あんじゅ「にこさんと素敵なディスティニー」にこ「にこにこ!?」 (240)

矢澤にこにとって、優木あんじゅは憧れのスクールアイドルの一人だった。

にこが小学生の時に秋葉に出来たUTX学院。

アイドル養成所と言っても過言ではないくらいに設備が充実しており、生徒数も設立以降増加の一方。

芸能コースと一般コースの二つに分かれているが、一般コースでの偏差値も高い。

大学受験を考えているものにとってもUTX学院はステータスの一つになる。

ただし、入学金は高額であり、倍率も高い。

にこは憧れる気持ちだけはあるものの、願書を出すこともなく諦めて音ノ木坂学院を選択した。

国立であり授業料は無料。

伝統があると言えば聞こえがいいが、正直な話設備が一昔前の物であり、普通の学校と比べると魅力がない。

広さだけはあるものの、少子化の影響もあり生徒数が激減していることもありより人数の少なさを目立たせる。

にこが入学する数年前から廃校になるのではという噂が付き物だった。

だが、そんなことはどうでもよかった。

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徒歩で行けて、授業料無料で、受験すれば合格するような学校はにこにとっては喜ぶべき事だ。

「……そう、喜ぶべきことなのよ」

合格発表の結果を見ながら一人呟く。

ドラマで見るような一喜一憂はここにはない。

誰もが念の為に番号を確認するだけで、そこに喜びを見出す生徒は居ない。

デキレースなのだから当然。

奇しくもその日はUTX学院の合格発表と被っている。

向こうはさぞかし歓声と慟哭の入り混じったドラマのような合格発表が再現されていることだろう。

「……」

アイドルになるという夢を叶えたいのなら、UTX学院に入るのは必須だった。

養成所からアイドルを目指せる環境でもなく、UTX学院に入学して技術を学んでから芸能界に入るのでもない。

ただの高校を卒業してからアイドルを目指す。

アイドルというには手遅れの年齢であり、無名の自分を誰が使ってくれるのか。

それでも、たった一つだけ今という時代だからこそ指せる一手がある。

《 スクールアイドル 》

女子高生であれば学校学院を代表して一グループだけが活動を許される。

中学一年の時から始まったスクールアイドルの祭典ラブライブ。

そこで優勝を果たせば知名度は下手なアイドルを凌駕する。

実際、去年の優勝グループは今や有名な歌番組でゲストに呼ばれる程メジャー化した。

オリコンでも上位に入っている。

勿論、アイドルは歌が命という訳ではない。

アイドルというのは言葉にするには難しいけど、見る者を魅力出来るかどうか。

にこにとっては見てくれた人を笑顔に出来るかどうかが全て。

当然、見てくれる人が居なければ話にもならない。

スクールアイドルを名乗っても、応援する人が居なければアイドルではない。

そう思い知らされたのは入学から僅か二ヶ月足らずのこと。

三人で結成したスクールアイドルはメンバー二人の退部により一人きりのスクールアイドルに……。

一人になってから二度目のライブの時、観客が居なかった。

現実を知ったにこが部室のパソコンを使って気を紛らわしていた時、一方的な運命が結ばれた。

UTX学院の新生スクールアイドルグループ。

今や知らない女子高生は居ないと言える程、圧倒的なカリスマ性を誇るA-RISEのお披露目。

デビューとは思えないクオリティの高さ。

まるで心を鷲掴みにするような歌唱力。

刹那の瞬きすら後悔させるような完成度の高いパフォーマンス。

一番の魅力はその輝かしい表情。

三人の挨拶で動画が終わると同時に、にこの中で何かがひび割れる音が聞こえた。

決壊したのは観客が居なくても堪えた涙腺。

矢澤にこ以外もう立ち入らないであろうアイドル研究部の中で声を殺すこともなく泣き続けた……。

優木あんじゅにとってアイドルとは自分を輝かせる物の一つだった。

一度きりの人生なのだし、やれることは全部やりきりたい。

女の子に生まれたのだから最高に輝きたい。

とはいえ、特別スクールアイドルという物に拘りがあった訳じゃない。

UTX学院が家から近く、防犯設備もしっかりしていることもあり両親が薦めてきたから。

そこで一番有名なのが芸能コースの極一部だけがなることが許されるスクールアイドル。

つまり、学院内で一番輝ける存在の証明。

だからあんじゅはUTX学院の願書を出した時から、個人で練習を始めた。

幼い頃から中学二年まで様々な習い事をしてきたこともあり、どコツという物を掴むのが人一倍得意だった。

何よりも人を魅了するカリスマという物を無意識で熟知していた。

だから当然というべき結果が待っていた。

UTX学院に入学後、スクールアイドル候補の代表の一人として選ばれた。

綺羅ツバサと統堂英玲奈と組むことになり、現役スクールアイドルだった先輩達を越える完成度となった。

実力主義であることから、現役だったスクールアイドルは引退し、あんじゅ達三人が代表となった。

こうしてA-RISEが誕生した。

リーダーにまではなれなかったが、そこに執着心がある訳でもない。

輝かしい生活が始まると期待していた。

実際にスクールアイドルとして活動すればするほど目に見える結果が貰えることで満足していた。

ライブをして、次にライブをする時には更にファンが増えている。

A-RISE結成当時はなかったスクールアイドルグッズ専門店が秋葉に出来た。

ウィークデイライブのチケットがたった十分で完売した。

結成数ヶ月でありながらラブライブで優勝を果たすことが出来た。

輝かしいスクールアイドル生活。

頂点に立つということはこの先はもうないということと同じで、あんじゅの心を完全に満たしていた想いは冷める。

冷めると言っても手を抜いたりはしない。

その時の全力を持ってライブを行うのだけど、完全に満たされてはくれない。

ある瞬間だけ、不思議とあんじゅの心を満たしてくれる存在がある。

A-RISE結成からライブ毎に届く小さな花束とそれに添えられている一言だけのメッセージカード。

特別に優れた物という訳ではない。

花で言えば大きな花で送ってくるファンも居れば、失礼な話読む気になれないくらい綴られたファンレターもある。

英玲奈とツバサと違い、あんじゅは長い文を読むのが好きではない。

文字数を長くすればするほど、一文字一文字の価値が下がる気がするから。

そういう意味では、この豪華とは無縁の花束と一言だけのメッセージカードはあんじゅにとっては特別。

メッセージの内容もありきたりなもの。

《がんばってください》《ライブ最高です》《応えんしてます》《笑顔になります》

名前すら書き込まれていないソレは謙虚な人である証なのか、それとも書き忘れてるだけなのか。

もしも後者であれば相当間の抜けた子なのだろうと、想像すると自然と笑顔になる。

「あんじゅはその子が相当お気に入りみたいね」

「ええ。出来れば会ってみたいくらい」

「それは難しいだろう。名前も書かれていないのだから」

「でも、運命ってあるじゃない?」

あんじゅがそう言うと、ツバサは小さい子を見るような、英玲奈は若干呆れたような顔をした。

「きっといつか何処かで逢える――そんな気がするの」

矢澤あんじゅと優木あんじゅが二年生となり、二度目のラブライブが終わった秋の終わりに運命が生まれた……。

――十一月初頭 レンタルショップ

その日、特別何かを借りたいと思った訳ではない。

ただ今週はセールをしていて、旧作は一本税込みで五十円という安さなので足を運んだだけ。

妹であるこころとここあにアニメでも借りていくのもありかもと思い、にこは店内を物色していた。

「え」

思わずにこの口から言葉が漏れた。

手縫いなのか、赤の毛糸で編まれたお洒落な帽子に、横長のフレームの眼鏡を掛けた優木あんじゅがそこに居た。

眼鏡の色も少し早いコートの色も帽子と同じ赤色。

店内に流れる曲に掻き消されるくらい小さなにこの声を拾ったあんじゅが顔を向けた。

目が通い、間違いなくA-RISEの優木あんじゅであることを再認識する。

「優木あんじゅ」

言葉に出さなければ変な人と思われて誤魔化せたのだろうが、緊張の余り名前を口にしていた。

「ね、こっち来て。これを見てどう思うかしら?」

眼鏡越しの目が普段知っている大人っぽいものから、悪戯っ子のような色を見せた。

だけど、にこはそんな事に気づくこともなく、カチコチになりながらあんじゅの傍まで進んだ。

そして、あんじゅが持っていたパッケージの裏を見せる。

『激しい恋の嵐 情熱的なキス 男女の感動を描いた~』

緊張が頂点のにこには文字は既に棒を使ったARTに過ぎず、頭に入ってきたのはプリントされた写真だけ。

洋画にありきたりな男優と女優のキスシーンの嵐。

「にこにこ!?」

「くすっ。何その鳴き声。可愛いわね」

「あっ、いやっ違います!」

「うふふ」

「……にこぉ~」

「あはははっ。本当に可愛い。口癖なのかしら?」

無意識に出てしまった言葉にあんじゅはツボに嵌ってしまい、目じりに涙が浮かんだ。

眼鏡を外し、涙を拭き取る頃にはにこの緊張も恥の所為で薄れた。

正確には開き直ったとも言うが。

「どうしてA-RISEのあんじゅさんがこんなレンタルショップに?」

「あら? 入り口にA-RISE禁止って書いてなかったけど? もしかして出入り禁止なのかしら」

「いえ、違いますけど。UTXに通えるくらいなら借りるまでもなく買うんじゃないかなって」

「それって偏見よ。だって面白いかどうかも分からない物を買うなんておかしいでしょ?」

「そうですよね」

「で、話を戻すんだけど、さっきのどう思った?」

「さっきのって?」

「キスよキス」

自分の唇を軽く尖らせて右手の人差し指を下唇に添える。

相手が同性であるというのにゾクリとする魅力に、にこの小さな体が震えた。

「あ、先に質問。お名前はなんて言うのかしら? 私は知ってるみたいだけど優木あんじゅ。あなたは?」

「にこです。矢澤にこ」

「あっ、だからにこって鳴き声なのね」

「うぅっ!」

からかうつもりではなく、純粋に口から出た言葉ににこは恥ずかしがる。

「ごめんなさい。更に質問するわね。にこさんは恋人はいるのかしら?」

「いないですっ」

「過去にいたことは?」

「ないです」

「じゃあ本題に戻るわね。キスってどうなのかしらね」

「どう、とは?」

パッケージ裏が二人に見えるようにしながらあんじゅが答える。

「絶対数が少ない程大切に思えると思うの」

「それとも愛という絶対なる信仰心があれば不変の価値を保ち続けるのかしらね」

「にこにはちょっと分からないです」

「そうよね。したことない人間にとっては絶対に分からないことだものね」

「あんじゅさんは恋人とかに興味があるんですか?」

「全然ないわ。今日ここでこの辺のパッケージの裏側を見てて思った疑問だから」

「そ、そうですよね。もしスクールアイドルなのに恋人が出来たら大問題ですもんね!」

「一度しか経験なければその価値は経験のない状態よりも価値が生まれのか」

「一度以上の回数を経験をするより価値が大きいままなのか。考えれば考えるほど深みに嵌っちゃうわ」

「面白いことを考えるんですね」

「そう? 私って絶対数が少ない方が価値があるって考えだから。それがキスにも当てはまるのか気になったのよ」

「にこさんはどう思う?」

「……にこはすればする程価値が生まれると思います」

「ふぅん、そっか~。もし恋人が出来たら教えてね。その時はどっちが正しいか知りたいから」

「誰かと付き合うとか少なくとも学生の内は考えてません」

「残念ね。あ、時間取らせちゃってごめんね。私はこれを借りて帰るわ。じゃあね」

「応援してます」

「うふふ。ありがとう」

偶然の出会いが必然を呼び寄せる。

放課後は意地のように部室に通っていたにこの日課は変わった。

返しに来る時にまたあんじゅに会えないかと、毎日放課後はレンタルショップに通った。

他者の手による返却、返却BOXという存在を忘れている選択。

しかし、運命と言うものがにこに見方する。

「にこさん。偶然ね」

「はっはい!」

「うふふ。また緊張してるの?」

会えるかもしれないと思って通っていながらも、実際に声を掛けられた瞬間にこの頭は真っ白になった。

胸は痛いくらい鼓動が早くなり、呼吸が難しいくらいに異常に包まれる。

チケットはスクールアイドルとしては安い物の、にこのお小遣いでは毎月通えるものではない。

妹達のお世話もあって、アルバイトも難しいことから、生でA-RISEを見ることになれていない。

しかも、一週間前のこととは言え自分の名前を覚えていてくれたことからくる感動。

思わず背を向けて溢れ出る涙を擦る。

「あら、ご機嫌斜めなのかしら?」

「ちっがっ!」

「ん~? あっ、なるほど。にこにこ!」

「にこっ!?」

突然名前を連呼されたのかと驚いて涙も引っ込み、瞬時にあんじゅの方を向いた。

「うふふ。やっぱりこう挨拶しないと駄目なのね」

「違うにこ!」

「お久しぶりにこっ」

語尾に《にこ》を付けるのを真似されているだけだというのに、呼び捨てにされているようで恥ずかしい。

普段は頬が熱くなることなんて経験がないのに、今正にその状態を体感している。

「にこさんの反応は本当に可愛いわね」

「……っ」

可愛いとか言われる度に胸がドキッとする。

憧れの存在に褒められるというのはある意味内側から攻撃されるようなものなのかとにこは学んだ。

「あんじゅさんは今日もレンタルですか?」

「ええ、前回のは少し内容がなさ過ぎたから。今回はもう少し内容があるものにしようと思って」

「キスシーンだけはお腹一杯になっちゃうくらいにあったけどね」

わざと自らのお腹を撫でながらあんじゅが笑う。

そんな何気ない仕草一つで人を魅了出来る目の前の存在こそが、スクールアイドルの頂点になれる魅力という名の武器。

ほんの少しだけ、悔しさが生まれた。

自分より容姿が優れていて、声も甘えるような可愛い声で、身長が高いし、何よりもスタイルが良い。

もし、生れ落ちたその時にアイドルになれるかどうか決められているのだとしたら……。

にこはその答えが出そうになった瞬間、思考を止めた。

「にこさんは何かお薦めとかある?」

「えっ?」

「別に洋画に拘るつもりもないし、面白いと思うものなら何でもいいんだけど」

「その……にこが見るのは基本的にアニメで。年の離れた妹が居るからで」

「別にアニメでも私は偏見なんてないから大丈夫よ。私もドラえもんとか好きだもの」

「にこもドラえもん好きです」

「夢があっていいわよね」

「はい」

「じゃあ今日はドラえもんの映画を借りようかしら。にこさんのお薦めはある?」

暫く映画ドラえもんの話で盛り上がり、あんじゅは西遊記を借りた。

「それじゃあ、私はこれで行くわね。決めるの手伝ってくれてありがとう」

「いえ、楽しかったです」

「それじゃあ、またね」

「がんばってください」

「あ、そうそう。私がここに来るのって基本的に今日と同じ木曜日だから。ばいばい」

「~~っ!?」

「うふふ」

見通されていたことににこは恥ずかしさが爆発し、緊張の抜けていた体が硬直し、耳まで真っ赤になった。

そんなにこを見てステージ上で浮かべるより魅力的な笑顔になったあんじゅ。

しかし、残念なことにその笑顔をにこが見ることは叶わなかった。

恥ずかしさの余り目を閉じていたから。

二人の運命は小さく、だけど確実に歩みを進める……。 つづく

>>8 ×矢澤あんじゅ ○矢澤にこ

――十二月半ば 木曜日

「最近随分と機嫌がいいみたいだけど、何かいい事でもあった?」

「え? 特にそんなことはないけど」

「あんじゅの場合は誤魔化しているのか天然なのか判断につかないな」

「うふふ。別に何も誤魔化してないわ」

見るからに上機嫌であり、今にも鼻歌を口ずさんでもおかしくない程である。

「これが不機嫌だったら追求もするし、失敗が多くなっていたら注意もする」

「だけど、逆にメリハリが今まで以上に付くようになったし無粋なことは言わないでおくわ」

「あんじゅは根が子供のような部分があるからな。癇癪を起こされても困るし、ツバサの判断は正しい」

「何よそれ~。私は子供っぽくなんかないわ。どちらかと言うと……」

意味深にあんじゅがツバサを見つめる。

「悪かったわね。どうせ私は身長低いわよ。たまに中学生に間違えられるわ」

「悪くないわ。ただ最近小さいのもまた愛嬌があるなって思っただけ」

「小柄でありながらもA-RISEのリーダーというギャップが良いというファンも多い」

「英玲奈……それフォローというより追い討ちよ。ま、私はそこまで気にしてないからいいけど」

「ならいっかな。それじゃあ、お先に上がらせてもらうわね」

子供っぽく大きく手を振って部屋から出て行くあんじゅ。

「やはり何かあるようだな。先ほどはああ言ったが調べた方がいいのではないか?」

「大丈夫でしょう。スクールアイドルやってるのに『彼氏が出来ました』なんてことあんじゅでも言わないわ」

「……あんじゅであるから心配なのだけど」

「そんなこと言わないで。本気で心配になっちゃうじゃない」

「あんじゅなくしてはA-RISEの人気はない。本人にもその自覚を持って欲しいものだ」

「その辺は自由だからこそあんじゅの魅力なんじゃないかしら」

「そうだな。だが、化粧でも始めたら絶対にアウトだ。その時は責められようとも尾行をする」

「それは完全に男が出来たサインの可能性高いものね」

――レンタルショップ

「にこさん、こんにちは。待たせちゃったかしら?」

「いっ、いえ! 偶然ついさっきここに借りにきただけですから」

「うふふ。その割には……」

あんじゅの冷気に晒されていた手がにこの柔らかな頬に触れる。

その冷たさににこの体がビクンと揺れた。

「頬がこんなに温かいわね。ついさっきだとしたらおかしいんじゃないかしら?」

「にこは体温が高いからです」

「嘘吐きさんにはくにくにしちゃうわよ」

言い終わるや否や、にこの弾力あるほっぺたを優しく摘んでむにゅむにゅと弄ぶ。

「んぅっ、にこっ」

「きちんと手入れしてるのね。まるで赤ちゃんみたいなモチモチ肌で気持ちいいわ」

「~~っ!」

にこは二分ほどあんじゅのされるがままとなった……。

「本題に移りましょうか。にこさんが言い出してくれるの待ってたのだけど、携帯番号とアドレス交換しない?」

「いいんですかっ!?」

頬に当てられた手を思わず両手で包み込みながら、にこは最上の喜びとばかりに顔を蕩けさせる。

「良かったわ。言い出してくれないからそういうのはNGなの子なのかと思ってたわ」

「いいえっ! だって、あんじゅさんってUTXの、ううん、スクールアイドルの頂点に居る人じゃないですか」

「そんな人に連絡先を交換しようなんて恐れ多くて言い出せません」

「同い年なのだからそんなに畏まらなくて良いって言ってるでしょ? もっと砕けた口調の方が嬉しいわ」

「無理です」

「そっか~。にこさんは私の嫌がることをするのね。私を虐めて喜ぶ人間なのね。悲しいにこっ」

「――!」

半分からかいの言葉であったのだが、にこにとっては効果覿面。

赤かった顔が白くなり、目は落ち着きなく泳ぎ続ける。

「私のファンである前に、一人のお友達になってくれるなら砕けた口調で話して欲しいな~」

「それとも、そう望んでるのは私だけなのかしら?」

「にこにこ!」

「本当? だったらそうね、呼び方も《あんじゅ》か《あんじゅちゃん》って呼んでみて」

グイッと、顔を近づけて囁くようにあんじゅが告げる。

羞恥心と混乱が限界を突破し、ポロポロと小さな雫を頬に落としながら「あ、んじゅちゃん」と呟いた。

それを聞いたあんじゅは極上の微笑みを浮かべながら、自らのハンカチでにこの涙を拭う。

「ごめんなさいね。少し急だったのかもしれないわね。私、普通のお友達って初めてで」

「えっ?」

「遠巻きっていうのかしら? あくまで一歩引いた関係っていう感じだったの」

「ファンの子よりは少し近いけれど、でも他の人たちが言うお友達というのには遠い」

「だからずっと憧れていたの。今はA-RISEのツバサと英玲奈が居るけど、お友達とは少し違うでしょ?」

「あ、誤解しないでね。仲が悪いって訳ではないの。でも仲間とお友達って少しだけベクトルが違うと思うの」

「こういう面倒なことを考えるからお友達が出来ないのかしらね」

「そんなこと、ないです。私はあんじゅさんと友達になりたいです」

「あんじゅさん?」

「あ、あ、あ……あんじゅちゃん」

俯き小さな声のにこの頬を両手で包むと、強制的に上を向かせた。

身長差の都合で上目遣いの形になり、泣いたばかりでまだ潤んだ赤い瞳はあんじゅの心に響いた。

ドキッと高鳴る初めての感覚に、二呼吸分息をするのを忘れていた。

戸惑いながらも、それを誤魔化すように要求する。

「さぁ、もう一度私の名前を呼んでみて」

「にこぉ……あんじゅ、ちゃん」

「もう一度」

「あんじゅちゃん」

「大変良くできました」

あんじゅの花咲くような笑顔ににこの小さな胸が激しく鼓動する。

画面越しに見てきた数々のアイドルやスクールアイドル達。

それぞれに生まれた胸の鼓動よりも一番激しい鼓動。

もしも、二人がある経験をしたことがあったのなら、気付いたかもしれない。

いや、気付いたところで運命は変わることはない。

「さ、今日は何を借りようかしら。また手伝ってくれる?」

「はいっ」

「呼び方が慣れたら今度はその口調を直すから覚悟してね」

「……はい」

あんじゅの一言がくすぐったくもあり、恥ずかしくもある。

にこにとってあんじゅと居る時間は全てが初めてのように思える不思議な感覚。

夢の中で意識を持って動ける明晰夢に似た感覚と言えば分かり易い。

「もう直ぐだからクリスマス系の特集してるわね」

「そうですね」

「にこさんはクリスマスとか予定あるの? 私はライブがあるけど」

普段は夕方から始まるライブも、クリスマス特別ライブということで七時から九時半までとなっている。

「妹達の為にちょっと豪華なお夕飯を作ってケーキを食べます」

「微笑ましいわね。にこさんの作ったご飯、いつか食べてみたいわ」

思わず誘おうとして口を開いたにこだが、そこか出たのはあんじゅに気付かれないため息だけ。

UTX学院に通うお嬢様であるあんじゅをにこが住んでいる古っぽい家には招けない。

にこのその思考は今に始まったことではない。

小学生の時からずっと根付いてきた考えで、今更直ぐに変えるなんてことは出来ない。

何もにこは物語に出てくるような貧乏という訳ではない。

ただ、見栄を張れるような無駄遣いできる家庭ではないというだけ。

それでも、小さくコンプレックスになっている。

アイドルになりたいという夢も、年離れた妹の二人が気兼ねなく友達を家に招けるような暮らしをさせてあげたい。

少なからず無意識下ではそういう気持ちが含まれていた。

「お正月はやっぱり元旦の朝に神田明神とか行くの?」

懐に忍ばせていたクリスマスライブのチケットを出すことを諦め、次の話題に切り替えるあんじゅ。

「ううん。元旦だと朝でも人が多くて妹達が迷子になる可能性あるから、空いてる二日目くらいにいくつもりです」

「A-RISEの練習も三が日は休みなのよ」

「そうなんですか」

「だから、一緒にお参りに行ってみない?」

「にこと一緒にですか?」

「うふふ。他に誰も居ないでしょ」

「で、でも……いいんですか? にこなんかと一緒で」

「にこさんと一緒に行きたいの。お友達と初詣って夢だったの。妹さんと二日に行くなら元旦の朝どうかしら?」

「是非!」

「それじゃあ、約束ね」

「はいっ」

初めて交わした二人の約束。

これから先、数多くの約束を交わしていく第一歩。

二人で見詰め合い、はにかむように笑った。

――音ノ木坂学院 廊下

「にこっち」

「希。何か用?」

「最近なんか機嫌いいみたいだから、何かあったのかなって気になってね」

「何よそれ、まるで今までにこが不機嫌だったみたいに聞こえるじゃないの」

心にゆとりがある証拠でもある、気兼ねない笑顔。

今までのにこであれば、これくらい些細な言葉でさえ勘繰って怒りを露わにすることもあった。

それくらい音ノ木坂で生まれた初めてのスクールアイドルの結末が重く影響していた。

「機嫌が良いのはメンバーの候補が見つかったとか?」

「違うわよ。それに、にこはもうスクールアイドルはいいかなって思ってるの」

「え、何でなん? にこっちの夢は本物のアイドルになることやないの?」

「勿論その夢を諦めた訳じゃない。でも、本物が持つカリスマってどれくらいか知ってる?」

「傍に居るだけで胸を締め付けられるくらい緊張するのに、ずっと一緒に居たいと思えるくらい魅力的」

「残念ながらにこにそんなカリスマはない。あったら今も尚ライブをやっていられるもの」

「それって完全に諦めてるのと同じことじゃない」

「……諦めてはいない。でも、現実を見た」

あんじゅと過ごす時間はまだそんなに多くないけれど、にこにとって価値あるもの。

その影響力もまた、家族を除いて一番と言える程。

故に、無意識に諦める気持ちが侵食している。

皮肉なことに、長く居れば居るほどこの侵食は勢いを増し、夢を喰らうだろう。

「それにさー、もう二年の二学期も終わるって頃にさ、スクールアイドル再び始めても意味なんてないでしょ?」

「ウチはそうは思わない!」

「私だって本当はそんなこと思いたくないわよ!!」

「でも、しょうがないでしょ。私にはカリスマ性なんてない。仲間もファンも繋ぎ止められる魅力がない」

「……贋作は永遠に本物にはなれない」

搾り出すように口にしたにこの顔は、涙もないのに泣いていた。

「にこっちが贋作だなんて誰が決めたの? それってにこっち自身が勝手に決めただけでしょ!?」

「違うわよ。結果が全て物語ってるじゃない。私の話きちんと聞いてた?」

「一度駄目だったら贋作? そんなのおかしい。何度も挑んでこその人生じゃない。諦めるまで終わらないのが人生やん」

「今までのにこっちは不貞腐れても絶対に諦めるなんて気持ちなかった。それなのに……」

希の悲痛の言葉がにこの侵食されていない夢の部分を刺激する。

そして、気付いた。

諦めようとする一番の原因は練習時間によってあんじゅに会えなくなることを恐れているんだと。

出会って一ヶ月なのに、自分で思っていた以上に魅了されている事実に思わず笑った。

自分は優木あんじゅの初めての友達である。

そんな自分が今も努力しているあんじゅを言い訳に何もしないのは友達失格だ。

そして何より、目の前の自分を引き止めてくれた存在もまた、大切な友達であることを自覚させられた。

「カッコ悪いわね、私ってば。浮かれてたみたい。希のお陰で目が覚めたわ」

「にこっち!」

「私のやるべきことは何か。スクールアイドルとして頂点を目指し、アイドルになるという夢を叶えること」

それから、にこがあんじゅの友達であることに誇ってもらえるようにする為。

「まずは責任感があって、プロポーションがよくて、顔が良い生徒を勧誘して仲間にするわ」

「条件が大分厳しいけど、諦めないで頑張りなよ」

「……って、よく考えれば居るじゃない! 目の前にも、それから生徒会室にも!!」

にことあんじゅの出会い。

それは二人の運命だけでなく、その周りすら巻き込んで大きな絆を描いていく……。 つづく

――音ノ木坂学院 生徒会室

「言いたいことはそれだけ?」

話し始める前から氷の表情を全く崩さずにその一言だけを述べると、絵里は手元の資料に視線を戻した。

「あの、返事は?」

「返事? あのね、矢澤さん。見ての通り生徒会に入る生徒の数も減っていてそんな暇はないの」

今現在生徒会室に居るのも絵里と希と他一名のみ。

「そういうことは副会長である希が知ってる筈でしょ。どうしてそんな子を連れて来たのよ?」

「似ていたから、かな」

「誰に似てたかなんて知らないし興味もないけど、二学期中に終わらせる仕事が多く残ってるのだから」

「遊んでないで早く手伝って。それから貴女はもう邪魔になるから帰って」

一瞥することもなく、作業を続けながらもはや用件は済んだ事を一方的に告げてくる。

「待ってよ! 少しは考えてくれたっていいじゃないの!」

希と絵里という逸材を逃したら自分の希望は断たれる。

その直感から当然のようににこは食い下がる。

「理由を聞いてなかったの? それとも日本語が不自由なのかしら。英語かロシア語でもう一度言ってあげましょうか?」

「聞いてたけど、少しくらい考えてくれたっていいじゃない」

「全校生徒が不自由しないように生徒会は活動しているの。理解出来たかしら? そういうことだから、ハウス!」

絵里は顔を上げて軽蔑の眼差しのまま、まるで悪さした飼い犬に小屋に戻るように言う。

「あんた喧嘩売ってんの!?」

「私は貴女の遊びに付き合う暇はないって言ってるでしょ。仕事の邪魔だから早く帰りなさい」

「邪魔って、お願いしに来ただけじゃない」

「それが邪魔だって言ってるの。もう一度言うわよ。生徒会はね、全生徒の為に活動しているの」

「貴女一人に割く時間なんて微塵もないのよ。理解出来たなら退出して頂戴。Прощайте. 」

「エリち言い過ぎだよ。それに、にこっちだって全校生徒の内の一人じゃない」

「希、屁理屈言わないで。一人ひとりに対して裂ける時間なんてないわよ」

苦笑いと呆れの半々の表情で返答しながら、絵里はため息を吐く。

「忙しくて少し苛立っていたわ。矢澤さん、だったかしら? 悪いんだけど本当に時間がないの。だからもう帰って」

「忙しいなら私も手伝うわ」

「部外者に見せられない資料と見せてもいい資料。それを分ける時間があったら作業を進めた方が早いの」

「矢澤さんが出来ることは何もないわ。強いて言うなら諦めて」

諦めるという言葉がにこの胸を抉る。

また、あの時のように諦める?

今までみたいに誰も居ない部室で一人を過ごす?

にこの胸に込み上げる想いは一つ。

「諦めるのはもう嫌よ! 私は輝きたいの! スクールアイドルをやりたいの!」

あんじゅとの出逢いによって完全に蘇った情熱。

それは、バレエを諦めた絵里には酷く残酷で、何よりも滑稽に映る。

「子供の駄々じゃないんだから。何かを望むのなら、それに見合った礼節を学ぶべきよ」

「でなければ貴女の言葉には自分自身にしか価値は生まれないわ」

冷酷なまでの絵里の正論に、にこは拳を握りながら悔しさに下を向く。

「ウチはそうは思わない。まずは行動することで開ける道だってあるんよ」

「どうして希は生徒会じゃなくてその子を擁護するのよ」

「エリちは知らなかった? ウチはね、諦めない心を持つ子の味方なんだよ」

「取り敢えず、エリちにもにこっちにも冷静になる時間は必要だろうから、今日はこの辺にしておこう」

「悪いんだけどにこっち。今日は帰ってもらえるかな。今日の返事はまた明日ってことで」

「そうね。希、生徒会の仕事を邪魔して悪かったわ。絢瀬……ごめんなさい。少し、焦ってたみたい」

突然相手が素直になってきたことで、絵里は個人的な感情で苛立っていたことを自覚した。

気まずさから視線を資料に戻しながら、

「До завтра. 」

先ほど使った物と似て非なる意味合いを持つロシア語で返す。

大人気ないと思いながらも、今の絵里にはこう返すのが精一杯だった……。

――にこの部屋

妹二人を寝かしつかせ、自室の布団の上に座って携帯電話でメールを打ち込む。

送信ボタンを押してから布団に上半身を倒して力尽きる。

メールを送った相手は優木あんじゅ。

いつもはあんじゅからのメールを喜んで返信するだけだったが、今日は初めて自分からメールを送った。

精神的に疲れていたこともあるし、テンションが上がって思わず暴走してしまった結果を待つ恐怖を紛らわせる為。

自業自得であるのだけど、やってしまった感が強くて、あんじゅに肯定してもらいたかった。

あんじゅが応援してくれるなら、今度は一人でもスクールアイドルを名乗れる気がする。

それは決して強さではなく、もう一度仲間を失う可能性がなくなることへの逃げ。

例えどんなに冷たい言葉を吐かれても、退部届けの痛みに比べればマシ。

「……あの女、ムカつく」

が、腹が立たないという訳ではない。にこの沸点はとても低い。

だけど、そんな気持ちも携帯電話が奏でるA-RISEの歌で一気に吹き飛ぶ。

メールではなく着信を報せる画面に胸が高鳴りながら、人差し指をピンと立てて通話ボタンを押した。

『にこさん、こんばんは。今お時間大丈夫かしら?』

「はっはいっ! 大丈夫ですっ」

電話越しで聞く初めてのあんじゅの声は、普段聞く甘さ控えめで大人びて聞こえた。

あんじゅと会話することに慣れ始めていたにこを緊張させるには十分な威力。

『うふふ。可愛い声が裏返ってるわよ』

指摘されたことによる羞恥に、声鳴き声を上げて固まるにこ。

その反応が面白くて屈託なく笑うあんじゅ。

通話を始めて三分を過ぎて漸く普通の会話になった。

『メール読んだわ。スクールアイドルを始めるんですって?』

その言葉に緊張は嘘のように引き、一度解散させてしまったことを言うべきか迷った。

音ノ木坂学院内での小さな出来事であり、未だにそんな些細なことを覚えている人は極僅か。

下手をすれば元メンバーと希くらいかもしれない。

だから告げる必要はない。

それでも、にこは素直に一年生の時の話をあんじゅに語った。

「……あ、長々とすいません」

『謝る必要なんてないわ。にこさんのことを知れて嬉しかったもの』

『音ノ木坂で、しかも一年生でスクールアイドルを始める。その行動力は素晴らしいし、誇るべき過去だと思うわ』

『結果が大切なモノであることを否定は出来ないけれど、その過程があるからこそ人は成長出来る』

『寧ろ心って失敗した時の方が大きく揺れ動くから成長の糧に出来ると思うの』

『もう一度挑戦しようと思うにこさんの想い。私は誰よりも尊重したい』

「……あんじゅさん」

『あんじゅさん?』

「あ、あんじゅちゃん」

『うふふ、よろしい。それで生徒会長を攻略しないといけないのね』

「はい。なんとか説得できればって思ってます」

『今の状態で私が手伝ってあげられることはないけど、応援はしてるからね』

「ありがとうございます」

応援してくれるという事実がにこの胸を優しく包み込む。

『生徒会長をメンバーにすれば副会長も仲間になるのよね?』

「恐らくなってくれると思います」

『だったらどうあっても生徒会長をメンバーに引き入れたいわね。三人になればA-RISEと同じになるわ』

『そうなれば練習メニューについてアドバイス出来るし、にこさんと二人で内緒の練習も出来ちゃうわよ』

「ひみつのれんしゅ!?」

『うふふっ。スクールアイドル同士だからこそ出来ることよね。私楽しみにしてるわ』

それから暫く、スクールアイドル関係の話をして電話を終えた。

緩みきった顔をして一時間程布団の上をゴロゴロと転がっていた。

嬉しい気持ちが溢れすぎて、途中涙が出るくらい。

「泣いてる場合じゃないわ。まだスタート地点にも立ってない。一年前より後退してるんだから」

ラブライブなんて大それたことは目標にしない。

もう一度メンバーを集めてライブをする。

他のスクールアイドルにとっては普通のことだけど、今のにこにとっては物凄く遠く、そして難しい目標。

それでも、やる気だけはあの頃のように満タンに戻っていた。

――放課後 生徒会室

放課後になると希に連れられて再び生徒会室にやってきたにこ。

昨日と同じ位置に居るのは生徒会長である絢瀬絵里。

「矢澤さんの意見は昨日と同じなの?」

挨拶もなしに投げかけられた質問。

「ええ、当然でしょ。私はスクールアイドルをやりたい。その気持ちは揺るがない」

「人を巻き込むことに躊躇しないと社会に出てから困るわよ」

「そうかもね」

「自覚しても省みないっていうのが一番性質が悪いわね」

呆れたようにわざとらしく溜め息を吐く絵里に多少イラッとするものの、昨日のあんじゅの言葉を思い出して耐える。

「ま、いいわ。こうして話をしているだけでも無駄な時間だものね。本題に移るわ」

一々癇に障る発言に頬を多少痙攣させながらも拳を握り締めて我慢。

「条件付で貴女の練習を見るのなら受け持ってもいいわ」

「え、練習を見るだけ?」

「文句があるのなら帰ってもらっていいわ。私はそんな時間を割くのすら嫌なんだから」

「希がどうしてもって言うから受けてあげようと思っただけよ」

一切の反論を聞く気はないとその態度からも断言する。

一気に勧誘は無謀と考え、にこはまずは納得することにした。

「それで条件っていうのは何よ?」

「一言でも弱音を吐くこと。その時点で私は今後一切貴女の遊びに付き合わない」

「遊びじゃないわ!」

「価値観を押し付けるのは構わないけど、それが出来る立場なの?」

グッと言葉が詰まる。ここで感情的に反論するのは簡単だ。

だけどそれは昨日の二の舞にしかならない。

正確には完全に交渉決裂になり、昨日の今日であんじゅに対して無理だったと連絡することになる。

昨日の自分とは違う。自分のプライドより大切にしたい想いがある。

にこは怒りを飲み込み、逆に絵里に対して頭を下げた。

「よろしくお願いします!」

「……そ。分かったわ。弱音を一言でもって言うのを忘れないでね。それ以降私に関わらないでね」

これが後にスクールアイドルの頂点であるA-RISEと並ぶ知名度を誇ることになるμ'sの産声だった……。

――木曜日 レンタルショップ

「うふふ。随分とお疲れ様みたいね」

「練習辛いにこぉ~」

「ブランクがあるなら仕方がないわ。練習メニューだってこっちの先生に見せたらきちんと考えられてるって言ってた」

「だから練習の辛さを乗り越えることが出来れば、それはそのままにこさんの力になる」

「はい。絶対に絢瀬の前では弱音を吐きません」

「ええ、だから私の前では弱音を吐いてくれていいからね」

スクールアイドルを始めることを告げて初めて会ったあんじゅは、満面の笑みで嬉しさを隠しきれて居ない。

伊達眼鏡越しでもその瞳の輝きは一切の曇りを見せない。

「そうだ、にこさん。マッサージしてあげましょうか?」

「えぇっ!? そんな、あんじゅさんに――」
「――あんじゅさん?」

グイッと顔を近づけて目を細めて抗議するあんじゅ。

「あんじゅ、ちゃん」

「ええ」

にこの訂正に元のにっこり笑顔に戻す。早くもお約束となりつつあるやり取り。

「あんじゅちゃんにマッサージなんて恐れ多い」

「大げさよ。上手いかどうかすら分からないのにそんな反応するなんて」

「だってスクールアイドルの頂点のあんじゅちゃんだから」

「A-RISEのあんじゅは眼鏡なんて掛けてないわよ。今にこさんの目の前に居るのはただ普通の女の子のあんじゅ」

最後にウインクをされてにこの頬が徐々に熱帯びていく。

そんなにこの頬をにあんじゅの両手が伸び、くにくにと揉み始める。

「にこぉっ!?」

「うふふっ。にこさんのほっぺたをマッサージにこ~」

「にっ、にっ、にぅ!」

小さく変な声を上げながらもされるがままになるにこ。

「私って暇があると無限ぷちぷちを永遠とぷちぷちする趣味があるんだけど、にこさんのほっぺは極上ね」

「ずっとこうしてぷにぷにって弄ってたいわ」

「にっ、にっ、にぃ~」

そんなことされたら恥ずかしさの余り死んでしまう。

半ば本気で思うにこを他所に、あんじゅはお気に入りのお人形を掴んで話さない子供のようになっている。

暫くして……。

「生徒会長を仲間に出来たら私の家でお祝いしましょう」

とても心残りありそうににこのほっぺたから手を離してからあんじゅが提案する。

「お祝いだなんて」

「私がしたいの。迷惑かしら?」

「迷惑なんて全然絶対ありえません!」

「だったら是非招待させて。料理は出来ないから何か出前になっちゃうけど」

「りょ、料理なら……その、庶民染みたものでよければにこが作りましょうか?」

その言葉を聞いてあんじゅが眼鏡を外して近距離まで顔を近づけた。

「だったらリクエストしてもいい?」

「は、はいっ」

「家庭によって味が一番変わるお味噌汁とカレーライスが食べたいわ」

「カレーとお味噌汁ですか? あの、二つはちょっと組み合わせがよろしくないと思うんですけど」

少なくともにこの耳には二つを同時に食べるなんて話をテレビやネットを含めて聞いたことがなかった。

「そうね、だったら泊まりにきて。夕食にカレー。朝はお味噌汁と他の物にすればいいんじゃないかしら?」

「あんじゅちゃんのお家ににこがお泊り」

「お祝いするって承諾貰ったから強制ね。そうだ、これからパジャマ買いに行きましょう」

「へっ?」

「にこさんに似合うパジャマをプレゼントするわ。これも拒否権がないわ、行きましょう」

自然の流れで手を繋がれてされるがままに歩き出す。

「パジャマを買うんだから何が何でも頑張ってスクールアイドルをやらなきゃ駄目よ?」

「あっ」

これは優木あんじゅ流の最大の応援なのだと気付き、涙が込み上げたけど、繋いだ手の温もりが押し留めてくれた。

今は泣く場面じゃない。

「ありがとうにこ!」

今日一番の最高の笑顔を浮かべてお礼を言った……。 つづく

――UTX学院

「今日のライブもバッチリだったわね」

「ああ。完璧とは正にこういう時に使うものだ」

「次の新曲もこの調子でいきたいわね」

ウィークデイライブを満足いく形で終えた三人は楽屋に似た専用の部屋で体を休める。

休めながらも、風邪をひかない為に汗を拭って素早く着替えることが求められる。

小柄で素早いツバサと無駄が無い動きを見せる英玲奈は行動が早い。

マイペースであるあんじゅは二人よりのんびりと着替えをする。

「今月もあんじゅのお気に入りから花が届いているな」

「どれどれ。今回のメッセージは……いつもと違うわね」

「意味を掴み取ることが出来ないが、この文に宿る想いは伝わってくる」

あんじゅはペースを上げて着替えて二人が見ているメッセージカードを覗き込んだ。

『A-RISEが歩んだ道を一歩ずつ踏みしめて』

「どういう意味なのかしら?」

いつも面白みがないくらいに分かり易い一文なのに、今回だけは違っている。

そこに深い意味があるのか、それとも突然ポエムに目覚めたのか。

小さな花束といつもと同じメッセージカード。

文字も同じなので別人ということはまずない。

「探偵小説やミステリ小説と違い、現実は謎ばかり積もる」

「直接訊きたくても相手が分からないんじゃお手上げだものね」

「こうなると来月のメッセージが今回のような謎掛けなのか、今までのような応援なのかが気になるところ」

「来月が待ち遠しいわね」

英玲奈とツバサが盛り上がる中、あんじゅだけが何度も書かれたメッセージを読み返す。

型のないパズルを解こうとしても無理だと分かっていても、僅かでもここに書かれた想いを汲み取りたかった。

『練習辛いにこぉ~』

何故か昨日の疲れきったにこの表情を思い出し、愛おしむようにその一文を撫でた。

皆が色んな形で努力している。

輝ける場所が限られていたとしても、それでも努力している。

スクールアイドルという限られた時間の中で、このメッセージの子も自分達や矢澤にこのように努力している。

不思議とそんな感じがして、ライブでの達成感とは別の喜びが込み上げてきた。

「ラブライブよりもっと広いステージがあればいいのにね」

あんじゅの口から思わず零れた言葉。

「広いステージとはそのまま面積の意味だろうか?」

「ううん、そうじゃなくて。もっと多くのスクールアイドルが参加出来るような大会って意味」

「難しいでしょうね。一グループに割く時間が短くとも四分でしょ? 数を増せば増すほど時間が掛かる訳だし」

「それは分かってるんだけど、でも……」

「スクールと名が付くがアイドルだ。競争社会の代表と言ってもいい過酷な職業。そこに甘えなんて許されない」

「だからこそ、私達はラブライブという最高の舞台に向けて努力し続けることが出来る。そうでしょ?」

今まであんじゅだって二人と同じ考えを持っていたし、そこに疑問を抱くことなんてなかった。

一人の少女に出逢い、その子がスクールアイドルで挫折を経験し、再び努力を始めた。

そのことが今まで自分の中になかった新しい考え方を生んだ。

元々《スクールアイドル》に拘りがなかったあんじゅに変化が訪れた証し。

「競争は確かに発展を生み出すけど、代わりに確執を生む可能性も高いし、学校により強弱が明確になりそう」

「今更何を言っている? スクールアイドルとして輝きたいというのならここに入ればいい」

「そもそも、あんじゅだってその為にUTX学院に入学したんでしょ?」

正鵠を射た言葉にあんじゅは押し黙る。

学校によりスクールアイドルをする為の設備の差は大きいし、場合によってはスクールアイドル自体がないこともある。

音ノ木坂学院がその代表例であり、矢澤にこが立ち上げて直ぐに居場所を失ったのもそれが原因でもある。

下地が何もない状態で周りに認められ、ファンに認められていくということがどれ程大変な道のりなのか。

全てが追い風であるUTX学院に入学したあんじゅには想像もつかない。

毎週当然のようにライブを行えることのありがたみ。

今年に入ってからまだライブを行なえていない、もしくは既に解散してしまったスクールアイドルはどれ程いるのか。

「……」

手を差し伸べたいと思うこの気持ちすら、強者が持つ余裕なのかもしれない。

現状で何もすることが出来ないことが、あんじゅの心を苛立たせた……。

――音ノ木坂学院 屋上

体育館もグラウンドも運動部が使用している為、屋上で練習をすることになって早一週間。

三日も持たずに根を上げるだろうと考えていた絵里を裏切り、にこは文句すら言わずに耐え続けた。

練習が終わる頃には足を震わせながら、それでもお礼を言って頭を下げてくる。

そんな努力をしたところで無駄なのに!

矢澤にこを見ていると、過去の自分と重なる。

その愚かさに腸が煮えくり返るような怒りと、口内に苦い胃液が溢れる。

「五分休憩」

「は、……はい」

その場で崩れ落ちるにこに、生徒会長としての義務感で脇に置いてあるタオルと水を渡す。

校内で生徒が倒れるなんてことがあってはいけないから。

そこにはにこ個人に対する心配なんて微塵も含まれていない。

それなのに「ありがとう」とお礼を言うにこが苛立たしい。

希がこんな子を連れてこなければと、そこまで考えると思考を止めて熱くなっていた頭をクールダウンさせる。

心の中とはいえ、入学以来自分を支えてくれる大切な友達を悪く言える絵里ではない。

「今日もきちんと練習してるね~」

ピリピリとした絵里を察してか、後ろから掛けられた声は少し間延びしたリラックス効果を生む喋り方。

「何よ、その格好?」

振り返った絵里が見た希の姿は、制服姿ではない。

まるでこれから軽く運動でもするような服装。

「生徒会の仕事も一段落したからね、今日からウチも練習に参加しようと思って」

「な、に……何言ってるのよ!?」

突然の事に言葉が詰まり、一間置いてから言い直した。

「何って、エリちは忘れちゃったの?」

「忘れたって何を?」

「にこっちに勧誘されたのはエリちだけじゃなくて、ウチも誘われてたってこと」

言われてから思い出す、というより絵里は生徒会の仕事があるから返事をすることなく希が断っていたと勘違いしていた。

実際は一段落するまで生徒会に専念し、それからスクールアイドルとしての活動に参加するつもりだったと。

思考が追いついてから絵里は言葉も出せずに当惑した。

どうして希がそんな《無駄》なことをするのか想像がつかなかったから。

「にこっち、遅れてごめんね。今日から精一杯頑張るから」

「誘っておいてなんだけど、相当に厳しいわよ?」

「境内の掃除がどれくらい大変か体験したことないから言えるんよ。雑巾掛けだって巫女さんの仕事やし」

にこを労う慈悲に満ちた希の表情。

それは絵里の大好きな祖母の浮かべるソレに似ており、嫌でも思い出されるのがバレエコンクールの結果。

何度出ても優勝に届かず、悔し涙の中で頭を撫でられながら優しい言葉を掛けられた。

だけど、その優しさが大きければ大きい程、その優しさに報いることの出来ない結果が苦しくて、悔しくて……。

結局はバレエから逃げ出すことしか出来なかった。

どれだけ努力を続けても、結果を残せないことには大切な人を笑顔にすることなんて出来ない。

誰よりも自分を笑顔にすることなんて出来ない。

輝かせることなんて絶対に無理。

時に人は諦めることで無駄な時間を省くことが出来る。

有限な人生の中で無意味になる時間を使うのは無駄でしかない。

なのに、どうして?

「ねぇ、矢澤さん」

「何よ?」

「どうしてそんなに頑張れるの? 努力したって一番になれる保障なんてどこにもないのよ?」

「一番になれないことなんて私自身が誰よりも理解してるわ」

想像していなかった返答に絵里の想いが爆発する。

「だったらどうして努力しようとするのよ!? そんなの虚しいだけじゃない!」

「どれだけ自分を磨き上げたって、あっさりと自分を越える人間がいる。頑張るだけ無駄じゃない!」

にこは突然の激情に目を丸くしたが、疲れた顔に不敵さを表して絵里に告げる。

「今から努力したって無駄かもしれない。だって今まで努力してきた人が今も私より努力してるんだから」

「それに生まれ持った物が違う。一番どころか、多くの人に対して横に並ぶことすら永遠に出来ないと思う」

「それでもいいの。だって、努力し続けることが出来れば私という存在を遠い場所に居るけど誇ってもらえるかもしれない」

「諦めてしまうことは誰にでも出来ても、努力し続けることは選ばれた人にしか出来ないんだから」

「私は一度諦めたけど、でも二度と諦めない。私の憧れている人に私のことを誇って欲しいから」

「私が頑張るのはアイドルとしては失格ね。ファンの為じゃなくて自分の為に努力するんだから」

「だけど、今はそれだけで十分。今を頑張れない人間を応援してくれる人なんて居ないから」

堂々とした笑顔に絵里が一歩だけ身を引いた。

あの日、諦めてしまう前にその考えに至っていたら、今でもバレエを続けていただろう。

絵里にとって自分を誇って欲しい人物が少なくとも四人居る。

祖母と妹と両親。

大好きな人達に誇ってもらいたいという想いがあれば、例え優勝出来なくても続けられた。

ふとした瞬間に考えてしまった優勝出来ていたらというIFは、目の前の少女の言葉によって霧散した。

そんな非生産的な思考を持つよりも、未来に向かった思考を持つべきだった。

でも、今更手遅れ……。

「エリち。もう一度言うね。ウチは諦めない心を持つ子の味方なんだよ」

まるで自分の心を見透かすように告げる親友の言葉に、絵里は泣き出してしまいそうで素早く背を向けた。

手を目元に上げれば溢れそうな涙を拭っているんだとバレてしまうから、両手は腰に当てて言った。

「矢澤さん」

「何よ」

「誰かが誇ってくれる存在になれると思っているの?」

「正直自信はないわ。だって、一人になって私は諦めてしまったから」

あまりにも正直な言葉に、涙が零れ落ちてしまった。

「でも、今は大丈夫だって信じてる。だって、今は希が居る。それでもって、絢瀬も居るから」

「正直ムカつく女だって今も思ってる。だけど練習メニューはきちんと考えてくれてて感謝してる」

「私のこと嫌いなのに手を抜かないでくれるところは尊敬すらしてる。すっごいムカつく女だと思ってるけど」

本当に正直すぎて、絵里は涙声混じりに笑ってしまった。

「エリちは素直になれないだけで、本当はすっごく優しい子なんだよ」

「でしょうね。私が絢瀬の立場だったら絶対に嫌がらせのメニュー作ってるもの」

「とか言って~にこっちだって同じように優しいやん」

「はぁ? このにこにーは敵には容赦しないプロフェッショナルガールなんだからね!」

ポロポロと零れ落ちる涙なんておかまいなしの背中からの声に、我慢出来ずに両手で涙を拭った。

「今でも矢澤さんは私もスクールアイドルのメンバーにしようと思ってるの?」

「当然でしょ。性格はともかく、私がいくら望んだって手に入れられない物をあんたは持ってるんだから」

それは私も同じよ。だって、貴女は私だけじゃ決して手に入れられなかった答えを生み出せる強さがあるじゃない。

悔しいから決して口に出すことなく、絵里の心の中で生まれて消えたにこへの言葉。

「仕方ないから条件一つでスクールアイドルになってあげる」

「本当!?」

「ええ、生徒会長は安易に嘘なんて吐かないわ。信用がなくなるからね」

「なんて言いながら、エリちは直ぐに自分に嘘吐くから鵜呑みにしたら駄目だよ」

希の茶々に反論したくもあったが、真を捉えた言葉に反論するのは子供っぽいので止めておいた。

「それで、条件って何よ?」

「私のことは絢瀬ではなく、絵里って呼びなさい」

「だったら私のことも矢澤さんではなくにこって呼ぶことね、絵里」

「分かったわ。矢澤さん」

「なんでよ!!」

「ね、言ったでしょ。エリちは素直じゃないって」

音ノ木坂学院に再びスクールアイドルが生まれた日。

三人の賑やかな笑い声が青空に響き渡った……。

――にこの部屋

『おめでとう、にこさん』

「ありがとうございます」

緊張ばかりのにこであるが、今日は胸を張ってあんじゅと会話出来ている。

それもその筈、見事にメンバー二人を獲得出来たのだから。

「でも、本当に大変なのはこれからですから」

『そうね。だけど、一番苦しいところは通り過ぎたじゃない。これからは大変をメンバーと分かち合うことが出来る』

「はい。全部あんじゅちゃんのお陰――」
『――はい、ストップ』

思わず「ぅえっ?」と間抜けな声を漏らしてしまった。

いつもと違ってきちんとちゃん付けで呼べていた筈なのに。

『努力して弱音を吐かなかったのも、二人の心を動かしたのもにこさん自身』

『私がしたのはにこさんのほっぺたをマッサージしただけ。自分の成果を人のお陰にしたら駄目よ』

「~~っ!」

あんじゅの言葉に、にこは空いてる左手で熱帯びてきた左の頬を撫でた。

『努力に対して正当な報酬を自分の心に上げないと不貞腐れちゃうんだから』

「は、はい」

『罰として次に会うときはまたマッサージするからね』

「にこぉっ!?」

『うふふ。私のお陰って言ったのだから拒否権はありません』

にこは前回のことを完全に思い出して頬の体温が更に上がった気がした。

『というか、条件を満たしたのだから今度の金曜日に私の家に泊まりきてね』

「あれって本気だったんですかっ!?」

パジャマだけを買うのかと思ったら、換えの下着や部屋着まで買ってもらった。

当然にこは全力で拒否したのだけど、あの手この手とあんじゅに攻められて選ばされた。

『歯磨きも買ってあるから安心してね』

「……はぃ」

妙な恥ずかしさに声が小さくなる。

『私ね、にこさんに逢って夢を見つけた気がするの』

「夢、ですか?」

『ええ。いつかその夢をにこさんと一緒に叶えてみたい。スクールアイドルだから出来る夢を』

どんな夢なのか訊きたかったけど、今は答えてくれないような気がしてそのまま黙った。

『うちの家の地下室には小さなステージがあるからそこで練習も出来るのよ』

「地下室!? しかもステージが!」

『普通のカラオケも出来るから、初めてのお泊りだし今回は点数対決で遊びましょうか』

この後一時間ほど他愛のないお喋りをして電話を切った。

その日のにこの寝顔はだらしのない笑顔を浮かべていた……。



「あれ? あの人達何をしてるんだろう?」

「踊りみたいだね。ダンス部なんてあったかな?」

「なんか面白そう! 声掛けてみようよ」

「ちょっと、穂乃果!」 つづく

――昼休み 生徒会室

「弓道部に続いてロボット部も廃部、か。やはり生徒数が少ないとやる気にも直結するってことね」

「それもあるけど、もうこの時期は三年生が完全に退部するからね」

「そうね。生徒数がまだ多かった三年生が抜けると数も少なくなって、続ける意思が希薄になってしまうのも仕方ないか」

「でも、私みたいに再び部の再建に乗り出す人だって出てくるかもしれないじゃない」

お弁当を食べながらも書類を読んでいた絵里と希に対し、ただ食すだけのにこが言う。

「そういうのは稀よ。というか、どうしてわざわざ生徒会室でお弁当食べてるの?」

「別にいいじゃない。スクールアイドル仲間でしょ」

もう二度と誰かとアイドル活動をすることはないのだろうと諦め、他の部の仲良しそうな光景を羨んでいたにこ。

一緒にお弁当を食べるだけの今ですら、夢の中に居るように嬉しい。

「そうだよ、エリち。仲間なんだから一緒にお昼食べるのは当然のことだよ」

「そういうものなのね。部活をすることになるなんて思ってなかったから、そういう部分の知識がないのよ」

書類を一旦横に置き、にこのお弁当を見るとそこには実に美味しそうな厚焼きたまご。

「随分と美味しそうな厚焼きたまごね。一口くれないかしら?」

「甘いわね。こういう時はおかず交換がお約束なのよ、おかず交換が!」

言ってみたい台詞なので二度繰り返すにこ。無駄に立ち上がり小さい胸を張る。

「おかず交換?」

「あんた知らないの? フランスにはない文化なのかしら?」

「ロシアよ」

「どっちでもいいわ。おかず交換っていうのはこうやるのよ」

年離れた妹が居るお姉ちゃんであるにこは、意外と人に物を教えるという行為が好きだったりする。

「希、おかず交換しましょう。にこはこのミニ豆腐ハンバーグを進呈するわ」

「ありがとう。じゃあ、ウチはこれ。お米が美味しいんよ」

「わぁ~ありがとう、希。白いお米が光っておいしって! トレードがおかしいでしょうが! なんでご飯なのよ!!」

「くすっ。冗談やんか。お肉の野菜巻きあげるから」

「当然よ! って感じにおかず交換するのよ」

「つまり相手を挑発して頭に血を上らせて冷静さを失わせて、如何に安い物でトレードを成立させるかってことね?」

真顔で理解の色を示す絵里。時に賢すぎる知性は深読みし過ぎて天然と思われることがある。

「全然違うわよ。希が変なことするから絵里が勘違いしてるじゃない」

「それはそれで面白いけど」

「そんな殺伐としたおかず交換なんて嫌過ぎよ。胃痛になるわ! 胃が弱い系アイドルって誰得よ!」

「簡単に言えば相手に何々が欲しいんだけどウチのおかずで食べたいのある? みたいにすれば良いんだよ」

「なるほどね」

「ってスルー!?」

「アイドルで思い出したんだけど、にこの以前やってた時はなんてグループ名だったの?」

絵里の言葉にアゲアゲだったにこのテンションが一気に低下する。

「あんた……訊き難いことをあっさりと訊くのね」

「過去は変えられないわ。それなのに無駄に引きずったって仕方ないでしょ?」

それを教えてくれたのはにこ、貴女じゃないの。

と、思いながらも口にすれば調子に乗るので、絵里の心の中で消えていく。

「……一年の頃に三人で組んでた時はSMILEってグループ名だったわ」

笑顔の花咲くアイドルグループにしよう!

そう言って笑い合った始まりは、その後直ぐに訪れる終わりなんて感じさせなかった。

でも、実際は呆気ないほどあっさりと終わりを告げられた。

時々退部届けだけが夢の中に出てきてにこを苦しめる。

「SMILE? なんの捻りもないわね」

「分かり易い方が覚え易くていいでしょ!」

「もう少し捻った方がいいんじゃない? にこのほら、あのポーズあるでしょ」

言いながら絵里が箸を置いてにこにーポーズを作る。

「にっこにっこにーを数字にすると252521。最後の1は省いても問題ないわね」

「この数字をポーカーにするとフルハウスになるわ。SMILEよりフルハウスの方がお洒落でしょ」

「…………あれ? なんかこの流れをどこかでみた覚えがあるんだけど、気のせいかしら」

「予知夢だとしたらスピリチュアルだね」

気を取り直して絵里の言葉に反論する。

「話を戻すけど、ポーカーってギャンブルでしょ? アイドルにとっては対極の存在よ」

その言葉を待っていたというように絵里が頷く。

「でもね、フルハウスって言葉は他にも意味があるのよ」

「他にも意味が?」

「ええ。《満員の会場》これこそ正にアイドルに相応しい言葉でしょ」

「フルハウスにそんな深い意味があったなんて……。じゃあ私達のグループ名はフルハウスにしましょう!」

これしかないというように輝かしい笑顔と共に宣言する。

「え、嫌よ。にっこにっこにーとも掛けてるからにこのワンマングループみたいじゃない」

「えぇっ!?」

「ふふふっ。エリちは時々恐ろしいくらいに天然だね」

漫才のようなやり取りに希が堪えきれずに笑った。

「グループ名は各自で色々と考えてから決めましょうか。今は練習メインで発表の場なんてないんだし」

「正論だけど何か納得いかないわね」

「急いてはことを仕損じるっていうし、焦らずにいこうよ。そうすれば運命が向こうからやってくるかもだし」

「運命ねぇ」

胡散臭い言葉だと思うにこだったが、あんじゅのことを思い出して妙に恥ずかしい気持ちになった。

「そ、そうね。運命は大事だもの」

「ほほぉ。なんだか意味深な反応だね」

「意中の王子様でもいるのかしら?」

「そんなの居ないわよ。アイドルの心の中に男なんて居たらファンを裏切る行為だわ!」

不覚にも絵里はにこに見惚れてしまいそうになり、首を振って冷静になった。

「これは私達が生まれる前。昭和の時代から続くアイドルの唯一絶対の掟なのよ」

「だから希と絵里には悪いけど、スクールアイドルを引退するその日まで恋愛は御法度よ」

「別にウチはええよ。異性を好きになるという経験自体ないし」

「私も構わないわ。というか、自分が恋愛するっていうのが想像出来ないし」

二人の頼もしい返事に胸を撫で下ろす。

「スクールアイドルになるべくして選ばれたって感じね。燃えてきたにこ!」

「大体一年もない活動の中で何を成すのか。その辺の目標みたいなものってあるの?」

「そうね……」

目標と言われて思い浮かべたのはにこが尊敬するA-RISEのような大勢のファンと一体感を生む最高のライブ。

でも、きちんと現実を知っている。

「観客が一人でもいいわ。ライブをやりたいの。私達がスクールアイドルをした証明のライブ」

自分一人の魅力ではたった一人として引き止めることが叶わなかった。

そんな思いをしない為にも一度だけでいい。ライブをやりたい。観客は口にした通り一人だけでも構わない。

あの日の言葉に出来ない過去を塗り替えたいという切実な願望。

「にこっちってばリーダーなのに随分と弱気だね?」

「講堂を満員にするとか生徒数と席数が矛盾した発言をされても困るけど、そんな弱気の方がより困るわ」

「私と希っていう生徒会のツートップを引き込んだ責任は取ってもらわないと」

口元を緩めてからかうような言葉が、にこの臆病に犯される心を掬い上げる。

「じゃあ、来年の学園祭で一クラス分である三十人を集めるっていうのはどう?」

「規模が一気に三十倍になったわね。スクールアイドルのライブとしてはどうなの?」

「雑誌に載るような凄いスクールアイドルと違って、普通に楽しむ為にするならそれくらいで上等の部類よ」

「じゃあウチはその倍は入るように努力しようかな」

自己アピールの激しい胸と違ってどちらかというと一歩引いた控えめである希。

そんな希らしからぬ大胆な発言に絵里が目を見開いて驚いた。

「目標は大きく持ってこそ夢に繋がる。ウチは三人で同じ夢を共有したいんよ」

希の希望に満ちた笑顔。

不貞腐れて周りとの距離が開いて尚、そんなの関係なしに話かけてくれた希。

にこはこの笑顔に何度も救われてきていたことを実感した。

人との距離を置くことで自分のすべきことだけを行い、目標を達成する。

そんな凍りついた心を溶かしてくれたのはこの笑顔だったと絵里は微笑む。

「このラブリーにこにーと同じ夢をみるってなると六十人なんかじゃ収まりきらないわ。分かってんのぉ~?」

「そうね。このエリーチカと同じ夢を持つってことは最高の結果を目指すってことよ」

「ふふふ。これは限界の向こう側に行く気持ちじゃないと駄目っぽいね」

「絶対に夢を諦めさせたりさせない。スクールアイドルは夢を叶える存在なんだから!」

「ふふっ、スクールアイドルの癖に諦めたにこが言っても説得力がないわね」

「あ~確かに!」

「うっさいわね! 二度と諦めないって言ってるでしょ。本気モードのにこは凄いなんだから!」

三人で笑い合う楽しい時間。希の持っているタロットカードが少し熱帯びる。

それはまるで、太陽のような少女との出逢いを暗示しているかのように……。

――約束の日 レンタルショップ

「お待たせしちゃったかしら?」

「いえっ! 本当にさっき来たところです」

それを確かめるようにあんじゅの手がにこのほっぺたを包む。

「ひゃ!」

「いつかと違って本当みたいね。じゃあ、マッサージして暖めてあげるわ」

指を食い込ませる度に形の変わる柔らかほっぺにあんじゅは顔を蕩けさせる。

そんなあんじゅを見て止めるという行為を禁じられ、結局満足いくまでなすがままにされた……。

「うふふ。やっぱりにこさんは最高ね」

「そんなことないです」

「スクールアイドルの謙遜は時として嫌味と取られるから安易にしない方がいいわ」

心の中にあるアイドル格言メモに忘れずに刻み込む。

「にこさんの場合はまずはこれから自信を取り戻していくことが目標かもしれないわね」

「自信を……ですか?」

「ええ。少し臆病になっているみたいだから」

ここで絵里が居れば即座に否定しただろう。

「自分を支える自信は練習してきた時間が大きく占める。だからにこさんはこれから胸を張れるようになりましょう」

「はいっ!」

「メンタルの部分もきちんと強くしないと人気が出れば出るほど辛くなるわ」

「有名税みたいに言われますけど、同じ人間ですもんね」

人気になればなるほど誹謗中傷が多くなるのは仕方のないこと。

だけど、それを必要悪として認めるなんてしてはならないとにこは強く思う。

「そうね。でもなくなることは絶対にないわ。だからこそメンタルを鍛えるしかないの」

「……はい」

「ということで、にこさんはこれから私への敬語は禁止よ」

「はい……はいぃぃぃっ!?」

「その驚いてあわわってする反応私大好き」

「だいすっ!!」

あんじゅのコンボにより完全に冷静さを失ったにこを宥めるのに要した時間は十分。

「これくらいで心乱れてたら駄目よ?」

「……にこぉ」

「さ、一緒に観る作品を探しましょう」

ごく自然のやり取りのようにあんじゅはにこの手を握る。

「あっ、あんじゅさん――」
「――あんじゅさん?」

握られた手を少しだけ強く握られながら抗議される。

「あんじゅちゃん」

「あんまり間違えるから今度から間違える度に何かしてもらおうかしら?」

「えぇっ!」

「間違える度にポッキー一本ストックするっていうのはどうかしら?」

「ポッキー一本、ですか」

「敬語も禁止って言ったでしょ? 勿論普通に一本って訳じゃないわ」

にこの耳に唇が当たるくらい近づけ甘い声で囁く。

「にこさんにポッキーを食べさせてもらうの」

「食べさせ!?」

「今日のにこさんはいつも以上に動揺してばかりね。そんなんじゃ夜中まで起きてられないわよ」

「夜中って寝ないんで――寝ないの?」

敬語を使おうとした瞬間、先程のように繋がれた手に力を入れられたので言い直した。

あんじゅは満足気に微笑みながら答えた。

「電気を消してから遅くまでガールズトークするの夢だったの」

「ガールズトーク」

それはにこにとっても憧れの単語であり、それを憧れのあんじゅとするというのは極上の誘惑。

「あんじゅちゃん! 夜中までお話しよう!」

「ええ!」

繋いだ手をお互いにギュッと強く握り合って決意を表す。

「にこさんは借りたい物あるかしら?」

「私は特別みたいのはないで――ないよ」

「言いかけたのもストックしていくからね」

そう宣言されてもあんじゅに対して敬語を使わないようになるには相当の度胸がいる。

「あ、そうだ。にこさんってポッキーゲームって知ってる?」

「にこっ!?」

「にこにこっ」

にこが驚きの声で鳴くと、楽しそうにあんじゅが続けて鳴いた。

それに赤面する余裕もなく、思考がまるで追いつてこない。

再起動してからポッキーを食べさせることとポッキーゲームを知っているかの質問が繋がっていないことに気付いた。

ポッキーで思い出して今質問したんだと納得する。

「一応知ってるにこ」

「あれってキスしたい同士以外は普通自分から折ると思うの。でも、実際にしてみたら緊張で動けないのかしら?」

「実際にしてみないと分からないから気になるわ。ね、にこさん」

自分の名前を呼ぶときのあんじゅの声が耳元で囁かれた時以上に甘く聞こえ、思わず生唾を飲み込んでいた。

心臓の音が繋いでいる手から伝わってしまうんじゃないかという妄想が現実味を帯びて顔が火照る。

深い意味なんてないと何度も思い込んでも緊張は解けない。

繋いだ手の平に汗が滲んだのが分かり離そうとしてもあんじゅが掴んで離さない。

「あんじゅちゃん」

「ん~?」

「手が汗で汚いから離して」

泣き出しそうなくらい震えた言葉。

「だ~め。にこさんの汗は汚くないわ」

そんなことない、と言いたかったけど顔を近づけられて目を細めて微笑むあんじゅに言葉は出てこなかった。

「それともにこさんが私の手を離したい方便かしら?」

「絶対にないです!」

間髪入れずの否定にあんじゅは一瞬驚いたが、直ぐに相好を崩した。

「だったらこのままで、ね?」

「……うん」

「あ、それとさっきの敬語だったからまた一本追加ね」

ポッキーを差し出してそれを口を開けたあんじゅが食べていく。それを何本も……。

想像しただけで口の中がカラカラになるくらい緊張した。

「ポッキーゲームってメンタルを強くする練習には最高かもしれないわね」

あんじゅの漏らした言葉は緊張していたにこには届かない。

もし聞いていたらこの後の買い物の時に全力でポッキーを買うのを止めていただろう。

二人の初めての夜はこれから始まる……。 つづく

――あんじゅのマンション

二十階建てのオートロックマンションの最上階。

最上階は一部屋ではなく、全部屋が繋がっていて家賃のことを考えただけでゾッとする。

安全面も倍考慮されており、直通のエレベーターでしか二十階には辿りつけないようにされている。

そのエレベーターは扉が閉まってからパスワードを正しく入力しなければ起動しない。

勿論カードキーがあればパスワードを入力する必要はなく入れるが、複製不可の一枚限り。

嫉妬することすら忘れてしまうくらいの格の違いに、にこはただただ驚くばかり。

あんじゅが入るべくしてUTX学院に入ったのだと再認識。

「ご両親は?」

全ての部屋を紹介されてから漸く喋れたのはその一言。

「言ってなかったかしら。一人暮らししてるのよ」

「一人暮らし!?」

高校生で一人暮らしをするなんて、家族仲の良いにこにとっては想像すら出来ない。

メンバーである絵里と希も一人暮らしであるが、にこはまだその事実を知らされていない。

にこが寂しくないのかと訊ねると「にこさんが沢山泊まりに来てくれれば寂しくなくなるわ」笑顔で返された。

――あんじゅの部屋

玄関を上がってから想像以上の広さに目を丸くする。

外から見る以上に中は広く、こんな所で一人というのはより寂しさが溢れるだろう。

先ほどのあんじゅの言葉は割と冗談ではないのかもしれない。

「ここがキッチン。喫茶店みたいでしょ?」

「カウンター席まであるなんて……」

緊張すら消し飛ぶスケールの違う世界に、硬くなっていたにこの体から力が抜けた。

「キッチンに料理道具や調味料は揃えたけど、もし足りなかったら言ってね」

「最低限の物があれば大丈夫だから」

「ここだけの話なんだけど、私って料理しないからそういうところ疎くて」

誰もいない部屋でありながら、耳に唇を近づけて内緒話をするように囁く。

「唯一の友達であるにこさんだけに教える秘密だからね。誰かに喋ったら責任、取ってもらうわよ」

「せ、責任?」

「うふふ。冗談よ」

今日のあんじゅは本当にご機嫌のようで直ぐに笑顔の花が咲く。

「さっそくだけどにこさんにカレーを作って貰ってもいいかしら? ご飯は昨日頑張って炊いたのよ」

その姿はまるでにこの妹であるこころとここあがママや自分に自慢するように重なる。

性格のギャップの破壊力を実感しながらにこは頷いた。

「でも、その前に洗面所借りてもいいですか?」

「敬語は禁止、だったわよね?」

ご機嫌でもにこの隙を見逃さないあんじゅに苦笑いしながらわざと肩を落とす。

「にこぉ~」

「これで何本目かしら? 利子を付けて今日買ったポッキー一箱でいいわね」

「ムリにこっ!」

「だ~め。だって、そうしないといつまでもふと敬語を使いそうなんだもの」

めっと右手の人差し指を立て左手は腰に付けて少し前かがみ。たったこれだけのポーズでもにこを赤面させるには十分。

「それとも……にこさんはそんなに私とポッキーゲームするのが嫌、かしら?」

小さく首を横に振って意思表示。

余りにも可愛い仕草にあんじゅは我慢出来ずに抱き締める。

「にこさんはどうしてこんなにも可愛いのかしら」

「あん、じゅちゃん」

「小さなお耳が真っ赤になってるわ。恥ずかしい?」

「はずかしいです」

「また敬語。あんじゅ寂しいにこ……ふぅ~」

「ひゃぁっ!」

耳に息を吹きかけられ体がビクンと無意識に動くが、より強い力で抱き締められて二人が離れることはない。

「ほっぺただけじゃなくて耳も美味しそう。ねぇ、にこさん」

「う、うん?」

「ちょっとだけ……この耳を食べちゃってもいいかしら?」

にこの耳を溶かす甘い誘惑。

口の中に溜まった唾液を飲み込むと先ほどのように首を横に振って否定する。

「でも食べちゃうわ」

右耳にあんじゅの熱い吐息が掛かった後、柔らかい感触に挟まれて体が硬直した。

「んっ、ちゅぷ」

「ぅう……っ……ん、ふぁぁっ」

漏れそうになる声を必死に我慢してみたが、無駄な努力と言わんばかりの快楽の波に負けて喘ぎが零れる。

そんなにこの女の声に驚いて唇を離す。

「ごめんなさい。ついにこさんが可愛くて」

「う、ううん」

「このままだとご飯の前にお腹一杯になっちゃうものね。まずはにこさんのカレーを食べてから、ね」

「うん……うんっ!?」

「うふふ」

――六十分後...

「すごい美味しそう」

「私としてはカレーよりもチーズハンバーグの方が得意なんだから美味しいか自信はないんだけど」

「匂いと見た目だけで十分美味しさが伝わってくるわ。にこさんはもっと自信を持つべきよ」

「うんっ!」

「だけど、今度来る時はチーズハンバーグが食べたいわ」

あんじゅの微笑みににこは照れながらも笑顔で頷いた。

何気ない言葉の会話で次の約束を生むことが出来ることの素敵な関係。

人間関係で大切な物は時間ではなく縁の深さであることをお互い噛み締める。

「それじゃあいただきましょうか」

「あんじゅちゃんのお口に合えばいいけど」

「初めての家庭の味。にこさんが私の初体験ね」

ドキッとする言葉ににこは思わず持っていたスプーンを落としそうになった。

「いただきます。……んぅっ」

あんじゅの口にカレーが運ばれ咀嚼される様を食い入るようにみつめる。

にこにとっても学校行事以外に他の人に自分の手料理を食べてもらうのは初めてのこと。

さり気無くおかず交換をした希と絵里のことは記憶から消されている。

「にこさん」

「はいっ!」

「とっても美味しいわ」

「ありがとうございましゅっ」

「くすっ。お礼を言うのは私の方でしょう? こんなに美味しい料理をありがとうにこっ」

胸がグッと詰まる程の幸せ。

「にことっても嬉しいにこ」

「にこさんは笑顔でも歌でも料理でも人を笑顔にさせられる。生まれ持ってのアイドルね」

「そんなことないよ。あんじゅちゃんの方がずっと素敵だし」

「私はにこさんの方がアイドルに相応しいと思ってる。今はまだ可能性が眠っているだけだと思うの」

「きっとね、全国のスクールアイドルの中でそういう子は多いと私は考えてるの」

自分の中の可能性と言われてもしっくりとこない。

首を傾げるにこに優しく微笑むと言葉を続ける。

「可能性が未来に光弾けるに相応しい舞台が必要なのよ」

ふと、あんじゅが見つけたという《夢》を連想させる強い想いの篭った言葉。

「……んっ、にこさんのカレーは本当に美味しいわ」

あの日と同じで続きを語ることはない。

だからにこは今言える唯一の言葉を返す。

「私はあんじゅちゃんの味方だから。何かするなら力になるわ」

「その頃のにこさんは敬語なんて絶対に使わず、呼び捨てで呼んでくれてるのかしらね?」

「えぇっ!?」

「別に驚くことではないじゃない。にこさんだってメンバーを呼び捨てにしてるんでしょ?」

「それとこれとは別で……」

「そう、そうよね。にこさんの中では私の位置なんてメンバーの子とは別で比べ物になんてならないわよね」

「ちがりゅっ、違うニコ!」

「だったら証明として一度呼び捨てで呼んでみせて」

ウインクをしてみせるあんじゅ。

ちゃん付けで呼ぶことすら恥ずかしい上に恐れ多いにこにとって、呼び捨てるということは拷問に等しい。

「ね、にこさん知ってる? 人間って名前を呼ばれれば呼ばれる程好意を持たれる可能性が高いらしいわよ」

「私の名前って四文字だから。ちゃん付けより呼び捨ての方が多く呼んで貰えるて私は嬉しいのだけど」

「だったら! ちゃんよりさんの方が文字数少な――」
「――にこさんが嫌ならいいのよ。諦めるから」

私、諦めませんと瞳が語っているあんじゅに白旗を上げるしかないにこ。

ドクンドクンと脈打つ速度を上げる心臓を心配しながら、深呼吸を三度繰り返す。

緊張した時こそ深呼吸が一番だとコンクール経験の有る絵里に教わっていた。

真っ白になっていた頭に少しだけ余裕が生まれ、まるで告白するかのように勇気を振り絞って声に出す。

「あんじゅ」

「はい!」

満面の笑みを浮かべるあんじゅは雑誌やライブで浮かべる笑顔よりも美しかった。

「呼んでくれたお礼に、はいあ~ん」

「えっ?」

「食べさせてあげるから、にこさんの可愛いお口を開いて」

自分のお皿を脇にどかせて、テーブルに上半身を乗せながらスプーンをにこに差し出す。

美しい表情から一転、悪戯っ子の浮かべるソレ。

にこにしてみれば一難さってまた一難。

あんじゅの顔が近い所為で呼吸が乱れに乱れ、今度は深呼吸する余裕すらない。

差し出されたスプーンは直前まであんじゅの口に入っていた物である。

「はい、あ~ん」

正常な判断力を蕩けさせる声に負け、にこは口を「あ~ん」と開けた。

スプーンが差し込まれたのを見て口を閉じ、そのスプーンがにこの唾液をつけながら口外に引き抜かれる。

口内に残ったカレーを咀嚼するより前にあんじゅが戻したスプーンをそのまま口に咥えた。

「んふっ」

そして、自分の口からスプーンを抜くと囁く。

「完全な間接キスね。にこさんの味がしたわ」

口の中にカレーがなかったら叫んでいたであろう羞恥プレイ。

涙目になりながらもカレーを咀嚼して飲み込んだ。

「にこさん。もう一度だけ、いいかしら?」

「恥ずかしいからっ、だめ」

蚊の鳴く声で否定するも、

「うふふ。聞こえないわ。はい、あ~~ん」

弾んだ声が聞こえない振りをしていることを証明しているが、にこは訳が分からないくらい緊張していて気付かない。

「あ~んってもう一度してくれればいいのよ。ね、簡単でしょ?」

ギュッと目を瞑った時に涙が頬を伝いながらも、言われた通りに口を開いた。

「うふふ」

あんじゅはカレーを乗せたスプーンを一旦戻し、自分の口に咥える。

食べることはせずに、自分の唾液を十分に含ませるとにこの口内に入れた。

目を瞑っているにこはそれに気付かずに、先ほどのように咀嚼して飲み込んだ。

「美味しかったかしら?」

「おいし、かったにこ」

「良かったわ。本当ならにこさんからもして欲しいのだけど……私の味が美味しかったって言ってくれたから諦めるわ」

「にこさん。もう一つ私の秘密を教えてあげる」

「うん」

「私ってけっこうエッチというか変態かもしれないわ」

「にこっ!?」

「うふっ。冗談よ、冗談」

先ほど自分がした行為を思い返す。

今まで考えたこともないのに自然と体が動いていた。

「でも、もしも私が本当にそうだったらにこさんは嫌いになるかしら?」

「それでもあんじゅちゃんの個性だから。にこは嫌いになるなんてことはないよ」

恥ずかしさが抜けていない為、言葉が震えながらも即答してくれた。

それが嬉しかったのだが、更に嬉しい訂正が入る。

「嫌いにならないというか、にこはあんじゅちゃんのこと……好きにこ」

ファンからの手紙でも、ライブの時にでも聞きなれているし、見慣れている言葉。

だけど、今口にされた好きは同じ筈の意味を持つものなのに、全然違っていた。

顔を落とし、表情が見えないようにしながら沈黙した。

きっと今の自分は誰かに見せたことがないくらい、赤くなっていると自覚したから。

胸の鼓動が口から出て聞こえてしまうんじゃないかと心配しながら、早く緩んだ頬と赤面が戻ることを願う。

二人の夜はまだ始まったばかり……。 つづく

――土曜日 午後 UTX学院

「あんじゅ、どうかしたの?」

練習の途中、ツバサが動きを止めて声を掛けた。

「え、何が?」

「動きがいつもより……こう、力んでるように見えたから」

「私にはまるで体を酷使する為に力を入れて動いているように思えた」

「――」

二人の言葉を受けてあんじゅは言葉を失くす。

言われてみれば寝不足という分を差し引いても、体に圧し掛かる疲れはいつものそれより大きい。

「何か嫌なことでもあった?」

「嫌なことなんてないわ。感情がちょっと制御できてなかったみたい。ごめんなさい」

「普段出来ていたことが出来なくなるというのは危険信号。或いは救難信号である可能性もある」

鋭い視線を更に細めてあんじゅを心配する英玲奈。

「英玲奈は大げさよ。少し寝不足なだけだから……」

「寝不足とはいえ今日はこうして午後からの練習な訳だし。やっぱり何かあったんじゃないの?」

「私達は同じグループの仲間だ。どんな些細なことでも外部に漏らす様なことはしない」

「だから悩み事があるなら吐き出してくれていいのよ」

ファンを魅了する笑顔で告げるツバサに心の中で感謝しつつも、あんじゅは笑顔を貼り付けて首を横に振る。

「本当にただの寝不足なの」

メンバーとはいえプライベートに踏み込む過ぎるのはマナー違反。

言葉は柔らかいが絶対的な拒絶を感じてツバサと英玲奈は閉口した。

「さ、続きをやりましょう。今年最後のライブも、来年最初のライブも最高のステージにする為に」

「……その為にも小休止にしましょう。疲れた体に鞭打てば逆効果になるから」

「私は大丈夫だって」

「それを決めるのは本人ではなく客観的に判断出来る私達だ」

譲る意思がないことを確認して、今度はあんじゅが折れた。

「ごめんね。少し休めば普段通りのペースで練習出来るようになるから」

「別に焦ることはないわ。ただ、帰るのが遅くなるだけだから」

「幸い明日は日曜日。泊まりになっても構わない」

「うふふ。A-RISEは甘くないわね」

テーブルに置いてあるタオルで汗を拭きながら、あんじゅは昨夜を回想する。

自分で言った言葉の意味を噛み締め、赤面する顔をタオルを押し付けて隠した。

無意識にあんなことをしようとし、発した言葉。

矢澤にこと出逢い、生まれた初めての感情は何という名前なのだろう。

考えれば考える程、その答えが見え隠れして胸の高鳴りが止まらなくなる。

「……にこさん」

タオルに押し付けられてツバサと英玲奈の耳に届くことなく消えた声。

ソレはまるで迷子に怯え、愛しい母を求める子供のように幼く震えていた……。

――同時刻 音ノ木坂学院

「今日のにこっちは中々に不調さんやね」

希の指摘通りにこの動きはいつもと違いどこかぎこちない。

本人もそれを自覚していて、素直に謝罪する。

「ごめん。ちょっと集中しきれてないわね」

「集中力を高めるには毎日寝る前と十五分くらいでいいから、空いてる時間を作ってイメージトレーニングした方が良いわ」

「やったことない人にはイメトレで何が変わるんだって思われるかもしれないけど、ハッキリとした差が出るから」

経験からアドバイスをする絵里に頼もしさと申し訳なさが混ざる。

「新しくメンバーが入った時はリーダーを決め直した方がいいわね」

弱音にも似た提案に絵里の顔が少し強張る。

「どうしたのよ。何か嫌なことでもあったの?」

「そうじゃないわ。ただ、私はやっぱりリーダーには向いてないって思ったから」

個人の感情で練習に支障を出してる今の自分。

リーダーであるのならこういう時でも平然として練習をこなせるくらいでなければいけない。

それに、不安になるとあの誰も居なかったステージを思い出して臆病にさせる。

「ウチはリーダーはにこっちが一番だと思うよ」

「というか、立ち上げた張本人が他の人に責任押し付けたら駄目でしょう。リーダーはにこよ」

二人の優しい言葉に対し、にこは前夜を思い出しながら言葉を搾り出す。

「だけど……にこって本当に緊張すると言葉が出せなくなって、体が震えて、何も出来なくなっちゃうから」

「それって肝心な時にハプニングが起こった時にリーダーとして何も出来ないと思うの」

「リーダーっていうのはそういう時でも何もなかったように皆を引っ張れる存在でなきゃ駄目だと思う」

「何よりも私はほら、一度リーダーとして失敗してるから」

泣き笑いのような表情のにこに絵里がにこを正面から強く抱き締めた。

突然のことに声も出せずに固まるにこに構わず絵里は口を開く。

「私が敬愛するお婆様と電話でにことのやり取りを話した時に言ってくれた言葉を聞かせてあげる」

「私もあの子のような考えを持てていたらバレエを続けられてたのに。お婆様、ごめんなさい」

『エリーチカ。よく聞きなさい。これからも沢山のことを経験して、沢山失敗して多くの後悔を覚えなさい』

「え?」

『その分エリーチカは今よりも深い人間になれるのよ。同じような失敗をした子に的確なアドバイスを与えられる』

『もしかしたらエリーチカの言葉がその人の人生を大きく良い方向へ変える切っ掛けになるかもしれないわ』

『失敗しても後悔しても、それはいつか出逢う誰かの為になるかもしれないと思いなさい』

『だから失敗したことを後悔しても、それを引きずってはいけないわ。捕らわれては深い人間にはなれない』

『自分の過去を全て誇れる素敵な人間におなりなさい。私のかしこいかわいいエリーチカ』

「私はまだ過去を誇れる程強くはないわ。でも、にこなら私より先にそんな存在になれると思ってる」

「だって、あなたは私を救ってくれたんだから。その失敗に捕らわれずにどうか誇って欲しいの」

心に染み込む慈愛の言葉に、胸から溢れ出る激情が涙という形になって絵里の制服を汚す。

それが嫌でにこは絵里の体を離そうとするが、駄々っ子を抱き締める母のように強く抱き締めて離さない。

「素敵なお婆様やんね。私もにこっちにはそんな存在で在って欲しい」

二人を大きく手を広げて抱き締める希。

にこは抵抗を諦めて二人に抱き締められたまま、止まらない涙を流し続ける。

「にこっちはさっきハプニングが起きた時に行動出来ないって言ったけど、それでも良いと思うんだよ」

「だってその為のメンバーなんだし。ウチはリーダーを支えられるメンバーで在りたい。にこっちとしては迷惑?」

「ぞんな゙こどな゙いに゙ご~」

涙に濡れながらも即答する。

「ぷっ。にこってばいい話だったのに笑わせないでよ。あははっ」

絵里が笑いを堪えられずに噴き出すと、我慢していた希も噴き出した。

「ふふふっ。にこっちはやっぱりリーダーだよ。皆を笑顔にする才能がある」

「いま゙いわ゙れでもいやみ゙よ!」

「ちょっと、止めてよ。私を笑い殺すつもり。あははは、あはっ」

「そこまで笑ったらにこっちに失礼やん。ぷふふっ」

「もう離しなさいよ!!」

屈辱に耐えかねて抵抗するも、先ほどより強い抱擁にビクともせずに束縛を抜け出せない。

まるでまだ名前もないグループの絆を示すかのように。

「それからね、お婆様にバレエを諦めたことを良かったって言われたのよ。驚いちゃったわ」

「え、なんでなん?」

「バレエを続けていたら友達が出来ずに、全員をライバルとしてしか見えてなかったかもしれないって」

「確かにその通りだと思う。私はバレエを諦めたお陰で最高の友達とこうして青春を謳歌してる」

「まだ過去を誇りに思えないけど、今この瞬間を誇りに思ってるわ」

からかわれたことで止まりかけてた涙は再び溢れ出す。

それに釣られるように絵里も涙を零す。

「ウチも今幸せ。小さい頃から鍵っ子で、転勤族で友達は出来ても直ぐにその絆は途切れてきた」

「一度も一つの学校を通い切ることなんてなかったし、それでも別に良いって諦めてた」

「でも、今は何があってもこの学校を卒業したいって思ってる。二人と同じ卒業式を迎えたいって強く願ってる」

「ううん、願うだけじゃない。もし、転校しなきゃ駄目ってなったら家出してでもこの街から離れない」

「ウチにとってここは初めての母校で、初めて楽しいって思える部活で、胸を張って誇れる友達が居る最高の居場所や!」

二人と同じように希もまた涙を零し、だけど素敵な笑顔を浮かべていた。

両親に心配をかけないように人前で泣くことをしなくなった希が見せた大切な想いの欠片。

にこは昨夜とは別の意味で恥ずかしさに死にたくなる。

と、同時に胸に込み上げるこの気持ちをリーダーとして二人に返していこうと決めた。

決して大きな舞台でライブをすることはないだろう。

でも、一生忘れることの出来ない、スクールアイドルをやって良かったと思わせるライブをしてみせる。

奇しくもその想いはあんじゅが見つけた夢と同じであり、二人の運命はより強く深まっていく。


そして、物語は……前夜に戻る。 つづく

――悠木家 リビング

「お風呂どうだったかしら?」

「とっても気持ち良かったわ。広くて驚いたけど」

湯上り効果もあって、自然な口調で返せたにこ。

「女同士なんだし、私は一緒が良かったのに。にこさんがあんなにも嫌がるんだもの」

「嫌がってた訳じゃなくて……恥ずかしいから」

「恥ずかしがる理由なんてないじゃない?」

相手が憧れの優木あんじゅだから恥ずかしいと思う気持ちも嘘ではない。

だが、にこがあんじゅとの入浴を拒んだ一番の理由はコンプレックス。

高校に入って身長は一応伸びているが、一部箇所だけ少しも成長の色を見せない。

もっと詳しく言うなら、中学三年の春から《71》という呪いの数字に変動がない。

対するあんじゅは一部箇所を豊満と表示出来る大きさを持ち合わせている。

全体的に肉付きが良いのが健康的な女の子らしさがあり、決してぽっちゃりではない。

それなのに出るところは出て女をアピールしている。

身長は半ば諦めがついても、一部箇所――胸のサイズくらいはブラが不自然にならない程度は欲しい。

切実に言えば、こういう時に惨めな気持ちにならない程度でいいから成長して欲しいのだ。

胸への視線には慣れっこ故に、あんじゅはにこがどうして拒んだのかを悟った。

「気にするのは可愛いと思うけど、気に病むのは間違ってると思うわ」

「な、何のことにこ?」

「私が言うと皮肉に聞こえちゃうかもしれないから言わないけど、私はにこさんのこと好きよ」

「――っ!」

そこに特別な意味がないことは分かっていながら、頭と違って心と体が直ぐに過剰な反応してしまう。

「ありのままのにこさんが好き。だから、些細なことを気にして欲しくない。笑顔でいて欲しい」

「自信満々な笑顔でマイクを握り、衣装に負けない可愛い姿でライブをするにこさんを見てみたい」

「にこさんの魅力を120%魅せる為には、まずは自分を100%愛してあげられなきゃいけないもの」

あんじゅはにこの前に膝を着き、自らの顔をにこの小さな胸に沈めた。

「にこっ!?」

完全に真っ赤になって硬直するにこを無視して、あんじゅは想いを紡ぐ。

「トクントクンってにこさんが生きてる証が聞こえる。大きさや形より、私はこの音の距離の方が大切」

「きょ、り?」

「ええ、距離よ。この温かい音が近くで聞こえるのはにこさんが誰よりも温かい人だから」

「名画に描かれる天使に子供が多いのってきっとそういうことなんだと思うわ」

そういうことって、どういうこと?

聞き返そうとしたにこだったけど、不思議と言葉が出なかった。

まるで心がその意味を理解して、体が納得したみたい。

だからと言って頭で理解出来てない内はコンプレックスが無くなることはない。

目を閉じるとあんじゅの温もりが一番の距離で感じられる。

今日だけはもう、コンプレックスを忘れて妬くことも悲しむこともないだろう。

「……あんじゅちゃん」

「なぁに?」

「恥ずかしいから離れて」

「もう少しだけこのままで、駄目かしら?」

胸に頬を擦りつけてから、下からにこの顔を覗き込む。

「……ぅ、あ……にぃ」

女だし身長が低い自分には一生される側になることはないと思っていた《上目遣い》。

覗き込むあんじゅの瞳はいつも以上に艶があり、同性なのに思わず生唾を飲み込む色気があった。

「駄目?」

押しに弱いことを把握しているあんじゅの策ににこは白旗を上げるしかなかった。

「うふふ。にこさんは優しいわね」

髪を左耳に掛けてそのまま胸に耳を押し当てる。

「緊張してるのかしら。鼓動が早くなってるわ」

「そんなの当然よぉ」

「私はにこさんの分まで落ち着いてるわ。子守唄ってきっとこんな安らぎがあったのね」

あんじゅは目を閉じてその音に聞き入った……。

――三十分後...

「どうかしら? にこさん、気持ちいい?」

「んっ、ふぁっ……んぅ!」

あんじゅの手がにこの体を時に強く、時に優しく刺激を与える。

にこは声が漏れることが恥ずかしくて、我慢しようと思うのだが、あんじゅが上手くて喘ぎが漏れる。

「返事できないくらいに気持ちいいのね」

「はぁはぁ……っ、ん!」

「こんなところもね、気持ち良かったりするのよ?」

「――あんぅっ!」

今まで感じたことのない刺激に漏れた喘ぎが恥ずかしく、にこは枕に顔を沈める。

そんなにこの反応にクスッと笑みを零しながらマッサージの手は緩めない。

「にこさんにマッサージする約束してから、UTXが誇るマッサージ師の方に指導してもらったの」

「あ、そうそう――」

顔を埋めるにこの耳元に唇を寄せ、

「――安心してね? その方は女性だから。ふ~っ」

「んぐっ!」

にこの小さな体がベッドの上でビクンと反応した。

その反応が可愛くて、あんじゅの悪戯心を刺激する。

こんなことをしたら駄目、と言う良心は直ぐに消え去り、朱色に染まる小さな耳に自らの舌を這わせた。

「ん、れちゅっ」

「ひゃあぁぁっ!」

バッと顔を上げて耳を舐めたあんじゅの方へ向けた。

「……」

「……」

キスをする距離にあんじゅの顔があり、思わず言葉を無くして見つめ合った。

宝石に興味の欠片もないにこも、あんじゅのその瞳には思わず吸い込まれそうになる。

ほんの少し顔が前に進み、それを誤魔化すように再び顔を枕に埋める。

「うふふ。にこさんは素敵な反応ばかりね。……だから、おかわりしちゃうのを許して」

おかわりが何を示すのかを知るも、にこはその瞬間を待つように緊張に固まっている。

少しでも拒むような行動を取るようなら止めようと思ってたんだけど……と、後付けの言葉を心の中で吐く。

そして、右手でにこの髪を優しく梳きながら、再び耳に顔を近づける。

先ほど舐めたことで唾液が付着して電気に照らされて妖しく光る。

自分の唾液でにこの耳が汚れていることを知覚し、恐ろしいくらい胸が高鳴った。

本当に自分は変態なのかもしれない……。

でも、それでも構わない。

矢澤にこはそれも個性として自分を受け入れてくれると答えてくれたから。

好きだと言ってくれたことを思い出して頬が緩む。

お願いして携帯電話のボイスレコーダーに録音したいくらい。

先ほど舐めた部分に静かにキスを落とす。

とても不思議な感覚。

他者の耳にキスをするなんてにこでなければ汚いと思う以前に、その考えすら思い浮かばないだろう。

それなのに甘噛みしたり、舐めたり、今みたいにキスをしている。

それも、こんなにも未知の喜びに胸が踊っている。

唇を離して、今度は口を開き一番柔らかそうな耳たぶを口に含んだ。

「んふぁっ!」

にこは枕で喘ぎを押し殺すこともできず、あんじゅの耳に届いてしまったことが羞恥をより煽る。

そんな気持ちすら序の口と嘲笑うかのように、咥えられた耳たぶがそのまま熱い唾液と舌で弄られる。

「んちゅ……ちゅっ、んっ」

「んんーっ!」

それだけでは足りないとばかりに耳の半分以上を口に含み、ねっとりとした唾液が包み込む。

耳が溶かされるような錯覚と共に、震え出しそうな快感に悶える。

「はぁむ、んぅ……にこさぁん、ちゅ、ちゅるっ」

口を離される度に、唾液に塗れる耳が空気に触れてソレすらもにこの小さな体に刺激を走らせる。

あんじゅが普段使っている枕に自分の唾液が思い切りついてしまい、その恥ずかしさに浮かぶ涙もまた吸い込まれる。

「にこさん……ちゅっ、ちゅ……にこさん」

何度もにこの名前を呼びながら、耳を食べつくし次の目標としてうなじに何度もキスを繰り返す。

冬でお風呂上りだというのに、少し汗の味が広がる。

暖房が効いているがその所為では勿論なく、マッサージと耳を舐められたことで汗を掻いたようだ。

「にこさん、暑い?」

「……はぁはぁ……はぁ~」

質問に答える余裕はなく、荒い息を整えようと必死。

「にこさんの汗、舐め取っちゃうわね」

うなじよりやや肩に近い部分に浮かんだ汗に舌を這わせ、にこの汗を舐め取るとそのまま喉を鳴らして飲み込んだ。

汗が美味しい、なんてことはある筈がない。

なのに、心を熱くさせるこの味は美味しいと表現しても間違っていないと確信した。

「にこさんの汗、美味しいわ」

「んぅっ!」

羞恥を超えた感情がにこの足をバタバタと動かした。

子供みたいな反応が愛しくて、あんじゅはうなじに唇を当てると強く吸う。

「ちゅーっ!」

お嬢様であるあんじゅが、にこと出逢ってから調べて得た一つの知識。

《キスマーク》

自分がするともりで調べたわけではなかったのに、今にこのうなじにキスマークを刻んでいる。

自分の証をにこに残したいという想いがあんじゅを突き動かす。

「もう一つ……ちゅぅ~、んんっ!」

にこもまた何をされてるのかを理解しているが抵抗はしない。

ただ、明日は髪型変えないといけないなと冷静な部分もあった。

計六つのキスマークを刻むと唇を離した。

「あんじゅとにこさんの名前の数がここに刻まれてるわ」

優しく一つひとつのキスマークを撫でて微笑む。

それから達成感から頭が冷静になって、一気に血の気が引く。

突然こんなことしてにこに嫌われたんじゃないかと心配になったから。

でも、今の行為を謝るなんてことはしたくなかった。

どうすればいいのか混乱し、あんじゅはそのまま動きを止める。

暫くして息を整えたにこが体を起こし、涙目になっているあんじゅの胸に自分の顔を埋めた。

「あんじゅちゃんのマッサージ……恥ずかし過ぎにこ」

「……にこさん」

「柔らかくて安心する。ママのおっぱいみたい……やっぱり羨ましい」

混乱を溶かせる魔法の言葉に、あんじゅはにこの頭と背中を撫でながら笑った。

「くすっ。でも、にこさんは小さい方ままの方が私は嬉しいわ」

「どっちの意味にこ?」

「どっち? …………あっ、うふふ。そうね、背も胸も両方よ」

「絶対に今より大きくなってやるわ!」

母の胸に顔を埋める子供のような状況で、本当の子供みたいな発言をされて笑うなという方が酷。

「うふふふふっ」

「どうして笑うのよ!」

恥ずかしいことをされた直後なので、完全に砕けたにこの口調への喜びから笑いが止まらない。

それを大きくなれないという意味に受け取ってにこはムスッとする。

だけど、直ぐにその見当違いの怒りはあんじゅの胸の鼓動によって落ち着きをみせる。

まだパパが生きてた頃、こころとここあが生まれる前を再現するような温かさ。

時は流れ、悲しいこともあったけど……今自分が幸せの中に居るんだという事実を噛み締める。

「ね、にこさん。約束はマッサージだけじゃなくて、もう一つあったわよね?」

「えっ?」

にこの中では忘れたい約束であったのは間違いない。

嫌だからではなく、先ほどされたキスマークよりある意味恥ずかしいことだから。

あんじゅはにこを撫ぜながら優しく告げる。

「ポッキーゲーム。忘れててもきちんとするにこっ」

「にこっ!?」

思わず胸に埋めていた顔を上げると、そこにあったのは頬を緩めて微笑むあんじゅの顔があった。

初めてみる今までで一番柔らかいあんじゅを見て、無言のまま顔を胸に埋める。

幸せそうな顔が恥ずかしかったのと、あんじゅの瞳に映った自分も負けずの幸せそうな顔を浮かべていたから。

「ポッキーゲーム、しましょう」

「……もう少し、このままで」

「うふふ。はぁい」

あんじゅの胸を堪能しながら、今夜最後にして最大になりそうな羞恥イベントに心を備える。

うなじに刻まれたキスマークが不思議な熱を帯びていた……。 つづく

>>129 ○優木家 ×悠木家

――あんじゅの部屋

「にこさん知ってる? 昔のポッキーは今みたいにこうして二つの袋に分けてなくて、一袋だったのよ」

「そうなんだ」

ポッキーの箱から二袋取り出すあんじゅの言葉に、やや上の空ながらも相槌を打つ。

「それからね、十一月十一日はポッキー&プリッツの日だけど、最初の時はポッキーの日だけだったのよ」

「そうなんだ」

同じ言葉で相槌を打ちながら、にこは少し疑問に思う。

どうしていきなりポッキーの雑学を披露するのだろう?

あんじゅをよく見ると、袋に触れる指先が若干震え、視線もあちこちに忙しく動いていて落ち着きがない。

自分と同じようにあんじゅもまた緊張していることを知り、愛しく思いながら体に入っていた無駄な力が抜けた。

「一袋十七本ずつ入ってたわ。計三十四本ね」

「でも敬語とさん付けの合計合わせても、三十四回も言ってないとおも――」

あんじゅの白い人差し指がにこの唇を塞ぎ、逆の手で投げキッスを送る。

「これはにこさんのメンタルを強くする愛のある特訓なのよ?」

咄嗟に出た嘘のようでありながら、これはにこの前でも口ずさんだ言葉でもある。

本人はその言葉を聞ける状況でなかった為にあんじゅの言葉に、指をどかして反論するようなことは出来ない。

「それとも……私と個人レッスンは嫌、かしら?」

塞いでいた指を顎下に移動させ上を向かせると、自らの顔を近づけてウインク。

この追撃にも似た質問とのコンボは反則だと思いながらも、にこの口から否定の言葉は出せない。

「うふふ」

あんじゅの息が唇に触れることが恥ずかしくて下を向きたくても、顎に添えられた指がそれを拒む。

「アイドルはどんな時も笑顔を忘れずに、プレッシャーや羞恥心に負けない存在でなくては駄目」

「最高のスクールアイドルになる為にはポッキーゲームが不可欠なのよ?」

冷静であれば「あんじゅちゃんも誰かとしたの?」みたいな質問で打破出来たかもしれない。

甘い吐息を受けて冷静でいられるにこではない。

「分かってくれたらにこさん自身の口で言って欲しいわ。『にことポッキーゲームして』って」

「えぅっ!」

「私も初めてするポッキーゲームは恥ずかしいの。でも、にこさんに言われれば喜んで行えるわ」

言いながらあんじゅはにこの頬を優しく撫でる。

「もしも勇気が出ないのなら、ここに刻まれたにこさんと私の名前から勇気を貰って」

流れるような手の動きは頬から首筋を経由してうなじに宛がわれる。

「私はにこさんの成長の糧になりたい。だから、勇気を出して言ってみて」

あたかも理不尽な発言を言わされることが正しいことなのだと信じ込ませるようなあんじゅ。

アイドルグループに必要な小悪魔。その本領発揮である。

「にこと……ポッキー」

「声が小さいわ。もう少し大きな声で、もっと心の底から愛を込めて言って」

「にことポッキーゲームをして」

羞恥に赤い瞳を潤ませて、母性本能をくすぐるようなか細い声。

頷きそうになる衝動をグッと堪えて、更なる注文をする。

「にこさんらしさもきちんと入れなきゃ駄目よ。それに、私の名前も呼んで欲しいな~」

あんじゅの手の平に乗せられたにこは不思議に思うことなく、何というべきか目を瞑って考える。

背の低さと胸の小ささを気に掛けるにこには悪いが、目を閉じるといっそ幼さがアピールされて愛らしい。

そんな幼い見た目のにこの耳を舌で愛撫し、うなじにキスマークを付けた自分が犯罪者になった気分さえする。

それは罪悪感を覚えるのではなく、油断すると緩むあんじゅの頬が愉悦なのだと教えている。

にこがゆっくりと目を開けると口を開く。

「あんじゅちゃんとポッキーゲームがしたいにこぉ」

先ほどと違いあんじゅに甘える色を乗せた言葉はあんじゅの我慢していた頬を崩壊させるに十分の威力。

「にこさん可愛い!」

人には見せられない顔を隠すようににこの体を抱き締め、頬擦りをする。

「にぅっ!?」

「うふふ。にこさんのほっぺたは頬擦りしても気持ち良いわね」

「んぅ! んっ、にこっ……あんじゅちゃん、恥ずかしい」

「恥ずかしいの? でもね、私はにこさんが《嫌》って言わない限り、満足するまで止めないわ」

人が持つ特有の熱さとにこの頬肉の柔らかさが合わさると極上過ぎる。

「にこさんの耳たぶとほっぺたはどっちが柔らかいのかしら?」

「そんなの分からないわよぉ」

「じゃあ、今度ほっぺたも食べてみれば分かるかしらね」

「耳たぶの方が柔らかいニコ!」

ほっぺたまで舐めたり口に含まれたら羞恥で死ぬと言わんばかりににこが声を上げる。

「んふっ。きちんと検証してみないと真実は見えてこないわ。間違ってたら松代までの恥よ」

寧ろされる方が恥だと言いたいのに、想像してしまって恥ずかしさに言葉が詰まった。

「ね、にこさん。ポッキーゲームしたいって言葉、今度は私の耳元で囁いて欲しいな」

「ムリムリムリ!」

「言ってくれないとにこさんのほっぺた食べちゃうにこ~」

あんじゅの色気すら感じる甘い声色。

魅入られるようにあんじゅの言葉に従ってしまう。

全国一位であるA-RISEのカリスマ性をにこは身を持って感じた。

あんじゅが頬ずりを止め、少しだけ顔を離す。

小さく息を整えると、にこはあんじゅの髪を耳に掛け、口を近づけて――。

「はぁむっ」

今までの反撃とばかりに無防備な白くて形のいい耳を甘噛みする。

「ああんっ!」

そんなことをされると思ってもいなかったあんじゅは、思いきりいやらしい声に一気に顔が熱くなる。

自分で聞いて恥ずかしい声をにこに聞かれたことで視界が一気に潤み、涙が込み上げる。

「にこさんっ、そんなことしたら駄目っ」

「んっ、ぺろっ……ちゅ、ちゅぅ」

口の中で感じる初めての感触を舌で舐めて味わう。

舌を動かす度に悶えるあんじゅの体を力を込めて押さえ、漏れる喘ぎが心を強く刺激する。

された時は恥ずかし過ぎて死にそうだったのに、する側だと獲物を駆る猫のように耳も弄ぶ。

「いやぁっ、くすぐったいから」

「だめだめっ……んっ、はぁうっ、ぁんっ」

自分が舐める水音とあんじゅの声と喘ぎだけが部屋を支配する。

一度口を離すと唾液が糸を引きあんじゅの服に垂れた。

それが恥ずかしくて、誤魔化すように今度は耳たぶを咥えて強く吸った。

「んあぁっ! そこはだめぇ」

喘ぎを聞く度に口の中にねっとりとした熱い唾液が生まれ、その唾液があんじゅの耳たぶを溶かすように浸す。

唾液に浸かるその耳たぶを舌で転がす。

下から舐め上げ、今度は耳たぶの上側を撫でるように舌を這わせる。

もっと味わいたい欲望を表すように、水音を響かせる程強く吸いつく。

「んくっ、はぁん!」

まるで自分の耳が性感帯になったように、にこの舌と唾液に包まれて弄ばれる度に声を抑えきれない。

喘ぐこと自体が恥ずかしいのに、今は誰にも聞かせたことのない自分の喘ぎをにこに聞かせたい。

その気持ちがあんじゅの中にある羞恥を上回っていた。

「にこさんっ、んんんっ、ふぁあっ、にこさっ、んっ、ぁん」

今まで感じたことのない快楽の波が身体だけでなく、心の奥までも震わせる。

「ちゅるるっ、んくっ、ちぅーっ」

自分の舌で憧れのあんじゅ感じているのが嬉しくて、喘ぎに負けないくらいの水音を立てようと奮闘する。

「はぁはぁんっ、にっこさぁん。……ああん、あぁっ、きもち、いいっ」

あんじゅの脳を溶かすような甘美な喘ぎの中、二人を冷静に戻すように電子音が鳴った。

離れる合図かのようににこはあんじゅの耳たぶを包んでいた唾液を吸い込み、口を離す。

「はぁはぁ……あ、電話だわ」

少しぽんやりとしながら音の正体を言い当て、にこの身体を抱き締めたままベッドに置いてある携帯電話の元へ移動する。

にこも離れたくないというように抱き締められたまま、自分の意思で一緒に移動した。

左手はにこの背中に回したまま、電話を取ると唾液に濡れたままの耳に携帯電話を当てた。

「もしもし、ツバサ何かあった?」

「うん、知ってるわ。明日の練習は午後からでしょ?」

電話でツバサと話しながら左手に回すにこの背中を優しく撫でる。

にこは顔をあんじゅの胸に埋め、もうここは自分のお気に入りの場所と宣言するかのように……。

――二十分後...

ツバサとの電話も終わり、ポッキーゲームを始めた二人だが呆気ないくらいの残念な結果になった。

お互いに耳を舐め合うような行為をした為に、冷静になってからのポッキーゲームは常識的な緊張を遥かに超えていた。

チョコの部分をにこに咥えさせ、スティック側をあんじゅが口に含んだ瞬間、ポキッと折れることが多かった。

緊張し過ぎて口に含む時の力が強すぎてそれだけで折れてしまう。

修正を終えても、二口目で同じ結果が生まれる。

最後の一本は半分まで進み、お互いに見詰め合ってしまって恥ずかしさを誤魔化すように口を動かしてしまい折れた。

建前であるメンタルを強くする練習する以前の問題となってしまった。

しかし、あんじゅとしてはこれで終わるのは自分のプライドに関わると頭を回転させる。

ここでプライドが出てくる辺りがあんじゅの混乱具合を表現していた。

水を飲んで口の中の渇きを潤し、にこに提案する。

「ね、にこさん」

「なぁに?」

「ポッキーなくなっちゃったし、最後にポッキー無しのポッキーゲームしましょう?」

その言葉の意味を理解するより先に、あんじゅの唇がにこの顔――唇に近づく。

にこはキュッと音が立つ位の力強さで目を閉じる。

唇が触れる直前であんじゅが思い留まる。

《ファーストキス》

自分にとってもそうだし、にこにとっても同じこと。

それを自分の強引さで奪ってしまうのはいけないことだと良心の声に冷静になる。

ほんの少しだけ唇を前に動かすことで0から1に変わる。

だけど、今はまだ……。

少しだけ顔を下げ、にこの前髪を手で掬うと普段隠れているその小さな額に唇を捧げた。

「あんじゅ、ちゃん?」

「ポッキーなしの続きは次に泊まりに来た時にするわ」

「でも、私からは泊まるようには誘わない。泊まりに来てもいいって思った時はにこさんの意思で誘ってね」

そこまで告げると小柄なにこの身体を抱き締めたままベッドに倒れる。

「なぁっ!?」

「うふふ。でも、さっきのお返しはするにこ~」

倒れこんだにこの身体の上に四つんばいになり、にこの両手を押さえ込む。

「アレは先にあんじゅちゃんがしたからっ」

「仕返しに仕返しをしていてはいつまで経っても終わらないって言葉あるけど、そうじゃないと思うの」

「仕返しの仕返しをする時にもう仕返しするのが怖いと思わせればいいのよ」

自らの唇をペロッと舐めて肉食獣のようなあんじゅに、にこは何を言っても無駄であることを知る。

兎は脱兎の如しという言葉が作られる程素早いけれど、捕食してからは逃げることは出来ない。

「でも、無理やりになんてしないわ。にこさんが耳を舐めてって私にお願いするのよね?」

疑問符が付いていながら、其れは遠まわしの命令。

「……にこぉ」

思わず無意識に漏れる鳴き声すらあんじゅを悦ばせる物に変わる。

「にこさんは私にどうして欲しいのかしら?」

「……んぅ」

「にこさん」

覗き込まれる瞳と揺れる髪がとても綺麗で、口をもごもごさせた後に覚悟を決める。

「にこは……その、あんじゅちゃんに……耳を舐めて欲しいにこ」

「耳を舐めるなんて汚くて嫌」

突然の言葉に言葉を無くしたにこを楽しそうに見てあんじゅが続ける。

「でも、にこさんだけは世界で唯一特別。寧ろ私が舐めて綺麗にしちゃうわ」

「ぁぅ」

強制的に言わされてからの否定からの最高のデレ。

これで照れるなというのも無理な話で、身体を押さえられているような状態なので精一杯の抵抗とばかりに顔を背ける。

しかし、その抵抗すらもあんじゅの策。

仰向けの状態で顔を背けるということは、上に乗っているあんじゅに対して耳を差し出すのと同じ。

「いただきます」

完全に罠に掛かった可愛い兎の耳に顔を被せ、にこに仕返しされない手段を実行に移す。

舌を出すとにこの耳の穴に挿入させる。

「うひぃっ!」

女の子としてどうかという悲鳴を上げてしまうにこ。

「動いちゃダ~メ。にこさんが求めてきたことでしょう?」

「そんなことまで言って――ひぃぐ!」

「ぢゅるっ、んぷっ、ちゅ」

あんじゅの舌は耳穴の少し奥の部分までしか入らないのだけど、脳に水音が直接響くような錯覚が襲う。

にこの想像の範囲外の行為が体中を発熱させ、汗が一気に吹き出る。

「うふふ。にこさんってば、汗の匂いがしてるわ。耳の穴を舐められて興奮しちゃったの?」

「ちがっ! ……わないけど」

弱々しく本音を伝えるにこが愛しくて堪らない。

「にこさんはそうやって素直な方が素敵よ。ちゅぷっ、んっん、ちゅ~っ」

「ひゃああぁっ! んっ、やぁ、まってよ!」

喘ぐのも気持ち良かったけれど、恥ずかしがり屋なにこを喘がせるのもまた気持ちいい。

きっと明日になったら自分が今している行為に深く落ち込むのだろうと分かりながら止まらない。

にこの耳の穴を舐めるだけでは足りず、またキスマークがつけたい衝動に襲われる。

今度はもっと目立つところに自分を刻み込みたい。

それを誰かが見たらにこさんはなんて言い訳するのか想像するだけで心が躍る。

でも、その前に今は気になるところがある。

「にこさん、汗掻き過ぎよ。汗疹になったら大変。でも、今は手が使えないのよね」

その言葉が意味することは一つ。

首筋に浮かぶ汗の一粒ひとつぶを舌を這わせ、汗を自分の唾液に変えていく。

「はぁっ、んぅ、くすぐったいにこ~」

「にこさんの汗があれば塩分に困らないわね」

冗談を言えるくらいに余裕を持って舐めていく。

熱帯びたにこの身体を更に熱くさせるその舌は、次第に汗を掻いていない部分も唾液でマーキングする。

「あんじゅちゃんのしたっ、あつくてやけどしちゃっ」

「んっく、ぢゅぷり、んっ……火傷なんてしないわ。でも、にこさんの心は焼けちゃうかも」

口内に広がる塩っ辛いにこの味があんじゅのテンションを上げていた。

だからキスマークを付けることを我慢しない。

「ね、にこさん。喉の真ん中にキスマーク付けてもいい?」

「にぅ……だ、め。ひぅっ、そこは隠せないから」

「だからこそ刻みたいの。ダメかしら?」

「にこはスクールアイドルだからだめ」

そう言われてしまえばあんじゅは諦めるしかない。

「…………でも、あんじゅちゃんは強引にしちゃうにこ」

言葉とは裏腹に抑えているにこの手が、下から包み込むように握ってきた。

素直なにこも可愛いけど、言葉だけ素直じゃないにこもまた可愛くて顔が保てないくらいに崩れてしまう。

「私はスクールアイドルの前に強引な女の子だから。にこさんの言う通り」

「スクールアイドルのにこさんの目立つこんなところに強引にキスマーク付けちゃうのよ」

何度も子猫のようにその箇所を念入りに舐める。

「ちゅちゅっ、んっ、ぺちゅ」

「はぁっ、はぁん、あんじゅちゃんっ」

「うふふ。にこさん、キスマーク付けるわね」

まるでその行為こそが愛の告白であるように、今までで一番優しい口付け。

自分の名前を呼んでくれるにこの特徴的な声を出す器官。

愛しさを抑えることなく、更なる想いを告げるように吸い付き深く自分を刻む。

「ひゃぅぅっ、んぅっ! ……はぁ~っ」

ゾクゾクっと全身を駆け抜ける快感に体を預け、にこは熱く長い吐息を漏らす。

ぐったりと力の抜けたにこの上に自らの身体を預ける。

小柄のにこには少し苦しい重みだったけど、押しのけるようなことはしない。

暫くの間重なり合い、お互いの温もりを感じていた。

「にこさん」

「あんじゅちゃん」

身体を重ねたまま、何度もお互いの名前を呼び合って過ごすこの時間は幸せ以外の感情は存在しない。

「うふふ。にこさん」

「あはっ。あんじゅちゃん」

もう一つあった約束であるガールズトークはすることなく、二人の初めての夜は終わりを告げた……。 つづく

――土曜日 音ノ木坂学院

「今日の練習はこれくらいにしておきましょうか」

三人で泣いて一時中断したとはいえ、練習は冬の陽がくれ始めた頃に練習の終わりを絵里が告げた。

練習後にきちんと柔軟をして疲れた体を解す。

バレエ経験のある絵里は柔軟の大切さを知っているので、二人にも口を酸っぱくして忠告している。

「じゃあ、ウチは神社の用事があるから先に失礼するね」

「ええ、気をつけて帰ってね」

「ばいばいにこ!」

「ほな~」

優しい笑顔と共に希は屋上を後にした。

残された絵里も素早く帰り支度をすませる。

「ねぇ、絵里……あのさ」

「ん、何?」

「相談が、あるんだけど」

思わず二度見した後に絵里が言葉の意味を理解した。

「私に相談ね。いいわよ、矢澤さん」

「何でそんな嬉しそうな顔してるのよ。っていうか、矢澤さんって言うんじゃないわよ!」

「ふふっ。いいわよ、このエリーチカに何でも相談なさい。あ、でも買い物したいから先にしてもいい?」

相談は絵里の自宅で行うということで、一緒にスーパーで買い物をした。

「私の買い物ついでに何かお菓子一つ買ってあげるわよ」

「子供扱いするんじゃないわ!」

「とか言いながらポッキーを籠に入れる辺りがにこらしいわね」

買い物に寄ると言われた時点で買おうと思ってたので都合が良かっただけ、と心の中で口を尖らせる。

その後は何事もなく絵里の住むマンションへ着いた……。

――絵里の部屋

「高校生なのに一人暮らし。なに、最近の子ってそれくらい当たり前なの?」

ここに来て初めて知らされた事実に思わず口にしていた。

「最近の子って、にこも同い年でしょう。その口調から希が一人暮らししてること知ってるのね」

希ではなくあんじゅの事を示していたのだけど、友達でありながら教えてもらってないと言うのが恥ずかしくて同意した。

「ええ、希といい絵里といい一人暮らしだから気になっちゃって」

「私達が特別なだけよ。ほら、私の両親はまだロシアに居るから」

「まだってことはいつかは日本に来るってこと?」

「妹と一緒に来る予定よ。私はお婆様の母校に通うって目的と……」

一度言葉を途切れたが、絵里はにこの顔を見て再び口を開く。

「バレエを辞めたことを後悔してたから、日本に逃げたかったって気持ちの方が強かったの」

「絵里」

「そんなに心配そうな顔しなくても大丈夫よ。言ったでしょ? にこに救われたって。今を誇りに思ってるって」

晴れ晴れとした表情から、にこを気遣う為の嘘でないことが分かる。

「で、私のことは置いておいて。今は自分の相談事に集中なさい」

「うん。あのね……えっと、その前に一つやりたいことがあるのよ」

「やりたいこと?」

「ポッキーゲームって知ってる?」

絵里に買って貰ったポッキーを手にしながら質問すると、キョトンとしながらも頷いた。

「知ってるけど」

「何も言わずに一回だけやりましょう」

親しい友人が多ければ女の子同士ではおかしいとツッコミを入れただろうけど、残念ながら絵里には希しかいない。

だからにこにとっては都合よくポッキーゲームを開始出来た。

チョコの方を絵里に咥えさせ、スティックの方を自分が咥える。

昨夜の緊張が嘘のように冷静で、絵里と瞳が通っても胸が高鳴るようなことはない。

そのまま一口近づけると絵里も同じように進め、あっさりとあと一口で唇が触れ合う部分まで進んだ。

そこがゴールというように絵里がポキッと折ってゲームの終わりを告げた。

「……もしかして、相談事ってポッキーゲームがしたことないとか言わないわよね?」

冗談とも本気ともつかない絵里の言葉に慌てて否定した。

「そんなことで悩む程にこは暇じゃないにこ!」

「どうかしらね。勉強方面はかなり赤色に近いんでしょ? 期末テスト大丈夫なの?」

「今は勉強のことはどうでもいいのよ」

「どうでもよくないわよ。三学期からは練習も大事だけど、勉強面もきちんと見ていくからね」

絵里に相談したのは間違いだったかもと思うも後の祭り。

検証も終えたので紅茶で喉を潤していると、絵里が鋭い一言を発した。

「その喉の絆創膏と、うなじにあった痣が関係してる?」

「――」

飲み終えた後でなければ漫画のように吹き出すか咳き込むところだった。

「そのことも無関係ではないわ。詳しくは話を進めてから明かすから」

「じゃあ、聞かせて。にこは何に悩んで相談したいと思ってるの?」

初めて会った時の氷のような生徒会長と同一人物とは思えない柔らかくて人を安心させる言葉と微笑み。

「ちょっと色々あってね、私って意外と流され易いのかもって思ったの」

「え、意外じゃないでしょ? まだ短い付き合いだけど、アイドル関係以外は流され易いじゃない」

「……」

訂正、絵里の発言は時に氷そのものだと思い直す。

少し怯んだけど、自分の中に生まれた気持ちに名前を付ける為と奮い立てて、あんじゅとのやり取りを語った。

ある憧れの女性に対して友達になったこと。

緊張しながらも何度も逢って楽しい時間を過ごしたこと。

その人が居たからこそもう一度スクールアイドルとして立ち直れて、絵里と希を誘う勇気を貰えたこと。

「ここからのことは絶対に内緒にしてね」と念を押してから喉の絆創膏を外した。

「これとうなじの痣はキスマークなの」

「――え、今なんて?」

「だからキスマークよ、キスマーク!」

自棄になったにこはキスマークを付けられて嬉しいと感じたこと、一緒のベッドで寝て幸せだったことを口早に告げた。

「唇にもキス……しそうになったんだけどね、私の中の気持ちがまだ不確かだからだと思うんだけどしなかったの」

自らの唇を指でそっと撫でながら、その時を思い出すように語るにこの表情は大人びて見える。

対して絵里の表情は浮かない。

よりによって私にそういう相談がくるなんて、お婆様はこうなることを見越してああ言ったのかしらね。

思わず苦笑いしてしまった絵里を見て、にこは胸を締め付けられるような痛みを感じた。

「やっぱり気持ち悪いわよね、ごめん」

「違うわ! にこのことを気持ち悪いだなんて思ってないの」

唇を強く噛んから言うべきか数瞬だけ迷った。

後悔をいつか出逢う誰かの為にという祖母の言葉を心に刻んで、自分の後悔を吐き出す覚悟をした。

「相談の途中だけど、私の後悔を一つ聞いて欲しいのだけど」

「絵里の後悔?」

「そう。関係あるかもしれないし、関係ないかもしれない。聞くか聞かないかはにこに任せるわ」

苦しそうに一言ひとことを搾り出すような絵里に気を押されたが、にこは力強く頷いた。

「聞かせて、絵里の後悔」

「去年の梅雨の話なんだけどね、私にラブレターをくれた同級生の子が居たの」

「黙ってれば綺麗だものね」

「何よ~その言い方だと喋ったら綺麗じゃなくなるみたいじゃない」

にこの軽口が気遣いだと分かってたのでわざと乗る。
重く圧し掛かっていた苦しさが、少しだけ軽くなった。

「同性にラブレターを貰うっていうのが当然初めてだったし、理解不能だったの。だから本やネットで色々と調べたわ」

「いたずらとは思わなかったの?」

「手紙に書かれた文字がね、緊張で震えてる部分があったり、何度も書き直してたりしたら悪戯とは思えないわ」

実は今も絵里が使う机の引き出しにしまってある。

ただ、後悔の念が強いので一度も見直したことはない。

「それなのに私は調べた知識から勝手に結論を出した。その子を呼び出して言ったのよ」

「高校生くらいの多感な時期は同性に対して憧れる想いを恋と勘違いするのよ。貴女の其れは勘違いでしかない」

この言葉を告げた時の少女の傷ついた顔が絵里の後悔を加速させる。

もっと相応しい言葉があったのに、あの頃の自分は余裕がまるでなかった。

いや、詳しく言えばつい最近まで余裕があるとは言えない状況だった。

それを変えてくれたのが今絵里の目の前に居る小さな同級生。

にこのことを真に考えるのならこの話をせずに同じように否定する言葉を押し付けるべきだったのかもしれない。

まだグループ名もないとはいえスクールアイドルをしているにこは話題に晒されることがくるかもしれない。

その時に負う傷を考えれば今否定して傷つく方が傷は浅いだろうから。

お婆様の言葉がなければ同じ後悔を重ねていた。

だって、その感情に名前を付けるのは私であってはならない。

「その言葉をずっと後悔してる。人の心を勝手な想像で否定してしまったこと」

「……その子は今も音ノ木坂に居るの?」

「ううん。生徒数の問題からUTXに編入したわ。本当は私の言葉の所為かもしれないけどね」

「謝りたいと思いながらもUTXに知り合いが居ないから、待ち伏せるにも生徒数が多すぎるし」

「って、言い訳して謝りにも行けずに時間だけが過ぎて今に至るのよ。自分が情けないわ」

長いため息の後、紅茶を口にしてカラカラに乾いた口内を潤すと思いの丈を続けて語る。

「自分だけで解決出来ないのなら今のにこみたいに誰かに相談すれば良かったのよ」

「だけど私には人を頼る強さがなかった。私はにこのように強くなって……謝りたい」

「私は強くなんてないわ。そもそも、強かったら悩んだりしないし、練習に支障を出したりしないじゃない」

「それでも強いわ。だって私がにこの立場だったらこう考えてしまうもの」

真っ直ぐにこの目を見ながら囁くように言う。

「私はスクールアイドルだし、悪意ある噂で後ろ指を指されて笑い者にされるかもしれない」

「愛が深まれば深まる程、常識という壁が自分の心を苛む」

「一番大切な家族に胸を張って紹介出来るのか」

「……色んなことを考えて怖くなって勘違いなんだって決め付けて逃げたと思う」

「あの子の気持ちだけじゃなくて、自分の気持ちすら勝手な考えで否定する。本当に自分の弱さが嫌になるわ」

にこはフォローを入れることが出来ない。

あんじゅとの日々が楽しくて、絵里のように未来のことをまるで考えていなかっただけ。

自分はどう思われてもいいけど、スクールアイドルの頂点であるあんじゅに迷惑が掛かるのは絶対に嫌だ。

「今にこは相手に迷惑掛けるのが嫌だとかそういうこと考えてるでしょ」

「……うん」

「私が自分の後悔を話したのはその為よ。それって相手と一緒に話し合うべきことなのよ」

「にこが勝手に迷惑になるからと決め付けていいものじゃないの。私と同じ後悔を背負うことになるわ」

正直、何故ラブレターの話をしたのか半分くらい分かってなかったにこだが、その言葉で理解した。

状況は違うけど、相手の想いを勝手に決めようとしていた自分は、その時の絵里と重なっていた。

「相手がどうこうとか考える前に、自分の気持ちがどうなのか考えなさい」

「大丈夫よ。もしもの時は私だって黙ってない。にこのこと抱き締めて大好きって大声で叫んじゃう」

「にこと付き合ってるのは優木あんじゅじゃなくてこの絢瀬絵里なんだって。あっちはフェイクだってね」

「――」

二つの疑問が同時に浮かんで言葉が出ない。

「ふふっ。優木さんのことならレンタルショップで見かけたからよ。遠めでもにこがしおらしい態度なのが分かったわ」

尤も、そんな風になっているとは微塵も想像していなかった訳だけど。

「もう一つの疑問は簡単よ。自分を救ってくれた恩人の為に泥を被れないなんて人間失格よ」

「美貌的には優木あんじゅに負けてないでしょ?」

「あんじゅちゃんの方が可愛いにこ」

にこの回答を受けて絵里は相好崩す。

これはもう完全に惚気られてるのと変わらない。

「本当にそんなことしたら絶対に後悔するけどね。でも、お婆様が言う誇れる後悔だって確信してる」

そう笑う絵里は今までで一番綺麗な笑顔で、思わず見惚れそうになってしまった。

「ね、絵里。どうして好きって色んな形があるのかしら?」

「沢山の人を愛せるようによ。家族、友達、そして恋人。好きが一つだと寂しいでしょ?」

「……そうね」

今にこの胸で育っているこの気持ちは間違いなく好きという気持ち。

ママ・パパ・こころ・ここあ。

家族に対しての好きとは少し違う。

絵里・希…………友達としての好きとも違う。

だからこの好きに名前を付けるなら《恋心》

愛する人への好きに違いないんだと思う。

初めてだから確信はまだ出来ない。

きっと、昨夜の続きをして、この唇を奪われた時に確信するんだ……と、思う。

ただ、ほんの少しだけアイドルに対する憧れの好きである可能性もある。

「もう少しだけ考えてみようと思うの。じっくりと考えてきちんと自分の心にある好きに答えを出す」

「この気持ちが何なのか分かったら……二番目に絵里に報告するわね」

「約束よ。苦しくなったら私に吐き出しなさい。頼りないリーダーの世話くらいしてあげるから」

「私は妹しか居ないけど、姉が居たらこんな感じなのかしらね」

恥ずかしくて目を逸らしながら言うと、絵里の瞳が輝く。

「なんだったらエリーチカお姉ちゃん、もしくはエリーお姉ちゃんと呼んでもいいのよ?」

顔を赤くしながら絵里を睨む。

「絶対に呼ばないニコ! ……エリーチカお姉ちゃん、ありがとう」

「もうっ、素直なんだかそうじゃないんだか。どういたしましてにこっ!」

――60分後...

椅子に座ったにこの髪を櫛で丁寧に梳く絵里。

聞いたことのない、恐らくロシアの民謡か何かを口ずさむ。

「なんでこんなことされなきゃいけないのよ」

「ずっとしたかったのよ。ほら、私って金髪だから長くて綺麗な黒髪って憧れがあったから」

手を休ませずに弾むように答えると、空いた手でポンポンと頭を撫でた。

「子供扱いするんじゃないわ!」

「妹はお姉ちゃんにとっていつまでも子供なのよ」

「さっきは相談乗ってもらったから言っただけで、あんたは同級生でしょ! てか、誕生日いつよ?」

「十月二十一日よ」

「私は七月二十二だからなんなら私の方が少し先に生まれてるじゃない!」

ヒートアップしながらも、その頭が揺れることはない。

妹の髪を梳くのは自分の役目となって長く、自分が誰かに梳かれることが本当に久しぶりだったから。

美容院のように椅子の前に鏡があったら和んでいるにこの顔が映し出されていただろう。

「さて、そろそろいいかしらね。にこはやっぱりこの子供っぽいヘアーが似合ってるわ」

左右のテールを完成させるとふさふさと弄りながら絵里が言う。

「子供っぽいヘアーじゃなくてツインテールよ! 秋葉生まれの秋葉育ちに相応しい髪型なんだからね!」

「でも、このままだとキスマークが目立つわね」

「ってスルー!?」

にこの元気な反応に口を押さえて笑いを堪えると、普段使っている白のマフラーをにこの首に巻いた。

「これなら喉のキスマークも隠せるし、寒さ対策にもなるしで一石三鳥ね」

「でもマフラー貸したら明日の朝あんたが困るでしょ」

「これは初めてにこが私に相談した記念日としてプレゼントしてあげる」

「どんな記念日よ」

「だったらにこの妹記念日ね」

「外すわ!」

冗談だか本気だか分からないので思わずマフラーを解こうとするが、その手を握られて動きを止められる。

「それを外すなんてとんでもない!」

「その言葉より呪われて外せないって言葉の方が似合ってるわよ。離すにこ~!」

「ふっふふ。離して欲しければもう一度私の名前を呼んでみなさい!」

「どこの鉄仮面よ! 絵里でしょ!」

「残念、はずれよ。ヒントはお姉ちゃんが付くわ」

「いつから改名したのよ、この馬鹿エリーチカお姉ちゃん!」

にこが絵里の部屋を出るまで、悩み事を忘れて賑やかな時間を過ごした。

――あんじゅの部屋

にこがあんじゅの家に泊まってから四日後。

あんじゅの携帯電話が着信のメロディーを奏でた。

表示された名前は矢澤にこ。

携帯電話を掴んだあんじゅの指が震える。

「……にこさん」

連絡を入れることが出来ず、連絡もなかった日々。

短い間だというのにすごく寂しくて、切ない気持ちにさせられた。

自分がしてしまった行為と発言に後悔して泣いたりもした。

出ればにこの声を聞ける。

そう思いながらも拒絶の言葉を告げられたらと考えると、どうしても通話のボタンが押せない。

暫く続いた着信音が途切れた。

「にこさん」

逃げたいけど逃げたくない。

不安と期待のない交ぜの気持ちのまま、着信履歴の一番新しい番号に……ボタンを押した。

呼び出しのコール音を聞きながら、何を口にすべきか考える。

「もしもし、あんじゅちゃん?」

だけど、にこの声を聞いた瞬間、頭は真っ白になって涙がボロボロ溢れ出た。

「にっ……こさん、ごめんなさい」

あんじゅの口から漏れたのは謝罪の言葉だった。 つづく

――にこの部屋

可愛い天使達を寝かしつけて早一時間。

何度も置き時計の時間を確認しては携帯電話を手に取って置き直す。

にこはこの動作を数え切れないほど繰り返している。

時刻は午後十時半。

「……まだ、少し早いかも」

A-RISEはイヴとクリスマスの二日間は特別ライブが行われる。

当然ながら練習量も増えることになり、今の時間でもまだ練習しているかもしれない。

着信を残せばいいだけの話なのだが、答えが決まったので自分の電話から直接報告したい。

にこの気持ちの問題ではあるのだけど、これこそ正に乙女心。

静かに回る針を見つめながら時間の遅さになんとも言えないモヤモヤが積もる。

「何よ、今日は一秒が二秒の日なんじゃないの?」

言葉に出してぼやいてみても、常に平等な時間の流れがその早さを変えることはない。

携帯電話を手に取った時、着信を報せるA-RISEの曲に驚き携帯電話がベッドの上で弾んだ。

慌てて手に戻し、表示される着信相手を確認すると一気に上がったテンションが下がった。

「もしもし、こんな時間に何よ?」

『どうせ何も手に付かずボーっとしてるんじゃないかと思って電話したのよ』

全てお見通しと言う電話の相手――絵里に言い返そうとしたけど、図星なので反論は出来なかった。

『こんな時だからこそ勉強しましょう。何の教科がいい?』

「待ってよ、今勉強したって頭に入らないわよ」

『大丈夫。人間の暗記力っていうのはけっこう強いのよ。こういう精神的に追い詰められてる状態だと特にね』

追い詰めてるのはあんたでしょ~!

そうは思うものの、口答えするとお説教が待ってそうなので電話向こうの絵里にイーッと子供のようなことをした。

テレビ通話ではないので絵里には見えないので安心。

『見えないからこそ、イーッて言葉に出したら駄目でしょう。あのね、勉強は自分の為にするものなのよ?』

冷静さを失って声を出していた失態を悔やむ暇もなく、絵里のお説教を聞く。

きちんと聞いてないと途中で聞き返してきたり、突如質問してくるから厄介だ。

こないだの相談事が絵里の中の何かに火を付けてしまったらしく、今は完全に友達というより妹扱い。

気持ちの整理がついたことを報告するのはあんじゅの後だと宣言していたにも関わらず、察知している辺り本当に姉だ。

それが嫌と感じるどころか、嬉しがっている自分が居るのがなんとなく悔しい。

『少なくともにこは想像力はあると思うのよ。漢字は繰り返して覚えるしかないけど、作者の伝えたいこととか……』

『歴史は何かに当てはめて考えてみるのも一つの手よ。武将の名前も勿論覚えなきゃ駄目だけど、漢字から連想……』

『数学は電話口で説明すると余計に分かり難いと思うから、明日のお昼にでも食べてからするわ。次は英語いくわよ……』

お説教から見事な勉強コンボに渋々教科書とノートを用意して絵里に言われることを注意して書き出していく。

不思議と授業では中々入ってきてくれないことも、スムーズに頭に入ってくる。

絵里の美声効果なのか、それとも同じ学生サイドだからこその抑えるべきツボを熟知しているからか。

いや、もしかしたら姉パワーに包み込まれて洗脳されてるのかもしれないわ。

冗談でそんなことを思う余裕さえ生まれた。

『さて、本格的に遅くなっちゃったし、電話はこれくらいにしておくわね』

「……電話してくれてありがとう。お陰で有意義な時間になったわ」

『にこは本当に世話が掛かるから大変よ。亜里沙とどっこいかもしれないわ』

「絵里の妹って中学二年でしょ? それとどっこいとか失礼過ぎよ」

自分でも意識してなかったのに、後半部分がかなり拗ねた声が出てしまった。

その声がツボだったのか暫く電話向こうで絵里が笑った。

『……はぁ、はぁ~。そうね、にこの方が亜里沙より少しはお姉ちゃんね』

「ぐぬぬ! その言い方がムカついて仕方ないわ!」

『やめて、これ以上私を笑わせないでよ。眠れなくなっちゃうでしょ』

「むしろ眠れなくなって明日の授業中に眠って先生に怒られるがいいわ!」

子供みたいなにこの発言にほっこりしながら締めの言葉を告げる。

『生徒会長の威厳もあるから注意するわ。電話を切ったら私は寝るから報告は明日の朝一でいいわ』

『緊張する時は目を閉じて一番辛い時を思い出すといいわ』

「一番辛い時?」

気を紛らわせるつもりなら楽しい時の方が相応しいんじゃないかと思って聞き返す。

『ええ、一番辛い時。今のにこがあるのはその一番辛い時を乗り切ったからこそなのよ』

当然と言えば当然の話。

でも、だからこそ今があるという言葉が何か胸にストンと落ちた。

「……あんた、けっこういいこと言うわよね」

『綺麗な言葉を使えない人間は汚い人間になるって教えられて育ったからね』

誇らしく答えた絵里の言葉に、優しい顔をしたお婆さんが頭に浮かんだ。

きっと敬愛する祖母がそう教えたのだろう。

『それじゃあ、切るタイミングなくなるからこれで最後にするわ。おやすみ、頑張りなさいよ』

「うん、頑張るわ。おやすみ、エリーお姉ちゃん」

『ふふっ。ええ、明日の吉報を待ってるわ。可愛い私の妹にこにー』

嬉しそうな声と共に通話が終わった。

時計の針はシンデレラが狩りをする……じゃなかった、テンションが上がり過ぎている思考をにこは頭を振って戻す。

時計の針はシンデレラが王子様の前から逃げ出す時刻を示している。

一呼吸してから一度携帯電話を置き、目を閉じる。

自分にとって一番辛い記憶。

其れは間違いなくあの日のこと。

幼くてまだその事実を分かってない二人の天使と、泣きじゃくる私を抱き締めるママ。

……ね、パパ。好きになったのが女の子だって言ったらパパはどんな顔をするのかな?

それは駄目なことだよって嗜めるのかな?

丁寧に説明して諦めるように説得したかな?

でもね、なんでだろう。

自分勝手な思い込みなんだろうけど、パパは魔法みたいなその笑顔で私の頭を優しく撫でてくれそうな気がする。

にこは目を開けて目じりに浮かんだ涙を拭う。

「辛い記憶を思い出してたのに、すごい勝手なこと考えちゃったわね」

実際にパパが生きてたらどんな反応をしたのか分からない。

でも、真実に近い答えをくれる人が居る。

家族の中で一番パパと長い時間を過ごしたママ。

きっとあんじゅを紹介した時、ママは自分の言葉ではなくパパの言葉を代弁してくれると思う。

その言葉が反対なのか妥協なのか……それとも言葉ではなく先ほど思い浮かべたパパの行動と重なるのか。

気が付けば十分以上が経っていて、練習疲れにあんじゅが寝てしまうかもと携帯電話を持つとコールボタンを押した。

耳に当ててあんじゅを呼び出すコール音を数える。

だけど、二十五まで鳴っても出なかったので眠ったあとかもしれないと溜め息を吐いた。

どうしても寝る前に伝えたいと言う訳ではない。

だけど、あんじゅと通い合ってない寂しい時間を一秒でも早く終わりにしたい。

その願いが叶ったかのようにあんじゅからのコールが鳴った。

直ぐに通話ボタンを押して電話に出た。

「もしもし、あんじゅちゃん?」

『にっ……こさん、ごめんなさい』

一瞬の空白の後、聞こえてきたあんじゅの声は泣いていた。

「――」

何かを言葉を掛けようとしても状況が分からずに口から何も出てこない。

ただ、今何かを言えなければ終わってしまう予感がした。

そんなにこの背中を誰かが優しく押した。

「にこはあんじゅちゃんが好きにこ!」

その優しい温もりはにこが大好きだった人のものに似ていて、だから口から出た言葉も愛に満ちた想い。

にこは笑顔で振り返るけど、当然そこに誰かが居ることはない。

でも、確かにパパが応援してくれたんだとにこは確信する。

『え、にこさん?』

戸惑うあんじゅの涙に濡れた声。

そんな似合わない声をいつもの優しい声に変えたくて、だからもう一度愛を謳う。

「私はあんじゅちゃんが好き。この好きは友達としてでもファンとしてでもなくて、恋人を想う気持ちの好き!」

「世間には許されない感情だと分かってる。間違ってるんだって笑われるかもしれない、悪意に晒されるかもしれない」

「でも、私はあんじゅちゃんが好き。この気持ちは変えられない。この好きを止められない。諦められるなんて出来ない」

最近出来た自慢の姉が諦めるなんてことを許してはくれないだろう。

もしもの時はあんじゅの代わりに自分が嘲笑の的になるとまで言ってくれた絵里。

あれ程の素敵な言葉に報いるにはこの気持ちに誇りを持って素直になる以外にはない。

「あんじゅちゃんがいけないんだからね。私の気持ちを勝手に奪って、あんな恥ずかしいことまでして」

『あれは、私……その、』

あんじゅの紡ぎだそうとする言葉は言葉にならずに途切れる。

「ね、あんじゅちゃんは二十六日って練習入ってるの?」

『え、え?』

告白から日常会話に戻り、混乱してるあんじゅは余計に混乱する。

「今月の二十六日。もしかして練習入ってたりする?」

『……』

暫く電話向こうから無言というか、あんじゅの息遣いだけが聞こえる。

その間を辛抱強く返答が返るのを待つ。

『二十六日は練習お休み』

時計は見ていなかったけど、十分くらい経ってから返答があった。

にこは小さく深呼吸をして伝えたかった二つ目を繰り出す。

「あんじゅちゃんにお願いがあって電話したの」

『お願い?』

「うん。にこを二十五日に泊まらせて欲しいの」

その言葉が何を意味するのか、世界で二人だけが知っている。

あんじゅは息を詰まらせた後、熱い吐息を漏らす。

先ほどから電話で伝えられた言葉と、今の誘いの言葉が結ばれて漸くあんじゅの頭が理解を示した。

『にこさんは本当にいいの?』

「泊まりたいって言ってるのはにこの方だよ。いいかどうかはあんじゅちゃんが決めることにこ!」

魔法のように綺麗なにこの声に電話が通じた時とは違う意味で涙が零れるが拭うこともせずに頷いた。

三度頷いてから電話では通じないことを思い出して言葉を紡ぐ。

『にこさんに泊まりに来て欲しい』

「自分から言っておきながらなんだけど、二日連続のライブの後だけど大丈夫?」

『うふふ。UTXでスクールアイドルになることがどれ程の努力が必要なのか知らないから言えることね』

思わず素で「確かに」と同意するにこにあんじゅが笑う。

「それからね、二十五日までは電話やメールだけで会わないでいて欲しいの」

『ど、どうして?』

泣いて笑って動揺して。

恋をすると人はどうしようもなく繊細になる。

そのことをあんじゅは身を持って知った。

「私には期末テストがあるし、あんじゅちゃんにはクリスマスライブがあるでしょ?」

「やるべきことをきちんとしてから胸を張ってあんじゅちゃんと逢いたいの」

「馬鹿姉が煩いからきちんとテストが終わった後も勉強に励むわ」

『馬鹿姉?』

流れるように出た単語に本気で洗脳されてるのかもと思いながら訂正する。

「姉じゃなくてうちの生徒会長よ。勉強みっちり教え込むって張り切ってるの」

『にこさんは勉強が苦手なの?』

「にこっ!?」

勉強が苦手なんて格好悪くて黙っていたかったのに、絵里の所為でバレたじゃないと内心毒を吐く。

「えっと……うん、ちょっとだけ苦手かもしれないわ」

『くすっ。見栄なんて張らなくてもいいのよ。私だって芸能コースなんだから。勉強はそこまで得意ではないのよ』

あんじゅの言葉に胸を撫で下ろすにこだったが、UTXの芸能コースの一般教科は音ノ木坂よりもレベルが高い。

そのことを知ってショックを受けるのはもう少し先の話。

『私は好きなにこさんにありのままの自分を見せるわ。だからにこさんもそのままの姿を見せて欲しい』

「それって簡単そうですっごく怖い」

『私も怖いわ。でも、そう在れたらずっと一緒に居られる最高の未来が待っていると思うの』

無意識に左手の薬指を見る。

神様が決めた訳じゃないのに、愛する者同士が居なければ指輪を嵌めてはいけないルール。

あんじゅに手を取られ、優しく指輪を嵌められる未来がくるのだろうか……。

『うふふっ。私今すごいことを考えちゃったわ』

「すごいこと?」

『にこさんに結婚指輪を嵌めてもらう未来』

「にこも同じこと考えてた」

『ファーストキスもまだなのに二人して気が早いわね』

声が踊るあんじゅの言葉に少し訂正を入れる。

「でも既に恋人同士がするようなことはしたニコ!」

耳を舐め、耳の穴まで舐められて、首とうなじにキスマークを刻まれた。

『にこさんが可愛いのが悪いの。にこさんの罪だわ』

「あんじゅちゃんってば罪を押し付けて悪い子よ」

『にこさんの前では悪い子にもなっちゃう。ありのままの自分をせるから』

『二人が今日想像した未来が過去の出来事として体験する人生を送りたいから』

言葉が出せなくなる恥ずかしいあんじゅの発言に、にこの小さな胸は悲鳴を上げた。

『私はにこさんが好き。一緒に幸せな日々を見つけ、歩んでいきたい。ずっと、ずーっと!』

幸せ過ぎて言葉が出せずに頷くにこ。

『大丈夫よ。にこさんの声は私には聞こえてるから。今日からよろしくね、私の大切なにこさん』

二人の心が繋がった日。

スクールアイドルとして見つけた夢を叶える為の青春が始まる合図。

にことあんじゅは幸せな日々の中で成長し、愛を育んでいく。




ハッピーエンd……もうちょっとつづく!

◆喪失者にこ17歳 ~侵略者に怯えて~◆

矢澤にこは大事に守り続けるものがある。

純粋無垢な頃はまだ気にもしてなかったけど、成長の途中で気にするようになった。

それからは高校二年生の冬、クリスマス・イヴを迎えるこの日まで死守してきた。

だけど今日、それを奪われる。

初体験と言えば女子高生にとって甘美な響きに聞こえるかもしれない、だけど!

『にこ、大丈夫ですか?』

「すいません。大丈夫です」

取材にきたニーナに私は健気に頷いて答えた。

ここで挫けてしまえば、泣き寝入ってしまえば蹂躙される私の心は誰にも伝えることが出来ない。

心を強く持って悲しみに耐える。

『では続けます。切っ掛けは何時だと思いますか?』

「日付的には私に人生初めてにして最後の《恋人》がでっでで、できた日ですっ」

緊張故に声が裏返ってしまい羞恥に頬が熱くなる。

何度噛み締めても顔が緩む事実。

「あの日、約束した通りあの女に朝一で電話をして報告したんです」

グッと手に持っていたマイクを強く握る。

「二十五日のクリスマス当日にあんじゅちゃんの家に泊まることを。二日間あんじゅちゃんはライブであることもすべて」

『侵略者は自らを姉と言う単語を巧みに使い込み、にこの天使の心を手中に収めていたのです』

『優しく可愛く人を疑うことを知らない天使。その羽根を掴み、引きちぎるような侵略者の強行』

『それはテスト勉強という苦行を強いてにこを疲労させる手段から入りました……』

その日はテスト前々日の出来事。

金髪の侵略者・絢瀬絵里はチョコレートを出しながら、休憩を宣言した。

「あぁ~もうムリ。頭がパンクするわ」

「確かににこにはアフロとか似合いそうな雰囲気があるわよね」

「くすっ。にこっちが言うパンクとエリちが想像したパンクは別物だよ」

穏やかに笑いながら、わざわざ水筒に疲労回復効果のあるお茶を用意してくれた希。

あんじゅもそうだけど、希なくして第二のスクールアイドル生活は始まらなかった。

一部箇所だけ目立ちたがりだけど、その性格は月のように穏やかで人を包み込む安心感がある。

「お疲れさまだね」

「お茶ありがとう、希」

チョコレートで甘くなった口内をお茶で潤すと、このひと時の安らぎが続けばいいのにと嘆きたくなる。

「テストが終わればあっと言う間に二学期も終わりね」

「二学期も色々とあったけど、まさかウチがスクールアイドルに誘われるとは思ってなかったなぁ」

「それは私もよ。妹の亜里沙がすごく驚いてたのが印象的ね」

二人の会話を聞きながら机の上に上半身を倒してチョコレートを口に運ぶ。

「行儀が悪いわよ。女の子なんだからだらしないのは駄目よ。癖になるんだから」

「うっるさいわねー。疲れてるんだからいいでしょー」

もう既ににこのキャパシティーは限界を超え、楽な体勢でいないとこの後も続けられない。

顔の向きを絵里に向けると、べーっと舌を出す。

「まったく。授業をきちんと受けてきてればこんなに苦労することはないのよ?」

「テストに出る問題はあくまで授業で習った範囲のことしか出てこないんだから」

言い終わると今度はイーッとするにこに笑いながらその頭を撫でる。

「冬休みも勉強を頑張れば三学期のテストはいい結果が待ってるわ」

にこにとって死刑宣告にも近い言葉に思わず唸るが、ポンポンと頭を軽く叩かれてしまう。

「たすけてのぞみ~ん」

「助けてあげたいけど、助けないことがにこっちの為だから」

「希のいじわる~」

「自業自得でしょうが。私をスクールアイドル入りさせる格好が良いにこはどこいったのよ」

「アイ活と勉強は別物でしょ。やる気なんて湧かないわよ」

頬を膨らませると、小さい風船のようなほっぺを絵里の人差し指が押し込ませる。

にこの頬に指が沈んで「ぷ~」と息が抜けて元通りのほっぺに戻る。

「なぁにすんのよ~」

「にこは可愛いわね。亜里沙とは逆の可愛さだわ」

「エリちは最近にこっちのことがお気に入りだね」

絵里は頬をぷにぷにさせながら力強く頷く。

「まぁね。私はにこのお姉ちゃんだし」

「私は認めてないにこ~」

「最初はどうなることかと思ったけど、仲が深まって安心したよ。エリちにも余裕が出てきたみたいやし」

「希にはずっと支えられてきて、本当に感謝しているわ」

にこを弄る指が止まってない辺りが希の微笑をより濃くする。

「話は変わるけど、もう直ぐクリスマス・イヴよね」

「エリちからその単語が出るとは驚き」

聞けば去年絵里は「平日と変わらないでしょ?」という一言でクラスメートの誘いを一刀両断にしたらしい。

「去年はまだこっちの生活に慣れてなかったのよ」

羞恥心を誤魔化すように、にこのテール一本を何度も上下させる。

この時はウザイとしか思ってなかったけど、この話題こそが絵里の卑劣な策略だった。

「だって日本ってクリスマス休暇がないって聞いてたから、こんなに大々的に盛り上げる行事とは思わなかったの」

「郷に入れば郷に従え。今年はきちんとクリスマスを堪能するつもりよ」

にこの髪を指に巻きながら力強くアピールした。

「もう約束とかあるん?」

「まだないけどね。希やにこはイヴに予定とかあるの?」

「ウチは特にないよ」

「にこにーはイベント時は常に予定がぎっしりよ」

適当感溢れる返答に抗議するように、にこの頬をテールのさきっぽでくすぐる。

「ちょっと、やめなさいよ。くすぐったいでしょ、あははははっ」

これがまず一歩だったわ。

『目標を定め一気に距離を詰めない辺りが冴えたやり方ですね』

「ええ、そうなの。テストっていうのを上手く使ったいやらしい作戦だったわ」

「伊達にかしこいと言われて育っただけあるにこ。次の侵略は三日間あるテストの一日目」

『まだまだ頭がテスト勉強に向かってる時ですね』

「ええ、本当にさり気無い話題で私の妹二人の年齢と、イブの夜に友達と集まったりするのか聞いてきたわ」

「私は何の疑問も持たずに答えてしまった……」

両手を顔に当ててあの時の自分の軽い口を嘆く。

『そして、いよいよ侵略者が隠していた牙を見せる時が来たのですね』

「ええ、今度はテストから解放されて軽い練習と打ち上げという心躍る展開を終えたその夜だった」

「開放感の後の完全にリラックスしている夜まで待つ辺りが本当に狡猾だった……」

休憩中に掛かってきてくれた電話が終わったばかりで、その時は喜びが絶頂を迎えていた。

もう指折り数えるくらいでクリスマス当日。

久しぶりであり、恋人同士になって初めて逢う。

その意味が示すものは、守り続けたファーストキスを捧げるということ。

吐息が掛かる直前まで接近した唇同士が今度はきちんと重なる。

ほんの少し前まで考えられなかったことだ。

諦めと無力感で過ごしていた自分がこんな風になるなんて。

A-RISEの曲を口ずさんでいると、携帯電話が鳴った。

表示されたのは姉風をビュービュー吹かせるエリーチカ。

「もしもし。何かあった?」

『イヴにクリスマスパーティーを開くことにしたわ』

「はぁ?」

『開催場所はにこの家!』

「はぁぁぁっ!?」

寝耳に水と言える突然の宣言に夜だというのに大きな声を上げてしまった。

それも仕方がない。

にこは一度たりとも家に友達を呼んだことがなかった。

最初は意識していた訳じゃない。

でも、何時の頃からここに家を呼ぶことが恥ずかしいことのように感じて死守するように拒んできた。

『小学一年生の妹さん二人が喜ぶようにって、サンタさんの洋服も買ってきたのよ』

にこの心情を知らずに明るい声で話を進める侵略者。

『それからね、いつも食べてるチョコレートあるでしょ? あのチョコを使ったケーキを1ホール予約済み』

否定する言葉を封じるかのような甘い誘惑。

いや、自分だけならそんな言葉に揺れたりはしない。

サンタの衣装もそうだけど、ホールケーキがあればおちびちゃん達がとても喜ぶことは間違いない。

『グループの絆を深める為にも、こういうイベントで一緒にお祝いするのは当然のことよね、リーダー?』

絵里のトドメの一言ににこは白旗を上げる以外の選択肢を用意出来なかった……。

「あと二時間もしない内に絵里と希がここにやってくる」

『にこ、心中お察しします。ですが決まってしまった以上は楽しむしかありません』

「ありがとう、ニーナ。お陰でにこのささくれた心も癒されるわ」

「にこにーなにしてるのー?」

「ニーナちゃんだっ。ここあもいっしょにおにんぎょうあそびするにこ!」

今日の夜を遅くまで起きる為に寝ていた筈のこころとここあが部屋に入ってきて、にこは一気に覚めた。

金髪のお姫様人形ことニーナとの対話を見られて複雑な表情を浮かべるも、妹達は全く気にしていない。

「こころミーナちゃんつれてくるにこ!」

今日はクリスマスケーキが食べられるということでテンションがいつも以上に上がっている。

お陰で恥ずかしい場面も気にせずに流してもらえたので良しとしよう。

これを見られたのがあんじゅであったのなら、にこは再起不能だっただろう。

ありのままの姿と言われたけど、本当に変な部分は誰にも見られたくはない。

ニーナを抱き締めている天使の頭を撫でながら気持ちを落ち着かせる。

「ここあきょうはママがかえってくるまでおきてるの!」

「早く帰ってこれるといいんだけどね」

本人としては一緒にクリスマスをお祝いする気満々だったのだけど、会社のトラブルで帰りが遅くなるらしい。

短いメールだったのに、親子だからこそ分かる無念さを感じ取った。

「ミーナちゃんつれてきたにこー」

銀髪のお姫様人形と兎の人形を抱いてもう一人の天使が戻ってきた。

「にこにーこころもなでてー」

普段はここあより少しお姉さんっぽく振舞ったりするこころも、今日は完全に同じくらい甘えん坊になっている。

それが可愛くて人形を置いてから抱きついてきたこころの頭を優しく撫でる。

「二人共いい子だから今日はきっと変わり者のサンタが来てくれるかもしれないわ」

「サンタさん!?」

「にこにーサンタじゃないの?」

目を輝かせるここあと、小首を傾げるこころ。

いつも来てくれる小柄のサンタさんと違うのかなと不思議に思っていた。

「今年はにこにーサンタさんはお休みするんじゃないかしら?」

「そっかー」

「にこにーサンタさんげんきかなぁ?」

喜びから二人の会話を聞いて、ここあも毎年来てくれるサンタさんに思いを馳せる。

名前が思い切り《にこにーサンタ》と名乗ってるのに、純粋な二人はにこと同一人物だと思っていない。

そんな妹二人がいつかサンタが居ないと知って傷つくのか、それとも大きくなるまで純粋のままなのか……。

どちらにしても、いつまでも明るく優しい性格で育って欲しい。

年が離れていることもあるし、母子家庭ということもあってにこが多くの面倒をみてきた。

その所為か姉としてだけでなく、母のような気持ちも少なくない。

そして、だからこそ最近出来た姉の祖母の言葉がとても新鮮だった。

出来ることならずっと守り続けたいこの目に入れても痛くないくらい可愛い天使達。

でも、それだけじゃ駄目なんだと。

よく失敗して、上手くいかないことの方が多くて、泣きたくなるくらいの後悔も何度もあった。

後悔しない人生こそが最高と言えと思ってた。

でも、そうじゃないのかもしれない。

失敗や後悔が多くても、私のように時間を無駄にするようなことをしなければ明るい未来に繋がるだろう。

ううん、私の場合は無駄にした時間を補うくらいの素敵な出会いをプレゼントしてもらえたけどね。

にこはとても優しい表情をしながら笑みを零す。

そんな優しい時間を更に彩るように、にこの携帯電話が曲を奏でる。

約束の時間より早いけど、誰からの電話なのか見ずとも分かる。

せっかちなサンタが早くこの天使達に会いたいと言い出すのだろう。

家に友達を招くことに納得してなかったけど、今は納得してしまっている。

絵里と希。

大切なメンバーにならずっと守り続けてきた物を奪われてもいい。

そう思いながらも、少しだけ焦らしてやろう。

鳴り続ける携帯電話を他所に、姉妹三人の時間をもう少しだけ味わう。

今年のクリスマス・イヴは皆の心に温かな幸せを運んだ……。 最終回につづく

――十二月二十五日 レンタルショップ

約束のレンタルショップに先に着いたにこは、導かれるようにそこに移動した。

あんじゅを見つけ、思わず声を漏らしていた場所。

あの日、ここに居なければにこの運命は大きく変わっていただろう。

帽子に眼鏡を掛けて変装しても、その身から零れるカリスマ性は隠しきれていなかった。

それなのに、あんじゅの第一声は……。

思い出そうとしてみて気が付いた、余りにも緊張していてあんじゅの第一声を全く覚えていないことに。

「ね、こっち来て。これを見てどう思うかしら?」

それなのに、思い出そうとしている間に現れたらしいあんじゅが声を掛けてきた。

其れが答えなんだって心が理解する。

「あんじゅちゃん。久しぶり」

見覚えのあるパッケージの裏を見せるあんじゅの傍に寄ると、胸がキュンとする笑顔で出迎えてくれた。

「にこさんと漸く再会できたわね」

「うん、あの日からだからとっても長かったにこ」

DVDを棚に戻すと、流れるようににこの手を取ると指を絡めた。

恋人同士なんだから世間的にはおかしくても、自分達ではおかしくない。

何度も自分の中で唱えて心を落ち着かせ、自らも指を絡めて想いを繋いだ。

「うふふ。本物のにこさんの感触ね」

「本物って……にこは一人しかいないわよ?」

「今日ね、面白い夢を見たの。私がにこさんと音ノ木坂に通っていて、同じグループでスクールアイドルしてたわ」

想像してみようとしたけど、まるで想像出来ないカオスな夢になんとも言えない表情を浮かべるにこ。

「楽しそうだったわよ。……でも、それは姉妹って感じの仲でこういう関係ではなかった」

繋いだ手をにこの肩の位置まで上げて恋人アピール。

「私はにこさんが好き」

「にこもあんじゅちゃんが好き。たった一人にしか使えない好き」

紡がれる言葉に赤面するより早く想いを返し、見つめ合うと遅れて顔に熱がやってきた。

そんな反応にあんじゅは御満悦でレンズ越しの目が細まる。

「本当の好きを直接頂きました」

「恥ずかしいにこぉ」

「恥ずかしがることなんてないけど、恥ずかしがるにこさんは本当に可愛いわね」

追い討ちをかけてくるあんじゅに顔を背けて抗議する。

「うふふ。今日は何か一緒に観たい映画とかあるかしら?」

「えっと、ないわ。同じ物を観て共感するよりも……今日は二人で居るただその時間を大切にしたいから」

グッと溢れてくる愛しさに、空いた手でにこを抱き締めたい衝撃が凄かった。

だけど、人前で手を繋ぐ以上をすると注目されてしまうので泣く泣く我慢した。

早く人の目を気にしない二人の空間に行きたい。

「じゃあ、私の部屋へ行きましょうか。にこさんに言われた材料は買い揃えたし、お菓子や飲み物も用意してあるから」

「わざわざごめんね」

「私の方こそにこさんにお料理を任せちゃって申し訳ないくらいだもの」

「にこは料理好きだし、好きな人に自分の料理食べてもらえて嬉しいし」

「欲言えば毎日にこさんの料理を食べたいわ」

小さく呟いたあんじゅの想いを耳にしてしまい、それでも聞こえなかったフリで誤魔化す。

これが外じゃなければその豊満な胸に顔を埋めて抱きついていたと思う。

今まで以上にあんじゅの言葉の一つひとつが心に響き、胸を揺らす。

これが恋人同士なんだ……。

恋をすると人は弱くなるとも、強くなるとも耳にしたことがある。

一体どっちなのよって突っ込んだこともあるけど、今なら分かる気がする。

心が剥き出しにされて敏感になって、些細なことで傷つくと思う。

そういう意味では恐ろしく弱くなると言える。

だけど、この繋いだ温もりを手放さない為には、一人じゃ決して無理なことにだって立ち向かえる。

その勇気で成長させていくことが出来れば今の自分よりずっと強い自分になれるだろう。

店内を出ると冬の寒い風が出迎える。

「この寒さはにこさんの体温の温かさを感じさせてくれるから好きよ」

「にこも寒いのは苦手だったけど、あんじゅちゃんと一緒なら大好きにこっ」

前日のイヴではカップルが多く集まっていたであろう道は、今日はもうほとんど通常営業。

だったらあんじゅの住むマンションまで今日の主役は自分達でありたい。

「タクシーで楽をするのもありだけど、一緒に歩きましょうか?」

「うん!」

偶然にも同じ思いをしていたのかもとにこの笑みが強くなる。

「逢えた嬉しさに褒めるのを忘れていたけど、その白いマフラーにこさんの髪を見栄えさせて素敵よ」

「このマフラーは絵里に貰ったのよ」

褒められたのが嬉しくて真実を即答する。

その時、繋いだ手からあんじゅの力が抜けた。

「どうかしたの?」

「……た」

「えっ、聞こえない」

「忘れてたの。にこさんと過ごす最初のクリスマスなのに、私プレゼント買ってない!」

気迫の篭った咆哮のような叫びに通りを歩いていた人達の注目が集まる。

「あ、あんじゅちゃん。目立っちゃってる」

軽い変装だけではあんじゅだと気付く人も居るだろう。

せめて自分くらいは制服を着替えて私服で来るべきだったと後悔した。

リボンの色で学年を示唆する音ノ木坂は可愛いけど、特定が簡単というデメリットがある。

UTXと違って生徒数も少ないことから、リボンの色といくつかの特徴で個人を特定するのは容易い。

手を繋いでいるくらいなら何とも思われないと思うけど、あんじゅはスクールアイドルの頂点だから断定出来ない。

学院に何かしらの迷惑が掛かったりするのは避けたい。

それは自分がスクールアイドルだからではなく、絵里と希が生徒会をしているから。

特に、絵里の学院への思いは敬愛する祖母の思いも継いでいることを聞かされたので、絶対に迷惑は掛けられない。

だけど、この想いを捨てることは絶対にない。

ならば、細かくても自身が出来る細かい注意はしていかなければいけない。

そういう部分で怠惰になれば、世間から背くこの恋もいつか惰性になってしまいそうだという思いも浮かんだ。

「さ、にこさん。先に乗って」

色々と考えている内にあんじゅがタクシーを拾っていて、にこをエスコートする。

「えっと、歩いて行くんじゃないの?」

「その前に寄る所が出来たわ。大丈夫、変な所じゃないから。私の行きつけよ」

その言葉に背中を押されてタクシーに乗る。

あんじゅも直ぐに乗り、運転手に場所を告げるとタクシーが動き出した。

そう言えばタクシーに乗るのも懐かしいなんて思いながら、静かに頭をあんじゅの肩に預ける……。

――洋服店

タクシーにそのまま待っているように告げると、先に降りて乗るときと同じようににこをエスコート。

あんじゅの手に引かれて降りるとTVでしか見ないような場違いの威圧感すらありそうなお店。

東京育ちであるが冷やかしでもこんな高級そうな店に入ったことはない。

手を引かれていなければ足が竦んで中に入ることは叶わなかったであろう。

入店したあんじゅに直ぐに、だけど優雅にこちらに来て綺麗な礼をし、顔を上げてから挨拶する。

「優木様、いらっしゃいませ。本日はどのような御用件で足をお運びになられたのでしょうか?」

店員に名前を覚えられているのも驚きだけど、それを当然としているあんじゅにも驚く。

如何に安い材料で栄養あるご飯を作るかが日々の課題であるにことは別世界。

流石に気後れしてしまう。

「このマフラーに近い白のコートを。出来れば私が今着ているコートと同系統だと良いのだけど」

「こちらのマフラーに近い色合いのものですね。厳選しますので少々お待ち下さい」

再び綺麗な礼をしてから姿勢のよい歩き方で去っていく。

その背中を少し追いながら、背景にある洋服を見て不思議なことに気付く。

「あんじゅ、ちゃん?」

「くすっ。どうかしたの?」

緊張が声に張り付いていたのが面白かったらしく、あんじゅが微笑する。

「店内に……値札がないんだけど」

「サプライズでプレゼントするには最適でしょ?」

「いやいやいや! だって値段書いてないけど、ここにあるの全部きっと高価だし、そんなの受け取れない!」

これがスーパーで売ってるプレゼント用だから一枚千円もするハンカチならば買ってくれた以上受け取る。

だけど、まだ商品が出てきてなくて精算も済んでないのなら受け取るなんて論外。

高価なプレゼントが欲しくてあんじゅと付き合いたいのではなくて、ただ好きだから付き合いたい。

「私の将来はこのままアイドルになるだと思うの」

自分のことなのに少し客観的な物言い。

「これは完全なオフレコだけど、A-RISEは既にプロデビューのオファーがきてるのよ」

「えぇっ!?」

「UTXはスクールアイドルの養成学校みたいな部分もあるから、来年のラブライブ以降になるけどね」

「だから卒業前に本物のアイドルになると思うの」

A-RISEの人気を思えばそれくらい当然で、だけど驚きを隠しきれない。

「アイドルになってお給料入ったら、毎月両親に私に掛けた養育費を全部返すつもり」

「そんなことを望んではないと思うけど、でもけじめとして必要だと思うから」

「けじめ?」

「許されざる恋に生きるけじめ。孫の顔を拝ませてあげられないから」

三秒ほど時差が出てから髪の先から指のつま先まであんじゅの今の言葉が駆け巡る。

金魚のように口をパクパクさせるが出るのは声にならない呻きだけ。

電話口で言われるのと直接そういうことを言われるのでは威力が段違い。

「だからこのプレゼントもきちんと未来の私のお給料から出るプレゼントなのよ」

「他の誰にも遠慮したとしても、私にだけは遠慮して欲しくない。その記念すべき第一歩。受け取ってくれるかしら?」

口を閉じて表情を引き締めると、深く頷いた。

「……でも、どうしよう。にこはあんじゅちゃんみたいに将来に夢を持ってない」

高校に入った頃は幼い頃からの夢であるアイドルになることを信じていた。

でも、一人ぼっちになった部室で初めてみたA-RISEの衝撃的なライブ映像。

泣きながら自分はアイドルになれる素質がないことを教えられた。

だから、にこの心に将来なりたい職業というものがない。

「にこさんの将来は私のお嫁さんだもの。お家で家事をしてくれればいいのよ」

「にこにこっ!?」

「うふふふふ。その鳴き声が私達の運命の合図だったのかもしれないわね」

恥ずかしがる割りには嬉しかったのであんじゅにより密着する。

「でも、その前にきちんとにこさんのお母様に挨拶しないといけないわね」

「ママに挨拶?」

「そう。大事な娘さんを悪の道に連れ去るのだもの。許してもらえるまで通い続けて頭を下げる覚悟よ」

大丈夫、と声を出そうとして飲み込んだ。

ママにあんじゅを紹介することを何度か想像し、常にパパの代わりに許可をくれた。

でも、其れは現実となるとは限らない。

実に自分に都合の良い未来を妄想しているに過ぎない。

「絶対に説得してみせるわ。まだ会ったことがないにこさんの可愛い妹さん達を正式な妹にしたいしね」

「にこもあんじゅちゃんの両親に頭を下げるわ!」

「うちはいいのよ。自由主義というか、仕事が大好きで育児はお手伝いさんがしてたから」

このお店以上に、にこにとっては想像つかない世界で育ってきたことを知った。

「もしよかったら……だけど、今夜は小さい頃のあんじゅちゃんの話聞きたいな」

「いいわよ。その代わり、にこさんの小さい頃の話を聞かせてねっ」

「うん」

二人で過ごしてファーストキスをする以外真っ白な予定に一つだけ生まれた約束。

「大変お待たせいたしました。こちらとこちらが当店では一番そのマフラーの色と近く、お似合いだと思います」

「にこさんはどっちが好みかしら?」

「えっと……じゃあ、右の方が素敵にこ」

「では右の方をお願いします」

当然のようにカードで支払い、にこが元々着ていたコートを袋に詰めてもらい、買ったコートをあんじゅが着せた。

着ていたコートより軽いのに、生地は厚くてとっても温かい。

店を出て直ぐにプレゼントされたコートの素晴らしさを実感した。

「あんじゅちゃん、ありがとう」

「どういたしまして。これで雪でも降り始めればドラマみたいなんだけど」

「にこはロマンチックよりもあんじゅちゃんの手の温もりだけで十分よ」

「……にこさんずるい。今胸がギュってされたわ」

手を繋いだ手は離さずに見つめ合う。

ドラマであれば数秒後に訪れるであろうキスシーン。

でも、残念ながら二人の心は盛り上がっていても、人前ですることは許されない。

「少しだけもどかしいわね」

「うん。でも、ドラマと違って最終回は訪れないから」

「うふふ。それもそうね」

一緒に笑い合ってタクシーに乗った……。

――あんじゅの部屋

にこの得意料理チーズハンバーグを食べ終えて、別々にお風呂に入った。

今二人はベッドの上でその時を迎えていた。

「その、緊張するね」

「ええ、そうね。こないだはあんなことまでしたのにね」

ただ自分の物にしたいという衝動を押し付けたあの日と違い、思いの通じ合った間柄。

あんじゅに焦りはなく、にこを大事にしたいという気持ちが溢れすぎて動けなくなる。

何よりも愛する人へ向ける好きという気持ちをお互いに持っていることが、ここにきてどうしようもない程恥ずかしい。

にこはあの日のように直ぐにリードされて奪われるものだと思っていた。

だけど、あんじゅが自分以上に恥らっていることを知って動けなくなる。

ファーストキスとはそれほど大きいものなんだと改めて思い知らされる。

「……あんじゅちゃん」

「な、にかしら?」

「にこはあんじゅちゃんが好き」

真っ直ぐと目を見つめながらと言いたいけれど、ちょっと視線が泳いだのは愛嬌。

「ちょっと強引な感じでにこを知らない世界に連れてってくれて、えっちで優しいあんじゅちゃんが好き」

「えっちって……にこさんの意地悪」

甘えるように唇を尖らせるあんじゅ。

その仕草はにこと出逢う前はなかったもので、にこの癖を無意識に真似たもの。

恋人同士というのはこんな風に自分の仕草や好きな物等が好きな人の中で混ざり合うこと。勿論その逆も同じ。

もっと自分のことを好きになって欲しいし、多くのあんじゅを吸収したい。

にこの中で生まれたその想いが勇気を生んだ。

「あんじゅちゃん。キス、するね」

「……はい」

あんじゅは短く返事をした後、にこの両手を合わせると指を絡めた。この先もずっと一緒であることを願うように。

目を閉じたその唇に顔を近づけ、

「大好き」

一つの言葉が消える間に、にこはあんじゅの唇と触れ合った。

触れ合うまでは五分くらい見つめ合って緊張していたのに、触れ合った今は緊張が抜けていく。

最初からこうなることが約束されていたかのように。

繋いだ手と重なる唇からあんじゅの好きが伝わってくる。

ずっとこうしていたいと思いながらも、ゆっくりと唇を離す。

だって、唇を離さないと何度もキスが出来ないから。

離れた唇を追うように、今度はあんじゅから唇を重ねた。

でも、直ぐに唇は離れてあんじゅはにこの胸に顔を埋める。

「どうしよう、恥ずかしい。死にたくなるほど恥ずかしいわ」

搾り出すような小さな声。

「にこはあんじゅちゃんとキスできて幸せ」

「うん。私もすっごく幸せで、胸のドキドキが治まらないくらい。だけど、それよりも恥ずかしいの!」

「どうしよう、どうしよう、どうしよう! こんなに恥ずかしいなんて思わなかった。でも、嬉しいの」

自分の中で生まれた喜びと羞恥の板ばさみ。

「あの日のにこもそんな感じだったのよ?」

「うわぁ……にこさんごめんなさい」

「謝らないで。あの日があったから、にこはあんじゅちゃんに敬語使わないで喋れるようになったんだから」

切っ掛けとしては物凄く恥ずかしいけれど、でも事実である。

それからファーストキスをして思ったことを口にする。

「あんじゅちゃんが勢いに乗って唇を奪ってたら……今の気持ちより小さいままで完結してたかもしれない」

「もしそうだったら、あんじゅちゃんとの将来は訪れることがなかったように思うの」

「その場の勢いだけで燃え上がっちゃったことが愛情を鎮火させて、きっと好きが愛してるになる前に消えちゃってた」

「あの日にこの気持ちを大事にしてくれて嬉しかった。だから胸を張って今あんじゅちゃんを大好きって言えるの」

そのことを自慢するように語るにこ。

どんな顔をしてるのか見たくて勇気を出して顔を上げる。

出逢った頃より少し大人っぽくて、だけどとっても可愛い好きな人の笑顔。

恥ずかしさよりも大好きな想いが上回って、あんじゅは再びにこの唇に自分の唇を重ねた。

結ばれる唇から感じるぷっくりとしたにこの柔らかな唇。

世界中の誰よりも今私が幸せ者なんだって実感が生まれる。

離れてからにこの熱い想いに言葉で答えるべく一言紡ぐ。

「大好き」

羞恥に顔を逸らしたくなるけど、我慢した。

だって、ほら……恥ずかしさを我慢したからこそ、世界で一番素敵な笑顔が生まれる瞬間を見れたから。

二人はお互いの本当の小さい頃の話をしながら、唇が求め合う度にキスを交わした。

冬の遅い朝日がカーテンを照らす頃、漸く二人が眠りにつく。

本当はまだまだまだまだ話足りなかったけれど、今日からが全ての始まり。

だから続きはまた起きてから。

キス以上の行為もゆっくりと、愛と一緒に深めていこう。

意識が途切れる前にもう一度、

「あんじゅちゃ、だいすき」

数秒先に眠ったあんじゅからの返事はないけれど、聞こえてくるあんじゅの寝息だけで十分。

重い瞼が落ちて、あんじゅの体温を感じながらにこも眠りについた……。 おしまい

続編のタイトルは

にこ「あんじゅちゃんと素敵な運命」

今回と違って濃厚なにこあん百合的《変態》イチャラブになる予定です。変態と言っても『唾液うがい』程度かな?
シリアスや友情よりインモラルな百合が好きな人は建ってるの見かけたら覗いてみてください

それでは、お付き合いありがとうございました!

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