少女「あなたは誰?」男「私は幽霊でございます」 (31)


 窓の外では、雨がぽつぽつとガラスを叩いていた。やや暗い部屋の中で、男はそう言った。

少女「幽霊?」

男「はい。ご覧ください。足がないでしょう」

 燕尾服を着たその男には、確かに足がなかった。疑うべきなのかもしれないけど、なぜだか私は納得してしまった。

少女「足がなかったら幽霊なの?」

男「いえ、逆です。幽霊だから足がないのです」

少女「ふうん」

 これが、私と彼の再会だった。


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少女「足がないと大変じゃない」

男「そんなことはございません。このように、素早く動くことも出来ます」

 たしかに、はやい。駆けっこをしたら、負けてしまうかもしれない。

少女「幽霊のくせに」

男「はい」

 聞こえていたのか、男は満面の笑みで私を見つめる。まっすぐな瞳に、たじろいでしまいそうになる。

少女「幽霊の、くせに」


少女「あなたは、どうしてここにいるの」

 指を顎にあて、むむ、と唸った後にやはりにこやかに彼は言う。

男「あなたに、会うためでしょうか」
 
 どうして、そんなことを言えるのだろう。

 本当に。

少女「……ばか」

 訳が分からないのにどこか気恥ずかしい気持ちにさせられる。胸が締め付けられたように、少し苦しかった。


男「あなたの髪は綺麗ですね」

少女「そう? でも、長いと面倒なことも多いの」

 昔はよく手入れをするのに時間がかかっていた憶えがある。

男「きっと、夕日に照らされて髪をなびかせるあなたは、とても綺麗だと思います」

少女「具体的すぎて気持ち悪い」

 言葉とは裏腹に、自然と・が緩んでしまう。男は全て分かったような顔でうなづく。

少女「……うるさい、ばか」


>>4 自然とほほが緩んでしまう。です


 それにしても、この男、

少女「見たこと、あるような」

男「……」

 喉から出かかっている。私は確かにこの男に会ったことがある。

男「無理に思い出さなくてもいいのですよ」

 その笑みの奥には何があるのだろう。不安、期待、怯え、男に張り付いた笑顔を、私はなんとも言えない気持ちで見ていた。

 でも、その笑顔はどこか私を安心させた。


少女「ねえ、あなたは成仏しないの」

男「してほしいですか?」

 少し考えて、首を横に振った。

男「なら、私はここにいます」

 どこか、安心したように見えた。彼は私の何なのだろう。
 燕尾服から考えるとまるで執事のようだ。もしかしたら昔、私の家にいたのかもしれない。
 自慢ではないが、私の家は裕福なようだ。この家も大きいし、何人か使用人もいた気がする。


 雨が強まってきていた。一瞬空が光り、雷の音が響き渡った。私は一歩、彼に近づく。

男「大丈夫ですよ」

少女「うるさい」

 じっと、観察してみると、男の目元にはクマが出来ていた。生前は苦労していたのかもしれない。
 気がつくと、私の手は男の頭に伸びていた。そのまま、髪をとかすように撫でた。
 彼が車椅子に座っていなければ、身長差で頭には手が届かなかっただろう。
 男は目を細め、身動きもせず、ただ黙っていた。


男「晴れてきましたね」

 男につられて外を見るとさっきまでの雨が嘘のように、日が差していた。

男「外に行きましょうか」

少女「え、でも」

男「大丈夫です」

 男はおもむろに車椅子から立ち上がると、私の手を引いた。


 辿り着いたのは、自宅からそう遠くない海だった。

男「どうですか」

 誰もいない、二人だけの海。透き通った青がどこまでも続き、水平線に吸い込まれるようだった。

少女「うん。キラキラして、綺麗」

 上手く言葉が浮かばない。すぐそばにこんなに美しい景色が広がっていたことを私は知らなかった。
 学校にも行かず、外を出歩くのはドキドキしたが、彼は再び私の手を取り歩き出した。

 それは、誰にも分からない秘密のデートだった。


男「ここの店の猫はいつも昼寝してるんです」

 猫は男の言葉に、僅かに耳を動かした気がした。
 愛らしい。この小さな生き物も暖かみがあり、生きているんだ。思わず、頭を撫でようと手を伸ばす。

男「駄目です。寝ているのですから、そっとしておいてあげましょう」

少女「そ、そう」

 後ろ髪を引かれる思いで、その場を後にする。


 日が暮れはじめて、学校へと続く坂道を登っている時だった。前から見覚えのあるような少年たちが、走ってくる。
 私の表情を察してか、男は定食屋の看板の影に私をしゃがませた。

「……にしても、うそ……」

「お前だって……」

 少年たちは他愛のないだろう話をして、駆けていく。
 心臓が痛いほど早鐘を打ち、彼らが通り過ぎーー。
 一人の少年と目が合った。全身から力が抜け、息をすることも出来ない。


「どうした」

「いや、なんでも」

 何事も無かったかのように、少年は集団に戻った。あまりよくは見なかったが、どうやら私の人違いのようだった。
 気がつくと、私は男の腕の中で震えていた。
 ぽつぽつと呟く言葉は、私の耳に届く前に霧散する。ただ、なぜだか『ごめん』と聞こえた気がした。
 一筋の暖かい雫が頬を伝うと、私は一つの疑問にたどり着いた。

少女「私は、誰?」


少女「あなたは、私を知っているの?」

 男は少し困ったように笑って、

男「はい」

 と、答えた。
 重たい積荷を下ろしたような表情だった。

男「思い出して欲しいような、そうでないような気がします」

少女「……そう」

 きっと同じ気持ちなのだろう。私達は、臆病で弱虫だ。


 夜も更けた頃だった。少しだけ涼しくなった風は、秋の訪れを感じさせた。

男「山に行ったことはありますか」

少女「憶えてないけど、多分ないと思う」

 沈黙に気遣ったのか、男は他愛のない話をした。
 好きな食べ物、芸能人、本、他愛のない話だった。私は少しずつ、思い出しながら話した。
 男は、生き生きとした表情で語り、聞いた。

 多分、私もそんな顔をしてたと思う。


 気がつくと、日が昇り始めていた。もう何年分も話したような感じがした。男を見ると、やはり笑っていた。
 でも、遠くを見ながらどこか寂しそうだった。

少女「あなたは、どうして死んじゃったの」

 ただの気まぐれだった。新雪に足跡をつけるようなちょっとした好奇心と罪悪感で、私は一歩踏み込んだ。
 男はこっちを見ることもなく、大きく息を吸って、ゆっくりと吐き出す。
 子供をあやすような声で、それはね、と言った。

男「死にたかったからだよ」


 どうして。言いかけて、飲み込んだ。悪いと思ったからじゃない。
 私はその理由を知っているからだ。思い出せないけれど、それは私にとっても、大切なものだと思った。

少女「そっか」

 その一言で伝わったとは思えないけど、男は相変わらずの笑顔だった。

男「それでは、そろそろ行きましょうか」

 うなづく。不思議と行き先は分かっていた。


 緩やかな坂道を苦もなく登る。今度は手を引かれるのではなく、並んで歩いた。
 握られた手は、少し力が入っていた。
 昨日とは違って不安は無かった。

男「思い出しましたか」

少女「なんとなく、だけど。私、この坂の上の学校に通ってた」

 まだ早いからか、人影は見えないが、門は開いている。

少女「ひとつね。分かるの」


少女「私は、あなたを知っているけど見たことない」

 男は目を見開いて、呆気にとられていたように見えた。それから、自嘲するような笑いを見せて言った。

男「半分正解です」

 この男、思ったよりも性格が悪いのかもしれない。
 通用口から校舎に入る。懐かしさはあまり感じられなかった。
 男は迷うことなく階段へと向かった。まるで、この場所を知っているようだった。


男「少し、寄り道しましょうか」

 3階まで登り、私達は階段脇の教室に入った。
 男は椅子も引かず、机に腰掛けた。幽霊なので座れているのかは分からないけど。
 
男「とある中学生の話です」

 昔を懐かしむような、憂いを帯びた表情で、男は話し始めた。
 


 その子は、学校でいじめられていました。
 物を隠されたり、暴力を振るわれたり、無視をされたりしていました。
 来る日も来る日も、その子は耐え続けました。
 いつか来る終わりを待ち続けて。

 その子は、やり返さなかったの?

 ええ。ただの一度も。無駄だと分かっていたのでしょう。


 幾月か経た後のことです。
 それは、色のない世界の中で、一際赤い光を放っていました。
 その子は、幽霊に出会いました。
 夕日の色に染まった長く綺麗な髪です。きっと手入れは大変だったのでしょう。

 幽霊なのに?

 はい。足の無い幽霊なのにです。
 


男「そろそろ、人が来るかもしれませんね。歩きながら話しましょう」

 男はそう言って、私の手を取り歩き出した。
 階段を一段、また一段。ゆっくりと上がる。自分でここを上るのは、初めてかもしれない。なぜだかそう思った。

男「足の無い幽霊は、とても強く生きているように見えました」


男「その子にとって、その幽霊だけが人間でした」

少女「変な話」

 男は心なしか嬉しそうに笑った。何を思ったのかは分からない。

男「そして、その幽霊と一緒に飛び降りたのです」

 一瞬、時が止まったかのように感じた。


 考える間もなく、私たちは屋上にたどり着いた。
 そこは、中学生の少年と、幽霊が出会った場所だった。

男「思い出しましたか?」

 いつもの笑顔は息を潜め、心配そうにこちらを伺う。その顔は少し年齢を重ねていたが、確かに少年のそれと相違なかった。

 ああ。

少女「わたし、死んでるんだ」


男「きっと、未練があったんだと思う」

 男、いや、少年だった彼は言った。

男「最期に、手を放してしまったから」

 君は誰?
 瞼の裏に、少年の姿が浮かぶ。

少女「私は、幽霊」


 だから、今度は手を離さないよ。


終わり

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