P「逢瀬」 (50)


夏も終わるという頃、俺は事務所の屋上に呼び出された。

外回りから帰って来たらデスクに一通の白い封筒が置かれている事に気付く、差出人は無い。
不審に思いながらも封を切り、中を覗いてみると一通の手紙が納められていた。
取り出して広げてみると

『大事なお話があります、17時に一人で屋上まで来てください』

と、それだけ書かれていた。


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立ち上げたPCの時計を見ると、時刻は既に18時を過ぎている。
得意先での営業が上手くいき、担当との話が長くなったため帰社が遅くなったのだ。

呼び出しから既に1時間以上経っているが、一応屋上まで脚を運んでみることにする。
薄暗い階段を昇り、軋んだ音を立てる古びた扉を押し開けると、薄暗い屋上に出る。
見渡すと、柵の所に立っている人物が一人。
見覚えのある後ろ姿。
俺を呼び出したのは彼女だろうか?


「あずささん」

声をかけると、あずささんは俺に気づいてこちらを振り向いた。
普段優しい微笑みを湛えている彼女の表情は、どこかぎこちなく、有り体に言えば緊張しているようだった。
その表情を見て、俺は手紙の差出人があずささんであると確信する。

胸ポケットにしまっておいた封筒を取り出して、あずささんに見せると、その表情がより一層硬くなった様に見えた。

「これ、あずささんが書いたんですよね?」

確信は持っていたが、何となく聞いてみる。

その問いにあずささんは首を縦に振るだけで答えた。


「そうですか……。すみません、先方との話し合いが長引いてしまってこんな時間に……」

一時間以上も寒空の下待たせてしまったのだ、まずは謝るのが先決だろう。
風邪を引かないか心配だ。

「いえ、お仕事されてるんですから仕方ないで……くちゅっ」

言葉の途中で可愛らしいくしゃみが挟まれた。
身体が冷えてしまったのかもしれない。

「ちょっとすいません」


断りを入れてからあずささんの手を取る。
柔らかい手が、大分冷やされているのが分かった。

「ぷ、プロデューサーさん!?」

突然だったせいかあずささんは驚きを見せている。
それはそうだろう、いきなり異性に手を掴まれたら誰だって驚く。

「あ、すみません。でもあずささん、大分冷えてるじゃないですか

 風邪引く前に中に入りましょう」

掴んだ手を離すより先に、扉の方へ引っ張り、屋上の中心辺りまで来た所であずささんはそれに抗った。
引っ張られまいと踏ん張り、その場に留まろうとしている。

「あずささん……?」


次いであずささんは俺の手を振りほどいた。
そんなに嫌だったのだろうか。
少しだけ、ショックだ……。

「大事な、お話があるんです。それまでは、入りません……」

思いつめた表情のあずささん、しかし、その目には何か決意めいた物が見られる。
言葉の端々から、そして表情から本気なんだと分かった。
あずささんは、俯きながら長いスカートを両手でぎゅっと掴んでいる。

「……分かりました、伺います」

大事な話、思いつめた表情、人気のない屋上、とても嫌な予感がした。
プロデューサーとして、”それ”だけは避けたい。


「プロデューサーさんと出会って、もう……何ヶ月経つんでしょう」

何ヶ月かは正確には覚えていないが、月換算するよりも、年単位の方が容易だろう。
そのくらい、俺とあずささんは一緒に活動している。

「出会って、一緒にやってきて、時には躓いたり、喧嘩したこともありましたよね」

これまでの出来事を、一つ一つ思い返しているような、そんな語り口だった。
しかし、相変わらずその表情は暗い。
そして変わらず嫌な予感が渦巻いている。

「けど、どんな事があっても、プロデューサーさんとだから今日までやってこられたんだって。そう思います」

スカートから両手を離したあずささんが顔を上げ、こちらを見据える。
先ほどまでの暗さは消え、瞳に宿った決意めいたものがより確かな物になったように思う。
言うならば、腹を括ったとも。

「そんなプロデューサーさんが――――」


そこで言葉を区切り、上げた顔をもう一度俯かせてしまった。
しかし口だけはすぐに動き、聞こえてきた言葉を、俺はすぐには理解できなかった。

「――――好きです」

……好き?
あずささんが、俺を……?

「……え?」

どう返していいのか分からず、ただ素っ頓狂な声を上げるのが精一杯だ。

「プロデューサーさん……?」

想定していた最悪の事態ではなかったが、全く想定していなかった事態である。


「いや、その、ちょっと、ビックリしてしまって……。もっと別のことなんじゃないかと……」

そう、大事な話、思いつめた表情、人気のない屋上。
誰にも聞かれたくないという意志の表れがそこに見て取れる。
他の誰にも聞かれずに、俺だけにしたい話。
そこから想像したのは、引退の二文字。

しかし、実際には告白という二文字だった。

「やっぱり、気づいていなかったんですね……」

目の前のあずささんは、何か呆れたような、そんな表情をしている。
これみよがしにため息までついて。

「え……っと、それはどういう……?」


正直、あずささんが言っている事の意味が分かりかねている。

何に気づけなかったんだ?

「私、これでも結構分かりやすくアピールしていたつもりなんです」

これまでのあずささんとの関係を思い返してみる。
遅くなって送っていったくらいはあるが、特に思い当たる節がない。

「雨が降ると分かっている日にわざと傘を忘れて相合傘したり、他にも色々と……」

確かにあずささんは良く傘を忘れるなとは思っていた。
午後から雨の予報だと高確率で傘を持って来ない。
その度に、二人で一本の傘に入っていたが、そうか、あれはわざとだったのか……。


「でも、全然気づいてくれないから私、音無さんに相談したんです」

つまり音無さんもこの件に関してはグルだったという事だ。

「アピールしても気づいてくれないなら、もう、想いを伝えるしか無いって

 だからプロデューサーさんのスケジュールを聞いて、こうやって屋上で待っていたんです」

あずささんの説明で経緯は分かった。
しかし、問題はあずささんの気持ちにどう答えるかだ。
別にあずささんの事は嫌いじゃないし、事務所のアイドルは皆大切に思っている。
しかし、相手はアイドルなのだ。
悪い虫が付かないよう務めてきたが、自分がその悪い虫になってしまったら本末転倒である。


「あずささん……俺は……」

正直に言って、あずささんのような美人な女性に告白されて、嬉しくない人間の方が稀だろう。
俺だって嬉しい、それこそ舞い上がってしまう程に。
あずささんとそうなる想像を働かせたのだって、一度や二度じゃない。
しかし俺はプロデューサーで、あずささんはアイドル。
それもトップアイドルだ。

返答を決めあぐねていると、ふっと微笑んだあずささんは静かに頭を振る。

「いいんです、別に。ただ知っていて欲しかっただけなんです。

 ちょっとでも意識してもらえたらなって、ズルい大人なんですよ、私」

嘘や強がりで言っているようには見えない。


「お気持ちは、嬉しいんですが……俺はプロデューサーで、あずささんは、アイドルだから……」

しどろもどろになりながら答えることしかできないのが、我ながら情けない。
胸の内を吐き出してスッキリしたのかあずささんの表情は、先程とは違い晴れやかだ。

「分かってます。それに、お返事が欲しい訳じゃないんです」

知っていて欲しい、ただそれだけの為に想いを打ち明けたというのだろうか。
言葉の意味を考えていると

「でも、そうですね。一つだけ」

そう言って、突然背中を向けてしまった。

「すぐにじゃなくていいんです……」

そのまま手を後ろで結び言葉を紡ぎながら、少しだけ距離を取り、そこでまたこちらに向き直った。


「デート、してくれますか?」

頬に朱をさしたあずささんが、上目遣い気味に覗きこんでいる。
それもまずい気がしなくもないが、買い物程度だったらと了承することにした。
たったそれだけなのに、あずささんはAランクに上がった時と同じくらい喜んでいる。
少し複雑な気もするが、喜んでくれたのならそれはそれでいいのかもしれない。

いつまでも屋上で話していると、本当にあずささんが風邪を引いてしまう。
中に入るよう促して、暖かいコーヒーでも淹れてあげよう。




――――それから数ヶ月。



「おはようございます、あずささん」

朝、あずささんの住むマンションに車を着け、部屋の呼び鈴を鳴らすと、帽子をかぶったあずささんが出迎えてくれた。
ニットのセーターに動きやすそうなジーンズ。
ラフだが、シンプルでとても似合っている。

「すみません、わざわざ迎えに来ていただいて……」

深々と頭を下げるあずささん、下手に待ち合わせしてとんでもない場所に辿り着かれる事と比べたら数段マシなのだ。
そしてこのくらい苦でも何でもないというのが偽らざる本音である。


「気にしないでください。さ、行きましょう」

申し訳無さそうにしているあずささんを外へ促す。
途端に笑顔になり、嬉しそうに返事をしてくれた。
エレベーターで一階まで降り、そのままあずささんを助手席へと案内する。

あずささんが車に乗ったのを見てから運転席へ。
ベルトを締め、キーを刺して捻ってエンジンを始動させる。
軽快な音とともにエンジンがかかり、滑らかに車を発進させた。
目的地は郊外のショッピングモール、いつだか撮影で行った時に、あずささんがもう一度来たいと言っていたのでその願いを叶える形になった。

「ちゃんと覚えていてくれたんですね~」


車が動き出して少ししてから、そんな風にあずささんから声をかけられる。
声音は明るく、嬉しそう。
もう一度来たいと行った事を覚えていたのがそんなに嬉しいのだろうか。

助手席に座るあずささんは本当に嬉しそうにしている、モールに着くまで表情は終始笑顔だった。

「さ、着きましたよ」

昼よりも少し前に目的地に到着した、今日は平日だから人も少なく、道も混んでいない。
だからこそ平日にお互いのオフを入れたのだが。

「うふふ、お仕事で来た時はゆっくり回れませんでしたから、今日は色んなお店を見たいですね~」

空いているとは言え広大なショッピングモール。
ここであずささんが迷子になったら探しだすのは一苦労だ。
万が一迷子になって、呼び出しアナウンスなんてした日にはモール内がパニックになりかねない。
そう、だからこれからすることはすべてその予防なのだ。
決してやましい想いなど無い。


「ぷ、プロデューサーさん……!?」

左手でそっと、あずささんの右手を掴む。
あの日の屋上とは違い暖かく、あの時と同じように柔らかい。
あずささんは突然の出来事に目を白黒させている。

「あ~……っと、その、はぐれたりしたら、大変ですから」

ぶっきらぼうな言い方しかできない自分が恨めしくなる。
そんな俺の気持ちとは裏腹に、あずささんは頬を赤らめて、しかしとても嬉しそうにしていた。

照れているのか少し顔を俯かせながら、俺は自分でやっておいて恥ずかしくなりあずささんの方を見られないまま、モール内へ入っていく。

中に入ると、秋半ばということもあり、各店ハロウィンの飾り付けをしているのが印象的だった。
かぼちゃのお化けにコウモリ、よくあるエクトプラズムのような幽霊。
様々な可愛らしいモンスターの装飾が、壁から、天井から、はたまた什器からひょっこりと顔を出している。


「は、ハロウィンか~。もうそんな時期なんですね~!」

モール内へ入ってから特に会話はなく、そう言って無理矢理話題作りをした。

「どのショップも飾り付けが可愛らしいですね~」

目を輝かせながら色々なショップを眺めているあずささん。
無理矢理にでも話題を作った甲斐があったのだろうか。

「かぼちゃのオレンジと紫がいいですね。ん、そうか!

 ハロウィン用にあずささんとやよいのペアで営業をかけるのもアリかもしれない!」

ふと沸き立ったアイデアが口をついて出た。
そこでハッと我に返り、隣に目をやるとあずささんが少し俯いている。


「あ、あずささん……? その……」

言い訳をしようと口を開くも、それをする前にあずささんの言葉に遮られた。

「うふふ、プロデューサーさんは本当にプロデューサーさんですね」

それは一体どういう意味なのだろうか?

「でも、今日くらいはお仕事の事は考えないで欲しいって言ったら、わがままですか……?」

笑顔ではあるけれど、その笑顔は少しだけ曇っている。
わがままでも何でも無く、本当に迂闊だった。

「す、すみません! 俺……!」

デートの最中に、仕事の話なんて聞きたいはずもない。
素直に謝ると、あずささんの笑顔はいつもの明るさに戻ってくれた。

今後は気をつけようと思う。


モール内を見ていると、いつの間にか時間が過ぎていたらしく、正午を過ぎてからまもなく長針がもう一周しようかという頃合いだ。

「あずささん、そろそろ食事にしませんか?」

提案してみると、あずささんもお腹を空かせていたらしく、早速食事のできる所まで移動することに。
まずは案内板へ行き、そこで何があるのか見てみることに。
大きなモールだから各階に様々な飲食店がある。
一階にはフードコート、二階にはカフェ、三階にはレストランと階によって違いがあるのも面白い。

話し合いの結果、三階のレストランに行くことに。
エレベーターで上がり、様々な飲食店が立ち並ぶレストラン街を歩く。
レストラン街と言っても業種は様々で、ラーメン屋もあれば寿司屋もあり、お好み焼きや和食、洋食と食べるものには困らない。
しかし、選択肢が多いので何を食べるか困る部分はある。

さて、どうしたものか。


「あずささん、何か食べたいものありますか?」

ここはあずささんの意見を尊重しよう。

「う~ん、そうですね~」

案内板の所に置いてあったガイドを見ながら、あずささんが頭を悩ませている。
しばらくガイドとにらめっこをして、一つのお店を指さした。

「え? そ、そこでいいんですか?」

かなり意外なチョイスで、面食らってしまう。

「はい、ここがいいです」

とてもいい笑顔でそう返されると従う他ない。
本当にそこでいいのだろうかと思いながら店まで移動する。


「着きましたけど、本当にいいんですか?」

来たは良いが、どうしても不安になりもう一度確認する。
あずささんが選んだ店は、ラーメン屋だった。

「はい。プロデューサーさん、ラーメンお好きでしょう?」

確かに好きだ。
事務所周辺の、いや事務所から駅周辺のラーメン屋は食べ尽くしたと言っても過言ではない。
無論、貴音には劣るだろうが。

「いや、確かに好きですけど……」

しかしそんな風に気を使わせてしまったのが心苦しい。

「私も結構好きなんですよ、ラーメン」


長いこと一緒に活動しているが、初耳だった。
一緒に食べた事はあるが、仕事だったり、それしか無かった為仕方なくという事しか無い。

「……本当に?」

どうも信じることができず、繰り返し聞き返してしまう。
あずささんは何故か頬を赤らめ、返答に困っているようだった。

「…………好きな人の好きな物、ですから」

恥ずかしそうに言ったあずささん。

今、俺の顔はどうなっているだろうか。
分かるのはとてつもなく顔が熱いという事だ。


「は、入りましょうか……」

中に入り、席に通される。
昼時とはいえ、平日のため客席は疎らだ。

さっきの事もあり、対面に座ったお互いが顔を直視できないでいる。

とりあえずメニューを開き、食べたい物を適当に決めよう。
直接は見られないが、あずささんもメニューとにらめっこをしているようだ。

「き、決まりましたか……?」

メニューから目を動かさないであずささんに問いかける。

「あ、は、はい……」


おずおずといった様子で返事を返してくれた。
呼び出しボタンは無いようなので、近くにいた店員に声をかけて注文をする。

「味噌ラーメン一つ、と」

自分の分を頼み、あずささんに振る。

「私も同じ物を」

どうやら被っていたようだ。
何の示し合わせも無く注文が被ると、何となく嬉しく感じる。

しばらく待っていると、お互いのラーメンが運ばれてきた。

普段食べる時よりも数段のんびり食べて、あずささんの歩調に合わせる。
麺をすする音だけが二人の間に流れて、お互いただ目の前の丼と向き合っていた。


麺が口に運ばれていく様子を、ちらりと盗み見る。
あずささんの整った唇に消えていく麺。
ただ食べているだけなのに、どこか艶を感じるのはなんだろうか。
あまり見ているのも失礼なので、自分の丼に視線を落とす。

「ふぅ……ごちそうさまでした~」

丼を呷り、スープを最期の一滴まで飲み干したあずささん。
そんな姿すらも綺麗に見えるのは、あずささんだからだろうなとぼんやりと思った。

俺も完食して会計をしようと伝票を掴む。
そのままレジへ行き二人分を出そうとしたら、あずささんがそれを制してきた。


「ダメです、奢ってもらうなんて悪いです」

肘のあたりを掴んで離さないあずささんだが、俺としてもあずささんに出させる気も無かった。
ラーメンの一杯くらいなら大した額でもなし。

「いやいや、このくらい出させてくださいよ」

そう言って割と強引に支払いを済ませる。
最後まであずささんは納得がいっていない様子だったが、次はごちそうになりますと言うと、何とか承諾してくれた。

腹も膨れたので階を降りて再びモール内を練り歩く。
最初と違って、お互い抵抗なく手を繋ぐことができた。
雑貨や服飾店が立ち並び、あずささんの目に止まったお店に立ち寄る。

仕事で散々色んな服の組み合わせを見てきたお陰か、どっちがいいかと聞かれても、しっかりと受け答えできた。


「はぁ~、いっぱい買っちゃいましたね~」

あずささんの両手には紙袋が幾つか。
勿論俺の両手はとっくに塞がっている。

「すみません、持って頂いてしまって」

一人で持てる量ではないし、服だけなら大した重みもない。
そう思って自ら荷物持ちを買って出たのだった。

しかし流石にこのままでは動きづらいので一度車に荷物を置きに行くことに。

両手が塞がってしまったため手を繋ぐことはできないのだが、あずささんが迷子にならないよう1歩後ろを歩く。
人の少ない平日を選んだのも、実は迷子対策だったりするのだ。


車まで迷わずにあずささんを誘導して、荷物をトランクにしまい込む。
駐車場から再び手を繋いでモール内へ。

「プロデューサーさんは何か買わないんですか?」

隣であずささんが顔を覗き込みながらそう声をかけてきた。

「俺ですか? 俺は特に……」

今日はあずささんの為の買い物だし、自分の物は特に欲しい物も無かったのも事実。

「そうですか……あ!」

突然、何かに気づいたあずささんに手を引かれて近くの店に入ることに。
紳士用の衣料品店のようだ。


「プロデューサーさんはここで待っててくださいね」

にこりと微笑んだあずささんは、椅子に俺を座らせると楽しそうに店内を物色している。
さほど大きくない店内ならば迷うことも無いだろう。

あずささんは何を見ているのだろうか。
恐らくは俺に見繕ってくれているのだろうけれど。

程なくして、あずささんがやはり嬉しそうにこちらに戻ってきた。

「プロデューサーさん、これなんてどうですか?」

あずささんが手に持ってきたのは、一本のネクタイだった。
紫色なのだが少し赤みがかっている。
何となく上品な色合いだ。


「きっと似合うって思うんですけど、どうでしょうか?」

そう言ったあずささんは、笑顔だけれど何か不安の色も孕んでいた。
あずささんが俺の為に選んでくれたのなら断る理由なんてどこにもない。

「ありがとうございます、嬉しいですよ。本当に」

そう伝えると、あずささんの表情がぱあっと明るくなる。
会計に行こうとしたら

「ダメです。これは私が出します」

いくらなんでも自分の物を買って貰う訳にはいかない。
そう言ってもあずささんは頑なにそれを拒み、さっきのラーメンまで引き合いに出され根負けした俺は、大人しく買ってもらう事に。


「なんか、すみません」

あずささんに支払わせてしまった後ろ暗さが言葉からにじみ出ている。
対照的にあずささんは凄く嬉しそうな表情だ。

「いいんですよ、私がそうしたかったんです。今の私が居るのは、全部プロデューサーさんのお陰なんですから

 これはほんのお返しなんですよ?」

今のあずささんがいるのは、あずささん自身が頑張ったからあるもので、俺なんかはほんの少しその手助けをしただけに過ぎない。
しかし、こんなに嬉しそうな笑顔を崩させるのも野暮なので、素直に受け取っておこう。

「ありがとうございます」

濃紺の紙袋に入れられたネクタイを受け取り、また手を繋ぐ。
ふと腕時計を見やると、もう夕方になっていた。
思ったよりも長くいたようだ。


明日も現場が入っている、もうそろそろここを出よう。

「あずささん、もうそろそろ出ようかと思うんですけど、どうでしょうか?」

まだ見たい店等あるかも知れない。
少し考える素振りを見せたあずささん。

「一箇所だけ、いいですか?」

どうやら行きたい場所があるらしい。
ガイドでそこを教えてもらって、移動する。
どうやらあずささんはクレープが食べたかったようだ。

「ちょっと甘い物が食べたくなっちゃって……」


イタズラっぽい表情で恥ずかしそうにそう言ったあずささんは、チョコのクレープを頼んでいた。

「プロデューサーさんは何にしますか?」

普段食べないので、何を頼めばいいのかさっぱりわからない。
クレープだけじゃなくアイスクリームも売っているようなので、無難にバニラアイスを注文した。

受け取ったアイスとクレープを持って、備え付けの椅子に座る。

「「いただきます」」

お互いに食べ始める、ひんやりとしていて濃厚なバニラが美味しい。
あずささんは幸せそうにクレープを食べている。


「プロデューサーさん、はい。あ~ん」

突如、スプーンにクレープの中身を乗せてあずささんが口元に寄越してきた。

「ちょ、あ、あずささん……!? 恥ずかしいですから……!」

人目を気にして断ろうとするも、スプーンは唇にグイグイと近づいてくる。
遂には前端が唇に触れ、観念して頬張った。
生クリームとチョコレートの2つの甘さが口の中に広がるが、恥ずかしくてそれ以上味はよくわからなかった。

よく見るとあずささんの顔も赤い。
それを見た俺は、自分のスプーンでアイスをすくい、あずささんの口元へ近づける。

「ぷ、プロデューサーさん!?」

自分がした事をそのまま返されて、慌てるあずささん。
顔がより赤く染まっている。


「一口頂いちゃったのでそのお返しですよ」

同じように少しだけ強引に口元へスプーンを進めると、あずささんは顔を真赤にしながらそれにかぶりついた。
スプーンを加えながら上目遣いでこちらを睨んでくる。

「美味しいですか?」

強気にそう返すとあずささんはただ頷いて返事をするだけだった。

よく考えたらこれって間接……。

あずささんが赤くなってたのはそういう事だったのかと気付き、お互い無言でクレープとアイスを平らげた。
食べ終わってから駐車場まで戻る時も、手を繋ぐことに緊張してしまう。


「……お、美味しかった、ですね」

妙にぎくしゃくとした言い方になってしまった。
そんな空気のまま車へと戻り、ゆるゆると発進させる。

車内でもお互いに照れているような、そんな空気感のまま、気がつけばもうすぐあずささんのマンションという所まで来ていた。

「今日は、楽しかったです……」

俯いたあずささんが、助手席でそう零した。
今日という日が終わってしまうのが名残惜しそうな、そんな風情である。
無論、俺だって気持ちとしては終わってしまうのが残念なのだ。


「明日からはまた、いつも通り……ですね」

仕方のない事だと分かっていても、悲しげな笑顔をさせてしまうのが心苦しい。
けれど、俺達はアイドルとプロデューサーなのだから。
だから、仕方ないんだ。

街灯の明かりが照らす町並みを、滑るように駆け抜けていく。
助手席のあずささんは窓の外を眺めており、表情は窺い知れない。

「さ、着きましたよ」

ハザードランプを炊いて、マンション前に車を着ける。
降りたあずささんを部屋の前まで送るため、キーを抜いて運転席から降りた。


手は繋がず、かと言って一歩引くこともせず、隣を歩いてあずささんの部屋まで登っていく。
エレベーターを使えばあっという間だが、せめて少しでもこの時間が続くようにと階段を使って部屋のある階まで歩を進める。

一歩、一歩と部屋が近づく毎にあずささんの表情が曇っていく事に気づいた。
俺の胸の内に広がる感情にも。

部屋の前まで着くと、俯いたあずささんは立ち止まってしまった。

「あずささん?」

声をかけても、あずささんは顔を俯かせたままだ。

「プロデューサーさん」

俯いたまま、あずささんが俺の名を呼んだ。


「本当は私、今日は笑って終えたかったんです。最後まで、笑顔で。でも、ダメでした……。

 楽しかった今日が終わってしまうんだって思ったら、だんだん悲しくなって、寂しくなって……きてしまって……」

最後の方は、声が掠れていたように思う。
心なしか肩も少し震えている。

泣いているあずささんを見たくはない。
そう思ったら、身体は勝手に動いていた。

「っ……プロ……デューサーさん?」


気づいた時には、両腕であずささんの温もりを受け止めていた。

「あずささん、俺は、貴女の気持ちに今応えることはできません」

違う、そんな事が言いたいんじゃない。
俺はあずささんの涙が止めたいだけなんだ。

「でも、いつか。いつか必ず、貴女の気持ちに応えたい。それが一年先になるか五年先になるかはわからない

 だけど、今日のデートが楽しかったのは俺だって同じなんです。だからあずささん」

抱きしめた温もりを噛み締めながら、胸の内をさらけ出す。

「いつか、その時まで、待っていてくれませんか……?」


腕の中で、あずささんの震えが一度止まり、その後大きくなっていった。
しゃくりあげる声も聞こえてくる。

喋れる状態になるまで、そのまま待っていると、徐々に落ち着きを取り戻したあずささんが小さく。
しかし確かに

「はい……」

と、そう答えてくれた。
視線をあずささんへ落とすと、瞳は涙で潤んでいたが、その表情は笑顔だった。

少しの間、そうやってお互いの温もりに身を委ねていたが、いつまでもそうしているわけにもいかず惜しむように離れる。

「それじゃあ、これで……」


お互いに別れ難いといった様子で挨拶を交わす。
その場を去ろうとした時だった。

「プロデューサーさん」

呼び止められ、後ろを向きかけた爪先をあずささんの方へ向ける。
こちらに歩み寄ったあずささんが、俺の肩に手をかけ、頬に柔らかく、暖かな感触を覚えた。
それが唇だと気付くのにさほど時間はかからず、しかし身体は固まっている。


そうこうしている内にあずささんは

「うふふ、おやすみなさい」

頬を紅潮させ、恥ずかし気にそう挨拶をすると、鍵を開けて扉の中に消えていった。
まだおやすみというような時間でもないが、きっと無理矢理ひねり出した言葉がそれだったのだろう。

心臓が早鐘の様に鼓動を刻む。
唇が触れた方の頬が妙に熱い。

頬から顔全体に熱が広がり、車に戻るとハンドルに額を預けて大きく息を吐くのだった。

いつも通りになんて、出来るのだろうか。

そんな事を考えながらもう一度息を吐き、車を動かす。
マンションがみるみるうちに見えなくなり、空には丸い月が柔らかな光をたたえていた。


おしまい

終わりです。

少しでもお楽しみいただけたら幸いです。
それではお目汚し失礼しました。

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