春香「如月千早、チハヤ!チ!ハ!ヤ!」 (19)

それは、あるレッスンが終わった日のことでした。

千早ちゃんが背伸びをしながら言います。

「喉乾いたわぁ…」

余程疲れていたのか、日頃の千早ちゃんでは考えられない、たるみっぷりでした。

雪歩が思わず目を丸くしました。

「そうですねぇ…あっはは。」

「じゃあ飲み物買いに行こう」

私が提案すると、千早ちゃんは元の雰囲気に戻り、引き締まった表情で頷きました。


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自動販売機の前で、千早ちゃんは財布を探りながら並べてある飲み物を眺めます。

「どれにしようかしら…。炭酸物は控えたいし、かと言ってお茶はあんまり… うーん、スポーツドリンクかしら、これでいいわ」

珍しく飲み物に悩む千早ちゃんを見てると、とっても疲れてるんだなぁというのが分かりました。

千早ちゃんはボタンを押すと、取り口からスポーツドリンクを取り出しました。

「千早ちゃん、今日レッスン頑張ってたよね」

歩きながら話をしている途中、ふと私は今日のレッスンの事について話しました。

千早ちゃんは真面目な顔で頷きました。

「えぇ…ファンの人達に少しでも私の歌を聴いてほしいから」

とても透き通った声でした。
真剣な返答に少し戸惑いつつも、私は千早ちゃんに頷きます。

「へぇ〜……千早ちゃん、頑張ってるんだね」

一瞬…一瞬だけ、私と千早ちゃんの距離が遠のいた気がしました。

……

事務所に戻ると千早ちゃんは、今日はもう帰るわ、と早々に事務所を出て行きました。

その場に残って一人荷物を片付けていると、ふと、呼びかけられました。

「春香。 ちょっと…いいかしら?」


その声は律子さんでした。

律子さんは、自分の仕事場へと場所を移すと、椅子に座って黙りこくりました。

「…どうかしたんですか?」

「いや…何でもないの。ただ、頭の整理をしてるだけよ」

頭の整理…
はてな文字が私の頭の上に浮かびました。

って…何ですか?

律子さんは罰の悪そうな顔をして、

「伝えるべきか…迷ってたの。 でも、言うわ…春香。落ち着いて聞いてくれないかしら」

「…はい」

そう、私の目を見て言うのでした







「近々千早が事務所を離れること…春香は知ってるかしら」


「…………………えっ」







「千早ちゃんが…事務所を離れる」

「えぇ、そうよ」

「それって…辞めるってことですか」

「辞めるというより、他の事務所に移るの」

「ここから…いなくなる…千早ちゃんが」


律子さんは、私の質問に機械のように答えてくれました。

気がつけば私の目に映る律子さんの顔が、ボロボロと崩れていました。

「千早が歌が上手なのは春香も知ってるでしょう。あの娘の歌は、もっと上を目指していける…そう、ある大手の事務所から電話が入ってね」

「そう…ですか」

それ以降、律子さんの話は全く耳に入ってきませんでした。ただただ千早ちゃんが居なくなるという現実に耐えるだけで、精一杯でした。

千早ちゃんと過ごした日々が、じんわりと頭の中で浮かびました。


千早ちゃんが居なくなる…
事務所から…私のそばから…

私は事務所を出ると走り出しました。

暗い夜道に明かりが灯されるなか、道行く人を掻き分け、必死に走りました。


ついさっき事務所を出て行った千早ちゃんは、まだこの道を歩いているでしょうか


ふと前を歩いてきた人にぶつかります。

「きゃっ……。あ、あらぁ春香ちゃん」

弾力に押しのけられて、私は目の前の人に目を移しました。

前にいたのは、あずささんでした。

「どうしたのぉ…?春香ちゃん。うっふふ…そんなに慌てて」

何も知らないあずささんは、私を見てニコッと笑うのでした。

「あずささん…千早ちゃんが…千早ちゃんが!」

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