柔沢ジュウ「雨か」 堕花雨「お呼びですか?」 (507)

・このスレは、片山憲太郎作・スーパーダッシュ文庫刊行のライトノベル『電波的な彼女』シリーズ及び『紅』シリーズのSSスレです。

・キャラ崩壊、設定崩壊、>>1の自己解釈を(特に『紅』シリーズについて)含むため、原作のイメージを損なう恐れがあります。

・『紅』シリーズについては漫画版設定と原作版設定の双方に準拠しますが、二つの設定の違いについて深く触れるつもりはありませんので、リンさんは多分出ません。レッドキャップも多分出ません。

・地の文がありますので、台本形式がお好きな方には苦痛かもしれません。

・基本sage進行で、投下終わりだけageます。

・上記が許せる方は>>2から本文です。


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放課後。
授業も終わったばかりだというのに、オレンジ色に染まった太陽は既に傾き、ビル群の陰に隠れようとしている。
そんな薄暗い空の下、柔沢ジュウは最近買い換えたばかりのスマートフォンを弄っていた。
以前使っていた、所謂ガラケーよりも大きな画面に表示されているのは、デフォルメされた太陽や傘のマークの群れ。
天気予報の内容を確認したジュウは、空を見上げて呟いた。

「雨か」

「お呼びですか?」

背後から突然聞こえてきた返事は、聞き慣れたもの。
振り向くと、そこにはジュウより頭一つ分以上も背の低い少女が立っていた。
ジュウが割と大柄なのを差し引いても、小柄で、華奢な身体をしている。
そんな少女を見下ろしながら、ジュウは溜息交じりに言葉を返す。

「……お前じゃない。天気の話だ」

そうすると、少女は自分の胸に恭しく手を当て、こう言った。

「ジュウ様のお心に呼ばれましたので」

呼んでない、とジュウは思ったが、この手の問答はこの一年で嫌という程交わしており、それを口にすればどうなるかは明白なので、心の中に留めておいた。
再度ジュウは嘆息してから元の進路に向き直り、歩き始めた。
そうすると、一定の距離をあけて、まるで侍女か従者かのように着いてくる少女。
この少女の名前は堕花雨といい、先程の発言からもわかるように、筋金入りの電波である。
なんでも、前世のジュウは王、雨はその騎士として、剣や魔法が乱舞する世界を駆け回ったのだという。
ジュウにはそんな記憶など全く無いのだが、雨曰く、そのうち思い出すとのこと。
その暁には再び剣を取り、共に世界を巡る――という妄言を、雨は真剣な顔で語る。
尤もその真剣な表情は、鼻の頭あたりまで長く伸びた前髪のせいで、だいぶ読みにくくなっているのだが。
しかし、その見た目やジュウに対する言動からは想像もつかないほどの優等生であり、まさしく文武両道。
進学クラスに在籍し、その中でも成績はトップクラスである堕花雨は、身体能力に関してもずば抜けている。
例えば豪雨の中、校舎の壁の縁をつたって窓から隣の教室へ移動したり、工事現場の足場を利用してマンションの9階まで登ってきたりと(その破天荒ぶりを除けば)、誰もが感嘆することだろう。
対するジュウは身体能力に関しては喧嘩と母親による虐待――もとい手解きによって無類の打たれ強さだが、勉強の方はからっきしである。
やる気が無いだけで授業には律儀に出席してはいるものの、内容を聞いていなければわかるわけもない。
その髪は金色に染め上げられており、見た目は不良を絵に描いたような出で立ちをしている。
しかしジュウは、煙草も吸わないし薬もヤらない、喧嘩も自分からふっかけるようなことはしないなど、不良としては三流である。
そもそもが生きやすいからという理由で不良の真似事を始めたこともあり、ましてや最近は度々雨に勉強を教えてもらったりしているので、そのキャラは着々と崩壊しつつある。
雨と出会ってからの自分は、どこかおかしい。
しかもそれを悪くないと思う自分がいるのも確かで、ジュウは複雑な気分で前髪をガシガシと掻いた。
そうすると、ふとした疑問が湧いてきて、ジュウは再び足を止め、肩越しに雨に話しかける。

「そういえば、今日は進学クラスは居残りとか言ってなかったか?」

うちの学校は特に変わり映えのしない普通の高校だが、進学クラスに関して言えばこの辺でもトップレベルの学力であり、有名私立にも引けを取らない。
しかし、そういった学校よりも遅れている授業を補習という形で埋めているので、高2の冬ともなると、必然的にその回数も増える。
今朝、雨はわざわざ遠いジュウのクラスまでその旨を伝えにやって来たのだが、今こうしてここにいるというのはどういうことだろう。

「ジュウ様のお心に呼ばれましたので」

「あのな……」

いつも通りの返事に、ジュウはどこから諭せばいいものかと悩みかけたが、雨は少しだけ口元を綻ばせると、冗談です、と言った。
……こいつの場合、冗談に聞こえないのが笑えない。

「この後大雨が降るそうで、補習も予定より早く進んでいることから、今日は無しになりました」

「そうか」

もともとそこまで興味があったわけでもないので、ジュウはあっさりと引き下がり、再び歩き出す。
自分のような不良にかまけて、雨の将来が台無しになるようなことがなければ、それでいい、とジュウは思っている。
別に、雨のことを思いやってというわけではなく、そうなった場合、確実に皺寄せがこちらに来るのがわかっているからだ。
特に――――

「柔沢ジュウ!」



言っているそばからこれである。
ジュウは顔を顰めつつ、自分の名前を大声で怒鳴る人物を見遣る。
校門を出てすぐの所に、仁王立ちした少女の姿。
快活そうな瞳に、愛らしい顔立ち。
以前会ったときよりも少しだけ伸びた髪はポニーテールに結えられ、風に揺れている。
この少女の名前は堕花光。
苗字からもわかるとおり、雨の妹である。
身長は雨よりも高く、並ぶと光の方が姉のように見えるが、実際は雨の方が姉である。
光はシスコンも多めに入っているので、雨に付きまとうジュウのことを(実際には逆だが)、目の敵にしている。

「あんた、なにお姉ちゃんを連れ回してんのよ!」

「誤解だ」

「そんなわけないでしょ! お姉ちゃんが、あんたに連れ出される以外に補習をサボったりするわけない!」

確かに、端から見ればそうなのかもしれないが、この女には少しは人を信じるという選択肢は無いのだろうか?
ジュウが呆れつつも自分と雨が同伴している理由を説明しようとすると、いつの間にかジュウよりも半歩前に出てきていた雨が先に口を開いた。

「光ちゃん」

雨の眼光に貫かれ(前髪で見えないが)、光は身体を竦ませる。
電波な姉とは違ってしっかり者の妹だが、何かと雨には頭が上がらないらしい。
雨は、ジュウに対する言葉よりも幾分か柔らかく、言い含めるように喋り出す。

「言いがかりはダメよ、光ちゃん。今日は大雨になるから、補習は無くなったの」

「えっ」

「それに、まずは挨拶でしょう?」

ジュウを攻撃する明確な理由が消え、姉に諭された光は、しぶしぶといった様子で、唇を尖らせながら挨拶をしてくる。

「……こんにちは、柔沢、先輩」

「おう。久しぶりだな、光」

「き、気安く名前を呼ぶな、この女ったらし!」

さっきのやりとりが悔しかったのか、光は興奮に顔を赤くして再び罵声飛ばしてくる。
ジュウはそれを適当に躱しながら歩き出し、光が横から暴言を重ね、少し後ろを雨がついてくる。
何が楽しいのか、雨はジュウと光のやりとりを見て微笑み、ジュウと目が合うと、小首を傾げて見つめ返してくる。



対するジュウはなんだか気恥ずかしくなって目を逸らしてしまう。
数か月前の光雲高校の騒動以来、ジュウは雨に対して、これまでに無い気恥ずかしさを覚えていた。
ジュウはその騒動で死にかけた(とはいっても結局は擦り傷程度だった)のだが、その際になんだかんだあって、泣きじゃくる雨の頭を暫くなで続けることになったのだ。
しかも、公衆の面前で。
それ以来、普段通り接することもできるのだが、あの眼で見つめられると、どうにも参ってしまうのだ。
原因をジュウなりに考えてみたのだが、考えるほどにモヤモヤとした煙が頭に充満するだけで、意味はなかった。
……やめだ、こんなことを考えてもしようがない。
ジュウは頭を切り替えて、大人しく光の罵声を浴びることにした。
そうしているうちに、いつもの別れ道までやってきた。
ジュウは手を挙げて、いつも通り、じゃあな、と声をかけようとしたが、それよりも早く、雨がこんなことを言い出した。

「光ちゃん、ジュウ様に用があったんじゃないの?」

光はその言葉にギョッとした顔をすると、慌てて否定した。

「な、な、なななんであたしがこいつに!?」

「今日は補習があるはずだったから、光ちゃんがあの時間に学校に来るなんておかしいもの。だから、ジュウ様に用があるんだと思って。違う?」

なるほど、言われてみれば確かにそうだ、とジュウは思う。
光は、補習があることを知っていた。
それなのにあんな時間から校門で待ち構えていたのはおかしい。

今は冬であり、そんな中待ち惚けをして風邪を引いてしまえば、そんなことはなかったとしても、雨は自分に責任を感じてしまうだろう。
それを良しとするほど、光のシスコンは伊達ではない。
うちの高校において、まだ中学生である光の知り合いは限られてくる。
そうなると消去法的に、ジュウに用事があって来たのだと考えられる。

「うう、う、うぅーっ……!」

顔を真っ赤にした光は、全身をプルプルと震わせながら、ジュウと雨の顔を交互に見比べている。
どうやら、雨の前では言いづらい内容のようだ。
その葛藤を察したジュウは、雨に声をかける。

「おい」

「はい、ジュウ様」

「お前、先に帰ってろ」

「え?」

光の間抜けな驚きの声を無視して、ジュウは雨の返事を待った。



「………………御意」

雨はジュウの命令に少し動揺したようだったが、数瞬思考を巡らせると、大人しく頷いた。
そして、まだ若干混乱気味の光を一瞥し、それからジュウをじっと見上げる。
その姿はなんというか、まるで置き去りにされる子犬を見ているようで、ジュウの中で罪悪感が首をもたげてくる。
しかし、今更命令を取り下げることもできず、雨はジュウを見上げたまま、ジュウは雨を見下ろしたまま、二人はその場でほんの少しの間、見つめ合うことになった。

「……では、お気をつけてお帰りください、ジュウ様」

暫くそうしてから、雨は深々と頭を下げると、普段よりもややゆっくりとした動きでその場をあとにした。

「お、お姉ちゃ……」

光はその様子を見て、雨を引き止めようと一瞬腕を伸ばしかけるが、何かを躊躇うように瞳を伏せ、その場で力無く腕を下ろした。
そして、ジュウの方を振り向くと、普段よりも威力不足の眼光(普段から迫力不足ではある)を飛ばしてくる。

「……あんな言い方……」

「他にどうしろって言うんだよ」

遠回しな言い方をしても結局こういう結果になってしまうのは、この一年で嫌というほど身に沁みている。
光にとって敵であるジュウを頼らなければいけないというのなら、それは相当な悩みである筈だし、姉に言いづらいことだとしても、雨は妹の力になりたいと思うだろう。
だからこそ、こういう言い方をしなければ、雨はどこまでも食い下がる。
今回は光の頼った先がジュウであったこともあるので、ジュウが命令することで、雨も渋々、引き下がることができたのだ。
なにせ、騎士だの従者だの云々は、雨から言い出して来たことなのだ。
雨からすればジュウの命令は絶対だし、ジュウの意見がそのまま雨の意思になる。

「…………ばか」

光もおそらくそれをわかっている。
わかっていて、もっと他の言いようがあったのではないかとも思うが、それも考えつかないのか、搾り出した罵声は、短く、小さなものだった。

「…………」

ジュウは、その短い一言にどう答えるべきかわからず、口を閉じた。
軽口を言う雰囲気ではないし、開き直るべきでもない。
結果的に二人は沈黙を保ったまま、冬の屋外で冷たい風に曝されることになった。
身体を小さく震わせると、寒さに対してそこまで強くないジュウは辺りを見回し、取り敢えず暖を取ることを選択した。

「取り敢えず、そこのファミレスにでも入るか。寒いしな」

「待って」

適当に目についた某全国チェーン店に向かって歩き出そうとしたジュウの制服の裾を摘まんで引き止めたのは、他でもない、光だった。
ジュウが足を止めて光を振り向くと、光は顔を俯かせ、唇をパクパクと開いたり閉じたりしていた。

「なんだ?」

何か言いた気な光に対し、促すように言葉を投げかける。
すると光は一度だけ唇をギュッと引き結び、何かを決意したように勢いよく顔を上げると、こう言った。

「あ、あんたの家に連れてって!」

その頬は、冬の冷たい風に嬲られたせいか、真っ赤に染まっていたのだった。

~~~~~

今日はここまで
新刊記念に勢いで立てた
後悔も反省もしていない
>>1に書き忘れたけど、更新は不定期です

>>16
確か電波的は紅の10年後の世界だから大丈夫じゃね?

>>23
あれ、10年後だっけ?
6~7年後だと思ってた

やっべー
原作確認したら確かに低学年って書いてあるな
なんか3~4年生って記憶してたわ
まあめんどいからその辺テキトーでも良いよね

いややっぱ気になるから練り直すわ
もうちょい時間くれ

まあ言っても展開には関係ないから、ちょいちょい切ったりはったりするだけなんで
珍譜堂でも読んで待ってて

いくでー

=====

「で?」

村上銀子は、苛立ちを隠そうともせずにそう言い放った。
その視線は、椅子に腰掛けている彼女よりも更に下、無様にも床に正座させられている男に向けられている。

「……『で?』とは……?」

その視線を一身に受け止めている男、紅真九郎は、身体を強張らせながら鸚鵡返しのように聞き返す。
真九郎は、銀子がなにについて聞きたいのかはわかっていて、なぜ怒っているのかも当然わかっている。
しかし、後ろめたい気持ちがあるために、どうにか逃げ果せることができないものかと、大して良くもない頭を懸命に働かせているのだ。

「…………」

銀子はそれに対し、こめかみから青筋が立つ音が聞こえてきそうなほどに真九郎を睨む眼光を強める。
真九郎は恐ろしさのあまり、目を逸らすことはできても、その場から逃げ出することはできない。
真九郎の身体能力から言えば、運動音痴である銀子から逃げることは全くもって難しくはないのだが、もしそれを実行した場合の報復を思えば脚も竦んでしまう。
銀子は、ふぅ、と大きく溜息を吐くと、眼鏡を外してそれを自分の机の上に置き、瞼を閉じた。
この季節にしては若干短めのスタートから伸びる、タイツに包まれた脚を真九郎に見せつけるように組み直すと、銀子は再び喋り出す。

「真九郎、先週の月曜日は、何処で何をしていたのか、もう一度説明してくれる?」

質問の内容自体は、ひどく簡単だ。
当然、それに対する答えもひどく簡単であり、真九郎はそれに答える。

「だから、道に迷ったお婆ちゃんの案内をしてたらお茶に誘われて、まだ案内の途中だったから断われなくて……結局そのまま一日……」

「そう。じゃあ、火曜日は?」

銀子は、若干食い気味に質問を重ねる。

「仕事の依頼で猫探しを……」

「ふうん、それで、水曜日は?」

質問を重ねる。

「二日酔いで具合の悪い環さんを介抱してて……」

「へえ。木曜日は?」

質問を重ねる。

「夕乃さんが急に稽古をつけるとか言い出して……」

「なるほど。……で?」

「……『で?』とは……?」

こんなやり取りを、既に10回近く重ねている。
銀子は天井を仰ぐと、再度、ふーっ、と、大きく溜息を吐く。
人差し指の爪がコツ、コツ、と机に打ち付けられて、苛立たし気に音を鳴らす。
どうやら、我慢の限界らしい。
いや、既に限界など超えているのかもしない。
視線を真九郎に戻した銀子の眼光は、それほどに冷たく、鋭いものだった。

「私から言わせるのは酷だと思って、あんたが自主的に言い出すのを待っていたわけだけど、そんなに聞いて欲しいなら、そうするわ」

「…………」

勿論、真九郎もそんなことはわかっていた。

わかっていて恍けていたのだ。
しかし、その最後通告をもってしても、真九郎は口を噤む。
その顔色が真っ青でさえなければ、少しは格好もつくのかもしれないが、幼馴染の怒髪天を前にした真九郎には、それは無理が過ぎると言うものだった。

「金曜日、私との、幼馴染であるこの村上銀子との約束をすっぽかして、一体全体、何処で、誰と、何をしていたのかしら?」

「ごめんなさい!」

自分の人生で、一体これまでに何度土下座をしたことだろう。
その中でも今回は、まず間違いなくナンバーワンにエントリーされるぐらいに、美しい土下座だろう、と真九郎は思った。
当たり前なことに、土下座の美しさなど、された当人である銀子には関係あるはずもなく、真九郎の頭上から降り注ぐ威圧感はますます勢いを増していく。

「真九郎、紅真九郎くん、揉め事処理屋の紅真九郎くん、開業してから10年近く経つのに未だにペット探しが主な業務内容の紅
真九郎くん? 私はあんたの土下座なんか見たくないのよ。質問に答えてくれればそれでいいの。わかる?」

頭上から降り注ぐ精神攻撃は、傷口にグリグリと指を押し付けられている光景を真九郎に思わせる。
普段無口な銀子だが、幼馴染で親友である真九郎といるときはその例ではない。
しかし、その会話も淡々としたものであり、ここまで感情的に言葉をぶつけてくることはかなり稀である。
それほどまでに怒り心頭なのだ。
……もうこれは、正直に話すしかないか。

そう思った真九郎は顔を上げようとするが、ぎゅむ、と上から押さえつけられてしまう。

「誰が顔を上げて良いと言ったの?」

幼馴染の女の子に頭を足蹴にされる経験も、なかなか無いだろう。
真九郎も、そんなことはあり得ないと思っていた、ついさっきまで。
しかし、こんな状態でも屈辱より恐怖が心の大半を占めている真九郎に、もはや為す術は無い。
事実を言えば、既に怒髪天の銀子の怒りはそれを超え、どうなってしまうかわからない。
それでも真九郎は覚悟を決め、拳を握り、口を開いた。
その時。

「真九郎! 遊びに来たぞ!」

真九郎の部屋の古びたドアが勢いよく開かれ、同時に快活な声が飛び込んでくる。
肩甲骨の辺りで揃えられた黒髪が、扉から吹き込んでくる風に靡き、鮮やかに輝く。
可愛らしくも美しい顔立ちが、声音と同じく楽しさを全面に押し出すように綻び、その笑顔はどんな人間が相手でも心を和ませてしまうだろう。
この少女の名は九鳳院紫。
自称、紅真九郎の婚約者である。
そして、少女は扉を開け放ったまま、その笑顔のまま固まった。


「「「…………」」」

その時、確かに時は止まっていた。
自室で土下座する男性に、椅子の上で見下ろしながらその頭を足蹴にする眼鏡の女性。
この構図を見て、瞬時に状況を理解できる人間はまずいないだろう。
三者三様にフリーズした、ある種の三つ巴のような状態から、一番早くに動いたのは土下座をしていた男、真九郎だった。

「むむ、む、むむ紫!? な、なんでこんなところに!?」

「あ、あ? あぁ……遊びに、来た……のだ、が……?」

真九郎の問いに、つっかえつつも答える紫。
その視線は未だに定まってはいないないが、真九郎と銀子の間を行ったり来たりしている。

「さ、さっきのは違うんだ紫。 えっと、えーっと……ぎ、銀子! 銀子もなんとか説明を……!」

テンパり過ぎて普段からも働かない頭が更に働かない真九郎は、幼馴染に助けを求めて振り返る。

「もう……おしまいだわ……」

「銀子ーーー!!」

そこには、変な場面を見られたせいで真っ白になって膝を抱える、幼馴染の姿しかなかった。

~~~~~

ここまで。
今日は紅パートでした。
説明不足が多いけどそこは追い追い。

(10年近くって書いたけど実は9年のつもりだったなんて言えない…)

つーかモノローグで「この一年」とか言ってるけどまだ出会って半年ちょっとぐらいじゃんね
脳内補完よろしく

もう一ヶ月か

新刊読んだら本気出す

テイルズが忙しくて全然書けてない

すまんな
一週間以内には投下する

週末投下予定


=====

誰が言い出したのか知らないが、溜息をつくと幸せが逃げていくらしい。
しかし、柔沢ジュウは今の状況に溜息をつかずにはいられなかった。
場所は自宅のダイニング。
テーブルには湯呑みが2つ用意されており、一つは当然ジュウの物。
もう一つは、堕花光の物だ。
光は湯呑みに視線を落とし、くるくると回して弄んでいる。
その唇は拗ねるように少し尖っており、年齢相応の子供らしさを感じる。
その様子は微笑ましくもあるが、今のジュウにとっては面倒な相手でしかない。
ジュウは再度溜息をつくと、面倒臭そうに口を開く。

「で? なんで俺がお前とデートしなきゃならないんだ」

「で、デートじゃない! デートのフリ!」

間違えないでよ!、とジュウに向かって怒鳴る光だが、ジュウにとっては同じことだ。
なぜ、こんな面倒なことを光が言い出したのかといえば、そもそもの発端は光が同級生に告白されたことにあるらしい。
それに対し、光は丁寧に断ったのだが、相手はそう簡単に折れてはくれなかった。
何度も告白を繰り返されて参ってしまった光は、安易な発想から、彼氏がいると言ってしまった。
しかし、相手もそんなことで折れるぐらいならこんなことにはなっていない。
それを証明するように要求された光は、渋々、ジュウに助けを求めることにしたのだという。









「なんで俺なんだ。伊吹にでも頼めばいいだろう」

「それは……」

そう言って、再び俯いてしまう光。
先日の騒動のとき、光は最後に伊吹と和解したようだったが、やはり一度できた溝はそう簡単に埋まらないのかもしれない。
しかし、自分を頼るのは良くないだろう、とジュウは眉間に皺を寄せる。
光はジュウとの噂をばら撒かれ、酷い目に遭っているのだ。
それは全くの事実無根であり、写真なども合成の嘘っぱちだった。
しかし、本当にデートをしてしまえば話は別だ。
恋人同士であることが光の嘘だったとしても、そういうことが事実として一度でもあったのなら、光の立場は再び悪くなってしまうかもしれない。
幸福クラブのような連中がいないとも限らないし、実際その思考に毒された者にジュウは殺されかけたのだ。
それに、光は姉と同様、容姿端麗文武両道。
妬みや嫉みで、光を陥れようとする奴はゼロではないだろう。
総合的に考えて、良い判断ではない。
ジュウは湯呑みを煽ると、自分の答えを切り出した。

「断る。どう考えても、お互いのメリットよりもデメリットの方が大きい。諦めて、相手が飽きるまで我慢しろ」

助けられるなら助けてやりたい、という気持ちはある。


しかし、行動の結果が現状よりも悪い方向に傾くのなら、それを許容することはできない。
ジュウの答えに、光は納得していないようだった。
上目遣いにこちらを見上げ、何かを訴えるように見つめてくる。
こういうところは、雨に似ている。
姉妹揃って、たまに犬っぽい振る舞いをしてくるのだ。
雨が小型犬だとすれば、光は大型犬。
どちらも愛らしいことに変わりはないが、それに負けて、ここで折れてしまうわけにはいかない。

「……姉貴にでも相談してみろよ。何かいい案が出るかもしれないし……」

「そ、それはダメ!」

何の気なしに出した提案だったのだが、光は思った以上に突っぱねてきた。
テーブルから身を乗り出して、全力で拒否の姿勢を表してくる。
その拍子に湯呑みが揺れ、お茶が少し溢れる。
気づいた時には間に合わず、お茶が光の手に少しかかってしまっていた。

「熱っ……!?」


淹れたてではないにしても、火傷の心配はある。
ジュウが光の手を取って確認すると、指先が少し赤くなっていた。

「来い」

「えっ……」

光の手を引いて誘導すると、ジュウはシンクの蛇口をひねった。
水が十分冷たいのを確認して、そのまま光の指を流水にさらす。
暫くそうしてから光の指先を確認すると、さっきよりは赤みが引いたように見えた。
ジュウはいつだったか、ズブ濡れの雨の頭を拭いてやったことを思い出した。

「も、もういいからっ……」

「ん? ああ」

ジュウから逃げるように手を振り払う光。
光は顔を俯けて、悔しそうな表情でジュウに掴まれていた手を握りしめている。
咄嗟の判断とはいえ、勝手に手をとったのは軽率だったか。
その体勢のまま黙り込んでしまった光を見て、ジュウは怒鳴り声が飛んでくるまで、片付けをすることにした。


布巾を取って、テーブルに溢れたお茶を拭っていく。
幸い、床にまで被害は及んでいなかったので、簡単に処理できた。
湯呑みを綺麗にして、急須に残っていたお茶を注ぐ。
暫く放置していたので、急須の中身は既に冷めていた。
さっきよりも渋味の強くなったお茶をジュウが眺めていると、光が漸く口を開いた。

「あんたのせいよ……」

「は?」

「あんたがあんなになってまで助けてくれたから、今度も期待しちゃったのよ! 悪い!?」

「な……」

唐突な逆ギレに絶句するジュウ。
光はそんなジュウの様子もお構いなしに、怒声をぶつけてくる。

「もう! なんなのよ! しょうがないでしょ! 私はあんたにお願いしてるの! 伊吹さんは関係ないでしょ!」

「い、いや、でもな……」


光の勢いに気圧されて、思わずたじろぐジュウ。

「なんであんたはダメで伊吹さんなら良いのよ!」

「なんでって……あいつは優等生で空手部の主将だし、俺は不良だ」

「髪!」

「は?」

「黒くしなさい! そしたら不良に見えないでしょ!」

「いや髪の色一つで」

「今度の日曜日の正午に駅前で! それまでに黒くしておきなさいよね! 私はもう帰る!」

一方的に約束を押し付けてから湯呑みを煽り、バタバタと帰り支度を済ませる光。

「ごちそうさま! お邪魔しました! 馬鹿!」

律儀に挨拶をして、最後に罵声を投げつけてから荒々しく玄関のドアを閉める光。
断る時間すらも与えられなかったジュウは、その背中を見送ったまま、再び大きく溜息をついた。

~~~~~

待たせて遅れて申し訳ない
原作の文体を意識してみたけどゴチャゴチャになるんでやっぱり自分の書き方でやっていきます
他人の文体は難しい

番外【堕花光01】

勢いに任せて、約束を取り付けてしまった。
困惑と、呆れが入り混じったあいつの顔を思い出す。
憎たらしいったら。
何が伊吹さんよ。関係ないじゃない。
私はあんたにお願いしに来たのに。
指先を見つめる。
まだ少し、火照っているような感じがする。
火傷のせいじゃない。
別に、最初から熱くはなかった。
条件反射的に、熱い、という言葉が出てきてしまったのだ。
あいつに握られた手首。
大きくて、硬くて、熱い、あの掌。
父親とは少し違う、優しい眼差し。
断られたのは、想定内。
でも、断られた理由は、想定外。
面倒っていうのは、やっぱりあると思う。多分。
でも、自分が不良である事を気にしていた。
つまり、外聞が悪いということ。
あいつの外聞。そして、私の……。
馬鹿、と毒づく。
こんなことで赤くなって、馬鹿みたい。
手首をさする。
まだ少し、あいつの熱が残っている気がした。











なんかこういうのってどうなんだろというテスト。
原作だと一人称視点は皆無なので、こんなん書いても違和感がちょっとあるな。
アンケート的な感じで、今後もこういうのをちょくちょく挟んでも良いかどうか、レス貰えるとありがたい。
今回の投下はコレで終わりです。

=====

この五月雨荘は木造アパートとはいえ、隙間風などは殆ど無い。
それなのに、肌に感じるこの悪寒はなんだろうか。

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

卓袱台の上には、4人分の夕食が並んでいる。
栄養バランスを考えられた、見事に健康的な食事だ。
味も勿論申し分なく、一口食べる度に、幸せな気分になれる。
否、そうなれるはずだった。
部屋の主である真九郎の右隣には、幼馴染である村上銀子。
その向かい側、真九郎の左隣には、真九郎にとって姉のような存在である崩月夕乃。
そして真九郎の正面には、他の三人よりもひと回り近く歳下で、真九郎にとっていろいろなきっかけを作ってくれた少女、九鳳院紫。
美女と美少女に囲まれて、誰もが羨むシチュエーションだろう。
しかし、そこに仲睦まじい雰囲気は感じられない。


三者三様に、お互いを牽制しながら食事を進めている。

「ほら、真九郎さん。これも美味しいですよ?」

「ゆ、夕乃さん、自分で食べれるから……」

「そんなこと言わずに、はい、あーん」

「崩月さん、行儀が悪いです。だから嫁き遅れるんですよ」

「良いんですよ、私は真九郎さんに貰ってもらうので」

「真九郎はウチの家族みたいなものですから、貴女のような人には差し上げません」

「それを言ったらウチの家族でもありますよ? 実際に正月やお盆はウチで過ごしていますし」

「待て、ここ数年の年始は私と二人で過ごしている。一年の計は元旦にあり。つまり真九郎は私のモノだ」

「真九郎さんはモノではありません」

「では訂正する。真九郎は私の夫だ。お風呂にも一緒に入ったことがあるし」


「昔のことでしょう。それなら私も入りました。真九郎さんがウチに来た頃は本当にもう可愛くて……」

「……私は高校生の時に一緒に入りましたけどね」

「ぶっ!?」

「は?」

「なんだと?」

「いやアレは事故みたいなもので……! 銀子!」

銀子はシレッとした顔で味噌汁を啜っている。
他の二人は眼差しだけで真九郎に説明を求めてきていて、真九郎は四苦八苦しながら漸く誤解を解くことに成功した。
納得した二人は再び三つ巴の膠着状態に戻ってしまい、真九郎はその様子を見て嘆息する。
最近は、この3人が揃うといつもこんな感じになってしまう。
真九郎としては結婚や恋愛などという幸せは二の次で仕事が優先されているのだが、この3人、特に銀子と夕乃には年齢的に決着をつけたいという焦りがあるのだ。
二人のアプローチが激しくなれば、当然紫も黙ってはいられない。
今日も、銀子に足蹴にされているところを紫に目撃され、2人が落ち着いたかと思えば夕乃がアポなしでやって来て、あれよあれよと言う間に料理対決になってしまったのだった。
ほぼ強引に迫ってくる3人に、真九郎は困惑を隠せないが、未だに明確な答えは出していない。


昔よりもあからさまな言葉を使うようになったので、流石の真九郎も好意には薄々気付いているが、自分のような人間には3人とも勿体無いと感じているのだ。
そのくせ明確に拒絶もしないのだからタチが悪いとも言えるが、拒絶したところでこの3人が諦めるはずもない。
隣の部屋の住人は、権力でも金でも使って法改正するか、重婚できる国に移住しろなどと無責任なことを言うが、真九郎は無視している。

「(それこそ、いつまでこのアパートにいるんだあの酔っ払いは……。)」

早くいい相手を見つけて出て行って欲しいと真九郎は思っているが、本人は「晩婚が流行ってるから大丈夫ー」などとどこ吹く風で焼酎を煽っている。
もう一人の酔っ払いは……まあ、アレのことは放っておこう。
そういえば、二日酔いのための薬が切れかけていた。
事務所に顔を出すついでに買っておこうかな、などと真九郎が呑気に考えていると、膝の上に温い塊がのしかかってきた。
見てみると、黒猫が丸くなっていた。

「女難の相が日に日に強くなるようだな、少年」

いつの間に入ったきたのか、喪服のように全身を黒で彩った美女が窓の淵に座っていた。
黒猫の名前はダビデ、美女の名前は闇絵という。
真九郎がこの五月雨荘に来た10年ほど前からずっとこの見た目を保っている。
今が中世なら、とっくに火炙りにされているだろう。


「私はその程度では死なんよ、少年」

「……少年はやめてください」

心を読まれて動揺した真九郎は、苦し紛れにそんな抗議の言葉しか搾り出すことができなかった。
それに対して闇絵は妖艶に微笑むだけで、コレもいつの間に取り出したのか、煙草の煙をくゆらせていた。
真九郎はそんな絵画に描かれたような姿に、思わず見惚れてしまう。

「真九郎はやはりああいうのがいいのか……?」

「真九郎さん、私だって負けてませんよ! 紫ちゃんや村上さんには無いものですよ!」

「わ、私だって銀子よりはあるぞ!」

「…………チッ」

また騒がしくなってきた部屋の中で、真九郎は願う。

「(頼むから、3人とも仲良くしてくれ……)」

~~~~~

結構大筋だけ決めてだらだら書いてるんであちこちに矛盾がやってくるかもしれませんが悪しからず
そんなに大きなものはない…はず…


=====

平日というのは学校や仕事があって面倒に感じられるものだが、この時ばかりは休日が近づくのを憂鬱に感じていた。
今日は金曜日、時刻は12時30分。
昼休みの時間である。
ジュウはいつも通りの握り飯を頬張りつつ、窓の外を眺めていた。
教室内はかなり賑わっており、特に暖房機の前にたむろしている女子が騒がしさを通り越して喧しい。
女子というのはどうしてこう集団になると声高く喋るのだろうか。
夏と冬では、断然冬の方が昼の教室内は騒がしくなる。
夏は部活に行ったり、外で弁当を食べたりする連中が一挙に教室にやってくるからだ。
実際、夏場は窓の外に見られていた運動着の生徒たちも、今は見えない。
部活をしている連中を馬鹿馬鹿しいなどとは思わない。
彼らはそれに熱中し、やり甲斐と生き甲斐と達成感を得て青春を謳歌しているのだろうし、それはさぞ楽しいことだろう。
ジュウも、自分が青春期の中にいることは自覚しているが、所謂世間でいう『青春』とは、自分は無縁であることも自覚している。
輪をかけて、最近の自分は何かと傷だらけだ。
以前から喧嘩などで生傷は絶えなかったが、夏からこっち、刺されたり、殴られたり、トラックに轢かれかけたりと、生死の狭間を行ったり来たりしている気がする。
それもあの自称従者に出会ってからだ。
前世の絆に殺される男……などと考えてから、発想があの女に似てきたかもしれない、と自嘲した。
そこでジュウは、先程まで騒がしかった教室が静まっているのに気が付いた。
何事かと辺りを見回すと、暖房付近の女子集団の視線が、ジュウと廊下の方向をチラチラと往復している。
視線の先を追うと、教室の入り口に堕花雨が立っていた。




「ジュウ様」

「……悪かった、ちょっと忘れてただけだ」

「いえ、ジュウ様は何も悪くなどありません。ご無事でなによりです」

その通り、ジュウは何も悪いことはしていない。
単純に、忘れていただけである。
何を忘れていたのかといえば、雨への定期連絡だ。
先日の騒動の後、雨はジュウに対し異常なほど過保護になった。
あれからこっち、毎朝ジュウの自宅まで迎えに来るし、昼休みには必ずメールか電話で連絡をしなければならない。
それを忘れると、こうして教室までジュウの無事を確認しにやってくる。
最初の頃は連絡を入れてもやってくるので教室でいい注目の的になっていたのだが、どうにかこうにか説得し、今は連絡だけに収まっている。
ジュウとしては朝の迎えも要らないのだが、「いつ敵がやってくるかわかりません」ということで譲れないらしい。
ジュウは辟易しつつも、半年もすれば落ち着くだろうということで諦めた。

「では、失礼します」

「おう」

綺麗にお辞儀をする雨。
そのまま去ってくれればいいものを、顔を上げた雨は、そのままジュウを見つめてくる。


これがジュウは苦手なのだ。
こちらを見つめてくる雨は、まるで静止画のように微動だにしない。
その透けるように白い肌も、引き結んだ小さな唇も、掴めば手折れそうな華奢な体躯も、そして清流のような青みがかった黒髪も。
視覚だけでなく、まるで全身で見つめられているような、そんな感じがする。

「……おい」

「……っ、はい?」

耐えきれなくなってジュウが声をかけると、雨はワンテンポ遅れて反応する。
雨にしては珍しいことだったが、ジュウは状況の改善を最優先にして、言葉を続ける。

「確認は済んだだろ。さっさと自分の教室に帰れ」

「……御意に」

恭しく手を胸に当ててお辞儀をする雨。
そのまま教室の入り口まで歩いて振り返ると、失礼します、と付け加えて出て行った。
それを見送り、嘆息するジュウ。
静まり返っていた教室は、徐々に騒がしくなっていった。


その内容は、先ほどまでのような中身のあってないような談笑ではなく、噂話にシフトしていた。
噂の対象は言わずもがな、ジュウと雨についてである。
教室のあちらこちらから自分の噂が聞こえてくるというのは、かなり居心地が悪い。
陰口に比べ、悪意がないというのもタチが悪い。
時計を確認すると、12時43分。
昼休みがおわるまで、あと15分以上ある。
ジュウはお茶の残りを一気に飲み干し、小さく溜息をついてから席を立った。
後ろ手に閉めた教室のドアの向こうから、女子の甲高い歓声が響いているのが、嫌でも耳に障った。
もう一度溜息を吐き、どこで時間を潰そうか、などととぼんやり考えながら、ジュウは廊下を歩き出した。

~~~~~

取り敢えずここまで
日常パートはもうちょっと続くんじゃ
次回の更新は例のあの子が出るぞい

>>121の頭が抜けてた

雨はジュウと眼を合わせたまま、流れるように机の間を縫って歩き、ジュウの眼の前までやってくる。


=====

自動ドアをくぐって右から3列目、手前から2番目の棚、上から2段目。
いつも通りの二日酔いの薬を手に取って、真九郎は溜息を吐いた。
ここは事務所からほど近くのドラッグストア。
月に2回は二日酔いの薬を買いに来る客として店員に認知され、パートのおばちゃんからは「いつも大変ねえ」などど哀れみの声をかけられる始末。
どうやら、アル中の父親がいるとでも勘違いされているらしい。
アル中はアル中でも、いい歳した女が二人なのだからタチが悪い。
他にも足りなくなった飲料水や携行食などをカゴに放り込んでレジに向かう。
「いつもありがとうございます」と言うレジの青年に愛想笑いで応えつつ、そそくさと店を出る。
辺りは住宅街とオフィス街の境目といった雰囲気で、フォーマルなスーツとカジュアルな私服が入り乱れている。
ドラッグストアを出てから、信号を越え路地を曲がって裏道を通り、五月雨荘より少しばかり小綺麗なアパートの前に辿り着く。
そのアパートの103号室。
表札には『紅相談事務所』という文字が丁寧に書いてある。
その名の通り、ここは紅真九郎が経営する事務所である。
経営といえば聞こえは良いが、大したことはしていない。
依頼を受けて、それを解決する。
依頼というのはもちろん、揉め事処理屋としての仕事だ。
揉め事処理屋の名前を出さないのは、知らない者にとってはなんとなく物騒なイメージがつきやすいかな、という程度のことで、特に意味は無かった。
銀子に言わせれば、裏稼業の揉め事処理屋が事務所を構えること自体おかしいということだが、こちらの方が口コミも広がりやすいし、小さな依頼でも立ち寄りやすいだろう、と真九郎は思う。
実際、3年前にこの事務所を開いて以来、依頼の件数自体は増えているし、規模も大きくなりつつある。


鍵を開け、電気を点けてから中に入る。

「……またか」

部屋の中央にある応接用のソファとテーブル。
二つあるソファのうち、小さい方の上で器用に丸まりながら眠っている女性がそこにいた。
長袖の革ジャンに季節感の無いジーンズのホットパンツ。
床にはブーツとニーソックスが脱ぎ散らかされ、タオルケットのようにマフラーをかぶっている。
そして、何故か黒いリボンだけがポールハンガーにかけられている。
最大出力でかけられた暖房が、彼女の明るい色の髪を微かに揺らしていた。
彼女の名前は斬島切彦。
男のような名前だが、正真正銘の女性だ。
真九郎はその安らかな寝顔を見ながら、一直線に窓へと向かう。
窓際のリモコンを手に取り、エアコンの運転を停止。
同時に、窓を全開に開け放った。
冬の冷たい風が顔面を通り抜け、温められ過ぎた部屋の空気を一掃する。

「……ふ……っくちゅ」

後ろから聞こえてくる可愛らしいくしゃみ。
振り返ると、切彦が身体を横たえたまま眠たげな目で真九郎を睨め付けていた。


「……寒いです」

「冬だからね」

真九郎はそう返して、窓をそのままにしてデスクに座った。
決して多くない書類に適当を目を通していると、切彦がもそもそと起き上がり、ペタペタと裸足のまま窓際へ歩いて行く。
自然の冷風に一度身震いしてから、緩慢な動作で窓を閉める。
それからゆるゆると視線を左右に動かし、真九郎を振り返る。

「……リモコンは?」

「ここ」

「……寒い」

「何度も言ってるでしょ。暖房つけっぱなしで寝たらダメだって」

「……寒いから」

「電気代がもったいない。今回も給料から天引きだからね」


「……チッ」

あからさまな舌打ちの後、切彦はダラダラとソファに戻っていった。
床に落ちたマフラーを回収して首に巻くと、今度は大きい方のソファの上で再び丸くなった。

「まったく……」

真九郎は立ち上がると、切彦が使っていない方のソファを元の位置に戻す作業に取り掛かる。
テーブルの上にはカップ麺やお菓子の袋、ジュースのペットボトルなどが散乱していたのでそれも纏めてゴミ箱に放り込む。
1年前、とある事情で彼女をこの事務所に引き入れてからというもの、ずっとこの調子である。
最初の頃こそ許していた真九郎だが、夏場になって冷房をガンガン効かせるせいで電気代の請求が大変なことになり、流石に見過ごせなくなってきたので給料からの天引きを決意。
しかし、暖房をつけなければいけない時期になってもこの有様で、改善は見られない。
真九郎は溜息を吐いてから、デスクに戻る。
書類とは言っても、依頼の内容を簡単に纏めただけのものだ。
内容は、猫探し、近所のコンビニに屯する不良少年を追い払う、人探し、浮気調査は興信所に回すとして……取り敢えずコンビニから始めるか……。
そんな具合に思索に耽る真九郎だったが、視界の隅でモゾモゾと蠢く影が気になってしょうがない。
横目に視線を送ると、太腿の裏を頻りに擦っている。
そんなに寒いならもっと暖かい格好をすればいいのに、と思う真九郎だが、これもいくら言っても聞かないのが斬島切彦なのだ。
仕方なく、暖房のスイッチを入れてやる。
生温い風が吹き出し、部屋を温める。
最低出力なので多少時間はかかったが、暫くすると小さな寝息が聞こえてきた。


漸く落ち着き、書類に目を落とす。
取り敢えず昼間は猫探し、夜はコンビニに向かうことに決めた真九郎は、最後の一枚を見つめる。

『《Carnival Floor》へのご招待
ご機嫌麗しゅう、紅真九郎様。
カーニバルへようこそ!
人でなしとして、私達と共に愉快な夜を過ごしましょう!』

差出人名の無い、一見すればただのイタズラ広告でしかない。
しかし、真九郎にとってはそうではない。
カーニバル。
醜悪な祭。
ヒトでなし共が蠢く洞の下。
思い出すだけでも胸糞悪くなるあの光景を、真九郎は忘れていない。
真九郎は無意識に、左肘を抱くようにして握りしめていた。
そこに、ノックの音が響く。
真九郎はその招待状をデスクの引き出しの一番奥に押し込み、小さく深呼吸をしてから、どうぞ、と返事をする。

「おはようございまーす」


ドアの隙間から顔をのぞかせたのは、杉原麻里子。
真九郎が紫と出会うより少し前、ストーカー被害に遭っていた女性を助けたことがあった。
それが彼女である。
その後、別の事件で再会し、今でも交友がある。
真九郎にとって、数少ない表社会の友人でもある。
彼女は真九郎よりも4つ年上で、普通の企業に勤める社会人だ。
会社が休みの日はこうして事務所に顔を出し、お茶を淹れたり掃除をしてくれたりする。
真九郎は申し訳ないので何度も遠慮したのだが、「私がやりたくてやってることだから」と笑って押し通されてしまった。

「おはようございます、麻里子さん」

「おはよう、真九郎くん。切彦ちゃんも」

麻里子は切彦に声をかけるが、寝ているのか無視しているのか返事は無し。
別段構うことなく、麻里子は肩に提げていたトートバッグを床に降ろした。
その中から、大きな布状のものを引き摺り出す。
それは厚手のブランケットだった。
麻里子は一度それを広げ、優しく切彦にかける。

「これで、電気代もちょっとは浮くでしょ。身体冷やすのも良くないしねー」


真九郎はその気遣いに感謝しながら、今まで自分でその考えに辿り着かなかったことに頭を抱えた。
二十歳も超えているのに、自身の生活力の無さに辟易する。
五月雨荘で一人暮らしを始めるときは、夕乃や冥理がなんだかんだと世話を焼いてくれたので、真九郎が自分で揃えた生活必需品はかなり少ない。
年数を重ねるにつれて家電は買い替えたりもしたが、基本的に物持ちが良いのでそれも1回や2回程度。
食器や寝具などはずっとそのまま使っている。
事務所を立ち上げるとき、再三に備品を確認したというのに、とんだ見落としである。

「どうぞ」

「え?」

いつの間に淹れたのか、真九郎の目の前には緑茶が差し出されていた。
切彦にそんな気遣いができるわけもないので、もちろん淹れたのは麻里子である。
真九郎がかるくおちこんでいるのを励まそうとしているらしい。
ありがとうございます、と礼を言い、湯呑みに口を付ける。
程よい苦味と温かさが心地いい。

「おいしいです」

「おかわりもありますよ?」


それは是非、と言いかけたところで、ソファのブランケットが再びもぞもぞと動き出す。

「ぎぶみー、ぐりーんてぃー」

切彦が、片言の英語でお茶を要求する。
首をソファの縁から垂らしており、寝起きの眼は半開きである。
そのだらしない様子に真九郎が小言を言い、麻里子がはいはいと湯呑みを用意する。
何事も無い、平和な時間。
こんな時間がもっと続けばいい、と真九郎は思う。
しかし、引き出しの奥底にある招待状の存在が、真九郎の頭の奥底にこびりつくように、その想いを邪魔していた。

~~~~~

取り敢えずこんな感じで
1年前がどうのとかそういう話はこのスレでやるかもしれないし別に立ててやるかもしれないし未定です
ストーリーに直接関わるので絶対に書きますが、これの完結後か前かはまだわからぬ

番外【斬島切彦01】

最近、とても寒いです。
外に出たくないのに、おにいさんが猫探しを手伝えと言います。
面倒です。
寒いです。
外に出るならストッキングを買って来いと言うと、給料から天引きなどと言います。
お金を人質にするのは卑怯です。
この事務所に引き入れたのはおにいさんですから、おにいさんが責任をとって面倒を見てくれればいいのに。
責任と言っても、えっちな意味ではないです。
ドアを開けると、外はとても寒いです。
おにいさんがさっさと行けと言うので、おんぶしろと言うと、お前はいくつだと言われました。
年齢を盾にとるのは卑怯です。
私はまだてぃーんえいじゃーです。
今年の誕生日までですが。
取り敢えず、事務所のすぐ外に猫ちゃんがいたので、こいつでどうだとおにいさんに押し付けました。
真面目にやれと怒られました。
パワハラです。
冬は寒いです。
地球は私の敵です。

番外OKということだったんで書いた
あといろいろ考えた結果、スレを立てた当初のまま5~6年後ということにしました
切彦ちゃんが23というのがちょっと考えられなかったんで
19ぐらいならまだ学生の年齢だしこんなぼんやりした感じでも大丈夫じゃん?じゃん?
あと、番外はストーリーには関係ない部分で書こうと思います
つまり私の好きなキャラを好きに喋らせるだけになります
そんなかんじでよろしくです
今回はこれでおしまい

生きてる
紅続刊はまだか

鋭意執筆中です

ちょっと月初め忙しかった
もう暫くしたら書く

ごめん
ここんとこ週末忙しい

明日投下します

=====

日曜日の駅前。
ジュウが腕時計を確認すると、正午までちょうどあと5分のところだった。
こんな時間にもなれば、制服でうろつく高校生などほとんど見かけることはない。
そんな中、学校指定の制服でもないセーラー服をまとった少女が一人。

「ねー、柔沢くんってばー、なんでー、無視するのー」

「………‥」

「そんな頑な態度とるならー、抱き着いたりしちゃおっかなー」

「なんでここにいる、雪姫」

「即答はさすがに傷つく……」

ジュウは諦めて、先ほどから自分の周りをしつこく徘徊する少女に言葉を投げかける。
少女の名前は斬島雪姫。

今のこの格好もどうせ何かマンガかアニメのコスプレだろう。
いつも通りのポニーテールと白いリボンを揺らしながら、雪姫は答える。

「柔沢くんあるところに私あり、だよ!」

「あっそ、じゃあな」

「ちょ、マジで傷つくからそういう反応やめてー!」

ジュウが適当に追い払うように手を振ってやると、それにしがみつくようにする雪姫。
さっきからこんな調子でジュウから離れようとしないので、ジュウもいい加減辟易していた。

「いい加減にしてくれ」

「柔沢くんがなんでこんなところに突っ立てるのか教えてくれたらね」

何が面白いのか、うぇっへっへ、とわざとらしい笑みを浮かべる雪姫。
ジュウはといえば、頭を抱えていた。

今日この時間にこの駅前にいるのは、説明しようと思えば簡単だ。
単に、光との約束を果たすためである。
強引、というより一方的に取り付けられてしまった約束だが、連絡手段がないので断ることもできないし、できれば助けてやりたいという気持ちは本物だった。
だからわざわざ髪もスプレーで黒く染めてきたのだ。
しかしそれを言えば、雪姫の追求は免れないだろう。
最悪、偽デートとはいえ雨に伝わる可能性も―――

「(待て、なんであいつが出て来る……?)」

なぜ自分は雨にこのことが伝わることを恐れているのだろうか。
数秒の思考の後、光がそれを嫌がっていたから、とということを漸く思い出し、ジュウはほっと胸を撫で下ろす。
ジュウは既に思考を打ち切っているため気づいていないが、なにに安心したのかすらジュウ自身わかっていない。

「柔沢くん、雨のこと考えてるでしょ」

「え?」

雪姫の言葉に思わず反応してしまってから、ジュウは自分のミスに気が付いた。
こんなあからさまな反応をすれば、誰にだってそうだとわかる。

特に、女という生き物はそういうことに長けている。
案の定、雪姫は厭らしい笑顔をジュウに向けていた。

「いけないんだー、女の子と一緒にいるときに他の女のコト考えたりして」

うりうり、とジュウの肩を指でつつく雪姫。

今日何度目になるのかわからない溜息をつきながら、ジュウは雪姫の手を振り払う。

「お前の勘違いだ」

取り繕うのも今更だが、ジュウにもプライドというものがある。
しかしそんなジュウの言葉には全く耳を貸さない雪姫。

「ふーん、今日待ち合わせしてるのは雨かー」

「違う、あいつじゃない」

「ふうん?」

再び、ニヤニヤとした笑みを浮かべる雪姫。


何がそんなに可笑しいのか、とジュウはイラつくが、口を開く前に自分の短絡さを呪った。

「雨、では、ないのね?」

動揺したせいで返答にまで気が回らなかった。
最早待ち合わせということは自白したようなものだが、ここまで来れば意地だ、とばかりにジュウは食い下がる。

「誰でもない。待ち合わせなんかしていない」

「光ちゃんかな」

ジュウの言葉に被せるようにして図星を付いてくる雪姫。
ジュウは動揺を表に出さないように極力堪えたが、どうやら無駄な努力であるらしい。
雪姫はジュウの周りを、ふーん、とか、ほーん、とか言いながら回り始める。
そして、何周かしたところでジュウの正面で立ち止まると、人差し指と親指をまるで推理でもしている最中かのように顎に当てた。

「ふむ、姉妹丼かあ。柔沢くん、なかなかメニアックだね!」

「その言葉がどういう意味かは知らないが俺は断言できる。違う」

えー、と抗議の声を発する雪姫を適当にあしらいつつ、ジュウはそろそろ雪姫から逃げ出したくなってきていた。
そもそも光とは偽デートの名目でここに待ち合わせているのであって、その目的は諦めの悪い同級生にそれを見せつけることにある。
もしもそいつがここに来ていて、今までの雪姫とのやり取りを見られていたとすれば、そいつからすればジュウは二股最低野郎に見えなくもない。
そうなってしまえば光の計画は完全に逆効果なわけで、そろそろ待ち合わせの時間でもあるし、雪姫には帰ってもらわなければならない。

「雪姫、お前もう本当に帰れ」

「えー、女の子になんてこと言うの」

「だからなあ」

雪姫に対して呆れ果てたジュウは、雪姫を追い払うために何か適当な理由はないものか、と視線を逸らす。
そして見た。
ジュウを全力で睨み付けながら拳を握る、少女の姿を。
ジュウは本格的に、自分の女難について考える必要があるかもしれない、と思った。


~~~~~

番外【斬島雪姫01】

日曜日、雨も円も急用ができたとかで暇になった。
ので、駅前を適当にぶらついていると、自販機の陰に隠れている光ちゃんを発見。
何してんだろあの娘、なんかいつもより可愛い格好してるし。
……ティンと来た! これはラブコメの匂い!
光ちゃんの視線の先を追ってみる。
ぐふふ、どんな男が……って、あれー?
雨の用事って、柔沢くんじゃなかったの?
てっきりそうだと思ってたのに。
…………。
まあいいや。
暇な日曜に柔沢くんに遭遇できた、これはもう運命だね。
光ちゃんをからかうついでに、柔沢くんで遊んじゃおう。
さっさと出てこないと、お姉さんが連れてっちゃうぞー。

少ないですが今日はここまで
PCの方が捗ることに気づいたので、今後は

↑ミス
長らくお待たせして&少なくて申し訳ないですが今日はここまで。
PCの方が捗ることに気づいたので、今後はPCで投下することが多くなるかもしれません。

週末投下予定
お待たせして申し訳ナス

げ、月曜日は週末だから……(震え声)
遅れてごめんなさい、今から投下します

=====

下校中の小学生の波を眺めながら、たまに自分に向けられる挨拶に笑顔を返す。
真九郎はこの数年で保護者として既に認知されており、懐疑の視線を向けてくる者はほとんどいない。
聞いたところによると、紫の生徒名簿の緊急連絡先には真九郎の名前と電話番号が登録されているほどであり、学校側からも公認されているらしい。
紫が自慢気に語っていたので、少なくとも嘘ではない。
学校側としても、世界有数の大財閥である九鳳院家に電話をかけるより、職業不詳であろうと九鳳院家に認められている青年に連絡するほうが気が楽というのもあるのだろう。
九鳳院、麒麟塚、皇牙宮。
表御三家と言われるこの三つの家系は、日本を古くから支え、支配してきた。
その名は一般人でも知らない者はおらず、児童である紫にさえ尻込みしてしまう教師も少なくない。

「家の名は私の出自を保証するものだが、私自身ではない。しかし、不本意だが私個人よりも《九鳳院》という家の方が目立つのは仕方のないことだ」

とは、紫本人の言。
それは諦念というよりは、ありのままの事実を受け入れるという、良い意味で年齢不相応の器の大きさを表していた。
思えば、出会った頃から大人びた言動をする少女だった。
当時まだ高校生だった真九郎は、それに救われたのだ。
その生き方は、純粋にして高貴。
師であり命の恩人でもある柔沢紅香とは別の意味で、女傑と呼ばれる人間に育つだろう。
そんな遠くない未来を夢想し、遠くからその姿を見ることができればいい、と真九郎は思う。
高校も既に卒業している今、自分は完全に裏世界の住人であり、晴れて表の世界に立つことができた紫とは違う場所にいるべきだ。

彼女がそれを望めば、真九郎はいつでも紫の前から消える準備をしてある。
しかし今のところ、紫がそんなことを望むは様子はない。
その事実に喜びを感じるとともに、自嘲の笑みすら零れる。

「真九郎!」

軽い足音とともに、真九郎の胸のあたりに小さな衝撃。
視線を下げると、長い黒髪が真九郎の視線の先に揺れていた。

「少し遅れた! 待ったか?」

ぱっと顔を上げた紫と目が合う。
その表情は嬉しさが満面に広がっており、もともとの目鼻立ちの良さが更に可愛らしく見える。
真九郎はそんな紫の頭に手を乗せて、わしゃわしゃと撫でてやる。
紫はされるがままになっており、嬉しそうに小さく笑い声さえ漏らしている。
尻尾がついていれば、それは大きく左右に振れているであろう。
しばらくそうしてから、真九郎は紫の頭に手を置いたまま話を続ける。

「俺もさっき来たぐらいだから、10分ぐらいかな。なんかあったのか?」

「うん。明日は国語のテストがあるのでな、友達に質問攻めにあって大変だった」


真九郎の手を取り、歩きながら楽しそうに語り始める紫。
紫の学校生活は順調で、紫のおかげなのかそうでないのか、学校には表面的ないじめは存在しないらしい。
紫が直接注意をしていじめの標的になったり、逆にいじめっ子を改心させたりなどもあったらしいが、紫が直接関与しないものも含めて、徐々に無くなっていったようだ。
紫の裏表のない純粋な心が、子供達を変えていったということだろうか。
ちなみに、情報源はどこぞの忍者なので、確実だろう。
テロ対策も含めて、定期的に学校の内部をチェックしているらしい。

「(なんだかんだ、あの人も子供好きだよな……)」

犬塚弥生。
柔沢紅香の付き人で、忍者。
決して自称が付くような痛い人間ではなく、その働きぶりはまさに忍者そのもの。
何もない場所から突然現れたり、壁を走ったりもする。
真九郎は最近になって漸く気配が掴めるようになったが、そういうときは大概、弥生から真九郎に用事があるときなのでわざとかも知れない。

「真九郎!」

自分の未熟さに思索を巡らせていると、右下から抗議の声。
見てみると、紫が頬を膨らませて真九郎を睨んでいた。


「あ、ごめんごめん。なに?」

「……今、違う女のことを考えていただろう」

紫の指摘に、ギクリ、と顔が引き攣る真九郎。
紫は昔から勘の良いところがあったが、年々その能力は向上しているような気がする。
夕乃もそうだが、どうしてこう女性というのは勘が鋭いのだろうか。
なんにせよ、紫には隠し事や嘘は無意味。
真九郎は素直に認めることにした。

「ごめん、ちょっと弥生さんとの実力差について考えてた」

「夕乃のこともな」

「……はい」

この子は本当に他人の頭の中が見えるのかもしれない。
そんなことがあるはずはないが、しかし、そう考えてしまうのも無理のないことだ。
真九郎は背中に冷や汗が流れるのを感じながら、話題転換を図る。

「今日はこの後、どうするんだ? 騎馬さんからは何も聞いてないけど」

「うむ、本当は予定が入っていたのだがな。相手側の都合でキャンセルになったのだ」

真九郎と繋いでいた手をパッと離し、今度は腕に抱きつくようにする紫。
その二の腕に頬ずりをしながら嬉しそうに笑う。

「だから、今日は真九郎だけの私だ!」

嬉しそうに笑うその表情は、出会った頃と変わらずとても愛らしい。
成長期らしくこの数年で大きく伸びた身長は、既に真九郎の肩に迫る勢いだ。
本人曰く、胸の成長が芳しくないのが不満らしいが。
ともかく、そんな聞く人間が聞けば狂喜しそうな、紫の殺し文句を微笑ましく感じつつ、真九郎は一つの提案をする。

「それなら、久々に五月雨荘に来るか? 環さんも会いたがってたし」

「それも良いな! 真九郎の手料理も久しぶりに食べたいし」

真九郎の腕にぶら下がったまま、ゆらゆらと揺れる紫。
こういった仕草は、歳相応の実に可愛らしいものだ。

「真九郎、にやにやしてる」

「楽しいからな」

「ふふ! 私もだ!」

寄り添いながら、二人は五月雨荘に足を向けた。


~~


真九郎は五月雨荘の自分の部屋に入ると同時に、ここに来たのは間違いだったのだと悟った。
何故なら、昼から飲んだくれている大人が二人、真九郎の部屋で管を巻いていたからだ。
部屋には空になったビールの缶やつまみの袋が散乱し、鍵をかけていたはずのドアノブは破壊されて廊下に転がっていた。

「あー? しんくおうくん、あたしの酒が飲めないってぇのー?」

ゴミを片付けている真九郎の腰にしがみついて絡んでいる女性は武藤環。
どこぞの空手道場の師範代で、大学を卒業して以来ますます酒癖が悪くなった。
そして、環とは別次元の大酒飲みがもう一人。

「ぎゃはは! 紅くん、ほれほれ、アルコールぶしゃー!」

消毒用アルコールを片手に卓袱台の上に胡座をかいている人物の名前は、星噛絶奈。
裏十三家の一角、《星噛》家の現当主。
かつては真九郎と敵対し、一騎打ちまでした絶奈だったが、紆余曲折あって現在は宿無しのホームレスであり、仕方なく真九郎が環の部屋に放り込んだ。
環と絶奈はあっという間に意気投合。
以来、真九郎の悩みの種が一つ増えるどころか相乗効果で何倍にも増え、もはやノイローゼ気味ですらある。
夕乃や銀子がいるときは比較的静かにしている(以前真九郎のいないところでヤキを入れられたらしい。因果応報だ)が、それ以外ではこの惨状である。

「……真九郎」

「ごめんな紫、片付けたらさっさと追い出すから――」

「これが、ダメな大人というものなのだな……」

「…………」

久々に見る身近な大人の醜態を見てそんなことを呟く紫の瞳は、どこか遠くの景色を映していた。


~~


部屋の片付けを終えて二人を環の部屋に押し込むと、真九郎は漸く夕食の準備に取り掛かった。
今から買い物に行ったのでは夜も更けてしまうので、適当に余り物で作ることになった。
ちょうど挽肉とトマトが余っていたので、スパゲティだ。
真九郎としては外食でも良かったのだが、紫が「真九郎と二人きりの方が良い!」と言うので、真九郎は快く従った。


「真九郎! 次は何をすればいい?」

「じゃあ、麺が茹で上がったか確認してみてくれるか?」

「わかった!」

元気に返事をして、鍋の中に菜箸を差し込む紫。
年々、九鳳院としての仕事が多くなる紫だったが、時間が空いた時には料理の勉強をしているらしい。
曰く、花嫁修業だとか。
以前は踏み台がなければ届かなかったキッチンも、今では自由に移動して楽しそうに調理に参加している。

「うーん、もう少しかも」

「じゃあ、そろそろサラダを作るか。冷蔵庫にプチトマトがあるから、それ出して半分に切っておいて」

半年前に新調したばかりの冷蔵庫。
扉も開閉もしやすく、前の物とスペースは変わらないのに大量に収納できる優れもの。
真九郎の収入もこの数年で少しは見れるようになっており、事務所を構えたり、こうして家電を買い換えることもできた。
貯金には若干不安もあるが、銀子に報酬を支払うことすら困難だった頃に比べれば、かなり改善されたと言えるだろう。

「紫ちゃんの伝手で仕事を回してもらっているおかげでしょ。どっちが世話されているんだか」などと銀子は不機嫌に言うが、要人が集まるパーティーの警護などの場面で、真九郎の名を知っている者も少なくはない。
おかげで、固定客とまでは言わないが、リピーターも徐々に増えている。
これも、紫と出会わなければありえなかったことだ。
いつだったか真九郎は紫のことを守護天使などと表現したが、あながち間違いではないのかもしれなかった。
そんなことを考えているうちに夕食も出来上がり、二人はテーブルに就いた。
二人揃って手を合わせ、和やかに食事が進む。
ここまでの道中では語り尽くせなかったのか、楽しそうに学校で起きたことを話す紫。
自分の小学生時代は絶望と修行の日々であった真九郎にとって、とても眩しい日々。
それを語る紫の笑顔は、出会った頃からは想像もつかないほどに、歳相応の女の子のものだ。

「それでな、私のファーストキスは真九郎に捧げた、と言ったら、その男子が急に泣き始めて……」

「やめてやれ……」

真九郎は心の中で相手の男の子に合掌しつつ、どうか呪われませんように、とだけ願っておいた。


~~~~~

今回は以上です。
そろそろ日常から動き出す予定です。
もうしばらくお付き合いくださいませ。

それと>>140で言っていた「1年前」のことですが、別のスレでやります。
スレタイが電波なので、あくまで電波メインにしようかと。
それをやるときは紅オンリーになると思うので、よろしくです。
まあ、いつになるかはわからんけども……

すまぬ・・・・・・すまぬ・・・・・・

すまん
FGOに忙しかった
今月は必ず更新します

生きてます
もうしばらくお待ちを

=====


「いやー、なんか悪いねー」

まるで悪びれもせずにそんな台詞を吐く雪姫。
彼女の目の前にはケーキと紅茶が並べられており、彼女はそれらを実に幸せそうに口へと運ぶ。
対面に座るジュウは、そんな雪姫の様子を呆れ顔で眺めていた。

「それ食ったらさっさと帰れよ」

「ん~、これも美味しい! ね、光ちゃんも食べなよ」

ジュウを無視して、光は自分の隣に座る光にフォークを差し出す。
光はフォークに乗ったケーキのスポンジを一瞥し、更に何故かジュウを睨みつけてからそれを頬張った。
咀嚼している最中も、ずっとジュウを睨みつけている。
雪姫はそんな光の様子を見て、何が楽しいのか厭らしい笑みを浮かべている。
公衆の面前で光に殴り飛ばされるようなことはなかったが、雪姫に絡まれるジュウと合流した直後、

「女ったらし」

と一言発しただけで、それきり光は一度も口を開かない。
ただひたすら、ジュウを睨みつけるばかりである。
ジュウは説得を試みたものの、光は聞く耳持たずと言った風で膠もない。
そんな中、雪姫が唐突に近くの喫茶店に入ることを提案。
昼下がりの駅前で人の目があったというのと、限定スイーツを食べさせてくれたら潔く帰ると雪姫が進言したため、ジュウは渋々承諾した。

入店の際に「3Pカップル一組」などと世迷い言を抜かす雪姫にジュウは逃げ出したくなったが、雪姫はジュウと光の手を掴んで離さず、そのままゴリ押しで入店し、カップル限定ケーキを頬張っている最中である。

「柔沢くんも食べる? はい、あーん」

「いらん」

「ちぇー、間接キスのチャンスなのになー」

マイペースな雪姫の様子に、思わず溜息が出る。
これでは光の目的が達成できないし、光の怒りも収まらない。
この女をどうしてくれようか、などとジュウが不穏なことを考え始めた頃、光が漸く口を開いた。

「……雪姫さん、今日はお姉ちゃん達と約束があったんじゃないんですか」

「あれ、知ってるの? 光ちゃんってば用意周到ー」

「…………」

「あはは、怖い怖い。なんかね、二人とも急用なんだってさ。何かは知らないけど。暇だから駅前で適当に服でも見てよっかなーと思ったら、柔沢くんがいたからちょっと絡んでみただけ」

発想がそこらのチンピラのそれである。
チンピラに絡まれれば拳で黙らせることもできるが、相手が女な上、雨の友人というのがジュウにとっては痛い。
そもそも女を殴るのは趣味ではないし、雪姫は普段はおちゃらけているものの、刃物を持てばおそらくジュウよりも強い。
雪姫は自称刃物愛好家であり、例えガラス片であろうとそれがモノを切れる物であれば、まるで二重人格者のように雰囲気が一変する。

その辺にいるチンピラや不良どもとは別の意味で相手にしたくない人間だ。

「光ちゃんと柔沢くんはデート?」

「違います」

「でも二人で待ち合わせしてたでしょ」

「たまたまです」

「柔沢くんはデートって言ってたよ」

ものすごい勢いでジュウを振り向いた光の目は飛び出るんじゃないかと心配になるほどに見開かれており、そこから非難を感じ取ったジュウは、テーブルを軽く叩く。

「雪姫、いいかげんにしろ」

雪姫は最初はヘラヘラしていたが、ジュウが眼光を強めると流石に萎縮したのか、拗ねるように唇を尖らせる。
その隣りに座る光も何故か驚きの表情でジュウを見つめていた。
ジュウは一度光に目配せすると、今回の件について雪姫に説明しはじめた。
光がしつこい同級生に好意を向けられて困っていること、安直に実際にはいない彼氏がいると言ってしまったこと、それを証明するために彼氏役が必要でそれを見せつけなければならないこと。
自身の口から説明してみるとなんとも阿呆らしい経緯ではあるが、雪姫は真面目な顔で黙って聞いていた。
説明を終えても、雪姫はジュウの目を真っ直ぐに見つめてくる。
今の話を疑っているのだろうか?
しかし、ジュウは一つも嘘をついていない。
暫く睨み返してやると、今度は光の方に向き直る雪姫。

光は雪姫の視線を真正面から受け止め、見つめ返している。
また暫くそうして、やがて雪姫は、ふうん、と言ってフォークを残っていたケーキに突き刺し、一口で平らげた。

「わかったわかった。そういうことならしょうがないよね。今日は帰りますよ」

ケーキを嚥下し、紅茶を一息に飲み干すと、雪姫は漸く納得したようだった。
光とジュウは、心の中で胸を撫で下ろす。

「じゃあ、ここは柔沢くんの奢りね」

「おい待て、なんでそうなる」

「奢ってくんなきゃ帰らない」

ジュウは再び言い返そうとしたが、目的を優先するために折れることにした。
レシートを持って支払いを済ませ、店外に出る。
先に出ていたらしい雪姫が、光に何か耳打ちをしている。
何を言われたのか、光は身体をビクつかせ、一歩離れた雪姫と目が合うと、途端に耳まで赤く染め上げた。

「おい、またなんか余計な嘘を教えてるんじゃないだろうな」

「私はね、この世のシンリってやつを教えてあげてたのだよ」

「もういい加減満足しただろ。とっとと帰れ」

ジュウがしっしと手を振って追い払うと、何が楽しいのか雪姫は大げさに手を振りながら帰っていく。

雪姫が駅の中に消えていくのを確認すると、ジュウは光を振り返る。
光は何故かジュウに背を向けて俯いていた。

「おい、大丈夫か?」

「…………ダイジョウブ」

ロボットのようにカタコトな返事をする光。
ジュウは不思議に思ったが、せっかく返事をしてくれるまで機嫌を直した光に下手なことを言ってまた怒らせては堪らない、と追求するのをやめた。
自分に背中を向けたままの光に問いかける。

「随分時間を喰われちまったが、今日はどこに行くんだ?」

光はハッとしたように顔を上げると、ちょっと待って、と言ってポケットから紙切れを取り出す。
背中越しなので詳細は見えないが、どうやら何かのメモのようだ。

「え、えっと、まずはその……服を見に、行きたいん、だけど……」

「わかった。そこの駅ビルとかか?」

「う、うん」

光は緊張した面持ちでジュウを振り返り、目的地に向かって歩き出した。
ジュウも少し離れてその横を歩く。
歩きながら光の様子を観察すると、今日は普段よりも可愛らしい格好をしていることに気がついた。
初めて遭遇したときはジャージにタンクトップという少年のような出で立ちだったのが、タイツの上にキュロットスカート、足にはショートブーツ、明るい色のダッフルコートを羽織っており、見違えるようだった。

そういえば、今まで光と会うときは制服姿ばかりであり、私服をまともに見るのは初めてかもしれない。
もともとこういう服も着るのだろうか、いや、これから行くのも服屋だというし、もしかしたら最近目覚めたのかもしれない。
ジロジロと見過ぎたのか、光が訝しげな視線を送ってくる。

「……なにジロジロ見てんのよ」

「いや、別に」

思ったよりも可愛い服を着るんだな、と言おうとしたが、また何かしらの罵声が飛んできそうでジュウは言葉を飲み込んだ。
光は女子中学生の平均身長どころか成人女性の平均身長を悠に超え、かなりの長身だ。
そのせいで雨と並ぶと光のほうが姉に間違われることもしばしばあるらしい。
そんな光が見た目相応の大人びた服ではなく、年齢相応の可愛らしい服を着ていることに、ジュウはなんとなく微笑ましさのようなものを感じていた。

「…………あっそ」

ジュウの返事に対して小さく呟くと、光は歩調を速めた。
自分の返答が気に食わなかったのか、とジュウは思案したが、他人の気持ちなどわかりようがない、といういつもの答えに辿り着き、考えるのをやめた。
そこからは二人とも無言で駅ビルに入り、そして光が適当に店に入っては服を物色するのを後ろからジュウが眺める、という状況が続いた。
ジュウとしては女性物の服と女性客に囲まれ続けるのはなんとも居心地が悪かったが、本物のデートもこんなものなのだろうか、と適当なことを思った。
ジュウはふと、以前、雪姫と二人で出かけた時のことを思い出す。
あの時には雪姫のマシンガントークが途切れることはなかったし、今の光のように仏頂面で黙っていることなどなかった。
今日も然り、雪姫には初めて会った時から振り回されてばかりだ。
いや、それは光も同じことか。

「……変態」

光の方を見ると、姿見越しに目が合った。
謂われのない罵倒なうえ、場所が場所なのでジュウは反論せざるを得ない。

「何がだ。というか、こういう場所でそういうことを言うのはやめろ」

「どうせ、雪姫さんのこと考えてたんでしょ」

どうしてこう、女というのは勘が鋭いのか。
ジュウが一瞬息を詰めたのを見逃さず、光は言葉を重ねる。

「お姉ちゃんや雪姫さんだけじゃなく、いろんな女の子を引っ掛けて歩いてるんでしょ、どうせ」

「言いがかりだ」

「どうだか」

ふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまう光。
女というのは本当に厄介だ。
やたらと勘が鋭い上に、突然怒るし、その理由もわからない。
ただ謝っただけでは許してはくれないし、かと思えばいつの間にか機嫌が直っていたりする。
こんな生き物と人生の苦楽を伴にするなど、考えるだけで辟易しそうだ。
そもそも、そんな不機嫌になるほどに嫌いな相手である自分をなぜ彼氏役などに指名するのか。
そこまで考えて、ジュウはふとあたりを見回した。
視界に入るのは女性ばかりで、たまに男もいるが、大抵は女連れ。
一人でいる男もいるにはいるが、どれも中学生には見えない風貌をしている。

「光、例の奴は来てるか?」

「え?」

「だから、お前に付き纏ってる同級生のことだよ。見る限りではいないみたいだけど」

ジュウの問いに光は暫く呆然とした後、あ、と小さく音を漏らした。

「……まさか、目的を忘れてたのか?」

「そ、そんなわけないでしょ! えーと、その、あれよ。ここに入る前まではいたわよ……たぶん」

「ふうん」

もう一度あたりを見回してみるが、それらしき人影は見えない。
ジュウと光の様子を見て諦めたのか、それとも、どこかこちらからは見えない位置に隠れているのかもしれない。

「ちょっとこの階を一周りしてくる。お前はこの辺にいてくれ」

用心に越したことはない。
そんなに大きな建物でもないし、一周してそれらしき人物がいなければ、おそらく諦めたと見ていいだろう。
後ろから光の呼び止める声が聞こえるが、すぐに戻る、と言い残して歩き始めるジュウ。
歩調は一定にせず、物陰や人の隙間、店の中なども注意深く観察する。
ジュウと光が現在いるフロアは女性物のみせしかないらしく、たまに店員から訝しげな視線を向けられるが無視。
ランジェリーショップなどもあるが、ここは流石にスルーした。
ジュウは、相手が男一人でこんな店に入れるような度胸の持ち主ではないこと祈った。

一周してジュウが元の店に戻ってくると、光の姿が見えなくなっていた。。
他の店に移ったかと近くの2、3店舗を見てみるが、そこにもいない。
それほど時間は経っていないはずだが、どこに行ったのだろうか。
電話を掛けてみようかとも思ったが、そもそも連絡先を知らない。
どうしようかと思案していると、店員がジュウに近寄ってきた。

「お客様、お連れ様ならこちらですよー」

お連れ様、と言うのは光のことだろうか。
この店にそれほど長居したわけではなかったが、どうやら顔を覚えられていたらしい。
他に手がかりもないので、店員に促されるままに店内を歩いて行く。
こちらです、と店員に案内されたのは、試着室の前。
カーテンによって仕切られている空間の足元には、光の履いていたショートブーツが揃えられていた。
なるほど、姿が見えなかったのはこのカーテンの向こうにいるかららしい。

「光、戻ったぞ」

「あっ!? ああああああんたもう戻ってきたの!?」

よほど驚いたのか、カーテンが光の動きによって大きく揺れる。
その拍子に中が見えるようなことはなかったが、ジュウは念の為に視線を逸らした。

「試着してんのか? 待っててやるから、早めに済ませろよ」

件の同級生がいないとわかった以上、こんな居心地の悪い空間に長居するのはごめんだ。
目的を達したのなら、ジュウは晴れて御役御免となる。

この駅ビルは若い女性にも人気の場所であり、それだけに誰に遭遇するかわからない。
自分は女の知り合いなど限られているが、光は友達も多いだろうし、学校でまたぞろ変な噂が立っては面倒だ。
しかし光はそんなジュウの心中を知ってか知らずか、カーテンの向こうからなかなか出てこない。

「ま、待ってるって……! あああんた、本気で言ってんの!?」

「本気も何も、俺一人で帰るわけには行かないだろうが」

なにかおかしなことを言っただろうか?
さっさと試着を済ませて、早く帰りたい旨を伝えただけなのだが。
何故かさっきの店員が少し離れたところから微笑ましいものを見るような表情をしているし、かなり居心地が悪くなってきた。

「おい、まだか?」

「ちょ、ちょっと待ってよ! すー……はー……。……あ、開ける、わよ」

カーテン越しに急かすと、光は一度大きく深呼吸をして、カーテンを勢いよく引いた。
そこには、柔らかそうな生地のフレアスカートに、厚手のタートルネックを着て佇む光がいた。
両手を胸の前で握りしめ、顔を真っ赤にして俯いている。


「…………」

「…………」

「…………な、なんか言いなさいよ」

「……なんで試着したままなんだ?」

そう、光は何故か、試着をしたままの姿で出てきたのだ。
これから帰るというのに、試着したままでは帰ることなどできない。
それとも着たまま会計を済ませて、そのまま帰るのだろうか。
ジュウが率直な疑問を口にすると、光は呆けたように口を開け、そして、真っ赤に染まった顔を更に赤くして拳を振りかぶった。

「ばかっ!!」


~~~~~

大変遅くなってまことに申し訳無い。
今回はここまでです。

長らくお待たせして申し訳ない
もうしばし

お待たせしてほんとに申し訳ない
9月になるまでちょっとバタバタしてるので、更新はおそらくそれ以降です

すまぬ…すまぬ…
今月中に書ければ投下したい
原作がクロス作品なのにクロスさせるの難しい…

=====


大きな窓に映る自身の姿を見て、やはり自分にはこういう格好は似合わないな、と真九郎は思った。
こういう派手な格好をするには、圧倒的に顔に貫禄が足りないのだ。
オールバックに整えた髪を乱さない程度に頭を軽く掻く。
もう成人式もとっくに終えたというのに、未だに高校生に間違われることもある。
真九郎は後ろを通った屈強な身体つきをしているガードマンを見て、その威圧感に嘆息した。
こんな自分だからこそこなせる仕事もあるのだから一概に悪いとはいえないが、いずれは九鳳院の近衛隊隊長である騎馬大作ぐらいの雰囲気は手に入れたいものだ。
もう一度、窓に映った自分の格好を眺めてみる。
比較的地味ではあるが、パーティ用のそこそこ高級なスーツに、オールバックに整えた黒髪。
真九郎は今夜、とあるパーティー会場に来ていた。
非合法な会合とか、なにかの組織が催すようなものではなく、国内外の大手企業や財閥の代表が集う、懇親会みたいなものだと聞いている。
真九郎はガードマンとして雇われてはいるが、全身黒尽くめのガードとは違い、綺羅びやかな格好をして他の参加者たちに混じり、怪しい人物がいないか目を光らせている。
今回のパーティーには九鳳院は参加していないものの、雇い主は以前九鳳院の伝手で雇ってもらった某グループ企業の会長であり、つまりは真九郎のリピーターだ。
リピーターの存在は仕事としては喜ばしいことだが、噂によると彼には衆道の気があるらしく、真九郎としては微妙な心情である。

「あら、お見かけしない顔ですわね。どちらからいらしたのかしら」

「こんばんはマダム。私、こういう者です」

参加者の夫人らしき女性に声を掛けられた真九郎は、慣れた手つきで名刺を差し出す。
女性は名刺を眺め、失礼ながら存じ上げませんね、などと愛想笑いを返してくる。
それもそのはず、真九郎がたった今差し出したのは、偽の名刺だった。

偽とはいってもホームページや会社のビルまであることになっており、ネタばらしをするなら、銀子の手によって作られた架空の会社である。
もちろん、名前のところにも偽名が使われている。
真九郎も裏の世界で名前が広まっており、いつどこにどんな人間がいるかわからない場所では、いつも銀子が作ってくれた設定に頼っている。
裏の世界の人間ならば誰もが知る伝説の情報屋・村上銀次。
その全てを受け継いだ孫娘である銀子の情報操作は、ちょっとやそっとでは暴くことはできない。
真九郎は夫人に実態のない会社の説明をするが、彼女はさして興味もないのか、適当に聞き流しているようだった。
今回のようなスタイルでパーティーに潜入するのは別に初めてではない。
裏世界での知名度は上がったとはいえ、表世界の人間にまで認知されるほどではない。
それこそ道行く人が皆振り返るような、最高の揉め事処理屋と呼ばれた柔沢紅香ほどの目立つ人間であれば別だろうが、裏世界でどんなに仕事をこなそうが表世界では見向きもされないのだ。

「それにしてもお若いのね。失礼ですけれどおいくつ?」

「見た目ほど若くはないと自負しております。マダムこそ、随分とお若いのですね。それにお美しい」

「まあ、お上手」

夫人は口元に手を当てて上品に笑う。
最近はこんな社交辞令にも慣れてきて、口にする度に顔が赤くなるようなこともなくなった。
それから他愛もない話を二、三して、「すみません、お手洗いに」と言って夫人と別れた。
手を振る夫人を尻目に、ホールを出る。
出入り口付近にいたボーイに声をかけてグラスを二つ受け取り、トイレとは反対の方向にある階段を下って、屋敷の庭園へ出る。
無論、酔いを醒ましに来たわけでも、気まぐれに散歩をしているわけでもない。
この庭園は、つい先程まで真紅郎がいた3階のパーティーホールからよく見える位置にある。
上から一望することで、侵入者や危険物などをSPなどがいち早く発見できるようにするためだ。
しかし、この屋敷の所有者の趣味だろうか、庭園全体に薔薇などの草木が植えられており、視界が悪くなっている。

庭師や警備の努力によって死角は極力減らされているが、上から見ても庭園の警備員から見ても死角となる部分が一箇所だけある。
頻繁にこの屋敷に招待されている者や、この屋敷を守護している者も気づかない、或いは見過ごしてしまう程の本の小さな死角。
草木によって作り上げられたその死角――そこに佇む、一人の女性。
この庭園の死角は偶然できたものではなく、人為的に作られたものだ。
真九郎の経験上、パーティーの会場で密かに逢瀬を楽しむ男女(或いは同性かもしれないが)の為に、こういった場所が設けられている屋敷は少なくないが、警護する側からすればはた迷惑な話だ。

「こんばんは」

真九郎は、その女性に声をかける。
身長は真九郎と同じ程度で、女性にしては長身。
黒い喪服のようなドレスを身に纏い、帽子を目深に被っている。
女性の装いに対して、脳裏に黒猫を抱いた魔女が浮かぶが、雰囲気や身体的な特徴から、それは違うと真九郎には断言できる。

「…………」

どうぞ、と言ってグラスを差し出すが、対する女性は口も開かないまま真九郎の顔を見つめている。
警戒されているのだろうか、と真九郎は考えるが、この場所と時間を指定してきたのは相手側であるし、さっさと話を進めろ、ということか。
真九郎は警護の仕事の為にこの屋敷へ来た。
しかし、この屋敷には、もう一つ用事がある。
それが、この女性と落ち合い、報告をすることだった。
このほんの小さな死角も、彼女が指定してきた場所である。

「あの――」

依然として沈黙を保つ女性に対して、真九郎がその報告を口にしようとした瞬間――

――真九郎の視界の外から飛んでくる、鋭い蹴り。
それは紛れもなく、目の前の女性が繰り出した蹴りであった。
一撃必殺を思わせる速度と鋭さ。
撓るように放たれた脚は、しかし、真九郎のこめかみの手前で、ピタリとその動きを止めた。

「…………」

「…………」

女性はその姿勢のまま真九郎を観察し、そして真九郎もまた、女性を無言で観察していた。
ほんの数秒ほどそうしてから女性は元の姿勢に戻り、真九郎からグラスを受け取る。

「この程度にも反応できないの?」

漸く口を開いたかと思えば、嘲笑うような、落胆したような声色で言葉を向けてくる女性。
その声は、女性と言うよりも少女に近い、と言うのが真九郎の感想だった。
大人びてはいるがまだ少し幼さが残る雰囲気で、おそらくは真九郎よりも年下。

「定期報告のために俺より年下の方がお見えになるのは、初めてですね」

「……そうね」

帽子のせいで表情を窺うことはできないが、今の一言だけで自分の年齢を看破されたことに驚いたのか、グラスの水面に小さな波紋が起きる。
明らかな経験不足が見えるが、真九郎はあえてそこを追求するようなことはしない。
経験不足と言えば、先ほどの蹴りもそうだ。
先程の蹴りには、全く殺気が見えなかった。

威嚇か、それとも度胸試しかはわからないが、そう判断したからこそ、真九郎は一歩も動かなかったのだ。

「まあいいわ。…………報告を」

「はい。星?絶奈、斬島切彦、ともに異常なし。引き続き、こちらで監視します」

《星?》と《斬島》。
この両家は、裏十三家に数えられる一族である。
裏十三家とは、古来から続くこの国の闇――裏の世界を支配する存在だ。
《歪空》、《堕花》、《斬島》、《円堂》、《崩月》、《虚村》、《豪我》、《師水》、《戒園》、《御巫》、《病葉》、《亜城》、《星?》。
紫の生家である《九鳳院》家を含む表御三家と、真九郎が少年時代を過ごした《崩月》家を含む裏十三家。
これらの一族によって、表と裏からこの国は支配され続けて来た。
尤も、裏十三家の方は崩月家のように裏家業を廃業していたり、他では断絶している家もあるらしい。
そんな中、《星?》と《斬島》の両家は、つい最近まで裏世界で暗躍していた一族である。
そしておそらく、この少女もまた裏十三家に名を連ねる一族の一人。

「それにしても、《円堂》の人なのに、随分と好戦的なんですね」

「…………」

敢えて、挑発めいた言葉をぶつけてみるが、先程見せた動揺を自覚しているのらしく、グラスに波紋は見えない。
しかし、グラスを持つ指が強く握られているのを、真九郎は見逃さなかった。
言葉や格好は大人びていても、雰囲気やその精神は子どもであり、素人にも近い。
なぜ、こんな少女が連絡役に寄越されたのだろうか。
そもそも今までは電話や封書でのやり取りが多かったのに、今回は直接だ。

裏十三家の一つである《円堂》。
彼らは裏十三家の中で唯一、表の勢力と融和した一族であり、警察機構などともコネクションがある。
この国を守るためならばテロリストによる虐殺すら見逃すほどであるその性質は『完全保守』。
一年前の事件から、真九郎は当時、《星?》と《斬島》の当主であった絶奈と切彦の監視役――とは名ばかりで現在は保護者となり果てている――を買って出た。
そのとき、師である柔沢紅香を通して《円堂》は真九郎に条件を提示してきた。
それがこの定期報告である。
一ヶ月ごとに円堂の遣いの者か、もしくは指定された方法で、切彦と絶奈の状態を報告することが、切彦と絶奈を真九郎が預かるための条件だった。
《円堂》は最初、紅香に対して絶奈と切彦の抹殺を依頼していたらしい。
曰く、二人は勢力の均衡を崩壊させる火種であり、不安の芽は早々に積むべきである、と。

『お前が決めろ』

とは、紅香の言葉だ。
あのとき、瀕死の絶奈と切彦を前にして真九郎は紅香に判断を仰いだ。
このまま見捨てるのか、それとも匿うのか。
しかし、紅香は真九郎に決断を丸投げした。
そして真九郎の決断に対して、紅香は協力を約束してくれた。
もちろん、二人の抹殺を依頼してきた《円堂》の説得も、紅香のおかげで滞りなく済んだのだ。
まったく、紅香には頭が上がらない。
そして真九郎は同時に《円堂》に対する不信感も増していた。
紅香への依頼の件とは別に、真九郎は過去に何度か《円堂》に裏切られている。
思想や主義のすれ違いによるものとはいえ、何度も続けば良い感情をもてるわけもない。
真九郎が交渉の場でもないのにわざわざ挑発的な言葉をぶつけてみたのも、その感情の表れだった。

「……《星?》と《斬島》を飼うなんて、貴方、正気とは思えないわ」

その挑発に対して少女は応えず、逆に挑発めいた言葉を返してきた。
《星?》家は、《悪宇商会》という人材派遣会社の設立に深く関わった一族だ。
人材派遣といえば聞こえはいいが、その実、ボディガードから誘拐・暗殺までなんでも請け負う、裏社会の住人が蠢く巣窟。
真九郎も、かつては《星?》の当主であり、《悪宇商会》最高顧問であった星?絶奈と対立し、殺し合った関係である。
およそ同じ人間とは思えない肉体と思想、倫理。
一度は人外の敵と見做した相手をどうして助けてしまったのか、真九郎にもよくわからない。
それでも、あの弱り切った絶奈を前にして、真九郎は手を伸ばさずにはいられなかったのだ。
しかし、《円堂》からすればそんな真九郎の心情など関係ない。
一年前の件だけでいえば被害者であった絶奈個人ではなく、表の世界にまで影響を及ぼした事件の発端である《星?》を危険視するのは当然のことだ。
そんなことは百も承知だが、理屈と感情が完璧に合致することなどそうはない。
それとも、揉め事処理屋として、一人の男として、真九郎がまだまだ未熟なだけなのだろうか。

「俺は《崩月》ですよ。裏の人間同士でつるんでいたって、別に不思議じゃないでしょう」

「…………」

真九郎の皮肉めいた言葉に対して、少女は言葉を返さない。
揉め事処理屋の紅真九郎が《崩月》の戦鬼であることは、裏世界の人間ならば誰でも知っている。
特に1年前の事件を知る者の間では、真九郎は《悪鬼》などという異名を付けられているほどだ。
そんな連中から言わせれば、紅真九郎という人間はとうに箍が外れているも同然。
更に言えば、そんな真九郎を《円堂》が警戒していないわけがない。
しかし先程の少女の発言は、まるで真九郎がまともな人間であるとでも言っているかのようにもとれる。
まるで、真九郎がどんな人間なのかを知っているような――

「そろそろ、戻った方が良いんじゃないかしら」

――少女の言葉で、真九郎の思考は中断される。

「……そうですね、あまり離れすぎると、何かあったときに困りますから」

庭園に来てから、既に5分以上経過している。
プロの殺し屋なら、上のパーティー会場にいた人間を皆殺しにするのに、3分とかからない。
少なくとも、自分ならば――――
真九郎は無意識に、自身の左肘に爪を喰い込ませていた。
喉の奥の塊を、息とともに細く短く吐き出す。
それから、訝し気にする少女に一礼して背を向ける。
庭園から屋内に入る際に一度振り返ると、少女は死角に消えて、既に見えなくなっていた。
もしかしたら、どこかで会ったことがあっただろうか、と顔の見えない少女に記憶を巡らせて。

「まあ、いいか」

と、小さく呟いた。


~~~~~

毎度毎度長らくお待たせして申し訳ないです。
そのくせ、あんまり展開は進まないという始末で……
1年前のことは、以前も書きましたが別スレをそのうち立てて書くので、今しばらくお待ちを。
もしかしたらPixivに移行するかもしれませんが……いずれにしろ、このスレを書ききってからの話ですね。
それでは今回はここまでです。

お待たせしてすみません
絶賛スランプ中であります

お待たせしております
2月中に投下予定です

投下します

=====


光による原因不明の鉄拳制裁を受けた翌日。
昨日は光に連れまわされ雪姫に絡まれ、散々な一日だった。
光はまだ可愛いものだが、雪姫は何を考えているのかよくわからないし、雨は過保護だし、あいつらと一緒にいると、酷く疲れる。
今日は祝日で、学校も休みである。
ジュウはそんな休みの一日を昨日の分まで、一人で悠々自適に過ごすつもりでいた。
つもり、と言うのは、現実にはそうなっていないということである。

「どうした。食べないのか」

どんな聖人君子だろうと、誰もが人生の中で最も苦手とする人間と出会うだろう。
柔沢ジュウにとっては、目の前にいるこの人物こそがそれだった。
ウェーブのかかった長い茶髪と、ワインレッドのスーツ。
二十代と言われても納得できてしまう美貌とスタイル。
テーブルに肘をつきながら、ジュウを横目に紫煙をくゆらせているこの女の名前は、柔沢紅香。

「母の手料理を無駄にするつもりか?」

柔沢ジュウの、実の母親である。
目の前にはナポリタン、付け合わせのサラダとスープ、そしてどうやら手作りのプリンが用意されている。
無論、普段学校の弁当におにぎりを適当に握っていくだけのジュウがこんなに手の込んだ昼食を用意するはずもなく、これらは紅香が作ったものだった。
皿から立ち上る香りが鼻腔をくすぐり、胃袋は目の前の料理を受け入れる準備を整えている。
しかし、それらを前にして、ジュウは手を付けるのを躊躇していた。
別に、毒が入っているかもしれないとか、皿に蠅が集っているとかいうわけではない。
料理自体は盛り付けまで美しく、一般的な家庭と比較しても、豪華な昼食と言えるだろう。
ただ、自由な休日の出鼻を挫かれたような、そんな気分に勝手になっているだけである。
紅香はなかなか料理に手を付けないジュウに対する興味がさっそく失せたのか、テレビを眺めながら新しい煙草に火を点けている。

ジュウが物心ついたころから、こういう母親なのだ、この女は。
物凄く優しい母親のようなことをしたかと思えば、次の瞬間には急に無関心になったり、唐突に暴力的になったりもする。
好きか嫌いかと聞かれれば、苦手と言うのが一番しっくりくる。
そもそも滅多にこの家には帰ってこないし、どこか他所で男と暮らしているらしい。
子どもの頃はこんな紅香にも母親らしさを期待していたジュウだったが、現在ではただの目の上のタンコブだ。
ジュウは紅香を睨み付けてみるが全く効果は無く、鼻で笑われる始末だった。
この程度で済むのだから、今日はまだ機嫌が良い方だ。
虫の居所が悪ければ、皿に手を付けようとしない時点で何をされていたか、長年この女と過ごしてきたジュウとって想像に難くない。
観念してフォークを手に取り、ナポリタンを巻き付ける。
トマトソースの程好い酸味と塩味が舌の上で解けていく。
美味い。
悔しいが、ナポリタンも、スープも、サラダも、全てが美味かった。
無言で食べ進めると、あっという間に食べ終わってしまった。
デザートのプリンに手を伸ばす。
白磁の耐熱容器に収められたプリンをスプーンで掬って口へ運ぶ。
これも美味い。
同年代の男子に比べて自炊はする方だが、流石にこんな菓子までは作ったことはない。
自分で作るものや、ましてやコンビニのものなどとは比べ物にならないであろう味だ。
腕力でも勝てない、知力でも勝てない、更に料理の腕でも全く敵わない。
そういった事実をできるだけ意識から外しつつ、最後の一口を口へ運ぶ。


「そういえば、あのガールフレンドとはどこまでいったんだ?」

「げほぉっ!?」

予想外の問いかけに、思い切り噎せるジュウ。
口に入りかけていたプリンが吹き飛んで、テーブルと服の上に飛び散る。
紅香は、汚いな、と露骨に顔を顰めた。

「……あいつとは、そういう関係じゃねえ」

「なんだ、そうか」

大した興味も無かったのか、紅香はテレビを消して椅子から立ち上がり、コートを羽織る。

「片づけておけよ」

背を向けたまま面倒くさそうに言い放ち、さっさと玄関に向かっていく紅香。
ジュウはもはや何を言う気も起きず、皿を手に取りながら立ち上がる。
あの女の言うとおりに行動するのは癪だが、この皿をいつまでも残しておくと、逆に紅香の影が気になってしまうのも事実。
ここは早急に片づけて、適当にレンタルショップにでも繰り出すのが得策だ。
少し邪魔は入ったが、久々に一人を満喫しようじゃないか。
そんな決意とともにスポンジを泡立て、皿洗いに没頭する。
食べ終えてからそれほど時間も経っていないし、食器の数も少ないのですぐに洗い終えた。
後はテーブルの上を片付けて、服を着替えて、街へ繰り出すだけだ。
意気揚々と振り向いて、直後、ジュウは硬直した。


悲鳴を上げそうになるのをどうにか堪えた、と言うのが本当のところだ。
なぜなら、そこに堕花雨がいたからである。

「お邪魔しております」

深々と丁寧に頭を下げる雨だが、ジュウにとってはそれどころではない。

「お、お前いつから……!?」

「ジュウ様が食器を洗い始めたあたりからです。テーブルの上が汚れていましたので、片づけておきました」

見れば、確かに先程ジュウが吹き飛ばしたプリンの残骸が無くなっている。
しかし、ジュウが問題にしているのはそこではない。

「いつの間に入って来たんだってことだ! まさか――」

「いえ、以前禁止されましたので窓からではありません。普通に玄関から入ってきました」

「玄関?」

「はい。と言うよりも、入れて頂いた、と言う方が正しいかもしれません」

そこまで聞いて、ジュウはようやく思い至った。

「あのババア……!」

雨を招き入れた張本人、それは紅香だ。
おそらく、玄関を出た際に雨と遭遇。顔も知らなかった以前と違い、先日の事故などでジュウは雨に借りがあるし、それを知っている紅香はそのまま通したのだろう。
悪戯のつもりか、それともただ面倒だったのかは知らないが、紅香から一声あってもよさそうなものだ。
声もかけずに背後で待機している雨にも問題があるが、こちらは心臓が飛び出る思いだ。

大きく溜息を吐いてから、ジュウは雨に向き直る。

「それで、なんか用か?」

「正午を過ぎてもご連絡が無かったので、御身の無事の確認をと」

ジュウは再び溜息を吐いた。
寝起きに紅香が襲来していたために忘れていた。
学校にいる間だけではなく、休日も必ず安否の連絡をする決まりになっていたのだった。
正直言って、あまりにも過保護すぎる雨に対して、ジュウは辟易とした気持ちを隠せなくなってきていた。
それに昨日は雪姫と光に今日は紅香と、せっかくの休日だというのに一人で気を休める時間もない。

「そろそろ、止めにしないか」

これからもこんなことが続くのかということを考えれば、ジュウのこの提案は当然のものだった。
とはいえ、以前からこの提案は遠回しにしていた。
一人でも大丈夫だ、とか、なにかあったらすぐに呼ぶからいちいち確認はいらない、とか、わざわざ来てもらうのは申し訳ない、とか。
しかし雨は「ジュウ様のお命の為です」の一点張りで、頑として首を縦に振らなかった。
それは雨の妄想癖によるところでもあるし、同時に本気でジュウを心配してのことなのだろう。
それがわかっているからこそ、ジュウも明確な言葉は避けてきた。
雨とは長い付き合いとは言えないが、そのぶん濃い時間を共有しているし、何度も事件や勉強で世話になった。
もちろん感謝もしている。
だからこそ時間をかけて説得しようと思っていたのだが、ジュウは自分の短気さを忘れていたのだ。

「もう限界だ。止めよう、こんなこと」

前髪を乱暴に掻きながら、ジュウは勢いよく椅子に座る。
顔を天井に向けて、自分の不満を溜息と同時に吐き出す。

「俺もいちいち家に来られたら面倒だし、お前も無事を確認するためだけに自分の家から来るんじゃ大変だろ、結構遠いしな」

言いながら雨を見遣る。
相変わらず前髪のせいで感情は読めないが、少し驚いているような感じがする。
ジュウが迷惑がっているとは思わなかったとでもいうのか。
しかし、妄想の世界に生きる雨ならあり得ないというほどでもないか。

「だからさ、安否の定時連絡はもうこれきりにして、前みたいに――」

そこまで口にして、ジュウは違和感に気が付いて言葉を止めた。
目の前の雨に対する違和感であり、それは雨の全身を眺めてみて、初めて気が付くことだった。

「そういえばお前、今日は制服じゃないんだな」

今度はあからさまに動揺を露わにする雨。
手に持っていたバッグを取り落としそうになって、さすがは堕花雨、見事にキャッチした。

「それに、少し化粧もしてるか?」

しかし、ジュウの追撃によって雨は今度こそバッグを落とした。

全身を硬直させて、人形のように白い肌がどんどん赤く染まっていくのがわかる。
ジュウにとってそんな雨の反応は非常にレアだった。
そして、今日の雨の格好も。
少し丈の大きいニット地のセーターに、スキニージーンズを履いている。
セーターの白と黒い髪が対照的でよく映える。
いつも制服のスカート姿しか見ていないので、スキニーも印象的だ。
腕にはマフラーとグレーのコートを抱えている。
全体的に冬っぽい格好で、これから更に寒くなるのに合わせて揃えたのだろうか、あまり着古したようには見えなかった。
それに、雨が化粧というのも意外だった。
もともと綺麗な髪や透き通るような肌をしているし、今まで何度か出かけたときにはそんな様子はなかった。
今日も本当にうっすらとしているぐらいで、普段は色素の薄い唇が淡く染まっているせいでジュウも漸く気が付いたぐらいなのだが。
なんというか、雨であって雨でないような、云うなれば、気合が入っている、と評すればいいのか。
光もファッションに目覚めたようだし、姉妹揃って嵌っているのだろうか。
あるいは、光が雨に勧めでもしたのか。

「変、ではありませんか……?」

「え?」

「ぁ……」

雨は、しまった、というふうに所在無く手が動き、ジュウの視線から逃れるように顔を逸らした。
長い髪によってほとんど隠された顔のうち、ジュウには赤く染まった頬だけが見えた。

「いいと思うぞ。そういう格好も」

ジュウは気まずい沈黙が嫌で、思ったことをそのまま口にしてみた。
しかし、口にしてからなんとなく気恥ずかしくなり、ジュウは照れ隠しに前髪を乱暴に掻いた。
雨は何かを堪えるように唇を引き締めて、何も言わない。
再び流れる沈黙。
なぜこんなことになっているのか、ジュウにももはやわからなかった。
自分はただ、面倒な定期連絡を止めたかっただけだというのに。
しかし、その話を再開するためには、一度仕切り直さなければならないだろう。
ジュウは雨に座るように促し、お茶を淹れることにした。


~~


「ありがとうございます」

わざと時間をかけてお湯を沸かし、出来立てのお茶と適当な茶菓子を用意してやった。
そうして時間をかけたおかげか、湯呑に入った分のお茶を飲み干して幾分か落ち着いたのか、雨の頬の赤みは既に引いていた。
いつものように真っすぐジュウを見据えて淡々と話す様子に、ジュウは胸を撫で下ろした。
先程のような沈黙がいつまでも続くのは非常に居心地が悪い。
それも自分の家でとなれば尚更だ。
他所であれば自分が出て行けば済む話だが、自宅では撤退のしようがない。
雨と出会ったばかりの頃、髪の色を変えてまで逃げ回っていた自分を思い出して、ジュウは無意識に口元が緩んでいた。
そういえば、後にも先にも無抵抗で逃げ出した相手は初めてだった。
サイコパスな殺人鬼とも殴り合った、同級生には殺されかけて、裏家業の人間ともわずかながら相対した。
ジュウは、まるで人形のようにいつも通り自分の目の前にいる雨を見遣る。


白い肌。小柄で華奢な体躯。鼻の頭まで隠れるほど前髪の長い綺麗な黒髪。そしてその前髪の奥に隠されている美しい双眸。
あの瞳を前髪越しでない間近で見たのはいつ以来だろうか。

「ジュウ様?」

「――え?」

名前を呼ばれて、ジュウは湯呑を片手に立ったまま雨を眺めていたことに漸く気が付いた。
途端に顔が熱くなる。
ジュウはそのことを隠すように片手で顔を覆って椅子に座ると、何かを吐き出すように深呼吸をした。
……最近の自分は、本当にどうかしている。

「ジュウ様、大丈夫ですか?」

雨の心配気な声が聞こえる。
ジュウは、なんでもない、と短く応え、雨もそれ以上の追求はしてこなかった。
ジュウにはそれが心地よかった。
踏み込み過ぎず、かと言って突き放すわけでもない。
雨のその絶妙な距離の取り方は、ジュウにとって居心地のいいものだった。
まさに従者か侍女か、或いは――

「――さっきの話だが」

ジュウは咄嗟に思考を打ち切って、話を切り出した。
この思考は危ない、と本能的に察知して、鍵と鎖をがんじがらめにして心の奥底に押し込む。
なぜそうしたのかはわからない。
しかしジュウの中にある何かがそうさせた。
ともかくジュウはそれについて考えることの一切を放棄して、話を続ける。

「定期連絡はもう必要ないんじゃないか。あれからもう暫く経つし、そんなに危険に晒されることもしょっちゅう起きるわけじゃない」

「私はジュウ様の騎士です。ジュウ様の安全を確認する義務があります」

当然のように電波を発信してくる雨。
騎士だったり従者だったり奴隷だったりは雨のその時の気分によって変わるが、その妄想癖は相変わらずだ。
その点を追求しても堂々巡りになるどころかその内容を延々と聞かされることになるのはわかり切っている。
テーブルに突っ伏しながら、ジュウは話を合わせつつ雨の意見を退けようと試みる。

「そんな義務を課した覚えはない」

「私が私に課した義務です」

「それにしたって学校ならまだしも、休日に家まで来るな」

「確認の為です」

「そんなに俺に会いたいのか、お前」

雨の妄想に基づく屁理屈に対する、冷やかしや軽口のつもりだった。
いつもなら「私にそのような願望を持つ権利などありません」とか「本来ならば二十四時間お傍に控えさせていただくのが当然です」といった返事が聞こえてくるはず。
それなのに、雨からの返答は無い。
不思議に思って顔を上げるジュウ。

「――――」

そこには、再び顔を赤くしたまま立ち尽くす雨がいた。
耳どころか首まで真っ赤に染め上げて硬直している。
今日の雨は本当に変だ。
そして、そんなこいつの様子を見て落ち着かなくなってしまっている自分も。

「お前、今日はもう帰れ」

今はお互いに尋常な状態ではない。
一度インターバルをとって冷静になり、明日また会った時に話し合えばいい。
ジュウは立ち上がって、玄関へ向かう。
雨は一瞬、何かを訴えかけるような目をしていたが、そのまま何も言わずにジュウの後ろについてきた。
コートを羽織って靴を履き、振り返って深々と頭を下げる雨。

「お邪魔いたしました」

「おう、また明日な」

また明日、などという言葉が自然と口から出てくるあたり、自分も相当丸くなったものだ、とジュウは心の中で自嘲した。
或いは、それを望んでいるのだろうか。

「……あの、ジュウ様」

「ん?」

雨の声で現実に引き戻される。
見遣れば、雨は顔を俯けたままバッグの持ち手を強く握りしめている。
思えば、このバッグも初めて見るものだ。
雨と言えば基本的にいつも制服姿で、バックも通学カバンぐらいしか見たことはなかった。
華美な装飾も無く落ち着いた色のバッグは、今日の服装も相まって雨によく似合っていた。
そんなバッグの中から、なにかの包みを取り出す雨。
それはまるで、弁当の包みのような。

「わ、私はやめた方が良いと言ったのですが、雪姫がどうしてもと無理矢理……その、す、捨ててしまっても構いませんので……」

「え」

「そ、それでは失礼します」

その包みを押し付けるようにしてジュウに渡すと、雨はそのまま顔を上げることなく足早に出て行ってしまった。
ジュウは呆然として、何かを言う暇も、言葉も無かった。
暫く閉まったドアの向こう側を見つめてから、包みに視線を移す。
広げてみると、タッパーに入れられたサンドウィッチが顔を出した。
そのうちの一つをつまんで口に運ぶ。

「……料理にも目覚めたのか?」

切れ目がデコボコのサンドウィッチは、意外にも美味かった。


~~~~~

長らくお待たせして申し訳ありません。
今後はもう少し時間がとれるようになると思うので、できるだけ早めに投下します。

今週中に投下予定です

投下します

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『猫を見ませんでしたか?』

『あぁ?』

『……でぃぢゅーしーあきゃっと?』

舌足らずな英語でガラの悪い若者達に質問を繰り返す少女が一人。
深夜の出来事である。
端から見れば危険極まりない行為であり、コンビニ店中から不良たちを鬱陶しそうに見ていた店員は顔を引きつらせている。
少女――斬島切彦の雇い主、紅真九郎も少女の行動を心配していた。
ただし、切彦が不良四人組を半殺しにしてしまわないか、という心配だが。

「切彦ちゃん、どんなにムカついても殺さないように。彼らは一般人だからね」

小型のインカムから聞こえる真九郎の声に、切彦は内心舌打ちをする。
夜中であたりが暗いこともあって不良たちには気づかれていないが、そのこめかみには青筋が浮かんでいた。
真九郎は今、少し離れたアパートの屋上からその様子を観察していた。
夜に紛れるため全身黒で固めた服装にインカムと双眼鏡。
近所の人に見つかれば真九郎が通報されかねないが、これも依頼の為である。
今回の依頼は事務所近くのコンビニ店主からのもので、最近店の前で夜中にたむろする不良どもを追い払ってほしいというありふれたもの。
前金代わりに張り込み用の牛乳とあんパンを押し付けられてしまったため、できれば今日中に片づけたいところだ。

『なになに? お嬢ちゃん、猫ちゃんを探してるのかな?』

軽薄そうな男が立ち上がり、切彦の後ろに回り込む。
真九郎の作戦通り、か弱そうな女性に反応したようだ。
筋肉質な男が顔を上げる。

『お前ロリコンかよ? こんなのが好みか』

『いやいや、厚着してるからわかんねーかもしれねえけど、なかなかいいスタイルしてると見たね。それにロリでも女には変わりねえよ』

『ロリ……?』

「落ち着いて切彦ちゃん! 作戦通りに!」

真九郎の声でどうにか理性を保った切彦は、再び不良たちに話しかける。
革ジャンのポケットから一枚の写真を取り出した。

『こんな……感じのにゃんこ、です』

『あーそれならさっき見かけたよ! 近くで』

軽薄そうな男が馴れ馴れしく肩を組みながら写真をのぞき込んでくる。
切彦が身体を強張らせたのを察したのか、男は舌なめずりをすると。

『案内するよ~。ホントさっき見かけたばっかだからさ、マジで!』

小柄な切彦に対して圧し掛かるように肩を抱き、有無を言わせないといった力加減で誘導しようとする。

その手慣れた所作に真九郎は虫唾が走るが、ここは我慢だ。
切彦は男に肩を抱かれたまま動けずにいるが、怖がっているわけではなく自分の腕が革ジャンの内ポケット――カッターナイフに向かないように堪えているからだ。
切彦が我慢しているのに、自分が台無しにするわけにもいかない。

「今のところ順調だよ。そのまま連中に合わせて」

冷静に指示を出す真九郎。
切彦はぎこちない動きで男たちに誘導され、そのぎこちない動きが嗜虐欲をそそるのか男たちが下卑た笑いを浮かべているのが見える。
オフィス街にある少し古めのビルの一室を拠点にしているようで、この四人組は下っ端らしい。
この四人以外にも人の出入りがあり、合計で18人。
不良グループかどこかの暴力団の傘下組織かの二択で迷っていたが、前者で決まりのようだ。
暴力団であれば、根城に獲物を連れて行けば下っ端がおこぼれにあずかれるはずもない。
今夜、あのビルの中に全員がいることは既に分かっている。
報復を避けるためにも、全員を説得した方が幾分早いだろう。

「……っと、俺もそろそろ行かないと」

真九郎は身を起こして屋上から非常階段に飛び移る。
今回の作戦はこうだ。
まず切彦を不良たちのもとに向かわせて声をかける。
不良たちが釣れればそのまま連中の拠点へ向かわせる。
真九郎はそれが確認できれば拠点へ先回りしてグループを潰しておく。
そこへ切彦と不良たちが到着。後は切彦に拘束させて説得。
我ながら一網打尽の良い作戦だと思う。

「不良たちが釣れなかったらどうするんですか」


という切彦の疑問に「確かに切彦ちゃんじゃ難しいかな。夕乃さんあたりに頼もうか」と返すと俄然やる気を出していたし。
麻理子には、確信犯ね、などと睨まれたが真九郎は気づかないふりで通している。
切彦も一応、紅相談事務所の一員であるし、給料を出しているからには多少は仕事にやる気を出してもらわなければ。
一年前の件で暗殺者も廃業すると宣言していたし、揉め事処理屋として育てるのも悪くない。
まだまだ未熟な自分がそんなことを考えるのは傲慢だろうか、などと考えているうちに目的地に到着した。
これまでの道中、インカムで切彦たちがこちらに向かっているのは確認済み。
夜中のオフィス街と言うこともあって周囲に人は疎らで、ビルの前には見張りもいない。
古いビルなのでオートロックというわけでもなく、ビルの入口にも鍵はかかっていなかった。
念のため階段で登るが、各階の階段前やエレベーターにも見張りは無し。やはり素人だ。
そのまま階段を昇ること6階。
何も書かれていないドアの前に立つ。
小さなビルなので各階に部屋は一つ。
ここにも見張りはおらず、警戒心が薄いのかそれともよほど腕に自信があるのか。
ここはさすがに鍵がかかっているようだが、真九郎はノックもせずにドアノブに手をかけた。

「お邪魔しまーす」

盛大に金属が弾ける音と同時に入室。
真九郎の鼻腔に嗅いだことのある煙の臭いが届く。
ドラッグの煙だ。

「こんばんは、夜分にすみません」
     
「な、なんらテメエは!?」

滑舌悪く声をあげたのは部屋のど真ん中で今にもパンツを下ろそうとしている男。
目の前には全裸の女性が3人横たわっており、その視線は虚ろで半笑いを浮かべている。
周囲には全裸の男、ガラスパイプを咥えている男、そして女性たちと同じように転がっている男が合わせて14人。

「揉め事処理屋です」

真九郎は不良グループの一員であるその女性たちを哀れに思いながら、仕事にとりかかった。


~~


「クソ、クソッ! このクソアマ! ハメやがったな!」

「Shout up」

床に転がった筋肉質な男の頭を足で踏みつけながらドスのきいた声を出しているのは斬島切彦。
先程までとはまるで別人のような彼女のその手にはカッターナイフが握られている。
裏十三家《斬島》――その現当主である切彦は刃物を手にすると、普段のゆったりとした人格が一変し、荒い気性が顔を出す。
切彦曰く、二重人格ではない、とのことだが端から見れば同じである。

「まあまあ。それよりキミ、状況がわかってる?」

「うるせえっ! さっさとこの縄外せ!」

「喚くな。殺すぞ」

大の男を意識のある状態で簀巻きにできるようなスキルを真九郎は持ち合わせていない。
とりあえず気絶してもらい、それから拘束したのだった。
男は興奮と怒りで目が血走り、唾を飛ばして汚い言葉を吐き出している。
自慢の筋肉が細身の切彦に通用しないのがよほど悔しいらしい。
対する切彦は涼しい顔で挑発を返している。

「俺たちはね、別にキミらを捕まえようとかバラバラにして内臓を売りさばこうとか、そういうことをするために来たんじゃないんだよ」

内臓、という単語に男が冷や汗を流す。
真九郎は努めて淡々とした口調で話しを続ける。

「ただ、お願いをしに来ただけなんだよ」

「なんだと――」

男の言葉は、後頭部から受けた衝撃と顔面の痛みで中断された。
切彦が思い切り踏みつけたせいだ。
痛みに呻く男の震える喉元に、冷たい刃があてられる。
無言でカッターの目盛りを伸ばす切彦に、男が初めて恐怖を顔に滲ませた。

「どういう、こと……ですか?」

「キミは察しが良いね。うん。キミと仲のいい三人ががよく屯してるコンビニにはもう二度と近づかないでほしい、ただそれだけだよ」

「…………え?」

今度は驚愕と混乱に目を丸くする男。

「ま、待ってくれ……ください。そんなことの為に、俺たちをこんな目に……?」

「そうだよ。とは言っても、以前に何度か注意したんだけどね」

もちろん真九郎もたかが不良相手にこんなに最初から大掛かりな作戦など立てたりはしない。
依頼が来てから注意はしてみたが、一度目は鼻で笑われ、二度目は怒鳴られ、三度目は殴られた。
これ以上は店員や近隣の住民にも被害が出かねないため、今回の作戦に移したというわけだ。
真九郎は、それに、と続ける。

「キミたち四人を一生歩けない身体にして、物理的にあそこに近づけないようにするなんて簡単なことだ。でも、結構大きなグループみたいだったからね。先に潰してしまった方が早いだろ?」

真九郎が笑いかけると、男はいよいよ絶句した。
たかがそんなことの為――でも、依頼を解決するのが揉め事処理屋の仕事だ。
男は混乱のためか完全に脱力してしまったようで、拘束を解かれてももはや抵抗はしなかった。
切彦が目の前に放り投げた一枚のコピー用紙とボールペンも素直に受け取った。

「これは……?」

「誓約書。そこに名前を書いてくれればいいから、ここにいる全員分」

「……わかった」

その内容を理解したのか、それとも真九郎たちには逆らわない方が良いと判断したのか、言われるがままに署名し始める。

誓約書には署名欄、件のコンビニには近づかない、もし近づけば下の罰則を履行するという誓約のみが書かれている。
罰則の欄には何も書かれておらず、つまりはいくらでも後付けできるということだ。

「……これで全員だ」

男が誓約書とボールペンを床に置き、書き終わったことを告げる。
真九郎は事前に調べ上げたメンバー全員の名前と比較するが、特にごまかしなどは無い。
どうやら男は本当に観念したようだった。

「ありがとう。それじゃあ最後に――」

真九郎は誓約書を懐に仕舞ってから座り込んでいる男と目線を合わせるように腰を屈め、無表情で問いかける。

「――これはどこの組織から卸されてるのかな」

真九郎が男の目の前につまみあげたのは、薄桃色の錠剤が入ったパッケージと、同色の粉末、液体のそれぞれが封入された袋。
もちろんただの医薬品であるはずもなく、ドラッグだ。
グループのほぼ全員がこのドラッグを使用しており、おかげで制圧も随分と楽だった。
真九郎の問いかけに男の顔からは完全に余裕が消え、どんどん血の気が失せていく。

「お、俺は」

「知らない? わけないよね。いつもキミがここに運び込んでるんだから」

男は再び絶句し、視線と身体を小刻みに震わせ始める。
これほどの動揺を示してしまうぐらい、やはり素人であることは明白だった。

「(――だからこそ許せない)」

唆されたのか脅されたのか、ともかくこの若者を手足にドラッグをばら撒いている組織があるのは確実。
元はどこにでもある、社会に反骨心を抱いただけの若者のグループだったはずなのに。
それを裏世界に引きずり込んで食い物にしている連中がいる。
怒りに拳を固くする自分を横目で眺める切彦に、真九郎は気づいていない。

「俺は……」

「俺が調べた限り、キミと同じ様に使われてる人は複数人いて同じようになにかしらのグループに所属してる。今キミがここで何を話そうとも、他のところでも同じように聞き込みをするからキミだけが疑われることはない」

組織からの制裁の可能性は極力下げると言い聞かせるように話す真九郎。

「俺は……!」

身体を震わせる男の目からついに涙がこぼれ、そして。

「俺はぁぁぁぁあああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアっ!!」

二人に襲い掛かってきた。
およそただの不良とは思えないほどの跳躍と蹴り――そして踵と踝から噴出するバーナーのような炎。
常人であれば通常の何十倍もの威力を持った奇襲に対応できずに頭蓋を砕かれるか、防御しても耐え切れずに骨を砕かれてしまうだろう。

「――な」

驚愕したのは、またもや男の方だった。
見開いた瞳に映る相手の姿が、あまりにも衝撃だったのだ。
真九郎は防御すらしていなかった。
先ほどまでと全く同じ姿勢で、微動だにしなかった。
空中でバランスを崩し、受け身も碌に取れずに床に落下する男。
無様にもしりもちをついた男は、ついに本当の意味での実力差を思い知る。

「その脚――」

呟くようにして腕を伸ばし、男の足首を掴んで立ち上がる。
いとも簡単に逆さ吊りにされた男は情けなく短い悲鳴を漏らす。

「――どこで手に入れた?」

鬼を思わせるその気迫に、男は気絶を堪えるので精一杯だった。


~~


「紅くんお帰り~」

「話がある、星?絶奈」

いつも通り真九郎の部屋で消毒用アルコールを呷っている女に、真九郎は携帯電話を突き付けた。
画面に映っているのは先程の男の脚の写真だ。


機械的な作りで、一目で義肢とわかる。
装着者自身の肌と同じ様にしか見えない星?製とは全く異なる作りだ。

「……何が言いたいの、紅くん?」

「持ち主の証言では、これは星?製らしい。心当たりはあるか?」

絶奈は真九郎を暫く見上げていたが、やがて無言で携帯をひったくるとアルコールを呷りながら眺める。
酔いが回っているのかわざとなのか、口の端からアルコールが零れて胸元に溜まっていく。
それが更に溢れるころになって、ようやく携帯を投げ返してきた。

「こんな粗悪品と星?製を一緒にしないでほしいわ」

ふん、と鼻を鳴らす絶奈。
家から離れてもなお、その身体を構成する戦闘用義肢はそれぞれが一級品――門外不出の《星?》製だ。
裏十三家に連なる《星?》は、代々義肢の技術を受け継いできた一族だ。
義手、義足に限らず人体のあらゆる臓器を機械化している。
もちろん絶奈も例外であるはずがなく、その全身が星?製。
それでいて生理もあるし、妊娠、出産までできるのだから、現代技術の何世紀先を進んでいるのか。
不良の男が震えながら白状した際、かつてその性能の前に倒れた真九郎も当然疑問を抱いた。
この程度の完成度で《星?》を名乗るわけがない、と。
しかし、問題の本質はそこではない。

「問題は……素人が《星?》の名前を知っているってこと、です」

真九郎の背中越しに顔を覗かせた切彦が口をはさむ。
瞼が眠たそうに半開きになっており、真九郎の背中に圧し掛かるようにして立っている。
ちなみに本人は胸を押し付けているつもりだが、真九郎は全く気付いていない。

「……あんまり紅くんに近づかないでくれる? アンタが全身に仕込んでる刃物が刺さったら《九鳳院》と《崩月》が黙ってないわよ?」

「しゃらっぷ、ふぁっきんびっち」

絶奈の持つアレコール入りのビンが粉々に砕け散る。
アルコール集が鼻を刺し、部屋の中に不穏な空気が流れ始める。
真九郎は二人の意識を集めるため、わざとらしく溜息を吐いた。

「これは《星?》製じゃないと断言できるか?」

「その写真の奴がそう言うのならそうなんじゃないの? 実物を切り落として持ってきてくれれば鑑定もできるけどね」

そういうの得意でしょ、などと嘯きながら新しいアルコールビンの栓を開ける絶奈。
切彦はジト目で睨み付けるがどこ吹く風といった具合だ。
ビンを呷り、一息で三分の一ほどを飲み干す。

「それに、今の私には関係ないことだしね」

その笑みは嘲りか、それとも愉悦だったのか。
いずれにしろ真九郎には、星?絶奈が嘘を言っているようには見えなかった。


~~~~~

今回はここまで。
ようやく前座が終わったので、ここから動き始めます。
長らくお待たせしてすみません。
もう少しペースあげていければと思います。
それと星?→星噛です

=====


「おはようございます、ジュウ様」

「おう」

昨日ぶりだな、という言葉は飲み込んで、ジュウは玄関のカギを掛ける。
当然のようにジュウの隣に立っているのは堕花雨。
昨日のことは夢だったのではないかと思ってしまうぐらいに、雨はいつも通りだった。
対するジュウはどんな顔をすればいいのか、朝起きてからしばらく憂鬱だったというのに。
エレベーターに二人で乗り込み、黙ったまま下降が終わるのを待つ。
雨は学校がある日は毎日ジュウの部屋の前まで迎えに来ては、特に会話も無く登校する。
話しかければ返事はするが、雨の方から話題を振ってくることはまず無い。
話題が無くて黙っているとかではなく、本当にただの護衛のつもりなのだろう。

「お前、飽きないのか」

「ジュウ様のお傍に控えていられるのは私の至上の喜びです。飽きたりなどしません」

雨の返答を聞いて、今日はどうやら平常運転だ、と安心するジュウ。
最近はずっと様子がおかしかったが、こうやって電波を全力で出し続けてくれている方がやりやすい。
なにせ、ジュウは雨が自分に飽きるまで待っていればそれでいい。
待つのは慣れているし、それに楽だ。
一匹狼を気取っていたくせに、二人でいることが前提となっている自身にジュウは気づいていない。

「ジュウ様、円から伝言を与っています」

無言のままの通学路が続き、もうすぐ学校に着くというところで、雨が唐突に口を開いた。
電波ではなく伝言が飛び出してきたことに少し驚きつつ、ジュウは耳を傾ける。

「なんだ?」

「『放課後、光雲高校まで来い』とのことでした」

伝言というより命令だった。

「……わかった」

とりあえず了承しておくジュウ。
雨はジュウの返事に何を思ったのかわからないが、何か質問したいのを我慢しているようだった。

「なんだ?」

「……いえ、なんでもありません」

促してもそれが投げかけられないことはジュウにはわかっていた。
雨は意見するべきことは言うし、質問するべきことは言うのだ。
この半年以上でそれはわかりきったことだった。
ジュウも雨もそれきり黙ったまま、それぞれの教室へと歩いて行った。


~~



放課後となり、ジュウはさっさと帰り支度を進めていた。
雨はいつも通りの補習授業であり、ジュウはもちろん部活動には所属していない。
基本的にジュウは暇を持て余しているが、ここ最近のように予定が次々に入ってくるのは自分のペースを崩されるようで疲れる。
ジュウは円の言いつけを守る気などさらさらない。
家に帰って、昨日借りてきたレンタルDVDを消化する順番を考えながら、ちょうど校門を出てすぐのところだった。

「やあ、柔沢。迎えに来たぞ」

爽やかな笑顔の好青年が、校門の影から顔を出した。
大柄なジュウとさほど変わらない背丈に、服の上からでもわかるほどに鍛え上げられた筋肉。
彼の名前は伊吹秀平。
円堂円や斬島雪姫と同じ光雲高校に通う二年生である。
その伊吹がなぜ違う高校の校門前に、しかも空手着で立っているのか。

「……円堂のパシリか?」

「円堂さんのパシリだよ」

「…………」

「いや、言わないでくれ。悲しくなる」

苦笑いする伊吹に対し、ジュウは憐みの視線を隠せない。
おそらく、円はジュウが光雲高校に来るつもりがないであろうことはわかっていたのだろう。
そしてこの伊吹が保険というわけである。


「円堂さんからは『気絶させてでも連れて来い』と言われてるからね。頼むからおとなしく着いてきてくれ」

さすがにこの格好は寒いしね、と身を震わせる伊吹に対し、ジュウは早々に抵抗をあきらめた。
伊吹の強さはジュウ自身が誰よりも知っている。
せっかく傷が癒えたばかりなのに、また痣だらけになってたまるものか。
先日は伊吹の根負けだったが、理由がなければジュウだってあそこまで拳を撃ち込まれて耐えられるはずがない。
……それに、このまま逃げたら伊吹が哀れ過ぎる。
ジュウの溜息を返事と受け取ったのか、伊吹は背を向けて歩き出した。

「……伊吹、お前靴は?」

「言わないでくれ、悲しくなる」


~~


「思ったより早かったわね」

光雲高校空手部の道場に案内されたジュウに対して、制服姿の円堂円は開口一番そう言った。
円は雪姫と同じく光雲高校に通っており、女子空手部に所属している。
その蹴りは凄まじく、大の大人を余裕で吹き飛ばす姿をジュウも目の当たりにしたことがある。
雪姫や雨の友人ということもあってオタク趣味らしいが、そのようなそぶりはあまり見たことがない。
そんな円が、いったいどんな用件で自分を呼び出したのか。
少なくとも甘酸っぱい内容でないことは、顔を合わせる前からわかっていた。

円は自他ともに認める男嫌いであり、円曰く、ブロッコリーと同列らしいからだ。

「それで、なんの用だ?」

その疑問を、ジュウは最後まで言い切ることができなかった。
ジュウは全力で上体を反らし、その上を鞭のように撓る脚が一瞬で通り過ぎた。
いきなり何を、という言葉を投げかける間もなく次々と飛んでくる脚と拳。
先日の伊吹との対峙が幸いしてか、ジュウには辛うじて円の攻撃が見えていた。
脚技に合わせて大きく距離をとり、息を整える。

「――伊吹! どういうことだ!」

おそらく円に何を問いかけても言葉が返ってくることはないだろう。
しかし、この場に立ち会っている伊吹なら何か知っているはず。
円と対話ができない以上、伊吹から答えを引き出すしかない。

「お、俺も何がなんだか……!」

などというジュウの小賢しい考えは、即座に打ち砕かれた。
同時に激しい衝撃。
円の回し蹴りが、ジュウの腰に鋭くめり込む。
ジュウは歯を食いしばり、体勢が崩れないように脚に力を籠める。
ガードし、捌き、避ける。
しかし、反撃の隙が見えない。
円の動きは伊吹のそれと違って完全な空手の型ではなく、独特の足運びをする。
離れたかと思えばすぐ近くから拳が、近づいたかと思えばテンポを外して蹴りが飛んでくる。

打撃の一つ一つが重く、それ以上に鋭い。
ジュウほどの打たれ強さがなければ、とうに昏倒しているだろう。
ジュウは自分のスタミナに自信を持っていた。
そして、その時が来た。

「――っ!!」

ほんの少しだけ、円の攻撃が緩んだ。
ジュウは待ちかまえていたその隙を逃さず、円の死角から抱え込むように腕を伸ばす。
円はその腕に目もくれず、次の攻撃を打ち込もうと腰を引く。
しかし、気付いた時にはもう遅い。
指先が服に触れるその寸前、ジュウの視界から円が消えた。
直後、顎に鋭い痛み。
バク転のように回避した円が、そのまま膝でジュウの顎を撃ち抜いたのだ。
意識と視界が揺らぎ、隙だらけのジュウの腹に最後の蹴りがめり込む。
背中の鈍痛に、壁の冷たさを感じる。
瞼が落ちる寸前、落胆したような彼女の表情が焼き付いた。


~~


「――目が覚めたか?」

起き抜けに聞こえた声に、ジュウはゆっくりと振り向いた。

「……今何時だ」

「それほど経ってないよ。10分ぐらいだ」

相変わらずタフだな、と冷やかす伊吹を無視してあたりを見渡す。
既に道場に円の姿は無く、結局ろくな会話も無かった。
言葉も無く暴力を振るわれるのは母親で慣れていたつもりだが、ジュウは落胆を隠せない自分を確かに感じていた。
円の性格からして憂さ晴らしということはないだろうが、それならそれで少しぐらい会話があっても良いだろうに。

「円堂さんから伝言を預かってる」

伊吹を見遣ると、どこか申し訳なさそうな、気まずそうな顔をしていた。
どうやら言いにくいこと、或いは言いたくないことを申しつかったらしい。

「ただの伝言だろ。言ってくれ」

「じゃあ言うけど――」

その言葉は、先ほど繰り出されたどんな攻撃よりもジュウの心に突き刺さった。
ジュウは咄嗟に返事ができずに黙り込む。

「俺自身としては、キミほど強い奴はなかなかいないと思うけどな」

「慰めはいらねえよ」

思わず吐き捨てるジュウに対して、伊吹は再び苦笑いで返す。
伊吹は立ち上がって、軽く伸びをする。

「用事も終わったし、帰るか」

「……部活は?」

「今日は休み」

「…………」

「……言うなよ、柔沢」

制服姿の伊吹とぼろぼろの自分を見比べて、ジュウはどちらの方がマシなのか考えたくも無かった。


~~~~~

今回はここまで。
光ちゃんを追い込んだ伊吹の罪は重い
鏑木先輩?誰?豚?

=====


暖簾をくぐると、脂と出汁の匂いが熱気に乗って食欲を刺激する。
昼下がりということもあり胃が不満を漏らしそうになるが、優先するべきことがある。

「おう真ちゃん! いらっしゃい!」

店に入ってきた真九郎に気づいて景気よく声をあげたのは村上銀正。
銀子の父親である。

「こんばんは、銀子は部屋ですか?」

「今日はなんだか朝から機嫌が悪くてなあ。まあ、真ちゃんの顔見ればコロッと元気になるだろうよ」

悪戯っぽく笑う銀正に、真九郎も笑顔を返す。
ここ楓味亭は銀子の実家で、銀正が店主として切り盛りしているラーメン屋である。
真九郎は崩月家に世話になる前はここで暮らしており、銀子とはそれ以前からの幼馴染。
銀子の両親は真九郎を、真ちゃん、と呼んで今でも実親のように親しくしてくれている。
二、三言交わして店の奥、銀子の部屋へ向かう。
事前にメールしてあるので大丈夫だとは思うが、念のためにドアの前から声をかける。

「銀子? 俺だけど、入ってもいいか?」

『どうぞ』

返事を聞いて安心した真九郎はドアノブに手をかける。
銀正の話では今日は機嫌が悪いということだったが、声の感じからするとそれほどでもなさそうだ。

「何の用?」

部屋に入ると、真九郎を一瞥もせずに言い放つ。
相変わらずパソコンに向かってキーを打ち込んでいて、おそらく仕事中だろう。
真九郎は単刀直入に切り出した。

「仕事を頼みたい」

「断るわ」

「実は――え?」

思わず聞き返す真九郎。
銀子は再び、顔も上げずに繰り返した。

「断るわ」

取り付く島もない、とはこのことだろうか。
しかし、真九郎には断られる理由が見当たらなかった。
前回の分は入金してあるし、借金もしていない。
最近はコンスタントに仕事をこなしているし、今回の報酬の分だって確保済みだ。
銀子の雰囲気から、冗談を言っているわけでも意地悪をしているわけでもない。
そもそも、仕事に関してそんなふざけたことを銀子がするはずがない。

それに、

「まだ内容も聞かないうちからなんで――」

「見当はついてるわ。情報屋を舐めないで」

銀子は一度手を止めて、デスクの上に広がる書類を手に取った。

「昨夜、何があったか知らないとでも思った?」

そのうちの一枚を真九郎に向かって放る。
床から拾って目を通すと、ドラッグで検挙された不良グループについてだった。
ただし、そこに書かれた内容は新聞記事やテレビのニュースなどよりもよほど詳細で、メンバー全員の個人情報から証言まで網羅されていた。

「鬼のような男とカッターナイフの少女……警察には、薬物中毒者の妄言ととられたようだけどね」

証言の中には、確かにそう書かれていた。
包丁を持った鬼に皆殺しにされた、とか、カッターナイフが自分の陰部を切り裂いた、などなど。
事実と異なることが多数あるため、集団幻覚として処理されたようだった。
このグループはあちこちでクスリをさばいており、その元締めを探すので忙しいというのもあるだろう。

「あのビルには監視カメラとかも無かったし、別に問題ないだろ? 俺は依頼をこなしただけだ」

「別に悪いなんて言ってないでしょ。ただ、あんたの依頼は受けられないってだけ」

話は終わりとばかりに仕事を再開する銀子。

しかし、真九郎だってここで引き下がるわけにはいかない。
あの義肢と、少年の口から出た《星噛》という単語。
それはドラッグに浸っている程度の連中が知っていていい名前ではないのだ。
裏社会の闇のさらにその奥。
そういうところに堕ちた連中のみが関わる名前だ。
そのためには、どこの誰が《星噛》の名前を使っているのか、或いはこの件に《星噛》が関与しているのか知る必要がある。
真九郎は銀子に歩み寄って、その肩に手を伸ばす。

「理由を……いやそんなことより俺が知りたいのは――」

「――左腕、まだ痛むんでしょ」

届く前に、左手が止まる。
銀子の言う痛みで止まったわけではない。
図星を突かれて動揺したわけでもない。
ただ恐怖が、真九郎の動きを止めた。
この左腕が彼女を壊してしまったら――そう考えるだけで、全身が竦む。

「ねえ、真九郎。いい加減揉め事処理屋なんか辞めて、ウチで働きなさい」

銀子の言葉で我に返る。
見遣ると、銀子はメガネを外して真九郎を見つめていた。

「もう、危ないことしなくていいじゃない。ウチに来て、一緒に暮らしてよ」

昔みたいに――という言葉は、憐れみと悲しみと懇願を含んでいた。

銀子は腕を伸ばし、真九郎は無意識に後退った。
その悲痛な表情が見ていられなくて、咄嗟にまくしたてる。

「ま、まだ依頼が残ってるし、それに最近仕事も順調なんだ。ようやくきちんと稼げるようになって、ほら、今は銀子の借金も返し終わっただろ? 伝手も増えたしそれに――」

「もういい」

銀子は吐き捨てるようにして、真九郎の言葉を遮った。
立ち上がって、布団に潜り込む。
真九郎は軽く深呼吸をして、銀子を見遣る。
完全に丸まってしまって、表情も見えない。
仕方なく背を向けて、真九郎はドアノブを握った。

「銀子」

「…………」

「……また来るから」

返事は無く、そのままドアを閉めた。

『ばか』

ドア越しに聞こえた声は震えていた。
真九郎は左肘を抱えて、銀子抜きで問題をどう解決するべきか、溜息を吐いた。


~~~~~

短めですが今回はここまで
銀子も大人になって丸くなったということで
それと左腕がどうのこうのは一年前の話ですのでそのうち書きます

=====


予感はあった。
今日も何か面倒なことがあるのではないか、という予感。
しかし予感は予感であり、ジュウは珍しく前向きに今日こそは何もないことを期待して登校した、のだが。

「やっほー、柔沢くん」

「じゃあな」

「もーひーどーいー!」

放課後、校門でジュウを待ちかまえていたのは雪姫だった。
やだやだかまって、と喧しく腕にしがみつく雪姫を無視できるはずもなく、ジュウは苛立ちを隠さずに疑問をぶつける。

「何しに来た」

「何って……今日はデートの約束じゃない、ダーリン?」

殴り飛ばしたい衝動を堪え、ジュウは腕から雪姫を引きはがす。
鬱陶しいというのもあるが、昨日円に痛めつけられたせいか節々が痛むのだ。
傷や痣は一晩寝たらきれいさっぱり消えたため、幸い雨にはバレていない。

「そんな約束はないし、お前と恋人になった覚えもない」

「えー、そんなこと言って良いのかなー?」

「は?」

「昨日のこと、雨に教えちゃおうかな?」


雪姫の両手がジュウの身体を這い、最初にクリーンヒットした脇腹と、最後の一撃を撃ち込まれた鳩尾のあたりでピタリと止まる。
服の上から的確に一番違和感の残っている箇所を抑えられ、思わず身体が強張った。
決して雨の名前に動揺したわけではない、とジュウは自分に言い聞かせる。

「……何でお前が知ってる?」

「女子の情報網を舐めちゃあかんぜよ、ワトソン君」

ふざける雪姫に苛立ちが募るが、考えてみれば当然のことだ。
友人同士の三人のことだ、毎日連絡を取り合っていても不思議ではない。
雪姫が言うには雨はこのことを知らないらしいが、円がわざわざ教えたということか。
それとも、雪姫もそういう目的でジュウを訪ねてきたのか。

「だから、デートしよ?」

だから、というのはつまり、雨には黙っておいてやるから、ということだろう。
別段、雨がこのことを知って困ることはない。
どちらかといえばジュウの騎士を気取っている雨が円に報復しかねないぐらいだ。
ただ、ジュウはこのことを雨に知られたくなかった。
理由はわからない。
ただ知られたくない、というだけで、ジュウが雪姫の脅しに屈するには十分だった。


~~


「ふんふふ~ん♪」

数歩先を歩く上機嫌な雪姫とは対称に、ジュウは全身から負のオーラを漂わせていた。
学校を出てから電車で乗り継ぎ、辿り着いた繁華街のあちこちの店を眺めては出て、眺めては出てを繰り返している。

洋服、宝石、アクセサリー、バッグ、靴、その他諸々の雑貨など指向性はなく、気の向くままにふらふらしているといった感じだ。
この前の光のときは洋服の店だけだったからまだゴールが見えそうなものだったが、今日の雪姫には目的が見えない。
自分を脅してまで連れてきたというのに、ただ引っ張りまわすだけというのはジュウには理解の範疇を超えていた。

「……必要か、俺?」

「デートは一人じゃできないでしょ?」

口の中で呟くように漏らした疑問と不満はあっさりと一蹴されてしまった。
しかし雪姫に連れまわされるのに疲れたジュウもこの程度では収まらず、続けて疑問を投げかける。

「そうじゃなくて、何か用事があってここまで連れてきたんじゃないのか」

その質問に対して雪姫は不満気に唇を尖らせて、ジュウの胸をつつく。

「デートのためって言ってるのに、わかんないかなあ」

そのままジュウの腕をとって抱きかかえるようにする雪姫。
二の腕に女性特有の柔らかさを感じつつも、ジュウはそれを極力無視しながら答えた。

「俺とお前はそういう関係じゃないだろ」

「光ちゃんとはしたのに?」

「あれは仕方なく……」

「それって本当かなあ」

「……何?」


「光ちゃんの作り話じゃないの、って話」

雪姫の表情は冗談とも本気とも取れなかったが、拗ねているのは確かなようだった。
ジュウにはその理由もわからないが、もっとわからないのは雪姫の発言だ。
確かにこの前の偽デートの時、光はときどきおかしな言動をしていた。
違和感のある挙動もあったし、最後にはなぜか殴られたりもした。
しかし、全てが作り話だとして、そこにどんなメリットがあるというのか。
そんな作り話をでっちあげて、再びジュウと恋仲と思われてしまうようなリスクを冒して、一緒に買い物をして、そこにどんな目的があるというのか。
騙されるジュウを見て嘲笑っていたのかもしれないが、あの光がはたしてそんな陰湿な真似をするだろうか。
考えるほどに謎が湧き出てきて、ジュウは遂に考えることを放棄した。
自分で考えるよりも、本人に聞いた方が手っ取り早いに決まっている。
前髪をガシガシと掻いて、雪姫に向き直る。

「知るか、そんなこと」

雪姫はジュウの言葉に驚きの表情を見せたが、徐々に嬉しそうな笑みへと変わっていった。

「柔沢くんのそういうとこ、好き」

「……知るか」

直球を投げつけられて、ジュウはわずかにでも動揺してしまった自分を恥ずかしく思った。
この半年、自分はどこかおかしくなってしまったのだろうか。
常に変化する人間の心など、他人の好意など面倒だと、そんなものは期待していないと突っぱねていた自分はどこへ行ってしまったのか。
腕に頬ずりをしてくる雪姫に引きずられるまま、ぼんやりと繁華街を歩くジュウ。
相変わらず、むしろ先ほどまでよりも楽しそうに、雪姫は店を眺めては何も買わずに次の店へ向かうのを繰り返す。
ジュウはもはや諦め、雪姫が飽きるまで付き添うことにした。
そうしているうちに、時間帯のせいか少しずつ人が疎らになっていき、いつの間にか周りはカップルだらけになっていた。
そこでようやく、ジュウは自分がどこを歩いているのかに気が付いて足を止める。

「あ、次はここに入ってみよっか?」

「断る」

雪姫の進行方向にそびえるのは白い壁にピンクの看板。
ご休憩いくら、おとまりいくらという料金表示の掲げられた、所謂ラブホテルだった。

「冗談冗談。そんなに怒んないでよ」

「勘弁してくれ」

ジュウはため息交じりに絡みつく雪姫の腕を軽く解いてから雪姫に向き直る。
雪姫はつまらなそうに唇を尖らせ、両手をポケットに手を突っ込みながらそっぽを向く。

「そろそろいい時間だし、帰るぞ」

「んー、まあ私は良いけど――」

瞬間、ジュウは自分の頬をカッターナイフが掠めるのを辛うじて避けた。
半身を開くように捻って、後退る。
そして同時に見た。
雪姫の右手から突き出されたカッターナイフが、ジュウの背後から凄まじい勢いをもった黒い物体を弾き返すのを。

「――アイツは、お前に用があるみたいだが?」

そのまま後ろに転がり、とにかく距離をとるジュウ。
雪姫は身軽に飛びずさり、ジュウの横に着地した。
そしてジュウが顔を上げると、そこに立っていたのはよく見知った顔だった。

「井原……?」

井原はジュウの通う高校で、かつては不良グループをまとめていた男だ。
入学当時から何度も殴り合った仲でお互いによく知った相手。
ただし以前とは違い、右腕の肘から先が巨大化し、機械のように黒光りする腕が生えていた。
あまりの異形にジュウは驚愕する。
明らかに普通の肉体では考えられない腕。
生身の部分も巨大な腕を支えるためか筋肉が肥大化し、まるでSF映画でナノマシンに浸食された生物のように、肩のあたりまでチューブや外装がそこに食い込んでいる。
右の黒腕はその左腕と比べると三倍以上の太さになっており、長さも少しかがめば地面に着くほどだ。
当然、人間の肉体がそのような作りになっているわけがないが、じっくりと観察している時間は無かった。
無言で動き出した井原はその間に距離を詰め、拳を振りかぶる。
咄嗟に行動に移れなかったジュウは、一拍遅れて雪姫の腕を取った。
間一髪、井原の拳は飛びずさったジュウの足元を殴りつけた。

「なっ……!?」

その拳はアスファルトの道路を抉り、周囲に地割れを巻き起こした。
もしもあとコンマ一秒でも回避が遅れていれば、ただでは済まなかっただろう。
足場を確保するために再び後退る。
井原はゆらりと立ち上がり、黒腕の側面から排気ガスのように煙を吹いた。

「戦闘用の義腕だ」

後ろから聞こえた低い声に振り向くと、雪姫がカッターナイフを弄んでいた。
刃物を手にしたおかげでスイッチが入ったようだ。

「戦闘用?」

「前を見ろ。次が来る」

疑問に答えず、雪姫がジュウに掴まれたままの腕を軽く引く。
ジュウはそれに従うように跳び、再び井原の拳が地面に突き刺さる。


凄まじい破壊力だが、避けられないほどの速度ではないことを確信する。
再び距離をとって、ジュウは大きく息を吐いた。

「柔沢ァ……」

呟きながら身体を起こす井原の血走った目が、ジュウを捉える。
よく見れば右目があらぬ方向を向いており、残る左目の焦点も合っていないようだ。
肉食動物が威嚇をするように、荒く呼吸を繰り返す井原。
どう見ても尋常な状態ではない。

「柔沢、知り合いか?」

「まあな……」

「柔沢ァアアァアァアアアァアァァァアアアアアアアアッ!!!!」

雪姫の問いに対するジュウの返答を遮るように井原が吠え、一歩、また一歩と少しずつ足を進めてくる。

「殺す……テメエは殺す……殺す、殺す! 殺す!」

怨嗟を漏らす井原が一気に距離を詰めてくる。
しかし、やはり遅い。
もとから素早くはなかったが、以前のスピードに比べれば半分以下。
ジュウは今度は後ろに跳ばず、凄まじい威力で撃ち抜かれる黒腕の横を滑るように身体を開いて拳を振りかぶる。
腕が巨大化したからといって、井原の攻撃は基本的にケンカスタイル。
大振りで避けるのは容易い――

「がっ……!?」

――はずだった。
上から振り下ろされるはずの黒腕が突如として進路を変え、ジュウの身体を吹き飛ばす。
辛うじて視界の隅で捉えたのは、手首のあたりからジェットエンジンのように噴出する炎。
咄嗟に後ろに転がったものの、巨大な鉄球をぶつけられたかのような衝撃。
今の一撃だけで意識を失いかけた。
肋骨の数本は折れているかもしれない。
そのままジュウの身体は壁に叩きつけられ、前後の衝撃から内臓がひっくり返ったような感覚に陥る。
吐瀉物が湧きそうになるが、それは寸でのところで堪えた。

「ギィヒャハヒハハハハハア!!!!」

井原はジュウの様子を見て狂ったように笑っていた。
口の端から泡を吹き、黒腕を何度も地面に叩きつけて狂喜する。

「ギャハハハハハハハ!! どうだ柔沢! テメエを! テメエをぶっ殺すために手に入れたこの力!! 痛ぇか!? 苦しいか! 安心しろよ、今すぐ殺してやるからよぉ!!」

井原の言葉に、ジュウは絶句する。
自分を殺すためだけに、井原は自らの肉体を引き換えにしたというのか。
いや、それだけ井原の受けた精神的な傷が大きかったのか。

「テメエを殺したら、あん時の女も俺が可愛がってやるよ」

口の端から泡と涎を垂れ流しながら、下卑た笑みをジュウに向ける。
あの時の女、というのはおそらく雨のことだろう。
ジュウは一瞬で頭に血が上るが、先ほどの衝撃で平衡感覚が定まらず、思わず片膝を着く。
井原が嘲笑し、一歩、こちらに踏み出した。

「おい、ブサイク」

「……あぁ?」


挑発に井原の意識が向く。
そこにいたのは当然、斬島雪姫。
カッターナイフの刃を鳴らしながら、雪姫は井原に対して挑発を続ける。

「ブサ男」

「は?」

「誰が誰を手籠めにするって?」

雪姫は自分より身長の高い井原を見下すように顎を上げ、鼻の頭を中指で上に持ち上げる。

「私は、豚に喰われる趣味はねえよ」

「このクソアマ――」

「――雪姫!」

どうにか走れるようになったジュウは、雪姫と井原の間に立ちふさがるように拳を構える。
否、構えようとしたが、次の瞬間には背中を地面に強打していた。
足が竦んだわけでも、井原の攻撃を受けたわけでもない。

「柔沢」

ジュウを地面に投げ転がしたのは、他でもない雪姫だった。
受け身をとる暇も与えられなかったジュウはほとんど絶息状態となって、井原の攻撃の痛みも併せて視界が眩む。
その中で、聴覚だけは辛うじて機能を保っていた。

「――――――」

雪姫のつまらなそうな言葉が、何よりもジュウには堪えた。


「なんだあ? 先にお前が相手を」

井原の言葉は最後まで聞こえなかった。
いや、言うことができなかったのだ。
雪姫に向かって伸ばされた井原の掌が、人差し指の付け根から手首にかけて一直線に赤い線が引かれる。
容赦のない一振り。
その躊躇いの無さに、ジュウは戦慄する。

「な……ッんだぁテメエぇえ!!」

対して井原は右腕を振りかぶった。
それは勇敢か愚行か、或いは本能か。
雪姫は流れるように黒腕を避け、すれ違う瞬間に金属音が鳴り響く。
比べるまでもなくはるかに強固であろうその黒光りする金属を、カッターナイフが易々と切り裂いた。
外装の亀裂から蒸気が噴出し、井原が苦鳴を上げる。
その場に膝を着き、

「このクソアマァ……!」

「そろそろ、クスリ切れか?」

雪姫の言葉に顔色を変える井原。
よく見れば全身から脂汗を流しており、呼吸も更に荒くなっている。
あれほどの巨腕を簡単に振り回せるはずがない。
クスリ、つまりはドーピングによって筋力を増強し、痛みを誤魔化していたというわけか。
刃こぼれ一つないカッターナイフが真っ直ぐに向けられる。
雪姫は顔色一つ変えずに敵に立ち向かう。

「屠殺か豚箱か、選ばせてやる」

「っ‥‥…ォォオオオオォォオオォァアアアァアアアァアアァアアアアッ!!!!」

井原が駆け出し、雪姫は跳んだ。
ジュウを吹き飛ばしたときと同じく噴出する炎。
先に撃ち出されたはずなのに、相手よりも後に打撃点を定める黒腕。
通常、一度跳躍した人間がいくら空中で身体を捻っても、その軌道や着地点を大きく変えることはできない。
黒腕は一直線に雪姫を目指し、井原は勝利の確信を得た。
それに対して雪姫は、左側のポケットから新たなナイフを投げ飛ばした。
折り畳み式の小さなナイフは井原の眉間を狙い、井原は辛うじてそれを避ける。
ナイフは頬を切り裂き、同時に井原の体勢を崩した。
雪姫の横を素通りする黒腕。
黒腕の勢いに引きずられるように肩から転倒する井原。
そしてその顔面に、雪姫は正面から膝を叩き込んだ。
全体重をかけた完璧なニードロップ。

「ふう」

雪姫が立ち上がると、井原は白目を剥いて気絶していた。
二つのナイフを回収した雪姫が、何事も無かったかのように駆け寄ってくる。

「柔沢くん、大丈夫?」

「……ああ」

差し出された手を無視して起き上がり、ジュウは井原を見遣った。
井原は前歯が粉々で、ピクリとも動かない。
黒腕は蒸気を途切れ途切れに吐き出しながら地面にめり込んでいた。
この状況で平然と携帯をいじっている雪姫は、傷一つどころか汚れ一つ無い。
警察に通報しているわけではなさそうなので、ジュウは自分の携帯を取り出したが、画面が粉々に割れていた。
試しに電源ボタンを押してみると、辛うじて画面が認識できた。
コール音を聞きながら先程の雪姫の言葉思い出して、ジュウはもはや溜息すら出なかった。


~~~~~

今回はここまで。
僕の中で井原君と鏑木先輩のビジュアルがかぶってしまうんだけど、まあどっちもDQNだからいいよね

=====


銀子に依頼を断られてから一週間。
真九郎は他の情報屋をいくつか当たってみたが、成果は微々たるものだった。
《星?》製の義肢が売買されているという情報は得られず、そういった人物の目撃情報も無かった。
そもそも、《星?》の技術は門外不出。仮に市場に出回れば同じ重さの宝石で取引されるとまで言われていて、それだけの金が動けば当然、なにかしらの情報は得られるはずなのだ。
しかし、絶奈は知らないと言い、切彦は無関心。銀子には袖にされて、真九郎の頼る筋はほとんど残されていない。
信頼できて、かつ、裏世界の情報に詳しい人物。

「真九郎さん、動きが悪いです。無意識に左腕を使うのを躊躇っていては、いつまでたっても馴染みませんよ」

汗だくの真九郎とは違い、涼しい顔で稽古後の指南を欠かさない夕乃。
ようやく終わった稽古に、真九郎は内心で苦笑する。
とっくに高校も卒業した身としてはいつまでも厄介になるのは気が引けるのだが、崩月家の人々はそんなものお構いなしとばかりに真九郎を招きたがる。
特に夕乃は、月に一度は必ず顔を見せるように繰り返し約束させ、それを破るとかなり怒る。
もちろん怒鳴りつけたりはしないが、稽古と称して激しくしごかれるのだ。
真九郎も成長したとはいえ、姉弟子である夕乃には未だに敵わない。
ここは崩月家の道場。
真九郎は夕乃と向かい合って礼をし、汗を流すために井戸へ向かった。

「お兄ちゃん、お疲れ様」

「ん、ありがと、ちーちゃん」

井戸水を浴びる真九郎の横に立って、手ぬぐいと着替えを差し出してくるのは崩月散鶴。
夕乃の妹であり、真九郎にとっても妹のような存在だ。
生まれる以前からこの家にいた真九郎に対して、散鶴も兄のように慕ってくれている。
散鶴は紫より二歳年下の小学四年生。
ただし、散鶴の方が身体の成長は著しく、身長は紫とさほど変わらない。

「ちーちゃん、また背が伸びたね」

「うん。いつか、お兄ちゃんを追い抜いちゃうかも」

それは他人に対してのみの話で、家族にはこんな冗談も言える。
はにかむような笑顔に心を癒されながら着替えを済ませて居間に向かうと、師匠であり夕乃と散鶴の祖父である法泉が出迎えてくれた。

「よお、真九郎。稽古はどうだった」

「今日も厳しくしごかれました」

真九郎の返事に豪快に笑う法泉。
見た目はただの好々爺だが、崩月法泉といえばいまだに裏の世界で恐れられる豪傑。
《崩月》は法泉の代で裏家業からは廃業したものの、あの柔沢紅香や九鳳院の近衛隊にも対立を敬遠されるほどだ。
それほどの実力者のもとで、真九郎は八年間修業に明け暮れた。
八歳のとき真九郎は血の繋がった家族を全て喪い、その後柔沢紅香に命を救われ、崩月家に引き取られて修行の日々を過ごし、そして九鳳院紫と出会った。
未だに死んでしまった父と母や姉のことを思い出すこともあるが、家族のように接してくれるこの崩月家の人たちとの出会いも、真九郎にとってはかけがえのないもの。
こうして今でも親しくしてくれることにも、厳しく稽古をつけてくれることにも、感謝の念に堪えない。

「どうぞ」


「ありがとう、ちーちゃん」

お茶を淹れてくれた散鶴にお礼を言うと、お盆に口元を隠して恥ずかしそうに笑う。
夕乃の笑顔とは別の意味で癒される笑顔に、真九郎もつられて笑う。
髪の毛をショートカットに整えた散鶴は見た目は活発だが、相変わらずの引っ込み思案らしい。
学校でも一人であることが多い、と通知表で担任教師に心配されていたが、母親である冥理は特に気にしていないようだった。
散鶴は紫とも仲が良く、たまに五月雨荘の真九郎の部屋に二人で訪ねてくることもあるほどだ。
お互いの性格は正反対のようにも見えるが二人は馬が合うようで、仲良く真九郎の食事を作ってくれたりもする。
散鶴は料理上手の母と姉の姿を生まれたころから見ているし、最初の頃こそ酷かった紫の料理も、まさに日進月歩で上手くなっている。
真九郎が湯呑を空にすると、すかさず散鶴がおかわりを注いでくれる。
お礼の代わりに頭をなでてやると、散鶴は猫のように真九郎に身体を寄せてくる。
夕乃はかつて、料理は幸せを作っているのと同じこと、と教えてくれたが、ならば誰かの為に料理を作ることもまた幸せの一つなのだろう。
幸せそうに笑う散鶴の頬を軽くつまんだりしながらじゃれていると、反対側の肩に軽い重み。
振り向くと、着替え終わった夕乃がそこにいた。

「真九郎さん、ずるいです」

「え?」

「最近、いいえ何年もずっと、ずーっと、私にはそんなにかまってくれないくせに、散鶴ばっかり」

肩を密着させてぐいぐいと押してくる夕乃。

「そんなことないよ」


「あります」

「ほら、さっきまで一緒に稽古してたし……」

「稽古は稽古、私は私です」

何が違うのか真九郎にはいまいちよくわからないが、これ以上は長引きそうなので取り敢えず謝っておく。
女性が不機嫌な時に取り敢えず謝ってしまうのは良いことなのか悪いことなのか判別できないが、真九郎にとってこれはもはや習慣のようなものだった

「真九郎さん、私、なんとなく八つ橋が食べたい気分なんです」

唐突な夕乃の意思表明に、そうなんだ、と適当に相槌を打つしかない真九郎。

「真九郎さんも、食べたくありませんか?」

質問を重ねながら、ずい、と顔を寄せる夕乃。
真九郎はまたもや唐突な質問に頭を捻る。
八つ橋といえば京都の土産物として有名だ。
京都には仕事で何度か足を運んで、そのお土産として崩月家や五月雨荘の住人たちに買ってきたこともある。
一度食べたものを唐突に食べたくなることはよくあることだし、夕乃の質問はそういうことだろうか。

「わかった。今度仕事で京都に行くことがあれば、また買ってくるよ」

「え、あ、はい……」

笑顔で提案する真九郎に、夕乃は顔をひっこめる。
そのまま背を向けて、真九郎さんのニブチン、だの、私の意気地なし、だのとブツブツ言っている。

「おじいちゃん、今度、家族旅行でもしない?」

夕乃の反応に疑問符を浮かべる真九郎の反対側で、今度は散鶴が唐突な提案。
事態をニヤニヤと眺めていた法泉は、散鶴の言葉に大きく頷いて見せた。

「それも良いかもしんねえな。俺はしょっちゅう温泉やらどこやらに出かけてるが、久々に家族でってのも悪くない」

「お兄ちゃんも行くよね?」

即決された旅行話に戸惑う真九郎。
しかし、散鶴のねだるような視線に即陥落。

「うん、行こうか。ね、夕乃さん」

「もちろんです!!」

喰い気味に真九郎の手を握り、続いて散鶴の手を握る夕乃。

「私は本当に良い妹をもちました……散鶴、今度、何でも好きなものを作ってあげますからね」

「おっきいケーキが良い」

「腕によりをかけて作りますとも!」


夕乃は幸せそうな顔を浮かべ、散鶴はそんな姉を見ながら小さく溜息を吐いた。

「別に、お姉ちゃんのためだけじゃないけどね……」

小さな呟きは、夕乃には聞こえていないようだった。


~~


「それで、真九郎さん。私に何か、聞きたいことがあるんじゃないですか?」

それは崩月家で夕食を終えて、散鶴が風呂、冥理が食器を片付けに席を立った時だった。
居間には真九郎と夕乃、そして法泉のみ。
法泉は目をつぶって腕を組んだまま、口を噤んでいる。
まさに今、話を切り出そうとしていた真九郎は、やはりこの人達には敵わないな、と頬を?きながら口を開いた。
話しは当然、先日の事件のこと。
ドラッグにハマる不良グループなど今のご時世ではありふれているが、そのうちの一人が義足を用いて、更にはその口から《星?》の名前が出た。

「俺が裏十三家のことを知ったのは、この《崩月》の家で修行を終えて、揉め事処理屋になってから。ただの不良がその名前を知るはずもないし、それに《星?》製を手に入れるには高価過ぎる」

「……そうですね」

それまで真九郎の話を無言で聞いていた夕乃は湯呑を傾けて、小さく息を吐く。


真九郎にはそれが、夕乃が言葉を躊躇っているように見えた。

「崩月家当主なら、何か知っているんじゃないの?」

崩月夕乃は高校卒業を期に、正式に崩月法泉の跡を継いだ。
法泉は、廃業しているのだから継ぐだの継がないだのは関係ない、と言っていたが、裏の世界で未だに《崩月》の戦鬼の名は知れ渡っている。
そもそも真九郎が《崩月》の家の者であることは周知されており、そういう意味では裏の世界と完全に無関係とは言えないだろう。
夕乃は以前から当主代行として会合などに出席していて、正式に当主となった今であれば、真九郎などよりも多くの情報を持っているのは当然。
銀子に袖にされてからこの一週間、他の情報屋を当たってみた真九郎だったが、《星?》のような闇の深くまで踏み込もうとする者は多くなかった。
それならば、蛇の道は蛇、というわけだ。

「……確かに、いろいろと噂は聞きます」

「それなら――」

「真九郎さん、それは誰かに依頼されたことですか?」

夕乃の言葉に対して、真九郎は返答に窮した。
件の不良グループに関わったのはコンビニ店長の依頼によるものだった。
しかし、それに関しては既に報酬も受け取っており、終わったこと。
今調べていることは、完全に揉め事処理屋の仕事の範疇外なのだ。
咄嗟に口を開けない真九郎に対して、夕乃はこう言った。

「あなたはこの数年、揉め事処理屋としてたくさんの依頼を完遂してきました。結果としていろいろな事件を解決したり、未然に防いだことも十分承知しています。ですが、それらはあなたの、揉め事処理屋の本来の仕事の副産物でしかないことを、お忘れではないですか?」


「それは」

「それとも、正義のヒーローにでもなるおつもりですか?」

当然、真九郎にそんな気持ちは無かったし、正義のヒーローがこの世にいるとも思っていない。
そんなものがいれば、真九郎の家族は死ななかったし、揉め事処理屋などという稼業を続けられるはずもない。
夕乃ももちろんそれはわかっている。つまりは、夕乃は言外にこう伝えているのだ。
分を弁えろ、と。
黙り込む真九郎に対して、夕乃は毅然とした態度で言葉を続ける。

「あなたは一体、何者なのか。もう一度、冷静に見極めてください」

夕乃の言葉は真九郎の胸に、重石のように圧し掛かった。


~~~~~

少し短いですが今回はここまで
電波の方を定期的に読み返しているんですが、やっぱ面白いですね

めっちゃ遅くなってすみません!
いろいろあって7月中は厳しいです
8月9月は時間が作れるので、もうしばしお待ちを・・・

長らくすみません
もう暫くお待ちください

書く時間がなかなか取れず…
年内には一度更新できるように少しずつ書いてますので、本当に申し訳ないです

生存報告です

生存報告兼明後日投稿予定

遅れました。
2時ごろ投下予定です。

投下していきます

=====


最悪の寝覚めだった。
全身に冷や汗をかいていて、目が覚めた瞬間、呼吸の仕方を忘れてしまったのかというぐらいに息苦しく、眩暈がした。
原因は当然わかっていた。
暗闇の中で、夢から覚めても未だにジュウの耳にこびりついて離れない、二人の言葉。
円堂円と斬島雪姫。

『――もう、危ないことには首を突っ込まないで』

ジュウは無意識のうちに奥歯を噛みしめていた。
喧嘩では負けたことなどなかったし、自分は強いという自負があった。
いや、この半年余りの間、自分の強さを誇って事件に首を突っ込んだわけではなかった。
そんなはずはない、ジュウは自堕落で、他人に興味などなく、適当に生きてきたのだから。
――それでも、何かしなければという衝動が、自分を突き動かしたのだ。
巻き込まれたどの事件も、知り合いが被害に遭って、なんとかしてやりたいと思った。
それでも、自分だけで何かを解決できたことなどない。
雪姫は言っていた。

――正しい解答を導き出すのは、頭の良い方
――努力が必ず報われるなら、不満を持つ人間なんかいない
当然のことだ。ジュウには頭が足りなかった。だからどれだけ努力しても自力で事件を解決などできなかった。
事件を終わらせることができたのは、いつでも隣に頭のいい奴がいたから。
堕花雨。
ジュウが望めば、雨は何でもやる。
試験で全教科満点をとれと言えばあらゆる手段で満点をとるだろうし、人を殺せと言えば証拠を残さずに完全犯罪もするだろう。
それは、自分の身を顧みることなどない挺身。
頭の悪いジュウだけなら、それだけ走り回ってもそもそも事件の尻尾すら見つけることはできず、それは逆に危険に遭遇することもないということ。
しかし、ジュウが望めば、雨はそこへ必ず辿り着く。
そして、ジュウをその危険から守ろうとするだろう。
二人が言いたのは、そういうことだった。
ジュウにはそれが悔しかった。
自分の弱さを突き付けられたこと自体ではなく、雨に守られてばかりの自分が悔しかった。
それを痛烈に自覚してしまった。

「ガキか、俺は!」

一人で吠える自分の小ささに、ますます嫌気がした。


~~

「ちょっといいか」

ジュウが声をかけると、その女子生徒は全身を硬直させた。
女子生徒と一緒に隣を歩いていた短髪の少女は怪訝な表情を浮かべて、ジュウと女子生徒の顔を見比べている。

「悪いな、急用なんだ」

「す、ストーカー!!」

彼女から飛び出した言葉に、今度はジュウが硬直する番だった。
このご時世、ストーカーがエスカレートした殺人犯など珍しくもない。
中学校の校門周辺に響き渡るその大声は、周囲の視線を集めるのに十分過ぎた。
しかし、怪我の功名というか、一斉に集中した大量の視線は、彼女――堕花光の混乱を落ち着けるのに一役買ってくれてたようだった。

「あ、ち、違います! なんでもないです! な、なんでここにいんのよアンタ!」

「あ、ああ……ちょっとお前に用があってな」

光は周囲にストーカー発言を誤魔化そうとしたが、その様子が逆に挙動不審で、好機の視線は途切れていない。
なんなら、ジュウの言葉を受けてどんどん赤く染まっていく表情に、更に視線が集まってくるようだった。

視線の集中砲火はジュウにとっても耐えがたかったが、光に用があってわざわざここまで来た以上、逃げ出すことはできなかった。
光はジュウから逸らした視線を左右に忙しなく往復させた後、身体ごと勢いよく振り返り、今しがた出てきた校内に一目散に駆けていった。

「ちょ、ちょっと待ってて!」

予想外な光の反応にジュウは返事もできず、光の隣を歩いていた少女とともに、校門のど真ん中に取り残された。
未だにジュウへと降りそそぐ視線から逃れるように隅の方に移動すると、少女も当然のように付いてくる。

「彼氏さんですか?」

「は?」

「すごい度胸ですね。年下の中学生に手を出した挙句に、学校まで乗り込んでくるなんて」

「誤解だ」

「じゃあ、光ちゃんとどんな関係なんですか?」

「友達……の妹だ、あいつは」

「ふうん……。それなのに、わざわざここまで?」

好奇心、いや、敵対心だろうか。詰問口調の少女の言葉はところどころが刺々しい。

仲良く下校していたところを邪魔されて、気が立っているのだろうか。

「急用なんだ」

「……怪しい」

ジュウは、どこが、と切り返そうと思ったが、面倒になってきたので勝手にさせることにした。
考えてみれば、金髪で強面の、この学校の卒業生でもない高校生が訪ねてくること自体、怪しいのは当然のことだった。
光が校門から出てくるのを待っている間、散々警備員に睨まれていたのだし、今更だろう。
光には悪いが、後日、適当に誤魔化してもらうことにしよう。
そうしているうちに、光がようやく戻ってきた。
また二人で質問攻めにあうのかとジュウはげんなりしたが、光が少女に何事か耳打ちすると、渋々帰っていった。

「お、お待たせ」

「いや、良い友達だな」

いきなり現れたジュウを警戒するのは、光を心配してのことだろう。
活発そうな見た目だったし、ジュウと二人きりの状況から逃げ出さなかった度胸を見ると、光の部活の友達といったところか。
ジュウにはそういった関係性の友人はいないのでよくわからないが、なんとなく微笑ましい。

「あ、アンタ、私の友達にまで手を出そうっていうんじゃないでしょうね」

「お前には俺がどんな風に見えてるのか知りたいよ」

そんなジュウの言葉を無視して、光は早々に前を歩き出した。
まだ要件も伝えていないのに、どこへ向かおうというのか。

「光、実は――」

「――こんなところじゃ目立つから、もっと別の場所にしてほしいっていうのがわかんないの……!?」

振り返って、器用に小声で怒鳴る光の剣幕に、言葉を引っ込めるジュウ。
先日の駅前の方が人通りは多かったはずだが、確かに、当然ここの方が知り合いは多い。
ジュウもわざわざ聞かれたいとも思わないし、移動した方が良さそうだ。
目立ちたくないという光に気を遣って、ジュウは少し離れて後ろを歩くことにした。
下校する中学生の群れに混じって大柄な男子高校生が道を行く姿は違和感があるだろうが、学校から離れるにつれ、それほど視線も気にならなくなった。
道中、光はジュウが着いてきているか確認するよう、しきりに視線を送ってきていたたことの方が気になったぐらいだった。
しばらくして駅前の喫茶店に二人で入り、コーヒーを注文した。

「――それで、何の用なのよ」

席に着いてから、なにやらそわそわしている光はようやく口を開いたが、目はなかなか合わせてくれなかった。
校門で待ち伏せしていたことをよほど怒っているのだろうが、連絡先を知らない光に確実に会うためには、そうするのが一番だとジュウは判断したのだ。
謝罪よりも用件の方を優先してくれた光に内心感謝しつつ、ジュウは切り出した。

「光、お前の通ってる道場ってところに連れて行ってくれ」

「…………………………は?」

唐突なその申し出に、光は呆れたような、驚いたような、心底落胆したような、そんな声を吐き出した。


~~


結論から言うと、光はジュウの頼みを、渋々ではあるが承諾してくれた。
最初はきっぱり断られたのだが、ジュウの『できる範囲ならなんでも言うことをきく』という条件に、光が折れた形だ。
光はその言葉にやたらとテンションが上がっていて、ジュウは若干公開したが、背に腹は代えられない。
そうして辿り着いた『道場』で、ジュウはそれ以上に後悔することになった。

「光ちゃんが彼氏を連れてきたーーー!!!」


ジュウが光と一緒に道場に入ると、甲高い悲鳴のような声が鼓膜を突き刺した。
声の方を反射的に見ると、だらしない男物のジャージに、ボサボサの髪の毛を適当に一つに纏めた女性が転げまわっていた。
年齢はおそらく大学生以上だが、ジュウが出会ってきた大人の女性の中でこんな手合いは初めてで、思わずたじろぐ。
そうしている間に女性は床の上でじたばたと駄々をこねる子どものようにもがき始めた。

「あー私は相変わらずフラれっぱなしなのに光ちゃんは中学生のくせにイケメンの彼氏なんか道場に連れてきちゃってもー色ボケだーコンチクショー! そんな子は破門よ破門! 女で若けりゃ何でも許されるのはJKまでなんだぞー! コラー!」

「もううるさい! 彼氏じゃないし!」

みっともなく転げる女性に、光が怒鳴る。
それを見て、どことなくいつもの光が、自分や先ほどの友達と接するときの態度とは、少し違うようにジュウには感じられた。
例えるなら、姉である雨に接するときのような、そんな気安さ。
光がそれほどに気を許す相手ということは、それだけ付き合いの長い相手と言うことなのだろう。
女性は光の言葉に動きを止めて、ジュウの顔と光の顔を見比べる。
そして、寝ころんだまま両手の人差し指で二人を指さすと、こう言った。

「嘘だっ! 光ちゃんから恋する乙女オーラがプンプンすっぞ!!」

「違うったら!!」


~~


それからしばらくして、女性はようやく落ち着いたようだった。
光は未だに顔を赤くして膨れているが、別段怒っているという程でもなさそうだった。
こういうところにも、なんとなく親しい雰囲気を覚える。

「こんにちは、私は武藤環。この道場の師範代だよん」

対面してみるとそこそこの美人だったが、その風貌やへらへらとした雰囲気が、残念さを加速させているようだった。
なんとなく雪姫を彷彿とさせるが、あちらは残念というより奔放という感じか。

「柔沢です」

短く自己紹介を済ませるジュウに、環の手が差し出される。

「柔沢くん、私と結婚を前提に、お付き合いしてみない?」

ジュウの隣で、光がギョッとする。
この瞬間、ジュウはこの環を母である紅香に次ぐ苦手人物と確定した。

冷ややかな視線に対して環は、冗談冗談、と言って無理矢理ジュウの手を握ってくる。

「それで光ちゃん、この柔沢くんは何でウチの道場に? 入門希望?」

ジュウは、躊躇うことなくその場に膝を着いた。
そのまま、頭を床に擦りつけるようにして下げる。

「強くなる方法を教えてください」

ジュウの人生で初めての、精一杯の懇願だった。
環も光も、ジュウの行動に面食らい、言葉はしばらく返ってこなかった。
これ以上の行動は、ジュウには思いつかなかった。
軽くて安くて回らない頭でも、ジュウにとってこれ以上ないというぐらい、気持ちを込めた。

「顔を上げて、柔沢くん」

その環の声に、ジュウはその体制のまま顔を上げる。
承諾してもらうまで何時間でも粘り続けるつもりだったジュウは、内心喜んでいた。

「ぐっ…………!?」


――しかし、そんなに甘いはずはなかった。
顔に向かって鋭く飛んできた爪先を、辛うじてガードする。
それでも衝撃を抑えきれずに無様に床を転がり、その勢いのままジュウは跳び起きる。
咄嗟に反応できたのは、この道場に入ったときから、なんとなく予想していたから。
空手道場だというのに一枚も畳はなく、ところどころ割れている板張りの床や壁の隙間から除く、見るからに分厚い鉄板。
そして何よりも、ここはあの円堂円を育てた道場。
そしてこの武藤環という女性は、その師範代。
その環は、ほんの少しではあるが、驚いているようだった。
ガードされるとは思わなかったのか、それとも直ぐに臨戦態勢をとったその覚悟にか。
どちらにしろ、相手はまだジュウに油断している。
環に向かって無言で突貫。低い体勢から、脚を取りに行く。
しかし、環は足を引くことも、身体を開いて避けることもしなかった。
当然、そのままジュウの腕は環の大腿を抱え込み、そのまま引き倒そうとして――できなかった。
環は直立不動で、ジュウの渾身のタックルに堪えてみせたのだ。
愕然としながらしがみつくジュウを、環は脚だけで持ち上げてみせた。
床と水平になる位置まで持ち上げて、余裕の笑み。

「(化け物か、この女!?)」

次の瞬間、ジュウの身体は浮遊感に包まれた。

環がその姿勢のまま跳び上がり、そして空中で反転。
反転の瞬間、ジュウは本能的に腕を離して床の上を転がった。
環はお構いなしにそのまま床に膝を叩き込む。
鉄板仕込みの床板がすさまじい音をたてて破壊される。
しかし、ジュウには驚愕している時間すら惜しい。
ジュウが起き上がって姿勢を立て直すよりも早く、環の追撃が迫る。
凄まじい速度で繰り出される手刀は、しかし、左腕一本のみ。
対するジュウは、両腕でガードするのが精いっぱいだった。
飛びずさっても、それ以上の速度で追撃され、もう後がないことはわかりきっていた。
ならば、前に出るしか道はない。
ジュウは覚悟を決めると防御を捨てて、一歩前に踏み出す。
拳を固く握り、鳩尾めがけてアッパー気味に振り上げる。
全力の一撃。
急所を狙い、何の躊躇もない攻撃。

「三本かな」

相手が防御してくれれば、あるいはしてくれなくても、一撃入れられれば何かが変わるような気がした。
円に太刀打ちできなかった自分。
井原の憎悪から、雪姫に助けられた自分。
そして――いつも守られてばかりの自分。

そこからも一歩踏み出せる気がした。
ジュウの拳は止まっていた。
――否、止められていた。
武藤環の、たった三本の指先で。
止められている今もなお、ジュウは力を抜いていない。それでも、1ミリも前に拳が進まない。

「じゃあ、私の番ね」

瞬間、ジュウは背中と腹に同時に衝撃を感じた。
絶息し、何が起きたのか全く分からない。
崩れ落ち、床に頭をぶつけて、ようやく自分が壁に叩きつけられたのだと理解する。
全身に力が入らず、意識が徐々に朦朧としていく。
駆け寄る光の表情に隠れて、環の顔は見えなかった。


~~~~~

今回の投下は以上となります。
長らくお待たせしてすみません。
今後ともよろしくお願いいたします。
それではみなさん、よいお年を。

また一ヶ月過ぎてしまった…申し訳ない

お待たせしております。
3月中には一度とうかできる思います。

PCがぶっ壊れ申して候。
データ移行が安全にできるようになるまでは、更新できそうにありません。
毎度遅筆なうえ更新詐欺ばかりで申し訳ない。今月か来月辺りに投下できるように努めますので、もうしばしお待ちください。

ところで、紅をなんとなく開いてみて、最新巻が2014年発売ということと、その記念に発売直前にこのスレをたてたのを思い出して、軽く虚無。

ようやくPCを買い換えました。
打鍵のしやすさでは他の追随を許さないSurfacebook2しゅき。
今月中には必ず投下します。

長らく放置してすみません
気付かないうちに復旧してたんですね
今年中には更新できそうです
また来ます

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