響「パーソナルスペース」(57)

【961プロ事務所】

響「ふぅ……ダンスレッスンも楽じゃないぞ」

ここ、961プロに来てから――と言うよりは上京してから――未だに友達と呼べる人はいない。
でも、それでいい。『お前は一人でやっていける』……そう言われたから。
社長は自分の能力を認めてくれている。
なら、何も問題ない筈だ。

響「さて、タオルは……」

他のアイドル候補生は数人で固まって会話しているようだ。
自分はその輪の中に居ない。気にしないけど。
ちょうど、彼我の距離は5メートル程。

響「……一人でやっていけるなら、それでいいんだ」

響「休憩終わり!続きやらなきゃ」

一人なのは理解している。
それでも構わない。
輪に入れないのではなく、入らない。
こういうのを、そう――孤高と言うのだ。

響「孤高か……ふふふ、カッコいいな……」

一人問答で笑う女。
鏡で見れば『これぞ異常者』という姿だろうが、そんなものは知らない。

???「もし」

響「ひゃいっ!?」

背後からの声に頓狂な声が飛びだす。
向けばそこには――銀髪の女が居た。

響「だ、誰!?」

一目で理解した。
孤高とは目の前の女の為にあると。
そして自分が――孤独である事も。

???「驚かせてしまいましたか。申し訳ございません」

貴音「わたくしは、四条貴音と申します」

響「あ、うん。……じゃなくて!」

貴音「何でしょう?」

響「いや、背後から話しかけるとか!」

貴音「しかし、貴女は壁に向かっておりましたので……背後以外に場所は無いのですが」

そうだった。
今は休憩中。
そして自分は壁に向かって不気味に微笑んでいた。

響「は、背後の話は置いといて!」

貴音「ふむ。置きました」

響「何で自分に話しかけたの?」

貴音「何故でしょう?」

会話をする気は無いのだろうか。

響「何故じゃなくて、何かあるでしょ?」

貴音「そうですね……どうやら、わたくしと同じくお一人様のようでしたので」

お一人様。
胸を抉られ……いやそんな事は断じてない。

響「お一人様って言うか孤高って言うか、まあそんな感じだよ」

貴音「左様ですか。では、わたくしも孤高なのでしょうか?」

この人が言うと当然の事のように聞こえる。
自分が言うと惨めさに溺れそうだというのに。

響「ま、まあそうなんじゃない?」

貴音「ふむ……自分ではそのように感じておりませんが……」

響「……じゃ!自分はこれで!」

貴音「あ、お待ちを――」

言葉を待たずにレッスン場を移動する。
今日はダンス以外にもするべきレッスンがあるのだ。
それに何より、あの人の傍に居ると眩しさで自分が霞んでしまう。
孤高で無いと分かるのが嫌だった。

響「そう……自分は一人で大丈夫……」

暗示をかけるように呟く。

響「よしっ!次もレッスン頑張るぞー!」

【数日後、事務所】

響「今日も好調!元気にやるぞー!」

響「おっと、クールにクールに……」

社長の売り方は『クール』らしい。
自分は言われた通りにするだけだが。

貴音「もし」

響「はいっ!?」

また背後から話しかけられる。
誰かと思えばこちらも同じく。

響「確か……四条さん?」

貴音「貴音で構いません。それよりも」

響「何か用?」

貴音「お名前を伺うのを忘れておりましたので、声をお掛けした次第です」

響「名前?それを聞いてどうするんだ?」

貴音「友人とは、名前で呼び合うものでは?」

いつの間にか友人認定されている。
以前に一度話したきりなのに。

響「……我那覇響だぞ」

釈然としないものを感じつつ、質問に答える。
友人など自分には必要ない。
そう思っておけば、いずれこの人も離れて行くだろう。

貴音「響ですね」

距離が縮まった。

響「待とうか。何でいきなり名前呼び?普通は『我那覇さん』とかじゃない?」

貴音「そう申されましても、わたくしの普通とはこれですが」

うん、如何にも普通がずれてる感じだもんね。分からなくはない。

響「分かった。この際、名前呼びがどうこうは置いておいて」

貴音「ふむ。置きましょう」

響「自分は友達作る気ないからね」

貴音「なんと。それでは昼食はどうするのですか?」

響「一人で食べるけど?」

貴音「……寂しくありませんか?」

響「そ、そんな事ある訳ないぞ!あははは……」

図星を突かれた。
今、クールから程遠い絵面だろうな。

貴音「わたくしと共に食べませんか?」

響「いやっ!?遠慮するぞ!?」

貴音「そうですか……」

しゅんとした。
ちょっと子供っぽくて可愛いかも……ではなくて。
ここはビシッと言わなければならない。

響(確か、こんな台詞があったよね――)

響「じ、自分の半径……えーと……そう!4メートル以内に近づくんじゃないぞ!」

アイドル候補生達との距離から1メートル削ったのは内緒。
……いやいやいや、何で1メートルも気を許してるの自分。

貴音「『えーと』?」

耳聡い……自分が詰まった所を聞いているとは。
さっきまで項垂れてたのはどこに行ったのだろうか。

響「そこはどうでもいいの!とにかく!5――じゃなくて、4メートル以内に近づかない事!」

貴音「はぁ……」

空回りなのがばれているのか、きつい言葉を受けても悲痛な表情は無い。
代わりに、『この人は何を言っているのだろう?』的な目で見られている。
旗色はとても悪い。

響「という訳だから!じゃっ!」

クールなんてかなぐり捨てた逃走だった。

――彼我の距離、4メートル

【あれから数日後、事務所・食堂】

961プロの事務所は充実している。
食堂があって、レッスン場があって、仮眠室があって……ここの人間なら食堂はタダだし。
今はその食堂で昼食を摂っていた。

響「何にしようかな」

メニューも豊富で、カレーやラーメンといった定番のものから焼き魚や揚げだし豆腐など、和食も充実している。

響「今日は魚にしよう」

独り言も必然的に多くなる。
一人暮らしだし、必須スキル……悲しい事だが。

響「席は……あそこが空いてるな」

空いているテーブルに掛ける。
自分の周りには誰も居ない。
昼食を食べている時間中も、同じ席に着こうという物好きは居ない。
自分的には助かるけれど。

響「さて、頂きます」

そう言葉を発したところで、向こうからやって来る、両手にラーメンという怪人物の見本と目が合った。
貴音だった。
目を逸らした。
逃げたかった。

響(ひぃぃぃ!こっちロックオンしてる!)

貴音の格好は外人がする『やれやれ……』ポーズの両手にお盆二つ。
何でそんなに高く上げてるんだ。バランス取り辛いだろ。
そして何よりラーメンが各二杯。
四杯も食べる気か。

貴音「ひび――」

き、と言う前に何かに気付いたのか、少し思案顔になる。
そうしていたのも束の間、こちらに急接近して。
目の前で止まる。

響(何がしたいんだ……?)

無言のまま、自分の前から後ろへ一歩、二歩……都合八歩。
何の意味があるのだろうか。

響(行動が全く読めないぞ……)

お盆二つをテーブルに置き……何やらスケッチブックを取り出した。

響(何故に昼食の場でスケッチブック?ラーメンでも描くつもりか?)

油性ペンも取り出して……何かを書き始める。
油性ペンという事は、絵ではないのだろうか。

響(書き終わったみたい……って何で自分はあれを見てるんだ)

あの珍行動から目が離せなくなっている。
向こう術中にまんまと嵌まっている気がする。
そう思っても気になり過ぎてどうにもならないが。

響(あ、書き終わったみたいだな)

貴音は油性ペンをしまい、スケッチブックを抱え直す。
あれは……自分に見せようとしているらしい。

響(なになに……『これで4メートルですね』)

響「ぶっ!」

噴き出してしまった。
不可抗力だと思いたい。

響(あれ覚えてたから近くまで来て八歩下がったのか。でも近づいてから測るんじゃ、何の為に『近づくな』って言ったのか分かんないぞ……)

響(それとすっごい笑顔!なんだか遠ざけてるこっちが悪いみたい!ごめんなさい!)

思わず謝ってしまったが、それはそれ、これはこれ。
何をされようと友達になるつもりはない。

響「さっさと食べてレッスン行こう……」

結局、逃げるように立ち去った。
一方、貴音は黙々とラーメンを啜る機械と化していた。

【更に数日後、事務所・更衣室】

響「やっと一息つけるな……」

事務所の更衣室は案外狭い。
何故更衣室だけこんなに狭いのだろう。
広い空間に慣れ過ぎて感覚がおかしくなった、というのも理由の一つだろうが。

貴音「本日も真に充実したれっすんでした……おや?」

自分は呪われているんだろうか。

貴音「響ではありませんか。奇遇ですね」

響「き、奇遇だな……」

貴音の『奇遇』ほど胡散臭いものは無い。
会う頻度が異常に高い訳ではないのだが、とても『奇遇』では片付けられないものがある。

貴音「今日はこちらでれっすんでしたか」

響「まあ、そうだぞ」

そう言いながら近づいてくる。
すると、あの思案顔になって。

貴音「困りました……」

以前と同じように、目の前に来てから八歩後退――しようとして、ロッカーにぶつかった。

響(『近づくな』って方は聞いてなくて、『半径4メートル』だけ記憶してるんだな……)

貴音「響、どうしましょう……」

響(何で『近づくな』って言った人間にそれを聞く!?)

響「その……もうそれでいいんじゃない?」

貴音「よろしいのですか!?」

響(またすっごい笑顔だよ……何で所々こうも子供っぽいんだろ……やりにくいぞ……)

響「うん……いいんじゃないかな?」

貴音が下がろうとしてぶつかったのは七歩目――つまり、今は六歩目で止まっている。
閉所を利用して距離を縮められた気分だった。

貴音「響の許可が下りましたので、今度からはこの距離ですね」

響「そうだね」

疲れてきたよ、精神が。

貴音「しかし響、貴女は……」

響「なんだ?」

貴音「小柄な割にすたいるが――」

響「誰がちっちゃいか!」

思いっきり突っ込んでしまった。
落ち着け……お前はクールなんだぞ響。

響「そ、そういう貴音こそスタイルいいと思うぞ」

貴音「そうですか?……少し、恥ずかしいですね」

そういう所は普通なんだ。
出来れば他の所もそこを基準に調整して欲しかったよ。

貴音「他を見てもすらっとしている割に色々と……」

そして、人の体に言及するのはokらしい。
とてもやりにくい。

響「貴音こそ――」

と言うと。

貴音「恥ずかしいです……」

と返って来て、まるで話が進まない。
逸らすことも出来ない。
どうしろと。

響「じ、自分着替え終わったからもう行くね!」

貴音「あ、響――」

以前と同じように走り去る。
最近、一人の誓い(仮)が崩れているような気がする。
主に貴音の所為で。

響「そうだ……自分は一人でやって行くんだ」

だから余計な関係は持たなくていい。
弱みを見せれば、もっと弱くなってしまう。

響「これ以上、近づけさせないぞ!貴音ぇ!」

事務所を出て、天に向かって叫ぶ。
通行人からは可哀想な目で見られた。

――彼我の距離、3メートル

【翌日、事務所・レッスン場】

昨日の更衣室でふと思ったが、貴音のダンスはどんなだろうか。

響(あんなに背が高いんだし、きっと凄いんだろうな)

やはり気になってしまい、どこに居るのかと見回す。

響(あそこか)

幸いにして、こちらに気付いていないようだ。
手順の確認をするためか、ゆったりとステップを踏んでいる

響(綺麗だな……)

高い身長と長い手足。
動きに合わせてたなびく銀髪。

響(ちょっと自信無くすかも……)

小柄な自分の体を見る。
やはり、あの人には敵わない。

響(いや、ダンスなら自分だって!)

思い直してレッスンに意識を向ける。
一人でやっていくのなら、少しの弛みも許されない。
頼る人など居ないのだから。

響「さて、次のステップは――」

貴音「響」

響「おわぁっ!?」

少し目を離した隙に貴音が背後まで迫っていた。
相変わらず心臓に悪い。

貴音「先ほどからこちらを見ていましたね。何か御用ですか?」

響(ばれてたのか……)

響「いや、大したことじゃないぞ」

まさか見惚れていたとは言えない。
自尊心を守る為にはぐらかす。

響「とにかく、何でも無いからレッスンに集中したらどうだ?」

そういうと唇に手を当てて、何やら考え込む仕草をする。
やがて結論が出たのか、顔を上げて。

貴音「折角の機会です。共に練習しましょう」

響「えっ!?」

今まで誰からも言われなかった言葉。

響(何でそんなに簡単に言えるんだよ……)

自分ではプライドが邪魔をして言えなかった。
しかし、貴音は何でもない事のように告げる。

貴音「その方が、楽しそうですから」

響「楽しい……」

一人でやっていくから、そんな馴れ合い染みた楽しさは要らない……そこまで考えた所で、鏡に映った自分の笑顔が見えた。

響(なんでにやけてるんだ……カッコ悪いぞ……)

だが、鏡は嘘を吐かない。
にやけた顔をどうにかしないと、と思って言葉を紡ぐ。

響「そ、そうだな!その方が効率もいいかもしれないし……自分は!別にどっちでもいいけど……」

とことん素直じゃない。
しかし貴音は微笑みながら。

貴音「ええ、そうですね」

とだけ言って、六歩の距離を取った。

響「あ……」

置いて行かれた様な気になる。
自分で決めた距離なのに。

響(気のせい気のせい……)

頭を振って雑念を払う。

響「じゃ、じゃあ距離を取ったところで、始めるぞ」

貴音「はい。よろしくお願いしますね」

そうして、貴音の動きも参考にしながら踊っていく。
時折、鏡越しに微笑みかけてくれるのが照れくさかった。

響(今日は、ちょっとだけ――ホントにちょっとだけ、いつもより楽しいかも)

昨日の言葉は、忘れていた。

【休日、早朝・公園】

響「たまにはペットの居ない散歩もいいな」

皆の散歩は終わらせてある。
今日は休日だし、事務所に行くことも無い。
となれば、貴音に会う事もないだろう。

響「あの奇怪な行動は落ち着かないからな……」

油断していると背後に忍び寄られている。
あれさえなければ……いやいや、あれが無くても友達にはならない――多分。
まあ、彼女の魅力はそこなのだから、それを無くすというのも無理な話だが。

響「ホントに、『孤高』の体現者みたいな人だよね……」

超然とした振る舞いに、輝く銀髪。
顔立ちも日本人と取れるようでいて、そうではない気がする。
これほどまで掴みどころが無いとは。

響「あーもう!やめやめ!」

久し振りに静かに過ごせるのだ。今を満喫せねば。
……帰路を辿れば嫌でも静かなのは気にしない。

響「キミを見失う――アリス……」

同事務所のジュピターの曲だ。
今をときめく男性アイドルユニット。
あの高みを目指すのだから、今の生活は楽しくて仕方ない……と思う。

響「こ・え・の~♪届かない迷路を――うん?」

微かに違和感を覚えて、辺りを見回す。
公園の周囲に植えてある木――それはいい。
問題は、周囲にそぐわない銀色の髪が木からはみ出ている事。

貴音「楽しそうですね、響」

距離を保つためなのか、木の後ろから声を掛けてくる。
今までで一番怖い。
というか、早朝に何をしているんだ。

響「た、貴音……?どうしてここに……」

貴音「ちょうど、響が居そうだと思ったので」

響「それストーカーだよ!」

おっと、クールに行け我那覇響。
ここでペースを乱されてはお前の負けだぞ。

響「ふぅ~……で、本当の理由は?」

貴音「たまたま散歩中に見かけましたので、尾行を」

本当にストーカーだった。

貴音「いえ、尾行は正しくないですね……響が『3メートルの距離を守れ』と言うものですから、声を掛ける機会に恵まれなかったのです」

元はと言えばこっちの所為になるのか。
こういう所は融通が利かないらしい。

響「そんな所に居ないで、こっちに来たらどうだ?」

未だに木と同化して不気味な貴音に告げる。
それよりも。

響(――いやいや……こっちに呼んじゃ駄目だろ!)

自分で自分が分からなくなっている。
もうクールは諦めた方がいいかもしれない。

貴音「そうですか?では……」

貴音が近づいてきて、目測3メートルで静止した。
と見せかけて、3メートル半径を保ったまま『カゴメカゴメ』のように回り始めた。

響「あの、何をしているんですか?」

思わず敬語。
関わりたくない人にも使えるんだなぁ……敬遠って言葉の意味が良く分かるよ。

貴音「貴女が近づかないようにと――」

響「だからって回らなくてもいいだろ!?」

貴音「しかし、直立不動というのも退屈でして」

『部屋に居る時、子機や携帯で話すと歩き回ってしまう現象』(←名前ないのかな?)と同じだろうか。

響「止まってても会話は出来るだろ!?」

貴音「3メートル離れて会話というのは、些か距離があり過ぎるのでは?」

響「うぅ~……分かった!分かったから!」

貴音「何がですか?」

響「2メートルにしよう!2メートルなら止まって会話してくれるよね!?」

貴音「2メートルですか……ふむ、今はそれで良しとしましょう」

響「ほっ……」

貴音「しかしすぐに2メートルから1メートル……1メートルから貴女の背後に這い寄る――」

響「ストップ!恐怖心を煽るのはやめて!」

貴音「ふふ……響は怖がりなのですね」

響(怖がりって言うか貴音が怖いんだよ……お化けとかじゃないリアルな怖さがあるんだよ……)

いやにあっさりと距離を許してしまった。
以前はもっと粘っていたように思うのだが……

貴音「おや、もうこんな時間ですか……」

その声に時計を見れば、もう7時に差し掛かっている。

貴音「では、わたくしは用事がありますので」

そう言って名残など感じさせずに去っていく。

響「たか――」

いや、呼び止めてどうする。
友達になる気が無いなら、呼び止める必要もない。
そもそも、自分は迷惑していたではないか。
向こうから去ってくれて、むしろありがたい……筈だ。

響「うぅ~……もやもやするぞ……」

本当に掴めない人だと思う。
いつか掴めるのだろうか。

響「いやいや、掴む必要なんてないぞ……」

響「友達なんて、要らないんだから……」

そう一人ごちて家路に就く。

――彼我の距離、2メートル

【数日後、事務所・仮眠室】

今日は疲れた。
次のレッスンまで時間もあるし、少し眠っておこう。
そう思って、ベッドの一つに腰を掛ける。

響「さて……」

ベッド回りのカーテンを閉め、一人の空間を作り出す。

響「おやすみ……」

誰にともなく呟く。
或いは、誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。

響(一人って落ち着くぞ……)

睡魔はすぐにやって来た。

あれからどれぐらい眠っていたのか知らないが、誰かが自分を呼ぶ声が聞こえてくる。

貴音「響……響……」

響「んぅ……貴音……?」

目を擦りながら声の方を向くと。

貴音「響……開けて下さい……開けて――」

カーテンにぼんやりと浮かぶ影がそう囁いてくる。

響「ひっ!」

慌てて布団を引き上げ、頭を隠す。

響(た、貴音なのか!?でも何であんな――あ)

ある事を思い出して布団から出る。
隣のベッドとの距離は2メートル。
カーテンは中間の1メートルに位置していた。

響(忘れてた……でもそれぐらい、開けちゃえば――)

そう思いながらカーテンを開けたところでふと気付く。
何を自然に開けてしまっているのか。

響(やっちゃった事は仕方ない……うん、そういう事にしよう)

まさか今からまた閉める訳にもいかない。
試しに手を戻してみれば。

貴音「ひびきぃ……」

……子犬のような目で見てくる。
これには勝てそうもない。

響(自分、弱いなぁ……)

意地っ張りなのに意志薄弱。
矛盾している。

響(それはそうと)

思考を打ち切る。

響「ねえ貴音」

貴音「なんでしょう?」

隣のベッドに正座している貴音が応える。
そんなに畏まるような重い話でもないのだが。

響「聞きたかった事があるんだけどさ。何で貴音は自分を名前で呼ぶの?」

貴音「友達だからです」

貴音の中ではそうらしい。
自分では……どうなのだろう。

響「なんかさ、いきなり名前呼びって恥ずかしくない?」

貴音「いえ、別段そのような事はありません」

響「どうして?」

貴音「どうして、ですか……ふむ、そうですね……」

瞼を閉じ、黙考している。
やがて目を開くと。

貴音「わたくしは、貴女の事しか見ておりませんから」

そう言われた。

響「は……?」

しばし、呆然とする。
少し遅れて、顔が火照ってきた。

響(じ、自分しか見てない!?え?それってどういう事!?)

響「た、たたたたた――貴音!?」

貴音「落ち着いて下さい」

さっきの今でどう落ち着けばいいんだ。

響「お、女の子同士とか自分はちょっと――」

貴音「そういう意味ではありません。ですが、もしも響が望むなら……やぶさかでもありませんが」

響「やぶさかでもないの!?」

響(自分が貴音と?確かに貴音は綺麗で可愛くて――って何を考えてるんだ!?)

遊ばれている。
が、その事に気付けない程度に混乱もしていた。

貴音「冗談です。言い方が悪かったようですね」

考えうる限り最悪の言い方だと思う。
何てややこしい言い回しなんだ。

貴音「もう少し分かりやすく言うのならば……そう、貴女と違って、わたくしは貴女だけを見ている……そういう事です」

響(ややこしいから理解不能になったぞ……)

響「えーと、どういう事?」

貴音「貴女はわたくしではなく、『別のもの』を見ているようですが……わたくしは『貴女以外』を見ていないのです」

響「説明になってないぞ……」

そう言うと、貴音は微笑んで。

貴音「ふふ……いずれ分かる日が来ます。その時まで、待っておりますから」

答えを言わずに仮眠室を出て行った。
残された自分はというと。

響「うぅ……待ってるって、『そういう関係』になるって事か?いやでも……」

すっかり翻弄されていた。

【更に数日後、事務所・食堂】

貴音に言われた事の真意が掴めないまま、数日が経過していた。

響「食堂と言えば、以前の貴音を思い出すな……」

お盆二つに各二杯――つまり合計四杯のラーメンを持ちながら歩き、数々の怪行動を見せつけられた記憶が蘇る。

響「……あんまりいい思い出じゃないぞ」

溜息を吐き、空いた席を探す。
今日は出遅れた為か少々混んではいるが、幸いにして奥の席はフリーのようだ。

響「今日はここか。まぁ、人が居ないならどこでもいいんだけどね」

そう呟いて、箸を手に取る。
本日のメニューはチャーハンだった。

響「――って、何でチャーハンに箸持ってきてるんだ自分!」

貴音の事を考えながらだったせいか、スプーンではなく箸を持ってきてしまった。
仕方ない。取り替えに行くか。
と、頭を上げた所で。

響(……貴音がおろおろしてる)

あっちを向いては視線を戻し、一歩踏み出しては引っ込ませている。

響(そうだよな、自分より遅かったらそうなるよな……)

貴音は必死に探しているが、席が見当たらないようだ。

響(こっちに来ればいいのに――いや待て自分!)

それは駄目だ。
食事を一緒に食べるなんて、そんなのまるで友達みたいではないか。

響(でも、いつの間にか4メートルから2メートルになってるし……)

響(いやいや!あれは貴音からの攻撃を凌ぎ切れなかったからで、わざわざ自分から距離を縮めるなんて……)

響(いやでも、昼食時に席を提供するぐらい……そもそも自分の席って訳じゃないんだし……)

そう頭を抱えて唸っていると。

貴音「響?」

響(ああぁぁぁ……見つかった……)

貴音「ご一緒しても宜しいでしょうか?生憎と、空席が見つかりませんので……」

響「えっと……それは――」

どう答えたものだろうか。
こちらから距離を詰めた事が無いので分からない。

貴音「それとも、わたくしは邪魔なのでしょうか……?」

響(だからしゅんとするの止めて!子供苛めてるみたいで罪悪感が凄い!)

時折子供のようになる貴音はずるい。
しかも、わざとらしさなんて感じないのだから尚更だ。

響「そ、そんなことないさー!前空いてるし座りなよ!」

貴音「本当ですか!?ありがとうございます!」

返事を聞くなり、破顔一笑する貴音。

響(本当に、子供っぽいんだから)

いつまで経っても『友達になろう』と言えない自分の事は、棚に上げた。

貴音「響」

響「ひゃっ!?な、何!?」

貴音「いえその……響はちゃあはんを箸で食べるのですか?」

響「そんな訳無いでしょ。これは間違えて持って来たの」

貴音「ふむ……では、この蓮華を差し上げましょう」

遠目からでも想像はついていたが、やはり食事はラーメンだった。
お腹が空いている所為なのか、今日は六杯もある。

響(そりゃあレンゲは六本も要らないよね……)

響「ありがとう」

貴音「すぷぅんの無い響に、偶然わたくしが持っていた蓮華を渡す……これが『運命力』なのですね」

響「はい?」

風水か何かだろうか。
全く聞き覚えの無い単語だった。

響(そういえばさっきレンゲを渡されたけど……)

テーブルの対面に座る貴音。
その貴音からレンゲを手渡しで受け取る自分。

響(手を伸ばし合えば届く距離なんだよね……)

いつの間にか近くに居る。
最近は、これが当たり前になりつつあるのかもしれない。

響(最後ぐらい、自分から距離を詰めてみようかな)

しかしどうやって距離を詰めるのだろう。
思い浮かばないので、貴音を参考にしてみれば。

響(昼食時にスケッチブック、一定の距離を保って『カゴメカゴメ』、見計らったように閉所で遭遇……)

どれも使えたものではない。

響「どうしようかな……」

貴音「何をですか?」

響「えっ!?声に出てた!?」

貴音「はい。それはもうはっきりと」

響「何してるんだ自分……」

貴音「悩みがあるなら相談に乗りますよ?」

響「い、いや……いいよ……」

『あなたと友達になる方法を教えてくれますか?』なんて、どんな精神状態なら聞けるんだろう。
それ以前に、散々『友達なんて要らない』とか言ってた過去はどうすればいいんだ。

貴音「そうですか。何かあればわたくしに言うのですよ?」

響「……ありがと、貴音」

そういえば、どうして貴音は自分と友達になろうとしているのだろうか。

響(うーん……考えても分かんないぞ……)

分からないけど、今は貴音と楽しく食事をしよう。
そう思えるようになっていた。

――彼我の距離、1メートル

【一週間後、事務所】

響「一度も会わないまま一週間か……」

偶然今日は居なかったのかもしれない。
そもそも、絶対に一週間以内に何度か会うという約束を取り付けている訳でもない。

響「そんな事もあるよね」

すぐにまた会えるだろう。
そんな風に楽観していた。

響「でも、やっぱりちょっとだけ――」

そのあとの言葉は、自分でもよく分からなかった。

【更に一週間後、事務所】

何もしなくても会っているだろう、と思っていた貴音と最近会っていない。
短ければ数日、長くとも一週間の内には会っていたのに、既に二週間が経っていた。

響(貴音、どこに行ったんだろう……)

もしかして、いつまでも煮え切らない自分に愛想を尽かしてしまったのだろうか。

響(それは嬉しい――なんて、もう思えなくなっちゃったぞ……)

あの奇妙で孤高な人を思い出す。
常識が無くて。
何をするのか読めなくて。
なのに可愛らしい、不思議な人を。

響(最初は、どうして友達が欲しく無かったんだっけ)

能力があるから。
一人で大丈夫と言われたから。

響(ううん……違う)

響(貴音の近くに居るのが怖かったんだ)

孤独を再認識させられたら、と思うと動けなかった。

響(怖がった結果出来ないんじゃ、救いようが無いよね……)

それにしても、貴音はどこに行ったのだろう。
思い返せば、貴音に関する情報は少ない。
スタイルがいい事、銀髪である事、常識が無い事、ラーメンが好きである事、意外と子供っぽい事……それぐらいしか知らない。
あれほど何度も接しておきながら、電話番号すら知らなかった。

響(何やってるんだか……)

外に出てみればひょんな事から会えるかもしれない。
そう思って外に出た。

響「まあ、そんな都合良くはいかないよね」

都合が良いならとっくに友達に――は、なれそうもない。

響(自分、ホントに不器用だな……)

考えても詮無い事だ。
少し辺りを散策しよう。

【某所・木陰のベンチ】

ふらりと訪れた広場のベンチで貴音を発見した。
何故か中央ではなく、やや左寄りに座っている。
そのベンチの1メートル前まで歩を進める。

響「貴音、こんな所に居たのか」

貴音「その声は響ですか」

閉じていた目を開けて、その瞳でこちらを捉える。

貴音「どうしたのですか?」

響「どうしたって……ここ二週間近く会ってないから、ちょっと――」

ちょっと、何なのだろうか。

貴音「ふふ、響は寂しがり屋ですね」

言い当てられてしまった。

響「そうかもね」

不思議と、否定する気にならない。

響「貴音はさ」

貴音「はい?」

響「どうして自分に声を掛けたの?」

貴音「どうして、ですか……」

響「貴音なら、他にも友達作れた筈だよ」

少なくとも、意地っ張りで弱みを見せたがらない自分よりは。

貴音「……寂しそうだと、思ったのです」

響「自分が?」

貴音「はい。それと同時に、わたくしも……」

響「貴音も、寂しかったの?」

貴音「そうです。貴女はわたくしに『孤高だ』と言いましたね」

響「言ったけど……それがどうしたの?」

貴音「孤高も孤独も、本質は変わりません。一人なのです」

貴音「ですから、同じくお一人様の貴女に声を掛けたのです。寂しさを分かってくれるのでは、と」

響「そのお一人様って言い方、結構刺さるぞ」

丁寧な分だけ余計に研がれている気がする。

貴音「そうですか?……まあ、そういう事なのです」

響「そうだったのか……」

お一人様認定が事の始まり。
そう思えばなんと失礼なのだろうか、この人は。

貴音「響は、どうして友達になろうとしてくれないのですか?」

響「自分は……」

貴音は黙して語らない。
自分の言葉を待っているのだ。

響「自分はさ……貴音と比べられるのが嫌だったんだ」

貴音「比べられる……ですか?」

響「うん。貴音が孤高で、自分は孤独。意地を張ってるのがばれちゃうのが怖くて、貴音の近くに居たくなかった」

響「貴音と一緒に居たら、自分の弱さとかが露見しそうで。それで――」

貴音「成程、響はそんな所を見ていたのですね」

言葉を遮られる。
いつも相手を待つ貴音には珍しい事だった。

響「どういう事?」

貴音「わたくしと響が友達になったとして、どうして孤高や孤独の話が出てくるのですか?」

響「いやだから、貴音が凛としてる分だけ、自分が情けなく見えるというか……」

貴音「ですから、それがおかしいのです」

貴音「いいですか響。友達になるのですよ?」

貴音「わたくしは響という友を得、響もまた、わたくしという友を得るのです」

貴音「なれば、その二人に『孤』の文字は相応しくないと……そうは思いませんか?」

響「そうなのかな……」

『孤高』と『孤独』の二つを同時に終わらせるのが『友達』。
自分が惨めになる事に囚われ過ぎて、そんなことにも気付けなかった。
向こうがokしてるのに、勝手にこっちでng出して。
それで今まで悩んでいたなんて、とんだお笑い種じゃないか。

響「……うん。確かにそうかも」

貴音「納得して頂けた所で……その距離をいつまで保つつもりですか?」

貴音「言っておきますが、わたくしは足が痛いので動きませんよ。足が、痛いので」

過去を反省していると、そんな声が聞こえた。
執拗に『足が痛い』と言ってくるのは、貴音なりの冗談だろうか。

響「もうすぐ詰めるってば」

最後の1メートルぐらい、自分で詰めなきゃ。
いつも相手が詰めてくれるとは限らないんだから。

響「すぅぅぅ……はぁぁぁ……」

深呼吸して心を落ち着ける。
貴音はじっとこちらを見たまま。
こちらもその目を見据え、意を決して問いかける。

響「――隣に座っても、いいですか?」

貴音「はい――ずっと、お待ちしておりましたよ」

二歩の距離を詰め、貴音の隣に腰を下ろす。
木漏れ日の下、ベンチに二人。
肩と肩が触れて、貴音の温もりが伝わってきた。

――彼我の距離、0メートル




――end――

以上で完結です。読んで楽しんで頂けたのならば幸いです。

響と貴音の馴れ初めみたいのものを書いてみたのですが、いかがでしたか?

少し展開が急なのはご勘弁を。

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