澪・聡「「ここにいる!!」」(404)


夏休み夏厨劇場。



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 2010年12月。

 学校から自宅への帰路の途中にあるコンビニに、俺は自転車を走らせて向かっていた。

 俺はいつもそのコンビニをある人との待ち合わせに使っていた。


 俺の名前は[田井中 聡]。部活と勉強に明け暮れるただの高校一年生だ。


 コンビニに着くと待ち人は既に店の前にいた。制服に身を包み長い黒髪にちょっとだけつり目の整った顔立ちの女性。その背にはベースという楽器が収納されたソフトケースが背負われていた。


 彼女の名前は、『秋山 澪』。高校三年生。姉の幼馴染で親友で、憧れのお姉さんだった人。そして今は俺にとっていちばん大切な女性(ひと)……。


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 「澪姉。早かったね」

 「ああ。学園祭も終わって、軽音部(ぶかつ)も落ち着いたからな。今は部室に行ってもお茶を飲んで少し喋ってくる位だから。まぁ律達はあそこで勉強もしてるけどな」

 「そうなんだ。姉ちゃんや澪姉は今年受験だしね」

 「……そんな事より、そろそろ店に入って何か買わないか?少し寒いしあんまりお店の前で喋っててもしょうがないしな」

 「うん、そうだね」

 それから俺たちはコンビニで買い物をして、店を出ると俺は自転車を押して。そして澪姉は歩いて近くの公園に向かった。

 
 2010年6月


 俺が高校に入学して最初の夏。俺はある思いを胸に適当な理由をつけて澪姉を街に連れ出した。買い物をしたり、食事をしたりしての街からの帰り道。俺は緊張を振り切って前を歩く澪姉に声を掛ける。

 澪姉は少しだけ顔をこちらに向けて「何だ?」と言った。澪姉の表情(かお)はよく見えなかった。


 「み、澪姉。前に俺が今の高校に受かったら、なんでもお願いを聞いてくれるって言ったよね」

 「ああ。言ったぞ。約束したからな。私に出来る事なら何でも聞いてやる」

 相変わらず澪姉の表情は見えない。俺は不安にかられつつも覚悟を決め、拳を握り締め、


 「み、澪姉!お願い!!お、俺と付き合ってくれ!!!」


 俺はありったけの勇気を振り絞って、ダメ元で告白した。







 「……ああ、いいぞ。付き合ってあげる」

 少し――俺にとってはある意味、永遠とも言えるような――間の後。振り向きざまに澪姉は笑顔でこたえた。

 とびきりの笑顔だった。綺麗で、可愛くて、少しはにかんで、でもどこか嬉しそうで。俺はその笑顔とまさかのokの返事に、上気した顔のまましばしの間、呆けてしまった。


 「どうした、聡?」

 「み、澪姉、ほ、ほんとにいいの?俺なんかでいいの?」


 ずっと好きだった。多分、小さい頃に姉ちゃんが初めて家にこの人を連れて来てからずっと……。





 綺麗で優しくて少し怖がりなところも可愛い、おれの憧れの人。その人と付き合うことが出来るなんて俺はにわかに信じられなかった。

 「お、お前だったから、こんな約束をしたんだ。待ってたんだぞ、お前がこうやって言ってくれるのを、高校に受かってから、ううん、約束した(あの)時からずっとな……」

 「でもやっぱり嬉しい……ありがとう聡。改めてこれからもよろしくな」

 少し赤い顔をして澪姉は言ってくれた。

 「こ、こちらこそよろしく!」

 俺もかなりテンパリながらも、どうにか言葉を返す。


 こうして、俺と澪姉は付き合うことになったのだった。


 でも今にして思うと。自分からは告白せずに回りくどい事をして俺から言わせる辺りは、なんか澪姉らしいかなと思うのだった(回想終わり)。





 「澪姉はやっぱり姉ちゃん達と一緒の大学に行って、バンドも続けるんでしょ?」

 コンビニ近くの公園のベンチに座り、そのコンビニで購入したホットの缶コーヒーを飲みながら俺は何となしに訊いてみた。

 「うん……うん、そうだな。そうなるといいな……」

 澪姉の返事は何故かどこか曖昧だった。澪姉と姉ちゃんが軽音部で一緒にやっているバンド、たしか、『放課後ティータイム』(だったかな?)のメンバーは本当に仲が良くて、姉ちゃんが部長ということもあってか、前はよく家に集まって打ち合わせとか、何故かゲームとかやってたり。ここ最近は引退したのにも拘らず、部室に集まって受験勉強をやっている位である(澪姉は俺の為に、早く上がってくれている様だけど)。


 



 姉ちゃんもみんなで同じ大学に行くって言っていたし、てっきり澪姉も同じ考えだと思っていた。

 それに姉ちゃんが受ける大学位なら、澪姉なら問題なく通る筈だ。もしかして、それとは別に何か思うところがあるのだろうか?。

 「そういうお前は期末テストどうだったんだ?ちゃんと勉強と部活両立できているのか?」

 澪姉はこの事についてあまり話したくないのか、逆に俺に訊いてきた。

 「うん、どうにか。部活ももうすぐレギュラー取れそうな感じだし、勉強も大変だけどなんとかついていってるよ」

 「これも澪姉が俺の高校受験の時に勉強の仕方まで教えてくれたお陰だよ」





 俺が通っている高校は自慢じゃないが、澪姉や姉ちゃんが通う桜ヶ丘よりも偏差値的にもう一つレベルの高い進学校だ。

 当然ながら元々の俺の学力では受かる筈が無かったのだけど、澪姉があの約束をしてくれた上に勉強も見てくれたお陰で、俺もここぞとばかりに奮起した。

 そして今でも信じられない位の命懸けと言ってもいい程の猛勉強の末。どうにか奇跡的に受かる事が出来たのだった。それだけでも澪姉には本当に色んな意味で感謝してもし切れない。




 「そうか。それならいいんだ。でもごめんな。せっかく付き合っているのに特に最近は勉強を見るどころか、二人で出掛ける事も殆ど出来なくて」

 澪姉は少し顔を曇らせて申し訳なさそうに言う。

 「しょうがないよ、澪姉、今年受験だし。でも今もこうして俺に会ってくれているし、俺はそれで充分だよ。あっそうだ、受験が終わってひと段落ついたら、二人でどこかに遊びに行こうよ」





 「――――――!―――////」

 澪姉の言葉と微笑みと言う弾丸に、俺はずっきゅーんと心臓を撃ち抜かれた様になってしまい俺は固まってしまう(もちろん、嬉し過ぎて)。

 「そろそろ行こうか」

 それから他愛の無い会話を幾つかした後。澪姉に促されてベンチから立ち上がると、俺たちは公園を出てまずは澪姉の家に向かう。無論。大事なお姫様(かのじょ)を無事に送り届ける為だ。
 



 「やっぱりこの時期は日が落ちるのが早いな」

 澪姉が空を見上げながら言ったので、俺も沈みゆく夕日を見上げながら「そうだね」と応えながら、ふと見上げている澪姉の横顔を見た。

 斜陽に照らされた澪姉はやっぱり綺麗だった。勿論いつ見ても綺麗なんだけど。黄昏てゆく景色と相まって、愁いを帯びた様に見える表情(かお)は、また何時もと違った魅力があった。

 こんな女性(ひと)が俺の彼女で、しかも同じ時間を共有しているのかと思うと、堪らない気持ちになる。いつまでもこの時間が続いてほしいと心から願った。
 

 だけどそんなささやかで、でもとても贅沢な幸福を願う想いと時間を奪ったのは、同じ空から嫌でも聞こえてくる、ジェット機とはまた少し違った噴射音を轟かせている、最近話題のあの宇宙船だった。
 




 「リシティア号……。こんな低空で飛んでいるの初めて見た……やっぱ凄いな……」

 今までも何度か飛行しているのを見たことがあるが、こんな近くで見たことはなかった。


 『リシティア』号。金属版白磁のような外装。優美な曲線で描かれた三角定規を立体化したかの様な外観をした国連宇宙軍の最新鋭恒星間宇宙戦艦(コスモナート)……。なんでも亜光速で宇宙空間を跳ぶ事が出来るらしいマンガにでも出てきそうな夢の宇宙船だ。

 元々。人類がスペースシャトルに乗って月に着陸してからの宇宙関連の技術、開発の進歩は飛躍的なものがあったのだけど、『タルシアンショック』という事件以降はそのタルシアンの技術も吸収して、ついにはこんなガンダムみたいな宇宙時代を感じさせる代物まで造り出してしまっていた。

 
 



 今回。そのリシティア号が日本にやって来たのは、タルシアンプロジェクトの一環として、この夢の宇宙船に乗ってタルシアン追跡調査をする為の乗組員(クルー)の募集をする為という事らしかった。

 確かプロジェクトの出資額や貢献度に比例配して、募集枠千人の内、約二百二十人を日本人クルーで占めるという話だった。

 この数字はプロジェクトを主導しnasaを擁しているアメリカより多いらしく、その理由として出資額(これによって日本(わがくに)の公共事業がほとんど行われなくなって不況になる程)の多さ。

 そしてタルシアン技術を応用した光エネルギー増幅還元システム(日光とかで得たエネルギーを何倍にも増幅させ、尚且つ貯蔵する事が出来るといったもの。ソーラーパネルの超進化版と言ったところらしい)や亜高速航行と言った技術を世界やnasaに先んじて日本が開発したからであるらしい。




 この技術によって初めて莫大なエネルギーを必要とする『星間亜光速移動』が出来る宇宙船を作ることが出来たからであった。と、言う事を学校やテレビでしきりに言っていた。


 だけど素朴な疑問として俺が思うのは、何故クルーを国連宇宙軍の精鋭にしなかったのかという事だ。千人くらいならすぐに集める事が出来るだろうに。何か妙な感じがした。


 そんなリシティア号が俺たちの頭上を超低空で通り過ぎていくのと同時に、機体の左右から五機づつ。合計十機の人型の機体がリシティアから飛び出し、編隊を組みながらリシティアに並走する様に飛行していた。





 「あれってトレーサーか!?すげー!!」

 俺は初めて見る機体に興奮して叫ぶように言った。

 トレーサーとは人型の探査機で、リシティア号に配備されている『それ』は、タルシアン・ショック以降に開発され、その技術が随所に応用されている次世代の最新気鋭だった。

 陸海空はもとより宇宙空間をも自由自在に動ける万能マシン。言うなれば、ガンダムのモビルスーツみたいなものだ。あのtvの中の存在が現実の世界で実用化され、実際に稼働している……。

 そのパイロットに憧れる者も多かったし、事実、俺もその一人だ。

 



 「でも。恒星間宇宙戦艦(コスモナート)が飛んで、トレーサーもパイロットが乗って訓練しているという事は本当にやるんだよな……」

 俺は間近で見る宇宙船と人型ロボットに興奮を覚えつつも、同時にあの「いつ」、「どこで」行われたのかすら判らない選抜選考で選ばれたメンバーが、実際にリシティアにトレーサーに乗って、宇宙の彼方に飛んで行ってしまうという夢みたいな話が、急に現実味を帯びてきてどこか言い知れぬ不安にかられた。
 
 



 「なあ…聡……」

 俺は声を掛けられてはっとなって慌てて振り向く。リシティアとトレーサーに気を取られて、澪姉をほったらかしにしてしまった事に気付いた。

 「あ、澪姉ごめ―――」

 俺は言いかけて言葉が詰まる。澪姉は俯いていた。そしてふるふると微かに震えている様に見えた。

 そして不意に顔を上げると、これなでに見た事もない表情(かお)で俺に告白する――――。
 







 「私、あれに乗るんだ」






 と―――。
 





 こんな感じで書き込んでいこうと思っております。

 新聞とかで毎日載っている読み物を読む様な感じで、

 読んで下さると有り難いです。

 それでは。

 




 「…………???あれに乗るって、あれ?」

 あまりに唐突。予想外にも程がある一言に文字通り固まった末、空に向かって指を指しながら我ながら何とも間抜けた口調で返す。

 「ああ、そうだ」

 「そうだって……。澪姉マジなの!?」

 「ああ、いろいろ考えたけど、私はあれに、リシティアに乗ろうと思う」

 「な、何を言ってるんだ澪姉!?澪姉はこれから受験して、姉ちゃん達と同じ大学に行くって言ってたじゃないか!」

 正直。訳が分からない。澪姉は何を言ってるんだ?。何かのどっきりなのか?。俺の頭の中は色んな?マークで一杯に埋め尽くされる。


 「ごめんな聡。でも…もう決めたんだ……」

 その声を聞いて、少し頭の中が整理されてくる。澪姉の声は静かだったけど、その中に揺ぎ無い強い意志の様なものが感じられた。

 あの怖がりの澪姉が宇宙戦艦(アレ)に乗って宇宙…それも人類未踏にも程がある位の宇宙の彼方に行ってしまうかもしれない。それを行くと決めるのに、一体どれだけの決意と覚悟があったのだろうか?。




 「……でも澪姉。一体いつ、どうして選ばれたの?澪姉が選考試験なんて受けるとは思えないし……」

 「そもそも、いつどこで試験が行なわれたのかすら俺は知らない」

 幾分落ち着いて?くると、今度は様々な疑問が浮かんできた。よくよく考えると不思議な話だった。募集はかけていた<らしい>のに、全く詳細の分からないクルー募集。

 更には澪姉の人となり知っている人ならば、彼女が頼まれたってこんな募集に応募するわけがないという事。

 そう思ったり考えたりすればする程に、俺の頭は益々こんがらがってくる。




 「桜高の文化祭が終わって一週間後位に防衛庁の人が家に来て、パパとマ――りょ両親と私に「是非試験を受けてほしい」って言って来たんだ……」

「多分、あの時の様子からみて、両親には前もってある程度の事を、伝えていたんだと思う」

 「その少し前からお母さんの様子もちょっとおかしかったし……試験はさいたまの航宙自衛隊の支部と言う所でやったんだけど、会議室みたいな所で五人の面接官を相手に自分の性格の事とか簡単な質問や面談をしただけで終わって、その日の内に電話で合格の通知があったんだ……」

 「…………」

 「今にして思うと、この時の面接には私しか居なかったみたいだし、最初からと言うか十月に学校でやった身体測定の時に決まっていたんだと思う……」

 「面接の時に面接官の人が新型トレーサーに乗るには先天的な資質が必要だって言う様な事を言ってたし、測定時にそれを調べたんだろうな」

 



 『タルシアン特別法』……国家が関与するタルシアン関連の計画に関して、すべての国民には可能な限り協力する義務がある。五年前に国会で議決された法律……。

 発足当時は様々な物議を醸し出したものだけど、確かに国家によって決められた法律に対して、たかだか国民の一小市民が意義を唱えてもどうにもなる筈も無く<滞りなく>施行された法律。

 「で、でも。それならどうしてそんな大事な事を、今まで何も言ってくれなかったんだ!」

 法に対する人権無視とも言える様な理不尽さと、そして澪姉にとって俺は頼りにならないと、思われていても仕方ないのかも知れないけれど、まがりなりにも彼氏である俺に対して何も相談してくれなかった事に、俺は苛立ちを隠せずにどうしても語気が強くなってしまう。


 「仕方なかったんだ…守秘義務があったから。この事は絶対に口外しては駄目だって防衛省の人に言われたんだよ」

 「口外する事で、これからの選考試験ひいては国家いや世界的プロジェクトの妨げになりかねないって。最悪。何かしらの罰があるかもしれないとまで言われたんだ……」

 「だから誰にも言えなかった……でも、お前にだけはどうしても秘密にしておきたくなかった。だから、お前にだけ打ち明けたんだ。律にだってまだ言ってないんだぞ。でも……ごめんな聡。今まで言えなくてほんとにごめん」

 「澪姉……もういいよ。今こうして言ってくれたし」

 澪姉が申し訳なさそうな表情で言ってくれた事に、俺はどうしても少し嬉しさを覚えてしまう。長年の親友である姉ちゃんよりも先に俺に言ってくれた事が素直に嬉しかった。

 「でも、この事は誰にも言っちゃダメだぞ、律にもだ」
 
 澪姉は念を押す様に注文をつけた。澪姉と二人だけの秘密……そう思うとちょっとした優越感に浸れた。





 「うん、判ったよ澪姉。約束するこの事は誰にも言わない。でも、それで肝心の出発日は何時になるの?」

 「正直に言って、正確な日時はまだ分からないんだ。多分…今日明日って事はないとは思うけど……」

 「そっか……じゃあ入隊の日が決まったらすぐに教えて。俺もそうだけど、姉ちゃんや軽音部の人たちもちゃんと送り出したいだろうから、みんなで送行会をやろう」

 「うん」




 「あと、クリスマスは二人っきりで祝って、年が明けたら初詣に行って……でも…俺やっぱり少しでも澪姉と一緒にいたいよ」

 「うん。私も聡と少しでも一緒にいたい……」

 妙なテンションになって、色んな思いがごちゃ混ぜになって、顔と胸が熱くなっていくのを感じながら、思わず普段なら恥ずかしくてとても言えない様な事を言ってしまったにも拘らず、澪姉がそれに応えてくれたのが嬉しかった。
 
 そして、そうこうしている内に、いつの間にか澪姉の自宅の前まで来てしまっていた。





 「でも、思ったより澪姉は強いね」

 「私が…強い?」

 「だって、これから宇宙に連れて行かれるってのに、思ったよりも大丈夫そうだから。俺だったら不安でどうにかなっちゃいそうだよ」

 「そうか、強いか……そうか、そうだな…何といっても私はお前の<澪姉>だからな」

 澪姉はそう言って俺に笑顔を見せてくれた。俺の大好きな澪姉の笑顔。

 ……でもこの時の『それ』は、どこかいつもと違っていた様に見えた気がした。
 
  
 



 澪姉を自宅に送り届けると、辺りはもうすっかり暗くなっていた。その何処か暗く重い冬空の下。自転車に乗って帰る途中ふと、澪姉の両親の事が頭に浮かんだ。

 おじさんやおばさんは今どんな思いでいるのだろうか。特におばさんは澪姉の事をすごく可愛がっているみたいだから、悲嘆に暮れているのではないか、とか。

 そんな事を考えている内に家に着くと、姉ちゃんは既に家に帰っていてリビングで寝っ転がりながらテレビを視ていた。


 



 こんなんで受験大丈夫かなどと思うが、夜は机に向かっている様だし、何だかんだで高校受験の時に無理目と言われていた桜ケ丘にもちゃっかり受かっているのだから、まぁ大丈夫なんだろう…………と、思う……多分……。

 澪姉があの事を姉ちゃんに言っていないのはこの事もあるのだと思う。

 小学校…もしかしたら幼稚園からの仲で、高校、大学まで同じ学校に通おうとする程の親友が、ある日突然に宇宙の彼方に行ってしまうなんて知ったら、もう受験どころではないだろうから。




 その後。俺は夕食を済ませて自室に入った。その途端に澪姉が…大好きな彼女が遠くに行ってしまうという事実が実感として込み上がってきた。

 さっきまでは大丈夫だったのに。今頃になって急に云い様のない不安感と喪失感に襲われ、胸が苦しくなり心と身体が震えてくる。

 当事者ではない俺でさえこうなのに当事者である澪姉の心苦はこんなものではないに決まっている。


 あのちょっと怖い話や映像を見たリ聞いたりするだけで、耳を塞ぎ、目を瞑りしゃがみ込んでブルブルと震えていた澪姉があんなにも気丈にいて……いや、気丈なフリをしていたんだ。

 <そんな事>ですら気付かないなんて俺は馬鹿だ。これじゃあ何時まで経っても<澪姉の弟>のままじゃないか……。

 俺は澪姉にもっと掛けるべき言葉は無かったのか。出来る事は無かったのか?俺は別れ際で見せたあの笑顔を思い出すと、胸を強く掻き毟られる思いがした。

 だが、未だ入隊の日が知らされていないのなら、まだ当分先の話なのだろう。年越え、いや、もしかしたら年度を越えるのかもしれない。

 それならばその間に『何か』をしてあげられればいいのではないか?。

 今はそう思い込む事で、俺はどうにか精神(こころ)を鎮める事が出来た。

 
 


 
 次の日。俺は澪姉にさっそくメールを送ってみたのだが、何時まで経っても返ってこなかった。

 電話をしても繋がらない。嫌な予感がして、俺は澪姉の家に直接尋ねようと思ったけど、へタレな俺は情けない事に事実を知るのが怖くて行けなかった。

 姉ちゃんも訝しげに思って俺が止めるのも聞かずに秋山宅に行ったようだけど、どうやらおばさんに上手くはぐらかされた様だった。


 その澪姉から突然のメールが届いたのは、最後に逢ってから一週間後。

 発信先は月軌道上のリシティア号の艦内からだった……。 




 



 つづく。

 これから段々と読めるものになっていくと思いますので、

 夏休みとかでよく視る再放送でも視る感じで、

 ぼんやりとした感じで読んで下さると有り難いです。

 

 2012年4月


 澪姉が行ってしまって、もう一年と四カ月が過ぎようとしていた。

 俺ももう高校三年生、そろそろ進路を考えなければならない時期にまで来ていた。

 澪姉は今、火星に居るらしい。その澪姉が入隊してしまった時に月から送られて来た最初とその後の何通かのメールを要約すると、俺に選抜調査団に選ばれた事を告白した日の深夜に突然、防衛省の人間がやって来らしい。

 そして本日より入隊するので一時間後に出発するから早急に準備して欲しい。

 と一方的に告げられて、荷物をまとめたりして慌しい中で気付いたら彼らの車の中だったという事。

 




 入隊から月基地でのオリエンテーションが終わるまでの間は一切の連絡が許されなかった事。

 クルーの中に高校の先輩がいて、何かと気に掛けて貰っている事もあって、今のところ何とかやっているという事。

 あとは姉ちゃんがこの事を知ったら動揺すると思うので。ちゃんと受験を受けられるようにサポートしてやってほしい。という事だった。
  

 




 取り敢えず澪姉が無事入隊して、思いのほか元気そうで良かったと思う反面、直ぐに泣いて帰って来たらどう慰めようか、などと考えている悪い自分もいた。

 そして、直ぐにメールを返信した後で最初に考えたのは、どう姉ちゃんを宥めようかという事だった。

 姉ちゃんにも当然の如く澪姉から同じ様な内容のメールが送られている筈だ。

 何と言っても一番の親友が何の前触れも無く、突然どうやってもこちらからは手が届かない宇宙(ところ)に行ってしまったのだから。これで、平静に居られる方がおかしいと思う。

 案の定。姉ちゃんは酷く取り乱して終いには「澪はんが月へ還ってしもうた。澪はんの正体はかぐや姫だったんや」などと、全く訳の分からない事を関西弁風に言ってしまう始末だった。

 
 




 冗談のような話はさておき、事実を知った姉ちゃんは最初は冗談かと思ったのか「おかしーし」とか言って笑い出し。

 次に冗談では無いと判ると「何で私に何も言わず行っちまったんだバカ澪は!」などと言って怒り出し。

 怒り疲れると「澪が私を置いて遠くに行ってしまった」などと言って泣き出した。

 泣き疲れると今度は「おい聡!お前この事を知ってたんならどうして私に言わなかったんだ!!というかお前、澪の彼氏だろ?彼氏なら叩いてでも『彼女』を止めるもんだろ!!!このへタレ!!!!」などと言って怒りの矛先を俺に向け、一通り俺を罵倒すると、今度は澪姉の事を心配しだし、終いには上に述べた妄言をおろおろと言ってしまうのだった。



 



 その数日後、今度は「澪が帰って来るまで大学には行かない。帰って来た時に私達だけ上の学年だったら、澪が寂しがるからな」などと(そう言えば、昔見たアニメで主人公が事故で意識を失っている間、自身も学校に行かないで一緒に留年してしまうという、主人公依存にも程があるヒロインが居た事を思い出しながら)そういった感じの事まで言い出す等、正に澪姉が心配した通りの展開になってしまった。


 



 だが、澪姉に姉ちゃんの事を託された以上(まあ、そうじゃなくても一応、家族だし)
何とかしなければならないと思って宥めたり、叱咤したり、澪姉の事を引き合いに出したりして、苦心の末どうにか立ち直らせたかと思えば、落ち込んでいた時の反動か、「よーし!こうなったら澪の分まで頑張っちゃうぞー!それで澪が帰って来たら、私の事を梓と一緒に律先輩と呼ばせてやるんだ!」などと叫んで、俄然、気合とやる気を出し、昼夜を問わない猛勉強の末、姉ちゃんは第一志望の女子大に合格。

 幸い他の軽音部の人たちも全員、同じ大学に合格した様で俺もほっとしていた。
 

 


 

 かくいう俺も何時かは行ってしまうという事を知っていたとはいえ、この不意打ち同然の突然の電撃入隊にはショックを隠せなかった。

 澪姉の為に結局何も出来なかった事。何よりも期限不明(とうぶん)の間、会えなくなった事が現実となって俺を苦しめた。

 それでも知っているのと知らないのでは違うもので、ある程度の覚悟が出来ていた事。メールでの連絡の取り合いが可能な事。

 そして澪姉は暫らくの間、留学しているのだと都合よく解釈する事で、どうにか形だけでも立ち直る事が出来た。

 まあ、どうにもならなくなった時は、友人の鈴木をカラオケに誘ったりして、思いっきり歌う事でストレスを発散させたりしていたのだが。


 




 それから俺は澪姉を通じて彼女のメールとか、パソコンとかを使って自分で調べたりして、現在の宇宙開発等を知った事も多かった。

 まず驚いたのが、携帯のメールに関しては宇宙からでも普通に送る事が出来るという事。
知識として知っていたのだけど、実際に月から火星から届いたのには正直驚き感動した。

 少なくても太陽系からなら、光速の早さでクリアに送受信できる様だ。しかし、それならばと一度、澪姉に直接電話を掛けてみたのだが、流石に繋がらなかった。

 技術的には問題無い様なのだけど、どうも通話や画像の送受信に関してはブロックが掛けられているらしかった。


 



 今現在。月を中心に三万人以上の人が宇宙で働いているのだけど、こと宇宙に関する情報…特にタルシス遺跡の出土品から得られたタルシアン文明の超テクノロジーの情報は、米国を中軸とする『国連宇宙軍』と『nasa』によってほぼ独占され、一般には情報規制されていた。

 その様な宇宙情報関連の現状の中で、タルシアン調査団の情報『だけ』は例外的に数多く報道されて規制も比較的穏やかだった。

 人類共通の謎の外敵タルシアンの脅威に曝(さら)されていると、人々に認識させることによって、計画の正当性を強調させるのと同時に、ある程度、調査団の情報を公開する事で、元々一般人である選抜クルーへの処遇が人道的なものである事を示して、非難を避けようとする狙いがあったのかもしれない。


 




 この様に澪姉のメールは彼女の日常生活や訓練内容、安否を知る事が出来るのと同時に、今まで遠い世界の話だった宇宙を一気に身近なものへと感じさせ、俺に宇宙への興味を抱かせた。

 最初のメールが送られて来た月では、主にトレーサーの基本的動作の習得に時間を充てられたみたいだった。

 殆んどの選抜メンバーが習得出来た中、澪姉もどうにか習得できた様だった。

 中には精神的なものや事故等で落伍者が出て、地球に帰還した人もいたみたいらしかったのだけど、悪いとは思いつつも、<それでもいいから還ってきてほしい>などと、どこか心の片隅で思ってしまう自分が居た。
 
 


 

 月での訓練が終わると、火星に移っての訓練になるわけなんだけど、ここでの訓練内容は対タルシアンを仮想した戦闘訓練に特化したもののように思えた。

 元々トレーサーは惑星調査が目的で開発された物だが、その装備品によっては戦闘型モビルスーツと言われてもおかしく無いものになる。

 仮想タルシアンを敵とみなし、撃つ、斬る、破壊する訓練(こうい)は、この計画の当初の目的であるタルシアンを追跡調査しコンタクトを取り、その目的や情報を得るというものとは反対に、これではまるで彼等(?)との戦闘になるのを前提にしているとしか思えない様に思う。

 澪姉達は調査員としてではなく戦士として養成されているのと同時に、命の危険に晒されているのと同じなのではないかと心配になって来る。


 




 その後のメールによると、火星での訓練がひと段落したら火星の名所(オリンポス山、マリネリス峡谷、タルシス遺跡等)を観光した様だった。

 そして火星を出たらその次は木星のエウロパに向かい、更には冥王星まで進み、そこではショートカット・アンカー探索をするらしかった。



 俺が調べた限りショートカット・アンカーとはワープ専用ゲートみたいなもので、タルシアンが幾つか太陽系及びその周辺に設置したまま、置き去りにして何処かに往ってしまったというものらしい。

 そして何度かの実験の結果、一応『問題』無く使用できることが判明したと言うものだった。


 




 俺は木星に基地があるなんて聞いた事もなかった。

 ネットのもどこにも情報の無い機密事項なのではないのかと、知ってしまった事に妙な焦りを覚えたけど、それよりも冥王星と言う単語が俺と澪姉の距離を物理的にも精神的にも更に大きくさせた。

 幼い頃。図鑑等で見た太陽系の最も外側にある準惑星。

 光速で跳べば大凡五時間程度の距離でも、ある意味リアルな感覚として何十何百光年先の星々よりも、その果てしない気の遠くなる様な距離感を感じさせた。
 

 


 

 そして、ゆくゆくはショートカット・アンカーを使いこなし、澪姉達はタルシアンに近づいてゆくのかもしれない。

 確かにショートカット・アンカーで彼ら(?)の軌跡をたどって往けば、彼らと接触できる可能性はかなり高くなると思う。

 しかし、彼に接触出来たとしてそれからどうなるのか、無事に任務を達成出来たとしてどうやって還ってくるのか?。


 




 ショートカット・アンカーを使用すれ(つかえ)ば一瞬にして何光年も先まで跳んで行けるのだろうだけど、今まで見付かったアンカーは全て一方通行で<行き>のものに入ってしまったら<帰り>のアンカーを使わない限り自力で帰らなければならない……という代物らしい。

 しかも仮に見つかったとしてもどこに出るのか入ってみないと判らないので、迂闊には使えないというものだった。

 リシティアにはハイパードライブと言うワープ装置はあるにはあるのだけど、それにしたって不安な事ばかりだ。

 正にスケールが大き過ぎて考えれば考える程、気の遠くなる話だった。


 


  

 それから、ある日を境に澪姉からメールが送られて来る件数が急に増えた。

 内容は俺の大学受験の事。艦隊生活等の他愛もない事。それから頻(しき)りに俺の日常や高校生活等を聞いてくる様になった。

 結構細かいところまで聞いてくるので俺は少し辟易気味だったのだが、こんな状況下であっても俺の事を心配してくれるのかと思うと嬉しくもあった。

 とにかく俺としては澪姉が無事に任務を終えて、出来るだけ早く帰ってきてほしいと願うばかりだったし、情けない話だけどそう願う事しか出来なかった……。

 と、言うか既に宇宙軍に特別に選ばれたメンバーとして入隊して、それ相応の年棒と将来が約束されているであろう澪姉よりも、寧(むし)ろ今年受験なのに未だにどの大学、学部にするのかすら決めていなくて、何となく一日一日を過ごしている状態の俺の方が、心配しなければならない状況なんじゃないのかと、思わざるを得ないのだった……。



 



 つづく。



 2012年8月
 

 白い雪が深々と降り積もる聖なる夜。

 街に広場に立てられた、電飾や煌びやかな飾りに彩られたクリスマスツリーの周りには、数多くの恋人達が、寒さと温もりを共有し合う様に寄り添いながらツリーを見上げていた。

 そして、私の傍らにも、私を包み込むようにして寄り添ってくれている男の子がいた。

 「澪姉、寒くない?」

 その人は優しい声で私を気遣ってくれた。

 「ううん、充分、温かいよ……いや、やっぱりちょっと寒いかな……」

 そう言って私は、より強く密接に彼の腕をぎゅっと抱き締める。

 身体よりも心が温かく、いや火照っていくのを感じる。


 彼は…田井中 聡。私の、愛しい人……。





 「ツリーきれいだな」

 私は何となしに呟く。

 「み、澪姉の方があのツリーよりもずっときれいだよ……」

 彼は、ぎこちないながらも心を込めて言ってくれた。

 「うれしい……」

 「澪姉s……」

 「……澪って言って」






 「………………み…澪……」

 彼は少し照れくさそうに、それでも真剣な眼差しで私を見つめる。

 「聡…さん……」

 私は少し見上げる様に彼を見つめ、唇を少し窄(すぼ)めて、そっと目を瞑る。

 「澪……好きだよ……」

 呟くと同時に彼の顔が近付いていくのを瞳を閉じていても感じる。そして、彼と私の唇がそっと重なっt―――― 


…………………
………………
…………
………





 『――――山さん、秋山さん!』

 「あっ、あ、ひゃい!」

 不意にコクピットに叫ぶような声が響き、スクリーンの一部に曽我部先輩の顔が映し出される。

 少し前に見た夢を思い出しながらその世界に浸っていた私は吃驚して、現実世界に引き戻される。

 「どど、どうしたんですか?先輩」

 我ながら何とも間の抜けた声だった。まだ少し…呆けている様だ。

 『どうしたもこうしたもないわよ。もう交代の時間よ』

 先輩は半ば呆れた様に言った。時間を確認すると確かに、リシティアを出てから8時間が経とうとしていた。






 私は今、冥王星にいる。これまでの訓練でトレーサーの基本操縦をほぼマスターした私達のここでの任務は、ショートカット・アンカーの探索とタルシアンの監視だった。

 とは言っても、探索、索敵そのものはトレーサー内蔵のコンピューターがやってくれるので、私達がやる事と言えば、気になった所を自由に飛び回る位なのだけど、私達はこれを艦ごとに3班に分けて8時間交代で行っていた。

 『また、聡君の事を考えていたんでしょ』

 先輩には珍しい少し非難する様な声だった。






 「そ、そんな事、考えてませんよ!/////」

 図星だったけど…流石に恥ずかしくて、肯定する事は出来なかった。

 『どうかしら、このところ頻繁にメールしてるみたいだし……』

 『あっそうだ。任務が終了して地球に帰ったら、聡君と田井中さんに言ってあげようかしら?秋山 澪さんは大事な任務中に聡君とのいちゃいちゃラブラブなふわふわdream時間を妄想してましたって』

 「せ、先輩のいじわる……」






 『冗談よ。まあ正直に言って私達が飛び回って捜したところで、ショートカット・アンカーなんかそう簡単に見つからないでしょうし、今のところタルシアンだって出てきそうにないもの……』

 『そうね探索を兼ねたストレス解消と思えば、少しくらい気を抜いても良いと思うけど、あんまり抜き過ぎても駄目よ。秋山さんただでさえ、この所ぼうっとしてる事が多いみたいだし』

 「そ、そんな事……」

 言いかけて私は口籠る。確かに最近は特に不安になったり、聡の事を考えてしまう事が多くなった。

 時折、無性に聡や律達に逢いたくなって仕方なくなる事もあった。宇宙に出て一年以上経つというのに、今迄で一番強いホームシックに罹ってしまったのかもしれない。

 だが、そうなってしまったきっかけを作ったのは、明らかに火星での食事の時の曽我部先輩との会話からだったのだけど、今こうして私に注意している当の本人は、そんな事、微塵も感じていないんだろうな……。





 『とにかく、帰艦しましょう。四房さんも戻って来てるから』

 四房さんは、冥王星(ここ)に来る前、火星から木星に移動した頃に曽我部先輩に紹介されて知り合った人だ。

 彼女の駆るトレーサーは私達よりもかなりリシティアから離れていた所を探索していたのだけど、こちらに向かって来るのが望遠モニター越しに確認出来た。

 ここ最近は、私と先輩と彼女の三人グループで探索する事が多くなった。






 四房 立旗(よつふさ たつき)さん。


 ショートカットでくせ毛が魅力の元気な性格の女性で、私より2つ年上の短大生だった人だ。

 入隊年次に卒業だった為に、短大は卒業扱いになったらしい。

 かくいう私も入隊後、桜高から卒業扱いの連絡と卒業証書が来た。と、ママからのメールがあって。何とか卒業だけは出来たのだと、ほっとした事を覚えている。

 この時。私は律達と一緒に卒業したかったと思うのと同時に、入隊に関しては守秘義務があったはずなのだけど、どうやら学校等の機関には前以って、それとなく伝えていたんだなと思った。





 彼女は本来なら卒業と同時に幼馴染の彼と結婚する予定だった様で、もしかしたら特例として入隊を拒否出来たかも知れなかった(=選抜クルーの中に既婚者や正社員だった人は基本いないらしい)のだけど、彼女は敢えて入隊する道を選んだ。

 四房さん曰く彼は「お前がそれを望むなら何時迄でも待っていてくれるって言ってくれたし、除隊したらお金がいっぱい貰えるから、そのお金で彼と結婚式を挙げて、ついでに家も建てちゃうんだ」と、微塵も疑いも不安も感じさせない口調で嬉しそうに私と先輩によく言っていた。


 私は、そんな彼女がとても羨ましかった。


 




 「分かりました」

 私はそう応えるとスティぐまを反転させ、曽我部先輩の駆るトレーサーと共にもう粗方他のトレーサーが帰艦をし終えているリシティアの着艦ゲートに向かって、アクセルペダルを踏む。


 その時だった!突然、コクピット内に警戒アラームが鳴り響く。

 スティぐまに乗って初めての警戒アラームに、私の身体に緊張が奔(はし)る。私は先輩との回線を一時的に切って警報(アラーム)の内容に耳を傾ける。


 『タルシアン来襲!タルシアン来襲!!トレーサー部隊は発艦準備に就け!』


 




 まさか――――!?のタルシアンの来襲に一気に私の心拍数が上昇する。

 私は任務を終え地球に帰還する為には、一度タルシアンと接触して、ある程度の何らかの成果を上げなければならい。と考えていたので、タルシアンと出来るだけ早く邂逅出来ないかと思ってはいた。

 だけどいざ本当に現れた今、不意打ちに近い形とはいえ、それまでの気持ちは一気に吹っ飛んでしまい、緊張と不安と恐怖でとても接触なんて出来る精神状態ではなかった。

 全く……律辺りに<相変わらず澪しゃんはへタレだな>とか言って笑われても、とても文句を言えそうもないな……。
 

 




 『探索作業中のトレーサーは、直ちに各母艦に帰艦せよ!』

 艦からの指示に内心安堵したけど、念のため索敵をすると赤い反応点が一つ、他のどのトレーサーよりも私達を示す三つの緑の点の近くにあった。

 「うそっ!近い!!」

 私の後頭部辺りの血が一気に引き、上昇し続けている心拍数が一時的に止まったかのような錯覚を覚える。

 『秋山さん!大丈夫。落ち着いて戻り――――!!?四房さん―――!!!?』

 先輩が、私を促そうとしたかと思うと、不意に信じられないといった叫び声を上げる。

 私は刹那、索敵モニターを視ると四房さんを示す緑の点が、何を思ったのかタルシアンを示す赤い点に向かって真っすぐに向かって往くのが視えた。

 私と先輩はすぐさま四房さんとの回線を開き、必死に止めに懸かる。
  

 




 『大丈夫、大丈夫。様子を見るだけだから心配いらないって。話せば分かる奴等かもしれなし、何かあったとしても、一体だけだから何とかなるって』

 『……それに…こんなチャンス滅多にないよ!』

 四房さんは少し興奮気味に言った。確かに、タルシアンに何らかのアプローチが出来るかもしれない貴重な事態かもしれないが、彼ら(?)の動向が分からない以上、タルシアン・ショックの件もあるし……とても危険だ。

 『おーいっ、そこのタルシアン。私と話を――――!えっ!うそ!さ、三体―――!?』

 四房さんの驚いた声が、回線を越しに響き渡る。

 索敵モニターの赤い点はひとつの筈だったのだけど、いつの間にか三つになっていた。


 最初から一つでは無く、点が重なっていただけだったんだ!!!。


 




 『大丈夫!話せば分かる筈!…………私は…帰るんだ!』

 四房さんは自分に言い聞かせるように叫ぶと、私達の再三の制止の声を振り切って、三体のタルシアンに向かって驀(ばく)進していく。

 私達も直接彼女を止めようと、必死になって追うけど彼女とタルシアンとの邂逅までにはとても追い付きそうもなった。

 そしてついに、三つの赤い点と一つの緑の点とが一つに重なってしまった。私はトレーサーのズーム機能を使うと、辛うじて四房機とタルシアンの姿が確認出来た。

 遠目だがはじめて見る本物のタルシアンは、くすんだ銀色をした亀の様な姿をしていた。

 私はその姿に、軽音部の部室で飼っていた、スッポンモドキのトンちゃんを思い出したが、今視ている存在(モノ)そんな可愛らしいモノじゃない……。


 ≪人類全体の侵略者(てき)≫になるかもしれない未知の存在(シロモノ)だ。


 





 『発進!トレーサー部隊発進!!』


 やっと発進命令が回線から聞こえたが、私と先輩を含めて余りにも遅過ぎた。

 『わ、私達は地球という惑星(ほし)から来たんだ。まずは話し合わないか?こっちに私たt――――!!!!?きゃっッッ―――!!』

 言い終わらない内に三体のタルシアンは四房さんを三方から囲い込み、触手の様なモノから、一斉にビームの様なものを容赦なくトレーサーに撃ち込む。

 モニターに絶望的な光景が、容赦無く映し出される。

 至近距離、しかも三方から同時に放たれた光線を回避出来る筈もなく、恐らくは防御用バリヤーを張る事も出来ずに、トレーサーを貫いて往く……。


 そして……間もなくトレーサーは爆散し破片が四散する。
 

 



 「よ、四房……さん……イヤ!……いやぁ……返事して……返事……」

 もう既に回線は途絶えていた。私は目の前(モニター)越しの絶望が信じられずに、何度も彼女の名前を呼んだ。でも、何も返って来る事は無かった。

 「今行きますから!!!!」

 私は叫び、トレーサーを彼女の逝た場所に向かわせようとする。それをトレーサーでトレーサーを抱き締める様に、曽我部先輩が止める。

 「は、離して下さい!四房さんが!四房さんが!!助けないとっ!!」

 『ダメよ!今行ったら、アナタまでやられてしまう!』

 「そ、そんな事!早く助けないと四房さんが!」

 尚も食い下がる私を先輩は必死に食い止める。


 




 『もう、遅いのよ………』

 「先輩、何を言って――――」

 モニター越しにだけど、初めて見せ付けられる本物の人の『死』。その衝撃に私は未だ現実を受け入れられずに取り乱してしまう。

 だけどそんな私を必死に止める先輩を見て、私は…はっと我に返る。

 『もう遅いの……彼女の生体反応が完全に消えてしまった……私達が知っている四房さんはもう、居ないの……この世界のどこにも居ないのよ……』

 泣いていた。音も立てないで、先輩の目から泪が流れていた。先輩だって私以上に今すぐにでも彼女の元へ行きたい筈だ。一縷の望みを持って、助けに行きたいに決まっている。

 でも…行かなかった。ううん…行けなかった。私がいたから。こんな状態の私を連れて逝くのも、放って逝くのも、先輩の矜持(しんじょう)が責任感(つよさ)が許さなかったんだ……。


 




 「う、ううぅ……うわああああぁぁぁぁぁぁ―――――」

 泣いた。泪が止まらなかった。今迄…必死になって流れない様に溜めていたものが、泪と一緒に流れて行ってしまう様な気がした。

 でも……止まらなかった。止めようともしなかった。

 『戻りましょう、秋山さん……』

 時を見計らって、曽我部先輩が優しく慰める様な声で促してくれた。

 私は「はい……」とだけ応えて、スティぐまをリシティアに向けた。

 この時。四房さんを撃った三体のタルシアンの内の一体が、別のトレーサーによって斃されていた事に、この時の私は気付きもしなかった。







 『タルシアン群体出現。トレーサー隊、緊急帰艦せよ!』


 リシティアに向かい始めて間も無く、再びアラームが鳴る。

 「群体って……だとするとあれは偵察隊とかだったのかしら?」

 曽我部先輩が怪訝そうに言った。私は今の状況がよく判らなかった。余りのショックで思考能力がかなり低下しているのが自分でも判る。






 「でも…トレーサー全てを帰艦って、どういう事でしょうか?」

 ぼうっとする頭の中で、必死に現状を把握しようと努める。

 『判らないわ。群体の数にも由(よ)るのでしょうけど、リシティアや他の艦で艦隊戦を行うのか、撤退するのか……どちらにしても私達は早く帰艦した方がいいみたいね』
 

 『群体までの距離、一二〇〇〇キロ。個体数数百以上。続々と増殖中!』
 
 

 




 「えっ?数百!?何も無い所から……せ先輩もしかして……」

 「ええ、やっぱり此処にもショートカット・アンカーは有ったみたいね。尤も、この状況下ではどうにもならないけど……」

 『取り敢えず…兎にも角にも数からして今の私達にどうこう出来るものではないわね』

 「やはり、一時撤退するのでしょうか?」

 『どうかしら。現状ではそうなるしかないと思うけど。司令官次第でしょうね』
 

 




 タルシアンは何をしたいのか?やはり私達を敵と見做(みな)して殲滅をしようとしているのか。それとも他に何かあるのか?私にはよく判らなかった。

 分かるのは今私達は危機的状況にあって、配置マップを確認すると、既に赤い点がマップ上に侵食するかの様に拡がり艦隊に急迫していた事だ。

 赤い点は恐らくはショートカット・アンカーかと思われる地点から更に続々と湧き出ていた。

 やはり先程の三体のタルシアンは偵察、斥候隊で私達を発見した所で群体を呼び出したのであろう。


 




 しかし、この不意打ちに近い状況では余りに分が悪いし、私自身…とても戦えるような精神状態ではなかった。

 それでも、どうにか私達はやっとの事で、リシティアに辿り着き回収待ちのトレーサーの後ろに着く事が出来た。


 『艦隊はタルシアン群体との接触を回避する。これよりハイパードライブに入る。ミッション中のトレーサーは全機、直ちに帰艦せよ。帰艦を急げ、ワープアウト・ポイントは、暗号化して伝える。各艦、ワープイン・タイムを一分後に設定させる。では、カウントダウンを開始する』


 




 どうやら間に合った様だ。私は少しほっとして安堵の息をもらす。

 次々にトレーサーが回収されていく。残りは私達と、後ろから近づいて来る二機を残すのみとなった。
 

 『警告!タルシアン接近!』

 
 




 「えっ!何で!?」

 残り時間三十秒の処で、私はコンピューターの音声に驚きの声を上げ周りを確認する。

 見るとタルシアンが一体、最後のトレーサーの背後に迫っていた。

 だが進入角度から見て、タルシアンはあのトレーサーを狙っているのではなく、私達…延(ひ)いてはリシティアに狙いを定めているんだ!!と私は直感する。

 最後のトレーサーもその事に気付いたのか、そうはさせまいと恐らくはビームブレードを繰り出すけど、タルシアンはトレーサー諸共これを避わしリシティアに迫って来る。

 もしここで攻撃を受けた場合。仮に私達が回避したとしても回収ゲートに被弾した場合最悪の場合ハイパードライブが使えなくなる。

 そうなればタルシアンの大群に囲まれて、なす術もなく袋叩きに逢うだけだ。


 




 <戦うしかない>私は折れてしまった心を無理矢理に繋ぎ止めて奮い立たせる。

 そして敵近くのトレーサーに当てない様に狙いを定め、震える手でミサイルの発射ボタンを押そうとする。

 その瞬間だった。急にタルシアンの動きが止まる。見るとタルシアンに避わされたトレーサーが、今度は脇をすり抜けるタルシアンにワイヤーを打ち込んでいた。

 そしてワイヤーを巻き戻すと一気に距離を詰め、背後からビームブレードで一気にタルシアンを引き裂くと、タルシアンは血飛沫の様なモノを勢いよく上げながら肉片になって飛び散っていく。

 「す、凄い……」

 私はスクリーンに映った光景に思わず呟いていた。タルシアンの恐怖に打ち克つ精神力。一瞬の判断力。トレーサーの操作能力……。

 その全てが自分とは比べ物にならないと痛感する。それ位に流れる様な一連の動作は見事だった。






 『早く入るわよ!。ワープが始まっちゃう!!』

 曽我部先輩は少し焦った感じに促すと、半ば引き込まれる様に私は機体を艦内に収容させる。

 そのすぐ後に最後の機体、あのタルシアンを墮とした機体がゲートに回収されたとほぼ同時に、既にワープエンジンを稼働させていたリシティアを光の粒子が包み込み、空間が一気に歪曲しそしてワープが始まる。


 




 私は不思議な感覚に包まれていくのと同時に、聡達にメールを送っていない事に気付いた。ハイパードライブで一光年以上跳ばされてしまうと、次にメールが届くのは一年以上かかってしまう。

 しかし時既に遅くリシティアは光の粒子と共に。私は宇宙空間から様々な不安と共に私の存在(すべて)が消えしまうかの様に、更なる暗闇に吸い込まれていった……。



 聡、お願い待ってて。私を忘れないで……。


 私は暗闇に包まれながら、祈るような想いで心の中で呟いていた……。
 





 



 つづく。



 ワープアウトした宇宙(くうかん)。そこには、

 太陽があった。

 だけど、それは私の知っている太陽ではなくて、全く別の太陽に似た『シリウス』と呼ばれる恒星。

 でも、そこには太陽系と同じ様に惑星があり、その中の第四惑星は地球と非常によく似た環境の惑星(ほし)である事が判っていた。


 ショートカット・アンカー発見時の事前調査で発見されたこの第四惑星(ほし)は、

 『アガルタ』<地底にある伝説上の都市の名称>

 と、名付けられていた。

 

 ワープ前夜のランチルームにて私達に伝えられたアガルタ調査計画は、大雑把に言うと、短期的にはタルシアンの痕跡を含むアガルタ全土の調査。長期的には此処を拠点として、更なるタルシアン調査を展開するといったものだった。

 ワープアウト後、艦隊は直ぐにアガルタの衛星軌道に入り、半日かけて惑星(アガルタ)全土の衛星写真を撮りかなり高精度の地図を完成させていた。

 この地図を基に各艦ごとの調査担当エリアが振り分けられた。それから更に各艦ごとの調査隊の編成がなされ、エリアを細分化、各隊員(クルー)の割り当てが決められた。

 此処での調査は地上に降りるトレーサーと、艦中に残るトレーサーを半々にしての十二時間の交代勤務になった。支障なく調査が行われれば、一か月程で全区域を調査できる予定らしい。

 

 私を乗せたスティぐまは、大気圏を突破してアガルタ上空に出る。

 「すごい……」

 私は空から見るアガルタの景観に思わず息を飲んで呟く。
 

 そこには、『緑』が有った。

 見渡す限りの自然。

 もう、月のベースキャンプ以来、二年近く見る事の出来なかったものが、此処にあった。緑色の景色が眼前に広がり、そこには山が有り、谷が有り、平野が有り。その中を縫うようにして川が流れていた。

 こんな光景は見た事も無いのに何故か懐かしさを覚えながら、決して黒では無い綿雲が漂う空を降下していくと更に地上の様子を伺い知る事が出来た。

 更に降下すると小さな点の様に見えるけど、確かに鳥の様な生物が群れを造って空を飛んでいた。

 

 私と共に降下した五十機のトレーサーは、二千メートルにまで降下したと同時に一斉
に散開する。更に近くのエリアを担当する五機の僚機とも担当エリアが近付くにつれて、それぞれのエリアに散開して往った。

 一人になった私はそのまま地上に降り立つと同時に地面が震え、それに驚いたのか物陰からカピバラっぽい小動物が勢いよく飛び出し一目散に走り抜けて行った。

 人の手が全く入って無い手付かずのままの自然。私の家は都会の真ん中にある訳ではないのだけど、それでも純粋な自然と言うものは無かった。だから、この景色はとても新鮮なものの筈なのにどこか懐かしささえ覚えた。灰色と黒色の世界に慣らされ、居続けされていた私は、この様な『生きている色』に飢えていたのだと思う。


 私の担当エリアはこの辺りを拠点とした百キロ四方というものだった。

 私は先のミーティングで言われた通り、そこを、大地を踏みしめながら歩行していく。

 トレーサー越しなのだけど、自然に感じられる重力と感触が心地よかった。



 もう幾程か黙々と歩く続けているけど、景色そのものは殆んど変る事は無かった。担当エリアのマップを見ても暫くは殆んどが平地で、少なくとも人口建造物といったタルシアンの痕跡は見つかりそうも無かった。

 「ふぅ……」

 今日のところは地球以外の星の物珍しさや、自然に対する感動も手伝って何とかなりそうだが、もしこの先一ヵ月間このまま何も変わり映えが無かったらと思うと、思わずため息が漏れる。

 更に歩を進めて行く内に段々と風が強くなり、雲行きが怪しくなってくる。そして更に二時間ほど過ぎるとまだ明るい空からぽつぽつと、そして更に強くにわか雨の様に雨が降り出してきた。



 二年近く見る事の無かった雨が、大地を、トレーサーを、そして私の心を濡らしていく。

 そして雨が止み、その雲間から陽光が差し込み景色を変えてゆく。

 私はそんな変わりゆく景色を眺め、空を仰ぎ見る。その懐かしいけど幻想的な眺めに、忘れようとしていた想い(もの)がこみ上げ溢れ出して来る。

 一度は決心していた聡への決別の思いが、心に建てた筈の壁が、心に降る雨に一瞬にしていとも簡単に溶かされ流されてゆく。

 「やっぱり諦める事なんて出来ない……逢いたい。やっぱり逢いたいよ、聡…………」



 私の目からまた、泪が零れ堕ちた。

 情けない話だった。地球から八光年以上離れたシリウス(ここ)まで跳ばされた時に諦めた筈なのに。そう決めた筈だったのに。もうその決意が崩れ落ちてしまった。

 宇宙に出てから何度か目の泪を流してしまった。私はこうも脆くて弱い存在だという事を思い知らされた。女々しいとは正にこの事だ。それでも判ってはいてもこの想いをとても抑え切る事は出来なかった。



 こんな星(ところ)に来なければ、宇宙なんかに出なければ、四房さんは死なずに済んだ。私は律達と一緒に学生生活を送れた。あいつらと音楽を続ける事が出来た。みんなでバカやって笑い合う事が出来た。聡と一緒に人生を歩んでいく事も出来た!。

 タルシアンさえ出て来なければ、全部、当たり前の日常として送る事が出来た!。



 「ちくしょう!タルシアン!!ちくしょう!!!」



 悲しくて、苦しくて、辛くて、憎くて、腸が煮えくりかえる位の怒り。でも、どうにもならなくて。もう、思いっきり声を出して泣くしかなかった。コクピットに私の嗚咽が逃げ場も無く響いた。

 「なぁ聡。どうしたらお前に逢えるのかな。お前に逢えるなら何だってやってやるのにな…………」

 一通り泣き腫らした後、軽い脱力感に浸りながら私はシートにもたれ掛かって、コクピットの無機質な天井を見上げながら何気なく呟く。



 その時、ふと人の気配を感じた。



 「えっ、何!?」

 反射的に身体を起こしながら声を出した瞬間、眩しい光が目に飛び込んできた。その刹那、幾つもの見覚えのある映像が脳裏を掠めて行く。
 
 誰もいない高校の教室。軽音部の部室。その机に並べられたティーセットとケーキ。学園祭のライブで演奏した講堂。聡と学校帰りによく立ち寄ったコンビニ。聡とよく他愛も無い話をした公園。密かに聡の試合の応援をしに行ったグラウンド。デートの時に勇気を出して胸をドキドキさせながら、さりげなく(?)聡の腕に抱きつく様に腕を絡めた時の私……。どれももう懐かしい。此処に来るまでは当たり前の事だったけど、今となってはとても幸せだったと思う、数々の大切な想い出の映像(きおく)。

 でも、その中に異質なモノを感じた。とても嫌な感じのする、こちらを盗み見る様な強い視線。



 <タルシアン―――!?>

 映像が消え代わりに何かが私の目を掠める。私はそれをタルシアンであると直感し、反射的にスクリーンに目を向ける。


 その瞬間。私の意識はコクピットを抜け出し、外の草原にふわふわと浮遊していた。

 そして、その自分と向き合う様にして私を見詰める少し幼くなった自分?。

 「ねぇ、やっとここまで来たね」

 幼い私がどこか優しい口調で話しかける。

 「大人になるためには痛みも必要だけど、あなたたちならずっとずっと先まで、もっと遠い銀河の果てまでだって行ける。……だからついて来てね。託したいのあなたたちに」

 幼い私の言葉に、私の心はざわつく。



 「もう、私にとってはそんな事はどうでもいいんだよ。私はただ聡に逢いたいだけなんだ。あいつと一緒に同じ時間を過ごしたかっただけなんだ…………」

 何の為に此処まで来たのか?その全てを否定するかの様な事を、私は幼い私に言い放つ。また、泪が出た。その瞬間。私の意識は桜高の音楽準備室(ぶしつ)にいた。私は誰もいないティーセットの並べられたテーブルの前に坐わって泣いていた。誰もいないのにティーセットだけが並べられているのが余計に寂しかった。

 西日が部室を、ティーセットを夕焼け色に染め上げていく……。

 

 「大丈夫。きっとまた会えるよ」

 涙を流す自分を今度は大人になった私が優しく慰める。

 大人の私はそれじゃあと背を向ける。また場面が変わり、私は体育館のステージの上にいた。ドラムセットが、ギターが、キーボードがそこに置かれていた。

 私は私を追い掛けようとするもステージと観覧席との段差に気付き、一瞬、躊躇してしまう。だが意を決して飛び降りようとするとそこにはもう誰もいなかった。体育館も楽器のセットもいつの間にか消えてしまっていた。



 スクリーンにはアガルタの草原が広がっていた。

 雨上がりの草原が生き生きとした姿を私に見せる。あの雨上がりの独特の匂いが匂ってきそうな気がした。

 <何だったんだ。今のは?私は白昼夢でも見ていたのか?>

 私は夢にしてはやけに生々しいイメージに首を傾げる。

 大小の自分(あれ)は、タルシアンだったのだろうか?何の為に敵である私にあんな映像を見せ、私に語り掛けてきたのだろう?。

 私がそんな事を思案している時だった―――。

 私に知らせる警戒音がコクピットいっぱいに鳴り響く。




 『タルシアン出現、タルシアン出現!』
 

 刹那。スクリーンがミッションマップに切り替わる。

 『各地で出現したタルシアンが、調査隊を襲っている。全隊員に告ぐ。直ちに応戦せよ』


 「……これが、お前達の言う痛みか!!」

 私が声に出して叫ぶと同時に、天空から光る巨大な何かが猛スピードで地上に落ちる。かなり遠くではあったけど、それが大地に突き刺さり巨大な火柱を上げるのがはっきりと見えた。それはさながら、インドか何処かの神話にあったインドラの矢の様だった。



 「お前達は…私達とそんなに戦いたいのか?」

 私は顔を伏せ、押し殺した声で呟く。

 戦わなければならないのなら、それしか帰り道が開けないのであれば。

 タルシアン(やつら)を斃すことが、戦い(いたみ)を乗り越える事だと云うのなら!


 <やってやる!やってやるさ!!>
 

 私は顔を上げる。この時の私は多分いつもの私が見たら、びびってぶるってしまう程に怖い顔をしていたのだと思う。

 この時。私の中で『何か』が切り替わる。

 <聡ともう一度逢う為だったら、戦いでも、殺し合いでも何だってやってやる>

 <それで、望みが叶うのであれば―――>

 私は顔を上げる。そして――――



 私は、戦う決意を、した……。




 つづく。
 ここは書いてて一番出来が良かった様な気がする。



 2011年5月。



 十年以上前。俺と澪姉が最後に逢った、ある意味『はじまりの公園(ばしょ)』。俺はここのベンチ前である人が来るのを待ち侘びていた。


 勿論。その人とは澪姉の事だ。




 宇宙(シリウスライン)で再会して地球に戻るまでの間はお互いの時間を縫って逢う事は出来ていたのだが、新造艦から月面基地でシャトルに乗り換え二便目のシャトルで澪姉が、そして最後の便で俺が地球(こっち)に戻ってからは、宇宙に出ている間に溜まりに溜まった仕事に追われ、澪姉も取材やら何やらで多忙を極め、只の一度も逢えずにいた。

 だけど、どうにか調整をつけて今日やっと互いの都合が合い逢える事になった。そして話し合いの結果、公園(ここ)で落ち合う事になったのだった。


 「まだ、来ないな……」

 約束の時間にはまだ少し早かったが、待っている間そわそわするのも何なので、何となくぼんやり考え事をする事にした。



 澪姉が居なくなってしまった後に急速に開発が進んだモノが二つあった。


 エネルギー増幅システムとトレーサーの事だ。


 澪姉が宇宙に行ってしまってからそれ程期間を置かずに起こった大地震と大津波。その余波で起こった原発の事故。

 その時に配備されたトレーサーは澪姉達が駆っていたものに比べて数段性能が落ちるものだったが、それでも救助や瓦礫の撤去作業。原発施設の調査等、被災地の復旧復興に相当な成果を示した。



 そして、原発の事故によりクリーンエネルギーの必要性が叫ばれた時に一気に世界中から注目を浴びたのが、光エネルギー増幅還元システムであり、その技術を独占している日本であった。

 これにより、言い方は悪いかもしれないが、震災の被害(ダメージ)を復興の礎(エネルギー)に換えて日本は石油に変わるエネルギー革命を興し、その盟主になった。

 トレーサーもこの件で一気に災害救助や建設作業での汎用性が認められ、その必要性が叫ばれ一気に開発が進んだ。その結果、現在のモデルは澪姉達のものには及ばないものの、その性能は格段に上がり且つ、操縦さえ覚えれば乗り手も選ばない、ある意味純地球産の高性能の機体の開発に成功していた。

 そして、今のところは平和活用されてはいる様だが、これが軍事目的に利用されない事を願うばかりだ。

 

 そして、この二つの技術が宇宙由来のものだった事もあって、その結果この分野にこれまで以上に注目が集まる事になり、その将来性から大学も文理問わずに宇宙系学部に人気が集中してしまうと言う事態になってしまった。

 この事を思い出す度に俺は本当にギリギリの(いい)時に受験できたなと思う。

 ある意味、一寸先は闇とはこの事だと思う。よくは判らないが…………。



 大学と言えば、澪姉がこの9月から大坊に編入して来るらしい。澪姉曰く、シリウスからの帰還中、彼女はリシティア内で様々な作業の手伝いをする傍ら、国連規定の大学の通信課程を受けて修了したらしい。

 国連大学とは本来は修士・博士課程相当の機関なのだが、今回の調査隊は現役の学生が殆んどの為、特別に学士課程の通信カリキュラムを組んで貰っていたらしい。

 卒論も提出済みでこれが通れば晴れて大学卒と言う訳らしいのだけど、本人は「改めて大学に通いたい」という訳で、年齢的な事も考慮して3年次編入という事になったらしい。

 澪姉の他にも大坊を始め他の大学に編入、入学を希望する人、復学する人達も多いと言う事らしかった。

 実際の所。彼女達の受け入れを希望する大学は、宇宙学部の有る大学を中心にしてかなり多かった様だ。



 実際に宇宙に出て更にタルシアンと戦闘を経験した数少ない生き残りであり、宇宙生活も長いという余りに貴重な体験をしたと言うのだから、引く手数多と言うのも当然だと思う。

 更に国どころか国連の推薦状迄あるのだから、大坊だろうがどんな大学でもほぼフリーパス状態なのだと思うし、今回の件ではどう見ても不可解な計画内容且つ、一般人の死傷者が余りにも多い事に、国連は世界中から非難を浴びた事に流石に堪えたのか「彼女たちの今後の人生に於いて出来る限りの保障と支援を行う」「また亡くなられた方々とそのご家族にも同様の補償をさせて頂く」と声明を出しているのでこれ位は当然の事だと言えた。

 地獄の受験を乗り越えてどうにか合格した俺からすれば羨ましい限りなのだが、彼女達は実際に本当の戦場(じごく)を潜(くぐ)り抜けたのだから、これ位の報酬(こと)は当然の事なのかもしれない。





 報酬と言えば、彼女達がこの遠征で受け取った給料も相当なものだったらしい。

 正確な額は教えてくれなかったけど澪姉曰く「『ジャンボ宝くじ』が当選した位」は有るらしかった。

 これまた羨ましい限りなのだが、彼女達の功績を考えればもしかしたらこれでも少ない位かもしれない。

 

 という訳で、澪姉が9月から大坊に通うと言う事なのだが、そのこと自体は立場が違うとはいえ元々n女に通う予定だった彼女と、同じ学校に通う事が出来るのだから嬉しいに決まっている。だけど、問題は恐ろしい事にあの曽我部さんも澪姉と一緒に入学してしまうと言う事だ。

 はっきり言ってリシティアでの彼女との出会いは、真面目にトラウマもので、あの時彼女が俺に言った「これからよろしくね」という言葉がこの事だったのかと思うと、大仰かもしれないけど背筋が寒くなる思いがした。

 あの時味わわされた、氷の短剣。いや氷の大剣を突き立てられたかの様な感覚は当分忘れられそうもなかった。

 とはいえ、来てしまうものはどうしようもないので、俺も覚悟を決め、腹を括るしかなかった。




 ……………。


 「うーん…まだかな……」

 俺は腕時計を見ながら溜息を吐く。約束の時間にはまだ少し早いが、未だ澪姉が来る様子は無かった。

 今まで…と言っても十年以上前なんだけど、待ち合わせした時は寧ろ澪姉の方が先に来ていた事の方が多かったのに……。

 <宇宙生活が長かったから少し生活のリズムが変わったのかな……?>

 俺は若干不安な気持ちになりながら、そんな事を考えていた。

 宇宙と言えば、今後再開されるであろう第二次調査隊の事をふと思い出した。

 

 どうも今現在、調査計画そのものが見直されているらしい。その発端となったのは、澪姉達がアガルタで遭遇したと言う、奇妙な映像であるらしかった。

 リシティアで澪姉に聞いた話だと、タルシアンは地球人(わたしたち)に、何かを『託したい』『ついて来て欲しい』といった様な事を伝えて来たらしい。

 そしてその為には、『痛み』も必要であると…………。

 そして、この体験(えいぞう)が澪姉だけでなく、他の生き残った選抜メンバーも同様の体験をしたと言うのだから、とても個人の幻聴や妄想で片付けられない事であるし、タルシアンが初めて地球人(じんるい)に直接に伝えて来た、言語による貴重なメッセージとしてとても無視できるものではない事は容易に想像が付く。

 ただ、このメッセージをあの戦いで命を落としてしまったメンバーも聞いたのかどうかは、永遠の謎になってしまったのだが…………。




 そもそも人類がタルシアンという存在を知ったタルシス遺跡の爆発事件自体が、タルシアンが引き起こしたものではなく、何かしらの人為的要因(ミス)による事故ではなかったのかという説も出始めていた。

 そして、爆発(そ)の時にタルシアンが現れたのはただの偶然だったのではないか、という見解をする識者もここにきてちらほらと出始めていた。

 遺跡の爆発を事故ではなく襲撃として、その後タルシアンを敵と見做す事にして、事故の過失を無かったものとし、タルシアンという敵を作る事で世論の非難を躱し、尚且つ危険という事で他国や民間が手を出せない状態にして、タルシアンの技術や科学を独占してきた米国政府の陰謀だったのではないか?。

 最初の段階で、米国はそして世界(じんるい)は間違った選択をしてしまったのではないか?という議論があちこちで交わされていた。

 

 だけど俺はどちらにせよ、澪姉達が巻き込まれた戦闘<たたかい>は避けられなかったのではないかと思う。

 タルシアン側がアガルタで『託したい』その為には『痛みが必要』と伝えてきた以上、『何か』を託す為には痛みに耐えられる位の、そして『彼等』の試練を乗り越えられる程の精神と力が無ければ話にならない。

 と、タルシス遺跡を爆発させてしまった程度の科学力、技術力しか持たない愚かで無知な地球人(じんるい)を試したのではないか、と俺個人は思っている。

 だからタルシアンは自らのテクノロジーを人類が盗み応用していく様をも黙認してきたのであろうし、その成果を確認する為に彼等自身が犠牲になるのも厭わずに、澪姉達と交戦したのではないか?。





 「タルシアンの戦い方は何処か不自然だった。勝てる戦いだったのに、何故か勝とうとはしなかった様な気がする……」

 と、澪姉がリシティアで俺に疑問を投げ掛ける様に話してくれた様に、タルシアンにとってあのアガルタでの戦いは、人類を試す試練であり試験ではなかったのではないかと思う。

 

 何にしても何が真実なのかは今もまだ解らない。タルシアンが依然、人類にとって未知で脅威の存在であることには変わりは無いし、何よりも澪姉が生きて帰って来てくれた事だけで俺には充分だった。

 と、まあこういった経緯もあって第二次調査隊は当初の予定よりも規模を縮小し、その目的をアガルタの環境調査と、澪姉達が発見したアガルタ遺跡の調査に限定すると言う事になったらしい。

 その澪姉も、除隊となる時にロコモフという司令官から、「その時にはまた来てほしい」とスカウトされたらしいのだが、澪姉は流石にもうこりごりだと断固として断ったらしかった。




 正直に言って、俺としては断ってくれて本当に良かったと思う。

 シリウスラインαからの帰還中。リシティア内にて曽我部さんに散々、澪姉のトレーサーパイロットとしての腕は相当なものであり、実際にアガルタ決戦時の撃墜数は全パイロットの中でトップだったと言うのだから、司令官が引き留めるのも当然だと思った。

 だけどあの澪姉が敵とはいえ、生物かも(えたいの)知れないモノを大量に撃墜したと言うのだから、一体彼女に何があったのだろうかと考えただけで、少し身震いしてしまう。




 「うーん……」

 俺はそんな何処か説明と言うか纏めじみた事を考えながら、再び時計に目をやろうとした時だった、





 「聡。ちょっと待たせちゃったかな?」




 俺の耳に一番聴きたかった人の声が聴こえ、俺の目が一番見たかった人の姿が、この瞬間この目に映った…………。

 
 
 「ううん。俺も今来たところだよ」

 本当は、これまでの総括的な事を考え思い返す程度の時間は待ったのだけど、澪姉がほぼ時間通りに来てくれた事だし、特に何か言う話でもないので、俺は笑顔を作って手を振り、澪姉を安心させる様に言葉を返す。

 「そうか……それなら良かった。家を出る前にちょっとばたばたしてしまったから、ちょっと焦っちゃったんだけど……」

 澪姉はそう言うと少しぎこちない笑顔を見せる。そんな澪姉の顔には、まだ使い慣れていない感じがするけど、精一杯さが伝わって来る様な化粧が施されていた事に俺は目を見張った。



 十年前はこうしたデートの時も殆んど化粧らしい化粧などしていなかったのに……。

 服装だってそうだ。十年前デートの時でさえは殆んどパンツルックにトレーナーだったのが、今や落ち着いたシックなデザインのワンピースと薄手のカーディガンという、俺から見れば相当おしゃれな出で立ちである。

 俺の不意打ちだったとはいえ、リシティアで十年ぶりに再会した時もジャージ姿だったと言うのに……。

 恐らくは十年以上もの間、おしゃれとは全く無縁の環境(せかい)にあったであろう澪姉が、今、ここで、俺に逢う為に、精一杯のお化粧とおしゃれをしてくれている……。

 そして、その準備と選択の為に時間ぎりぎりになったのかと思うと、苦言どころか感動で胸が熱くなってきた。

 かく言う俺は、gパンにトレーナーという、恐ろしい程お洒落さの欠片も無い出で立ちで、ナンか逆に大変申し訳無くなってくるのであるが……。
 





 「澪姉……とってもきれいだよ……」

 俺は思わず恥ずかしくて顔から火が出かねない様な事を、思わず呟く様に言ってしまう。

 「ふふ……ありがとう聡。準備に少し時間が掛かっちゃったけど、その甲斐が少しは有ったかな?」

 澪姉はそう言って、はにかみと嬉しさが要り混ざった様なそんな笑顔を俺に見せる。

 かわええ。全く以ってかわええ。けしからん位かわええ。




 「ああ…そうだ聡。昨日、国連大学から卒論が通ったって連絡があったんだ。これで心置きなく大坊(だいがく)に通えるよ。私は宇宙史学だから聡とは専攻も立場も違うけど、今までよりも一緒に居られるな」

 「うんそうだね。まさか澪姉と一緒の学校に通えるとは思わなかったよ」

 俺は本当に世の中何が起こるか判らない事を実感する。

 それから俺達は少しの間、他愛のない会話を交わす。そんな中、澪姉が何かを思い出したのか不意に声を上げる。




 「あっそうだ聡」

 「ん?どうしたの」

 「私が地球(こっち)に還って来た時に、みんなが私を迎えに来てくれた話はもうしたよな?」

 俺達を乗せた新型コスモナートが月面基地に到着して、そこからシャトル便に乗り換えて地球に帰還した時、俺は教授のお付きという立場もあって、澪姉と一緒に帰るどころか、帰るシャトル便(ひにち)すら違ったのだから、当たり前だけど澪姉の友達とは顔を合わせる事も出来なかった。

 まあ、澪姉を迎えに来た『みんな』の中には当然、姉さんも入っていたので顔を見せないで済んでほっとした面もあったのだが。

 だけど、その話はあの後、メールやら電話やらで何度も聞いていた。まだ言い足りない程とても感激した出来事だったんだな。と、俺は妙に感慨深げに、のほほんとしながら思った。




 「律も、ムギも、唯も、和も、憂ちゃんとかもみんな来てくれてな……」

 「うん…うん。姉さん達が迎えに来てくれたんだよね」

 俺は、澪姉の話にのんきに相槌を打つ。

 「その中に梓の姿もあってな」

 「うんうん」

 俺は何も考えずに再び相槌を打つが、この時、澪姉の声色が微妙に変わった事に愚かにも気付く事が出来なかった。

 


 「うんそうそう。あz……中野さんも凄く澪姉に逢いたがっていたからね」

 あの時、梓さんから相談を受けた俺は、リシティアで澪姉と再会した後に俺と彼女との事を<微妙にそれとなく当たり障りのない様に>澪姉に伝えていた。

 「その時さ、梓が私に教えてくれたよ。『今でもたまに逢っている』ってさ」

 俺はこの時初めて澪姉の様子の変化に今更ながら気づく。


 「えっ……!?あっそうそう。はは、澪姉も知ってると思うけど、中野さんは今や動物病院の獣医師(せんせい)になっているから、大学に資料を閲覧しに来たりするんだよ」




 「はは…会っているって言っても、その時に挨拶を交わす程度で、他には全然何も無いよ……はは、凄いよね。澪姉の後輩だった人が今や中野医師(せんせい)になっているんだからさ。時の流れって怖いよね」

 何度も引き攣った愛想笑いをしながら、俺の額からいよいよ厭な汗が噴き出してきた。

 い、いや俺は嘘は言ってはいないし、そんなにやましい事はしていない筈だ……多分……。



 「そうかそうか。挨拶程度か……その挨拶を交わす程度の関係でしかない『中野医師(せんせい)』さまが私にこう言うんだよ……」

 「……………何って?」

 「私がうかうかしていたら、『私からお前をドロボウ猫する』ってさ、それはもう満面のドヤ顔で言うんだよ」



 「――――――!?!?!?」

 その瞬間、俺の額、いや身体全体から大量の冷たい汗がどっと溢れる。な、ナンという事を言って下さるのですか梓しぇんしぇい……。

 「いやいやいや……はは…じょ、冗談が過ぎるなぁ。あz――中野せんせいは……澪姉を吃驚させようと思って言ったんだよ。はは、ホントに冗談言うならもっと面白い事を言えばいいのに……」

 俺は、どう返せばいいのか判らずに、取り敢えず冗談である事を強調する事にするしか出来なかった。でも、ホントにナンで急に、しかも澪姉にそんな事を言ったんだ?あれから本当に何も無いし、もうとっくに終わった事なのに…………。

 「そうか、そうだよな。あれは、あの宣戦布告(セリフ)は梓なりのサプライズだったんだな」





 そう言って澪姉は再び俺に笑顔を見せる。だが、その目はしっかりと笑っていなかった。

 そして澪姉は、俺の両肩を両手でがしっと掴む。

 「なあ、田井中研究員(せんせい)」

 「はい。な、何でしょうか……秋山さん」

 「曽我部先輩から聞いたかもしれないけど、私はこれでもタルシアンとの戦いで、撃墜数が全クルーの中で一番だったんだよ」

 「はは……聞いてるよ……澪姉は凄いね……」

 「お前をドロボウ猫されたら、私はまたトレーサーに乗ってしまいそうだよ。私が『それ』をどうするかは解るよな?」

 「………は、はい。肝に銘じておきます……」

 俺は、その時の状況を幾つか想像して、その余りの恐ろしさに震えながら、コクコクと何度も頷く。




 「うんうん。私は信じているからな。田井中先生」

 「は、はいっ信じていて下さいっ秋山さんっ!」

 俺はそう答えるしかなかった……。

 

 あと、これは後日談になるのだが。澪姉と曽我部さんが大坊に編入してきた時に、どうしてそうなったのか大坊のobとogである俺と中野せんせいが、澪姉と曽我部さんの編入祝いを催すという、俺にとっては地獄の(satsugai)イベントとしか言い様のない催しをする事になるのだが、これはまだ先の話なのでここでは割愛させて頂く。

 と云うか割愛させて下さい……。



 「まあ、それは取り敢えずはいいとして……」

 澪姉はそう言うと、俺の顔をまじまじと覗き込むように見つめる。

 「……ん?ど、どうしたの?」

 面と向かってあんまりじろじろ見られると、流石に少し気恥ずかしくなってくる。

 「聡……本当に大人になったんだな……そっか今はもう本当に私の方が年下になっちゃたんだな……」

 澪姉はしみじみと言った感じで「もうこれまでみたいに聡なんて呼べないな。ふふ」と、言葉を続ける。その表情は何処か嬉しそうにも見えた。

 確かにアガルタからシリウスラインα迄の帰路を亜高速航行戻って来た事により、地球(こちら)の八年七ヶ月が澪姉達には約四年の体感時間という事になり、これによって澪姉の実年齢は二十八だけど、実質的には二十四歳という事になり、二十六歳の俺の方が年上になってしまったのだった。
 


 

 「み、澪姉……いいよ別に今までど―――」

 「いいや」

 澪姉は俺の言葉を遮って首を横に振る。

 「これからは『澪』って呼んで」

 「!?」

 俺は澪姉の予想外の言葉に一瞬言葉を失う。

 「み、み・・・おね・・・」

 「み・お」




 「―――!……み、澪……」
 

 「はい。聡さん///」


 「―――――!!!」




 澪姉のこれまでずっとずっと俺のもう一人の姉だった人の初めて聞くはにかみを含んだ甘える様な声と表情に、俺は一発で参ってしまった。
 

 うーもう辛抱堪らん!!!


 「み、澪!!」

 俺は何か堪らんものがこみ上げて来て半ば無意識に澪姉、いや澪を強く抱き締める。

 澪姉は突然の事に吃驚したのだろう、一瞬、身体を強張らせるがやがてそれも無くなって、俺にその身を委ねてくれた。

 そして、暫くの間抱き締めた後、俺はそっと少し身体を離し、澪の顔をじっと見つめる。



 「澪……好きだ。愛してる」

 真昼間から、しかもどこにでも有る様な公園で、有り得ない程の余りにも恥ずかし過ぎる事をなに真顔でやらかしているんだこのやろうと、興奮しつつ心のどこかで思ったが、もうどうにも止まらなかった。身体が口が心(おもい)が勝手に動いてしまう。ああ!もうどうにでもなれ!!このやろう!!!。

 「はい。私も聡さんの事を愛しています……」

 澪は顔を真っ赤にさせながらそれでも、真剣な顔ではっきりそう言うと、そのまま目を閉じて口角を少し上に向ける。




 「澪……」

 俺は彼女の両肩を軽く掴んで引き寄せ、もう一度愛する人の名を呟くと、彼女に倣って俺も目を閉じ、そして彼女の唇に俺の唇をそっと重ねる。

 何を隠そう、今まで何をやってきたのか、これが初めての澪姉の唇はとても柔らかくて、でも心地よい弾力があって、正に幸せの感触(?)だった。



 そして唇を離し再び澪姉の顔を見つめる。彼女の顔はほんのり朱に染まり、でも、とても幸せそうな顔をしてくれていた。多分、俺も同じ様になっているに違いない。

 「私の『夢』がやっと一つ叶ったよ・・・・・・」

 「えっ?」

 「ううん。何でもない。何でもないよ」

 澪姉はキスをした時よりも更に顔を真っ赤にして、首をぶんぶんと横に振る。
 

 「それよりも……」




 「私……聡さんと行きたいとこや、やりたい事がいっぱいあるんだ……もちろん付き合ってくれるよね?」

 澪姉が子どもっぽい表情で少しはしゃぐ様に俺に言った。

 「うん。俺も澪n……いや澪と一緒だよ。これから精一杯、十年分(これまで)を取り戻そう」

 「うん」

 澪姉が目じりに少しだけ涙を溜めて、でもとても嬉しそうな最高の笑顔を見せると、俺の手を握り公園の外に向かって引っ張っていく。

 「時間がもったいないから早く行こっ聡さん」

 「うんそうだね澪」




 俺は澪nいや、澪と一緒の時間に居られる幸せを噛み締めながら、もうこの手を離さない。これからは俺が澪を守り抜いてみせる『絶対』と心に誓う。


 初夏の陽光と風をその身に浴びて、俺は秋山 澪と云う名の愛しい人の顔を見つめて、全てのはじまりだったこの公園(ばしょ)を後にしながら、俺はこの人と共にこれから新たに歩んでいく人生(みち)を思い浮かべていた……。







 おしまい。

 予定よりずっと時間がかかってしまいましたが

 ナンとか終わらせる事が出来ました

 有り難う御座いました。

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