【銀と金】森田鉄雄は絶望の城へと拉致されました 第二部【賭博黙示録カイジ】 (331)

※福本伸行作品より「銀と金」と「賭博黙示録カイジ」のSS

※前作、銀と金の森田がカイジのエスポワールに乗ることになった場合のお話の続き

※続編は書かないと言いましたが、プロットがまとまったので書きます。ただし、これが最後。完結編。

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あの夜……帝愛グループの主催した希望の船のクルーズで森田鉄雄は生還を果たす。
狂気と策略が交差した地獄の中で体験した出来事が夢であったと思うような現実の世界へ森田は戻ってきたのだ。

それから4ヵ月後……1996年、7月――

この夏、森田鉄雄は25歳となる。
相変わらず森田は日雇いの仕事でその場を凌ぎ続ける覇気のない日々を送り続けていた。
エスポワールの夜で300万という大金を手にしたものの、1円たりとも使ってはいない。

車も買わなければマンションもいらない……贅沢をする気も起きない……。
3年前、裏社会で活動していた際に2億という大金を稼いだ際に平井銀二から教えられた「大金は抱いて眠れ」という教えがすっかり染み付いてしまっていた。
森田は寝る時はもちろん外出時でさえ大金を肌身離さず持ち歩いていたのだ。

バッグに300万や着替えなどを詰め込み、仕事が無い時は街をぶらりと歩き回る……そんな毎日ばかり繰り返していた。
仕事が無い今日、森田は美緒がウェイトレスとして働いている喫茶店へと足を運んでいた。


美緒「あら、森田くん。いらっしゃい」

明穂「お、ちょうど良い所に!」

由香理「グッドタイミングね」

店に入った途端、美緒とその友人、明穂と由香理が出迎えてくれた。

森田「いつものを頼むよ」

二人のいるカウンター席に森田がつくと美緒がコーヒーを用意する。
あのエスポワールを生還した夜から森田は暇さえあればこの喫茶店に立ち寄るようになっていたため、美緒は再び常連客となった森田が何が欲しいか分かるようになっていた。


美緒「ねぇ、森田くん。来週の13日から三日ほど時間は空いてる?」

森田「ん? ……まあ、空いてると言えば空いてるが」

美緒「実はね、明穂と由香理と一緒に旅行に行こうと思ってるんだけど……」

美緒「森田くんも一緒にどうかなって思って」

明穂「森田くん、最近元気なさそうって聞いてるし。パーッと羽を伸ばしに行きましょうよ」

借金はチャラとなり、帝愛から自由の身となった森田であるが戻ってこれたはずの現実の日常では、やはり無気力な日々を過ごすだけであった。
あのエスポワールで地獄を潜り抜けていた時の方が生き生きとしていたほどに……。
美緒は常連客の森田の元気がない様子が気にかかっていたため、休暇を利用して四人で旅行を楽しもうと考えたのだ。

森田「……良いんじゃないかな。俺も確かに暇だしな。場所は決まっているのかい?」

由香理「とりあえず沖縄にしようと思ってるんだけどね。飛行機の予約も取らないといけないし」


こうしてトントンと話は進み、森田は美緒たちと一緒に旅行へ行くことになった。
出発は来週の土曜日13日の夕方……。朝昼の便が予約できなかったため、出発は夜となる……。

だがそんな森田たちの近くで密かに話を聞く強面の男が二人……。

「旅行だってよ……どうする?」
「社長に連絡するしかないだろ……。あいつは何としてでも確保しなきゃならないんだからな」

窓際のテーブルの彼らは女性三人と和やかにしている森田鉄雄を見張っていた……。


そして7月13日、土曜日の夕方……。

森田はいつものバッグを片手に美緒ら三人の女性たちとの待ち合わせ場所に向かって人通りの疎らな街中を歩いていた。

森田(……くそっ。せっかく美緒たちが誘ってくれたってのに)

本来ならばこれから楽しい旅行だというのに、森田はどうにも羽を伸ばして楽しむ気分になれない。
裏社会を引退してからこの2年……どうにも森田はこの普通の日常や生活で生きていくという気力が湧いてこなかった。

森田(銀さん……。あんた、今頃どこで何してるんだ?)

森田はかつての自分が憧れ、超えるべき目標としてきた男のことを考える。
やはり森田にとって特別な存在であった平井銀二と袂を分かったのは極めて辛い……。
今頃、平井銀二は裏社会のフィクサーとして、更なる巨悪へと駆け上がるべく活動しているのだろう。

森田(もう銀さんには会えないってのに……俺もヤキが回ったな……)

しかし、森田はもう悪党の得になるようなことに加担などしたくない。
自分と平井銀二はあまりにも生きる世界が違いすぎる……故に、この先もう二度と彼と顔を合わせることもないのだ。
それなのに、森田は未だに平井銀二と別れたことに深い喪失感と未練を抱いていた。


森田「……! な、何だ!」

先ほどから森田の後方より数メートルに1台の車が徐行しながら忍び寄っていたのだが、森田はそれに気がつかなかった。
その車が突如森田のすぐ背後まで進み出ると中から二人の黒服が現れ、いきなり森田を取り押さえてきたのだ!

森田「離せ! 何をしやがる!」

黒服「おとなしくしろ!」

森田「うぐっ! ……うぐぐっ!」

背後から抱え込まれた森田は抵抗しようとするも、黒服は即座に森田の口をハンカチで塞いできた!
それでも抵抗する森田であったが、ハンカチには睡眠剤が染み込ませてあったのか、意識が朦朧としてくる……。
十数秒ほど押さえ込まれ薬を吸わされた森田はやがて完全に抵抗する余力を失ってしまう。

黒服「よし。確保だ」

黒服は森田を車に乗せると、すぐ様発進しだす。

森田「き……貴様ら……い、一体……何を……」

後部座席に乗せられた森田は朦朧とする意識の中、問いかける。唐突にこの連中は自分を拉致してどこへ連れて行こうというのか。


???「それは向こうに着いてからのお楽しみさ」

森田「お、お前……は……え、遠藤……」

男の声には聞き覚えがあり、顔をそちらに向けてみれば隣に座っていたのはサングラスをかけたヤクザ風の男……。
それは4ヶ月前、森田をエスポワールへと導いた帝愛グループ系列の金融会社の社長、遠藤勇次だった。

遠藤「久しぶりだな、森田鉄雄。エスポワールからの生還おめでとう……と言いたい所だが……」

森田「な、何の用だ……俺は……お前らへの借金は……全て……消えている……はず……」

帝愛への252万の負債はエスポワールから生還したことで完全にチャラとなっている。
さらに船での負債もきっちり清算した以上、もう自分は帝愛にマークされる理由などないはずだ。

遠藤「ああ。確かにそうだ。お前さんの俺たちへの借金はきっちりチャラ。本来はもう用なんかないんだが……」

遠藤「お前さんには今日、どうしても顔を出してもらいたい。悪いが、沖縄への旅行は諦めてくれ」

森田「何……?」

負債が無いというのに、帝愛が森田に用がある?
しかも森田が旅行へ行こうとしていたことを帝愛は掴んでいた?
つまり、少なくとも一週間も前から自分は監視されていたのか。


遠藤「今夜、あるパーティがウチのグループの主催で行われる。その参加者を一週間ほど前から60人ばかり集めていたんだ」

森田「パー……ティ……?」

遠藤「ああ。もちろん、ギャンブルだ。負債者救済のためのな。上手く凌げば借金がチャラにできるし、さらに稼ぐこともできる」

帝愛が負債者に課すギャンブルだ。どうせ、エスポワールの時と同じくまともなものではないはず……!

森田「馬鹿いえ……俺の借金は……」

遠藤「だが、そのパーティには何も負債者だけじゃあない。借金なしなのに興味本位で参加を志願してきた奴だっているんだ」

遠藤「中には、パーティを盛り上げるために俺たちが探し出して用意した奴もいる。お前さんはその一人だよ」

森田「な……何らと……ふ、ふざへ……」

やがて舌も回らなくなってきた森田は、次第に意識が完全に遮断されようとしている。
窓にがくりと寄りかかってしまうほどに力も抜けてくる……。


遠藤「悪く思わんでくれよ。パーティの元締めが、お前さんに是非参加してもらいたいって望んでいるからな。船での活躍が気に入られたらしいな」

つまり帝愛の幹部か何かがそのパーティを盛り上げるための逸材として、エスポワールから生還した森田を選んだということか。
悪党の楽しみのために利用されるなど、冗談ではない。

遠藤「目的地につくまで、ゆっくり休んでいてくれや」

森田「おろせ……おろへ……おろへぇ……」

遠藤「おろへまへん……!」

こうして、帝愛に捕らわれた森田の意識は完全に途絶えた。


午後8時30分――

京葉新都心に位置するそこはかつてのバブルにおいて開発された人工都市。
しかし、バブルの崩壊と共に都市計画は破綻し見捨てられた、言うならバブルの残骸そのものに等しいゴーストタウン……。
その人の姿も昼間さえ疎らな都市の、東京湾に面した場所にそびえ立つツインタワーの高層ビル……。

帝愛グループが所有する、今秋にオープンが予定されている高級ホテル・スターサイドホテル。
遠藤に拉致された森田はこのホテルへと連れて来られていた。

睡眠剤が効いていたせいでホテルの地下駐車場に到着してからも車で眠り続けていた森田であったが、ようやく意識を取り戻していた。

森田「ここは……」

黒服「起きたか。車を出ろ」

黒服の促しと共に森田は無理やり車から引きずり出される……。
そしてそのまま黒服にさらに地下の地下の駐車場へ連れられていった。

森田(くそっ。何てことだ……こんなことになるなんて)

まさか負債をしていないのにも関わらず帝愛に目をつけられ、再び悪魔の戯れへと誘われるとは……。
しかし、ここまで連れて来られた以上、もはや退くことなどできない。
これから行われるであろう帝愛の課す狂気のギャンブルに身を委ねるしかないのだ。自分に選択肢などない。


森田「うっ……」

地下3階の駐車場……。そこにはこれから行われるのであろう、帝愛グループ主催のパーティに参加する人間たちが集まっていた。
その数およそ30人ほど……。エスポワールの時と同じく、帝愛に多額の負債を負っている者たち……。
確か遠藤は参加者の数は60人ほどと言っていたので、これからさらに増えていくのだろう。
森田はこれから集まる60人たちを相手に、きっとまた命がけのギャンブルをしなければならないのだ。負ければエスポワールの時と同じく破滅……!

遠藤「ふっふっ……お目覚めのようだな。ようこそ、スターサイドホテルへ」

パーティが始まるまで参加者たちを見張っているのは黒服と遠藤……。

森田「くっ……」

遠藤「パーティが始まるのは午後9時以降からとなっている。もうしばらく待っていてくれ」

そう言われ、森田は適当に壁に寄りかかりタバコを吸い始めた。
見た所、エスポワールで見かけた人間も何人かいる。一体どんなギャンブルをやるのかは全く予想できないが、彼らには注意すべきかもしれない。
一度命がけのゲームを生き残った者と、これから命がけのゲームに身を投じようという者ではそうした修羅場の経験が実力差になる。


???「くくく……。何だ、森田も来ていたのか」

森田「さ、西条……」

森田の前に現れたのはエスポワールでも顔を合わせた男、西条建設の御曹司、西条進也。
前回のエスポワールでは大金を最大限に駆使して星を荒稼ぎし、易々と船を降りることに成功していた。

森田「お前、何でこんな所にいるんだ。もう負債は帳消しになっているんだろ?」

エスポワールで星を大量に稼いだ西条は、帝愛グループの御曹司とやらに実家への負債は肩代わりしてもらっているはず。
にも関わらずここにいるということは……。

西条「まあな。おかげで俺もやっと親父に許されたんだ……。だが、別に俺は金が欲しくて来てるわけじゃない」

森田「何……?」

エスポワールから生還し完全に復活した西条であったが、その後も帝愛の御曹司、兵藤和也にギャンブルの紹介をしてもらっていた。
すっかり帝愛の主催するギャンブルに味を占めてしまった西条は暇さえできれば自ら帝愛の主催するギャンブルへの参加を志願してはゲームそのものを楽しんでいた。
今回のパーティの参加も当然、和也からの紹介……!

西条「じゃ、そういうわけで……」

森田(壊れてやがる……)

賭博ジャンキー……。もはやそう形容するしかないほどに変わり果てている西条に森田、唖然……。
こんな悪魔たちの催すギャンブルにのめり込み過ぎれば、いずれ破滅するのは目に見えている……!


それから1時間が過ぎ……駐車場には次々とパーティの参加者たちが集まってくる。
中にはやはりエスポワールで見かけた参加者たちもちらほらと見かけられる。

森田(あいつらは……)

森田が目をつけたのは眼鏡をかけた肥満体の男と中年の男。
それはエスポワールで出会った男、カイジとグループを組み、カイジを裏切り地獄送りを企てようとした男、安藤である。
もう一人はエスポワールでカイジが別室から救い上げた男、石田光司だ。
だが、その二人より驚くべき者が森田の目の前に現れる……それは……。

森田(カ、カイジ!?)

紛れも無く、エスポワールから共に生還した男……伊藤カイジ!
森田と同じく借金をチャラにし、エスポワールで稼いだ分け前の300万を受け取ったはずの男が何故かそこにいた……。

石田「カイジくん……! また会えて嬉しいよ!」

カイジ「よせよっ。素寒貧のおっさんに有り難られたって嬉しくなんてねえ」

カイジとの再会に喜ぶ石田であるが、カイジはかなり気が立っているようだ……。
おまけに石田は共同戦線を張ろうとカイジに持ちかけるも、カイジはそれを拒絶……それどころか明確な敵意さえも露にしていた。


カイジ「佐原……! お前も敵だ!」

さらにカイジは金の短髪の男を見つけるなり、彼にも敵であることを宣言する。
彼は佐原誠。カイジが少し前までアルバイトをしていたコンビニの同僚。しかし、色々あって二人ともそこでのアルバイトを辞めている。

佐原「安心してくださいよ、カイジさん。俺も同じことを考えてましたから。2000万を手に入れられのはただ一人……だったらどう考えたってみんな敵ってことですよ」

こうして佐原もまた明確にカイジと敵対することになり、そのまま歩き去っていく……。

カイジ(何人か船で見かけた奴がいるな……あいつらは要注意……って、ええ!?)

カイジは集まった参加者たちを見回し、元エスポワール組の者を何人か確認していたが、その一人……森田鉄雄の姿を見つけて驚愕……!

カイジ「も、森田!? 何であんたがここに……」

森田「それはこっちのセリフだ。お前こそ何でこんな所にいるんだ」

カイジ「いや……その……」

恥ずかしそうに頭をかくカイジ……。
4ヶ月前のあの日、森田たちとエスポワールから生還したカイジであったが、それからは堕落の毎日だった。
300万……正確には329万の分け前を手にしたカイジはまず数日で30万を競馬で使い果たし、その半月後に飛んだマカオのカジノで大敗し、残りの299万を失ってしまった。

さらにそのカジノで400万の負債を作ってしまったカイジはコンビニのアルバイトを始めたものの、時給900円ではとてもじゃないが返済は不可能……。
しかし、先週カイジの元に再び現れた遠藤にこのスターサイドホテルでのパーティの話を聞かされ、参加することになったのである。その時一緒にいた佐原は自ら参加を志願したのだ。
結局、300万という大金はカイジの器ではそぐわない……すぐにその手から逃げていってしまうあぶく銭だったのだ。


森田「何だよそれ……」

森田、カイジの堕落に呆れ返る……。自分もまた無気力な日々を送っていたので似たようなものだが。

カイジ「とにかく……森田、あんたも敵だ! いいな! 船で俺を助けてくれたとしても、今はもう敵なんだ!」

カイジ、森田にも明確に敵対を表明……。金を得るためには他者を引きずり落とさなければならない以上、互いに敵同士……。
昨日の友は今日の敵、ということだ。

森田(敵、ね……)

それは本来ならばエスポワールの時でも同じことだった。しかし、森田とカイジは敵対することもなければグループを組むということもなかった。
森田は別に金を手に入れるために参加をするわけでもないため、そういった意味ではカイジと敵対することはない。
ただ、問題なのはこれから行われるギャンブルの内容次第……。

黒服「集合っ! 集合!」

思わぬ相手との再会を果たした森田たちは黒服の号令により集められていった。

白服「こんばんは。ようこそ、スターサイドパーティへ」

現れた白服の男はこれから森田たちを会場へ案内すると言うが、参加者およそ60人を一度に連れて行くわけにもいかないので5回に分けると言い出した。
つまり、1回につき12~13人が会場でギャンブルを行うのだろう。
当然、そのギャンブルの詳細は不明……! 参加者の一人が質問をしてもその手の質問には答えない……会場に着くまでの秘密……。


森田(60人も集めて一度にやるのはその1/5……ってことは、エスポワールの時みたいな大きなギャンブルじゃないってことか?)

白服「では挙手を! このギャンブルの第一陣に希望する者は挙手を!」

初めは誰も手を挙げずに牽制……様子見に入る。カイジでさえすぐには参加を表明しない。それは森田とて同じ……。
しかし、しばらくすると一人二人と手を挙げていき、最終的にはカイジ、石田、佐原までもが参加を表明……。
だが、森田は今回は見送ることにした。そもそも金を手に入れるために来ているわけではない以上、カイジと敵対する意味はない。
こうしてカイジたち12人の参加者はギャンブルの第一陣として黒服たちに案内されていく……。

白服「では第一陣のゲームが終わるまで皆様はこちらでもうしばらくお待ちくださいませ」

数分後、白服が戻ってくると参加者たちは再び待機する。
一体これからどのようなギャンブルが行われるのかを様々なを想像し、すぐに参加をしなかったことを後悔する者もいた。
元エスポワール組もかなり慎重だ。
安藤はカイジが現れてからかなり逃げ腰であったため、この一陣には参加しない。

西条「ふふふ……森田は行かなかったのか」

森田「帝愛のギャンブルだからな。何をするか分かったものじゃない……」

西条「ま、好きにすりゃいいさ。俺は次の二陣に出ることにするよ。あんまり後になりすぎると不利になるかもしれないしな」

そう言って歩き去っていく西条……。
森田は西条の余裕の態度から、もしもぶつかることがあれば強敵になるかもしれないと見ていた。
西条はエスポワールはおろか、帝愛のギャンブルに何度も志願しては生き残っているというのだから。
おまけに賞金など西条にとってはおまけ。あくまでも西条にとってはギャンブルそのものが目的……。


遠藤「奴の言う通りだな。早いうちに参加しておかないと、後々不利になるだけだぜ。それに見な。他の奴らを……」

森田「くっ……」

見れば参加者たちの空気がつい先ほどまでと比べて明らかに異様な変調を見せているのが分かる。
次に参加しなければ、前のゲームに参加していれば良かったなどといった葛藤や後悔、不安や恐怖が彼らを刺激しているのだ。
下手をすれば最終のゲームではその不安が爆発してとんでもない展開になりかねない。
西条や遠藤の言う通り、ここに長く残り続けるのも危険だ。

黒服「おとなしくろ!」

「ちょっと、痛いじゃないの!」
「離しなさいってば!」

遠藤「あん? 何だ?」

待つこと5分ほど……何やら突然騒がしくなり始めたことで参加者たちも慌しくなりだす。
見れば駐車場の入り口側から黒服たちが現れ、三人の女を取り押さえているようだ。

遠藤「何だってんだ? どうしたんだ、そのお嬢ちゃんたちは」

黒服「こいつら、ホテルの近くをうろついていたんです」

本来、帝愛が行うギャンブルは全て非合法かつ違法であるため、当然公にすることはできない。
だからエスポワールのような船だったり、今回のような人目もつかないゴーストタウンでギャンブルが開催されているのだ。
今回も人払いのため、スターサイドホテル近辺には一般人の立ち入りを禁じていたのだが、万が一迷い込んだ者がいればゲームが終わるまで身柄を拘束されることになる……。


遠藤「奴の言う通りだな。早いうちに参加しておかないと、後々不利になるだけだぜ。それに見な。他の奴らを……」

森田「くっ……」

見れば参加者たちの空気がつい先ほどまでと比べて明らかに異様な変調を見せているのが分かる。
次に参加しなければ、前のゲームに参加していれば良かったなどといった葛藤や後悔、不安や恐怖が彼らを刺激しているのだ。
下手をすれば最終のゲームではその不安が爆発してとんでもない展開になりかねない。
西条や遠藤の言う通り、ここに長く残り続けるのも危険だ。

黒服「おとなしくろ!」

「ちょっと、痛いじゃないの!」
「離しなさいってば!」

遠藤「あん? 何だ?」

待つこと5分ほど……何やら突然騒がしくなり始めたことで参加者たちも慌しくなりだす。
見れば駐車場の入り口側から黒服たちが現れ、三人の女を取り押さえているようだ。

遠藤「何だってんだ? どうしたんだ、そのお嬢ちゃんたちは」

黒服「こいつら、ホテルの近くをうろついていたんです」

本来、帝愛が行うギャンブルは全て非合法かつ違法であるため、当然公にすることはできない。
だからエスポワールのような船だったり、今回のような人目もつかないゴーストタウンでギャンブルが開催されているのだ。
今回も人払いのため、スターサイドホテル近辺には一般人の立ち入りを禁じていたのだが、万が一迷い込んだ者がいればゲームが終わるまで身柄を拘束されることになる……。


森田「み、美緒……!?」

森田、驚愕……! 何とその身柄を拘束されていたのは本来、今日から一緒に旅行へ行くことになっていはずの伊藤美緒……!
おまけに明穂と由香理まで黒服に拘束され、連行されてきているではないか。
本来、ここにいるはずのない彼女たちの存在に森田、唖然……。

遠藤「仕方ねえな。気の毒だがお嬢ちゃんたちはパーティが終わるまでここにいてもらうぜ。……飛び入りで参加したけりゃ好きにしな」

森田「よせ! 彼女たちは関係なんかないはずだ!」

森田、遠藤に食ってかかる!

美緒「も、森田くん……!? やっぱりここにいたんだ……!」

結局、美緒たち三人の女性は今回の帝愛主催のパーティが終わるまで身柄を拘束されることになってしまった。
思わぬ展開ではあるが森田、美緒たち三人を目立たない場所へ連れて行く……。

森田「何で美緒たちがここにいるんだ」

美緒「由香理から聞いたのよ。森田くんがさらわれたって……」

由香理「驚いたわ。森田くんがヤクザの車に乗せられてたんだもの」


~回想~


数時間前……待ち合わせ場所へ向かう途中だった由香理……。

由香理「いけない、いけない……お金を下ろし忘れる所だったわ」

タクシーを拾おうとしていた由香理は手持ちの金が底をついていたことに気づき、たった今銀行から戻ってきた所であった。
そしていざタクシーを拾おうとしていたのだが、渋滞で中々車が進まず当然、タクシーもやってこない。
そうして由香理が立ち往生している中、目の前を徐行し停止する一台の車……。

由香理「は……?」

その車には四人の男達が乗っていた。うち三人はサングラスをかけた明らかに物々しいヤクザそのもの。
だがもう一人、窓に寄りかかったまま眠りについているのは……。

由香理「も、森田くん……!?」

あまりにも突然な光景に由香理、面食らう……。何故かこれから一緒に旅行へ行こうとしていたはずの者がヤクザの車に乗せられているではないか!
その車はすぐに動き出し、由香理の前から遠ざかっていく……。

由香理「タクシー!」

直後、まるで見計らったかのように現れたタクシーを捕まえる由香理。

由香理「今曲がっていった黒い車を追ってちょうだい」


一方、こちらは待ち合わせ場所の駅前の広場に先に来ていた美緒と明穂。

明穂「由香理と森田くん、遅いわね……」

美緒「森田くんは家をもう出てるはずなんだけど……」

森田は携帯電話を持っていないため、数十分前に自宅に電話をかけていた美緒は既にいないことを確認している。

明穂「由香理も何をしてるのかしら。……仕方がないわね」

明穂は自分の携帯電話を取り出し、由香理の携帯電話に連絡をしてみようと試みるが……。
突然、その携帯電話が鳴り出した……!

明穂「……由香理? 何をしてるのよ、わたしたちはもう集まって……え? 何よ? どうしたの?」

明穂、すぐに電話に出るが何やら様子がおかしい……。

美緒「どうしたのよ、明穂」

由香理『それがちょっと今、森田くんがやばそうなのよ。またしばらくしたらかけ直すから』

慌てた様子でそれだけを答えた由香理はすぐに電話を切ってしまう。

明穂「森田くんがやばそうって……どういうこと?」

美緒「ちょ、ちょっと……どういうことよ。森田くんに何かあったの?」

あまりに唐突な緊急事態の発生に慌てふためく二人……。
それから由香理から再び電話がかかってきたのは集合時間をとっくに過ぎた1時間以上も後のことであった。


明穂「ちょっと、説明してちょうだいよ。森田くんがやばそうって、一体どういうことなのよ?」

由香理『詳しいことはこっちで話すから、二人とも急いで来てちょうだい。旅行は中止よ。場所は京葉新都心の……』

結局、何が何やらさっぱり分からぬまま美緒と明穂はタクシーを拾うと由香理の待っている京葉新都心のゴーストタウンへと直行……!
午後8時30頃……美緒たちは合流場所である京葉新都心の新京葉駅前へとやってきた……。

美緒「どういうことなのかちゃんと説明してよ。森田くんが一体どうしたの?」

由香理「それがね……」

由香理は森田が乗せられていたヤクザ……帝愛の車をタクシーでここまで追いかけてきた。
しかし、スターサイドホテルへ続く道路で交通規制をしていた黒服に車を止められてしまい、それ以上タクシーで先へ行けなくなってしまったのだ。
当然、追っていった車は帝愛関係者のものであるため、問題なく通行……!

仕方が無く引き返した由香理は美緒たちに連絡をしたわけである。

美緒「そのホテルに森田くんが連れていかれたってこと?」

由香理「たぶん。……それにあの黒服、この間の船に乗った時に見かけたのと同じ連中だわ」

その言葉に美緒の顔が青ざめる……。まさか、森田があの地獄の船の時と同じ危険なギャンブルを?
せっかく一緒に生き残って戻ってきたというのに、何故無理矢理連れていかれなければならない?
森田は堅気になってまともな生活を送っていたのに、何故それをぶち壊しにされなければならないのか。

美緒「そのホテルってどこ? 行きましょう」

明穂「ちょ、ちょっと! 美緒、本気なの?」

美緒「森田くんを放っておくわけにもいかないでしょ」

何としてでも森田を連れ戻したい美緒は、そのホテルで何をやっているのかだけでも確認して警察に通報しようと考えていた。
車では途中で交通規制をかけられるため、三人は歩きでスターサイドホテルへと向かった……!


~回想終わり~


しかし、スターサイドホテルへ到着してすぐに周辺を見回っていた黒服に見つかってしまい、ここまで連行されてきたのだった。
当然、携帯電話は取り上げられてしまい、110番通報も不可能……。パーティが終わるまで美緒たちが解放されることはない。
森田は美緒がわざわざ自分のためにそこまで行動力を見せたことに感服……。

森田「だからって、何もそこまでするなんて……」

それこそ美緒たちは本来、帝愛とは何の関係もないというのに。

明穂「一体、これからどんなゲームをするっていうのよ? この間の船みたいにとんでもないゲームじゃないでしょうね」

森田「それはまだ分からないが……」

白服「えー、ただいま第一陣のゲームが終了致しました。10分のインターバルを置いて第二陣のゲームを開始致しますので、今のうちに参加者を決めたいと思います」

白服「なお、次のゲームの参加者は13人まででございます。第二陣を希望する方は挙手を!」

そうこうするうちに白服から声がかかる。森田は第二陣のゲームの参加を狙っていたので今がチャンスだ。


森田「美緒たちはここで待っていてくれ。行ってくるよ」

美緒「ちょっと、森田くん……」

森田が白服の元まで行くと、既に3人が参加を決めている。その中には西条の姿もあった。
当然、森田も第二陣への参加を表明……!
さらに5人目、6人目と続き……その中には安藤の姿もあった。
エスポワール組も何人かが参加し、12人目に手を挙げたのはキャップを目深く被っている妙な雰囲気の男……。

森田(何だ……あいつ……)

森田、何故かその男から異様な物々しさを直感的に感じ取り、思わず息を呑む……。
あいつは他の参加者とは明らかに何かが違う……。
西条のように余裕を持っているわけでも、初参加者たちのような戸惑いといったものも感じられない……。

白服「残り一人です。13人目を希望する方はいませんか?」

だが最後の一人に誰も名乗りをあげない……。そんな中……。


白服「おや、お嬢さんも飛び入りで参加しますか?」

森田「何っ?」

振り向けば、そこには前に出てきた美緒が手を挙げているではないか。

森田「馬鹿っ、よすんだ! 美緒!」

明穂「そうよ、美緒! どんな危ないことするのか分からないのよ!」

明穂と由香理が慌てて止めるも、美緒は決心したように頑なに手を挙げたまま……。

白服「申し訳ありませんが、1度参加を表明した以上、取り消しはできません。お嬢さんは今回、飛び入りでの参加となりますが結構でございますよ」

森田「くっ……。何でまたこんなことを……美緒は関係ないってのに」

美緒「だからって、森田くん一人だけを行かせるわけにもいかないでしょ」

美緒としてはこのまま森田が味方もなしで危険なゲームを行って、そのまま帰ってこなかっただなんて最悪な結果だけは何としてでも避けたかった。
エスポワールの時のように一人でも森田をサポートできる者がいれば、一緒に生き残れるかもしれないのだ。


こうして美緒までもが飛び入りで参加することになった第二陣のゲーム……。
駐車場の奥へ連れて行かれた森田たちは番号のついたゼッケンを身に着ける……。森田は12、美緒が13……。西条が3で安藤が10……。
そして番号順に整列させられ、さらに奥へと連れていかれる。

美緒「どうしたの、森田くん……」

森田「あのカメラ……俺たちを追ってやがる」

森田は歩く先の天井に設置された監視カメラが作動しており、自分たちを追っていることに気づく。

森田「誰かがカメラの向こうで俺たちのことを覗き見てやがるんだ」

美緒「何のために……?」

森田「どこかで俺たちがやるゲームを観戦してる奴らがいるんだろう……」

大方、エスポワールの時もそうだったのかもしれない。
それは帝愛の幹部か、はたまた別の誰かか……。

森田「少なくとも……見ている奴はロクな趣味じゃないことは確かだな」


それから間もなくして森田たちが辿り着いたのは……。

白服「それでは各自、自分のゼッケンと同じ部屋に入ること」

西条「何?」

安藤「こ、これが部屋っすか?」

参加者たちは一同、唖然……。それは部屋などではなく、明らかにロッカー……いや、棺そのもの……。

白服「恐れることはない。会場につくまでの目隠しと思ってくれれば良い」

黒服「さあ、入れ! 入れ!」

美緒「ちょっと、押さないでよ」

安藤「あたた……狭いっすよ~」

黒服たちに無理矢理、棺に押し込められていく参加者たち。
中に入ってしまえばあるのは暗闇だけ。当然、外の様子など分からない。
だが、運ばれ方の様子だけは何となく分かる……。始めは台車に乗せられ、その後はエレベータに乗せられ上へ……。
そしてまた台車に乗せられ、傾斜を登っていく……。


森田(何だ? 一体、これから何を始めようっていうんだ?)

『えー、大変お待たせ致しました。それではこれより勇者達の道、ブレイブメン・ロードの第二ゲームを始めたいと思います』

やがて棺がどこかに置かれて少しすると、聞こえてきたのはアナウンス……。
そして棺を通して外が妙にざわついているのが分かる……。
アナウンスいわく、ルールは「ただ向こう側へ辿り着けば良いだけ。ただし、床に手をついてしまえば失格」とのことだ。
そして1位には2000万……2位には1000万が渡されるという……。

森田(手をついてはいけない……?)

運ばれていた時から森田の心中では嫌な予感が走っていた……! どうせ帝愛のことだからこれからやるゲームの内容なんてロクなものではない……。
だが、それはこの目で直接目にしなければ何も分からない!

『それでは放たれよ! 新たなる若き13人の持たざる者たち!』

そして棺の扉が開け放たれ、これまで暗闇だけに包まれていた所を光が射し込む!

森田「な、何っ!」

美緒「ええっ!?」

森田、美緒はおろか他の参加者たちも目の前に現れたものを目にして絶句……!
森田たちは高台に立たされ、向かい側の高台までに4本の鉄骨が架けられているではないか……!
その高さは実に10メートルはある……! 下にはマットが敷いてあるようだが落ちればまず重傷は免れない……! さらに……!


「おらおらっ! 何をグズグズしてやがる!」
「さっさと走れ! 走れぇーー!」
「クズが! ボケっとしてるんじゃねえ!」

その下の方では豪勢な料理をつまみながら見物する大勢の人間たちがはやし立て、馬鹿騒ぎしている!

「ったく、さっきと同じでどいつもこいつも腰抜けばかりだ!」
「とっとと行けって言ってるんだよ! 耳も聞こえねーのか!」

森田たちに口汚く罵声を浴びせかけ、さらにはゴミまで投げつけてくる!

美緒「な、何よ……これ」

森田「あいつら……俺たちを賭けてやがるんだ……!」

森田は設けられている電光掲示板を目にして全てを確信する。今回のギャンブルの全てを……!
それは競馬場などでよく見かける、競走馬の情報や倍率などを示すオッズ板と同じもの。
賭けられているのは当然、森田たち……つまり自分たちは馬……! すなわち、これは人間競馬なのである……!

森田たちゲームの参加者がギャンブルをするという話ではない。むしろ逆だったのだ!
下で騒いでいる連中は恐らく、金を持て余して贅沢な生活を送る成金たち……!
つまりは、パーティ客が楽しむための余興……!


森田(しかもただの競争なんかじゃない……。連中を楽しませるために、こんな……!)

単純にレースをするだけではつまらない。弱者たちがで醜く争い合い、そして苦しみ恐怖するその姿を見るために……。
果ては、その弱者が哀れにも命を落とす場面をわざわざ見て楽しもうと……。

「姉ちゃん! 早く渡って踊ってくれよーっ!」
「そうだそうだ! 踊れ踊れーっ!」

成金たちは女性参加者である美緒を見て次々にはやし立ててくる。汚く口笛まで吹き鳴らす始末。
ストリップショーか何かと勘違いしているのではないか?

美緒「冗談じゃないわよ……こんな橋、渡れるわけないじゃない!」

確かにそうだ。バランスを崩して落ちればただでは済まないのだから。
こんなゲームだと分かっていれば、絶対に美緒を参加させなどしなかったのに。
……と、なればここで棄権するのも手か? そもそも森田も美緒も金のために参加しているわけではないのだ。


「お! 兄ちゃん、行ったな!」
「そうだ、そうだ! 走れ、走れーっ!」

そんな中、腹を括ったらしい西条が先手を切って鉄骨を渡り始めた。
……が、さすがにその表情はかなり緊張している。
そして森田たちと同じ橋のゼッケン11番の男も同じように鉄骨を渡り始めた。

「ほらほら! 早くしやがれ!」
「金がいらなきゃ、そこにいてもいいんだぜ! 後で後悔しても知らねえがな!」
「臆病者のクズはクズらしく落ちろーっ!」

森田(何? あいつら、今なんて……)

森田、野次をかけてきた成金の一人の言葉に気にかかる一言を聞き取った……。

……後で後悔しても知らない。……臆病者のクズらしく落ちろ。
それはただ金が手に入らないという意味だけではない……。
森田、異様な気配を感じ取り、息を呑む……。

美緒「森田くん?」

森田「……美緒、早く渡るんだ! いつまでもここにいるとヤバイ!」

森田「落ちなきゃいいんだから、危なくなったら鉄骨に掴まればそれでいい!」

美緒「え? え、ええ……!」

森田に促され、美緒も鉄骨を渡り始める! そのすぐ後に森田も続く!


放心し続ける他の参加者たちも次々に腹を括り渡り始める。
森田たちと同じ鉄骨の安藤も極端にビビリながら橋を渡り始めるがバランスが上手くとれず、今にも落ちそうだ。

安藤「ひっ……ひい~~……」

それでもすり足でほんの数センチずつ進むことでかろうじて落ちずに前へ向かい、森田たちの後に続いている。
追いつくにはかなり時間がかかりそうだが。

???「くくく……」

2番目の鉄骨は既に4番と5番が渡る中、6番のキャップを被った男はいつまで経っても渡ろうとしない……。
しかし、やがて彼も鉄骨を渡り始め、先頭を進む者たちの背後へと忍び寄る……。

「冗談じゃねえよ……こんな橋渡れるわけ……」

12人がやっと渡り始めた中、西条と同じ鉄骨を割り当てられた2番の男だけは完全に戦意喪失……。渡る勇気欠片もない。
これはもう棄権するしかない。金なんかいらない。ここでじっとしていた方が安全だ。
だが、そんな願いは容易く壊される……!


――ガシャン!

「え? ……な、何だよ! おい!」

背後で音がし、振り向けば並べられていた棺のゲートが閉じ、ゆっくりと前へ迫ってくるのだ!
このままでは足がつけられるスペースが無くなり、鉄骨に乗らなければ下へと突き落とされる!
だが、男はそれさえもできずに立ち往生……。ただ無機質に迫り来る棺の壁に恐れおののく……!

「た、助けて……助けて……うわあああああああぁぁっ!」

結局、鉄骨を渡ろうとしなかった男は棺の壁に容赦なく押し出され、10メートル下へと真っ逆さまに転落……!
マットの上に背中から叩きつけられ、無残な姿を晒すはめに……。

「ばーか! だからさっさと走れって言ってるんだ!」
「自業自得だ! クズが!」

落ちて傷ついた人間を罵り、嘲笑い、そして楽しむ成金たち……。
人の不幸をああも平然と笑っていられるなど、狂気の沙汰である……。


美緒「ひ、ひどい……」

森田「何てことだ……」

無情にも突き落とされた者を見て二人は青ざめる……。
帝愛は勝負をする前からの棄権など認めていないのだ。渡るか、落ちるか……そのどちらかしか選択肢はない。
それが選べない者は容赦なく叩き落とすだけ……。

「いいぞいいぞー! 姉ちゃん!」
「ほらほら! 早く前に行かないと、金は手に入らないぜー!?」

森田「気にするな。落ち着いて、ゆっくり進めばいい」

美緒「うん……」

野次たちがはやし立てる中、森田と美緒は一歩一歩……確実に前へと進んでいく。
そんな中……。


「どうした! 姉ちゃんの後ろにくっついていくだけかー!」
「落とせ! 落とせ!」
「邪魔者は落とせーっ!」

森田「ふざけんじゃねえ……! 貴様ら、それでも人間かよ……!」

美緒「最低だわ……!」

成金たちは口々に「押せ! 押せ!」と叫んで森田たちをはやし立てる。
この人間競馬、順位を確保するには前を行く者を突き落とさなければならない。当然、落とされればただではすまないのだ。
言うならば、それこそがこの人間競馬の最大の見所なのである……!

前を行く者たちは急いで渡りきろうとペースを上げる……。
だが、後ろの者たちも人を落とすという行為に葛藤があるのか構えはするもののそれ以上のことはしない……。

森田(……待てよ。ってことは、あの野郎……!)

森田たちの遥か後方をそろりそろりと近づいてくる安藤……。
安藤は前回のエスポワールでカイジを裏切り地獄送りにしようとまでした利己的な男なのだ。
と、なれば順位を確保し金を手に入れるために容赦なく押しに来る……! ましてや安藤は最後尾……押される心配が無い……!


「ぎゃああああっ!」

西条の後ろをついてきた男がバランスを崩し、下へ落ちていく。これで西条は後ろを気にすることなく、ただ渡り続ければいいだけとなった。

西条「こいつは……スリルだぜ……」

西条、このような状況でさえ楽しんでいる……。賭博ジャンキーと化した者の思考はもはや狂気である……!

「うわあああああっ!」

「うおおーっ! いいぞ、いいぞーっ!」
「そうだそうだ、落とせー!」

2番目の鉄骨を渡っている3人……その最後尾のキャップの男は何のためらいもなく前を行く者の背中を押し、下へと突き落としていた。

「よ、よせっ……やめっ……!」

さらにすぐに先頭の5番の男の背後にまで迫り来ると、男が懇願するのさえ無視して容赦なく突き落とした。


森田「あの野郎……何であんなに平然と……」

他の参加者たちが僅かでも葛藤するのに対し、その6番の男は何の躊躇もなく前を行く者を突き落とす……!
まるでその非情な行為を日常的に行ってきたかのように……。
そして隣の鉄骨の西条とトップを争い合っている……。

美緒「きゃっ……!」

森田「危ない、美緒!」

バランスを崩して落ちそうになった美緒の肩を森田が掴み、かろうじてその場に安定させる。
美緒もホッと安堵するが……。

美緒「森田くん……。この鉄骨、何だかおかしいわ……いきなりバランスが……」

森田「何だって?」

気がつけば、先の鉄骨がこれまでより明らかに狭くなっている。ここまでは靴幅より広かったのに、今はかなり狭い……!
これでは重心のバランスが取りにくくなり、たとえバランスを崩しそうになっても体勢を立て直すことも困難……!

森田「落ち着くんだ。すり足で進めば落ちやしないさ。それに本当に落ちそうになったら鉄骨に手をつけばいいんだ」

美緒「ええ……」

美緒は森田に励まされながらそっと……少しずつ前へと進んでいく。
鉄骨の長さは25メートルほど。もう既に半分も進んだのだ。ゴールは確実に近づいている……。


森田「何……?」

森田、異様な殺気と気配を背後から感じ取る……。
気がつけば、あれだけ離されていたはずの安藤がすぐ後ろまで迫ってくるではないか!
しかもその表情と様子は明らかに自分たちを落としにくる気が満々だ……!
引き離そうにもここからは安藤と同じすり足でしか進めないため、それは不可能……!

「ばーか! さっさと姉ちゃんを落とさないからそんなことになるんだ!」
「いずれ飽きる女なんかとっとと捨てちまえばいいんだよ!」
「姉ちゃんもそんな男なんて捨ててさっさと突き進めー!」

森田「何だと、貴様ら……!」

美緒「勝手なことばかり言って……!」

安藤「そうだよ……森田さん。落とさなきゃ落とされるんだよ」

あまりに身勝手な成金たちの野次に憤る中、唐突に迫ってきた安藤が喋り出す……。


森田「貴様……本気か?」

安藤「本気も何も……そうしないと金にはありつけないんだよ。嫌でも押さなきゃダメなんだ……」

安藤「俺は船から降りて、結局200万近い借金だけが残ったんだ……」

安藤「あの時、あんたがしゃしゃり出て来なければ俺は借金チャラで、しかも1000万って金を手に入れられたんだ……! あんたさえ邪魔しなければ……!」

安藤の発する殺意に森田、呆然……。こいつ、船でのことを根に持っていたのか……!

安藤「俺には金が必要なんだ……! そのためには、どんなことでもやってやるって決めたんだ……!」

森田「ば、馬鹿……! よせっ……!」

安藤「どけぇ! 2000万は俺のものだぁーーっ!」

ついに安藤が森田に襲い掛かる……!
背を向けている者が前向きの人間と落としあいになれば、勝負になどならない……!
一方的に落とされるだけ……!


第一章終了……。第二章に続く……!

以上で第一章は終了。後日、書き溜めて第二章を再開。
なお、安藤は本来、絶望の城編には登場しません。

銀「臆病風という死神がお前の足を引っ張ってくる…そうなったらお仕舞いだ…」

銀「そうなりたくなかったら走れ…っ。地獄の底に突っ走るぐらいに走れ…っ!!」

第二章が書き溜められたので再開します。


美緒「も、森田くん!」

森田「行くんだ、美緒!」

森田、不安定な足場ながら体を半分ほど反転させ、襲い掛かってきた安藤の手を掴む……!
進めと促された美緒は森田の危機を目の当たりにし、足を止めてしまう……。

安藤「どけ! どけぇ!」

安藤、まるで何かに憑かれたように、獣のように目を爛々とさせ、森田を落とそうと躍起になる。
森田はバランスを維持し落ちないようにするのが精一杯で、とても安藤を制することなどできない。

森田「もうあの連中がゴールするんだ! 俺たちが1、2着にはなれない! やめろ!」

安藤「うるさい! あんた達が落ちれば俺が先に行けるんだぁ!」

もはや聞く耳持たずにただ目の前の邪魔者を落とすことしか考えていない安藤……。
このまま安藤と取っ組み合っていれば、いずれはバランスを崩して墜落する……!

「いいぞ、いいぞー!」
「そこだ! 落とせー!」
「邪魔者は落としちまえー!」

下で見物する成金たちは森田たちの修羅場に熱気がさらに高まり、口々にはやし立ててくる……。


美緒(どうすれば……どうすればいいの?)

足を止めたままの美緒は背後で必死になっている森田を振り返り、困惑……。
このままでは森田は鉄骨から落とされ、10メートル下のマットに激突する。打ち所が悪ければ即死……!
そして、その不安はすぐに現実のものとなる……!

安藤「……あ! あわわわ……!」

森田「馬鹿! 戻しを大きくするな!」

安藤の体が突然、激しくふらつきだす……。
こんな不安定な足場ではバランスを崩さないように進むのが精一杯……。相手を落とすにしてもそれは無抵抗な者を一方的に押せなければならない。
下手に暴れればバランスは維持できずに落ちるのは当たり前。取っ組み合いなど持っての他。
ましてや元々、バランスがとれるような体格ではない安藤であれば尚更である……!

安藤「ひ……! ひいぃ……!」

両手をバタバタと振り回しながらバランスを元に戻そうとするも、安藤の体は大きく横へ傾いていき……。


森田「ぐっ!」

あろうことか、森田の服を掴んできたのだ! 藁を縋るように手を伸ばしたのだろうが、無駄な足掻きに過ぎない。

安藤「あ! ああーっ!」

森田(まずい! 落ちる!)

安藤に引きずられるように、森田までもが落ちそうになる……! このままでは安藤に道連れにされてしまう……!

美緒「森田くん!」

森田が今にも落ちそうになるのを目にし、美緒は思わず森田へと手を伸ばす!
下手に大きく動けば足を踏み外してそのまま落下するにも関わらず、衝動的に体が動いていた。
美緒の手は森田の服を掴むが……!

美緒「あっ!」

美緒までもが二人に引きずられ、足を踏み外してしまう!


安藤「うわああああああーっ!」

安藤の絶叫が響き、真っ逆さまに落下……!

――グシャッ!!

安藤「うぎゃっ!」

「ぎゃははははは!」
「バカだあいつ! 自爆しやがった!」

墜落し、全身を叩きつけられた安藤の無残な有様を成金たちは嘲笑い、楽しむ……。

安藤「あ……あうぅ~……」

他に落ちた者たちと同じように痛ましい呻き声をあげて悶える安藤……。片手片足共におかしな方向に折れ曲がってしまっている……。
以前、エスポワールでカイジから喰らった腹蹴りを遥かに超える激痛と苦しみを味わう……。


森田「ぐ……」

美緒「うう……」

安藤と共に落下しかけていた森田はかろうじて鉄骨に掴まり、宙吊りの状態となっていた。
足を踏み外した美緒も落下しかけたものの、森田と同様にぶら下がっている。ただし、片手で……。

美緒「ひっ……」

森田「下を見るな、美緒。手を伸ばせ」

森田は恐怖に打ち震える美緒の手を鉄骨へと掴まらせていた。

「いいぞ、いいぞ! 姉ちゃん!」
「もっといい所を見せてくれよー!」

下からの野次など気にすることなく、二人は鉄骨の上へと這い上がる。

美緒「はぁ……はぁ……死ぬかと思った……」

鉄骨の上で座り込む美緒は大量の冷や汗を流しながら息を震わせて息切れを起こしている。
危うく落ちかけ下手をすれば命が無かったのだから、たったあれだけでここまで消耗するのも当然である。


美緒「ありがとう、森田くん……」

森田(あの野郎……)

美緒が礼を言う中、森田は落下した参加者たちを、たった今落ちていった安藤を見下ろし息を呑む……。
安藤が落ちてしまったのはある意味で自業自得なのだが、まるでいい気などしない。ましてや目の前で人が落ちていく光景を見て喜ぶなど……。
かろうじて息はあるようだが、あれでは病院送りは免れない。

森田「もうこのまま這って進もう。その方が安全だ」

美緒「そうよね……もうこんなゲームを続けてても意味ないよ……」

鉄骨に手をついた時点で森田と美緒は失格だ。
既に西条とキャップの男はゴール寸前。第一、森田たちは金を得るためにここにきているのではない。
二人はそのまま鉄骨の上にしがみついたまま這い進んでいくことにした。


西条「ちっ。あいつに越されたか……」

ゴールまであと3メートルという所で、首位を争っていたキャップの男が1位でゴールした。
これで西条が2位になるのは決定だ。他の者は落下か鉄骨にしがみついて失格になるか中々前へ進めない状態なのである。
西条としては賞金などどうでもいいため、今回のゲームの結果はこんなものか、といった気分であった。
とにかく、落ちずに命があっただけでも良しとしなければ。

だが、しかし……! 西条はおろか森田たちでさえ予期せぬ出来事が巻き起こる……!

西条「な、何? 何だよ! お前!」

先にゴールをしたキャップの男が何と西条の鉄骨の方までやってくると、そのまま鉄骨を逆走で渡り始めたのだ。
既に1位でゴールをしている以上、ゲームを続ける意味などない……ましてや他の鉄骨を逆走するなど……。

西条「戻ってくるなよ! 俺がゴールできないだろうが!」

前に立ち塞がる男に叫びかけるも、無言のままゆっくりと男は西条に近づいてくる。

西条(こいつ……まさか、俺を……?)


西条、その男の異様な雰囲気を感じ取り戦慄……。
目の前のこの男、ただゴールをして賞金を手にするのが目的なのではない。ましてや西条のようにただゲームを楽しむわけでもない。
こいつの目的はただ一つ……だが、そんなことをして何の意味があるのか西条には分からない……!

???「くくく……」

西条「ば、バカ野郎……! よせ! 来るな! ……うわっ!」

男が目の前まで迫り、恐怖に駆られ手を振り回す西条。だが、それでこれまで保ち続けていたバランスが崩れ、大きくふらついてしまう。
そう。この男、西条を鉄骨から突き落とすつもりなのだ……!

???「があっ!」

男は突然、西条に向かって獣のように吠えかかり恫喝する……!

西条「ひっ! う……うわ……うわあああああああっ……!」

男の声と迫力でびっくりした西条はもはやバランスを保つことができず、落下……!
かぶっていたハンチング帽がひらひらと舞い落ちる……。

???「くくく……みんな赤ん坊……赤ちゃん……」

墜落し悶え苦しむ西条を、自分が突き落とした者たち見下ろし、男は不気味に笑う……。


森田「な、何やってやがるんだ……あの野郎……」

森田と美緒はもちろん、まだ渡り終えていない生き残り他4人も愕然……。
キャップの男は先ほども前を行く者たちを躊躇無く突き落とした上、あろうことかゴールをしたにも関わらず他の鉄骨にまでやってきて西条を容赦なく鉄骨から落としていた。
その光景はあまりにも異常……狂気……。その行為自体が目的と言わんばかりに……!

美緒「何であんなことを……」

ゼッケン11「あ……あわわ……」

すぐ前を行く水色の服を着た11番の男はその異様な光景に足を止め、打ち震えてしまう。

「いいぞ、いいぞ!」
「こりゃあ見物だぜ!」
「おらおら! 早くゴールしねえとあいつに落とされちまうぞー!」

下の成金たちからの罵声に我に返る森田……。
西条を突き落とした男はくるりと反転してゴールへと引き返していく……。
これで終わりではないという雰囲気がはっきりと感じられる……。


森田「おい! 急いでゴールするんだ!」

森田、前を行くゼッケン11番の男を促す。

ゼッケン11「で、でも……」

森田「奴は俺たちを残さず落とすつもりなんだ! もたもたしてるとこっちに来るぞ!」

理由は知らずともあの男のやろうとしている行為自体は既に確信的……!
このまま鉄骨の上にいればいずれあの男が前に立ち塞がり、森田たちを落としにかかる!
ゴールまでもう残り6メートル……目と鼻の先……!

「や、やめ……うわあああああっ!」

案の定、3番目の鉄骨にやってきた男はゴール目前だった参加者たちの前に立ち塞がり、次々と落としていく。

「助けて……助けて……ああああああああっ!」
「よせ! 来るな! 来るな……ぎゃああああっ!」

自分たちを突き落とすことが目的の異常者の姿に恐怖に駆られた参加者たちは成す術もなく、ただ無力のまま落下していった。


これで残るは森田たち3人……。今度はこちらに来る……。

ゼッケン11「こ、こっちに来る!」

美緒「ど、どうするの……森田くん」

ゼッケン11番と美緒もまた自分たちを殺しにかかろうとする男に恐怖している……。
引き返そうにもスタート地点は既に棺の壁で遮られて戻れない。ゴールをしなければ助かる道はないが、とてもあの男より先にゴールはできない……。
ならばどうすれば良いか……道は一つだけだ。

森田「二人とも。俺を先に行かせてくれ」

美緒「森田くん?」

ゼッケン11「え? ど、どうするんですか?」

森田の突然の進言に前の二人は困惑……。


森田「奴は俺が引き受ける。このままじゃあゴールしようにも奴がいては何にもならない」

森田「二人はここで待っていてくれ」

美緒はもちろん、ゼッケン11番も素直に従った。
あの男がいる限り絶対にゴールは不可能。ゼッケン11にしてみれば賞金は欲しいが、それよりも命の方が大切だ。
死んでしまっては何の意味も無い。ここでリタイアだ。

ゼッケン11番も鉄骨にしがみつき、立ち上がった森田は二人の上を跨いで先頭に立った。
キャップをかぶった男は森田たちの鉄骨を渡り始めていたが、鉄骨を渡らずにゴール地点で陣取っている……。
待ち構えているのだ。森田たちを突き落とすために……。

美緒「森田くん。気をつけて」

美緒から声をかけられる森田は慎重に前へと進んでいく……。


あのような快楽殺人者のような奴に阻まれてたまるものか。何としてでも道を切り開かなければ。

森田(あの野郎……どこかで……)

キャップを目深にかぶっているおかげで素顔はよく分からない。
だが、その男の異様な雰囲気と殺気……森田はかつてどこかで感じたことがある。
それも2年以上も前、銀二と共に裏家業に身を置いていた時に……。

とうとう狂気の男の目の前までやってきた森田。
男は今にも森田を鉄骨から落とそうという雰囲気を醸し出している……。
向こうは今、コンクリートの床の上に立っているのに対して森田はこの不安定な鉄骨……。明らかに不利すぎる。
だが、やるしかないのだ。こいつを何とかしなければ後ろの二人まで落とされる……!

???「ふふふ……」

だが意外なことに、男はその場から退いて森田に道を開けていた。


森田(何を考えてやがる……?)

今までとは全く違う様子に森田、困惑……。
森田を油断させて騙まし討ちを仕掛けてくる腹積もりだろうか。

???「怖がらなくていいよ。森田鉄雄くん」

森田「え?」

こいつ、今森田の名を口にした……。
森田のことを知っている……?

???「大丈夫、大丈夫。君はこのまま渡らせてあげる……」

???「君は他の奴らと違って馬鹿じゃない。ましてや前みたいに同じ失敗は繰り返さない」

森田(こいつの声……)

聞き覚えのある男の声に森田、戦慄……!


だが考えたくなどない。その男がここにいていいはずがないのだ……。

森田「お前……有賀か? 有賀研二か?」

森田は男に話しかける。すると、男はにんまりと不気味に笑い出した……。

???「そうだよ……僕だよ」

キャップを脱ぎ捨て、素顔を露にする男……。
一見、ボーっとしたような風貌だがその狂気に満ちた目つきは忘れもしない……!
3年以上も前、女子供を中心に猟奇的な殺人事件を繰り返してきた殺人鬼、有賀研二……!
かつて森田と死闘を繰り広げた男が目の前にいる……!



一方、こちらは人間競馬が行われている会場より数階下のビルの一室……。
そこは第一陣のレースを終えた者たちが全てのゲームが終わるまで待機する控え室。
第一陣レースの生還者は5人。このレースに参加していたカイジは……失格であった。
1位は佐原、2位は石田。残る3人は鉄骨に手をついての失格である。

中山「くそぉ……」

カイジと同じ鉄骨を渡っていた男、中山は賞金を得られなかったことに深く落胆……。
カイジもまたチャンスをふいにしてしまったことを後悔するが、同時にあの修羅のレースを生き長らえたことに安堵しているのも事実……。
何しろ他の者を落とさなければ賞金など得られないという、狂気の沙汰だったのだから。
カイジは他の者を落とすことはできず、結局失格となった。

カイジ「森田のやつは……どうしたかな……」

現在始まっている第二陣のレースに参加しているのだろうか。森田はあの鉄骨を渡りきれているのだろうか……。
他の者たちを押し退けてゴールをしようとしているのだろうか……。

それとも、逆に突き落とされているのか……。
エスポワールで世話になった男について、様々な思いがカイジの頭を駆け巡る……。


目の前に現れた殺人鬼・有賀研二の姿に森田、呆然……。
かつてヤクザに捕らえられ、取引のために警察への引渡されようという中で監視のヤクザの組員を全滅させた挙句森田にまで重傷を負わせた男……。
しかし、その後駆けつけた平井銀二に叩きのめされ、警察へと引き渡されたはずなのに……。

森田「馬鹿な! 何でお前がここに……!」

有賀「まあ、色々あってね……。このパーティに僕が必要なんだってさ」

一週間前、死刑囚として刑務所に入れられていた有賀は帝愛から派遣された黒服によって一時的に解放されていた。
警察との癒着もある帝愛の手にかかれば有賀を牢から出すことなど容易いこと……。
今夜のパーティを盛り上げるための特別ゲストとして参加させられたのだった。要は森田と似たような境遇である。

有賀としてはパーティなどどうでも良かったが、実際に参加して内容を知るなり容赦の無い凶行を行うと決意したのだ。
ましてや相手を突き落とそうが何をしても良いというのだから。


森田(帝愛の奴ら、何て野郎を参加させやがる!)

まさか殺人鬼などを参加させるなんて、正気の沙汰ではない。
有賀は殺人に悦楽を見出す異常者、自分達の常識の外で生きているのだ……!

有賀「でも、森田くんまでもが参加しているとは思ってもみなかった……くくく……」

有賀「安心しなよ。君は落としたりなんかしないから。君と争えば、僕も危ないだろう……」

森田「そう言って前は騙まし討ちをしてきただろうが!」

あの時は森田の油断もあったが、停戦を申しかけてきたにも関わらず有賀は森田に不意討ちを仕掛けてきたのだ。
銀二が来ていなければ危うくあの世行きになる所だった。


有賀「じゃあ、こうしようよ。僕はこれから10歩後ろに下がる……そして君が渡り終えて階段を降りるまでは動かない……」

森田「ふざけるな。信用なんてできねえ!」

森田と争うのを避けようとしている有賀の狙いは後ろの美緒たち二人であることは明らかだ。
まして有賀は女子供を生きたまま切り刻んできたというのだから。確実に美緒を標的にしている……!
たとえこのまま渡らせてもらえたとしても、こちらが安心し切っている隙をついて何かしてくるはずなのだ。

有賀「……そうか。残念だよ。せっかく君だけは渡らせてあげようと思ったのに」

言うや否や、有賀はついに鉄骨を渡り始めた。森田との距離は2メートルもない。

有賀「僕は君と争うつもりはないよ……。僕が落とすのは弱い奴だけなんだ……」

有賀は一歩一歩森田に近づいてくる……。一体、何を考えているのかまるで分からない。

美緒「森田くん……」

ゼッケン11「あの人……大丈夫かな」

後ろでは美緒たちが有賀と対峙する森田のことを心配する……。


有賀「君、ずいぶんと足が震えてるね……。そりゃあ落ちれば下手すりゃ死ぬかもしれないしね」

森田の足元に視線をやる有賀、さらに笑みを深める……!

森田「なっ!」

有賀、突然その場でしゃがみ出すと森田の両足を押し出してきたのだ!
バランスが悪い状態で足に衝撃を与えられればバランスを保つことなどできない……!

有賀「姿勢は低くした方が落ちにくいんだよ。ましてや鉄骨にしがみつけば落ちやしない」

有賀「言ったろ……僕は君と争う気なんてないって」

つまり、最初から不意討ちを仕掛けようとしていた……!
あの時と同じように……!

森田「ぐっ! うおおおおおっ!」

先ほどのように体が大きく傾き、またしても落ちそうになる……!
だが、何とか手を伸ばして鉄骨にしがみつき、またもぶら下がりの状態に……。


美緒「森田くん!」

またしても落ちそうになった森田の姿に美緒、思わず立ち上がる……!

有賀「案外しぶといね、君も……。でもそうなったらもう何もできないね……」

森田「ぐああああっ!」

立ち上がる有賀、鉄骨にしがみつく森田の手を容赦なく踏み躙る……!
しかし森田、それでも鉄骨から手を離さない……! 落ちれば美緒たちが有賀に殺される……!

有賀「死ね……! 弱者……!」

無力な森田を有賀は容赦なく甚振る……!
やがて森田は片手だけで自分の体を支えることになり、さらに有賀は追い討ちをかける……。

美緒「やめなさいよ! 森田くんから離れてちょうだい!」

美緒、自分の靴を脱いで手にするとそれを有賀目掛けて投げつける……!


有賀「ぐっ……!」

投げられた靴は有賀のこめかみに命中する!

有賀「う……うわ……!」

有賀も今ので保っていたはずのバランスを崩し、体が大きく傾いていき……。

有賀「うわああっ……!」

有賀もまた墜落しかけたが森田同様に鉄骨に掴まり、かろうじて落下を免れていた。
だが、このまま宙吊りの状態では二人とも落ちるのは時間の問題……!

有賀「やってくれたね……女の癖に……。くくく……」

美緒を睨み這い上がろうとする有賀……。しかし、その有賀の体を森田が掴む!

森田「二人とも行け! 先にゴールするんだ!」

美緒「で、でも……!」

森田「いいから!」

ぶら下がった状態のまま有賀の動きを押さえつける森田は美緒たちを促す……!


美緒とゼッケン11は数秒迷った末に立ち上がると、急いで鉄骨を渡り始めた。
必死に鉄骨にしがみつき有賀の動きを押さえる森田を跨ぎ、二人はゴールへ向かう……!

「こりゃあすげえ!」
「おらおら! どうした、落とせ!」
「落とさなきゃ這い上がれもしねえぞ!」

二人の男が宙吊り状態のまま争っているのを見て観客の成金たちの熱狂は最高に高まっていった。
観客たちの声など耳にも届かず、森田と有賀はぶら下ったたまま争い続ける……。

森田は二人がゴールをするまで有賀が這い上がれないように服を掴む……。
有賀はそんな森田を振り払おうとしている……。

美緒「森田くん……」

数分とかからずに何とかゴールをした美緒たちはぶら下り、死の淵にいる森田の身を案じる……。

有賀「離せよ……! 君も早く上がらないと落ちるだろう……!?」


森田「俺が離したらあの二人を殺しにいくんだろうが! させるかよ!」

森田「落ちるって言ったって、足から落ちりゃ死にやしない。現に下にいる奴らは骨折くらいで済んでる奴らばかりなんだ……!」

西条や安藤でさえちゃんと生きているのだ。
もっとも、有賀に落とされた中の二人は打ち所が悪かったのか、ピクリとも動かない……。

森田「貴様みたいな奴を楽しみで人を殺す奴を無傷でいかせるかよ……!」

森田「落ちるなら一緒に落ちろ! それで痛み分けだ!」

有賀「しょ、正気か? 森田……!」

森田は既に落ちることを覚悟している……!
普通の人間だったら助かろうとして相手を押し退けて這い上がろうとするのに、森田は有賀と共に落ちようとしている……!
やはり森田はこれまで有賀が殺してきた人間たちとは全く違うタイプ……!
しかも今回は命を捨てる覚悟までしている……!

有賀「は、離せ……! 離せ……!」

森田(くっ! もう……限界か!)

有賀に踏みつけられ痛めつけられていた手はもはや限界であった。
有賀もまた片手だけではとても自分の体を支えきることなど不可能……!


森田&有賀「うわあああああああっ!」

ついに二人は鉄骨から手を離してしまう!
足から落ちれば決して死にはしない。骨折は免れないだろうが、その時でも最悪は一生車椅子生活になるだけ……!

有賀「ああああああああっ!」

――ゴシャッ!!

嫌な音が響き、両足から落ちていった有賀はマットの上で蹲り、呻いている……。
その両足はおかしな方向へ曲がってしまっている……。

だが、共に落下したはずの森田の姿はどこにもなかった。何故なら……。

森田(何だ……?)

森田の体は未だ鉄骨がかかった10メートル付近をぶら下っていた。
気がつけば、自分の片手を誰かが掴んでいる……。


美緒「う……」

森田「み、美緒……」

先にゴールをしていたはずの美緒が森田の真上……何と鉄骨の上に倒れこみ、両手でしっかりと森田の腕を掴んでいたのだ。
森田が今にも落ちそうになっているのを見て、美緒は堪らず引き返してきたのだった。
そして森田が手を離して落ちると同時に美緒も倒れこみ、必死に手を伸ばしたのである。

しかし、美緒の腕の力ではとても森田の体は長時間支えられない。徐々に力が抜けているのが分かる。
森田はもう片方の手を鉄骨に伸ばし、渾身の力を振り絞って鉄骨の上へと這い上がっていた。

森田「美緒……何て無茶なことを……」

鉄骨にしがみついたままの二人であったが、完全に憔悴しきっていた。
こんな狂気の鉄骨渡りに参加させられ、何度も危うく落ちそうになったのだから当然だ。
だが、それももう終わりだ。……落下した有賀も病院送りとなって動けくなるはずだ。


結局、人間競馬第二陣の参加者たちは全員が失格……。かろうじて生き残ったのは森田と美緒、ゼッケン11番の三人だけ……。
残る10人は無情にも落下し、果てた……。内2名は死亡という悲惨な状況……。
森田たち三人は残る3つのレースが終わるまで控え室で待機することになる……。

美緒「大丈夫? 森田くん……その手」

森田「ああ……。落ちて骨を折るよりかはマシさ」

そして控え室へ足を踏み入れると、そこには第一陣レースの生き残りたち5人の姿があった。
歓喜の佐原と石田……。失意の三人……。その一人は……。

カイジ「森田……あんたも生き残ったか……」

森田「何とかな……」

再会した二人の男は互いの無事を確認し合い、ホッとする……。
カイジは森田たちの様子からして第二陣のレースが相当な修羅場であったと察していた。
悲惨なのは落ちた者たち……。しかも森田たちの場合は快楽殺人者に目をつけられるハメになってしまった……。最悪のレースに当たったと言える。
しかし、賞金の権利は得られずとも、生きて帰れるのだから命からがらとはいえ森田たちは幸運でもあった。


座り込み壁に寄りかかったまま森田と美緒は完全に放心しきっていた。

明穂「二人とも、大丈夫!?」

しばらくすると控え室に明穂と由香理が姿を見せていた。
第二陣のレースが終わったことを告げられたことで黒服に完走者たちが待機する場所はどこかを聞いて案内されたのだ。

由香理「しっかりしなさいよ、美緒」

美緒「もう……へとへとだわ……」

レースを行っていたのは20分とかからなかっただろうに、実際は何時間もあの修羅場にいたような錯覚に襲われていた。
それだけあのレースが狂気に満ちていたということなのだ。エスポワールの時を遥かに越える狂気……。

美緒「でも、これでもう終わりよね……」

しかし、とにかく生き残ることができたのは幸いである。美緒は森田と共に橋を渡ることができたことを喜んでいた。
これで自分たちは解放されるのだから。

森田「ああ……そうだな……」


明穂「一体、どんなゲームをやらされたの?」

森田「……話すようなことじゃない。今日のことはもう忘れるべきだ……」

それから第3レース、第4レース、第5レースとゲームは続き、11時30分を回る頃になってようやく全てのレースは終了した。
参加者60名と飛び入り1名のうち40人が落下……。結果的に生き残ったのは全体の約1/3の21人だけ……。
そして生還者21人たちの前に、白服が姿を現す……。

白服「ご苦労様でした。それでは早速、今日のレースの1、2着の方にお約束のものを差し上げます。権利のある方は前へ」

かろうじて人間競馬を失格なしで上位二位で完走しきったのは7人……。佐原、石田と次々に続いていく……。
白服は彼らに封筒を手渡していく。

森田(賞金が1000~2000万のはずなのにあんなものか……?)

1000万ともなればそれはもう封筒には収まらない札束であるはずだ。
なのにあんな薄い封筒しか渡さないということは、小切手か何かだろうか?
否……そんな生易しいものではない……!


佐原「な、何だよこれは……!」

白服「2000万、1000万のチケットでございます」

封開けたその中から出てきたのは、賞金とは名ばかりの紙切れ一枚だけ……。
当然、参加者たちは激怒……! 次々に現金をよこせとわめきだす……!

白服「ご安心を。引渡しは別の場所で行います。チケットをお持ちの方は私の後に続いてください」

白服「なお、第2レースでは権利を得た方は一人もおらず、第5レースでは一人だけしか権利を得た方はおりません」

白服は3枚のチケットをひらつかせる……。

白服「2000万が1枚、1000万のチケットが2枚余っておられます。3着以下、失格の方々もこのチケットを得られるやもしれません。ご希望の方はどうぞご一緒に」

そう言われては失格者たちも後に続かざるを得ない……。カイジまでもが立ち上がり、白服の後に続く。


美緒「ねぇ、森田くん。賞金なんてどうでもいいわ……もう帰りましょうよ」

明穂「そうよ。こんなおっかない所なんてさっさとおさらばしましょう」

美緒たちはもうこれ以上、こんな悪魔じみたゲームに関わるのはごめんであった。
森田と一緒にすぐにでもこのホテルを離れたいくらいである。
だが、森田の考えは彼女たちとは全く逆であった。

森田「いや……行こう」

美緒「え?」

森田の言葉に三人は唖然……。
だが別に森田は賞金が欲しいわけではない。

森田「ここの奴らはまだ何かする気でいるんだ。……放っておくわけにはいかない」

すぐに賞金を渡さずにあんな紙切れでカイジたちを誘ってきたのだ。……もしかしたら、まだゲームは終わっていないのかもしれない。
と、なればそのゲームにカイジたちが乗せられてしまうかもしれない。それを見過ごすわけにはいかない。
ましてや相手は帝愛……! 負債者たちの命を弄ぶ悪党なのだから……!

森田「美緒たちは待っていてくれ」

美緒「……だ、だったら私も行くわ!」

当然、森田を一人で行かせるわけにもいかず、結局美緒たち三人もついていく……!

森田(これから何を始めようっていうんだ?)


ここは人間競馬が行われたビルとは別の、スターサイドホテルメインビルの地上22階……。
薄暗い蝋燭の明かりの中で何十人もの人間たちが静かに食事を嗜んでいた。
彼らは今回の帝愛のパーティに招待された資産家たち……それも人間競馬の際に大騒ぎをしていた成金などとは格が違う……。この金の世を牛耳る本物のVIPたちである。

「くくく……」
「ふふふ……」

しかし、彼らは気味の悪い笑みを浮かべながらこれから行われるであろう新たなゲームの始まりを今か今かと待ち続けている……。
孤独な老いた王たちは、自分達の渇きを癒すためにこのパーティに参加しているのであった……。
そんな中、一室の一角のテーブルでは……。

「ったく……気分が悪いな」
「この連中……とても普通の神経じゃねえぞ……」

他のVIPたちとは異なり、心底機嫌を悪そうにしているのは少し場違いな柄の悪い三人の男たち。
元警視庁OB・安田巌。元毎朝新聞記者・巽有三の二人は周りの異様な空気に明らかに気分を害していた。


安田「誠京を潰した帝愛のパーティなんて、どうせまともなものじゃねえんだ……」

有三「何でも向こうのビルで人間同士を落として競争させてたそうだぜ……。向こうでは成金どもが見物していたらしいが」

安田「おいおい……いくら何でも悪趣味だぜ。そんなもの見て何が楽しいってんだ?」

彼らはとてもここにいる資産家たちのように食事を楽しむような雰囲気ではない。
無理も無い。資産家たちがパーティの内容を事前に知り望んで参加しているのに対し、彼らは帝愛そのものに用事があるついででこのパーティに参加しているだけなのだ。

「彼らにとってはそれが愉悦なのだろう……。人が恐れおののき、泣きながら危険を侵しているその様をこうした安全な場所から見届ける……」

「そうするだけで、彼らは普段感じることのできぬ悦楽を感じるのだろう……」

安田たちと同じテーブルについて、静かに食事をする白髪の男……。
この男、今回招かれたVIPたちの中では最も大物な存在……。

「『安全』という名の愉悦をな――」

裏社会を牛耳る者たちならば知らぬ者はいない……裏社会のフィクサー。
天才的な才覚と悪魔じみた手腕で名を馳せる、『銀王』の異名を持つ男……。

――その男の名は、平井銀二……!


第二章終了……第三章に続く……!

以上で第二章は終了。後日、書き溜めて第三章を再開。

第三章が書き溜められたので再開します。


銀二「無論、それは帝愛にとっても同じことだ……」

平井銀二たちがこのスターサイドホテルにやってきたのは、次なるヤマのためでもあった。
そのヤマとは、帝愛グループの打倒……。

安田「しかし……河野を総理に押し上げようだなんてな……。何の意味があるんだ?」

銀二「帝愛にとっては河野は動かしやすいと見たのだろうな。……あれだけのことがあったんだ」

1年前の春、銀二と交流のあった帝日銀行の救済のために挑み、勝利した300億をサシ馬にした競馬勝負……。
そのサシ馬相手だったJSAの監督庁である農業水産省のトップにして自由民生党総裁・河野洋一が帝愛グループと繋がりを持ったというのだ。
あの競馬勝負を終えてからしばらくした後、帝愛は河野に声をかけ、政治献金を行っているという。
300億を失った河野にしてみれば自分を押し上げてくれる協力者がいてくれることは願ってもないことなのだ。

過去、帝愛は橋爪竜蔵という政治家を総理に押し上げることで、その対価として自分たちの仕事をする上で有利となる法律をいくつも通してきているのだ。
今回も帝愛は傀儡となった河野を使って自分たちが動きやすい環境を作り上げ、はたまた自分たちの邪魔になる存在を一掃しようとしている……。
そうなっては銀二はおろか懇意にしている政治家たちまでもが活動し難くなる。

故に何としてでも帝愛グループを制さなければならなかった。それも上手くいけば帝愛から金を搾り取ることも可能でもある。
だが相手はライバル会社だった誠京グループを陥落させたという強大な相手……。さすがの銀二でも生半可なことでは勝てないと悟っていた。


安田「それで銀さん……。これからどうやって帝愛を潰すっていうんだい?」

銀二「いや、今の所策はない。……さすがに隙がねえからな」

敵は蔵前仁よりもさらに格上の王……。裏社会を絶大な金と権力で牛耳る魔王なのだ。
もしも敗れればまず間違いなく破滅が待っている……それも壊滅的な破滅が……。

銀二(まあ、俺の死に場所となるならそれも本望だがな……)

巽「お……何だ?」

見れば帝愛の黒服たちが数台のテレビを運んでくるではないか。

銀二「どうやらもうすぐ始まるようだな。ここの連中を楽しませるための、悪魔の余興が……」

安田「わざわざ俺たちに見せたいものがあるって招待して……何を考えてるのかねぇ……」

帝愛グループは表向きにはあらゆる金融機関を主体に傘下に加えて金貸しを生業にし、他にもカジノやホテル業にまで手を広げている日本最大規模のコンツェルン。
その規模は日本国内はおろかその外にまで及んでおり、世界中のありとあらゆる金を掻き集めている。
しかし、同時にその裏では負債者の人権はおろか生命をも奪う悪魔じみた凶悪なギャンブルを行なわせているとも聞いていた。
それは銀二も初めてこの目で見ることになるものだ……。


明穂「そういえばあんた、どうしてこんな所に来てるわけ? 船から降りた後に300万をみんなで分けたでしょう?」

カイジ「いや……その……あれは……」

由香理「呆れた……全部使っちゃったの?」

白服の後へと続く道中、明穂と由香理からの問いかけでカイジは恥ずかしそうに目を逸らす……。

明穂「それでこんな所に来るだなんてどうかしてるわよ。ちゃんと働いてるの?」

森田「もうそれくらいでいいだろ。今はそんなことを言ってても仕方がない」

カイジにきつい言葉を浴びせる二人を宥め、森田たちは白服の後をただ黙ってついていく……。
そして連れてこられたのは外……つい先ほどまで人間競馬が行われていたビルの屋上。
森田たちのレースを見物し大騒ぎをしていた観客たちの姿は既に無く、照明が消された会場はあれだけ喧噪としていたのが嘘と思えるように異様なほど静かだった。

???「おめでとう。ようこそ、選ばれし者たちよ」

パチパチと拍手を送りながら森田たち一行を出迎える一人の男……。

カイジ「あいつは……」

森田「利根川……」

カイジや森田たちエスポワールの生還者にとっては馴染みのある顔……。
あのエスポワールのホールマスターを務めていた帝愛グループの幹部、利根川幸雄……!
彼の登場と共に、森田は何か嫌な予感を感じていた……。


利根川「諸君らは勇敢に戦い、その貴重な権利を勝ち取った。諸君らは誇り高き勝者……! 実にすばらしい」

佐原「よせよ! つべこべ言わずに出せよ! 金を!」

「金だ! 金を出せ!」

人間競馬の勝者たちの労をねぎらい賞賛する利根川だが、佐原を筆頭にチケットを持つ7人は次々とそんなことはどうでも良いと言わんばかりにわめき立て要求する。

利根川「もちろん出すさ。だが……換金の時間にはリミットがある。チケット裏の有効期間を確認してもらいたい」

そう言われ、佐原たちは渡されたチケットの裏を見る……。

佐原「7月14日、午前1時30分……? ってことはもう2時間もねえじゃねえか! 賞金なんて勝ったらすぐに渡すのが当たり前だろうが! 汚ねえぞ!」

「そうだそうだ!」
「ふざけんな!」

利根川「減らず口を叩くんじゃない! 居丈高になるのは勝手だが、お前らは何も理解していないようだな」

利根川「今回の賞金を決するカード、その切り札と権利を握っているのはこちら側だということを。口を慎め!」

利根川に一喝され、佐原たちは黙り込んでしまう……。下手に逆らえば賞金を渡される権利をも取り上げられてしまうかもしれない。

利根川「時間は今言ったようにあと二時間弱……。換金場所はスターサイドホテルメインビルの地上22階、2214号室だ」

一行を人間競馬のゴール地点であった高台のさらに反対側へと連れて行きながら利根川は説明しだす。
しかしこのホテルは本来、まだオープン前であるためエレベータは作動しておらず非常階段も使えないため、普通にそこへ行くのは不可能……。


利根川「故に我々で便宜を図り道を通した」

佐原「え?」

明穂「道って……」

由香理「エレベータも階段も使えないのにどうやって?」

美緒「どういうこと……?」

美緒たちはもちろん、他の者たちも今一利根川の言葉の意味が分からない。

カイジ「鬼が……!」

森田「何てことを考えやがる……!」

しかし、森田とカイジはすぐにその言質を取って理解する……!
やはりまだ、悪魔の余興は終わってなどいないことを……!

利根川「ふふふ……そこの二人は察したようだな。全く、どいつもこいつも勘が鈍い」

利根川の合図と共に黒服によって取り除かれる巨大な暗幕……。そして月明かりの中に灯される照明……!
そこにあったのは、つい数時間前に森田とカイジも渡った鉄骨が2本……。しかし、かけられている場所が場所……!
このビルとメインビルを挟んだ空中にその鉄骨の橋はかかっていたのだ。ここは地上74メートルの摩天楼……! 落ちれば間違いなく即死する……!


明穂「じょ、冗談でしょ……」

明穂と由香理は森田たちがどんなゲームを先ほどしてきたのかを理解し、愕然……。
そして今度はさらに過酷……などとといった問題ではない事態が目の前に現れ、呆然とする。

佐原「ば、馬鹿野郎! 終わったはずだろ、もうこんなことは!」

闇が大きな口を開けている谷底を見下ろした佐原は利根川に食ってかかる!

利根川「あんな遊び程度で金が手に入ると思ったのか馬鹿共が。あんなものはパーティ客をもてなすためのただの余興だ!」

明穂「何考えてるのよ! こんなの落ちたら死ぬじゃない!」

由香理「そうよ、そうよ!」

佐原「てめえ! ふざけんな!」

利根川「当然だ! 1000万、2000万って金は安くはないんだ! 勘違いするなガキめらが!」

利根川「世間の大人どもが言わないなら俺が代わりにいってやろう。……金は命より重いんだ!」

参加者でもない明穂と由香理にまで猛抗議を受けるも、逆に利根川は一行を一喝する……!
そして利根川は言う……! 人間は誰しもが望まずとも金を得るために命がけで人生を削り、自分の存在そのものを金に変えているのだと……!
サラリーマンとして普通に働き10、20年もの月日をかけて蓄えられるのが1000万、2000万という大金……。

それに比べて何の努力もせずにたった10分ばかりの余興で大金を得るなど本来は分不相応であり……夢のまた夢……。
故に本来は得られない大金をどうしても手に入れたいというのであれば、世間のように死に物狂いで努力をし必死にならなければならない……。
つまり、リスクを賭け、命を張るしかないのだと……!


佐原「う……」

美緒「だからって限度があるわ……」

明穂「あんなことまでしなくても……」

利根川のきつい言葉が一行の胸に突き刺さる……。

森田(むかつくがある意味正論だな……)

確かに利根川の言葉は世間の真理をついているだろう。金は掴まなければ人生などない。どんなに真面目に働いても金を持たなければ罪人……。
もっとも、利根川の言い分は堅気としてまともに働いている場合に限る。
かつての森田や、平井銀二のように悪党たちが裏で金を握っていたような世間の常識が通用しない話もあるのだ。

――パニッ!!

利根川「さあ目を覚ませ! 渡れ! 渡れば今度こそスッキリ金を渡してやる! 掴むんだ! 未来を!」

呆然としていた一行は利根川に発破をかけられるが、誰もが戸惑うばかり。
それはそうだ。今回は失敗すればまごうことなき死が待っているのだから……!
しかし利根川は躊躇うなと言う。長さも太さも同じである以上、一度渡った橋ならもう一度渡れると……。
そして今回はレースなどではなくあくまで受け渡しであるため、辿り着けば全員に金は約束するとのことだ。


森田(白々しい詭弁を抜かしやがって)

利根川はああは言うものの、実際はそんなこと微塵も思ってなどいまい。
帝愛にとって自ら主催するギャンブルに参加する者は負債を抱えさせ搾取するための家畜か、先ほどの人間競馬のように醜悪な悪党連中を楽しませるための奴隷でしかないのだ。
負債者救済という大義名分を掲げながら、実際はさらに負債者を苦しめるためのものでしかない……。

最悪……その命を奪おうが何とも思わないのだ。
そんな悪党が楽しみ得をするような余興に参加するなど冗談ではない。うんざりだ。
そもそも森田は金のためにここに来たのではない。帝愛がゲームを盛り上げるためにわざわざ拉致されてきているのだ。

利根川「どうした? グズグズしていると全員放棄で失格にするぞ!」

カイジ「待て!」

怖気づいて誰も参加を表明しない中、前に出てきたのはカイジ……!

カイジ「確か1000万のチケットが2枚余ってたな。それを1枚、俺によこせば渡る!」

森田「カ、カイジ!」

佐原「カイジさん……!」

利根川「ふふふ。素晴らしい、歓迎するぞ。道開く勇者よ」

森田たちは驚愕……しかし、利根川はそれを望んでいたかのように逆にほくそ笑む……。


明穂「あんた、何考えてるのよ! こんな馬鹿げたことに首を突っ込むなんて本気!?」

佐原「そうだぜ! カイジさん! 今度失敗したら間違いなく死ぬんだぜ!?」

由香理「いくらお金が欲しいからって死んだら何にもならないじゃない!」

利根川「その点は覚悟の上さ。ただし、一つだけ断っておこうか。今回は失格者の生き残りはないということを」

カイジ「え?」

森田「何だと?」

利根川が言うなりゴム手袋をはめた黒服が鉄パイプを手にすると、それを鉄骨へと近づける……。

――バチバチ!! バリバリ!!

森田「ぐ!」

カイジ「う!」

途端に飛び散る激しい火花……! この鉄骨には高圧電流が流れている……!

利根川「見ての通りだ。この橋には電流を流してある」

美緒「何でそんなことを……」

利根川「戒めのためだ。さっきの橋では手をついてしがみつくことを認めていたが、今回もそれを認めれば早々に勝負を投げ捨てる連中が現れる」

利根川「下手をすれば全員が勝負を放棄し、イモ虫の行進だ。そんな興が殺がれる展開だけは断じて許されん」

完全に逃げ道を封じてきたというわけだ。そうなってはもはや渡るか落ちるしかなくなる……。
恐怖におののくか……そうでなくともバランスを崩しそうになって手をつけば感電……!
あれだけのショックでは体勢など保っていられない……間違いなく落下する……。


佐原「馬鹿も休み休みに言え! やれるわけねえだろ!」

カイジ「それでもいい。やる……!」

しかし、カイジは頑なに参加する意思は変えない……!

森田「やめるんだ! カイジ! これ以上、こいつらの余興に付き合うことなんてない!」

美緒「そうよ! もし失敗したら……」

カイジ「佐原、森田……美緒さん……。こんな話はもうないんだ。今回は金額だけじゃない……別の部分が異例なんだよ」

カイジ「今回、俺はただ渡り切ればいい。誰とも争う必要は無いんだ。世間じゃ他人と競争して押し退けないといけない」

カイジ「この機会を逃したら今回みたいなことはこの先ありゃしねえよ」

森田「だからって……」

利根川「ふっふっふ……確かにそうだな。今回は押す押さないの心配などない。そう考えればさっきの橋よりはずっと楽かもしれんぞ?」

そんなわけがあるまい。このゲームを主催しているのは帝愛なのだ。
ただ渡り切るだけで大金を渡すなど、そんな生易しい話だけで済ませるわけがない。必ず何か裏があるに違いない……。
カイジはそれに気づいているのかどうか分からないが……一人で行かせるわけにもいかない。


利根川「さあ、他にいないか? 腹を決めた者は。まあ別に不参加でも構わんぞ。一人は参加してくれるのだからな」

森田「……おい。俺にも1000万のチケットを渡せ」

美緒「も、森田くん!?」

明穂「ちょ、ちょっと! どうしちゃったのよ!?」

由香理「こんな橋を渡るなんて狂気の沙汰じゃない!」

森田「カイジ一人を行かせるわけにもいかないだろう。絶対に何かあるんだ……」

金などどうでもいい。ただ、悪魔に誘われるカイジを見捨てることはできない。
カイジと森田が口火となり、その後も次々と参加を表明する者が続出……。結局は文句を言っていた佐原までも……。

森田「今回ばかりは美緒は駄目だ。二人と一緒に待っていてくれ」

美緒「でも……」

しかし、さすがに今度の橋は先ほどのものとはまるで違う代物……。
こんな橋を渡る度胸は美緒にはない。……むしろ、森田の足手まといになりかねない。
森田たちが生き残ることを祈るしかない……。

こうして一部は参加を放棄し、代わりに前の橋の失格者たちが数名参加を名乗り出る。
結果、カイジと森田を含めた10人が生死を賭けた最終ゲームへの参加が決定した……。
この10人を残し、美緒たち不参加の者は黒服によって会場から人払いされていく。

残された10人は橋を渡る順番をこれから決めることになる。
時刻は午前0時00分を過ぎたばかりである……。


黒服「皆様、大変長らくお待たせ致しました。間もなく今宵のメインイベント、生死を賭けた第二のブレイブ・メン・ロードが開始されます。今しばらく、お待ちくださいませ」

森田たちが橋を渡る順番を決めている中、橋を渡った先のメインビルの22階で食事を嗜むVIPたちの前に帝愛の黒服が現れ宣言する。
VIPたちはようやく始まるのかと期待に胸を躍らせ、その薄い笑みを深める……。
自分たちの渇きを癒すための余興が楽しみで仕方が無い……。平井銀二たち一行を除いて……。

安田「何が生死を賭けたゲームだよ……」

巽「狂気の沙汰もいいところだぜ……」

窓の外にはつい数十分前に20人ばかりの人間が集められ、そして10人だけが残されている。
あの10人がこれからあの鉄骨を渡るというのだ。地上74メートル……落ちれば即死という絶体絶命の橋を……。
そしてその橋から墜落する者は確実に現れるだろう。ここにいる連中はそれを見て楽しもうとしているのだ。

安田「何だ……みんな若い連中ばかりじゃねえか」

設置されたモニターに映像が入り、橋の向こう側でこれから渡ろうとする10人の姿が映し出される。
別の場所から複数台のカメラがこれから橋を渡る者たちを追いかけ、このテレビに送信しているのだ。
さらには指向性のマイクが遠くから彼らの音を広っている……。

カイジ『渡れる! 俺たちは渡れるんだ! チャッチャと渡ってこんな所からおさらばしようぜ!』

その映像の中でカイジは自らを、そして他の者たちを煽り奮い立たせているのが見える。


カイジ『俺たちは既に一度やり遂げてるんだ! 楽勝さ! 俺たちはできる! やれるんだ!』

『おお!』
『やれる!』
『やるぞ!』

9人の男たちは橋を前に奮起し、恐怖を吹き飛ばそうと盛り上がっているようだ。

「くくく……」
「ふふふ……」
「何と醜い……」
「哀れな……」

だが、負け組の人間のそのような姿を見て、VIPたちは面白おかしそうに嘲笑い、優越感に浸っている……。

銀二「なるほど……あいつも内心は恐怖に震えているんだな」

安田「ええ? 俺にはそうは見えんがなぁ」

銀二「あいつが他の奴らを煽っている時の言葉に変化があったのに気づいたか?」

カイジたちが奮起する姿を見て銀二は冷静に語る……。
始めのうち、カイジは橋を『渡る』と言っていたが途中から『出来る』『やれる』と変化していったのだ。
それは無意識のうちにカイジたちが橋を渡るという行為、真実から目を逸らしていることに他ならない。
表面上はああやって前向きになってはいるものの、その心中では恐怖で満ち溢れているのだ。


安田「けど仕方ないとは思うぜ。あんな橋を前にされたら、ああやって酔わないと足が竦んじまうだろうぜ」

銀二「……かもな。だが、それも始めだけだ。目の前にある真実を受け止めない限り、奴らは渡れはしないだろう……」

銀二「すぐに奴らの心に潜む『死』という名の魔物が現れる……。連中は自ら生み出したその魔物に喰い尽くされ、殺される……」

安田「はぁ……。お? あいつは何やってやがるんだ?」

カメラの向きが変わると騒ぎ立てているカイジたちとは別に、橋のすぐ前に立っている男の姿が映し出される……。
緑のスーツを着たその男はただ黙ってこれから渡ろうとしている橋を、そしてビルの谷底を見下ろしていた。
その男の姿がアップにされ、姿が鮮明になる……。

銀二「……! 森田……!」

安田「も、森田だと!?」

巽「何ぃ……!?」

ただ一人佇む男を見て、銀二たちは驚愕……!
2年前……神威家における内部抗争に巻き込まれたことをきっかけに裏社会から引退してしまった銀二たちの仲間。
平井銀二が自らの後継者とするべくその才能と成長に期待していた男……。
森田鉄雄……紛れもなく、本人がそこにいたのだ……!


安田「な、何で森田があんな所に……」

銀二「なるほど……帝愛が俺たちを招待した理由が分かった」

かつての銀二たちの仲間、森田鉄雄。
彼がこれから行われる死の余興で命を散らす所を三人に見せようというのだ……!

銀二「言うならばそれは俺たちへの宣戦布告……」

安田「くそっ……! ふざけやがって……!」

銀二(森田よ……)

銀二はモニター越しだが2年ぶりに、信頼していたかつての右腕の姿を目にすることになる……。
この2年間、銀二は袂を分かった森田とは一切交流がなく、どうしているかもほとんど分からなかった。
聞いた話では裏家業で稼いだ数億を越える大金を、全て帝日銀行へと預金もせずに渡したということだが……。

森田『もうよせよ、お前ら……。死ぬぞ、間違いなく』

後ろで「渡る!」「やれる!」と奮起をし、大騒ぎを続けているカイジたちに森田が突然釘を刺しだす。
森田のその言葉に、カイジたちはあれだけ盛り上がっていたのがピタリと止み、沈黙……。

カイジ『森田……何を……』

森田『この橋はそんな勢いだけで渡れるようなものじゃない。みんな、俺たちがこれから何をしようとしているのか本当に分かっているのか?』

森田の言葉に一同、絶句……。そして、改めて目の前に飛び込む光景を認識する……。
地上74メートルの摩天楼にかけられたか細い鉄骨の橋……しかも高圧電流が流され、手をつくことは不可能……。
失敗すれば待っているのは死、あるのみ……!


森田『俺も正直怖いぜ……。こんな橋を渡るなんて生まれて初めてなんだからな』

森田『だが、俺は目を背けねえ……。俺たちの前にあるこの現実を……』

カイジ『森田……お前……』

森田『死ぬことを決意するんだ……! そうでなきゃ、絶対に渡り切ることなんかできやしない!』

森田に発破をかけられ、カイジたちは呆然としていた……。

巽「森田のやつ、やけに落ち着いてやがる……。あんな橋をこれから渡るっていうのに……」

安田「あいつ…しばらく見ねえうちに何だか様変わりしてやがるな」

最後に会った時の森田はようやく一人前の男として歩んでいこうという状態だったのだ。
それがさらに知らず知らずのうちに成長していた……そんな風に見える……。

銀二には分かっていた。今、森田は死から背を向けるカイジたちとは違い、目の前に広がる死のプレッシャーと向き合おうとしていることに。

銀二(……そうだ。それでいいんだ、森田。目の前の死という現実から目を逸らすな)

銀二(死の恐怖とはそれを拒絶し弱った者の心を握り潰し、殺していく。ならば受け止めろ……! 死という名の魔物を……!)


午前0時15分……いよいよ出発の時だ。
橋を渡るのは右の橋が太田、佐原、西田、藤野、森田。そして左側は中村、中山、カイジ、石田、小泉という順番だ。
スタート前はあれだけ騒いでいたというのに森田に自分たちの前に立ちはだかる現実を突きつけられ、皆沈黙していた……。

太田(落ちれば死ぬ……落ちれば……)

佐原(落ちる前に自力で渡りきるしかない……)

森田鉄雄にかけられた言葉、「死ぬことを決意しろ」という言葉を胸に、全員は覚悟を決めて橋を渡っていく……。

カイジ(何も考えるな……何も感じずに渡るんだ……!)

先ほどまでは積極的に他の者たちの奮起を煽っていたカイジでさえ、己の心中に巣食う魔物を懸命に抑え付けていた。
しかし、森田に一喝されたとはいえ所詮は決意に支えられて渡っているのではない……似非の覚悟程度では湧き上がる死の恐怖を抑えられない……。

カイジ(こ、こんなに違うものなのか……落ちたら死ぬっていうこの状況が……!)

開始から5分と経たぬうちにカイジはおろか他の8人たちも皆、沸き上がる死の恐怖を抑えきれずに震え出していた……。
ただ一人、森田鉄雄を除いて……。


カイジ(何だよ……この感覚……。まるで俺の体が俺のものじゃないような……)

カイジ(無理だ……! こんな調子じゃ落ちちまう……! 落ち……!)

森田「カイジ!」

死の恐怖に身を震わせるカイジの背中にかかる森田の声。
その一声がカイジを支配しようとする恐怖を僅かながら吹き飛ばし現実へ引き戻す……!

森田「大丈夫だ。俺が……俺たちがいるんだ。足を止めるな。前へ進むんだ、少しずつ……!」

カイジ「森田……」

見れば森田の足も震えているのが分かる……。やはり森田も死の恐怖に身を震わせているのだ。
だがその精神はカイジたちとは訳が違う……! 同じ死と隣合わせの状況の中、他の者に気をかける余裕を残している……!

カイジ(そうだ……森田だってやれるんだ……。だったら、俺だって……!)

森田に勇気づけられ、カイジは再び一歩ずつ歩んでいく……。
滲み出る冷や汗が鉄骨に滴り落ち、僅かな火花を散らして蒸発する……。

石田「カイジくん……森田くん……。違うよ……さっきまでの橋と……」

森田「石田……!」

カイジ「言うな……! 石田さん!」

しかし、渡っている誰もが森田のように本心で死を決意し、覚悟を決めたわけではない。
その脆くなった心は恐怖に支配され、気力を奪い、殺されようとしている……。


森田「足を止めるな! 石田!」

森田は心が弱った者を一喝し、その気力が萎えないよう必死に尽力する。
そんな中、先頭を行く太田の様子が一変する……。

太田「風……風だ……!」

石田「ひぃ……!」

カイジ「じょ、冗談じゃねえ……! 今風なんかに煽られたら……!」

不安定な摩天楼で強風が吹きつける……そうなれば一巻の終わりだ。その状況を想像したカイジたちは皆、更なる恐怖に打ち震える……!

森田(風だと……?)

だが、森田だけは違った。太田の言うような、突風など今ここには吹いてなどいない事実を察している。
しかし、ありもしない突風の存在を口ずさんだ太田に嫌な予感を感じだす……!

カイジ「大丈夫だ。太田! 風なんか吹いてない! 気のせい……」

太田「うわあああっ! 何言ってるんだよ! 風が! 風がああああぁ! 飛ばされる~!」

しかし、太田は突然狂ったように喚き立て、必死に飛ばされないように自らの体を押さえつける……!
その光景を見たカイジたちは唖然……!

森田「ま、まさかあいつ……!」

死の恐怖のあまり、太田は突風に煽られる幻想にとりつかれてしまったのだ……!
こうなってしまっては完全に正気を失い、墜落するのは目に見えている……!

利根川「くくく……始まった、始まった……」

スタート地点で高みの見物をしている利根川は恐怖に震えて橋を渡る10人を見てほくそ笑む……。


太田『ぎゃああああああっ!! あああああ~~……!』

正気を失い絶叫を上げ続ける太田がついに鉄骨にしがみつき、その全身を高圧電流が流れ出す!
その強烈なショックで完全にバランスを失った太田は、そのまま闇が口を開ける摩天楼の谷底へと落ちていった……。

「おお……!」
「これはこれは……」

モニターおよび窓からその光景をメインビルで見届けていたVIPたちは皆、一人の人間の命が散っていく姿に嘆息・高揚する……。
この瞬間を待っていた、と言わんばかりに……!

中村『……もう嫌だあああぁ!』

石田『ひい~~!』

小泉『助けて……助けて……!』

カイジ『落ち着くんだ! みんな!』

森田『死にたいのか! 落ち着け!』

太田の死を皮切りに橋を渡る者たちは完全に死の恐怖に支配され、混乱……!
カイジと森田が叫んでも誰の耳にもその声は届かない……。

そうして死の恐怖に支配され震える姿と轟く悲鳴に、見物するVIPたちは死のショーを踊る者たちの姿に目を爛々とさせていた……。
これこそが彼らが望んでいた場面……。死に行く者たちが無様に泣き叫び、そしてその命を散らしていく……。
他人の不幸を見ているだけで彼らは満たされるのだ……!


中山『俺は生きたい……生きたい……!』

カイジ『利根川! 切れ! 電流を! 金はいらない! みんなもそれでいいな!』

『お願いします! 利根川さん~!』
『電流を切って~!』
『ギブアップ~!』

カイジがゲームの中断、ギブアップを宣言する……。だが、それでゲームが中断をしてくれるはずなどない……!

「くくく……何と無様な」
「馬鹿な奴だ……」

必死に命乞いをするカイジたちの姿に、VIPたちは口々に嘲笑う……。

中山『ぎゃばばばばば!』

藤野『た、助け……!』

西田『お、おい! やめ……! うわああああっ!』

そうこうする間に次々と転落する者は続出……! まさに死の連鎖……!
ある者は恐怖に負けて鉄骨に触れ感電し、またある者は他の者を道連れにして奈落へと消えていく……。

「ははは……!」
「ふふふ……!」
「くくく……!」


安田「……悪趣味にも程があるぜ……! こんなの人間がすることじゃねえ……!」

巽「連中、狂ってやがる……」

VIPたちが残酷な人の死に高揚し、心底楽しんでいる様子を目の当たりにして安田と巽は嫌悪……。
かといってこのゲームの全てを決めるのは主催者である帝愛……自分たちは何もできないのだ……。
森田はまだ落ちてはいないとはいえ……こうも目の前で人間が次々と死んでいく光景に我慢ができるはずがない……!
なのに彼らはそれを目にするのが何よりも楽しいという……! あまりにも醜悪すぎる快楽……。

銀二(森田よ……)

立ち上がる銀二は窓際に立つと、タバコを吹かす……。
銀二には森田たちの上空を死神が旋回し、心の弱った獲物に取り付き殺していくように見える……。
その死神に命を狙われた者は、容赦なく死の橋から引きずり落とされていく……。
しかし、森田はその死神を蹴散らしている……!


森田「くそっ……くそっ……」

森田は悔しそうに肩を震わせる……。目の前で次々と人が死んでいったというのに、自分は手を差し伸べて助けてやることもできない……!
気が付けば、数分と経たないうちに6人が落下……。この橋の上に残されたのはカイジ、森田、佐原、石田の4人だけ……。
利根川はギブアップなど一切認めるはずがないのだ。カイジが叫んでも結局は何人も感電し奈落へと落ちていった……。

かと言って戻ることも不可能……。生き残るにはゴールまで渡り切るしかない……!

石田「カイジくん……森田くん……助けて……助けて……」

カイジ「石田さん……! しっかりしろ!」

森田「焦るな! そのままゆっくり……!」

恐怖に駆られて助けを求めながら涙を流す石田に、二人は救いの手を差し伸ばそうとする……。

佐原「うおおおおおおおっ!!」

と、先頭の佐原が全てを吹き飛ばすような大声を上げる……!
突然の咆吼に三人は呆然……。

佐原「馬鹿かてめえら! こんな橋の上で支えあったりなんかできねえ! 自殺行為だ!」

カイジ「佐原……」

佐原「助かりたかったら自力で渡るしかねえ! 近くに誰がいようと関係ねえ! 自分しかいねえんだ!」

佐原「さっき森田が言った通りだよ! そんな中途半端な気持ちだから大事なことを見失うんだ!」

佐原「俺たちがここにいるのは助けを求めることでも、怯えることでもない! この橋を渡るためだ! 違うか!?」

佐原「俺は一人でも行く……!」

そして佐原はもう後ろを振り返りもせず、ただ前へと進み出した……。


強さと現実、そして道を示した佐原に森田とカイジは唖然とする……。

カイジ(そうだ……! 佐原、お前は正しい……。その通りだ……! 今大切なことは助かることなんかじゃないんだ!)

橋を渡る寸前で森田が言った「死ぬことを決意しろ」という言葉を思い出す……!
森田は死ぬことさえ決意しているからこそ、恐怖に支配されることなくこの橋の上にいるのだ……!

カイジ「……行こう。森田、石田さん!」

森田「ああ……!」

佐原の後に続き、二人の男は前へ進もうとする。しかし……。

石田「カイジくん……俺は、ダメだ……。ダメなんだぁ……!」

石田は恐怖に満ちた泣き顔のまま、その場から動けないでいた。
目の前で何人も落ちていく光景を目にし続け、その残像が未だに消えない……。
完全に恐怖に支配されてしまった石田の心はもはや限界で、今にも砕けてしまいそうだった。

森田「おい! しっかりしろ!」

カイジ「そうだ! 死にたいのか!」

石田「ありがとう……すまなかった……カイジくん。船でも助けてもらって……今回も……ひっ!」


「おお……おお……!」
「死のダンスだ……!」
「終わったな……」

死のショーを見物するVIPたちはバランスを崩して大きくふらつき今にも落ちそうになる石田の姿を見て楽しそうに笑う……。
さあ落ちろ、落ちて自分たちを楽しませろと言わんばかりに……。

カイジ『落ち着け! 戻しを大きくするな!』

森田『少しずつ戻せ!』

だが、石田は森田とカイジの励ましを受けて何とか持ち直す。

「ちっ……」
「クズめ……」

VIPたちはつまらなそうに毒づく。

安田「クズはてめえらだろうが……」

人の不幸をこうも平然と喜んでいられる醜悪な人間たちの姿を見て逆に憤る安田……。

巽「あのおっさん……あのままじゃ後2、3分もいい所だぞ……」

二人も銀二のいる窓際へと移動し、森田たちが必死に渡ろうとする様を直接見届けていた。


石田『カイジくん……これを……』

石田はカイジに自らのチケットを差し出す……。カイジと森田は呆然……。

カイジ『それは……?』

石田『カイジくんたちに託す……虫のいい話なんだが、俺の代わりにこのチケットを金に換えて渡してやってくれ……』

石田『俺の女房と息子に……今も借金に追われて暮らしている……』

カイジ『知るかよ! そんな話! それこそあんたがどうにかすりゃいいんだよ!』

森田『そんな事情があるんだったら、なおさらあんたが直接渡してやるんだ! そのために渡れ!』

二人は必死に石田を一喝するが、石田は首を横に振る……。

石田『ダメだ……俺はもう……』

森田『何言ってやがる! 死にたいのか!』

カイジ『しっかりしろ!』

石田『俺はわかったんだよ……。人間には二種類がいる……土壇場で臆してしまう人間と、そこで奮い立つ者が……。俺はそのダメな方……』

石田『でも、君たちは違う……! カイジくんも森田くんも、勝てる人間……! とても強い人間だ……!』

石田の言葉はマイクを通してこの一室にも流れている。
しかし、VIPたちはそれを死に損ないの戯言など興を失うと言わんばかりにつまらなそうな様子で聞き流していた。
たった三人……平井銀二たち一行は除いて……。


石田『頼む……。新富下駅前のあさひホールというパチンコ屋で安田という偽名で働いている石田裕美に、これで得た金を渡してやってくれ……』

カイジ『だからそういうことはあんたが……!』

石田『は、早く……早く……!』

またしてもバランスを崩しそうになってふらつく石田は必死にバランスを保ちつつ、カイジにチケットを渡そうとする。
カイジはいても立ってもいられず手を伸ばし、そのチケットを受け取った。
違う橋にいる森田は手を伸ばし助けたくても助けられないことに口惜しそうにしている……。

石田『さあ、カイジくん……森田くん……行ってくれ。俺に構わず行ってくれ……』

森田『しかし……』

石田『行ってくれ……俺が落ちるのを見たら、少なからず動揺する……。そんな無駄なことをしちゃいけない……』

石田『森田くん……君はとても強く、優しい人間だ。カイジくんを、君の仲間を助けてやってくれ……』

石田『さあ……行くんだ』

すっかり弱々しく消え入りそうな声となった石田に促され、とうとう二人は前へと進み出す。
石田の後方にいた森田も横を通り過ぎる際に石田の姿を見ようとするが……。


石田『振り返らないでくれ……ただ、前だけを見て進むんだ……』

森田は石田の言葉に従い、視線を外す……。

石田『森田くん……カイジくん……勝てよ……勝て……。人は勝たなきゃ嘘だ……俺は敗れて、本当に無意味な一生だった……』

石田『そんな一生を君たちは送っちゃいけない……! 君たちは勝てる人間なんだから……! 勝て……勝つんだ……!』

二人の背中に激励を送る石田の姿を見ていた銀二たちは深刻そうな表情を浮かべている……。

銀二「勝つ……か」

巽「あのおっさん……あんなことを言うなんてな……」

銀二はこれまで多くの人間を地獄に突き落としてきた……。その者たちはみんな最後には泣いて許しを請うたりしてきたものだ。
だが、あの石田のように死の淵にいながらあそこまで他人に希望を託せる強い人間は初めて見た。
ましてや石田はただの凡人だというのに……。

安田「あ……!」

そして、三人はその目ではっきりと目にしていた。
森田とカイジが振り返らずに進む中、石田の体がふらりと横に大きく傾いていく所を……。


カイジ(違う……! 無意味なんかじゃない! 石田さんは祈れた……! 立派にやり遂げたじゃないか……!)

森田(最後の最後、死の際でも他人を思い遣ることができたあんたは、人間として上等じゃねえか……!)

石田の遺言が前を見据えながら進む二人の頭の中を駆け巡る……。

カイジ(石田さんの人生は決して無駄なんかじゃない……無意味なんてとんでもない……むしろ勝ったじゃないか……!)

カイジは伝えてやりたかった。石田の人生は決して無意味などではないのだと……! 最後の最後に……!

森田(そうだよ。カイジは仲間だ……そして、あんただって仲間じゃねえか……!)

森田(俺はあんたを救いたい……! あんたの恐怖を拭ってやりたい……)

手は伸ばせずとも、声は届く……。必死に声をかけてやれば少しずつ前へ進ませてやれるかもしれないのだ。
最悪……時間切れになってでも……。

カイジ「石田さ……!」

森田「石田……!」

石田との約束を破り、二人は後ろを振り向き……絶句した。
そこに、つい先ほどまでいたはずの石田の姿はどこにもなかった……。
ただ虚しい風だけが吹いているだけだった……。


カイジ「あ……あああぁぁぁ……! あああああああ!」

森田「な……!」

石田は二人が気づかぬ間に、既に落ちていた……。死の断末魔……悲鳴のひとかけらさえ発さずに……。
あれほど死の恐怖に震えていたにも関わらずにただ黙って……カイジたちを動揺させないために、絶叫を強引にねじ伏せ、噛み殺し耐え抜いた……!

カイジ「うわあああああああ!!」

森田「くそ……くそ……!」

絶叫を上げるカイジと、後悔する森田……。
石田は最後の最後まで自分の意地と強さを貫き通した……!
そして示したのだ……! 矜持を……! この土壇場で……!

カイジ「渡る……!」

涙を拭ったカイジは再び前を見据える……! 森田も同じく……!

カイジ「絶対に渡るぞ! 森田!」

石田から託されたという使命感、そして森田鉄雄が決意した死への覚悟……。
この二つを胸に、カイジは何としてでも渡ることを決めた……。たとえ渡れずに死ぬとしても、強く死ぬと……!

森田「おお!」

死を決意した二人の男は渡れずに死んでいき、そして希望を託した者たちの無念を背負い、死の橋を渡る……!

森田(何としてでも救う……! この男だけは……!)

救いたい人間が救えず、悪党たちの得になるような、そんなことだけは決してさせまいと森田鉄雄は胸に誓った……!

以上で第三章は終了。後日、書き溜めて第四章を開始。
そして誤字や連投がいくつかあった……すいません。

>>117の文、「石田の遺言が前を見据えながら進む二人の頭の中を駆け巡る……。」

「石田の遺言が頭に渦巻く中、前を見据えながら進む二人の頭の中を駆け巡る……。」
です。

>>121
あ、申し訳ありませんでした。>>117のままで正しいです。

第四章が書き溜められたので再開します。



「何と興が殺がれる……」
「面白くもない奴め……」

石田が断末魔の悲鳴も上げずに落ちていった光景に見物していたVIPたちは心底つまらない様子であった。
それどころか残った三人は今までに落ちていった連中と違って極端に恐怖に震えずに進み続けている。

佐原『カイジ! 森田! いるか!?』

カイジ『いる! いるぞ! 佐原!』

森田『俺たちはここにいる!』

死者の幻影を見ようが、本物の突風が吹こうが……男たちは互いに励まし合い、少しずつ死の橋を渡り続けていた。
手を差し伸べて救うことはできずとも、互いの存在そのものが己の支えとなり、この橋を渡る気力を生み出している。

安田「がんばれ……森田……あと少しだぞ……」

既に先頭の佐原はゴールまで残り10メートルを切っている。カイジも森田も確実にその後ろをついてきている。
安田は手に汗を握り締めながら、三人の男たちの命がけの橋渡りに食い入っていた。
そのようにはっきりと森田とその仲間たちを応援する安田とは対照的に、平井銀二はタバコを吹かしながらただ黙って橋を渡る男たちを静観する……。

銀二(似てるな……あの二人……)

銀二の目には、森田鉄雄と伊藤カイジの姿がダブって見えていた。
顔つきが似ているのもそうだが、二人から発せられる気迫はとてもよく似ている……。
もちろん、カイジの気迫は今の森田には遠く及びはしないが。


巽「ん? 何だ?」

安田「あん?」

ふと見ると、食事をしながら見物しているVIPたちが次々と席を立ち、窓際へと集まってくる。
銀二たちは部屋の端の窓から森田たちを見守っていたのだが、彼らは森田たちのゴール地点である二つの窓へと集まりだしたのだ。
何故かやや遠巻きに窓を取り囲み、しかも全員が隣同士で腕を組み合っている。

安田「何やってやがるんだ。あいつら……」

銀二(ん? あれは……)

安田がVIPたちの異様な光景に不信がる中、銀二は目を細めた。
これまで森田たちの姿を視線で追っていた以上、自然とその周囲の風景も飛び込んでくる。
先頭の佐原がもうあと6メートルまで近づいてきた中、銀二の視界に入ったもの……。
それは二つの鉄骨の外側で、疎らに設置されている照明に光で照らされることで薄っすらと闇の中を浮かんでいた……。
その存在に、三人は気づいてはいない……。

佐原『うわぁっ……!』

森田&カイジ『佐原!』

佐原『うおおおおおっ!』

しかもゴール直前、バランスを崩しかけた佐原は一気に鉄骨を走り抜けたことでそのガラス張りの影を通り過ぎてしまっていた……。


佐原「やった! やったああ!」

佐原の歓喜の叫びが響き渡る。
気力を振り絞り、全力で橋を駆け抜けた佐原はついにゴールへと辿り着いた……!
ゴールの足場に何とかしがみつき這い上がった佐原は感涙し、窓に張り付く。

カイジ「佐原ぁ……」

森田「やった……」

仲間の一人が無事に生き残ったその様を見て、カイジも森田も安堵する……。
ついにやり遂げた……。死の恐怖に耐えながら、この死と狂気の橋を佐原は自力で渡りきったのだ……!

佐原「ゴールだ……! この窓の向こう側が俺の未来……!」

達成感と感動のあまり力が抜けてしまったのか、膝をつく佐原。それも無理はない。たった今まで生と死の淵を命がけで突き進んできたのだから。

カイジ(良かったな……佐原)

カイジまでもがもらい泣きをしてしまっている……。

カイジ「森田……俺たちも行こうぜ!」

森田「ああ……! 奴に続いて……」

この時、声をかけてきたカイジの方を振り向いたのは偶然だったのか。
だが、偶然にしろそうででないにしろ、ここで森田がカイジの方を振り向いたのはまさに幸運であったのかもしれない……。


森田(何だ? あれは……)

カイジと森田は互いにゴールまで残すところ6メートル。
ちょうどカイジが立っている地点のすぐ外側に、薄っすらと何かが見える……。
絶句する森田は反対側、すなわち自分のすぐ外側の方へ視線をやってみると、同じように透明な何かが浮かんでいるのがはっきりと見えていた。

森田(え……? 足場……? 階段……?)

すぐ外側にあったそれは、ガラス製の足場……ビル側に向かって直角に道が出来ており、その先には上へ行く階段があるのだ。それは当然、カイジ側の方にもある……。
この二つのガラスの道の終着点はさらに1階上の窓……正面のゴール地点のちょうど真上の窓まで続いていた……。

森田(上にも誰かいる……?)

そしてその窓の中の闇にぼんやりと一人の人影が浮かんでいる……。

佐原「この窓開くぞ! カイジ、森田! 俺が先陣を切って……!」

カイジ(え……?)

部屋の中へ入ろうとしている佐原の背を見つめていたカイジもまた同じように絶句していた……。
窓の向こう側には何十人という人だかりが集まり、今入らんとしている佐原を笑っている。
しかしそれは佐原を迎え入れ、祝福しようなどというものではなく……もっと別の何かを期待しているようなドス黒い期待……。

カイジ(何だよ……あれ……)

あまりにも異様な不気味さを感じる光景にカイジは戦慄……。それはたった今、同じように正面の窓の方へ視線を移した森田も同じ……。
あの窓を開けてはならない……! 二人は直感的に悟っていた……!


カイジ「よ、よせ! 佐原!」

森田「その窓を開けるな!」

佐原「え? 何でだよ! せっかくあともう少しで……」

思わず佐原に呼びかける二人だが、佐原は訳が分からぬまま窓を開けようとしている……。

カイジ「よせって!」

森田「やめろ! それを開けたら死ぬぞ!」

佐原「何言ってるんだよ。そんなことあるわけ……」

二人の言葉に聞く耳を持たずに取っ手に手をかけ、今まさに窓を開けようとする佐原……。

森田&カイジ「よせえ!」

必死に佐原に呼びかける二人。しかし、その思いは届くことはなく……!

佐原「……う!」

一陣の突風が佐原の真正面から叩きつけられ、その身を押し飛ばしていた……!


佐原「うわああああああああっ!」

森田&カイジ「佐原あああああっ!」

窓を開けた途端、突如として中から強烈な突風が襲い掛かり、佐原の体を容赦なく吹き飛ばしたのだ!
無情にも吹き飛ばされ、落下していく佐原の悲鳴が窓が開け放たれたことで直にVIPたちの耳に届いていた……!

「おお……!」
「引っかかったな……!」
「何と素晴らしい光景だ……!」
「ふふふ……!」
「最高だ……!」
「これこそこの橋の最高潮のメインディッシュ……!」
「くくく……!」

VIPたちはこれまでにないほどに高揚した様子で、希望から一転して絶望へと突き落とされた佐原の断末魔に悦に浸る……!
彼らとは別に佐原の最期を見届けた平井銀二たち一行はあまりの光景に驚愕・愕然……!
安田に至っては窓に張り付き、佐原が闇へと消えていったビルの谷底を見下ろしている……。

安田「ひ、ひでえ……! こんなのありかよ……! どうして、こんなことが……!」

銀二「空気圧だ……」


ドーム球場や競馬場などでよく体験するであろう、屋内と屋外との気圧差によって激しい突風が発生する。
風は気圧が高い方から低い方へと流れる性質を持つ以上、ビル内の気圧が外に比べて高ければ当然、それだけ突風が吹き付けるのだ。
佐原はその突風をまともに受け、吹き飛ばされてしまったのである。

銀二「つまりあの窓は最初から奴らが入るためのゴールなどではなかった……」

正面から入ろうとすれば今の突風で吹き飛ばされて死ぬ……。
言うならそれこそがこの橋のクライマックスであり、今ああして集まっているVIPたちのために用意された偽のゴール。
それを何も知らない、夢と希望を輝かせた者が絶望へと移り変わり死に行く様を彼らが間近で見届け、最高の愉悦を感じるために……!

安田「馬鹿な! それじゃああいつらはどうあがいても……」

銀二「いや……奴らにはまだ生き残りの道が残っている。そして森田はそれに気づいている……」

銀二は踵を返すと、佐原の死を見届け歓喜と愉悦に浸る醜悪な人間たちを尻目に部屋の扉へと向かっていく……。

巽「銀さん。どこへ行くんだい?」

銀二「ちょっと野暮用だ。これから少し荒れるだろうからな」


バタン、と開け放たれていた窓が風で閉まる中、森田とカイジは呆然としていた……。

カイジ「佐原……佐原よぉ……」

森田「こんな話ありかよ……?」

あまりにも悲惨な最期を遂げ、奈落へと飲み込まれた佐原に二人は涙する……。
せっかく命からがら辿り着いたと思ったのにこんなことが起きるとは……。
しかも窓の向こうにいる連中は人間競馬たちと同じように森田たちが死の橋の上で泣き叫び、死んで行く様を見物していた……。
結局この鉄骨渡りも、森田が予想した通りに醜悪な悪党たちが得をするために用意されたショーだったのだ……。

しかし、決してそうなっていたわけではない。その証が今、森田の目の前にある。

森田(こんな生き残りの道……気付けるはずがねえ……!)

あの突風を回避するために用意された別ルート……ガラスの道。しかし、こんなものがあるだなんて利根川は説明しなかったし、森田たちが自力で気付ける状況ではなかった。
スタート地点では遠すぎて見えない上、橋の上では目の前を行くことが頭で一杯で気付ける余裕などなく、佐原のようにゴールに辿り着けばそれで既に死角……。
結局、この道は立ち往生でもするか森田のように偶然が起きなければ気付けない……。

森田(帝愛の奴ら……! どこまでも俺たちを弄びやがって……!)

森田の心中に人の命を悉く弄ぶ帝愛に対する怒りが湧き上がる……。


森田「行こう、カイジ。……ゴールへ」

カイジ「ゴールって……あの窓は……」

森田「横をよく見ろ。ガラスの道があるはずだ……俺の方にもある。恐らくこれが本当のゴールなんだろう……」

戸惑うカイジに見せ付けるように、森田はガラスの足場へと足を踏み出す……!
実はこれも帝愛の罠であったとしても、この道を行くしか選択肢はない……!

カイジ「な、何!?」

森田がガラスの道へ足をつけたことにカイジ、驚愕……! まさかこんなルートが用意されているなど思っても見なかった……!
すぐにカイジも自分に用意されたガラスの道と階段を行く……。上の窓はカイジたちが階段を上がろうとしている中で勝手に開いた……!

カイジ「はあっ……はあっ……」

階段を上がった二人は今度こそビルの中へと足を踏み入れる。極限状態が続いて憔悴し切っていたカイジは床に倒れこんでしまっていた。

パチパチパチパチ……!

そんな中、突如として沸き起こる拍手の嵐……!
見れば部屋の中には何十人という帝愛の黒服たちがおり、森田たちを囲みながら拍手で迎えていたのだ。

黒服A「コングラッチュレーション……!」
黒服B「コングラッチュレーション……!」
黒服C「完走おめでとう……!」
黒服D「おめでとう……!」
黒服E「おめでとう……!」

口々に二人に祝福と賞賛の言葉をかける黒服たち。その光景に二人は呆然……。
だが、森田の表情は先ほどから怒りの色に染まっている……。


利根川「いやいや、実に見事な完走だったな。素晴らしい……!」

同じように小さな拍手を送りながら現れた利根川……。
彼は数分も前からスタート地点のビルよりメインビルへと移動していたのだ。
エレベーターは使えないと言っていたが、実際は森田たちを橋を渡らせるための詭弁に過ぎない……。

カイジ「よしやがれ! 何がめでたい! 何人死んだと思ってやがるんだ!」

しかし、逆にその賞賛はあまりにも白々しく、カイジの怒りを刺激するだけであった。
利根川はカイジの怒りに対して何の感情も抱かずに冷笑している……。
森田は今すぐにでも利根川をぶん殴ってやりたいくらいだ……。

カイジ「無駄口叩いてないで金を出せ! 俺と森田の分! おら! 2枚だ!」

カイジは自分と石田から託された1000万のチケットを利根川に突きつける。
しかし、利根川はカイジたちを嘲笑うように冷笑を浮かべるだけだった。

利根川「残念だがそのチケットはもう無効だ。橋の途中で効力を失った」

あまりにも予想しなかった言葉に二人は唖然……。


カイジ「ば、馬鹿な! まだタイムオーバーってことは……!」

利根川「そうだな。まだ午前1時5分前……その点は問題ない。……だが、忘れたのか? お前が言い出したのだぞ? 『電流を切れ。金などいらない』とな……」

カイジ「え?」

確かにカイジは橋を渡っている途中、ゲームの中止を求めてギブアップ宣言をしていた。
しかし、にも関わらず電流は切られずにその後も何人も奈落へと落ちていったのだ……。

利根川「我々はお前の願いを聞き入れ、あの後電流は切ったのだ。もっとも、多少切るのが遅れて痛ましい事故も起きたがね……」

冷笑する利根川の言葉にカイジも森田も絶句……。
森田に至ってはそれまで湧き上がらせていた怒りがスッと静まってしまった……。

利根川「つまり、お前は自ら権利を放棄したのだ。お前は他の連中の代表としてギブアップを宣言した。故に連帯責任で森田鉄雄のチケットも無効だ」

利根川「残念、残念……」

カイジ「……ぐ……う……うあああああああああ!」

冷酷な笑みを浮かべる利根川にカイジはついに怒りを爆発させ、利根川に飛び掛る!


だが、護衛も務めている大量の黒服たちに押さえ込まれてしまう!

カイジ「ふざけんなてめえ! 切るならすぐに切れ! 汚ねえぞ! このチケットが紙くずなら、みんな何のために死んだ!?」

カイジ「そんなペテン許せるか! 殺す! 殺す、利根川ぁ!」

利根川「やれやれ……カイジ。あの橋はお前らがルールをしっかり認知した上で参加し、渡っていったんだ」

利根川「つまり、全てお前らの責任の範疇。我々を責めるのはお門違いだ。我々はただ約束を守っていただけに過ぎん」

カイジの怒りなぞ眼中にないように利根川は冷淡な言葉を続ける……。

利根川「もっとも……たとえギブアップせずに渡ったとしても、死んだ奴のチケットなんぞ知らんがな……」

森田「……き さ ま ああああああぁぁぁ !!」

そのあまりにも心無い発言に、ついに静まっていた森田の怒りが一気に膨れ上がる……!
カイジと同じように利根川に飛び掛ろうとするも、やはり同じように黒服に押さえ込まれる!

黒服A「ぐえっ!」
黒服B「ぐふっ!」
黒服C「ぐはっ!」

しかし、森田は黒服たちに押さえ込める黒服に肘鉄や膝蹴り、頭突き等を次々に喰らわせて返り討ちにする!


森田「うおおおおおおっ!」

利根川にあともう少しで拳が届こうという所で再び森田は黒服たちに一斉に押さえ込まれ、さらに今度は床に押し倒されてしまう。

森田「貴様、最初から全部分かってやがったな! 俺たちが途中でギブアップすることも! 何もかも!」

床に押さえ込まれたまま冷たい目で見下ろす利根川を見上げ、吠え掛かる。

森田「この鉄骨渡りは今回が初めてじゃない! 以前から何回もやっていた!」

森田「貴様は橋を渡る連中を何度も見てきた! だから橋を渡る奴らがどのようになるのか全て分かっていたんだ!」

橋の途中で恐怖に駆られ転落し……たとえギブアップ宣言をしても許さずに渡ることを強要する。
そしてたとえ渡ったとしても何の説明もなかった偽りのゴールで殺し、たとえ生き残りの道を見つけたとしてもそれまでに必ず誰かがギブアップを宣言する以上はそのことを指摘して失格扱い……。
つまり最初から森田たちに金を渡す気などさらさらなく、下の階にいる醜悪な見物人たちを楽しませるための生け贄でしかなかったのだ。

森田「どこまで人の命を弄べば気が済む! 許せねえ! 貴様らだけは!」

利根川「邪魔だ。早く追い出せ」

利根川は森田の咆哮を無視し、黒服に命ずる。


???「利根川先生。彼らの言うことにも一理あるのではありませんか?」

と、そこに突然何者かの声がかかる。
その声には利根川も驚き、声がした方を振り向く……。
いつの間にか開けられた扉を通り、一人の男の影が闇の中に浮かび上がる……。

森田(え……? 今の声……)

森田は今聞こえた男の声に聞き覚えがあった……。それは森田にっとてはとても懐かしい声……。
だが、その声の主がここにいるはずがない……。

???「彼らから要求があった以上、それを受け入れるか拒むかはあなた次第……そして結果的にあなたはそれを受け入れる道を選んだ」

???「しかし、受け入れたのであればそれは彼らの要求があってすぐに実行されなければならない。あのような中途半端な要求の受け入れはあまりにも不公平……。主催者としての責任が無さ過ぎる気がしますな」

???「そしてその中途半端によってあのような事故が起きた以上、あなた方には幾許かの責任があるはず。違いますか?」

利根川「む……」

???「確かにそうだ、利根川よ。銀王と彼らの言い分ももっともだ」

さらに別の、部屋の奥から老人の声がかかる……。


森田(銀王? 今、銀王って言ったか?)

その老人の口から出た一語に森田は驚愕……! 銀王……それはかつて森田が憧れ、超えようと思っていた男の異名……。
つまり、今ここに現れた男とは……!

森田「ぎ、銀さん……!?」

カイジ「え?」

闇から現れた白髪を逆立てた男……。
紛れもなく、2年前まで森田と共に裏社会で仕事を行ってきた裏社会のフィクサー……平井銀二その人だった。
あまりにも予想しなかった事態に森田、混乱……! 何故、平井銀二がここにいるのか……。

銀二「どうでしょうか、兵藤会長。ここは今一度、彼らにチャンスを与えると言うのは」

兵藤「くくく……そうだな。これではあまりにも無慈悲すぎる。では、利根川よ。Eカードの準備を」

そして闇から歩み出てきたもう一人の老人……。

森田(こいつは……あの時の……!)

先ほど橋を渡っている中、上で一人こちらを見下ろしていた男……。
そしてこの悪魔じみたギャンブルの元締めにして全ての黒幕……。
帝愛グループの全てを統括する総帥、兵藤和尊……!

兵藤「最近の若者はクズがかりだが、君たちはマシなようだな……あの橋を渡りきっただけでもその片鱗は覗える……」

兵藤「特に森田鉄雄くん……君は実に素晴らしい……! 特別ゲストとして招いた甲斐があったものだ……! くくく……!」

森田(こ、こいつ……!)

かつて銀二と共に戦った誠京グループの会長、蔵前仁に似た、しかし明らかに異なる迫力に森田は戦慄する……!


森田とカイジは兵藤と利根川、そして黒服たちに連れられ、ホテルメインビル内へと連れられていく。
エレベーターでさらに上へ上がり、暗闇に覆われた廊下を森田とカイジは進む……。

このまま空手で帰ってしまっては結局、森田たちは帝愛を喜ばせていたということしかしなかったことになる……。
カイジは何としてでも2000万を手にし、一矢を報いなければ橋で死んでいた者たちの無念が晴らせない……。
森田もまた、帝愛に一泡を吹かせるために新たなる余興に付き合うことを決めたのだ。たとえ自分が死ぬことになってでも……。

平井銀二は久しぶりに再会した森田に声をかけることもなく、一行後ろを黙ってついてきていた……。
何を考えているのかどうかは分からないが、どうやら見た所銀二は森田たちに味方をしているというわけではないらしい。

カイジ「なあ、森田……あの銀さんって男と知り合いなのか?」

森田「ああ。昔、一緒に仕事をしていた人さ」

森田はちらちらと久しぶりに再会した銀二を見やる。
2年ぶりに目にした平井銀二の姿に、森田はどこか安心している様子であった。
もう二度と会えないと思っていたというのに……。


カイジ「仕事って……一体、何をやったっていうんだ」

兵藤「カイジくんが知らぬのも無理はない。森田鉄雄はの、2年前までそこの平井銀二の右腕として、裏社会で名を馳せていたのだ」

兵藤「西条建設の御曹司との9億をかけたポーカー勝負、誠京グループの会長との500億をサシ馬にした麻雀勝負……そして、今は亡きG県の統治者、神威家家長の護衛……」

兵藤「君の武勇伝は色々と聞かせてもらっておるよ、森田くん。実に素晴らしい……あの船や橋を生き残るのも朝飯前だったかの?」

森田(こいつ、俺のことをそこまで……)

カイジ(森田のやつ、そんなヤバイ仕事をやってきたっていうのか?)

カイジは森田鉄雄の過去を知り、唖然……。やはり彼は幾多の修羅場を潜り抜けてきたのだ。
エスポワールや橋でもあれだけ余裕を持っていられたのも納得である。

森田「おい、そういえば西条のやつはどうしたんだ?」

兵藤「心配せんでもよい。最初の橋で落ちた者たちは命が危うい者は病院へと搬送した。西条くんは我々の取引相手でもある西条建設の御曹司……既に病院へ送ってある」

西条は足を骨折する結果となったが、幸いにも命に別状はなかった。
他にも全身複雑骨折で重篤となった安藤や死刑囚である有賀研二も既に搬送済みである。

兵藤「しかし、それ以外の者は幾許かのゲスト料を出して別の部屋で残っていただいておるがな……」


こうして森田とカイジが連れてこられたのは、スイートルームらしき広い円形の部屋であった。
部屋の奥には兵藤の肖像画が大きく飾られている……。

兵藤「では利根川よ。後は任せる。銀王よ、君もゆっくりしていくがよい……」

利根川「こっちだ」

森田とカイジは利根川に招かれ、ソファに腰を下ろす。
そういえばこれからやるゲームとは一体何なのだろうか……。兵藤はEカードと言っていたが……。

安田「銀さん。どうしたっていうんだ」

森田(安田さんに巽さん……!)

部屋に入ってきたのは平井銀二の悪党仲間、安田巌と巽有三……!

銀二「なぁに、これからもう一勝負と言った所さ……」

銀二はしたり顔で森田たちを差す……。
森田は銀二たちから視線を外し、利根川の話に集中することにする……。


利根川「ではカイジ、森田鉄雄。今回のEカードについて説明しよう。何、そう難しいことはない」

黒服からカードの束を渡された利根川は、二人に説明を行う。
まずEカードは二人で行うカードゲーム。使用するのは全部で10枚のカード……。
その種類は市民、皇帝、奴隷の3つ。このうち皇帝と奴隷は1枚ずつで残り8枚は全て市民。

互いに5枚のカードを手にし陣営を分けて勝負をする。その陣営とは皇帝側か奴隷側か……。
そして陣営が使用するカードは決まっており、まず互いに4枚ずつの市民。そして陣営そのもののカードを1枚持つ。
勝負の仕方は至ってシンプル。互いに自分の出すカードを裏向きにして出し、そしてオープンするだけ。

勝敗に関しては皇帝は市民に強く、市民は奴隷に強い。そして奴隷は皇帝に強い……という三すくみの関係になっている。
言うなればジャンケンの一種と考えてよいだろう。

何故奴隷が皇帝を撃つのか……利根川曰く、奴隷は持たざる者、猶予のない虐げられる者であり、持たざる者の捨て身の怒りが皇帝を撃つのだとか。

利根川「もっとも、そう簡単に人間は捨て身になどなれんがね……」

森田(つまりこのゲームは心理戦というわけだな……)

皇帝側はいかに市民にまぎれて皇帝を出し、市民を殺すか……。逆に奴隷は如何に相手がいつ皇帝を出してくるのかを読まなければならない。
奴隷側は圧倒的に不利となる……。


利根川「さて、本来このゲームは大金を賭けて戦うゲームなのだが、君たちにはそれだけの持ち合わせはないだろう」

利根川「だが心配せんでいい。代わりにあるものを賭けてもらう。それは……」

利根川は己の目と耳に手を触れる……。

カイジと森田は息を飲む……。つまり器官を賭けろと……。

利根川「安心しろ。負けたらすぐに耳を削ぎ取ったり目を潰したりするわけではない。それまでには猶予がある」

黒服はある物を二人の前に持ち出されたのは二つの装置とリモコン……。
その装置の中心には二つとも鋭い針が備わっている……。

カイジ「うっ……」

森田「これは……」

利根川「つまり、こういうことだ……」

利根川はリモコンを手にするとそれのスイッチを押す……。
すると、針が甲高い音を立てながら伸縮している。

利根川「な? 面白かろう?」


森田(こんなもののどこが面白い……!)

要は眼球と鼓膜、いずれかまでの距離を賭けるということだ。この針が30ミリまで伸びればその器官を破壊することになる。
そのベットの最低は1ミリ……しかし、1ミリ単位で二人が勝つごとに利根川は10万を払い、さらに奴隷側で勝てばその五倍をボーナスするという。
つまり皇帝側で10ミリ賭けて勝てば100万……負ければ針が10ミリ進む……。

利根川「それから勝負は12試合までだから、たとえ2ミリずつ張っても最終的には24ミリ……。最初から君たちの安全は保障されているのだ」

利根川「君たちが欲をかかなければそれで安心……というわけだ」

利根川「言っておくが、これは君たちの労をねぎらうためにノーリスクで100万の金を拾わせてやろうという慈悲……慈愛なのだ」

カイジ「慈愛だと? そんなものがてめえらにあるわけがないだろうが!」

カイジ「もしあれば俺が頼んだ時にすぐにでも電流を切っていたんだ! そうすれば何人も助かっていた! それを……!」

森田「よせ、カイジ。……今は奴らを討つことを考えよう」

いきり立つカイジを森田は制する……。


利根川「ふっふっふ……。その通りだぞ、カイジ。君たちはこれからチームを組むのだ。仲間割れにならないようにせねばゲームにならんぞ?」

カイジ「何?」

利根川「本来、このEカードは二人だけでやるのだが君たちはどちらが勝負をするのかを自由に決めて構わん」

利根川「1回戦目はカイジで、2回戦目は森田鉄雄……そうやって交代してくれても良い」

カイジと森田は互いに顔を見合わせる……。

利根川「もっとも……お前らごとき小僧が二人がかりできても私には勝てんがね……」

カイジ「何……!」

かなり自信あり気に勝利を確信する利根川に森田は息を飲む……。
こいつの言葉自体は至極正論。しかも人を見る目に長けている……。と、なれば心理戦は相当強いかもしれない。

利根川「森田鉄雄。君は平井銀二の右腕として活動していたと聞いているが……所詮はまだ未熟な若造だ」

利根川「せいぜい、彼に無様な姿は見せぬようにするがいい」

森田はちらりと銀二たちの方を見やる。
銀二から話を聞き、さらにルール説明も聞いていた安田と巽はずいぶんと緊張した様子だ。
しかし、銀二だけはじっと冷たい視線でこちらを見つめている……。

森田(銀さん……俺は負けねえ)

カイジ「土下座しろ……! もしも俺たちが勝ったら……!」

カイジ「俺たちに負けない自信があるって言うんなら、約束しろ……! そして謝るんだ! 死んでいった石田さんや佐原たちに……!」

利根川「いいとも、いいとも……約束しよう。負ければな……!」

絶対的な自信を表す利根川……。
こうして森田とカイジのタッグと、利根川とのEカード勝負が始まる……!

以上で第四章は終了。後日、書き溜めて第五章を再開。

第五章が書き溜められたので再開します。


利根川「さて、会長も退屈しておられるだろうし、始めようか。目か耳……君たちはどちらを賭ける?」

カイジ「う……」

カイジ、勝負を始める前から迷う……。もし負ければ目か耳……どちらかを失う。
耳ならば鼓膜を突き破り聴力を、目ならば眼球を貫き失明……。どちらにしても最悪の結末が待っている……。

森田「耳だ。俺は耳を賭ける」

しかし、森田は大して迷うことなく耳を選択する。

カイジ(馬鹿か、俺は。勝負の前から迷ってどうする。目を失おうが耳を失おうが、大して変わりゃしないんだ。今は勝負することを考えるんだ)

カイジ「俺も耳だ」

カイジ、森田の対応を見て自身も覚悟を決めて同じものを選択……。
装置は一つずつしかないため、二人が勝負を交代する度に装置を付け替えることになる。

安田「目か耳を賭けるゲームだなんて、そんなの狂気の沙汰だぜ……」

巽「だが、耳だったらたとえ負けても鼓膜が破れるだけだ。眼球を潰されるのとは訳が違うぜ」

鼓膜は破れたとしても自然に治癒するが、眼球が破壊されれば再生は不可能。
永久に失明するか、一時的に聴力を失うかのどちらが良いかと言われれば後者を選ぶだろう。

銀二「それだけじゃない。目に装置をつけているのと耳に装置をつけているのとではプレッシャーのかかり方がまるで違う」

目の場合は勝負の最中にも迫ってくる針が常に見えてしまうため、負けそうになっている状況ではそちらに意識が行って勝負に集中できなくなる。
しかし、耳ならばそのようなことはないため、勝負に集中することができるのだ。


銀二「森田の奴は恐らくそれが分かっているんだ」

安田「はぁ……」

遠巻きに銀二たちが見物する中、勝負の準備は整った。
戦績を記録するホワイトボードが用意され、まずは森田たちが皇帝陣営となる。
そして背後から覗かれることを警戒したカイジによって壁を背にできる奥のテーブルへと移動する……。

利根川「あまり時間をかけられては困るからな。こいつを渡しておこう。カードの選択は五分以内にする」

利根川は用意した腕時計を差し出す。

カイジ「森田、俺から行かせてくれ」

そして最初に勝負をするのはカイジ……!
森田はカイジの後ろに立ち、二人の勝負を見届けることになる。
カイジの片耳には耳を破壊する装置が取り付けられる……!

利根川「では最初のBET、どれだけ賭けるかな? カイジくん」

カイジ「……10ミリだ」

負けた時のことなどを考えて少々迷った末、いきなり大張りでの勝負を選択……!
利根川の背後の椅子で控えている兵藤は楽しそうに笑いだす……。

利根川「いいのか? いきなりそんな張りで。森田のことも考えた方がいいのではないか?」

森田「構わない。カイジが10ミリと言ってるんだ。それでいけ」


こうして初っ端から10ミリの大勝負が始まる……。
このEカード、奇数枚目のカードは皇帝から出すことになっているため、まずはカイジがカードを提出……。
それを受けて利根川が提出する……。

結果は市民と市民。まずは互いに様子見の引き分け。

森田(このEカード、あまり長期戦になられると皇帝側でも負ける可能性も高くなるな)

始めは80%の確率で勝てる皇帝側も、市民で引き分け勝負が続いているとそれに従い勝率は低くなる。
故に皇帝側も相手が様子見状態であると見て皇帝を出す必要があるのだ。
だが、その裏をかかれて奴隷を出されればこちらが負けてしまう。もっとも、逆に相手が見誤って自爆することもあり得るわけだが。

だが二枚目……結果は皇帝と市民……!
カイジ、二枚目で勝負に出て見事に勝利した……!

カイジ「……やった!」

そして10ミリを賭けた対価として100万を獲得する。
だが、これで喜ぶのはまだ早い。カイジが目標としている2000万まではまだまだ遠い。
故に次の勝負もカイジは10ミリを賭けていった。

後ろで勝負を見ている森田は1戦目はカイジの様子を見ていたが、次は利根川の様子を観察する。
利根川の表情、癖、視線などあらゆるものを見極めるために。
だが利根川は大した動きも見せずにカードを提出していく。極めて冷静だ。


カイジ「よっしゃあ!」

しかし、呆気なく2戦目も1戦目と同じ手順でカイジが勝利する。
そして合計200万の金を獲得し、カイジは勝利に気を良くしていた。

森田(あまりにもあっさり過ぎる……)

後ろで見ていた森田は今までの勝負に違和感を感じていた。
利根川は自分の手札をじっと見つつ熟考していたように見えていたが、今のは何も考えないでカードを出して自滅したような負け方だ。
利根川がそこまで愚鈍なわけがない。まるで予定調和のような勝負の流れのように森田は感じていた。

カイジ「次も10だ!」

そして連勝ですっかり強気になったカイジは3戦目も10ミリの大張りを賭ける。
4~6戦目は勝ちにくい奴隷陣営。ここでもう一度くらいは勢いに乗って勝っておきたいと思っての張りだった。

安田「おいおい……あの坊主、ずいぶんと勝負に出やがるな。命知らずもいい所だぜ」

横から遠巻きに見物する銀二たち一行の中で安田はカイジの大張りの連続に呆れ返っている……。
銀二は勝負をしている二人の様子をじっと観察していた。


利根川「感じる、感じる……カイジくんの心の波動が……」

カイジ「え?」

森田「何?」

突然の利根川の呟きに二人とも困惑……。負け惜しみかとも思ったがどうもそうでもないらしい……。
3戦目、今度は初めて3枚目まで勝負が続いていた。

カイジ(くそっ……どうする?)

長期戦になると皇帝側も不利になることが分かっているカイジだが、たった今利根川が呟いた言葉が頭から離れず2枚目で勝負に行かなかった。
だがこれ以上の延長は無理と判断。3枚目で皇帝を提出……。

カイジ(来い! 市民! 来い! 来い! 来い!)

利根川「おいおい……そんなに強く念じられては丸聞こえだぞ、カイジくん。今、はっきりと聞こえた。『来い、市民』とな」

カイジ「え?」

森田「何?」

巽「ああ?」

安田「どういうことだ?」

見物していた巽と安田までもが困惑……。


利根川「つまり、カイジくんのカードは……皇帝だ」

利根川、提出したカードをすぐに開ける。そのカードは奴隷!

カイジと森田は利根川の読みに驚愕……!

利根川「さあ、開けたまえ。カイジくん」

カイジ「ぐ……」

カイジのカードは皇帝。利根川の読み、的中……!
初めての敗北……。しかも10ミリの大張りでこれは痛い。

利根川「ふっふっふ……では、参ろうか」

カイジ「……う……う、うわあああああ!!」

利根川、リモコンを操作するとカイジの耳に取り付けられた装置の針が回転しながら鼓膜に向かって伸びていく。

森田「カイジ!」

キュルキュルキュルキュルキュルキュル!

耳に取り付けられているため外に漏れる音は森田たちには対して聞こえはしないものの、カイジにとってはその音は身と神経を切り裂くような轟音……!
まだまだ猶予があるとはいえ、破滅の音を直に耳にする者にとってはそれだけでも拷問である……。


カイジ「はぁ……はぁ……」

森田「大丈夫か? カイジ」

やがて装置が収まるが、それだけでカイジは相当に消耗していた。

兵藤「利根川よ、ほどほどにな。あまり度が過ぎるとカイジくんたちが戦意喪失してしまう。それでは興を失うというものだ」

利根川「はっ……その点はご安心を。カイジくんたちはこれでも相当な兵でございますから」

安田「おいおい。今のは無いんじゃねえのか? あの坊主を挑発しやがったぞ」

傍から見れば利根川はカイジの動揺を誘う言葉を呟き、その反応を覗って何のカードであるかを判断したように見えた。
つまりカイジの心を読んでいたわけではない。

利根川「ふっふっふ……安田巌、残念ながら50点だ」

安田「あん?」

利根川「私がそんな安っぽい戦略を考えてると思うかね? 私は本当に彼らの心の動きが感じられるのだ……」

利根川「人の心の震えがな……。お前のような凡庸な悪党程度ではそれも分からんか」

安田「な、何……!」

巽「よせよ」

巽に止められる安田だが、その横でじっと勝負を観察していた銀二は不敵な笑みを密かに漏らしている……。

銀二(ふふ……なるほど。それもまた安っぽい戦略ではあるがな)

銀二(さあ、森田よ。お前も気付いているか? 奴の戦略を)

銀二は今の利根川の発言から何かを確信している……。そしてそれを森田鉄雄も見極めることができると期待する………。


森田「カイジ、交代だ」

カイジ「あ、ああ……」

ここからは森田たちが奴隷陣営。森田はカイジと選手交代をし、利根川との勝負を決意する。
カイジから一度装置が取り外され、森田の片耳に取り付けられる。
装置を外されたカイジはホッと安堵している……。

利根川「言っておくが、印なんぞカードにはついていない。そんなことをしては見破られた時に逆に利用されかねないからな」

利根川「ましてや森田鉄雄。君ほどの男ならばその程度の印なんぞすぐに看破するだろう」

確かにそうだ。連中が不正をしているとしても、そんな安易な手段など取りはしないはずだ。
もしもするのであれば何か別の……森田でも気付きにくい手段を取るに違いない。

利根川「では、BETはどうするね? 森田鉄雄。カイジくんと同じ10でいくか?」

森田「……1だ」

森田、迷わずに最小の張りまで落とす。
その決断に銀二たち一行も唸っている。


利根川「ほう、1か……。なるほど、さすがは森田鉄雄。退くべき時は弁えているようだな」

利根川「勝算もなく流れが悪くなった今は限界まで落とすのが真の兵……実に素晴らしい」

兵藤「さすがは平井銀二の元右腕といった所かの……?」

後ろの兵藤も森田の判断には感心している様子だ。

森田「そんな大層なものじゃない。始めるぞ」

5戦目、奴隷側で森田は初のEカード勝負を始める……。
圧倒的に不利な奴隷側では如何に相手が皇帝で勝負を仕掛けてくるのかを見極めなければならない。
皇帝側は奴隷側がそのタイミングを見誤って自滅してくれるのを待つだけでも良い。

1枚目、先出しだった利根川は市民。森田も市民。まずは互いに様子見……。

森田(利根川の奴、そこまで時間を気にするか?)

先出しの2枚目を提出しようとする森田が長考する中、利根川にちらちらと視線をやっていた。
確かにカードを出すまでに制限時間がある以上、時間を気にするのは当然だが。あそこまで熱心に集中することはない。
およそ30秒に一回、利根川は5秒ほど森田の方を覗ってくる。それ以外はほとんど時間を気にしていた。


4分の長考の結果、森田はようやくカードを提出する。出したのは市民……。

利根川「やれやれ……ずいぶんと長い選択だったが、果たしてどちらかな? これは難しい……」

利根川もまたわざとらしく嘯きながら考えだしている。
2分ほどの長考の後、カードを提出する……。そして、オープン……!

森田「……!」

カイジ「くっ……!」

皇帝と市民……! 森田、敗北!

利根川「やれやれ……長く選んだ割にはつまらん結果だったな。勝負に出る勇気もなしか……」

森田「ぐ……!」

カイジ「森田!」

安田「森田……!」

言いながら、利根川はリモコンを操作して装置の針を進める……!
森田の耳の中でキュルキュルとけたたましい音が鳴り響く……!
たった1ミリだけとはいえ、これほど恐ろしい音を感じたことなどない。常人ならば狂ってしまいそうなほどだ。
だが、森田は破滅を告げる音に決して屈さない……!


利根川「ほう。中々大した肝じゃないか。カイジくんのようにはっきりと恐怖に震えることもないとはな」

利根川「さすがに森田鉄雄と凡人のカイジくんとでは器量が違うかな? もっとも……それでも負けていては話にならんがね」

カイジ「何!」

森田「よせ。相手にするな、カイジ」

森田はカイジを制し、勝負に集中する。

利根川「さあ、森田鉄雄。次の賭け距離は?」

森田「変わらない。1だ」

6戦目、1枚目は先ほどと変わらず互いに市民。問題は2枚目……。

森田(もしも奴が勝つなら今の場合は俺が先出しとなる2戦目、4戦目となる……)

森田(奴は俺の何かしらの反応を覗いつつ先に出されているカードを推察するんだ。なら、ここで勝負に行くとなると負ける可能性が高い……)

森田(奴は俺が自滅するのを待っているだけでも良いんだからな。もう少し様子を見るか……いや……)

森田、深く熟考してカードを選択しようとしていたその時……。


「森田くん!」

突然、プレイルームの入り口から女の声がかかる。

森田「美緒! みんなも……」

入り口にいたのは鉄骨渡りの会場から退場させられていた美緒、明穂、由香理の三人であった。
いや、彼女たちだけではない。その後ろには10人ばかりの男たちが続いているではないか。いずれも人間競馬の失格者ではあるが無傷の者たちばかりだ。
美緒たちは会場から退場させられた後、安静のためメインビルに移されていた人間競馬の重傷者たちの介護を任されていた。
そして森田とカイジが渡り切ったことで電流鉄骨渡りが終了したことを黒服たちから告げられたが、また別のゲームを始めたとも同時に告げられ美緒はたまらず森田たちの元へ行くことにしたのだった。
明穂や由香理、他の者たちもその成り行きを見届けようとついてきたのである。

美緒「良かった……無事だったのね」

由香理「あ! あなた達……確か、森田くんの……」

安田「よう。久しぶりだな、お嬢ちゃんたち。まさかあんた達もあんなゲームに参加してたってのか?」

明穂「冗談言わないでちょうだい! あんな狂った橋なんて渡るわけないでしょ!」

由香理「それより、何をやっているのよ。森田くんたちは」


安田「見ての通りの延長戦のギャンブルさ。耳を賭けてのな……」

ゼッケン11「ひ……」

明穂「嘘……」

由香理「冗談でしょ……?」

美緒「み、耳って……」

美緒たちは森田たちが今行っているゲームが何であるかを察し、唖然……。
森田の耳に装置が取り付けられているのを見てそれが真実であることを知る。

美緒「何でそんなことをしてるのよ! もし負けたら耳が……」

安田「何、まだまだ大丈夫さ。あそこのホワイトボードを見てみな。あそこの数字が30になりさえしなけりゃ問題ねえ」

安田が美緒たちに分かりやすいようにゲームの説明をするが、それでも安心というわけにはいかない。

明穂「でももう11も負けてるじゃない……」

美緒「森田くん。絶対に無理はしないで」

森田「ああ」

傍に寄ってきた美緒に森田は頷く。いきなりの展開につい気が紛れて勝負のことまで忘れてしまいそうだ。


安田「見ての通りの延長戦のギャンブルさ。耳を賭けてのな……」

ゼッケン11「ひ……」

明穂「嘘……」

由香理「冗談でしょ……?」

美緒「み、耳って……」

美緒たちは森田たちが今行っているゲームが何であるかを察し、唖然……。
森田の耳に装置が取り付けられているのを見てそれが真実であることを知る。

美緒「何でそんなことをしてるの! もし負けたら耳が……」

安田「何、まだまだ大丈夫さ。あそこのホワイトボードを見てみな。あそこの数字が30になりさえしなけりゃ問題ねえ」

安田が美緒たちに分かりやすいようにゲームの説明をするが、それでも安心というわけにはいかない。

明穂「でももう11も負けてるじゃない……」

美緒「森田くん。絶対に無理はしないで」

森田「ああ」

傍に寄ってきた美緒に森田は頷く。いきなりの展開につい気が紛れて勝負のことまで忘れてしまいそうだ。


利根川「雑談は後にしてもらえんかね。ワシらが集中できんではないか」

黒服「ほら、離れろ!」

美緒「見てるだけなら良いんでしょ」

黒服に凄まれるも、美緒は引き下がらない。そのままカイジと共に森田の横で勝負を見守る……。
森田、気を取り直してカードの提出を行う。もう残り時間が1分を切っていたのでこれ以上の長考は意味がないと判断した。
出したのは奴隷なのだが、美緒たちが現れたことで気が紛れ、森田は大して意識せずに提出したのだ。

森田(やっぱり利根川の奴、時計ばかり見てやがるな)

受けて利根川、再び長考しだす。相当時間を気にしているのか腕時計ばかり気にしている。
自分の制限時間の確認などせいぜい1、2回やればいいというのに利根川はほとんど時計を見るばかり。
対戦相手である森田のことなどまるで眼中に無いようだ。
そして2分後、ようやくカードの提出が行われていた。

美緒(お願い……勝って……!)

カイジ(頼む……!)

美緒とカイジは祈るようにカードに食い入る。ここで利根川が勝負に出て皇帝を出してくれていれば奴隷を出した森田の勝ち……!
そして両者、オープン! そのカードは……!


利根川「……ぬ!」

カイジ「……よし!」

美緒「やったわ!」

皇帝と奴隷……! 森田、見事利根川から一勝をもぎ取る!
最小の1ミリとはいえ、奴隷側での勝利は5倍のボーナス……50万を獲得!
森田も思わずホッと一息をつくが、素直には喜べない。

兵藤「けっ……!」

兵藤はつまらなそうに舌を打ち、利根川は僅かに顔を顰めている。
どうやら自分の読みが外れたことが相当予想外だったようだ。

銀二「くくく……」

巽「どうした? 銀さん」

銀二「森田の奴、まだまだツキは衰えてないってわけか……」

巽「ええ?」

銀二は今の森田の勝利が、彼の持つ天性の強運がもたらしたものだと察していた。
利根川は出されたカードが何であるか、もしくは森田たちがこれからどのカードを出そうとしているのかをほぼ確実に当てることができる。
故に森田たちが先出しでカードを出せばほぼ負けが確定してしまう。後出しでも勝負に出ようかというのが予測できるため、負けは無きに等しい。

だが、今の森田の場合は勝負の途中で美緒たちが現れたことで勝負に集中する神経が一時的に遮断されたことによって、図らずとも利根川に対する目くらましとなったのだ。
勝負の最中、美緒たちが現れたのは偶然であるが、それはまるで何者かが森田を助けるかのように彼女たちを導いたかのようであった。


森田「カイジ、次はお前だ」

カイジ「ああ。任せてくれ!」

ここで森田はカイジに選手交代する。今の森田の勝利で相当気を良くしたらしい。
再び耳の装置の付け替えが行われ、カイジは席につく。森田はしばらく『見』に回ることにしていた。

森田(俺は今、偶然に勝ってしまったからな……。もしも奴らが何か企んでいるなら、ここからは負けが続くはず)

森田は利根川の動きに不信な違和感を感じていた……。

カイジ「何が心の動きが読めるだ。ハッタリかまして負けておいてよ!」

利根川「カイジくん。私は決して超能力者ではない。ましてや、今のように勝負が中断されてしまうと案外、勝敗の差が縮まったりするものだ」

利根川「外野が騒いでいるとそちらに気がいってしまって勝負に集中できなくなる。そうなると案外、読みにくくなるものだぞ」

利根川「プロのスポーツ選手は勝負に集中しているからこそ良い記録を残せる。だが、その途中で邪魔が入れば当然結果は残せんだろう?」

カイジ「負け惜しみを! さあ! 勝負だ! 次の張りは13で行く!」

利根川「ほう? 13だと?」

吠えるカイジの宣言に利根川はおろか、森田たちを含むギャラリー、そして黒服までもが唖然……。


美緒「ちょ、ちょっとカイジ!」

明穂「あんた、バカじゃないの!? そんな張りをするなんて!」

由香理「そうよ! 森田くんがせっかく余裕を残してくれているのに!」

森田「いいよ。今はカイジの好きにさせてやろう」

騒ぎ出す彼女たちを森田は制する……。
カイジとしては5倍のボーナスが得られる奴隷側で勝つことに意味があると感じていた。
皇帝側で厚く張ってもせいぜい100万程度……。それでは目標には届かない。
ラストの3戦は奴隷側だとしてもそこまでにはもう余裕が無くなっているのかもしれない。ならばイチかバチで行くしかないのだ。
それは森田も重々承知している……。
もし負ければ針の距離の合計は24ミリ……後半6戦を全て負ければカイジと森田、どちらかの鼓膜を破られる……!

兵藤「利根川……次は100%勝つが良い。よもや皇帝側なのに、先ほどのように負けるなどあるまい?」

利根川「ご安心を。会長……あのような不覚はもう取りません」

やはり兵藤は先ほどの利根川の負けが気に入らなかったようだ。叱咤された利根川も微妙に冷や汗を滲ませている。

兵藤「せっかく延長戦で夜更かしをしているのだ。そういう勝負をしてくれてこそ面白いというもの……! ヒヒヒ……!」

嗜虐の笑みを漏らす兵藤に、カイジたちは呆然……。
兵藤はカイジたちが恐怖におののき、最終的には悲鳴を上げてもらうことを期待しているようだ。
それはまさに狂気……!


こうして前半戦の山場、13ミリを賭けた6戦目が始まる。
勝負前はあれだけ吠えていたカイジもさすがに大人しくなり、勝負に集中する。
対する利根川も今までは余裕を持って長考していたのが、ここからは真剣になって相当に神経を集中させている。
兵藤の叱咤も相まって利根川もこの6戦目が如何に重要なのかを理解している証拠だ。

1枚目は互いに市民。やはり利根川はいきなり勝負などしない。

森田(問題はこちらが先出しの2枚目……)

皇帝側の利根川が確実に勝つのであれば、カイジが先にカードを提出する2枚目……。
森田はカイジと利根川、双方の動きを観察する……。

美緒たちギャラリーもこの大勝負に皆、沈黙……。固唾を飲んで見守る……。

カイジ(2枚目に皇帝は通せない……! イチかバチの勝負なんてしないはずだ……! 結局は保留にするはず……!)

カイジ、市民を提出……! 受けて利根川、4分になろうかという頃にカードを出す……!
まず先にカイジが市民をオープン……!

カイジ(どうだ! お前も市民だろ!)

だが利根川、すぐにオープンせずに不敵な笑みを浮かべる……。


利根川「カイジくん。君が何を考えてその市民を出したのか、私にはよく分かるよ……」

カイジ「え?」

利根川「2枚目に私は絶対に勝負はしない……だが、その考えがギャンブルでは最も浅墓なのだ!」

カイジ「な、何!?」

利根川のカードは皇帝! 市民を殺す皇帝!
カイジ、ここ一番の勝負で敗北……!
カイジ、驚愕……! まさかここで利根川が勝負に出るとは思っておらず、絶句……!
いや、それどころかカイジの考えが利根川に読まれていたことの方が信じられなかった。

由香理「何やってるのよ! ここ一番で負けちゃって!」

明穂「そうよ! あんた、バカなんじゃないの!?」

明穂と由香理に罵倒されたカイジはテーブルの上に突っ伏す……! さらに……!

キュルキュルキュルキュルキュルキュル!

カイジ「う、うわあああああああ!」

利根川がリモコンを操作し、装置の針を進ませる……! 頭の中に響く破滅の音がカイジの心を引き裂く……!
それを傍から見ると恐怖に震えるカイジの姿と悲鳴はとても痛ましいものだった。


明穂「う……」

あれだけ罵倒したとはいえ、明穂たちもこれから鼓膜を破られてしまうことに怯えるカイジに青ざめる……。
先ほどはまだ20ミリ余裕があったのが、今度はもはや10ミリさえも余裕が残っていない状況……。
徐々に近づいてくる破滅にカイジはすっかり萎縮してしまっていた。

美緒「カイジ……」

後ろで森田と共に見守っていた美緒もカイジの身を心配している。
森田自身はじっと二人の勝負を傍観していた。……まるで何かを見定めようとするように。

利根川「さあ、次のBETはどうする? カイジ。それとも森田鉄雄と交代するか?」

カイジ「森田ぁ……」

カイジ、森田の方を振り返るが森田はただじっとこちらを見下ろしているだけだ。

森田「カイジ。次の皇帝側は全てお前に譲ろう」

カイジ「何……?」

森田「もう少しだけ、耐えていてくれ。安心しろ、必ず勝機を見つけてみせる」

森田の言葉にカイジは少しだけ恐怖が薄らいでいた。森田には何か勝つための策があるのかもしれない。
ならばここは彼の言葉を信じ、今しばらくは自分が勝負をすることにした。
皇帝側なら圧倒的にこちらが有利なのだ。最低、1勝でもしなければこちらが破滅する……。


カイジ「賭け距離は1ミリ……」

利根川「おいおい……。さっきまであれだけ強気に出てきたというのに、もう降参か?」

明らかに馬鹿にした様子でカイジを挑発する。しかし、カイジは答えない……。

利根川「まあいい。だが一つ教えてやろうか。何故カイジくんが勝てないかを」

利根川「このEカードでは相手を観察する能力が重要なのだ。相手が勝負カードを出してくる時の心の動きを読む力がな……」

利根川曰く、カイジは勝負カードを出す際に通常より前傾が低くなるとのことだ。
森田もカイジの動きを見ていたが確かにそのような動きを見せていた。
つまり、口に出さずともカイジは体でどのカードを出すのかを告白している……。決して隠し通せるものではない……!

利根川「よって、カイジくんは勝ち得ないというわけだ」

由香理「そこまで分かるんだ……」

明穂「あんた、顔に出すぎなのよ。森田くんを見習いなさい」

カイジ(ハッタリを……! それじゃあ俺たちが先に出すカードは全滅ってことじゃねえか! そんなことあるわけがない!)

カイジ(だったら、さっきの森田の時は何なんだよ……! あの負けはどういうわけだ!)

利根川に踊らされてなるものかと気を取り直すカイジ。だが、ここからの勝負は一方的なものだった。


7戦目、カイジはいきなり1枚目で皇帝を出したが、利根川はあっさりと奴隷を出して返り討ち……。
さらに8戦目、完全に疑心暗鬼に陥ったカイジは皇帝を中々通せず利根川もそれに合わせるように市民を出してくる。
結果、4枚全て市民を出したおかげで5枚目は利根川の不戦勝……!
まるでカイジの心中を全て見透かしているかのような、悪魔のような読み……!
本来、圧倒的に有利なはずの皇帝でも勝てない……! これはもはや偶然でもハッタリでもない……!

カイジ(こいつは分かるんだ……! 俺のちょっとした反応や態度で……!)

カイジ、すっかり利根川の悪魔じみた異能の観察眼に戦慄……! 戦意を喪失する……!
そして悟る。自分では勝てない、と。
もし勝てるとしたら、後ろにいる森田鉄雄くらいしか……!

カイジ「ぐっ……! ううううう……!」

キュルキュルキュル……!

2戦とも1ミリずつ張って負け、現在合計は26ミリ……。猶予は4ミリ、そして残る勝負も4戦……。
奴隷側は圧倒的に勝ち難いため、ここで勝たなければ勝機はない……!

美緒「ねえ、森田くん。ここで代わってあげたら……」

森田「いや、まだだ」

森田(こいつ……やっぱり時計ばっかり見てやがる)

森田はここまでの二人の勝負を観察していて、利根川の動きの一つにある確信を得ていた。
利根川は今までの勝負中、やはり自分の時計にばかり意識を集中させており、カイジのことは大して観察していない。
どうあってもカイジの観察よりも時計を見る割合の方が多すぎる。
それにあそこまでの的中率はむしろ異常としか言いようが無い。


森田(この野郎、やっぱり何か仕掛けてやがるな……)

森田の推測としては、利根川はこちらの出すカードを何らかの方法で知り得ているということだ。
そしてそれが恐らくあの時計に表示され、その情報を見た上でカイジの出すカードを予測し、的中させる。
つまりはイカサマ……! 利根川はイカサマでこちらのカードを盗み見るかしているのだ。

森田(問題はその方法だが……)

一体、どうやってカイジのカードを盗み見ていることだが……。
カードに印はなく、後ろや横には森田たちがいるのだから隠しカメラがあるわけでもない……。
それが分からない限り、森田でも利根川を討ち取ることは難しい。

兵藤「利根川よ……気を緩めるなよ。ここを勝ちさえすれば後は何の問題もない」

兵藤「せっかく夜更かしをしているんだ。ここまで来たらカイジくんの絶叫を聞きたい……!」

兵藤「その声はカイジくんの耳には半分しか届かなぬだろうがな……!」

兵藤は利根川に念を押し、恐怖に打ち震えるカイジを見て嗜虐の笑みを浮かべて興奮する……!
そして始められる9戦目……ここで負ければ破滅はほぼ確実……!
森田に交代したとしても、勝てる可能性は限りなく低い……! 自分が破滅することは無くなっても、代わりに森田が破滅することになる……。
それだけは絶対にあってはならない……!


森田(この野郎、やっぱり何か仕掛けてやがるな……)

森田の推測としては、利根川はこちらの出すカードを何らかの方法で知り得ているということだ。
そしてそれが恐らくあの時計に表示され、その情報を見た上でカイジの出すカードを予測し、的中させる。
つまりはイカサマ……! 利根川はイカサマでこちらのカードを盗み見るかしているのだ。

森田(問題はその方法だが……)

一体、どうやってカイジのカードを盗み見ていることだが……。
カードに印はなく、後ろや横には森田たちがいるのだから隠しカメラがあるわけでもない……。
それが分からない限り、森田でも利根川を討ち取ることは難しい。

兵藤「利根川よ……気を緩めるなよ。ここを勝ちさえすれば後は何の問題もない」

兵藤「せっかく夜更かしをしているんだ。ここまで来たらカイジくんの絶叫を聞きたい……!」

兵藤「その声はカイジくんの耳には半分しか届かなぬだろうがな……!」

兵藤は利根川に念を押し、恐怖に打ち震えるカイジを見て嗜虐の笑みを浮かべて興奮する……!
そして始められる9戦目……ここで負ければ破滅はほぼ確実……!
森田に交代したとしても、勝てる可能性は限りなく低い……! 自分が破滅することは無くなっても、代わりに森田が破滅することになる……。
それだけは絶対にあってはならない……!


利根川「ぐ……!」

安田「おお……!」

ゼッケン11「やったぁ……」

ゼッケン10「良かったな、カイジさん……」

美緒「良かった……」

明穂「まったく……心配させて」

由香理「ハラハラしたわ……」

ギャラリーたちもこの貴重な一勝にホッと安堵する……。
ともかく生き残りの一勝……! これで残る3戦を全て負けても29ミリ……カイジたちの破滅はあり得ない……。
最低限の安全は確保された……!

カイジ(ありがとう……みんな……)

今まで恐怖に打ち震えていたせいで忘れかけていたが、自分にはしっかりと仲間がいるのだ。
森田や美緒、明穂、由香理、そして人間競馬の脱落者たち……共にこの生き残りを喜び、共有してくれる者たちが……。

バシッ!

だが、それを許さない者が一人いる……。


後ろに控えていた兵藤が立ち上がり、手にする杖で利根川の肩を強く叩いたのだ。
突然の出来事に全員、唖然……。

兵藤「何故負ける……!? クズが……! お前は勝って当たり前だろうが……!」

利根川「も、申し訳ありません……! こいつ、カードを出す直前に心変わりを……」

兵藤「バカが……! そんなことも見抜けんのか……! この木偶の坊め!」

バキッ!

さらに兵藤は利根川のこめかみを杖で殴打……! 血が滲み出る……。

兵藤「これでそいつらは残る3戦を安全に張って逃げ延びるだけ……何の面白みもない終局だ……! 興を失ったわ……!」

兵藤「さっきの負けといい……人を見る目のない男だ。この分では黒崎に貴様のポストを渡してやることも考えねばならんな」

激怒する兵藤はねちねちと利根川を責め立て、終いには降格の脅しさえもかける。
だが、兵藤のその異様な怒りは森田に更なる確信を与え、そしてカイジは疑念を生じさせる。


森田(勝って当たり前……やはりな)

カイジ(これほど怒ることなんてないだろう……このゲームに必勝法なんてないんだから……)

カイジ(今みたいなアクシデントなんて起こり得る。それも見抜けだなんて理不尽もいい所だ……)

そして幾多の疑念がカイジの頭の中を交錯し、ある結論に至る……!
利根川の不用意な自慢のような発言から、兵藤の絶対に勝って当たり前という叱咤……。

カイジ(こいつら、まさかイカサマを……!?)

森田「カイジ、交代だ。次は俺がやろう」

カイジ「あ、ああ……」

奴隷側陣営となったため、ここからは約束どおり森田が出る。賭けは1ミリ……。
カイジは森田と勝負する利根川を観察することにする……。

カイジ(利根川のやつ、カードを見ていない……!? 時計を見ている……!?)

ようやくカイジも気付いた……! 利根川が何故、ここまで圧勝でいられるのかを……!
しかし、ここから先は森田と同じくその手段が分からない……!
どうやってあの時計にこちらのカードが何であるかを伝えているのかが……。
時計を最初にこちらへ渡したのも時計を見ることの不自然さを消すためなのだ……。

カイジ(汚ねえ! こいつら……! 許せねえ……!)

人に破滅を賭けさせておいて自分たちには勝つための保障を用意する……。
初めから連中はカイジたちと勝負をする気など毛ほども思っていない。
橋の時もこのゲームも、敵はカイジたちを陥れることしか考えていなかったのだ。


しかし、それが分かったとしても、カイジたちが言い立てようが利根川たちは知らぬ存ぜぬで通せる。
あの時計を見せろと言っても、すぐに普通の時計に戻るだけ……どうしようもない。
それは森田とて同じ考えであった。

森田「ぐ……!」

美緒「森田くん……!」

キュルキュルキュルキュル……!

10戦目、やはり森田も敗北してしまう……。
しかし、ここからは1ミリずつ張っていれば決して鼓膜まで針が届くことはない。いわばこの音も脅しである……。
だが、見ている方としてはその様は決して安心できるものではない。

森田(くそっ……後はタネが分かれば何とかなるんだ)

利根川がイカサマをしているのは明らかだ。しかし、イカサマのタネが半分しか分かっていない森田はどうすれば裏を取れるかで困っていた。
このままでは利根川に一矢を報いることもできない。森田は利根川を寒空の元へ放り出してやるつもりでいたので、これでは大した打撃を与えられない……。

カイジ「……森田。次は俺にやらせてくれ」

森田「カイジ……」

すると、何か意を決した様子のカイジは再び自分に交代を求めていた。


森田(何か考えがついたんだな)

森田はその表情は見てカイジが何か突破口を見出したと悟り、その申し出を受ける。

カイジ「おい、利根川。この装置の針はどこまで伸びるようになっている?」

利根川「45ミリまでだが……? それがどうした?」

森田「カイジ……?」

美緒「ちょ、ちょっと……」

明穂「あんた、何考えてるの……?」

様子がおかしいカイジに森田たちは困惑……。

カイジ「なら、残る18ミリ全てをBETとして賭けることは可能か?」

そしてカイジの口から出た言葉に一同、驚愕……!
45ミリ……それはすなわち鼓膜の遥か先の中耳はおろか内耳にまで達する領域……!
鼓膜はまだしてもそこまで貫かれればただではすまない……!


安田「あの坊主……何血迷ったことを言いやがる……」

巽「正気かよ……!」

明穂「あんた、何考えてるのよ! 本当にバカじゃないの!? そんなことしたら死んじゃうじゃない!」

由香理「せっかくもう1ミリずつで安全なんだから、それでいいじゃないの!」

美緒「そうよ! 勝てる保障だってないのよ!」

美緒たちはカイジの無謀な決断に次々と騒ぎ立てる。

利根川「まったく……血迷いおって、この馬鹿が。30ミリまでなら鼓膜まででそれ以上は何も失わんのだぞ」

利根川までため息をつき呆れ返っている。

利根川「最悪の場合、お前は死ぬことになる。それでもいいのか? 仮に助かったとしてもだなぁ……」

兵藤「利根川……良いではないか……カイジくんは勝負をしたいというのだから、ぜひ受け入れてやりなさい……」

だが、兵藤は逆に嗜虐の笑みを浮かべてカイジの無謀な挑戦を認め、受け入れる……。
カイジがもし負ければ破滅どころか死さえ待っている……。
兵藤はそれが見たくて見たくてたまらない……というような顔だ……。


兵藤「負ければ破滅だが、要は勝てばいいのだ……。この先18賭けで2連勝すれば、カイジくんが目標にしていた2000万に届くではないか」

確かにそうであるが、あまりにもリスクが大きすぎる。しかも連中はイカサマをしているのだからまず負けることはない……!

森田(それじゃあ奴らの思う壺じゃねえか……!)

兵藤「ならばもう何も迷うこともないな。おい、次のBETは18だ」

黒服「は……はっ!」

カイジ「待て! ……少し考えさせてくれ」

呆然していた黒服も我に返るが、カイジはすぐには決断せずに保留とした。
そしてカードをテーブルに残したまま勝負の場から離れ、プレイルームを後にする。

兵藤「けっ……」

兵藤はすぐにカイジが決断しなかったことでつまらなそうに舌を鳴らしていた。

銀二(ほう……あいつも気付いたか。奴らのイカサマに……)

銀二は森田とカイジが敵の計略に勘付いたことにほくそ笑む。
後はそれをどう制するのかこれからじっくりと見届けさせてもらうことにした。


明穂「何やってるのかしら……カイジったら……」

美緒「ねえ、森田くん……」

森田「ああ……」

数分が経過し、まだカイジが戻ってこず森田たちは心配になっててカイジのいる外のトイレへと向かった。
銀二たちは森田たち一行を静かに見送る……。

明穂「カイジ?」

そこではカイジが洗面台の鏡を前にして泣いている……。
カイジはこれまでに橋で死んでいった仲間たちのことを思い、涙を流していたのだ。

カイジ「森田……みんな……」

森田「お前、何か考えがついたんだな。言ってみろよ」

森田はカイジも敵の不正に勘付いたのだと察していた。そうでなければあのような無謀な提案などしないはずなのだから。

カイジ「ああ……森田も気付いてるだろうが、奴らはイカサマをしている……」

明穂「へ? イ、イカサマ?」

由香理「どういうことよ、それ」


カイジは森田たちに敵のイカサマについて全てを話す。
現在、カイジの耳についている装置……実はこれがカイジたちの生体反応を感知する仕掛けになっていたのだ。
脈拍、体温、発汗、血圧……それらをこの装置が感知し、それを利根川がつけている腕時計に送信しているのだ。
利根川はそれを頼りにしてカイジたちが何のカードを出すかを予測していたのだ。

森田(そうか……その手があったんだ)

心の動きが読める、というのはまさにこのこと。
しかし、直接心の声とやらが聞こえたり、文字に出したりするわけではないので100%こちらの動きを読めるわけではないのも事実。
故に森田が美緒たちに気をとられて勝負に集中しなかったり、カイジが気の迷いを起こすといった想定外のことにまでは対処できなかったのだ。

由香理「何なのよそれ! 卑怯じゃないの!」

明穂「そのことを指摘してぶん殴ってやりましょうよ!」

森田「いや、やっても無駄だろうさ」

結果論としては連中は不正をしているが、決定的な証拠がない以上、敵は白を切れるのだ。

美緒「でもそれじゃあ、あいつらの勝ちは決まりってことでしょう? どうするの?」

カイジ「確実じゃないが、手はある……だが、それには協力者が必要なんだ」

森田「協力者?」

それがカイジの秘策とやらなのだろう。奴らの裏をかくための……。


森田「誰だ!」

そのことを聞こうとしたが、入り口に気配を感じ、振り向くとそこには人間競馬の生き残りの一人が心配そうに覗き込んでいた……。

ゼッケン10「あの……カイジさん。まさか賭けませんよね? そんな一時の感情でヤケになって命を張るような真似しちゃダメですよ……」

ゼッケン10「これは俺だけじゃなくて、他のみんなも同じなんです。みんな、カイジさんたちに生きていて欲しいんですから……」

ゼッケン10「カイジさんにはこんなに仲間がいるんですよ? カイジさんは決して一人じゃ……」

カイジ「そうだ……お前が協力しろ!」

森田「カイジ?」

ゼッケン10番を見るなりカイジは叫びだす。

カイジ「森田たちだとあの部屋にいないことが連中にすぐにバレちまう。あまりマークされにくい奴じゃないとダメなんだ」

ゼッケン10「あ……あの……協力って?」

カイジ「森田たちは先に行って待っていてくれ」

戸惑うゼッケン10番をよそに、カイジは森田たちにそう告げる。
森田はカイジの策とやらを信じ、そのままトイレを後にしていた。
外にはいつの間にか他の人間競馬の生き残りたちが集まっている……。

バキッ! ドカッ! ガシャンッ!

カイジ『ぐあっ! うおおっ!』

扉を閉めて十数秒と経たぬうちに中から騒音と共にカイジの雄叫びが聞こえてくる。
とてつもない事態が起きていることに森田たちは唖然……。


明穂「あいつ何やってるのかしら? 一体……」

美緒「カイジは何を思いついたのかしら……」

森田「分からん……」

森田の考えとしては連中の目を欺くにはあの装置そのものを破壊するか、もしくは自らを傷つけて生体反応に狂いを生じさせるかのどちらかと見ていた。
装置が壊れればそれで万事OKだが、そう簡単に壊れるとは思えない。とすれば、やはり後者の方法で連中の受信機の数値をMAXにすることくらいか……。
だが、そんなことをしなくても森田も森田で手段は思いついていた。

ゼッケン10『やめてください! 何になるんですか! こんなことして! カイジさん、変ですよ!』

カイジ『変でいい! 狂ってなきゃ駄目だ……! 常軌を逸してなけりゃ……利根川は倒せないんだ!』

中ではカイジたちの声が聞こえてくるが、森田たちには一体カイジが何をしようとしているのかまるで予想できない。
しかし、明らかにとんでもないことをしでかそうとしているのは明らかだろう。

ゼッケン『ひ……! うわあああああああああ……!』

カイジ『うがぁぁぁぁぁぁぁぁ……!』

そして二人の悲鳴が中から響き渡る……一人は驚愕……そしてカイジは苦痛の声を……!

森田(何をしようとしてるんだ? お前は……)

やがてカイジは扉を開けてトイレから出てきた……。


森田「う……!」

美緒「ちょ、ちょっと……」

明穂「ひ……」

森田たちは唖然……。
その左耳からは夥しい量の血が溢れ出ており、カイジはタオルでその部分を押さえつけ、止血をしていた。
カイジはよろよろと歩きながらプレイルームへと戻っていく。

森田はすぐに後を追わず、ゼッケン10番が残っているトイレに入ってみる。

森田「こ、これは……」

中はまさに地獄絵図であった。
鏡は粉々に割れ、さらにはカイジの血がびっしりとこびりついている。しかもその血は床にまで飛び散っていた……。

明穂「何やったのよ、あいつ……」

森田「おい、どうした? 何があった」

森田は隅の壁で屈みこんで震え、泣いているゼッケン10番に声をかける。

ゼッケン10「カ、カイジさんが……利根川を倒すためだからって……これを……」

嗚咽を漏らしながらゼッケン10番は両手で包むように握っているものを恐る恐る差し出した……。


森田「これは……!」

美緒「きゃあっ!」

明穂「ひぃ……!」

由香理「これって……」

思わず美緒たちは口や目を押さえて悲鳴を上げる。
ゼッケン10番が握っていたのは血に塗れたカイジが耳に取り付けていた装置……。
そして、生の耳そのもの……! それは紛れもなくカイジの耳である……!

森田(あの野郎……こんな手段を使いやがって……!)

カイジは装置を自らの耳ごと削ぎ取り、この男に渡したのだ。
恐らくカイジの作戦は装置を別の誰かに持たせることで偽の情報を利根川に送った上で勝負に行こうとしたのだ。
しかし、まさかこんな荒技を使うとはさすがの森田も思い至らなかった……!

明穂「大馬鹿よ……あいつ……こんなことまでしなくても……」

森田(……参ったぜ。やられたよ)

勝つためには手段は選ばない。ましてや自分の命を捨てる覚悟さえ持っている……。
カイジの凄まじい度胸と覚悟、気迫に森田は感服していた……。

森田(俺も命を賭けないと駄目だな)

カイジが己の身に構わずこんな大胆なことをしてみせたのだ。
ならば、森田も同じように命を張らなければカイジが痛みと恐れを乗り越えて立ち向かっていった意味がない。

以上で第五章は終了。後日、書き溜めて第六章を再開。

>>176>>177の間に抜けている文章がございましたので、追記致します。
大変申し訳ありませんでした。HTML化の際に修正できればと思います…。


カイジ(ちきしょう……! ……何で出せないんだ……!)

9戦目、1枚目はこれまでと同じ市民と市民……。
カイジは後出しの2枚目で勝負に出ようと考え皇帝を出そうとしたが、利根川に逆に奴隷で返り討ちにされるかもしれないと怖気づき、結局出したのは市民……。
完全に戦意を喪失してしまったカイジは己の不甲斐なさを呪っていた。

明穂「あれじゃ全然勝負にならないわよ……」

萎縮してしまっているカイジにギャラリーたちからも諦めの空気が流れている。
こんな調子ではこの勝負も負けかと誰もが思っていた……。

利根川「オープン」

そしてオープンされる利根川のカード。もちろん、それは市民……。

カイジ「え?」

ではなく奴隷……! それはつまり……。
カイジもオープン……市民と奴隷……! カイジ、辛くも勝利……!

第六章が書き溜められたので再開。


11回戦目……規定の30ミリを超えた45ミリにまで届く18ミリの大勝負……。
戻ってきた森田たちは黙り込んだまま息を飲み、カイジの勝負をじっと見守っていた。

カイジ「……言ってたよな、利根川……。奴隷は持たざる者……猶予のない虐げられし者……」

カイジ「しかし、その何も持たない奴隷だからこそ、皇帝を撃つと……!」

タオルで出血が続いている顔の左側を押さえているカイジはボロボロと涙を流しながら利根川を睨む……!

利根川「それがどうした?」

2枚目の勝負、カイジの先出しに対して出されていた皇帝のカードに利根川は勝利を確信した様子だ……。
無理も無い。利根川はカイジが『市民』を出したのだと思い込んでいるのだから。

森田「まだ分からないのか? 利根川……」

利根川「何?」

カイジ「受け取れ……! 俺たちの死の淵での最後の意地を!」

カイジは叩きつけるように自らのカードをオープン……!
そのカードは……奴隷! 皇帝を討つ奴隷!


利根川「何……!?」

安田「おお!」

巽「やった!」

明穂&由香理「やったわ!」

ゼッケン11「勝った!」

ゼッケン5「勝ったぁ!」

ゼッケン7「カイジさんが勝った!」

ギャラリーたちはカイジの大勝利に歓喜の嵐……!
カイジの後ろで見ていた明穂と由香理も互いに手を取り合い、歓声を上げる。

利根川(こ、こんな馬鹿な……!)

それに対し、利根川と兵藤は信じられない……といった様子で愕然としている……。
利根川は自分の腕時計を見て計器をチェックする……。
カイジたちの読みどおり、この腕時計は耳に取り付けられた装置から送信される生体反応を表示する仕掛けになっている。
利根川はカイジが自分たちの不正に気付いて装置を狂わせようと企んでいることは知っていたため、完全に故障してしまったのかと考えていた。

利根川「あっ……! まさか……貴様!」

だが、それは違う……! 利根川はようやくカイジの身に何が起きているかに気付く……!


カイジ「今頃気が付いたか……? 遅すぎるぜ……!」

森田「このマヌケな人殺しが……!」

利根川はカイジと森田を忌々しそうに睨み、肩を震わせる……。

利根川「トイレに人がいるはずだ! 引っ立てて来い! ……このクソガキどもめ!」

黒服に命じた利根川はカイジがタオルを押さえている左手を引き剥がす……!

黒服「ひぃ! 耳が……耳が、ない!」

ゼッケン5「ひぃ!」

巽「何……!?」

安田「何だと!?」

カイジが自らの耳を削ぎ落としていた事実にギャラリーはもちろん、安田や巽はおろか銀二まで驚愕……!
そして戻ってきた黒服が連れてきたゼッケン10番の手に装置とカイジの耳が握られていることも明かされる……!

利根川の不正を欺くために筆舌に尽くしがたい痛みと恐れを乗り越え、カイジが実行してみせた常軌を逸した荒業……。
計器にばかり頼っていた利根川の驕りを逆手に取り、カイジは利根川から起死回生の勝利をもぎ取ったのだ……!


そして、その代償として900万という大金を獲得する……!
これまでに得た260万と合わせればその合計は1160万に達する……!

明穂「見なさい! カイジはこんなに痛い思いをしたのよ! カイジがどんな気持ちであんたと勝負してたのか分かる!?」

由香理「そうよ! このペテン師!」

明穂と由香理に責め立てられ、利根川は顰め面を浮かべていた。
先ほどの森田や彼女たちの発言からカイジはおろか森田たち四人も不正を知り得たことを確信する……。

カイジ「あぐっ……!」

森田「大丈夫か、カイジ!」

美緒「タオルをもっと持ってきて!」

由香理「え、ええ……!」

カイジが血を撒き散らし激痛に呻くその痛ましい姿に森田たちはその身を気遣う。


兵藤「まったく……つくづく使えん男だ……。このクズめ……!」

兵藤「この二流が……! お前は所詮、勝負のできない大詰めで弱い指示待ち人間だ……!」

兵藤「せっかく新しい死に方が見られそうだったのに、貴様のくだらんミスでその機を逃したわ……!」

兵藤の怒りは先ほどのように激情というわけではないが、さらにねちねちと失態を犯した利根川を責め立てていた。
罵倒を受ける利根川も相当に余裕を無くした表情で冷や汗を流している。

美緒(インチキなんかした罰よ)

明穂(ざまあみなさい)

そんな利根川の姿を見て美緒や明穂はいい気味だと言わんばかりにほくそ笑んでいた。

森田「兵藤会長……心配するなよ」

そんな中、森田も微かに笑いながら前へと出る……。


森田「最終戦……次は俺が出よう。BETはカイジと同じ18でな……!」

美緒「え……!」

巽&安田「も、森田!」

利根川「何ぃ……?」

兵藤「ほほほっ……!」

森田の進言に全員が驚愕……!

森田「もう一度お前に名誉挽回のチャンスをやるぜ、利根川」

散々人の命を弄んできた利根川だけは許せない森田は、このまま完全に失脚にまで追い込もうとしていた。
これで利根川が負ければもはや帝愛で活動することなど不可能……! 確実に破滅するはずである。

美緒「森田くんまでそんな……」

明穂「カイジのおかげでもうここまで勝ってるんだから良いじゃない」

ゼッケン11「そうですよ! 今のカイジさんの勝利だって奇跡的なのに……」

森田「いや、むしろカイジが体を張ってここまでやってくれたんだ。俺も体を張らなきゃ、一緒に戦ってきた意味がないんだ」

森田「カイジ。代わってくれ」


森田はカイジをどかし、席につく……。
己の死さえ覚悟し、勝負に挑もうとするその姿勢と気迫は利根川を威圧する……。

銀二(ふふふ……良い顔をするじゃねえか)

銀二は森田のその姿を見て満足そうな顔をしていた。

由香理「持ってきたわよ」

明穂「ほら、カイジ」

カイジ「ど、どうも……」

タオルを数枚持って戻ってきた由香理より受け取った1枚をカイジに渡す……。

兵藤「ひっひっひっ……さすがは森田鉄雄……! 平井銀二の元右腕だ……! 実に素晴らしい……!」

兵藤「カイジくんも森田くんもワシが見込んだ男だ……命の使い所というものを心得ておるわ……!」

兵藤「受けるぞ……! 森田鉄雄の生き死にを賭けた勝負をな……! おいっ! 用意だ!」

心底楽しそうに高揚する兵藤は黒服に命じ、森田の耳に切り取られたカイジの耳から外した装置を取り付ける。


美緒「森田くん……」

森田「大丈夫だよ」

森田の身を案じる美緒に頷く……。

カイジ「おい! 約束を忘れてないだろうな? 俺たちが勝ったら謝ると……!」

利根川「くっ……」

このEカード勝負の最初に取り交わした、利根川の謝罪……。
あの時、利根川は土下座でも何でもすると言っていた。しかし、まさか本当にそうなるかもしれないなどと思ってもみなかった……。

カイジ「いいな! 死んでいった仲間たちに土下座して謝るんだ! 利根川!」

兵藤「安心したまえ、カイジくん。ワシに二言はない。勝負に君たちが勝てばちゃんと金は払う」

兵藤「そして、利根川にはしっかりと謝らせよう。土下座でも何でもな……!」

兵藤の強調する最後の言葉に対し、利根川は今まで以上に青ざめた顔を浮かべていた……。
明らかに何かに対して恐怖を感じている……。
そして兵藤は黒服たちの方を覗うと、彼らはそれだけで兵藤の意を解したのかプレイルームを後にする。


森田「おい。その後どうなる? まさか謝罪だけで済ませるつもりじゃあるまい?」

兵藤「ひっひっひっ……そうじゃな……。これまでの勝負で利根川は3回も無様に失態を見せてきたのだ」

兵藤「これだけでも降格ものだというのに、さらに負けるようなことがあれば……もはや役立たず以前のクズだ……」

兵藤「そんなクズには地下で永遠の労働が相応しい……」

利根川「う……!」

利根川はさらに顔を青ざめて絶句……。
地下……それは帝愛グループが計画し、現在極秘に建設中の巨大シェルター都市、地下帝国……。
そこには帝愛に対して負債を背負った者たちが強制収用され、過酷な労働を受けさせられている。
エスポワールで地獄行きが決定した負債者たちの一部はここに送られてくる、そこはまさに地獄そのもの……。
この勝負、利根川は何としても負けるわけにはいかない……!

兵藤「というわけだ……安心して挑みたまえ、森田くん」

兵藤「勝てば君たちの仲間の無念を晴らし、2000万……ただし、負ければ……」

兵藤「君は、死ぬ……! その耳から……脳を貫いてな……! ヒヒヒヒヒヒヒ……! カカカカカ……!」

奇声と共に狂気に満ちた笑いを漏らす兵藤の姿に森田はもちろん、他の者たちまでもが呆然……。


美緒(お願い……勝って……森田くん……!)

美緒はごくりと息を飲み込み祈る……。
こんな狂った悪魔たちが支配する場所から一緒に平和な日常へと帰るために……。

カイジ「おい! 利根川! その時計を外せ!」

カイジは利根川がこれ以上不正ができないようにするべく時計を取り上げようとする。
利根川は明らかに渋い顔を浮かべている。だが、ここで無碍に断るわけにもいかないが……。

森田「いや、いいよ。奴の好きにさせてやろう」

カイジ「何? だが、奴らは……」

森田「好きにしな、利根川。それで時間でも何でも確認してればいい」

利根川「何ぃ?」

森田も利根川の不正に気付いているのは間違いないというのに、何故それを認めようというのか。
何を考えているのか分からず、利根川はいぶかしむ……。


森田「美緒、すまないが俺が良いって言うまで耳を押さえててくれないか。勝負に集中したいんだ」

美緒「え、ええ」

森田に従い、美緒は後ろから森田の両耳を包み込むようにして押さえていた。
当然、森田の片耳に取り付けられた装置も一緒に……。

銀二(ふふふ……そうだ、それでいい。森田よ……奴らを欺くにはそれで充分……)

カイジのような荒すぎるものではないスマートな戦略に銀二はほくそ笑んだ……。

森田「何だよ、その顔は。彼女が俺の耳を押さえているからってルールに反しているわけでもないだろう。それとも何か困ることでもあるのか?」

利根川(このクソガキめ……!)

利根川は不敵に笑う森田に心中毒づく。
あの装置は装着者の生体反応を感知するため、生体に触れている限り耳以外に触れていても反応する仕組みになっている。
しかし、逆に言えば無差別に生体を感知してしまうことでもあるのだ。
本来は装着者一人を感知することを想定しているため、二人以上の者が触れているとその分余計に生体反応を感知することになってしまう。
事実、今も森田だけではなく美緒の生体反応までも感知してしまっているせいでノイズとなり、森田の反応がまるで分からない。

利根川(こいつはもう使えん……)

仕方なく利根川は装置に頼らず、自らの勘と読みで森田を相手にすることにした。
今まではイカサマに頼ってきた以上、ここからは完全な真剣勝負。森田鉄雄の癖や動作を見て何を出してくるのかを読み取るしかない。
もし負ければ、ただではすまない。破滅どころではないのだから……。


利根川(平井銀二の元右腕だろうがそんなことは関係ない……! 貴様なんぞに負けてたまるか……!)

利根川(勝つ……! 勝って貴様を殺す! 俺が生き残るんだ……!)

幸いにも利根川は圧倒的に有利な皇帝側。通常、ほぼ負けはない。
だが、利根川は迷う。皇帝である以上、相手が自滅を待つことも可能である以上、まずは様子見と行くか……。
いや、1枚目はいきなり皇帝を出して不意討ちをしかけるか……しかし、それを見破られて奴隷で返り討ちにされてしまっては……。
そういった思考が幾度も頭の中で交錯していき、ただ時間だけが過ぎていく……。

カイジ「どうした! 何をグズグズしてやがる! いつまでもビクビクと!」

カイジ「そんなザマだから会長の爺さんに見限られるんだろうが!」

利根川(黙れ! 見ているだけのゴミの分際で!)

利根川は結局、1枚目は市民を選択。まずは様子見だ。
そして森田も即座に提出……結果は、市民と市民。一歩、利根川を追い詰める。

森田「長くかかった割にはつまらない結果だな。……勝負に出る勇気も無いわけか?」

利根川「く……!」

先ほど自分が言ったのと同じ言葉による挑発に利根川は顔を顰める。


利根川(この青二才が……! ワシはお前らなんぞと違い、何十年と積み上げてきたんだぞ……!)

利根川(こんな所で消えるわけにはいかんのだ……!)

森田「さて、次は俺からだな…・・・」

森田は何の迷いもせずにカードを提出する。
自らの死をも覚悟しているその開き直った姿勢は利根川をイラつかせる……。
そして出すのは勝負に出れない利根川は結局、市民……。繰り返される引き分け。

利根川(おのれぇ……!)

森田(そうさ。せいぜい、そうやってビビッてやがれ。カイジたちがどれだけ恐怖に震えていたか、分からせてやる。そしてお前を無一文で寒空へと放り出す……!)

3枚目、今度は利根川の先出しから……。

利根川(舐めるなよ……森田。ワシは今まで幾多の苦境を勝つことで越えてきたのだ……!)

利根川(貴様のようなクズ同然の悪党ごときに負けられるか……!)

しかし、森田の気迫と会長のプレッシャーに圧されて利根川はここでも勝負に出られない……。
またも市民同士の引き分け……。


カイジ(よし……! とうとう追い詰めたぜ!)

先ほどの自分の勝負で利根川にしてやれなかったことが目の前で成されていることにカイジ、痛快……!

美緒(これでもうどちらも安易にカードは出せないわ……)

背後で森田の耳を優しく包み込んだままの美緒は心底緊張した面持ちで勝負を見守っていた。
いつ利根川が皇帝を出してくるのか、全く予測できない。
森田が市民を出している時に相手が皇帝を出してくるのではという悪い考えが過ぎり、美緒はその度に肝を潰しそうになっていた。
もしも負ければ森田は……。

美緒(そんなことないわ……。森田くんは絶対に勝つ……!)

エスポワールを共に生き残り、そして今も一緒に戦っている森田鉄雄が……美緒がずっと心惹かれていた男が朽ちるなどあるはずがない。

そして運命の4枚目……。森田は数分の長考の後、静かにカードを提出した。
出さなかったカードを伏せて横に置くと、そのままテーブルに両肘をついて利根川を睨みつける……。
早く出せと言わんばかりに……。

利根川(どっちだ……? 市民か? 奴隷か?)

完全に追い詰められた利根川は激しく動揺しながら慎重にカードの選択を行う……。
森田鉄雄は何を考えてあのカードを出したのか……。
こちらが結局は勝負に出ようとせずに市民を出してくると見たのか……それともここで皇帝で勝負に出るというのを読み切って奴隷を出しているのか……。
分からない……分かるはずもない……!


森田「美緒、もう手を離してくれていい」

美緒「え? でも……」

森田「いいんだ。ここからは俺と奴の一騎討ちだ。余計な小細工はもういらない」

そう言われ、美緒は森田の耳から手を離す。これも森田の戦略だと信じて……。
両手を合わせたまま、森田の横で勝利を祈る……。

カイジ(頼むぜ……森田)

カイジも2枚目のタオルを傷口に押し当て、共に地獄を戦ってきた森田が勝つことを祈った。

利根川(この野郎……何を考えてやがる?)

利根川はちらりと腕時計に目を通し、怪訝に顔を歪める……。
美緒の反応が無くなったことで森田の生体反応がしっかりと表示されている。
発汗だけは何故か今までも森田は大して反応が無いのだが……。

利根川(これまで通りで考えるとしたら、この反応は奴が市民を出していることになるが……)

利根川(奴はわざわざあの女を使ってこちらの目を欺いてきたのだ……それを今更やめるだと?)

利根川(ならばわざと自分の反応をこちらに見せて裏を取ってくると考えたか?)

利根川(このガキが……! そんなブラフになんぞ乗せられるか! 死ね!)

森田が裏をかいて奴隷を出していると睨み、利根川は市民を出そうとするが……カードを置く直前でその手が止まる。


利根川(いや……待て……こいつも馬鹿じゃない。こちらが迂闊な決断をしてくるのを待っているのかもしれない)

利根川(平井銀二の元で右腕として動いていたほどの男だ。それくらいのことはしてみせる……! ならば……!)

土壇場で利根川は市民から皇帝へと変更してカードを提出した。

カイジ(頼む!)

美緒(神様!)

強く目を瞑るカイジと美緒……。
しかし利根川は出したカードを今度は伏せることもなく、いきなりオープンのままで出していた。
出されている皇帝のカードに、二人は唖然……。森田はただ黙ってそのカードを見つめている……。

利根川「墓穴を掘ったな、森田鉄雄……! あのままその女を使っていれば良いものを……!」

利根川「貴様ごとき青二才の考えなんぞお見通しだわ!」

森田「何を言ってるんだ、お前? あいにく俺は大して考えなんてないんだよ」

利根川「何ぃ?」

森田「負ければただ死ぬ……それだけだ。俺は貴様が思っているほどこの勝負に策なんて考えていやしない」

森田「自分で勝手に考えて墓穴を掘ったのは……」

森田、伏せてある自らのカードに手をかける……。


森田「……お前だ!」

森田、オープン……! そのカードは奴隷! 奴隷は、二度皇帝を刺す!

利根川「な……な、に……」

利根川、驚愕……! 目の前で起きている現実が信じられない……と言わんばかりに放心……。

カイジ「よっしゃあっ!」

美緒「森田くん!」

明穂&由香理「やったぁ!」

カイジたちはこれまでにない歓喜の声を上げ、美緒に至っては喜びのあまり森田の肩に抱きついていた。

安田&巽「やったな! 森田!」

思わず安田と巽が森田の元までやってくるとその肩を叩く。
他のギャラリーたちまでもが全員、感涙と共に歓声を響かせ続けていた。
共に勝利を喜び合う多くの若者たち……。

カイジ(やったぜ……石田さん、佐原……みんな……)

カイジは静かにポケットから石田より託されていたただの紙くずでしかなくなったチケットを取り出し見つめる……。
この森田の勝利により、自分たちは2060万という大金を手に入れることになったのだ。

森田(銀さん……やったぜ……)

森田はちらりと自分たちの戦いを見守り続けていた平井銀二の方を見つめる。
銀二はただ静かに、森田の顔を見ながら顔を綻ばせていた。森田の勝利を賞賛してくれている……。


バニッ!

利根川「何故だ! 森田!」

利根川「何も考えていなかっただと!? 馬鹿か貴様は!」

テーブルを叩きつけ、利根川は喚きだす。

利根川「この勝負を一体何だと思っている!? 一歩間違えれば貴様は死んでいたのだぞ! その勝負で何も考えていなかった!? 馬鹿も休み休みに言え!」

利根川「貴様は命が惜しくなかったのか!?」

森田「言ったろ? 俺は死なんざとっくに覚悟の上なんだよ」

森田「だから最後に奴隷を出そうが市民を出そうが……気持ちは同じだった。どっちを出してどっちでお前が勝負に出ようが、大して結果は変わらないんだ」

故に森田はどちらのカードを出そうが大して心の変化はなく、利根川の時計の反応も希薄だったのだ。
利根川、森田の異端の感性に愕然とする……。


銀二「利根川先生……あなたは見誤ったのですよ……」

銀二は森田たちの元に歩み寄り、静かに語る。

銀二「森田鉄雄はこれまでにあなたが陥れ続けてきた若者たちとは訳が違うのです。その男はたとえ死が隣り合わせとなる土壇場でも欲で動いたりなどしない」

銀二「私はそんな森田の感性を買って、右腕として手元に置いていたのですよ……」

銀二「しかし、あなたは確かに優秀だ。優秀であるが故に他者を自らより劣等の存在であると見誤ることになった……ただ、それだけのことです」

利根川「ぐ……ぐ……ぐぅぅ~~……」

力なくへたり込み、テーブルに突っ伏す利根川……。
誰が悪いわけでもない。……利根川は今、己が人生に裁かれた。
他人を陥れ続けてきたその数十年間に渡って重ねてきた業が今、自らへと返ってきたのだ。
そう。利根川は自分で自分の首を絞めた。優秀である自分が劣等に負けるなどあるはずがない……それは決定的な驕りと隙、油断を生みだす。
彼はあまりにも人を見くびりすぎた。常に他人を自分より下と決め付けるその傲慢さが、他者の心を理解する力を欠如させた。
いわば、この敗北は利根川にとっては必然でしかない……。

以上で第六章は終了。後日、書き溜めて第七章を再開。

第七章が書き溜められたので再開します


こうして12戦に及ぶEカードは終わりを告げた。
自らの耳を削ぎ取るという荒業で敵の不正を欺いたカイジと、敵を欺きつつ精神的に追い詰め猜疑心を煽った森田……。
6勝6敗の戦いを制した二人は、合計2060万の大金を手に入れたのだ。
カイジからしてみればそれはもう目も眩むような大金である……。

ポン、ポン、ポン……。

兵藤「素晴らしい。実に素晴らしい……カイジくん、森田鉄雄くん」

利根川がテーブルに突っ伏す後ろで兵藤は小さな拍手を送りながら二人の勝利を褒めたたえていた。

兵藤「特に森田鉄雄くん。君は素晴らしい。さすがは、平井銀二の右腕だった男……楽しませてもらったぞ」

兵藤は森田を賞賛するが、森田は逆に渋面を浮かべていた。
負債者の命を弄ぶ悪魔のギャンブルを主催していたのは帝愛グループ……。
その総帥であるこの兵藤こそが全ての黒幕である以上、結局は悪党を楽しませる結果となってしまったことが森田にとっては腹立たしいことだった。

兵藤「それに引き換えこの男は……とんだ恥さらし、醜態もいい所だ……しっかりとお前には償ってもらおう……」

利根川を見下ろす兵藤はじっとりと目を細め、にやりと笑う……。

兵藤「さて、カイジくんに森田くん。金をもらって終わりではなかったはずだったな?」


カイジ「あ……! そ、そうだ!」

カイジたちが勝利に酔い痴れる中、兵藤の言葉にカイジは我に返ると、利根川を睨みつける。
そう。カイジは散々、自分たちを弄んできた利根川に謝罪をさせるのも目的の一つだったのだ。

カイジ「利根川! 土下座だ! 土下座をしろ! そして謝るんだ! 死んでいったみんなに!」

明穂「カイジや森田くんにも謝りなさい!」

由香理「そうよ、そうよ!」

兵藤「やれやれ……君たちは分かっていないみたいだな」

次々に利根川を責め立てるカイジたちだが、兵藤はため息をつきながら言い出す……。

兵藤「カイジくん。君がこいつに求めておるのは、ただ頭を下げて謝って欲しいだけか?」

カイジ「え……」

森田「何……?」

兵藤「君たちが求めておるのはその行為ではなく、誠意ではないのかね? 腹の底からしっかり謝っているかどうかということだろう」

カイジ「誠意……」


兵藤「人間なんていよいよとなれば頭なんぞいくらでも下げるものだ。しかし、いくら額を床に擦り付けようが、本心でそいつが謝っていなければ土下座なんて何の意味もない……」

兵藤「それこそ腹の底で舌を出されてしまっていては、死んでいった君たちの仲間も浮かばれはせんだろう?」

森田「う……」

カイジ「そりゃあまあ……」

言っていることは至極正論……。利根川がたとえ表面上は謝っていても、それだけでは本心ではどうなのかまるで分からない。

兵藤「ワシはな、そんな土下座がいかに無意味であるか身に染みておるのだよ……」

昔から金貸しを生業にしていた兵藤いわく、困っている人間を見ていると見捨てておけずに金を貸してきたが、何度も裏切られてきたという。
互いの同意で契約を交わしたのにも関わらず無視され、債務者たちは平然と借金を踏み倒す。
そしていざ返すとなると土下座をしてまで「必ず返す」とのたまうが、結局は返さないのだそうだ。

カイジ「そんなのどうせ暴利だろうが……!」

もっとも、帝愛が課す金利は法外どころの騒ぎではない暴利であるため、返したくても返せないからなのだろうが……。

兵藤「それは違うな、カイジくん。どんなに高い金利であろうと、そんなものは暴利とは言わん」

兵藤「ワシは必ず貸し付ける前にその契約について包み隠さず全て話しているのだ」


兵藤「金利に返済期限、そして返済できない場合の処遇……なにもかも、何度も念を押してな……。充分民主的ではないか」

兵藤「そして金を借りる側はそれらを全て承知の上で借りていっている。何も問題はなかろう?」

カイジ(違う……その人たちは選べない……選べないんだ!)

その債務者たちは圧倒的に追い詰められて帝愛から金を借りる選択しかできないのだ……。
むしろその契約をしっかりと認識する余裕すらない。帝愛はその心の隙をついて契約を交わしてくる……。
かつてカイジがエスポワールに乗る際も、思えばちゃんと契約書を読まずに成り行きにまかせて契約を交わしてしまったのと同じだ……。

兵藤「むしろ暴利というのはその男……平井銀二の方ではないか?」

森田「何だと?」

兵藤が指し示してくる銀二の方に一行の視線が行く……。

兵藤「森田くん。平井銀二の右腕であった君なら、知っておろう? そやつはワシと違って裏で愚民どもに金を貸し付けていたことを……」

かつて森田が銀二にスカウトされた際、初めて見た銀二の裏社会での仕事を思い出す……。
あの時は確か銀二が銀行の不正融資から横取りした10億の中の数億もの大金を使い、裏金融で何十人もの人間に金を貸し付けていた……。


兵藤「そやつは小賢しい仕掛けを契約書に仕込み、その肝心なことについては一切話さないのだ……」

兵藤「貸付の金利がそれこそ5%でも、実際は遅延損害金は日歩40銭なんていう話が隠されているかもしれん」

兵藤「本当の暴利というのは、そういうことを言うのだ……。対して、ワシは契約者と実にフェアーな取引をしているではないか。違うかね?」

森田「う……」

兵藤の指摘に森田はおろか、安田や巽さえ何も言い返せない……。
平井銀二は相手が弱者であろうが何だろうが容赦なく金を奪いにかかる、悪魔のような男だ……。
考えてみれば兵藤と平井銀二はどこか似ている所があるのかもしれない……。
だが、銀二と兵藤では全く違う要素がある……。

兵藤「ワシから金を借りる連中は契約を一方的に反故にし、ただ頭だけを下げてくる……」

兵藤「無論、表面上はすまなそうな顔をして床に額を擦りつけはするが……どうしてこれほど謝っているのにこいつは許してくれないのか、などと心中こちらを冷血漢呼ばわりで非難してくるのだ……」

兵藤「そんなものは酷い話だとは思わんか?」

兵藤の言う通り、そんな詫びには誠意などあるはずがないのは確かだ……。

兵藤「借金における誠意はただ一つ……! 何をしても良いから、期日までに借りた金をきっちりと返す……! 単純な話ではないか」

次々と述べてくる兵藤の言葉はまさに世の中の真理をついた正論ばかり……。
カイジや森田はおろか、他の者たちも納得した様子で黙り込んでしまう。


兵藤「それ以外に誠意などないのに、金を返さないその時点で、奴らに本当の誠意などないのだよ……。その証拠に……」

森田(何だ? この音……)

森田はおろか片耳を失ったカイジも全員、どこからか何かが運ばれてくる音を耳にする。

兵藤「ワシが奴らの真の誠意を見るために、土下座に負荷を加えてやれば……もう満足に謝ることもできなくなる」

兵藤「それこそが奴らの土下座に誠意などありもしないことの証拠だ……」

森田(何だ? 一体……)

カイジ(あれは……)

プレイルームの扉が開かれ、何かが台車に乗せられて運び込まれてくる……。

安田「う……!」

巽「何だありゃあ……」

それを目にしたカイジと森田はもちろん、他の者たちまでもが唖然とする……。

兵藤「本当に奴らに誠意があるなら……すまないという気持ちで胸が一杯ならどこであろうと土下座ができるはずなのだ。たとえそれが……」

赤々と燃えたぎる炭火の山……その上で熱せられているのは……。


兵藤「肉焦がし……骨焼く……鉄板の上であろうとな……! それでこそ誠意というもの……!」

悪魔のごとき嗜虐の笑みを浮かべ、それを楽しそうに見つめる兵藤……。
運ばれてきたのは、炭火で熱せられた鉄板……!
つまり、この焼けた鉄板の上で土下座をしろと兵藤は言うのだ……! すなわち焼き土下座……!

森田(違う……! 銀さんは貴様なんかとは違う……!)

兵藤は相手の誠意が見たいのではない。相手が苦痛に悶え苦しむ姿そのものを見たいがためにこのような悪魔の所業を行うのだ……!
いかにフェアーに取引を行っていても結局は他者が苦しみ、その果てには無様に死に絶える姿を見ることが目的……!
平井銀二が完全にビジネス目的だけでやっていたのとは訳が違う……! 銀二は他者を拷問にかけたり、苦しめることに愉悦を感じたりするような悪趣味は持たない。
同じ悪魔でも、兵藤と銀二は雲泥の差とも言える人間性の違いがあるのだ……!

兵藤「できるはずだ……本当にすまないという気持ちがあるのなら……謝らずにはおれんはずだ。のう? 利根川よ……」

利根川「うぐ……」

声をかけられた利根川は明らかに恐怖で打ち震えている……。
兵藤は利根川にこの謝罪……いや、拷問を利根川に科そうとしている……。
こんな物の上で土下座をしようものなら、火傷どころの騒ぎではない。

安田「ば、馬鹿野郎! そこまでやる奴があるか!」

美緒「そんなことしたら死んじゃうわよ!」

もはや謝罪ではない拷問に猛抗議する……。


兵藤「ククク……確かにな。だがそれも何十分という長い時間を続けてのものだ」

兵藤「奴に本当に誠意があるなら、そこまで誠意を示す必要はない。最低10秒は頭を下げてくれていればいい」

兵藤「鉄板に額をつけた瞬間から10秒間……いつやめるかはこやつの自由だ」

兵藤「ただし、0.1秒でも10秒に達していなければ最初からやり直し……! 何度でも、何度でも繰り返し謝ってもらう……!」

兵藤「それこそ額の皮も肉も溶け、直接頭蓋骨を焼くことになろうが……強情を張っていつまでも謝らずにいて、焼死体になろうがな……」

残忍な笑みを深める兵藤に全員が唖然とする……。

兵藤「だが、どいつもこいつも自分からやろうとせん……。たったの10秒、苦しさに耐えるだけでワシは返済の期限を延ばしてやろうというのにな……」

そんなのは当たり前だ。誰がこんな拷問を自ら望んでやりたがるというのだ。

兵藤「故に使うのがあれだ……ワシはあれが実に好きでのぉ……ヒヒヒヒ……」

にたりと嗜虐の笑みを浮かべる兵藤が指し示すのは焼けた鉄板と一緒に据え付けられている張り付け台のようなもの……。

兵藤「借金を返さない不心得者をあの機械に乗せ、強引に土下座をさせてやる……」

兵藤「だが、ここまでこちらが体勢を作ってあげているのにまだ土下座をしようとしない不心得者は、さらに力ずくで誠意を実行させる……」

あんな鉄板の上に無理矢理座らされて自ら土下座ができる者がどこにいるというのだ。
まず間違いなく、苦しみにまぎれてのたうつだけだというのに。


兵藤「おとなしくしていれば焼かれるのは額だけなのに、どうしてもみんな暴れるのだ……」

兵藤「そうして誠意を示せぬ者は顔も体中も焼かれ悶絶し、失禁する……!」

声が裏返り、狂気に満ちた愉悦の笑みを漏らす兵藤に全員が言葉を失った……。

森田(こいつ……!)

カイジ(狂ってやがる……!)

森田は以前戦った誠京グループの会長、蔵前仁と似た……いや、それ以上の狂気を持つ兵藤に戦慄していた。

兵藤「んん? 何もそこまでという顔だの……」

森田「当たり前だ! こんなことをしてこいつを殺して何になる! お前が楽しみたいだけだろう!」

森田は利根川の命を奪うつもりなどなかった。社会的に抹殺さえできればそれでいいのだ。
だが兵藤は平気で自分の右腕だったはずの利根川をあっさりと切り捨て、あまつさえその命さえ奪うことに何の躊躇いもない。
それどころか人の死に様を見るのが愉悦だという……とんでもない悪趣味にも程がある。

兵藤「クククク……そうだな。結果的にワシが苦しみのたうつクズどもの姿を見て楽しむことになろう……」

兵藤「しかし、それは結果に過ぎん。きちんとこの謝罪が大切なものであるかを理解し、誠意を示しさえすれば何の問題も無い」

兵藤「結局は己が立場を理解せず、焼け死ぬかもしれないという覚悟もない奴が勝手に死んでいるだけなのだ……」


森田「馬鹿野郎! こんなもの、まともにできる奴などいるわけがない!」

美緒「そうよ! そこまでしなくたって……」

明穂「あんた、金貸しなんでしょう!? だったら、借金を背負わせるくらいでも……」

兵藤「もちろんだ。利根川には2000万の負債を背負ってもらい、しっかりと地下で強制労働をしてもらう。最低でも30年はな……」

兵藤「だがそれで責任を取らせることと、今カイジくんたちやワシに謝ってもらうことと話は別なのだ」

兵藤「謝罪という行為は辛ければ辛いほどその価値を増す。その辛さに耐え、自らの誠意を証明してこそワシらへの正当な詫びになる」

兵藤「恥をかいたワシと、友人たちの無念を晴らしたいカイジくんたちのな……ワシも彼らも正当な誠意をもった謝罪を求めておる」

しかし、だからといってこんな悪魔じみた拷問でしかない所業でも本当の誠意とやらが誰も分かる訳がない。
結局は兵藤が焼き土下座を見たいだけなのだ……。誠意を示してもらうというのは方便に過ぎない……。

美緒「だからって……」

由香理「こんなのおかしいわよ……」

兵藤「お嬢さん。本当の誠意というのはこれくらい厳しいのが当然なのだよ。世間でいう所の誠意なんてものは大甘……あんな生易しいものに誠意などこもるはずもあるまい」

兵藤「利根川よ……お前は示せるよな? 本当の誠意というものを……!!」


利根川「ぐぅ……ぐぐぐ……!」

肩を震わせたままの利根川はかなりの抵抗感を抱いているようだ。
それも当然だ。あんな下手をすればただ無意味に死ぬだけの拷問など、誰も耐えられるはずもない……!

兵藤「ククク……まあいい。自分でできないならば、こちらでやるまでだしの……」

兵藤「では、そろそろやってもらおうかの! スタートだ! 焼き土下座を……!」

ゼッケン10「嘘だろ……?」

ゼッケン5「本気かよ……?」

とうとう運命の時がきた……。
兵藤の宣言と共に黒服たちはテーブルに突っ伏したままの利根川に掴みかかろうとする……。

利根川「俺に触るな! 俺に指一本触れるんじゃない! どけっ……!」

だが、利根川は黒服たちを振り払い、立ち上がる……!
最後の悪足掻きなのかと思ったが、違うようだ。
利根川は自らの前に立ち塞がる焼き土下座の器具を正面から見据える……!

利根川「一人でやれば問題なかろう……!」

利根川はついに覚悟を決めたのだ。逃げることも抗うこともできない。退路は無し……!
それは兵藤の側近として長年仕えていた利根川自身が分かっていた。
だからこそ、この地獄を耐え抜かなければならない。


利根川「どけろっ! その機械を!」

利根川の叫びと共に黒服たちは鉄板に据え付けられている土下座強制器具をどかす……。

兵藤「いいのか? 利根川よ。お前も知っての通り、この焼き土下座を自力でやり切ったものはおらん。無理はせん方が身のためだぞ……?」

兵藤「失敗すれば何度も顔を焼くことになる……地下へ行く前に焼け死ぬかもしれんぞ……? じゅじゅじゅじゅじゅじゅじゅぅ~~~……ヒッヒッヒッヒッヒ……」

気味の悪い奇声を漏らす兵藤を無視し、利根川はゆっくりと鉄板の前へと進んでいく……。
鉄板の隣ではストップウォッチを持った黒服が待機している……。

森田「安田さん……彼女たちを部屋の外へやってくれ……!」

安田「お、おう……。お嬢ちゃんたち、俺と一緒に来な」

美緒「は、はい……」

森田は安田に頼み込むと美緒、明穂、由香理の三人をプレイルームの外へと連れて退出していった。
彼女たちにこれから行われる凄惨な場面を見せるわけにはいかない……。


ジュゥッ……!

カイジ(利根川……!)

ついに焼けに焼けた高温の鉄板の上に足を乗せた利根川……。まだ靴の上からなので大した熱さはないだろが、本番はこれから……!
まず最初に膝……次に両手……そして……。

利根川「ぐぅっ……! うおおおおおっ……!」

これだけでも想像を絶する苦痛を利根川は感じているだろうが、それでも屈さずに自らの額を鉄板へと押し付けた……!

利根川「ぐがあああああああ! ぐおっ! ぐうっ……!」

ゼッケン5「ひいいぃぃ……!」

ゼッケン10「み、見てられねえ……!」

利根川の苦痛の呻き声が響く中、ギャラリーたちはこの凄惨な場面を直視できずに目を逸らす……。
森田とカイジ、そして銀二でさえもこの地獄の光景に唖然としていた……。

兵藤「ヒッヒッヒッヒッヒッヒッ……じゅじゅじゅじゅじゅじゅじゅじゅぅ~~~……! カカカ……! コココ……! キキキ……! ククク……!」

そしてこの地獄の刑の執行者たる兵藤は利根川がその身を焼きながら苦しみに耐え続けている姿を見て、狂気に満ちた愉悦の笑みを浮かべる……!
その口からは狂気のあまり涎まで垂れ流している……。まさに悪魔の愉悦……!


利根川「ぐうううぅぅ……! ぐぐぐぐぐぐ……! がああぁぁぁっ……!」

10秒……。たったの10秒がこれほどまでに永遠の時間のように感じるとは……。
しかし、利根川は苦痛の呻きは漏らし続けているが、この地獄の時間をただひたすらに耐え続けている……決して顔を上げようともせず……。
常人であれば一秒と耐えられずに苦しみにのたうつであろうというのに、利根川の精神力は常人の遥か上を行っていた……!

森田(利根川……)

カイジ(利根川……!)

絶対に顔は上げない……何が何でも一人だけで耐え抜いてみせる……無様な姿だけは見せない……。
自らのプライドだけは決して捨てはしない……!
苦痛の呻きが続く中、そんな強固な意志と意地が森田たちにはっきりと伝わってくる……。

カイジ(何だよ……? この涙は……!)

カイジに至っては、訳の分からぬ涙まで溢れてくる始末だった……。

森田(こんな……こんなことを……あいつは……! あの男は……!)

一人の人間が死をも超える生き地獄で必死に耐え、悶え苦しみ続ける中、それをあからさまに楽しんでいる兵藤を森田は睨み付ける……。
人を苦しめ、その命を奪うことに躊躇いをもたないどころか、快楽を得るためにその残虐非道な行為さえも容赦なく執行する狂気に満ちた悪魔……醜悪な魔王を……。


結局、利根川はこの生き地獄を12秒も耐え抜いてみせた。
だが、当然その後はまともに動けるはずもなく……利根川は精根尽き果ててしまっていた。
しばらく動けず、焼かれた患部を水で冷やしたタオルで応急処置をし、そのまま黒服に肩を担がれてプレイルームを後にしていく……。

利根川は最後の意地でやり切ってみせたのだ……! あの地獄にも等しい焼き土下座を……!
だが、これで終わりではない。失脚した利根川にはこれから死よりも恐ろしい運命が待っているのだ……。

敵ながら見事な散り様を、最後の意地と矜持を示した利根川を見届けたカイジたちは一時プレイルームを後にしていく……。
今の世にも恐ろしい悪魔の所業を目にしてすっかり茫然自失してしまったようだ。
プレイルームには焼き土下座を満喫した兵藤と黒服……そして終始冷静に全てを見届け続けていた平井銀二だけが残される……。

兵藤「いかがだったかな? 平井銀二よ……。久々にかつての右腕、森田鉄雄の戦いぶりを見届けた感想は……」

銀二「奴と別れて2年が経ちますが……」

銀二「相変わらず、良い目をしていた……」

たった今の利根川の焼き土下座を見たおかげで冷や汗を少し滲ませつつも、タバコに火を点ける銀二はどこか嬉しそうにほくそ笑む……。

2年前、森田が神威家の内部抗争における仕事の後、銀二が見舞いへ行った病院で裏社会での仕事に嫌気が差したと言い、引退を決意したあの時こそは覇気を失ってしまっていた。
だが、今の森田はそれより以前の悪党として裏社会で伸し上がろうという野望を持っていた時のような、気力に満ちていた。
それだけではない。この2年ですっかり腑抜けてしまったのかと思ったが、むしろ逆……自分たちが知らないうちに森田は更なる成長を遂げていたのだ。
それも未だに純なままで……。


兵藤「ヒッヒッヒッヒッ……彼がワシらの前で死に様を見せてくれなかったのは残念であったが……それはまたの機会としようかの……」

兵藤「ただし、次は君自身が骸を晒すかもしれんがな……」

銀二「……ふふっ。かもしれませんな……」

兵藤は平井銀二たちが自分を打倒しようとしているのは知っている。だが、兵藤は平井銀二が自分を狙っていようが大した問題ではないことが分かっていた。
平井銀二は兵藤ですら対等の存在と認めている裏社会のフィクサー。かつてのライバルであった誠京の蔵前仁との戦いも制したほどの兵。
だが、それでも裏社会を絶対的な力で支配する帝愛グループを、そして兵藤自身を討ち取ることは不可能であることも察している。

兵藤「まあ、ワシは君がこの国の経済界を牛耳ってくれても一向に構わんのだよ。ワシらには何ら問題はないからな……」

違法ですら法とする帝愛グループにとっては平井銀二が究極の目標としていた経済界の支配……どんな大企業でさえも裏で管理するという野望など、兵藤自身の野望に比べれば大したものではない。

兵藤の野望……それは、いずれ訪れるであろうこの国の滅びより後の世でも生き残り、絶対的な力を持つこと……。
国の政治家たちがひとたび交渉を誤れば自分たちの頭上で必ず核が炸裂する。もしそうなれば国は荒廃し、預金も国債も証券も、何もかも紙くず同然となる。
そうした事態に対応してこそ、真の富豪なのである。

そのために極秘に建設しているのが地下核シェルターにして巨大シェルター都市、地下帝国なのだ……。
そこにはあらゆる公共・娯楽施設が存在し、帝愛グループに貢献し忠誠を誓った者のみが安全に快適に生き延びることができる。
強力なシェルターと私兵を持つ者こそが真の強者となり、絶対的な支配と権力を握ることになるのだ。

故にたとえ平井銀二が野望を実現し、経済界を支配したとしても、その時が訪れれば何もかもが無力となるだろう。

兵藤「いつでも受けてたつぞ……銀王よ。来れればな……」

銀二自身にも分かっていた。自分だけでは決してこの男を倒すことなどできないと……。
かつて蔵前仁を倒した時のように、森田鉄雄と共に戦わなければ……。
だが、森田は既に裏社会から引退した身……今日ここで再会したとしてもそれは変わらない。
今夜の戦いは森田鉄雄とその仲間たちの戦い……自分たちはただの傍観者でしかない。
自分たちには自分たちの戦いがあるのだ……。


利根川の最期を見届けたカイジたちはトイレに集まっていた。
カイジは自らが叩き割った鏡の前で耳の傷を押さえたまま立ち尽くしている……。

カイジ「俺は間違っていた……利根川は本当の敵じゃない……」

ゼッケン11「はぁ?」

明穂「間違っていたってどういうこと……?」

森田「あの会長さ……本当の黒幕は……」

壁際でタバコを吸う森田も同様に痛感していた。
いくら利根川が高い地位にいる幹部であろうと所詮、帝愛グループに飼われている存在。いわばすぐに使い捨てられる傀儡でしかない。
すべての元凶にして真の敵は帝愛グループの頂点に立つ支配者……兵藤和尊なのだ。

カイジ「会長を倒さなければ石田さんたちの仇をとったことにはならない!」

ゼッケン11「まあ、そんな気持ちも分からないでもないですが……それもしょうがないですよ……」

カイジ「俺たちは勝ってないんだ! 結局はあの会長を喜ばせるためのショーを演じただけでしかない……!」

カイジは悔しそうに割れた鏡を叩きつける……!
かつてエスポワールで感じた行き場の無かった怒りが再び蘇る……。


ゼッケン11「そんなことないですよ。充分勝ってますって! だからこそ、この金を手に入れられたんじゃないですか! ショーのギャラでも良いじゃないですか!」

他の参加者たちも一様に頷く。ゼッケン11番の手には、今回カイジたちが手に入れた2060万の大金が入れられたビニール袋がある。

由香理「カイジは借金を抱えてここに来てるんでしょう? だったらそれを返して楽になった方が良いわよ」

カイジ「違う……俺はただ金が欲しかったわけじゃないんだ。俺は、敵を倒したかったんだ。俺たちを散々弄んできた奴らを……!」

敵に幾度も煮え湯を飲まされてきた以上、引き下がることなどできないのだ。何としても敵に一泡を吹かせなければ……。
ましてや真の敵はもう自分たちのすぐ近くにいる。

明穂「馬鹿なことを考えてるんじゃないわよ。相手はヤクザなのよ。下手に歯向かったら殺されるのがオチだわ。さっきもあんなことをしでかそうとしてたの見たんでしょ?」

由香理「あんなイカサマまでしてきたんだから、次は何をしてくるか分かったものじゃないわ」

美緒「そうよ。森田くんが一緒でもギリギリだったじゃない」

勝負を見ていてハラハラしていた者としてはもうあんな思いはしたくなかった。

カイジ「森田……あんたは悔しくないのか? 奴らをこのままにしておいて」

森田鉄雄と共に戦えば勝機はあるのかもしれない……そんな希望を抱く……。
森田も相当に深刻そうな顔をしている……。


森田「それは俺だって奴らは許せないさ。あんな悪党どもが得になるようなことなんてな……」

森田「だがな、カイジ……これだけは言える。俺たちじゃ奴は倒せない……」

カイジ「森田……」

あの森田がここまで弱気な発言をする様にカイジは愕然……。
エスポワールの時も、死の橋を渡っていた時も、そしてEカードの時もあそこまで森田は臆することなく戦えていたというのに……。
森田の気迫と勝負強さはカイジでさえも認めていたものなのだ。

森田「昔……俺はあの男とよく似た奴と戦ったことがあるんだ……」

3年前、平井銀二と共に裏社会で活動していた頃、政治権力と癒着をしていた巨大企業グループ誠京の会長、蔵前仁と500億をサシ馬にした麻雀勝負を行った。
その蔵前との一戦は今思い出すだけでも寒気が走る……。あの男はまさしく悪魔そのものだった……。

森田「そいつは自分で主催したギャンブルのパーティで負債を背負った人間を地下で飼っていたんだ……」

美緒「飼っていた?」

森田「文字通り、死ぬまで檻に閉じ込めてな……」

蔵前は負債が返せない人間を地下室の檻に閉じ込め、飼い殺しにしていたのだ。
エスポワールでの別室と同じように自由はおろか時間も、人間としての尊厳さえも完全に奪い去って……。
獣のように檻に閉じ込められた人間はやがて人格が崩壊し、廃人と化す……。
蔵前はそうして人間が破滅し、崩壊していく様を眺めるのが愉悦という……とんでもない狂人であった。


カイジ&美緒「……」

森田「兵藤はそいつとよく似た狂人だ……」

森田の話を聞いていた一行は完全に言葉を失う……。
あの兵藤もまた、人間が苦しむ様……果ては死に様を見ることによって快楽を感じるという狂気じみたサディストなのだ。

森田「だが俺には分かる……奴は俺たちがまともに戦って勝てるような相手じゃない」

悪趣味を持つ狂人とはいえ、蔵前は肝心の麻雀勝負では悪魔じみた実力で森田たちを追い詰めていったのだ。
最終的には辛くも勝利したものの、銀二に発破をかけられ死を決意しなければ森田も危うく飼い殺しにされる所だった。
そう……平井銀二がいなければ、あの時森田は確実に負けていたのだ……。
森田は直感的に兵藤も蔵前と同じ……いや、下手をすればそれ以上の悪魔じみた実力を持つ巨人であると察していた。

森田「それこそまたEカードで勝負したって、奴に討ち取られるのがオチだぜ……」

まだ直接戦ってもいないのに、あの森田がここまで戦慄していることにカイジも息を飲む……。

森田「お前、もしもまたEカードで兵藤と勝負をするって申し込んで何か勝つための策でもあるのか?」

カイジ「うっ……」

利根川の時はもしも最終戦で自分が勝負をしていたなら、自分が流している血をカードにわざと目印として残して利用していただろう。
だが、兵藤にそんな小手先の手段が通用するはずがない……。


森田「それに奴は俺たちと戦って自分が失うものなんて何もないだろうさ。数億の金なんかそれこそ端金だろう」

森田「もし奴を倒せる者がいるとすれば……銀さんだけだ」

カイジ「森田が昔一緒に組んでいたっていうあの……」

橋での賞金を反故にされたカイジたちに助け舟を出してくれた平井銀二……。
森田は平井銀二であれば兵藤からでも容赦なく金を搾り取って討ち取ると考えていた。
別の意味で悪魔じみた能力を持つ彼ならば……。

森田「恐らく銀さんたちの次の仕事は帝愛が標的なんだろう。……俺たちが出る幕じゃない」

森田「だから……もう俺たちは引き上げよう。後は銀さんたちに任せようぜ……」

カイジの肩をポン、と叩く……。
しかし、実際の所森田はまた再会することができた平井銀二と共に帝愛を打倒したいとも思っていた。
だが、一度決別してしまっている以上、もう自分は銀二たちと共に裏社会で生きることはできない……。
何より、もう裏社会での仕事などうんざりであった。悪党たちだけが得をするなど……もう……。
今、こうしてここにいるだけでも嫌悪を感じるというのに……。

カイジ「森田……」


森田が気乗りではないことにカイジは落胆……。
だが、たとえ勝負をするにしても森田が共にいてくれなければまず勝てない……。
そしてその森田自身が兵藤との力量差を察している以上はもうここが引き際なのだろうか……。

森田「それにな……俺も石田から預かっちまってるんだ……お前の命を」

カイジ「え……?」

森田「奴らがまたお前に命を賭けさせでもしてきて負けでもしたら、死んだ石田の思いが何もかも無駄になる……。お前もそうだろう?」

カイジもまた、石田の家族を救うための金を託されていた。そしてそれをようやく手に入れることができたのだ……。
それを失えば自分たちがやってきたことの全てが無為になってしまう。

ゼッケン11「森田さんの言うとおりですよ、カイジさん……もう引き上げましょうよ」

美緒「森田くんもここまで一緒にがんばってきてくれたんだから、もう無茶な真似なんて辞めて早く帰りましょう。その傷だって……」

美緒も他の者たちもカイジの矛を収めようと同意し、促す……。
結局、カイジは仕方なく兵藤に勝負を挑むのを諦めることにする……。


カイジ「う……!」

美緒「もっとタオルを!」

明穂「あれ? タオルは?」

ゼッケン10「もう無いんですよ。さっき利根川が冷やすのに使っちゃって……」

カイジが耳の傷で苦痛に呻くので新しいタオルを用意しようとしたが、既に使い切られてしまっていた。

美緒「じゃあティッシュをたくさん出して濡らしてちょうだい!」

ゼッケン2「は、はい!」

明穂「由香理、救急箱か何か借りて来て」

由香理「え、ええ」

由香理がトイレを後にし、ゼッケン2番はトイレの中に置かれていたティッシュ箱からペーパーを取り出していく……。

ゼッケン5「馬鹿! そんなんじゃ駄目だ! 貸せ!」

律儀に1枚ずつ出しているのがまどろっこしくなり、ゼッケン5番は箱をひったくると糊付けされている側面を開けて一気に大量のティッシュの束を取り出していた。


ゼッケン5「どうぞ、明穂さん」

明穂「ちょっと沁みるわよ」

濡らされたティッシュの束を受け取り、カイジの耳に押し当てる明穂。
直後には由香理が救急箱を持って戻ってきた。
こうして美緒たち三人の手によりカイジの耳に包帯が巻かれ、とりあえずの応急処置が完了する。

明穂「よしっと……これでOK」

森田「カイジの耳は?」

ゼッケン2「大丈夫です。ちゃんと氷付けにしてありますから」

洗面器の中に入れられた大量の氷の上、透明のビニール袋にカイジの削ぎとられた耳が入れられていた……。

ゼッケン2「行きましょう、病院に……今ならくっつきますよ!」

カイジ「みんな……美緒さん、明穂さん、由香理さん……森田も……色々とありがとう……」

カイジは全員の顔を見回すと、膝に手をつくほどに深く頭を下げて礼を述べていた。
共に戦ってくれた森田だけではない……自分たちの恐怖を共有してくれた多くの仲間たちに……。


ゼッケン2「何言ってるんですか! これくらい当然ですよ!」

ゼッケン11「俺たち本当に嬉しかったんですよ! カイジさんたちが一矢報いてくれて!」

森田「気にするなよ。エスポワールの時からの縁だろ」

美緒「そうよ」

明穂「まったく……本当に心配かけるんだから……」

由香理「これに懲りてもうこんな危ないゲームになんか参加するのはやめなさい」

こうして森田たちの戦いは終わったのだ。
カイジは耳の代償として2060万の大金を手に入れた。そのうちの数百万は治療代と入院費……そして1000万は石田の家族のために消えてしまうが、それでも数百万が残ることになる。
森田自身は金はいらないため、全てカイジのものとなるのだ。

森田「俺たちは先に行ってるぜ、カイジ」

森田は美緒たち三人を連れてトイレを後にした。

ゼッケン11「さあ、行きましょう」

カイジ「ああ」

カイジもまた、仲間たちと共に森田たちの後に続いていこうとする……。
が、その直前にカイジはある物を踏みつけることとなる。……それは、図らずともカイジに新たな閃きをもたらすことになった。
森田さえも恐れるあの狂気の悪魔……兵藤を倒すための……!

以上で第七章は終了。後日、書き溜めて第八章を再開。

第八章が書き溜められたので再開します


美緒「あ……!」

森田が美緒たちと一緒にトイレから外の廊下へ出てくると、そこでは安田巌と巽有三の二人が待っていた……。

巽「ずいぶんと元気そうじゃねえか、森田」

安田「まさか、お前が帝愛のゲームに参加してるとは思ってもみなかったぜ……。しかもお嬢ちゃんたちも一緒とはな」

森田「俺も驚きましたよ……まさか、銀さんたちが来ているだなんて……」

互いに心底仰天した……といった表情で、森田は改めてかつての悪党仲間との再会を果たす……。

安田「こっちはお前らが橋を渡るのをずっと見ていたんだぜ? ったく……ヒヤヒヤさせやがるよ」

安田「お前もあのカイジって坊主も無茶をしすぎだぜ。命知らずが……」

安田はタバコを吹かしながら苦笑する……。

森田「ああでもしなければ利根川を追い詰められなかったんですよ……」

巽「だが何はともあれ、あの橋もEカードも森田が生き残れて良かったな」

かつての仲間たちも森田たちの戦いをずっと見守ってくれていたことに更なる安堵が湧き上がっていた。
特に平井銀二が見守ってくれていたことが森田にとっては何より嬉しかった。


森田「ところでここに来ているということは、銀さんの次の狙いはやっぱり帝愛なんですか?」

安田「まあ……そういうわけではあるがな……」

巽「帝愛は銀さんでも安易に仕掛けることができねえ相手だからな……下見ってところだよ。わざわざ向こうから招待されてな……」

森田「銀さんでも難しいんですか……」

あの平井銀二も敵を討つため、相当慎重になっている……。
しかも帝愛は敵であるはずの銀二たちをわざわざ客人として招いていた……。自分たちの余裕か、はたまた森田たちの死に様を見せつけるためか……。

巽「敵はあの誠京を完膚なきまでに叩き潰した相手だからな……」

森田「せ、誠京を……!?」

森田、初耳となる情報に驚愕……! 帝愛が誠京はライバル会社同士である話は知っていたが、まさか帝愛側が既に誠京を倒していたとは……。

安田「昔みたいに、森田と一緒なら銀さんもすぐに仕掛けられていたかもしれんがな……」

森田「え……?」

安田「なあ、森田。また一緒に組む気はねえか?」

突然の誘いに森田、呆気に取られる……。


安田「今日のお前らの戦いっぷりを見させてもらったがな……お前、しばらく見ないうちにずいぶんとサマになってたじゃねえか」

安田「あの橋でも、利根川との勝負も……お前は全然変わってねえ。いや、むしろその逆だぜ」

安田たちにとっては森田は引退してから腑抜けてしまったのかと思っていたが、逆に成長していたことに驚いていた。

巽「銀さんも、お前が引退しちまってからあまり元気がねえんだよ」

森田「銀さんが……」

平井銀二と再会できたことは、これまで森田の心にぽっかりと空いていた穴が埋まったような満たされる感覚だった。
自分が魅せられ、いつか超えようとしていた巨人が再び目の前に現れたことはこれまでにない衝撃が走ったものだ。
銀二たちがこれから倒そうとしている帝愛は森田にとっても打倒したい相手……。
しかも平井銀二自身も、森田と同じように喪失感を味わっているという……。

森田「でも、俺は……」

しかし、それでももう森田は悪党の世界で生きるのはうんざりだった。
今回だって結局は兵藤という悪党を喜ばせる結果となり、救うことができた人間はカイジ一人だけ……。
もっと助けたい人間、救いたい人間は大勢いたというのに……。

美緒「ちょっと! 森田くんはもう足を洗ってるんだから、やめてよ!」

安田「分かった……分かったよ、お嬢ちゃん。別に無理強いをするつもりはない。今の森田はどんな感じなのか……確かめただけだよ」

とは言うものの、安田はもう一度森田と一緒に仕事をしたいと思っているのだろう。そして恐らくは銀二も……。
何しろ2年前のあの日、二人が袂を分かつ時も銀二は内心必死になって森田を引き止めてきたのだから。


安田「ところであのカイジって坊主はどうしたんだよ? まさか耳なんか削ぎ取りやがって……」

巽「向こうのプレイルームで兵藤会長がお前らが来るのを待ってるみたいだぜ。もちろん、銀さんも一緒にな」

美緒「そういえば何してるのかしら……」

森田(何やってやがるんだ? あいつら……)

気がついてみれば、カイジたちは未だにトイレから出てこようとしない。
森田たちは気になって再びトイレへ戻ることにする……。

森田「何やってるんだ? お前ら」

トイレに入ってみれば、何やらカイジを中心にしてみんな話し合っている様子だが……。

カイジ「森田……倒せる! 倒せるぞ! あの会長を!」

したり顔のカイジは、封開けられた空のティッシュ箱を手にしている……。

森田「何?」

美緒「会長を倒すって……どういうこと?」

明穂「っていうより、また馬鹿なこと考えて……」

由香理「いい加減にしなさいよ」

森田「いいよ。とりあえず、話は聞いてやろう」

明穂と由香理が呆れるが、森田はカイジに説明を促す……。


カイジ「向こうに戻ったら、俺はあの会長にあるギャンブルを申し込む……!」

カイジがたった今、兵藤を倒すために即席で考え出したギャンブル……それは、ティッシュ箱クジ引き……!
細かくした無数のペーパータオルの紙切れの中に一つだけ当たりの印をつけ、それをティッシュ箱の中に入れて先にそれを引いた方が勝ちという実に単純なルール。
50~60枚くらいはある中で当たりクジを引くのは完全に運否天賦……。互いに外れクジを引き合うのは当然である。

しかし、カイジはこのティッシュ箱の中に前もって当たりクジを仕込み、あっさりと引いてみせるという。カイジの立てた策はこうだ。
クジを入れるティッシュ箱自体は未使用のものを使用するが、箱の側面には小さな隙間があり、
クジもしっかり入る上に中で挟まったままになるため、ちょっとやそっとのことでは落ちはしない。
それに気づいたのが、先ほどカイジの治療の際にゼッケン5番がティッシュ箱を横から一辺に取り出したあの行動だった。

このトイレにあるティッシュ箱全てにその仕掛けをし、自分の引く番になったらその当たりクジを引くという。
それによってこの勝負を制するのだ。まさに必勝……。

明穂「イカサマをやり返すってわけね……」

カイジ「そうさ……俺たちは一歩間違えれば死んでいた……。たとえイカサマでも負けは負け……」

カイジ「騙される方が悪いと鼻で笑ってよ……!」

カイジは心底悔しそうに歯を食いしばる……。
帝愛にとってはカイジや森田たちを騙し、たとえそれがバレたからといって何も損などしないのだから。
それがカイジはあまりにも悔しかったのだ。


カイジ「だったら、もう正々堂々だなんて言ってられない……! 敵がそうくるなら、こっちも手段なんて選ばねえ!」

カイジ「違うか、森田!」

森田「……」

確かにカイジの言うとおりかもしれない。勝てる保証のない正々堂々な戦いを挑むのに対し、敵は勝つ保証のあるイカサマをする……。
そんなものは敵の土俵へと無謀にも上がるもの。わざわざこちらから望んでそんなことをしても負けてしまえば何の意味も無い。
結局は敵に踊らされる結果となる……。

由香理「案外いけるんじゃないかしら? まさか向こうもこんな仕掛けにそう簡単に気づくとは思えないし」

明穂「あんたにしては結構考えてるわね……」

ゼッケン11「でも、やっぱりやめた方が……」

明穂と由香理はカイジの戦略に感嘆としているが、他の参加者たちはあまり気乗りではなさそうだ……。
偽の当たりクジを横から入れるにしても本物の当たりクジも入れる以上、兵藤も当たりを引く危険もある。
おまけに仕組んだ箱には全てイカサマをしているという証拠が残る……。
ましてや実際に勝負で使う箱を改められればそれでもうアウト……。

だがカイジはこの意見からさらに作戦を立てていく。
このトイレに一人を潜ませ、黒服が箱を一つ持っていった後に残った箱の当たりクジを処分させる。
そして勝負に使う箱の当たりクジに関しては、事前に失敗の当たりクジをいくつか作った上で勝負に勝った際、誰かが喜んで箱を持ち上げてクジを床に撒き散らす……。
こうすることで当たりクジは混ざることになり、もう分からない。

兵藤も当たりクジを引く危険性に関してはどうあってもクリアできない。
つまり、この作戦は決して100%というわけにはいかない。どうあってもリスクは出てしまう……。
だが、その程度のリスクを臆しては何にもならないのだ。


カイジ「どうだ? 森田」

森田「……最低でも五分五分の勝負になるな」

カイジ「え?」

森田「万が一の事態もあり得る。その仕込んだ当たりクジが途中で落ちたりすればそれでもう破綻だ」

森田「それに……兵藤が俺たちの戦略に気づけば、お前がやろうとしていたことをそっくりそのままやられるかもしれない」

カイジ「う……」

兵藤とて決して馬鹿ではない。カイジや森田が必死になって考え抜いた戦略を即座に見抜いて逆手にとってくるかもしれないのだ。

カイジ「……その時はその時だ。レートを下げておけば、こっちの被害も最小限に抑えられる。ここまで来て下がれるか!」

カイジ「森田! お前は悔しくないのかよ! 奴らは俺たちを散々弄んで、石田さんや佐原を! みんなを虫けらのように殺してきたんだぞ!」

森田&美緒「カイジ……」

闘志を剥き出しにするカイジに二人は唖然……。
その目は、かつてエスポワールの最終局面で自分たちが帝愛に踊らされていたことに対する無念とやり場のない怒りをぶつけていた時と同じ……。

カイジ「倒す……! あの会長だけは! ……いや、倒せなくても、一泡吹かせてやる!」

もはやカイジを抑えられる者は誰もいない……。
再び破滅が隣り合わせとなるであろう戦いに踏み出すのを森田は見届けるしかなかった。
だが、森田とて思いは同じ……帝愛は森田にとっても倒すべき敵。

森田(俺もどうせ、シャバに戻ったって何もないんだしな……)

その敵に臆することなく挑もうとするカイジの姿に、森田も敵の巨大さから湧き出てきていた恐れを薄れさせていく……。
何としてでもこのカイジだけは、救ってみせると誓っていた森田はこのまま見過ごすことなどできなかった。
とことんまで、カイジに付き合ってやるしかない。たとえ勝てずに破滅しようとも……。


こうして当たりクジを仕込み終わると、予定通りに一人を残してカイジたちはトイレを後にし、兵藤が待つプレイルームへと向かう。

美緒「大丈夫かしら……カイジ」

森田「さてな……やってみなければ分からない」

安田「何の話だ? 森田」

森田「何でもないですよ。今は黙ってカイジに任せてやってください」

プレイルームでは黒服たちを従える兵藤が王のごとく椅子に座し、森田たちの登場を今か今かと待ち構えていた。
いよいよ、決戦の時……。

兵藤「治療は大変だったのぉ。しかし、金が入れば全てよしだ……! なにせ2000万という大金だ! 苦しかった分、君たちも嬉しいだろう」

銀二と共に待っていた兵藤はカイジの労をねぎらってきた。
何とも白々しい物言いである……。

兵藤「そんな中、野暮は言いたくはないのだが……おい」

黒服「これが今現在のカイジ様の債務額でございます。ご返済をお願いします」

控えていた黒服がカイジに1枚の紙切れを手渡す。
それは現在、カイジが帝愛に対して背負っている負債の合計額。エスポワールは生き残ったが、マカオのカジノで作ってしまった400万……。
元々、カイジたちが得た賞金は今夜の帝愛の本来の余興であった鉄骨渡りを見物していた富豪たちのパーティ参加費と彼らが出していた寺銭が元となっている。
いわばカイジの返済は帝愛にとってはその寺銭の徴収ということにもなるのだ。


ここで大人しく返済をすれば全てが丸く収まる。だが、今のカイジはそれでは終われないのである。

グシャ……!

兵藤「んん?」

銀二「ほう……」

安田&巽「何?」

カイジはその紙切れを手の中で握り潰していた。その行動に兵藤たちは怪訝そうにする……。

カイジ「虚しいぜ……。いくら2000万っていっても、そのうちの半分以上は俺の金じゃないんだ」

カイジ「仲間が命がけで俺に託した金……そして、俺と一緒に戦ってくれた仲間の金……」

カイジとしてはこの賞金は森田と山分けをする予定であった。

カイジ「しかも耳の手術でさらに減って、結局俺の取り分は300万にも満たないんだ」

カイジ「あれだけの思いをしてこんなんじゃ割に合わないぜ……」

兵藤「ほう? ……で、何が言いたいのだ?」

嘯くカイジに対し、兵藤はじっとカイジを見据えて問う……。

カイジ「もう一丁……ケチなことを言わずに、もう一勝負だ……! 今度はあんたと……!」


安田「何ぃ?」

巽「兵藤と勝負する気か……? あのガキ……」

カイジの進言に黒服たちはおろか、安田たちまでざわめきだす……。

黒服「こらっ! 貴様! 無礼なことを言うな!」

兵藤「まあまあ、大目に見てやれ」

黒服を宥める兵藤はカイジを見据えてにやりと笑う……。

兵藤「そうか……君の考えが当たったな。銀王よ」

銀二「そのようでございますな」

森田「何?」

兵藤「ワシはな、先ほどまでこの男と話しておったのだ。戻ってきた君たちがどうするかを予想してな……」

兵藤「ワシはもう君らは退き下がると思っておったが、銀王はまだ挑んでくると考えていた……くっくっくっ、まさにその通りとなったな」

兵藤は面白おかしそうに笑っている……。


カイジ「それじゃあ……」

兵藤「まあ待ちなさい。……あくまでもそう考え合っていただけであって、決して君と勝負をしてやるとは言っていない」

兵藤「カイジくん……君は森田鉄雄ほどではないが、ワシから見れば実に好ましい男だ」

兵藤「だが、君のその性格はとても危うい……己の破滅も招きかねん。今宵のカイジくんたちの勝ち運はこれがリミットだ……」

兵藤「悪いことは言わんから、もうやめた方が良い。勝ちは決して望めんよ」

まさかの兵藤からの忠告にカイジたちは唖然……。

巽「そうだぜ、坊主。もうやめておけよ」

安田「お前がそいつと戦って勝てるわけねえだろうが」

安田たちまでもがカイジを引き止めてくる……。

兵藤「彼らの言うとおりだぞ、カイジくん。400万を払っても残りは1600万……森田くんと山分けをしても800万も残るではないか……」

カイジ「違う! この2000万のうちの1000万は預かりの金なんだ! 渡す約束をしている!」

兵藤「そんなもの破ればよかろう……カイジくんが黙っておればそんな口約束なんぞ守る義務はない」

森田(あの野郎……!)

死んでいった者の思いを踏み躙るような発言に森田は顔をしかめる……。

カイジ「馬鹿言うな! 俺は絶対に裏切らない!」


カイジは必死に兵藤へ勝負を申し込むが、兵藤はそれを受けようとはしない。
今は既に午前3:00を過ぎようとしている……兵藤も眠いのか、あくびまでしてプレイルームを立ち去ろうとしている。

カイジ「待て! 逃げるな! 俺とやって負けるのが怖いのか! 恥をかくことを恐れているんだな!」

兵藤「カイジくん。強者とは相対的な意味で強者なのだ。いちいち全ての勝負に勝てるわけじゃない」

兵藤「何度も繰り返す勝負ならともかく、一回限りの勝負に負けたからといって恥でも何でもない」

兵藤の腕を掴んでまでカイジは食い下がり、それを兵藤はうっとおしそうにしていた。
カイジが兵藤を挑発しても、兵藤はまるで意に返そうともしない。
プロのゴルファーがアマチュアと勝負をしても100%勝てるわけではないと、もっともらしいことを言って。

森田(それじゃあさっきのあれは何なんだよ……)

が、兵藤の言葉と矛盾しているのが先ほどの利根川だ。利根川の負けを兵藤は許さなかったというのに。

美緒「あれじゃ勝負なんかしてくれそうにないわよ……?」

森田「あいつの粘り次第だな……」

が、あまりにも粘りすぎて兵藤たちが強行手段に出れば、森田がカイジを押し留めると決めていた。

黒服「貴様、会長がお疲れだと言うのが分からんのか!」

カイジ「知ったことか! もう一勝負だ!」

兵藤に喰らいつくカイジは黒服に叱責されようが、兵藤に杖で叩かれようが引き下がらない。


兵藤「やれやれ……分かったよ。ここまで食い下がられては仕方あるまい……」

しかし、その抵抗が実を結んだのか、兵藤はようやく折れたようでカイジとの勝負を受け入れた。
そしてここからがカイジの戦略が始まる。兵藤はEカードを再び用意させようとしたが、カイジは当然それを拒否する。
もっともらしい理由として、敵が用意するものなど信用できない……というものだ。向こうにはその前科があるのだから。

兵藤「なるほどな……しかし、それは困ったのぉ。Eカードも他に用意するものも駄目では、勝負のしようがないではないか?」

カイジ「待ってろ……考える……」

既に戦略は練ってあるというのに、カイジはこれからどんな勝負をするのか即席で考えるという演技をしだす。
数分の後、閃いたようにカイジは黒服たちにペーパータオルと定規を用意するように言い出し始めた。
そして黙々と作られていくクジ……当然、わざと失敗作の当たりクジも作られていく。

安田「何をしようっていうんだ? あの坊主……」

巽「さあな……」

銀二「まあまあ、今は黙って見守ってやろうじゃねえか……」

兵藤も銀二たち一行も、森田たちも黙ってそのクジ作りを見届けていた……。

森田(なるほど……うまいな……)

カイジのクジ作りを見守る森田は、さり気なくカイジの行動や段取りが絶妙であることに唸っていた。
勝負の承諾をとりながらも、まだ賭け金やどんなゲームをやるかといった話は一切せずに黙々とクジを作り続ける……。

最初からクジ引き勝負をしようと持ちかけても向こうが紙をペーパータオル以外のもので用意しようとすればそれだけでアウト……。
当たりの印も○以外のものにしようと言われれば仕込んだクジは役に立たない。
つまり勝負の基本となる部分に敵の発想で干渉されないように、自分のペースに持っていったまま勝負に挑まないといけないのだ。


森田(後は、カイジ自身の問題……)

カイジは勝つために様々な策を巡らしてきているが、果たしてその心に用心深さがあるのか。
全ての謀り、偽り、策を弄する者は根本的な部分で謙虚でなければならないのだ。
自分の都合だけしか見えていないのでは、敗北は必至となる……。兵藤はそこまで甘い男ではないのだから。

やがてカイジの手により60枚ほどのクジが作られ、クジ引きに使う箱もカイジの提案で未使用のティッシュ箱を使うことが決まった。
しかもカイジの狙い通りにトイレから仕込まれたものが黒服によって持ってこられた。

カイジ「待った。開ける前にチェックさせてくれ。俺が終わったら、会長もこの箱を確認してくれ」

美緒「何であんなことを……?」

森田「開けた後にチェックされないためだ……」

双方にチェックをすることで勝負前の必然の行為となる。
箱を開けた後にチェックされてしまえば、中に仕込まれたクジが見えてしまう。そうさせないために今、相手にチェックをさせているのだ。
これもカイジの戦略なのだろう。今のカイジは相当に切れている……油断は決してしないと言わんばかりに。

兵藤「問題なかろう……」

兵藤からのOKも出たことで、ティッシュ箱の中のティッシュが黒服によって全て抜き出されていく。
1枚、1枚律儀に……。

カイジ「用意はできたぞ、兵藤会長……こっちに来てくれ」

多量のクジと空箱の用意ができたことで、席に着くカイジは兵藤を招く。


兵藤「駄目だなぁ、これは……あれこれと手間取った割には単純すぎて面白くない……」

兵藤「大の大人がこんな夜更けに眠気を押してまでやるギャンブルではない」

カイジ「う……」

が、席に着いた兵藤はため息混じりにそう言い出した。
カイジたちも兵藤が自分たちの勝つための戦略であるこのギャンブルに乗り気でないことに唖然としている……。
これで別のゲームをやろうと言われればもう何もかもが破綻だ……。

安田「あんなつまらないゲームなんて受けるわけねえだろうが……」

美緒「やっぱり受けてくれないみたいよ……」

が、兵藤はそんなカイジたちの顔を見て笑い出す……。

兵藤「そんな顔をするな……別にやらぬと言っているわけではない」

兵藤「ここまでワシを楽しませてくれたのだから、ワシも君の願いをできれば聞いてあげたいのだ……」

兵藤「ただし、条件が4つある……なぁに、大したことではない」

カイジ「何だよ?」

兵藤がこのクジ引き勝負を受ける条件……まず一つ目がイカサマ防止のため、当たりクジの団子の禁止。
クジの紙切れは丸めてしまえば指の間など様々な場所に隠せてしまう。それを当たりクジと称して引いてくることもあり得るという……。
故にグシャグシャになってしまっているような当たりクジは認めない。
そしてクジを引く際は腕を捲くり、互いに指の間を開いてチェックさせる。
これでその線のイカサマは不可能となる。


カイジ「なるほどな、分かった……」

兵藤「続いて二つ目……少々虫の良い話なんだが、先行権をワシに譲ってもらいたい」

明穂「ちょっと、そういうことは公平にジャンケンで決めるものでしょ!」

ゼッケン11「そうですよ!」

兵藤「それはもっともだ。しかし、ワシは今回全面的にカイジ君の要望をただ言われるがままに受け入れてきた」

兵藤「本当はもう休みたいのに、眠気を押してまで付き合っている……ここまでお人好しな者もいるまい?」

兵藤「それなのに少ない確率とはいえ、もしも初っ端に君たちが当たりクジを引いてしまえばワシは一度も引くことなく虚しく勝負が終わってしまう」

兵藤「それはあんまりではないか?」

森田(兵藤の奴……感づいてやがるな)

恐らく兵藤はカイジが何か策があるのではと考えているのだろう。
だから考えうるカイジのイカサマを封殺するためにこのような条件を述べているのだ。
そしてそれは同時に自分自身もそうしたイカサマはできないということを意味している。それはある意味、フェアーというか……。

兵藤「嫌なら、ワシは降りるだけだがな……」

カイジ(くそっ、足元見やがって……!)

だが元々どちらが先にやるかなど決まっていなかったのだから、一度くらいなら引かせてやっても良いだろう。
そしてそれを認めなければ向こうが受けてくれないのだ。兵藤を勝負に持ち込ませるには受け入れるしかない。


カイジ「好きにしろ」

兵藤「うむ。では、三つ目……賭け金についてだが……」

ついにきた、肝心のレートの話……。カイジはこの2060万全てをつぎ込むつもりでいた。

カイジ「俺はこいつをそっくり賭ける」

兵藤「足りんな……そんな端金では」

カイジ「え?」

何と、兵藤はカイジの持つ2000万を軽く一蹴した……。
だが、これ以上に金などないはず。

兵藤「足りない分はワシの方で調整をするから、ズバリ……」

兵藤、ここでちらりと森田の方を窺ってから再びカイジを見据える……。

兵藤「……10億といかんか?」

カイジ「ええ!?」

明穂&由香理「じゅ……」

安田&巽「じゅ……」

森田&美緒「10億!?」


兵藤が宣言したこの勝負のレートの額に、全員驚愕……!
たかがクジ引きにそんな大金……狂気の沙汰である。

兵藤「そんなはした金で勝負では面白くも何ともない。たとえ釣り合わぬ金額で間尺に合わぬと知っていながらな……」

兵藤「それでも燃えぬギャンブルよりはマシというもの……。通常の凡庸な刺激では燃えぬのだ……! くくく……!」

狂気をも感じる兵藤の気迫にカイジたちは唖然……。

兵藤「自覚しておる。ワシの脳は既に焼かれているとな……常軌などというものは既に失せておる」

明穂「でも、カイジの金は2000万とちょっとなのよ。1億でも釣り合わないのに10億なんて……」

兵藤「安心したまえ。カイジくんたちには金以外を賭けてもらう……! あれを……」

兵藤は黒服に命じ、何かを持ってこさせるようだ。
しかし、金以外を賭けるということは……。

森田「さっきのEカードみたいに耳か何かを賭けろってことか?」

兵藤「ヒッヒッヒッヒッ……聡明だな、森田くん。だがしかし、彼が賭けるのはそんなものではない……」

少しすると、黒服が布に覆われた何かを持って戻ってくる……。

兵藤「普通、一本につきそこまで値はつけんのだがな……カイジくんは君と共にここまで勝ち残ってきた勇者だ」

兵藤「そこに敬意を表し、破格の値をつけよう……!」

テーブルに置かれたその布を兵藤が取り去る……。


カイジ「ぐっ!」

森田「なっ!」

美緒&明穂&由香理「ひっ……!」

そこに現れた物を見て全員唖然……。それは言うならば小さなギロチンとも言うべき拷問器具……。
そして首の代わりに収められるものは……。

兵藤「一本につき2000万……もし負けた場合は差額の8000万、カイジくんはその指四本によって精算してもらう……!」

腕をベルトで固定し、四本の指を溝に入れて固定……そして、備えられている巨大なギロチンが下ろされれば容赦なく指は切断される……!
まさかの常軌を逸したレートの提示に、カイジは完全に言葉を失っている……。負ければ金だけでなく指まで失う……更に借金は膨れ上がる……。

明穂「ば、馬鹿なこと言わないでよ! 指を賭けるだなんて!」

由香理「第一、それでも全然賭け金が足りないじゃない!」

兵藤「ククク……確かにな。だが、ここで最後の条件を出そう……」

兵藤は森田の方へ気味の悪い視線を向ける……。

兵藤「森田くん。君も、このゲームに参加してもらう」

カイジ&美緒「え!?」

安田「何ぃ!?」

突然の提案に森田も呆然……。


美緒「ど、どうして森田くんまで……!」

兵藤「ここまでカイジくんと森田くんは共に一心同体のように戦ってきた。ならば、最後もきっちりとそれで行かなければな……」

兵藤「ワシが森田くんを今宵のパーティに呼んだのも、君の戦いぶりが見たかったからだ……」

兵藤「存分にワシを楽しませてくれたことに感謝しておるよ……ならば、最後もワシを楽しませてもらう」

森田「俺は嬉しくも何ともないがな……」

こんな悪党を楽しませることになるなど……森田としてはとても我慢できるようなことではない。

森田「それで俺にもカイジのように指を賭けろとでも言う気か?」

兵藤「くくく……違う、違う。君ほどの男にそんな安いものを賭けさせては示しがつかん……」

兵藤「ましてや君は平井銀二の元右腕……1億程度の端金では釣り合わぬのだ」

にやりと狂気じみた笑みを浮かべる兵藤……一体、何を考えているのか全く予想できない。
美緒も相当不安な様子で成り行きを見届けている……。

兵藤「森田くん……君は人間の体にどれくらい血液が流れているか知っているかね?」

森田「聞いたことはある……」

確か人体には4~5リットルの血液が流れているという。もちろん、体格や体重にもよるが平均はその程度のものだ。


兵藤「ククク……そうだ。君の体格ならば5~6リットルといったところだろう」

兵藤「そしておよそ1/3を失えばじわりじわりと死が忍び寄り……半分が失われればまず間違いなく絶命する……」

美緒「まさか、それを賭けろって言うんじゃ……」

兵藤「その通りだ……そのための道具も用意してある……」

プレイルームの扉が開かれ、台車で運ばれてくるもの……それは無数のず太いシリンダーに繋がれたチューブとポンプ……。その先には太い注射針が備えられている。
これはすなわち、献血などでも使うようなポンプでシリンダー内の圧力を抜くことで血を吸い上げる装置……。

兵藤「1ccにつき30万……すなわち、森田くんには3000ccの血液を賭けてもらう……」

兵藤「これまでに散々命を賭けてきた君ならば、この程度のリスクなど問題あるまい?」

すなわち、兵藤は森田にもう一度命を賭けろと言うのだ。
負ければ確実に死が待っている……!
さすがの森田も愕然とする……。


兵藤「しかし、君たちが勝てばきっちりとキャッシュをこの場で払おう。さっきの橋みたいにチケットなどというケチなことはせん」

さらに4台の台車で運び込まれてきた札束の山……1億が一つ、3億が三つ……。
目の前に現れた大金にカイジの意志が、カイジの世界が捻じ曲がる……! 全てを吸い寄せる魔物……金……!
普通にカイジが働き続けても絶対に得ることのできない大金……それがもう目の前……。

だが負ければ、自分が破滅するどころではない。共に戦ってきた森田まで死ぬ……!
そのようなことだけは絶対にあってはならない……!

兵藤「言わば、この10億は君たちにワシがつけた価値……」

兵藤「森田くんほどの男であればこの程度の金を稼ぐことなど造作もない……だが、カイジくんは違う」

兵藤「よほどの幸運か才能……幾十年もの労働を積み重ねなければ得られん大金……これが一瞬で君たちのものとなるのだ。勝てばな……!」

美緒「じょ、冗談言わないでよ! そんなことできるわけないじゃない! 負けたら死んじゃうのに!」

美緒「森田くんもカイジもこんな勝負はやめて!」

もし負ければ森田は自分の目の前で死ぬ……! 美緒はそんなもの見たくもないし、考えたくもない。
そもそもこれ以上、ゲームを続ける意味もないというのに……。


銀二「お嬢さん。これは森田とカイジの受ける勝負だ……俺たち外野が口を出すようなことじゃあない」

美緒「でも……」

安田「そうだぜ、銀さん。いくら何でも森田と二人がかりでも兵藤の奴には……」

銀二「決めるのはあの二人だ。生きるために逃げるか……死を決意してでも挑むかはな……」

森田は銀二の方を振り向く……。そして、銀二の顔を見て彼が言葉には出さないメッセージを自分に送っているのを感じていた。

銀二(安心しな、森田。お前を犬死にさせたりなんかしない……)

銀二(お前に万が一のことがあれば……帝愛だろうが何だろうが、容赦はしない)

銀二(俺が潰す……!)

銀二(だから……安心して死んでこい)

森田(銀さん……)

自分は何故先ほどまであんなに敵を恐れていたのだろう……。たとえ勝てずとも、戦う前からどうして臆していたのだろうか。
たとえ負けて命を散らそうとも、自分の無念を受け継いでくれる者が……目の前にいる悪魔を倒してくれる者がいるのだ。
だったら何も、恐れることなどない。たった一つの命を張って死ぬ……!


森田「……受けよう。俺は血液を賭ける……!」

覚悟を決めた森田は兵藤との勝負を、自らの血を賭けることを承諾した。

美緒「森田くん! やめて!」

森田「いいさ。……俺は銀さんと別れた時から死んでいるも同然なんだ。今さら、命なんて惜しくはない……!」

平井銀二を失ったことにより、満たされない無気力な日常を送り続けていたのだから。
思えば自分は裏社会で生きていたことで、もう一市民として生きることはできなくなっていた。

森田「それにカイジは仲間たちの無念を晴らそうとしているんだ。……だったら俺も一緒に、最後まで付き合う!」

カイジ「森田……」

またも死を覚悟した森田の気迫と姿にカイジも息を飲む……。
カイジが一番恐ろしいのは、兵藤が一発で当たりクジを引いてしまうことだけ……それさえクリアできれば勝利したも同然……!
それに森田鉄雄が共に戦ってくれるのだ……! ならば、万が一のことがあっても森田のことを信じよう……!

これはただ金を手に入れるためだけじゃない。死んでいった仲間たちの無念を晴らすための戦いなのだ。
ここで臆するわけにはいかない……!

カイジ「GOだ! 俺は指を賭ける!」

ついにカイジも決意した。森田と共にこの悪魔を倒すために……!
常軌を逸したギャンブルに周りが唖然とする中、二人の男は最後の勝負に挑む……!

森田とカイジが共に受け入れてくれたことに、兵藤は満足そうに愉悦の笑みを浮かべる……。

兵藤「素晴らしい……! それでこそ夢を追う若者だ……! 飛んだぞ! 眠気が……!」

駆け巡る兵藤の脳内物質……。
βエンドルフィン……! チロシン……! エンケファリン……! バリン……! リジン……! ロイシン……! イソロイシン……!

兵藤「ありがたい……! 君たちには感謝のしようがない……! ヒヒヒヒヒ……!」

兵藤「狂気の沙汰……つくづく狂気の沙汰だ……。こんな即席のクジに片や10億、片や指四本と3000ccの血に2000万を賭けようというのだからな……!」

兵藤「だが、真の快感は常軌を逸するからこそ辿り着けるのだ……!」

狂気を増す兵藤の気迫を、森田とカイジは真正面から受け止める……。
こうして午前3:00をちょうど過ぎた頃……巨大な悪魔と、二人の若者の最後の戦いが今始まる……。

以上で第八章は終わり。後日書き溜めて第九章を再開。
次回で終わります。

第九章が書き溜められたので再開します。


銀二(森田も俺と同じか……)

森田は先ほど言った。平井銀二と別れてから自分は死人同然なのだと。
今の銀二も森田というパートナーを失ったことで、昔のように経済界を牛耳る巨悪に駆け上がるという野望も失せてしまっていた。
そして森田もまた、銀二と別れたことで深い喪失感を味わい、一市民として生きることも、悪党として生きることさえできなくなっているという。
ああして死を決意して巨悪に挑もうとしていくその姿は、まるで自ら破滅を……死を望んでいるかのようだ。
……言うなれば、森田鉄雄は今、現実で生きる気力を失っているのだ。
銀二が森田というパートナーを失ったことで『自分の中の何か』を失い、裏社会で生きる気力を失せてしまったのと同じように……。

美緒(どうして……? 森田くん……どうして、そこまで……)

死地へ赴こうとする森田に、美緒は彼がずっと遠くにいるような違和感……異常性に気がついていた。
エスポワールの時も森田は自分が破滅しても構わないと言っていた。美緒は本当にそうなるのが嫌で森田の手助けをしたのだ。
だが、森田はことごとく命さえ危ぶまれる危険なゲームに進んで身を委ねていく……。

それはもちろん、仲間であるカイジを放っておくことができないという損得抜きの強い思いがあるのも事実だろう。
だがそんな森田からは同時に、自らが破滅しても本望という、危うささえも感じられてくる……。

美緒(森田くん……変だよ……)

森田は言った。平井銀二と別れてからの自分は死人同然なのだと……。
あの平井銀二という男は森田が裏社会で一緒に仕事をしていたパートナーだったという。
森田にとっては心底尊敬する師匠か親のような……恐らくはそういった憧れを抱いていたに違いない。
その憧れの人間と別れたことが森田に現実を生きる気力を失わせるほどに深い喪失感を抱かせているのなら……。
今の彼を救うことができるのは……。


今宵最後の余興……ティッシュ箱クジ引きが行われるテーブルにつく三人の男たち。
カイジと兵藤が向かい合うその横にもう一つ席が用意され、森田はその席につくこととなった。

カイジ(く……)

そしてカイジの左手は、ギロチンの拘束具によって固定される。これでもう左手を動かすことはできない。わずかに動かせるのは四本の指のみ……。
負ければその指を、目の前にあるこの巨大な刃によって容赦なく切り落とされる……!

席に着いた森田はスーツの上着を脱ぐと、捲くった右腕に採血装置に繋がれた注射針を刺し固定する……。
同様に負ければ森田の体から3000ccの血液が抜き取られ、大量失血によって確実に絶命する……。

掛け値なし、敗北すれば二人には破滅が待っている。
もうこうされているだけでも森田たちのプレッシャーは相当なものである……!

森田「勝負を始める前に……俺から一つ頼みがある」

兵藤「何かな?」

森田「……俺はここに連れて来られる前、本当だったら彼女たちと一緒に旅行へ行っているはずだった」

そう。本来ならば森田たちの予定はこんな悪魔たちの巣食う城ではなく、沖縄へと羽を伸ばしに行っているはずだったのだ。

森田「だから俺が連れて来られたお前たちの車に、俺の荷物があるはずだ」

森田は一度、ちらりとカイジの方へ視線をやると再び兵藤の方へ移す。


森田「その中にエスポワールで手に入れた329万がそっくりそのまま入っている」

カイジ「何?」

美緒「ええ?」

明穂「森田くん……1円も使ってなかったんだ」

あの希望の船、エスポワールの生き残りであるカイジや美緒たちは森田があの夜に手にし、仲間内で分け合った金に一切手をつけていなかったことに驚愕……。

兵藤「ほほう。それで……?」

森田「もし俺たちが負けた時、その329万をカイジの耳と指の治療費と入院代……そしてさっき言っていたカイジの負債に当ててやってくれ」

森田「死人にはそんな金は必要ないからな」

カイジ「森田……お前……」

やはり、森田鉄雄は死を覚悟していることの証……。
もしそうなれば、その金はカイジにとって森田の遺産・形見そのものとなってしまう……。

美緒「森田くん! そんなこと言わないで!」

だが、そんな姿を目にして美緒は平気でいられるわけがない。
せっかくエスポワールを共に生還し、平和な日常へと戻ってきたのに今度はこのホテルで命を散らすかもしれないことになるなど……。
そんなことは決してあってはならないというのに。

美緒「みんなで一緒に帰るんでしょう!? だったら勝って! 勝って一緒にここを出て、帰りましょう!」

明穂「落ち着きなさいってば、美緒」


兵藤「くっくっくっ……森田くん、そのお嬢さんの言うとおりだ。勝負を始める前から負けることを考えていては、勝てるかもしれぬ勝負でも勝てんぞ?」

必死に森田を促す美緒の姿を見て兵藤は言う……。
希望をちらつかせておき、やがてその希望が絶望の現実となったその時には美緒は絶望に染まりながら必死になって森田の敗北と死を認められずに狂うのだろう。
叶わぬと知りつつも無様、惨めに森田へ縋り続ける……。
そうした光景をこれから見ることになるかもしれないとなれば、兵藤の期待も高まる……。

兵藤「とは言え……君の仲間に対するその厚情は賞賛に値するというもの……。よかろう、その時には君の願い通りに手配するとしよう」

たとえこれで森田たちが負けたとしても、カイジに対する負荷は軽減できる……。
後はこれからの勝負の結果次第……!

カイジ「金を奴の1億の上に置いてくれ」

ゼッケン11「は、はい」

兵藤側の賭け金10億のうち、カイジにかけられている1億の札束の上に2000万の金が入れられたビニール袋が乗せられる。

ゼッケン11「あの……正確には2060万あって、だから60万余分なんです……」

カイジ「気にするな。勝った時にはみんなにそれなりに配って回る。治療やら何やら、色々世話になったしな」

直接力にはならずとも、ここまで自分たちの恐怖を共有してくれた仲間たち。そんな彼らに対する恩義でもあった。

兵藤「ワシもまた世話になるかもしれんしの……。また……治療やら何やらな……!」

不敵に笑みを浮かべる兵藤。明らかにこちらに揺さぶりをかけてきている……。
その治療費は森田が持ってくれることにはなるのだが……その展開だけは何としても避ける……!
そのためにカイジは策を練ってきたのだ……! この悪魔を倒すために……!


兵藤「では、そろそろ始めるとしようかの……。そこに積まれた10億2000万をカイジくんたちが無事に持って帰るか……」

兵藤「それを果たせずにカイジくんが指を失い……森田鉄雄くんが無残に命を散らすかもしれぬギャンブルを……!」

兵藤のその言葉に美緒の顔が青ざめる……。森田鉄雄が……美緒が心惹かれていた男が死ぬ……。
そんなこと、考えたくもないというのに……。

美緒(森田くん……勝って……! 10億なんてそんなものいらないから……ただ勝って! お願いだから……!)

美緒(生きて、一緒に帰りましょう……!)

美緒(神様……お願い……! 森田くんたちを救ってください……!)

美緒はその身を震わせながらも胸で両手を合わせ、必死に祈った……。
たとえ他に縋れるものなど何もなく、その祈りが無力な気休めでしかないとしても……。

カイジ「それじゃあ……」

兵藤「待った。その当たりクジだけは二人で入れようではないか。入れたフリをしてどこかに忍ばされては困るしの」

当たりクジに手を伸ばそうとしたカイジに兵藤がそう提案した。
兵藤はこちらのあらゆる策を封殺しようと相当用心している証拠だ。まるで隙がない。

カイジ「言われてみりゃその通りだったな。気がつかなかったぜ……」

あくまでもこの勝負は表面上は公平でなければいけないため、当然カイジは受け入れる。


兵藤「では……」

森田「待てよ。クジに触れる前に、あんたもその手に何も仕込まれてないことを証明するんだ」

カイジ「そうだ。見せろ!」

すかさず森田が横から口を出し、カイジも同意した。この勝負は策を仕掛けた側のカイジたちでさえ一瞬たりとも油断はできないのだ。

兵藤「こりゃあまた用心深いの……ほれ、いいかな~?」

からかっているのか、おどけた口調で自らの腕と指を見せつける兵藤。確かにそこには何もない。
カイジ自身も同じように右手を出して兵藤に証明した。

兵藤「OK、OK……そんなことせずとも、ワシは君たちを信頼しておるよ……。では、互いに問題のない所で……」

こうしてカイジと兵藤の手により、両陣営の運命を決める当たりクジがティッシュ箱へと投入される……。

森田&銀二(ん……?)

森田と銀二は一瞬だけ兵藤の手がカイジより遅く抜かれたことに眉を顰める……。
だが、カイジと同じくその手には何もない。

森田(何だ……この嫌な感じは……)

だが、たったそれだけのことが森田に奇妙な違和感を生じさせる……。

黒服「それでは、混ぜます」

当たりクジが入れられたことが確認されると、今度は黒服の手によって数多の外れクジも投入されて掻き混ぜられていく。


カイジ(よし……! これくらいなら落ちないはずだ……!)

事前にトイレでテスト済みであり、さらにもしも落ちた時や不足の事態のことを考えて当たりクジは箱の両側に仕込んであった。
これで兵藤が一発で当たりを引かなければ……。

兵藤「ではまずワシからじゃな……」

ついに始まるティッシュ箱くじ引き……まずは先行の兵藤から……。
箱の中をゴソゴソと探る間も、兵藤は楽しげに気味の悪い笑い声を漏らし続けている。

カイジ(何でもいい……! 引くな! ここ一度だけは……!)

ここさえ突破できればカイジたちは勝てる。50~60枚ほどもある大量のクジの中からそう簡単に当たりは引けるはずがない。
よほどの強運でもなければ……!

美緒(神様……!)

安田(引くんじゃねえぞ……)

カイジや美緒、外野のギャラリーたちは皆一様に緊張し沈黙したまま、始められた最後の勝負を見守っていた。

兵藤「どこじゃろかいな……? ヒッヒッヒッヒ……」

森田(ん?)

カイジ(あれは……)

相変わらず気味悪い声を漏らしつつ兵藤がクジを選別している中、プレイルームの入り口に二人の視線が行く。
そこにはトイレに残り、仕込んだ当たりクジの処分が終わったゼッケン5番が戻ってきていたのだ。
しかも入ってきたのは彼だけではない。他にも十数人もの男たちが次々にプレイルームへと入ってくる。


由香理「あら……」

明穂「あれって……」

彼らは人間競馬の橋で墜落したが、命には別状のない重傷者たち。電流鉄骨渡りには参加しなかった美緒たちや無傷の者が介護をしていた者たちだった。
利根川とのEカード勝負の際、美緒たちがこのプレイルームへやってきた後、彼らもたまらず部屋の外から窺っていたのだ。
そしてこの成り行きにたまらず這い出したのである。
周りにいる無傷や軽傷者たちと同じくカイジたちの恐怖と不安、葛藤、祈り……そして、勝利した時の歓喜を共有するために……。

カイジ(そうだ……俺たちにはこんなに仲間がいてくれるんだ)

森田(何も恐れることなどない……もし負けるとしても……)

数多くの仲間たちの存在がカイジたちを勇気付ける中、ようやく兵藤の選別が終わった。
1枚のクジが引かれ、兵藤はそれを手元で確認する……。

カイジ(引くな!)

美緒(引いちゃ駄目!)

安田(引くんじゃねえ!)

兵藤「おや? おやおやおや? ……ククク、まさかこんなことが起きようとはのぉ」

兵藤「これだからここ一番の勝負は恐ろしいというもの……。往々にして不可思議な……まず起こり得ないことが起こるのだ……!」

多くの必死な祈りの中、相変わらずおどけた様子の兵藤は思わせぶりな言葉を呟く。


美緒(え……?)

カイジ(ま、まさか……一発で……!?)

いや、そんなことがあるわけがない。あれだけ大量の外れクジの中から一発で当たりを引いてしまうなど……。

安田「おい! どっちだ! さっさと見せろよ!」

兵藤「カカカ……慌てるでない。今、証明してやろう。……ここ一番、一発勝負の恐ろしさを……ほれ……!」

兵藤の言葉と行動にあまりにももどかしさを感じる中、ついに二人に差し出されるクジ……。
押さえられた親指がずらされる……もし、そこに印があれば……!

カイジ(ぐ……!)

美緒(ひ……!)

思わず美緒が目を瞑る……! だが……。

カイジ「あ、あれ?」

そこには何の印もない、まっさらな紙切れだけがカイジたちの前に差し出されていた。
つまり外れ……兵藤、一回目は外れである。
ここまで思わせぶりにしておきながら、結局は外れ……カイジたちのビビリ損もいい所だ。

兵藤「な? 不思議じゃろ? ワシのような王が一発で引けぬという理不尽なことが起きてしまうのだ……!」

カイジ「き、貴様……!」

森田(こいつ……俺たちを弄んでやがる……!)


安田「何だよ……驚かせやがって」

カイジと森田は安堵と同時に質の悪いからかいをしてくる兵藤への怒りが湧き上がってくる。
兵藤はこちらに希望をちらつかせ、不安と恐怖を煽り、無様に踊る姿が見たいがためにこのようなことをするのだ。
これでは完全に向こうのペース……手玉に取られているだけではないか。

ゼッケン11(やった! 引かなかった!)

美緒(良かった……)

明穂(やるじゃない……何もかも作戦通りだわ!)

由香理(これで勝ちよ!)

だが、どんなにこちらを挑発してきたとしても、兵藤は結果的に当たりを一発で引かなかった。
カイジたちに更なる安堵と歓喜が静かに押し寄せる……! これでカイジたちが勝ったも同然……!
ただ二人、森田鉄雄と平井銀二は除いて……。

カイジ「片手じゃ引きにくい。持ってくれるか?」

ゼッケン11「は、はい!」

ゼッケン11番がティッシュ箱を持ち、カイジは自らの手を相手にチェックさせる。

兵藤「どうぞ、どうぞ……」

兵藤に促され、カイジはティッシュ箱の中に手を入れる……。
これで仕込まれたクジを引き、反対側のクジを中に落として混ぜてしまえば万事OK……!
勝利は目前……!


森田(本当にこんなのであっさり勝てるのか……? この男に……)

森田はあまりにもカイジの作戦が上手くいきすぎていることに、逆に疑念が生じだす……。
兵藤はゲーム開始前からあそこまで入念にイカサマを封殺するための条件を述べてきたのだ。
あれだけで全てが終わり、安心してゲームに望んでいるとは思えない……。

その懸念はすぐに現実のものとなる……!

カイジ(あ、あれ……? おかしいな……)

カイジは仕込まれたクジに指を伸ばしたものの、手応えが何もない。
こすってみても、そこに紙切れが挟まっているという感触がないのだ。反対側も同じように……。

カイジ(馬鹿な……! そんなことがあるか! 何で無いんだ!? どうして……!?)

必死になって仕込まれた箇所を何度も探り、クジを見つけようとするカイジ……。だが、どうやってもクジはどこにもない。

森田(カイジ……!)

美緒(え……?)

明穂(カイジ……?)

由香理(どうしたのよ……)

カイジがここまで必死になっている姿に、策を知っている者たちは動揺する。
あっさりクジを引いて勝利を宣言するはずだったのに、それができないでいる……それはつまり……!

カイジ(ない……! ない……! ない!)

カイジは思わず涙目になって確信する……!


美緒(まさか……)

明穂(クジが落ちちゃったの!?)

由香理(そんな……!)

そう考えるしかない。これだけ探しても無いのだから。黒服が持ってきた時か、混ぜている時に……。
しかし、事前にあれだけテストをしていたし、その上二つ仕込んでいたクジがこうもあっさりと両方落ちてしまうものだろうか。
だとすれば、他に考えられるのは……。

カイジが涙目で悲観する中、森田は横目で兵藤を見やった。
兵藤は薄い笑みを浮かべながらじっとこちらを見つめている……。
カイジの必死な姿を、全てが破綻したことで絶望する姿を見ているのが楽しい……言わんばかりに……。

森田(くっ……! やっぱり……!)

カイジ(こ、こいつ……まさか……)

森田の懸念通り、兵藤は間違いなく、カイジの策に気がついていたのだ……!
恐らく先ほど一回目に引いた時に仕込まれていたクジを破棄したのだろう。それでは見つかるはずが無い……。
しかも用心のために二つ仕込んでいたことにさえ考えが届いていた……何という恐るべき洞察力……直感……!
先行権を兵藤からというのも、そのイカサマを殺すためのものでもあったのだ。

森田(だったら何故引かないんだ……)

だが、不可解なのはこちらの策を逆手に取って一発で引かなかったことだ。
そうしなければ五分五分の勝負となり、自分が負ける可能性も出てくるというのに……。

森田(何を考えている……?)


カイジ(こうなったら引くしかない……! この中のどこかに必ず当たりがあるんだから……!)

九分九厘勝てるはずの勝負が正真正銘、運否天賦のギャンブルとなってしまった。
だが、当たりさえ引けば何はともあれ助かる……!
自分たちがここで引かなければカイジは指を失い、森田は……。

カイジ(死ぬ……! 森田が死んじまう!)

ここまで共に戦い抜いてきた仲間が、カイジの失策でその命を無残に散らしてしまう……!
それだけは……それだけは決してあってはならない展開なのだ……!

カイジ(神よ……! 俺たちを祝福しろ……! 救え! 救うんだ……!)

カイジは必死に祈りながら一枚のクジを引く……!
これが当たりならば自分たちは救われる……!

美緒(お願い!)

明穂(引くのよ、カイジ!)

由香理(神様……!)

他のギャラリーたちもカイジが当たりを引いていることを祈った……。
カイジは恐る恐る、自分が引いたクジを見る……そこに当たりの印があることを祈って……。

カイジ(……ぐうっ!)

……が、駄目……!
そこにあるのはまっさらな紙切れだけ……即ち外れ……!


バニッ!

カイジは悔しさから思わずテーブルに拳を叩きつける。
他のギャラリーたちもカイジが当たりを引けなかったことに心底残念そうな顔をする……。

兵藤「ククク……残念だったのぉ、カイジくん。ここ一番では誰も引けはせんのだよ」

嘲笑う兵藤をカイジは睨み付ける……!
その気になれば引けたはずなのにあえてそれをせず、こちらが足掻く様を見たいがためにチャンスを与えるとは……。
王としての余裕か傲慢か……何という奴である。

兵藤「さあ、次は森田鉄雄くん。君の番だ。おい」

兵藤に促され、ゼッケン11番はティッシュ箱から手を離し森田の前に置く……。
森田はその箱をじっと見つめる……。

カイジ(頼む、森田! 当たりを引いてくれ!)

美緒(お願い!)

兵藤「森田くん……この際だから言っておくことがある」

カイジたちが必死に祈る中、兵藤は突然話を持ちかけてきた。


森田「何だ?」

兵藤「ワシには二度引かせてはいかん……。ワシのような王に、二度もチャンスを与えられては……引きたくなくとも引いてしまう……!」

兵藤「ワシはそういう星の下に生まれておる。勝って、勝って、勝って、勝ちまくる……!」

不敵な笑みを浮かべ、余裕の態度で堂々と述べてくる兵藤に一同呆然……。

兵藤「多少の勝負強さはあるが所詮は凡人のカイジくんとでは運の容量が違うのだ」

兵藤「平井銀二が未だに勝って勝って勝ち続けているのも、そういった星の下に生まれているが故……それと同じことよ……」

確かに平井銀二が負けるなどという姿が森田や安田、巽たちには想像ができない。

兵藤「実を言えばな……ワシは一回目に当たりを引くこともできたのだよ。ワシの強運を持ってすればな……」

安田「馬鹿な……何ハッタリを言ってやがる……」

一同は信じられない……という表情で兵藤の宣言に顔を顰める……。
だが、それは事実なのだ。兵藤はその気になればカイジの策を逆手に取ってきたのだから。
あながち嘘だとは言えない……。

兵藤「しかし、それではあまりにあっさりして味気ないから……ワシはあえて、己が剛運を緩めて君たちにチャンスを与えようと思ったのだ」

そうしてこちらが慌てふためく姿を見たいがための戯れ……。
その戯れがなければ、森田たちは瞬殺されていたのだ。
言うなら、勝負をする時点で本来は敗北は確定していた……!


兵藤「なのにカイジくんはその貴重なチャンスを生かせなかった……! これだけでも既に致命的なのだ……!」

兵藤「もし、カイジくんが一人だけでワシと勝負をしていたなら、既に勝ち目はなかったであろう」

兵藤「だが、君は実に幸運だ。森田鉄雄くんというパートナーがいてくれるのだからの……!」

兵藤「森田くん。君もまだまだ若いが、恐らくはワシらと同じ星の下に生まれておることだろう」

森田「何?」

兵藤は妙に森田のことを認めている……。

兵藤「もし君がこれから、君自身の天性の強運を生かすことができれば……ワシの王の強運と互角に渡り合えるかもしれぬ」

兵藤「それができねば……君は間違いなく、死ぬ……!」

その言葉に森田も息を飲む……!

兵藤「ワシはこういう時、どういうわけか……引いてしまうんじゃ。自分では大して引きたくない、本当はもっと楽しみたいのに……引いてしまう……!」

森田(こ、こいつ……!)

森田は兵藤のその宣言がハッタリでも何でもないことを悟っていた。
次、このまま兵藤に引かせればまず間違いなく当たりを引く……それだけは間違いない……!
兵藤は当たりを引くために何かしらの策を仕掛けているのだ……! 森田はそれを確信する……!

兵藤「さあ……君も、己が強運を生かしてみたまえ……。ワシもできればもっと楽しみたいからの……」

心底楽しそうに笑いながら森田を促す兵藤……。
森田は恐る恐る、箱の中に手を入れる……。
ここでカイジのように全てを運に身を委ね、クジを引こうとすれば……自分たちの敗北は決定する。


美緒(お願い……森田くん……! 当たりを……当たりを引いて……!)

美緒は森田がここで兵藤より先に当たりを引き、勝利することを願う……。

森田(兵藤は必ず当たりを引く……そう言った……)

森田(カイジが仕込んだ当たりクジは破棄したのだから、その手の方法での勝利は自ら放棄した……)

森田(と、すれば残るは最初にカイジと一緒に入れたあのクジだけ……)

だが、本来ならば混ぜられた数十の外れクジの中からピンポイントで探し当てるのは不可能に等しい。
当たりクジ、外れクジと言っても所詮は全て同じ紙切れでしかないのだから。
それを確実に見分ける方法が……兵藤にはあるのかもしれない。
だから、カイジと一緒に入れたあの時、僅かに抜くのが遅かったのか。

森田(もし、ここにいるのが兵藤ではなく銀さんだったらどうする?)

かつて蔵前仁と麻雀で勝負をした際、銀二は最終局面でとんでもないイカサマをして周囲を欺き……結果的にそれが勝利へと繋がった。
もし平井銀二がこの手の勝負をする際、勝利を確実なものとするのなら……どんな策を用いるか。

森田(……それを確かめるには、もう一度奴に引かせなければならない)

だが、それはまさに賭けであった。もし、森田の推察が外れていれば、これから実行する策が無為に終わってしまう。
そうすれば、兵藤は確実に当たりクジを引くことになるだろう。

森田(だがやるしかない。やれることは全てやる……!)

それでも何も考えずにただクジを引くよりはずっと良い。

森田(この流れに沿って、俺は死のう……!)

たとえ死んだとしても、自分の無念を受け継いでくれる者がいるのだから。


銀二(ほう……)

森田の決死な表情を見て、銀二は何かを確信する……。
こうして森田は数分間ティッシュ箱の中に手を入れたままであったが、やがてゆっくりと引き抜く……。

カイジ(森田!)

美緒(森田くん!)

明穂(引いて!)

由香理(お願い!)

安田(引け! 森田!)

仲間たちが心中で祈りを叫ぶが、森田はあっさりと自分が引いたクジをテーブルに置いた。

カイジ「う……!」

それはカイジと同じ外れクジ……。
森田でもやはり一発に引くことはできなかった。
そして森田はティッシュ箱を兵藤へと自ら渡す。まるで全てを諦めたかのようにあっさりと。

兵藤「カカカ……引けなかったのぉ。森田鉄雄くん……」

兵藤「言ったはずだぞ……。ワシはもう次からは己が剛運を緩めたりはせぬ。二度もチャンスを与えられては間違いなく引いてしまうぞ?」

言いながら兵藤は森田たちに引く手のチェックをさせ、二回目の選択に入る……。


美緒(引いちゃ駄目……引いちゃ駄目……!)

カイジ(引けるものか! お前みたいな悪党ごときが引いちゃいけないんだ……!)

必死に祈るカイジたちであるが、森田はただじっとクジを選んでいる兵藤を黙って見つめていた。
兵藤は相変わらずにやけた表情を浮かべたままである。しかし……。

森田(変わった……)

森田は見逃さなかった。兵藤の余裕に満ちていた目つきがほんの一瞬だけ淀み、細まったのを。
やがて兵藤はクジを引き抜き、先ほどと同じように顔に近づけて確認しだす。

兵藤「カイジくん……とても残念な結果だ……」

またも思わせぶりな言葉を兵藤は言い出す。当たりか外れか、どっちにも取れる言い方だが……。

カイジ「どっちだよ! はっきり言え!」

兵藤「カイジくん……」

もどかしさに我慢ができないカイジは兵藤を強く促す。が、兵藤はカイジのそんな気迫など意に返すこともなく同じ抑揚で続ける。

兵藤「君は良き仲間を得て幸運だったのぉ……。森田鉄雄くんの強運は、共にいるものにさえツキをもたらすと聞いておる……」

兵藤「そのツキに乗れたことは、まさしく奇跡と言えるかもしれん。……ほれっ!」


カイジ「うっ! ……え?」

先ほどと同じくおどける兵藤が差し出したクジ……それはまたも外れクジであった。
またしても悪ふざけをしてきた兵藤をカイジは睨み付ける……。

カイジ「何が王の強運だ! ハッタリをかましやがって!」

兵藤「カイジくん……森田くんの強運はワシの王の強運にも匹敵するものなのだよ」

兵藤「その強運同士がぶつかり合えば、相手の強運を飲み込んでしまうこともあり得る……。現に、森田くんの強運はワシの強運を飲み込んだ!」

兵藤「このまま、森田くんのツキに乗れていけば当たりを引けるかもしれんなぁ……」

兵藤「もっとも、逆にワシの強運が森田くんの強運を飲み込んでしまうかもしれんがの……」

面白おかしそうに笑いながら兵藤はティッシュ箱をカイジに差し出した。
先ほどと同じように、ゼッケン11番が箱を持ち、カイジが引く……。

カイジ(見てやがれ! 俺たちが当たりを引いてやる!)

カイジは闘志を燃やし、更なるクジを引いていく。が、結局はこれも駄目……。
再び森田の番となった。


森田(やはりそうか……その手できやがったのか)

森田は先ほど兵藤が引いてテーブルに置いたクジを見つめ、確信する。兵藤の言う強運……この勝負に勝つ秘策を……!
兵藤が引いた外れクジ……それには薄っすらとだが、折り目がついている。
実は兵藤は最初に当たりクジをカイジと一緒に入れた際、手を抜く間際に箱の中でクジを折っていたのだ。
そうするだけで簡単かつ確実な目印がつけられる。他のクジがまっさらである以上、たった一つだけ違うクジが紛れているのだ。
それが当たりであると判断するのは容易い……!
団子状態にするのは駄目だが、折り目がついていることに関しては兵藤は何も言っていない。盲点であった。

では、何故兵藤は当たりを引けなかったのか。理由は簡単。
先ほど森田はクジを選んでいる最中、外れクジを6枚ほど中で折っていたのだ。
こうすることで兵藤が選ぶべきクジのダミーが出来上がり、当然折り目の目印を頼りにしていた兵藤はそれを引く可能性も出てくることになる。
事実、兵藤がそのダミーのクジを引いてくれたことで森田は相手の策を看破することができた。

だが、本当に賭けであった。森田の考えが当たっていなければ、兵藤は無視して当たりクジを引いていたし、
それでも当たりクジをピンポイントで引いてしまえば何もかも破綻……。
しかし、これで森田もその折り目がついているクジを引くことにより当たりを引ける可能性が出てきた。
……もっとも、自分で作り上げたダミーを引いてしまうことにもなるのだが。

森田(しかし、この土壇場でそんな策を打ってきやがるとは……)

このティッシュ箱クジ引きは即席で考案されたゲーム。
それを瞬間的な機転で自分が勝つためのロジックを自力で組み立て、仕掛けてきたのだ。
それは誰にでもできることではない。事実、森田でもすぐにはできなかった。
それどころか、そんなことをせずとも本来は兵藤は難なく勝てていたはずなのだ。

森田(勝てる気がしねえ……!)

平井銀二と同じく、こんな悪魔じみた機転で策を仕掛けてくる男を、自分たちが倒せるはずがない。


結局、二回目の森田でも当たりは引けなかった……。
折り目がついているクジのうちの数枚が当たりなのは分かっているのだが……。

兵藤「ククク……果たして、いつまで君の強運が続くかのぉ……?」

その後も3巡、4巡、5巡とゲームは続いていくが三人とも引くのは外れクジばかり……。
森田は自分の番になるとダミーのクジをさらに2つ作った上で別の折り目のクジを引いているのだが、それでも駄目……。
兵藤と森田は折り目のクジを引いているのだが、カイジが引くのはそれがない正真正銘の外れクジだけ……。

カイジも刻印に気づいてくれれば二対一である以上、その当たりクジを引ける可能性は高まるのだがどうやらカイジが気づきそうにない。
事実上、森田と兵藤の一騎打ちのような状況となっていた。

兵藤「ククク……不思議なことが起こるものじゃの……。たかがくじ引きごときがここまで長く続くとは……」

結局、10巡目になっても誰も当たりクジを引けずにいた。
テーブルにはこれまでに引いた外れクジが30以上も溜まってきている。

兵藤「ククク……! 実にスリルなギャンブルじゃのお……? ワシがいつ引くかもしれないと思うと、君たちはハラハラの連続ではないのかの?」

もし兵藤が当たりを引けば、森田鉄雄から容赦なく血を吸い上げる……! たとえ命乞いをしてこようが、土下座をしてこようが最初に取り決めた約束は決して反故にはしない。
今は強がっている森田鉄雄だが、敗北と死が確定したその時、見せ掛けの強者の仮面の下……脆い姿を露呈することだろう。
死にたくない、死にたくない……と叶わぬ生への執着に縋り、無様に泣き叫びながら……!
兵藤はそれを是非、この目で見てみたかった……!


カイジ(こ、こいつ……! どこまでも俺たちを弄びやがって……!)

兵藤は負けても大して痛手がないのに対し、カイジたちにとってはまさに命がけなのだ。
そのプレッシャーの差はとても大きい。むしろ兵藤はそのプレッシャーに圧され、必死になって抗うカイジたちを見て楽しんでいる……。
しかも質の悪いことに兵藤は引く度に思わせぶりな言葉でカイジたちの恐怖を煽ってくるのだ。

もう30枚もクジを引いた以上、残るは半分ほど……。
つまり、残る10巡ほどで当たりを引かなければ兵藤が当たりを引く可能性がさらに高まる……!
もしそうなれば、森田が……。

カイジ(させるものか! そんなこと!)

しかし、カイジが引いているのは相変わらずまっさらな外れクジ……これではまるで勝てる可能性はない。

森田(このままじゃ埒が明かない……)

一方の森田も不毛に続くクジ引きに対して焦燥が募っていた。
ここまでやっても当たりクジは引けず、ただただ中の外れクジは減るばかり。
クジには上限がある以上、いつまでもダミーの外れクジを作ることはできない。

兵藤「死んじゃうクジ……死んじゃうクジ……森田くんが死んじゃうクジぃ~……! ヒッヒッヒッヒッヒッ……!」

カイジ(ふざけやがって……!)

兵藤は相変わらず命がけで戦っている森田たちを甚振るように、楽しそうにゲームを続けている……。
逆に兵藤が未だに当たりを引かないことは幸運でしかないが、もういつ兵藤が当たりクジを引いてもおかしくないのだ。
このまま不毛な戦いを続けていても駄目だ。何か新たな策を練らなければ。


森田(くそっ……汗が出まくりだ……)

森田は自分の手を見て、大量の手汗が滲み出ていることに顔を顰める……。自分が手にした外れクジが汗に濡れてふやけてしまう。
利根川との勝負の時も実は相当に緊張していた森田の両手には汗が溢れていたのだ。森田の汗は手に出てくるタチなのである。

森田(待てよ……確か、あの当たりクジは……)

しかし、森田はその手汗を見てある考えが過ぎる……。
当たりクジは水性のボールペンで印がつけられていた……。ということは……。
そして閃く……! ある秘策を……!

森田(これが最後の手段だ……!)

もしこれでも引けなければ、死が待つのみ……。
その勝負に出るのは次以降の自分の番に回ってきた時……!
だが、それも長くは続けていられない……。

美緒(森田くん……)

兵藤がクジを引く度に、勝負を見守っていた美緒は肝を潰し続けていた。
いつ兵藤が当たりクジを引いてしまうのかを考えるだけでも胸が張り裂けそうだというのに……。
これでもしも本当に兵藤が引いてしまえば……森田は……。

14巡目……森田の番が回ってくる。
森田は箱の中に手を突っ込み、これまでと同じようにクジを選別していく。
その箱の中の手はどのような動きをしているのかは、勝負を見ている者たちには分からない。


美緒(お願い! 引いて……!)

だが、美緒の祈りは届かず森田が引いたのは外れであった……。
しかし、外れを引いたにも関わらず森田は何故か不敵な笑みを浮かべだす……。

森田「兵藤会長……あんた、さっき言ったよな」

兵藤「んん?」

次の兵藤がまたも外れクジを引いたのを確認した森田は、唐突に呟きだす。

森田「俺の強運は、あんたの王の強運と互角だと……その強運を生かせれば勝てるかもしれないと……」

兵藤「おお。確かにそう言ったな。……で、何が言いたいのかな?」

カイジ「森田?」

その森田の自信に満ちた表情と発言に誰もが訝しんだ……。

銀二(勝機を見出したか……森田よ)

森田「あんたの強運……俺がこのまま飲み込んでやる。次の俺の番になったら、当たりを引いてみせる!」

カイジ「も、森田?」

安田「何言ってやがるんだ? 森田のやつ……」

突然の森田の宣言に全員、唖然としだす……。
他の者たちからしてみれば運否天賦の勝負に策もくそもないと考えていた。


兵藤「ほほう……それはそれは、君の強運がどれほどのものか楽しみだ……が、まずはその前に……」

兵藤はカイジにティッシュ箱を差し出す。
だが、カイジはその箱をじっと見つめたままクジを引こうとしない……。

カイジ(森田……何か考えがあるのか?)

ちらりと森田を見やると、彼はまるで勝利を確信しているかのような態度で笑みを浮かべている……。
カイジは森田のその顔を見て、途端に安堵が湧き上がっていた……。自分たちは勝てる……森田鉄雄に託せば、勝てるのだと。

カイジ(森田を信じるぜ……あんたに全てを託す!)

カイジは森田に順番を回すため、とりあえずクジを1枚引いた……。もちろん、それは外れのクジ……。
そしてついに森田の番が回ってきた……。彼の大言が今、本当に成されるのかどうか……皆固唾を飲んで見守る……。
兵藤は心底楽しそうな笑みを浮かべながら森田を見つめていた。

森田「いくぜ……」

深呼吸をした森田はティッシュ箱に手を入れる……。
運命の引きが始まる……!

カイジ(森田……!)

美緒(森田くん……!)

ゼッケン11(森田さん……!)

安田(森田……!)

銀二(森田よ……!)

カイジも美緒も、多くの仲間たちは森田鉄雄の勝利の宣言を信じ、祈った。
もし引けずに、このまま兵藤に引かせてしまえば森田はその体から大量の血液を失い……確実に死ぬことになるのだから。
仲間たちは誰もが、森田鉄雄の生還を願っていた。


そしてついに引き抜かれる森田の手……その手には1枚のクジが握られている……。
森田はそのクジを手元でちらりと確認しているが、他の者には分からない。

当たりなのか、外れなのか……不安と期待が交錯する……。

森田「兵藤会長」

兵藤「んん?」

森田「あんたはさっき、その気になれば一回目に当たりを引くことができた……そう言ったよな」

森田はクジを見せぬまま、兵藤を見据える……。

森田「俺は本当だったら、1巡前の時に当たりを引けていたんだ……」

兵藤「ほほう……?」

カイジ「え?」

森田の言葉に、カイジたちは一同愕然とする……。
その言葉が意味するものとは……。

森田「最初にあんたが1回目でその剛運とやらで当たりを引かなかったのは……」

森田「致命的だったな……!」

バニッ!

クジごと手をテーブルに叩きつける森田……!
開かれた手……そしてテーブルの上に晒される森田が引いたクジ……。


兵藤「おお?」

カイジ「あ……」

美緒「っ……!」

その場にいる誰もが絶句した……! 森田鉄雄が引いてみせたクジ……。
それはこれまでに三人が引いてきたまっさらな紙切れとは異なり、明らかにはっきりと……○の印が刻まれていた……! 手汗のせいか少し滲んでしまっているが。
しかし、これはすなわち……。

「…… や っ た あ あ あ あ あ ぁ ぁ ぁ!」

ギャラリーの一人が震えた声で歓喜の雄叫びを上げる……!

ゼッケン11「やったあああぁぁ! 当たりだぁ!」

ゼッケン10「勝った! カイジさんたちが勝ったんだ!」

その歓喜は瞬く間に伝播、浸透し、次々に歓声が沸き起こる!
感涙し、互いに抱き合う若者たち……!
逆に黒服たちは動揺……! 兵藤は相変わらず薄い笑みを浮かべている……。

明穂「本当に!? 当たりなのね! 夢じゃないのね!?」

由香理「やったわ! すごいじゃない! 森田くん!」

明穂と由香理も思わず互いに抱き合って目の前の現実を喜び合う!


美緒「……! 森田くん……!」

口を押さえる美緒はあまりの衝撃的な光景に、これまで緊張で強張っていた体中の力が抜け、へたり込んでしまう……!
だが、目を閏わせるその表情は、紛れもなく喜びと希望に満ち溢れていた……!

カイジ「も、森田ぁ……!」

共に戦っていたカイジも、自分が引けなかった当たりのクジを目の当たりにし驚愕……! そして歓喜……!

安田「やったぜ! 森田よ!」

巽「あいつ、勝ちやがったぜ!」

悪党仲間二人も森田鉄雄の勝利を喜び合う。
プレイルームにやってきた重傷者たちも、体の痛みなど忘れてしまったかのように喜び合っていた……!

銀二(森田よ……)

銀二は勝利したはずの森田鉄雄の表情が何故か妙に浮かない様子であることに気がついていた。

森田(生き残ったか……ギリギリだな……)

安堵のため息をつきつつも、森田の顔は勝利を喜ぶようなものではない。
だが、何にせよこのティッシュ箱クジ引きを森田たちが制したことは事実。
森田は偶然当たりクジを引いたわけではない。この引きは必然であった。


この1巡前、森田は折り目がつけられているクジに汗ばんだ手で強く触れることで、ボールペンで刻まれた当たりクジのインクを手に写し取ったのだ。
そうすることで、自分が当たりクジに触れたという証拠ができる。
そしてそのクジをティッシュ箱の、カイジがクジを仕込んだ場所に改めて仕込むことで次の番になったら自分が引けるようにしたのである。

もっとも、最初にクジに触れた時点では当たりクジがどうかは手を箱から出すまで分からないため、外れであっても仕込んでいたのだが。
森田が一発で当たりクジに触れられたことは、まさに幸運であったのである。

美緒「森田くん! 良かった……良かったよぉ……!」

美緒が歓喜に打ち震えながら森田の肩に抱きついてくる。
森田が死ぬか生きるかという極限の状態を最も緊張して見守っていた者として、森田が生き残れたことはこの上ない喜びであった。

そうしていつまでも歓声が続くかと思われる中……。

パニッパニッパニッ……。

兵藤「素晴らしい……。素晴らしかったぞ、森田鉄雄くん……」

兵藤が小さな拍手を送りながら、森田たちを称えてきたのである。

兵藤「さすがは、平井銀二の元右腕……。カイジくんとは格が違うな……」

兵藤「夜更かしをしてまでこのギャンブルに参加した甲斐があったというもの……実に楽しめた……!」

兵藤「ワシをここまで楽しませてくれたその報酬……約束通り、10億は君たちのものだ。良かったのぉ……!」

勝負に負けたというのに、兵藤は全く悔しがってなどいない様子だ。
無理もない。命がけで戦っていた森田たちとは違い、兵藤にとってはこんなものただの遊びでしかなかったのだから。


兵藤「さて……パーティとはいえ、夜更かしが過ぎたわ……ワシはこれで失礼させてもらおう。おい、後は任せるぞ」

黒服にそう言い残し、兵藤はさっさとプレイルームを後にしていく。
そんな兵藤の背中を見届けた森田とカイジの元に黒服が歩み寄ると、二人に取り付けられている器具を外していった。
自由になった腕を改め、二人は改めて安堵する……。

黒服「カイジ様。改めてご返済をお願い致します」

たとえ勝負に勝ったとしても、帝愛はそこだけはしっかりとしているようだ。

カイジ「……ほら! 持ってけ!」

カイジは今度こそ賞金から帝愛への負債400万を大人しく払ったのだった。
これでカイジは自由……借金ゼロ……! いや、それどころか金持ちなのである……!
見たことも聞いたこともない額……億という大金が、カイジのものに……!

カイジ「……やったな! 森田! 10億! 10億だぜ!」

明穂「本当にすごいわよ! さすが森田くんだわ!」

森田「ああ……」

プレイルームは再び若者たちの歓喜の渦で包まれる中、森田は覇気のない笑みを浮かべていた……。


こうして、辛くも帝愛グループの総帥、兵藤和尊との一戦を制した森田たち……。
カイジはこれまで共に恐怖を共有してくれていた多くの仲間たちに一人50万の祝儀を配っていた。
辛くも人間競馬で傷を負いつつもこの場で生き残っていたのは全員合わせて32人……合計1800万が彼らにもたらされる。

残るは10億60万……そのうちの9億は森田の命にかけられていた金。そして、この勝利に最も貢献していた彼が本来得るべきもの。
しかし、森田はこれを共に戦ったカイジと二等分にしようとしたが、カイジはそれを拒んだ。
それでは勝利に貢献した森田とそれができなかった自分とでは割に合わない、と。

結局、森田は9億の大金を三つに分けてバッグに詰め込むことにしたのである。

カイジ「また会おうぜ、森田」

森田「ああ。機会があったらな」

夜明け前のホテルのホール……帝愛が手配する車が到着する前、共に絶望の城より生き残った男たちは握手を交わす。
これからカイジは耳の治療のために帝愛の息がかかった病院へ行くことになるのだ。
そしてその後は石田との約束通りに彼の家族に金を渡すことになる。

明穂「大金を手にしたからって、不抜けたりするんじゃないわよ」

由香理「そうよ。ちゃんと仕事は探すのよ」

カイジ「あ、ああ……」

最後まで二人の女性に痛い言葉を浴びせられ、カイジは申し訳なさそうな顔をする……。

森田「カイジのことはよろしく頼むぞ」

ゼッケン11「はい。任せてください!」

こうしてカイジたちは、仲間たちと共に病院へと向かう……。森田たちはそれを見届けていた。


明穂「あら? 美緒は?」

由香理「さっきまでいたんだけど……」

車に乗る直前、等分化された3億のバッグの一つを手にしている明穂と由香理は、美緒の姿がどこにもないことに気づく。
が、すぐにホテルの入り口から姿を現す。

由香理「何やってるのよ。置いてっちゃうわよ」

美緒「ごめん……」

美緒は彼女たちと同じく重いバッグを手にしている森田の傍へと寄っていた。

美緒「帰りましょう……森田くん」

森田「ああ……」

これでようやく、狂気の夜から解放される……。
そんな安堵でいっぱいな美緒は車に乗り込むとすぐに、森田に寄り添ったまま疲れ果てたように眠ってしまっていた。

由香理「本当に良かったわね……あんなおかしな場所から生きて帰れて……」

明穂「本当よ。もうこりごりだわ、こんなこと……」

森田「そうだな……」

明穂「私も眠くなってきちゃった……もうすぐ朝だけど、どこかのホテルに泊まりましょうか」

由香理「そうね」

森田たち一行はその後、スターサイドホテルから離れた京葉新都心内の一般ホテルへと足を運び、そこで休息を取ることにした。
本来なら休暇を利用して楽しむはずだった旅行を今、このホテルで満喫するのだ。
美緒たち三人の女性はすっかり疲れ果て、すぐに眠り込んでしまっていた。


森田は彼女たちが泊まる部屋とは別の一室で、今夜手にした9億の金が詰められた三つのバッグをベッドに置き、備えられている椅子に腰掛けてたそがれていた。
今夜の出来事の全てが夢であったような……そんな錯覚さえ感じられる奇妙な感覚……。
絶望の城より生還したというのに、森田の顔はいつまでも浮かなかった……。

森田「勝った気がしねえ……」

今の森田の頭の中は、その思いでいっぱいだった。

森田「俺たちは結局、奴を喜ばせただけだ……」

森田は今夜の兵藤との戦いを反芻し、自分たちと兵藤の力量差がどれほどのものであるかを思い知った。

森田「最初から最後まで……奴の手の上……」

今夜の命がけの勝負……あれは森田たちが兵藤に勝ったわけではない。森田たちはただ、命からがら生き残ったというだけだ。
兵藤は最初からこちらの策に気がついていた。その気になれば即座に殺しにかかれたというのに、それをしなかった。
言わば兵藤はわざと負けてやった……。

兵藤にとっては単なる遊び……大して失うものなど何もない児戯に過ぎなかった。
結果的に兵藤はクジ引きに負けはしたものの、真剣勝負でも何でもないあんな遊びで負けても全く痛手などないのだ。

それこそ10億などという金は安いものでしかないだろう。
結局、森田たちがしてきたことは兵藤を楽しませるだけという結果に終わってしまったのだ……。


森田「俺たちじゃ奴は倒せないってわけかよ……」

???「だが、あの勝負がもしも真剣勝負であったならばお前は奴を倒せていたかもしれん」

唐突に部屋に響く男の声。その声は森田がいる部屋の入り口からかかってくる。
その声に反応し、森田はそちらへ顔を上げて唖然とする……。

???「お前の強運と直感は間違いなく、兵藤を追い詰めていたのだからな」

森田「ぎ、銀さん……!」

そこにいたのは、絶望の城で再会したかつての森田の憧れであった巨悪の男……平井銀二……!
銀二たちは森田たちが乗っていた帝愛の車を後からつけてきていたのだった。

銀二「……ふふふ。しばらく見ないうちにずいぶんと様になっていたじゃねえか、森田よ。安田の奴が本当に驚いていたぜ」

森田「そんな大層なものじゃありません……」

スターサイドホテルではまともに話すことはなかった二人の男は、戦いと狂気の場から離れることでようやく久しぶりに言葉を交わしていた。
二人が別れてから実に2年もの月日が経っている……。

銀二「俺も同じだよ。あのカイジって坊主や、他の奴らにあそこまで発破をかけるとはな」

銀二「お前自身も、あの橋を渡る時は他の奴らと同じく、相当に怖かったんだろう? それでいながらあそこまでやれるとは……大したものだよ」

森田「でも、結局俺はあいつらを救ってやれませんでしたよ……」

帝愛と醜悪な悪党たちの渇きを癒すために行われた今夜のパーティ……。
そのパーティに借金の返済と大金という希望を餌にして誘い込まれた哀れな羊たち。
彼らは人の命を弄び、人の死を見て楽しむ醜悪な悪党たちを楽しませるための生贄にされてしまった。


目の前で次々に奈落の底へと落ちていった仲間たち……ただ一人救うことができたのは、カイジだけ。
もっと救える人間は大勢いたというのにそれができなかったのがあまりにも悔しかった。

銀二「お前は出来る限りのことを尽くした。その結果が、あのカイジという坊主を救ってやれたことじゃねえか」

銀二「だからそう自分を卑下にするな」

かつて森田は自分たちが裏社会で力を尽くすことで、悪党の得になるのはごめんだと言った。
それで結局森田自身が救いたい、助けてやりたいと願っていた人間を誰も救えなくなるのは耐えられない……。
そんな思いがあったからこそ、森田は仲間であるカイジたちを何としてでも救い上げたい……帝愛の生贄にされることだけは避けたかったのだろう。

森田「でも、俺はこんなに無力を味わったのは初めてですよ……」

森田「結局、銀さんの言う通りなのかもしれません……。誰も悪は倒せない……」

銀二「いいや、無力というわけじゃない。お前らは帝愛に確実に打撃を、一矢を報いたんだ」

銀二は向かいの椅子に座り語る……。


銀二「お前らが今日倒した帝愛の幹部……利根川幸雄。今夜のパーティや負債者を集めて大掛かりなギャンブルを開催していたのは、奴の系列の仕事だった」

銀二はかねてより巽有三や、ありとあらゆる情報網を駆使して帝愛の情報を得ていた。

銀二「その利根川が失脚した以上、帝愛はこれまでのように負債者を集めてのギャンブルの企画は大っぴらには行えんだろう」

銀二「少なくとも、今夜のようなことは今後は起こらんだろうな」

銀二「それに奴の派閥に属していた系列の金融会社はグループ内での基盤を失ったことで、メインの仕事からは外されることになるだろう」

森田「でも、利根川は所詮帝愛の幹部でしかない。そんな連中をいくら倒しても、そいつらを支配する親玉を倒さなければ意味がない」

森田「俺たちがどんなに牙を剥いても、帝愛を……兵藤を倒すことはできなかった……」

銀二「だが奴に直接挑んで生き残れたのは本当に運がいい。たとえ遊びであってもな……。俺もハラハラしたぜ……」

敗北すれば容赦なく森田は致死量の血を抜かれ、無残に命を落としていた。
にも関わらず、森田は生き残ったのだ。

銀二「お前が今日ここまで生き残れたのは……お前の天性の強運から来ているのだろうな」

銀二「お前のことを、目に見えない何かが助けているようだったぜ。偶然、必然を問わずな……」

美緒が森田のことを追ってきていなければ、人間競馬やEカード勝負の時にまず間違いなく死んでいた。
電流鉄骨渡りの時は偶然から帝愛の罠に気がつくこととなった。
そして最後の兵藤との対決の際も、偶然が重なり辛くも生き残る結果となった。何より兵藤が遊び心を出してくれたこと事態が奇跡であった。
言われてみれば……森田を救おうとする何者かがことごとく森田が生き残るために用意し、導いたようなものだったのかもしれない。


森田「それでも悔しいですよ。俺は……そんな9億なんて手に入っても、こうして生き残ったとしても……」

森田「俺は銀さんに全てを託して散っても構わなかった……」

銀二「その決死と覚悟が……お前をここまで導いたというわけだ」

銀二「だがな、森田よ。あまり望んで死に向かおうともするな」

森田「え?」

銀二「俺にはお前が、自ら破滅を望んでいる……死にたがりに見える。そんな危うい生き方はやめておけ」

銀二「決死の覚悟で敵に挑んだその結果で破滅するのは仕方がないかもしれんが、最初から何もかも破滅など望むな」

銀二「お前と一緒にいたあの美緒とかいう女から聞いた。……お前、シャバでロクな生き方してないそうだな」

森田「美緒が……?」

そう。スターサイドホテルを去る前、美緒は銀二に森田の相談に乗って欲しいと頼み込んでいたのだ。
それもあって銀二はここを訪れたのである。


銀二「ずいぶんとお前のことを心配していた様子だったな。……シャバでもあまり元気がないそうじゃないか」

森田鉄雄は平井銀二と別れてからこの2年間、ずっと無気力な日々を送り続けていた。
平井銀二という森田にとって特別な人間を失ったことは、森田に現実で生きるという気力を失わせていたのだ。
自分の中の何かが弾けて散り、もう元には戻らない。たとえ再び平井銀二と会ったこの時でも……。

森田「俺は正直、これからどうすれば良いのか分かりませんよ……」

森田「裏社会で生きるのはもう嫌だし、だからといって引退してももう平凡な一市民として生きるなんてことも無理……」

森田「銀さんと別れたことが、ここまで辛いものになるなんて思ってもみませんでした……」

乾いた笑みを浮かべ、森田は自嘲する。最高のパートナーを失ったことが、ここまで深い喪失感をもたらすことになるとは……。
そんな中でこうして銀二と再び会えたことで、森田はこれまでにない安堵を感じるようになったのだった。

銀二「……それでお前、これからどうする気だ? まさかその9億をドブに捨てるわけでもあるまいな」

森田「できることなら、銀さんに渡したいくらいですよ。銀さんは、これから帝愛を相手に挑むことになるんでしょう?」

銀二「まあな……」

森田「だったら、端金にしかならないでしょうけど……帝愛を倒すために使ってください。俺が持ってたって、奴らを倒すのは無理……」

銀二「……あるじゃねえか。お前のやりたいことが」

森田「え……?」

銀二は不敵に笑いだし、森田は困惑する……。


銀二「お前は帝愛を倒したがっている。お前らをことごとく弄び、お前の仲間を殺してきた奴らを……」

銀二「そしてお前は帝愛に苦しめられている連中を救ってやりたい……そう考えてるんじゃないのか?」

銀二に指摘され、森田は沈黙……。
確かにそうだ。森田は人の命を弄ぶ帝愛グループを倒し、彼らに命を弄ばれている者たちを救ってやりたいと心の底で願っていた。
だが、森田の力ではそれは不可能だし、それをするにはもう一度裏社会に身を置かなければならない。

森田「でも……俺はもう裏の仕事は……」

銀二「心配するな。お前自身のやり方でやればいい。……俺たち悪党と組む必要もない」

銀二はどうやら、安田たちのように森田をもう一度裏社会へ引き込もうと考えているわけではないらしい。
一体、銀二は何を考えているのか、森田にはさっぱり分からない……。

銀二「どうだ? 森田よ。これから一つ俺と勝負をしないか?」

森田「勝負?」

銀二は懐から何かを取り出しテーブルへと放る……。
十枚の絵柄が描かれたカード……それを目にした森田は目を見開く……!

森田「そ、それは……!」

紛れもなく、利根川との勝負で使ったEカード……!

銀二「ふふふ……お前らが利根川を倒した後、拝借させてもらった。ルールはお前も知っているな?」 

森田「は、はあ……」

放心状態の森田に、銀二はさらに言葉を続ける。


銀二「今、ホテルの外にトラックを3台待機させてある。」

銀二「そのトラックの中には、これから帝愛に挑むためのヤマで使う予定だった1000億が積まれてある」

森田「え、ええ!?」

森田は思わず驚愕する……!
1000億……それは今、手元にある9億の100倍以上……!

銀二「これからのこの勝負……もし俺が勝ったら、お前が今夜手に入れた9億をいただく」

銀二「だが、もしもお前が勝ったなら……その1000億、お前にくれてやる」

銀二「それを使って、お前のやり方で帝愛と戦えばいい」

森田「で、でも……それじゃもし負けたら銀さんは……」

平井銀二が、更なる巨悪に挑む前にこんな場末のギャンブルで負けるなど……。

森田「銀さん……?」

だが、ここで森田は銀二の表情が妙に哀愁に満ちていることに気がつく……。


銀二「……実は、いい潮だと思っていた」

森田「え?」

銀二「俺も、お前が引退してから裏社会で生きる気が失せちまってな……」

森田「銀さん……!?」

銀二の思わぬ発言に森田、驚愕……!
森田と同じ喪失感を、銀二自身も味わっていたとは……。

銀二「森田鉄雄という相棒を失って、俺の中の何かが潰えた……。それは弾けて散り、もう元には戻らない」

銀二「今、こうしてお前と共にいてもな……」

寂しそうな銀二の姿に、森田は呆然……。
あれだけ森田が憧れていた巨人が、こんな弱々しい姿を見せることになるとは。

銀二「だが俺はこれまで幾千もの人間を地獄へ突き落としてきた男……。勝ち逃げなど決して許されない……」

銀二「俺に残されている道は壊滅的な敗北を喫し去るか……」

銀二「勝ち続ける……灰になるまでな……!」

銀二の言葉を聞き、森田は愕然……。
あれだけ裏社会で伸し上がる野望を抱いていた男が、その果てに破滅することを覚悟している……!


森田「銀さん……」

銀二「俺のその敗北はもう近い……恐らくは、兵藤と一戦を交えて破滅するか……」

銀二「今、ここで破滅するかもしれん……」

森田「そんな……!」

つまり、裏を返せば今の銀二は森田と勝負をして破滅することも覚悟している……。

銀二「俺もお前も、お互いの存在に縛られている……だから、今ここでケジメをつけようじゃねえか」

銀二「俺が勝てば、もうお前のことを忘れよう。だが、お前が勝てば俺のことを忘れろ……」

銀二「1000億を持って帝愛に挑んでもいい。そんなことをせずにあの美緒という女と共に生きてもいい……」

銀二は同時に一市民として平和な日常で生きる気力を失った森田を救おうとしているのだ。

銀二「奴隷がいいか、皇帝がいいか、お前が選びな」


森田(銀さん……)

森田はこの申し出を何故か拒絶することはできなかった。
憧れていた男と築いた全てを清算し決別する戦い……。銀二はそうしてまで森田鉄雄を救おうとしている……。
その思いをはっきりと受け取っていた森田は、不思議と自然に目の前に置かれたカードへと手が伸びる……
この男の思いを、今ここで無碍にすることなどできない……。

銀二「いいのか? 奴隷が勝てる確率は1/5だぞ?」

森田「銀さん相手に、皇帝も奴隷も変わりませんよ。そんなものはあくまでも確率論でしかない」

銀二「ふふふっ……違いない」

この場に至っても損得を超えた感性で考え、動くことができる森田鉄雄……。
そんな彼に引導を渡して敗北し破滅するのであれば、この上なく本望であった。
銀二も自らが使うカードを手にし、森田鉄雄と視線を交し合う……。

銀二「さあ、始めようか。森田よ……」

午前4:30……夜明け前のホテルの一室で、誰にも知られることなく始められる一戦。

銀と呼ばれた男と、かつて金と呼ばれることを願った男……。

銀と金、二人の男の決別の戦い……その結末は……天のみぞ知る……。



完……!

以上で銀と金、カイジのクロスSSの第二部は終了です。

前回のエスポワール編が好評だったようなので、こうして続編を書くに至りました。
銀と金自体が未完で終わってしまっている作品ですので、ラストは福本先生が構想していたという
森田と銀二の対決という形で終わらせることにしました。
ただし、結末自体は先生が書いてないので想像にお任せします。

そしてまた所々に文や連投のミスがあったのが後悔……HTML化の時に修正したいので、↓に修正箇所乗せておきます。


>>20
今日から一緒に旅行へ行くことになっていはずの伊藤美緒……! → 今日から一緒に旅行へ行くことになっていたはずの伊藤美緒……!
>>33
渡る勇気欠片もない。 → 渡る勇気も欠片もない。
>>74
森田「貴様みたいな奴を楽しみで人を殺す奴を無傷でいかせるかよ……!」 → 森田「貴様みたいな楽しみで人を殺す奴を無傷でいかせるかよ……!」
>>76
落下した有賀も病院送りとなって動けくなるはずだ。 → 落下した有賀も病院送りとなって動けなくなるはずだ。
>>133
人間競馬たちと同じように → 人間競馬と同じように
>>138
そしてたとえ渡ったとしても → たとえ渡ったとしても
たとえ生き残りの道を見つけたとしても → 生き残りの道を見つけたとしても
>>140
最近の若者はクズがかりだが → 最近の若者はクズばかりだが
>>141
一行後ろを黙ってついてきていた……。 → 一行の後ろを黙ってついてきていた……。
>>160
5戦目 → 4戦目
>>162
6戦目 → 5戦目
2戦目、4戦目となる…… →  2枚目、4枚目となる……
>>175
ここまで来たらカイジくんの絶叫を聞きたい……! → ここまで来たらカイジくんたちの絶叫を聞きたい……!
その声はカイジくんの耳には半分しか届かなぬだろうがな……! → その声はカイジくんたちの耳には半分しか届かぬだろうがな……!
>>184
森田たちは心配になっててカイジのいる外のトイレへと向かった。 → 森田たちは心配になってカイジのいる外のトイレへと向かった。
>>187
しかし、明らかにとんでもないことをしでかそうとしているのは明らかだろう。 → しかし、とんでもないことをしでかそうとしているのは明らかだろう。
>>210
そして出すのは勝負に出れない利根川は結局、市民……。 → そして勝負に出れない利根川が出すのは結局、市民……。
>>268
そんな安いものを賭けさせては示しがつかん → そんな安いものを賭けさせては割に合わんというもの……。
>>313
何より兵藤が遊び心を出してくれたこと事態が奇跡であった。 → 何より兵藤が遊び心を出してくれたこと自体が奇跡であった。

>>追記

あと、実はもう一つのプロットとして森田たちが兵藤にギリギリで敗北するというパターンもありましたが、こちらは没にしました。
そちらでは美緒が森田の血抜きの半分を受けて死ぬという結末であり、原作のカイジのように森田がリベンジを誓うというものでした。

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