ライナー「俺は、こんなことには負けない」 (39)

静かな空間に自分の荒い息だけが響いている。

ライナー(——息を整えろ)

一度深く息を吸い、ゆっくり大きく吐き出すことで無理やり呼吸を整えた。

ここは訓練場の中でも人通りが少ない区画に位置している。

誰かが偶然にでも通りかかってくれる可能性は低いだろう。

ライナー(——落ち着け)

毒づきたくなる自分を必死に抑える。

ここにいることはまだ知られていないはずだ。

なんとか見つからずに居住区まで戻らなくてはならない。

こっそりと建物の角から顔を覗かせ周囲を見渡す。

ライナー(いないな……。いけるか?)

一瞬迷ったが、すぐに決断して走り出す。

見つかった気配はない。

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ライナー(いける! あとはそこの通りまで辿り着ければ……)

速度を緩めずに居住区へと続く通りへと飛び込む。

ライナー(——ッ!?)

どうしてかわせたのか。

勘としか言いようがなかった。

通りへと飛び込んだ瞬間に身体を捻って横っ飛びに飛ぶと、自分が通るはずだった空間が鋭く切り裂かれた。

走っていた勢いのまま転がって建物にぶつかる。

ライナー(ぐっ……ぁ……)

無理やり身体を捻ったせいで痛む身体に鞭打ち、急いで立ち上がる。

ライナー「……よう、アニ。待ち伏せかよ」

待ち伏せをしていた人物、アニに声をかけるが返事はない。

ライナー「なあ、どうしてなんだ?」

どこか虚ろな目をしたアニは何も答えずに静かに構え、そのまま間合いを詰めてくる。

ライナー「ああ、そうだったな。知ってるよ」

擦り寄るように近づいていたアニはライナーの間合い、そのぎりぎり外側で止まった。

ライナー「特に理由なんてないんだよな」

その言葉を合図に、アニは一息にこちらの間合いを侵し、自らの打撃が最も有効となる距離にて蹴りを放つ。

狙いはライナーの足首。

機動力を削ぐつもりなのだろう。

ライナーは半歩下がってその蹴りをかわしてから、前方に飛び込んで自ら間合いを詰める。

ライナー(近接格闘じゃ分が悪い……。だが後ろに逃げ場はない! アニの脇を抜けて居住区へと戻る!)

牽制のために右拳を大袈裟に振ると、アニは僅かに身を仰け反らせてかわした。

もとから当てるつもりはなかった。

彼女の動きでできた隙間に身体を捻じ込むと、拳を振るった勢いのまま駆け出す。

ライナー(よし! このまま走り抜ければ——)

だがそれは叶わず、ライナーは走り出した勢いで地面へと転がった。

ライナー(な、に……!?)

右膝の裏が痺れるように痛む。

右足に体重が乗った瞬間を狙ってアニに蹴り抜かれたのだろう。

ライナー(こっちの思惑はお見通しかよ!)

立ち上がろうとし、目の前に足が迫るのを見て慌てて尻餅をつく。

アニの蹴りは頭の僅か上を通り過ぎていった。

ライナー(あっぶねえ!)

息をつく間もなく続けざまにアニがこちらの側頭部目掛けて蹴りを放ってくるが、尻餅をついたまま両手の力だけで身体を後方に押し出してなんとかかわす。

だが、喜ぶこともできず、背中に感じた衝撃に血の気が引く。

建物に背をつけてしまっていた。

ライナー(冗談じゃ、ねえぞ……!)

焦るライナーとは対照的に、アニは静かに近寄ってくる。

相変らず目は虚ろ。

ライナー「おい、アニ! 目を覚ませ!」

叫んでも何も反応はない。

ライナーの目前まで来ると、両手を挙げ、攻撃の構えをとった。

ライナー「ここまで、なのかよ……」

その呟きにも何も反応はない。

アニは大きく一歩踏み込むと、その右足をライナーへの側頭部目掛けて撃ち放った——。

アルミン「ライナー! どこだ!?」

その声にアニの動きはぴたりと止まった。

蹴りの風圧をこめかみに感じたライナーは荒く、短く息をつく。

ライナー(助かっ……た……?)

横目に見ると、アニの蹴りは指二本分程度の距離で止まっている。

下ろされていく足を見ながらごくりと唾を飲み込んでいると、建物の影からアルミンが飛び出してくるのが見えた。

それを見てようやく安堵するライナーにアニから声がかかった。

アニ「——ライナー? そんなところに座り込んで何してんの?」

ライナー「……いや、何でもねえよ」

アニ「変なやつ」

アニはそう言い捨てて、ようアルミン、と挨拶をしながら居住区へと戻っていった。

アルミン「ライナー! 大丈夫!?」

ライナー「ああ、なんとかな。——助かったぜ」

心配顔で駆け寄るアルミンに素直に礼を言う。

今更ながら全身から嫌な汗が噴出してくる。

アルミン「無事で良かった。駄目じゃないか。ミカサ、エレン、アニとは二人にきりにならないように注意しただろう?」

ライナー「すまん。気をつけてはいたんだがな」

アルミンに手を貸してもらって起き上がると、並んで居住区へ向かって歩き出す。

アルミン「それで、何か新しくわかったことはあった?」

ライナー「——いや、何も」

アルミン「そうか……」

小さくかぶりを振ると、アルミンは心底残念そうな顔をした。

アルミン「ねえ、もう一度最初から話してもらっても良いかな? 何か発見があるかもしれない」

アルミンの言葉に頷く。

どうせ自分だけで考えてもわからないんだ。

原因を探り、対策を考えるのにアルミンほど頼りになるやつはいない。

ライナー「そうだな。最初にそれが起こったのは——サシャだった」

ライナー「あれは、訓練が終わって夕食に行こうとベルトルトを待っているときだった。前のほうからサシャが歩いてくるのが見えて、声をかけたんだ」





………………

ライナー「よう」

こちらに向かってくるサシャに手を上げて声をかけたが、彼女は何も応えない。

一見するといつもと変わらぬ彼女に思えたが、何かが違う感じがした。

虚ろな目でこちらを見据え、真っ直ぐに向かってくる。

ライナー(なんだ……?)

訝しんでいると、突然頬に衝撃が走った。

少し間をおいて、じんじんとした痛みを感じる。

ライナー「!?」

理解が追い付かなかった。

サシャに平手打ちされた、それはわかる。

だが、そうされる理由がわからなかった。

戸惑っていると、サシャが右手を振りかぶるのが見えた。

ライナー「?」

今度は拳を握っている。

殴られる理由はわからなかったが、おとなしく殴られてやるつもりはなかった。

拳の軌道を目で追い、半歩下がってその軌道から身を外す。

だが、サシャはライナーがそう動くのを読んでいたかのように、下がったライナーに向かって全身をぶつける勢いで踏み込み、その勢いのまま、こめかみに肘を叩き込んだ。

ライナー「がっ……」

衝撃が突き抜け脳を揺らし、堪らず崩れ落ちた。

立ち上がろうともがくライナーに、追撃をしようとするかのように近づくサシャ。

その目は変わらず虚ろで、何を考えているかは窺い知れない。

ベルトルト「ライナー、お待たせ!」

自分を呼ぶ声に顔を向けると、待ち合わせていたベルトルトがこちらに歩いてくるのが見えた。

ライナー「ベルトルト! 来るな!」

サシャの意図がわからないうちはベルトルトを近づけさせないほうが良いと判断したのだが、ベルトルトには伝わらなかったようだ。

ベルトルト「え? どうかしたの?」

歩みを止めず近づいてくるベルトルト。

心の中で舌打ちし、サシャを見ると、なにやら様子がおかしい。

いや、正確にはおかしかったのが戻ったと言うべきか。

先ほどまでの虚ろな目はどこかへいき、不思議そうにこちらを見つめていた。

サシャ「ライナー、そんなところに座り込んで何をしているんですか?」

ライナー「……は?」

サシャ「うわ! ほっぺたが真っ赤になってますよ!?」

ライナー「何を言ってやがる。これは今さっきお前がやったんだろうが!」

サシャ「ライナーこそ何を言ってるんですか。私がそんなことするわけないじゃないですか」

ライナー「……」

その言葉に、とうとう何も言うことはできなくなった。





………………

アルミン「それで、サシャは自分がライナーを攻撃したことを覚えていなかったんだね」

ライナー「ああ」

アルミン「それ以降も幾度も襲われて、今までわかっていることは、

一つ、一日に一回、理由もなく暴力を振るわれる。

二つ、暴力を振るった相手はそのことを覚えていない。

三つ、暴力を振るわれる際に前触れはない。

四つ、相手は一人とは限らず複数人の場合もある。

五つ、暴力を振るうようになった人以外がその場に来た又は近づいた場合、正気に戻る。

六つ、必ず素手で襲い掛かってくる。

こんなところかな?」

ライナー「ああ、それで間違いねえ。四つ目に付け加えるなら、その時、その場にいた全員が襲い掛かってくる感じだな」

アルミン「厄介だね……。覚えてないんだけど、僕も襲い掛かったんでしょ?」

ライナー「まあな。そん時はエレンがお前を探しにすぐ現れたから、殴られる前に正気に戻ってくれたがな」

ライナー「アルミンでも原因はわかんねえか?」

アルミン「うん、ごめんね」

心底申し訳なさそうな顔をするアルミンに、逆に罪悪感を覚えてしまう。

ライナー「いや、お前が謝ることじゃねえよ。半分以上、お前に止めてもらえてるしな」

アルミン「役に立てているなら嬉しいよ。……こんなことそうそう人に相談できないしね」

——みんなが突然襲い掛かってくるんです、しかもそのことを覚えていないんです。

そんなことを教官に言った日には、正気を疑われて訓練兵団から追い出されかねない。

それ故に自然と相談できた相手は限られた。

アルミン「とにかく、僕とベルトルト、ジャン、マルコで定期的にライナーの所在を確認するって今の方策は功を奏しているみたいだから続けていこう」

ライナー「すまんな。頼りっぱなしで悪いとは思うが、自分ではどうしようもなくてよ……」

アルミン「良いよ。困ったときはお互い様さ」

アルミン「でも、何度も言っているように、ミカサ、エレン、アニには気をつけてね」

ライナー「わかってるよ。今のだってアルミンがすぐに来てくれたから助かったようなもんだからな」

寸前で止められた蹴りを思い出し、背筋が凍る。

アルミン「うん。あの三人は対人格闘術ではずば抜けているからね。下手したら探している間にどうなるか……」

アルミンの言葉は大袈裟でもなかった。

自身も対人格闘術はそこそこにできるつもりではあるが、あくまでそこそこに過ぎない。

エレンはアニと評価的には同じようなものだが、実際はアニが手を抜いているため、実力的にはアニ、エレンの順か。

問題は、ミカサだ。

術としてはアニに一歩譲るものの、身体能力では断トツだ。

はっきり言って、襲われたら対抗するどころか、逃げることすらできそうにない。

溜め息をつきそうになるが、何とか堪える。

ライナー(訓練課程の修了まであと少しだ。卒業さえしちまえば、何か変わるかもしれねえ……)

その考えに根拠などまったくなかったが、今はその考えを拠り所に耐えるしかないことはわかっていた。





………………

コニー「……」

ライナー「今日はお前か」





………………

クリスタ「……」

ユミル「……」

ライナー「クリスタだけなら甘んじて受けても良かったんだがな……」





………………

サシャ「……」

ライナー「またお前か」





………………

アルミン「……」

ジャン「……」

マルコ「……」

ベルトルト「……」

ライナー「……今度から対策会議だとしても、一度に全員は集まらないほうが良さそうだな」





………………

キース教官「……」

ライナー「まじかよ……」





………………

サシャ「……」

ライナー「お前、本当は俺に何か恨みがあるんじゃないか?」





………………

ライナー(しんどい……)

連日誰かに襲われるというのは、想像以上に神経が削られていく。

ただ、実際に殴られたのは今までに数度のみで、この過酷な状況下で上手く立ち回っていると思われた。

ライナー(まあ油断ならんがな。それでも卒業までの残り数日は乗り切れそうだぜ)

そんなことを考えながら歩いていると、前方からミカサとエレンが歩いてくるのが見えた。

よう、と手を挙げてふと気付く。

ライナー(……やべえ。今日はまだ誰にも襲われてないぞ)

おう、と返したエレンは目線をライナーの後ろにやり、「アニも散歩か」などと言う。

ライナー(アニ?)

振り向くと、アニがポケットに手を突っ込みながら歩いているのが見えた。

全身が総毛立つ。

アニの目は、ライナーに据えられているが、光はなく、どことなく虚ろ。

ライナー(待て、これは……)

慌てて向き直ると、虚ろな目をしたエレンが拳を振りかぶっているのが見えた。

ライナー「まじ、かよ!」

後方にはアニがいるために下がることはできない。

エレンの拳を掻い潜り、背後を取ったところで、ミカサの姿が見えないことに気付く。

その気付きに戦慄している暇もなく、全身を投げ出してみっともなく転がると、今まで立っていた石畳が砕け散るのが見えた。

砕いたのは上空から降ってきたミカサだった。

ライナー(立体機動も無しでその動きか!)

改めてその桁外れの身体能力に舌を巻いていると、拳を振り切ったエレンが振り向き様に蹴りを放ってくる。

完全に崩れた今の体勢では避け切ることもできず、両腕でガードをする。

ライナー「いってえ……!」

みしりと嫌な音がして腕の骨が軋む。

だが、痛がってはいられず、息をつかせず襲い掛かってくるアニの蹴りを今度は受けずになんとか避ける。

何度も受けていては、肉が潰れるのが先か、骨が砕けるのが先か……。

どちらにしろそんな状態になったらあとは嬲られるだけだ。

繰り出される蹴りを、拳を。

下がって、前に出て、横に飛んで、転がって。

それでもどうしようもなければダメージが最小に抑えられるようにガードして。

だがそれも長続きはしない。

あっという間に痛む箇所が全身に拡がっていく。

当然だ。

一対一でも敵わぬ相手が、三人も同時に襲い掛かってきているのだから。

だが気を抜くわけにはいかない。

そんなことをすれば、一瞬で叩き潰されるのは目に見えていた。

反撃はしないのではない。

できないのだ。

日頃の訓練で彼我の実力差は身に染みている。

少しでも攻撃に転じようとすれば、その隙をつかれるだろう。

ただひたすら、大きなダメージを受けないように、守勢に回り、誰かが来るのを待つしかない。

だが、ただ待つだけでは身が持たない。

動きながらも何とか叫ぶ。

ライナー「アルミン! ベルトルト! ジャン! マルコ!」

返事はない。

ライナー「この際誰でも良い、助けてくれ!!」

恥もなく叫ぶ。

誰でも良い。

誰かがこの場に近づいてくれさえくれれば終わるのだ。

それまでは何としてでも無事に切り抜ける。

決意したライナーは呟く。

ライナー「俺は、こんなことには負けない」

襲い来る三人を相手に、そう呟いた。





………………

ライナー(思えばあれが一番しんどかったな)

ミカサ、エレン、アニの三人に襲われたときのことを思い出す。

今考えてもあれを切り抜けられたのは奇跡としか言いようがない。

ガードしていた腕を中心にあちこち痣だらけになったが、あの三人が相手だと言うことを考えれば、十分軽症な部類だろう。

昨日、全訓練課程を修了した。

今日で訓練兵団での生活も終わる。

大声で最後の挨拶をするキース教官の声も聞き納めだと思うと、感慨深いものがあった。

ライナー(とにかく、卒業したら一日でも良い。誰にも襲われないのんびりした休日を過ごしたいぜ)

そんなことを考えていると、教官の声が止んでいるのに気づいた。

挨拶が終わったのかと教官を見ると、虚ろな目でこちらをじっと見ている。

その目には、見覚えがあった。

ごくりと唾を飲み込み、周囲を見ると、皆がこちらをじっと見ている。






——見慣れた、虚ろな目で。

卒業すれば理由のない暴力に襲われることはなくなる、根拠はないがどこか確信めいたものがあった。

訓練課程は全て修了した。

だから今日、まだ誰にも襲われていないのは当然だと思っていた。

終わったものだと思い込んでいた。

だが、訓練課程が終了しただけで、自分はまだ訓練兵団の所属なのだ。

つまり、まだ卒業は、していない——。

もう一度、ごくりと唾を飲み込む。

ここには、教官も含め、訓練兵団の関係者が全員集まっている。

その全員が、理由のない暴力を振るう状態になっている。

誰かがここを訪れるのはいつだ?

明日の朝には各兵団の説明をする人が来るといっていた。

つまり、明日の朝まで、半日以上は誰もここには来ないのだ。

虚ろな視線が自分に集まっているのを感じる。

ライナー「俺は」

震える声を振り絞った。

ライナー「こんなことには負けない」

声を出すことに意味があるとは思えなかった。

ライナー「絶対に」

だが、そうしなければ不安と恐怖と絶望に押し潰されそうだった。

ライナー「負けない」

大きく息を吸い、祈る。

何に祈ったのかは自分でもわからない。

ただ、何かに祈った。




ライナー「俺は! 理由のない暴力になんか、絶対に負けない!」

吸った息を全て吐き出しながら叫ぶ。



その叫びを合図に、第104期訓練兵団及び全ての教官の、理由のない暴力が一斉にライナーに襲い掛かった。





終わり

頼れる兄貴、ライナーのSSを書こうとしたらこうなった。

皆も理由のない暴力には気をつけてください。



書いている途中で思いついたもう一個のネタの方が良かったかもしれないと思いつつ、せっかく書いたので投下。

アルミン、ハンジに続いてライナーの嘘予告。

ジャンとみかりんはもうあるらしいので、次は進撃の世界観を活かした絶望渦巻くSSを書きたいです。

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