鷺沢文香エッセイ集『本とアイドルと私』 (246)

??ss初投稿どころかレスの1つ書いたことの無い新参者ですが、ひとつよろしくお願いします。
??
??このssは先日CG出版より発刊された、新人アイドル鷺沢文香さんのエッセイ集『本とアイドルと私』をCGプロダクションより許可を頂き転載したものです。
??なお、帯にはCGプロ女子寮において、著者の隣部屋にお住いの姫川友紀さんより、

「普段のフミちゃんとのギャップに萌えたね、あははは!!。...すいませーん、ビールまだですかー!?。」

とありました。居酒屋インタビューだったそうです...。
??なおエッセイ集ですので、文体はほぼ地の文となるので何卒ご了承下さい。それでは、幾分か遅い更新になると思いますが、お付き合い下さい。


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1369514826

0,はじめに

皆さんこんにちは、鷺沢文香です。この度は私の初めてのエッセイ集を手に取って
今回、ライブやテレビでは見られない私や、CGプロのアイドル達の普段の姿を皆さんにお届けしようとの趣旨で、筆を手にしました。賑やかで楽しく、けれども真摯にトップアイドルを目指す私達の新たな一面を知っていただけたら幸いです。また、私がこれまで読んだ本も多数登場します。これを期に本を愛してくれる方が一人でも多く増えることを願っております。
さて、本書はより詳細に、よりリアリティが出るようにと、原稿を日記形式で毎日記し、その中から選りすぐりのものを掲載しました。どの章から読んでも楽しんで頂けるようになっていますので、皆さんの読書スタイルに合わせて是非ご愛読下さい。
それでは、煌びやかな非日常の世界に生きるアイドル達の、有り触れたささやかな日常をどうぞ、お楽しみ下さい。

鷺沢文香エッセイ集『本とアイドルと私』

0,はじめに

  皆さんこんにちは、鷺沢文香です。この度は私の初めてのエッセイ集を手に取ってありがとうございます。
 ?今回、ライブやテレビでは見られない私や、CGプロのアイドル達の普段の姿を皆さんにお届けしようとの趣旨で、筆を手にしました。賑やかで楽しく、けれども真摯にトップアイドルを目指す私達の新たな一面を知っていただけたら幸いです。また、私がこれまで読んだ本も多数登場します。これを期に本を愛してくれる方が一人でも多く増えることを願っております。

  さて、本書はより詳細に、よりリアリティが出るようにと、原稿を日記形式で毎日記し、その中から選りすぐりのものを掲載しました。どの章から読んでも楽しんで頂けるようになっていますので、皆さんの読書スタイルに合わせて是非ご愛読下さい。
  それでは、煌びやかな非日常の世界に生きるアイドル達の、有り触れたささやかな日常をどうぞ、お楽しみ下さい。

ー 追記(という名目の抗議)ー
  この本のタイトル『本とアイドルと私』ですが、これは私が付けたのではなく、私の担当プロデューサーさんが、

「いやぁ、俺の初恋の人が『部屋とYシャツと私』が好きでなー。」

と言って勝手に命名したものです。なんでも、その初恋の人と私が似ているそうなのですが...知りませんよ、そんなこと!。

1,X月Y日「私の天敵は私が、天敵。」

 そもそも、インターネットが主流になり、アイドルの情報発信もブログが当たり前のこのご時世になぜ、私はブログも作らずエッセイを書いているのか、疑問に思われても仕方ありません。事実ファンの皆さんから届く質問、疑問の大半はこの内容です。インターネット上でも様々な憶測が飛び交っているとも聞きました。運営上の方針や、秘密主義を用いたキャラクター作り又は話題集めとか。他にも私が某国のお姫様で、極秘でアイドル活動をしている...なんていったものもあるそうですね。ファンの方々の想像力には驚かされますが...実際にはそんな大それた事ではありません。

 実は私、大の機械オンチなんです。しかも精密機械になるほど、相性が悪いみたいで。携帯電話は辛うじて通話とメールは出来ますけど、それ以上の機能はさっぱりです。ましてや最近流行りのスマートフォンなんて、余りにもハードルが高すぎます。
 先日、大学のレポートを書くためにノートパソコンを購入したのですが、ほぼ何ももしないうちに壊れてしまい、今晶葉ちゃんに修理をお願いしています...。そんな私がブログなんて書けるわけもなく、でも情報発信は大切だということなので、エッセイを書くこととなったのです。...ちなみに、この 原稿も手書きで書いてます

 私の機械オンチは不得手であること以外も問題あるそうで、晶葉ちゃん曰く、

「文香くんは電子機器と相性の悪い体質なのかもな。」

...なのだそうですが、そんな体質あるんですか...。そういえばこの前も事務所で紗南ちゃんがテレビゲームに誘ってくれたのですが、私がコントローラーに触れた途端、画面が真っ黒になったり、本来出て来ないキャラクターが表れたり、ゲームが勝手に進んだり...と、テレビの向こう側は阿鼻叫喚の巷と化してしまいました。しかし紗南ちゃんはというと...、

「何これっ!?。」

と驚きつつもこの状況を携帯ゲーム機のカメラでしきりに写真を撮って一言、

「これで今度の(ゲーム)雑誌のコラムはばっちりだね!。」

..この逞しさは見習わないといけません。ちなみに、一緒に居合わせた小梅ちゃんは画面を見ながら、何故か嬉しそうにしていましたが、一体何が視えていたんでしょう...。

 思えばその他にも同様な事象がいくつもあり、例えば叔父の本屋では幾度となくパソコンを壊し続けたため使用禁止になったこともありますし、先日電子書籍のモニターのお仕事を頂いたときも、5分と立たず電源が付かなくなってしまったこともあります。...余罪を挙げるとキリがありません。どうやら私が電子機器を苦手としているだけでなく、嫌われてもいるようです。とてもじゃありませんが、私は電子の妖精になれそうにはなさそうです...。

 この話をすると多く皆さんが同情を寄せて下さるのですが...、実は私自身はそれ程問題視していなかったりします。調べものや様々な情報は本や雑誌、新聞などの活字媒体で事足りますし、私からの情報発信については、エッセイを書くことで解決しました。CDラジカセやDVDプレイヤーなどは流石に扱えるので、パソコンや携帯電話などに頼らなくても問題ありません。ですので、こんな体質でも現代社会で充分に生きていける自負はあるのです。
 ...それでも、大学のレポートはパソコンを使う事が絶対条件なので、晶葉ちゃんの修理が終わってから暫くは泉ちゃんのパソコン教室に通う必要がありそうです...。

2,X月R日「胸を張って、前を向いて。私らしく。」

 ライブやテレビ、イベント等で私の事をご覧になったことのある方は既にご存知かも知れませんが、私は極度の人見知りで、引っ込み思案です。最近は少しずつ人前に出ることには慣れて来ましたが、話をする事はまだまだ抵抗があります。せめて少しだけでも!...と意気込んでもそう簡単にはいかず、結局噛んでしまったり、声が小さくなったり...。さらには私の自信の無さが拍車を掛け、お仕事自体に支障をきたしてしまう事も...。...対してこのコラムを書くお仕事は性に合っていると言いますか、周りを気にする事もなく(吃ったりする事もなく!)、とても気楽に望めています。

 しかし、このままで良い訳がありませんし、何とかしなくてはなりません。普段のレッスンでも色々と対策をしてもらっていますが、大人数のCGプロのアイドルをたった4人で面倒を見て下さっているトレーナーさん達にこれ以上無理を言う事は出来ません...。なかなか良い打開策が見つからないので、思い切って先輩アイドルの川島さんに相談することにしました。そうしたら、

「じゃあ私が見てあげようか?。」

と、思わぬところから救いの手が。川島さんは元々放送業界に身を置いていたそうで、話すことに関してのプロフェッショナルです。それだけでなく、女性らしい振る舞いや、物怖じしない凛とした態度が素敵な方で、私にとって憧れの先輩であります。その川島さんからの個人レッスンの申し出に私は内心飛び上がりながら、是非ともお願いすることにしました。

 そして今日が、そのレッスンの第一回目でした。人目になれる訓練も兼ねるため、レッスンは女子寮の一階にある談話室で行われることに。団欒している皆さんに見られるだけでも恥ずかしいのに、人通りの多い玄関口に繋がる入り口に向かっての発声練習は、私にとっては相当ハイレベルな内容でした。羞恥で顔を真っ赤にしながら、伏せがちにレッスンを受けてると、

「始めは誰でも恥ずかしいものよ。私だって新人の頃はものすごく緊張したしね、わかるわ。」

と、私の頬を両手で包み、目線を合わせて、

「でも文香ちゃんとっても可愛いし、もっと自信を持って胸を張らないと、勿体無いわよ。」

と、微笑んでくれる川島さん。

「文香ちゃんの個性は凄く魅力的なんだから...、それをもっと磨いていかなきゃね。」

...その言葉に勇気付けられ、ようやく顔を上げる事が出来ました。そうして練習を再開しようとしたのですが...。...川島さんの後ろで何故かチアガールの衣装を身に纏い、ポンポンを手にした智香ちゃんの姿がありました。私の視線に気付くと「にま~」っと人懐っこい笑みを浮かべて、

「フレーフレーふーみかさんっ☆」

「ガンバレガンバレふーみかさんっ☆」

と、華麗なチアダンスを見せてくれました。...とってもいじらしい智香ちゃんの姿が嬉しい反面、応援されてる気恥ずかしさからか私の顔はまた紅潮してしまい、レッスンが終わるまでそれが引く事はありませんでした...。
 ...初めての個人レッスンは反省点ばかりでしたし、そう上手く事の運ぶような事でもありません。それでも今日は、少しずつ前を向いて「私らしい」アイドルを目指して頑張ろう、と心に決めることの出来た良い1日となりました。

ー追記ー ?
 その後何度かレッスンをして頂き、満を持してあるトークイベントに挑んだのですが、観客の中にいらっしゃった 、長髪サングラスの方が繰り出す謎の カンペの笑いを堪えるのに必死で、全くトークになりませんでした...。次こそ頑張ります...。

http://i.imgur.com/8zUf3Iz.jpg
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鷺沢文香(19)

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白坂小梅(13)

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池袋晶葉(14)

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川島瑞樹(28)

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若林智香(17)

>>25さん、画像ありがとうございます。

 再開の前に。どうやら私が浮ついた気持ちで起こした行動が多くの方の気分を害したようです。申し訳ありません。もう少し落ち着いてやっていきます...。

では、短いですが再開します。

3,X月θ日「飛ばない部屋の三姉妹」

 寮生活、と聞いて皆さんは何を思い浮かべますか?。

 私が真っ先に思いついたのは、エーリッヒ?ケストナーの『飛ぶ教室』でした。
 始めて読んだのは小学生の頃です。当時はあの寄宿舎生活に憧れ、私も中学校に入ったらあんな素敵なクリスマスを過ごせるんだ!...と思っていました。
 そんな幻想は、実際に中学校に入学して脆くも崩れ去りましたが...。

>>27
キニスンナがんばれ!

 ちなみに私はいつも腹ペコで腕っぷしの強いマティアスが、昔からお気に入りです。弱虫のウーリに誰だって強くなれると諭す姿は、まるで私に向けて話しかけてくれているようで...。

 気持ちが沈んだときに読み返す、私にとって鎮痛剤のような本です。

>>29
ありがとう!


 さて、CGプロダクションには現在3つの女子寮があります。

 地方でスカウトされて上京してきた子や、自立を目指すアイドル達がここで寮生活を営んでいます。

 寮といっても、ヨハン.ジギスムント.ギムナジウム(『飛ぶ教室』の舞台)のような外出許可証が必要なわけでもなく、スリル溢れる脱走劇も皆無。

 最新式のオートロックに各種防犯機能、オール電化に完全防音を備え、福利施設も充実した環境は、私達に平穏な日常をもたらしてくれます。

 私の住んでいる第三女子寮は通称「タワー」と呼ばれています。8階建てのビルの外観が、単に他の寮よりも高いというだけの理由なのですが...。

 1階は談話室、トレーニングルーム、大型キッチンなどの共有施設が備わり、2階から上は個別に与えられた部屋があります。
 居住フロアには各面に3部屋ずつ、計12部屋が用意されています。フロア中央は吹き抜けで、入ってくる日差しが心地よいです。

 私に割り当てられたのは、2階西側に位置する中部屋でした。その部屋に向かって左は友紀さん、右側に響子ちゃんが入居しています。

 プロデューサーさん曰く「ムードメーカーの長女、博識の次女、しっかり者の三女」。

 まるで三姉妹のようでしっくりくるからこの部屋割りにしたそうです。



「文香さん今日は何食べたいですか?」

 と、響子ちゃんは毎日聞きに来てくれます。

 以前寝食を殆ど取らず、三日三晩本を読み続けて倒れたことがあります。その時看病してくれたのが響子ちゃんでした。

 そしてそれ以来、彼女は殆どの家事の面倒を見てくれています。

 また友紀さんもやはり家事に疎いため、やはり響子ちゃんのお世話になることに。

 そうして、朝晩の食事は響子ちゃんの部屋で3人一緒に頂くようになりました。

 またある日、私が帰宅するや否や響子ちゃんから、

「お掃除しときましたよ」

と一言。
 部屋に入ると...リビングに積まれた本のタワーはすっかり影を潜め、書の海で見えなかったフローリングは西日に照らされ輝いていました。

 この出来事以降、私は響子ちゃんに頭が上がりません...。


 3人で夕食を取った後は、部屋に篭って時間の許す限り本を読み漁るのが日課です。

 しかし、キャッツの試合がある日の夜は、長編小説は読まないことにしています。

 というのも、試合が終わると、友紀さんは必ず私の部屋に乱入するのです。

 キャッツが勝てば片手にビール、もう一方にメガホンを持ち満面の笑みで、


「フミちゃーんっ? キャッツが勝ったー?」

一方、キャッツが負けると、

「フミちゃ~ん...負けたぁ...キャッツがぁ~」

と泣きながらやはりビールとメガホンを持ってやってきます。
 その後はやれ静めたり慰めたりで、気付けば午前様、なんて事はよくあります。

すみません、訂正です。

>>40
「?」は「!」です。申し訳ありません。

 そして今日はそのキャッツの試合でした。 結果は2試合振りに勝ち星を上げ、サヨナラホームランまで決まったそうです。

 当然友紀さんのテンションは最高潮。つい先程までビールを煽りながら如何にキャッツが素晴らしいか、数々の名試合のエピソードを交えながら熱く語ってました。

 ...そして今、散々騒いで疲れ果てた友紀さんは頭を私の膝に置いて熟睡しています。この膝枕、もはや恒例行事となっており、最近は足も痺れなくなってきました。

 もう少しすると、毛布を持った響子ちゃんが片付けにやってくるでしょう。流石、出来る妹です。



 ...でも、友紀さんも何もなしに騒いでいるわけではありません。

 どんな時でも明るく務め、周りを元気付ける。何があってもポジティブに私達を励ます姿は、どことなくあのマティアスと重なって見えるのです。

 そしてウーリである私の背中を押してくれる彼女に、またしても頭が上がらないのです...。


 ...こんな姉と妹に囲まれた生活が続くうちは、どうやら『飛ぶ教室』の出番はなさそうです。


 確かにこの女子寮では、非日常的な大冒険が起こるわけではありません。でも、幼い私が夢みた寮生活がここにあります。
 それに、現実離れした体験はアイドル活動だけで充分でしょう?。

 ...今日母が手紙を寄越しました。「上手くいってる?」と書いてあったので、「驚くくらい!」と返しました。

ーーー

 とりあえず今日はここまでです。改行を増やしてみましたが、読みやすくなっていれば幸いです。

 時間は遅くても29日までには再開する予定です。何とも曖昧で申し訳ありませんが、よろしくお願いします。





http://i.imgur.com/okkzz3g.jpg
http://i.imgur.com/gCKmM0p.jpg
姫川友紀(20)

http://i.imgur.com/wkiy7wW.jpg
http://i.imgur.com/M7t6pCA.jpg
五十嵐響子(15)

 遅くなりましたが、再開します。

4,F月Ε日「コーヒーを運ぶ猫」

 今日の私は珍しいほど積極的でした。

「思いたったら吉日だよー、すぐに行動しなきゃ!」

 昨日友紀さんがそう言い放ち、突如野球場に向かったからでしょうか。

 それとも、今日読んだ物語の主人公に当てられた?


 どちらにせよ、「あの子」がきっかけを作ってくれたのは間違いありません。

 ...それは13時を過ぎた頃だったでしょうか。響子ちゃんの部屋で昼食を食べた後、自室に戻り読書を再開しました。


 本はクレオ・コイルの『名探偵のコーヒーのいれ方』。

 手軽に読めるミステリーですが、それ以上の魅力を内包しています。

 バイタリティに溢れ、マンハッタンにあるコーヒーハウスを仕切る女主人公クレア。

 その周りで起こる事件、元夫との関係、新たに芽生えそうな恋。

 魅力ある登場人物が、その物語に彩りを加えます。

 そして何よりも、「コーヒー」...




 ...読み進める度に、微かに香ってくるローストされたコーヒー豆の匂い。シルクの蒸気がそれを運んできます。

 でも、おかしい。

 本当に感じるべきなのは、私をぐるりと囲んだ本の山から発せられる、灼けた紙と古ぼけたインクの匂いの筈なのに。

 ...すると、口の中に微かな潤い。舌がその苦味、酸味を思い出す。喉を流れる時のその滑らかさときたら。

 ...思わず唾を飲む。舌先に指を這わせる。

 ...熱い。

 その熱が微かな満足感となり、私を包む。つかの間の幸せ。

 ...でも、所詮はニセモノ。それは背中を伝って逃げて行く。止めることは出来ない。

 そうして、空っぽになる私。

 舌を弄っても、熱を感じない。身悶えしても、哀しくなるだけ...。


 ...立たなければ。
 
 今動かなければ、あの快楽は永遠に手に入らない。

 私はアレが欲しい、今すぐにっ...!




 ...はっ、と我に帰りました。

 辺りを見回して、変わりがないか確かめます。

 大丈夫、何ともない。


 ...しかし安堵するのもつかの間、ベランダから物音が。窓を叩いているようでした。

 驚いてそちらを見ると、カフェオレ色の猫が一匹、部屋を覗いています。

 ...ジャヴァ?

 クレアの愛猫が目の前にいるようで、思わず口ずさんでいました。

 私が気付いたことを察知したのか、その子は私の目を見て、

「ミャオ」

と一声鳴き、欄干の向こうへと消えて行きました。


 あの猫は何をしに来たのか?。そもそも2階にあるベランダにどうやって入ったのか?。

 その時の私に、そんな事を考える余裕はありませんでした。

 ただ、見つめ合ったあの瞳が、私の中の何かを突き動かします。

 ...立たなければ。


 手製の栞(偶然にもカフェオレ色!)を読みかけのページに挟み込み、急ぎ早に寝室の奥にある棚へ。

 途中足を突っ変えて本の山を一つ崩しましたが、そんなことに構っている余裕はありません。

 響子ちゃんの可愛らしい文字で『料理の本』とメモが添えられた棚の前で、『コーヒー』の言葉が書かれている本を片っ端から読み漁りました。


 そして1時間後、私は寮近くにある商店街の入り口に立っていました。

 片手にはメモ用紙。中にはコーヒーを入れるための道具の一覧が並んでいます。

 まずはこの道具を買えるお店を探さないといけません。

 どこに何があるのか分からない以上、一軒ずつ調べていくしかなさそうです。


 覚悟を決めて踏み出そうとした途端、

「やぁ、文香君じゃないか」

 と、後ろから呼び止められました。


 振り返ると、そこにはあいさんの姿が。


 いつも颯爽たる風姿で、人々を魅了する事務所の先輩。

 私服であろう白いシャツに、黒のスラックスを合わせたパンツルックが彼女の凛々しさを一層引き立てています。

「ここで会うなんて珍しいね。買い物かな?」

 茶色の紙袋片手に尋ねて来ました。


 この商店街は、食料品や生活雑貨のお店がひしめき合っています。

 普段ほとんど縁のない私が来ているのですから、珍しがられても不思議ではありません。

 そんな私が事情を説明すると、あいさんから、

「じゃあ丁度いい。良かったら一緒に来ないかい?」

と嬉しいお誘いが。

 何でもコーヒーには並々ならぬ拘りがあるそうで、今から行きつけのお店に行く所だったそうです。

 私は喜んで着いて行くことにしました。


 あいさんのお気に入りだというその店は、商店街のほぼ中央に位置していました。


 白い壁に、フラワーリースの飾られたウッド調のドア。

 色鮮やかな花々が植えられたプランターが軒先を彩どりが、どこか田園風景を連想させます。

 窓にはテディベアや犬の置物などが仲良く並んで、外を眺めていました。

すいません、>>70で訂正です。

X;色鮮やかな花々が植えられたプランターが軒先を彩どりが、どこか田園風景を連想させます。

◯;色鮮やかな花々が植えられたプランターが軒先を彩り、どこか田園風景を連想させます。


 卓上には4つのカップと、話題のチーズケーキ。控えめな甘さと爽やかな酸味が、コーヒーを一層引き立てます。

 穏やかな時間が流れる中、他愛も無い話で盛り上がりました。

 最近みくちゃんのラジオ番組が凄いらしい、などと話しているときです。

 ふと、あいさんが部屋の角にある物を指差しました。

 そこにあるのは、実家から持ってきた短波ラジオ。

 父の青春時代の相棒だった品で、今のものの倍以上の大きさがあります。

 「たまにはラジオでも聴け」と言われ持たされたんでしたっけ。

 最近はもっぱら友紀さんが野球中継を聞くために働いています。

 手元に引寄せ電源を付け、膨大な周波数からチャンネルを合わせます。

 プツプツとノイズが途切れる音をかいくぐり、海外の音楽番組が掛かりました。

 DJの軽快なトークと共に、異国の音楽が次々と流れて来ます。

 すると、耳慣れた曲が聞こえてきました。

 バングルスの『胸いっぱいの愛』。

 音楽の好きな母が、カーステレオでいつもかけていた曲。

 スザンナ・ホフスのハスキーボイスが心地良いミディアムバラード。

 思わぬ選曲に聴き入りながら、何気なしにこの巧緻な邦題を心の中で反復してみました。

 『胸いっぱいの愛』...『むねいっぱいのあい』...『胸一杯の愛』...



...『胸に一杯の愛』?


 私は頓悟したかのように、手元のコーヒーカップに視線を落とします。

 次いであいさんを見やりました。先程の会話が再生されます。

 そして友紀さんと響子ちゃん。大切な二人。一緒にいる時間はまるで家族のようで...。




 ...あぁ、そうか。

 あの子はこれを私に運んで来てくれたんだ。


 そう気付いた途端、ちょっと笑ってしまいました。

 私の様子を、不思議そうに眺める三人。


 この結論を三人に聞いてもらうため、暫しお茶会は続くことになりました。

 ...何時の間にかDJが変わり、聴こえてくるジャズが外の
雰囲気に溶け込む時間まで。



 夕食を終えてから一人、もう一度コーヒーを淹れてみました。

 ...インスタントよりは美味しいですが、あいさんが淹れたものには遠く及びません。

 それでも自分で淹れた満足感とその香りは、私をマンハッタンのコーヒーハウスへと誘います。

 そしてロマンスとサスペンスに溢れる世界に、想いを馳せるのです...。


 覗いて見ると、そこにはやはり昼間のお客さんが座っていました。


 猫は私と、私のマグカップを見ると満足そうに

「ミャアオゥ」

と鳴き、笑ってるような顔を向けてきます。


 そしておもむろに立ち上がり踵を返すと、星空の中へと消えていきました。



 ...ふと机を見ると、置いてあったクッキーが一枚無くなっている事に気付きました。


>>93訂正


 ...そうしていると、またしても窓を叩く音が。

 覗いて見ると、そこにはやはり昼間のお客さんが座っていました。


 猫は私と、私のマグカップを見ると満足そうに

「ミャアオゥ」

と鳴き、笑ってるような顔を向けてきます。


 そしておもむろに立ち上がり踵を返すと、星空の中へと消えていきました。


 
 ...ふと机を見ると、置いてあったクッキーが一枚無くなっている事に気付きました。




 その後再び部屋にやってきた二人の隣で今、この原稿を書いています。

 友紀さんがクッキー片手にねこっぴーのこれまでの勇姿と功績について語り、響子ちゃんは相槌を打ちながらコーヒーを啜っています。


 どうやらあの子のおかげで、これまで以上に明るく賑やかになりそうです。



 ...ありがとう。


 あなたの運んできたコーヒーは、私の大切なものによりコクと深みを出してくれました。



 今度ゆっくり遊びに来て下さい。美味しいコーヒーと、あなたの好きなクッキーを用意して待っていますから...。



#4はこれで以上になります。

正直長かったと反省してます。次回はもっと短くするつもりです。

次回は早ければ土曜日、遅くても月曜日には再開します。

http://i.imgur.com/5P1d9Be.jpg
http://i.imgur.com/SKZqiIk.jpg
東郷あい(23)

>>101
画像ありがとうございます。


...まさか2日も遅れるとは...。もし待っていて下さった方がいたら、本当に申し訳ないです。


再開します。よろしければお付き合い下さい。



5,F月K日「オレンジ・フラッシュ・バック」

 どんな本も、読んでくれる人を待っています。いつまでも大切にしてくれるパトロンを。


 ...もしかしたら、ヒトも一生付き合ってくれる本を求めているのかもしれませんよ?




「お掃除しますっ」

 エプロン姿で部屋に入ってきた響子ちゃんは、開口一番そう宣告しました。

 午前10時。外は晴天、目が覚めるような青が空いっぱいに広がっています。


 しかし、私の中にはサンダービーチに光る青い稲妻とその雷鳴が響き渡り......。






 ここ数日、出版協会や古書組合などの仕事で忙しく、ゆっくり本を読んでる余裕すらありませんでした。

 辛うじてショートショートを読み繋ぎ、そしてようやく今日、一日読書に充てられる時間を得られた...のですが。


 部屋に引き篭もって、井上ひさしの『吉里吉里人』を読み始めようと手にした私に、

「なので今日はお出掛けしてきて下さい!」

 と、笑顔でもう一撃稲妻を落とす響子ちゃん。手には掃除道具一式が握られています。


 ...この様なやり取りは今に始まったことではありません。

 響子ちゃんは、普段余りにも外に出ない私を気にして、こうしてたまに天日に投げ出すのです。


 ...まあ、私がいると掃除が捗らないという事もあるのですが。



 しかし久々にゆっくり本を読めるこの機会、無下にする訳にもいきません。


 どこか落ち着いて読める場所は...!?

 ...そういえば、友紀さんは昨日から仕事で部屋を開けています。

 あまつさえそこを使おうかとも考えていると...

「友紀さんの部屋もお掃除しますからねっ」

と、先に釘を打たれてしまいました。


「さあさあ!。たまにはお日様にでも当たってきて下さいっ」

と、私の背中を押す響子ちゃん。

「全くもうっ。友紀さんも文香さんもすぐに散らかしちゃうんですからっ!」

 トドメの一撃。

 最近家事に関して一切口を出さない逆らわない、が暗黙の了解と化してきています。


 私は観念して、出掛ける準備を始めました。

 最近はのあさんに感化されてか、SFを読み漁っていました。

 しかし、こんな気持ちの良い陽光の下で読むなら別のものが良いでしょう。


 あれこれ考えていると、ふと卓上に積まれてたオレンジとブルーの表紙の本が二冊、視界の隅に飛び込んできます。

 ...これだ。

 そう直感し、それらとヘミングウェイなど数冊を掴んで鞄へ詰め込みました。


 ...そうして支度を済ませ、柚ちゃんから貰った麦わら帽子を被った私は、初夏の青空の中へと足を運びました。




 寮から歩いて15分程の所に、大きな運動公園があります。

 ここの広場には一面芝生が敷き詰められ、四方に目をやると、大小様々な樹木の壁。

 他にもテニスコートやバスケットゴール、バックネットなどの施設も揃っており、事務所の方々もよく利用しています。


 私は木陰の一つに腰掛け、木漏れ日の下で読書に勤しむこととしました。


 部屋でピンと来た二冊は、共にユーモアミステリ作家のカール・ハイアセンの著作。

 私はオレンジ色の表紙『フラッシュ』を手に取り、ページを捲り始めました。


 ...カジノ船を沈没させた父。その父の正義を証明するため、家族を守るためにキーラーゴを駆け回るノア、アビーの兄妹。そして待ち受けるアンダーウッド家の運命...。


 読み進めているうちに私もまた、フロリダ諸島を舞台に繰り広げられる大騒動に巻き込まれていくのでした...。




 ...どれ位の時間が過ぎたのでしょうか。

 残り50ページにも満たないあたりでふと足元にコツン、と何かが当たる感触。

 それはビーチに揺らめく波ではなく、サッカーボール。


「あー、わりぃわりぃ」

とこちらに向かってきたのは、勿論死んだはずのボビーじいちゃんでなく...晴ちゃんでした。


 どうやらサッカーの練習をしていたようで、動きやすそうな衣服を身に纏っています。


「ってあれ、文香さんじゃん。何してんの?」

 そう聞く晴ちゃんに答えると、ふいに私の手元の本に目をやり、

「ふぅん。ちょっと見せてよ、それ」

と指差してきました。


 以前「読書は何か苦手」と言っていた晴ちゃんが興味を示したのに、私は思わず感嘆としてしまいました。


 彼女は本を手渡されて表紙を見ると、

「色はカッコいいけど...この魚はなんかマヌケだな」

と辛辣な一言。


 しかし、物語の冒頭に目を通し始めた途端...

「あっはははっ、何コレ!?。しょっぱなからオヤジ捕まってんじゃん!!。おっかしー!!」

 と、どうやらお気に召したようです。


 程無く晴ちゃんは私の隣に座り込み、物語にのめり込み始めました。


 あの晴ちゃんが本に熱中している。

 こんな状況下で本を返してもらう訳にはいきません。

 鞄からブルーのもう一冊「ホー」を取り出し、一緒に読みふけることにしました。


 涼風が時々私達の髪を靡かせるのに、身を任せながら...。




 夕暮れ時、二人帰路に着きました。黄昏の中、晴ちゃんは遠くを見つめながら、

「ノアはさー、あんな破天荒なオヤジの事をどうして好きでいつづけられるんだろうなぁ」

と尋ねてきました。


 少々気にかかり、お父さんの事が嫌いなのかやんわりと尋ねると、

「別にオレも嫌いな訳じゃないんだぜ、オヤジの事は。...何だかんだで今は感謝してるし」

と、困った様な笑顔を見せる晴ちゃん。


「こう夕焼けを見てるとさ、オヤジや兄貴達とサッカーしてた事を思い出してさ...」

 西に消えつつある太陽を見ながら同時に、あくる日の情景をそこに映し出していたようです。


「でももしオヤジが船沈めたら...ノアやアビーみたくいられる自信は無いんだよなー」


 ...私には答えられませんでした。

 でも、その答えをカール・ハイアセンは示しているはず。


 『フラッシュ』はプレゼントする事にしました。

 きっと晴ちゃんなら「グリーンフラッシュ」を見つけられると思って...。




 今日響子ちゃんに追い出された事、積まれていた本が訴えてきて、巡り巡って晴ちゃんの元に辿り着いた事。

 偶然か必然かは分かりませんが、まるで磁石のように惹きつけられた一人と一冊。


 ...ちょっぴり晴ちゃんが羨ましいです。

 私もいつかそんな一冊に出会える事を願いながら、床に就くことにしました。




#5は以上です。

前回よりも短くなったはずなのに1週間近くかかるとは...。


ご覧になってくださる方がいるようでしたら、11日位までには再開したいと思います。

http://i.imgur.com/gIfuTx5.jpg
http://i.imgur.com/IJWsmKJ.jpg
高峯のあ(24)

http://i.imgur.com/UGsCZVh.jpg
http://i.imgur.com/oTHcuBk.jpg
喜多見柚(15)

http://i.imgur.com/jDdSiIq.jpg
http://i.imgur.com/iMVuI5K.jpg
結城晴(12)

お久し振りです。

もしやと思ったら、案の定20日になりました。

再開します。宜しければお付き合いください。

7,6月19日「さよなら、は言えなくて」

 それは愛か、それとも憧憬か。

 遺された文字が語り掛けてくるのは、物語を通り越して...。



 私と美優さんが三鷹駅に降り立つと、時間は13時をとうに過ぎていました。構内ですれ違う人達は皆傘を片手に、いつ雨が振り出してもおかしくは無い梅雨の気まぐれに備えています。

  改札口を抜けて南口...これから向かう先を見据えると、向かい風が涼気を運んできました。幾分か心地良いのですが、ビルの谷間から覗く雲で覆われた空模様と湿り気を含んだ空気は、何処か陰鬱な気分にさせてくれます。


 今日私達が三鷹市にやって来たのは、今年で65回目となる「桜桃忌」に参列する為でした。


 1948年6月13日。愛人と共に玉川上水に入水し、自らその生涯に幕を下ろした作家太宰治。『人間失格』や『走れメロス』など、数々の名作を残した文士の亡骸が発見された6月19日は、奇しくも39歳の誕生日であったため、「桜桃忌」と呼び彼を偲ぶ日となったのです。

 昨晩、私の部屋にやってきた美優さんが、一緒に行かないかと誘ってくれました。

 聞くと美優さんは太宰治の熱心な愛好家で、時間を見つけては青森を初めとしたゆかりの土地を度々訪ね、桜桃忌にも毎年足を運んでいるそうです。


 私は丁度仕事も授業もお休みで、また前々から行きたいと思っていたので、丁度良い機会だと、ご一緒する事にしました。


「それじゃあ...行きましょうか」

 私にそう告げると、美優さんは慣れた脚付きで南口のデッキを降りて行きます。

 片手に傘を、もう一方に百合の花束を抱える姿、淑女という言葉が似つかわしい所作と表情は、すれ違い様に思わず振り返ってしまう程儚く、美しいものでした。

 後を追うようにして、私もその場を離れました。




 さて中央通りを20分程歩くと、段々と活気も薄れてきて、道ゆく人の数も減ってゆくなか、目的地の禅林寺に到着しました。

 立派な山門を構え、様々な施設を揃えているこの寺社は、太宰の他に森鴎外が埋葬されていることでも知られています。

 本堂の横にある地下道をくぐり、墓地に向かうと、桜桃忌に来たのであろう人達が既に集まり始めていました。歓談したり、写真を撮ったりと和やかな雰囲気を催しています。

 太宰の墓石を中心に出来たその輪の中に私達も混じり、様子を眺めることにしました。

 外柵に囲まれ、太宰と津島家の墓碑が隣り合う墓前には、多くの花やお酒、文庫本と桜桃...さくらんぼが供えてあります。


 そうして時が経つにつれ、後方からは三々五々と参列者が集まってきました。

 午後2時になる頃には、墓地は太宰を偲ぶ人で溢れかえっていました。中には新聞社の方でしょうか、腕章を付けカメラを構えている姿も見受けられます。

 その合間を縫って、住職であろう方が現れました。矢庭に厳然とした空気が周囲に流れ込んで来ます。墓前に立つと、読経が始まりました。

 粛々淡々と執り行われる桜桃忌。時折シャッターを切る音が鳴り渡りますが、厳かな雰囲気を破ることはありません。

 それぞれが思い思いにこの文人を偲ぶなか、私と美優さんも、読経が終わるまで手を合わせ続けました。


 住職が本堂へ戻られたあと、凛ちゃんのお家で見繕って貰った花束を供え、改めて墓前に合掌した後、その場を去ることにしました。



 駅の方面に戻る途中で見つけた古本屋に立ち寄り、甘味処で買ったたい焼き(シッポまで餡子の入っていてちょっと幸せでした)を頬張りながら、私達は「太宰治 文学サロン」へと向かいました。

 太宰が通った「伊勢元酒店」の跡地にあるこの文学サロンは、三鷹で過ごした期間の資料を中心として展示されています。


 年表や写真を眺めながら、特に目を引いたのは、特別展示と銘打ってあった遺作『グッド・バイ』の資料の数々。

 ...太宰治の最後の作品を『人間失格』と覚えている方もいらっしゃると思います。

 しかし、もし、手塚治虫の最後の作品が『ネオ・ファウスト』であると言い、栗本薫であれば『グインサーガ』とするならば...その答えは変わっていきます。

 未完の絶筆『グッド・バイ』。

 朝日新聞に連載するため、10回分の校正と13回までの草稿までを用意されながらも最後まで脱稿されなかった作品。

 女癖の悪い編集者田島周二が、まともな生活を手にするため、「ものすごい美人」でありながらがさつな永井キヌ子の協力を仰ぎ、愛人達と別れようと模索していく......ここで物語は終わっています。

 仕事に関して大層真面目で、原稿を落とす事も無かったという太宰がなぜこのタイトルで書き、未槁のまま玉川上水に入水したのか。そして田島とキヌ子はどのような結末を迎えたのか、今となっては誰も知り得ません。

 これに興味を惹かれた私はそこに佇み、資料や複製された原稿などを暫く見入っていました。


 ...しかし、それ以上に夢中になっていたのが、美優さん。

 一字一句も逃すまいと、展示物の入ったガラスケースにくぎづけとなっていました。

 まるで...そう、何か当ての無い捜し物を見つけようとしているかのように。


 暫くしてから美優さんが顔を上げ、こちらに照れたような微笑を見せるまで、私達がそこを離れることはありませんでした...。



 文学サロンを後にすると、周辺にある太宰と地縁のある場所を美優さんに案内してもらいました。

 色々と歩き回り、最後に向かったには武蔵境駅との境にある「陸橋」。

 鉄道ファンの方にも有名なこの橋は、太宰のお気に入りだったそうで、ここの階段に佇む写真は余りにも有名です。

 未だ当時のまま残っている数少ない建造物。私たちは階段を登り、そこから広がる風景を暫く眺めていました。

 相変わらず空は翳っていますが、西の方では薄くなった雲から黄昏の光が透け、まるで絵画の様な幻想的な情景が作り上げられていました。


「文香ちゃんは、あのあと...『グッド・バイ』の最後は...どうなっていたと思う?」

 電車庫を下にして、面前に拡がるパノラマの開放的な景色に現を抜かしている私に、美優さんが問いかけてきました。

 私も文学サロンを出てからずっと頭の片隅で考えていた...いえ、『グッド・バイ』を読んだ人なら一度は考えるであろう疑問。

 どう答えれば良いか思いあぐねましたが、少々思案に更けた後、こう返しました。

 ...恐らく、田島とキヌ子は添い遂げる事は無くても、交わりを持つことになったのではないでしょうか。

 私の思い描いた、陰鬱でありながらも、陳腐で、ロマンチックな結末。

 それを聞いた美優さんは、柔らかい微笑を目元に浮かべ私を見つめます。

「私も昔、そう思っていたんだけどね...」

 そう切り出すと、一息ついて、美優さんの描く結末を話してくれました。


「今はね、二人は決して結ばれる事は無かったと思っているの。...だって、どっちも引かないんじゃあ、当てはまらないでしょう?。だから、田島がどうにかして物にしようとしても、仮にキヌ子からアプローチしても、お互いが反発し合ってしまうんじゃないかな...ってね」

 ...大人らしい、成熟したその結論。

 私が辿り着かなかった答えに思わず感じ入っていると、それを察知したかのように、

「なんて...本当はまだわからないんだけどね」

と少し俯き、控え目にはにかむ美優さん。

 まるで色恋沙汰を語る少女のような仕草が、逐一いじらじく見て取れます。

「だから、色んなところを訪ねているの。何故だか分からないけれど、いつか見つかりそうな気がして...」

 顔を上げると、再び夕陽の透ける空へと目を向けました。その視線はかつて太宰が眺めた景色を探っているかのようで...。

「これまでも...きっとこれからも、ね」

 そう言って瞳を伏せる姿見は、やはり美術館の住人のようで...私の目に焼き付きついて離れることはありませんでした。



 『グッド・バイ』

 彼が最期に遺した言葉と、それを紡いだ物語はしかし、未だ多くの人の心を離さず、別れることを良しとはしないようです。

 そしてまた、それを追い続ける美優さんも、きっと、別れの言葉に返事を返すつもりはないのでしょう。


 ...相思相愛。


 この言葉がピタリと当て嵌まる2人の関係に心打たれながら、街灯が煌き始めた三鷹市を後にしたのでした。


御無沙汰しています。

長い間更新せず、申し訳ありません。

これだけ期間が空いてしまうと、愛想尽かしてしまわれたと思いますが...。

再開します。宜しければお付き合い下さい。



8,F月K日「夢幻の怪異」


「われわれは怪談を認めることはできません。摩訶不思議を信ずるわけには行きません。この世に『ありうべからざる事柄』は存在しないのです」

 ー江戸川乱歩『蜘蛛男』よりー




 ー煩わしい金属音が四方の壁にぶつかり、反響し、部屋中に拡がっていく。この部屋は仄かに薄暗いが、カーテンの隙間から伸びる射光が床にまだら模様を描き、東の空が白んできたと告げている。

 ...今日もまた、朝が戻ってきたのか。いつも通りに、当たり前の顔をして。

 部屋の片隅に配置されたベッドに備え付けられた棚の、より床に近い位置に鎮座する目覚まし時計は、それを知らせるために既に5分もの間、がなり続けている。

 彼奴こそが、この騒音の主であり、夜明け特有の喧騒を...それは雀の囀りであったり、朝刊太郎の乗るカブのクラッチ音であったり...悉く潰しているのだが、いやなに、そんなに責め立ててはいけない。 これは彼の日々の業務であり、責務なのだ。

 寧ろ、その忠誠心は敬意に値するだろう。何せ毎日のように叩かれ、落とされ、時に洋箪笥に向けて投げつけられても、嫌な顔一つせず持ち主に仕えているのだから。


 さて、その主人たる少女、今日は如何様にして彼を止めるのか。そろそろ7分が過ぎようとしていた。10分間鳴り続けると、この目覚ましは勝手に頭上のハンマーを止める仕掛けが施されている。

 つまり、彼女はそれまでに布団から抜け出し、身支度を整え始めないといけない。でないと、寝坊したのかと勘ぐるお節介な隣人が、ずけずけと部屋に入ってくるのだ。

 ...一人で起きれないなんて、格好がつかないし、決まりが悪い。常日頃そう考えている彼女は、このかしましい家臣と共に毎朝、微睡みの心地良さや、二度寝の誘惑を相手取っている。そうして面子を保ってきたのだ。これまでも、そして恐らく、これからも。



 ...しかしながら、今日に限って一体どうしたというのか。ベッドの上で、掛布団を頭からすっぽりと被さっている少女からは、一向に動く気配を感じ得ぬ。普段ならとうに目覚ましを手にかけ、背伸びの一つしても良い時分である。

 それが手は疎か、体をピクリとも動かさないのは、どうにも様子がおかしい。...何か病気でも患ったのか、もしくは何処か痛むのだろうか。

 拡がる緊張と懸念。秒針が進むに連れ、それは次第に膨らんで行くのだが、次の瞬間、大きく弾け飛んでしまった。



 それは残り時間1分を切った矢先の出来事であった。ふいに布団から伸びた腕に薙ぎ払われた目覚ましが、鈍い打音と共に、棚から床へと吹っ飛ばされたのである。


 ...そうか、今日は叩き落される日であったか。

 だが、この程度で狼狽えるほど柔な作りではない。普段どれほど粗雑に扱われても、所詮少女の細腕の力など高が知れている。壊れることは疎か、傷一つついた試しもない。メイド・イン・ジャパンの誇りが穢されることなど、ありはしないのだ。



 ...しかし、何かがおかしい。桃色の繊維の海に投げ出された、これまた同系色をした鉄塊は、先程までとは異なった様相でそこに転がっていた。

 盤面を覆う厚い硝子には、一本の大きな罅が入り、それに沿うようにして長い溝が、鉄製の躯体にくっきりと刻み込まれていた。余りにも不可思議な、全くあり得ないほどの傷跡。



 このような珍事を...まだ15にも満たぬ少女が......しかも生身の腕のたった一振りで、起こしたとでもいうのか。...いや、その様な芸当の出来る子では無い。

 それでは何か。全く別の人間...それとも人ですらない何かが、この布団に包まり、息を潜めているとでもいうのか...。



 ...成る程。確かにベッドの上にもまた、一種異様な様子である。敷布団の上にある膨らみは異常に大きく、華奢な身体つきの少女では到底足りそうもない程の体積を有している。更に所々から見え隠れする黒茶色の...棘であろうか、明らかに人間の有するものではない。もっと...別の何か......。



 だがしかし、これは真に奇怪な話であるが、件の少女はそこで眼を開いた。昨晩、自ら潜り込んだこのベッドの上で、間違いなく少女本人の意識が、深い眠りから醒めたのだ。


 ...今、何時だろう? まさか、寝過ごしてはいまいか?


 寝起きだからであろうか、自身の身に起こった異変に全く気付かぬ少女は、体を何一つ動かすことなく、視線のみを頭上に置かれた目覚まし時計へと合わせた。

 読者諸君は既に御存知の通りだが、本来そこにあるべきものは、見るも無残な姿形で絨毯の上に転がったままである。

 当然、少女の目先にあるのは、ぽっかりと空いた空間と、そこを取り囲むように配置された縫いぐるみのみであった。だが、さほど当惑した様子ではない。


 ...また落としてしまったのかしら。多少億劫だけれども、時間は確かめないと。



 そう思いながら彼女は上半身を捻り、ベッドの縁から顔を覗かせようとするが、アラララ、どうして上手くいかない。それならば、体全体を駆使すれば良いことだと、今度は反動を付け、床に向かって大きく寝返りを打とうと試みた。


 ...またしても動かすことは叶わなかった。ここいらでようやく、少女は我が身に起こった異変に気付き、訝しみ始めた。よくよく観察すると、体のどこもかしこも...小指の一本でさえ、曲げることが出来ない。金縛りに合うとこのような症状があるが、それとはまた違った、何とも奇妙な感覚...。



 この違和感は、未だ湖底で燻る彼女の意識を急上昇させるに充分過ぎる刺激となった。一気に体中の神経が鋭敏さを増す。

 だがそれは同時に、少女に余りに残酷な現実を突き付けてる事となった。体中の異変が次々と露わになっていく...。



 少女特有の、白くきめ細やかな柔肌は、固く歪な甲羅の様なものへと姿を変え、肩まで伸ばしていた髪はすっかり消え去っていた。頭上には、全身の神経の全てをそこに集中させたかの如く敏感な、二本一対の角が垂れ下がっている。

 しかし、何より最も不自然であったのは、夥しい数に膨れ上がった関節と、骨格であった。背骨の一つ一つはまるで大きく、はっきりとその形を認識することができ、尚且つそれが足の先まで続いている。



 少女特有の、白くきめ細やかな柔肌は、固く歪な甲羅の様なものへと姿を変え、肩まで伸ばしていた髪はすっかり消え去っていた。頭上には、全身の神経の全てをそこに集中させたかの如く敏感な、二本一対の角が垂れ下がっている。

 しかし、何より最も不自然であったのは、夥しい数に膨れ上がった関節と、骨格であった。背骨の一つ一つはまるで大きく、はっきりとその形を認識することができ、尚且つそれが足の先まで続いている。


>>211
誤投下。失礼しました。


 昨日まで確かに存在した二本のしなやかな腕は、その指先に至るまで姿を隠し、胸から爪先にかけて二列に並んでいる無数の器官が、その代用を務めているようだ。

 その他肋骨や肩甲骨、骨盤などはさっぱり抜き取られた様子で...全く、これでは人間とはとても呼べぬ何か、おぞましい生物へと変わり果てたみたいではないか。



 少女はこの驚くほど奇妙で、この上なく奇怪な事変に、えも言えぬ恐怖を覚えた。恐怖を覚えたのだがしかし、そのままにしておくわけにもいかない。

 隣人がいつ部屋にやって来るのか分かったものでないし、持ち前の好奇心...怖いもの見たさとでもいうか...は、彼女を突き動かすには充分な動機となった。



 一呼吸おき、微かに残った理性を保ちつつ、ゆっくりと首を動かしにかかる。関節の一つ一つを意識し、細かい所作に気を配りながら、慎重に顎先を胸へと擡げていく。

 すると段々に、視線は天井から体の方へと移り、ついには眼前に自身の腹を見据える位置まで持って来ることが出来た。


 一部ではあるものの、体を動かせた事に安堵するも一転、その奇怪なる光景を目の当たりにした瞬間に、少女は愕然とした。恐怖なぞとうに飛び越えて、戦慄さえ感じた。



 そこにいつもの見慣れた風采は存在しなかった。あるのは、目覚ましを黙らせた際に乱れたのだろう掛布団の隙間から覗く、何本もの支柱で区切られ、丸まった茶色い腹と、その脇に並ぶ細い脚の群れ。

 足先は背と一体と化して一本の尾となり、先端には鋭利な針が突き出している。...そして極めつけは 、対面に立て掛けてある姿見に写る、変わり果てた彼女の、顔。




 アァ、なんと嘆かわしい事であろうか! 少女はたった一夜にして、その華麗な姿から、見るもおぞましい毒虫に変身してしまったのだ。



 ...茫然自失。暫し何も考えられなかったが、ハッとした瞬間、彼女の頭はこの惨状を察するべく、矢継ぎ早に働き始めた。

 無論、正常たる思考力と、判断力を兼ね備える彼女にとって、これらは受け容れられぬ事実であり、理解することなど到底不可能であった。


 ...夢でも見ているのだろうか。だが、夢にしては余りにも精巧すぎやしないか。もしかしたら、体と精神をすり替えられたのかもしれない。はたまた、これは神が与えた罰とも考えられないか。いや、それとも......。



 混乱の坩堝にはまった少女は、頻りに自問自答を繰り返すが、一向に答えが出る気配は無く、ただ時間だけが刻々と過ぎてゆく。



 そんな中、矢庭にコンコン、と扉を叩く小気味好い音が二度、耳を掠めた。そののち、少女に向けて、

「...ちゃん......起き...の...?」

 と声が掛けられるが、寝室との間に距離があるためか、些か不明瞭に聞こえる。しかし、それは間違いなく、例のお節介な隣人に他ならなかった。どうやら起床時間など、とうに過ぎていたようだ。



 突然の事に驚き、びくつき、慌てふためく。いけない、いけない。こんな格好、隣人は疎か、他の誰にも見せられたものじゃない。きっとすべてを失ってしまう。何とか、何とかしなければ...。


 しかし、扉を挟んだ向こう側に佇む隣人が、この珍事に気付く事など当然あり得ぬ事で、 精々何も反応を見せない彼女を訝しむくらいのものであった。



 もう一度、しかし先程よりも強く、ドアをノックする。...やはり無反応。益々怪しい。痺れを切らした隣人はドアノブに手を掛け、

「お邪魔するよ!」

 今度ははっきりと聞き取れる程の声量でそう宣告し、部屋に入り込んできた。玄関を通り抜け、徐々に寝室へと近づいて来る足音。



 ...もう、だめだ。打つ手立てなどまるで無い。ウチのアイドル生活もこれで終わってしまうのか...。


 そうしていよいよ、廊下と寝室を隔てる襖が勢いよく開かれた瞬間.....!





 ...目が醒めたそうです。

 時刻は深夜0時を少し過ぎた頃。蛍光灯が書架の端に暗がりを作り出す中、かの少女...美玲ちゃんは嗚咽混じりの掠れた声で、先程まで魘されていたという悪夢を語り聞かせてくれました。

 青ざめた顔は、真っ赤に腫れ上がる目を一層際立たせ、寝汗でぐっしょりと濡れた髪が頬に貼り付いた風采は、事の陰惨さを物語っています。



「...大丈夫?」

 キッチンから戻ってきた寝間着姿の響子ちゃんがその様子を案じながら、カフェオレが注がれたカップを彼女の面前に差し出します。

 未だ震えの止まらない繊手を伸ばしそれを受け取ると、血の気の失せた唇に縁を当てがい、チビリチビリと啜り始めました。



 甘めに仕立てられたカフェオレの効能でしょうか。 幾分か落ち着きを取り戻すと、後ろから覆い被さるように抱き着く友紀さんにようやく気が回ったのか、体を捩りながら、何とも弱々しい威嚇をしだしました。

「ちょっと...いい加減離れろよぅ...。ひ、引っ掻くぞ!」

「あはは。まあまあ、今はお姉さんに身を委ねなさいな」

「や、やめろぉ...撫でるなぁ...」

 一方、美玲ちゃんの顔色とはまるで正反対の、快活な口調で会話を続ける友紀さんは、逃がすまいと体を密着させ、ワシャワシャと頭を撫で回し続すばかり。


 子犬の如くじゃれ合う二人の押し問答が暫く終わりそうにないと悟った私は、その様子を静かに眺めていました。



 そうしているうちにふと、隣に座っていた響子ちゃんが何気なしに、

「でも、一体何が原因だったんでしょうねぇ。...文香さん、何か知ってますか?」

 と尋ねてきましたが、咄嗟に返答する事が出来ませんでした。なぜなら私には、その原因に思い当たる節があったから。




 ...ここ最近、事務所の小中学生の間ではホラーや怪談ものが流行っているようで、本を探し求めて連日私の部屋に詰め掛けて来ました。

 美玲ちゃんも多分に漏れず、昨日の夕方にやって来たのですが、元々そのような類の本が充実していない書架ですので、その殆どを既に貸し出し、虫食い状態となっている具合でした。


 それでも、どんなものでもいいので貸して欲しいとの美玲ちゃんの要望に思いあぐねた挙句、ホラーではありませんが、時に怪奇小説とも分類されるカフカの『変身』を勧め、1980年に新潮社から出版された「決定版 カフカ全集1」を手渡しました。


 読み手によって様々な解釈がなされる『変身』ですが、余程陰虐な場面があるわけでもなし、この程度なら問題無いだろうと高を括ってしまったのが、大きな間違いでした。


 事実のみを淡々と、正確に描写している内容に加え、ドイツ文学者の川村二郎氏による読み易い翻訳はしかし、感受性豊かな美玲ちゃんには刺激が強かったようで、それが今回の事の発端になってしまったようです...。




 ...大方のあらましを説明し終えた私が一時後悔と自責の念に駆られていると、唐突なくしゃみと同時に、美玲ちゃんが二の腕を摩りながら、再び震えだしました。

 どうやら汗で湿った寝間着が体温を奪い、底冷えをしてしまったようです。

 風邪を引いてはいけませんし、何よりこの状況で一人にする訳にはいかないと、今日一晩この部屋で介抱する事と相成りました。



 さて、一人で入れる、と渋る美玲ちゃんが友紀さんに連れられて浴室へと向かう合間に、私は換えの寝間着を取りに彼女の寝室へと向かいました。


 戸口を潜り、手探りで灯りを付けると、ピンクと黒を基調とした家具や所狭しと並べられた縫いぐるみが照らし出されました。その風合は年相応といったところでしょうか、全く彼女らしいレイアウトが微笑ましく思えました。



 ...しかし、その中で一つだけ違和感を感じたのは、蛍光灯の真下に無造作に転がっている、目覚まし時計。恐らく、飛び起きた際に誤って落としたのでしょう。

 元ある場所に戻そうと拾い上げると、指先に不自然な窪みが当たるのに気が付きました。よく見てみると、そこに刻まれていたのは、一本の細長い筋。


 ...あの忌まわしい夢と寸分狂わないような、生々しい傷跡...。



 一瞬ドキリとしてしまいましたが、その狼狽を素早く押し隠した私は、目覚ましを棚へ戻すと、洋箪笥から寝間着をサッと掴み出しました。そして皆の待つ自室へと足を向けながら、心の内でこう呟くのでした。




 ...まさか。きっと何処かぶつけた時にでも付いた傷に違いない...世の常ならぬ出来事なんて、ましてそんな奇怪変妖な事象など、起こり得るはずは無いのだから......。



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