【まどか☆マギカSS】 神の国と女神の祈り ─3─ (922)

このスレは一言で言うと『ヨーロッパ中世風な世界を舞台にしたまどか☆マギカ二次創作』です。


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※オリキャラが多いです

※史実の戦争や宗教、民族史は扱いません(地名・人名などはパロディ程度にでます)

※まどか改変後の世界です(ほむらの悪魔世界ではない)

※リドリー・スコット監督『キングダム・オブ・ヘブン』が元ネタですがオリジナル展開のほうが多いです

※残酷・残虐な描写が含まれます

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"madoka's kingdom of heaven"

【まどか☆マギカSS】 神の国と女神の祈り

1スレ目:【まどか☆マギカSS】 神の国と女神の祈り ─1─ - SSまとめ速報
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前スレの続きから投下します。

第39話「王都・エドワード城」


301

"madoka's kingdom of heaven"

ChapterⅥ: The edless castle and the king challenge
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

【まどか☆マギカSS】 神の国と女神の祈り 

Ⅵ章: 王都エドレスの城と国王の挑戦



その翌朝、この森を抜けることができる。

森の木々をかきわけ、馬に乗って抜けると、いきなり世界がひろがった。



まず見えたのはひろがる大陸だった。



大陸は真っ二つに割れてしまっている。まるで爪で引き裂かれてしまったかのように、大陸にぎざぎざとした
裂け目があり、こちら側とあちら側を完全に隔てていた。



大陸の裂け目は永遠とつづき、東から西の果てまで、どこまでも亀裂はつづいていた。





壮観さに、思わず息を飲む。



だが円奈をもっと驚かせたのは、その大陸の裂け目に聳立する独立峰のような、巨大な城。


天まで届くかのような城だった。塔のように空まで伸びている。



王都・エドワード城だ。



超巨大にして壮美なエドレス王都はまさに峨々の摩天楼ともいうべきか。



あまりの高峻さは、エドワード城を初めて目にした者を、例外のこさず瞠目させる圧巻な崇高さを誇る。


ただただ息を飲み、圧倒されるしかない。

森を抜けた瞬間、視界いっぱいに映る王都の城の高大さに。



大陸と大陸の裂け目に君臨して屹立するこの巨大な城塔は、地表3キロメートルある深谷のど真ん中に、
に高邁と立つ。


この塔にも近い形の王城は、裂けた大陸同士の橋渡しという役割を果たす。

大陸間を行き来しようとする旅の者や、商人、国の遣いなどは、必ずこの王城を通る。そのたびにおそるべき
額の通行税がとられる。



城の建つ崖っぷちの谷は、大きさはひろさ1キロメートルの幅もある、大きな谷だ。

深く深く、途方もなく大きな谷である。


谷の割れ目に、エドワード城は建てられ、王都として君臨する。



天然の巨大な裂け目は、この城を通ることで通行でき、裂けた大陸の向こう側へ渡れる。



1キロメートルにもなる幅の谷に架かる橋は、高さ500メートルにもなる超大な石橋アーチ。

足もすくむような高さの谷に道を通す。



橋は巨大であるので、まずありえないが、もし足を踏み外そうものなら、深さ3キロの深い深い谷底に落ち、
そして海へと落ちるだろう。



こんな深い大陸の裂け目に、こんな巨大な橋を、だれが造りえたのだろうかと疑問に思ってしまうほどの
恐ろしく立派な、かつ頑丈な石橋だ。



石橋アーチをわたると、西世界最大の王国の首都、エドワード城の門に辿り着く。


その高さはみる者を圧倒させてしまう。



天まで届くかのような巨大な塔は、標高700メートル。


建てるのに千年かかったというこの城はまさに築かれた天空の城。



大陸の裂けた深い谷に屹立する天空の城。


摩天楼と呼ぶにもふさわしい塔のごとき城は、崖っぷちの深淵のど真ん中に建っているから、やはり足を踏み外そうものなら
まさに断崖絶壁からの転落となる。


その下には海が荒れくいながら、哀れな転落者を待ち受けて波打っている。


海は暗い。


恐ろしいほどに深い谷は、太陽の光さえ届かない。谷の底は見えなく、暗闇の奥底で荒海の荒れ狂う音が
きこえるだけだ。




鹿目円奈は、バリトンの村を旅立つこと一ヶ月以上、エドワード城へと、辿り着いた。




「これが…」


森を抜けた円奈は、丘にでていた。切り立った丘から見える、途方もない眺めをみあげる。


みあげ、嘆息を漏らしながら、辿り着いた王都の名を口にだす。



「エドワード城…!」



馬上の少女は丘から、森のむこうに建つ王都の城をみあげた。


冒険する少女騎士の、その小さな背中より、比べ物にもならないほど大きて壮大な王城が聳える。



円奈は首いっぱい、顔をもちあげて、どうがんばっても視界に収まりきらない巨大な塔をみあげてみる。

こんな巨大な建造物を見たことも、想像だにしたこともなかった。



天空に浮かぶ雲にも届きなそうなエドワード城の天守閣。


下に目をむければ、大陸の裂け目。その幅は1キロメートル。途方もなき遠さ。



いったいかつて自然界にどんな現象が起こって、これほどの大陸の裂け目が誕生したのかは、誰も知らない。


そしてそんな大陸の裂け目に、石橋を建てて中心に城塔を建ててしまう人間の偉大さに、舌を巻く。




エドレス都市にきたとき、橋とは悪魔の建てるものだなんて冗談をいわれた記憶があるが、まさにそうとさえ
思えてくる。



王都にあるのは、城だけではない。


円奈は切り立った丘から風景を眺める。


裂けた大陸のむこうがわには森がひたすらひろがっているが、こちら側には城郭都市、城下町がある。



環状囲壁に守られた10万人の暮らす都。


ぐるりと四方、環状の市壁に囲まれて、ところどころ見張り塔という、丸い塔が建っている様子は、エドレス都市にも
似ている。


これはエドワード城の城下町だった。


城下町を通ることで、王都の城に渡るエドワード橋へむかうことができる。



だがら円奈も城下町を通らないといけない。



エドレスの絶壁ともよばれる、裂け谷は、まさにその名のとおり裂けた谷であり、絶壁であった。



絶壁。


それは大陸の裂け目にのぞく断崖絶壁と、その下に休むことなく荒れ狂う海のことをさす。



エドレスの語源は、遥か昔にさかのぼると、エンドレス。終わりなき壁という意味になるという。

まさのこの断崖絶壁のことをいっている。また、天を見上げればどこまでも空へ届く城。エンドレスの高層塔である。




もし、この絶壁に落ちてしまうものであれば、終わりなき落下が、身に待ち受けているであろうと……


落ちたら最後、ついに奥底の海に呑まれるまで、無限のような恐怖を味わうであろうと……

そしてその恐怖に終わりはこない。闇に包まれた谷は、いつ転落者を死に追いやるのかさえ分からない。



その恐怖を征服するかのように闇の谷に建った天空の王都城は、まさに偉大さそのもの。

そこに住む支配者の偉大さを示す。



つまり、エドレス国家のエドワード王の偉大さを。

302


円奈は森を抜けてでた丘を降りた。


丘を降りると、城下町にむかう。



遠目にみえていたエドワード城の崇高たる外観は、城下町までくると、さらに高さを増したように見える。

ますます高大な塔に思えてくる容貌になる。



首をもちあげても見上げきれない。まさに天に届いていた。




と同時に大陸の裂け目もいよいよ目前となる。


足元がすくむような巨大な裂け目がひろがり、残酷な深く広い谷の、断崖絶壁に突き出たとげとげしい岩肌が、
よりはっきりと目に映り、恐怖するばかり。



塔という人間の偉大さと大陸という自然の超大さが融合されたかのような王都は、まさに、王都と呼ぶにふさわしい。



田舎育ちの円奈には圧巻すぎる光景だ。



谷の奥底に眠る海は、その姿こそみえないけれども、ときどき絶壁をうち、波打つ音を轟かせ、遥か谷底で
信じがたいほどの量の水が激しく蠢いている実感をさせられる。


それさえ城下町の暮らしに慣れない円奈には恐怖だ。



大陸の裂け目は東の果てから西の果てまで永遠とつづく。


円奈は港をめざすため、むこうの大陸に渡らなければならないが、そのためにはこのエドワード城を通るより
ほかないことを思い知らされる。



大陸の裂け目を見渡せる眺めはよく、太陽の入りから沈みまで、眺め続けていることができる土地だった。



谷に架かる橋は二つある。


城下町から城まで通す橋がエドワード橋。まんまその名のとおりの橋で、城下町寄りだから、円奈のみる手前側。


城からおくの、むこうがわの大陸に架かる橋はド・ラン橋という名前だった。

303


空は曇っていた。


エドレスの裂けた谷は厚い雲が覆い、大空は灰色に染まっていた。


谷の間に建ち、天にまでそびえるエドワード城の天守閣は、雲と霧に隠れて天辺がみえない。





円奈は呆然と城の威容をみあげていた。


あまりに荘厳とした王都の前に立ち尽くし、城下町に近寄ることも億劫だった。



それに曇り空が覆う城下町は、どこか陰気で、どろどろした雰囲気が満ち満ちていて、とてもよそ者が
近づける空気ではない。



エドレスの城塞都市と同じく、城下町も、その入り口は守備隊が見張り塔で目を光らせている。


しかも弓兵だった。



怪しい者が近づけばあっという間に撃ち殺してしまう弓兵が、丸い見張り塔に待機し、矢狭間の位置に
ついている。



見張り塔は丸い。円塔だ。円塔にすることで眺めがよくなり、死角がなくなる。

いつだってひろがる潮風の激しい草原を見張れる。


見張り役は、外敵からの侵入者を見張るけれども、逆に、許可なく城下町をでる者も見張る。


そんな者は撃ち殺してしまう。


エドワード軍の弓兵は、長弓隊と呼ばれ、1.8メートルは超えるロングボウを使う。


エドワード城には六千人の正規軍がいるが、その半分ちかくが長弓兵である。普段は城に雇われている。

残り二千人はクロスボウの使い方を知っている剣士たち、つまり弩弓兵兼歩兵。のこる千人は騎兵である。




城下町に近づけず、裂けた陸地の草原で円奈は途方にくれてしまった。


城門は閉じられている。

鎖によって橋が巻き上げられ、入れない状態。



吊り上がった跳ね橋は頑丈そうな木材で、分厚い。

樫の木であった。


それに城門にはトラップもある。


城門の床は、仕掛けがあり、落とし穴が隠されている。

不用意に近づく侵入者を、この床の仕掛けを発動させて、落とし穴に陥れてしまう。



床は、巻き上げ機をゆるめることで、下向きに降りてしまう仕組みになっている。


落とし穴には無数のトゲがある。落ちた者は無事ではすまされない。


床の仕掛けは、城門の見張り役が発動させる。城門の側面の壁に、小さな覗き穴があいていて、見張り役は
この覗き穴を通じて、侵入者が城門を通りかかるとき、床の巻上げ機を作動させる。


そういう仕事だったが、見張り役の給料は、正規の歩兵より遥かに少なかった。



そのほか城門の天井には、”人殺し穴”という仕掛けもあった。

ただの穴だが、守備隊は城門の上から、この穴に石をいれる。


すると穴から石がでてきて、あわれな侵入者は天井から落ちてきた石に殺される。単純ではあるが、殺傷能力抜群の罠である。


陽気な雰囲気と酒場の活気に溢れていた都市とはまるで違う、王都には王都の厳しさが、城下町にはあった。

ただ者は入れぬ空気だった。



すぐそばに絶対の王エドワードが君臨しているのだから、このいかめしき雰囲気も自然なのかもしれない。


だから円奈はなかなか城門に近づく勇気がでない。


侵入者を殺す罠が満載の城門は、もちろんめったに罠が発動することはなく、明らかな敵軍の進入というときに
発動するものだが、円奈には恐くてたまらない。



そうして城下町の前で右往左往していると。






プオーーッ。


角笛の声がきこえた。



はっとして円奈が角笛のした方向をむくと。



軍隊がいた。


円奈は驚いてしまう。



軍隊の数は、なんと千人ほどもいた。

エドワード城の紋章、白い馬の頭に一角の生えた、ユニコーンを描いた旗が、湿り気の風にゆらめきながら、
騎士の軍隊に掲げられて、こちらに近づいてきた。



エドワード軍だった。



先頭にたって馬を歩かせているのはオーギュスタン将軍。


オーギュスタン将軍と円奈の目が初めて合った。



将軍は疲れた顔をしていた。何日かかけてやっと王都にもどってきたが、戦場を生き残って帰還したという
生気が顔にはない。


むしろ地獄にむかうかのような顔だ。



やつれ、疲れきった顔した将軍は、傭兵部隊を率いて、王都へと戻る。



将軍はそこに一人ぽつんといる鹿目円奈という少女には目もくれない。ちらっと見たら、あとは無視だった。



白いユニコーンの紋章を旗に掲げながらエドワード軍は城門へと入る。


「開けろ!」


今にも雨に降られそうな分厚い曇り空の下、王都の城下町から声があがり、城門をいま、ひらく。

「門をあげろ!王の軍が戻るぞ!」

厳しい号令の声が、城門に轟く。


「あっ…」

円奈が反応する。

いまなら入れるかもしれない。




でも、そんな勇気はとてもでなかった。



円奈の気持ちもしらず、オーギュスタン将軍は疲れた顔しながら、城下町の開かれた門をくだる。



将軍が入ると、あとに騎士がつづき、つづいて徒歩の兵士たちが、肩にクロスボウ担ぎながら重い足取りで
門にぞろぞろと下る。


彼らはみな、白いユニコーンを描いた軍旗を掲げていた。湿った空気に流れる風にゆられて、ばさっとはためく。




ユニコーンの軍旗が、エドレス軍の隊列に掲げられて、ばささと冷たい潮風にはためく光景を、呆然と円奈は
眺めている。



弓矢を載せた荷車、水と食糧といった、兵糧を運び入れる荷車の群れが、長々と二百台ちかく列をつくり、
ぞろぞろと順番に城門へと入る。


大軍の帰還だ。


そんな軍列が永遠と城門に入って、長蛇の列つくっているところに。


円奈の入る余地はない。



将軍が城下町に戻ると、角笛が再び吹かれた。

こんどは城側から吹かれた合図の角笛だった。

ブオーッ。

城から吹き鳴らされる合図の角笛の音がなりわたって。


「閉めろ!」

再び厳しい号令の声がする。


灰色の鎧を着た兵士らが、巻き上げ機をぐるぐる回して、城門装置を手繰る。


ガタガタ音をたてて、門の跳ね橋はまた鎖によって吊り上げられる。



そうして、すっかり門はまた閉じられた。


長蛇の列たるエドレス軍は、城下町に入り、王都へ帰還を果たした。


王の勅令を忠実に守って。

304



門をくだって城下町に入ったオーギュンタン将軍は、3ヶ月ぶりの王都帰還となった。


そして彼はすぐに、城下町が、異様な冷たさ、陰湿さ、重苦しい暗鬱の空気に包まれていることを知る。



将軍の帰還を出迎える民衆はなく、城下町の通路には、無言で将軍を睨みつける民衆しかいない。

しかも民衆たちの顔は頑なで、無表情で、死人のようだった。



恐怖に固まっている。



彼は空を見上げる。


ここずっと城下町を覆っている灰色の分厚い黒雲は、黒いエドワード城を覆う。


まるで雲が日に日に厚さを増し、ついには地上までかぶさってくるような。


そんな重苦しさだ。

息が苦しい。



城下町の地面は石畳で塗敷されるが、立ち並ぶ民衆の家々は木造建築だった。


たくさんの茶色の柱が組み合わさり、漆喰の白色を塗り固めた家々。


そして屋根は三角形で、赤い。



城下町も都市であるから、商業組合ギルドが存在する。


漆喰職人、大工、石工屋、屋根葺き職人など。

他にはロープ職人、金銀細工師、樽職人、蝋燭師、羊皮紙工、皮なめし職人、石灰塗り屋、天秤計量器具職人。


漆喰は動物のふんに粘土と、補強剤の馬の毛を混ぜたもので、家々の壁に塗る。これが防水処理となるのだが、
なにせ材料が材料なので、家々は臭かった。


もっとも、糞尿を窓から投げ捨てるような時代だから、悪臭は日常的なものだった。


エドレス領内の都市で使われる天秤計量器具は、すべてがエドワード王の認可を得た検印つきのものでないといけない。
その製造は、やはり王都でなされる。検印つき計量器具はこうして王都から都市へ出回る。

樽もおなじで、特にワイン樽も、王都でつくられたエドワード王が認可した検印つき樽でないといけない。
底を厚くした樽など、貯蔵量をごまかす商人に対策するためだ。

一個の酒樽は、だいたい120ガロンから240ガロンのワインを入れた。貧民には買えない値段で売られた。


城下町ではいくつもの養鶏所、豚小屋、はちみつ巣箱があった。


ほかはビール醸造、チーズ製造、バター製造などの仕事をする。パン焼きかまどは、市民の家にあり、市民は
自宅で使ってよい。



もともと王や領主の干渉なしに、自分ただけで商活動したい衝動がきっかけではじまった組合ギルドの
本拠地は城ではなく、城下町に建てた議会オフィスであった。ゴシック建築の建物オフィスだ。

尖塔アーチとリヴ・ヴォールトを特徴としている。


しかしその議会も結局は、王の息がしっかりかかっているのであった。




とはいえ両者の関係は申し分ない。


組合ギルドにとって不都合なことは、王が保証してくれる。つまりギルドが決めたルール外の商売を始めた
悪い商人は、王が排除してくれる。


そのかわり同業組合ギルドは王にしっかり税を納める。



王の城には多量の人員が雇われている。


標高700メートルもあるこの巨大すぎる城では、考えられないほどの人がたくさん雇われ、そこで生活している。

城のなかに無数の人たちの生活空間が並存しているかのような、ひとつの城がひとつの国であるかのような
居城だった。


オーギュスタンたちの騎士も王の城に雇われた騎士たちだった。


傭兵はちがうが、正規のエドワード軍の騎士たちはエドワード城に自分たちの居間を持ち、部屋をもち、生活空間
がある。


標高700メートルという、途方もなき城は、無数の井戸があって、それぞれの生活空間に住む人たちのあいだで
共有され、さまざまな用途に使う。


洗濯、食器洗い、湯沸し、風呂。

家畜への水やり。城内役畜の世話。


100以上ある、あちこちの井戸は城のなかに聳える。


一番たかくて100メートルの井戸。想像絶する巨大な井戸だ。落ちたらひとたまりもない。


それを汲み上げるほうも汲み上げるほうだ。

だが城には多くのそういった人員が雇われている。水運び人。井戸から汲み上げた水を、
城に住む貴族たちに運び出す係り。


彼らは超巨大にして迷路のごときエドワード城の水経路が全部頭のなかに入っている。

つまり水路の経路、井戸の位置、下水がどう流れるか、そして雨水の貯水槽。
城の天井に伸びる水道管の構造に、中庭にある井戸の外壁濾過システム。これらすべて把握し水を給仕する。

無数の迷宮階層が折り重なる城の、何百週もする階段塔の螺旋階段はのぼるし、何万段とある城の大階段ものぼる。

そして生活水を貴人たちのもとに送り続ける。


しかしそんな彼らでも、この城の全貌は知りえない。人間の数十年間という生涯のあいだでは、
この城の全貌を把握することは不可能だ。

それくらいとてつもない広く、大きく、無数の空間がある。


いったい誰がこんな城を考え出したのかと想うほど複雑な階層の折り重なった天空の城は、王でさえ、
城の全部屋と全階層に足を運んだことがない。


何階建てなのかさえ誰も知りえない。500か600階だろうか。ひとまず、エレベーターもない時代に、
この城を上から下まで行き来することは、数週間かかっても不可能である。


王の間、貴婦人の部屋、夫の部屋、騎士の部屋、召使いの私室、守備隊の私室、そして廊下、階段、扉…。
調理するための台所、配膳室、食糧を貯める鉄格子に守られた貯蔵庫。酒樽の貯蔵庫。

夜宴をもよおす城内の何百という大広間、雇われ音楽家たちの私室。


水路、井戸、貯水槽、城に飼われる役畜たち。


ありとあらゆる要素が何百何千と並存し、そして一大国家にまとめたかのような、城。

城全体がひとつの国。



それがエドワード城だった。


石の国。



これほどの石を、いったいどこの山から切り取ってきたのかと不思議にさえ想う。




まさに過去の人間たちが数百年かけて建てた、偉大な城だった。

305


鹿目円奈は、夜のとばり降りるエドワード城の外観を呆然とみあげていた。


途方にくれた気持ち。


あまりに巨大で迫力に満ちたエドワード城の威風に満ちた姿が、また円奈の途方もない気持ちに拍車をかける。



「はあ」

とため息ついて、自分の旅路に諦めの気持ちすら抱いてしまう。



まだまだ聖地は遠いのに、目の前に立ちはだかる関門が大きすぎて、もう、なにをしたらいいのか分からない。




ただ緑草原に座って、尻餅ついて、クフィーユと一緒に城を眺めているだけ。


頭上の空にひろがった、切り立った断崖絶壁の谷をはるかに超えて、天にむけて建った塔を。


山々よりも高い塔を。



石の城を。



さーっ。

静かな夜風が草原に流れ、草を流す。草のせせらぐ音が聞こえる。その風の音は優しい。



月が夜に輝いて浮かび、エドワード城に並び立った。



ああ、まるで月とエドワード城が、あたかも同じ高さにあるかのように見えるではないか!

しまいに月は城の塔の裏側へ隠れてしまう!

空高くに浮かぶ月を隠せる建造物など、どうして想像しえただろうか!




優しい夜風は円奈の髪もゆらした。


ピンク色の前髪がゆれる。



海の音が聞こえる。それは、円奈が人生で耳にしたこともない、暗い海のさざ波の音だった。


だが海の姿はみえない。深く深く、谷底に海は眠り、暗闇のうちに流れ続け、今も岩を削り、波のうちに飲み込む。


そして激しく海は渦巻く。怒りの水流。暗闇の渦。



過去にここに転落した人間はいただろうか。



いたとしたら、歴史長いいえども、もっとも悲惨にして恐怖を味わう死だっただろう。



円奈は城下町を草原から眺める。


ちなみに城下町を守る、エドワード城に比べればたいして高くもない囲壁のことを第一城下区層囲壁とよび、
エドワード城の門を守る囲壁は、第二城区層囲壁と呼ぶ。高さは50メートルくらい。


そしてもっと高い200メートルくらいになる第三城区層囲壁、第四城区層囲壁、第五城区層囲壁、第六城区層囲壁と
つづいて、ついには標高700メートルの天守閣区域に到達する。

つまり全体で七つの層にわかれている。第一区域層から第三区域層までが200メートル、第五区域層までが400メートル、
最も守りの堅い第六区域層で600メートル、第七区域層の天守閣で700メートル。ここがもっとも高い。


そこに君臨するのはただ一人。


王だ。

その執政官にデネソールが仕える。


それぞれの囲壁は城門があるが、投石器なども備えられている。各城区層の囲壁から飛ばすことができる。


カタパルト式投石器だった。



途方もなく頑固な守りに固められたエドワード城にちかづきすぎた哀れな敵軍は、城のあちこちに仕掛けられたこの
投石器によって、石の雨を受けるだろう。


それも、地上からとんでくる石の大群ではない。


標高数百メートルにもなる城壁に置かれた投石器からとんでくる石は、文字通り天空から、敵軍めがけて落っこちてくる。

空から落ちてくる岩石の破壊力は想像絶す。ひとたまりもない。山すら削りとる威力だ。



こんな城を攻め落とそうとする愚かな敵国はない。

306


ついに円奈はその日、城下町に入ることを諦めた。


草原をいちどUターンし、きた道をもどり、森に入る。



盛りに入ると火打石で焚き火をつくり、小枝と積み上げて薪を燃やすと、そのまわりに石を集めて囲った。


火を燃やさないと、夜の森はあまりに暗く、夜霧たちこめて、不気味で恐くて、眠れない。

魔女が住むとさえいわれる夜の森は、旅立ってからも慣れない。



だから円奈はねるときは焚き火を燃やす。


そのせいで一度ロビン・フッド団なる少年たちの夜襲をうけた経験にもかかわらず、焚き火を燃やして、クフィーユと一緒に
眠る。


たった一人の少女は、燃やす火なしには寝付けないくらい、やっぱり、心細い気持ちだった。

特に、故郷には戻ろうと想っても戻れぬこの状況、旅立って一ヶ月以上、行く先行く先が知らない世界なのだ。


まったく知らない、遠くはなれた異国の地。




また一人になって、旅にでることの重荷に、ときどき耐えられなくなってしまう。


それに耐えられなくなって、円奈は、あの魔法少女の形見である鷹の翼を象った黄金の鍔をした剣を
とりだす。


自分を騎士にしてくれたときに、授かった剣だった。



鞘から剣身を抜くと、夜闇に刃が現れた。魔法少女として、領主として、自分の国を護り続けて戦ってきた
魔法少女の剣だった。

いまそれは青白い光を放っている。


月明かりを受けてか、夜闇のなか魔法の反応をしているのか、青白い光は刃からほのかに放たれ、円奈の
顔を青く照らし出す。


薄めいた夜霧のなかに青白く光る剣。



円奈は、みたこともない、椎奈の剣の不思議な光をぼんやり見つめていた。


きっと自分の気持ちに応えてくれて、光ってくれたんだと想って、ちょっと嬉しい気持ちでいた。



だからすっかり忘れていた。

この剣が、青白く光ることの意味を。

今日はここまで。

次回、第40話「賛辞の鐘」

第40話「賛辞の鐘」

307


そういえばこの剣を戦いに使ったことはほとんどなかった。

と、円奈は振り返る。



自分の得意武器は弓で、剣は使い慣れない。



というか、剣術を習ったのが、来栖椎奈から”鷹の構え”という型を教わったその一度きり。



しかもその剣術の演目もさんざんだった。


相手が魔法少女で、しかも歴戦の領主だったから、勝てるわけもなかったけれども、それにしても
自分の剣の下手さには落ち込んだ。



ジョスリーンからこんなことを言われたのを思い出す。


騎士なのに得意武器が弓?それじゃ騎士じゃない、まるで弓兵だ、とか、そんなこと。


椎奈の剣をもちあげてみる。

手首をひねって、剣をぶんぶん、振り回してみる。



ブオッ。ブンッ。



円奈の手元で剣がまわる。

夜闇の森に、青白い光の軌跡がはしる。



円奈の顔が青く照らされる。



ズドッ。


重い剣を振り回すことに疲れた円奈は、剣先を土に突き立てて座る。


ふうと息をつく。



あたりを見回す。


ふくろうの鳴く声、狼の鳴き声やら、猪の縄張り争いするざわめきの音。


夜の森は獣たちの世界。


そういう世界には慣れっこだ。



そんな獣たちを狩りして生きてきたから。



でも、そういう野生の獣たちに慣れたといっても、魔の獣たちには慣れない。


というより、人間である自分が、闘えるはずもない獣たちだった。


そういうのを狩るのは人間の役目じゃない。

世界にはそういう魔の獣たちがいる……世界には、魔法の乙女たちがいるように。



「……あれっ」


そこで円奈ははっとする。


今更ながら、来栖椎奈の剣の放つ青白い光の意味を、思い出すに至った。



つまり、こんな助言だった。



”それから、貴女が授かった椎奈さまの剣ですが”



”その剣は、魔獣の気配が近づくと青く光ります。貴女の身を守ってくれるでしょう”


二ヶ月も昔の、故郷の騎士たちの声を思い起こす。



でも、そういう野生の獣たちに慣れたといっても、魔の獣たちには慣れない。


というより、人間である自分が、闘えるはずもない獣たちだった。


そういうのを狩るのは人間の役目じゃない。

世界にはそういう魔の獣たちがいる……世界には、魔法の乙女たちがいるように。



「……あれっ」


そこで円奈ははっとする。


今更ながら、来栖椎奈の剣の放つ青白い光の意味を、思い出すに至った。



つまり、こんな助言だった。



”それから、貴女が授かった椎奈さまの剣ですが”



”その剣は、魔獣の気配が近づくと青く光ります。貴女の身を守ってくれるでしょう”


二ヶ月も昔の、故郷の騎士たちの声を思い起こす。


はっとなる。


「あ…あ…」

声が怯える。


「魔獣……!」

青ざめた顔で声をだす。


世界に存在する魔の獣。この世に瘴気をふりまく呪われた存在。

この聖地にむけた旅立ちの前、いちどだけ生身のまま魔獣に魅入られたこともある。


円奈は、青くひかった剣を鞘にも納めず、走り出し、馬を起こした。


「おきて!おきて!クフィーユ!」

馬が苛々と歯を鳴らしながら前足ついて、起き上がった。

「このままじゃ魔獣に食べられちゃうよ!」

ピンク髪の少女の命令を聞き入れて、クフィーユは主人をのせて、森を走り出した。


どっちの方向に進めとかいう指示もない。


ただひたすら、走り出した。


でも遅きに失していた。



馬に乗って、月明かりのない森の闇を走れども走れども、霧は深くなるばかり。


この霧は魔法の霧。



飲み込まれれば脱出できない。



彷徨いこんだ哀れな心弱き人間を喰らってしまう魔の獣。


エドワード城周辺の森に現る。




人間を喰らう魔の獣がいる。

それが、宇宙改変後世界にはびこる脅威だった。



円奈たちはその犠牲となった。


霧に包まれた森は風景を変えた。

ぐにゃりと景色がやがんでしまい、まるで別の光景が、水面に映し出されるように、あらわれ、世界が変わった。


はっと気づいたとき、でも光景はまたすっかり変わってしまう。



森ではファラス地方の森林を戻るバリトンの民の姿があった。


重いにもつを搭載した荷車をひき、疲れきっていた。みな不満に心を黒くして、二週間かけて帰路につく。

多くの死者をだし家族を失った村人たち。



そして、村にもどってくると、いなくなった来栖椎奈の代わりに、人間の代官が、村で権力をにぎった。


領主となった代官は、村人たちを集めるや、言い放った。


「おまえたちが不幸になったのは、あの女のせいだ。」


村人たちはいっせいに殺気だった。


怒りと憎しみ、自分たちを命の危険に二度とも三度も晒した鹿目という女。

その激しい憎悪が、もう抑えきれなくなる。


一度目は、神無という母が領主殺しをした上で村に逃げ込んできて、二度目は、その娘の、聖地遠征などという
わけのわからぬ目的のために危険な遠征へ狩り出された。


代官が命令し、円奈の暮らしたあの家はバリトンの村人たちによって、焼かれた。

もともと村から隔離されていたレプラの家。昔から、村人たちにとって忌々しい家だった。

ついに家は焼かれる。

憎しみに駆られたバリトンの村人たちは、二度も三度も自分たちの村に不幸を呼び寄せた女の家を焼きはらう。

松明の火がいくつも投げ込まれ、木と藁でできた家は、ついに焼失してしまう。


代官は楽しげに円奈の家が燃えるのを目に映していた。


満足だった。

この女への恨みを、ようやく晴らすことができたのだ。



それが故郷で起こったことだった。



「い…いやっ…!」

目にする光景に耐え切れず目を手で遮った少女は、村人たちの、自分を罵る声をたくさん、きいた。


不幸を呼ぶ女、夜な夜な魔法を使って、村に呪いをかけている、領主殺しの娘……平和な村に
のこのこやってきて、悲劇を招いた異国の人殺しの女…。




「やだ…!」


負の感情に渦巻かれる。


すっかり円奈は魔獣の結界に捕われていた。


森は不気味な白い霧が覆い、濃くなり、溢れだしてくる。


そして森の白霧のむこうから、白い獣があらわれた。


人の形をした、布を纏った白い獣が。



造り変わった世界に現れる呪いの使者たちが。

姿を現し、結界にとらわれた円奈を、白い霧のなかに閉じ込め、バリトンの人々の憎しみに代わって、円奈の
命を奪いにでる。



力抜け、生気吸い取られて、少女は馬から落馬する。


ドッテン。

頬を草に打ちつけ、気絶寸前。


馬が暴れた。



「う……うう…」

地面に落ちた円奈が、青ざめた顔をあげると、ぐらついてかすむ視界に、白い獣たちの姿が目にはいった。


「も……もう…」

手放しそうになる意識。

懸命に自我にしがみつきながら、歯軋りし、草を握り締める。


「二度は……負けないんだから……」


でも、人間には魔獣に勝てる手立てはない。


それでも。

なすすべなく死ぬなんて嫌だった。


ここまできて、聖地に辿り着けずに死ぬのなんて。


「…嫌だ!」


背中のロングボウを取り出し、死力ふりしぼって、弓をしぼる。

矢を番えると、白い糸の絡んだ自分の腕がみえた。



「いけえ!」


円奈は地面に突っ伏したままま、腕だけあげると、弓から矢を放った。


矢が魔獣の頭むけてとんだ。


矢は、魔獣の頭に当たったが、矢はすうっと魔獣の顔面を通り抜けて、森の奥へとすっとんでいって消えた。


矢が当たった瞬間、魔獣の顔面が、煙のようにわずかに歪んだ気がしたが、すぐ元通りになった。


「…そん、な」


少女が絶望の声をだす。


ふっと希望を失った瞬間、ガツンと頭に痛みが走って、意識が暗くなった。


目を開けているのかあけてないのかさえ自分でわからない。


ぐらぐらする意識。

身体の感覚が抜け落ちる。



そして、生気を吸われつくして……円奈は、とうとう気を失った。


ダランと頭を垂れ、手からも力が抜け落ちて、やがて、すべての力が失われ、突っ伏したまま身体は動かなくなった。


ロングボウの弓が手からこぼれおち、倒れた。



少女は森で息絶えた。




改変後の地上には魔獣という、呪いをふりまき人命をむさぼる獣たちがいる。

だが忘れてはならない。


世界にはまた、呪いをふりまくのとは対極で、希望をふりまく少女たちがいるのだ。



その存在のことは、改変後の世界でも相変わらず、こう呼ばれている。




魔法少女。

308


夜明けが近づいていた。


長いこと夜更けを森で過ごしていた少女、鹿目円奈は気づかなかったけれども、日の昇りがちかづき、
エドワード城の裂けた谷では空が明るくなりはじめていた。


真っ暗闇の空は赤みが差し、西の果てより、日がのぼってくる。


雲は赤くなり、夜の過ぎ去った明け空が大陸のむこうより現れる。




そんな明けがた、暁の赤色が森に差し込んでくる。


赤い朝日の空。


森に明るみが増す。




円奈は息していなかった。

生気は失われ、三匹の魔獣に取り囲まれてしまう。



ただの人間が、この改変された世界で、魔獣にとらわれたら最後、どうあがいても、やっぱり死であった。




だが夜明けが近かった。


魔獣たちが姿を消す夜明けが。朝焼けの日にあたれば魔獣は消える。


だが日の光はまだ森には届かない。



日の出によって空が燃え、明るくなり、冷たい早朝の空気が、ひんやりと森にながれた。


明けた空の日差しはまだ森にとどかない。



魔獣たちはまだ存在する。


だが、まさに、この夜明けのとき、日の出の暁が、森に差し込んでこようというそのとき。



森に現れた城下町の魔法少女が、高々に叫んだ。


「人を喰らう魔の獣よ!世界に呪いをふりまく魔の獣たちよ!私を見よ!」


魔獣たち三匹は、いっせいに声のしたほうに顔がむいた。

白い顔が同時にこっちにふりむく。


一人の女の子────魔法の力をもつ女の子────魔法少女は、岩の上に立っていた。


両手に一本の杖をもって。

変身姿の彼女は、杖の先を、バンと降ろして岩に叩きつける。



「そして消え去れ!」


岩がストンと、真っ二つに割れた。

杖の叩かれた箇所から、すぱーんときれいに岩が断面みせてわれ、すると光が奥から差し込んでくる。


岩に隠されていた日は森に現れ、日差しの光輝が眩いばかりに森に満ちる。


パアアアアッ…

まさに魔法のような太陽の光だった。



魔獣たちは、赤い太陽の日にあてがられ、苦痛の声をうめいた。


そして日の光に顔を焼かれ、煌めきのなかで、白い呪われし三匹の魔獣たちは姿をけしていった。


グリーフシードだけがのこった。




魔法少女は杖もって、岩からストンと飛び降りた。


その魔法少女の肩に、ぴょんと白い獣が飛び乗った。

四足の、小さな獣だった。


赤い目に長い耳。



くるっとした金色のわっかが耳に浮かぶ。


「この子、生きてる?」

魔法少女は、独り言をつぶいた。


いや、ちがった。


独り言ではなかった。


普通では考えられないが、この魔法少女は、肩に飛びついた動物かなにかに、話かけたのだ。



「いきているよ。生気がのこっているよ」

白い獣が喋って、魔法少女に答える。

人間の言葉を話す獣だった。


「助けるの?」


「助けるよ、もちろんだよ」

魔法少女は、気を失ったピンク髪の少女の倒れた背中に触れた。

「人を助けるのが魔法少女だよ?」

それがこの魔法少女の信念だった。



魔法少女は円奈の肩にふれると、自分の力を、注ぎ始めた。

つまり、ソウルジェムに宿る自分のぶんの生気を、彼女に分け与える。


「これで助かる?」


「助かるよ。たぶん…」


「たぶん、って、頼りにならないなあ、カベナンテルは」


「だって、本当のことと違うことなんて、いえないもの」


「そのへんはなんか真面目だね」

なんていうやり取りをする獣と魔法少女。


これは、少女と契約を結んで魔法少女に変える、契約の使者カベナンテルと、その契約した魔法少女との会話だった。



端からみたら、魔法少女は、独り言を喋っているようにしか見えない。

だから人間からすれば、気が違ってしまったように思うだろう。




というか実際にそうなってひややかな視線にあてられ続ける魔法少女も城下町にはいた。



なぜなら、契約の使者カベナンテルは、普通、人の目には見えないからだ。


「この子、人間なの?」

魔法少女が訊くと。

「そうみたい」

肩のカベナンテルが答えた。赤い目で少女を見下ろしている。赤いリボンを髪に結んだ少女を。


「人間なのに、一人でこんな森で夜過ごすなんて…」

信じられない、というより、呆れた、という息を漏らした。

「ただでさえ最近魔獣が多いのに…」


「次から次へと沸いてくる」

カベナンテルも話した。「キリがない」


「どうしてこんな森に、いたんだろう」

魔法少女の頭に疑問が浮かぶ。「それも、女の子一人だけで……」


「さあ、なんでだろう」

カベナンテルは首をひねるだけ。

「この星には、精神疾患を患う生命体が多いから……」


「また、そういうこという!」

魔法少女が不機嫌になる。

口を尖らせながら契約のパートナーを叱る。「この星ってなに?いつも変なことばかりいって煙にまく」


「夜になったらたくさんみえるじゃない」

白い獣がいう。

「ぽつぽつと、きみたちの目にたくさんみえるアレ。この星もそのうちのひとつだ。目にあれほどたくさん見えている
のに人類にはわからない。昔の人類ならわかってた」


「それはわるかったねえ…」

ソウルジェムからの力をピンク髪の少女に注ぎ込みつづける。ふんっ、と鼻を鳴らして、気力を込める。

「でも、むかしの人類は、魔法少女の存在も知らなかったんでしょ?」


「まあ、ね」

白い獣はいう。「知らなかったというよりは、誤解していた、というのが本当のところ。まあそれは、
いまもだけど…」


「人間はなかなか魔法少女のことをわかってくれないから…」

切なそうに魔法少女は口にした。


「あの城、めちゃくちゃでかいけど、なかが全然わかんないんだよね…」

城下町からきたこの魔法少女は、気弱な表情を浮かべ、そっと、エドワード城を遠めに眺める。


空にそびえる、裂けた谷に建つ巨大な城を。



暗闇の谷に浮かぶ黒い城。立派な石塔がいくつも建ち並列する。


関所となる城門をつけた防壁が城じゅう、あちこちに何百と築かれる。デコボコとした矢狭間のある黒い、狭間胸壁が、
高所にも低所にも並ぶ。関所を越えれば越えるほどに狭間胸壁は高くなる。第二城壁区域、第三城壁区域…と…
もちろんそこにも無数の石塔がある。


まさに城塞に城塞が積み重なったかのごとくの城。


城下町の人間でさえ、エドワード城の迫力にはいつも驚かされる。

いや、城下町の人間だからこそ、すぐそこに建つ絶対の王の居城に、いつも怯えている。



「城下町の人間は入れないし。城から出てくる人間もほとんど見たことない。軍隊がいるみたいだけど、
あんな城でどう生活してるんだろう……食べ物とか、こまらないのかな?城のなかって、絶対真っ暗だよね…」


城下町生まれの娘であったこの魔法少女は、貴族たちの暮らすあの不気味な城の中身を知らなかった。

なんといっても、城の中に暮らしているらしい貴族たちは、生涯長けれども一度も城を降りず、外にも出ないのである。

城下町の人たちが不気味がっても不思議にならない。税としてパンと穀物と肉とがあの城に運び込まれ、中で病的に肌の白い、
日の光を知らぬ貴婦人たちが、暗闇の城内で贅沢三昧に日々明け暮れているのだろうか。


そのとき。

ぴく、ピンク髪の少女の瞼がひくついた。

「う…」

地べたの少女は苦しそうに歯を噛み締める。「ううう…」


悪夢に魘されているかのように唸る。「ううっ…!」


そして、瞼が開いた。ピンク色の瞳が地面をどんより見つめた。


「あっ、目さめた?」


魔法少女がふりかえって少女をみた。

思えばまだ変身姿のままだった。


「あう?」

少女は寝ぼけていた。

自分の置かれている状況をよく理解していない。「わたし…?」


「けっこうあぶないだったんだよ」

城下町の魔法少女は、膝をついて座ると、少女を抱き上げて、じぶんのほうにむかせた。

「魔獣に食べられそうになっていたの」


「あっ…」

円奈は意識を覚ました。

魔獣に襲われ、なすすべなく命を奪われていった恐るべき記憶が蘇ってくる。

と同時に、目の前に魔法少女がいて、自分の命がまだある現状を理解いた。


「私を……助けてくれたの?」


すると目の前の、名前をしらぬ魔法少女は、優しそうに微笑んだ。にこっとした微笑みだった。

「うん。人を助けるのが魔法少女だからね」



「あ…」

円奈は、にわかには信じがたい気持ちになったが、すぐに、別の気持ちが沸いてきた。

そして命を救われた、生き長らえたという激情が込み上げてきて、円奈は、ぐすっと鼻をかむと、
鳴いてしまった。

「ありがとうっ…!」

といって、とびついてしまった。


「あわわ…あわ…」

いきなり抱きつかれるとは思ってなくて、気圧されて自分まで押し倒される勢いだった。



「もうダメかと思った!」

円奈は目に涙なじませる。「恐かったあ…!本当にありがとう…っ!」



魔法少女の存在をみて、涙ながらに感謝されるという反応されたので、あまりに驚いた城下町の魔法少女は、
ただただ狼狽した。


「と、と、とにかく……」

おろおろ、困惑しながら少女に話しかける。

「こんなところ、一人でいたら、危ないよ?どうしてこんなところに一人で?」


目に涙ためたピンク髪の少女は、ぐずっと鼻をすすると、腕で涙ぬぐうと、答えた。


「エドワード王に会わなくちゃいけなくて……」


「お、王様?」

これには目を丸めてびっくりしてしまう。

城下町の魔法少女は、目の前の、人間の女の子が何者かと、疑念を抱いた。

「どうして?」


「通行許可状……あって…」

少女は涙ぐみながら、質素な麻袋にある荷物から、一枚の羊皮紙をとりだす。


それをみせてきた。

城下町の魔法少女が受け取る。


いったいエドワード王とこの少女がどんな関係にあるのだろうかと勘ぐりながら、羊皮紙に目をむける。



「………へえ…」

城下町の魔法少女は、鼻をならした。

領主の蝋印を見て察したのだ。アキテーヌ領の紋章だった。


「うん……だから……」

昨晩の魔獣に襲われた恐怖を思い出したのか、涙の溜めた目蓋をこすって、また少女は嗚咽を漏らす。

「助けてくれて本当にありがとう……」


城下町生まれの魔法少女はそこでまたうろたえる。


エドワード王に会う予定の少女から、こうも魔法少女としての自分に感謝されるのが、意外すぎて、
もう訳がわからなくなってくる。


「助けてくれてありがとうって、あのね…」


呆れた声をだす。


「世の中の物騒さ、わかってる…?夜は、家からでない。まして外で野宿なんてしない。ここ最近魔獣が
多いんだから、気をつけてね?」



「はあ……ごめん…」

魔法少女に叱られて、落ち込んだように謝るピンク髪の少女。「でも……最近魔獣が多いって?」


「あまりにも多すぎて、いま城下町は”魔獣の街”って魔法少女たちからもいわれてるの」

城下町の魔法少女は答えた。

「夜、一人で寝てたりなんてしてたら、毎日魔獣が沸くよ。だから城下町の人々は絶対に夜は家からでない。
夜間の外出禁止令もでるくらいだよ?」


「そ…そうなんだ…」

恐怖に目を強張らせて、少女はぺたんと女の子座りになって、息はいた。


アリエノール・ダキテーヌの姫と共にアキテーヌの城をめざして大陸を駆け巡ったとき、地平線のむこうにみえた雪景色の山脈。

今まさに、そこにたどり着いたのだ。”裂け谷”と呼ばれるエドレスの王都は、まさに大陸の裂けた谷にある首都であった。


「と、とにかく私は…」

円奈は、旅の目的を思い出し、勇気を奮って魔法少女に話し出す。

「この裂け谷を通りたいの。エドワード王に通行状をみせて、むこう岸に渡りたいんだけど……」



そのためには、大陸ごとぱっかり裂けたこの大きな谷は、エドワード城に架けられた巨大な橋をわたって
通らないといけない。

裂けたこの谷を渡る唯一の道。


エドワード橋とド・ラン橋の二つだ。



谷に架けられた二つの巨大な石橋。どちらも数百メートルの長さ。


人間が造ったとは思えぬ規模のそのアーチ橋は、まさに巨人が建てたとさえ思える。



巨人ですらこのアーチ橋を渡るには、時間を要するだろう。



それを人間が渡ろうとおもったら、数十分以上はかかる。その高さは圧巻で、断崖絶壁の深谷に架かったアーチの高さは500メートル。


万里の長城がそのまま橋になってしまったかの如く迫力がある。もちろん両脇には胸壁と矢狭間のデコボコがある。


しかもその幅もまた、150メール前後あるのだ。



城下町に住む魔法少女は、うーんと困った顔をした。

日はすっかり明るくなり、朝が二人の森にもおとずれる。木漏れ日が二人の頭を照らした。


「たぶんそれ、難しいかも……」

城下町の魔法少女は、悩んだあげく、いって、魔法の変身衣装を解いた。


朝の木漏れ日の光に包まれるなか、少女自身の身体もぱっと眩く煌いて、変身衣装が解ける。


「あ…」


魔法少女の変身解除という、神秘的な風景を、たまらず円奈は見つめた。目がきらめいた。


オレンジ色の、花びらをかたどったようなフレアスカートの変身が解けて、コットという長いワンピースの
普段着にもどった。

ふわっと茶色い髪が浮かびあがって、やがて変身が終わると、くるり踵かえして、かろやかに、髪はまた背中に垂れた。



「いまエドワード城は、厳重警備固めて、誰も通れなくしてるよ?まして異国の騎士がたった
一人寄り付いてきたところで、王様が許可だすかなあ…?」


疑問をだしながら少女は茶髪をオレンジ色の花でまとめた髪結びでポニーテールに結ぶ。

ポピーという燈色の、かわいらしい花だった。


「でも、通行許可状あるもん…」


円奈は簡単には諦められない。


「これ…」

羊皮紙をひろげる。


「その許可状だけどね、」

城下町の魔法少女が指摘する。

「アキテーヌ領の城主が、エドワード城を通れるように通行の許可を申請する書だよ。王の許可に
直接つながる書じゃなくて。それをだして初めて王が、許可だすかどうか考えてくれるんだよ?それでも
王がダメっていったら許可状あろうがなかろうがダメなものはダメってなっちゃうの」



「ええ…そんなあ…」

円奈の顔がしょげる。

「じゃあもし王様にダメっていわれたら…?」


「エドレス国を引き返すしかないよ」

城下町の少女は告げた。



「そんなのイヤだよ、わたし聖地にいくんだよ…」

ピンク髪の少女が消沈しながらいうと。


城下町の少女は、驚きを目に湛えた。その黄色をした瞳が見開いている。


「聖地にいくの?」


「え?」

あまりに真剣そうな顔に、いきなり豹変した城下町の少女の様子に、ちょっと怯みながらも、円奈は答える。

「うん……」


「す、すご…」

すっかり感嘆したか、感動したかのような城下町の少女は、まじまじと円奈を眺める。

「いいなあ……聖地にいくなんて……円環の理さまに、会いにいけるんだ……」


それから、だんだん感動していた顔が、残念そうな顔つきにかわってきて、哀しそうに告げた。

「でもたぶん、いまいっても、王様の許可は降りないよ……いま、エドワード城は誰も通さない方針だから…」


とたんに元気をなくす円奈のほうをみて、城下町の少女は、話題を変えてきた。


「どうして聖地にいくの?」

「うーんどうして……」

何度かされた質問。

でもいまだに、はっきりと答えられない。


「あっ…ところで聖地って、あのエレムの聖地だよね?」

城下町の少女は確認してきた。


「うん……そこにむかっているんだ」


「魔法少女のみんなの巡礼地なんだから、みんなで持てばいいのに……あっ」

ふと彼女は思い出したように、森から城下町のほうをふりむく。


「?」

円奈が不思議そうに相手の様子をみた。


「もうこんな時間じゃん……戻らなくちゃ……城下町の人に怪しまれちゃう」


「怪しまれる?」

円奈が首をかしげる。


「”賛課の鐘”が鳴る前にもどるねっ」

といって、城下町の少女は森をかけだす。

かけだして、ふっと足をとめて、円奈のほうにふりむいた。



円奈も城下町の少女をみあげた。


「一緒に城下町くる?」

魔法少女は、そんなことを言ってきた。「王に会う予定でしょ?」



円奈は一瞬だけ戸惑ったあと、自分が朗報を知らされていることに気づいて。


「うん」


と元気よく答えた。



魔獣に襲われたところを命を救われただけでなく、勇気がだせなくて近づけなかった城下町に、この魔法少女は
招き入れてくれるのだ。

309


「わあ……すごい」

城下町の少女は、森で、馬にのって騎乗姿になった円奈をみて、驚歎したかのような息をもらした。

「ほんとの騎士なんだね」


「ありがと」

クフィーユにのった円奈は照れて笑う。


腰ベルトの鞘には剣、背中にはロングボウだ。


「馬に乗れるなんてかっこいいなあ」

城下町の少女はまだ感心していう。

「私の家じゃ、牛しか飼ってないよ。いま、お産」


「馬に乗るとはやいから、一緒にのる?」

円奈は提案した。


「えっ、いいの?」

城下町の少女が、ぱっと顔を明るくさせ、羨望に目を赤らめる。


馬にのること。

それは、この時代の夢みる子供が、一度は思い描くことだった。


「のりたい!早く戻らないと、鐘の時間にも間に合わないしね!」


城下町の少女は馬の背にのった。


円奈の腰に手を回して、二人乗りになった。


「とお!」

円奈が馬に合図をだす。

森を颯爽と走り抜ける。


ばささっ。草木をかきわける馬の音が、森に鳴り渡る。



「わああ…うわっ!」

城下町の少女は、初めて乗る馬の、腰にくる衝撃におどろいて、恐がってしまった。

「蹴飛ばされる!」

しかしそんな恐怖を味わいながらも、今まで感じたことのない風と疾走感に、たまらない興奮を感じる
城下町の少女だった。




そんな調子で二人乗りして、円奈たちは城下町の市壁までやってくる。


この日もエドワード城の大きさに圧倒される円奈だったが、門番が警備を固める城門まできた。

二人はそこで馬を降りた。


まず円奈がばっと飛び降りる。


すたっと地面に着地。

いっぽう、馬に乗りなれない城下町の少女は、馬の降り方がわからない。


「背中の毛を掴んで降りるんだよ」


と円奈に教えられて、馬の背中の毛をわしっとつかみつつ、ずるずるっと腹を這いながら城下町の少女は
地面に足着ついて降りた。


二人は城下町へくる。


円奈には近寄りがたかった王都の城下町へ、いよいよまた来る。



城門の跳ね橋は降りていた。人殺し穴と城門のトラップも解除されていた。”二重落とし格子”(侵入者を
閉じ込めるための罠。閉じ込められた者は人殺し穴から撃たれる矢に殺される)も今は開かれている。



門の警備にあたる門番兵たちは、鎧をきて、槍を手にしている。


そして、丸い円塔と城壁には、監視役にあたる弓兵たち。大人の長弓兵だ。円奈よりも大きなロングボウの弓。

円塔に立つ監査役の給料は低かった。城内に雇われているクロスボウ職人のほうが五倍くらい高い給料をもらっていた。

高いところに立って見張っている監視役は、”カラス”と呼ばれた。いつでも敵が近づけば
けたましく角笛を吹き鳴らすからだ。



ガチガチに守られた城下町の入り口。



やっぱり、近づくと緊張する。

それに、空は相変わらず曇り空で、厚い灰色だ。日は差したものの、その太陽も、また曇に隠れようとしていた。


ごくっ。

唾を飲み込みながら、円奈は、門番兵の前に近づく。


門にくると防壁の高さに圧倒される。少女の背丈はゆうに越える6メートルの壁だった。

円奈は顔をかたくする。



門番兵も、見慣れない髪をした少女に、あからさまな警戒の目をむける。


「これなんですけど…」


ぎこちなく、円奈は、槍もった、男の門番兵に通行許可状を手渡した。


どうか門前払いされなませんよう、祈りながら。

「通行許可状なん、です……」


門番兵は怪しげな顔しながら羊皮紙をひろげた。


そこに書かれた内容と、赤い蝋印が、本物であることを確認する。



門番兵たち二人は無言で目配らせすると、道をあけた。

「入城を許可しよう」


二人は告げ、ばっと槍を上向きにすると、姿勢をととのえる。


後ろで、城下町の少女が、微笑んで円奈にいった。「よかったね」



「うん…!」

円奈は通行許可状の羊皮紙をしまった。


「アドル城主さんにこれ書いてもらって、本当によかった…」


これがなかったら、絶対にこの城下町には入れなかっただろう。


アキテーヌ城で、傭兵騎士として戦場に出たあの一日は、結局この日のためにも役に立ったのだ。


城下町に入れれば、あとは王様に会うだけだ。

「エドワード王にも会えるかな?」


「それは……」

城下町の少女が口ごもった瞬間、鐘の音が城下町に鳴り轟いた。



ゴ──ン… ゴ──ン…


重くて荘厳な鐘の音だった。

城下町に建てられた、あちこちの庁舎にある塔が、鐘の音を鳴らしている。



庁舎に建った塔は城下町のなかでは高い建物だ。四角い塔がそびえ、頂は三角にとがった尖塔だ。

エドワード城から派遣された役人たちのオフィスだった。





「”讃課の鐘”」

不思議そうに円奈が城下町の庁舎の塔をみあげていると、城下町の少女が、そっと円奈の耳に囁いた。



「え?」

円奈がおどろいて振り返る。

そこには、険しい目つきをしたさっきの少女がいた。でも城下町の少女は、さっきの明るい顔とは一転、
城下町に戻ると緊迫した顔になっていて、鋭い眼つきで円奈をみていた。


まるで、”気をつけて!”と目で暗黙のうちに伝えてくるかのようだ。



「讃辞の鐘だ!」

城下町の誰かが、叫んだ。

「全員道へ出ろ!」

威令の声だった。


城下町の市民たちが、ぞろぞろぞろと、木造の家々から、通路にでてくる。


城下町の通路は、人々で埋め尽くされた。



「城下町の朝は”讃辞の鐘”ではじまるの」

城下町の少女は円奈にまた、囁いて耳打ちした。



「エドワード王万歳!」

誰かが叫び、すると。


「エドワード王万歳!」

城下町の市民の誰もが声そろえて叫ぶ。次に、城下町の上部に高々と建つエドワード城にむかって、
片膝を地面について跪いた。

第41話「病なおしの魔法少女」

311

ユーカは自宅にもどった。


久々に魔法少女として魔獣退治したら、人間に感謝された。そんな嬉しいような、浮ついた気分になりながら、
小走りで城下町の十字路を駆けて、自宅に戻る。


そんな姿さえ、高大なしろエドワード城の塔からは観察できるだろう。城からは文字通りの城下町のすべてを、
監視できる。


ハーフティバー建築の町並みと、石畳の道路を小走りして、自宅にもどる。石に塗装された町の道路を。


「ただいまー!」


菜園をもった自宅に着く。


するとまず母親が娘を出迎えた。


だが言葉はなかった。

ただ無言で、腰を折りながら、菜園の手入れをしつつ、娘にちらっと目をくれてやるだけ。


母は菜園でレンズ豆を育てていた。


家のなかにはレンガ造りのパン焼きかまどがある。



家にあがっても靴を脱いだりしない。


木造の家に入り、かまどの火をぼんやり眺めていた。

薪がぼかぼかっと部屋の隅に積み上げられ放置されている。古びた鉄シャベルも隅に立て掛けられている。

パン種を焼くためのシャベルが。



天井は柱と梁があり、壁を覆う。

かまどの中では火が赤々と燃えている。


部屋を照らす蝋燭は直接テーブル上に立てられて、燃えていた。

だから、どろどろと溶けた白いろうが木造のテーブルにこびれついていった。



家にもどったら、しなければならないことが山ほどある。



父親にどうせ、役畜の世話しろだのパンをこねろだのチーズを市場から安く買って来いだのいわれるのだから。
それが終わったら、夕方までひたすら、羊の毛を紡錘する。



「ユーカ、昨晩はどこにいってたんだ?」

父親はさっそく、二階から降りてくるなり、かまどの火を見つめているユーカに、話しかけてきた。


ユーカは左手の指輪をすぐにとって、服の中に隠した。


「俺にもイザベルにも何もいわずに夜にでかけたな?」


「夜じゃないよ、朝だよ」

ユーカは冷たく答えた。


父親は目を光らせながら娘の前にたった。

背の高い、ウールの服を着た父親は、フードは被らない。肩の後ろにフードは垂らしたままだ。


「夜に家をでるのは危険だぞ」


魔獣の街とすら呼ばれるこんな町では当たり前だが、人々は、夜間には決して外を出歩かない。


なのに娘は両親には内緒で家をでた。

そして”賛辞の鐘”にかえってきた。



それが父親の疑心を掻き立てる。


「まさか、おまえ、サバトの集会にいったんじゃないだろうな?」


魔法少女のあいだで、”魔獣の街”と呼ばれるほどの、城下町における魔獣の大群発生による子供たちの行方不明は、
人間たちには、魔女の集会のせいだと考えられた。


子供を連れ去るだけではない。魔女は人間に災厄をもたらしつづけている。

氷の雨つまり霰が降るとか、異常な気候現象もまた、魔女の仕業であった。


父親は娘を疑う。

「魔女に魅入られたのか?」



「やめてよ、ちがうってば!」

ユーカは否定した。

「サバトの集会なんて!」


「じゃあどこにいってたんだ?」

父親の疑心はすぐには消えてくれない。



「それは……」


ユーカは口ごもる。


わたしは魔法少女で、魔獣を倒して、一人の女の子の命を救ったんだよ────


そんな本当のこと、いまここでいえてしまえたら。


だが哀しいかな、城下町の魔法少女は、そんな自分の気持ちと本当に向き合うことができない状況にあった。


魔法少女であるのに、人間として人間社会に紛れて生活しなければならなかった。


自分の気持ちにウソついて。



「俺は、薪割りにいってくるから、ユーカ、おまえは、水を井戸から汲んで来るんだぞ。
そしたら今日のぶんは、おまえが洗濯しろ」


といって、桶をユーカのそばに置くと、父は薪割りに出かけた。



出かけたといっても家のすぐ外でまきを叩き割るだけだが。これがまた、近所トラブルになりやすい。
おれの道路でまき割するなと隣人がイチャモンつける。



「水がたりないよ!」

母は叫んだ。

「ユーカ、はやく、水を汲んできなさいな!」


「はあい!」

ユーカはめんどくさそうに答えた。

食べかけのパンを皿に放置し、テーブルをたつと、ネズミがちゅちゅっと鳴き声たてて走り去る床を通り過ぎ、
桶もって城下町の十字路へと出る。

312


城下町の人々は、魔法少女を、希望をふりまく美しい存在だと思っていた。



実際に城下町はいちど、いや、いまもだが────魔法少女に、救われていた。



それは四年も昔になるが、オルレアンという極貧家族の少女が流浪しつつ城下町に雇われて、やってきたときのことだった。


そのとき、まだ城下町は、ひどい衛生状況にあった。


つまり糞尿が城下町の通路には捨てられ放題であった。汚物と排泄物の悪臭が漂わないところはなかった。


人々はハーフティンバー建築をした家々の二階や三階の窓からバケツにためた毎日の糞尿を全部通路に投げ捨てた。


そうして城下町は糞尿まみれとなった。



しかもそれを洗う役人係もいなければ掃除当番もいない。


毎日毎日糞尿が通路にたまって、到底考えられないような不衛生に町はみまわれ、病が流行した。



しかも、大雨が降った日などは、もう最悪だった。


雨水によって、通路に塗れた糞尿がぜんぶがぜんぶ、混ざり合って、城下町をへどろにした。

糞尿の沼が城下町を覆った。



病の流行は深刻となった。


人々は、身体じゅうにぶつぶつができて、最後には肌が黒くなり、そしてバタバタと死に絶えた。



病が流行れば流行るほど、人々は、それが魔女の仕業だと考えた。


オルレアンはこの城下町の惨状を目の当たりにして、さっそく掃除屋の仕事にとりかかる。

極貧にして家さえもたぬ少女は、しかし給料さえ求めずに、十字路の糞尿をスコップで運び出しつづけた。


バケツとシャベルをもち、そして顔を布で覆って糞尿を処理しつづける少女の姿は、城下町の人々には、
哀れとしかみなかった。


金貨を慈善としてめぐんでやったりする騎士もいた。


オルレアンは元気に、シャベルで糞尿を処理しつづける。


泥だらけの地面をだいだい綺麗にしてしまうと、バケツいっぱいにしたものを、荷車さえ持たない極貧の少女は、
手持ちで森へ運んでいって、処理した。


ある日オルレアンは、城下町の病気にかかった女たちに治療魔法を施した。


エドレスの都市にもあったように、城下町にも一つだけ、魔法少女の修道院があった。

この城下町では会堂とよばれていたその寺院は、やはり、ゴシック建築だった。


病気を患った女たちを、その寺院の前に呼び、そしてオルレアンは、治療魔法を実践した。


すなわちロウを塗った亜麻布を使って病気にかかった女たちの身を測り、それから大切なものであるかのように
亜麻布を布を胸にしまった。

女たちの家の前を一晩中ずっと見張り、日が明けると、なにもいわずに出発してまた会堂にきた。

すると亜麻布に火をつけた。そこから滴り落ちるロウで、寺院の祭壇に十字の形を描いた。


それから外に出て、会堂のまわりをぐるりと、三週した。しばらくのあいだ亜麻布はパチパチと音をたてて、
紫色の炎がたっていた。

これらすべてをおこなって、オルレアンは治療魔法を完成させた。


病人たちからすれば、意味不明の一連の行為は、魔法だった。



人々はオルレアンが魔法少女であることを知った。


とにかく、奇跡も魔法もあるとはよくいったもので、女たちの病は治った。



”病なおしの魔法少女”────そんなふうに、城下町の人々から親しまれた。

毎朝はやくに起きて、健気に糞尿処理する少女に、城下町の人々は親しみを感じ始めた。


家に招いて食べ物を食べさせてあげる親切な家もあった。


魔法少女の魔法が、人の病を治すという迷信は、この時代では当たり前だったので、オルレアンの病なおしは
人々に受け入れられ、よく病人が彼女を訪ねた。


ある日オルレアンは、そうして城下町の人々の評判を得て、エドワード城への入城を許される。


特別に王に招待されたのだった。



オルレアンは驚嘆の想いで畏怖すべき王の城に入る。



しかもなんと王への謁見も許されて、王と王妃の天守閣に招待されたのだった。



標高700メートルにもなる天守閣は、まさにこの時代の人間にとっては、天上の領域にも近い聖域だった。

まさに王の聖域だ。



オルレアンは、エドワード城がただの高いだけの塔ではなく、一つの国のように人々が中に暮らし、
生活を営んでいることに驚かされた。


城の中ではたくさんの人々がまるで町に住むかのように城のなかで生活していたのである。


すなわち城のなかには個別の部屋があり、人々の暮らす空間があった。廊下があり、階段があり、
ギャラリーがあり、しかも市場のように広い室内空間もあった。


数多くの大広間では貴婦人たちが城内で暮らし、エドレス領内からたらしめた税金と酒で豪華な
食生活をおくっていた。


それが何百階とつづき、第三城区域、第四城区域としだいに城をのぼってゆく。



すでに階段を何万段とのぼったあとだった。

何百週とするくるくるの螺旋階段を、目がまわるほど登り続ける。


ただ王に会うために城を登り、王の間へいく。


ただそれだけのためなのに、何日、何週間とかかった。



途中何度も休憩をとらないといけなかった。城内に設置された井戸の水を汲み、水を飲むと、隠者専用の
狭き城室を借りて仮眠をとったりもした。



もう何日も日の光をみていなかった。

城のなかは暗く、石に囲まれた空間は湿っていて、じめじめで、寒かった。


蝋燭しか明かりをみない日々が続いた。


だが日に日に天空の城の頂上がちかづいた。

近づくにつれて、不思議な気分に高まってきた。


まるで天国への階段を登りつめるかのごとく気分で、ついに天守閣へときた。



オルレアンはエドレス国の王の前にでた。

玉座に君臨するエドワード王に。



オルレアンとエドワード王は言葉を交し合ったあと、オルレアンは自分がなぜ城下町にきたのかを王に告げた。

すなわち都市の川の汚染が深刻であること、城下町の十字路も同様に汚染が深刻であること。


そして病なおしの魔法少女として、糞尿の処理が人々を救うとも王に述べた。




王は、驚くほど豪勢な玉座に座ったまま、答えた。


「川と城下町に美しさを取り戻させようぞ。」


七色に煌くステンドグラスを背にした王は玉座で告げる。



オルレアンは喜びに笑みをみせた。


天守閣の凄まじさには恐れ入る気分だったが、なんとか本題を切り出せたのだった。



王の間は確かにすごかった。


空気が薄かった。


こんなに高くにあったら、雲を越えて、吸う空気がなくなってしまうのではないかと思うほどだった。

天守閣にはバルコニーがあり、外壁通路もある。

そこは空につながっているようにみえる。



オルレアンは興味をそそられて、バルコニーにでてみた。

そこから見渡せる高さ700メートルの景色に思わず息を呑んだ。



エドワード城のてっぺんから見渡せる風景。目にいっぱいにひろがる空いっぱいの景色。大地。この世界。



大地は裂けている。

エドワード城の建つ塔は、深い谷のど真ん中。谷こそは大地の裂け目で、割れ目だった。


おどろいたことに、この大陸に割れた谷は、エドワード城から見渡しても、地平線のはるか先までつづいていた。



まさに大陸の割れ目であった。


大陸が、二つにぽっかり裂けて、ギザギザと巨大な裂け目が、くっきりとみわたせる。



大陸は裂けていた。どこまでも。あたかもここが世界の境界線というかのように。


そしてエドワード城に架けられた橋だけが、裂けた大陸に橋渡しする道なのだ。


オルレアンはそれを思い知った。


だがなぜ大陸がここでこんなに裂けてしまったかは分からない。

それを知るのは、かつてこの地上に何があったのかを知る、聖地の長寿な魔法少女。



エドワード城の天辺から見渡せる外の風景は、城下町と大陸だけではない。

地上の世界が、一望千里に眺められた。


圧倒的な遠望だった。



ふとオルレアンはバルコニーに別の女性がいることに気づいた。


エドワード城の姫だった。



頭に綺麗なサークレットを身につけ、美しい身なりをした姫だった。


ひらひらという獣皮の衣装に、きらきらした宝石をあちこち縫い付けた、驚くべき豪華な装いをした姫。


城に住まう姫。エドワード王子の妹。


この偉大な王の城に住む、クリームヒルト・マルガレーテ姫だった。



煌びやかな衣装を着たい、身に纏いたい、そんな気持ちから魔法少女に契約したオルレアンも、その
クリームヒルト姫の桁外れに豪勢でぶ厚い衣装をみた途端、きっとどんな魔法少女の変身衣装も彼女の豪華さにはかなわない、
と思った。



クリームヒルト姫はこっちを向いた。

きっと睨みつけられた。



腰まで伸ばした、豊かなブロンド髪をした女性が、黒い瞳でオルレアンを射抜く。


男か女かもわからないみすぼらしいファスティアン織りを着た、極貧の少女を睨むのだった。


姫のブロンド髪はところどころみつあみにしていた。そのみつあみを、編み込みしている髪型だった。

さらにそこに宝石のついた金色のサークレットをつけるという、絵本のお姫様でもなかなか見ないほどの
華やかさだった。



姫はバルコニーを早足で去った。


みすぼらしい少女の横に並ぶことに屈辱を感じたのかもしれない。


ふわりふわりと獣皮の服装が、あるくたびゆれた。綺麗に磨かれたぴかぴかな床面をカツカツ音をたてながら
去った。



ステンドグラスの七色の光をうけながら姫は王の前を通り過ぎ、召使いを連れて自室にもどる。


オルレアンの奇跡は起こった。


都市の川は浄化活動がはじまり、都市の病気は消えた。

ルッチーアを悩ませていた川の汚染は、オルレアンによって、解消された。


それはエドレスの兵士が円奈にいつか言っていたように、”涙ぐむ努力の三年間”だったけれども、たしかに都市も城下町も
救われた。


役人は王より、糞尿とゴミ処理の役目を言い渡された。

役人たちは真面目で、税金を民から受け取りながら、都市の浄化活動に従事し続けた。


救われたのだ。

オルレアンの奇跡と呼ばれ、城下町で、彼女は救い主のように、ますます城下町で慕われた。


そして、王ですら解決できなかった疫病という問題から、国を救って見せた魔法少女の存在は、
王よりも、人々に尊敬されはじめた。



「やっぱり、人間の救い主は、魔法少女なんだ。」


希望とともに人々は、そう思った。


「エドワード王は、我々から、税金をとりたてるばかりで、病気の流行を解決してくれなかった。」

「王は、絶対的に自分が偉いと、口でいうばかりで、魔獣のひとつも倒せない。魔法少女のほうが、偉い。」



魔法少女は、王よりも愛されたのだった。


そうした希望が、やがて、絶望に変わってしまうまでは。

そう、つまり魔法少女の正体に住民が気づくまでは。

312


ユーカはやっと井戸から水を汲む順番にきた。


城下町の十字路の真ん中にある井戸は、丸くて、石が積まれた古臭い井戸だった。


つるべからバケツを降ろして、地下水の水を、くみあげる。



井戸水の汲み上げは、二人一組になるこが多かった。




つるべのロープを吊り上げていると、ちょうど、二人一組になる相手が、ユーカの知っている少女だった。


スミレという、城下町の友達で、魔法少女だった。



「スミレっ!」

ユーカは、仲間の魔法少女との思わぬ顔合わせに、嬉しそうに顔をほころばせる。



こんな城下町にて、気兼ねなく魔法少女同士でお話できる友達に会えたのだから、心が嬉しさに跳ね上がる。



「ユ、ユーカ、ちゃん…」

黒い髪をした、深い青色のきらびやかな瞳をした魔法少女が、身を震わせながら、不安そうに胸元で
指同士をあわせて、そっとユーカの名を呼ぶ。


スミレという名のこの魔法少女は、城下町出身で、最近魔法少女になった。歴でいうと一年もない。


ユーカが先輩の立場であった。



「最近魔獣狩りした?」

ユーカが話しかけると、スミレという黒髪の魔法少女は、おどおどし始めてた。


それが彼女の気質なのも、ユーカは知っていた。


魔法少女としては信じられないくらい、弱気だった。

スキンシップひとつするくらいで、びくびくするような女の子だった。


そんなに弱気で内気で、命賭けて魔獣と戦えるのかと思えるくらい、かよわく、可憐な心持ちの女の子だった。


でも魔獣と戦うとなると、変身したように、きっと真剣な目つきになり、懸命に戦う。

とにかく一生懸命戦う。


が、魔獣退治が終わると、気持ちの線がきれたようにその場で泣きじゃくりだしてしまう、そんな女の子だった。


だからユーカがいつも一緒についてまわって、か弱き後輩魔法少女を鍛える先輩みたいなふうに、二人で魔獣退治を
つづけた。

スミレとユーカは、いつも一緒だった。


魔獣の結果内では。




でも最近は、そんなこともない。


ユーカはスミレのことが不安だった。


「最近、ぜんぜん、してない……」

スミレは目を落として、小さな、消え入りそうなかぼそい声を唇からそっとだす。

「してない……」


「やっぱり…」

ユーカの心配したとおりだった。

「魔獣と戦わないと、”神の国”にいっちゃうよ?」

ふう、と息ついて、先輩風ふかすユーカは、後輩の心細い魔法少女を叱る。


神の国にいく、とは円環の理に導かれる、という意味だった。


「でも……だって…」

深い青色をした瞳の少女は、怯えた声だし、その身体は、震え出してしまう。

「最近……」

なにかをいいかけた、そのとき。



そのころ、城下町の上部、城の建ったほうで、優雅なトランペットの音が吹き鳴らされた。


ファンファーレの陽気な音楽がパッパーと吹き鳴らされ、城下町じゅうに鳴り渡る。



トランペット隊は口に楽器を含み、エドワード城の上に並び立って、音楽を吹き鳴らしていた。

列揃えて20人ほどが、左右に顔を動かしながら、町じゅうへ音楽の音を届かせる。

今から公開死刑が始まることを知らせる音楽だ。




「わたし、こわいもん…」

トランペットの音楽を耳にいれながら、スミレは怯えた顔を下向きにして俯いた。

黒い前髪が垂れる。


「夜に外に出かけたら、私まで、疑われるもん……」



「そんなこといったって、魔獣を倒さないと、ますますたくさんの人が廃人になっちゃうよ」

小声でユーカは囁き、耳打ちする。

すると、また、スミレという小さな魔法少女は、びくびく、震えだしてしまう。


「わたし、こわいよ……」

か弱き性格の魔法少女、スミレは、涙声になりはじめる。

小さな唇を震わせて、泣きそうな声をだす。

「あんなこと、いやだよ……されたくないよ……」

涙子はやがて、嗚咽の声にかわりはじめる。声はかぼそくて、ききとるのもやっとで、消え入りそうな
声だった。


ぶるぶる震えだし、ここ最近、魔法少女活動をすっかりやめている後輩魔法少女を、ユーカは、それでも、勇気づける。


しかしそれは、自分を勇気づけることでもあった。


「だからって、私たちみんな魔法少女やめて、魔獣を野放しにしてちゃっていいの?」


それがユーカの、魔法少女としての信念だった。


「魔法少女は、人を助ける存在だよ。いつか、きっとみんなも、それを思い出してくれるから」



今はちょっとだけ、魔法少女のことが、人間に誤解されてるだけだ。


きっと人々は、わかってくれる。

私たち魔法少女は、人を助ける存在なんだって。


だから、魔獣狩りを続けていこう。


それがユーカの気持ちだった。

今日はここまで。

次回、第42話「狼と狐、野ウサギ」

第42話「狼と狐、野ウサギ」


313

そのころ、エドワード城の天守閣では。


国王が、昼の食事をとる時間になっていた。



王の日課は、まず朝、召使いに起こされたら、風呂に入り、領邦諸侯と騎士たちを王室に呼び出し、
それぞれ順番に5分くらい世間話をする、そしたら朝食をとる、役人から日報をきかされる、そして昼食、
そしたら政務にあたる、夕食に宴をひらき、風呂に入る、寝る…。


大雑把にいうと、こんなかんじだった。



「アン、ドゥ!」


姫の声が、音楽の合図となる。このアン、ドゥの声が轟くとき、城に雇われた音楽家たちは一斉に
楽器を構える。


そして。


一気に楽器が鳴らされ、演奏がはじまった。



ステンドグラスと尖塔アーチの大空間に、リュート、フルート、ハープ、そして姫の歌声が奏でられる。

ここはエドワード城の大聖堂。”天空の大聖堂”。

横笛フルート、リュートのギター、奏でる音色が重なり合い城の大空間を満たす。


姫は、楽団の吟遊詩人たち、音楽家たちのメロディーにあわせ、流行の詞をその美しい声で歌う。



J'ai vû le loup , le renard, le lièvre,
J'ai vû le loup -, le renard cheuler.
C'est moi-même qui les ai rebeuillés.



"私は見た,狼と狐,野ウサギ,"

"私は見た,狼と狐,野ウサギ,呑んだくれている,"

"私はじっと見つめていた"



J'ai ouï* le loup, le renard, le lièvre,
J'ai ouï le loup, le renard chanter.
C'est moi-même qui les ai rechignés,*



"私は聞いた,狼と狐,野ウサギ,"

"私は聞いた,狼と狐,野ウサギ,歌っている,"

"私はその歌声を真似たのだ"



クリームヒルト・マルガレーテ姫の美しい歌声は、大聖堂という荘厳な空気に奏でられる
音楽にのせられて、響き渡る。


姫は真面目に歌っていた。


腹から声をだし、姿勢を整えて、音楽にのせて歌声をだす。



音楽家は次第に楽器を増やしてゆき、ハープも加わる。

弓のようなかたちした美しい楽器が奏でられる。



そうして、華やかにして艶やかな音楽が奏でられる王の大広間には、ずらりと長テーブルに豪華な食事が
蝋燭とともに並んでいた。


テーブルに、黄金の燭台にたてられた蝋燭の火、列をそろえて、テーブルの食事の数々を灯す。怪しくゆらゆら燃えて。


つまり料理はイルカの丸焼き、鹿肉、鶏のロースト、王様好みのパイ、”激高気質の勇姿”を模した砂糖菓子。
ミーチトのペーパーソース煮、きばのついた猪の頭、大きなタルト、ポタージュ…。



食事テーブルには、王家の一族が大集結していた。
テーブルの席は貴婦人、騎士、貴族が並び、城宴の食事を囲んでいた。


クリールヒルト姫の歌声はつづく。



J'ai vû le loup , le renard, le lièvre,
J'ai vû le loup -, le renard cheuler.
C'est moi-même qui les ai rebeuillés.


"私は見た,狼と狐,野ウサギ,"

"私は見た,狼と狐,野ウサギ,呑んだくれている,"

"私はじっと見つめていた"



晩宴の食事と皿が並んだテーブルには、金属の三本枝つき燭台が置かれ、ゆらゆらと燃える金色の火が灯している。


天空の大聖堂はステンドグラスから差し込む七色の光が、虹となって城の大空間を照らしている。


城の大空間はあちこちの壁にタピストリーがかけられ、タピストリーは、緑の織地に、白いユニコーンを描く。

白いユニコーンは、エドワード城の紋章でもあった。エドワード軍の軍旗にも描かれる紋章でもある。


J'ai vu le loup, le renard, le lièvre,
C'est moi-même qui les ai revirés,
J'ai vu le loup, le renard danser.



"私は見た,狼と狐,野ウサギ,"

"私はそれをみて、自分も踊った,"

"狐も狼もそうして一緒に踊った"



ここまで歌うと。


クリームヒルト姫の歌がやんだ。


音楽の演奏も同時に終わり、いきなり静かになる。



一転して厳粛な空気につつまれる。



騎士たちも貴婦人たちもなにもしゃべらない。


するとエドワード王が、玉座をたった。


同時に貴婦人たち、騎士たちも同時にたちあがり、王をみあげた。

玉座を降りる国王を。



王は、ステンドグラスの七色の光に包まれながら、王座の席を立ち、壇の階段をくだってきた。

こと……こと……と、王の杖を持ちながら、赤い絨毯の階段を一歩一歩、ゆっくりとくだってくる。



王笏の杖もった王は頭に王冠をかぶっていた。王冠は金色で、キラキラ光って、冠らしくトゲトゲした形だった。


赤い獣皮の分厚いマントをひらめかせ、エドワード王は大空間に集結した騎士たちに目を配る。



その目つきは鋭く、まるで鷹のようだった。常人が睨みつけられたら気が滅入ってしまうそうなほど、
鋭い眼光を放っていた。

雷帝の如く迫力を放つ眼力だ。


貴婦人たち、騎士たちは動じないで伏目をして立っている。



頭には王冠、服は赤いマント、左手には王笏という、まさにキングといった姿のエドワード王は、
食卓テーブルについて座った。


同時に貴婦人たち、貴婦人たちも席に座る。ずわわっ。席に座る音が大空間じゅうに轟き渡った。



クリームヒルト姫もエドワード王の隣の席についた。


エドワード王は王笏を一度手放し、代官のデネソールに持たせると、デネソールは玉座にそれをたてかけた。



王笏にさわれるのは王以外には、執政官デネソールくらいなものだ。


王笏は金色の杖で、先端には宝石が埋め込まれていた。ルビーだった。

まるでその先端から魔法が飛び出しそうな王笏の杖は、まさに王の強さを象るものだった。




糞尿の処理さえ数年前までは放置され放題だったこんな時代、人間はすぐ病気になってしまう。


エドワード王は50を越えた老王だった。この時代では非常に長生きである。


例に漏れず、王は病気をわずらい、席につくとごほごほと苦しそうに咳を吐いた。



クリームヒルト姫が召使いに目配らせし、すると召使いは、金色の皿をもって、王の前に差し出した。


召使いはその場で跪き、頭上に皿を差し出して持つ。


王はその皿に痰を吐いた。


痰をはいたあと、白い顎鬚を手につかみ、姿勢ととのえると、ぎろっと席についた貴族たちを見回した。

優雅に唾を吐くこと。この時代の貴族に必要な身振りだ。



そのあとで、ブドウ酒を注いだゴブレットを持つと、言った。


「わしは夢をみた」

王の話がはじまった。


貴族たちは、今日一日の王の話に耳をよせる。


全員伏目になりながら、身動きひとつせず、王の話を拝聴する。


「夢だ」


王の話は、まるで呟くように、はじまる。


「魔女どもがわか国土に悪さをし────」


王のまわりに灯る三本枝の蝋燭たての火がゆれる。

蝋燭たては銀製だった。真ん中に一本の蝋燭がたち、左右にくねくねっと分かれてもう二本の蝋燭がある。

真ん中のキャンドルが一番高くて、左右のキャンドルはやや低い。キャンドルの火が王の顔を照らしだした。



火は明るいし、熱いが、音はたてず静かである。


「世界は呪いと悪で満ち満ち────」


王の話は、不吉な予兆からはじまる。



「ついには悪魔の手に世界は落ちるのだ」



「…」


貴族たちは無言。

王の話になんの反応も示さない。


「悪の手がひろがっておる」


王はいきなり厳しい声でいった。



それでも諸侯たちは、伏目のまま、なんの反応も示さなかった。



「王であるわしは悪の手に屈してはならぬ」



エドワード王は独白する。


───ダン!

王は、赤い宝石つきの指輪をはめた手を握り締め、テーブルをたたいた。


「世はだれのものだ?人か?あの魔女どもか?」



クリームヒルト姫の隣には、小さな少女が座っていた。


姫の娘だった。まだ世間を知らぬこの少女は、玉座の間という緊張感に、いまにも泣き出しそうになっている。


少女は生まれがエドワード城だった。


天空の城に生まれ、地上から隔離されたこの城内空間に暮らす15歳ばかりの少女は、毎日、国王の食事に
出席していた。いや、出席させられていた。


この少女は、世継ぎの血筋にあたる。


まだ男児は生まれていない。長女一人だけ。つまりこの少女が正式な世継ぎなのである。


エドワード王と結婚しているのは王妃メアリである。この二人の間にエドワード王子が
生まれ、そして妹にクリームヒルトが生まれ、クリームヒルトはアンリを生んだ。アンリは血筋のうちでは
正式な世継ぎにあたる。


だから、この娘アンリの婿とり、結婚する騎士が、王位を継承できる。


もっとも血筋が全ての封建社会、王政社会であるから、少女の意志では自由に結婚はできない。


この時代の多くの女性の悩みと同じで、自分の結婚相手は、親族が勝手に決めた。



そしてこの少女をめとった貴族と、エドワード王子とで、王位継承をめぐる争いがはじまるだろう……という、
歴史に何度も繰り返された王位継承争いと波乱は、この時代のエドワード城にも吹き荒れそうである。


つまり王の血を直接ひく長男と、正式な世継ぎである少女と結婚した貴族とで……どっちが王位が継承するのか、と。

どちらも王位を主張できる立場にある。


そんな事情にあるエドワード王子は、トマス・コルビル卿として都市の馬上槍試合に参戦し、また、
みずからの結婚相手を求めてアキテーヌ城へとむかっている。

エドワード王子も王子いえども歳は重ねているから、最近はいわゆる嫁探しに忙しい。


しかし、この玉座の間では、いまの話題はそれとは別だった。


「世界の悪は魔獣が呪いを撒き散らすからだとやつらはいう!」


王の怒りが城内大空間にひびく。


ぎろっと、王は諸侯たちを睨んだ。


「なんでそんなモノがこの世に跋扈しているのだ?」


するとある一人の諸侯が、伏目のまま、テーブル席で、答えた。

「世に悪をもたらしているのは、魔女の仕業です」

諸侯たちはもちろん、王に気に入られるためにこの城宴に出席している。


王の前に何度も何度もでること、何度も目に触れること、そして覚えてもらうこと、そして王に自らの貴賓ぶり
をみせること。

それができるのはこの城宴のなかだけだ。



「魔女、か」


王は病的な目つきで諸侯を睨む。恐ろしい眼光だ。「言え。魔女はわが国土に、なにをしておる?」


「呪いを生み出し、悪を国土にもたらし、呪術によって魔獣を生み出しています」

諸侯は答えた。


「おまえは魔獣というが────」


王は指輪のはめた指の先を諸侯にむけて、鋭く睨んだ。


「そんなものを見たことあるのか?」



「ございません」

諸侯は答えた。


「オーギュスタン、おまえは───」

エドワード王は、別の人物、城に正規軍をもち、将軍を務めるオーギュスタンを睨みつける。


「魔獣などというものをその目で見たか?」


オーギュスタンはどもって、身をびくびく震わせたあと、答えた。「王、魔獣を見たことは、私にはごさいませぬ」



「はん!」

王は鼻を鳴らした。

それから、自分の独白にもどった。


「魔獣などあの魔女どものふざけた言い草だ」


クリームヒルト姫の隣に座る、世継ぎの少女が、びくっと身を震わせて、泣き声と嗚咽を、押し殺した。


「愚か者は鵜呑みにするがわしは騙されん」


王はゴブレットのワインを飲んだ。


そして、飲み終えたゴブレットをテーブルに再びコトッと置いた。


「世界はこうだ。魔女がいなければ魔獣もいないのだ」


びくっ。

また、小さな少女は身を震わせた。


下に俯きぱなしだ。



「過去の人間は、魔女の脅威を知っていた」

王は話をつづける。

「だからみな火にかけたのだ」



沈黙が走る。


「トゥーレル、おまえ、南方の統治はどうなったのか?」


王はとつぜん話を変え、国内の事情から国外の事情へと転じた。

こんな乱世の時代、国境と領土の拡大は常に王の関心ごとだ。


「はい、王様」

トゥーレル将軍が答える。

「南方の統治は、和平になりました」



「それは領土が縮むのと同じことだ」

王は彼を睨んで、告げた。「村長の女をつかまえろ。”初夜権”をつかえ」


トゥーレルは頷いた。「はい」



「北方ファラス地方の国境はどうなった?」

王の声は突然、大きくなる。

「モルス城砦が落ちたそうだが、まさかそのままか?」


「王様、わたくしめが、モルス城砦に討伐軍を放ちました」

諸侯の一人が告げる。

ルノルデ・クラインベルガー卿だった。


「おまえは馬上槍競技に参加したそうだが、勝ち進めたか?」

王が問う。


彼は恐れた。

自分の答えが、ひょっとしたら王を激怒させるかと思ったからだ。


「第二戦にして、アデル・ジョスリーン卿に敗れました」



「…」


王は沈黙する。

が、その件は無視した。「もし次もファラス地方から野蛮族がくれば、焼き払え」

王は一旦、ごほごほと咳を吐くと、背もたれによりかかった。

そして、ふうと息をはき、いきなり声をやわらかくした。


「わしはもう古いかもしれんが───」


貴族たちが王のほうをむく。


「杯(さかずき)だけはいい鍛冶職人につくらせておる」


といって、手にゴブレットを持ち、また酒をのむ。


「聖女は聖女、魔女は魔女だ」


王は覇気の抜けた声でやわらかく言う。


「ジャンヌ・ダルクはどっちだったのだ?」



「どちらもです」

だれかの諸侯が答えた。

「救われた者は聖女と呼び、殺された者は魔女と呼びました」



「世界は悪に満ち満ちておる」

王はまた、息を吐き、呟いた。

「聖女にしろ魔女にしろ、結局は”奇跡の力”に振り回された人間どもが、殺しあったのだ」



貴族たちは再び押し黙る。


これが王の考えだった。



結局は、奇跡なんてものにすがるから、結局そこから最悪が生じるのだ。



王は、奇跡をもたらすのが何者かも、知っていた。

314


城宴は解散し、貴族たちはそれぞれエドワード城の私室へもどった。



何百何千と住む一大国家のような城は、それぞれ諸侯たちの住む空間がある。



クリームヒルト姫も私室にもどった。



天守閣の私室で、姫と、娘の世継ぎの少女はベッドに腰掛けた。



城の私室にも、燭台が壁に突き出していて、そこで蝋燭の火が燃えている。


この城はとにかく蝋燭をたくさん消費する。

多量の蝋燭師が、城内には雇われている。すなわち動物の脂肪から蝋燭をつくる職人が。



姫と娘はベッドに腰掛け、姫は娘の髪を撫でた。



「私、こわかった」


世継ぎの娘はいった。「王様も、諸侯の人も、恐いよ…」


緊張から解き放たれて、ぐずっと母親の胸元で嗚咽をもらす。

みんな自分を狙っている。


領邦諸侯の男たちは、みんな世継ぎの血筋をねらって、結婚をもうしいれてくる。


母のクリームヒルト姫は、そんな娘の頭を優しく撫で、そして……。




娘の左手にはまった指輪をみた。



契約の指輪だった。



娘の魂は、この指輪にある。娘の身体にはない。


それでも母は娘の選択を受け入れた。


王の城でまだ知られぬ秘密であった。


「王様、しらないのに、契約しちゃった……」


娘はいう。


「なんでも願い、かなえてくれるって、いうから……」


何でも願い事ひとつ叶えてくれるなんていわれたら、たいていの少女は二つ返事だ。

とくに、こんな城内暮らしに閉じ込められて、いつもいつも貴族たちにその血筋を狙われて、息苦しくて。


騎士たちの自分をみる目は愛しようという目ではない。

ただただ、王位を継がせる子を産ませよう、という目だ。少女にはそれが恐くて、嫌で、たまらない。



大事な世継ぎに、勝手に城外に出られでもされたらたまらない。

そういう王や貴族たちの都合によって、生涯を閉じ込められた王城で過ごすことを運命づけられた王妃の娘は。


外に飛び出したいと願う鳥籠のなかの世継ぎの少女は……。


契約して、魔法少女になった。




母に正体を打ち明けるだけでも勇気がいた。


だが母は魔法少女となった娘を受け入れ、そして、その正体は秘密にしなさいと娘にいった。


それ以来、クリームヒルトの娘、アンリが、実は魔法少女であるという秘密が、母と娘のあいだだけで共有されている。




それにしても不気味な狂気が城では起こっている。


その狂気の特異点は、”ヴァルプルギスの夜”のうわさ。




姫は”ヴァルプルギスの夜”を調べた。


城内に内臓されている書庫へいき、文献をしらべた。


すると、ヴァルプルギスの夜は、ずっと古い歴史をもっていることがわかった。



それは魔女の宴。


幼き子供を悪魔に売り渡し、料理し、子供からとれた脂肪は魔術に使う。


姫は魔女の恐るべき魔術についての文献にも目をあてた。




そこには、かまどにカエルの死体、ハゲワシの死体をいれたあと、自分の髪の毛を混ぜ、ぐつぐつ煮て、
かまどから異様な浮遊物を発生させて、それがやがて天へとたち昇り、そして天候に超現象を起こしている
恐るべき悪の魔法の実態が紹介されていた。



かまどでは死体がぐつぐつゆでられ、そこから沸き起こる怪しい煙が、やがて天体に昇り、魔法をかけ、
災いとなって地上に降りかかる様子を絵にして紹介している。


雨がかたまって透明の石となって地上に降る異常気象。それは、魔女の悪い魔法のしわざ。



絵はもちろん、羊皮紙に印された、版画だった。黒いインクが、版画となって、羊皮紙に捺されている。



数ある悪い魔女どもの宴のなかで、最悪なのがヴァルプルギスの夜。


語るのも恐ろしい悪魔と魔女と使い魔の宴が、そこに載っている。





魔法─────”magic”。



magicは、もとはといえば、古代ペルシアの、占星術師のことだった。


占星術師は天体と星が、地上に及ぼす影響に気づいた。


だから、天体の形態によって、未来に起こるであろうことを予測した。



天体と地上の切っても切れぬ関係。



未来予知が、魔法の初歩であった。




魔法に対抗するには、魔法でなければならない。



異常な気候現象が魔の獣によって起こると信じたシュメール人は、呪文を唱えて神を味方につけ、異常気象と
戦った。



そして今も同じだ。


いまエドワード城が脅威にされされている、黒幕”ヴァルプルギスの夜”は、すっかりエドレス国の文明を
ひっくり返してしまうだろう、と人々は恐れる。


つまり人間の偉大な城である最後の牙城を、その手中に収めようとしている。


大量の魔女が悪魔に魂を売り渡し、そして悪魔は力をつけ、千年無敵の異名もつエドワード城をついには
支配下においてしまうだろう。



エドワード王は──

日に日に増す悪魔とその手下魔女どもの勢力と、懸命に戦っているのだった。

315


クリームヒルト姫の娘アンリは、一ヶ月前、契約して魔法少女になった。


契約の使者カベナンテルは、突然アンリの前に現れた。


カベナンテルはこう語った。


”王を守るためには、魔法少女の力がないといけない。人間は、人間とは戦えるが、魔女や魔獣とは戦えない。
この街はいま、魔獣に満ち合われている。きみには、その素質がある。王を、諸侯を、きみが守るのだろう”




キミも戦える。



さあ、告げよ。


キミは何を祈りソウルジェムに煌きを灯すのか。













────こんな城をとびだしたい、と少女は祈った。






そしていつか、エドワード城に来たるべき黒いヴァルプルギスの夜との戦いを誓った。


宿命の戦いがきたら、きみはきっとこの城をでれるだろう……と。



まさにそのとき。



ガンガンガン!

突然扉がノックされた。



はっと慌てて母と娘は扉のほうに目をむけた。


ガチャ。


王家の姫の私室に、勝手に入ってきたその男は。


城代のデネソールだった。


デネソールは王よりも老いた男だった。


灰色の髪、灰色の顎鬚、やつれた肌、しわがれた声。


だがもし、ありえないことだが、王の身になにかあって、王が政務にあたれない、となれば、
そのあいだは、この男が全権力を握る立場にある。


いわば王不在のとき代わりに政治をする執政官、代官だ。


もちろん、実際そうなったことは、一度もない。



「私の部屋に入るとは、無礼です!」

クリームヒルト姫はさっそくいった。母の声には怒気が含まれていた。


「今日の悪魔の手下どもの処刑についてあなたにお伝えを」


デネソールはさっそく言い返した。声は傲慢さに満ち溢れていた。


彼は実際に代官として城内の政治にあたったことはなかったが、王の右腕ゆえ、国内のことはだいたい知っている。


「朝、二名の魔女が火あぶりに」

デネソールは羊皮紙を読み上げる。「一名は灰となり川に流されましたが、もう一名はいま実刑執行中です」


「そんな気味悪い話をしにわたくしの部屋に?」

姫はデネソールを睨んだ。

そっと娘を背後に隠す。


「でていきなさい。伝えることは伝えたでしょう」



デネソールは怪しい目を光らせ、姫と娘を見下ろした。


羊皮紙を丸めなおし、紐を結ぶと、年老いた背をみせて、いった。


「オーギュスタン将軍の帰還にねぎらいをかけなくてよいのですか」


「あなたにはいわれのないことです」

姫は冷たく答えた。



「はあ。王はあなたを心配しておられる。つまり女のバカな恋心───」

デネソールは振り返って扉に手をかけた。

「戦好きの男を好きになる女の困った性に、心配をかけておられる」


「戦好きですって?」


姫は怒った顔をした。


「人を殺した男ほど惚れる。貴婦人とは困ったものだ」


デネソールは扉を開き、私室を去った。



ふう。

姫は息を吐いた。


娘のアンリが怯えた顔しながら、母の背中で顔をみあげた。



クリームヒルト姫は起き上がった。


ドレスの裾を地面に引きずりながら、私室の奥の扉を通り、そしてゆっくりと、城のバルコニーへむかう。

「母さま?」

そんな、魔法少女となった娘をおいて、姫は城外へでる。


苦悩したように病的に白く美しい手を額に添えながら。

扉を通って、城外へでる。



高さ700メートルの城外に。

女主人の部屋に設けられた城のバルコニーは、天空の高さにある城の頂上にある。

空を見渡せるバルコニー。



高峻峨々の城。

権力のすべてが集まる王都の城。


姫のドレスが風にゆれる。

バルコニーの手すりにかける姫袖、サークレットをつけたブロンドの長髪も。



クリームヒルトが立つ城のバルコニーから見渡せるのは、世界のすべてだ。


どこまでも広がる大陸の、すべてが見渡せる。



それでもクリームヒルト姫は。



まるで自分が捕われの姫であるかのように、高き城のバルコニーで、哀しそうに地上の世界を眺めつづけた。



エドワード城という、天空の城に生まれた姫は、娘と同じで、地上の世界をほとんど知らない。




まさに天上人だった。

地上に降り立つことが許されぬ王城の姫。




その意味でクリームヒルトは、本当に、捕われの姫だった。この城こそが檻だ。




もし、願いごとが、ひとつだけでもかなうなら。

妖精のように、背中に羽が生えて、自由な地上の世界に降り立ってみたい。


姫はいつもそう想いを巡らせた。

美しい地上の世界。山々があり、森があり、畑と、ゆたかな川があり、香りのする花と、土の臭いがある世界。


姫はまったくそれらを知らない。


森の湖に、水汲みへ出かけたら、妖精さんに出会えるのかしら……。


と本気で考えるくらい、地上の世界を知らない姫だった。




姫が知るのは王の城だけ。政治と騎士と、毎日のように催される城宴だけ。

足りなくなることのない毎日の贅沢な食事。ありがたみのわからぬ食事の数々。肉とワイン、珍味、香辛料、
野菜、魚、パイ、蜂蜜とデザードで溢れかえる食事。


何もしているわけでもないのに毎日のようにやってくる食事の数々。


そうした食事が、地上の世界の農奴たちと、都市の商人の買い付けによって、王の城に運ばれることさえ、姫には
想像しかできない。



捕われの姫はあまりにも知らない。地上の世界を。

母も娘も、城に捕われている。


王城に生まれた高貴な女の運命など、そんなものだ。


地上の世界の女は、王城の女の生活に憧れるが、王城の女は、地上の女の生活に憧れる。




姫は悲しそうに地表700メートルの塔のてっぺんに建つバルコニーに立って、世界をみつめた。



触れることのなき地上の世界を。

天界の王城から、羨望の気持ちで眺める。



「……わたしにできることなんて……ない……よね」


少女は、魔法少女ではない。


叙任式を経て騎士身分を得て、合戦の経験もあった彼女だけれども、魔獣が相手ではどうにもならない。


世界は、魔獣と魔法少女の戦いが繰り広げられる。人間の戦いなんて些細なものだ。


人間はこの世界では無力だ。



円奈にできることはなかった。

なにもできない、人の役にもなれない自分でも……きっと聖地なら、何かできる、そんな夢を抱き少女は。


青白い剣を鞘におさめ、それを抱くと、お守りのようにして剣とともに円奈はまた眠りについた。

ベッドに丸くなって目をとじる。



魔女の火あぶりを昼間に目の当たりにしてしまった彼女は、それから、ずっと塞ぎこんでいた。

332


城下町の魔法少女、ユーカは、ベッドのなかで身を起こした。


一睡もしていなかった。


この寝静まった夜、夜間の外出が禁止され、魔法少女含め誰も外にでない城下町の十字路は、魔獣の天国になっている。


発生し放題の魔獣……



昼間になったら魔獣は姿を消すが、瘴気はますます濃くなるばかりで、城下町の朝は再び、陰気と幽欝、
憂色の濃い朝をまた迎えることになる。



魔獣がいる限りは、霧の晴れない日々が城下町を支配する。



ユーカはじっと家族が寝静まるのを待っていた。



夜間が外出禁止だから、家族が寝静まるまでは、自分もじっとしていた。



だが眠るつもりはまったくなく、夜も深まったら外に飛び出す気でいた。


ちょうど昨日のように。



だって、魔獣が発生しているってことは、この日も誰かの命が奪いとられようとしている、ということだ。



それをほっとくことなんて、できない。



もしかしたら昨晩出会った森の少女のところにまた魔獣が沸いているかもしれないし、外に出なければ大丈夫
だけど、旅にでるといっていたから、外にでているかもしれない。


城下町の人々を脅かす魔獣を倒すのが、魔法少女に課せられた使命であり戦いだ。




いつかきっとわかってくれる。


それがユーカの信じていることだった。




王はいま、魔法少女を敵視している。


でも王の偉さを忘れずに、王のために魔獣を倒すのなら……きっと王も城下町の人々もわかってくれる。


魔法少女は、人に悪さをもたらす存在なんかじゃないって……。


オルレアンさんの奇跡を、城下町を救ったことを、きっと思い出してくれる。



でも、口ではいくらいっても無駄なのが現実かもしれない。



今の王になにをいっても、おまえは魔女だと言い返されるだけかもしれない。



だからいまは隠れて、魔獣を倒すという、本来の魔法少女のあるべき姿を守り続けよう。


そうしたら城下町の人々も、王も、みんなが魔法少女のことをいつかまた受け入れてくれる。



だってそうにきまっている。

悪い魔獣をやっつけて、この世がよくならないわけがない……。魔法少女は、希望を叶える存在だから…。



いつかきっと、分かり合えるときがくる。



そう信じていたユーカは、この日も魔獣狩りにでる。




ユーカは、数いる城下町の魔法少女の一人だったが、ヴァルプルギスの夜の噂には信じないほうの魔法少女だった。



城下町の大半の魔法少女はヴァルプルギスの夜の噂を信じていた。



会堂に集まれば───いまこの会堂は城下町の人々によって、魔女の集会所とよばれるようになってしまった
のだが───かならず、ヴァルプルギスの夜の話がもちあがる。


すなわち魔女が大量にでてきて、魔法少女に襲い掛かるから、どうやって対抗しようかという話題。



ろくに魔女をみたこともないのに、よくぞまあ、魔女との戦いなんて未来を妄想するものだなあ、と思う。


どうも、彼女たちがいうには、こういうことらしい。




確かに私らは、魔女をみたことがない。箒に乗って飛び回り、月に呪いを振りまく魔女や、昼の日を、
黒い炎で覆い隠して、地上を終わらせてしまう魔女たちの邪悪な宴は、それを目にした魔法少女による
伝記でもなければ、証言でもない。けれども、本来、”円環の理”によって消し去れた数多もの魔女たちが、
ついには円環の理の力に打ち勝って、”ヴァルプルギスの夜”にあふれ出し、いままで溜め込まれた
あらゆる絶望が地上に撒き散らされる。その壮大すぎる絶望の量は、世界中の魔法少女を集めないと対抗できない
ほどだ。それほどの魔女の呪いは、どこを狙うだろうか。人間の王エドワードの君臨する城である。王の城を
魔女の城と変える気なのだ。だから私どもは、その日に備えて、力を増し数を増さないといけない。


面白いことに、城下町の人間も魔法少女もそして王も、ヴァルプルギスの夜について想像する内容は一緒だった。


すなわち大量の魔女があふれ出すこと、王の城をねらうこ、現世に呪いが撒き散らされ月と昼の日が云々…



見事に一致していた。



そして、魔女に対抗するため魔獣と戦う暇がないといって、会堂のなかにこもる魔法少女たち……

魔法書の研究ばかりする…… 


魔獣を狩らない言い訳にしてるんじゃないかと思えるほどだ。



たぶん、それはあたっているだろう。


魔法少女は恐いのだ。



私だって、恐い。



すなわち自分が、魔女として告発されて、衆目に晒されたとき、身の潔白を証明できる自信がないのだ。

魔女刺しという審問と拷問をくぐりぬけられるだろうか?痛みを感じなくなったら魔女と判決がくだる。



オルレアンの処刑の記憶が新しいいま、城下町の魔法少女はみな、自分の正体を隠してしまっている。

すなわちあのオルレアンが何十本もの針に体を刺されかつ痛覚遮断を人々の衆目に晒された…という恐るべき公開処刑が、
城下町の魔法少女たちにとって今や恐怖の記憶なのだ。



家族にさえ正体を隠している。

家族公認で魔法少女をやっていた女の子は、いまはそれをなかったことにして、家族ぐるみで秘密にして、
魔女の告発を避けようと波風立てずに粛々黙々としている。


それでもばれてしまった魔法少女は、家出して、会堂のなかにこもりっぱなしだ。


そして魔獣が湧き溢れる夜間に一歩たりとも外に出ない。

どうか円環の理の聖なる力が、魔女の力にまけませんように、と祈っている毎日だ。

なかには、自分の代わりに円環の理が、魔獣をやっつけてくれますように、とさえ祈りだす弱気な魔法少女も
でてきている。



だから、私がでないといけない。


城下町の魔法少女たちは、魔獣を倒して人々を救うという課された宿命、契約したときに受け入れたはずの
運命に目を背けている。


みんなに思い出させないといけない。


魔法少女として、本来あるべき姿になること。



魔獣を倒すこと。



それを実行できる勇気さえ、いま思い出せれば……きっと、城下町はもっとよくなる。


ヴァルプルギスの夜が王の城にやってくる、なんて噂だってなくなる。



そう信じたユーカは、正義感の強いこの魔法少女は───外に出かける。



外出禁止令のでた、城下町の寝静まる夜の闇に。

333



ユーカはベッドで起きて、足をストンと床についた。


すでに靴を履いている細い足は部屋の扉へむかう。


ウールの質素な古びたワンピースを着た少女の服装は、地味だ。魔法少女の変身衣装に比べたら。


木の扉をキイとあけ、木造の階段を降り、ギシギシと階段が軋む音を暗闇のなかでききながら、
ソウルジェムを手に翳して、暗い一階を照らした。



パン焼きかまどは、今は燃えてなくて静かだった。


薪割りの斧が放置されっぱなしだった。


テーブルには食器が置かれたままで、片付けられていない。というか、片付ける場所なんてないから、
いつも食事テーブルには食器がおかれっぱなしだったが。


そして置かれっぱなしの食器テーブルあたりにはいつもねずみが床を走り回る。食べ残しのチーズなど食い散らかしている。


ちゅっちゅと鳴き声が暗闇のなかを走る。


一瞬だけ、あの長い尻尾をみた気がした。




その部屋をでたら、夜の城下町。

魔獣の町がある。



そこは魔法少女の戦場。


私の戦場がここにある。


ばっ。

とびに手をかけ、禁断の外へ飛び出す。

びゅうううっ。


冷たい外気が肌にあたる。


夜間の城下町は、悲しみの冷たさに包まれている。


夜の闇に浮かび上がるのは、魔の山よりも高く不気味な城。


黒いエドワード城。



常夜灯の灯かりにゆらゆらと照らされ、ぽつぽつと灯る。ほたるの国が闇に築かれ城下町を睥睨している。


月の浮かぶ雲は夜空を流れる。


ユーカは”魔獣の街”へと飛び出した。


334


翌朝になって、鹿目円奈は再び目を覚ました。


剣を胸元に抱きかかえて目を覚ました少女が朝の最初にしたことは、ため息だった。


はあ。



失意のなかで息をふっと口から吐く。


剣はもう青白く光っていなかった。



重い一日がはじまる。

そんな気分だった。



剣が青く光っていないということは、魔獣は今いない。昼だからいないのか、昨晩のうちに誰か魔法少女が、
命を賭けて戦って、魔獣を倒したからなのか。


もしそうだとしたら、自分は、すぐそばで命を賭けて戦っている人がいたというのに、無視して眠りつづけた
ことになる。


「わたし…」


自分がいやになる。


「聖地にいく資格なんて……あるのかな……」


とまで、思いつめてしまった。



円奈の目指す聖地は魔法少女の聖地だ。世界の魔法少女が巡礼しにくる聖地。


いま円奈は、自分が人間であるのに、聖地に旅している。



そんな自分は、せめて魔法少女のことを分かっていくこと、知っていくこと、それが大切なことなはずなのに、
魔獣の発生に恐れを感じてそれをしなかった。



それでいて魔法少女の聖地を目指そうなんて、罪だ。


思い悩んでしまっていると、宿主人にコンコンコンと扉を叩かれた。


「おいあんた、今日は泊まるのか、でていくのか。」


宿の女主人は、エプロン姿をして、問い詰めてきた。


「もし今日泊まるなら、硬貨はいま払え。もし今日でていくなら、いまでてけ。他の客が待っているんだ。」



「はい…」

円奈はなんと答えたらいいのかわからず、ただ返事をした。


そして悩んだあと、答えた。「わたし、出て行きます…」


「そうかい、じゃあさっさと荷物まとめて、でておいき。」


女主人の声は冷淡だった。



バタンと扉が閉まる。


すると円奈はリンネルの下着も脱いで、新しいリンネルに着替えた。

白いリンネルは一枚下着。そのうえに、チュニックを着て、腰にベルト、鞘、弓矢を最期に背中にかつぐ。

冷たい朝。ひんやりした空気。


宿屋をでたら、城下町の通路へでた。


城郭のなかに建てられた厩舎へいって、クフィーユとまた会って、食事を与えた。



すなわち朝の市場にでかけて、商人が都市と農村から運んできた干し草をたくさん買った。



水はどうやら、井戸を使わないといけないみたいだ。


城下町の朝は早い。



日がのぼったら、まず讃辞の鐘が会堂でゴーンゴーンと鳴らされる。


そしたら全員起き上がって、朝の讃辞。



つまり、全員がエドワード城にむかって、唱える。



「エドワード王万歳!」


「エドワード王万歳!」


まず合図役の者が叫んで、つづいて庶民が一斉に膝をついて王を名を叫ぶ。


偉大な王の名を賛美する。



讃辞が終わると、庶民たちは立ち上がって、もろもろの仕事につく。


鍛冶屋、皮なめし職人、石工屋、染色屋、輸送屋。小売屋。


ロープ職人は自分で店舗をもって、そこでロープを売った。


男がロープをつくり、女が店でロープを客に売った。ロープは壁にたてかけてあり庶民はそれを
目でみて確かめることができる。



城下町ではビール醸造の業者も多かった。

醸造されたビールは酒樽にいれて、城へ運びだされる。城内の警備吏がこれをエドワード城に運んでいく。

城内に住む貴婦人と騎士の嗜みとして消費されていくのだろう。



もちろんビールは質がよくないといけない。

質のよいビールとよくないビールの見分け方は簡単だった。



すなわち調べたいビールをベンチにひたし、その上にビール製造監督がすわった。

1分間くらい待ったあと、ベンチをたったとき、ズボンの尻がべとっとしたビールは悪い。

すっとベンチを立てたとき、そのビールはよい。


最悪なのはズボンが完全にベンチにひっついて、立とうとしたら破けて尻が丸出しになってしまうビール。

こんなビールをつくった醸造業者は晒し台にかけられた。


何事もなくベンチをたてた良質なビールは樽にいれて、城内へ運ばれた。

さて、鹿目円奈は騎士として城下町をあるき、井戸を探した。


鞘に剣ぶらさげて馬に乗っていると、井戸に並ぶ女たちの列をみつけた。


女たちはみな洗濯のための桶をもち、井戸の順番がくるのを待っている。



黒いローブ服の役人たちが、井戸を使用する者は許可を得ろ、と号令を何度もあげている。



「許可…」

円奈は呟いて、そして不安になった。


果たしてよそ者に井戸使用の許可がおりるだろうか、と。


バリトンの頃の記憶が蘇る。


税も納めもしないで井戸を使うなんてしたら冷たい目で見られるかも……



ちょっと考えれば、円奈は異国出身とはいえ騎士の身分なのだから、騎士が井戸を使えないなんてありえない
のだが、あまりそういう実感のない円奈は思い悩む。


魔女の嫌疑が飛び交う城下町の十字路をテクテク馬を進めていると、ある建物にめがとまった。



ゴシック建築の建物で、尖塔アーチとフライングバットレスの飛梁があり、円奈はそれをみたとき、
エドレスの都市でも見たあの建物を連想した。



魔法少女の修道院だった。



都市では修道院と呼ばれた魔法少女専用の建物は、ここ王都の城下町では会堂と呼ばれる建物だった。


地下に秘密の魔法研究室があり、そこには魔法に関する書物と薬剤、薬草、魔術の材料などが貯蔵される。


「ここにもあるんだ…」


円奈は魔法少女専用の建物をみあげた。


円奈の馬であるクフィーユは、ふうと鼻を鳴らすだけだった。


そのとき、二人の少女が会堂の扉をギイっと開けて、外にでてきた。



背丈の小さな少女たちで……ルッチーアよりも背の低い二人組みだった。


「あ…」


円奈が馬上で声をだす。


しかし少女の二人組みは円奈を無視して、二人で足揃えて、城下町の十字路を歩く。



二人だけの世界といったかんじで、まわりに気などかけていない。


そそくさと円奈には背をむけて二人は歩き去った。




「魔法少女なのかな…」


歩き去る二人を眺めながら、円奈は、小さく独り言を口にする。

この2人組は、ヨヤミとスカラベという名前であった。


魔獣の街と呼ばれるほど魔獣の多いこの王都の街で、生きる魔法少女。


昨日も来栖椎奈の剣は青白く光ったけれど、魔獣が発生した昨晩、かの二人は戦いにでたのだろうか。



そして誰にも知られず、人知れず、城下町の脅威から人々を命かけて守ったのだろうか。




しかしそう一言でいいくくれるほど単純な空気は、この城下町にはない。


もっと恐ろしい陰鬱さ、暗さがある。



円奈はもうそれが分かる気がしていた。

335


その朝ユーカは、ふわあ~っとあくびをかいて、口を手で覆った。



朝から井戸の行列に並ばされて、やっとの思いで洗濯がおわった。



洗濯は、ションベン液を水に浸した桶に、ごしごしと下着、服、エプロン、布巾、なにもかも洗う。


ションベン液をたらすと、服の脂がよくとれた。



それだけでも悪臭の戦いだったが、この時間帯になると、人々は窓から糞尿をバケツにためて投げ出す。



これを頭からかぶらないように、壁際は通らない、というのが城下町の人々の暗黙のルールだ。



もっともエドレスの都市のように、地送りをつくって天井を設けている街路なら、そんな危険もないのだが。


皮なめし職人の前を通るともっと悪臭がひどい。



皮なめし職人は、動物の皮を、犬のフンを混ぜた溶液の桶に浸して、
どろどろに溶かしてやわらかくする仕事をする。



まったくひどい悪臭だ。


こっちも悪臭、あっちも悪臭の、ひどい空気。


悪辣な領主に支配されている農民は、よく都市の自由な空気に憧れるというが、その自由な空気は、鼻も
曲がるような悪臭に満ちている。



さてユーカは魔法少女ではあったが、昼間はこうして、城下町に暮らす一人の娘として、さまざまな仕事にあたる。



といっても、ギルドの弟子入りをしている少女ではなかったから、その仕事は主に家庭的なものになる。



お洗濯が終わったあとは、粉挽き。



粉挽き機は、王の建てた城にある、巨大な風車の回る塔の内部にある。


つまり、風によって巨大な風車がまわると、歯車が連動して、麦の粉が挽けるような臼が自動で回っている。



これが王都の粉挽き機であり、風力を利用した粉挽き機であった。



ただれそれは王の物であるから、使うときいちいち税金を納める必要がある。



ユーカは洗濯に使ったのとは別の桶をもって、それを空にしたまま、風車つき塔へとむかう。



風車塔の入り口がもう目前にせまっていた。


手元には空の桶を持っていた。



風車の入り口へづく道にできた行列に並んだユーカは、風車塔に入る階段をのぼってゆき、前の人につづいて、入り口をくぐった。



その頭上では巨大な風車が回っている。



風車塔の風車はいつも回っている。


ここエドレス王都は、潮風にふかれて、風車は回るのだ。



今日は特にその潮風が、激しく空に、城下町に、野原にふきつける一日のようだ。

336


やっとのことで、粉挽き機の順番がきた。


粉挽き機は、風力がまわす、回る大きな臼だった。

塔の上部で風車が回り、すると内部の柱が歯車の連動によって回って、臼を回してくれる。


そしたら、あとは勝手に麦が挽かれて、桶に落ちてくれる。





十分にたまったら、それを持って、風車塔をでる。


階段をくだっていたら、挽いた粉を取りこぼさないように慎重に、ぉっとっとおとか声をだしながら、
城下町の十字路へ戻る。


戻ろうとして、階段をくだりきったとき、後ろから誰かに服をひっぱられた。


「ん」


ユーカが振り返る。


そこには、老婆がいた。


ローブ姿の老婆は、服がぼろぼろだった。肌は若さを失いしわがれていた。


老婆は、ユーカの前に腰をおろし、膝をつくと両手をさしだした。

「めぐんでください。」

ユーカの前に膝をついて跪いた老婆は、両手だけ差し出して、ユーカに乞う。



「あなたの挽いた粉を、わたしにめぐんでください。」


しわがれた物乞いの老婆は、衰えた声ですがる。


しかしユーカは、それをすると父母に叱られるので、無視した。



服をひっぱる老婆の手をふりほどき、十字路を進んだ。



すると恵みを得られなかった老婆は、立ち上がり、文句をはき始めた。


「けっ、ろくでなしの小娘め。婆への思いやりがないのか。おまえなどこの先、悪いことばかりが、
起こるがいい。」


という呪いを罵り、すると粉挽きの行列からきた次の人を捕まえて、まためぐんでください、と乞う。


その次の人も老婆の乞いを無視する。



すると老婆は、また罵り声をあげる。「人でなしめ、少しくらい分けるくらい、なんだ。あたしは婆だぞ。
力も衰えて、目もかすんで、このとおりよぼよぼさ。けっ!そういう女は用なしかい。アタシに死ねってかい!
こんな人の世は、呪われてしまえ!」



「はあ…」


ユーカはため息はいて目を閉じる。


城下町の物乞いときたら、いつもいつもこんな調子であった。


乞うときだけ丁重なフリをしておきながら、恵みがないと、途端に相手を罵り始める。

それも、毒いっぱいに呪いの言葉をさんざんに喚き散らす。


実をいうと、数年前に流行った魔法少女による魔女狩り事件は、ああいう老婆こそ魔女として疑われやすかった。

337


さてユーカはその火、粉挽きも終えて、家にもどった。



桶に満たした麦粉を、ろうそくが白くどろどろ溶けたままのテーブルに置き、さっそくユーカは母にいった。



「市場にでかけていいよね?」


すると母は────この日は母は牛の世話していたが────すぐにユーカに答えた。


顔だけ一瞬、ユーカのほうを向け、腰まげたまま、「ああ」と一言いった。



「それじゃいってくるっ」


一日でユーカが一番楽しみにしている時間。


それが城下町の市場にでかける時間だった。



やるべき仕事をだいたい終わらせて、午後のパン捏ねがはじまるまでの、ちょっとした自由時間。



それはユーカがいつも市場へ出かける時間。




人も一番集まって、盛り上がっているし、友達にも会えるし、自由に買い物もできる。

といっても、小遣いなんてものは、指で数えるようなものだったが……。



市場ではたまに、エドレスの都市や他国から渡り歩いていた吟遊詩人が、音楽を披露したりもするので、
城下町で過ごす少女の日常のなかでは、いちばん楽しい。



馬上槍試合が公開されるのも市場の空間だ。



市場は、時間帯によってベンチにだされる商品が決められている。



9時には乳酪製品…11時からは家禽商、料理人、パイ・ベイカー、魚。

12時になると売れ残り商品をうってはいけず、また、転売用に魚を買ってはいけない。


夕方六時までは、ワイン、エール、生肉のゆでたもの、ローストしたもの、焼いたものを売ってはよいが、
夜10時以降は一切売ってはいけない。


品物のやり取りは、必ず小天秤で衝量単位を量る。”非常に小さいはかり用真鍮製オンサー”と呼称もある。



異国からやってくる商人は、この市場の時間帯にそって(そわない商人も多いのだが)、胡椒売り、粉屋、
スパイス商人などの姿をみる。


どれもユーカの手にはと届かない値段で取引されてしまう。



しかしスパイス商人とやりとりする、買取役たちは、エドワード城の騎士たちの趣味のために使い走り
されている。

市場に送り出されて、フラン、ジンジャー、クローブを買うのだが、彼らはいやいやエドワード城から派遣された
使い走りたちであるので、品定めする目がなく、あっさり商人たちのあくどい業に騙される。



つまり確かに売る香辛料の量は、オンサーという小天秤で測られるが、商人たちはスパイスを水で湿らせてから
秤に乗せるので、本来の物量よりも重たく量られて、そのぶんだけ使い走りたちは多く金を支払う。


こんな商人たちを取り締まるのがアデル・ジョスリーン卿のような役人たちだった。



さてユーカは、城下町の市場にくると、ベンチにならぶさまざまな食べ物に目を奪われてしまうのであるが、
最大の目的は友達に会うことだった。



王の支配がすぐそこに君臨する城がある城下町で、友達同士で話し合う機会は、この市場でつくれる。



市場のあらゆる場所をとって、さまざまなモノを売る人たちのなかには、ユーカの友人がいる。



そのうちの一人が、バスケットに焼きたてパンをいれて白い頭巾をつけて、市場にて売り子をしている
魔法少女・ジュリアナだった。



「焼きたてのパンはいかがですか。」



市場を行き来する城下町の人々に、パンを売り、歌い声をだしている。


「焼けたばかりで、香りがいいですよ。焼きたてのパンは、いかがですか。」



ユーカは、売り子をしている友人の魔法少女の姿をみつけると(もちろん、魔法少女としてでなく、人間の
姿として売り子をしているのであるが)、嬉しそうに顔を綻ばせ、売り子をしている彼女の背中を、つかんだ。


驚いて振り向いたジュリアナの顔が明るく微笑みに変わった。


「あら、ユーカ!」


白い頭巾をつけた少女はいう。



ジュリアナはいまボディスを着用していた。彼女は魔法少女で、19歳。未婚である。



「今日も変わらず頑張っているのね」

ユーカは肩をつかんだ手を放した。「パン売りさんを」


「パン屋ですもの」

微笑みながらジュリアナは言う。腕にさげたバスケットのパンは、いい香りをたてている。

「ユーカも一ついかが?」


「もうあなたところのパンは飽きたわ」

ユーカは肩をすくめる。それから、魔法少女同士特有の話題になった。「ジュリアナ、あなた穢れを溜めて
ないでしょぅね」


ジュリアナは難しい顔をした。「ユーカ、あなたは昨晩も魔獣退治を?」


ユーカは頷いた。「だから、眠いわ」


ジュリアナは恐ろしいものを見たような顔をする。顔に暗さが増し、怯えが映った。「ユーカ、いけないわ」


「ジュリアナも怖い?」


周囲では人々は買い物に夢中になっている。


ジュリアナはますます怯えた様子をみせた。バスケットをさげた腕が震えている。


「夜間はいま、外出禁止令がでているのよ。誰かに見られれば……」


「そうやっていつまでも───」

ユーカは真剣な顔つきになった。


たしかにユーカは昨日、夜に発生した城下町の魔獣を退治した。


しかし魔獣の発生が、ぜんぶ魔女のせいだとされているこの城下町で、夜間の出歩きが、誰かに見られてでもしていたら。



「魔法少女の使命から逃げ続けるつもり?」


ジュリアナはなきそうな顔になる。


ユーカはそれでも、つづけた。


「私、きいたことがある。聖地の言い伝えだけど────」


聖地、ときいた瞬間、ジュリアナの顔の目が瞠る。


「”円環の理”は、私たち魔法少女を、魔女の手から救い出すために今の世界にしたんだって」



魔法少女たちのあいだで伝説となり、そして、いまや神聖視されている”理”の名をだす。


遠い昔に誕生した理。

新しい世界。


一人の少女を礎にいた今の世界…… その理は、今の世界にも、救いの慈愛をそそぎ続けている。



「なのに、魔女の裁判にかけられるのが怖いの?」


ジュリアナはたまらなくなり、ユーカから目をそむけて言う。「怖いにきまっているわ」


ユーカは悲しそうに目を落とした。


「わたしは身の潔白なんて証明できないわ」


悲観的な魔法少女であるジュリアナは、自分でもそれを口にするのが恐ろしい、というように、
息をはいたあとそっと口にだして言う。


「私たちは、人間じゃないんですもの」


二人の脳裏に、オルレアンの”魔女の火あぶり公開処刑”の光景が蘇る。



ソウルジェムの秘密が城下町の人々に暴露、衆目に晒された一ヶ月前……




オルレアンは、魔女刺しの痛みを遮断し、人間ではない身体のまま、火のなかで焼け死んだ。



城下町の魔法少女たちは、自分たちが人と同じ仕組みの身体をしていない、つまり死人が動いているような
状態だと城下町の民に知られたとき、その民のあまりの冷酷な豹変ぶりをみて、すっかり怯えるようになった。

悪魔と契約して不死身の体になった邪悪な魔女だ。


自分たちのことを魔法少女とは呼ばず、魔女と呼ぶにうよなってからも、抗議の声もだせずにいた。



「こんな私たちを見たら」


ユーカは悲しさと共に己の気持ちを吐き出した。


「円環の理さまが、悲しむと思うよ…」



魔女と呼ばれることに甘んじ、しかも、魔獣狩りの使命も忘れた魔法少女たち。

戦うことをやめた魔法少女たち。

火あぶりの公開処刑を恐れる魔法少女たち。



それが城下町の魔法少女たちの姿だった。



魔法は一切つかわず、日に日にほんの少しずつ、光を失っていく自分たちのソウルジェムを、眺めていくだけ。


すべて黒くなったら、どうせ円環の理が、天国に導いてくれるのだから、魔獣狩りなんてしなくたって……



そんな容態だった。

338


ユーカは市場から十字路にもどった。


そしたら、意外な人物と再会した。


テクテクテクという馬の蹄の音をならし、なんだか行く目的もなさそうに右往左往しているのは。


「あ…」


それは、見覚えのある騎士の少女だった。



変わった髪の色をしていて……



「……あっ」

馬にのった騎士も声をあげた。


腰に剣を収めた鞘を吊り下げ、背中に大きなイチイ木の弓を担いで、騎乗姿をした少女。




今日の朝に、二人乗りさせてもらった騎士の女の子だった。

思いもかけず再び顔をあわす。


「えっと…」

ユーカは、ぼうっと考え、少女騎士に声をかけた。

「だれ……だっけ?」

思えば名前を知らなかった。


「うう…」

すると落ち込んだ様子を少女はみせ、こうべを垂れる。


ちょっとしたことですぐへこむタイプの女の子なのだろうか。


「わたし、鹿目円奈。かなめまどなです」


騎士の少女は名乗り出てくれた。


「変わった名前だね」


ユーカはいった。


「そ……そう…かな…?」

ピンク髪の少女は、馬の手綱を手放して、胸元で指の先同士をちょいちょい合わせて落ち込んだ声をだす。


なんか昨日より元気がなくて、塞ぎこんでいるみたいだ。


「ひょっとして、昨日の魔女の火刑みた?」


ユーカは勘ぐって、たずねてみた。

他国からきた人には、衝撃的な見世物だったにちがいない。


「えっ!?あ、うん…」

塞ぎこんだ様子の少女騎士は、最初まず驚いたように顔をあげ、甲高い声だして、それからまた頭たれて、
下を向きながら小さな声で答えた。「そう…なんだ」


図星であった。


「まあ、ここはそういうところなの」

ユーカは馬上の少女をみあげて告げた。

「それで、エドワード王には会えた?」


ピンク髪の少女騎士は、下に俯いたまま、ふるふる顔をよこにふった。

馬が頭を下ろして自分の身を毛づくろいした。


「その様子じゃ、会えてないと思った」


ユーカはふん、と鼻をならした。


「で、どうするの?」

少女騎士に問い詰める。「エドワード王になんとしてでも会う気なの?あまりここにとどまってないほうが
いいかもよ?ただでさえ魔獣が多いんだから」


「ううう…」

ピンク髪の少女はただ塞ぎこんだように、俯いているだけ。



「ねえ、聖地にいくっていってたでしょ」


そのときユーカの声をききつけて、友達の魔法少女であるスミレが、そっと二人のやりとりを遠目に見ていた。

スミレは、見知らぬ少女騎士と話すユーカに、視線をずっと、注いでいた。


「聖地……いくんだけど…」

俯いた少女は気弱な声をあげる。



「ならここを通らなくちゃ」

ユーカは進言する。「わかってるでしょ?エドレスの大陸を渡ろうとしたら、ここしかないんだから」


「そうだけど…」

少女の声はまだ気弱だ。


「だったら、いくしかないでしょ」

茶髪のミドルロングに、黄色い瞳をした魔法少女は、少女騎士を諭す。

「それができないなら、ここを出たほうがいいよ。一番いけないのは、ここにとどまること。どんな町か、
もうみてるんでしょ」



「うん……だけど…」

するとあろうことか、少女騎士は涙声になりはじめていた。




「私、怖くてエドワード王に会えない…」


なんて情けないこという騎士だった。



しかしこの少女騎士は、王都についてからというもの、ずっとこんな調子であった。


王に会うことが目的なのに、王に会う勇気がない。


そしてしどろもどろしている。



「ええっ…ちよっと、だって昨日は通行許可状があるからここ通らせてもらうんだってあんなに意気込んでて…」

ユーカはさらに大きな声になった。

「私でさえ、いったことないんだから、魔法少女の聖地……」


「ユ、ユーカ!」

ユーカのすぐ隣に、黒い髪と深い青色をした瞳をした少女が、街角の陰からかけつけてきて、ユーカの手をにぎった。

「だめだよ、それ以上、話したら!」

ユーカの手をにぎってもちあげ、スミレは、ユーカと円奈の会話を遮る。



ユーカは、突然あらわれた友達の魔法少女に諭されて、「…うん」と唸った。


まわりの人の視線が集まっている。



新たな少女の登場に、円奈は戸惑った様子をみせた。



「えっと……この子はね、スミレ。私の親友なの」

ユーカはとりあえず、円奈に、友達の魔法少女を紹介してあげることにした。

「同じここの生まれで、ずっと友達なんだよ」


スミレは、わずかに照れた顔もちをした。


「そうなんだ」

少女騎士は馬の手綱たぐって、馬の向きを変えてスミレたちのほうへ向けた。


馬が前足で石の地面を叩いた。


「私は、鹿目円奈です。よろしくね」


黒い髪をした少女のほうにむいて、馬上から名乗ると。


この青い瞳をした純粋そうな女の子は、びくびく怯えだして、おろおろ目をあっちこっち逸らしながら、
小さな顔に困った顔を浮かべ、やっとの思いで、円奈と目をあわすと、「…スミレです」と、小さな声で
名乗った。すぐ俯いて下を見た。



「この子はね、ちょっと気弱なところがあるの」

ユーカがスミレの腕をくんでいった。スミレはユーカに腕をひかれて身を引き寄せられた。

「人みしりするし、友達でも話するの苦手だし……私とくらいしか、ろくに話せないんだから」


ちょっと自慢げに語るユーカだった。


円奈はすると、優しい微笑んだ。

「そうなんだ。スミレちゃんていうんだね」



「エドワード王は魔法少女を敵視してる」


と、ユーカは、火あぶりの終わった魔女処刑台をみあげ、隣の円奈に語った。


「王は魔法少女の存在が気にならなくて───」


円奈はじっと、ユーカの言葉をきいている。


「私たちの存在を”魔女”に貶めてこの魔女狩りをはじめた」



円奈の目がわずかに、見開く。


それが人間の悪意であり、恐ろしさであり、この王都を包む最大の重苦しさであった。


この国の王、エドワードは、王都から魔法少女を殲滅する気でいるのだ。



「人間って、怖いね」


魔法少女としての、切実な言葉であった。


さて、そんな城下町のなかを生きる、魔法少女であるユーカは、また円奈の顔をみあげた。


「もう一度きくけど、エドワード王に会いにいくの?」


その口調はさっきよりも冷たかった。

もう、円奈にはその理由もわかった。


エドワード王は、魔法少女を敵視して、”魔女狩り”をはじめている……。


それは、いうなら魔法少女にとって、エドワード王は大敵であることを意味する。


「夜間の…」

恐る恐る、円奈はそっと口にした。

「外出禁止令があるって…」



「…うん」

小さな声でユーカは答えた。「夜間に外出するのは魔法少女だけだから……」


「…」


円奈は無言になる。

しばし口を紡いだあと、苦しそうに、言葉をしぼりだした。「ユーカちゃんは、それでも魔獣狩りを?」


ユーカは意外そうにはっとして円奈をみた。「わかるの?」


「私の剣、魔獣を察知できる魔法の剣で…」

円奈がいうと、クフィーユがふん、と鼻をならして首をもたげた。「昨日、魔獣がいたことはわかるの」


「…」

ユーカはまだ意外そうな顔をしている。


「ひょっとしてユーカちゃんは今日も?」

馬の向きを翻し、ユーカの正面に向かった騎士はたずねた。


ユーカは一瞬、ぽかんとした顔をしたが、やがて力強く頷いた。


「私、エドワード王の策略になんか負けない。私は魔法少女だから、魔法少女の使命を果たす。
人を助けるのが魔法少女なんだ。私の希望、それなんだから」


ユーカはこんな魔女狩りがはじまってしまった城下町でも、魔法少女としての生き方を貫くことを
決めている魔法少女だった。


円奈は馬上で微笑んだ。

「ユーカちゃんの願いは、きっと人をたすける願いだったんだね」


「あっ…」

ユーカはどこか恥ずかしそうに照れて、頬を明かして、どこか目を逸らしたあと、小さく答えた。

「うん…」




スミレが隣で、青い瞳をきょどきょどさせている。


「ねえ、ユーカちゃん、お願いがあるんだ」

いきなりピンク髪の少女は、どこか引き締まった声をして、言った。


「え?」

頬の赤みがまだのこっているユーカが次の瞬間、みたのは───。


さっきの頼りなげな、優柔不断な迷える少女の顔ではなく───


決意と、覚悟に満ちた、強さを目に湛えた────


意志を固めた少女騎士の姿だった。



「今日の魔獣退治、私も連れてくれる?」


決意に満ちた表情をした少女騎士は、そんなことをいう。


「…え?」

ユーカはますます、戸惑うばかり。

「いや、人間でしょ…あなた」


「でも、聖地を目指す人間だから!」

円奈は鞘の剣をツツンと指先で叩いた。

「魔法少女の聖地を目指すから……あなたの魔獣退治に、私も、付き合わせて!」


恐ろしい魔女狩りと火あぶりの刑が連発する城下町で───。

鹿目円奈とユーカの魔獣退治は、こうしてはじまった。

今日はここまで。

次回、第45話「円奈とユーカの魔獣退治 Ⅱ」

第45話「円奈とユーカの魔獣退治 Ⅱ」

341


その頃、王城、エドワードの王広間では─────。


宴会が開かれていた。


クリームヒルト姫の歌声にのせて、陽気な音楽が奏でられる。

まず前奏部がフルートによって演奏され、だんだんとそのフルートの音に、リュート、打楽器などの音が
加わってくる。

その夕の食事も豪勢だった。


給仕係の女たちが、召使いを連れて食事の数々を長テーブルの上にずらりと並び立てる。


ろうそくに火を灯し、豪勢な食事と皿を照らし出す。


長テーブルは、真っ白いテーブルクロスに、サナップと呼ばれるテーブルクロスを敷く。

そこに並べ立てられるのは、三本分かれの蝋燭台と、皿、ガラス製のハナプとか、アナプと呼ばれる腰高の杯、
ワインや香りづけをした水が噴き出てくる仕掛けの噴水が中心に置かれ、彫刻を施した先端の口からでてきて、
ゴブレットやタンカードに満たす。



この噴水は、管が多ければ多いほど、多種多様な飲物が噴出し口からでてくる仕掛けだ。

巴マミと、鹿目まどか、美樹さやかの世代でいうなら、これはいわゆる”ドリンク・バー”に近い
仕掛けかもしれない。


しかしこの時代ではこのような仕掛けを通して飲物を頂くことは、王と、貴族の嗜みだった。


噴水の彫刻は凝っていて、職人が手がけたもの。噴水は、塔のようにテーブルに屹立して、そこにたつ
貴人たちよりよっぽど高い。

ある噴出し口からはワインがでてきて、ある噴出し口からはビールがでてきて、ある噴出し口からは
りんご酒がでてくる。


そんなふうにして噴出し口が噴水のまわり四方向にちょうど四つあって、貴人たちはいわゆドリンク・バーに
ちかい感覚で、この噴水から多種多様な飲物を好みにあわせて頂くことができる。


今日の王の食事は、温かいりんごと洋ナシの氷砂糖煮、スパイス風味の白ワイン、ウェーファーというお菓子、
ヒポクラスという赤ワイン、砂糖を彫刻した装飾菓子など、本日も大変珍味にして豪華である。


しかし中でも特に驚くべき料理は、ひづめ料理と獣油、そして魚のゼラチンを使った宮廷料理の数々だ。


王のために出される料理は、味よりも演出に凝られた。


海景色を色で演出したり、エドレス王国の紋章である、ユニコーンを絵に描いた料理をだしたりと、芸術的に
飾る料理の数々があった。

獣や鳥や、魚からとれた天然の脂肪や油は、いためたりソテーにしたり焼いたりして、バターとの区別は
ほとんどなかった。


バターは、料理に使われるだけでなく、つやをつけたりにも使われた。

驚くべきは他にもある。


宮廷料理における調味料の使い方は、庶民の想像を絶する。


シナモンはビーフステーキにまぶしたり、りんごや梨を甘いデザートにしたり、魚に照りつけをつけたり、
ヒポクラス(赤ワイン)のようなワインに風味をつけたり。宮廷料理人にいわせれば、「なぜシナモンを
手に入れて食べられるような人が死ぬのだろうか」。


料理に使うスパイスの種類は、たとえば鶏一話煮込むときに、スープ・ストックとワインを半々に、
クローブ、メイス、胡椒、シナモンを入れる。


いっぽう甘味は、砂糖と蜂蜜が主役であった。

砂糖がなければ蜂蜜、という具合の優先順位で、古く粉状になった蜂蜜を溶かして液状にし、元のきれいな
半透明のシロップに戻して熟したら、パンやペイストリー、肉や果物料理に使った。


しかし真に驚くべきはその味付け方法かもしれない。

王の宮廷料理は、庶民のおよそ到底考えられない味付けをした。


料理人たちはその味付けに関して、”調整する”という言い方をし、とても自信をもっていた。


それは”相反する味の調和”であった。

辛味と甘味、苦味と酸味、といったふうに真逆の風味を同時に織り交ぜ調理する。


料理人最大の腕の見せ所。

ぴりぴりっと舌に走る香辛料の辛さは、砂糖が調和してくれるという発想だ。

たとえば、果実のデザート料理である、”ストロベリー”の味付け方法は、さんざん砂糖をふんだんに使って、
”甘味”を強調したあと、最後には酢で”ぴりっと酸味”にして引き締める。


つまり酢の酸味と砂糖の甘みを同時に口のなかでバランスよく楽しむことになる。


逆に、カレント、サフラン、胡椒、ジンジャー、シナモン、ギャリンゲールをふんだんに使った
スパイス仕立てのアーモンド・ミルクについては、最後に味付けを完成させるのは”たっぷりの砂糖”である。


こんな歌詞もある。

女の子はなにでできている?

砂糖とスパイスそして素敵なものすべて。


砂糖とスパイスなんて、とその組み合わせに驚く世代もあったろう。しかし、この時代では主流である。


さて、自信満々に料理人が調理した食事の数々は、長テーブルに集合した騎士たち、貴婦人たち、王族たち
が囲んだ。テーブルに並べられた金と銀のスプーン、ブロンズ色の合金、無色水晶、ガラス、象牙の
スプーンも置かれ、テーブル・セッティングはすでに整っている。


金とエナメル仕立ての豪華なテーブル・ファウンテンは、三階層にななり、食事を飾り立てる。


できあがった料理は、給仕係によって運ばれてくるけれども、配膳室と食事が催される大広間は遠く離れていた。
そのあいだは長い廊下が繋いでいる。


これは、配膳室が大広間のすぐそばにあったりなんかしたら、せわしなく働く給仕たちの打ち鳴らす、
カチャカチャという皿の音がたまらなく嫌になるので、配膳室と食事の大広間は長い廊下によって意図的に遠く隔てられる。


これで貴婦人と騎士たちは、給仕たちの打ち鳴らす皿の音に悩まされず、貴人同士の世界だけで会話に耽ることができた。


エドワード王は、王の席にあり、指で食事している。

もちろん、指で食事するのは最も高貴であることの証明だ。


庶民は指で食事しようものなら必ずボロをだす。中流階級の成金が、王宮の食事作法をまねて、指で
食事したところで、犬が食い散らかすような食事にしかならない。


だが王宮の食事では、指で食べるとき、もっとも丁寧で高貴な食事となる。


指の使い方をしっているし、器用であることの証明であり、それを学び実戦するほどの身分であることの
証明であるのだ。


さて王宮の食事にはもちろんルールがある。


唾をはくときはテーブルにではなく地面に吐け、口のくさい者は他人の顔の近くでげっぷをしてはいけない、
枝木やナイフやムギワラを、つまようじのように使ってはいけない、といったルールだ。


その昔は、たとえば紅茶を飲むとき、小指をたてたものだが、それと同じ習慣は、今の時代にもある。


貴婦人は、飲物をのむとき、自分の口をぬぐうために、小指をたてて濡らさないようにした。


濡らした指で自分の口元をぬぐうなど、みじめだからだ。

そして中流階級の人は、たいていこういう理由も知らずにワケもなく小指を立てる。



さて、この日の夕食の話題も、魔女の火あぶり刑についてだった。


「今日の魔女は、二人でした」


告示役の人が、王の食卓の壁際で、デネソールに渡された羊皮紙を声高によみあげる。


「バルドゥングの娘ディアーナと物乞いのアンドリュー・バーディーズ」


びくっ、この日も王の食事会に出席している世継ぎの少女アンリは、食卓の席で肩をふるわせる。



隣に母クリームヒルト姫はいない。

少女ただ一人である。


クリームヒルト姫は、王の玉座の壇の下で、腹に手をあて、歌声をあげていた。


エドワード王は不機嫌な様子で無言であり、もくもくと口に食べ物をふくんで食べている。

指に持ったパンとタルトを口に含む。その額は赤く、ぎらぎら脂がたぎっている。


金色の冠は頭にかぶったまま。



王の席は、リネンホールドという襞模様が施された椅子である。


魔法少女を目の敵にして、ソウルジェムの秘密を市民の前に晒し、暴いた王であったが、魔女狩りが
城下町ではじまると、実際に摘発される女は、王の目論んだ獲物たちとはいささか違う女どもが、
たびたび魔女としてあがった。

とくに、物乞いの老いた女とか、そんな類の女たちである。


エドワード王が本当に狩りたいのは、魔女────として自らの罪を自白した、魔法少女だ。

魔法少女を捕らえ、どんな手をつかってでも、痛みを感じぬ、人間ですらない自らの素性を白状させる。


それが王の意図する魔女審問だった。


はるか昔の、絶対にして聖なる神のための狂気めいた異端を断罪する魔女裁判のたぐいではない。


王の狙いはあくまで魔法少女であり、この”魔女裁判”は、魔法少女狩りともいえる、ソウルジェムをもつ魔法少女
を標的にした裁判だ。


もちろん、やつらは人間ではないのだから、痛みを感じるかどうかの拷問と審問を繰り返せば、やつらは、しまいには
痛感を遮断して拷問に耐えようとする。それが逆に自らを魔女とするに十分な証拠として表にだす。

あの死人も同然の肉体の秘密が暴かれるわけだ。エドレスの民たちの目に。


その上で魔法少女を魔女の罪にかけて火刑にしたり、王の城に捕らえたりすることには、成功している。

しかし、娘が魔法少女であることを匿って隠している両親どもがいる。これは王の令に逆らう家族たちだ。
その両親どもは家族ごと共犯にしてなければならない。


あまりにも足らない。

これでは王の望む魔法少女狩りではない。


「魔女の疑いがかかった一家は全員共犯として捕らえろ」


王は鋭い眼光を品地ながら、憎しみたっぷりの口調で、大広間で告げた。


その声は騎士たち、給仕たち、貴婦人たち、その場で一人だけ正体を隠して紛れ込んでる魔法少女アンリ、
政務官たちの耳に入り、そして書記たちが羽ペンで王の言葉を勅書として書き留めた。


正式な勅書は、この書記のものを基にして、専門の政務官が、書き綴り市民に公表する。


「魔女の娘がいればその母も魔女の罪を疑え」


王は大広間でまた、言い放った。


騎士たちは無言で頷く。そのなかには昼食事会の参加者でもあった、ルノルデ・クラインベルガー卿や、
都市の馬上槍試合に参加したあと王都に戻ったメッツリン卿や、ディーテル卿もいた。


「魔女を捕らえたら共犯者の名をださせろ」


王の命令はつづく。


食事は豪勢であったが、王の言葉は辛辣で刃のようであり、騎士たちは全員、緊張していた。


「ただ魔女を狩ることだけが、王が勝つ道だ。お前たちも知っていることだ」


王の命令がくだったあと、騎士たちは貴婦人と相席して、食事を楽しんだ。

カチャカチャとスプーンやらタンカード同士のぶつかり合う音が聞こえ始める。


世継ぎの少女アンリは、控えめに、顔を俯き加減のまま目だけ上向きにして、騎士たちの食事の様子を
うかがっていた。


ひょっとして自分が魔法少女であると見抜いた騎士がいるだろうか…そんな思い込みのせいで、まともに顔を
あげることができず、少女は、まるで囚人のような表情をしてまわりを見渡す。


ちょうど王のあたりに彼女の目線がさしかかったとき、王がこっちを見てきた。


ギロリと光る老王の目が自分を見据える。


びくっと慌ててアンリは、王から目を逸らし、自分の皿だけをみつめた。


そして恐ろしげにあたりを見渡したことを後悔した。


そんなこともせず、ただただ自分の食事にだけ集中していればよかったのだ。


でも、もう手遅れかも…。


いま王と目があって、自分は慌てて目を逸らした。これってまずいんじゃないか…


今の挙動、怪しまれたんじゃないか…


王を見返して、会釈を返すくらいやってのけたほうがいいんじゃないか…いや、これだけ間があいたあとだと、
いまから会釈すれば、かえってもっと怪しまれるんじゃないか…


でも、下を向いたままの自分は、ひょっとしたら今も王に睨まれつづけているかも?


だとしたら、さっさと祖父に、会釈を返したほうが……


でも、下をむいた自分には、王がいま自分を睨んでいるのか、そうでないかも、わからない。


あわてて目を逸らしてしまったから。


そのを確かめるには、また王をみるしかない。


そしてまた王と目があったら、いよいよ疑われてしまうのではないか?


アンリという少女は、王宮の食事に日々出席する魔法少女であったが、こんなふうにびくびく心うちで
怯える毎日だった。


その指輪にソウルジェムの指輪はいま、嵌めていない。


隠している。


ふつう、魔法少女は、左手にソウルジェムを肌身離さないように指輪にして、指にはめているものだが、
アンリは自分が魔法少女であることを知られることを恐れて、指輪は彼女がきているガウンの袖のなかに
隠していた。


そして、袖に隠した指輪を意識したまま、指で食事にやっとの想いでありつくアンリなのであった。

342


その日の夕食も終わると、騎士たち、貴婦人たちは、それぞれの城内の私室にもどった。


クリームヒルト姫は、蝋燭を持ち歩き、ぽつんと灯る赤色の明かりのなか、エドワード城の王妃の部屋に戻り、
天蓋ベッドに腰掛けた。


手に持った蝋燭は壁際の燭台におき、ふっと息をふきかけて、とけたろうを固めるとその上に蝋燭をたてた。


夜眠るとき、城内の貴族は、男も女も裸になって寝た。

衣服を着たまま寝るという習慣がなかったのである。

あたかも靴で家にあがることはないという習慣のように、城の貴族たちは、寝床に就くとき服を纏わない習慣だった。


娘アンリも裸だった。

ソウルジェム化して、魂の抜けた身体は白く、なめらかで、少女の美しさをもつ裸体だった。

けれども肌は白すぎた。


毎日王宮の食事に出席し、それ以外の時間は私室で過ごす少女の肌は、一年のうちでも太陽の日にあたることが
ほとんどなくて、病的に白かった。

白骨のような白さだった。


血が通っていないとすら思える肉体は、たしかに魂のない肉体だったが、アンリは横たわって、
ベッドにしいたシーツに寝転んだ。

キレイな少女の髪が、しわくちゃとベッドに垂れた。


「祖父は、どうして魔法少女を目の敵にするのですか」


世継ぎの少女アンリは、母クリームヒルトにたずねた。


母も、娘と同じベッドに身を横たえた。

「この地上の王になろうとしているからよ」


「もう、地上の王ではありませんか」

アンリは納得いかない顔をしている。

「世界は広いけれど、祖父に匹敵する王の名は、人間のあいだにはききません。聖地エレムの王、葉月レナ
くらいしか、エドワード王に匹敵しないでしょう」


その名は、後に鹿目円奈が聖地で出会うことになる、エレム国の魔法少女だった。


「王の魔女狩りをやめさせるわけにはいきませんか」

アンリは母に頼んだ。

「悲劇が繰り返されるだけです。自分の身だけ案じて言っているのではありません。今の王の政策が
つづけば、魔法少女は戦いをやめ魔獣を野放しにします。ますます城下町の民は───」


アンリの言葉を、母は途中でさえぎった。

母はアンリの口元に手を置く。


「女はあの場では何の発言権も持たない」

残酷な現実が突きつけられる。

「私たちは貴族の前に王族としてでるだけ」


壁際にたった蝋燭の、一点の小さな火が、暗闇のなかの姫の私室を灯す。

その灯火は頼りない。部屋全体を照らさず、一部だけ灯すような、小さな灯かりだった。



「母から、王に直接、いってください」

娘アンリは勇気をだす。

「”魔女狩りをやめてください”って…」


アンリのソウルジェムは、めったに魔法を使うこともないので、大して穢れていないが、それでも完璧に綺麗
ともいえない。

少しずつ消耗してきている。


母はかぶりをふった。

「王は決してやめないでしょう」

アンリももう人間ではなく、肉体が魔法少女であるから、生きたければ魔獣を狩りにいかないといけない。


しかし魔獣が発生するのは城下町の通路。つまり魔獣と戦うには王城から降りて出ないといけない。アンリ単独で。


身分的に、それができるはずもない。

魔法少女になってから、一ヶ月たつが、まるで魔獣狩りの経験のない、いや、魔法少女経験のない魔法少女だった。


「今にはじまった戦いではない」

母は天井の虚空をみあげる。

「”魔法少女”と”人”は……」

どこか、諦めにちかい声がする。


「いつも憎しみあい、そして誰もが悲しんだ」


母は知っていた。

いまこの城下町で起こっている魔女狩り。

魔法少女狩り。


それは今にはじまった戦いではないことを。



むしろ、遥か昔からつづいている戦いであることを。


”ヴァルプルギスの夜”の歴史の深さを見れば、一目瞭然だ。

かつてその魔女の宴が人々に恐れられたとき、どれほどの魔法少女が魔女として裁判にかけられ、火あぶりに晒され死んで
いったのか…


それを考えたら、誰にもとめることなんてできない。


人にできなければ、魔法少女にもできない。

343


同じ頃、つまり夜も更けた深夜の真っ暗闇で────。


城下町の十字路に、二人の少女が落ち合っていた。


一人は騎士で、もう一人は、魔法少女だった。


「本当に、いいのね」

魔法少女のほうが口をひらいて、念押しした。

暗さに顔が隠れた。

「うん」

騎士の少女が答えた。「なんかもう、慣れっこだし…」


ふうう。

魔法少女は、小さく息をついた。

目を閉じ、胸を落ち着かせている。


「それは今までに何度か魔獣に襲われたってこと?」


ピンク髪の少女はわずかに微笑んで答えた。「うん、まあ……そんなかんじ」背中には大きな弓と矢筒がある。


「そのたびに魔法少女に助けられたんだ?」


深夜で落ちあっている二人の少女のうち、魔法少女であるユーカは訊く。


「うん、そんなところ…」

騎士の少女、鹿目円奈はやわらかく苦笑した。


円奈は昼間、ついこのあいだ知り合ったばかりの魔法少女・ユーカに、自分も魔獣退治に連れて行ってほしいと頼んでいた。

昼間に交わした約束どおり、二人は外出禁止の夜間に、十字路でおちあっているのだった。


「じゃあ、魔獣の結界に入ることは、慣れっこってこと?」


ユーカはまた、念押ししてくる。


「うーん…」

するとちょっと声に自信がなくなってくる円奈。

「結果に入ることはまだあまりなれないんだけど……魔獣に襲われることには慣れたかなっていうか…」


「なにそれ、つまり結界に入ってるってことじゃない」

ユーカはおかしそうに言った。


「うん…そう…なの…かなあ…?」

魔獣のことはなんだかんだでやっぱりあまりわかっていない円奈だった。



二人の顔は、暗く、互いの表情はみえない。


暗い陰が互いになんとなく見えるだけだ。それだけで話し声のやりとりをした。



街灯もない時代の夜は、恐ろしく暗く、なにも見えない。月すらいまは、新月だった。

地上を照らすものは夜空に無数に煌く、銀河の星々の煌きしかない。


「むかし、ううんいまも、よく思うことがある」


ユーカは夜空に浮かぶ銀河、天に伸びる天の川をみながら、呟く。


「夜になると空に煌くあの光の粒は、なんだろうって…」


カベナンテルは、夜になると浮かぶそれは、惑星とか、恒星というものであって、キミたちが立つ地上のそれと
同じものだっていう。

けれどユーカにはそれは信じられなかった。


あんなに小さくて、しかもたくさんあるものが、私たちの立つ世界と同じであるわけがない。


私たちの立つ世界は、こんなにも広くて、大きくて、森もあれば谷もあり、川もあれば崖もあれば野原もある。


けれど夜に浮かぶそれは、あんなに小さいし、そこに人なんているわけがないし、当然、山も森も川も野原も
あるわけがない。

あるのはぽつん、としたちょっとした煌きがあるだけ。


「”遠い昔の人間ならみんなしっていた”って…」


ユーカは、カベナンテルの話を思い出して語る。

その目はどこか遠目を見つめているかのようだ。


「”ボクたちはあの光の粒のどれかからやってきた”って…」


目を切なげに落とす。「信じられるわけないよね」


円奈は、一体ユーカが何の話をしているのか分かりかねていた。

でもひょっとしたら、円奈が捜し求めて、バリトンの村を飛び出した白い妖精のことかもしれない、と思った。



妖精は、あの夜空に浮かぶ光の粒からやってきた?


たしかに、それはちょっと、信じられない。

でも、妖精さんというくらいだし……


円奈は、いわゆる”白い妖精”、今はカベナンテルと呼ばれ、昔はキュゥべえとか、インキュベーターとか
名乗っていた白い獣と会ったことがない。

契約の使者は円奈の前に姿を現さない。


話したこともない。


きっと、円奈には魔法少女の資質がないのだろう。

そう、諦めていた。


ところが、鹿目円奈と白い妖精は────

エドワード城の内部にて、運命的に出会うことになる。



「さて…」

ユーカは話を変え、いよいよ本題に移った。

「なんどもきくようだけど……本当にいいのね?」


騎士の少女は、こくり、と声もなく頷いた。


「前だったら、これだけの数の魔獣がいても、たくさんの魔法少女が協力しあってみんなで倒した」

ユーカは過去を寂しそうに思い出す。瞳に切なさが映った。

「でも、最近は私一人なんだ」


円奈の目も寂しげになる。


「だから」

ユーカは引き締まった顔つきをした。その緊張が円奈にも伝わってきて、思わず唾を飲み込んだ。

「私一人しかいないから、円奈を守れるとは限らない。私が倒れたら、円奈は死ぬよ。それでもいいのね?」


それが魔法少女として一年間のキャリアがある、ユーカからの、魔法少女としての最後の念押しだった。


円奈は、ユーカが本当に心配してくれている、その気持ちがわかるだけで十分だった。



「…うん」


円奈は、迷いもせず答えた。

答えたあとで、おずおずいろいろと、付け加えた。

「あのね、わたし、なにもできないし、足手まといにしかならないって、わかってるけど…でも…」

目を閉じる。

両手を握り、胸元に寄せる。「邪魔にならないところまで……一緒に、連れてってもらえる?」


人間である円奈が、魔獣の結界に入ったところで、できることなどなにもない。


「邪魔だって、わかってるけど…」


するとユーカは、ポニーテールを結んだポピーの花飾りをはずし、髪をほどいた。

それから、ふと、円奈の両手を握ってもちあげた。


「あ…」


そのとき、円奈はある感触に気づいた。


「……わかる?」

円奈の目がちょっとだけ驚いて大きくなる。


「さっきから手が震えてて…とまらない…」

ユーカは自嘲気味な笑みを浮かべる。その目にわずかながら、透明な雫が浮かんでいる。

「情けないよね。もう一年も魔法少女してるのに…一人だと心細くて…」


円奈が、ユーカに手を握られたとき、その両手に包まれたとき、魔法少女は確かに手を震わせていた。


魔獣の街とすら呼ばれるほど、魔獣の勢力が強くなった城下町、他の魔法少女たちは活動をやめて、
夜間の外出禁止令が触れだされたなか、たった一人で戦ってきた心細さ。もし夜間に外出しているところを、誰かに見られたら、
魔女として告発されるかもしれない魔女裁判の重圧、火あぶりの恐怖、そして王都にせまる”ヴァルプルギスの夜”の黒い陰…。


ユーカは一人で魔法少女として、戦ってきた。

エドワード王が、ソウルジェムと魔法少女の秘密を民衆の目に晒してから。


魔女狩りの国策がはじまってから。


いつもいつも一人で、戦ってきた。

魔法少女の手は、確かに、震えていた。


「邪魔なんかじゃないよ。私ほんとは、すごくいま嬉しいの」

目からこぼれた涙を腕でぬぐった。

「誰かが一緒にいてくれるだけで、すっごく心強い。百人力って感じで…」



円奈とユーカの二人は、深夜の寝静まった城下町の十字路の、街角の壁際、ハーフティンバー建築の
壁の暗陰に隠れている。

二人の姿は誰の目にも触れない。


「わたし…」


円奈がなにかをいいかける。


「必ず守るよ」

ユーカが先に言葉を紡いだ。「だから、私のあとについてきて。悪い魔獣をやっつけよう!」

そういって、魔法少女は、自分よりわずかに背の高いピンク髪の少女の肩に両手をおいた。


「…うん」

円奈は、嬉しそうに微笑んだ。


「でも…こんなところで変身なんてしたら目だって一発でバレるから…」


ユーカは円奈の肩から手を放した。

「結界にはいったら、変身するよっ」


ユーカは、久々にだれかと一緒に魔獣退治にいけることで、いつもより意気込んでいた。

344


円奈とユーカの二人は城下町に躍り出た。

深夜もすぎているので、誰も居ない。


外出禁止令がでているから、なおのこと誰も居ない。


しかし、なんともいえぬ緊張感がある。

暗闇だし何もみえないはずなのに、それが逆に、思わぬところから誰かに見られているような、あの暗闇の
むこうに人がいて、無言で私たちを見ているのではないか、そんな気持ちになってくる。


魔法少女を標的にした晒し火刑と告発が毎日のように起こる城下町の夜間は、想像を絶する重圧があった。


円奈は、こんな陰鬱にして緊張にはりつめた空気のなか、たった一人で魔獣退治をつづけてきたユーカの
魔法少女としての勇気に、ただただ息を飲んだ。


十字路にでると、黒い夜に浮かび、聳えたつ高さ700メートルの巨大なエドワード城がみえた。


黒い城は、夜の闇と輪郭がおぼつかなく、一体化してしまったかのようにみえる。


城壁の常夜灯があちこちにつき、夜警の兵士たちが番にあたっている。


しかしこの真夜中、この十字路に立つ二人の影に、夜警兵士たちの目がとどくはずもない。



ユーカはソウルジェムを手元にかざした。


その反応をみながら…もっとも、この町はもうそこらじゅう魔獣だらけなのであるが───獲物を探す。

「こっち」


円奈の手をひいて、ユーカは魔獣の気配がする十字路へと足を急がせた。


暗闇のなか、円奈もユーカについて足を走らせた。

345


夜間の外出を冒す二人を、一人の少女の目が見つめていた。

首筋まで伸びたさらさらした黒い髪。青い瞳。


スミレだった。


家屋の二階から、花壇つき窓から、魔獣退治のために命をかけて夜間に出かける二人を、見つめていた。


ユーカはつい昨日知り合ったばかりの異国の騎士の少女の手を引いて、意気込んだ様子で、魔獣の結界を
探していく。


前までだったら、あの手につながれているのは、自分だった。


ユーカとスミレは、いつも一緒に魔獣退治してきた。


スミレにとってユーカはただ一人、頼れる先輩魔法少女で、魔獣退治が怖くて怖くてたまらない自分を、
いつも守ってくれて、いつもひっぱってくれて、魔法少女としての自分を鍛えてくれた。


なのに、今の自分の勇気のなさに罪悪感と……


嫉妬を、かんじた。



スミレは魔法少女歴一年で、魔獣退治も、ユーカと一緒でならこなせるくらいの経験はある。


でも、魔女裁判が激化してからは、魔法少女として夜間に外出することが怖くなって、最近はすっかり
魔獣狩りをしていない。

この都市の魔女火刑は、城下町の人が魔法少女を見つけ、火あぶりを求める裁判である。

国策からはじまったこの残忍な公開処刑は、いまや民衆は支持、協力、熱狂的ですらある。

市民はほんとに町から魔法少女たちを一掃、絶滅させたいらしい。魔獣と戦ってくれる正義のヒーローたちを。


こんな恐怖のどん底では…。

なのに、魔法少女でもないあの小さな騎士の女の子は、自分にはだせない勇気をもっているのだ。


夜間に外出すれば、魔女だって言われるかもしれないのに、ひどい拷問をされるかもしれないのに、
ユーカと知りあって一日たらずの女の子が、一年もユーカと一緒に魔獣を倒してきた自分より勇気を
だしている。


私ってなんて弱いんだろう… なんて勇気がないんだろう…


どうしてユーカのそばにいてあげられないんだろう…


でも、外に出れるほうがおかしいよ。


あの女の子だって、魔女火刑、魔女裁判の恐ろしさを、もう見ているはずなのに、
どうして夜間に外に出れるの?


わからない。


どうしてそんなに勇気をだせるのかがわからない。


私は、どうせ臆病な魔法少女だ…… ユーカみたいに強い魔法少女じゃないんだ……


勇気をだせる子が羨ましい……


スミレは窓から顔を戻して、ベットに潜った。


嫉妬と罪悪感、寂しさを感じながら……眠りについて、今日あの二人が夜間に外に出ていたことは絶対に
誰にもいうまい……と思った。


だがスミレは、いつかののちに自分でも思いもしなかった勇気ある行動にでることになる。


そしてそれは、鹿目円奈という少女の命を救うことになるのだ。

346


夜の城下町は、瘴気に溢れていた。

白い霧が寝沈んだ町を包み、支配し、視界いっぱいになる。


魔獣の多さを思い知らされる円奈とユーカの二人だった。


「いい?いくよ!」


ユーカは気合一発、ソウルジェムの力を解き放つ。


いきなり身体がわずかに宙に浮いて、全身が赤色と黄色の煌きに包まれる。

その眩いばかりの光は、神聖な炎が燃え上がるように強烈で、ばっと一面の白い霧を弾くかのようだ。

眩い魔法少女の変身の光に、思わず円奈は目を腕で覆う。


するとそこには、さっきの古びたコットとは打って変わった姿のユーカがいた。

オレンジ色のフレアスカートに、コルセット。足は羊毛のタイツを履き、革のブーツが足を覆った。



一筋の光とともに手元に一本の杖が現れ、変身したユーカがそれを握った。


魔法の衣装から、力強さと不思議な神秘を感じる。


円奈は、やっぱり魔法少女の変身には意味があるのかなあ、と心で考えた。


変身していないのとしたあとでは、同じ人でも、ぜんぜんなにか違う。

本当に、普通の少女が神秘の力を得て魔法少女になった、というかんじだ。雰囲気がガラリと変わると思った。


ただ全体的に、目立つ色合いの衣装だった。オレンジ色のスカートに、肩の膨らんだ上着に、茶色いコルセット。


茶色い髪の毛は黄色いクロッカスの花髪飾りがポニーテールにまとめ、ソウルジェムが煌いている。


「ああ…それと」


ユーカは魔法少女姿になり、戦闘態勢になると、杖でトンと地面を叩いたあと、円奈の持つ弓に杖の先でちょこんと
触れた。


「…えっ?」

すると円奈も思わず声をあげたのだが、弓が変化しはじめてた。

「一応魔獣の結界に入るから、気休めだけど、これで身を守る程度の役には立つと思うよ」


円奈のイチイ木のロングボウは、その先端を、ピンク色のバラの蕾が飾った。ユーカに魔力を注がれたのだ。


「うわああ…すごい…」


自分の弓が、魔法の弓へと変わっていく様子を、円奈は目をきらきらさせて見つめている。


ためしに矢筒から一本矢を引き抜いて、弦に番えてみると、弦はピンク色の神秘の光を放ち、番えられた矢も
ピンク色に輝いた。


きらきらとした光の粒が、弦と矢の触れ合う部分から、じりじりとあふれ出してはこぼれた。


「ちょっと、魔法少女になった気分…」


円奈は微妙に頬を赤らめながら乙女の顔して呟いた。


「楽しんでるのはいいけど、くるよっ」

ユーカはすでに魔獣と対面していた。


「ええっ」

円奈が慌てて正面をみると、いた。


自分たちの二倍か三倍かはあろうかという背丈の、白い衣の魔獣たち。


キラキラと顔面を四角く虹色に光らせ、群れをなして、こっちにぞろぞろぞろ、歩いてくる行列だ。

すでに二人はとっくに魔獣の結界に飲み込まれていたわけだ。


「とぉっ!」

ユーカは、ぱっと高く飛び上がるや、杖をふりあげて、がつーんと戦闘の魔獣の頭を杖でぶったたいた。


杖にぶったたかれた魔獣は雲散霧消した。

しゅわーっと音たてて白い獣は煙のように薄くなって消える。


「あ…」


円奈は、ユーカの杖の、意外に乱暴な使い方に驚いた。


魔法少女だから、杖から炎とかだすのかな…?という自分の思い描きは、絵空事だった。


ユーカは杖をまるで鈍器か、槍か、棒のように、ぶんぶん振り回し、魔獣たちと戦った。


おもえばユーカが円奈を最初に森で助けたとき、岩の断面をすっぱり真っ二つにしてみせたのも、杖の一撃が
それだけ強烈だったわけだ。


つまり、そういう魔法少女だった。



円奈は気を取り直して、魔獣たちの放つ白い糸のような瘴気からよけながら、自分も弓に矢を番えた。

白い糸に触れたり、絡まれたりすると、心に瘴気を注ぎ込まれることは、円奈も経験からわかっている。


容赦なく発せられた魔獣たちの白い糸が伸びてくると、円奈は反撃に魔法の弓を放った。


じりっと何か焼けるような音がして、弦からピンク色の光を放つ矢が飛ぶ。


そして魔法の力を帯びた矢は、白い糸にあたると、小さく閃光放ち消し飛びんだ。

ジバッ!


と、焼け焦げるような音がした。

しかしそれだけだった。


「い、っ」


円奈は焦る声をあげた。「意外と弱い…」少女は小さな歯を噛み締めて唸る。


「気休め程度だって、いったでしょ?」


ユーカは自分の相対する魔獣と闘っている。絡みついた白い糸を杖ではらい、魔獣に接近して、杖で
ばこーんと相手の頭をたたく。


魔獣の頭は消し飛んだ。



「これじゃ、私、やられちゃうよ!」


円奈は恐怖の声をあげ、あわててすぐに、バラの蕾がある魔弓に、二本目の矢を番え、放った。


それはまた白い糸を消し去ったが、相殺されて、矢もきえた。


白い糸は次から次へとのびてくる。


矢をいちいち放つくらいな反撃では間に合わない。


円奈は、ずばずば伸びてきた魔獣の白い糸からにげた。

すばやく走って、弓に矢を番え、走りながら、魔獣の本体を狙う。


「本体を倒さなくちゃ…!」


ギギギっと弓をひきしぼり、狙いを定める。


腕が弓を引くと、弦はくの字に曲がる。


目元にまで矢を引き、顔をやや傾けて、ロングボウ独特の、弓が若干の斜め向きの構えをとる。


そして。


ビチュン!


と、強靭な音たてて、弓から矢が飛ぶ。



円奈の手慣れた手つきで、放たれた矢は、魔獣の顔面を貫いた。


魔法の矢は、魔獣の顔面にあたってはじけた。


ピンク色の光の粒が飛び散り、魔獣は苦しむ声をあげ、たじろいだ。


が、消えなかった。


弱っただけであった。



「やっぱり弱いよ!」


円奈は叫びをあげた。


「人間なのに魔獣の結界にいきたいいったのは───」


ユーカはまたとびあがり、白い糸を身体にまきつけながら、苦しい顔を浮かべつつ魔獣を消滅させる。


「円奈でしょうがっ!」


頭上たかくにあげた杖を、振り落とし、魔獣の頭を叩く。


魔獣の頭は割れた。


そして消えた。


グリーフシードが何個かこぼれおちた。


ユーカはそれを拾いあげ、円奈の手をとった。


その腕は、白い糸だらけであった。


「う!」

円奈が恐怖に顔をひきつらせる。


「もう限界!」


この時代の魔法少女は、ソロで魔獣10匹とであったら、2、3匹くらいは倒して撤退というのが常だった。

「これ以上結界にいたら瘴気にやられちゃうよ!」

ユーカは円奈の手をひっぱり、全身に白い糸をかぶった状態で、結界から逃げ帰った。


ぶわわっ。


結果はゆらゆらと地表をゆらめかせながらやがて姿を消した。


いつもの城下町の景色がもどった。

347


「ふうう…」

ぺたん、とユーカは尻餅ついてはあはあ息はいた。

その顔は赤くて、吐息は熱い。疲れきった様子だった。


「前はたくさんの魔法少女が一緒に戦ってくれたから、あの数だったら全滅に追い込めたんだけど」


と、ユーカは尻餅つきながら両腕を地面について、息きらしながら語って、変身は自動的に解けた。

コット姿の少女にもどった。

                        
「今は私だけで戦っているから、4匹倒せただけでも──」

少女は疲れきっていて、尻もちついた体勢をなおそうとしない。

 ・・・
「大収穫だよ」


円奈はその場にへこたれて、魔法の力を失った弓を手元に持ち、へろへろと崩れてあひる座りになると、
はあああとため息をついた。


「魔獣退治って大変なんだね…」

俯いて、地面をみつめながら人間の少女はため息つく。


「い、いまさらだね…」

ユーカは顔を赤くして口を尖らせた。

それから、やっと体力を回復したユーカは、落としたグリーフシードをひろいあげ、ポケットにためこむ。


「それは?」

円奈がたずねた。


「もっと、魔法少女のこと、いろいろ知ってると思ってた」

ユーカは獲ったグリーフシードのうち一つを、手にとりだし円奈にみせた。



円奈が身を乗り出してそれを眺める。

ほんの四角いキューブ状の、黒い固形物だった。わずかに黒い瘴気のような煙が滲み出ている。


「ほら、私のソウルジェム、ちょっと黒くなってるでしょ」


ユーカは黄色のうちに赤色が混ざったような、不思議な色合いをした卵型ソウルジェムを手の平にのせ、
円奈にみせる。


「でもこうすれば」


グリーフシードをソウルジェムにとりつける。

すると、ゆっくりずつではあるが、ソウルジェムの黒さが、グリーフシードの黒みに、吸い込まれていった。


ソウルジェムは、綺麗な煌きを取り戻した。


「黒いのが増えるとどうなるの?」


円奈はたずねた。


指摘されたように、思ったより魔法少女のことを知らない自分に気づきながら。

アキテーヌ城で、アリエノール・ダキテーヌ姫に、グリーフシードは魔法少女が生きていくのに必要だきいた話は
おぼえている。

でもソウルジェムの黒みが増えると、どうなるかまではきいていない。


「魔力がどんどん消費されて、しまいにはソウルジェムが使い物にならなくなるわけ」

ユーカは答えた。


「だから、魔法少女には必要なんだね」


円奈はあひる座りのまま首をかしげた。


「そ、そーゆーわけ」

ユーカはようやく尻餅ついた体勢から起き上がり、パンパンとコットについたほこりをとった。

城下町の地面は、昼間は糞尿だらけであったが、夜には役人たちが洗浄していた。


「全部黒くなればお迎えがくる。それは分かる?」


円奈は口をひらいて言った。

「円環の理…」


「そう、それ」

ユーカは小さく微笑みかけた。「聖地を目指しているだけあって、さすがにそこはわかっているね」


「でもそれって……」


円奈はエドレスの都市で、ウスターシュ・ルッチーアが、円環の理に導かれた姿を思い出す。

魂だけ抜け、死骸となったルッチーアの姿を。


「死ぬってこと……だよね……?」

声が消え入りそうになる。


「まあ人間からみたら、いや私からみても、まあそういうことだと思うよ」


パンパン、服をはらいおえる。


「それって…そんな…」

円奈はもう、なき始めそうな声になっている。

「魔法少女ってじゃあ……いつも死ぬかもしれないって…そんななかで……魔獣と戦っている……の?」


「そうだよ。大変でしょ」

ユーカはなるべく平然な顔をしようとしているし、平然とした声で答えようとしている。


「いつもいつもだんだん黒くなってくるのに……ソウルジェム……」

円奈の声は、さっきよりも頼りなさげで弱くて、震えた声をしている。

「それでも命がけで魔獣と戦って……」


「円奈ったら、悪いことばっかり、みすぎ」

ユーカはトンと円奈の胸をついた。

「あ…」


円奈が顔をあげてユーカをみる。まるで憐れみかけるかのような、目に涙ためた顔をしていた。

「それと引き換えに得た奇跡も、魔法も、あるでしょ、ってこと」

ユーカは魔法少女として生きる自分の道に人生に、悔いを覚えなかった。


覚えるはずがなかった。


「奇跡も、魔法もって…」

分からず屋なピンク髪の少女はまだ自分を憐れむような目で見ている。


「もう。やめてったら、私はそれを全部受け入れているの。自分の使命だって誇りも持っているの」

円奈は、まだ悲しい顔をしている。

そう、円奈は、鹿目円奈は───鹿目まどかの生まれ変わりの子は。


幼少時代から魔法少女に憧れつづけ、何もできない、ただ狩りをして生きていくだけの自分が悲しくて、
なにか使命を果たしたい人の役にたちたいという気持ちから、ただただ魔法少女になることに憧れ、白い妖精
探しの旅にもでて、聖地をめざす旅にもでながら。


実際の魔法少女の過酷の現実を、徐々に、だんだんと、次第に知っていくのだ。


聖地に近づけば近づくほどに。

思い知らされていく。


だが、それを誇りだ、と言い切る魔法少女も、いま円奈の目の前にいる。


「心配する気持ちは嬉しいけどね、誓っていうけど私、魔法少女になったこと、後悔してないよ」


ユーカは魔獣退治を終えた充実感のなかで、うんと腕を伸ばして、そして。


いつかオルレアンと約束したあの日のことも思い出しながら、昔の自分と同じ台詞を、今ここでまた口にした。


「後悔なんて、あるわけないよ────」

348


そのころスミレは、もう布団のなかに潜り込んでいて、ひとり悩んでいた。

眠れなかった。


手元に穢れのたまったソウルジェムを置いてみる。


その色は、自分の瞳を映したような、深い青色で、海のようだった。


海の雫が宝石になったような色のソウルジェム。

それは、スミレの、深いブルーの瞳の色そのものだった。


海の色をした青いソウルジェムは……半分、とまではいかないまでも、ところどころが黒ずみはじめて、
決して綺麗とはいえない状態の穢れを溜めていた。


日に日に穢れ、黒ずんでいくソウルジェム…。


一日一日、まったくかわらないようにみえて、やっぱり穢れを増している自分のソウルジェム。


このまま黒さが増して、最後の煌きも飲み込んでしまうまで、自分は魔獣退治をしないのだろうか。


もし魔獣退治しようとして、誰かにみつかって、魔女審問を受けるくらいなら、魔女として火あぶりに
されてしまうくらいなら、このままソウルジェムの限界をまって、円環の理に導かれたほうが、よっぽどいい……


スミレは、そういう考えになっている少女だった。

自分のことを、臆病だと知りながら……


でも、今日。

自分より勇気をだした異国の少女騎士をみた。


魔法少女のとしての使命をあくまで果たそうとするユーカの勇姿も、今日は見た…。


ユーカがいるから、魔獣は数を減らし、人々の命も少しは救われる。

でも、城下町の人はそれを知らない。


知らないどころか、魔獣が一向に増えてばかりいるのを、魔女のせいにして、今日も誰かを告発しようとしている。

そうして魔法少女を目の敵にすればするほど、人類にとっては、ますます魔獣が増えて、暗黒を招くというのに、
日に日に魔女狩りは激しさを増すばかりだ。


暗黒が暗黒を呼ぶような毎日。瘴気が瘴気を呼ぶ、まさに魔獣の天国のような状態。


それでも、ユーカは今日も魔獣退治をつづける。


どうしてそんなに勇気をだせるんだろう…


「ねえ、カベナンテル…」

スミレは、そっと、囁き声をだす。


ベッドの毛布から顔をだすと、夜の外気に触れる窓際に黒色の獣が、赤く目を光らせてそこにいた。


「どうしてソウルジェムは少しずつ黒くなっていってしまうの…?」


それさえなければ、もう私は人間として生きられたのに。



「奇跡の対価に口をだしてはいけない」

黒い獣はすぐにいった。

「キミたちは、それを受け入れて、願いをかなえた」


「…」

カベナンテルは、少女と契約する妖精だけれど、あまり頼りにはならない。


魔法少女について、いろいろ教えてくれるが、心から助けてほしいと思ったときに、この妖精が助けてくれた
ことは一度もない。

多分これからもないだろう。


「どうして、”穢れ”なのかな…?」


魔法少女なら、だれもが一度は疑問に思ったことがあるかもしれない、その謎を口にする。


「私たち、希望を叶える存在として、悪い魔獣をやっつける存在として、魔法少女になったのに、
その私たちが力を使うと、”穢れ”なの…?」


海の色をした神秘の宝石は、黒ずみはじめ、どろどろ沈殿物のようにスミレのソウルジェムのなかに溜まり
はじめている。

カベナンテルはそれを”穢れがたまる”という言い方をする。


どうして穢れなんだろう。

私たちは、そんなに穢れた力にあずかっている存在なのだろうか。


穢れがたまるということは、日に日に、悪い意味でよごれていくということではないか。

それじゃ、まさに邪悪な魔女のようではないか。


すると、カベナンテルは説明をしてくれた。


「魔法とはきみたちの生命力を使うことだ」


黒い獣はふわっとした尻尾をゆらした。


「生命力を魔法にかえていくから、消費する。たとえば電気が、熱に。動力が、摩擦に。
力は使うたび、その形、ありかたを変える。きみのソウルジェムもそれと同じで、魔法力を駆使する
たびに、力は別の形へと変換される。そして、火力にとっての灰が不要物であるように、電力にとって
熱が不要物であるように、ソウルジェムの力をつかうたび、きみたちの生命力の一部は、
不要物へと姿を変えてしまう。いうなれば、それが”穢れ”だ」


スミレは顔をしかめる。「ぜんぜん意味がわからないよ…」


黒い獣は尻尾をまた揺らした。「昔の人類なら、わかってくれたのに、ね」


「昔の人類のほうが、偉かった?」

スミレは拗ねた口でたずねた。


「それはわからない。」


カベナンテルはいった。

確かにその声は伝わってくるけれども、口元が動く様子はみせない。


「昔より今のほうが、魔法少女の数はずっと多いから、それだけ魔獣をたくさん倒せる。ボクらカベナンテル
にとっては、それが人類のすることのなかでいちばん偉い。契約を拒む人類より、契約をたくさんしてくれる人類
のほうが、とても偉い。今の人類は昔よりたくさん契約してくれるけど、たくさん魔法少女を殺すから、わからない。」



「エドワード王のことでしょ…」


スミレはベッドで寝返りをうった。

夜はまだ続く。


「ユーカちゃん、無事かなあ……。私みたいに、魔法少女の使命を捨てて魔獣と戦わなくなって、ただ円環の理に
導かれるのを待っているだけの魔法少女は、きっと偉くないでしょ…?」

今も外で魔獣と戦っているであろうユーカのことを想いながら、スミレは自分のことを自虐もした。


「スミレは、偉い。」


すると、カベナンテルはまたもひっかかる答えをした。「スミレはたくさんの感情を、かかえている。
あまり感情のない人類よりも、感情豊かな人類のほうが偉い。」


「ほんと変な子だよね…カベナンテル」


スミレは天井を眺め、目を閉じた。

もう、眠ることに専念しよう……。


「スミレは偉いから、カベナンテルも偉くなれる。」


黒い獣は、独り言をいった。

今日はここまで。

次回、第46話「鍛冶屋イベリーノ」

第46話「鍛冶屋イベリーノ」

349

次の日の朝、スミレは水を飲みたくなって、井戸にむかっていた。

桶をもって井戸の列に並ぶ。


それは毎日の早朝の日常だったけれど、その日の朝は魔法少女が一人、正体がばれて摘発されることではじまった。

「私は、このひとが、」

若い20代ほどの女が、一人の少女を指差して、告発している。「昨日の夜に、外に出るのをみました!」

「私もです!」

別の20代後半ぐらいの女も、口をあわせて告発し、一人の少女を指差して叫ぶ。

「あの子は、外出が禁止されている夜に、通路にでていました。きっと昨晩に、魔法を使ったに、
ちがいありません!」


告発された少女は、まだ10代も半ばの娘だった。顔を蒼白にさせて、顔を硬くして、あっちみたりこっちみたり、
完全に動転している。


告発の騒ぎをききつけた城下町の人々が見物に集まってくる。10人。20人。30人…。


「ち、ちがうっ!」

少女は、30人ちかい見物人に囲まれながら、圧倒的に不利になりながら、自らを弁証した。

「私は、魔法なんて使わない!わたしはただの人間だ!」


「でも、私、みたんです!」

20代の女は、大声で告発をつづける。まるでどんどん多くの見物人を、集めるかのように。

「夜に出かけていました。そして町の外に出かけました。門をでたんです!外出禁止令があるのに、です!
悪魔の集会に、参加したんですわ!」


「ちがうっ!違う!そんなこと、そんなことしていない!悪魔の集会なんて、しらない!私は何もわからない!」

告発された少女は無実を訴えるが、焦りが顔にでていて、気が動転して、狼狽していて、誰の目にも怪しかった。


というより、一度魔女といわれたら、どんな言動しても、怪しいものは怪しかった。


「魔女じゃないというのなら、審問をうけて、身の潔白を証明してみせろ。」

見物人の男が、怒鳴りだした。

すると集まった城下町の野次馬たち、観衆たちがごぞって、それに同調して、おおーおおーと騒ぎをたてはじめ、
そうだそうだ、審問をうけろ、審問をうけろ、人間なら、審問を受けられるはずだ、と叫びだす。


四方ずらりと野次馬たちに囲まれ、魔女と疑われ、騒がれ、告発された少女は、顔を真っ青にさせて、
恐怖に固まった。


ほとんどパニック状態だ。


告発をききつけた審問官たちが、さっそくやってきて、疑いのある少女に、審問をかけようとした。

それは、世にも恐ろしい拷問のはじまりであり、魔法少女と人間を区別するテストであるので、判別審問と呼ばれた。


スミレは、怯えた気持ちになりながら、きっとあの子は魔法少女なんだ、と思った。

昨日、夜間に外出したという目撃情報は、たぶん本当なのだろう。


魔法少女は、ここ最近、夜間の外出を控えていたが、どうしてもグリーフシードがないと、死んでしまう。


あの少女はまさにソウルジェムの限界がくるぎりぎりだったのだろう。


だから昨晩あの魔法少女は、決死の気持ちで、城下町のはずれに夜間、外出した。


城下町のなかよりかは、外の森にでかけて、そこで魔獣退治して、グリーフシードを稼いだほうが、
人目がはずれて安全だという判断だったのかもしれない。


しかし、その判断が運の尽き。


不運にも、夜間の外出者に目を光らせる市民の女たちがそれを見つけた。

目撃情報が告発されたら、もう、言い逃れはできない。


「人間なら、痛みを感じる。人間でないなら、痛みを感じない。おまえにそれを試そう」


審問官は手慣れたやり口で、魔女の容疑がかかる少女を、審問へ誘導する。


「審問を拒むのはおまえが、人間でないことを秘密にしたいからだ」


審問官がそう説明すると、観衆たちも、そうだそうだ、審問を受けろ、魔女でないなら受けられるはずだ、
といいだす。


まったくもって狂気だった。


審問官が用意したのは、魔女刺しと呼ばれる、羽ペンくらいの長さの針である。

これを、体の各所、とくに怪しいと思われるホクロや、痣(こういう箇所が悪魔と魔女の契約のしるしだと疑われやすかった)に、
針をブスブス、刺していく。


そうして痛みを訴え続ければ、人間という判決であり、痛みを感じない反応をみせるなら、魔女、つまり魔法少女の肉体という
判決になる。


魔法少女としては、この審問にかけられたら、最後まで、針を刺されても嫌がるという演技をすればよい。それで生き残れる。

もっとも、判別審問をうけてそれに成功した魔法少女の前例は今のところ一人もいない。苦痛のあまり、恐怖のあまり、
痛覚遮断をして、人の体をしていない真実を衆目に晒し、火あぶりにされていった。


ソウルジェムの秘密を知られた魔法少女たちの悲運。

卑弥呼の時代から3000年以上隠されていたその秘密はこの時代に明るみへでた。


一旦でも魔女の疑いがかかると、審問を嫌がるのはつまり、針をさされても痛みを感じないのを秘密にしたいから、
という意味にされてしまう。


となれば、疑いを晴らすためには、審問を受けてクリアするほか、何もない。


恐るべき魔女審問だった。


「人間なら、痛みを感じるはずだ。だがおまえが人間でないなら痛みを感じないだろう」


審問官は繰り返す。手に、魔女刺しの針を何個も持ち歩いて。


「拒むなら自分が魔女であることを自白のと同じである」


でも、どんなにそう諭されても、疑われた少女は、あくまで拷問をいやがる。

うけろ、うけろ、うけろ。審問を受けろ。

観衆たちはどよもす。


彼らは、日々の陰湿な空気に嫌気がさし、城下町に正体かくして暮す魔法少女の魔女容疑、その審議拷問に
日常の楽しみを見い出すようになっていた。


日に日に謎の死人が増える毎日。安心して眠れぬ日々。

瘴気にまみれた暗黒と絶望、陰鬱の日々。


その原因が魔獣にあることが分からぬ彼らは、その原因はすべて魔法少女のせいであるから、魔法少女の火刑こそ、
日常のなかで最大の楽しみになりつつあった。


だから彼らは、疑われた少女に、怒りをぶつける。

全ての怒りを。


審問をうけろ、審問をうけろ、と叫ぶ。


豹変した城下町の人々の狂気と、魔女を凝らしめろ、魔女を懲らしめろと怒鳴る声を一身に浴び続けて、
とうとう気がおかしくなってしまった少女は、きゃあああとさけびをあげて、観衆のなかにとびごんだ。


「たすけて!たすけて!私を誰か、たすけて!」


といいながら、群集の壁を抜けようとする。


「私、魔女じゃない!魔女じゃない!魔女じゃない!人間だ!」


疑われた少女は、自分は魔女ではない、と無実を訴える。

しかし、観衆に紛れ込もうとした少女に、城下町の人々は、残酷な仕打ちをした。


日常の不満に怒りを溜め込んでいる城下町の人々は、手にトンカチや、用心棒の棍棒をもち、群集に紛れ込んで
逃げようとした少女を、ガツガツ叩き始めた。

女も男も、全員、道具をもって、ひたすらひたすら魔女の疑いがかかった少女を打ち、囲い、リンチし、叩く。


人間とは残酷だ。ソウルジェムの秘密を知った人間たちは魔法少女を見つけると狩りはじめる。


城下町すべての人が敵だった。


い、いやああっ。


少女は頭をドンとトンカチで額を叩かれ、血を噴出した。


そしてぐらっと地面にぶったおれ、力をなくして、よろよろともがいた。


その場のだれも、疑われた少女の味方をしなかった。


あたかもマーティン・ルターが提唱して以来激化したヨーロッパの魔女狩り時代の再来のように、
魔法少女たちは狩られていく光景だった。

しかし、あのときの魔女狩りと決定的に歴史的な意味でちがうのは、あの魔女狩りは人間も魔法少女も見境なく
火あぶりにしたのに対して、この魔女狩りは完全に魔法少女だけを目の敵にした狩りであることだ。



少女は気絶して、ぐったりして、頭から血を流したまま、両手をロープに縛られ吊るされた。


審問官がその様子を見守る。


ロープで縛られて、爪先立ちに固定された、気絶した少女に、ばしゃあっとバケツの水を
かぶせて無理やり起こした。


目を覚ました少女は、恐怖に絶叫するのだった。


しかし、ときすでに遅し。


両手は硬く縛られて、ソウルジェムも審問官の手に没収されていた。指輪であるそれが、なんであるか、もうその秘密は、
王の手下たちには知れ渡っているのだ。


そして、ロープに両手を死刑台に括られ吊るされた少女は、ぐるりと四方を見物人が囲うなか、一本、また一本と、役人たちの
魔女刺しの針を、受け止めていった。

「あ゛っ・・・…あああ゛っ…ぐ!」

最初は、本気で嫌がり、痛がる。まだ、痛覚を遮断してはいけない理性があるうちは、針を堂々うけとめ、足や腕、
肩、腿などに、針がさされ、出血していく痛みを、人間の感覚として我慢する。


だが、10本、20本、と魔女刺しの針が増えていくにつれ、魔法少女の表情は絶望的になる。

ついに痛覚遮断するまで、拷問官たちの針を刺す手はゆるむことをしらない。

すでにヤマアラシに襲われたように体じゅうが針だらけで、体じゅう血だらけの魔法少女は、このありったけの血が
抜かれても意識がくっきりしている様態を、市民たちに怪しまれる。


そして、目に涙ためて、歯をかみ締めて、針をまざまざ見せ付けられて嫌がる魔法少女の首筋に、針を刺す。

「あ゛…っ」

ふつう、首に針をさされれば、もう意識を保てないし、痛みのあまり発狂してしまうはずである。人間であるならそうである。

しかし、魔法少女は、首を刺されても、死ぬのはいやだという気持ちが働いて、とうとう痛覚を遮断してしまう。


市民たちは、首に針をうけても、血だらけになっても、もう痛がる反応を示さなくなった魔法少女の様態をみて、
こいつは魔女だ、魔女だと叫び始めた。


そして、痛覚遮断してしまったことで、魔法少女であることが人々に知られたその少女は。

ロープら縛られて吊るされたまま、油を全身にふっかけられ、次の瞬間には、審問官に松明の火を投げ込まれる。

一瞬でぶわあ、と青い炎に魔法少女の全身は包まれ、火によってロープがこげてちぎれて、炎に包まれた魔法少女が暴れだした。

すると審問官が、焼けた炎の中に没収したソウルジェムを投げ込み、魔法少女の魂を焼く。

魔女の判決がくだった魔法少女は焼け死ぬ。本体であるソウルジェムは焼かれて焦げた。



少女は気絶して、ぐったりして、頭から血を流したまま、両手をロープに縛られ吊るされた。


審問官がその様子を見守る。


ロープで縛られて、爪先立ちに固定された、気絶した少女に、ばしゃあっとバケツの水を
かぶせて無理やり起こした。


目を覚ました少女は、恐怖に絶叫するのだった。


しかし、ときすでに遅し。


両手は硬く縛られて、ソウルジェムも審問官の手に没収されていた。指輪であるそれが、なんであるか、もうその秘密は、
王の手下たちには知れ渡っているのだ。


そして、ロープに両手を死刑台に括られ吊るされた少女は、ぐるりと四方を見物人が囲うなか、一本、また一本と、役人たちの
魔女刺しの針を、受け止めていった。

「あ゛っ・・・…あああ゛っ…ぐ!」

最初は、本気で嫌がり、痛がる。まだ、痛覚を遮断してはいけない理性があるうちは、針を堂々うけとめ、足や腕、
肩、腿などに、針がさされ、出血していく痛みを、人間の感覚として我慢する。


だが、10本、20本、と魔女刺しの針が増えていくにつれ、魔法少女の表情は絶望的になる。

ついに痛覚遮断するまで、拷問官たちの針を刺す手はゆるむことをしらない。

すでにヤマアラシに襲われたように体じゅうが針だらけで、体じゅう血だらけの魔法少女は、このありったけの血が
抜かれても意識がくっきりしている様態を、市民たちに怪しまれる。


そして、目に涙ためて、歯をかみ締めて、針をまざまざ見せ付けられて嫌がる魔法少女の首筋に、針を刺す。

「あ゛…っ」

ふつう、首に針をさされれば、もう意識を保てないし、痛みのあまり発狂してしまうはずである。人間であるならそうである。

しかし、魔法少女は、首を刺されても、死ぬのはいやだという気持ちが働いて、とうとう痛覚を遮断してしまう。


市民たちは、首に針をうけても、血だらけになっても、もう痛がる反応を示さなくなった魔法少女の様態をみて、
こいつは魔女だ、魔女だと叫び始めた。


そして、痛覚遮断してしまったことで、魔法少女であることが人々に知られたその少女は。

ロープら縛られて吊るされたまま、油を全身にふっかけられ、次の瞬間には、審問官に松明の火を投げ込まれる。

一瞬でぶわあ、と青い炎に魔法少女の全身は包まれ、火によってロープがこげてちぎれて、炎に包まれた魔法少女が暴れだした。

すると審問官が、焼けた炎の中に没収したソウルジェムを投げ込み、魔法少女の魂を焼く。

魔女の判決がくだった魔法少女は焼け死ぬ。本体であるソウルジェムは焼かれて焦げてついに溶けた。



しかし、悪夢はこれで終わりではなかった。


審問官は告げた。


「少女”サトルティ・アルコスト”は悪魔と契約した魔女であったので───」


市民は、焼け焦げた魔法少女の血みどろの遺体を蔑視の目で見下ろす。


「その一家、姉妹、母も魔女の容疑にかける」


これが、エドワード王は昨晩打ち出した新しい方針だった。


娘が魔女たったということは、その姉妹も、母も、魔女である可能性があるのと同時に、それをかくまっていた
一家は、共犯であるので、審問を受け、かつ財産は全没収、死刑または投獄という法令であった。


この法令によって、もう家族は娘が魔法少女であることで匿うことができなくなってしまったのである。

匿えば家族全員が死刑になってしまうから。


王都の魔法少女たちに置かれた立場は、ますます悪化、緊迫化した。

350

サトルティ・アルコストはバター製造業者の娘であったが、魔女の容疑がかけられ、審問の結果、痛覚のない
魔女であることが判明したので、その母も妹も連れられた。


母や、自分の娘が魔女だったことを知って、顔を蒼白にさせ、泣き叫んだ。


妹は、その場でおお泣きをはじめた。


しかし情け容赦はない。


妹も母も、同様の容疑にかけられた。

妹と母は、「そんな女は知らない、他人だ」と言い張ったが言い逃れできなかった。

王の勅令によって魔女の家族は全員共犯とされたからだった。


そして姉妹も母もみな、そろって火あぶりに焼かれ、全員灰になった。



城下町の人々の不満を和らげる唯一の魔法少女の公開処刑は、日に日に、苛烈になっていった。

魔獣が支配する町で、人々の心はほとんど、荒んでしまっていた。


人々の心に、希望を取り戻すには……。


魔法少女が、魔獣と戦うしかないのだ。

351


鹿目円奈もユーカも観衆のなかにいた。

この日も恐ろしい公開処刑がなされたが、二人は決意を固めた顔をしていた。


二人はこの魔女裁判を憎んだ。


憎んで、どうにか止めさせる方法はないかと考えた。


鹿目円奈は昨日、ユーカと魔獣退治がおわったあとの、別れ際の会話を思い出す。


”また次の日も、一緒に魔獣退治に連れてって、くれる───?”


”えっ?”


ユーカは、驚いた顔をして円奈をみる。

「どうして?王様に会うんでしょ?通行許可状を見せに…」


「ううん」

あの日の夜、円奈は首を横にふって自分の意志を告げた。「わたし、エドワード王には会わない」


「会って通行許可もらわないと、橋のむこうに渡れないよ?」


ユーカは諭したが、円奈の意志は変わらなかった。


「わたし、王の魔女火刑を、やめさせたいって、思う」


円奈は決意の言葉を口にしていた。「だって、ひどい……こんなことって…あんまりにひどすぎるから……。
私、エドワード王は、敵だって思う」


ピンク髪の少女はこの城下町で、それを言い切る。


ユーカはしばし何もいわずに円奈を見つめていたが、やがてその顔は綻んで笑った。


「やっと、安心できたかな」


「えっ…安心?」

意外そうな顔をして円奈は目を開き、ユーカをみる。


ユーカは微笑んでいた。「私、最初あなたとあったとき、”王様に用がある”っていうから、てっきり
王様の息がかかった新手の派遣兵かなにかだと思ってたの」

「そ、そんなあ…」

円奈はショックうけた顔をした。


「ごめんね、でもそれくらい、この城下町って人間を信じたくなくなるでしょ」

ユーカは寂しげに微笑む。

「でも、今のでやっと安心。円奈は、私たちの味方だね。エドワード王の敵は、わたしたちの味方。
私たち、友達だねっ!」


友達────。



長らくきいていなかった言葉は。

円奈の脳裏に、すうっと入り込んでくる。


「友達……うん」

円奈は腕を伸ばして、そしてユーカの手をとって、握手した。

「私たち、友達だね!」


二人で手を交し合い、微笑みあい、そして王の魔女火刑──つまり魔法少女狩りをやめさせる───という
二人の約束を、交し合った。

352


「昨日の夜、エドワード王に会うのやめたっていってたけど、たぶんそれで正解だよ」

ユーカは灰になったバター製造業者の母娘たちの後処理を眺めながら、円奈にいった。

「……通行許可状あるからって、いまごろ円奈が王に会っていたら…」


「私も魔女にされてたかも…ね」

円奈は引き締まった顔をして言葉を受け継いだ。もう、油断してはいけない状況下にあることは、わかっていた。



鹿目円奈は確かに王に会う権利を持つ少女だった。


通行許可状をエドワード城の入門口の衛兵にみせれば、王にお通ししてくれたかもしれない。

しかし魔法少女狩りに躍起な王は、たちまちに円奈に魔女の疑いをかけたかもしれない。

円奈自身その可能性に気づいたのだった。


鹿目円奈はこの城下町に住む危険を理解する。


自分の身は自分で守らなくてはいけない。

354


それにしても、どこか清々しい一日だった。

自分の信じてきたことしてきたことが、少しでも報われた気持ちがしてくる。


すうっと息を吸いたくなる。


私はやっぱり、まちがっていなかった。


魔法少女の使命を信じて、人の世界に希望をもたらす存在だと信じて、魔獣と戦い続ける。

そんな自分にやっと一筋の光が見い出せた気がした。


たった一人の少女が、今日も魔獣退治のとき、一緒にいてくれるって、そばにいてくれるって、そう考えるだけで……。


救われるような気持ちにさえなった。


それくらい、本当は、ユーカも苦心でいた。


今の日々に。

魔法少女たちが悪者に貶められ、魔法少女狩りされていく日々に。

毎日のように、150人ちかくいた仲間の魔法少女たちが、少しずつ火あぶりになっていく毎日に。



洗濯と牛の世話が終えると、一日のうちで唯一楽しみな時間、市場への買い物へでる。


その日も市場は盛り上がっていた。

自分は買い物にでたが、妹は今日もリンネル、衣類、下着の裁縫に励んでいる。今日もいいお嫁さんに
なる訓練を積んでいるわけだ。


市場のほうはというと、今日の小売商は、ワイン、織物、染料、羊毛、金属加工品、香辛料などを
ベンチにたてて売る。


小売商組合に属する商人に通達された規定では、香辛料、薬草、南国の果実、紙、木綿、亜麻布、
羊毛織りリボン、ビロード、絹地、甘草、銀の売買が、市内のみで許可され、橋においては、
これに加え、ビャカシンの実、染料、松の油煙、木製升、白檀、リボンなどが売買される。

通行してくる商人は、橋を渡る通行税を払うことになるが、王都の大いなる収入である。


その日、ユーカは市場にて、外套、靴、スカートなどを女性職人から買って、買い物をすますと、
ある鍛冶屋見習いをたずねた。


この王都には、エドワード軍の拠点であるから、武器職人も多い。

ふるい工、車輪工、刃物工、蹄鉄工、刃物研ぎ、錠前工、クロスボウ職人。


彼らは、エドワード橋、つまり地表3キロの谷に架けられた巨大な橋にギルド通りに市場をもち、
騎士や守備隊、傭兵に武器と工具をつくる。


ユーカは普段その橋側の武器市場には寄り付かない。


それもそうで、騎士でも王に雇われた兵隊でもないほすの城下町の娘にすぎないユーカが、
どうして武器市場になんて寄る必要があろうか。


いや、魔法少女となったのなら、武器市場にいって、槍でも戦斧でも剣でもなでもかって、武装すれば
いいではないか、いや、やはりそういうわけにもいかない。


家族が、娘がギルド街の武器市場から、正規軍ご用達の剣なんか買って帰ってきたら、驚くだろうし、そもそも10代の
娘を相手に、商売を武器職人たちはしない。


それでもなぜユーカが、武器市場に寄るか。


ユーカは買い物目的ではなく、とある鍛冶屋にて、見習いとして奮闘する鍛冶屋見習いの少年を訪ねようと
していた。

一年くらい前に知り合った少年だった。


橋にでると、樽をのせた荷車が何台か行き来する。通行税を払った商人たちだ。馬がひく荷車は行列をつくる。

たぶん、香料と芳香植物などを、持ち運んできたのだろう。もちろんそれは、宮廷料理で贅沢に使われる。


行き来する荷車のあいだを通り、橋のアーチを登る。


それにしても大きな橋だ。

切り取られた石が、レンガのように組み合わされて、ひっつけられてできたアーチ橋は、王城への道である。


事実、ユーカが足を進めている橋の正面には、王の城、エドワード城の入り口がある。


その入り口は、固く鉄柵に閉ざされ、門番が見張り、城壁に囲まれ、松明の火が城門の両端に燃える。


橋の両端────深い深い谷底のみえる崖っぷちの淵は、武器職人の家屋がならぶ。


盾に剣を二本、バッテンに交差させた紋章や、縄に蛇が交わっている紋章、一目で何屋かわかるギルドの
紋章を吊るした、飾り看板。


ユーカが訪ねようとしているのは、鍛冶屋”イベリーノ”だった。

そこにはイベリーノという鍛冶屋主人のもとで修行する、リリド・ライオネルという見習いの少年がいる。



武器職人の市場にきた。


そこは風景がやはり、ユーカの日常でみる市場とちがっていて、騎士と武器職人の世界だった。


取引される品物は必ず武具で、弩袋、鞍袋、馬腹帯、馬勒、拍車、鐙、むながい、硫黄、硫酸塩、
ろくしょう、えびら、蝋、紙、鏡、年鑑、着色毛皮など。


まさに戦争と男の世界って雰囲気の市場だった。


戦争に使うものを売るので、戦争を知らないユーカには、よく分からない品物が市場に並ぶ。


それにユーカとちがって、読み書きのできる騎士たちが行き来するので、書籍も取引されている。

詩集、説話集、文教集…。



この市場の職人たちは、エドレスの都市で馬上槍試合が開催されると、そちらにも出稼ぎにでて、同様の商品を
定期的に売ることもある。


魔法少女とちがって、彼ら男は、戦うときにきらびやかな衣装姿になったりしない。


魔法少女にとっては、自分の身体に何を纏うのかは、魔力の根源にかかわるものですらあるので、
必ず変身するが、男の世界ではそういう概念はない。


ここ最近、王の軍を指揮するオーギュスタン将軍が帰還して、ユーカはその帰還姿を見た。


オーギュスタン将軍はやつれていた。


その戦場に、城下町から二人の魔法少女が出陣したときいたが、帰還兵のなかに魔法少女はいなかった。


それにしても、やはりこうしてみると場違いだな、とユーカは想った。

自分を妙な顔つきでにらむ男たちもいる。


市場を行き来しているのは、やはり鞘に剣をさした、立派な背の高い軍人さんたちばかり。


騎士、兵士、傭兵さんたち。男の人ばかり。


そこにぽつんと、バスケットという可愛らしい買いかごを腕にかけた、古びたコットを着た娘がいる。

まるで森に迷い込んだ赤ずきんの少女だ。



しかし、そんな視線はなれっこだ。


武器市場の市街を歩き、イベリーノの吊り看板をみつける。


それをみると、緊張が一気に高まる。


足がとまる。


勇気をだせ、ユーカ!


きづいたら、イベリーノの鍛冶屋の店前にいた。


でも、入り口の前にたてず、壁際に背をつけて俯いている自分がいた。


すでに、吊るし看板のついた鍛冶屋のなかからは、カンカンカンという剣を鍛えるハンマーの音がする。


この音は、きっとイベリーノおじさんじゃない。


ライオネルだ。


身体がふるえてくる。


胸元で両手を組み、俯いて、緊張して、やっぱり今日のところは引き返そうかと思ってしまった。


「はあっ…」


息をはいて、自分を落ち着かせた。


すううっと息を吸い込み、深呼吸して、平常心になると、扉を開いて鍛冶屋にはいった。

てくてくてく、鍛冶屋のなかにはいってゆき、やはりイベリーノおじさんが、今日いないと分かると、
落ち着かせたはずの胸は、はやくも脈を高めた。


鍛冶屋のなかでは、一人の少年が、真摯な顔つきをして、一本の剣とむきあっていた。


一本の剣は、木炭の火のなかにおかれていたが、やがて金床の上に運び出されると、
カンカンカンカンと、鉄のハンマーで叩かれ、鍛え抜かれていく。


そのあとふいごを使って、木炭に空気を送り込み、火を強める。

これが鍛冶の作業場だ。


「ライオネル」


ユーカは、少年の名をよんだ。


鍛冶屋見習いの少年は、汗だくだったが、少女の声にきづいて、顔をあげた。


そして、朗らかに笑った。「やあ」


ユーカもニコリと微笑んだ。


少年は鍛えていた剣を再び火の中に突っ込みいれる。


「仕事、邪魔しちゃうかな…」


ユーカは緊張の面持ちで少年にたずねた。


「ううん」

少年は額についた熱い汗を、壁際にかけてあった布でふきとった。


顔に布をつけ、ごしごししたあと、少女と向き合う。「平気さ」



ユーカはまた微笑み、そしてバスケットから、衣服をひとつとりだした。「はい、これ…」


それは朝に洗濯してきた、少年の衣服だった。


服は、きれいにたたまれていて、新品のようだった。


ライオネルという少年は嬉しそうにそれを受け取った。

「わあ…いつもいつもありがとう」

そしてひろげてみせる。


ユーカは、ライオネルという少年のために、彼の服を洗濯して、朝に干してあげたものを、持ってきて彼に
返したのだった。


「男しかいない作業場だからね、洗濯してくれる人がいなくて…」


少年はバツがわるそうに頬をかく。


「ぜんぜん、へーきだよ」

ユーカは優しく微笑む。「また私が洗濯してあげる」


仕事バカだから、仕事には真剣だけど、身の回りはとにかくひどい。洗濯をまったくしない。お風呂にも
そんなに入らない。

だから、ユーカは彼のために洗濯をしてあげていた。


「いつも悪いね…」

少年は、少女が洗濯してくれた自分の衣服をまたたたむ。そして部屋の隅テーブルに置いた。

「ひとり立ちするって面目だから、母任せにもできなくてね、みんなには内緒にしていてくれる?」


「わかってるってば」

ユーカは優しく微笑んだあとは、少年の手元を眺めて、薪火に熱せられる剣をみる。


「完成しそう?」ユーカはたずねた。


「師匠に認められる出来か、自信はないんだ」

少年は自作の剣を見下ろす。その黒い瞳に火が映る。少年が剣をみると、途端に真剣そのものな顔つきになった。


「イベリーノおじさんがいたらまた怒鳴られているところだった」

少年は再び、自作の剣から目を離して、ユーカをみた。

「”女に自分の服を洗濯なんかさせるな”って」


「”女がくるところじゃない”とも怒鳴るかもね」

ユーカは笑って言った。そして自分もイベリーノおじさんに、この鍛冶屋にくるたび、出てけ出てけと
怒鳴られた日々を思い出す。


騎士でも兵士でもない、服屋の娘が、鍛冶屋に何しにきた、仕事の邪魔だ、でてけでてけと、あの気難しい
髭を生やしたおじさんに怒鳴られ、追い出された。


ユーカは懲りずにイベリーノにきた。


「見習いで、少ない賃金で生活してるけど───」

少年は穏やかな口調で話す。

「ぼくは必ず一人前の鍛冶屋になって、独立する」



「ライオネルなら、できるよ」

ユーカは少年を励ました。「私、よく知らないけど、その新作はかっこいいと思う…」


「そうかな?ありがとう」

少年は嬉しそうに自作の剣に目をまた落とした。

そして、グイっとそれをやっとこでつまみあげると、ばしゃあって水に入れ、ジュウっと音がなると、
急にさめた剣をまたハンマーでカンカンカンと叩きはじめた。


すぐ少年の顔はまた汗だくになって、懸命にハンマーを剣に打ち込む。


ユーカは、ただ少年が、剣の鍛冶に打ち込むに励む姿をじっと見守っていた。


少年が手がけている剣は、ロングソードで、師匠に認められれば騎士に売るだろう。


ライオネルの丹精こめて造られた剣は、騎士の魂となり、戦場で活躍の場を待つことになる。

今日はここまで。

次回、第47話「ユーカのねがいごと」

第47話「ユーカのねがいごと」

355


一年前、ユーカは契約して魔法少女になった。


それまでは、王都の城下町に暮らす一人の人間の娘だった。


とはいっても、魔法少女の存在が隠れていないこの時代、契約するはるか前から、魔法少女の存在は
常識のように知っていた。


とくにここ城下町では、人を疫病から救った奇跡の魔法少女・オルレアンさんがいる。

その名を知らない者はいない。


そうともなれば、年頃の少女ともなれば、なりたいとまでは思わなくても、魔法少女のことを、よく知りたいと
思うのは、思春期の好奇心としては普通だった。


ユーカは、そのころも洗濯をしたり、服の小売を営む母の裁縫を手伝ったりもしたが───夜間になると、
窓からよく魔獣と戦うために十字路に出かける魔法少女たちの姿を目で追った。


夜間はこのときから外出禁止令がでていた。


それは当たり前といえば当たり前で、オルレアンが、魔法少女でない人は、夜間に外に出てはいけない、
ここは魔獣があまりに多く発生しているから、と警告したからで、城下町の人々はその警告を聞き入れて
夜間の外出をしなくなった。


ユーカも両親からそれはきつく言われていたので、魔法少女たちのあとを追うことはできず、二階の窓から
眺める日々だった。



夜間になると、町に魔獣が発生しているらしい…


雨が降りしきるなか、暗い雨の十字路へ、小さな少女たちが何人か、手をとりあって出かけていく…。


ああっ、戦っているんだな……すごいなあ…。


二階の窓から眺めながら。

ただ心で思う。


そんな日々だった。

356


ユーカは魔法少女が好きだった。


きらびやかで、素敵で、かわいらしい姿に変身していく少女たちは、夢に思い描く世界の乙女たちのようだった。


その衣装は、一人一人ほんとにいろいろな服があって、ふわふわしたスカートとか、きらきらしたワンピースとか、
ひきしまったボディスとか、お姫様のようなコットとか…


中には、男の子のようなズボン姿になって、麗しき姿を披露しながら剣を振り回す魔法少女もいた。


ユーカの目からみても、それは、かっこよかった。



ある日、城下町開催の興で、魔法少女とエドワード軍の槍試合演目という大会がひらかれた。


城下町と王城をつなぐ、エドワード橋でひらかれたその大会は、ユーカの目を楽しませてくれた。


魔法少女も騎士も馬にのって、試合用の棒で突き合うという試合だった。


エドワード軍の騎士は、正規の軍であるので、彼らは騎士にかけたプライドをかけて魔法少女たちと戦う。

それは善戦を演じてみせた。


けど、最後まで馬上にのこっているのは、魔法少女の陣営だった。

騎士たちはみんな馬から落ちた。



城の音楽隊がパッパーと軍旗を巻いたラッパを吹き鳴らし、試合終了の合図をだし……。

魔法少女の勇姿ぶりは城下町の人々を熱狂させたのだった。


ユーカはそのとき、大会の主催者として出席していたエドワード王とメアリ姫の姿をみたことがある……。


王と妃は、二人並んだ木の椅子に腰掛け、うでかけに手をかけながら、試合を眺めていた。



「木の棒だから負けたんだ」

そのとき観客として試合を眺めていたユーカの隣で、ある男の子が、感想をつぶやいたのだった。

「騎士の得意武器じゃない。剣だったら負けなかった」


それは独り言だったが、観衆たちがおーおーおーと声あげながらパチパチパチと拍手しているなか、
その言葉だけがなぜか妙にユーカの耳にはいって、思わず少年にユーカは、話しかけた。


木の柵に囲まれた試合場では、落馬した5人の騎士たちを、エドワード軍の兵たちが助け起こしている。


魔法少女はまだ馬にのって、馬術を披露している。

馬にスキップさせたりしていた。


そのたびに、柵の外を囲んだ観客たちは、おーおーと笑い、拍手した。


「魔法少女より騎士を応援してた?」

ユーカが、なんの気なしに話かけると、少年がユーカをみて、それから口を開いた。

「ぼくは小さな頃から騎士道物語がすきなんだ」

と、少年は語った。

パチパチパチパチ…という観衆の拍手の音が、また聞こえてくる。

「だってかっこいいだろ。甲冑を着込み、剣で戦うんだ。外敵と戦うためにね!馬と一心同体になって
敵にぶつかるんだ!」


「男の子は騎士さまに憧れるんだね」

ユーカがいうと。


「じゃあ女の子は魔法つかいに憧れるというのかい?」

と少年はききかえしてきた。


ユーカは、その質問を少年からされると、なんだか急に頬が上気してしまい、照れてしまった。


そして、照れながら……目を逸らしながら、言った。「…うん」



しかしユーカの気持ちなどしったこっちゃない少年は、自分の気持ちだけ語る。

「きみも騎士道物語をよめばいい。魔法つかいよりも精神が高貴だ」


「なによ、あなたこそ、オルレアンさんの話をきけば?」


二人の話はだんだん口げんかになってきた。


「王から叙任されて、あるときは姫からスカーフを受け取ってそれを胸に結んで敵に勝つと、姫から褒美を授かるんだ。
騎士の生き様だ」

それから彼はつけ加えた。

「剣さえ演目にあったのなら、魔法つかいに負けたりしなかった」


「まけないよ」

ユーカは変な意地をはっている自分をかんじた。「剣が得意な魔法少女も、いるんだから」


「だとしたら惜しいよ。ぼくは騎士のまける姿をみたくなんかない」

男の子はとつぜん、悔しさいっぱいの声にかわった。

「ぼくは見習い鍛冶屋なんだ。3ブロック後ろの”イベリーノ”で修行させてもらっている」

少年は自分のことを語った。

「いつか騎士に使ってもらえるような、立派な剣を自分の手で創りあげたいんだ」


ユーカはそのとき、少年が本当に騎士道物語がすきで、騎士が好きで、自ら厳しい道に進んだことを
知ったのだった。

生まれの身分が庶民だから、騎士がダメなら、騎士の武器をつくる職人になってやろう…という夢を
思い描く道だった。


自分のように、憧れの存在を遠目に眺めながら、なにもしていない自分とはちがう……。



この少年は、彼なりに、憧れた存在に近づきたくて、本当に努力している人だった。自分の道を進んでいる人だった。

そして自分の憧れのためになら、厳しい道に進むことを惜しまない人だった。



鍛冶屋の弟子入りは、数あるギルドの弟子入り制度のなかでも、いちばん修行年数が長くて、かつ厳しい。
一人前に認定されるまでの道のりは、最も険しい。

読み書きはもちろんのこと、体力、技術、鍛錬が最も要求されるこの時代の最高峰の職業のひとつ。


だが少年はその道に進んだ。


「最強の騎士に自分の剣を使ってもらいたいな。それくらいの剣をこの手でつくり上げてみたい」


少年の瞳は、夢をみていて、憧れを思い描いていて、美しい瞳をしていた。


ユーカは一瞬、すべての考えがとんで、ぼーっとした。


「そしたら、あの魔法つかい達にも、今度こそ一泡ふかせてやるさ!なんて、ね」


最後には笑って、ユーカをおちょくってきた。


それではっと我にもどったユーカ。


とっさに、どうしてこんなこと言ったのか自分でもわからないのだが───口にして答えた。


「そんなことできるわけないでしょ、理想を見すぎだってば」


少年が悲しい顔をした。


ユーカは、そしたらなんだか怒りというか、腹立たしさみたいなのが胸にこみあげてきて、ふんと鼻をならして
少年に背をむけて、家にもどってしまった。


急ぎ足で。

逃げるみたいに。

357


その翌日からというもの、ユーカは、魔法少女を遠目に眺めているだけに我慢ができなくなってきた。

自分もなりたい。魔法少女に。憧れの存在に。


といっても、夜間は外出禁止令がでているから、昼間にユーカは時間をみつけては外に出かけ、城下町の魔法少女を探した。


ユーカが探す目当ての魔法少女は、オルレアンだった。


いまや城下町で最も認められているらしい魔法少女。


まだ人間の娘であるユーカには、あまりよく分からなかったが、オルレアンは城下町を疫病から救っただけで
なく、魔法少女たちのことも救ったらしい。


それ以来、魔法少女は遠く森まで外出するようになったのだとか。


ユーカには想像もできない、気の遠くなるような話。


城下町暮らしの乙女にとっては、森というのはオオカミとか、幽霊とかが、出没する魔界のようなところだと
想像したものだった。


というより、小さい頃から親からそういう話ばかりきかされて、森に対してそういう想像を抱くようになった。

森にでかけると、オオカミにであい、騙されて、腹のなかにはいってしまう…

森で迷子になると、お菓子の家に遭遇し、魔女に食べられてしまう…

妖精に出会い、湖の水面に映った自分の鏡像と、本当の自分とが、入れ替えられてしまう…


こんな話ばかり、親からされるので、なんでも信じた幼き時代のユーカは、森とは本当にそういうものだと
思うようになった。


実際それは、好奇心旺盛な子供が、勝手に森に抜け出すのを抑える親の知恵だった。



でも、ちかごろ魔法少女たちはそっちにまで出かけて魔獣を退治するらしい。


オルレアンさんは、やっぱり朝早くに、スコップをもって、城下町の道路におちた汚物を処理していた。


城下町の夫人たちは、バスケットにいれたパンを、オルレアンにわけあたえたり、ナプキンを渡したりする。


人気者だった。

このとき城下町の人たちはまだ、オルレアンという人を、”同じ人間”としてみていた。


ユーカはこのとき、はじめて勇気をだして、オルレアンに話かけた。

つまり、魔法少女について教えてほしい、とせがった。

358


「ただ、なりたいってだけじゃ、だめ…なの、かな?」

ユーカは、城下町で一番の人気者である魔法少女のオルレアンに、そうたずねた。


「なりたいって、魔法少女に、ですか?」

オルレアンは驚いた様子で、城下町出身の若い娘を眺める。


「うん……」

ユーカはおずおず答え、指同士を繋ぎ合わせて、俯き加減なまま自分の気持ちを伝えた。

「魔法少女になってみたいって、何度か思ってね?でも、願いごととか、見つからなくて…」


「力そのものに憧れているということですか?」

オルレアンは目を大きくした。


「そう…なのかなあ…」

ユーカの俯いた顔に赤みが差す。「なんていうか…魔法少女って素敵だし、かわいい衣装に変身するし、
城下町の平和を守るなんてかっこよくて民衆の味方っていうか……とにかく、なってみたいなって
ちょっと思ったりすることがあるの。そんな私って、だめ…?」


要するに興味本位で魔法少女になってみたいです、という申し出だった。


オルレアンは、ふっと笑い、そして、ユーカの額を指のさきで突いた。


「あっ」


俯き加減のユーカがおもわず顔をあげる。


オルレアンは告げた。

「そんな気持ちで魔法少女になっては、いけませんよ。」


そして彼女はまたスコップを握る。


「もし、本当になりたいのなら、願い事はしっかり見つけてからにしなさい。」



「で…でも…!」

ユーカはくいついた。


たしかに、特にどうしても叶えたい願い事もなくて、これといって生活に困っているわけでもないのに、
ただ素敵だからかっこいいから、という気持ちで魔法少女になるというのは、甘いのかもしれない。


「でも…なってみたいって本当に何度も思ったことがあって…今だって…!」


「魔法少女になるということは、元に戻れないということですよ。」


オルレアンは平静にユーカの甘さを指摘する。


「ただなりたいって、一時の気持ちで契約しても、いつか後悔したときに、自分の気持ちを保てなくなりますよ。
どうしても叶えたい願い事があって、魔法少女になるから、魔法少女は、自分のために戦い続けることが
できるのですよ。」


「…」


ベテラン魔法少女の人に、魔法少女として生きる道の厳しさをきっぱり教えられて、はやくもたじろき心が
折れそうになるユーカ。


でもそのとき、なぜか、鍛冶屋を目指すと夢を語ったあの少年が脳裏をよぎった。


「でも…でも…だったら…!」


そして、いつになく気張る自分がいた。


「わたしには、魔法少女になりたいって願いがある…!だから、わたし、魔法少女になったら、それで願い事、
かなっちゃうんです……!素敵で、私の憧れで、かっこよくて……そういうの憧れてるから…それも、いけない
こと?」


「それは、あまりよくはありませんね。」


しかし魔法少女のベテランであるオルレアンはきっぱり告げる。


「魔法少女になりたいって気持ちが、いつか後悔に変わるかもしれませんよ。そのとき、あっという間に
絶望してしまうかもしれませんよ。」


それから彼女は悲しげに付け加えた。


「一度契約してからでは、手遅れなのです。」


ユーカはなにもかも言いくるめられた自分を悟った。


どうしても叶えたい願い事がない。


ただそれだけで、魔法少女になる道なんて、最初から完全に閉ざされていたのだ。


「…ずるい…」


ユーカは、俯いた顔で、低い声で呟いた。


「オルレアンさんは、もう魔法少女になっているから、そうやって、これからなろうと志す人にいくらでも
水を差すことができるんだ。じゃあオルレアンさんは、魔法少女になったとき、誰かにとめられた?誰かに
いけませんっていわれた?私ばかり、だめだだめだっていわれて……!」


「円環の理に導かれることは、人の死よりも恐ろしいですよ」


するとオルレアンは、人間であるユーカに、そう告げた。


「…!」

それは、ユーカには、なにか大切な警句のようにも聞こえて……。


本当の本当に、それ以上なにもいえなくなってしまった。


そして、魔法少女になるということの、想像以上の重たさを……


去りゆくオルレアンさんの背中に、感じていた。

359


その夜ユーカは、自宅の部屋に戻り、ベッドに潜っていた。

蝋燭の火を照らし、天井をみつめる。


「ずるいよ…」


ユーカは、まだオルレアンとの会話のことを思い出していた。


円環の理に導かれることは、人の死よりも恐ろしい。


そんなことを、魔法少女の立場にある人から、人である私に言われたら、引くしかないじゃない…。

ずるいよ…。


「あーもう…」

その日は、ストレスでいっぱいだった。言い換えると、胸も頭も一日じゅうむかむかしていた。

「ずるいーっ!不公平だー!」


ひとつ嫌なことがあったり、悔しいことがあると、もう、その日はずっとむかむかする。


そんな気持ちに弱い自分が嫌になる。すっきりしたいと思うこともあるけど、悔しさがまさって、
どうにもならない。


紛らわすものもない。


娯楽なんて限られた時代だった。


読み書きもできないユーカは、夜になると蝋燭の火で部屋を照らしつつ裁縫の練習か、歌の練習する
くらいしか気分を紛らわすものはない。


そして、裁縫の練習はさっきやめたばかりだった。


むかむかの気持ちがおさまらず、手元がクルって、自分の指を針でさしてしまった。


その痛みが余計、昼間の悔しさを思い起こさせ、もっとむかむかしてきたユーカは、裁縫を投げ出した。


つくり途中のナプキンは、部屋の寝台に投げ出された。



歌は、たとえば将来的に結婚式に出席したり、都市開催の男女交遊会に参加するときは、女の子は歌を披露する
ことになるので、小さい頃のうちから練習をつんでいくのが城下町の乙女のたしなみだった。


今の城下町で人気の歌は、”douce dame jolie”。

男にも女にも人気の、恋の詩だった。

中身は徹頭徹尾、片思いの詩らしいが。


しかし恋の詩なんて興味がない。


恋なんてもの、わからない。

大人たちは、恋だ恋だといつもいうけれど、私には恋なんてものがわからない。ただ男と女がくっつくだけ
じゃない。なにがいいの?


「あー、もう…」


ユーカはベッドの毛布を身体にまきつけて、天井をただただ眺めた。


「願いごと、なんてわかんないよ…」


そりゃ、叶ってほしいな、と思う程度のものなら、思いつくものはいくつかある。

もっとお金がほしいとか、もっと地位ある家系に生まれたかったとか、エドワード城のお姫さまになって
みたいとか…


いろいろあるけど。

『たった一つの願い事と引き換えに、魔法少女になる』…。


となった途端、そうまでして叶えたい願い事が、果たして自分にあるのか、と考えたとき、願い事が
みつからなくなる自分がいる。

お金がたくさん手にはいったところで、使えばなくなるし…


地位ある家系に生まれても、魔法少女として戦って、死ねば元も子もなくなるし……


エドワード城のお姫さまになっても、魔法少女になったら、戦いの日々ばかりで、お姫様の生活を堪能する
どころじゃなくなるし………


魔法少女として生きる日々は厳しすぎる。毎日が命がけなんだから。


そうまでして叶えたい願い事なんて、そうそうあるものなの…?

みんなはどんな願いごとをして魔法少女になったというの…?


まして、ただなってみたいからなりたいです、と名乗った自分が、いかに甘いかなんてこと……。


「そんなこと、わかってるけど!!」


ユーカは、部屋で独り言を叫んだ。


「でもでもでも、やっぱり魔法少女になってみたいの!!」


ばたばたばた、ぐるぐるぐる。

ベッドで毛布を巻き込みながら身を回し、ベッドで悶絶した。


「もう…どうしたら願い事、みつかるの……。」


目に赤みが差しながら、ユーカは考えた。

そしてやはり、どうしても叶えたいたった一つの願い事、というのが、見つからなかった。



しかし、遠くない日のうちに。


ユーカは、魔法少女になる。

今日はここまで。

次回、第48話「城下町のヒーローたち Ⅰ」

第48話「城下町のヒーローたち Ⅰ」

360


次の日の朝、大して眠ることもできずにベッドで起きたユーカは、ふうとためため息だした。


しかし胸のなかにある決心というか、計画みたいなのを立てていた。


あまりにも昨日、ベッドのなかで一人悶絶していたので、髪の毛はぼさぼさで、あちこちに枝毛がある。


部屋のテーブルについて、水銀と錫を合金した鏡をみながら、髪の毛を櫛でとく。



お姫様になると、わざわざこんな髪の毛の梳かしを、自分ですることなく、侍女がしてくれる
らしい。


ポピーの花飾りでちょこんとポニーテールに結び、服を着替える。


リンネルの下着と、その日のコットを着る。


どのコットも古びていた。


足元まである古びたこのワンピースは、町にでかけるときの普段着。



その日ユーカがたてた計画は、ずばり、魔法少女に突撃して、どんな願い事をしたのか聞きだすことだった。


城下町に行き来する娘のうち、どの少女が人間でどの少女が魔法少女なのかの見分けなんか、簡単だ。


荷車に樽をのせているわけでもなく馬に乗っているわけでもなく荷物を抱えているわけでもないのに城塞の
外にでかけていく少女が間違いなく魔法少女だ。


鉄格子のアーチ門をくだって、門番兵のあいだを通り、森にでかける少女たちは、おそらく街道の平和維持
という魔法少女ならではな任務を、出稼ぎ代わりに果たしにむかっているにちがいない。



ということでユーカは、その日洗濯と粉挽きと裁縫をとっととすませると、母親に市場のおつかいを
言い渡される前に、とっとと暗い家を抜け出して、門番兵よろしく城門の前で待ち伏せした。


すると五分も待ち伏せしないうちに、もう誰がみたってそうとしか思えないくらいの魔法少女連中が
やってきた。



4、5人でかたまっているその少女たちは、まるでもう騎士みたいに武装していて、どの腰にも鞘がついていて、
女の子てかんじの見た目とは不釣り合いに剣は大きくて、バスターソードだった。


彼女たちは、もちろんなんの荷物もはこんでいない。


馬にのっているわけでもなく、ただ武装して出かけるだけ。



魔法少女じゃないわけがない。


ということでユーカは、勇気をだしてこの5人の連中を呼び止めた。


「どんな願いごとを、したの?」


前ふりなし、本題をいきなりたずねた。


少女たち五人は、門の前で、変な顔をして、五人とも互いに顔をみあわせた。

そのあとで、リーダー格らしき少女が一歩前に踏み出てきて、ユーカの前にきた。


「間抜けか、おまえは。人に、自分がどんな願い事をしたか、教えるわけないだろ。」


といって、ユーカを無視して、とっとと街道へ出かけていった。

五人組みは、ガイヤール国のギヨーレンに遭遇したら勝てるだろうか、といった、はやくもユーカのことは
忘れた話題にうつっている。



ユーカは呆然と魔法少女五人組の背中を眺めた。


門を通り、自分の知らない街の外にでていく五人組みを。


呆然としたあとで、自分が侮辱されたことを知り、むかーっと頭に熱がのぼってきた。



「だれが間抜けって!?」

361


なかなか魔法少女がどんな願い事したのか聞き出せないとわかったユーカは、たてた計画がはやくも挫折する。



そこでまた、オルレアンさんをたずねた。



「オルレアンさんは、どんな願いごとを?」


その日もスコップで十字路を渡り歩いていたオルレアンさんは、足をとめてユーカに振り向いた。


ユーカは諦めない少女だった。「誰も教えてくれないんです。魔法少女は……」


オルレアンは優しい顔をしている。ユーカの話をきいてくれている。

この日のオルレアンさんは、自分の髪をみつあみにして、後ろに垂らしてした。そばかすの多い、荒れた肌の顔が
ユーカを見つめた。


「みんな自分の願いごとを秘密にしますので?」


頭を垂れて、遠慮がちに、しかし単刀直入な質問を口にだす。「秘密にする決め事が?」



「そんな決め事など──」

オルレアンはスコップを地面に立てた。

普段着のファスティアン織りは、ぼろぼろで、汚れていて、みすぼらしい少女だった。顔も汚れていた。

整っている顔の少女ではなかった。鼻に大きなほくろもあった。

「私たちのなかにはありませんよ」


「でも、誰も教えてくれない」

ユーカは目を落とした。

「”教えるわけないだろう”って…」



「魔法少女の願いごとは、心に秘めたたった一つの想いを、魂と引き換えに呼び起こすものです。」


オルレアンは語ってくれた。


「心に秘めたものですから、あまり、人にはいわない魔法少女が多いですよ。」


「じゃあオルレアンさんも?」

ユーカは訊いた。「オルレアンさんの願い事も、秘密に?」


するとオルレアンはわずかに頬に赤みを含ませながら、微笑んでいった。「私の願い事でよかったら、
おしえてさしあげますよ。」



それは意外な展開だった。


「えっ、いいんですか?」

ユーカはにわかに緊張した。

人生で初めて魔法少女の願い事をきく瞬間だった。

362


「えーっ!」

そして、きかされた願いごとの中身は、もっと意外だった。「そんな願い事で?」

ユーカは愕然と口をあんがり大きくあけている。



オルレアンさんは、慣れっこという様子で、笑っていた。


「そんなこと願うくらいだったら、もっとこう…」

ユーカは、がくがく口を震わせながら、胸に沸き起こっているわだかまりのような、自分の気持ちを
素直に口にしていく。

「金銀財宝とか、不老不死とか、満干全席とか…願えたはずでは?」


「願い事を教えると、よく人に反対されるので、それで教えようとしない魔法少女も、多いのです。」



オルレアンさんは笑みを崩さない。


「私にとっては、生まれが生まれでしたから、魔法少女の契約という機会に恵まれたとき、一生を、
この願いに託すことに選んだのです。」


「貴族の服を着てみたいって…」


ユーカは教えられた願い事の中身を復唱する。「お金持ちになればいくらでも着られるじゃん…」


オルレアンは、貴族の華麗な衣装を着たいという乙女な願望を、魔法少女と契約し変身の衣装にする
というかたちでかなえた少女だった。



だから、魔法少女に変身するたび、願い事が毎回のように叶うのであり、なかなか絶望しなかった。



「お金をいくら願い事で、ためこんでも、それが逆にいやになってしまうかもしれませんよ。」


オルレアンは難しい話をしてくる…。

ユーカには、いまいち分かりかねる話だった。

「たとえば金貨200枚を奇跡的に手に入れるという契約で、魔法少女になりました。でも、そのお金の
ことがあとでいやになったら、魔法少女になった自分のことまで、いやになってしまいますよ。」


「お金がイヤになるわけないじゃん…」


ユーカは首をかしげる。難しそうに顔を渋らせた。「あーあ、そんな願い事でいいのなら、私だって契約
しちゃおうかなー」


すると、またオルレアンに、頭をやさしく叩かれた。

「たとえば、お金をたくさん手に入れたばっかりに、家族のなかで争いが起こったり、隣人に裏切られたり、
腐心に巻き込まれたり…。いろいろあるかもしれません。願い事は、慎重に。そして、どうしても叶えたい
願い事がないのなら、契約しないのが、一番です」


「またそれ…」


ユーカは唸った。「なんだかなあ……簡単なことで契約してもいいように聞こえるなあ……」


「では、どんな願い事をするのですか?」


オルレアンは、いきなり急転、肯定的に話を切り替えて、ユーカにたずねてきた。



するとユーカは、なぜか、頬に赤みがました。

「えっ?」


どうしてか鍛冶屋の少年が脳裏によぎる。

「えっと…」


それで、どきまぎしはじめ、視線をきょろきょろあっちこっち逸らし始めた。


「?」

オルレアンは、ユーカの挙動に、首をかしげて見ている。


「さ、最強の魔法少女に、なることかな…?」


”いつか、ぼくがつくり上げた剣を、最強の騎士に使ってもらうことが夢だ”


少年の語りを思い出したユーカは、なぜ自分がそんな願い事を思いついたのか、わからないまま、言った。



「最強の魔法少女にですか?」


「うん…」

しかし、口にだしてしまったあと、なぜだがユーカはそれが、自分にぴったりな願い事に思えてきた。

「そう、そうだよ、最強の魔法少女っ。いちばん強い魔法少女になること。だって強いほうが、たくさん
魔獣を倒せるし、敵国の魔法少女がせめてきたって、返り討ちにできるし、みんなを守れるし。そうだよ、
なにを悩んでいたんだろう、私の願いごとは、最強になることっ」


「力そのものに憧れている、ということですか?」


オルレアンは聞き覚えのある質問を繰り返してきた。


「ちがうよ、力そのものというより、強い力をもてば、みんなを守れるでしょって話。自分だって負けることないし。
城下町のみんなを守れる、国を守れる。どんな騎士にだって負けない。どう、素敵でしょ、最強の魔法少女!」


自信たっぷりという様子だった。


しかしそんなユーカの様子を、オルレアンは少し失望気味に語った。


「それは、ただひたすら、世のため人のために、自分のただ一度きりの願い事をかなえる、ということですね」


「いけない?」

ユーカは、オルレアンの言葉の深みにあまり気にかけていない。

「いいじゃない。世のため人のためっ。それこそ魔法少女のあるべき姿でしょ。城下町の人たちは、
みんなそう思ってるし。魔法少女のこと、尊敬してるし。そうだよ、人を助けるのが魔法少女だよ」


「いつかそうも言ってられない日々がくるかもしれませんよ」


オルレアンはため息とともに言い放った。


「どういうこと?」

ユーカはむっとして問いかけた。



「いつか人が、魔法少女の敵に回る日がくるかもしれませんよ」

オルレアンは空をみあげ、遠い未来を眺めるような視線で、告げる。

「それでも、”世のため人のため”の魔法少女を、つづけられますか?」



「どうして城下町の人が魔法少女の敵にまわるの?そんなわけないじゃん」

ユーカには分からない。

このときはまだ、なにもかも、わかっていなかった。


「人々を襲う魔獣を倒しているんだよ?魔法少女は、人々を助ける存在でしょ。恩返しされる覚えはあっても、
仇で返されるなんて、あるわけないよ」


「そう仮定してみてください」

オルレアンはあくまで真面目な顔つきをした。

空を眺める視線を、ユーカに戻して、まっすぐ見つめる。

「人々が、魔法少女を憎んで、敵にして、あなたを貶めます。それでも”世のため人のため”の魔法少女を、
つつげられますか…?」


一瞬、あまりにもオルレアンにまっすぐ見つめられるので、たじろいたし、心のなかで震えるものを感じ取ったが、
でも、ユーカはそれを仮定してみた。


そして、仮定してみたあとで、自分が魔法少女になった姿を想像したあと、答えた。

「つづけられる」



オルレアンは少し悲しい目をした。


悲しさを瞳に浮かべたあとで、彼女はその口から、ユーカが一番うれしくなる言葉を告げた。


「それなら、あなたは魔法少女になる素質がありますね」



ユーカは、思わず嬉しくなり、顔を赤くして微笑んだあと、「ありがとう、オルレアンさん」といって、
家へ走ってもどった。


オルレアンか話された仮定の話など、もう頭の中から消えていた。

363


そんなわけで、意気揚々と家にもどったユーカは、いきなり次なる障害にぶち当たった。


しかもそれは願い事をみつけるより大きな壁な気がした。



「あれ、魔法少女ってどうやってなるんだろ?」


その日も夜、蝋燭の火に照らして裁縫でナプキンを編んでいたユーカは、ふと口にした。


「契約するって?だれと?」


まさかオルレアンさんと契約?

いや、ちがう気がする…。


「願い事はきまったからいいけど、契約ってそもそも誰と?」



うわついた声をだし、天井をぼんやり見上げる。

そして、ふとある考えに辿り着いた。

「まさか悪魔と?いたっ!」


ユーカは、天井をみあげたままナプキンを編んでいたので、針で指をさしてしまった。


「いたた…」


指の先から血の一点が浮かびあがり、それは広まって、小さな細い一筋の血が垂れた。


「もう…」


昨日にひきつづき、また指を刺した。


ため息だし、指を口で噛むと、血を飲んだ。


そんな自分の仕草にきづいてはっとなった。


「やっぱ悪魔と契約?」


甲高い自分の声が口からでた。


まるで口寄せの儀式みたいだと思った。

悪魔を呼び寄せ契約する儀式は、指先の血で契約書に署名し、魂と引き換えに悪魔と契約を結ぶ。

そしてなんでも願い事をひとつ、かなえてもらう。


「そんな、魔女じゃあるまいし…」


箒に飛び乗って夜の満月に集合する魔女は確かに悪魔と契約するらしいが、その契約は、単に悪魔の奴隷に
なるという契約だ。


そういう伝承は、昔からある。



基本的に、世捨て人が魔女になる。


つまり、都市で暮らす城下町の人は、魔女には無縁である。


ヴァルプルギスの夜という伝承もあるけれども、それもまた、城下町とは無縁である。ただの春を祝う祭りである。



「うーん…明日オルレアンさんにきいてみよう…」


最強の魔法少女になる。


そんな願い事を心に見つめたユーカは、文字通り心躍っていた。


自分の魔法少女として生まれ変わる姿を想像してどきどきした。


しかも、最強になるのだから、城下町の魔法少女たちをあっと驚かせるような魔法少女になれるだろう。



ひょっとしたら、城下町の英雄になれるかも…?

そして有名になって。

王さまのお城にお呼ばれしちゃうかもしれない。



妄想が妄想を呼び、どんどん都合のいい夢の世界がユーカの脳裏にひろがっていく。


ということは、王さまの城に入れるというわけで、それはつまり、王子さまに会えるかもしれないということ。



王子さま!


エドワード王の第一子であり、馬上槍試合で無敵の王子さま!



ここ王都で最強の騎士といったら、まずまちがいなく王子さま。


エドワード王子は、王城に篭っていて、基本的に城下町の人々の前に顔をださない。


しかし馬上槍試合が開催されると、都市にでかけることがある。



そのときは、盛大なパレードみたいなことを、城下町の人々が、勝手に企画して、バスケットにいっぱいの
花びらと花束を、王子さまにむけて投げる。



とくに、町の娘たちが。


王子さまは、もちろんどの花束も受け取らないけれども、それが逆に女たちに妄想を呼び起こさせ、
もし花束を受け取ってくれたら、その人と王子さまは結婚する、という伝説が誕生した。



もちろん妄想もいいところなので、面白半分だということは、どの女だってわかっている。


ところが不思議なもので、いざ王子さまが城下町の十字路にあらわれると、面白半分だ妄想だという建前は
どこへやら、女たちは必死になって、命をかけているような顔で花束を懸命に王子にむかって投げる。



もちろん、王子はどの花束も受け取らない。


庶民の花束など受け取るはずがない。



だというのに、城下町の独身娘はどこまでも王子をおいかけ、衛兵にとりおさえられるまで、
花束をなげつづける。


ものすごい熱狂だった。


というのも、王子は、王位継承権をただしく継ぐため、花嫁探しをしているという噂が、ここずっと城下町に
流れているためである。



エドワード王子の妹クリームヒルト姫の娘アンリさまが、そろそろ結婚できる次期になろうとしているので、
そうなる前に、王子が先に結婚して王位を継ごうと動いている、いちおう筋の通る噂は、王都を染めている。



ユーカはたまに妄想する。


王子さまは、だれをお嫁さんにするのかな───?


いや、もちろん、考えるまでもなく、王城のなかでいちばんお金持ちな貴婦人と結婚するのだろうけど、
たとえばお金目当てな女に嫌気をさして、純粋な娘にあえて恋をするなんて展開も、あるかもしれない。


その時点で妄想だけれども、ないともいえない。


そして政治の腐心に嫌気がさした王子さまは、しだいに城下町の娘を嫁にしたいと思うようになり、
ガラスの靴を履けるような娘を嫁にする……


ま、まさかオルレアンさんと!?


いやいやいや。

そんな、お伽話のような物語が現実になるわけが。


「はっ、いけない、また手がとまってた…」

想像の世界に旅立っていた自分を、首をふって現実にもどし、そしてナプキンの裁縫練習をつづけた。


とにかく明日は、オルレアンさんにまた、きいてみよう。

364


「それで、本当にその願いごとで契約を?」


その日もオルレアンさんは朝早くから、役人のひとたちと一緒に、投げ捨てられた糞尿をスコップで
麻袋に集めていた。


汚いものに毎日ふれているから、肌の荒れも、日に日に増していくばかりで、魔法少女なのに……
すこし、哀れみを感じてしまった。


「そうだよ、最強の魔法少女になること、それが私の願いだよ」


ユーカはとにかく、意志を変えていないことを告げる。


「いままで、私のほかにこの願い事を思いつかなかった魔法少女がいないことが、不思議なくらいだよ。
最強の魔法少女になれば、魔獣にも負けないし、魔法少女同士の戦いだって、まけないでしょ」


オルレアンさんはスコップをたてた。

「わかりました」


「それで、どうすれば契約できるの?」

ユーカは、わくわくしていた。

「まさか、悪魔と契約するわけでも?」



オルレアンはユーカの冗談は無視して、みつあみにした髪をゆらして、ユーカに告げた。

「今日の夜、会堂の前に」


ユーカの目が大きくなる。


「魔獣との戦いををその目でお確かめになるといいでしょう」



「会堂って、魔法少女の?」

ユーカは胸が高鳴るのを感じていた。


「ええ、そうです」

オルレアンは答えた。「お見せするものが」

365


夜間の外出禁止令がでているので、ユーカはその日、家族が寝静まるのを待ってから、こっそり家を抜け出した。


夜の城下町。



禁止令によって、しばらく真っ暗闇の城下町を見ていなかった。


しかし今夜そこに飛び出してみて、夜の町が、知っている町のはずなのに、まったく別世界のものにみえた。



人もいない、声もない、物音もない、冷たい、それに……。



人間の感覚ながら、瘴気のようなものを、たしかにユーカは感じた。



ぶるぶるっと夜の寒さに身を腕で抱きながら、フードをかぶり、飾り看板がカタカタと夜風にあてられて
音をならすなか、夜霧のたちこめる町の十字路を歩いて、夜に青白く照らされた家屋の前にきた。



魔法少女の会堂。


修道院とも呼べる建物。


そこは魔法少女のための建物で、人間の立ち入りは禁止されている。


いよいよ、私もここに入れるようになるのだろうか。


すると、誰も居ないはずの夜間は、そこだけ松明の火が燃えて灯かりがついていた。



松明の火はオルレアンが持っていた。


真っ暗闇な、霧のたつ夜に松明を持つ彼女は、魔法少女の姿になっていた。変身姿だった。



「すごーい…」


確かにそれはすごかった。

黒いガウスのドレスは、カフスも毛皮で、ドロワーズもパニエも履いて、お嬢様姿に変貌している掃除屋の少女がいた。


なのに松明の火をもって立っているところはなんとも不釣り合いだが、たしかに息をのむような美しさが
ある変身した少女だった。

スクエア・ネックのガウンは、ブローチで縁取りされているし、宝石もそこに飾り付けられている(これが、
ソウルジェムというものらしい)毛皮のカフスは、幅広のもので、下から見せかけのアンダースリーブを
のぞかせている。

前のわれたスカート。ぶわぶわと、ふくらんでいる。刺繍を施したアンダースカート。黒くて、これまた、
ぶわぶわとパニエによってふくらんでいる。


細長い足は、タイツが包み、足を美しくみせていた。


普段のオルレアンは、ファスティアン織りのローブを着ているので、足をこのように美しく魅せることは
なかった。変身姿になると、こんなにも綺麗な足なんだと、驚いた。


いったいどんな職人が仕立てた服なのだろうかと思うが、それが、少女がソウルジェムの力を解き放つことで、
その身に纏うことになる、変身衣装だった。


少女が美しく着飾ると、なにかそれだけで不思議な、神秘めいた雰囲気のような、目にはみえない力を感じた。

魔法のような、想像上の力が、その身から湧き出て、世界に神秘をふりまいているかのようだった。



それをみて、ユーカは、やっぱり魔法少女はすごいものだ、と心から思った。そして自分もちかいうち、
魔法少女になれるんだという気持ちに、胸が弾んだ。


絵本の世界に夢みる乙女の世界に、没頭するような、ぼーっとする気分になった。



目前のオルレアンが、あまりに美しいので、ひょっとして本当に、王子さまにお呼ばれしてしまうかも
しれない、と思った。



が、顔は相変わらずそばかすだらけで、衣装を身にはまとっているものの、あいかわらず肌はおそろしく
荒れているので、それはないか、と胸中の声があがった。



さて、魔法少女の会堂、修道院の地下へ案内されたユーカは、暗い暗い地下への階段をくだった。


松明の火が両側の石壁を照らす。


石壁は湿っていて、じめっとした空気がたちこめて、土は黒く、くさかった。



雨水が流れ込む地下だからまあ当然といえば当然だった。



地下に一番奥まで階段をくだると、カビの生えた木の扉に当たった。



扉の鉄のわっかを手にとると、それを握りながらギィと奥へ開いた。



すると真っ暗な地下空間に、無数の蝋燭が立つ、妙な空間がひらけた。



真ん中に大きな長いテーブルがあり、蝋燭が何本かそこに燃えて、地下空間を怪しく照らしていた。


そこの席に、まるで円卓の騎士かなにかのように、変身した魔法少女たちが席に座り、話し合っていた。



地下の臭さがにおう、湿った壁際には、古びた本棚があり、古文書が並び置かれた。


蝋燭をおいたテーブルの真ん中は、赤い五芒星の魔方陣が描かれ、そこに数字のⅠとかⅡとか、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴ──

古代ローマ数字の絵柄が、描かれた。



「魔獣退治の前には───」

オルレアンは火を灯した松明を、地下室の壁際に架けると、ユーカに話した。


ユーカは、目の前の怪しげな空間の世界に圧倒されて、緊張の息をのんでいる。


「今日だれか、どの地区の、どの魔獣を、どの程度狩るのか───」



さっきの、乙女な世界の想像はどこへやら、かなり緊迫感のある話をされてしまい、ユーカはたじろく。


「ここで話し合います」

オルレアンは、席にすわった魔法少女たちに並んで、自分も席についた。

「それがこの会堂」


ユーカは立ちっぱなしだった。


壁際に取り残されて、ただ一人だけ人間の女がそこに立っていて、きまずかった。



「魔獣退治の話もいいが、その女はだれだ?」


黒いマントをブローチにしてつけ、黒い髪の、黒い眼をした、眼光するどい魔法少女が、鉄の籠手を
つけた指先でユーカをさした。


「新人か?」


「クローク、”魔法少女志望”ですよ」


ざわめきが起こった。


「まだ、人間か」

クロークと呼ばれた黒い魔法少女は、鉄の籠手をはめた手をもどした。

彼女の座る席の前には、蝋燭が一本あり、皿にタマネギがひとつ、のっかっている。


彼女はそれをかじりはじめた。バギっと噛み砕く音がきこえた。「人手は足りてるんだがね」


「魔法少女になると尊大、しおらしさかなくなる」

他の席に座る魔法少女が笑い始めた。長い勺杖をもっていた。勺杖の先端は赤い真珠がついていた。


まるで王の持つ王笏の杖だった。


「自分がいちばん偉いと思うからだ」



「おまえたちだけだろう、それは」


別の魔法少女が話し始めた。彼女はイシュトヴァール・クリフィリル、又はクリフィルと呼ばれていた。


「ベエール、クローク、ああ、そこの魔法少女志望の女───」


えっ、とユーカがドキリ、身体をふるわす。


「その二人はここにくるといつもこの調子でさ。なあに、人間に戻ればまた猫かぶるさ。気にするな。
人手なんか、足りてまいが、きみには叶えたい望みがあるんだうう。契約するがいいさ。そのさき、
キミがキミ自身の願いを無駄にしないで生きていける自信があるならばね」


といい、けらけら笑い出した。イシュトヴァール・クリフィリルはリボン工の家の娘である。


「自分の願いをあっという間に無駄にして逝ったやつなら、たくさん見てきたからな」


笑い声に乗じて、クロークも笑い始めた。


「たくさん食えるだけのお菓子がたべたいと願って、全部食い終わったら、することがなくなって
円環の理に導かれたやつ!なんてやつだったか?リーゼロッテ?」



「魔獣を狩るだけ狩って、円環の理に導かれた魔法少女どものおかげで───」


テーブルを囲う、さらに別の魔法少女が語りはじめた。


髪は茶色くて、目は赤かった。いちばん、小柄で、声も高くて、いちばん幼い魔法少女だった。



けど、その見た目とは裏腹、黒いことを話す魔法少女だった。


「私たちに取り分がまわった。ストックが私たちにはある」



「でも魔獣は狩らなくちゃ」

黒い髪、目がエメラルドグリーンの、不思議な色合いをした少女がバンと席を叩いた。

「人々の、命を守るためです。さあ、本題に!今日は、どの地区の魔獣を倒しますので?」



ユーカがここにきて聞いたなかでは、一番まともなことを話す魔法少女だった。


「ヨヤミのいうとおり、ささ、本題にうつりましょ」


別の魔法少女、このなかでは一番大人の────27歳の魔法少女が、席をたち、言って、その場の
会議をしきりはじめた。


すると、他のベエール、クローク、ヨヤミ、それからクリフィルにアナンが、全員、しぶしぶ、
27歳の魔法少女のほうをむいた。



まあもっとも、聖地につけば、1000歳の魔法少女もいるわけだから、魔法少女が魔法少女と
よぶにあたって、年齢が問題になることは、少なくてもこの時代にはそんなにない。



「今日、魔獣の発生が多いのは」


大人の魔法少女の名は、オデッサといった。


自分の願い事は秘密にしているが、彼女は不感症であったので、治してくださいと祈った。

結果的に結婚生活を手にした。夫はいつ妻が円環の理に導かれて消えてしまうかビクビクする毎日だ…
しかし夫はそれを受け入れてなおオデッサに情熱の愛を注いだのである!

魔法少女が結婚生活を送るというとても珍しい魔法少女としても女として充実した人だった。


「この城下町を十字路で区切って───」


オデッサは、テーブルにおかれた城下町の地図に手をのせる。



地図は、城下町の十字路よにって、大きく四分されていた。


「井戸から3番地区北西、7番地区の西ブロック、この二つといったところかしら」


「じゃあとっとと二手にわかれて取り分をきめよう」


クロークが語った。


鉄の籠手につつまれた指を、ドンと地図にのっける。


「こっちのが危険地帯だ。先日、ゲルトルートがやられた場所だからな」


「じゃあ、あたし、安全なほうにした」

一番幼い魔法少女、アナンはさっそくいった。「危険なのはいやだもん」


「そのかわり取り分もないぞ」

クロークが冷たい目をしてアナンをみた。「危険がいやだというやつに取り分が残るとでも?」


アナンは不機嫌にうぬぬと唸る。


「わたしはこの危険地帯の魔獣どもを倒すぞ」

銀色の鎖帷子がジャラとなる。「いうまでもなく、いちばん取り分が多いのはこの私だ」

ドンドンドン、と篭手に包まれた指先が羊皮紙の地図をたたく。反動でそばの蝋燭の火がゆらめいた。


「決めるのはやいって。早いもの勝ちじゃないんだから」


クリフィリルが割り込んできた。長い茶髪をおさげみつあみにしてたらしている少女だった。


その服装は、ボディスだった。タックをしたインフィルをはめ込んだ細身のボディスで、帯状のブロケード
を袖に飾りつけたスカート。下に詰め物とフレームをつけている。これは自作で、つまり、彼女は魔法に
よって生まれた自分の変身衣装に自分で加工していた。さすがリボン工の娘、というべきか。



「まず3番地区北西のほうが危険なら、そっちに経験豊富な魔法少女をまわすべきだと思うよ」


「おまえはどっちだ?」

クロークが鋭い眼つきしてクリフィリルを睨んだ。


クリフィリルは肩をすくめた。「もちろん、経験ないほうさ」


「自分で自分が経験豊富だと思う魔法少女は名乗り出ろ」


クロークは自らいい、そして、自分で鉄の籠手に包まれた手をあげた。



クローク以外誰もあげなかった。


沈黙。



「今日会堂に集まった魔法少女は腰抜けばかりださ」

ベエールが急に笑い出した。甲高い笑い声が地下室じゅうに鳴り渡った。


「あんたもだろ」

クリフィルが睨んだ。


「わたし、願い事かなえたかっただけで、魔獣との戦いなんて、飽きたもん」


いちばん幼い魔法少女、アナンは、ふうと頬をふくらませて不満な声をあげた。


「わたし、契約したから、ママもう怖くないもん。」


「じゃあさっさと円環の理に導かれて逝っちまえよ」

ベエールがまた笑った。「あたしらはあんたのママじゃないからな」


「あっははは」

クロークがけたけたしく笑った。「ママならいるだろ。オデッサママが」


「議論に戻れ!」

いきなり、クリフィルが、怒鳴り散らした。

「くだらん話しばかりするな!そのあいだに、魔獣が人を襲えばどうなる?見殺しにしたのは私たちだぞ!」


「人間の責任だ」

ベエールは手をふりあげ、はあと息はいた。「弱いのがいけないんだよ」


「魔獣は私たちにしか倒せないんだから」


ヨヤミ、いちばん真面目らしい魔法少女が、語り始めた。


「人間に責任はない。契約して、魔法の力を授かった私たちの使命だ」


「使命なんて、しらないー」

アナンは11歳の魔法少女。彼女は、わがままだった。「それに、たくさん魔獣が人を殺したほうが、
たくさん、グリーフシードだって…」


「ふざけるな!」

クリフィルが怒鳴り、いよいよ雰囲気は険悪なものになってきた。

「おまえたちが、これ以上、真面目に話し合わないなら、今日は私ひとりでいく。おまえたちは、家にもどれ。
わけてやる取り分もない。」


「わかった、わかった」

クロークは降参の意を示して、籠手に包まれた両手をあげた。

「私も、穢れがたまってきているから、それは困る。さて、さて、私はさっきいったように、危険地帯に
飛び込むぞ。だれが私と共にきてくれるかね?」


「私、いきたい」

ヨヤミが声をあげた。「経験豊富な魔法少女についていったほうが、私も勉強になる」


「あ、ずるい、じゃあ、わたしもー!」

すぐにアナンがついてまわった。

強い魔法少女についていったほうがいいという判断をしたのかもしれない。


「じゃあ残りのオデッサさん、オルレアンさん、クリフィル、ベエール、西7番ブロックに」


あっさり分担がきまった。


「もしものときの連絡役は、カベナンテルに?いや、あいつじゃ信用おけないから、じゃあ…」


「私がします」

オルレアンさんが名乗りでた。「こちらに、なにかあれば、そっちに、応援を呼びにいきます」


「じゃあこっちからはアナンでいいかな」


アナンが、すぐにえーっという不満な顔をするが、するとヨヤミはなだめた。

「アナン、後ろでみているだけでいいよ、キミは。まだ11歳だ。私たちの戦いを、うしろで見守っていて、
もし私たちが危なくなったら、オルレアンさんに連絡とるんだ。いい?」


漆黒の髪をしたエメラルドグリーンな瞳に、まじまじ見つめられると、アナンは納得した。

「うん」

茶髪に赤い瞳の、幼い腹黒魔法少女はうなづく。「そうするー!」


あっさり説得された。


「で、その新人志望は、どっちにくる?」

クロークはユーカを指差した。


彼女たちは、ユーカそっちのけでその日の魔獣退治の会議をしていたが、最後の最後になって、ユーカを
会議に参加させた。


「彼女は、私についていかせます」


唖然として固まっているユーカの代わりに、答えたのはオルレアンだった。

「魔獣との戦いが、どういうものか、彼女にみせます」


「そうかい、そうかい」

クロークはなげやりに頷いた。「連れていきな。どこへでも。命あるまま戻ってこれたらいいな。
ビールおごってやるよ!」



それからクロークは振り返って全員をみて、会議の最後の話題へとうつった。


「取り分は原則(ルール)どおり、”数わる人”だ。いいかね?」


その場の会議に参加した全員の魔法少女が頷いた。


「よしきまりだ」


さっそくクロークは地図のなかの”危険地帯”と示された場所へむかい、地下室の階段をかけあがった。


「まけるか!」

「おいていくな!」


つぎつぎと魔法少女たちがクロークにつづいて地下室の階段をのぼりつめる。


途中、椅子の席にからだをぶつけて、ずっこけた魔法少女もいた。クリフィルだった。


クリフィルは、くそったれ、と少女に似合わない愚痴を吐いて、ころげた状態から起き上がると、階段をのぼる。


倒れた椅子はそのままだった。


「どうでした?」

オルレアンは、地下室の会議がおわると、ユーカに、その感想をたずねた。

たずねたあとで、倒れた椅子を丁寧にたてなおす。


「どおって……」


ユーカは、唖然とするばかりだった。


乙女の夢の絵本のような表紙を開いたら、中身が、いじわるなシンデレラのお姉さまたちの激烈な日常を
描く小説であったかのような気分だ。


「なんなのあの人たち?」


ユーカは、ぼそっと、オルレアンさんに疑問をこぼした。

366


さてオルレアンとユーカも出発して、その日魔獣が大量発生しているらしい7番ブロック西地区にむかう。


エドワード城が南に位置しているとすれば、大きなエドワード城からみて右の十字路から7番ブロック目
あたり、が、魔獣の発生情報がある場所。




発生情報は、そこに住む魔法少女たちが、会堂に報告した内容によって得られる。



この時代の魔法少女たちは、基本的にグループをつくり、なんだかんだで協力しあう傾向があった。


というより、一人ずつ戦うなんて、とてもやっていられない。


鹿目まどかの宇宙再編によって、改変されたこの世界の新しい敵、魔獣は、必ずといっていいほど群れで
現れる。


敵が群れをつくっているのだから、それを倒す魔法少女たちも、グループをつくって大多数で対抗しなければ
ならないようになるのは、自然のなりゆきだった。


昔の、強い魔法少女たちだったら、100匹も群れている魔獣を、一人の魔法少女が片付けてしまったかも
しれないが、今の魔法少女たちは、一人5、6匹倒すのも大変なので、魔獣の群れが発生すると自分たちも
集団を結成した。



それが城下町の会堂に集まった。


城下町の魔法少女たちは、情報を提供しあい、グリーフシードの取り分とか、どこに発生したどの魔獣を
どの人数で誰か狩りにいくか、という会議を、事前に話し合ってして、決める。


いきあたりばったりに魔獣を狩りにいって取り分争いにならないためである。



そりに、”数わる人”という原則も、城下町では暗黙の了解で魔法少女たちのあいだで共有されている。


数わる人の原則は、たとえば、得たグリーフシードが20個で、10人で狩ったのなら、一人二個ずつ。


100個で、30人が狩ったのなら、一人3個ずつ。残る10個は、会堂のストックにまわされる。


そこに、途中で脱落した人、戦線離脱した人が加わると、そのひとの分は少なくなる、とかのルールがあるのは、
基本的にエドレスの都市の修道院と同じ。



というより、世界どこにいっても、この原則によって魔法少女集団が成り立っているケースが、多い。


聖地をのぞいて。



聖地エレム国では、それとはずいぶん違ったグリーフシードのやりとりが、魔法少女の人口が世界一多い国の
なかでおこなわれている。


聖地の魔法少女・暁美ほむらは、その聖地特有のシステムによって、今も生き長らえているという人といえる。



さて、ユーカは、夜間の禁止令のでた十字路を、オルレアンさんたちと歩き、魔獣の結界といういまだ知らぬ
世界へむかっている。



その緊張感は、ユーカには計り知れないものであったが、それが日常となっている魔法少女は、緊張感が
なく、ただ、歌を鼻歌とともに歌いながら、深夜の城下町をぼんぼん大またで歩くだけであった。


「”モールニエ・アランティエ”」


城下町をずかずか歩きつつ、先頭をいくベエールは、口ずさむ。


「”モルニエ・ウトゥーリエ”」


ユーカとオルレアンは横に並んで歩いている。

四人のうち、魔法少女の変身姿になっていないのは、ユーカただ一人だけだ。


「”闇の帳が降りてきて───”」


果たして寝静まる城下町の人々を起こしてしまうのではないかと心配になるほどの音量で、ベエールは歌う。


「”あなたの道が光を失っても────”」


ユーカは、これから魔獣の結界という魔界の領域に、生まれてはじめて足を踏み入れるので、緊張しているのだが、
その緊張感を、魔法少女のうるさい歌声は台無しにする。


「”願わくば闇の呼び声が遠くに消し去らんことを───”」


そこまでうたうと、あとはふんふんふんふーんと鼻息でメロディをつけて歌う。


耳障りだった。


そして、もし私が魔法少女になったら、こんな魔法少女にはなるまい、と心におもった。



ユーカが思い描くのは、こんな落ち武者のような魔法少女たちではなく、きらびやかで、ヒーローで、
正義の味方な魔法少女だった。



目の前のように、鼻うたのやかましい魔法少女ではない。


しかしユーカは知らなかった。


あの会議といい、今のあの鼻歌の魔法少女といい、彼女たちはみな、いまのユーカの思い抱くような──。


無垢な乙女心の秘めたる憧れのなかで、契約した魔法少女たちであることを。




しかし、来る日も来る日も魔獣退治ばかりしている彼女たちは、しだいに夢をふりまくきらきらな魔法少女に
疲れをかんじて、だんだんときらびやかな魔法少女を演じるのをやめて、今のような飾りっ気皆無な魔法少女になった
経緯があるということに。


要するに魔獣退治するたびに決めポーズやらなにやらするのに疲れて、私はなんてくだらないことを
しているんだ、と冷めていってしまった魔法少女たちであった。


そして、魔獣退治をはじめは非日常だと思っていた彼女たちは、次第にそれを日常と受け止めるようになって、
契約したときの熱情あふれるハートを忘れ、人間のときも魔法少女のときもあまり心持がかわらないという、
麻痺してしまった魔法少女たちであった。



それは、いまどきの魔法少女全体にみられる傾向で、たとえば来栖椎奈のような魔法少女も、飾りっ気のない
領主であったが、昔は決めポーズというか、魔法少女らしい仕草に熱を入れた時期もあった。まさに心も思春期の17歳の頃(実年齢で)。



だが、それはやがて冷めた。

何千回と魔獣退治を繰り返していくうち、いちいち決めポーズするのに疲れた。する意味もないことに気づいた。

そして、魔獣さえ狩ればそれでよいという考え方に落ち着き、今に至る。


そんな、数多くの魔法少女たちが、はかなくも乙女の夢を花と枯れせていった経緯はしらず、ユーカは、
やる気まんまんで契約するつもりでいる。


けれどもユーカは実際には、その熱情が長持ちするタイプの少女だった。


一年後、メルエンの森にて、鹿目円奈を助けるときに決め台詞を披露することになるが(魔の獣たちよ!私をみよ!そして消え去れ!)、
彼女の乙女な熱情が長持ちしたのは、彼女が後に結ぶことになる契約の願いと関係があるかもしれない。



「ここよ」

オルレアンは自分のソウルジェムの反応をよみとって、告げた。

そこは確かに瘴気が濃い、と人間の身にもわかるような場所だった。



人も、目には見えないけれども、この場所はなんだか重苦しい、近づいてはいけない気配がする、
なにか恐ろしい獣の気配がする、ここに足を踏み入れたら不幸なことが身に起こるのではないか、と
感づいたりする。



そのとき人は、それは亡霊の住む場所だから、過去に死んだ人の怨念がいきているから、という想像で、
自分のなかに感じた悪寒をかたづける。



魔法少女たちからみると、その正体は”魔の獣”であり、人々が感じるそれと同じように、やはり、恐ろしいもの
である。

なにか恐ろしい不幸を呼び、呪いが起こり、実際に人々の間に身の毛もよだつような怪事件を呼び起こす
原因となる。


たとえば、ある人間がとつぜん発狂して家族を惨殺する、隣の家に乗り込んで皆殺しにする。


こうした事件は、魔獣の瘴気に、気の弱い人間からやられてしまったためだ。


それと戦えるのは、希望の戦士たち、魔法少女たちだけであって、また、魔法少女たちの使命でもある。



その意味ではやはり、魔法少女の戦いは、人を救う戦いである。恐ろしい呪い、不幸、事件から人を救う
ものである。


彼女たちが、無垢な乙女の熱情を忘れ、決めポーズなんかとらなくなっても、やはり魔法少女たちは魔法少女たちで、
まちがいなく城下町のヒーローたちなのだった。


「さっさとぶっ殺しちまおう」

ヒーローは言う。「眠くなる前にすましてしまいたい」


「新人、もしここで死んだら、私の獲物を呼び起こす魔獣となってくれよ!」


ベエールとクリフィルは意気揚々と結界のなかに飛び込む。


それにつづいて27歳の、”ママ”としばしば仲間からからかわれる魔法少女、オデッサが飛びこみ、
オルレアンとユーカが残るのみとなった。


「どう?怖い?」


オルレアンは、何もない城下町の裏路地を前にして、ユーカにたずねた。


何もないのに、目にはみえないが、まちがいなくここには、”何かいる”。ユーカにもそれがわかる。


それほどに、濃い瘴気がたまっていた。


亡霊か、呪いか、怨念かわからないが、とにかく、家と家のあいだの細い裏路地の通路は、真っ暗で、
足を踏み入れてはならぬ領域な気がした。


「怖くなんか、……ない」


これから最強の魔法少女になるのだから、怖いはずがない。


ウソだった。


いままで避けてきた、森の世界、亡霊が住むとされる暗黒の領域、それには一切ちかづかないで生きてきた。


魔法少女になったら、日々それを対面することになる。


どんな化け物ともわからぬ魔の獣。魔界の生物たちに。

地獄からの使者たちに。


顔あわせする。


するとオルレアンは、そっと腕をだして、ユーカの指を手にとった。


「あっ…」


それはすぐに指同士、絡められて、手を持たれた。


「引き返さなければ、私とともにいれば、危険はありませんよ。」


そういいきるオルレアンさんは、本当に頼りになる、と思った。



目の前の、乙女にあるまじき肌の荒れた顔ながら、貴族のガウンを着た美しい女の子の、言うことを、信じた。

367


結果のなかでは、変身を遂げた魔法少女たちが、すでに魔の獣たちと戦っていた。


さっきまでの余裕ぶっこいた態度はなく、真剣に戦っていた。


彼女たちは、驚くべき動きを披露した。


瘴気に包まれた地面を、立ち上がり、街灯のついた壁を蹴り、壁で跳ねるや、魔獣の頭を、王笏でガンと叩く。


すると、杖の先端についた真珠が光を放って、それが人型をした魔獣を覆い、光とともに魔獣はバラバラになって、四散する。


ユーカは目を見開いた。


思えば魔法少女がその力を発揮し、戦う姿をみるのは、生まれて初めてだった。


オデッサは、大きな弓をとりだして、魔法の矢を放っていく。


矢が直撃した魔獣は苦しみもがいて、姿を消した。

その弓の命中率ときたら、達人なのではないかと思うくらい、正確に素早く矢は魔獣を射止めていった。


もちろん、魔獣のほうからも反撃はある。


彼らは糸を吐き出してきた。


その数は半端なものではなく、あたり一面ら糸があふれた。


魔法少女たちはよけるし、はらうが、何人かは白い糸につつまれた。


すると、ばだっと倒れてしまう。


「だ、っ、」


思わずユーカは悲鳴をあげた。「大丈夫ですか!」


前に踏み出そうとする。


すると、いきなり別の人の腕がだされて、ユーカは止められた。


「うっ」

腕の中に腹をあてがって、ユーカは呻いた。

オルレアンの腕だった。


腕一本で、動きも止められて、呼吸も苦しくて、呻きもともらない。
人間の弱さを思い知ったユーカだった。

「いけません」

オルレアンはユーカをとめた。


白い糸に囲まれた魔法少女たちは、ばたっと倒れたが、他の魔法少女たちがすぐに助けた。


オデッサの矢が白い糸を破壊し、クリフィルを助けた。クリフィルは助けられると、ベエールを助けた。


「撤退だあああ」


ベエールは叫び、白い糸のなかを通り過ぎ、叫びながら、全員の魔法少女が残った魔獣たちを残したまま、
結界からにげた。


「えっ?えっ?」

ユーカは驚いた。

きっと魔獣をすっかり全滅させるものだと思っていたから、彼女たちは、撤退をはじめたからだった。



「急いで」

するとオルレアンもユーカの手をひっぱった。


「えっでも…」

ユーカは残った魔獣たちをみる。「魔獣はまだ…」


「それは、明日倒しますよ」

オルレアンはいい、さらに強くユーカの手をひっぱった。「ささ、急いで」


ユーカは、意外な気持ちがのこるまま、結界をオルレアンとともに走ってでた。

368


結界を脱出したユーカがみたのは、ヘトヘトとした魔法少女たちだった。


壁によりかかってぜえぜえ息を吐いたり、床に尻餅ついたり。



「危険になったら撤退を」


オルレアンは、説明をしてくれた。


「あれだけ瘴気が濃くて、数が多いから、一度に全滅させることはしませんよ。命が大事なので。
いくらか取り分を得たら、それを使って、明日にそなえるのですよ」


意外と早い撤退と、意外に弱い魔法少女は、ユーカの思い描いていた魔法少女の戦いとは、またちがくて、
地道なものだった。


ちょっと戦ってちょっと退治してちょっとしたらすぐ逃げる、それが今の魔法少女の戦い方だった。

「それで人々の命は救えるの?」

ユーカは疑問を口にした。


「魔法少女が死んでは元も子も」

オデッサが、彼女の疑問に答えを言った。


「下手したら死人がでるかもだ!」

クリフィルは尻餅つきながら、叫ぶ。

「死人を、仲間からださない。それが私たちの取り決めなんだ!」


ユーカはそれで黙した。


確かに正義の魔法少女たちだけれども、自分たちの命が危なくなったら、一目散に逃げ出すというのは、
ふつうなのかもしれない。


自分が、魔法少女に夢をみすぎていただけだ。



ユーカは、こうして、実際の魔法少女たちと行動を共にしていくことによって、次第に魔法少女のことを、
知っていく。


とにかく、その日の魔獣退治を終えた魔法少女たちは、さっそく取り分を分け始めた。


「ぜんぶで18だ」

ベエールが彼女たちの得たグリーフシードすべてを数え、一箇所に集める。

「ひとり4っつだな」


ベエールは、そのうち4つを手に取り、まずオデッサに渡した。「ママさん」


オデッサは投げられたグリーフシードを手に収めた。「今ならこんなでも感じるのか?」


余計な一言を加えながらベエールは仲間の魔法少女たちに取り分を渡していく。


「おまえのぶんだ」

バンと、4つ、グリーフシードを勢いよく投げる。「受け取れよプッシー野郎」


クリフィルが受け取った。


手にトン、とグリーフシードが収まって、それを手中に収める。

まだ、魔法少女姿のままだった。しかし、明らかにいらついた顔をしていた。


「あんたのプッシーもやぶいてやろうか?」

クリフィルはベエールに言い放った。



ベエールは起き上がり、クリフィルの前にたった。


お互い剣幕のたつ顔をちかづけ、睨みあう。


はやくも険悪なムードになる二人。

ユーカは、もう、またなんで…と心で参った気持ちになりながら、仲の悪いこの二人をみまもった。


「"垂れた"クソに塗れたカントだ!」



ぶっ、。


誰かの魔法少女が笑い出した。

なんと意外にそれは、オルレアンだった。


「こんどアシタのことをそういってみろ。殺すぞ」

クリフィルは顔を青くしてベエールを睨みつけ、そして、不機嫌そのものになりながら城下町の十字路をもどった。

今日はここまで。

次回、第49話「城下町のヒーローたち Ⅱ」

第49話「城下町のヒーローたち Ⅱ」

369


ユーカはオルレアンからいろいろなことをこうして教わった。


「今日見た魔獣退治と、魔法少女のことで、まだ気持ちが変わらないのなら、明日も朝に会堂へ
いらして。」


とオルレアンは言い残し、ユーカは部屋にもどった。




次の日の朝、夜間外出のことが家族にばれて、父にも母にも叱られたが、そんなことはどうででもよかった。


いよいよ明日、魔法少女になる。



もうユーカはその気でいた。



たしかに、夢の中で思い描いていた魔法少女と、昨日みた実際に活躍する魔法少女の姿には、いささかの
相違はあったが、やっぱりそれでも、ユーカは魔法少女は素敵なものだと思った。


あの口の悪いお下品な魔法少女たちは、それでも戦う姿はとても華麗で、かっこよくて美しかった。


やっぱりユーカの思い描く憧れの”魔法少女”なんだと思った。



明日も、自分もなって、悪い魔獣と戦うんだ。


命をかけて。


それを思うと、わくわくの気持ちで身体じゅう、熱がかけめぐっていて、他のどんなことも大して頭にはいらない。


裁縫も家事も洗濯もパン捏ねもぜんぶすっとばして、オルレアンさんのもとに走った。


走って…会堂を向かおうとして…足がふと、とまった。



その前に、あるところに寄りたい、と思った。



これから、魔法少女になる。もう人間の自分でなくなる。


そう思ったときに、最後に一箇所だけ寄りたい、最後に行きたい、と思う場所があった。



ユーカは方向を転じて、井戸のある十字路をまっすぐすすみ、そして。



エドワード城へつながる橋のほうへむかった。

370


エドワード橋は、大きなアーチを描いていて、ちかづくとその巨大さに驚いた。


橋は、たくさんの荷車の馬車が行き来しており、商人たちが、王に通行税を払ったり逆に王から
報酬をもらいにいったりと、大忙しな朝だった。



橋の通行人は、いちいち衛兵がみはっており、とくに怪しいとみた商人の荷車は、衛兵たちが呼び止めて
中身をチェックする。


樽の中身をあけ、なかをみる。箱の中身も蓋をあけて中身をみる。だいだい、中身は野菜だったり、
果物だったり、塩漬けの魚であったり、穀物袋であったり、だ。


中身を確認した衛兵は手でOKの合図を送り、商人に道をあけ、王城への門へ通す。


バスケットしか手にもってないユーカはあっさり衛兵の検問を通り抜けた。

エドワード橋を進み────王の城の高さと谷に浮かぶ橋の壮大さに足が強張ったが────武器市場へきた。



王都のギルド通り。



そこは職人の街であり、エドワード正規軍の武器、防具、武具全般をつくる、工業地だ。


ユーカは、”イベリーノ”という鍛冶屋をさがした。



その鍛冶屋にいったことはなかったが、ただ、あのとき少年が、そこで見習いをしているといったときしか
覚えがない。


その鍛冶屋をみつければ、少年に会えると思った。



でも、なぜ少年に急に会いに行きたくなったのか、わからなかった。


最強の騎士が剣さえ使えば魔法少女になんか負けない、と悔しそうに語った少年の顔は、まだユーカの記憶に
強くのこっている。


先週の王が主催した馬上槍試合でであった少年。


ああ、そうだ。


ユーカは、なぜその少年に会いたくなったのか、わかった。


わたし、魔法少女になるって、そのことを少年に知ってほしいんだ。



少年は、騎士に憧れ、身分的に騎士は無理だけれども、せめて騎士のために剣をつくりたいと鍛冶屋の道に
すすんだ少年だった。


自分の憧れる世界に、手段を選ばず険しさに怖気ず進んでいく少年だった。



その少年とであったことがきっかけで、ユーカも、魔法少女になる道に進みだした。


ただ憧れて、遠めに眺めて終わり、というなんとなくの毎日を抜け出して、ほんとうになりたいことの
ためにその道へ突っ込んでいくことを教えてくれた少年だった。



みて、私も、魔法少女になる道に進めたよ────


少年は、知る由もなかったが、でもそんな自分のことを知ってほしい。


私だって、負けてないんだから…。



ただそう、少年にいいたかった。



そして、ふと思わず”イベリーノ”の飾り看板をみつけたとき、ユーカはひどく緊張して、怖くなるのを
かんじた。


いざ少年の働く鍛冶屋にきてみると、ひょっとして自分って迷惑なんじゃないかと悩んでしまったのだった。


よくよく思えば、自分が魔法少女の道に進んだことだって、少年にとっちゃ関係のない話だし、そんな話されても、
相手は困ってしまうだけではないか。


それにユーカは気づいた。


よくよく考えたら、男の子と話したことなんて、ほとんどない……


定期的に開かれる夜の踊り会は、ユーカは女友達とすごした。そうでなければ、家族と踊った。



異性と話すことって、なにか悪いことなんじゃないか…… いけないことなんじゃないのか……



ユーカは、悩み、悩んで、イベリーノの鍛冶屋の前で動けなくなってしまった。



それに、もし少年に会えたとしても、どう話したらいいんだろう?


よくよく思えば少年にとって魔法少女は、憎たらしい存在なのかも?少年は騎士がすきな子だ。

騎士が魔法少女を相手に大敗する姿をみて、きっと騎士が魔法少女にかてるようなすごい剣を造ろう、
って気持ちを語った少年だった。


それなのに、私、魔法少女になるって話したら、嫌がられるかも…。



でも、それでも。



やっぱり少年と話してみたかった。



だって、魔法少女になる道をいく勇気をくれたのは、彼だし、彼がもし最強の騎士のための剣をつくろうとしているのなら、
私は最強の魔法少女になるんだ、と言ってみたい。



でも、それって、やっぱり嫌がられるだけなのかな…?


そもそも、自分を覚えてくれてさえいないかも…。



想いばかりが駆け巡り、足が動かない。


ああ、もう!

ユーカは心の中で自分を叱咤した。



むこうは、私のことを覚えているかどうかすらもあやふやなのに、どうして私のほうが、あの子のことで
そんなに悩まなくちゃいけないっていうのか!


という結論にたっし、さっさとイベリーノの家の門を叩こうとした。



叩こうとして。


どききっ。


胸が信じられないくらい跳ね上がり、今まで味わったことのないような緊張と胸の高鳴りがユーカを襲った。


そして、イベリーノの門は叩かず、素通りしてしまった。身体が震えている。


「な…なに!?」

ユーカは胸をおさえる。


こわい…怖い…こわい。



門を叩くのが怖い。



あの少年と横に並んでいたときの馬上槍試合のときとは、信じられないくらいちがう。


なにがちがうって、あのときはたまたま少年が隣にいただけだ。


でも、こんどはちがう。


、、、、
自分から少年に会いにいっている。



それがとても緊張する。

あのときは、たまたま隣同士になったから、話せたけど、今は、自分から会いにきている。



「やだ……どうしよう…ちかづけない…」


自分の胸に突如として湧き出てきた、未知の感情は、強烈で、泣きそうになるユーカだった。

371



その強烈な感情にふりまわされて、ユーカはなんと、30分以上もあの少年の鍛冶屋の前で右往左往した。




扉にちかづけば、胸がバカみたいにどくどく高鳴り初めて、耐え切れず、撤退する。


そういう繰り返しだった。



繰り返せば繰る返すほど挙動不審だった。



たまに武器市場に買い物にくる騎士がいる。


騎士は、なんの気なしに”イベリーノ”へ入り、扉に入る。



そのたびに、傍らにたっているユーカは、どきんと胸が破裂しそうなくらい緊張に飛び上がるのだった。


中で少年の声がする。


「見習いの剣は買う気ねえ」

騎士は中で少年と会話する。「イベリーノはどこだ?」


「おじさんなら、王城ですが」

少年の声が聞こえ、ユーカの心臓は、どきんと音をたてて、緊張にはねあがる。

別の話しているのは自分ではないのにも関わらず、だ。

見つかってしまったらどうしよう、という妙な怖さだった。


「いつ戻るんだ。俺はアルザレヌ地方にむかうんだが。この剣をいますぐ鍛えてほしいんだ」


少年の息をのむような間があった。


「よかったら、ぼくに鍛えなおさせて───」


「黙れ小僧」

騎士の男は、冷たくいった。「見習いから買うものはねえ」


「タダで鍛えさせてください」


少年は食い下がる。「剣のキズ、なおせます。必ず鍛えなおします」


「俺の剣は、てめーみたいなもやしに叩かせるもんじゃねえ」

騎士は愚痴をこぼし、毒づいてから、イベリーノをあとにした。

「町一番の腕だときいていたが、親方がお留守じゃ意味はねえ。他をあたる」


騎士は扉からでてきた。

どきんどきんと早鳴る胸をおさえるユーカと目があった。


騎士の男は、ユーカを妙な顔して見下ろしたが、その渋い顔を元に戻して、市場の通路へ消えた。

372


さらに15分たってしまった。


ユーカは、まだしどろもどろ、胸をおさえて、自分の謎の感情とたたかっていた。


もう引き返そうかと思うと、それはいや、という気持ちになる。


ところが扉に近づくと、ありえないくらい怖くなり、気持ちが高鳴って、逃げてしまう。


しかし、ついにその感情に打ち勝つときがきた。


どうにでもなれえ…!


勇気をだし、胸が最高潮に高鳴ったが、扉を通り抜けることができた。


すると、そこには少年がいた。



「あ…」


少年が声をあげた。

それから、ふっ、と笑いはじめた。「女の子のお客か」


それから自分の作業場にもどった。金床の隣の、炉床に木炭を加える。火が真っ赤な勢いを増す。

「女の子が剣と盾なんて買ってどうするんだい?」


ユーカは、すぐに答えた。

不思議と胸の高鳴りは落ち着きを取り戻した。「ううん、わたし、客じゃないんだ。ごめんね」


少年は木炭を焚口にまたシャベルによって入れ、すると、造りかけの剣を炉火の上においた。鉄の剣は熱で赤い。


「私を覚えてる?」


ユーカは、少年をたずねる。


「馬上槍試合のときに…」


「覚えてるよ」

少年は答えた。「ぼくの隣に、きみがいた」


ユーカはうれしかった。

「覚えていてくれたんだ」

それにしても異性の男の子と話していると緊張がおさまらない。


「ぼくの愚痴をきいてくれた」

少年はふっと笑う。それから、火に焼かれる自作の剣をみつめる。

ユーカは少年がつくっている剣をみた。

「それにしても剣をつくるって大変だ」

と、ため息ついた。


「型に流しこんでから叩くんでしょ?」


ユーカは、自分が鍛冶について知っていることをいってみた。


「鉄鉱石をコークス炉で製鋼したのをこの型に流し込む。どろどろに溶けた真っ赤な鉄さ」

と少年は答えた。

「それを水の中に浸して冷やす。鉄が冷めて剣の容になる。そしたら型を壊して中身を取り出すんだ」



と少年はいって、ふいごという、空気を送り込む道具をつかって、ポンプで炭火に空気を送り込む。

火は勢いを増し、ぶわっと燃え上がった。


鉄の剣は先端から赤くなりはじめた。




だが、どうがんばっても出来上がるのはでこぼこの剣だ。



溶けた鉄を型に流し込んで、原型ができあがった剣を、キレイに叩き直す業が、まだ未熟だ。


見習いとして苦戦しているようだった。


ユーカはその、鍛冶に打ち込む彼の姿を見守っていた。


なんとか原型の剣を、立派なロングソードへ鍛えなおそうと奮闘する彼の姿を。


いつかユーカがみた、あの夢見る少年の瞳は、いままっすぐ真剣に鍛冶へとむけられていた。

赤色に光る剣…コークス炉の中で光る美しい剣…武器。



じっと見つめているだけで時間が流れていった。



「それで」

流れていく時間は、少年がせきとめた。「鍛冶屋に何の用?」



しばらく叩いたあと、少年はハンマーを手放し、金床から剣をとって、また炉火のなかに剣をおいた。

火の中におかれる剣。


ふいごをもって、空気を送り込む。


剣はさっきとでこぼこ具合があまり変わっていなかった。



鍛冶作業場は非常に熱く、少年の額は汗だくだった。



ユーカは、実際に溶けた鉄をどうにかして剣の形にしようと奮闘する彼を見守りながら、本当に名剣というのは、
熟練の職人が手がけた剣なのだなあ、と思った。


名剣といかなくても、ちゃんと両刃があって、ぼこぼこがなく均等に鋭く尖って見事に光る剣というだけで、
実は職人の丹精こめて打ち込まれた剣なのだ、と思った。


バスターソードやロングソードのような、巨大な剣になると、もっと大変なのだろう。


「用はべつに、なくて」


ユーカは答えた。「ねえ、お名前はなんていうの?」



少年は意外な顔をして少女をみつめた。

「用がない?」

おかしそうに笑ってユーカをみる。「いろいろな客がいるけど、用がない客は初めてだなあ」


「いーから、名前を教えてよ」

ユーカはせがんだ。


「ぼくは見習いだぞ。ぼくの名なんか大したこと…」


「将来は、最強の刀をつくるんでしょ」


「はは。なんだか恥ずかしいや」

少年は頬を染めた。「リリド・ライオネルだよ」


「そう」

ユーカは微笑んで名乗った。「わたしは、ユーカ。”ブリーチズ・ユーカ”だよ」


「城下町の子なんだろう。王城にお呼ばれしたわけでもないのに、どうしてここに?」

その少年の質問には、少女は逆にききかえした。

「どうして来たと思う?」


少年はそれで困る顔をみせた。

「いや、それはわからないなあ…」

汗を腕でぬぐう。

目に汗がはいったみたいだ。


「ねえ、いつか私が最強になるまでには、最強の剣を完成させてね」


ユーカは言い、鍛冶屋をばばっと走って去った。



少年には、その意味がわからず、首をひねった。


そして少女が去ったあとも、カンカンカンとハンマーで熱がこもって赤い剣を叩いて鍛えた。

373


それからユーカは、たびたび鍛冶屋”イベリーノ”に通うようになった。


オルレアンのところをたずねると、「魔法少女になる決意はわかったけれども、あなたの願いごとは
危険なので、もう何回か私たちと魔獣退治を経験しなさい」みたいなことをいわれた。



夜は魔獣退治する口の悪いあの魔法少女たち(プッシー野郎!)と行動を共にして、昼間は鍛冶屋のところへいく。


そんな日常がはじまった。



ときには、イベリーノおじさんという親方師匠が鍛冶屋にいて、ユーカを怒鳴って追い出した。


「ここは、女のくるところじゃねえ。」


気難しい、町いちばんの鍛冶職人は怒鳴る。


「邪念にしかならねえんだ。」


鍛冶屋は、作業場という神聖な場所にいるとき、女のことなんか考えてはいけないし、剣と向き合うことの
以外の考えなどあってはいけない。


それが町一番の職人の気性であり、ユーカからすれば、なにをそんなぴりぴり神経とがらすかなあ、と疑問を
おもうところでもあった。



イベリーノおじさんがいるときは、追い返されてしまうので、おじさんが用あって王城にお呼ばれしているときに、
ユーカは少年とあった。



鍛冶の作業場はとてつもなく熱がこもって、熱いので、少年の服はすぐ汗だくになった。



しかも少年は、自分が手がける剣のことしか頭になく、私生活に気がまわらなかったので、ユーカは、たびたび少年の服を
洗濯してあげた。


家にもどって、洗濯して、それを少年に返した。




少年の未完成の原型にすぎなかった剣は、しだいに、キレイな刃の形へと変わってきた。



そんな日常を繰り返しているうち、運命の日がきた。

374

それは夜だった。


あの口の悪い魔法少女たちとの付き合いも、なれてきたし、むこうも、ユーカのことを覚えるようになった。


最も、口の悪さは相変わらずで、ユーカのことを、ことあるたびバカにしてきた。


そのあたりは相変わらず、ユーカの思い描く魔法少女の理想の姿とは、ちょっと違っていた。



「びびって漏らしてるんじゃないのか?」


ベエールはけたけた笑って、ユーカの腰をついた。


そして、つーっと腰から尻まで指先をおろした。


「なにすんだよ!」


ユーカには珍しい、荒っぽい声が思わずでた。


「不感症じゃないな」

ベエールは歯をみせてくっく笑った。「ママ!ユーカは"感じる"ぞ!」


「このプッシー吸い野郎」

歯ぎしりしながらクリフィルが毒づいた。「チーズの腐った匂いがする」


「てめーはママの乳でも吸ってな」

ベエールはさっそくクリフィルにつっかかった。


「少しだまってろ!」

クリフィルは憤激する。


「よしよし、いい子だ」

ベエールはクリフィルの頭をなでる。「パパのも吸うか?」


とうとうクリフィルは逆上し、「殺してやる!」と叫び、ベエールと大喧嘩をはじめる。


それが魔法少女と魔法少女の喧嘩なので、もう夜だというのに大騒ぎ、ばっこんばっこん爆発音やら
家屋の壁にたてかけた梯子やらが破裂する音が鳴り轟きはじめる。


クリフィルはベエールにとびかかり、顔をなぐり、するとのしかかり、何度も殴りつづけた。


しかしベエールも反撃にでる。


ベエールはクリフィルの両肩をつかんでからぐるりと周り、上下の立場を逆転させると、クリフィルの顔面に
上から頭突きする。

ゴツッ。

魔法少女同士の頭がぶつかった。


「おい、猫の喧嘩よりうるさいぞ!」

傍から見ていたクロークが、叫んだ。


この日のメンバーは、いつもより多くの魔法少女がいた。


例の危険地帯が、さらに魔獣の数を増しているとの報告で、この日はいつものメンバーより、三人ほど多く
ユーカと共に魔獣をと戦う魔法少女がいた。


一人は、ユーカにたいして、”願い事を教えるわけないだろ”と告げた、ユリシーズ。


もう二人は、ユーカとは初対面ではあるが、城下町の魔法少女、アドラーとマイアー。



「てめーのプッシーの”ひだ”を───」


ベエールはクリフィルの顔面を強く殴る。そして地面に叩きつける。


うぐ、とクリフィルが後頭部を地面にぶつけて呻いた。鼻血がでた。


「ひん剥いてやる!」



「もうやめろったら」

アドラーという魔法少女が、ベエールを掴んでとめた。

「邪魔するな変態!」

ベエールは怒鳴った。


「わたしのどこが変態だ?」

アドラーはぴくっと眉をひくつかせた。


「男のくせに魔法少女しやがって」

ベエールはすぐ答えた。


アドラーはベエールを殴り、壁にたたきつけた。


ドゴッ。

ベエールは体を壁にぶつけたあと、ドサッと地面に倒れ込んだ。


「心外だな」

アドラーは、倒れ込んだベエールの胸倉をつかみあげ、壁にまた叩きつけると、尋問した。

「この私が男だって?」



「うぐっ…」

ベエールは苦しそうに目をぎゅっと閉じる。


「口に気をつけろ。でないとケツ穴に鎌ぶちこんではらわた引き出すことになるぞ」

ギロリと睨むアドラー。


「少し黙ってろこのおかま野郎、べらべらしゃべりやがって!」

ベエールは苦しんだ顔のまま大声あげ、なお罵倒する。

するとアドラーは、ベエールを地面にたたきつけ、「死なせてやる!」と叫ぶと、手元に剣を召喚して、
顔につきたてようとした。


「まて、まて、そこまでにしろ!」

クリフィルがアドラーをおさえつけた。

刀の先は、ベエールの口に突っ込まれる寸前でとまった。



「あわわ…」


ベエールは恐怖に血走った目を見開かせた。口元に突っ込まれかけた刃は、押さえられて震えている。


「なにを喧嘩してるんだ!魔獣を倒しにいくのを忘れたのか?」

クロークも叫び、ようやく喧嘩はおさまった。「いい加減にしろ!ベエールも口をつむげ!でなければ縫い合わすぞ!」


それにしても、毎晩毎晩こんな調子だった。


下品で、すぐに喧嘩する、粗放な魔法少女たち。


ユーカはオルレアンの隣にいたが、自分が魔法少女になったら、毎日この人たちと一緒に戦うのだなあ、と
いろいろな意味で感銘にふけった。


アドラーは刀をてばなしてどっかの街角の奥に投げて捨てた。


カラランと刀は鉄の音たてて通路の闇へと消えた。

あれは翌朝に誰かが拾うのだろうか。


アドラーは、それから目のあったユーカをみると、口を開いて告げた。

「女だから」


「うん…」

ユーカは頷いた。

たしかに見た目は男の子のようだった。変身姿はズボンで、剣を振り回す姿は、剣士のようで、振る舞いも
男の子のようだった。


髪も短く、声も中性的だった。



「今日も例の危険地帯にいきます」


オルレアンがようやく言った。それは本来の話題だった。


「命が大事ですから、危険になったら撤退を」


「わかってるよそんなこと」

ベエールは魔法の変身衣装についた土と埃を、手ではたいた。「魔獣退治というのは飽きる」



他の魔法少女が、いささか黙しながら、若干控えめに頷いた。

「毎日同じ敵だしね」


「グリーフシードを得るためだ」

ヨヤミは冷静に、文句垂れる魔法少女たちを、諌めた。「魔法少女の使命だ」

375


そんな調子でこの日も七人の魔法少女、と人間のユーカが一人、城下町をパトロールした。



危険地帯と呼ばれる魔獣の大量発生地区へむかう。夜間の霧たちこめる城下町を七人はずかずか歩く。


その途中、十字路で、別の魔法少女集団とすれ違った。


「元気にやれよ」


別の魔法少女集団は、同じ仲間に声をかける。彼女たちは彼女たちで、別の魔獣退治場所を突き止めて、
そこの退治にかむうらしい。


「生きてかえれ」


すると、ベエールやクロークたちも、挨拶を交わす。


「白い糸をよけて、頭をねらえ。魔獣は背後が弱いぞ」


と、助言を与え、自分たちは自分たちの狩り場へむかう。



その途中、とうる民家が、夜間の警備を番犬にまかせて、魔法少女たちの集団がぞろぞろ通りかかると、
バウバウ吠えることがあった。


すると、ベエールは頭にきて、「てめえ、焼かれてえか!」と犬にむかって叫ぶ。


犬はくぅ~と怯えた声あげてひきさがった。


ユーカはそんな姿を後ろで見ながら、また、はあとため息ついた。


日に日に自分の夢に思い描く魔法少女の姿が崩されていく気がする……。


いや、自分はちがう。



私は契約したら、ぜったいきらびやかで、きれいで夢を振りまくような、きらきらな魔法少女に
なるんだから。


そう心に熱情をためていた。

376


その日は、七人もの魔法少女がいたので、以前よりもたくさんの魔獣を倒せた。


喧嘩っぱやいベエールもクリフィルも、魔獣との戦いがはじまると、息があう。


「クリフィル!ケツだぞ!」

ベエールが叫び、クリフィルに危機をしらせる。


「わかったよ!」

クリフィルは、魔獣の結界の中で宙を舞いながら、剣で背後にたつ魔獣の頭を裂く。


白い糸があたりじゅう舞い飛び、瘴気が魔法少女たちを襲う。


魔法少女たちははらりはらりと宙を舞いながら、白い糸をよけて、魔獣を殺していく。



彼女たちは、仲がイイのか悪いのか、こうしてみるとわからない。



「オルレアンさん!正面のやつら、ブッ叩いてください!」


「その必要はなくてよ」


オデッサが弓で正面の魔獣たち三匹を吹っ飛ばす。


「ママ!さすがだぜ!」

ベエールはすたんと白い糸をさけながら、結界の地面に着地する。「ママあいしてる!」


「余計なことは言わずに戦いなさい」

オルレアンは自分にちかづいてきた白い糸をスコップでおはらった。


「撤退だ!」

クロークが、結界の奥から逃げ帰ってきた。

その体は白い糸だらけだった。


彼女は、鉄の籠手に握った剣で、バンバン、白い糸をぶったぎるが、その数は増した。



そして、クロークロが撤退の合図をすると、魔法少女たち七人は魔獣の結果を逃げ去った。



ぶわっ…


赤黒い結界の世界はきえ、薄らぎ、城下町の十字路の景色がもどってくる。


グリーフシードはその日、28個も集めることができた。



「ひとり4つだな」


けれども、取り分はなんだかんだいって、いつもとそんなに変わらなかった。


「今日は穢れがおおい」

大きな十字架をもった魔法少女、ユリシーズはいった。「わたしの取り分をおおくしてくれ」



「あした、会堂にいって、ママからおこぼれをもらえよ」

ベエールはさっそく毒舌を言い放った。「ママに世話してもらいな」



しかしユリシーズは他の魔法少女のように、すぐに逆上してベエールの思う壺となる少女ではなかった。


ベエールはようするに、メス猫みたいなやつで、つねに誰かとじゃれあいたくて他の魔法少女に
ちょっかいだしてばかりいるのだ。


そして仲間の魔法少女を逆上させて、怒らせて、喧嘩する。


喧嘩してじゃれあう。魔法少女同士で喧嘩する。


それがベエールが一番すきなことで、いちばん楽しいのだ。



それを分かっているユリシーズは相手にしない。


するとベエールは途端に不機嫌そのものとなり、ますます激しい罵倒をはじめる。


「へ、無口無表情のでれ助め」

自分を相手してくれないベエールは怒り出す。

「大して魔獣も倒してくせに、取り分が足りないだ文句たれやがって、盗人猛々しい破廉恥女め!」


ユリシーズ、無視。


「くそっ!」

ベエールは足で地面をダンダンを踏み始める。「こいつを呼んだのはだれだ?ただキューブを持ち帰るだけの
ヒモじゃないか。なにか言い返せばどうだ言葉を知らないのかこんのべらぼう、梼昧、おたんこなす!」



まわりの魔法少女たちは、はっははと笑い出すだけ。




ベエールはとうとう顔を赤くしてしまった。


「ふん!」


そして鼻をならし、魔法の変身を解いて、普段の少女の姿になる。


途端に背が小さくなった。


「えっ」

ユーカはその変貌に驚いて、おもわずベエールを見下ろした。


どうやら変身姿になると背が高くなるらしい。これは厚底靴といったが、この時代の城下町の娘である
ユーカは厚底靴というものを実物でみるのは初めてになる。



「なんだよ、みるなよ」


背が小さくなったベエールは顔を赤くしてユーカを睨む。


なんか急に子供になった。


「私はもうかえるからな」

ベエールはとっとと自分の取り分をにぎって家へもどった。


夜の寝静まる十字路へ。


そして、番犬がまたばううっと吠え出し、「うわっ!!」というベエールの悲鳴がきこえた。



魔法少女のときとちがって、変身を解くと可憐な娘になるみたいだった。



「私たちも戻りましょう」


オルレアンは笑い、自分も変身を解いた。


ソウルジェムが手元に灯る。


他の五人の魔法少女もみんなみんな、変身をといた。


それぞれ普段着の少女の姿になる。ほとんどの少女がコットを着ていた。


オルレアンだけがローブ姿だった。


ユーカふくめた六人は無事に魔獣退治を終えて、月の浮かぶ夜空の下、きらきらと星の光る城下町の
十字路を歩いていたが、オルレアンがふと、足をとめた。



「魔獣が…」


オルレアンさんの声は、震えている。



「魔獣が?」

他の、変身解いた五人が顔をのりだす。


「敵は場所を変えました」


オルレアンさんは振り返り、五人をみた。


五人の魔法少女と、ユーカは顔をみあわせる。

クロークだけは、いち早くに予感を察して、眼を鋭くさせて夜風へ目を走らせた。


「魔獣の大群は王城へ移動しています」



オルレアンのソウルジェムは、激しく光を放っている。ギィンギィンと光を増し、反応を示している。


「王城?エドワード王のもとに何が?」

まだ事態がいまいち察知できてないアドラーは、問いかける。


「何が?じゃないだろ、王の身に何かあるのは、これからだよ」

マイアがいう。


「はっ?」

きょとんとするアドラー。


するとマイアーが、はっきり大声で告げた。「王の城に多量の魔獣がむかっているんだ!」


ざわっ。

魔法少女たちに緊張が走る。


「まって……じゃあ!魔獣の群れはいまどこに?」


慌てた様子のユーカが、声をあげる。「エドワード王の城に?」


「橋を渡って、ギルド街に到達しようとしています」


オルレアンはソウルジェムの反応を読み取った。


「あと少しで王城に到達します」


「そいつはコトだ!」

クロークもソウルジェムを掲げた。紫の光が強みを増した。


「王の身に何かあっては、城下町はイカれちまう!」



「よし!よし!そういうことなら!」

つついでマイアーも赤いソウルジェムを掲げ、手元に取り出した。赤みの光が増した。

「王を、私たちの手でお守りしよう!」


「よしきたあ!」

アドラーもソウルジェムを取り出した。水色のソウルジェムが夜の城下町にて、光を放つ。

「褒美はたくさんもらうからな!」


「私たちの手で、王さまをすくうんだ!」

ヨヤミも意気込んだ声をあげ、エメラルド色のソウルジェムをかかげた。


おおおおっ。

かくして五人の魔法少女たちは一致団結し、エドワード王を助けるぞおっと意気込んで、城下町から王城へ
わたる橋へ走り出した。


「ま、まってよお!」


ダダダダと走り出した魔法少女たち五人を追って、あわててユーカも彼女たちを追って走った。



はやい。はやすぎる。


さすがは魔法少女たち。


「はあ…はあ」

人間の身であるユーカは、はやくも息切れをはじめた。



王城へつながるエドワード橋は長い。長くかつ大きい。



大きなアーチを描く橋はまるで永遠につづく坂道だ。



走って走っても坂だ。

それにしても、喧嘩ばかりして仲の悪そうな魔法少女たちだけど、町に危機が訪れると途端に一致団結する。



なんだか、ぜえぜえ息をきらしながらも、笑ってしまうユーカだった。



彼女たちは、口も悪いしデリカシーもないけれど、やっぱり城下町と王都を守る、正義の味方だった。

377


橋を渡った魔法少女たちは、夜間のギルド街へくる。


月は夜空に浮かび、割れた谷のむこうの山々へ沈みゆく。


橋の上は、谷と谷のあいだに架けられた巨大な橋。橋は、王都の城につながれる。


まるで宙に浮かんでいる気分だった。


左右を見渡せば、断崖絶壁がみえる。どこまでも奥深くに沈む、大陸の裂け目が。人などらくらく飲み込んでしまう、
巨大な裂け目は、まさに崖。”裂け谷”とも呼ばれるエドレスの絶壁。


橋を渡りきり、ギルド街へくると、さっそくすさまじい瘴気が町々を支配している異様さに魔法少女らは
きづいた。


「こいつはひでえ」

思わず五人は足をとめる。


あとで追って走ってきたユーカが、その背中にぶつかった。


ドンッ


「あいたっ」


ユーカはふらふら、よろめき、なんとか立ち止まる。「どーして立ち止まるの?」


「五人じゃ厳しいんじゃないか」

アドラーが最初に言った。「かなりの数だ」


「でも、ほっとけば王の城に辿り着く」


マイアは標高700メートルになるエドワード城をみあげる。「王城は魔獣に喰らいつくされちまう」



「食い止める!」

ヨヤミは声を大きくして言った。「町の平和は守る!」


ユーカはどきまぎしている。


オルレアンも難しい顔をしていた。

だが彼女は彼女なりに、判断して、結界に飛び込むことを決意した。


「私とクローク、ヨヤミ、マイアは結界の中に。オデッサとアドラーは応援を呼んでください。ベエールとクリフィルを
呼び戻し、他の会堂の魔法少女たちも呼んでください」



「王都の危機だな」

クロークは一歩進み出て、オルレアンの隣に並んだ。


月が向こうの大陸の山々へ沈む。


オルレアンは難しい顔をしながら、頷いた。「何事もなく夜がすぎるといいのですが」


月は、満ちかけていて、そのほのかな光を地上のエドワード城に注ぐ。

常夜灯の火に照らされるエドワード城の壁を、青白く照らす。



「言ってもはじまらん、ぶっ飛ばそう!」

クロークはわれ先にと結界のなかに飛び込んだ。


剣を抜きながら籠手の手で握り、赤黒い魔獣の結界のなかを走り抜けていく。


「私も!」

「おくれはとらないぞ!」

つづいてヨヤミ、マイアーが結界へ飛び込む。ばしゃあ… 赤黒い光がはじけて、二人の魔法少女の後姿は
結界のなかへと消えた。


オルレアンとユーカ二人が残された。


「ユーカは、城下町にもどるのと私についてくるのと、どちらに?」

夜の月光にオルレアンさんの顔が照らされる。真剣な顔つきだった。


その真剣な目つきは、まるでこのままついてきたら、命の保障はないとでもいいたげだった。


ユーカは、そのオルレアンの瞳を見て、意味も悟ったあとで答えた。


「このまま戻れないよ。ほうっておけないよ…!」


ユーカの脳裏に、この武器市場で修行をつむ、少年の姿が浮かぶ。


「こんな場所で…!」


オルレアンはユーカのそれを覚悟と受け止めた。


「わかったわ。私について、決して離れないで」


「うん」

ユーカは力強く、頷いた。「ありがとう、オルレアンさん」

378


赤黒い結界のなかは、王城の前のギルド街を赤く染めていた。


魔法少女たち四人の前に現れた魔獣の数は、80匹ほど。



この時代の、魔法少女にとってみれば、大変な群だった。


そもそも、5、6匹倒して結界から撤退するような魔法少女たちなのである。


その数には圧倒され、たじろいだ。



「こいつはひでえ」

マイアーは目を見張っている。「ぶったまげた瘴気だ」


「王城に魔獣がちかづくことはなかったのに……」

オルレアンは不安な声をあげる。

「王の心になにかあったのでしょうか…」


これだけの魔獣が王城に発生するということは、よっぽどの負の感情が、王城を支配しつつあるということだ。


王城にはびこる負の感情。


それか、エドワード王に何か関係があるとしたら。



それは、一年後に起こる悲劇の予兆であった。


「てえい!」

マイアは、手に握った鎖のついたトゲトゲの鉄球───モーニングスターという武器を、魔獣にふるい、
魔獣の顔を殴り飛ばす。

魔獣はうめき声あげて消し飛び、地獄へかえった。


モーニングスターは両腕にもって二刀流だった。


この鉄球をふるたび、クリクリクリと鎖が音をならし、ぶんとふるうと、重たいトゲだらけの鉄球がふるわれて、
魔獣の頭を叩き割る。


しかしすぐに白い糸が充満しはじめた。



魔法少女たちは逃げながら、魔獣の本体と戦う。



ユーカは結界のなかで懸命に闘う魔法少女たちの勇姿を見守っていた。



「とりゃ!」


マイアは飛び上がり、二刀流のモーニングスターを空中でぐるんぐるんまわして、二本同時に鉄球を振り落とす。


二個の鉄球に叩かれた魔獣は消し飛んだ。


が、白い糸があたりを覆いつくし、マイラは白い糸に絡まれて身動きかとれなくなった。


「クローク!」


彼女は仲間をよび、クロークは気づいて、マイアに絡みついた糸をたたききる。


バザっ。

ロングソードによってふるわれた太刀が、白い糸をブチブチと細切れにした。


すると自由になったマイアは再び動いた。「死ね!」


まだ何十匹とならぶ魔獣のうち、一匹をモーニングスターで殺す。


だが、そこが限界だった。


「退却だ退却だ!」


クロークとマイアは、襲いくる瘴気からにげる。

瘴気は、霧のように濃さを増しつづけ、魔法少女たちが息も吸えなくなるほど邪悪なものと化した。


しかし、結界の出口にでようとして、その出口がないことに気づいた。


「どうなってんだ!」

クロークの声に焦りがはいる。「出口はどこだ!」


「魔獣の結界がひろまってる!」

ヨヤミが叫んだ。「出口はもっと奥に!」


きづけば、何十匹という魔獣たちに、取り囲まれていた。


魔法少女たち五人は一箇所に集い、背を守りあった。「応援はまだか?」


「戦うしかない」

マイラは諦めた声で告げ、それから、魔獣たちを相手に戦いにでた。

「互いに離れ離れになるな。一箇所にかたまって応戦を!」


「はっ!」

ヨヤミは、小さな小刀を手元にだして、それをつぎつぎ魔獣へ投げつける。


一匹、また一匹と、小刀は魔獣をしとめていく。


だが、数匹すがたを消しただけ。



魔法少女らを囲む魔獣の群れは、70匹以上あり、魔法少女たちとの距離をつめる。



「みろ!」

するとクロークは、ある方向を指差した。「あっちが出口だ!」


そこだけ光が放たれていた。外界からの光だ。


「全員同時に出口にむかえ!」


魔法少女ら四人は、オルレアンはユーカの手をひいて、魔獣の結界の脱出をこころみる。


「道をあけろ!」

クロークは剣をぶんぶんふるい、邪魔する魔獣どもを斬る。

オルレアンはスコップで魔獣たちを殴る。


マイアはモーニングスターの鉄球で魔獣たちを蹴散らした。



そうして道筋をつくり、出口をめざす。


けほけほけほ。

瘴気の濃すぎる結界のなかで、呼吸するたび魔法少女たちは苦しそうにむせる。


だが退却の途中で、クロークに魔獣の攻撃が集中し、彼女は白い糸に全身を包まれて、瘴気にあてがられ、
とうとう倒れ込んだ。

「うっ…」

バタンと倒れて、魔法少女の変身がとける。

あわてて残りの四人が抱き起こそうとした。



「結界で変身を解くな!」

マイアが励ます。「人間にもどるな。瘴気で死ぬぞ!」


「いや、もう変身できない」

クロークの目は黒ずんでいた。汗だくで、体はつめたかった。「ソウルジェムを」

彼女は自分のソウルジェムを取り出した。


三人の魔法少女たちは、おびえた。


クロークのソウルジェムは真っ黒だった。ほとんど黒色で、濁っていて、どろどろした光を宝石のなかで
渦巻かせていた。


「ソウルジェムが…」

「わたしはもう助からない」

クロークは目を伏せた。「みじめだ。魔獣の結界で死ぬなんて」


「あきらめるな出口はある!」

マイアーは諦めず、はげました。「グリーフシードを!」



「やめろ」

クロークは首をよこにふった。「私の回復なんか待つな。みんな死ぬぞ」


「何をばかな…」

なにかを叫びかけたマイアーの肩を、オルレアンがうしろからつかんだ。

「クロークの言うとおりです。回復は待てません」


マイアーは、信じられないという目をしてオルレアンをみあげ、そして、泣き叫びはじめた。

「ふざけるな仲間のうちで死をださないのが私たち魔法少女の原則だろう!」


「一刻もはやくでないと、みんなやられてしまいます」

オルレアンの体に白い瘴気がからみつきはじめる。

「回復は待てません。全滅します」


ヨヤミは小刻みに振るえ、小刀で絡みつく白い糸を追い払っている。しかし白い糸の数は多く、
彼女のソウルジェムは、黒くなりはじめた。


白い糸に対して抵抗をやめているオルレアンのソウルジェムも、みるみるうち黒みが増した。

魔獣の糸に捕われ、瘴気にあてがられ、希望の魂は汚されていく。


「わかるでしょう。クロークの回復をまっていれば、私たちが穢れます。瘴気によって」


「…」

マイアーは言葉をなくし、そして、自分のソウルジェムも黒くなっていくのを見て、頷いた。


オルレアンも頷いた。


変身が解けて人間になったクロークは結界に取り残された。

「ああっ…!」

ついにソウルジェムがすべて真っ黒になり、ミシミシというヒビの入る音、それから、パリンと割れてしまう
限界に達した音がきこえ。


「あぐあああっ…!」


クロークの苦痛の声が、最後まで結界のなかにこだましていた。



三人の魔法少女は結界の外にでた。



赤黒い結界から、三人とユーカは脱出し、ギルド街の風景へと出た。


四人の陰が、消え行く結界の映し身として映る。


結界は、やがて、無へと消えていった。


「くそっ」

マイアは、歯をかみしめて、地面を蹴った。

「クローク…こんなことが…」


ユーカは、おそるおそるオルレアンさんに、たずねた。


「クロークさんは、どうなってしまうの?」

オルレアンは目を閉じたあと、悲しそうに、告げた。

「向こう側で死ねば、死体だって残らない。こちらの世界では、彼女は永遠に行方不明者になる」

オルレアンの瞳に切なさがこもる。「魔法少女の最期なんて、そんなものよ」


「えっ…」

ユーカは、あまりに冷たいオルレフンの台詞に、しばし言葉をなくし、そして、目にわずかながら熱い粒が
浮かんできた。


「そういう契約で、私たちはこの力と、願いを手にしたのだから」

オルレアンは表情を動かさなかった。でも、口は震えた。


「人間は、魔法少女の行方不明者を、”サバトの集会に魔女が連れ去った”だなんだって騒ぎ立てる」

ヨヤミが話し出した。

「とんだ妄想だよね」


ふう。

彼女は息をついたが、そのあと、途端に涙ぐんだ声になりはじめた。

「魔獣と戦って死んだって……家族にも友達にもわかってもらえなんだ…」



「あんなふうに死にたくない!」

マイアは二本のモーニングスターを肩にかけていた。

「瘴気と戦うと、ソウルジェムが黒くなる。ぜんぶ黒くなったら、ああなるんだ!」

ぶるぶる体を震わせはじめる。


ユーカは、仲間の死をみるのと同時に、いずれ自分も同じ運命を辿るのだと悟っている魔法少女たちが、
さっきまでの元気と陽気さ、粗放さを失って、ただただ暗く沈んでいる姿をみつめた。


どの顔も目が恐怖を映していて、避けられない未来におびえているようだった。



ユーカはそしてはじめて分かった。


”円環の理に導かれることは、人の死よりも恐ろしいですよ”



オルレアンの警句が脳裏ににぎったのだ。


魔法少女になるということは、いつか円環の理に導かれて死ぬ、ということを約束されるということだ。


それはつまり、”契約したら死ぬ”という意味であって…。


”避けられない死”、しかも”円環の理”という見えもしなければ聞こえもしない存在の迎えを待つという
死と、いつもいつも隣り合わせなのだ。


その隣り合わせの具合は、ソウルジェムの黒ずみ具合が知らせてくれる。


いつもいつも彼女たちは、これが濁りきったら死という、恐ろしい日々のなかを生きている。




だから、なんだ。


ユーカは魔法少女たちのことが分かってくる。


だから、この人たちは、下品だけれども粗悪だけれども、魔獣と戦う前に集うとき、なんでもいいから
言い争いというか、喧嘩ばかりするんだ。


それは、互いが憎みあっているというよりむしろ、その逆で、”円環の理による死と隣り合わせ”な境遇の
者同士、分かち合いたいだけなんだ。


”避けられない未来”の恐怖を。互いに、喧嘩でもなんでもして、紛らわしたいだけなんだ。



下品だろうとなんだろうと、なにかお互いに言い争いしていれば、”避けられない未来”のことは頭から
なくなる。喧嘩していれば魔法少女の残酷な運命のことは、忘れることができる。



喧嘩するほど仲がいいなんていうけれど、まさに、そういう人たちだった。



仲間を一人失った三人の魔法少女たちが、目に恐怖を浮かべているとき、増援がきた。



クリフィルとベエール、とりわけ激しい喧嘩仲間である二人だった。



エドワード橋を渡って、王都の城の前、ギルド街へ走ってやってくる。


月はむこうの大陸、道の国に連なる山々のむこうへ、沈む。


「エドワード王が危機だって?」


ベエールは走ってくるなり口を開いた。「ホモの魔獣野郎に狙われてんのか?」


クリフィルとベエールは二人同時に、仲間と合流したが、オルレアンら魔法少女たち四人が、暗い顔して
無言でいることにきづく。


「魂いかれちまったのか?」


ベエールは異変にきづき、様子を見守った。「ママの愛情がないとなんもできないのかよ?」


クリフィルは、目に涙を浮かべているユーカに、問いかけた。

「なにがあった?」


「クロークさんが…」

喋りだすと、余計、目になにかがあふれ出てきた。「魔獣の結界にとり残されて…」


ベエールとクリフィルは、起こってしまった事態を悟った。

「…くそ」

ベエールは頭痛をこらえるように額をおさえ、目をぎゅっと閉じた。

「あたしらのなかじゃ一番ベテランだった。そのクロークでさえ死ぬときは死ぬのか」


「いずれ私たちも同じ運命を辿るかも」

クリフィルがぼそっとつぶやくと、ベエールは怒った。

「辿るもんか!あたしは叶えたい希望があって魔法少女になったんだぞ!」

剣幕のある声で怒鳴りだす。

その様子を仲間の魔法少女たちが見つめる。


「死んだら私の願いはどうなる?死んだらすべておしまいだ。カベナンテルと契約したこともそれ以来ずっと
自分の願いのために戦ってきたのもぜんぶおしいまいになるんだ!」


仲間の魔法少女たちは、目にまた、恐怖と悲しさを浮かべる。視線は下を見下ろし、俯き加減になる。


「あたしは死なないぞ!魔獣と戦って死んだりするもんか。自分が死んだら、自分がかなえた願い、ぜんぶ
消えちまうだろ。命あっての魔法少女だ、誰も死ぬな!あたしもおまえたちも、みんな、だ!」



魔法少女は、当たり前だが、自分が契約してかなえた願い事を、大切にする。

だから自分の命を大切にする。自分の魂を捧げて願い事をかなえたのだから、自分が死んでしまっては
元も子もない。


実際には、美樹さやかの願いが、上条恭介の腕を治したように、命を失っても(美樹さやかが円環の理に導かれても)
奇跡が世にのこることも多いのだが、そうでもない願い事ももちろん、おおい。



暁美ほむらの願いは、鹿目まどかを守る自分になりたい、ということだったから、自分が死んでしまっては
元も子もない。


今は聖地と呼ばれている、円環の理の誕生の地───かつての見滝原という舞台で、暁美ほむらは自らの命を
賭けて鹿目まどかを救おうとめぐるめぐる時間のなかを繰り返したのだ。


「ああわかってるさ」

さて、エドワード城を目前に集まった7人の魔法少女たちは、気を取り戻し、怒鳴り散らすベエールの肩をもった。

「仲間のうちから死人はださない。アタシらの原則だろ」


「あんたらがもっとはやくきていれば、クロークはしなかかった!」

マイアは、クリフィルにつかみかかって、大声で言った。

「おそいんだよ!応援を呼んだだろ?どうせ二人で余計なことしてたんだろ。そのせいでクロークは、…!」


「余計なこと、だと?」

クリフィルは胸倉をつかまれながら、マイアを見おろし、言った。
 ・・
「アレは余計なことだったかな」

クイと首を曲げて後ろのほうを示す。


「…え?」

マイアは、涙浮かべたまま驚いた声を漏らし、そして、エドワード橋のほうをみた。

「な…!」

そして、目を丸くして大きく瞠った。


「おったまげたよ!」

漆黒の黒髪とエメラルドグリーン色の瞳をした魔法少女、ヨヤミもぽろっと感想を漏らした。

「パーティーでも始める気?」その顔が自然と綻びだす。ついには笑った。



「おーい!」

アドラー、男の子のような変身衣装をした魔法少女が、手をふりながら、エドワード橋を渡ってきた。

「増援をよんできたぞ!」


オデッサ、27歳の魔法少女もあとについてきている。「お待たせしました!」



「おいおいなんだあこれは…?」

マイアはただただ光景に圧倒されている。


オルレアンも苦笑してしまった。


「す、すごい…!」

その場で膝ついてしまっていたユーカは、目を見開いて、信じられない、という顔をした。



オデッサ、アドラーを先頭にして、やってきた増援は、城下町じゅうの魔法少女たち。


ありとあらゆる会堂に集い、魔獣と戦う魔法少女たちが、大集結して、ソウジェムの力を解き放って変身姿となり、
王城の危機を救うべくむかってきている。


50人、60人は越える数だった。


城下町には、100人ほどの魔法少女がいるが、そのうち半数以上が、王城の危機ときいて駆けつけてきた。



ソウルジェムが、60個も煌き、そして少女たちは次々に色とりどりな魔法少女へと変身していく。


「もう一度きくが────」


クリフィルは、いたずらっぽい笑顔を浮かべて、マイアーにウィンクし、質問した。


「余計なことだったかな?」


赤いソウルジェム、黄色いソウルジェム、紫のソルジェム、桃色のソウルジェム、青いソウルジェム、
白いソウルジェム、黒いソウルジェム、緑のソウルジェム、オレンジ色のソウルジェム、黄土色のソウルジェム、
水色のソウルジェム…。そして色とりどりの魔法の変身衣装。


まるで虹を形成するような、魔法少女たちの変身の煌き。

おどろきの光景だ。

目前に60人を超える変身した魔法少女たちが駆けつけてくる!


マイアは、呆然と立っているだけ。



「オルレアンさん!」

10人、20人、そして何十人という魔法少女が、オルレアンのもとに集結し、挨拶する。

「ずいぶんと濃い瘴気ですね」

きづけば、50人ちかくの魔法少女が、オルレアンのまわりを環をつくって囲うようにして、大集結していた。


「ええ、実は、死者が一人でてしまって…」

オルレアンは悲しそうに告げる。

増援に駆けつけた魔法少女たちの顔が引き締まった。「もう出させません」




「こいつはぶったまげたぜ!」

ベエールはすっかり興奮していた。

「王都の魔法少女が大集合だ!」

グーをつくった手をぶんとふるい落とす。



「魔獣をおっぱらいましょう!」

増援にかけつけた魔法少女たちは、旗をとりだして(エドワード正規の軍隊の旗を、かってに借用したもの)
ユニコーンの紋章を夜間の王城にかざしながら、魔獣の気配はごひる巨大な瘴気へと、先陣きって突撃していった。


旗をかざした魔法少女につづいて、増援にきた城下町の魔法少女たちがつづいて、80匹は越える魔獣との
戦いに身を投じていった。



「サリー、あなたたちは、南東のギルド通りに」


オルレアンは役割分担を指示していく。


「フェレル、私とともに、西の通行路へ!」


フェレルと呼ばれたストレート髪の魔法少女は頷き、オルレアンにつづいて、王城へつながる通行路を
めざした。


「魔獣の瘴気が最も激しい。この人数でもとめられるかどうか!」

オルレアンは、ユーカの手をとろうとした。


が、ユーカは、あっちも魔法少女こっちも魔法少女の、大団円になりながらも、オルレアンの手を拒否した。


「わたし、そっちにはいけない」


ユーカは自分でも言っていることがおかしいと思った。

でもたしかに自分はオルレアンについていくことを拒否していた。


二人の手がはなれ…


二人は距離を生み出す。



「魔獣の勢いが増しています。増援がきたとしても、安全では…」


オルレアンが言い切るよりも先に、ユーカはオルレアンから退いて距離をとった。


数歩後ろへ引き下がりながら、ユーカは、虚ろな声をだした。「ごめん…オルレアンさん」


とだけ言い残し、ユーカは、50人を越える魔法少女たちが多量の魔獣を相手にあちこちで奮闘をはじめる
そのなかを、一人で駆け出した。


ギルド街のほうに。


「ユーカ、まって!」

オルレアンは呼び止める。

ユーカはきかない。


たった一人、人間の少女が、そこらじゅう魔法少女と魔獣の激突が繰り広げられているギルド街の通路を走り出す。



「なんてことを…」

オルレアンは、ユーカを追うか王都の通行路を進む魔獣の群れと戦うかの選択にせままれた。

今日はここまで。

次回、第50話「後悔なんて、あるわけないよ」

第50話「後悔なんて、あるわけないよ」

379


王城への通行路では、魔獣たちが瘴気を撒き散らしながら、エドワード城むけて大行進していた。



その数は80匹を越える。


あちこちまばらに魔獣が発生することがあっても、80匹が同時に一箇所にまとまって結界を形成するのは
めったにないことだ。


王城への道は、ふだん、門を衛兵が守備にあたって、つねに見張られている。



が、人間が見張りにたったところで、もちろん、魔獣の大行進をとめられるわけもない。




王城への通行路は、石畳によってまっすぐに道が敷かれていて、ふだんここは騎士たちのパレードが音楽隊と
一緒になって進軍する道である。



ところが今はそれが魔獣たちのパレードになってしまっていた。


80匹の魔獣たちは、王城の入り口へ一直線だ。



それを食い止めようと動くのは、手分けした35人ほどの魔法少女。


魔法少女たちは、夜間の寝静まった王城の入り口、衛兵が並び立つエドワード城の第一城壁へ、まっすぐ
集団をなして走る。


「いそげ!」


先頭をいく魔法少女が、エドワード軍の軍旗をふりかざし、後続の魔法少女たちを鼓舞している。


「王城を守れ!」


なにやら妙な騒ぎになっている、と気づいたのは、エドワード第一城壁の守りにあたる夜警の門番たち。

門番たちは、眠たくなる目をこすり、城壁の矢狭間によりかかっていた身を起こして、目を見開いた。


「おいおいおいなんだありゃあ?」

門番は困惑した声をあげた。


城壁にたつ監視塔からみおろした門番がみた光景は、城下町の魔法少女たちが、35人もこっちに走ってくる姿だった。

なんとも異様だ。

奇妙な衣装と格好をした城下町の娘たちが閉ざされた城門に走ってくるという、わけのわからぬ光景。


「ワーウィック!ボーシャン!リック!」


彼は仲間の門番たちを呼んで起こした。

その声は、寝静まる夜にたちこめる霧に轟く。



「おきろおきろ!みてみろ」

城壁の出っ張りに背をくっつけて眠りこけている門番たちの肩をたたき、たたき起こす。

バンバンと叩かれた門番兵たちがビクっと体を動かして目をさます。


「くそったれ」

ワーウィックは夜間に無理やり起こされて愚痴を開口一番、こぼした。

「何事だ?」

重たい目を開きながら、渋い顔をして重たい体を起こす。


「みろ」

こうして四人の門番は魔法少女たちが35人、城壁にむかってくるという異様な光景を一緒になって眺めた。


「可愛いな」

リックと呼ばれる門番が呟いた。「全員お嫁さんに迎えたい」


「そんなこと言ってる場合か」

ボーシャンは言い、城壁の歩廊を走ると、監視塔のベルを鳴らし始めた。



カンカンカン。


警報が鳴る。



王都の城、エドワード城に。



夜襲あり、の警笛がならされる。



エドワード城じゅうの衛兵が身を起こし始めた。



常夜灯係り、門番、衛兵、弓兵、守護隊の兵士。



標高700メートルあるエドワード城のうち、第一城壁区域(高さ1m~40mの層域)とよばれる最初の関所に
あたる兵がいっせいに深夜のうちに目をさました。



しかし、次の瞬間、門番兵がみたのは、目を疑うような光景だった。




変身した魔法少女たち35人は、ぞくぞくと白い霧のなかにつっこんでゆき、姿を消していく。


白い霧と少女たちが触れ合うや、飲み込まれてゆき、変身した魔法少女たちは跡形なく消えたのだった。



「どうなってんだこりゃあ…?」


唖然とする門番たちを尻目に、魔法少女たちはほとんど姿を霧のなかに消した。

一人の影ものこっていなかった。



その数秒後、警報のベルを鳴らした門番兵のもとへ、オーギュスタン将軍が駆けてきた。


オーギュスタン将軍は、城壁内側の階段を駆け上り、黒い立派なマントを夜風に晒しながら城壁の歩廊へきて、
監査塔の前にまできた。


「何事だね?」


門番たちは互いに目を見合わせた。

どうする?みたいな感情をしている目と目が合った。

「魔法使いの大行進です」


「なんだと?」

オーギュスタン将軍は腰に鞘をさし、黒いダブレットと銀色の鎖帷子を着込んで武装した立派な騎士の格好をして、
門番兵たちの前に進み出て、距離をつめ、威圧する。

「どういうことだ」


「たくさんの魔法使いが城門にやってきて、あまりにも妙なことでしたので、警報を…」

門番が言い終えるよりも前にオーギュスタン将軍は動いた。


建つ城壁の矢狭間へ身をのりだし、そこから、何事もない夜間の通行路を見渡す。


「誰もいないぞ」


誰も居ない。物静かな、いつもの夜間の通行路だった。


「いえ、それが…」

門番たちは口ごもる。

「霧のなかに消えたんです」


それを聞くと、オーギュスタン将軍は眉にしわ寄せ、怒りのこもった顔をみせた。

そして門番たちの目の前に数歩、進み出て、じりりとさらに距離をつめた。



逆に門番たちは数歩あとずさった。

その顔にオーギュスタン将軍の影が映った。


「夜間の誤報は処罰の対象だぞ」


「ち、ちがうんです!」

門番たち、懸命に言い訳をはじめる。

「閣下、誓っていたずらで誤報鳴らすなんか、もうしませんよ!前回で懲りてます。しかし、
今回は本当に…」


「夜間の誤報を鳴らすことが、いかに罪深いことか、わかっとらんようだな」

オーギュスタン将軍の声に怒気がこもる。

「大勢の人間が夜間に起こされる。この規模の城だ。騒ぎを抑えるのにどう責任とるんだ?」


門番兵たち、返す言葉もなく、無言になってしまう。


オーギュスタン将軍は彼らに背をむけた。見限りだった。「晒し台にかけろ」


正規軍が彼らを捕らえる。

「閣下!まってください!こんなのあんまりだ!ひどすぎる!こんなのってありませんよ!」

しかし、門番の抵抗むなしく、彼らは連行されていった。

「本当にみたのに!魔法使いたちを見たのに!」

380


さて魔獣の結界に突入した西方ギルド街の魔法少女たちは、25人あまりが、発生した多量の魔獣を相手に
激闘を繰り広げていた。



あちこちで瘴気と魔法のぶつかりあう音がきこえる。



魔獣どもが消し去ると、結界が消え、魔法少女たちはギルド街という現世にもどる。


そして、また別の魔獣の結界をみつけると、そこに突っ込んでゆく。


25人が協力しあっていると、こっちに発生した60匹ちかい魔獣は、次第に数を減らし、瘴気の勢いを
弱めていった。


「てえい!」

昔の、魔法少女の存在が知られていなかった時代にくらべて、その存在が世界に広く知られているこの時代の
魔法少女は、一人一人の魔力が弱い。


しかし、弱いなりに、彼女たちは協力しあって、懸命に突如として発生した王城の大魔獣集団と戦った。


「とおっ!」

ある魔法少女は、鎌をつかって魔獣の頭を切り。


「とりゃ!」

ほかの魔法少女は、鉄ハサミで魔獣を斬る。


彼女らに白い糸が襲い掛かる。それが避けきれず、捕われると、仲間が助ける。


仲間も一緒に瘴気の白い糸につかまってしまうと、ピンチになる。彼女たちはソウルジェムを黒く染め上げ
られていく。


「大丈夫っ!?」

顔もしらない新たな仲間がかけつけて、トンカチで白い糸を破壊する。


仲間達が開放される。



「ありがとう!」

三人は解放され、一緒に、魔獣に猛攻撃をしかける。


白い糸をよけ、飛び越え、トンカチと鎌、ハサミで、魔獣らを一網打尽にした。


「くたばれ!」

別の魔獣の結界ではマイアーが二刀流のモーニングスターをふるっていた。


まず白い糸が砕け、そして、おくの魔獣たちの群れを破壊する。

「これでも食らっておっ死ね!」


魔獣たちは滅んだ。

結界は消え、王城前のギルド街の景色がもどってきた。


「そういえば取り分ってきめてないな」


魔獣を大量に敗残せしめたあと、マイアーはふと、呟くのだった。

381


オルレアンは西方ギルド通りを進み、魔獣の結界は避けて、ユーカを探していた。



あちこちで魔法少女が魔法を使う音、魔力を炸裂させる音、魔獣の呻きと咆哮、飛び交うなか、オルレアンは
ユーカの姿を追った。



ユーカの身に何が…。



いままで、魔獣退治のとき、いつも自分のそばから離れることはなかった。



そういう条件のもと、魔法少女の魔獣退治に付き合わせていたし、そうでもしないと、自分の命が危険なのは
ユーカ自身がよくわかっているはずだった。



なのに、どうして、今日だけ、様子が変だった。


自らオルレアンの元から離れ、だれの魔法少女と行動をすることもなく、一人で魔獣の発生したギルド通りに
走っていった。


いつものユーカならそんなことはしない。


オルレアンはすれ違う魔法少女たちに声をかけ、といつめた。


「人間の女の子を見なかった?」


戦闘中の魔法少女は、驚いた顔して、言い返すばかりであった。「人間の女の子!?どうして魔獣が発生した
こんな場所に人間がいるってんです?」



オルレアンはその魔法少女を離し、また別の魔法少女を捕まえて、問い詰める。


「人間の女の子を見ました?」


「人間が夜間に外出ですって?」

戦闘中の魔法少女は、オルレアンに背中でこたえる。「魔獣の発生場所ですよ、どうして人間など!」

そして、また、魔力を棍棒にためて、魔獣の結界に突っ込んでいった。



オルレアンは絶望的な気持ちになった。


このままでは、ユーカはとても、見つからない。見つけられない。



「うわっ!」

とある魔法少女がぶっ倒れた。


仲間の魔法少女たちがかけよって、助け起こす。


「ソウルジェムが限界だ!」

と、駆けつけた仲間が叫ぶ。倒れた魔法少女の黒ずんだソウルジェムを取り、自分の取り分のグリーフシードを
彼女のために使って浄化する。


すると、苦しそうな顔の倒れた魔法少女の表情が、安らいでいった。



ユーカはあたりを見回し、どの魔法少女も戦いに必死なのを見て、ただただ、神頼み的な気持ちで、
声をもらした。


「ユーカ…お願いだから無事でいて…」

訂正


オルレアンはあたりを見回し、どの魔法少女も戦いに必死なのを見て、ただただ、神頼み的な気持ちで、
声をもらした。


「ユーカ…お願いだから無事でいて…」

382


あらゆる魔獣は魔法少女によって滅ぼされた。


80匹ちかい魔獣の大群は、やがて数を減らし、最後の10匹となった。



数多くの傷と、ソウルジェムに穢れをおった魔法少女たちだったが、互いに協力しあって、魔獣をどうにか
滅ぼした。



「とりゃあっ!」

トゲトゲのついた棍棒をふるうと、魔獣の腹を裂き、魔獣は消し去った。


グリーフシードが1、2個おち、魔法少女たちはそれを拾った。

「ソウルジェムが黒ずんだやつはいるか!」

魔法少女は、グリーフシードを拾うと、仲間達によびかける。

「いますぐ必要なやつ!」


「私だ、はやくしてくれ、円環の理にまだ導かれたくない!」

地面に倒れ込んだ魔法少女がいう。その手元にのこぎりが落ちていた。「助けてくれ!」


グリーフシードを手にした魔法少女は、のこぎりを落として倒れた魔法少女のもとにかけより、
彼女の黒く澱んだソウルジェムにグリーフシードをあてた。


少しずつ、黒い穢れが、ソウルジェムから抜けていった。



「ありがとう」

助けられた魔法少女は礼をいった。「こんど一緒に魔獣退治するときは、わたしが助ける番だね」


「残念だけど、地区がちがうよ」

助けたほうの魔法少女は笑った。



かくして城下町の魔法少女たちは、魔獣の軍団を前にして勝利を収めた。


たがいに魔法少女と魔法少女で手をとりあい、抱き合い、この勝利の喜びを分かち合った。



ギルド通りのほうも、王城入り口の通行路のほうも、ぶじ、魔法少女が勝利した知らせを互いに交し合った。


「よくやったね」

「うん」


一緒に戦った魔法少女同士で、手を握り合う。その二人はその場で友達となり、名前を教えあって、
文通する約束を結んだ。


オルレアンだけが、魔獣の大群を相手に勝利を収めても、不安な顔をしてギルド通りを彷徨っていた。

383


ユーカはギルド通りを一人で進み、魔獣だらけの結界に怖気つくことなく、目的の場所に辿り着いていた。


「はぁ…はあ…」


人間の少女、か弱き体は、命を張ってここまで走ってきた。


その口から息がもれる。


ユーカは、辿り着いたとうる鍛冶屋の飾り看板をみあげた。


こう書いてある。


”イベリーノ”


「はあ…はあ」


鍛冶屋からは、物音ひとつ聞こえない。あれだけの騒ぎがあったのに、気配がない。


誰も居ないのだろうか。


それとも…。


恐る恐る、ユーカは、夜間の寝静まった鍛冶屋の扉をひらいた。


キィ…。

蝶番のすれる音がする。


そして中をみると真っ暗だった。


鍛冶屋の作業場は、夜間の月明かりのみに照らされ、開かれた扉からそれは中を照らす。


「ライオネル」

ユーカは、あの少年の名を呼んだ。「ライオネル、わたしだよ。きこえる…?」



返事はない。


かわりに、ユーカは、ひどいものを見つけた。


どくっ、と恐怖に胸がはねあがり、心臓は凍りついた。


鍛冶屋の冷めた炉火のところに落ちているのは、グリーフシード。

魔獣の卵だった。



まだギンギンと黒い邪悪な光を放って、紫色の瘴気を沸き立たせている。



「ライオネル!」

ユーカはいてもたってもいられずに屋静まった鍛冶屋の作業場に飛び込んだ。


真っ暗闇でなにもみえず、足場は木材やら炭やらスコップやら、いろいろなものが置かれているので、
いちいち足をぶつけてしまう。


それでもなりふりかまわずユーカは鍛冶屋の奥にまで進んだ。


かまどや、金床や、トンカチを並び立てた台、いろいろなものをよけながら、奥へ奥へ。


すると。


暗くなった鍛冶作業場の奥で、意識を失って倒れている少年が……

いた。


目を閉じている。


しかも、その腹には、鈍い剣が血まみれになって……突き刺さっていた。


「ライオネル!」

ユーカは少年のもとに駆け寄り、抱き起こす。


少年の口元から血が垂れた。


「どうして…」


ユーカは信じられないという顔をして少年の肩をゆする。「ライオネル、起きて、しっかりして!」


少年は動かない。


人間とは思えないくらい、冷たかった。「そんな…!」


ユーカの顔が崩れ始める。

恐怖と絶望、全てを失ってしまったかのような気持ち。目の前が真っ暗になるような、落ちて行くような気さえした。



「どうして…ライオネル、どうして…!」

ユーカは冷たくなった少年の体を……。


力強く抱きしめ、胸に寄せた。


少年はユーカに抱きしめられる。


だが、その口は血を垂らし、表情は硬く、冷たく、生気はない。


それでも少女は。



やっと自分が。


この少年のことを、好きだったという気持ちに気づきながら。


死んだ少年を強く強く。


抱きしめつづけた。


「どうして…どうして…ライオネル…」

ユーカは涙をこぼしながら少年を抱擁しつづける。自分の胸に抱き寄せる。

「最強の剣をつくって、最強の騎士に使ってもらうこと……夢だったんじゃないの…?ねえ、ライオネル、
あなたのおかげで、わたし、毎日が楽しくなったんだよ……」


少年は動かない。


少女は……

動かない少年に語りかける。

自分のすべての気持ちを。


「私ね、最強の魔法少女になりたいって、願い事、決めてた。ライオネルが、最強の剣を造りたいって言ってたから…。
だから私は最強の魔法少女になりたいって思った。本当はね。ライオネルのつくった剣、私が使い手になりたかった。
あなたがつくった最強の剣を使えるような、最強の魔法少女になること、夢だった。それが私の気持ち。
わたしの、ライオネルへの気持ち…!わたし、ライオネルが好き。だから……」


もちろんユーカには何が起こったのかわかっている。

頭のなかでわかりながら心で拒絶している。



あれだけ多量の魔獣が発生したのだ。



鍛冶屋の見習い少年は、魔獣の発した瘴気によって、死に追いやられたのだろう。

でも、少女は、死んだ鍛冶見習いの少年を力いっぱい抱きしめて…


こぼれる涙を少年の死んだ頬に滴らせながら、自分の全ての気持ちを打ち明けていく。


「あなたには……生きていて………欲しかった……!わたしが守ってあげたかった……!」



すると、ユーカと少年しかいなかった鍛冶作業場に、別の声が聞こえてきた。


「その言葉は真実?」


その問いかけから始まった声の主は、人間でもなければ魔法少女でもなければ、魔獣でもなかった。

はっとユーカが、涙ぐむ顔をあげると。


月光の青白い筋が下る窓のところに、ちょこんと尻尾をもった獣がたっていた。


「”戦いの運命(さだめ)”を受け入れてまで────」


白い獣は窓台のところに四肢を据えて座っていた。


「叶えたい望みがあるのなら」


獣は、窓に漏れる青白い光芒を受けながら、暗闇のなかで照らされ、語る。


「ボクが、力になってあげられる」



ユーカは、倒れた少年の体を抱きつつ、泣き崩れた顔だけあげ、白い獣をみつめる。


窓から漏れる青い月光に包まれた白い妖精を。


「あなたと契約すれば…」


ユーカは涙でふるえた声をしぼりだす。


「どんな願いも叶えられる?」


白い獣はいった。表情は動かない。背後の月光に照らされて、顔は闇に隠れている。


「どんな奇跡だって起こせる?」



「そうだとも」


契約の使者は少女に告げる。


「キミにはその素質がある。さあ、告げよ」


赤い目はユーカを見下ろす。


「何を祈り、ソウルジェムの煌きを宇宙に輝かせる?」



「わたしは…」

ユーカは、赤くなった涙まみれの目をこする。


そして、腕で何回か顔をぬぐったあと、力強く立ち上がり、白い妖精に、願いを告げた。


「ライオネルを助けたい」


ユーカは何の迷いもなく、たった一回限りしか使えぬ魔法少女の契約を、その願い事に託す。


「そしてライオネルを守る自分になりたい!」



契約の獣は承諾した。


次の瞬間。


「うっ…」


いきなり熱にあてがられたように、胸に苦痛が走った。


胸のなかの熱は、どんどん広がってゆき、溢れるように勢いをます。足が震えた。

思わず声が漏れた。


「うっ……あああっ…」


胸が苦しい。

体が焼けていくようだ。


しかし、体にこもる熱は、体内を巡りめぐって、全身を包み込むにつれて、それが不思議な力であるようにも
感じた。


全身に、今まで知らない全く未知の感覚、不思議な力が、満ちあふれていく。血の中に、暖かな未知の力が溢れ、
満ちて、からだしゅうを駆け巡っているかのようだ。


そして、圧倒的苦痛に包まれながら、ユーカは、熱のなかで、自分がとうとう人間ではなくなって、
魔法少女になっていく自分を感じていた。


「ああああっ…ァ」


口からまた声が漏れる。


手は胸をおさえ、あまりの体の熱さに、視界が白黒した。

そしてとうとうユーカはみた。


まるで体からすべての力が抜けていくような、すとーんという脱力感、落ちて行くような感覚ののち、
目に煌くオレンジ色のキラキラ光り輝く……


卵型の宝石をみた。


「ソウル…ジェ…ム…」


絶え絶えの息になりながら、ユーカは呟き、そして、バタリと体ごと倒れ込んだ。


そのあとはしばらく体が動かせなかった。


まるで全く別人の体に乗り移ったかのように、自分の体が自分の体でないような違和感がする。


自分の命令にしたがって体が動かない。


しかし、時間がたつにつれて、だんだんと体の感覚は、もどってきた。


ぴく…ぴくと自分の体を動かしはじめ、そして、ソウルジェムを手にとった。


「宇宙に神秘の灯がまた一つ、煌いた。さあ、解き放てよ!」


白い契約の獣は、新たに誕生した魔法少女に、告げた。


「その新しい力を!」

394



オルレアンは心に胸騒ぎを感じながら、ギルド通りを進んだ。


そして、もう手遅れだったのを悟った。



あたりが60人ちかい魔法少女の勝利ムードのなか、一人の少女をみつけたのだ。


それは、ユーカだったが、普段の身なりとは違う服装をしていた。


コルセットをはめたフレアスカートの姿。

茶色の髪は花飾りがちょこんとポニーテールにし、足には革ブーツを履く。

その腿は毛糸のタイツに包まれる。上着は、きらびやかなパフスリーブのついた肩の膨らんだワンピース衣装。


ユーカの魔法少女姿だった。



「わたし、人を、助けました」


魔法少女になったユーカは、オルレアンに告げる。



「だれかのために、願い事をつかったのですね」

オルレアンは寂しい声で言った。


「はい」

ユーカは俯いて答えた。

それから、涙をすべてふいて、最後に、嬉しそうな笑顔をみせて、頬に赤み差しながら、少女は言った。

「だって、人を助けるのが、魔法少女だから」


えへへと笑い、嬉しそうな顔をみせるユーカ。


「後悔しませんか?後悔しないと、約束できますか?」

オルレアンは心配げに訪ねた。


ユーカは嬉しくて、魔法少女に生まれ変わった自分が幸せでいっぱいという顔で、オルレアンに、答えた。


私は助けた。

ライオネルを助けた。


彼はまた、夢のために、剣をつくりあげることができる。


わたしはその夢を守ることができる。


だって、魔法少女になったから────。



「後悔なんて、あるわけないよ!」

395


そのころ王都の通行路と、入り口を防備する第一城壁では。


オーギュスタン将軍が、通行路で大騒ぎしている魔法少女たち60人の光景に圧倒されて、彼は自ら城壁から
降り立って魔法少女たちの前にでた。


「何を夜間に王の城の前で騒いでいるのだ?」


オーギュスタン将軍は、困った顔をして、騒ぎ立つ魔法少女の一人に、尋ねる。


「ヴァルプルギスの前夜祭ごっこか?」


「閣下、またそりゃ、人聞きの悪い!」

魔法少女は楽しそうに笑い、王都の将軍に答えた。

「閣下、私たち魔法少女は、いま、自分たちの使命を果たした勝利に、嬉しくて嬉しくてしょうがないんです。
わたしたちは、あなたの国を守りました。」


「なんのことだね?」


オーギュスタン将軍には魔法少女の話がわからない。


「人間は、どうも話がわからなくて困るや!」

すると遠慮のない魔法少女は、王城の将軍にむかってそういった。

「いいですか、みてください、このグリーフシードの数。大収穫ですよ。しばし安泰、ソウルジェムは
穢れ知らずです。ところで、今晩は魔獣発生がひどくてですね、魔獣どもは、王の城に大行進していたんです。
そこでわたしたち城下町の魔法少女は、大慌て、大集結してですね、」


大喜びな魔法少女はにこやかに笑いながら王城の将軍に語る。


「いまだかつてない魔獣の大群を、みごと倒したのですよ!王都は救われました。わたしどもがこうも
勇敢に戦わなかったら、あなたがたと、エドワード城の騎士と貴婦人たちは、みな魔獣に殺されてしましたよ。
ですが私どもはそれを食い止めたのです!もっとも、間に合わなくて、何人か死んでしまった人間もいたかも
しれませんが、なに、最悪の事態は避けました。王城への魔獣の侵入は、私どもが防ぎました!」



オーギュスタン将軍はうなった。

「それで夜にこんな騒ぎを…」


「そりゃ、城下町の魔法少女が、こんな集まって、一致団結して、魔獣あいてに大勝利したなんて、
たぶん、そうそうないんじゃないでしょうが!」

魔法少女はとても嬉しそうだ。

「だから、今晩つかって、みんなでお祭り騒ぎです。」


「…」


オーギュスタン将軍は、また唸り、そして考える動作をしたあと、魔法少女にたずねた。

「おまえ、名は?」


「わたし、ですか?」

魔法少女は指で自分を指す。「閣下、私はつまらない娘でして、夜のパーティーでもどんな男の子も
手を繋いで踊ってくれなくてですね、まあ、顔も性格もかわいくないんで、仕方ないかもなんですが、その…」


「名だけいってくれ」

オーギュスタン将軍は顔をしかめた。


「はい、はい、私は、チョーサーといいます。」

魔法少女は名乗り出た。「私は、小さい頃から本と詩が好きで、どうしても読み書きができるようになりたくて、
でも、こんな身分だし生まれでしょう。教育受けることもできなくてですね、だから読み書きできますようにって
カベナンテルに…でも、いま思えば、です。読み書きをできるように、ではなく、かわいい女子になれますようにって、
願ってほうが…将軍はどう思いますかね?」


「チョーサー、きみの相談事まではきいとらん」

オーギュンタン将軍は相手の話を遮った。「チョーサー、きみたちの活躍は確かに耳にした。将軍として
きみらに褒美をだそう」


「褒美、ですか?」

チョーサーは目を丸める。「これは驚きました。将軍から直々に、私ら魔法少女にご褒美を?」


「そうだ」

オーギュンタンは答え、それから、城壁に並び立つエドワード城の兵たちに、大声で命令をくだした。


「この者たちは今日、王都をお守りした!」


ざわわっ。

エドワード城に並び立つ守備兵たちがざわめく。


「王都を守った者には褒美をだすのが将軍の務めだ」


彼はいい、自らもマントを翻して王城に戻りつつ、守備隊たちに指示だした。


「王の貯蔵庫から酒、肉、香料、パンをだせ」



守備兵たちはたじろきながら、エドワード城の貯蔵庫へ走り出した。


その走り行く守備兵を眺めながら。


首と手に枷をはめられた晒し台の夜警門番たちは、枷のなかでがちゃがちゃ体を動かし、喚きはじめた。


「ほら、ほら、ほら!私たちが警報を鳴らしたのは、決して誤報じゃなかっでしょう!」


木の板に穴をあけて、二枚重ね合わせた枷は、兵たちの首と手をはめ、彼らはまったく身動きでない。


ガチャガチャと晒し台の拘束具がゆれるだけ。


身動きできないながら、声を怒鳴りたて、自分達の主張をはじめる。



「だから、見たっていったんですよ!魔法使いの連中をたくさん!さあ、枷を解いてくれ!誤報なんか
じゃなかったんだ!おい、どうして無視するんだ、おい!これを外してくれ!」

396


そして魔法少女と王城の守備兵の賑やかな夜祭がはじまった。


兵たちは松明の火を持ち運び、王城の通行路を明るくし、かがり火にして、夜祭のなかを照らす。



開かれたエドワード城の門から、つぎからつぎへと、荷車に積まれた酒樽が運ばれてくる。


「魔法少女ってのはワインをのめるのか?」

地面にあぐらかいて座り、ワインにグラスを注ぎ、顔を赤くしているオーギュスタン将軍は、
魔法少女たちに、問いかける。

 ・・・・・
「モチのろんさ!」

環をつくるようにして焚き火を囲うオーギュンタン将軍と、魔法少女たちと、王城の守備兵たち。


魔法少女たちは、王城から運ばれてきた最高級品銘柄のワインをグラスに注がれ、遠慮なくなみほす。


「それにしても、」

そこに加わっていた魔法少女の一人、ベエールがいった。

「王城の将軍さまが、ここまで手厚く魔法少女をもてなしてくれるとは、ね!あたしはすっかり驚いたよ」


「王都を救ってくれた褒美だ」

オーギュスタンは魔法少女に答え、ワインを飲み干した。するとまた酒樽の注ぎ口からワインを足す。



「話のわかる将軍さまだ!」

マイアーも顔を赤くしながら将軍を褒め称えた。「こんな将軍さまがいるうちは、王もさぞ、安泰だろうね!」


「王は近頃病に臥していて、誰とも顔を合わせないのだ」

将軍は、酒の勢いで少し口を滑らせてしまったことにきづいた。

王の健康状態は、ふつう庶民に知らせるべき情報ではない。


「そりゃまた、魔獣に、魂を抜かれてるんじゃないでしょうね!」

マイアーは赤い顔をしたままワインを酒樽の注ぎ口から付け足した。

「王城の中の話は、私どもにはわかりません。そもそも私たちの税で、暮らしている生活って、
どんなものですかね?」

「口を慎め」

隣の兵がぼそっとつぶやいた。「王は、おまえたちより遥かに多忙で、政務という難しい課題に、
頭を悩ませておるのだ。失礼なことをいうな」


50人、60人という、そこらじゅうの魔法少女たちが、王城から運ばれる肉料理やワインを楽しみ、
守備兵たちと祭り騒ぎになっていた。


長テーブルが臨時的に用意され、そこにさまざまな宮廷料理が運ばれる。


ワインとビールの酒樽、ローストチキン、猪のロースト、塩味のパイ、若鶏、ハンブル・パイ、
焼き上げたパン、肉のマスタード添え。

肉料理の数々は、宮廷料理ならではのスパイスで味付けされ、バジル、ボリジ、マロウ、カルダモンなど、
香りのいい葉や薄葉が、ふんだんに肉料理のために使われる。


庶民の、城下町の娘たちである魔法少女たちは、将軍の厚意で持ち運ばれた王城からの料理を、
おおいに楽しみ、そして王城の兵たちと語り合った。


「騎士さまはいないのかい」

これを男との出会いとみた魔法少女は、王城の兵に訊く。「騎士さまは、いないのかい?」


「守備隊でわるかったな」

ワインで顔の赤い兵は、ふて腐れた顔をして答える。「へっ、女は、騎士しか目がないのかい」


このうちで騎士の身分にたつのはオーギュスタン将軍ただ一人だけだった。

そこでオーギュスタン将軍のまわりに、魔法少女たちが、集まってきたが、その魔法少女たちは、
あきたらず、こんなことを訊くのだった。


「王子さまを、お連れして。」

とある魔法少女は将軍に頼み込む。「王子さまを、ここに、お連れして、私とお話させてください。」


「エドワードさまはここにはだせん」

将軍は困り果てる。

「私の判断で祭をひらいているだけなのだ」


「どこまでも高望みしやがって!」

王子様をお連れして、と頼み込む魔法少女を、別の魔法少女が、とっつかまえて言いくるめる。

「これを機会に、おまえだけ、王子様と話すつもりだったんだろう。そううまくいくか!」



「こんな冗談がある」

オーギュスタン将軍は、語りだした。

「神は最初に、男と女、どっちをつくったのかという問題について、だ」


「そりゃ、女にきまってますよ」

とある魔法少女が一人、答える。ワインを飲みすぎてフラフラだった。

「男ってのは、女の腹から、生まれるでしょう。だとしたら、女が先に創られたに、きまってます」


それから、ワインを飲み干した。

「それにしても、このワインはうまいですね!さすが王城に貯蔵されたワインってところですか?」


「いや、だが、男がいないと、女は腹に子を孕めんだろう」

オーギュスタン将軍は言う。

「となると、まず男が生まれ、それから神は、女を創った。そして女は、子を孕むようになった」


「将軍さま、しっかり考えてください。”まず男が生まれ”っていいますが、そこからして変じゃないですか。
まず男が生まれるためには、女の腹がでてこなくちゃいけないんですよ。女がさきに創られたんですよ」


「まあ、諸君、いろいろ考えはもちろんあるだろうが」

将軍はまたグラスでワインをのんだ。

「答えはこうだ。神はまず女より先に男を創った」



「?」

将軍のまわりの魔法少女たち、怪訝そうに目を細める。


それから将軍は、その理由について、こう説明した。


「神が先に女をつくっていたら、どんな男をつくったらよいか、いちいち女の理想をきかにゃならんので、
たぶん未だに世に男はできていないだろう」


魔法少女たちは一瞬、きょとんとして、目を点にさせたが、将軍の冗談をやがて理解し、みんな顔を赤くさせた。


「農夫より都市の男、都市の男より王城の守備隊、王城の守備隊より騎士、騎士より王子さま、
女の理想はとどまることを知らず、無限だといいたいだけだ」


魔法少女たちは、顔を赤らめて、将軍から目を逸らして逃げ去った。

397


さて長テーブルのほうでは、王城の守備隊と魔法少女たちのパーティーが盛り上がりをみせ、ワインによった
勢いで喧嘩をおっぱじめたり、人間の守備隊の前でソウルジェムの変身を披露してみせる魔法少女もいた。


「みんな俺の嫁によってくれ!」

晒し台から開放された門番が、魔法少女たちの環に加わってゆき、酒の勢いで叫ぶ。

「みんな俺の嫁だ!毎晩かわるがわる可愛がってやる!」


もちろんどの魔法少女も彼から逃げていった。



これは、一年前の出来事だった。


魔獣が大量の発生し、多くの魔法少女が結集して王城を救った事件のとき、ユーカは契約して魔法少女になった。


城下町の魔法少女は、王城を救った褒美に将軍から食べ物を大いに給仕され、王城の兵との交流を深めた。


それはまるで希望に満ちた一夜だった。



しかし全ては悲劇への予兆だったのだ。


王都の君臨者、エドワード王は、病に臥しているのではなかった。


オーギュスタン将軍にすらそう偽りを伝えて欺いていたのである。



王はこのあいだ、王都から魔法少女を絶滅させる恐るべき計画に着手をはじめていた。



今の世界は、魔獣というものがが発生し、これが魔法少女の敵らしいが、前の世界はそうではない。



前の世界は、魔法少女こそ魔女で、魔女は魔法少女の敵だった。



魔法少女の希望とやらを。



根こそぎ、暗黒の絶望へ染めてやる計画に着手できるのは。



世界どこを探しても。



エドワード王のほかにいない。




そして、悲劇のはじまりまで、一年という期限をもう切っていた。

今日はここまで。

次回、第51話「本当の気持ちに向き合える?」

第51話「本当の気持ちに向き合える?」

398


オルレアンが忽然と消えた失踪事件は、うわさとなった。

城下町で最も有名な魔法少女が、とつぜん姿を消してしまった。


これについてさまざまな噂が少女たちのあいだで囁かれた。


こんな内容だった。



オルレアンさんは洋服屋で誘拐された。

彼女は、洋服屋に通うことが好きで、お金もないのに、しょっちゅう試着室にいって服をきていた。


ところがその試着室は、実は鏡のほうが仕掛け扉になっていて、クルリと半回転する仕掛けがあった。


そこに悪い人たちが待ち構えており、試着室にて油断していたオルレアンさんを誘拐し、拉致し、異国に
連れ去った。



真相はユーカにもわからなかった。


一週間、二週間もオルレアンがいないと、いよいよ本格的に心配になってきた。



魔法少女になってからもうすぐ一年が経とうとしている。


はじめは自力でろくにグリーフシードも稼げなかった彼女は、いまや立派に魔獣と戦える魔法少女歴一年の
少女だ。



王城の不気味な威圧感は日に日に増した。


女は、生まれながら動物的な勘にすぐれる。

目にはみえないものを察知する。



ユーカは感じ取っていた。


エドワード城から漂ってくる不気味な、魔獣の瘴気とはまるで別物の────


人間そのもの悪意、敵意、邪悪を。


絶望をふりまく魔獣が生み出す悪寒とは別で、それは正真正銘、人間そのものから発生する純粋な悪だ。



いや、悪と決め付けているその理性のなかに、女の勘としての”危機”を本能が告げていた。


その予感は当たった。


”うわさ”などなかった。


そんな誘拐事件などなく、ただ女たちが面白がってひろめた町の都市伝説だった。



城下町で一番慕われた魔法少女を拉致したのは王だった。


王は、オルレアンさんを十字架にかけ、縛りつけていた。


「おまえたちが魔法少女と呼び、救い主のように考えている正体を知れ。」


王は、3万人の城下町の人々が王城の門に集った前で、オルレアンという魔法少女を公開処刑にかけ、
そして魔女刺しをした。




王の行動はユーカはもちろんだが、城下町のすべての魔法少女に恐怖を与えただろう。



魔法少女が絶対に秘密にしていたかったこと……人間ではない、ということ……を、公開処刑のなかで
暴かれた。


オルレアンは、十字架に縛り付けられ、人間たちに針を刺されていく。


最初は苦しそうに悶えた魔法少女は、だんだん痛みを訴えなくなっていく……



痛感遮断だった。


それは、人間の目から見たら、どう映るだろうか……



ばけもの、とそのとき、城下町の男の子が叫んだ。


ブスブス針を、まるで人形のように受け止めていく。針の虐待に対して何も痛みを訴えない。


まるで裁縫道具の綿のようだ。


「これがお前たちが憧れていたものの正体だ」


王は王城の城壁から、民衆むけて言った。


「これで分かっただろう。お前たちは騙されていたということが。この女どもは、悪魔と契約し、人間を捨てている。
呪いを呼び起こし、人間に不幸を振りまいている。こいつらは魔獣と戦うというが、悪魔と契約を交わして
魂を捧げ、願い事をなんでも悪魔に叶えてもらっているのだ。そして、そのぶんだけ、災いを我ら人間が被っているのだ。
人民の幸せを願う余である王は、こいつらの存在を許さぬ。わが王都から国から、魔女どもを滅ぼし尽くさねばならない。」




魔女狩りははじまった。



たぶん、王はきっと、この魔女狩りは思い当たりばったりのものではなく、かなり時間をかけて綿密に
練っていた計画なのだろう。

魔法少女の秘密を市民の前にあばき、曝し、魔女におとしめること。


魔女狩りのはじまりが王によって宣言されるや、審問官と裁判官、魔法少女を懲らしめるおそるべき拷問、
そのすべてがあっという間に城下町の全魔法少女を罠に嵌めていった。


手際のよい審問官の拷問も、かなり前から計画されていたからこその実践にちがいなかった。

どれも魔法少女に痛覚遮断を余儀なくさせる、”痛み”に重点をおいた拷問ばかりが用意されている。

この審問の名のもと、拷問を受ける魔法少女は、市民の目が注がれるなか、ソウルジェムの秘密である痛覚遮断をしてしまう。


市民は魔法少女を不気味がる。こいつら人間じゃないぞ、化け物だと叫び、火あぶりにするべきだと熱狂する。


王は、武力で魔法少女を滅ぼそうと考えているのではない。


城下町に暮らす10万人の人々すべての心理を利用して魔法少女を滅ぼそうとしているのだ。




これがエドワード王の黒い計画の核心である。



火あぶりは魔法少女を殺すには最適な方法だ。


ソウルジェムさえ砕かれなければ魔法少女は死ぬことはないということすら、王には突き止められている。

王はもう、魔法少女のことをたくさん知っている。魔法少女を絶滅させるため、研究しつくした。



火あぶりは、身につけたソウルジェムごと焼き尽くす処刑だ。


ソウルジェムが焼かれたら、魔法少女にとっては魂そのものなのだから、魂を焼かれることを意味して、魂を焼かれて
生き残る魔法少女はいない。


ソウルジェムは火に弱い。


焼かれたソウルジェムは熱せられ炙られつづけると、形を崩してどろどろ熔ける。


それはつまり自分の魂が溶けることで、魔法少女の魂は火とともに昇天することを意味した。




しかも、魔法少女を魔女として摘発しなければ、城下町の人間の女たちは、自分たちのほうが魔女として疑われる
かもしれないのだから、ますます人間の女たちは、魔法少女を見つけたら、容赦なく魔女だと審問官に
密告する。


城下町の魔女処刑は、女が女を告発するという判例が多かった。

自分を守るために他人を告発する恐ろしいサイクルが城下町ではじまった。



王の計画は黒い。


黒く、練られていて、本気で魔法少女を滅ぼしつくそうとしている。


城下町に住んでいた100人あたりの魔法少女は、魔女狩りの日々に怯えるようになり、魔獣と戦うことをやめた。


近所に魔法少女だと自分の正体を知られた少女は、家出して、オルレアンがかつていた会堂にこもりっきりだ。


つまり、どの魔法少女もみんな、自分の身の潔白を証明する自信がないのだ。



もし、この女は魔女です、と告発されたとき、いや自分はちがう、人間だ、と言い返せるか。その自弁を貫きとおせるか。


たぶん、魔法少女である以上、それは無理だろう。


焼きごてに体をやかれでもしたら、痛感遮断をしないわけがない。ぜったいに痛感を遮断してしまう。

心の中で、痛いのはいやだ、と思うだけで、ソウルジェムが勝手に体から痛感を取り去ってしまうのだから、
焼きごてを口の中に突っ込まれでもしたら、正気を保っていられるはずもない。


まちがいなく痛感を遮断してしまう。


美樹さやかが、佐倉杏子の槍を体にうけたとき、人間の身だったら痛みでもう動けなくなっているところだが、
それでも立ち上がれたのは、やはり魔法少女が、自然な感覚の中で痛みを感じなくなっているからであり、
それは、カベナンテルからいわせたら、”それが魔法少女たちの強みだ”。



エドワード王は完全にそれを逆手にとった魔法少女狩りをはじめた。


城下町の魔法少女たち100人は、完全に王の魔女狩りの恐怖に屈していた。

痛みを感じないという魔法少女の"強み"を逆に"弱点"として暴き出す民衆の目に晒されながらの公開拷問を恐れた。


魔法少女の疑いがかかるその瞬間を極度に怯えていた。


そして夜間の外出をやめて、夜に大量発生する魔獣の退治をすっかりやめた。


それを目撃でもされて、魔女の疑いがかけられたら、その魔法少女は、10万人の暮らす城下町の人々の前で
身の潔白を証明しないといけない。


審問官はいまや、そんな疑いのかかった魔法少女を痛めつけるためだったら、もうなんでもする。

人間ではなくなった少女達の正体を暴くためだったらなんでもやる。

ノコギリで乳房を切り裂くことや、小指の粉砕、水責め、吊るしあげ、体の引き伸ばし。


そして痛感遮断を民衆の目に晒し、魔女だ魔女だと罵られながら、火あぶりになって死ぬ。




そんな死に方するくらいなら、円環の理に導かれるのを大人しくまっているのがいい。

ほとんどの城下町の魔法少女はそういう心境で、頑なになってしまった。



一部の、魔法少女を除いては。

399



「いくよっ、円奈!」


その夜ユーカは魔法少女姿に変身し、クルクルっと大きな杖を手元で回すと、両手に構えをとった。


「う……うん!」


円奈は魔法の力が注がれた弓を構え、ロングボウに矢を番える。



ブリーチズ・ユーカと鹿目円奈の二人は、何度目かの二人共同の魔獣退治に出かけていた。


そして魔獣の結界をみつけ─────こんな暗黒の都市にはそこらじゅう瘴気の結界がはびこっているのだが───
二人は入り、魔獣と戦った。



鹿目円奈はその日もユーカの、たった一人の魔獣退治につき合わせてほしい、とせがんだ。


ユーカは、命の保障はできないけど、といいながらも、少し嬉しそうに円奈の願いを受け入れた。


「とおっ!」


ユーカは魔獣たちの列成してぞろぞろ歩いてくる群れの先頭の魔獣たちに、杖の一撃をかます。

クルクル杖を回し、そしてぶん、と水平に一振り。


魔獣たちは杖に叩かれて、消滅した。




白い糸がとんだ。


「円奈、気をつけて!」


すぐユーカが後ろ振り向きながら叫んだ。



魔法少女に叫ばれて、身の危険を知らされた円奈は、「う、うん」とどもった声をあげ、
魔法のロングボウ(ユーカの魔力が一部注がれたもの)に番えた矢を放った。


ビュン!


まず弦がはじけ、矢は魔法の力を帯びて、ピンク色の閃光を放った。


それは円奈の頭上を舞った白い糸を散り散りにくだいた。



砕かれた白い糸の細切れな塵が円奈のまわりに降り注いでくる。



円奈は、矢筒からまた一本矢を取り出し、ロングボウに番えた。


「いっけえ!」


と叫び、魔獣にかむってはなった。



それは魔獣の口のなかに当たり、矢を文字通り喰らった魔獣は苦痛にうめき、動きをにぶくした。


しかし、生身の少女から放たれた矢は、そんなに魔力を持たない。


そこまでが精一杯だった。


しかし動きをにぶくした魔獣はユーカがとどめをさす。


「とぉい!」


と掛け声だし、杖でぶったたく。魔獣は呻きながら姿をけした。

そしてユーカはブンと杖をふるい、その隣にやってきた魔獣も叩いた。魔獣は呻き、動きをにぶくした。


「きえろっ!」


ユーカが叫びながら杖をクルリと手元で回し、そして杖の後端のほうを突き延ばして魔獣を刺した。

こんどこそ魔獣は消した。



が、あたりじゅう白い糸が飛び回り、ユーカと円奈の二人を包囲した。


ユーカの体に何本かの白い糸が触れる。


「う…」


ユーカは苦しそうな声をあげ、顔をゆがめる。ソウルジェムが黒さを増し、ユーカは魂を汚されて思わず
顔をゆがめたのだった。ソウルジェムにダメージが加わると、全身がずきっと体の芯から苦しくなる。


そして杖で、魔法少女の衣装に絡みついた糸を振りほどき、そして。


「円奈っ、退却!」


と、少しでも危なくなると、即退却。


「う、うん…!」


円奈は魔法の矢をまた放ったばかりだった。



円奈の手は、トンとユーカに握られ、円奈はユーカに手をひっぱられるようにして、二人一緒に手を繋ぎながら
走って魔獣の結界を脱出する。


するとゆらり……と赤黒い魔獣の結界は視界から消え、寝静まった夜の城下町の暗い景色がもどってきた。



「はう…はう」

ユーカも円奈も膝に手をあて息切れしていた。


「今日も収穫あり、だね」

顔を赤くさせ、息切らしながら、変身衣装を解いたユーカは円奈にわずかに笑いかけた。


「グリーフシードを?」

息を切らしながら円奈も赤くさせた顔でユーカを見つめ返すと、たずねた。


「うん」

ユーカははあはあ吐息だしながら答える。

「14個」


「すごい、ね…」

円奈はそこまでいうとふらっと力を失って地面に膝ついてしまった。「はぁ…」

地面に膝をつき、そして倒れそうになる体はイチイ木のロングボウが支える。


それにしがみつくような形でバランス保つ円奈は、膝たちになる。


「だいぶ魔獣に生命力とられているよ…」


ユーカは心配になり、円奈の肩に手をふれた。「回復させてあげる」



ユーカの手から不思議な癒やしのような力が、円奈の身に流れ込んできた。

あえてたとえるならそれは、暖かくて、止血されていた部分に血が巡りはじめたような感覚に、近かった。


「人間の身なのに魔獣の結界に入ること自体、死に急ぐようなものなんだから…」


ユーカは円奈の生命力を癒やしながら、いう。


そのユーカのソウルジェムは、また、黒さを増した。


円奈もその様子に気づいた。「ユーカちゃん、ソウルジェムが…」


「いいの。グリーフシード手に入ったから」

ユーカは切なげに微笑む。

「グリーフシードと、ソウルジェムあるうちは、魔法少女はなにがあったって死なないよ」


円奈にはその意味が本当の意味でわかっていなかった。



「ごめんね…」

つらそうな人間の少女は、魔法少女の手から注がれる癒やしの力に、こうして身を任せた。

目を閉じてすうと息をつき、しばし癒やしの感覚にひたる。


そして回復が終わると、円奈はようやく立ち上がった。

「なんだか私やっぱり足手まといかも…」

回復して、たちあがった少女は、いちばん最初にそう言った。


「もう…円奈ったら」

ユーカはふて腐れた顔をする。「私にまたいわせる気?円奈が一緒にいてくれたら、私、それこそ百人力
なんだってば」



「ごめんね…でも、ほんとにユーカちゃんに迷惑ばかり……かけてて…」

円奈はいつまでも友人のことばかり気にかけ、自分が半ば死にかけたことは気にしない。

そして自信なさげに友人のことばかり心配したことを話す。


そこはやっぱり、どことなく鹿目まどかに似た性格だった。彼女は聖地で知ることになる。自分が誰の祈りに
よって生まれたのかを。


そしてこの少女は、かつて鹿目まどかが決意を果たし、永遠の概念となったあの決意とはまるで別の決意を、
円環の理誕生の地・聖地にて、果たすことになる。



ユーカと円奈の二人は友達同士だった。


そして二人は、”王の魔女処刑をとめる”という約束を結んでいた。

この王都の魔女裁判。それは、もっぱら城下町の魔法少女を標的にした、市民による魔法少女狩りの狂気。

毎日のように、魔法少女が衆目に引きずり出され、痛覚遮断の拷問ショーが繰り広げられる、魔法少女にとって暗鬱の日々。


「それで、どうやって王に魔女狩りをやめさせる?」

ユーカ話題転換をした。二人にとっての本題の会話に入ったのだった。

「何か案ある?」


「うーん…それは…」

ピンク髪の少女は悩んでしまった。「王様にじかに会ってお話する?」提案ひとつ、指を立てて、してみる。


「あのね、そんなことできるわけないでしょ」

ユーカは呆れた顔をする。

「エドワード王は、あのお城のてっぺんにいて、騎士だけに引見するんだから」


「でも私も騎士だよ?」

鹿目円奈は首をかしげる。


「じゃあ敵の本拠地に乗り込んでお願いする?円奈一人で?」

ユーカの呆れた顔は変わらない。

「王お抱えの衛兵と、王の騎士と貴族が宴会しているそのさなかで、”王の魔法少女狩りをやめてください”って反抗する?」


「ううう…」

円奈はしゅんとして、落ち込んで目を閉じた。


そんなことしたら逮捕されるだろう。近衛兵たちにちゃっちゃかと。

そして逮捕された円奈は、牢獄の中で死ぬことになる。毒でもなんでも食べ物に含まされて。

餓死するか毒をくらうか選べ、といわれるわけである。


エドワード王は、異国の少女騎士の文句などいちいち相手にする王ではない。


「地味に魔獣退治をつづけるのが一番だよ」


ユーカは自分の考えを言った。


「魔獣は、魔法少女にしか倒せないでしょ。魔法少女の使命を忘れず、戦い続ければ、きっと城下町の人は
思い出してくれる。”魔法少女はみんなを守っているんだ”って…」


最後の語りは、ほとんど自分の願いをのせたような、はかなげな口調だった。


ユーカの目は遠目を眺めている。


いつか魔法少女が、魔女扱いされてしまうこの城下町に、平和が戻ることを願うかのような…



魔法少女は切なげに想う表情をしていた。

400


しかし魔獣の数が増す一方である王都の城下町は、日に日に恐怖と残酷さを増すばかりだった。



異様なほど魔獣がはびこり、瘴気が支配し、魔法少女が活動をやめてしまっているこの城下町は、もはや魔獣の
まきちらす負の感情が暗雲のように町をすっかり覆ってしまって、人々の感情は、おかしくなりはじめていた。



鹿目まどかが改変し、宇宙を再編した世界は、魔法少女が活動して初めて人間世界の平和が守られる、という
世界だった。


魔法少女が魔女となってしまう世界より、魔獣は多く広く分布するので、希望をもって戦う魔法少女を泣かせたくない、
という想いをのせて創りあげられたこの新しい世界は、とにかく魔法少女は戦い続けることが使命だった。



しかし魔法少女がその使命を忘れてしまい、魔獣を発生させ放題のこの城下町は、人々は気がおかしくなりはじめていた。



この朝も魔法少女が見つかり、告発された。




目撃情報によると、魔法少女は夜になると魔女となり、箒に跨って空を飛んだのを見たという。



摘発された女は悲しいことに、夜間に魔獣狩りに出かけたところを不幸にも目撃された。



ほとんど狂気に陥りはじめた城下町で、人間の感情はほとんど失われ審問官の拷問も熾烈を増した。


王から、魔法少女というのはどんな拷問されても死なないものだ、と教えられている審問官たちは、
非人道的な拷問を容疑のかかった女に課していく。


疑われた女はロープによって逆さ吊りにされ、空中に縛りつけられた。



二本の柱をたて、ロープで四肢を縛り逆さ吊りにして結びつける。


女はすでに裸で、身にまとうものはなく、すべてを公開処刑のなかで晒された。


四肢を縛られて逆さ吊りにされた女は足を開かされ、上向きに股間と女性器を晒していた。



審問官たちは二人係で、大きなノコギリをもち、その上向きにされた女性器からノコギリで裂きはじめた。



ちょうど女体を股間から縦に真っ二つに裂くように、大きなノコギリをもって少女の体を真っ二つにしていく。



魔法少女であるこの少女は、もちろん最初は痛みを訴えるのだが、股間が裂かれノコギリが腹に到達すると、
もう痛覚遮断してしまって、体を真っ二つにしながら痛みを感じる素振りをみせないという実態を公開処刑の
なかで晒した。


ぎこぎこぎこ。


血が股間から胸へ垂れる。


ノコギリの刃が体を裂いていくたび、逆さ宙吊り少女の体はゆれ動いた。



ノコギリが体を奥へ奥へ裂いていくたび、血はますます股間から、腹から、垂れ流れて、少女の宙釣りの体を
血まみれにした。


だがなにより城下町の人々が驚くのは、そうやって血まみれになっていくのに、少女は平気な顔をしているのだ。


だって痛感がないから。


そして…。


想いむなしく、ノコギリは股間から頭まで裂き、ついに少女は裂かれ、左右真っ二つになった。


ロープに吊るされた体は意味を果たさなくなり地面におちた。



しかも、それでもソウルジェムにダメージのない魔法少女は生きているのである。

少女は生きていて、体が左右真っ二つになって分裂して、地面で蠢いて言葉をしゃべっている。そのうち、元通りに再生する。


「これが魔法少女、おまえたちが救い主のように考えた正体だ」


審問官は血と内臓を晒す少女を見下ろして、民衆へ告げる。


「どんな殺し方をしても死なない。怪物どもだ」


観衆のなかには、同じ仲間の魔法少女もいたが、恐ろしさに目を瞠っていて、目に、涙をためていた。

401


毎朝のように魔法少女が見つかり、魔女として摘発されていったが、その件数もいよいよ人々の恐怖が増せば増すほど多くなった。


城下町の若い娘たちは、魔法少女の疑いがかかった女の末路が日に日に残酷さを増すのをみて、自分が疑われることに
恐怖するようになり、自分の身を守るためにいよいよ他人の女をぞくぞく告発した。



猫を飼っている女は即魔女の疑いをかけられた。



猫、そのうち黒猫は魔女の使い魔であるとの迷信は、この城下町では本当のことのように信じられた。



魔女はなぜ使い魔を飼うのだろうか。


サバトの集会に連れ去った子供を、ぐつぐつかまどで煮て、料理したあと、魔女はその子供を料理した脂肪を
魔力の根源として使うのだが、のこった残飯、肉や骨は、使い魔に食べさせる。

魔力の根源としての脂肪は、”魔女の軟骨”ともいわれ、空を飛んでサバトの集会にでかけるときに必要な
具材となる。サバトの集会に出かけるとき、魔女は全身にこれを塗りたくるのだった。



こんな城下町では、寿命がきて命を途絶えてしまった黒猫のことを想い悼んで、黒猫を助けたいと祈って契約した
心優しい魔法少女は、すぐ魔女の疑いがかけられた。


ネズミが穀物を荒らしてしまうような時代だったので、地下の貯蔵庫管理を任される立場にある妻には、
猫を飼うことはとても大切なことだった。


しかし魔女狩りがはじまってしまうとそんなことはお構いなしである。



疑われた魔法少女は魔女と呼ぶにふさわしすぎる要素をたくさんもっていた。



その魔法少女は自宅に箒をもっていた。もちろん、ネズミ退治のために必要なものだった。

しかしいったん魔女だと疑われると、その箒こそ魔女へ変身したときに使う道具なのだと容疑がかけられ判別審問にかけられる。

自宅に箒を持っていたという証拠は、もう動きそうにない。



それにこの魔法少女は薬草に詳しかった。


母から薬草について知識をたくさん教わっていた。


城下町の一般人がまず知らないような薬草の知識があり、精神病を薬草で治せると紹介したこともあった。



「狂気をなおすおいしい飲み薬があります。」


薬草に詳しいこ魔法少女は、むかし、精神病患者を奇跡によって治せると説明する。


「エールにすげ、ルピナス、にんじん、ウイキョウ、ラディッシュ、カッコウソウ、水キナミズヒキ、
マーチ、ヘンルーダ、ヨモギ、キャッツミント、オオグルマ、タニタデ、野生のオニナベナ
をまぜます。その飲み薬に、魔法の呪文を12回唱えて、患者に飲ませてください。」



過去にこんなこともあったので、黒猫を助けた心優しい町の娘はあっという間に魔女だと噂がひろまり、
この日に告発された。


小指骨粉砕機という拷問器具にかけられた。


これは、足の小指に針を刺して、ネジをきゅるきゅる回すことによって針が次第に犠牲者の足の小指に針が
ずぶずぶと食い込んでいく拷問器具だ。



心優しい魔法少女は足に枷をはめられ動けなくさせられたあと、足の小指にこの骨粉砕機を使った審問に遭う。



そして小指の爪と肉に針先を食い込まされた魔法少女はすぐに涙流して泣いてしまった。


そして痛覚を遮断した。



足の小指をうっかりドアに挟んでしまったとき、とてつもない痛みが走って悶えることになるが、
まさにその痛みが10分、20分とつづくような足の小指を狙った拷問器具だった。


ネジは小指の爪をまず割り、食い込み、やがて骨も粉砕する。


心優しい魔法少女は泣くばかりで、やがて痛みを感じなくなる。


娘が魔法少女だとわかると、母も魔女だと疑いがかかり、母も同様の拷問にかけられた。



母は人間であるので、小指粉砕機の痛みのなかで泣き叫びながら、娘に薬草を教えたのは自分だ、
と叫んだ。


だがそこを利用されて、審問官はどんな魔法薬でヴァルプルギスの夜の準備をしているのか教えよ、
と民衆達のみる前で尋問した。


もちろん、そんなことはしらいない、といえば、ネジをまた回されて小指を針が貫くだけだ。



母親は叫んだ。

審問官が満足してくれそうなことならなんでも。


ヘビやカエルに髪の毛、女の経血を混ぜて、かまどで煮た。そして魔女の軟骨をつくった。


魔法薬をかまどで煮て、浮き上がる浮遊物で天気を覆い、王都に雲をためこんでいる。私たちは
ヴァルプルギスの夜の準備を確かにしている、王都に魔女の宴を計画している、と自白。



審問官は、どのようにして箒で空を飛んだのか、と質問した。



魔女は、体にも箒にも魔法薬を塗って空を飛んだ魔術について自白をする。



その魔法薬は、”魔女の軟骨”の一種で、ヒヨス、ベラドンナ、キチガイナスビなど、油性で脂肪質の物質を
含む有毒なナス科の植物の液体からつくることができた。

また毒ニンジン、麻酔性のケシ科や燈台草料の植物も用いられた。これに子供の脂肪を加え、特別な効力を
もつ魔法薬を完成させる。



これを箒の柄などに塗ると、飛行用具として使用できる魔女の箒に変身をする。


しかし実際には、人間からみればそれは、軟骨に混ぜ合わされたこの有害物質が、皮膚に触れると神経系に
影響を与え、その結果、幻覚体験を起こさせる、という見方につながる。


この魔法薬を使った女は、箒を股の女性器にあてがいながら、目を白黒させて、ついには気絶するのだが、
それについて夫が、「なにがあったのか」ときくと、女は「私は箒にのって空をとんでいた」と答える
ことがあった。



つまり箒に乗って空を飛ぶという迷信の答えは、女が、麻酔性ある有害物質のなかでトランス状態となり、
「ふわふわ」した幻覚体験を経験し、そしてあたかも「箒にのって空を飛んだ」という幻覚体験の眩惑を口にしたのだ、
ということだった。


つまり魔女が箒にのって空飛ぶというのは、麻薬トリップ体験をした女たちの証言からはじまった迷信だ、という結論である。


こうした主張は、エドワード城の反魔女狩り派によって、王城の政務室にて唱えられる。

しかしそれだけでは、体をノコギリで頭から股まで真っ二つにされた魔法少女が、自然に元通りになる
理屈までは、説明しきれていなかった。

402


その昼、エドワード城の世継ぎの少女アンリは───結婚すればアンリ一世となるのだが───王城の宴会の
席に座っていた。



背の高いリネンホールドの椅子。ひだ模様が装飾された立派な王室の椅子。


大宴会の歌は、母クリームヒルトが披露するのだが、この日、母クリームヒルトはいつもよりさらに派手な衣装を
身に纏っていた。


言葉に尽くしがたいほど高級で値段のはる衣装である。



さてその衣装を着るためだけに、クリームヒルトはなんと30人もの侍女を城内から呼び出して、
自分のために仕立てをさせた。


服の仕立てとメイクアップに心得ある若い乙女の侍女30人である。



雪のように白いシルク、クローヴァの原かとまごうさみどりの、いともめでたきツァツァマンク絹、これらの
布地を散りばめて、侍女たちは姫に宝石を縫い付ける。高貴なる姫クリームヒルトはそれをみずから纏った。


異国の海にすむ獣の皮を、手に居るかぎり用いて裏地とし、それを着られるようにまた絹で覆った。

まことに派手やかな衣装、そのすばらしさよ、世界の国々の乙女らよききたまえ!



白貂の獣の皮を着こなす貴婦人、高貴なる城の籠の姫、白い絹の姫、真っ黒な毛織の布がさらにその上に配られて、
聖地で採られた宝石はきらきらと七色に光り、数々の黄金は毛皮の衣服と、髪飾りに、縫い合わせられる。


姫が歌うたびに、動くたびに、きらきらと宝石と黄金が、姫の姿を眩く輝かせる。



30人の侍女はこの衣装の準備に7週間を費やした。



クリームヒルト姫は、国境の外部紛争にでたオーギュスタン将軍の王都への帰還を聞き、このとっておきの衣装を
侍女に準備させた。



執政官デネソールは、王の座る宴会の席の後ろにぽつんと座って、宴会の様子をうかがっていた。



さてその日も、王城の宴会は豪勢な食事が、並びたてられた燭台とともに並んでいた。


白いテーブルクロス、敷いた長テーブルに、並ぶのは皿に盛られた料理は、魚料理が重要な位置を占める。


サケ、川鱒、川かます、巣づけニシン、干鱈、ゆで卵にひき肉をかぶれせたり、肉のパイ、千鳥肉のパイ。

魚料理にはソースを使う。

ハーブとパン粉、酢、胡椒、ジンジャーを取り合わせた芳ばしいソース。

ハーブと辛口のワインをあわせたソース。

水、牛乳にスパイス、ハーブ、小麦を煮て造るソース。お粥くらいどろりとしたスープに仕立てる。


とはいえなんだかんだ一番人気の高かったのはマスタードだった。



今日この席、王の大宴会に出席した騎士のなかには、王都から帰還したオーギュスタン将軍が出席し、
食事の並んだテーブルの席についていた。


姫の歌声にあわせて城の楽団はぴーぴーとフルートを吹き鳴らし、小太鼓を叩いたり、ハープを奏でたり、
リュートを披露する。



音楽の音色ととりとりのハーブとソースの並ぶ、怪しい雰囲気の、蝋燭の灯る王城の宴会。



クリームヒルト姫はちらちら、美しい歌声を披露しながら、オーギュスタン将軍のほうを見つめた。


そしてそのたび姫はすぐに赤面するのだった。すぐに目を閉じて歌声に集中した。



王は冠をかぶったまま食事をはじめた。

まずぺっと唾を地面にはき、指で食事をトレンチャーにかけて食べ始める。


両指をつかって肉を砕き、骨を割り、そして口に運ぶ。


パキっとローストチキン料理の骨の砕かれる音がした。



蝋燭の火は、弱まると係りの者が交換する。蝋燭が溶けて短くなってきたものも交換する。


騎士たちは王が食事すると、自分たちも食事をはじめた。


「ヴァルプルギスの夜は近い」


王は玉座にて、話し始めた。「もうすぐそこだ」



長テーブル席に並んで座った騎士たちは、きょろきょろ視線をあわせ、無言の会話をした。


目と目を合わせながら、ヴァルプルギスの夜など迷信ではないか、という嫌疑的な目をする騎士と、
王の話を真剣に受け止めて、頷く騎士もいた。


「わが城の空をみよ。黒雲が覆い、月は赤い」


王は話をつづけた。その手元でまたバギっとロースト料理の骨が折れる。


「魔女どもの魔術は日を覆い隠す。”夜”をつくっているのだ。太陽が黒くなる日、魔女はわが城に騒ぎをたてる」


王はローストチキンの一部を噛み砕いた。それは歯と歯のあいだに挟まれ、やがて口のなかに消えていった。


「正義の者どもよ!心せよ。魔女の計画の日は近いぞ。だが人間は勝つのだ。王都から怪物どもすべてを
火にかけなければならない!」



このなかで一人魔法少女である娘アンリは、苦しそうに顔をしかめ、気配を殺しながら食事にありついた。


王城に生まれた高貴なる少女には女教師がついて、作法を徹底的に教わる。



男の騎士の前にでる作法、お辞儀のしかた、歩き方、食べかた、話しかた。


ぜんぶ厳しい女教師が教える。アンリは女教師の教育がいやになってたびたび城の教育室を抜け出した。


そのたび、王子の世継ぎが、城を勝手に抜け出したと大騒ぎになって、王城じゅうの召使いと侍女たちが
騒がしく怒鳴り散らしながら探し回った。



アンリは私室のベッドに隠れていることが多かった。寝台の下にて、身を隠して、お人形遊びしているところを
よく侍女に見つかった。


王城の身分生まれた男の子と女の子は、騎士ごっこという遊びに男の子が夢中になり、女の子は、お人形さん
ごっこに夢中になった。


それは、いつの時代でも、子供の遊びというのは、そう変わらない一例を示してくれている。



さて厳しい女教師のもとで食事の仕方を教わったアンリは、魔女を懲らしめろと命令する王の話に
またも怯えながら、席で食事にありついた。

震える手でそっとまるめろを手にとると、親指、人差し指、中指の三本だけつかって、がぶっと口に噛み、
果汁で濡れた唇は、中指で拭った。


そしてブドウ酒を飲んだ。なるべく音もたてずに。



少女の舌に、ブドウ酒は苦かった。魔法少女は痛みは感じないらしいが苦味はひどく感じられた。




アンリは母クリームヒルトとの昨晩の会話を思い出す。



”王に、魔女処刑を、やめるように、いってください”


そう願い出た自分の言葉は母に拒まれた。



”人と魔法少女は、いつだって悲しみばかり積み重ねている”…




するとそのとき、ついに一人の騎士が立ち上がった。


席を静かに立ち上がり、王城の宴会の貴婦人と騎士、給仕係り、蝋燭係り、衛兵、すべての人の注意を集めながら、
たちあがって起立したのは、オーギュスタン将軍だった。


「…」

思わずクリームヒルト姫が歌う声をとめる。


そしてまじまじオーギュスタン将軍を見つめた。



姫が歌をやめてしまったので、城内の音楽家たちも演奏の手をとめてしまった。



いきなり食事の空間は、音色を失い、沈黙となる。



「ヴァルプルギスの夜などこの城に降りてこない」


オーギュスタン将軍は口から、そんなことを言い放って告げた。「魔女なんてものもいない」


彼の発言に、ざわざわざわ…と騒然となりはじめる王城の大空間。


食卓のクロスに並んだ蝋燭の火がどことなく激しさを増し、めらめらと火の勢いと光を強めだす。

宴の大空間全体が僅かばかりに明るくなった。


王城の食事会の席のなかに、一人正体を隠して王の宴会に出席していた魔法少女・アンリの、自覚がない
うちに発揮した魔法だった。



オーギュスタン将軍が発言すると、蝋燭の火がわずかに光を強め、神聖な火の明るみが眩しくなる。


「王よ、こんな魔女狩りなどやめめるべきものと存じます」



オーギュスタン将軍がいうと。


クリームヒルト姫がまず目を見開き、後ろのデネソールが顔をしかめ、貴婦人たちは眉をひそめ、そして。


アンリは胸に嬉しさがこみあげて。



王は怒りを露にした。


「一年前の、我らが城が救われたことを覚えてますか」


王の命令によって、戦場に駆けつけた魔法少女二人を見殺しにし、敵国に売り渡した将軍は、王の魔女狩りを
やめるべき主張を、この王城、王のいる席で述べる。


「わたしは覚えています」



オーギュスタン将軍はいまシュルコと呼ばれる上着をきていた。ジャンパースカート式の衣服で、
鎖帷子にの上に着ている。


もちろんこれにも相応にりっぱな縁取りや毛皮などで飾られていた。シュルコは黒色で、華美。

足はストッキングが包む。金持ち騎士の服装だった。



「城下町の魔法の娘たちが王城を救いました一年前の出来事です」


オーギュスタン将軍は、城下町の魔法少女たちに褒美をだした一年前のことを覚えていた。


他の王城の騎士たち貴婦人たち、無言になる。



「世の呪い、魔の獣がわれらが城に近づきましたとき、彼女たちは戦い、我らは救われました」


「その魔の獣とやらをその目で見たとでもいうのか?」

別の騎士が突然席をたち、オーギュスタン将軍を指差し、糾弾した。「魔女の口車に乗せられたヤツめ!」


「彼女たちはウソをついていません」

オーギュスタン将軍は言い返す。「我々は確かに助けられた。なのにいま、恩を仇で───」


「ウソならついているだろう!」

別の騎士も立ち上がってオーギュスタン将軍を責めはじめた。

「やつらは、化け物だ。わたしはこめ目でみた」

黒い手袋に包まれた指を目元につけて、別の騎士は主張する。茶髪で、髪はカールがかって長い男だった。

「やつらは痛みをしらん。首をはねたって生きているような化け物だ。なのにヤツらときたら、まるで
自分達が人間であるかのように振る舞い、人間の世のなかに溶け込んでいた。やつらは我々を騙していた。
今こそ化け物どもを王都から焼き払え!」



何人かの騎士が、頷きはじめた。小さく同意している。



魔法少女のアンリは、悲しそうに目を伏せて、こみあげる涙と闘う。


「やつらがヴァルプルギスの夜を企てているのは真実だ!」


別の騎士がさらに、席を起立し、叫んだ。


「感じぬのか?日を重ねるたびに、邪悪がます城の空を?魔女の邪悪な魔法が、支配しつつあるのだ。
すべて魔女をみつけ、火あぶりにしろ。それしか王城を救う道はない!」


肯定の頷きが、王の食事に参加する人たちによってなされる。


「その邪悪な気とは魔の獣どものことだ!」


オーギュスタン将軍は反論した。


「魔女ではない!おまえたちが魔女と呼んで滅ぼしているのは人間の女だ」


ぞわわっ。

騒然となる王の食事テーブル。

執政官のデネソールは、憎しみいっぱいに歯をかみしめ、最後には嘲笑すらはじめた。

 ・・・・
「魔法少女が魔の獣を倒している」


オーギュスタン将軍はこの場で、魔法少女のことを魔女と呼ばず、魔法少女と呼んで発言をする。

他でもないエドワード王がいるその場所で。


「だがお前たちは魔法少女を死刑台に送っている。魔の獣は邪悪さを増すばかりだ。みよ!王城の者は、
すべて魔の獣によって心を呪われ、魔の獣の敵である魔法少女を、やつらの代弁者となって攻撃しているのだ!」


そのオーギュスタン将軍の叫びは、まったくもって誰にも信じられなかった。

魔獣による行方不明者や、廃人化は、ぜんぶ魔女のせいだという考えを変えなかった。


あたかもそれは、鹿目まどかが、”魔法少女は人間ではないことを、他のみんなに話さなかったのか”と、
暁美ほむらに問いかけたとき、暁美ほむらが、”話しても信じてくれた人はいなかった”と答えたときのような、
そういう状況にちかいものがあった。



「オーギュンタンよ、おまえは、わかっとらんのだ」


最後には王が静かに話し始めた。


王は、怒るとか憤慨するとかの態度ではなく、むしろ全て見抜いているかのような冷静な口ぶりだった。


「魔の獣がいたとして、負の感情を撒き散らしているとして、そいつらはどこからきた?」



オーギュスタン将軍は口ごもる。

自分に語れる言葉がもう見つからなくなる。


「答えを教えてやろう。魔の獣をわれわれ人間の手で倒すことは可能だ。それは魔女を滅ぼすということだ」



王はそう告げた。

信じがたい残酷な理屈にそれは思えた。

403



その昼、城下町の会堂に、魔法少女たちが集まっていた。


それはオルレアンの会堂。




地下に設けられた魔法少女たちの集まりを開く地下室。


地下水と雨水を吸って湿った地面の暗い土と、木材の腐った臭いがたちこめる、地下の一室だ。


壁は石を積み上げて空間をつくっていたが、石も湿って饐えた臭いがする。



真ん中の木のテーブルには、五芒星の魔方陣が描かれ、ローマ数字のⅠ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ…が、魔方陣の円の
外側に描かれる。魔方陣は赤色で描かれていた。


壁際には古びた本棚に黄ばんだ本がある。本は古く、埃をかぶっていた。



魔方陣を描いたテーブル席に、何人かの魔法少女たちが暗い顔をして座り、無言でいる。


地下空間で集まった魔法少女たちの顔という顔は蝋燭の火が照らしていた。ゆらゆらと魔法少女たちの暗い表情が
火に照らされている。



ユーカはその席にいた。


そのむかし、自分がまだ人間の女の子だったときに、オルレアンに連れられた地下の会堂。


今やここは、城下町の人々から、”魔女の会堂”と呼ばれてしまっている。もちろん、民はここには決して近づかない。



「それで」


ユーカが最初に口を開いた。

席に座る、まわりの魔法少女たちはただただ沈黙している。


「まったく魔獣を狩っていないと?」


魔法少女たち、沈黙。そのなかには、かつての仲間、ベエールやマイア、ヨヤミもいた。


他には、ユーカより魔法少女歴の短い、後輩の魔法少女、ボンヅィビニオや、ウェリン、クマオ、スカラベ
という名の新米魔法少女もいた。


「魔法少女の使命も忘れ───」


ユーカの声だけが地下の一室に響き渡る。


空気は滞っていて、声もこだまさない。閉ざされた空間に声がよどんでいくだけだ。


「人の目を恐れてここに隠れているだけと?」



魔法少女たち、五芒星の魔方陣を描いた蝋燭つき木造テーブルの席で、ひたすら、沈黙。


表情の暗さが変わることもなく、ぼうーっと、カビの生えた湿めった古びたテーブルを見つめているだけ。


「…」


ユーカだけが席をたち、仲間に語りかけていたが、その顔は険しく、怒りのこもった顔になっていく。

歯軋りの音させたてた。口を噤み、唇を噛んだあと、さらにつづけた。


「それで事態が好転するとでも?」


ユーカは仲間の魔法少女たちに、魔獣退治を再開するように呼びかけていた。


たしかにいま、外では魔女火刑が繰り広げられているし、その熾烈な拷問は苛烈さを増す一方だが、だからこそ、
隠れるのをやめて魔法少女としての使命を思い出すのだ、という声がけである。


ほとんどの魔法少女はそれに応じない。


この会堂の地下室は、人間の目にまず触れない、魔法少女だけの空間である。そこは、魔女火刑を恐れる
魔法少女たちの最後の隠れ家になっていた。


市民たちに見つかり、拷問されるのを恐れる魔法少女たちはみんなここに隠れた。


そして、外の空気どころか太陽の日も浴びない日々を過ごしている。


「私たちが身を隠せば王の思う壷だよ!」


ユーカは唱える。

魔法少女として、その存在が魔女に貶められつつある現状に甘んじるな、と。


「それって、城下町の人々からすれば、私たちが”ヴァルプルギスの夜”に加担してるって───」


ユーカは、魔女の夜の大宴会という伝説を信じているほうの魔法少女だった。


「だからいま王に計画を暴かれたから、逃げ隠れしているんだってことでは?」

ユーカの話が耳に痛いとでもいいたげに、苦い顔をする魔法少女たちは、目線を下に沈める。

「そう思われても?」



「もうなんだっていい」

すると初めて、別の魔法少女が小さく、ぼそっと、声をこぼした。


ユーカが呟きをこぼした魔法少女のほうをみる。


赤い髪の、小柄な魔法少女だった。スカラベだ。

「私たちがヴァルプルギスの夜の計画者でも、魔女でも、どう思われたって。私たちは人間からみたら、
化け物なんだ。だってみんなこんな体じゃないか」

といって、ゴトっと、卵型のソウルジェムを机におく。

それを指差して、席をたつや、大声をだした。「これが私たちだ!」ドンと机をたたく。

机の水色のソウルジェムが光る。しかしかなり黒く汚れていた。

「人間にどう説明する?この宝石が私たちですので、元の体なんてものは、いくら拷問したって
痛くありませんよっていうのか!」


痛い沈黙。


まわりの魔法少女たち、目を伏せる。



ユーカはまた苦しそうに口を噤んだが、負けじと言い返した。


「たしかに私たちの体の秘密は今や明るみにでた!」


ユーカはその事実を認めた上で、魔法少女たちに反論を展開していく。


「でもそれでおしまい?ソウルジェムの秘密がばれたら、あとはもう魔法少女として何もしないの?
円環の理に導かれるのを待つだけなの?魔獣は数を増すばかりだよ!」


「…」

魔法少女たち、沈黙。

ベエールは悩ましげに額に手をあて、目を閉じて苦悩する仕草をみせる。

そして、はあっと息を吐いた。


「それがあなたたちの本当の気持ちなの?」

ユーカは語り続ける。その昔、オルレアンに連れられて、この会堂のメンバーになったときは、からかわれたり、
バカにされたりする日々だったユーカは、今や、このメンバーのうちで最も発言力を持つ魔法少女になっていた。

「私たちは、ソウルジェムの秘密が人間に知られたので、魔獣狩りもやめてしまいましたって…」


会堂の席に座る魔法少女たち、怯えた表情をする。


「どうやって円環の理さまに顔向けを?」


「円環の理ってのは神なのか?」


ベエールはぼそっと呟いた。しかしその声はユーカの耳に確かに入る大きさだった。

「顔向けするとか、そういう神なのか?」



「魔女にされて火あぶりになるよりマシだ!」

初めてユーカとあったとき、男の子と勘違いされた魔法少女、アドラーが、席をたって叫びだす。

「ああ構わないさ!魔獣狩りなんかしなくなった人間なんか助けなくなって、そうやって円環の理に
導かれていくさ!私たちは痛み知らずだが、ソウルジェムが火あぶりに焼かれてみろ。魔法少女として最悪の死に方だ。
円環の理にも会えないし、魂ごと焼かれてしまうんだぞ!」


その黄土色のソウルジェムは、かなり黒かった。光り輝く部分が半分以上、失われていた。

宝石の輝きは濁っていた。黒色のよどみが、宝石のなかで浮いていた。


ここには15人ほどの魔法少女が集っていたが、ユーカ以外、どの魔法少女のソウルジェムも汚れていた。

黒く穢れながら、まったく魔獣狩りしようとしないという、誰も想像しなかったような状況になっていた。


「わたしも魔獣退治なんかヤメた」

小さな声で、語りだしたのは、ヨヤミ。メンバーのうちでは、正義感の強い魔法少女だった。

エメラルドグリーンをした小さなくりくりした瞳に、カールがかった漆黒の黒い髪をした可愛らしい魔法少女で、たぶん、
メンバーのなかでは、いちばん愛くるしさがある。



「魔獣を倒すことは、人間を助けることだと思っていた。昔はそう思うこともできた。でも今は」

ヨヤミの声は低く、落ち込んでいた。

「人間を助けようとも思わない」


魔法少女たち、沈黙のうちにヨヤミの意見を受け入れる。


そうだ、どうしてこんな世なのに、命をはって人間を助けなくちゃいけないのか。

人間たちは、魔法少女を魔女だと貶めてくる。魔法少女を見つけたら、魔女だ、魔女を見つけたぞ、と叫ぶ。


どうしてそんな彼らのために魔獣を倒さないといけないのか。


そんな人間たちなど、みんな魔獣に食われてしまえばいい……


そういう、負の感情に、支配されつつある魔法少女たちの気持ち……


しかし、ユーカだけはちがった。


「人を助けるのが魔法少女だよ!」

それが自分の揺るがぬ気持ちだった。

だってオルレアンとそう昔に、約束したではないか。

あのときは、まさか本当に人が魔法少女の敵に回るなんて思ってもみなかったけど…。

「これが私の本当の気持ち。あなたたちはどうなの?」


人を助けようとも思わない、そういうムード一色に染まり、暗くなっていた魔法少女たちに、ユーカは最後に
言い残す。


「自分の本当の気持ちと向き合える?」


人間など助けもしないし、今後も魔獣退治もしない、と口にした魔法少女たちは。


それが本当の気持ちなのか、と問われて、返す言葉を失いながら。


そうして顔を、また伏せた。

404


その日の夕方、ハーフティンバー建ての家々の並ぶ、町並みの、ある一軒家の部屋で……。


女の子の集まりがあった。


人間の女の子の集いである。



日が沈み、夜になってしまうと、外出禁止令が出されるので、その完全な夜になる前の、夕方の時間帯。



ある女の子の家の一室に、女の子たちが集った。


しかもその少女たちは、おもしろがって、親に秘密で集った夕方の集いを、”サバトの集会”と勝手に呼んだ。


さてそのメンバーは、城下町の未婚の、第二次性長期という性への目覚めの次期である少女たちで、
商人ギルド議会長の娘ティリーナ、皮なめし職人の娘チヨリ、石切屋の娘キルステン、ロープ職人の娘で
魔法少女であるスミレ、それから、漆喰屋の娘アルベルティーネ、服屋の娘エリカがいた。


彼女たちは商人ギルド議会長の娘ティリーナの自宅の二階に集い、夕暮れの日が落ちた暗がりで蝋燭を灯し、
そして会合をつくった。


女の子たち六人の集いである。



六人は、一つの丸いテーブルを囲んで、席に座り、一本の蝋燭の灯かりを見つめる。


そして一人一人、それぞれのちぎれた羊皮紙に、自分の叶えたい願い事を書いて名前も署名したそれを、
蝋燭の火に晒し、ついには燃やして煤けさせた。

願い事をかいた羊皮紙は黒くずとなって消え、煙がたった。



黒くずとなった羊皮紙は皿に置かれた。


これは女の子たちのお遊びだった。



世の中の危険さがまだ分かっていない少女たちは、親に内緒で、”ヴァルプルギスの夜ごっこ”というのを
はじめていた。

もし親に、こんなことしているところを見つかったら、恐ろしく叱られるに違いない。


魔女狩りの狂気が激しさを増しているまさにこの城下町で、自分の娘が、魔女の真似事をごっこ遊びで
はじめているなんて知ったら、強く強く叱りつけるだろう。二度とそんなことするな、と。


しかし少女たちは自分達の暮らす町で伝説化したヴァルプルギスの夜だとか、魔女だとかの話に、興味津々だった。


興味津々で、もういっそ、自分たちでやってみようという遊び心に駆られ、女の子たち六人はここに集結した。


そのなかには、魔法少女のスミレもいたが、スミレは自分が契約した魔法少女であることは隠していた。


さて彼女たちが羊皮紙に願い事をかいて、自分の名前も署名して火にかけて燃やすという行為は、残念ながら、
どんな魔術的行為にもあてはまらない。


いわゆる黒魔術は、悪魔を呼び出さなければならない。それには、ハシバミの枝と魔方陣が必要だ。

それに名前も、自分のインクで署名したのでは悪魔は契約しない。自分の血で署名しなければならない。


ただなんとなくそれっぽいから、と子供心らしい好奇心で、羊皮紙を燃やしているに過ぎなかった。



「ねえ?どんな願いごとした?」

商人ギルド議会長の娘、ティリーナは、全員の願い事をかいた羊皮紙が黒く煤けたのを見て、口を開いた。

「みんな一人ずつ言うこと」

ティリーナは、集った女の子たちの六人のうちで、リーダー格の少女だった。

「アルベルティーネは?」


リーダー格のティリーナな名指しされ、蝋燭の火を囲う女の子、アルベルティーネは、動揺し身を固くさせた。

それから、口をあけて、小さく、この暴露大会でみんなの集中を浴びながら、ぼそぼそいった。


「好きな人ができますようにって…」


「えー、好きなひと?」

ティリーナ、さっそく食ってかかる。

「どんな人が好きなの?」


「それは…」

漆喰屋の娘アルベルティーネは、口をごもごもさせる。言葉に戸惑う。「よくわかんない…」


「王子様でしょ?」

ティリーナ、頬に拳をかけ、微笑みかける。

「そういっちゃえばいいのに…」


「ち、ちがうよっ、王子様なんてっ」

アルベルティーネは、あわてて、手をふる。「私なんてお目にかなわないような女だし…」



「なんてこといって、ホントはエドード王子に手をとられたいんでしょ」

ティリーナ、アルベルティーネを質問攻め。

「ねえ、王子様のお姿、最近みた?」

ティリーナは別の女の子仲間にも話題をふる。

「あっ、王子様のことですけど…」

エドワード王子の話題に速攻で食いついた少女は、石切屋の娘キルステンだった。

「このあいだ、王城からパレードで出たトマス・コルビル卿。甲冑で変装した王子だったんですって」


「えーっ、なにそれえ?」

ティリーナ、驚愕に目を見開く。

「私もパレードみたけど…王子さまだったの?」


「都市のほうで馬上槍試合に参加を」

石切屋の娘キルステンは話をつづけた。

「でも王子様はどうして変装なんて…?」

首をひねる。

「女の人たちが、花束投げつけるから?」


「そうかもねーははっ」

ティリーナ、笑い出す。

「結婚できやしないってのにね。で、勿論優勝でしょう?王子様だもの!」



「あっ、それなのですが」

キルステンが指を立てて言う。「私の聞いた話だと、負けたらしいのです」


「なにそれ?ウソでしょ?」

ギルド議会長の娘、ティリーナは、口調を少しだけ荒げる。

「王子様が負けるわけないし!」


「お相手は、五回戦で対戦した女の騎士の人らしいです」

キルステンは話をつづけた。


「なにそれ、おかしいでしょ!」

ティリーナ、信じられないという目をする。「王子様が女の騎士と戦って負けるなんて!」


「噂だと棄権だとか」

アルベルティーネは告げた。


「きっと女の人を傷つけたくなかったのよ」

服屋のエリカが言った。「王子様さまお優しいから」


「そもそもさ、女なのに王子様と戦おうって、バカじゃない?」

ティリーナ、いらいらとした口調。

「何かんがえてるの?その女?」


スミレ、会話に入りたくても入れない。

そもそも気が弱くて、しかも魔法少女であるスミレは、本当はこの会合に参加したくないくらいの気持ちだった。


けれどティリーナは商人ギルド議会長の娘である。声をかけられたら参加するしかない。

でないと、ティリーナに嫌われたら最後、議長である父に、「この家のこの娘が気に入らない」なんて
いわれでもしたら、ギルド社会のなかでは、やっていけなくなる。



「ま、いいや、王子様も何をお考えでしょうね?」

ティリーナは目を天井へ向ける。

暗い、一本の蝋燭だけに照らされた天井を。

「王位継承のために妃をお探しなのでしょう?なのに馬上槍試合?」


「王子様はジョストがお好きな方だから…」

アルベルティーネ、顔を赤らめて語る。

「今年の馬上槍試合にも参加を…」


「もしかしたら都市のほうへ妃を迎えに?」

石切り屋の娘、キルステンは考えを言葉にした。

「馬上槍試合の参加は名目で…」


「なにそれ、そんなの許せないわ!」

ギルド議会長の娘ティリーナは声をまた荒げる。声は大きくなる。

「王都の城には何百という貴婦人とお姫さまが勢ぞろいなのよ。ぜんぶほっぽって都市貴族とご結婚?
許せないわ!」


まわりの少女たち五人は、別にティリーナが王子様と結婚できるわけでもないのに…なぜ怒るの?
という気持ちだったが、もちろんそんなことは絶対口にしない。顔にもださない。


心で思ったことを顔にださない本能みたいなものが心のなかにあった。自然とそういう振る舞いが身についた。


そうでもしないと、有益な情報から遠のくからだ。


仲間同士で定期的に集まって、情報を交換することが大切なことも、少女達は本能的に知っていた。

取り残されてはならない。

取り残された者から女社会で脱落していく。



「で、チヨリは何を願い事にしたの?」

いきなの話題は変わり、議会長の娘ティリーナは、まだ一言も喋っていないスミレとチヨリのうち、
皮なめし職人の娘チヨリに目をつけ、話をふった。

「隠し事なしね。みんな願い事いうんだから」


「えっ?そんな、私は…」

スミレと同じく、気の弱めな女このであるチヨリは、ティリーナの名指しに緊張した声をだす。


そして、それが限りなく地雷に近いというのに、隠し事なしの念押しに屈して、チヨリは羊皮紙にかいた
願いごとを正直に言った。

「私は…」

ごもごもしながら、そっと口にする。「魔法が使えたらいいなって…」


「え?魔法?」

ティリーナ、顔をしかめる。「なに?魔女になるの?」


スミレは青い瞳を見開き、ひやっとする悪寒に耐えた。


「ち、ちがうよ、魔女じゃないよ」

チヨリは手を振って否定する。「でもちょっと羨ましいなって…」


「うらやましい?魔女が?」

ティリーナ、困惑の顔をしている。「火あぶりになっちゃうよ?」


「ちがうの、魔女は、ちがうの…」

チヨリは自分でもなんと言ったらいいのか分からなくなる。「でも…薬草を使って人の病気を治したり…」


「ああ、そういうのね」

ティリーナははじめて納得した様子をみせた。「確かに素敵よね。人の病気を治せるって」


チヨリは安心の顔を浮かべた。「うん」


「それはそうとさ…」

ティリーナはもう話題を変えていた。チヨリの願い事が、思いのほかつまらなく、話題性にかけるもの
だったからだ。

「最近めっきり魔女みかけなくなったよね」

だから、話題を変えて。


最近魔女狩りの標的にされている”魔法少女”について話をはじめた。


「半年くらい前はさ……夜になるたびにうるさかったじゃない」

夜間に魔獣狩りに出かけていった、まだ活動をしていた魔法少女たちのことをいっているのだろう。



スミレは、顔を強張らせた。


「最近はめっきりみないよね」ティリーナはスミレの気持ちに気づかず話をつづける。


「静かになったよね」

服屋の娘エリカも言った。「最近の夜は、ほんと静かで、騒がしくないよね」


「前はさあ…」

ティリーナ、頬に手をつけて、目をみあげ、過去を思い出すようにして語る。

「夜になると、魔法少女っていうの?あいつら?いつもいつも外でがやっがや騒いでて、ほんとうるさくって迷惑したわ」

はあ、とティリーナはため息ついて見上げた顔を下ろす。

「こっちはもう寝るのに、ガタガタ物音たててさ…」


スミレは怯えた。

はやく魔法少女の話題から別の話題になってほしいと思った。



それに、普通の人々からみたら、夜間の魔法少女の魔獣狩りが、そんなふうに思われていたことも、
少し傷ついた。

命がけで魔獣と戦っていた魔法少女たちの活動は、人間の娘たちからみたら、”うるさくて迷惑”だったのだ。


とはいっても確かにうるさかった。


ベエールとクリフィルがいるときは特にそう。いつも喧嘩をはじめるし、口げんかは耐えなく、番犬を相手に
吼え合戦さえする。


「いつもいつもきったらなしい話し声きこえるのよね」


ティリーナは、やはり魔法少女たちの荒れた会話と振る舞いに嫌気が差していたらしく、自分の愚痴を語り
とめどめなくはじめる。


「ほんと魔法少女って最低。乙女の眠りを邪魔してるのよ?私たちと同じ女の子なのに、口からでるのは
きたらなしい言葉ばっか。ほんっと最低、みてていらいらするわ」


スミレはベエールとクリフィル、そしてアドラーやマイア、オデッサが夜に仲間同士で集まったときの
会話を思い出す。



…てめーはママのオッパイでも吸ってろ、ハパのも吸うか?プッシー野郎…もっぺん吸え!生命力補充しろ!…



たしかに汚い言葉づかいだった。

しかし毎日を魔獣との殺し合いで過ごす彼女たちは荒くなってある意味、当然なのだ。…と、スミレは言いたい…のをこらえる。



「最近めっきり見なくなってよかったわ」

ティリーナ、息をつきながら、自分の金髪の髪の毛をくるくる、いじりはじめる。

指先に伸びたブロンドの髪を絡める。

「苛立つことなしに眠れるから」


「最近みなくなったのって」

服屋の一人娘エリカが言った。「やっぱ魔女狩りがはじまったから?」


「そりゃ、そうにきまってるわ」

ティリーナ、さっそく答える。

「あいつら化け物でしょ。夜に口うるさいのも仕方ないのよ。サバトの集会にいってるんだから」


スミレ、体が震える。


「悪魔に魂売ってるから体を裂かれたって死なないお化けじゃない」


「火で焼かないと死なないんでしょう?」

石工屋の娘キルステンが問いかけた。ティリーナは頷いた。「らしいね。ねえ、悪魔ってどこに
いるんだと思う?」


「森でしょう。あの人たちは夜に森にでかけてますから」

キルステンが答えた。城郭から出たことのない城下町の娘が、外界の森に対して抱くイメージは、
そんな世界だった。

つまり森とは、いけば悪魔がいる、魔女にも会える、という魔界なイメージだった。


「でも”ヴァルプルギスの夜”の日に、悪魔を王都に連れ込むって…」

漆喰職人の娘アルベルティーネは、噂として聞いている魔女の宴の伝説のことを口にする。

「だからエドワード王は魔女と戦っていて、処刑してるんだわ」


「魔女を見つけたら告発しろって命令でしょ?」

ティリーナが話をうけもった。

「ねえ、夜に出かけている魔法少女を見つけたら、私たちも告発しちゃおうよ」

恐ろしいことを口にだす。


魔法少女であるスミレは、またも怯え、びくびく手を震わせはじめた。



「でもそれって危険じゃない?」

服屋の娘エリカが言う。「恨まれて、逆に私たちのほうが告発されるかも…」


「エリカ、へーきよ」

ティリーナは微笑む。怖い微笑みだった。「私たちは、ギルドのなかで地位があるんだから。あなたは服屋。
私は議会長の娘。ここにいるみんなは、」


五人の女の子に視線を送る。


「私が守ってあげるから。私たちを告発するやつなんかいたら、ギルドから追い出してやるわ」



「夜に出かけているといえば…」

漆喰職人の娘アルベルティーネは、蝋燭の弱まる火を見つめながら、思い出すように口にした。

「私さ、きのう見ちゃったんだ」


ティリーナ含む五人の集中が高まる。


みんなが耳に集中するなか、アルベルティーネは言った。「ユーカが、夜に出かけてるところを、さ」


「え?ユーカが?」

ユーカとティリーナは友達同士だった。

今日こそはいないものの、ティリーナとユーカ、そしてアルベルティーネらは、たまにこうして夕方の集会を
開く仲だった。


「うん…」

アルベルティーネは遠慮がちにつづける。「夜に、ユーカが十字路に出てて、ピンク色の髪した女の子と二人で」


「だれそれ?」

ティリーナが目を細める。厳しい目つきだ。


「わからない、あんな子わたし知らない」

アルベルティーネは声を小さくした。「あれって、ユーカの友達なの?」


「誰か知ってる?ピンク髪の女って?」

議会長の娘ティリーナは、依然として仕切り役で、女の子たち五人に問いを発した。


誰も答えなかった。

「そんな髪した女っているの?この町に?」

「スミレも知らないの?」

ティリーナは、今のところまだ一言も発していないスミレに、ここぞというタイミングで話をふっかけ、
問いかけた。


「えっ?私は…」

スミレ、いきなりティリーナに呼ばれて、びっくりした声あげたあと、考える仕草をした。


スミレはピンク髪の少女を知っていた。


たぶん、いやたぶんではなく確実に、異国からきた騎士の少女のことだ。


スミレは知っていた。

二人は夜間に外出し、魔獣と戦っていることを…。


そんな二人に災いがかからないことを願ったスミレだったが、すでにユーカと少女騎士の二人の夜間外出は、
見られていたわけだ。


「私はしらない…」


スミレは嘘をついた。


「二人は夜に外を出て何をしていたの?」

ティリーナは、目撃情報をアルベルティーネから聞き出そうとする。

「ずっとなにか話してた」

アルベルティーネは語った。「二人とも仲よさそうに十字路の暗がりで話してて……なんかピンク髪の女の子は
弓矢もってたんだ」


「弓矢?なんで?」

ティリーナ、驚いた顔して目を大きくさせる。「夜間に武器を持って出歩いてるの?なにそれ、あやし…」


ただでさえ庶民は武器を持って外を出歩くことは禁じられている。

なのに、その噂の謎のピンク髪の少女ときたら、夜間の外出禁止令をやぶるどころか、お法度の武具持ち出しまで
犯している。


二重に城下町の条例をやぶっていることになる。この王都で武器を持ち歩いていいのは騎士の身分にある者だけだ。


「それは気になるね。調べようか」

ティリーナはニコリと微笑みだした。「父にきいてみる。ピンク色の髪した女の子はどこの娘?って」

それから、思惑するように目を天井へむけた。「でも、そんな髪の色した子、この町にいるはずないんだけど…」


「でもさ、でもさ」

服屋のエリカは、慌てていた。「それでもしユーカが、本当に魔法少女だったらどうする?告発、しちゃうの?」

他の女の子たち四人も、怖がる動作をみせた。魔法少女を告発しよう、という方向に話が進んでいたが、
思いもかけず身近な友達に魔法少女の疑いがあることが分かって、彼女たちは躊躇しているのだ。


するとティリーナはさっそく答えた。

彼女は、微笑んだ。「まさか、しないよ」


スミレ含む、五人の女の子たちは、予想外だという顔をする。



「いったでしょ?私の友達はみんな守るって」


ティリーナはまだ微笑んでいた。「でもさ、わたしもっと面白いこと思いついちゃった」


女の子たち五人は、隣同士目を互いに見合わせる。


「もしユーカが魔女ならさあ……いろいろ聞き出してみようよ」

ティリーナは悪魔的な提案を始めた。

「告発なんてしないし、ユーカは絶対私が守るけど、いろいろ話を聞きだすの。”ヴァルプルギスの夜”
の話とか魔法の話とか……そっちのほうが面白そうじゃない?」


ニコリ、と笑い、首をかしげてみせるティリーナ。


またたく間に他の女子たちが同意した。「あ、それ面白い」


「いろいろ聞いてみたいねー」

楽しそうに会話が弾む。


スミレは、今度ユーカに会ったら今日のこのことを話そう、と決意した。




気をつけて、ユーカ。

405


エドワード城の頂上に造られたバルコニーから。


王の血筋を引く世継ぎの少女アンリは、城の頂上付近で夕暮れを眺めていた。


驚くほど大きな赤い日は、地平線の彼方へ沈む。



山々の連なる大陸の奥へ、姿を消してしまう。


あれほど偉大な日の光は、時間がたてば、陸地のなかに飲み込まれてしまうのだ。


すると代わりに、暗くなり始めた青色の夜空には、きらきらと、ひとつ、またひとつ、小さな光が灯り始める。


ぽつぽつ…と、小さな、光の粒。きらめく星が、夜空に輝きはじめる。



「ひとつ……ふたつ…」


王城育ちの少女アンリは、城から出たことがない。

それでも高き石造りのバルコニーで夜空を眺めながら、夜空に現れた新たな星の光を数えた。

「みっつ……よっつ…」


その黒くて、美しい乙女の瞳に星空が映る。


美しい小さなドレスをまとった王族の少女は、切なく悲しい運命に生まれ育った魔法少女だった。


こんな不幸な世継ぎも、世界どこ探してもいない。


まさに鳥かごの中の少女だ。


王城から出ることは生涯許されそうにない。地上は一切知らない。


祖父である王は魔女狩りに熱狂し、少女自身はカベナンテルと契約した魔法少女である。


そして毎日、正体を隠しながら、王の宴会に出席しなければならないのだ。


そんなアンリにできることは。


悲しいかな、夜空の星を数えるくらいのことしかない。


アンリは王城の頂上から遥か下の城下町を見下ろして眺める。



城郭に囲まれた町。都市を囲う城壁は見張り塔がついていて、外敵から守っている。



大きな十字路は、この高さから見下ろしても見えるほどくっきりしており、十字路が町を大きく四分する。

そして南、北、東、西に、十字路の行き止まりがあるが、その行き止まりには門がある。


基本的に門は北側しか開かない。


東や西の門は、敵軍に包囲されたときの、密使の出口だ。


同盟軍にここから使いをおくるのだ。



十字路の交差する真ん中には井戸があり、城下町の民の共有井戸だ。共有井戸であるから、井戸の水は、
役人の許可が必要になる。



日は地上のなかに沈んだ。



山々の奥の赤い夕暮れ空は暗くなり、夜が空を支配する。


もし、私も空を飛べたら。


この城を飛びたって逃げ出すだろう。


だがそのためにはヴァルプルギスの夜を待たなくてはいけない。


その夜の日に、アンリは城から飛び出せるだろう…というのが、カベナンテルと契約した願いの内容だった。


しかしもうソウルジェムのきらめきは失われている。


赤色のソウルジェムは黒ずんでいる。魔獣退治をしていないから当然だ。


アンリは、王族の世継ぎであるから、その彼女の結婚が歴史にもたらす影響力は圧倒的で、その意味では、
多量の因果を抱えた魔法少女だった。


この城下町の魔法少女のなかでは、いちばん素質の強さでは抜群に強かった。


けれどもアンリには魔力を使う次期がこない。


アンリが魔力を発揮するときは、恐らくきたる凶日、ヴァルプルギスの夜の日だろう。



夕日の沈んだ夜空は冷たい風が流れ始める。


美しい黒い前髪を、その風にゆらしたアンリは、城の中へもどった。

406


アンリの母クリームヒルト姫は城内の廊下を歩き、オーギュスタン将軍と掛け合った。


「マルガレーテ姫」

オーギュスタン将軍は、クリームヒルトの姿をみるやお辞儀する。「遅らせながら、サンクテア地方から
戻りました」


「オーギュスタン!」

クリームヒルトはバタバタ、姫袖をふりながら将軍に近づいた。「無事に王都に帰還を!」


その日のクリームヒルトはとりわけ豪華な衣装だった。

すなわちツァツァマンクの白い絹に、白貂の毛皮の裏地、宝石をきらきらと縫い付けた侍女たち30人が
用意した衣服だ。


姫袖をふるたびにきらきらと七色の宝石が光る。世界中の女の想像しうる美を徹底的に身にまとってみせた姫だった。


絵本の物語のお姫さまでさえ逃げ出す豪勢っぷりだった。



クリームヒルトはずかずかと将軍に近づいていって、その胸元に飛び込む勢いをみせた。


それはオーギュスタンに制止された。「私は無事に戻りました」


クリームヒルトはオーギュスタンの手をとり、自分の胸元へ運んで言った。

「お話をきかせてください」

姫は、つぶらな瞳をしてみせ、オーギュスタンを上目で眺め、願いでる。

「あなたの遠征の話を…」


オーギュスタン将軍は姫に手をとられながらも、しぶった。なかなか話そうとしない。


すると姫は、さらにせがんだ。

「私は外の世界を知りません」

美しい声が将軍に語りかける。「あなたの、外で見た話を、私に聞かせてください」



姫は要するに外の世界を知りたいのだった。

そして外の世界を知るためには、王城の外に出れない姫は、彼方の遠征に出かけた騎士から話をきくしかない。


「私が遠征でみた話など…」

オーギュスタン将軍は昼間の宴会と同じ、黒いシュルコを纏っていた。その下には鎖帷子があるので、
動くたびにカチャカチャ音がなる。

「あなたほどのお人に語り聞かせられるものではありません」



姫はオーギュスタン将軍の言葉に、悲しい感情を示した。目に涙を溜め、下を見つめ、
そしてまた涙のためた上目で将軍をみあげた。


「私は、貴方から話をきくほかに、外の世界を知る術はありません」


そして彼女は、手をのばして、オーギュスタンの首筋に手を回すと、顔をちかづけた。


口付けを求める女の行為だった。

「あなたから聞きたいのです。すべてを…」

吐息がオーギュスタンの顔にかかる。


「なりません」

オーギュスタンは姫をとめる。

その顔は火照ったが、彼は、王城で一番美しい女の求愛を断った。

「あなたはもうご結婚なされた身だ」


将軍は脈動を早めたが、平静さを失わないでいた。


姫は顔を横にふった。目に涙をためている。男の同情を最後に奪い取るのは女の涙だ。

「私は未亡人です」

姫は騎士に告げる。「捧げるものも残したまま…」


下に俯いて悲しい顔をする。目を落とし、切なげな睫毛は際立つ。

「私は、あなたの勇気を見ました」

そして、新たな話をはじめる。姫は、懸命だった。「王に対して示したあなたの勇気…」


「…」

オーギュスタンは困り果てた顔をした。どう姫を振り切ればよいのか分からない、といった様子だ。


しかし姫は、オーギュスタンの目をまじまじ見つめ、上目を遣い、語りつづける。

「あなたの騎士としての勇気です」


「一年前に、私は魔法少女たちに王城が救われた事件を思い出しただけなのです」

将軍は姫をなだめ、気持ちを落ち着かせようとする。

「魔女狩りは間違っていると……そういいたかっただけなのです。勇気ではありません。私は孤立しました」


「あなたに何があっても私が…」

姫が何かいいかけたとき、廊下で体を寄せ合って言い合う二人を、別の男の声が邪魔した。


「はて、はて、わが姫、将軍と何をお話になっておられるので?」


廊下の奥から、カツカツと音たてて歩いてやってきたのは、灰色の髪をした執政官の男デネソールだった。


「困りましたな」


姫は途端に不機嫌な顔をする。それはもうかなり露骨な顔で、誰がどうみても姫は怒っていた。


「姫、あなたはしばしば自分の身分をお忘れになられる」


杖をもってやったきたデネソールは、一歩一歩あるきながら、嫌味なことを言ってくる。


「あなたは王の娘でありお世継ぎを産みました母だ。あなたほどの姫が───」


デネソールは嫌そうな目でオーギュスタン将軍を睨み上げる。


「なぜ軍人風情と二人で掛け合いになられる?」


オーギュスタンは無言だ。

それでもデネソールは杖をもって廊下を歩き、二人のことを非難しつづける。

「あなたは自ら品格を落とされていますぞ!このことが、城の者に知られたら…」


「私になにか要求しようというのですか」

姫は超不機嫌な顔と声でデネソールに対峙した。「秘密を守る代わりに、何を私に要求する気なのです?」



「要求?姫、あなたの話には理解に苦しむ!」

デネソールは眉に皺よせた。「私は姫がどうか品格のことで城で問題視されず───」


執政官は目を光らせる。


「失脚のようなことになりませぬようと心配しているだけなのですが!」

いやらしい笑みをみせ二人に嫌味をいう。




「あなたなどいち早くに、寿命がきてしまえばいいわ!」

姫は激昂し、カツカツと磨かれた石の床を早歩きで歩き、廊下を通り過ぎて、松明が掛かる壁際の扉をあけ、
奥の部屋へ去った。


バタン。

姫が去った扉の閉まる音が廊下に轟く。


するとデネソールは、下を見つめながら、やがて歯を噛み締めた口で笑い、それからオーギュスタンを見た。


「女の性とは悪だ」


男二人が取り残された廊下で、デネソールは、将軍を睨んで言い放った。


「おまえのような、人殺しに惚れ込むのだから。戦場で人をころし、仲間を見殺しにした。そうであろう?」


オーギュスタンは王都に帰還する前、辺境のサンクテア地方で二人の魔法少女───ロワールとミラノのことを
思い出してしまい、ぐっと歯を噛んだ。


「いつだって女は悪を好むのだ。悪を愛し、最後まで悪を抱いて死ぬ」


ぺっと唾を吐き出し、デネソールは、将軍の突っ立った廊下を自分も去った。

407


オーギュスタン将軍は傷心し、息をついて、エドワード城頂上の廊下に空いた窓から、外の世界を眺めた。


窓の淵に手をかけ、両腕を組むようにして顔をおき、城の窓から山々が並ぶ遠くを見つめる。


その想いにふけっていた将軍の肩を、トンと誰かが叩いた。


オーギュスタンは肩を叩いた何者かを見た。


そして将軍は相手の顔をみて、名を呼んだ。「ベルトラント…」

ベルトランド・メッツリン卿だった。


「貴方が無事に王都に帰還して嬉しい」

メッツリン卿は将軍に笑いかけ、そして言った。「よくぞお戻りになりました」

頭を丁寧に下げ、騎士は一礼する。


「またあなたと馬上試合で槍を交えたい」

メッツリン卿は頭をあげ、そして微笑んだ。「私は都市で最強の騎士と呼ばれましたが、あなたは王都で
最強の騎士だ」


「おまえは今年の馬上試合を優勝したのか?」

オーギュスタン将軍はメッツリン卿に訊いた。


「ええ、まあ、いつもどおり」

はははと笑い、誇らしく胸を張る。「私を負かせるのはあなただけですよ、将軍」


「そうか…」

オーギュスタン将軍も笑い、どこか顔に元気が戻りはじめた。

「私は仲間を見殺しにしてしまった」

ちらと、窓から覗ける王都の外へ視線をやる。夜空の星がきらめく外を。国境のむこうへ、目をむける。


「戦場に立つ男はいつだってそうだ」

メッツリン卿はとある話を持ち出した。

「仲間を犠牲にしない戦争など、ないのだ。ところで私は、都市の馬上試合で、妙な連中と戦うことがありましてね」



「妙な連中?」

オーギュスタン将軍は目線をメッツリン卿へ戻した。


「ええ、そうです」

メッツリン卿は笑っていた。その妙な連中というのが、まってくもって本当に、妙な連中だったから、
思い出しながら面白おかしくなってしまったのだった。

「女の騎士に、ニセの紋章官がついて、しかもそこに魔法少女がくっついた妙な三人衆ですよ」


「魔法少女?」

オーギュスタン将軍は驚いた声をあげた。メッツリン卿が魔女といわず魔法少女と呼ぶのが意外だったからだ。


「しかもその魔法少女は、自らを魔法少女と名乗り出た上で、馬上槍試合の観客全員にむかって、
人間も魔法少女もみな兄弟姉妹、ってのたまいましてね」


オーギュスタン将軍、目を見開く。


「妙な連中でしょう?」

メッツリン卿、楽しそうに笑う。


「馬上槍試合はもちろん中止になっただろうな」

将軍がいうと。


メッツリン卿は答えた。「いえいえ、将軍、その連中ときたらそれで馬上試合の観衆も審判も、みんな
言いくるめてしまって、準決勝したんですよ」


「信じられん話だ」

将軍は呟いた。


「ええ、私も」

メッツリン卿は最後に切なそうな表情をみせた。


「なぜそんな話を私にする?」

オーギュスタン将軍は最後にたずねた。


メッツリン卿は臆することなくそれに答えた。

「昼間の宴会で、あなたが、王に魔女狩りをやめるべきだと諌言した勇気を、私は応援したいのですよ。
将軍、あなたのように考えている人間は一人ではありませんぞ。」


そういいのこし、メッツリン卿は王城の廊下を歩き去っていった。

408


そして夜がきた。


月の浮かぶ深夜になると王城も城下町も寝静まる。


夜警の係がエドワード城の関門に、常夜灯を照らし出す。



そうして外出禁止令の時間帯となる。



魔獣たちが城下町に沸き立つ。


そして、その魔獣たちに立ち向うは。


魔女狩りの狂気のなかで戦い続ける二人の姿は。



ブリーチズ・ユーカと鹿目円奈の二人だった。


「円奈っ、そっち!左!」

ユーカは杖をふるって魔獣と格闘しながら、友達の少女に声がけをする。


「うん…!」

円奈は左から魔獣たちが迫っているのを見つける。魔法の弓に矢を番え、そして飛ばす。


バシュン!

バラの蕾がついたイチイ木の弓から矢が飛ぶ。


魔獣たちの頭にヒットする。


「もう一本!」


円奈は矢筒から一本矢を新たに取り出し、素早く番え、弦を引くと、またそれも放った。



二本の矢が魔獣にあたると、魔獣たちは苦しみもがいて、呻く声をあげた。


「円奈、いまそっちにいく!」

ユーカが杖を振り回しながら走ってきた。

「とぉっ!」

そして結界のなかで飛ぶと、苦しみ呻いている魔獣たちの頭をニ、三匹同時に叩き、魔獣たちは消えた。



瘴気は依然として恐ろしく濃いが、日に日に数を増す魔獣天国に、二人は微力ながら抵抗した。


「円奈、撤退!」


「うん!」

息の合い始めている二人は、流れを澱めることなく、魔獣を数匹倒す、撤退するの作戦を成功させていく。


二人は魔獣の結界から脱出し、襲いかかる瘴気に生命力を奪われる前に逃げ去った。



「はあ…はあ」

そして二人は同時に息をついた。

「今日も収穫だね」

ユーカは手元に、獲得した黒い塊をのせて、円奈にみせる。「10個だよ」


「グリーフシードが10個…」

円奈は感浸りながら黒い塊を見つめていた。魔法少女にとってどうしても必要なものであるそれを。

「そう、これさえあれば」

ユーカは魔法少女の変身を解いた。


ぱあっと…全身が一瞬煌々ときらめいたのち、人間の姿になって、左手に残った卵型のソウルジェムに
右手のグリーフシードをあてがう。


ソウルジェムの下部に溜まった黒いものが、グリーフシードに吸い取られて、透明さを取り戻した。


「魔法少女が負けることなんて、ないんだから」

といって、ユーカは満足そうに、円奈に微笑んでみせる。



「…うん」

ユーカが笑いかけてくれると、円奈も釣られて笑みを浮かべた。


二人は王の魔女裁判という国策と戦うことを約束している仲だ。



そして魔法少女狩りが終わるためには、ただひたすら、魔法少女が、魔獣と戦い続けることだと二人は信じていた。



世に悪を撒き散らすのは、魔女ではない。円環の理は、魔女をすべて浄化したのだ。

全ての宇宙から。すべての時間から。


この改変された世に悪を撒き散らすのは、魔獣なのだから、魔法少女として魔獣と戦い続ける。



それが、城下町の狂気と恐怖を終わらす一番の道だ。


二人はそう、信じていた。

今日はここまで。

次回、第52話「チリヂリ」

第52話「チリヂリ」

409


城下町では、魔女(魔法少女)狩りの恐怖がつづいた。


ユーカと円奈の二人は懸命に、夜間に外出して魔獣と戦い続けたが、魔女狩りは終わらなかった。


恐怖が恐怖を呼び、狂気が残酷さを呼んだ。


しかも、この日は今までで最悪の展開を迎えた。


少なくともユーカにとっては考えられるほとんど最悪の展開だった。



「そいつは魔女だ!」


ある若い男が叫ぶ。指をさして少女を告発している。「夜間に外に出ていたぞ!」


告発を受けたのは……。


ユーカの魔法少女仲間でもある、正義感の強かった魔法少女───


ヨヤミだった。


魔女の告発騒ぎがはじまると、あっという間に城下町じゅうの人々がそこに集まってくる。



あらゆる人の視線に晒されながら、ヨヤミは、自己弁護をはじめた。


「私、魔女ではありません!」

ぐるりと一周、城下町の民衆に囲まれる。

「魔女などではない!」


すぐに告発を聞きつけた黒い僧服の審問官たちがやってきた。



エメラルドグリーンの瞳をし、カールがかった黒い髪の愛くるしい少女は、今や恐怖に瞳孔を開き、
震え、そして魔女審問にかけられる恐怖と戦っていた。


こみあげる恐怖で気がおかしくなりそうななか、自分を疑う城下町じゅうの人々にむかって、自分を弁護する。


「私は魔女ではない!魔女のような魔術を使ったことはない!」


「どけ!どけ!」

審問官たちがヨヤミを囲う民衆の群れを割ってヨヤミの前に躍り出てきた。

「今からお前が人間か魔法少女かどうかを確かめる」


審問官に告げられたとき、ヨヤミはどくっと血が凍りつくのを感じ、そしてパニックになりはじめた。


”人間かどうか確かめる”。


魔女審問の恐怖が脳裏に浮かんでくる。



「た、確かめる必要なんかない!」

ヨヤミは平静さを失った。保てるはずもなかった。
今や城下町の民衆の目はヨヤミにむかって魔女審問を求めている。

つまり、魔法少女か人間かを、苦痛によって確かめる判決を。


その何百という目が、ヨヤミを見て、そして求めていた。


やり場のない怒りが、ヨヤミによって償われることを。



「あなたたちを襲い、生命力を奪い、行方不明にしているのは魔獣という存在だ!」


ヨヤミは、言っても絶対に城下町の人々に伝わらぬことを叫び始めた。


「魔女なんかいない!人間の女が魔女になったりしない。こんな容疑はでたらめだ!」


審問官たちはそれを無視する。


そもそも、体を真っ二つに割ってもまだ生きているような化け物が現にいるのだから、まずそこから、
おまえがそれと同類なのか健全な人間なのかを確かめないといけないのだった。


ソウルジェムの秘密を人々に知られた魔法少女たちの運命はあまりに過酷だ。


「王の城に連れろ」


審問官は告げた。「宝石の指輪は奪え」


審問官たちは拘束具をもってヨヤミに近寄ってきた。ジャララ。手に重たい枷が鎖で吊るされている。


容赦ない足取り。


みるみるうちに距離がちぢまる。


ヨヤミは、目に恐怖を浮かべて、審問官たちから後ずさって、逃げた。


一歩また一歩と、後ろへ退いてゆき、審問官たちから逃避する。



しかし、そうしていると、背中が城下町の人々にぶつかった。


ヨヤミは恐る恐る振り向いて城下町の人々をみあげた。その顔に影ができた。


ヨヤミを見下ろす城下町の人々の目は───。


ヨヤミに、魔女審問を受けろと求める目だった。


「いやあっ!」

逃げようとしたが遅きに失した。


城下町の、集まった数百人の民衆はヨヤミを捕らえた。

魔女の疑いがかかった少女に猛然と襲いかかり、髪をひっぱって転ばせ、地面に引き摺り下ろし、そして
地面に叩きつけた。


「あっ…ア!」

地面にすりつけた額から血が流れおちる。ヨヤミは暴れたが、城下町の人々に捕まった。



「指輪を奪え」

審問官たちがそこにやってきて、組み伏せられたヨヤミの指から指輪を引き抜いた。

いまや王の手下たちは魔法少女の弱点を把握しきっていた。


「ああッ…!」

ヨヤミは、大切なものを奪われて、それを取り替えそうと手を伸ばした。


その手は城下町の男に踏まれて、指ごと地面に叩きつけられた。


「いいッ!…ッ」

指先に走る痛みに目をぎゅっと閉じ、顔を歪め、歯軋りする。その髪は限界まで女によってひっぱられ、
額が露だった。

その額は擦り切れて、血が流れていた。


その血は鼻筋にまでかかる。


「魔女め!」

城下町の人々は、罵り始めた。男も、女も、子供たちも。「人を捨てた不死身の怪物どもめ!」

市民の心と記憶には、さまざまな拷問をうけて、痛みを感じなく平気で、ノコギリで裂かれても元に戻る魔法少女の不死身ぶりを
非難し、誹謗し、排斥しようとする。


やがて、審問官たちによって奪われた指輪は、100ヤードの距離を離れ、ヨヤミは。



城下町じゅうの人々の罵り声に包まれながら、ゆっくりと、意識を失った。

410


ヨヤミは意識を失い、目を閉じ、眠りにおちたようにぐったり力を失い、そのまま審問官たちにに運ばれた。


荷車にのせられ、意識失ったまま王の城へ運ばれていった。


その先で、どんな運命をヨヤミが辿るのか。



それは、まだ誰にも分からない。


でも、その意識を失い馬の引く荷車によって荷物のように運ばれていくヨヤミにむかって。


化け物め、化け物め、悪魔に魂を売った淫魔め。報いと裁きを受けろ。


そんなふうに罵る城下町の人々の声の嵐をきくと。



ヨヤミの運命は、暗いものに思われた。


「あんな化け物が、私たちと一緒に暮らしているなんて、許せない。」

ある少女が言った。「悪魔と契約して、なんでも願い事をかなえてもらって、しかも、人間に悪さをするなんて!」

体に魂なく、外部にあって、しかもある距離以上それがはなれるとパタリとなる魔法少女に対して、気味悪さを吐露する。



ユーカと鹿目円奈はその場にいた。


城下町の狂気よりも、ヨヤミが運ばれていく姿を悔しさを噛み締めて目で追っていた。


自分たちは、魔獣と戦っているのに、人間の女はまだそんなことをいうのか!


怒りが込み上げくるが、ユーカはそれを抑える。


ここで我慢できなければ、結局、自分達の戦いは無駄になる。


それにユーカはゆるせない負い目を自分に感じてもいた。


ヨヤミが今日、魔女として告発されてしまった理由。


それはたぶん、自分のせいだろう。



昨日、会堂の地下室にて、ユーカは仲間達にむけて、魔獣退治をやめると言った魔法少女たちに、
それが本当の気持ちなのか、と問いかけた。


ヨヤミは正義感の強いほうの魔法少女だった。


ユーカの問いかけによって正義感を取り戻し、魔獣退治を再開しようと思い立ったのだろう。


だがその勇気は最悪の結果を招いた。


魔女として告発され、王の城へ連れて行かれてしまった。

勇気と正義はひたすら悪い事態を呼び起こした。勇気と正義が勝つストーリーは、この城下町にはないのだろうか。



ヨヤミを助けたい一心だったけれども、王の城に連れて行かれるヨヤミを取り戻す術なんてない。


城下町の人々と、王城の者たちが、魔法少女を化け物だと思っているうちは、こらえるしかないのだ。


それに逆らえば、こんど魔女の疑いがかかるのは、自分たちだ。

411


しかしヨヤミをめぐる悪夢は、これで終わらなかった。


ソウルジェムを奪われ、気絶状態のヨヤミは王の城の暗い地下室で目覚めさせられた。

トンと、奪われたソウルジェムの指輪がヨヤミの胸元に置かれ、いったん気絶したヨヤミはそめで意識を
取り戻した。


「魔女め、指輪がなければ眠りからも醒めないか」


うっすり瞳を開いたヨヤミは王の城に拉致されたことを知った。

木でつくられた拷問台に、鉄の枷と鎖で縛られたヨヤミは、審問官たちに囲まれ、審問官たちはヨヤミを
冷徹に見下ろしていた。



そしてヨヤミは恐怖の地下拷問室を見回したのだった。


そこには自分だけでない、魔女と疑われた少女たちが、恐ろしい拷問を受けている地下室だった。


一つある扉のほか出口のない壁に囲われた地下室は、ロープで滑車に吊るされ肩の関節を外されている
者がいた。


肩の関節は、人間の身体で一番弱いところだ。ロープに吊るされ足に鉄球の錘をつけられた少女は肩の関節を
外されてしまい滑車のロープにだらんと吊るされていた。



肩からは血が垂れた。


だが最も恐ろしい拷問にかけられているのは、”死の歯車”のなかで転がされている魔女だった。


これは人の体がひとつ入る大きさの歯車で、なかは鉄の大きなトゲが生えて、体じゅうどこでも刺せる仕組みになっている。


クジの玉がでる回転抽選器を人が入れるくらい巨大化したもの、というべき形状のもの。

もちろんその中身は鉄の棘だらけ。


この鉄の回転抽歯車のなかに入れられた魔女は、審問官によってぐるぐる歯車を回されて、歯車のなかを無残にも転げながら
トゲに刺されて行く。



大きな歯車は審問官が外側でアームを握ってぐるぐる回す。


そのたびに、中に入れられた魔女は、ドスドスと歯車のなかで体を落とし、そのたびにザク、ザクと体に
大きな針が食い込んでいく音がする。たまに骨が砕けたような音もする。



頭に針が刺されば命はない。


しかし歯車の中は無数の針が生えている。これに入って、まだ生きていれば、その女は魔女できまりだ。


ヨヤミは、人間たちの恐るべき所業を目の当たりにして、目を恐怖に湛えて叫んだ。

「悪魔ああ!」


「それはお前が契約した相手だ」

審問官はヨヤミに告げた。その顔には鉄の仮面をつけていた。仮面の穴にのぞく、白い目だけが動く。

「おまえが魔女なのはもう突き止めている。この指輪がそうだろう」

ソウルジェムの指輪に焼きごての火をあてがう。

焼けた赤い鉄が、指輪に触れる。


その途端、ヨヤミの全身に、じゅわっと骨が焼かれるような痛みがはしった。


「ひぃ゛…!」

指輪に焼きごてがあてられた瞬間、ヨヤミは拷問台の上で呻きを漏らす。

「あ゛ぁっ…っ!」


恐るべき痛みだった。



まるで全身の骨から火が燃え上がったかのような、芯からくる痛みで、ソウルジェムに焼きごてをあてられた
だけでこんな感覚に陥るとは思ってもみなかった。


全神経のすみずみにまで焼かれる痛みが走った。頭の上から足と手先まで、自分が焼かれる鉄になったかのように
熱くなった。



「悪魔に魂を売り渡した魔女め」

審問官は罵り、そして、言った。

「おまえの仲間たちの名前をすべて言え。王はお前たちのような化け物が王都に住むことを許さん。
すべて仲間たちの名をあげ、自白せよ。魔女にかける情けはないが、かといって自白するまでは
殺さぬ。お前の審問をつづける」


といって、また焼きごてを腹にのったソウルジェムにちかづけはじめた。


焼きごては、拷問室の壁際に置かれた炭火に焚かれた、鉄串と鉄棒だ。


真っ赤に焼けた鉄の棒の先が、ヨヤミのソウルジェムの先に近づく。


「い…いやっ!」

ヨヤミはとっさに叫んだ。自分の契約が生み出したソウルジェム、魔法少女の魔力の根源、魂そのものに、
じゅーじゅーと赤く爛れ、光る焼きごてが近づくのをみて、ヨヤミは心から恐れて、やめてほしい、
と思った。

「仲間のなまえをいえ!」

審問官は尋問する。「おまえと一緒に、行動していた魔女どもの名だ!」

412


城下町の宿屋では鹿目円奈が食事をとっていた。


円奈は、エドレスの都市での馬上槍試合における賭けに勝ち、今や金貨200枚という大金もちになっていたので、
毎日の食事は高級宿屋に通って、スパイス入りパンを購入していた。


そして、パン職人がよく焼き上げたできたてのパンは、ローズマリーいりの香りのよいパンで、
円奈はその固いパンに、パクリと口にかぶりつく。

「ん」

農村出身の円奈は都市のパンの味にまたも感動した。「おいしっ」


もごもご口にパンを挟みながら独り言をいう。


そして蝋燭の火に照らした明かりで羊皮紙の本に目を通していた。


聖地に関する本だった。


魔女狩りという狂気の町に入ってしまった円奈だったが、目的の所を忘れることはなかった。


別の大陸に存在する、魔法少女たちの聖地巡礼地。


そこに訪れること。



それが円奈の最大の目標だった。


かぶりついて歯型の残っているパンを皿に一度もどし、難しい顔をしながら本の記述に目を通す。



インクで記された横文字を、左から右へ行ごとに読んでいく。


「かつて、魔法少女たちには円環の神についての認識の違いがあった」


円奈は本の内容を、うーんと唸りつつ読み上げる。


「宇宙法則としての概念が、地上を満たしているのが、新たな理……に対して……すべての宇宙…人格の女神…
実在するか…」


円奈が本の中身に難色を示したとき、外ががやがや急に騒がしくなった。


「なんだ?」

円奈の泊まる宿屋のテーブル席の、別の男が、顔をあげた。「何事だ?」


「魔女だ」

さらに別の男が答えた。「魔女が騒いでるんだよ」

「あの怪物どもが!」だれかがパンを含んだ口から唾とともに罵声を宿屋であげた。


「魔女…?そんな」

円奈は、素早く本をたたみ、強張った顔を浮かべ、焦った様相になりながら、高級宿屋の扉をあけて外に出た。



円奈が慌てて外に出ると、今朝のヨヤミに引き続いて、また少女が魔女として疑われ、告発されていた。


それは、円奈の知らない魔法少女ではあったが、マイアーという、オルレアンと昔仲間だった魔法少女だった。


ちがう、私は魔女などではない、私は痛みをちゃんと感じる人間だ、……



いろいろ自弁するも結局城下町の人々に取り囲まれて捕われる。


そして王の城に連れて行かれる。


審問官たちは捕らえた少女の指輪を抜き取り、そして持ち去った。


円奈にはその指輪を奪い取る行為の本当の意味をしらなかった。


一ヶ月以上前、ウスターシュ・ルッチーアに諭されて、レーヴェスという都市の修道院の門番をしていた
魔法少女の指輪を強引に女騎士のジョスリーンらとパス回ししたことはある。


しかし円奈は、ルッチーアにそうすればいいといわれたからそうしたまでで、指輪を魔法少女の手から
奪いとることの本当の意味を、まだ知らない。



マイアーは、指輪を返せ、私は魔女じゃない、と叫ぶ。


が、審問官たちは冷淡に告げた。


「魔女、カサノヴァ・ヨヤミが、キミの名を魔女として挙げた」


審問官の口から放たれる言葉は、恐ろしく、身も凍るようなことだった。

マイアーは目を見開き、そして、事態を理解し、「ヨヤミ、裏切り者め」と叫んで、ついに失神した。



こうしてまた一人のソウルジェム指輪が人間たちに奪われた。


城下町にのこる魔法少女はのこり、30人くらいほどのみとなった。

413


その頃、王城の地下室では。


「うう……あぐぁ……う…!」

うめき声が、暗闇のなかでずっと続いていた。



「うう……ああ……あああ……ウ!」


うめき声は少女のものだった。


「ああああ゛……あ゛…ああ゛…ッ!」


少女のうめき声は、拷問されて死んだ女たちの死体が溢れて血の臭いが満ちる地下室で、ずっと、つづいて、
絶えることはなかった。


「うヴ……ヴヴううう!」


少女の声は、ヨヤミの口から漏れるものだった。


絶え間なく身体を貫く苦痛は、ソウルジェムによって引き起こされた。


つまり、拷問台に鎖で縛り付けられたヨヤミは、そのソウルジェムが人間の手に落ち、そしてソウルジェムは
火鉢のなかに放り込まれ、火を通されていた。


火鉢は赤く焼けた炭火がバチバチと音をたてて温めた。そこに放り込まれた、指輪のソウルジェムは、
熱せられて変色していた。


すると、ヨヤミの体に異変が起こった。


肌も骨も心までもが、燃え上がったように熱くなり、それは耐え切れない熱さに達し、ヨヤミの全身から
だくだく汗が流れ落ち、自分はまるで火の中にいるように目も頭も熱くなった。


「あ゛あ゛……あ゛…ア゛」


ヨヤミの焼けるような口からうめき声が絶えることがない。


ヨヤミの体から煙がたちはじめた。しかし、鎖は断ち切れない。鉄の重たい鎖は、ヨヤミの熱くなりすぎた
体に熱せられて、ジュージューと音をたてた。


とにかく体が異様に熱かった。自分自身が焼かれている鉄ごてのようだった。


火鉢と炭火のなかで熱せられる指輪と同じ温度に体が達した。湯気が全身からたちのぼった。


それは灼熱だった。


なにか熱いものに触れて、体が火傷する、という苦痛ではなく、体そのものが熱かった。

やがて熱さは魔法少女の体いえども限界にたっし、肌は焦げ始めた。

体全体が燃えているので、肉も喉も、焦げ始めた。血も沸騰しはじめた。体は崩壊をはじめた。


「あ゛…」


もう本当に死んでしまいそうと思ったとき、審問官が指輪を、やっとこでとりだとし、バケツに満ちた
冷たい水の中に放り込んだ。


「ああっ!」


ジュ!

熱せられた指輪が急に冷水のなかで冷える。

ピシと指輪に亀裂が入る。


「ああ…アアッ!」

ビクン、とヨヤミの体は震え、そして全身を凍て付く冷たさが貫いた。


急激過ぎる温度変化は人間の感覚を越えていた。

火に熱せられた状態から冷水のなかに放り込まれたのだ。



心臓が悲鳴をあげた。


そして、もちろんのこと、どんなに全身に感じる体感温度が、いかに人間の感度を越えようとも、魔法少女は
死ぬことがない。人間とちがってショック死はしない。



「仲間の名前をすべて言え」

審問官は指輪を、バゲツの冷水から取り出し、その指輪に、釘をあてがう。

釘の上部にハンマーを用意する。

「おまえと行動を共にした魔女の名を挙げよ」


ヨヤミは素直に、全身にしびれるようなひどい悪寒を感じながら、名前をあげた。

「マイアー…マーガス・マイアー…」


「そのほかには?」

審問官は攻め立てた。


ヨヤミはぶるぶる全身を震わせていた。

肌に駆け巡る悪寒は、ひどく冷たく、それでいて激しかった。たぶん、感覚神経がおかしくなってしまった
のだろう。もともと痛みを感じないはずの神経は、指輪が熱せられたり冷やされたりすると、激しく反応を
示した。


全身にぶづふつと鳥肌がたっていた。

もう、正気を保てるような境地にはなかった。「エリファス・レヴィ・ベエール…」


「仲間は何人いる?」


こんな調子でヨヤミは、会堂の仲間たちの名を、つぎつぎに審問官に教えていった。

414


事態は遥かに悪化した。



城下町では、ユーカの仲間、マイアーとベエール、さらにアドラー、後輩の魔法少女仲間であるウェリンが、
つぎつぎと魔女の疑いにかかり、審問官たちの手におした。


クリフィルとオデッサ、スカラベ、幼き魔法少女であるアナン、ユーカの親友の一人であるスミレ、この
五人とユーカが生き残った。


ユーカ含む六人は会堂に集まった。

古びたカビのテーブルに五芒星の魔方陣をかき、蝋燭を照らしたあの地下室に。


「ヨヤミが私たちの仲間の名を売った」


最初に重々しく口を開いたのは、クリフィルだった。


「ベエールもアドラーも連れ去られた」


「次に魔女として名を挙げられるのは私たちだ」

スカラベは絶望的な表情を顔にうかべていた。「もうだめだあ…、おしまいだ」



「何が本当の気持ちに向き合える、だ!」

クリフィルは怒りを露にした。その怒りは、明らかにユーカに向けられていた。

「なにがどんな顔して円環の理に顔向けする、だ」


ユーカは口を噛み締めている。

自分が、魔獣退治を再開するように呼びかけた結果、この悲劇は起こった。



事態はより一層悪化し、最後の隠れ家にしていたこの会堂の地下室すら、もはやエドワード王の審問官たちの
手が伸びてきている。


「私たちは魔獣退治なんかいかないほうがよかった。ただここでじっとして、円環の理の導きを待てば
よかったんだ!」


クリフィルの怒りの声が轟き、そのあとは、痛い沈黙が地下室を支配した。


ユーカは何も言い返せない。


「もう掘り返してても何もはじまらない」

オデッサが、静かに口を開いた。

「今からすべきことを話しあわねば…」


「ああ、そうだとも」

クリフィルは、オデッサに諭されると、落ち着きを取り戻して、しかしユーカは睨みながら席に座りなおした。

「この会堂は解散。もう私たちで顔を合わすことはないだろう」


ユーカは、悔しそうに顔を伏せる。

くっ、と歯軋りもした。



しかしもう仕方のないことだ。

事態は悪化するところまで悪化した。



「みんなそれぞれ魔法少女と疑われないように生活するといい。それじゃあ。みんな、達者に生きろ」

クリフィルはいち早く席をたち、とっとと地下室の階段をのぼって会堂を後にした。


魔法少女の仲間同士はチリヂリになった。

今日はここまで。

次回、第53話「ヴァルプルギス前夜祭・準備」

第53話「ヴァルプルギス前夜祭・準備」

415


エドワード王都では、年に一度のあるお祭りの日が近づいていた。


月日でいうなら、4月30日の夜を祝う盛大なお祭りである。


この日、城下町の人々は、春の到来と新たな収穫の時期を祝って、食べて飲んで夜を踊りまわる。


夜だというのに多量の焚き火を用意して、燃やし、夜を昼のように明るくし、おなじ城下町の人同士、
手を繋ぎながら大きな輪をつくって踊りとおすというお祭りだった。

夜通し開催されるそのお祭りは、春の到来を祝い、冬を越し、暖かくなった新たな収穫の時期を
迎えるというもの。


王都の城からもこのお祭りのために資源と資金を提供する。


焚き木を燃やす数百本の松明、ブドウ酒とビール、肉料理、パン、盛大な規模でエドワード城からだされ、
この日は身分も男女も関係なく誰とでも交遊する。


そしてそれは、一年のうちで一度だけ、男にとっても女にとっても、いわゆる逢引の場であり、この祭りの日が
ちかづくと、女は身だしなみに気力を使うようになり、男もプロポーズの練習を密かにしていたりする。



熱心な家庭だと、この日の祭りのために娘に当日着せる服を金かけて調達し、いいところの男をつかまえる
ように娘に手塩をかける。



この次期になると服屋は儲かる。

踊りの練習も必須だ。


女は、男と手を繋きながらクルリとまわる優雅な動きをしてみせるし、男は、踊りの最後に、女の腰を両手で
つかんで上へ持ち上げてやる。


子供に高い高いするみたいに。

女はラクラク男に抱き上げられて、きゃーっと笑う。しかし残念ながら、太った女は男にも持ち上げることは
できないのでそういう女は踊り相手の男が見つからない。




魔法少女狩りの狂気が日々暗さを増していたが、祭りの日が近づくと、それとはまた別な雰囲気が城下町に
あらわれはじめた。



若い男女の逢引の日が近づいてきたのだ。

416


その日の夕暮れ。


ユーカは失意のなかでとぼとぼ城下町を歩いていた。


自分の信じていたことが、より事態を悪くさせた。


それも、かなり悪く。


「私の信じていたことって…」


一瞬だけ、気がくじけそうになる。


魔法少女は人を助けるもの。だって魔獣を倒すのだから。

ただそれだけの信念なのに、そのことで、最悪の結果が呼び起こされそうとしている。


この城下町に起こっていることは狂気じみている……



普通じゃない…


落ち込んだ足取りで十字路を歩いていると、その夕暮れ、赤い夕日が屹立のエドワード城のむこうへ沈みゆく
時刻、ユーカはとある女の子に呼ばれた。


「ユーカっ!」


ユーカが地面を見つめて歩いていた足をとめ、顔をあげた。


ユーカを呼び、ニコリと微笑んでみせたのは。


金髪の美しい髪を、長く伸ばした、ギルド議会長の娘。


同じ城下町の友達、ティリーナだった。



「ティリーナ…」

ユーカは相手から目を逸らす。「私になにか用…?」


こんな気分のときにはあまり合いたくない友達だった。


すると、ティリーナはますますニッコリ、やさしく笑いかけてきた。

ギルド議会長の娘であるティリーナは、名実ともに地位が高い父の娘である。

どうしてもどこか、高圧的だった。


「あのね、今日みんなで集まるの」

ティリーナは元気な仕草をだして、両手をユーカのほうに差し出して首をかしげる。

可愛らしい仕草だった。

「一緒に来ない?」



ユーカは断れなかった。


城を照らす夕暮れの日は赤みを増した。

416


その日のメンバーは、議会長の娘ティリーナと、皮なめし職人の娘チヨリ、石切屋の娘キルステン、
服屋の娘エリカ、そしてユーカ。

スミレはこの日ティリーナに呼ばれなかった。


ティリーナからすれば、スミレは話題をふっても、大して面白くない。この私が、話をふったというのに、
面白い話を返せない。


もうそれだけでスミレはこの日のメンバーから除外された。



ティリーナの私室に呼ばれて集った五人はテーブルに蝋燭を立てて囲って、怪しげな雰囲気をつくり、
そして女の子たち五人で会合をはじめた。


「ユーカと久々に話せて嬉しいなー」

まずティリーナから、話題をふるのは、もうこのメンバーでは暗黙の了解だ。

「ねえユーカ、元気にしてた?」


「ん、まあ…」

本当のところをいうと落ち込んでいたのだが、ティリーナに元気かといわれて、元気ではないと答える
わけにはいかない。

「まあまあ元気…だよ」


「そう?私はちなみに元気じゃないの…」

ティリーナは悲しい目をした。「だって最近、なんかひどいでしょう?この城下町…」


ユーカ以外のまわりの三人、沈黙。


「たくさんの人たちが魔女の疑いをかけられて……ひどいことされているわ……ユーカはそれでも元気なの?」

悲しい声をだしてユーカにたずねてくる。



意地の悪い質問だと思った。

ならどうして最初に、元気か、なんてきいてきたのか。


「でもねユーカ、安心して」


ティリーナは優しく微笑みかける。


「ユーカのことは、わたしが守るから。私の友達はみんな私が守るよ」


ユーカは、目を落とした。

いまいち元気な反応を返せない。


ティリーナは軽く唇を噛んだ。「ねえ、ユーカってさあ……」


他の三人、顔を同時にあげる。


ユーカはティリーナを見返した。


「魔法を使えるの?」


ティリーナ、優しい口調で問いかけてきた。


他の三人、服屋のエリカ、石工屋の娘キルステン、皮なめし職人の娘チヨリはそれぞれ緊張の顔もちをし、
単刀直入なティリーナの質問にひやひやした。


「っ…」

ユーカ、呆然とした顔をする。それから、この顔が強張った。


「あのね、私、ユーカから聞きたいことあるの」

ティリーナは平然とした口調で話している。しかも、語りかける顔は優しげだ。

「夜間にさ、ピンク髪の女の子連れて外に出てるってアルベルティーネから聞いちゃってね」


ユーカ、顔を固くする。


「夜に何してるの?そのピンク髪の女の子、だれなの?父にきいても分からない、といわれたし。私も知らないし。
きっとよそから来た子でしょうねえ?最近のユーカって、変じゃない?私でよかったら相談して?」


それからティリーナはすぐにこう付け加えた。


「大丈夫。ユーカのことは私が守る。友達だから。でもさ、友達だからこそ、隠しごとなしにしようよ?
私、もしユーカが魔女だとしても、怒らないし、絶対に秘密にする。他のみんなだって絶対秘密にするよ?」


ユーカはティリーナを信用しなかった。


ティリーナを信じるくらいなら鹿目円奈を信じるくらいの気持ちだった。


「ちがう、私、魔法少女なんかじゃない…」

ユーカは静かな怒りとともに、ティリーナに言い返していた。

「夜に外出たのは、水飲みたくなっただけ。井戸にむかってただけ。ピンク髪の女の子は最近知り合ったひと。
この国の人じゃない。聖地に旅してる最中の人」


「聖地?」

ティリーナは目を細めた。「聖地ってなに?」


ユーカは嘘をついた。「知らないよ、そんなこと」


しかし、そこで意外な人が口を開いた。「魔法少女の聖地のこと…かなあ?」

ユーカが、聖地のことを知っているらしい少女のほうを驚いてみた。


それは、皮なめし職人の娘チヨリだった。


「魔法少女の聖地?なにそれ?」

ティリーナは鋭い眼つきでチヨリを見据える。

「てか魔女のことでしょそれ」


ユーカは、ティリーナのことを信用しないで正解だった、と心で密かに思った。


「世界中の魔法少女が聖地に巡礼しにいくって…そう聞いてる」

チヨリは、実はかつてのユーカのように、魔法少女の存在に密かに憧れている少女だった。


でも、魔女狩りがはじまってからは、魔法少女への関心は心底にとどめている。


「聖地巡礼?」

ティリーナは唇をつーっと尖らせる。「じゃあ聖地に向かうその女も魔女じゃないの?」


「その子は人間だよ」

ユーカはとっさに声が口から出た。

「人間の騎士だって」


「騎士?女の子が?」

ティリーナ、目を大きくする。それから軽蔑したような表情を一瞬、顔にみせた。

「ばっからし。女の子はお姫さまにならなくちゃ。騎士さまになってどうするのよ」


「戦争の経験もあるみたい」

ユーカは、かつて円奈にエドワード城の通行許可状を見せてもらったことを思い出す。

「あっそ、もー、なんだあー」

ティリーナは、白く細やかな両腕をうーんと持ち上げ、息をはいた。

「あーあもしユーカが魔法少女だったらいろいろ話をきこうと思ってたのにー…」


「だから別に魔法少女じゃないってば…」


ユーカは嘘を突き通した。


「みんながみんなさ、王都に、ヴァルプルギスの夜がきて、魔女が大事件おこすっていうから、どんなものかいち早く聞くのも
面白いかなって思ったのになあー」


ティリーナは、四人の友達に向き直る。

そして新たな話題を切り出した。

「ねえ、好きな人っている?」


ギルドの議長の娘が切り出すと、友達の少女たちは、何人か顔を赤らめた。

「かっこいいって思ってる人でもいいよ?どんな人が好き?」


石工屋の娘キルステン、皮なめし職人の娘チヨリ、そしてユーカと、服屋のエリカは、何人か恥ずかしがっているだけ。


「あっ、今日は真剣な話だから、王子様が好き、とかなしね。もし結婚するなら、誰がいい?もしも、の
話でいいから」


もちろん、そういう話題が、ここで出る理由は誰もがわかっている。


男女が逢引する日が近い。

この日が近づくということは、一年に一度の結婚の最大のチャンスということもあって、少女達の話題は、
いよいよもって、結婚するなら誰か、ということを暴露しあう。


もっともティリーナたちは、まだまだ年齢的に結婚が親に許される年齢ではないので、もしも、という話から
はじまる。


それに、結婚までいかなくても、もし恋人ができるなら、やはり逢引の日が最大のチャンスなのだ。

年頃の乙女たちは、その逢引の日に、なにか素敵な恋人ができるのではないか…と、想像を膨らませる。



ティリーナは楽しそうに女の子たちに話題をふる。

「ねえ?付き合うとしたら誰がいい?じゃあさ、チヨリは?」

逢引の日が近いいま、誰を狙うのか、という暴露大会がはじまった。


「えっ?」

最初にふられたチヨリは、ますます、頬に赤みが増した。「私は…」

ごもごも、口を濁す。

「もしなら?」


「うん、もしなら」

ティリーナは、チヨリの反応を面白がって見つめ、やさしげにうふふと笑う。「そういう人いないの?
気になる人いないの?」


「もしも、もしもなら…」

チヨリは赤らめた顔で机をみながら、そっと告げる。「むかいの靴屋さんのリヒャルド…」


「ああ、リヒャルドね、かっこいいよね」

ティリーナ、女友達の口からでた男の名前に、さっそくくいつく。「騎士にしてもいいくらいだよね。
背高いし。顔いいよね」


「キルステンは?」

こうしてティリーナからの、好きな人を言え言え大会がはじまった。

しかも、ティリーナは、全員が言い終えるまでは、自分から好きな人は最後まで言おうとはしないのだ。


「私は…」

石工屋の娘キルステンは、ティリーナから名指しされて、恥ずかしがった。

というより本心じゃ好きな人を言いたくないくらいのも気持ちだった。しかしこの暴露大会に参加すると、
そういう隠し事はあとでバレるととんでもないことになる。


具体的には、ティリーナがキルステンの悪口を、キルステンのいないところで次々に言いふらして回る
ことになる。それは城下町じゅうに広がるほどの勢いだ。



「私は、エミールのことが好き…」

「両思いなの?」

ティリーナは、暴露したキルステンについて、質問攻めをはじめた。

そして、そういう質問攻めが、大好きな女の子なのである。


「ち、ちがうよ、そんなことないよ…」

キルステン、自信なさげに否定する。


「両思いかもよ?」

ティリーナ、面白がって話をばんばんキルステンにふる。「ねえ、逢引の日に、手を繋いでみたら?
告白しちゃいよ」


「え、やだっ、そんな、無理だよ…」

キルステン、困り果てる。


「大丈夫!」

ティリーナの声は自信たっぷりという様子だ。

「なんなら私が取り持とうか?父に話してみるね。絶対反対されないから!」


「まって、まって、ティリーナちゃん、いいんだよ…」

キルステンは困り果てた。そんな急に、一年前も昔から好きだった人に、逢引しろといわれて、心の準備
ができているはずもない。キルステンは本当に困った。


「そお?でもさ、逢引の日に他の女の子にとられちゃわない?私、キルステンを応援する。次の逢引の日に
付き合っちゃいなよ!」


ティリーナは、たしかにキルステンに意地悪したいのではなく、本当に応援してくれているのだけれども、
キルステンはそれでもやっぱり困った。


ティリーナはリーダー格の女子であり、誰かの恋を応援するのが大好きな女の子なのだ。
そういうことをはじめたら止まらない。

そして、自分が応援する女の子が、男の子に近づいていって、どう恋を成就させるのか、
端から見守っているのが大好きな女の子なのだ。


つまり、キルステンはいま、ティリーナのその趣味のための、題材にされているにすぎない。



ティリーナは、自分自身も恋するが、他人の恋を観察するほうが遥かに面白がる。

そして他人の恋を成就させるための裏工作というか、手伝いなら、どんなことだってしてくれる。



「ねえ、エミールってどこの男の子なの?」

ティリーナは質問攻めを止めない。


キルステンは、自分の恋心がどこかほじくられている気分になりながら、いやいや、答えていった。


「ガラス工に弟子入りしてる男の子…」


「ガラス工かあ。いいね、将来性あるよ」

ティリーナは優しげに笑う。

「顔は?」


「…カッコ、いいよ…」

そんな質問されて、思わずガラス工に励む男の子の顔を思い出してしまったので、わずかに顔の火照った
熱さを感じた。


「どういうタイプなの?ガツガツくる男なの?奥手っぽい?背は?」


ティリーナはどんどんキルステンの恋を調べてくる。


キルステンの顔に赤みが増した。「奥手っぽいかも…」


「奥手な男の子かあ」

ティリーナは楽しそうにニコッと笑う。

「まあガツガツしてる男の子は浮気しそうだしね。てゆーか、長続きしないんだよね。わたしがみてきた破局をみると…。
一ヶ月がまあ限度かな。最初のうちは頻繁に会うけど、そのうち会わなくなって、つづかないっていいう、ありがちなやつ。
でもさあ、奥手だと…」


声の音色を変える。まるでキルステンに囁きかけるような声だ。


「やっぱりキルステンのほうからいかなくちゃ……」


「…そんなあ、無理だよ、私なんて無理だよお」

キルステンは本当に困った。ティリーナは、あくまで逢引の日に、告白させるつもりなのだろうか。

たしかに、もし好きな人と付き合えたら、そんなに幸せなこともないし、そういう日々を妄想する毎日
だったけれども、人に告白しろといわれたら告白するほど、安い恋心ではないのに。私に秘めたこの気持ちは…。



「キルステンは可愛いから、大丈夫!無理だって思うのは自分だけだよ。ねえみんな、キルステンなら
付き合えるよね?」

しかしティリーナは、そういって、三人にも同意を求める。

ユーカ、チヨリ、エリカはとりあえず頷く。ここで首を横にふる少女はいない。


「ほら、ほら、大丈夫だってば、一緒に手を繋いで踊ってさ、最後に告白しちゃいなよ!」

ティリーナはキルステンの恋を応援した。そして成就させるためならなんでもしそうな言動だった。

「逢引の日、私が一緒にいてあげるから。エミールを見つけて、私が呼んであげる。そしたら一緒に
踊れるでしょ?絶対いけるって!二人なら絶対結ばれるから!」


ティリーナは結局、題材にした女の子が、恋中の男の子にどうアプローチして、男の子をおとしてみせるのか端で
見て見続けているのがたまらなく楽しい女の子なのだ。


しかしティリーナはとりあえずそこまでいったくらいで満足したらしく、標的を別の女の子に変えた。


「ユーカは?」


「えっ?」

ユーカは、完全に油断していた。


まさにいきなり自分に話題がふりかかってくるとは思っていなかったので、思わず大きな声がでた。


しかしティリーナは優しげに笑っていた

「ユーカには好きな人いないの?」


どきっ。

いきなり身体が熱くなった。


ティリーナは優しい笑顔をみせながらユーカを見つめている。


乙女の恋心に反応してソウルジェムまで光輝きだしそうな勢いだった。


自分の契約して魔法少女になった内容を思い出す。


それは、とある鍛冶屋の少年の命を…


カベナンテルに、救ってもらったことだった。


そしてそのために、自分の魂は捧げられた。魔法少女として永遠に戦い続ける宿命を負った。

その宿命と、誓いのため、ユーカは今だって魔獣と戦い続けている。


「私は…」


ぐっと、胸に手を握る。


この気持ちは…私だけのもの。

鍛冶屋の少年を助けて魔法少女になった願いは自分だけのもの。


だれにも渡さない。

「私には、好きな人なんて、いない」


ユーカは自分の恋心を他人の手に渡さなかった。


「えー、ホントに?」

ティリーナは注意深くユーカを見守る。

「女の子の命は花なのよ。いま恋しないでいつするの?好きな人見つなくちゃ!恋をしない女の子に花は
咲かないよ?」


「でも、見つからないんだもん…」

ユーカは自分でも驚くぐらい、冷静な嘘がつけた。

「あーあ、逢引の日にいい人みつかるかな…」



「見つかるよ。なんなら騎士の人みつけて、付き合っちゃえば?」

ティリーナは笑った。

そして、新たな人に話題をふった。「エリカは?」


ユーカの話は終わってしまい、服屋の娘エリカへと話はうつった。


「私は…」

服屋のエリカは、上気した頬を赤くさせ、胸を撫で下ろすと、言った。

「いる…好きな人…」


ティリーナ、さっそく食いついて問いだしはじめる。「だれ?」笑顔は優しい。


「実は名前も知らない子なの…」


するとエリカは寂しそうに言った。「でも、たまに城下町の橋で見かける子で…でも。ずっと見てた…」


「うーん、どんな子なの?」

ティリーナは情報を聞き出そうと質問を繰り出す。「何してる子?商業継いでる子?ギルドに弟子入り
してる子?」


「たぶん、弟子入りしている子だと思う…」

エリカは静かに、自分の意中の人のことを語る。「私、ずっと昔から好きだった…の」


「なんの弟子入り?」

ティリーナは間髪いれず問いだす。

「ずっと昔からすくなのに名前も知らないって……あまり十字路のほうに来ない?」


「うん…そうなの」

エリカの声は尚も寂しそうだ。目も切なげだ。「ほんとにたまに橋のほうで見かけるだけで……」


「それ、ひょっとして武器市場のほうで修行してる子じゃない?」

手工業ギルド事情に詳しい議会長の娘は言う。

「橋にあるギルド通りで弟子入りしてるから、十字路に来ないんじゃない?」


エリカは意中の人を思い浮かべながら、悲しそうに頷いた。

「そうかも…」


「武器職人ってことでしょ?」

ティリーナはエリカに尋ね、情報を引き出していく。「つくってる武器はなに?盾?剣?矢?鎧師?」


「剣を造ってると思う…」

エリカは、恋心を抱く少年の姿を思い浮かべつつ、ゆっくりといった。


「え…?」

ユーカが顔をあげてエリカを見た。最初にはなんとも思ってもみなかった会話だったが、ズキン、と
いきなり胸に痛みのようなものが、走ったからだった。



「それはたぶん、鍛冶屋に弟子入りしてる子だね」

ティリーナは言って、エリカとだけ会話をつづけている。

それから、そこまで情報が出ると、ついにティリーナも思い当たる少年を思い浮かべた様子で、
大きな声をあげた。

「ああーっ!わかる!その子!」


エリカがティリーナを不安げに見あげた。「ほんと?」



「それ、イベリーノで修行してる子じゃない?」


城下町の手工業ギルド情報をだいたい網羅しているティリーナは言った。


「わたし知ってる!町一番の鍛冶屋だよ!オーギュスタン将軍もイベリーノで造られた剣を使ってる。
わかるわかる!たしかに橋でたまにみかける!かっこいいよね!」


「な…」

ユーカは目を開き、呆然とした想いで二人の会話を聞いていた。


「そうなんだ……」

エリカは、昔から好きだった少年の素性が少しでも分かると、うれしそうに顔を赤らめて目を閉じる。

「鍛冶屋の子だったんだ…」


「背も高いし、すごい真面目って感じの男の子だし、しかも鍛冶屋っていちばん手工業ギルドで地位が高いよ?
独り立ちしたら超金持ちよ!」

ティリーナも興奮している。

「もう恋人いるのかな?」


エリカは目をぎゅっと閉じて、つらそうな顔をした。「わからない…でも、いるかも…」


「あれくらいの子だったら、もういるかもね」

ティリーナ、うーんと難しそうな顔をし、腕を組んだあと、クセで、自分の艶やかな金髪を指にクルクル
絡めはじめた。

「でもさ、もうそう考えてたってしょうがないよ。好きな男の子のことがわかったんだから、逢引の日に
手を繋いで踊っちゃないなよ!それであの子もエリカのものだよ!」


「ちょ…ちょっと…」

ユーカは二人の会話がどんどん進んでいくのが信じられないというか、気が遠くなっていくような、目の前が
暗くなるような気持ちがした。


ズキズキと、胸に苦しい、痛みを感じていた。


それは、心のなかの悲鳴だった。



やめて……という気持ちだった。


「私が逢引の日に一緒にいてあげる!」

ティリーナはエリカの恋を応援しはじめた。いつものように。他人の女の子の恋を全力で応援して、ついにその女の子が
どうやって恋を成就させるか…ということをその目に焼きつける。という趣味。

「エリカ、私があの男の子を見つけて、呼んできてあげるよ!それで二人で踊って、告白すればいいじゃない!」


「えっ、まってよ、そんな急に…」

エリカ、顔を真っ赤にさせる。


「ううん、ここはチャンスだよ。ねえ、みんなでエリカの恋を応援しようよ!」

ティリーナはみんなに呼びかける。

「…」

ユーカだけが顔を固めていた。



「ずっと昔から好きだったなんて、素敵よね。エリカって一途!」

ティリーナはすっかり興奮している。この日で一番面白い話題が提供されたからだ。

是が非でもエリカとその鍛冶屋の男の子の恋を成就させよう…と意気込むのだった。

「でも、祭りにくるかなあ…」

エリカはまだ不安がっている。


ユーカの気持ちをだれも知らずに会話はとんとん拍子で進む。

まるでエリカとイベリーノの鍛冶屋の少年が結ばれるのがこの女子たちの内で暗黙の了解とでも言いたげだ。


「くるよ!」

ティリーナはエリカを元気づけ、励ます。「だって一年に一度の逢引じゃない?思春期の男の子でしょ?それでこないのは、
よっぽどの仕事バカか、もう恋人できてるかどっちかだよー」


「でも、私なんかが…」

エリカはまだ自信がもてない。


「大丈夫!エリカなら可愛いから!ぜったいできる!」

そこを励ますのがティリーナであった。

「みんなもそう思うよね?」

といって、まわりの三人に同意を求める。


ユーカは……。

呆然とした思いのなか、ただコクリ…と、首だけ頷いていた。

今日はここまで。

次回、第54話「ヴァルプルギス前夜祭・前日」

第53話「ヴァルプルギス前夜祭・前日」


417


その夜、ユーカは鹿目円奈と落ち合った。


二人はこの夜も魔獣退治のために一緒になる約束をしていた。



鹿目円奈はもう、十字路の壁際、ちょうど月明かりも届かない暗がりのところにの壁に背をあてて、
ユーカを待っていた。



ユーカはとぼとぼと気落ちした足取りで円奈のもとに歩いてきた。


「ユーカ……ちゃん…?」

円奈はユーカの落ち込んだ様子に気づく。


ユーカは俯きながら円奈のもとに歩いてきた。その表情は前髪に隠れていて、暗い。


だがようやくユーカは自分の顔を見上げて月明かりに照らし、円奈を見た。


「円奈…私ね」


ユーカが話し出すと、女の子の瞳は、はやくも涙が滲んできていた。


「いま気持ちがくじけそうなの……」


「ど、どう…したの?」

円奈は、ユーカ手をひっぱって、月明かりの届かない暗がりにユーカを連れ込む。

これで、だれにも目撃されてしまうことはない。


二人は十字路の壁際、暗がりの、光の届かない暗闇のところで話した。



「私のやってきたことって結局……」

ユーカの目に滲む涙は、だんだんと大きくなってきて、その声も震えて嗚咽がまじってきた。


「なんだったんだろう…?」


「ユーカ…ちゃん?」

円奈はユーカの弱音に、心配になってしまった。ユーカほど勇気があって正義感の強い魔法少女は
いなかった。


しかしユーカは今やすっかり弱音を吐いてしまっている。


「私、昨日、みんなに魔獣狩りをしようよって。そう言った。魔法少女の使命を思い出してって……。そしたら、
ヨヤミが捕まって……みんな、会堂の仲間達がチリヂリになって……私のせいなの」


ユーカの頬に透明な滴が伝う。


「私、オルレアンさんに昔、約束したの。後悔しないって……世のため人のための魔法少女であり続けるって……
でも私が頑張ってきたこと、ぜんぶ……」


ううううああ。

ユーカは、円奈の小さな胸に飛び込んで、顔を埋めて泣き出してしまった。


「ユーカ…ちゃん…」

円奈は、ユーカに飛びつかれて、自分まで転んでしまいそうになったが、こらえて、ユーカを抱擁した。

小さな手がユーカの背中に手を回し、抱き返す。そして、飛びついてきた魔法少女の頭を撫でてあげた。


「ユーカちゃんが頑張っていることは私が知っているよ」

円奈は、いつから自分がこんなこと言えるようになったんだろう、と思いながら、ユーカをなだめた。

いつもは、自分が泣いてばかりいて、来栖椎奈に頭を撫でてばかりもらっていた。

それが幼き時代の円奈だった。


いまユーカに対して逆のことをしていた。


「ユーカちゃんはみんなを助けたくて……魔獣と戦っているんだって……私はわかってる」


ユーカはしばし、ふるふる背中を震わせて、円奈の胸に顔をうずめたままだったが、やがて自分から
立ち直った。


目からこぼれる涙を、指でぬぐい、崩れた顔ながら笑顔を取り戻した。

「ありがとう…円奈」

「ユーカちゃん…」

円奈は泣いてしまった魔法少女の名前を呼ぶ。

「もう大丈夫…気を取り直して、正義の味方しないとね」


二人は顔を向け合って、そして、円奈は……。


うん、と力強く頷いた。

418


二人はだれもいない夜間にだれも知らないうちに魔獣の結界へと消えていった。


少女二人の姿は霧のなかへと消える。



まさにその瞬間を。


寝静まった夜にこっそり外出していたギルド組合議会長の娘ティリーナが。



建ち並ぶ家屋の壁際に身を寄せ、見ていた。


「ユーカをたぶらかしているのはあの女の子かしら?」

ティリーナは目を細め、推測をたてた。


確かにユーカはアルベルティーネがいってた通り、夜間に外出している。


それも私に秘密で。



そしてアルベルティーネの言うとおり、ピンク髪の女の子と二人で行動している。



いきなり暗闇のなかに消えてしまったが、二人で何かしているのは間違いなさそうだ。


そしてピンク髪の女の子は、たしかに背に大きな弓を持っていた。


あれは狩猟だけに使う弓でない。人を殺せる長弓隊のもつ弓だ。


もしかしたら本当に騎士なのかもしれない。



「なんかあの子に興味沸いちゃった」


ティリーナはすうっと目を細め、ピンク髪の少女の背中を見送った。

419


何日か経ち。


男女逢引の日の前日となった。



城下町のムードは、魔女狩りの狂気に蝕まれつつ、祭りの熱気が人々のあいだで高まりつつあった。


今年こそ結婚相手を見つける、と意気込む女、単純に性欲開放に張り切る男、恋愛に憧れて浮き足立つ少年少女たち。



城から派遣された役人たちは逢引の祭りの日の準備にとりかかりはじめる。


祭りに使う長テーブルを、ギルドから大工を呼んで建て、食事を並べ立てられるようにする。

入場門を作り、柵を築いて、城下町の人々が踊るスペースを確保する。



焚き火をいくつか焼いて、このまわりを輪を囲うように手をつないで踊ることになるが、次第にそれは
男女二人一組の踊りへと変わっていく。



吟遊詩人たちは王都に集められた。


音楽、焚き火、料理、酒…。


城下町の人々にとって年に一度の最大のお祭りの日は、着実に準備を整えつつある。



まるで、魔女達の夜な夜なな大宴会”ヴァルプルギスの夜”が間近であるのと呼応するかのように……。



城下町最大のお祭りごとは、前日を迎えた。


さて、そんな祭りごとが、年に一度あるとは露知らずの、異国からの旅の者である鹿目円奈は。


この日も高級宿屋で朝食をすまし、厩舎へ寄って、クフィーユの世話をしていた。



ユーカと王の魔女処刑をとめる、という約束をしてからは、馬に乗っていない。



けれども円奈は食事をすませると朝一番に、クフィーユを預けている厩舎へいって、水やりと、
身体をあらうこと、市場で買った干し草を食べさせていた。


「しばらく乗ってあげられなくてごめんね」


円奈は馬の首筋を撫でて、話しかけてやる。馬ははむはむと草を口にしている。鼻の穴がときおり大きくなった。

そして耳をたてた。



これは喜んでいる、の感情表現だ。

「クフィーユ、ありがとう」


円奈は愛馬の反応に、自分も嬉しくなった。ここしばらく厩舎に預けっぱなしなのに、この馬ときたら、
主人が朝に世話してくれるだけで嬉しさを主人に伝えてくれるのだ。



円奈は城下町に建てられた厩舎の外に出て、十字路の最近変わってきた様子を眺めた。


何かのお祭りの準備がはじまっている。



役人たちは、「そこに焚き火すると引火する。ずらせ」とか、「踊りの広さが確保できていない」とか、
いろいろなことを指示して、市民に祭りの準備にあたらせている。


市民たちは、釘とトンカチをつかって、木材で柱をたて、入場門をつくり、看板をとりつけた。

看板には白い染料でこう書かれた。



”エドワード城に訪れた春”



月日にすると4月30日がちかづいている、春という暖かさがはじまる季節であった。


それまでは真冬だったのである。


「春、かあ…」


円奈は看板に書かれた文字を見上げ、そっと小さく独り言を呟いて、感に浸った。



バリトンを旅立ったときはまだ冬だった。真冬も真冬であった。雪も降っていた。



しかし旅立ってから春はじめになり、そして、本格的に春がやってきたのである。



季節の流れを感じるとともに、時間の流れを感じ、そして遠い国まではるばるやっきた旅をおもって
感慨深さみたいなのを胸に感じていた。



といっても、聖地はまだまだ遠く、世界の果てのようなところにあるから、円奈の旅はこれからもずっと
続くだろう。



それでも。


こんな危険だらけの世界で、なかなか自分もかなりのところまで旅してきたのではないか。


そんな気持ちに想い浸ったのである。



そして、ぼやーっと祭り準備にたてられた看板を見上げていたら、円奈はよっぽど目立つところに
ぽつりと突っ立っていたのだろう、誰かが円奈の隣にやってきて、声をかけてきた。


「お祭りは初めて?」

声をかけてきた少女は、そっと円奈の横に並ぶ。



金髪の女の子だった。


一目みた瞬間きれいな子だと思った。金髪で髪は長く、いちぶみつあみにして垂らしている。

瞳は黒く、透き通っていた。



金髪の女の子は、しかし、円奈の知らない人だった。


「うん…」

円奈は、少しどもりながら小さな声で答えた。


「この祭りごとはね───」


すると金髪の少女は、円奈のちょうど横に並び、入場門の看板をみあげ、手を伸ばして指差し、そして
その奥に設けられつつあるお祭りのスペースについて、語り始めた。


「年に一度、春の到来をみんなで祝う城下町最大のお祭りなの。”新しい収穫の季節がきた”って───」


話をしてくれる金髪の少女の話に、円奈は耳を寄せる。


市民たちが、肩に木材を担いだり、釘でトントントンカチを打ったりする準備の音が、聞こえる。


「もっとも王都の人はみんな市民だから、収穫を喜ぶのはホントは農民なんだけどね」


と、金髪の少女は補足を付け加えた。


「だからこのお祭りはもっと古くからある昔のお祭りごとなの。ここに王都ができる前、農村時代の
頃からある祭りごとってね…だから私たちは」


と、少女は口調を少し高める。


「このまつりごとは春を祝う祭りであると同時に逢引の日と呼んでいるの」

といって、自分の両手を胸元につけて、目を閉じた。なにかに想いを巡らせるかのような動作だった。

「男の子と女の子が出会う、素敵な日なのよ」


そして金髪の少女は目をあけて、隣に円奈を見た。「ねえ、あなたも逢引する?」


「え…」

円奈は一瞬、何を言われたのか分からなかったが、とづせん素っ頓狂な声をあげた。

相手にきかれた質問の意味がわかったからだ。

「ええっ?!」


「素敵な男の子が見つかるかもよ?」

金髪の少女は円奈をみて優しげに微笑む。



「わ、わたし、そんなんじゃあ…」

円奈は困った顔をした。頭に手を添え、自分の髪に手で掴んだ。



「そう?」

近日の女の子は、ニコリと笑い、いたずらっぽく首を無邪気に傾げてから、円奈の背中に着目した。

「ねえ、大きな弓だよね…どうして弓なんて持つの?」


「えっ…ええっ、ああ、これはっ…」

円奈は女の子のペースに、気圧されていた。相手の話の速度に自分の口が追いつかない。

ピンク色の瞳だけ視線を背中に送って弓を示す。

「狩りをするときに……」


「狩り?でも、これは?」

金髪の少女は目ざとかった。次には円奈の腰に差した剣に着目していた。「どうして剣も?」


金髪の少女は円奈を見て、優しげににっこり微笑んだあと、円奈の手を持った。

「ねえ、もしかしてあなた、騎士さまなの?」


円奈はたじろいだ。

今までは、自分から名乗りでもしない限り、だれも騎士だと思わなかったのに、この少女は自分が
名乗り出るよりも前に騎士だときいていた。


「…うん」

ちょっと照れながら円奈は頷いた。



「ホントに騎士さまなの?すごーい!」

すると金髪の少女は、自分の推測が当たったからか騎士に出会えたからなのか、わからないけれども、
とつぜん喜びにぱっと顔が明るくなった。すごく嬉しそうだ。


「ねえねえ、女の子なのに騎士さまって初めて会ったよ。なんだか素敵…。かっこいいねっ。戦ったこともあるの?」


円奈は、またも照れながら、そっと頷いた。

「…うん…」


「ホントに?すごい!」

金髪の女の子、目を丸くし、感激でもしたかのような声をだした。

その顔は笑顔いっぱいで、円奈との少女との出会いを心から嬉しがっているかのようだ。


そしてくるくるっと円奈のまわりを一周した金髪の少女は、円奈の手を手に取ると、まじまじ円奈の顔を
正面から見つめ、そして言った。

「…えと」

円奈、女の子の顔面がちかづいて、ちょっとだけ後ろに退く。


「ねえ、今日ね、友達同士で集まりがあるの」

金髪の少女は円奈に迫って、誘いかけた。

「あなたもこない?」


「…えっ…」


思ってもみなかった誘い話に、円奈は戸惑った。


城下町に一週間ぐらい滞在している円奈だったが、夜はユーカと魔獣と戦い、朝は食事とクフィーユの世話、
昼間はひたすら市場で、旅路の支度と買い物する日々だった。


つまり、買い物は、武器市場にいって矢を買ったり、短剣を鍛冶屋に研いでもらったり、ロングボウの木材部分に
艶出しのニスを塗ってもらったり、服を新調したり公衆浴場にいって身を洗ったり、クフィーユのための
食事を買うような日々だった。



まさに知らない人に誘われるなんて思っても見なかった。


そしてなんだかその誘いには、嫌な予感というか、参加したくない気持ちが胸に沸いた。

「私は…」


ごめんなさい。

といいかけたとき、相手はそれを遮って名乗った。


「私、ティリーナ。アヴィケリナ・ティリーナ。ギルド議会長キャヴェインの娘よ。ねえ、あなたは
異国からの騎士さまでしょう?城下町のこと、教えてあげる。なんだって私に聞いて!」


ティリーナは円奈の手を放さない。


相手がうんと答えるまで放さない気だった。


「あなたといろいろお話がしたいの。騎士さまであるあなたと……ねえ、お願い。私たちの集まりにきてくれる?」

ティリーナ、懇願するような目を潤わせる。その瞳はまっすぐ円奈を見つめる。


円奈はこういうとき断れない性格だった。



アリエノール・ダキテーヌ姫に城へ誘われたときも…


アデル・ジョスリーン卿に紋章官を頼まれたときも…


断れない性格だった。


「……う…ん」

円奈は、相手の熱意に負けた。

420


その夕方、城下町で春の到来を祝う祭りの日、”逢引の日”の前夜。



武器市場のほうで、一人の少女がとぼとぼ歩いていた。



エドワード城へ繋がるギルド通りがある街路。


橋の上にたつ武器市場。




橋の下は断崖絶壁の谷底であり、海である。海は谷の奥底で激しく岩肌で波をうち、渦巻く。



少女は小さなバスケットの籠を腕にぶら下げて。


そこには洗濯物がたたまれていた。




少女は目的地につくとその看板を見上げる。



町一番の鍛冶屋、”イベリーノ”の看板だ。




身が震えるような緊張を感じながら、扉をくぐって入った。



そこに、少年がいた。



かつて自分の祈りが助けた少年は…。



その日も、自分の剣を作ることに打ち込んでいた。


額に汗を流し、暗い鍛冶屋の作業場で、真剣な瞳には剣だけを映し、カンカンカンとハンマーで今日も
自作の剣を鍛え上げる。


その自作の剣は、去年のとは比べ物にならないほど鋭く、美しく、ギラギラと煌く実用的な刃に鍛え上げ
にれていた。


刃は赤く燃えていて、炉火に突っ込まれ、十分に熱せられると、金床におかれ、また槌によって叩かれつづける。


そのカンカンカン…という金属の叩く音が、鍛冶の作業場に響き渡る。



少年は、自分の剣を作ることに夢中だから、それに熱中しているから、ユーカが来たことに気づかない。



ユーカはじっと少年の剣を叩く姿を…。


幸せそうに、見つめていた。その顔は自然と優しくなり、今も夢を追いかける少年の姿を……ただ……
見守りつづける。


これからもずっと、魔法少女として、見守りつづけるだろう。


「ライオネル」


ユーカはしばらく経ったあとで、少年の名を、そっと呼んだ。


少年は汗だくの額を、壁際にかけた布でぬぐっていた。

「ユーカ」

ライオネルはユーカに気づいて、少女の姿をみると、嬉しそうに笑った。


ユーカも優しげに微笑みかけた。幸せな時間……


「はい、これ」


ユーカはこの日も洗濯してあげた少年の服を、きれいに畳んだそれを返す。


「はは…いつも本当にありがとう」


大事そうに少年はそれを受け取る。


そして、部屋の奥の棚に大切そうにそっと置いた。



「完成しそう?新作?」


ユーカは、炉火のなかで暖められる剣のほうを見る。


「もうすぐだよ」

少年の声には期待が入り混じっていた。

「もうすぐ完成だ」

ぼうぼうと、炉のなかで火はめらめら明るく燃え、鍛冶作業場を赤く照らしだす。バチバチという炭のはじける
音がする。


「完成したら…」

ユーカは少年に尋ねる。

「売り出すの?」


「その前に師匠からの最終テストがある」

ライオネルはふっと笑い、自嘲気味にいった。「何度この最終テストで落とされたか」



「そんなに厳しい?」

ユーカは、あの気難しい、イベリーノおじさんの顔を思い出す。


「そりゃうもうなんのって、ここまで丹精込めた自作品を、本気でぶっ壊しにかかってくるからね」

ライオネルは笑い、苦難の過去を語る。

「どでかいハンマーでぶっ叩いたり、何百回と鉄の柱にぶつけたり、万力で折り曲げられたり……
あらゆる手をつくして僕の剣を壊しにかかるんだ」


「なにそれ、それが最終テストなの?」

ユーカは顔をしかめた。


「そうだ」

すると少年は真剣な瞳になって答える。


「騎士の持つ剣は、それくらい鍛え抜かれて、丈夫な剣でないとだめだ。敵の剣より錬度が低くちゃ
だめだ。戦場じゃ騎士の剣は命だ。なにがあっても折れたり、曲がったりするようなことがあっちゃ
いけない。だからイベリーノおじさんはどんな手を使ってでも僕の剣を壊そうとする」


ユーカはその意味を理解した。

「それほどの最終テストに耐えてはじめて……」



「そう」

少年は真剣な眼差しを、火の中にある自分の剣へむけた。

「その最終テストに耐えられるような剣ではじめて、騎士の剣は意味をもつ。戦いに勝つ剣になる。
最強の剣をつくるのは、そういうことなんだ」


ユーカは、自作の剣が完成間近という鍛冶見習いの少年の。


その志の深さと覚悟の深さ、真剣さに……。



引き込まれて、自分はなにを悩んでいたのだろう、と思うくらい。


心がいっぱいになっていた。


「昔、イペリーノおじさんの最終チェックがどうしても乗り越えられなくてね…」

今度こそ、自作の剣を完成させたい気持ちである少年は、一年前の失敗談を思い出して語った。

「ある日、ボクは自分の剣が完成したと師匠に言ったんだ。そしたら師匠ときたら、万力でボクの剣をはさんだかと
思えば、思い切り石のハンマーでぶっ叩いて、ぼくの剣を壊して割ったんだ。ついに我慢できなくなって、
ぼくは師匠に言ったんだ」


ユーカはただ黙って少年の話を聞いている。


「どうしてこんなことするのか…ってね。丹精込めて、時間もかけて、何度も何度も叩き込んで、
やっとできた新作なのに、……どうしてこんなふうに壊すんだってね」


ユーカは、少しつらそうに目を落とす。


少年は真剣な顔をして語り続けた。

「そしたら師匠に言われてね。てめえ、こんな弱っちい剣を命かけて戦う騎士に持たせる気か、っとね。
何が最強の剣をつくるだ、笑わせるな、って…」



それはちょうどユーカが契約して魔法少女になる前の出来事だった。


「それでボクは分かったんだ。なぜ師匠が、ぼくが剣を完成させるたびに、すぐ壊してしまうのか……
剣とは切れ味がいいとか、形がいいとか、そんなことで完成なんかじゃないんだって……わかったんだ。
それと同時に、あまりの厳しさに絶望してしまって……」



そして、あの一年前の日が訪れた。

王城に魔獣が多量に発生したあの日が……。


「ぼくも相当気が滅入ってしまってしまってたんだろう。一年前、あんなことを……」


少年が苦しそうな顔をして語る。

それは、一年前、自分で自分に剣を刺して自殺を試みたあの日のことだった。


「でも、不思議だ。どうして助かったのか自分でもわからない。記憶がないんだ。でもあの日助かったから…
まだ命があるから…」


ユーカの瞳が少年の目を見つめた。


「こんどこそ、師匠の最終チェックを乗り越えられるような剣を完成させることができる。騎士がその鞘に
差す剣を完成させることができる…」


「その最終チェックはいつ?」

ユーカは、そっと、少年に尋ねた。


「明日だ」

少年は答えた。「明日、師匠に最終テストを頼むつもりだ」


その目に浮かぶ覚悟はかなり深い。今度こそ剣を完成させる…という覚悟と、万が一にでも割られたら…
という恐れすら覚悟した鋭い目だ。


するとユーカは、少年の明日の最終チェックを、心から応援するとともに、明日のとこで、話をふった。


「あのね、ライオネル、明日のことなんだけど…」


「なんだい?」

少年は目つきを柔らかくする。

ユーカを見るときは、優しい表情をしてくれる。


「明日ってさ……逢引の日、お祭りが、あるよね…」

ユーカは恥ずかしそうに、話ながら、俯き加減になった。


自分の声が上ずっている。とても、緊張する。


「ライオネルも明日の祭りに?」


「んー、どうだろうなあ…」

あはは、と背の高い少年も、照れたように目は上をみあげ、手は頭を掻く。


「ただ、母には行けっていわれててね……仕事ばっかしてねーで、嫁みつけろっ、なんて、…はは」


ユーカは口を噤んだ。


前髪に隠れた表情は暗く、目は下をみつめ、体は震えている。



ユーカは昨日の、エリカの告白の話を思い出していた。


このままだと、エリカとライオネルは……。


結ばれてしまう。


「ね、ねえ、明日…」


全ての勇気をふりしぼって、ユーカは、顔をあげると、赤みの差した、今にも泣き出しそうな顔で、
ライオネルに言った。


「明日、もし祭りにいくなら……東門の城壁のところにきてくれる?」


そこは、十字路で区切られた城下町の四方のうち、東方面、ふだんは開けられない門の場所のことだった。


「わたし……わたし、そこで、待ってる…から」


ついに顔は真っ赤になり、少年と目を合わせられなくなったユーカは、そこまでいうと、逃げ出すようにして
鍛冶屋を背をみせて走り去った。



ライオネルは…


呆然と、ユーカの急に走り去った、開けっぴろげの扉をも見つめていた。

421


鹿目円奈は半ば強制的にギルド議会長の娘・ティリーナの催す少女の集会に呼ばれ、メンバーに加えられた。


「さて、じゃあ…」


ティリーナは楽しそうにニコリと笑い、バチっと音立てた火打石についた火を蝋燭に灯す。


「今日もヴァルプルギスの夜ごっこの始まりよ」


今日の参加者は、ティリーナ、ロープ職人の娘で魔法少女であるスミレ、皮なめし職人の娘チヨリ、
石切屋の娘キルステン、漆喰屋の娘アルベルティーネ、服屋の娘エリカがいた。


そこに鹿目円奈が加わって、7人である。


「ヴァルプルギスの夜?」

円奈はその単語を訊くのが初めてだった。


「知らないの?」

ティリーナは、新参のメンバー円奈の、さっそく晒した無知ぶりは優しく笑って許して、説明した。

「魔女達の夜の宴よ。私たち人間の知らないところで、魔女たちはそこで悪魔と儀式をするの」


「儀式?」

円奈は恐る恐る、分からないことをティリーナに訪ねる。

女の子たち七人が一本の蝋燭だけを囲って、顔をあわせあっている。その顔だけが暗闇に照らされている。


なんとも怪しげな雰囲気だ。


儀式をしているのはむしろ私たちのほうでは、とすら思えてくる。



あっ、だからヴァルプルギスの夜ごっこ、なの…かな…。


「そう。儀式。契約の儀式」

ティリーナは微笑みながら円奈を見つめ、期待の新参に楽しそうに語った。

「そこで魔女は悪魔に口付けするの。悪魔の口付けっていうの。そこは悪魔との契約のしるしで、
痛みを感じなくなるの。魔女はすると、願い事をなんでも叶えてもらうのよ」


「ねえ、この子、だれ?」

他のメンバーたちだれもが感じていた疑問は、漆喰屋の娘アルベルティーネが最初に口にして言い放った。

「私この子知らないんだけど?」


もちろん、メンバーたちは全員、この女の子が、素性はどういう人間なのかは知っている。

もう事前にティリーナから聞いていたからだ。



この子こそ噂のピンク髪の少女であり、夜間に夜な夜な外出し、ユーカと行動を共にしている、
謎の少女。


だがアルベルティーネは、ティリーナに捕まってここにきた以上、自分で名乗れと円奈に暗にいっているのである。


そういう暗黙の了解は円奈に伝わらなかった。


「ええっと…」

円奈はただ、びくびくして、五人の見知らぬ女の子たちの痛い視線を受けているだけ。


「騎士さまよ」

するとティリーナが代わりに、ニコニコ笑って、蝋燭の火に顔を照らしながら言った。


「騎士さま?本当に騎士さまなの?」

他の女の子たち、ちょっとばかし、驚く。


「そう。騎士さまよ。」

ティリーナは楽しそうに笑い、語りづつける。

「私、みたんですもの……大きな弓。大きな剣。異国から旅してきてるんですって」


「どうして女の子なのに騎士なの?」

皮なめし職人の娘チヨリが声をだした。いくらか興味津々、という目をしていた。「なぜ騎士になったの?」


「そ、それは…」

円奈は何か語りかけたが、そのときスミレと目が合った。


黒髪に青い瞳をしたこの少女は、ユーカの友達で、魔法少女だった。


スミレと円奈の二人は顔見知りだったが、スミレはここで何も語ろうとしない。


目だけで、円奈に警告を伝えていた。


しかし円奈には警告の意味がどうしても分からない。



円奈は騎士として旅してきた自分のことをいろいろ語った。


好奇心の強い、思春期の女の子たち6人に囲まれて、いろいろきかれた。


自分と同じ年頃の女の子なのに騎士、ともなれば、興味を惹かれないわけなかったのだった。



円奈は、ロビン・フッド団の少年たちとモルス城砦をくぐりぬけた話、アリエノール姫の守護騎士となって
ガイヤール国との戦争に飛び込んだこと、エドレスの都市の馬上槍試合の話などした。


そして、それらの話は、どれも城下町の少女たちを驚かせ、そしてこういう話をしているうち、すっかり
彼女たちの警戒心は解けて、円奈は少女たち六人と打ち解けた。


城下町の少女達に羨ましがられるほどにすらなった。


「なんかすごいね。ほんとに騎士さまなんだねー」

と、キルステンは言った。

「女の子なのにすごいー」


「かっこいいよね!」

アルベルティーネも興奮気味であった。「もし円奈ちゃんが、男の子の騎士だったら……私、好きになってたかも!」


「こんな髪の色の男の子いやだよー」

キルステンは笑った。


「でもさ、円奈ちゃんが話してくれた魔法少女ってつまり…」

服屋のエリカは、ちょっと躊躇しつつ、口にした。

「魔女のことだよね?」



「魔女?」

円奈は目をあげてエリカのほうをみた。


「つまり、悪魔と契約してさ、もう人間じゃなくなってるでしょ?」

エリカはさらに言った。

「痛みを感じないというか……殺しても殺しても生き返るというか…」



「えっ…」

円奈、愕然としてしばし言葉を失う。


「そうね、魔女かもね」

ティリーナ、笑いながら、気まずくなった会話を受け持つ。

「ここ城下町では、そう思われているの。円奈も見たでしょ?魔女狩り……」



円奈はここ最近見た魔女処刑のうち何件かを思い出す。


「うん…」


悲しそうに頷いた。


「円奈が魔法少女と思うなら、魔法少女でいいよ。エリカが魔女と思うなら、魔女と思えば?
みんな、それでいいよね?」


ティリーナがみんなに目を配る。


女たちは各々に頷く。「うん…」「うん」「…うん」


「こんど円奈の闘う姿みてみたいなー」

ティリーナは、場を丸く収めたあと、最近見つけた新たな興味の対象、円奈に、またゆっくり語りかけはじめた。


他の女の子たちはやや警戒心を強めていた。


ティリーナに興味もたれすぎるのはよくないが、持たれすぎないのもよくない。


「馬に乗って闘うんでしょ?騎士みたいに…みてみたいなー」


すると、他の女の子たち五人の気持ちに気づいていない円奈は、照れた顔をする。


「いや……私はただ……無我夢中で……それにちょっと間違えたら危ういところもたくさんあったし…」


「そういうの、女の子にはなかなかできないよねー」

ティリーナはすごく楽しそうだ。

「男の世界って感じじゃない?騎士とか戦争とか……円奈は本当にすごいと思うよー」


「そ…そんなこと…ないよ…お」

円奈は言葉では否定したが、嬉しそうなのが顔にでていた。

ティリーナの褒め殺しに慣れていないらしい。



そして、褒めて相手をころがしたあと、本題をふっかけるのがティリーナのやり口だったのだ。

「ところで円奈ってさあ…」


ティリーナの声が変わる。


他の五人たちは身構えた。


「夜間に何かしてる?」


目をすうっと細めてティリーナは円奈をみる。


「…え?」

ぽかーんと、動きが固まる円奈。照れていた頭を撫でる動作がとまった。


「ユーカと二人でさあ……外にでかけてない?夜間に外出禁止令がでてるのは知ってる?」


円奈は初めて危険に気づいたのだった。


顔見知りの魔法少女スミレが、ずっと目で伝えてきた警告の意味を。


「何してるの?」



円奈は、声を失った。

そして逃げ場などないことに気づいた。



女の子七人が蝋燭を囲う席に自分も座っている。


魔獣退治してる……といえるだろうか?


それをいえば、つまり、ユーカは魔法少女です、ということになり、しかも、夜間の外出を認めることになる。


それをこの七人に知られたら…



どのような運命を辿るだろうか?


少し考えて、怖くなった。


「それ…は」

円奈が口ごもると。


すぐにティリーナは優しい声で話を柔らかくしてきた。

「あっ、別に夜間外出してたっていいよ?別に私たちそれでだれも告発なんてしないから。私ね、
議会長の娘だから、なんでも秘密にできるの。それに私は友達を裏切らない主義。みんなもそうだよね?」


女の子たち五人、頷く。


「ただ私は、もし円奈が、ユーカと二人で頑張ってることがあって、私に手伝えることがあったら…
と思っているだけなの。だって、これは冗談じゃない話、二人とも危険なことしてるのよ?それは
わかってるでしょ?」


こくり…

思わず円奈は頷いてしまった。



これはティリーナの仕掛けだった。


これに頷いてしまうことは、夜間の外出を本人は認めていることになる。

円奈はそれに気づかなかった。



ティリーナは微笑んだ。

「だからね、あなたたち二人を守れるのは私しかしないの。他のみんなに見つかったら告発されちゃうよ?
ねえ…円奈がきいたら驚くと思うんだけど、ギルド議会長の父は、エドワード王と繋がりあるの…ギルドと
国政は、切っても切れない関係にあるからね」


それは本当の話であった。

製造組合ギルドの議会長と国王にはつながりがある。



ティリーナは実際には、純粋に円奈とユーカの二人が夜間に何をしているのか知りたいだけであった。


他人の行動をこまごまと把握する、それだけでティリーナは満足するし、それが最大の喜びであり
楽しみであったのだ。



「私は……王の魔女裁判をとめようって……ユーカと夜間に魔獣を倒しているの」


円奈はすべてを正直に話した。


それはティリーナを含む、六人の女の子たち……特にスミレを、驚かせた。


「魔女裁判をとめる?」

ティリーナも動揺を隠せていない。

「どういうこと?」


スミレ、大きく青い瞳を見開いて、円奈とティリーナにやり取りを見守っている。


皮なめし職人の娘チヨリは、食い入るように二人のやり取りに集中した。


「私は、エドワード王のやり方が違うって思うから…」

さまざまな想いが交差するなか、全ての女の子達の集中を集めながら、円奈は話した。

「ユーカちゃんと、魔女狩りをとめるためにできることをしようって…」


「それで夜間に外出しているの?」

ティリーナが訊くと、円奈は頷いた。

「…うん。…だってあんなやり方ひどすぎるから……みんなのこと、守るために魔獣と戦っているのに…
魔女だって疑われて処刑されちゃうなんて……あんまりだから…」

なきそうな円奈の声と訴えは、ティリーナたちの心を動かす。

「だから私とユーカにできることをしようって……夜に、外出は禁止だけど、私はユーカと一緒に魔獣と
戦っているの」


「魔獣ってほんとにいるわけ?」

ティリーナは、いわゆる魔法少女の世界のことは、分からない少女だった。

「てっきり、城下町の人が行方不明になったりするのは、魔女がサバトに連れ去ったんだって…」


「それ、ちがうの。みんなの誤解なの」

円奈は話す。

真実を、一生懸命、話す。

「本当は、人々を襲っているのは魔獣なの。魔獣は本当にいる。私はユーカちゃんに助けられて、今も
魔獣と戦っているの。みんな、みんな魔法少女に守られているんだよ?なのに…」


女の子たち、無言。

このピンク髪の少女は、何を言い出すのか……といった、困惑の顔。


しかし命をかけたように真剣な円奈の話は……少しずつ、少女たちの心に入っていく。


「みんな、いま魔法少女にひどいことしてる……。魔女処刑なんていって……魔法少女を悪い魔女に仕立て
あげてる。それってひどすぎるから……あんまりすぎるから……私は戦っているの」


「でもさ、それって王に直接言わないと魔女火刑なんて止まりそうもなくない?」


ギルド議会長の娘、ティリーナは、こういう話でも真剣に受け止めるタイプの少女だった。


食わず嫌いをしない。

どんなに信じがたい話でも笑い飛ばさず、相手が本気なら真摯に聞いて話に乗る。



「うん……でも、エドワード王に私からいってもきいてもらえるわけないし……王城は厳重に警備
されてるし……」


「へーえ、魔獣ってほんとにいたんだ」

ティリーナは優しい顔をした。

「みんな、城下町の人間が行方不明になるのは、ヴァルプルギスの夜のための生贄にしてるって、
魔女のせいにしてたのにね。もしそれが本当なら……」


すうっと目を細める。


「ユーカは魔法少女なの?」


ティリーナは細めた目で円奈を見据えた。



円奈は、ふるふる、首をゆっくり横にふった。「ごめん……それは……いえない」


下手な受け答えだった。



ティリーナはふうんと鼻を鳴らし、円奈との会話をつづけた。

「じゃああなたは、城下町の人々がたまに行方不明になるのは、魔女じゃなくて魔獣のせいだと
いいたいの?」


こくり、円奈は無言で頷いた。


「ヴァルプルギスの夜の噂もぜんぶでっちあげで、魔女自体、この世界には存在しないと?」


ティリーナは質問を円奈に繰り返しぶつけた。


「…うん」

円奈は、少し不安そうに頷いた。


「で、あなたは、城下町の人々が勘違いしている、魔女ではない魔獣という正体と、戦っていると?」


円奈、また、こくりと頷く。


「なるほどねえ…」

ティリーナは頬に手をつき、しばし考えるように視線を泳がせたが、合点がいったらしく、円奈に向き直った。


「わかった!」

ニコリ、と笑う。

「私はあなたに味方する。鹿目円奈!」


ティリーナがいうと、他の五人は意外そうに顔をみあげ、動揺した。

えっ?という顔をしている。


「私ももう、魔女とかヴァルプルギスの夜だとかって話、信じないことにする。円奈の話を信じる!」

まさかティリーナが、こんな異国の少女騎士の側につくのは、予想外だった。

しかしそれほど、円奈の話は、真に迫る何かがあったのだ。


「でもさ!かっこいいよね!」

ティリーナ楽しそうに、またみんなへ語りかけはじめる。

その顔はニコリと笑みを浮かべていて、円奈の強烈な激白のあとでさえいつもの調子を乱していない。

「私たちの知らないところで、夜に命をかけてみんなを守るため魔獣と戦っていた騎士さまかあ……
うーん、素敵じゃない。私は応援するわ!」


話の流れは意外な方向へ転じた。


鹿目円奈と、城下町の議会長娘のティリーナは、仲間同士になったのである。

つまり、国王とつながりあるギルド議会長と娘が、味方になってくれたのである。


「あ…」

円奈は、戸惑った様子をみせ、何がなんだかわからないという顔をしながら、どうにかティリーナの伸ばされた
手を握って結んだ。

「ありがとう…」


ティリーナは、まだニコニコと笑っていた。

422


日が沈むころ円奈はティリーナの家を出て、十字路へ向かっていた。


「はあ……なんだか……つかれた…」


歩きながら円奈は独り言をつぶやく。

足取りが重たい。


「城下町の女の子って……いつもいつもあんな集まり開いているの…?」


だとしたら、ぞっとするほどあの女の子たちの付き合いというのは大変そうだ。


ティリーナの質問攻めときたら、根掘り葉掘りで、あの女の子を相手にして嘘を隠し通すのは大変そうだ。


事実円奈は全てを話してしまった。


なんというか、相手から全てを聞き出そうとする意気込みというかパワーというか、すごい女の子だった。

詮索好きなことにかけては恐らく城下町で一番だろう。人のことをなんでも知ろうとするタイプだ。



「でも、ある意味力強い味方を得たような……気も……する?」


疲れた表情を浮かべながら円奈が口で呟くと、誰かに背中を掴まれた。


円奈が振り返ると、スミレだった。


「……円奈ちゃん」


黒い髪をした、青い瞳の、城下町で知り合った魔法少女は、円奈を追いかけて、十字路に出る一歩手前で
呼び止めていた。


「…スミレちゃん、ごめんね…」

円奈は振り返りつつ、さっそくスミレに謝った。

「ぜんぶ……話しちゃった」


スミレとユーカの二人は、魔法少女で、友達同士。この魔女狩りの狂気のなかで魔獣と戦ってきた。

それが円奈のなかの認識だった。



だから、二人で正体を隠しながら戦ってきた秘密を、ティリーナたちに話してしまった罪悪感を感じて、
円奈はすぐに謝った。

また、そのことで怒って、スミレは円奈を追いかけてきたのだろうと、思っていたのだった。



しかし実はちがった。


スミレは魔女狩りの恐怖がはじまってから、魔獣と戦うことをすっかりやめている少女だった。


魔法少女に変身することもまったく無く、ちっとも魔法を使わない。日に日に穢れていくソウルジェムを、
大人しく見守っているだけの少女だった。


だから、そんなスミレは。


自分よりも勇気に優れる円奈に複雑な気持ちを抱いていた。


それは嫉妬でもあり、憧れでもあり、心配でもあり、もどかしさでもあった。


「…どうして」

スミレは口を開き、小さな声で円奈に問いかける。

「どうして円奈ちゃんは……そんなに勇気を…だせるの」


「…え」

円奈は、てっきりスミレに責められるとばかり思っていたから、それとはかけ離れた問いかけには無防備だった。

「…え?」


「怖くないの?」

スミレは黒い前髪に顔を隠し、口だけ動かして、問いかけてくる。

石畳の通路に立つ少女の足は、震えていた。

「魔女処刑が……あの判別官の拷問が…」


「…」

円奈は、スミレから投げかけられた問いかけを理解し、目を閉じた。

魔女処刑が怖くないのか、という問いかけ。


そして胸に手をあて、自分の本心を語る。


「怖い、よ」


「じゃあ…どうして…」

スミレの青い瞳には、不安と恐れが浮かんでいる。


夕暮れは過ぎ、日は沈み、二人の立つ城下町の街路は暗がりとなる。


荷車で行き来する商人たちは途絶え、市場のベンチをたたむ市民の人たちは帰途につく。


井戸を使う人たちの行列も人の気配も、薄れていく。



そんななか、人間の円奈と魔法少女スミレの二人は……


街路の奥地で、たった二人だけで語り合う。


「円奈ちゃんはどうしてそんなに勇気が……もてる…の」

円奈に問いかけるスミレの感情は複雑だ。

嫉妬と憧れ……入り混じっている。自分にはできないことができる相手と対峙するときの、複雑な気持ち。


「どうして魔女火刑……怖いのに……疑われるかもしれないのに……ユーカと一緒に魔獣と戦えるの」


その声は消え入りそうで、か弱かった。顔を俯く身体も小刻みに震えていた。

実際、スミレは気弱な少女であった。


魔女火刑の恐ろしさと惨さを目の当たりにして魔法少女として活躍できるわけなかった。



もし自分が魔女火刑にかけられたら……


もうそう思うだけで、契約した魔法少女であるスミレは、とても魔獣退治に出かけることなんてできなかった。



まして、そんなスミレにとって、魔法少女でもない人間の少女である円奈が、魔獣退治にでかけられるなんて、
どうしても分からなかった。


そんなスミレの気持ちを察したのだろうか……


円奈は、目を閉じ胸に手をあてると、そっと、囁くように声をだして、答えるのだった。


「怖くないなんて、ないよ。ううん……今までずっと怖いことだらけだったの」


自分の旅路が、危険に満ちたものだったのを思い出す。


「何度も命を落としそうになって何度も死にそうにもなって…いつも危険と隣り合わせ。私、旅にでてから
ずっとそんな毎日だった。オオカミに襲われたこともあったし…。だからもう身を危険に晒すことは
慣れっこというか…ちょっとかっこつけすぎかな?」


そこまでいうと、ちょっと照れて髪の毛を触る。


スミレは、悔しそうに唇を噛む。


「でも、私が騎士になったとき、誓いを立てたの」

円奈は再び目を閉じ、自分が騎士叙任式を通じて騎士になったときのことを思い出し、スミレに語った。

それは、来栖椎奈が円奈に託した三つの誓いだった。


「”恐れず、敵に立ち向え”」


その一つ一つを、円奈はここ、魔女狩りの城下町に来て、復唱する。


「”真実を示せ”」


スミレは、青色の涼んだ瞳の目を見開く。

円奈という少女の勇気の根源を知ったのだ。


「”弱きを助け、正義に生きよ”」


ピンク色の目を開き、スミレを見つめる。


「そう、騎士になったとき、誓ったから」

円奈はそこまで言い切った。



だから真実を示すために。

魔女狩りという歪みと戦うために。


正義に生き、真実を貫くために、恐れず戦うのだ。


「騎士として、戦うんだよ」


そう告げるピンク髪の少女の目には決意みたいなものに満ち溢れていた。

それは死と戦う勇気だ。


「真実を示して……弱きを助け……正義に生きる…」


スミレは俯いて、悔しそうに口を噤みながら、円奈の言葉を繰り返して呟いていた。

顔は俯いているから、黒髪に隠れて表情は見えない。



そして気弱な少女、スミレは……。


それ以上円奈には何もいわず、無言で……。


音も立てずに、円奈には背をむけて、暗い街路の奥へ引き返して姿を消していった。

その口だけは悔しそうに噤むんでいた。




来栖椎奈から円奈に誓わせた言葉が、気弱な魔法少女であるスミレに、どんな想いを抱かせたか、分からない。


423


魔女狩りは次の朝も苛烈さを増した。


この狂気のなかで、城下町の女は、だれでも容疑者になる可能性があったので、女は女同士で互いに
疑心暗鬼となった。


仲の悪い女と女がはち合って目を合わせれば、互いが互いを魔女だ魔女だと罵りあった。


結局どちらの女も魔女の疑いがあるとされて二人とも魔女火刑を受けた。


二人の魔女は頭蓋骨粉砕機によって頭を砕かれた。


ネジをきゅるきゅるまわすたびに頭を挟む皿が狭くなって、魔女の頭は強く締め付けられ、ついには
頭蓋骨を内側から砕いた。



これで死ねば人間、生きていれば魔女、という判決だった。


片方の女は頭から血を流して死んだ。死んだ女には人間という判決がでた。魔法少女のように不死身でなかったからだ。

もう片方の女は、頭から出血しながらも生きていたので、魔女だと判決がくだされ、宙にぶら下げられながら火に焚かれた。


燃え盛る薪の炎の上に、ロープで逆海老縛りで吊るして、大きな天秤の、いわゆるテコの原理を使って高さを
調整しながら、魔女を炎のなかへ落としたのである。



女は灼熱の炎のなかで焼け死んだ。


吊るされた体を再び天秤で吊り上げたとき、原型とどめぬ黒焦げの遺体がロープにぶらさがっていた。



この城下町では、近所トラブルはすべて魔女告発へとつながった。


とある隣同士の家では、隣の家の番犬がうるさいから、という理由で、斧を持ち出して番犬を殺した。

番犬を家族のように可愛がっていた老女は、おまえなど呪ってやる、今後このさき、不幸なことばかり
起こるように、毎日神に祈ってやる、と憎しみたっぷりに告げた。


すると番犬を殺した側は、その老女を魔女だと告発した。

事実、呪ってやるといわれたその翌朝、目が覚めると、頭が100匹を越えるシラミに覆われていたのである。


老女は魔女の疑いをかけられ、焼けごてを目に刺されると痛がり続けたので、魔女の判決は免れた。

無罪判決だ。



今や城下町の女は、すべて容疑者になりえたから、これを利用して男が女を告発する例も多発した。


ある夜、女を誘い、一緒に寝ようとした男は、女に拒絶されるとこの女は魔女だと密告した。


その女は魔女の疑いがかかり、ノコギリ乳房切断の刑に処される。最後まで痛みを訴え続けたので、
人間と判決がでて、火炙れは免れた。

魔法少女と人間を正しく区別したわけだ。


いつの時代でも、女が男の誘いを断ることは危険だ。それはとても勇気のいることであった。


そして、もし断ったりしたら魔女だと告発されると本能的に察した女は、男の誘いに屈して身を売ったのである。


俺を拒んだら魔女だと訴えてやるぞ。

それはこのうえなく卑劣で、女に恐怖を与えた脅し文句だった。



そして女は男に身を委ねたのである。


こんな状況下で、女が自分の身を守る手段はひとつ。



魔女を告発することだった。


誰でもいいから他人を魔女だと告発してしまえば、少なくとも自分は魔女を告発したのだから、魔女ではない。

そう世間に対して主張できるのである。自分は魔女の仲間ではなく、むしろ魔女を告発する側なのである、と。


だがその考えは狂気と恐怖を生んだ。


自分の身を守るために他人を魔女だと告発するのだから、同じことを考える城下町じゅうの女たちが、
つぎつぎと仲間の女たちを魔女だと告発して審問官たちに売り渡していった。


そして友達すら信じれなくなる緊張が城下町を支配したのである。


もう、いつ自分が魔女だと言われるか、わかったものではない。


そしてそれは、女同士の付き合いに、極度の緊迫関係を生み、ちょっと妙なことを口走る、挙動が変、
話をふっても無視する、独り言をいう、ほんのちょっとしてことで、あいつは魔女だと叫ばれた。



こうして一日に10人以上の女たちが魔女の疑いがかかりさまざまな拷問をうける。針を刺されたり、骨を砕かれたり、
膣に炎の焼きごてを突っ込まれたり。


そんな暗黒にして気鬱たる日々になっていた。


人々の負の感情、疑心暗鬼、猜疑心、不安と恐怖、憎悪と怨恨、そういう形の無い悪意は、人間たちを
蝕んだ。


そして、その暗澹の日々はついに最悪の日を迎えようとしていた。暗黒の光が月を覆うような、恐るべき日である。




血と黒色の感情が破裂するような、恐るべき一日が。

今日はここまで。

次回、第55話「ヴァルプルギス前夜祭・当日」


第55話「ヴァルプルギス前夜祭・当日」

424


月日でいうと、4月30日を迎えていた。


この日、一日夜かけて、城下町では祭りごとが開かれる。


3日前ほどから準備されていたお祭りの準備は全て整い、お祭りの日は当日を迎えた。

日が沈んで夜になり、暗くなると、焚き火の組み木に炎をあげ、それに群がるように城下町じゅうの若い女と男たちが、
それぞれの民族衣装をまといお祭りに集まり輪をつくって踊って、賑やかで華やかな活気に満ちた。


エドワード城から料理が運びだされ、長テーブルにはブドウ酒を満たした銀製グラスと、タンカード、
ビールを満たした木製のジョッキに、真鍮製の皿には豚のあぶら焼きローストなどの料理が建ち並ぶ。


いちいちそれらの酒は、城下町の人々が、酒樽の注ぎ口から補充することができる。


飲み放題だ。



いまや夜は大盛り上がりをみせていた。


民族衣装になった女と、男たちは、好き放題料理と酒を楽しみ、踊り、笑い、ペアを見つけて、男女二人で
手を繋いで踊りに耽った。


あちこちの焚き火が燃盛る明かりの周りでは、ぐるりと男女同士が二人一組で手を繋ぎながら大きな輪を
つくってダンスを踊り、吟遊詩人たちの奏でるハープとリュート、フルートの音楽にあわせて足をリズミカル
に動かして踊った。



男が内側で踊り、女が外側で踊るような輪もあった。


焚き火を中心にして大きく二重の輪をつくった男と女は、楽団の音楽にあわせて踊る。

男は時計回りに、女は反時周りに、回ることで、音楽のワンメロディごとに一緒に踊る相手が目まぐるしく
次々に変わる。


だいたい踊りのパターンは同じで、男は女の手をとって、頭上にもちあげてやる。するとボディスなどの民族衣装
をきた女はクルリと優雅にまわって、スカートをひらひらと浮き上がらせながら舞う。


ボディスにエプロンを組み合わせた衣装を着た女が多かった。


音楽がとまると、男と女のペアはそこできまる。


時計回りに交代交代していった相手と、音楽がとまったとき、男は最後に女の腰をつかんで高々と
持ち上げてやるのだ。


つぎつぎと女は男たちに持ち上げられる。


女たちの、きゃーっという黄色い笑い声が祭りのなかに包まれる。


春到来の祭りだ。


鹿目円奈は、せっかくなのでこの歓春祭に参加した。


”エドワード城に訪れた春”


この看板のついた入場門をくぐり、夜に開催されたお祭りの賑わう雰囲気のなかに自分も身を投じる。


そして当てもなく彷徨い歩いて、遠目に、ダンスを踊る男女達の手を繋ぐ輪を眺めながら、あちこちで
燃える焚き火の明るさに目を瞠りながら、適当に空いたテーブルの席についた。


しかしどういうわけだか円奈のついたテーブルは、今やブドウ酒を楽しむギルド議会長の娘ティリーナと、
石工屋の娘キルステン、皮なめし職人の娘チヨリ、ロープ職人の娘スミレに、漆喰屋の娘アルベルティーネ、
服屋の娘エリカがが囲んでいた。


みんな、普段は飲めないブドウ酒を好き勝手に楽しんで、すき放題パイを口に放り込んでいる。

暴食だ。



「太るってわかってるんだけど」

ティリーナはパイを食べたあと、焼き上げられたパン、例えばロール・パン、揚げパン、丸く平たいパン、
つぎつぎと皿から手にとる。


「こんな日には乙女のお口も歯止めがきかないのよねー」


もごもご口を動かし、パンを食べたあとは、またブドウ酒を口に含む。


「んー」


円奈は席についてティリーナたちを横目に、あたりを見回した。


いまや十字路を抜けた王城の橋へつながる広場のスペースは、完全にお祭りムード一色となっている。


音楽は絶え間なく奏でられ、トランペットを吹き鳴らす城からの音楽隊さえ姿を見せている。

だが主に祭りを盛り上げているのは吟遊詩人たちの演奏で、フルートとリュートを中心に、男女の
ダンスに音楽をつけていた。


焚き火の数は多く、こんな真っ暗闇の夜中に明るい火があちこちで燃え、明るく照らされ、輝いていた。

それに松明も無数のように真夜中にあちこちで燃えた。


まるで夜中が燃えているかのように灯火はあちこちどこでも燃え、夜を照らしつづけた。

そしてそこは、人で満たしつくされていた。大勢の人間が真夜中の焚き火に集まっていた。


そんな明かりに照らされながら円奈は、夜中に盛り上がるダンスに熱中する男女達をなんともいえない気持ちで
眺めながら、鉛グラスのブドウ酒を口に含んだ。


都市にいた頃はまだ苦手だったこの飲物も、さすがになれてきた。



というより、これが飲めないと、城下町といい都市といいこの国内では喉を潤すこともできない。


「あっ、円奈ったら、なかなか飲むねえ!」

するとブドウ酒ですでに顔を赤くさせているティリーナが、愉快げに話かけてきた。

「ブドウ酒は好き?」


「うーん…」

円奈は血潮のように赤黒い、グラスに溜まった飲物の水面をみた。ワインはグラスの中で波打った。

「そんな好きな味じゃない…かな…」

そう答える円奈の顔も少し赤かった。「苦いし…」


「あら、そう?でもこれは」

ティリーナは愉快そうな顔をして言った。

「”ガスコーニュ・ワイン”最高級品よ」


といって、グラスにたまったブドウ酒をまた口に含む。


「エドワード城の貯蔵庫から引っ張り出された世界珍味なのよ。さあ見なさい!」


といって、かおを赤くさせたティリーナは、野外の長テーブルに並べられた料理の数々を指さす。


「あんな料理みたことある?王城の貴婦人ときたら、いっつもあんなの食べているのよ!」


円奈はティリーナが指差した方向を見やる。さらにさまざまな料理が並んでいた。


「”若鶏のロースト、ベイク、あぶら焼き、シチュー、パイ、白ソースブロマンジュ添え!”」



テーブルに並べられたおいしそうな料理の数々は、すでにお祭り騒ぎな市民の暴飲暴食によって平らげられ、
残り物の残飯と皿はひっちゃかめっちゃかになってテーブルと地面に散らかっていた。酒を入れたジョッキは
倒れてこぼれ、テーブルは濡れた。皿はひっくり返り、ロースト料理の骨は食い散らかされて捨てられっぱなし
であった。


そして酔いに酔ったまま男女でダンスに更ける。

だれも食べるだけ食べて、片付けない。


そこに役人がやってきて、料理と皿を片付け、新たな料理を運んでテーブルに並べる。


「ほら、見て、新しい料理の登場よ!」


ティリーナは、円奈の顔に耳をよせて、耳打ちする。


円奈はブドウ酒を入れたグラスを持ったまま、役人の並べ始めた新たしい料理に目を配った。


ティリーナはその料理の数々をいちいち教えてくれた。


「”フルメンティ・ソースのビーバーの尾ヒレ”」


ある皿に盛られた料理を見据えながら、ティリーナが円奈に耳打ちして囁く。

円奈もよく分からないままとりあえず顔だけ頷いた。


「”牛肉と羊の混ぜ混ぜ上皮被せパイ”」


円奈、また顔だけ頷く。


さらにティリーナは料理を目を細めて見つめ、円奈に耳打ちした。


「”白鳥の臓物肉汁のスープ・ストック”」



異様な料理の数々に圧倒されながら、円奈はまたこく…っと頷くだけ。


「”スワンネック・プディング”よ」



うーん…全然わからない…

円奈は不思議な料理の数々を説明されて眉を寄せる。


「貴婦人たちったらいつもいつもあんな料理を楽しんでいるのね」

と、憎くたらしげな口調でティリーナはいい、乗り出した身を席に戻して座りなおした。


「さあ、さあ、飲もう、飲もうよ!私たちにはガスコーニュ・ワインがある!」

といって、鉛グラスを円奈の前に差し出してきた。


「えっと…うん」

円奈も相手に釣られて、鉛のグラスを差し出して。



コツン…

と、グラス同士がぶつかると、二人は同時にブドウ酒を口に含んだ。


それにしても祭りは大盛り上がりで、収まる気配をみせない。


夜通しおこなわれる、春を祝う収穫祭に起源をもつこの祭りは、明日の日が昇り明るくなるまで続くのだろう。



円奈たちとティリーナの顔は赤い。

赤く見えるのは、ワインのせいか真夜中に灯る赤い灯火のせいか。


それとも男女のダンスがかもし出す熱気のせいか。


「それにしてもさあ……きれいなピンク色の髪だね」

といって、ティリーナは、ぜんぶブドウ酒を飲みほして鉛グラスをテーブルに置くと、興味津々といった
目で、テーブルに身を乗り出して、手を伸ばすと、円奈の前髪を触れて撫でた。

「なんか不思議な色だよね。生まれたときからこの色なの?」


円奈は、じりじりとティリーナの指に前髪をいじられながら、その指を見上げて、言った。

「うん……生まれたときから……」

円奈のグラスのブドウ酒も空になった。


キルステンとアルベルティーネは別の会話に熱中しはじめている。


「きれいな色だと思うよ」

ティリーナは円奈の髪の色を褒めた。それから、彼女の黒い瞳は、まじまじ円奈の目も見つめた。

「瞳の色もすてき」


「…そうかな…?」

円奈は恥ずかしくなって目を落とした。

自分の身体のことをきれいだと褒められることに慣れていなかった。


「髪も目の色もピンク色なんだね。なんだか神秘だわ」

ティリーナは他の女の子の体を褒めるのが好きだった。


逆に他の女の子の悪口をいったりすることも大好きなのだが、ティリーナは円奈が嫌いではなかった。


「手をみせて?」

ティリーナは円奈にいろいろなことを要求してくる。


「うう…」

頭を垂れながら、円奈はおずおずと両手を差し出した。


ティリーナは、円奈の手をまじまじ見つめた。

そしてさっそく評論をはじめた。

「傷ついてるじゃない!」目を大きくさせて大げさに声を張り上げる。


円奈は困った顔をした。「だって……弓矢を使うから……」


「だめよ、乙女の手に傷なんて!」

ティリーナは円奈の手をつつみ、優しい顔になって言う。

「すぐに治さなくちゃ……手は一番大事なのよ!貴婦人がどうして手袋してるか分かる?」


「いや……ぜんぜん…」

でもそうういえばアリエノール・ダキテーヌさんも手袋をしていた気がする。

円奈が手袋をつけるのは、弓矢を使うとき、痛くなるからだ。


「男は女の手をみるのよ!意識がたらない!」

こうしてティリーナは円奈に叱咤していった。

「手が日に焼けたりでもしたらどうする気?白くしなやかな手、それ以外は許されないの!そういうものなの!」



実際には、貴婦人が手袋をするのは、肌を晒さないためだった。

女が肌を晒すのは好ましくないと考えられる時代だった。露骨に肌を露出させるのは男を誘惑する魔女ぐらい
なものだ。

この価値観を反映してか、たとえばユーカやスミレのような魔法少女も、変身衣装は肌を晒さなかった。


「それからさあ、あなたのチュニックも新調したほうがいいよ?」

ティリーナは円奈の服装についても言及する。


古びたワンピース型のチュニックは、昔から着ていたから、円奈の足首は外気に晒されていたのである。


「レディへの道のりは遠いね」


ニコッと笑い、からかってくるティリーナだった。

425


さて祭りは深夜の時間帯となり、人々の熱気も最高潮の、どんちゃん騒ぎへと到達しつつあった。


ごっちゃごちゃに散らかされたテーブルに、こぼれていないジョッキはなく、塗れていない皿はなく、
めちゃくちゃになっていない皿はなかった。

どれもこれも暴食されて、食い散らかされて、ワインはがぶ飲みされて、グラスは倒れてテーブルにこぼれる。




祭りに参加した城下町の人々のだれもが酒が入り、だれもが酔いに酔って、ふらふらしながら、ついには
汚い食い散らかされたテーブルにぶっ倒れて気絶する男たち。


その男たちは役人が運び出して片付ける。


酔った勢いで喧嘩をはじめる男達もあちらこちら。


騎士ごっこと称して、木刀をもち、殴りあう。剣術を披露しあって、女たちは輪を囲って男達を応援。

この一騎打ちに勝った男は、女たちに群がられて、すき放題抱きしめる。



料理の並んだテーブルに土足で乗りあがり、そこでダンスを披露する男もいた。


ぎゃーぎゃーわけのわからないことを叫びながら、頭にジョッキの酒をかぶる。


女たちはその男にパチパチパチと拍手して、男は酔い狂ったダンスを踊り始めた。

当然、テーブルに並んだ皿と料理はひっちゃかめっちゃかになった。

するとエプロン姿の女たちはけたけたと笑い転げた。



もっとひどい男になると、祭りの各テーブルに括りつけられた松明の火を両手にもって、ぶんぶん振り回す
パフォーマンスをしだす男もいた。


松明の火を振り回すたび、深夜の暗闇に、火の軌跡が走る。夜の暗がりを走りまわる炎の軌跡。


最後には別の男に松明を投げてぶつける。ぶつけられた男の髪の毛に火がつく。


慌てて男はブドウ酒の樽をとりだして頭にかぶり、火を消す。



そして激昂して、松明の火を投げてきた男と大喧嘩。当然のなりゆきながら、大騒ぎである。

胸倉をつかんでテーブルに叩きつけ、力に任せて殴りまくる。

またもテーブルに並んだ食事の皿とジッョキと、グラスは、ひっちゃかめっちゃかに地面に落ちて散らかった。


この喧嘩を女たちは笑いながら見守り、喧嘩に勝った男に群がった。


もう、だれもがハメを外していた。



円奈は男たちが酔いの勢いで暴れまわる姿を横目で見つめ、何杯か目のブドウ酒をグラスで口に含んだ。

「…ん」

頭が少し、くらくらしてきた。円奈は目をぱちくりさせ、目をこすった。


「粗野な男は嫌い」

円奈の正面にたっていたティリーナが、円奈を見て、円奈の内心を察したのか話しかけてきた。

「だってちっとも女の子を大切にしてくれそうにないんですもの。そうでしょう?」


「うーん…」

円奈は考えるように鼻で声をだした。「どう…なのかな?」

その受け答えは適当で、あまり関心がなさそうだ。


「男は、粗野で乱暴なくらいでいいのよ」

するとアルベルティーネが話しはじめた。

「男は男らしく。強くなきゃ。ひ弱な男についていけないわ」


円奈とティリーナの二人がアルベルティーネのほうに顔をむける。


「あとは、女の子の扱い方を、ちょっとずつ少しずつ、教えてあげていけばいいのよ」

その片手にはワインの入ったグラスがもたれている。


「うーん…まあ現実的ねえ」

ティリーナ、腕を組んで考え込む。「男はバカなくらいでちょうどいい……か」


「そうよ、男はそのくらいがいいわ」

キルステンも同意を示した。「変に賢くて、作法に則っている男のほうが、むしろ女をどこか心で
見下していそうで、ダメよ」



「ああ、それはありえるかもね…」

ティリーナは、顔だけ頷く。


「バカな男なら、女を見下している態度がすぐにでるから、こっちも分かりやすいのよ」

キルステン、話をつづける。

「賢くてかっこつけてる男のほうが気をつけたほうがいいわ」


「とかいってるけど、みんな、そもそも作法をわきまえてるほど高貴な男と付き合えないでしょ」

アルベルティーネは元も子もないことを言い出し。


ティリーナ以外全員の女の子が笑った。

円奈まで笑ってしまった。苦笑いではあったが。



ところで少女達七人が、こうも一箇所に集まってだらだらと会話してるところに、男が寄りつかないはずもなく。


酒に酔った男は、このテーブルに飛び込んできた。


その男は、七人のうち、円奈に目をつけた。たぶん、七人のうちとりわけ、目立っていたからだろう。


背中に大きな弓を抱えていたからである。


「なに飾りモンつけてんだ?」

大ギラで背の高い男は、円奈の倍あるんじゃないか、と錯覚してしまうほど、威圧的だった。

「この弓だよ。ピンク野郎」


「…はい?」

円奈は背に立った男を振り返ってみあげた。ピンク色の丸い瞳が男をみあげた。


「騎士のつもりか?剣ってのは男の持つモンだ。小娘が持つもんじゃねえ」

といって、男は、トントントンと自分の弓矢で円奈の鞘に納まる剣を叩いた。

「イチイ弓か。かっこつけやがって」


「鹿目円奈ちゃんは騎士だよ!」

ティリーナはばっと席をたちあがり、男にむかって怒鳴った。

「その弓は飾りモノなんかじゃない!」


「”騎士ごっこ”だろ?」

男は取り合わない。そして、自分の手に握った大きな弓をとりだした。

「みてろよ小娘ども」


彼は、少女たちのまだキレイに皿が整列しているなかからフルーツ類、りんごを片手に握り締めると、
それをいきなり真夜中の暗闇へ高く高くなげた。


ひゅーっ。

りんごが宙を舞う。


円奈ふくむ少女達は星空の彼方へときえていくりんごを顔をあげて目で追う。


すると男は弓に矢を番え、狙いを定めた。


空高く浮き上がったりんごは、やがて、弧を描いて、だんだんと下へ落っこちてきた。


バシュッ!


男は弓から矢を放った。



それは物凄い速さ、目にもとまらぬ速さで飛び、暗闇のなかを突っ切って、落ちてきたリンゴを
空中で射止めた。


「…おおおっ!」

まわりの男女たち、それを目撃し、いっせいに拍手をはじめる。


おーおーおー。

ぱちぱちぱち。


「さすが、城下町一の弓使いだ!」

彼の知人である別の男が、騒ぎ立てはじめた。


男は満足げにでかい弓を降ろし、そして、どうだ、という顔をして少女達を見下ろした。


そして、この男の動機がこのときようやく分かったのである。


要するに若い女の子たちの集まるテーブルを見つけて、自分の弓の技を見せつけてかっこつけたいだけだった。


しかしその目論みはいからか成功した。


キルステンやアルベルティーネ、スミレが、男の弓技に目を奪われ、瞳を輝かせていたのである。


「弓を使えるってのはこういうことだ」

得意気になっている男は少女達を見おろして告げる。「背中にはっつけてればいいってもんじゃねえ」


明らかにロングボウを背中に抱えた円奈への悪口であった。



何人かの少女達は、心配げに円奈を見つめていた。


が、円奈は動揺したり、悲しむような顔をすることもなく、ふうと息を吐き。


「それなら私にだってできるよ」


といって席をたちあがった。


「はあ?」

男、目を丸くする。明らかに動揺していた。


「円奈ちゃん?」

ティリーナたちが不安げに見つめているなか、円奈は立つと、背中のロングボウを取りだして手に握った。


おもむろに皿に盛られたフルーツ類のうち、りんごを手にとり、そして。


「えいっ!」


掛け声とともに真上へ高く高く投げ飛ばした。



りんごは夜空の暗闇を舞い、くるくる回りながら、高くとんでゆき……しだいにスピードを失って落ちてくる…。


まさにそのとき。


円奈は矢筒から一本の矢を抜き取って、弓に番えた。


素早く狙いを定め、弓の向きを真上へ向ける。

上向きに構えられる円奈の弓。


そして目を細め、狙いをつけ、矢を放った。



ビシュン!!


ロングボウの強靭な弦の音が空気中に轟く。


それは、宙を舞い、落ちてくる真っ最中のリンゴを真上の空中で貫き、リンゴは一本の矢に射抜かれた。


そして矢に貫かれたままリンゴはぶじゅっと黄色い果汁を飛び散らせながら円奈の手元におちてきて、
円奈はそれを手にキャッチして、リンゴをがぶりと一口、食べた。



「おおおおっ!」


それを目撃していた城下町の人々、一気に歓声をはりあげる。


拍手の音で満ち溢れ、だれもが円奈の弓技を讃えた。


「すっ、すごーい!」

だが何よりも驚かされたのは、ティリーナたちだった。彼女たちはすっかり円奈に度肝を抜かれている。


「バカな、長弓の使い手だと!」

すっかり弓技を披露された、さっきのおとこは、悶絶する顔した。



「よし、よし、なら、勝負させよう!」

弓技を披露した二人のもとに、騒ぎを聞きつけてやってきた城下町の男が、叫んだ。

「どっちが弓達者か競うんだ!」



わああああああっ。

おおおおおおおおっ。



この展開には城下町の人々も大興奮。大盛り上がりをみせた。

「何枚かける?銀貨50枚か!」

426


ティリーナたちと、城下町の人々が観衆となって見守るなか、二人の弓くらべは始まった。



「それ!」

城下町の男がリンゴを投げる。リンゴは高く高く打ち上げられる。



最初にふっかけてきた男と、円奈の二人が、同時に弓を構える。


そして矢を弦に番え、ひきしぼり。



バシュッ!


ビシュン!!


二人の矢が同時に飛ぶ。


両者から放たれた二本の矢はどちらも空を飛んだリンゴを狙った。


そして見事、二本ともがリンゴに直撃し、二本の矢は交差するかのようにしてリンゴを貫いた。



そして二本の矢に射抜かれたリンゴは、どっかのテーブルへ落ちていった。



二人の弓技は互角だ。


おおおおおっ。

パチパチパチパチ。今や城下町じゅうの、男も女も、二人の弓くらべ応援している。




ところで、二人の弓くらべから少し離れたところの、長テーブルの奥では、城下町の二人の若い男たちが。


王都ではお法度である、博打に集中していた。



二人は三つのサイコロを使い、木製の器へ投げ込んで、その出る目を競う。


「ふってみな」

片方の男は、挑発をする。「てめーに目なんかでねーよ」


対面する席に座る黒髪の男が受けて立つ。目を細め、相手を睨み返す。「ここでお前を”ギャフン”といわれてやる」

「ギャフンなんかいわねーよ」

金髪の男は、目をじとっと細め、相手の男を目に捉え、その瞳に映す。

「おれのだした目は”5”だ。次におまえはサイコロを振って───」

その口に笑みが浮かぶ。嫌味ったらしい、笑みが。

「”スッカンピン”になるんだ」


「素寒貧だろ間抜け…」

黒髪の男は笑い返し、そして…。

手に握ったサイコロを、ついに三つつも、器に投じた。



ガラララ…

そのサイコロはそれぞれの目をだす。5、3、1。


目なしだ。


金髪の男は歯をみせて、ニヤリと笑った。「俺の勝ちだな」



そのころ二人の弓くらべは二回戦へ突入していた。


「それ!」


またリンゴが高く打ち上げられ。



バシュン!

おおがらな男が先に弓を放った。


ドス!

それは空中のリンゴを仕留め、黄色い果汁が飛び散った。


「俺のかちだ!」

男はすかさず叫んで拳を握り締めた。


円奈はまだ弓を放ってなかったからである。


矢に貫かれたリンゴは奥へ奥へと飛んでいく。

どんどん距離が離れていく。



しかしそのタイミングでまさに狙いを定めて。



円奈のロングボウから矢が放たれた。


それはほとんど食事の並んだテーブルの真上を通り抜けていくかのような、真横に飛んでいった矢だった。


そして食事テーブルの皿に盛られた料理という料理あいだを矢は通り抜けてゆき…蝋燭の火をかきけし…


まさに落下してきたリンゴが、テーブルの面にくっつく寸前のところで円奈の放った矢が射止めた。


バスッ!


リンゴは二本目の矢に射抜かれて、飛ばされ、果汁を飛び散らせながら勢いよくごろごろとテーブルの上を
転がりまわった。


それは皿にぶつかるとぽーんと跳ね上がり、リンゴはバウンドし、くるくる回りながら…。



男たちが賭け事をしていた器に、ずぼっと入り込んできて嵌った。


「うわっ!」

「なんだっ!」

賭け事をしていた二人は、どこからともなく飛んできたリンゴに目を瞠る。


しかもリンゴには二本の矢が刺さっていた。赤い皮はめくれ、果汁が垂れていた。


サイコロを転がした器は一瞬跳ね上がり、ゴトンと宙を舞ったあとまたテーブルに落ちた。



二人の男は、そっと、器にはまったリンゴの実を手にとって取り出す。


すると、さっきの衝撃のせいか、器のなかでサイコロのだす目が変わっていた。


そのサイコロの目は……5、5、5。


ゾロ目だった。


金髪の男は、信じられないというふうに目を大きくさせていく。


いっぽう、黒髪の男は、自分のだした目がゾロ目に変化したと分かるや、その場で立ち上がり、そして
叫んだ。

「勝った!」

両手をひろげ、ぱっと顔を明るくし、歯をみせて笑いだす。「勝ったぞ!ボクのかちだ!ゾロ目だあ!」

427


円奈が弓くらべにゆき、ティリーナたちが応援しているなか、服屋のエリカは。


ただ無言で、考え込むように、グラスのブドウ酒の水面を見つめていた。

その瞳は悲しそうで、落ち込んでいる様子ですらあった。


そういえば祭りごとだというのに一言も喋っていない。


「…エリカ」

彼女のことを心配して、声をかけたのは、気弱な魔法少女のスミレだった。



エリカは黒い髪をテーブルに垂らして、グラスを両手に握り、無言でいた。

そのグラスを握る両手を震えていて、その震えはグラスにも伝わっていた。

グラスはテーブルの上でカタカタカタと音をたてていた。


「エリカ?」

スミレは再びエリカを呼ぶ。その顔を覗き込もうとした。


「スミレちゃん、私ね」

服屋のエリカは初めて声をだした。この声も、震えていた。「いま不安で不安でしょうがないの……
見当たらないの……きてくれないの……」


「きてくれない…?」

スミレは聞き返した。エリカの気持ちが分からない。「ひょっとして鍛冶屋の子のこと?」


こくり……と、エリカは静かに頷く。


もし、鍛冶屋見習いの少年が、この祭りの場にきていたら、ティリーナと一緒に、手を繋いで踊りを
しながら、告白する。


そういう話になっていたし、エリカも今日、そのつもりでいた。そういう気持ちで臨んでいた。


だから、新調したボディスにエプロンを結び、背中でリボン結びにする、おしゃれを一生懸命してきた
服屋の娘エリカは、その相手が見つけられず、ただただ孤独に泣き顔をしているだけだった。


好きな男の子のことを想って、この日のために、一生懸命、鏡の前で時間をかけて身だしなみを整えてきた、
可愛らしい民族衣装の姿は、好きな人がやって来さえしない、お披露目の場を完全に失っていた。


「エリ…カ」

スミレは、自分より数段気合を入れた衣装をまとったエリカを、つらそうに見つめる。


「私ね……なんかバカみたい…」


エリカは目に涙を溜めて、震えた声で語った。頬を涙がつたった。


「ティリーナの話を真に受けて、本当に逢引できるんじゃないかって……本気にしちゃって……
名も知らない男の子と付き合えるわけないのに……ね……」


手は震え、きれいな手袋をはめた新品のそれは、涙に濡れてしまう。


「きっとあの人にはあの人の恋人がいるんだわ……」

エリカは、泣き出してしまう。



「エリカ…」

スミレは、エリカの悲しさと寂しさが計り知れないものだと思った。


ずっと昔から好きだったという男の子。


その男の子のことを想って、一生懸命身支度もしてきた。けれど、その男の子はやってこない。


なんてつらいんだろう。なんてさみしいんだろう。

自分が不甲斐なくて情けなくて、消えてしまいそうになる。


そのとき、ティリーナと円奈たちが、弓くらべを終えて、席にもどってきた。


円奈は席に座ると、すぐに弓を背中に抱え直して、いくつかの料理に手を伸ばし始めた。


「結果は?」

スミレがきくと。


ティリーナと、キルステン、アルベルティーネは、三人楽しそうに、同時に答えた。

「もちろん、円奈の勝ち!」


ティリーナが、得意そうに胸を張る。

「もう、すごいんだから!円奈の弓技は!」


円奈のピンク髪を撫でる。

「この子ったら!超すてきよ!百発百中!相手の荒れくれ男は四回戦目でハズレ。円奈の弓技が一番よ!」


「そ…そんなこと…」

円奈は困った顔しながらパンを口に齧る。


「私、円奈ちゃんが男の子だったら、好きになってるわ!」

アルベルティーネは目をきらきらさせて言った。「こんな男の子の騎士がいたらいいのになあ!」



エリカは泣き顔をしたままだった。

しかし、その顔を、ティリーナの発言が変えることになる。


「あれ?ユーカは?」

ティリーナは、本来くるはずだったメンバーの一人、ユーカが、未だにこないことに、疑問を感じて
口にして言った。

「まだきてないね?」

キルステンも席に座ると、あたりを見回す。そこらじゅうに群がっているのは、大喧嘩にあけくれる男と、
酒を飲んだ暮れてテーブルに身をのっけて気絶しているバカ男に、男女で手をつないで踊って痴話に
耽る若きカップルたち。


はっと、エリカが顔をあげる。


その様子をスミレが心配がった。「エリカちゃん…?」



エリカは、ユーカがいないことに、一種の勘のようなものを感じ取っていた。


くるはずだった鍛冶屋の少年は来ない。ユーカもこない。


この図式に、女の勘のようなもの、エリカにとって重大な信号を鳴らしているかのように、思えたのだった。


女は、勘にすぐれる。


とくに、男女関係の勘ともなれば、超能力めいた勘を発揮する。男は浮気を絶対に隠し通せない。


「わたし…」

エリカもその例外ではなかった。

「ちよっと街路のほういってくる…」


「エリカ、どうしたの、小用?」

ティリーナは、エリカに、用を足しにいくのか、と訪ねた。


エリカはそれに頷いて答えた。「…うん」

嘘をついて、エリカはみんなの席を立つや、とぼとぼと祭りの場を離れはじめ、入場門をくぐって、街路へ
と出た。


ティリーナたちはそれを見守っていた。


とくにスミレが……不安げに。

428



城下町の橋側が、お祭りの騒ぎと盛り上がりをみせる傍ら。


東の城門に建つ城壁は物音なく、静かで、人気さえなかった。


門番兵や監視塔の見張り兵すらいない。


みんな、お祭りへでかけている。




こんな、だれもいないような、深夜の真っ暗闇の城壁に。


魔法少女のユーカは、一人で佇んでいた。


じっと立って、想い人を待っていた。


ユーカは不安だった。


物静かな、城下町の端の囲壁に取り残されて、そのまま置いてけぼりにされてしまうのではないかと不安で
不安で仕方なかった。



でも、しばらく待っていると、足音が聞こえてきた。

トントントン…と、石を蹴るような足音。


階段を登り、城壁の長々とした歩廊を渡って、やってきてくれた少年は。



「ライオネル」


ユーカは、嬉しそうに少年の名を呼んだ。「きて、くれたんだ」



月が夜空に浮かぶ。

城壁から見渡せる景色は、外の界。谷と断崖の大陸。そして、遠くの峰々。


「だってユーカが呼んでくれたじゃないか」

少年は照れ笑いしながら、ユーカのもとに歩いてきて、二人は、城壁で隣同士に並ぶ。

そして二人で隣同士、城壁から月夜の景色を眺めた。


「…そうだね。でも、嬉しい…」

ユーカは少年の隣で、目を閉じると、夢をみるように、静かにいった。


その声は不思議なほどはっきり響き渡る。


たぶん、二人のほかに、人気はまったくなく、だれもいないからだろう。

428



城下町の橋側が、お祭りの騒ぎと盛り上がりをみせる傍ら。


東の城門に建つ城壁は物音なく、静かで、人気さえなかった。


門番兵や監視塔の見張り兵すらいない。


みんな、お祭りへでかけている。




こんな、だれもいないような、深夜の真っ暗闇の城壁に。


魔法少女のユーカは、一人で佇んでいた。


じっと立って、想い人を待っていた。


ユーカは不安だった。


物静かな、城下町の端の囲壁に取り残されて、そのまま置いてけぼりにされてしまうのではないかと不安で
不安で仕方なかった。



でも、しばらく待っていると、足音が聞こえてきた。

トントントン…と、石を蹴るような足音。


階段を登り、城壁の長々とした歩廊を渡って、やってきてくれた少年は。



「ライオネル」


ユーカは、嬉しそうに少年の名を呼んだ。「きて、くれたんだ」



月が夜空に浮かぶ。

城壁から見渡せる景色は、外の界。谷と断崖の大陸。そして、遠くの峰々。


「だってユーカが呼んでくれたじゃないか」

少年は照れ笑いしながら、ユーカのもとに歩いてきて、二人は、城壁で隣同士に並ぶ。

そして二人で隣同士、城壁から月夜の景色を眺めた。


「…そうだね。でも、嬉しい…」

ユーカは少年の隣で、目を閉じると、夢をみるように、静かにいった。


その声は不思議なほどはっきり響き渡る。


たぶん、二人のほかに、人気はまったくなく、だれもいないからだろう。


王都の城壁は二人の世界。

エドワード城に繋がる城壁の歩廊には、いま、二人しかいない。監視塔の見張り兵すらいない。だれもみていない。


月は二人を祝福するように浮かび、優しい、青色の月光を、王都の城壁に降ろしてくれる。


「ねえ、静かだね…」

ユーカは目を閉じながら、夢見心地な口調で、少年に話しかけた。

「みんな祭りにいっているから…」


「ああ。そうだ…ね…」

少年は、わずかに緊張した。


「最終テスト…」

ユーカは目を開く。その瞳に、美しい月夜の光が映った。

「どうだった?」


星々は、王都の城壁から見渡せる限りの谷間の大地の空に浮かび、きらきらと光り輝いていた。

静かだった。


暗くて、人気もなくて、二人を照らしてくれるのは月夜の明かりだけ。虫の音がスースーと城壁下の草むらで
鳴き声をたてるくらいしか、物音がしない。


少年は、頬を手でかいて、答えた。「弟子入りしてから初めて……」


ユーカは少年のほうに向き直る。


「受かったんだ。師匠のテストに耐えてみせた。ぼくの剣は初めて完成した」


ユーカは、本当に嬉しそうに、まるで自分のことのにように、嬉しそうに…笑った。

「おめでとう」


「やっと夢が叶う」

少年は興奮したように語り、こぼれる笑みに口を綻ばせながら、話した。

「ぼくの剣が騎士に持たれ、戦場で活躍することになるんだ。必ず騎士の魂になれる。戦いに勝つ剣に
なるんだ!」


「それがライオネルの夢だったもんね」

ユーカは優しく…優しく笑った。


「うん……これもユーカのおかげなんだ」

少年は初めて、自分の気持ちを……ユーカに話した。「いつもいつも……その…洗濯に…きてくれたから。
それがぼくの励みになってくれた」


「いいよ、別に」

ユーカはライオネルから、そっと顔の向きを逸らした。その頬は……赤くなり始めて…。

「だって私は…」

とまでいうと、言葉をとめた。


「…?」

少年には、ユーカの伝えたいことが分からない。いや、分からないフリをした。



ユーカはすると、いったん城壁から顔をみあげてそっと月夜を眺め、王都を裂く谷のむこうの山地を眺めたあと…。


少年のほうに向き直り、少年の手をとって。


「ねえ……いま、二人きりだよ」


そういって、少年をみあげた。

目にうるう、涙のきらきらした透明な滴を浮かべて…少年をみあげた。


そして……目を、閉じた。


ユーカは待った。

待ち続けた。


この日をこの瞬間を……。


怖かった。

目をあけたとき、ライオネルがいなかったらどうしよう……そんな恐怖に震えた。

そんな、震える女の子の体を、少年の手はゆっくりと背中から抱きしめて…


吐息をかんじる。


ユーカは、唇が触れ合うのを感じた。


それはユーカの初めてのキスだった。


涙が溢れてくる。


幸せだった。




でも、唇に触れる感触はたしかにあって……目を閉じたユーカの意識はすべてそこにいった。


ゆっくりと…唇同士がこすれあい、やがて求め合うように。二人は唇を合わせあった。



エドワード城の王都の夜空に浮かぶ月は。


キスする二人を、静かに、照らした。

429


服屋の娘エリカは、王都を囲う城下町の市壁、東門のほうへ走ってきた。


息切れした少女……服は、もう、乱れてしまっていた。



だが、服の乱れなんかもう意味をなさないことを知った。


いや、それどころか、自分の身支度そのものが、もはや、なんの意味もない。




エリカは見上げていた。


月夜に照らされて、城壁の上で唇を寄せ合う二人を。



だれもいない、人気のないところで落ち合い、恋に落ちた二人の抱き合う姿を。


それは、鍛冶屋の少年とユーカの二人がキスする姿だった。



「そう……か」

エリカは、自分の女の勘が正しかったことを知るのと同時に、全てががたがたと崩れていくような、
何もかも失っていく気持ちに襲われていた。


「そういう……ことだったんだ……」


二人はエリカに気づいていない。

エリカだけが二人に気づいている。


恋に堕ちる二人の姿を見守っている。



ユーカは自分より先に動いた。この日、逢引の日に、自分には渡すまいと事前にあの少年と連絡をとりあって、
ここで落ち合った。


そして、恋を成功させた。



自分は負けたのだ。


考えてみれば当然だった。


ティリーナに応援されたから、告白しようなんて思った、他力本願というか、他人に流されるままに恋に
浮かれていた自分とはちがう。


ユーカはちゃんと自分で動いたのだ。

そしてそれが男の子の心をつかんだのだ。


心の中では納得いくのに。自分なんか負けて当然なのに。


涙は溢れてくる一方だった。


「ううううああああ…」

絶望のような、もう消えてなくなってしまいたいくらいの気持ちに駆られながら、ただただ、溢れて
とまらぬ涙が抑えられなくて、膝をついて泣き崩れた。


「うううう…うう…」



悔しい。悔しい。悔しい。


ユーカが羨ましい。ユーカが、羨ましい……。悔しい。悔しい。


失って初めて気がつく、自分の少年への想い。

奪われて初めて気がつく、自分の少年への恋心。



淡い想いを抱いていた恋心は、少年がユーカとキスしている姿をみると、炎のように燃え上がり、
強烈な悔しさと嫉妬を呼び起こした。


秘めた想いは燃え上がる激情の炎となって、自分が到底少年を諦められぬ気持ちに、乙女心は突き動かされた。


それはエリカを絶望させた。



ここで、あきらめて、ユーカを祝福できるくらいの気持ちでいられたら、どんなに楽だっただろう。


しかしそんなこと到底考えられそうにもない。


これから先ずっと、ユーカと、あの少年が、幸せな二人きりの日々を送ると考えただけで……。


狂おしいほど嫉妬に駆られる。もうそれは本当に、嫉妬そのものだった。



エリカのことを不安に思ったスミレが、エリカを追いかけて、ようやくエリカを見つけて、やってきた。


「…エリカ」

スミレは、泣き崩れて地面に手をつくエリカの肩を持つ。「どう…したの?」


スミレはエリカの泣き崩れる理由をたずねた。


しかしエリカは首を横にふった。

「ううん……なんでもない」

エリカは嘘をついた。


しばらく何の言葉も発せられないくらい、泣き崩れていたが、やがてエリカは立ち上がった。

新品の衣装は、涙と、地面の土で、濡れて汚れた。


「もどろ……ティリーナたちのところに。祭りはまだまだ、これからだよ」

エリカは涙をふいて立ち上がった。

スミレの手をひっぱる。


スミレはエリカの泣き崩れた理由が分からないまま…


一緒に、お祭りへと戻った。

430


エリカとスミレの二人が、城下町の通路を歩いているとき。

不思議な白色の靄が、ハーフティンバーの街路を包み、二人を、迷子にさせた。


エリカは、感情を全面にだして泣き崩れ、手を口にあて、涙をこぼしつづけている。

スミレはそれを支えるように、エリカの背中を抱えていたが、ついにエリカは道の途中で膝をついてしまい、
石畳の地面に崩れ落ちた。

「エリカ!」

スミレがエリカ、助け起こそうとする。背中をなでる。

そして、正体を隠して友達と付き合っていたこの気弱な魔法少女は、迫りつつある白い瘴気の気配に顔をこわばらせた。


「こ、こんな…ときに」

スミレは左右を見渡し、この瘴気の出口へすぐエリカを連れ出せないか期待した。

だが、瘴気は濃くなる一方で、スミレと、エリカの二人を完全に包み込み、のみこんだ。ハーフティンバーの路地裏の小路は、
出口のない魔獣の発生源となる。

まさにメーデー前夜祭の、人々が夜遊びにはしゃいでいる街角で、魔獣と戦うことになるなんて。


スミレは、気弱な魔法少女。

泣き崩れるエリカの隣で、ソウルジェムの魔力を解き放つ勇気が出せない。すれば正体をエリカに知られてしまう。



けれど、いま、魔獣と戦わなければ、エリカは邪気に犯されてしまう。いや、ひょっとしたら、魔獣を呼び寄せたのは
エリカの何か黒い感情なのかもしれない。


白い獣たちが姿をなし、魔法少女の敵、魔獣たちがハーフティンバーの小路を両側から迫ってきたとき、スミレはぎゅっと目を
閉じた。諦念と共に。


そして、そのとき、あらわれたのは。



「とおおおおっ!」


こんな魔法少女狩りの狂気が荒れ狂う町で、正義感を忘れず、戦い続けたスミレの友人。



ユーカだった。


ユーカは、魔法少女に変身し、杖をもち、エリカを襲う魔獣たちの頭をたたき、弾き飛ばす。魔獣たちは消えた。


ひゅっ。スタッ。

石畳の路地に着地し、その変身姿を、スミレとエリカ前に晒す。

「ユーカ…」

エリカが、目にためた涙を、魔法少女であるユーカに向けた。

「スミレ、エリカを離さないで、そばにいてあげて」

ユーカは、戦闘態勢をとり、くるくるくるっと杖をまわし、構えをとると、スミレに告げた。

…こくり。

スミレは、無言でうなづき…。


エリカはあっけにとられて、恋敵が、魔の獣という人を脅かす存在に魔法少女として燦然とあらわれ、怪物たちに立ち向かって
いく後ろ姿を、眺めていた……。

そして泣いて顔が赤いエリカは知った。


鹿目円奈ちゃんの話は本当だった。

城下町の行方不明は、魔女がサバトの集会に連れて行ったのではなかった。それは王の策略が広めたデマ話だった。

その脅威の正体は、魔獣だった。そして、それを倒すため、魔法少女たちが戦っていた。

こんな、魔法少女が悪者にされて火あぶりにされてしまうような、苦しい境遇の町でも。ユーカは、魔法少女として、
城下町のみんなを守るために、戦っていた。


エリカは、ユーカが、魔法の杖をつかって、魔獣たちをたたき、粉砕する雄姿を眺めて…。


また涙した。




わたしの大好きな人を奪いとった恋敵が、みんなを守る正義の味方だったなんて…。

もう、わたしには、ユーカに勝てることが、何もない。


ユーカは、魔獣に襲われたわたしを助けた命の恩人になったのだ。



「エリカ!だいじょうぶ?」

何も知らないユーカは崩れ落ちたエリカの下に駆け走ってきて、華麗なる魔法少女の美しい変身衣装のまま、
エリカの手をとって立ち上がらせた。

「うん…」

じわり、エリカの目に涙が滲んだ。ユーカに助け起こされ、手をとられて。

そしてその涙に滲んだ目をしたまま、透明の粒を大きくさせ、そっとユーカに言った。


「わたし…もう大丈夫だよ。ありがとう。ユーカ…魔法少女に変身した姿、きれいだね」


ユーカは、頬を赤く染めた。自分の魔法少女姿がきれいだねといわれて。

そんな、好きな男の子とキスした恋敵の友達の、頬を染めて照れる魔法少女姿を、めいっぱい祝福するエリカの心中は。

せめて恋敵の前でこれ以上泣き崩れる姿をみせたくない意地と心の裂けそうな悲鳴に、黒ずんでしまった。



一方でユーカは、幸せいっぱいに笑っていた。

「秘密がバレちゃった…。えへっ…ねえエリカ、私が魔法少女だってこと、みんなには秘密にしてね」

なんてのんきにいう、きれいな変身姿をした恋敵だった。

そしてエリカは、命の恩人に対してそれに精一杯、応えるのである。


「うん…わかった、秘密にする…約束する…」

といって、少女はか細い指を、ユーカの小指と、絡めたのだった。

目と目を交わす二人の少女。一人はエリカ。一人は魔法少女に変身したユーカ。

この魔女狩りの王都の城下町で、二人の娘はいま、ひとつの秘密を守ると約束を指きりして交わす。


「指切りげんまん…ウソついたら針千本…のーます…えへっ」

嬉しそうに微笑むユーカ。エリカと小指同士を結ぶ。

二人の少女は約束を交わす。



このときは、おふざけで針千本のます…なんて、そういってただけなのに。

430


お祭りは終盤になり、締めくくりを迎えていた。


夜は更け、新しい朝の日が昇ってきていた。



しかし、たくさんの人が酔いつぶれ、そこらじゅうごちゃごちゃになったテーブルの下、地面にぶっ倒れ、
眠りこけていた。


ぐーぐーといびきもたてた。



ダンスで踊る男女はいなくなり、だれもが眠りモードだった。


女の大半は帰ったが、逢引に成功した男女は情事の余韻に浸っていた。ただ酒飲むだけか好き勝手暴れた男は
大半が眠りに落ちて、ビールとこぼれた汚いテーブルに突っ伏して眠っていた。


鹿目円奈も眠たくなって、うとうとしていた。


それに、頭がガンガンした。


目の前には矢の刺さったリンゴが並んでいる。


どうしてこうなったのかあまり覚えていない。


ティリーナの仲間たちは帰ったが、キルステンはなんと夜通し通じた男女民踊ダンスに参加して逢引に成功し、
恋を成就させた。


アルベルティーネとスミレ、エリカは家に帰り、円奈の座るテーブルには眠そうにあくびをするティリーナと
皮なめし職人の娘チヨリは机に突っ伏して眠っていた。

黒い髪をテーブルに垂らして。



円奈は、夜空が明るくなりはじめた早朝の冷気を感じながら、グラスにのこったブドウ酒の水面をみた。


そして、もう飲みたくないと思った。


「ううう…」


額をコツン、と指で叩く。


がんがんは収まらない。

ひんやりした空気の流れる夜明けは、閑やかで、夜の大騒ぎが嘘のよう。


物静かであり誰一人の話し声もきこえない。



夜明けに吹くそよ風さえ聞き分けられるほどだ。


その風は肌に心地いい。昨晩の耽るような熱気を癒やしてくれるかのようだ。


青色の静かな夜明けにふくそよ風は、まるで夜と朝を支配する大地が、夜更け騒ぎもほどほどにしなさいと
いってくれるかのように。


優しく、落ち着きのあるものだった。


とはいえ相変わらずお祭り騒ぎのあったテーブルはどこも汚かった。

もう誰も騒ぎ立てていないが、テーブルに散らかされた皿と食べかす、食べ残し、こぼれたビールはまだ
ボタボタとテーブルから地面へ、水滴の音たててしたたり続けている。


片付けが、大変そう……。


なんて他人事のように思いながら───実際他人事であったのだが───、矢の刺さったリンゴを齧って
食べた。

夜が明けるとエドワード城の姿も朝ぼやけの中、霧に包まれながらおぼろげに全貌が見えてきた。


その屹立とする城の景観は圧巻。高さ700メートルの石の城である。



王都の城であり、エドワード王の城である。


「エドワード王…」


円奈は城の、想像絶するほどの高さの城のてっぺんを、みあげ、その口から小さく声を漏らして呟いた。


「あそこに王が……」



その高さは空に浮かぶ青い雲に届きそうな厳然たる王の象徴。


文字通り庶民には手の届かない、天に君臨する王の要塞だ。



いったいどうして、王は魔女狩りと称して魔法少女を迫害するのだろうか。


なぜ王は、魔獣を倒す、人を助ける存在であるはずの魔法少女を、こんなひどい仕打ちで追い詰めていく
のだろうか。




円奈には分からない。


そして、その理由を、できることなら王に問いかけてみたい気さえしていた。



もういっそ、本当に城の王の間へ出向いて、エドワード王に対して、問いかけてみようか。



しかしその発想はすぐに愚かしいことだ、として円奈は頭から振り落とす。


敵地に単独で乗り込む愚か者はいない。



あたりを見回すと、男女が手を繋いで民踊を踊ってきた焚き火の炎も、夜を照らす松明の火も、すべて
消えていた。



「宿に戻ろう…」


円奈はそう思い立ち、すっくと席を立った。


「ユーカちゃんとまた話さなくちゃ……」


それから、まだ眠そうに、口に手を添えてあくびしているティリーナと、机に突っ伏して眠りに落ちている
チヨリの頭をちょんちょんと叩いて、起こしてあげた。

「帰ろ…」


ティリーナとチヨリは、重たそうに体を動かして、あーっと手をだして伸びしたあと、席をたった。


「あー…絶対太ったわ…」


ティリーナは、腹を撫でながら、ショックを受けた顔つきでとぼとぼ、城下町の十字路の南通路へ
むかった。

「あしたからお母さんにご飯の量へらしてもらお…」


円奈も一緒になって、十字路へ戻り、そして眠たさをこらえながら、高級宿屋に戻ると、借りた自室に
もどって寝台について眠った。

今日はここまで。

次回、第56話「鏡よ、鏡」


第56話「鏡よ、鏡」


431


服屋の娘エリカは、家に戻って、部屋に着いた。


朝を迎えると、鏡の前に立った。



鏡の前に、いつもの普段着にもどった自分の姿が映った。


黒い髪。肩の下まで伸びている。瞳はこげ茶色。何の変哲もない女が鏡の前に立っていた。


鏡は、全身鏡ではなく、壁に吊るした顔だけ映る鏡だった。


石を彫刻した鏡は、天使やら葉っぱやらの彫刻が、施された、高級な女の子用の鏡。



そしてエリカは、鏡の前に立ち、自分の顔と、髪型を見つめながら、いろいろ髪型を弄り始めた。


鏡台の引き出しからいろいろな髪飾りを手にとって、あんな結び方こんな結び方、こんな髪飾り
あんな髪飾り、とにかく時間をかけていろいろ試した。


どうしたら一番、美しい髪形に見えるだろうか。どの髪飾りが、一番私に似合うのだろうか。



試しに試して、長いこと時間かけて、研究した。


おさげの三つ編みにしたり、髪飾りは、花をつけてみたり、蝶を象った赤いリボンで髪飾りにしてみたり。


これは自分に似合わない、ちょっとやりすぎ、リボンが浮いている、色が合わない、おさげの垂らし方に
違和感がある、いっそダンゴのほうが…。


エリカは髪型を一生懸命、研究しつづけた。鏡の前で向き合うこと40分以上たった。

朝に櫛を髪にかける時間は普段よりもさらに増した。髪はきれいに、乱れなく、整えて。


それに、顔の肌ももっと明るくしたほうがいいし、白いほうがいい。日焼けに気をつけよう。


もっと痩せたほうがいい。食べ物は減らそう。

いろいろなことを思った。



そして、それは、ユーカよりも……。


ユーカよりもきれいになりたい、ユーカよりも可愛いと思われる女になりたい、と思っていた。

美しく魔法少女に変身していたあのユーカよりも。

432


その日も昼になった。


昼になると、さすがに役人たちが動き出して、昨晩の賑やかなどんちゃん騒ぎと暴飲暴食の汚れたテーブルを
片付けはじめた。


とはいえすぐに片付けられるほど簡単な作業ではなかった。


10人ほどの役人が、麻袋やら箒をもって片付けているが、地道で、一向に昨晩の散らかされた痕跡は始末され
そうにない。


そこに近づくだけで地面そのものがビールくさく、肉の腐った臭いがたちこめ、しかも足の踏み場もなく食べかすが
ちらばめられて、焚き火の炎は焦げてこれもまた臭う。


ひどいものだった。


しかも昨晩の祭りの浮ついた興奮が抜けていない男たちがいまだに痴話にふけった。




ギルド議会長の娘ティリーナは、いつもの仲間たちを集めていた。

チヨリにアルベルティーネ、キルステン。


キルステンはご機嫌だった。


日照りの朝からニコニコ幸せそうな顔がとまらなかった。そしてすぐ妄想の世界に旅立って幸せそうにほげーっと
ふやけた顔をした。


「はあ…のろけてるわ」

ティリーナ、両手を広げて呆れた声をだす。


「うふ…うふふ…」

キルステンは幸せそうに笑っていた。「エミールと私……恋人同士だよ」


「まったもう…こんど二人を連れてきてよ」

ティリーナはキルステンを祝福してあげていた。「彼氏を私たちにも紹介して?」


「ええっ、いやだよう…」

キルステン、頬に手を添えながら、くねくね。「私だけの彼氏だもん…」


「うわー、これは裏切りだよー」

ティリーナはキルステンのことをそういったが、嬉しそうにしていた。

「よかったねー。今度二人の話聞かせてね」

キルステン、嬉しそうに微笑む。「うん」

433


円奈とユーカの二人は井戸のあたりで落ち合った。


一日ぶりにユーカに会った途端、なんだかユーカが綺麗な女の子になった、と思った。


円奈も女であったから、同性である女の変化にすぐ気がつくのだった。


壁際に身を寄せて、円奈を待っていてくれた茶髪の、黄色くて煌くような瞳をした魔法少女は、
この日もオレンジ色の髪飾りでポニーテールに結いで、幸せそうな、花の香りを放っている。


昨日よりも、ユーカはずっと綺麗になっていた。


同じ少女である円奈もどきっとするくらい、きれいな色香に包まれていた。


「円奈、今日も魔獣退治、はりきろーよ」


自信たっぷりで、どこか煌いてすらいる美しい魔法少女のユーカは、明るい顔をして、円奈に話しかけてきた。

昨日までと様子がぜんぜん違う。


「ねえ、円奈は昨日どう過ごしたの?」


ユーカは楽しそうに話しかけてくる。「お祭りにいったの?」




円奈は、ティリーナたちと過ごしたお祭りの昨晩について話した。


それはユーカを驚かせた。

「ええっー、!てゆーか……いつの間に円奈とティリーナ、友達になったの?」


円奈は、うんと頷き、自分とユーカで夜間外出していることを教えたことも話した。


「それで、ティリーナは?」

ユーカはちょっと警戒心を強めた目をした。


「私たちを応援するって…」

ちょっと不安げになり、胸に手をあてがいながら、円奈はユーカに話す。



ユーカはしばし無言だったが、目を閉じ、「まっ、いっか」と息つくと円奈を見上げた。

「なんだかうまくいけそうな気がする。円奈、私たちのしていたこと、やっぱり無駄なんかじゃなかったんだよ。
ティリーナたちはわかってくれた。私たちが懸命に魔獣と戦い続けていること、これかももっとたくさんの人に
もかってもらえば……」


「魔女狩りもとまる?」


円奈は心配そうな目をして訪ねた。


ユーカは、うんと頷いた。「王は考え直してくれるよ」



ユーカは浮かれていた。恋を成就させたのだから、浮かれないわけなかった。

そして楽観視していた。魔法少女狩りの城下町という恐怖の事態を、甘く見ていた。


そしてなんだか、円奈もユーカも、はやくもこの魔女狩りの町の狂気を克服し、正義を取り戻せる気でいたのである。


かつて、世界が作り直される前、今は聖地に生きる魔法少女・暁美ほむらはこう言った。


度を越した優しさは、甘さに繋がる。蛮勇は油断になる。そしてどんな献身にも、見返りなんてない。
それをわきまえていなければ、魔法少女は務まらない。だから巴マミは命を落とした。


ユーカの、王は考え直してくれる、人々は魔法少女狩りをやめてくれる、と期待して、魔獣退治を続けるという
献身は、果たして見返りを得るもののだろうか。



暁美ほむらの忠告からすれば、そんなはずはなかった。

434


服屋の娘エリカは、母から任された服の裁縫をぜんぶほっぽりだして、また鏡の前に立っていた。


この日の夕方も、髪型の研究を熱心にした。


三つ編みにして結び、肩から前に垂らす。まだ、もっと可愛い自分はないか……もっと可愛い髪型にしたい。



鏡の前にたち、何時間だって可愛い自分を研究した。

どうしてこんなことを…。

もう、ユーカに勝てることはない。あの好きな少年とキスしてたし、魔法少女で正義の味方だし、しかも命の恩人だ。

見た目も愛くるしくて、目も二重でおおきくて、わたしより女の子らしい。

何一つ女として勝てない。



女性が肌を晒すのは好ましくないとされたこの時代、鏡の前に立つことも、実は好ましくないとされていた。


鏡には”悪魔”が宿るモノだと考えられていた。



男にとって、女が長時間、鏡の前に立つことは浮気の兆候であったし、鏡の前に立ち、いつまでも
自分の容姿にうっとり眺めて夢中になっている女というのは、性悪な女のすることだと思われた。


鏡に映るむこうの世界は悪魔の棲む世界である。


額の鏡面に映っている自分の顔は、自分の顔ではなく、鏡のむこうの悪魔が自分の顔に化けた顔である。



「鏡よ、鏡。この世界で、最も美しい女性はだれですか。」


鏡に宿る悪魔は答える。


「それは、あなただ。」


こう答えてくれるうちは、女はいつまでたっても鏡の前にたっていられるし、悦楽に浸っていられる。

鏡のなかの悪魔が自分に化けた美しい顔を何時間だってうっとり見つめていられる。



ところが。


「鏡よ、鏡よ。この世界で、最も美しい女性はだれですか。」



鏡に宿る悪魔はついに本性を現して、答える。



「それは、ユーカだ。」


女は鏡が、一番美しい女性はあなただと答えているうちは、歓びに浸っているが、鏡が別の女の名前を
あげたときは恐ろしい嫉妬に駆られて、やがて女は恐ろしい魔女となる。


鏡が名前をあげた、最も美しい女を殺すための、毒リンゴを籠に積んだ、醜くしわがれた肌の魔女に変身する。


「鏡よ、鏡。ユーカがいなくなったら、世界で一番美しい女はわたしですか。」


悪魔の宿る鏡は、こう答える。


「エリカよ、エリカ。ユーカがいなくなったら、あなたが世界でもっとも美しい女になる。」

今日はここまで。

次回、第57話「こんなの絶対おかしいよ」

第57話「こんなの絶対おかしいよ」


435


鹿目円奈とユーカの二人は井戸のあたりで行動を共にし、円奈は井戸の水を飲んでいた。


たくさんの城下町の人がまわりにいた。



ついさっき、新たな魔法少女が発見され、告発されて公開処刑が起こったばかりだった。


その魔法少女は公衆の面前で公開処刑となり、拷問台に仰向けに縛り付けられたあと、腹を裂いた箇所から腸
をぐるぐると巻き上げ機によって巻き上げられた。


城下町の公衆たちは人間の腸が腹から引き出されて、巻き上げ機の軸に絡めてられていく様子を
目の当たりにしていた。



しかし魔女は死ぬことがなかった。


魔法少女の、小さなやわらかな腹から、切り裂いた一部から腸をとりだす。そして、出てきた腸の先端を、
ローラーに巻きつけ釘うち、固定して、巻き上げ機を回して巻き取る。小腸はローラーにぐるぐる絡みつく。


体内の内臓をどれだけ外気に晒したって生命は一向に脅かされないのである。


ソウルジェムさえ、無事であれば!



しかしこの拷問にかけられた魔女は絶望的な顔をしていた。自分が人間ではないこと、化け物であること、
怪物であることを、まざまざ見せ付けられ思い知らされる気分だった。

魔法少女の生態を暴く拷問ショーは、日に日に残忍さを増していく。ただ、痛みを感じない体をしている、
それさえ暴ければよかったのに、魔法少女狩りが烈しくなると、人間の拷問の発想は狂気を孕む。


まるで魔法少女たちが、もう人間ではない体をしているとわかった上で、その体をいじくる新しい拷問を
考案したかのような。


審問官たちは歯車のアームを回し続ける。


腸はゆっくりと体外へと絡めとられて、引き出されていく。腹から細長い腸が伸び、外気に触れ、
やがて歯車のまわすローラーにぐるぐる何重にも巻きついていく。


今も巻上げ機にぶらさがっている。


魔女は、体内のいっさいの贓物が生命を維持する上でまったく意味をなしていないことを、こうして
審問官たちによって暴き出され、思い知らされ、そして公衆の面前にもそれをさらした。



この残虐行為を止めようなどと言い出す者は一人もいなかった。


むしろ城下町の人々は魔法少女狩りを支持した。


男はもとより、女までもが支持して、魔法少女をやっつけろという空気で一色に染まっていた。



しかしこれは、ソウルジェムを生み出して、それさえ砕かれなければ無敵、という生態をした魔法少女たちへの、
人間からの反応なのである。



魔法少女たちは、こうなることを恐れて、ソウルジェムの秘密だけは人間たちの手から守り抜いてきた。

しかし今やそれは暴かれた。


城下町の人間は、魔法少女を告発して、魔女刑にかけ、拷問が残酷であればあるほどよいと思うようになった。



この恐慌状態は、いまにはじまった話ではない。


むしろいつの時代でも起こりえた恐怖だ。


巴マミの世代や、美樹さやかの時代であっても、ソウルジェムの秘密が人間に知れ渡れば、同じような
残酷な反応を人間はしたかもしれない。



そして、このような残酷の現実があるから、魂を抜かれて人間ではなくなったとしった魔法少女たちは、
そのありのままの事実を知ると決まって絶望的な反応をするのだった。



しかし、カベナンテルはその昔にいった。その少女たちの反応については、”わけがわからない”と。



鹿目円奈は魔女の公開処刑に吐き気すら催してしまい、いま井戸にきて、水を飲んでいるところだった。


「うう…」

その顔色は青く、かなり悪い。ユーカが心配げに円奈を見守っている。


「こんなのってひどすぎる…」


それが円奈の示した反応だった。

他の城下町の人々の、魔法少女への残酷な反応とちがって、魔女刑の拷問に対して生理的な拒絶を示していた。



それが、普通の反応であるのか、それともこの城下町においては浮いているのかは、わからない。


しかし少なくとも城下町では魔法少女狩りムード一色であった。



それに大して魔法少女はだれも抗議の声をあげられなかった。こんなことはやめてくれ、といえなかった。


もしいえば、城下町じゅうの人が敵にまわる。

民衆だけではなくて、その家族や友人からも、”あいつは化けもの”と思われるようになる。


そんなふうになって城下町に暮らせる魔法少女はいない。



ミラノやロワールのように、城下町の暮らしを諦めて、どっか他国に逃げ出すくらいしか選択肢はなくなる。


しかしそれも、こんな乱世の時代では、とても危険なことなのである。


外の世界に一歩出せば、そこは戦国時代、群雄割拠の暴力の世界である。


森の魔法少女は、自分の土地を縄張りとし、その縄張りに踏み込む異国の人間は切り殺す。



誰にもこの魔法少女狩りは止められないのだろうか。



ユーカは、井戸の水を桶で飲み干して、けほけほとむせながら背中を丸める、気色を崩した円奈の背を
優しく叩いて撫でてあげていた。


「絶対に……私が…」


円奈はまだ顔が青い。ちゃんと立ち上がることもできない。それくらい、目にしてしまった魔女審問は、
残忍なものだった。


「私が絶対に魔法少女狩りをとめてみせる……」


ユーカが円奈の背中を撫でてあげながら呟いていたまさにそのとき。


災厄は起こった。


服屋のエリカは城下町の十字路を歩いて、この日も髪型の研究を重ねたあと、日課の井戸汲みへむかいに桶を持っていた。

するとエリカは、円奈と一緒にいるユーカと目が合った。

井戸のそばで二人一緒になっている。


途端に嫉妬がこみあげてきた。

憎しみが。

ユーカと鍛冶屋の少年が結ばれ夜月の下で唇を重ねたあの光景が思い出される…。

その猛烈な嫉妬がこみあげてきたとき、エリカの口に悪魔が宿った。


「魔女だ!」

きづいたら、エリカの口から、そんな言葉がでていた。



城下町の人々が、いっせいに顔をエリカのほうへむける。


洗濯物を運んでいた女たちが。仕事をしていた男たちが。遊んでいた子供たちが。



誰もがいっせいに動きをとめ、視線をエリカへむけた。


そのエリカは、城下町じゅうの人々の視線を一心に集めながら、まっすぐ、指を差していた。



その指がさす先にいるのは……。



井戸の傍らに立つ、ユーカ。


魔法少女のユーカ。



「その女は魔女だ!」


城下町じゅうの人が、エリカが魔女だと叫んで指差したその先にいる少女────。


ユーカを、見た。



男が。女が。子供たちが。老人たちが。民衆たちが。



ユーカを、見た。


疑いの目で。



ユーカは目を見開き、瞠目して体を震わせ、自分を告発したエリカを呼んでいる。「エリ…カ…?」

昨日、スミレと一緒に魔獣の結界にとらわれ、ユーカが助けた友達の女の子。



エリカは、ユーカを指す指先を下ろさなかった。むしろますます強く強く、ユーカを指差すが如くだ。


その声も大きくなっていった。


「この女は夜間に外出している!わたしは見た!」


エリカは恋敵に対して、その命の恩人に対して…魔女の告発を叫んでいた。


「この女は夜に魔法を使っている魔女だ!」




その声は、とても大きくなって、エリカの声は城下町の十字路じゅうに轟くかのようだった。


そして声を聞きつけた城下町の人々はどんどん反応を示し、悪い魔女はどこだ、十字路の井戸に集まりだした。



ぞろぞろぞろ…。

人だかりの足並みの音が大きくなると、ユーカは自分の身に起こったことを理解した。


それは、いま自分が、告発され、魔女の疑いがかかっているという事態だ。


ついさっきユーカが見た、腸巻き上げ機の拷問が頭に思い起こされる。



いや、それだけではない。


魔女の椅子、焼きごての拷問、滑車とロープで吊るし骨の関節を壊していく拷問、逆さに吊るされ股から
ノコギリで引き裂かれる、小指の骨を貫く針の拷問、その数々が。


そしてユーカは心に恐れを感じた。

まさにその拷問の数々は、いまユーカ自身に現実のものとして、迫ろうとしている。


そして待ち受ける最後の魔法少女としての死は……。




火あぶり。

ソウルジェムのごと火のなかに炙られる死だ。



「…ちがう」


ユーカはこみあげる恐れのなか、震え上がるような重圧のなか、自弁をはじめた。「…ち、ちがう!私、
魔女なんかじゃ……」

ない、とまでは言い切れないユーカ。

この場で、つまり公開拷問に晒されたら、ユーカもついには人間ではない生態を審問官たちに暴かれてしまうだろう…
という恐怖が、ユーカを襲ってきた。


ものの数分後には、魔女刺しの針によって体じゅう針だらけになって血を流しているか、
腹を裂かれているだろう。審問官たちの刃物によって。



城下町に集まってきた観衆のあいだを割って、審問官たちが騒ぎをききつけてやってきた。


5、6人の審問官たちは、ユーカの姿をみとめて、頷き、近寄ってくる。


「いまからお前が魔女か人間かを確かめる」


その審問官の宣言は、ユーカを恐怖と絶望の底に突き落とすかのように残酷だった。



そして、魔女の疑いを一度でもかけられた女が、魔女審問と拷問処刑を避けた例は一度もない。

まして生き残って、火あぶりにならなかった例は、一度もないのだ。


オルレアン、ヨヤミ、ベエール、マイアー…。ユーカの仲間の魔法少女たち。皆、連れ去られた。


自分のせいで。


クリフィルの言葉が、ユーカの記憶に蘇ってくる……。



”みんなそれぞれ魔女と疑われないように生活するといい。それじゃあ。みんな、達者に生きろ”



ユーカは魔法少女狩りの現実に直面した。

僧服の審問官はユーカの手にはまった指輪をみとめ、他の審問官たちに指示した。「指輪を奪え」


指示を受けた審問官の手がユーカへ伸びる。


そしてユーカをタッチしかけた瞬間、ユーカは逃げた。


「い、いやっ!」


その手を払う。指にはまったソウルジェムを人間の手から守る。


「やめて!」


「審問をうけろ!」

城下町の人々は叫び、手をふりあげながら、ユーカを糾弾した。「化物め、本性を知られるのが怖いのか。
人間なら審問を受けられるだろう。身の潔白を証明してみせろ、できやしないだろう、悪魔と契約した
んだろう!」


ユーカは自分の言われている言葉が信じられない。


城下町の人々はひたすらユーカを魔女扱いした。誰も正義の味方だなんて思っていなかった。

思うはずもなかった。


ただただ、この城下町に起こった悪いこと、行方不明者の続出と、魔女狩りという狂気が、女の生活を
圧迫していること、そのすべての責任がおまえにあるといわんばかりに、ユーカを睨み、悪口をいい、
そして罵った。


それはユーカにとって、信じられないことだった。



だって私は魔獣とずっと戦ってきた。



ほかの魔法少女たちが、魔女狩りの恐怖に屈し、活動をやめたなか、自分だけは城下町の人々を助ける
ために魔獣とずっと戦ってきた。




そしてそれは人々にいつか認められるものだと思っていた。うまくいけば魔女狩りもとまると思っていた。


魔法少女こそ正義の味方であると思い出してくれると思っていた。




現実はそれとはかけ離れた。


「どう……して」


ユーカは呆然と立ち尽くす。魔女だ魔女だと罵られ、疑われ、魔獣の起こす悪いことはぜんぶ
魔女であるユーカのせいにされて、人々はユーカに手ひどい拷問がくだることを求めている。



だが人間にしてみれば、目に見ることもできない魔獣が悪いことを世にもたらしている、と説明されるより、
人間の女が悪魔と契約した魔女のせいである、と思い込んだほうが、遥かに信じやすかったのである。


この世で起こる悪いことはぜんぶ、魔女のせいである。



いまユーカは世の悪いこと、すべての責任を城下町の人々から求められていた。


ユーカ呆然と立ち尽くし、気力を失って、朝の希望に満ちた恋する魔法少女の姿はうそのように、
表情を固くした少女になった。


その固い顔は自分を告発した友達、エリカをみた。


「エリカ……どうして」



呆然と立ち尽くしたユーカはエリカの裏切りを眺めている。いや、ユーカにとって、城下町すべての人々の
罵りが裏切りだった。


私は、あなたたちを守るために、命をかけて魔獣と戦ってきたのに……


私を魔女だというの…… 火に焼かれてしまえというの……

秘密にするって…


約束していたのに!



「……ひどいよ…」

ユーカは小さな声を口にもらした。やがて、それは、叫びへと変わった。「……エリカ!ひどいよッ!!」



だが、遅きに失した。2人の友情は裂かれた。

どうすることもできず…互いに助け合うこともできず…エリカは、恐怖の目つきを顔に浮かべ、ユーカに魔女の疑いが
かかって囚われていくのを見ているだけ。


審問官の手がふたたびユーカへ伸びた。指輪を奪い取ろうとする手だ。


ユーカはその手から逃れ、走った。「ちがう、私は魔女じゃない」


それから自分を取り囲む城下町の人々にむかって、叫んだ。


この真実の声は、誰にも伝わらない。


誰にもわかってくれない。



献身に見返りなど、ない。


暁美ほむらがいつかいっていた通りだ。


「なにをわけのわからんことをいう!」

城下町の男はユーカを指差し、怒鳴った。「悪魔と契約したんだろう!」


ユーカはショックを受けて瞳孔を開き、自分が少年を助けるために契約した祈りが、悪魔と契約したなんて
言われ方をされて傷ついた。



城下町の人々の残酷さは、あまりにも冷たい。


そして人々は、ハンマーやら棍棒、ノコギリなど、さまざまな武具をもって、ユーカに接近をはじめたのである。



それは城下町じゅうの人々が。


ユーカを取り囲む観衆は、魔女を捕らえるべくさまざまな道具をもってユーカに近寄りだした。


左右前後すべての人々が敵。その手にはいろいろな凶器が持たれている。町の大工から借りたものだ。
自宅から持参されたものもあった。

正義感の強い男達がすぐに持ってきたのだ。悪い怪物をやっつけろ、と声をだしながら。



「…やめて」

ユーカは、怯えて、逃げ道をさがす。


もちろんどこにもない。


左右にも背後にも、城下町の民がユーカに迫っている。



また審問官の手がのびてきた。


「やめて!」

その手を振り払い、ユーカは逃げた。すぐに背後で城下町の男とぶつかった。

そして城下町の男は…



鉄のハンマーでユーカの頭を、思い切り殴ったのだった。


ドゴッ



「あ…」


ユーカは、こめかみに入った鉄のハンマーに叩かれ、頭部から血を飛び散らせた。赤い血飛沫は、空気中へ
こぼれて十字路の地面を数滴、濡らした。血の点々が地面にこびれついた。


そして、ハンマーに頭をたたかれ、意識が朦朧とすると、まるで時間がおそくなったように、倒れていく
自分の視界はゆっくりと反転して、その瞳は灰色の雲が厚く覆う空を見上げるのだった。


「ああっ…」


頭から血を飛び散らせながら、目の瞳孔をひらいて、ゆっくりと体が仰向けに倒れる。


ガタッ…


背中が地面に落ちた衝撃音がした。体はバウンドして跳ねた。

時間がおそく感じられた。



ユーカがハンマーに頭を叩かれ、出血して、ぶった倒れたのは、ほんとの一瞬の出来事だったのだろうけれど。

本人には、まるで数分の時間のように感じられた。


宙を舞っている感覚がひどく鮮明に、長く感じられた。


その間、さまざまな記憶が脳裏を横切っては消えていった。

魔法少女に憧れはじめた頃の自分、オルレアンさんに魔法少女の意義を教義してもらった頃の自分、
魔法少女になった自分、円奈と出会い、魔法少女としての自分の信念を信じて戦い続けてきた自分……。

あらゆる記憶があぶくのように出てきては消え、弾けた。


そしてボタボタと、頭から飛び散った血飛沫とともに、背中から地面へ落ちたのだ。

バタっ。

ユーカは血まみれの頭を地面に打ちつけて空をみあげる。灰色の空を。


これが、魔法少女になる道を選んだ自分という存在の結末だった。


すぐに審問官たちが指をユーカの手から抜き取る。



ユーカは、ソウルジェムを取り返そうとしたが、体が思うように動かなくなった。意識がぐるぐると
まわっていて、空をみあげる景色はくるくる回っていた。


指輪は審問官たちに持ち去られた。


すると魔法少女としての脱け殻の体だけが本人に残された。


血はボタボタと、十字路の地面と井戸にこびれついて、赤く塗らしたけれども、血など魔法少女にとって
大して意味はない。



ユーカはこめかみを血で真っ赤に染めながら虚ろな目をして空をみあげて、呻いていた。


「ああ…ああ……あ」


意識がだんだん薄れていく。

ソウルジェムの指輪が離されていく。もうじき、私は死ぬ。魂と100ヤード以上切り離されて。



町の人たちの声が、ぼんやり意識の水面下にきこえる…ぼんやりと…


とらえたぞ、化け物。おまえの悪事も、そこまでだ。

やったぞ、悪い魔女を、懲らしめたぞ。




ああ…円環の理さま…。


私、魔女にはなりたくない……。火あぶりになりたくない…。魔法少女として、あなたに導かれたい……。



みんなを助けるために戦いつづけた魔法少女は、みんなに悪者にされ、憎まれながら罵られながら拷問される運命を辿る。

腹を裂かれ、針を刺され、最後には体を焼かれる。


勇気と正義は敗れた。


…いや、まだ敗れたと決めつけるのは遅い。


正義と勇気は残されている。城下町の狂気のなかに、それは残されている。

それが新たな希望をもたせすのか、それともさらに事態を悪化させるのかは、別にして、だ。



「まって!まって!こんなことやめて!」

鹿目円奈は、井戸の傍らに掴まって体を支えていたが、ユーカが連れ去られるのも寸前となると、
懸命に走り出し、そしてユーカを連れ去ろうとする審問官たちに飛びかかった。


誰も抗議しなかったのに、円奈は審問官たちに抗議の声をだしたのである。



城下町じゅうの人が見ているなかで。


「その子を連れていかないで!」


一緒に魔女火刑をとめる、そう約束した友達の魔法少女が、王城へ連れ去られようとすることに。


そして魔女裁判そのものに。


鹿目円奈は、ついに、抗議の声をあげた。




「こんなの、絶対おかしいよ!」


渾身の想いで円奈は審問官たちと、城下町の人々にむかって、叫ぶ。

そうだ。


鹿目円奈の今の使命は、王の魔法少女狩り、この理不尽にして狂気、残酷そのものな魔女狩り裁判と戦うことだ。


ユーカとそれを約束したではないか。


抗議の声をあげよ、円環の理の生まれ変わりよ!



「こんなこともう止めてください!」


城下町じゅうの人々を敵に回しながら、円奈は懸命に声をあげる。


「こんなのってひどすぎます。みんなはひどいって思わないの?」


胸に手を当て、城下町の人々を見回しながら、円奈は呼びかける。

城下町のみんなに。人々に。狂気に駆られた観衆に。



正気を取り戻して、と。


「人が火で焼かれたり、縛り付けられて吊るされたり、切断されたり、どうしてこんなことばかりを
繰り返し続けるの?」



円奈は城下町のみんなに語りかける。


どうか、自分の気持ちがみんなに伝わりますように……。


「仮に痛みを感じない身体を持った人がいたとして、その人たちはあなたたちに何をしたの?
何か罪を犯したの?」


城下町の人間は円奈を囲いながらピンク髪の少女を睨んでいた。


何人かの女は、最近の度を越して残酷な魔女狩りに嫌気が差し、円奈に賛同の意を示すかのように優しい目をした。


しかし大半は。




大半の人間は。


とくに審問官たちは。



「そいつも悪魔と契約した女だ!」


魔女狩りの狂気に駆られつづけた。


男たちは指差し、円奈を魔女として告発する。「そいつも化け物だ!仲間を助けたいだけだ。魔女の判別審問にかけろ!」



おおおお。

わあああ。


一気に城下町の人間は殺気だち、円奈を敵意の目で見つめ、睨み、そして罵倒した。


「悪魔と契約した女め、俺たちの心を操ろうとしてるぞ!」



「そいつの言葉に耳を寄せるな!魔法の呪文にかかるぞ!」



円奈が懸命に声にだした想いは、伝わらず。


円奈は魔女の公開処刑にかけられる。


そして円奈は本当に危機が迫っていることを知ったのだった。


「…そ……そんな…」


身体が固くなる。自然と白く細い両腕は、胸元に寄せられ、心臓を守るように身を固めはじめる。

足は内股になり、身体は震える。恐怖で固まり、ただ暴力を待ち受けるだけ。



城下町の男たちはノコギリとトンカチ、やっとこ、棍棒を手に円奈へ迫ってきた。



「……いやっ!」


もう、だめ。


目を閉じ、ぎゅっと、暴力を受けるのみとなった少女を。



誰かが守った。



「…え?」


くるはずの衝撃はなく、音だけがした。トンカチは空を叩いた。



円奈の前に、見覚えのある魔法少女が立っていて、男のふるったトンカチを腕で受け流していた。



その魔法少女は変身していた。



円奈の見たことのない衣装だ。


円奈は、その子が魔法少女であることは知っていたし、ユーカの友達であることも知っていたけれど、
変身する姿をみたことがなかった。


それもそのはず。


その魔法少女は、魔女狩りの恐怖がはじまってから、一度たりとも魔法少女になろうとせず、変身もしなかった
のである。


そして、”なぜ魔女裁判の恐怖と戦えるのか”と、円奈に問いをなげかけてきた魔法少女でもあった。


いま、男のハンマーをもつ腕を掴んで押さえ、踏ん張っている魔法少女は、顔だけ円奈のほうを向き、
その青色の瞳で、語りかけてきた。


「円奈ちゃん…私は戦うよ」


円奈は語りかけてきた魔法少女の変身衣装をみた。


青色のひらめくマント。背中の後姿。

白くて長い編みブーツヒール靴をはき、上着は純白のサーコート。


ベルベットの白いサーコートは襟ぐりからボディス。紐締めをするコルセットの腰部分の色は黒く、
そこから下部分は、ゆるやかな純白のロングスカート。

ロングスカートはひらひらと足元までのびて、ヒール靴の足首部分くらいまでを覆い隠した。

逆にいえば、スカートの丈からは白いロングヒール靴が隙間に覗かせる。背中にはためくは青色のマント。


息を飲むような美しい、白いドレスとロングスカートを着た、青いマントの少女を眺めながら。


円奈は、その魔法少女の名を驚きながら呼んだ。


「……スミレちゃん」


スミレは青いマントをひらめかせながら、トンカチを振るう男の腕をおさえつけていた。

白いヒール靴のロングブーツで地面を踏みしめながら、耐えていた。


「私も魔女裁判に抗う」


魔法少女の変身姿をみせたスミレは、円奈に語りかけた。


黒髪と青い瞳をした顔が円奈をしかとみて、言った。


「私も勇気をだす」



そういってスミレは、魔女狩りの熱気が高潮に達したこの城下町で、民衆の前に魔法少女姿を現して
円奈を守った。


スミレは、ハンマーを振るう男の腕を引き込んで足をかけ、バランスを崩した男を投げて転ばした。

男はドッテンと背中を地面に打ちつけて呻いた。


「魔女を捕らえろ!」


審問官は動き出した。



しかし魔法少女に変身したスミレは、もう人間にはとめられない。


それにもう、魔女狩りの狂熱に犯された人間には徹底抗戦する覚悟を、この魔法少女は決めたのである。



審問官たちはスミレに飛びかかるが。


スミレは背後からせまってきた審問官たちの相手をした。伸ばされた腕を逆に掴みなおし、ひっぱり、
背にのっけて、背負い投げした。


「うご!」


審問官は背中から石畳の地面に叩きつけられて唸った。



「なにしてる、捕まえろ!捕まえろ!」

ノコギリをもった男たち、棍棒、トンカチ、ハンマー、さまざまな日用道具を武具として持ってきた城下町の男たちは、
スミレをとっ捕まえようとやってきた。


10人も20人も30人も。



「円奈ちゃん、つかまって!」


するとスミレは目をきっと鋭くし、戦いにでる顔つきをすると、手だけ後ろにだして円奈に差し出した。


「…うん」


円奈は魔法少女の手を、つかんだ。



二人の手は結ばれた。




「魔女め、懲らしめてやる!」

男はノコギリをふるってきた。


ブン!


スミレの頭上にふりかかってくるギザギザの刃。


スミレは円奈の手をひき、ノコギリの刃をくぐり、頭を屈めて下を通り抜けた。

円奈もスミレに誘導されて自分の頭を低くしてノコギリの刃をよけた。


「逃がすな!」


トンカチがふるわれる。


そのトンカチの槌は、まっすぐスミレの顔面にむけられて飛んでくる。


スミレは顔を左に逸らしてトンカチの槌をかわした。トンカチの槌は空気中を横切った。


円奈もスミレについて、懸命に魔女狩りの狂気のなかを脱走を試みる。




スミレは自分達を囲う人々の間に割ってはいってゆき、十字路へ飛び出した。



通路を埋め尽くした人間たちは驚きながらスミレにどかされて左右に動く。


「なにしてる、逃がすな!魔女を逃がすな!仲間を連れてくるぞ!」


審問官は叫ぶ。

すると、十字路の警備にあたっていた王都の兵士たちが駆けつけてきた。

四人ほどの兵士たちが十字路に飛び出してくる。


兵士たちは剣を抜き、スミレたちの前に立ち塞がり、とまれ!と叫ぶ。


「とまらない!」


スミレは言い返し、青いマントを風にはためかせ、ヒール靴で全力疾走した。

その手を繋いで連れられる円奈も走った。



スミレは、手にロープを出現させ、そのわっか状のロープを左手に持って構えるや、剣を抜いた4人の兵士たち
に正面から突っ込んでゆき、十字路を走り抜けて、そのロープで兵士たちの剣を絡め取った。


ロープがスミレの手から伸びてくる。

しゅるしゅると、蛇のように。


「うおっ!」


「うわ!」


剣の柄はロープによって巻き取られ、兵士達の手を抜け、宙へ飛ばされる。


スミレの魔法のロープ技によって、剣は兵士達の手元から離れ、どこかへ飛んでいった。



こうして無防備になった兵士たちの目前に。


スミレは駆けてやってきて、そして。


バゴッ!


「んぶ!」

兵士は魔法少女の拳によって鼻を殴られて、鼻から血を飛び散らせてぶっ倒れた。男の倒れた石畳の地面は
赤い点々が塗れた。


するとスミレたちに道が開ける。もう行く手を塞ぐ者は誰も居ない。


この魔女狩りの町を脱出する道、城下町の北門がみえてくる。



スミレと円奈は正面の城門をめざして懸命に走ったが、すぐに城下町じゅうの何百人という人が、
あとを追って十字路を満たしながら走ってきた。

「逃がすな!城門を閉じろ!はやく閉じろ魔女を逃がすな!」

審問官ふくむ城下町の人々は、走りながら門番たちにかむって叫び、号令をだす。


声に気づいた門衛の兵たちが、慌てて、城門の落とし格子の巻上げ機を下ろしはじめる。

ぐるるる…


音をたてて城門は閉ざされる。アーチ型の城門から格子がゆっくりと降りる。


樫の木材を組み合わされた格子が、だんだんと下に降りてきて、門を塞ぎ始めた。



どんどん城門の格子は下へ降り地面へ近づく。

人の通れる高さを失っていく。



円奈たちは必死の思いで走りつづけた。


「間に合う!」

スミレは円奈にためにそう言って、励まし、そして手をつなぐ腕がちぎれるんじゃないかと思うくらい
魔法少女の足にかけて全力で走った。


そして。


ぐるるる…。



城門の落とし格子がまさに地面に落ちるそのわずかな刹那、スミレと円奈の二人は門をくぐりぬけた。

落とし格子の針先が、潜り抜ける二人の少女の背中スレスレにかする。


直後、門は閉じた。


すぐにあとを追ってかけつけてきた審問官や城門の人々が、逆に格子によって足止めされ、城門にたまって
停滞した。


誰もが狂ったように閉じされた城門の格子に身を密着させて騒ぐ。格子の隙間から手をだして叫ぶ人間もいる。



しかしそんな、騒ぎ声を無視して、スミレと円奈の二人は。



エドワード城の王都・城下町を、無事脱出する。



魔女狩りの狂気の町を命かながら逃げとおし、そして二人は助かった。




城下町を囲う市壁を抜け、二人は草原を走り、そのまま森まで逃げ続けて。



追っ手の見つからないところまで退避したのだった。



スミレの勇気が、鹿目円奈の命を救い、それは、そして魔女狩りの狂気に一人の魔法少女が本気で立ち向った
勇気でもあった。

436


「はあ……はあ」


森へと逃れた円奈とスミレの二人は、膝に手をついて、全力疾走した疲れに息を切らしていた。


二人とも顔が赤い。



しかし、なんにせよ助かったのだ。

二人は魔女火刑を逃れた。城下町を脱出し、世間を逸脱した。森こそ魔女狩りの狂気を逃れる安息の地だった。



「うう…」

円奈は緊張の糸が切れて、土の地面に座って、根っこの生えた樹木に背中をよせて座った。


「もう……だめ…」


身分も騎士である鹿目円奈の口から、弱音がでた。


腸巻上げ機の拷問を見て顔を真っ青にしたり、魔女の告発を受けて城下町じゅうの人々に追われながら
命からがらに町を脱出して、疲労で顔を真っ赤にしたり。


円奈が弱音を吐くのも無理はなかった。


魔女裁判が、絶対におかしいものだ、と唱えたときの、人々の反応。


思い出すだけで息がつまりそうになるほど怖いものだった。


たぶん、円奈の記憶から当分に消えるものではないだろう。思い出すたびに、心に恐怖が蘇るだろう。


それぐらい、心の傷となって少女の脳裏に刻まれるような狂気が、あの町にはあった。


それは何百人という他人たちがいっせいに自分を非難し、拷問を受けろと求めてくる罵声の嵐だった。



しかしなんにせよ城下町を脱出し、何週間か前に円奈が野宿したメルエンの森に、戻ってきた。


そこは、初めて円奈とユーカが出会った森でもあり。


円奈がユーカに命を助けられた森でもある。



今円奈は、このメルエンの森に戻ってきたが、今回はスミレに命を助けられていた。



魔法少女に変身した姿のスミレは、まだ息を切らしてはあはあと吐息をだしていたが、やがてしくしくと
涙を流しはじめて、膝をついて女の子座りになると、森で背中を震わせて泣いた。


「うう…ううう…」



「…スミレちゃん…」

円奈はスミレの、青いマントを着けた背中に呼びかける。


そして涙を流し、ふるふると震えながら女の子座りをして泣く魔法少女の様子を心配そうに見守った。



「ユーカが…」


スミレは青い瞳から零れる涙をぬぐう。

白いロングのヒール靴を履いたブーツは、土に塗れて汚れた。


その女の子座りの両足の腿が、わずかにじりりと身体の内側へ閉じて、スミレは悔やんだように身を
固くさせた。


「ユーカが王城に連れ去られた……」


スミレと円奈の二人は、命からがら魔女狩りの城下町を脱出したが、ユーカは魔女だと告発されて
審問官たちの手に落ち王城へ連れ去られた。


それがスミレを悔やませていた。


唇は噤まれ、手は湿った土を握り締める。


それにスミレは、円奈こそ助けたが、城下町の人々は敵に回した。


いまごろスミレは魔女だという噂と憎まれ口が王都じゅうを駆け巡っているだろう。


スミレは、もう、都市には戻れない。帰る家もない。円奈と同じような境遇になった。


寝床もない、身寄りのなき流浪の身である。


生活の場は森か川か。

食べ物は狩りでもして得なければならない。



しかしスミレは、そんな未来を思って絶望的な気持ちになっているのでなかった。


ユーカを助けられなかったこと。



あの場面で、スミレは完全なる二者択一を迫られた。


すなわち、円奈かユーカか。


どちらを助けるか。


究極ともいえるその選択に迫られたとき、スミレは円奈を助けた。


とっさの行動で、考える暇もなかったけれども、結果としてユーカは王城へ連れ去られた。



気弱な自分をいつも鍛えてくれた先輩の魔法少女、ユーカ。


魔獣との戦い方をいつも教えてくれたし、いつも一緒に魔獣と戦ってくれた。

スミレはユーカおかげで、孤独に魔獣と戦うことはなかった。いつもユーカが一緒にいてくれた。いつも…
守ってくれた。


スミレにとってユーカは大切な魔法少女の友達だった。


なのに彼女をを助けられなかった。



王城でユーカに待ち受けているであろう運命を思うと……。


あまりにも苦しい。悔しかった。



代わりに命を取り留めたのは、スミレに勇気を与えた一人の少女、鹿目円奈だけだった。

437


魔女を逃がしたことで、騒然となっている城下町の十字路では。


服屋の娘エリカが、一部始終を見守って、通路に立ち尽くしていた。



ユーカの連れ去られる姿を。魔女だと疑われて慌てるユーカの顔を。その無謀な自弁を。

そして鹿目円奈の抗議と、スミレの魔法少女への変身、そして脱出。



すべて見守っていた。



そして立ち尽くしていた。



「……わたし…」


エリカは自分の一声が起した恐るべき騒動と狂乱をその眼に焼きつけ、そして自分のしたことを、
騒ぎが終わったあとで冷静に見つめ返しなおしていた。


”指きりげんまん…ウソついたら針千本のーます…”

ユーカと交わした約束が思い出されてくる。

私は、針千本のむようなことを、しでかしたのだ。


「……」



エリカの後ろ姿は、石工屋の娘キルステンや、漆喰職人の娘チヨリが、ずっと見ている。


無言で見ている。



まるでエリカの友達への裏切りを、心から軽蔑するかのような視線の当て方だった。


「わたし…」


エリカは自分の指をみつめる。

魔女を指差し、告発したその指先は、悪魔の色に染まっているかのようにすら、エリカ本人には思えた。

体の震えが止まらない。



「わたし……サイテーだよ……」

友達をすべて失ったあとで、もう遅すぎる後悔を、エリカはぽつりと言った。



恋敵は消え去った。


しかし、愛とは、恋とは、だれかを破滅させてまでしないと成就できないものなのだろうか。

手にできないものなのだろうか。


だとしたら、恋とは、愛とは、恋慕とは。



なんて、残酷で、過酷なものなのだろう。


そしてそれが、実際に、多くの魔法少女を、破滅させていったのだ。


美樹さやかと志筑仁美の二人に訪れた破滅すらそうだ。


美樹さやかが破滅することで、初めて志筑仁美は、恋を成就させることができたのである。

438


その頃、十字路では魔女刑の審問官とそれに付き添う王都の兵士たちが、ずかずかと足並みそろえて
通路を進み。


そして目当ての家を見つけると乗り込んだ。


ハーフティンバー建築をした木造で建てられた家のひとつ。


ユーカの自宅だ。



まず審問官が勝手にドアの蝶番に、剣をぶっさし、外すと、壊したドアを通ってユーカの自宅に乗り込む。


そして中にいる妹と母親、父をすべて逮捕した。


「この家に魔女をかくまっていたな」


審問官は冷酷に告げた。「その罪で逮捕する。これが王の署名だ」


といって、エドワード王の紋章が封蝋された羊皮紙をヒラリと手にぶらつげてみせつける。


ユーカの家族たちは、絶望的な顔をした。



まっさきに抗議の声をたてたのは母親だった。こんなとき、本当の家庭の危機のとき、母親が強い。


「ユーカが魔女だって?バカな!」


母親は恐ろしい形相をして、審問官を睨み、そして怒鳴った。


「ウチの娘は魔女などではない!でてけ!王の署名など知るか、でてかないと、痛い目にあわすよ!」


審問官の目が光った。「いけ」


その合図によって、審問官の背後から、10人、20人という剣を構えた兵士たちがぞろぞろとユーカの
自宅に乗り込んできた。


そして自宅の山羊や牛やら、飼われていた家畜を、ねこそぎ剣にかけて殺し、血を吐かせながら、
残された家族のもとへきた。


まず妹を兵士二人係で捕らえ、連れ去る。

怒った母は、まき割りの斧をもって、妹に取り返しにかかったが、兵士達に剣を刺されてゆき、その場で
刺殺された。



しかし審問官はこれを殺人とは片鱗も思っていない。


娘が魔女なら母も魔女だ。なら殺してもかまわない。殺人ではないし、化け物を始末しただけだ。



父は抵抗を諦め、兵士たちに連行されていった。




腹と背中を剣で刺された母親は倒れ、多量の血を流していた。兵士達は母の両肩を抱え持ち、ずるずると
自宅からひきずりだしていった。


真っ赤な血のあとが地面に伸びた。剣を刺された人間の出血量はすさまじい。かすり傷などではなく
肉まで裂かれた深手なのだ。



家族たちが一人残らず連行されたあとは、兵士たちは自宅に残って、その一家の財産を没収するという名目で、
金目になるものは根こそぎ袋へ詰め始めた。


皿、カップ、指輪、蝋燭まで、金になるものならなんでも。


家じゅうを探し回り、すみずみまで探索して、物資になりそうなものは全て没収。

地下へつながる階段へ兵士たちはぞろぞろ降りてゆき、扉をあけ、地下室の貯蔵庫にたまった樽の穀物袋と、
野菜、塩づけの魚、そして宝箱にしまわれた、家族たちが地道に貯金してきた銀貨のすべてを、没収して集めた。


その、財産没収と称して家族の財産を根こそぎ奪い取る兵士たちの姿を見下ろしながら、王都に雇われた
若い一人の兵士が、言った。


「魔女狩りだなんだ、っていっているが」


この若者の兵士だけは家族の財産に手をつけなかった。


「結局、金目当てか?」


他のベテラン兵士たちは無視して、金目のものをかっさらう。全て。


「魔女だと決め付けて逮捕しちまえばその一家の財産を丸ごと国宝にできるもんな?私腹を肥やしたいだけか!」


ついに別の兵士が逆上して、批判の言葉を口にする兵士の胸倉をつかんで壁にたたきつけた。


「ぐ!」

若い兵士は、壁に後頭部をぶつけて喘ぐ。


「ああそうだこうやって財産没収した金が俺たちの給料になるんだ!」


財産没収に夢中だった兵士は、そう叫んだ。


「奇麗事いってねえで集めろ。給料なしで仕事したいか?」


怒鳴られた兵士は、黙り込んでしまい、すると胸倉を離された。


そして呆然と、魔女審問にかけられて逮捕された一家の財産が徹底的に没収され国宝にされていく様相を、
眺め続けていた。

439


森に逃げ伸びた鹿目円奈とスミレの二人は夜を迎えていた。


暗闇が森を支配し、夕日の光は失われる。地平線へ沈み、日差しは絶え、暗闇となる。



スミレは夜の森林を不安がった。


いつも城下町に暮らしていた少女は、生まれて初めてといってよい森の野宿に怯える。


周囲ではオオカミなどの腹を空かした獣たちが呻きはじめ、人の町ではない森の夜は、おどろくほど
暗い。


木立のむこうに何かいるんじゃないかという不気味な気配を感じる。暗いから一層そう感じてしまう。


夜の月明かりすら届かぬ森の中は、静かな闇と呼ぶのも物足りないくらいの、真っ暗闇だ。


スミレは魔法少女の変身衣装を解いたが、土の地面に腰ついて座って、膝を腕で抱えていた。


そして不安な顔つきをしていた。



円奈は持参していた荷物から火打ち石を鉄板にバチンとあてて、火をつくると、 麻綿を燃やし、
森から薪になりそうな枝を拾い集めて組み、石ころを周りにあつめて固めて焚き火にした。


すると二人の向き合う森は明るくなった。



スミレの不安そうな顔は、わずかばかり和らいだ。


真っ暗闇の森は、火が照らした。


虫が集まってくる火の灯かり。オオカミなどの獣たちは森のどこかで縄ばり争いの声をたてる。


「私にはなんだか森の生活が慣れっこで…」

自嘲ぎみに微笑む円奈はスミレに話かけた。

「ずっとこんな暮らし、してた。むしろ都市の生活が不慣れなくらい…」


スミレはゆっくり顔をあげた。

その暗い、思いつめた顔は、パチパチと音たてる火に照らされた。


「私……これからどうしていけばいいんだろう……」


スミレは火を眺めながら、瞳にめらめら燃える火を映し、そして落ち込んだ声をごぼした。


「もう……生きるあてもない……」

といって、顔を膝のなかにうずめてしまった。

「円奈ちゃんは……これからどうするの…?」

スミレは尋ねてくる。

古びたワンピースを着た、魔法の変身を解いた少女は、いつもの気弱な女の子に戻った。


「私、は…」


円奈はこの先のことを考える。


もちろん、彼女の旅の目的、この先に進むべき道は、ひとつだ。


「私は、聖エレムの地に…」



スミレは険しい顔をしていた。

「もう王都には戻れないよ…」

その表情は、依然として暗い。


「…うん」

円奈も、思わず頭を垂れてしまった。


聖地エレムの国にむかうためには、エドワード城を通ることがどうして必要だ。


裂け谷とも呼ばれるこの大陸の裂けた谷は、エドワード城だけが橋渡しをしている。



そのために通行許可状もあったというのに、すべては今や無為になった。


今ごろ、王都ではピンク髪の少女騎士が魔女だと伝達が行き届いているだろう。


もはや、エドワード城を通ることは絶望的だ。



もっともそれは、エドワード城が、魔女狩りという狂気を引き起こしているとわかった時点から、
明らかだったことだが…。


目の前に立ち塞がる障壁の大きさに気持ちがくじけそうになる。


また城下町に戻れば、今度こそ捕まってどんな拷問を受けるか、分かったものではない。


いうまでもなく、一度魔女を取り逃がした城下町は、より一層魔女狩りに躍起となり、熱狂して、
警備も強め、ことごとく魔女を炙りだしていくだろう。




けれども、そうではあるけれども。


それでも尚、円奈には前へ進むしか道はないのである。



その道は、茨の道ように険しい。厳しく、試練のようで、まさに前途多難、艱難辛苦の道。



そしてゆ先の道が、どれほど危難と剣呑に満ち溢れようとも、恐れず進むしかないのだ。



天国の道はその先にある。

聖地はその道の先に辿り着ける国。

天国に最も近い国。




”恐れず敵に立ち向え”。


”弱きを助け、正義に生きよ”。



円奈は騎士としてそれを、魔法少女に誓いを立てていたからだ。


そしてもし、いまこの王都を抜け出した森で、正義を貫くのであれば。


円奈のすべきことは一つだ。


「…スミレちゃん」


円奈は焚き火のもとを立ち、森を歩き、木々の向こうに姿を君臨させる黒いエドワード城を眺める。


大きすぎる城を少女騎士はみあげる。城の頂上の玉座に在り、王都を統治するエドワード王のことを思い。


睨みつける。


まだ顔も知らぬ王との対決を望む。


「もし、あなたが協力してくれるなら…」



王に忠実に従うばかりが騎士ではない。

残虐な王に、反旗を翻し、正義を国にもたらすのもまた、騎士だ。



「私と一緒に王城に乗り込んでくれる?」


少女はキッとエドワード城を睨みつける。森のむこうに屹立として建つ、夜空に浮かぶ王都の城を。


「もう一度王都に戻って、ユーカを助けだしたいといったら…」


円奈は胸に手をあて、目を閉じる。鞘にさした剣が青白く輝くだす。背中の弓は、ニスを塗られて、以前よりも
頑丈だ。



「一緒に、来てくれる?」


スミレの青い瞳が驚愕に見開き、すぐにその瞳は覚悟に満ちたそれへと変わっていった。

それがもう答えだった。


スミレは一度、勇気をふるった。その勇気は円奈の命を救った。


もし、その命がけの行動に意味があったとするならば。


この少女騎士と、共に王の根城に乗り込めということだったのだろう。


いちど投げ捨てた命だ。


二度三度、命をまた投げ出そうと、もう同じこと。


かながら死地を脱出した命は、魂は、ふたたび死地へ飛び込む。



「いく」


スミレは全ての覚悟を決めて、勇気を決めて、円奈に答えた。


気弱な少女は、最も危険な敵地への乗り込みを、決意する。


「あなたといく。必ず、ユーカを助け出してみせる」


円奈は目を閉じて首を縦に振った。「ありがとう」

その前髪は夜風にゆれた。


円奈はもちろん、たった一人でエドワード王の御前に飛び出そうとするのではない。


一人だけで王座の間に躍り出て、魔法少女狩りをやめろなんて騒ぐのは無謀だ。衛兵たちに連れてかれるだけだ。


でも、もしユーカを助け出して、スミレも一緒になって”三人で”王の御前に乗り込んだのなら。



円奈と、ユーカと、スミレの三人なら。

王に立ち向えるかもしれない、と思ったのだ。


それが円奈の決意だった。



だがそのためにはまずユーカを助け出すことが急務となる。


ユーカは王城の中に連れ込まれ、拉致された。王城の城内でどんな仕打ちを受けているかと考えるだけで
心がぞっとなる。


そして、絶対にユーカを助け出さなければと気持ちは強くなる。



自分の信念をもち、正義を信じて、人を助けるために、魔獣と戦いつづけた魔法少女の運命が。


魔女だと判決されて火あぶりになるなんて、絶対に許さない。そんなの私が許さない。



「スミレちゃん、一緒に助け出そう!」


円奈は目を開き、ピンク色の瞳で王城を眺め、敵地潜伏の決意をスミレに呼びかけた。


「一緒に、ユーカちゃんを助け出そう!」


スミレは円奈の横に並んで立った。その青い瞳も王都の城を見上げた。


「…うん!」



鹿目円奈とスミレ。人間の少女と魔法少女は、二人で、王城への潜入をする計画を立てる。



夜の暗闇を利用して、見張り兵の警備をかわして目を盗み、見つからないようにひたすら身を隠しながら
慎重に進み、最終的にユーカを救出するという作戦。


まさに潜入と呼ぶにふさわしい作戦だ。



二人は今夜。



真夜中の警備兵たちを相手に、文字通り命がけのかくれんぼを壮絶に繰り広げるのかもしれない。

今日はここまで。

次回、第58話「王城への潜入」

第58話「王城への潜入」


441


時間がすぎて、月が夜に浮かんだ。


きらきらと星が煌く夜空に浮かぶ白い三日月は、エドワード城のむこう、彼方遠くの大陸の峰々へ沈む。



真夜中も真夜中の、誰もが寝静まった時間帯に。



鹿目円奈とスミレの二人は、王城に捕まったユーカの救出作戦を開始した。



今朝に命かながら脱出したばかりの、魔女狩りの城下町へ二人は再び入るべく、むかう。



メルエンの森を出て、城下町の城壁がたつ草原へ。



草原は広く、視界はよくひらけていて、まともに立って城下町にちかづくならば、あまりにも目立ちすぎて、門番兵と見張り塔の兵にあっという間に見つかってしまう。


そこで円奈とスミレの二人は。



真夜中で警備が手薄だろうという期待はしているものの、身を完全に伏せた匍匐全身で月明かりが照らす草むらを
かきわけるようにして進み、警備兵の目を盗むようにして城下町に近づいていた。



まさにそれは兵隊のような匍匐全身。


胸をぴったり地面につけ、腕だけ前にだし、這うようにして前進。


幸いにして野原は生い茂っていて草の海は高さがあり、伏せるようにして進めば、円奈たちの
姿かたちは草木のなかに隠れる。



背中にロングボウを括りつけている円奈の背中は草木のなかに紛れ、ちょこんと弓の弦が見え隠れする
くらいだ。


わずかな月光だけが照らす草原で、見張り塔の兵たちはこれを見つけられない。



それに見張り兵たちはもとより夜番などやる気がないのである。昼番に比べて遥かに退屈で、しかも眠い。


草原のなかをちょこまか動く弓など、気にとめない。


その意味では、二人が、妙ななりすまし作戦を選ばずに、夜中をねらって潜入をするという作戦を計画したのは、
正しい選択だった。



スミレは円奈のあとを追うように、彼女も匍匐前進で草の海をまぎれて進んでいた。


城下町に暮らしている娘だったスミレは、こんな、人の目を盗むために草むらのなかを這い進むなんて
行動は初めてだった。初めてだったし、いつかするものとも思っていなかった。


しかし今や命がけでそれをすることになっていた。

魔女の容疑がかけられて、それでも命かながら脱出した二人が、魔女狩りの狂気はしる都市に戻るという
一見にも二見にも愚かな二人の無謀。


城下町の市壁を警備する兵たちは、松明の火で夜間を照らしている。

その灯りが、円奈の目に飛び込むと、兵士の視線をかんじる。すると円奈は、とっさに草木に伏せて気配を[ピーーー]。

息をとめる。


警備兵が松明の火を見張り塔の奥に持ち運ぶと、再び円奈は、目で様子を窺って、安全を判断すると、ずるずると匍匐前進を再開する。



円奈たち二人は順調に匍匐前進で城下町の市壁のすぐ下にまで這い進んだ。


さらさらと草木をかきわける音がなる。見張り塔の兵にそれが聞かれていないことを祈った。



ともあれ町の城壁の真下に来てしまえばそこは見張り兵の死角である。


見張り兵は塔の上から町の外を眺めるから、その真下など見ないのである。

灯台もと暗し。



「ここまでは、順調…」


円奈は城壁の壁際にピタと手をつくと、匍匐前進を終えてたちあがった。


スミレも城壁下までくると立ち上がり、壁際に背をぴったり着けた。円奈の隣に立ち、はあっと息をはく。

緊張に顔を強張らせていた。



さて、城壁下まで来たのはいいが、問題はこの城壁をどう乗り越えるかだ。


いくら衛兵が眠たそうにぐだぐだ警備してる真夜中の時間帯だといっても、城門は落とし格子によって
閉ざされているし、無理やりこじ開けようものなら衛兵もみすごさない。


すぐに警報の鐘を鳴らす。


では、二人はどうこの城壁を乗り越えて城下町に入るか。



「スミレちゃん、そっと魔法少女に変身してくれる?」

円奈は小声で、隣で顔の頬を強張らせているスミレに、囁いた。


するとスミレは頷いて、指輪にはまったソウルジェムに手をかけた。

そして紺色の宝石をした指輪のソウルジェムから魔力を解き放とうとしたその寸前、円奈に手をかけられ、
制止された。


スミレは変な顔して円奈をみる。


円奈はスミレに念押しした。「そっとだよ?変にポーズ決めながら変身しないでね?目立つから……」



スミレは、ふて腐れて、「そんな変身しないもん」といって、すごく地味に変身した。


ビカっとソウルジェムが光って、円奈はそれだけでも息を飲み込んだが、変身はすぐに終わった。



光が終わるとスミレは変身姿になっていた。ものの1秒もかからない変身だった。


これなら見張り兵にも見つからなかっただろう。


背には青いマントに腰は黒いコルセット、上着は純白のサーコートとロングスカート、足は白の長いヒールブーツ。


その手にはロープが握られ、何重も環状にまとめられていた。




スミレは円奈がどうして魔法少女に変身してと言ったのかもう分かっていた。


攻略の鍵はロープだ。

拘束魔法を得意とするスミレが使うロープが、王都攻略には役に立つのである。



数秒後、近くの監査塔に衛兵がいないことを確認してから、スミレはロープをびゅんと伸ばし、空高くに
投げ飛ばして、城壁にたつ塔の、斜め向きに掲げられた旗の竿に巻きつけて括りつけた。


円奈はスミレの伸ばしたロープを手でひっぱり、頑丈さを確かめ、それからロープを握ると、身体を
浮かせてロープを掴みながら城壁をよじ登った。


円奈は、城壁に足をつけながら、着実にロープで城壁を乗り越えていく。



スミレもそれに続いた。


彼女自身もロープを手に握って塔へ登りつめ、城壁を足の裏で蹴りながら上へ上へと這い登った。



高さ8メートルほどの、城下町の市壁を、二人はロープを握って登り、町に乗り込む。


二人のロープを登る姿は月夜の明かりが照らす。


円奈はロープをのぼって城壁の歩廊に這い上がる際、顔だけそっと出して、近くに衛兵がいないか目で確認した。


城門のほうには衛兵が固まっているが、そこを避けたこの囲壁の箇所に衛兵はいなさそうだ。


それを確認したあと円奈はロープから城囲壁の歩廊へ身をのり出し、すばやく静かに走って監視塔の中にはいった。


監視塔のなかは、階段が螺旋状に敷かれて上階へつながっていたが、円奈はそこを通り過ぎてアーチの
出口を通り、矢狭間の作られた城壁の歩廊を進み続ける。



真夜中の潜入がいよいよはじまった。



スミレもすぐ円奈の背中につづくように走って、円奈を追いかけた。


ところが、変身したあとだとヒール靴になるので、カツカツ石の床を進む音がなった。


物音ひとつしない夜中にその音は、市壁に囲われた城下町じゅうに響きわたるんじゃないかと思われた。



普通この時代では考えられないその足音のうるささに円奈はその場で飛び上がってしまい、
慌ててスミレに変身前の靴に戻してといった。


するとスミレは魔法少女に変身したら、元の靴はないよと言った。



それは円奈を困惑させた。「魔法少女に変身したとき、元の服はどこへいくの?」


スミレは首を横にふって、「わからない」といった。



円奈は、魔法少女たちがそれさえ気にせずにいたことに度肝を抜かれてしまった。



そこでスミレに靴を脱ぐようにお願いした。


魔法少女の変身衣装の一つではあったけれど、スミレは靴を脱いだ。編み上げ部分の紐をぜんぶ解いて、
ヒールのロングブーツは放置された。


裸足になった。



変身した魔法少女の姿なのに、はだし。



「うう…」

円奈は申し訳なさそうにした。でもスミレは「これでいいよ」といった。「みつかるよりいい」



もちろん言葉とは裏腹にすねた。

442


二人は城下町を囲う市壁の歩廊をぐるりとまわるように進んでエドワード橋の付近までくると階段を降り、
城下町の十字路付近を歩いた。


魔女狩りの町に戻ってきたのである。



夜間外出禁止令のでている城下町に人影はなく、二人を邪魔するものはない。


それでも二人は警戒して、なるべく暗くて狭い裏路地の街路を選んで王城へ近づいた。

その選択が災いして、途中、裏路地の道端で娼婦でばったり出くわしてしまったが、お互い魔女の容疑がかけられる立場なので、何事も言葉を交わさずやりすごした。



城下町を抜けるとエドワード橋。


ここに第二の関門。


二つ目の城門がある。



いわゆる、円奈たちがシュミレーションの段階で突破方法をあれこれ考えていた、検問の城門である。


昼間なら、城門は開けられこそしているが、いつも衛兵が門の両側に立って見張っており、通りかかる商人たちの
運ぶ荷物の中身をいちいちチェックするが、今は夜間。だれもいない。


しかし誰もいないといっても、油断は禁物。


それに夜間だから当然門は閉じられている。



今回はこの門をどう突破しようか。


まるで怪盗賊のように、警備を突破して城へ潜入する方法を編み出す。

ユーカを助けだすために。


円奈は少し考えたが、エドワード橋へつながる第二の城壁を注意深く目で見渡しているうち、やがて城壁の
とある部分に、木造で組み立てられた防壁の歩廊が増設されている部分をみつけると、方法を思いついた。


この木造歩廊は、板囲いとも呼ばれ、城壁の守りを強化するために増設された防御施設なのである。

板囲いは城壁部分に木造の屋根を設けて、攻撃側が降らす矢の雨から守備隊の頭を守る。その屋根には、
水にぬらした動物の皮などを敷き、火攻めからも城壁を守る。

板囲いによって増設強化された防壁は、穴が壁にも床にも設けられ、そこから兵が安全にクロスボウを放てる仕組みになっている。




しかし円奈は今この板囲いをむしろ逆に侵入する方法として方法を思いついていた。


スミレが新たに手に出現させた魔法のロープを手に受け取った円奈は、矢筒から一本矢を取り出し、
その鏃にロープをブッ刺したあと瘤をつくって結び、ぐるぐる矢に巻きつけた。


そして、ロープを巻きつけた矢を、弓に番え、上向きにして板囲いの屋根を狙い、そして。



円奈は弓から矢を放った。


ビュン!

真夜中の物静かな町に弓のしなる音が響いた。


矢はまっすぐ円奈の真上に飛んでゆき、ロープがびゅんびゅんしなりながら矢に飛ばされて、そして
板囲いの木造の屋根にズドっと突き刺さった。それは屋根の裏側にまで貫通した。鋭い鏃が板からはみでた。



すると一本のロープが、城壁板囲いの屋根から地面にまで垂らされた。


これなら城壁を登ることができる。




円奈はロープを手に握って、城壁に足の裏をあてながら、ロープを登りはじめる。

ぐいぐい、とロープを手繰って、自力で防壁をよじ上る少女騎士。その小さな体が城壁の前に浮く。ロープに吊るされて。


そのあとにスミレも続いた。



そして円奈たちの二人は第二の関門である検問の城壁も突破し、エドワード橋へと階段を下りる。

王城まであと少しだ。


「商人になりすまさなくても突破できたね…」

感慨深そうに円奈がいう。


スミレは、無言で小さく、こくりと頷いた。



二人は深さ3キロメートルの渓谷と断崖絶壁に浮かぶエドワード橋に辿り着き、その橋のギルド通りを
歩いた。


かつてここは、魔獣たちが多量発生し、オルレアンらの一行の魔法少女たちが、大集結して魔獣と戦った箇所だ。


だが今や魔女狩りの舞台と化している。

当然ながら魔法少女の姿はない。みな正体を隠して暮らしている。



実は円奈はこのエドワード橋に足をつけるのが初めてだった。



あまりに深い高さの崖に浮かぶ巨大な橋に圧倒され、足がすくむ。


しかし、勇気を奮って橋を小走りではしった。すぐ後ろにスミレがつづいた。

スミレはエドワード橋を走ると、魔法少女の衣装である青いマントが、夜風にふかれてひらひらはためいた。



月は夜の地平線に沈む。むこう岸の山々のむこうへ姿を隠れる。


二人の真夜中に決行した、王城への潜伏作戦は始まったばかりだが、夜間の時間帯にも限りがある。モタモタしていれば
朝が明けてしまう。


ぽっかり大陸の裂けた渓谷に架けられた橋を渡り、ギルド通りにくると、円奈はスミレに教えられて、
王城への通行路を目指した。




王城の通行路は、エドワード軍の正規軍の騎士たちが、パレードを開きながら門から出撃する通行路で
あるので、広く直線形に整備されている。



逆に言えば、目立ちやすい。


いよいよ難攻不落の城、エドワード城を目前にやってきた二人は、どう潜入するか、考えた。

ミッションインポッシブルの救出作戦は、まだ序盤だ。

443



さて、王城の夜間の警備には、四人の男たちが当番になっていた。


ワーウィック、ボーシャン、リック、ウェットの四人だ。


この四人はずっと前から王城の夜警兵だった。


いや、兵とは名ばかりの、ただの見張り役。剣の扱い方は知らないし、携帯することさえ許されていない。

もし侵入者を見つけたら、警報を鳴らせという命令を受けているだけ。王城内部の人間たちからは、カラスと呼ばれ蔑まれている。



その四人のうちの一人、ウェットは、この夜の寒さに口から吐息を吐き、その吐息を手に集めて、温めると、
手同士をこすり合わせた。


そして愚痴をはじめた。


「春到来の祭りだかなんだかしらねえけどよ」


冷えた手を吐息で温めてこする彼はいう。「これのどこが春だってんだちっともあったかくなりやしねえ」


「俺たちゃ冷えた夜に仕事する夜番だからな」

監視塔に立つ隣の男も彼の話に乗った。リックだった。「あったまる日がくるのは当分先さ我慢するしかねえよ」


「くそ、こごえちまいそうだよ、俺たちに春はいつくるんだ?」

ウェットは監査塔の上で愚痴をこぼし、夜番の仕事に嫌気がさしている本音をまったく隠そうともしなかった。



するとそのとき、若い男女の二人組みが、王都の通行路に現れて、きゃっきゃうふふいいながら手をつないで、
くるくる抱き合いながら踊り、そして壁際に女が寄りかかると女はげらげら笑い出した。


男もあっはっはと笑っていた。



そして二人ともその場で唇同士を合わせ、キスに夢中になる。

「ああジェニー、愛してる!」

男は女の両頬をつかみながら、興奮した声でいった。そしてまた女の唇にぶちゅっとキスした。

「私もよ、ああ、リヒト!」


こうして相思相愛の若い男女はくるくるまわりながら抱き合い、路上で派手にキスしあった。



すると、城門についた監視塔の上からそれを眺めた男たちは、ニヤニヤ笑い出した。


「おーおーおー、熱いねえ!」

ウェット、にやにや歯をみせて笑いながら、監視塔の上から、路上で男女の抱き合う姿をながめる。

「あれくらいお熱いならこの寒さも吹き飛ぶだろうよ!」




そしてウェットは若い男女の情愛を塔から見下ろして眺めながら、愚痴をぶつぶつと呟きはじめた。

「まったくよおなんで俺は夜警の仕事なんてえらんじまったんだ?」

冷たくなった手をこすり、また口の吐息で温めながらいう。「女との出会いがありゃしねえ」


すると塔に立つ隣の男、リックがニカと笑い話しかけた。「だが俺に出会えただろ?」


「おめーに出会ってなんになるんだバカたれが」

ウェットはリックにやつ当たりした。


夜警番の男たちの仕事は、毎日毎日、夜に見張り塔に立つこと。それだけだった。


「くそったれが、なんでいつも同じ男と四人で夜を過ごさなきゃなんねえんだ!毛が濃くなる!」


高い監視塔に立つウェットは、手をこすりふわせつつ口から白い息はきながら、若い男女の熱愛を眺めつつ
口にした。

「俺たち夜番の仕事はカップルの乳くり合いを見つめることか?」


ワーウィック、ボーシャンの二人はすでにうとうとと壁に寄りかかり、半分眠っている。

いつものように。


「ああまったく最高の職業だよ」

愚痴をこぼすウェットは目を上向きにした。「くそったれが。てめーらの熱愛をどこまでも監視してやる」



若い男女は逢引の日に恋の堕ちたのだろう。

燃え上がったばかりのカップルは、それはもうお熱で、まだキスをし続けていた。



監視塔の見張りがいるとも気づかずに。


鹿目円奈とスミレの二人が、あっけに取られて細い裏路地から男女をみているのにも気づかずに。


「頼むから誰でもいい。誰でもいいから女がきてくれ」


城門の監視塔に立つウェットは懇願するような声をあげていた。「できれば15ぐらいの女が」


「魔法少女を嫁にしてーよ!」

いきなり壁によりかかって眠っていたボーシャンが寝言を叫び、そしてはっと意識が覚めて目をあけた。

その手に槍がしかと握られる。

「おい。いっくとが…間に受けるなよ。誰が魔女と結婚するか。裁判を受けるのはごめんだ」


男女は手をつなぎながらあてもなく通路を走り、女は男に振り回されてぐるりと回り、きゃっきゃと
笑いながらまた男の胸に飛び込んで抱かれる。


そしてついに、女はその場でボディスの紐も一本一本、解きはじめ、男の顔を見つめながら、首をかしげて、
ニカニカ笑うと、うっふふといって服を脱ぎはじめた。



「ん?なにする気だ?」

監視塔の男たち、目を疑う。

「おいおいおい冗談だろ俺たちに何みせる気だ?」


「ワーウィック、ワーウィック!」

ボーシャンは塔の上から、眠りにおちた夜番の仲間を起こした。「みろ、女の裸だぜ!」


ワーウィックはいびきをぐうぐうたてていたが、飛び起きた。目をこすり、監視塔の手すりを乗り出す。


女はスカートをぬぎ、下着姿をみせた。男はごくっ、と喉を鳴らしている。


路上で性交をはじめてしまう二人。



監視塔の男たちは、食い入るように塔から眺めている。男四人全員そろって、塔の手すりから身を乗り出していた。


「じっくり監視してやるぜミレディー…たまんねえ」

リックは路上で裸になる女を凝視していた。「じっくり見届けてやる!」


「んなこといってる場合かやめさせろ」

ウェットは冷静さを取り戻して、男たち三人の頭をパカパカ叩いた。

「夜間は外出禁止令がでてるんだぞ。なんで夜中におっぱじめた男女を俺たちが見守って
やってるんだ、とっととやめさせろ!条例違反者だよ!」



「ああ……なんてきれいだ……素敵だよジェニー」

監視塔の男たち四人の凝視にきづかない男は、女の”ホト”に目線が釘付け。

そして女の股を見ながら褒め称えた。女はうふふふと笑って男に抱きついた。


「どうやってやめさせるんだよ大声だすのか?」

ボーシャンはウェットに問い詰めた。


「警報を鳴らしちまおう」

ボーシャンは提案した。「そうすりゃびびって家に帰るだろうよ」



「バカやろうよせ」

ウェットはその提案をすぐに取り下げた。「また誤報を鳴らしたって将軍に叱られるぞ」

はあっと息をはき、夜通し警備番をして塔に立っていたせいで冷えた手をまたこすり合わせて摩擦であたためる。

警報をいまここで鳴らせば、王城じゅうを取り締まる警備兵から守備隊から護衛部隊まで、
小屋のベッドないし待機室から飛び起きることになる。



「俺たちはもう三度も誤報の罪で処罰されてるんだぞ四度目はねえ!」

彼はこすり合わせた手の片方を首元につけた。

「オーギュスタン将軍の剣で、首と胴体が、はいさよなら、だ」



彼ら四人の夜警番は、王城の人たちからは、夜にしょっちゅう誤報の警報を鳴らす人、と知られていて、
その仕事ぶりの評価は低かった。


今まで王城の人たちは、この四人の夜警兵によって、何度も誤報をならされ、夜間にお騒がせされて
しまったのである。



「三度目は誤報じゃねえ!」

リックは心外だ、とでもいいたげな顔で声をあげる。「俺は確かに見た。魔法つかいどもの群れを……
50人くらいいたんだぞ。そしたら霧のなかに消えちまったんだ。そのあと将軍がきて、誤報扱いにされて
処罰だ。俺の気持ちがわかるか?」


「じゃあ一度目と二度目はなんだよ?」

ボーシャンはリックにたずねた。


「あー教えてやるよ、一度目はいたずら」


リックは過去の自分の誤報の罪について語った。


「あんまり暇なもんでよ、夜番の仕事ってのはよ。わかるだろ。一番夜の深い時間帯に、警報をドハデに
鳴らしてやったのさ。王城じゅうの騎士と貴婦人が飛び起きて、将軍がやってきて、何事だ、ってね。
俺はいったんだあんまりにも暇なんで、遊び相手がほしくてついベル鳴らしましてって……へへ、
ありがとうございます将軍、真っ先に飛んできてくれましたね、………そしたら処罰だ」


「呆れた野郎だぜ二度目は?」

ボーシャンは顔をしかめた。


「二度目の誤報は俺じゃないウェットだ。寝ぼけたまま鐘をカンカンならしやがったのよ」


「寝ぼけてねえ俺は確かに人影をみたんだ」

ウェットは異議をたてた。「城に入ってくると思って、鐘を鳴らしたら、誤報扱いだ。そんなことで警報を
鳴らすな寝ぼすけってな。毎日警報ならす気か?いつ落ち着いて眠れる?ってよ。じゃあいったいどんな時、
警報ならせばいいんだ?人を見たら警報鳴らすんだろ?俺なにか間違ったことしたか?」


「きまってるだろ侵入者を見つけたときだよ」

ワーウィックがいうと、全員が納得してこくりと頷き、真面目な顔になって監視塔の手すりに立って、
警備の仕事をつづけるのだった。


「それ以外で警報をならすな。優秀な監視兵って評価されたいからな。そうだろ?」


「三度も誤報鳴らした時点で優秀だなんて思われてないだろ」


四人はぶっと笑い出した。

444


鹿目円奈とスミレの二人は裏路地をまわり、街角の壁側からそっと顔をのぞかせ、王城の関所を眺めた。


そこには、松明の火が数本あり、その監視塔に四人ほどの男の人影がみえる。


何を会話しているかまでは聞き取れないが、なにやらぺちゃくちゃと話し声はする。和気藹々とした
笑い声すらきこえる。



王城の関所の見張り兵たちは優秀なのだろう。城下町の囲壁の、寝ぼけていた衛兵とはわけがちがう。

見つかればすぐに警報を鳴らされるだろう。


少なくとも円奈にはそう見えた。


正面からの突破はまず不可能だし、ロープで這い登る作戦も使えない。そんなことしているうちに
見つかってしまう。



城壁の監視塔の兵たちが目の黒いうちは、あの城壁は突破できない。


そこで円奈は顔をひっこめ、スミレが控える路地に戻り、作戦を伝えた。


「あの四人を追い払う」

と、円奈はスミレに囁いた。そして円奈は自分の背に抱えた矢筒から一本の矢を取り出して、手に握った。

「ロープをこの家の屋根に結べる?」


裏路地の暗闇でスミレはこくっと静かに頷いた。



数秒後、スミレの投げ伸ばしたロープは、王城前の通行路に立ち並ぶ民家の煙突に絡みつき、円奈はそのロープを
掴んでよじ登っていた。



レンガの壁をロープで登り、なるべく音はたてずに、赤色の瓦で葺かれた勾配ある屋根に着地する。


煙突から煙はのぼっていなかった。夜間だから当然だ。暖炉は使われていない。



レンガ煙突の突出部分に身を隠した円奈は、そこからそっと勾配のついた赤色の葺き屋根を匍匐前進で
よじ登り、屋根の一番高い棟の部分へきた。

民家の屋根のてっぺんに。


円奈が屋根を這って登る姿は、スミレの視線が追う。



ほぼ城壁の高さと同じ、屋根の勾配から、円奈は顔だけだし、監視塔の人たちを眺める。



監視塔の人たちはこっちに気づいていなかった。城壁に並ぶ円形の監視塔は、四つほどあり、そのうち
王城の門にもっとも近い塔に男四人が敷き詰められて見張っている。



円奈はそれから遠い監視塔に誰もいないことに着目した。そして、その監視塔には、警報を鳴らすための
ベルがついていた。

このベルの”舌”の部分を揺り動かすことで、カンカンカンと鐘の音がなるのだ。



円奈の思いついた作戦はこの警報を誤って鳴らしてやることだった。


別の監視塔から誤報がなって、四人の男たちは慌てて何事か、とそっちへ駆けつける。すると王城の門は
お留守になる。



その間に城壁を通り抜ける。


目的である王城の敷地にいよいよ入ることになる。


スミレもロープをよじ登り、煙突の付近の屋根に着地した。裸足のまま屋根の勾配を這って登り、
円奈の横にまでくる。

スミレは手を屋根の棟にかけて落ちないように自分の身体を支えた。



青いマントがたまに屋根の瓦にひっかかってビリっと破けた。


スミレは嫌そうな顔をした。


円奈は手に取り出した矢を口にくわえた。

矢の軸を歯と歯のあいだに噛んだまま弓を両手に持ち、口に咥えた矢を手に戻して弦に番えると、もう一度だけ
監視塔の立ち並ぶ王城の城壁を見渡した。



長さ100メートルほどの城壁。並び立つ監視塔の、門のあたりには、四人の警備兵たち。


そしてゆっくりと弓を上向きに構え、弓の弦をひっぱった。やや上向き。



ここからあの監視塔のベルに矢が届くためには、どのくらいの角度が最適だろうか。


もっとも高く飛ぶのは45度だが、真上から落ちてはあのベルに命中させることはできない。



監視塔の円錐の形をした屋根にあたるだけだ。



つまり、30度か35度くらいがいい。屋根の下に入り込んで、ちょうとベルに命中するくらいの
角度がいい。



円奈は屋根の勾配に足をかけ、屋根上から身を乗り出すと、弦を35度くらいにして限界まで引き絞った
弓から矢を放った。


ビュン!

弓から矢が飛ぶ。すぐに矢は夜闇へ吸い込まれて消えた。



そして、しばらく音を待った。



何秒かあとに、壁際にバチンとぶつかるような小さな音が、寝静まったギルド通りのどこかに聞こえた。

失敗だ。


角度をつけすぎたらしい。


たぶん屋根か何かに当たって砕けた。



円奈は悔しそうに歯に噛んで、再び弓に矢を番えると、こんどは32度くらいの弓の角度にして、
再び矢を夜へ放った。



矢はギルド通りの夜空の暗闇を飛び、星空の煌く上空へ舞う。



そして、やや斜め上向きにとんでいた矢は、たくさんの通行路や、路地、建物群の屋根の上を通り過ぎて、
しだいに角度をさげて下向きになっていく。


そして風をきりながら矢は王城の監視塔の、青色をした塔の屋根の下をくぐり、隙間に吸い込まれるように
落ちていって、ベルの金属に当たった。



カーン…。



ベルの警報が小さく鳴る。


それも、一度きりだけ。


しかしそれは、王城の人たちを飛び起すほどのものではなかったが、夜警の兵たちの注意をひくには、
十分であった。



羊の首輪にぶらさげるベルを巨大化したような警報の鐘は、中心に釣り下がる舌の部分に矢があたって、
わずかに揺れ、鐘をガーンガーンと鈍く音をたてた。


「おい、なんだ?」

監視塔に立った四人の男たちが、別の監視塔、だれも位置についていないはずの塔からベルがなって、
不思議がる。


四人とも目をあわせ、首をひねる。



「風か?」


ゴーンゴーン…

鈍い音は一度鳴ると、おさまるまでに時間がかかる。鐘とはそういう音をだすものだ。



「風のわけない。みろ」

リックは自分たちの位置につく塔の鐘を指差してみあげる。「味方の誤報かな?」


「妙だな」

ワーウィックも唸り、それからリックに命令した。「みてこいリック」


「なんで俺だけが?」

リック、目を丸くし、そして嫌な顔をする。「冗談じゃねえ一人じゃ怖くていけねえよ、一緒にきてくれ!」


「あーもーしょうがないなこのチビリ野郎びびりやがって。俺が一緒にいってやる」

ボーシャンが顔をしかめて、仕方ないなという顔をし、リックの肩を叩き、そして率先して監視塔の梯子を
てくてく降り始めた。


「誰かいるかもしれねえ。何事かときいてくる」


「ああ頼んだぞ」

ウェットは、塔の上に残った。

梯子を降りて持ち場を離れるリックとボーシャンの二人を見守る。


塔を降りた二人は城壁の防御回廊を歩き、ベルが鳴った監視塔へとむかう。



その二人の注意が完全にそっちにむいているまさに背後で。



鹿目円奈とスミレの二人が、音もなく、月のみが浮かぶ夜空の下で行動に移り、屋根から城壁へ飛び乗った。



城壁に飛び乗ると、すばやく歩廊を歩いて、監視塔の兵たちの目を盗みながら、城壁の階段を降り、
王城の敷地内へ降りる。



ここまでくれば監視塔の兵たちの基本的に死角だ。


兵たちは、塔の上から、ギルド通りの側をみるのであって、振り返って王城の敷地内を見たりはしない。



スミレと円奈の二人は音もなく石の細い階段を降りて、湿った芝生の生えた敷地内に潜伏を成功させる。

445



二人は、すでに三つの城壁の関所を越えて、エドワード城の敷地へ不法侵入を果たした。



やっと王城の敷地に入った二人だが、この王城にもまた最初の城壁、第一城壁があった。


高さ700メートルになる巨大な王城は、層が7つあり、第一城壁区域、第二城壁区域、第三城壁区域、
というふうに第七の城壁区域まで積み重ね式に城が築かれており、上になればなるほど貴人の住む領域となる。


第七城壁区域はいうなれば天守閣で、天に君臨するエドワード王の根城と、玉座の大空間がある。
政事はここでおこなわれる。


第六城壁区域は、騎士と貴婦人の住む領域。壮美な居館と居間がある。
高さは600メートルほどの位置に属する。


第五城壁区域も、下流の騎士と貴婦人の住む領域。


第四城壁区域は、騎士たちの召使いたちが多量に雇われ、水運び係りや料理人、音楽隊、武器職人、大工、
石工屋、漆喰職人に鍛冶屋、鋳掛屋、蝋燭師、石灰屋、書記や徴税役人や財務官、処刑人、市民の徴税簿記の
財務室など、城の運営にかかわる人たちが暮らす。高さは400メートルほどの位置に属する。


第三城壁区域は、国外からの寄留者や暖炉つきの客室、道化、隠者、守備隊、兵士、監獄の見張りと看守、
食糧貯蔵、水の確保をするための井戸を請け負う人、武器庫の管理、城内の馬と家畜の世話と管理、その牛番
たちの私室、養魚池の運営、菜園の運営などの役割を持つ。高さは200メートルほどの位置に属する。


第ニ城壁区域は、ゴミ、糞尿、汚水、下水の処理にあたる。ここにも大量に人が雇われている。高さは100
メートルから150メートルほどの位置に属する。トイレと便所があり、敷地内に糞尿が垂れ流しの場所もある。
もちろん、この場所は、はるか上の階の便所から落ちてきた騎士と貴婦人たちの便も溜め込む。


第一城壁区域は、いま円奈たちがやってきた城壁の内側の敷地内。軍の訓練場。城内の弓兵たちはここで的を
狙いロングボウを撃つ。クロスボウ兵も城壁の上から地面にたてた的をめがけて狙いを定めてうつ。芝生の
広場では剣士同士が剣術とレスリングを習う。しかし、騎士の訓練場はここではしない。これには理由がある。



どの城壁区域同士にも関所があり、第一城壁区域から第二城壁区域に進むためには関所を通らないといけないし、
第二城壁区域から第三城壁区域に進むためにも関所を通る必要がある、というふうに、無数の防御施設に遮断柵、門、
監視塔がある。


城門はすべて夜間には閉ざされる。ピシャリと門に遮断柵が閉ざされるのだ。この関所を通ってはじめて、
円形の階段塔に辿り着けるので、螺旋状の石の階段をここで永遠と登らないと、次の城壁区域に入れない。


その螺旋状の階段は、多いところだと千段以上もある。

城内に掘られた井戸穴の高低差は100メートルもあり、落下すれば命はない。汲み上げるほうも大変である。






さて鹿目円奈は、王城の敷地において、入城を果たすためにはまだまだ関門がたくさん残っていることを
思い知らされた。



たとえば第一城壁。


これはエドワード城そのものに建てられた壁ではなく、むしろ王都エドレスの本城を囲うように建てられた
城郭のたぐいである。


この第一城壁だけで、高さが50メートル以上もある。この高さでは、ロープをひっかけて
よじ登ることはいくらなんでも不可能だ。


ロープの長さが足りない。


それにしても3キロメーメルの深淵の谷のど真ん中に建つ、エドワード城の巨大さには圧倒される。


近くまできてみて、いよいよその威容な天空の城に、緊張してしまう。



月にも届きそうな黒い城だ。


さて、幾重のも守りに固められた王城への潜入を試みることになる円奈たちに、最初に立ち塞がる関門は、
鉄の防柵。


鉄製の柵であり、鎖で閉じられた防御柵である。鉄の柵は、ところどころ花柄の模様を装飾的に描いているが、
上部はすべてトゲのように尖っている。よじ登ろうとすれば、この柵に手を刺される。


しかしこの鉄柵よりもっと厄介なのは、その奥の外郭敷地をうろつく檻から放たれた餓えた番犬たちである。

城の主たちは夜間になるとわざと城内の敷地に、くんかくんかと鼻をならす番犬を放つのである。

番犬の放し飼い。


侵入者の臭いを嗅げばすぐに喧しく吠え出す飢えた番犬の守りを、円奈たちはどう潜り抜けるのか。



番犬が放たれた中庭は、円奈たちにとって、最初の関門にして、すでに最大の難所であるかのように思えた。


この鉄柵を越えると、高さ50メートルの第一城壁に辿り着けるが、だからといって安心でもない。

そこに見張り人がたっていれば、矢を放ってくるだろう。



円奈たちは王城の通行路を渡り、入り口の鉄柵のところまできた。


塔と塔のあいだに設けられたこの鉄柵は、中心に門があり、両開きにひらく仕組み。



円奈はこの防御柵とその内側に放たれた番犬を突破するため、矢に仕掛けを施し始めた。



パレード入り口の城壁を抜け、王城の防御柵へ挑む二人の両側は城壁が囲っている。つまり、前後には門、
左右には壁という、四方を障害物に囲まれた状態。逃げ道なし。ここで番人にみつかればひとたまりもない。



敷地内を、長い舌を垂らしながらうろつく犬たちが腹をすかせてあるであろうことは円奈にも予想ついていた。

この時代の城が、夜間どのように警備を敷いているか、本で読んだことがあったからである。


そこで円奈は、スミレが後ろで不安そうに見守っているなか、矢に、腐った鹿肉をくくりつけ、紐で縛ると。



それを、どこか遠い敷地内の芝生にむかって、飛ばしたのである。



パアン!


円奈の弓から発射された矢は肉つき。


しかもそれは犬の反応しやすい、なにか物の落ちるような音とともに、ズドっと芝生に差し込まれた。


番犬たちはすぐに音に反応して、首をあげ、矢の落ちた方向へ一目散に駆け出していった。ワンワン吼えながら、
物凄い速さで四肢で城の外郭を駆け抜ける。


黒い犬たちは消えた。



いまごろ肉にありついているだろう。


円奈はすると、鞘から剣を抜き出して……その剣は抜き出すのと同時に青白く光を放ったが……


夜空の月が見下ろす城の鉄柵の錠を。



「えい!」


声の気合一発、バギンと剣で叩き割った。


魔法の剣は錠を外した。鋭い火花が一瞬バチンと飛び散り、鉄は裂けて門は開いた。



円奈は鉄柵の門を押して開くと敷地に入り、第一城壁の下にまできた。

ギギイと軋む音を夜に響かせて門は開かれた。



そこの正面には門があった。


円奈はさっそく巨大な階段をのぼって門の前にたち、手で押してみが、びくともしない。


少女の背丈より10倍ちかい大きな門は、裏側から閂でも通されているのだろう、外側からではまず開かない。


「時間がない」


円奈はスミレの手を引っ張って外郭を巡り始め、正面門からの侵入は諦め、別ルートを探す。



凶暴な番犬たちは空からふってきた鹿肉を頬張っていた。

446


二人は第一城壁の外郭をぐるりとまわりながら、侵入ルートを探していた。


その間、さまざまなものを二人は見た。


その多くは家屋と役畜用の施設だった。まず納屋と厩舎がある。そこに遠乗り用の馬や、羊と山羊が飼育された。

羊と山羊を納屋に飼うのは、城の敷地内に芝生と草木が繁らないように定期的に放し飼いにして食べさせるためだ。

芝刈りを機械ではなく、こういう役畜にさせたのであった。



二人は王城の第一城壁をめぐっているうち、とある大きな階段をみつけた。


石造りのアーチが組み立てた大きな階段で、円奈たちはそこを登ると、緑色の芝生の生えた大きな中庭へときた。


城郭の中庭の一部だ。


そこには鶏を飼う納屋が設けられていた。卵は城内の人々にとって貴重な食べ物の一つである。



この中庭をみて、円奈は王城の内部へ潜入する方法を思いついた。


第一城壁は、高さ50メートルもある高層の壁であるので、門を通らない限り突破は不可能だ。
そしてその門は硬く閉ざされている。


夜間に閉ざされた城門の落とし格子は、樫の木材で組み立てたその格子に、鉄の板をはめ込んだ。


魔法少女の人間離れした腕力でもこれを破壊するのは難しいだろう。



壁を乗り越えることも門も突破することも不可能。



門に繋がる階段は、まっすぐではなく、くねくねと左右に曲がりながら登るルートに作り上げられている。

こういう階段をしている意図はもちろん円奈にも分かる。


まっすぐ進むだけの階段なら、侵入者は盾を城壁側にむけながら安全に接近することかできるが、くねくねと
左右に曲がりながら登る回りくどい階段だと盾をいつも城壁際にむけているわけにはいかない。


必ず侵入者は、くねくねした階段を左右に昇りながら、横むきになって階段を登ることになる。


盾は城壁側にむかない。守備側は、矢狭間から、隙だらけな侵入者のわき腹へ矢を射ることが容易になる。



難攻不落に思えた王城を攻略するため、思いついた円奈の侵入作戦は、地下水からの潜入だった。



この中庭がどうしてここにあるのかを考えれば、円奈はその侵攻ルートに考え及ぶことができた。


宮廷文学や、騎士道物語では、城内に設けられた郭の中庭は、馬上槍試合の舞台になっていることが多い。


ここに貴婦人たちが特別席を設けて、城壁の上から、騎士たちの試合を見物するのである。


絵のように美しい城のもつ美的価値を舞台に選んで、壮美な馬上槍試合を描写するのは、残念ながら、
ロマン主義的な文学の描写であり、現実の城がもつ中庭の持つ意味はそれとは別になる。


実際には、城内の中庭は馬が走ることは皆無だった。むしろ馬が立ち入ることを一切禁じた場所だった。

馬上槍試合をするなんてもっての他なのである。


では城内に敷かれたこの広大な中庭は、なんのためにあるのか。



芝生の生えた中庭の下には、大きな地下水槽が設けられいる。溝や管を通して、中庭に降り注いだ雨水は、
地下水として蓄えられ、欠くことのできない水資源になる。



馬の尿には馬尿酸が含まれているから、これが水に混ざると飲み水ではなくなってしまう。


城の人々はそれを知っていたため、城内の中庭に馬を立ち入らせることを厳しく禁じた。



そこは水資源を蓄えるためにつくられた中庭であり、要塞であり政治の拠点でもあった貴族の暮らす城は、水の確保を
もっぱら雨水に頼っていたのである。



ということは、だ。


「この下に地下水路があるはず!」


円奈は思い至った自分の考えを口にした。そこの思いつきから、王城への潜入経路をスミレに伝えたのだった。


「水路を通って城に入れる。泳ぐことになるけど……」


スミレは、一瞬不安な顔を浮かべたが、ゆっくり頷いた。その魔法少女の顔に覚悟が決まった。



夜中の潜入作戦はつづく。

星の浮かぶ夜空の月はもう山々のむこうへ降りて沈んだ。


あとは夜明けを待つだけだ。


残された時間は、多いとはいえない。



「みつけた」

円奈はエドワード城の中庭にある芝生のうち、地下へ繋がる狭い隠し通路を探り当てていた。


中庭敷地のある芝生の草を掴みあげると、木の板が浮き上がって、下に通路が続いていた。


隠し通路である。基本的には、地下の水槽を点検管理するための係りが通る地下道。

芝生が植えられてカモフラージュされているが、見つけてしまえばなんてことのない地面の仕掛け扉。


円奈はからくりの床板をもちあげ、その下につづく、狭苦しい、真っ暗な地下通路へ降りた。


剣を鞘から抜き、階段を下りる石壁を照らした。

魔獣の気配に反応して青白く光る剣は、こんな役目も果たしてくれた。


青く照らしつつ、円奈は細い地下への階段の先を一歩一歩降りた。


スミレもそれにつづいて、地下階段へ入ると、スミレは円奈の持ち上げた板を、階段の下からおろし、隠した。

すると隠し通路は再び芝生の地面にまぎれた。


447


二人は長く地下階段をくだっていると、すぐに水のボタボタという漏れ音と、湿った壁のカビくささが、
鼻をついてきた。


青白い剣を前にだしながら円奈は、地下でどんな城内の人間にでくわすかと緊張に顔を引き締めながら、
階段を最下部までくだってゆき、そして木の扉に行き着いた。


木製の扉は、木の板を均等に切って釘で繋ぎ合わせた扉だった。



そして地下水の水漏れが染み込んで木はカビに蝕まれていた。扉は閂によって閉じられ、ウォード鍵が
必要になったが、かまわず円奈は剣で扉を壊し、地下水槽室へとはいった。


スミレがあとにつづいて地下室に入った。


円奈がまず部屋に入り、後ろにつづくスミレが見たのは、ぽたぽたと天井の溝や管から染み込んでおちてくる
水をためこむ石壁の積まれた地下の巨大なプールだった。


真っ暗闇で、地下を照らす明かりは円奈の手に持たれた青白い刃しかないが、そのプールの巨大さは
それでもはっきりとわかったし、地下貯水池の容積量と、一方向へ流れていく細長い地下水路の全貌が
目で把握できた。



「この地下水に”潜る”」


と、円奈はスミレに告げた。


「どれくらい潜ることになるか分からない。城内の井戸に辿り着くまで地下水に流されつづける」


それは危険な作戦だった。


地下水の流れに任せるままに体を迷路のような水路に飛び込ませ、運がよければ内部の井戸穴に辿りつくだろう
という作戦。

逆にいえば、運が悪ければ、地下水に流されるまま下水路に混ざってしまい、そのまま城から下水管を
とおって城外の崖へ吐き出されることになる。あとは崖下の海までまっさかさまだ。


しかし、もとより命がけなのは覚悟の上だ。


円奈は流れのやまぬ地下水路に飛び込む前、一度座りなおすと、ピンク色の頭髪に結んだ赤いリボンを、
髪から解き、大事そうに手首にしっかりと結んだ。


その様子を不思議そうにスミレが見つめている。その瞳に映る赤いリボンを、魔法少女は気にしていた。



手首にしっかり結ぶと、紐で背中の弓をしっかり身体に巻きつけた。矢筒にも矢をしっかり絡めつけた。

水に流されても、これらの備品が手持ちから離れないためである。


円奈は手首に結んだリボンの端を口で噛み、しっかりひっぱって結び目を強化した。


水路に飛び込む準備が整うと、スミレを見た。


「必ずユーカを助け出せる。」


激しく暗闇を流れる地下水の音が、スミレという魔法少女を不安にさせたが、円奈が励ました。


そして、スミレは力強く頷き。

円奈も覚悟を決めた。


二人は同時に水に飛び込んだ。


とたんに身体を冷たさが覆う。

「つめたっ!」

と思わず声をこぼしたまま、地下水に身体を浸からせて、地下水路の細い道を水に流されるまま進んだ。


二人の少女の身体は城の地下水へざーっと流されてゆき、水路へ入り込む。


円奈とスミレの二人は水から顔をだしながら流されつづけた。


ぽたぽたと垂れる水路の天井からの水滴が二人の髪を濡らし、二人の服は水に埋もれてびしょ濡れだった。


当たり前だが地下水路は修築作業の手が行き届いてなく、水の流れによって削れた壁の石があちこち剥げていた。

内壁はぬめぬめした。


二人は水に流されるまま敷地内の地下をくぐり、たまに鉄格子が水路に嵌められて行き止まりになってしまって
いるのを見ると、方向を転じたりしながら、出口を探す。


鉄格子のはまった地下水道からも水が垂れてきていた。別の中庭からおりてきた水だろう。


こうして二人は城の水路を順調に進んでいたが、いよいよ別路のない行き止まりにぶつかってしまった。


「下に道がある」


円奈は髪も顔もずぶ濡れになりながらいい、スミレに下を指で示した。


「潜れば進める」


それは、息をとめて水路を進めという意味だった。


スミレはすぐにそれを覚悟した。魔法少女の衣装は、青いマントふくめて、びしょ濡れだった。

ホタボタと水滴が天井から滴りおちる。


それは二人の額をたたく。透明な水滴だらけになる額を、円奈は腕でぬぐい。


水気を含んだ、頭にはりつくピンク髪を手で後ろへかきわけて、はああっと息を吸い込むと、水路へ潜った。


スミレもそれにつづいて水に潜った。


水に潜ると、真っ暗闇だった。

土の地面と、濡れた石の壁と、低い天井だけがあった。石と石のあいだには水草が生えて緑のヘドロと共にぷんぷか水中に
ゆらめいていた。



円奈とスミレの二人は、人間の少女一人がやっと通れるような狭苦しい水路を潜り、息切れに耐えながら、
10メートルほど前にすすんで、やっと水面をみつけた。


ざばっ。


「あふ…あ」


むせながら円奈が顔をだす。狭い空間の水面に顔をだす。その全身は水に塗れて、髪は首筋にはりついた。


そして大きく口をあけて息を吸った。そこは丸く空間が天井に伸びていて、そのはるか上方につるべに
吊るされた井戸の桶があった。


二人は井戸穴に辿り着いたのだ。



円奈は井戸の丸い壁に手をふれる。その高さは、20メートルくらいはある。とんでもなく高い井戸だった。

石は丸く円形に積まれていて、井戸を形成する。井戸穴の底は真っ暗闇。


ふつう人がまず落っこちないようなところから、逆に這い出して城へ潜入しようとする作戦。


井戸の下から這い登って城内に入り込む。命がけの作戦だった。



しばらくしてスミレも円奈の隣に顔をだした。井戸の水面から。


「ぷ、はあ」

苦しそうな顔をして息を懸命に吸う。その目はしばらく閉じられていた。ぶるぶる顔をふるって水滴をふるうと、
やっと青い瞳を開いた。


円奈は立ち泳ぎしながら井戸を指差した。「上に登れるはず」


スミレは、ウンと頷き、魔法のロープを手に召喚すると、井戸のつるべにそのロープを絡めた。


上方で人間たちが気づいたような様子はない。


すると円奈はロープを手ににぎり、ゆっくりと、両手をつかって井戸をロープで這い登りはじめた。


高さは20メートル。まるで蜘蛛の糸を登るかのような、永遠と長いロープだった。


しかし円奈とスミレの二人は一生懸命にそれを登りつづける。

448


そして二人は井戸を這い上がり脱出し、地上に着地した。


そこは城内の一室であり、井戸室と呼ばれる水補給の拠点だった。




二人は井戸のつるべにひっかけたロープを登って井戸から這い出てきた。

そして石の地面に着地し、部屋の見渡した。



城内の部屋は壁際の松明の火だけが照らしていた。

ここはエドワード城第二城壁区域の井戸部屋。


スミレと円奈は二人手を取り合って、部屋を出る唯一の木の扉へむかう。


さすがに城内の扉は戸締りされていなかった。円奈が扉の取っ手にぶら下がる鉄環を持って押すと、扉は奥へギイと
開いた。


円奈はいつ城内の人間に出くわしてもいいように、弓を手に握りながら、廊下へ飛び出し、そして
右へ左へと、きょろきょろ視線を走らせながら、階段をくだると、まだまだ続く暗い廊下を走り続けた。




エドワード城の内部に造られた廊下は長い。


松明の火が壁際に間隔をおいて灯っているが、物音ひとつなく静穏とした廊下は逆に不気味だった。
それに冷たく、寒かった。


年中、日のあたらない石壁に囲われた廊下は、空気まで停滞していて、ひんやりしていた。



さて、円奈たちが井戸部屋から飛び出した城内の廊下には、通路の両側にたくさんの扉があり、さまざまな部屋と
とつながっていた。

食べ物を蓄える穀物倉庫や、麦芽焙燥室、脱穀室、製粉室、薪燃料の保管庫、守備隊控え室、武器庫など、
さまざまな部屋につながっている。



もちろんいちいちそんな部屋に用はないので、円奈は廊下をまっすぐ突っ走る。


するといきなり外へ空間が開けた。




円奈たちは第二城壁区域の塔から外に飛び出して、第三城壁区域へつながる歩廊にきていた。



巨大な石の階段が永遠と上方へ続いており、さらに高い地表150メートルの位置につながる本城の塔へと
道が伸びていた。


さながら天国への階段だ。


円奈たちは覚悟を決めて、この階段を駆けはじめた。守備隊たちの姿はない。塔のあらゆる箇所に油をかけた
常夜灯が灯かりの火となって燃えているだけだ。



青い剣を前に翳した円奈と、青いマント姿をした魔法少女のスミレの二人の影が、第二城壁区域から第三城壁区域
までの階段を登っていく。



月の沈んだ夜に、二人の姿をみかける守備隊の目はない。


しかしエドワード城は、二人が登る階段よりも遥か上空にまで高くに姿を現している。高大な要塞の城は、
あちこちに常夜灯の灯火を照らして暗闇に浮かんでいる。



階段をのぼりきると、第三城壁区域周囲の塔に辿り着いた。

しかし階段はまだまだ続いており、巨大な塔のまわりをぐるりと回って登る外階段になっていた。その高さは
100メートルから150メートルに及ぶ細々とつづく階段だ。



二人はこの階段を登った。

巨大な塔を外周する曲がり階段を、壁際に手をつきながら慎重に登る。足を踏み外したら城内の郭の中庭に
転落だ。



階段を昇りきると、塔の内部に入ることができた。


円奈たちがいつも地上から見上げていたエドワード城の塔に、二人はいま居るのである。


二人は塔の暗闇の内部に入るといったん休憩し、息ついた。


「はああ…」

円奈は集中力きれた、という感じで、背もたれをついて螺旋階段状の塔の内部に腰かけて座った。

「なんとかここまでこれた…」


スミレも息をはいて腰かけた。はだしの足は泥がついて汚れていた。


彼女はいやそうに自分の足についた泥をふき取り始めた。


「でも……ユーカちゃんはいったいどこにいるんだろう?」


円奈は肝心な疑問を投げかけた。


二人の目的はユーカを救出すること。そして、ユーカとスミレと円奈の三人で、エドワード王の前にでて、
魔法少女に対する魔女刑の抗議を申し立てること。


しかしこれだけ巨大な城で、ユーカが、どこに捕われているのかが分からない。

二人だけで城じゅう探しまわるのは無理がある。エドワード城は、あまりにも広い。城の内部は迷路のようで、
高さの上下差も激しい。階段を何百段と昇ったり降りたりする。防御回廊と城壁の歩廊、塔と城の構造は、
あまりにも複雑に入り組んでいる。


「ユーカのソウルジェムの反応…感じる…」

そこでスミレは、自分のソウルジェムを取り出し、ユーカの魔力を城内にあるかを探った。

「ユーカの魔力の波動だ…」


「どこから?」

円奈はスミレの顔をのぞいて尋ねた。

スミレはソウルジェムのほのかな光に自分の顔を照らしながら、それを眺める。「もっと下かも」


「下?」

円奈は自分たちが懸命に階段を昇ってきたのを後悔した。



「でも、この真下じゃない」

するとスミレは自分たちの旅路が無駄ではないことを告げた。「ここから伸びるお城の回廊を渡った、
第三城壁区域の下に感じる」


「あの通路をわたるってこと?」

円奈はこの塔の頂上から第三城壁区域の中心地へつながる城壁の伸びた歩廊をさす。

「うん」

スミレは頷いた。「その地下に……たくさんの魔法少女のソウルジェム……ある……」

スミレの指先はしだいに第三城壁区域の、鉄格子つきの窓がたくさん造られた城壁の下部へ動いていった。


少しぞっとした円奈だったが、怯んでいる時間はないので、すぐに再び行動に移った。


二人は塔の螺旋状の階段を最上階まで登り、てっぺんに出ると、エドワード城の見晴らしのよい城壁の上に
立った。


「う、うへえ…」


そのあまりの高さに足のすくむ円奈は、おもわず声をあげて下を見下ろし、足をとめた。


そこはエドワード城の高さ150メートルになる防壁の一部で、ここから、城下町も地平線の山々も、
エドレスの絶壁である谷も、あらゆる世界の景観が絶景のように見渡すことができたのだ。


城から見上げる夜空には無数の星が浮かび、きらきらと天の川を伸ばして光っていた。銀河の最も星の集まる
一帯である。


エドワード城からのその眺めは、まさに壮観であった。



「円奈ちゃん…」


「う、うん…」

思わず天をうっとり見上げていた円奈の肩をスミレが触れ、我に返った円奈は、塔の頂上からのびる野外の
歩廊をすすんだ。


松明の火が燃えているが、守備隊の姿はない。みな、眠りに落ちている。


円奈が先頭たって進み、うしろを青いマントをはためかせた魔法少女のスミレがつづいて歩廊を走る。

高さ150メートルの大きな歩廊を。石造りのデコボコした矢狭間つき(クレノーと呼ばれる防壁である)の手すりに両側が守られた歩廊だ。


二人が長い歩廊を走りきると、また丸い塔にきた。第三城壁区域の監視塔だ。ここは螺旋状の階段塔もかねる。


「この塔をくだれば地下にいける」

スミレはいった。「その気配を感じる」


円奈は頷いた。「わかった」


銀河のみえる夜空から、二人は再び城の内部へ入り込んだ。


螺旋階段はさらに上に登る道と下にくだる道があったが、二人は下にくだる道を選び、
何重と回り続ける螺旋階段をぐるぐる回りながらくだった。ときおり螺旋階段の塔に小さな窓枠が開いていて、
外の景色がのぞけた。


驚くほどの高い所に建てられた塔の窓から見えるエドワード城の景観は、これまた壮麗な眺めであった。



順調に階段をくだっていた円奈とスミレの二人だったが、青白く剣を煌かせた円奈の足が階段を降りる途中で
突然とまった。


螺旋状階段を降りる途中、内部が突然ひらけていて、そこから明かりが漏れてきていたからである。


アーチ型の入り口があり、その奥で、城の兵士たちのぺちゃくちゃという話し声が聞こえていた。


スミレは円奈の横にきた。円奈はしーっと指に手をあてて、静かにするよう伝えた。



「だからよ、女の恋ってのはよ、」

守備隊たちは城内の暖炉つきの一室で、夜間の食事を仲間達と楽しんでいた。

「自分を守ってくれる男を好きになるだろ。それから、子供が生まれたら、結婚した夫より自分の息子が
かわいくなるだろ。つまり、女の恋ってのは、自分への恋なんだよ。自己愛ってやつだ」

「ああまったく結婚ってのは考えものだな」

別の守備隊の一人が、火皿から焙られた猪の肉を鉄串から手にとって、かぶりついた。

部屋の暖炉の壁際には、鹿の頭が剥製されて飾られていた。騎士たちの狩猟の成果なのだろう。

また、男たちが椅子にこしかけ、バチバチと燃える火皿を囲う床には、動物のなめした皮がカーペットのように
敷かれていた。豹か何かの皮だった。


「だからよ、よくいうだろ、”結婚するときは梯子を降りろ”ってよ」

別の守備隊も鉄串にささった猪の肉に噛み付いた。巨大な肉から皮がはがれた。それは男の歯と歯のあいだに
吸い込まれていった。

「でねーと、男は生涯、妻のためにカネ回しするだけの奴隷だ」


「結婚ってのは悪魔の契約なんだよ」

守備隊の一人はそう言った。木製ジョッキからビールを一気飲みした。暖炉の火には、薪がおかれ、
燃えて部屋を明るく暖めている。

「悪魔の契約か。妻を魔女だって訴えたいぜ」


男たち、はははと爆笑。


「だが今じゃ妻を魔女にした男は処罰の対象だろ」

「ここ最近の政治の失敗だな」


ははは。

男たち、また笑う。


「いやほんと、女ってのは犬かなんかだともって躾ないとダメだな」

男たち、猪の肉を頬張る。くちゃくちゃと肉を噛む。

「でないと犬にされるのは男のほうなんだからよ」


円奈は明かりの漏れる部屋の入り口に顔をのびかせ、男たちの会話を見守る。

こっちに気を配る様子はない。


肉に夢中になっている。


暖炉の火が明るく、こっちにまで光が漏れるので、部屋の入り口の前を通ると、円奈とスミレの姿は一瞬だけ
光にあてられて丸見えになるが、無事通り抜けられるだろうか。


「だがまあ、魔女刑がはじまってから妻もだいぶ大人しくなったから、男にとっちゃいいことだ」

守備隊の男は本音を語る。

「女ってのは黙って男に従っているのがいちばんだ」



男たちが、女を魔女審問でかくも残忍な拷問に晒し揚げることができたのはそういう本音があったからなの
かもしれない。


円奈は入り口のほうへ飛び出して、明かりのところに姿を晒した。


暖炉の火が漏らす光で自分の姿が丸見えになるが、階段を降りてすぐ通り過ぎる。


スミレもつづいて魔法少女姿を入り口の明かりに晒し、青マントをひらめかせた奇抜な姿が、部屋の明かりに晒されて
一瞬丸見えになったあと、壁際の階段を下りてくだりつづけた。


守備隊の男たちは気づかなかった。


彼らは会話に夢中であり、一秒たらずのあいだ、入り口に通りかかった二人の少女の姿を、見つけることはなかった。

とはいえ、もし何かの騒ぎが起これば、少女たちを逮捕しに動き出すのは彼らになる。

449


階段を最下部まで降りた円奈とスミレの二人は、第三城壁区域の牢獄エリアに辿り着いていた。

監獄があり、牢番が眠ることなくうろつく地下牢の空間である。


「…ちかい。感じる」

スミレは自分の深い青色のソウルジェムを見つめながら、呟いた。

「ユーカのソウルジェムを感じる」


「…うん」

円奈は緊張に顔を硬くし、唾を飲み込んだ。何か嫌な予感がしていた。

大量の魔法少女のソウルジェムがあるというスミレの言葉と、ユーカがこの先でどんな姿になって牢獄で
見つけ出されるのかを思うと、恐ろしくなった自分がいた。


しかし、階段をくだりきった二人の前に、いよいよ扉が現れた。

木製の扉。


取っての鉄環に手をかけ、そっと中に押し出す。


二人は牢獄エリアの廊下へ出た。


円奈の青白い剣だけが光源であり、真っ暗闇な鉄の牢獄を照らした。



二人はまず感じたのは、異様なほどの悪臭だった。


鼻を覆いたくなるほど、というか実際に二人は鼻を腕で覆ったのだが────この世のものとは思えぬ悪臭が
牢獄エリアには立ち込めていた。


鳥肌がたつほど寒気がした。ひたひたと湿った地面の牢獄は冷たく、暗く、何もみえなくて、信じがたい
異臭が支配しているほかは、なにもわからない。


二人は手探りで青白い刃をかざし、廊下を進んでいたが、闇に包まれたこの監獄エリアの通路の先、警備隊の足音をきく。

円奈は、スミレの手を引き、立ち止まる。

青いマントをひらつかせ、裸足で冷たい地面を踏みしめる魔法少女の足がとまる。

ポタ…ポタ…

暗闇の空間で、耳に異様に入る音は水滴の落ちる音。


円奈は、息を潜めて、暗闇の先にいるの人影が、それが自分たちに気づいているのか、気づいていないのか、
気配を殺して見守った。青白く光る剣は、鞘に収めて、暗くした。



すると、牢獄を巡回する警備兵は、闇の中で、カチャカチャ剣の音を鞘から立てながら、円奈たちとは別方向の
道へ去っていった。


「…きて」

円奈は、スミレに囁き、小さな声をだしつつ、牢獄の地下通路を進む。

ぽた…ぽた・・・

天井より滴る水滴が多くなった気がする。


一歩一歩、数メートルも先が定かにならない真っ暗な道を進み、悪臭と、カビ臭さ、湿り気ただよう地下牢獄の
暗闇を手探りで探る円奈は、足元が鉄格子の溝蓋であることに気づいた。つまり、地下に水漏れしてきたのは、
この下に流れていく排水経路があるわけだ。

カツー…カツー…カツ…。

鋼材の溝蓋を踏むたび、足元で金属音がなる。円奈の革靴が溝蓋を踏み鳴らす。


「ロシュー、おまえか?」

警備兵がもどってきた。


「っ…!」

はっと息を呑む円奈。とその後ろで円奈に隠れるように縋る魔法少女のスミレ。

円奈の背中にしがみつく。

いきなり恐怖がぞわっとこみあげた。

見つかってしまう。この逃げ場のないところで。


円奈は、右へ左へと、目を走らせ、この暗闇で隠れる場所はないか探したが、壁ばかりで、身を隠すところはなかった。


そうもしている間に警備兵がテクテク、なれた様子で松明を手に近づいてくる。


あと数秒もすれば、松明の光に円奈たちの姿が照らされる。



どこを探しても隠れる場所がないと悟った円奈は、足元へと視線が自然とおりた。

そこには、水漏れのたれ水が吸い込まれる鋼材の溝蓋があった。つまり地下空間の排水溝だ。



警備兵は松明を手に、地下通路の中心点、十字に通路が交差している地点に戻ってきた。

南北には警備兵の控え室、東西には地下牢と、塔への階段がある道だ。



「ロシュー?」

警備係の兵士はあたりを見回し、松明の火を回し、あたりを明るくさせた。

水漏れの激しい、湿った石壁が照らされるばかりで、誰もいない。


「気のせいか」


警備兵は、再び控え室に戻る。


足元の溝蓋を踏みしめながら。

「あー。たまには夜遊びもしないとな」

愚痴りながら、独り言をこぼして、待機部屋へ。

その、警備係が歩き去る足元を、眺めて見上げているのは、下に潜り込んで隠れた鹿目円奈とスミレ二人の目。

警備兵が去ってく背中を、地面の溝蓋の格子から覗き込む。


兵が去ったあとは、溝蓋を下から取り外して、枠から取り除き、自分たちが這い出る。

まず円奈が出て、ついで、スミレが、円奈に助けられて地面に出る。



二人は地下通路の溝蓋の下に隠れこんでいた。排水溝の水がびとびと、二人を濡らしたが、見つからずにすんだ。

450


二人はさらに地下へ降りる。

階段をくだり、臭いが強くなる地下牢獄の奥へ。



曲がり廊下にさしかかったところ、蝋燭の明かりが灯った廊下の先に、一人の兵士が行き来しているのを見つける。

兵士は、夜勤の警備が退屈で、歌を歌っている。牢獄通路入り口を、往復しながら。

「それは君に長い道~」

「地獄のクソみてえに茨の道~」

「どの町もお前を拒むクソったれだ」


円奈は壁からそっと顔だけだして、曲がり角の奥のその歌声だす兵士を見据えたが、やがて、隣に立つスミレに、相談する。

「あの兵隊さんをやりすごすには?」


「縛る?」

スミレが、手元に出した環状ロープを、びしっ、と両腕にめいっぱい伸ばした。

この魔法少女は、ロープによる拘束魔法が得意である。黒い髪をして青い瞳の魔法少女が自信ありげに提案した。


しかし、円奈は静かに顔を横にふる。「縛っても声だされるよ」

そして、今度は円奈が提案した。

「こっちに引き寄せて眠らせよう」


といって、円奈は弓を背中から取り出した。紐でくくりつけたロングボウを、音もなく取り出し、矢を一本、箙から抜き、
弦に番えて引く。

「おまえが仕掛けたら始まる戦争だ~」

兵士は唄をつづけている。

「一人だけの軍隊~」

槍を重たそうに持ちながら、廊下奥へ消える。

そして、兵士が奥の廊下へ消えたタイミングのとき、円奈は弓から矢を一本、すぱっと飛ばし、曲がり角の奥側へ放った。

バシュッ!

その矢は、円奈の狙いどおり、壁に埋められた蝋燭台のすぐ上を通過し、すると、風で蝋燭の火が消えた。ひゅっ。

火は消え、小さな煙だけ燻る。いきなり真っ暗になる。


「ん?だれだ?」

突然、視界が真っ暗になった兵はあわてる。そして、円奈が隠れた曲がり角のほうへ、戻ってきた。

「クリネック!またおまえか!」

兵は、何を勘違いしたのか知らないが、円奈たちの隠れる曲がり角へ、怒りながら走ってきた。

「そうやって俺もをいつも怖がらせやがって!ちびってションベン臭ったらてめえのせいだぞ!」

かちゃかちゃ音ならしながら、円奈たちが伏せる角へ。

「俺が暗闇を苦手なのは知ってるだろ!クリネック!」

といって、曲がり角へささかる兵士がみたのは。

魔女の疑いかかる少女の二人組みだった。

「…はぐ!」

すぐに、二人の少女、とくに青い瞳と黒い髪をした、青いマントに白いロングヒールブーツを着た少女のロープに首を巻かれ、引っ張られる。



そして引きずられ、声も出せないまま、首をしめられつづけ、首筋を流れる血管のところを、指で強く強く圧迫されつづけた。

4分くらいも。


やがて意識が薄れ、朦朧としてきた。


兵士が気絶すると、円奈は、気絶した兵士の重たい体をひっぱり、誰も見つけられなさそうな、つまり、溝蓋の下に
しまいこんだ。


兵士が再び目を覚ますのは、明日くらいだろう。



こうして、潜入を続け、牢獄エリアの地下へ進み、暗い階段をまた降り、二人は、悪臭の根源、地下牢獄の最深部へくる。


すると、やがて悪臭の正体にきづいた。


「…いやあっ!」

思わず円奈は飛び退いて、そして腰をついてころんでしまった。

牢獄の中にあるものを見てしまったからだ。


スミレもひどく気の動転した顔をみせ、そして目を覆った。



牢獄のなかに積まれているのは女の死体たちだった。

鞭打たれて血を流して倒れた裸の死体が牢獄のなかに積まれていた。


そしてその死体は全て腐り、大量の女の混ざり合った血は地面にこびれついて腐り、錆び、異様な悪臭を
放っているのだった。


魔女狩りの犠牲者たちだった。


死体を放っておくとこういう状態になる。


そのが山のように積もれているのだから、呼吸もし難い最悪の悪臭を放っているのも苦はないのだあった。


「うう…うう」

自分の目にしたものが信じられないという顔をしながら、円奈は牢獄エリアを奥へと進む。


その先で、さらに異様なものを光景するとも知らずに。



震える足で、死体たちの積もれた牢獄の奥へ奥へと、一歩一歩進むと、悪臭の度合いは増した。


廊下を進むと突き当たりになっており、右と左にわかれた。


どっちに進むべきか。


すっかり怯えて、円奈の背中にぴったりくっついて歩くスミレは、左に進みたいといった。



人間は、右か左かの直感的な選択を迫れたとき、左を選ぶ傾向がある。


心臓が左にあるからだ。


円奈も左にすすむことに同意して、ゆっくりと廊下を左へ曲がり、前へ進んだ。


ちょうどそのとき、後ろでカツカツという足音がきこえた。


牢獄エリアうろつく牢番の兵だ。


「急いで」

円奈はスミレの手をひっぱって廊下を進み、牢番がやってくるよりも先に、奥の階段を降りて下の階へくだった。



奥の階段をくだるとますます異様な悪臭が強くなった。


それは死体の腐臭よりももっときつい、生理的に嫌悪したくなる強烈な悪臭で、暗闇のむこうから漂ってくる
匂いは、何も見えない暗闇の廊下を満たすかのようだった。


円奈とスミレの二人は、ユーカを捜し求めて曲がり廊下の階段をくだり、青白い剣を光源にして、天井の低い
牢獄の通路を進み、鉄格子の中を照らしながら、ユーカの姿を探した。



鉄格子のなかには、小さな少女たちがみな裸になって倒れていた。山のように積もれて、気を失って、
ぴくりとも動かなかった。


「…この、人たちは…」


目にしているものが信じられないという想いで、円奈は声をだした。ギラン。青白い刃に顔が照らされる。


「魔法少女たち…」

スミレは、悲しそうな顔をして、牢獄の鉄格子にいれられて、動こうともしない裸の少女たちを見て、
円奈にそう言った。

「エドワード王に捕われた魔法少女たち……」


「で…でも」

円奈の声は困惑している。いや、恐怖すら入り混じっている。「どうしてみんな動かないの…?気絶している、
の…?それても、死んでしまって…」


スミレは顔を俯いて、下をむく。「魔法少女は死なない。ソウルジェムを砕かれないかぎり……」


「砕かれたの…?」

絶望的な円奈の顔が刃の青い光に照らされる。


「ううん。砕かれてない。みんなのソウルジェムの魔力、感じるから…」

スミレの顔は悲しそうだ。


「じゃあ、どうして…」

円奈には、わけがわからない。この顔色に困惑が浮かび、そして、焦燥すら混じり始めた

「どうしてみんな動かないの?牢屋から出ようとしないの…?」


裸の少女たちはみな眠っていた。眠っているというより、死んだように動きがなく、荷物か何かのように
ぐったりしたまま、呼吸すらしないで横たわっていた。


それは、人間からみたら、どっからどうみても死んでいるし、実際に死んでいるも同然の状態ではあるのだが、
それでもやっぱり、裸の少女たちは生きていた。いきながらに死んでいる、という言い方が最も正しい。



円奈が今見ているのは、いわゆる”脱け殻”たちにすぎない。


本体は別のところに集められている。



それに、悪臭は死体のような腐臭に加え、糞尿の激しい臭気がした。鉄格子の牢屋のなかには、たった一つだけ
バケツがあり、そこが少女たちの用を足すための便所だった。バケツはすでに汚物で溢れており、尿は地面に
垂れ流しだった。


これは、死んでいる少女たちが、つい最近までは生きていたことを意味する。


しかし裸のままこんな牢獄に入れられて、さぞ寒かったのだろう、互いの肌と肌で暖めあうように抱き合っている
少女たちもいた。


しかしその肌はいまや死んだ状態のまま放置されて、新鮮さと生気を失って腐食をはじめ、微生物に食われはじめていた。



「こんなのって…あんまりだよ…」

地獄とも呼べるべき光景を目の当たりにした円奈は動けない。

しかしスミレは円奈の先を進み、牢獄を開けると、山のように積もれた少女たちを探りはじめ、そして
「ベエール、」「マイアー、」「ヨヤミ、」「ウェリン、」といった、かつての仲間の魔法少女たちを
見つけていった。



こうなるとスミレはもういてもたってもいられなかった。


スミレは円奈をつれて別の牢獄に入り、鉄格子をこじあけ、積まれた少女たちの死体をかきわる。

そのうち、見つけた。


「ユーカ…」



スミレの親友、ユーカを、少女たちの死体のなかから見つけた。


茶髪の黄色い瞳をしたユーカは、死体たちのように、気を失って目だけ開き、虚ろなまま、力なくぐったり
していた。

それに、全身が針でさされたように血だらけだった。

たぶん魔女刺しの拷問をかけられていたのだろう。二人が助け出そうとここにくるまでの間に…。

全身を針千本、体に刺され、痛覚を感じないか感じるかの判別を審問官にうけた、手ひどい傷跡…。

ユーカはきっとそれに耐え切れず、ついに魔法少女として痛覚遮断してしまい、魔女認定されてソウルジェムを奪われた…。

そのユーカに残った少女の身体にのこった拷問の痕は、あまりにもひどい。白い肉体の全身が血だらけで、針穴だらけだった。


スミレはユーカを抱き起こす。


脈も止まっているし、呼吸もない。瞳孔はひらかれっぱなしで、光をあてても縮まらない。

これは、人間だったら誰がどう判断しても死んでいる。しかし、魔法少女のスミレは、ユーカが生きている
ことを確信していた。

ソウルジェムの波動を、感じるからである。


ここから、100ヤードは離れた別の箇所で。


その魔法少女の秘密を知らない鹿目円奈は、スミレがユーカを助けだしたのを見るや、駆け寄ってきて、
安堵の息を吐き、ユーカの身体に手をふれた。

まず胸にふれ、脈を確かめた。脈はない。呼吸を確かめた。呼吸もない。


「そんな…」


円奈が動揺した顔をすると、スミレは首を横にふった。「ユーカは生きてる…」

円奈の顔をみあげ、スミレは円奈に告げる。

「ユーカのソウルジェムを探し出さないと…」



「ソ、ソウルジェム?」

気の動転している円奈は、スミレの言いたいことが分からないままでいる。

「どうしてソウルジェム?そんなことよりユーカちゃんを助けなくちゃ!」

といって、裸になったユーカの胸に手をあて、えい、えいと押し、心臓マッサージと人工呼吸すら
試みはじめた。


「なにがなんでも───」


円奈はユーカの胸を手でおす。「ユーカちゃんを助け出すんだから…!諦めないもん…!」

ユーカを助け出すために城へ来た。そしてついにユーカ本人を見つけたのだから、円奈はユーカの命を
助けるのに懸命になった。


「ちがう、ぢかうの」

スミレは、いくらそんなことしても無駄だ、と円奈に伝えることができない。

「ソウルジェムを探さないとだめなの」


「なに、いってるの、スミレちゃん…!」

しかし円奈はユーカの人命を助けることに躍起になっている。「どうしてソウルジェムなの?
ユーカちゃんの命を助けることが先だよ!」



人間の少女である円奈と魔法少女であるスミレの二人はここで会話が噛みあわなくなる。


「ちがうの!」

スミレの声は大きくなりはじめていた。

そして、円奈でさえまだ知らなかった、本当の真実をとうとう告げた。

「ユーカの命は、そっちじゃないの。ソウルジェムなの!!」



「…え?」

胸を手で押していた円奈の手がとまった。ぽかーんと口を開き、唖然としている。

それから、どんなに心臓マッザージしようとも一向に反応を示さないユーカの裸体を見下ろした。



「そうだとも。魔法少女にとって元の身体なんてものは───」


円奈とスミレの二人に、ある声が聞こえてきた。

その声はまるで、誰かが口から発した声、というよりは、脳裏に直接響きかけてくるような、不思議な声だった。


「外付けのハードウェアでしかない。いや、いまの人類に、そんなたとえは伝わらない。
”蝋人形”とでも例えようか?」


円奈が声の主を探してきょろきょろ牢獄を見回した。



「鹿目円奈。きみが助けようとしているその身体は脱け殻のほうだ」


白い獣が、牢獄の通路を通り、一歩、また一歩、ひたひたと小さな足音たてて進んできた。


円奈は生まれて初めてその白い妖精の姿をみた。呆然と丸めた瞳に、赤い目をした獣の姿が映る。


「こんにちは。はじめまして。鹿目円奈」


白い獣は円奈の前にくると告げた。

「ボクは契約の使者。少女の魂を抜き取って魔法少女(ソウルジェム)に変える────」



スミレが、悲しそうに目を閉じて苦悩の表情をした。



「”カベナンテル(契約の使者)”だ」




白い獣が人間の言葉を話すこと、その白い獣は、少女の魂を抜き取って魔法少女に変えるという話、
あまりにいろいろ不可思議なことが同時に起こったので、円奈はあっけにとられてしまい、そして剣を
ガタンと手からとりこぼした。


その音は牢獄エリアじゅうに響き渡った。


「少女の魂を抜き取って魔法少女に変える?」

円奈は剣を手から取りこぼしたまま、動揺した顔で、獣が語ったのと同じ台詞を繰り返した。



スミレは寂しげな挙動をみせながら、手に青色の光を放つソウルジェムを乗せた。

まるで、これが私の魂です、とでも言いたいかのように。


「そんな……そんなの、魔法少女じゃないっ!」

あまりのショックに、自分が小さな頃からバリトンの村に居た頃から憧れを抱き続けていた魔法少女の真実の
姿に、円奈は狼狽すらしてしまって、何もかもに裏切られた気持ちになりながら、ついに力を失って腰をつき、
へたれ込んで、尻をつき、目を覆った。


「私の知ってる魔法少女じゃない!」

円奈の脳裏に、いつも優しかった来栖椎奈の顔が浮かぶ。幼少時代からいつも好きだったあの人。

魂が抜き取られた蝋人形?


私がずっと、好きだった椎奈さまが、ずっと死んだ人だった?魂を抜かれていた?



ぐにゃり、とユーカの死体がやわらかく湾曲した。死体たちの山からこぼれおちて転げたのだ。

人間じゃないように身体が曲がりくねった。



そのユーカの異様な曲がり方をした死体を目撃した円奈が、目に恐怖を浮かべて涙をためる。

「きゃあああっ」



「何者だ!」


円奈が平静さを失って叫ぶと、騒ぎをききつけた警備兵が現れた。


大柄な男は、魔女たちを押し込めた監獄に、少女たちが潜入していることを見つけるや、駆け寄ってきた。


「しっ、しまっ…!」


動揺したまま円奈は剣を手に拾いあげ、すぐにもちあげ、警備兵にふるった。

第59話「雌雄」


451


守備隊に連行された鹿目円奈は審問官の前に引き出された。

罪状は「魔女の疑いがある」ただそれだけだった。


スミレとは別々にされ、円奈一人だけで、審問室に連れていかれた。


扉を通るとそこに一人の審問官が席についていて、顎に手を寄せていた。



円奈は守備隊によって後ろを向かされた。審問官に背をむける形となった。



これは、魔女の疑いのある女を審問するときの形式だった。


目と目で向かい合うのでは、審問官は魔女の目によって、魔法にかけられる可能性がある。


そのため審問官は魔女には後ろをむいてもらって、その背に語りかけるかたちで、審問をする。

これが魔女審問だった。



審問の代表的な方法として、大量の質問を投げかけるという方法があった。


その質問の数は95であり、相手から本心を聞き出すのに必要とされる質問の数、論題の数である。


95の質問を投げかける方式は、魔女審問にも流用されたのだった。

































鹿目円奈は、審問官によって名前、出身、年、身分、生涯について、徹底的に質問された。そして
答えていくうち、嘘をつこうという意識は希薄になって、考えることも億劫になり、答えることに
本当のことを言うようになる。


「なぜ城に忍び込んだのかね?」


審問官は、質素なテーブルにて、顎に手を添えながら、ピンク髪の少女の背中にむかって問いかけた。


少女は審問官に背中を向けたまま、答えた。

「友達を助けたかったからです…」


「その友達とは何者だね?」

審問官は質問に質問を重ねる。


「ユーカちゃんです…お城に捕われてしまったので、助けに…」


「ユーカとは何者だね?」


「友達です…」

円奈は表現を控える。


「その友達とはどう知り合ったのだね?」

審問官は根掘り葉掘り質問する。


「森で…」


「なぜ森で出会ったのかね?」

疑問点が少しでも浮かべば、すぐにそこに質問を投げかける。


「私が森で野宿していたので……そこにユーカちゃんか助け出してくれたんです。そこで友達に
なりました」


「助け出されたというが、何があったのか」


「魔獣に襲われました」


「魔獣なんてものは存在するものかね?」


「はい。確かに存在します」


「それはお前に何をするのだ?」


「生気を吸い取りにきます。死ぬとろでした。ユーカは助け出してくれました」


「どうやってその魔獣なるものは、生気を吸い取るというのだね?」


「審問官さん、私は魔獣ではありませんので、それは分からないです」


「では質問を変えよう。ユーカという者はどうやってキミを助け出したのか」


「魔法の力をつかって魔獣を倒しました…私は助けられました」


「魔法の力とはなんだね?」


「魔法少女の力です…」


「魔法少女とはなんだね?」


「ユーカちゃんみたいに、魔法少女の姿に変身して、魔獣と戦う人たちのことです…」


「変身とはなんだね?」


「服が変わります。派手になります。少し、変な服になります」


「なぜ変身するのかね?」


「わたしは魔法少女ではありませんので、分かりません、審問官さん」


「では質問を変えよう。キミは魔獣に襲われたというが、どんな姿だ?」


「白い衣をきた、髪の毛のない男の人の姿をしています。背が高いです。顔は呆けています」


「生気を吸われたというが、きみはどんな感じがしたかね?」


「血の気がなくなっていくというか、力が身体にこもらなくなるというか、身体がいうことをきかなくなります」


「なす術なかったのか」


「はい」


「キミは、ユーカなる魔法少女が、どうやって白い衣をきた、髪の毛のない、顔の呆けた魔獣を倒したのか
みたのかね?」


「みませんでした…」


「倒し方は分からないというのかね?」


「いえ。わかります」


「いってみよ」


「魔法少女の姿に変身した人たちが、魔法の力をつかって、魔獣を杖で叩いたりして、倒します」


「杖で叩くなら私にもできることだが」


「魔法の杖じゃないとだめなんです。でないと倒せません」


「その魔法の杖はどんな力があるというのか」


「私にはわかりません。ただ、魔法少女の使う杖なんです」


「それは人間の手には扱えないものなのか」


「たぶん、そうです…」


「きみはなぜ魔法少女なる存在がいるのか知るのかね?」


「たぶん、魔獣と戦うため、だと思います」


「魔獣と戦うだけなら、エドワード軍にだってできることだ。なぜ魔法少女なのだね?」


「審問官さま、人の軍隊では闘えません。魔法少女ではないと…」


「それはどうしてだ?」


「わかりません。私も魔獣に抵抗したことがありますが、私の矢は魔獣に効かなくて…」


「キミは、人間の知らない魔獣と、人間の知らない魔法少女が、いつもいつも人間の知らないところで
戦っているとでもいうつもりかね?」


「そう、です…事実、私のみてきたのではそうでした」


「それは不思議な話だ。魔獣は人間の目に見えないものだとも言うつもりなのか」


「そうかもしれません。私には見えましたが、見えない人間も多くいるかもしれません…」


「どうして人間の目には見えないのだ?」


「わかりません。ただ、魔獣は結界というものをつくります。この中に入り込むと、人は生きて出れないとか…
そういう話が…」


「結界とはなんだね?」


「魔獣のつくる、世界みたいなものです。現実の空間とは別に…」



「世界をつくる?現実の空間とは別?」


審問官の顔は妙な表情を浮かべた。眉をひそめ、渋い顔をし、苦い虫でも噛んだような顔をする。

あたかも気狂い女を相手にしているかのような様相だった。


「話がさっぱりみえん。世界をつくるとはなんだ?現実の空間とは別?正気でそれを語っているのか」


「はい…審問官さん、私の目で見てきたものですから」


円奈は背をむけたまま、しゅんとした顔になりながら答えた。


「そんなことを語られても困るな……我々人類は、それよりか遥かに納得できる説明を文献のなかにもっている」


といって、審問官は、古びた羊皮紙の埃だらけな本をとりだした。


その本の中身を読み始めた。


「人間の生気は悪魔が奪う。悪魔は現世に現れ、人間の女と契約を結ぶ。人間の女は魔女となる。魔女は
人間の都市に紛れ込んで暮らすが、夜間になると箒にまたがって煙突をとおって空を飛び、悪魔の集会
”サバトの集会”に出かける」


「それは、私の見てきた真実とはちがい、ます…」

円奈は自信を失いはじめていた。



「魔獣なんてものが発生し、世界をつくり、現実とは別の結界をつくりだすなんて内容の文献は、どこにも
探しだせん。人間が行方不明になるのは、魔女がサバトの集会に連れ去ったからで、魔獣の結界にさらわれた
からではなかろう。きみはサバトの集会に出かけたことは?」



「あっ、ありません」

すぐに円奈は答えて、否定した。


「悪魔と契約した魔女が人を喰らう史料は文献にのこされていても、悪魔の姿が、白い衣を着た髪の毛のない、
顔の呆けた背の高い男だと記述する文献などどこにもない!」


審問官は苛立って叫んだ。バンと本をテーブルに叩きつける。

円奈はびくっと背中を震えさせた。


「きみはジャンヌ・ダルクが一生懸命魔獣と戦っていたとでもいうつもりかね?」


「…」


「その魔獣なる存在に、常に脅かされながら、人類は今の今まで気づきもしなかったとでも言うつもりかね?」


「…」


円奈は何も答えられない。


「もちろん人類は気づいていた。人類を脅かすのは魔女だと……悪魔と契約した魔女だと。過去は今の我々に
そう教えてくれている」


「……」


もう円奈は何もいわなかった。

魔女ではない、人類に悪さをしているのは、魔獣だ、という円奈の主張は、この審問官には、まったくもって
通用しないのだった。



「キミを開放しよう。鹿目円奈」

審問官は静かに告げ、そして円奈に審問の判決をくだした。



その言葉は、円奈にわずかばかりかの希望をもたせた。


しかし円奈は判断を誤った。この狂気の魔女狩りの支配下で、魔女の疑いを一度でもかけられた者は、
どんな希望ももってはいけないと……その現実を甘くみた。


「この世からの開放だ」


それは、お前の魂を焼いてこの世から開放してやる、という審問官の判決だった。

452


鹿目円奈とスミレの二人とも、王都の城下町の城壁に立てられた十字架に鎖で磔にされ、火あぶりの刑が
施行されるのを待つのみとなっていた。



すでに審問官たちはてきぱきと十字架の足元に、薪を置き並べている。

その薪の数は多く、容赦がない。ここに火をつけられようものなら、火は円奈とスミレの服に燃え移って、
やがて少女たちを焼くだろう。



「うう…」


円奈は十字架に磔となって、自分の体重で痛む肩と手をゆり動かしてもがいていた。鎖はゆるまない。


そして自分たちが十字架の晒しに架けられ、城下町じゅうの人が、魔女め魔女めと罵って、円奈とスミレの
二人の火あぶりを心から期待している罵倒の嵐をたてる様子を見下ろしていた。

火あぶりにしろ、火あぶりにしろ────、やまない、市民たちの狂気。声。処刑広場を埋め尽くす。


十字架に貼りつけられると、城下町の人たちがよくみよ見渡せた。高い位置に縛り付けられているからだ。


そして、自分の死がいよいよ近いことを実感していた。


審問官たちが松明の火をもってくる。


これを、足元に積まれた薪に落とされれば、円奈は火によって焼かれて死ぬだろう。



そしてそれはもう逃れられようのない運命のように感じられた。



「うう…」


円奈は顔を垂れて、力なく下に俯いて涙声をだした。


「椎奈さま……ごめんなさい…」


悲しい声をしぼりだして、誓いを立てた魔法少女の人の姿を思い出し、そして、謝った。

心から謝った。


「私……聖地に辿り着けなくて……ごめんなさい……誓いを果たせなくて……ごめんなさい…」


そして円奈は心で思った。


これは……罰なんだ……と。

きっと私は、いつも自分を守ってくれた椎奈さまが、魂を脱け殻だったと知って、どこか心のなかで
気味悪くおもってしまったから……自分は人間でよかったなんて、思ってしまったから……



バチが……あたっちゃったんだ…。



脳裏に魔女の笑い声みたいなものが聞こえた。おまえは最低の人間だ。あれだけ魔法少女に憧れておいて、
魔法少女に守られておいて、いざその正体を知ると軽蔑するのか。おまえなど、焼かれてしまえばいい。



審問官たちは少女の声を無視した。


そしていよいよ処刑の準備が整った。



ダダダダダダ…

と、城の音楽隊たちが整列しながら小太鼓をならし、魔女の処刑が今から始まることを告げる音楽を、
城下町の民に知らしめるために演奏した。



いちど逃がした魔女たちが捕まった。


それに狂喜する城下町の人々は、いっせいに喚声をあげ、歓喜だって、磔になった円奈とスミレの二人を
ますます激しく罵りだす。それは群集の罵声となる。


魔女め、焼かれてしまえ。化け物め、人の世に悪さする悪魔め、懲らしめてしまえ。



魔女裁判が始まって以来の大掛かりな魔女の火あぶりに、ついにエドワード王が姿を現した。



天守閣に君臨する王が、第二城壁区域のあたりにまでくだってくると、城下町の民の前に顔をだし、
城のバルコニーから乗り出して、魔女の火あぶりを見物しにきた。


「エドワード王万歳!」


いっせいに人々は頭を伏せ、膝たちになって、唱えた。「エドワード王万歳!」



赤い毛皮のマントに、頭には金色の冠、手には王笏をもって民の前に姿を現したエドワード王は、
その目で歓喜だつ民を見下ろし、地表150メートルのバルコニーから、城下町の全体にむかって告げた。


「地上の魔女を全て火あぶりにせよ!」


おおおおおおっ。


数万人がひしめく城下町の全体が沸きだった。それは大歓声であり、喜びの声だった。


十字架に磔になった円奈は、この身が焼かれるその最期に、宿敵エドワード王の姿を一目でも
みようと振り返ろうとした。


しかし十字架に縛り付けられた体は身動きとれず、首だけ動かしても、城のバルコニーに現れたエドワード王を
眺めることはできなかった。


そして自分が生き延びることは諦め、いやむしろ、自分なんて生きる資格さえないと思ってしまって───。

火あぶりによって焼き殺されるのを待った。



「教えてやろう。魔女を滅ぼせば必ず人類は栄光を得る!」


王は城のバルコニーから叫ぶ。高々と宣言する。王笏を持った手をゆり動かし、力強く、声をあげる。


「魔法少女なる存在に情をかけるな。地上から滅ぼし尽かさねばならない!」


わああああっ。

城下町じゅうの人々は王の演説に応じて雄たけびをあげ、わめき声をごぞってたてた。


「そうだ、そうだ、化け物どもは、人間の世界から駆逐しろ!」


城下町の人々は興奮に紛れて騒ぎ出す。


「あいつらは人間じゃない。人間じゃないくせして、人間の町に暮らしている。全員追い払え!火あぶりだ!」



その狂喜と怒りのようなものの矛先は、もちろん、いま十字架に磔になっている円奈とスミレの二人に
むけられる。


「火あぶりだ!火あぶりだ!」


「怪物は追い払え!」



円奈とスミレの二人は、なすすべなく罵り声をあげる城下町の人々を磔のまま見下ろしていた。

スミレはただ涙ぐむだけで、目から溢れでてくる恐怖の涙を、不自由な体で必死に堪えているにすぎなかった。




殺気だつ城下町の数万人の民のなかに、魔法少女の正体を隠し続けて魔女火刑の町を生き残ったクリフィルや
オデッサ、アナン、アドラーなどもいた。


しかしその魔法少女たちは、この光景をみながら、絶望的な気持ちでいた。


「まるで悪夢をみているようだ…」


クリフィルは思わず、弱音を漏らした。


過去に、魔法少女の正体のすべてが暴かれて、人々の目に晒されながら火刑になる。

そんな魔法少女たちがいただろうか。もしいたとしたら、世界で最も不幸な魔法少女だ。


しかし城のバルコニーに現れた王は宣告する。城の手すりにてをかけ、赤い毛皮マントを風にはためかせ、
民へ宣告する。


「魔女はこの町にだれ一人生かしておけぬ!」


おおおおおっ。

その力強い宣言は、城下町の人々を勇気づけ、そして沸き立たせ、どよめかせた。

彼らはますます魔女への憎悪を高めた。


「一人残らず魂を滅ぼしつくす!」


わああああああああっ。


数万人の民は喚声をあげつづけた。手をあげ、音楽隊のふきならしたトランペットの奏でるメロディーに
あわせて、ぴょんぴょんその場で跳ねて踊りだす。


自分たちの町から魔女が駆逐されるのが嬉しくてしょうがないのだ。




「この王都がある限り魔女の殲滅は続行されるだろう!」


王は演説をつづけた。


「情けの片鱗もない!」


おおおおおっ。


王が何かいうたび、騒ぎたつ民。騒ぎたたないのは、城下町の恐怖に紛れて正体を隠しつづけて生き残った、
30人程度の魔法少女たちのみ。


70人以上が王城の牢獄に拉致されたか、火あぶりとなって魂ごと消えた。


「その見せしめとして───」

エドワード王は力づよい声で告げた。

「今日も魔女が滅ぼされる!」


わあああああああっ。

城下町の数万人は浮き足立って喜んだ。



やつら魔女さえいなくなれば、自分たちの生活に安堵は戻る。そう信じていたのである。



ふたたび音楽隊の小太鼓がダダダダダと音を鳴らす。


城下町の民の興奮が高まる。


審問官たちがいよいよ松明の火をもって円奈たちの薪に近寄ってきた。


「あ…ああ…」

円奈は恐怖に駆られて、おもわず懇願するような声をしぼりだした。


私なんて生きる資格さえないと思ったのに、いざ薪に火がつけられそうになると命乞い。

自分のことが、あまりにも嫌な人間に思えた。


そして命乞いは審問官に通用するはずもなかった。



そして、いよいよ、ついに。


音楽隊の小太鼓の奏でる盛り上がる音楽がやむのと同時に。


松明の火が積まれた薪に投げ込まれた。



十字架に縛られた円奈とスミレ、二人の積み上げられた薪に同時に火がつく。赤々と燃え始める。めらめらと。



どおおおおっ。

はじまった魔女の処刑に、城下町の民はいっせいに歓声をあげ、この公開処刑を食い入るように見つめはじめた。


円奈にとってそれは、恐怖のカウントダウン。


いつ足元に火が伝わってくるか分からない。しかし時間の問題であり、遅かれ早かれ火は足元に到達する。


薪の炎となって。



薪に燃え移った松明の火は地道に少しずつ、火を広めた。その上に立たされた少女を襲う絶望は大きかった。


ぼうぼうと火は勢いを強め、ぶ厚い煙をあげはじめた。バチバチという音は大きくなり、薪は薪へと火を
伝えていって、円奈の足元に熱が伝わりはじめた。


「あ…ああ…あ」


円奈は恐怖の顔を浮かべる。目を見開く。


足は審問官たちによって裸足にされていた。その足裏に、徐々に燃え広がる炎の熱が容赦なく伝わって
じわじわと暖まってきた。


秒読みで火あぶりの刑は始まった。


スミレのほうもほぼ同時進行で火の手が燃え盛りはじめてた。十字架に縛られたスミレの足元に火が
伝わりはじめている。


もくもくとあがってくる煙は濃くなり、円奈の視界を封じはじめた。その煙は目に入ると強く染みて、円奈は
目に痛みを感じて瞼をぎゅっと強く閉じた。


息を吸おうとしたら、煙が肺に入り込んで、円奈は激しくむせた。むせて、喘ぎながら呼吸を求めると、
さらにむせた。呼吸に喘げば喘ぐぼと濃い煙が容赦なく喉を塞いで、息を吸えなくなった。


「あう……けほ…けほうっ!」

昔の時代では、一酸化炭素と呼ばれていた、もくもくとした黒い煙は円奈の顔を覆った。

そして少女は十字架に縛られて、なす術なく立ち昇る火煙のなかで呼吸に喘いだ。

「ごほっ…うう…けほっ…けほっ…ごっ…!」


そして煙によって喉をふさがれていると、ついにその瞬間がきた。

「あ…あああああっ!」


むせる声は叫びにかわった。火が足の裏に到達し、焼き始めた。


はじまりは突然に、はじまると休む間なく。

猛火の痛みが走った。


燃え上がる火が円奈の足裏を焼き、ごうごうと焦がし、チュニックの服に燃えうつりはじめた。


「ああああ…ああうううあ…!!きゃああああ!」


円奈は泣いた。

あまりの痛みに泣いた。泣くしかなかった。いまや両足に火がつき、服を燃やしている。その灼熱は
耐え難く、息もできず視界も塞がれて、発狂も寸前の苦痛だった。

453



城下町の側から見下ろすと、ピンク髪の少女が火に包まれ始めているところだった。




議会長の娘ティリーナは、痛ましすぎるこの光景を見て目に涙をため、どうか円奈が命をとりとめて
くれるようにと祈るしかなかった。


隣にいる皮なめし職人の娘アルベルティーネ、石工屋の娘キルステンの二人も、目に涙を溜めて火刑を
見上げていた。


ああ、自分は円奈を守ると約束したのに。


自分の友達なら絶対に守ると約束したのに。


自分の無力さを思い知らされてしまったティリーナだった。



できることは、ただ円奈が無事でいられますようにと祈るだけ。そしてその祈りがどうしようもなく
無駄であることは、火をみるより明らかだった。


円奈の叫び声が耳にあまりにも痛い。


そして、無力さと不甲斐なさに打ちひしがれ、頬に涙を流してしまったティリーナの横で。


黒い髪に黒い毛皮を肩に纏い、赤い目の、コウモリのような目をした少女が、城下町の人々にまぎれて
行動を開始していた。


「たすけて、おねがい────」

ティリーナの横では皮なめし職人の娘アルベルティーネが、その想いを胸に秘めず、声にだして、
大声で天にむかって叫んでいた。


「神様、円奈ちゃんを助けて!おねがい────!」


大声は城下町に轟く。



その声は、天に届いた。


奇跡か、魔法か。



天はぽつぽつと雨を降らしはじめた。

王都を覆う暗雲は黒さを増し、濃くなり、ぱらぱらと水滴を注ぎはじめ、はじまりだすと豪雨となった。


その風雨は全てを水びたしにするほど激しく、雨粒はとてつもなく大降りだった。


すべての視界が塞がれるほど激しい大雨は、ざーっと地面を水滴が叩き、とびはね、屋根を叩いた。


雨はまたたく間に十字架で処刑される二人の火を消した。薪は湿ってしまい、火がつかなくなった。

円奈の体についた火は消え、スミレを襲う火も雨によって消された。雨粒と共に吹き付ける強風が、火をきれいにかき消した。



審問官たちは慌て、王の不機嫌な顔に睨みつけられながら、円奈とスミレの薪にまた火をつけようとする。


しかし、薪は雨に打たれて完全に湿りきっていて、火がつかない。いくら松明の火をあてても無駄だった。


黒い煙は雨のなかを昇り、消えた。



「切り殺せ!」


火あぶりが不可能だと悟った王は、早くも別の指示を審問官たちに下していた。


「魔女ともを刻め!」

454



「───契約は成立だ」


激しく雨が降りしきる城下町の街角の裏、樽の置かれた狭い裏路地で、一人の少女が白い獣と話していた。



「きみの祈りは確かに遂げられた」


ハーフティンバー建築の路地にて、少女は服を雨でどしゃぶりにさせながら、手元のソウルジェムを───
生まれたばかりのソウルジェムをもちながら、白い獣に訪ねた。


「円奈ちゃんたちは助かった?」


「もちろんだとも、ならその目で確かめるといい」


カベナンテルは樽の上に腰掛けて少女と話していた。


「さあ、漆喰職人の娘、チヨリよ。その新たな力を解き放てよ」


「───うん」


漆喰職人の娘チヨリは、円奈たちが火あぶりの刑に瀕しているのを見て、何をしてもいいから二人を助けたい、
と心からおもった。


そこに白い獣が現れた。


チヨリは、「あの二人の火を消して」と願った。


奇跡は叶えられた。


いまや大雨は激しさを増し、嵐のようになった。風は強まり、びゅうびゅうと雨風を吹かせた。


審問官たちの持つ松明の火は消されてしまい、魔女の処刑は混乱に陥った。


チヨリは自分の願いが叶ったのをその目で見届けた。


ティリーナは心の中で祈り、アルベルティーネは神にむかって叫んで祈り、チヨリは白い獣カベナンテルに
契約して祈った。


この大雨は、チヨリという新生の魔法少女のもたらした奇跡なのか。それとも本当に神の降らした天の雨なのか。

分からない。



「これが、魔法少女の力…」


十字架に架けられた二人を襲う火は確かに消え、二人は命をとりとめている。


しかし、それで終わりではない。


あの二人を十字架から、魔女刑から、助け出さねば。


チヨリはソウルジェムの力を解き放ち、全ての覚悟────つまり、魔法少女狩りに徹底抗戦する覚悟───を
決めて、魔法少女の姿に変身していく。


体が赤茶色に煌いて、茶色のドレスが現れた。可愛らしい丈の身近な、エプロンつきのフリフリしたスカートの
ワンピースだ。エプロンは後ろで大きなリボン結びにする。腰にはコルセット。その頭は赤色の頭巾をかぶり、
両肩と背に垂らした。


それは、まるで赤ずきんちゃんの物語に出てくる主人公の少女のようだった。


赤頭巾の変身姿になったチヨリは、その赤茶色の目をきっと見開いて、手に大きな斧を持った。


大雨の嵐のなかを進み、審問官と、そして城下町の人々に対して、この大雨のなか、叫んだ。


「その二人は魔女なんかじゃない!」


審問官と、処刑場を埋め尽くした城下町の人々が、チヨリの方向をみた。


そこには、明らかに普通の格好じゃない赤頭巾の少女が、立っていた。


「円奈とスミレを放して!」


「チヨリ…」

ティリーナとアルベルティーネ、キルステンは、友達のチヨリが、魔法少女の姿になっているのを見つけて、
はっと息を飲み込む。



「ううん。その二人だけじゃない」


チヨリは、大雨の降る城下町で、全ての人を敵にまわしながら、宣言する。


「もし、私たち”魔法少女”を───」



この魔女狩りという狂気が起こっている城下町のど真ん中で、魔法少女、とチヨリは自ら名乗り出る。


「魔女に貶めようとみんながするのなら───」


嵐のなか、雷が落ちた。


びかっと青白く、大雨のなか城下町が光り、閃光が迸った。その光りはチヨリの覚悟の顔を照らした。



「私は、あなたたちと戦う!魔法少女として戦う!」


といって、城下町の人々に、斧をみせつけたのである。大きな斧の刃の先を。


「魔法少女は、魔女じゃない。魔法少女は魔法少女だ!」


その、当たり前なこと。

いや、正確には、鹿目まどかが再編したこの宇宙では当たり前なことを。



人類の前で、チヨリは堂々と宣言したのである。



この世界では、魔法少女は魔女にならない。



魔法少女は魔法少女として、円環の理に導かれて消え去る。



しかし人間は改変された宇宙でも、魔法少女に対する冷徹さを持った。


人間じゃない、ただそれだけで、化け物扱いし、人類はかくも残酷な魔法少女狩りを繰り返し望んだ。

魔女裁判というやり方で。



チヨリは抗議する。



チヨリは決意する。



「もしこれからもこんなことを続けるのなら───」


その瞳に覚悟が湛えられていて、最期まで戦う意志は、すでにこの新生魔法少女のなかにある。


「私は戦う。正体を隠すつもりも逃げるつもりもない。ただあなたたちと、戦う!」



その堂々たる宣言は、城下町の人々の中に紛れて、正体を隠し、魔法少女としての使命を忘れて魔獣と戦うのも
怠っていた魔法少女たちの心を動かし始める。


クリフィルやオデッサ、アナン、アドラー…。


かつてユーカに、「本当の気持ちと向き合えるのか」と問いただされた魔法少女たちは、またも、同じことを
問いかけられているかのようだった。



もし今、「本当の気持ちと向き合える」のなら。



魔法少女として、いま、どんな行動をするだろうか。


これからも正体を隠しつづけ、この残忍な人間社会のなかで忍んで生きていくのだろうか。


それが本当の気持ちだろうか。



人々を呆然とさせたチヨリの宣言は、やがて騒然とした城下町じゅうを巻き込んだ波乱となりはじめた。


「魔女だ!」


城下町の人々は叫びはじめる。「魔女だ、魔女だ、また現れた!」


「捕らえろ!」

審問官の誰かが叫んだ。


大雨が降り、視界が塞がれるなか、城下町の兵士たちは雨粒にずぶ濡れになりながら剣を抜き、チヨリにせまってきた。


「てええい!」

兵士の一人が剣をもちあげ、チヨリめがけて斬りかかってきた。


チヨリはそれをよけた。

かろやかな足取りで、兵士の傍らへ回り込み、背後をとり、自分の武器である斧を大きくもちげる。すると……


ズドッ


チヨリは斧を強く振り落とした。兵士の背中に斧が食い込み、血が飛び散った。


「う…」


兵士は背中を裂かれて地面にうつ伏せになって倒れた。その手から剣が落ちた。


水びだしの石畳の地面に、背中から流れる血がこぼれて、雨水に混じった。地面をぬらす雨水は赤色になって
広まった。



「うわあああ!」

「人が殺された!」



処刑場に混んだ城下町の人々は騒乱状態となって、ちりぢりに逃げ始めた。



「魔女め!」


別の兵士が剣を抜いて近づいてきた。


チヨリに切ってかかろうとする。


チヨリは斧をふるい、すばやく兵士の顔を切った。斧は兵士の顔を裂き、砕けた骨と肉が空気中に飛び散った。

黄色い脂肪が、崩れた兵士の顔から垂れた。


兵士は尻餅ついて倒れ、痛む顔を懸命に押さえつけて蹲った。

顔から流れ落ちるその血も、やはり地面をぬらす雨水に紛れて赤くひろがった。石敷きの広場に。


一人の魔法少女によって、二人の人間が殺された。


この恐るべき事件は、しかし、この後の本当の大決戦の幕開けとなる。

まだ、ほんの発端でしかないのだ。



「その女の言う通りだぜ!王都の魔法少女さんたちよお!」


新たな声がして、はっと城下町の民の数万人が、はっと顔をあげ、いっせいに声のした方向へ向いた。



そこには変身した魔法少女が、大きな弓を持って城下町を囲う市壁の上に立っていた。


大雨の風に吹かれている。その紫色のスカートは、強風にふかれて大きくなびいていた。


「魔法少女は魔法少女だ。魔女じゃない。そうだろ!」


見知らぬ魔法少女だった。


その、紫色の衣装をきた魔法少女は、大きな弓に魔法の矢を番えると、狙いを定め。

いきなり、城下町の内部むけて放った。


その閃光を放つ矢は、風雨のなか飛び、円奈たちの磔にされた城壁に突っ立っている審問官に直撃すると、
爆発した。


審問官の体は爆発した。血と肉と、なにより物凄い量の脂肪が、あちこちに飛び散って、壁、床、
家々の窓にこびれついた。


きゃああああ。


城下町の女たちが叫び声をあげる。


「おいおいなにびびってんだ、え!」


魔法の矢を放った魔法少女は、大きな声で、城下町へ呼びかけた。


「いまあたいのしたことが、まさに審問官が魔法少女たちにしてたことじゃねえか。火あぶりにして、
殺してきた。まんま同じことを仕返してやったぜ!」


といって、二本目の矢を弓に番えた。


紫色の閃光を放ちながら魔法の矢がまた飛んできた。



城下町の人々は逃げ惑った。


その頭上を通り過ぎてゆき、紫色に光る魔法の矢は、生き残った別の審問官へ一直線に飛ぶ。


審問官は、うわああっと恐怖の声をあげて、その場から逃げた。


魔法の矢は審問官の立っていた地面を叩き、ドカンと爆発を起し、炎上した。
逃げ遅れていたら、肉片になっていただろう。


城のバルコニーに立った王は怒りを爆発させ、審問官たちに怒鳴り散らした。


「なにしてる!魔女どもを全員殺せ。滅ぼし尽くせ!みよ!魔女どもが人間に与える害を。それは
致命的で、おぞましきことだ。殺せ、みな殺せ!」


「あーあ、口を開けば殺せ殺せの一点張りな王様だな!」


魔法の弓を構えた紫色の衣装の魔法少女は、ははと笑った。


「智邪暴虐の、呆れた王だ!生かしておけん!」


審問官たちは、手に剣をとり、これの使い方には兵士たちほど慣れてはいないのだが────王に命令された
通り、スミレと円奈の二人を切って殺そうとした。



するとその審問官たちの前に、すっと黒い髪に黒い獣皮を肩に垂らして、黒いフードをかぶった、赤い目を
コウモリのように光らせた少女が、立ち塞がった。

新たな魔法少女の登場だ。いや、実はこの魔法少女と円奈は、何度も出会っている。


その魔法少女の手には大剣、つまり斬馬刀が握られていて、まっすぐ審問官たちにむけられている。



審問官たちは後ずさった。


しかしコウモリ女は容赦しなかった。


審問官たちに距離をつめてゆき、不慣れな審問官たちの剣裁きをとっとと弾き返してしまい、
そして剣を伸ばして審問官たちの体を貫き、殺した。


「うう…うぶ」


審問官たちは、口から血を流して死ぬ。その腹に剣を容赦なく差し込まれた。


「いいざまだ!」

市壁にたった、紫の弓の魔法少女は、けたましく声をあげた。

「みろ!魔法少女を魔女にしたて、火あぶりにしてきた審問官が、魔法少女の手にかかって倒されたぞ!
清々するじゃないか!」


この展開に、ついていけないクリフィルやオデッサ、アナンにアドラーは。

目を瞠っているだけ。



騒乱となる城下町の人々のなかに紛れて、目を白黒させているだけだ。


455


鹿目円奈は、火に足を焼かれたが、命はとりとめていた。


といっても、煙を大量に吸ってしまったので、その意識はほぼ失われ、朦朧としていた。

頭に酸素がいかない状況だった。



それにひどい火傷だった。

足は焼け、服は爛れた。




十字架に縛られつづけている自分の体重が、肩にかかり、負担がのしかかる。

「うう…うう」

円奈は意識が朦朧として、頭がぐるぐる回っているなか、苦しい喘ぎを声にもらしていた。「…ううう」


すると、急に体が楽になった。



誰かが円奈の鎖を解き、優しく抱きかかえ、下に降ろしたのである。


円奈はピンク色の瞳を半開きにしたまま、朦朧としながら、自分を助け出した何者かの顔をみあげた。


小さな少女だった。


ふさふさした灰色の髪に、金色の瞳。

可愛らしくて幼い女の子は、円奈の意識を失いつつある顔を心配そうにのぞきこんでいる。


円奈はその少女によって膝枕にされて、優しく、守られていた。


驚いたことに、その少女とは久しい再会だった。


円奈はこの灰色のふさふさした髪と金色の目をした魔法少女を知っていた。

でも、まさか再会するとは思ってもみなかった。


「あの時は助けてくれてありがとう」


と、灰色の髪と、金色の瞳の少女は、優しく言った。

「今度は、私が助けるね」



「あなた……は……あのときの……」


意識を失いかけた状態で円奈はゆっくりと口を開く。


灰色の髪と金色の目をした魔法少女は、円奈が自分を覚えていてくれたことを知って、ニコリと嬉しそうに
微笑んだ。



円奈はこの魔法少女との初めての出会いを思い出す。そのときの光景が脳裏に浮かんできた。




ロビン・フッド団は木柱を一本突きたてて、その棒に魔法少女をロープでぐるぐる巻きにして逃げられなくした。



彼らのうち10人ほどがすでに弓矢の弦を引いて、いつでも矢を放てるようにしている。

コウだけが、弓矢を背中に取り付けたままで魔法少女の前にしゃがんで座る。


ぐるぐるに縛られた、まだ戦闘経験もない魔法少女の怯えた目が、矢を構えたロビン・フッド団を見つめる。


「魔法の変身しようとすれば殺す」

と、リーダー・コウが、まず、しゃがんだままで縛られた魔法少女に告げた。

魔法少女がびくっと反応して、怯えに震えながらコウを見た。

捕われの魔法少女は、灰色ががったふさふさの髪を肩から背中にかけてまで伸ばしていて、金色の瞳を
していた。

もし城主がいるならば、気にいられそうなお嬢様な子。

「お前の仲間たちはどこにいる」

リーダーはそうとだけ質問し、じっと捕われの魔法少女の目を見た。

「…」

魔法少女は何も喋らない。ただ怯えと、しかし仲間は売らないという抵抗の意志が、目に入り混じっている。



「お前たちの仲間はどこにいる」

灰髪の魔法少女は少しだけ身じろいだ。

じりじりと縄の音がするだけで、身体は動かない。

縄に捕われながら顔を歪ませて苦しそうな表情をして、もがく。だが、魔法少女は何も答えなかった。


「どうしてこんなことを?」

円奈が尋ねた。

「こいつにはまだ仲間がいる。どっかに逃げたはずだ。逃がせば明日の晩に復讐してくるぞ」

コウは背中の弓を取り出す。

「その前に俺たちが全部倒す」

矢筒から一本矢を取り出し、弓に当てて魔法少女に向ける。

「お前の仲間たちはどこにいる」

矢の弦がゆっくりと引き絞られ、ギギギと音がなる。

魔法少女がまたちょっと怯えて、ロープに巻かれた体をよじらせる。

「…」

それでも、魔法少女は無言だった。あくまで無言を守る口だ。

「魔法使いとがまん比べする日がくるなんてな」

コウはそういい、矢の狙いをよく定めた。

そして魔法少女のどこに当てようか悩んだあとで、決めて矢を放った。


矢は魔法少女の手に当たり、甲を貫いた。

「ううう…───ッ!」

途端に、魔法少女が苦痛に顔をしかめる。目をぎゅっと閉じて、苦痛に耐える。

矢の貫通した手から血が滴り落ちる。


「お前の仲間たちはどこだ?」

コウはもう二本目の矢を弓に番えている。そして問いつめ、また矢を魔法少女に向けた。

「お兄ちゃん、やめて、死んじゃうよ!」

妹の渚が兄にしがみついて、やめさせようとする。妹に揺さぶられて、弓矢の狙いがズレた。

「死にやしないさ」

兄は冷たくいって、また矢の狙いを定める。今度の狙いは……目。

「…」

魔法少女が怯えて、今にも飛んできそうな矢じりの先端を凝視する。


「やめて!もうやめて!」

今にも矢を撃ちそうになったコウの矢を、円奈が手でやめさせた。

手で制止されて、矢が下を向く。すると弦から放たれた矢がビュ!!と音を鳴らして、地面に深々と突き刺さった。

その音だけでも灰髪の魔法少女がびくって肩をあげて、目を閉ざした。


地面に刺さった矢は矢羽を揺らしている。



「この子に約束させればそれでいいでしょ?」

円奈はコウに頼み込んだ。「”もう人間たちを襲わない”って」

縛られた魔法少女が目をあげて円奈を見た。


「そんな約束できるか」

コウはすぐ突っぱねた。「俺たちの家族を人質にした連中なんだぞ!」


「魔法少女と人の間にだって約束は結べる」

円奈はコウを見てそう言い返し、次に魔法少女も見た。「そうでしょ?」

魔法少女がむすっと、円奈から目をそむける。

「約束する気ないみたいだぞ」

コウがその魔法少女の様子をみかねて、言った。弓矢にまた手をかける。



二人の激しい言い争いを見守っていた少年は、しかし、ふと円奈が、魔法少女の縛る木柱の後ろに立つと、
剣でバっと切り裂いてしまうのを見た。

はらりと縄の束が落ち、自由になる魔法少女。

         ・・・
「なら、私が約束をたてる」

円奈がいい、唖然としているロビン・フッド団が見守るなかで、自由になった魔法少女の前に立った。

目を丸めて驚いた様子の魔法少女の顔をみつめて、円奈が話す。

「交換条件ね。あなたを自由にする。あなたは、この子たちと───」

円奈は、手を伸ばしてロビン・フッド団の少年たちを示した。それから、城内に捕われていた捕虜たちと再会して喜んでいる
ファラス地方の民衆たちも指で差した。

「あの人たちに襲い掛からないことを約束できる?」

驚いた様子の魔法少女は言葉も何もいえないまま、しばし円奈を見ていたが。

「…!」

急に走り出すや。


ヒュイ!

指に口をあて、口笛をふくと。

一匹の白馬が魔法少女のもとに走ってきた。納屋に飼われていた馬だ。


「おい、どこにいく、まて!」

馬を食い物にしようとしていたファラス地方の農民が馬を追いかけて走る。

だか馬はまっすぐ主のもとへ走る。当然、人間の足が追いつけるはずもなく…。


灰色の髪をした魔法少女はすばやく馬に乗り込んで。

それが彼女の魔力なのか、ふわりと髪を浮かせると。


「ハノンレ」


とだけ一言、円奈の顔を見て告げて、馬を走らせて逃げ去ってしまった。


「てっきり私のことが嫌いなのかなって…」

円奈は、あのとき馬でとっとと逃げ去ったことを思い出して、笑った。

すると灰髪の魔法少女は、その金色の瞳を瞑るとかぶりを横に振り、優しく言った。

「あなたは私の命を助けてくれたひと」

母が子を看病するみたいに、円奈を優しく抱きかかえた。



城下町の広場ではチヨリが人間の兵士を相手に戦いつづけていた。



そしてそれは魔法少女にとって最も恐ろしく、手ごわい敵であるといえた。人間の残酷さと凶暴性、卑劣さは、
もうまざまざ、この城下町で見せられている。


しかしそれでも魔女処刑の恐怖に屈せず、人間たちの悪意に屈せず。


チヨリは、魔法少女として、人間たちに戦いを挑んだのである。


「いいぞ!そこの魔法少女!」

すると市壁にたった魔法の弓をもった少女が、チヨリのことを応援した。

「正体かくしてびびっちまってる他の魔法少女連中より、よっぽど勇敢だ。そうだよ、あたいらは魔法少女
なんだから、正体かくさず堂々してればいいんだよ!」


その言葉は、再びまた、正体を隠して生き延びていたクリフィル、オデッサ、アドラーたちの胸を打つ。


チヨリは、人間兵士の剣をかわし、斧をふりあげて、兵士の胸をうった。

血が飛び散り、兵士はまた一人、殺された。バシャアっと雨水に濡れた街の地面に倒れる。

流れ出る血は雨水に紛れた。


そしてまた別の兵士との一騎打ちに突入する。


剣と斧が、烈しく激突しあった。雨と強風が荒れ狂うなか、兵士と魔法少女は戦う。



30人ちかい、城下町の、魔法少女としての活動をやめている、正体を隠して暮らしていた魔法少女たちは、
たったひとり兵士達に囲われながら戦い続けるチヨリの姿を遠目に眺める。

そして、苦しそうに唇を噤んだ。



黒い髪と黒い獣皮の魔法少女は、審問官たちの何人かを殺した。

が、すぐに王都の守備隊たちが駆けつけて、ぞろぞろと階段をのぼってきて、剣を抜き、この黒い魔法少女を
挟み撃ちした。


そのうち何人かは、円奈と灰色の髪の魔法少女の背中に襲い掛かり、まさに剣でぶった切ろうと接近
しているところであった。


「レイファ!」


黒い髪と黒い獣皮を肩に垂らした魔法少女は叫んだ。仲間の名前だった。


白い髪に涼んだ黒い瞳をした魔法少女が現れた。円奈たちを襲う守備隊の前に立ち塞がる。


レイファと呼ばれた、仲間の魔法少女で、その髪は色素を失って婆のよう真っ白だった。


しかしその魔法少女の見た目は若く、容貌は美しかった。婆のように真っ白な髪は、むしろ神秘的にさえ映え、
妖麗な雰囲気さえ漂わせていたた。


つまるところ、生まれながら髪に色素がない、アルビノ種の遺伝に生まれた魔法少女だった。

アルビノ種に生まれ、白色の髪した魔法少女は、手にレイピアと呼ばれる剣を出した。


それをクイっと器用な手の動きで構えてみせ、ロングソードを持つ守備兵たちの前に立ち塞がったのである。


その変身衣装は、白いズボンに濃青のジャケットという軍服。黒いブーツ、肩には肩章の飾緒をつける。

黒の上着は濃青地に金色の刺繍が入った正装軍服といった姿だ。


色素を失った白い髪をさらさらなびかせ、レイピアを片手に、びゅんびゅんと守備兵たちに突き出してきた
のである。


ロングソードなる重たい剣を扱い守備隊は、魔法少女の振るうレイピアの素早さにおいつけない。
バネのように弾力性のある刃はしなり、あっという間に隙をつかれて守備隊たちはレイピアに刺された。


「うっ!」


「ああっ──!」


二人の守備隊はレイピアに胸と腹とを刺され、二人とも血を流して倒れた。

レイピアの剣先に突かれた激痛が体を襲ったのだ。



しかしまだまだ守備隊たちは城下町じゅうからかき集められ、魔法少女たちを捕らえようと動き出してくる。


50人、60人…数はどんどん増える。



灰色の髪と金色の瞳をした魔法少女は、芽衣という名前をもっていたが、モルス城砦で暮らしていた
魔法少女の一人だった。


ロビン・フッド団の暗躍による侵略を受けた際、捕われの身となったが、円奈に助けられた。



その芽衣は城砦を脱出し、辺境の地を発って、この王都にやってきていた。


黒い髪と黒い獣皮、コウモリのように赤い目をする魔法少女、リドワーンと共に。


レイファと呼ばれたレイピア使いの魔法少女も、芽衣の仲間の一人。




芽衣は円奈の火傷を負った足を癒やしていた。魔法少女のもつ力の一つ。


治療の魔法だ。



爛れた服と、肌が焼けた円奈の足は、癒やされていく。




城下町じゅうですさまじい嫌悪と非難、呪いと罵りの声が沸きあがった。

広場に集まった民の人々は、魔女め、化け物め、人殺しめ、どうして私たちの街に悪さをする、私たちが
何をしたというのか、罵声を喚きはじめる。

今まで行方不明になった私たちの子供、妻、夫をかえせ。そしてお願いだから、私たちの街から消えてくれ。
どうして悪魔と契約したりしたんだ。どうして人間に悪さをするんだ。どうしてウソをつくんだ。


「殺せ!殺せ!」

守備兵たちが剣を抜き、魔法少女たちを殺しにかかる。


「魔女どもを殺せ!」


慌てて駆けつけてきた新たな城下町の兵士50人あまりは、それぞれがそれぞれ、近くに姿を現した
魔法少女たちと戦った。


「魔女どもを町から絶やせ!」


10人、20人の守備隊に囲われながら、チヨリは斧を手に剣をもった兵士たちと戦う。

一人、また一人と兵士達は殺されて倒れていく。雨水に塗れた地面は赤く赤く染め上げられていく。


ざーざーという雨音はやまない。そこに、カキンカキン、ガキンガキンという剣と斧のぶつかる音、
レイピアと剣が交わる金属同士の激突音のようなものが轟きだす。


「魔女を殺せ!指輪が弱点だ。指を切れ!」


審問官たちは、一人の魔法少女を相手にてこずる守備隊たちを見下ろし、イライラしていたが、
そうやって指図している彼の顔に魔法の矢が飛んできた。


紫色の閃光を放って飛んできた魔法の矢は、審問官の顔にあたると爆破し、審問官の首から上はなくなった。

ぶしゃあっと血と骨、脂肪まみれの肉がすべて粉々にされて、城下町のハーフティンバーの家の壁際に
すべてこびれついた。

ビタタタタ、と血飛沫のあとが壁にひっついて垂れた。


「よそ見してると命はないぜ!」


市壁にたった魔法少女の撃った魔法の矢だった。リドワーン率いる一団の魔法少女り一人で、
ブレーダルといった。その瞳は淡い紫色。紫陽花のような色をしている。


首が吹き飛んだ審問官は首なしの死体となって城壁の上でバタリと倒れ、首の断面から滝のように血がながれ
でて雨水に洗われた。


市壁の魔法少女は新たな魔法の弓をもう番えている。


城下町の広場を埋め尽くす民はキャーキャー恐怖に駆られ、喚きたって、逃げ惑いはじめた。

みな顔を右往左往させながら逃げ道を探している。みんな逃げろ、魔女どもが暴れだしたぞ。



魔法の矢は再び放たれた。


紫色の閃光が迸り、市壁にむかって階段をのぼってきていた兵士たちの胸に命中し、爆発し炎上する。

守備隊の兵士はふっとばされ、胸を炎に焼かれながら宙へ打ち上げられた。


そのまま空を飛んで、城壁の壁に体を強くうちつけて倒れた。

背中の骨を折ったらしく、兵士は自力で起き上がることができない。腹に刺さった矢は焼け焦げていて、
兵士の服に焦がした穴をあけていた。露出された胸の肌は赤く爛れた。



円奈はこの魔法の矢によって人が殺されるのを前にも見たことがあった。アリエノール・デキテーヌの城に
辿り着くちょっと前でのことだった。




こうして魔法少女による人間の大殺害が起こった。



人間たちの守備隊が、黙っているはずもなく、殺人を繰り返す魔法少女たちを取り押さえにかかり、
魔法の弓をもった魔法少女と、チヨリたちを囲い込む。


チヨリは兵士たちを相手に包囲されながら戦いつづけた。


しかし多勢に無勢、チヨリは目前の兵士の剣を、斧で叩き落し、その腕を斬りおとし、わあああっと悲鳴を
あげた兵士の首を、斧で斬りおとすことはできたが、後ろからせまってきた兵士の剣によって背中を刺された。


ザクッ


「うう…」


背中に剣が差し込まれ、チヨリの口から血が噴き出る。しかし、痛みは感じない。感じないようにしたからだ。

すぐに振り帰って、斧で反撃した。


剣を差し込んできた兵士の頭を斧で脳天から割った。兵士の頭はきれいに二つに割れた。


目と目が左右に分離し、鼻筋は裂け、口も割れた。


チヨリが血だらけの斧を取り出すと、兵士は支えを失って力なくがくんと雨水の地面に倒れ、頭部の
割れ目から脳内のすべてを垂れ流した。



とはいえ背中を貫かれた魔法少女の動きは鈍くなる。


同時に三人の兵士に襲いかかられたとき、いよいよチヨリの顔に焦りが浮かんだ。


三本の剣を同時に相手する。その口から血が垂れる。

一本の剣を斧で受け止めたが、もう二本の剣はチヨリの腹を刺した。


「うう…う」


苦痛に歯を噛み締める。いや、痛感遮断すればいい…痛感を遮断しろ…


剣は腹を刺し、奥へ食い込んでくる。


四人目の兵士が、剣を抜いて近づいてきて、チヨリの首を跳ねようと剣をのばしてきたその瞬間。


バッサ。

ドダッ。


チヨリを襲っていた兵士たちが、音をたてて順に誰もが倒れていった。

瞳を瞑ったチヨリの頬に赤い血の斑点がこびれつく。それは、ざーざーふる雨に打たれ、洗われた。


チヨリが目を開くと、そこに立っていたのは、魔法少女の変身姿になった、クリフィルだった。

白いマントの剣士。衣装も白いコルセットのスカート姿。靴も白い。


ユーカのかつての仲間であり、ここ最近はずっと変身することがなかった魔法少女である。

魔法少女狩りの裁判の恐怖のなかで活動を停止していた魔法少女だ。



クリフィルは剣をつかい、守備隊の兵士たちを打ち倒していった。剣同士を絡め、押し合ったあと、兵士の
剣をはねのけ、素早く胸へ差し込む。


「うぐああっ!」


兵士は苦痛に顔をゆがめながら胸を押さえ、その手は剣を落とした。カランと剣が音をたてて雨水にぬれる地面へ
落ちる。


クリフィルは、剣をもう一太刀、ふるって、兵士の腰を一直線に裂いた。


兵士は刻み込まれ、死んだ。死体はばしゃあっと雨水のぬらす地面に落ちた。


「あたしも戦うぞ」


と、クリフィルは、血まみれのチヨリに対して、優しく見つめ、語りかけた。


「あんたは勇気あるヤツだ。新米の魔法少女のくせして、人間様に喧嘩売るなんてな」


敵兵を刺した血が赤く塗れる刃を肩にのせ、クリフィルの名を持つ魔法少女は言う。


「あたしも決めたぞ。魔法少女として生きるってな。それを人間どもが邪魔するってんなら、戦ってやる」


それがクリフィルの決意だった。


そう。彼女たちは魔法少女たちだ。確かに人間ではない。でも、だからって、どうしてただそれだけで、
魔法少女たちにこんな残酷な仕打ちが待ち受けるのか。

化け物扱いされ、魔法少女たちは火あぶりにならないといけないのか。


もしそれが人間の本性だというのなら。


人間のもつ凶暴性であり、人間は、魔法少女に悪意を働くものだとするなら。


「戦うしかないじゃないか」


それが、魔法少女が魔法少女として、生き延びる道。


人間と、魔法少女のあいだに起こるこの戦いは、もう避けられない。


クリフィルは変身姿を晒した。混乱で騒然となった城下町の人々のあいだを潜り抜け、守備隊に戦いを
挑みはじめた。


クリフィルが人間たちに無謀にも戦いを挑んだ姿を────。


仲間のオデッサ、アドラー、アナン、ボンヅィビニオ、クマオ、スカラベが、眺めていた。

かつてのオルレアンの仲間たちが。

人間の悪心によって、晒し者にされ、無念にも火あぶりにされたオルレアンの仲間たちが。



「魔女どもを殺せ!一人生かさずに殺せ!」

雨水が激しく降りしきるなか、王はエドワード城のバルコニーでがなり立て、声を城下町へ轟かせる。




エドワード王の隣には、王城で最強の騎士、オーギュスタン将軍が並び立った。


王の右腕である彼は、一緒にバルコニーに立ち、魔法少女と人間の殺し合いを眺めた。

高さ150メートルの城壁に突き出した手すりに、手をかけて。



オーギュスタン将軍はいつかこんな日がくると思っていた。

王都の人間たちが、魔法少女たちにしていた仕打ちを考えていれば、これは当然の成り行きといえた。


痛みを感じぬ、脱け殻の体となった魔法少女たちの肉体の仕組みを暴く卑劣な拷問。

そして悪い魔法を使った魔女と罵り、化け物と呼びながら、衆目のなかで火あぶりの刑に処する。


人間たちの、魔法少女に対する狂気と、凶暴性は、ついに魔法少女たちを怒らせた。

そして人間への反撃、いや、復讐そのものを決意し、まさに今それが城下町で起こっている。



そして、もし、復讐の鬼と化した魔法少女たちが、その怒りを収めるにふさわしい首をもった人物がいるとすれば。

ただ一人だった。



他ならぬその人物は、いまオーギュスタン将軍の隣に、立っている。背の、赤い毛皮マントを雨風にはためかせている。

その頭には金色の冠がある。今やこの冠は、魔法少女たちの標的となった。



クリフィルの決起が引き金となり、今まで正体を隠して、人間たちの恐怖に屈していた城下町の
魔法少女たち30人が、ついに本当の気持ちと向き合った。


この魔女狩りの町で生き残った30人の魔法少女たちの本当の気持ちとは。



人間の魔女狩りを黙って見届けていることなどではなく。


魔法少女である自分が、自分に嘘をつかず、魔法少女として生きたいということ。


正体を隠して生きず、魔法少女として堂々生きたいということだった。




ついに城下町に紛れていた30人の魔法少女たちの変身がはじまった。


長らく力を封印していたソウルジェムが、城下町のあちこちで煌きだし、光りを放ち、そこらじゅうの
少女たちの服が煌びやかに変わっていく。


ぴかっ。ぴかっっ。ぴかり───。猛雨のふるう町に魂が煌きだす。

色とりどりに…。

それぞれの衣装に、変身していく。


決起した少女たちの手に魔法の武器が持たれる。



そして、城下町に姿を現した30人の生き残りの魔法少女たちは、まさにその生き残りをかけて。


この国の支配者として君臨する一人の王。王城の主。

魔女狩りという名の魔法少女狩りを企てた我らが魔法少女の仇敵。


エドワード王に、戦いを挑んだのである。


城下町にて正体をつぎつぎ現した魔法少女たちは、屋根に飛びのり、その勾配のある屋根に立ちながら、
雨風に打たれながら、剣を前に突き出し、王城の遥か彼方のバルコニーに立つエドワード王を名指しして呼ぶ。


「エドワード王!」


城下町の魔法少女たちは叫ぶ。怒りの声を。いままで、仲間達が魔女にしたてあげられ、火あぶりの刑に
されてゆき、魔法少女の魂の抜けた身体をさんざんいいように弄繰り回してきた王への、怒りを叫ぶ。


「その耳にきけ。心せよ。私たちは、怒りを解き放った!」


魔法少女と人間。


その両者の雌雄わかつ、命運決する戦いは、ついに火蓋を切って落とされそうとしている。


生き残るのは人間か、魔法少女か。



城下町の人々は、ハーフティンバーの町並みのあらゆる屋根に飛び乗った魔法少女たち30人を、恐怖の顔で
みあげた。



魔女たちがついに本性を現した。


ヴァルプルギスの夜のはじまりだ。魔女たちがついに集まって、王都を根こそぎ破滅させに
やってきたのだ。



「王都の王、偉大なるエドレス城の主よ!」


魔法少女たちは家々の屋根に立ち、そして剣を遠い彼方の城に立つ王へ突き伸ばして、宣言をした。


「あなたを討つ!」



その声は、雨の降りしきる王都に轟き、そして、王の耳にも届いた。


王の顔は怒りに額の血管を浮き上がらせる。


パラパラ。


雨は、決戦の王都に注がれる。城下町を覆う暗雲の雨天。



「…魔女どもめが」

血管を額に浮かべて怒る王は、遥か下方の町で王への反乱を宣言した愚かな少女たちをギロリと見下ろす。


ピカリ。

雨を降らす暗黒の空には一筋の雷が落ちて迸り、聳える王城とエドワード王の顔を、真っ白く光らせた。


その直後、イカズチの雷光に伴って、地上を叩き割るような雷鳴が轟く。城下町の空気のすべてが震撼した。


雨に降られる魔法少女たちの怒る顔も、イカズチによって白く照らされた。



霹靂の一撃は決戦の場となる王都の空と地上に稲光となって落ち、イナズマの轟音は王と魔法少女、両者の怒りを
代弁した。



雨は激しくなる。



王は受けて立つ。


その手に持つ勺杖をばっと雷雨の轟く空へ掲げ、杖を伸ばした。すると王の杖の動きにしたがって、天は再び
雷鳴を轟かせた。


ゴロロロ…



王都の地上は雷鳴によって揺れる。地上のすべてが白色に光った。


葺き屋根に立った30人の魔法少女たちは怒りの顔を引き締め、歯を噛み締めた。雷が光る。前髪が雨に濡れた。


王はイカズチの稲光が空から地上に落ちて、雷の音が世界を震わせたそののち、戦いを挑んできた町の
魔法少女たちを怒りの目で見下ろした。


「わしを討つだと?貴様らの力でどうしてわしが倒せる?」


王が君臨するエドワード城は天下無敵の要塞。誰にも落とせない。誰もエドワード王を倒せない。


「人として生を授かった魂を石にした小癪どもめ」


心底、魔法少女という存在どもを軽蔑しながら王は杖を握り、バルコニーから赤いマントをひらめかせて
言い放った。

杖をバルコニーの前へ伸ばす。


「いいだろう。かかってくるがよい魔女ども!わしが相手になってやる!」


と、霹靂の荒れ狂う天空の下、城の手すりから、ギロリと見開いた目をして、のたまった。


「だが奇跡などに縋った貴様ら魔女の末路は死だ。人間の栄光であるわしに貴様らは勝てん!」



王の挑発を受け、城下町の魔法少女たちはますます顔を険しくさせる。

遥か彼方の城に立つ王を、憎しみを抱いた顔できいっと睨みあげる。激しい雨は降り続ける。


「おまえたちは分かっているだろう。すでに勝負事を投げているような、姑息の根性を。貴様らの
その身体はなんだ?なぜ人間じゃない?自分で見てみろ!それが、人間の生を宇宙の異生物に売り渡した
貴様らの憐れな姿だ!」


王は城から語った。



「貴様らは感情のない生き物に自らの生を明け渡し、委ねたのだ。なにが貴様らをそうさせた?奇跡か魔法か?
自力で問題を解決せず、奇跡と魔法なんてものに頼るからそうなるのだ。憐れな豚どもめ!」



城下町の、雨粒に打たれる魔法少女たちは、顔を曇らせた。


しかし王は語り続けた。



「魔獣なんてモノがなぜこの地上にいる?人の生きるこの地上で、なぜそんなモノが沸いている?
美しいこの世界が、なぜそんなモノに跋扈されている?魔獣なんてものを、この世に持ち込んできたのは
貴様ら魔法少女だ。奇跡と魔法とやらでこの世界を引っ掻き回してメチャクチャにした結果だ!」



魔法少女たち、言葉を失う。



「なのに貴様らは、この美しい地上に、自分たちで魔獣を持ち込んでおきながら、自分たちは魔獣を倒している
正義の味方だなんて面をする。驚くべきことに、大半の魔法少女がそう思い込んでいる。だが魔女どもよ
きくがよい。ワシは貴様らを人類の味方だなどとは絶対に認めん。貴様らは人類の敵だ!」


王は言い放つ。

雷が再び落ちる。

王都を裂いた谷にイカズチは落ち、城下町と王城で睨みあう王と魔法少女の両者を、再びびかっと照らし出した。



王は決して気狂いの沙汰で魔法少女狩りをはじめたのではなかった。魔獣なんて知らぬ、とすっとぼけてる
わけですらなかった。時間をかけて計画されたこの魔法少女狩りは、それが人間にとって正義であるという
確かな確信のなかで、実行された迫害だった。


「貴様らが、なぜそんな身体になり、この世界をメチャクチャにしているか、思い返せばいい。願い事を
なんでも叶えてやるから、エネルギーを回収しろと言ってくる宇宙の生物がいたんだろう。貴様らは
その誘いに乗せられ、人の生きるこの星で人の姿を失った!貴様らが一人また一人と魔法少女に
なっていくにつれ、世界に魔獣は増える。ますますこの地上は宇宙生物どものエネルギーの畑となる!」


王の怒りの声は王都じゅうに轟く。


その声は雨が覆う空気にのって城下町じゅうに届き、誰もの耳に入った。


みな王を見上げていた。その話に聞き及んでいた。


「宇宙生物の手にまんまと乗った人類の敵どもめ。わしは貴様らを滅ぼしてやる。一人残らず滅ぼし
尽くしてやる。そして宇宙生物の手からこの惑星を取り戻してみせるだろう。世界には魔法少女も
魔獣もいない、人間たちが人間たちだけで生きるこの世界の姿を、取り戻すだろう!」


エドワード王は知っていた。


この世界の支配者がもはや人間ではなく、インキュベーターによって蹂躙されていることを。

この地球という地上は、いまやインキュベーターという宇宙生物が住み着き、エネルギー回収の畑に
されてしまっている。


それはこの世に魔獣が生まれ、その退治には魔法少女が必要というシステムに、この地球がおかされて
しまっているからだ。



エドワード王は願う。


人として人のための世がこの地上に戻ることを。



エネルギーの畑ではなく、人の暮らす、美しい、人が人として歴史を自然のなかで歩む世界の回復を。


そのためにできることは。


宇宙生物の手にまんまと乗せられ、契約するバカな魔法少女どもを滅ぼしつくすことだ。

それも、この地上のすべてから。

そして魔法少女システムというものを根絶しなければいけない。地球から。



それは容易とはいえない。むしろ無謀とすらいえる。


しかし、それでも、宇宙生物の手からこの地上を取り戻すためには、誰かがやらねばならない。


誰かがやるとしたら、誰がやるのか。

誰が人類を救うのか。



自分だ。自分がやるのだ。そう決起した王が、エドワード王だった。


将来的に魔女狩りが全地球規模で起こることがエドワード王の理想であり、そのために、あらゆる国に
むけて魔女狩りの布告はすでに出している。使者を大陸のあらゆる国に遣わし、魔女どもを滅ぼせ、
人間の手に地上を取り戻せ、と書簡を通知にして出している。

世界の国々の反応は、上々だ。

ソウルジェムの秘密を、エドワード王は全世界の国々の君主たちに伝えていた。その暴き方と魔法少女の
肉体の秘密を暴く効果的な拷問の方法を、すべて伝えていた。火あぶりにすれば魔法少女は誰一人
生き残らないことも伝えていた。



間もなく、希望が叶うとすれば、世界のすべての国で魔女狩りが起こるだろう。

世界中で魔法少女は火あぶりとなり、地球上から魔法少女は全滅する。宇宙生物たちは人類を諦め、
別の銀河系へ撤退する。

これがエドワード王の理想の未来。

人類が救われる未来だ。


たった一つ、魔法少女の国エレムだけを除いて。



「感情のかけらもない生物にこの惑星は渡さん!」


王は王都のバルコニーで声をあげて告げた。

惑星。そう、王は、この地上が、宇宙に浮かぶたった一つの惑星であることも知っていた。


昔の人類はとっくにそれを明らかにしていた。


「この星は、人の生まれた、美しい自然を持つ地上だ。だが貴様らが、感情もない宇宙生物と契約して
人類にもたらされた世界はなんだ。効率だけが重視された感情のない世界と文明だ。貴様らがいなけれれば、
本当に人類は裸でほら穴に住んでいたのか。だが、感情を失くした文明に抑制支配されるよりはマシだ。人間には
心がある。自然を尊敬できる感情がある。貴様ら魔法少女が、人類にもたらした進化とやらはなんだ。指ひとつで
人が何千万と死ぬ、感情のない世界だ。そうなるよりは、今くらいの世界が人類にはふさわしい。わしは
人間の王として人間を愛する!そして貴様ら、魔女どもを心から憎む!」


王は再び勺杖を伸ばした。


雨天は過ぎ、分厚い暗雲は裂け、雲が割れて、太陽の光の筋が天から差し込んできた。

突き抜けるような青い空が、割れた空のむこうから顔をだす。大地に光がもどってくる。


地表700メートルの王城に七色の大きな虹のわっかが架かり、雨の過ぎ去った王都を明るく彩っていた。



「さあかかってくるがよい魔女ども!わしが相手になってやる。だか自力で解決することを知らぬ、
奇跡と魔法に縋りつくような貴様らが、人間として人間の王でありつづけるわしに打ち勝つことはできん。
わしがもしここで負けるとすれば、それは、人類が負けたことになるのだ」



そこまでいうと王は話を終えた。


そして、王の隣に控えるオーギュスタン将軍へ、一言命令を言い放った。「魔女どもを皆殺しにしろ」


オーギュスタン将軍は王の命令には逆らえない。

怒りの顔をした王の目に睨みつけられ、血管の浮き上がった老男の命令を受けて、オーギュスタン将軍は。




エドワード城の全軍に、戦闘態勢をとらせた。


「エドワード軍、位置につけ!」


王城じゅうに控えたエドワード正規軍が、動き出し、城の守備位置についた。


「長弓隊、位置につけ!」


オーギュスタン将軍が命令すると、その声は王都じゅうに響きわたって、何千人という長弓隊が、
ロングボウという弓を持ち、城壁の矢狭間についた。


「クロスボウ隊、位置につけ!」


クロスボウを持った弩弓隊が監視塔と射撃塔の位置についた。普段の練習の成果をだすときがきた。



「歩兵隊、位置につけ!」


歩兵隊が剣を抜き、鎧をしっかり着込んで、何千人と、城門の前に立ち塞がった。



「傭兵部隊、すすめ!」


オーギュスタン将軍の命令の声がくだると、王城の正面の門が開かれた。


そして何百人という傭兵部隊が、城の敷地から列そろえて走りだし、エドワード橋を陣取りはじめたのだ。



「ははっ、なにが人間を愛するだ」

その、王城じゅうの正規軍が動きだすのを眺めながら、ブレーダル、魔法の弓をもった市壁に立つ
魔法少女は笑った。

「非道の王がなにいってんだか」


何千人という弓兵に、守備隊が、位置についた王城をみあげる。「何千人いようが人間は魔法少女に
勝てやしないさ」

余裕をかました顔をする。「王め、とっちめてやるぞ」


空は晴れやかになった。


雨天は過ぎ、暗雲の城下町は晴れ空に照らされて明るくなる。今までの曇り空はどこへやら、雲ひとつない
青色の大空が、王都にあらわれた。



「魔女どもを撃退しろ!」


オーギュスタン将軍の傭兵部隊が襲い掛かるよりも前に、城下町の守備隊たち50人ほどが、
まず魔法少女たちに襲いかかりはじめた。

「魔女どもを追い払うんだ!」



人類と魔法少女の戦いは、はじまった。


市壁に囲われた魔女火刑場は、もはや虐殺の場と化した。


円奈とスミレの二人は十字架から解放されたが、いまや王への反乱がはじまったこの場所は、激しく剣の
ぶつかり合う金属音で満たされた。



エドワード王を相手に決起した30人の魔法少女たちは、50人の守備隊を打ち倒していく。

守備隊の剣を自分の剣で弾き返し、そのあと剣をばっと前に突き出して、守備隊の首を切る。

見事な剣裁きだった。


喉元をかっきられた守備隊は鮮血を噴出し、うぐっと呻きながら倒れていった。


そんな切り合いが城下町の処刑場のあちこちで繰り広げられていた。



ある魔法少女は槍を武器にして、三人の守備隊を相手にして戦った。


槍を伸ばし、敵兵の腹をぶすっと刺した。すると腹から抜き、またべつの守備隊の腹に槍を刺す。リーチの長さを利用して、
剣しか持たぬ守備隊を倒していった。


「はあっ!」


三人目の守備隊が、勇気をふるって槍をもつ魔法少女に背後から接近した。

「ふん!」

魔法少女は振り返りざまに槍をぐるりと回すようにふるった。


「あぐ!」

守備隊は槍の柄に頬を叩かれ、派手にころげた。

一瞬からだが宙に浮き、頭からすっ転ぶ。


この転げたわき腹を。


魔法少女は、槍でまっすぐに突き刺した。


「ううっ!」

守備隊のわき腹は槍に刺され、臓器ごと肋骨を砕かれた。



痛みに呻き、もがいた。



ブレーダルは魔法の弓を処刑広場へ放った。


紫色の軌跡を描きながら、魔力の矢弾は、城下町の人々が騒ぐ頭上を飛んでゆき、広場の真ん中にたった
エドワード王の騎乗像を破壊した。



どだーん!


空気を劈く、鋭い爆裂音が鳴って、王の石像は木っ端微塵にくだけた。


石の破片が四方あちこちにとびちり、城下町の人々は悲鳴をあげつつ逃げ惑った。



飛び散る破片によって、駆け走っていた守備隊の何人かが足を傷つけ、あっ、ううと声をあげながらぶっ倒れた。


そのぶっ倒れた兵士たちは、他の魔法少女たちの斧やら剣やら、槌やらに叩かれ、切られて、殺された。



ブレーダルを抑えるべく、守備隊15人ほどが、市壁の階段をのぼってきて、魔法の弓をやりたい放題に放つ
魔法少女を取り押さえるべく、駆け寄ってきた。


「おいおいおいくるんじゃねえよ!」

ブレーダルは大きな魔法の弓を、鈍器のようにブンと横向きにふるいはじめて、剣をふるってきた兵士たちの顔を殴った。


「うぶ!」


階段をのぼってきた先頭の男が、弓によって殴られて階段を後ろむきにころげると、あとは雪崩れのように、
後続の兵士たちがみな階段をごぞってころげて、ドミノ倒しになった。


何十人という兵士たちが重なって倒れ、サンドイッチのように人間同士で挟まれて身動きできなくなった。


「ははは!こいつあいいや!」


魔法の弓もったブレーダルは笑った。



それから、城門を閉ざした落とし格子めがけて弓で狙い、矢を番えて引き絞り、魔法の矢を
撃ち放った。


紫色の矢が閃光を煌かせながら空を裂き、ひゅーんと城下町を飛んでいく。


そして。



どごーん。


魔法の矢が着弾すると、城門を封じた落し格子は、激しい爆発によって壊れ、巻上げ機の鎖から外れて
砕け、形を崩して湾曲した。


ものすごい量の炎を噴き上げ、煙をたちあげた。

パラパラと石の破片が門から飛びちった。



城下町の人々は恐怖に目を血走らせることしかできない。


すでに数万人の民は十字路のほうに逃げ延びはじめている。魔女の退治のことは守備隊たちに
まかせて、自分たちは命が大事といわんばかりに逃げ仰せはじめている。


「野郎ども!道ができたぜ!」


魔法の矢によって城門を壊した魔法少女は嬉しそうに叫んだ。


そしてまた魔法の矢を弓に番え、パニック状態になってあちこち走り巡る守備隊たちめがけて矢を飛ばした。

魔法の矢が閃光の軌跡を描きながら飛ぶ。


ヒュ──!


「うわああああ」

守備隊たちは頭を屈めて逃げ去る。そのすぐ頭上を魔法の矢が通り過ぎてゆき、奥の城壁に刺さった。



どごぉん!


矢は炎上し、城壁の壁がくずれる。爆発は壁を砕き、瓦礫と断片を宙へ打ち上げた。ごろごろと石は地面に
雪崩落ちた。

第60話「 BRAVE HEART 」


457


城下町では乱闘が続いていた。


決起した魔法少女30人と、守備隊50人の騒乱は、魔法少女の陣営が優勢であった。


業を煮やした守備隊たちは飛び道具に頼り、弓を手に取り出した。

兵たちはこの弓に矢を番え、反撃にでるべく魔法少女たちを狙うが。



その守備隊たちめがけて魔法の矢が先にとんできた。


城壁側らの階段に立って弓を番えていた守備隊たちは、その足元を魔法の矢で爆破され、足元が崩れ落ちて
みなバランス失くしてころげた。

「うわあああ」


煙とパラパラという細切れの小片、あたりに散る。


兵士らはみな階段をころころと転げた。



何人かの魔法少女たちが剣を手に走ってきて、倒れた兵士たちの胸をさくさく剣で刺した。


「うう…」


「うぶ…!」


兵らは心臓や右脇腹を剣に貫かれ息を止めた。

血を口から垂らすのみとなった。


円奈は弓をもって武装姿になったが、放心したように茫然とし、変身した魔法少女たちが人間を容赦なく
殺していく光景を見通していた。



「あう…あぐ!」

壁際にたたきつけられた兵士を、脇腹へ小刀を繰り返し突き入れる魔法少女もいる。ズブと腹にナイフを
差し込んでは引き抜く。



バタバタと倒れる人間たち。血まみれの地面。殺戮の公開処刑広場。


グーで兵士の顔をなぐり、壁にたたきつけたあとは、兵士の手から剣を奪って、その口の中に剣を
差し込む魔法少女。


兵士の喉は裂かれてつぶれた。呼吸するたびに血があふれ出てむせた。




円奈は目にしているものが信じられない。

残酷な光景に言葉を失い、全てを諦めかけた円奈の肩を。



だれかが叩いた。


黒い髪、黒い獣皮、鋭い赤い目をした魔法少女だった。

円奈はその魔法少女を知っていた。


いちど、命を助けられたこともある。助けられたというよりは、見逃してもらったというべきか。


ドリアスの森を抜けたあたりで、農村を急襲していた魔法少女。

円奈はその略奪の場に巻き込まれて、この魔法少女と目が合った。しかし魔法少女は円奈を殺すことなく
見逃した。



リドワーンと名を持つこの魔法少女は、エドレスの都市でも円奈の姿を追っていた。


ウスターシュ・ルッチーアと二人で宿をとったとき、王都には近づくなと忠告していた。



しかし結局円奈は忠告をきかず王都にきたのである。

結果、火あぶりに処され、焼け死にかけた。



「ノロ、リム。ノロ」


長いこと円奈のあとを追っていたリドワーンは、ついにシンダリン語で、円奈に話しかけた。

二人が会話を交わすのは、この瞬間が初めてだ。


「急げ。そなたが王都を通り抜けられるときがあるとしたら、今しかない。今ぞエドワード城を抜け、
むこう岸へゆこう」



むこう岸へ。



この王城を通り抜け、城に架けられた橋で谷の崖を渡り、むこう岸の世界へ向かおう。

高低差3キロメートルの深谷を渡ろう。エドワード城の橋を渡り、まだ見ぬ対岸にある南の国サルファロン。


その先に辿り着ける国は、全世界の魔法少女たちの聖地だ。聖地エレム国だ。


もはや円奈のなかでまぼろしのようになりかけているエレム国。




円奈はリドワーンの誘いを受けた。

「…うん」


ゆっくり頷き、この王都を抜ける。この国を出る。新しい国へ出発する。


円奈はその決心した。

「…私、この国をでる…」


出よう。

この国を。



長いこといたが、新しい旅に出なければならない。


王都で足止めされていたが、いま遂に道が開けたのだ。


エドワード城を通り、対岸の大陸に渡るチャンスは、今しかない。

魔女狩りの王都は、いま脱出口を開いている。今だけ開かれている。いま出口を潜らなければ、二度とあかない。





「きゃあああっ」

そのとき、二人が会話を交わす背の後ろから、スミレの悲鳴が聞こえた。


スミレは、兵士らに二人がかり連れ去られ、壊れた階段をくだっているところだった。



円奈は弓を持ち、戦う顔つきになると。

ばっと。


その身体を宙に浮かせ、城壁から飛び立った。ピンク髪が風によって逆立つ。


高さ4メートルほどの城壁から下の広場へ飛び降りると、藁を積んだ荷車の台へ着地した。


ばさっ。

柔らかな藁に着地したあとは、荷車の台からぴょんと両足で飛んで地面に立ち、弓に矢を番え、
狙いを定めた。

ちかくの城門の傍ら壁際に掛かっている松明の火に矢の先をあてがい、火をつけ、火矢にする。

火のついた矢を、弓の弦にあてがい、ギギイと、力いっぱい、引いた。目が狙いを定めた。



スミレは一人の兵士によって抑えられ、もう一人の兵士によって今まさに首を切り落とされそうになっている。


そのとき、ブレーダルの魔法の矢が市壁からまた放たれた。

「これでも喰らえ!」


魔法の矢は城下町の上空を飛び、光の弧を描いて、壊された城門の奥へひゅっと入り込んでいった。
そこは守備隊の新手の増援が迫ってきていた。


魔法の矢は爆裂した。四方に光を散らし発火。

城門に駆けつけてきた新手の兵士達は矢の爆発に巻き込まれ、ふっ飛ばされた。

「うああああ」

兵士たちはいとも容易く爆発矢によって宙へ飛ぶ。背中が火で燃えながら橋方面へ送り返される。



その時円奈もロングボウから矢を撃ち放った。


バスンッ───

爆発矢が背後で炎上し、赤色に包まれるなか、円奈の渾身の火矢が放たれた。



その矢は一直線に空を裂いて飛び、城下町の広場を通り抜け、スミレを連れ去る二人の守備隊どもの頭を貫き、
バサっと二人の兵士は倒れた。


スミレは二人の倒れた兵士たちのあいだを潜り抜けて命をとりとめた。


自分の撃った矢によって二人の人間が倒れ、スミレは命を救われたのを見届けて、円奈は。


誰かを救うとはどういうことなのか、という現実を理解しながら、息をはき。


「はあ……あ」

尽きかけた体力は足が崩れ、膝をつき、痛む肩を手で押さえた。がくがくと肩が震える。

さっきまで十字架に磔にされていたのだ。少女の肩は、悲鳴をあげていた。



しかし、さらに城門の奥からやってきた増援の守備隊たちは容赦しない。


円奈をすぐに捕らえてしまい、取っ組み伏せて、頭部を剣でぶっ刺そうとした。


「はあっ…ああっ!」

円奈は抵抗をしたが、体力は限界だった。頭を掴まれて、押さえつけられ、頬を地面にこすり合わされる。


「…だめっ!」

円奈が殺されかけたその刹那、少女の金切り声がして。

次の瞬間。


「あああっ!」

兵士の悲鳴が轟いた。


死んだ兵士から剣を拾い上げたギルド議会長の娘・ティリーナが、円奈を殺そうとした兵士の膝に剣を
差し込んでいた。


剣にって足を裂かれた兵士は膝ついて痛がり、脛が剣によって貫かれている血の流れをみて顔をゆがめた。


「あの女ッ!」

兵士たちに、ティリーナは取押えられる。金髪の髪はしわくちゃと兵士たちの手に掴まれ、地面に組み伏せられた。

「ああっ!」

髪をひっぱられたティリーナが顔を石畳の地面に打ちつけ、痛みの声をあげる。

しかしその目は、しっかりと、円奈をみた。


顔をしっかりと兵士に地面へ抑えられたみじめな態勢のまま、その目だけは円奈に何かを語りかける。


円奈も、ティリーナを見つめた。


城下町で知り合った少女同士は。

この殺戮と血の生臭さ漂う処刑場で。



最後に、目で会話をする。


兵士に組み伏せられたティリーナの目は語っていた。

あなたは生きて、と。


必ず生きて、この魔女狩りの王都を抜け出して、こんなところで死なずに、脱出して、と。



円奈は震える顔でティリーナの目の訴えを聞き届けていた。その頬には血がつき、兵士たちの流した血と、
魔法少女の血と、城下町じゅうで殺された人間たちの血と、あらゆる血という血に塗れた臭いのこの処刑場で。


生き残る約束をする、と円奈は目でティリーナに答えた。


ティリーナは、嬉しそうに、目だけでわずかに、微笑みかけた。その首は小さく、でも力強く頷いた。



円奈は立ち上がった。

弓と剣を持ち、旅に出る態勢となる。そして彼女は見た────。



十字路を颯爽と駆けぬけ、やってくる一頭の馬。


四肢を優雅に駆け出し、尻尾をゆらし、主人の危機に駆けつけ、やってくる一頭の馬。


城下町じゅうの人々が、十字路の北門側へ逃げ去っていくながれに逆らい、処刑場のほうに
単独でパカパカと走ってきて。



円奈の前にやってきた。


そして、馬は、その首を差し出して、主人に頬を寄せた。


「クフィーユ…」


少女騎士は、駆けつけてくれた馬の首筋をなで、心から嬉しそうに、馬と会話し、頬を寄せ合った。


「クフィーユ…ありがとう…きてくれて…」


馬はヒンと鼻息を漏らす。


少女騎士は馬を撫でる。大事そうに何度も撫で、感謝を馬に述べて、そして、背に乗った。


「いこう…この国をでよう」

馬の背に乗ると、少女騎士は、馬に言った。「一緒にこの国を出よう!」


円奈は手綱を両手に握り、破壊された城門の前へ馬をむけた。

その先には、城がある。


エドワード王が戦いに受けてたった城が。聳えたつ高さ700メートルを誇る、要塞の城が。

あの城を通り抜けなければ、この崖を渡れない。


だから、進もう。


クフィーユと共に進もう。


城へ。



城下町に別れを告げるとき、最後に名前を呼ばれた。


「円奈!」


ティリーナは兵士に抑えられたまま、声だけだし、馬に乗った円奈をみた。


「わたしたち、友達だよね…?」

ティリーナは、懸命に兵士の組み伏せに非力に抗いながら、小さな声で言った。


円奈は思い出す。

ティリーナが最初に女の子たちの集まりに誘いかけてくれたこと。

魔女狩りと戦うべく、ユーカと魔獣退治をしている話を信じてくれて、自分を友達だといってくれたこと。


そして今も、ティリーナは助けてくれたこと。


円奈は、最後に馬を走らせる前に、ティリーナに、答えた。


「…うん。ティリーナちゃん、私たち、友達だよ!」



ティリーナはまた、嬉しそうな顔をした。


「はっ!」

次の瞬間、手綱をばんと引いた円奈は、馬の腹を両足で挟み込み、王都へ突っ込み始めた。


新たに駆けつけた守備隊たち二人は、円奈の駆け出した馬に蹴り飛ばされ、うわっと声あげると左右に
散らされた。


左右に飛ばされた二人は両者とも背中を壁に打ちつけた。



円奈は城下町を発った。


「よし、あの女に続け!」

ブレーダルは魔法の弓を持ちながら破壊された門へやってきて、反乱を起こした魔法少女たち30人に
呼びかけた。


リドワーンも円奈に続いてエドワード橋へ走り抜ける。


城下町の魔法少女たち30人と、リドワーンの一団は、こうして王城へ突撃を開始する。

458



円奈はクフィーユに跨り、魔法少女たち30人の先頭きって王城へ突っ込んでいた。



城から派遣された守備隊たちが次々に槍をもってやってきて、円奈の前に列をつくって立ち塞がる。



「邪魔!」


円奈はクフィーユとともに守備兵たちの隊列へつっこみ、馬で蹴散らした。


「うごっ!」

「うああっ!」


槍もった兵士たちは猛スピードで走る馬の強靭な肉体に体当たりされて橋の上を転げまわった。

二人も三人も次々に円奈の馬の足に蹴飛ばされ、木の葉を散らすように四散した。隊列は左右にかきわけられる。


ドッ!

「うお!」

「っうぶ!」


さらに円奈の馬が足で蹴り飛ばした兵士が、派手に後ろへすっころび、後ろの兵士を巻き込んで倒れ込んだ。

二人の兵士は一緒になってころげた。二人は重なった状態で倒れた。


「いいぞ!進め!」

リドワーン一行と城下町の魔法少女たちが続いてやってきて、ころげた人間たちにトドメをさしていった。


手に持った剣、槍、ナイフ、フレイル、棍棒、メイス、などの凶器と鈍器で徹底的に人間たちを叩きのめす。


「ううっ!ぐ…」

「ああヴ!」

兵士たちは腹と首と顔とを、魔法少女たちの武器で、メチャクチャにされた。どの顔もつぶれ、どの腹も裂かれた。


守備隊たちか蹴散らされると。



さの先に、円奈が馬を駆けるその前方に、エドワード軍の傭兵部隊がいた。


オーギュスタン将軍がかつて率いた外国の雇われ兵たちである。




その数は500人。

軍列を整え、円奈たちを待ち受けている。



円奈を先頭にして、守備隊の防衛線を突破した魔法少女たちが、この傭兵部隊の戦列に挑む。



両者の距離はみるみるうちに縮まる。


橋の上での激戦がはじまろうとしている。



円奈たちと魔法少女たちは臆することなく一直線に、傭兵部隊たち500人の軍団に正面から突っ込んでいく。


橋を封鎖する傭兵部隊へ容赦なく迫る。



相手の覚悟を知った傭兵部隊の隊長、オズワルトは、すると自陣にも突撃の命令をくだした。


「進め!」

腕をふりあげて合図をくだす。



おおおおおっ。

次の瞬間、戦列をつくった傭兵部隊たち500人が、いっせいに足を揃えて円奈たち魔法少女の軍団に
むかって走り出し、迎撃にでた。


男たち500人が、橋を埋め尽くしながらギルド通りを突っ走り、やかましい足音たてながら、魔法少女たちに
正面から戦いに入った。



ドドドド。

ダダダダダ。


すぐに激闘ははじまった。


城下町の魔法少女たちと傭兵部隊はぶつかり合い、剣と剣、鈍器と鈍器、盾と盾がぶつかり合い、殴り合い、
激しい取っ組み合いがはじまった。


円奈は馬上で鞘から剣を抜き、傭兵部隊の軍列に突っ込みながら、攻撃してくる敵兵士と剣を交えた。

馬上でふるう円奈の剣と敵兵の剣がぶつかる。ギン!剣の刃同士が衝突した。キイン!角度を
変えてまたふるう。刃と刃がぶつかりあう。また甲高い金属音が鳴り轟いた。



リドワーンは大剣を傭兵部隊を相手に攻撃をしかけ、目前の敵兵士たちを斬りおとしていった。


ブン!最初の一太刀が相手の剣を怯ませる。ガン!剣同士がぶつかると、敵兵の剣もつ手はしびれて、
動きが鈍くなる。

すると。


ブォン!

一歩前へ踏み込みもう一太刀。この一撃が敵兵の胸をバッサリ斬り刻む。だが、剣が人間を斬ると、だいたい
骨にひっかかってしまうので、リドワーンは敵兵の胸を蹴りだす反動で剣をやっとの思いでひき抜いた。

ぶしゃあっと血飛沫が飛び出て、刃は敵兵の肉体から抜けた。

剣は血に塗れていた。


クリフィルは手元の剣で敵兵の剣を次々受け流してゆき、そんなことは魔法少女にはお手のものだったが───
隙ありとみればみるみるうちに敵兵の首を切り落としていった。


首をなくした兵士から意志をなくした人形のようにふらふらと倒れていく。


「えい!」


相手が横向きに剣を振ってくれば、先攻して距離をつめ短いリーチで先にクリフィルの剣が敵兵の首を斬った。

ぶしぁっと血が噴水のように空気中に湧き出て、前向きに死体は倒れ込んできた。


クリフィルはその死体を横にどかした。


横向きにころげていった死体は、別の傭兵部隊たちの足に踏まれた。


レイピア使いの魔法少女レイファは、こういう乱闘は得意ではなかったが、直実に目前の敵兵と対峙し、
鈍くのろい長剣をふるう傭兵の攻撃をかいくぐって、次々にレイピアでわき腹の急所を突き刺して殺してゆき、
傭兵部隊の死体を彼女の前に積み重ねていった。



レイピアとロングソードが再び対峙する。


レイファ・イスタンブールという名前の、白髪をしたレイピア使いの魔法少女は、腰を低くし剣先を前に
だして、レイピア独特の構えをとって敵兵士と対峙する。



レイピアなんていう剣など知らないエドワード軍の傭兵は、この構え方をただの挑発と受け止め、怒りに
まかせるまま長剣を前へ突きのばした。


レイファは素早くはらりとその剣をかわしてしまう。敵兵の突きは、ソローモーションを見ているかの
ように遅い。スピードに長けるレイピア使いの魔法少女には、かわすのが呼吸するように簡単であった。

はらりとかわしたあとは、隙だらけになる胸へ、レイピアを一突き。


鋼でできたレイピアの薄い剣先がビュンビュンと上下にしなり、そして敵兵の胸へ突き入る。


「ぐう…う!」

胸の心臓部にレイピアが刺さり、血が垂れる。敵兵は苦しそうに顔をゆがめ、喘いだのち、力つきて倒れた。


レイピア剣の魔法少女は敵兵の胸から剣先を抜き、ビュンビュンと上下に大きく振るうとこびれついた血を
払い、そしてまた別の敵兵と対峙した。


このレイピアは突き専用の円錐型剣ではない。斬ることもできる両刃の剣だが、刃は薄くバネのように
よくしなる。決闘用のレイピアで、実戦用ではないが、なに、魔法少女の手にかかれば、そのレイピアも恐るべき
武器となるのだ。


長さは1メートルあり、リーチも十分だ。


これを前に突き出しているだけで敵兵は近づけない。


しかし、そうだというのに、後ろから後ろからなだれ込んでくる傭兵部隊が、前列の兵の背中を押してしまい。


押された兵は自らレイピアの剣先に突っ込んでゆき、胸に剣を受け入れた。

あわれな兵はレイピアの餌食となり死んだ。


レイピア使いの魔法少女は、こうなることがわかっていた。


彼女は素早くレイピアを兵の胸から抜き、そしてまたビュンとしならせると、後続の兵士達の首につきつけた。


メイルという殴打用の棍棒を使う魔法少女は、その名をスカラベといったが───緑色の衣装になり、
傭兵部隊と戦っていた。

先端が鉄で、スパイクのデコボコした凶器を、針戦棍として使い、敵兵たちの顔をなぐる。


鉄のスパイクの戦棍に殴られた敵兵の頬は崩れ、血だらけになる。


後続の兵士が剣をふってきた。


ガキン!


戦棍と剣の鉄同士がぶち当たる。剣のほうがリーチが長かった。前へ突きだされ、戦棍を握る魔法少女は
敵兵にちかづけない。

しかしその突き出された剣先をメイルをふるい、思い切りどこかへ弾いた。剣と戦棍がまたぶち当たったとき、
剣は叩かれて、どこかへそれた。敵兵は手首を痛めた。

その隙に接近し、戦棍で敵兵の頭をたたいた。


鉄のスパイクつきの棍棒に叩かれた兵士は、脳天を割られた。頭蓋骨がゴリっと砕ける音か、外にも轟いた。
額から血を流して、気を失った。


強力な爆発矢を使うブレーダルは、この乱戦にはいって、弓を鈍器のように振り回していた。


棒か何かのようにぐるぐる回して、接近してくる敵兵を次々に蹴散らし、飛ばしていく。


弓に叩かれた兵は派手に横へすっ飛ばされ、そして。



「あ゛ああぅー!」

と、甲高い声あげて、橋の手すりをのりあげて、ずりっと転落した。



兵士の体は海抜3キロの断崖へ落ちた。その深遠にして巨大なエドレス王城の谷の深淵に、呑まれていった。

小さな粒のような人影が、絶壁の下へひゅーっと落ちてゆく。その落下は数分間もつづいた。


あとは、深谷の暗闇に荒れ狂う海にまで落ちるだけだ。


円奈は先頭にたって馬上から剣をぶんぶんふるっていた。

盾をもつ敵兵の頭を何度も剣でたたき、打撃を加える。敵兵は盾を翳して頭を守っていたが、やがて剣に
叩かれつづけてバランスを失ってゆき後方へドテッっところんだ。円奈はその敵兵から盾を奪いとった。


かくして傭兵部隊500人をも魔法少女たちは圧倒したのだった。


橋を封鎖した部隊は圧され、逃亡をはじめる後列の兵士もいる。逃げ出した兵士は50歩も100歩も、王城のほうへ
逃げ帰ってくる。




その戦況を城のバルコニーから見下ろしていた王は、怒り、魔法少女たちを殲滅させるべく将軍に新たな
命令をくだした。


「弓だ」


エドワード王はオーギュスタン将軍に、弓矢攻撃の指令をだすのだった。「矢を降らせ!」


オーギュスタン将軍はその攻撃指令を躊躇した。

「お言葉ですが、わが軍にも被害がでます」



すると王は、さも平然とした顔で、将軍へ顔をむけて、問いかけた。「いかんか?」


オーギュスタン将軍は、苦悩した顔で、乱闘をつづける魔法少女と傭兵部隊の両陣営を城から見下ろす。


しかし王は淡々と言い放った。

「例え何百死のうと、やつらは傭兵なのだから死んだ数だけまた雇えばいい。大事なのは国を守ることだ。
いますべきことは魔女を滅ぼしつくすことだ」


王はオーギュスタン将軍を剣幕ある顔で睨み、再度命令を下した。「弓を撃て!」さっきの声よりも怒気が
含まれていた。


オーギュスタン将軍は折れた。

切ない顔をしながらバルコニーにて手をふりあげ、号令をくだした。「長弓隊!弓をひけ!」



「長弓隊!弓だ!」


「弓を引け!」


将軍の号令は城内に轟き渡り、号令役の兵士たちがラッパを鳴らした。すると城の塔のあちこちに立った
合図役の兵たちが、弓の絵柄の描かれた旗をもちあげた。


「長弓隊!構え!」


城内じゅうの位置についた弓兵がロングボウの弦に矢を番える。一人一本の矢。しかし弓兵の数は千人ちかく
にもなる。



エドワード城の城壁という城壁、監視塔、胸壁の矢狭間に並び立った弓兵たちが、空へ矢の先をむけた。


その角度は45度。


弓兵たちが矢を空へ向けるその下では、城下町の魔法少女たちと傭兵部隊が戦っている。


オーギュスタン将軍はすると号令を下した。

「射て!」



「長弓隊、射て!」

「弓兵、放て!」


将軍の合図がくだると合図役の下級兵たちも声を轟かせる。

その腕は下へおろされ、「放て」の合図がくだる。


「撃て!」

エドワード軍長弓隊の隊長、エラスムスも叫び、自らも矢を放った。


それに続いて王城じゅうあらゆる城壁の位置についた弓兵たちからの矢が発射される。


第一城壁区域に並び立つ弓兵200人と、第二城壁区域に並び立つ弓兵300人に、あいだの胸壁の矢狭間に
ずらりと立ち並ぶ弓兵たち500人と。

監視塔にたつ弓兵、周囲の防御回廊に並び立つ残りの弓兵たちの、矢が一斉に空を飛ぶ。


ぶわわわっ。


何千という弓の弦がしなる音が、城じゅうの空気に轟き渡る。弓兵たちの手から矢が何千と飛ぶ。



それは雲の晴れた晴天の空へと飛び、矢の雨となって空を覆い、黒い点々が、空をみあげた者の視界に
映った。


千本の矢の雨は、一方向へむけて飛んでいた。やがてそれは浮力を失って、風に乗って
限界まで飛ぶと、高度を低めて、弧を描き、エドワード橋のもとへ落ちはじめる。



その橋では魔法少女たちと傭兵部隊が戦いを繰り広げていた。


魔法の武器と人間の武器がぶつかりあう戦場だった。


魔法少女の剣と傭兵士の剣がぶつかりあうその場所は、次の瞬間。


うああああっ。


ああああっ。


矢の雨が襲った。


黒い雨が兵士たちの肩と背中、足に怒涛の如く刺さってゆき、その体は矢だらけになった。


「あっ、あんの野郎お!」

矢の雨に降られた魔法少女のクリフィルは、慌てて目の前の兵士を抱き寄せて、
その兵を盾にして矢の雨から身を守った。


抱き寄せられた兵士の背中にズブズブ矢が刺さってゆき、白い矢羽が突き立った。兵士は死んだ。


「味方ごと全滅さる気か!あの暴虐非道の王め!」


リドワーンも殺した敵兵を抱き寄せ、矢の雨から身を守った。死んだ敵兵の体は矢に貫かれてゆき、背中に
降り注いだ矢の数々は胸と腹に突き出た。


地表数百メートルの高さの空から降ってくる矢の雨の威力は、恐ろしいものがあった。


「あぐっ…ああっ!あっ…!」

防御が間に合わず、矢を受けた魔法少女たちは倒れた。



まず膝をつき、手をついて、這うように力尽きるが、その手と頭とに、矢が容赦なく降り注いで痛めつけた。


「あああぐっ!」


矢だらけになった魔法少女は痛みに震えた。だが、これでは死なない。彼女は這うような態勢になることで
腹のソウジェムを守りぬいていた。


たとえ、頭部に矢が二、三本刺さり、ブスと貫いて、その矢が脳を割って口から出てこようとも、魔法少女は
そんなことでは死なない。


目からも口からも赤い血を滴らせながら、魔法少女は矢の雨に耐えた。


あたりは地獄絵図だった。


千本の矢は、まだまだ降りかかってくる。まだ半分も落ちてきていない。


矢の雨は数分間つづき、ところかまわず降り注ぎ続け、矢羽のついた黒い矢の群れは空を覆いつづけた。


傭兵部隊も魔法少女も丸ごと矢の攻撃にのまれ、互いにろくに戦闘できなくなり、矢の射程にはいった範囲内の
全てを皆殺しにしようとする容赦のない矢に耐えるべく抗うのみとなっていた。



しかし運悪くソウルジェムに矢が命中し、バリッと音たてて割らした魔法少女は、文句なく死んだ。

その場で変身がとけ、仰向けに倒れ死体となる。その死体にも続けて落ちてきた矢がズブズブと刺して、
少女の柔らかい肉を貫いていった。



矢の悪夢はこれで終わらない。

ロングボウの恐怖はこんなことでは終わらない。



「第二射!放て!」


王城の側では、オーギュスタン将軍が弓兵に第二射撃の攻撃の号令をくだしていた。


「弓兵、構え!」

城の監視塔のあちこちに立つ合図役たちは、再び弓を合図する旗を持ち上げる。弓の絵柄の旗は風にはためく。


エドワード城の城壁と矢狭間に並び立つロングボウ兵の大軍は、再び弓に矢を番える。

千本の矢が、再び空へむけられる。もちろん方角は、魔法少女たちの苦しむエドワード橋の真上。


「放て!」

オーギュスタン将軍が腕を振り落とし、再び命令をくだした。


「放て!」

「撃て!」

「弓兵、射て!」


号令が城じゅうに轟き渡り、合図役は叫び、声は弓兵たちに届き、城壁に並び立った弓兵たちはまた
千本の矢を空に飛ばす。


ズババババ…


黒い矢の雨が天空へ打ち上げられていく。青く晴れやかな上空を、風にヒラヒラとゆられながら、矢の雨は、
しだいに角度を変え、下向きに降ろし、重力にひかれて一直線に下へ。


その下は、魔法少女と傭兵たちが矢の攻撃に苦しむ橋の戦場。


「ううう!」


「あうっ──!ああ!」


呻きと苦痛、悲鳴の嵐となる。最初の千本の矢に続いて、もう千本の矢が降り注いだ。

魔法少女たちにエドワード軍の弓矢射撃が襲いかかる。


橋の上で戦う魔法少女たちはすでに合計二千本の矢に射られていた。


これがロングボウの恐怖だ。


クロスボウのような、一発撃つのに時間のかかる機械弓とちがって、ロングボウは一発撃ってから、次の
二発を撃つまでに時間がかからない。


連射力にすぐれ、矢の雨がいちど敵陣に降り注いだあとは、すぐに二回目の矢の雨を降らせることができる。

そして、エドワード軍の長弓隊は10秒に一度、矢を撃つことができたから、それが千人の弓兵によって
放たれるならば、たったの100秒もあれば一万本の矢が敵に降り注がれることになる。



長弓隊の射程に入った敵は誰も生き残らない。



それに矢攻撃は単純に、魔法少女と戦うのに有効な攻撃だった。矢の雨は魔法少女たちのソウルジェムを
叩き割る。


一万本の矢からソウルジェムを守りきれる魔法少女などいない。


逆にいえば、エドワード軍からしてみれば一万本の矢を放ってしまえば魔法少女との戦いは勝利も同然なのだ。


魔女狩りの狂気に反乱を起した魔法少女たちは、いまや完全に鎮圧される。



「放て!」

それを分かっているオーギュスタン将軍は三回目の矢の攻撃命令をだす。


「撃て!」「射て!」

城壁に並び立つ長弓隊たちの矢が舞い飛ぶ。

二回目の射撃の指令から、わずか15秒後のことであった。



そして二度目の矢攻撃の雨がやまないうちに、橋の戦場は三度の矢の雨に襲われたである。


ズブ…ズブ…ズブ。

ズドズド。


肉体に矢が落ちて食い込む音、盾で矢を防ぐ音、さまざまな音がするが、その音は三千回分、轟いた。



矢の雨は、上空をふわふわと舞っているあいだは、無音だが、落ちてくるとひゅーっという空を切る音が、
何千と耳につんざいて、恐怖に目も開けられなくなる。


そして、恐怖は空からやってくる。


「いやああっ!」

容赦のない矢の大群に視界も塞がれ、何人かの魔法少女はその時点ですでに戦意を失った。


矢が落下して、連続して地面を叩く衝撃音以外は、なにも聞こえなくなる。なにも見えなくなる。


300人ちかい傭兵たちが、なすすべなく矢に殺されてゆき、死体となって橋を埋め尽くしていた。

生き残りをかけた魔法少女たちはその死体の下に潜り、矢の肉を突き刺す音をききながら身を守っていた。


それができない魔法少女は矢に叩かれ、刺され、貫かれ、手の甲は矢が貫通し、頭は矢が当たり、
両肩には矢が数本ずつ、突き立った。


きゃあああっと目を閉じて矢の恐怖に耐えているが、やがてついに首もとのソウルジェムにふってきた矢のうち
一本があたって砕けた。


全身に矢をかぶった魔法少女はドサっと倒れた。


ソウルジェムを、ロングボウの掃射攻撃によって割られた魔法少女は、もう5、6人いた。

死体を晒し、その死体は矢の追撃をうけて見るも無残な死体となり、穴だらけになっていた。




「このままじゃ埒があかん!」

傭兵の死体に隠れたブレーダルは、叫んだ。矢の落ちる音が全てを支配するなか、その雑音に負けじと
声を轟かせ、仲間達に呼びかける。


「リドワーン!」


死体の下に隠れたリドワーンはブレーダルをみる。


「魔法少女が30人もいれば王を倒せるんじゃなかったのか!」


ブレーダルは平静さを失いかけている。


「アンタの言葉を信じて王都に戻ってきたんだぞ。この王都を通り抜けられるって!」


すでに弓矢攻撃は四回目の矢を放っている。また矢の大群が、黒い点々となって、空に浮かぶ。


もちろんそれは、数十秒たったのち、この場所に全部落ちてくる。


「こんなの無理だったんだ!」

城下町の魔法少女は、はやくも弱音を吐き始めている。「王に反乱するなんて、無謀だったんだ!私たち
だけじゃ、王は倒せない!」


「なにいってるんだ!」

クリフィルが怒鳴った。彼女もまた、傭兵の死体の群れに潜って、身を守っていた。

「王を倒すんだろう。王を討つんだろう。私たちはまだ生きているじゃないか。いまここで、エドワード王を
討たなければ、私たちは、魔法少女として、生きていけないだろう!」


死体の下に隠れる魔法少女たちの何人かが恐怖と絶望に顔をゆがめている。

みな怯えた目をしていた。


「いま王を倒さなければ、私たち魔法少女は、これからも化けもの扱いだ。魔女扱いだ。魔女にされて、
火あぶりにされる。死んだ仲間たちに、どう顔向けする?やっぱりダメでした、っていうのか!」


「でも…」

スカラベは恐怖に顔が強張っていた。「このままじゃみんな殺される!」


「みんな!」

すると、一人の少女の声がした。

矢に注がれる魔法少女たちはみな死体の下から顔をあげて、声をあげた主をみた。


そこには、馬に乗りながら、敵兵から奪い取った盾で降りかかる矢を受け止め続けている騎士がいた。


魔法少女たちは騎士を見あげた。



ピンク色の髪をした少女騎士だった。

騎士の少女は魔法少女たちに振り返って顔をみせた。


「私、助けたい友達がいる」


少女騎士は目を閉じて言う。魔法少女たちは、その少女騎士を知っていた。名前は知らなかったが、
ついさっきまで火あぶりの刑に処されて十字架に磔になっていたあの少女だった。

手に持つ盾に何本かの矢が落ちてきて刺さり、盾を貫き、裏面にまで矢が到達した。少女騎士はしかし
盾で防ぎきって、矢に撃たれなかった。


「友達はいま王城のなかに捕われてる。わたしは助けたい。だから…」


少女騎士は、盾をもちながら、馬の手綱を片手だけで手繰り。

この絶望的状況のなかで、希望に縋りつき、懇願するような叫びをあげた。


「だからお願い。あたたたちの、手を貸して!」


矢の雨ふる橋を、たった一人で突っ走りはじめた。


盾だけを片手に持ち、落ちてくる矢を盾に受け止めながら、少女騎士は王城へむかう。


まだ生き残った傭兵たちを蹴飛ばし、敵をどけながら。




少女騎士はたった一人で守りの固められた王城の入り口の門へ近づく。

クロスボウ隊、ロングボウ隊(長弓隊)、守備手隊に歩兵たちに防御された王の城へ。


あまりにも無謀な突入だった。

けれども、一人の少女騎士は、この絶望的状況のなかで希望に縋りつき、抗う。

友達を助けるため、命を投げ捨てる。交わした約束を、果たすため。


その約束とは、魔女狩りの狂気から王都を救う、という約束。



「そうだ。あの女の言うとおりだ。王城には私らの仲間達がとらわれている」

クリフィルがいうと、仲間の魔法少女たちが、はっとした顔になった。



ピンク髪の少女騎士は率先して橋を渡りきると、ギルド通りに到達し、立ち塞がる傭兵の顔を剣でなぐった。


「んべっ!」

剣で叩かれた兵士はずっこけた。バタっと地面に倒れ込む。

少女騎士はいまや矢の雨がふる区域を抜け、たった一人で王城の門へ突撃を開始している。



「王にいってやろうじゃんか!」

敵地へ突入していく少女騎士を目で追いながら、クリフィルは、魔法少女として自分の本当の気持ちと
むきあって、生き残った仲間たち語った。

「たしかにアタシらは人間じゃないし、魂も抜けた空っぽの体をしている。だがな」



少女騎士が王城の門に近づくと、監視塔の兵たちがクロスボウを構える。


オーギュスタン将軍は五射目の命令を長弓隊にくだした。


「魂を差し出したとしても、だとしても私たちの意志は自由だ!」


城下町の魔法少女たちは、瞳を大きくさせる。どくっ、と、胸に希望と勇気が、沸いてくる。

そうだ。

私たちには意志がある。魂を差し出して、ソウルジェムに変えてしまったとしても、それによって
人間の肉体を失ったとしても、意志は残されている。

意志によって私たちは生きている。


その意志まで失くしてしまったら、今度こそ本当に、死んでしまったも同然だ。

そして城下町の魔法少女たちは、その意志をまさに失くしてしまっていた。魔法少女として生きてこなかった。


けど最後に。

もし最後だけ、意志を持てるとするなら。本当の気持ちに向き合うとするなら。




「あたしらは確かに人間に勝利して、打ち勝って、エドワード王の喉もとに剣を突きつけていってるんだ」


クリフィルは話つづけた。


「”たとえ私たちの尊厳は奪えても────”」


矢がまた、落ちる。

だが魔法少女たちは顔を隠さない。クリフィルのほうを向いた顔を逸らさない。

目に勇気が宿っている。



「”わたしたちの意志までは奪えない”と!」


「そうだ!」

城下町の魔法少女たちは、立ち上がった。


矢のふる雨の前に、姿を出す。


他の魔法少女たちも、続々と立ち上がる。

勇気を取り戻す。


「エドワード王は、”魔法少女は人類の敵だ”といった」

スカラベは語った。まるで自分に話しているかのように。

「いいだろう、人間の敵になってやる」



城下町の30人の魔法少女たちは仲間同士、絆を深め、結束を固め、共になって戦う。

強大な敵と。


人類という敵と。



「この一日に賭けて人間に示してやるんだ」


30人の魔法少女たちの顔が引き締まる。目はきっと戦意と勇気に満ちる。


「”私たち(魔法少女)”の意志を!」



いよいよ第五射の矢の雨が魔法少女たちの頭上に落ちてきた。


はらはらはら…と風にゆられながら、重力に引かれて矢はまっさか様に落ちてくる。


ボドキンという、千枚通しの形をした矢の針が、容赦なく魔法少女たちの立つ橋に突き立つ。


もう、足元は矢と死体で、足の踏み場もない。


降り注いできた矢はまんべんなく散りばった傭兵部隊の死体に、さらに穴をあけ続けた。矢の刺さっていない
死体はなく、矢の落ちない箇所はなかった。


「盾を拾え!」


人類に対して決起した魔法少女たちは死体たちの落とした盾を手に拾い、それを頭上に翳して襲いくる矢から
守った。


ドスドスと矢は盾に落ち、貫通して、盾に突き立つ。


「進め!王城へ進め!」


盾を手に、リドワーンの一行と、城下町の魔法少女たちは、王都の入り口をめざしてエドワード橋を渡りきった。


ロングボウ攻撃の激しい矢の雨を潜りぬけたのである。


矢の雨を生き抜いたあとは、王城を攻め落とすだけだ。それ以外の目的はない。


魔法少女たちの意志は、魔女にされて処刑台にて死ぬ運命よりも、自分たちは魔法少女だ、という魂の叫びを、
貫き通すために、人類に戦いを挑んだ。



エドワード王は、城の第二区域のバルコニーから、魔女どもを冷静に見下ろしていたが、矢の雨を通り過ぎたのを
見届けるや、新たな指示をオーギュスタン将軍に告げた。


「生石灰と水、油を集め、城壁区域の連絡路と関所に置け」


オーギュスタン将軍は命令を承諾した顔をする。


すると王はくるりと赤い毛皮のマントを翻しながらバルコニーを後にし、足音を立てながら廊下を
歩いて城内へ戻った。

「やつらは魂をむき出しにしている愚か者どもだ。火で焼き殺せ。第二区域の民と道化、隠者と
掃除人たちを第五層区域に非難させろ。第四層区域までの関所は全封鎖だ」


全封鎖。


それが意味することが何か、このエドワード城に暮らすオーギュスタン将軍には分かる。


憐れなことに、地上で決起した勇気ある魔法少女たちは、永遠に王の足元に辿り着くことができないだろう。


「わしは第七区域にもどる。オーギュスタン、おまえは第四区域に踏みとどまり、魔女を全員殺せ」



王はこの城で一番攻略困難な、いや難攻不落の、第七城壁区域の天守閣、王の間へと戻ってしまう。


魔法少女たちが、王の首を取ることは、これで不可能となった。

そして、反乱は直ちに鎮圧されるのだ。


王の命令を受けた将軍は、エドワード全軍にむけて指示を、バルコニーから声を出してくだした。

「全封鎖だ!階層区域間の関所と門に油と生石灰をためよ。敵が近づけば降らせ!長弓隊、第一防壁の
位置につけ。弩弓隊、監視塔から敵を撃て!」


城のそれぞれの城壁と、塔にたつ合図役たちが、パッパーと城外にラッパを吹き鳴らす。


エドワード軍はイチイ木でできたロングボウを持って持ち場を移動しだす。


じきに魔法少女たちが辿り着くであろう第一防壁に弓兵たちは並び立ち、守りを固め、待ち構える。


人類と、魔法少女の戦いは、はじまったばかりだ。

459


エドワード橋を通り抜けたギルド通路には、まだ国王軍の傭兵部隊が、20人ほど生き残っていた。


弓矢の雨から逃げのびた戦士たちだった。



城下町の魔法少女たち30人は、この戦士たちに戦いを挑んでいく。


容赦なく、魔法の武器を手に持って接近してくる足取りに、生き残った傭兵たちは怯え。


斬り捨てられた。


「うぶ…」

「ぐふ…うご」

腹と首を切られ、血を流して倒れる。


何人かの傭兵部隊は、抵抗をこころみて、剣をふるったが。


ガン!


魔法少女たちの手に持たれた盾によって、剣の攻撃は防がれ、次の瞬間。


ガツン!

「うば!」

魔法少女の腕がふるった盾によって顔を殴られた。盾の横向きになった側面が、傭兵の頬を突き、顎をぶたれ、
痛みに顎をおさえながら傭兵はころげた。


ブレーダルは魔法の弓に矢を番え、厳重に閉ざされた城門にむかって、バシュっ!と弦の音をたてて放った。


魔法の矢はきらきら紫色に光りながら、一直線に飛んでゆく。



光を放って輝く矢がしゅううっと音たてて飛んできたので、城門前にたっていた傭兵たちは慌てて左右に
飛び引いてよけた。

その間を魔法の矢が突っ切っていった。


きらきら閃光を迸らせながら飛んだ魔法の矢は、こうして城門に直撃し、その直後、閉ざされた城門は破裂した。



どごぉんと爆音をたて、石壁の城壁は爆発によって砕け散る。地響きと共に門が爆発する。落とし格子と
城門の木材は、燃えた木片のくずとなってバラバラと崩壊した。


爆音の轟きが地面をゆらす。


「うわあああ」


城門が炎を噴き上げた衝撃に、付近の城郭にたつ兵士たちが足元のバランス崩し、よろけて倒れ込む。城壁の矢狭間に
手をかけて体を支える。


「正面門にむかえ!」


魔法少女たちは守備隊を圧殺しながら、階段へむかい、足を速めた。


第一城壁に建てられた塔の上からロングボウの弓兵が矢を落としてきた。


空を裂き、ズババっと飛んできた数十本の矢が、魔法少女たちを襲う。


「うお!」

「うあ!」

魔法少女たちは慌てて足をあげ、飛び退いた。その足下の芝生に白い矢羽つきの矢が何本も突き立つ。


ズドッズドッと地面に矢が刺さり、矢はビターンと音をたてて震えている。


「ぶっ飛べ!」

すると魔法の弓に矢を番えたブレーダルが、塔から弓を放ってくる長弓隊たちめがけて。


弓を上向きにし、狙い、弓兵たちの立つ塔の上部に魔法の矢を撃ち、直撃させた。



魔法の矢は爆発した。


塔は赤く炎上し、そして第一城壁に建てられたその塔は爆破され、そこに立つエドワード軍の弓兵たちは塔から
みな落下した。


「うああああ!」


大きなヒビが入り、崩壊した塔の、細切れになった断片のなかに身を落とし、やがて50メートルの高さから、
弓兵たちは魔法少女たちの立つ芝生に転落してくる。


みな頭からおち、血を跳ね上げた。

頭と脳を高く飛び散らせた。


首をあらぬ方向に捻じ曲げて落ちた兵士もいた。その手からロングボウの弓が落ちた。



何人かの弓兵は生き延びたが、結局は魔法少女に殺される運命だった。もがき苦しんで這った兵の背中は、
魔法少女たちの槍が貫いた。背中側にある腎臓が槍によって壊れた。


兵士たちは息の根をとめられ多量の血を芝生に塗らした。


「かましてやるぜ!」


ブレーダルはさらに正面の扉、裏側は閂を通され固く閉ざされた城門に矢を放った。


魔法の矢は扉にあたるとまたも爆発し、樫の木材で造られた扉は派手に木っ端微塵になって吹き飛んだ。

細かい木片があちこち爆風にのって飛び、舞い飛んで、何人かの魔法少女は腕で目を守った。



扉はこうして炎上し、正面の門は開かれた。


王城への入り口は開かれた。


「進め!」


30人の魔法少女たちは全員、階段を駆けあがりはじめ、正面の門へ殺到する。

と同時に、破壊された城門側からはエドレス国の正規軍が剣を抜き、わああああっと声だして100人ばかりが、
躍り出てきた。城郭の門へ突入する魔法少女たちと迎え撃つ国王軍。



両者は、城の入り口、石造の階段の途中で激突する。


「門を守れ!」

第一歩兵隊守備隊長、ヘンリーは、号令をだし、第一歩兵隊たちを率いながら、反乱を起こした魔法少女たち
と戦った。


剣同士を交え、さまざまな武器を手に、階段にて、互いが互いを殴りあう。叩き合う。

クリフィルは剣を敵兵とぶつけあった。魔法少女の剣と敵兵の剣が削りあう。しかしクリフィルは敵兵の
剣を力で押し切ると敵兵の頬をなぐり、血を吐いた敵兵は階段にころげて尻もちついた。


槍を扱う魔法少女はぶんと槍を、円を描くようにふるった。


この槍の柄にぶたれた兵士ら5、6人はみな階段上で吹っ飛び、まわりの兵士たちを巻き込みながら転げていった。


「あああ゛っ!」

頭からくるくる前転するように階段を落ちてしまう兵士もいた。その兵士は叫び声をあげた。


第一歩兵部隊は100人という数で、反乱を起こした魔法少女たちにとっかかったが、まるで歯が立たなかった。


彼らの剣はことごとくかわされるか、弾かれるかして、最後には打ち負かされた。


しかし思えば人間に勝ち目などないのである。


人間は、槍に突かれたたった一撃だけでも、身動きとれなくなるほど痛みを感じてしまうが、魔法少女は、
槍に突かれても剣で裂かれても痛みを感じないし、また、それこそが魔法少女の強みであるので、もともと
人間を捨てた魔法少女たちは人間よりも強いのだった。



守備隊100人ではとても魔法少女たちに太刀打ちできない。



100人のうちすでに80人以上がまたたく間に殺された。いまや階段は血だらけで、階段の段々を血が流れ、
血のカスケードができてしまっている。

ほとんどの兵士達は生殺しで、血だけ流して、生命活動の停止を待っていた。


比べ怒りを解き放った魔法少女たちは、兵士たちによってどれだけ剣に切られようと、ありったけの血を
流し出そうと、心臓を剣に貫かれても、すぐに魔力で復活し、兵士達に戦いを挑んでくる。


残る20人の兵たちは、もうそれで戦意を失ってしまい、自分たちが相手しているのは化け物たちなのだと
悟った。


「怪物どもめが!」


叫び、剣を大きくふりあげた第一歩兵の隊長、ヘンリは。

ゴドッ


「うぐ!」

魔法少女に体当たりされ、押し倒され、階段の踏み台と段差に背をぶつけた。

そして、痛みに目を閉じたヘンリが、やっと瞼をあけて見たものは。


切り傷だらけで血まみれの魔法少女が、下向きにして持った剣の剣先だった。

次の瞬間。


「うあああっ!」


剣先が落ちてきて、ヘンリの左肩の下あたりに鉄の刃が差し込まれた。


そこは骨がないので、人体のうちもっとも切れやすい部分の一つだ。


「うううっ!」

ヘンリは苦痛に顔をしかめ、剣を手に握り締め、反撃にふるったが。



その剣を握った手首をつかまれ、押さえつけられた。

「ぐぐっ…!」

力で押し返そうとするが、魔法少女の力に、まったく敵わない。そのままズブズブと左肩に刺された剣は
奥へとめりこみ、血があふれ出た。


激痛が走った。神経と肉をこねくりまわされている。肉皮が剥がれた。


「増援を!」


歩兵隊長が殺されかけているのを目撃して、兵士の一人はとうとう逃げ出しながら、増援を呼んだ。


「第二歩兵隊!弓兵!増援を!」


第一城壁区域の敷地内、中庭へ逃亡してゆく兵士の背中めがけて、一人の魔法少女が肩から槍を
ぶん投げた。


その槍はまっすぐ飛んでゆき、逃げ惑う兵士の背中を貫いた。

ズドッ

「うっ…」


兵士の背中に命中した槍はいま腹から突き出ている。肉体を通った槍の先は真っ赤だった。骨が折れて、
兵士はその場で横向きに倒れ込んで、頬を芝生に打った。


槍を投げた魔法少女がやってきた。


ヒール靴をカツカツ鳴らし、やってきた魔法少女は、手に新しい槍を召喚し、兵士を見下ろし。


二本目の槍を脇腹へ思い切り突きたてた。


「ああああっ!」

兵士は息の根をとめられた。

びくん、と体が痙攣する。その小刻みな痙攣にあわせて肉体に刺さった槍の先もゆれた。


「逃がさないよ…」

魔法少女は冷たく告げ、また手に新しい槍を取り出すと、残る逃亡兵も殺していた。


魔法少女たちから離れ、距離をとるようにして、壁際にそって逃げようとする怯えた兵士に狙いを定め、
槍を伸ばし、兵士の首をつらぬく。


「あううっ!」

鮮血を飛び散らせながら槍に突かれた逃亡兵はころげて尻餅つく。首から血を流しながら、兵士は起き上がって
膝たちになる。

また手元に新しく出現させた槍で、魔法少女は、殺した。

その横顔を槍で貫いたのである。槍は逃亡兵の顔面の右から左へ突き通った。

バタリ、と兵は力尽きて生命活動を停止した。


鹿目円奈は第一城壁を通り抜けた敷地内の中庭にいたが、兵士達とは戦わず、戦闘中の魔法少女たちを
見渡していた。


みなだれもが歩兵隊を殺している。


どの殺し方も惨たらしい。魔獣退治をユーカと共に戦ってきた円奈だったけれども、魔獣との戦いよりも、
魔法少女と人間の戦いは過酷で痛烈なものだった。


しかしこれは避けられない戦いだった。


どの時代の魔法少女だって知っていた。

いつか人間と魔法少女の戦いが起こることを。



巴マミや美樹さやか、暁美ほむら、佐倉杏子でさえ知っていた。呉キリカと美国織莉子も知っていた。

プレイアデス星団だって知っていた。


過去の魔法少女たちは、だからこそ、人間に正体を隠してきたのである。



すべての宇宙をその目でみた鹿目まどかは、人類が魔法少女を迫害していく歴史を幻惑にみて、嘆き、悲しみにくれた。


──少女たちは魔女として恐れられ始めていました。人の力を超えるものとして──殺されていきました。
火あぶりになり、首を落とされ、生きたまま皮を剥がれる少女もいました。とても見ていられなくなって──



「第三城壁の地下牢に魔法少女たちが捕われてる!」

円奈は剣を手に握りつつ、馬上から、魔法少女たちに言った。

少女騎士、鹿目円奈は、来栖椎奈より、魔法少女と人類が分かち合える国を探せ、と使命を託されている。


「第三城壁区域へ!」

伸ばした剣の先は第三城壁区域、地表250メートルあたりにある城砦の壁を指す。



仲間達が捕われている場所を告げられた魔法少女たちは、エドワード軍の第一歩兵部隊を殲滅させたあと、
円奈の声に反応して、第三城壁区域にむかうべく、まずは第一城壁区域へ登る階段をめざした。



死体だらけの中庭を通り過ぎ、城壁内側に沿う長い階段へ、皆むかった。


円奈も馬を走らせ、そのあとについていった。

「はっ!」

掛け声あげて、手綱をゆすり、クフィーユに闊歩の合図をだす。


クフィーユは駆け出し、城壁内の芝生を通り抜けた。ロングボウを背中に括り付けた少女の背中が馬上で
上下に激しくゆれていた。



そして、円奈たちは敵地の本城へ辿り着くための第一城壁歩廊のルートへむかう。


まだまだ地上を彷徨うにすぎない魔法少女たちを、第七城壁区域の天守閣から、王が俯瞰している。

今日はここまで。

次回、第61話「エドワード城の攻防戦 ①」

第61話「エドワード城の攻防戦 ①」

460


さて、これだけの騒ぎともなれば、王城じゅうの貴婦人と騎士、王の側近と近衛兵たちも、異変に
気づかないはずがない。



第一城壁歩兵隊の殲滅と第二歩兵部隊、第三歩兵部隊、長弓隊の退避命令と騎士たちの収集、さまざまな
号令が王城の天守閣を飛び交っている。



第七城壁区域の、王の近衛兵とエリート兵らで構成された老衛隊はあわただしく城内の廊下を行き来し、
扉をあけ、武器庫へ走らせ、みな武器を手に取る。クロスボウ、剣、戦棍にフレイル、なんでも装備し、
第六城壁区域から第五城壁区域へショートカットする階段塔の螺旋階段をくだる。


騎士達は呼び集められ、王城は危機に面していることが正式に政務官によってよみあげられた。


すると城内最強の騎士たちは、敵が邪悪な魔女たちであることと、王都の陥落を企てる
魔女たちの計画はいよいよ始まった、と告知された。


王の間、暗い大空間の、蝋燭台の火だけが照らす空間で、騎士たちは整列した。そして魔女たちの反乱を
正式に告知された。


正義の騎士たちよ、心せよ。いま邪悪な魔女どもは、王の城を乗っ取る気でいる。

殲滅せよ、地上に巣食う化け物たちを焼き払え。



告知が終わると、マント姿の騎士たちは一斉にその場で跪き、王への忠誠と勝利を胸に手をかけて誓う。


膝をたてて跪いた騎士たちは小声で何かを囁く。誰にも聞こえないような声で何かを呟く。

何かを祈るように、あるいは何かを自分に言い聞かせているように。


誓いをたてると全員同時に立ち上がり、廊下へでて、魔女たちに決戦を挑むべく騎士の誇りにかけて戦場へ
出陣するところであった。


各自第六城壁区域の天空庭園に治められている厩舎の馬のもとへいくのだ。


騎士とは、その名のとおり騎馬兵となって戦う者たち。魔女たちとの決戦は、馬にのって挑む。



ベルトラント・メッツリン卿は、王の間を出て廊下を進み、剣を鞘に差込、鎖帷子を着込み、鎧を
胸と背に着こんでバントもしめると、サバトンという鉄靴も履き、最後に鉄兜もかぶると、騎士としての
ギラギラした銀色の鎧に包まれた完全武装が完了した。


あとは馬に乗るだけだ。


そのメッツリン卿が武装し、廊下を渡っていると、騎士たちが戦場へと急ぐその流れに逆らって、
一人の女、クリームヒルト姫が姿をあらわし、宝石をちりばめたビロードのドレスの裾をひらひらさせながら
走り、駆け寄ってきた。


「ベルトラント!」


クリームヒルト姫は、焦った顔をして騎士にすがりつく。「ベルトラント!」


姫は顔をあげて、相手の騎士を美しい瞳で見つめる。「何事ですか?」姫は問いかけた。



「反乱です」

メッツリン卿は、胸の硬いプレートにしがみつく女の色香を感じながら、答えた。


「魔法少女たちが王への反乱を起こしています。我々は鎮圧にむかいます。騎士の誇りにかけて」


姫はメッツリン卿の、甲冑に包まれた腕をとり、胸元に寄せた。


「彼女らと戦ってはなりません」姫はいった。優しい声だった。


しかしメッツリン卿はかぶりをふった。「私としても不本意ですがね、現に魔法少女たちは反乱を起こし、
王をとる気でいます。私たちは王をお守り通す騎士。戦わねばなりません」


縋りつくように足をとめようとするクリームヒルト姫の袖をはらう。


そしてメッツリン卿は甲冑に守られた背中で告げた。「姫、あなたもお守りいたします」



姫は何も言い返せなくなり、戦場へむかったメッツリン卿の背中を見送ったが、彼が階段をくだって
後ろ姿がみえなくなると、姫は別方向へひらひらの袖をふるいながら歩き始めた。


メッツリン卿は、ルノルデ・クラインベルガー卿、守備隊長ルースウィック卿らと合流し───このメンバーは
都市の馬上槍試合の参加常連メンバーでもあったが───魔女との決戦に迎え撃つべく、作戦の指示だしをした。


馬上槍試合も本番だぞ、とメッツリン卿は諸侯領主たちへ告げた。

ただし、その相手は、人間ではない。過去のどんな実勢経験も役に立たない。


人類がいまだ過去に経験したこともないような戦いになる。

461


クリームヒルト姫は廊下を急ぎ足で走り、ドレスをゆらしながら、扉を開ける。

姫の私室だった。


そこの寝台には娘にして世継ぎの少女アンリがいた。寝台にここ仕掛けていたが、ぶるぶると震えている。

外の騒ぎ、とくに剣の激突音と、殺されていく人間の悲鳴を、感じ取っているのだろう。


王の天守閣の城内、唯一の魔法少女は。


「あなたは人間として生きなさい」


と姫は娘アンリに告げた。それは母なりの娘への助言だった。この危機を生き残る助言。


もし万が一、騎士たちすら敗れ、魔法少女たちが、王城をすっかり占領したときに、アンリはどうなるか。


世継ぎの少女はもちろん殺されるだろう。


だが、だからといって、魔法少女として生きる道を選んではいけない、と助言する。


世継ぎの少女は、世継ぎの血筋を引くからこそ王城で生き残れるのであり、魔法少女として生き残るのではない。


そう諭したのだった。


この事件は間違いなく世界じゅうの人間たちに記憶される。


魔法少女たちが人類に刃向かい、王に反乱したという禍々しき事件は、世界じゅうの人間に、
”魔法少女は人類の敵だ”という共通意識をもたせる。



次期にその時代がやってくる。

新しい戦いの時代が。戦乱の世は、大量殺戮の時代へと移りゆく。世界中どこでも人類と魔法少女が生存をかけて
戦う時代だ。



人と魔法少女が分かれた時代。人は、魔法少女のことを化け物のように思うし、魔女狩りする時代がはじまる。

魔法少女は、人のことを魔獣がグリーフシードを孕むための餌くらいにしか思わない時代がはじまる。


全ての世界の国々で魔女狩りが起こり、全ての世界の国々で人間狩りがはじまる。

地球全土は血に染まる。




アンリは、ぶるぶる震えながら、泣きそうな顔で、母を上目でみあげながら、こくっ、と頷いた。


「たくさんの人が殺されてる」

アンリはいま城で起こっていることを理解していた。だからこそ、泣いていた。「死んでる…たくさんの人…
魔法少女たちが…怒ってる…」


姫はアンリの隣に座り、震える娘の頬を撫で、そして胸元に寄せて抱き寄せた。

母の暖かな心臓の音がする胸に頭を寄せ、アンリは落ち着こうとした。



クリームヒルト姫は、複雑な気持ちで、殺気だった魔法少女たちが王城を占領してしまうのかどうかを
想いに巡らせた。



もちろん、この幾重もの城壁に守られた城は、そう簡単に陥落するものではない、のだが…。

462



執政官のデネソールは、魔女が反乱した告知を聞き、第七城壁区域の外壁から身をのりだして、遥か下界で
第一城壁区域の兵らが全滅したのを見届けた。


そして舌を打ち鳴らし、顔をしかめ、廊下にもどる。


するとクリームヒルト姫がメッツリン卿と話していた。メッツリン卿と話をおえたクリームヒルトは、
急ぎ足で、私室にもどってしまう。



デネソールは何か話しかけようとしたが、この危機にあって姫を慰める言葉がみつからず、姫は彼に
気づかないまま扉を通って私室へ消えた。



デネソールは虚しく背を丸め、自分のしわがれた手を見つめた。


もう、この城が陥落し、いよいよ我が執政官の生涯は、閉じようとしている。


そんな儚い予感さえ感じ取りながら。

463


第一城壁区域では、中庭で迎撃した歩兵部隊が一人残らず魔女の手によって殺された。


城壁の矢狭間に並び立った長弓隊は、焦燥に駆られた顔をし、弓を使って攻撃するよりも撤退に急いだ。



「第一城壁、突破されました!」

号令役が退去命令をだす。「魔女どもが第一城壁を占領します!長弓隊は第二城壁区域へ退避!」


撤退を合図する旗がふられ、合図役がラッパを口に含み、退去のメロディーを吹き鳴らす。



ラッパの音楽を聞いた長弓隊たち数千人は急いで城壁の回廊を走り、第二城壁区域へ避難した。



弓兵たちは退避しながら、第一城区大階段を駆け上がってくる魔女たちに矢を放つ。


50メートルの城壁から放たれた矢の何十本かが魔女たちの背にふりかかる。



しかしそのほとんどは魔女たちに弾かれしまう。振り返りざま盾で防がれたり、剣でバチンと弾き返され
たりしてしまった。そして魔女どもは第一城壁につながる内回廊階段を登りつづけた。


「悪魔の奴隷どもめ!」


弓兵たちは毒づき、急いで第二城壁の門をくぐって避難した。

全員の弓兵たちが退避すると、衛兵たちにって両側から門はバタンと閉められ、裏側から閂を通された。

そして第一城壁区域に残されるのは、国王軍の第二歩兵部隊と、第三歩兵部隊、第四歩兵部隊となった。


総勢で400名ほどの剣士たちだ。


「エドワード軍!」

王都の危機に集結した国王軍の隊長たちが、剣を鞘から抜いた。

「今こそ勇気をふるい、無慈悲な悪を撃ち滅ぼせ!」


おおおおおおっ。

二歩兵部隊、第三歩兵部隊、第四歩兵部隊の兵たちは第一城壁区域の広場にて鬨の声をあげ、皆が皆、
戦闘態勢に入った。


その目的は、王都を守ること。

邪悪な魔女どもを殺し、人類が生き残るために。

残酷極まりない謀反計画の殺戮者たちをみな殺しつくすことだ。


血には血で、剣には剣で。

化け物には正義を。


464



円奈たちは第一城壁区域の城郭に登りつめ、その囲壁歩廊に到達し、本城の周囲にめぐらされたこの城壁の
上を渡り歩きながら、第二城壁区域を目指していた。


もちろん、それを安々と許す敵軍ではない。


エドワード軍はさらに強力な歩兵部隊を組織し、円奈たちの前に立ち塞がった。


「こりねえ野郎どもだ」


血だらけの剣をもったクリフィルは、毒を吐いた。「どいつもこいつもぶっ殺してやる」

リドワーンやクリフィル、スカラベ、芽衣、ブレーダル、アドラーなど魔法少女たちの一団は、
歩きで城郭内部の階段を登り、第一城壁の歩廊を渡っていたが、円奈は馬で進んでいた。


パカパカと馬が、高さ50メートルもある狭い城壁の上を走る。


ふつう馬は城の上を走るものではない。野原を走るものだ。だが円奈はお構いなしの縦横無尽さで城郭回廊を馬で
走り抜ける。それは、並外れた馬術といえる。

踏み外したら転落だ。



少女騎士の背につづくように、魔法少女たちの30人は第二城壁区域の塔をめざして広場へ向かう。



その広場にはエドワード軍の剣士たちが大集合し、魔法少女たちに戦を挑んできた。


「突撃!突撃!」

合図役のラッパが吹き鳴らされ、白いユニコーンを描いた軍旗をもった兵士らの軍団が、合図のラッパと
同時にわああああっと雄たけびあげながら走り出し、円奈たちの真正面へやってきた。


その数400人ほど。兵士たちはみな同時に鞘から剣を抜く。ジャラン。剣が空気中に響く。鉄のこすれる音だ。




先頭の列100人くらいの兵隊たちの手には軍旗と、ハルバードと呼ばれる鉾槍────長い槍の先端に斧を
とりつけた武器を握り、ガチャガチャと鎧のこすれる音たてながらやってくる。


その軍列整え、ハルバードを手に持って、足音そろえながらザッザッザとやってくる敵兵たちの行軍を眺めながら、
これを相手にすべくクリフィルは血に濡れた剣を突き伸ばし、味方に告げた。


「二手に分かれろ!私が相手してやる。半数は回り込んで、第二城壁に入ってしまえ。あたしがこいつらを
ひきつけている内にな!」


30人の魔法少女たちが迷うような目の動きをみせる。

だれが回りこんで誰が敵兵をひきつけけるのか役割分担に悩む。


すると円奈が最初に動き出した。

「はっ!」

と掛け声あげ、馬の手綱を引く。


馬は、城壁の上でヒヒーンと鳴き声あげ前足を雄雄しくふりあげ、方向転換し、主人をのせて城壁の回廊を
遠回りしはじめた。


その先の回廊には敵兵がいない。ゼロ。守りなし。一望できる城と青空。


「よし、あたしも回り込むぞ。クリフィル、しっかり引きつけていてくれよな。いや、ぶっ飛ばしてもいいぞ」

ユーカから男の子みたい、と思われたズボン姿の魔法少女であるアドラーは、円奈のあとに続くように、
守備兵のいない城壁を外回りしはじめた。

チヨリもその後ろにつづいた。灰色の髪の魔法少女芽衣もそのうしろにつづいた。


対して内回りの通路にのこり、エドワード軍と対峙するクリフィルの側に残ったのは、スカラベ、
ボンヅィビニオ、クマオ、アスレ、フリーミ、リーシャら。


リドワーン一行には他にチビのチョウというあだ名の背の高い魔法少女と、幼少時代自らをオオカミだと信じていた
魔法少女ホウラ、聖地出身の中級ランク魔法少女でエレム人のヨーラン、レイピア使いの魔法少女レイファ、モルス城砦出身の姫新芽衣、
野良の魔法少女シタデル、貴族出身アルカサル、爆発矢使いのブレーダル、歌娘のマイミらがいる。


15人ずつ第一城壁の城郭囲壁を内回りと外回りにわかれ、内回りではエドワード軍と激突、外回りにまわった
魔法少女と円奈たちの一行は守備兵たちの手薄なルートから第二城壁区域の塔門をめざした。



もちろん、この動きを見逃すエドワード軍ではない。


「敵は二手にわかれたぞ。第四歩兵部隊は外回りにつけ!」


第四歩兵隊長ヴェルダンヒが指示をくだし、第四歩兵部隊の兵隊たちは軍旗を持ちながら、円奈たちの
進む外回りの防御を固めた。



中庭の敷地を囲う第一城壁区域で、かくして攻防戦は展開される。



内周り側の城郭通路では、城壁の上を走ってくるエドワード軍と魔法少女たちが激突寸前であった。



足音揃えて小走りしてくる兵隊たちと。

魔法少女たちは駆け足で城壁の上を突っ走り、距離をちぢめ、いよいよ激突。



うおおおおおお。


ああああああっ。



兵隊たちはハルバートをぐるん、とふるってくる。これに直撃すれば人間ならただではすまない。

とはいえ魔法少女たちだって、ソウルジェムを兵隊たちに砕かれてはおしまいなのだから、ハルバートの攻撃は
かわした。


リドワーンは身を逸らして横によけた。すぐそばをハルバードの刃が通り抜けた。

すると地面に直撃したハルバートの柄をリドワーンは握った。


「ぐっ…」


兵隊は持ち直そうと力を込めるが、持ち直せない。

魔法少女たちの怪力に驚愕する。


そのままリドワーンは、兵隊のハルバードの柄を持ち上げてしまい、すると兵まで体が宙に浮いた。

鎧に包まれた身は軽々しく宙へうき、そして城壁下の中庭へ投げ込まれた。


「うああああっ───!」


魔法少女の片手がハルバードを宙へ浮かし、投げ飛ばした。兵隊はハルバードを握りながら一緒に城壁を転落
していった。中庭に落下するまで、6秒ほどかかった。


魔法少女と兵隊たちの乱闘はつづく。


クリフィルは敵兵のハルバードを剣で受け止める。ガキン!鉄の刃と刃が激突する。


次の瞬間、クリフィルの素早くふるわれた剣はハルバードの柄を叩き斬り、ただの棒切れとなった武器を
もつ兵士に接近し、鎧の隙間である顎下に剣を上向きに突き入れた。


「うううっ!」


兵士は倒れる。


他の魔法少女たちは兵たちたちがぶんぶんふるうハルバードを華麗にかわしていた。

ある魔法少女は飛び退いてかわす。ハルバードの斧は地面を割る。


ぶんぶん横向きにふるわれるハルバードは、頭を屈めてその下をかいくぐる。

そのまま敵兵の胸に迫ると肩で体当たりし、兵隊を押した。


ドゴッ

「うっ」

兵隊は押されて勢いよく手すりに体を打ち付ける。苦痛に顔が歪んだ。

その、手すりに体をぶつけてぐらつく兵隊の不安定な足を、魔法少女はしゃがみこむと握った。



そして、兵隊の足首を持ち上げてやった。

すると彼の背中が手すりを乗り越え、頭が下向きになった。

つぎの瞬間。

ずりっ。


「あ゛あああうっ!」

と、甲高い叫び声あげて兵隊は仰け反って城壁の手すりから転落し、まっさかさまに頭から落ちていった。

彼の姿は空中へと消えた。


業を煮やした歩兵たちは剣を抜いた。


カキン、カキン、カキン───


激しい戦闘が繰り広げられる。


スカラベは戦棍をふるって敵兵の鎧をたたき、何度もたたき続け、やがて敵兵のよろいはヒビ割れて戦棍の
トゲ部分が敵兵の胸に食い込む。ガキンと音たてて鎧に食い込んで、はなれなくなった。



クリフィルは、剣同士の戦いになればむしろ得意なので、敵兵たちの剣をつぎつぎ素早く二本も三本も
同時に相手しながら、振り払い、一太刀で三人とも切りつけた。


「うわっ!」

「うぐお!」

三人同時にころげてしまう。


何十人という人間の死体が城壁の歩廊にころがり、その死体たちを踏み越えながら、魔法少女たちは城壁を
進む。


第二城壁区域をめざして。


クリフィルは剣をブンと横向きにふるう。敵兵の剣と刃が激突しあうと、すぐに左手を突き出して敵兵の顔を
殴る。


「う!」


バゴッと打撃音がし、拳が顔面を直撃した。敵兵はよろけた。兜がへこんでいる。


よろけた敵兵の首を、クリフィルは切りつけた。


ズバンッ


それはぎりぎり敵の首にあたらない。危機を察知した敵兵によけられてしまった。

するとクリフィルは肩に剣を持ち直し、めいっぱい剣をふるった。


それは敵兵の胸に届いた。

ガギギ


という鉄を割る音がして、胸中に刃がひっかかった。ひび割れた箇所から血が滲みでてきた。

クリフィルはその割れ目に剣を押し込んだ。力の限り。敵兵の胸元に剣が押し込まれてゆき、刃が徐々に敵兵に
めりこんでいく。

彼は力尽きていった。



かくして歩兵部隊は殲滅されてゆき、残り15人程度しかいなかった。

城壁の歩廊は死体で埋められた。城壁下へは血が流れ落ちた。その赤い筋は第一城壁を濡らし、中庭まで伸びている。



生き残った敵兵は恐怖にちぢみあがっていた。

しかし彼はは逃げることがぎてない。


「撤退だ!」

恐怖に駆られた監視塔に立つ合図役は、悲鳴をあげ、逃亡をはじめた。

上方の塔から歩廊へ降りて第二城壁区域への階段へ逃げ去った。

合図旗を捨て、持ち場をはなれ、城壁の奥へ一目散に避難しだす。



だれかの魔法少女がすると剣をブンと投げた。


くるくる回りながら弧を描いてとんだそれは、防御壁の上へ飛び越え、第二城壁区域の外路階段を逃げ去る合図役の頭にあたり、
後頭部を剣先が貫いた。

ズブッ

「…」


後頭部に剣が刺さった兵は、額から真っ赤な血を流しながら石城の階段にもたれかかるようにして倒れ、死んだ。



逃げる選択肢もないと思い知らされた生き残りの兵隊たち15人は、戦慄し、足が固まった。

するとレイピア使いのレイファ・イスタンブールが、彼らの前にでてきた。


びゅんびゅんとレイピアをふるい、目の前に対峙する。



戦わなければ殺される。


その運命を悟った兵士たちは、死兵となり、絶叫をあげながらレイピア使いの魔法少女に戦いを挑む。


「うおおおお!」

死すら覚悟した兵の剣がぶんぶん左右にふるわれる。

レイピア使いはそれをふわり、ふわりと軽い足取りでかわしている。人間ばなれした動きで、まるで体重が
ないかのような軽快さでよけれる。

「怪物めが!」

剣を手に、かけ走り、レイピア使いに接近してふるう剣は、レイピアを絡められる。

すると剣先をそらされて。


レイピアがロングソードの刃の下をすべるようにして動き、しゅっと伸びて。


気づけば、レイピア使いはロングソードの下を潜り抜けて、まっすぐ敵兵の胸を突いていた。


仲間達は殺されてゆき。


魔法少女という怪物たちに囲まれる。


取り残された不幸な兵隊たちは、すると自分らが王城を守りぬくためにこの場にたち、踏みとどまり、
戦っていた使命を全うすべく。


「エドワード王万歳!」


と叫びながら、魔法少女たちにむかっていった。剣を手に。咆哮しながら。


もちろん、全ての兵隊たちは、ことごとく殺された。剣に刺されたり、槍に突かれたり、斧に顔をつぶされたり。

みな戦死した。


「なにがエドワード王万歳だ」

クリフィルは、殺した人間たちを見下ろし、台詞を吐き捨てた。

「あたしらはその王の首をとりにいくんだよ」


第二城壁区域につながる塔門を見上げる。


階段を昇りきった先に建つその門は、厳重に閉ざされ、城門塔はクロスボウ兵が守りを固めている。

人間世界に戦いを挑んだ勇気ある30人の魔法少女たちは王城の果てを睨んだ。王の首をとる道のりは険しい。

まだ第二城壁のあと第三城壁区域、第四城壁区域、貴族の暮らす第五城壁区域に、第六城壁区域があり、
ついに頂上には王の天守閣がある。

城はどこまでも天空へつづいている。


第一城区域の外回りでは、鹿目円奈が馬にのって城郭の上を進み、150人の兵隊たちと対峙した。


円奈が目前にくると、兵隊たちは剣を鞘から同時に抜く。


戦闘態勢に入る。

ギラン。


150本の剣が同時に抜かれ、光を反射して煌めく。第四歩兵部隊。



する円奈は、馬を止まらせ、ロングボウを背中から手に取り出すと、言った。


「道をあけて!」


ピンク髪の少女は怒鳴って呼びかける。


「私、ただ友達を助けたいだけ。あなたたちの城に、私の友達が閉じ込められてる。私、助たい。
友達を助けたいだけなの…!」


懇願にもちかい、悲痛な訴えは、到底エドワード軍に聞き入れられない。

彼らだって王と姫を守りたいだけだ。


「殺せ!」


兵隊長が指示し、剣を差し出す。


おおおおおおおおっ。


兵隊らは剣を手に、走ってきた。

ユニコーンを描いた軍旗が城にふく強風にばさばさとはためく。



剣を持った兵士たちが円奈の馬に近寄り、切りつけようとする。

するとクフィーユは怒り、ヒヒーンと前足ふりあげ。


ドッ!

「うわあああ」


馬は兵たちを蹴った。重さ300キロちかい巨体の前足が兵たちを突き飛ばした。

何人かが城壁からこぼれ落ちた。鎧に包まれた体をふらふらと宙に舞わせた。


円奈につづく芽衣やチヨリたちが、兵士らとの戦いに突入する。


ガン!

ガキン!


ガタン!


剣と剣の衝突音、押し合う音、こすれる音、やがてそれらは悲鳴と肉を切る音にかわっていく。




最前線の兵士が円奈めがけて剣をふるってきた。

「うおおお!」

剣を肩に構えもち、それをふるってくる。


「くっ!」

円奈は自分の身を守るため、自分も剣を振り落とした。


ガチン!

剣と剣がぶつかった。交差して絡まり、ギリギリと刃同士がこすれて鉄の音が響きつづけた。

465


第二城壁区域の塔門に、内回り組の魔法少女たちは辿りついた。

クリフィルは白いマントをはためかせながら弩弓隊の落とすクロスボウの短矢を潜り抜け、
守りを固める守備隊の余りを切り殺す。


城門塔からクロスボウ兵の矢が跳んできた。


「この!」

クリフィルはその矢を刃で弾き返した。

ガチンと音がなり、火花が散った。矢はどこかへ飛んだ。


仲間の魔法少女たちは石づくりの階段を登りながら弓を手に握り、反撃に塔へ矢をはなった。


ばしゆっ!

ヒュン!


魔法少女たちの使う弓から飛ぶ矢が高くの城門塔に並び立つ弩弓兵たちの顔面に直撃する。


「あああっ!」

「うう───ッ!」


弩弓兵たちは顔を手で覆い、目や頬を貫いた矢の傷みに震えた。

手からクロスボウをとりこぼし、戦闘不能となる。


すると塔の内部で、別の控え兵たちが塔に顔をだし、クロスボウを放った。

ビッ。

機械弦から発射されるボルト矢。


バリンッ


「うっ…」


運悪くそれは魔法少女のソウルジェムに命中した。

クロスボウの矢はその魔法少女の茶色いソウルジェムを割ってしまい、パラパラと破片は第二城壁区域の
階段へこぼれおちた。


仲間の死に目を見開いて動揺した魔法少女は、気を失って石の階段をころげはじめた仲間を追いかけ、
自分も石の階段をおりた。


ぐるぐる身を回して階段をころげた魔法少女の目は、虚ろで、生気がない。魂がない顔をしている。


「しっかりして!」

仲間の死が信じられない魔法少女は、懸命に呼び起こす。体をぐりぐりとゆすり、意識を呼び覚まそうとする。

「お願い、目を覚まして!」


「魔女を殺したぞ!」

塔のほうでは、人間の喜ぶ声が轟く。「邪悪な魔女を一人やっつけた!俺が倒したんだ!」


わああああっ。

城を守る国王軍の兵士たちの士気があがり、興奮のムードに包まれる。よくやった、よくやった、お手柄だぞ。

人間側の陣営、一歩勝利へ近づく。



仲間を殺された魔法少女は、人間たちの歓喜する景色を、怒りに歯をかみしめて見渡し、あああっと
叫んだ。


クリフィルはクロスボウ兵の飛ばす矢の嵐をよけながら階段を昇りきり、城門に背をぶつけた。


顔を腕で覆いながらクロスボウの飛んでくる矢の数々から顔を守る。

「矢に気をつけろ!」

クリフィルのあとについて長い階段を登ってくる仲間達に呼びかける。

「油断するな!ソウルジェムだけは守れ!」


塔からつぎつぎにクロスボウの矢がふりかかり、魔法少女たちの背にあたる。


「ああっ───」

「ウウッ──!!」


クロスボウの矢に撃たれた何人かの魔法少女が階段をのぼる途中で倒れる。


ソウルジェムは無事だったが、背骨の髄を貫かれ、しばし動けなくなった。


魔力で修理したが、ソウルジェムの魔力は失われた。


「残量に気をつけろよ!」

クリフィルは城門に背をつけ、剣もちながら、叫んだ。

矢はその間も乱れ飛ぶ。


「王を殺すまで円環の理に導かれたりするな!円環の神に顔向けできないぞ!」


何人かの魔法少女は、クロスボウ兵の攻撃に反撃して、再び弓矢を放つ。


クロスボウの矢は塔から階段へ落ちてきたが、魔法少女たちの矢は階段から塔へのぼっていった。


塔へ飛んでいった矢は弩弓兵の腕と首に刺さり、塔から悲鳴があがり、弩弓兵たちは塔の窓から退く。

クロスボウ兵の攻撃は一時やんだ。




「いまだ!いそげ!」

クリフィルは中間達にむかって切羽詰った顔して叫ぶ。

「登れ。門を壊して第二区域に入るぞ!」


クロスボウの攻撃がやんだ階段を、魔法少女たちは矢だらけになりながら登ってきた。

第二城壁区域の門は、両側が城門塔に守られ、弩弓兵の矢はここから飛んでくる。

しかし階段は、両側も城壁に挟まれ、この城壁に連なる監視塔からも弩弓兵は矢を放ってくる。

つまり四方八方からクロスボウの矢が飛んでくるのだった。


その乱れ飛ぶ矢の雨の真っ只中、魔法少女たち15人は塔門に集結し、魔法の矢を放ってクロスボウ兵に
対抗しながら、いよいよ城門へ到達する。



すると塔門の守備兵たちが怯え、叫び始めた。

「魔女どもが第二城壁の門に到達しました!」

叫びながら、エドワード城の城壁の並びを走り抜ける。矢狭間のついた歩廊を走りぬけ、第三城壁区域へ
つながる長く細い階段をのぼりつめはじめる。

「閣下!あの忌々しい魔女どもが門に来ました!」



ブレーダルは魔法の矢を塔にむかって放とうとした。

が、そのぴかっという紫色の光を放ちはじめた鏃は、とつぜん、電池切れたようにぷしゅっと輝きを失い、
ただの煙だけあがる矢になった。

「くそったれが」

ブレーダルは毒づく。「魔力を使いすぎまったよグリーフシードをくれ!」


だれの魔法少女も味方にグリーフシードを分ける余裕なんてなかった。

魔法少女たちは無敵の体をもっていたが、ソウルジェムの魔力には限界があった。


限界がきたら、辿る道はひとつだ。


「冗談じゃねえこんな人間の城で脱け殻になってたまるか」

ブレーダルは文句をこぼした。

466


第一城壁区域を外回りした鹿目円奈たちのほうは、第二城壁区域の塔門への到着が遅れていた。

城壁の上での戦闘がまだ続いていた。



国王軍の兵隊たちはまだ50人ちかく生き残っている。

芽衣は剣を手にとりだし、上品そうな衣装に身を包みながら、華麗な動きをしてみせ、兵隊たちと戦った。

ブン!

バキン!


ふるった剣が敵兵の剣と絡み合い、十字に剣が交差する。

城壁の歩廊は狭く、細い。足場は広いとはいえない。城壁では、踏み外せば転落死だ。


剣を交わす魔法少女と兵隊に逃げ場はない。剣から逃げて戦うことはできない。剣を交わらせて戦うしかない。


敵兵が突きをだしてくれば、上向きに逸らして守り、その流れのまま敵兵の胴へ斬りつけようとすれば、
敵兵は腹をひっこめて刃の先から逃れる。

ふりきった魔法少女のほうに隙が生じる。兵隊は魔法少女の頭へ刃をふりおとす。


それはぎりぎり間に合わせた芽衣のもちあげた剣に弾かれる。ギィン!刃同士が再び絡まり、こすりあい、力の押し合いに
なる。


そのままぐるりと二人の刃は絡まりながら円を描くように回転し、いや、芽衣がそうさせたのだが───
回転した遠心力によって、外側をまわった敵兵の剣は、上向きにそらされた。


敵兵があっと声をあげたときには遅し。


芽衣は敵兵の剣を強く上へ逸らし、払いのける。カキン!音がなる。すると前へ伸ばした。


敵兵は防御が間に合わず、芽衣の剣の突きが彼の胸をついた。兵は倒れた。


こんな調子で城壁での斬りあいは続いた。


チヨリは魔法の斧で、敵兵の剣を叩きわる。ガーンと音がなって、鉄の刃は半分に割れた。

剣身を失い、ただの鉄きれとなった剣を驚愕した目でみた兵士の腹を。


斧が裂いた。


うっと呻き声たてた兵士は、腹をくの字にまげ、苦痛に顔をゆがめながら床にぶったおれた。

鎧のこすれる音がした。


城壁上での戦闘という、足場の狭さは、ときに悲劇を呼び起こした。


別の魔法少女の剣と格闘していた兵士は、魔法少女のふるう縦ふりの剣を横にかわした。

しかし横にかわした途端、傍らの城壁の足場の端にきてしまい、手すりに体がぶつかった。


魔法少女はその隙を見逃さず、こんどはぶんと横向きに剣を激しくふるった。


ガチン!

兵士は間一髪、剣でうけとめたが、激しい刃の激突による反動で、身体が手すりをのりあげてしまった。


「うっ、うあああ」


兵士の背中が仰け反りだす。


咄嗟に手が城壁の手すりを握る。落下をはじめる身体を支える。


魔法少女はすると、その手すりを持つ腕をばっさり斬った。


ブチ。腕の肉と骨が断面のこして切断された。



腕を失った兵士は身体の支えをうしなってとうとう城壁から落ちた。「あああああ!」

死を悟った恐怖の雄たけびが聞こえた。憐れな兵士は宙返りしながら城壁から中庭へ転落していった。


人間は、落ちると頭でわかっているのに、身体が落下をはじめたとき、断末魔をあげる。



アドラーというズボン姿の魔法少女は、ロングソードをふるい、敵兵を打ち倒していった。

敵兵の剣と絡んだときは、相手の肩をつかんで引き寄せると頭突きをし、敵兵の顔面へ自分の額を激突させる。


「う!」

頭突きされた兵の鼻から血がでる。痛みに目をぎゅっと閉じた兵の剣を、またぶんと叩いて弾く。

すると敵兵の手元から剣が弾けとんだ。剣はどこかへ飛んでクルクル地面の上を滑るように回った。



丸腰になった兵の胴を、アドラーは裂いた。

兵の上半身と下半身は分かれた。これが魔法の剣の威力だった。兵は下半身を失ったまま手だけで這って動いた。
死ぬのは時間の問題だ。


第一城壁区域の外回りの歩廊も、かくして歩兵部隊は殲滅されつつある。



円奈は馬上で戦っていた。

兵隊たちが容赦なく円奈に剣をつきたて、殺しにかかってくるので、円奈は馬上から剣をふるい、
カンカンと敵兵たちの剣に反撃したり、盾で受け止めたりして、自分の身を守っていた。

467


第二城壁区域の塔門に集結したクリフィルらとリドワーンらの一行は、閉ざされた門を突破すべく、
魔法の斧をとりだして、門をぶっ叩いて破壊しはじめたところだった。


ヒュン!

ドゴッ!


斧の刃が、閉ざされた樫の門を叩く。門はまだびくともしない。閂を通された門はズシンと音はたてたし、
砂埃も落としたが、それだけだ。ダメージはない。



「もういっちょ!」


大きな斧をもったヤカヘナという魔法少女は、力いっぱい、門をまた叩いた。


ドゴンっ!


門はまだ開かない。しかし、木材がはがれ始めた。てごたえありだ。


しかし守備隊側は黙って見ているわけもなく、ますます多くの弩弓兵たちが見張り塔と城壁の矢狭間の位置に
つき、クロスボウを、魔法少女むけて撃ってきた。


バチバチと魔法少女たちの立つあたりの階段に矢があたり、砕け散る。


「援護しろ!」


斧で門を叩く魔法少女を守るように、クリフィルらが囲い、魔法少女たちは反撃の矢を弓から次々に放った。

魔法少女たちの弓から矢がびゅんと飛び、塔のクロスボウ兵たちに命中していく。


「ううっ───!」

「ああっ─!」


目にもとまらぬ速さで飛んだ矢は弩弓兵たちの肩や頭に当たる。


こうして激しい矢の撃ち合いが第二城壁の塔門と階段でつづいた。


「よっと!」

大きな斧を手に召喚した魔法少女は、またドンッと扉を叩く。

ズシンッ、と扉はぐらつき、門は傷みはじめた。斧の刃の一部が裏際まで通り、一部穴をあけた。


「門を守れ!」

弩弓隊長が号令し、弩弓兵たちはクロスボウの矢を撃ち放つ。


が、位置についてクロスボウの矢を構えて、塔から顔を出したその瞬間に、魔法少女たちの飛ばす矢に頭を
射抜かれ、すぐ赤い悲鳴となって兵たちは塔のなかに倒れ込んだ。



魔法少女たちの矢は、おどろくほど精度がいい。


また、それだからこそ、魔法少女の矢なのだ。



「化け物どもが」

弩弓隊長ヴィルヘルムは、つぎつぎに魔法少女たちの矢に殺されていく弩弓兵のごろごろ積み重なる死体を見て、
毒づき、歯をかみしめた。



クロスボウ兵たちは矢を撃ち終えると、塔の中へ戻り、クロスボウの先端にある鉄の鐙に足をかけて、弦を
手動で元の位置に戻し、台座の弦受けにひっかける。次にボルトと呼ばれる短矢を発射台に装填する。


装填が終わると、また塔から顔を出し、魔法少女たちを狙って引き金をひいてクロスボウを撃ち放つ。


しかしそのクロスボウ兵も、顔をだした瞬間に、魔法少女たちの弓から放たれた矢が命中して、
頬を矢に貫かれてしまい、泣き喚いた。


その隣の弩弓兵も魔法少女たちの矢に顔を射貫かれた。ああっと叫び声あげ、弩弓を手放し、塔内部で背中から地面へ
ふっ飛んで倒れ込む。

顔面がなくなってしまった弩兵もいた。魔法少女の矢に撃たれたあとは、血を飛び散らせ、顔にあるのは肉と歯だけだ。

恐ろしい威力だった。



「そら!」

門では魔法少女が、大きな斧をふるってまた門を叩いた。


バギッ

ついに門にあいた穴は大きくなり、門の壊された部分は木片となって地面の階段に散らばった。


魔法少女たちは、この壊された穴の部分をくぐって、ついに第二城壁区域へ侵入をはじめた。


「よし!入れ!」

クリフィルが仲間達に声がけし、ぞくぞくと門を突破する。割れ目になだれこむ水流のごとく。


弩弓兵たちの矢が塔から跳んできた。


ズドド!ドド!


「うぐ…ぐっ」

門を潜るべく背をみせたところを魔法少女たちはクロスボウの矢に撃たれる。


運悪く、矢が背中を貫通して腹に突き出たとき、腹部のソウルジェムを割り、その場で息絶えた魔法少女もいた。


仲間の魔法少女たちはふり返って反撃する。

魔法の矢を放ち、塔から顔をだした弩弓兵たちを撃つ。


弩弓兵たちは矢に撃たれ、顔をひっこめた。攻撃の手は一時やんだが、多勢に無勢。敵兵の数は多い。

まだ何千人と守備隊は、城を守り、魔法少女たちを待ち構えている。



だがともかくも反乱を起こした魔法少女たちは第二城壁の門を突破した。


第二城壁区域へと侵入し、城壁の中に飛び込んだ。


リドワーンとレイピア使いのレイファ、スカラベ、ボンヅィビニオ、クマオ、ブレーダルらが、続々
王城の第二城壁区域へ。


のぼりつめる。


「第二城壁の門、突破されました!」

監視塔の兵たちは叫び声をあげる。


第二城壁にまで避難した長弓隊は、第三城壁区域までの撤退をこれで余儀なくされた。


「長弓隊、第三城壁まで撤退せよ!急げ!遅れるな!」


退去命令が出され、長弓隊たちは移動を開始。

魔法少女たちが第二城壁の門を突破するその上の通路を、長弓隊たちが走って防衛城壁を渡り、さらに上階へと
避難する。



かくして第二城壁区域も魔法少女たちの手に落ちた。


人間たちに残された要塞は、第三城壁区域から第七城壁区域までの、あと五つの防御ライン。


難攻不落の王城は、火の手があがるように、じわじわと攻め落とされていく。


「撤退!撤退!」


城内の守備隊たちはラッパを吹き鳴らす。退去の命令を伝えるラッパだ。


その音楽にしたがって、第二城壁区域じゅうの守備隊たちと弓兵たち、弩弓兵たちが第三城壁へつながる
階段をのぼりだす。数千人という王城の兵たちが、危険を知らさせて避難をはじめる。


第二城壁区域へ潜入したリドワーン、クリフィルらの魔法少女たちは、壁に囲われた手狭な通路を
走り出し、休むことなく戦いに身を投じていった。




エドワード軍の長弓隊長、エラスムスは、第三城壁区域へ避難する途中、歩廊で立ち止まり、下の通路を
走りはじめた魔法少女たちを狙って、弓に矢を番えると。


ギギイと弦をしぼったロングボウから、びゅんと矢を飛ばした。

それは敏速の勢いでまっすぐ魔法少女のソウルジェムを射貫いた。


バリッ


「うっ…」

倒れたのはスカラベだった。


ロングボウ隊の隊長に狙われたのが運の尽き。


長弓隊隊長エラスムスは、すると再びその場で弓に矢を番え、下向きにすると、通路を通る魔法少女たちを
狙って再び矢を放つ。



迅速の如く飛んでくる矢に反応が間に合わず、また別の魔法少女のソウルジェムが、射貫かれた。

矢は、魔法少女の肩に飾られた小さなソウルジェムのど真ん中に命中し、バラバラとなった。


殺されたのはボンヅィビニオという名前の、城下町暮らしの魔法少女だった。

王の魔法少女狩りに怒り、反乱に参加した魔法少女は、無念にも第二城壁区域の入り口で倒れた。


ロングボウ隊の隊長、エラスムスは、再び弓に矢を番えると、部下たちに命じた。

「魔女の宝石を狙え!そこが弱点だ!」

語りながら弓で狙いを定める。


避難命令をうけている最中の長弓隊の部下たちは、すると、ため息ついた。


「隊長、無茶いわんでください。あのちょこまかと動く魔女たちの、小さな宝石を狙えですって?」


長弓隊長エラスムスは再び矢を放つ。


目を細め、狙いを定めて放たれた城壁からの矢は、第二区域下の通路を通る魔法少女のソウルジェムにまたも命中した。


バリッと音がし、魔法少女は前向きになって腕を突き出しながらうつ伏せに倒れた。


その変身姿は解け、元の衣装にもどった。



「隊長、そんなことができるのは、世界じゅう探したって、隊長だけですよ。」


長弓隊の部下たちはため息つき、第三城区へ避難した。



仲間を三人殺された魔法少女たちは魔法の弓に矢を番え、第二区域の通路壁の上に立つ長弓隊長を狙った。

長弓隊長も矢をはなった。



両者の矢は互いを狙い合い、空気中ですれ違い、長弓隊長の矢は魔法少女の顔にあたり、魔法少女の矢は
長弓隊長の髪を切った。


「くそう!」


クマオという魔法少女は悔しがった。



「進め!敵が防備を固めないうちに第三城壁も攻め落とす!」

クリフィルが仲間達へ呼びかけ、生き残った12人の魔法少女たちと共に第三城壁区域を攻め落とすべく
通路を走り続けた。

468


王城の頂上、天守閣。

第七城壁区域の王の間では。


玉座に座ったエドワード王が、守備隊長の報告を受けていた。


食事を並べたテーブルは空席で、どの騎士もいない。戦場にでかけているからだ。

白いクロスを敷き、銀製、真鍮製、金製、さまざまな豪勢な皿に、肉料理が載り、ブドウ酒を注いだ銀グラスが
並んでいるが、テーブルは全くの空席だったのだ。

蝋燭台の火だけがゆらゆら城の大空間に燃え続けて、王の間を照らしていた。


両側の壁に大きなタピストリーが飾られた大空間を通り、玉座の壇の階段の前にまで来た守備隊長の一人、
ルースウィックは、王の腰掛ける玉座の前で膝を曲げて跪き、報告を開始した。


「報告します。……だ、第二城壁は突破され、第三城壁区域への侵攻を受けています…」


守備隊長の声は震えていた。

口調には緊張が混ざっていて、恐怖すら音色に含まれている。


「王、わが王、どうか私たちをお守りください。魔女どもに私たちは敵いません…、全く歯がたちません!」


ルースウィックは第一城壁区域の歩兵部隊たちの無残な惨敗ぶりを目の当たりにしていた。

人間離れした、魔法少女という存在が、彼にとってはもう悪夢のように脳裏に刻まれていた。


もし、こんな悪魔のような者たちが、ずっとずっと過去からも存在して、人間たちと共に暮らしていたというのなら。

考えたくもないが、それが本当だとすれば、王の言うとおり、とっくにこの地上は悪魔の手に堕ちていたことになる。



「我らの力ではあの悪魔どもに敵いません!魔女どもは悪魔と契約し、忌むべき力を我々にあてがいます。
我々は死あるのみです!」


弱気になったルースウィック守備隊長は絶望的な気持ちを全て王の前で打ち明けてしまい、目に涙を
ためながら王をみあげ、懇願した。


「王よ、どうかあの悪魔と手下どもから、我々を救いくださいますように。王よ、偉大なる人間たちの保護者、
人間を愛する王、世界で最も悪を憎む王よ。我らに力を与えてください。怪物どもと戦う力を!」


すると王は、すっくと玉座で足を伸ばし、玉座をたった。

その王の姿は、ステンドグラスの七色の煌々に照らされて、守備隊長には聖神の姿のようにすら見えた。


王は、虹色の光を浴びながら、一歩一歩、壇の階段をくだってきた。


赤い毛皮のマントがひらめき、王の杖を握り、降りてきた王。

守備隊長は王の顔をみあげた。

「王…」


王はルースウィック守備隊長の目前まで寄り添ってくる。

すると王は、守備隊長の肩を握り、彼を立たせた。


守備隊長は立ち上がり、王の顔をみる。

王の顔は、怒っていた。


老いた男である王は、守備隊長の肩をしかと左手で握るや、右手の固い拳が、守備隊長の顔を殴った。



「う!」

守備隊長はよろけて数歩、後ろへさがる。顔面を殴られた彼は、何が起こったのかわからないという顔をしている。

すると王はまた守備隊長の肩を手にとり、正面を向かせると、彼の顔をまた拳で殴りつけた。


「ううっ!」

守備隊長はまたよろけ、鼻から血を垂らす。まだ何が起こったのか分からないという顔をしていたが、
知らないうちに守備隊長は涙目になっていた。


「情けない奴め」

すると王は彼に語りかけ始めた。肩を摑み、正面むかせると、三度目、老いた王はまた殴る。

守備隊長はまたよろけた。

「そんな泣き言の為にわしの前にきたのか?」


「うう…!」

涙目になった守備隊長は、赤くなった頬を手で押さえている。

しかし王は容赦なく、またゆっくりとした、しかし一歩一歩が重たい足取りで、守備隊長の前へ歩いてきた。


「”正義は勝つ”という言葉を───」

王は涙目な守備隊長の肩を握り、正面むかせ、また顔を殴る。四度目。


守備隊長はぎゅっと目を閉じながらまた殴られ、足元がふらつく。

「お前は知らんのか?」


王はまた守備隊長の肩を握り、五度目、拳で殴った。


「うう…!」

守備隊長は恐ろしい気持ちに支配されてしまい、ぶるぶる震えながら涙目で王をみた。


「魔女と人間。正義はどっちだ?」


王は守備隊長の肩を握り、強引に引き寄せると正面むかせ、問いかけてくる。顔と顔が近い。



守備隊長は、黒い瞳に透明な涙の粒をためながら、ぐすっと涙声を喉からしぼりだして、答えた。

「陛下。正義は我々、人間です」


「…ならどうして泣き言を吐くのだ?弱音など無用だ。いま必要なのは、魔女どもに鉄槌をくだすことだ」

王は守備隊長を突き放し、戦場に戻るよう命じた。



「…うう」

守備隊長は泣き顔になりながら、こくりと頷いた。


ルースアィック守備隊長は、恐い気持ちでいっぱいだった。


謀反を起こした邪悪な魔女たちも怖かったし、王に助けを求めたら、王も怖かった。

世の中、怖いことばっかりだ。


渡る世間は鬼ばかり。

今日はここまで。

次回、第62話「エドワード城の攻防戦 ②」

第62話「エドワード城の攻防戦 ②」

469


鹿目円奈たちは第一城壁区域の外回り通路を抜けて、第二城壁区域の塔門へ辿る階段へきた。

門はすでに破壊されていて、人の通れる穴が裂かれている。


クリフィルらの一行はすでに突破したのだろう。



塔門を守る両側の監視塔は空で、だれもいない。

軍隊は撤退したあとだった。


エドワード軍が撤退したあとに残されているのは、緑色の布地にユニコーンの絵柄を描いた、軍旗だけだった。

軍旗だけが塔のてっぺんで、ばさばさと風にゆらめいていた。


しかしその階段はいたるところが剥がれて砕け、石段は崩れている。

大量の矢が散らばめられていて、足の踏み場もないほどだった。


魔法少女たちも何人か倒れて、矢だらけだった。ソウルジェムを撃ち抜かれた魔法少女たちだった。


うつ伏せのまま石段に倒れ、背中に無数のクロスボウの矢が刺さっている。


ここで繰り広げられた撃ち合いの激しさを物語る痕跡が残されていた。



鹿目円奈は馬に合図だし、この階段を一挙に昇りつめる。

馬が大きく四足をのばし、段を飛ばしながら勢いよく登っていく。馬の巨体が石段をずんずんのりあげた。


とそのとき、退去最中の長弓隊長、エラスムスは、このピンク髪をした少女騎士が第二城壁の塔門へ
登ってくるのを目に留め、弓に矢を番えた。



円奈よりも45メートルほど高い位置の城壁から、一本の矢がびゅんと飛ぶ。


「!!」


円奈はそれに気づいた。


「う!」

盾をかざし、直後、矢が円奈の盾にビターンと当たる。鋭い一撃は、木の盾を貫通し、円奈の額に当たる直前で
とまった。


ボドキンの鏃が円奈の目前に迫った。この特殊な錐の前では、鎖帷子の防御は意味をなさない。



長弓隊長のエラスムスは、第三城壁へ辿る階段に築かれた城壁の上から、ピンク髪の少女騎士を見下ろした。

少女騎士は盾で矢を防ぎ、こちらをぎいっと鋭い眼つきで睨みあげてくる。


二人の目が合ったのだ。


長弓隊長エラスムスは、直感的にあの女が人間であると分かった。異国からの騎士だ。


「あの女は人間だ」

エラスムスは部下に告げ、指先で城壁下の女を示した。

「私と同じ弓を持っている」


長弓隊長エラスムスは少女騎士も同じ兵器ロングボウを背中にくくりつけているのを見逃さなかった。


「人間?それまたなぜ?」

退去中の長弓隊の部下たちは不思議がる。

「なぜ人間が魔女たちと行動を共にしますので?」



「さあわからん」

長弓隊長エラスムスはすると、城壁の通路を戻って階段へ足をかけ、上をめざして第三城壁区域にむかった。

「しかもあの女が指揮をとっている」




破壊された塔門を、馬の前足で無理やりバカっと開いた円奈は、第二城壁区域に突入した。

クフィーユの重たい巨体が、裂かれた門を足の蹄でどつき、すると門は完全に破壊されて左右に開いた。


両開きに開いた門から、馬に乗った少女騎士が強引に突入し、すると狭苦しい石壁に囲われた通路の突き当たりの
左方向へめざす。


「第三城壁区域の牢はこっち!」


と、円奈は、馬上で剣をふりあげると左方向を差した。


「こっちに第三城壁区域につながる階段塔がある!」



円奈は、昨晩に一度、スミレと二人で城に潜入していたから、城壁内の構造がある程度頭にはいっていた。


「でも、そっちは、リドワーンたちと分かれちゃう!」

門を通ってやってきた芽衣が、円奈に言った。その両手で胸元に抱えた剣は、血で赤い。鉄の刃を血が滴っている。



「…」


円奈は選択を迫れた。

まず右の通路をふりかえり、その通路の先で聞こえてくる激しい戦闘音を耳にする。ガキンガキンと鉄と鉄の
ぶつかる音だ。


左の通路をまた見る。

左の通路からは、階段が伸びていて、第三城壁区域へつながる階段塔がある。



「みんなを助けるのが先!」


円奈は判断をくだした。


「牢につかまってるみんなを助けださなくちゃ。なにがあっても…!」


芽衣たちは目を見張ったが、同意して頷いた。


鹿目円奈は、このエドワード城に捕われて監禁されている魔法少女たちが、どんな状況になって閉じ込め
られているのかその目で見て知っていた。

プレイアデス星団の魔法少女狩りのような、肉体の鮮度を保つように保管されてなどまったくいない、
エドワード城の牢獄の中を。

知っていた。

470


リドワーンらとクリフィルの一行は第二城壁区域の内部へと入った。

石造のアーチをくぐり、入口から真っ暗な城内の廊下へと侵入する。


「ひっとらえろ!」

すぐに守備隊たちが駆けつけて、剣を抜いて駆け込んできた。


通路の奥から、木の扉を開けた兵士たちの集団が、壁際に掛かった松明の火の明かりを頼りに廊下を進み、
リドワーンらの一行に迫ってくる。


「あたしがやる」

といったのは、レイピア使いの魔法少女レイファ・イスタンブールだった。


真っ暗闇な城内の、狭苦しい廊下になって視界が効かない。

けれども、人間の剣士らに遅れをとおるレイピア使いではなかった。



カキン、カキン、カキン───。

守備隊たちの剣とレイピアが激しく突きあったのち。


ある兵士は剣をもつ手首の動脈部分、ある兵士は二の腕の下筋肉、ある兵士は胸を一突きされて、
剣の小競り合いの決着がついた。

「ああっ──」

「ううっ──ッ!」

兵士たちは呻いたり悲鳴あげたりして、みな倒れる。


レイピア使いの魔法少女は、三人の兵士を薙ぎ倒すと、またひゅっとレイピアの剣先を空気中に裂いて血をはらった。


ぶっ倒れて戦闘不能となった兵士たちを踏んで、魔法少女たちは廊下の奥へと進む。
エドワード城の果てしない迷宮の廊下を。



「真っ暗で何もみえん!」


クリフィルがいうと、壁際に掛かった一本の松明を取り出したリドワーンが、クリフィルに手渡した。

ぶわっ。

松明の火が飛ぶ。

「おっと」

クリフィルが投げ出された松明を手に受け取る。

その顔が火の明かりに照らされた。


赤く。


「悪魔の奴隷め、魔女どもめ!」

後ろで声が聞こえ、クロスボウを手に構え持った兵士たちが背後の廊下の曲がり角から数人、現れ、
弩弓の先を魔法少女たちにむけた。



「これじゃ埒があかん。相手してられんぞ!」


クリフィルは松明もちながら廊下の奥へ逃げ去り、角を曲がった。火の明かりをもった魔法少女たちが暗闇の曲がり角を逃げ去る。

直後飛んできたクロスボウの矢がびゅんびゅん廊下を進み、魔法少女たちが角を曲がった奥の壁にあたって砕けた。


「追え!滅ぼせ!」

人間兵士らは、クロスボウを装填しなおすと、角を曲がった魔法少女たちを追いかけた。


こうして城内の迷宮を舞台にした追いかけっこははじまった。

471


クロスボウを持った守備隊の兵士ら4、5人は、邪悪な力をもった魔女どもが逃げた廊下を追い掛け、
鎖帷子の鎧をカチャカチャならしながら走った。


先をゆく魔女どもが曲がった廊下を追って同じように曲がり、その先をみると、また逃げる魔女どもが廊下の奥を
左へ曲がっていた。

松明の火がむこうへと消えていった。それを目に捉えた兵士達は、逃がすものかと歯軋り。

「逃がすな」

兵士たちはさらに追いかけた。


あの邪悪な力をもった魔女どもを、なんとしてでも人間の正義の世界から、駆逐する。

そういう使命感に、兵士たちは燃えていた。


たとえ、命を危険に晒そうとも、悪とは戦わなければならない。


魔女どもを追って、やつらの姿が消えた二回目の廊下の曲がり角にきたその刹那。

兵士らは、とつぜん、曲がり角のむこうから伸びてきたグーの拳に顔を殴られた。


「うぶっ!」

突然顔を殴られて兵士らはすっ転ぶ。その手元からクロスボウがこぼれて、カシャっと音たてて地面に落ちる。

魔法少女たちが曲がり角から躍り出てきた。



魔法少女たちは二回目の曲がり角で潜めて待ち伏せしていたのだ。

兵士らがこの曲がり角に差し掛かった瞬間、腕で顔を殴ったのだった。


曲がり角で待ち伏せされていた兵士たちは続々、魔法少女たちにとっちめられる。

足をかけられ転ばされたり、廊下を曲がりがてら剣を胸にズドっと突き入れられたり。


彼女たちは、兵士らの落としたクロスボウを手に持った。

敵から奪ったクロスボウを片手で持ち、発射口を相手の目元に近づける。

「や、やめ…!」


兵士が恐怖に目を血走らせたその直後。


シュバ!

兵士の目の前でクロスボウが発射された。兵士の眼球は矢が埋めた。

「これでも喰らえ」

クリフィルはクロスボウの矢を放ったあと、兵士をみおろし、使い物にならなくなったクロスボウを捨て、
廊下を進んだ。

472


廊下を進むクリフィルらの一行は、松明の火だけを頼りに迷宮のような廊下を進み、手当たり次第、
目に触れる扉を開いて、第三城壁区域へつながる通路を探した。


バタンッ


木の扉を開ける。鉄環のとってを握り、勢いよくあける。


「なにもねえ」


部屋の中にあるのは、守備隊の控え室としての、シーツの敷かれた布の寝台と、暖炉、錆付く武具を絶えず磨くためのやすり、
武器を掲げて壁に盾と一緒に吊るすもの、質素なテーブルには食事皿。

壁際には松明の火が燃えているが、それを蓄えるための薪と油をためた蓋つきの壷もある。



バタン

魔法少女たちは扉を閉めた。



ガチャ

また別の扉を、鉄環の取っ手をもって開ける。

その奥にも守備隊の控え室があるだけ。バタンッ。魔法少女たちは扉を閉じた。



ブレーダルは扉を開けた。中をみる。

するとそこは、穀物倉庫になっていて、小麦や大麦などの穀物袋を詰めた箱や樽が、整頓されて小さな石壁の室内に
積まれていた。

近くには脱穀室と製粉室もあるにちがいない。


魔法少女たちは廊下に無造作に並べられた樽の中身も、いちいち蓋をあけて中身をみる。

中身は、穀物袋が詰められていたり、油を採るための植物の実なども袋に貯められていた。


廊下を進み、魔法少女たちはまた扉をあける。

そこは麦芽焙燥室だった。ビール醸造用樽が、棚に横向きに並べられている。


しかしこんな室内に用はない。

城壁は厚く、サンドイッチのように何層にも種類の違う壁が重なっていて、もっとも外壁があらけずりの石灰岩の石積み、
中間の壁が岩とモルタルの混合物、内壁はならめかなしっくり塗りの石壁だった。


ながい廊下を進み、階段をのぼり、さらに奥へくると、廊下の扉をあけた。


そこは井戸室だった。


暗い室内に一本の釣瓶があり、下の井戸から水を汲み上げられるようになっている。


鹿目円奈とスミレの二人が這い登ってきた井戸だった。


魔法少女たちは井戸室をあとにする。

結局第三城壁区域へつながる通路らしい通路をみつけられなかった彼女たちは、廊下を進み続け、
ついに長い長い、200メートルまで積みあがった石造の塔へ辿り着く。


ここは、第三城壁区域から第四城壁までショートカットできる超高層の階段塔だった。


千段近くも螺旋状の階段がつづき、ぐるぐると目が回るほど登りつづける丸い階段塔。



魔法少女オルレアンは、エドワード王にお呼ばれしたとき、この階段を疲れ果てつつ昇ったのだった。

473


鹿目円奈らは小規模な階段塔を登りつめ、ぐるぐるらせん状の階段を登ると、通路に出た。

そこは高さ150メートルの、第二城壁区域の胸壁が立ち並ぶ矢狭間の通路。



エドワード軍の長弓隊が隊列をつくっていた通路だ。


しかし退去した長弓隊はもうここにおらず、円奈たちの手におちる。魔法少女たちはここを占領した。



防壁の通路を渡って広場へくると、そこは城の上で栽培されている野菜畑の敷地だった。


城の人たちは、とくに香辛料を好むので、城で菜園を経営し、香辛料を実らせるハーブなどの野菜と、
薬味用の野菜が植えられていた。



それに、水槽に飼われた魚たちもいた。養魚池である。石造のプール施設に、城の人たち好みの魚を育てる
養魚池が、エドワード城には数百以上もあちこちあり、魚の飼育係が雇われる。


同様に、城の料理人に絶対必須な香辛料を育てる野菜畑と菜園も、城には城壁区域を問わず、あちこちに
何百と設けられていた。


円奈たちはこの野菜畑と菜園が整理された広場と通路に差し掛かり、すると守備隊の人たちが大きな塔から
門をとおって躍り出てきて、剣を抜き、戦いをしかけてきた。


その数50人ほどだ。


第五歩兵部隊たちである。



円奈と、それにつづく15人の魔法少女たちは武器を構え、戦闘態勢にはいり、この野菜畑とハーブ園、
養魚池の敷地で戦闘がはじまった。


兵士らはクロスボウをもっていた。

狙いをさだめ、しゃがみこむとクロスボウを放ってくる。


魔法少女たちはそれをかわした。身をそらしたり、頭を傾けたりして、紙一重で矢をよける。


すると剣をにぎって、兵たちに近づいた。


兵たちもクロスボウを捨てると、剣を抜き、野菜畑と菜園を横切って、戦いを挑んだ。


おおおおおっ。

彼らは、野菜畑の柵を越えて、畑の土を踏みながら剣を片手に走ってくる。


「うあああっ!」

魔法少女たちも掛け声あげて、人間兵士との戦闘に入った。

15人の魔法少女たちと50人の守備隊たち、野菜畑の上で乱闘を開始。

剣と剣、ぶつかりあいの音が、こだまする。


せっかく係りの者が、丹精込めて育ててきた野菜の数々は、戦闘に入った魔法少女と兵士らによって、
踏み散らかされた。


とある魔法少女は、敵兵と距離をとりながら、剣を前にだし、構えをとる。相手が剣を水平にふるってくると、
頭を低くしてかわし、その隙に相手を突く。しかし鎖帷子を着込んだ相手に突きが通用しなかった。

そこで魔法少女は、またガキン、と敵と自分の剣を強く交差させたあと、相手兵士の股間を強くけりあげ、
ひいいいっと呻いた敵兵の剣をバチンと弾き飛ばすと、首を切り裂いた。


「ううっ!」

股間を押さえながら首を斬られた兵士は野菜畑の土に倒れ込んで、血をタマネギ畑の肥えた土に流した。


ロングソードをふるってくる敵兵と戦うチヨリは、そのリーチの差に苦戦をしいらせた。

敵兵の剣は、呼んで字の如く長い。1メートル以上もある鋼鉄の剣だ。この刃にかかったらバッサリ身は
斬られてしまう。


チヨリの持つ武器は斧だったから、敵兵のぶんぶんふるってくるロングソードのリーチに圧されて、
なかなか敵にちかづけない。


敵兵がロングソードを前向きに振り落としてきた。

おおおっと声をあげ、力いっぱい、鋼鉄製の剣が落ちてくる。


チヨリは横に身をそらしてかわした。


敵の刃は野菜畑のニンジンを、ばっさり裂いた。


それを隙ありとみたチヨリだったが、思いのほか相手の復帰がはやく、はやくもロングソードの剣が土から
抜け出してチヨリの手元に飛んできた。


「ああっ!」

チヨリは斧で受け止めたが、ロングソードの長剣が、重たさと遠心力も加わって会心の一撃となり、チヨリは
畑にころげてしまった。


「う!」

頬を畑の土に擦らせて顔を苦痛にゆがめる。手元から斧がこぼれた。


「ああ…あ」

恐怖の目で手をのばし、斧を拾おうと指で斧を取ろうとするが。

ぎりぎり届かない。



「おおおおおっ!」

敵兵がロングソードをふりあげた。これが振り落とされればチヨリの身体は左右真っ二つに分かれてしまう。


チヨリは咄嗟に野菜畑から葉っぱをむんずと掴んでニンジンを土から抜き取ると、そのニンジンをばっと
敵兵の口に投げた。


「むっ!むぐ」

まだ熟成されていないニンジンは敵兵の雄たけびあげた口にすぽっと入り、敵兵は目を丸くした。

剣もつ手がゆらぐ。


その隙に斧を取り戻し、野菜畑を起き上がったチヨリは、斧で、敵のニンジンを咥えた顔を斧で殴った。


「んべ!」

ニンジン咥えたまま敵兵は顔から血を流してぶっ倒れる。


そして野菜畑の土に身体を埋めた。


「おかわりいる?」

チヨリは兵士を見下ろして言った。


馬を育て、調教するのに適しているため城で栽培されていたニンジンは、かくして武器ともなった。


あたりじゅうで兵士と魔法少女が乱闘していた。


鹿目円奈は、槍をひゅっひゅと伸ばしてくる敵兵たちの穂先を、剣で弾き返して、懸命に闘っていたが、
もう疲れ果てていた。

「はあ…あ…!」

息はあがり、ついさっき火あぶりになりかけたばかりだというのに、この激しい戦闘に突入して、頭は
くらくらしていた。


煙を大量に吸った彼女は、脳内に酸素がたりていないのである。


しかしここで気を失ったり、体を酷使することをやめたりすれば、死ぬことだけはわかっていた。


魔法少女の姫新芽衣が、剣をもってやってきた。

野菜畑と菜園の土をふみしめ、円奈を囲う兵士たちに背後から近づくと。


その無防備な背中に、ズドっと剣を差し込んだ。


「ああああっ!」

槍をもった兵士たちが喘ぎ、膝をついて背中から倒れ込む。

菜園に育てられるバジルやシナモン、フェンネル、ナツメグなどの植物の間に顔をうずめた。



「この魔女!」

兵士たちは背後を急襲してきた芽衣に、槍をふるう。

「おっ死ね!」


が。


ガキン!

「う!」


槍と剣では、接近戦は剣のほうが小回りがきいた。


兵士が槍をふるったその瞬間に、あっという間に剣で顔を殴られてしまい、兵士はころんだ。


さらに奥の別兵士が槍を水平向きにぶん、と円を描くように振り回してくる。


芽衣は剣でそれを受け止めた。ガチン!剣と槍の柄が絡まる。

すると、芽衣はそのまま槍に剣を絡めたままズズズと敵兵の胸元へ接近してゆき、兵との距離をつめる。


こうなっては、槍の兵士に勝ち目はない。

彼はなすすべなく芽衣のふるう剣によって、胸を裂かれた。血が舞った。



円奈を取り囲む兵士たちは殲滅された。円奈が見下ろす周囲で、兵士達はみな倒れた。


敵が全員死ぬと、敵をおっぱらった芽衣が円奈を金色の目でみあげて、こくっと頷いた。


円奈も、恐ろしい顔になりながら、こくりと首で頷いた。二人は無言の会話を交し合った。


「いたぞー!あそこだ!魔女どもだ!」


塔からは、まだまだ多くの兵士たちが戦場へかけつけてくる。

剣を鞘から抜き、ギラギラと剣を、晴天の光に反射させながら、城下町からは標高150メートルの城壁のくだり通路を走って、
広場へ降りてくる。



円奈たちは移動をはじめた。


散らかされた野菜畑を通りぬけ、養魚池の立ち並ぶ敷地へ。

ここは、石造の水槽が何個も整列して造られ、十字型に渡り通路がある。


円奈たちは戦場を移動させた。


野菜畑と菜園を抜け、この養魚池の敷地へ。


するとむかって兵士らもこの養魚池に来た。何が何でも円奈たちの侵攻を食い止める気でいる王城の守備隊たちは、
円奈たちの進む道という道の前に、いちいち立ち塞がる。


円奈はとうとう背中から弓を取り出した。


矢筒から一本矢を取り出し、弓に番え、兵士達の足元を狙う。


そこは鎖帷子に守られていない。サーコートを着ているだけだ。

円奈は弓を放った。


ビシュン!

ロングボウから放たれた矢が、養魚池の通行路を突き進む先頭の兵士の足に当たった。


「ああああっ───!」

足を矢に射られた兵士は甲高い声を口からあげ、バランス崩して、横の養魚池に体が傾いて落ちた。


ばしゃあっと池の飛沫がたち、大人の兵士は、すっぽり養魚池のなかに落っこちて、沈んだ。
池に飼われている魚たちが驚いて水槽のなかをぐるぐると泳ぎ回った。


後続の兵士達は、両側が養魚池に挟まれている細い渡り通路を慎重に進む。



すると魔法少女たちが、受けてたった。

魔法少女たちは俊敏な手つきで剣を伸ばして、ひゅっひゅと突きを繰り出して兵士たちのぐらつく
足元をゆるがした。


「あっああっ──ああ!」

兵士らは剣で魔法少女たちの突きを弾いたが、やがてふらふらと足元が崩れて池に落っこちていった。

剣だけ手放して、あとはみっともなく背から池に落っこちて泳ぐ。


器用に剣をたくり、魔法少女たちと養魚池の通路で戦った兵士も、またも撃退された。


剣同士のやりくりは互角だったが、ぐるぐると絡んだ剣を回しながら接近した魔法少女が敵兵のサーコートの
胸元をつかみ、ぶんと横へ投げ飛ばしたのである。


「ああああお!」

兵士は投げ飛ばされて、池へぼちゃんとまっさかさま。養魚池の魚たちがまた驚いて、水槽のなかを素早く
泳ぎ回った。


最後に残った兵士も、先頭の魔法少女と剣同士を激突させたとき、力にまけて、自ら身を池のなかに飛び込ませた。

「ああああ!」

兵は池のなかに水しぶきをあげて落っこちる。


魔法少女たちと円奈は養魚池の敷地内を越え、塔の壁際へきた。

そこにも養魚池はまだあったが、いよいよ第三城壁区域の入り口の門がみえてきた。


次への扉がみえた矢先、第三城壁を守る高さ50メートル上の階段塔から、ロングボウ兵の矢がふってきた。


ヒュ──!


第三城壁区域に撤退した長弓隊たちの矢が、塔上の矢狭間から次々に発射される。


円型の塔から放たれた矢は、矢の連なりとなって円奈たちの頭上にふりかかってきた。

円奈は盾で守り、魔法少女たちは多量に落ちてくる矢の攻撃をかわした。前回転したりして。


何本かの矢が、養魚池の水面に突っ込んで、びちゃ、びちゃと飛沫が跳ねた。


養魚池に走ってきた新手の守備隊はこの矢を背中にうけてしまい、三本も四本も矢が背中にささって、
ううっと呻いたあと、通路に倒れてから、やがてごろっと体がまわって池にぽちゃんと落ちた。


池に赤色の染みが広がり、滲み出た。背中に矢の数本刺さった兵士の死体が、池にぷかぷか浮いた。


「進め!」


矢の攻撃がやんだあとは、急いで魔法少女たちは養魚池を抜け、いよいよ塔へ。

「壁際に寄れ。矢はそこに当たらないぞ!」


魔法少女たちは塔真下の壁際へよる。矢の攻撃をよけるためだ。もし敵兵がクロスボウを持っていたら、
壁の真下に逃げ込もうと脳天に矢が落とされるだけであるが、ロングボウ兵が相手なら、ここにいれば安全だった。


守備隊たちも追って壁際に迫ってきて、あくまで魔法少女たちの邪魔をする。


邪魔をしてきた兵士たちの頬を殴り、どける。頬をなぐられた兵士は顔を横向きにしながら、ばしゃあっと
養魚池の中に身をおとした。水飛沫が飛んだ。


こうして円奈たちは円塔の壁際を進み、城塔への坂道へ足を踏み込めはじめた。城へ続く勾配の道である。
これはゆるかにつづく坂道になっており、この細い道をのぼることで、高位置に築かれた門へ入ることができる。


逆にいえば、一歩踏み外せば転落の、坂道を、登って通らなければならないのだ。


しかも塔への入城門は跳ね橋をいままさに吊り上げはじめていて、閉まりはじめている。


ギギギギギ…

鎖が巻き上げられてゆき、跳ね橋は吊りあがり、だんだんと閉じられていく。



この橋が閉じられたら、進入できる可能性などゼロだ。


「はぁっ!」

円奈は意を決し、この坂道をのぼりはじめた。


曲がりくねって塔門へつづく坂道を、馬に全速力の合図を送って走りぬけだす。


ピンク髪が激しく風にうたれて、浮き上がった。


「追え!」

芽衣たちも、馬が突き進む円奈の後ろにつづいて走った。



円奈は馬でこの斜路を素早く走り、跳ね橋が吊りあがりきってしまう前に門へ突入を試みる。

「急いで!」


円奈はクフィーユに命令する。

クフィーは諦めず全速力で高台へつながる斜路を走る。跳ね橋は、斜路を離れて吊りあがっていく。


すでに斜路と橋は完全に別離されていた。


人がジャンプしても届かない角度にまで橋が鎖によって吊りあがってしまっている。



もうダメかと思われた瞬間、円奈の馬、クフィーユは前足のばして飛んだ。

ヒヒーン!


馬の巨体は円奈を乗せて宙を高く飛翔し、吊りあがった跳ね橋に飛び乗った。


城内の巻上げ機をまわしていた兵士たちは、これを見届けて、「くそっ!」とぼやいた。


魔法少女たちがそれにつづいてきた。アーチ造りの斜路をのぼって、通行路の先端にまでくる。


円奈が、馬ごと通行路から跳ね橋へ飛び乗ったのを見て、魔法少女たちも飛び始めた。


「とお!」

「よおっと!」


それぞれ掛け声あげながら、もはや45度の角度にまて吊りあがりつつある跳ね橋に飛びつく。


人間離れした脚力をみせて魔法少女たちが、やあっと高く飛び跳ねて、閉じられつつある跳ね橋に飛びついて、
手で掴んでぶら下がり、やがて橋を乗り越えて城内へ入ってくる。



人間兵士たちは、またもそれで、「化け物どもめ、邪悪な力を宿した魔女どもめ、みな殺してやる」と叫び、
怒りを露にした。


さて、吊りあがる跳ね橋にぶら下がり、乗り越えた魔法少女たちは、角度を高めつつある跳ね橋の内側へ身を
すべらせて、しゅーっとスライディングするみたいに身を落とすと城内の通路にすたっと着地した。




円奈も馬で城内に潜入していた。

直後、跳ね橋がいよいよ完全に閉じて、90度の角度にまで吊りあがり、遮断される。

城内は途端に真っ暗になった。



円奈は通路の壁際にある松明の火を手にとって、それで暗い城内を照らしながら、通行路を馬で進んだ。


守備隊たちがすぐ現れ、剣と槍で、円奈たちの一行を撃退しようとする。

「はぁっ!」

円奈は馬に闊歩の合図を与えた。円奈の足がクフィーユの両脇を蹴る。

馬は城内で全速力になった。


まさか城内を馬が走っているとは思わない兵士たちは、その場で円奈に蹴散らされる。

「うっ──!」

「あがうっ!」

ドカドカと突き進んでくる馬の巨体に、兵士らは体当たりされて、左右に散った。


どの兵も後頭部を壁にうちつけた。


狭い通路で馬に突進されて、兵たちは逃げ場がなく、ただ馬に激突されるばかりであった。


「いいぞ!」

「やったあ!」

魔法少女たちは人間兵らが撃破されるのを見て喜ぶ。


もう、人間たちを守ろう、人間たちを助けよう、という気持ちで魔獣を倒すかつての城下町の魔法少女たちの
姿はどこにもみあたらない。

城下町じゅうの魔法少女たちが大集結して、王都の危機を救うべく一致団結して魔獣を倒して、オーギュスタン
将軍らと一緒に晩餐を楽しんだ一年前の魔法少女たちの姿は。

もうどこにもない。



決起した魔法少女たちは円奈のあとにつづいて廊下を渡り、暗い通路を抜けて、階段塔の螺旋階段へ辿り着く。

そこではすでに鹿目円奈は馬で螺旋階段を登っていた。


狭く苦しい、くるくるした螺旋状の石段を、円奈はどんどん何週もして上へ巡っていく。

馬はせわしなく階段をぐるぐる走って登る。


すると守備隊たちが階段塔の上方から何十人と突入してきて、剣を抜き、侵入者たちの行路を防ぐべく
階段をくだってきた。


螺旋状階段は基本的に、守り側に有利なように造られている。またその理由があってこその螺旋状階段だ。


ところが守備隊たちはもちろん、この城を設計して建てた建築家も、まさか馬がここを登ってくるとは誰も
想定していない。


剣を抜いて回廊階段をくるくると降りてくだってきた守備隊たちの列は、その先でついに、階段を駆け上がる
円奈の馬に出会い頭することになる。


「うっ、うわああああ」


螺旋階段をくだってきた先頭の守備隊が、目の前に現れた馬をみてびっくり仰天する。


すると次の瞬間。


ドスッ

「うえ!」


先頭に二列の守備隊の二人は馬の足に踏んづけられた。

しかしそれで終わりではなかった。


あとにあとに続く守備隊たちの隊列を、馬はことごとく踏んづけて蹴散らしながら螺旋階段を登り続けたのである。


「ああっ─!」

「うえげ─っ!」

「おうぶ!」


守備隊たち40人の二列は、次々に、階段を駆け上がる馬の足に踏まれていく。どの守備隊たちも螺旋階段のなかでころげ、
誰もがなだれ込むように尻もちつき、その腹や頭を馬の蹄に踏まれた。


蹴りだされた兵士は階段に背をもたれて仰向けにころがる。


こうして円奈の馬は塔の螺旋階段を守備隊たちをことごとく足で踏んづけながらガンガン上へ駆け上る。


そのたびに兵士たちは曲がり通路の石段に転倒していった。円奈の馬が通り抜けたあとに誰一人たっている
守備隊はいない。みな馬に踏まれて倒れてしまっている。

まるで人間ドミノだった。



「こいつはすげえ!」


あとにつづく魔法少女たちが笑いながら、馬の蹄に踏まれてころげ、互いが互いの体にのしかかって倒れてしまい
身動きとれない状態になっている40人の兵士たちの上を通りながら、階段を登っていく。


「うう…」

魔法少女たちの靴にことごとく兵士たちは踏まれた。それでも身動きとれなかった。見事に雪崩れ状態になっていた。

まるで並びたてられたピンが綺麗に整列したままぶっ倒れて螺旋階段上に積まれたかのようだった。



50メートルの階段塔を登りつめた円奈たちの一行は、塔のてっぺんから外へ再び躍り出た。


目前にあるのは第三城壁区域の門だ。


円奈は馬に乗り、塔から塔へつながる橋を駆け出す。


橋は木材でできた橋だった。その高さは50メートル。

石造の尖塔アーチ梁が橋の部分部分を下から支えていた。



円奈たちはこの橋を渡り、第三城壁区域の門へまっすぐ目指した。

その塔門の両脇は、連なる城壁の矢狭間に弓兵たちが並び立って待ち受けている。



ここは城下町から200メートルの高さにあたる城壁区域であり、円奈たちは、王の居館が
頂上700メートルにあるエドワード城の、ようやく4分の1を越えたあたりにまできた。


塔と塔のあいだをと通す道はこの橋しかなく、円奈とそれにつづく魔法少女たちは武器を構え、第三城壁区域の
入り口へまっすぐ進む。


守備隊たちが何人か立ち塞がったが、魔法少女たちは剣やら斧やら、鈍器やらで、打ちのめした。


「あう───!」


橋の上で戦った兵士は、橋から落っことされる。塔から塔に架けられた橋の真下へ転落。落差50メートルの
石床へ身を落とした。


剣同士が交わり、激しく突きあい、斬りあったあと、ついに兵士の脇腹に刃が差し込まれ、兵士は倒れる。

口から血を流しながら橋をころがり、ついには落っこちる。



魔法少女たちは兵士達を破ると第三城壁区域へ。


クロスボウの弩弓兵とロングボウの長弓隊が同時に矢狭間に並び立って構えをとり、矢を放った。



左右の城壁から飛んでくる矢を受け止めながら、魔法少女たちは塔門の中へ突き進む。

閉ざされた門は円奈の馬クフィーユが黒い蹄で蹴ってこじあけ、堂々入城。



塔の内部を抜け、第三城壁区域の敷地へ。


そこは中庭があり、石造の水道施設と噴水があった。城内の憩いの場である。音楽隊や吟遊詩人たちが、
ここのベンチに腰かけて、歌をうたい、城内で暮らす人々が詩を楽しんだ場所。



ことごとく今、円奈と魔法少女たちに侵攻される。


幾何学的な果樹園を造園していた城の広場は、戦場と化す。


歩兵部隊と魔法少女たちの激しい斬りあいが始まり、またたくまに噴水と芝生の広場は血に染まっていった。


魔法少女たちが目前の敵兵を切りつけることに気をとられ、無防備になっている背を、城壁を越えられた
弓兵たちがふり返って放った。


「───ウッ!」

背中に矢が刺さってかくんと膝を崩す魔法少女がいた。


膝たちになりながら目前の兵と剣を交えて戦う。



「がんばって!」

円奈は馬上から声がけをする。


しかし円奈は、敵兵を打ち倒すことを応援しているのではなかった。円奈は助けたいだけなのだ。

捕われた魔法少女たちを。


魂を奪われた魔法少女たちを。


「退去!退去!」

ラッパが吹き鳴らされた。



エドワード軍の紋章を描くユニコーンの軍旗が合図係に持たれて、左右にばんばん振ると、通路をかけだし、
退去命令をだす。



「第四城壁区域へ退去!」


弓兵たちは城壁の内側から矢を放ちつつ、退去をはじめる。


第四城壁区域は、税務官や徴税帳簿書記、政務官、私財官吏、城内穀物貯蔵量記録室、食糧管理人、鍵支配人、
麦の倉庫、蝋燭製造室、薪など暖炉と灯かりに関わる燃料庫、城内畜殺場、医務室、浴場、木工施盤工、
石工職人と大工、城内雇われ鍛冶屋(イベリーノ含む)の職務室、盾職人に武器職人、鞍職人に弓弦修理室など、
城内の公務と運営、法廷文書保管庫、国庫財源管理にあたる人々が暮らしている層域。


国王軍たちはこの地区にまで撤退を余儀なくされる。

最も多くの武器含む食糧などの財源が保管されている地区であり、王城の生命線ともいえる地区である。




円奈と行動を共にする魔法少女は剣をぶんぶんふるってゆき、兵士をおいつめる。


兵士は、カキンカキンカキンと魔法少女の剣をなれた手つきで丁寧に受け止めていったが、勢いでは
おされていた。


魔法少女は前にすすみ、兵士の足はどんどん後ろへ進む。


そして背後が噴水のところまで追い詰められていって、逃げ場を失うとついに剣の交戦に負けた。

受け止めるばかりが精一杯だった兵は魔法少女の剣にもう一度剣をカキンと激突させたあと、ドンと腹を
魔法少女の回転蹴りによってけりだされ、彼は噴水のなかにじゃっぽんと落ちた。


「みんな!」


円奈が馬上で剣を掲げ、魔法少女たちに呼びかける。


多くの魔法少女たちが歩兵らを追っ払っていたが、戦いが済むと、魔法少女たちは円奈のほうを向いた。


「仲間たちが、この区域の地下の牢に閉じ込められてる。私は助けたい。お願い、あなたたちの力を貸して!
私と一緒に来て!」


と懇願し、円奈は馬に乗りながら緑の敷地を抜けると、水道施設に設けられた水路をばっと馬のジャンプで
飛び越えると、第三城壁区域の監獄城塞へむかった。


「よし、仲間を助けよう!」


魔法少女たちは円奈の声に応えた。



本来、異国の国同士の関係であり、互いに顔見知りでもなく、その日に出会ったばかりの城下町の魔法少女たちと
バリトンの村出身の少女騎士は、心を団結させて、仲間たちの解放へ乗り出す。


芽衣とチヨリもそのあとを追いかけた。



弓矢がビュンビュン飛んできたが、魔法少女たちは腕で受け止める。腕が矢に射抜かれても、ソウルジェムさえ
無事ならなんてことはない。


その異様な矢の受け止め方に、人間の弓兵たちはまたしても唸り、「あの化け物たちをどうすれば殺せるんだ」
と悩む顔をした。


だがこうして人間兵士たちを悩ませてしまうのも、ソウルジェムを生み出した魔法少女たちのメリットそのものだ。

魂を抜き取って、ソウルジェムを生み出した魔法少女には、コンパクトで安全な姿が与えられている。

474


リドワーンとクリフィルらの一行は、千段も続く塔の階段を登りつめ続け、第三城壁区域を越えて
第四城壁区域の高さにまで辿り着きつつあった。


しかし上階からは守備隊たちが階段をくだり、それを阻止する。


第四城壁区域は、王城のライフラインともいえる区域であるので、兵士らも決死の想いで螺旋階段を
くだり、40人ほどの選ばれた兵たちが、魔法少女と対決すべく階段をテクテクとくだった。



そして、その対決はきた。


魔法少女たちがぐるぐると螺旋の階段を駆け上がるその先から、鎖帷子を着た兵隊たちが逆に階段を
くだってきたのである。


魔法少女たちの列と兵士らの列の先頭同士が、はちあわせする。


まず兵士が反応して、鞘から剣を抜いた。


むかって魔法少女たちの先頭も───剣を抜いた。


レイピア使いのレイファだった。


二人は会話を交わす間もなく殺し合いに入る。



ヒュッ───!

ヒュッ!


キィン!カキン!


レイファが素早くレイピアの剣を前に突き出し、兵士は鋼鉄の剣でそれを受け止める。

兵士は、狭苦しい螺旋状の階段塔の内部で戦いが始まると、徐々に後退しながらも剣をのばして交戦をつづける。


これは、螺旋階段での戦闘方法としては正しい。



魔法少女も兵士も、基本的に右利きだ。


螺旋階段の守り側は、後ろに退がりつつ、いつも中心の壁に守られながら右手で相手へ突きを
くりだせる。


ところが、攻め側は、右手で剣を突き出そうにも、いつもいつも中心の壁に剣先がぶつかってしまって、
攻撃ができない。


攻めてはつらい。

これが螺旋階段の秘密だ。


レイピア使いも、不利な螺旋階段の戦いを強いられて苦戦する。


レイピアの剣が相手に届かない。中心の壁が常に邪魔だ。相手は螺旋階段の奥へひっこんでしまう。

剣先を伸ばしても壁にぶつかってしまう。


油断して一気に階段を駆け上がろうとすれば、その隙に敵の剣が伸びて一突きにされる。



一定の距離がある状態では、敵に剣先を突きつけたくても中心の壁にあたってしまうし、
階段を駆け上って相手と距離をつめようとすれば、レイピアの剣先が敵兵の剣によってたやすく外側の壁に
弾かれ叩きつけられてしまう。



カキン、カキン───!



レイファは螺旋階段で相手と適度な距離を保ながら、隙ありとみれば螺旋階段を一気に登りつめ、相手へ
迫って、剣先を突き刺そうとする。それも間一髪、螺旋階段の内側へ身を引っ込めた敵によけられてしまう。

とらえそこねた剣先が伸びきったレイピア使いの状態は、まんま敵にとって隙あり、となる。

レイピア使いの魔法少女の頭に剣がおちてくる。


レイピアの剣先が伸びきった状態でレイファは守りがおいつかない。


結局レイピアを手放して退くしかなかった。


ガン!

敵の剣先が地面の階段を叩くと、レイファは手放したレイピアを再び拾い螺旋階段をのぼる。


が、相変わらず中心の壁に阻まれて攻撃ができない。

もどかしさに歯軋りしたレイファの顔面に、敵兵の剣先がどっと迫ってきた。



「う!」

レイファは頭をさげてよける。剣先が白い頭髪を切る。

はらはらと白髪の髪が数本、落ちた。



これが埒があかない。


レイファはすると、塔の壁際に出窓があいているのを見かけた。


塔の内部は、窓がないと真っ暗闇だから、塔の各部には小さな出窓があいていて採光の役割をはたしている。


ちょうど人ひとりが飛び出してしまうくらいの大きさはある。


レイファはレイピアの剣先をびゅんびゅんふるいながら、敵兵に駆けつめた。


もちろん剣先は敵兵にとどかない。

敵兵はすると反撃に剣を伸ばしてきた。

レイファはそれを待っていた。


敵兵が伸ばしてきた剣をまず身をひいてかわしたあと、敵兵の剣を突き出した腕の手首をむんずと掴むと
引き寄せた。


「う!」

兵士が、手首を引っ張られて前のめりになる。前方へ体が傾く。階段にてつまずく。

するとレイファは、そのまま腕を引っ張って、敵兵を出窓に引き寄せ、体ごと彼を階段塔の外へ追い出して
しまった。


「あああああっ───!」


出窓から塔の外へはじき出された兵士は、高さ200メートルもの円形の巨塔から落下し、その身を城壁下にまで
落としていった。


10秒ぐらい後、どしゃあっという落下音と、何か砕ける音が、城に轟いた。


これに勢いづいたレイファは螺旋階段を駆け上がってゆき、動揺する敵兵の剣先をかわしてレイピアを敵兵に
突き立てていく。


「うっ!」


「ああッ─!」


二人も三人も、階段をぐるぐる登りながら剣を突き出すレイピアに捉われ、兵士たちは倒れていく。

胸や首元を一突きにされながら。


倒れ行く兵士たちを乗り越え、魔法少女たちの列はレイファを先頭にしながら螺旋階段を千段ちかく、
登りつめつづける。


カキン、カキン、ガキン。


「ああああっ!」


剣を螺旋階段の曲がり通路で何度か交えたあと、兵士はまたも塔の別の出窓から、レイファによって放り
捨てられてしまい、人の体が塔からはみでて、宙をばたばたと舞った。



宙で両足が漕ぎながら兵士はなす術なく200メートル下の第二城壁区域の敷地にまで落ちていく。

ここからみるともうそれは遥か下方だ。


レイファは階段塔を攻略しつづけた。


敵兵とレイピアの剣先がからまり、外側の壁にたたきつけられたり内側の螺旋中心の壁に叩き付けられたりして、
あっちこっち剣同士が絡まりあいながら、壁を叩き、甲高い金属音を打ち鳴らすが、レイピア使いはこの螺旋階段を
突破しつつあった。

今日はここまで。

次回、第63話「ユーカの約束 Ⅰ」

第63話「ユーカの約束 Ⅰ」

475



第三城壁区域の監獄要塞へ突入した鹿目円奈たちは、地下廊下のエリアを進み、牢を探した。


仲間達が捕われている牢エリアだ。



地下通路を馬で駆けながら松明の火を壁際からもぎ取り、手に持って明かりにした円奈は、ババッと馬で進みながら
牢エリアを突き進む。


魔法少女たちもそれに続いた。


みな駆け足で、狭苦しくて異臭の漂う通路を進む。



だが、どの魔法少女もたちこめる異様な臭いには気づいていた。


「ソウルジェムの気配を感じる」

芽衣が、仲間達と一緒に廊下を走りながら、呟いた。

「でも、この臭いは……」


隣のチヨリの顔にも、焦燥が浮かんでいる。歯を噛み締めて走る頬には、汗が一滴、垂れている。

「ソウルジェムの数がありえない」

チヨリは暗闇の廊下を走りながら言う。

「70以上ある」



王の魔女狩りによって捕われた魔法少女たちの数だった。

しかしソウルジェムを奪われ、肉体と分離されている70人の魔法少女たちは、死体の鮮度を保たれていない。

放置されたままだ。



それが一ヶ月も続いてる牢獄エリアは、全ての空間に、異臭が漂っていた。生理的に嫌になる匂いが空気に
含まれていた。



ここは第三城壁区域の牢獄要塞。

標高700メートルになる超巨大な王城は、いくつもの城塞が合体して組み合わさり、一つの城となった
王都の城である。




城塞の一つ一つはまばらで、時代を異にしてさまざまな建築家が建てた城の集合体であるから、それぞれの
建築様式は城塞ごとに異なる。


ゴシック様式のようなリヴヴォールトと飛梁、尖塔アーチを持つ城塞もあれば、単に石を積み上げて壁で囲った
城塞もありば、二重同心型の城郭を持つ城塞もあれば、塔と塔が連なる城壁に、”出し狭間”を設けている
タイプの城塞もある。第五・第六城壁区域のような、貴族たちの暮らす層にまでなると、雨風を防ぐため
壁に白い石灰を塗りたくったシンデレラ城のような城塞もある。


一つ一つの城塞が組み合わさって、つなぐ通路と城壁、歩廊が増設され、一つの集合体として成り立った建築物
がエドワード城だ。


第三城壁区域の牢獄要塞はそのうちの城塞の一つで、70メートルほどの高さを持つ頑固な城壁の要塞だった。

囚人を監置する城塞である。


魔法少女たちと円奈は、この監獄要塞の入り口をぞくぞく通り、通路へ。

地下通路があり、湿った石壁とカビの臭いに、鼻も覆いたくなるような異様な臭いが鼻をつく。

生魚たちが血とともに破棄された腐臭よりもさらにひどい。



それは、人間の肉体が、血のめぐりを失って体内の免疫というものを停止させてしまい(ソウルジェムと
分離されているから)、不衛生な地下牢に沸く微生物という微生物がすき放題、魔法少女たちの肉体の
タンパク質を分解してしまっている臭いだった。

人間の血と肉と骨が分解された腐臭だ。


鮮度も保たれないままソウルジェムを失って脱け殻となった魔法少女たちの末路だ。


生きた状態の脱け殻たち芽衣やチヨリたちはこの地下牢を進み、暗闇のなか、ついに鉄格子の中に
放置された仲間たちを見つける。


「…ひいっ!」

どの魔法少女たちも、仲間たちの恐るべき末路を目撃した。


松明の火を翳して鉄格子の中を照らすと、そこには目を虚ろに見開いて脱け殻状態となった魔法少女たちが、
微生物に分解されきって、誰が誰だかわからないほど顔を喰われた状態で折り重なっていた。


肌は剥げ半分頭蓋骨化している顔の魔法少女もいるほどなのだ。


生きた脱け殻の魔法少女たちは、仲間たちの末路を見て心を揺さぶられた。


自分たちはソウルジェムをまだ持ち歩いているからいいが、もし失えば、自分たちも同じ状態になる。

これは未来の自分たちの姿だ。


一度ソウルジェムを失えば、自力で取り返すことなんてできないから、肉体が腐りつづけるのを待つばかりだ。
やがて最後の白骨と化すまで。いや、まったくの白骨と化しても、ソウルジェムさえ戻れば生きているという、
身の毛もよだつような肉体。

それが魔法少女だった。


衝撃を受けている魔法少女たちを、円奈は再び、鼓舞して呼びかけた。


「お願い、ソウルジェムを見つけ出して!」


円奈は人間だから、ソウルジェムの気配が分からない。しかし、この牢獄要塞のどこかに隠されているのは
知っていた。スミレがそう言っていたからだ。


「仲間たちを、このままにしておけない。私は助け出したい。お願い、一緒にみんなのソウルジェムを探して!」


つい昨晩ここで、魔法少女たちの正体を知って、完全にショックを受けてしまった鹿目円奈は、その正体を
心に受け止め、事実と認めて、魔法少女たちを救うにはこの白骨化が進みつつある死体をどうこうすることではなく
あくまでソウルジェムを探すほうを優先した。


芽衣やチヨリ、城下町の魔法少女たちが重苦しい顔で頷き、暗闇のなか顔を松明の灯かりに照らしながら、
仲間たちのソウルジェムの気配を追って地下牢獄を進んだ。


「上だ!」


とある魔法少女は、血に濡れた剣を、上へむけた。


「上にソウルジェムの気配を感じる!」


そうだ。

仲間たちをこのままにしておけない。


こんな姿になっても。見捨てるなんてできない。


人間たちへの怒りを感じながら、仲間たちを救うべく魔法少女たちは城塞の上階へむかった。

476


さまざまな鎖と牢、手枷と拷問器具が、魔法少女の目に飛び込んでくる。

そして魔法少女たちは、魔女の告発を受けて捕われた仲間たちが、ここでどんな目に遭わされたのかを
垣間見ることになった。


実際にその場面に居合わせなくても、並び立つ縛り台と拷問器具、手枷と鎖をみれば、もう嫌でもイメージが
ついてしまうものだった。


ラックと呼ばれる伸張拷問台。これは両手両足をロープで縛りつけ、拷問官たちがロープを巻上げ機で引っ張って
体を上下に引き伸ばすというもの。

文字通りこの拷問にかかった者は引き伸ばされて身長がびよびよ伸びる。


体を伸ばされすぎると、肩の関節が外れてしまい、あとは肉の伸びるまま、体を引き伸ばされた結果だった。


もちろん、伸びきった筋肉が二度と元通りになることはない。


このラックの伸張拷問台は、引き伸ばすだけでなくて、犠牲者を縛り付ける台の中心に、背中をゴリゴリと
けずるような鉄のトゲトゲのついたローラーが付いており、両手両足を鎖で引き伸ばされた犠牲者が苦痛に
あえいで喘ぐたび、背中にトゲがささって骨が削られていく仕掛けだった。



水責めの漏斗と水瓶もある。

一つの水瓶に1リットルの水が入る。これを九回分、水責めの犠牲者は漏斗によって強制的に飲まされる。

9リットルの水を窒息寸前になるまで飲まされ続ける。腹は水でふくれ、だぶだぶになる。

無理やり腹をゆさぶられて吐かされる。

するとまた強制的に9リットルの水を口に注がれつづけて、窒息寸前か、本当に窒息するまで水を飲まされ
つづける。



滑車つきロープで犠牲者をつるし、肩の関節に負担をかける拷問もある。

しかも限界まで吊り上げたあと、がくんと急に落とし、地面に着くぎりぎりの宙で止める拷問が繰り返されるのである。


これが繰り返されるたび人体の骨は悲鳴をあげる。大体の場合、5回と耐えず間接は外れる。

焼きごてを並び立て火鉢に安置してある部屋もあった。鉄串は火に焚かれて、今も先端が赤い。


全て人体を苦しめるために計算され尽くされた拷問器具のコレクションだった。

もちろん、痛感遮断という選択肢がある魔法少女たちは、この拷問にかけられるや痛みを忘れてしまい、
人間ではないことが審問官たちにばれるのである。



魔女の疑いがある少女を、人間かそうでないかを、最も正確に見分ける器具の数々が、ここにはあった。



人間たちの悪どさと残虐性にますます怒りを感じる魔法少女たちだった。

自分たちは、人間を救うために魔獣と戦ってきたのに、人間が魔法少女にする仕打ちは、こんなにもひどい。


いや、もしエドワード王のいうように、魔獣の発生というものが、もともと人間の悪の感情などではまったくなく、
自分たち魔法少女がカベナンテルと契約し、地球という惑星を、奇跡と魔法でひっちゃかめっちゃかにして歪めた
結果だというのなら。


魔法少女という存在は、結局のところ、どこまでも人類を脅かすだけにすぎなかった存在だったということになる。


だとすれば、人類が魔法少女狩りをこんな残虐性で始めてしまうのも当然といえば当然なのかもしれない。


でも、そうなのであるならば。


魔法少女と人類は、互いに戦うことが宿命づけられた関係にある、ということになる。



だから、今日のような決戦は、予見されていたことだった。

過去のどんな魔法少女もどんな時代の魔法少女もいつかくると予見していた人類との戦いという世代に、
私たちがあたってしまっただけのことだった。

そして一度始まってしまったその戦いは、当分おさまりそうもない。地球上に、人類と、魔法少女がいる限り、
永遠にやまぬ戦いとなる。



そんな世代を生きる私たちの本当の気持ちは何か。


自由、だ。


意志の自由、魔法少女として生きる自由、尊厳の自由。



こんな、監獄の中で死に絶えることじゃない。


城下町の魔法少女たちは監獄と牢獄、拷問室のエロアを通り抜けて、カビの生えた木扉を開けると、ついに
みつけた。


仲間の死体が牢に放置された場所から100ヤード離れたところに、ごっそり麻袋に積まれた
ソウルジェムの廃棄物を。


そこは牢獄城塞のうちの倉庫室だった。


誰が誰のだかわからない、色とりどり七色の卵型の宝石が、袋に詰められてぎゅうぎゅうに押し込まれていた。

そのソウルジェムが袋詰めになった麻袋が2、3個、棚に並べられており、口をぎゅっと紐で縛られて、
一応格子の柵に守られて安置されていた。



円奈は見たことがある。


魔法少女のソウルジェムは、あるときは指輪の形をして指に嵌められ、あるときは卵型の、イースターエッグと
呼ばれる飾り卵にそっくりな姿形に変化する。

そして魔法少女が変身をはじめて、煌びやかな衣装にきらきらと包まれると、ソウルジェムはその魔法少女の
魂の色のついた宝石になって衣装のどこかに着ける。



袋のなかに詰められ、ぎゅうぎゅうになっているのは、卵型のソウルジェムだ。

円奈は馬を降りると扉を通って監獄の倉庫室に入り、棚に掛けられた柵を剣でバサっと破壊すると、中の袋を
手に取り出した。


倉庫の中は暗かった。狭い部屋は、松明の一本も照らしてなかった。


「お、おもたい」


一つの袋に30個ちかいソウルジェムが詰め込まれた麻袋は重たかった。

そして円奈は、魔法少女たちが見つめているその前で、思わず重たい袋を取りこぼしてしった。

袋が地面に落ちて、袋の口からばあああっとソウルジェムの数々が地面に散りばめられたのだった。


「あっ、あああっ」


円奈が慌てる。


地面に散りばめられた卵型のソウルジェムは、くるくると地面をまわって、四方八方部屋中の床にころがった。

足の踏み場もなくなる。


緑、赤、黄色、紫、青、茶色、橙色、桃色、白、いろんなソウルジェムが。



床にごろごろところがった。


「あああ…」

円奈は気まずい気持ちになりながら、しゃがみこんで床のソウルジェムの一個一個を手に取り、袋に
詰め戻そうとした。


一緒にいる魔法少女たちの目が少しだけ、冷たくなった。


それもそうだろう。

魔法少女にとって、命のように大切なソウルジェムを、袋から取りこぼしてしまうなんて…。


本意ない気持ちになながら、捕われた魔法少女たちのソウルジェムを、手に握ったその瞬間。



「────きゃ、きやあっ」

円奈は思わず卵型のソウルジェムから手を放した。

熱いものにでも触れてしまったかのように指を慌てて引っ込める。


そのピンク色の目に恐怖が浮かんでしまい、顔が蒼白になった。



異様な感覚が全身に走った。

骨の髄に流れ込んでくるような。



それは悲鳴だった。

卵型のソウルジェムに手を触れた瞬間、音もなき悲鳴が、全身に響いた。


それは全身の精神をゆさぶり、あっという間に恐怖となって、円奈はソウルジェムを手放してしまった。


「あっ、ああああっ…!」


未知の恐怖に尻もちついて、剣を取りこぼしてしまう。


ガラン。剣の刃が床に落ちた。青色に光った。


感じたこともない恐怖感だった。


それは、例えば暗闇の中に入ってしまったとか、狭いところに閉じ込められてしまったとか、高い所にたった
とか、そういう本能的な恐怖症とは、まるで別次元の不気味さだった。


全く未知で得たいのしれない物が、実は身の毛もよだつような残酷さを持っていることを知った瞬間の
ような、ぶわっと全身の毛穴がひろがるような恐怖だった。


普段よく知っている絵が、実は角度を変えてみると死のメッセージが現れる真実を知ったり、よく慣れ親しんで
いた歌に、実は恐るべき意味が隠されていた予感を感じた瞬間のような、身の毛のよだつ悪寒だった。



つまり、円奈はまったく得たいのしれないモノに触れた。


それは人の魂が物質化されたモノで、本来は、目にも見えないし触れることもできない人の魂に、円奈は
手を触れてしまったのだった。



それは異様な感触だった。


ソウルジェムに手を触れた瞬間、円奈はまったく未知の感覚に襲われた。円奈は人の魂に手を触れてしまった
瞬間、本来は手に触れられない触れてしまったという禁忌を犯した感触とともに、手をふれた他人の魂の
なかから少女の悲鳴のようなものが体に流れ込んできたのである。


それは、明らかに人の言葉ではない悲鳴で、まさに魂の叫びそのものだった。


ソウルジェムはごろごろころがっている。

ソウルジェムになった魂は、重力に引かれるまま地面に落ち、そしてなす術なくその場から動きだせないでいる。


肉体は別のところにあるのに、本体としてのこの魂は、全く地面から動けない。

地面でころころとしているだけだ。



これが本体。

魔法少女の本体。


この、地面でころころしているだけのものが。




本来は人の肉体に宿り、精神とともにある魂が、こんな、ころころしたものに変わってしまった。

どんなに強靭な意志が宿っていても、純潔な精神が宿っていても、ころころしているだけ。




重力という自然の法則に捕われ、なすすべなく床をころげ、落ちているだけだ。

床にくっついているだけだ。


いつまでもころころ……ころころと。



その光景を目の当たりにした瞬間、ついに円奈は理解したのだった。


ソウルジェムに手を触れた瞬間に感じた人の声を。



少女から抜き取られて、魔法少女になった本体の魂の声だった。


「あっ、ああああっ」

魔法少女の正体の全てを悟ったとき、円奈は恐怖に身を打たれ、その場で動けなくなった。

自分のまわりじゅうにころころ転がっている30個以上にもなるソウルジェムが、怖くて怖くて、恐怖の
牢獄に閉じ込められてしまったようだった。


どこを見渡しても転げる人の魂で床が散らかっているのだ。


「ああああっ…」

ピンク色の瞳に涙がたまってしまい、人間である鹿目円奈は。



心から、魔法少女という存在が恐ろしくなってしまって、何も考えられなくなった。


尻餅どころか手も床をついて、天井をみあげて、涙を流した。


「こ……こんな……こんなのって…あああっ」


円奈は全てを理解いた。



エドレスの都市でウスターシュ・ルッチーアが、円環の理に導かれて、ソウルジェムが消えたとき、
あんなふうにぐったり脱け殻のようになった理由も。


魔女の疑いがかかって、審問を受けたとき、ノコギリで真っ二つにされても魔法少女たちが生きていた理由も。


全て悟った。



そして、ソウルジェムの穢れをグリーフシードで癒やすとは。


自分の魂そのものが穢れていたということで。


つまり、魔法少女たちはいつも魂を汚している。まるで、邪悪に身が堕ちていく魔女たちのように……


全てを悟り、人間たちがどうして、魔女狩りなんてことを始めて、魔法少女たちにひどいことをしたのか、
その理由までわかってしまって。


一瞬、いや一瞬どころか、何度か頭のなかで考えても、人間たちの行いを心から非難できなくなった自分に、
円奈は嫌気がさして。



あらゆる戦意を失った。

つまり、円奈は心の中で一瞬だけ、人間たちの魔女狩りを支持してしまった。


それが、来栖椎奈やユーカ、なにより聖地エレム国を目指す自分の最悪の裏切りであるような気がして。



ただ、泣いた。


エドワード城の第三城壁区域の牢獄の倉庫で。

鹿目円奈は、自分がいま人間の側に立って戦っているのか魔法少女の側に立って戦っているのか分からなくなった。


魔法少女たちが倉庫にやってきて、円奈の散らかしたソウルジェムの数々をひとつひとつ、拾い始めた。

仲間のソウルジェムを手に掬う魔法少女たちの顔もちは暗い。


変わり果てた仲間の姿をみて、顔の前に持って、じいっと思いつめた表情で見つめている魔法少女もいた。


「仲間たちを救おう。あるべきところに戻そう」


と、魔法少女たちはいい、袋をもって、仲間たちの眠る牢へ戻った。



円奈はまだ泣き崩れていたが、芽衣が肩を持った。


目に涙をためた円奈が、芽衣を見つめる。


「大丈夫だよ」


灰色のふさふさした髪の芽衣は、金色の瞳で、円奈を優しくなだめるように見て、励ました。


「一緒に仲間を助けよう。私たち、こうなる運命を受け入れているから、泣かないで。一緒に、王都を抜け出して、
むこう岸に渡ろう」



円奈は、涙を流したまま、こくりと頷いた。


「…うん」


その涙声は上ずっていた。

477


魔法少女たちは牢獄に戻り、袋に詰められたソウルジェムを、一人一人の手元に返し始めた。


といっても、70人分あるソウルジェム、誰が誰のだかわからないので、その背中に適当にのっけていくだけだ。


しかし、100ヤード圏内に入れば、どの魔法少女も、意識を取り戻しはじめる。



「うっ…」

「あう…」


どの魔法少女の目も、ぴくっと瞼が開きはじめ、意識半ばのままふやけた瞳をみせ、指先に力がこもりはじめる。


一ヶ月以上も肉体と魂を別離され放置されつづけた、城下町の魔法少女たちの復活だ。


70個のソウルジェムが仄かに光りだし、元の肉体にリンクされて、魔法少女たちは目を覚ます。

長い間眠っていたが、ついに王子様のキス…ではないが、とにかく、目を醒ました。



そして自分たちが、恐ろしい拷問の末に魂を奪われ、牢獄に放置されていた現実を知る。

白骨化した魔法少女は、白い骨状態のまま立ち上がった。顔の半分が頭蓋骨だった。



腕をみると、肉は腐ってほとんど無く、骨だけだった。

足は肉がついていたが、悪臭を放っていた。



しかしともかく城下町の魔法少女たちは復活したのである。



人間だったら、誰がどうみても死んでいる白骨化した状態で、復活を遂げる。


それはあたかもゾンビたちの復活だった。


しかし、肉体の腐ったゾンビ状態の魔法少女たちは、自分のソウルジェムが戻ってくると、その宝石に
宿った魔力を使い、自分たちの体を元に戻し始めた。


きらきらきら…と。


円奈は目をこする。そして凝視した。


腐った肉体の魔法少女たちが、光の粒に包まれながら、頭の上から足の下まで、徐々に、回復していく姿を。


頭蓋骨になっていた顔は、少女の美しい顔つきを取り戻し、剥げた肌から臓器をはみ出させた腹は、元に戻り、
骨の剥き出た足先は、元の美しい白く細いなめらかな足に戻る。滑るような肉づきをした足に。


さらさらとした髪が頭に戻り、魔法少女たちは聖なる光りを放ちながら艶やかな髪を手で掻き分け、
元の体を完全に回復するや、変身をはじめた。



全裸だった彼女たちはそれぞれの魔法の衣装へと変わっていく。70人すべて。




鉄格子の狭い牢獄のなかに変身した魔法少女70人が収まっていたが、彼女たちは自力で脱出をはじめた。

中には、元に戻った魔法少女たちとの再会を喜ぶ魔法少女たちもいた。


「ウェリン!」

捕われた魔法少女を助けた、城下町の魔法少女は再会を喜んで、抱きつく。

そして目に赤みの差した涙を流しながら、仲間の名を呼んだ。

「ウェリン、よかった。本当によかった。生きていてくれて…」


「ヨヤミ!」

ヨヤミと呼ばれた、元オルレアン一行の仲間の一人の魔法少女が、復活しながら牢でぼうっとしていたが、
別の城下町の魔法少女に抱きとめられた。

首に手をまわされ、がばっと抱擁される。


二人は無事の再会を喜んだ。


「ヨヤミ、よかった。きみも生きていたんだ。助けられて、本当によかった」

ヨヤミは、すると、抱きしめてくる魔法少女の抱擁を解いて、下に俯いてしまった。

「私は仲間を売ってしまった」

と、申し訳なさそうに、俯いた顔の目線を横に逸らしながら語る。

「人間たちの拷問に屈して……魔法少女なのに、情けない」

「いいさ、私たちはまた会えたし、助け出せたんだ!」

魔法少女はヨヤミの手を握る。その顔は優しかった。

「さあ、王を倒そう。エドワード王をやっつけるんだ。こんな悲劇はもうたくさんだ。王を倒して、
私たちは魔法少女として、これからも自由に生きていくんだ」



「王を倒す?」

ヨヤミは茫然としていた。にわかには信じがたい話だった。一ヶ月も眠っていたし、脳に血も流れていなかった
から、病み上がりというか、蘇ったばかりの死人はまだ事態が理解できない。

「いま、何が起こっている?」


「私たちは、エドワード王に戦いを挑んでいる」

ヨヤミを助け起した魔法少女は答えた。「私たちは、本当の気持ちに向き合ったんだ。もう人間たちに、私たち
のことを魔女とは呼ばせない。王を倒して、この魔女狩りをやめさせる。だからヨヤミも助け出せたんだ」


「本当の気持ち…」


ヨヤミはぼうっとした口調で、ぼんやりした顔のまま、口に同じ言葉を呟いた。だが、段々と、蘇った死人は、
新しく生まれ変わるような心境の胸内に、ふつふつと、戦意というか、生きがいのような希望が、胸に宿って
くるのを感じていた。


それは、魔法少女たちの意志だった。

自由な意志。


今までは、正体を隠して、魔法少女としての活動もやめてしまって、魔獣とも戦わず、人間たちの凶暴さと恐怖に
屈して、円環の理の導きがくるのを待つだけだった。


だが、自由な意志は、そんなことを求めていない。


魔法少女としての自由の意志は、堂々と生きることを望んでいる。世に奇跡をもたらし、希望をふりまく自分たちが、
誇りある世界に生きたいという望みだ。



「一緒にエドワード王を倒そう」

ヨヤミを助け起した魔法少女はいった。「一緒に!」



勇気づけられて、ヨヤミもついに決心を固めた。

力強い目つきになって、頷く。「うん…倒そう。倒す。もう、人間とは助け合わない。分かち合わない。
分かち合えない…!」


まわりの魔法少女たち70人全員が、同じ気持ちだった。


助け出されたベエール、マイアー、そのほかオルレアンたちと行動を共にした全ての魔法少女たち……。


一度オルレアンに救われた全ての城下町の魔法少女たち……。



全て、王を討伐する決心を固める。

人間の王、この国の王、魔法少女全滅を企てる悪の王。

その首をとる。


総勢100人の魔法少女たちが。



残るエドワード城の要塞、第四城壁区域、第五城壁区域、第六城壁区域、そして王の居城、第七城壁天守閣への
攻略に乗り出る。


死ぬまで、戦いをやめる気なんてない。


自分たちが全滅するか、人間たちが全滅するか、どちらかだ。


王を倒すまで戦いぬく。

そして、人類の王、エドワード王の首をとることは、今後の世界の人類との死滅を賭けた地上の戦争の始まりを意味する。



100個のソウルジェムが、戦いの意志を宿し、煌き、七色に光り、魔法少女たちは牢獄を飛び出た。


変身したそれぞれの姿となって、牢獄要塞を脱出し、エドワード城の噴水広場に踊りでて、一度死んで蘇った
者たちは人間へ戦いを挑んでいった。

復讐の決意をもとに。

478


国王侍従長のトレモイユは、第四城壁区域に兵力を集中させ、絶対に魔女どもに手渡すわけにはいかない
この防衛拠点の守りを固めていた。


彼は王の命令でこの地点の防衛を指揮することになり、城壁には長弓隊を配置し、塔には弩弓隊を配置し、
門の前には歩兵を並べ、門に多量の罠をしかけた。


「我々はかつてない未知の敵を前にしている」


と、国王侍従長は隊列を組んだ兵たちたちにむかって、城壁の通路から呼びかけた。


通路を進み、兵たち一人一人の耳に聞かせ、鼓舞するように、険しい声で語る。


「かつて人類がこんな敵と直面したことがあるか。首を切っても死なぬ敵だ」



配置の済んだ兵士達一人一人の顔つきが強張る。

勝ち目なんてあるのか、という顔だ。


「だが邪悪な力を持つ怪物どもと戦う兵士は讃えられる!」


国王侍従長は歩廊を歩きながら大声で語り、並び立つ兵たちを励ました。


「その勇気が悪を滅ぼし───」



兵たちの顔に闘志がこもる。

たとえ勝ち目のない戦いだろうと、自分たちは戦士。エドワード軍の部隊なのであり、勇気をもって悪と
戦うこと。

それが誇りなのだ。



「悪に屈せぬ不退転の魂が勝利を呼ぶのだ!」



国王侍従長の厳しい声から発せられる激励によって、兵たちは奮起する。


「人類よ勝て!生き残れ。今日という日は歴史に記憶される!」


国王侍従長の声が第四城壁区域の、防備の固められた城の全体に轟きわたり、あらゆる持ち場についた兵たちの
耳に届く。


「お前たちが飾るのだ。人類に─────輝かしい勝利を!」



おおおおおおおおっ!!!

エドワード城の兵たちはみな奮い立って、戦いの喊声をあげた。


それは城じゅうに轟きわたり、鬨の声となる。


と、そのとき、第三城壁区域の菜園と噴水広場から命かながら生き残って、逃げ延びてきた一人の兵士が、
ぜえぜえと息はきながら、第四城壁区域までの長ったらしい交差階段をのぼってきた。


「はあ……あ…あ!」


兵士は息も絶え絶えだ。


国王侍従長はすると、城壁の歩廊から、小さな芝生の広場へきた兵士へ、声をかけて訪ねた。



彼は下の兵士たちが魔女どもを相手に勇敢に戦ったと思っていたのである。


「悪の魔女どもはどのくらいまで減ったのだ?」


と、期待を込めて、国王侍従長は逃げ延びてきた兵士にたずねた。



すると兵士は、顔をあげて、息を切らしながら、国王侍従長を見あげた。

口がやっと開いたが、その顔は蒼白だった。

「それが……三倍に増えてます」

479


円奈は牢獄にのこっていた。


誰もが、死体のように横たわり、腐っていたのに、みるみるうちに回復して魔法少女の姿に変わった。


その復活を、綺羅びやかな魔法少女たちの華麗と思うだろうか。


いや、思えなかった。


腐った死体たちが復活し、魔法少女に早変わりしていく光景は、むしろ円奈には異様として映った。

普通じゃない。


目にしたものがどうしても不気味に思えてしまう。


それが悪いことだと心では理解しても、生理は気味悪さを訴えていた。


自分に激しい嫌悪感を感じる。


そして円奈は力なく牢獄のエリアに膝を崩して座り、立つ力ももうなく、そこに取り残されていた。


「円奈」


するとある魔法少女が円奈を呼ぶ声に気づいた。


両目を手で覆っていた円奈が、顔をむけると、円奈の知っている魔法少女がいた。


茶色い髪。

黄色い瞳。


明るい顔をして、コルセットとフレアスカートの、可愛らしい魔法少女の姿になり、円奈に声をかけてきたのは、
ブリーチズ・ユーカだった。



目に涙を溜めた円奈が蹲ったまま顔だけあげてユーカを見る。


二人は再会を果たした。



約束を交わした二人。

人間の円奈と魔法少女のユーカ。


でも、もうちがった。


円奈のなかで、何もかもが変わって見えた。


自分に優しく微笑みかけてくれる婉美で眉目好い魔法少女のユーカを、円奈は。


死人のように見てしまう。



取りこぼせば地面に無残にころげるだけの魂を持つ死体のように思ってしまう。


するとユーカは、円奈の前に膝を曲げて顔の位置をあわせ、腰に鞘さしたまま蹲る、苦悩した少女騎士の
手を、自分の手に包んで、目を閉じた。


「円奈。どうしたの、震えちゃって…」


ユーカは自分の手に包んだ円奈の手が震えているのを感じ取っていた。


するとピンク髪の少女は、また目にじわっと涙を溜めた。


「私、いま誰の為に戦っているのか、もうわからない…」


円奈は言った。

涙ぐんでいた。


「誰と戦っているのかもわからない…」


ユーカは、円奈のショックを受けた顔つきと、彼女の混乱した言葉から、察した。


「魔法少女の正体を知った?」


ユーカは穏やかに尋ねた。


すると円奈は、涙ぐんだまま、こく、と首だけ縦をふった。



「私たち魔法少女はね、都市でも王都でも、ソウルジェムの秘密を人間に知られないようにしてきたの」


と、復活したユーカは語った。


「そのために修道院があった。会堂があった。円環の理の導きが近づくと、みんなそこで臨終を迎えてた
わけ。脱け殻の死体を人の目に残さないようにって…」


円奈の目に、また透明な水滴の大粒が浮かぶ。


そうともしらず、エドレスの都市で、好奇心と憧れを抱く気持ちのままに、魔法少女たちの修道院に
勝手に女騎士ジョスリーンと共に潜入した自分の、罪悪感に、また胸が傷ついた。

自分は、悪いことしてばかりだ。


生まれた頃から。

バリトンの村から旅立って、私は、何も変わっていない……。悪い子なんだ…。

そんな気持ちにさえなった。


「まあ今やエドワード王に暴露されてどうでもよくなっちゃったんだけどね」


と、ユーカはまた穏やかな声で言った。その声に怒りも哀しみもない。思い出を語るような、懐かしむ
ような、やわらかな物言いだった。


「ねえ、円奈。円奈は、私たち魔法少女の見方を変えてしまうかもしれないけど、私は円奈のこと、
見方を変えないよ。私たちのことどう思ったって、どう考えたって、本当に私たちは生きた死人みたいな
ものだもの。それを円奈がどう思ったって、私はいいよ。私は、それで円奈のことを憎んだりしないし、
恨んだりもしない」


「…」


円奈の口からは、言葉がでない。

何もいわない口元は、ただ、震えている。生きながら冷たいユーカの手の感触を、怖がっている。

その手に血脈はなかった。復活して心臓が再稼動しはじめたばかりのユーカの肉体は、腐食からは復活したが、
血はまだ肌の下で巡っていなかった。


血の流れていない少女は円奈に話をつづけた。


「私はね、人のために祈ったことを後悔してない。その気持ちをウソにしないために、後悔だけはしないって
約束したの。先輩魔法少女みたいな人と、ね。これからも」


円奈の目には不安が浮かんでいる。

ユーカの祈りってなんだろう、と円奈は心で考えた。

そんな、体になってまで…。


「私はね、高すぎるモノを支払ったなんて思ってない。この力は、使い方次第でいくらでも素晴らしいものに
できるはずだから。」


円奈は思い出す。

ユーカは、魔法少女とは人を助けるものだ、という信念を。


最後の最後まで、貫き続けていたことを。

だからこそ、ユーカだけが、人間たちの悪意と凶暴の象徴ともいえる、魔女処刑に臆することなく、
魔獣と戦いつづけた。


そのことは、円奈は、よく知っている。いつも一緒に魔獣と戦ってきた仲だから。



「ねえ、円奈が私を助けてくれたの?」

と、ユーカはふと、話を変えて、円奈に問いかけた。


ユーカは魔女の告発を受けて、城に連れ去られた。ソウルジェムを奪いとられて、この牢獄に死体状態で
放置された。

どの魔法少女たちとも同じように。



だが、今やエドワード城に捕われた魔法少女たちはみな復活し、牢を脱出した。


「円奈がみんなを助けてくれたの?」


ユーカは再び訊いた。



円奈は、声もなく、首だけふって、うん、と答えた。


「…そっか」

ユーカは嬉しそうに、穏やかに笑った。



牢獄に鉄格子に取り残された芽衣ふくむ何人かの魔法少女たちと、円奈。

ユーカは、目を閉じ、やわらかな顔をすると、言った。


「円奈はさ、やっぱり騎士さまなんだね。だってこんなところまできて、助けてくれた」


「そんな、私は…」

円奈は自信を失っていた。

心境は捨鉢で、今度という今度こそは聖地へ目指す目標を諦めてくじけそうになった。

するとユーカは、顔を下に俯いて蹲ってしまうピンク髪の少女の手を、胸元によせた。

それは、さっきまではとまっていたが、次第にトクン、トクンと脈を再び打ち始めていた。


ソウルジェムの機能が戻ってきたのだ。


「…あ」

円奈はユーカの胸元の脈に気づいた。


「これが生きている証拠だよ」

と、ユーカは円奈に語った。やわらかくて、落ち着いた、静かな声だった。「私と円奈は、いま
こうやって話してる。円奈は私の声をきいている。私は円奈の声をきくことができる。それが、私たち
魔法少女が、生きている証拠だから、忘れないで。それじゃあ…」

と、ユーカは急に立ち上がり、どこか目は遠くを見つめた。

牢獄城塞の廊下ではないどこかを。

「私、いかなくちゃいけないところ、あるから」

円奈が目に涙溜めてユーカをみあげると、ユーカは決意を固くした顔で、言った。

「私、いくね。円奈、これでお別れだよ。円奈は騎士だから、聖地にいくんだから、こんなところに
いてはだめ」


といって、ユーカは一歩を踏み出す。

自分に残された、最後の遣り残したこと、果たすため。

「じゃあね。円奈。騎士の鹿目円奈。必ず聖地に辿り着いて。私、あなたと友達になれてよかった」


「あ…待って…」

円奈は地面に蹲って、両膝を曲げて座り込んだままの体勢で、手だけ伸ばしてユーカを引き止めた。

「待ってユーカちゃん…私たちには……約束が……二人で交わした約束が…」


それは、二人一緒になって、王の魔女処刑をとめる、という約束だった。

まだその戦いは終わっていない。


エドワード王はまだ第七城壁区域の根城に君臨しているし、城下町の人々と民は、魔法少女たちのことを
魔女だと罵り、残酷な処刑に晒されることを求めている。


するとユーカは、小さく首を横にふった。

「ううん。円奈、約束なら、もう果たしてくれたよ。」

と、ユーカは言うのだった。


円奈の、ユーカの魔法少女服を引き止める手の力が弱まる。

牢獄の通路で別れ際の会話を交わす二人は、芽衣やチヨリ、アドラー、ヨヤミ、ほか何人かの
魔法少女が見守っている。


「あなたは二度も私たち魔法少女を助けてくれた。それに、私、覚えてる…」


ユーカは立ち上がったまま目をそっと閉じる。自分が魔女として疑われ、告発を受けて、城へ連れ去られた
あの日のことを思い出す。


「私が魔女だって疑われたとき、私がソウルジェムを奪われたとき……私、聞こえたの。円奈の声が。
魔法少女狩りにむかって、こんなの絶対おかしいよ、っていう円奈の声が…。私を、助けようとしてくれた声が」


円奈は地面に女の子座りした状態で、目を落とす。


「私を助けようとしてくれているんだ、って、分かったよ。私はそれから意識を失っちゃったけど……
嬉しかった。円奈は約束を守ってくれたんだって…私と結んだ約束のために、一生懸命、勇気をふるって
くれんたんだって…。もうそれだけで私、円奈と約束したこと、誇りに思っちゃうくらいだよ。それにとどまらず
円奈はこんな場所まできて私を助け出してくれた。きっとそれは…私だけじゃなくて、城下町のたくさんの
魔法少女を助けたんだと思う。他のだれも、魔法少女狩りに抗議しなかったのに、円奈だけが抗議した。
他のみんなの魔法少女に、勇気を与えた」


円奈は、まだ自信のない顔のまま、下に俯いている。

自分の中の罪悪感が消えない。ぼうっと、目をうっすらさせて牢屋の冷たい地面を見つめているだけ。


ちがうよ。

私、そんなんじゃないよ。


だって、魔法少女の正体も知らなかった。知ったとき、魔法少女のこと、怖いって思った。気味悪いって
思ってしまったし、人々の魔女刑も、仕方ないものなのかなって…少し、思ってしまったの。

ううん、少しじゃない。今だって、人間のみんなが、魔法少女にひどいことするのが、心のどこかで理解
している私がいる。ユーカちゃんがいうほど、私は、いい子なんかじゃなくて、ううんずっと私は、
生まれたときから、悪い子で……。



「だからね、円奈は二度も私を、私たちを、助けてくれた騎士さまなの」


しかしユーカは、円奈の心中とは逆のことを語った。


「もう、約束は果たされた。私たちを助けてくれた。今みんなが、王の魔法少女狩りと戦っている。それは円奈が、
最初に勇気をだしてくれたから。ねえ円奈、だからね、円奈はもうこの国をでなくちゃ。聖地にいかなくちゃ。
私からのお願いなの。いまこの戦いに巻き込まれて、死なないで。必ず聖地にいって。私は聖地にいけないけれど、
代わりに、円奈がいってほしい。本当にこれで、お別れだよ。円奈、私は王とは戦わない。今、いかなくちゃ
いけないところ、あるの。私はそこに行くね」


また、ユーカ足を進めだす。


円奈たちが突入してきた牢獄通路とは反対方向の、廊下の奥へ。

別の出入り口がある方向へ。


「まってユーカちゃん…!」

円奈は、城下町で出会い、友達になった、魔法少女を、最後に呼び止めた。

寂しかった。悲しい気持ちでいっぱいになって溢れだしそうだった。


思い返せば、一緒に魔獣退治を二人で戦い、城下町で、ずっと信念を持ち続けてきたユーカに、円奈は
ついていった。

ユーカの信念に円奈は惹かれていた。だってユーカのような魔法少女こそ、円奈の思い描いてきた
魔法少女の姿だったから。


円奈は魔獣との戦いがどんなものか知ってゆき、危険になったときは、ユーカが助けてくれた。


それにユーカは、命の恩人だった。初めて出会ったときから、ユーカは円奈の命を救う魔法少女だった。


「ユーカちゃんと一緒にいかせて」

寂しさの募る円奈は、願った。

この世の地獄の果てのような場所で。私も連れていって、と。

「最後に、ユーカちゃんがやりのこしたこと、私にも、手伝わせて…!」

それが、命の恩人であるユーカへの、円奈の最後の望みだった。

直感的に、円奈は、復活を遂げたユーカが、最後に遣り残したことがあるといって城塞監獄の廊下へ消える
ユーカの背中が、死の運命を背負っているように予感したからだった。


魔法少女の死。


人間の死とは全く異なるその死。

想像絶するような恐怖と、強烈な寂しさを円奈は感じたのだった。

ユーカがいなくなってしまったら、私のすべてもなくなってしまう。そう感じるくらいの寂しさだった。


だから、その最期まで、ユーカと一緒いたい。

いま、円奈が心に思うことは、その気持ちでいっぱいで、ざわめく胸が押しつぶされそうだ。


するとユーカは足をとめた。しかし円奈には背をむけたままだった。

廊下を渡るユーカの背中は暗い。暗くて、闇に包まれて、迷いもない。


円奈は、ユーカが、別れを告げていると悟った。


「円奈、魔法少女はね、たった一つの希望とひきかえに、すべてを諦めるの」

廊下の闇へ消えるユーカの背は、語った。

その声から優しさは消えていた。


覚悟を詰めたような、死へむかう少女が遺言をのこす声だった。


「逆にいえばね、どうしても諦めてはいけない、絶対に譲れない希望が私にはあるの。それは、円奈にも、
話せない。だから、ごめん」


ユーカは廊下の奥へと消えた。

闇に呑まれ、監獄要塞の別の出入り口から、城を降りて、城下町へとむかった。



円奈はユーカの背中を見送ることしかできなかった。


「うう…、ううう……」

自分だけ牢獄の通路に取り残された淋しさと、悲しさと、冷たさに、円奈は泣いた。


目にあふれ出る涙は、とまらなかった。


ひく、ひくと、喉は嗚咽を漏らし、その度に鼻水はこぼれ、目に粒が溢れ出た。


それは、命の恩人で大切な友達を、失くしていく哀しみだった。

今日はここまで。

次回、第64話「ユーカの約束 Ⅱ」

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