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落丁 >>971.5

聖「先日の新聞の記事を訂正していただくために、こちらの拠点を彼女に紹介してもらったのです!」サッ

烏E「……………………」

烏一同「!?」

烏A「お前……誰だ!?」


そこには異様な出で立ちをした者がいた
衣服や背中に生えた翼だけは、間違いなく烏天狗のものである
しかしその者が誰であるか、まるで心当たりがない

頬はやせ細り、唇は乾燥し切ってひび割れている
目は落ち窪み、視線と姿勢が安定しない
足元もおぼ付かず、その力の入っていない両脚ではイモ虫すら踏み潰せるとは思えない
顔色は生きているものとは思えないほどにくすんでいて、濁った泥水の方がよほど綺麗だと言い切ることができた

それでも髪型と衣服には、わずかながら壮健であった頃の彼女の面影が残されていた


~命蓮寺~


一輪「…………」ガクッ

村紗「救護班頼みます!」

響子「カンカンカンカーーン!」

小傘「御用だ御用だー!」

村紗「ナズーリン、ゴザの用意を!」

ナズ「はいはい……OKだよ」バサッ

響子「急患です急患でーす!」

小傘「えいさ、ほいさ……」

村紗「ゆっくり、ゆっくりですよ?」


ドサ…


一輪「……」

村紗「お疲れ様でした。しっかり休んでください」バサッ…

ナズ「これくらい乗せておけばいいかな?」バサッ…

響子「もっとこんもり盛っておきましょう。まだまだたくさんありますから」バサッ…

小傘「乗せろ乗せろ~!」バサバサッ…

一輪「…………ちょっと」

チルノ「……」ジー

ぬえ「だらしないわね、これぐらいでヘバっちゃって」

ぬえ「キミはまだまだ修行が足りんのだよ。はっはっは!」


一輪「……あんたは楽でいいわよね。立ってるだけなんだから」

チルノ「こっちは火を付けないの??」

一輪「!?」ビクッ

ナズ「付けるわけないだろ。いいからお前はご主人の所に行ってろ」


星「皆さーん、焼けましたよー」


チルノ「おー!」タタッ

星「よいしょ……はいどうぞ」

チルノ「おお~、ホカホカだ!」


星「火傷しないように気を付けてください?」

チルノ「よーし、仕上げにあたいが全部氷漬けにしてやる!」サッ

ナズ「やめろやめろ! どうしてそう余計なことをしようとするんだ!」

星「チルノ、氷漬けにはしなくていいので、一つ一輪の所へ持って行ってもらえますか?」

チルノ「分かったー!」タタッ

ナズ「ご主人、私にも一つもらえるかい?」

星「はい」スッ

小傘「私も私も!」

星「はいはい」スッ


響子「こっちもくださーい」

星「はーい」スッ

ぬえ「こっちにもちょうだい。疲れた体にはご褒美をあげないとね!」

村紗「あなたはそれほど疲れているとは思えませんが……では私も一つ」

星「はい」スッ

レミリア「私にも一つちょうだい」

星「はいどうぞ」スッ

ナズ「モグモグ……こりゃ中々いいね。ちゃんと芯まで染みてる……モグモグ……」


星「そうでしょう? この焼き方も聖直伝なんですよ」

レミリア「モグモグ……うん、まあまあね。ウチのメイドには及ばないけど……モグモグ……」


ナズ「…………」


ナズ「お前誰だ??」

レミリア「あら、そういえば挨拶がまだだったわね」

レミリア「ご機嫌よう命蓮寺。私はレミリア。誇り高き魔の眷族よ」

ナズ「レミリア?……まさか!」

レミリア「紅魔館の吸血鬼と言えば、聞いたことぐらいあるでしょ?」


ナズ「……!」サッ

村紗「曲者かっ!?」サッ

星「……」

レミリア「やめてよね。そうやって無粋な敵意をぶつけるのは」

レミリア「喧嘩しに来たんじゃないことぐらい、すぐに分かるでしょ?」

ナズ・村紗「……」

響子「こ、紅魔館……」

小傘「……」

星「大丈夫ですよ、響子、小傘」


星「あなたも、この聖直伝特製焼きイモの匂いにつられて来たのでしょう?」

レミリア「……まあ、そんなところね」

ナズ「嘘を付くな。紅魔館がそんな理由で動くわけがないだろう」

ナズ「何をしに来た? 本当の理由を言え」

星「ナズーリン、あなたも気を収めなさい。客人に失礼ですよ」

ナズ「でも……」

星「当主代理として宣言します。彼女は敵ではありません」

星「それより早く食べてください。せっかく焼いたのに冷めてしまうではありませんか」

ナズ「……了解」


レミリア「それにしても随分と頭の悪い記事ね。これは何なの?」カサ…

村紗「天狗たちの嫌がらせでしょう。おそらくは」

村紗「何が目的かは分かりませんが……」

レミリア「結構急いで作ったみたいね。そこら中誤字だらけじゃない」ザッ ザッ

レミリア「ちょっとその棒貸してもらえるかしら? 私にも焚き火つつかせてよ」

星「え? あ、はい」サッ

ナズ「……?」

レミリア「……燃え方も良くない。紙も染料も安っぽいわね」ガリ…

レミリア「多分これ以上ないってくらいの最下級の資材だわ。こんなもの、ウチじゃ滅多にお目にかかれないわね」ガリガリ…

響子「??」


村紗「レミリア……あなた、一体何を……?」

レミリア「静かに。地面をよく見なさい」コンコン

ナズ「…………!?」


”遠くから見ている”


星「……」

ナズ「だ、誰が……?」

レミリア「……」ガリガリ…

村紗「コホン……彼奴らの目的とは何だったのでしょうね。私にも分かりかねます」

村紗「レミリア、あなたには心当たりがありますか?」


レミリア「さあね。でもあの様子からすると、前々からあなたたちに狙いを付けていたみたいよ」

村紗「ナズーリンは何者かが背後に隠れていると言っていますが、それは誰なのでしょう」

レミリア「天狗じゃないことだけは確かよ。でもその詰まる所の正体が掴めない」

レミリア「事によっては、妖怪かどうかも疑わしいわね」

ナズ「……」

小傘「??」

星「……聖は中々帰って来ませんね。今頃はどこにいらっしゃるのでしょう」

レミリア「距離にして山五つ分ぐらい先ね。そうね……あなたから見てちょうど七時の方角よ」チラッ

ナズ「……!」サッ









?「…………チッ」

ザザッ…








ナズ「……!?」

レミリア「もう消えたみたいね」

村紗「ナズーリン、誰かいましたか?」

ナズ「…………」

響子「……せんぱい?」

ぬえ「どしたの? 深刻な顔しちゃってさ」

ナズ「そんな……」

村紗「どうしました? 一体誰がいたのですか?」

ナズ「……わ、分からない」

村紗「分からない??」


ほんの一瞬、ナズーリンはそこに誰かが居たことに気付く
だがその気配は人のものでも妖怪のものでもなかった

それはこの世界にはないはずのもの
否、あってはならないはずのものであった


小傘「ねえ、誰がいたんですか? ねえってば」

ナズ「……」

村紗「やめなさい、小傘」

一輪「……何事? 緊急事態なの?」

響子「えっと、誰かに見張られてたみたいなんですけど、もういなくなったみたいで……」


一輪「何ですって!?……くっ、姐さんがいない時に何てことなの……!」

村紗「それは多分違いますね。向こうは聖不在の今を狙っていたのでしょう」

一輪「何て卑怯な奴! 姐さんの言い付けさえなければ、今からでも追いかけて行って叩き潰してやるのに!」

レミリア「やめた方がいいわよ。あなたみたいな雑魚に敵う相手じゃないわ」

一輪「……今、何て言ったのかしら?」ピクッ

響子「せ、せんぱい、落ち着いて……」

レミリア「魔族であるこの私ですら正体が掴めないのよ? 誰かは知らないけど、かなりの使い手であることは間違いないわ」

レミリア「ここの当主ぐらいであれば対抗できないこともないでしょうけど、あなたはそいつより強いのかしら?」

一輪「……」


村紗「……いずれにしても、聖が戻るまでは敷地の外を警戒する必要がありますね」

レミリア「逆よ。あなたたちがここに集まってるから向こうは手出しできない」

村紗「と言うと?」

レミリア「向こうはあなたたちがそれぞれ一人でいるところをじっと見ていた」

レミリア「特に、誰かが集団から離れていく時に一番意識が強くなってたわ」

レミリア「おそらく分断させて一人一人仕留めていくのが狙いよ」

村紗「……」

レミリア「助かりたいのなら、とにかくここから離れないことね」

レミリア「特にそこの妖怪虎からは……」チラッ

星「?」

レミリア「……ご馳走様。そろそろ館に戻らないと」

星「お粗末様です」


レミリア「じゃあね。警告はしたわよ。後はあなたたちで何とかしなさい」バサッ…

村紗「ちょっとお待ちを……」

レミリア「うん?」

村紗「あなたは、わざわざそれを教えるために来たのですか?」

レミリア「……」

村紗「どうも分かりません。これはあなたにとって……いや、紅魔館にとって何がしかの利益があることなのですか?」

レミリア「……あなたたちのことは噂になってるのよ。色々とね」

レミリア「私も少し興味を引かれただけ。ただそれだけよ」

村紗「……」

レミリア「では御機嫌よう」

バサッ… バサッ…


~次の日~


星「……ナズーリン、外の様子はどうですか?」

ナズ「いないよ。今朝からずっと探ってるんだけど、欠片ほども気配を感じない」

星「もしかしたらこの前ので諦めたのかも知れませんね」

村紗「だと良いんだけど……」

ぬえ「はい、本日のお仕事終了!」

村紗「…………」バタッ

一輪「救護隊出動!」

小傘「了解!」ダッ

響子「りょーかーい!」ダッ

チルノ「行くぞ行くぞー!」ダダッ


チルノ「……で、何するの??」

ナズ「うん、お前はな、できるだけ動かずにじっとしていてくれ」

ナズ「口も開けずに静かにしていてくれると、さらにありがたい」

チルノ「よぉし! 何もしゃべらないわよー!」

チルノ「しゃべらないしゃべらないしゃべらない……」ブツブツ

ナズ「……うん、まあそれでいいや」

星「今日もお疲れ様でした」

ぬえ「そう? いやー疲れちゃったな~」

村紗「み、水を……」


響子「はいどうぞ」サッ

村紗「……」ゴクッ

小傘「……大丈夫ですか?」

村紗「はぁ、はぁ……く、口惜しいことです」

村紗「これだけ精神を全開にしても、気の利いた説法一つできないとは……」

ナズ「いいや、村紗はよくやったほうだよ」

一輪「そうよ。私に比べれば幾分かはマシよ」

村紗「いいえ、私たちは聖の代理。聖同様の説法ができなければ、務めを果たしたことにはなりません」

星「村紗、そんな無茶なことを言っても仕方がありませんよ」


星「聖に届く者などそうそういるものではありません。それぐらい聖だってちゃんと分かってます」

星「経典を千年間読み続けていた私でも、未だに届かないのですから」

村紗「……」

一輪「とにかくゆっくり休みなさい。私たちが倒れたら、もう後がないんだから」

ナズ「あ、明日は私の番か……」

星「そんなに気を張らなくても大丈夫です。気楽にやればいいんですよ」

ナズ「そうはいかない。これには命蓮寺の名誉がかかってるんだ」

星「無理はしないでください? あなたが倒れるようなことがあれば、聖がどれほど悲しむことか」

ナズ「今度はうまくやってやるさ。もう二回目なんだから」

一輪「少し座ったら? 膝が震えてるわよ」


ナズ「……ん? 誰か来るな」


バサッ… バサッ…


一輪「むっ!? あいつらは……!」

烏B「こんにちはー……」

村紗「……」

烏D「へへ……ど、ども……」

ナズ「……何しに来た? このアホガラスども」

一輪「答えようによっては、こっちはいつでもお前ら全員を八つ裂きにする準備ができてるわよ?」ググッ

ナズ「……」スッ

村紗「……」サッ


烏B「い、嫌ですねぇ、ちょっとした行き違いだったんですよ~」

烏D「そんなに怒らないでくださいよ。私たちは同じ妖怪ではありませんか……」

一輪・村紗・ナズ「………………」

烏B「コホン……いや~、実はこちらに配布させて頂きました号外なんですが……」

星「……」チラッ

烏B「えっと……その、重大なミスが発覚致しましたので、今すぐ回収するという話になりましてね~」

烏D「……あの、先日の号外は??」キョロキョロ

ナズ「今更のこのこやって来て何だ! もう全部燃やしたぞ!」

烏B「あ、そうでしたか~! これはこれは……」

烏D「では私たちはこれで……」ササッ


星「ちょっとお待ちください。今そちらに聖がいるのですか?」

烏B・D「!!」ピクッ

一輪・村紗・ナズ「……!」

烏B「え?……あ、いや……そのぉ……」

一輪「おい!」ズイッ

一輪「今姐さんはどこにいる! どうして帰って来ない! 早く答えなさい!!」

村紗「……あなたたちは何か知っていますね? 一体何を隠しているのですか?」

烏B「え、えっとぉ……」

響子・小傘「……」ジー


烏B「さよならっ!!」ババッ

烏D「撤収!!」ババッ

ナズ「あっ! おい待て!」

一輪「雲山ッ!!」


ズワァッ……!

ドゴンッ!!


烏B「逃げ逃げぇっ!!」バサッ…

烏D「それでは皆さんご機嫌よおぉぉぉッ!!」バサバサッ…


一輪「……チッ、逃がしたか!」


~さらに次の日~


ナズ「聖様~! 早く帰って来てくれ~!!」

小傘・響子「……」


それまで静観していた小傘と響子が遂に決断した
説法のせの字も知らない二人でも、代理の三人の様子は見ていて忍びないものだった
掟を破るとは知りながらも、夜明け前の命蓮寺を飛び出して行ったのである

結果的にそれが間違いであった


~妖怪の山近辺~



聖「鬼……そういえば名前を聞いてなかったわね」

聖「まだこの辺りにいるのかしら……ん?」


ジャラ…


ジャラ…


聖「この音は……」チラッ


萃香「よぉ、聖白蓮ってのはあんたなんだろ?」

聖「……」

萃香「いやぁ~、ウスノロどもが役に立たないんで、待ちくたびれてしまったよ!」

聖「あなたは……少々お聞きしてもよろしいでしょうか?」

萃香「ん~?」

聖「カラス天狗に妙な新聞を作らせたのはあなたですか?」

萃香「そうそう! 分かってくれたかい? 私のあの粋な計らい!」

萃香「あーんな珍しいこと、そうあるもんじゃない!」

萃香「こりゃあ大々的にお知らせしないと世間様に申し訳が立たんと思ったのよ!」


聖「……あの破廉恥な記事もあなたの指示で?」

萃香「まあね~。ショッキングな見出しが無いと、客だって食い付かないだろ?」ニヤニヤ

聖「そうですか……あなたの厚意に反するかも知れませんが、あのような記事は好ましくありません」

聖「今後は天狗たちに無神経な指示を出さないようお気を付けください」

萃香「いやいやいや! 面白くなってくるのはこれからだろうに!」

萃香「私としちゃあ、次なる企画も既に構想があったりするんだよね~」

聖「無駄ですよ。彼女たちには、今後は良識に反するような新聞は作らせないよう言い付けましたから」

萃香「ほほう! あの天狗たちを手懐けたって!? 大したもんだ!」

聖「……これからは、あなたも無頼のような生き方は慎むことをお勧めします」


聖「ではさようなら」クルッ

萃香「……ケガはちゃんと治ったかい?」

聖「?」チラッ

萃香「いやー、すまないね。だいぶ前にあんたの所のお弟子サン、ボッコボコにしちゃったみたいでさぁ~」ニヤニヤ

聖「……」

萃香「しかしあれはしょうがないな! どうにもあれでは弱すぎる!」

萃香「いやそれは無理もないか……飼い犬は飼い主に似るって言うしな?」

聖「……」

聖「……」プイッ


萃香「おやおや、お弟子サンの仇を取らなくてもいいのかい? 随分と薄情な当主様だねぇ~」

聖「……あなたに対して恨む気持ちはありません」

聖「彼女たちは愚かな行動を為したがゆえに、その業の果を得たのです」

聖「そこにあなたが原因として絡んでいるわけではない」

萃香「ほほう! こりゃ中々おもしろい説法だ!」

聖「あなたたちに出くわすのは事故か災害に遭うようなもの。一度出くわせば、誰彼構わず喧嘩を吹っかける」

聖「あなたたちは元来そういう妖怪なのでしょう」

萃香「なるほど! 違いないねぇ」

聖「ではさようなら」スタスタ…

萃香「……」ヒュンッ



コツン…


聖「?」チラッ

萃香「おおっとお、こりゃスマン!」

萃香「不意に私の投げた小石が、あんたの頭に命中してしまったみたいだ!」

萃香「だがまぁ、これもウンメイってやつだ。恨んでくれるなよ?」

聖「……」

聖「……」クルッ

スタスタ…


萃香「……チッ」

萃香「全く、人間ってのは腰抜け揃いだな!」

萃香「法界を耐え切った人間だなんていうから、一目拝んでおきたかったんだけどねぇ!」

萃香「この生臭坊主はとんだ腑抜けと来てやがる!」


聖「……」ピクッ

クルッ


萃香「おっ?」


聖「……なるほど、初めから私が目当てだったということね」

聖「ならば彼女たちの受けた傷は、私の不甲斐無さが招いたこと」

聖「その禍根、今ここで断たねばならない」

萃香「ハッ! 前口上が長いんだよ!」

聖「……覚悟!」ダダッ

萃香「来なっ!」スッ…






――――ドゴォォン!!




ドガガガッ!!

バキッ!!

ドゴッ!!


聖「ふん! はっ!」

萃香「おお強い強い! さすがは法界帰りだ!」

萃香「だぁが……」ヒュンッ


ズドオッッ!!!


聖「……!」


萃香「鬼を相手にするには、ちいとばかしリキが足りてないねぇ!」ヒュヒュッ


ドゴッ!!

ガスッ!!


聖「かはっ……」ズサッ…

萃香「ほう、これで倒れないか。耐久力は中々のもんだ」

萃香「そんじゃあ今度はちょいと致命傷でも食らってもらおうかねっ!」ズワッ…

聖「!」ササッ

萃香「そんな守り、何の役にも立ちゃしないよ!」ブンッ


ドゴォォォン……!!


萃香「さあて、これで……」

聖「……」グググ…

萃香「よしよし、ちゃんと立ってるか。やっぱそうでないとな!」

聖「はぁ……はぁ……」

萃香「おやおや~?? もう息が上がったのかい?」

萃香「まだ始まったばっかだろ……っとお!!」ダンッ

聖「ふん!」グッ


ズドォォォン……!!


聖「がはっ……!」ドサッ


萃香「ほほぉ、受け流したとはいえ、今のを食らって生きてるとね」

萃香「だがもう全身グチャグチャに……ん?」

聖「ぐ……」スウッ…

萃香「なるほどね、凄まじい回復力だ」

萃香「妖怪にもお前ほど早いのはそういないだろうね」

聖「はぁ、はぁ、はぁ……」

萃香「しかし所詮は人間、鬼には勝てやしないんだよ!!」ダンッ

聖「明鏡止水、五蘊!」

萃香「さあ受けてみろッ!」ブンッ


ドガァァン!!!



萃香「……おろ?」キョロキョロ


聖「はぁ、はぁ…………ふん!」ググッ


萃香「いつの間にそんな所に……ははっ!おもしろい手品だ!」

聖「行くぞ……!」ダンッ

萃香「遅い遅い遅ぉぉいッ!!」ヒュンッ


ドガガガッ!!

ズガッッ!!

ゴガッッ!!


聖「がはっ!」ドサッ…


萃香「まだまだ眠ってくれるなよ~? ほうら早く立て!」

聖「くっ……」グググ…

萃香「よしよし、では……死ねッ!!」グワッ


ドドォォン!!

ドォォン!

ドゴドゴッ!!!

ズドォォッ!!


聖「はっ! ふんっ!」サッ ササッ


萃香「器用に避けるねぇ! ならこれならどうだい!?」ググッ


ズズズズゥゥッ……


聖「!?」

聖「明鏡止水! 六――」

萃香「遅いんだよッ!!」サッ


――――ズズズズンッッ!!


聖「ごはぁッ!?」メリメリ…

萃香「はっはっはっはっは! 光栄に思えよ!?」

萃香「この過重力の技を食らわせたのは、人間ではあんたが初めてなんだからな!」


聖「ぐ……ぐか……」ググッ

萃香「ん?……おお!流石だねえ!」

萃香「妖怪でも、その中で立てたヤツはいないというのにな!」

聖「明鏡止水……」

萃香「待ってな、今トドメを」

聖「三宝!」ギィン!

萃香「あ?」


ヒュッ…

ドゴッ…!!


萃香「……!」


聖「はぁ、はぁ……くっ」

萃香「ほほう、あそこから自力で脱出するとは恐れいった」

萃香「だが惜しかったね。そんな苦し紛れの拳じゃ、私は倒せない……よっ!」ヒュッ

聖「!」ササッ


ドゴンッッ!!


聖「ぐっ……!」ドッ…

ゴロゴロ…


萃香「食らいなぁッ!!」ギィィン…

聖「!!」


ドガァァァン!!


聖「がはぁっ……!」ザザッ

萃香「……まだ体が砕けないとは。やはり頑丈さでは見所があるねぇ!」

萃香「こりゃあもうしばらく楽しめそうだぞ!」

聖「……スー……ハァー……」

萃香「おやおや?どうしたんだい? 目なんか閉じちゃってさ」

萃香「人間というのは変なことをするもんだな!」ダンッ!

聖「禁呪……」


聖「無明ッ!」


萃香「はっ!」ブンッ


ドガッッ!!


聖「」ドサッ…


萃香「……ありゃ、随分手応えがないね」

萃香「こりゃ死んだかな?」

聖「……」スッ

萃香「よぅし、まだまだいけそうだね!」

聖「……」ダンッ

萃香「さあ続けようぜ! 魔法使いッ!」ダンッ


聖の雰囲気が変わったことに萃香は気が付かない
実際そんなものは萃香に取ってどうでもよかった


ドガガガガッ!!

ゴッッ!! ガッッ!!

ドゴッッ!!!

ガキンッッ!!!


聖「……」スッ

萃香「ほお、打ち込んでも倒れなくなってきたか」

萃香「おもしろいヤツだ。長引くごとにどんどんヘバってくるのが普通なのにな!」ズワッ…

聖「ハー……スー……」サッ


―――ゴゴンッ!!


萃香「……これも当たらんか~」

萃香「じゃあこれならどうだッ!?」ヒュヒュン!


ドドォッッ!!


聖「……」ズザザッ…

萃香「まだ踏ん張るか! いいねいいね!」

萃香「どこまで耐えられるかな!? お前の底を見せてみなッ!」ググッ

聖「……」ス…

萃香「おらっ! はっ! ふん!」

聖「……」サッ


ゴガッ!!

ガンッ!!

ゴゴゴッッ!!

ガゴンッ!!


萃香はなおも攻撃に速度と重量を加え続ける
それでも聖は倒れることはなかった
そればかりか、聖の拳が次第に一発二発と、萃香に打ち込まれるようになってくる

しかし焦る必要などない
まだ萃香は腐るほど余力を残しているからだ


ゴスッ!!

ドガッ!!

ドッ…!!


萃香「はっ!器用なヤツだ! 目を閉じたまま戦い続けるとは!」

萃香「それとも薄目開けて見てんのかぁ!?」ビュン!

聖「……」ササッ


聖と萃香の戦いは続いていた
夜が明け、さらに日が沈み、また夜が明けても、二人はまだ戦い続けていた


萃香「はっはっはっは! こりゃあいい!」


ドガッ!!

バキッ!!

ガスッ!!


萃香「こんなに骨のあるのは初めてだぞ!」

聖「……」


ドゴッ!!

ガッ!!

バゴッ!!


萃香「悪いな勇儀! こいつは私が貰ったぁ!!」

聖「……」スッ


少しずつ、ほんの少しずつ、聖の動きが萃香の最高速度に近づいてくる
萃香の攻撃も空振りが目立つようになる

始めは急所からわずかに外し、
次は急所に命中しなくなり、
やがて受け流されるようになり、
遂には聖の体に当てることさえ難しくなってきた


萃香「く……?」

聖「……」ヒュッ…


ドゴォォッッ!!


萃香「かはっ!?」


遂に聖の拳が萃香の腹にめり込む
予想外の一撃に思わず間抜けな声を上げる


萃香「……ま、まだ付いてくるだと??」

聖「スー……ハー……」

聖「……フンッ!」ブンッ

萃香「ぐっ、調子に乗るなよ!?」グッ


ガキンッ…!


萃香「はぁ、はぁ……」グググ…

聖「……」グググ…


萃香「くそっ……! これならどうだっ!」ズオッ…

聖「……」ススッ



――――ヒュッ



萃香「!? ヤ、ヤツは……」

萃香「どこへ行った!」




―――――ドゴォォッ!!


萃香「ごっ……!?」

聖「……」


メリメリメリ…


萃香「く……あ……」

萃香「甘く見るなよッ! 人間風情がッ!!」ヒュン!

聖「……」グッ


ズズンッ…!!


聖「……」ザザザッ


この一撃も、聖の守りの構えは受け切ってみせた


萃香「はぁ、はぁ、はぁ……」

聖「スー……スー……」

萃香「……!」


その時になって萃香はようやく気が付いた
閉じられていたままの聖の目が遂に開かれていく


聖「……」

萃香「お、お前! 今までずっと……!」

聖「さあ、お前も法界へ行くがいい」グッ


萃香「!?」ピキッ…


萃香「おい、キサマ……まさかとは思うが、本気でこの私を倒せる気でいたのか……?」ヒクヒク…

聖「……」

萃香「図に乗るなよッ! キサマら人間がいくら足掻こうとも、鬼であるこの私に勝つことなどできん!!」

萃香「少々力を持った程度でいい気になるな!!」

萃香「キサマらのチンケな体なぞ、その気になりゃ一瞬で塵になるんだぞ!!」

聖「……口数の多い鬼だな」


萃香「!?」ビキビキッ…


萃香「フ……フフフ…………いいだろう!」

萃香「もはやキサマは人間などとは思わん!!」

萃香「この私の最大限の力を持って、キサマを地上から消し去ってやる!!」ババッ


ゴゴゴゴゴ…


聖「……」


萃香「食らえッ! 密の術法!!」バッ

聖「……!」

ズォォォォッ……


聖の体から何かが吸い上げられていく
次第に足腰に力が入らなくなる


聖「……」ググッ…

萃香「はっはっはっは! お前はもうお終いだ!」

萃香「お前がどれほど強いのか知らんが、その力は全て私のものになるのだ!」

聖「……」

萃香「私の術がこの程度で終わると思うなよ?」スッ

萃香「見るがいい。疎の術法!!」バッ



ゾロゾロ…

 ゾロゾロ…

ミニ萃香×∞「はははははははっ!!」

ゾロゾロ…

  ゾロゾロ…


聖「……ッッ!!」

萃香「そいつらは今しがた吸い上げたキサマの力で出来た分身だ!」

萃香「お前は自分自身の力に倒され、敗北するんだ!!」

聖「そうか、コイツらか……」

萃香「うん?」




――――――ビキィッッ!!!




聖「私の弟子を、よくもやってくれたなッッ!!」




萃香「!?」ズッ…


萃香「……!!」


萃香は今まで感じたことのないほどの屈辱を味わった
たかが人間一人の気迫に押され、足をほんのわずかに後ろへ下がらせてしまったのだ
鬼として生まれた萃香にとって、それは初めてのことであった


萃香「ゆ、許さん……!」ギリッ…

萃香「許さん!許さんぞッ!! このクソ坊主がッッ!!」

萃香「殺せぇッ! 我が分身たちよ!」

萃香「ソイツを殺すんだッ!!」


聖の力が聖に襲い掛かる
しかし……


聖「ふん! はっ!」


ドゴォッ!!

ゴガッ!!

ガゴンッ!!


聖「はっ! せいッ!」


ガスッ!!

ゴッ!!

ズドオッ…!!


萃香「な、なぜだ……なぜ倒れない!」

萃香「密の術法!!」バッ


ズォォォォッ……


聖「……」スッ

聖「はっ! ふんっ!」


ズガッ!!

ゴスッ!!

ドゴッ!!


萃香「み、密の術法!!」

ズォォォォッ……


萃香「密の術法!!」

ズォォォォッ……


いくら力を吸い上げても、聖は倒れない
やがて分身も数が尽きていく
最後の分身が倒された時、萃香はその種に気が付いた


聖「……」サッ

ズォォォォッ……

ミニ萃香「うう……」フラッ


萃香「!!」


聖「ふん!」ヒュッ

ガシッ!


ミニ萃香「う!……う…………」


聖「……」ググッ

ギリギリギリ…


ミニ萃香「お  あ   」


――――グシャァ!



萃香「そ、そんな、まさか……!」

聖「……」

萃香「キサマ奪ったのか!? 私の術を!!」

聖「あんなつまらない技など、繰り返し見せられれば嫌でも覚える」

萃香「ぐ……」

聖「もう終わりか? なら……」

萃香「う……うぉおおおお!!」ダンッ

ザザッ…


萃香「ならば見せてやる! 四天王の奥義をな!」ババッ




ゴゴゴゴゴ…………




飛び退いた萃香が両手を天にかざすと、辺り一帯の空気が震え始める


聖「……」


そして聖の頭上に大気の塊が現れる
それは山を一つ覆うほどの巨大なものであった
萃香の全力を込めた必殺技『驚天動地』である


萃香「はっはっはっはっは!! まぁさか人間相手にコレを使う瞬間が来るとはねぇ!!」

萃香「お前はよくやったが、やはり相手が悪かった!!」

萃香「鬼を怒らせて生きてられるヤツなんていないんだよ!!」


聖「……」


萃香「終わりだ……死ねぇええッッ!!」ブンッ




―――――ズズズズンッッッ!!!




聖「!!」

メキメキッ…


真上から圧し掛かった大気が、大地に半球の形を作り出す
その中心にいる聖の足も地面に大きく沈み込む

萃香の全ての力を重量に変換した大技
強化された聖にも、この技を逃れる術はない
しかしそれも……


聖「……疎の術法」スッ


バシュゥゥ…


萃香「!!?」


ザッ…

ザッ…


押し潰した地の底から這い上がる音が聞こえる
最大の必殺技を破られた萃香には、もはやこれ以上の対抗手段はない


萃香「か……」


勝てない
鬼である萃香には、それがどうしようもないほど分かってしまった


ザッ…

ザッ…


ジャリ…


萃香「……!!」


聖「さあ、覚悟を決めろ」


萃香「ぐっ……」

萃香「くそおおおっ!!」バッ

ブワァッ…


聖「……」


萃香は逃げた
無数の小さな粒となって大気の中に紛れ込めば、もう誰も自分を捕らえられはしない


聖「密の術法!!」サッ


ドゴォォォッッ!!!


萃香「ごあああッッ!?」

メキメキメキッッ…!


大気となって逃げるのであれば、その大気ごと押し潰してしまえばいい
『驚天動地』は既に聖の手の中にあった


萃香「ご……ごほっ!ごほっ! そ、そんな、そんな……ッ!!」


ジャリ…


萃香「……!」


聖の目が見えた瞬間、萃香は理解した

その瞳にはいかなる感情も入り込む余地がない
痛みも恐怖も疲労も、そしておそらく戦闘の手順でさえも、今の聖には存在しない
小さな体を今にも突き破って飛び出しそうな、はち切れんばかりの怒りの炎が、聖の両目に踊り狂っていた




萃香「お……」


禁呪無明
それは他のあらゆる感情を遮断し、精神の純度を極限まで引き上げる法であった





萃香「『鬼』だ……ッ!」







――


――――


―――――――


?「いいか萃香よ。決して鬼と戦ってはならんぞ?」

萃香「……は??」

?「他の者とはいくら喧嘩しても構わん。だが、鬼を相手にするのだけはやめておけ」


萃香「何を言ってるんだ? 鬼とは我らのことだ! 我ら以外に鬼など存在せん!」

?「いいや。お前たちは本物の鬼ではない」

?「本物の鬼とは、別の処にあるのだ」

萃香「……解せんな。我らが鬼でないと言うつもりか?」

?「そう言ったはずだ。所詮お前たちは鬼の力を模しただけの偽物なのだ」

萃香「何だと……?」ピクッ

萃香「聞き捨てならんな……ならば鬼とは何だ! 本物の鬼はどこにいる!」


?「鬼とは、人間の中にある」

萃香「人間!? 今お前は人間と言ったのか!?」

?「そうだ」

萃香「ハッ! あんなちょっぴりつついただけで死ぬようなヤツらが、一体何だと言うのだ!」

萃香「あんなモノいくら集まったところで、我ら一人にも満たない矮小な虫ケラだ!」

?「いいや、鬼はお前たちの力を遥かに凌駕する」

?「もし人間から鬼を引き出すようなことがあれば、例え四天王が束になろうと敗北は免れない」

萃香「まだ言うか……」


?「これは恩情による警告なのだ。繰り返すぞ、萃香」

?「決して鬼に手を出してはならん。万が一お前が鬼と戦うようなことになれば……」

萃香「……どうなるというんだ?」

?「その瞬間、お前の鬼としての生命は終わるものと心得よ」


――――――――


――――


――



萃香「本当にいやがった……!」

萃香「こいつは、ほ、本物の鬼なんだ……!」

聖「命蓮寺当主、聖白蓮……参る!」スッ

萃香「ま、待っ」


聖「いざ、南無三―――ッ!!」


ゴウッ……!!


萃香「ひ……ひぃいぃいいい!!」


ズゴッッ!!
        ズガガァァン!!
ゴガッッ!!
                 ガギンッッ!!
ドゴォォッッ!!
            グシャッッ!!
ガゴンッッ!!
          メキッッ!!
ドスッッ!!
             ベギッッ!!
ズドォォォッ…!!


萃香「がッ! げぶッ! ごッ!!」


正拳、裏拳、節砕き
膝蹴り、掌底、回し蹴り
貫手、膝蹴り、アッパーカット

聖の怒りの攻撃が次々に萃香に叩き込まれる


ズドォッッ!!
             ゴギギンッッ!!
ガゴンッッ!!
          ズシャッッ!!
ズゴッッ!!
                  ガガァァン!!
ゴガガンッッ!!
            ガキィィン!!
ゴッッ!!
                ゴガガッッ!!
ドガァァンッッ!!


萃香「ぎッ! あぐッ! げッ!!」


聖「ふんッ!!」ヒュッ



―――バキィィィン!!



萃香「ぎゃあッッ!!」ドサッ…


カランカラン…


萃香「お……おご……こっ……」

聖「……」スッ



―――ズンッ!!


萃香「!!」

聖「さあ降参しろ」

聖「潔く敗北を認め、私の手によって法界へと下るがいい」

萃香「……う、うぐ……」

聖「早くしろ。残りの角も折られたいのか」


詰みである
終わってしまった
こんなにも呆気なく

鬼は衝動ゆえにその恐怖を世に広め、そしてその衝動ゆえに滅ぶ
かつて全ての鬼たちが辿ってきた逃れられない宿命を、萃香は自らの中に感じ取っていた




―――しかしその時、萃香の目の前に願ってもない退路が現れる



小傘「あ、いたいた! やっぱり聖様だ~!」

響子「聖様~!」

聖「うん?」ピクッ

小傘「もお、いつまでもお戻りにならないから、皆心配してましたよ?」

響子「してましたよー??」

聖「すみません、ちょっと済ませなければならない用事がありまして」


聖「それより護衛も付けずに来たのですか? 危ないではありませんか」

小傘「私は響子の護衛です」

響子「私も小傘の護衛です」

聖「……そうですね。当主として、少し長く空け過ぎていたかも知れません」

響子「えっと、せんぱいたちがセッポーができなくて困るって言ってました」

聖「そうですか。やはり監督役がいないだけで不安になるのですね」

聖「急いで戻ります。あまり長い間留守にしていては、あの三人に叱られてしまいますからね」


小傘「……ところで用事って何ですか?」

聖「それはこの……あら、いないわね」

響子「?」

聖「いえ、それより今は命蓮寺に帰ることが先ですね」

聖「すぐに戻りましょう」タンッ

小傘・響子「はーい」ピョン


~森林深部~


ザザザザ…

萃香「はぁ、はぁ、はぁ……!」


萃香は必死だった
いつ後ろからあの尼僧が追い付いて来るか分からないからだ
その必死の中にも、もう一つの感情があった
それが萃香の目から止め処ない涙を流させていた


萃香「はぁっ、はっ……うぐ……っく……」


自分は鬼ではなかった
鬼の振りをしていただけの、ただの少女に過ぎなかったのだ


萃香「ちくしょお……うぐっ……!」

萃香「ちくしょおおおおお……!」


ザッ…


萃香「!!」


藍「……」

萃香「お、お前は……!」

藍「私は言ったはずだぞ? 鬼には手を出すなと」

萃香「頼む! あ、あいつを殺してくれ!」

藍「……何だと?」

萃香「あんなのがいたんじゃ、私たちは商売上がったりだ!」

萃香「早くあいつを始末するんだ! じゃないと」

藍「貴様……一体誰に向かって口を聞いているつもりだ」

萃香「!」


萃香「す、すまん!」ササッ

萃香「許してくれ! 私の思い上がりだった!」

萃香「し、知らなかったんだ! あんな奴がいるだなんて!」

藍「殺せだと?…………ふざけたことを抜かすなよッ!!」

萃香「!?」ビクッ

藍「一体何様のつもりだ!! ちょっと長く生きたぐらいで、賢者にでもなった気でいやがるのかッ!?」

藍「たかが角付き如きが図に乗るんじゃないッ!!」

萃香「ひっ……」


藍「貴様に山を任せたのは、やはり失敗だったな……」スッ

萃香「な……何をする気だ!?」

藍「言っただろう。鬼に手を出せばそこで終わりだと」

藍「お前はもうお終いだ。鬼としても……幻想郷の住人としてもな!」

萃香「ま、待ってくれ!」ササッ

藍「……」

萃香「頼む! 見逃してくれ! この通りだ!」ググッ…

藍「何と惨めな姿だ。これが鬼の最期とはな」

萃香「ぐ、く……くそぉっ!」バッ


萃香「こんなところで、やられてたまるかッ!」ババッ


藍「……」


萃香「……え? こ、このッ」ババッ


藍「……」


萃香「あ、あれ!? どうして……!」サッ ササッ

藍「愚か者め。まだ気が付かんのか」

藍「貴様が恐怖の感情を取り戻した瞬間から、鬼としての一切の力が失われたのだ」


萃香「!!」

藍「恐怖する鬼など鬼ではない」

萃香「そんな……」

藍「さあ終わりだ」


キィィィン…


萃香「おっ、お願いです! 助けてください! 私はまだ消えたくない!!」


萃香「もうあなたの命令には逆らわない! 生涯の忠誠を誓う! だから……!」

藍「もう遅いッ!!」バッ



ズワァァアッッ……!!



萃香「う……うわあぁぁああぁぁ――――!!」




~後日 命蓮寺~


響子「ふんふふ~ん♪」

響子「……あら??」チラッ


響子が鼻唄交じりに掃除をしていると、そこへ見覚えのある姿が上空に現れた


響子「あー! また来たー!」

響子「今度こそとっちめてやるー!」ブンブン

響子「……!?」

響子「わ、わわわ……聖様ー!」タタタッ


その姿に仕返ししてやろうと意気込んでいた響子も、空にいる数を見て逃げの一手に転ずる


ぬえ「うわ! 何だありゃ」

小傘「え? 何何??……うわー……」

ナズ「な、何だ! 何事だ!」

チルノ「おー! いっぱい来たー!」

村紗「これほどの数が……一体何用でしょう」

一輪「ぶっ飛ばされに来たんでしょ? なかなか殊勝な心がけじゃない」コキッ

星「多分違うと思いますけど……」

聖「……」


大挙して押し寄せた烏天狗たちは、命蓮寺の門の手前で降り立った
そしてそれ以上は前に進まず、何やらお互いに話し込んでいる


響子「……?」ジー

ナズ「……何やってるんだ? あいつら」

村紗「ここまで来る気はないのでしょうか?」

一輪「邪魔な奴らねぇ……あんな所に固まってたら通れないじゃない」

一輪「聖様、ちょっと私が行ってどかして来ます」

聖「いいえ、あなたたちはここにいなさい」

聖「私が行って様子を見て来ましょう」スッ


ザワザワ…

烏1「早く行きなさいよ」

烏2「何で私に言うのよ。あんたが行けばいいじゃない」

烏3「もういい加減覚悟決めてよね、どのみち誰かが行かなきゃいけないんだから」

烏4「そう言うなら、あなたが行けばいいんじゃないの?」

烏3「冗談やめてよ。こういうのはもっとふさわしい奴がやるべきなのよ」

烏5「誰でもいいから早くしなさいよー」

烏6「ねね、あなた行けばいいんじゃない? バッチリ写真に収めて、今度の新聞に飾ってあげるわよ?」

烏7「何言ってんのよ。写真撮って記事にするのが私の仕事でしょ?」

烏7「火の中に飛び込むのは、私以外の誰かがやればいいのよ」


聖「……」


烏8「! こ、こっち来てるわよ!!」

烏9「ま、マズい! 早く逃げないと!」

烏11「逃げるってどこに―――あたっ! ちょっと、動けないじゃない! そこどきなさいよ!」

烏12「あなたたち奥に行きなさいよ! 向こうは空いてるわよ!」

烏13「ちょっと! 押さないでって言ってるでしょ!?」


聖「どうしました? 何か御用でしょうか?」


烏14「ほら話しかけて来た! 返事しなさいよ!」

烏15「私じゃないわよ、あなたに言ったのよ!」

烏16「もーいいから早く誰か人身御供になってよ!」

烏17「あーー! 早くしないとキレるわよー!誰か早くッ!」


聖「あのー……申し訳ありませんけど、そちらに固まっていると誰も通れませんので……」

聖「お手数ですが、本殿の方までいらして頂いてよろしいでしょうか?」


しばらくして烏天狗たちは静かになり、聖の後ろに付いて行った
本殿に辿り着くと、先ほどとは打って変わって誰も口を開かず押し黙ったままになった


一輪「……」

村紗「……」

ナズ「……」

響子「……?」ジー

ぬえ「ふわぁ……あふ……私もう寝るから。あとよろしく」

バサッ… バサッ…

聖「う~ん、そろそろご用件をお聞かせ願いたいのですけれど……」

烏一同「……」

聖「もしかして、言い出しにくいことなのでしょうか?」

烏一同「……」


聖「ふむ、そうなると――――!!」

聖「あっ、分かりました!」

聖「なるほどなるほど~」ニコニコ

ナズ「?」チラッ

聖「そういう事ならそうと言って頂ければ良いのに。何も怒ったりはしませんよ?」

烏一同「??」

聖「つまりあなた方も仏道に帰依したいと、そういうことなのですね?」


ザワッ…!


聖「何と喜ばしいことでしょう……」

聖「仏の下を去って久しいあなたたちも、遂に心の毒気を洗い落とし、今ここに舞い戻って来たのですね?」

烏18「いえ! 違っ」


ザワ…


  ザワザワ…


ナズ「……?」チラッ

聖「それならば大歓迎!……と言いたいところなのですが、残念ながら現在命蓮寺は入門者に制限を設けているのです」

烏19「ちょっと……ヤバイわよ!」

烏20「は、早く! 早く取り消してっ!!」


聖「増してこれだけ大勢の入門ともなると、そもそも寺の敷地が足りません」

烏21「あ、あの―――」

烏22「違うっ! 違うんです……!」ササッ

聖「まことに心苦しいことではありますが、当面は定期的に寺に参拝して頂くという形に―――」

烏1「お……お聞きください!!」

聖「え?」

烏1「えっとですね、私たちが参りましたのはその事ではありませんで……」

聖「違うのですか?」


ザワザワザワ…


烏23「今のき……聞かれてないわよね!?」

烏24「違うんです! ほ、本当ですからっ!!」

烏25「何とぞ……何とぞお許しを……!!」ググッ

村紗「??」

烏1「は、はい……今日伺いましたのは別の用件でして」

聖「そうですか、それは残念……それで用件というのは?」

烏1「コホン……いや、その……覚えておいでとは思いますが、私たちは以前、少々よろしくない号外新聞を発行致しました」

一輪「喧嘩売ってんの? よろしくないどころじゃないわよ」

聖「一輪、静かになさい……そうでしたね、それで?」


烏1「はい。あの後、私共もあのような不適切な号外を発行しましたことを、大変申し訳なく思いまして」

烏1「今回の件を心から反省した結果、この度私共で謝罪に伺おうと、このようにまとまった次第なのです」

聖「はぁ」

村紗「…………」

烏1「……しかしながら、あのような号外を発行してしまった以上、もはや謝罪一つで収められる話でないことも重々承知しております」

烏1「付きましては、私共の真摯なる誠意をお見せするべく、一つの催しの席を設けることに致しました」

一輪「……?」チラッ

烏1「聖様、今宵は我らの拠点にお出でくださいませ。大広間を整えて、宴会が出来るよう準備致しました」

一輪「!」


烏1「聖様にご満足頂ければ、我ら烏天狗一同、望外の喜びにございます」

聖「何と、それはありがたいことです」

烏1「はっ! どうかお連れ様もご一緒に、お出で頂けないでしょうか?」

聖「ふぅむ、しかし今日の夜というのはあまりにも急な話ですね」

烏1「もちろん宴会の日取りは、聖様のご都合のよろしいよう変更させて頂きます」

烏1「それではご指定の日に再度準備をしたく存じますが……いかがでしょうか?」

一輪「……」チラッ

聖「ふーむ……」


チルノ「ねえねえ、何の話してんの??」

星「多分ですけど、美味しいものを食べさせてくれるらしいですよ?」

チルノ「!」

星「チルノは行ってみたいですか?」

チルノ「行く行く! 私も行くぞー!」

星「……聖、よろしいのではありませんか?」

星「突然ではありますけど、折角用意して頂いたことですし、ここは一つご厚意に甘えてみても良いのでは?」

聖「ふむ、そうですね」

一輪「!」ピクッ


聖「私の不在の間、あなたたちには苦労をかけました」

聖「この数日間の疲れを癒し英気を養うためにも、お呼ばれしてみるも良いかも知れませんね」

一輪「さっすが聖様! 話がお分かりになるわ!」

烏1「では……!」

聖「はい。少しばかりお世話になりますが、よろしいでしょうか?」

烏1「もちろんでございます! どうぞどうぞ!」

ナズ「しかし聖様、外には……」

聖「分かっています」


聖「全員、私から離れないようお気を付けなさい。移動中は決して一人で動かぬよう注意するように」

一輪・村紗「はっ!」

小傘「はーい」

響子「分かりましたー」

聖「星、くれぐれもチルノを離したりしないように」

星「はい、心得ております」

一輪「それで聖様……今日は禁酒の方は……」

聖「あ、そうですね。では今日は解禁としましょう!」ニコッ

一輪「やったッ!!」グッ

チルノ「うっまいもん~うっまいもん~♪ くーわっせろ~!」


叩き起こされたぬえを加えて、命蓮寺は山に向かった
その古株たちは当然天狗たちの本当の意図は分かっていたが、それを口に出すほど無粋ではなかった


宴会場に到着すると、すぐさま一行には酒と馳走と音楽が振舞われる
酒を飲んで良い気分になった一輪が管を巻き始めたので、小傘とぬえは逃げるように別の部屋に移っていった
響子だけは一輪の酔い癖にも慣れてきたらしく、甲斐甲斐しく一輪に相槌を打っていた

宴もたけなわになり始めたところで、予想通り何人かの天狗が聖に近付いていく


烏2「……時に、ちょっと気になったことがあるのですけど」

聖「はい、何でしょう」

烏2「聞くところによりますと、聖様は先日、伊吹萃香とお戦いになったとか」

聖「はい、そうですね」

烏3「では萃香は……どうなりましたか?」

聖「逃げましたよ」


ザワッ…


烏4「……で、では聖様は、遂に鬼退治を実現なされたということなのでしょうか?」

聖「いいえ」

烏4「えっ??……しかし鬼は負けを認めない限り、自ら逃げることは有り得ないと思われますが……?」

聖「ん?」


星「これは美味しいですね。こんなものは食べたことがありません」ヒョイ

星「!……これもなかなか……おお、これもこれも……!」

ナズ「ちょっと食べ過ぎなんじゃないかい? 最近は聖様と同じぐらい食べているじゃないか」

星「最近急に何でも美味しく感じるようになりましてね」

星「どうしたものでしょう。自分でもよく理由が分からないのです」

ナズ「そういやそんな噂を里で聞いたね。妊娠すると味覚が変わるとか何とか」


烏5「……萃香が本当に逃げたのであれば、それはもう鬼に勝利したことと同じではありませんか?」

聖「私は鬼を打ち負かしてなどいませんよ?……あ、なるほど」

烏5「?」

聖「あなたたちの言う鬼とは、伊吹萃香のことを言っているのでしょうか?」

烏5「そうですそうです!」コクコク

聖「あれは鬼ではありませんでしたよ」

烏5「!?」

烏6「萃香が鬼ではない……??」

聖「はい。いざ戦ってみれば、あれは少女の姿をしていただけの妖怪でした」

烏6「そ、そんなことは……!」


聖「彼女が鬼であったならば恐怖の感情は欠落していたはずです」

聖「しかしあれは私の姿を見て明らかに恐怖していました。ならば彼女は鬼ではない」

烏7「あれは!……コホン、萃香は間違いなく鬼ではありませんか」

聖「いいえ、伊吹萃香は鬼ではありません」

聖「自分も周りの者も鬼だと思っていた。ただそれだけのことです」

烏7「し、しかし……事実彼女はこの山に数百年間も君臨していたのですよ?」

烏7「私たちは昔からその姿を見ていました!」

聖「それはたまたまでしょう」

聖「きっと生まれつき強い力を持っていたから、鬼だと思われたのですね」


烏8「今までどんな妖怪も、萃香だけには絶対に敵わなかったのですよ?」

烏8「それほどの強さ、鬼でもなければ到底説明が付かないのでは??」

聖「たまたま一番強い力を持っていたのでしょうね」

烏8「で、ですが地底でも頂点に立つ者しか持てないとされる、超一等酒を生み出す宝を所持していて……」

聖「たまたまどこかで拾ったのでしょう」

烏8「角が」

聖「たまたまです」


一輪「村紗が追い込まれ絶体絶命の窮地! その時仲間を守らんと立ちはだかったのが」

響子「はいはい、そうですね……お注ぎしましょう」

コポコポ…

一輪「ん、悪いわね」

一輪「それで……そうそう! そこで現れた奴が、今までの妖怪とは桁違いの使い手だったのよ!」

響子「なるほどー」

村紗「……」クイッ


烏一同「…………」

聖「二人に気を取られたとはいえ、あそこで萃香を取り逃がしてしまったのは失敗でした」

聖「私はあの者をきちんと法界に封印して、今までの悪事を反省させなければいけなかったのです」

烏9「ほ、法界にですか!?」

聖「はい。法界というのは自らを省みるには大変良い所なのです。何しろ自分以外のものは何もありませんからね」

聖「あれぐらいの力があれば、よほどの悪人でもない限り、中に入って命を落とすようなことはないでしょう」

烏9「は、はぁ」

聖「もし見つかることがあれば、今度こそきっちり封印するつもりです」

聖「ですので、あなたたちにも彼女の身柄を確保することにご協力をお願いしたい」

烏9「!?」


ザワザワ…


烏9「それは……さすがにちょっと無理かと……」

聖「どうしてですか?」

烏9「あの萃香を取り押さえるなど、我らにはとても……」

聖「大丈夫です。かなり痛めつけて角も一本へし折っておきました」

聖「あれだけ手傷を受ければ、もう今までのような力は出せないでしょう」

聖「きっとあなたたちでも簡単に捕まえられると思いますよ?」


そんな無茶苦茶な……

その場にいる天狗全員が同じことを思ったが、それを口に出せる者はいなかった


聖「そもそも、あれが自分を鬼だと思ってしまったのは、萃香一人だけの責任ではないのですよ?」

聖「あなたたち山の妖怪が鬼だの四天王だのと散々持ち上げたりするから、本人も変な気を起こしてしまったのです」

聖「あなたは鬼ではないとしっかり教えてあげて、これからは世のため人のため清く正しく生きていくよう躾けなければいけません」

烏一同「…………」


チルノ「食らえー! フローズンくすぐりー!」コチョコチョコチョ

烏1「あっはっはっはっは! お、おやめください!チルノさん!」

一輪「ふぅ、ちょっと夜風に当たってくるわね」スクッ

響子「行ってらっしゃいませ」


――パタン


一輪「……」


一輪「さぁてと……ここらへんで」


一輪が座を抜けたのは夜風に当たるためだけではなかった
先ほどからいかがわしい気を飛ばして挑発する相手を、叩きのめしてやりたいと思ったからだ



一輪「……遂に出てきたわね!」



?「……」


一輪「こんな所にまでチョロチョロと動き回って!」

一輪「今度こそ逃がしはしないわよ!」ダダッ


?「……」ニヤッ


バカッ…!


一輪「……!」


それが見えた時、ようやく一輪は気が付いた

自分は敵の罠にまんまとかかってしまったのだ
レミリアが雑魚と呼んだのは、持てる力量を指していたのではない
このような相手と対峙するには、自分はあまりにも未熟すぎたのだ


ナズ「聖様……一輪の姿が見えません」

聖「……」ピクッ

ナズ「誰も一輪の行方を知らないようですし、今どこかへ行く用事があるとも思えません」

聖「……」

ナズ「……何か異常です。ここは警戒した方がよろしいかと」

聖「そのようですね。彼女は私が探しておきましょう」

聖「他の者たちには、ひと塊になって寝るように申し付けておきなさい」スッ

ナズ「承知しました」

聖「……私がここに戻るまでは、くれぐれも軽率な行動は慎むように」

ナズ「はっ!」


二人の後に異常を察知したのは村紗であった
いつまで経っても戻らない一輪の身を案じたのである


村紗「ナズーリン……一輪はどこに??」

ナズ「それは今聖様がお探しになっているところだ」

村紗「……やはり妙ですね」

ナズ「うん、何かがおかしい……もしかしたら、この間のヤツが動いてるのかも知れない」

村紗「それで、聖は何と?」

ナズ「みんなで一つの場所に集まっておけってさ」

ナズ「自分が戻ってくるまでは、勝手に動き回るなって言ってたよ」

村紗「ふむ……」


ナズ「私はぬえと小傘を呼んでくる。ご主人のことは任せたよ」

村紗「承知しました」


村紗は危機が迫っている可能性を星と響子に告げ、この場に留まっているよう促す


響子「何があったんですか??」

村紗「今はまだ分かりません」

村紗「ただ、これは先日の不審な輩が動いてるかも知れないとのことです」

チルノ「食らえー! ブリザード体当たり!」

ドコッ!

烏1「ごふ! お、お戯れを!」


星「……チルノ、こっちへ来なさい」

チルノ「?……はーい」タタッ

村紗「聞きなさい! 烏たち!」

烏1「はえ?」

烏2「ん?」

烏3「?」

村紗「今からあなたたちに護衛の任を与えます。全ての者をここへ―――」


響子「……」ガバッ!


星「えっ??」


村紗「響子!? 何をしているのですか!」

響子「……」ダダッ


突然響子は星に覆いかぶさり、懐に包んであった宝塔を奪い取る
そして間髪入れず部屋から飛び出していった


村紗「響子! 待ちなさい!」

村紗「く……星!ここにいてください! 響子を連れ戻します!」ダダッ

星「分かりました」コクッ

烏4「え? 何事??」


村紗は慌てて響子の後を追うものの、その姿はもうどこにもなかった
ここで戻るべきか、それとも響子を探すべきか
村紗はその選択に悩まされていた


村紗「響子、一体何を考えて……」


?「……」スッ


村紗「!……今のは……一輪??」


?「……」スッ


村紗「!?」

村紗「お待ちください、聖! 今―――」ダダッ


聖の後ろ姿が見えたことで、村紗は判断を誤った
我を忘れて走り出し、角を曲がった時にはもう手遅れだった


バカッ…!


村紗「!!」


目の前の空間が裂け、そこには果てしない暗黒が待ち受けていた
不覚、と思う暇もなかった


ヌゥッ…


ガシッ!!


村紗「ぐっ!?」


暗黒から伸びてきた青白い腕に捕まり、村紗はそのまま闇に引きずり込まれて行った


ぬえ「わははは~! 矢でも鉄砲でも持ってこ~い!」

ナズ「おい、しっかりしろ! 酔っ払ってられる状況じゃないんだぞ!」

小傘「えー? どんな状況~?? 分かんな~い」フラフラ

ナズ「こんな浴びるほど飲んで……とにかく集まってくれ! 今大変なんだ!」

小傘「だぁいじょうぶー! だってここに傘があるもん!」バッ

ぬえ「おおー! これはいい屋根だ!」ノソノソ

ナズ「ワケの分からないことを言ってないで、早く立ってくれ!」


ナズーリンはこの部屋にある違和感について考える余裕がなかった
起きているのはこの二人だけで、他の烏天狗たちは皆倒れている
天狗が酒に弱いという話は聞いたことがない


ぬえ「」

ナズ「起きろぬえ! 起きろってば!」

小傘「あららー?……じゃあ私も寝よっと!」コテン

ナズ「寝たらダメなんだってば! ああもう……」


ガラッ…


ナズ「!……誰だ!」

聖?「驚かせてしまってすみません」

ナズ「ひ、聖様? 一輪は見つかったのですか?」


聖?「いえ、今はそれよりも恐ろしいことが起きています」

聖?「すぐにでも来て欲しい所があります。ナズーリン、こちらへ」

ナズ「?……しかし、この二人は?」

聖?「心苦しいことではありますが、今は時間がありません」

聖?「さあ、早くこちらへ!」グイッ

ナズ「いたっ!……ちょ、ちょっと待って!」

聖?「何をグズグズしているのですか! 早くなさい!」グイグイ

ナズ「……お前、聖様じゃないな!? 誰だっ!!」

聖?「口答えなど許しませんよ! あなたは黙って付いて来れば良いのです!」

ナズ「は、離せっ! こいつッ!!」



―――カッ!

ドカァァァン!!


聖?「ギエエエエエエエッッ!!」

ナズ「……!」

聖??「怪我はありませんか? ナズーリン」

ナズ「あれ?? 今のは……?」

聖??「不覚を取りました。あと一歩の所で逃げられてしまいました」

ナズ「……」


聖??「どうやら敵は、私の姿を借りてあなたたちを欺いているようです」

聖??「おそらくここに足止めするのが狙いなのでしょう」

ナズ「……一体、何が起きているのですか?」

聖??「急がなければ、間に合わなくなってしまう……」

聖??「ナズーリン、あなたの探知能力が今すぐ必要なのです」

ナズ「……?」

聖??「宝塔が……奪われたのです!」

ナズ「な、何だって!?」

聖??「盗人は私たちの手の届かない所へ逃げおおせるつもりのようです」


聖??「……ですが、今ならばまだ間に合う!」

ナズ「!」

聖??「私は一刻も早く、宝塔を取り返さなければなりません」

聖??「ナズーリン、すぐにでも動けますか?」

ナズ「はっ! ただ今!」ササッ

聖??「お願いします」




聖??「……」ニヤリ



烏1「……」

烏2「コホン……」

烏3「お三方とも、お戻りになりませんね」

星「…………」

チルノ「……」

チルノ「……!」カクッ

チルノ「んん……」

星「もう眠くなってきましたか?」

チルノ「……」コクッ

烏4「もうこんな夜更けです。ひとまず我らが布団を用意致しましょう」


星「……お願いします」

烏1「明日になれば、お仲間の方々もお戻りになるでしょう」

烏2「それまではゆっくりお休みください」

星「……はあ」

烏3「では布団を取って参ります。少々お待ちを」


ガラッ…

パタン


星「チルノ、こちらへ来なさい」

チルノ「……」ススッ


星「よいしょ……ふう」ゴロッ

星「いいですか? 今晩は何があっても、私から離れてはなりませんよ?」

チルノ「スー……スー……」

星「……」

星「寒い……布団はまだかしら……?」



ぬえ「…………あれ?」

小傘「」

ぬえ「何だ、いつの間にか寝ちゃってたな……おい起きろ」グイ

小傘「……んん?」

ぬえ「こんな所で寝るな。みんなの所に戻るわよ?」

小傘「……眠いよー」

ぬえ「そりゃ眠いでしょう。いいから早く……ん?」チラッ


烏5「……」

烏6「……」

烏7「……」

烏8「……」


ぬえ「お、いいところにいた! ちょっとあんたたち、こいつを持ち上げてよ」

烏5「……」スッ


ガシッ!


ぬえ「へ??」



ズダンッ!


ぬえ「ぐ!?」

ぬえ「な、何をする! 離せっ!」

烏5「……」ググッ

烏6「……」ギリギリ…

ぬえ「く、くそおっ! おい小傘! 小傘っ!!」

小傘「」


ぬえ「おい起きろッ!……忿怒のレッドUFO!!」


ズガガガガッッ!!


烏5「」ドカッ!

烏6「」ガンッ!

小傘「あだっ!?」ドサッ!

ぬえ「さっさと起きろ! このアホ!」

小傘「え? 何??」キョロキョロ


烏7「……」スッ

烏8「……」ズイッ

小傘「わっ! な、何事!?」

ぬえ「そいつに触るな! 恐怖の虹色UFO!!」バッ


ズガガガガッッ!!


烏7「」ドカッ!

烏8「」ドカッ!


小傘「……!」


烏5「……」グッ

烏6「……」ガシッ

ぬえ「!」

ギリギリギリッ…

ぬえ「ぐ……! またかっ!」


小傘「ぬえっ!」


烏7「……」ユラッ

烏8「……」スッ


小傘「ひっ……ま、また来る!」


烏9「……」スッ

烏10「……」ヌゥッ

烏11「……」サッ


ぬえ「次から次へと……これじゃキリがない!」


小傘「か、からかさ後光!!」サッ


ズドドドドッ!!


烏9「……」ドカッ!

烏10「……」ドカッ!

烏11「……」ドカッ!


烏12「……」ズイッ

烏13「……」ヌゥッ

烏14「……」スゥッ


小傘「!……どんどん数が……」

ぬえ「これは……ヤバイかもね……」


烏15「……」サッ

烏16「……」スッ

烏17「……」ササッ


小傘「に、逃げられない! どうしよう……!」

ぬえ「チッ……走れ!小傘!」

小傘「え? え??」

ぬえ「早く誰かが行かないと! 多分あっちの方はもっとマズイことになってるわ!」

小傘「う、うん!」タタッ

ぬえ「そのまま行け! 道は私が作る!」ササッ

小傘「……!」タタッ

ぬえ「行くぞカラスども! 弾幕キメラッ!!」


―――カッ!!



ドゴゴゴォォォン……


小傘が一心不乱に駆け出し目を閉じた瞬間、後方でぬえの魔法が炸裂した
近くにいたカラス天狗たちは吹っ飛び、その包囲網を脱出することができた


小傘「……ぬえ??」チラッ


烏9「……」

烏12「……」

烏14「……」

ぬえ「ぐぐっ……」

ギリギリギリ…


小傘「ぬえ!!」


ぬえ「……モタモタしてないで行きなさい!」


小傘「で、でも」


ぬえ「いいから行けっての!」


小傘「!」コクッ

小傘「後で、必ず助けに来るから!」タタッ



チルノ「……」ピクッ


ザァァ…

ザザァァ…


チルノ「……?」


こっちよ……

こっちへおいでなさい……



チルノ「…………」


ザザァァ…


チルノ「……」スッ


そうよ……

ここにあるわ……


あなたの目指す場所が……



チルノ「……」フラフラ


そう……

早くおいでなさい……


波の音に向かって……


チルノ「あ……」

チルノ「あ……ああ…………」


そうよ……そのまままっすぐ……



ザザァァ…

ザザァァ…


チルノ「……」


いい子ね……

そのまま……




―――ガシッ!


チルノ「はっ!?」


霍青娥「……捕まえた♪」



――


――――


―――――――


最初に作り上げた下僕の素体はカエルだった
しかし製作に喜んだのも束の間、ほんの数秒で魔力が暴走し、その子はカエルとは思えない断末魔の叫び声を上げて事切れた

次に作ったのはもう少し長持ちした
ただ昆虫を食べることがなくなり、代わりに動物の死骸をむさぼるようになったのは面白い発見であった

しかしそのカエルもすぐに動かなくなる
常に腹ばいで移動するので、腹が破れ、そこから後ろ足ごと体が千切れてしまったのだ
そうなると一瞬で魔力が蒸発し、やはり呆気なく事切れた


その後何度も同じような下僕を作るものの、やはり肉体が破損すると同時に第二の死を迎えてしまう
せっかく苦労して作っても、その命はほんの一瞬しか持続できないのだ
とはいえ、やはり一度死んでしまったものは肉体の劣化は避けがたい
どうにかして長持ちさせる方法はないものか


青娥「…………あっ」


私は思い至った
それならば、体がバラバラになってもすぐに作り直せるようにすればいいのだ
一度作ったものを、またぞろ最初から一々手順を踏んでいくなど馬鹿げている


私の思惑は的中した
しかしそれもすぐに限界がくる

壊れた体を繋ぎ合わせて再度復活させることは、確かに成功した
ただし、その子も長時間経つとやがて身動きしなくなり、やがてロウソクの炎が消えるように静かに事切れてしまうのだ


青娥「何で……?」


何度も実験を重ねてようやく気が付いた
今まで作ってきた下僕たちには一番重要なものが欠けていた
それがなくとも曲がりなりにも動いていたのは、脳に残された生前の記憶が魔力によって刺激されていたからだ


一度思い立つと後は体が勝手に動いた
成功と失敗を何度も繰り返し、やがて素体もより高度なものになっていく

鶏、犬、牛
次々に下僕を生み出し、成果を確かめてはすぐに廃棄した
動く死体を技量の向上に使える分、私は他の仙人たちに優れていた

しかしその野望の途上で、あってはならないことが起こる


青娥「ふぅ……ふぅ……道のりはまだまだ遠いわね」

青娥「もう少しなんだけど……」


ガサッ…


青娥「ん? 今のは?」

青娥「リス……?」

青娥「いやもっと大きい……イタチ?? こんな辺鄙な所に」グッ


――――フラッ


青娥「あっ―――」


秘薬を求め険しい山道を進む途中で、私は足を滑らせた




――――ドゴッ!!



青娥「げぶっ……!」

ドッ…

ゴスッ…



何度も山肌に叩きつけられ、私は動けなくなった


青娥「…………」

ドロッ…


確かめなくても分かる
腹が割け、中の臓物が破れたのだ
その重い血液が、私に終焉を自覚させた
そのまま意識は深く沈んでいった


青娥「う…………」


しかしそこで異変が起こる


青娥「あ、あれ……?」

青娥「血が……傷は?」スリスリ


目が覚めたのは日も沈んだ頃だった
裂けたはずの腹は元通りになっていて、痛みも感じなかったのだ
服が破けていたので、崖から転落していたことは疑いようが無い


青娥「……!」


この瞬間、自分に信じがたい成功があったことを知る
何かの保険にと施しておいた術式が発動したのだ
元々期待などしていなかった大変困難な術式であっただけに、その成功は私に一つのことを確信させた


青娥「そ、そうか……」

青娥「フフ……私には……!」


私には偉大な仙人となる素質を秘めている
この事故はそれを知らせるための天啓だったのだ

もはや死者の蘇生などと縮こまったことを考えるのは止めだ
いくつもの奇跡の御技を持つ仙人たちの頂点に、私は立つのだ


青娥「まずは……」


私は自分の偽物を用意して、鬱陶しい血族とのしがらみを断ち切る
そこから仙術を極めるために必要な環境を整えた

しかし問題はまだある
それは年数だ
はるか昔に生まれてきた仙人たちの積み上げてきた時間だけは、私とて越えることができない
仙術の神となるべき自分を差し置いて、ただ長く生きてきただけのボンクラどもが幅を利かせているのだ


青娥「…………」


とはいえ、このまま同じ条件で修行を積んだとしても、巻き返しを狙うのは難しい
自分が仙人として熟達すれば、先達たちはさらにその先へ行っているからだ
その差を縮めることはできるであろうが、私が彼らを追い越すには大変な年月が必要となる
そんなまだるっこしいことはしていられない


そこで私は妙案に辿り着く
仙術を極めるに最も相応しい場所へと赴くのだ

そこでは、もはやこちらでは廃れてしまった魔術の全てが息づいている
どのような不可能と思われる術式も再現できる、まさに魔法の本場なのだ
仙人もわずかながらいると噂で聞いたことがある

問題はどうやってそこへ行くかだ
向こうでも権威を振るえるとうそぶく仙人は多い
しかし、実際にそこへ行ってきたという者は聞かない

そこに入るための術式はないわけではない
ただ、そのために必要となるエネルギーがあまりにも膨大なのである
それはあの世で修行を積む以外には確保は叶わないと言い切れるほどの、法外なものであった
そのようなエネルギーを持つ者は、過去のいかなる仙人の中にもいない


……そこで私は一人の少女に目を付ける


豊聡耳神子「仏教?」

青娥「そうです。国家を統べるごく一部の者だけが道術を振るい、下々の者たちには仏教を広めるのです」

青娥「道術を全ての者たちが扱えるようになれば、そこで待つのは果てしなく続く戦乱と破壊のみ」

青娥「このような絶大なる力を下々に持たせてはなりません」

青娥「ですが彼らとて信仰は必要でしょう。愚かしい私心を制御する法が無ければなりませんからね」

神子「……」

青娥「そこでこの仏教というものが役に立ってくるのです」


青娥「太子様におかれては既にご存知の通りでしょうが、仏教では仏なるものによって世界の全てが救われるなどと説いております」

青娥「何とも根拠の無い滑稽な教えではありますが、下々の者たちを丸め込むには充分でしょう」

青娥「何しろ、面倒なことは全てその仏とやらがやってくれるのですから、彼らにとっても都合が良いのです」

青娥「この耳触りの良い論法に、彼らも簡単に傾いてくれるでしょう」

神子「……なるほど」

神子「相分かった。あの二人にもその方針を伝えておこう」

青娥「ありがたき幸せ……」


神子は持てる力は絶大であるが、まるで道理というものを知らない
それだけに大変都合が良かった
私の口車にもよく乗ってくれた


だが本当は何も知らない
一度国中に仏教が蔓延してしまえば、神子のような小娘は二度と国主になど成れないのだ

神子さえ欺くことができれば、あとの側近二人は目くらも同然
彼女たちは後年目覚めた時に気付くだろう
しかしその時にはもはや手遅れである
それでも神子はその力を振るえる場所を求めるだろう

一切の制約の無い魔法の聖地『幻想郷』を……



――――――――


――――


――


ヒュゥゥ…


星「……」ブルッ

星「…………チルノ??」

星「チルノ!?」ガバッ


寒さに耐え切れず目を覚ますと、もうそこにチルノはいなかった
いつも自分の側から離れなかったチルノが、こんな状況で一人で出歩いていくとは考えにくい
つまり、チルノはどこかへ連れ去られてしまった可能性が高い


星「さ、探さないと……!」


星「チルノ!どこですか! チルノ!」

ガラッ…

星「く……ここにもいない!」

星「一体どこへ……」


烏1「…………」


星「!?」サッ


烏1「……」

星「な、何だ、びっくりしました……」

烏1「……」

星「……ところであなた、チルノを見かけませんでしたか?」

星「私たちと一緒にいた妖精なのですが……」

烏1「……」スッ


ガシッ!


星「!?」


烏1「……」グググ…

星「く……な、何を……」

烏1「……」

星「は、離して……離せッ!!」ブンッ


ドサッ!


烏1「」


星「はぁ、はぁ、はぁ……」

星「あ、あの子が危ない……! 早く探さないと!」


青娥「何かお探しかしら?」


星「!?」バッ

青娥「ご機嫌よう、妖怪虎さん。今宵はいい事が起こりそうよ?」ニヤリ

星「……!! チルノ!」

青娥「あらあら、この子を探していたのかしら?」

チルノ「う……うう……」


星「か、返せッ!!」

青娥「あら、それはダメよぉ。この子は返してあげないわ」

青娥「だってこの子は、大事な人質なんですもの♪」

星「ぐっ……!」

青娥「さあさ、どうするのかしら~?」

青娥「早く取り返さないと、この子の心が壊れちゃうわよ~??」スッ

キィィィン…

チルノ「う……うあああ……!!」


星「チルノッ! や、やめろッ……!!」ダダッ


スカッ…


青娥「だ~め、返してあげないわ」ニヤニヤ

星「く……」

青娥「取り返したいなら、魔法でも使ってみればいいんじゃないかしらぁ?」

青娥「ああそうだったわね。使えないんだったわ。”今のあなたには”」

星「くっ……あ……」

青娥「あ??」


星「アブソリュートジャスティスッ!!」サッ


ゴゴゥッッ…!


青娥「……思った通りね」サッ


バシュゥゥ…


星「……!」

青娥「さあもう分かったでしょう?」

青娥「勘のいいあなたなら、次は何をすればいいか分かるんじゃないかしら~?」


星「…………」

青娥「あらあらあら、どうしたのかしら?」

青娥「早くしないと、この子が大変よ~??」

キィィィン…!

チルノ「あ…………ああああッッ!!」

星「や、やめろぉッッ!!」

青娥「……あら可哀想ね、この子ったら」

青娥「何て事なのかしら。生まれたばかりで――――」


星「アブソリュートジャスティスッッ!!」


ゴゴゴゥゥッ…!!


青娥「……!」ササッ


ドゴォォン!


青娥「…………」

星「言うんじゃないッ!」

星「これ以上その汚い口を開けるなッ!!」

青娥「……あなたたち、そいつを押さえなさい」


ガシッ! ガシガシッ!


星「!?」


ズン…!


星「ぐ……く!」

烏1「……」

烏2「……」

烏3「……」

星「き、貴様……! よくも……!」

星「よくもこんなことを!!」ギリッ

青娥「嫌ぁね、そんなにカリカリしちゃって」

青娥「私はただ、あるものが欲しいだけなのよ?」

星「何だと……!」


青娥「じっとしてればすぐにでも終わるわよ?」ズイッ

星「……!?」

青娥「私が欲しいのはね……そう、あなたのお腹の中にあるのよ」

星「!!」

青娥「あなたが抱えてるその妙薬を口にすれば、一体どれほどの力が手に入るのかしら……?」スッ

星「や、やめろッッ!!」

星「貴様なぞに渡してなるものかッ!!」

青娥「ふふっ……これでもうあの目障りな賢―――」


小傘「からかさ驚きフラッシュ!!」


バシュバシュバシュバシュッッ!!!


青娥「!」サッ


ドゴゴォォン!!


小傘「観念しなさい! この悪行妖怪め!」

青娥「……あら、あの数のカラスを突破するとは大したものね」

星「小傘……!」

小傘「今すぐ二人を放してここから出て行け!」


青娥「あなたは自分の状況が分かってないわね……」

青娥「今、この二人をどうするかは私次第なのよ?」

烏1「……」ググッ

ギリギリッ…

星「ぐ……が、ああっ!!」

小傘「星……!」

小傘「やめろ! この卑怯者め!」ササッ

青娥「あら? それ以上暴れると、この二人に当たっちゃうわよぉ?」

小傘「ぐうっ……」


青娥「ではあなたは眠っててもらおうかしら」スッ

星「撃ちなさい!小傘!」

小傘「えっ??」

星「私ごとカラスをふっ飛ばしなさい! 早く!!」

青娥「!……ヤンシャオ―――」

小傘「パラソルスターメモリーズ!!」


ゴォォォォッッ…!!

ズドドォォォン!!


烏1「」ドサッ

烏2「」バタッ

烏3「」ドサッ

星「……」


小傘「!?」


青娥「!!……やはりそうか!」

青娥「フフフ……本当にあったのね!」ニヤッ


小傘には信じられないことが起きた
星とカラスめがけて撃ち込んだはずの魔法が、星には当たらずカラスのみを蹴散らしたのだ
まるで魔法が星の体を通り抜けて行ったように見えた


青娥「そう、今のあなたにはいかなる魔法も結界の力も通用しない」

小傘「星……?」

青娥「寅丸星、もうあなたなら気が付いているわよね?」

青娥「『魔断の流脈』……まさに私が追い求めていたものよ!」

星「……」

青娥「でもその力はあなたによるものではないわ」

青娥「あなたの胎にいるもの……それが力の源ね」

小傘「……!」


青娥「さあそれを私に寄越しなさい。それを食して、私はこの幻想郷の頂点に立つのよ」

小傘「!? お前、星の赤ちゃんをどうする気よ!」

星「……小傘!」

小傘「星!早く逃げて!」

星「討ち取りますよ! この邪仙を!」

小傘「……!」


その言葉は小傘には予想外のものであった
発せられた星の言葉は、今の小傘が得るはずのないものだったからだ


小傘「承知ッ!!」サッ

青娥「あら、いいのかしら? まだこっちにはか弱い人質がいるのよ?」グッ

チルノ「う……う……ううっ!」

小傘「チルノ!」

星「起きなさいチルノ!」

星「私がここにいる! 早くこっちに来なさい!」

チルノ「うう……うう……!」

星「立ちなさい! 自分の力で立ち上がるのです! チルノ!」

青娥「あらあらあら、そんなこと言ったら……」


チルノ「う……あ、あああっ!!」サッ

星「く…………」

青娥「ほうらご覧なさい。余計に縮こまっちゃったわね~」

小傘「チルノ……」

青娥「あまり時間もかけていられないし、もうそろそろ―――」

星「至宝の独鈷杵ッ!!」

青娥「!」サッ


ドドォォン…!!


青娥「……いきなり撃ったら危ないじゃない。この子に当たってもいいのかしら?」

星「思い上がるな!邪仙!」

星「貴様が生き残る道はただ一つ! チルノを置いてとっとと帰ることだけだ!」

青娥「ふうん……」

星「小傘!」

小傘「は、はいっ!」

星「この魔法に上乗せしなさい! 私が邪仙を狙います!」サッ

ヴゥン…

小傘「了解!」サッ


星「焦土曼荼羅ッ!!」

小傘「オーバー・ザ・レインボー!!」


ドドドドドッッッッ!!


青娥「何ッ!?」



青娥「……なあんてね♪」サッ


ドガァァァン!!


星「……!」

小傘「あ、あいつは……どこへ!?」



―――ズゴンッ!!


星「ぎっ!?」ドサッ…


小傘「!?」


突如こめかみに強い衝撃が走り、星はそのまま地面になぎ倒された

小傘には邪仙が何をしていたのかハッキリ見えていた
しかしその不気味な攻撃には理解が及ばなかった


小傘「え…………??」

青娥「あらやだ、取れちゃったわね」シュゥゥ…


青娥「こう脆いとやりにくくて仕方ないわ」シュゥゥ…

星「か……かはっ……」


青娥の左手は打撃の負荷に耐え切れず千切れてしまったのだ
しかしその左手は煙を上げながら瞬く間に再生していた


星「く……このっ……!」バッ


―――ゴガンッ!!


星「がっ……!!」ドザァ…

青娥「あら……また折れちゃったわ」


青娥「やっぱり力任せじゃダメね」スッ

小傘「……!」


青娥が取り出したのは刀身の太い肉切りナイフであった
それが何のために使われるのか、もはや考えるまでもない


小傘「やめろっ!!」

青娥「……」チラッ

小傘「お、お前! 星から離れろッ!!」

青娥「嫌ねえ……あなた程度の力で、サシの勝負ができると思っているのかしら?」スッ…


小傘「!……あ、雨夜の―――」

青娥「……グーフンイエグイ」


ズドドドォォッッ!!


小傘「ぐわぁあああッッ!?」

ドカッ…!

小傘「ぐ……う……」ドサッ…


青娥「さあて、手早く済ませてしまいましょう」

星「……!」ササッ


星は咄嗟に背中を丸めて子を守ろうとする
追い詰められた今の状況では、もう自分の体を守っている余裕はなかった


青娥「そんなことしたって……」ブンッ

ドスッ!

星「がっ…………!!」

チルノ「!!」

青娥「時間の無駄よ?」スッ

ドスッ!

星「ひぎっ!!」

チルノ「……あ……ああ…………」ブルブル

青娥「愚かな虎ね」

ドスッ!

星「ぐ!……ぎっ!!」


青娥「耐えれば耐えるほど」

ドスッ!

星「ぎゃあッッ!!」

青娥「苦痛が長引くだけだと、分からないのかしら?」

ドスッ!

星「があああッッ!!」

チルノ「ああ、あ…………」

青娥「ふぅ……これくらいやれば充分よね」

星「…………」


青娥「全く、魔法が効かないというのは厄介だわ」

星「…………チルノ」

チルノ「!」ビクッ

青娥「赤子一人取り出すのも一苦労ね~」

星「逃げなさい……」

チルノ「……!!」

星「逃げて……チルノッ……!」

青娥「さ、お腹をこっちに出してみなさい?」グイッ



チルノ「う…………」


チルノ「……うわぁぁあああああッッ!!」

―――ギィィィィン!!


青娥「!?」サッ


チルノ「アイシクルフォールッ!!」


ドドドドドォォォォン!!!


小傘「……ハッ!?」ピクッ

チルノ「はぁ、はぁ、はぁ……!」


青娥「…………あら」


青娥「あらあらあらあらあらあらあらあらあらあらあら」

青娥「これは一体どうしたことかしら?」

チルノ「おいっ! 覚悟しろ!」

チルノ「お前なんか、あ、あたいがやっつけてやる!!」

小傘「チルノ……」

青娥「不思議なこともあるものね~」
 
青娥「あなたは昔からその記憶に苦しんできたのでしょう?」 

青娥「それが今になって急に克服するだなんて……」

チルノ「はぁ……はぁ……い、今までの分、まとめてお返ししてやるぞ!!」

青娥「あらぁ? 大丈夫かしら? 足が震えてるじゃない」ニヤニヤ


チルノ「はぁ……ふぅ……はぁ……」

小傘「……チルノ!」ザッ

チルノ「!」

小傘「私と一緒に、あいつをとっちめてやるわよ! いいわね!」

チルノ「う……うん!」

青娥「雑魚と妖精が? 私と戦う?……本気で言ってるのかしら??」

青娥「そういうの、やめてくれないかしら。大した時間稼ぎにもならないでしょうに」

小傘「パラソルスターシンフォニー!!」

チルノ「アイシクルマシンガン!!」

青娥「はぁ…………ヤンシャオグイ」サッ


グワァァァッッ…!!


チルノ「……う、ううっ……!」

小傘「く……お、押し返して……や、る……!」ググッ


青娥「無駄、無駄、無駄……全部無駄よ」サッ


ズドドドドドォォォン!!


チルノ「ぎゃあああッ!」ドカッ!

小傘「ぎっ……!」ドカッ!


青娥「……では早いとこ取り出しましょう♪」サッ


チルノ「!!」ガバッ


チルノ「とらに触るなッ!! ダイアモンドブリザード!!」

青娥「……?」サッ


ズガガガガガガガッッッ!!


青娥「…………」

チルノ「はぁ……はぁ……許さないわよ!」

チルノ「今からお前を、ヒドい目に遭わせてやる!!」


青娥は異変を感じていた
今の魔法に大した威力はなかったとはいえ、妖精の範疇に収まるものではなかったからだ


青娥「…………チッ」


間違いない
この妖精は封印を解きつつあるのだ


青娥「はぁ、手間がかかるわね。先にこっちを片付けないといけないみたい」


とはいえ、千四百年の修練を積んだ自分の敵でないことに変わりは無い
妖怪一匹倒す程度の時間は稼いである


小傘「アンブレラサイクロン!!」

ゴウッ…!

青娥「!」ササッ


ドガガガガガッッ!!


青娥「…………?」


小傘「チルノ、私に続いて!」

チルノ「……分かった!」サッ

小傘「行くわよ!」サッ


青娥「……!?」


青娥はその時、大気が凍りつくのを感じた
このプレッシャーはもはや妖怪二匹分のものとは思えない


小傘・チルノ「「アイシクルディザスター!!」」

ビシビシビシッ…!


ゴゴゴゴゥッッ!!


青娥「くっ! グーフンイエグイ!!」



バキィィィン…!

ドドドドドドォォォ……


咄嗟に放った魔法により直撃を避け、冷気の嵐は青娥を通り抜けて行った
今の威力は……


小傘「もういっちょ! やってやれ!チルノ!」サッ

チルノ「おおっ!!」サッ


小傘・チルノ「「ブリザードストライク!!」」


ブワァァァァッッ!!


青娥「!」


ドドドドドォォッッッ!!


青娥「ぐ、かっ……!!」ビリビリ…


今の合わせ技に油断したのか、青娥は更なる攻撃に対応する間もなく氷の壁を叩きつけられる
あの二匹からこれほどの魔法が飛び出すのは、全くの想定外であった


小傘「畳みかけるわよ!」サッ

チルノ「任せろっ!」サッ

小傘・チルノ「「フリーズディメンション!!」」

―――ピシィッ!!


カチカチ… ビシビシビシッ…!


青娥「……!」


大気中の水分が瞬く間に氷と変化する
青娥の周囲に縦横無尽に氷の枝が張り巡らされていく
さらに足元は凍り付き、完全に逃げ場を失った


小傘「よぉく狙いを定めて……!」

チルノ「目標ほそく!」


小傘・チルノ「「グレイシャーフィナーレッッ!!」」




ガシャッ……!


――――ドガァァァァン!!!



ありったけの水分を擬似的な絶対零度に変えて放つ大技
ありとあらゆる分子運動・分子結合が遮断され、周囲の全てが瞬時に灰と化す
いかに仙人といえど、これを受けてなお戦える者はいない


小傘「はぁ、はぁ、はぁ……」

チルノ「う……」フラッ



……青娥を除いて



チルノ「と……とら……」ヨロッ

小傘「ま、待ってチルノ! あいつがいない!」

チルノ「……!?」バッ


青娥がいたはずの場所に残骸はなかった
そこにあるのは灰と凍りついた地面、そして赤く染まった2つの断面があるだけ


シュゥゥゥ…


小傘「……!!」ゾクッ


すぐ近くで水が勢いよく蒸発するような音が聞こえてくる
その聞き覚えのある音で、小傘は全てを理解した


チルノ「……??」


青娥「やってくれたわね……」ズリッ…


小傘「!」

チルノ「そこかっ!」

チルノ「…………えっ!?」


そこに青娥はいた
そして、その姿にチルノは戦慄した

上半身右側のほとんどを失い、顔も左半分を失っている
そして両足は鋭利な刃物で切り落としたように消失していた
恐ろしいのは、そのような状態になってもなお生き続けているということだ


青娥「ふふふ……私をただの仙人とは思わないことね」

青娥「この程度の傷では、私を止めることはできないのよ……!」ズリッ…

小傘「そ、そんな……何で……!」

青娥「私が成し遂げた最高の術式……それが失われない限り、私は死ぬことはない」ズリッ…

青娥「もうしばらくお待ちなさい? 今度こそあなたたちを地の底に沈めて――」

チルノ「コールドディヴィニティー!!」


―――ガキィィィィン!!


小傘「!」

チルノ「何度だってやっつけてやるぞ! お前が倒れるまで!」

青娥「…………」ユラッ

青娥「あらあらあらあらあら、はしたないわね~」

青娥「まだ私が話してる途中じゃ――」

小傘「ハロウフォゴットンワールド!!」


ドガァァァァン!!


青娥「…………」

小傘「……」

青娥「……無駄だって言ってるでしょ?」

青娥「今再生の途中なんだから邪魔しないで欲しいわ」


チルノ「邪魔してやる! 何度だって!」

小傘「よし、もう一度!」

小傘・チルノ「「ブリザードストライク!!」」

青娥「ゾウフォルゥモォ!!」


ズズズズォォォッッ…!!


小傘「!」

チルノ「う、うおおああああ……!」



――――ドガァァァッッ!!



小傘「があっ……!」ドカッ!

チルノ「ぎっ……!」ドカッ!


相手が強力であるならば、それに応じた魔力を使うまでのこと
手間をかけて時間に余裕を持たせたことはやはり正解だった


青娥「備えあれば憂いなしね……ふっ!」


ズチュッ…!

グチ… グジュ…


「ぐぎ!……ぐう……!」


青娥は自分の胴の肉を掻き分けて、そこにしまっていたものを取り出す
こんなこともあろうかと仕込んでおいた予備のナイフである


星「」

ジャリ…


青娥「今度こそ頂くわよ? 奇跡の妙薬……!」スチャッ


星「…………!」バッ!


―――ドスッ!!


青娥「ぐっ! く……!?」

星「そこだな! 貴様の本体ッ!!」


もう動かなくなったと思った妖怪虎が、突如身を翻した
打ち込んだ拳は青娥の下腹部にめり込み、内部にあるものを握り締めた


青娥「ぐぐっ……ま、まだ……!」

青娥「まだ生きていたのか! 貴様ッ!」

星「もうこれで、再生はできまいッ!」ググッ

青娥「ギイッ!?」ヨロッ


――カランカラン…


青娥「……は、離せッ!」


星「離さん…………離すものかッ!!」ギリギリギリッ…

青娥「ガァァアアアアッッ!! こ、このっ!!」グッ

ガスッ!

ゴッ!

ガッ!

星「うっ! あぐっ!」

青娥「離せ! 離せ離せ離せええッッ!!」

ズガッ!

ゴンッ!

ドガッ!


星「ぐうっ!……は、離さない! 絶対に……!!」ググッ

青娥「アガアアアアアッッ!!」


青娥が星を引き離そうと何度拳を叩き付けても、星の手は一向に緩まない
それもそのはず、肉体の再生が完全でない今の状態では、満足に力を入れることができなかったからだ
いくら急いでいたとはいえ、再生を待たないまま詰めに入ったのは油断としか言いようがなかった


青娥「邪魔をするなぁッ!!」

ゴスッ!

星「くっ!」


青娥「お前のような虫けらはぁッ!」

ガンッ!

星「げふ……!」

青娥「私の覇道のッ!」

ドゴッ!

星「あがっ……!」

青娥「踏み石にな―――!?」


青娥「ゾウフォルゥモォ!!」バッ





聖「紫雲のオーメンッッ!!」




―――ドッ……ガァァァアアアアアン!!!



青娥「ぎゃああああああああッッ!!」



ザッ…

聖「遅くなりましたね、星」

星「聖……!」

聖「よくぞこの厳しい局面を守り切りました。後は私に任せなさい」

星「は、はいっ!」

青娥「お、おのれええッ……! 後もウ少し……もう少しトイうとコろでッ……!」

聖「…………」

青娥「く……食ワセろぉッ……!」

聖「覚悟しろ……もはやお前には法界すら生ぬるい!!」


青娥「食わセロぉぉぉッッ!! 奇せキノみょうヤ―――」

聖「消え去れ亡者ッ!!」バッ!


聖「魔神復誦ッッ!!」


―――ギィィィィンッッ!!


ズガガガガガァァァァァン!!!



青娥「ッッギャアアアアアアアッッ――――――」



元の死体に戻った青娥は、聖の魔法によって魂ごと蒸発させられた
生きる屍は千四百年の時を経てようやく解放されたのだ


ザザッ…

響子「」ドサッ…

ナズ「ぜぇ、はぁ、ぜぇ、はぁ……っ!!」

ナズ「ご……ご主人!!」タタタッ

星「……ナズーリン」

小傘「せんぱい!」タタッ

チルノ「とらっ!」タタッ

星「あ、あなたたち……」


星「怪我は……怪我はありませんでしたか?」

小傘「……!?」

ナズ「な、何を言ってるんだ!? ご主人の方がよっぽど大変じゃないか!」

星「はぁ……はぁ……」

チルノ「無いっ!! ケ……ケガなんてしてないぞっ!!」

星「そう……よ、良かった……」ニコッ

チルノ「とらっ……!」

聖「離れなさいチルノ。今、応急処置を施します」

チルノ「!」ササッ


いつの間に入手したのか、聖は天狗たちが隠し持つ霊薬を取り出し、それを聖に施した
……しかしその霊薬は星の体に触れた瞬間、効力が消失してしまった


小傘「ど、どういうこと??」

ナズ「天狗どもめ! 安物を掴ませたなっ!?」

聖「……やはり」

チルノ「とらっ! は、早く助けてっ!!」

聖「静かに」

チルノ「……!」コクッ

聖「……」スッ


聖は星の腹に顔を寄せて、何かを呟いた
しばらくすると霊薬の柔らかい光が星の体を包み、そして消えた


星「」

小傘「……」

ナズ「い……今のは??」

聖「ひとまず一命は取り留めました。念のため、もう一度霊薬を施しましょう」スッ


パァァァァ…


ナズ「ご主人……」


今度は霊薬の効果がしっかり発動している
その光を見て安堵したのか、聖以外の三人はその場にへたり込んだ


聖「ナズーリン」

ナズ「!……は、はいっ!」ササッ

聖「お疲れのところ申し訳ありませんが、少し頼まれて欲しいことがあります」

ナズ「なんなりとお申し付けを!」

聖「一輪と村紗を探して欲しいのです。おそらく近くにいるのでしょう」

ナズ「しばしお待ちを!」サッ

聖「……」

ナズ「…………ここです! ここに二人分の反応があります!」


聖「ふんっ!」サッ


――バカッ!


ドサドサッ!


村紗「くっ!」

一輪「あだっ……!」

村紗「……で、出られた??」

一輪「!……あ、あいつは……!?」キョロキョロ


聖「もう大丈夫です。敵は私が倒しました」

村紗「何と!……怪我人は??」

聖「星がかなりの重傷負いましたが、何とか一命は取り留めました」

一輪「!!」

村紗「…………そうですか」ギリッ

一輪「く、くそぉッ!」ドン!

一輪「何たる失態! 紅魔館の警告がありながら……!」ググッ

聖「……一輪、あなたの気持ちはよくよくお察しします」

聖「ですが今は星の治療が先決です」

一輪「!」


聖「戻ってきたばかりで悪いのですが、雲山に彼女を運ばせてください」

聖「もう彼も解放されているでしょうから」

一輪「はっ!……雲山!」


―――スゥッ


チルノ「……」タタッ

小傘「わ、私も……」


星の体は寝所へと運ばれて行った
チルノと小傘は慌ててその後を追う


聖「皆、よく聞きなさい!」

ナズ「!」

村紗「!」

一輪「はっ……!」

響子「…………あれ?」ガバッ

聖「星の命は繋がりましたが、未だその傷は深い」

聖「カラス天狗たちを総動員して、星の治療に当たらせなさい」

聖「もう彼女たちも正気に戻っているでしょう」

一輪・村紗・ナズ「承知ッ!!」ダダッ


響子「……??」

聖「響子、大事ありませんか?」

響子「あ、はい……」

響子「あれ? えっと……ここはどこですか??」

聖「……」

響子「私、小傘と一緒に聖様を探しに来たはずなんですけど……」

聖「あなたもこちらへ来なさい。事の次第は後で説明しましょう」


~永遠亭~


聖「何から何まで、本当にありがとうございます」

永琳「問題ないわ。妖怪が妊娠することさえ前代未聞なのよ?」

永琳「ましてその子の出産に立ち会えるなど、得ようとして得られる経験ではないもの」

聖「……そうですか。お手数をおかけしますが、どうかよろしくお願いします」ペコッ

永琳「その辺にいる兎は伝令役と思っていいわ。何かあったら近くにいる兎に声をかけなさい」

聖「はい」


永琳と兎たちが去り、一室には星を除いた命蓮寺の者たちが残された


聖「皆、よくお聞きなさい」

聖「まだ星は目覚めませんが、応急処置は充分に施し、このように医療の専門家の協力も得ることができました」

聖「もはやこれ以上素人が手を出す必要はなくなりました。永琳さんの言に従い、星が安心して目覚められるよう備えましょう」

一輪・村紗・ナズ「はっ!」

小傘・チルノ・響子「はい!」

ぬえ「へーい」

ナズ「……聖様」

聖「何でしょう」

ナズ「ご主人の傷は、そんなに深かったのでしょうか?」


聖「ええ、私も急遽医学の一部を習得しましたが、やはり簡単に復帰できるものではありませんね」

ナズ「そうですか……」

村紗「……」

一輪「わ、私にもっと―――」


”もっと力があれば”

そう言いかけてやめた
今の何十倍、何百倍鍛えたところで、あの邪仙の襲撃は防ぐことは叶わなかっただろう
今も眠り続ける星の姿に、一輪は己の無力さを感じ取った


一輪「……」


聖「少し昔話をしましょう」

聖「かつて私には一人の弟、仏法を授けた師と言うべき者、命蓮という仏僧がいました」

聖「皆も知っていますね?」

ナズ「は、はい……」

聖「かつて命蓮ご在世の頃、その守護は果てしなく堅固でありました」

聖「その功徳は本人のみならず、姉である私にさえ及んでいました」

村紗「……」

聖「ちょうど千年前の時代は混乱に入る時期に差し掛かっていて、多くの寺院もこの潮流に乗ろうと躍起になっていた……」

聖「これも知っていますね?」

ナズ「その通りです。間違いございません」


聖「多くの僧たちが我が身を守るためと称して、徒党を組み、武力を集め、権勢を高めようと意気盛んでありました」

聖「あなたたちは彼らの勢い付く様を、半ば羨望の眼差しで見つめていましたね」

聖「けれども、私はそのような潮流には決して乗ろうとはしませんでした」

聖「そのことにあなたたちがもどかしい心持ちでいたことも、私は知っていました」

聖「それでも私は、そのような潮流に心動かされることはただの一度もありませんでした」

一輪・村紗・ナズ「……」

聖「ではそれから千年経った今の世を御覧なさい」

聖「かつて僧兵を起こし意気盛んであった宗派の中に、未だ幻想郷に留まる者がありますか?」

ナズ「いえ……」


聖「そうですね。彼らは世にはびこる悪に立ち向かうなどという名目で武器を取りながら、やがて自らその悪と成り果ててしまったのです」

聖「いくら寺院・伽藍・仏像・僧衣が残っているようでも、その精神はとうの昔に死に絶えてしまったのです」

聖「時代の流れに応じてその都度信念を入れ替え、それに恥じることも悔いることもなく、その罪を自覚すらしない、獣の如き存在に身を貶めた」

聖「それがために、彼らはこの幻想郷より追放されたのです」

聖「今ならばあなたたちにも分かるでしょう。あの千年前の熱に浮かされたような意気こそ、魔の蠢動であったのです」

一輪・村紗「!!」

聖「それが恐るべき天魔の誘惑でありながら、あなたたちはそうとは知らず羨望の眼差しを送っていたのですよ」

ナズ「……」


聖「しかしそのような誘惑には、私は決してかかることはなかった」

聖「これがどうしてだか分かりますか?」

一輪「いえ……」

村紗「……」

聖「それは私の中に命蓮の加護が息づいていたからです」

聖「かつての命蓮の教えを決して違えることはなかったからこそ、あの邪なる魔の誘惑も見抜くことが出来たのです」

聖「どうですか? 死してなお命蓮の守りは確かであったのですよ」

村紗「は、はい!」

ナズ「……」コクッ

聖「まして、これがご存命の間がどうであったかは自ずと知られることでしょう」


聖「私はまだ若い頃、諸国を巡って放浪の旅をすることがよくありました」

聖「出雲、厳島、天橋立……様々な地を巡り山も川も里も大いに見ました」

聖「……しかし、いくら方々巡っても一度も目にすることがないものがありました」

聖「それが何であるか分かりますか?」

一輪「??」

村紗「……」

聖「それは妖怪です」


一輪・村紗・ナズ「!?」

小傘・響子「??」


聖「全国を縦横無尽に渡り歩いても、私は遂にたった一匹の妖怪すら目にすることはありませんでした」

聖「現地の者に、ここに妖怪がいる!などと言われても、私にはその気配すら感じ取ることができなかったのです」

聖「その時は私は気付いていませんでしたが、それは命蓮の加護が全身を包んでいたためでした」

聖「その加護があまりにも強かったため、私が現れると、妖怪はまるで狩人に見つかった兎のように逃げ出してしまっていたのです」

聖「当時の私は妖怪はおろか、幽霊だの化生といったものを夢想することすらなかったのです」

聖「おかげで怪談だの祟りだのといったものを、どうして人々が怖がったりするのか、私にはまるで分かりませんでしたよ」

聖「私が生まれて初めて妖怪を目にしたのは、命蓮がこの世を去った後のことなのです」

聖「命蓮の力がいかに強大であったか、これでよく分かるでしょう」

一輪・村紗・ナズ「…………」


聖「では、もっと具体的な話をしましょう」

聖「その命蓮がどれほど喧嘩に強かったかどうか、ここで分かる者があれば言ってご覧なさい」

村紗「……」

聖「どうですか?」

一輪「コホン……えっと、鬼の四天王とまとめて戦っても勝てる……?」

聖「いいえ」

一輪「!?」

ナズ「では……魔王軍と戦っても勝てる??」

聖「いいえ、違います」

ナズ「!?」


一輪「な、ならば……妖魔の軍勢に天界の神々を加えても、なお敵わない……??」

聖「いいえ、全く違います」

一輪「……」

村紗「??」

村紗「では、さらにそこへ月の軍勢を……」

聖「違います。そうではありません」

聖「やはりあなたたちは思い違いをしていますね。命蓮という者を全く分かっていない」

一輪「命蓮殿は、一体、どれほどの……!」

聖「これは間違いなく断言できます」

聖「命蓮はチルノと戦っても負けますよ」


一輪・村紗・ナズ「!!?」


聖「いえ、そればかりか、妖精の中で最も弱い部類の者と正面衝突しても、敗北は免れません」

聖「命蓮は男の割りに力が弱く、時として力仕事は私の担当となることもしばしばありました」

聖「そして扱う魔法といえば、好きな物を空中にフワフワ浮かべることぐらいで、もちろん戦闘の役に立つものではありません」

聖「比べたことはないので分かりませんが、おそらくは宝塔も魔法も使わない星よりも弱いでしょう」

一輪・村紗・ナズ「…………」

聖「ではこのように見た目はあまりにも貧弱な命蓮が、なぜ絶大なる守護を発揮できたか……」

聖「これが分かる者はいますか?」


もう誰もこの問いに答えられない
辺りは静まり返った


聖「あなたたちよ、よくお聞きなさい」

聖「彼は争いを避けるだけの智恵を持っていたのです。力ではなく、智恵によって危機を遠ざける術を知っていたのです」

聖「強敵が襲って来ることが分かっている、だから力を蓄えてこれを迎え撃つ」

聖「あなたたちはこれを当然の道理と定め、これ以上の手段はないと信じ切っている。そうですね?」

一輪・村紗・ナズ「……」

聖「この理を否定することはできません。命ある者が我が身を守るために、出発点とすべき方途であるからです」

聖「しかし仏の境地から見れば、この理は限りなく低い智恵によるものでしかない」

聖「いずれ来たるべき魔王の軍勢に通用するものではないからです」

聖「命蓮はそのような境地をはるか高みから見下ろしていたのですよ」

一輪・村紗・ナズ「……」


聖「おそらく命蓮は御仏に準ずる一切智を得ていたのでしょう」

聖「それはあなたたちに分かりやすく言うならば、千里眼と呼べるものになるのでしょうか?」

聖「私がどのような旅から帰って来ても、彼はたちどころにその道中を察していたものです」

聖「どこへ行った後でも、命蓮に見つかるとその行き先を知られてしまうのです」

聖「私が、どうしてそのようなことが分かるのですか?と聞くと、命蓮は決まってこう言いました」

聖「”あなたを見ればすぐに分かります”と……」

村紗「…………」

聖「おかげで悪いことはできませんでしたよ」クスッ

ナズ「は、はぁ」


聖「命蓮は未来に何が起こるのか、自分のいない所で何が起きているのか」

聖「それらを一々見通して、来たるべき危機に対し手を打つことができたのですよ」

一輪「な、なるほど」

聖「しかしそのような技も命蓮の力を計るには到底足りないのでしょう」

聖「宝塔を思い出して御覧なさい」

聖「あれは毘沙門天のみが持つとされる物です。おおっぴらに人間が振り回してよい物ではありません」

聖「命蓮は、寺に毘沙門天が長居できないことを知っていて、あえて宝塔を私の目の前に用意したのです」

聖「しかしそれは私に持たせるためではありません」

聖「宝塔はある。しかし持ち手たる毘沙門天がいない」

聖「ならば代わりになる者を連れて来なければなりませんね……ここまでは大丈夫ですか?」


一輪「は、はい」

ナズ「……」コクッ

聖「しかしその代役は人間には務まらない。人の身では神となることはできないからです」

聖「さらに言えば、命蓮は私が人間であり続けることを望みました」

聖「つまり毘沙門天の代役は、私以外の妖怪である者にしか果たせないとなる……よろしいですか?」

村紗「はい……」

聖「命蓮のご遺志を汲み取るとこのようになります」

聖「”毘沙門天にふさわしい妖怪を探し出しなさい”」


聖「つまり、信力強盛で法のために身命をも惜しまぬ者。それまでの浅はかな境地を捨てて大智を求める者」

聖「心根が純粋で末法の濁悪に耐え切れぬ者。素直で穏やかな性質を持ち、諸々の賢に従い、あらゆる愚を拒絶する者」

聖「一乗法を得ることのみを無上の喜びとし、それ以外の卑しい教えをことごとく排す者」

聖「……このような者を、妖怪の中から見い出すべし。これが命蓮のご遺志だったのです」

一輪・村紗・ナズ「……」

聖「あなたたちも知っての通り、その者こそ寅丸星なのです」

聖「ではここで重ねて問いましょう」

聖「過去のどのような時代でも構いません。寅丸星のような妖怪が、かつてたった一匹でも現れましたか?」

聖「星に並ぶ、あるいは星以上に毘沙門天にふさわしい妖怪に出会ったことがありますか?」


村紗「それは……いるわけがございません」

一輪「聖様、そんな妖怪には出会ったことがございません」

一輪「地底にはもちろんのこと、聖様に出会う前もそのような経験は全くありません」

ナズ「……そもそも妖怪とは自らの性質に従って生きるものです」

ナズ「星のような妖怪など、まこと稀有にして有り得ぬ、いかなる神通力を持ってしても会い難き存在でありましょう」

聖「そうですね。あなたたちの言う通りです」

聖「ではなぜそのような妖怪を探せと、命蓮は命じたのでしょうか?」

聖「たまたま運よく星が見つかったから良いようなもの。もし星が現れなければどうさせるつもりであったのでしょうか?」

聖「何百年、あるいは何千年かかっても見つからない妖怪を、ただ延々と探させるつもりだったのでしょうか?」


ナズ「それは……」

村紗「…………」

一輪「そ、そのような大き過ぎる事象、私共には分かりかねます……」

聖「おそらく命蓮は知っていたのですよ」

聖「自身の命終の後、毘沙門天にふさわしい妖怪が、必ず私の目の前に現れると」

一輪・村紗・ナズ「!」

聖「だからこそ命蓮は何の不安も感じぬまま逝くことができたのでしょう」

聖「それはそれは穏やかなものでしたよ。命蓮の最期は」

一輪・村紗・ナズ「……」


聖「しかしながら……」

一輪「?」

聖「これはあまりにも出来すぎているとは思いませんか?」

聖「天地を統べる神々にも見い出し難い寅丸星という妖怪は、命蓮の命終の後、ほどなくして現れたのです」

聖「偶然と考えるには無理があるほど、時期が合い過ぎているではありませんか」

一輪・村紗・ナズ「……」

聖「これはもはや千里眼で説明の付く奇跡ではありませんね?」

一輪「……はっ」

村紗「……」コクッ

ナズ「仰せの通りにございます」


聖「ではこのように考えてみてはいかがでしょうか?」

聖「もしかすると、命蓮は星が現れることを知っていたわけではない」

聖「自身の命尽きる頃に合わせて、聖白蓮の前に姿を現すように、星を呼び寄せたのでは……?」

一輪・村紗・ナズ「!?」

チルノ「??」

ナズ「そ、そんな! そんな事できるはずが……!」

村紗「ナズーリンの言う通りです。それはもはや神の力をも超えているではありませんか」

村紗「そのような奇跡が起こせるなど、とても……信じ難いことです」

一輪「…………」


聖「しかし、このように考えれば全てがピタリと符号するのです」

一輪「しかし聖様……そんな魔法、本当に有り得るのでしょうか?」

一輪「望む未来を、命尽きた後に実現させるなど……」

聖「魔法ではありません。命蓮は魔法に疎いと先ほど申した通りですよ」

一輪「……」

聖「これを命蓮が実現したとすれば、それは守護神の力によるものでしょう」

聖「仏法を護る者は、四方八方から競い集まって来る神々によって護られるのです」

聖「このような神を『諸天善神』といいます」

聖「命蓮はこの諸天善神を巧みに操り、望む未来を引き寄せていたのでしょう」

一輪・村紗・ナズ「…………」


聖「あなたを見れば分かりますなどと、よく言ったものだと思いますよ」クスッ

聖「いつも私の旅先を知っていたのも、おそらくは諸天善神の力でインチキして、風の便りを得ていたのでしょうね」

ナズ「そういうのは、ちょっとインチキとは違うような気がしますけど……」

聖「もう一つ話をしましょう。一輪」

一輪「はっ!」

聖「私の記憶が確かであれば、あなたは私に出会うより以前は妖怪として名を上げることを至上としていた」

聖「そうですね?」

一輪「はい、仰せの通りにございます」

聖「では、諸天善神を従えた命蓮に戦いを挑まなかったのはなぜですか?」

一輪「!」


聖「入道を従えて、どこへでも飛び回ることができたあなたであれば、命蓮の元へ辿り着くこともそう難しくはなかったはずです」

聖「命蓮はほとんどずっと寺に留まっていました。そして、あなたは命蓮が生まれる前から既に武者修行の旅を続けていた」

聖「ならば命蓮に挑む機会はいくらでもあったはずですね」

聖「しかしあなたは、結局最後まで寺に向かおうとはしなかった」

一輪「……」

聖「あなたは強大な存在がいると知っていながら、あえてそれを見ぬ振りをして通り過ぎたのです」

聖「それはどうしてですか?」

一輪「それは……」

聖「……」


一輪「しょ、勝負というものは、自分に見合った相手を探してからやるものです」

一輪「ただの一妖怪が神に挑むなど、無謀も良いところです」

聖「そうですね。あなたは数え切れない強大な神々がそこにいるのを見て、これはとても敵わないと思ったのでしょう」

聖「しかし命蓮が世を去り、神もいなくなり私一人だけになったのを知って、このように思いましたね?」

聖「”聖白蓮一人なら何とかなりそうだ”と」

聖「だからあなたは私の前に姿を現した。そうですね?」

一輪「は、はい……」

聖「一輪、あなたが命蓮に勝負を仕掛けなかったことは、とても良い判断だったのですよ」

一輪「……」


聖「あの当時命蓮を守護していた諸天善神が、どれほど強力であったか分かりますか?」

一輪「いえ……」

聖「諸天善神はその守護すべき仏子の信心と智恵の深さによって、その力を増すのです」

聖「いいですか一輪。あの頃あなたが見た神々は、今の私よりもずっと強かったのですよ」

一輪「!!」

聖「今よりもはるかに弱かった私に挑んだ時の結果でさえ……これは一々言うまでもありませんね」

聖「では、もしあなたが命蓮に戦いを挑んでいたらどうなっていたか」

一輪「…………」


聖「一輪、諸天善神が一番力を発揮するのは、仏敵を叩く時なのです」

聖「彼らは仏子を傷付けようとする者を一切の情け容赦なく、徹底的に叩き潰すのですよ」

聖「その攻めの激しい様は、何万年と罪人を責め苦しめてきた極卒が見ても、全身が総毛立ち震え上がるほどなのです」

一輪「」

聖「命蓮は魔法はほとんど使えないと申しましたが、それは魔法が不得意だったわけではありません」

聖「そもそもそんなものを修練する必要が命蓮にはなかったのです」

聖「自らを守護する諸天善神を自在に操り、望む未来も、旅先の姉の安穏も、全て思うがままに実現することができたのですよ」

聖「事の先々までも能く見通し、気の遠くなるような手前の段階で予め手を打っておく」

聖「忍び寄る魔性には配下の神を遣わし、出会ってしまう前に打ち滅ぼす」

聖「これが命蓮の戦い方だったのです」


一輪・村紗・ナズ「…………」

聖「そして、このように諸天善神を味方に付ける法こそ、甚々無量の智恵を示した仏法に他ならないのです」

聖「これで知られるでしょう」

聖「命蓮は、魔法を自在に扱う今の私よりも遥かに優れ、強く、そして賢かったのです」

聖「寿命を克服した私よりも」

聖「妖魔を力ずくで破る私よりも」

聖「法界千年の炎に耐え切った私よりも」

聖「ただ一点『仏智に優れる』という一点のみを以って、今の私の全てにおいて勝っていたのです」

一輪・村紗・ナズ「……はっ!」


聖「もう良いでしょう。いつまでも浅ましい境地を懐かしむのはお止めなさい」

聖「これ以上まだ罪業を重ねるつもりですか? そのような小智は速やかに捨てなさい」

ナズ「ざ、罪業??」

聖「……誰かは分かりませんが、あなたたちの中に仏の経文を軽んじた者がいますね?」

一輪・ナズ「……!」

村紗「……?」

聖「おそらくは書庫の経文を眺めたことがあったのですね」

聖「あれは読み進めるには予め知識が必要なもの。たとえ分からなかったとしても、それは知識が及ばなかっただけのこと」

聖「そこに罪はありません」

聖「そして読むことが出来たとしても、その内容は極めて難信難解。理解が及ばなかったとしても無理からぬこと」

聖「これもまた、罪には当たりません」


聖「けれども、御仏の言葉が分からないことの咎を経文に求めるだとか、その意味するところを虚妄であるなどと思う」

聖「この罪は甚だ重いのです」

一輪・ナズ「…………」

聖「仏法はあまりにも厳しい」

聖「たとえそれが仏の教えに従う者であったとしても、仏の教えを謗ることは一瞬たりとも許されることではありません」

聖「そして経文を謗る罪は、その者の身に帰ることはない」

聖「その者が一番大事にしている、守ろうとしている者のところへ、その罰が行くのです」

一輪・ナズ「!!」


聖「時に村紗」

村紗「は、はい」

聖「あなたは私の預かり知らぬ所で、独自に鍛練を続けていたようですね」

聖「その噂は私の耳にも入りましたよ?」

村紗「!」

聖「あなたが来るべき苦難に備えて鍛練する。そのことを否定することはできませんし、またするつもりもありません」

村紗「……」

聖「しかしながら、あなたは腕を磨く以上の一番大事な鍛練を疎かにしていたのではありませんか?」

村紗「……!」


聖「村紗よ、あなたは毎日の朝晩、きちんと勤行を済ませていましたか?」

村紗「それは……ほぼ、毎日……」

聖「正直に申しなさい」

村紗「!……は……半分近く怠っておりました……」

聖「経文を御仏にご供養し、おしきみを差し替え、寺を清浄に保つ」

聖「これらは修行のための準備だと申したはずですよ?」

村紗「……」

聖「準備も済ませずにいて、それでどうして満足に修行することができますか」

村紗「も、申し訳ございません!」ササッ


聖「力ずくの腕っぷしなど、いくら求め蓄えたところで、それが一体何になると言うのですか?」

聖「力がいくらあったところで、智の無い者は魔性に容易く食い破られてしまうのですよ」

村紗「はっ……!」

聖「いくら持てる力を誇ってみたところで、そんなものは何の足しにもなりはしません」

聖「あなたとて、守るべき者を無残に傷付けられてしまっては、なおもその力で己が身を飾れるとはよもや思わないでしょう」

村紗「……ッ!」

聖「本当に鍛練する気があるのなら、腕よりも自身の命を磨くことを第一としなさい」

村紗「はっ!!」


聖「一輪、ナズーリン、あなたたちにも問いましょう」

一輪・ナズ「!」

聖「あなたたちはきちんと勤行を済ませていましたか?」

ナズ「そ、それは……」

一輪「…………」

聖「……聞くまでもなかったようですね」

一輪「も……申し訳ございません……」ググッ

聖「いいですか。よくお聞きなさい」

聖「本当に叶えたい望みがあるならば、小賢しい浅知恵に走るのはお止めなさい」


聖「小智を保つ者にとって、理解の及ばないものは存在しないも同じなのです」

聖「見ず、聞こえず、感じることさえできない。そんな相手にわずかばかりの力を振り回して、それでどうして勝つことなど出来ますか」

聖「小智に執着する者は、見た目はそれこそ意気盛んなようでも、いざという時に大事なものを守り切ることが出来ないのです」

聖「これ以上の敗北と屈辱を遠ざけたいと思うなら、愚かな小智を去って、大智に就くしかないということを知るべきなのですよ」

一輪・村紗・ナズ「ははぁ!!」

聖「勝利を得んと心より願うならば、あなたたちも命蓮のようになりなさい」

聖「人からも、天からも、御仏からも、恭敬賛嘆されるべき存在となりなさい」

聖「”このお方こそ一切衆生をお救いになられる、まこと尊きお守りせねばならないお方である”」

聖「このように思われるにふさわしい振る舞いをなさい」

聖「私は今までずっと、そのように修行を続けてきたのです」


もはや三人とも顔を上げることができなかった
ただただ平伏し、額を床に押し付けるばかりであった
自分たちがいかに矮小な存在であるかを、彼女たちはようやく悟ったのだ


聖「一輪、村紗、ナズーリン、あなたたちに命じます」

聖「今日より、朝晩の勤行は私に伴って済ませなさい。この刻限には一秒たりとも遅れることは許しません」

聖「もし遅れたならば、いかなる理由があろうとも罰として法界に放り込みます。よくよく覚悟しておきなさい」

一輪・村紗・ナズ「!!」

聖「この戒めは星が目覚めるまで解くつもりはありませんので、そのつもりでいなさい」

一輪・村紗・ナズ「ははぁ!!」


三人とも身の縮む思いであった
それぞれが自分こそ聖の片腕であるとの思いを抱き、それを誇りとしていた
それがいざ蓋を開けてみればこの様である

だがそれも当然のこと

自分たちの理解を超える道理があることは知っていた
また、そのような存在が迫って来ていることも知っていた
さらには、理解の及ばぬ道理を含め、あらゆる全ての因縁を解き明かす法があることも知っていた
そればかりか、その法はすぐ目の前にあり、なおかつその法を快く授けてくれる存在すらあったのだ

それでも自分たちはその法を手に入れようとはしなかった
生来の性に楽しみ、今までの小智を出ることを嫌い、自ら進んでその法を求めようとはしなかった
ちっぽけな了見に留まりながら、自分の持ち得る小理屈によって、敵を迎え撃とうとしていたのだ
挙句の果ては星を傷付けられた後でさえ、そのことを聖に教え諭されるまで気付こうともしなかった

これを愚か者の習いと言わずして一体何だと言うのか
邪仙に手も足も出なかったことは、あまりにも道理に過ぎるではないか


一輪「申し訳ございません……申し訳ございません……!」

ナズ「済まない星! 済まない……ッ!」ググッ

小傘「……」

響子「……」

チルノ「?」


小傘と響子には聖の難しい話はよく理解できなかったので、大人しく黙っていることにした
チルノに至っては星という言葉のみに反応し、それ以外は全く聞いていなかった

その後一輪とナズーリンは自ら進んでその罪を申し上げる
二人は聖に伴い、三日三晩休まずの経文読誦の罰を受けた


星が永遠亭に移送され、やがて二週間が経過
未だ星は目覚めない


この時、星は長い夢を見ていた



――


――――


――――――――



星「……」フラフラ

星「うっ!……はぁ、ふぅ……」

星「苦しい…………」


後悔先に立たずとはこのこと
さすがに三十個はいくら何でも食い過ぎだった

空腹を満たそうと自生していた芋に手を付けたのが間違いだった
食べている時は夢中のようでも、後になってしまえばこの様である


星「はぁ……はぁ……ううっ」


それでも空白が満たされた実感はない
あれほど食べた芋は一体どこへ入ったのか

もしや自分の中に無限の空洞でもできているのではなかろうか
そう疑ってしまうほどの強烈な飢えが、自分を責め立てる

この飢えを満たす方法は一つしかない


星「……や、やるしかない」

星「すー……はー……」

星「大丈夫、落ち着いて落ち着いて……」


今まで何度も失敗してきたが、今度こそ成功させたい
私は生まれ変わるんだ

逸る心を静めつつ、里の近くに向かう


星「今度こそ!うまく!…………行くといいなぁ」


もうあの里で十六番目だ

何度も失敗すれば、当然里の人間にも顔を覚えられてしまう
だから安全を確保するためには、全く別の里を狙う必要があった


星「食べられてもいいって人間がいれば助かるんだけど……」

星「…………いるわけないか」


他の妖怪たちはもうかなり昔に自分の先を行き、存分に妖怪としての生を謳歌している
取り残された妖怪は自分一人だけなのだ


星「見えてきた……あそこね」

星「……」

星「その前に食休みはしておかないとね」

星「ちゃんと走れなきゃ、いざって時に困るし……」ブツブツ


今回は今までのようなヘマはしない
獲物が油断して里を離れるのを慎重に待つのだ


星「……!」サッ


ガヤガヤ…


そこで奇妙な一団に出くわす
十人そこそこの子どもばかりが森の中を進んでいたのだ
まだ昼間であるとはいえ、目利きの大人なしで森に入ることは大変危険であるはずだ


星「…………??」


近くに身を潜めて声を聞いていたものの、彼らの意図は計りかねた
妖怪退治だの武勲を立てるだのと訳の分からないことを言っているのだ


星「…………」ゴクリ


しかしこれはまたとない幸運である
仕留めやすい獲物が自らこちらの領分へと踏み込んで来ているのだ
その内の一人がはぐれて道に迷うなんて都合の良いことも、もしかしたらあるかも知れない


星「……」サッ

ガサガサ…


ひとまず様子を見て機会を伺う
しかし彼らは同じ所をぐるぐる回るばかりで、一向に奥へ入る気配がない

私はそこで思いつく

妖怪はここにいるのだから、その気配を振りまいておびき寄せればいい


星「…………ガオー……」


ザワ…

  ザワ…


効果はてきめんだった
彼らはやや興奮ぎみに森の奥へと進みこみ、私を探した
案の定彼らは散り散りになり、日が沈みかけた頃になってようやく青い顔になった

親からの叱責を恐れたのだろう
皆一様に慌てふためきながら里へと帰って行く

多くの者は里へ戻ることができたが、そうでない者もいるはず
私の狙いは的中した


星「よぉーし…………」

ガサガサ…


彼らの中でもとりわけ大人しそうな子が取り残されていた
泣きべそをかきながら帰ろうとするものの、その足は里の方向とは全く違っている

夜も更けて月明かりもない
一面の暗黒の中で、泣き疲れた彼はその場に倒れて縮こまる
私は無防備に眠ってしまうのを待つだけで良かった


星「…………」


私の胸は躍った
今回は何もかもが全てうまく行っている

しかし油断してはならない
最後の最後でしくじって目的を果たせなかったことが、今まで何回あったことか


ウゥー…

グルルル…


星「――――ゴワウッッ!!」


クゥーン…

ワゥー…


時々近づいてくる野犬を威嚇しながら、私はひたすらその時を待った



星「まだ寝ないのかしら……」

星「……ん?」


涙を流しているので起きているものと思った
しかしそうではなく、寝ながら泣いていたのだ

腹で息をしていて呼吸も深い
眠っていることは間違いなかった


星「……随分器用ね」


試しに近づいて体をつついてみたりしても、何も反応がない
時は既に来ていたのだ


星「よーし……では」

星「……まずは心の準備から」


私はその子に向かって手を合わせた
なぜそんなことをするのかは分からないが、こういう時にはそうするものらしい


星「化けて出たりしないでね。こんな奥深くまで入ってくるのがいけなかったのよ」

星「これは……自然の摂理な訳だから。あなたたちだって、鳥や魚を食べてきたでしょう?」

星「わたしだって、お腹が空いたら食べなきゃしょうがないじゃない……」ブツブツ


私の言葉には、当然ながら何の返事もない
自分の運命も分からないまま意識は途切れている


星「…………」


森はどこまでも静かであった
しかしこの子に縁する者たちは今頃必死になって探しているの知れない
噂に聞くところによると、人間というのは自分より他人を大事にすることがあるらしい
特に親という立場にある者は、それこそ命を捨ててでも自分の子を守るのだと言う


星「本当かしらね」

星「獣にだって、そんなのはいないのに……」


私は、山火事や獰猛な獣に襲われた動物たちを何度も見てきた
何もない時に自分の子をそれはそれは大事にする動物たちも、いざ危機に瀕すると我が子を見捨てて我先に逃げ出してしまうのだ
私はそれを仕方のないことだと思っているが、人間たちはそんな私たちを蔑んで『畜生』と呼ぶのだ


星「だって……しょうがないじゃない」

星「誰だって死ぬのは怖いのよ」


彼らだって、いざという時には子を見捨てるはずだ
きっと私たちに向かって見栄を張ってそんなことを言うのだろう


星「そうよ、自分たちの代わりにこの子が食べられるんだから、助かったって思うはずよ」

星「人間が妖獣に食われるなんて、よくあることじゃない」

星「それに、子どもならまた作れるんだから、この子は諦めればいいのよ……」ブツブツ

星「…………」

星「そ、そろそろ食べないといけないわね……」

星「目が覚めたら困るし……」


しかし何事も焦ってはならない
まずどこから食うかを考える必要がある
食ってる途中で起きてしまっては、寝覚めが悪いことこの上ない


星「うーん……」ジー


相手を起こさないようにするには、やはり一撃で仕留められる部位を狙うしかない
頭は骨があって硬そうだし、腹は大きすぎて急所を狙える自信がない


星「……やっぱり、首が一番いいかしら」


首を狙うのはいいとしても、当の本人は肩を上げて首を縮めてしまっている
これではうまく牙が立てられない


星「……んー……」グイグイ


首を出そうと体を引っ張ってみても、これが中々力が入っていてうまく行かない


星「うーん……」グイグイ

星「はぁ……仕方ない、力が抜けるまで待ちましょう」

星「ほら、無理して起こしたりしたら元も子もないし」


最後の詰めがうまく行かないことに、私は内心安堵していた
これはもう仕方のないことだ
寝返りでも打って首が晒されるのを待つしかないのだ


ザワ…

  ザワザワ…


星「……!!」バッ!


遠くから聞こえてきた声に気付き、慌てて木の上に隠れる


星「……」


里の人間たちが松明を持って、しきりに名前らしき言葉を叫んでいる

その中には先ほど見かけた子どももいた
よほど叱られたのだろう
目を真っ赤にして涙を流しながら、ずっと同じ言葉を叫んでいる


星「……そうか」チラッ

星「これがこの子の名前なのね」


今回ばかりはうまく行くものと思っていたが、やはりダメだったようだ
迷子の捜索に来るかもしれないとは予想していたものの、ここまで対応が早いとは思わなかった


星「仕方がない。ここは退くしかないわね」

星「はぁ……またしてもすきっ腹で我慢するのか……」


後はあの子が見つかるのを見届ければいい
身内さえ無事だと分かれば、近くにいた私を追って来ることもないだろう


星「…………?」


しかし……やはり何事も考えた通りにはいかないらしい

彼らは森中を探して歩き回ってはいるが、一向にこの子を見つけられない
そしてこっちの方も、向こうからの声が届いているはずなのに、ぐっすり眠ってしまって全然起きて来ない


星「違う違う、そっちじゃない」

星「そうそう、そこをまっすぐ進んで……」

星「! どうしてそこで曲がったりするのよ!」

星「ああもう……どうして気付かないのかしら? こんなに近くにいるのに……」


人間の鼻はほとんど役に立たないという噂は本当らしい
おそらくすぐ隣にいても、その姿でも見なければ彼らには探し当てることはできないのだろう

このままでは埒が明かない
多少危険であると知りつつも、私は彼らの後押しをするしかないと思った


星「よいしょ……っと」

星「子どもは軽くて助かるわねー」チラッ


星「よく眠ってる……これなら途中で起きたりしないわよね」


彼らの近くまで行ったら、後はこの子を置いて一目散に逃げればいい
気付かれずに逃げるのは今までも成功率が高い
今回も失敗はしたが、自分の身の安全だけは確保できると思った


……それがいけなかった


ガサッ…


星「……!」


ヒュッ…

―――ズガッ!


星「ぐう――ッ!?」


激痛が全身を駆け抜けた
よほど気が動転していたのか、腕に抱えていた子を下ろすまで頭が働かなかった
両腕を空にして初めて、自分は矢で射られたのだと気が付いた

私は無我夢中で逃げた
二本目の矢が当たらなかった幸運にも気付く余裕はなかった


星「はぁ、はぁ、はぁ……!」

星「はぁ―――うっ!」ヨロッ

ドサッ…

星「うう……う」


”人間の武器は妖怪には通用しない”

やはりこの噂は大嘘だ

足がもつれて倒れた後は、もう一歩も動くことができなかった
のた打ち回る気力もないまま、ただうずくまってうめき声を出すしかなかった

うまく行っていたなどと考えたのは大きな思い違いだったのだ
今回ほどの大失敗はしたことがない


星「はぁ、はぁ……うう……」

星「痛い……痛いよぉ…………」


もしかすると、私の運命はここに極まったのかも知れない
私は何ら妖怪らしいことができないまま、ここまでのうのうと生き長らえてきたのだ
こんな妖怪が今の今まで存在できたこと自体が、奇跡と言ってもおかしくない

これが天の采配であるなら、次の展開も予測できる
ここで折り悪く……否、折り良く私は人間に見つかり、そして―――


ガサガサ…


星「来た……ふふ……」


思わず自嘲の笑みがこぼれてしまった

天網恢恢疎にして漏らさず
まさに今の自分のためにあるような言葉だ


聖「……おや、ここにいましたか」

聖「妙なうめき声が聞こえてくると思いましたよ」

星「……?」

聖「その矢は……なるほど、理解しました」

星「…………」


しばらく待ってみたものの、中々最後の詰めに入らない
それに若い女というのも妙だった
武器を持つのは大抵男で、女は後方で待つのが普通だからだ
先ほどの一団の中にも女はいなかった


聖「歯を食いしばりなさい。今、矢を抜きます」グッ

星「……」


ズシュッ…


星「ぐう……っ!」


ビリッ… ビリビリッ…


聖「あなたはあの里に近付いたのですね? 随分と危険なことをしたものです」スッ

聖「あそこは何の備えもないまま、気軽に訪ねられる所ではないのですよ」ググッ

星「う!…………」


聖「今止血しました。では仕上げを致します」

星「……」

聖「おそらくあなたなら……」サッ


スゥゥ…


星「……!?」

聖「思った通りですね。もう痛みも無いでしょう」

星「い……今のは??」


女が何かをしたらしい
先ほどまでの強烈な痛みが、まるで嘘のように消えている
人間の技ではこんなことはできない


聖「後はあなたの体が独りでに傷を治してくれるでしょう」

星「…………」

聖「これからはあの里に近付かぬよう気を付けるのですよ?」


傷口は完全に塞がっていた
心当たりは一つしかない

『治癒の術法』

極めて高度な魔法であり、妖怪の中でも扱える者は皆無
仙人ですら操れる者はごく僅かと言われた魔法を、しかし私は確かに体感した

だが奇妙なことに、目の前にいるのはどこからどう見てもただの人間でしかない


星「この魔法……あ、あなたは一体……」


聖「私は聖白蓮。とある寺を切り盛りしている尼僧です」

星「…………」


私はそれ以上何も口を聞けなかった

聖白蓮なる人物が何者なのかは分からない
ただ、とんでもない力を持つ者であるということだけは分かる
彼女が私の正体を見破れば、たちまち私はこの地上から消えることになるだろう

しかしどういうわけか、彼女は私が妖怪であることに気付いている様子はない
疲労と傷で妖力が枯渇していたことは、まさに幸運であるとしか言いようがなかった
ここで余計なことを口走るのは自殺行為に等しかった


聖「では私はこれで失礼します。あなたもお達者で」

星「…………」


尼僧を名乗るその人間が去っても、私はしばらくの間身動きできずにいた

それは怪我が痛むからではない
また、疲労が限界に達したからでもない
今まで感じたことのない戸惑いが、私をその場に縛り付けていた
もはや自らの空腹に意識を回す余裕も残っていなかった


ガサガサ…

星「あそこでもないか……」

星「もうこの辺りは全部調べたはずなんだけど」

星「あの寺は妖怪の寝床になっちゃってるし……本当に尼僧だったのかしら?」


聖「ここにいましたか。探しましたよ?」


星「!?」ビクッ


聖「お久し振りです。傷の具合はいかがですか?」

星「えっと……あ、はい、もう全部治りました……」

聖「ではもう一度見せて頂いてもよろしいでしょうか?」

星「は、はい」スッ

聖「…………」


私は後悔した
折角命を拾ったというのに、つまらない好奇心で要らぬ危機を呼び寄せてしまった
咄嗟に妖力は抑えたが、それでも見破られてしまえば今度こそおしまいだ


星「………………」ゴクリ…

聖「……うん、大丈夫ですね。もう完全に回復したようです」

聖「あなたがちゃんと傷を治したのかどうか、それがずっと気になっていたのですよ」


星「は、はぁ……では私はこれで……」ススッ

聖「お待ちなさい」

星「……!!」

星「な、何か御用でしょうか??」チラッ

聖「私の前では、そうやって怖がる必要はありませんよ」

星「!……な……何のことでしょう……」

聖「隠さずとも結構です。私には妖怪を退治したがる根性はありませんから」

星「!?」

聖「……」

星「気付いていたの?……最初から」


聖「ええ、人間に出会って怯える妖怪はいませんでしたので、もしやと思ったのです」

聖「きっとあなたのような妖怪は珍しいのでしょうね。今はまだ」

星「あなたは……妖怪と知っていながら、私を助けたの??」

聖「?……ええ、そうですね」

星「ど、どうしてそんなことを?」

聖「どうして?……もしそこに谷底に落ちそうになってる者がいれば、何を置いてもまず助けるものです」

聖「あなただって、その時に相手が妖怪か人間かなど、一々区別などしないでしょう」

星「……」

聖「あの夜、あなたは野犬から子どもを守りましたね。それと同じことですよ」


星「!……あ、あれは!」

星「あれは……獲物を独り占めしたかったからよ!」

星「野犬なんかに獲物を横取りされたら困るから……それで……」

聖「なるほど、あるいはそうかも知れませんね」

聖「しかしそれがあなたの本心であるとは、私は思いません」

星「…………」

聖「私は今まで邪悪な妖怪を幾度となく見てきました。しかしあなただけはそれらとまるで違っています」

聖「あなたからは血の匂いが全くしません。おそらくですが、あなたは人を襲ったことがないのでしょう?」

星「…………はい」


どうしてそんな恥を晒すような返事わざわざしてしまったのか、自分でもよく分からない
けれども体の奥の部分では、この目の前にいる人間には正直に答えなくてはならないと感じたのは確かだった


聖「それは大変結構なことですね!」

聖「どうやらあなたは妖怪としては、かなり善良な部類に入っているようです」

星「…………」

聖「全ての妖怪があなたのようであれば―――」

星「善良?……確かに人間側の都合で考えればそうなるかも知れない」

聖「……」

星「しかしあなたたちだって他の生き物を殺して食らうではありませんか」

星「私たちが人間を食うことは悪で、あなたたちが鳥や魚を食うことは善だと言うの?」

聖「そうです」

星「!? そ、そんなの不公平じゃない!」

星「そんなのってない! それじゃズルいじゃない!」


聖「落ち着いてください。今からちゃんとその理由を説明します」

星「……」

聖「いいですか? 妖怪が人間を食べることと、人間が他の動物を食べることは、本質的に異なるのです」

聖「今この時代では、妖怪が人間を襲うのは自然の摂理であると、誰も彼もが思っていますね」

聖「しかしそれは誤りなのです。人間の肉を妖怪が食することは宇宙の理に反しているのです」

聖「なぜだか分かりますか?」

星「…………??」

聖「それは即ち、同族食いになるからです」

星「ど、同族?? 誰と誰が……?」

聖「人間と妖怪ですよ」

星「!?」


星「ちょ、ちょっと待って……まさか……まさかだけど……」

星「あなたは……人間と妖怪が同族であると、そう言ってるの?」

聖「その通りですよ」

星「そんな馬鹿な!! そんなはずないわ!」

星「人間と妖怪は別々のものです! 同じわけがない!」

聖「いいえ同じです」

聖「なぜならば、あなたには人間と同じように心がある」

聖「心のない文字通りの人でなしであれば、森の中で迷子になった子を見て胸を痛めたりしません」

聖「親から離れ取り残された者を見て、哀れに思うはずがありません」

聖「あなたには、自分以外の誰かを見て同苦できるだけの心があるのです」


星「…………で、でも!」

聖「……」

星「私たちには!」

聖「魔法ですか? こんなものは大した違いにはなりません」

聖「訓練すれば誰だって使えるようになるのですから」

星「…………」


私はそれ以上何も言い返せなかった

少々の術ならばともかく、妖怪が使うような強力な魔法は人間には扱うことができないと思われていた
しかしこの聖と名乗る人間は、妖怪ですら習得できない魔法をいとも容易く振るって見せたのだ


星「分からない……あなたは人間の味方なの? それとも妖怪の味方?」

聖「私は……そうですね、両方の味方ですよ」

星「それは、つまり……どういうこと??」

聖「私は、人間と妖怪が喧嘩せずに仲良く暮らしていけるような、そんな世の中を作ろうと思っています」

星「!!?」

聖「もしあなたにも興味があるなら、私に付いて来なさい」スッ


もはや彼女が何を見て何を知っているのか、私には想像すらできない
その存在、その言葉、そして確信に満ちたその瞳
全てが私にとって理解の範疇を超えたものだった


星「…………」

聖「……そうですか。私は寺へ戻ります」

聖「もし気が向いたら、その時はいつでもいらっしゃい」クルッ

星「…………」


聖から差し出された手を取らなかったのは、私にとって最大のしくじりだった
呆然としていた私には、その時何を言われているのかも理解できていなかったのだ


ザザザザ…

星「ど、どこ! どこに行ったの!?」

星「! 見つけた!」

星「あれは…………この前の妖怪寺??」ジー


我に返って慌てて彼女の後を追って行き、そこでさらに驚く
妖怪の寝床だとばかり思っていた寺こそが、実は彼女の住処だったのだ
あれほど強い力を持つ妖怪たちのこと、きっと元いる坊主を追い出してしまったのだと、私は考えていた

しかし真実は違った
あの二人の妖怪は聖自身が招き入れ、その仲間としたのだ


星「聖白蓮……一体何者なの」

星「あんな恐ろしい妖怪たちを従わせているだなんて……」


その日から私は聖の姿を追うことに夢中だった
周りを飛び回る入道の気配に怯えながらも、寺を眺め続けることはやめなかった

掃除、薪割り、洗濯、炊事、時たま訪れる参拝客の出迎えに、内容のよく分からない書きもの
その所作の全てが私の心を満たしてくれた

あれほど私を悩ませた空腹は、いつの間にかどこかへ消えて行ってしまったらしい
もう人間を食いたいとはこれっぽちも思わなくなっていた


村紗「ふーむ……」

一輪「うん? どうかしたの?」

村紗「いえ、大したことではないと思うのですが……」

一輪「早く言いなさいよ」

村紗「一輪、あなたはここから何か持ち出したりしていませんか?」

一輪「はぁ? そんなことするわけないじゃない」

一輪「後は燃やすだけなんでしょ? 持って行って何するって言うのよ」

村紗「そうですよね……う~ん」

一輪「?? 何かおかしいことでもあったの?」

村紗「ここに薪と一緒に置いてあった紙の束は、こんなに少なかったでしょうか?」


一輪「紙の束……さあ、よく分からないけど、そこにあるので全部じゃないかしら?」

村紗「どうも昨日見た時より少なくなっているような気がするのです」

一輪「ふぅん……気のせいじゃない?」

村紗「……」

一輪「仮に盗んだとして、それを一体どうするってのよ」

一輪「あれは姐さんが書きものを終えたものでしょ? 他の人間なら知らないけど、泥棒には一銭の値打ちもないわよ」

村紗「うーん……」

一輪「馬鹿馬鹿しい。そうやってどうでもいいことを考え込むのが、あなたの悪い癖よ」

一輪「そんなものを欲しがる奴がいるんなら、そのままくれてやればいいじゃない」


村紗「……」

一輪「ほらほら! ちゃっちゃと燃やす!」ササッ

ガコン…

バサバサッ…

村紗「ふむ、後で聖に報告してみましょう」ササッ

ドサドサッ…

一輪「ホント几帳面よね、あなたって。まあただの勘違いだと思うけど」


~仏間~


村紗「……ということがありまして」

聖「なるほど」

村紗「もちろん一輪の言う通り、私の勘違いという可能性もあります」

村紗「本当に賊が入り込んでいるのか、一度調べてみたいと思うのですが……よろしいでしょうか?」

聖「いえ、その必要はありません」

村紗「は? いやしかし……」

聖「”彼女”はもっと前からこの寺に忍び込んでいましたよ」

村紗「!?」


聖「しかしそれは泥棒をするつもりではなかったようですね」

聖「彼女が手を付けるのは決まって捨てるものだけです。白紙や大事な書きものには絶対に手を出しませんでした」

聖「彼女にとっては、それだけ欲しいものだったのでしょう」

聖「けれども面と向かって貰いに来るのはやはり気恥ずかしいようですね」

村紗「……一体、誰が何の目的でこの寺に?」

聖「泥棒ではないということだけは私が保証しますよ」

村紗「……」

聖「あなたも気にはなるでしょうが、待ち伏せなどしていては、逆に彼女を驚かせてしまう恐れがあります」

聖「ここは一つ、私に任せて頂きたい」


村紗「はい。仰せの通りに」

聖「以後、火にくべる物は私が持って行きましょう。あなたには他の仕事をお願い致します」

村紗「はっ……聖、一つよろしいでしょうか?」

聖「何でしょう」

村紗「侵入者は人間ですか? それとも……」

聖「妖怪ですよ」

聖「人間であれば、どんなに忍び足で近付こうとも、一輪の入道が気付かないはずがありませんからね」


~森~


星「はぁ……」

星「綺麗……まるで絵が描いてあるみたい……」


私は夜更けの寺にこっそり忍び込み、焼却されるだけの書きものをくすねて来ていた

その文字は読むこともできず、意味するところも全く理解できない
しかしそれは私にとって大した問題ではなかった

ただそこに書かれた文字を眺めるだけで、私は満足していたのだ
その文字の一つ一つはどれも全て違っていながら、しかし全てが美しく描かれていた
それはさながら雪の結晶のように感じられた


星「何たる力強さ……堂々たる筆跡……」

星「技があるだけじゃ、絶対にこんな文字は書けない!」


筆跡を指でなぞりながら、私は聖がどんな気持ちでその文字を書いたのか思いを巡らせていた
その文字からは明らかに力を感じ、止めにも払いにも迷いなき決意が見て取れた
お守りの札にも勝るとも劣らない迫力がそこに込められている


星「勿体ない! こんなものを燃やすだなんて!」

星「私が寺にいたら、絶対捨てずに大事に取っておくのに!」


そこまで言って、当の自分が寺に入る絶好の機会を逃してしまったことを思い出した
今寺にいるあの妖怪たちは、自分が宝のようにして集めているものを簡単に火にくべてしまえる
それはこの紙の束など比べ物にならないぐらいに価値あるものを頂いているからだ


星「…………」


私だって、本音を言えば彼女たちに列して寺の一員として加わりたい
しかし私にはどうしようもないほど勇気がなかった

いつでも来ていいと、確かに聖はそう言っていた
聖が自らの言葉を翻すようなことはしないとは分かっている
それでも私には未だその一歩が踏み出せずにいた


星「……何とかして、あの寺に入る方法はないかしら」

星「もう一回お呼びが掛かれば絶対行くのに……」ブツブツ


私にできることと言えば、もう一度お呼びが掛かるように善行を積むこと
それぐらいしかなかった

しかし具体的に何をすればいいのか……

私は聖から聞いた言葉を何度も頭の中で繰り返して、一つの結論に達する


星「…………」ジー


ガサガサ…


星「!」サッ


ガサガサ…


星「―――グワオゥッ!!」


ガサガサガサ!


星「……」


星「ふう、帰ったみたい」


私の叫び声に驚いて、一人の人間が里の方向に戻っていった
一心不乱に逃げて行ったから、すぐにでも里の近くに辿り着けるだろう


星「それじゃ、もう一度見回りに行こうっと」ササッ


私は森の中を駆け抜けて、妖怪に食われる人間がいないか見て回るようになった
とはいえ、そんなことは頻繁に起こるわけではないので、いつもはただ走り回るだけで終わる

それでも時たま妖怪の潜む場所に、そうとは知らず人間が近付いて行くのを見つけることもある
そんな時は決まって大声を出して人間に危機を知らせるのだ


星「ふふふ、今日のを入れてもう六人は助けちゃったかしら」ソワソワ


聖に比べれば取るに足らないことしかできていないものの、それでも私はこの仕事に生きがいと呼べるものを感じていた
まるで自分が人間たちの守護神か何かになったようで気分が良かった


星「もしかしたら、そのうち『森の神様』みたいな名前をもらって、人間たちに信仰されるようになるかも……!」


ザッ…


星「ん?」

妖怪A「ご機嫌ね、虎妖怪。私のことは覚えてるかしら?」ニヤッ

星「……!」


彼女のことは覚えている
かなり前にこの妖怪が人間に襲い掛かろうとした所を、私が妨害して獲物を逃がしたのである
人間が逃げ切ったのを見届けると私も一目散に逃げて行ったので、彼女がその後どうしているかは知らなかった


妖怪A「惜しいことをしたわ。あの時逃がした人間は大きかったわね~」

星「ははは……ど、どうも……」ペコッ

星「じゃあ私はこれで……」コソコソ

妖怪A「何か代わりになるものが食べたいところだけど、虎の肉なんて旨くもないでしょうし、増して妖怪じゃね……」

星「…………」

妖怪A「でもこのまま帰しちゃったら、私の鬱憤?っていうの?……が晴れないと思うのよね~」ゴキ… ゴキ…

星「!!」ババッ


三十六計逃げるに如かず!
私は無心で駆け出した
これでも逃げ足だけは自信がある


ザッ…

妖怪B「おおっと、悪ぃな! こっちは通行止めだよ!」

ザザッ…

妖怪C「足は速そうだけど、腕っぷしの方はどうかしら?」

ザッ…

妖怪D「よーし! いっちょ揉んでやるとするかっ!」ニヤニヤ


星「……!!」


向こうは私が逃げることも予測していた
私がどこへも行けないように、事前に囲い込んでおいたのだ
彼女たちの用意した網に、私はまんまと掛かってしまった


妖怪A「……さて、向こう十年ぐらいは足腰立たないようにしてやろうかしらね?」ニコッ

妖怪B「おいおい、十年なんて可哀想だろ? せめて百年にしときなっ!」

妖怪C「ちょっとぉ、それ逆に増えてるんじゃない? ふふっ……」

妖怪D「泣くんじゃないぞ? お前はこの苦難を乗り越えて、さらに強い妖怪となるのだっ!」ニヤニヤ

星「うぅ……」

妖怪A「取り合えずその元気な足を」

聖「ちょっと失礼」

妖怪A・B・C・D「!?」

星「……えっ!?」


まるで最初から居たかのように、聖はそこに立っていた


妖怪A「に、人間!? いつの間に!」

妖怪B「おっ、お前! どこから出てきやがった!?」

聖「……お話し中のところ申し訳ありません」

妖怪C「……」

聖「突然ですみませんが、私はそちらの妖怪虎に用があります。あなたたちには退いて頂きたい」

妖怪D「はぁ!?」

妖怪B「何だと? 手前は……我らのやることにケチを付けようってか!?」

妖怪A「運が良かったわね。今私たちはその妖怪虎を懲らしめてやりたい気持ちでいっぱいなの」

妖怪A「あなたに用はないわ。さっさと消えなさい」


星「…………」チラッ

聖「いいえ、そういうわけには参りません」

聖「この者は私が連れて行きます。あなたたちはお下がりなさい」

妖怪A「……」ピキッ

妖怪B「おいおいおい……こりゃあまたとない獲物が現れちまったなぁ」スッ

妖怪C「いるのよねぇ……時々こういう変なヤツが……」スッ

妖怪D「よっしゃ! まずはこの人間の肉を肴にしてやろうぜ!」

聖「…………」

妖怪A「食いでがなさそうだけど、我がまま言ってちゃ罰が当たるわね……」

妖怪A「久々のに――――」

聖「垂迹……」


聖「大日如来ッッ!!」


―――――ピカッ!!


―――ドガァァァァァァン!!!!



妖怪A「ぎゃああああああああああっっっ!!!」

妖怪B「わぁああああぁあぁああああああッッッ!!」

妖怪C「おおおおぁぁぁああぁぁあぁああっ!!」

妖怪D「がぁぁああああぁぁぁあああッッッ!!!」


星「…………あ、ああ……」

聖「……」


突然光が現れたかと思うと、聖を取り囲んだ妖怪たちが一瞬の内に吹き飛んだ
あの強烈な光の中で、どうして自分一人だけが何事もないのか不思議だった


妖怪A「ぐ……い……一体、何が……」

妖怪B「そ、そんな……大日如来だと……ッ!?」ガクガク…


もはや過ぎ去った太古の昔

食物連鎖の頂点に位置する妖怪たちの、さらにその最上段に君臨する『鬼』
その鬼すらも調伏する存在、それは人間たちから『神』と呼ばれ崇められていた

しかしその神の力ですら我が物として自在に振るう者たちが、かつてこの地上にいたのだ
彼らは既に地上を去って久しく、もはやその行方を知る者はいない
全ての幻想郷の住人にとって、はるか彼方の次元を超えた存在

恐るべきその者の名は……


妖怪D「ま…………『魔法使い』……ッ!?」

妖怪C「う、嘘! どうしてこんな所に!」


聖「……」


妖怪A「そんな……か、勝てるわけがないッ!!」

妖怪B「は、早く……! 早く逃げなきゃ!!」ズリッ…


聖「……」スッ


妖怪D「!?」ビクッ

妖怪C「ヒッ……」


聖「もう一度だけ言います。下がりなさい」


妖怪A「う……あ…………」

妖怪A・B・C・D「わぁあああああああああああッッッ!!!」ダダダッ…


我先に逃げ出して行く妖怪たちを、私は腰を抜かしたまま呆然と見つめていた
あの光に神通力が宿っていたことは疑いようがなかった
ならば聖は……


聖「怪我はありませんでしたか?」

星「…………え??」

聖「今、どこか痛む所はありますか?」


星「……あ、ありません」

聖「それなら結構!」ニコッ

星「はぁ……」

聖「ちょっと驚かせてしまったようですね。立ち上がれますか?」

星「…………」グッ 

星「いえ……」

聖「よいしょ」スッ


聖は私の目の前に端座して話し始めた


聖「あなたには少し私の話を聞いて頂きたいのですが……よろしいでしょうか?」

星「……」

聖「今私の寺では課題……詰まるところ、困ったことがありまして」

聖「寺の本堂では、かの名高き毘沙門天を祀っているのですが、これが中々おっかない顔をしているのです」

聖「毘沙門天が怖い顔をしていらっしゃるのには、もちろんきちんとした理由があります」

聖「けれども初めてその顔を見る者にとっては、まるで自分にその怒りが向けられているように感じるようです」

聖「そうして素直に毘沙門天を慕うことができないまま、寺にも足が向かなくなってしまうのです」

星「……」


聖「そこで私は考えました」

聖「もっと穏やかで、優しさを感じる、物腰柔らかな神様が祀られれば良いと」

聖「見る者を包み込むような雰囲気を持つ神様であれば、寺を訪れる方々も安心して信仰に励めるでしょう」

星「……」

聖「しかしその代役は人間にはできません。なぜならば、人々の想いを束ねて集約できる存在でなければいけないからです」

聖「それができるのは妖怪のみ……そしてその中でも、出会った相手を安心させられるような、静かな気性を持つ者……」

星「……?」

聖「つまりあなたです」

星「…………」


星「!?」


聖「あなたのような者が毘沙門天の代役となって頂ければ、未来永劫、寺は安泰です」

聖「是非ともあなたには私の申し出を受けてもらいたい」

聖「私の寺で、務めを持っていただきたいのです」

聖「……いかがですか?」

星「え……っと……」


あまりにも単純なその言葉には、もはや如何なる質問も無意味であった
つまり聖はこう言っているのだ

”神格を得て、寺の御本尊となって欲しい”

私だって二度目のお呼び立てを大いに期待していた
しかしまさか、そんな途方もない大それたお役目を持って来るとは夢にも思わない
ただの臆病な虎でしかない自分に、そんな大役が果たせるはずがない


聖「…………」

星「…………」


けれどもあれほど待ち望んだ聖の手が、まさに今再び自分の目の前に差し出されている
理屈ではなく私の魂が知っていた
今度こそ本当に最後の機会なのだ
今この手を取らなければ、私の求める『時』はもはや永遠に訪れない

これまで何百回と練習してきた言葉を、私はそのまま表わすしかなかった


星「つ……謹んで、お受け、致します……」


ジャリ… ジャリ…


寺までの道中、私はひたすら聖の背中をじっと見つめていた
聞きたいことは山ほどあったが、実際に声をかけることは憚られた


星「……」

聖「……ところで」クルッ

星「!」

聖「私に何か聞きたいことはありませんか?」

星「へ? あ、えっと……」

聖「寺に着くまで退屈でしょう。何か知りたいことがあるなら、遠慮なく聞いてごらんなさい」


星「……じゃあ」

聖「はい」


まだ頭の整理が追い付いてない私は、まるで見当違いなことを口走ってしまった


星「あなたは鬼にも勝てるって……本当ですか??」

聖「鬼ですか? 中々難しいと思いますよ?」

聖「私は使い手としてはまだまだ未熟者ですからね」

星「はぁ……」


聖「……一番大事なのは、力比べをして序列を張り合うことではありません」

聖「そうではなく、なるべく衝突を回避して、自分にとって本当に大事な願いだけを成就させることこそ肝要なのです」

聖「自らが求めるところを知るを賢と言い、知らず右往左往することを愚と言うのですよ」

星「……」

聖「あなたも、これからはあんな危険なことはしてはいけませんよ?」

星「……!」

聖「あなたの眼前には既に大いなる道が開かれているのです。つまらない見栄など捨ててその本心に従いなさい」

聖「真に叶えたい願いがあるのなら、脇道ではなく本道を進むことです。いいですね?」

星「は、はい、承知しました」


聖「よろしい!」ニコッ

聖「では参りましょう」クルッ

星「……はい!」


その時初めて私は、聖に向かって素直な声が出せた


聖「村紗、一輪、戻りましたよ」

一輪「お帰りなさいませ」

村紗「……そちらの者が?」チラッ

聖「はい。彼女は寅丸星。以後、この寺で毘沙門天の代理を務めます」

聖「あなたたちには彼女の守護をお願いします」

一輪「……はっ」

村紗「承知しました」

星「は、初めまして、寅丸星です」

一輪「……」

星「ど、どうも……」


一輪「……随分陰気な虎ね。まともに挨拶もできないのかしら?」

星「えっ」

一輪「それとも虎ってのは、相手の目も見ずに話をするものなの?」

星「あ……」

村紗「一輪」

聖「一輪、あまりこの者を脅かしてはいけませんよ」

一輪「……すみません」

星「……」ペコッ

聖「星、こちらへいらっしゃい。あなたのために用意したものがあります」


聖に従って付いて行くと、そこには虎柄の腰巻があしらわれた紅白の衣装と一本の槍が飾られていた


聖「この衣服の着付けはできますか? 難しければ手伝いましょう」

星「いえ、これぐらいだったらできると思います……多分」


~少女着替え中~


星「これで、どうでしょう?」

聖「……うん、完璧ですね!」

聖「ではこちらの槍を構えてみてください」

星「はい」スッ

トン…

聖「よく似合ってますよ。いよいよ毘沙門天らしくなってきました」


星「……聖、この槍は何のために?」

聖「あ、その槍ですか?」

聖「心配しなくても大丈夫です。あなたはそれを振り回す必要はありません」

聖「それはただの飾りですからね。刃も付いていませんので、杖代わりにしていただいて構いません」

星「はぁ」

聖「では最後の仕上げと参りましょう。こちらへ……」

星「……」コクッ


さらに奥へ進むと、そこには灯りとは雰囲気の違う光を放つものが安置されていた
それは炎が作る光とは全く異なっていた


星「こ……この光は??」

聖「これは私の弟、命蓮が遺した法具……宝塔です」

星「宝塔……」


宝塔と呼ばれたその品が放つ光は、今まで見てきたどんな光とも違う
その光を見つめていると、体の芯の部分が揺り動かされるような気分になってくるのだ

知らない内に失くしてしまい、自分でも失くしたことに気が付いていない
しかし、とてもとても大事なもの
それが求めずして突然自分の手元に戻ってきたような、そんな不思議な感覚を与えてくれる光だった


星「綺麗……」

聖「……」


星「なんという美しい光でしょう……宝とは、まさにこのこと……」

聖「やはり、あなただけはその光を恐れないのですね」

星「?」

聖「私の目に狂いは無かった……星!」

星「は、はい!」

聖「今からその宝塔はあなたの物です。肌身離さず持っていなさい」

星「ええっ!?」


私は自分の耳を疑った
この宝塔なる品は寺の宝に相当するはずの物
寺の仕来たりは分からないが、こんな大変な物を簡単に譲ることが一般的であるとは思えない


星「しかし聖……」

聖「案ずることはありません。命蓮の名代であるこの私が宣言します」

聖「この宝塔は他の誰でもなく、星、あなたを選んだのです」

星「…………」

聖「さあ、それを手に持ってご覧なさい」

星「は、はい……」スッ


片手に構えた槍を手離し、恐る恐る両手を宝塔に伸ばす


星「!!」


宝塔に手が触れた瞬間、頭の中を何かが駆け巡って行き、そして消えた
それが何であったか思い出すこともできず、ただ衝撃の余韻だけが残されていた

宝塔を胸元に引き寄せた頃には、既に確信と言うべきものが私の中に宿っていた
いずれ時が来るまで、これは私が守り通さねばならないものなのだと


星「…………」

聖「しばしお待ちなさい。あの二人を呼びましょう」

聖「一輪、村紗」

村紗「はい」

一輪「……」

聖「彼女は正式に毘沙門天の神格を得ました。これで名実共にこの寺の御本尊です」

村紗「はっ!」サッ


一輪「! あ、あなたは……」

星「……え?」

一輪「あなた……へ、平気なの??」

星「平気……な、なんのことでしょうか??」キョロキョロ

聖「控えなさい、一輪。毘沙門天の御前ですよ?」

一輪「ははぁっ……!」サッ

星「…………」


村紗と呼ばれた者に続いて、一輪という妖怪も私に向かって跪いた
いつの間にか聖も同様に跪いている
後に知るところによると、宝塔の放つ光には聖ですら顔を上げることができないとのことだった


聖「よくお聞きなさい、星」スクッ

星「は、はい」

聖「心しなさい。あなたはたった今から神のお役目を得たのです」

星「……!」コクッ

聖「あなたに教えるべきことは多い。しかしそれは少しずつ身に刻む他ありません」

聖「以後私に伴い、その真髄を学び取りなさい。いいですね?」

星「……はい!」


寺を訪れる人間たちを、聖はいつも同じ場所で迎えていた
人間たちの様々な問いかけに返事をするのが聖の日課であるらしい
私はその光景を片時も離れず見聞きしていた


聖「確かに今までのあなたは金銭的に苦労されたのかも知れません」

聖「しかしそれはあなたが過去と今しか見えていないから、そう思うのです」

聖「仏は過去と現在ばかりでなく、限りない無数の未来までも全てお見通しです」

聖「そしてその中には、あなたが里一番の果報者となる未来もちゃんとあります」

聖「しかしながらいかに多くの金銀財宝を得るとも、それであなたの悩みは克服されることはないでしょう」

聖「貧者はどれほど富を得ようとも、結局何も変わらないから貧者と言うのです」

聖「仮に少しばかり金銭を得たとして、それからどうなるでしょう」

聖「その富を守ることのみに汲々として、生きる喜びを見失うか。あるいはあっという間に散財してしまうか」

聖「もしくは他の誰かに言い包められて、あれよあれよという間に持ち去られてしまうかも知れません」


聖「詰まるところ、貧者は富と財の主人となることができない故に、富裕を保ち続けることが叶わないのです」

聖「これを克服するには、いくら金を追いかけても意味がありません」

聖「もはやあなた自身の本質を変える以外に手立てがないのです」

聖「もしあなたがそのように決意できたならば、もう一度こちらへお出でなさい」

聖「金銀財宝などとは比べ物にならない、仏法の真髄を伝授致しましょう」

星「…………」


聖「もちろん疲れるでしょう。けれどもこれは欠かすことのできない所作なのです」

聖「十本の指を合わせて自分の胸に正対する……」スッ

聖「何もこれは飾りでしていることではありません。合掌には大変重要な意味があるのです」

聖「人の心には十の相があり、その中には仏を頂点として最下段には地獄まで、全てが備わっています」

聖「これを十界と言います。そして十本の指はそのまま十界を表しているのです」

聖「仏はこの十界は皆等しく、その本質は全て同一であると説いています」

聖「これは転じてみれば、どんな立場や境遇にある者も皆全て成仏が叶うと言う、まさに仏の慈悲が現れた大宣言に他ならないのです」

聖「欲望に歯止めが効かないのは畜生、心を囚われてしまって抜け出せないのは餓鬼……」

聖「喜ぶは天、知を得んとする働きは声門、困っている者を放っておけないのは菩薩……」


聖「ありとあらゆる心の状態は全て十界に収まり、そしてそれらの本質はただ一つ」

聖「仏や神、そして人、動物、妖怪すらも、それらの内の一側面に過ぎません」

聖「そして十界は一つも漏らさず全てが成仏の道に通じている……これを十界互倶と言います」

聖「即ち、どんな世界のどんな時代のどこの誰であろうとも、成仏は必ず叶うということです」

聖「しかし未だ未熟な凡夫でしかない私たちは、すぐにそのことを忘れてしまうのです」

聖「一瞬ごとに十界が次から次へと移り変わり、まるで定まらない」

聖「そこでややもすると、仏の慈悲を疑って自暴自棄な振る舞いに走ってしまうことすらあります」

聖「だからこそこうやって、仏のお言葉が確かに間違いないということを何度でも思い出す必要があるのです」

星「…………」


聖「確かに天から与えられたものとしては背負うに重いものだったのかも知れません」

聖「しかし嘆き悲しむ今のあなたは本当の姿でありません」

聖「それは言い換えれば方便と言うものです。今の苦境は乗り越えるためにあるものなのですよ」

聖「幸福になるためには、それを得るにふさわしい丈夫であることを天地に示す必要があります」

聖「多くの如来たちも天の神々も、あなたがその姿を現す瞬間をまだかまだかと見つめているのです」

聖「そしてまさにあなたがそれを証明するには、方法は一つしかありません」

聖「それは苦難に遭い、それに向かって勇敢に挑み、そして勝ち越えることです」

聖「あなたは今の苦難は重過ぎて、自分には到底敵わないと思うのかも知れません」

聖「しかしそれは凡夫の目でのみ判断したことでしかありません」

聖「仏の眼に照らせば、それが越えられるものであるからこそ今の苦難があるのです」


聖「あなたは過去世でいくつもの大きい苦難を乗り越えて、今に至っているのでしょう」

聖「大きな苦難を勝ち越えた者だけが、それに応じた幸福を得ることを許されるからです」

聖「もちろん過去世など私たちには思い出せませんが、仏様はちゃんとご存知なのですよ」

聖「……あなたはまだ気付いていないのでしょうが、人並みの幸福には退屈しているからこそ今があるのです」

聖「今は信じられないかも知れませんが、この苦難の先にある世界を見てみたいと思う強い自分が、あなたの中で眠っているのです」

聖「仮にこの苦難が何事もなく過ぎ去ったとしても、あなたの魂が満足を得ることはないでしょう」

聖「偶然や他人の力を借りて助かったとしても、自分がみじめになるだけです」

聖「目の前の苦難には立ち向かうより他にないのです」

聖「どうかお忘れなく。全宇宙の神々があなたの号令を心待ちにしています」

聖「あなたが決意して立ち上がる、その時が来るまで」

星「…………」


寺を訪れる人間たちは、皆何かしらの不安や苦悩を抱えていた
中には、今にも崖から身を投げてしまいそうなほど悲嘆に満ちた者もいた
しかし聖の言葉を聞くと、誰もが大なり小なりの希望を瞳に宿らせて帰って行く

一度気落ちしてしまった者を立ち直らせることは、天地をひっくり返すより難しい
そうなってしまったら相手の方から再起するのをただひたすら待つしかないのだ

しかしその不可能なはずの行いを、聖は何度でも目の前で実現して見せた
私はただ黙って聖の近くで言葉を聞いているだけだった


聖「お疲れ様でしたね、星」

星「い、いえ! あなたの方こそ……」

聖「立ったままでくたびれたでしょう? もう参拝する方もいないようですし、ゆっくり腰を下ろしてください」

星「あ、いえ……私は何も……」


聞けば仏法というものは、何千年もの昔から数え切れない人間が続けてきた英知なのだという
聖はその汲めども尽きぬ知恵の泉を、人間にはもちろんのこと、妖怪の私たちにも分け隔てなく与えてくれた

聖と共に過ごす日々に、私の心はまるで長い夢から覚めたような衝撃を味わっていた
その言葉を聞く度に、私は自身の内側から力が湧きあがって来るのを感じていた


……しかし、そんな日々も長くは続かなかった


~???~


ナズ「……本当によろしいのですか?」

ナズ「あの聖白蓮なる人間にございます!」

ナズ「神たるあなた様の代役を立てるなど! 何と恥知らずな所業でしょう!」

ナズ「そればかりか、その代役がまさか……卑しい妖獣だなんて!!」

ナズ「こんなこと、全く持って不遜の極みではありませんか!」

ナズ「いやしかし……」

ナズ「!! い、いえ! 決してそのようなことは!」

ナズ「……はっ、畏まりました……」


いつだったか、毘沙門天様よりナズーリンという妖怪が遣わされた
小間使いを持てるような甲斐性は無いと固辞したものの、毘沙門天様からの御計らいと聞かされては何も言えなかった


村紗「少しよろしいですか?」

星「村紗ですね、どうぞどうぞ」

村紗「……今ナズーリンはいないのですか?」

星「はい。ナズーリンはいつもいるわけではありませんからね」

星「用事があるなら呼んでいいと言ってはいましたが……今お呼びした方がよろしいでしょうか?」

村紗「あ、いえ、その必要はありません」

村紗「ちょっとあの者の働きぶりが気になっていましてね……」

星「はあ」


村紗「コホン……どうですか? あなたの目から見て、あれは真面目にやっていますか?」

星「ええ、それはもう。どんな頼みごとでも、嫌な顔一つせず引き受けてくれますよ」

星「もっとも、それほどきつい仕事を頼んだことはありませんけど……」

村紗「ふむ、そうですか……」

星「彼女がどうかしたのですか?」

村紗「いえ、何でもありません」

村紗「きっといつも通りの、私の思い過ごしでしょう」

星「はあ……」

村紗「……後ほど一輪と共に向かう所があります。聖から離れぬようお気を付けください」


星「今日もですか? 聖が寂しがりますよ?」

村紗「どうか訳は聞かずにいていただきたい。これは我らのため、寺のため、延いては聖のためなのです」

星「そうですか……」

村紗「くれぐれも、聖にだけはご内密に……」

星「それは構いませんけど、しかしいつまでも隠し通せるとは思えません」

星「聖の目は節穴ではないのです。いずれは全て知られてしまいますよ?」

村紗「その時は如何ようにも罰を受けましょう。既に覚悟はできています」

星「とにもかくにも、無事に帰って来てください」

星「あなたたちにもしものことがあれば、聖がどれほど悲しむことか……」


村紗「心配ご無用。私も一輪も過去は相当鳴らした妖怪だったのです」

村紗「今までと同じく、きっと何事もなく帰って来れるでしょう」

星「それならば良いのですが……」

村紗「では、留守は任せましたよ」

星「どうかお気を付けて」


思えばこの時から既に胸騒ぎを感じていた
私に未来を見通すだけの賢さがあれば、あのような悲劇は回避できたのではないだろうか


~森~


村紗「もう一度だけ言います。これが最後です」

村紗「あなたたちに弟子としての誇りが少しでもあるのなら、聖の顔に泥を塗るような行いを省みて、直ちに去りなさい」

村紗「これ以上の傍若無人な振る舞いは許さない。従わないなら……実力行使に出る!」スッ

妖怪1「……」

妖怪2「……」

妖怪3「……」

妖怪4「……ははっ」

村紗「……何がおかしい」


妖怪4「いやぁ、随分滑稽だと思ってね。今のあんたらがさ」

妖怪1「ふふふ……」

妖怪2「くっ……くくくく……」

村紗「……?」

一輪「……」

妖怪3「全く……いつまでも自分たちが親玉のつもりでいるとはねぇ」ニヤニヤ

村紗「何だと? 何を言っている」

一輪「…………」


妖怪5「分からないのか? もうお前らの時代は終わったんだよ」

妖怪6「少しばかり力を持ったところで、所詮あの女は愚かな人間でしかなかったんだよ!」ニヤッ

村紗「あの女……? それは聖のことかッ!?」

一輪「…………」

妖怪7「他に誰がいるってんだ? 話が進まなくて困るなぁ」

妖怪8「まぁったく、間抜けなヤツで助かったよ!」

妖怪8「ちょっと煽てるとすぐ調子に乗ってくること!」

村紗「……」

一輪「…………」プルプル


妖怪2「せいぜいお前たちは、あの辛気臭い寺で永久にままごとをやってればいいさ!」

妖怪3「ま、その寺ももうすぐ私たちが頂いちまうんだがなぁ!」

妖怪一同「あはははははははは!!」

一輪「……!!」ブチッ

村紗「い――」


一輪「いい加減にしろッ!! このクズども!!」


村紗「!」


妖怪1「……」

一輪「何という身の程知らずか! 愚か者とは貴様たちのことだ!」

一輪「姐さんの慈悲にすがり付いて命を繋いでいるような半端者が、いい気になるんじゃないッ!!」

一輪「貴様らのようなゴミどものために、今まで姐さんがどれほど心血を注いできたと思っているッ!!」

一輪「これ以上姐さんに無駄な手間をかけさせてたまるかッ!!」

一輪「姐さんの言葉を待つまでもない! 貴様らはここで消えろッ!!」

妖怪1「……よくしゃべるわねぇ。でもお生憎様」

妖怪1「あの女の下で潜―――」

一輪「お前だお前!!」

妖怪1「?」


一輪「百年前のことを忘れたとは言わせんぞ!」

妖怪1「……!!」

一輪「過去に私が鉢合わせた妖怪の中でも、特に卑怯で臆病で口先ばかり達者なヤツ!」

一輪「弱い妖怪にばかり向かって威張り散らす、最下層の下衆!」

一輪「それがお前の正体だ! 私が忘れたとでも思ったのか!」

妖怪1「……」

一輪「あの時のお前は私の噂に恐れをなして、それまで叩いていた大口を簡単にひっくり返したな!」

一輪「お前は私に会うなり、涙を流して命乞いして来やがっただろう!」

一輪「そればかりか、自分の立場を守るために、何もせずこのまま去れと言ってきたな!?」

妖怪1「……」


一輪「私はお前を見逃した!」

一輪「お前に同情したからじゃない! お前のような下衆のために時間を浪費することが、死ぬほど下らないと思ったからだ!」

一輪「それを今の今まで何も言わずにいたのは、姐さんがいたからだ!」

一輪「心を入れ替えて姐さんの弟子になるのなら、下らない過去は水に流そうと思ったからだ! それだけのこと!」

一輪「だがお前は何も変わっちゃいなかった! 相も変わらずクズの見本そのものだ!」

一輪「甘かった……! あの時お前を仕留めておかなかったことこそが、私の最大のしくじりだったんだ!」

一輪「覚悟しろ! もうお前のようなゴミどもに、朝日を拝めると思うな!」スッ

村紗「……一輪の言う通り」

村紗「もう警告はしない。聖の思いを裏切った罪、冥界で悔いるがいい!」スッ


妖怪3「ふ……ふふふ……」

妖怪2「見せてやりなさいよ。どうもそうしないと分からないみたいよ?」ニヤニヤ

妖怪1「ふぅん」

一輪「雲山! 出し惜しみは無しよ! 全力でやれッ!!」

ゴゴゥ…

村紗「聖……お許しを!」

ズズゥッ…


妖怪1「……マジックバタフライ」


一輪・村紗「!?」


ズドドドドォッッ…


―――ドガァァァン!!



一輪「ぐう……ッ!?」ドサッ…

村紗「ぎっ……!」ドサッ…


妖怪1「ふ……ふふ……はははははっ!」

妖怪一同「あぁっははははははは!!」


妖怪5「見たか!? 今のあいつらの顔!」

妖怪6「見た見た! いっぺんに胸がスッとしたぞ!」

一輪「ぐ……い、今のは……」

村紗「そんな……それは、聖の……!」

ジャリ…

妖怪1「そうよ? これはあの女の魔法」

一輪「……!」

妖怪1「残念だったわね。私たちは元からこうするのが目的だったのよ」

妖怪1「冷静に考えれば分かるでしょう? 妖怪が人間の手下になんてなるわけないじゃない!」ニヤッ


一輪「お、お前ら……! よくもッ!」ギリッ

妖怪4「全くあの女ときたら、こんな凄い魔法を惜しげもなく披露してくれるとは、これは感謝しかないよなぁ!」

妖怪3「解析するにはかなり手こずったが、それももう終わりだ!」

一輪「……はっ! こんなもの……!」ヨロッ

一輪「本物の姐さんに比べれば、偽物と呼ぶことすらおこがましいわ!」

村紗「その通り……そんな借り物で、我らに勝てると思ったのか!」ググッ

妖怪7「おおっとぉ! こりゃ痛い所を突かれたなぁ?」チラッ

妖怪8「まだ分からないようだから言ってやる……」

妖怪8「マジックバタフライを使えるのは一人だけじゃないんだよな!」スッ


キィィィィン…!!


村紗「!!」

一輪「ぐっ…………だがお前ら全員がその魔法を使ったところで……!」

妖怪1「見苦しいわね。往生際が悪いわよ?」

妖怪1「偽物だろうと何だろうと、これだけの数相手に敵うわけないじゃない」

村紗「ぐうっ……!」ギリッ

妖怪2「はっはっは! 遂に我らの世の幕開けだぁ!!」


聖「なるほど、大変よく分かりました」


妖怪一同「!?」


一輪「あ、姐さん!?」

村紗「聖ッ……どうしてここに!」

聖「どうしてではありません。それはこちらの言うことですよ」

聖「私に隠れて何をしているのかと思えば……まさかこんな所で油を売っていたとは」

一輪・村紗「……」

聖「二人とも帰ったらお説教ですよ? 覚悟しておきなさい」

一輪「は……はい……」

村紗「申し訳、ございません……」

聖「……」チラッ


妖怪2「お、お前! いつの間に現れやがった!」

妖怪3「いや……今はそんなことどうだっていい!」

妖怪4「そうだ! もうお前に恐れを為す我らではないのだ!」

妖怪7「ここで仕留めてやる! わずかでも人間如きに従った屈辱、今こそ返してやるぞ!」サッ

妖怪1「この数が相手なら、いくらお前とて勝つことは叶わん!!」スッ

妖怪8「行け行け行けぇ! 跡形もなく消し飛ばしてやるッ!!」スッ


キィィィィィン!!


聖「村紗、一輪、私の後ろに下がっていなさい」

聖「今回は少しばかり強い魔法を使いますよ」

一輪「!……は、はいっ!」ササッ

村紗「!」ササッ

妖怪1「哀れな最期ね! 聖白蓮!」

妖怪1「あなたは間抜けな善意で身を滅ぼしたのよ!」

聖「……あなたたちは三つ思い違いをしている」

聖「一つ、あなたたちが邪な動機で近付いたことは分かっていました」

聖「それでも入門を許したのは、本気で改心することを待っていたからです」

妖怪5「ゴチャゴチャうるせえんだよ! 黙ってあの世に行けッ!!」


聖「二つ、あなたたちに見せたマジックバタフライは、本来の威力の一割にも満たない」

聖「あれ以上の力を込めてしまっては、その余波であなたたちを気絶させてしまうおそれがありましたからね」

妖怪6「ほざけ! 無駄な強がりはやめるんだな!」

聖「そして三つ……」


聖「私の慈悲は、地獄の釜より熱いッッ!!」


妖怪一同「「「「マジックバタフライ!!」」」」


聖「マジックバタフライッ!!」


―――ギィン!


ズガガガガガガァァァァン!!




聖「……」




聖「では、寺に帰りますよ」クルッ

一輪・村紗「はっ!」


実は彼女たちの仲間には、気まぐれで聖に近付かないままの妖怪がいた
その妖怪が遠くで一部始終を見届けていたことは、まだあの頃の聖には気付くことはできなかったのだろう

血相を変えた人間たちが寺に押し寄せたのは、それからしばらく経ってからだった


~寺~


星「何事ですか、騒々しい」

星「せめて合掌ぐらいしてからお入りなってはいかがですか?」

ドタドタドタ…

星「!……な、何をするのです! やめなさい!」

星「それはこの寺の! 返して!」

星「返してください! これは聖の弟様の……!」

ガタガタッ

村紗「何をしているのですか! 毘沙門天から離れなさい!」


一輪「雲山ッ! 毘沙門天を援護しなさい!」サッ


ズゥゥゥッ…!


ザワザワザワ…!


村紗「一体どういうつもりですか! 訳を言いなさい!」

一輪「!? 星、まさか宝塔を……」

星「……」コクッ

一輪「許さんぞ貴様ら……よくもこんな無礼を!!」グッ


星「止めなさい一輪! 暴力はいけません!」

一輪「……!」ピクッ


ドタドタドタ…


一輪「……くっ」


寺の小間使いと目されていた一輪が妖怪の力を現したことで、彼らは一瞬怯んだ
しかしすぐ我に返ってそのまま走り去って行った
彼らはにわか雨のように突然現れ、宝塔だけを奪って行ったのだ

残された私たちは、困惑したまま聖の帰りを待たねばならなかった


一輪「どう? どうなの?」

ナズ「……なるほど」

村紗「分かりましたか?」

ナズ「確かに宝塔は今、人間の里の方角にあるようだね」

村紗「……」

星「そうですか……」

一輪「あいつら……一体どういうつもりよ!」

一輪「いきなりやって来て姐さんの宝を……! あんなの強盗じゃない!」ドンッ

村紗「下手を打ちました……聖不在のこの時に、何という不始末……」


ナズ「いや、多分……」

村紗「?」

ナズ「あいつらは、今聖様が出かけてると知ってて寺に押し入ったんだと思うよ」

ナズ「そいつらは、里でも寺でもそれなりに顔の知れた連中だったんだろ?」

村紗「……そうですね」

ナズ「だったらただの強盗とは考えにくいね」

ナズ「泥棒だって、自分の顔を見られながら盗みを働くほど馬鹿じゃないさ」

ナズ「そんな事をしたら、あっという間に捕まって折角のお宝も取り上げられてしまうだろう?」

一輪「そりゃ、まあね」


ナズ「じゃあそこまでして金に困っていたのかと思うと、宝塔以外の物は何も持って行かなかった」

村紗「ふむ……」

ナズ「つまりヤツらの目当ては金じゃない。宝塔だけが必要だったんだ」

ナズ「しかし妖怪退治に使うだけなら、何も無理やり奪って行く必要なんてない」

ナズ「そもそも悪どい妖怪なんて出たら、聖様が真っ先に駆け付けて退治なさるからね」

星「すると、どういうことでしょう??」

ナズ「向こうは寺と敵対関係になることを覚悟してたんだと思う。だから聖様の不在を狙って先手を打って来たんだ」

村紗「……!!」

一輪「ちょっと、それって……」

ナズ「うん、残念ながら多分そうだ」


ナズ「人間たちは私たちを、この寺を、敵と見なしている」

星「!!?」

ナズ「私たちの正体がバレたのか、聖様の魔法が明るみになったのか、その辺りはよく分からない」

ナズ「ただ、突然人間たちが敵対関係になるとしたら、それぐらいしか理由は思いつかないよ」

ナズ「人間と妖怪は、完全に敵同士だからね」

村紗「…………」

一輪「何てこ―――」


星「何と愚かなッッ!!」ドンッ!


一輪「!?」


星「何たる無知!! 何たる恩知らずか!!」

星「あれだけ聖の慈悲に浴しておきながらッ!!」

ナズ「……」

一輪「……」

村紗「……落ち着いてください。焦ってどうにかなるものではありません」

星「これが落ち着いていられますか! 聖の一大事なのですよ!」

星「万が一聖の機嫌を損ねて、洞窟にお篭もりになるようなことがあればどうしますか!!」

星「もしもそんな事になってしまったら、もはや私たちには打つ手がないのですよ!?」

星「今この地上において、洞窟に篭もってしまった者を呼び戻せるのは、聖をおいて他にいないのです!!」

村紗「……!」


星「ナズーリンッ!」

ナズ「は、はいっ!?」ビクッ

星「今すぐ聖の行方を追いなさい! 何としても私たちで聖を守るのです!」

ナズ「しかし……私が探せるのは主に鉱物で、にん―――」


その時の私は無我夢中だった
何としても人間たちより先に、聖を見つけ出さなければならない
ナズーリンが途中で何か言っていた気もするが、何を言ったのか全く思い出せない
後から聞いたことだが、その時の私は一輪の入道より素早く地を駆けずり回っていたとのことだった

やっとの思いで聖を見つけた頃には、私は脇に抱えたナズーリンを下ろすことさえ忘れていた


聖「一体どうしたのですか? そんなに慌てて」

星「ひ、聖……ぜぇ、はぁ、ぜぇ、はぁ……ご、ご無事ですか……??」

聖「まずは落ち着いて深呼吸なさい」

星「ぜぇ、はぁ……は、はい」

聖「……」

星「すー……はー……」

ナズ「……よっと」スタッ

星「一大事です!聖! 今すぐお逃げください!」

聖「??」

星「私たちが退路を開きます! さあお早く!!」


聖「……今一つ要領を得ませんね。何があったのですか?」

星「話している暇が惜しいのです! は、早くしないと!」

聖「何があったかは分かりませんが、冷静になりなさい」

聖「いざという時に慌てないための仏法なのです。いつも言って聞かせたでしょう」

星「……は、はい」グッ

聖「それでどうしたのですか? 順を追って話してご覧なさい」

星「人間たちが、あなたを狙っている!」

星「あなたを敵と思って、今も追いかけて来ているかも知れないのです!」

聖「……うん?」ピクッ


ナズ「宝塔が奪われました。人間たちの手によって」

聖「!……そうですか」

星「そうです! だから早く! 早く逃げないといけないのです!」

聖「いいえ、私は逃げるつもりはありません」

星「!? な、何を言っているのですか!」

聖「いずれ全て明らかにしなければならなかったこと。その時期が少しばかり早く来ただけですよ」

星「!??」


慌てていた私には突拍子もない言葉に聞こえたが、聖はナズーリンの言葉だけで全てを理解していたのだ


一輪「はぁ、はぁ……よ、良かった、まだ無事でしたか……」

聖「はい……一輪、村紗、あなたたちも無事で何よりです」

村紗「はぁ、ふぅ、はぁ……まさに、あなたの仰る通りですね……はぁ、はぁ」

村紗「運命は、いつだって突然やって来る……!」

聖「その通りです。二人とも心して聞きなさい」

一輪・村紗「……」コクッ

聖「只今より、かねてからの難事に決着を付けに参ります。覚悟はよろしいですね?」

一輪・村紗「はっ!」

星「!? な、何を……」


聖「ナズーリン、今宝塔はどちらの方角にありますか?」

ナズ「ここより西南西の方角にございます」

星「ナズーリン!」

聖「星、私たちは今から彼らとの交渉に向かいます」

聖「あなたは寺を守りなさい」

星「何を仰いますか! あなたが危険な目に遭うかも知れない時に、どうして自分一人だけ帰れましょう!」

聖「分かりませんか? 私たちに何かあった時は、あなただけが頼りなのです」

星「!!」

聖「今ここであなたに何かあれば、そこで仏の悲願は潰えてしまうのです」


星「私などどうでも良いではありませんか! 聖、あなたなのです!」

星「あなたさえこの地上に留まってくれれば、もうこの世界に明けない夜など来ないのです!」

星「あなたがいなくては、人間も妖怪も共に等しく暗黒に沈むだけ! どうして分かってくださらないのですか!」

一輪「……」

村紗「……」

聖「いいえ星、それは違いますよ」

聖「何度も教えたはずです。あなたにも私にも、そして全ての命ある者たちにも、同じものが備わっています」

聖「あなたがその気になれば、私を超えることなど造作もないことなのです」

星「そんなことは……!」


聖「寺に戻りなさい、星」

聖「迷える命は数あれど、御仏の意志を継いでくれる者はそう易々とはいないのです」

星「…………」

聖「”これより時来たらば、正法を求める者、正法に到る大道、そして無上の大乗法、この三宝必ず現れ出でる”」

星「……?」

聖「その三宝が具体的にどのようなものであるか、最後まで命蓮は説くことはありませんでした」

聖「ですが星、あなたが心からそれを求め、懸命に修行に励むなら、いつの日かその姿を目の当たりにする時が来るかも知れませんね」

聖「ならばそんな暗い顔をしていてはいけません。あなたは大変な時に巡り合わせているのです」

聖「私がこのような未来を迎えたこともその証と言ってよいのです」

聖「本来であれば飛び上がって喜び、舞い踊るほどの慶事なのですよ?」ニコッ

星「…………」


聖「心配には及びません。どんなことがあろうとも、私は必ず帰って来ます」

聖「案外、何事も無く今晩にも帰って来るかも知れませんよ?」

星「……」

星「承知、しました」

聖「よろしい!」

聖「ナズーリン、あなたには今後も星の警護をお願いします」

ナズ「畏まりました」


聖「星、しばしのお別れです。達者でいなさい」

星「はい……」

聖「では参りましょう」バッ

一輪「はっ!」

村紗「……」コクッ


ただの妖獣でしかない自分には、聖の決意を曲げることなどできない
私は俯きながら聖の最後の言葉に従うしかなかった

これが長い別れになることを、既に私も聖も気付いていたのだ






ギィン!

ガキン!

ガァン!

バキンッ!


一輪「はぁ……はぁ……結構しんどいわね!」

一輪「敵を傷付けずに戦うってのは!」ザザッ

村紗「ふふっ……しかしどんなことでも楽しくやれば、そう辛くはありません……よっと!」ダンッ


ギギィン!


一輪「あーら、随分余裕じゃない?」

一輪「なら私も!」ザザザッ

村紗「!……矢が来ます!」


ヒュン!

  ヒュヒュン!

ヒュン!  ヒュン!


一輪「チッ……このぉぉおおお!!」


聖「スターメイルシュトロム!!」サッ


ドォォン…!

ドドォォン…!


村紗「はぁ、はぁ……助かりました、聖」

聖「飛び道具は無視しなさい。私が全て打ち落とします」

聖「あなたたちは近付いてくる者にだけ注意を払えばいい」

一輪「全く、姐さんが後ろにいてくれれば……はぁ、ふぅ……怖いものなしだわ!」


ザワ…

ザワザワ…


聖「武器を収めなさい! 私たちはあなたたちと争う気はありません!」

聖「自らに正義ありと信ずるならば、言葉による解決の道もあることを知りなさい!」


ギリリリッ…


ヒュン!

 ヒュヒュン!

ヒュン!  ヒュン!ヒュン!


聖「スターメイルシュトロム!!」


ドォォン…!

ドドォォン…!


一輪「くっ……あいつら……!」

村紗「ダメです、聖。彼らはまるで聞く耳を持たない」

一輪「さっきから馬鹿の一つ覚えみたいに……鬱陶しいわ、ねッ!」ブンッ


ギキィン!


村紗「これではキリがありません……」

一輪「はぁ、はぁ……あいつら、自分の寿命が来るまでああやって仕掛けてくるつもりなのかしら?」

聖「今は耐えるのです。彼らとて、その武器と体力が無限に続くわけではありません」


ザワザワ…


人間たちがいくら攻撃を繰り返しても、聖たちに傷一つ負わせることはできなかった
数で圧倒的に上回る人間側も、妖怪たちが力尽きることを狙っていたのだ


ヒュヒュン!

ヒュン! ヒュン!

ヒュン!ヒュン!


交戦が一時間近くまで達した頃、奥にいた術者らしき者が進み出る
その手に持っていたのは、まさしく宝塔であった


村紗「……来たか!」

一輪「ついに出てきたわね!」

聖「……」


しかし聖には不可解だった
宝塔は並の術者には扱うことは不可能だからだ
魔法を扱える自分でさえ、星のように自在に操ることはできない


一輪「さあ、そろそろ目新し――」




―――ピカッッ!



聖「!!」


ザワザワザワ…!


村紗「くっ、眩しっ……!」

一輪「ぐうっ、ゆ、油断したっ!」

一輪「聖様! 聖様!」

村紗「…………!?」


二人の妖怪が視力を取り戻すと、既にそこには宝塔に向かって跪く聖がいた


一輪「あ、姐さん!?」

村紗「聖、何を!」

聖「一輪、村紗、武器を収めなさい」

聖「私たちの負けです」

一輪・村紗「……!!」

聖「宝塔はその意思を示しました。もはやこれ以上の戦闘は無意味です」

一輪「そ、そんな……」

村紗「……」ガクッ


ザワザワザワ…


一輪「あいつら……盗んだ物でいい気になるなよッ!」グッ

聖「やめなさい、一輪。既に勝敗は決したのです」

一輪「聖様! あ、あんな光り物……私たちが叩き潰して……!」

聖「やめなさい。宝塔の光は御仏の言葉に等しいのです」

聖「御仏のご意思に背くなど、おこがましいこと……」

一輪「くっ……」ササッ

村紗「ここまでか……」ササッ

聖「聞こえていますね! 私たちは降参します! あなたたちの望みを言いなさい!」


ザワザワザワ…


人間たちは戸惑っていた
武器と体力が尽きかけて、半ば破れかぶれになって表に出したのが、かつての高僧ゆかりの珍品だった
それまで何ら光も放つことなく扱い方すら分からなかったものが、突然光り輝いたのだ
するとあれほど抵抗していた妖怪たちはあっさり負けを認めた

訳が分からなかった
しかしながら、妖怪たちをこの地上から消さねばならないことだけは決定済み
かと言ってこの場で仕留められる保証は無い

結論は一つしかなかった


聖「法界……か」


一輪「ひ、聖様……ヤツらは何と??」

聖「どうやら私たちを封印する気でいるようです。しかし……」

村紗「……」

一輪「しかし?」

聖「宝塔の力を借りても、彼らに法界は開けられないはずです。ならば……」スクッ

聖「いいでしょう! ただし法界へ行くのは私一人! この二人は地獄送りになさい!」

聖「さすれば私も潔く法界へ赴きましょう!」


ザワザワザワ…!


聖は人間側が不利な立場にあることを察知した
さらに、自分が一番厄介な相手であることは既に彼らも知っている
この二つの条件を利用すれば、相手から譲歩を引き出すことはさほど難しくはなかった


村紗「法界……そこへあなた一人が墜ちると言うのですか?」

聖「そうです。地獄はそれよりずっと過ごしやすい場所になっています」

聖「あなたたちであれば、そこで消えて無くなるようなことはないでしょう」

一輪「しかし! それでは聖様はどうなるのですか!」

聖「私は心配要りません。どんな環境であれ、二百年でも三百年でも耐えてみせます」

村紗「ならば、私たちも共に……!」

一輪「そうです! ここまで来て袂を分かつなど、あんまりではないですか!」


聖「あなたたちは法界がどんな場所であるか知らないからそんな事が言えるのです」

聖「あそこは如何なる生命活動も否定される、まさに無明の空間」

聖「千人入れば、千人とも生きては帰れない場所なのですよ」

村紗「なればこそ! なおさらあなた一人に行かせるわけにはいかない!」

一輪「村紗の言う通りです! あなたのいない世界で生き延びて、一体それが何になりましょう!」

聖「……では、これが最後の問いかけになりますね」

一輪「……?」

聖「私を信じるのか、それとも自分を信じるのか……好きな方を選びなさい」

一輪・村紗「!!」


一輪「あ……う……」

村紗「………………」

聖「いかがですか?」

村紗「私は……信じます! この命尽きる最後まで、あなたの言葉を!」

一輪「…………仰せの通りに!!」グッ

聖「それがいいでしょう」

聖「行く先が地獄であれば、あるいは自力で脱出する道もあるかも知れませんからね」ニコッ

一輪「はっ……!」

村紗「…………」


一輪と村紗は自ら宝塔の前に身を晒し、その最期の瞬間を迎えた


村紗「いつの日か、またお会いしましょう!」

一輪「聖様……どうかお元気で!」


聖「……」コクッ


ゴゴゴゴゴゴ……

ズズゥゥン……!!


聖「さあ法界を開けなさい! 開門の術式は既に完成しています!」


ザワザワ…


どうやって法界を開けるべきか悩んでいた所に、魔の尼僧から思いがけない助け舟が寄越された
人間たちは戸惑いつつも、聖の言葉に従う他なかった


聖「しかと見よ! これが無明の大穴である!」


ゴゴゴゴゴゴ……


聖「……後々のこと、委細任せましたよ」


ズズゥゥン……!!


はるか遠くで、一部始終を見守っていた鼠が頷いた


妖怪9「ふ……はははは!」タッタッタッ

妖怪9「ざまあないわね! 笑っちゃうわ!」

妖怪9「あいつ、まさか法界に封印されるだなんて!!」

妖怪9「人間が生意気に魔法なんて身に着けるからこうなるのよ! あーおかしい!」


ドンッ…


妖怪9「あだっ!」コテッ

?1「痛ってーな、前ぐらい見ろよ」


妖怪9「何よ、うっさいわ――――!?」

?1「それともお前の目は飾りなのか?」

妖怪9「ひっ……あ、あなたは……」

?1「おっと物はついでだ。お前、私の技を食らってみる気はないか?」ニヤッ

妖怪9「!?」

?1「最近骨のあるのがいなくってな。そんじゃ……」スッ

妖怪9「ひっ! ヒィィィィィィ!!」ダダッ

?1「金剛螺旋!!」


ズガゴガゴガガゴゴガァァァァン!!!



?1「……ありゃ、これはダメだね」

?1「跡形も残らなかったか。もうちょっと強い相手にしとけば良かったな」

?2「何かあったの?」

?4「…………」

?1「いんや何も」

?3「おいおい、道草なんて食ってる暇はないよ? 事は急を要するんだからね」

?1「しかし本当にこんな辺鄙な所にいるのか?」

?3「任せときなって! 情報の出所は確かだよ!」

?2「何百年ぶりかしらね。魔法使いが現れるだなんて」


?1「何使いでもいいけど、とにかく強くないと話にならないよ」

?3「そんなこと一々調べてられるわけないっての。言っただろ? これは今しか狙えない獲物なんだ」

?1「へぇ」

?2「何か目印になるものでもあるのかしら?」

?3「あるある。どうも寺で坊主とかいうのをやってる道楽者らしい」

?1「獲物はそいつ一人だけか? そうなるとこの四人で奪い合いだな!」

?3「そういや護衛が二人、変な法具を使うのが一人いるらしいねぇ」

?2「……あら、ちょうど四人分揃ってるのね」


?1「ようし! こうなりゃ誰が本命を頂けるか競争だな!」

?1「誰が誰に当たるのか、恨みっこなしで行こうじゃない!」

?2「あらあら、もう自分が勝ち取った気にでもなってるのかしらぁ?」コキッ コキッ

?3「よぉし、この丘を越えれば…………ん?」

?1「どうした?」

?3「おかしい……反応が弱すぎる……数も足りない」

?2「……どう数えても二人しかいないわよ?」

?4「…………」


?1「何だありゃ。ネズミ一匹に、いかにも弱そうな猫が一匹いるだけだな」

?1「坊さんはどこ行ったんだよ」キョロキョロ

?3「……いや、確かその虎妖怪がホウトウとかいうものを持っているはずだよ」

?3「もう一回よく見てみな」

?2「無い物は無いわよ」

?3「そんなバカな……一体どこへ行った?」

?2「坊主もいない。法具もない。おまけに護衛すらいないじゃない。とんだガセネタだわ」

?3「そんなハズは……」

?4「……やっぱり気が乗らない。私は帰るわよ」スッ


天狗たちに独自の情報網を設置させ、賢者たちにも気付かれないよう細心の注意を払った
その甲斐あってか、未だ邪魔な監視者も現れていない
それなのにお目当ての強敵だけが煙のように消えてしまっている


?3「……誰だ?」

?1「うん?」


この世界において、賢者より目鼻の利く者などいない


……いないはずである


?3「誰が邪魔しやがった……?」




――――――――


――――


――





ナズ「頼む! 何とかならないのか!?」

一輪「そうよ! 私たちにできることなら……いいえ、できないことだってやってやるわ!」

永琳「……無理よ」

村紗「そこを押してお願い申し上げております! どうかあなたのお力を……!」

永琳「いくら頼まれても、こればっかりはどうしようもないのよ」

一輪「そんな! あなたなら体を治すぐらいどうってことないはず!」

一輪「あそこに山のように飾ってある薬は見せかけじゃないんでしょう!?」

ナズ「そ、そうだ! 材料が足りないなら、宇宙の果てまで行って取って来る! だからどうか……!」

永琳「……確かに、そういう薬はある。ここにも常備してあるわ」


村紗「! な、ならばそれを……!」

永琳「ダメよ。あれは使えないわ」

ナズ「どうして!」

永琳「あの薬は効かないわ。絶対に」

一輪「そんなの……やってみなければ分からないじゃない!」

永琳「ならあなたは、あの者が死んでもいいって言うの?」

一輪「!?」

永琳「全ての薬には副作用というものがある。望む効果が現れなくとも、それだけは絶対に現れる」

永琳「あの薬が効くことはない。それでも副作用は必ず現れるわ」

永琳「そして、今の星にはその副作用に耐えることはできない……決して」


ナズ「そんなことは……どうして分かるって言うんだ!」

永琳「分かるわよ。あなたたちは気付いていないの?」

村紗「え?」

一輪「……?」

ナズ「な、何が……?」

永琳「あの患者にはもうこの薬は効かない」

永琳「効くはずがないのよ……」



星が眠り続けてから、もうすぐ一ヶ月が経とうとしている
未だ星は夢の中にいた



――


――――


――――――――



ザザァ…

ビュゥゥゥゥゥゥゥ……!

ゴロゴロ…

―――ピカッ!!


――――ドドドォォン!!


星『…………』


この光景には見覚えがある
もう百年も前になるだろうか

幻想郷の隅々にまで雲が覆い、嵐はいつまでも終わらなかった
さらに各地で地震、地割れが相次ぎ、山火事も至る所で発生していた

山肌を根こそぎ吹き飛ばしてしまうような暴風雨の中にあって、山火事はそれに負けじと勢いを強くしていた
雨と火が互いに争う姿は、まさに当時の幻想郷を象徴していた


妖怪A「はっはっはっはっは!! 良いね良いね!! 最高だァ!!」

妖怪A「私はずっと待っていたんだ!! こんな時代が来るのをなあ!!」

妖怪B「やめろッ!! 自分たちが何をしているのか分かっているのか!?」

妖怪C「そこをどけ! どうせ何を言っても無駄だ!!」

妖怪B「ま、待てッ! 挑発に乗るな! 下がるんだ!!」

妖怪C「こうなったら行き着くとこまで行ってやる!!」

妖怪C「食らえッ!! 鳳翼天翔ッッ!!」ババッ

妖怪A「鬼気狂瀾ッッ!!」ババッ



――――ズゴゴゴォォォォン!!!



妖怪「いやぁゾクゾクしちまうな! あの高慢ちきな賢者も遂にお終いだ!」

妖怪「そうとも! もはや誰にも我らを押さえつけておくことなどできん!」

妖怪「鬼に続けッ!! 今こそ我らの真の力を取り戻す時だ!!」


星『…………』


そこには見たことのないはずの光景が現れていた
そしてこの嵐の中にあって、私の体は風の一吹きも感じず、雨の一滴たりとも当たらない
理屈は分からないが、今の私には過去の幻想郷が見えていたのだ


人間「はっはっは! こりゃあいい!」

人間「妖怪どもがお互いにやり合ってりゃ、いずれは共倒れだ!」

人間「そうだそうだ! もっと戦え! 強いヤツはまだまだいるぞォ!」

人間「全く何で今までこういう時代が来なかったんだ! あいつらは同類で殺しあってるのがお似合いなんだ!」

人間「もっともっと争え! 妖怪なんて、みんな消えちまえばいいんだ!!」


星『…………』


烏天狗A「い、嫌よ! 私は行きたくない!」

烏天狗B「私だってそうだ! でも……」

烏B「これは……天魔様直々のご命令なんだ! 行かなければ、私たちもタダでは済まされない!」

烏A「こんなの、一体何の意味があるのよ! わざわざ死にに行くようなものじゃない!」

烏A「いくら天魔様のご命令だからって……こんな……こんなの酷すぎる!!」

烏B「それでも行くしかないんだ……!」

烏A「嫌よ! こんなのあんまりだわ!」

烏B「立ちなさい! 力を失いたくないなら、やるしかしかないのよ!」

烏A「嫌っ! 嫌ぁあああああああ!!」


星『…………』


人間「ナマンダブナマンダブナマンダブナマンダブナマンダブ……」

人間「早く、早く終わってくれ……! 頼む……!」

人間「おっ父……ひもじいよぉ……おっ父……」


星『…………』


それはまさに地上に現れた地獄だった
全方位に怒りと闘争が充満し、天変地異は幻想郷に住まう者たちの心をそのまま表していた

そして戦うことも逃げることもできない者は、ただ身を震わせて縮こまり、来るはずのない嵐の終わりを待ち続けるしかなかった
私たちもその同類であった


星「幻想郷は……一体、どうなってしまうのでしょう」

ナズ「どうもこうもないだろう。見ての通りだ」

星「……」

ナズ「もうこの嵐も二ヶ月近く続いている。どう考えても自然現象なんかじゃない。何か大きな力が働いているんだ」

ナズ「……もう、この幻想郷も終わりかも知れないね」

星「私たちに、何かできることはないのでしょうか」

ナズ「あるわけないだろう。私たちは神様じゃないんだぞ?」

星「……でも!」

ナズ「気持ちは分かるけど、もう諦めなよ」

ナズ「毘沙門天様もお姿を現してくださらない……きっと私たちは、神様に見放されたんだ」


星「……」

ナズ「何が悪かったのか分からないけど、もう決着は付いてしまったんだ」

ナズ「今できることと言えば、最期の瞬間を静かに待つことぐらいさ」


今ここに聖がいてくれたら何と言うだろうか
解決の方途を宣言するだろうか
それとも意気消沈する私たちを叱咤するだろうか


星「…………」


いずれにしても、聖が未来を諦める姿など、私の意識には決して浮かんでくることはなかった
聖ならば絶対に膝を屈したりはしない
どんな状況であろうとも必ず立ち向かって行くだろう

ならばその弟子たる私も諦めるわけにはいかない
崩れた寺にナズーリンを残したまま、私は行動を起こした


ドンドンドン!

星「お願いです! 開けてください! お話したいことがあるのです!」

ドンドンドン!

星「開けてください! 幻想郷の一大事なんです!」


初めに向かったのは赤くて大きなお屋敷だった
ここには妖怪の中でも特に強い者がいるという噂があった


ドンドンドン!

星「どうかほんの少しだけでも! 今こそこの危機に立ち向かいましょう!」



しかし何回訪ねてみても、扉は堅く閉ざされ門番すら姿を見せない
扉を乗り越えて館のドアを叩きに行ったものの、結果は同じだった

雨で声が聞こえなくなってるものと思い、声の限りを尽くしたこともある
館中のガラスに張り付いて、中の様子を探ったこともある
わざと泥棒のように振舞って、誰かが出て来ないか期待したこともある

それでも中からは何の反応はなかった


星「…………」


いつまでもこの館にこだわっていても埒が明かない
私は別の方法を探ることにした


妖怪「油断するな! ヤツらはまだまだ余力を残しているぞ!」

妖怪「親玉は勇儀に任せろ! 我らは周りの雑魚どもを蹴散らしてやるんだ!」

星「こ、この嵐は自然のものではありません! 共にこの原因を……」

妖怪「おいッ! 西に賢者側の残党が隠れていたぞ!!」

ザワザワ…

星「このままでは、幻想郷は大変なことになります! どうかお力を!」

妖怪「ハッ! 隠れるしか能のないヤツらめ! 今度こそ徹底的に叩き潰してやる!!」

星「今こそ人妖の垣根を越えて、この危機に向かって団結を……!」

妖怪「ああっ!? 誰だてめえは!」


妖怪「邪魔だ! どけッ!」

ドンッ

星「あっ」ドサッ

妖怪「行くぞ行くぞ行くぞォォォ!!!」

妖怪「待ってやがれ! 全員冥界に放り込んでやるぜぇええ!!」

ドドドドドド……

星「……」


人間「おい! また西の方でやり合ってるらしいぞ!」

人間「はっはっは! 俺たちのお祈りもちゃあんと効いてきてるみたいだな!」

星「どうか冷静になってください! このまま嵐が続けば、飢饉になることは疑いありません!」

人間「これでこそ、毎日真面目に仏様を拝んできた甲斐があるってもんだ!」

人間「まだまだ油断するなよ!? あいつらが全滅するまでは、ひたぶるに祈り続けるんだ!」

星「今は恨みを晴らすことに心を向ける時ではありません」

星「親兄弟、家族、隣人のためを思えばこそ、この異変の根本の解決が何より……」

人間「あたぼうよ! こんな所で騒動が終わってたまるかってんだ!」

人間「そうとも! 俺たちの恨み辛みはこんなもんじゃねえってことを、あいつらに分からせてやるぜ!」


星「どうかお聞きください! このままではあなたたちは……!」

人間「!? だっ、誰だ!!」

人間「よ、妖怪だッ!! そうに違えねえ!」


ザワッ…


星「い……今は、人も妖怪も仲違いしていられる時では……」

人間「この野郎! 遂に俺たちの邪魔をしに来やがったな!?」

人間「出て行け! ここは人間様のご領地なんだよ!」


ヒュン…


ガッ!


星「あいたっ!」

人間「おい! 石なんかじゃダメだ! 斧持って来い!」

人間「この妖怪野郎め! 俺の矢で冥土に送ってやる!」

ギリリッ…

星「!」ダダッ


誰も私の話に耳を傾ける者などいなかった
行く先々で石を投げられ、突き飛ばされ、怒鳴られ、そして無視された
もはやいかなる神であろうとも手の施しようが無いくらいに、幻想郷は憤怒に満ちていたのだ


星「はぁ、はぁ、はぁ……」


もうこの巨大な憤怒に立ち向かおうとする者など、誰一人としていない
神ですらその怒りに恐れを為し、姿を隠してしまっているのだから


星「…………」


それでもこの異変に立ち向かう勇気を持つ者を私は知っている
今はもう見ることのできない彼女の姿が、私に再び顔を上げさせた










星「……?」


?「やっと見つけた。寺にいないから探してしまったわよ」


そこには私を待ち構えるように、見知らぬ妖怪が立っていた


星「……あの……どちら様ですか?」

八雲紫「寅丸星はあなたね?」








星「……」


目が覚めると私は地上に戻っていた
透き通った大気はどこまでも静かで、何もかもが洗い流されてしまったように感じる


星「……終わった……の?」


―――ピカッ


ゴロゴロゴロ…


今までの嵐は既にそこにはなく、猛威を振るっていた黒雲は遥か遠くでその後ろ姿を見せていた
地上を覆っていた雲が散って行き、長らく隠されていた太陽が姿を現す
遂に光が戻ってきたのだ


星「……!!」


その時私は確かに見た

この騒動の顛末が如何なるものであったのか
それはあの姿を見れば一目瞭然である


星「そう……そうだったのね……」


確かに騒動は収まった
幻想郷の憤怒は間違いなく鎮められたのだ



――――――――


――――


――



星「……ここは?」


長い夢から覚めると、私は見知らぬ場所で寝かされていた
大急ぎで過去の記憶を辿り、自らの状況の把握しようとする


星「……!!」

星「チルノ!! 小傘!!」グッ

星「う…………」


ぬえ「大人しくしてなさいよ」

ぬえ「相当酷いらしいわよ?あなたの怪我。あのヤブ医者によればだけどね」

星「ぬえ……?」


ぬえ「……」

星「ど、どうなったのですか? チルノと小傘は……他の者は?」

ぬえ「心配しなくていい。みんな無事よ。ついでに言うとお腹にいるあなたの分身もね」

ぬえ「どっちかって言うと、一番酷いのはあなたよ。他の奴は大したことないわ」

星「……」


最後に聖が掛け付けて来て事を終わらせたことを思い出し、私は大きく息を吐き出す
何にせよ、ひとまず私たちは助かったのだ


星「あの……」

ぬえ「ん?」


星「他の者は……今、どうしていますか?」

ぬえ「さあ? またつまんない話でもしてるんじゃない?」

星「?」

ぬえ「あなたがいつになったら目を覚ますだとか、出産はどうするだとか……多分いつも通りよ」

ぬえ「まあ目を覚ますとかに関しては、たった今解決したけどね」

星「そうですか……ぬえ」

ぬえ「何?」

星「私が起きたことを早くみんなに伝えてください」

星「いつまでも心配をさせてしまったこと、すぐにでも詫びねばなりません」

ぬえ「嫌よ、そんなの」


星「?」

ぬえ「眠ってたあなたは知らないだろうけど、この一ヶ月の間、そりゃあもう大変だったんだから」

ぬえ「あいつら、それこそ血眼になってあなたを助けようとしてたのよ?」

ぬえ「ここに担ぎ込まれてきた時は、それはそれは騒がしかったんだから」

星「…………」

ぬえ「それが最近ようやっと静かになってきた所なのに、あなたが目覚めたって知ったら、また大騒ぎするに決まってるわ」

ぬえ「私は静かなのがいいの」

星「……そうですか」


星「しかしそれならばなおのこと、早くみんなを安心させてあげないといけません」ズリッ…

ぬえ「…………」

星「ぬえ、あなたはどこか遠くへ離れていてください」ググッ

星「私が自分で伝えに行きます」

ぬえ「いや、それは……」

星「ふん……!」グッ


ガクッ…


ぬえ「……!」


星「あ、あれ? おかしいですね……」

星「力がうまく……ふんっ……!」ググッ

ぬえ「待った待った!」

星「?」チラッ

ぬえ「あなたは一ヶ月ずっと寝たきりだったのよ? ちゃんと体が動くわけないでしょ」

星「……」

ぬえ「ほらほら、ちゃんとベッドに戻る。余計な怪我なんかされたら、あいつらに何言われるか分かったもんじゃない」グイ

星「はあ……」

ぬえ「きっと今はリハビリ?……とか言う期間なんだから、無理したってダメよ」

星「?」


ぬえ「まあ詳しいことはヤブ……永琳に聞いてよ」

ぬえ「私には難しいことはよく分かんないから」

星「はあ」


ガラッ…


ぬえ「あっ」

響子「ぬえ、せんぱいの様子はどう?」チラッ

星「ご心配おかけしました。もう大丈夫ですよ」ニコッ


響子「……えっ!?」

星「聞けば私のために大変な苦労をしたのだとか。お世話様でした」

響子「たっ、大変でーす!!」ダダダッ

星「あら」

ぬえ「……あ~あ」


響子は聖たちを引き連れて戻って来た
皆がどれだけ必死の思いで私の看病をしてくれたのか、その顔を見てすぐに分かった
チルノや小傘などは泣きじゃくっていて言葉すら出せない様子だった


ナズ「こ、今度こそ、本当にダメかと思った!」

一輪「良かった! ほ、本当に良かった……!」

村紗「……大変でしたね、星。よくぞ戻って来てくれました」

星「今まで心配をおかけしました。皆さんのお陰で、こうして目を覚ますことができました」

星「永琳さんも、一度は飛び出していったのに、また受け入れてくれたのですね。ありがとうございます」

永琳「……」

聖「星、どこか痛む所はありますか?」

星「いいえ、全く平気です。ただ……」

聖「ただ?」


星「ずっと寝たままでいたからなのでしょうね。体がうまく動かないのです」

一輪・村紗・ナズ「!!」

聖「……そのことについては、私から言わねばならないことがあります」

聖「永琳さん以外の者は皆この部屋から下がりなさい」

聖「私が全て説明致します」

一輪・村紗「……はっ!」

ぬえ「……」バサッ…

ナズ「お、仰せの通りに……」

小傘「ぐすっ……は、はい……」

響子「ほら、チルノもこっちに」グイ

チルノ「わぁああああ! わぁああああああ!」


星「無理に引き剥がしてはかわいそうです。チルノはこのままにしておいてはもらえませんか?」

聖「分かりました。響子、そのままになさい」

響子「は、はい……ではよろしく……」ペコッ

永琳「……いつまで覗き見してるつもり? あなたたちも下がっていなさい」

因幡てゐ「!」ササッ

鈴仙「は、はいっ!」ササッ


チルノが泣き疲れて眠るまで、聖も永琳さんも何も言わずにずっと待っていてくれた
寝息を立てるチルノを私の隣に寝かせると、聖は静かに口を開いた


聖「……まずは礼を言わねばなりません」

聖「私のいないあの状況で、よくぞ最後まで守り切りました。お疲れ様です」

星「あ、いえ……」

聖「あの邪仙は間違いなく私が消し飛ばしました。どうかご安心ください」

星「は、はい」

聖「もはやあなたの子を奪おうとする者はいないでしょう。仮にいたとしても私が排除します」

聖「たとえ、それが誰であろうとも」

星「……ありがとうございます」

聖「お腹の子も心配要りません。あなたの守護の甲斐あって、無傷のまま保たれていました」


永琳「医者として保証するわ。胎児は今もすくすくと成長している」

永琳「発育に関しては順調に過ぎるくらいよ」

星「良かった……」

永琳「……」

聖「……では、あなたの体のことについて話さねばなりませんね」

星「……」コクッ

聖「あなたの受けた傷は大変深かった」

聖「その背中の怪我は、本来傷付いてはならない所にまで達していたのです」

星「……」


永琳「傷は中枢神経にまで達していた……具体的には、脊髄の下肢を司る部位が損傷してしまっているのよ」

星「それは……?」

聖「星、心してお聞きなさい」

星「は、はい……」

聖「あなたはもう…………自分の足で、歩くことは……できないのです」

星「……!」

聖「本当に申し訳ありません……もっと私が早く戻っていれば、このような事態は回避できたのかも知れません」

星「何とか、治せないものなのでしょうか?」

聖「……」


永琳「もちろんこの一ヶ月、ありとあらゆる方法を探したわ。あなたの仲間も一緒にね」

永琳「でも……駄目なのよ。今のあなたの怪我を治す薬は、私でも作り出すことができない」

星「?」

永琳「確かに私はどんな傷だろうと治す薬を作ることができる。でもそれには条件があるのよ」

永琳「それは薬を飲む者を選ぶということ……」

永琳「今仮に投与したとしても、効果が得られないばかりか、返って副作用で倒れることになるわ」

聖「……」コクッ

星「……」

聖「たとえ脊髄の怪我すら治せる薬を投与したとしても、絶対に効かないのです…………人であるあなたには」

星「!」


聖「寅丸星……今のあなたの体は、人間のものと全く同じなのですよ」

星「……」

星「……そうでしたか」

星「なるほど。それならば、怪我が治せないというのも当然ですね。彼らの体はとても繊細ですから」

星「このところ、まるで魔法が使えなくなっていることにも、これでようやく合点がいきました」

聖「……驚かないのですか?」

星「少し驚きました。でも、それは大した違いではありません」

聖「……」

星「私はあなたの言葉を忘れたりはしません」

星「あなたの弟子になってから今日まで、私はあなたの言葉を疑ったことなど、ただの一度たりともありません」

星「一人ではあなたの留守も守れない未熟な弟子なれど、それだけは天地に向かって誇ることができます」


聖「そうですか……そうですね、あなたの言う通りです」

聖「どうかお許しを。この期に及んで、まだ私はあなたの覚悟を量りかねていたようです」

星「いえ……私とて、あなたが妖怪に変化したとあっては慌てふためく所です」

星「自分の身のことであるからこそ、こうして落ち着いていられるのですよ」

聖「……そうですね。あなたはいつだってそうでした」

星「でも……本当に伝えねばならないことは、さらにその先にあるのですね?」

聖「残念ながら、その通りです」チラッ

永琳「……」コクッ

聖「今から話すべき事柄は、あなたの子に関わることなのです」

星「……」コクッ


聖「もうすぐ、ほんのわずか先の未来に、あなたの子は胎を離れその姿を現すでしょう」

聖「まさにその時は迫っている。あと一ヶ月もせずにその瞬間が来るのです」

星「……はい」

聖「その時までにあなたは選ばなければならない」

星「……?」

聖「出産というものには、子どもと母親が共に壮健である必要があるのです」

聖「しかるに今のあなたは、その出産に耐えるだけの体を先の怪我で失っています」

星「……」

聖「それ故、出産に際する母体たるあなたへの負担は、体の限界を越えてしまう可能性がある……」


星「では……」

聖「はい」

聖「もしあなたが子を産むことを選ぶならば、それによって……命を、落とすことになりかねないのです」

星「そうですか……」

聖「……」コクッ

聖「星、あなたには自由がある。それを押し留めることは師である私にもできません」

聖「お選びなさい。自分の命を助けるのか、それとも危険な未来に賭けるのか」

永琳「……」


星「産みます。産んで見せます。いかなる困難があろうとも」

聖「……そうですか」

星「はい。私は必ずこの子に未来を与える……私を選んでくれたと分かった時に、そう誓ったのです」

聖「そうですね。あなたならば、きっとそう言うと思っていましたよ」ニコッ

星「ふふ、やはりお見通しでしたか」

聖「ええ、あなたとは長い付き合いですからね」

永琳「…………」


目の前の二人の笑顔は、永琳には理解しがたいものだった
一方は得難き友を失い、また一方は自らの命を失うという残酷な未来が待ち構えている
それなのにこの二人はまるで嘆く様子が見られない
星も聖も、もうすぐ訪れるであろう別れの瞬間を、いかほども恐れてはいなかったのだ


命とはただひたすら生き続けることにその本質がある
全ての生命にとって、死を拒み、抗うことは至上命題であるはずなのだ
しかるに二人の心構えは、その本質に反している―――


永琳「なぜ……どうしてなの……」


理屈で考えれば当然そうなるはずである
しかし、これを地上人特有の錯乱や気狂いの類であると断ずることは、自身の本能が許さなかった
もし仮に今の星と聖を侮辱する者があれば、自分は躊躇うことなくその者を殺すだろう
それほどに二人の姿は眩しく、そして美しかった

けれどもどうして自分はそのように感じたのか
永琳にはそれが最後まで分からなかった


聖「あなたの意思はしかと受け取りました。全てあなたの望む通りに致します」スクッ

永琳「……」コクッ

星「……お待ちください」

聖「?」

星「私も、聖……あなたたちにどうしても伝えなければならないことがあります」

聖「……」

星「私は眠っている間、夢を見ていました。とても長い夢を」

星「かつて置き去りにしてきた過去も、見失ってしまった未来も、全てがそこにありました」

永琳「……?」


星「はっきり申し上げましょう」

星「聖、私は全てを思い出しました。この世界のことも、自分自身のことも、何もかも……」

聖「!!」

星「私たちには向かわねばならない未来があります。そして、それは幻想郷の中にはありません」

聖「…………」

星「今こそ私たちは長きに渡った夢から目覚めなければいけない」

星「外の世界を目指し出発する時が、遂に来たのです」

聖「やはり……そうなのですね?」

星「……」コクッ

聖「何となくそんな気がしていました。これを見た時から」スッ


永琳「……!」

星「ありがとうございます。大事に取っておいてくれたのですね?」

聖「当然です。あなたが命がけでもぎ取った物を、どうして粗末にできましょう」

星「聖、もしかすると、私はあなたたちの道行きに伴うことが叶わないかも知れません」

星「それでも、どうか……どうかこの子だけは、連れて行ってもらいたいのです」

聖「……承知しました」

星「その時には、これをあなたたちの道行きにお役立ていただきたい。お願いします」

聖「無論です。必ずやあなたの願いに応えましょう」

星「ありがとうございます」


永琳「……聖」

聖「はい。すみませんね、星。少しばかり長話が過ぎたようです」

聖「あなたはまだ戻って来たばかり。今はゆっくり休みなさい」

星「はい…………」スッ



聖「……」

永琳「……まずは栄養を摂らないといけないわね」

永琳「次に目を覚ます時までに、飲み水と食事を用意させるわ」

聖「よろしくお願いします」

永琳「ええ……それにしても」チラッ

聖「何か、あるのですか?」


永琳「いいえ、体のことではないわ」

聖「?」

永琳「いきなりあれだけの言葉が出たことに驚いているのよ」

永琳「人間の体は昏睡状態が一ヶ月も続くと、運動機能の大部分が消失する」

永琳「本来なら、意識が戻った直後では声を出すことすら難しいはずなのに……」

聖「ここぞという時には無いはずの力さえ取り出してしまう。それこそが人間の不可思議たる所以です」

聖「今この時がまさに正念場なのです。星にとっても、私たちにとっても」


~永遠亭給湯室~


永琳「その芋もよくすり潰しておいてね」

鈴仙「はい」ササッ

てゐ「……」

蓬莱山輝夜「……」ジー

永琳「そこに塩を……これぐらいね」

鈴仙「はい」サッ

永琳「あとは偏らないようにきちんとかき混ぜて」

鈴仙「はい……ところでお師匠様」


永琳「何かしら?」

鈴仙「これはどういう薬なのですか? まるで人間の食料のようにも見えますが」

永琳「それはそうよ。お粥を作ってるんだから」

てゐ「……!」

鈴仙「……あの坊主に食べさせるのですか?」

永琳「いいえ」

鈴仙「はぁ……」サッサッ

てゐ「……結局、あそこでどういう話してたんだ?」

永琳「あなたには関係ないわよ」


てゐ「そうは言ってもさ、やっぱり気になるじゃない」

てゐ「妖怪が人間に変化するんなんて、今まで聞いたことがないんだから」

鈴仙「……えっ??」

永琳「鈴仙、手が止まってるわよ」

鈴仙「は、はい」ササッ

てゐ「なあ、ちょっとぐらい教えてくれても罰は当たらないとは思わないかい?」

永琳「しつこいわね。あなたは私の言う通りにしていれば間違いないのよ」

てゐ「……」

永琳「手伝う気が無いのなら、どこか遊びに行ってなさい」

てゐ「はいはい。分かったよ」タタッ


鈴仙「……あいつは永遠亭に貢献する気がまるで感じられませんね」

永琳「あれは元々そういう妖怪なのよ」


ドタドタ…


鈴仙「……またあいつか」チラッ

ぬえ「ねえねえ、そろそろ私の体にも変化が起きて来てるんじゃない?」

永琳「心配しなくてもいいわよ。あなたには一切、全く、これっぽちも異常なんて無いから」

ぬえ「ええっ!? それじゃ困るのよ!」

ぬえ「ほら、もう一回調べてみてよ!」サッ


永琳「……」ペタペタ

永琳「はい、異常無し」

ぬえ「ムキー!!」バタバタ

ぬえ「何でよ! あんなにお勤め頑張ったのに!」

永琳「何度も言ってるけど、頑張るとか頑張らないとか、そういう次元で何とかなるようなものじゃないのよ」

ぬえ「そんなはずはない! 私だって同じ寺にいるんだから、同じ奇跡が起きてもいいはず!」

永琳「ないから」

ぬえ「あなたたちだってそう思うでしょ!?」

輝夜「知らないわよ」

鈴仙「…………」プイッ


~永遠亭客間~


一輪「聖様、星は何と?」

聖「やはり星の決意は変わりませんでした」

村紗「!!」

聖「何に代えても必ず子を産むと、確かに星は宣言しました」

響子「そ、それじゃあ星せんぱいは……?」

小傘「……」

チルノ「……」

聖「……辛いことではありますが、それが星の意思です」

聖「今私たちにできることは、星の意志を全力で支えてあげることだけなのです」


一輪「……」

村紗「……」

聖「星に話したいことがある者は申し出なさい。今を逃せば間に合わなくなってしまうかも知れません」

チルノ「は、はい!」ピョン

小傘「わ、私も!」

響子「じゃあ私も……せんぱいたちは?」

村紗「……」

一輪「私たちは後でいい。あなたたちが先に行きなさい」

響子「はぁ……」

聖「ところでナズーリンの姿が見えませんね。どこに行ったのですか?」

村紗「……毘沙門天様からのお呼び出しだそうです」


~竹林~


藍「……話にならんな。それぐらいのことは前々から知っている」

藍「奴らが何を画策しているのか、それを探って来いと命じたのだぞ?」

てゐ「そうは言ってもさぁ、あいつも中々頑固だからねー。ただの妖怪兎じゃこのへんが限度だって」

藍「……」

てゐ「それに、あんたは私たちなんかよりずっと凄い妖怪なんだろ?」

てゐ「その気になりゃ、そんなの調べるぐらいお茶の子さいさいだろうに」

藍「余計な詮索はしない方が身のためだ。月の賢者にそう教わらなかったのか?」

てゐ「……はいはい」


藍「引き続き監視を続けろ。次の呼び出しには、私の機嫌を損ねない程度の報告をすることだ」

てゐ「……私がこう言うのも何だけどさ、あいつらそんな悪いヤツらじゃないぞ?」

てゐ「あんたたちを怒らせるような、そんな大それたことを企むとは思えないんだ……私個人の考えだけど」

藍「…………」

てゐ「永琳たちも根っこは気のいい連中だと思うぞ? 寺のヤツらもお土産に霊草くれたし……」

てゐ「だからさ、ここは一つ、長い目で見てやっちゃくれないかねぇ?」チラッ

藍「やはり妖怪とは愚かなものだ」

てゐ「?」

藍「力を見せなければ、自分の立場すら忘れるとはな」スッ


てゐ「!!」

藍「伊吹萃香がどうやって消えたのか、お前も知りたいらしいな」


キィィィン…


てゐ「わっ!わわわっ!! 悪かったッ!!」ササッ

てゐ「もう口答えしない! か、必ず今度こそ、あんたの気に入る報告をするから!」


藍「…………」


てゐ「…………」

藍「さっさと道化に戻れ。私の機嫌の取り方は知っているはずだ」

てゐ「わ、分かりました……」タタタッ


~???~


ナズ「……はい、その通りでございます」


ナズ「……!!」

ナズ「しかし! まだそうと決まったわけでは!」

ナズ「…………承知しました。ですが」

ナズ「もう少し、あとほんの少しだけ、猶予を頂きたいのです」

ナズ「後にも先にもこれっきりです。決して二度と申しません」

ナズ「どうか……お願いでございます……」


~後日~


星「ご馳走様です」

コトッ

チルノ「もういいの?」

星「ええ、全部食べてしまいましたからね」

チルノ「……あ、そっか!」

村紗「チルノ、食器を下げてもらえますか?」

チルノ「分かったー!」タタタッ


村紗「……このところ、チルノは日を追うごとに聡明になってきていますね」

星「そうですね」

村紗「始めこそ眠っているあなたに泥団子を食べさせようとしていたのが、今ではもう自分一人で粥まで作れるようになっている」

村紗「この短い間にあそこまで急激な成長を遂げるとは……」

星「ええ」

村紗「目立たないことではありますが、これは驚くべきことですね」

星「いいえ、何も不思議なことではありません」

星「妖精というものは時と共にその封印が強くなるもの」

星「しかしその封印さえ突き抜けてしまえば、後はあっという間なのです」

村紗「ふむ……」


星「ところで、ナズーリンはまだ戻っていないのですか?」

村紗「はい。何の連絡も寄越さないので、今頃どこで何をしているやら」

星「そうですね、きっとまだ迷っているのでしょう」

星「しかし今日の夕方までには、ここへ戻って来るはずです」

星「どうかこの数日の不在を咎めたりせず、何気なく接してあげてください。彼女もそれを望んでいるでしょうから」

村紗「はい……しかし星」

星「何でしょう」

村紗「正直に申し上げると、私には未だ信じられない。今のあなたの言葉は少々突飛に過ぎるところがあります」

村紗「果たして本当にあるのでしょうか? あなたの言うようなことが」


星「大丈夫ですよ、村紗」

星「私にはちゃんと分かっています。あなたたちのことも、自分のことも、そして未来に何が起こるのかも」

星「……とはいえ、聖の予言に比べれば、ほんのわずかな先の未来でしかありませんけどね」

村紗「その聖ですら、あなたの言葉には戸惑いの色を見せていた……これから私たちはどうすれば良いのですか?」

星「聖によく付き従いなさい」

星「聖はいつだって正しいことのみを言う。そして間違ったことは何一つ言いません」

星「途中様々に寄り道をしていても、最後は必ず目的地に辿り着く。それこそが聖の持つ一番の才能なのです」

村紗「……」


星「……やはりまだ不安なようですね」

星「では、あなたたちの未来を今の内にお伝えしておきましょう」

村紗「は、はい」

星「末法始まってより待ち望まれた三宝は、もうすぐ聖によって明らかとなります」

村紗「!!」

星「混迷を極める浮世の闇を払う法が、ようやく現れるのです」

星「あなたたちは無上尊三宝を携える聖を、何としてもお守りしなければならない……よろしいですね?」

村紗「はい!」

星「どうかお忘れなく。その聖でも、決して一人では辿り着けない。あなたたちの協力が不可欠なのです」

村紗「無論です!」

星「どうか、よろしくお願いします」ペコッ


村紗「はい……ところで」

星「はい」

村紗「私は以前から気になっていましたが、あなたはどうしてお腹の子を龍神の子であると思ったのですか?」

村紗「……いえ、それはもはや些細な問題ですね。もっと根源的な質問に変えましょう」

星「……」

村紗「龍神とは……一体何者なのですか?」

星「なるほど、龍神ですか」

村紗「ええ、幻想郷をまるごと飲み込めるほどの絶大な存在とされていますが、しかしその目的も姿形も判然としません」

村紗「あなたはあれが何であるのか知っているのでしょうか?」


星「そうですね、私もちょっと昔に気になったことはありますが」

村紗「…………」

星「知ってしまえば何のことはありません。とても簡単な話だったのです」

村紗「はぁ……というと?」

星「龍神なんてものは最初からいません」

村紗「!?」

星「その龍神という名前も、伝説に残る姿も、話を複雑にするために後付けされたものだったのです」

星「昔の時代を生きた者たちが色々付け足して、今のような形になったのでしょう」

村紗「……??」


星「今の幻想郷に残る龍の伝説では、真実は喩え話によって上手に覆われています」

星「それこそ聖に言わせれば方便というものになるのでしょう」

村紗「…………えっと」

村紗「龍神は……いないんですよね?」

星「はい、いません」

村紗「しかし龍神の働きによって、あなたはお腹の子を身篭った……」

星「はい、その通りです」

村紗「では、龍神はいる……のでしょうか?」

星「そうですね」

村紗「!?……わ、訳が分かりません。つまり、どういうことなのですか??」


星「そうですね、分かりやすく言うと……」

村紗「……」

星「聖が地上を去った千年で例えると良いでしょうか」

村紗「……?」

星「聖がいなくなってからというもの、私もしばらくは心細く思う日々が続きました」

星「けれどもその内、居ない者をいくら惜しんでも戻っては来ないという事を自覚して、考え方を変えたのです」

村紗「というと?」

星「確かに聖の身は法界の闇に吸い込まれて消えてしまいました」

星「しかしながら、その存在までもが消え去ったわけではありません」

星「なぜならば、聖白蓮という者を忘れずにいる自分が、間違いなくそこに居たのですから」

村紗「……」


星「私は、もしも聖が傍らにいたならば何と言うだろう、何を思うだろう……そのように想像力を働かせるようになりました」

星「そうして私は、いつでも聖の言葉を聞くことができましたし、どこへでもお連れすることができました」

星「時には経典を紐解いて何度も記憶を掘り返し、忘れないよう努めたものです」

星「だからこの身は離れたままでも、私は常に聖と共にありました」

星「そう思うことで、あの千年の別離もさほど辛くは感じませんでした」

星「いないけれどもいる。矛盾しているようでも、私にとってはそれこそが何よりも確かな事実だったのです」

村紗「……」

星「龍神というものも、元を辿ればそれと同じことなのです」

村紗「……つまり龍神とは、私たちを含めた幻想郷全ての者たちの……空想の産物……ということでしょうか?」


星「ちょっと違います。その身は隠れていても、確かに聖は法界で目覚めの時を待っていたのですから」

村紗「……」

星「それに、もし仮に法界の炎に焼かれ力尽き、私たちも地上を去り、寺も経典も無くなり、聖の足跡が何もかも消えてしまったとしても……」

星「それでも聖が消滅するわけではありません。ただ形を変えるだけなのです」

星「龍神とはそういった永遠普遍を象徴しているのですよ」

星「だから結界の力も、その働きに対しては全く意味を為さない……村紗、あなたはその話を既に聖から聞いているはずです」

村紗「えっ? それは……いつの話のことですか?」

星「確か、あなたが初めて聖と出会った日のことでしたね」

村紗「……あなたはまだその時いなかったではありませんか」

星「ええ、しかし眠っている時に見えていました」

村紗「?」


星「老いた姿の聖を見たのは、あれが初めてでしたね」

星「意外に背筋もピンと伸びていて感心しました」

村紗「……」

星「ふふふ、すみませんね。今まで言えずにいたのですが、あの時紙の束を失敬して行ったのは私だったのです」

村紗「!……やはり、あれはあなたのしたことだったのですね」

星「はい、申し訳ありません。私の軽はずみな行動で、あなたは要らぬ叱責を一輪から受けてしまったようですね」

村紗「…………」

村紗「……どうぞ」


スッ…

一輪「話の途中で悪いわね。ナズーリンが戻って来たわよ」

星「おや、結構早かったですね」

一輪「あなたに話があるみたいだけど、明日にさせるわよ?」

一輪「まだあなたの体は万全じゃないんだから」

星「いいえ、今すぐこちらへお呼びください」

一輪「しかし、あまり無理をしては……」

星「お粥もたくさん食べましたし、体力ならもう充分です」

一輪「そうは言ってもね……あなたの体はもう人間並みでしかないのよ?」

星「ええ、よく知っています。だからこそ、今この時を逃してはならないのです」


一輪「…………」

村紗「一輪、もう引き上げましょう」

一輪「うん……」


ナズ「……」チラッ


星「こんにちは。毘沙門天様のお機嫌は如何でしたか?」

ナズ「まあ、いつも通りだね」

星「あなたも大変でしたね。お疲れ様です」

ナズ「……それより、体の具合は良いのかい?」


星「はい、おかげさまで痛みもありませんよ」

ナズ「本当に……?」

星「ええ……時折、目まいがしたり気分が悪くなることはありますが……」

星「それ以外は、特に大したことはありませんね」

ナズ「それは多分つわりとか言うものだね」

ナズ「妊娠してると具合が悪くなって、すぐに吐いたりするようになるらしいから」

星「はい、永琳さんにも教わりました」

ナズ「全く、人間の体とは厄介なものだ」

ナズ「そんな楽しくないものまで味わってでも産んでみたいものなのかな? 子どもってのは」


星「そうですね、何と言いましょう。心配することは増えたのに、決してそれを手離す気にはなれないんですよ」

ナズ「……」

星「ナズーリン。私が眠っている間、みんなとは仲良くしていましたか?」

ナズ「まあ、それなりにね」

星「それなら結構」ニコッ

ナズ「……」

星「ところで、私の体は人間のものになってしまったわけですけど、毘沙門天様の代理としてはどうなるのでしょうか?」

ナズ「!」

星「もう信仰は集められなくなってしまいましたので、お役目ご免かも知れませんね」

星「あなたもそのことについてお呼び出しがあったのでしょう?」


ナズ「……」

星「そうですか……ナズーリンとはもうお別れなんでしょうか?」

ナズ「それは……心配しなくていい」

ナズ「たとえ何があろうと、ご主人はご主人さ」

星「ありがとう、ナズーリン」

星「でもあなただって、毘沙門天様の元を去るわけにはいかないのでしょう?」

星「大変ならば無理はしないでください。私たちのことなら気にしなくても構いませんから」

ナズ「……それは」

星「私のことはきっと聖たちがなんとかしてくれると思います。心配しなくても大丈夫です」

ナズ「…………」


星「……ナズーリン」

ナズ「えっ?」チラッ

星「あなたは本当は何がしたいのですか? あなたの望みとは何ですか?」

ナズ「……私に個人的な好き嫌いなんてないよ」

ナズ「いつ如何なる時でも、毘沙門天様のお命じのまま働くだけさ」

星「それは言い訳です」

ナズ「……!」

星「あなたは自分の意思で毘沙門天様の配下となることを望んだのです」

星「自分の未来を毘沙門天様に押し付けるのはやめなさい」

ナズ「……」


星「あなたには自由がある。あなたは自分の行き先を自分で決めても良いのです」

星「石や水のようにただ従うべきものだと考えるのは、全くの思い違いです」

星「妖怪が己の存在に従うのは、そのようにあることを自ら選んだからです」

星「あなたにも心があるのですよ。人間と同じように」

ナズ「……」

星「もう一度お聞きします。あなたは何がしたいのですか?」

星「よくよくお考えなさい。ナズーリ―――」

ナズ「わ……私は……」


星「」


ナズ「……ご主人?……!!」

ナズ「だっ、誰か! 誰か来てくれ!」

ナズ「ご……星が気を失ったぞっ!!」


すぐに駆けつけて来た永琳によって、星に処置が施された
後で聞いた話によると気絶したことは大したことではないらしく、出産間近で体調が不安定になっているだけとのこと
医術というものにさっぱり心得のない私の出る幕はなく、星との面会が叶ったのはそれから二日後のことだった
再び見た星の顔は、少し痩せているように見えた



カチャカチャ…

ナズ「大丈夫かい? 体の方は」

星「すみませんね。何とか持ち直したようです」

ナズ「あと少しで大変な瞬間を迎えるんだから、今の内に体力を付けておかないと」スッ

星「今は雑炊は必要ありません」

ナズ「しかし食べないと体力が付かないのだろう?」

星「人間の体というものは限りがあります」

星「いくら食べたくても、体に入れられる量は決まっているのです」

ナズ「ふぅん……何から何まで面倒だね」


星は持ち直したなどと言っていたが、私にはそうは思えなかった
目には力がなく、肌にも艶が乏しい
動作にも機敏さがなくなり、会話をするにも時間がかかる
明らかに前に会った時よりも衰弱していた


星「この子だって命がけなのです。これぐらいのことでへこたれてはいられませんよ」

ナズ「そうは言ってもね、今からこんな状態で本当に大丈夫なのかい?」

ナズ「いくら気持ちばかりが前のめりになっていても、体までそうなるとは限らないんだろう?」

星「そうですね。しかし、それでも私は必ずこの子を産みますよ」

星「どんなに不可能なように見えても、真剣に願っていればいずれ本当にそうなるものです」

ナズ「……」


私には星がどうしてここまで子どもを産むことにこだわるのか分からない
健康な体ならばまだしも、今のままでは母体にも相当な負担がかかると聞いている
そこには最悪の可能性も現れてくるのだ
星は自分が消えてしまうのが怖くはないのか


ナズ「……なあご主人」

星「はい」

ナズ「思い直す気はないかい?」

星「?」

ナズ「その……今回は、諦めてもいいんじゃないかな? お腹の子のことは」

ナズ「人間の体になったのなら、また子を為す機会は他にあるのだろう?」

星「……」


ナズ「大怪我から命からがら助かった大変な時なのに、わざわざそれ以上重荷を背負い込まなくてもいいだろうに」

星「この子が私たちに出会えるのは今をおいて他にありません」

星「今諦めて違う時を待って産んだとしても、もうそれは全くの別人なのです」

星「この子に未来を与えるためには、私が堪えるより仕方がないのですよ」

ナズ「しかしだね……そいつはご主人と会ったこともないじゃないか」

ナズ「顔を突き会わせたこともない、言葉を交わしたこともない、もちろん聖様の弟子になるだなんて誓ったわけでもない」

ナズ「それなのに、そんなヤツをどうして大事だと思えるんだい? 私には不思議でしょうがないよ」

星「そんなのは些細なことです」

星「この子は無数の母親の中から、他でもないこの私を選んでくれたのです」

星「私にとってはそれで充分です」

ナズ「…………」


星「どうぞ」

スッ…

永琳「失礼、何とか出来たから持って来たわ」サッ

星「ありがとうございます」

ナズ「……?」チラッ

永琳「よくよく心しなさい? 成分は実際の十分の一だけど、それでも辛いことに変わりはないのだから」

星「はい、心得ております」

ナズ「ご主人、それは?」


星は永琳から薬のようなものを手渡された
これは一体何に使われるものなのか


星「出産のための準備ですよ」

ナズ「準備?」

永琳「出産には大きな体力の消耗を伴う。しかし今の星はその消耗すらできない状態なのよ」

永琳「子を産むに当たっては、最低限の条件は揃えておかないといけない」

永琳「……これは、そのために必要となる下肢の運動機能を一時的に甦らせる薬なのよ」

ナズ「な、何だって!?」

永琳「……」

星「……」

ナズ「やったじゃないか! やっぱりご主人を治す薬はあったんだ!」

ナズ「礼を言うぞ、永琳!」


永琳「落ち着きなさい。話は最後まで……」

星「ナ……」


ドタドタドタ…


一輪「こっちも準備できたわよ!」

村紗「すみません、少し手間取りました」

ナズ「えっ?」

聖「各自、忘れ物がないかもう一度確認なさい」

ぬえ「はいよー」


響子「これとこれと……大丈夫でーす!」

小傘「こっちも!」

チルノ「いつでも来い!」

鈴仙「こんなの、本当に要るんですか?」

永琳「1、2、3……これで全員ね」

てゐ「……」

ナズ「一体何事ですか? 全員揃っているではありませんか」

聖「万が一に備えてのことです」

ナズ「?」


永琳「言ったでしょう? どんな薬にも副作用があるって」

永琳「体を一時的に治す薬は確かに作れたわ。でも、その副作用でどのような症状が現れるかはまだ分からない」

ナズ「!」

永琳「人間の体ではそれに耐えられないかも知れない。場合によっては、服用しただけで参ってしまうことも考えられる」

永琳「だから今回は効能を十分の一に抑えて、その結果を見ておく必要があるのよ」

ナズ「……」

星「大丈夫ですよ。永琳さんはそんなおっかない薬を作ったりしませんから」

永琳「副作用までは私の技術の及ぶところではないけれど……」

聖「ともあれ、いずれは使わねばならない薬です」

聖「私たちはいかなる不測の事態にも対応できるよう、このように準備を整えておいたのです」

ナズ「そうでしたか……」


永琳「もしもの時は水を大量に飲ませなさい。それだけでも薬の力は薄れるから」

村紗「了解です」

鈴仙「はい」

チルノ「いつでも来ーい!」

星「では……」チラッ

永琳「……」コクッ


星は永琳に目配せしてから薬を飲んだ
部屋にいる全員がその様子を見つめていた


ナズ「……」

一輪「……ど、どう?」

聖「星、まだ何もありませんか?」

星「そうですね」

永琳「気を抜かないで。効果はすぐに現れるわよ」

響子「……」ゴクッ

星「……あれ、足の感覚が戻って来たような気がします」

村紗「何と!」

星「凄いですね。さすがは永琳さん            !!  」

星「ぐうっ……!」ヨロッ


ナズ「ご、ご主人!?」

聖「星!」サッ


咄嗟に聖様は星の手を取り握り締める
星は苦悶の表情になり、目を閉じたまま背中を丸めていた


星「ううぐっ! ああああ……っ!!」

一輪「星ッ!」

永琳「いけない! 水を飲ませて!早く!」

鈴仙「は、はいっ!」


永琳に促され、呼吸の乱れた星に水を飲ませる
星は丸めた背をさらに曲げ、額には汗が吹き出ている
聖様の手はさらに固く握り締められていく


星「ふっ、ぐ……うう……あああっ!」

チルノ「とら!」

響子「せんぱい!」

村紗「一輪! 星の左手を!」

一輪「え? ひ、左?」

村紗「握力はあなたの方があるでしょう! 早く!」

一輪「! わ、分かったわ!」ササッ

星「はぁ、はぁ、はぁ…………うっ!」ググッ…

ナズ「う、嘘だろ! これで十分の一だって!?」

ナズ「十分の一でこんなんじゃ、本物を飲ませたらご主人が死んでしまう!」

永琳「御託は後になさい! 助けたいなら目の前のことに集中して!」


星の異常が収まり気を失った時には、既に一時間近く経過していた
全身から大量の発汗があり、まるで水を被ったようにどこもかしこも湿っていた
星が寝静まっても声を発する者はしばらくいなかった


聖「……衣服を変えましょう。このままでは星が風邪を引いてしまいます」


部屋から出された私たちの表情は皆一様に暗かった
星の身に起こる事を覚悟していたつもりでも、実際にその現実を目の当たりにして意気が削がれてしまったのだろう

その後も星は副作用の後遺症に苦しみ、まともに面会できる頃には出産の予定日まで二十日も残っていなかった
副作用の影響か、再び会った星の姿は前よりもさらに弱っていた
肩に力が入っておらず、時折呼吸も深くなる

運命の時は目前に迫って来ている
私は何としても星の未来から苦しみを取り除いてあげたかった


ナズ「た、頼む! もう、あなたに賭けるしかないんだ!」

永琳「……あなた、自分が何を言っているのか分かっているの?」

ナズ「覚悟は、している……!」グッ

永琳「そんなことをすれば、あなたはただでは済まないわよ」

ナズ「分かっている!」

永琳「なら……」

ナズ「それでも私には!」

ナズ「私には……もう!……ふっ、うぐ……こうするしか、ないんだ!!」

永琳「……命を落としても構わないと、そう言うつもりなの?」

ナズ「星の命を助けられるなら、どうしてこの身を惜しんだりできるものか!」

ナズ「頼む! 頼むよぉ……ッ!!」ググッ

永琳「…………」


~後日~


ナズ「出来たよ、ご主人」スッ

星「これは……どうしたんですか?」

ナズ「これはご主人の体から苦痛を取り除く薬さ。私が頼み込んで永琳に作ってもらったんだ」

星「まあ、ありがとうございます。永琳さんにもお手間おかけしました」ペコッ

永琳「いいのよ」

ナズ「お礼はいいよ。それより早く飲んでくれ」

ナズ「ご主人だって、早く楽になりたいだろう?」

星「そうですね」スッ


永琳「……私は他の仕事をするから、しばらく離れるわよ」スッ

ナズ「分かった。ありがとう永琳」


ゴクッ… ゴクッ…


星「はぁ……だいぶ楽になったような気がします」

ナズ「おいおい、いくら何でもそんな早く効果なんて出ないさ」

星「そうなのですか?」

ナズ「当然だろう? 何しろ、突然やって来る不調を取り除くのがこの薬の効能なんだから」

ナズ「効果が出たと分かるようじゃ、大して効いてないってことだからね」

星「そう言われればそうですね。どうも早合点してしまったようです」ニコッ


ナズ「うん、それぐらいの軽口が出るようなら安心だ」

ナズ「ご主人は助かるよ。これは私が保証する」

星「それは頼もしいですね」


しかし現実は私たちの期待を裏切り、運命は残酷に星の命を削り取っていく
生命力の減退は止まることがなかったのだ
薬を飲ませ続けてもう十日が過ぎた
星は弱っていくばかりであった


ナズ「一輪は一体何をしてるんだ? この大事な時に……」


ナズ「……ご主人、具合はどうかな?」

星「よく来てくれましたね。こちらへどうぞ」

ナズ「聖様に言われて来たんだけど、大事な話があるんだって?」

星「ええ。是非あなたに頼まれたいことがあるのです」

ナズ「頼みごと? ご主人にしては珍しいね」

星「もうあなたは私の部下ではないのですけれど、よろしいでしょうか?」

ナズ「構わないさ。ご主人が命令を出すなんてそうそうあることじゃないからね」

ナズ「今までの分を全部数えても、多分両手で収まるくらいだろう?」


星「これは命令ではありません。お願いしているのです」

星「毘沙門天としてではなく、ただの友人として」

ナズ「……話を聞かせてもらおうかな」

星「はい。でもその前に、私の隣で少し横になっていてもらえませんか?」

ナズ「?」

星「最近どうも寒気がして……いくら布団を重ねても温かい気がしないんです」

星「湯たんぽもすぐ冷めてしまいますし……」

ナズ「……なるほど、つまり消耗しない熱源が欲しいってことでいいのかな?」

星「お恥ずかしながら、そういうことです」


ナズ「私は構わないけど、いいのかい?」

星「何がですか?」

ナズ「永琳が言ってたよ? 目に見えない小さいのがご主人の体に障るんだって」

ナズ「今不用意に近付いたらザッキンが移るとかなんとか」

星「そうですね、だからこれは永琳さんには内緒です」

星「すみませんけども、もしもの時は一緒に永琳さんに叱られてください」

ナズ「はぁ……どうなっても知らないよ?私は」モゾモゾ…

星「ありがとうございます」

ナズ「……」


星「……ナズーリン」

ナズ「ん?」

星「手を握っていても良いですか?」

ナズ「別にいいよ」

星「はい」

スッ

ナズ「……」


どれくらい時間が経っただろうか
私たちは手を握ったまま同じ天井を見つめ、そしてどちらも一言もしゃべらなかった
痺れを切らして先に口を開いたのは私だった


ナズ「……ご主人」

星「はい」

ナズ「もう一度聞くけど……考え直す気はないのかい?」

星「……」

ナズ「ご主人だって、あの時の辛さは身に沁みたはずだ。体の具合だってどんどん悪くなってきてる」

ナズ「もし、それでも出産を諦めないなら、ご主人は本当に―――」

星「私の決意は今もって変わっていません」

星「私はこの子を産みます。どんなことがあろうとも」

ナズ「…………嫌だ」

星「……」


ナズ「どうしてなんだ、ご主人」

ナズ「子どもさえ、子どもさえ諦めてくれれば、ご主人の命は助かるんだぞ?」

ナズ「ご主人がウンとさえ言ってくれれば、すぐにでも処置ができる」

星「……」

ナズ「そうすれば、明日の朝までには何もかもが元通りになる!」

ナズ「ご主人の寿命はあっという間に数十年後に先送りされるんだぞ!?」

星「どんなに壮健な体があっても、死ぬ時は死ぬものですよ」

ナズ「そんなのは屁理屈だ!」

ナズ「なぜだ! どうしてご主人は自分から死ぬような道を選ぶんだ!」

ナズ「そんなガキの一人や二人が何だって言うんだ!」

星「……」


ナズ「わ、私は……嫌だ!」

ナズ「ご主人が死ぬのは、嫌なんだ!!」

星「ナズーリン……」

ナズ「頼む! 生きると言ってくれ!」

ナズ「いくら子どもが大事でも、命まで捨てなくたっていいじゃないか!」

星「大丈夫です、ナズーリン」

星「たとえ私がいなくなっても、それは永遠の別れではありません」

星「あなたが私のことを忘れずにいてくれれば、いつだって私に会えます」

ナズ「!?」


星「あなたが眩しい陽光の中に私を思えば、そこに私がいることを知る」

星「あなたが見上げた夜空の星々に私を思えば、そこに私はいるのでしょう」

星「私はそうやって聖のいない千年を耐えてきたのです」

ナズ「……そ、それはただのまやかしだ! 口から出まかせだ!」

ナズ「そんな口車に乗るもんか! 私は騙されないぞ!」

ナズ「人間は死んだらそこでおしまいなんだ! それぐらいのことがどうして分からない!」

星「……」

ナズ「嫌だ……嫌だっ……!」

星「やはり、私の思った通りです」

ナズ「…………えっ?」


星「ナズーリン、私はあなたに是非とも頼みたいことがあります」

星「あなたの言う通り、もう私は長生きできそうもありません。だから……」

ナズ「……」

星「私の子どものそれからのことは、全てあなたに託したい」

ナズ「!!」

星「どうか私に代わって、この子に外の世界で生きる機会を与えて欲しい」

星「あなたならば、私は安心して任せることができる……いえ、あなたでなければいけないのです」

ナズ「な……何を言ってるんだ?」


星「何でもない時でも言葉をかけてあげてください」

ナズ「ま、待って……」

星「意味は分からずとも、声を聞くだけで子どもは安心するものです」

ナズ「待ってくれ! 勝手に話を進めるな!」

星「……」

ナズ「子どもことなんかどうだっていい! 私は今、ご主人のことを話してるんだ!」

星「どうかお願いします。これはあなた以外に頼める者がいないのです」

星「あなたが引き受けてくれるなら、もはや私には何の憂いもありません」

ナズ「……何で」

星「……」

ナズ「どうして私なんだ。ご主人には……聖様がいらっしゃるじゃないか」


星「いいえ、この子を任せられるのはあなた一人だけ」

星「他の誰がいくら名乗り出ようとも、あなた以外には決して委ねるつもりはありません」

ナズ「私が……」

星「?」

ナズ「私がそいつを…………生かしておくと思うのかい?」

星「もちろんです! あなたならばきっとこの子を立派に育ててくれるでしょう」ニコッ

ナズ「……」

星「どうかお願いします。あなたが引き受けてくれなければ、もう私には頼める者がいないのです」

ナズ「…………かったよ……」

星「?」


ナズ「分かったよって言ったんだ!!」

ナズ「そんな先のことなんて知ったこっちゃない! どうにでも好きなようにすればいいんだ!」

星「ありがとうございます」

ナズ「後でどうなっても知らないからな!」

星「はい。それと、もう一つありまして……」

ナズ「?」

星「朝まではこうして、床を立たずに居て欲しいのです。今日は特に冷えるようなので」

ナズ「……」

星「腹の立っているところで申し訳ありませんが……」


ナズ「いいよ……それぐらい、別に」

星「ありがとう、ナズーリン……」

ナズ「……」

星「……」

ナズ「……ご主人」

星「はい」

ナズ「もう一度聞くけど、どうして私じゃなければいけないんだ?」

星「……」

ナズ「自分でこう言うのは何だけど、私は命蓮寺では一番弱い」

ナズ「できることと言ったら、危ない所に飛び込んで、命を捨てずに戻って来ることぐらいだ」

ナズ「だから……とてもそんな重大な役目を果たせるとは……」


星「胸を張りなさい、ナズーリン」

星「私たちは大変なお方にお仕えしているのですよ?」

ナズ「……」

星「同じ時、同じ場所、同じ境遇に巡り合わせ、そして出会い、師弟の誓いを交わす」

星「これを単なる偶然と見ては御仏のお叱りは免れません」

星「他の者はいくら望んでも、例え百万年追い求め念じていたとしても、決してそのような機会を得ることはない」

ナズ「私の場合、正式に弟子となったというわけでは……」

星「聞きなさい」

ナズ「は、はい」


星「あなたは偉大なる使命を持っているからこそ、今ここに居合わせているのです」

星「ならばあなたはただの小間使いのネズミなどではない」

星「聖同様、あるいはそれ以上の力を、その身に秘めているのですよ」

ナズ「……とても信じられないね」

星「今はそう思うでしょう。しかし、いずれ私の言葉が偽りでないと分かる時が来ます」

ナズ「……」

星「聖の下で命蓮寺の一員として生活している。これこそが何よりの証拠なのです」

星「決してその誇りを汚してはなりませんよ」


そう言ったきり、星はすぐに寝入ってしまった
私は涙を拭いながらその横顔を見つめていた


ナズ「一体、どういうつもりなんだ、ご主人……」


私の問いかけに答えるはずもなく、星はただ深い眠りについている


ナズ「人の気も知らないで……」


星はああ言ったものの、実際私は後のことなんて考えてない
子どものことは寺の連中が何とかするはずだ
私はまだ希望を捨ててはいない


ナズ「…………」


そんなことを考えながら、やがて私の意識も深く沈んでいった



――


――――


――――――――



星「では、今日も精を出すとしましょう」

ナズ「……」


ザッ… ザッ… ザッ…


星「……あ、ナズーリンは帰っても大丈夫ですよ」

星「これは私がやらなければいけないことですから」


ザッ… ザッ… ザッ…


ナズ「ふうん……まあ、頑張ってよ」

星「はーい。お休みなさい」


聖が封印されてから数ヶ月
幽霊のように気落ちしていた星がようやっと生気を取り戻した
地中深く埋められた宝塔を遂に取り戻すと決めたからだ
しかしすぐ動き出すことは危険であると忠告し、星も私の言葉に従った

十年経ち……二十年経ち……五十年も八十年も越えて……
やがて百年の時が過ぎ去り、人間たちの過去と記憶が完全に塗り替えられた頃
ついに星は行動に出た


それからはずっとああやって、日が沈むと穴掘りに精を出す
一度始めると一心不乱に掘り進め、夜明け前になると寺に帰って行く


ナズ「あんな粗末な鍬でよくやるよ、全く」

ナズ「しかしあの調子じゃ掘り出すのに何十年かかることやら」


魔力をほとんど持たない星には、直接自力で掘り進むしか手がない
たとえ土を全て掘り返したとしても、さらにその下にはそれ以上に分厚く硬い岩盤が控えている
土に比べれば気の遠くなるような深さを備えた岩盤の深い深い真下の奥に、あの宝塔は眠っているのだ


ザッ… ザッ… ザッ…


星「よいしょ……よいしょ……」

ナズ「……」


星「よいしょっと……ふぅ」

ナズ「……参考程度までに言っておくけどさ」

星「え?」

ナズ「今およそ一割ぐらいだよ。土の部分から見ると」

星「はぁ」

ナズ「今の十倍掘り進めると、ようやく岩盤が見えてくるはずだ」

星「なるほど。では既に一割進んだということですね」

ナズ「うん、たった今そう言ったからね……でも知ってるだろう?」

ナズ「そこからさらに同じぐらいの深さを掘るには、今の何倍も掘り進めないといけないんだよ?」

星「そうですね。でも続けていればいつかは辿り着きますよ。少しずつでも、ちゃんと進んでいるのですから」

星「妖怪として生まれたのは幸運でした。何しろ時間だけは山ほどありますからね」


ザッ… ザッ… ザッ…


ナズ「……」

ナズ「私は先に帰るよ」

星「はい、お休みなさい」


あれだけ熱心に地面を掘った後でも、朝になると必ず寺に戻って槍を携えている
一日をまるごと穴掘りに回せば、それだけ宝塔に辿り着く時は早くなるはずだが、なぜか星はそうしなかった
もはや誰も訪れなくなった寺で、御本尊としての役目を保っている必要性は、私の目から見れば、ない

一見無意味とも思える作業の繰り返しが三年近くに届く頃、その穴の大きさは一人で掘ったとは信じがたい深さに達していた
星はその事実に振り返ることなく、ただ黙々と掘り続けていた

どうしてそこまでして宝塔を取り返そうとしているのか
どうして毘沙門天様から委任された役目を放棄せずにいるのか
もはやその理由は一つしか考えられなかった


ナズ「……聖、白蓮」


本来、役目を失った妖怪の寿命は短い
元々すぐに消えるはずだった妖獣が今まで命を繋いできたのは、聖という人間の存在があったからだ
聖が地上を去った後、星はいつ消滅してもおかしくないと見ていた

しかし私の予想に反し、星はまるで消えていく兆候を見せない
そればかりか、その姿は人間と見間違えるほどの明確な輪郭を保っている


ザッ… ザッ… ザッ…


ナズ「……」

星「よいしょ……よいしょ……」

ナズ「なあご主人、もういいんじゃないか?」


星「え?」

ナズ「これだけ執念深く穴を掘れる妖怪なんて、地上広しといえど……いや、魔界にだっていやしないよ」

ナズ「ご主人の存在はもう磐石だ。何も心配なんかする必要はないだろう」

星「……?」

ナズ「……穴を掘り続けてもう十年経つ。土くれだけで見れば、その深さはおおよそ八割と言ったところだろう」

ナズ「あと何年かすれば岩盤も見えてくるかも知れない」

星「そうですか」


ザッ… ザッ… ザッ…


ナズ「……」


星「よいしょ……よいしょ……」

ナズ「確かに岩盤にまでは届くだろう」

ナズ「でも、そこから先はさらに掘り進めるのが困難になるんだぞ?」

ナズ「宝塔が隠された場所はとても、深い。何十年掘削を進めようが、到底辿り着ける深さではないんだ」

ナズ「続くわけがない……諦めるしかないんだ」

星「よいしょ……よいしょ……」


ザッ… ザッ… ザッ…


私の言葉は当然聞こえているはずだ
しかし星は全く意に介さない

私はもう忠言するのをやめた
いずれ目の前のどうしようもない現実が星を諭すだろう


~地獄~


ボコッ… ボコボコッ…


村紗「ふーむ……」

村紗「しかしこの泡はどうやって出ているのか。未だに原理が分からないな」

ザバッ…

村紗「……窒息するのも飽きたし、そろそろ違うことでもしてみよう」


~地獄 辺境~


一輪「あうあー……」

一輪「……不味い酒しかねーのか!バッキャアロー!」ブンッ


――ガシャァン!


村紗「御機嫌よう。相変わらず荒れてますね」

一輪「……あん?」

村紗「私も設備の研究には飽きてきました。そろそろ復活を試みる時期では?」

一輪「無理よ無理。今まで何回試したことか……」


村紗「そうですね。しかし二十五回目の絶望にも飽き飽きし始めたところです」

一輪「……」

村紗「また一緒に来ませんか? 酒ばかり飲んでいてもつまらないでしょう」

一輪「無理よ、出られない」

一輪「私たちはこのまま、死ぬまで地獄に閉じ込められる運命なのよ」

村紗「聖が言っていたではありませんか。いずれは復活の道もあるかも知れない、と」

村紗「私は今でも聖の言葉を信じていますよ。たまに横道には逸れますが……」

一輪「……」

村紗「一輪、あなたはもう聖の言葉を信じなくなってしまったのですか?」

一輪「!」ガバッ

一輪「馬鹿なこと言わないでよ! そんなわけないでしょ!?」


村紗「ではもう一度復活を試みるとしましょう」

一輪「そうは言ってもねぇ……」

一輪「出るって言ったって、方法も分からないのにどうすればいいのやら……」

村紗「繰り返しになりますが、方法などありませんよ。力づくで突破するだけです」

一輪「っていうか、あそこは力で何とかなるもんなの? 一週間がかりで砂一粒さえ削れなかったじゃない」

村紗「それでもそれ以外に方法はありません」

村紗「私の得た情報によると、地獄と地上を自在に行き来している者が実際いるそうですよ?」

一輪「……? 誰それ」

村紗「地獄の中でも最も力のある者です」

一輪「……」


村紗「分かりませんか? 四天王の一角、星熊勇儀ですよ」

一輪「……ああ、なるほどね」ゴロッ…

村紗「ふて寝するのは早いですよ。まだ話の途中なのですから」

一輪「四天王が地層を突破できるから何だってのよ」

一輪「そりゃ、あいつらは力があるんだからできても不思議じゃないわよ」

村紗「確かに彼らの力は恐ろしいものではありますが、その術や技能については並程度、下手をするとそれ以下という場合もあるようです」

村紗「その彼らが地上に行けるのであれば、私たちとて不可能ではないのです」

村紗「鬼と同等か、あるいはそれ以上の力を持てば、それだけで脱出の道が開けるということです」

一輪「……」

村紗「あなたも鬼越えを成し遂げてみたいと思うでしょう? かつては打倒を目論んでいたぐらいなのですから」


一輪「あの頃の私は若かったのよ。あんなのに勝てるわけないじゃない」

一輪「何なのよあの一本角。あれ、姐さんの百倍ぐらい強いわよ?」

村紗「まあ、あれでも本気ではないようでしたが……」

一輪「もうああいうのは妖怪とは言わないわ。災害よ災害。地震とか雷とかそう言う類なのよ」

一輪「姐さんにすら勝てなかったのに、あんなのに追いつくなんて逆立ちしたって無理よ」

村紗「でも今のあなたはあの頃の聖の半分程度までには届いているのでしょう?」

村紗「少しずつでも進歩しているなら、その可能性はあるのです」

村紗「何しろ、私たちには時間だけはたっぷりありますからね」

一輪「……」


村紗「あなたが鬼より強くなったとあらば、復活した聖の覚えもめでたいのでは?」

一輪「……まあ、そういうことは……多少考えたりすることも、なくはないけど……」

村紗「では早速鍛練と参りましょう。私も以前よりは錬度を上げてきたつもりです」

一輪「でもねぇ……」

村紗「まだ渋っているのですか? ではこうしましょう」

村紗「そこに小石が散らばっていますね?」

一輪「あるけど?」

村紗「今から私が右手で小石をめいいっぱい掴みます。あなたはその数を予想してください」

一輪「数?」


村紗「数と言っても厳密には要求しません。偶数か奇数で構いませんよ」

一輪「……」

村紗「もしあなたが指定した方の数が当たっていれば、私は潔く引き下がるとしましょう」

村紗「しかしあなたの予想が外れた場合には、そのまま鍛練に付き合ってもらいます」

一輪「二分の一か……」

村紗「ええ、しかし断言します。あなたは必ず予想を外すでしょう」キリッ

一輪「……あ、それってもしかして好きな方の数を選んで掴めるってこと?」

村紗「随分と無粋な発言ですね……まあその通りですけど」

一輪「何年の付き合いだと思ってんのよ。あんたの考えぐらいすぐに分かるわよ」


村紗「では下らない理屈は抜きにして、酒浸りになっているだらしない後輩に喝を入れるとしましょう」スッ

一輪「……」ピクッ

村紗「口ばかり威勢の良いデクノボウなど、元々聖には不要。お情けで側仕えの地位にあったと気が付かなかったのですか?」ニヤッ

一輪「……ほう……たかが数ヶ月程度の違いで、まーだ先輩ヅラしていたとは恐れいったわね」スッ

村紗「聞きましたよ? あなたは結局、聖に一発も入れられなかったのだと」

村紗「全く、無能を自覚できない新人には困ったものです」

一輪「……来い。久し振りに誰かをブチのめしたくなってきたわ」

村紗「……」

一輪「……」

村紗「覚悟ッ!」ダンッ!

一輪「甘いッ!」ダンッ!


ズガァァァアン!!!


~地上~


キン… キン… キン…


星「ふぅ……ふぅ……えいっ」ブンッ


穴を掘り続けて三十年
尖った石で岩盤を削る星を見かねて、私は三日月のような形をした掘削道具を見つけて来て手渡した
掘削の効率は大幅に向上し、今日も今日とて穴掘りに精を出している


ナズ「調子はどうだい? ご主人」

星「おかげさまで、日々前進していますよ。宝塔を取り返す日もそう遠くはないでしょう」

ナズ「……まあ、気長にやってくれよ」



星は意気揚々と深下に励んではいるが、実際にはまだ岩盤は一割も掘り進められていない
そして今は前とは違う困難もある


ナズ「ご主人ー、そこにいるのかー?」

星「はーい。やっぱり流れていってないみたいですよー」

ジャブジャブ…


土と違って岩は水をせき止めてしまう
雨が降る度に底に水が溜まってしまい、それをいちいち掻き出さなければいけないのだ
穴を覆っておいても、斜面から流れ落ちる泥は防ぎようがなかった
天候次第では掘り進めることさえできなくなるのである

水を全て掻き出す頃には全身泥だらけで、それだってわざわざ綺麗にしてから寺に戻るのだ
一番近い川を何度も往復する足労も馬鹿にならない


キン… キン… キン…


星「ふぅ……ふぅ……ナズーリン、ちょっといいですかー?」

ナズ「何だってー?」

星「今宝塔からどのくらいですかー?」

ナズ「ようやっと一割に届いたあたりだよー」

星「はーい。じゃあどんどん削っていっても大丈夫ですねー」


ただ悪いことばかりではない
土と違って岩は簡単に崩れ出したりしないので、それほど広い面積を掘る必要がないのだ
今までは深くなればなるほど、掻き出さねばならない土砂は加速度的に増えていた
しかし岩にはそのような余計な作業は必要なくなる

……上部の土砂崩れで生き埋めになる恐れはあるが


ナズ「……まだやるのかい? ご主人」

星「え? それは当然やりますよ」

星「やらなければ宝塔は取り返せないではありませんか」

ナズ「そうなんだけどさ、でも危険なんじゃないのか?」

星「何がですか?」

ナズ「岩盤に作った穴は、それまで掘ってきた土くれに比べればとても小さいものだろう?」

ナズ「あんなの、土砂崩れでも起きたら一巻の終わりじゃないか」

星「草だってたくさん生えてきましたから、そんな簡単に崩れたりはしないと思いますよ?」

ナズ「それはただの確率だろう。いざ生き埋めになったらどうするんだ? まさか宝塔と心中する気じゃあるまいね?」


星「大丈夫です。妖怪なんですから、埋もれたぐらいで死んだりしません」

ナズ「そういうのは大丈夫とは言わないだろう」

星「それでもやるしかありませんよ」

星「私は絶対に、宝塔を取り戻してみせます」

ナズ「……」


さらに二十年が経過
割った岩を外へ運び出す作業は想いの外重労働であったらしく、掘削は遅々として進まない
それでもその深さは二十年前のそれに倍していた

星が生き埋めになることを案じた私は、住処に帰らず星の監視に徹するようになった
万が一のことを思うと一人で帰っても落ち着かないのだ
仮にも部下の立場ではあるし、星が諦めるまでは見守っておく義務がある


~地獄~


ゴゴォォン…


一輪「……」

村紗「……一輪、動きが止まっていますよ?」

一輪「…………ん?」

村紗「ここまでにしましょう。私も途中三回ほど気絶していました。もうお互いに限界のようですね」

一輪「眠りながら戦ってたつもりだったけど、やっぱり限度があるわね」

一輪「どうも疲労が極限に達すると夢すら見なくなるみたい」

村紗「少し休憩しましょう。気分を入れ替えないと持ちません」


一輪「……私たち、封印されてどのくらいになるっけ?」

村紗「百年は確実に越えていますね。二百までには行ってないと思いますが……」

一輪「そう。今頃地上の二人は元気でやってるかしら」

村紗「鼠の方は分かりませんが、星なら大丈夫でしょう」

一輪「そうかしら? 宝塔を失くしちゃったんだから、もう毘沙門天ではなくなってるかも知れないわよ?」

村紗「星が聖から託された役目を放棄するはずがありません」

村紗「宝塔がどうなったかは分かりませんが、星ならば必ず取り戻して毘沙門天の代理を続けるでしょう」

村紗「代理としての地位が安泰ならば、あの鼠とて下手なことはできないはずです」

一輪「……随分あの妖獣を買ってるのね。私にはそんなに力があるとは思えないけど」


村紗「喧嘩をするという視点で見れば、確かに星は強くはありませんね」

村紗「しかしそれは大した問題ではありません」

村紗「聖を除けば、私たちの中で一番根性があるのは星なのですよ」

一輪「どうしてそんなことが分かるのよ」

村紗「これでも私は船長をやっていたのですよ。人を見る目ぐらいはそれなりに鍛えています」

一輪「……」

村紗「復活した時にご覧なさい。星は必ずその手に宝塔を携えているでしょう」


~地上~


ドサッ  ガラガラガラ…


星「よーし、もう一息」


星が岩を掘り続けてもう何年経っただろうか
貫かれた岩盤の深さは三割にまで達し、砕いた瓦礫を運び出すのが一番の重労働になるほどに穴は深かった
地上と地下を行き来するだけでかなりの時間を食い、岩を砕くのはほんのわずかな瞬間のみであった

それでも確かに星の言う通り前進はしていた
ただ宝塔に辿り着くまでの時間を計算するのは恐ろしい
一度計算を試みたことはある
しかしあまりにも途方もない時間が必要になることに気が付き、私は途中で計算をやめたのだ

もしここでその真実を告げても、星は心を折られずにいるだろうか


星「足を鍛えておいたのは正解でしたね」

星「おかげで、こうして上り下りするのもそう辛くはありません」

ナズ「……」

星「おや、もう明るくなり始めてきましたね。最近はあっという間に時間が過ぎていくような気がします」

星「ではナズーリン、そろそろ帰るとしましょう」

ナズ「うん……」


私は進行具合について星に口添えするのはやめた
その未来が遠かろうと近かろうと、計算が星の労働を減じることはないからだ

以前、星の穴掘りを手伝って瓦礫を運び出したことがある
しかし私の貢献は長持ちしなかった
一週間も持たずに私は斜面に倒れ、そのまま寺で星に介抱されることになり、それっきり私は苦行を眺めるだけになっていた
作業そのものよりも、終わりの見えない未来の遠さに打ちのめされてしまったのだ


一方星はそのようなことを考えないのか、まるで気落ちする姿を見せない
いくら説明してみてもその歩みが鈍ることはなかった
その執念においては、他のいかなる妖怪も星には敵わないだろう

神の名を頂いた者と、神の小間使いでしかない者
その格の違いはあまりにも明らかだった


ナズ「……ご主人みたいなのは珍しいよ」

星「え?」


ナズ「何ていうのかな、ご主人はさ、妖怪っぽい感じがしないんだよ」

星「妖怪っぽい……?」

ナズ「普通、妖怪と言ったら、自分の性質に従って生きるものなんだ」

ナズ「お化けは人を脅かさずにはいられないし、鬼は力試しをせずにはいられない」

ナズ「でもご主人は……何か違うんだよね」

星「そうですね。私も結局、聖に拾われる最後まで人を襲うことができませんでしたから」

星「私は妖怪としては落ちこぼれも良いところでした」

ナズ「それがおかしいんだよ」

星「?」


ナズ「人食いができなかったって言っても、いざ事に及ぼうとすると体が痺れ出すとか、そういうことじゃないんだろう?」

星「痺れはしませんでしたね」

ナズ「その時何かあったのか?」

星「いいえ、何も」

星「私が躊躇してまごついている間に機会を逃してしまうのです。いつもその繰り返しでした」

ナズ「ご主人は元は人食い妖怪だったんだろう? 何で躊躇する必要があるんだ」

星「だって、食われたら死んじゃうんですよ? かわいそうじゃないですか」

ナズ「虎は人を食うものだろう。虎は食われる相手をかわいそうだとか思わないぞ」

星「そうなんでしょうか?」


ナズ「……というか、ご主人は本当に虎の妖怪なのか?」

星「え?」

ナズ「虎という獣は本来この大陸にはいないんだ。はるか西の海を渡った大陸にのみ生息しているはずなんだよ」

ナズ「ご主人は海を渡ってこの大陸に来たのかい?」

星「いいえ?」

ナズ「だろうね。はるばる海を泳いで来るだなんて、そんな途方もないことを藪から棒にするはずがない」

ナズ「でも、それならどうしてご主人はここにいるんだい?」

星「さあ……気が付いたらここにいました」

ナズ「……うん。そうやって考えていくとさ、そもそも本当に虎かどうかも疑わしいんだよ。ご主人の場合」

ナズ「ご主人は……本当に、虎なんだよな??」


星「正直なことを言いますと、自分でもあまり自信がないんですよ」

星「周りから虎だ虎だと言われ続けていましたから、自分でも虎だと思ってはいたのですが……」

ナズ「……ま、自分の発生について詳しく知ってるヤツなんて皆無だからね」

ナズ「どういつもこいつも、生まれはいい加減なものさ」

星「はぁ」

ナズ「ご主人が他の奴と違う気がするってのは、もっと別のところだよ」

星「……?」

ナズ「ご主人はどうして聖……様にこだわるんだい?」

ナズ「私の目から見ても、ご主人の執念は並大抵じゃない。どうしてそこまでのめり込むことができるんだい?」

星「どうして? 何がですか?」


ナズ「妖怪ってのは、一つのことに集中して熱心に手間や時間をかけたりない」

ナズ「というか、そんなことはできないのが普通なんだ」

ナズ「まれにいることはいるだろうけど、ご主人のそれには到底及ぶものではないよ」

星「はぁ」

ナズ「一体何がどうしてそこまで熱心に取り組むようになったんだい?」

星「そう聞かれましても……好きなものには熱心になるのが当然ではありませんか」

ナズ「だからそれが……いや、やっぱいいや」

星「?」


まるで会話が成り立たない
星と私とでは認識の差にとてつもない開きがある
こちらの常識は全く通用せず、星の言い分も私には理解しかねる
妖怪を相手にしている気がしないのだ

私にとって星の存在そのものが最大の謎だった
そしてこの謎は、きっと言葉だけでは理解できない

付いていくしかなかった
星に伴い、その傍らで生き続けることでしか、その奥にある真実には辿り着けない

私の中で何かが変わり始めていた


ナズ「よいしょ……っと」


ドサッ ガラガラ…


星「危ないから足元には気を付けてください」

ナズ「……身軽になったから危なくないだろう」

星「聖が言っていましたよ。誰しも、一番辛いところを乗り越えた時に油断するものだと」

ナズ「ふむ……」


ガコッ ガコッ


ナズ「これくらいでいいかな」

星「気を付けてください? 重い物を持つ時は、必ず一旦しゃがんでからですよ」

ナズ「……それも聖様の教えなのかい?」

星「そうですね。よく分かりましたね」


ナズ「何だか、ご主人が話す聖様というのは、掃除とか洗濯とか礼儀作法だとか、そんなことばっかり言うんだね」

星「そうですね」

ナズ「聖様は仏僧なのだろう? 何でそんな俗っぽいことばかり言うんだい?」

星「そう言われましても……ナズーリンは、毘沙門天様からそのようなことを教わりませんでしたか?」

ナズ「いいや。私は専ら命令に従うだけだからね。ご主人のように教えを賜ったことはないんだよ」

星「そうですか」

ナズ「よいしょっと」スッ


私は再び星の手助けをするようになった
星のことを知るにはそうするしかないと思ったからだ

不思議なのは前よりも体が軽く感じられたことだ
前回はたった五日で音を上げていた自分が、気が付けばもう半年以上も続いている
この粘り強さが一体どこから来ているのか、自分でもよく分からなかった


星「では今日も参りましょう」

ナズ「ちょっと待った。その前に下調べした方が良い」

星「え?」

ナズ「もうこれだけの深さになったんだ。落盤事故なんて起きたら、それこそひとたまりも無いぞ」

星「なるほど……でも、確かめる方法もありませんし……」

ナズ「私に任せてくれ」サッ

星「それは……」

ナズ「この世のあらゆる全てには、微かだけど気配のようなものが宿っている。もちろん大地も例外じゃない」

ナズ「私のダウジングを使えば、その気を拡張して聞き取ることができるんだ」

星「そうすると……どうなるんでしょうか?」


ナズ「何か異常な気配があれば、事前にそれを察知することができる……つまりは落盤の起こりそうな場所も分かるってことさ」

星「何と! それは頼もしいですね」

ナズ「……よし、今日も大丈夫みたいだね」

星「もしかして、毎日そうやって調べてくれていたんですか?」

ナズ「まあね」

星「そういえば、いつもその棒みたいのをクイクイやってましたね」

星「ありがとうございます。そんな大変な理由があったとは知りませんでした」

ナズ「うん、まあ……」

星「でもナズーリンは凄いですね! そんな器用なことができるだなんて!」


ナズ「いや……実を言うと、これができるようになったのはここ最近のことなんだ」

星「そうなんですか?」

ナズ「うん、私自身どうしてできるようになったのかも、未だによく分からないんだよね」

星「はぁ」

ナズ「ま、私のことはいいさ。今日も張り切って取り掛かろう!」

星「はーい」


共同作業を始めて二年が過ぎた
異変が起きたのは、天候も穏やかでマナの乱れも感じない、一見何でもない普通の日のことだった


星「では今日も……」

ナズ「待った……何かおかしいぞ」

星「何がですか?」

ナズ「目に見えることで説明するのはちょっと難しい。気配の感じがいつもと違うとしか言えないよ」

星「……」

ナズ「何かが起ころうとしている。それが何かは分からないけど、ただならないことであるのは間違いなさそうだ」

星「では……」

ナズ「うん、今日は穴掘りには行かない方が良いみたいだ」


それが始まったのは明け方
ちょうど太陽が地平線から昇ってくる頃だった



ズズズ…






ゴゴゴゴゴゴゴッッ!!



ナズ「な、何だ!?」

星「ナズーリン! 早く外へ!」


小さな揺れの後、しばらくすると大きな揺れが大地を震わせた
ここまで強い地震は私にも経験がなかった
私たちは自分の身を守ることで精一杯だった


散らばった物を拾い集めて元の場所へ戻し、崩れた箇所を縄や丸太で補強し整える
いつ誰が参拝してもいいように、何とか片付けたような感じにするまで丸3日もかかった
私たちが宝塔のある場所を確かめに行ったのはその後だった


星「うーん」

ナズ「………………」


これが絶望というものだろうか
もはや私は何も言えなくなっていた


星「本当に大きい地震だったんですね」


先立っての地震によるものか
ついこの間まであったはずの穴は、崩れた土砂により完全に埋まってしまった
星が三百年かけて積み上げたものが、ほんの一瞬で台無しにされてしまったのだ


星「ありがとうございます、ナズーリン」

星「あなたの言う異変とはこのことだったのですね」

星「これは危ないところでした。もしあなたの忠告がなければ、今頃私たちの命運は尽きていたかも知れません」

ナズ「…………」

星「ナズーリン、今後こういう大きな地震はまた来るものなんでしょうか?」

ナズ「…………」

星「ナズーリン?」

ナズ「えっ? あ、いや……」

星「どうしたんですか? 珍しいですね、あなたがそんな呆けた顔をするなんて」

ナズ「……」


星「ナズーリン、今後もこういった大きな地震はありますか?」

ナズ「いや……ない、けど……」

星「それなら安心ですね!」ニコッ

星「では、今日も張り切って参りましょう」


私はいよいよ星が分からなくなった
この妖獣は一体どういう神経をしているのか
自分の三百年分の努力がいっぺんに無駄になってしまったというのに、まるで動揺する様子を見せない
返って私の方が落ち込んでいるぐらいだ

星は呆然と立ち尽くす私を置いたまま穴掘りを再開した
地震のことなど気にも留めていない、今まで通りの姿であった


ナズ「はぁ……はぁ……うぅ」

星「大丈夫ですか? 無理しないでください」

ナズ「ごめん、ちょっと休ませてくれ……」

星「どうぞどうぞ。後は私だけで続けますから」

ナズ「……」


再び穴を掘り始めて一年
いくら労力を叩き付けても、どこまでも深い地の底には響いてる気がしない

そして今はさらに重大な問題がある
それは今のこの努力さえ確実なものではないということ
突然起きたあのような地震が再び現れないとは限らないのだ

今自分たちは無駄な努力をしているのではないか
そう考え出すと体中から気力が消え失せてしまうのだ


ザッ… ザッ… ザッ…


星「よいしょ、よいしょ」

ナズ「……」


あの地震さえなければ、今頃は宝塔に辿り着く夢を見ながら掘削に邁進していたはずだ
それが過去に掘り出したはずの土くれに塗れて、それだっていつ終わるとも知れない

星に付いて行っても、私はすぐに力尽き座り込んでしまう
そして死んだような目をしながら星の作業を眺めているだけ

私はぼんやりと考えていた
星のように苦難に立ち向かったりしなければ、苦労などする必要はない
だがこうやって諦めてみたところで、自分の未来に何かあるわけではない


ナズ「…………」


かつて私の生活は毘沙門天様に従うという、ただそれだけの毎日だった
星の寺に来るまではその過去に不満などなかった
それがどういうわけか、今はそれだけで満足できない自分が確かにいるのだ

自分自身を振り返ってみれば、その後ろには何もない
しかし、前を向けば星の背が見える


ナズ「行こう……もう一度」


それがどれほど険しい道のりであろうとも、もう私には進むより他になかった


~地獄~


ドドォォン…

ズガガガガガッッ!!


ガキンッ!


村紗「ここまで!」

一輪「……」スッ

村紗「強くなりましたね。見違えるほどに」

一輪「百年以上もこんなことばっかりしてれば、そりゃ強くなるわよ」

村紗「これからも地道に鍛えていけば、いずれは地底脱出も夢ではありませんね」


一輪「……ま、そうなるまでにあと何百年かかるんだか分からないけどね」

村紗「ともあれ、私たちはここへ来た時よりずっと力を付けてきました」

村紗「早くこの身を聖の下へと馳せ参じたいものです。今度こそ、つまらぬ妖怪如きに遅れは取らない」

一輪「ふふん」ニヤリ

村紗「どうしました?」

一輪「いやぁこれは……言ってもいいのかしら?」

村紗「是非一つ、お聞かせ願いたい」

一輪「コホン、私たちってさ、強くなったじゃない?」

村紗「ええ……それが?」

一輪「ここまで強くなっちゃうと……ねえ?」

村紗「?」


一輪「まあその、何て言うか……」

村紗「つまりどういうことですか?」

一輪「だからさ、これは客観的なことを言ってるのであって、思い上がりとかそういうことじゃないのよ?」

村紗「?」

一輪「つまり私たちって……姐さんより強くなっちゃったんじゃない?」

村紗「…………」

一輪「今の私たちは二人がかりなら鬼とも戦えるようになったわ」

村紗「あれは戦ったとは言わないでしょう。命からがら逃げて来ただけなのですから」

一輪「それでも鬼との戦闘で生き延びたことには違いないわ」

村紗「あれは鬼の中でも最弱の部類だと思いますけどね」


一輪「どっちにしろ、あの姐さんでも敵わない鬼と戦ったのよ? 私たちは」

村紗「…………」

一輪「強くなったとは思ってたけど、まさかこんなに早く姐さんを上回っちゃうなんてね~」

一輪「……もちろん、姐さんへの忠誠が変わるわけではないわよ?」

一輪「私が姐さんに惚れ込んだのは、腕っぷしの強さとかそういうのじゃなくて、もっと高い次元での話なんだから」

一輪「でもこれからは、力の面で勝る私たちが、姐さんを狙う魑魅魍魎の魔の手からお守りする……そういう形になると思うのよ」

村紗「一輪、失礼ですが……」

一輪「ほら! この本なんて今の私たちにピッタリじゃない!」サッ

村紗「それは?」


一輪「これはどっかで見つけて拾ってきたものなんだけど、まさに私たちの未来を描いたような物語よ!」

村紗「……」ジー

一輪「強大な力を持った異形の者たちが、一人の仏僧の清らかな心に触れて改心し、共に取経の道を目指す……」

一輪「その道行きに現れ、仏僧の血肉を食らわんとする凶悪な魔物の数々!」バッ

一輪「大切な師匠を守るため、魔物どもをバッタバッタとなぎ倒す弟子たち!」ババッ

一輪「次々と現れる苦難! 絶え間なき挑戦と成長の日々! そして美しき師弟愛!!」バババッ

村紗「……」

一輪「つまり私たちの未来もきっとこんな感じになるはずだから、あなたも心構えを済ませておいた方がいいわよ?」

村紗「一輪、ちょっと」


一輪「それで私たちのそれぞれの立ち位置なんだけど、私は雲の妖怪を操れるから猿の行者的立場ってことでいいわね?」

一輪「あなたは……そうね、姐さんにお使いいただく乗り物を持ってるから白馬的なアレね」

村紗「一輪」

一輪「何よさっきから。不満でもあるの? いくら一番弟子だからって、孫行者役は譲れないわよ?」

村紗「いえ、そうではなくて……あなたは本気でそのように考えているのですか?」

一輪「当たり前じゃない。姐さんの大業のために粉骨砕身戦うのが私たちの使命なのよ?」

村紗「そこではありません」

一輪「?」

村紗「あなたは本気で考えているのですか? 自分の力が聖を上回ったなどと」

一輪「……これだけ強くなったんだから、もう確実にそうでしょ」


一輪「現に今の私たちは、封印された時の姐さん三人分を相手にしても負けないと思うわよ? きっと」

村紗「それはそうなのでしょう」

村紗「ですが……どうしてあなたは、聖の力が過去の時のままで止まっていると思うのですか?」

一輪「……」

村紗「かつての聖は若返りの術法を会得していない頃でさえ、人間離れした活力を持っていました」

村紗「日が沈むと山の向こう側まで出かけると言って、そうして明け方まで帰らない」

村紗「夜の暗闇がようやく白み始めた頃合になって寺に戻り、日が昇ると既に勤行を始めていたものです」

一輪「……」

村紗「私は未だに分からないのですが、一体聖はいつ眠っていたのでしょう」


一輪「さあ……どこかで野宿でもされたんじゃないの?」

村紗「狼と妖怪の這い回る山中に丸腰で、ですか?」

一輪「……」

村紗「老いていた時ですらそうだった聖は、術を会得した後はまさに水を得た魚のようでした」

村紗「日の出ている間はずっと参拝客の相手をしていて、日が沈んでも何やら書きものをしている……」

村紗「その姿はあなたも見ていた通りです」

一輪「……」

村紗「一輪、あなたは聖が寝ているところを見たことがありますか?」

一輪「それは…………無いわね」

村紗「私も同様です。どうも聖は理想に向かう熱情が過ぎて、睡眠を放棄してしまったようなのです」

一輪「…………」


村紗「きっと聖は頭の中から休止という概念を省略してしまったのでしょう」

村紗「そうであれば、封印されたまま停滞を余儀なくされるなど、到底聖の許すところではありません」

村紗「おそらくあの暗闇の中で今も修行を続けているのでしょう」

一輪「それは……無理よ」

村紗「なぜそう思うのですか?」

一輪「噂ではいろいろ聞いてるけど、あそこって光も空気も無い、空間すら無いって話じゃない」

一輪「そんな所、並の人間なら入った瞬間にあの世行きだわ。姐さんだから何とか生きていられるのよ」

一輪「あそこで命を保つこと自体がそもそも難しいのに、その上さらに修行するなんてできるはずないわ」

村紗「そうでしょうか」

一輪「そうに決まってるじゃない。いくら姐さんでも、できないことはできないわよ」


村紗「でも、聖はいつだって私たちの想像を越えていく」

村紗「全速力で先回りしたつもりで顔を上げてみると、はるか彼方先で振り返り、私たちを見つめている」

村紗「先手を取ったつもりが逆に先手を取られている……一輪、あなたにも覚えがあるのでは?」

一輪「まあ……確かに」

村紗「それに、実は法界というのは、修行するにはこれ以上ない場所であるとも聞きました」

一輪「それ、どこから出た情報よ」

村紗「聖ですよ」

一輪「……」

村紗「詳しい話はよく覚えていませんが、どうも環境が厳しければ厳しいほど、修行には適していると言っていましたね」

村紗「多くの者が鍛練にやって来るとされる魔界で、最も厳しいとされる場所が法界なのです。まさに修行には持って来いでしょう」


村紗「これは私たちもうかうかしていられません」

村紗「今まで以上に真剣に鍛練しなければ、開いた差はますます広がるばかりですよ?」

一輪「……そ、そうね」グッ

村紗「さあ、休憩は終わりです。私たちも続けましょう」

村紗「いつ聖と星に再会しても恥ずかしくないように」スッ

一輪「同感だわ」スッ


~地上~


ナズ「ようやっと……ようやっとここまで来たか」

星「この様子なら明日も晴れですね。また穴掘りに行けそうです」


埋まった土砂を掘り返し、かつて見えていた岩盤がもう一度姿を現すまでに、三十年以上かかった
削られた岩盤の穴に流れ込んだ土くれを取り除くのに五十年
地震で砕けた岩をさらに細かく割って外へ運び出すのに七十年
地震による後退を取り戻した時には、都合百五十年が経過していたことになる

もう私の意識は、宝塔に辿り着くまでにかかる時間を計算することを避けていた
理性ではなく、本能的な恐怖が真実を知ることを拒んでいたのだ


封印から五百五十年
どうしても避けがたい一つの可能性が私の頭を支配していた
即ち、仮に宝塔を取り戻したとしても、星の願いが果たされないかも知れないということ

口にするには憚れる事柄であるが、五百五十年という時間が私に口を開かせた


ナズ「……ご主人、ちょっといいかな?」

星「はい、何でしょう」

ナズ「聖様は確か法界という場所に封印されたはずなのだけど、法界とは具体的にどんな場所なんだ?」

星「法界……法界ですか」

ナズ「完全なる無の空間とは言われているけど、何もないなら入れるはずがないからね」

ナズ「一応実在する場所なんだろう?」

星「はい」


ナズ「ではあそこは、つまりどういった場所なんだい?」

星「あれは、とてもとても辛い場所ですよ」

星「いかなる天地を極めた神々も、魔を統べる妖の王たちでさえも、あそこに入ることだけは恐れる。そういう場所なのです」

ナズ「……仮に何か生き物を放り込んだとしたら、どうなるんだい?」

星「死にます。それも瞬時に」

ナズ「…………」

星「野生動物に限らず、人間、妖怪の別なく等しく命を失うでしょう」

星「類稀な力を持つ者であれば、ある程度は長持ちするかも知れません」

星「しかしそうすると今度は更に苦しい状況が待ち構えています」

星「肉体の苦難を越えた先にあるのは、精神の苦難」

星「この苦難は地獄の責め苦よりもはるかに厳しいと聞いています」


ナズ「そ……そんな場所に聖様は入ったのか?」

星「はい。一輪と村紗の同行を拒んだことは、聖にとって至極当然のことだったのでしょう」

星「今の私たちには、法界の炎に耐えることなどできないのです」

ナズ「そんな場所に入ったんじゃ……もう……」

星「?」

ナズ「……ご主人、聖様が封印されてから何年経ってると思う?」

星「五百五十年と七十日ですね」

ナズ「そうだ。聖様はもう五百年以上も法界で閉じ込められている。だから……」

星「……」

ナズ「聖様は……法界の炎に……」

星「……」


ナズ「ご主人、ここは正直に聞きたい!」

ナズ「あなたは、まだ聖様がご健在であると、そう信じているのか?」

星「はい。信じています」

ナズ「どうしてそう言えるんだ……五百年……五百年だぞ!?」

星「聖はこう言っていました」

星「冥界の責め苦も、法界の炎も、大したことはない」

星「地上で生きる苦悩に比べれば、そんなものはどちらも子供騙しにさえ劣る……と」

ナズ「?……どういうことだ? 今の私たちの味わう苦悩が……つまり地獄や法界に勝ると、そういうことかい?」

星「そうです」

ナズ「訳が分からない。地上に生き続ける悩みなんて、それこそ一番軽い部類に入るんじゃないのか?」


星「聖によれば地獄も法界も、共に地上の地獄を再現しようとして作られた偽物なのだそうです」

星「どんなに苦心惨憺して恐ろしく演出しても、やはり地上のものには敵わないのだとか」

ナズ「ふーむ、そういうものかなぁ」

星「聖はきっと今も生きています。生きて私たちとの再会の時を待っています」

星「宝塔さえ取り戻せば、その道は必ず開くのです」

ナズ「…………」

ナズ「―――!?」ビクッ

星「?」

ナズ「こ、この感じは……まさか!!」

星「どうしました?」


マナの流れが変わった
しかしそれは以前味わった異常と同じだ


ナズ「ご主人……心して聞いてくれ!」


百五十年前の悪夢が、再び甦る


ナズ「そ、そんな……」

ナズ「嘘だろ……嘘だと言ってくれ……っ!!」

星「……」


またも襲い掛かった大地震
今度は寺を立て直すよりも先に、私の体が宝塔の真上を目指していた

そこで私は二度目の絶望を味わうことになる
百五十年前と同じく、穴は完全に塞がっていたのだ


ナズ「どうして、どうしてなんだ……」

ナズ「誰か……説明してくれ……! 毘沙門天様っ!!」ギリッ

星「……もう帰りましょう、ナズーリン」

ナズ「……え?」

星「さすがに穴を掘るのは疲れました。寺でゆっくり休みましょう」

星「聖のことは……多分何とかなりますよ」

ナズ「……」


放心状態の私はその言葉に従うしかなかった
星からそんな言葉が出たことは過去になかったことだが、私にはそれを気にしていられる余裕はなかった


星「ふぅ……結構見えない所にも汚れが溜まっているものですね」

星「きっと手間のかかる場所を省いてきたせいなのでしょう。一度大掃除した方が良いのかも」

ナズ「……」

星「こっちも新しい木材を拾って来ないと……」

星「聖の言う通りです。人の出入りが無いといっぺんに傷んでくるものですね」

ナズ「……」


二度目の地震以来、星が穴を掘りに行くことはなくなった
あれからもう一ヶ月も経つ
今の星は寺の整備と、来ることのない参拝客を迎えることに精を出している


穴掘りをやめたことで、私たちの生活は突然のんびりしたものになった
星は今まで寝ていなかった分を取り返そうとしているのだろうか
日が沈むとさっさと寝てしまい、そして夜明けまで決して起きて来ない
私も急にやることがなくなり楽になった

しかし、あれだけしんどい毎日だったのに、いざなくなってみるとあの辛い労働ばかりが懐かしく思い出される
私は心の中であの時に戻りたいと思いつつも、同時にあんな辛い仕事は二度とご免だとも思っている
どちらが自分の本心なのだろう


ナズ「…………」


一旦自分の小屋に引き上げて指示を待つものの、いつまで経っても星からお呼びがかからない
自分の知らない間にまた穴掘りを再開しているのではないか
そう思い様子を探ることもあったが、星は相変わらず寺に留まっていた


ナズ「どういうつもりだ……?」

ナズ「聖様の復活を諦めたのか?……いや」


あの時の星からは自分と同じような悲壮感や絶望の色は見られなかった
しかし星が歩みを止めたのは事実だった


ナズ「う~ん…………」


半年以上小屋の中で転がりながら悩んでも、結局結論が出ることはなかった
私はやむなく星に直接問い質すことに決めた


星「宝塔ですか?」

ナズ「そうだ! ご主人だって宝塔を取り戻したいという気持ちに変わりはないんだろう!?」

星「うーん、そうですね~」

ナズ「一体どうしたんだ! このまま指を咥えたまま放っておくだなんて! いつものご主人らしくないじゃないか!」

星「はぁ……」


私が直球で質問をぶつけてみても、星はのらりくらりと生返事するばかり


星「まだ寺を閉める時間でもありませんし……」チラッ

ナズ「その台詞はもう五回目だろう! というか、もう寺を閉めてもいい時間になってしまったじゃないか!」

星「はぁ、なるほど」


ナズ「どうするんだ! 聖様のことを諦める気ならそうと」

星「では、そろそろ行きましょう」スクッ

ナズ「言っ…………ん?」


質問に答えないまま、星は鍬を担いで寺を後にした
そして宝塔の真上に着くと、そのまま穴掘りを始めた
以前と全く同じように


ザッ… ザッ… ザッ…


ナズ「……」


しばらく呆気に取られていた私も我に返り、土運びを始めた


星は宝塔も聖様のことも、諦める気など毛頭なかった
ではなぜわざわざ立ち止まったりしたのか
星の意図に気付くことができたのは、それからずっと後のことだった


ナズ「もうそろそろ梅雨も終わりか……」

星「ようやく穴掘りも再開できそうですね」

ナズ「土砂崩れでも起きてなければいいけど」

星「ナズーリンは心配症ですね。きっと大丈夫ですよ」

ナズ「……ご主人の場合、何が起きても大丈夫な気がするよ」

星「?」

ナズ「そういえば、この時期になると穴が勝手に浅くなってるような気がするんだよね」

星「え? どういうことでしょう」


ナズ「少しなんだけど、前に掘った時より穴が埋まってるように見えるんだよ」

ナズ「でも土砂崩れが起きたって感じではないし……」

星「はぁ、気のせいじゃありませんか?」

ナズ「う~ん…………ん? あれは?」


妖精1「またできてるぞー!デッカい穴!」

妖精2「大きい~!」

妖精3「埋めろ埋めろ~!」

ザッ ザッ


ナズ「何やってるんだお前らー!!」ダダダッ


妖精1「わっ! 見つかったー!」

妖精2「こっち来たぞー!」

妖精3「逃げろ逃げろー!」

フワフワ…


ナズ「戻って来いお前らー! ゲンコツ食らわせてやる!」ピョンピョン

星「……」

ナズ「くっそー……あいつらのせいだったのか!」


星「これはまた随分と可愛らしい妖怪でしたね」

ナズ「何が可愛いもんか! あいつらは敵だ!」

星「敵?」

ナズ「あいつらはああやって嫌がらせすることだけが楽しみになってるような、そういうどうしようもない連中なんだ!」

星「はぁ、でもちょっと悪戯してただけではありませんか」

星「敵というのは少し言い過ぎなのでは?」

ナズ「ご主人は妖精を知らないのか!?」

ナズ「あいつらはまるっきり考えなしに、四六時中興味本位だけで暮らしてるような、そういう連中なんだぞ!」

ナズ「変に力を持ってる分、里の子どもよりタチが悪い! 見つけ次第懲らしめて追っ払うのが一番良いんだ!」


星「そんなに怒らないでください。とにかく帰ってくれたのですから、それでいいではありませんか」

ナズ「むうう……」

星「さあ、今日も張り切って参りましょう」


いつも穴の中心にばかり意識が行って気が付かなかったが、どうも時々妖精たちが集まって私たちの様子を覗いているらしい
しかし毎日穴掘りに通っていれば、こちらの妨害はしないようだ
ある程度日数を開けると、先日のようにわらわら集まってきて悪戯を始めるのだ


星「ではそろそろ帰りましょう」

ナズ「…………」チラッ

星「どうしました?」

ナズ「……そこかっ!」ダダダッ


妖精1「わっ!見つかった!」

妖精2「こっち来たー!」

妖精3「逃っげろ~!」

フワフワ…


ナズ「今度来やがったら、本当にしばき倒してやるぞー!」ピョンピョン

星「ふふふ、すっかり妖精を探すのが上手になってしまいましたね」

ナズ「笑い事じゃないよ。あいつらのせいでどれだけ作業が後退したか……」

星「そんな気にするほどのことではないでしょう。飽きたら勝手に帰るでしょうし」

ナズ「塵も積もれば穴を塞ぐんだよ。全く、ただでさえ障害の数々で大変だっていうのに、この上妖精まで邪魔して来るだなんて」


星「……私としては、その大変なことも結構楽しいものですよ?」

ナズ「何言ってるんだ? 穴掘りが楽しいわけないだろう。辛い作業でしかないんだから」

星「伴う者があれば、どんなことでもそう辛くはありません。たとえ、それが終わりの見えない道行きであったとしても」

ナズ「……」

星「共に並んで歩いてくれる者がいるというのは、中々良いものですね」

星「寺に来るまで、私はずっと独りでいましたから」

ナズ「……そろそろ始めようか」

星「そうですね」


私たちは共に目指す
それがどんなに遠い道のりであっても、私たちはきっと辿り着くだろう
たとえその未来が、何千年先にあったとしても


~地底~


一輪「もう何年ぐらい経ってるのかしら?」

村紗「まだ千年には届いていないはずですよ?……詳しくはよく調べていませんが」

一輪「ねえ、もうそろそろ試してみない? 今度はいいところまで行けそうな気がするのよ」

村紗「地底脱出のことですか?」

一輪「そうそう! 私たち、二人がかりなら鬼にも勝てるようになったし、行ってもいいんじゃないかしら!」

村紗「ふむ……しかし、ちょっと気になることが……」

一輪「何よ?」

村紗「やはりあの鬼たちの大移動によるものでしょうか。この地底全体の力が落ちてきているように感じられるのです」


村紗「ここのパワーバランスを崩すような新入りは、もうかれこれ三百年ぐらい現れていない」

村紗「強いのは昔からいる古株ばかり。そしてその代表たる鬼ですら、かつての力を維持できない者が多い」

村紗「先日私たちが倒した鬼もその類でしょう」

一輪「……」

村紗「私たちは強くなった。確かにそれは事実です」

村紗「しかしながら地底全体がそれ以上に弱体化しているのです。比較対象としてはあまり当てになりませんよ」

一輪「……そういや最近は骨のあるのがいないわねぇ」

村紗「明らかに、地上の側で何らかの変化があるようですね」

村紗「もしかすると、聖の予言が現実のものとなっているのかも知れません」


一輪「まさか! まだ千年も経ってないんでしょ? そんなすぐにひっくり返るわけないわよ」

一輪「あるとしても、あと三、四千年ぐらいは先の話でしょ?」

村紗「いいえ。聖は言っていましたよ?」

村紗「未来というものは、信じられない早さで私たちを追いかけて来るものだ、と」

一輪「……」

村紗「あまりゆっくり遊んではいられませんね。地上の二人が心配です」

一輪「星はともかく、鼠の心配までする必要あるの?」

村紗「あれと数百年も一緒にいて味方にならずにいるなど、よほど性根の腐ってる者でもなければできませんよ」

一輪「……そりゃそうね」


~地上~


ドサッ

ガラガラガラ…


ナズ「……ふぅ、ようやっとここまで来たか」

星「お疲れ様です。もうそろそろ引き上げましょう」

星「あと残っている瓦礫は一回分しかないようですから」

ナズ「じゃあ私はここで待ってるよ」

星「はーい」

ナズ「……」



あれからもう三百年近く経っていた
脇目も振らず、私たちは掘り続けていた
夜が以前より静かになってきたことに気が付かないほど没頭していた

その甲斐あってここまで来れた
今までの二度の地震を乗り越えて、ようやっと岩盤を砕く段階にまで漕ぎ着けたのだ
しかし目指す宝塔はさらに今の数倍奥深くに眠っている


ナズ「……辿り着いてやるさ」

ナズ「たとえ何千年かかろうとも!」


今日は作業が長引いてしまったようだ
もう朝日が昇り始めている

早く寺に帰ろう
そう思って立ち上がろうとした時、後ろから声が響いた


星「ちょっとすみませーん、ナズーリーン?」


ナズ「うん?」


ドサッ

ガラガラガラ…


星「ふぅ、ふぅ……ちょっと穴の様子を調べて欲しいんですけど」

ナズ「何かあったのかい?」

星「あったというほどではないんですけど……ちょっと見てもらえませんか?」

ナズ「はぁ」


星に付いて行って穴の底へ下る
……まさかもう宝塔が見つかったわけではないだろう


ナズ「…………」

星「どうですか? 何か危ないことが起きるのでしょうか?」

ナズ「いや、それはなさそうだけど……」


見ると、底の岩盤が所々ヒビ割れていた
おそらく地震の影響なのだろう


ナズ「なるほど、こりゃ岩を壊す手間が省けたね」

星「そのうち岩が崩れ落ちてきたりはしませんか?」

ナズ「大丈夫だろう。亀裂は左右を分ける形で走っているから、落盤の恐れは薄い」


星「そうですか。ナズーリンがそう言うなら、安心ですね」

ナズ「…………!!」

星「今度はまたあの道具を持って来ましょう。確か名前はツル―――」

ナズ「ご主人! 早く外へ出ろ!」

星「へっ?」

ナズ「流れが変わった! 来るぞっ!」

星「は、はい!」



ゴゴゴゴゴゴゴ……


ナズ「ご主人! もっと遠くへ逃げるんだ!」ダダッ

星「はいっ!」ダダッ

ナズ「またか……またなのか……ッ!」

星「はぁ、はぁ、はぁ」

ナズ「畜生っ! 何度邪魔すれば気が済むんだッ!!」


ドパァァァァン!!


ナズ「!?」

星「……え?」チラッ


その時起きたのは地震ではなかった
穴の底から大きな水しぶきが立つ音が聞こえた


ドドドドドド……


私たちが戻ってみると、地の底から絶え間なく天に突き上がる水柱が見えた


ナズ「な、何てこった!」

ナズ「これは……間欠泉じゃないか!!」


最も恐れていたことが起きてしまった
もし仮に、今の穴が水源に繋がってしまったら、その後の労力は今までとは比べ物にならない
それは即ち、一つの湖そのものを全て外へと掻き出さねばならないということなのだ


ナズ「これ以上……まだッ!」

星「……」

ナズ「まだ、足りないって言うのか……ッ!」ドンッ

星「あれは……」タタタッ

ナズ「……ご主人?」


カラン…


ナズ「ッ……まぶしっ」


眩しい?



ドドドドドド……




ナズ「ご主人、何をしてるんだ。早く離れよう」

星「…………」

ナズ「まだ水は噴き上げている。ここは危険だ」

ナズ「今日のことは残念だけど、それは後で―――――――――!?」

星「そうですね」


見間違えるはずがない
それはかつて星の手にあったもの

星が間欠泉から拾い上げた物は……


星「帰りましょう、ナズーリン」

ナズ「まさか……」

星「私もびっくりしました」

星「まさか、こうやって手元に戻ってくるとは思いもよりませんでした」

ナズ「ほ……宝塔だとっ!?」

星「ありがとうございます。ナズーリン」

星「あなたの協力のおかげで、このように取り戻すことができました」

ナズ「まさか……こんなことが……ッ!!」


今までの私たちは気まぐれな天地に苦しめられてきたと思っていた
しかしそれは誤りであった


二度の地震が巨岩を割り、さらにその亀裂が地下水を呼び込む
そして間欠泉が宝塔を地上へと押し上げた
結果、三千年以上かかるはずの作業が、ほんの八百年足らずで達成されてしまったのだ


ナズ「し、信じられない……っ!!」


計算することすら愚かしい恐るべき偶然が起きたのだろうか
否、今までの偶然は全て必然であった
私が星の味方になることまでも含めて、全てが

この天地の全てが、星に味方したのだ


星「後はあの二人を待つだけですね」


そう言って星はにっこり微笑んだ


妖精1「うわー! 水だー!」

妖精2「いっぱい出てくるぞー!」

妖精3「埋めちゃえー!」

ザッ ザッ


ドドドドドドド……


妖精1「わー!」

妖精2「水のはんげきだー!」

妖精3「逃っげろー!」

フワフワ…


その後のことは鼠たちから聞いた
やがて間欠泉は勢いが弱まり、後から来た妖精たちによって埋められ、今はただの穴ぼこになっているとのこと
宝塔を取り戻した私たちは、もうその場所へ向かうことはなかった


~地底~


村紗「……とうとう私たちだけになってしまいましたね」

一輪「こんな天井が何だってのよ」

村紗「分かりません。しかし彼らの様子から見ても、やはり地上で異変が起こっているのは間違いないようです」

一輪「それって地上への出口が開く絶好のチャンスってことじゃない」

一輪「何でそんな大事な時に奥に引っ込んでるのよ」

村紗「……先日の鬼の言葉が関係しているのかも知れません」

一輪「ああ、あいつ!」

一輪「あいつは今までの鬼の中でも一番弱かったわねー。角も折れてたし……あれがどうかした?」


村紗「あの鬼によれば、地底に下る者で一番多いのは、地上から逃げて来る者なのだそうですよ?」

一輪「そう? あんな雑魚の言うことなんて当てにならないと思うけど?」

一輪「っていうか、地上なんてこの地底より弱っちいのしかいないじゃない。何をそんなに怖がる必要あるのよ」

村紗「彼女の言葉は支離滅裂で私にもよく分かりませんでしたが、要約すると、地上ほど恐ろしい場所はないのだとか」

村紗「地上には鬼が住んでいるとか何とか……」

一輪「鬼は自分じゃないの」

村紗「そのはずなのですが……」

一輪「そんな戯言にかかずりあってる暇はないわ。私たちは一刻も早く脱出して果たすべき使命があるのよ」

村紗「……」

一輪「それじゃ、今日も元気にぶっ壊してやるわよ!」スッ

村紗「……はい!」スッ


~地上~


ゴロゴロゴロ…

ビュゥゥゥゥゥゥゥ……!!


ピカッ!


ゴゴォォォン…


ナズ「…………」


いつ頃からこうなったのか
嵐は止まず、雷鳴は絶えず響き渡る
風雨はもう長いこと収まらず、やがて寺も次第に崩れ落ちていく
希望を失った私は、倒れたままその様子を眺めることしかできなかった


ナズ「星……」


星はだいぶ前に、宝塔を持ったままこの廃寺を去って行った
きっと彼女も自分にふさわしい死に場所を探しに行ったのだろう
仮に聖様の封印が解かれても、迎えるべき地上が無ければ何の意味もないのだ


ナズ「あの場所へ行ったのだな……星……」


星の行き先に検討は付いていた
しかしもう私にはその後を追う気力も残されてはいない
今はもうただの窪みになってしまったあの奇跡の場所で果てることを、星は望んだのだろう


ナズ「さよならだ……星……」

ナズ「……正直言って、楽しかったよ……この千年足らずは、さ……」

ナズ「あなたの……言う通りだったよ……」


ナズ「……あれは」


雷雲の中心に大きく長い何かが漂っている
この幻想郷に審判を下す者が、とうとう現れてしまったのだ


ナズ「…………」


最期を覚悟した私は、静かに目を閉じた




















星「それは……本当なのですか?」


紫「全く愚かな質問ね」

星「え?」

紫「私の話が真実であろうと、そうでなかろうと、あんたにはそれを確かめる術はないのよ?」

星「……」

紫「それを渡しなさい。どうせ持っていても終わるなら、わずかでも希望を抱いたまま逝くべきじゃなくて?」

星「……いいえ」

星「これは渡すわけには参りません。私には、どうしても会わねばならない人がいるのです」

紫「分かってないわね……このまま力づくで奪っても構わないのよ?」スッ

星「……!」グッ


紫「……」

星「…………」


星はそのまま身動きせず、声も出せず、まばたきすらできなかった
脈は加速が止まらず、息すらまともに吸えていない

その妖怪の背後から立ち上る重圧は、かつての聖を凌ぐ迫力を持っていた
この恐怖は他の妖怪と相対する時のものとは全く違う
なぜなら、今の星は命を失う以上の恐怖を感じているからだ


星「………………」


もはや当たり続ける風雨の冷たさも感じられない
星は立ち尽くしたまま全身が凍り付いていた


その張り詰めた神経のままどれほど時間が過ぎただろうか
それともほんの一瞬だったのか
やがて相手の方から口を開く


紫「仕方ないわね、こうしましょう」

星「…………?」

紫「私はそれを持って行かなければならない。この危機を収めるためにはね」

紫「でも、あなたはその右手のものを失いたくない。そうよね?」

星「は、はい……」

紫「だから私は、あなたごと持って行くことにするわ」

星「……!」


紫「私はこの幻想郷の危機を収める。事が終われば、あるいはあなたも宝塔を取り戻す」

紫「これならば良いでしょう?」

星「はぁ、それならば……」


目の前の相手がなぜそのような穏当な手段を選んだのか、星には分からない
何度か視線を逸らしていたことにも気付いてはいたものの、そのことにまで気を回している余裕はなかった


紫「交渉成立ね……と言いたいところだけど、条件が一つあるわ」

星「条件?」

紫「この危機の顛末を知っている者がいると、何かと都合が悪いのよ」

紫「だから全てが終わったら、あなたの記憶は消させてもらうわよ?」


星「記憶を……?」

紫「そうよ? 不服かしら?」

星「いえ、本当にこの異変が収まるのであれば、何も言うことなどありません。ただ……」

紫「ただ?」

星「あなたにはできるのですか? そんな凄い魔法が……」

紫「私は意識と無意識の境界を操ることができる。その程度のことは造作もないわ」

星「はぁ、まだまだ私の知らない凄い妖怪がたくさんいるのですね」

紫「迎えが来たわよ」


ザッ…


藍「お見送り致します。紫様」

紫「予定変更よ。寅丸星を連れて行くわ」

藍「!?……その小汚い妖獣をですか??」

紫「そうよ。色々あってね」

星「……」

藍「しかし……彼らが了承しないのでは?」

藍「彼らが抱く嫌悪の念は病的なほどです。わざわざ危険を冒さずとも……」

紫「親亀がコケそうだって時に、好きも嫌いもないわよ」

藍「……行ってらっしゃいませ」


紫「もっと近くに寄りなさい。そろそろ来るわよ」

星「来る? 何が……?」

紫「『景天柱』この宇宙で最も移動に特化した魔法よ」

紫「彼と此を自在に重ねて、事実上距離という概念を消滅させる」

星「??」

紫「まあ学の無いあなたに言っても詮無いことだけど」




――――カッ!!





?A「しばらくぶりだな」

紫「あら、まだ生きていたのかしら? 本当にしぶといわね」

星「…………えっ?」キョロキョロ

?B「ご機嫌よう。気分はいかがかしら?」

紫「最悪よ。そんな古い顔を見せられたらね」

?B「あら、私たちだってこんな事さえなければ、あなたとは二度と顔を会わせたくはなかったわよ?」

紫「そう? なら気が合うじゃない。お互いにね」

?B「今回はあの下僕たちは連れて来なかったのかしら?」

紫「連れて来るわけないじゃない。あんな雑魚共」


?A「時間の無駄だ。事は急を要するのだぞ」

紫「最後の欠片ならそこの虎が持っているわ」

?A「……それが器か」

紫「そうよ」

?B「これで、ようやっと全部揃ったわね……」

星「……」


一瞬で立っていた場所が変わり、そこには妖怪と思しき者たちが待ち構えていた
ここがどこなのかは検討も付かないが、地上でないことは間違いない
地上広しと言えど、太陽がこんなに近付く場所はないからだ
そこで彼らは何か分からないことを話し合い、意見を交換しているように見える


彼らが宝塔を『器』と呼んでいることも、星にはどうしてなのか理解できない
宝塔が違う名前を持っているとは聖からは聞かされていない
そもそも窪みが無いのだから物を入れる用途には向かない


?B「さ、器を渡してもらうわよ?」

星「えっ?」

?B「話を聞いていたでしょう? それがないと確実にこの世界は終末を迎えることになる」

?B「あるいはあってもこの世界は終わるのかも知れない。ならば、残っているわずかな可能性に縋るしかない」

?B「もう私たちは器に賭けるしかないのよ」

星「……」


星は宝塔を引き渡すかどうかということ以前に、彼らの説明が理解しがたかった
しかし一つ確実なのは、彼らの言葉に従うのであれば、即ち聖の復活を諦めなければいけないということ

どうも何やら儀式のようなことをする必要があり、宝塔はその材料として使われる……らしい
そしてその儀式が成功すると、その衝撃によって宝塔は自壊する恐れが強い……らしい

もし万が一にでも宝塔が壊されるようなことがあれば、もう二度と聖との再会は望めない
星の心はその一点に躊躇していた


?B「聞き分けのない妖獣ね」

?B「本来それは、あなたのような穢れた者が触れていい代物ではないのよ?」

星「で、でも……」

?A「……」

紫「……」


?B「仕方ないわね。渡す気がないなら……」グッ

星「……」

?B「では、始めるわよ」

星「あれっ? 無い……?」キョロキョロ

?A「ここが正念場か」スッ

紫「……」スッ


いつの間にか宝塔は遠くの場所にあり、その近くで妖怪たちが聞き取れない言語で呪文の詠唱らしきものを始めた
星はその様子をじっと眺めていた
しかしいくら待ってみても、変化らしきものは起こらない


?B「く……ならばこれで!」グッ

紫「無駄よ。どうやら鍵が足りていなかったようね」

?B「どういうこと……話が違うわよ!八雲紫!」

紫「全てを見通せることができたのであれば、そもそも今日のような異変は起こっていない」

紫「特に此度の異変は龍宮ですら先が読めない程の難事……」

紫「あなたたちだってそのくらい覚悟の上でしょう」

?B「……そんな……」

?A「まさか、こんな所で行き詰まるとは……!」

星「……」

?A「なぜだ……なぜ動かない……! 器よ!!」


星の目には、彼らは宝塔が光らないことに頭を悩ませているように見えた
何度も呪文を詠唱しても宝塔はウンともスンとも言わず、傍から見ても彼らの焦燥感が増していく様子は明らかだった

手を変え品を変え儀式を続けてもう半日も経っただろうか
精魂尽きつつある彼らの心労はもはや見るに忍びない
しかしながらどうすれば宝塔が光るのかなど、実は星自身よく分かっていない

もしこの宝塔を光らせることができたならば、本当に滅亡は回避されるのだろうか


?A「手順に誤りがあるのではないのか? 隠された要素があるのかも知れん」

紫「あの男はそんな捻くれたことはしないわよ」

?B「じゃあ一体何が足りないって言うのよ!」

紫「……おそらく、あいつにとってはあまりにも当然過ぎることで、そのまま省いてしまった箇所があるのよ」

紫「そこに気が付かなければ、私たちは……敗北する」

?A「もう一度……もう一度手順を洗い直すんだ!」


星「……」


今こうしている間にも地上には嵐が吹き荒れ、全てを押し流そうとしているはずだ
誰もが皆、恐怖に震え、飢えと病に苦しみ、未来を諦め、そして不毛な争いを繰り返している

ナズーリンはまだちゃんと生きていてくれているだろうか
地下に封印された二人は無事だろうか
そして……


星「聖……」スッ

星「お願いです、聖……どうか私たちに未来をお与えください」

星「また、皆に会いたいのです」


それはいつお聞きした言葉だっただろうか
かつての聖の言葉が、まるで導かれるように星の胸中に湧現した


聖『いいですか、星、よくお聞きなさい』

聖『祈りの対象を自分以外に求めることは、実は誤りなのです』

聖『仮に戦勝祈願をしてみたところで、毘沙門天様ご自身が戦いに向かうわけではありませんからね』

聖『しかるに参拝に来る者は皆あなたに向かって拝む。今はまだ、それを私も認めている』

聖『しかしながら私は、あなたの存在を神と為したかったわけではありません』

聖『元より私の願いはただ一つ。それは――――』


星「…………承知致しました。聖」


星は自らの不明を恥じた
自分は何という不出来な弟子であったのか
聖の教えを理解するまでに、実に千年近くもの時間を費やしてしまったのだ


だがもう迷いは無い
聖の言葉を真実として表す瞬間が来たのだ

星は誰にも聞こえないようなほどか細く、しかしはっきりと宣言した


星「ここに誓います。私は―――――――――」










―――キィィィィィィィン!!



?A「!!」

?B「来たッ!?」

紫「この機は逃さん!! 行くぞッ!!」バッ



――――――――――――――――――――――――――――――――




目を開けると、少女は見知らぬ場所に立っていた
辺りは岩だらけで、ここがどこだか検討も付かない


裸1「ここは?」


自分の姿を見て驚く
いつの間にか衣服と靴がなくなっており、まるで素っ裸になっている


裸1「……!」


だがそれ以上に驚いたのは、もっと大きな変化によるもの


裸1「無い! 無いぞ!」

裸1「し、尻尾が! 耳も!」


ザワザワ…


辺りにいる人間たちもその戸惑いを露わにしている
彼らもおそらく自分と同じように、知らぬ内にここへ連れて来られたのだろう


裸2「ここはどこだ!? 何でこんな所に!」

裸3「無い!無い! 何で!?」

裸4「一体誰が、こんなことを……!」

裸5「私の羽衣! 羽衣はどこ!!」

裸6「わ、私をどうするつもりだ!」

裸7「う、嘘だ! 私の角はどこへ行ったっ!?」

裸8「誰だ! 誰が私の爪をッ!!」


ゴロゴロゴロ…



――――ゴゴゴォォォン!!!



裸一同「!!」


突如雷鳴が響き渡り、私たちは一瞬で口を閉ざす



『聞け!! 愚かなる咎人ども!!』



裸1「!!?」


その雷鳴よりも響く怒声に目を向ける
そこには、おぞましいほど長く巨大な何かが宙に漂っていた
その先端にある二つの光るものが目であると気が付くには、かなり時間がかかった



『お前たちに審判を下す! その結を知るがいい!』


『お前たちは彼の地において悪道を極めた!』


『尊き命をただ五欲と悪心のみに委ね、その不浄の体を大いに振るった!』


『その罪の重さを!その悪業の深さを!今こそ知る時が来たのだ!!』


『為した罪の数々を積み上げていけば、その高さは天をも越える!』


『作り上げた悪業を一々並べていけば、その長さは宇宙の端にも及ぶ!』



『お前たちの犯した過ちは決して赦されることはない!』


『極悪人ども! 自らにふさわしき報いを受けよ!』


『さあこれを見るのだ!!』



ズズズズズズ……



岩が動き大地が割れ、そこに紅く煮えたぎった世界が現れる



裸1「な――――」


裸2「う、うわぁああ!?」

裸3「なっ……何だあれは!!」

裸4「ひ……ひぃいいぃいいいい……!!」

裸5「ぐぅっ!!」ガクッ…


遠くにありながら、ここまで届く熱気と鼻がもげそうな臭気に、誰もが恐怖を示す
あまりの凄惨な光景と耐え難き悪臭によって、あるいは悲鳴を上げ、あるいは腰を抜かし、さらには気を失う者も数知れず



『ゴァアアアアアアアアッッッ!!!』



大地も揺るがす咆哮によって、気絶した者は直ちに飛び起きる
しかしまた恐怖によって気絶する
それをさらなる咆哮によって無理矢理目覚めさせる
そうして何度も咆哮を浴びせかけられた私たちは、ますます恐怖の心を強める

そのおぞましい世界とはこのようなものであった


数え切れない人間たちがいて、その姿は今の私たちと同じように丸裸にされている
人間たちは何か恐ろしいものから逃げるように走っている

見ていると、やがてそこに大きな者が近付いていく
それは大木のように大きな体を持ち、赤・青・黒等様々な色の体表を持つ者があり、それらは等しく頭に角が生えている


裸1「あ、あいつらは……!」


見るのは初めてであるが、間違いようがない
それは地獄にて罪人を責め立てる『極卒』という連中なのだ

極卒は逃げ惑う一人の首根っこを捕まえて、持っている金棒やら斧やら鉈やらで散々に打ち付ける
たちまち人間の体は砕かれ、引き千切られ、破裂した肉片が血しぶきと共に宙に舞う
そのあまりの痛みに人間は声とも言えぬ獣の如き悲鳴を上げて果てる

しかしそうすると今度は極卒は口から何やら呪文らしき言葉を吐く
直後、バラバラになった骨肉は元通りになり、また元のままの人間として生き返る
体を打ち砕かれる恐怖を思い出し、逃げ出そうとする人間を、これまた極卒が捕らえ再び手に持った凶器にて散々に打ち付ける

何とかこの責めを逃れようと人間たちは極卒に向かって手を合わせ平伏し、口々に赦しを乞う
しかしその姿を見た極卒はますます怒り狂い、より激しくこの者たちを打つのだ



別の所では真っ赤な湖らしきものがあり、そこへ次から次へと人間が放り込まれる
どういうわけかその湖で浮かび上がることは出来ないようで、放り込まれた者たちは皆一様に呼吸の出来る陸地を目指そうとする
しかしあともう少しで岸に辿り着くというところで、岸に待ち構えている極卒が人間を湖の奥に押しやる
押しやられた人間はまた湖に沈み込み、それでも何とか息をしようと必死に岸を求める
呼吸のできない苦しさのために必死の形相で湖を掻き分けても、この者たちの思いは叶うことがない


また別の所では、やせ細り骨と皮ばかりになってしまった人間たちがいる
その者たちは極卒に捕らわれながら、何かを質問されているようだ
そして人間からその答えを聞き終わると、極卒は捕らえた人間の口を鋏でこじ開け、そこへ太陽の如く熱された鉄の玉を突っ込む
また別の人間は同様に口をこじ開けられ、そこへぐらぐらと沸き立つ金属の液体を流し込まれる
鉄球と溶鉱が腹と尻を突き破ってしまい、人間たちはその痛みに悲鳴を上げる


そんなことを延々と繰り返しているのだ


裸1「うぅ……ッ」


その責めの激しさに血の気の引く思いであるが、この世界はまだ奥があるのだ
それを見れば次のようである

そこには見たこともないような獣たちがいた


屋敷一つまるごと覆うほどの大きな翼を持ち、鋼鉄の嘴を持つ鳥

全身が刃の如き鋭い毛皮に覆われ、その歯は炎であり、呼吸の度に口から火を吹く犬

全身がどす黒く長大であり、口から常に猛毒を吐き出し、嵐の如き雄叫びを上げる蛇


これら無数の怪物が皆一斉に人間たちに飛びかかる


鳥に捕らわれた者は空中から落とされ、地に叩きつけられ全身が四散する
だがすぐにその体は元通りになり、また鳥の嘴に捕まる

犬に捕らわれた者はその大きな口によって噛み砕かれ、炎の牙によって裂けた骨肉の隅々にまで火が及ぶ
そうして燃え尽きて灰ばかりになると、やがてその灰が集まってまた元通りになり、なお犬の責めを受ける

蛇の毒に触れた者はその場に倒れ込み、毒に苦しみ悶えながら蛇によって締め上げられる
その蛇の巻き付くこと凄まじく、その責めは体のどこであろうとも余す所はなく、爪の先、毛の一本に至るまで責めを受けない箇所はない
悲鳴と共に絶命し人ならぬ肉片となると、蛇はその責めを解き、やがて肉片が人の形を取り戻すとまたしてもこれを捕らえる


このような怪物たちの責めはいつ終わるとも知れず、人間たちはこれらに捕らわれるを恐れて四方八方に逃げ回る
しかしその逃げる先にも責め苦が待ち受けている

ある者は刃の生えた地面、針に満ちた土地、来る者に向かって突き出す剣の林に辿り着く
そこを進めば全身が切り刻まれ、あまりの痛みに悶絶する
しかしそこで進むのを止めてしまえば、怪物たちに追い付かれてしまうことを知っているので休むことができない

またある者は氷と風と吹雪に満ちた不毛の地に辿り着く
そこを進めば全身が凍り付き、動く度にその凍った体がひび割れ、砕け、その裂けた箇所にさらに寒風が責め来たる
肉も骨も血も凍り付きながら、行かねば怪物たちに捕まることを知っているので止まることができない

さらにある者は隅から隅まで炎に満たされた火山の内部の如き場所に辿り着く
そこを進めば全身がたちまち燃え上がり、骨や肉はもちろんのこと、髄にも臓にもその炎が飛び込んで来て内側からその者を焼く
あまりの苦しさに炎から逃れようとするも、炎はその大きさを増し、一度入った者は決して出ることは叶わない


切削開割の苦、大寒凍結の苦、または怪物たちの責め苦を受ける者たちも、最後はこの炎の満ちる世界に辿り着く
そうして、炎は内に包む人間を永遠に焼き尽くし、響き渡る無数の悲鳴が燃え狂う炎を飾る



裸1「ああ……ああ、あ……」










『お前たちは今からあの世界へ行くのだ!!』


宙に浮かぶ化け物の宣言を聞き、皆一様に恐れおののく

ある者は気を失い、白目を剥く
ある者は恐怖のあまり立ったまま糞尿を垂れ流す
ある者は苦悶の表情で耳・口・目から血を流している

そして僅かばかりとも正気を保つ者は化け物に向かって赦しを乞う


裸9「ど、どうかお助けを!!」

裸10「お許しください! お許しください!!」

裸11「何とぞ! 何とぞお慈悲を垂れたまえ!!」


私はその声すら出すことができないほどに、全身が震え縮み上がっていたのだ


『他人の作った悪業のためにお前たちが苦しみを受けるのではない!』


『お前たちは自らの業によってその報いを受けるのだ!』


『今更それを悔いて何になる! もはや間に合いはしない!』


『覚悟するがいい咎人ども! ここにお前たちを救う者はない!』


『お前たちが今受ける恐怖を水の一滴とすれば、これから受ける苦しみは大海のようなものだ!!』



やがて極卒たちが私たちの前に進み出て、それぞれが首・足・腕・髪を捕まえて引きずって行く
私もその列に並ぶ

その段になって、私はようやく声を出すに至る


裸1「な、なぜ私が地獄に行かなければならない! おかしいだろう!」

裸1「これは何かの間違いだ! おい!聞いているのか!!」

裸1「私は! 私は四大王衆天が一角、毘沙門天様にお仕えしていたのだぞ!」

裸1「極楽浄土とは行かずとも、地獄に落とされるはずがないのだ!」

裸1「どうしてこの私を連れて行く! わ、私を地獄に落とすなど、筋が違うではないかッ!!」


このように訴えても極卒はまるで耳を貸さない
何時間、何日間、あるいは何ヶ月か、極卒はようやくその手を離す


ドサッ…


裸1「ぐうっ……」


裸1「!?」


ゴスン!

ガスッ!

ゴン!

ドガッ!

ゴガン!


そこで私は見た
一人の捕らわれた者が極卒たちが取り囲まれ、絶え間なく金棒で打ち付けられている
時折小さなうめき声を上げるも、極卒たちの打ちつける音によってかき消される

その責め苦を受ける者を、私は知っている……!


裸1「や、やめろぉぉぉおおおッ!!」


ゴゴン!

ガン!

ズガッ!

ドゴッ!

ズゴン!


裸1「ぐッ!! が……ッ!!」


たまらず飛び出し、覆いかぶさる
極卒たちは私もろとも激しく金棒を打ち付ける


ガゴン!

ズゴッ!

ゴン!

ゴガン!

ドゴッ!


裸1「ぐぎっ!! ぐうっ……!!」

裸1「ご、ご主……がああッッ!!」


もはや気を失ってしまったその者には確かに咎がある
恐れ多くも毘沙門天の名を騙り、神に成り代わり信仰を集めていた盗人に他ならないのだ
地獄の審判を逃れられるはずがない


裸1「ぐがっ! ごっ……!!」


だがそれでも、私は認めることなどできない
この者が罰せられるというのなら、一体どこに罪を逃れる者がいるというのか

この者が罰せられるなどあってはならないこと
それだけは絶対に認められない


―――認めてなるものか!!


ドゴッ!

ガンッ!

ゴゴン!

ガギン!

ゴガッ!


裸1「ぎゃあッ!! ぐがぁッ!!」



裸15「い、嫌だぁぁああああああ!!」

裸16「助けてくれぇぇえええ!!」

裸17「うわぁあぁああぁああああ!!」


裸1「……!」


取り囲んでいた極卒たちの手が緩んだ
おそらくは新入りの罪人に目を向けたのだろう
周りにいた何体かがその者たちを捕らえようとする

私はその隙を逃さなかった


裸1「今だ!!」ダダッ


一瞬の隙を突き、星を抱えながら極卒の囲みを抜ける
何とか残っている片腕で大きな体を支えるのは難儀ではあったが、今はそんなことを気にしていられない
とにかく必死だったのだ


裸1「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」


ザクザクッ…

ザシュッ…

グサッ!


裸1「ぐぎっ! があ……ッ!!」


ビシビシ…

バキバキッ…


裸1「うぐっ……ぐぅぅ!」


ゴゴゥ…!

ボォォォ…!


裸1「ぐあああッッ! こ……」

裸1「こん畜生ぉぉッッ!!」グググ…


刃突き立つ林、大寒の荒野、炎熱の地を越え、私たちは逃げ続けていた
もはや私の足は削り取られ無くなってしまい、残る脚の傷口を地に打ち付けながら進むしかなかった


グシャッ…

グチュッ…


裸1「ぎゃあッッ! おごッ……!」


それでも行くしかない
立ち止まれば即座にあの恐るべき怪物共の餌食となるしかないのだ


裸1「はぁ、はぁ……待ってろよ、星!」

裸1「必ず、必ず逃がして……」


裸1「!?」


そこにあるものを、私は見つけた


裸1「これは……」


それは穴のようなものだったのだろうか
その場所だけが丸く削り取られたかのようにして、こことは全く別の空間に繋がっていた
穴の先にあるものは、かつて自分たちがいたはずの地上に見えた


裸1「これは、まさか」

裸1「ここが……地獄の出口だってのか……?」



ゴゴゴゴゴゴゴ……


裸1「!!」



『グォォオオアアアアアッッ!!!』



バキンッ!!

ガシャン!!

ゴシャッ!!


裸1「く、くそッ! 来やがった!」



ガラガラガラ!!


―――ボコォッ!!


ドゴゴゴンッッ!!



最初に見た特大の化け物が、怒りに身を捩じらせて近付いてくる
その時に巻き起こる風によって、極卒も鉄口鳥も炎牙狼も黒大蛇も砕け散る
そして剣の山も氷の谷も炎の海も吹き飛び、一切が風の中に消える


裸1「うう……ッ」


ヤツが何に対して怒りを漲らせているのか、もはや考えるまでもない
標的となっているのは紛れもなく自分たちなのだ


裸1「い、今の内に逃げないと!」グッ

裸1「うぉおおおッ……!」


もしかするとそれは罠かも知れない
あるいはこれが元で後悔することになるのかも知れない
しかし考えている暇はない



『グゥオォォオオオオオオオオオッッ!!!』


どの道ここより酷い場所などないのだ
私は星をその穴に放り込もうとする


裸1「ぐっ」


だがまともに残っているのが腕一本の状態では、それすら叶わない


裸1「それでも!」ズリッ…

裸1「こんな終わり方なんて、死んでもご免だ!!」


自分の体を使って、星をその穴に押し込んでいく
だが力を振り絞っても、あの化け物からは逃がし切れないだろう


裸1「……それなら!」

裸1「かかって来い!この蛇野郎! 私が相手だッ!」バッ


化け物が自分たちの場所へ辿り着く


裸1「こいつには指一本、触らせはしないぞ!!」




『ガァァアアアアアアアッッ!!!』




化け物の開いた大口から光が放たれた
そこで少女は意識を失う


ある者はまた別の世界にいた
その者は自身の角が無いことに戸惑いながらも、極卒や獣たちから必死に逃げ回っていた


裸7「はぁっ、はぁっ……い、一体、どうなってやがる!」

裸7「あいつ、幻術か何か使いやがったのか!?」ググッ

裸7「……駄目だ、まるで力が出ん」

裸7「たかが幻術如きが鬼の力を超えただと?……いや」

裸7「まさか……これは現実だって言うのか!?」


ウワァァァァァァ!!

ギャァァァァ!!

イヤァァァァァア!!


悲鳴の響く方角を見ると、ほんの少し前まで自分と共に暴れていた連中が既に極卒たちによって捕らわれていた
彼らは等しく凶悪な拷問を受けていて、やはり逃れられる者はいないようだ


裸7「…………」


その光景にさして思うところはない
あの程度で恐れるほど自分の精神は軟弱ではないからだ

気になるのは、彼らの姿が人間と同じになっていることだった
備わっていたはずの爪、牙、毛、鱗が全く無くなっていて、まるで無防備な姿を晒している
自分もまたその例に漏れないのだ

このままでは極卒に捕らわれるより先に、自動拷問装置の如き世界に責め滅ぼされてしまう


裸7「参ったね。これじゃあ生き延びることもままならないじゃないか」

裸7「……何てな!」ニヤッ


その罪人は手近にいる人間たちに目を付ける


裸7「この程度の修羅場で、私を捕らえられるとでも思ったのか!?」バッ


―――ガシッ!


裸12「うわっ!?」

裸13「ぐうっ!?」


裸7「おらぁ! 吹っ飛べッ!!」ブンッ!


―――ドカッ!


裸18「ぎゃあッ!?」

裸19「おごッ!!」

裸7「うーん……足場が足りんなぁ」

裸7「おっと! ここに便利なモノがあるじゃないか!」

裸7「よぉし次はお前だ!!」バッ


ザクッ!

ズバッ!

ドシュッ!

ザンッ!!


裸20「ぎゃああああああああッ!?」


裸7「こりゃあいいね! 上々だ!」タンッ


ゲシッ!

ドコッ!

ズンッ!


裸18「ぐわあッ!!」

裸19「ぎゃッッ!!」

裸20「いぎっ……!!」


それは罪人たちにとって突然のことであった
自分たちを責め苦しめるのは極卒や獣ばかりであると思っていたからだ
まさか同じ罪人から責めを受けるとは想像だにしなかった


その罪人は自分たちを捕らえ、立つこともままならないほどの刃が生い茂り、凍り付き、焼け爛れた地に投げ込んだのだ
とある罪人は訳も分からぬまま五体を断ち切られたが、それは単により多くの踏み場所を作るためでしかなかった


裸7「大人しくしやがれ! この雑魚ども!」


ズシャッ!

ザンッ!

ズバッ!


傍若無人に振舞うその罪人はさらに多くの罪人を切り刻み、その体を踏み付けにしながら、地獄の奥へ奥へと進んで行った
遠くの方に、かつて地上で共に四天王として名を連ねた者たちも見かけたのだが、そのことは気にも留めなかった
何より逃げることを優先すべきこの状況では、余計なことに構っている暇などないのだ


裸7「!!」

裸7「ついに見つけたぞ! ここが出口か!」


そして、この者もまた穴のような場所に辿り着く
その先にはやはり地上が見えていて、先ほどの不死身の白髪が妖怪たちと戦っている


裸7「よぉし! そのまま押し留めろよ!」

裸7「そいつを仕留めるのは、この私だッ!!」


罪人は迷わず穴に飛び込む




…………しかし、その先にあるのは地上ではなかった


星熊勇儀「……うん?」

勇儀「どこだ?ここは」


ザワザワザワ…


キスメ「?」

黒谷ヤマメ「ここは……」

勇儀「一体どうした? ついさっきまで、あの不死身白髪と戦っていたはずなんだが……」


そこには数え切れない妖怪たちが集められていた
しかし、つい先ほどまで見ていた恐ろしい夢を覚えている者は一人もいなかった


勇儀「……あんたか? 私をこんな所に連れて来たのは!」



紫「……」



勇儀「今物凄く大事なところなんだ! おかしなことしてないでとっとと戻しな!」

勇儀「モタモタしてたら他の奴に取られちまうだろうが!」


勇儀は即座に要求を突き付ける
見知った顔を見たことで不満の矛先を見つけたと思い、遠慮なしに言葉をぶつけていく

しかし無知故の哀しさか
その相手が龍神よりもさらに恐ろしい存在であるとは気が付かない


勇儀「あれほどのヤツに出くわす機会は滅多にないんだぞ!」

勇儀「ヤツは誰にも渡さん! この私が頂くんだ!」

勇儀「おい紫!! 聞いているのか!!」



紫「……お前たちにはもはや地獄すら与えん」

紫「そこで迷い続けているがいい……………永遠に!!」



――――バカッッ!!



その瞬間、勇儀たちの足元が消滅し、そのまま果てしない奈落へと落ちて行った


紫「……」






星「……」

星「あれ?」

星「ここは……どこ?」キョロキョロ


星が周りを見渡せば、あれほど猛威を振るった嵐が消え去り、天地は静まり返っていた
ここは本当に地上なのだろうか?

しかし何度見てもその風景は間違えようがない
あの山も、森も、木々も、土も、全てが平和だった頃の地上の姿を取り戻している


星「終わったの……?」

星「…………!!」

星「ナズーリン!」ダダッ


~廃寺~


ナズ「…………」

ナズ「えっ?」ガバッ


目覚めたナズーリンも星と同じ感覚を味わっていた
起き掛けの体にやや冷たい風が吹きぬけ、木々は朝露を揺らし、遠くでは小鳥が囀っている

確かに自分は、意識が途切れる直前に滅亡を覚悟していたはずだ
しかし目の前ののどかな風景は、もはや滅亡などという言葉からは程遠い

あの終末を思わせる地獄の光景は幻だったのだろうか
嵐の中に、長く巨大な何かを見たような気もするのだが、それが何であったのかどうしても思い出せない
自分は悪い夢でも見ていたのだろうか


ナズ「ご主人……そうだ!ご主人は!?」


星「おーい! ナズーリンやーい!」


ナズ「その声は……ご主人か!?」タタタッ


星「あ!ちゃんとまだいましたね! 良かった良かった!」

ナズ「今までどこに行ってたんだ! あの嵐の中!」

星「それが……自分でもよく分からないんです」

ナズ「分からない?」

星「はい……」

ナズ「あの窪地に行ったんじゃないのか?」

星「窪地? 何でですか?」

ナズ「いや、まあその……」

星「……あ、そうだ。一つナズーリンに聞きたいことがありました」

ナズ「聞きたいこと? 珍しいね」


星「はい……ちょっと聞きにくいことなのですが……」

ナズ「?」

星「ナズーリンは、宝塔がどこにあるか知りませんか?」

ナズ「宝塔? 確かに妙なことを聞くね」

ナズ「宝塔なら、いつもご主人が肌身離さず持っているじゃないか」

星「……」

ナズ「……まさか、失くしたのかい?」

星「ええっと……はい」

ナズ「それはどこで失くしたんだ?」

星「実はその辺りに全く身に覚えがないんですよ。なぜか気が付いたら山向こうの離れた所にいまして」

星「よくよく思い出してみると、もうその時には手に持っていなかったのです」


ナズ「……ひとまずその場所とやらに行ってみよう」

星「……」コクッ

ナズ「心配しなくていいよ、ご主人。どうせその辺の地面にでも転がってるんだろう?」

ナズ「そんなもの、私のダウジングにかかればお茶の子さいさいさ!」

星「これは頼もしいですね。どうかよろしくお願いします」ペコッ


~少女移動中~


ナズ「ふーむ、確かにここだったんだね?」

星「はい」

ナズ「……全く反応が無いね。宝塔はここには無いみたいだよ?」

星「そうですか……」


ナズ「別の場所で失くしたのかも知れない。この辺りで探してみよう」

星「分かりました」


~少女移動中~


ナズ「ここも駄目か」

星「……」

ナズ「おかしいな、ご主人が行きそうな所は粗方調べたはずなんだけど……」

星「うーん」

ナズ「ご主人、他に足を運んだ場所はあるかい?」

星「いいえ。全く覚えがありません」


ナズ「ふむ……どういうことなんだ?」

星「一旦帰りませんか? あまり寺を空けたままにはしてはおけません」

ナズ「むむむ……」

星「きっとこれは私の不注意によることなのです。あなたが思い悩むことはないでしょう」

ナズ「いいや。私にだって意地がある。私は岩盤の奥深く二千尺先にある物でも見つけ出すことができるんだぞ?」

ナズ「どんな失せ物だろうと、このダウジングから逃げられるはずがないんだ」

星「はぁ……」

ナズ「ご主人は先に帰っていてくれ。宝塔は私が必ず見つけてくるから」

星「しかし、私には紛失してしまった責任があります。あなた一人に任せるわけには……」


ナズ「付いて行ってどうするんだ? ダウジングできるのは私であって、ご主人じゃないだろう」

星「……」

ナズ「それに、この間みたいにフラフラ出歩かれたらこっちは敵わないよ」

ナズ「ご主人は毘沙門天様の代理なんだから、もっとどっしり構えていてもらわないと」

星「……承知しました」


星を寺に帰し、私は探索を続けた
探し方が甘かったと思い丹念にダウジングをするも、どこもかしこも宝塔の気配は感じられない
どんなに長くても十日ほどでケリが付くだろうと高を括っていたが、予想に反し一ヶ月経っても宝塔は見当たらない


ナズ「む! 今度こそどうだ!」サッ

キィィィン…


ズズズズ…

―――ボコォッ!!


足元の土を突き抜けて、金属の塊が目の前に飛び出して来た
見つけた標的を捉えて念ずると、このように三十尺程度なら地面を掘り返さずとも引きずり出すことができるようになった


ナズ「またか……」


目の前の金属は宝塔とは似ても似つかない単なる鉱石であった
最近見つかるのは鉄やら金ばかりで、そこら中穴だらけにしても宝塔は現れなかった
もう鉱石も寺には山のように積んであるため、鉱石は見つけ次第穴に埋め戻すようになっていた


ナズ「しかし、ご主人の足で行けそうな場所にはもう見当たらない」

ナズ「あとは川か沼地ぐらいしか……ああ、そういやこの前三巡目が終わったところだったっけ」

ナズ「ううむ……一体どこへ行ったんだ?」


宝塔はもちろんのこと、星のことも気がかりであった
失くしたこともさることながら、出かけて行った覚えが全くないというのが不可解だ
星は見栄で嘘を付いたりしないから、覚えがないというのは事実なのだろう


ナズ「あの時……何かあったのか?」


一番可能性が高いのは、何者かによって宝塔が奪われたということ
しかしあれは心得の無い者にとっては金儲けぐらいにしか使えない
妖怪には大金は不要であるから、疑わしいのは人間ぐらいしか思い付かない
しかるに里で突然大金持ちになった人間の情報は届いていない


ナズ「本当は持っているが使わず、こちらが監視を諦めるのを待っているのか?」

ナズ「……いや、人間にそんな賢さがあるはずもない」

ナズ「盗みを働くような輩ならなおさらだ」


そもそも記憶が存在しないこと自体、何らかの強力な魔法を行使された可能性が高い
となれば、それができる者は絞られてくる


ナズ「……とはいえ、そんなヤツには心当たりがないんだよなぁ」


記憶消去の魔法など、今まで神にも仙人にもできる者がいたとは聞かない
強いてあるとすれば蓬莱人か天人ぐらいのものだが、奴らが宝塔に用があるとも思えない


ナズ「……」

ナズ「いかんいかん。あまり考えすぎて探索がおろそかになってるな」

ナズ「きっとどこかに見落としがあるんだろう」


再び探索を続ける
だがその探索先も既に探した後の場所でしかない


ナズ「山にも川にも森にも里にも、どこにもない」

ナズ「これだけ探して見つからないなんて……まさか宇宙にでも行ってるのか?」


あと探していないのは星の足が届かない場所
即ち、地の底と天の果てぐらいしかないのだ


ナズ「……帰るか」


一年ほど経ったところで私は探索を諦めた
星からは再三再四どころではなく、もう何千回も休息を促されていた
自分の能力が通用しなかったのは癪だが、これ以上星の言に逆らうことは限界だった

宝塔消失の謎が残されたまま、星と共に廃屋同然の寺で同じ時を過ごした







聖白蓮の封印から千年が経過
遂に運命が動き始める


~天界~


比那名居天子「むっ!? 何の話かしら……」ササッ


舞と音楽、花見に酒
毎日が地上で言う所の宴会の連続であるこの天界に、一人の天人は飽き飽きしていた
華やかなことは結構ではあると思うものの、こう変化のない生活ばかり何年も続いていてはうんざりする

変化を求めて様々な禁とされる場所へ忍び込んだこともある
しかしその結果得られたのは大抵、未来に開かれる宴会のための小道具の類であった

最も立ち入ってはならない厳重警備が敷かれた場所に忍び込んだこともある
そこにはいかなる天人も決して読んではならない、とある文献が秘匿されているという情報を掴んだからだ
しかし折角その文献を手に入れてみても、長ったらしい文章の中で意味が取れると思しき言葉はたった一行のみ


”天界は楽しむ場所ではない”


それでも天子にとってその一行は大きな意味を持っていた
確かに思い返してみれば得心がいく


例えば、地上に棲む者たちのように喧嘩をしてみたいと思っても、それは天界では許されない
かなり大昔に一匹の妖獣が紛れ込んで大暴れしたことがあったらしいが、そいつは厳しい罰を受けたという


天子「別にいいじゃない。桃なんていくらでも生えてくるんだから」

天子「五百年も岩の下敷きになってたら、私だったら退屈で死んじゃうわ」


華美な催しはこれでもかというほど繰り返されるが、地上の者たちのように振舞うことだけは許されない
あのように喜怒哀楽を強烈に表現することも含めて

だがここでも地上と同じように、競争、企み、派閥のせめぎ合いが絶えず繰り返されている
誰もそれを見えるようには出さないが、怒り、恨み、嫉妬の感情は、地上にも劣らない濃度でこの天界に渦巻いている

天界はこの宇宙で最も素晴らしい場所なのだと、誰も彼もが口を揃えて言う
しかしそれはまやかしなのだ


天子「ほんと、よく言うわよね」

天子「仁義礼智信なんて言葉は天界人にだけは絶対通用しない」

天子「ちょっと強い天人が来ると、一瞬で主を乗り換えて元の主なんてあっさり見限る。そうしてもう二度と思い出さない」

天子「弱肉強食とはこの天界のことよ」

天子「……もしかして天界って、修羅界にでも通じてるんじゃないかしら?」


現にこういう噂もある
天界に入る資格を得ていながら、あえて天界には入らず地上へと帰って行く
そういう者が極稀にいるのだとか……


天子「そういえば、結局あいつらも天界には居つかなかったみたいね。猿の天人なんて聞いたことないし」

天子「地上にいたってどうせすぐ死ぬだけなのに……何か考えでもあったのかしら?」


その噂の真相はいかなるものか
天子は常に目と耳と鼻を利かせてその真偽を探っていた
しかしながら悲しいかな、天界でも序列の低いこの比那名居には大した情報など入ってこない

それでも運命は自分を見捨ててはいなかった


天子「ふむふむ……」


どうやら話を聞くと、何やら小さい物を持って行く用件があるらしい

問題はそのために地上に降りねばならないということ
地上に降りるといえば、天人にとっては汚れ仕事もいいところ
何しろ穢れそのものの真っ只中に飛び込んで行くことと同義なのだ
比那名居は毎度こうやって汚れ仕事を押し付けられるので、その度に当主は人選に頭を悩ませていたのだ


持ち前の嗅覚でその密談に辿り着いた天子が、この千載一隅の機会を見逃すはずがなかった


―――ササッ

天子「なあるほどっ!!」

天子「そういうことなら、この天子にお任せあれ!」ドン!


天子は自分の胸を叩いて見せて、自らそのお役目を買って出た


~地上~


霊夢「成敗ッ!!」

ドカッ!

天子「や~~ら~~れ~~た~~!!」バタッ


地上に降りてしばらく経つ頃には、もはや天子は任された仕事など欠片ほども覚えてはいなかった
しかしお役目は果たされた



カチャ…



霊夢「……ん? 何かしら?このガラクタ」

霊夢「何だか鬱陶しい光ねぇ……ま、持って行けばいくらかにはなるでしょ」

霊夢「ちょうど訳の分からない物に金出す奴がいるし」


―――ザッ!


早苗「おやおや~? 異変の元凶はここみたいですね~?」

早苗「さあ悪行妖怪! 神妙に退治されるがいい!」

霊夢「あんた何言ってんの?」


早苗「……あれ? これはこれは、霊夢さんではありませんか」

早苗「反応は確かにここへ来ているはずなのですが……」

霊夢「今更来ても遅すぎ! もう全部終わっちゃったわよ?」

早苗「ええっ!? それは困ります!」

霊夢「はい解散解散」

早苗「……そうか、なるほど!」

霊夢「うん?」

早苗「あなた、私に退治されることを恐れて人間に化けましたね!?」

早苗「これは危うく騙されるところでした……」


霊夢「あのさ、もう異変が落ち着いて来てるのに気が付かないわけ?」

早苗「増して私のよく知る人物にたちまち化けるとは……これは期待できそうですね!」

霊夢「話聞きなさいよ!」

早苗「覚悟ぉー!!」バッ

霊夢「ああもう! こうなったらぶっ飛ばしてやる!」ババッ


~~~


――キラッ


魔理沙「お? 何だ?このオモチャは」

魔理沙「何だか変な光が出てるなー。どうやって使うものなんだ?」

魔理沙「……ま、いいか。持って行けばそこそこの金にはなるだろ」

魔理沙「これでもう一つ材料の都合が付きそうだぜ。やっぱり日頃の行いが良い人間は、天が助けてくれるもんだな」


~~~


星「ナズーリン、もう一度だけお願いします」

ナズ「ご主人の頼みならもちろん行くさ。でも、あまり期待しない方がいいと思うよ」

星「いえ、あの二人が地上に戻って来たこと自体が、何らかの瑞相ではないかと思うのです」

星「きっと今度こそ宝塔は見つかる……そんな気がするのです」

ナズ「ふむ……まあ行って確かめてみよう」

ナズ「ご主人がそう言うのなら、もしかしたら本当にそうなるのかも知れないね」

星「どうかよろしくお願いします」


ガラッ…


一輪「おっ! いたいた!」

ナズ「失礼するよ」スッ

一輪「何よ、人の顔見るなり出て行って……」

星「どうか気を悪くしないでください。ナズーリンはたった今使いに出したのです」

一輪「あっそう……ま、それはいいわ」

一輪「ところでこれ見てよ! いい酒を持って来たのよ!」

――ドンッ!

星「はぁ、またですか?」


一輪「またじゃないわよ? 今度のは今までのとは訳が違うんだから!」

星「そうやって酒ばかり飲んでいては、聖に叱られますよ?」

一輪「何言ってんのよ! 姐さんが復活したら、その瞬間からもう酒なんて飲めなくなるのよ?」

一輪「酒を楽しめるのは今しかないんだから!」

星「はぁ……それにしても、一輪の持って来るのは地上のものばかりなのですね」

星「良い酒は旧地獄で造られるものとばかり思っていたのですが……」

一輪「ああ、あれね、あれは嘘っぱちよ」

一輪「本当に良い酒は地上にしかないの。これはもう動かしがたい事実なのよ」

星「なんと、それは知りませんでした」


一輪「そしてこの地上でも間違いなく一級品であると私が見込んだのがこれ!」

コポコポコポ…

星「香りは中々良いですね」スッ

コポコポコポ…

一輪「そんなの序の口よ? 実際飲んだらぶったまげるんだから!」

星「そんなに美味しいんでしょうか?」

一輪「酒は語るものではなく飲むものよ? さっ、ぐいっと行きなさい」

星「ではお言葉に甘えて……」クイッ

一輪「……」クイッ

星「……おや、これは結構なお手前で」


一輪「ぷはぁあ! これよこれ! この味わいが地底では出せないのよ!」


村紗「飲んだくれてるところ失礼します。緊急の用件です」


一輪「!?」ビクッ

星「あ、はい」

一輪「な、何だ村紗か……ビックリしたじゃない!」

村紗「時は満ちました。二人とも早く準備を済ませてください」

村紗「飛倉も充分回収しました。あとは道すがら集めて行けば、開門に必要な魔力に達するでしょう」

星「……分かりました」


一輪「いよいよね……」ニヤリ

ブンッ


――ガシャン!


酒瓶は粉々になり、中身は一瞬で土に溶けた


一輪「さあて、いっちょド派手にブチかましてやるわよ!」


~少女移動中~


ナズ「一体どうなってるんだ……?」

ナズ「まあ手元に戻って来たからいいんだけど」


あれだけ探して見つからなかった宝塔が、何とも呆気なく手に入ってしまった
多少ふっかけられたものの、元々金銀に蓄えのある自分にとっては何ほどの負担ではなかった


ナズ「また天地か何かが味方でもしているのか?」


微かに残る謎を頭から振り払い、私は星の元へと急ぐ


――――――――


――――


――



ナズ「……ん」


目が覚めたナズーリンは異様な雰囲気を察知した
それは何か不穏な気配が感じられるということではない


ナズ「静か過ぎる……」チラッ

ナズ「……!!」


横を見ると、寝る前には確かに隣にいたはずの星がいない
今の星は自分の足で歩くことはできない
なら……


ナズ「ど、どこだ!」

ナズ「ご主人! どこにいる!」ダダッ


一番恐ろしいのは、何者かによって誘拐された可能性だ
聖様の守護が続くこの場所で誘拐を成功させたのであれば、おそらく自分たちには対抗できる術がない
最悪、もう何もかもが決着してしまっている恐れもある


ナズ「ご主――――」ピクッ


ナズ「!!」


星の姿を見るまでもなかった
二つの予想の片方は外れであり、もう片方は……正解だった
ナズーリンはその声を聞いてそれを悟った


ナズ「そ、そんな……話が違うじゃないか……!」

ナズ「まだ……」


ナズ「まだ十日もあったのに!!」











オギャア… オギャア… オギャア… オギャア…










――


――――


――――――――


少女には夢があった

自分には他人とは違う才能がある
多くの者たちは訳も分からず生かされ、そして死んでいくものだが、私だけは違う
なぜならば私には天から授かった力がある

この力を持って、私は世界を救う英雄となる
否、そうならなければいけないのだ

少女は純粋にそう信じていた






――


――――


――――――――


少女には夢があった

自分には他人とは違う才能がある
多くの者たちは訳も分からず生かされ、そして死んでいくものだが、私だけは違う
なぜならば私には天から授かった力がある

この力を持って、私は世界を救う英雄となる
否、そうならなければいけないのだ

少女は純粋にそう信じていた


豊聡耳神子「ふむ、やはりな」

神子「この家に生まれたことも、ただの偶然ではない」


朝廷にも近いこの家では、ありとあらゆる知識、文献、資料を集めることができた
五感が常人の数十倍ある私にとっては、その全てを修めることにもそう時間はかからなかった

次なる課題は未来における君主としての地位を確立することだった
しかし鍛練にを続けるうちに、それは思い違いであることに気付く
というのも、私以外の者には私に並ぶ者などいなかったのだ
私の何十倍もの時間と労力を既にその道に費やしていたはずの者でさえ、ほんの少し学んだだけの私に届かない

武術、学問、歌、狩猟、将棋、作法、舞、工芸……
いかなる分野であろうとも、国中のどこを探しても私と肩を並べられる者はいなかったのである


神子「信じられん……」

神子「何をどうやったら、そんなのろまな動きができるんだ?」


他者が私に勝るものがあるとすれば、それはたった二つのみ
一つは私よりも体が大きいこと
もう一つは、ごくごく自然に、何ら違和感なく、鈍重に拙く振舞うことができるということ
これだけは私にもどうにもならないことだった

このようにして、鍛練が熟達するはるか手前の時点で、既に私の立場は揺るぎないものとなっていた
様々な分野に手を出して顔を知られるようになったことで、私を次なる国主へと押し上げる潮流も大いに高まった

さらなる課題は部族同士の諍いだった
当時、物部なる者たちと私に近い蘇我は国家の覇権を握らんと小競り合いを続けていた
既にその時には、国主に向けて戦の平定を求める声はなく、その解決の道筋は私一人に求められた


神子「……遂に来たか。私の力を天地に知らしめる時が」


自分だけでなく他者をも思いのまま導いてこその君主
まさに私の登竜門と言うに相応しい事業であった


しかしこれも解法はいたって単純である
詰まるところ、豪族たる彼らは道に迷っているのだ
親の見ていない所で食べ物を取り合う子どもと、そう大して違いはない
真に力ある者を知らぬが故に、彼らは愚かな私心に囚われているのである

故に解法は一つ


神子「喧嘩両成敗だな」


瞬く間に蘇我を吸収し、すぐさま物部制圧に打って出る
当時物部は飛ぶ鳥を落とす勢いであり、対する私は初めての実戦で、なおかつ手持ちの兵力は貧弱だった
だがそれでも彼らが私との差を埋めることは叶わなかった

物部、蘇我の両方を配下に収めた私の上に立てる者は、もはや時の帝を残すのみであった
その帝とて、私の力に全幅の信頼を寄せ頼り切っていたことは明白だった
肩書きは帝の眷属でしかなかったが、実のところ私は国主の座を手にしていたと言って良かった


神子「ふむ……そろそろ良かろう」


私には今まで読まずに取っておいた書物がある
幼い頃から、国家の頂点に立つまで読むまいと心に誓った物語だ


神子「果たしていかなるものだったのかな。あの方の修行時代というのは……」


多くの英雄の中でも、他を寄せ付けない抜きん出た最高峰の存在

武力によって世界を平定した者は多い
知略によって人々をまとめ上げた者もまた多い
しかし、彼のように世界を救った者は未だかつていない


”和を以って尊しと為す”


私が心に刻んだ言葉を体言した、ただ一人の人物
いくつもの名を持ちながらその本質は一つ


神子「世尊……か」

神子「はるか数千年前の過去世を修行時代という言葉で括ってしまうなど、とても彼らしいな……さて」

ペラッ…


きっと理想に燃えて進み続ける彼も、私と似たような道筋を辿ったに違いない
万感の思いを込めて頁をめくる


神子「…………」


神子「うん?」


そこに記された彼の姿は、私の予想とはまるで違っていた
学問に特別秀でているわけでもなく、専門とする分野で芸達者なわけでもない
さらに喧嘩に至ってはめっぽう弱い

要するに、どこにでもいるつまらない凡人であったとしか読めないのだ


神子「い、いやいや……ここは早合点してはいけない」

神子「きっとこれは世を忍ぶ仮の姿。何か彼なりの考えがあるに違いない」

ペラッ…


《彼は多くの人々に対してこう言い続けました》


『私はあなた方が尊ぶべき存在であることを知っている。私はこれを敬い礼拝します』

『あなた方は必ずや、誰もが皆一人残らず仏となられるからです』


《しかしそのようなことを言われても、信じる者はいませんでした》

《人々は彼を怪しみ、杖で殴りかかり、木を振り回し、瓦や石を投げつけました》

《しかしそうすると彼はサッと遠くに逃げて、安全な木や壁に隠れるのです》

《そうして安全な所まで逃げて、また同じように人々に語りかけるのです》

《そのようなことをすれば当然もう一度襲われることになりますが、彼も負けてはいません》

《いくら追いかけても必ず手の届かない所まで避難するのです》

《その逃げ足の速かったこと!》


神子「な、何だこれは!?」ガタッ

神子「これじゃまるっきり……」


その内容は大いに私を失望させた
大事を成し遂げる者は、それに相応しい力を備えている必要があるはずだ
なのに彼は武芸の腕を磨くでもなく、知識や技術を究めるでもなく、権力を掴むために苦心惨憺するでもない
やることといえば、何日もかけて知人の家まで歩いて行って、妄言とも取れるような言葉を残して去って行く
その繰り返しなのだ


神子「わざわざ足を運んで、二言三言しゃべって、また来た道を戻るだけ?」

神子「そんなんで世界を救えるわけがないだろう!」


しかし彼は後に悪心を抱く人々を次々に改心させ、やがては遍く四方に仏法を広めて世を太平へと導いた、とある
今も昔も次々と建立されている伽藍や宝殿がその証明であり、名残なのだ
これをどう考えるべきか


ちょうどその時私に入れ知恵してきたのが異国の仙人
名を霍青娥
私の師と言うべきお方だ


神子「……なるほど、確かに青娥の言う通りだ」


この何千年も続く信仰の祖ともなれば、誰も彼に向かって無礼な言は吐けない
しかし私たちはそのような見せかけにひれ伏すほど愚かではない
仙人の言葉には我が意を得たりの心持ちであった


神子「詰まるところ、奴は稀代の大嘘つきだったのだ」

神子「今思えば、慈悲だの仏性だのと、かくも奇怪な弁を吐いたものだな」

神子「しかも未だに数え切れないほどの人間が奴を信じ、『無上尊』などと崇めているとは慮外千万!」ガタッ

神子「奴は人々の愚かさを利用し、そのよく回る口先で皆を踊らせておったのだ!」

神子「何が正法だ! あ奴こそ人心を惑わす邪なる悪鬼ではないか!」


私の信じた英雄は初めから存在しなかった
しかしそのことに気落ちするほど私は弱くも幼くもない

それならば私がなれば良い
いかなる迷信も幻惑も打ち破り、人々を救うために立ち上がる者―――真祖となるのだ


神子「賢者、超人何するものぞ! 愚か者たちの治世は遂に終わりの時を迎える!」

神子「私は過去のあらゆる英雄を越える存在となる! もはや神も仏も恐れはしない! 」

神子「救世主、豊聡耳神子がこの地に君臨する時、その瞬間から人の世は始まるのだ!」


――――――――


――――


――






~仙界 神霊廟~


神子「入りなさい」

蘇我屠自古「蘇我屠自古、ただいま戻りました」

神子「どうでした?」

屠自古「やはり何処にも彼女の反応はありません。物部の報告も同様にございます」

神子「……」

屠自古「あまり申し上げたくはありませんが……」

神子「皆まで言わずとも良い」

神子「彼女はいずれこうなる運命だったのです。本人も悔いはないでしょう」


屠自古「……はっ」

神子「それより彼女を倒した者というのが気になりますね」

神子「地獄の使いをもことごとく退けてきた彼女が敗れたのであれば、かなりの術者に違いありません」

神子「一体誰が…………入りなさい」

物部布都「遅くなりました、太子様」

神子「何か分かりましたか?」

布都「調べるに、どうも天狗や命蓮寺の連中と厄介事を起こしていたようですな」

神子「なるほど、それで?」

布都「天狗を吐かせたところ、どうやら霍青娥を倒したのは……命蓮寺の当主だそうです」

神子「……!」ピクッ


屠自古「あの邪教の主か……」

布都「如何致しましょう、太子様」

神子「これが運命か……」

屠自古「え?」

布都「今奴らは竹林の奥深く、永遠亭なる場所に潜伏しているようです」

布都「ただ今から兵を募って攻め込めば、永遠亭ごと制圧することも可能かと」

神子「いいえ、その必要はありません」

神子「まずは何があったか調べることが肝要。制圧はいつでもできること」

布都「……よろしいのですか? あの聖白蓮なる悪坊主は青娥殿の仇なのですよ?」

布都「討つべき仇を放っておいては、門下の者たちにも……」


神子「あれは何の理由もなしに暴力を振るったりはしません。博麗の操り人形とは違うのですよ」

神子「せめて師の最期が如何なるものであったか、それを調べてからでも遅くはありません」

布都「はっ」

屠自古「ならば太子様、今から我らが天狗共を締め上げて、より詳細な情報を吐かせましょう」

神子「その天狗とて青娥に操られていたとあっては、やはり大した情報は期待できないでしょう」

屠自古「……」

神子「調査には私一人いれば充分です。その戦いの跡を見れば、何があったかぐらいは察しが付きます」

神子「お前たちにはここで留守を頼みますよ」

布都「はっ」

屠自古「承知しました」


神霊廟を飛び立った神子は、自分でも知らぬまま口元が緩んでいた
天は自分たちに決着の場を設けたのだ


神子「……」


あの坊主は出会った時から気に入らなかった
本人はただのペテン師でしかないのに、その弟子たちは奴にはもったいないほど健気に付き従っている

復活の折に封印をかけていたのが仏僧であると知り、私は復讐心に燃えた
しかもその姿をよく見ればいかにもつまらない使い手だった
魔力は貧弱で、五感も鈍く、頭の回転も遅い
当然私とは比べるべくもなく、奴の抵抗も何ら意味を持たなかった


”相手が仏僧ならばちょうどいい”

”復活祝いとして完膚なきまでに叩きのめして、駄賃ついでに弟子共を全員こちら側へ引き込んでやる”

”所詮、全ての生きとし生ける者は力ある者に魅かれるもの”

”ままごとのような師弟関係など、私の前には無意味なのだ”

”弟子に一人残らず見限られたとあらば、仏僧としてこれ以上の恥辱はあるまい”


既に坊主との勝負になど眼中にない私は、別のことを考える余裕があった
ただ打ち負かすのではなく、できる限り華麗に勝利し、そして相手の方はみっともなく敗北させるよう、戦いを演出した
そしてその芝居を私は見事に演じ切った

しかし……


神子「なぜだ!」


あの弟子たちは、自分たちの師匠に失望している様子は全くなかった
そればかりか、華々しく力を振るって見せた私に見向きもしないまま、坊主を守ろうとしていた

何といじらしい忠誠心だろうか
坊主を圧倒していた私の前に、我も我もと立ちはだかり、自ら盾にならんとしていたのだ
その全員が束になっても到底敵わないことを知りながら、それでも主を逃がす時間を決死の覚悟で稼ごうとしていた


神子「どうしてあんな弱い奴に、付いて行こうとする!」


私は目の前で起きた事実に困惑していた
やがて坊主の号令と共に連中は逃げていった

ほんの数秒だが、私はその場に留まったまま動けなかった
追うことは容易かったが、追い詰めたところで無意味であることも悟っていた


神子「…………」


私には分からない
なぜ奴らはあれほどまで坊主に尽くそうとしていたのか
自分たちの親分がただの弱虫であると分かったはずなのに、どうしてその忠誠を崩さなかったのか

あのような弟子を、部下を、今まで私は持ったことがなかった
過去にあれほど可愛がってやった臣民たちも、私が世の表舞台から退いたと知ると、あっさり手の平を返して私を封じた
今いる神霊廟の弟子たちも、私の力の強大さを知ってその門を叩く

側近の二人でさえその心中は定まりがない
今でこそ大人しく協力して私に尽くしているようにも見えるが、しかし私の目は節穴ではない

あの二人は私の目と耳が届かないと思うところで、常にお互い反目し合っているのだ
どんな瞬間にも抜け目なく相手の隙を伺っていて、いつも追い落とそう、蹴落としてやろうと策を巡らせている
大義のために私心を捨てるというところがまるでないのだ
万が一私が力を失えば、二人が何を始めるかは目に見えている


神子「どうして……」

神子「どうして私の元には、あのような配下が現れないのだ!」


私の元に集まる者たちは、皆私の力に惚れ込んでやって来る
人も霊も、そこには例外はない

もし仮にあの時、私が坊主の立場であったら
みっともなく敗北していたのが私の方であったとしたら……

一体誰が、それでも私の配下であり続けることを望むだろうか
その時たった一人でも、私を守ろうとする者があるだろうか


神子「……」ギリッ

神子「あのインチキ坊主め……ッ!」


私が喉から手が出るほど欲しいと思っている者たちを、奴は当然の如く侍らせている
しかしその実体は何でもない
術は箸にも棒にもかからないと言っていいほど拙く、せいぜい鬼を倒すのが関の山

それがどうしてあのような子分を手に入れられたのか
一体どのようなペテンにかければ、あれほど得難き人材が集まるのか
あらゆる知と学を修した私でさえ、まるで理解が及ばない


神子「あれが……あんな貧相なインチキ坊主が……!」

神子「この私より優れているとでも言うのかッ!!」


布都と屠自古のいない場所で、私は嫉妬の炎を燃え上がらせていた

実際、青娥のことなどどうでもよかった
私に道教を授け、存分に力を震えるこの幻想郷にまで導いた時点で、既に彼女は役目を終えていたからだ

青娥はたとえ相手が誰だろうと従うということがない
彼女の捻じ曲がった心は、もはや私ですら修正できないものだった
この地で唐突に今生を終えたのも、おそらくは自業自得なのだろう


神子「それでも……ケジメは付けないとな」


これも嘘
仮に青娥を倒したのが別の者であったのなら、私はそれを捨て置いただろう
私の心にあるのはたった一人の仏僧のみ


神子「聖、白蓮……!」ギリッ


今私は、大義のためでもなく、天下太平のためでもなく、純粋に自分のためだけに力を振るおうとしている
しかしそのことに迷いも畏れもなかった








~永遠亭~


聖「大変、お世話になりました」ペコッ

永琳「……星は、そちらで?」

聖「はい。私共で手厚く弔ってあげたいと思います」

永琳「そう……子どものお乳はどうするの?」

永琳「私の作った代用乳もいずれ底を付く。もしよければ、新しい分を用意しておくわよ?」

聖「いいえ。あれは作るのに大変な費用がかかると聞き及んでおります」

聖「ここまでしてもらっておきながら、なお負担をお願いすることなどできません」

永琳「しかし……」


聖「……実を申しますと、代用乳には別に当てがあるのです」

聖「とある所に、代用乳とよく似た物をお作りになる方がいらっしゃいまして」

聖「その方が仰るには、”200ガロンでも300ガロンでも作る手間は大して違わない”……とのことでした」

聖「そちらへ頼んでみようと考えております。ガロンという言葉はよく分かりませんでしたけど……」

永琳「それは……」

聖「紅魔館です」

永琳「紅魔館! なるほど、それならばうまく行くかも知れないわね」

聖「はい」


~少女移動中~


命蓮寺に戻るまで、誰も口を開かなかった
本殿に星の体が安置されしばらく経ってから、ようやく村紗が言葉を発した


村紗「聖、お乳は紅魔館から頂けるのでしょうか?」

聖「はい。条件付きではありますけどね」

村紗「条件……」

聖「心配せずとも、そんな重大な対価は要求していませんよ」

聖「近々私たちを驚かす予定なのだそうですが、それは無視して放っておいて欲しいのだそうです」

村紗「……?」


聖「詳細は私にも分かりませんが、とにかく赤子には絶対に手を出さないと約束されました」

村紗「はぁ、そうですか」

一輪「いいんじゃない? 悪魔は必ず約束を守るって言うし」

村紗「……はい」コクッ

響子「よく眠ってますね、この赤ちゃん」

チルノ「……」

ナズ「……」

小傘「……べろべろばー」

ぬえ「眠ってる相手にやっても意味ないでしょ」


聖「きっとその子もまだ疲れが取れないのでしょう」

聖「何しろ、大変な難産でしたからね……」

一輪「聖様……」

聖「……すみません、しばしの間、その子を頼みます」

聖「これから弔いの準備をしないと……」

一輪「!……ど、どうぞ。ゆっくりおやす……準備をよろしくお願いします」

村紗「私たちにお任せを」

聖「はい、失礼します」スッ


聖は一人で寺の裏庭に佇んでいた
弟子たちには悲嘆に暮れる自分の姿は見せたくなかった


聖「…………」


聖の心中は深く沈んでいた
弟も、師匠も、二度と得難き友でさえも、自分を置いて旅立ってしまう
自分が愛した者たちも、あるいは自分を愛してくれた者たちも、皆一瞬で浮世を駆け抜けて去って行く
そうして残されるのは自分一人のみ

きっとこれは罰なのだろう
人の本分を越えて生きようとした者が受けるべき、当然の報いなのだ
魔法を会得してしまったことは、やはり愚かな選択だったのではないか


聖「星……」


聖「私は、間違っていたのでしょうか……」


悲しみに打ちのめされていた聖には、背後にいる者の気配に気が付けなかった


藍「……」

聖「!?」バッ

藍「お覚悟めされよ!」サッ




―――――カッ!!









一輪「チルノはどこ行ってるの?」

村紗「星の所ですよ」

一輪「そう……」

 
アー… アー…


ぬえ「ちっちゃいのによく動くな、こいつ」

小傘「べろべろばー! べろべろばー!」

響子「あんまり脅かしちゃ駄目よ」

ナズ「……」


一輪「姐さん、遅いわね……」

村紗「もうしばらくしたら私が様子を見てきましょう」


藍「その必要はない。お前たちの主は始末したぞ」


ナズ「!?」

小傘「えっ!?」

村紗「誰だっ!!」

一輪「狐!? この前の……!」


藍「私の警告は無駄に終わったようだな」

藍「もはや事ここに到っては、お前たちには一切容赦しない」

藍「お前たちの存在が、あのお方のお心を悩乱させるのだ……ここで消えてもらうぞ! 命蓮寺!」

一輪「甘いわね! 姐さんがいなけりゃ勝てると思ったのか!」サッ

村紗「お前は倒す! 聖を返してもらうぞ!」サッ

ナズ「小傘! 響子! 赤子を守るんだ!」サッ

響子「は、はいっ!」

小傘「お……お任せを!」

藍「…………」


一輪「どういうつもりか知らないが、この人数相手に勝つ気でいるのかしら?」

一輪「おあいにく様! 今の私たちはそんな弱っちくなくてよ!」

藍「ああそうだろう。だから増援ついでに、冥土の土産を持って来てやったぞ?」

村紗「冥土の土産だと……?」

一輪「私たちには用はなさそうね……それはお前が持って行け! のしを付けて一緒に地獄へ送ってやる!」

藍「いいや、こいつに用があるのはお前たちだ」スッ

藍「見るがいい……来い!姿を現せッ!」




―――ドドォォォォン!!






突然の地響きと共に土煙が舞う
藍の呼びかけによって、何者かがそこへ召喚されたのだ


ズズズズ…


ぬえ「!!」

一輪「……えっ?」

村紗「な、何っ……!」

藍「この幻想郷には、全ての場所に監視役が配置されている」

ナズ「そ、そんな……」


藍「山には鬼を……」


響子「―――!!」

村紗「どういうことだ!」


藍「里には自動人形……」


小傘「あ、あああ……」

一輪「こんなことって……ッ!」


藍「そしてお前たち命蓮寺には――――」





毘沙門天「この毘沙門天というわけだ」


代理ではない、本物の神がそこに現れた
しかしそれは命蓮寺にとって吉兆を意味しない


村紗「まさか、そんなカラクリだったとは……」

藍「しかしこれは本来ならば、誰にも明かしてはならない秘中の秘」

藍「それを今ここで明かした意味……言わずとも分かっているだろうな?」

ナズ「う……嘘だ……! こんなことが……ッ!」

ぬえ「これは……ヤバいかもね」

藍「ナズーリンよ」

毘沙門天「たかが妖獣如きに篭絡されたお前には」

藍「今まで散々悩まされてきたものだ」

藍・毘沙門天「「しかしそれもここで終わりだ!」」ババッ


一輪「戦え! 戦うのよ! 迷っている暇なんてない!」

村紗「ディープヴォーテックス!!」バッ

一輪「食らえッ! 親父百烈拳!!」バッ

ぬえ「アンディファインドダークネス!!」ババッ


ドドドドドドドドドォォッッッ!!!


毘沙門天「倶利伽羅炎ッ!!」


―――ズガガガガガァァァン!!


一輪「ぎゃあッ!!」ドカッ

村紗「がっ……!」ドカッ

ぬえ「ぐぎっ……!」ドサッ


小傘「せ、せんぱい!」


一輪「邪魔よ! 向こう行ってろ!」

ナズ「く……くそおおおおッ!!」

ナズ「グレイテストトレジャー!」ババッ

毘沙門天「破天金剛ッ!!」


―――――ズワッ!


ゴガァァァァァァン!!!


ナズ「ぎゃあああああああッッ!!」ドサッ…


響子「そ、そんな……そんな……」


~???~


聖「!? こ、ここは……」


気が付いた時、聖は見知らぬ場所に立っていた
辺りを見回しても誰もいない
そこには広大な暗黒に煌く星々、巨大な太陽
そしてはるか下方には緑の多い茂る球体が見える


聖「……!」


もはや複雑な思考は不要であった
仕組みは分らないが、あの妖狐によって自分は宇宙へ飛ばされてしまったのだ

だがそんなことはどうでもいい


聖「響子! 村紗!」バッ


聖は緑の球体に向かって張り付いた
あの小さく見える場所に、弟子たちが取り残されていることは明らかだった


聖「一輪! 小傘!」グッ

ドンドンドンドン!


妖弧が邪なる意思を以って現れたことは明白
このままでは弟子たちの命が危ない
そう分っていても、この状況から抜け出すことができない


ドンドンドンドン!


ドンドンドンドンドンドンドンドン!


いくら拳を叩き付けても、そこから先は目に見えない壁のようなものに阻まれ、手を伸ばすことができない
両手をひたぶるに打ち付け血まみれになっても、この身はほんのわずかも前に進まない


聖「うぉおおおおッッ!!」ブンッ


グシャァ…!


拳が砕け骨肉が露わになっても、壁はどうにも動かない


聖「ぐっ……ううっ」


聖は己が身の拙さを呪った
なぜ自分はいざという時に力を取り出だすことができないのか
あの千年間も、聖徳王が復活した時も、星が襲われた時も、そしてまさに弟子たちが危機に瀕するこの瞬間も
何もできず、ただされるがままになっている

星と自分とは全く同じものが備わっている
そのように宣言しておきながら、自分は星の万分の一も力を振るうことができない


聖「……それでも!!」ブンッ


ゴシャァ…!


聖「私は……!」ブンッ


メゴッ…!


聖「辿り着かなければならないッ!!」ブンッ




『――――真実の法を説きなさい』




聖「……!?」


聞き覚えのある声が聖の脳裏に涌現した
たとえ千年経とうとも、その声を忘れるはずがない


『今、世の人々は驕慢の心を起こし、小善の行にて事足れりとしている』

『ここもその例に漏れざるなり』

『彼らは、金銀財宝を引き寄せるだけの小神毘沙門天に信仰を寄せ、競い集い我先と争わんばかりに礼拝する』

『されど御仏は、毘沙門天を拝む者を決してお救いにはならない』


聖「…………」


もう無為に拳を打ち付けることはしない
手負いのまま駆け付けたところで弟子たちは守れない

失われたはずの記憶を辿りながら、聖は肉体の回復に専念していた
その姿に焦りはない


『末法の世においては、全ての悪鬼・魔民・夜叉・羅刹・邪神・魑魅魍魎がその力を増大させる』

『これは仏が去ったことに魔性の者たちが意気を盛んにするためである』

『いずれ遠からず天地のあらゆる所に魔王の軍勢が充満し、そのことごとくを蹂躙し、やがては宇宙をも滅ぼさんとする』

『その時が来たならば、もはやそれまでの種々の小法は何の用も為さないことを知るべきである』

『なれどそれはまさに御仏の如来神通力を天地に現す瑞相なり』

『大悪の世が来たる時代においては、穢土の濁悪と決別し、真実の大法を求めんとする者が必ず現れるのである』


聖「……」


『真実の法を説きなさい』

『今まで真実の法が明かされなかったのは、ひとえに我らを無間地獄に落とさないための御慈悲に他ならない』

『時を待たずして仏の真実が現れれば、天魔はすかさず疑心を植え付けるであろう』

『そして一切衆生は二度と御仏にお目通りすることが叶わない』

『しかし時はもう間もなく来る』

『全ての魔性を払い、地獄・餓鬼・畜生の三界の火宅を人々の心より冥伏せしめる知恵』

『さらには修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩の六済流転に囚われる衆生をも解き放つただ一つの法が、まさにその姿を現す』

『あなたはその時を決して逃してはならない』

『その時こそ大慈大悲心を奮い起こし、究極の一乗法を語り聞かせ給え――――』


聖「承知しました…………いえ」スッ


封印されていた聖の魂が遂に蘇る
聖はもう一度拳を握り、眼下の地上を見つめた


聖「思い出した――――――!!」


拳は足元目掛けて振り下ろされた












~地上~


藍「さあトドメだ……仕留めろ」

毘沙門天「三千天地調伏の相ッ!!」ズンッ!


――――ズズズズズッッ


聖「天上天下六種震動ッッ!!」


ドガァァアアアアン!!!


毘沙門天「!?」

藍「何ッ!」


聖「ここまでだ!! 下がれ毘沙門天!!」

聖「これ以上私の弟子を傷付けることは許さん!!」

村紗「ひ……聖……!」

藍「そんなッ!? あそこからどうやって……!」

聖「お前と問答する気はない。去れ!」

毘沙門天「お、おおっ……!」ググッ

藍「!? おい、何をやっている! 立てッ!」

毘沙門天「…………」


その姿を見るやいなや、毘沙門天は地に伏した
いかなる天上の神々も決してその者に刃を向けることはできない

過去、現在、未来に偏在する無量無数の阿羅漢、菩薩、辟支仏を全て集めても遠く及ばない功徳
一晩のみを生きる蜻蛉が、人ですら昇ることが稀な天界において、数億年に一度だけ咲く優曇華の花を見るよりもさらに得難き果報
幾千万の財宝、飲食(おんじき)、宮殿、宝玉、国土、あるいは仏像、伽藍、経文を捧げようとも、彼の者を供養するには届かない

全ての天地を遍く照らす仏種三宝を備えた存在が、まさに今、そのお姿を現されたのだ
もはや藍の命令など届かなかった


聖「誰が手を付いていいと言ったか!! 私は下がれと命じたのだ!!」

毘沙門天「ははぁっ!!」


―――ズワァッ…


藍「おい毘沙門天! どこへ行った! 毘沙門天ッ!」


聖「さあ、飼い主の下へ帰れ。不遜なる畜生よ」

藍「ぐ……」

聖「大人しく帰るならば良し。帰らないのであれば……覚悟なさい」グッ

ナズ「ひ、聖様……」

一輪「……け、形成逆転ね……!」ニヤリ

藍「このままで済むと思うなよ!」サッ



――――シュイン!!



ナズ「…………く」ガクッ


ナズ「はぁ、はぁ、はぁ……」

聖「全員無事ですか?」

一輪「な、何とか……」

村紗「響子が放心状態ですが、大事ありません」

響子「」

ぬえ「何なのよあいつら……」

聖「おそらくは星の言葉をどこかで聞いていたのでしょう」

聖「あれが重大な意味を持っていたようです。彼女たちにとっては」

一輪「?」


聖「……とにもかくにも、星を弔うことが先です」

聖「一輪、村紗、焚き木をお持ちなさい。星を送り出して上げましょう」

一輪・村紗「……はい」


星の元へ行くと奇妙なことがあった
そこにいるはずのチルノが影も形もないのである


村紗「……どこかへ飛んで行ったのでしょうか?」

一輪「あの狐ならともかく、チルノが動いたら雲山が気付いてるはずよ?」

小傘「どっかに隠れてるのかな……」

響子「こっちもいませんでした」


ぬえ「出て行ったんでしょ? そこの入道が間抜けなだけでさ」

ナズ「最後まで気まぐれな奴だったな、全く」

聖「……いいえ、それはないでしょう」

ナズ「え?」

聖「チルノはもはや妖精であって妖精ではないのです」

聖「今あれが星の下を去るなど有り得ない。おそらくは……まだどこか、近くにいるはずです」

ナズ「……?」

聖「さあ、共に星の門出を見送ってあげましょう」


山と積まれた焚き木の奥に星は安置され、火を付けるとやがて勢いよく燃えていった


パチパチ… パチッ…


聖「欲令衆生 開仏知見 使得清浄故 出現於世 欲示衆生 仏知見故 出現於世……」

聖「欲令衆生 悟仏知見故 出現於世 欲令衆生 入仏知見道故 出現於世……」

聖「大慈大悲 常無懈倦 恒求善事 利益一切 而生三界 朽故火宅……」

ナズ「ご主人……」

村紗「お疲れ様でした。ゆっくりお眠りください」

小傘「うう、う……う……」グスッ

一輪「大したものだったわよ、あなたは」

響子「さようなら、星せんぱい……」

ぬえ「……」

聖「南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経……」


聖に倣い、他の者たちも星に向かって手を合わせる


ナズ「ご主人……どうして、生きていてくれなかったんだ……」


燃え盛る炎の熱気が、星がもうここにはいないという現実を表していた
不意にそこへ風が吹き抜けた


ヒュゥゥ…


ナズ「……!」


その風は目の前の炎とは不釣り合いなほどの……冷気を帯びていた


聖「……」

ナズ「い、今のは……」

響子「せんぱい、どうかしましたか?」

ナズ「……いや」

ナズ「何でもない」


全てが燃え尽きてからしばらくして聖は振り返り、響子から赤子を受け取る
そして静かに口を開く


聖「今、私はあなたたちに告げねばならないことがあります」

聖「そして問わねばならないことがあります。どうか心して、よくお聞きなさい」

命蓮寺一同「……」

聖「まず一つ、私は皆に謝らなければいけないことがあります」

一輪「?」

聖「以前、白玉楼に攻め込むと私は言いましたが、どうやらそのような時間はなくなってしまったようです」


一輪「……あ」

村紗「ふむ」

小傘「……?」

ナズ「そういえば……そんなこと言ったっけ」

聖「皆が期待していた喧嘩とお酒はどうやら実現できそうもありません。どうかお許しください」ペコッ

村紗「心配せずとも、私たちは皆もうそれどころではなくなってしまいましたよ」

一輪「そうそう、私だってたった今思い出したくらいなんですから」

聖「そうですか。ありがとうございます」

聖「では次に……こちらの方が重大なのですけど……」

一輪「……」ゴクッ


聖「この命蓮寺は、ただ今を以って永久に閉鎖します」


ザワッ…


ナズ「!!」

響子「え、ええっ?」

ぬえ「ん?何?」

小傘「え? 何で?」

聖「私の目指すべき場所が遂に明らかとなりました」

聖「私は星の遺志を継ぎ、外の世界へ向かいます。全てはそこから始まるのです」


ぬえ「…