あずさ父「娘はアイドル」 (21)


「お父さん、ちょっと話があるの」
「何だ」
「私、アイドルに、なろうと思うの」

 短大を卒業できるのか不安だった娘。
 どうにか卒業するという段になって家に帰ってくるなり、とんでもないことを言いだした。

「……は?」
「だから、私、アイドルになろうと」
「……あずさ、お前今年でいくつになる?」
「……20です」
「……そうだな」

 深くため息をついた私は、正面に座っているあずさを見つめる。
 まだまだ大人になりきれていない幼さが残る表情を見ながら、私は深くため息を吐いた

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「あずさ。20歳だ、20歳だぞ?」

 ソファに深く座り直して、あずさの顔を真っ直ぐに見据える。
 少し気まずそうに目線を逸らした娘に、私は続けて言う。

「アイドルっていえば大体が10代の頃に始めてそこから売れるかどうかが重要じゃないか」
「それは」
「お前、求職活動もしないでそんなことを」
「ちゃんとスカウトも」
「だとしても、だ」
「でも!」
「でもじゃない。あずさ、歳を考えろ……父さんもな、こんなことを言いたいんじゃないぞ、ただお前の将来の事が心配で」
「私だって、自分の将来を考えて」

 こうなるとあずさも一歩も引かないのは今までも経験したことだから別に頭に来ることもない。
 だが、単純に自分の娘が、アイドルなどという一過性のブームで終わる物に入れ込む事。
 そして、それによって人生を棒に振るようなことがあってはならないと思った。
 確かに娘の好きにさせてやりたい気持ちは十分にあるが、それでもそれ以上に娘の将来が心配だった。


「あずさ、まだ遅くない。考え直せ」
「……いいえ、もう、決めた事です」
「あずさ!」
「私、アイドルになって運命の人を見つけるんです!」
「何ぃ?!」

 あずさの口を突いて出た言葉に、思わず私は素っ頓狂な声を上げていた。

「運命の人って……お前、それは」
「とにかく、もう決めましたから、それじゃ!」
「待ちなさい!あずさ!」

 呼んでもあずさは戻ってくることなく、そのまま東京に戻ってしまったらしい。
 不安だけが自分の胸に残ったまま時は過ぎていく。
 その間も、あずさからは定期的に妻にメールがある位。
 私に対して直接電話をしてくることは無かった。
 


「母さん、今日は、あずさから電話は」
「ないですよ」
「じゃあ、ほら、メールは」
「あなた、そんなに毎日送ってきませんよ。あずさだって忙しいでしょうから」

 あれから晩飯の後、妻にそう聞くのが私の日課のようになっていた。
 成人したとはいえあずさはたった一人の娘だし、元々ああいう性格だからそれも相まって不安で仕方がない。

「向こうには友美さんも居るんだから、それに、ちゃんとお仕事ももらってるみたいよ」
「テレビにもラジオでも聞いたことない」
「あら、チェックされてるんですね」

 妻の一言に、思わずぎくりとした。
 確かに、普段ならほとんど見ない新聞の芸能欄やラジオとテレビの放送予定を見ていれば感づかれても不思議では無かった。

「あなたの書斎、最近芸能誌が置いてあるでしょう?あれで気付かない方がおかしいでしょう?」
「貴子!」
「はいはい、怒ると血圧が上がりますよ~」

 昔は可愛げのあった妻だが、今ではすっかり手玉に取られてしまう。
 あずさもこうなるのだろうかと思うと何だか末恐ろしいというか怖いというか、何とも複雑な気分ではある。


「何か言いました?」
「いや、別に」

 にっこり笑った妻の目線を受け流しつつ、私は食卓の上の新聞紙に目を移した。
 芸能欄は、相変わらず色々なアイドルやタレントのゴシップや速報で埋め尽くされていたが、その中にあずさの名前や姿は載って居なかった。





「ねえ、貴子。最近あずさちゃん元気にしてるの?何だかアイドルをしてるって聞いたけど」
「ええ、あずさの無鉄砲にも困った物だわ。あの子にあんな強情さがあった何て」
「知ってたんでしょ?」
「まあねぇ」

 今日は義姉が我が家に来ていた。おせっかいを焼くのが大好きで、今日もあずさにお見合い写真を持って来たらしい。

「あずさちゃん、あんなに可愛いんだから直ぐに売れるわよぉ」
「そうかしら」
「そうでなくても、ほら、こんなにお見合い写真が」
「もう、姉さん。こんなにあっても」
「あずさちゃんに見てもらうだけ見て貰ってよぉ。まだ若いって言っても、あずさちゃんだって直ぐにおばさんになっちゃうわよぉ」
「姉さんみたいにはならないから大丈夫よ」

 相変わらず飽きもせず、よくやる物だとボーっとしていると、不意に義姉の目線がこちらへ向く。

「父親としても、不安なんじゃないのぉ?」
「あ、いや、まあ」
「うふふっ、この人は不安だったとしても絶対に口には出さないの。行動でバレバレですけどねぇ」
「煩い!お茶!」
「はいはい~」

 出されたお茶を勢いよく飲んで、冷ましもしなかった事を後悔しながら新聞に目を落とす。
 芸能欄を見ていると、そこだけ赤マーカーで囲まれている部分がある。妻の仕業だ。

「……765プロ。三浦あずさと星井美希」

 それは、結婚情報誌の売り上げが一時的に平時の数倍にまで膨れ上がったという事をスクープしている物だった。
 花弁が舞い散る中を、ウェディングドレス姿のあずさが走り抜けていその更に後ろを大勢の人が追いかける格好のピンナップが印象的だ。

「……そうか。仕事、来てるんだな」

 あずさが家に来て、アイドルになると言いだして一年が過ぎようとしていた頃の話である。
 ようやく、人様の芽に触れるという機会を与えられているのかと思うと、嬉しくない訳では無い。
 そう、嬉しくない訳ではないのだが。
 年頃の娘が仕事とはいえ、花嫁姿をこういった形で見ることになるというのは不安でもあり、残念でもあり、悔しかったりと複雑であった。
 私は、基本的にあずさのアイドル活動は、反対している立場なのだから。


 それから、また暫く経った頃だった。昼食を食べに出かけた定食屋のテレビに、私は思わず手にしていたご飯茶碗を取り落していた。

『知らぬが仏放っとけない♪』
『唇ポーカーフェーイス♪』

「三浦次長、どうしたんですか?」
「あ、いや」
「……ああ、あれですか。凄いですよねぇ、前情報無しでいきなり出てきて、カワイイですねーあの子、何て言ったかな」
「ほ、ほら、食ったらさっさと行くぞ!」
「ま、待ってくださいよ!」

 部下が慌てて牛丼をかき込むのをそのままにして、私は店の外へ出た。
 何故だ、ここまで慌てる必要なんてないじゃないか。
 娘の晴れ姿だ。アイドルとしての、ある意味大きな第一歩を踏み出した。
 
「……娘がアイドル、か」


、なぜ私は、こんなにも動揺しているのか。なぜ、後ろめたい気持ちを抱かなければいけないのか。
 そんな、複雑な気持ちを抱きながらも、あずさ……いや、765プロの活動は更に大きなものになっていく。
 竜宮小町の一員として、あずさも色々なメディアへと露出が増えていた。
 他のアイドルよりも歳が上だからか、雑誌の巻頭グラビアをあずさが飾る事もあって、親としては複雑な心境だった。
 会社の休憩室で、あずさの話をしていた若手を思い切り睨み付けてすくみ上らせたのも1度や2度では済まない。
 結局のところ、自分はあの子が心配でたまらないのだろうという事だけは、全く嘘偽りの無いとこなのであるが。
 夏が過ぎて秋が来て、冬が来て、また春が来て、あずさがアイドルとして売れ出してから二度目の夏が始まろうとした時だった。


「福井?何でまたそんなところに……へぇ、合宿。大変ねぇ……」

 家に帰るなり、長電話を終えたばかりといった感じの妻と目が合った。

「あらぁ、それは大変だわ。まあ気を付けてね、また電話ちょうだい……おかえりなさい、あなた。すいません、今支度しますよ」

 電話を切ると、いそいそと晩御飯の支度をしようと立ち上がる妻に、上着を脱ぎながら聞いてみた。
 
「誰からだ?」
「あずさ。今度福井まで合宿に行くんですって」
「福井……合宿?」
「今度、秋口に大きなライブがあるそうよ」
「そうか……」
「今度は、行くわよね?」
「……」

 そう、今まであずさの出ているライブに、私は直接言った事が無い。
 仕事が忙しいと言えば逃げの口上だが、単純に自分の気持ちに整理が付けられなかっただけというのもある。
 

「じゃあ決まりね、宿の手配とかもしておかないとね」
「おい、まだ」
「行くわよね?」

 妻がこう言い出したら、私の負けだった。
 それから1ヶ月ほどしてあずさからの手紙と、チケットが届いた。
 
「……アリーナか」
「ええ、こんな大きな会場でライブをするようになったのねぇ、あの子達」

 妻は何度かライブに行っているから、それが実感できるのだろう。
 しかし、私の様に少し目を逸らしていた人間には、何だか実感の沸かない話だった。
 あずさがこちらへ帰ってきても、無言という訳では無くても仕事の話はあまり聞かなかったから。

「うふふっ、あなた、きっとびっくりするわ」

 そう、私はライブという物を全く知らなかった。持っていくものがあるのか、と妻に聞くと、細長い棒のような物を渡された。

「……何だ?これは」
「サイリウム、ほらぁ、縁日の時に光る腕輪とかあるでしょ?」

 ああ、あれかと言いつつ、こんな物をいつ使うのか、よくわからなかった。

 ライブまでの日々はあっという間に過ぎて、季節は秋に移り変わる。
 庭の木の葉が色付いて、少しずつ落ち始めたころに、私は765プロダクションのライブ会場に居た。


「……凄い人だな」
「ね、凄いでしょう……ほら!あれ、ポスターよ!」

 大きく張り出されたポスターには、765プロのアイドル達が勢ぞろいしている。
 妻が嬉しそうに、いつの間にか機種変更していたスマートフォンで写真を取っている。
 ぼーっとその様子を眺めていると、また手を掴まれて引っ張り回される。

「そろそろ開場時間よ。まあ私達は関係者席だからあわてなくても良いかも知れないけど」


 アリーナの通路を進んで行くと、全身真っ黄色の法被姿とすれ違った、その後ろを追いかけるのは、どうやらその法被姿の妻らしい。 

「あなた、折角関係者席なのに」
「いーの!亜美と真美の晴れ舞台だ、アリーナで応援せずにどうする!」
「そんな事言って、チケットは?」
「んっふっふ……こんな事もあろうかと!既に確保済みなのだよ!止めてくれるな!」

 法被を翻しながら、そのまま男は走り去った。

「あ、あの……双海さん?」


 妻が声を掛けると、その女性が驚いたように振り返る。

「あ、あら三浦さん。お久しぶりです、何だか驚かせてしまって」
「いいえそんな事は……旦那さん、アリーナに?」
「ええ……何だか様子がおかしいとは思っていたですけど、まあ、仕方ないですね……そういえば、こちらの方は……?」
「ああ、ええ、私の夫です」
「どうも」

 双海、ということは双海亜美と真美の母親か。
 女の子は父親に似ると言うが、確かにこちらはあの双子のアイドルと違って、とても厳しそうな目つきではある。

「今から会場に?」
「ええ、早めに入っておこうと思って」

 その後、双海夫人は所用の為別れ、私と妻だけでアリーナの奥へと向かう。

「聞こえてくるでしょう?ライブ前から盛り上がってるのよ」

 確かに、何だかアリーナ全体がざわめいているような感じがする。

「おお、三浦さんの奥さん、どうもお久しぶりです」
「あら、高木社長……ほら、あなた」
「あっ……どうもご無沙汰しています。日頃は娘がどうもお世話に」
「これはこれは……こちらこそ、娘さんのお蔭で大盛況で」

 高木社長と会うのは、これが初めてでは無い。
 あずさが765プロに入った頃、一度家まで挨拶に来たからだ。その時と同じ、相変わらず人の好い笑いを浮かべていたが、その頬は紅潮して見えた。
 
「765プロ初のアリーナライブですからね、どうぞ楽しんで行ってください」


 いよいよ、アリーナの中へ入る。一瞬薄暗くなったので目がそれに慣れるまではとにかく暗いアリーナの中も、徐々に明るく見えるようになってくる。
 
「おお……これは」

 思っていたよりも何倍も広い会場は、そのほとんどが埋まっているように見えた。
 ちらほら見える鮮やかな色のペンライト、ステージと、会場の天井から吊るされたモニターに映る765プロのエンジェルマーク、それに会場のざわめき。
 そのすべてが私の体験したことが無い物だった。

「私達は、前の方ね」

 薄暗い階段を注意しながら下りていくと、横目に見えた男性2人と一瞬目が合う。
 萩原雪歩と、水瀬伊織の父親だ。
 ライブ会場で会うのは初めてだったが、それでもいつも通りの服装なのが2人らしかったので、目礼をしてそのまま通り過ぎる。
 
「おっ、三浦さん来ましたねぇ」
「お久しぶりです。ほら、菊地さんの所の奥様と旦那さん」
「ああ、どうも」

見るからに体育会系、私から見てもいい男と言った感じの男性は、立ち上がるなり私の手を握り締める。

「これはこれは、あずさちゃんのお父さんと聞くからどんな方かと思いました。ああ、失礼、私が菊地真の父親、菊地真一ですっ!」

 元気がいいところも、顔立ちも、立ち居振る舞いも何となく娘さんにそっくりだなと思いながら、私は挨拶を済ませる。
 既に妻は、この辺りのご両親とはご挨拶済みなのか、和気藹々とした雰囲気だった。

「……凄いもんだな」
「ええ、あなたは初めて見に来たから……でもね、昔はもっと小さな会場だったわ」
「……成長、か」

 私は、その過程を見てこなかった。それは私の勝手な意地だったのかもしれない。
 あずさにアイドルなんか勤まるはずが無い、もっと確実な道があるはずだ、と。

 どういう意味だ。
 妻も最初は反対していたはずだ。其れがいつの間にかライブに行くようになり、CDも買い揃えるようになっていた。
 いや、それは私も同じことだった。
 新聞の芸能欄は必ずチェックするし、歌番組だって妻が録画したのを後で見ていることもある。
 つまり、いつの間にかアレだけ反対していた娘のアイドル活動に対して、いつの間にか私は好意的な感情を抱いていたのではないだろうか。

「結局、私達はあずさのやることなら、何でも応援してしまうのかもしれないわね、だって、娘のやることだもの」
「そうだな、そうかもしれない」

 ステージ、アリーナ、スタンド席を順番に眺めながら、私は酷くさっぱりとした気持ちを覚えていた。そう、子供のやることだ。
 子供のやることだからこそ、私達は……親と言うのは、それを応援してやること、それが一番大切だったのではないだろうか。
 
「気付いていたんだな、俺は」
「えっ」
「あずさなら、きっとこうなってくれると……なんてな。ただの親バカか」
「……いいじゃない、親バカで」
「え?」
「私もあなたも、娘のことが大好きな、親バカでしょう?」
「そうだな、それもそうだな」

 一際歓声が大きくなり、妻の顔を見つめていたのをステージに戻す。
 幕の向こう側には、小さな人影が並んでいる。その幕が上がり始めるのを見ながら、会場内の熱気が上がっていくのを感じた。
 
(娘は……アイドル、か)
 
 ライブ会場の熱気にほだされながら、私はステージから目を離せなくなっていた。
 娘はアイドル、結構なことじゃないか。
 そう思いながら、妻から手渡されていたサイリウムを振っていたのに気がついたのは、妻がライブ後に話してくれたときだった。




 

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