向日葵「言葉にしない想い」 (58)

2月14日。


少しだけ早起きをして、昨日のうちに作っておいたチョコレートの出来具合を確認する。なかなか上手い具合だった。あの子が好む塩梅だろう。

用意しておいた包装は去年と同じお店のものだけど、今年は少し大人っぽく。私もあの子も、もう中学生になって一年が経つ。

他の子用に作ったものと微妙に違うその特別なチョコレートを、慎重にたたみ包んでいく。でも何か物足りない気がした。


そういえばこの包みを買ったお店には、メッセージカードもいろいろ売っていたっけ。

チョコだけでは伝えきれない想いを書いたり、むしろメッセージが主役で、それを送る理由付けとしてチョコを添えたりする人もいるのだろう。

手持ちのメモに何か書いて挟もうか……そう思って、すぐやめた。なにせ朝は時間がないし、起きたてでうすらぼやりとした私の頭は何のアイデアも思い浮かんでくれない。それに今さらあの子に、何を書くことがある?


シンプルでいいのだ。余計な装飾も、余計な具もない、メッセージもないただの甘いチョコレート。

あの子が好きなこの味だけを、毎年この日に渡している。


櫻子もきっと、それだけを望んでいる。

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「お待たせー!」

「もう、遅いですわよ。寒いんだからあまり待たせないでちょうだい」


ぱたぱたと慌てながら、大室家のドアを開けて櫻子が出てきた。つっかけた靴をとんとんと私の前で整えて、寒い寒いと笑顔で歩き出す。

寒いとは言いながらも、今日は久しぶりに晴れ渡る空だ。太陽は遠く私たちを照らし、昼頃には柔らかな暖かさを届けましょうとでも言っているかのよう。

歩きながら揺れる櫻子のウェーブがかった髪を見ながら、チョコが溶けないかと心配になってしまった。流石にドロドロになりはしないと思うが、風の当たらない教室は暖房も効いていて暖かい。暗所に置いて守るか、早めに渡すかしなければ……

「なに?」

「え?」

「私の髪に何かついてる?」


歩きながらきゅっと振り返った櫻子は、なんの邪推もなさそうな目で聞いてきた。確かに櫻子の髪を見ていたけれど、そんなに注視していたわけじゃない。


「何もついてませんわよ。ちょっとだけ跳ねてますけどね」

「ちょっとくらいなら平気だもーん。朝は忙しいし」

「あら、何かあったんですの?」

「いや、単純に寝すぎただけ」

「ふうん……」


櫻子の足取りはすたすたと軽く、別に不機嫌な様子も見受けられない。


学校がある日で、誰にも邪魔されない二人きりになれる確実な時は登下校中だ。学校に着く前に渡してしまってもいいと思って、バレンタインの話題を切り出すチャンスを探っているが……思ったようにその雰囲気にならない。

「そういえば」で話を仕切り直して渡すのも、何か違う。自分から切り出すのは、どこか張り切って準備をしましたと言わんばかりで気にいらない。なによりこの子にバカにされてしまう危険性がある。

何かのついでで渡したかった。普段からよくお菓子も作る私が、バレンタインにチョコを作ってくるのは当然。毎年あげているのだから、今年もあげるのは当然。当然のことを、今更いちいち大げさにはしない。そしてその方が、この子も素直に受け取ってくれる。


―――早く話題を振ってちょうだい。食いしん坊のあなたが、バレンタインを忘れるはすがないでしょう。

でも、もしかしたら本当に忘れているのかも……そのくらいこの子の残念な頭は、油断がならない。


(いや……この後にいけますわね)


教室についたらきっと他の子達がやりとりをしているだろうから、その時についでで渡すことにした。


まだバレンタインデーは、始まったばかり。




「おはよーっ!」

「あ、櫻子ちゃん向日葵ちゃんおはよ!」

「おはよ~」

「おはようございます」


教室に入ってすぐ、暖かな暖房と共に甘い香りを感じる。今日という日はどの女の子も、しっかりとチョコを用意し合っているようであった。中には何人か賞味している子も見受けられる。


「おー、みんなやってるねー」


……え?


鞄を置いて準備しながら、櫻子は少し意外な言葉を発した。

今日がバレンタインデーであることをわかっていたのか。教室中の甘いやりとりを見て思い出したなら、思い出したような言葉振りをするはずのこの子が、落ち着いた目線で事象を切ったことに私は少し驚いた。

……それならば、なぜ登校中にその話題を一言も出さなかった?

「結構みんな作ってきてるもんなんだねー、まあ私も作ってきたけど」

「あかりもお姉ちゃんと一緒に作ったんだよぉ~、みんなに渡すね♪」

「うわーい、やったー!」


赤座さんがいそいそと用意してきたのは、可愛らしい様々な形のチョコが入ったプレゼントボックス。

吉川さんのチョコは、大きめのハート型で……よくわからない奇怪な絵が白いチョコソースで書かれている。


「ち、ちなつちゃん……これは何かを書いたの……?」

「もうやだな~、今年はひつじ年だから、ホワイトチョコでひつじさんを描いたの! 今年も一年よろしくねって意味も込めて♪」

「あっ……あ~~ひつじね! さすがちなつちゃんうまいね~!」

「じょ、上手~」


櫻子の引きつった笑みは照れている吉川さんには見えていないらしい。赤座さんに至っては目に色が無くなっている。

この絵を早く赤座さんの目から遠ざけようと夢中で吉川さんのひつじを頬張る櫻子。朝から大変そうだ。

「ふう……あかりちゃんのも食べていい?」

「あっ、どうぞどうぞ! みんなも食べてみて~」


リボンを解いてピンクと白の包装を丁寧にはずし、赤座さんのチョコを私も一口食べてみる。

一口サイズのドーム型。口どけよい外面が溶け壊れると、中に小さなビスケットの感触が控えていた。


「あら、クランチですわね……!」

「えへへへ……いろいろ作ってみたかったんだあ。他のチョコも全部違う種類になってるんだよお」

「おいし~これ!」


櫻子や吉川さんにも好評をもらい、赤座さんは普段のにこにこ顔よりさらに嬉しそうにしている。私も素直にすごいと思った。

お姉さんと一緒に作ったといっても、赤座さんはなんだかんだで器用な面をしっかり持ち合わせている。櫻子にも赤座さんを見習ってほしいものだが……

「へへへ……じゃあ私も!」

「……?」


もぐもぐとチョコを食べながら、櫻子はうきうきとカバンの中を探りだした。


まさか、そんなはずは……と驚く私に目もくれず、じゃーんと取り出したそれは、小さなリボンでラッピングされたチョコレート。


「私も作ってきましたー! はいちなつちゃん、あかりちゃん!」


「わーありがと~!」

「嬉しいよぉ~!」

「…………」


櫻子が、チョコを作ってきた。

「あ、あなた……チョコ作るのなんて初めてじゃなくって?」

「んー? あーそうかも」


今まで毎年、たとえバレンタインデーでも櫻子は手作りでチョコを作ったことはないはずだった。

この子はいつでももらう専門。誰かにあげるときがあっても、友だちの多さからかお店で買ったものや、小袋のチョコ菓子をばらまくように友だちに渡したりというだけだった。


その櫻子が、手作りで?


綺麗にラッピングされたそれは明らかに手作りのものであったし、櫻子にしては見た目も悪くない出来栄え。

この子がこんなお菓子を作ってくるなんて、私にとっては信じられないことであった。

「櫻子ちゃんのもおいしいよ~」

「でしょでしょ!? 自信作なんだー。まあねーちゃんや花子と一緒に作ったんだけど」

「でも綺麗にできてるよぉ」

「本当……櫻子こんなの作れたんですわね」

「どういう意味だ!」


そのまんまの意味ですわよ、を口に出さずに、改めて赤座さんに渡された櫻子のチョコを見る。


型取りがうまい。ハート型ではあるが、全面つややかに丸みを帯びたこのきれいな形を作るのは単純に型に流し込むだけではできないだろう。

そして寒い中を登校してすぐ出したからか、やや薄めのそのチョコは温度的には冷たいはず。その固さは心地よい歯ごたえをもたらし、赤座さんの口からはぱきぱきと良い音が聞こえてくる。

もしかして撫子さんに全部やってもらったのでは? と思うほど、櫻子のチョコは良い出来であった。


早く食べてみたい。櫻子、私の分も―――

「そういや向日葵は? 作ってきてないの?」


「えっ…………そ、そんなことありませんわ。ちゃんと皆さんの分作ってきましてよ」

「向日葵ちゃんのやつも食べ比べだ~!」


皆に言われるがまま、あわてて用意しておいたチョコを出す。

3人に一斉に渡すとなると、櫻子のチョコレートだけ若干違うことに気づかれないかと心配になったが……櫻子は開けてすぐに口に放り込んでしまったので心配は無用だった。


「んめ~!」

「さっすが向日葵ちゃん、チョコ作りも上手だね」

「あかりも向日葵ちゃんに教わってみたいよぉ~」

「ふふ、今度みんなで一緒に作りましょうか」

(…………)ちら


うまいうまいとパクパク食べている櫻子を横目に見る。

今年も無事に渡せてよかったという想いの反面、こんなそっけない渡し方になってしまったことが、なんだかもったいない気がした。


だいぶ前から意識していたのに、選んだ包装紙はものの数秒で取り外され、見栄えを意識して慎重に作ったチョコは、手に取って眺められることもなくすぐに口の中に溶けていってしまった。


―――これでいいのか?


いや、でも、毎年櫻子はこうだ。

ごちゃごちゃと文句をつけられずに素直に受け取ってもらえただけ、喜ばしいのかもしれない。

「…………」


手持無沙汰になった私は、赤座さんの作った違う種類のチョコレートを食べてみる。

甘い……確かに甘いが、もやもやした心が邪魔をしてしまい、さっきよりも味が感じられない。


櫻子のせいで、私の心が曇った。


(私の分は……)


(私の分はくれないんですの?)


ぐさぐさと目線を刺しているのに櫻子は全然気づいてくれない。

この二人にお返しという形で渡したのはわかる、けどここで私の分をくれないのはおかしいと思う。

またいつものうっかりなのか……?

(この流れで出さなきゃいつ出すんですの……! それとも私には作ってきてないってわけ!?)

(私は簡単に出しちゃったっていうのに……!)


すっかり私の上げた分を食べ終わって、櫻子も私と同じように赤座さんのチョコをまた賞味しだした。

早くしないと、ホームルームが始まってしまうのに……


……いや、だめだ。この様子じゃ気づいてくれない。


結局その時間で、私は櫻子からのチョコをもらえなかった。私は確かに渡すことができたけれど、心の中はずっともやもやしている。


櫻子のバカ。




一度チョコのやり取りが終わってしまうと、結局バレンタインデーもいつも通りの日常になってしまうわけで。

授業中も休み時間も、いつも通りに過ぎていってしまう。


試みのジャブとして、授業前トイレに行った櫻子に「口にチョコがついてますわよ」とかやってみたが、櫻子は全く話を広げてくれない。



(……ありえないでしょう)


授業中、居眠りで快調に船を漕いでいる櫻子をじとっと睨みながら、私は思考を巡らせていた。


この私にチョコを作ってこないのは、普通に考えてありえない。

だって一番近くにいるのに。一番長く一緒にいるのに。今まで一番お菓子を作ってきてあげたのに。

その私に、くれないのはおかしい。

(……でも、バレンタインだからか)


バレンタインデーというものの本質から考えると、今日という日は「好きな人にチョコと共に想いを伝える日」だ。

チョコをあげたら、それは好きだと言っているようなもの。


櫻子から好きだなんて言われたのは、本当に遠い昔……幼稚園とかの頃の話だと思う。


今のつっかかってくる櫻子が、そんなことをするとは思えないのもわかる。



(……でも、私はあげたのに?)


櫻子に言われたから出したとはいえ、私は毎年バレンタインにチョコをあげているではないか。

好きだという想いを伝えるとか、そんなことにまで意識を巡らせるのは無意識に避けていたが……

私はちゃんと毎年作ってきている。

(でもそれは……私がお菓子作りが好きだからか)


普段からよくお菓子を作る人が、バレンタインに限ってチョコを作ってこないのは少しおかしい。

誰かに想いを伝えるとかは関係なく、私はチョコを作ってきた方が自然なのは確かだ。



櫻子は今年初めてチョコを作ってきた。きっと近しい人にあげるよう、その人たちのことを考えながら作っていただろう。

けどそれはみんな、「櫻子が好きな人」……赤座さんや吉川さん、生徒会の人たちのこと。櫻子が、胸を張って「大好きです」と言える人たち。


櫻子は私にそんなこと言わない。


けど私に作ってしまったら、この私に「好きだ」と言ってしまうのと同じ……だからあえて作ってこなかったのか?


「…………」


櫻子は……私のことが好きなのか、嫌いなのか。

(いや……本当なら、好きも嫌いも関係なく作るものですけどね)


だって私は、今までそうやって作ってきているのだから。

好きだ、なんて改めて言葉に乗せたことはないけど、毎年他とは少し違う特別なものを作ってきているのだから。

櫻子にも、それと同じようにしてほしかった。


(深いことなんて考えずに、作ってくれればよかったんですわ!)

(そうしたら私のチョコにしたように、簡単に包装を解いて、ロクに見もせずに食べてあげたのに……!)


作ってこないよりは、まだその方がよかった。

まったく私がバカみたい。毎年特別に思ってる唯一の人に、相手にされてないんだから。

けど、もし来年私がチョコを作らなかったら「なんでチョコないの?」とか普通に言ってくるのだろう。


(……バカ櫻子)げしっ


「んぁっ……?」ぴくっ

前の席にいる櫻子の椅子を少し蹴った。


私がこんなに考えているのに、のんきに寝てないでほしい。




昼休み。

トイレから戻った私が教室に入ろうとすると、吉川さんのよく通る声が聞こえた。


「今日向日葵ちゃん、なんか機嫌よくないみたいだね」

(え!?)ささっ


そんな会話をしているところにまさか入っていけるわけもなく、壁を挟んで廊下から立ち聞きする形になってしまった。

吉川さんの隣にいるのは、櫻子だ。


「そうかな? そんなに機嫌悪い?」

「まあ私の気のせいかもしれないけど……なんかずっと不機嫌な目してるし、ため息ついてるし」

「大丈夫だよちなつちゃん、向日葵が機嫌悪いときはもっとやばいから。普通にひっぱたいてくるもん」

「うそー!?」


(嘘に決まってるでしょ……!)わなわな


私のことを好き放題言ってくれる櫻子に怒り、今にも壁の反対側から笑ってる櫻子にむけてドンと大きく叩きそうになったが……不機嫌に当り散らす私が向かいのガラスに映って見えてしまい、これでは櫻子の言うとおりになってしまうと必死に心を落ち着けた。


「櫻子ちゃん何かしちゃったんじゃない?」

「んー何だろう……授業中寝ちゃって向日葵に椅子蹴られたけど、それはいつものことだもんなぁ」

「もう、あんまり怒らせちゃだめだからねー」

「へへ、だいじょうぶだいじょうぶー♪」


吉川さんにチョコの話題を切り出してもらうよう、もんもんとテレパシーを送り続けたが、さっぱり届かずに二人の会話は終わってしまった。


バカ櫻子、なんで気づかないの。


バレンタインデーにチョコのこと以外で悩む女の子はいませんわよ。




「はい先輩方! 私からのチョコですよ~!」

「あら大室さんが? まあありがとう」

「ありがとな~、うちも作ってきたから二人に渡すわぁ~」


今日という日に生徒会があってよかった。

恐らくこれが最後のチャンス。ここで先輩とのやりとりをしてる最中に櫻子が思い出すのに賭けるしかない。


「古谷さんのもすごいけど、大室さんのもなかなか上手にできてるわね」

「がんばったんですよーそれ!」

「確か撫子さんと一緒に作ったんですわよね」

「そうなんですよー、ねーちゃんも花子も作るからって、昨日はうちがチョコだらけでもー大変で」

「大室さんのお姉さんも妹さんも、お友達多そうやもんなぁ~」

「会長もどうぞ。私たちからの気持ちです」

「どうぞ~」

「…………///」


たくさんのチョコを受け取る会長。ひとしきり眺めていたが、ふと櫻子のチョコに手を出した。


「…………!」


「どうしたんですの会長? 櫻子のチョコが何か……」

「あ、気づきましたー!?」

(えっ?)


櫻子が会長に用意したものはラッピングこそ他のものと同じであったが、メッセージカードが添えられていた。


「合格祈願……ああ! 会長ももうすぐ試験ですもんね」

「なるほど~、大室さんから会長への気持ちやね?」

「えへへへ……やっぱりこういうこともしなきゃなって思って」

「…………///」なでなで


会長に撫でられて喜んでいる櫻子。「合格祈願」という漢字を間違えていないあたり、ちゃんと調べてしっかり書いたに違いない。

そこまでの気の遣い方ができて、なんでこの私にチョコを渡せないのか……


「ん? どした向日葵」

「……いえ、なんでも」



結局生徒会の時間を通しても、櫻子から私へのチョコはついに出てこなかった。

ここまで出てこないということは、きっと作ってすらいないのだろう。

私の心のモヤモヤはすっかり冷めきって、櫻子の顔を見てももはや期待という感情は出てこず、胸が痛くなるだけだった。


バカ櫻子。もう嫌い。




「あー、今日は久しぶりにいっぱいチョコ食べたなぁ! いいね~バレンタインって」

「…………」


帰り道、もはや櫻子からチョコの話題が出てきても何も期待しない。

だってどうせ作っていないのだから。


「……向日葵?」

「……なんですの」


「なに怒ってんの? 今日ずっと不機嫌だね」

「あっそう」


無理に冷たく突き放す。このまま喧嘩になってしまっても良いと思った。

だって櫻子は、ひどすぎる。

少し前を歩いていた櫻子が歩幅を遅らせて私の隣にくると、訝しげな眼をこちらに向けて言葉を投げた。



「こんな楽しい日にそんな辛気臭い顔されてちゃ、こっちまで気が滅入るんですけど」

「!」


かちん、ときた。


櫻子のせいでこんなに落ち込んでいるのに、あなたのせいで心が重いのに……

そんな私に向かって、その言い草は何なんですの?

「……よくそんなことが言えますわね」


足を止めて、櫻子の目を睨み返す。


驚くでも、嫌がるでもない、櫻子はきょとんとした顔をしていた。



「こんな楽しい日に、こんなに嫌な思いをしてるのは、全部あなたのせいですわよ!!」


「もう知らない……私だけバカみたいじゃない! あなたがその気なら、私だって……作らなかったら……」ぽろぽろ


「なに? どういうこと?」

「言わなきゃわからないような人なんて、大っ嫌い!!」だっ


「あっ……」

徹底的に言ってやろうと思ったのに、全然言葉が続かなかった。


言いたいことは山ほどあるのに、面と向かって櫻子を見ると、考えていた言葉は全部どこかに行ってしまい、出まかせの思ってもないことを言ってしまう。

泣きたくもないのに涙が出てきて、それが恥ずかしくて逃げ出してしまった。


うすら寒い夕暮れの道を走る。

冷たい風が肺を冷やし、それが苦しい心に痛いほど響いて、すぐに走れなくなった。

呼吸を整え涙を拭き、早歩きに切り替える。

……最初からわかることはできたはずだ。櫻子はこういう子だって。


今までずっと一緒にいて、櫻子のことを一番よくわかっているのは私。

けど、櫻子がバレンタインチョコに見出してる価値の大きさなんて、そこまではわからない。あなたはいつも、笑顔で食べるだけだったから。


きっとあなたにとって、バレンタインのチョコは大切すぎるものなのでしょう。


だからこの私に何か言われるのを恐れて、作ってこれなかったんでしょう。


私のために何かをするなんて、恥ずかしいのでしょう。



全部わかってる。本当はそれでもいい。

私の作ったチョコを、おいしいおいしいと食べてくれる。今まで通りの、それだけでよかった。

けど、ちょっとくらいは変わってくださいな。


私の気持ちを、わかるようになってくださいな。


他の子にだけチョコを作って、私には作らないなんて……そんな「特別」の表現は間違ってる。

バレンタインデーなんだから、ちゃんとチョコに乗せて想いを伝えてほしかった。


もう中学生になったんですから。


私だって大人になったんです。


あなたが私のためにしてくれることを、私は笑ったりなんかしませんから、


櫻子の本当の気持ちを、見せてほしかった。


櫻子の『好き』を、ちゃんと形で見せて欲しかった……

「…………」ぐすっ


あの子が追ってくる気配はない。

きっと驚いて固まってしまって、すぐには動けないのだろう。



「バカ櫻子……」


逃げ出しておいてなんだけど、本当は、追いかけてきて欲しかった。




「幼稚園のお友達にチョコあげたら、すごいよろこんでくれたの!」

「ふふ、よかったですわね」


夜。

夕飯と風呂を済ませ、楓の髪を乾かしていると、うれしそうに報告をくれた。

楓も昨日、私と一緒にチョコ作ったのだ。


話を聞くかぎり、どうやら楓の方は大成功だったらしい。お姉ちゃんは大失敗してしまいました。

「…………」


家に帰って冷静になり、勢い任せであそこまで突き放したのを後悔している。


あんな別れ方をして、櫻子はどう思っているのだろうか。

「本当はチョコが欲しかった」なんて言い方をしていない。だから櫻子が原因をちゃんとわかってくれたのかもわからない。


(大嫌いって、言っちゃった……)


頭が真っ白になって考えていたことが飛んでしまったとはいえ、自分が思っていたよりもきつく当たり散らしてしまった。明日から今まで通り顔を合わせるのが気まずい。

本当はこんなことで溝を作ってしまうのも嫌だった。いつも通りの私たちに戻りたい……

「おねえちゃんが幼稚園の頃も、櫻子おねえちゃんにチョコを作ってあげたりしたの?」

「えっ……」


楓の一言で、幼少の櫻子がぽっと脳裏に浮かぶ。

屈託のない笑顔。素直で純粋な心。弱気な私にとってはすごく頼りがいのある、大きな存在。


『えっ、チョコレート!?』

『すごい、ひまちゃんのてづくりなの!?』

『すごくおいしいよ! ひまちゃんありがとう!』


溶けたチョコで口をよごしながらも、笑顔で食べてくれる櫻子。


ああ、この子はあの頃と何も変わってなどいない。


私は大好きな櫻子のためにお菓子を作って、

櫻子はそんな私のことを好きだと言ってくれた。


櫻子のことしか考えてない私は、櫻子に気に入られたくてお菓子を作っていたのだ。

「……よく作っていましたわ。今と変わらず、あの頃からずっとね」

「やっぱりおねえちゃんはすごいの!」



……謝ろう。


櫻子に悪いことをしてしまった。チョコが欲しかったなんて私のわがままだ。

こっちが勝手にもらえるものだと勘違いして、一人で舞い上がって一人で落ち込んで、それだけのことだ。


こんなことで気まずくなってしまうのは嫌だった。

明日朝一で謝って、なんとか元通りの私たちに……



ぴんぽーん


「あっ、誰か来たの!」

「…………」


もう時刻は夜の八時をすぎている。

誰だろう、という考えよりも先に、櫻子が来たと直感した。

「よっ、楓!」

「あ、櫻子おねえちゃんなの!」

「よかった、まだ寝てなかったんだね」

「おねえちゃんも起きてるの」

「そりゃそうだ、向日葵が楓より先に寝ちゃわないでしょ?」

「確かにそうなの!」えへへ



「……櫻子」

「あっ、向日葵」


私の予想に反して、櫻子は元気そうな顔をしていた。

その後ろ手には、何やら大きくて白いものを持っている。正面からではよく見えない。


「上がっていい?」

「え、ええ……」


いつも通りの櫻子だ。さっきの出来事をまるで気にしていないような。


揺れるその髪からは、かすかに甘い香りがした。




「ごめんね、向日葵」

「えっ……」


部屋に案内するなり、櫻子はいきなり撫子さん相伝の綺麗な土下座を決めた。

あわてて顔をあげさせると、なぜか少しうれしそうな顔をしていた。


「向日葵が今日怒ってた理由は、わかってるんだよ」

「…………」

「私が向日葵にだけチョコをつくってこなかったからでしょ?」

「…………」


……わざとだったのか。

いたずらっぽい笑みと、なぜか恥ずかしそうな笑みを半分ずつ織り交ぜた表情の櫻子から、私は今日の不自然なまでに話題を避けていたことを思い出し、一瞬で察知した。

「ごめんね、意地悪して……でも、向日葵のは他のと違くしたいなって思ったし、ちょっと遊んでみたかったっていうのもあるし……」


「……最初から、こっちを渡すつもりだったの」すっ

「これは……」


私から隠すように持っていた白い箱。大きなその箱は、ケーキをいれる紙箱だった。


「ま、まさかこれ……」

「開けていいよ。ねーちゃんたちと作ったんだ」

「!!」


箱を開けると、大きなチョコレートケーキが現れた。

お店で売っているものとはどこか違う、手作り感を漂わせたケーキ。それでいて完成度は低くなく、売りに出したとしても恥ずかしくないだろう。

「今までずっと貰うばっかりだったんだから、普通にチョコを作るよりこのくらいするのが当然だってねーちゃんに言われて……教わりながらやればそんなに難しくなかったし、こっちの方が特別って感じするって思ったの」


「今日準備してから出てきて……あの後帰ってから、ずっと作ってたんだ。できたてだよ……まだスポンジあったかいかな?」


指でつまめそうな部分を選んで、少し食べてみる。軽いチョコクリームの甘みが、柔らかく広がった。


「っ――――」


ちょっと口に入れただけなのに、なぜか私は泣いてしまった。

櫻子と喧嘩してしまった、元に戻るにはどうすればいいか、それしか考えていなかった自分にとって、今の櫻子の顔は私が一番見たい笑顔だった。

「……ぜ、全部、わざとだったんですのね……」

「やりすぎたなって思って、私も反省してる……だから一生懸命作ったんだ」

「おいしい、おいしいですわ……///」

「ふふ、よかった」


おいしいといいつつ、あんまり甘さを感じられない。

不安が取り除かれたことと、見たかった櫻子の顔が見れたことに心がいっぱいで、おいしさに意識を傾ける余裕がない。

「今日一日、向日葵が不機嫌そうにしてたの、ちゃんと見てた。いけすかない顔の向日葵を見て、私は少しうれしかった」


「だってそれって、向日葵は私がチョコを作るのが当然って思ってくれてるってことだもんね?」

「え…………」


「びっくりさせたかったのもあったけど、そうやって焼きもち焼いてくれる向日葵がもっと見てみたくて……わざと意地悪な感じにしてたの。ごめん」


櫻子の顔は赤くなっていた。この子のこんな表情は久しぶりに見る。

今日一日、私が不機嫌になっていたのを見て、楽しんでいた……?

「チョコを初めて作ってみて、わかったんだ。人数分の材料を買うとき、誰に作ろうかを考えるとき、一番最初に思い浮かぶのは、向日葵だったよ」


「当たり前のように、向日葵が思い浮かんだ。だって手作りチョコといえば向日葵だもん」


「向日葵のチョコを一番食べてるから、それしか思い浮かばないの。作ってる時も、向日葵のチョコを思い出して作ってた」



「私が向日葵のこと、忘れるわけないよ……」

「櫻子……」


「向日葵、いつもありがとう……」


涙に塗れた私の手をとって、櫻子は今までにない優しい顔を見せてくれた。

この子はきっと、私が櫻子に見たい姿というのも、無意識に理解してくれているに違いない。


そんな優しい櫻子を見て、なんだか急に元気が湧いてきた。

泣いている自分が、ずっと櫻子の掌で踊らされていた自分が、とても恥ずかしく思えてきた。

「お菓子を作ってるときって知らないうちに、食べてもらう人のことを考えちゃうものなんだね。食べてもらう人がおいしいって言ってくれるところを想像しながら作る……」


「ということは、今まで向日葵が作ってきたお菓子は全部、私のことを考えながら作ってくれてたってことだよね?」

「な、なっ……!///」


「いつもぱくぱく食べちゃうだけだったけど、そう思い始めたら、今までよりもっとお菓子がおいしくなったんだ」


「向日葵が作ってくれたやつも、本当はちゃんと見てたんだよ。他の子がくれたやつよりも、向日葵のが一番おいしかった……///」


「やっぱり向日葵は、私のこと一番よくわかってくれてるんだなって思って、そうやって食べてると、どんどん甘くなっていって……」

「ま、待った!!」

「えっ?」

今までにない責められ方をして、私は恥ずかしさに耐えられなくなりついに言葉を遮ってしまった。

きっと今の私は、櫻子よりも赤面してしまっている。


「な、なんですのさっきから……あなたらしくないですわ! いつのまにそんな恥ずかしいこと言うようになったんですの!?」

「は……はあ?///」

「あなたはそんなことする子じゃないでしょう! 難しいことなんて考えないで、いつもただ笑って食べてるだけの子!」


「私を揺さぶって楽しむなんて……そんないたずら、いつの間に覚えたんですの……!///」


やっぱり私は、喧嘩が下手だ。

頭に血が上ったり、いざ何かを言ってやろうと思うと、冷静さを欠いて考えていることとは違う言葉が出てきてしまう。

私は悔しかった。

櫻子に一杯食わされたことが。

無邪気で、無垢で、いつまでも子供っぽいと思っていたこの子が、いつの間にか自分の知らない一面を持ち合わせていたことに、無性に恥ずかしくなった。


私の知らない櫻子なんて、そんなのいないと思っていたからだ。


「な、なんだよ……せっかくこんなすごいケーキ作ったってのに!」

「こんな紛らわしいことしないでちょうだい! みんなの前でどーんと渡してくれた方がうれしかったですわよ!」

「学校にケーキ持ってけるわけないだろー!?///」

「じゃあチョコとケーキ両方欲しかったですー!!」


……気が付くと喧嘩になっている。内容こそ喧嘩とは言えないものの、櫻子に気持ちをぶつけるときは何故かいつも喧嘩腰になってしまう。

改めて気持ちを言葉にすることが恥ずかしくて、勢いづかせてあげないと伝えられない。

でもいいのだ。この子も喧嘩に乗ってきてくれるから。

だから私は、思うようにこの子にぶつかればいい。


「バカ櫻子! 本当にあなたは人の気持ちを組むのが下手ですわね!」

「なんだとー!? 泣いて喜んでるくせに!」

「一時でもあなたに振り回された自分が情けなくて、思わず泣けてきちゃっただけですわ!」

「いじっぱり!」

「そっちこそ!」


「はいはい、喧嘩やめー」すぱん

「な、撫子さん……!」


今にも取っ組み合いになろうという所に、楓と花子ちゃんを連れた撫子さんがやってきた。

まるで全部見てましたと言わんばかりに、余裕のある笑みを浮かべている。

「おねえちゃん、お皿もってきたの!」

「ケーキみんなで食べよう? ひま子に作ったとはいえ、私たちも結構頑張ったからさ、やっぱり独り占めはずるいでしょ」

「こんなにおっきいケーキ食べたらひま姉太っちゃうから、花子たちが少し減らしてあげるし」


「あ、こらー! 5人で食べたら向日葵の分超減っちゃうじゃん!」

「そしたらあんたがまたチョコなりなんなり作ってあげればいいでしょ」

「おいしーし」もぐもぐ

「あーあーもう……ねーちゃんたち最初から食べるつもりで作ってたんでしょ……!」

楓に皿とフォークを渡されて、みんなでケーキをつまむ。

こんな大きいホールケーキ、もとより一人で食べきれる気はしていなかったから、別に私は構わない。

最終的には櫻子も笑顔でケーキに夢中になっていた。


不安も何もかも消えたところに食べるケーキは、とても甘く感じた。


明日からも今まで通りの私たちでいられるということが、何よりもうれしかった。



櫻子、ありがとう。


――――――
――――
――

「おっはよー!」

「もう、なんで昨日より遅いんですの? 今朝は特に何もないでしょうに」

「えへへ……」


バレンタインデーの翌日は、昨日の甘さが後を引いているもので。

揺れる櫻子の髪から甘い香りがしているのは、きっと気のせいなのだろう。


今日も、こうして隣にいられる。

当たり前のように、一緒にいられる。

そんな日常が、とても愛しい。

「向日葵、はいこれ」

「?」


櫻子がカバンからさっと取り出したのは……昨日赤座さんたちにあげたものと同じ、ラッピングされたチョコだった。


「これ……」

「本当は向日葵の分も作ってたんだよ。ケーキがあるからいいかなって思ってたけど……自分で食べちゃうのも悪いし」

「…………!」



櫻子は、いつの間にか大人になっていた。


ゆっくりゆっくり時間をかけて、少しずつ変わろうとしている。


私の気持ちを考えて、動こうとしてくれている。


いつまでも子供じゃないんだよって、私に伝えようとしている。

大人になりきれていないのは私の方だった。


変わっていく櫻子が認められなくて、意地を張ってしまっていたのだから。


でも、


「嘘おっしゃい。あなたは何も考えずにこのチョコも食べちゃう人でしょう」

「は……はあ!?」

「だってあなた、口の周りにチョコがついていましてよ?」

「こ、これは違うもん! 余ったチョコで作ったやつを、今朝の食パンに塗って食べただけだもん!///」

「ふふふ……」


認めなければ、櫻子はもっと私に近づいてきてくれる。


ちゃんと私を見ろって、向こうから迫ってきてくれる。


……私はそれを見逃さない。


これからも続いていく時間の中で、少しずつ変わっていく櫻子を、見守り続けていくつもりだ。

(……甘いですわね)ぱく


チョコレートはまだまだビターには程遠い甘さだけれども、


来年のバレンタインは私も、大人っぽい趣向に変えてみようか。



「どう……おいしい?」


「ええ、とっても」



~fin~

Happy Valentine's Day!

ありがとうございました。

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