有香「兄弟子Pとブラジリアンキック」 (44)

「ハッ! セイッ! ……セイヤッ!」
目の前の相手をしっかり見据え、左右の突きから蹴りを放つ。
相手が同年代ならば女子どころか男子ですら容易に防げない3連撃を、その人はいとも容易く腕でガード。
続けざまに右足を振り上げ、膝を下向きになるまで内転させながら足を振り下ろす。
ブラジリアンキックと呼ばれる難度の高い大技がーー
「甘い」
決まりませんでした。
その人は避けるでもなく、防ぐでもなく、足首を掴むという防御の中では一番難しい方法を簡単にやってのけました。
「キャァァァァ!!」
そして、掴んだ足首を離すことなく、上へ持ち上げました。あたしは今、逆さ吊りです。

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初めまして、あたしの名前は中野有香です。そしてここは、神誠道場という、とある流派の空手道場です。
「いつも言ってるだろ中野。30センチも背が違う相手にハイキックなんか通用しないからロー狙えって」
「あの……そろそろ下ろしてほしいのですが、兄さん」
あたしが兄さんと呼んだ男性は、未だにあたしを逆さ吊りにしたままです。
ちなみに、兄さんといっても血の繋がった兄ではありませんよ。
「オレの方が先に入門したからオレが兄弟子だ。兄さんって呼べよ」
「はいっ! よろしくおねがいします、にいさん」
あたしが小学校のとき入門した神誠道場で、初めて会った兄さんとこんなやりとりがあったのです。
その時のあたしには知る由もありませんが、あたしと兄さんは年齢は少し離れてますけど、入門時期は3日しか違わないそうです。なんだか釈然としないものを感じます。

兄さんはとある漫画の影響で空手を始めたそうで、その漫画と同じことをしてみたかったそうです。
あ、ちなみに神誠道場は別に一子相伝の暗殺拳を伝授しているわけでもありませんし、こんな時代錯誤な兄弟弟子みたいなものなんてありません。
大人の人は普通にさん付けで名前を呼び合いますし、学校の部活でもないので理不尽な先輩後輩関係みたいなものもありません。
とてもクリーンな道場です。
「護身術やダイエット目的でやってる女性も多いしな。お前は違うけど」
「モノローグに入ってこないでください。そして下ろしてください」
「ほらよ」
急に足首を掴んだ手を離されたので、床に両手をついて受身を取りました。
まったく、ゆっくり優しく下ろしてくれてもいいでしょうに、酷いものです。

「無理してブラジリアンやるなよ、お前柔軟性はあるけど、あれじゃ遅すぎだ」
「…………」
そう、あたしが足を掴まれたブラジリアンキックは、未完成なんです。
未熟な相手なら当たりますが、足を振り下ろすまでの動作がスムーズにいかないので、熟練者相手には遅すぎるのです。
「あたしは諦めません。必ず完成させて兄さんをダウンさせてやります」
「強情なこった。まあ、頑張れよ。そろそろ帰ろうぜ、師範に怒られる」
「押忍! お疲れ様でした」

入門当初、あたしと兄さんは一緒に稽古してましたが、年齢や男女の差もあり兄さんがすぐ強くなったので、別々のクラスに分けられました。
幼かったあたしはそれが悔しくて、暇を見つけては何度も何度も兄さんに挑みました。
いつからか、あたしと兄さんは全体の稽古が終わった後、師範が道場を閉めるまでのわずかな時間で組手をするのがお決まりです。
今のあたしはかなり強くなりました。全国大会の常連で、同世代の中ではちょっとした有名人なのです。でも、兄さんはもっと有名です。全国大会では表彰台の常連です。
あたしは、兄さんに一度も組手で勝ったことがありませんし、知名度でもボロ負けです。

「神誠道場? あのブラジリアンキックの人がいるとこだよね」
初めて会う空手関係者には、いつもこの台詞を言われます。
ブラジリアンキックは、兄さんの得意技であると同時に代名詞にもなっています。
高校生の頃にこの技を習得した兄さんは、全国大会で初優勝し一気に有名になりました。
あたしがブラジリアンキックにこだわる理由はここにあります。
兄さんの代名詞であるブラジリアンキックで兄さんを倒す。
神誠道場といえばブラジリアンキックの中野有香。そう言われるようになって初めて兄さんを超えることができるのです。

「中野、俺4月から道場にあまり顔出せないと思う」
「…………」
道場からの帰り道、兄さんは唐突に告げてきました。
こうなることはわかっていました。兄さんは大学を卒業して、4月から就職します。
毎年この時期になると、進学や就職などで多くの人が道場をやめます。
やめなくても、稽古に参加する回数が減ってしまう人も少なくありません。

「月謝は払っておくから、やめるわけじゃないんだが、正直どれくらい時間が取れるのかよくわからん」
「兄さんの就職先って、どんな会社なんですか?」
「それは秘密。そのうち教えてやるよ」
あたしが兄さんに就職先のことを聞くのは、これが初めてじゃありません。
兄さんは何故かこのことだけは絶対に教えてくれません。道場の人に聞いても、師範にすら言っていないそうです。
「引っ越すわけじゃないから、そのうち会えるようになるさ」
今は3月、タイムリミットまでもう時間がありません。

とりあえずここまで
今日の夜か明日またきます

「まさか果たし状を送ってくるとはな。本気なんだな、中野」

「押忍」

3月31日、あたしは兄さんを道場に呼び出しました。
この日まで、やれることはすべてやってきました。

「行きます」

あたしは一気に間合いを詰め、自分の想いをぶつけるかのように技を繰り出しました。
正拳、裏拳、手刀、掌打、蹴り。持てる技を駆使し、目の前の相手を倒すことだけに集中します。

「そうだ、身長差はハンデにはならない。今みたいに下段突きやローキックを増やすことで、体の大きい相手は防御する面積を増やさなくてはならないからな」

あたしは以前兄さんに言われた通り、低めを中心に攻撃しています。特に、下腿部を執拗に。

「ぐっ!」

執拗なロー攻めが身を結びました。兄さんが一瞬顔をしかめたのを私は見逃しません。
上段突きで意識を上に逸らしてから、下段蹴りのモーション。兄さんが防御するため足に力を込めたところで、あたしは振り上げかけた左足を戻しました。下段蹴りはフェイントです。
あたしは素早く右足を振り上げ、上段蹴りのモーションに入りました。
兄さんは避けるのは無理と判断し、左腕でガードしようとします。
意識を下に引きつけられながらも、上段への警戒を怠っていなかった兄さんは流石ですが、これも想定内です。
この右上段蹴りも、普通ならガードされていたことでしょう。普通の蹴りならば、ですが。

「ハッ!」

右足を振り上げると同時に、腰と軸足を思いっきり左にひねりながら右足を振り下ろす。
蹴りの軌道が変化し、ガードを避けました。ここまでくれば頭部めがけて思いっきり蹴るだけです。


「見事だ……が、なぜ当てなかった?」

あたしは、ブラジリアンキックを当てずに寸止めしていました。

「兄さんは今日、全く攻撃していません。こんなの組手なんかじゃなくて、ただあたしが稽古してるだけです」

途中から気付いていました。兄さんはあたしに打たせるだけで、攻めようとするそぶりすら見せなかったことに。

「どうして打ってこなかったんですか?」

「お前、ブラジリアン完璧に打てたの今が初めてだろ?」

「っ!」

「図星か。なんかそんな気がしたんだ。このまま打たせたら、お前が何かに開眼するんじゃないかってな」

まったく、この人には本当に叶いません。結局は、すべて兄さんのお見通しだったというわけです。
今思えば、あたしは壁にぶつかるといつも兄さんとの組手でそれを打破してきました。
そして気付いてしまったのです、もしかしたら兄さんと組手ができるのは今日が最後になるかもしれないと。
そう考えたら、急に悲しくなってしまいました。気が付いたら、涙が出ています。

「お前が泣いてんの初めて見たよ」

「だっで……だって兄さんもう会えない……会えないからあたし……」

感情が爆発して、自分でも何を言っているのかよくわかりません。
ただただ悲しくて、悲しくて、あたしは泣きました。

とりあえずここまでです
また明日か明後日にきます

 

「あー足痛え、容赦なく蹴ってくれちゃってよ、明日まともに歩けねえぞこれ」

「…………」

道場から2人で歩いて帰る。これまで当たり前にやってきたことなのに、これが最後かもしれない。
そう思うと、また涙が出てしまいそうです。

「お前は大げさなんだよ。今生の別れってわけでもないのに、わんわん泣いてみっともねえ」

兄さんは昔から、あたしに対して一切の遠慮というものがありません。
思ったことは包み隠さず、全部言います。あたしの事情は一切お構いなしです。


「前にも言ったけど、道場やめるわけじゃないし、家も近いし、どっかで会うことだってあるだろ」

「それはそうですけど……」

「それにな、人を送り出そうって時にそんな顔するもんじゃないぜ。肩を落とすな、胸を張れ、俺に拳を向ける時みたいにしっかり前を見ろ」

「っ! ……押忍!!」

「そうだ、それでこそいつもの中野だ。全国大会で優勝したいんだろ? くよくよしてる暇なんかないぞ」

「はいっ!」

こうして、あたしは笑顔で兄さんを送り出しました。

短いけどここまでです
続きはまた後ほど

「一本! それまで! 勝者、中野有香!!」

「押忍!」

あれから数ヶ月経ちました。あたしは、念願だった全国制覇を達成しました。
でも、何故か心の底から喜べるような気がしません。
あたしが幼かった頃、表彰台の頂点に立つ兄さんを見て、一番に掲げてきた目標を達成したというのに。
この勝利を一番に見ていて欲しかった人は、この会場にはいません。
あれから、兄さんは一度も道場に来ていません。
そして気付いてしまいました。あたしが一番欲しかったのは、全国制覇の栄誉なんかじゃありませんでした。
あたしはただ、兄さんといるだけでよかった。兄さんがいなくなってしまって、初めて気付いてしまったのです。



それからまた数ヶ月、あたしは今、信じられないものを見ています。
街で兄さんが、女性をナンパしているのです。
中学生くらいの子、制服を着た高校生、スーツ姿のお姉さん、手当たり次第誰でもいいといった感じで、とにかく片っ端から女性に声をかけています。
何が何だかあたしにはわかりません。こんなのあたしの知っている兄さんじゃありません。
兄さんについていく女の人はいません。ほとんどの人は足を止めることなく兄さんを無視します。

たまに足を止めた人がいても、少し話しただけですぐ行ってしまいます。
兄さんのあんな姿見たくありませんでした。別人だったらいいのにと何度も思いましたが、たとえ遠目でもあたしが兄さんを見間違えるはずがありません。
兄さんに動きがありました。どうやら諦めたようで、1人でどこかへ歩いて行きます。
あたしは見失わないよう注意しながら、後をつけました。
5分としないうちに、小さめのビルに入っていったので、あたしもそのビルに入りました。
エレベーターが止まっていた階が兄さんの居場所に間違いありません。
あたしは階段を駆け上がり、同じ階に出ました。フロアに部屋は一つ。
兄さんが変な商売に手を染めているのなら、止められるのはあたししかいません。
あたしは力強くドアを開いて中に飛び込みました。

>>33 取消

「た、たのもう!!」

薄暗いアジト、反社会的集団、闇取引……。あたしが想像していたものはそこにはありませんでした。
綺麗な事務所に綺麗な女性たち、あたしの大声で凍りついたかのようにみんな動きが止まっています。

「なにしてんだよお前…」

その中に兄さんはいました。


「……というわけだ。理解したか?」

「はい……」

あたしは今応接室のソファに座っています。応接室といっても、事務所の隅っこに小さいソファが置いてあるだけで、仕切りも何もないので、他からは丸見えです。
下は小学校高学年くらい、上は20代後半くらいまで様々な年齢層の女性たちがあたしの方を好奇心の目で見ているのがわかります。
兄さんは、女性アイドルを専門とする芸能事務所に就職していたそうです。
周りに秘密にしていた理由は、好奇心の目で見られるのがなんか嫌だったから、らしいです。

「あたしが死ぬ気で猛特訓して全国制覇する間に、兄さんは女の子に囲まれて楽しそうですね」

「そういう風に言うやつがいるから黙ってたんだよ! 別に俺はやましい気持ちがあってこの仕事を選んだわけじゃないからな」

「ナンパしてたのにですか?」

「あれはスカウト。断じてただのナンパじゃないからな」

「どうぞ」

「ありがとうございます、ちひろさん」

「…………」

兄さんにちひろさんと呼ばれた女性が2人分のお茶を出してくれました。
服装からして事務員さんといった感じなのに、この人もすごく綺麗です。

「こちらの方はプロデューサーさんの妹さんですか?兄さんって呼ばれてましたけど」

「いえ、同じ空手道場に通ってる門下生です。落語家やお笑い芸人が、先輩を兄さんって呼びますよね? 子供の頃、そういうのに憧れて真似させてたんです。それがズルズルと今まで続いてしまってるんです」

「そうなんですか……ねえ、プロデューサーさん。この子、アイドルに向いてると思うんですけど、どうですか?」

「えっ! あたしがですか?」

「いやいや、こいつなんか人生で空手しかやってこなかったちんちくりんですよ?」

兄さんがひどいことを言っています。自分もそんなに変わらないくせに。

「あたしは最強のアイドルになります!!」


中野有香、アイドル始めます。



おしまい

以上です

中野に中の人がつきますように

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