ。キミ、奨(奨励会)だろう」
 

 青年はバキュンとばかりに、人差し指をくいっと指してくる。


零「い、いや……」


氷村「いやプロだよ。全然知らないじゃん」


青年「そうか。まぁそんなことはどうでもいい。一局指せば、相手のことはだいたい分かるからな」


 表の将棋はよく知らんしな。と付け加えて青年は部屋の中央の盤駒へと向き直った。


青年「そうゆう訳で俺が指す」


 どんな訳か、まったく分からない。

 無関係のはずなのに、他人の人生を背負うような将棋をなぜ率先して指そうと言うのか。




 それに確かに強力な右四間だったが、手加減しながらでも十分に押さえ込めた。真剣の相手がどんな指し手かは知らないが自信満々と言える実力とは思えなかった。



零(コンディションがいいとは言えないけど、なんか緊張も和らいだし……やっぱり俺が……)

青年「メガネくん」

零「……け……桐山です」


 そんな考えを知らずか、青年が背を向けたままに話しかけてくる。



青年「桐山くんか。キミは将棋が好きじゃないようだけど、それは勿体ないな」



 バクンと、心臓が膨らんだ気がした。



 ほかの誰にも、それを言ったことはない。

 将棋をあまり好きじゃないプロ棋士なんているはずが無いから。




 だが零にとって将棋は、かつては居場所を得る方便だった。


 幼くして両親を失った零は、将棋が好きだと自分を偽って、幸田家の内弟子となったのだ。

 そして今は、その幸田家から逃げる手段として、プロ棋士の給料をあてにしている。



青年「俺たちは生粋の将棋指しだ。将棋を取ったら何もない。だから大切な誰かを守るにしても、イケ好かない悪党を張り倒すにしても、武器はコレしかない」


 そう言って青年は勝手に盤の前へと腰掛けてしまった。



青年「それに桐山くん。男なら、どうやったって戦わなければ前へ進めない時はある」

零「……」

青年「先週の質問に答えようか……。必要なのは戦う覚悟だ。『倒す』でも『守る』でも『殺す』でも無い。戦う覚悟だ」



 なぜ、こんなにも響くのか。殆ど初対面のような青年の言葉が、なぜこんなにも心に響くのか。

 零には分からなかった。


零「あの……貴方は」



 零の声に、青年は一度だけ振り向いた。






「右角(うかく)……右角ヒサシだ」





---……


 気が付けば対局相手も盤につき、対局が始まろうとしていた。


紫音「……」

二階堂「まったく置いてけぼりのまま、始まってしまったぞ」

零「……氷村さんは右角さんと知り合いなんですか」

 
 零の問いに、だが氷村は首を横に振った。



氷村「いいや。だが、アイツが何者か分からないのなら、見ていればきっと分かる。それは保証する」



 いよいよ駒が並べ終わる。 

 厳つい観客たちのせいもあってか、プロのタイトル戦並に張りつめた空気が流れている気がした。



強面の男「持ち時間は双方20分切れ負け。平手の一局勝負。掛け金は5千万円、一倍層。振り駒の結果、桐生将人(まさと)の先手です」


右角「お願いします」

チンピラ風の男「お願いします」



 金髪のチンピラ風の男の初手7六歩で、いよいよ対局が始まってしまった。


 当然だが、5千万円が賭けられた賭博を観戦したことなど、初めてだ。

 いやが上にも、鼓動が高鳴ってくる。




零「あの、これって、もし……負けた方の対局者はどうなるんですか」


氷村「うん? いや、対局者の個人資産が賭かっている訳じゃないから何もないさ。ただまぁ、お抱え真剣師の向こうはまだしも、右角は逆恨みを買う可能性はあるな」

零「……」



 やはり全くの安全という訳ではないようだ。というか零としてはその話だけで背筋を汗がつたう。

 にも関わらず、右角はたった一局の手抜き将棋で自分を見抜き、窮地を救ってくれた。


零(……どうしてそこまでして……?)

氷村「しかし相手も凄いのを用意してきてるな」

二階堂「……?」

紫音【 有名な人なんですか?】


 ぱっと見た限りでは怖そうな怖そうなチンピラにしか見えない。



氷村「どこかの組のお抱えの真剣師ってのは、あまり大きく名前は売れないモンなのさ。でも伝説の獅子、桐生聖明って名前はみんな知っている。レジェンド。いわば裏社会の、真剣師の中のタイトルホルダーだ」



 氷村という男自体は信用ならないが、お喋りな性分なのか零たちの質問には喜々として答えてくれた。


氷村「アレはその息子だ。まだ駆け出しって話だけど、すでに数千万の真剣をいくつもこなしてる」



 そうしている間に、手はどんどん進んでいく。


零「……」


 超大物の真剣師、と言われても零にはどれほどの実力か想像がつかない。

 だが、先週の道場で見た右角の実力はアマ名人、もしくは三段リーグの上位に入るかという程度だ。

 十分につよいとは思うが、レジェンドだの獅子だのと言われるような棋士に通用するのかは、裏社会初心者の零にも疑問が残る。


零「また右四間飛車……?」



 どちらも急戦を仕掛けるつもりは無いようで、着々と自陣の駒組が進められていった。


右角「腕っ節の強そうな見た目だから、急戦でガツガツやられるんじゃいかと思ったよ」

将人「アンタがお望みならそうしてやるよ。それに、不意打ちなんてのは趣味じゃねぇが……」



 先に歩をぶつけたのは右角だった。

 まずは飛車先の歩を軽くする定跡手だ。



将人「-- 売られた喧嘩は買わなかったことはねぇ」



 対する将人も自身の飛車先である2筋の歩を突く。





http://i.imgur.com/4MiMFCD.jpg

※以降は盤面図挿入します



 互いの飛車先を軽くして、いよいよ開戦という場面だが、右角は盤面から目を離し、首だけを巡らせて零へと振り返ってきた。


右角「そう言えば自己紹介が終わってなかったな。桐山くん」

零「……ぇ?」


 何時間もある対局ならまだしも、たかだか20分の切れ負け。

 よそ見などしている暇は無い。



右角「俺も元奨だ。まぁ俺は結局プロになれなかったけどな」

零「……」

右角「あの頃、俺は何もかもがスカスカだった。意味を持たなかった」


零「……あの、時間が……」

右角「ビルも、家も、人間も、みんなお菓子の空箱に見えるんだ。本当に。分かるかい?」


将人「……アンタ……切れ負けだぞ?」

右角「あの時、一局指してすぐに分かったね。キミは俺と同じだ」



 零の言葉などお構いなしに、右角は喋り続ける。



二階堂「……」


 あの二階堂すらも、『あれ、このヒトちょっとヤバいんじゃない』といった目で見ている。

 だが、零には何となく分かった。きっと見透かされているのだ。



右角「将来どころか、明日も、先のことなんて考えたくもない。そんな時もある」

将人「オイ……大丈夫かよアンタ」


右角「でも、将棋はただそこにあるだけだ。ただの将棋以外のナニモノでもない」

紫音「……」


右角「アイラブ将棋。だなんてヤツもいるけどな。俺たちはきっと違う。好きとか嫌い、なんてものじゃない。俺たちみたいなヤツはきっと、存在が、将棋そのものだ」


 ふと、零は気が付いた。

 この右角を希有な目で見ているのは、対局相手の桐生や自分たちだけだ。

 氷村や、殆どの強面たちは右角の演説を静聴している。

 まるで、そう。ライブの開幕直前、あるいは映画の本編開始前の予告の時のように。

 まるで、この後なにが起こるか知っているように。



右角「だから、俺はわざわざ見せに来たのさ。キミと、キミの中の獣に。俺の中の怪物(ショーギモンスター)を!」





零「……?」


 まぁ、とは言え、右角が何を言いたいのかは、ぶっちゃけ正直全く分からなかった。



将人「……終わりか? アンタ真剣よりもMCの方が向いてるんじゃねぇのか?」

右角「二つ目の質問から答えると、それはナイ。俺は将棋を指している時が千倍カッコイイからな」

将人「……なんなんだアンタ」

右角「世界一美人の嫁がそう言ってくれた。そして、一つ目の質問に答えてやる」



 パチン、と右角の手元が響く。



氷村「見とけ見とけ。来るぞ」

紫音「……?」



 それがCDをケースから取り出した音であることは、右角が握るものを見ればすぐに分かった。



零「THEE……MICHELLE GUN……ELEPHANT……?」



 あまり音楽には興味は無かったが、その文字の羅列がバンド名だか曲名だかなのは理解できた。



右角「待たせたな。ここから先は……」


 CDがポータブルプレーヤーへとセットされる。


 まるで初手を指すような、慣れつつも丁寧な手つきだ。








右角「-- ハイタイムだッ!!!」







---……



 それは、すぐに起こった。

 ドン、と空気が震えたかと思えば、





右角「グルゥォォォォァァァァァァァアアアアアアア--ッ!!!」






 右角の猛烈な咆哮が響きわたった。





零「!!?」

二階堂「!!?」

紫音「!!?」



 対局中にいきなり雄叫びを上げるなんて普通じゃない。

 出来れば、いや絶対に近づきたくないタイプの人種だ。


 だが、そう。3人はこの光景を過去にも見たことがあった。

 数年前、謎の電波ジャックによって世界中継された将棋コロシアムの裏トーナメント。

 まるで映画のワンシーンのようなドラマティックな対局の数々は、当然将棋を愛する3人も目にしていた。



零「……思い出した」


 零は画面越しで確かに彼を見ていた。

 獣人の異称を持つ真剣師、それこそが彼だ。



 豪快な駒音と共に、攻めの一手が放たれる。



将人「おもしろいな、アンタ。前に話題ンなったキショーカイってヤツか?」


 対する将人は右角のことを知らずとも、引く気は無いと言わんばかりに角を突撃させた。


 右角の桂跳ねで銀を失うが、それでも主導権を握れると見ての一手だ。



 一歩(いっぷ)の得を得るだけでなく、取れば角交換からの打ち込み、あるいは更に一歩得を見せつつ、受ければ率先して角交換からの飛車成りを見せている。

 選択を迫る一手。

 だが、右角の手は、



右角「足りナい……」


 更に攻める一手。銀桂交換から、敵陣への歩を打ち込む。


将人「……」

右角「もっとだ……!! もっと盤上(ココ)へ吐き出せよ!!」



 だが、将人は金を退く。

 見かけによらず冷静な一手。


 この場の誰も知る由もないが、これは天性のモノだ。

 桐生将人は、将棋と再会する以前は街で喧嘩にあけくれていた。


 当然まっとうな社会生活など送れない。
 
 だが、かつてある拳法家が、あるいは尾張忍者の末裔が、言ったように将棋には格闘感覚の全てが詰まっている。


 将人は頭で考えるよりも先に、最適ともいえる回避をし、相手の顔面に拳を叩き込み、腹を蹴り上げる。そんな生活を送ってきた。

 後天的に身についたモノでは無いからこそ、その二つは密接に繋がってくる。



 故に、天性の感覚から放たれた金引きなのだ。


 コレで戦局は右角の自陣へ移らざるを得ない。



 だが、


右角「さぁ、オマエの……頭(ソコ)に詰まっているアレを! ここにブチマケろよ!!」



 右角から打ち込まれたのは、尚も攻めの一手。



http://i.imgur.com/INYbwJh.jpg







紫音「……!」

零「銀打ち!!?」

二階堂「なんと強引な……」

零「でもこれは……」



 将人は玉を退く。

 それだけで、もう攻めは繋がらない。



将人「……俺は自慢じゃないが、喧嘩で負けたことはねぇ」



 将人の鋭い目つきが右角を、射抜く。

 ガンをとばすとか、メンチを切るとか、そんな安っぽいものとは違う。

 言葉で表せないが、これが『ホンモノ』なのだと零は感じた。



将人「色んなヤツとやり合ったが、弱いヤツほど積極的に距離を詰めて、ワメくもんだ。あんたの、この銀みたくな」



 おそらく、右角には聞こえていない。イヤホンから盛大に音漏れするほどに最大音量が彼の脳内では響きわたっているはずだ。



右角「ゴタクはいい。さっさとブチマケろ」



 手番を渡された右角の一手は4四角。

 見てくれこそ前へ進んでいるが、ぶつかり合っていた角を逃がす一手だ。

 これで、局面は将人の手番。



 
二階堂「オレなら先手(将人)を持ちたいところだな」


 攻め駒が硬直した上に、駒台が空っぽの右角に対して、将人の駒台には歩も桂馬もある。


紫音【 1五角引きで飛車成りをみせたいです。】


 二階堂同様、紫音も先手持ちのようだ。

 誰だってそうだ。

 こう攻められたらどうしよう。と悩むよりも、どこから攻め倒そうか。と考える方が楽だし楽しい。


 だが将人の手は、



右角「……!!」


 さらに強烈なものだった。


零「角で突っ込んだ!!!」


 角成りでの玉前へ突撃。

 当然、将人は馬銀交換の駒損だが、右角には飛車成りを防ぐすべが無い。




氷村「馬切りからの……」

二階堂「龍の突撃! これは、辛い(からい)一手だぞ」


 おまけに、右角の駒台にはやっと角が乗ったものの、将人は桂馬2枚に銀がある。余った歩で2筋に『と金』作りを見せてもいい。


零「受けきれる……か……?」



 だが、右角は奪った角にすぐさま手をかけた。


零(いきなり角で受けるのか……。でもどこに……)

右角「モットだ!! モット……食わせろ!!!」


 打ち込まれたのは4九角。

 敵陣、ど真ん中だ。


零(孤立している……活かせるのかこれ……)



 龍の牙が自玉に届く前に、銀で護衛の金を剥がし、角で2筋に回り込めばあるいは。


二階堂「いけるのか……」


 だが、将人は自陣への銀打ちでそれを阻む。


紫音「……」



 格調高い、冷静な受けだ。

 言っては何だが、とてもチンピラのような風貌の男の手とは思えない。



右角「イイ……それでイイ!! それがイイ!!! ヤツも言っていた。栄養満点な方が…………喰らいがいがある!!!!」



 だが、それでも右角に怯む様子は無い。



零「ま、まさか」

二階堂「攻めるのか……」



将人「……来いよ」 



 右角が動く。

 銀の突撃。金で受ける。金打ち。銀打ち。

 将人の陣地にて駒が乱舞する。



 だが、


零「……」

紫音「……」

二階堂「……」



 残ったのは銀2枚。桂馬1枚の堅い守り。


 右角が持っているのは、打ち込まれて以来孤立しっぱなしの角と、駒台にポツンと乗った金のみだ。



氷村「オレは……キミらよりも強いし、まぁキミらよりは右角(アイツ)を知ってるはずだけど……アレ? これ……終わった? これ……?」





 沈黙が流れる。




 見れば観客の強面たちのうち何人かがガックリと膝を折ってうなだれている。

 きっと5千万円を失う側なのだろう。


 自分たちのせいで、見ず知らずの右角にとんでもない重荷を背負わせてしまった。


 ふと、服の裾を引っ張られているのに気づいた。

 見れば紫音がスケッチブックを掲げてこちらを見ている。



紫音【 うかくさんは、まだ諦めていないようです。】



 盤面を気にするあまり、そちらに集中しすぎていた。

 見れば、右角は獲物を喰い漁る猛獣のような目で敵陣を睨みつけていた。




右角「覚えておけ。ショーギモンスターは、たとえ首だけになっても、必ず、喉笛を食いちぎる」


 右角が手を伸ばしたのは、投入されて以来、激戦のさなかもずっと孤立していた角。



二階堂「か、角切りっ!!!!??」



 これで銀を奪って、確かに右角の駒台は金、銀一枚ずつになるが、角を奪い返されれば将人は龍、角、金、桂馬で右角を総攻撃できる。



零「……いや……待て!! これは……」


 いち早く気づいたのは零だ。

 右角の6七角成り。


 だが将人はこれを取ると、右角が持つもう一本の槍を受けるすべが無い。



 すなわち、銀、桂馬をされるがままに明け渡し、飛車成りを許した、そうそうに4四に逃げた角。



 気づけば角道にあったいくつもの砦は全て開門し、今この馬を取れば、新たに銀の横っ腹へと角成りが飛び込んでくる。



将人「……っ!!??」


二階堂「あの角は、これを待っていたのか。……なんという……」



 右角は戦いを避けて、角を逃がしたのでは無かった。

 来るべき激戦の、トドメの一撃に備えて、じっくりと伝家の宝刀を研いでいたのだ。



将人「……これは、取らざるをえねぇが」


 将人が馬を取ると同時に、7七へ新たな馬が桂馬を弾き飛ばして突っ込んでくる。


将人「だが、馬だけじゃ、アンタの攻めだって繋がらない」


 将人はすかさず、金で馬を追い払う。

 問題は、右角が馬をどこに逃がすかだ。



二階堂「……どう見る……?」


零「……5九に潜ませれば、相手玉を封じ込めることができるけど……。攻め潰すには駒が足りない。とは言え、馬は強力な刺客だ。5九で力を蓄えたいかな……」

紫音【 わたしも同じです。】



 だが、右角の一手はまたも、予想を裏切るものだった。




 右角の馬は突っ込んできた道をそのまま引き返し、自陣へ着地する。



紫音「……!!」



氷村「り……」



二階堂「り……」



零「龍にぶつけた!!」




http://i.imgur.com/Y0VtCyN.jpg



 相手陣に強烈な一撃を叩き込んだと思ったら今度は一転、自陣に潜む龍を叩きだしに帰ってきた。



熱い
一通り終わったら棋譜くれさい



将人「……」


 当然、同龍、同金で局面は落ち着く。

 だが、将人の表情からは余裕が消えていた。


 ともに攻めの要は消え、守りの堅さはほぼ同等。

 右角は飛車2枚と金の駒得だが、将人は角2枚と桂馬2枚で補える。


 だが、盤面全体の主導権を右角は右角のモノだ。

 あらゆるスポーツや格闘技と同じく、将棋にも流れというものがある。


 手番が将人であってもそれは揺るがないのだ。



将人「ちっ!!」


 
 将人の手は5七の打ち込みを消しつつ、玉の横っ腹を守る6九桂打ち。




右角「モットだ!!! マダ足りないぞ!!!」


 だが、右角は気にも留めずその更に横っ腹を飛車打ちで狙う。

 だが、将人とて防戦一方ではない。放たれた1五の角打ちは玉を狙いつつ、右角の桂馬の動きを封じ、そして自分の銀を守る役目まで担っていた。


 3三を歩で受けられない右角は、当然桂馬で受ける。

 対して将人は銀を引く。

 これも飛車を縛る一手だ。

 だが右角はお構いなしに桂馬で踏み込んでくる。


二階堂「相手の狙いなど意に返さずか。なんという将棋だ……」


 かつて、プロが敗北したとか、何人もの棋士が命を賭けて指したとか、話としては知っている。


 当時の中継も見た。

 だが、頭のどこかでは、それはフィクションのおとぎ話のような気がしていた。

咲クロスにおける哭きの竜と同じで
ムーブメントの先駈けを作っておきながらシカトされがちだな、能條先生のマンガは


 あまりにも現実離れしすぎている。


 例えるなら、探偵が推理小説を読んだところで、『よし、俺もこうして事件を解決するぞ』とはならない。

 警察官も、テレビドラマを見たからといって、湾岸署の熱血刑事のように上司に刃向かったりしない。

 プロ棋士だって普通は中継を見ても、よし命がけの将棋で鬼将会をぶっ潰すぞとはならない。


 だから、考えたことも無かった。

 プロ以外で、アマ棋戦にも出ず、日陰のなかでこんなにも激しい将棋が行われているなんて。



 零「でも、時間が……」


 序盤の、零との会話に時間を費やした右角の持ち時間は残り1分強。

 対する将人はいまだに残り4分だ。


http://i.imgur.com/2f9dXZ1.jpg


 局面は右角の猛攻が続く真っ最中。

 自陣に攻めいる隙すら与えない、まさに獣と言うべき攻めだが、まだ詰みは見えない。


>>84
こ、考慮で……
一応序盤から終盤まで矛盾は無いですが、ソフト解析とかされると恥ずかしいので

>>87
迷ったんですが、正の人たちなのにアクが強すぎるんですよね
鬼将会とかしおんの一部みたいに負の方向ならいいんですけど



将人「時間勝ちなんてのは気にくわねぇが、アンタが殴らせてくれねぇなら俺は避けるほかにねぇな」




二階堂「見えるか? 桐山」



 二階堂が問う。

 詰みまでの道筋が、と言う意味だ。


零「難しいな。角切りから中央に縛りたいけど、金銀の連携がああ見えて堅すぎる」

紫音【 龍切りで金が入っても、おさえる前に上に逃げられてしまいます。】

 
 正直、活路は全く見えない。

 だが、零は何となく、先刻と同じように何かを見せてくれるような気がする。



 将人は冷静に角上がり。

 6七を守ると同時に、必要なら飛車を封じることの出来る一手だ。



 と、ここにきて、音楽の世界へと入り込んでいた右角が口を開いた。




右角「避け続ける?」





 将人の言葉の反芻だ。

 イヤホンからはハッキリ聞こえるほどに音漏れしている。

 爆音のなか、それでも将人の台詞を聞き取ったのか、それとも何か別の次元で会話をしているのか、傍目には分からないが、とにかく右角が答えた。



右角「勘違いスルなよ。一度食い込んだ牙はもう外せない」



 右角の手は駒台へ伸び、そして打ち下ろされる。



右角「オマエの、頭蓋をかみ砕いて!! アレをブチマケるまでは!!!!」



 渾身の一打と言うべき手が放たれた。



二階堂「ろっ……!!!」

零「……6八歩!!!」

二階堂「こ、これは…………金が無ければ受けきれない!!」



 ここにきての歩打ち。

 冷静な、一手だ。

 まさに肉食獣。相手の豪腕と鋭い爪を持ちながらも、油断無く正確無比に相手の首を絞め殺す、そんな一手である。



将人「……」


 将人の顔色が変わる。

 上部へ逃げ道を作らんとするが、それは間に合わない。


 逃れようと手を進めるほどに、牙が食い込んでゆく。


 やがて、駒台へ手を置いた将人が静かに呟いた。


将人「……ないな」



桐生将人:投了
http://i.imgur.com/BGmAEGg.jpg





零「か、勝った……?」


二階堂「うむ。名勝負であった」


紫音【 すごかったです。】




 一斉に周囲の強面たちから歓声があがる。


 敗北した側と思われるグループとおぼしき一方も、右角が付いた側と異なり存続が懸かっているとか、身売りされるとか、そこまででは無いようで、雰囲気こそ暗いが泣き崩れる者が現れるほど深刻な負けでは無いらしい。





 イヤホンを外して立ち上がった右角からは、嘘のように野生は消えてしまっていた。

 出会った時と同じ、飄々とした草食系男子だ。



零「……あ、っと……おめでとうございますというか、ありがとうございますというか……」

紫音【 素敵な将棋でした!】

二階堂「うむ。一局ご指導いただきたいくらいだ」



 3人の祝福に、右角も汗を拭いながら答える。

 さながら格闘技のディフェンディングチャンピオンだ。



右角「あぁ。ありがとう。……で、そもそもナンなんだコレ?」




 右角の返答に、3人が3人、順に首を傾げる。




二階堂「た……!!」



紫音【 た……?】


零「……た、確かに!! なんでこんなことするんですか!? 約束の通り鬼将会のことを答えてくださいよ!」


 そうだ。うっかり雰囲気に飲まれていたが、そもそもの目的は何一つ果たされていない。



氷村「いやいや。今の対局に誰も勝ったら教えるなんて言ってないでしょ。しかも指したのはキミらじゃない。おまけに、なぜか右角なんて大物連れて来ちゃって!」


右角「それほどでも」

氷村「照れてんなよ! そもそも、今のはキミらに本当の真剣がどんなもんかを指して貰いたかっただけ! 別に勝てば良かったし負けても何もない。なのに変なの連れて来ちゃって!」


右角「それほどでも」

氷村「何で照れてんだよ! んで。元々、本題はそのあとだった、と言うこと。ではここで問題」




 デデン♪と自分で言って、氷村は指を立てて見せた。



氷村「無事ホンモノの真剣の初体験が終わった3人はこのあとどうするでしょう!?」




氷村「1番。鬼将会の情報を賭けてオレと真剣を指す」


氷村「2番。鬼将会の情報は諦めておとなしく帰る」


氷村「3番。でもその後、裏で真剣を指したのがバレて除名処分になる」


氷村「さぁ、どれで……しょう!!?」


 耳を疑った。

 3番の意味を、頭の中で反芻する。


氷村「ちなみに1番を選ぶと自動的に3番が発生しなくなります。2番を選ぶと1番が発生しなくなり、3番までいったら1番にはもう戻れません」



 完全に1番へ誘導されている。



二階堂「脅迫ではないか!!」

氷村「だからぶっつけ本番じゃなくてサービスステージをあげたでしょ? それについてきたのはキミたち自身だ」



 もっともらしいことを言っているが、単純に拒否権を奪っているだけだ。


 とは言え、話術で言葉巧みな氷村に勝てるはずも無い。



右角「オマエな……」

氷村「おっと。結婚して丸くなったのは知ってるがこれ以上の口出しは、いくらお前でも筋が通らないぜ。地下の独立将棋国家に済んでたお前なら
分かるだろう?」

右角「……」



 冷静に考えれば当然かもしれない。

 もしこの氷村が、本当に鬼将会だとすれば、あの強面の数々も裸足で逃げ出すような存在のはずだ。

 
零「……ルールはなんです?」



 それでもそんなことを言ったのは、先ほどの右角の言葉がまだ頭に残っていたからかも知れない。

『男なら、どうやったって戦わなければ前へ進めない時はある』と。



二階堂「桐山!?」

紫音「……!!」

氷村「いいね。桐山くん。さっきとはまるで別人だ」



 氷村はそれを待ってましたと言わんばかりに、大仰に両腕を広げる。




氷村「キミはプロ先生だからね。金は賭けない。ただし、あぁノビノビ指してほしいからこれは言いたく無いんだけどね。賭けるのはキミの今後の人生」


二階堂「……うん?」

紫音「……?」

零「……人……生?」


氷村「そう。先の事件でバラバラになったから人手不足でね。もし負けたら、キミは鬼将会の為に、鬼将会の真剣師として働いてもらう」



 恫喝するような態度も、愉悦を得ている様子もない。


 まるで、家電量販店の店員が『その機種もいいですけど、こちらは値段も安くてしかもこんな機能まで付いてるんですよ』、なんて説明するくらいの、そんな調子でとんでもないことを言ってくる。



氷村「ちょうどいいじゃない、桐山くん。キミ、両親と妹は事故で亡くして、内弟子として養子にしてくれた今の家とも上手くやれてないんだし」


紫音「……!?」

二階堂「貴様っ!!!」


氷村「大丈夫。ウチは寮完備で残業はあまり無いし、アットホームな職場だ。親切丁寧に指導するし、経験者優遇。やる気も笑顔も無くても強けりゃOK。そして何より、一回ぶっ潰されてもなお業界シェアナンバーワン!!」


二階堂「ブラック企業の上等文句ではないか!! もう我慢できん!! 桐山が指すまでもない!! このオレ!! 二階堂晴信が……」


零「いいよ、二階堂」



 二階堂を片手で制して、氷村へと歩み寄る。



零「ごめん。安岡さん。俺がキミを気にかけたのは……もしかしたら、同じような、いやもっと苦しい立場のはずのキミが、俺に無いものを持っていたから……」

紫音「……」



零「俺は……。俺はキミを見て自分が安心したかっただけなのかも知れない。自分も、俺もいつか……キミみたいに強くなれるんだって……」



 だが、でも。今はそれすらもどうでもいい。



二階堂「おい!! 桐山!!」



 氷村の前へと立つ。



二階堂「ヤケになるな!! 桐山!! 自暴自棄になればヤツの思うつぼだぞ!!」

右角「……いや。あれでいい」



 ヤケになどなっていない。

 むしろ、イライラしてきた。


 右角の将棋を見て興奮したせいだろうか。ちっとも怖いと思わない。



 大体ろくに説明もなく約束を取り付け、一週間も待たせたあげくに情報とは全く関係の無いヤクザの真剣に付き合わせ、あげく情報をよこせと言っているのに仲間になれ、ときたものだ。



『勝手に入会しろとか、怪しい新興宗教かよ!! 好き勝手言う暇があったらさっさと指せよ! アンタが負ければどうなるか分かってるんだろうな!!?』



 と、叫ぶ勇気は流石に無かったが、気迫だけは氷村にも伝わったようだった。




---……


二階堂「きりy……」



 思わず零の後ろ姿を追う二階堂であったが、右角に阻まれる。

 先刻はこの男のおかげで助かったと言わざるを得ないが、意図するところは全く分からない。


右角「大丈夫。見てろって。……なぁアンタも見ていきなよ」



 それどころか、先ほど対局した真剣師まで呼び止めた。



将人「……あ?」


右角「アンタとは別の群れの、獅子が見れるかも知れないぜ」

将人「……」



 先刻と同じ、部屋の中央に、今度は異なる二人が腰掛けた。


 
氷村「じゃあ10分切れ負け。振り駒は上座のプロ先生お願いします」

零「……」



 畳に五枚の歩が撒かれる。
 
 真剣の時とは違い、こちらは見慣れた光景だ。


零「歩が三枚。俺の先手です」


氷村「オネガイシマス」

零「お願いします」


 先手の零は角道を開ける7六歩。

 氷村は飛車先を突いた8四歩。


 人生などと、にわかには考えられないものを賭けているのだ。


 仮にも心友を自称する二階堂としては慎重な駒組みをしてほしい。

 出来ることなら穴熊にでもしてほしい。




二階堂「……!?」


 二手目で氷村は更に飛車先を突く。

 実質、居飛車宣言だ。

 対しての零は、5六歩。



二階堂「中飛車!!?」

紫音「……」



 紫音の心配そうな顔が、二階堂の不安に拍車をかける。



二階堂「この大事な対局でまさかとは思うが……急戦などしかけないよな……桐山……」



 とは言え、実際に口出しする訳にも行かず、言葉ともども不安な気持ちを飲み下して見守るほか無かった。


 二階堂の願いとは裏腹に、零の銀上がり、飛車先の歩の交換、角交換が済む頃には、氷村の陣地には立派な囲いが出来上がっていた。



二階堂「……」

将人「……」


紫音【 玉の周りよりも4筋、5筋が堅いですね。】

右角「あぁ。あれは流れ矢倉だな」


http://i.imgur.com/utdzpW7.jpg


 右四間飛車や中飛車に対する鉄壁の守りを持つ囲いである。


 つまり、中飛車で攻めようと零が準備を進める間に、氷村は中飛車を受ける準備を着々と済ませていたのだ。




二階堂「中飛車宣言が早すぎたんだ!! あれでは対策されるのも当たり前だ!! どうするんだ桐山ぁぁぁぁ……」

右角「そんなもの囲いごとかみ砕けばいい」

二階堂「無茶を言ってくれるなよ!!」



 将棋にはあらゆる戦法や囲いがあるが、その幾つかは『対○○専用』の将棋だ。

 すなわち特定の戦法を破る為だけの戦法や囲いが存在する。


 それほどまでに、戦法と囲いの相性は重要なのだ。



二階堂「桐山は、アナタのようなパワー将棋を指せるタイプじゃない。真っ正面からバカ正直に囲いをブチ壊せる訳ないだろう!!」



 二階堂の言葉に、だが右角は何も言わず、盤上を見つめる。



二階堂「……っ!!」

右角「……本当にそうかな?」

二階堂「なに?」

右角「言っただろ。彼はかつての俺と同じだ。世の中の、この地球上の何もかもを諦めてしまっている」


二階堂「……」

右角「だが、それはまだ彼が産まれていないからだ」


将人「……何言ってんだアンタ?」

右角「今の……何だっけ彼? そう、桐山零はただ心臓と脳、諸々の臓器に骨と肉が付いただけ。彼のタマシイはまだ卵の殻の中にある」


紫音「……」

右角「ひとたび殻を破れば、産まれてくるのは飢えた狼か、格調高い獅子か……それは見てみないと俺にも分からないな」



二階堂「……意味が分からん」


紫音【 ライオンは卵からは産まれません。】



 右角の話の間にも局面は進む。


 零は銀桂の連携と角打ちで5筋突破を試みるが、表面の皮膚を食い破る程度、それもすぐに再生されてしまう。




将人「……歩がほしいトコだな。アンタ、俺にこんなもん見てどうしろってんだ?」

右角「……」



 歩を打てれば一応相手の5筋に回ってきた相手の飛車を追い返せるが、零はここまでの強引な攻めによって、歩二枚の駒損。

 駒台にあるのは金だけだ。


二階堂「難しいが、いったん局面を落ち着けるしか無いな」



 氷村も二度の交換で駒台に乗った銀を除けば、全ての金駒(かなごま)を守りに使っているし、率先して飛車交換をしたい場面ではない。

 零が望めばいったん局面を鎮めることは可能だろう。



右角「キミはあまり力戦は好みじゃないんだな」

二階堂「まぁ、アナタよりは遙かに劣るだろうが……」


右角「なら、教えておこう。ここで退いたら絶対に勝ちは無い」

紫音「……」



右角「パワー将棋の原則は『退かぬ・媚びぬ・省みぬ』だ。相手のノドを食い破るまでが攻めなんだよ」


将人「……それアレだろ。言ったヤツ、その直後に死んだやつだろ」

紫音「?」



 首を傾げる紫音であったが、右角の表情は至って真面目だった。




右角「別に冗談で言っている訳じゃない。ここで退けば勝ちはない。それくらいに重要な局面なんだよここは」


二階堂「とは言え、この局面では……」



 だが、二階堂の言葉は、零の一手によって両断された。



二階堂「んなっ!!!」

将人「き、金打ち!! 飛車にぶつけやがった!!」



 飛車の頭への金打ち。


二階堂「金がタダだぞ!!」

右角「いや、取れば飛車成りから最終的には、馬か飛車どちらかが敵陣に入れる」



 確かに右角の言うことは正しい。

 だが、それをなす為には、


二階堂「言い方を変えただけで、最終的には銀金交換した上で角か飛車をタダで渡すんだぞ!! もっと悪いではないか!!」




 払うものが大きすぎる。



将人「……それで繋がってるのか?」



 だが、冷静な問いをしたのは意外にも将人だった。

 右角に敗北したからこそ、一見すれば無理攻めなパワー将棋の恐ろしさが分かるのだろうか。


右角「……多分な」

二階堂「……手が進んだぞ!!」


 いよいよ零の飛車が突っ込んだ。

 もう後戻りは出来ない。


http://i.imgur.com/s9XJS90.jpg






二階堂「……ど、どっちを取る…………?」



紫音「……」



 固唾を飲む一同に対して、だが氷村の指し手は存外に早かった。


零「……!!」

氷村「悪いな。読み筋だよ」



 放たれた氷村の一手は3二銀打。



 飛車取りでも角取りでも無く、3二銀打。



二階堂「か、辛い!! 厚みを加えてきたぞっ!!」

将人「……」

右角「これは……」


紫音【 どうすればいいんですか? うかくさん】


右角「これはキツいな」



 龍と馬を揃えて送り込んでいながら、相手玉までのたったの四マスが途方もなく遠い。

 距離にしてほんの10センチ強のはずの4マスが、100万光年ほどにも感じられる。



零「……くそっ!!!」


 零の手は8二飛車打。

 

氷村「そりゃ無視だな」


 だが守りの厚くなった氷村は、飛車を意に介さず今度こそはと龍を打ち払う。


将人「そろそろ時間も苦しくなってきたな」



 先刻の局面で持ち時間を使った零は残り2分半。


 対して、零の持ち時間でたっぷり読みを入れた氷村はいまだ3分半を残している。




二階堂「ど、どうなる?」

右角「まぁ、殻を破ってタマシイが産まれてきていたとしても、まだ赤ん坊だからね……」


 零はやむなしに銀を取るが、ノータイムの金打で3四へと馬が追い返される。

 
氷村「こっちの守りは盤石。かたやそっちは、片美濃だ。となれば、やることは一つだよな」



 更にノータイムで氷村の一手が放たれる。



 4七角。



二階堂「…………っ」



 二階堂が膝から崩れ落ちる。



 取れば詰めろに繋がる『と金』を作られ、放置すれば金を渡して馬を作られる。

 左金上がりで追い返そうにもその後は飛車打が待っている。

 強力な一手だ。




右角「まだだ。あんなニート金なんていらん!」

将人「……マジかよ」


 右角の言葉を知らずしても、零が放ったのはまたもや攻めの一手だった。


http://i.imgur.com/B9piWRY.jpg



金頭歩。


取れば一気に囲いを崩す一手だ。

 しかし、


氷村「そりゃ逃げるわな」


 当然放置される。


 氷村は5二に金を逃がす冷静な一手。

 例え4二が空いても、そこに出来ることは何もない。




零「…………」


氷村「プロ先生には馴染み薄いかもしれないけど、切れ負けだって忘れないでくれよ」

零「くそっ!!」


 残り二分。

 苦し紛れの零の一手は8一飛車成り。


氷村「そんな桂はいくらでもどうぞ。じゃあ俺は、安心して金を貰うとしますかね」


 6九角成り。

 この次は4七歩成りが待っているはずだ。



二階堂「う、受けたほうがいいんじゃないのか?」

右角「銀一枚足したところで押しつぶされるだけだ」

将人「……ここも歩切れがキツい局面だな。序盤の無理攻めが祟ったな」



 焦る手つきで放たれた零の手は4五桂打。

 もはや息も絶え絶えの、見ている側まで苦しくなってくる有様だ。

 

氷村「その銀はキミにやるよ。だが……」



 氷村の手は更に自陣を固める金打ちだ。





将人「銀が逃げねぇのか。手堅いな」



 桂馬の標的にされた銀よりも、より玉に近い部分に盤石の金を置く。


氷村「これで、もうあとはやることは一つだ」


 つまり、氷村にとってはあとは零を、攻め潰すだけということだ。



二階堂「つ、繋がってるのか?」

右角「……分からないな。時間もキツい」



 持ち時間を失ったその瞬間に敗北が確定する切れ負けルール。

 その限られた時間の中で、相手の強固な囲いを打ち破るのは容易ではない。




氷村「さて問題。俺の金×3、銀×2、桂馬×1の囲いをキミが一分ちょっとで攻略するのと、」


氷村「キミの銀×1、金×1の囲いを俺が三分で攻略するの、どっちが簡単でしょうか」




 零の手が止まる。




将人「……終わったな。このままじゃあのメガネ、切れ負けするぞ」

右角「……」



 二階堂ががっくりとうなだれる。



二階堂「……も、もう見ていられん」


 
 余りにも絶望的な局面だ。

 もはや希望などない。

 今無理でも、いつか必ず助けるぞと、二階堂が心に誓ったその時だった。




 ふいに、思い切り襟首を捕まれ、引き起こされる。



二階堂「……うぐぇ! な……何をす……」



 振り向いた先にいたのは、両手で必死にジャケットを掴む紫音だった。


二階堂「……な……?」



 おもむろにスケッチブックが突き出される。






紫音【 助からないと思っても助かっている!!】



紫音【 二階堂さんの口から言ってあげてください!!】








 何を言っているんだ、と言うよりも先に体が動いた!!



二階堂「き、き……桐山ぁぁぁぁぁああああああああああああ!!!」




二階堂「たとえ負けても、一人では散らせん!!! このオレがともに死んでやる!!!」

二階堂「だから諦めるなよ!!! このオレの命が懸かっているんだからな!!絶対に勝て!!!!」

二階堂「いいか!!! 『助からないと思っても助かっている』だ!! 諦めるな!!!」



 突然響きわたった大声に、零のみならず、氷村も、将人までもが唖然としている。


 だが、二階堂の叫びに、死体のように項垂れていた零は、おもむろに振り返った。


零「な……な……なに勝手なこと言ってんだオマエ。元々命なんか懸かってないし。つーか勝手にしゃしゃり出てきて余計なもん上乗せすんなよ!!」



二階堂「な……なにおう!! 人がせっかく気を使ってやったというのに!」



零「オマエなんかに言われなくても!!!」


 時間はあと僅か。

 受ければ絶対に勝ちはない。



零「勝ってやる!!!」




 5三桂成り。

 攻めの一手だ。


氷村「いいねぇ。面白くなってきた!!」


 氷村はいよいよ『と金』で攻め込んでくる。



 もはや総力戦。全戦力を結集しての殴り合いだ。


二階堂「桐山!! 時間勝負だ! 忘れるなよ!!」

零「分かってるよ!!」



 打っては剥がし、打っては守りの大駒の乱舞。

 素人目には一見すると終わらない戦いに思えるが、駒の弱点や連携を知っていれば相手の砦を破壊するのは容易い。



 特に、たかだか金銀1枚ずつの砦は。




零「……っ!!」



氷村「あと20秒だよ」



http://i.imgur.com/6gZl8JE.jpg




二階堂「ここにきて詰めろか。詰みは……無いよな……あるのか?」



 詰めろ。

 すなわち、『ガードしなければ次で一発KO確定』の必殺の一撃だ。



 だが当然、ひとたびガードすれば、受け続けるだけで20秒など、余りにもあっという間だ。





右角「いやどっちにしろ、この局面だぞ。時間なんて無い」


紫音【この局面で出来ることは】


将人「一つしか」


零「無いっ!!!!!!!!!」


 3一龍。

 龍切りの王手だ。

 

 王手。基本的に何を指してもいい将棋の中で、唯一絶対に受けなければいけない手だ。


 すなわち、詰めろのかかった局面で、唯一許される神風特攻である。




氷村「思い切ったね。けど」


 同金。


二階堂「ま……まだだ!!」


 3三馬。


氷村「はい同玉」


 同玉。


紫音【 まだです。】


 4三金打。


氷村「……っ! しぶとっ!」


 3四玉。


将人「まだだぜ」


 4四金打。


氷村「うっそ!! 足りないはずだ。だよな!!?」


 3五玉。


右角「まだ、終わりじゃない!」


 4五金打。


氷村「な、何なんだよ!!!」


 2四玉。



零「俺一人じゃこの将棋は指せなかった」


 3五銀打。


氷村「時間、時間は!! あと4秒! 4秒で俺の勝ち!!」


 1四玉。


零「だからこれは、みんなが俺にくれた将棋だ!!」


 2六桂打。


氷村「に、逃げき……」


 2五玉。



零「ついでに言っておきます。この銀はアンタが!!! 『銀はキミにやるよ』と言った!! あの、銀だっ!!!!」






1六銀。







http://i.imgur.com/o7c1FvZ.jpg




二階堂「……」

紫音「……」

右角「……」

将人「……」




残り時間:1秒

桐山零 持ち駒:歩×1





零「勝っ…………た?」


二階堂「き、桐山ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああ!!!! よくやった!! 信じていたぞ!!!!」

紫音【 ☆★☆おめでとうございます☆★☆】



右角「どうだった? 彼の獅子は?」

将人「プロなんざお利口の坊ちゃん揃いだと思ってたケドな。まぁアンタに負けたのを、一瞬忘れる程度には面白かったさ」



二階堂「うおおぉぉぉぉぉぉん!!!! 桐山!! 桐山!!! よくやったぞ! 感動した!!」

零「う、うわっ!! なんだお前! ハナミズが!! 離れろ!!!」


二階堂「痛みに耐えて頑張った!!! よくやった。うむ。よくやったぞ!!」

零「お、重い…………」



二階堂「さぁ!! これで大人しく情報を……お?」


零「ん?」

紫音「?」



二階堂「桐山!! 氷村が居ないぞ!!!」



零「ぇ!? そんな一瞬で!! ……いない」



右角「あ、それだけど」

零「?」



右角「鬼将会が壊滅したのは本当だし、残党のアイツ等を捕まえてもたいしたことは分からないと思うけどな」




零「……ぇ?」




---……



氷村「くっそ!! これは予想外だぞ。これはキザキじゃないが……なりふり構わずいっちゃった方がいいのか……行っちゃう……行っちゃうか!!」


 氷村としても、こんなカモがネギ背負ってきたような大チャンスを逃がすわけにはいかない。

 ぶっちゃけ、たまたま偶然だが、真剣師を物色していたらプロ棋士が2人も食いついて来たのだ。


 即戦力としてなんとしても引き込みたい。


氷村「俺でダメじゃキザキも無理!! 子供相手に山垣はさすがの俺でもそこまで出来ない! こうなりゃ……もうあのヒトしかいねぇ!!」


 隣のビルへと駆け込む。



氷村「くっそ! 『アジトは実はさらに隣のビルでした! ようこそ』とかやりたかったのに!!」


 階段を駆け上り、息も絶え絶えになりながら扉を開け放つ。



氷村「明太(みんた)サマ!! もう……あいつらやっちゃって!!!」




 だが、氷村を待ち受けていたのは、並んだ3面の将棋盤を前に膝を折る3人だった。


明太「て、手合いが……あまりに違いすぎる……ば、化け物か……!?」


氷村「え!! 何!? どゆこと!!」



 うなだれる3人を前に、将棋盤を挟んで立つ男を見れば状況は分かるが俄には理解できない。


氷村「いや、誰だよアンタ!!」


悟「アンタたちなら、紫音に事件の真相を思い出させてくれると思ってたんだけどな。存外に弱くて使えないな。アンタら」



 羽仁悟。

 氷村は知る由もないが、現名人、羽仁真の弟その人だ。




氷村「え? 明太サマ負けたの? ウソ。マジ?」

悟「アンタにも聞きたいことがあるから。座りなよ」


氷村「え、いや……ちょ……」

悟「ほら指してよ」

氷村「あの……」

悟「将棋が絶対で、勝者が望めば命だって差し出すんだろ? 鬼将会ってのは」






氷村「ひぃぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」







 紫苑の靴棚に手紙を仕込んだ張本人である彼が、彼女と直接駒を交えるのはまた別の物語である。



---……



零「いま、何か聞こえなかったか?」


二階堂「ん……そうか? しかし残念であったな。結局人生まで賭けて……収穫はゼロか」

紫音【 私のせいで、本当にすみません。】



零「いや、かまわないよ。それより最後の攻め、どうだった?」



紫音【 とってもすごかったです。見ていてハラハラドキドキしました。】




 将棋のことを語る紫音はとても活き活きとしている。


 だから、あながち収穫がゼロとは言えない。



 彼女はきっと、犯人探しとかそんなことは関係なく、将棋が大好きなのだ。





 そのことが分かる程度には、零も少しだけ将棋を好きになれた気がしたから。

 



第一局 了




次局は霧島都とハチワンのあの人が登場予定です。


ちなみに、上記第一局で登場した人たちは、ほぼ全員また追々登場します。



ハチワンのキャラは原作よりも時間補正で強くなってる感じかな?


次回は週末か週明け以降です。
このスレをこのまま使いますので、その旨お願いします。


>>131-132
ありがとうございます。

氷村はもともと早指しなら三沢九段に76連勝してますし、
10切れとは言え早指しに不慣れな桐山を追い詰めるのは妥当というのが自分の感覚です。
右角は世界最強である菅田の唯一無二のライバルでありいわゆるベジータですから、相手が主人公補正持ちであってもくだすだろうという意見です。

零にも紫音にも異性感情は一切ありませんが、たぶん安岡パパが勝手に一人で誤解して幸田さんを困らせると思います。

毎回間違えてイーモバに繋いだ挙句規制される……


>>84
どうぞ
何度も言いますが素人仕事で、半分はソフト頼みです。


先手:零/後手:氷村


自分は使ったこと無いけど、フリーソフトでも読み込めるはずなので他の方ももしよろしければ。


先手: 先手 / 後手: 後手
手合割:平手

▲7六歩△8四歩▲5六歩△8五歩▲7七角△5四歩▲5八飛△6二銀▲4八玉
△3四歩▲6八銀△4二玉▲3八玉△3二玉▲2八玉△5二金右▲3八銀
△5三銀▲4六歩△4四歩▲5五歩△同 歩▲同 飛△5四歩▲5九飛△3三角
▲5七銀△4三金▲5六銀△2二玉▲4五歩△同 歩▲3三角成△同 桂
▲5五歩△4二銀上▲7七桂△4六歩▲5四歩△同 金▲6五銀△4四金
▲7一角△5二飛▲5四歩△同 金▲同 銀△同 銀▲4四角成△4三銀引
▲5三金△同 飛▲同飛成△3二銀打▲8二飛△5三銀▲4三馬△4二金打
▲3四馬△4七角▲4三歩△5二金寄▲8一飛成△6九角成▲4五桂△3一金打
▲5三桂成△4七歩成▲4二銀△3八と▲同 金△4二金寄▲同歩成△4七銀
▲4九金△3八銀成▲同 金△4七金▲3九銀△3八金▲同 銀△4八金
▲3九銀△同 金▲3二と△同金右▲3九玉△4八銀▲同 玉△7八飛▲3九玉
△4七銀▲3一龍△同 金▲3三馬△同 玉▲4三金△3四玉▲4四金打
△3五玉▲4五金打△2四玉▲3五銀△1四玉▲2六桂△2五玉▲1六銀



第二局


ハチワン:最終回の少し前(ネタバレあり)
しおんの王:中盤(ネタバレあり)
盤上の詰みと罰:1巻終了時点(ネタバレあり)
真剣師将人:原作終了後


盤上の詰みと罰は現在既刊である1巻までしか読んでいない為、独自の解釈で書いています。
予めご了承ください。



 二階堂沙織は女流棋士である。

 18歳、段位は女流二段。


 同姓の男性プロ棋士もいるが、特に関係はない。

 ともに若干恵まれた家柄であり、将棋会館には迎えの車が来るが、特に関係はない。

 しばしば血縁を訪ねられることもあるが、それでも特に関係はない。

 
 その日、二階堂沙織は憤慨していた。



沙織(なにも……あんな言い方しなくても……なんて生意気なっ! 紫音ちゃんの爪の垢を煎じて飲ませてやりたいわ)


 沙織は決して物事を根に持つタイプでは無い。

 むしろ、否定的な意味を込めて『優しい将棋』などと評された手前、厳しい女になりたいものだと密かに願っている。

 だが、そんな彼女でも、我慢ならないこともあるのだ。




---……


 発端は数日前に遡る。
  
 プロアマオープントーナメントの募集締め切りが間近に差し迫った頃、多くのプロ棋士たちが駆け込みで参戦の意を示していた。

 当然、紫音も安岡八段も、歩も神園九段も、そして沙織の兄弟子である羽仁九段も出場する。


 だから、沙織はその日たまたま出会った彼女に話しかけたのだ。



沙織「あら、谷生さん。お疲れさま」


 谷生卑弥呼(たにお ひみこ)。棋戦のたびにアマ枠で顔を見せている少女だ。

 元々は噂の鬼将会とやらの出身のようで周囲に噂をするものも少なからず居たが、沙織自身は真剣などという野蛮な将棋には興味は無かったし、卑弥呼ほどの実力があれば表舞台で将棋を指すのは至極当然であると考えていた。

 実力はアマチュアでも負け知らず。奨励会を通さずに一気にプロ編入を狙っているという噂すらある。

 

卑弥呼「どうも」


 事実、ライバルと噂されていた中静そよ(現・八段)がプロ入りして以降は負け無しと言われている新進気鋭のアマ最注目棋士だ。

 

沙織「そういえば例のトーナメント、もちろん谷生さんも出場するわよね?」

卑弥呼「例の?」

沙織「そう。プロもアマも関係無しのオープントーナメント。同門も師弟も、段位も関係無しだもの。自分の力をを試す最高のチャンスだわ」



 そう。沙織からすれば願ってもないのだ。

 先日の紫音との非公式対局で、見苦しい将棋を指してしまったことへの雪辱も果たさねばならない。




 
卑弥呼「あぁ。あのお祭りみたいなやつ? 出ないわ、あんなの」

沙織「……え?」

卑弥呼「実力を試すって、森根銀四郎も中静そよも出場しないじゃん。他もA級、B級合わせてもほんの数人しか出てないし。名人もいないのに出てどうするの?」

沙織「……なっ!」


 確かに、5千万円という高額な優勝賞金にも関わらず、当初はプロ棋士は殆ど出場の意志を示さなかった。

 マスコミから敗北を恐れているのではと騒がれて、初めて出場者が集まり始めたのだ。


 だが、それでも聞き捨てなら無いこともある。

 卑弥呼は『名人もいないのに出てどうするの?』と言うが、出場者の中には羽仁真がいる。

 鬼将会事件の謹慎を終えた森根銀四郎に名人位を奪回されたとは言え、結果は3勝4敗。


 7局目に至っては193手に及ぶ激戦で、解説の藤本棋竜をもってしても、大盤を前に『これは最早なにが起きているのか分からんな。まぁ実際に指せば儂が勝つがな』と匙を投げるほどであった。


 森根名人に対して羽仁真が劣るとは沙織には決して思えない。




沙織「でも、羽仁兄ぃ……羽仁九段も」

卑弥呼「興味無いわ」



 だが、卑弥呼には取り付く島もない。

 プロの強豪を相手に対等以上に戦う卑弥呼を沙織は密かに評価していた。

 しかしその中学生の少女は羽仁真に、興味が無いと言い放った。



沙織「……なっ……こ……な……」


 人にはどうしても立場や役職、称号などを特定の人物とセットでいだいてしまう『印象』というものがある。

 先生といえばこの人。先輩といえば、部長といえば、司会といえば、大佐といえば、あの人。という拭えない印象があるのだ。

 そして、沙織にとって名人とは、やはり羽仁真なのだ。

 もちろん、それが必ずしも他者に認められるとは思っていない。


 だがそれでも、兄弟子を指して興味がないなどと言い放たれる筋合いは無い。

 そんな気持ちも手伝って、なんと言い返したものかと考えていたのだが、



卑弥呼「どいてもらえる? 邪魔よ」



 卑弥呼は、話は終わった言わんばかりに歩き去ってしまった。


 
---……


 流石にその場で怒鳴りつけるようなことはできなかったし、実際彼女の口から羽仁への罵倒の言葉があった訳でもない。

 理不尽な怒りであると分かっているだけに、余計に我慢ならなかった。


 そんな気持ちも手伝ってか、息抜きに街を歩いてみたものの、日頃車での移動ばかりで遊びもろくに知らない身では、大した気分転換にもならなかった。

 ため息だけ吐き出して、帰ろうかと思いかけた時だった。



沙織「……あれって、谷生さん?」



 遠巻きに卑弥呼の姿を見つけた。

 若干、意外な気分になる。

 あれだけ強いのだから、自分と同じで将棋以外の遊びなんて知らないものだと思っていた。

 それも手伝って繁華街を一人で歩く姿がふと気になって、何となく同じ方を目指してしまう。

 10分ほど歩いて、卑弥呼が立ち止まる。



 見れば目の前には将棋道場。



沙織「……当然か」


 アマチュア最強とも言える卑弥呼が将棋道場へ赴くのは至極当たり前の帰結だ。



沙織「……さて」


 一方で女流である沙織はおいそれと道場に入る訳にもいかない。

 引き返そうかと、視線を巡らせたところで、



卑弥呼「何のよう?」



 予期せず声をかけられる。


沙織「……え!? あ、いや……偶然ね」



 さっきまで道場の前にいたはずなのに、いつの間にか目の前に卑弥呼が立っていた。


卑弥呼「そんな訳ないじゃん。ずっと後をつけてたのに」

沙織「……ず、ずいぶん鋭いのね。貴方を見かけたから一言挨拶しようと思っただけよ。失礼したわね」


 それなりに距離はあったし、卑弥呼は一度も振り向いていないはずなのに、自分の心情まで全て見透かされている気がして、気恥ずかしさからなんとなく立ち去りたくなってしまう。



卑弥呼「そうね。邪魔だから帰って」

沙織「……なっ!?」



 だが、やはり生意気な少女だ。


 言い返したい気持ちも若干あるが、こんなところで不毛な争いをするほど沙織も愚かではないし、子供相手にムキになるのもプライドが許さない。



沙織「……そうね、失礼すr……」


「あのー、もしかして卑弥呼ちゃん?」


 だが沙織の言葉は、新たに現れた学生服の少女に遮られた。


卑弥呼「遅い!」

少女「やっぱり! いやー大きくなりましたねぇ~。卑弥呼ちゃん」

卑弥呼「3年前に言われて以来、その台詞は32回目」

少女「あらら、そうでしたか~」


 ニコニコと屈託のない笑顔で笑う少女だ。

 卑弥呼のアマ仲間だろうかと考えて、ふと、少女の顔立ちに見覚えがあると気づいた。



沙織「……」



 どこかの指導対局で出会ったろうか? 考えたが思い出せない。



少女「それに、先に入っててくれても良かったんですよ。お友達も一緒に」

沙織「え?」



 少女がこちらを振り向く。

 やはり見覚えがある。



卑弥呼「いや、その人はたまたま居合わせただけで関係ないから」


 まぁ、その通りである。



少女「いいじゃないですか。卑弥呼ちゃんと一緒にいるということはアナタも指すんですよね!! 将棋!!」


 少女は鼻息を荒くして、ずいずい寄ってくる。


沙織「あれ……」


 だが、このハイテンションぶりを見たことがある気がする。

 そう。自分がまだ育成会だった頃、こんな人を遠巻きに見ていた。

 そう、あの時もこんな学生服の少女が……





沙織「……え? 霧島女流……六冠……?」





都「はい。元ですけどね」


 霧島都(みやこ)。

 かつて17歳の若さにして、六つの女流タイトルを総嘗めにしたのち、電撃引退した伝説の女流棋士だ。

 当時中学生だった沙織は彼女に羨望を抱いてやまなかった。



沙織「でも、え? その服は?」


 都の姿は、学生服。

 童顔も相まって、どこからみても高校生であるが……、むしろ当時の姿そのままであるが、しかし22歳の女性の街中での装いとしては、『でも何故』と言わざるを得ない。



都「いや~実は私、5年前に倒れて以来、1ヶ月経つたびに記憶がその日まで戻ってしまうんです」

沙織「……え」


都「だから私自身は、まだまだ学生気分なんです。あ、でも実際には日本全国将棋旅なう、なので別に学生ではないんですけどね!」

沙織「そ、そんなご事情が……」



 当時の引退ニュースもかなりショックを受けた。だが、今はそれ以上だ。




沙織「なんと申し上げてよいやら……」


都「いえいえ。おかげでいつでも新鮮な将棋が指せますし。卑弥呼ちゃんとは私が記憶を失う少し前に仲良くなりまして、記憶無くすようになってからは東京に戻った時に対局のお相手をして頂いているみたいなんですよ~」



 あまりにあっけらかんと話されるので、逆にどうして良いのか分からない。


卑弥呼「もう、いいから指すよ」

都「はい~喜んで。さぁ貴方も」

沙織「私も!?」


 都に手を引かれて、そのまま道場へと引き込まれる。



都「はい、勿論。今や世界の将棋人口は30億人に届くと言われているそうじゃないですか!! 人類みな友達。将棋指しもみんな友達です!!」

沙織「は、はぁ……」


卑弥呼「まぁいいけど、邪魔しないでよね」

沙織「……」


 やはり生意気な中学生だ。


都「え~っと」

沙織「あ、申し遅れました。二階堂沙織といいます。恥ずかしながら女流二段ですわ」

都「おおっ!! 女流のかただったんですね! それは楽しみです!! 二階堂さんもあとで指しましょうね!!」

卑弥呼「その人、そんなに鼻息荒くするほど強くないと思うけど」


 一言多い少女には相変わらずむっとくるが、沙織としても霧島都の将棋は正直見たい。

 まして相手をしてもらえるなど、願ってもない。

 その気持ちも手伝って、何も言わずにぐっとこらえた。



 道場へ入ると、卑弥呼は「いつもの」とだけ告げて席主に代金を払う。


 沙織と都はそのまま卑弥呼に連れだって、奥の部屋へとついて入った。



沙織「へぇ~。個室なんてあるんだ」

都「みんなで観戦しながら指すのもいいですけど、こうゆうのもあるんですねぇ~」



 長テーブルにパイプ椅子の一般的な対局スペースとは異なり、3畳分の座敷と脚付き盤が用意されていた。


卑弥呼「本来は高額な真剣の為のスペースだけど。旅から戻ったミヤコと指すときはいつもここだよ」



都「えーっと、日記によれば先月までで私の30勝26敗ですか~」


 女流タイトルを全て独占した相手に、26勝。沙織にしてみれば、その事実に衝撃を受けずにはいられなかったが、卑弥呼の表情は不満そうであった。


卑弥呼「4ヶ月後には私が勝ち越すけどね」


沙織(……この子……どれだけストイックなの……)



 元タイトル保持者相手にハッキリと負けないなどと言い切るその姿勢は、沙織にとって不本意ながらも羨ましく映った。



---……



都「そうこなくては! では振りますね」


 上座の都が駒を振る。



 沙織は知る由もないが、都としては番勝負なら負け先を譲りたいところである。だが、卑弥呼はそういった施しを嫌う。

 そのことを都は記憶がリセットされる以前から知っている。

 それ故に、彼女の記憶には無いがきっと『先月までの霧島都』もきっと振り駒をしてきたのだ。

 『と金』が3枚。先手は卑弥呼だ。



卑弥呼「いつも通り持ち時間は30分。使い切ったら1分将棋。オネガイします」

都「はい。お願いします」


 軽快な駒音とともに手が進む。

 両者ともに棋風はオールラウンダーというだけあって、序盤の定跡手で迷う様子は一切無い。



http://i.imgur.com/by7nvau.jpg



 あっという間に相振り飛車の戦型ができあがった。





 先手の卑弥呼は四間飛車。角上がりとセットで7八銀とする急戦にも備えたバランス型の配置だ。

 後手はの都は2、3筋ともに位(くらい)を取った玉頭を押さえ込む形での三間飛車。


 だが、美濃囲いが完成している都に対して、卑弥呼の守りは中途半端なままだ。

 いくら互いに強力な武器を持ち合っていても、鎧武者対ふんどし一丁では余程の実力差がなければ覆せるものではない。



沙織(……棋戦の棋譜を見た限りでは、終盤の粘りでかなり勝ちを拾っているみたいだけど……実際には、こんなものよね……)



 将棋において、確かに実際に駒がぶつかり合うのは中盤に近づいてからだ。

 だが、達人が剣を交える前から間合いを測るように、あるいは三匹の子豚の末っ子が先を見据えて予め堅牢な煉瓦の家を建てるように、得てして物事は相手が間合いに入る頃にはとっくに始まっている。

 故に、囲いとは『攻められる前に作っておく』ことが重要なのだ。



都「うふふ。じゃあ手薄な2筋から、遠慮なくいかせてもらいますよ~」

卑弥呼「……」



 案の定、飛車を囲いの及ばぬ2筋へ振り直す都であったが、承知と言わんばかりに卑弥呼はノータイムで差しかえす。




沙織(2筋を受けない……それにあれは……)


 途上と思われていた卑弥呼の囲いが一気に完成する。



http://i.imgur.com/CDNeHDJ.jpg


沙織(木村美濃……!!?)


 故・木村義雄14世名人が愛用したことでも知られる変則美濃だ。

 現在は汎用性の低さもあって愛用者は少ない。



沙織(でも、2筋を攻められようって言うのに、中央の守りを厚くする木村美濃なんて、素人だってこんな手は……)


都「う~ん。卑弥呼ちゃんらしいですねぇ」



 対する都は冷静な桂跳ね。




卑弥呼「攻めたければ遠慮なくどーぞ♪」



 そしてついに卑弥呼は2八玉。

 激戦地域の最終防衛ラインを王自らが務めようと言うのだ。



沙織(霧島元六冠のほうが手が軽い。桂馬の活用、雀刺し、多少重くても銀を上げて戦線に参加……何とでもできるわ。とても、持ちこたえられる筈がない)



 案の定、都は戦線をぐいぐい押し上げる。

 強引な突破はせず、だが反撃を許さないジワジワと締め上げるような手筋だ。

 そして、ここぞという瞬間、飛車を七筋へ振る。


 サッカーのゴール前センタリングのようなダイナミックな一手だ。

 龍を作って飛車取りを見せつつ、更にはいざという際に卑弥呼の玉が逃走する虎の子の隠し通路を、予め塞いでしまおうというのだ。



沙織(……でも、これは)

卑弥呼「じゃあ遠慮なく封じ込ませてもらうけど」


 卑弥呼の手は6六角打。


http://i.imgur.com/vuOwLuY.jpg



 銀と角それぞれの効きで都の飛車はどこにも動けない。

 いずれ卑弥呼の意志で角が活用されるタイミングまでは、飛車の封印は解けないのだ。

 とは言え、それで卑弥呼の玉が安泰となった訳ではない。

 飛車を封じられた都は桂馬をさらに跳ねさせる。

 これで1筋の逃走経路は完全に失われた。

 卑弥呼も防戦一方とはさせまいと6筋7筋から敵陣への突破を目指すが、都もそれは許さない。


卑弥呼「……なら!」


 力強い駒音とともに、3三に馬が成る。

 銀取りを含めつつ、6、7筋の生き残った攻めと連携して包囲する作戦だ。

 だが、


都「おおっ! 勝負手ですね! ならば私もっ!!」


 都はここぞとばかりに封印が解かれた飛車を4筋へ振り戻す。

 一度飛車が居なくなり、逆にフットワークの軽い攻めに乱されたおかげで、卑弥呼は無防備な銀をさらけ出してしまう


 そこへ、千載一遇とばかりに都の飛車が舞い戻ってきたのだ。




沙織(……これは、終わったんじゃないの?)



 玉の逃げ道は無く、都には桂馬も斜め駒もある。

 卑弥呼としてはかなり苦しい局面のはずだ。



 案の定、歩の打ち込みと桂成りで囲いはぐいぐい押し込まれてくる。



都「さぁ、いきますよ! そろそろ、『アレ』見せてくれますか?」


 都はここぞとばかりに、再び叩きの歩。

 同歩ととればそれは城門を自ら開け放つと同じ。だが受ければ玉の側近である金が矢面に引きずり出される。

 『要の金を狙え』と格言にも言われるように、金を失えば卑弥呼の陣地は総崩れだ。



卑弥呼「……生憎。この程度じゃ見せられないよ」



 だが、卑弥呼の一手は、2五馬引き。


 攻めの要として投入されたと思われた馬であったが、その実、守りに参加するタイミングを伺い続けていたのだ。




沙織(上手い! これは綺麗な手だわ)



 これで金が引きずり出されたとしても、2六と4七、5八どちらにも守りが働く。


 案の定、金はやむなしに上がるが、龍を作られてもまだ逃げ道はありそうだ。



 だが、都から放たれたのはそんな守護神の如き馬すらも凍りつかせる一手だった。


http://i.imgur.com/aLMDJmU.jpg



 3六銀打。

 引いて良し。進んで良し。取らせて良しの万能手だ。



卑弥呼「……っ!!」


沙織(こ、こんな手が……!! これは……見た目以上に厳しいわ)



 再び閉じられた城門へ突き刺さった鋼の楔のような一撃だ。


 だがこれは取るしかない。取らねば総崩れだ。





沙織(でも取ったとしても……)


 やむを得ずの銀金交換で、いよいよ卑弥呼の玉は丸裸となり、都はここぞばかりに、飛車成りで突撃してくる。


 自陣に潜ませた虎の子の飛車と金の効きはあるものの、それすらもあっという間に剥がされ完全に制圧されるのは時間の問題だろう。

 対する都の玉は金金銀桂でガッチリ覆われている。


沙織(投了ね……。確かに納得の強さだったけど。流石に安岡六冠相手ではね)


卑弥呼「ふふっ……」



 だが、ここにきて卑弥呼の手は7四銀。

 攻めの一手だ。


沙織「なっ!!?」

沙織(み、見苦しい。思い出王手にすらなっていないじゃない!!)


 沙織としては卑弥呼の実力は少なからず買っていたつもりだった。

 だが、この一手は格調を重んじる沙織にとっては全く理解できない、悪足掻きそのものだ。



 だが、その喫驚はすぐにその意味を変えた。


都「来ましたねぇ。待っていましたよ~」

卑弥呼「ここからは力勝負。ワタシが詰むのが早いか、ミヤコが詰むのが早いか」


 当の二人は全く意味不明なことを言っている。

 こんなどう見ても負けの局面で力勝負、どちらの詰みが早いか。そんなことは誰が見ても明らかだ。



 案の定、都の猛攻で最後の砦であった飛車と金も奪われ、玉が追いやられる。

 あれだけ居た玉の護衛は後から付き添った馬だけだ。

 何とか上へと逃げようと玉を進める卑弥呼であったが、都はそれを押さえつつ、馬を引き剥がさんと2四歩へ歩を打ち込む。


 鋭い一手だ。

 たった一枚の歩が、守り駒を一刀両断する銘刀の輝きを放っているようにさえ見える。



沙織(こ、これも……苦しいけど、取らざるを得ない。というかもう終わってるんじゃ……)



 だが、卑弥呼の放った一手は1五玉。


都「……!!」

沙織「……なっ!!??」

沙織(な……かっ……う、馬を見捨てた!? そんな無茶がある訳……!?)


 都は当然2五歩。

 だが、卑弥呼の表情が物語っている。

 先刻までとは逆の立場であるのだと。

 その馬は“取らせた”のだと。



卑弥呼「足場をありがとう」

都「……」



卑弥呼「エリア鈴木ってあるよね?」

都「えぇ。鈴木八段の得意とする終盤の粘りですね。噂によれば断崖絶壁に生えたサルノコシカケに座って、周囲を見渡すような『助かっている状況』を見つけだすという」


 傍目に見る沙織にも言わんとしていることは分かる。

 だが、もしこの局面で先手に座ったなら、沙織は投了するだろう。


沙織(う、受かっているとでも言うの!? 確かに谷生さんの棋譜は中盤終盤粘りがすごいけど……)


 と、考えて初めて気がついた。



沙織(……まさか、あれが意図的なものだとすれば!?)




卑弥呼「そ。さるのこしかけ。でも私がイメージするのは……」




 もしも仮に、玉の独力だけでスレスレまで身を躱せたなら、持ち駒は攻めに使える。

 そんなことが本当に可能ならばであるが。



卑弥呼「--崩れ落ちるラピュタ」




沙織「……は?」


卑弥呼「バラバラに崩れていく表面の岩肌を飛び移りながら、天空の城の中心を目指すの」



 言葉通り卑弥呼の手は攻めの楔、6三桂打。

 銀で紐が付いている上、処理を誤れば卑弥呼の言うところの天空の城は一瞬でに空中分解だ。



都「流石は卑弥呼ちゃん。おもしろいアイデアですねぇ。確かに将棋盤で描かれるロマンを表すにはジブリの映画は持ってこいですよねぇ~」


 都が玉を逃がせば、すかさず卑弥呼は自玉そばへと銀打ち。

 守りというよりは、卑弥呼の言葉を借りれば『足場』なのだろう。


沙織(やっぱり。見えているんだわ。入玉までの道筋が)



 予感は確信に変わった。

 これまでの対局も全て、粘り勝ちに見えていたのは周囲だけで、卑弥呼にとっては、ただ平地を行く如く進んでいただけなのだ。

 素人目には壁にしか見えない断崖絶壁もクライミングの達人ならば、どこに手足を掛け、どのルートで登るかは見えてくる。

 同じように卑弥呼の玉もまた、常人には見えない、彼女だけの道を進んでいるのだ。



沙織(そして、行き着く先は……入玉!)

 


 
 沙織が思考を巡らせている間にも、卑弥呼の玉はぐいぐいと登りつめていた。


沙織(上から飛車で押さえれば、なんとか……いや香で受けられてしまう)

卑弥呼「歩が打ちたいだろうけど、打たせてあげない」


都「う~ん、相変わらず意地悪な棋風ですね卑弥呼ちゃん」



 まして都の持ち駒に歩はゼロ。

 さらに言えば1、2、3筋は全てすでに歩を『使わされてしまっている』。



都「でも、盤上での意地悪は大歓迎です。それに私は、歩も好きですけど桂馬も好きなんですよ。はい、バルス、でしたっけ」



http://i.imgur.com/Eddw7Ah.jpg



 都の一手は、2一桂打。





卑弥呼「…………っ!!!」


 優しく包み込むような手に見えた。


 だが、


沙織「……これは!」


 勝負は一撃の元に終わっていた。

 『桂は控えて打て』を体現するのような一手である。


 指されてみれば、こんなに恐ろしい手は無い。

 今なら沙織とて決して卑弥呼を侮ったりはしない。

 だが、そうとてこの局面からの逃げ道は見いだせないであろう。



卑弥呼「……………………負けました」

都「はい。ありがとうございました」



 しばしの沈黙をあけて、駒台に手を置いた卑弥呼がうなだれた。



卑弥呼「あぁぁ~~~~~。くやしい!!!」

 
 卑弥呼は例え口にしていなかたっとしても分かるほどに、見るからに悔しそうだ。

 一方の都はニコニコとご機嫌な様子である。

 こちらはこちらで、勝利したからというよりは単純に将棋が指せたから、というのが見るだけで伝わってくる。



都「でも、勿体ないですねぇ~。卑弥呼ちゃん。まだ1三香打と4八角で受かっていたかも知れませんよ?」

卑弥呼「は? そんなのミヤコ相手に通用する訳ないじゃん! それに玉をガチガチに固めるなんてそんなデブみたいな真似できる訳ないし!」


 まぁ傍目に見ていた沙織にもそんな手で受かっているとは思えなかった。



都「いえいえ。私がミスするかも知れませんし。それに入玉されていたら本当に危なかったですから。紙一重でしたよ」

卑弥呼「だからミヤコがミスする訳ないって言ってんの。あ~~ちくしょ~~うんこ~~」

都「ではこれで私の41勝。日記につけておきますね。じゃあ二階堂さん指しましょうか」



 座敷に突っ伏した卑弥呼から放たれる下品極まりない捨て台詞はこの上なく不愉快であったが、伝説の女流に相手をしてもらえるとあっては願ってもない。

 いまならば、卑弥呼のどんな蛮行も許せる気分だった。




---……


沙織「……参りました」


 結局、戦績はと言えば、5戦全敗であった。

 
沙織「流石のお手前ですね。お見苦しい将棋で恐縮の限りです」

都「いえいえ。先ほどの角打ちなんて何重にも利いていて非常に素晴らしい手でしたし、二局目の十字飛車なんてまさしくお手本通りの一手!! やっぱり格調高い手を見ると幸せな気分になりますよねぇ~」


都「それになんと言っても最後の局面!! 私の19手詰めを見抜いてましたよね。素晴らしいです!」

沙織「いえ。先に自分にかかっていた必至を見落としていては結局意味がありませんし」

都「はぁ~今日も素晴らしい将棋が指せました」



 大先輩が相手とあってはいやが上にもに萎縮してしまう沙織であったが、都は対局を思い返しているのか、指を組んでウットリと宙を見つめている。

 と言うかちょっと引くほどのテンションだ。


沙織「谷生さんは指さないの?」

卑弥呼「一局で充分よ。五ヶ月後には挽回するし」


 一方の卑弥呼は沙織の対局はまったく見ることなく、一人で棋譜並べに没頭していた。




沙織「……いつもこんな調子なんですか?」

都「さぁ、どうでしょうね~。 今の私は小っちゃかった頃の卑弥呼ちゃんしか知りませんから」

沙織「……あ! 失礼しました」


 うっかりしていた。

 卑弥呼も都もまったくそんなそぶりを見せないので、都の記憶の話を失念していた。

 こうして話していると、一月後には彼女が今日の出来事を忘れてしまうなんて嘘のようだ。

 ましてやそれが5年分ものあいだ積み重ねられる苦しみなんて、沙織には想像もできない。



都「いえいえ、かまいませんよ」



 だが、都の態度はあっけらかんとしたものだった。


都「あらら、もうこんな時間ですね。名残惜しいですがそろそろ出ましょうか」


 対局に熱中して気づかなかったが、時計は19時を回っていた。


卑弥呼「食事していくでしょ? アナタも来たければ好きにすれば」



 徐々に卑弥呼のことが分かってきたが、言葉はこの上なく生意気でも必ずしも全てに悪気があるわけではないようだ。

 腹立たしいことに変わりはないが。


 
---……


 外へ出ればすっかり暗くなっていた。


都「どちらで食べるんですか?」

卑弥呼「イッコ向こうの通りのファミレス。デザートのパフェが絶品」

都「おかずもちゃんと食べないと、お姉さんみたいに大きくなれませんよ~? お元気ですか、お姉さん?」

卑弥呼「アレはただのデブ!! 一緒にしないで!」


 そんな下らない話を聞きつつ、沙織としては初めて赴くファミレスに期待を膨らませていた。


 そんな時だった。

 大通りを進んでいると左に、ビルとビルの隙間程度の細い路地が見えた。

 街頭もなく、壁はラクガキだらけ。


 当然、女三人でそんな道を通る気など更々無かったのだが、



「このくそだらぁ!! ぶっ殺してやんぞうだらぁ!」


 奥から響いた怒声に、少なくとも二人は身を震わせた。




沙織「うわ、なに喧嘩?」

都「物騒ですねぇ」



 治安としては最低というほどの街でもないのだが、都心の夜の繁華街となれば、まぁ無いとも言い切れない事態だ。

 だが、ちらりと振り向いて見て、沙織は思わず息を飲む。


沙織「刃物持ってるわよ!?」

都「物騒ですねぇ」

沙織「こわっ、早く行きましょう。警察に電話した方がいいのかしら……」



 当然、そそくさと立ち去ろうとした三人であったのだが、


「あの時のテメェの銀打ちで俺の人生メチャクチャになってんだよくらぁ! 借金1千万だぞ! どうしてくれんだ!!」


 不意に出た馴染み深い単語に、思わず再び振り向いてしまう。



沙織「……って、本当に刺そうとしてる!?」

都「物騒ですねぇ」


 振り向いた先の光景は、金髪男に突進していく刃物男の姿だった。


沙織「……!」


 思わず目を覆いたくなる沙織であったが、それすら間に合わず、次の瞬間にはもう刃物男が吹っ飛ばされていた。


将人「真剣のケリは盤上でついてるはずだ。アンタも同意の上の勝負だろ?」

遼兵「強っえ! 流石ッス、将人さん!」



 どうやら目にも留まらぬスピードで金髪の男が拳を振り抜いたようだ。


沙織「こ、こわ……。ね、行きましょうよ」

都「そうですね」

卑弥呼「はいはい」



 思わず見物してしまったが、女三人こんな所にいては何に巻き込まれるか分かったものではない。

 早々に立ち去るのが正解だ。


 だが、叫びながら起きあがった刃物男に一同は三たび振り向かされてしまう。


「くそだらぁぁー! ちくしょーー」


 おまけにあろうことか、刃物男は鼻血まみれで三人に向かって駆けてくる。


沙織「こ、こっちに……!!」


 逃げだそうというのなら、是非どうぞと言いたいところだが、その目はハッキリと先頭を歩いていた卑弥呼を捕らえている。

 金髪男に勝てぬと悟って人質をとろうというのだろう。


卑弥呼「……」



 が、卑弥呼にしてみれば、実はどうということはない。


 密かに、『世界イチ喧嘩の強い男』から護身術を教わっていた彼女にとってはどうということは無い。


 あくまでも護身術なのであの金髪男のような、本物のファイターには通用しないだろうが、こんな刃物を持っただけの素人は彼女にしてみれば朝飯前だ。



 どれ投げ飛ばしてやろうと身構えたところで、だがしかし卑弥呼の視線は大きな背中に遮られた。

 金髪男が横から飛び込んできたのだ。 


将人「……テメェの力で戦って……負けんのが怖ぇなら、目も耳も閉じて震えてろ!!」


 盛大に吹き飛んだ刃物男は今度こそ起きあがらなかった。



 だが、同時に金髪男が膝から崩れ落ちる。


遼兵「将人さん!!」


 足元に広がった血溜まりをみれば、起こったことは一目瞭然だ。


沙織「ちょ! 刺されたの!?」


 舎弟らしきチンピラに将人と呼ばれた金髪男のジーンズは、太股が真っ赤に染まっていた。




卑弥呼「ちょっと! 勝手なことしないでよ! あれくらい私一人でも!」

将人「あぁそいつは悪かった。済んだことだ気にするな」



 卑弥呼からすれば、この将人が勝手に怪我をしただけなのだが、勝手に自分のために怪我をされるのは彼女のプライドが許さない。

 しかし将人はそれすらも全く興味が無いとばかりに、早くも立ち上がってしまった。



都「あの、救急車呼びましょうか?」

将人「いや、必要ない。アンタたちはもう行ったほうがいい」


 脚を引きずって歩き始める将人であったが、そこに残された血痕は尋常ではない。


遼兵「将人さん。無茶ッスよ!! 病院行きましょう!」

将人「一時間半後には対局だ。そんなヒマはないだろ。ゼファーはお前が運転しろ。途中で薬局に寄る」



 対局、という言葉に三人の耳はピクリと動く。


 こんな事態でも、聞き慣れた単語にはやはり反応してしまう。



遼兵「死んじゃいますって!! 将人さん!」

将人「バカ、俺が指さねぇと、代わりなんかいねぇ。デカい血管は外れてるし心配ないさ。それくらい分かる」


 再び、卑弥呼の耳が反応する。

 指す、と言った。打(う)つでも打(ぶ)つでも無く、指す。


卑弥呼「へぇ。将棋指しに行くんだ」

将人「あ? オマエらいつまで居る? あぶねーからさっさと帰れ」


 ふいに会話に割って入られたことで、将人は睨みを効かせてみせるが卑弥呼には響かかった。




 そして、密かに嫌な予感がしていた沙織の予想は、


卑弥呼「代わりに指してあげるから病院いきなよ。普段はこんなサービスしないけど、一応庇ってくれた訳だからね」


 的中してしまった。

ちょっと中断します



将人「あん? お前ら、さっさと帰らねぇと……」


 対する将人の反応は至極当たり前のものと言えたが、それすらも言い切る前に卑弥呼に叩ききられた。


卑弥呼「7六歩」

将人「あ?」

遼兵「は?」

卑弥呼「7六歩。早くしないと出血多量で死んじゃうよ」



 予想だにしない卑弥呼の行動には、男二人はもちろん、沙織に、都すらも思わず目を丸くする。



遼兵「こ、このガキいっちまってやがる。将人さん、とにかく一端病院に……」


将人「…………8四歩」


 だが、そう。一流のエンジニアが機械を見れば基盤が気になって仕方がないように、あるいは量販店の店員が全然関係ないお店で雰囲気につられて『いらっしゃいませ』と言ってしまうように、将棋指しならば7六歩とセットで絶対に応じる一手があるのだ。



 将人にとってそれは8四歩。

 もはや職業病だが、これは誰にも止められない。



卑弥呼「5六歩」

将人「8五歩」

卑弥呼「7七角」


遼兵「ちょ、何してんスか。将人さん!」

沙織「た、谷生さん。そんな場合じゃ」



 周囲が狼狽えようとも、流血が止まらなかろうとも、こればかりは止められない。



大切なことなのでもう一度書きますが
『盤上と詰みと罰』は既刊を元に独自の解釈で書いています。


---……



卑弥呼「……6二馬」

将人「……ないな。強いのは分かった。アンタ、代わりに指すって言ったな。なぜそんなことをする?」



 将人が投了の意志を示す。

 僅かに差し込んで来る大通りの街灯の光だけでは見えづらいが、足元は大きな血溜まりが出来上がり、唇は真っ青だ。

 かといって、将棋の内容は盤駒無しの目隠し将棋で行われたとはとうてい思えないハイレベルな戦いであった。



卑弥呼「借りを作りっぱなしは性に合わないの。今日の借りは今日返す。ねぇ、救急車呼んで」

沙織「わ、私?」


 卑弥呼の言葉に、根負けしたと言わんばかりに、将人はどっかりと腰を下ろした。


将人「……遼兵。タクシー拾って来い。対局はこのコが行く」

遼兵「ほ、本気ッスか……。兄貴になんて言えば……!?」

将人「俺も血止めが済んだらすぐに行く。月方にはお前から言え」



 勝手に簡潔してしまった二人に対して、周囲は狼狽えるばかりだった。



---……


沙織「なんでこんなことに……」


 結局、卑弥呼一人放っておくこともできず、遼兵と呼ばれたもう一人のチンピラとともにタクシーへ乗ってしまった。


都「さっきの目隠し将棋も良い対局でしたねぇ。リョーヘーさんも将棋指されるんですか?」

遼兵「いや、自分はルールくらいしか知らねぇッス。ウチの組の指し手は将人さんッスから」


 沙織からすればヤクザが将棋を指すなどという時点で目から鱗だ。

 サイコロや麻雀をやっているのかと思っていた。


都「へぇ~。では先ほどの将人さんは組の代表としてお金や名誉を駆けて戦う真剣師なんですねぇ~」



 流石と言うべきか、都は将棋ならなんでも興味津々だ。


遼兵「そうッス。将人さんは喧嘩も将棋もプロ級で、ちっと前に獣人だとか言うヤツに惜しくもやられた以外は、向かうところ敵無しのサイキョーなんスよ」

卑弥呼「……へぇ~」



 程なくして、会場へ到着した。有名な高級料亭だ。




沙織「会場は普通のところね」


沙織はほっと胸をなで下ろす。


 一般人なら一生縁の無い程度には高級であるが、都は女流だった当時似たようなところへ何度も赴いているし、二階堂家の令嬢である沙織もこういった場所には年に数回は来る。

 卑弥呼はそもそも緊張とは無縁だ。


 タクシーを降りると、入り口には『いかにも』といった風貌の男が待ちかまえていた。

 映画の中から出てきたような若頭だ。まぁ尤も本当に若頭かどうかは三人が知る由もないが。


遼兵「月方さん」

月方「将人はどうした?」

遼兵「それが……」

卑弥呼「刺されて病院送り。だから私が代わりに指してあげる」



 唐突に割って入った卑弥呼に、沙織はぎょっとした。

 こんな強面を相手に、言うことがシンプルすぎる。


 痛い目にでも遭わされるのではと思わず心配になるが、強面は卑弥呼を無視して振り返ってしまった。

 ちらりと睨まれた遼兵は直立不動のまま宙を見つめている。



月方「相手に説明して手を打ってもらう。お前はそのムスメを送ってやれ」

遼兵「……は、はい!」



 案の定と言うべきか、全く意に介されない卑弥呼であったが、


卑弥呼「谷生卑弥呼よ」


 次の一言が月方の脚を止めさせた。

 その名前は将棋に携わるものなら誰もが知っている。

 真剣などという野蛮なものに興味の無い沙織や、昔から将棋が楽しければ何でも良いという都などの例外はあれども、それは多くの将棋ファンにとって、特別な名前なのだ。


 伝説の女流棋士、千鳥チコを盤上で殺した少女。

 それが谷生卑弥呼だ。

 かつて、最凶の真剣師集団であった鬼将会が誇った伝説的のサラブレッド。

 それを真剣を仕切る月方が知らないはずがない。



月方「将人と話したのか?」

卑弥呼「さぁ? 黙らせたわ。将棋で」



 周りが何となく噂をしていたのは知っていた。だが沙織は卑弥呼を特別な目で見ようとは全く思っていなかった。


 どんな境遇で育とうと、所詮は同じ将棋指し。これまではそう思っていた。

 だが、このホンモノとでもいうべき強面を相手にまったく怯む様子すらない。

 踏んだ場数が違うのだと、素直にそう思わずにはいられなかった。



月方「対局は30分後だ。案内してやれ」

遼兵「ハイ」


 流石に谷生のブランドネームは裏社会では効くようで、今度こそ踵を返した月方と遼兵に、三人もついて歩いた。



都「さすが、卑弥呼ちゃんは真剣も慣れっこですねぇ」

卑弥呼「別に。所詮は同じ将棋だもん」

都「でも卑弥呼ちゃんも、あの事件以降は一度も指していないんですよね? 真剣の将棋?」

卑弥呼「まぁそうだけど」



 と、話しながら都はズイズイと卑弥呼へと寄っていく。


都「ものは相談ですが」


 ズイズイと。


卑弥呼「ダメ。私が指す」

都「いえ、まだ何も言ってないんですけど」


 ズイズイと。


卑弥呼「ダメ」

都「しかし、何ともアブナい将棋みたいですし。こう言っては何ですが、卑弥呼ちゃんに勝ち越している私のほうが良いのでは?」


 さらにズイズイと寄っていく。


卑弥呼「ミヤコだけは絶対にダメ」


 だけは、などと言われても沙織はそもそもここで指す気などないのだが。



都「どうして私だけはなんですか。そんな意地悪しないでくださいよ~」

卑弥呼「とにかくミヤコは絶対にダメ。私が指す」

都「そこを何とか」

卑弥呼「ダメ」


 元々、大らかであると言われる沙織から見ても、卑弥呼の自己中心ぶりは際だつものがあったが、それにしてもこの問答は有無を言わさぬ拒絶ぶりだ。



都「分かりました。では棋士として正しいありかたで決めましょう」

卑弥呼「……また目隠しで指すの?」

都「いえいえ、大切な対局の前にそれは流石に私でもしませんよ。時間もありませんし。なのでこれです!」


 じゃん♪と都が取り出したのは5枚の歩であった。



卑弥呼「……持ち歩いてるのそれ?」

都「はい! いつ振り駒をしたくなっても良いように!」


 つまり振り駒の結果でどちらが指すのか決めようと言うのだ。


卑弥呼「決めるとかじゃなくてダメって、そう言ってるじゃん」

都「卑弥呼ちゃんは将棋が絶対のはずです。私だってそうです! ならば当然振り駒は絶対のはずですよね♪」


 都の言葉に、卑弥呼もむっと口を噤んでしまった。


卑弥呼「……」



 沙織は知る由もないが、世の中には将棋を挑まれれば必ず受けねばならず、賭けられるものならそれが命であろうとも絶対、そんな場所もある。

 決断において将棋は絶対。卑弥呼もまた、そんな世界で幼少期を育ってきたのだ。



卑弥呼「………………『と金』が多ければ私。歩が多ければミヤコ。それでいいの?」

都「はい。では振りますよ~」


 畳に落とされた駒は、歩が3枚。『と金』が2枚。

 賭けは都の勝ちだ。


都「では指すのは私ですね。無理を言ってすみません。卑弥呼ちゃんを困らせたい訳ではないんですけど……」

卑弥呼「……いいよ。でも覚えといて。この対局は所詮ただの代指し。負けたって、全然なんにも構わないってこと」

都「でも、卑弥呼ちゃんはあの人の代わりに勝つつもりでここに来たんですよね?」


 言わずもがなな問いであったが、卑弥呼は答えなかった。


遼兵「ネエさん。時間みたいッスよ」



 月方という男に卑弥呼が認められたからなのか、遼兵の物腰も変わっていた。

 そもそもどう見ても遼兵のほうが沙織と卑弥呼よりは歳を重ねているのだが、深く気にするものはいなかった。



---……


 広い座敷に通されると、部屋の真ん中に対局スペースが用意されていた。


都「うは~。掬水の盛上駒ですよ。これは素敵ですねぇぇぇ~」


 相手はまだ来ていないようであったが、都はもはや駒に夢中だ。



月方「アンタが指すものと思っていたが」

卑弥呼「心配しなくてもミヤコは勝つ。どんな相手でも」

沙織「……?」


 卑弥呼の言葉に偽りや虚勢は感じられない。

 では先ほどの、都への態度はいったいなんであったのか、沙織には分からなかった。


 かたや月方はと言えば、そうかとだけ言って去ってしまった。

 やはりと言うか、谷生卑弥呼のネームバリューというのは凄いものらしい。



遼兵「ネエさん。あそこのモニターで盤面が映されるらしいッスよ。ハイテクッスねぇ」

卑弥呼「あ、そう」


 気を回してくれているであろう遼兵に、いかにも興味なさげに返す卑弥呼であったが、脚は自然とそちらへ向かう。対局である以上見なければ始まらない。


沙織「ねぇ。どうして霧島さんにあんなこと言ったの? あの人の実力なら……」

卑弥呼「まぁまず負けないだろうね」


 そもそも、都は周囲の環境でポテンシャルを左右されるタイプには見えない。

 それに実力も、卑弥呼との対局を見て、沙織自身でも味あわされた通り、元六冠の名の通り別次元だ。


沙織「じゃあどうして?」

卑弥呼「……」


 だが、沙織の疑問は解消されることなく、相手側の指し手が現れた。




 連れ添う強面にふすまを開けられて入ってきたその男と、沙織は思わず目が合う。


沙織「……ぇ?」

悟「……!」



 入ってきたのは知った顔だった。


 プロアマトーナメントの開催が世に発表される前にも、沙織はこの男に何度か合っている。


 元名人であり、彼女の兄弟子、羽仁真の弟。

 羽仁悟だ。


 IT企業の経営者を名乗っていた彼がなぜこんな所にいるのか。

 なぜ真剣師として現れるのか。

 まったく理解が及ばない。


沙織「……あの」


 思わず口を開くが、だが悟それよりも早く歩み寄ってきた。



悟「どうも、初めましてお嬢さん」

沙織「……!」


 いかにも演技がかった口調で挨拶される。

 沙織はこの男のこういった、意図して振りまかれる『わざとらしさ』に前々からあまり良い印象をいだけなかった。



悟「貴方のような美しい方が、なぜこんな場所にいるのか、是非お伺い上で夕食に誘いたいところですけど、ここではそれは聞かない方がいいかな?」

悟「俺としては貴方みたいな美人に出会ったことは自慢したいところだけど、場所が場所だからね。この気持ちは胸に秘めておくことにしよう。……少なくとも今はね」


 沙織は昔から物事の機微には聡い方だ。

 この男の演技かかった口調の裏は、それがそのまま言葉に聞こえるほどに理解できた。


 『余計なことを言えば、キミの棋士生命は終わりになるぞ』と。この男はそう言っているのだ。



沙織「……」


 だから、のれんに腕押しと分かっていながらも、黙って睨みつけるほかなかった。


悟「それに、キミともここで会えるとは思わなかった」

卑弥呼「誰、アンタ?」

悟「でも、今はちょっと場所が悪いかな。また近い内に会えると願ってるよ」


 質問に答える気はないらしく、男はわざとらしく手のひらを返して、去ってしまった。



---……


 勿論この場の誰しも知る余地もないが、羽仁悟が裏の真剣を指す理由はある。


 彼は彼自身の事情で、独自に紫音の両親を殺害した犯人を追うなかで、早期に鬼将会へたどり着いた。

 だが、そこからが手詰まりであった。


 調べがついたと思ったら、鬼将会は都合をつけたように壊滅。

 悟が欲していた首領の情報は殆ど無く、とうの本人も行方不明。死亡したという話が濃厚だ。

 ゆえに悟は目星を付けたその男、谷生に関する手がかりを片っ端から探し、ようやく彼の指紋が付いた駒を保管している者たちを見つけた。


 その駒こそが、悟がこの対局で得る報酬なのであった。



 両者が座につき、いよいよ対局が始まる。


月方「対局は平手の一局勝負。持ち時間は20分。使い切った後は一手につき10秒の考慮時間とします。双方ともに外部の真剣師であるため、掛け金・倍層は伏せさせていただきます」



 振り駒の結果、先手を得たのは都だ。


悟「じゃ、お願いします」

都「はい。お願いします」




---……


卑弥呼「なにアイツ?」


 周囲には届かない程度の声で卑弥呼がささやく。

 やはりと言うべきか、沙織が理解し始めた通り態度が自由奔放なだけで、場の空気や物事の機微は読めるようだ。


沙織「羽仁に……羽仁九段の弟よ。普通の会社の経営者と聞いていたけど……」


 さらに色々と訪ねられるかとも思ったが、卑弥呼は「ふーん」とだけ呟いてそれ以上は言及してこなかった。

 沙織自身も答えを持ち合わせていないのを、承知してのことだろう。



遼兵「へぇ。真剣ってこうゆう風にやるんスね」


 珍しそうに様子を眺める遼兵に反応を示したのは以外にも卑弥呼だった。


卑弥呼「さっきの金髪のパシリなのに真剣は見たことないんだ?」


 思い返せば、言葉は辛辣でも彼女が人を無視したことは確かにない。



遼兵「まぁいつもは車暖めて待ってるッスから。今日はネエさんがたとご一緒してろって」

卑弥呼「ようはお目付け役でしょ。別にイイけど」

遼兵「いえいえ。で……どっちが勝ってるんスか?」



 遼兵は興味津々に盤面が映し出されたモニターをのぞき込む。

 どうやら他の強面たちは将棋の中身にはさほど興味が無いようで立ち会い人を除いては遠巻きに見守るばかりで、モニターにも目もくれない。



卑弥呼「そんな早々に差が出る訳ないじゃん。まぁ見るからにアタマ悪そうだからしょうがないけど」


 確かに卑弥呼の言うとおり盤面など20手後ほどに見ても充分ではある。

 今は悟を含む先方側や周囲の情報の方が気になるところだ。



卑弥呼「まずは間合いを測って、それからようやくジャブの打ち合い。最終的にフック、アッパー、右ストレートの戦いになるの」


 序盤はお互いに牽制し合いつつ、自陣を固める。

 戦いが始まるのはそれからだ。




卑弥呼「だからそんなイキナリ駒がぶつかったりは……!!?」




 だがしかし、不意に言葉を切った卑弥呼の様子に振り向いてみれば、モニターには予想だにしない光景が広がっていた。






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沙織「よ……4四歩パックマン!!?」


 ひょいと差し出された歩に角が食いつくことから、その名が付いたとされる奇襲戦法だ。

 だが当然、与えられた餌には特大の釣り針が付いている。


沙織「でも、こんな本番の勝負で使うなんて……!」


 無謀にもほどがある。そう言いかけて、沙織は都の境遇を思い出してしまった。

 4四歩パックマンは近年生まれた新戦法だ。


沙織「まさか……」

卑弥呼「うん。……知ってるだろうね。ミヤコの記憶のこと」


 あの男は、霧島都がここ5年間の記憶を持っていないと知っていて、あえて奇襲戦法で挑んできたのだろう。




卑弥呼「まぁ、ミヤコもそこまで迂闊じゃないはずだから気づくと思うけど」

遼兵「あの、どうゆうことか全然分からないンすけど。ヤバいんスか? そのパックマンて」



 この質問は、一概に遼兵の知能が足りていないからだとも言い切れなかった。

 一目見て分からないのがこの罠の恐るべきところなのだ。



沙織「盤面を見てください。先ほどの局面から5三角成り、3四歩、と二手進んでいますよね?」

遼兵「うす」


 そう。

 これが恐ろしい所で、一見すると後手が先走っただけで、先手が良く見えてしまうのだ。



沙織「ここで先手は飛車を取ります。角飛車交換になりますが歩を2枚得していますよね。一歩千金という格言もあるように将棋において駒台にある歩の価値は非常に大きいです」



 モニターでは沙織の解説に合わせるように4二馬、同銀と手が進んだ。


遼兵「本当スね。角飛車が交換されて状況は落ち着いたッスけど、ネエさんが歩を得してますよね」



沙織「はい。そして先手は相手の角成りを防ぎます。でなければ香車と桂馬がタダですので……あ、ちょうど8八銀と指しましたね」

遼兵「なるほど」

沙織「そして、ここがこの戦法のもっとも恐ろしい手です」



 悟の手は分かりきったように9五角打ち。


遼兵「あ、王手ッスね」

沙織「はい。そして、この手の受けが非常に重要です」



沙織「もしも7七銀、もしくは7七桂で受けた場合、角と銀桂を交換される2枚換えに加えて、角成りを防ぐことができません」

沙織「同様に6八飛車、あるいは金で受けても銀桂香が守り切れません」



 沙織の丁寧な説明がかえって恐怖を煽ったのか、遼兵のごくりと唾を飲む音が響いた。




遼兵「で、でも、角のが強ぇんスよね? その成られるってのはヤバいッスけど、銀と桂馬と交換ならどうってことナイんじゃ」



 そう、通常ならばあながち悪いとも言えない。

 事実、高段のプロの間ではこの奇襲は成功したとしても戦況は五分五分だとする者もいる。

 だが、少なくとも今はそうでは無いのだ。



卑弥呼「バカね。これは奇襲だって言ってたでしょ。形式ばった格闘技と違って、この先どんな戦いになるかは全く分からない、未知の戦場なの……ミヤコにとっては尚更」

卑弥呼「もしもアナタが右も左も分からない戦場に一人ポツンと立っていたとして、『たった1発の対戦車砲』と、『沢山の小銃に拳銃、手榴弾』どっちが欲しい?」

遼兵「…………な、なるほど」

卑弥呼「しかも、この真剣は持ち時間も短い。乱戦になった場合、アイツは馬でミヤコの金駒(金・銀)を牽制しつつ、守りを固める。そして逆に自分は奪った桂香でミヤコの囲いに穴を作る気でいる」




 そこまで言って、だが卑弥呼はふうと息を吐く。


卑弥呼「まぁでもそもそも、ミヤコがこんなの引っかかる訳ないけど。さっきサオリが言ったのは悪い例で、実際には8六飛車打ち、もしくは7七飛車打ちで余裕で受かるし」




 そう。

 卑弥呼からすればこんな子供騙しのような奇襲は都ならば初見でも充分に対処できると分かりきっている。



 だからこそ、



卑弥呼「……ぇ?」




 モニターの中で、7七へと細い指から放たれた『銀』に、言葉を失わずにはいられなかった。





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---……


 その一手は、悟にとっても以外であったようで、わざとらしく口笛を吹いて見せるほどだった。


悟「以外だねぇ。受けないんだ。まさか飛車打ちを気づかなかった訳じゃないですもんね」

都「へぇ。『知らなかった』じゃなくて、『気づかなかった』って仰られるんですねぇ。すでに定跡化されていて本来の対策も知られているんですよね、この手筋? 迷いのない指し手を見れば分かりましたよ」


悟「ははっ。凄い観察眼ですね。流石は元女流六冠」


 やはりと言うべきか、悟は全く隠す様子もみせずに肯定した。


都「でも、気づかれると思っていらっしゃったならなぜこの奇襲を?」

悟「先に、俺なりの誠意ということで説明すると、貴方とは初対面です。ただ個人的な事情で棋界の事情は色々調べててね。で、少し気になったんですよ」


悟「貴方の記憶のこととか…………最後に貴方が対局した相手のこととかもね。そう、もしかして、鬼将会だったんじゃないかなって。とりあえずちょっと試させてもらいました」

都「そうでしたか~。でも私もその時の対局の相手は全く覚えていなくて、もう一度その人に会ってみたくて今は全国将棋旅なうなんですよ」


 変わらず、いかにも演技がかったような話し方をする悟に対して、だが都は全く気に留めた様子はなかった。



都「それに……『試させてもらいました』ではなくて、これから試すおつもりなんでしょう」


 話しながらも手は進み、銀、桂馬、香車を根こそぎ奪われた都は5四へ角打ち。

 馬を作りつつあわよくば桂取りを見せる手だが、悟は当然の如く馬を自陣まで引いて桂香を守る。



悟「そういえば、何故飛車で受けなかったのか、聞いていませんでしたね」


都「私も『試させて頂いた』んです。この局面、きっとこの先は定跡化されていないんですよね? なら純粋な力勝負ということです」




---……


 どうにか都も馬を作ることに成功したが、すぐさま銀打ちで追い返されてしまった。


沙織「やはり谷生さんの言ったとおり、5枚の金駒を全て守りに投入してきたわね」


 都の馬はぐいぐいと追い返されて、結局お互いに馬交換となってしまった。


遼兵「でも今度はコマゾンってのをした訳じゃないし、また好きなとこ打てるッスよ?」

卑弥呼「バカね。そんなヒマない。アイツは狙い通りにお互い馬を消したの。そして本当の狙いは……」


 卑弥呼が言い切るまでも無く、悟の玉は入城する。

 城は強固な高美濃だ。



卑弥呼「……」


 対しての都の玉は、いまださらけ出されたまま。これが無限に逃げきれる平原ならばまだ良いが、駒組みもままならない為に窮屈で逃げ場すらない。


 なんとか隙をついて再度の角成りと香取りには成功したものの、奪われた香車と3枚目の銀とが働くせいでこれ以上踏み込めない。

 まさに、卑弥呼の予見した通りだ。



遼兵「さっき言ってた話、良く分かったッス……」

沙織「あ!」


 遼兵がぽかんと口をあける横で、沙織も同様にモニターに釘付けになった。

 悟の桂跳ねからの角打ち、香成りと防戦一方に責め立てられる都であったが、これは更に恐ろしい事態が続くのではと、沙織は脳内で描かれる読みの光景に目を覆いたくなった。 


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卑弥呼「……気づいた? ミヤコも当然分かってるだろうけど」


 だが、これは分かっていても防げない。





沙織「え……えぇ。これは……」

遼兵「な、なんすか?」


卑弥呼「……ジョジョ読んだことある?」

遼兵「……は? いや……あるッスけど」

卑弥呼「稲妻十字空烈刃ってあるでしょ。アレ」


 訳が分からないと頭をかく遼兵であったが、それはすぐに理解へと変わった。

 瞬く間に手が進むと、自然と勝手に飛車が奪われてしまう。



遼兵「あぁ! 飛車が!」



 だが、それだけでは終わらない。

 巻き起こる更に恐ろしい光景に、将棋などミジンコほどにしか理解していないであろう遼兵までもが、青ざめた唇を振るわせる。



 そう、卑弥呼が言葉にした例えそのままに、自然と金銀が左右に分散されてしまう。

 そして、当然の摂理として玉がさらけ出される。



遼兵「マジだ。サンダーなんとかだ……。うっそでしょ……これ……。だ、だって、あ……あのネエさん凄ぇ強いんスよね? ね?」


 まったくもってその通りで、とてつもなく強いのだが、盤上の余りに凄惨な光景に、卑弥呼すらも返す言葉を見つけられずにいた。




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沙織「う、受かってるの?」

卑弥呼「……歩打ちから左に逃げれば延命はできるけど。手順に香が取られるし、下手に7~9筋で頭を出せば終わるね。まぁ、かと言って左下の空間だけで逃げきれる訳ないけど」



 二人にはその言葉が、どう聞いても、頭で何度反芻しても、打開策無しと言っているようにしか聞こえない。

 だが、卑弥呼の目は静かにモニターを見据えたままだ。

 勝負はまだ終わっていないと物語るかのように。



沙織「な、何か逆転の策があるの?」


卑弥呼「まず無理。でも……ミヤコがこの程度で負けるはずがない」



 どこか年相応に不安混じりで発された卑弥呼の言葉を、沙織は逆転を信じる少女気持ちとして、そのままの意味で受け取っていた。

 だがその言葉の、その不安の、本当の意味するところを沙織はまだ知らずにいた。




---……


悟「あらら。なんか勝てちゃいそうだね。じゃあハイ。詰めろ金取り」

都「……」


http://i.imgur.com/LBQrzPd.jpg


 少し前から、悟がいくら喋ろうとも、都からの返事はなくなっていた。

 常人ならとっくに投了している局面で指しているのだから当然だ。



都「……」


 持ち駒で受けざるを得ない詰めろ。

 都の手は虎の子の6七銀打ち。

 当然、悟は桂金交換。




悟「もう受けが無いんじゃない? あーひょっとして、この銀補充して立て直すとか? でもその銀…………あげませんよ」


 ここにきて手は悟は自陣へ手を入れる。

 馬取りの金寄りだ。


 相手の眉間に銃口を押しつけていながらにも、引き金を絞りきる最後の瞬間まで微塵も油断しない。そんな一手だ。


都「……」


 都は当然、3二馬引き。

 ついでに5四の歩に紐がつく。


悟「この中合いの歩がいい仕事してると思ってるんでしょ? じゃあ俺もそれ頂き」



 6八歩。

 守りの飛車道を止める手だ。

 仮に同飛と取れば玉頭への金捨てから飛車をタダで奪われ、玉は上下から挟み撃ちにされることとなる。


都「……」


 都が選んだのは9五桂打ち。

 香車と連携して玉頭を攻める手であるが、真の狙いは別にある。


 この桂馬を討ち取る為には、メインの戦場と関係無い場所で最低でも二手を使わなければらない。

 だが、



悟「この手から見えてくるよね。キミの気持ちがさ。やめて、イジメないで、ってさ」


 悟に動じる様子はない。


都「……」



---……


沙織「さっきの谷生さんの受けも凄いと思ったけど、これは……」


 棋譜を記録に残した上で、よくぞここまで頑張ったと誉め称えたい。

 負けて喜ぶ棋士などいないだろうが、沙織としてはそれほどまでに凄まじい受けだと思えた。


 盤面は進み、都は桂馬を渡す間に銀を手に入れ、早速その銀で飛車道が止まった隙に玉下へ乗り込んできた金を桂馬の犠牲とともにで追い払った。


沙織「……でも、さすがにこれ以上は……」



 元々、沙織には受けなど見つからないほどマズいのだが、今はハッキリどこからどう見ても『マズい』のが分かる。

 やむなしとは言え、悟が桂馬を2枚手に入れてしまった。

 桂馬は将棋の駒で唯一立体機動が出来る。

 すなわち、紙一重で受かっている都の陣地に対して、歩の城壁を飛び越えて援護射撃が可能なのだ。


卑弥呼「……」



 案の定、悟の手は2連続で桂打ち。



 対応しようにもこの桂馬を倒しにいっている間に、玉頭へ攻め込まれてしまう。


遼兵「や……ヤバいんスか? でもさっきまでもヤバいながらも、持ちこたえてくれたんスもんね?」

卑弥呼「……リング上でコーナーの柱を背にしてデンプシーロール食らう感じ」

遼兵「ひぃぃぃ……」

 遼兵が頭を抱えてうずくまっている間に、卑弥呼の予想通りに都の玉はみるみる内に追いつめられた。



http://i.imgur.com/cxvdpXr.jpg


 そしてここにきて、一同を戦慄される最悪の事態が訪れた。


 チェスクロックがデジタル音声による秒読みを始める。


 すなわち、都に残された時間は30秒。

 それを使い切れば、一手10秒で指し続けなくてはならない。




---……


都「……」

悟「粘るねー。でも、もう諦めたほうがいいんじゃない?」

都「……」

悟「ここまで頑張ったら友達も誉めてくれるよ」

都「……」

悟「あと10秒だってよ?」


 悟の声も、チェスクロックの秒読みすらも聞こえていないのではと言うほどに盤面を睨みつける都であったが、



都「……言われなくとも指しますよ」


 十数分ぶりに口を開いた。

 氷のように冷たい声とともに放たれたのは同歩。

 香車が紐付いた歩をそのまま取る一手だ。



悟「へぇ。そうゆう話し方もできるんだ」



 悟は間髪入れずに8六金。




 香車を予め消す手だ。

 当然、都はすかさず同金。

 だが、悟はまたしても間髪入れずに手を放つ。


 9七香打ち。


 間髪を置かぬ連続手で、一手10秒しか使えない都を追いつめようというつもりだ。

 歩が『生かされてしまっている』為、金で受ける他無い。


 
 当然、同香、同玉だが、そこですかさず香車が走ってくる。

 再び王手だ。



悟「俺もネットで将棋してるとさー、よく切れ負けしそうな時にこうゆう指し方されてさ。イラッとして負けちゃうんだけど。やってみると結構気持ちいいよね」


悟「どう? いま?」



 ニヤリと笑いながら語りかける悟であったが、都の返答は意外なものだった。



都「早く指してください」



 これまた間髪入れずに歩で受けられる。



 悟はここにきて、ようやくこの盤上で発生している以上事態に気づいた。

 悟は都に時間を与えまいと間髪入れぬ早指しをしたつもりだった。



 だが、その都すらも10秒将棋になってからは、一手に1~2秒しかかけていない。

 切れ負けのように全体で時間が限られている訳ではないはずだ。


 8秒かけようが9秒かけようが、次の一手にはまた10秒貰える。

 通常は手が決まっても次の手の分も時間ギリギリまで読むものだ。


 誰だってそうする。


 綱渡りの達人だって断崖絶壁に張られたロープは歩いて渡る。

 それを全力疾走で駆け抜けるような道理など、あるはずがないのだ。


悟「……これはこれは、早く指してくださいと来たか。普通は俺の持ち時間も使って、精一杯考えるんじゃないの?」


 ここにきて、思いがけず悟のほうから手を止めてしまった。



 普通は、次に悟がどんな手を指してくるのか、その受けが10秒の間に考えつくのか、不安で仕方がないはずなのだ。

 なのに、この少女はとんでもないことを言ってくる。 


都「考える必要なんてありません。手は盤面が教えてくれます」



 悟は思わず都の目に引き込まれそうになる。


 硝子細工のように澄んでいながらも、日本刀のような一切隠し立てしない切れ味を露わにした、そんな瞳に、強い既視感を感じた。

 そう、まだ彼が幼かったころ、まだ彼が兄と将棋を指していた頃にも、盤を挟んで、この目を見た。


都「こんなことを言うのは失礼とは分かっていますが、早く次の手が指したくて仕方ないんです。早く指してもらえませんか?」

悟「……」



 その兄はいまや、棋界の頂点にまで登り詰める存在となっているのだが。





---……


沙織「……霧島さんの手、妙じゃない? 持ち時間を無くしてから、ほとんど一秒で指しているわ」

卑弥呼「……」

沙織「……谷生さん?」


 この絶望的な局面で、意味もなく一手一秒。

 おまけに迷っている様子もない。



卑弥呼「……盤と同化しているからよ」



沙織「……どうか?」

遼兵「また漫画の例えッスか? フュージョンッスか? ポタラッスか?」


卑弥呼「バカは黙ってて」

遼兵「……ひでぇ」


卑弥呼「やり方は人それぞれいくつかある。有名なのだと、魂も精神も全て諸共に盤の中へ飛び込むとか、自分の中のもう一つの人格を盤と繋げるとか」

沙織「……オカルト……的な?」


卑弥呼「実話よ。これらもデッドラインを越えれば精神が溺れて戻ってこれなくなる。あるいは精神を獣に食われて人間に戻れなくなる」


卑弥呼「でも、ただ使うだけで命を縮める危険な業もある。例えば、盤の前に座っていながらにして心臓の鼓動を、全力疾走並に早める。そうすると、精神が別の領域に入るの。普通に生活していれば、走馬燈くらいでしか拝めない世界が見える。人の器に入りながら、人を越えた存在になるの」



遼兵「ぜんぜん分かんないッスけど、なんか、そんなことしたら……」

卑弥呼「もちろん肉体が死に近づく。だから命と引き替えに教えて貰うの。勝つための手を……ッ!!!」


 どすん、と床が響いた。

 卑弥呼に目を合わせられた遼兵が腰を抜かしたのだ。



沙織「で、でも。そんな話があったとして……」

遼兵「いま、そんな話をしたということは……」


卑弥呼「…………」

遼兵「いや、ここまで言ったんなら言って下さいよ」

卑弥呼「ミヤコはなかでも特別(スペシャル)」


 そんな話の間にも、モニター越しに手は進んでいるのだが、もはや卑弥呼はもとより、沙織にとっても視界の端で終える局面になりつつあった。

 局面は落ち着きつつある。

 ただ一つ異常なのは、延々続けられる都の1秒指しだけだ。



http://i.imgur.com/gyyIJCt.jpg





 いや、違う。常人の感覚で見ればいまだ窮地を脱していない。

 見ているほうにまで、この局面を何でもないと見せてしまう都の一手一手が異常なのだ。



卑弥呼「ミヤコはその両方を持ってしまってる。それはもはや精神を底なしの沼に沈めながら心臓は全力疾走を続けているようなもの」

沙織「で、でも! そんなことをしたら……」


 すぐに受け入れられるような話ではない。


 だが、


卑弥呼「だから、都は無意識の間に自分を守るために、自身の中の魔物を鎖で絡めて檻に閉じこめたの。……記憶もろとも」

沙織「……!!!」


 だが、そう。実際に都の記憶のリセットは原因不明のまま毎月起きている。


 沙織は、はたと対局前のことを思い出した。

 卑弥呼は都が指すことに理由もなく反対していた。

 今思い返せば、あれは理由が無かったのではない。


 言えなかったのだ。


沙織「でも。本人ですら知らないのに、どうして谷生さんはそこまで……それに、それなら霧島さんは将棋から距離を置いたほうがいいんじゃ……」

卑弥呼「もちろん、私も同じだから。命を食わせたこともあるし、この業で同じ業を使う人を殺したこともある」


沙織「…………」

卑弥呼「それに、私たちはみんな生粋の将棋指し。人間である前に棋士であるならば、死ぬまで指し続けるしかないでしょ」



 最後に小さく、「二人しかいない友達の一人だしね」と呟くと、卑弥呼は黙ってモニターへと向き合った。



---……


悟「……」


 先刻まで完全包囲のもとに追いつめていた都の玉は、いまや悠々と広々した平野に身構えている。

 対する悟の玉は銀が1枚の守りを残すのみだ。


悟「こうゆうのは予想してなかったな……逆転は不可能……か」



 だが、不思議とあまり悔しくはなかった。

 あるいはそれは、都の鋭い眼孔が、彼には懐かしさを与えるものでもあったからかも知れない。


悟「最後まで指してもいいかな?」

都「……ええ、どうぞ」



 兄、羽仁真とは長らく将棋を指していない。





 もし仮に今になって指しても、昔のような感覚は得られないだろう。


 
 そして、羽仁悟の推理が正しいのならば、その日は今後ずっと未来永劫に訪れない。




 だから、ほんの少しだけ、懐かしい気持ちを味わった。



 一手指すたびに玉が引きずり出され、あるいは囲いがはがされてゆく。

 だがそれでも、少ない持ち駒を惜しみなく使って合駒を試みる。


 次第に、一手一秒であった都の手が3秒、5秒、8秒と変わってゆくのに気づいた。

 迷っている訳ではない。

 手に取る駒も、指す場所も決まっている。

 ただ、一連の動作が春の風の如く、その場にあるがままに流れ、駒音がオルゴールの如く一定のリズムを奏でていた。





 やがて玉の周りは双方の駒でビッシリと埋まっていく。



http://i.imgur.com/U1pG9An.jpg





 粘りに粘っての20手後、悟の玉はどこにも動けなくなった。




悟「負けました。ありがとうございます」


都「はい。ありがとうございました」





---……



遼兵「か……」

沙織「か……」

「「勝ったーーーー」」


遼兵「す、すげぇッス。将棋! 将棋、すげぇぇッス!!! 俺もやります! 将人さん教えてくれるかなぁ」




卑弥呼「……」


 都へと無言で歩み寄った卑弥呼は、その後頭部を思い切りハタいた。


都「いたっ!! ヒドいですよ卑弥呼ちゃん。せっかく素晴らしい対局の余韻に浸ってたのに……」


卑弥呼「途中危なくなったバツ」

都「はいぃぃ……。無理言って変わって貰ったのに心配かけてスミマセン」



 都はと言えば、対局中の様子がまるで別人かのように、すっかり元通りであった。


卑弥呼「いや別にミヤコの心配なんかしてないけど。あの金髪に対する私のプライドの問題だけど」

都「はい。それでもスミマセン」


 いつもと同じ、ニコニコへらへらと笑う姿にもう一発ハタきたくなったが、分別ある中学生である卑弥呼はぐっと我慢した。




卑弥呼「……そもそもなんでそんなに指したかったの? この真剣」

都「そりゃあ興味ありますよぉ。どうゆうかたが、どうゆう手筋で指すのか。どんな会場で。どんな盤駒なのか」



 聞いた自分がバカであったと卑弥呼をしても頭を抱えたくなる。

 いや、本当の将棋バカは目の前のセーラー服の22歳なのだが。




都「それに、卑弥呼ちゃんがお強いのは分かっていますけど。卑弥呼ちゃんて昔から本気の本気で指すときに、凄く雰囲気と言うかオーラと言うかが怖くなってしまう時があるので……ちょっと心配で」





卑弥呼「…………」


都「……いたっ! 何で蹴るんですかぁ。も~、昔とかわらず乱暴ですね卑弥呼ちゃんは」





 その日、遼兵は喧嘩も最強、将棋も最強の将人への畏敬の念をいっそうに強くした。


 その日、二階堂沙織は紫音に勝てなかった本当の理由を、少しだけ学べた気がした。


 その日、羽仁悟は背負うべき業があるのならば、全てを終わらせたのちに兄とともに背負おうと決意した。




 その日、霧島都と谷生卑弥呼は、これから待ち受ける過酷な運命を、まだ知る由もなかった。




第二局 了

乙、将棋漫画のss、しかもクロスで面白いssだ


すげえ面白い
前も思ったけど作者の棋力相当高いような
少なくとも24で有段ある希ガス


>>231
ありがとうございます

>>232
ありがとうございます
全然ザコですよ。ただ既存の棋譜流用とかはしたくなかったので頑張って考えただけです。



次回は遂に零、紫音、右角、卑弥呼、将人、都の競演です。
それ以外のキャラも入り乱れる大舞台の予定ですのでお楽しみ頂ければ幸いです。

柴音がひなちゃんと仲良くなったり三日月堂で集まったりとか超みたい、みるくさんとか常連になりそう


都vs悟の棋譜です。
前回と同じく、よろしければ。
見どころは>>208のところ。


先手: 先手 / 後手: 後手
手合割:平手

▲7六歩△4四歩▲同 角△4二飛▲5三角成△3四歩▲4二馬△同 銀
▲8八銀△9五角▲7七銀△同角左成▲同 桂△同角成▲4八玉△9九馬
▲5四角△2二馬▲6三角成△7二銀▲5四馬△6三銀打▲6五馬△6二玉
▲6六馬△同 馬▲同 歩△7一玉▲4四角△8二玉▲1一角成△3三桂
▲2二馬△5一香▲2三馬△4五桂▲5八香△6七角▲6八金△5七香成
▲同 香△3七桂成▲同 桂△3六桂▲5九玉△4九角成▲同 玉△2八桂成
▲同 銀△6七歩▲同 金△4三飛▲4一馬△4七飛成▲4八歩△3八金
▲5九玉△4八金▲6八玉△5八金▲7七玉△5七金▲同 金△同 龍▲6七金
△4七龍▲5七金打△3八龍▲5八飛△4九龍▲8六香△5六歩▲同金左
△5二香▲7五桂△7四銀▲5四歩△7九龍▲7八桂△7五銀▲同 歩△6四桂
▲6七銀△5六桂▲同 銀△5一金▲3二馬△6八歩▲9五桂△8八金▲6七銀
△9四歩▲4三歩△9五歩▲4二歩成△7八金▲同 銀△6四桂▲6七銀打
△5五桂▲8九金△同 龍▲同 銀△5六歩▲7八銀引△7六金▲8八玉
△6七金打▲同 金△同桂成▲7九金△7七金打▲9九玉△9六歩▲同 歩
△8六金▲同 歩△9七香▲9八金△7八金▲同 金△9八香成▲同 玉
△9六香▲9七歩△同香成▲同 玉△9六歩▲同 玉△9五歩▲同 玉△8四銀
▲9六玉△5八成桂▲5三歩成△同 香▲5一と△9九飛▲9八銀△7六金
▲同 馬△同 桂▲8九金△6九角▲7九香△7八角成▲同 香△9五金
▲8七玉△8九飛成▲同 銀△8六金▲同 玉△6三金▲7一角△同 玉
▲6一金△同 銀▲同 と△同 玉▲4三角△5二角▲4一飛△5一金
▲5二角成△同 玉▲4三角△6二玉▲6一金△7二玉▲9二飛△8二角
▲7一金打


電王戦は見たのかな?

>>234
すみません、ほのぼの系は昔から苦手で書こうとすると勝手に不条理ギャグになるので無理です

>>237
見ましたよ。今回はドラマチックで良かったですよね


第三局


時系列

ハチワン:最終回直前~最終回最中(ネタバレあり)
3月のライオン:9巻終了時点(ネタバレあり)
しおんの王:原作終了後(深刻なネタバレあり)
盤上の詰みと罰:1巻終了時点(独自解釈あり)
真剣師将人:原作終了後(ネタバレあり)

今回はオリジナル設定多めです。


このSSに登場する団体、人物はフィクションであり、実在の団体、棋士とは一切関係ありません。




 一般にはあまり認知されていないが、拘置所の中というのは意外と束縛されていない。


 牢屋の中で鎖に繋がれて、ということも勿論なく、面会人に会う際にも
手錠はされない。

 というのも収監者たちがいる区画と外へと通じる区画とは暗証番号式のドアに、指紋認証ドア、更に厳重な警備で何重にも隔たれている為、独房の鍵以外は拘束の必要など一切無いのだ。


 当然アメリカのドラマのように計画を練ったところで、脱獄するなど全く以て不可能だ。


 紫音の両親を殺害した罪で裁判終了を待つ未決囚である羽仁真もまた、独房で退屈な日々を過ごしていた。


真「4七金」


 故に、今日も看守を相手に目隠し将棋で暇を潰している。



看守「3九銀打」

真「同馬」

看守「……」


 手合いは真の2枚落ち。すなわち飛車、角無しのハンデだ。

 目隠し将棋が指せるほどの手練れ同士での対局でありながらも、まだそれほどのハンデが必要。


 そしてそれでいてなお、


真「……長考の必要はない。七手で詰みだよ」


 真の圧勝で終わるほどの対局であった。


真「これで私の5連勝。次は6枚落ちにするかい?」

看守「いえ、今日はこれくらいでご勘弁を。手前程度の腕では何枚落としていただいても羽仁九段にはご無礼でしょう」



 加えて言うならば、この看守ほどの手合いならばはっきり分かる。

 これだけの力の差を見せながらも、真はいまだにまったく本気ではない。



真「しかし、もう差し入れの小説も二度も読み返してしまったからね。あぁ、この吉村昭の『敵討』はなかなか面白い作品だった。キミも読んでみるといい」

看守「はぁ……」


 勿論、判決が終わって刑務所へ移送されればこんな退屈がずっと続くことになるのだが、実際のところは真も本気で退屈していた訳ではない。

 本気で過去の対局を一つ一つ思い返せば20年は潰せる。


 故に、いま彼が欲していたのは単なる時間つぶし。

 待ち合わせに少し早くついてしまった時に、スマホをいじったり、短編集の文庫本を取り出したりする程度のあの感覚だ。


 そして、対局は思ったよりもキリ良く終わっていたようで、遠巻きに鉄扉が開かれる音が聞こえた。



看守「羽仁九段。お時間のようです」


 看守によって独房の扉が開かれると、そこには別の看守が四人並んで立っていた。

 三人は真も何度か見かけた顔だが、一人は見慣れぬ顔だ。

 制帽からこぼれる赤毛の長髪から、看守らしからぬことは一目に分かる。





氷村「どうも。お迎えにあがりましたよ、羽仁九段。いえ…………ボス」
 





---……


 ニュースにワイドショー、新聞、そのいずれもが同じ見出しを飾った。


【元名人・脱獄】


 日本中、いや世界中の誰しもがそれに注目したが、とりわけ棋士たちにとっては特別である。

 そして安岡紫音とっては、それは『なおさら』を幾つ重ねても足りないほどだ。


 それから一ヶ月、紫音はこれでもかというほどに大切に扱われた。

 外出は最低限。出かける際には父か警察の護衛付き。


 本人としては不要であるという主張もしたのだが、認められるはずもなく、多少マシになるまでの一ヶ月はなんだか息苦しい思いでもあった。

 そう、周囲は紫音が再び狙われるのだと思っていたのだ。


 だが、事件は思いも寄らぬ方向へ進むこととなる。



 羽仁真脱獄の一件の後は、昼のニュースの度に将棋会館のテレビは皆が群がる大人気ぶりであった。

 その日もニュースの内容にあーだこーだと言いながら老若男女の棋士や職員が集まっていたのだが、




司会『……と言うことで、元名人脱獄の続報でした。続いては、ご当地グルm……え? なになに? どうゆうこと?』


 なにやら画面越しに写るワイドショーの司会の男性の様子がおかしい。



二階堂「なにやら様子が変だな。NGというやつか? NG集か?」

零「なんだよそのテンション。予定と違ったとか?」


久谷「いやこれ、ADのカンペに何か書いてあるんじゃないですかね。ほら。カメラの右下あたりみて不思議そうにしてる」


 久谷に言われてみれば確かに、テレビの中の中年男性は何か指示を出されて理解できない、という様子でいる。


 そうこうしている間に、テレビ画面は司会の男性から変わって、女性アナウンサーへとパンしてしまった。



三角「お! 松来アナじゃん。去年の夏のジュニア龍華杯の放送で見てから結構ファンなんだよね。可愛いよね?」

零「はぁ」


アナウンサー『はい。本来は別のコーナーのお時間ですが、今日は皆さんに重大発表があります!』


 画面の後ろでは何やら騒ぐ司会者がついにスタジオから数人のスタッフによってつまみ出されてしまった。


アナウンサー『突然ですけど、皆さん将棋はお好きですか!? あ、今も羽仁九段のニュースだったから突然でもないのか』


アナウンサー『私は昨年の女子全国大会の実況をして以来ハマってしまって、まぁ今や将棋人口は世界で30億人で……え? あ、早くしろって。すみません。ということで皆さん、今から中継先へ映像を繋ぎまーす!』



 なんだかちょっとアホっぽいアナウンサーだが、やはり少し番組の様子がおかしい。

 なんだこりゃと言いながら視聴していた棋士たちも、徐々に不安な様子を示し始めた。


 そして次の瞬間、うち数人は背筋が凍る思いとなる。



アナ『では中継先の氷村さーん』

氷村『はいはい。皆さんどうもこんにちは。…………真鬼将会です』


零「……!!」

二階堂「……!!」


氷村『はい。いまTBSからの中継が繋がったので、これで地上波は全局で中継させてもらっていることになります』


零「!?」

久谷「……ちょ! チャンネル変えますよ!!」



 あわててチャンネルをいじり回す久谷であったが、


氷村『楽しみにしていた』

氷村『番組のコーナーが』

氷村『潰れちゃった人や』

氷村『午後のロードショー中だった人は』

氷村『ゴメンナサイね』


 どのチャンネルを回しても、出てくるのは同じ男の顔だ。



二階堂「な……」

零「……なんだよ、これ……」


氷村『皆さんもう鬼将会に関する説明は不要ですよね? さて今日は我々からの重大発表を聞いていただきたく、午後のお忙しい時間を頂戴してます』

氷村『かつての鬼将会ビルの崩壊から早6年、今日、今この瞬間に!! 我々、鬼将会は真鬼将会として復活します!!』

氷村『あっ! なぜ、こんな放送が可能なのか疑問に思っているかたも多いと思いますが、今や真鬼将会の正規構成員は世界中で5000万人に到達しています』

氷村『スパイ映画の世界ではありませんが、テレビ局の職員や、学校、政府、病院、アイドルなどなど、真鬼将会はどこにでもいますから。そう、看守とかにもね』


 氷村のその言葉にテレビの前の誰しもが、ゴクリと唾を飲んだ。



氷村『まぁ、何が言いたいかは皆さんのご想像にお任せします。で、復活した真鬼将会がみなさんにお送りするビッグエンターテイメントは、生唾ものの極上の将棋バトル』

氷村『我々はここから逃げも隠れもしません』



 氷村の声とともにカメラがぐいっと広角になる。

 映った場所はカラフルな看板や無数のアトラクションが見える。

 遊園地だ。だが、普通と違うのは、至る所に将棋の文字や、駒の絵が描かれている点だ。



二階堂「これは、SHOGIランドではないか」

久谷「あの世界初の巨大将棋テーマパークっていう?」

零「確か、来月オープン予定だったよな?」

二階堂「うむ。ウチの家や、二階堂女流の家も出資している。他にも羽仁悟氏や多数の大企業がスポンサーになっているな。運営は至ってクリーンな企業のはずだったが……」


 奇しくも6年前の鬼将会事件によって火が付いた将棋ブームに併せて、関東郊外へ建設されていた遊園地だ。

 一般的な遊園施設は勿論、棋力に合わせて楽しめる100を越える将棋アトラクションが売りとなる予定の巨大テーマパークである。



氷村『そう。SHOGIランド。我々はここから逃げも隠れもせずに、専用チャンネルで極上の将棋バトルを配信し続けます』

氷村『もちろんここは将棋テーマパークですから、チャレンジャーはいつでも募集中です。我こそは、という棋士の方々は是非、24時間受付してますから、いつでも挑戦をお待ちしています』


氷村『あぁ、おエラいさん方はくれぐれも、力づくでコトを納めようだなんて考えないでよ? 逆に痛い目をみるのはそっちだからね』

氷村『それでは皆さん、良い将棋を』



 映像が元のテレビ局に戻るが、出演者が半分ほど消えており残った者たちも右往左往するばかりだ。カメラも動かず、テロップも音声も設定されていない。

 番組のジャックを手引きした鬼将会メンバーがすでに逃走を図ったのだろう。



零「……」

二階堂「……」

久谷「……」

三角「……」


 しばらくは、誰一人として口を開けずにいた。



---……


真「見事な演説だ」


 中継を終えた氷村とともに、地下施設へのエレベーターへ入ると真は満足げに微笑んだ。 


氷村「いえ、今はまだただの楽しいお祭りですからね」


 そう。本当に盛り上がるのはまだまだこれからだ。

 氷村と真、そしてその周辺のごく一部のものだけが知る真鬼将会の本当の目的。

 それはかつての鬼将会の意志を引き継ぐものでもあった。



真「石渡紫音と、中静そよ。私と彼の実験はどちらも成功と言えるものだった。大切な者を奪われることで、人間は修羅をも超えることが出来る」


 そう。かつてあの谷生でさえも、計画しながら実行に移すことができなかった、計画の最終段階。

 すなわち、世界同時多発核攻撃。



 地球の将棋人口が42%を越えた現在、核の炎に包まれたあとの世界を支配するのは伝説の拳法ではない。

 それを成すのは、将棋だ。


真「各国政府への通達は?」

氷村「中継と同時に完了しています。わんさか刺客が送られてくるでしょうね」

真「将棋人口30億人の内、各国から刺客として送られてくるのが百万人。実際に足る棋力を持っているのは……100人と言うところか。骨が折れるな」


 実のところ、この鬼将会の本当の目的は現在の日本国総理大臣には知られている。


 かつてイチ議員に過ぎなかった頃に彼は将棋コロシアムでの出来事をその目で目の当たりにしているのだ。

 だが、そうとて他の国々に「鬼将会は世界中に核を散蒔くつもりでしたよ」などと言えるはずもない。


 そして、そんな国家の思惑が働く内に着々と力を蓄えた鬼将会は、いまや完全復活を遂げた。



氷村「大丈夫ですよ。たかだか数百万の刺客など、真鬼将会には有象無象でしょう」


 ここでようやく、エレベーターの扉が開く。

 現れたのは東京ドーム数個分に及ぶ、だだっ広い地下施設だ。

 そして、その敷地全てが鬼将会構成員で埋め尽くされていた。


氷村「かつての鬼将会には独立将棋国家がありましたが、今はもう国家には止まらない。貴方はここから世界を取るんですからね」


 真としては、世界など何一つ興味は無かったが、そこで生み出される混沌と修羅には大いに興味があった。いや、興味というよりも渇望していた。

 熟成を経た極上のワインの如き復讐者の味わいを知ってしまった今だからこそ、なおのことに羽仁真の愉悦は、渇きが絶えなかった。



氷村「ではひとつ、集まった兵たちに挨拶してあげてください。ボス……いえ、羽仁鬼将」

真「鬼将?」


氷村「漫画とか映画でもあるじゃないですか。下の者たちには分かりやすい記号が必要なんですよ。魔王とか、帝王とか。あるいは四天王とか三幹部、十本刀、十二神将のように」



 気づけば四人の人影が並び立っている。


 羽織ったマントと、鬼の面で姿は伺い知れないが、漫画や映画などと無縁の真でも氷村の言わんとしていることは理解できた。




氷村「こちらはそれぞれ鬼龍、冥人、鬼王、鬼聖……。貴方とともに世界を変える方々です。彼らには谷生と貴方の全棋譜を並べて頂いています。そこらの腕自慢程度では何千人が束になっても相手にならないでしょうね」


 ご丁寧に鬼の面の、額から左頬にかけてタトゥーのように各々の名前が書かれている。中々に達筆だ。

 格好こそアメコミに出てくる日本の悪役のようだが、氷村の言葉は本当だ。

 武術の達人が相手の立ち姿一つで実力を推し量れるように、真にもまた彼らから滲み出る棋力がハッキリと見て取れた。



氷村「では皆さん。せっかくなんで、国民に挨拶してあげて下さい」


真「フッ。ヒトラーにでもなった気分だな」


鬼龍「……」


冥人「……」


鬼王「……」


鬼聖「……」




 五人が壇上へ立つと、広大な地下施設に、割れんばかりにの歓声が響いた。





---……


 またもやではあるが、世界を揺るがす大事件だ。

 過去に嫌と言うほどに辛酸を味わされた政府はすぐに対応策を講じた。



 放送が行われた翌々日。

 警視庁から腕利きのSATと自衛隊から特戦群を選出し、すぐに将棋ランド改め鬼将会ランドへ突入させた。

 幸いにも郊外で一般人を巻き込む心配はない。

 勿論、鬼将会が銃弾を刀で切り払うような怪物や世界最強の格闘家を擁していることも、今回は知っている。


 突入作戦は万全の対策で決行され、そしてすぐに終わった。最悪の結果で。

 突入した者たちが見たのは、将棋が持つ魔性の魅力に憑かれて誘蛾灯に魅せられるかのように鬼将会へと自然に集まった、世界中の軍人、特殊部隊、傭兵たちによる混成多国籍大部隊であった。

 最新鋭の装備で武装した多国籍軍を相手に突入チームは100人以上の死傷者を出して撤退を余儀なくされた。



 さらに翌日、自衛隊基地から飛び立ったアパッチ戦闘ヘリが鬼将会ランドへ向かったが、地対空ミサイルで撃墜された。



 さらに翌日、米軍基地から駐留していたジェット戦闘機ラプターが多数発進したが、鬼将会ランドからスクランブル発進した4.5世代ジェット戦闘機に全て撃破された。




 ここにきて、各国政府の重鎮はようやく気づく。

 鬼将会はもはや、世界中の富豪や要人を身内としているのだと。

 思えば、世界的な将棋ブームの火付け役と言えば始まりは何もかも鬼将会だったのだ。

 世界的には将棋と言えば鬼将会。

 ましてや金も権力も持て余している悪趣味な資産家たちが鬼将会に興味を示さないはずが無かった。

 そう、ここに来て、ようやく気づいたのだ。


 自分たちが戦争の相手にしているのはテロ組織などではなく、世界の半分であると。

 そしてさらに翌日、CIAとSVRによってアメリカとロシアの国内将棋チャンプが連れてこられたが、鬼将会ランドへ入園した一時間後に連絡が途絶え、その後行方不明となった。


 かくして、一週間の後に国連理事会より正式に日本将棋連盟へと真鬼将会の野望を阻止すべく依頼がされたのであった。


今回は対局まで少し長めです。

ちなみに松来アナは駒ひびきのキャラクターです。



 前回の鬼将会事件と同様に、会長の神宮寺の指揮のもと、立候補者を募っての作戦となったのだが、これがまた、全く集まらない有様であった。

 未成年者はもともと除外されていたこともあるが、ベテラン棋士達はアマを相手に万が一にも敗北する可能性に二の足の踏み、若手棋士たちは純粋に鬼将会という裏社会の象徴に恐れをなして、とにかく全然集まらない。


柳原「情けねぇなぁ。若ぇもんが揃って二の足踏んじまって。徳ちゃんよぉ。やっぱりここは俺が……」

神宮寺「いやいや。6年前の事件見たでしょ? 朔ちゃん崩れるビルから脱出とかできんの?」


柳原「そりゃお前、還暦前の思い出作りによ」

神宮寺「いや、だから朔ちゃん66歳だからね? 還暦どころか古稀だからね? 朔ちゃん本人のことも心配だし、対局中にぽっくりいっちゃったら、他のメンツの指揮にも関わるからね」


柳原「ぐぬぬ……」


 棋匠のタイトルホルダーであり元名人でもある柳原朔太郎。

 自他共にまだまだ現役と認める存在ではあるが、やはり裏の真剣に立ち向かうとなれば、周囲の反対も大きかった。

 最終的には、かろうじて集まった別の棋士たちによって鬼将会ランドへの突入チームが編成される運びとなった。



 だが、それとは全く別の場所で、全く別の思惑がによって、若者たちが動いていたことを彼らはまだ知らない。




---……


 真鬼将会の放送でそれどころでは無くなったのか、紫音の身辺警護はパッタリと無くなってしまった。

 もっとも、紫音からすれば過剰な警護自体が有り難くも息苦しかったので、ちょうど良くもあったが。

 そもそも、羽仁真が逆恨みで現れるなどありえない。


 紫音には分かる。


 そう。彼と再び出会うことがもしあるのならば、それはきっと盤を挟んでだ。

 だからある日、人気のない路地から氷村が現れたのを見てもそうは驚かなかった。



氷村「やぁ、紫音ちゃん。久しぶり」

紫音「……! ……お久しぶりです」


 氷村の振る舞いは上手いもので、本気で警戒するほど近づいてはこないし、物腰は柔らかい。

 相変わらずセールスマンのような男だ。



氷村「お、声! 喋れるようになったんだ~。おめでとう」

紫音「……氷村さんは真鬼将会なんですね?」


 ゆえに紫音がまったく油断を見せないのは、氷村の振る舞いとはまた別の要因であるとも言える。


氷村「おぉ。直球だね! スパッとした女の子はモテるからね~」

紫音「あの人は、真鬼将会にいるんですか?」


 羽仁真が怖くないと言えば嘘になる。


 安岡紫音は、漫画やアニメのスーパーヒーローではない。ごく一般的な中学生の少女だ。

 殺人鬼と相対するなど、本当は嫌だ。


 だが、分かる。『そうしたい』とか『そうしなければならない』では無く、彼とは必ずまた会う。


 
氷村「とてもいい質問だ。でも、答えは『答えられない』だ」

紫音「……」

氷村「だから今日は、招待状を持ってきたんだ。自分の目で確かめてみると良い」



 そう言って、氷村はレターサイズの封筒を差し出してくる。


氷村「言うまでもないだろうけど、ひと気のないところで見てほしいかな。まぁその様子じゃ招待状は必要なかったかも知れないけど」

紫音「……」


 以前に会った時はお喋りな性分の男と思ったが、今日は言うことだけ言って去ってしまった。

 そもそも、この場がひと気のない場所なので早速封筒を開けてみる。 



紫音「……え?」





 手紙とか、形式ばった招待状とかそういったものが入っていると思っていた。


 だが、中から出てきたのは写真だった。

 後ろ手に縛られた短髪の少年。背後には『鬼将会ランドへようこそ』の文字。




紫音「……歩くん!」




---……


零「な……なんだよ!! なんだよ!! なんなんだよ! この写真!!!」


 招待状と言われて受け取った封筒から出てきた写真に零は激しく狼狽した。

 写っていたのは、知った顔であった。


 手首を縛られて、ムッツリ顔でカメラを睨む女性。


 他人ではない。

 家族、かどうかは分からないが……それでも他人ではない。



零「なんなんだよアンタら!! 他人の人生にズカズカ踏み込んでっ!! なんだってんだよ!!」

 
 すでにこれを渡してきた男はいない。



 零には義姉の写った写真をグシャグシャに握りつぶして、氷村の消えた路地へ怒鳴りつけるほか無かった。




---……
 

 すでに何人かに招待状を渡して回った氷村であったが、今回狼狽えさせられたのは彼の方だった。


氷村「あ!! ちょっ!! せめて俺が立ち去ってから開けてくださいよ!」


 面白いことは好きでも、面倒なことは好まない氷村としてはこのパターンは有り難くなかった。

 まして、相手が彼女であるのだから。


卑弥呼「なんのつもり?」


 氷村としては卑弥呼は味方に引き入れたかった。


 だが、今でも谷生の名に敬意を抱くものほど、その想いが強いほどに、真剣を捨てプロ棋士の道を選んだ卑弥呼を好意的に見ないものも多い。


 最たる例は明太だ。彼の場合は嫉妬も大いにあるのだが。

 ともかく、ありていな言い方をすれば、裏の将棋ファンにとっては彼女の時代は終わっていた。


氷村「いやー。俺としてはですね……ぶごぇっ!!」

卑弥呼「……」



 氷村を殴り飛ばすと、卑弥呼は受け取った写真をグシャリと握りつぶす。


 映っていたのは彼女の二人しかいない親友の一人、斬野クルだ。



---……

 
 そして、政府も、将棋連盟もまったく意図しないところで彼らは鬼将会ランドへと集まった。


 意図して集合した訳ではないが、お互いの表情を見れば同じ立場なのだとおのずと理解できる。


零「もしかして、安岡さんも?」


 桐山零。五段。元史上五人目の中学生棋士で本年度新人王。


紫音「はい。歩くんが……」


 安岡紫音。四段。史上二人目の女性プロ棋士で史上六人目の中学生棋士。




零「彼が……右角さんもですか?」

右角「いや、俺の連れ合いは強いからな。ただ嫁の上司の妹がやられた。あと大して親しくはないが、知人の漫画家が拉致られた」


 右角ヒサシ。万物を貫き、万人を魅了する無敵のショーギモンスター。


卑弥呼「……」


 谷生卑弥呼。四段。史上三人目の女性プロ棋士であり旧鬼将会首領の娘。


右角「アンタもか?」

将人「あぁ。女をやられた……」


 桐生将人。獅子の血を引く裏真剣界の最強棋士。



 見送るものは無く、死しても骨を拾う者も居ない。


 だが誰にも知られることなく、いま五人の棋士は今世紀最大の戦場へと突撃した。




---……


零「どこから入ればいいんだろ?」

右角「どこって、入り口じゃないか? あそこにあるぜ」

紫音「でも、このあいだニュースで見ましたけど、あそこで自衛隊の人たちと鉄砲撃ってましたよ」



 ふと地面を見ると至る所が数センチ単位で抉れている。

 真っ当な神経を持つ一般人の零としては正直チビりそうなほど怖い。


零「……近づかない方がいいんじゃないですかね」

将人「……」


 だが将人がグイグイ先頭を進んでしまうのでなんだか引き返すのも気が引ける。


 衝撃的なことだが、一般的な遊園地と同じように受付ゲートで普通にお姉さんに出迎えられて入園することとなった。



受付嬢「いらっしゃいませ」

零「ど、どうも」


 ベストとキュロット姿の、遊園施設でよくあるあの装いだ。


将人「おい! 栞はどこだ?」

受付嬢「真っ直ぐ進んで頂いて一番奥の建物から地下へのエレベーターに乗って下さい。途中で気になるアトラクションがあればご自由にお楽しみ下さい」
 


 並の女性なら何も言えずに泣き出すほどの形相で将人が凄むが、受付の女性たちは皆何食わぬ顔で対応してくる。


将人「……そんなヒマはねぇ! あのロン毛を連れてこい!! 俺はオマエラのくだらねぇ遊びに付き合ってやる気はねぇんだよ。俺と指したいならいつでもやってやる。だが栞は関係ねぇんだよ!!」



 構わず受付嬢の胸ぐらを掴み上げる将人であったが、女性はそれでも表情一つ変えなかった。
 

卑弥呼「やめなさい。ソイツはただの兵隊よ。そこにいる数人でアナタ以外の全員を皆殺しに出来るし、アナタもただじゃ済まない」

将人「……」


卑弥呼「喧嘩自慢ならジョンス・リーくらい知ってるでしょ。ソイツら、全員弟子だから」



 純然たる一般人の零と紫音にはその名が何を意味するのかは全く分からなかったが、将人は舌打ちと共に手を離した。


エアマスターで勝ち取った人気をハチワンダイバーで溝に捨てた
キャラがいるらしい

>>269

受け師さんと戦ったトコとか格好良かったと思いますけどね
最後の三つ巴デスマッチも



---……


 結局、元から選択の余地は無かったようで、一行は言われたままに進むほか無かった。



零「谷生さんは鬼将会のことにも詳しいんですよね? ……どうしてこんな……」


 史上三人目の女性プロ棋士であり、史上七人目の中学生プロ棋士、谷生卑弥呼。

 その出自はファンや棋界関係者なら大半の人間が知っている。



卑弥呼「どうして、って? 鬼将会がなんでこんなコトしたかってコト? それとも鬼将会のはずの私がアナタたちと一緒にいるのかってコト?」

右角「たぶん大丈夫だよ。さっき俺が話した、拉致された嫁の上司の妹ってのは彼女のツレでもあるからな」

零「あ、いや」


 もちろん零としても疑ってかかる気などない。知りたかったのは前者だ。


紫音「いえ。たぶん桐山さんは鬼将会がどうして私たちの大切な人を連れ去ったかということを仰りたいんじゃ」


 すかさず、うんうんと頷く。



卑弥呼「旧鬼将会の表向き目的は、鬼将会がプロ棋界へ取って代わること。そして将棋の爆発的な世界普及。二つ目は結果的に達成された」

零「……」

将人「……」

卑弥呼「でも、その二つの目的を成すだけなら、アレは必要なかったはず」

紫音「アレって?」

卑弥呼「核ミサイル」

右角「……まぁ、そうだな」


 そう。鬼将会の裏トーナメントが世界中に放送されたあの夜、鬼将会ビルから打ち上げられた謎の物体によって夜空が真っ白に染まったのだ。

 その光景はその場にこそ居なくても誰しもが見ていたし、その頃地下にいた右角は殺されかけていた。


卑弥呼「あれは旧鬼将会の裏の目的が関係しているから」

零「う……裏の目的?」


卑弥呼「将棋による世界統治」


右角「……」

卑弥呼「でもどんなに将棋が強くても、銃で撃たれて爆弾で吹き飛ばされればヒトは死ぬ。だから世界中の武力が邪魔だったの。それを排除する為に核で世界中の軍基地や鬼将会に賛同しない国の政府組織を吹っ飛ばすつもりだった」


将人「大それた計画なこったな」

卑弥呼「それでも実際に半分は達成されてるけどね。将棋は世界中にバラ撒かれたし、当時も中東、欧州方面の半分は味方に付けてたし」

零「そ……」

紫音「それは流石に言いすぎなんじゃ……?」


卑弥呼「再来年東京オリンピックあるでしょ? アレって今の総理大臣が雇った真剣師が将棋で勝ち取った権利だから。指したのはあの冴えない顔の、アンタのトモダチ」

右角「あぁ、アイツなら何に首をツッ込んでいても驚かないが」


卑弥呼「それに、このあいだのニュース見たでしょ?」


 滅茶苦茶だと言いたいのは山々だが、先日目にしたばかりのニュースや新聞を思い出す。


 大手テレビ局はどこもスタッフの3割が鬼将会であったし、零は軍隊や兵器のことはよく分からないが鬼将会ランドの兵士の装備や戦闘機はどうやら欧州や中東の最新モデルであるらしかった。



卑弥呼「恐らく真鬼将会は、その目的を引き継いで行動している」

将人「メガネの質問に対して答えになってねぇぞ。それと栞たちを拉致ったコトになんの関係がある?」


 苛立つ将人の問いはもっともだ。

 そんな物騒な話はハリウッドの中でやれば良いのであって、健全な表の棋士たちには、まぁ全くとは言わないがほぼ関係ないはずだ。


 だが、卑弥呼は肩をすくめてみせる。


卑弥呼「基本的には将棋の普及に前向きだから。奇天烈な将棋ショーで注目を集めて、認知度を更に上げる為」

卑弥呼「きっと将棋会館からはもう代表者が選出されてる頃。でも正義棋士軍団だけじゃ物足りない。で、私たちは前座のゲストってワケ」


 言い終えて、だが卑弥呼は一呼吸の後に改めて口を開いた。


卑弥呼「ただし。本当の目的はきっと大義名分のため」


将人「あん?」

卑弥呼「ニンゲンは例外を除けば基本的には平和なイキモノだからね。ミサイルなんかじゃカリスマ性は保てない」

卑弥呼「だから真鬼将会はきっとこう言うの。『表の棋士たちは敗北しました。キミたちの代表者が負けたからミサイルを撃ちます』って」


紫音「……でも、そのくらいじゃ……」


卑弥呼「うん。政治家も評論家もミンナがミンナ詭弁だ方便だって言う。でも将棋を指すヒトたちは、本能が理解してしまう。プロ棋士の……表の世界の、敗北だって」

卑弥呼「誰だって悟空たちがセルに負けた後の世界なんてワザワザ想像しない。アベンジャーズがチタウリに敗北してロキも殺されたあとの結末なんて考えない。でも、プロ棋士が負けたら、想像しちゃうの。新しい世界を」


 誰も卑弥呼の話を揶揄したりはしなかった。

 四人の喉がごくりと鳴る。


卑弥呼「そして、いまや世界の人口の半数近くが将棋指し。わかるでしょ? ただミサイルを撃つだけよりも、敗者へ向けて撃つ方が何倍も内外へ効果がある」


 人質さえ居なければすぐにでも逃げ出したい話だ。


 だが、沈黙を最初にや破ったのは紫音だった。


紫音「でも卑弥呼さんの話だと、私たち若しくは連盟のチームが真鬼将会に勝てば、あの人たちは大義名分を失うっていうことだよね?」



 かつても零は彼女の言葉に勇気づけられたことがある。

 スケッチブックに書かれた文字ではなく、彼女の口から、彼女の声で紡がれたその言葉は、やはりかつてのように一行に希望をもたらしてくれるものだった。


卑弥呼「そうゆうコト♪」

将人「最初からシンプルに言えよ」


 やってやると言わんばかりに将人が拳を掌へ叩きつける。

 嘆いても、祈っても、誰も助けてはくれないし、悔しいことに逃げても自体は好転しない。


右角「いい顔じゃないか。初めて会った時とは別人だ」

零「……どうも」



 偶然か必然か氷村によって強制的に集められた五人ではあったが、お互いの実力は知ったものだ。


 プロ棋士の三人は元より知った間柄であるし、紫音と零は右角と将人の激しい攻防をその目で見ている。

 卑弥呼もまた、右角の実力は6年前に見ているし、流血もはばからず路地裏での対局に応じた将人のこともそれなりに評価している。



卑弥呼「ま、私が全部ブッ潰してあげるから」

将人「……そういえばアンタ」

卑弥呼「ん?」

将人「あの時、俺の代わりに指したって女はどうした?」



 あの日の真剣は遼兵が貰ってきた棋譜で見聞きしていた。

 都の人間離れした追い上げも当然知っている。


卑弥呼「さぁ。もともと月一回、東京に戻ってきたときにしか会わないし。知ってれば喜んで来るだろうけど、それはそれで面倒だし」


 そうこうしつつ歩いているうちに、受付で言っていた一番奥の建物とやらに何事もなく到着した。


 将棋駒を象った、いかにもなデザインだ。

 


 
紫音「あんまり大きい建物には見えませんね」

零「ああ。たしかエレベーターに乗れって……」


将人「行くぞ」


 将人によって勢いよく扉が開かれると、そこにはエントランスが広がっていた。


 だが案内板もなければ受付嬢も居ない。

 真っ白い壁と床があるだけだ。


 いや、正面にはエレベーターらしき扉があった。

 ただし、ボタンも液晶も見あたらず、おまけに横並びに五つもある。


紫音「誰もいないですね」

零「うん。てっきりまた、受付の女性か氷村がいるのかと思ったけど……」


『いやアイサツしにいきたいのは山々なんだけどね……』


 零が言い切るが早いか、天井のスピーカーから声が響いた。

 もはや聞き慣れた男の声だ。


 

氷村『ただ俺がそこに行くとさ~、キリュウくんに半殺しにされちゃうからさ』

将人「ふざけろ。テメェは半殺しじゃあ済まさねぇ」

氷村『ほらね。……はいじゃあ、今日皆さんにお越しいただいたのはですね……』


 案の定の将人のリアクションも予想していたのか、気にした様子もなく氷村は話を続けた。

 だが、それすらもすぐに遮られた。


卑弥呼「別にいいわ。どうせ連盟と政府が組織した討伐チームだけじゃ世間に対する盛り上がりに欠けるからでしょ」

氷村『いや、言わせてくださいよ……』

卑弥呼「放っておいても来るであろう森根銀四郎や中静そよとは別で、アナタたちに対する敗北者が必要だった。最終的に世界に対して真鬼将会が勝利者であるという大義名分を発信するために表と裏それぞれで名の売れた棋士を集めたっていうコトでしょ」


 まさしく先ほどまで卑弥呼が話していた通りだ。


氷村『ちょっ! ホントに、ちょっと!! 最後まで言わないでくださいよ』



卑弥呼「でもさ、可笑しいよね。それって、私たちが負けると思ってるってコトだもん。私たちに勝てる自信があるってコトだもんね? 可笑しいよね?」


 零としては怪物じみた強さを誇る真剣師の猛者たちとどこまで戦えるのかは、自信に溢れる訳ではなかったが、確かに卑弥呼の言うことには一理ある。


氷村『それも正直答えると、卑弥呼サマ……じゃなかった。卑弥呼ちゃん怒るから言えないね』


 言葉は丁寧だが、スピーカーごしにはニヤニヤした表情が見えてくる。そんな声色だ。


卑弥呼「おっけ~。ぶっコロしに行くから」


氷村『んじゃ是非頑張って下さい。そんじゃ、いきますよ~』

紫音「……?」


卑弥呼「はぁ? どこに?」


 いったん言葉を切った氷村は、すぅっと息を吸い込んだ。



氷村『レィディーース、エーンド、ジェントルメーーーン!! アーンド、ボーイズアンドガールズ!! 世界中の将棋ファンの皆さん!!』



零「……!!?」


将人「……!!?」


右角「……」



氷村『6年もの間、長らくお待たせしました!! 鬼将会改め、真鬼将会は今再び、皆さんに極上の将棋バトルをお届けいたします!!』

続きはよ

>>282
すみません
引越しやらで立て込んでました。
続きは必ず書きます。

すみません

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