北条加蓮「希望の聖夜」 (23)


 病室のベッドに腰掛けて、私は独り遠く窓の外を眺める。

 白い雪がしんしんと降っているホワイトクリスマス。

 街はきっと幸せに満ち溢れているだろう。

 家族で楽しく食卓を囲んだり、友達同士でパーティを開いてプレゼント交換。

 それから、恋人同士でデートしたり――。

 そんなことに思いを馳せて、私は現実に引き戻される。

 ガラス窓に映る女の子……つまり私の表情は、楽しいはずのクリスマスとは無縁で。

 不意に目が合えば、その瞳はどこまでも冷たい色をしていた。

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 クリスマス、それは一年に一度の特別な日。

 けれども私にとっては、特別でも何でもない普段通りの日。

 ……ううん、きっとそうじゃない。

 寧ろ普段よりも、虚しい気持ちにさせられてしまう日なのかもしれない。

 病院の外には希望が溢れているのに、私はただ何時も通りに窓から外を眺めているだけ。

 今年もこんな気持ちで終えてしまうように。

 どうせ来年も、再来年も、そのまた次も。

 今日という日に希望なんか無くて。だから――――。

「クリスマスなんか、無くなればいいのに……」

 私はガラス窓の向こうへと呟いた。

 この声が、聖夜を幸せに過ごしているだろう誰かに届いてしまえばいい、そんなことを思いながら。


 


 


「はぁ……さむーい。女の子を待たせるなんて、――さんは罪な人だね。

でも、ちゃんと来たから許してあげる。でもでも、凍えちゃったから、温かいモノをくれるまで許してあげない♪」

 待ち合わせ場所に来たプロデューサーさんに楽しげに言った瞬間、すっと缶飲料を差し出される。

 それは自販機でよく見かけるホットココアで。

 私は「流石はプロデューサーさん、ありがと」なんてお礼を言って受け取り、一口飲む。

「温かくて、美味しい……」

 何の変哲もないどこでも買える缶ココアなのに、いつもと全然違って感じるのはどうしてだろう。

 ……なんて、理由は明白で。

 その答えの主は、私が飲み終えたのを確認すると「これからどうする?」なんて訊ねてくる。

「うーん、どうしようかな……」

 今日になっていきなり誘ったのは私で。

 でもだからと言って、明確にどうしたいという何かがある訳でもなかった。

 この特別な聖夜という時間を、二人で一緒に過ごせる。ただそれだけで十分だったから。


 そんな私の気持ちを知ってか知らずか、プロデューサーさんが映画という案を出してくる。

 私達の居る待ち合わせ場所からも見える範囲にある、大きな映画館。

 壁には、“大ヒット上映中”の文字と共に一枚の大きなポスター。

 その作品は『長月の江戸乙女』――題名通り江戸を舞台にした、私の初出演映画だ。

 春頃に和装束のモデル仕事をしたけれど、その姿を一目見て気に入ったという監督さんが直々にオファーしてきたもの。

 思わぬ出来事に私はもちろん、プロデューサーさんも皆も喜んだけれど。

 監督の演技指導はとても厳しくて、元々どちらかと言えば体力が無い方の私にとっては大変だった。

 けれども、とても充実した時間でもあって。

 演技の練習に付き合って貰うという名目で、プロデューサーさんと二人で遅くまで事務所で過ごしたこともあったし……。

 そんな努力の甲斐もあって、映画の出来はとても素晴らしいもので。

 プロデューサーさん曰く、関係者招待の試写会で見た後も何度も自分で映画館に通ったくらいに。


「映画もいいけど、それよりも街を二人で歩きたい……かな」 

 流石に自分の出演作はともかくとしても、二人で映画を見るのも有りかも知れない。

 そう思ったけれど、やっぱりこのホワイトクリスマスをより強く感じていたいのだ。

 暖房の効いた映画館の中では無くて、厚着をしても少し肌寒く思えるような、この街の中で。

 その寒さすらも、今の私にとっては幸せだったから。


「じゃあ、行こっか」

 私はプロデューサーさんの手を掴んで恋人繋ぎ。

 コートにマフラーと防寒対策はしっかりしてきたけれど、なんとなく手袋だけは付けてこなかったのだ。

 だから、お互いの手のひらが直接触れ合って。

「今の私達は、周りからどんな風に見えるかな? やっぱり、恋人同士?」

 そんな風に訊ねた後。

「もしも記者の人に撮られちゃって、熱愛スキャンダルみたいになったらどうする?」

 ちひろさん直伝の週刊誌対策は万全だったけれど。それでも、万が一の可能性として。


「ちなみに、お母さんからは『プロデューサーさんに責任取って貰いなさい』って言われてるんだけど」

 この場合の責任とは、多分プロデューサーとして、ではないだろう。

 ……お母さんも、悪戯げな笑みを浮かべて言っていたし。

「そこのところ、どうなんでしょう?」

 少しおどけた口調で、小首を傾げて見せる。

 するとプロデューサーさんから返ってきた答えに思わず、

「ふふっ、よろしいっ」

 なんだか嬉しくなって、私は繋いでいた手を離す代わりに腕を組んだ。

 その方がもっと、幸せな気持ちになれる気がして。


 二人で街中を歩いていた時、不意にプロデューサーさんの視線が遠くに向けられる。

 その視線の先には、二人組の女子高生。

『アンタさー』

『アタシだってー』

 今時の女の子が楽しそうにはしゃいでいるのを、感慨深そうに眺めていた。

「もう……私と居るのに、他の女の子に見惚れるなんて……」

 少し拗ねたように言ってみれば、「そうじゃなくて」と否定の言葉。

 それから、懐かしそうな顔になって、

「会ったばかりの頃の加蓮を思い出すなあ、と」

 そんなことを言う。


 ……確かに、あんな感じだったかもしれない。喋り方とか、雰囲気とか。

 ちょっと、いやかなり、思い出すのは恥ずかしい気分。

 事務所の皆の中で、凛をからかう時の定番ネタが『ふーん、アンタが私の』という初対面での言葉だけど、

実のところあれは割と私の方にもダメージが来たりするのだ。

「ち、ちなみに」

 自然な感じで訊ねようとしたのに、それは上手くいかなかった。

「あの頃の私のこと、正直言ってどう思ってた?」

 お世辞にも可愛い女の子とは言えなかっただろう。

 ――わがままで、素直じゃなくて、少し生意気な……。

 あの頃の自分と、今の自分は違う。

 それでも、もしもネガティブな言葉を口にされてしまったら、やっぱり少しショックかも知れない。

 今の私とは違うけれど、それでも“アタシ”も確かに紛れもない自分だったから。


 だから――。

 まるで見透かすかのように、私の抱える不安を優しい笑顔で否定したプロデューサーさんの言葉が嬉しくて。

「うん、ありがとう……」

 寒い冬空の下、心だけはとても温かい。

 私はその自分の中の温かさを感じて貰えるように、組んだ腕を強く抱きしめた。


 そろそろお腹も空いてきた頃になって、二人でレストランに入る。

 私が注文した量を見て、「それだけでいいのか?」なんて訊ねてくる。

「――さんは、ぽっちゃりしている方が好み? だったら、もっと太ってみようかな?」

 そんなことを言ってみれば、慌てた様子で否定する姿に思わず噴き出す。

「ふふっ、冗談だってば。言いたいことはちゃんと分かってるから」

 私が痩せ過ぎだと、いつも心配していることを知っていた。

 もっと食べて、“あくまでも健康的な範囲で”、もう少し太って欲しいと思っていることも。


「これでも、昔よりは多く食べられるようになったんだよ。前よりも、ご飯が美味しいなって思えるから」

 そう言って、さらに言葉を続ける。

「どうしてご飯が美味しく感じるか、分かる?」

 レッスンやトレーニングでお腹を空かせている、というのも勿論ある。

 でも、一番は――。

「幸せだから、だよ。誰かさんに会ってアイドルになれてから、ずっとね」

 それを聞いたプロデューサーさんの顔が少し照れ臭そうになる。余り見たことがない表情。

「ふふっ、珍しい顔見ちゃった」

 そんな風にからかおうとしてみれば、『そういえば』なんて露骨な話題転換の後。

「クリスマスプレゼント、ありがとう。嬉しかったよ」


「……気に入ってくれた?」

 感謝の想いを伝えたくて、悩みに悩んで選んだクリスマスプレゼント。

 これまでの思い出が詰まったたくさんの写真を取り込んだ、世界に一つだけのデジタルフォトフレーム。

 プロデューサーさんに出会ってからの私の全てをプレゼント、なんて言ったら少し照れ臭いけれど。

「気に入ったよ。早速、部屋に飾らせて貰ったくらい」

「そっか、うん。それなら良かった」

 部屋のインテリアになるようにお洒落なデザインのものを選んだから、そういう意味では大成功だ。

 事務所のデスクの上とかじゃなくて、自分の部屋というのも嬉しかったりして。

「一枚一枚見てたら、思い出が蘇ってきて……。加蓮のプロデューサーで良かった、って思った」

 真剣な表情で言われて、今度は私が照れる番だった。


 食事を終えて、私達は街をぶらぶらと歩いていた。

 イルミネーションで彩られて、あちこちの店内からクリスマスソングが流れる華やかな街。

 そんな中で、一つのお店が視界に入る。

 自作らしいシルバーアクセサリーを並べた露天商。

 私の意識が向いているのに気付いたのだろう。

 プロデューサーさんが「見て行こうか」と言ってくれたのに頷いて、店に寄って商品を見せて貰う。

 カッコイイ感じのものから、可愛らしいデザインのものまで色々と揃っていた。


「……この中から、何か一つ選んでプレゼントしてくれたら嬉しいな」

 そう言ってみれば、プロデューサーさんは少し小難しい顔。

 露天商の人には聞こえない距離で小声で言うには――。

 クリスマスプレゼントのお返しのこともあるし、どうせならもっと高い物じゃなくていいのか、ということらしかった。

 確かに、ここに並んでいるシルバーアクセサリーは比較的リーズナブルだったけれど。

「うん、ここで選んで欲しい、かな」

 なんとなく、ここに拘りたい気分だったのだ。

 とても幸せな気分の聖夜デート中に、たまたま目にとまったお店だからこそ。

 そんな私の言葉に頷いて、真剣な表情でプロデューサーさんが並んだ商品を吟味していく。


 やがてプロデューサーさんが選んだのは、一つのペンダント。

 雪の結晶を模したようなデザインのペンダントトップに、白く光る泡雪が一片落ちた。

 きっと、このペンダントを見る度に、雪の舞い散る今日の聖夜を思い出す。

 この幸せな時間を。

「――さんが、付けてくれる?」

 そうお願いすれば、こくりと頷いて、チェーンの留め具を外して私の首へと回してくれた。

「どう? 似合うかな?」

 そう訊ねた私に、優しく頷いてくれる。


 自分でも見てみたくて、私はショーウインドーの前に立つ。

 そこに映った私の首元で、ペンダントがきらりと輝いている。

 少し視線を上げてみれば、自分の顔が視界に入る。

 とても幸せそうに笑う、一人の女の子の姿。

 ――そんな自分を眺めていると、不意にその姿が揺らぎ始めて。


 それが収まったかと思えば、そこには幼さを感じさせる小さな女の子の姿。

 真っ白な壁に、無機質なベッド。

 そこにぽつんと腰掛けた、無表情の少女が映り込んでいた。

 たとえ外にどれだけ希望が溢れていても、自分には関係ないのだという表情で。

 全てを諦めたような瞳でこちらを見据えながら、小さく何かを呟く。

 ガラスに映った過去の幻影に、私は優しく微笑みかける。

「そんな悲しいこと……言っちゃ駄目だよ?」

 ――今は信じられないかも知れないけれど、貴方にも希望の聖夜が待っているから。

聖夜加蓮の思い出エピソード(前・後編)を見て浮かんだSSです。
では、ここまでお読み頂いた方はありがとうございました。

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