憂「猫ドーナツ事件」 (21)



世界でいちばん大事なもの、それはなんといってもゆっくりくつろいでお茶をするためのあったかいコタツです。
もちろんあなたのおうちにもあるでしょう。
私の家にもあります。
「地球の裏にもある?」
もちろんあるよ、お姉ちゃん。

コタツは家族です。
ぬくもりです。
優しさです。
人間はできるなら、常に自分のコタツを中心に生活すべきだというのが私の幼いころの持論でした。
そういうわけで、私のこじんまりとしたこの探偵事務所にも、もちろんコタツはあるのです。
ああ、いい気持ち。


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平沢憂探偵事務所についてお話しましょう。
緑色のドアを開いてすぐ部屋の真ん中にいるのは、もちろん愛しのコタツです。
正方四辺形のスタンダードでクラシックな家具調コタツ。
コタツの上には、常時色んなお茶菓子が置かれています。
ミカン。
おせんべ。
バームクーヘン。
アタリメ。
甘食。
「これでドーナツがあれば最高なのにな」
と不満気な顔でつぶやいたのは、私のワトソン、助手の純ちゃんです。
純ちゃんの目下のお仕事は、私といっしょに美味しいお菓子を食べてお茶をのむことです。
本当のことを言いましょう。
恥ずかしいけれど、平沢憂探偵事務所は1年間365日のうちだいたい364日、いいえ間違いました363日、もうちょっと思い切って、300日、だけど本当は気分的には366日くらいは開店休業の状態なのです。
悲しいけれど。
だけど事件がないのは平和な証拠。
悲しむことじゃないのかもしれませんね。
おかげで私もこうして静かな気分でお茶をして、ときどき学校の宿題をして、コタツでうとうとすることができます。
だけどね、ちょっと退屈、なんてね。
ところでどうしてこの私が探偵業をやっているかについてですが、これはもうとてもここではお話できません。
すごくすてきで胸がわくわくする理由があるのですが、これだけでもう、ひとつの物語になってしまいます。
だからまた別の機会に。
ここでは、それは愛と勇気と友情のお話だったとだけ申し上げておきましょう。
それでゆるしてくださいね。



カランコロンコロン。
私と純ちゃんがコタツでうとうとしていると、事務所のドアが鈴の音を鳴らして開きました。
「いらっしゃいませ」
あわてて私は、コタツのおふとんの魔力に逆らってお客さんにあいさつをしました。
ところがドアを開いて入ってきたのは、私のお姉ちゃんでした。
「こんにちは、憂」
とお姉ちゃんが、あたたかい正方四辺形の、私とは別の一辺で居眠りをしている純ちゃんを起こさないように気を使ってか、小さな声で言いました。
「どうしたの、お姉ちゃん」
「今日の私は憂のお姉ちゃんではありません」とお姉ちゃんは言いました。
「私は憂の依頼人なのです」
「なるほど、それではこちらへどうぞ」
私はお姉ちゃんあらため依頼人の平沢唯さんのために、正方四辺形の別の一辺を片付けました。
「これはどうもありがとう」
お姉ちゃんあらため依頼人の平沢唯さんがコタツに座って、スタンダードでクラシックな正方四辺形のうち、三辺までが埋まりました。
なんだかいい感じですね。
「ミカンはいかがですか。さきほど私がむいたものですが」
「ありがとう、いただきます」
とお姉ちゃんあらため依頼人の……話が長くなるので、これからはお姉ちゃんと呼ぶことにしますね。なんといってもお姉ちゃんは私のお姉ちゃんですから……お姉ちゃんは、よろこんで黄色いミカンをぱくぱくと食べました。
私はその間、お姉ちゃんがミカンを食べるのを幸せな気持ちでみていました。
「憂とってもおいしいよ」
「ありがとう、お姉ちゃん。お茶もどうぞ」
「ありがとう、ありがとう」
お姉ちゃんはとうとう事務所のミカンを全部食べてしまいました。
「ミカンもうないの?」
「ごめんねお姉ちゃん。また買ってくるからね」
「ふうん、まあいいや。ごちそうさま」
「おそまつさまでした」
「さて、それでは事件の話をしましょうか」
とお姉ちゃんが言いました。
それ私のセリフなのに。



「実は憂にドーナツを取り返してほしいんだよ」
「ドーナツ?どこどこ?」
居眠りしていた純ちゃんが目を覚ましました。
「取り返してほしいとは?」と、私はお姉ちゃんに続きを促します。
「盗まれちゃったんだ」
「犯人の心当たりは?」
「猫さんだよ」

お姉ちゃんのお話はこうです。
お姉ちゃんは今日の10時に、行列しないとぜったいに買えない人気店で、限定4食のゴールデン・ウルトラ・スーパー・チョコファッション・ドーナツを買いました。
1個2,700円。4個で10,800円です。
(お姉ちゃん、おこづかい大丈夫なのかな?)
「ゴールデン・ウルトラ・スーパー…」というところで純ちゃんがごくりと喉を鳴らしました。
ところがお姉ちゃんがゴールデン・ウルトラをおうちに持って帰る途中、それは「いじわるな黒猫さん」に盗まれてしまったのです。
かわいそうなお姉ちゃん。

「黒猫さんはどうしてそんなことをしたのかな?」と私。
「きまってる、ゴールデン・ウルトラ・スーパー・チョコファッション・ドーナツが食べたかったからだ」と純ちゃん。
「黒猫さんは私のことがきらいなんだよ。だから私を困らせようとしてるんだ」とお姉ちゃん。
お姉ちゃんがきらいだなんて、そんなことってあるのかな?



「これはさしずめ猫ドーナツ事件だね」
と純ちゃんが言いました。
そういうわけでこの事件はそれ以後「猫ドーナツ事件」と呼ばれることになりました。
正式名称は「黒猫ゴールデン・ウルトラ・スーパー・チョコファッション・ドーナツ事件」なのですが。
短くして猫ドーナツ事件です。
そのほうが覚えやすいですしね。
私も報告書を書くのがかんたんです。



365日ぶりの事件に、私と純ちゃんは張り切って事務所を飛び出しました。
私と純ちゃんは勢い込んで猫さんを探します。
あれあれ、だけど猫さんはどこにいるのでしょう?
「猫なんて呼べばすぐに現れるよ。ねこじゃらしなんか持ってたらイチコロだね」
そういうわけで、私と純ちゃんはねこじゃらしを片手に猫さんを探します。
「おーい、猫さん」
「にゃんころー、でておいでー」
「君は完全に包囲されている」
「ドーナツやーい」
もちろん猫さんは見つかりません。
私と純ちゃんは途方に暮れてしまいます。
「どうしよう」

「ドーナツ、もう食べられちゃったかな」
助手の純ちゃんは不安そうな顔です。
私も不安です。
お姉ちゃんの依頼を解決できなかったら、お姉ちゃんきっととっても悲しんじゃうよね。
「なにか手がかりがないか、お姉ちゃんに聞いてみるね」
私はみじめな気持ちで、お姉ちゃんに電話をかけました。
「もしもしお姉ちゃん?」
「もしもし憂?どうしたの?」
「あのね、ごめんね、猫さんが見つからないの」
「なあんだ」
「ごめんね、お姉ちゃん。役にたてなくて」
「そんなことないよぉ」
「お姉ちゃん、猫さんについて何か手がかりを知らない?普段どこにいるとか」
「うーん、それはわかんないけど、代わりに電話番号を教えてあげるよ」
「電話番号?」
「うん。猫さんの電話番号」



「猫さんの電話番号?」
猫さんの電話番号だって?
そして私はお姉ちゃんから猫さんの電話番号を教えてもらいました。



ぷるるるる。ぷるるるる。
まさか猫さんが電話を持っているなんて、思ってもみなかったことを後悔しつつ、私はお姉ちゃんに教わった電話番号に電話をかけてみました。
がちゃり。
「あなただれ?私のともだち?」
「私は探偵の平沢憂だよ。あなたは」
ぶつ。
ぷー、ぷー、ぷー。
電話が切れました。
リダイヤル。
「しつこい。探偵なんかに用はないよ」
「あなたになくてもこっちにはあるんです。あなたは黒猫さんですか?」
「だったらなんだって言うの」
「お姉ちゃんのドーナツを箱ごと盗みましたね」
「知らない」
と猫さんは動揺した声で言いました。
「あのね、私すっごくいそがしいの。だからバイバイ」
ぶつ。
ぷー、ぷー、ぷー。
負けるものかと私はもう一度リダイヤルを押します。
ぷるるるる……
「憂、憂」
純ちゃんが私の肩を人差し指でノックしました。
そしてその指で背後の塀を指差します。


塀の向こう側から、電話の着信音が聞こえていました。
おやおや。



塀の向こう側に回りこむと、そこには黒猫さんがいました。
猫さんは真っ黒で長い髪を頭の横でしばった、女の子の猫さんでした。
「もう逃さないよ」と私。
「ドーナツ」と純ちゃん。
「私をいじめるつもり?」と携帯電話とドーナツの箱を持った黒猫さん。
「あのね、そのドーナツは私のお姉ちゃんのドーナツなの。だからそれを返して」
「知らない、これは私のだもん」
「ひとりじめする気!?」
「純ちゃん、ちょっと静かにしてて」
「そうやって二人がかりで私をいじめようったって、そうはいかないんだからね。近づいてもすぐに逃げちゃうからね。それでも近づいたら、これは食べちゃうよ」
これは困ったことになりました。
でも、黒猫さんの口ぶりでは、少なくとも現時点ではまだドーナツは無事のようです。
不幸中の幸いといったところですね。
「私たち、あなたをいじめに来たんじゃないよ」
「だって私のドーナツを取っちゃう気なんでしょ」
「それはあなたのじゃないでしょ」
「いやだ、だってこれはもう私のだもん。最初はあの人のものだったかもしれないけど、今は私のだもん」
「あの人ってお姉ちゃんのこと?」
「ほにゃってした笑顔のひと」
「お姉ちゃんだ」
「ずるいよね、私がぷんぷんしてるとき、あの人はいつも笑顔なんだから」
「ふうむ」
「私にはともだちがいないのに、あの人はいつもともだちに囲まれて笑ってる」
「たしかにお姉ちゃんはいつも笑顔でともだちに囲まれているね」
「その秘訣がきっとこのドーナツなんでしょ?だって、この箱を持ったとき、すごくあったかい気持ちになったもん。だからこれは私のなの。あの人にばかりあったかい気持ちを独占させないんだから。私だってともだちがほしいの」
困りました。
猫さんは今にもドーナツの箱を開けて、食べてしまいそうです。
「わかった、ちょっと待って。取引をしましょう」
「取引?」
「あなたにドーナツの権利を認めます」
「いいの、憂?」
「ただし、1個だけです。1個ならたぶんお姉ちゃんもゆるしてくれるから。お姉ちゃんに許可をもらって、1個だけあなたに差し上げましょう。だけどもしあなたが残り3個のドーナツに手を出すというなら」
「いうなら?」
「これを使うことになります」
私は内ポケットから拳銃を引出して安全装置を解除しました。

10

「憂こわい」と純ちゃんが言いました。
「こわい」とツインテールの猫さんが言いました。
こわくありません。
そうしてこの取引は平和的に成立したのです。

11

私と純ちゃんは、黒猫さんを連れて探偵事務所へと帰って行きました。
意気揚々たる足取りというわけには行きません。
なにしろ、ドーナツを取り返すというお姉ちゃんからの依頼を、4分の3しかかなえることができなかったのですから。
「……というわけなの」私はお姉ちゃんに経緯を説明しました。「ドーナツ、ひとつだけ猫さんにあげてもいい?」
「うーん、いいような悪いような」
「だめ?お姉ちゃん、おねがい」
「それは私のドーナツじゃないから」
「どういうこと?」
ドーナツの箱を大事そうに抱えたまま私たちの会話を離れて聞いていた猫さんが、そこから雲行きの怪しさを感じ取ったのかライオンのようにがるがると威嚇の声をあげます。
「猫さん、ドーナツの箱をあけてみて」
お姉ちゃんは威嚇を気にせず、猫さんに言いました。
猫さんは疑わしげな表情で、まるでびっくり箱か玉手箱を開けるように箱の蓋を開きました。
猫さんは不思議そうに中を覗きこんで、そこから一枚のカードを取り出しました。
カードにはこう書かれていました。
「憂、お誕生日おめでとう」

12

「憂、お誕生日おめでとう!」とお姉ちゃんが言います。
「おめでとう」と純ちゃんも言いました。
「にゃあ」と猫さんが不思議そうに言いました。
ドーナツは私宛ての誕生日プレゼントだったのです。

13

「だからもし憂が猫さんにドーナツをあげたいなら、そうするといいよ」とお姉ちゃん。
「どうするの、憂?」
もちろん決まっています。
私はなんだかよくわかっていない表情の猫さんからカードを受け取ると、万年筆でメッセージの下にこう書き足しました。
「お誕生日ではない日おめでとう」
だけど名前がないのはさみしいです。
「猫さん、お名前は?」
「梓」
黒猫の梓ちゃん。
だからメッセージはこうです。
「梓ちゃん、お誕生日ではない日おめでとう」
「はい、これでこのドーナツはあなたのお祝いでもあるよ」
「もらっていいの?」
「もちろん。おめでとう梓ちゃん」
「いいなぁ、私もほしーい」と純ちゃん。
もちろん、純ちゃんのことも忘れてはいけませんね。
それから……
私はカードの余白に次のように書き足しました。
「純ちゃん、お姉ちゃんもおめでとう」

14

私たちは4個のドーナツをめいめい1個ずつ受け取って、コタツに着席しました。
お誕生日、およびお誕生日ではない日パーティーです。

15

私たちはドーナツを食べ、お茶を飲みました。
「お姉ちゃん、このドーナツとってもおいしいよ」
「憂がよろこんでくれてうれしいよぉ」
「ところで唯のアネゴ、こいつともだちがいないから、ともだちのいるアネゴがうらやましくてドーナツを盗んだそうですぜ」
と純ちゃんが告げ口をします。
「そんなんじゃないもん」
「なあんだ、そうだったのか。それなら話はかんたんだ」
お姉ちゃんは食べかけのドーナツをの穴越しに私と純ちゃんと猫の梓ちゃんの顔を意味ありげに見ました。
そして厳かな口調でこう言いました。
「私たち4人、ともだちになればよいではありませんか」
「それはとてもいいアイディアだね」と私。
「へへ、さすがアネゴですぜ」と純ちゃん。
ていうか純ちゃん、お姉ちゃんのことアネゴって呼ぶのやめてください。
梓ちゃんは目をまん丸くして、それからドーナツをぺろりと食べてしまうと、わあいわあいと言って跳ね回りました。
ほんとうは梓ちゃん、お姉ちゃんとともだちになりたかったんですね。
お姉ちゃんもいっしょにわあいわあいとジャンプします。
私もうれしくなって、わあいわあいと言いました。
だって、お姉ちゃんからドーナツと新しいおともだちという、すてきなプレゼントをいただいたのですからね。

16

こうして猫ドーナツ事件は幕を閉じました。
そういうわけで、それから私たちの事務所には猫の梓ちゃんが遊びに来てくれるようになったのです。
もちろんお姉ちゃんも来てくれます。
そして純ちゃんは相変わらずコタツでうとうとしています。
4人で囲むコタツっていいもんですね。
やっぱりコタツって最高なんだ。
だってそれは家族で、ぬくもりで、やさしさだから。

もしあなたがなにかお困りのことがありましたら、お困りのことなんかなくても、ぜひ平沢憂探偵事務所までお越しください。
おいしいお菓子とお茶とあったかいコタツを用意して待っております。

おしまい。

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