久「咲、髪を梳いて」 (26)

久咲。短いです

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折りたたみ式の櫛を持っていた。

自身の身だしなみの為ではなかったけれど、制服の内ポケットには常にあった。

部活の時には鞄の一番外側のところに差し込んで、いつでも使えるように。

薄紅色をしたその櫛は、本当は自分に使うはずで購入したのに。

いつの間にか久のもので、久専用。

あまり物事に頓着しないはずの彼女がいつもその櫛で髪を梳いた後にこう言うのだ。


久「これは私専用だから、他の人に使っちゃダメよ?」


振り向いて笑う久の顔が印象的だった。

またその無邪気に笑う顔が見たくて櫛を持ち歩いていたのかもしれない。

もう使うことはないだろうけれど。

あれは確か合宿の時だ。

練習後は夕食まで自由時間、これが今回の合宿のスケジュールだ。

咲は和や優希と大浴場へ向かう。

脱衣室には既に2つの籠が埋まっているのが確認出来る。

誰が入っているのかはすぐに予想がついた。

久とまこだ。

さっと服を脱ぎ浴室へ向かうとまこが湯船に浸かりながら手をあげた。

まこ「おう、お前さんたちも来たか」

優希「私もさっそく入るじぇー!」

和「駄目ですよゆーき!ちゃんと体を洗ってからです!」

そのまま湯船に入ろうとした優希に和がストップをかける。

優希「えー面倒くさいじぇ。堅いこというなよのどちゃん」

和「駄目ですったら!」

まこ「ああもう、静かにせんかい二人とも!」

優希と和の言い合いにまこが怒鳴り声をあげる。

そんな騒ぎも何のそので、久はただ黙々と体を洗っていた。

咲も体を洗う為、久の隣に座る。

カランに手を伸ばすと隣の久の身体がぐらぐらしているのが目に入った。

咲「部長?疲れてるんですか?」

久「んー……?あ、咲か」

久「ちょっと眠くなっちゃってね……ふわぁぁ……」

咲「もう洗い終わったんですか?」

桶に貯めたお湯で身体を流しながら話す咲に「身体はね」と返してくる。

咲「じゃあ後は髪ですね」

自身の髪の毛を洗う為、シャンプーボトルに手を伸ばそうとした咲に

隣から響いてくる言葉は眠そうな声だった。

久「面倒くさい……もういいわ、これで」

シャワーを頭から被った久はそれで終わりなのかタオルを取ろうとしている。

咲「え、まさか部長……お湯を被っただけで終わりですか?」

久「え?そうだけど?」

咲「………」

髪を洗うのを面倒がるほど眠いのか、と。

咲は一つため息をつくとシャンプーのボトルを2回押してシャンプーを手にする。

そして立ち上がり久の背後へ移動した。

咲「私が洗ってあげますから……目を瞑っててください」

久「いいの?咲」

咲からの申し出に久の眠気は少しだけ覚めたようだ。

もう一度目を瞑ってくださいと言う咲に了解と返事をしてくる。

手のひらでシャンプーを軽く泡立てると、久の頭に擦りつけた。

汚れだけを取るように頭皮を指の腹でよく洗ってやると、

久は気持ち良さそうに少し首を反らして目を細める。

泡だったその髪の毛から泡が滴り落ちて顔にかからないようにと、

髪を後ろへ撫で付けたところで正面にある鏡をふと見る。

鏡の中に写っているのは目を瞑る久と、彼女の頭に触れている咲。

その鏡をマジマジと見て咲は呟く。

咲「何だか新鮮ですね。こうやって部長と触れ合っているなんて」

久「ふふ。そうね」

咲「さ、流しますからきちんと目を瞑ってて下さいね」

そう声掛けすると桶に貯めたお湯で久の髪にかけ、泡を流していった。

最後にリンスを地肌に触れぬように髪の毛だけにつけるとそれも流していく。

久「リンスまでつけてくれてありがとね、咲」

そう言って笑う久に笑顔を一つ返すと、隣の椅子へと戻り洗髪を始めた。

そんな咲を眺めながら久が「今度から私の髪の毛のお手入れは咲がやってね」と話したが、

生憎と髪の毛を流している途中だった咲はその言葉を聞き取れずよくわからずに返事をしてしまった。

その事により次の日の朝から久に「咲、髪の毛とかして」と言われるまで、

自分がどんなお願いに対して返事をしてしまったのかに気がつかなかった。


それからというものの久の髪の毛の手入れ係は咲の役目となり、

自分用にと買った櫛は「それ私専用!」という宣言により久のものとなったのだ。

登校して荷物を鞄から出す頃に、教室にふらりと入ってくる影。

久は登校して自身の教室へは向かわず直接咲の教室へやってくる。

久「咲、お願い」

そう言って咲の前の席に座るのだ。

咲「朝起きたままで来るのはどうかと思いますよ、部長」

軽くため息をつきながらも咲は制服の内ポケットより櫛を取り出す。

その姿を横目でちらりと見て確認してから前を向くのが久のお決まりの行動だ。

久「私の髪の毛を触っていいのは咲だけなんだもん」

クスクス笑いながらそう告げる久の髪の毛をとかすのが咲のお決まりの行動だ。

いきなり櫛ではとかさず、髪を引っ張らないように気をつけながら絡んだ髪をほどく。

一つずつ丁寧に、そうしてからゆっくりと髪をすくのが咲は好きだった。

久も目を細め、時折地肌に触れる咲の少し高い体温の指先を気に入っていた。

放課後、部活が始まる前にも久の髪に触れる。

椅子に座った久が咲を手招きするのだ。

久「咲、髪結んでー」

咲はバッグより櫛を取り出す。

久の後ろに立つと、そっと櫛でとかしてから髪の毛をまとめる。

咲「はい、出来ました。可愛いですよ部長」

自身がむすんだ出来栄えが良い時、決まって咲はこう言った。

得意気になって言う咲が可愛くて、久はありがとうの言葉と共に座ったままぎゅっと咲を抱きしめた。

練習後は髪をほどいてとかすのも、もちろん咲の役目。

ゴムを取り去る際に髪がからまないように気をつけながら取ると、はらりと肩にかかる髪。

最後に軽くとかしてから皆で寄り道しながら帰るのが2人の決まった1日だ。

久が卒業して東京の大学へ行ってから、あの日常は消え去ってしまった。

それでも咲の制服の内ポケットには未だに折りたたみ式の櫛が入っている。

部活に行く際にバッグに櫛を入れ替える癖も残っている。

いっそこの櫛を捨ててしまえばこの癖はなくなるのだろうか。

そう考えていた時、偶然久に再会した。

再会した久の髪は整っていた。

柔らかな髪は日の光の下キラキラ輝いて、

風が吹くとさらりと揺れるのも昔のままだ。

髪をきちんと整えていないとこうはならない。

そこで気がつくのだ。

咲(ああ…あなたの髪を整えてくれる人が現れたんですね)

あれは咲だけの特権だったなどと驕っていたつもりはなかったが、

それでもショックを受けたのならばきっとそうなのだろう。

あんなちっぽけな約束、久は覚えているはずもないだろう。

それにどうしたって髪は毎日整える必要性があるし、永遠に整えない人などいない。

久が東京の大学へと進んだ時点で、あの約束は反古になるに決まっていたのだ。

それなのに何時までも櫛を持ち歩いてる自分はなんて未練がましいのだろう。

バッグに入った櫛を上から握り、

このまま壊してしまおうと思うが力が入らずに出来なかった。

咲(この櫛は頑丈なので、私の握力では壊れない…)

捨ててしまえば早いのにそれも出来ない。

咲はそんな理由をつけて、その後も櫛を持ち歩いた。

久が立ち去る際に、バッグの端のポケットを握り締める咲を見ていたのに咲は気づかなかった。

朝起きて鏡を見るとき。

登校して鞄から荷物を出し、前の席を見るとき。

部活に行く為に無意識にバッグへ櫛を入れ替えるとき。

練習が始まる前の椅子を見たとき。

部活後にバッグを手にしたとき。

自宅に帰り風呂に入るとき。

どんな時にでも思い出してしまう。

久の髪を梳く自分の姿。

過去の記憶のはずなのに今でも鮮明に思い出せる。

あの手触りにふわりと香るリンスの匂い。

合宿の後に久が「咲の使ってるリンスってどれ?」と尋ねてきたので応えると

「お揃いのにするわ」と一緒にスーパーへ買いに行った。

色々と思い出してはため息をつく。

そんな自分に本当に女々しいと思いながら、それでも櫛が捨てられずにいた。

咲(わたし、好き……だったのかな。部長のこと)

咲(……ううん。まだ現在進行形だよね)

手の中にある櫛をくるくると回しながら見つめていた咲はぎゅっと握ると、

明日の荷物の中、定位置へとしまう。

じっとそのバッグを眺めてから目をつぶると1つの決心をする。

咲(明日の試合が終わったら捨てよう。それで終わり)

そう自分に言い聞かせてから眠りについた。



――――――――

試合を見に来ていた久と皆が語り合っている。

その輪の中から一歩離れた所で、咲は久を見つめていた。

久は自身で髪を結んでいだ。

咲(あんなに乱暴に結んで……。結んであげたいな……)

そこまで考えてから、はっとなった咲は首を振る。

咲(今日で終わりにするって決めたのに、どうして)

久は東京に行ってしまった。咲との接触なんてこの先ないのに。

それでももう一度と思ってしまうのは我がままなのだろうか。

伸ばしかけた手を握り締めて引っ込め、自分の胸にあてると和が話しかけてきた。

少しだけほっとして微笑みを和へ向ける咲の姿を、

髪を結んだ久が射抜くように見つめていた。

試合後、バッグに入った櫛を見つめていた咲は

背後に久が立っていることにすぐには気がつけなかった。

捨てると決めた櫛なのに、試合も終わったというのに今だ捨てられずにいる。

次はなんて言い訳をすればいいのかわからない、そんな風であった。

久「咲、ちょっといい?」

ぐるぐると悩んでいた時に声をかけられ、咲はびくりと体を揺らした。

咲「ぶ、部長?」

久「……もう部長じゃないわ」

久は清澄メンバーに「咲をちょっと借りるわよ」とだけ話すと、

咲の腕と咲のバッグを持ち上げすたすたと歩いていく。

なんて答えればいいかわからない咲は皆に頭を軽く下げてから、

足をもつれるようにして久についていく。

外へと出て、ベンチのある所まで歩き久はようやく咲の腕を離した。

少し息の上がった咲は、自身の腕を離した後そのまま立っているだけの久を不審に思い見上げて息を呑む。

静かに、ただ静かに久は涙を流していた。

咲「どうして……泣いてるんですか……?」

久「咲が、愛しいから」

咲「……っ」

久「咲が恋しかった。ずっと咲に会いたかった」

久「東京に行ってから、咲のことを考えない日はなかったわ」

咲「なら、どうして東京へなんて……」

久「……一流の大学を出て、大手企業に就職して」

久「いずれプロの世界で華々しく活躍するだろう咲と、少しでもつり合うようになりたかったの……」

後から後から流れ出て止まらない涙をどうにかしたくて、咲は久の正面へと回る。

既に結んでいた髪を解いた久の顔は俯いたままで、

サイドの髪で表情が隠されている為に周囲からは彼女が泣いていることはわからない。

正面に立つ咲にしか見えない顔であった。

濡れた久の頬に触れると、ぴくりと肩が揺れて彼女の腕がゆっくりと持ち上がる。

それに気がつかないまま溢れ出る涙を掬い取った瞬間、強く抱きしめられた。

久「咲……、咲……」

目を見開き一瞬驚くも、すぐに久の背へと腕を回してぽんぽんと軽く叩いてやる。

安心させるかのように優しく。

咲「私、麻雀のプロにはなりませんよ?」

久「そんなの……、勿体無いわ」

咲「じゃあ部長は私がプロの世界で華々しく活躍する方がいいんですか?」

久「それも嫌よ。咲に変な虫が寄ってくるじゃないの……」

咲「……。部長って、案外嫉妬深いんですね」

そうやって久を抱きしめていると、ふいに咲から離れた久が覗き込むようにして見つめてくる。

久「ねぇ咲、また髪を梳いてくれない?」

尋ねてくる久に、答えに詰まってしまう。

もう大学生なのだからもうそんな事をする意味なんてないでしょう?

なんて言い訳をして拒否すればいいのに、そんな言葉など全部まとめて消し飛んでしまう。

誰よりも咲が梳きたかったのだ。

彼女の髪を、咲が誰よりも。

久の髪を梳く理由を彼女自身から貰えた、その事実に咲は歓喜する。

咲の大きな瞳に瞬く間に水が張り、溢れだす。

その涙を拭うことすらせずに咲は久の毛先にそっと触れる。

それは本当に恐る恐るといった様子で、毛先に触れ現実と認識出来て、やっと掌でゆっくりと撫で始めた。

もっと触ってというように久が頭を手にこすり付けてくるのが愛しくて、咲は泣きながらくしゃりと笑った。

久も「やっと笑ってくれたわね」と泣きながら強く抱きしめる。

思う存分抱き合った後、ベンチに腰かけた久の後ろに立った咲が

自身のバッグより馴染みの櫛を取り出す。

実に一年ぶりの久の髪の手入れだ。

咲が出した櫛を見て、久が笑う。

久「ちゃんと持っててくれたのね、その櫛」

咲「はい…何度も捨てようと思ったんですけど、諦めきれませんでした」

そう答える咲に「当然ね」と久が返す。

久「咲は私のこと好きだものね、捨てられるわけないじゃない」

とさも当たり前と言う久に咲は笑ってしまった。

久「私だってちゃんと約束守ってるわよ、誰にも触らせてないからね」

久「咲が手入れしてくれてないから髪ばさばさよ、どうにかして」

そんな風に言われやっと止まった涙がまた溢れてきた。

いつまで経っても髪をとかしてくれない咲に久が振り向く。

泣いている咲をみて「あら」と驚くと、そのまま抱きしめる。

久「あたりまえでしょ、咲のこと大好きなんだもの。約束守るに決まってるじゃない」

そう言って咲を落ち着かせるように何度も髪を撫でられる。

久の髪を撫でることはあっても、彼女に髪を撫でられることは初めてかもしれない。

などと考えながら咲は泣いた。

からんだ髪を一つ一つ丁寧に解きながら咲は「好きです」と囁く。

久「私もよ、咲」

咲「はい……」

久「他の誰の髪も触っちゃ嫌よ。私だけだからね」

咲「はい……っ」

久専用の櫛は二度と日の目を見ないと思っていたが、今日再び色鮮やかに息を吹き返す。

この髪の毛を整え終わったら久にキスしてみようか。

自分がとかした久のサラサラの髪がまるでカーテンのようになって、

きっと外で口付けているのを隠してくれるに違いない。

そんな事を思いながら髪を整えた。


カン

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