ラブ・ランブル! ~播磨拳児と九人のスクールアイドル~ (949)





 もしも、とある少年と少女たちが出会っていたら。


 そんな出会いと努力が生み出す小さな(?)奇跡の物語――






        ラブ・ランブル!

   播磨拳児と九人のスクールアイドル

     第一話 スクールアイドル

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 三学期の平和な昼休み。

 播磨拳児はクラスメイトの雷電と静かに昼食を食べていた。

「パンうめェなあ」

 パンを食べながら播磨は言った。

「そのパンは何のパンだ」

 と、雷電。

「たまこっぺとかいうやつだ」

「そうか」

「お前ェはいつも弁当だな」

 雷電の弁当を見ながら播磨は言う。

「まあな」

 どうということのない平和な会話である。

 しかし、そんな静かな環境を足音が迫っていた。

(またか)

 播磨にはわかる。騒ぎを起こすのはいつも“彼女”だ。

 勢いよく開いた教室の扉。

 そしてそこから一人の女子生徒が飛び込んできた。

「大変だよ播磨くん! 雷電くん!」

 高坂穂乃果。播磨拳児の幼馴染でもあり、あらゆる面倒事の配達人でもある。

「どうした、高坂」

「のんきにパンなんて食べてる場合じゃないよ! 大変なんだ。あ、それたまこっぺ?」


「いるか? 食いかけだけどよ」

「いただきまーす。ふがふが。って、それどころひゃない!!」

「全部飲み込んでから話せよ」

 穂乃果がパンを飲み込んでから呼吸を整えるまで少しだけ時間がかかった。

 その間、騒然としてた教室はまたいつもの落ち着きを取り戻していく。

「一体どうしたんだよ」

 改めて播磨は穂乃果に話を聞く。いつのまにか、穂乃果は播磨の牛乳も飲んでいた。

「ああ、そうそう! 思い出した。廃校だよ廃校!」

「廃校?」

「そう、この音ノ木坂学院がなくなっちゃうんだよ!」

「ああ、その話か」

 落ち着いた声で雷電は言った。

「知っているの? 雷電くん!」

「ああ、もうすっかり知れ渡ってしまったと思ったがな。知らないのは高坂くらいじゃないのか」

「いやあ、どうしよう! 私編入試験とか受かりそうもないから、学歴が中卒になっちゃうのかなあ」

 穂乃果はそう言って頭を抱えた。

「落ち着け高坂。話が極端過ぎんだろ」

 昼食をすっかり奪われた播磨は穂乃果の頭を軽く叩く。

「落ち着いていられないよ。我らの母校が無くなるんだよ!」


 そんな穂乃果に雷電は言った。

「無くなると言ってもすぐになくなるというわけではない。来年から入学する一年生の

募集をしなくなるというだけだ。俺たちは今二年生だが、一個下の一年生が卒業する

までは学院は存続する」

「でもその後はなくなっちゃうんでしょう? 廃校なんでしょう?」

「まあそうだな」

「これも少子化の影響か……」窓の外を見ながら播磨は言った。

「ダメだよそんなの。お母さんも通った音ノ木坂が無くなっちゃうなんて、悲し過ぎるよ」

「生徒数が増えんことにはどうにもならぬと思うが」

「生徒数?」

「そうだろう? 今の音ノ木坂(ここ)は三年が三クラス、二年がニクラス、そんでもって

今年入学してくる一年生は」

「一クラス……」

 入学者数は確実に減っている。このままではじり貧であることは間違いない。

 だが穂乃果は諦めてはいなかった。

「じゃ、じゃあ」

「ん?」

「入学志願者がもっと増えればいいわけだね?」

「何が」


「だから、音ノ木坂(ここ)に入学したいっていう生徒が増えたら廃校は免れるって

ことでしょう?」

「まあそうなるな」

「しかし難しいのではないか? この少子化の時世に」

 腕組みをしながら雷電は言った。

「わ、わかってるよ。それなら!」

「それなら?」

「入学志願者が増えるようなことをしたらいいんじゃないかな!」

「どうやって?」

「例えば、部活動で成果を出すとか、進学率を上げるとか」

「今更か?」

「だってだって、智弁学園とか灘高校とかが廃校になるなんてことはまずないでしょう?」

「音ノ木坂(ウチ)にそんな強みがあんのかよ」

「そ、それは……」

「なあ」

「ぐぬぬ……」

「高坂」

「明日までの宿題とします!」

 そう言うと穂乃果は立ち上がった。

「はあ?」


「明日、もう一度穂乃果会議を開くから、それまでにこの学校が廃校にならないような

アイデアを考えてきて欲しいの」

「やだよ面倒くせェ」

「……播磨くん?」

「わーったよ。考えりゃいいんだろ。ってかお前ェも考えろよ」

「わかってます。そうと決まったら、ちょっと校内を巡回してくる」

「何でだよ」

「この学校のいいところを見つけて来るの! 何かのヒントがあるかもしれないし」

「ほどほどにしろよ」

「わかった!」

 そう言うと、高坂穂乃果は風のように教室から飛び出して行った。

 まったく、竜巻のようなやつだ、と播磨は思う。

「どうしたのですか? 穂乃果が随分騒いでいたようですが」

 穂乃果が去って一息つくと、髪の長い女子生徒が話しかけてきた。

「園田か」

 園田海未。穂乃果の友人でもあり、播磨の向かい側に座っている雷電の幼馴染でもある。

「海未、今日も弁当美味かったぞ」

 雷電がそう言うと、海未は顔を背ける。

「べ、別に一つ作るのも二つ作るのも同じことですから」


 だったら俺の分も作ってきてくれよ、と前に播磨が言ったことがあるのだがはっきり

と断られてしまった。基本的に海未は雷電以外の男には厳しい。

「何の話をしてるの? さっき穂乃果ちゃんが凄い勢いで教室から出て行ってたけど」

 もう一人話に加わってきたのは、これも穂乃果の親友の南ことりである。

「廃校問題についてだよ」

「ああ、その話ですか」海未は全てを察したようにため息をついた。

「ついに穂乃果ちゃんも知っちゃったんだね」

 と、ことりも言う。

 彼女は理事長の孫娘なので、その辺りの情報は早く知ることができる。

 しかし、親友の穂乃果がショックを受けることもわかっていたので言わないでいたのだ。

 というか、播磨が口止めをした。

「そんで、廃校にならないための手段を考える様に、アイツに言われたわけさ。

明日の昼までにアイデアを出せと」

「アイデアと言われましても」

「どうすればいいんだろう……」

 二人とも困り顔だ。

「とりあえず、明日の昼に会議をやるつってたから、お前ェらも参加してくれねェか」

「それは構いませんが……」

「まあ、高坂のことについては何とかしてみる」


 と、播磨は自分に言い聞かせるようにつぶやいた。

「お願いね、はりくん。あの子、一つのことに集中したら周りが見えなくなっちゃう

タイプだから」

 心配そうにことりは言う。

「それは知ってる」

 穂乃果との付き合いは、おそらく播磨が一番長い。




   *





夕方。疲れ切った顔の穂乃果と播磨は家路についていた。

 ちなみに雷電と海未は部活、ことりは用事があると言って街に消えて行った。

「何か成果はあったか? 高坂」

 項垂れる穂乃果に一応聞いてみる播磨。

「全然」

 穂乃果は首を振る。

 一応、過去には色々なスポーツや文化活動で成果を残したこともあった学院では

あったけれど、最近は少子化の影響で生徒数も減り、相対的に目立つような成果

も減ってきているのだった。


「あー、お腹すいた」

「そうだな」

 夕陽が赤く輝く。

 真冬も過ぎたので、もうずいぶんと日が長くなったと播磨は思った。

 と、不意に穂乃果が顔を上げる。

「ねえ播磨くん。今日、ウチで夕飯食べて行くでしょう?」

「はあ? なんだいきなり」

「作戦会議だよ。明日の会議に備えて予備会議を開こうと思って」

「ンなことして意味あんのかよ」

「だって、環境が変わればいいアイデアが生まれるかもしれないでしょう?」

「お袋さんに悪いんじゃねェのか?」

「そこは大丈夫、あなたが今日来ることはもうお母さんにメールしといたから」

「見切り発車かよ!」

「でも来るでしょう?」

「……まあな」

 小学校の頃などは、よく穂乃果の家に遊びに行き、そこで夕食を食べていた気がする。

 最近はあまりそういうのがなくなったから、随分と久しぶりだ。

「お母さん、播磨くんが来るってわかったら夕食に気合い入れてくれるから私も嬉しいんだ」

「そんな理由かよ」


 先ほどまで項垂れていた彼女が嘘のように満面の笑みを浮かべている。この切り替えの

早さが穂乃果の良さなのかもしれない、と播磨は思った。

「ほら、夕食の買い物リストがメールで送られてきた」

 そう言って穂乃果は播磨に携帯の画面を見せる。

「つうか、今から買いに行くのかよ」

「当たり前じゃない」

「もしかして俺、荷物持ちか?」

「タダで夕食が食べられるんだから文句言わないの」

 穂乃果は夕闇に染まる道を少し早足で歩いた。

 彼女なりに気持ちを切り替えようと頑張っているんだな、ということは播磨にもわかる。

 そんな彼女を放っておくことは、彼にはできなかったのだ。




   *



「ただいまあ!」

 穂乃果の家は、和菓子屋を営んでいる。その名も『穂むら』。

 穂乃果の穂の字はこの店名から取ったのだろう。

 和風の店の扉を開けると、セミロングの婦人が店番をしていた。

 穂乃果の母である。

「おかえり穂乃果。あら拳児くん、いらっしゃい」


「どうもっす」

 播磨は軽く会釈をした。

「買い物の荷物持ちさせちゃって、ごめんなさいね」

 志穂はそう言って笑う。

「いえ、こっちもご馳走になる身なんで」

「そんなことを気にしなくていいのよ。ささっ、奥に上がって。穂乃果はちゃんと手を洗うのよ」

「わかってるよそんなこと。さあ、こっちだよ播磨くん」

 そう言って穂乃果は播磨を手招きした。

「お邪魔します」

 店の奥に入ると、普通の住宅。昔ながらのお店のようで、職場と家との境界が曖昧

なのだ。

 居間に入ると人の気配がした。

 穂乃果の妹の雪穂だ。畳の上に寝っころがり、煎餅を食べながら雑誌を読んでいる。

「こら雪穂、みっともないよ!」

 そんな妹を見て姉は言った。

(お前ェも十分みっともねェ姿を学校でさらしてるじゃねェか)と播磨は思ったが、

ここは武士の情けで言わないことにした。播磨にも弟がいる。弟の前では少しでも

兄らしくしたいものだ。

「そんな格好しちゃって、播磨くん来てるんだよ」

「え? ケン兄来てるの!?」

 穂乃果の言葉にいきなり飛び上がる雪穂。

「どうしてそれを早く言わないのよ!」

 立ち上がった雪穂は手櫛で髪を整えようとする。

「もう! お姉ちゃん、ケン兄来るんだった事前に教えてよ」

「教えてたよ、お母さんに」

「私にも! あ、ごめんねケン兄。ちょっと着替えてくるから」

ちなみに雪穂はその時、学校指定のダサイジャージを着ていた。

「着替えるのもいいけど、早く戻って夕飯の支度手伝いなさいよお!」

 自室に戻る雪穂に穂乃果はそう言った。

「わかってるー!」

 賑やかな家族である。父親が寡黙な分、余計にこの姉妹の賑やかさが際立つ。




   *




 夕食は和やかな雰囲気の中ではじまった。

 播磨の隣りには穂乃果の妹の雪穂が座っている。

 やたら播磨に身体をこすりつけているのだが、乾燥肌でかゆいのだろうか。


「ねえケン兄、今日はお風呂入って行かないの?」

「何言ってるのよ雪穂」

 思わず穂乃果が声を出す。

「お姉ちゃんには聞いてませーん」

「あらあら」

 そんな姉妹の会話を聞きながら母は笑っていた。

「……」

 そして父親はノーコメント。

「まだ夜は寒ぃし、入って帰ったら湯冷めしちまうよ」

「ええ? だったらウチに泊まればいいじゃん」

「明日も学校だ」

「久しぶりに一緒に入ろうか、お風呂」

「ぶっ!」

 思わず味噌汁を吹き出しそうになる播磨。

「ちょっ、雪穂! 何言ってるのよ」

 播磨の代わりに向い側に座った穂乃果が怒る。

「昔は一緒に入ってたじゃん。お姉ちゃんとケン兄と私の三人で」

「昔って、幼稚園くらいの時でしょう? 年を考えなさい雪穂」

「じゃあ私、水着を着るよ。それならいいでしょう?」

 この妹は、普段しっかりしている分、時々本気なのか冗談なのかよくわからない時がある。


「おやめなさい雪穂」

 彼女の母が止めた。

 さすが母親。

「水着を出したら、しまうの面倒なんだから。夏まで待ちなさい」

「そっちッスか」

 穂乃果の母親も、穂乃果同様ちょっとズレているところがあると思う播磨であった。

「それより聞いてよお母さん。大変なのよ学校が」

 穂乃果は母に言った。

「もしかして統廃合のこと?」

「知ってたの?」

「お母さんの母校だからね。話は聞いたわよ」

「いつ知ったの?」

「うーん、先週くらいかなあ」

「どうして教えてくれなかったのよ!」

「もう穂乃果も知ってると思って」

「今日知ったのにい」

「そうなの?」

「なくなっちゃうんだよ」

「これも時代の流れかしらね。少子化だし」

 ふと、母親は悲しげな表情を覗かせる。


「でもでも……!」

「……」

 穂乃果の父は相変わらず何も言わない。

「雪穂も音ノ木坂(ウチ)に来たいよね」

 助けを求めるように穂乃果は妹に聞いた。

「わ、私はUTX学院に行こうかと思ってるんだけど」

「なんじゃそりゃあ!」

「落ち着け高坂」





   * 




「まあ適当にくつろいでよ」

 高坂穂乃果の部屋に入ったのは何年振りだろうか。

 きっちり片付いているのは、きれい好きの母と妹のなせるわざか。

 しかし少女マンガの単行本がギッチリ詰まっている本棚を見ると巻数や漫画の種類

がバラバラであったりする。そこら辺はあまり気にしない人間、それが穂乃果である。

何かのドラマか映画で、本棚を見ればその人の人間性がわかると言われていたけれど、

確かにその通りかもしれない。

「それにしても、UTXとはねえ……」


 妹から借りた(というか強引に奪い取った)UTX学院のパンフレットをパラパラと

めくりながら穂乃果はつぶやいた。

「テレビCMとかもやってる、結構有名な学校らしいなあ。近年希望する生徒数が

急増しているとか」

「『最新の設備に、最高の講師、最高の立地……』」

 パンフレットを見ながら穂乃果はブツブツとそこに書かれている文章を読んでいる。

「この学校みたいに志願する生徒数が多くなれば、ウチの学校も無くならずに済むのかなあ」

「多分な」

 しかし、子供の絶対数が減っている限りそう簡単にはいかないかもしれない。

「ねえ播磨くん」

「あン?」

「明日ちょっと行ってみようと」

「行ってみようって、どこに」

「UTXだよ」

「はあ?」

「人気の秘密が少しでもわかるかもしれないし」

「高坂にしてはまともなことを言うなあ」

「何よ、それじゃあ私がいつもまともじゃないみたいじゃない」

「実際そうじゃねェか?」

「もう! デザートあげない」


「おい! こら! 俺の栗羊羹」

 そう言うと穂乃果は、播磨の前にあった羊羹を一口で飲み込む。

「ったくよう」

 だがまあ、こういうのも実際慣れているので播磨も一々怒る気にはなれなかった。





    *




「今日はごめんね、引き留めちゃって」

 甘味処『穂むら』の前。

 これから帰宅する播磨を穂乃果が見送る。

 言うまでもないが空はすっかり暗くなっていた。

「俺のほうこそ、夕飯ごちそうさん。お袋さんにもよろしくな」

「うん。言っておくよ」

「頼む」

「それより明日ね」

「あン?」

「UTX視察の件、会議で言おうと思うんだ」

「好きにしろよ。俺はさっきもそう言ったぜ」


「播磨くんは反対しないの?」

「別に、今更お前ェのワガママに反対する気もねェ」

「ありがとう。キミは相変わらず素直じゃないね」

「俺はいつでも素直だっつうに」

「じゃあ、明日。よろしくね」

「おう」

 暦の上では一応は春。とはいえ、夜の空気は冷える。

 穂むらの前から離れる際に、ふと後ろを振り返ると穂乃果がまだ手を振っていた。

「風邪ひかないでよ」

「わーってる。お前ェももう戻れ」

 大きく、大きく手を振る彼女の姿が印象的であった。




    *


 翌日の昼休み。

 予定通り穂乃果会議が開かれた。

 会議参加者は穂乃果、播磨、雷電、園田海未、そして南ことりの五名だ。

「それじゃあ会議をはじめるよ」

 パンの包み袋を開けながら穂乃果は言った。

 会議は昼食と一緒に行われるらしい。

「はい雷電。今日のお弁当です」

「ああ、いつもすまないな」

 海未は雷電に弁当を渡し、ことりはかわいらしい自分の弁当箱に手を付けた。

「それで昨日色々と考えたわけなのですが」

「……」

 全員は息をのむ。

「UTXはご存じでしょうか」

「UTX……」

「知っているの? 雷電」海未は聞いた。

「UTX学院といえば、秋葉原に存在するエスカレーター式の高校。数年前に新設

された新設校ではあるが、最新式の教育設備や優秀な講師陣を備え、今では全国

屈指の人気校になっているという……」

「伝統に胡坐をかいて生徒数が減った音ノ木坂(ウチ)とは正反対だねえ」

 南ことりは時々、さらっと毒のあることを言う。


 仮にも自分の祖父が理事長をやっている学校だというのに。

「そのUTXがどうしたというのですか? 穂乃果」

 海未が話を進めてくれた。

「今日の放課後、そのUTXの視察に行こうと思うんだよ」

「え?」

「『彼を知り己を知れば百戦して危うからず』って言うでしょう?」

「おお! 何だか穂乃果ちゃんが真面目なことを言ってるよ」

 本当に失礼だな、このことりは。

「穂乃果、そんな言葉どこで覚えたのですか」海未は聞いた。

「この前播磨くんから借りた漫画に出てきたの」

「漫画で得た知識ですか」

 ちなみに出典は中国の古典『孫子』である。

 敵のことを知って、自分のことを知っていれば百回戦っても負けることはない、

という意味だ。あくまで負けることがないということで百回勝てるとは言っていない

ことがポイントである。

「というわけで、今日の放課後、UTXに行くんだけど一緒に行ってくれる人はいる?」

 そう言って穂乃果は右手を上げる。

「私は弓道部の練習がありますので」

 真っ先に海未は言った。

「俺も拳法部の練習がある」

 雷電も言った。


「私もちょっと用事が……」

 と、ことり。

「裏切り者おおおおお!!!」

「落ち着け高坂! 人には事情ってもんがあるだろうが」

 播磨はそう言って穂乃果の頭を押さえつける。

「確かに私たちも、音ノ木坂(ウチ)が無くなって欲しいとは思えません。ですが

やれることには限界があります。今は、自分たちができることをやることしか」

 すまなそうに海未は言った。

「……ごめんね穂乃果ちゃん」

 ことりも謝る。

「わかったよ皆」

 穂乃果は残念そうにつぶやく。

(あら、今日は意外と素直だな)

 ふと、播磨は思った。

「でもUTXの視察は実施するよ。明日、報告会も兼ねてまた会議をやるから」

「わかりました」

 視察に参加できない後ろめたさからか、海未は素直に承知する。

「右に同じだ」

 雷電は言った。

「わかったよ穂乃果ちゃん」

 ことりも同意したようだ。

「じゃあ視察は播磨くんと二人で行くから」


「は?」

 思わず声を出す播磨。

「どうしたの?」

 穂乃果は聞いた。

「お前ェ一人で行くんじゃねェのかよ」

「だって私、UTXまでの道知らないもん」

「調べろよ、グー●ルとかで調べりゃわかんだろうが」

「あんな危険地帯に一人で行けって言うの?」

「別にそこまで危険じゃねェだろう」

「昨日夕飯をウチで食べたくせに」

「あっ、汚ェ! そういうこと言うのかよ!」

「私、部活の会合がありますのでお先に失礼します」

 そう言って海未は弁当箱を片付ける。

「俺も昼の自主練をするか」

 そう言って雷電も小さな弁当箱を片付けた。身長178㎝、体重95㎏の巨体が

その量で足りるのかといつも疑問に思う播磨。

「私はお昼寝しよっと」

 そしてことりはマイペースだ。

「風邪引くなよ」

「大丈夫だよ」

「……播磨くん」不意に穂乃果が名前を呼んだ。

「わかってる」

 こうして、播磨と穂乃果は放課後、UTXに視察へ行くことになったのだ。

 もちろんアポなしである。




   *
 





 東京秋葉原は平日の夕方にも関わらず人が多い。

 いや、秋葉原(ここ)は平日でも休日でも人が多いのだが。

「おかえりなさいませご主人様~」

 遠くからメイドの格好をした女の子がビラを配っているのが見える。

 ガチャガチャの数もここは多い。

「うえええん、人が多いよおお」

 穂乃果は半泣きで播磨の制服の袖を掴んでいる。

 人混みで迷子にならないためには仕方のない措置だ。

「着いたぞ、ここがUTXのようだ」

 パンフレットを片手に、播磨は建物を見上げる。

 まるで地球防衛軍本部のような立派な建物。それがUTX学院である。

 白い制服の生徒たちが多数出入りしているのだが、どうも様子がおかしい。

 UTXの生徒以外にも多数の一般人が出入り口にたむろしているのだ。

 オープンキャンパスでもないのになぜこんなことになっているのか。

「もうすぐだよリンちゃん」

「カヨちん落ち着いてにゃあ」

 中学生らしき二人組が興奮気味に話をしている。

 一体何を待っているというのか?

 次の瞬間、ドッと群衆が沸いた。


(何ごとだ!)

 入口付近にたむろしていた人混みがまるでモーゼの十戒の一シーンのようにさっと

わかれていく。

「播磨くん、あれなに?」穂乃果が聞いた。

「俺にわかるわけないだろう」

 ドアが開くと、三人の女子生徒が出てくる。

「わあっ」っと歓声が上がると同時にカメラのシャッター音が響きフラッシュが瞬く。

 UTXの他の生徒たちと同じ制服を着ているのに、あの三人組は明らかに雰囲気も

周りの扱いも違う。

「はあい」

 前髪パッツンの生徒がそう言って笑顔で手を振る。

「うおおおおおおお!!!!!」

 その行動に一部の男たちが興奮して声を出した。

 一通り写真を撮られた三人組は、何者かが用意した黒いリムジンに乗り込んだ。

「ありゃ何者だ?」

「A-RISE(アライズ)よ、知らないでUTX(ここ)に来たの?」

「は? 何者だお前ェ」

 ふと横を向くと、小柄で黒髪ツインテールに大きなサングラス、そして大きなマスク

を付けた女が立っていた。

「私が何者かなんてどうでもいい。それよりUTX前にいるのにA-RISEを知らない

なんてどうかしてるわ」


「そのアライズってなんなんだよ」

「UTX学院のアイドル、つまりスクールアイドルよ」

「スクールアイドル?」

「あなた何も知らないのね。スクールアイドルって言ったら、学校を代表するアイドル

のことよ。今、物凄く人気なの。プロのアイドル人気をしのぐほどにね」

「そうなのか」

 機嫌が良くなったのか、グラサンマスクの女は話を続けた。

 世の中、教えたがりの人間は多いものだ。

「A-RISEはそんなスクールアイドルの中でもトップクラスの人気と実力を

兼ね備えたアイドルよ。去年の『ラブライブ』でも初出場ながら優勝したんだから」
 
「ラブライブってなんだ」

「スクールアイドルの甲子園みたいなものよ。毎年夏に開催されるの。知らないにも

ほどがあるわよ」

「うるせェなあ。知らねえものは仕方ねェだろう」

「アライズか……」

 ふと、逆隣りにいた穂乃果が目を輝かす。


 A-RISEと呼ばれる三人組は黒いリムジンに乗り込んでどこかへ行ってしまった。

「UTXの人気は、あのアライズっていうアイドルの存在が大きいのかもしれねェなあ」

 播磨は独り言のようにつぶやく。

「それでそのスクールアイドルってのは……、ってあれ?」

 気が付くと、播磨の隣りにいたはずの小柄なグラサンマスクはどこかに消えていた。

 そしてもう一方の隣りに立っている穂乃果は……、ぼんやりとしている。

「おい高坂。どうした」

「スクールアイドル」

「ああ?」

「そうだよ、スクールアイドルだよ!」

「なに!?」

「スクールアイドルで学校を救おう! そうしよう」

 拳をぎゅっと握りしめて穂乃果は叫んだ。

「お前ェ、なにいってやがんだ」

 わけがわからない、と播磨は思った。

 だが彼の前にいる少女の目に、もはや迷いなどなかった。





   つづく 





「スクールアイドルだよ!」

 朝のホームルーム前、高坂穂乃果は友人たちの前でそう切り出した。

「スクールアイドル?」

 播磨は昨日のことを知っているから何となく言っている意味がわかるけれど、

ほかの連中はそうもいかない。

「待て高坂。落ち着け、順を追って説明しろ」

 播磨はやや前のめりになる穂乃果の頭を押さえながらそう言った。

 播磨たちの前には、雷電、海未、そしてことりの三人がいる。

 前日の穂乃果会議の参加者でもある。

「スクールアイドルというのは、最近流行っている学校のアイドルって奴ですよね」

 やや首をかしげながら海未は聞いた。

「そうだよ!」

「まさか穂乃果、そのスクールアイドルを私たちにやれと」

「そうだよ!」

「『そうだよ』じゃありません! いきなり過ぎます」

「海未ちゃんの言うとおりだよ穂乃果ちゃん。スクールアイドルなんて唐突過ぎるよ」

「うむぅ……」

 雷電は穂乃果の突然の提案に戸惑い、腕を組んで俯いている。

「私たちでスクールアイドルをやって、この音ノ木坂を全国的に有名にするんだよ」


「気持ちはわかりますが、スクールアイドルをやったくらいで、有名になるのですか?」

 海未は当然とも言える疑問を口にする。

「ふっふっふ。実はUTXから帰ってから私、妹のパソコンでスクールアイドルについて

調べてみたんだよ」

「また雪穂のパソコン勝手に使ったのか? お前ェが機械類触ると壊れるからやめろ

ってこの前も言われてたろうが」

 播磨は昨年のことを思い出しながら言った。

「昨日はちゃんと許可を得て使ったよ。っていうか、今はそんな話じゃないでしょう?」

「じゃあ何の話なんですか?」

 相変わらず上手く軌道修正してくれる海未。

「じゃーん、これです」

 そう言うと、穂乃果は何かがプリントされたA4の紙を全員に見せる。

 そこには、三人組のアイドル、A-RISEの写真が掲載されていた。

「何ですか? これは」

「ラブライブ。ラブライブだよ皆!」

「ラブライブ?」

「ラ、ラブライブだと……!」

「知っているのか雷電!」

「うむ、聞いたことがある」

「じゃあちょっと説明してあげて、雷電くん」


 穂乃果はノリノリでそう言った。

「お前ェが説明すんじゃねェのかよ」

 確かに穂乃果は主語を省略するなどコミュニケーションに難があるので、雷電に

説明してもらったほうがいいかもしれない。

「ラブライブとは、各地区の高校のスクールアイドルがライブパフォーマンスで競い、

全国ナンバー1スクールアイドルを決定するいわばスクールアイドルの甲子園だ」

「だから、そのラブライブで活躍すれば全国的にも注目されて入学志願者が増える

こと間違いなし。そしたら廃校も免れるよ」

 穂乃果はそう付け加えた。

「そんなに上手くいくでしょうか」

 ため息をつきながら海未は言った。

「いくでしょうかじゃないよ、いくんだよ!」

 穂乃果は両手で机を叩く。

「海未ちゃんと雷電くんは、スクールアイドルとして活動するには何が必要か調べて

おいて。私は学校の皆に応援してもらえるよう、宣伝してくるから」

「穂乃果」

「おい高坂」

 播磨も声をかけてみたが穂乃果はとまらない。

「もう時間が無いんだよ。来月には新一年生も入ってくるし、それまでには活動を

はじめておかないと」

 しかしアイドル活動と言ってもどうすればいいのか。具体的なイメージが掴めないまま、

音ノ木坂学院スクールアイドルプロジェクト(仮)は動き始めた。







       ラブランブル!

  播磨拳児と九人のスクールアイドル


      第二話 本 物


 スクールアイドルの設立に向けて動き始めた穂乃果たち一行。

 しかし、組織作りや運営などは雷電と海未のほうが詳しいので正直播磨にはやる

ことがなかった。

「富樫くん! 虎丸くん! 私たちスクールアイドルを始めるんだよ!」

「お、おそうか」

「よくわからんが応援しとるぞ」

 穂乃果は人見知りしない性格なので、誰にでも話しかけて宣伝活動を頑張っている。

(そして俺は何をすればいいのか)

 そんな播磨に一人の人物が声をかけてきた。

「播磨くん。播磨拳児くんやね」

「あン?」

 振り返ると見慣れない女子生徒が立っていた。強いて言いうなら長い髪を二つに

まとめており、あと胸がでかい。

「……誰だ」

 基本的に人見知りしない穂乃果とは違い、播磨は他人に対する警戒心が強い。

「自己紹介がまだやったね。ウチは二年の東條希。生徒会の副会長をしてるんよ」

「先輩ッスか。そいつは失礼しました」

「そんなにかしこまらなくてええんよ。ウチ、そういう先輩とか後輩とかあんまり

好きやないし。もっとくだけた感じでかまへんから」

「そうっすか。で、その副会長さんが何の用で?」

 生徒会など、播磨にとってはもっとも関係の薄い部署であることは間違いない。

「ここでは目立ってまうから、ちょっと場所を移さへん?」

「え? ああ」





   *





 人通りの少ない中庭のベンチに、播磨と希は腰を下ろす。

「聞くところによると、播磨くんたちはスクールアイドルを作るみたいやねえ」

「まだはじまったばっかりで、何も成果はねェけどな」

「それでも、何もしないことよりは行動するほうが大事やん? ウチはそう思うんやけど」

「そうッスか。だけど……」

「だけど?」

「具体的に何したらいいのか、まだよくわからねェっつうか。今は俺の幼馴染が

前のめりに突っ走ってる状態だから」

「そうなん?」

「何か協力でもしてくれるんッスかね」

「生徒会としては、すべての生徒に平等にせんとアカンのよ。せやから特別な便宜は

はかるつもりはないし、できひんのやけど……」

「ん?」

「でもこれを渡すくらいなら、許されるんやないかなって思って」

 そう言うと、希は一つの封筒を取り出す。

「なんッスかこれ」

「開けてみて」

 言われるままに、封筒の中身を出す。どうやら何かのチケットらしい。

「これは……」


「今度行われるスクールアイドルのライブチケットや。といっても、主催はあの

UTX学院やから、A-RISEの存在を宣伝することが目的なんやろうけどな」

 A-RISEはUTXのスクールアイドルだ。昨日、播磨も直接見ているのでその

存在は知っている。

「どうしてこんなものを俺に」

 封筒には、五枚のチケットが入っていた。

「このチケットはUTX学院近隣の学校の生徒会執行部に配られたんよ。当然ウチらの

ところにもにも送られて来たの。せやけどウチの生徒会長は、スクールアイドルの活動

には興味ないみたいやから、扱いに困っとったんよ」

「それで、これを俺たちに」

「そう。スクールアイドルの活動の参考になるかと思うてね」

「それこそ便宜供与じゃねェのかよ」

「もう、固いこと言わへんの。それとも何? どうしてもいらん言うんやったら

引き取るけど」

「ああいや、貰っときます。スクールアイドルのライブなんて俺はよくわからんし」

「ウフフ。素直でよろしいな」

「……ありがとう、ございます」

「ウチはな、頑張ってる人の味方なんよ」

「頑張ってる人ッスか」

「努力は必ずしも実を結ぶとは限らへんけど、成功してる人はみんな努力しとるもんや」

「『はじめの一歩』ッスね」


「よく知っとるやないの。ウチら、気が合うかもしれへんなあ」

「冗談はよしてくれ」

「まあ、何かあったら、相談くらいは乗るで。いつでも生徒会室に来てや」

「はあ……」

 いつでも、と言われても播磨はすぐ生徒会室に行く気にはなれなかった。





   *





「凄いよ! スクールアイドルのライブチケット!」

 希から貰ったチケットの話をしたら、案の定穂乃果が真っ先にくらいついてきた。

「ああ、今度の日曜日にあるやつだ」

「凄い。A-RISEだけじゃなく、ほかにも有名なスクールアイドルが出演する」

 チケットをマジマジと見ながら穂乃果は鼻息を荒くしながらつぶやく。

「でもこんなもの、どこで手に入れたのですか?」

 海未は聞いた。当然の疑問だ。

「生徒会で貰って処理に困ってたから、俺たちにくれたんだと」

 播磨はそう説明する。

「しかし、まだ正式な活動もはじめていない私たちに、こんな風にしてもらうのは

少々気が引けますね……」


 そう言って海未は視線を落とす。

 彼女の懸念も最もだ。

「それだけ生徒会も私たちに期待してるってことだよ!」

 穂乃果はどこまでも行ってもポジティブだ。

「それにしてもスクールアイドルのライブって、最近凄く人気なんだよね。ヤ●オク

とかに出したら凄く高く売れそう」

 さらりとことりがまた酷いことを言う。

「お前ェは何を言ってるんだ」

 播磨はことりにデコピンをくらわせた。

「いたあああい。はりくんが私のおでこをデコピンしたよおお!」

「いや、今のはことりが悪いと思いますよ」

 呆れたように海未が言う。

「まあしかし、ここいらで『本物』を見ておくことは重要かもしれないな。今後の方針の

ヒントになるやもしれん」

 顎をさすりながら雷電も言う。

「チケットは五枚あるから、今度の日曜日に全員でこのライブに行く。それでいいな」

 播磨はチケットのヒラヒラさせながら言った。

「異議なーし」

 全員が答える。

「雷電も、問題ないか」

 播磨は聞く。


「大丈夫だ、問題ない」

「そういえばこの五人でお出掛けするなんて久しぶりだね、海未ちゃん」

 ふと穂乃果が言った。

「去年江の島に行ったじゃあいですか」

 海未は答える。

「ありゃ中坊(ちゅうぼう)の頃だから一昨年だぞ」

 播磨は言った。

「あら、よく覚えていますね」

 少し悪戯っぽい笑みを浮かべて海未は言った。

「たまたまだ、たまたま」

 少し照れくさそうに播磨は顔を逸らす。
 



    *




 東條希が生徒会室に戻ると、そこには金髪碧眼の生徒会長が黙々と書類の整理を

していた。

 絢瀬絵里。ロシア人の祖母の血を引くいわゆるクォーターである。髪が金色なのも

そのためだ。

「遅かったわね、希」

 絵里は書類から目を離すことなく言った。

「ちょっと下級生とお話しをしてたんよ」

 悪びれる様子もなく希は答える。

「……」

「……」

 室内にこもる一瞬の静寂。

 それを先に破ったのは希のほうであった。

「本当に“アレ”を彼らに渡してよかったん?」

 不意に希が聞く。

「あれ?」

 ふと、絵里の手が止まった。

「スクールアイドルのライブチケット。ウチらの学校に割り当てられたやつやん」

「ああ、あれね。いいんじゃないの。必要なものは必要な人のもとへ」

「それが彼らってわけなん?」

「あなたも、私の意図はわかるでしょう。そんなに付き合いが短いわけでもないんだから」


「せやけど、エリチの口からちゃんとした理由を聞きたいわ」

「はあ、しょうがないわねえ」

 絵里は書類を持つ手を完全に止め、机を整理し始めた。

「紅茶でいい?」

「ウチが入れるわよ」

「私に入れさせて」

 そう言うと、絵里は手慣れた様子でお茶の準備をする。

 準備をしながら自分の考えをまとめている、希にはそんな風に見えた。

「お待たせ」

「いただくわ」

「それで、彼らにチケットを渡した理由だけど」

「それは?」

「あの子たちに目標を見せるためよ」

「目標?」

「ええ。現時点でUTXのA-RISEは全国でもトップクラスの実力を持っているわ。

そのライブを生で見ることで、自分たちが“そこ”に行けるかどうか見極めてもらう

の。自分自身の目でね」

「ほう……」

「何もわからずに闇雲に進むより、しっかりとした目標があったほうがいいと思わない?」


「でも最近はネットやテレビでもスクールアイドルのライブは放送しとるよ」

「映像で見るのと実際に生で見るのとでは印象が違うわ。特に本物のダンサーわね」

「本物?」

「ええ。とある本に書いてあったわ。素晴らしいダンサーは、観客の心を捉え、

観客の呼吸を支配する。一挙一投足が千人、二千人の観客の呼吸を完全に支配するの。

映像ではそれを伝えることはできないと」

(※注 三浦雅士『バレエ入門』新書社 頁247 2000年11月15日)

「確かに、生のライブに勝るものはないわね」

「もし彼らが他のスクールアイドルのパフォーマンスを見て、とても敵わないと思った

のなら、恐らくスクールアイドルの活動もそこで終るわね」

「それならもし、そのライブを見て『自分たちもやれる』と思ったら?」

「……それでもまだ、障害は多いわよ」

 



   *



日曜日の秋葉原はいつにも増して人が多い。

 人人人、人の洪水だ。

「雷電、園田、南。高坂がはぐれないようにしっかり見といてくれ」

「なんで私だけ!?」

 穂乃果は驚いて言った。しかし、

「了解だ」

「わかりました」

「穂乃果ちゃん。手をつなごう」

 三人は当然のように穂乃果を取り囲む。

 彼女がはぐれそうなのは想定内のようである。

「くそっ、なんだこの列は」

 ライブ会場となるUTX学院の前にはすでに長蛇の列が出ている。

『当日券は売り切れデース』

『真っ直ぐ並んでくださーい』

 蛍光色のビブスと帽子をかぶったスタッフらしき人たちが群衆を整理している。

(まいったね。こりゃプロのライブと全然変わらん)

「チケット売るよー。チケット」

 ダフ屋も横行しているようだ。

 最近東京ドーム周辺では見ないと思っていたけれど、ここにはいたのか。

 そんなことを思いながら播磨たちは列に並ぶ。


「楽しみだね播磨くん」

 まるで遠足に来た子供のようにはしゃぐ穂乃果。

「ったく、遊びにきたんじゃねェんだぞ」

 一応、今回のライブの趣旨を説明してはいるけれど、穂乃果がどれほど理解している

のかは不明であった。

「はあ、人が多くて酔ってきそうです」

 海未は人が多いのが苦手である。

「大丈夫か海未。水、飲むか」

「ありがとう雷電。平気ですよ」

 そんな海未を気遣う雷電。これもまたいつもの光景か。

「はわわ、なんだか変な格好している人がいるよー」

「おい南! 指をさすな指を」

 南ことりの視線の先にはピンク色の特攻服のようなものを着た男たちの集団がいた。

 確かに異常な光景。いや、アイドルのライブというものはこういうものなのかも

しれない。

 今回のライブは、UTX内に作られた特設ステージで行われるものである。

 ライブ会場に入りながら播磨は周囲を観察する。特設ステージと言っても、

田舎の市町村レベルのステージとは違う。明らかにプロが使うような器材が

設置されている。そして何より観客席の多さ。しかもその観客席にはほとんど

人で埋まっている。


《本日は『スプリングスクールアイドルフェスタ』にお越しいただきありがとう

ございまーす! 最後まで楽しんで行ってくださいねええ!!!》

 やたらテンションの高い女性司会者がそう言うと、客席から大きな歓声が上がる。

 地面が揺れるとでもいうのだろうか。

 まだライブが始まってもいないのに凄い熱気だ。

 こんな場所でパフォーマンスがはたしてできるのだろうか。

《まず最初は、前年度東北大会優勝校、宮城青葉学園高校のスクールアイドル、

ゴールデンズでーす!!!》

 前座というのだろうか。

 よく聞いたことのない名前の高校のスクールアイドルがステージに現れた。

 五人組のユニットのようだ。

 一旦照明が落とされ周囲が暗くなる。それと同時に観客席も静かになった。

「……」

 不意にはじまる音楽。

 それに合わせて踊るアイドルたち。

(上手い!)

 播磨は一瞬でそう思った。

 踊りに詳しいわけではないけれど、高校の文化祭レベルではないことだけは確かだった。

(何だコイツら)

《うおおおおおおおお!!!!》


 歓声が響く。

 これがスクールアイドルのライブ。

「ふんっ、まあまあね」

「お前ェは!」

 気が付くと、黒髪ツインテールに大きなマスクとサングラスをかけた女が隣りに

座っていた。

「あら、また会ったわね。サングラスの人」

「確かお前ェは、UTXの前にいたグラサンメガネ」

「あら、覚えていてくれたのね。まあ当然よね。ニコ……、じゃなくて私の魅力は

サングラスくらいじゃあ隠しきれないのね」

「あんな変な格好してりゃあ、誰だって覚えてんだろうが」

「変な格好とは何よ! 身バレしないためには仕方ないでしょうが」

「お前ェは逃亡中のテロリストか何かか」

「面白いこと言うわねあなた。確かに、世界を変えるという意味では、アイドルは

テロリストと同等かもしれないわ」

(何言ってんだコイツ)

「そんなことより、こんな素人のお遊戯にビビっているようじゃあ、A-RISE(アライズ)

のパフォーマンスは理解できないわよ」

「なんだと」

「もうすぐA-RISEが出て来るわ。他のアイドルとは格が違うんだから」


 それから数組のアイドルがステージでパフォーマンスをした。

 確かに上手いとは思ったけれど、どれも似たり寄ったりといった感じに思えてきた。

 そしていよいよ問題のA-RISEの登場である。

「あなた、A-RISEのメンバー名は知ってるの?」

 グラサンツインテールは不意に聞いてきた。

「よくわからん。あの前髪が短いのが真ん中ってことくらいか」

 播磨は答える。

「その子はおそらく綺羅ツバサね。身長は低いけどキレのあるダンスと歌唱力

でメンバーの中心的な存在よ。そして優木あんじゅ。甘いボイスとゆるい

キャラクターで男性人気が高いわ。最後に統堂英玲奈。長身で大人っぽい雰囲気

の彼女は、優木とは逆に女性人気が高い」

(何だか宝塚みてェな名前だな)

 播磨はそう思った。

 そうこうしているうちにA-RISEのパフォーマンスがはじまる。

「!!」

 雰囲気が明らかに変わる。

 音響が変わった、というわけではない。

 先ほどグラサンマスクが説明した三人のアイドルがステージに上がるだけで、

会場の雰囲気が一変したのだ。

 まるで観客の呼吸を支配しているような感覚。

 それは播磨にも十分わかった。





   *




「播磨くん。播磨くん。そろそろ帰ろうよ」

 そう言って穂乃果が播磨の肩を揺らす。

「お、そうだな」

 全てのユニットのパフォーマンスが終わり、会場が明るくなっていた。

「さっき隣りの人と話をしていたけど、知り合いなの?」

「いや、別にそういうわけじゃあ」

 播磨の隣りにいたグラサンマスクのツインテールは、A-RISEのステージが終わると、

まだ時間が残っているにも関わらずさっさと会場を出て行ってしまった。

 もっともそれは、あのグラサンマスクに限ったことではないのだが。

「凄いステージだったねえ」

「そ、そうですね」

「私感動しちゃったよお」

 女性陣は口ぐちに今日のライブの感想を言い合っていた。

 気楽なものである。
 
 UTXを出ると空はオレンジ色に染まっていた。

「なあ高坂」

「なに? 播磨くん」

 駅に向かう途中、播磨は穂乃果に聞いた。

「お前ェに、あれくらいのパフォーマンスができるのか」


 あれくらい、というのは今日見たスクールアイドルのステージのことである。

「うーん」

 穂乃果は少し考える。

 そして、

「わかんない」

 思わずズッコケそうになる播磨。

「あのなあ」

「わかんないけど――」

「ん?」

「やってみなくちゃわかんないよ」

「ああそうか」

 コイツは昔からそうだった。

 無理かどうか、まずやってみて決める。

 そういう人間なのだ。

 問題は周りがどうしていくかだ。

「あー、それにしてもお腹すいたねえ。何か食べて帰ろうよ」

「穂乃果。あなたは食べるものに少し気を付けたほうがいいですよ」

「私パスタが食べたいなあ」

(何で女ってのは、こう食い物の話が好きなのかね)

 そう思いながら播磨は歩いていると、

「!!」

 不意に嫌な感覚に襲われる。


「雷電」

「どうした拳児」

「少しの間、この三人を見といてくれ」

「……やれやれ、またか」

「自分でも嫌になる」

「播磨くん、どうしたの?」

 穂乃果が首をかしげながら聞いた。

「ちょっとした野暮用だ。すぐに終わる」

 播磨の代わりに雷電が答える。

 次の瞬間には、すでに播磨は穂乃果の隣りからいなくなっていた。





    *





 秋葉原に限ったことではないが、東京には無数の裏路地が存在する。

 日の当たらないその場所にはあまり良い人間は集まらない。

 播磨が通りからチラリと見かけたその先では、彼の予想通りの光景があった。

「お嬢ちゃんかわいいねえ。中学生かなあ? それとも高校生?」

「お兄さんたちと遊ばない?」


「ち、近づいちゃだめにゃ! カヨちんには指一本触れさせないにゃ」

「そんなに警戒しなくてもええやろう? 優しくしたるでえ」

 五人くらいのガラの悪い連中が中学生くらいの二人の少女を取り囲んでいた。

 顔はよく見えないが、二人が怯えているのはよくわかる。

「おいっ、何をやってるんだ」

 播磨は声をかけた。ビルの谷間なので声がよく通る。

「ああ? なんだテメー」

 五人の男たちが全員こちらを見る。どいつもこいつも頭の悪そうな顔をした連中だ、

と播磨は自分のことを棚に上げて思った。

 男たちの中心には、髪の短い活発そうな少女と、セミロングでメガネをかけた気弱

そうな少女の二人組がいた。メガネをかけているほうは涙目、髪の短い方はまるで

子猫を守る母猫のように威嚇しているが明らかに恐怖を感じているようだった。

「そこの二人、嫌がってるみたいじゃねェか。無理なナンパはカッコ悪いぜ」

「あんだとテメー。関係ない奴は引っ込んでろ」

「そう言われても、目の前で不快なモン見せられて、黙っているほど俺も寛大じゃないんでな」

「舐めやがって。やんのかコラ!」

 五人組の一人が一歩前に出て威嚇してくる。

 播磨は大きく息を吸った。

「……何をやるってんだ?」

 静かだが、ドスを効かせた声で睨みつける。

「……!」 


「だったらなんだ?」

 播磨は一歩前に出た。

 刀は持っていないけれど、一瞬でも動けば――


 斬る。


 そんな雰囲気を漂わせて。

「くっ、行くぞテメーら」

「しかしリーダー」

「リュウ、お前もだ」

「畜生、折角の上玉だったのに」

 播磨の気迫に気圧された五人組はそそくさとその場を去って行った。

 実にカッコ悪い。

「ふう」

 播磨はもう一度大きく深呼吸をして、心の中の戦闘態勢と解く。

 そして近くにいた二人の少女の声をかけた。

「大丈夫だったか?」

「え? はい。大丈夫にゃ」

「あ……、はい」

 メガネの少女は今にも泣き出しそうな顔である。

「この辺は治安が悪いんだから気をつけろよ」

「すみません」


「ごめんなさいにゃ。かよちんが欲しがってたアイドルグッズを探してたら迷って

しまって」

 髪の短い少女はそう言って頭を下げる。

「まあいい。今度はああいう輩に見つからないようにしろよ。それじゃあな」

「あ、あの!」

「ん?」

 不意にメガネの少女が声をかけてきた。

「あの、お名前は……」

「……名乗るほどのもんじゃねェよ」

 そう言うと播磨は少女たちの前から足早に離れて行った。

 この時、播磨はとても嬉しかった。なぜなら彼にとって今の言葉は、一生のうちに

言ってみたい台詞のベスト5に入る言葉だったからだ。





   *





「遅いよ播磨くん!」

 駅前で穂乃果たちと合流すると、彼女は怒っていた。

「もうお腹ペコペコのペコちゃんだよ」

 どうやら不機嫌の原因は空腹のようだ。

(上手く行ったようだな)

 小声で雷電が聞いてきた。

(ああ、サンキューな)

 事情を知っているのはこの中では雷電だけ。

 でもそれでいい。穂乃果たちにいらない心配をかけたくはない、と播磨は思うのだった。






   つづく





 A-RISEのライブを生で観た高坂穂乃果は、自信を無くすどころかむしろやる気

に火が付いたようである。

 いつものように学校で五人を集めると、スクールアイドルの結成を宣言した。

「校則によれば、五人集めれば部として成立するらしいよ!」

 文章を読むのが苦手な穂乃果が校則という全く面白味の全くない文章を読むとは。

 穂乃果を除く四人は絶句する。

「私と播磨くんと海未ちゃん、ことりちゃん、それに雷電くんの五人でアイドル部を

結成するんだよ。そうすれば新一年生が入ってくるまでに活動ができる」

「それで、どうするんですか?」

 海未が聞いた。

「もちろん新入部員を獲得するんだよ。私たちだけでなく、後輩にも継続的に

アイドル活動をしてもらわないと、学校が無くなっちゃう」

 穂乃果にしては珍しくまともなことを言っているな、と播磨は思った。

「というわけで、じゃーん。部活設立申請書、書いてきました」

 そう言うと穂乃果は紙を見せる。

「お前、勝手に名前を」

 そこには「アイドル部」と書かれた部活設立申請書が。

 名簿には播磨たちの名前が並べられていた。

「でもそんなに上手くいくのかなあ?」

 ことりは首をかしげる。

「上手くいくんじゃあいんだよ、いかせるんだよ!」

 穂乃果はなぜか自信満々だ。

(なんか、絶対上手くいかない予感がする)

 播磨はそう思ったが、あえて口には出さなかった。






     ラブ・ランブル!

 播磨拳児と九人のスクールアイドル

     第三話 本 気


「認められないわ」

 生徒会室で書類を一読した生徒会長の絢瀬絵里は一言切り捨てた。

 生徒会長の後ろには、副生徒会長東條希が立っている。その落ち着いた表情は、

この展開を予想していたようにも思える。

 生徒会室には生徒会役員として、生徒会長の絢瀬絵里、東條希。アイドル部(仮)

からは穂乃果、播磨、海未、雷電、そしてことりの五人が来ていた。

「どどどどどういうことですか!?」

 生徒会長に詰め寄る穂乃果。

「落ち着け」

 播磨は穂乃果の後ろ襟をつかんで、生徒会長の机から彼女を引き離した。

「申請の要件は満たしていますよね」

 穂乃果はそれでも食い下がる。

「確かに五人は集まっているわね。でもそこにいる二人」

 絵里は海未と雷電の二人に視線を向ける。

「確か園田さんは弓道部、雷電くんは拳法部に所属していたわね」

「はい」

「確かに」

「ウチの校則では、部活の兼部はできへんのよ」

 絵里の後ろで希が言った。

「うむむ……」

「そこは知らなかったのかよ雷電!」

 思わずツッコンでしまう播磨。雷電でも知らないことくらいあるさ。


「それにこの前のライブを見たのならばわかるでしょう? スクールアイドルという

活動は、部活動やアルバイトの片手間で出来るようなことじゃないのよ」

 鋭い視線で絵里は言った。

 播磨はそんな絵里の言葉の一部に引っかかりを感じた。

(アルバイト……?)

 確かに穂乃果は実家の和菓子屋の手伝いをすることもあるが、あれはアルバイトと

呼べるようなものじゃない。

(だとすれば俺のことか)

 播磨は時々、小遣い稼ぎのために引っ越しやエアコン取り付けのアルバイトをしている

のだ。

 しかし学校側にはバレないようにやっているつもりだが、なぜそれがわかったのか。

 播磨は希のほうを見る。

(あの女、俺たちの行動をどこまで把握していやがる)

 自分の考えていることを全て見透かされているような気がして不安になる播磨。

 一方希の方は、播磨の視線に気づいて優しく微笑んだ。余裕すら感じさせる微笑み

であった。

「とにかく、アイドル部の設立は認められません。出直してきなさい」

 そう言うと、絵里は申請書を突き返した。

 返された書類を両手で握る穂乃果。

「帰るぞ」

 そんな穂乃果の肩に播磨は手をかけ、生徒会室を後にする。





   *  





 夕日に染まる学校の中庭。

 穂乃果たち五人はそこに座って反省会(?)をしていた。

「やっぱりそう上手くはいきませんよね」

 海未は言った。

「海未ちゃん、そんな弱気なことを言っちゃだめだよ」

 穂乃果はそう言うと思わずベンチから立ち上がる。

「落ち着け高坂」

 それを止める播磨。

「もう少しよく考えさせてください」

「海未ちゃん」

 そう言うと、海未は穂乃果たちから離れて行った。

「私も、もうちょっと考えさせてもらっていいかな」

「ことりちゃん?」

 いつも笑顔のことりも、この日は暗い顔をしている。

「それじゃあ」

 そう言うと、ことりも穂乃果たちから離れて行った。

「そんな、海未ちゃん、ことりちゃん」

 その場にしゃがみこむ穂乃果。

「なあ高坂」


「……何」

「園田は弓道部があるし、南だって理事長の孫娘っている立場もある」

「……」

「そう簡単には動けないものだ」

「……確かに、そうだけど」

「高坂よ」

 不意に雷電が声をかけてきた。

「どうしたの? 雷電くん」

 穂乃果は顔を上げる。

「海未のことは、俺に任せてもらえないか」

「え?」

「少し話をしてみる」

「……うん。そうだね」

 そうだ。まだ完全に火が消えたわけではない。

 まだ完全には。




   *



 翌日、播磨は一人で生徒会室を訪れていた。

 穂乃果たちがいると色々と揉めてしまうかもしれないからだ。

 生徒会室のドアをノックすると、見慣れない役員の女子が出てきた。

「失礼する。あの、副会長さんはいるか」

 あえて副会長と言ったのは、何かあったら相談しにきてね、という東條希の

あの言葉があったからだ。できればこういう状況にはなりたくなかったのだが。

 あと、あの会長はどうも苦手であった。

「副会長ですか? 今日は会長と別の学校で会議がありますので」

「そうか」

 残念ながら副会長も会長も不在のようだ。

 播磨は落胆すると同時に少しだけ安心した。

「あの」

「ん?」

「帰ろうとする播磨に、生徒会の役員が声をかける」

「播磨拳児さんですよね」

 上目遣いで確認するように女子生徒はそう聞いた。

「ん? ああ、そうだが」


「あのこれ、副会長からあずかっていたんですけど。もし、播磨という生徒がたずねて

来たら、これを渡すようにと」

「なんだこりゃ」

 よく見ると折りたたまれた紙である。

「さんきゅーな」

「はい」

 播磨はとりあえずそれを受け取り、生徒会室を後にする。

(何だこれは)

 とりあえず中庭まで来た播磨は折りたたまれた紙を開いてみた。

 するとそこにはきれいな文字でこう書かれていた。

『ミナリンスキーを探せ』

(ミナリンスキー? なんだそりゃ)

 とりあえず何かの手がかりということなのだろうか。




   *




『ミナリンスキーだと?』

「知っているのか雷電!」

 その日の夜、播磨は雷電の家に電話をかけて聞いてみた。

『ふむ、聞いたことがある。確か秋葉原でもごく一部で有名なカリスマメイドとのこと』

「ごく一部で?」

『ああ、俺も詳しくはわからんのだがな。そのあまりの人気ゆえに滅多に会えること

がないと言われている。また、ミナリンスキーのサインはネットでも高額で取引

されているという噂もある』

「写真とかはないのか」

『ミナリンスキーは画像を撮られることを極端に嫌うからな。その顔を知っている者は、

直接会った客にしかわからないらしい』

「しかしメイド風情がなんでそんなに人気なのかね。秋葉原にメイドなんてたくさん

いるじゃねェか」

『聞くところによると、ミナリンスキーはその外見だけでなく、とろけるような声や

愛くるしい仕草で人気を得ているらしい。俺は実際見たことないので、どういうもの

かはわからないのだが』

「なるほどな」

『ところで、なぜ急にメイドのことなど聞いてきたのだ。今更メイドに目覚めたのか』


「そ、そんなんじゃねェよ。つうか、ある情報筋からヒントを貰ったんでな、一応

調べておくことにしたんだ」

『その情報筋というのは……、いや、今はその話はよしておこう』

「話は変わるが、園田のほうは大丈夫か」

『まだ話はしていない。ただ、アイドル活動について海未自身は決して悪くは思って

いない。それだけは確かだ』

「でも、アイドル部を作るとなると弓道部を辞めなくちゃならねェしなあ。それは

キツイよな」

『なあ拳児』

「どうした」

『もし、海未が自分の意志でアイドルをやりたくないと言っても、彼女を責めないで

やってくれ。あいつの決断なのだ』

「もとより責めるつもりはねェよ。すべてはそれぞれの意志を尊重させる」

『すまない。ありがとう』

「じゃあ、園田のことは頼んだぜ」

『明日はどうする』

「ああ? まあ、ミナリンスキーでも探してみるかね。何かあるかもしれんし」

『そうか、こちらも出来る限り協力しよう』

「恩に着るぜ」





   *





 翌日の放課後、播磨が秋葉原に行くと見覚えのある制服とメガネを発見した。

「おう、田沢じゃねェか」

 同じクラスの田沢慎一郎である。

 高校生のくせに九九を間違える一方で、ガラクタからロボットを作り出したりと、

意外な特技を発揮する男。確かにこの男なら秋葉原にいてもおかしくはない。

「オッス、播磨か。こんなところで会うとは意外やのう」

「何してんだ」

「いや、機械の部品を探しにきたんじゃ。この辺りは珍しい部品も多いからな」

「最近じゃあインターネットで注文する奴も多いだろうに」

「そうだが、実際に店で見るのもええもんだぞ」

「そうかい。それでよ、田沢」

「なんじゃ」

「お前ェ、秋葉原には詳しいのか」

「まあ、普通の奴よりは詳しいと思うが」

「それじゃあ、ミナリンスキーってのを知っているか」

「ミナリンスキーだと……?」

 田沢の顔色が変わる。

「知ってんのか」

「いや、まあ。俺も見たことはないんだが……、どうも伝説のメイドらしいな」


「それは雷電からも聞いた」

「どうした播磨。まさかメイドにでも目覚めたか」

「いや、そういうわけじゃねェんだが。ちょっと故あって、そいつを探さなきゃなら

ねェことになっちまってな」

「なるほど。深くは聞かん。とはいえ、俺も女の子は大好きだが噂程度にしか

知らんのだが」

「まあそれでもいい、聞かせてくれ」

「何でもメイド喫茶、『メイド・ラテ』という店で働いているメイドらしい。

松尾が愛読しておる『週刊秋葉原(民明書房刊)』によると、デビューして一ヶ月で

メイドランキングトップに躍り出たという話じゃ」

 メイドランキングとは一体どういう基準で算出したものなのだろうか、と播磨は

気になったけれど今はそれどころではない。ちなみに松尾は田沢の親友である。髪型

がサザエさんみたいである。

「それじゃあ、そのメイド・ラテとかいう店に行きゃいいのか」

「ああ、待て待て播磨よ。某巨大掲示板の噂じゃと、ミナリンスキーちゃんは、

超人気らしく、整理券が無いと会えないほどらしい」

「はあ? 整理券?」

「ああ、そうじゃ。それだけ人気ということじゃのう」

「なんだよ整理券って、それじゃあまるでアイドルじゃねェか」

「アイドルなら松尾のほうが詳しいがな。まあ俺の知っとるのはそれくらいだ」


「サンキュー田沢。役に立ったぜ」

「うむ。では、これにて」

 田沢と別れた播磨は自分の携帯電話で『メイド・ラテ』の場所を確認する。

 しかし整理券が無ければ会えないとなると、何か策を講じなければならない。

 とすると、

「ん?」

 携帯電話をいじりながらふとあることを思い付く播磨。




   *




ミナリンスキーが働いているという『メイド・ラテ』という店はとある雑居ビルの

フロアの一角にある。メイドカフェと言えば、文化祭の模擬店に毛が生えた程度の

店構えだと思っていた播磨の予想に反し、メイド・ラテはなかなか立派な店構えを

しているように思えた。

 播磨自身は、以前アルバイトをしていた運送屋の制服を借りて帽子を目深にかぶり、

そこら辺から拾ってきた段ボール箱を持って店に入った。

「おかえりなさいませご主人様って、あら?」

「まいどー。コバヤシ運輸と申します」

 播磨は口から出まかせの運送会社の名前を名乗る。


 店の入り口では、若い黒髪でセミロングの店員(メイド服)が少し困ったような顔をしていた。

「すみませーん。このお店に『ミナリンスキー』さんという方はおられますかー!?」

 播磨はわざと大きな声で店内に響くように言った。

「あのすみません、ミナリンスキーは今……」

「すみませーん! ミナリンスキーさーん! お荷物でーす! 東條希さまよりお荷物

をお預かりしていまーす!」

 播磨を制しようとするメイドを無視してもう一度叫ぶ。

「と、東條先輩!? そんな、ウソでしょ!?」

 驚いた顔をした“ミナリンスキー”が播磨の目の前に飛び出してきた。

 それを見た播磨はゆっくりと借りた帽子を脱ぐ。

「ああ、うそだぜ。だがマヌケは見つかったようだ」

「はりくん……!」

 播磨が心の中で何となく予想した通り、ミナリンスキーの正体は、南ことりであった。




   *




 メイド・ラテの休憩室で、播磨とことりは向い合う。

「まさかお前ェもアルバイトをしていたとはな、南」

「隠すつもりは無かったんだけど、ちょっと恥ずかしくて」

 メイド喫茶ということもあって、ことりは長いスカートのメイド服を着ている。

 しかもかなり似合っている。

 これは人気が出るのもわかるな、と納得する播磨であった。

「仕事は楽しいか」

「うん。接客業だから辛いこともあるけど、店の皆も優しくしてくれてとっても

楽しいよ」

「そうか」

「あの、はりくん」

「あン?」

「私ね、お店を辞めようと思うの」

「おい、どういうことだ」

「だから、このお店を辞めて穂乃果ちゃんたちとのアイドル活動に専念しようと思うの」

「それは、俺に見つかったからか?」

「ううん、そうじゃないの。ちょっと前から考えてた」

「メイド喫茶でのアルバイトは高校を卒業してからでもできるけど、スクールアイドル

は今しかできないでしょう?」


「……」

「それに、お祖父ちゃんが理事長をしている学院にも恩返しがしたいし」

「南」

「だから、ミナリンスキーは今月でお休みします。これからは南ことりとして、

音ノ木坂学院のスクールアイドルを頑張ります」

 そう言うとことりは立ち上がる。

「当然、はりくんも協力してくれるよね」

「……まあな。高坂(アイツ)のワガママに振り回されるのは慣れてっからよ」

「それじゃあ、よろしく」

 ことりは笑顔で右手を差し出した。

「よろしく」

 播磨は立ち上がりことりの手を握る。

 やわらかく、まるで子供のような手だと思った。





   *



 播磨がミナリンスキーこと南ことりを探していたのと同じ頃、園田海未は学校の

弓道場で弓道の練習をしていた。

「くっ」

 放たれた矢は的を外し、土の部分に突き刺さる。

「集中が乱れているようだな、海未」

 不意に聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。

 雷電だ。

「どうしました? 雷電。部活中ではないのですか」

 海未は一つ息を吐き、手に持った弓を下ろす。

「迷っているのだろう? スクールアイドルのこと」

「それは……」

 図星である。さっきからずっとライブのことが頭に浮かんでいた。

 スクールアイドルをやるか、このまま弓道を続けるか。

 弓道部に不満はない。このままいけば、都大会でもそれなりの成績は残せるだろう。

 そういう青春も悪くない。

 ただ、目をつぶると思い出す。UTXで見たあのステージを。

 あれを自分たちでやることができれば。

「海未の家は、日本舞踊もやっていたんだよな」

「アイドルのダンスとはまた別物です」

「だが踊りにはかわりない」


「一体何が言いたいのですか雷電」

 海未は自分の弓を弓置場に置きながら聞く。

「雷電、先ほども聞きましたがあなた、部活は」

「拳法部は辞めてきた」

「え?」

「辞めたと言った」

「そんな……」

「俺は学校存続のため、高坂穂乃果と播磨拳児に協力する。だから辞めた」

「雷電、それでいいのですか」

「後悔などしている暇はない。学校存続の期限は迫っているのだからな。だけど海未」

「はい?」

「お前にはそれは強制しない。自分のやりたいことをやってほしい。それが俺の願いだ」

「雷電……、あなたは卑怯です」

「……なぜだ」

「あなたにそこまでさせておいて、私が何もしないというわけにはいかないじゃない

ですか」

「海未。俺は――」

「責任、取ってください」

「何?」

「責任を」

「ああ。一生かけても取ってやるさ」

「明日は何が食べたいですか?」

「随分唐突だな」

「今日はあなたのリクエストを聞いてあげたくなりました」

「……鶏のから揚げでたのむ」

 いつの間にか学院の弓道場は、夜の帳に包まれていた。





   *





 早朝――

 つい最近まで寝坊の常習犯であったはずの穂乃果は、この日家族の誰よりも早く

起きて街を走っていた。

 ライブでパフォーマンスを続けて行くには体力が必要である。それを実感した彼女

は、まずは体力作りをしようと考えたからだ。

 穂乃果がジャージ姿で道を走っていると、見覚えのある大きな人影が目に入ってきた。

「播磨くん?」

 クラスメイトで幼馴染の播磨拳児であった。

 こんな朝に珍しい。

「よ、よう。高坂」

「どうしてここに」

「お前ェが朝早くから走るようになったって、雪穂に聞いたんでな。ちょっと待ち伏せを」

「なんで?」

「お前ェに伝えたいことがある」

「伝えたいこと?」

 息を整えながら穂乃果は聞いた。

「お前ェのアイドル活動、俺たちも協力するぜ。今度は本気だ」

「俺たちって、まさか」

「穂乃果」


「穂乃果ちゃん」

 播磨の後ろには、穂乃果と同じようにジャージ姿の海未とことりがいたのだ。

「俺もいるぞ」

「雷電くんまで!」

「まあ色々考えた結果な、お前ェ一人じゃ危なっかしくてしょうがねえ。だから――」

「私たちも手伝うことにしました。いえ、『手伝う』ではありませんね」

 そう言って海未は首を振る。

「そう、私たちも一緒に頑張るんだよ、穂乃果ちゃん!」

 そう言うとことりは両手をグーに握った。

「皆、みんな……」

 若干涙ぐむ穂乃果。

 目の前が少しぼやける。

「みんな大好き!!!!」

 そう言うと、穂乃果は目の前にいる海未やことりに抱き着く。

 こうして、音ノ木坂高校のアイドル活動はスタートした。しかしそれは、これから

続く多くの苦難のはじまりにすぎなかったのだ。






   つづく

次回、理事長登場。その正体とは……?





部活動の成立要件を満たした播磨たちは、新たにスクールアイドルとして活動する

ことを決意する。

 しかし、そこには大きな壁が立ちはだかっていたのである。

「……」

 書類をじっと見つめて考え込む生徒会長の絢瀬絵里。

 彼女の持っている書類は、もちろん部活動設立許可証である。

「じょ、条件は満たしているはずです。私たちは本気なんです!」

 両手の拳をぎゅっと握って穂乃果は言った。

「それはわかっているのだけど……」

 にもかかわらず絵里の顔は浮かないままだ。

「どうしても私たちの活動をお認めにならないというのですか?」

 たまらず海未が声を出す。

 彼女の声の中に、微かな怒気がまじっていたことは播磨にもわかる。

「そういうわけやないんよ。ただね、一番の障害というか」

 たまらず、後ろに立っていた副会長の東條希が助け舟を出した。

「障害?」

「理事長のことです」

 絵里は言った。

「今の理事長は、学院のアイドル活動についてあまり理解がないというか……」

「反対するというんですか?」

 穂乃果は身を乗り出して聞いた。

「そ、それは」

「だったら直接談判してきます! 理事長、いらっしゃいますよね」

 そう言うと、穂乃果は回れ右して生徒会室を出る。

「あ! お待ちなさい」

 思わず立ち上がる絵里。

「ったく、しょうがねェなあ」

 生徒会室を出て行く穂乃果を播磨たちは追いかける。






      ラブ・ランブル!

  播磨拳児と九人のスクールアイドル

      第四話  壁









「わ し が 音ノ木坂学院理事長 江田島平八である!!!!!!!!」




 理事長室にある、優勝トロフィーやらアルバムなどが入ったガラスケースが粉々

に割れる。

「きゃあ!」

「いやあ!」

 思わず耳を塞ぐことりと海未。

「よし、帰ろう高坂。こいつは人間の敵う相手じゃない」

 播磨は迷うことなく言った。

「ちょっと待ってよ播磨くん! ここまで来て何言ってるのよ!」

 穂乃果は播磨の右腕を強く掴んだ。

「どう考えてもこの理事長を説得すんのは無理だろう」

 音ノ木坂学院理事長、江田島平八。

 身長195センチ体重110キロ、スキンヘッドに髭。元陸上自衛隊の陸将で、北海道での

演習中にヒグマを素手で倒したという伝説もあながちウソでもない、と思わせるほどの

迫力がある。

「大丈夫だよ播磨くん。ちゃんと話せばわかってくれるかもしれないし」


 穂乃果よ、その自信はどこからくるのか。

 ふと、播磨は思った。

「あ、あの。私は高坂穂乃果と申します」

「ふむ。今日はどういう要件だ」

「生徒会長からもお聞きしていると思いますが、わが音ノ木坂学院でもスクールアイドル

の活動をしたいと思い、参りました」

「 な ら ん !!!!」

 即答かよ! 

 しかも『ならん』って。

「ええ!!??」

「スクールアイドルなどというチャラチャラしたこと、この伝統ある音ノ木坂学園で

許されるとでも思うたか!!!」

「ですが今やスクールアイドルは全国でも認知されておりますし」

 穂乃果も引かない。

 意外と根性がある女だ、と播磨は少しだけ感心する。

「教育者たる者、流行り廃りに惑わされてはならんのだ」

「しかし」

「はあ、やれやれ」

 見かねた播磨は、穂乃果の前に出る。

 改めて江田島を見据えると、カタログスペックよりも大きく見える。


「理事長さんよ、んなことを言ってるから生徒数が減少して、廃校の話が出るんだろうがよ」

「廃校となるのも時代の流れと言うのならば仕方あるまい」

「仕方あるまいって、アンタ理事長だろうがよ! 学校が惜しくないのかよ」

「生き恥を晒すくらいなら、花と散った方が日本男児としてふさわしいわい!!」

(この野郎)

 だんだんムカムカしてきた播磨。

「どうしてもダメだって言うのかよ。音ノ木坂(ここ)は生徒の自主性を尊重するん

じゃなかったのか?」

「確かにその通り、だが道を踏み外すことは許さん!!!!」

 こうなってくると播磨も意地になってくる。

 基本的に負けず嫌いなのだ。

「どうしても諦めないというのだな」

「そうだ」

「ふむ。そこまで言うのなら仕方がない。『理事長パンチ』で決着をつけようではないか」

 不意に理事長が提案した。

「は?」

「理事長パンチ……」

 雷電が震えながら言う。

「知っているのか雷電!」


「ああ聞いたことがある。生徒がどうしても要求を通したい時、理事長の渾身の一撃

を耐え抜くことができたら、その要求を通すことができるという……。ただし、これ

までの成功者はたった三名だったという(『音ノ木坂学院三十五年史』民明書房刊)」

「つうか三人もいるのかよ! そっちのほうが驚きだぜ」

「それ以前は江田島理事長ではなく、別の人物が理事長をやっていたから可能だった

のかもしれん」

「ちなみに今の理事長は何年目だ」

「確か四年目か」

「……」

 生徒数の減少と廃校危機は、もしかしてこの理事長が最大の原因なんじゃないかと

思う播磨であった。

「グタグタ言っとるんじゃない。ここでは物が壊れる。お前ら、表に出ろ!

わしが音ノ木坂学院理事長、江田島平八である!!」

 既に窓ガラスなどが粉々に割れているのだが、本人は気にしていないようである。

「播磨くん、どうしよう」

「くそう。こうなったら覚悟を決めるしかねェ」

 本気になった江田島は、ただでは許してくれそうにないだろう。


「わしが音ノ木坂学院理事長、江田島平八である!」





   *





「ふん、逃げずに来たな。そこだけは褒めてやろう」

 学校のグラウンドの真ん中。

 上半身の着物を脱いで袴だけとなった江田島平八は腕組みをしている。

 齢六十を過ぎているにも関わらず凄い筋肉だ。

 こんなのに殴られたらと思うと……。

「古い考えは修正されてしかるべきなんだよ!!!」

 播磨は恐怖心を吹き飛ばすために大声を出す。

「その意気やよし。しかし、阿衣度瑠(アイドル)活動など認めんぞ!!!!!」

「うるせえ! この石頭!!」

「硬いのは頭だけじゃないぞお!!!!」

「もういいよ播磨くん! 降参しよう」

 そう言って後ろから抱き着いてきたのは穂乃果であった。

「高坂」

「ごめん、私のワガママでこんなことになって。私、こんな事態になるなんて思わなかった」

「俺だって思わねェよ」

「だったら、もういいから。諦めるから」

「お前ェの思いはその程度だったのかよ」

「え?」

「ラブライブに出て、全国的に学校を有名するんじゃなかったのか」


「でも……」

「ここまできたらやるしかねェだろう。まだ始まってもいねェんだぞ」

「播磨くん」

「大丈夫、理事長だって人間だ。殺しはしねェさ」

「……」

 そう言ってもう一度江田島を見る播磨。上半身裸の江田島からはドス黒いオーラ

のようなものが見えた。

(あ、ヤバイ。これは本当に死ぬかもしれない)

「覚悟はいいか、小僧!!!」

「いつでも来いや!!」

 そう言うと播磨は腕を十字に構える。

 吹き飛ばされるかもしれない。骨が折れるかもしれない。だが男には引いてはいけ

ない時がある。

「播磨くん!」

 そう言うと、再び穂乃果が播磨の背中に飛びつく。

「高坂!」

「拳児! 俺たちも支えるぜ」

 雷電もそう言って播磨の背中を抱えた。

「わ、私もです」

「ことりも、役に立つかわからないけど」

 海未とことりも播磨の背中を抑えている。


 彼の後ろには、四人の仲間がいる。

 ただそれだけで、少しだけ、ほんの少しだけ播磨の恐怖は弱まった。

「早くしろおおおお!!!!!!」

「言われなくてもやってやるぞおおおおお!!!!」

 塾長、ではなく理事長は大きく拳を振り上げた。

 でかい。

 拳が直径十メートル以上の球体に見える。

 それはまるで大型トラックが時速百キロ以上で迫ってくるような迫力。

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!

!!!!!!!」

 理事長の気合で周辺の建物が揺れる。

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!

!!!!!!!!!!!!!!!!」

 播磨も負けずに声を出した。

 声を出さないと失神してしまいそうなほどの迫力だからだ。

「ぐわあああああああああああああああああああああああ!!!!!!」


 死――


 普通の高校生活では感じることの無い感覚。

 かつで、数十人の不良に囲まれた時ですらこんな恐怖はなかった。

 播磨の頭の中に、これまでの思い出が走馬灯のように駆け巡った。

 そこには屈託のない笑顔を浮かべ大好きな歌を歌っている穂乃果の姿もある。

「がああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」






 ――――!



 一瞬の静寂。 

 もしかして死んだか。

 即死だったか。

 それならよかったのかもしれない。両腕が砕けて一生不自由な思いをして生きる

よりはよっぽど良い。

 だがそうではなかった。

 止まっていたのだ。

「え?」

 理事長の拳は、播磨の両腕のわずか数センチ先で止まっていた。

「よくぞここまで堪えたな、播磨拳児よ」

「理事長……?」

「だいたい本気で殴ったら学校どころか、ここいら一帯が壊滅してしまうからな、

ガハハハハ」

「じゃ、どういうことッスか」

「阿衣度瑠(アイドル)活動、認めようではないか。貴様らの根性、しかと見届けた」

「本当ですか?」

 播磨の後ろから穂乃果が顔を出して言った。

「男に二言はない! わしが音ノ木坂学院理事長、江田島平八である!!!」

「やったああああ!!!」

「やったね海未ちゃん」そう言ってことりは海未に抱き着いた。


「え、ええ」

 海未は戸惑っているようだった。播磨や雷電も戸惑っている。

「おめでとう、みんな」

 不意に別方向から声が聞こえてきた。

「会長さん、副会長さん!」

 穂乃果は言った。

 会長の絵里と副会長の希だ。

 なぜか二人とも黄色いヘルメットをかぶっていた。

「ふう、わしは戻るぞ」

 生徒会長たちを見た江田島理事長はそう言って、上半身の着物を着る。

「お疲れ様でした」

「ご迷惑をおかけいたしました」

 そう言って絵里と希は深々と理事長に頭を下げる。

 理事長は満足そうに自分の部屋へと戻って行った。

「希、私は仕事があるから。あとは任せるわね」

 ヘルメットを脱ぎながら絵里は希に言った。

「わかったわ。ウチもすぐ戻るから」

 希もヘルメットを脱ぎながらこたえる。

「おめでとう皆。とりあえず最初の関門はクリアしたみたいやね」

 希は笑顔で播磨たちに語りかける。

「そ、そうなんッスかね」

 播磨は答えた。

「せやけど、スクールアイドルの活動はこれからが本番やで。みんな頑張って」

「はあ」


「はいっ! 頑張ります」

 播磨の戸惑いを余所に、穂乃果はやる気満々だ。

「とりあえず、当面の目標はどうするん?」

 希は聞いた。

「ラブライブですよラブライブ!」

 穂乃果は答えた。

「確かに最終目標はそうかもしれへんけど、これから色々とやることがあるやろ?」

「はい?」

「まずは、新入生の勧誘とか」

「そ、そうか」

「四月には新入生歓迎行事もあるし、そこでライブでもやってみらどう?」

「そうですね」

「ちょっと待ってください穂乃果」

 不意に海未が穂乃果の肩を掴んだ。

「どうしたの? 海未ちゃん」

「新入生歓迎行事まであと一ヶ月もありませんよ。間に合うんですか」

「あ!」


 設立したばかりのスクールアイドルがすぐにステージに上がれるのだろうか。

 素人の播磨にはよくわからない。

「とりあえず、空き教室の一つを部室に使ってええから、しっかり頑張ってな」

 希は笑顔で言った。

「はい、ありがとうございます!」

 穂乃果は深々とおじぎをする。

「さあやるよ皆! 播磨くん、海未ちゃん、ことりちゃん、雷電くん!」

 穂乃果はやる気満々だ。

「ほな、ウチも失礼するで」

 そう言って校舎に戻る希。

「はい。お疲れ様でした」

 穂乃果はもう一度お辞儀をした。






   *  




 夕闇に染まる学校の中庭で、東條希はベンチに座っていた。

「隣、失礼するぜ」

 播磨はそう言うと、少し距離を取って希の隣りに座る。
 
「そないに離れないでも、もう少し近くにきたらどうなん?」

 播磨と希の間には人二人分くらいのスペースがあった。

「これくらいの距離感の方がいいんじゃないッスかね。生徒会としちゃあ、一つの

部活にあんまり肩入れするわけにもいかんでしょう」

「考えすぎや。私とあなた、個人的に会ってることにすればええやないの」

「そんなことより」

 播磨は話を変える。

「この前のアレ、ありがとうございます」

「ん? なんのこと?」

 希は少し首をかしげた。

「ミナリンスキーのことッスよ」

「ああ、南さんのことやね」

「どうしてアイツのバイトしてる店がわかったんッスか? もしかして行ったことある

とか」

「ふふふ。副会長は何でも知っとるんよ。カードの導きによってね」

 そう言うと、希は一枚のカードを取り出す。


 よく見ると、タロットカードだ。

 漫画で見たことがある。

「何なら、播磨くんの好きな人も調べてあげようか?」

「はい?」

「うふふ。冗談や。本当はな、違う学校に通うウチの知り合いが南ことりちゃんと

同じ店でアルバイトをしとったんよ。それでわかったの」

「なんだ。そんなことか。しかし回りくどいこどするッスね」

「せやけど面白かったやろ?」

「面倒でした。それに南はもう、アイドルをやることを決めてたみたいだったし、

俺が何かをする必要もなかったみたいからなあ。いわば無駄足ってやつかな」

「播磨くん」

「あン?」

「世の中、無駄なことなんて何一つないんよ。今この瞬間やって、必ず意味があるの」

「そうッスか」

「それにしても律儀やね。わざわざお礼を言いに来るなんて」

「まあ、一応……」

「また、何かあったら相談に来てな」

「いや、でも生徒会は」

「生徒会やなしに、個人的に」

「……はあ」


「ああ、そうや」

「あン?」

「アイドル結成の記念にウチからプレゼントや」

「は? いや、そんなものは」

 希が取り出したのは見覚えのあるピンク色の紙であった。

「こいつは……」

「ユニット名、まだ決めてへんかったやろ? ウチからの提案。よかったら使ってな」

「はあ」

 播磨は貰った紙を広げる。するとそこには、

「ミクロンズ……」

「ミューズって読むの」

「ミューズ?」

「薬用石鹸やないで」

「……これは」

「今のあなたたちにピッタリやと思うてな」

「そうッスか」

 ユニット名なんて考えるのも面倒だったので、正直ありがたかった。

「ありがとうございます」

「いえいえ」

「μ's(ミューズ)か……」

 不思議な感じがする言葉だと播磨は思った。




   つづく

次回は、お待たせしました。一年生組のあの娘が初登場。どんな登場になるのやら。




「μ’s(ミューズ)? それが私たちのユニット名?」

 穂乃果は聞いた。

「ん? ああ」

「どうしてμ’sなの?」

「いや、とある人物がこれがいいんじゃねェかって提案してくれて。どうかな」

「いいんじゃないかな。ねえ、海未ちゃん」

「私は異存ありません。雷電はどうですか」

「俺も、別に構わない。いいんじゃないか。シンプルで」

「私も気に入ったなあ」

 ことりは笑顔で言った。

「さあ、チーム名も決まったことだし、これからバンバン行くよお!」

 穂乃果が気合いを入れる。

 気合いが入るのはいいことなのだが。

「それで、何をするんだ? スクールアイドルって」

 播磨は聞いた。

「あれ? 何すればいいんだっけ」

 穂乃果は首をかしげる。

「はあ、あなたって人は」

 その様子を見て、海未と雷電は頭を押さえていた。








       ラブ・ランブル!

  播磨拳児と九人のスクールアイドル


    第五話  出来ること




 春休み。

 それは進級や入学などを控えてバタバタする時期。

 新生アイドルグループにとっては、初舞台のために急ピッチで準備をしなければ

ならない時期でもあった。

「まずは体力錬成ですよ!」

 ウォーミングアップ代わりに、学校近くの神社の石段を駆けあがるμ’sの一同。

「はあ、はあ、はあ」

 播磨は息を切らしながら石段を駆けあがる。

「さすがですね、播磨くん」

 ストップウォッチを持ったジャージ姿の海未が笑顔でそう言った。

「つうか、何で俺まで走らなきゃならんのだ! 俺関係ねェだろう!」

 アイドルとしてステージをこなすには体力が必要。それはわかる。

 しかし播磨自身はアイドルではないのだ。

「気持ちを共有してこそのチームではありませんか。私と雷電は部活で鍛えられて

いましたが、あなたたちは基礎体力が不十分ですからね」

「いや、だからな。俺はステージには立たないっつうの」

 そうこうしているうちに、フラフラになりながら穂乃果が石段を上がってきた。

「頑張って穂乃果。ほら、播磨くんも声をかけて」そう言って海未は播磨の背中を叩いた。

「頑張れ頑張れ! 出来る出来る!」


「どこの松●シュウゾウさんですか。それはともかく、頑張ってください」

「ふいい、キツイよお……」

 泣きそうな声で穂乃果は言った。

「アイドルには何より体力が必要だって言ったのはお前ェだろうがよ、高坂」

 手すりを持ちながら石段を上る穂乃果に播磨は言った。

「言ったけど、十往復はさすがにやりすぎだよお」

「時間が無いんです。とにかくやり抜きましょう」

 確かに時間はない。

「ああ、私はトリになりたい……」

 膝をガクガクさせながら、半ば夢の世界に旅立とうとしていることりがそう

言いながら石段を上る。すぐ後ろには雷電がついていた。

「ちょっと水飲んでくる」

 そう言って播磨は神社の境内に向かう。

 すると、見覚えのある人物が箒を持って立っていた。

「あら、頑張っとるやないの」

「アンタは、副会長さん」

「希でええよ。播磨拳児くん」

 生徒会副会長の登場希だ。白い上衣に赤い袴という典型的な巫女服を着ている。

 髪も普段は二つにまとめているのに、この日は一つにまとめており、少し印象が違う。


「何してるんッスか。こんなところで」

 こんな所というか、神社である。

「ちょっとしたお手伝いやで。ここにはスピリチャルなパワーが集まるさかいな」

「スピリチャル……?」

 何だか関わってはいけないような空気を感じる播磨。

「さっきも言うたけど、アイドル活動、頑張っとるみたいやねえ」

「まだ基礎の基礎の段階ッスよ。時間もないし大変ッスわ」

「その基礎が重要なんよ。いきなりステージでやれるなんて自惚れてたらどうしよう

かと思うとったけど、この分だと安心やね」

「そうッスかね」

「それより、せっかく神社の敷地を練習に使わせて貰っとるんやから、後でお参り

くらいはしておきなさいよ」

「わかってますって」

 播磨自身、信心深いわけではないが、最低限の礼儀ぐらいはわきまえているつもりである。

「ほな、頑張ってな。応援してるからね」

「はあ。失礼するッス」

 東條希。どうも、わからない人物だと播磨には思えた。




   *





 基礎練習後、学校の練習場所では初ライブに向けての話し合いも進められていた。

「それで、選曲はどうするのですか?」

 海未は聞いた。当然の疑問だ。

「できればオリジナルがいいな。ほら、A-RISEとかもオリジナルの曲を

いくつも持っているし」

 確かにA-RISEはオリジナルの曲を何曲も持っており、CDすら発売している。

 だが我々は違う。

「ですが、今から曲を作るとなると難しいのでは」

「っていうかよ、お前ェら」

 ここで播磨が発言した。

「何ですか?」

 と、海未は聞く。

「この中で作曲できる奴とかいんのかよ」

「……」

「……」

「……」

「いないみたいだね」

 ポツリとことりが言った。

 踊りの基礎は、日本舞踊をやっていた海未がいれば大丈夫だろう。


 歌唱力も多分問題ない。

 だが作曲となると話は別だ。

 専門の作曲家に作詞や作曲を依頼するか?

 そんな金がどこにある。

「とりあえず、課題曲からやってみてはどうだろうか」

 そう言ったのは雷電であった。

「課題曲? なんだそりゃ」

「知っているの? 雷電くん」

 不意に穂乃果が声を出す。

「お前ェそれが言いたいだけだろ」

「ゴメンピ」

 そう言って穂乃果は笑った。

「ふむ、聞くところによるとラブライブの出演には課題曲と自由曲の二つをやらなけ

ればならないらしい」

「そうなのか?」

「ああ。合唱コンクールなどとも同じだな。それぞれが違う曲を歌うと曲の良し悪し

によって評価がわかれてしまうことがある。ゆえに課題曲も設定されるのだ。特に

予選では課題曲が重要視されているという」

 さすが雷電だ。

「ちなみに去年のラブライブの課題曲はこれだ」


 そう言って雷電はCDを取り出した。

 相変わらず準備のいい男だ。優秀すぎる。

「あ、この曲聞いたことある!」穂乃果は言った。

「有名な曲ですよね」

「そりゃ課題曲つうくらいだから有名だろうな」

 播磨は言った。

「とりあえず、新入生歓迎行事のこれでいこう。まずは基本が重要だ」

 雷電はそう提案した。

「確かにそうかもしれませんね」

 海未もそれに同調した。

「ちょっと残念かも」

 穂乃果は少し残念そうだ。

「自分の足元を見ようよ穂乃果ちゃん」

 ことりは言った。

 夢見がちな外見に反してことりは意外と現実的な思考の持ち主なのかもしれない。

「とにかく、皆はこの曲を完全に覚えるまで聞き続けましょう。それぞれ、携帯や

ポータブル携帯プレイヤーにダウンロードして時間が許す限り聞いてください。

それこそ曲が身体に染み付くほど」

 海未は言った。


「えー? ちょっと厳しくない? 海未ちゃん」

 穂乃果は不満そうに言う。

「油断は禁物です。誰もが知っている曲だからこそ、十分に理解しておかなければ、

粗が目立ってしまいますからね」

「海未の言うとおりだ。歌詞だけでなく、リズムも身に着けて欲しい」

 雷電もそれに続いた。

「というか、雷電って結構音楽やダンスに詳しいんだな。意外だったぜ」

 播磨はふとそう言ってみた。

「ん? ああ。海未が好きだからな。それに影響されてしまった」

「ちょっと雷電!」

「なるほどな。はいはい、わかったわかった」

 ある程度察した播磨は話を打ち切る。

「何々? どういうこと」

 穂乃果はよく理解していないようだ。

「ことりも詳しく聞きたいなあ」

 ことりの場合はわざと天然を装っているように見える。

「そ、そんなことよりも練習です。まずは基礎のステップの練習をします! 曲の練習

はそれからです!」

「ええ? でも時間が無いんじゃないの?」

「ですから練習です。課題曲は家でもちゃんと聞いてくださいよ」

 時間や場所に制約のある中、彼女たちの練習は続く。






    *


 春休みの学校内は人もまばらで静かだ。

 しかし、新生スクールアイドルμ’sの練習は連日続けられていた。

 ダンスと歌唱の指導は海未と雷電がやっている。

 ステージに上がるのは穂乃果、ことし、そして海未の三人であることが決まっている。

 そんな中播磨は、

(あれ? 俺ってあんまりやることなくね?)

 ふと気づいてしまった。

(何やりゃいいんだろうな)

 部活申請のために副部長に就任した播磨であったが(ちなみに部長は穂乃果)、

特に歌唱やダンスに自信があるわけでもない。

 楽器は多少できるけど、作曲ができるわけでもないし。

(作曲? 作曲かな。いや、しかし)

 自分の在り方に迷う播磨。

 熱気に包まれた練習用の空き教室の中で、播磨は一人孤独を抱えていた。

 それはまるで会社の窓際族のように。

「ちょっと飲み物買ってくるぜ」

「ああ」

 繰り返しの練習も見飽きた播磨は、雷電にそう言うと教室を出た。

 飲み物は学校の購買近くにある自動販売機で売っている。

 だがすぐに行って帰ってきても何だかつまらないので、とりあえず彼は学校内を

歩いて時間を潰すことにした。

  



   *




 スピーカーから響く音楽が段々と遠ざかっていく中、播磨は自分の行く末を考えてみた。

 確かにこれまで穂乃果を支えるために色々としてきたけれど、実際にスールアイドル

は結成されたのだからこれでいいのではないか。校則では、結成時に五人いれば部活動

として認められるらしいので、ここで一人抜けたところで影響はないかもしれない。

 元々面倒くさがりな播磨は、彼女たちから距離を取ることを考え始めていた。

 そんな時である、ふとどこか別の教室からピアノの音が聞こえてきた。

 吹奏楽部か何かが練習をしているのか。

 そう思いながら、播磨はまるで光に吸い寄せられる夜の虫のごとくピアノの音の方

へ向かっていった。

 そして教室の前に立つ。

 第三音楽室だ。

 この学校には元々「音楽科」というあったものの、生徒数減少の影響で今は廃止され、

普通科だけの学校になっている。しかし、音楽科があった頃の名残りでこうして音楽

練習用の教室が多く残されているわけだ。穂乃果たちが練習場所を確保できたのも、

今はなき音楽科の「遺産」によるところ大きい。

 それはともかく、播磨は教室の中を覗き込む。

 するとそこには見覚えのない少女がピアノを弾いていた。

 髪はセミロングで、よく見ると制服ではなく私服を着ている。

 新任の音楽教師か?


 いや、違う。

 教師にしては顔が幼すぎる。

 だとしたら何者だ。

 そんなことを思いながら教室の中を見ていると、

「誰?」

 不意に少女が演奏を止め、教室の外を見た。

 見つかったか。

 播磨は観念したように教室のドアを開け、中に入った。

「ああ、演奏の邪魔をしてすまんな。俺はこの学校の生徒だ。見かけない顔がいたんで

少し気になってさ。私服だしよ」

「ごめんなさい。一応許可は取ってあるんですけど」

「ん? ここの生徒か」

「あ、はい。いえ、正確には来月からここの生徒になります」

「つうことは、新入生か」

「はい」

「新入生がなんでこんなところでピアノを」

「ここにはいいピアノがあると聞いたものですから。スタインウェイのある学校って、

あんまりなくて」

「スタインウェイってなんだ?」

「ピアノのメーカーです。かなりいい奴ですよ、これ」

 そう言って少女はピアノを撫でる。


 ピアノ素人の播磨には、楽器の良し悪しはわからない。

 だが彼女が言うんだから多分いいやつなのだろう。

「ふうん。まあ、新入生が入学前の学校でピアノを弾くなんて、今まで聞いたこと

ないけどなあ」

「そうですね」

「ためしに何か弾いてくんねェか」

 そう言うと播磨は近くにあった椅子を引き寄せてそれに座った。

「ええ!?」

「いやな、ここ最近同じ楽曲ばっかり何回も何回も聞かされてちょっと食傷気味

なんだ。ちょっと別の曲も聞きたくてな」

「同じ曲って、あの上の階で聞こえている」

「ん? そうだが。興味あるか?」

「いえ、別に」

「何か弾いてくれよ」

「……わかりました。何が聞きたいですか?」

「リクエスト聞いてくれんのか」

「できるものなら」

「そんじゃ、ショパンのスケルツォ第二番を」

「そんな難しい曲弾けるわけないじゃない!」

「ハハッ、悪い悪い。そんじゃ、お前ェの好きな曲でいいぜ」

「私の好きな曲、ですか」


 少女は少し考えてから、指を動かす。

 水が跳ねるような高音が躍る。

「こいつは」

「ラ・カンパネラです」

 曲を弾きながら少女は言った。

「聞いたことあるな」

「……」

 少女は演奏に集中し始める。

 段々と曲の中に吸い込まれていくようだ。播磨にピアノの上手い下手はよくわからない。

ただ、嫌いな音ではないと思った。

 数分の演奏が終わる。

 パンパンと播磨は拍手をした。

「上手かったよ」

 まるで料理を食べたかのように播磨は言う。

 ポップな曲を聞き飽きていた播磨の頭には、甘い物を食べた後に辛いものを食べた

ような感覚だ。

「また聞きにきていいか」

「え? いいですけど」

 気の強そうな外見に反して、わりと素直であった。

「また弾きに来いよ」


「……はい」

 ちょっと釣り目で気の強そうなセミロングの髪の少女。

「あの」

 不意に少女が立ち上がる。

「どうした」

「私、西木野、西木野真姫っていいます。先輩のお名前は」

「播磨、播磨拳児だ」

「ハリマ、ケンジ」

「じゃあの」

 彼女の曲を聞いた播磨は、ふとあることを考えた。




   *





 穂乃果たちが練習している教室に戻ると、音楽が止まっていた。どうやら休憩を

しているらしい。

 しかしそれ以上に気になったのは、教室の前に怪しい人影があることだ。

 どうやら中の様子をうかがっているようである。


 西木野真姫と違って、普通に音ノ木坂の制服を着ているので、この学校の生徒だと

いうことはわかる。しかし、どこかで見たことのある髪型。特にツインテール。

「お前ェ……」

「はっ!」

 播磨が声をかけるとツインテールは驚いたようにこちらを見た。

 随分熱心に覗いていたようだ。

 童顔だがリボンの色が希たちと同じなので上級生とわかる。

「お前ェ確か、秋葉原にいた」

「あの時のサングラス!」

 ツインテールは言った。

「つうか、お前ェもサングラスかけてただろう。何してやがる」

 あの時、サングラスとマスクをしていたが、顔の形や髪型からすぐにわかった。

 しかしまさか同じ学校の生徒だとは思わなかったけれど。

「ち、違うわよ。にこは別にUTXで行われたスクールアイドルのライブになんて

見に行っていないから」

 語るに落ちたとはこのことか。

「アイドルに興味あんのか? それともダンス?」

「べ、別に興味ないから。あんな素人芸。じゃあね」

「お、おい」

 そう言うと、ツインテールは素早くどこかへ行ってしまった。

(ったく、何なんだ)


 そんなことを思いながら播磨は教室のドアを開ける。

「あっ、播磨くん。どこ行ってたのよ」

 穂乃果は責めるように言った。練習で疲れているようで、べたりと床に直接尻を

ついて座っている。

「随分時間がかかったではないか。どこまで飲み物を買ってきたのだ?」

「あっ、やべっ。忘れてた」

「何をしているのですか。穂乃果じゃあるまいし」

 そう言って海未は頭をかかえる。

「海未ちゃん、それどういう意味?」

「なあ、お前ェら、ちょっと聞いてくれねェか」

 そんな彼女たちに播磨は呼びかけた。

「なんですか?」

 と、ことり。

「俺よ、その……」

「……」

「作曲、してみようかと思う」

「ええ?」

 全員が驚いた。

 無理もない。播磨と作曲。まったく結びつかない組み合わせだ。

「作詞ではなく作曲ですか?」

 海未は聞いた。


「ああ」

「でも楽器とかは……」

 と、ことりが言うと、

「そういえば播磨くん、ギターを弾けたよね」

 穂乃果は言った。

「まあな。別に楽器ができりゃあ作曲ができるわけじゃあねェけどよ」

「なるほどな。どういう風の吹き回しだ」

 雷電が腕組みをしながら聞く。

「俺にも何かできることがあるかと思ってよ。そんで」

「それだけですか?」

 海未は呆れたように言う。

「播磨くんは頑張ってると思うけどなあ」

 と、穂乃果。

「きっとハリくんなりに、何か新しいことに挑戦したいと思っているんだよ」

 ことりが笑顔でそう言った。

「別にそういうわけじゃねェし、本当にできるかもわかんねェけど」

「わかった。できるだけ我々も協力しよう」

 と、雷電。

「まあ、協力すんのは俺のほうなんだけどな。もう一回飲み物買ってくる」

 そう言うと播磨は練習場の教室を出る。

(やっぱ言うんじゃなかったか)

 少し恥ずかしがりながら、播磨は自動販売機へと向かった。




   つづく



《わしが 音ノ木坂学院理事長 江田島平八でえええある!!!! 以上!!》

 入学式は、まあ普通に執り行われた。

 江田島理事長に比べて、生徒会長絢瀬絵里の挨拶はきわめて丁寧なものであったこと

が非常に印象深い。

 それはともかく、音ノ木坂学院スクールアイドルμ’sには新入生歓迎のための

ライブという大仕事があった。

 μ’sが校内で認められるか、新入部員が出るかどうか。

 そして何より初ライブ。

 色々大切な要素を含んだライブだ。

 ただ、初ライブなだけにトラブルも尽きない。

「どういうことですかこれは!」

 練習場に海未の怒号が響く。

「え? 舞台衣装だけど?」

 ことりが持ってきた舞台衣装に対して海未は文句があるようだ。

「と、当初の予定よりも布の面積が狭いじゃないですか! は、ハレンチな!」

 つまりスカートが短いと。

「ええ? でも海未ちゃんが一番似合うと思うよ。スタイルもいいし」

 舞台衣装に着替えた穂乃果はやる気満々といったところだろうか。

「は、恥ずかしいでしょうが!」

「人前に出るのに恥ずかしいもクソもないだろう。さっさと着替えてこいよ!」


 播磨はイライラしながら言った。今更ゴネられても不味い。本番はもう明日なのだ。

「播磨くんにはわからないんですよ! この恥ずかしさが」

「こんなん、他のA-RISEとかの衣装と変わらねェじゃんかよ。むしろA-RISEよりも

いいぜ」

「でも、でも」

「おい、雷電からも何か言ってやれ」

 さっきからずっと黙っている雷電に播磨は声をかけた。

「……」

「雷電?」

「……海未」

「はい」

「似合うと思うぞ」

「……わかりました」

 そう言うと、海未は更衣室に使っている別の教室に、衣装を持って歩いて行った。

(雷電の言うことなら聞くんだな)

 海未の気持ちとライブの成功。この二つの間で複雑な思いを抱える雷電の横顔を

見ながら播磨は思った。

(絶対に成功させてやろう)

 と。







      ラブ・ランブル!

  播磨拳児と九人のスクールアイドル


     第七話 はじまり
 





μ’sの初ライブは、スクールアイドルらしく学校行事からはじまった。

 だが学校行事とはいえ参加は自由。

 どれだけの人が集まるかわからない。

 午後四時過ぎに体育館で行われるのが彼女たちのライブだ。

 ちょうど良い時間は吹奏楽部など、別の部活動に取られてしまったため、仕方ないと

いえば仕方ないのだが。

「うう、緊張してきた……」

 ライブ当日。舞台衣装に着替えた穂乃果が振るえていた。海未も顔が青ざめている。

「確かにはじめてだからねえ。緊張するよねえ」

 言葉とは裏腹に、ことりはそこまで緊張しているようには見えない。やはりミナリンスキー

で秋葉原ナンバーワンメイドを経験したからなのだろうか。

「客は、あんまり入ってねェなあ」

 舞台袖の小さな窓から客席を見る。

 人はまばらであり、とても満員にはなりそうもない。

「すまんのう播磨。こっちも色々宣伝してみたんじゃが」

 そう言ったのは、μ’sのホームページデザインを担当してくれた松尾鯛雄である。

「いかんせん、年度末の結成だし、知名度が低いからな」

 同じくホームページの製作を担当した田沢が言った。


「いや、今の俺たちにはこれで十分さ。例え観客が一人だろうが百人だろうが、

いつもと同じパフォーマンスをする。そうだろう?」

「そうですね」

 海未は答えた。

「え? 何? 聞いてなかった」

 だが穂乃果はそれどころではなかったようだ。

「高坂」

 そう言うと、播磨は穂乃果の前に立ち頬を引っ張る。

「はにふるの」

 頬を掴まれた穂乃果は上手く喋れない。

「いつまで青い顔してんだ。観客の前では笑顔だぜ。お前ェはアイドルなんだからよ」

 そう言って手を放す。

「私は、アイドル……」

「そうだ」

「そうだね。うん、ありがとう。なんかちょっと楽になった気がするよ」

「海未も大丈夫か」

 雷電も海未に声をかける。

「大丈夫よ。覚悟は決まったわ」

 そういいつつ、脚の当たりを気にしている海未。やはりまだ恥ずかしいようだ。

 しかし幕が開けばそうも言っていられないだろう。


「松尾、田沢、音響と照明は頼んだ」

「了解じゃ」

「雷電、撮影のほう頼むぞ」

「わかってる」

「高坂、南、園田。失敗とかは気にすんな。思いっきりやってこい」

「はい!」

「はーい」

「わかってます」

 三人は元気に返事をした。

「ねえ、円陣とか組まないの?」

 ふと、穂乃果はそう提案する。

「ん?」

「そうじゃのう。一度やってみたかったしのう」

 松尾は言った。

 確かに、ライブとかではスタッフが円陣を組んだりしている映像を見たことがある。

「んじゃやるか」

 穂乃果の提案により、関係者全員が手をつなぐ。

「かけ声は何にしたらいいのかな、播磨くん」

 穂乃果は聞いた。

「んなもんお前ェが決めろ」


「ええ?」

「早くしろ。時間がない」

「わかったよ。じゃあ、μ’sファイト―、オー、で行こう」

「何と戦うんだ」

「いいの! いくよ」

「……」

「μ’sファイト―!」

「オオー!!!!」

 こうして、μ’sの初ライブが始まった。

 実の所、一番緊張していたのは播磨自身だ。

 先ほどから膝の震えが止まらない。

 幕が上がる。

 広いホールにはほとんど生徒がいない。

 でも、最初はこんなものだ。いつかは、大きな会場を満員にしてみせるさ。

 スポットライトを浴びた穂乃果たちは、いつも以上に輝いて見えた。





    * 


 

 結果から言えば、μ’sの初ライブは成功したと言ってもいいかもしれない。

 観客動員に関しては満足の行くものではなかったけれど、それでも見知った顔が

何人か来てくれたのは嬉しいものだ。

 穂乃果たちも大きなミスもなく、ラブライブの課題曲を歌いきった。

 結成からわずか一ヶ月でこれは凄いことだと播磨は思う。

 協力してくれた松尾や田沢たちにも謝礼として、後日穂むらのお菓子セットを渡しておいた。

 デビューライブの様子は雷電によって詳細に撮影されており、一部では反省の材料に

また一部では初めてのライブの記念として残されることになる。

「あの、先輩」

 初ライブから数日後、不意に播磨は校内で女子生徒に声をかけられた。

 聞き覚えはあったが、それほど聞き慣れない声に振り返ると、メガネをかけた

小柄な一年生の女子生徒であった。

「播磨先輩ですよね」

「ああ、そうだが」

 どこかで見たことがあるようだが。

「かよちん、ガンバ」

 後ろの方で、これまた見覚えのあるショートカットの女子生徒が両手を握ってメガネ

女子を励ましていた。

「あ、あの。私、少し前に秋葉原で助けてもらった者です」


「ん? ああ」

 播磨は思い出した。
 
 確か秋葉原で不良に絡まれていた中学生らしい少女の二人組がいた。

 たまたま見つけた播磨がその子たちを助けたのだ。

「私、小泉花陽と申します。ずっとお礼が言いたくて」

「そうか。別に気にしなくてもいいのによ」

「あの、本当にありがとうございます。あの時の先輩、凄くかっこよかったです」

「そ、そうか。ところで……」

「はい?」

「後ろでぴょんぴょん飛び跳ねてる奴は誰だ」

「凛は星空凛にゃ!」

 ショートカットの女子生徒が言った。

「かよちんとは親友にゃ」

「お、おう……。それともう一つ聞きてェことが」

「はい?」

「何で俺の名前知ってたんだ?」

「あの、生徒会の人から教えてもらいました。何でも、アイドル部の副部長をして

いらっしゃるようで」

「ん、まあ成り行きで」

「この前のライブも見ました。素晴らしかったです。あのライブのプロデュースも

なされたんですよね」


「プロデュースなんて、そんな大したことはしてねェよ。仲間を集めて色々やって

もらっただけだ。俺自身はほとんど何にもしてねェ」

「でもでも、μ’sって、結成してから一ヶ月ちょっとしか経ってないっていうじゃ

ないですか。それであのクオリティは凄いですよやっぱり」

 アイドルのことになるとやたら饒舌になる花陽に少々引き気味の播磨だったけれど、

一方であのライブが十分に効果があったことがわかってホッとする。

「μ’sのほうでは部員募集してっからよ、まあ興味があったら練習、見学しにきて

くれ」

「いいんですか?」

「構わんよ。いつもの練習場所は――」

 播磨は練習場所の空き教室の場所を花陽に教え、その場を離れた。





   *




 教室に戻ると、穂乃果が手を振って播磨を呼んでいた。

「この前のライブ、かなり評判よかったよ。見ていた人は少なかったけど、褒められる

と嬉しいものだねえ」

 播磨が自分の席に座ると、穂乃果はそう言った。


「あんまり調子に乗るな。あの日はたまたま上手くいったようなもんだぞ。歌唱だって

安定していなかったし、ダンスのステップもまだまだ」

「わかってるよ。でも嬉しい。新入生の子も、何人か声かけてくれたんだよ」

「そうか。そりゃよかったな」

「今回のライブが高坂たちの自信につながったのなら、それでいいんじゃないか、拳児」

 そう言ったのは隣りに座る雷電であった。

「確かに、本人の自信につながるのが一番重要なのかもしれんな。園田のほうはどうだ」

「海未もほうも、多少は自信がついたみたいだ。ただ、次の衣装はもう少しスカート

を長くしてくれと言っているみたいだが」

「普段の制服のほうがスカート短い気がするがなあ」

「そうか……」

 雷電と播磨が話をしていると、不意に穂乃果が思い出したように言った。

「そういえば播磨くん」

「あン?」

「作曲のほうは上手くいってる」

「う……。ライブの準備に忙しくてそっちまで手が回ってなかったな」

「A-RISEみたいにオリジナル曲、歌いたいなあ」

「オリジナルか。そうだな」

(高坂たちも頑張ったんだし、今度は俺が頑張る番か)

 播磨は携帯を取り出し、とある人物にメールを送った。





   *





「悪い、待たせたな」

「いえ、そんな」

 放課後の第三音楽室。ピアノの前で待っていたのは音ノ木坂の制服に身を包んだ

西木野真姫であった。

「随分久しぶりな気がするな」

「そうですね。先週くらいなんですけど」

「その制服、似合ってるぜ」

「え? あ……、ありがとう、ございます」

 そう言って顔を背ける真姫。

 よく考えたら真姫の制服姿をじっくり見るのは今日が初めてかもしれない。

「入学したばっかで忙しいところすまねェな。早速はじめていいか」

「あ、はい。かまいませんよ」

「今日は放送部からICレコーダーを借りてきた。上手く録音できりゃあいいが」

「私は前まで作ってきたところを譜面にしてきました」

「おおっ、凄ェなあ。音楽の先生みてェだ」

「いや、そんなことないですけど」

 再び顔を背ける真姫。

「そ、そういえば。新入生歓迎会のライブ、よかったですよ」

「お前ェも来てたのか」


「はい」

「そいつはありがてェ。そう言ってもらえれば、あいつらも喜ぶぜ」

「『あいつら』ってその、舞台に出ていた」

「ああ、そうだけど?」

「いえ、何でもないです。それより作曲を進めましょう?」

「そうだな」

 西木野真姫との作曲作業はその後急ピッチで進められることになる。

 しかし高校生という身分ゆえに制約も多い。

「さてと、今日はこのくらいにしとくか」

「もう終わります?」

「ああ。仲間の練習も見とかないといかんしね」

「じゃあ私、帰ってから音のデータまとめておきますね」

「おう。すまねェな」

「いいんです。音楽、好きですから」

「そうか」

 作曲作業という地味な作業にも楽しげにはげむ西木野真姫の横顔を見ながら、

播磨はふと言葉が漏れた。

 それは後から思えば不用意な言葉だったのだが、その時の播磨は真姫と仲良く

なったことで少し油断していたのかもしれない。


「そんなに音楽好きだったら、普通科の音ノ木坂(ウチ)じゃなくて、音楽科とか

ある高校に進んだほうがよかったんじゃねェか?」

「え?」

 一瞬、真姫の手が止まる。

「どうした」

「いえ。私にそんな才能……、無いですから」

「そ、そうか」

 彼女の顔の動揺を見て、何か不味いことを言ってしまったかと思い焦る播磨。

(もしかして、音楽科のある学校を受験しようとして、失敗したとか、何か嫌なことが

あったのか?)

 微妙な空気の中、真姫は帰り支度を整え、先に帰宅する。

「じゃあ、お先に失礼します」

「おう。気を付けてな」

「はい」

「……」

 廊下に一人残された播磨は、ケースに入れたギターを持って練習場所である空き教室

に向かう。

(やれやれ、またか)

 教室の前に行くと、廊下で見覚えのあるツインテールが練習場の中様子をうかがっていた。

「おいっ」


「ひっ!」

 ギリギリまで近づいた播磨が声をかけると、ツインテールは驚いて逃げようとする。

「待てコラ!」

 そのツインテール少女の後ろエリを掴む播磨。

「毎回毎回何なんだお前ェはよ」

「べ、別に邪魔してるわけじゃないし、いいじゃない」

「スクールアイドルに興味あんのか」

「別に」

 そう言うとツインテールは顔を背けた。

(ウソをつけ、興味がないならわざわざA-RISEのライブまで見に行くわけねェだろうが)

「ちょっと、はなしなさいよ」

「おお、悪い」

 播磨は後ろエリから手を放した。

 向かい合うと、かなり身長差があることに気が付く。

 三年生なのに小さいなと、播磨は思った。

「今チビだなって思った?」

「いや、別に。そんでウチに何か用か」

「別に用なんかないわよ。たまたま通りかかったから練習を見てただけ」

「やっぱ興味あるんじゃねェか」

「う、うるさいわね」


「うるせェのはお前ェだろうがチビ」

「チビって言うな。私には矢澤にこっていう立派な名前があるんだから」

「一個、二個」

「サンコン! って、違うわよ! にこよ、にこ」

 割とノリは良いようだ。

 調子が出てきたのか、矢澤にこは変なポーズを取って自己紹介を始めた。

「にっこにっこにー。あなたのハートににこにー。笑顔とどける矢澤にこにこ~。

にっこにーって、はがっ!」

「ああ、もういいっ。止めろ」

 無性に腹が立った播磨は片手でにこの口を塞いだ。

「ちょ、ちょっと。にこの大事なお顔、汚い手で触らないでよ」

「うっせ」

「まあとにかく――」

 そう言うと、にこは腰に手を当てて胸を張る。

「アンタたちのライブ、見たわよ」

「それはサンキュー」

「どういたしましてって、そうじゃなくて」

「ん?」

「ステップも全然なってないし、声も出てないじゃない。何より、キャラが生かし切れて

いないわキャラが」


「は?」

「アイドルにとって一番重要なのはキャラを立てることよ。まだアンタたちは、その点

で未熟」

「技術的なことを言われても、まだ一ヶ月くらいしかやってねェし」

 むしろよくもまあ、一ヶ月であそこまでできたもんだと思う。

「バカね、アイドルにとっては技術的なものは重要じゃないわ。もちろん、最低限

の技術は必須だけど」

「あいつらは、初舞台でそれなりに感覚を掴んだって言ってるし、これから生かして

いきゃいいだろう」

「何言ってるの。やってるほうが満足しても仕方ないでしょう。アイドルっていうのは、

見ている人を満足させるのが仕事なんだから」

「そうですか」

「あっ、もうこんな時間。まったく、無駄なことで引き留めないでよね」

「お前ェが勝手に覗いてたんだろうが」

「うるさいわね。それじゃ、帰るから。バイバイ」

 そう言うと、矢澤にこは足早にその場から離れた。

「一体何なんだアイツは」

 にこを見送った播磨は大きく息をつく。そして教室に入ろうとした時、別方向から

足音が聞こえてきた。


 ふと顔を上げると、やたら目立つ金髪の生徒会長、絢瀬絵里と副会長の東條希

が歩いてきていた。

「おつかれッス」

 無視するのもアレなので、とりあえず播磨は挨拶してみた。

「お疲れ様播磨くん。今から帰るの?」

 意外にも普通に話しかけてくる絵里。

「いや、もうちょっと練習あるんで」

「そう。そのギター、作曲をやってるって話は本当みたいね」

 黒のソフトケースに入ったギターを見た絵里はそう言った。

「まあ、そうっすね」

「でも、いくらオリジナル曲を作ったところで、この前みたいなライブじゃあこの先

やっていけないわよ」

「この前のライブ、見てたんッスか」

「ええ。最後列でだけど」

「そりゃどうもッス」

「中途半端にアイドルをやるくらいなら、学校の恥になるからやめてもらえないかしら」

「が、学校の恥って。あいつらは懸命にやったんだぜ」

「そうかしら。好きなことをやって、望みが叶うほど、世の中甘くないわよ。じゃあ」

 そう言うと、絵里は歩き出す。喋り方はムカツクけど、相変わらず背筋の伸びたキレイな

歩き方だと播磨は思った。


 不意に、後ろを歩いていた東條希が播磨に顔を近づける。

「エリチはああ言うてるけど、あれはあれで結構評価しとるんよ?」

「え?」

「ウチも一緒に見てたからな。なかなかいいステージやったって、思うとるんとちゃう

かな」

「そうッスか」

「エリチも素直やないからな」

「希! 何してるの。行くわよ」

 しばらく進んだところで、振り返って絵里は言った。

「ほなな、播磨くん。練習頑張ってな」

「は、はあ。お疲れ様ッス」

 希は笑顔で手を振り、そして早足で絵里に追いついて行った。

「おっと、そんなことより」

 播磨は練習場の空き教室のドアを開ける。

「あ、播磨くん」

 播磨の存在に真っ先に気づくのはいつも穂乃果だ。

「高坂、練習は進んでるか」

「もちろんよ。播磨くんこそ、作曲は進んでる?」

「ああ、それなりにな。今週中には何曲かあがりそうだ」

「本当に? 凄い凄い」


「作詞のほうはどうする。こっちも一応やるつもりだが」

「作詞は海未ちゃんにも頼もうよ」

「私?」

 急な指名に驚く海未。

「園田が?」

「そういえば海未ちゃん、中学の時はノートに詩とか書いてたよねえ」

 笑顔でことりは言った。

「やめてっ! 言わないでことり!」

 黒歴史とか言うやつか。

「まあ何でもいい。とにかく今は、レパートリーを増やすことが先決だ」

「後は次の舞台もな」

 そう言ったのは雷電である。

「確かに、場数を踏まないことには上手くはなれねェ」

「とにかく頑張るよ! 播磨くん」

 そう言って穂乃果は気合を入れる。

「お、おう」

「そう言えば、廊下で誰かと話をしてたみたいだけど」

「まあちょっと先輩方とな。大した話じゃねェよ。気にすんな」

「そっか。じゃあ、明日も頑張って行こうね」

「ああ」

 穂乃果の笑顔を見ながら、これからが本当のはじまりだと播磨は思った。




   つづく




 
 播磨拳児と西木野真姫。

 二人が共同で作った曲がついに完成した。

 録音した曲は、真姫が家のパソコンで編集してMP3携帯プレイヤーに入れた。

「ついにできたか」

「はい、聞いてみます?」

「ああ」

「今、イヤホンしかないんですけど」

「お、おう」

「あの」

「ん?」

「一緒に、聞いてもいいですか?」

「ああ、別にかまわねェけど」

 というわけで播磨が右の、真姫が左のイヤホンを耳につけて音楽を再生する。

 ここ数か月、胸の中でモヤモヤと漂っていた自分の中の音楽が、今こうして

はっきりとした音になって再生されていることに播磨は感動してしまった。

 それもこれも、今彼の目の前にいる西木野真姫という存在なしにはありえない。

「ここの部分、いいな。自分で言うのも何だけど」

「はい。私も好きですよ」

 寄り添うように一つの音楽を聴く二人。

 絵や彫刻が完成するのとはまた違う、達成感のようなものがあった。

 曲を聞き終えた播磨は真姫に礼を言う。

「ありがとう、西木野。本当に世話になった」


「いえ、そんな」

「こんな作業、俺一人じゃあ絶対無理だったからな。本当に助かったぜ」

「先輩のお役にたてて光栄です」

「今度礼をさせてくれ」

「いえ、礼なんてそんな」

「ライブにも来てくれよな」

「あ……、はい」

「ようし。コイツをコピーして皆に聞かせるぜ。ちょっと借りてていいか」

 携帯プレイヤーを握りしめた播磨が言った。

「は、はい。あの、それと」

「ん?」

「メンバーの方には、私が協力したということは言わないで欲しいんですけど」

「え? なんでだよ。この曲はお前ェなしじゃあできなかった、実質お前ェが作った

ようなものじゃねェか」

「それでも、お願いします」

「何か事情があるんだな」

「……」

「まあ、わかった。でも一応、協力者がいたってことだけは伝えておくぜ」

「はい」

「よっしゃ、行くぜ」

 そう言うと、播磨は勢いよく教室を出て行った。

 そして一人残される真姫。

「……また、会えますよね」

 誰もいない教室で、彼女はポツリとつぶやいた。









     ラブ・ランブル!

 播磨拳児と九人のスクールアイドル
 
    第八話 新 人




「凄い、遂にできたんだね!」

 穂乃果の声が練習場に響いた。

「いや、それほどでもねェよ」

「でも凄いです。あの短期間で作曲なんて」

 海未も言った。

「そうじゃねェんだよ」

「どういうことですか?」

 と、ことり。

「協力者がいたんだ。そいつがいなけりゃ、こんな風にちゃんとした曲にはならな

かった」

「協力者って、松尾くんや田沢くんみたいな?」

 穂乃果は聞いた。

 確かにあの二人にも世話になった。

「そんなところだ」

「じゃあお礼をしなくちゃだね。ウチの生徒なんでしょう? 何組の人?」

「いや、それはその」

「どうしたの?」

「なんつうか、本人の希望で名前は出してほしくないとか」

「ええ? 何それ」

「お礼は俺の方からしとくからよ」


「ええ? 残念」

「こんないい曲が作れる才能、勿体ないな」

 雷電も独り言のように言う。

「確かに」

(何で名前を伏せなきゃならんのだろうな)

 播磨は気になったけれど、今はそればかり気にしている場合ではない。

「んなことより、曲も出来たことだし、予選に向けて動き出すぜ」

「そうだね! あと、新入部員も入ってくるかもしれないし」

 穂乃果は言った。

「……新人か」

 忘れていたけれど、確かに新入部員が入ってもらわないと不味い。スクールアイドル

も、一過性のものではなく継続的に活動していかなければ意味がないからだ。




   *




 翌日の昼休み。意外な人物が播磨のもとを訪ねてきた。

 見覚えのあるショートカットだ。

「あの、播磨先輩いますか……」

「ん? 播磨か? おーい、播磨。面会じゃぞー!」

「あン?」

 よく見ると一年生の、確か星空凛とかいう女子生徒であった。

 今日は一人だ。

「何の用だ」

 播磨は廊下に出て、凛と向かい合った。

 数日前にあった時はもっと元気なイメージであったけれど、今日の凛は何だか元気

がない。友人と喧嘩でもしたのか。

「播磨先輩。ちょっとお願いがあるにゃ」

「お願い?」

 また面倒なことになるのかな。

 そう思いつつ、播磨は場所を変えた。穂乃果たちがじっと見ていたからだ。




  *




「ここならいいだろう」

 いつもの中庭。困った時はよくここに来る、播磨のお気に入りの場所の一つだ。

 ベンチに腰かけた播磨は凛に聞いた。

「お願いってなんだ」

「かよちんのことにゃ」

「かよちんって誰だ?」

「かよちんはかよちんにゃ。小泉花陽」

「もしかして、お前ェと一緒にいた、メガネの」

 ボブカットの少女が頭に浮かぶ。

「そうにゃ。かよちんのことでお願いがあるにゃ」

「何があったんだよ」

「私とかよちんは幼馴染で、小学校のころから知り合いにゃ。それで、あの子が

アイドル好きっていうことも知っているにゃ」

「そうなのか」

「それで、凛ちゃんはかよちんにもスクールアイドルになってもらいたいと思ってる

にゃ。それだけの才能があの子にはあると思うから」

「……はあ」

「でも、その話をしたらかよちんは『自分にはそんな才能はない』って言って断るにゃ」

「……」


「かよちんは十分かわいいと思うし、アイドルになれると思うのに、イマイチ自信が

持ててないから、スクールアイドルになろうとしないと思うにゃ」

「で、俺にどうしろと」

「先輩からスクールアイドルになってくれってお願いして欲しいにゃ」

「あン?」

「かよちんは秋葉原で先輩に助けられた時から、先輩のことを憧れていると思うから、

先輩の頼みだったら聞いてくれると思うにゃ。お願いします」

 そう言うと、凛は立ち上がって頭を下げた。

「星空」

「はい」

「お前ェ、勘違いしているかもしれねェが、俺は誰かを無理に参加させるつもりはねェ」

「……でも」

「例えお前ェの友達にアイドルの才能があるとしよう。だがここはあくまで学び舎で

あって、プロダクションじゃねェんだ。自分でやろうとしねェ奴に強制することは

できねェ」

「そんな、強制とかじゃないにゃ。なんていうか、ちょっと背中を押してあげれば、

かよちんもその気になるというか」


「その気になるのもならないのも本人次第だろうが。今、ステージに立ってる二年生

も、皆自分の意志でアイドルやってんだ。誰かに頼まれたわけでもねェ。自分のために

やってる。そうじゃないとやっていけねェと思う」

「先輩。凛にはわかるにゃ。かよちんがアイドルやりたがってること。でもそれを

言い出せないことも」

「そんなの、本人次第だろ。本当にやりたくてもやらない、そんなの普通は通じねェぞ。

やりたくないのと同じだ」

「先輩は薄情にゃ」

「何とでも言え。この先厳しい状況が続くことはわかってるんだ。そんな中途半端

な覚悟で入られても困る」

「でも……でも」

 そう言うと、凛は播磨の制服を掴んだ。

「おい、バカ。掴むな」

「せっかくのチャンスなのに」

「あのな、星空。落ち着け」

「うにゅう」

「お前ェの気持ちもわからんでもない。だったらアレだ。練習の見学に来い」

「練習?」

「この前も言っただろう? アイドルってのはステージだけが全てじゃねェ。

つうか、俺もやってて初めてわかったけど、そのほとんどが練習だ」


「……」

「見学くらいだったら別に来ても構わないぜ」

「それだけでいいにゃ?」

「その練習を見て、そのかよちんだっけ? そいつがどう思うかは勝手だ」

「わ、わかりました。それじゃあ今日の放課後、かよちんを連れて練習の見学に

来ますにゃ」

 そう言うと、凛はなぜか挙手の敬礼の格好をした。

「まあそう肩に力を入れるなっての」

 新人は欲しい。でも覚悟無く来てもらうのも困る。それは播磨の偽らざる思いで

あった。




   *




「きょ、今日はお願いします」

「お願いしますにゃ」

 その日の放課後、星空凛と小泉花陽の二人が練習の見学に現れた。

「ま、ゆっくり見てくれや」

 その相手をするのは播磨の役目だ。

「見られてると思うと、緊張するなあ」

 そう言ったのは穂乃果だ。


「お前ェらはいつも通り練習すりゃいい。それを見せるのもいい訓練だ」

「その通りです穂乃果。アイドルはいつも見られていることを意識することが重要

だと、『世界アイドル入門』(民明書房刊)にも書いてありました」

 そう言ったのは練習を実質的に取り仕切る海未である。

「でも、どうして練習場ではなく、神社なんですか?」

 そう、今彼女たちがいるのは、学校ではなく学校の近くにある神社である。

「んなこと決まってるだろ。これから石段登りをするからだよ」

 播磨はそう説明する。

「へえ?」

 神社の境内で準備体操をした後、石段登りがスタートした。

 近所でも、これほどの段数を持つ階段は多くない。練習には最適だ。

「アイドルは時に何ステージもこなさないといけないことがあるからな、それを支える

ための基礎体力と足腰を鍛えるために、こうして天気のいい日は階段登りをするのさ」

「よーい、スタート!」

 雷電の掛け声で一斉に階段を上りはじめる、穂乃果、海未、そしてことりの三人。

「今日は一番取っちゃうよ!」穂乃果は言った。

 最初のうちは余裕の表情を見せていたほのかたちも、往復を重ねるうちに段々と

表情を無くしていく。

「はあ、はあ、はあ」

「頑張れ! まだ半分はあるぞ」

「ふあい!」


 季節は春。とはいえ、夏前のきつい紫外線が降り注ぐ。

 全員汗まみれになりながら階段を上る。

 だがこんなものはまだまだ序の口だ。

 階段登りを終えた穂乃果たちは急いで学校に戻り、練習場でストレッチを始める。

 身体が冷えないうちにストレッチを行う。

「うわあ、柔らかい」

 穂乃果たちのストレッチを見て花陽はつぶやいた。

「最初からみんな、こんなに柔らかかったわけじゃねェぜ」

 メンバーの中では、今の所一番身体が柔らかい。大きく脚を広げペタリとお腹を床に

つける。

「高坂なんかは、かがんで床に手を付けるのでさえ危うかったんだからな」

「もう播磨くん! それは言わないでよ」

 そんな穂乃果も、今では股割りもできるくらい柔らかくなっている。

「体の柔軟性だって一朝一夕でできるもんじゃねェ。普段からの練習の繰り返しで

得られるもんだ」

「……」

「……」

 単純なストレッチ。それだけでも言葉を失う二人。

 更に練習は続く。

 腕立て伏せ、腹筋、背筋、スクワットなどの筋力トレーニングなどの基礎練習を

行ったあと、やっと発声練習などに入る。


 もちろんスクールアイドルには、発声だけでなくダンスなどの動きも加わる。

 今回は、雷電の考えたステップの練習を覚えなければならない。

 しかも新曲だ。

「基礎体力を維持しつつ、しかも覚えることも多い。こいつがスクールアイドルの

日常だ。派手なものなんて何一つない」

「……か」

 不意に、花陽が声を出す。

「ん?」

「感動しました、先輩!」

「お、おう」

「私、アイドルってもっとこう、特別な人たちなのかと思ってたんです」

「んなわけねェだろ」

「でもその、やっぱり特別なことなんてないんですね」

「まあな。天才にしかできない、なんて世界じゃねェよ。もちろんそれなりの努力

は必要だと思うがな」

「わたし、やってみようと思います」

「かよちん……」

「やってみるって?」

「みなさんと、先輩たちと一緒にスクールアイドル、やりたいです!」

「かよちん!」

「……そうか」


 播磨は軽く頷くと、右手を差し出した。

「よろしく。ええと……」

「こ、小泉花陽です!」

「よろしく、小泉。音ノ木坂学院アイドル部、μ’sへようこそ」

「よろしくお願いします!」

 そう言うと、花陽は播磨の右手を力強く掴んだ。

「凛ちゃんもお願いするにゃ」

「ん?」

「かよちんだけじゃないにゃ。凛ちゃんも一緒にゃ」

 そう言うと、凛も播磨の手を両手でつかむ。

 手さぐりではじめたアイドル活動。今だってこれでいいのかよくわからないけれど、

それでも新しい仲間が加わった。

 立ち止まるわけには行かない。

 前に進まなければ。





   つづく


「みんな、歌詞が完成しましたよ」

 そう言ったのは新曲の歌詞を担当した海未であった。

「マジか?」

「早いねえ!」

 昼休みの教室。

 海未の突然の発表に驚くメンバーたち。

「なんでそんなに早くできたんだ?」

 播磨は当然の疑問を口にする。

「今までノートに書きためておいたアイデアを、繋ぎ合わせただけですけど……」

(今までそんなことしてたのか)

 歌詞として生かすことが無ければ確実に黒歴史化するところだったノートが、

こうして日の目を見た。それだけでも海未にとってアイドル活動は良かったのかも

しれない。

「見せて見せて」

 歌詞カードを見る穂乃果。

「とりあえず、新曲を次のライブまでに覚えておかんとな」

 雷電は言った。

「次のライブってなに?」

「すでに予定は入れている」

「はい? 本当に? 播磨くん」

「ん? ああ。来月、スクールアイドルのイベントがあるでな、そこに出ようと

思う。一年生も入ったことだし、少しでも場数を踏んで行かんとな」

「やったあ! 凄いよ」

 飛び上がる穂乃果。

「喜ぶのはまだ早いぞ。時間が無いんだからな」

「うん!」

 新曲が完成したところで、播磨はこの曲の生みの親のことを考えた。

(あいつもいい声してたし、もしあいつが歌ったらどうなってたんだろうな)

 あいつとは、言うまでもなく西木野真姫のことである。








      ラブ・ランブル!

  播磨拳児と九人のスクールアイドル
 
     第九話 家 族



 昼休みの後半。新曲の完成で喜んでいるメンバーを後目に、播磨はいつもの中庭

でベンチに座り、とある人物を待っていた。

「播磨くん」

「どうもッス」

 一年年上の生徒会副会長、東條希である。

「嬉しいわ。播磨くんからお呼び出しなんて。それで、何か相談?」

「まあ、そうッスね」

 希は播磨の横に座る。

(ちょっと近くないですかねえ)

 希はほんのりとバニラエッセンスの香りを漂わせていた。

「あの、その……。相談なんッスけど」

「うん?」

「女の人っつうのは、どんなことをしたら喜ぶんッスかね」

「好きな人やったら、一緒におるだけも嬉しいもんよ」

「いや、そういうんじゃなくて」

「え? ウチの素直な気持ちやけど」

「いやいや、もっとこう一般的な」

「話が見えへんなあ。一から説明してくれへんと」

 そう言うと更に距離を詰めてきた。

「いやだから近い近い」


 思わずバランスを崩す播磨。

「ウフフ。意外とウブなんやねえ」

(この女、絶対遊んでいやがる)

 播磨はそう思ったが、“こういう相談”は希以外に出来そうにないので我慢する

ことにした。

 改めて座り直す播磨。

「実は、μ’sの新曲を作曲したんッスけど、その作曲を手伝ってもらった人が

いるんッスよ」

「あら、そうなん」

「んで、手伝ってもらったお礼に何かしてやりてェと思ってるんですがね。男だったら

特に気にすることないんッスけど、相手が女子生徒なもんでどうしたらいいのか

わからなくて」

「それでウチに相談したってことやね」

「はい。まさか金を渡すわけにもいかんし、どうすればいいのか」

「うーん、せやったら一緒に食事にでも行ったらどない?」

「食事?」
 
「何かのお礼に食事をご馳走するって、よくあることやない?」

「そ、そうッスね。そういえば。だけど」

「ん?」


「俺はあんま、女が喜ぶようなメシ屋を知らねェんだよなあ。ラーメン屋とか、

小汚い大衆食堂くらいしか行かねェし」

「まったく、世話のかかる後輩やねえ」

「え?」

「ウチがオススメのお店を何件か教えてあげるから、そこ行ってき」

「うおっ! 助かるッス」

「ウフフ。これは貸しにしとくからね」

 希の目が怪しく光る。

「……わかりました」

 何の要求をされるのだろうか。

 それを考えるとちょっと怖くなる播磨なのであった。





   *




 その後、教室を移動している時播磨は真姫とすれ違った。

「こんにちは、先輩」

「よう。お疲れ」

 彼女はいつものように挨拶をしてくれた。

 つり目で気が強そうな外見をしているけれど、決して悪い子ではないことは播磨が

よく知っているつもりだ。むしろお節介なくらい親切な少女である。

「今の一年と知り合いのか? 拳児」

 隣にいた雷電が聞いてきた。

「お、おう。ちょっとな」

「確か西木野真姫だったかな」

「え? 知っているのか雷電!」

「ああ、聞いたことがある」

 今更ながら雷電の情報力に驚く播磨。

「確か都内にある医療法人錦会病院院長の一人娘だとか言ってたな」

「錦会病院って、結構でかい病院だぞ」

 播磨も聞いたことがある名前だ。

(まずいな。結構いいところのお嬢さんだな。簡単に誘って大丈夫なのか)

 播磨は少しずつ不安になってきた。





   *



「畜生……」

 その夜、播磨は携帯電話を睨みながら悩む。

 穂乃果や雷電相手なら、こんなに悩むこともないのだが相手はお嬢様だ。

(くそっ、んなこと気にしてどうすんだよ。ちっと礼をするだけじゃねェか)

 播磨は勇気を振り絞り、電話をかける。

 呼び出し音が鳴り、相手が出た。

『……はい』

 やや不安そうな声。

 だが間違いなく真姫の声だ。

「もしもし、西木野か? 播磨だけど」

『ど、どうされたんですか? 播磨先輩。電話で』

「ん? ああ」

 真姫と連絡を取る際は、いつもメールを使っていたのだ。こうして電話をかけたの

は初めてかもしれない。

「そのよ、明日の土曜日なんだけどよ。夕方時間あるか?」

『夕方ですか?』

「まあ、だいたい六時ごろかな」

『あると、思いますけど。また作曲の話ですか?』

「ああいや、そうじゃねェんだ。もちろんそれも関係あるんだけだよ」

『え? どういうことです』


「その、作曲を手伝ってくれたお礼によ、メシでも一緒にどうかなと思って」

『そ、そんな。気にしなくていいのに!』

「いや、世話になりっぱなしじゃあ俺の気が済まねェ。だから、ちっと付き合って

もらえねェか」

『……』

「嫌か。無理にとは言わんけど」

『いえ、全然嫌じゃないです。むしろ私なんかにそんな、気を使ってもらわなくても!』

「気使うとかじゃなくてよ、その俺の気がすまねェってだけだ。他意はねェ」

『あの……、わかりました』

「そうか。すまねェな。昼間はμ’sの練習があるから、夕方になっちまうけど」

『練習、ですか』

「ああ、次のステージも近いからな」

『とりあえず、待ち合わせ場所を決めようぜ。生徒会の副会長さんにいい店を紹介して

もらったんでよ』

「は、はい」





    *




 西木野真姫の部屋――

 真姫は先ほどから天井を見つめながら呼吸が収まるのを待っていた。

(そんなつもりじゃあ無かったのにな)

 思わぬ人物からの思わぬ誘いに戸惑っていた。

(どうしよう、男の人と食事に行くなんて初めて……! でも播磨先輩は女の人に

慣れてるんだろうな。スクールアイドルをプロデュースするくらいだし)

 真姫は顔を両手でおおってベッドの上をゴロゴロと転がった。

(んああ。なんか改まって誘われると凄く恥ずかしい。ど、どうしよう)

「はっ!」

 急に起き上がる真姫。

「ま、眉毛とか大丈夫かな。肌とか荒れてないかな」

 鏡を取り出して自分の顔を確認する真姫。

(ああ、今からじゃあ美容院とかも間に合わないし。明日朝一で予約入れようかな)

 播磨からの誘いに、完全にテンパっていた。






   *


 翌日――

「はい、今日の練習はここまで」

 海未がそう言って手を叩く。

「はあ、はあ。疲れた」

「疲れたにゃあ」

 新しく入った一年生二人は初めの体力作りですでにかなりのダメージを受けたらしい。

「もう、凛ちゃんも花陽ちゃんも、情けないぞ」

 そう言ったのは穂乃果だった。

「お前ェだって、一か月前まではあんなだっただろうが」

「え? そうだっけ」

 少し先輩というだけで、一年生と二年生との間にそれほど差はないと播磨は考えて

いる。むしろ、運動神経だけなら星空凛のほうが穂乃果よりも高いかもしれない。

 ちなみにメガネが特徴的だった小泉花陽はいつの間にかコンタクトレンズにかえていた。

「日曜日はお休みにするから、しっかりと身体を休めてね」

 そんな一年生達に海未は言った。

「やったにゃー。遊びに行くにゃかよちん」

「そんな元気ないよ凛ちゃん」

 凛はまだまだ元気がありそうだ。

「ねえ播磨くん」

「あン?」


 不意に穂乃果が話しかけてきた。

「今日ウチに来ない? 実は今夜は手巻き寿司パーティーなんだよ。人が多いほうが

楽しいでしょう?」

「相変わらず二人は仲がいいな」

 雷電が言った。

「そうですね」

 それに海未が同意する。

「悪い高坂、今日はちょっと約束があるんだ。また今度な」

「ふえ? もしかしてアルバイト? 播磨くんまだやってたの?」

「いや、そうじゃねェんだが。まあ人と約束があってな」

「誰?」

「お前ェは知らなくていい」

「なんか怪しい」

「べ、別に怪しくねェし」

 播磨は穂乃果から目を逸らす。

「ちょっとメシを食いに行くだけだ。大したことじゃねェ」

「じゃあ私も行く」

「お前ェは家で手巻きマキマキしてろ!」

「ほら穂乃果。播磨くん困ってるでしょう? 相手にも事情があるんだから」見かねた海未が止める。

「そ、そうだぞ高坂。俺にも事情があるんだ。んじゃな」

「ちょっと播磨くん」

 後ろめたさが無い、と言えばウソになるが。今の時点で真姫との関係を人に言うわけ

にはいかない。

 播磨はそう考えて、足早に学校を後にした。




   *





 午後五時五十分――

(また居合わせの時間に三十分も早く来てしまった)

 緊張した真姫は遅れてはいかんと思い、午後五時半にはすでに待ち合わせ場所に立っていた。

 ちなみにこの日の服選びには、前日二時間かけて選んだにも関わらず、さらに二時間

三十分かけてしまったのだ。

(何を緊張してるの私。たかだかごはんを一緒に食べに行くだけじゃない。別に他意は

無いって先輩も言っていることだし。何もないのよ)

 さっきからそう自分に言い聞かせているけれど胸の高鳴りがなかなか収まらない。

「おお、悪い。待たしちまったか」

「ひっ!」

「西木野?」

「あっ、ごめんなさい。わ、私も今来たところですから」

 真姫は心にもないことを言う。

 彼女の目の前には、制服ではない私服姿の播磨がいる。

「なんか、私服姿の先輩って新鮮ですね」

「そういや、お前ェの私服は春休みの時に見たな。今日はあの頃とだいぶ違うけどよ」

「そ、そうですか? 普段着なんですけど」

 ちなみにその“普段着”を、彼女は昨日から延べ四時間三十分かけて選んだ。

「それじゃ行くか。あんま遅くなると親御さんも心配するだろうしよ」


「え? はい」

 きびきびと歩く播磨の後ろをついていく真姫。

 親以外の男の人と一緒に歩いたことがないので、そのペースがよくわからない。

「ん? どうした」

「いえ、別に」

「歩くの、ちょっと早かったか」

「あ、はい」

「遠慮すんな。そういうのはちゃんと言ってくれよ」

「別に、遠慮なんか」

「……」

「……」

 二人並んで歩く。

 これはまるでデートのようだ。そう思うと真姫は大いに意識してしまう。

「すまねェなあ。俺の自己満足につきあわせちまってよ」

「そんな、自己満足なんて」

「だってよ。すげえ世話になったんだぜ。何かお礼がしたいじゃねェか。でも俺バカ

だから、こういうことくらいしかできねェんだよ」

「べ、別にあのくらい大したことはしてませんよ」

「ははっ、お前ェすげえなあ」

「……凄くないですよ」

 ぎこちない会話を交わしながら二人は歩く。


 しばらく歩いたところで、小さな洋食屋が見えた。

「予約してた播磨だけどよ」

「お待ちしてました」

(へえ、こんなお店があったんだ)

 外から見ると小さいけれど、中は思ったよりも広く、何より雰囲気が良かった。

「いいお店ですね」

「先輩から教えてもらった。俺はこんなんだからあんま、女が喜ぶような店とか知らねェ

からよ」

「そうなんですか?」

「ああ」

「普段はどんな店に」

「普段? そりゃ、ラーメン屋とか大衆食堂みてェな」

「そっちの方がよかったかも」

「え?」

「私、行ったことないんで」

「え、ラーメン屋とか牛丼屋も?」

「そうですよ?」

「本当か?」

「え……、はい」

「お嬢様ってのは本当だったんだな」


 播磨は小声でブツブツとつぶやく。

「え、何ですか?」

「ああいや、何でもねェ」

「いらっしゃいませ。メニューをどうぞ」

 ウェイターがそう言って二人にメニューを渡す。

 
  


   *





 食事はとても和やかな雰囲気で進んだ。

 こんな風に落ち着いてメシを食うのも久しぶりかもな。

 播磨が行くような店では、大抵店内が騒がしく、急いで食べないといけないような

場所ばかりだ。

(でも高ェ……)

 高級フランス料理店などにくらべればはるかに良心的な値段の店ではあるけれど、

それでも高校生である播磨にとっては大きな出費であった。ただでさえ、最近は

アイドル活動の支援でアルバイトができないわけだから。

「あの、半分出しましょうか?」

 会計の際、真姫は気を使って財布を取り出した。


 なんだか高級そうな財布。

「いや、誘ったのは俺だから、俺が全部払うよ」

 食後のコーヒーも含めて総額三千四百八十円。決して高くはないが、今の播磨に

とってはかなりキツイ金額だ。

 来週からの昼食は卵サンドではなくパンの耳になるかもしれない。

 そう思いつつ、播磨は会計を済まし、真姫と店を出た。

 店を出るころには外はすっかり暗くなっていた。

「済まねェな。遅くまで引きとめちまってよ」

「いえ、大丈夫ですよ。子供じゃないんだし」

「そうか」

 外の風は、ちょっと冷たかった。

「そういや、前から気になってたんだけどよ」

「はい?」

「何でお前ェ、学校でピアノ弾いてたんだ? 聞くところによると、お前ェの家って

金持ちみたいじゃねェか」

「そんな、お金持ちって」

「いや、別にいやらしい意味じゃねェんだ。ただ、家にもピアノがあるんじゃねェかな

あと思ってよ。わざわざ学校で弾かなくても……」

「そうですよね。まだ入学もしていないのに、学校でピアノを弾かせてもらうって、

やっぱり変ですよね。それも音楽科でもない普通科の生徒が」


「……ん」

 やはり悪いことを聞いちまったかな、と思う播磨。

 しかしそんな播磨を気遣うように、真姫は話はじめた。

「先輩の思った通り、理由はあるんです。確かにウチにもピアノはありますよ。

でも、家出は弾き辛くて」

「隣りの人が苦情を言うとか?」

「い、いえ。一軒家なんで、苦情が来たことはありませんね」

「そうか。じゃあ、どうして」

「私の親って、病院で院長をやっているんです」

「そうか」

(雷電から聞いたことがある、というのは黙っておこう)

 播磨はそう思った。

「それで、ウチは子供が私一人しかいないから、私が家業を継ぐことなっちゃって」

「つうことは」

「はい、親からは医学部に行くよう言われています」

「……」

「昔はそんなことはなかったんですよね。女の子の嗜みとして、音楽だけでなく、

お花や踊りなんかも習ってて、その中でもピアノが一番好きで、毎日のように

弾いてました」

「そうか。だからあんなに上手かったんだな」


「でも中学校に上がったころから、ウチにはもう弟も妹も生まれそうにないってわかって、

まあ、母親の年齢の問題ですね。それで、必然的に私が家のために医者になることが

決まったわけです」

「…………」

「だからウチの親は、音楽よりも勉強するように言うようになったんです。特に私の

お父さんは、私がピアノを弾くのをあまり良く思わなくて。昔はそうでもなかったんで

すけど」

「だからあんなにピアノ上手かったのに、音楽科じゃなく普通科に」

「私より上手な人なんてたくさんいますよ。ピアノではね」

「だけど、作曲は」

「え?」

「作曲は良かったぜ」

「あれは、先輩がイメージを伝えてくれたんで」

「実は、音楽は私にとって一種の逃避でした」

「逃避?」

「はい。親から医学部に入るために勉強しろっていうプレッシャーからの逃避。

医師になることにそれほど抵抗は……、ないんですけど、やっぱり好きなこと

もしたいから」

「……」

「だから、先輩と一緒に作曲をしていた時は楽しかったです」


「へ?」

「人と一緒に何かを作るって、なかなかできないじゃないですか。先輩の役に立てる、

人の役に立つために私の音楽がある。自分の好きなことが人の役に立つなんて、

こんなに嬉しいことはありませんよ」

「西木野、お前ェ。いい奴だな」

「そんな……。身勝手なだけです」

「……」

「……」





   *




 その後、しばらくの間二人は無言で歩いた。

 しかし、その無言は重苦しいものではなく、むしろ心地よい無言であったと思う。

 夜の音を聞きながら、真姫はもう少しだけ一緒にいたいと思った。

 けれども終わりはやってくる。

「もうすぐウチです。送ってくれてありがとうございます」

 そう言うと、真姫は改めて播磨にお辞儀をした。

「きれいなお辞儀だな。育ちの良さってのは、こういうところで出るのかね」


「べ、別に育ちの良さなんて」

「あの、いきなりで悪いんだが」

「はい?」

「一緒に、やらねェか」

「な、何を」

「アイドル」

「はい?」

「その、お前ェの音楽を、もっとたくさんの人に伝えたいっていうんだったらよ、

俺たちとμ’sで活動したらいいんじゃねェかって、考えちまって」

「それは……」

「すまねェ。勝手な思いつきだ」

「そんなに簡単に言わないでください」

「ああ、悪かった」

「もし言うんだったら、本気で言ってください」

「は?」

「私が必要だって」

「……わかった。西木野真姫、お前ェが欲しい」

「……!」

 播磨の一言に真姫の心拍数は一気に高まる。

 別に“そう言う意味”ではないことはわかる。でも、滅茶苦茶嬉しい。

「責任、取ってくださいね」

「ああ、任せとけ。医学部を目指すインテリ系アイドルも悪くねェだろ」

「なんですか、それ」

 そう言って真姫は笑った。




   *





 
「というわけで、新しい仲間だ」

 月曜日、播磨はμ’sのメンバーに西木野真姫を紹介する。

「西木野真姫です。よろしくお願いします」

「ほえ?」

「西木野さん!?」

 一年生グループは驚いていた。

「今まで黙っていたけど、作曲を手伝ってくれてたのは彼女なんだ」

「何でそんな大事なことを」

 穂乃果や海未も驚いていた。

「よろしくね真姫ちゃん」

 ことりは相変わらずマイペースだった。

「むぅ……、播磨の協力者が西木野真姫であったとは」

 腕組みをして顔をしかめる雷電。

(修行が足りねェぜ雷電)

 それを見て播磨はほくそ笑んだ。

 こうして、西木野真姫は三人目の新メンバーとして加わった。

 だが、新たなメンバーは彼女だけではなかったのである。





   つづく

原作と違って海未には雷電がいるから(答えになってない)




 昼休み。いつもの中庭いつものベンチ。

 播磨はそのベンチのやや右寄りに座る。

 そして左寄りに座るのは、生徒会副会長東條希だ。

「先日は、お世話になりました」

 播磨は少し低い声で言った。

「あら、意外と律儀なんやね」

 希は微笑みながら言った。

「筋を通すのが俺の主義なんで」

「そっか、でもさすがやわ。あの西木野真姫を仲間に引き入れるなんて」

「知ってるんッスか?」

「大病院のご令嬢よ。知らないわけがないじゃない」

 確かに、雷電も知っているくらいだからそれだけ有名なんだろう。

「ちょっと気難しくて、同世代とはあまりお話をしていなかったみたいやけど、

どうやって仲良くなったんかな」

「まあ、偶然ッス」

「そう。まあ、真姫ちゃんの話はこれくらいにして」

「……」

「ウチの頼み、聞いてくれるかな?」

「お金以外のことなら何でも」

「別にお金は取らへんよ。それじゃあ今度の日曜日、秋葉原にこれを買ってきて

くれへん?」

 そう言うと、希は封筒を手渡す。

「なんッスか、これ」

「開けてみて」


「ん」

 言われるままに、中を開けると、そこには紙に書かれたリストのようなものが

書いてあった。

「こいつは……」

「同人誌のリスト。これを全部買って来て欲しいの」

「……はあ?」

「お願いね。お金も渡すわ」

「ちょっと待ってくれ先輩」

「なんや?」

「何で俺が同人誌を買わにゃならんのか」

「うーん、カードの思し召しかな?」

 そう言うと、希はポケットからタロットカードを取り出す。

「何か他にやることあるでしょう」

「ウチ、こう見えてなかなか忙しいんやで。それに、ウチのおかげで真姫ちゃんが

仲間になったと思うたら、安いもんやろ?」

「ぐぬぬ。しかし……」

 ふっと、希が顔を近づけ耳元でささやく。

「頼むで、播磨くん」

「……わかりました」

 副会長には借りがあるので、無碍にはできない。

 こうして次の日曜日、播磨は同人誌を買いに秋葉原に行くことになった。







      ラブ・ランブル

  播磨拳児と九人のスクールアイドル

     第十話 笑 顔



 秋葉原。相変わらず人が多い。それも日曜日となれば当然かもしれない。

 播磨は、希から預かった同人誌のリストと実弾(現金のこと)を持って、

秋葉原の同人誌ショップを巡った。

 なぜか一店舗では全部買えなくて、実に面倒くさい。

 午後三時前には帰れると思っていたのだが、思ったよりも遅くなってしまった。

「はあ、やっと買い終わったぜ」

 リストをチェックしながら播磨は溜息をつく。

 ベテランの同人誌ハンターなら、小一時間で済むようなことだろうけれど、

素人の播磨にはかなり難しい仕事であった。

 おやつ代わりにうどんでも食って帰るか、そう思ったその時。

 また嫌な予感がした。

「いやっ」

 播磨のお節介センサーが反応する。

(今の声、中学生? いや、もっと幼いな)

 播磨は声のした方向に向かって走った。

 かなり薄暗い路地だ。見るからに危なそうな場所であることはわかった。




   *





「へっへっへ。お嬢ちゃん。こんな所で何をしてるんだい?」

「お兄さんたちと遊ばないかい?」

 見るからに気色の悪い二人組が背の低い少女を囲んでいる。

 一人はチェック柄のシャツをジーンズの中に入れてバンダナを撒いている痩せ型の男。

もう一人はデブだ。髪の毛の頭頂部がやや薄い。

「も、申し訳ございませんが、わたくしはお姉さまを探さなければいけませんので」

 少女は、やけに礼儀正しい喋り方をしている。どこかの家のご令嬢か。

 それにしても背が小さく声も幼いので、かなり小さい子なのだろう。

「だったら僕たちが一緒に探してあげるよ。ぐへへ」

 こいつはヤバいな。

 播磨は本能的に悟る。

 あの二人は、いわゆるロリコンという種類の人間であろう。

 だとしたら少女が危ない。

「テメェーら! 何やってる!」

 ドスを効かせた声で播磨が叫ぶ。

「ひいいい!!」

「べ、別に何もしてましぇええん。イエスロリータノータッチ!」

「本当だろうな」

「いやあああ!!」


 ロリコン(推定)の二人組は播磨の凄みに恐れをなし、早々に走り去って行った。

「ったく、何て連中だ」

 後ろ暗いところが無けりゃ、逃げることもないだろうに。

 そう思いつつ、播磨は目の前にいる少女を見る。

「なっ!」

 その少女の顔を見て思わず驚きの声を出してしまった。

「矢澤にこ!?」

 目の前にいる小さな少女は、矢澤にこそのものと言っていいほどそっくりであった。

 しかし、サイズは更に小さく、髪の毛も左側だけを縛っている。

「ほえ? お姉さまをご存じなんですか」

 にこそっくりの少女は言った。  

「お姉さまって、もしかしてお前ェ矢澤の妹か何かか」

「はい、わたくし、矢澤にこの妹の矢澤ココロと申します」

「あ、ああ。播磨拳児だ。矢澤とは同じ学校に通ってる」

「ハリマケンジ? あ、お姉さまから聞いたことがあります」

「何?」

「確か播磨さんはお姉さまのファンクラブ代表の方ですよね」

「ファン……、クラブ?」

「凄く熱心に応援してくれていると聞いております。いつもありがとうございます」

 そう言うと矢澤こころは深々と頭を下げた。


「ああ! こころ! こんな所にいたのね!」

 不意に聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「はい。危ないところでしたが、この方が助けてくださいました」

「ゲッ、アンタ!」

 播磨の顔を見てにこはたたらを踏んで立ち止まった。

「どうも、ファン代表の播磨拳児です」

「……」

「事情を聞かせてもらおうか」

「うう」

「おねーちゃん、この人誰?」

「誰?」

 にこの両隣には、これまたにこにそっくりな男の子と女の子が立っていた。




   *


 近くの公園。播磨はにこと同じベンチに座り、事情を聞いていた。

 公園では、にこの妹のココロが、下の二人の妹ココアと弟の虎太郎の相手をしている。

「秋葉原にあんな小さい子供を三人も連れて行くなんて、危なすぎんだろう。

現にさっき怪しい奴らに声をかけられてたぞ」

「それについては申し訳ない。親が仕事で出かけていて、あの子たちだけで留守番

させるわけにもいかなくて。どうしても欲しかったアイドルの限定グッズがあったのよ」

「今日じゃなくてもいいだろう」

「今日じゃなきゃダメなのよ! 購入特典とかもあったし」

「ああそうかい。それともう一つ」

「ギクッ」

「俺がファンクラブ代表ってどういうことだ」

「……まあ、言葉のあやというか、当たらずとも遠からずでしょ?」

「全然当たってねェよ! かすりもしてねェ!」

「そ、そんなに怒らなくてもいいじゃない」

「つうか、俺とお前ェは学校では何の関係もないじゃねェか」

「ま、まあそうだけど……」

「とりあえず、終わっちまったことを言っても仕方ねェ。次は気をつけろよ」

「はいはい」

「本当に反省してんのかよ」


「ねえ、迷惑ついでにもう一つお願いがあるんだけど」

「何だよ」

「妹たちを連れて帰るの、手伝ってくんない?」

「はあ?」

「ほら、私商品持ってるし、三人一緒に連れて帰るのって不安なのよ。さっきも

こころが勝手にどっか行っちゃったし」

「お前ェなあ、どこまで図々しいんだよ」

「いいじゃない。夕食食べさせてあげるから」

「ん……」

 ふと、うどんでも食べて帰ろうかと思っていたことを思い出す播磨。

「しかたねェ。チビどもに罪はないんだ。今回だけだぞ」

「ありがとう、播磨くん」

 そう言ってにこは満面の笑みを浮かべた。




   *




 帰りの電車の中で、播磨は矢澤ココロと末っ子の虎太郎の手を引いて帰ることになった。

「おじちゃん誰~?」

 弟の虎太郎が播磨は言った。

「おじちゃんじゃねェ、お兄ちゃんと言え」

「お兄ちゃんはお姉ちゃんの恋人なの~?」

「ち、違うわよ虎太郎!!」

 前を歩いていたにこが振り返って否定する。

「おい、ちゃんと前見て歩け」

 播磨はそれを注意する。

「わかってるわよ」

「違いますわ虎太郎。この方はお姉さまの恋人ではございません。アイドルに恋は

御法度ですわよ」

 播磨の右隣にいたココロがそう言った。

「じゃあなにー? お友達?」

「彼はお姉さまのファン代表ですわ」

「それも違うっつうの」

「あら、そうですの?」

 ココロには悪気はないようだ。ただ、にこの言うことを純粋に信じているのだろう。


 電車に乗り、家に着くころには虎太郎は播磨の背中ですやすやと寝息を立てていた。

「助かるわ播磨くん。こういうことは、男の子じゃないとできないからねえ」

 にこは楽しそうに言う。

「別にこれくらいいいけどよ」

 虎太郎はそれほど大きくないので、別に負担にはならない。

「ここか……」

 矢澤にこの家は大きな団地にあった。典型的な庶民の家という感じだ。

 エレベーターに乗って、矢澤家の部屋に向かう。

 典型的な団地のマンションであり、中は広くも無ければ狭くもない。

 子供が三人もいるわりにはきれいに片付いていた。

 壁にはA-RISEのポスターが貼られていた。ファンなのだろうか。

「それじゃあ、今から夕飯の支度するから、妹弟たちの面倒を見てて」

「見ててって、何すりゃいいのさ」

「バトスピやろー!」

 家に着いた途端、虎太郎は起き上がった。

 お昼寝も完了して元気いっぱいといった感じだ。

「ねえねえ、播磨のお兄ちゃんはお姉ちゃんのことが好きなの?」

 今度はココアのほうが聞いてきた。

 もう否定するのも面倒になってきた播磨。

「そういうんじゃねェの。ただ、同じ学校ってだけ」

「じゃあ片思い?」


「だから違うつってんだろう」

「バトスピやろうよお」

「もう、虎太郎はお子様ですわねえ」

 洗濯物を畳みながらココロは言った。

 いつの間にかエプロンをつけたにこは、手早く鍋などを取りだし食事の準備をしている。

「随分と手馴れてるな」

「まあね、親が留守な時も多いし。そん時は私が妹や弟たちの面倒を見なきゃならないから」

「苦労してんだな。学校じゃあわかんなかったけど」

「ふん、一流のアイドルは生活の苦労など見せないものよ」

 そう言いながらにこは野菜を洗う。

「ねえねえ、兄ちゃん」

「わかった、わかったから」

 播磨は虎太郎やココアと遊びながら時間を潰した。

「アンタ、意外と子供の扱い慣れてるね」

 その様子を見ながらにこは言う。

「弟が一人いるからな。それと、幼馴染の妹ともよく遊んだりしてたしよ」

「へえ、そうなんだ」

「といっても、最近じゃあ弟も大人ぶりやがって、一緒に遊ぶなんてことはなくなった

けどなあ」

「ふーん」


「お兄ちゃん! 腕相撲しよう」

「ようし、両手でかかってこい」

「うにゃああ」

「ココアも手伝う」

「まだまだだな」

 居間で遊んでいるうちに、その日の夕食が出来上がったみたいだ。

「随分と早いな」

「今朝作っておいたものとかあるし。それにお母さんが作り置きとかもしれくれるの。

学校もあるし、家事は効率的にこなさないとね」

「お、おう」

 矢澤にこの意外な女子力(主婦力?)の高さに驚く播磨。

「さっ、夕食の準備するから、ココロ。手伝って」

「はい、お姉さま」

 ココロも慣れているらしく、てきぱきと夕食の準備をすすめる。

「こっち、お皿並べて」

「わかったよ」

 播磨も一部手伝った。

 そして、

「いただきまーす」

 豪華、とは言えないけれど一般的な過程の夕食が目の前には用意されていた。


 サラダに肉じゃが、漬物、味噌汁。どれも美味しそうだ。

 特に子供の相手をして疲れていた播磨にとってはとても美味に感じた。

(お袋の味って感じだな)

「すげェなあ、矢澤。料理もできるなんて」

「当たり前です。お姉さまは料理もできるスーパーアイドルなんですから」

 ココロは誇らしそうに言った。

「いやあ、アハハ」

 スーパーアイドルと言われて、苦笑いするにこ。

「おい虎太郎、ちゃんと箸を使えよ」

 播磨は隣に座る虎太郎に箸の握り方を教えつつ、食事をした。

 夕食を終え、しばらく遊んでいるとココアと虎太郎の下の子供たちは眠ってしまった。

 まったく、子供はフリーダムで羨ましい。

 よくよく考えたら、これから彼らを風呂に入れなければならないのだから、子育て

というのは本当に大変だと思う播磨。

「それじゃ、俺は帰るぜ」

 あんまり長居してもアレなので、播磨は希から頼まれていた同人誌の入った紙袋を持って

帰ることにする。

「そう、もう帰るの」

 ふと、寂しげににこは言った。

 まさか泊まって行くわけにもいくまいて。

「あの、拳児お兄さま?」


「あン?」

 不意に、まだ起きていたココロが播磨に近づいてきた。

「どうした、ココロ」

「あの、お姉さまをよろしくお願いします」

「え、何で」

「アイドルはファンが育てるといいますし、お兄さまの応援でお姉さまを一流の

アイドルにしてくださいませ」

「あのなあ……」

 俺はお前のお姉さまのファンじゃない、と言おうとしたが彼女の後ろにいたにこの

顔があまりにも悲しそうだったので、言うのをやめた。

「わかった。お前ェのお姉ちゃんを一流のアイドルにさせてやるぜ」

 そう言って、播磨はココロの頭を撫でる。子供らしいやわらかい髪の毛だった。

「播磨くん。表まで送るわ。ココロ、虎太郎とココアをお願いね」

 二人の様子を見ながらにこは言った。

「はい、お姉さま」

「行きましょう、播磨くん」

「お、おう」

 にこに連れられるように、播磨はマンションを出た。




   *





「今日は色々とありがとうね」

 すっかり暗くなった空の下で、にこは礼を言った。

「まったく、いい迷惑だぜ。ただでさえ、面倒な買い物を頼まれたっていうのによ」

 そう言って右手の紙袋を見る播磨。

「あの、妹たちに変なこと言って、その……、ごめん」

 俯きながらにこは言った。

「らしくねェな」

「う、うるさいわねえ。人がせっかく素直に謝ってるっていうのに」

「わかった、わかったよ。お前ェはアレだな。妹弟たちのアイドルなんだな」

「……そうね」

「あのよ、矢澤」

「何よ」

「もし、お前ェがよければ、本物のアイドルにならねェか?」

「え?」

「俺はお前ェのファン代表にはなれねェけどよ、スクールアイドルにはすることが

できる。一緒にラブライブに出場することだって」

「それって、私をスクールアイドルに誘ってるわけ?」

「まあ、そうなるな」

「……いいわよ」

「まあ、無理にとは言わんが……、ん?」

「しょうがないわねえー」


 そう言ってにこは腕を前に組んだ。

「そこまで言われたら断れないじゃない。よし、にこが音ノ木坂のスクールアイドルを

日本一に、いえ、世界一にしてあげるわ! よろしくね!」

 そう言うと、にこは右手を差し出す。

「お、おう」

 播磨はにこの手を握り返す。思ったよりも小さな手だ。この手で妹や弟たちの世話

をしていたのだと思うと少し感慨深いものがある。

「あと、にこのことは『にこ』って呼びなさい。にこにーでもいいわよ」

「なんだそりゃ」

「とにかく、苗字で呼ばれるのって、あんまり好きじゃないのよね。わかった」

「わーったよ、にこ」

「よろしい。じゃあ明日からバンバン行くわ」

 そう言って、にこは腰に手を当てた。

「バンバン行くって」

「にこに任せなさい」

 暗くてわかり難かったけれど、にこは今日一番の笑顔を見せていたと播磨は思った。

 無理に作った笑顔ではなく、心からの笑顔を。







   つづく






 月曜日の昼休み、播磨はいつもの場所で東條希に頼まれていた“例の物”を渡した。

「一、二、三、四……、うん。間違いないわ、ご苦労様」

 紙袋の中身を確認した希はそう言って頷いた。

「ったく、男になんてもん買わせんだよ」

「ちょうど用事があったから、行けへんかったのよ。ごめんね」

「まあいいッスけど」

「それより、にこっちを引き入れたそうね」

「情報早いッスね」

 にこっち。つまり矢澤にこのことだ。どうやら希はにこのことをそう呼ぶらしい。

「本人から聞いたからね」

「そうッスか」

 そういえば、にこと希は同じ三年生だった。

「あのプライドの高いにこっちが人の下につくなんて、中々ないんやで」

「この先も苦労しそうな予感はするぜ」

「播磨くん」

「あン?」

「あなた、なかなかの“たらし”やねえ」

「べ、別にそんなんじゃねェから」


「ウフフ。でも予想以上やわ。やっぱり、カードの示したものは正しかったんやね」

「俺は占いとか信じないッスから」

「あら、でも今の所カードの通りになってるんよ」

「そんじゃあ、次のライブ、どうなるかわかりますか」

「ああ、今度お台場でやるっているスクールアイドルのライブ? そういえば、

出場登録したんやったねえ」

「まあ、そうッスけど」

「それはまだ占ってないわ」

「……」

「でもこういうのは、占わないほうがいいでしょう? 結果はわからないほうが、

楽しいってこともあるし」

「なんッスかそれ」

「うふふ。播磨くん見てると、退屈せえへんわ」

「俺は暇つぶしの手段ッスか」

「人生なんて一生暇つぶしよ」

「人生とか、まだまだわからねェよ」

 播磨は空を向いて言った。

 季節はもう夏、そう言ってもいいくらい強い日差しが差し込んでいた。







     ラブ・ランブル!

 播磨拳児と九人のスクールアイドル


   第十一話 思い出




 放課後、播磨拳児は練習場でμ’sのメンバー全員に矢澤にこを紹介した。

「今度入ることになった、三年の矢澤にこ先輩だ」

 播磨がそう言うと、にこは一歩前に出てメンバーを見回した。

「にっこにっこにー! あなたのハートににこにこにー。笑顔届ける矢澤にこにこ~。

にこにーって覚えてラブにこ~!」

「……」

「……」

「……!」

「……」

「ちょっと拳児。なんで皆ドン引きしてんのよ!」

「知るか! 自己紹介なら私に任せろっつうからお前ェに任したんだろうが」

「どうすんのよこの空気!」

「お前ェが撒いた種だろうが!」

 メンバーを後目に言い合いをしている二人に、西木野真姫が声をあける。

「あの、お二人はどういう関係なんでしょうか」

「たまたま知り合っただけだ」

 播磨は言った。

 しかしにこは、

「私のファンクラブ代表よ」

「ええ!? そうだったの!?」


 穂乃果は驚きながら言った。

「テメー! まだそんなこと言ってやがんのか!」

「何よ! 秋葉原でも声かけてきたし、別に大して違わないでしょう!?」

「大違いだバカ」

 播磨はにこの頬を引っ張りながら言った。

「いひゃひゃひゃ。はにふんのよ!」

 頬をつまんでいるので、にこが何を言っているのかよくわからない。

「随分と仲がいいみたいだけど、この人も『協力者』の一人ですか?」

 そう聞いたのは南ことりであった。

 協力者というのは、田沢や松尾のようにアイドル部(μ’s)のメンバー以外で、

活動を支援してくれる人のことを言う。かつては西木野真姫も協力者の一人であった。

「コイツの場合、協力者っつうより邪魔してたな」

「誰が邪魔者よ!」

「うっせ」

「仲がいいのか悪いのかわからんな」

 雷電は両手を合わせながらつぶやく。

「親愛の表現は人それぞれですから」

 海未は、にこたちを見ながら言った。この二人は、まるで何かを悟っているかのようだ。

「コイツはアイドル好きだからよ、小泉」

「は、はい」


 名前を呼ばれた小泉花陽が一歩前に出る。

「お前ェと話が合うんじゃねェのか?」

「へえ、あなたアイドル好きなの?」

 花陽に対してにこは言った。

「はい」

 花陽は緊張した面持ちで返事をする。

「ふーん」

 にこが花陽の身体を舐めるように見回す。

「何か」

「アイドル好きっていうくらいなら、ピンクレディーのUFOの振り付けくらいマスター

してるわよね」

(おいおい、世代が違うだろ。お前ェも小泉も)

 播磨はそう思ったが、

「できます!」

 花陽は即答した。

「え? できるの」

「ちょっとやってみなさいよ」

「はい」

「デデデデッデッデ、デデデデッデッデ」

 矢澤にこの口のイントロに合わせて花陽が躍る。


 それに合わせてにこも踊り出した。

「UFO!」

 完璧だ。

 よくわからないけれど、多分完璧だと播磨は思った。

「じゃあ次はウインクよ」

「どんと来いです!」

「なんでそんな古いの知ってんだよ。お前ェらの世代なら、KSJ48※とかじゃねェ

のかよ」

(※KSJ48:北千住を中心に活動するアイドルグループ。当初は48人いたが、

メンバーの不仲のために分裂。現在は24人しかいない)

「バカね、真のアイドル好きなら基本を大事にするものよ」

 腕組みしながらにこは言った。

「そうです。新しいコンセプトのアイドルと言っても、実は過去に流行ったアイドル

の焼き直しということもありますから」

 花陽も何だか生き生きとしている。

「ああ、そうですか」

 と、播磨はテキトーに答えた。

「あなた、なかなかやるわね。名前は」

「一年の小泉花陽と申します。花陽とお呼びください!」

「わたしもにこでいいわ! 中々見どころのある一年生ね」

「恐縮です!」

 花陽のおかげで、どうにかにこも孤立せずに済みそうだ。

 そこは少しだけ安心した播磨であった。






   *



 生徒会室――

「矢澤のにこっちがμ’sに入ったみたいやで」

 不意に希が言った。

 室内には、絢瀬絵里と東條希の二人しかいない。

「……どうしたの急に。それが何か?」

「あの頑なな彼女が他人のグループに籍を置くなんて、凄いなあ思うて」

「誰だって考えが変わることくらいあるでしょう? にこの場合、成長が遅かったって

だけよ」

「せやけどあのにこっちに気に入られるって、凄いと思わへん? 彼」

「播磨拳児……?」

「ええ。なんや運命みたいなものを感じるわ」

「あなたがちょくちょく会っているのはその、カードのお導きか何か?」

「うーん、それもあるかもしれへんけど、やっぱ個人的に興味があるからかな」

「あなたが男子生徒に、それも後輩に興味を持つとはね」

「あら、ウチだって男の子に興味はあるんよ。女の子もええけどな」

「変なこと言わないで」

「エリチかて気になっとるんとちゃうん?」

「べ、別に私は……」

「二週間後、お台場でスクールアイドルの大会があるんやけど、ウチの学校も出場

するみたいやで」

「……そう」

 絵里は書類に目を落とす。

 それ以上は何も言わなかった。





   *





「ちょっと拳児! どうして私は出場できないのよ!!」

 播磨に詰め寄るにこ。

 かなり興奮しているようで、白い肌が紅潮している。

「落ち着けにこ。だいたいもう時間がないだろう」

「大会まで二週間あるのよ! 二週間もあれば、象だって倒せるわ!」

「お前ェは何と戦う気だよ」

 練習場で播磨に対して怒りをぶつけるにこの姿を、他のメンバーは遠くから眺めていた。

「いいかにこ、今からじゃあ衣装も間に合わねェ。それにフォーメーションだって

変えなきゃならなくなる」

「大丈夫よ、私はただのアイドルマニアとは違うわ。どんな振付だって覚えて見せる」

「お前ェが優秀なのはよーくわかった。だがな」

「え?」

「確かにお前ェにはアイドルの才能があるかもしれねェ」

「えへ、そんなあ」

「だけど他のメンバーはどうだ」

「……他の」

「μ’sは一人でやるもんじゃねェんだ。他のメンバーは、少し前まで普通の女子生徒

だったんだぞ」

「そりゃ、そうだけど……」


「それに俺たちの目標はあくまでラブライブだ。舞台に慣れるために出場する大会

に、俺たちの秘密兵器を出すわけにはいかねェだろう」

「秘密兵器って、にこのこと?」

「当たり前ェだ。お前ェ以外に誰がいるってんだ」

「そ、そうなの」

「一年生の、特に花陽や凛あたりは経験が少ない。だから指導者としてサポートして

くれるメンバーが必要なんだよ」

「そうなの」

「だから今回はその、裏方としてメンバーを支えて行ってほしい」

 そう言うと播磨はにこの小さな両肩に手をかけた。

「今回は五人で行く。お前ェは次の舞台に備えてくれ」

「……」

 しばらく考えた後、

「しょーがないわねえー!」

 そう言ってにこは胸を張った。

「まあ、この最終兵器にこちゃんを、あんな草大会に出すのはもったいないっていう、

あなたの気持ちもわからなくはないわ」

「にこ」

「わかった。今回はサポートに回ってあげる。ただし、私がサポートするからには、

中途半端は許さないわよ。A-RISEにだって勝んだから」

「その意気だ」


 播磨はチラリと横目で、花陽と凛を呼んだ。

「せ、先輩。ご指導ご鞭撻よろしくお願いします!」

 そう言って花陽は頭を下げる。

「凛ちゃんもお願いするにゃ!」

「まったく、仕方ない子たちねえ。そうと決まれば、早速ステップの確認よ」

「はいです!」

「はいにゃ!」

 二人は元気よく返事をした。

「ふう」

 そんな様子を見て一息つく播磨。

(にこの奴が予想以上にチョロくて助かったぜ)

「播磨の奴、ここのところ対人スキルがかなり上がったな」

 にこと播磨のやりとりを見ていた雷電が言った。

「確かにそうですね。何かに目覚めつつあるようです」

 海未も同意する。

「へ? 何かってなに?」

 穂乃果はまだよくわかっていないようだ。

「穂乃果ちゃんはこっちでストレッチしましょうねー」

 そんな穂乃果をことりが呼んだ。

 こうしてチームは一丸となり、『お台場スクールアイドルフェスタ』に挑むのであった。




   *



 本番が近くなり、最近は練習にも熱が入ってきた。

 そのため、放課後はバタバタするので、播磨にとって昼休みが唯一の安らぎの時間

となっていた。

(暑い)

 いつもの中庭のベンチも最近は暑くなってきたので、新たな癒しポイントを探さな

ければならない、と思う播磨。

「随分と余裕そうね、播磨拳児くん」

「誰だ」

 東條希、ではない。

 顔を上げると見覚えのある人物がそこにいた。

「生徒会長さんかい」

 生徒会長の絢瀬絵里だ。

 彼女のほうから話しかけてくるとは珍しいかもしれない。

「珍しいな、アンタのほうから話しかけてくるなんてよ」

「あら、私はどの生徒に対しても平等に接しているつもりだけど?」

「ああ、そうですか」

 希とは違い絵里は播磨の隣りには座らず、目の前で立ったまま話を続けた。

「今度のスクールアイドルフェスタ、出場するんですってね」

「聞きましたか」

「ええ、希から。随分と手が早いじゃないかしら」


「ラブライブの予選まで時間がないッスからね。少しでも場数を踏ませとかないと」

「ふーん。色々と考えているわけね」

「学校、無くなっちまってもらっちゃ困りますからね」

「……!」

 その言葉に絵里はピクリと反応する。

 やはり生徒会長として何か思うところがあるのだろう。

「それで何か用ッスか? みっともないから大会への出場は止めろとでも言うんですか」

 播磨は少し嫌味たらしく言ってみた。

 絵里からは今までも何度か厳しいことは言われているのだ。

「別に、今更そんなことは言わないわ。第一、他人にやめろと言われてやめるような

人たちじゃないでしょう? あなたたちは」

「よくお分かりで」

「技術的なことを今更言っても仕方ないわ。大会まで時間がないから」

「……」

「でも、メンバーの体調には気を付けておいた方がいいわよ。そういうのを把握する

仕事も重要なんだから」

「はいよ。肝に銘じておきます」

「特に精神的なものね」

「精神的」


「リーダーは高坂穂乃果さんよね」

「そうッスけど」

「あの子のことは特に注意したほうがいいわね」

「一年生じゃなくて、高坂ッスか」

「そうね、ああいうタイプの子は、危ういわ」

「危うい……」

「おっと、私としたことが。少し話過ぎたみたい。じゃあ失礼するわ」

「お疲れッス」

 播磨は座ったまま軽く会釈をする。

「高坂か……」

 播磨はふと思う。

 確かに大会前で、色々考えることが多すぎて、メンバー一人一人のことをよく見て

いなかったかもしれない。

 自己管理と言ってしまえばそれまでだが、μ’sのメンバーはアイドルとしても、

また人間としても未熟なのだ。





   *


 放課後の練習後。

 疲労感の中にも充実感の詰まった練習場を出た播磨は、練習用の服から制服に

着替え終わった穂乃果が出てくるのを待っていた。

「高坂、一緒に帰ろうぜ」

「んん? どうしたの?」

 播磨からの若干戸惑う穂乃果。

「たまにはいいだろうがよ」

「そういえば、最近一緒に帰ってなかったね」

「そうだったかな」

「それじゃあ、今日は夕飯食べて行きなよ。お母さんにも電話しとくから」

 そう言うと、穂乃果は携帯電話を取り出した。

「お? おう」

 穂乃果と一緒に薄暗くなる道を歩く。

 もう夏も近いので日は長くなったけれど、見えにくいことには変わりない。

 外灯が点灯すると、街に夜の訪れを告げているみたいだ。

「はあ、今日も頑張ったね、播磨くん」

「そうだな」

「……」

「……」

 どうも穂乃果の口数が少ない。普段なら放っておいても二、三時間は喋り続ける

子だけに播磨は少し不安になってきた。


「高坂、ちょっと顔見せてみろ」

「ふえ!?」

 そう言うと、播磨は穂乃果の両頬を抱えてじっと彼女の顔を見つめた。

 外灯の光に照らされた彼女の顔。目の下には“クマ”ができているようだ。

(やはり疲れがたまっているのか……)

 昼間に絵里に言われたことを思い出す。

「いきなり何するのよ! もう!」

 穂乃果は顔を真っ赤にして怒り出す。

「悪い悪い、最近お前ェの顔、あんまりじっくり見てなかったもんでよ」

「だだだ、だからって、そんなことすることないんじゃないかな……!」

 なぜかわからないが、穂乃果は肩で息をしていた。

「おい高坂、やっぱお前ェ疲れてんだろ」

「ぜ、全然疲れてないよ。まだまだ行けるよ」

 そう言いつつ、穂乃果の足元はおぼつかなかった。

 このままだと道路に出て車に轢かれてしまいそうだと播磨は思った。

(こいつは無理をすると、抑えが利かないタイプだからな)

 そう思った播磨は強引に穂乃果の腕を掴んだ。

「な、なに?」

「手、繋いで行こう。それなら危なくねェ」


「……え、ちょっと」

「どうした」

「もうっ、繋ぐならちゃんと繋いでよ。こうやって」

 そう言うと、穂乃果は播磨の手を握り返す。

「こうか」

「……うん」

 気持ちが少し落ち着いたのか、穂乃果は大人しくなった。

「こうやって手をつないだのって、凄く懐かしい感じがするよ」

「小学校以来か」

「小学校か……」

 随分昔のように感じるけれど、つい最近のようにも感じる。

 十代の時間の感覚は複雑だ。

「そういえば話変わるけどさ」

「あン?」

「播磨くんって、にこ先輩と仲がいいよね」

「別にそこまでよくわねェ。アイツが馴れ馴れしいだけだ」

「で、でも……」

「でも?」
 
「下の名前で呼び合ってるし」

「そりゃ、あいつが呼んでくれって頼んだからだ。別に俺はどっちでもいい」

「それじゃあ、何で私のことは苗字で呼ぶの?」


「え? なんでかな」

「昔は穂乃果って呼んでたのに」

「あー」

 播磨は昔のことを思い出す。

「確か、同級生に下の名前で呼んでるの聞かれて、からかわれたことがあったな」

「そう言えば」

「それ以来、女子は基本的に苗字で呼ぶようになった気がする」

「でも雪穂は今も雪穂だよね」

「そういえばそうだな。まあ雪穂の場合は学年も違ってたし、からかわれることも

なかったからじゃねェかな」

「ねえ、播磨くん」

「なんだ?」

「こうやって、昔みたいに手を繋いだついでにさ、呼び方も変えてよ」

「どうした急に」

「わ、私たちはμ’sという一つのチームでまとまらなくちゃいけないんだよ。

だ、だから、できるだけ、こう精神的な距離を縮めておきたいというか」

「そうなのか?」

「そうなの!」

「いや、別にいいけどよ。お前ェがいいんだったら」

「私はいつでもOKだよ」


「ああ、そうかい」

「じゃあ、私も播磨くんのことは、拳児くんって呼ぶから。昔みたいに」

「昔みたいに、ねえ」

「いい?」

「ああ、わかった。わかりましたよ高坂」

「違うでしょう?」

「いきなりはちょっと恥ずかしい」

「私だって恥ずかしいもん!」

「うう、わかったよ。穂乃果。これでいいか」

「え? なに? 聞こえない」

 穂乃果はやや上目遣いで言った。

「その顔ムカツクからやめろ」

「ちゃんと言って」

「穂乃果」

「よろしい。拳児くん」

 呼び方を戻し、手を繋いで、本当に昔に戻ったような気になる播磨。

 しかし二人は確実に変わっていたのだ。身体も、当然心も。




   *



 穂乃果の家である『穂むら』の近くまで行くと、店先で人影が見えた。

 誰か立っているようだ。

「おおい、お姉ちゃん! ケン兄!」

 エプロンをつけた雪穂がそう言って大きく手を振った。

「雪穂、何してるの?」

「もうすぐ帰ってくるんじゃないかと思ってお出迎え」

 雪穂は満面の笑顔で言った。

「もうケン兄、最近全然来てくれなかったじゃないのさあ」

 そう言うと、雪穂は播磨の腕にしがみついた。

「その水商売の女みたいな言い方やめろ」

「さあさあ、あがってあがって」

 雪穂に引っ張られるように、家に行くとすでに夕食の準備が整っていた。

 何と言うか、至れり尽くせりといった感じだ。

「拳児くんのご両親にはお世話になってるからね、これくらい当然よ」

 穂乃果の母はそう言ってくれた。

 こういうところで両親に感謝するべきなのか。あんまり家にいない両親に。

 播磨は洗面所で手を洗い、穂乃果は自分の部屋で着替えてから食卓についた。

「いただきまーす」

 賑やかな夕食。

 高坂家の食事はこういうところが好きだ、と播磨は思う。


 しばらく飯を食べていると、ふと穂乃果の様子がおかしことに気づく。

 さっきから目の焦点が定まっておらず、しまいには舟をこぎはじめた。

「もうお姉ちゃんったら、食事中に寝るなんて幼稚園児みたい」

 そう言いつつ、雪穂は穂乃果の顔が味噌汁に突っ込まないように体を支えた。

「穂乃果も大分疲れがたまっているからな」

 その様子を見ながら播磨が言った。

「今度、大会に出るんでしょう?」

「ああ」

「お姉ちゃん、張り切っちゃうと抑えがきかないからなあ」

「遠足の前日に楽しみ過ぎて熱出しちまうタイプだしな」

「アハハ、ケン兄よく覚えてるね」

「雪穂、拳児くん。悪いんだけど穂乃果を」

 穂乃果の母親が言い終わる前に、播磨は立ち上がった。

「わかってますよ。部屋まで運びましょう」

「ごめんなさいね」

「いいッス。メシまでご馳走になってるんッスから」

 そう言うと、播磨は眠っている穂乃果をひょいと抱えて彼女の部屋まで連れて行った。

「赤ん坊もそうだが、なんで眠ってる人間ってのはこんなに重いのかね」

 播磨の腕の中で気持ちよさそうに寝息を立てている穂乃果をベッドに寝かせた後、

播磨は残りの夕食を食べ終えて帰ることにした。




   *



 夕食後、すっかり暗くなった穂むらの店の前で播磨は雪穂と少しだけ話をした。

 いつもなら穂乃果がそこにいるのだが、この日の穂乃果はベッドの中だ。

「今日はごめんね。お姉ちゃんが迷惑かけちゃって」

「別にこんなの迷惑のうちに入らねェよ」

「お姉ちゃん、走り出したら止まらないタイプだからね」

「空回りすることもあるけどな」

「アハハ」

「クックック」

 そういえば、雪穂とこうして二人きりで話をするのも久しぶりかもしれない。

 ふと、播磨はそう思った。

「これからも迷惑かけるかもだけど、お姉ちゃんのことよろしくね」

「まあ、ほどほどに。アイツももう少し成長してくれりゃあ、楽になるけどな」

「もうちょっと先かもね」

「そうかもしれねェな」

「本当、ごめんね」

「何今更遠慮してんだよ。穂乃果の迷惑は今にはじまったことじゃねェだろ」

「……うん。ケン兄は優しいね」

「お前ェも遠慮しなくていいぞ、雪穂。今更だ今更」

 そう言うと、播磨は雪穂の頭を撫でる。

「もう、子ども扱いしないでよ。ケン兄はいつもそうなんだから」


「そうか? なんつうか、昔のイメージが抜けなくてな」

「雪穂も少しずつだけど大人になってるよ」

「そうか。まあ、お前ェは穂乃果よりはちょっとはしっかりしてるしな」

「ちょっとだけなの?」

「俺からしたらちょっとだ」

「あ、そうだケン兄」

「何だ」

「今度友達とお買いもの行くんだけど、ケン兄も付き合ってよ」

「なんで友達同士の買い物に俺が」

「だってさあ、最近治安悪いじゃない?」

「荷物持ちさせるつもりか」

「えへへ、バレたか」

「まあ時間ができれば付き合ってやるよ」

「本当? ケン兄大好き!」

「好きなんて言葉、そう軽々しく使うもんじゃねェ」

「でも、私は好きだよ?」

「は!?」

「好きって言葉」

「ああ、そういうことか。じゃあ、俺帰るぞ」

「うん。気を付けてね、ケン兄」


「雪穂も身体に気をつけろよ」

「お休み、ケン兄」

「おやすみ」





   *




 播磨と別れた後、雪穂はふとあることに気が付いた。

(そういえばケン兄、いつの間にお姉ちゃんのことを下の名前で呼ぶようになったんだろう)

 雪穂の記憶の中では、播磨は姉のことをいつも苗字で呼んでいた気がする。

(今度お姉ちゃんに聞いてみよう)

 そう思いつつ、雪穂は家に戻って行った。




   つづく
 

メインヒロイン(笑)なんて言わせない。次回は初めての校外大会出場! 結果はいかに。






 大会を直前に控えた音ノ木坂学院アイドル部、μ’s。

 本番前ということで、練習にも熱が入る。

 そんな中、ほんのわずかな変化に気が付く者がいた。

「拳児くん、この前のステップなんだけど」

 穂乃果が播磨に話しかける。

 だが、いつもと様子が少しだけ違う。

「あン? 変更はなしって言っただろう」

「だってことりちゃんが」

「穂乃果、直前に変更して失敗したら意味ねェだろうがよ」

「ちぇっ、拳児くんのケチ」

「試合はまだあるんだ。焦ってやることはねェ」

「だったらやれるうちにやっといたほうがいいよ。ラブライブの本場で失敗しない

ためにも」

「まずは足元を見ろ。それと、ちゃんとストレッチしろよ」

「もー。拳児くんったらあ」

 穂乃果はこれまで、播磨のことを苗字で呼んでいたのだ。それがいつの間にか、

下の名前で呼ぶようになっていた。それは播磨も同様。

 一体何があったのだろう。

「あの、先輩」


「どうした西木野」

 気になった西木野真姫は、思わず声をかけてしまった。

「その、ストレッチするので、ちょっと背中を押してもらえますか?」

「あン? まあいいけど、過度なストレッチは身体に悪いって、園田が言ってなかった

か?」

「自分の身体のことは把握してます。無理しない程度にやりますから。これでも私、

医者の娘なんですよ」

「そういやそうだったな」

 播磨は笑って真姫の背後に立つ。

「これでいいか」

 そしてゆっくりと彼女の背中を押した。

 大きくて温かい手。それを服越しに背中に感じる。

 他のメンバーはどうかわからないけれど、真姫はこの瞬間がとても好きだった。

「あの、先輩。少し聞いていいですか?」

 背中を押されながら、努めてさりげなく真姫は聞いた。

「どうした」

 播磨は返事をする。特に何かを意識しているという様子はなさそうだ。

「その、穂乃果先輩のこと、どうして下の名前で呼ぶようになったんですか?」

「ああ、そのことか」

 播磨は意外にも冷静だった。


「なんかよ、チームの結束を固めるとか言って、下の名で呼んで欲しいとか言い出しからよ、

最近はそう呼ぶようになった」

「そ、そうなんですか」

「まあ、最初はちっと恥ずかしかったけどよ、昔はそう呼んでたわけだから、昔に

戻った感じかな」

「そんな理由ですか」

「ああ、そんな理由だ。でもアイツらしいだろう?」

「え? はあ」

 アイツらしい、というほど真姫は穂乃果のことを知らない。でも、播磨は長いこと、

彼女と同じ時間を過ごしてきていたのだということはわかる。

(だったら私も――)

 そこまでの言葉が喉の奥まで出かかる。

「どうした、西木野」

 一瞬の動揺が背中を通じて伝わったのか、播磨が声をかけた。

「いえ、何でもありません。ありがとうございます」

 そう言うと、真姫は立ち上がった。

(いつか私も)

 胸が少しだけ苦しくなった真姫は、大きく深呼吸をした。






      ラブ・ランブル!

  播磨拳児と九人のスクールアイドル


     第十二話 ライブ

 




 実戦に勝る訓練無しとは昔から言われているけれど、今回の大会がμ’sのメンバー

にどれだけの影響を与えるか、まだよくわからない。

 参加チーム十六。決して多くはないが、さりとて少ないわけでもない。

 何より今回もあのUTX学院のA-RISEが出演するのだ。

 下馬評では圧倒的にA-RISEが有利のこと大会に、新しいμ’sがどれだけやれるのか、

内輪の生徒たちではない一般の観衆の前でどれだけやれるのか。確かめなければならない

ことは多い。

「随分落ち着かない顔をしてるわね、拳児」

 お台場へ向かう「ゆりかもめ」の車内でにこが話しかけてきた。

「別にそんなことはねェが」

「アンタがそんな調子だと他の子も不安になってくるでしょう?」

「お前ェは余裕だな」

「にこは出場しないからねー。誰かさんのせいで」

「ルールだからしょうがねェだろう」

 この二週間、にこは練習のサポートに回っていた。

 しかし、単純にサポートをするだけでなく、その間に新曲の歌詞や振付を完全に

マスターしていたのである。もし、メンバーの誰かが事故や病気で急遽出場できなく

なった時に、最低限代役をこなせることも不可能ではないだろう。


(口ばっかりじゃなくて、本当にアイドルの才能があるのかもな)

 にこの横顔を見下ろしながら播磨は思った。

「何よ、にこの顔に何かついてる?」

「いや、お前ェすげェなと思って」

「ば、バカ。褒めても何も出ないんだからね」

「にしても今回、人が多いな」

 周りを見回すと、見慣れない制服の生徒たちが多くいた。

 出場チーム数はそう多くないけれど、応援の生徒たちもいるのだろう。

「大会の規模が小さかろうと大きかろうと、全力を尽くすのがアイドルの使命よ」

「そうです。にこ先輩の言うとおりです」

 いつの間にか隣りに来ていた花陽が両手を握って大きく頷く。

(さてと、どうなることか)

 会場近くの台場駅に到着すると、一気に人が降りる。

「お前ェら、はぐれるなよ! 特に穂乃果」

 播磨が声を出すと、

「失礼だなあ、はぐれないよ。きゃっ!」

 早速ころんだ。

「もう、穂乃果。手間を駆けさせないでください」

「大丈夫か」

 海未と雷電に保護された穂乃果は、何とか人混みを抜けて会場へと向かう。




   *



「一、二、三、四、五、六、七、八……、よし。全員いるな」

 会場の受付前で全員の顔を確認する。

「小泉、星空。今回が初舞台だが大丈夫か」

「はいにゃ!」

「……はい」

 星空凛は余裕そうだが、小泉花陽は不安そうである。後でフォローを入れておく

必要があるな、と播磨は思う。

「西木野は、まあ大丈夫だろう」

「どういうことですか?」

 真姫は言った。

「言葉の通りだ。それから穂乃果」

「ふひい」

「もうコケるなよ」

「はい、反省してます」

「園田」

「はい」

「お前ェも大丈夫か」

「こ、こう見えて緊張してるんですよ」

「雷電も見てるし、心配すんな」

「ら、雷電は関係ないでしょう!」

 顔を赤らめる海未を無視して播磨はことりの方を向く。


「南」

「はい」

「今更だが、衣裳作り、ありがとうな」

「本当、今更過ぎるよお、はりくん」

「悪かったよ」

「お兄ちゃんが頑張ってくれたからねえ」

「ご家族にもよろしく言っといてくれ」

「はーい」

「それじゃ、雷電」

「おう」

「いつものように撮影、頼むな」

「心得た」

「にこには何かないの?」

 不意に矢澤にこが顔を出してきた。

「いや、特にない」

「この薄情モンが!」

「わかったよ。今までサポートしてくれてありがとうな、これからは主力として頼むぜ」

「任せなさい」

 そう言うと、にこは胸を張った。

「それじゃあ、私たちは衣装に着替えてきますね」


 海未はそう言った。

 南ことりがデザイン、製作してくれた衣装を着て今回のライブに挑むμ’s。

 どうなるかわからないけれど、とにかくやるしかない。

 播磨は静かにそう思った。




     *




「まずいわね」

「どうした、にこ」

 大会のプログラムを眺めながらにこは顔をしかめる。

 他のメンバーは着替えに向かい、雷電は撮影に向かったので会場前には播磨とにこ

の二人だけが残っていた。

「いや、実は順番なんだけど」

「順番がなんだ?」

「今回十六チームが参加するけど、ウチらの順番は十五番目なの」

「それが何か?」

「大問題よ」

「大問題?」


「いいこと? まず、順番が後になるほど待ち時間が長くなるの。そうすると、それ

だけ疲労が増すのよ。特に経験の浅いウチらのようなチームは、そう言ったストレス

がマイナスに作用する可能性があるの」

「確かに今日は暑いしな、今回は屋外のステージだから」

「それと、もう一つのポイントはA-RISEよ」

 UTX学院のA-RISEは、今回も優勝候補筆頭だ。

「A-RISEがどうした」

「A-RISEの順番が十一番目。うちらの三つも前なの」

「三つ前」

「A-RISEが注目されていることは、言うまでもないことだわ。だから、A-RISE

の前のパフォーマンスであれば、前座的な意味で注目されたかもしれない。でも今回は

A-RISEの後になるの。会場が消化試合のような空気になる危険性があるわ」

「そういやスプリングフェスタでも、にこはA-RISEのステージが終わった後、

すぐ帰ったもんな」

 播磨は思い出したように言った。

「ち、違うのよ。アレはちょっと用事があったからなの!」

「本当かよ」

「本当よ! 妹たちを保育園に迎えに行かなきゃならなかったからねって、今はそんな

ことどうでもいいでしょう!」

「まあどうでもいいが」

「とにかく、こちらに不利な状況が二つもあるってことよ」


「まあ、待ち時間はともかく、A-RISEの件はそれほど心配するようなことじゃ

ねェんじゃないか?」

「はあ? どうしてよ。こんな小さな大会でも、アイドルは注目されてナンボなのよ」

「あんまり注目されてもやりにくいって奴もいるしよ」

「そんなのアイドル失格よ。プレッシャーに潰れるくらいなら、お寺で修行でも

していればいいわ」

「それいいな。お寺」

「はい?」

「お、もうすぐ開会式だ。急げ」

「ちょ、ちょっと」

「ほら、行くぞ」

 そう言うと播磨はにこの手を引く。

「大丈夫よ、私は」

「人が多いんだ、迷うぞ」

「大丈夫……、だと思うけど」

「ん?」

「アンタがどうしてもって言うなら、にこの手を引かせてあげてもいいわよ」

「ああそうかい」

「なんで放すのよ!」

「いや、何となく」

「もう、行くわよ」

 そう言うと、今度はにこが播磨の手を引いて会場に向かった。





   *




 なかなかの盛り上がりで始まった第○回お台場スクールアイドルフェスタ。

 大会中、にこはパンフレットの出場チーム名に何個か赤丸を付けてよこした。

「なんだこりゃ」

「一応、今回注目のスクールアイドルよ。敵はA-RISEだけじゃないんだから」

「なるほど、そこを注意して見ろと」

「もちろん、ノーマークのグループにも注意しなきゃね。今年になって急に台頭

してくるチームだってだるんだから」

「ウチみたにか?」

「ふふ、いい自信ね。そういうの嫌いじゃないわ」

「お、次のグループは『ゴールデンブックス』か」

「去年の大会ではA-RISEに敗れたけど、ここも侮れないわね」

 地響きのような歓声が上がった。

「ウオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」

 凄い盛り上がりだ。

 今日の気温も高いが、暑さの原因はそれだけでもないようだ。

「パフォーマンスの前には、必ずメンバーの所へ行って、状態を確認するのよ。

必要があればアドバイスもする」

 会場の盛り上がりの中、にこは冷静に言った。

「あんまり言い過ぎるのも逆効果じゃねェか?」


「こっちから言うだけじゃないわ。メンバーから悩みを聞いたり、問題点を見つけたり

することだってわるから」

「ほう」

「それがSIP、あなたの仕事よ!」

 そう言うと、にこはビシッと人差し指を播磨に向けた。

「エスアイピー? なんだそりゃ」

「School Idol Producer 、略してSIP。カッコイイでしょう?」

「だせェ。俺はただのサポート要員だ。それ以上でもそれ以下でもねェ」

「ワガママ言わない。今更逃げるわけにはいかないんだからね」

「うぐ」

 何グループかのパフォーマンスが終わると、会場はいい感じに温まってきた。

 そう考えると、A-RISEの登場の順番はかなり仕組まれているように思える。

 だが、今はそんなことを言っても仕方がない。

 メンバーはこの日のために一生懸命に練習してきた。雷電も撮影を頑張っている。

 だったら、自分も何かをするべき。

 そう思う播磨であった。




   *




 何曲か終わってから、播磨たちはμ’sの控室を訪ねた。

「あっ、拳児くん」

 最初に声をかけてきたのは穂乃果だった。

「大丈夫か」

「う、うん、問題ないよ」

 思ったよりは元気そうだったが不安の色は隠しきれない。

 控室は冷房も利いており、暑さによる疲労という心配はなさそうだ。

 そこは少しだけ安心した播磨。

「私は花陽のフォローに回るから、アンタは他のメンバーの様子を見なさい」

 耳元でにこがそう言った。

「わかった」

 播磨は頷くと、とりあえず目の前の穂乃果の顔を見る。

「穂乃果」

「何? 拳児くん」

「お前ェならできるさ。初舞台のことを思い出してみろ」

「あの時は全然お客さんいなかったね」

「だが今日は違うぞ」

「え?」


「たくさんの人が集まってる。もちろん、俺たち目当てではないかもしれねェ。

でもよ、そういう連中にμ’sという存在を忘れさせないようにする。それって

面白ェとおもわねェか?」

「う、うん。確かに面白いかも」

「だろ? だから、やれるだけやってこい。音ノ木坂の存在を世間に知らしめてやれ」

「そうだね! 頑張るよ!」

 先ほどまでの緊張が解け、目に光が戻ってきた。

(単純だな)

 播磨は思った。

 だがその単純さが、今は大きな武器になる。

「今度はこっちか」

 目を転じてみると、真っ青な顔をした海未の姿があった。

「人があんなに。どうしよう……」

 両腕を抱えて何かブツブツ言っている。

 なるほど、これはフォローが必要だ。

 そう思った播磨は声をかける。

「そ、園田」

「……なんですか播磨くん」

 辛うじて反応はできるようだ。

 不安に支配された園田海未。だが彼女には特効薬があるのだ。


「雷電から、手紙を預かってる」

「え?」

 そう言うと、播磨はポケットから紙を取り出して海未に渡す。

「あの人……」

 海未は紙に書いた文章を読みながらしばらくボーッとしていた。

「雷電(アイツ)は今、このクソ暑い中撮影を頑張ってんだ。お前ェも頑張れよ」

「わ、わかってます」

「アイツは近くにいるんだ。心配すんな」

「だからわかってますって、もう」

 先ほどまでの青い顔がいつの間にか赤い顔になっていた。

 この娘もわりと複雑なようで単純なので、わりと助かると播磨は思った。

 次は南ことりだ。

「南」

「なに? はりくん」

「その衣装、似合ってるぜ」

「ふふふ。ありがとう」

 初夏の衣吹を感じさせる、青と白を基調とした衣装。今大会のコンセプトには

ピッタリかもしれない。

「お兄ちゃんが頑張ってくれたからねえ」

「……そうか」

 大学で服のデザインを勉強しているということりの兄。


 初舞台の時もそうだが、彼の存在が衣裳作りに大きく貢献していることは言うまでもない。
 
「今日、会場に来てるのか?」

「いいや? 来てないよ。大学の用事があるんだって。凄く残念そうにしていたけど」

「そうか、そりゃ残念だな」

 言葉とは裏腹にホッとする播磨。

 正直、ことりの兄はあまり得意なタイプではない。というか、南家の女は普通なの

だが、男はあの学院理事長をはじめ、“濃い”メンツが多いのだ。

「緊張は、してねェみたいだな」

「やだなあ。緊張してるよ。こう見えても」

「秋葉原でカリスマメイドやってる時とどっちが緊張する?」

「そ、それは言わない約束でしょ!?」

 この日、はじめてことりの焦った顔をみた播磨。

「ははっ、その様子なら大丈夫だろう。海未や穂乃果たちのこと、頼んだぞ」

「言われなくても、海未ちゃんも穂乃果ちゃんも大丈夫だよ」

「ならいいが」

 二年生グループと話し終えた播磨は、今度は一年生の方に目を向ける。

案の定、西木野真姫は不安そうな表情をしていた。

 それだけなら他の二年生と同じだ。

 だが彼女の場合少しだけ事情が違う。


「どうした、西木野」

「あ、先輩」

「随分と心配そうな顔してんな。そんなに不安か」

「そりゃそうですよ、初舞台ですし。それに」

「それに?」

「私と、その……先輩の作った曲が流れるわけですよね」

「ああ」

「もし評判が悪かったら、そのやっぱり私」

「西木野」

「ひゃいっ」

 播磨は拳を作って、真姫の額を軽く殴った。

「何するんですか」

「何もかも全部一人で背負い込む必要はねェだろう。俺たちはチームでやってんだ。

もし曲の評判が悪かったんなら、それは何より曲作りの協力を頼んだ俺が悪い」

「先輩」

「お前ェはいらない心配しなくていいんだよ。今は舞台のことだけを考えろ」

「でも先輩」

「西木野、気が強そうなのは目つきだけか?」

「ちょっと、目つきは関係ないでしょう?」

「おっと、調子が戻ってきたな」

「は……」


「よし、大丈夫。強気でいけ強気で。俺とお前ェが作った曲だ。世界中の誰もが無視

しても、俺が絶対に認めてやるからよ」

「はい」

「それと、その衣装似合ってるぜ」

「ひゃう!」

 そう言うと顔を赤らめる真姫。

「ははは。何今更恥ずかしがってんだ」

「もうー、先輩!」

「ようし」

 播磨は立ち上がり、残った花陽と凛のもとへ行く。

「調子は良さそうだな、星空」

「はい、バッチリですにゃ!」

「待ち時間長いけど、退屈してねェか」

「かよちんがいるから大丈夫。こうして先輩たちも来てくれましたからね!」

「そりゃよかった」

「小泉の方は」

「はい。にこ先輩が色々話を聞いてくれたんで、大分落ち着きました」

 確かに、本人の言うとおり顔色もよくなっている。先ほどの海未や真姫のように、

青い顔はしていない。にこのフォローが効いたようだ。

「初舞台だけど、怖くねェか」


「はい、怖いです」

「素直だな」

「で、でも」

「あン?」

「あの秋葉原で、変な男の人たちに囲まれたときの方が怖かったです」

「なに?」

「あの、先輩が助けてくれた時のことです」

「ああ、あれか」

「あの時先輩が助けてくれなかったら、危なかったかもしれないにゃあ」

 凛も言った。

「そんなこともあったな」

 播磨は軽く笑う。

「本当に怖かったんですよ」

「そうだよな。でもな、小泉」

「はい」

「あの時助けたのは偶然かもしれねェ。でも今は違う」

「え……?」

「今はすぐ傍にいる。すぐ助けに行ける。だから安心しな」

「……あ……、はい」

 一瞬にして花陽の顔が真っ赤に染まる。

「あー! かよちんの顔真っ赤になってるにゃー!」


 隣にいた凛が言った。

「ちょっと拳児! 折角花陽を落ち着かせたのに、何やってんのよ!」

 そう言うとにこは播磨の背中を叩き、その場からどかせるともう一度花陽と向き合った。

「なんか不味いこと言ったかな、俺」

 そう言って播磨が首をかしげていると、

「んが!!」

 急に足を踏まれた。

「あらごめんなさーい」

 足を踏んだ犯人は穂乃果であった。彼女は満面の笑みで謝る。

 どう見ても謝っている態度には見えない。

「くっそ、何しやがるあいつ」

 舞台衣装の靴はハイヒールっぽくなっているので、踏まれるととても痛い。

「穂乃果ちゃんが怒るのも無理ないよはりくーん」

 その様子を見ていたことりがニコニコしながら言った。

「何でアイツが怒るんだよ」

 それに対して播磨が反論する。

「そこに気づかないとはやはり大馬鹿者ですか……」

 腕を組んだ海未が言い放つ。

《ウオオオオオオオオ!!!!!!》

 不意に遠くから地面が揺れる様な歓声。

「A-RISEが出るみたいね」

 控室のモニターを見たにこが言った。

「これが人気ナンバーワンの注目度ってやつか」


 播磨もつぶやく。

 全員が一斉にモニターの前で固まっていると、控室のドアをノックする音が聞こえた。

「μ’sの皆さん。そろそろ準備のために会場入りしてください」

 大会スタッフのようだ。

「……いきましょう」

 海未は言った。

「……」

 先ほどまでの和やかな空気が一変し、メンバーの顔つきが引き締まる。

 舞台が始まるのだ。

(頑張れよ)

 控室には播磨とにこの二人だけが残された。

「会場、行きましょう」

 にこは言った。

「こっからでもA-RISEは見れるぞ」

 播磨はモニターを指さして言った。

「バカね。会場と映像じゃあ、感じられる空気が違うから。それに――」

「それに?」

「私たちが見なきゃいけないのは、A-RISEじゃなくて、μ’sのほうよ」

「そういえばそうだな」

 というわけで、播磨とにこは会場の観客席に戻ることにした。

 A-RISEの盛り上がりはさすがだ。

 しかし本当の戦いはその後にある。 




   つづく 

初ライブの結果はいかに。なお次回、特別ゲスト登場。




 前回のラブ・ランブルは!

 お台場で行われるスクールアイドルの大会に出場した音ノ木坂学院アイドル部、

通称μ’sのメンバー。

 都内を中心とする小規模な大会ながら、UTX学院のA-RISEも出場するという

こともあって注目度の高い大会だ。

 μ’sのメンバーたちは、初めての学外大会ということで緊張を隠せない様子。

 そこで播磨は、今回はサポート役に回ったにこと協力してメンバーの緊張を解すために

奮闘する。播磨の努力もあって過度な緊張感から解放されたメンバーたちは、

播磨たちに見送られてステージへと向かうのだった。




   *



 A-RISEの出場で会場のボルテージは一気に上がる。

 さすが、前回のラブライブの覇者は格が違った、といった感じか。

 それにしても、前回は屋内のライブであったけれど、今回は屋外のライブ。

 それぞれ印象は違うけれど、屋内・屋外どちらでもA-RISEは安定した

パフォーマンスを見せてくれる。

 メンバーそれぞれの才能もさることながら、それなりの訓練も施されているのだろう、

と播磨は思う。UTX学院のパンフレットを見たけれど、練習環境も音ノ木坂とは

段違いであろうことは想像に難くない。

「やっぱり凄いわね、A-RISEは」

 にこが感心したように言う。

「何言ってやがる、今回俺たちは観客じゃねェんだぞ。わかってんのか」

 播磨はにこの頭の上に手を置きながら言った。

「わ、わかってるわよそのくらい! 相手の弱点とか良いところを見習おうと思ってるの!」

 そう言いながら、にこは播磨の手を振り払った。

 こうして、A-RISEのパフォーマンスが終わると、会場は気だるい雰囲気に包まれる。

 A-RISEの直後にやるチームは可哀想だと播磨は思った。

 それだけ彼女たちのインパクトは強かったのだから。









      ラブ・ランブル!

  播磨拳児と九人のスクールアイドル

 
     第十三話 応 援 




 矢澤にこが懸念した通り、A-RISEのパフォーマンス後の雰囲気は非常に悪く

なっていた。

 A-RISEの圧倒的な実力を前に、誰もがA-RISEの優勝を信じて疑わない

状況。このため、応援にも力が入らない。

 野球で言えば消化試合のような状態になってしまったのだ。

(コイツはマズイ)

 播磨はそう思ったけれど、A-RISEが終わってからすでに二チームのパフォーマンス

が終了している。

 次はいよいよμ’sの出番だ。

 しかしこの雰囲気の中でパフォーマンスをして、どれだけ審査員の、そして観客

の心を捉えることができるだろうか。

 そう思った時だった。

「フレー! フレー! μ’s!!!」

 聞き覚えのある声が観客席の中央の辺りから聞こえてきた。

「フレッフレッμ’s!! フレッフレッμ’s!!!」

「お前らも声出さんかい!!」

「フレー! フレー! μ’s!!! 頑張れ頑張れμ’s!!!」

「松尾!!!」

「え? 誰?」


 にこが聞いた。

「同じクラスの松尾鯛雄だ。おっ、あそこには田沢もいるぞ!」

 よく見ると巨漢の椿山清美やチビの秀麻呂、それに富樫や虎丸までいる。

「根性じゃ高坂穂乃果ああああああああああ!!!!!」

「音ノ木坂の意地を見せたれ園田海未いいいいいいい!!!!!」

「ことりちゃあああああああああああああん!!!!」

「踏んでください真姫さま!!!」

「凛ちゃんかわいいにゃああああああ!!!!」

「かよちいいいいいいいいいいいいいいんんん!!!!」

《観客席の応援の方、周りの迷惑になりますのであまり騒がないでください》

 たまらず放送が入るほど、彼らの応援はやかましかった。

「フレー!!! フレー!!! μ’s!!!」

 しかしそのおかげで会場は爆笑の渦に包まれる。

 そして満を持してμ’sの登場。

「うおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」

 松尾たちの応援が大地を揺らす。

 そうなのだ、アイドルは応援されてナンボなのだ。

 ちょっと迷惑かもしれないけれど、必ず穂乃果たちの力になるはず。

 播磨は思った。

「フレー!!! フレー!!! μ’s!!!!」

 播磨も声を張り上げる。


「ちょっと拳児、何やってんの!?」

「お前ェもやれ、にこ! ステージは孤独じゃねェってことをあいつらにわからせて

やるんだよ!」

「も、もう! フレー!!! フレー!!! μ’s!!!!」

「フレッフレッμ's!! フレッフレッμ’s!!!!」







   *






 薄暗い舞台そでは緊張感に包まれていた。

 それは穂乃果とて例外ではない。

 いや、むしろセンターヴォーカルでリーダーの穂乃果だからこそ、緊張するのだろう。

 そんな彼女の耳に微かに聞こえてくる声。

(これは……)

「フレー! フレー! μ’s!」

 応援の声だ。

 μ’sを応援している声。


 観衆のざわめきの中に微かに、でも確実に聞こえてきた。

「あなたも聞こえますか、穂乃果」

 すぐ隣にいた海未が言った。

「聞こえるよね、穂乃果ちゃん」

 ことりもだ。

「先輩、播磨先輩の声も聞こえますよ」

 花陽が言った。

「ちょ、ちょっと恥ずかしいわね……」

 腕組みをした真姫はそう言って顔を背ける。

「でも嬉しいにゃあ」

 凛はそう言って笑った。

「うん」

 不安が無いと言えばウソになる、でも自分たちは、自分たちだけでステージに立って

いるわけではない。

「さあ、行くよ!!」

「おお!!」

「μ’sの皆さん、ステージにどうぞ」

 スタッフのその声に、一斉に駆け出す五人。

 暗い舞台袖から出てきたステージは、とても明るく、眩しかった。





   *



「うおおおおおおお!!!!」

「きゃああ! 穂乃果ちゃあああん!!」

 大きな声援を送る音ノ木坂の生徒たち。

 絶対数は少ないけれど、その声は確実に穂乃果たちに届いているはずだ。

 播磨はそう確信する。

「にこ」

「なに?」

「ここまで来るのに、たくさんの人たちの協力や応援、それに努力があったんだな」

「そんなの、当たり前じゃない」

「そう言った力や思いを繋げるのも、アイドルの仕事なのか?」

「うーん、半分正解ね」

「半分」

「その繋がりの力が人々に感動を呼ぶ。その感動がまた新たな繋がりを生み、大きく

なっていく。その繰り返しを促すのがアイドルの使命よ」

「使命って」

「だから、立ち止まってなんていられないの。今度はにこもステージに上がるわ。

そしたら、今よりももっと、盛り上げて見せるんだから」

「フッ、頼もしいな」

「もっと頼ってもいいのよ。これでもにこは、お姉さんなんだから」

「考えとくぜ」

 曲のイントロが始まり、会場が一瞬静になる。

 そして歌がはじまった。

 多くの人たちの思いが詰まった、μ’s最初のオリジナル曲だ。





   *



「六位入賞か……」

「むしろ出来過ぎじゃない?」

 帰りの電車の中、大会の結果を見ながら播磨とにこはつぶやく。

「俺的には優勝でもよかったんだけどな」

 播磨は言った。

「ひいき目過ぎよ」

「悪かったな。あいつらが頑張ってるところを間近で見ちまってるから、どうしても

辛口にはなり難い」

「甘いわね拳児は。そんなことじゃあ一流のSIP(※)には慣れないわよ」

(※SIP:スクールアイドルプロデューサーの略)

「そんなもんにはならねェ」

「だいたい努力なんて、他のスクールアイドルだってやってるのよ。ウチだけが特別

に凄いことをしたわけじゃないの」

「そうだろうけどよ」

「A-RISEだってね」

「A-RISEか……」

「ねえねえ、何の話してるの?」

 そんな二人の間に、穂乃果が入ってきた。

「大会の結果の話をしてたんだ」

「一位はA-RISEでしょう? 凄いよね」


「まあそっちははじまる前からわかってた部分もあるけどな」

「そうね」

 A-RISEの安定度は段違いだ。

 審査員の評価も桁違いであり、その点は誰もが認めるところ。

 一方のμ’sは安定感に欠ける。

 活動期間が短いので当たり前と言えば当たり前なのだが、何より基礎が欠けている

のが痛い。

 これからどうしていけばいいのだろうか。

 播磨はまた頭を悩ます。

「ねえ拳児くん」

「あン? どうした」

「そんな怖い顔してないでさ、打ち上げ行こうよ。みんなで」

「打ち上げ?」

「そうそう。ここの所、みんなで集まって食事とかしてないでしょう?」

「そうなのか」

「まあ、私が入った時女の子同士でファーストフード店には行ったけど、拳児や

雷電を含めた、部員全員で集まったことはないわね」

 と、にこは言った。

「そういやそうだな。しかし、俺はあんまり女が喜ぶような場所を知らんぞ」

 一瞬、東條希の顔を浮かんだ。


(いかんいかん。アイツの紹介する店はちょっと高い。だいたいカップルばっかり

で入りにくい店ばかりだ)

「どうしたの? 拳児くん」

「いや、何でもねェ。あんまり高い店はちょっと」

「ファミレスとかでも十分だよ」

「ファミレスねェ。俺はあんまり」

「じゃあ、あそこ行こうよ」

「あそこ?」

「拳児くん、好きでしょう?」

「どこだよ」

「あんたたち、何の話をしてるの?」

 にこが腕組みをしながら聞いてきた。

「それは着いてのお楽しみ」

 そう言って穂乃果は笑った。





   *




 中華飯店『月詠亭』

 あまり中華料理店らしくない店名だが、播磨がよく行く店の一つだ。

 庶民的なメニューがそろっていて、なにより安い(←ここ重要)。

 小さな店構えは、他の店に比べても見劣りする。だが昔からこんな感じである。

「私こういう店はじめて」

 目をキラキラさせながら真姫は言った。

(そういえばこいつはお嬢様だから、こういう庶民的な店は来ないんだろうな)

 ふと、播磨は思った。

 夕闇に染まる空の下、播磨は月詠の暖簾をくぐる。

「邪魔するぜ、相変わらず人いねェなあ」

 そう言って播磨が引き戸を開けると、やたらガタイの良いスキンヘッドの男が

エプロン姿で出迎えてくれた。

「いらっしゃい。って、拳児か」

「おう、月光。今日も店の手伝いか。偉いな」

「親父が商店街の会合に出かけたものでな。今日は俺とお袋の二人で店番だ」

「ど、どなたですか……」

 怯えた表情で花陽が聞いてきた。

 無理もない。スキンヘッドはともかく、身長190センチもあり、筋肉ムキムキなの

だから。

「俺と隣りのクラスの月光だ。何、悪い奴じゃねェよ」


「は、はあ。ウチの学校のかたでしたか」

 一年生組は怖がっているけれど、二年生はそうでもないようだ。

「こんばんわ、月光くん」

 そう言って穂乃果は手を出し、月光とハイタッチを交わした。

「ご無沙汰してます。月光さん」

 海未は相変わらず丁寧にあいさつする。

「おう、園田か。雷電もよく来た」

「ここに来るのも久しぶりだな」

 雷電は言った。

「月光くん、今日はよろしくね」

 ことりは笑顔で言う。

「南、お前のところのお祖父さんにはいつも世話になっている」

「そうだね。ウチのお祖父ちゃん、ここの炒飯大好きだから」

 ことりの祖父と言えば、あの理事長である。

「一年生組は初対面の奴もいると思うから、ついでに挨拶しとけ」

 播磨はそう言って、一年生の三人とにこを前に出す。

「は、はじめまして。小泉花陽です」

「西木野真姫と申します」

「星空凛だにゃー!」

「矢澤にこよ。三年生。一応、先輩なんだからね」


 なぜかここで先輩風を吹かすにこ。それだけ月光が怖いのだろうか。

「それにしても拳児。今日は随分たくさん女の子を連れてきたじゃないか。ハーレム

でも作るつもりか」

「バカ野郎。部活の仲間だよ」

「部活と言うと、アイドル部の」

「まあ、そんなところだ」

「今日は大会だったんじゃないのか。富樫から聞いたぞ」

「お、知ってたのか」

「俺も応援に行きたかったが、店の手伝いがあってな」

「何、気にするな。他の連中がしっかり応援してくれたからな。気持ちだけで十分だ」

「とりあえず座れ。ええと、何人だ」

「今日は、全員で九人か」

「テーブルを動かそう」

「悪いな」

 店には客がいないので、テーブルの配置は自由自在だ。

「お客さんですか」

 全員が席についたところで、店の奥から人が出てきた。

「ああ、学校の友人だ。気にしなくてもいい」

「ええ?」

 店の奥からは、身長150センチにも満たないと思われる小さな女性がエプロン姿

で現れた。


「きゃあ、かわいい!」

「月光先輩の妹ですかにゃ?」

 真姫と凛がその女性に飛びつく。

「おい、お前ェら。その人は……」

 播磨が説明しようとする前に月光は言った。

「母さんだ」

「え?」

「俺の母さんだ」

 そう言うと、真姫と凛の二人は女性からゆっくりと離れる。

「はじめまして、月光の母の、月子と申します」

「ええええええ!!!!?!?」

 この店に初めて来た一年生組とにこは驚愕の表情を見せる。

 まあ無理もない。

「ここここ、こんな小さなお母様から、こんな大きなお子様が」

 花陽は明らかに動揺している。

「落ち着け小泉」

「みんなそう言いますけど、月光くんも昔は小さかったのですよ」

 それに対して月子は冷静に返答する。彼女が感情を表に出すことは滅多にない。

「いやいや、それにしても」

 動揺を隠せないにこ。

「月子さんは昔から全然変わらないッスよね。月光はこんなになっちまったのに」


「こんなにってどういうことだ」

「立派に成長したってことだよ」

 播磨は笑いながら言った。

「そんなことより注文しようよ。今日は初ライブの打ち上げだよ」

 穂乃果は笑顔で言った。

 疲れはある。けれども、其れ以上にやりきったという達成感が彼女を突き動かして

いるのだろう。

「とりあえず飲み物から注文してくれ」

 月光は言った。

「月光くんのお友達なので、飲み物代はサービスでいいのです」

 母月子はそう付け加える。

「ええ? いいんですか? 月子さん」

 と、穂乃果。

「今日は何かの大会だったそうですね。だからそのねぎらいも兼ねてです」

「やったあ! 月子さん大好き」

 ことりも言った。

 ただでさえメニューが安いのに、その上飲み物代をサービスとは、この店は

商売する気があるのだろうか。

 月詠に来るたびにいつも思う播磨であった。

「それじゃあ、ラーメンチャーハンセットとごはん大盛りでお願いします」


 メニューを見ながら花陽は言った。

「まずは飲み物つってんだろう」

 播磨はすかさずツッコむ。

「何でこの子はチャーハンセットと一緒にご飯を頼むんだ?」

 月光は不思議そうに聞いた。

「気にするな、花陽(コイツ)にとってごはんは別腹らしい」

「ごはん♪ ごはん♪」

「私ウーロン茶」

「私はオレンジジュース」

「えーと、にこは……」

 それぞれが注文を終えて、まず飲み物が出てくると乾杯タイムだ。

 ここで部長の穂乃果が乾杯の音頭をとることになった。

「今日は本当にお疲れ様。特に一年生のみんなは少ない練習時間で、本当によく

頑張ってくれてありがとう。他にも応援してくれた人とか、ここにいない人たち

にもたくさんたくさんありがとうって言いたいです。

 でも、私たちの目標はあくまでラブライブ! ライブの予選までに実力をつけて、

次はA-RISEにも負けないくらいのパフォーマンスをしましょう。

 そして、学校を有名にして廃校も防ぎましょう!!

 それでは、乾杯!」

「カンパーイ!」

 穂乃果の乾杯で、打ち上げは和やかに始まった。


「回鍋肉おいしいね」

「この八宝菜もなかなか」

 だがそんな和やかな空気の中、播磨は悩んでいた。

 圧倒的な実力不足。

 今のままではラブライブの本選はおろか、予選すら通過できない。

「ただ単純にスクールアイドルがやりたい、というだけならそれでもいいだろう。

このまま、実力を高めて行けば、来年あたりには本選に出場できるくらいの実力

がつくかもしれない。だがそれでは遅い」

 播磨自身も目の前の課題に夢中になり過ぎて忘れていたが、スクールアイドルの

活動はあくまで手段でしかないのだ。

「……」

 そのことは穂乃果が一番よくわかっている。

 だから、わざわざ乾杯のあいさつでもそのことに言及している。

「どうしたにゃ? 播磨先輩」

 不意に凛が話しかけてきた。

「あ? いや、色々今後のことをな」

「早く食べないと冷めちゃうにゃ。このワンタンとか」

「そ、そうだな」

「そうだ! 凛ちゃんが食べさせてあげるにゃ」

「は!?」

「こうすると、パパが喜んでくれるんだにゃ」


「おい、そのパパっていうのは、父親って意味だよな」

「そんなの当たり前にゃ。ほら、あーんして」

「おい、よせよ」

「あーんしてくれるまで止めないにゃあ。はい、あーん」

「あー……」

 凛の背後では真姫と穂乃果が凄い目で睨んでいた。

 ゴクンッ。思わずワンタンを噛まずに飲み込んでしまう播磨。

「あのよ、星空に他意はないと思うぜ。おふざけだからな」

「何で言い訳してるの?」

 穂乃果は氷のように冷たい目線でそう言い放った。

「イミワンナイッ」

 真姫はそう言って顔を背ける。

「女ってのは難しいよな、雷電」

 たまらず播磨は雷電に話しかけた。

「なぜ俺に話を振る」

 そう言って雷電は顔を背ける。

「雷電に変なこと言わないでください」

 ついでに海未も不機嫌になってしまったようだ。

「は、播磨先輩」

 今度は花陽が話しかけてきた。


「どうした、小泉」

「私の炒飯も食べてくれますか?」

「は?」

 レンゲですくった炒飯を播磨に向ける花陽。

「頼むから普通に食ってくれえ」

「凛ちゃんはよくて、私はダメでしょうか」

「いやいや、ダメってことはねェけどさ……」

「モテモテだねえ、はりくーん」

 遠くのほうからニヤニヤしながらことりが言った。

「お前ェ、絶対楽しんでいやがるだろう南」

「えへへ、そんなことないよー。あーここの天津飯おいしー」

「先輩」

「わかったわかった」

 何の罰ゲームだよこれ。

 初ライブの直後にもかかわらず、μ’sの分裂を危惧する播磨であった。


 


   *





 帰り道、播磨は穂乃果を家まで送っていた。

「モテモテでしたね、“播磨先輩”」

「うるせェよ。おふざけだっつうの」

「わかってるよ」

「それより穂乃果」

「なに?」

「廃校の件、まだ忘れてなかったんだな」

「当たり前じゃない。そのためにアイドル活動をはじめたんだから」

「そうか。で、今日のステージ、どうだった?」

「今日の、ステージ?」

「ああ」

「最高だった!」

「……」

「……とは言い難いかな」

「でも初出場で六位は凄いぜ、実際のところ」

「確かにね。でもそれじゃダメだよね。もっと注目されないと」

「やっぱ、お前ェもそう思うか」

「うん。とっても緊張したし、楽しかったし、学校の皆の応援も嬉しかった。

でも、それだけじゃダメなんだって思うと、ちょっと苦しいかも」


 楽しいだけではダメ、自分がやりたいだけではダメ。

 それはそうだ。

 世界は自分一人だけが存在しているわけではないのだから。

「穂乃果」

 そう言うと、播磨は彼女の頭の上に手を置いた。

「ふにゅっ」

「お前ェ一人で苦しむんじゃねェぞ。何のための仲間だ」

「……わかってるよ」

「お前ェがステージに集中できるよう、俺たちが全力でサポートしてやる。心配せず、

前に進もうぜ」

「うん!」

 そう言うと、穂乃果は数歩前に出て、そして振り向く。

「どうした」

「拳児くん、ありがとう。そしてこれからも、よろしくね!」

「おう」

 穂乃果の笑顔は、外灯の光で逆光になっており、少し見えづらかった。




   つづく




お台場スクールフェスタの翌日。

 その日は、メンバーの疲労も考慮して練習は無しとした。

 しかし播磨と雷電は、昨日撮影した大会の映像を視聴覚室で見直していた。

 A-RISEのパフォーマンスもすべて見たわけではなかったので、雷電の撮影した

映像はありがたい。

「……コイツはな」

 A-RISEのパフォーマンスを見て播磨は溜息をつく。

「なかなかの完成度だ。本選ではもっとクオリティを上げてくることだろう」

 腕組みをした雷電は言った。

 映像にしてみるとよくわかる。直接会場で見ると、その熱気や盛り上がりで細かい

所には目が行かなくなるけれど、こうして冷静になって映像を見返してみると、

その実力の違いがよくわかる。

 歌やダンスを完璧にこなすA-RISEに対して、μ’s側は歌もダンスも荒削り

過ぎる。

 よくこれで六位に入れたものだと播磨は思う。もちろん荒削りであっても、いいところ

はあるので、そこを評価されたことは嬉しい。

「このままでは、ラブライブ出場どころか、予備予選の突破すら危ういかもしれん」

 雷電は言った。

「予備予選? そりゃあ何だ雷電」


「知らないのか。ラブライブは毎年出場校が増えているので、南関東地区の予選では、

予備予選を実施して地区予選出場組を選抜しているんだ」

「なに」

「もちろん、A-RISEなどの前回優勝校などは予備予選を免除されるが、ウチの

ような無名校は予備予選から這い上がって行くしかない」

「くっそ」

 とにかく時間がない。播磨は逸る気持ちを抑えるように、視聴覚室の出口に向かう。

「どこへ行く」雷電は聞いた。

「ちょっと練習場にな。去年の資料があったはずだ」

「そうか」

「雷電、悪いけど他に気になるチームがあったらチェックしていてくれ」

「わかった」

 薄暗い視聴覚室を出ると、廊下の光ですら眩しく感じた。

「……」

 播磨は早足で練習場の教室へ向かう。

 すると、話し声が聞こえてきた。

(どういうことだ、今日は練習が休みだというのに。知らない奴が、勝手に入って

きたのか)

 そう思い、教室の中に入ると、穂乃果や他のメンバーたちがストレッチや筋力トレーニング

をしていた。


「お前ェら、何してんだ」

「あ、拳児くん。まだ帰ってなかったんだね」

 播磨の姿を見て穂乃果は言った。

「あの、自主練習です」

 花陽も遠慮がちに言う。

「私たち、昨日の大会で色々と課題とかも見えてきたしね、大会まで時間もないし、

少しでも練習して良くしていかないと」

「そうにゃ。μ’sで学校を盛り上げるにゃ!」

 凛はそう言って両手を上げる。

 何がそんなに嬉しいんだろう。

「……そうか」

「先輩? どうかされましたか」

 心配そうに真姫が顔をのぞきこんできた。

「いや、何でもねェ」

 こいつらの前で不安そうな顔を見せるのは止めておこう。

「心配すんな。俺がお前ェらをラブライブに連れて行ってやる」

「もうっ、拳児くんが躍るわけじゃないでしょう? 変なの」

 穂乃果はそう言って笑う。

「ははっ、確かにな」

 確かに自分が舞台に上がるわけではない。だがやれることはあるはずだ。

 播磨は置きっぱなしにしていた資料のファイルを持つと、視聴覚室へと戻った。






 
      ラブ・ランブル!

 播磨拳児と九人のスクールアイドル

     第十四話 心の殻


「歌はともかく、当面の課題はダンスだな」

 資料をめくりながら播磨は独り言のようにつぶやく。

 視聴覚室のスクリーンには、A-RISEのダンスが映し出されていた。

 今度のは、別のライブの映像である。

「しかしダンスと言っても、今更劇的に変わる方法があるとも思えんが」

「振付はともかく、今ウチらのメンバーに、まともなダンスを習ったことがある

やつがいないってのが何より問題だ」

 一人一人のプロフィールを確認しながら播磨は言った。

「海未はどうなんだ」

 スクリーンを見ながら腕組みをした雷電が聞く。

「アイツのは日本舞踊だからな、ステージダンスとはかなり違う。もちろん、アイツの

ダンス能力の高さは認める。だが、今のままでは限界がある」

「ダンスのコーチでも雇うか」

「そうしたいのは山々だが、俺にそんなダンサーの知り合いなんかいねェぞ」

 そう言って播磨は頭を抱える。

「ここいらで基礎上げをしておかねェと、大会までに間に合わねェ。そうなったら」

 廃校――

 穂乃果が一番悲しむ結果だ。

「誰かダンスの上手いやつが身近にいれば……」

「ダンスの上手い奴か……」

「知っているのか雷電!」

 何だか久しぶりにこの科白を言ったような気がする播磨。

「ふむ、心当たりはある」

「……誰だ?」

「お前もよく知っている人物だ」





   *




 翌日の昼休み。播磨はいつもの中庭のベンチにいた。

 日に日に日差しが強くなってくるのを感じる。それはまた、ラブライブの予選が

近づいていることも意味している。

 しばらく待っていると、ふと足元に影がさした。

 雲でもかかったかと思い見上げると、そこには黒の日傘を携えた東條希が立っていた。

「相変わらずこの場所なんやねえ、播磨くん」

 希は微笑みながら言った。

「悪いな。あんまり他に気の利いた場所をしらねェもんで」

「横、ええかな」

「どうぞ」

 希が横に座ると、日傘の縁が播磨の頭に当たった。

「いたっ」

「あらごめんなさい。堪忍やで。この時期日差しがキツイもんでなあ」

「そうッスか」

 希は日傘の位置を少し高くする。

 なんだか相合傘をしているような状態だ。

「それで、今日はなんの用なん?」

 そう言うと、希は距離を詰め自分の二の腕を播磨に当てる。

 意図的な行為でこちらの心理を探っているようだ。


 油断はできない、と播磨は思った。

「生徒会長と、絢瀬絵里と話がしてェ」

「なんや、播磨くんの好みはエリチやったんかいなあ」

 そう言うと、希はわざとらしくため息をついた。

「わざとらしい演技はそれくらいにしてくれ。大事な話なんだ」

「別に取り次ぐのはかまわへんけど、μ’sのこと?」

「まあ、そうッス」

「ふーん。エリチは“表向きには”アイドル活動にはあまり良い感情を抱いていない

ようやけど、それでも話がしたいん?」

「なるだけガッツリと。相手は嫌かもしれねェが」

「ふうん、随分と本気みたいやねえ」

「まあ、そうッス」

「また、貸し一つやで」

「わかってるッス」

「それじゃあ交渉成立やね。さて、播磨くんへの要求は何にしようかなあ」

 そう言うと希は立ち上がり、日傘をクルクルと回した。

 嫌な予感がするけれど、今はそのことは考えないようにする播磨であった。




   *


 その日の生徒会室では、絢瀬絵里と東條希の二人だけで残務整理をしていた。

 二年生の役員はすでに帰らせている。

(妙ね……)

 絵里は異常に気付く。

 希の仕事のペースがやけに遅いからだ。

 いつもなら何でもスラスラとこなす希も、今日はやけにのんびりしている。

「どうしたの、希。体調でも悪い?」

「なんや急に。そんなこと聞いて」

「いつものあなたらしくないわ。作業だって遅いし」

「たまにはエリチと二人きりでいたいと思っただけやないの」

「そんなことしなくても、さっさと仕事を終わらせて家で話でもすればいいでしょう」

「うーん、そうなんやけどねえ」

 そう言うと、希は時計を見た。

「うん、そろそろええやろう」

 何かに納得したように彼女は立ち上がる。

「今日はこれくらいにしよう、エリチ」

「希?」

「さっ、帰ろう帰ろう」

 希に急かされるように生徒会室を出た絵里。希は自分の荷物を持つと、手際よく

生徒会室を施錠して職員室に向かった。

(まったく、何なのよ)

 未だに絵里は希の意図がわからない時がある。




   *




 すっかり暗くなった校舎の外に出ると、希は自分の携帯電話を取り出し時間を見た。

「ああ、予定通りやね」

 そう言うと、携帯をポケットにしまう。

「何がどうしたの?」

 ふと校門付近を見ると、大きな人影があった。

「ウチな、ちょっと予定があるから、帰りには“彼”に送ってもらって」

「はい? 何を言ってるの。それに彼って」

 訳の分からないまま、希は素早くその場から去って行った。

 残されたのは絵里と、怪しい人影。

「どうもッス」

 希の言う「彼」は軽く会釈をした。

「播磨拳児……」

 長身でサングラスの男。アイドル部を結成し、アイドル活動で学校を救おうなどと

分不相応なことをやろうとしている集団のリーダー。

 そして希がここのところ最も気に入っている男でもある。

「あなた、噂と違って随分と回りくどいことをするのね」

「申し訳ねェ。どうやっていいのかわからなかったもので」

 概ね、希に頼んで二人きりになれるような状況をセッティングしてもらったのだろう。

 普段、素早く仕事をこなす希がこの日はやけにゆっくりだったのも納得がいく。


 この時間に彼と会わせるためだ。

「アイドル部の練習はもう終わったの?」

「はい。これから帰るところッス」

「ああそう、じゃあさようなら」

 絵里はわざと意地悪をしてみた。

「ちょちょちょ、ちょっと待った」

 そんな絵里を播磨は引きとめる。

 年下の男子生徒が困る姿がちょっとだけ可愛く見えたのは秘密だ。

「家まで送るぜ。いや、送らせてくれませんかね」

 慣れない敬語で頼み込む播磨。

 そんな彼に、絵里はこれ以上意地悪をする気にもなれなかった。

 だいたい、彼女が気に入らないのはアイドル部自体であって、播磨自身に嫌悪感

などがあるわけではなかったからだ。

「……」

「……」

 二人で並んで歩く。

 歩幅はかなり違うようだが、播磨は絵里の歩く速さに合わせてくれるようだった。

「ほ、星がキレイッスね」

 不意に播磨が言った。

「星なんて全然見えないわよ」


 山奥ならともかく、この辺りでは街の光が明るすぎてあまり星は見えない。

「ああ、そうッスねえ」

「回りくどい言い方なんてあなたらしくないわね。さっさと本題を言ったらどうなの」

「そ、それじゃあ言いますが」

「……」

 部費の増額?

 学校をあげての支援?

 生徒会長の自分に改まって何の要求があるのか。

 それは気になっていた。

「ウチの、μ’sのメンバーにダンスの指導をして欲しいッス」

「ダンスの……、指導?」

 意外な言葉に少し驚く絵里。

「なぜ私なの? 希に聞いた?」

「ああいや、風の噂で、音ノ木坂(ウチ)でダンスが上手い生徒と言ったら、

生徒会長さんの名前が出てきたもんで」

「……私の」

 確か、一年生の時にモダンダンスを披露したことがある。

 以来ダンスは封印してきたけれど、それを知っている者は少ないはずだ。

「バレエやってたんッスか。クラシックバレエ」

「どうしてそれを!? まさかそれも希から」

「いやいや、予想ッス予想。会長さんの歩き方見てたら、多分そうなんじゃねェかな

と思って」


「……歩き方って、どうして」

「ほら、普通の人は踵から先に着地するじゃないッスか。でも、会長さんはたまに

つま先から着地するっしょ。これってバレエやってる人の特徴って聞いたことあるんで」

「……よく見てるのね」

「たまたまッス」

「観察力はあるのね」

「はい?」

「何でもないわ」

「でもなんで私に頼むの」

「ほら、バレエって、西洋ダンスの中では基本的な動きが凝縮されてるっていうじゃ

ないッスか。そのバレエの経験がある人がいれば、動きの幅がでるんじゃないかと

思って」

「……」

「確か宝塚音楽学校の入学試験の実技科目にもバレエってあるんですよね」

「そうかもしれないけど」

「お願いするッス」

「……」

「会長さん」

「はあ」

 播磨の言葉に絵里は大きくため息をつく。

「あの……」

「協力は、できない」


「どうしてッスか」

「どうしてもよ。今の私にはそんなことをする資格はないわ。何より、アイドル部の

活動自体、まだ認めたわけでもないし」

「それでも、協力して欲しい」

「何で私なの」

「同じ気持ちの奴と一緒にやりたいからに決まってるじゃねェか!」

「同じ、気持ち……?」

 その言葉に絵里は立ち止まる。

「学校が廃校になってほしくない。それはアンタも同じだろう」

 興奮したのか、播磨は敬語を使わなくなっていた。

「それは……、確かにそうよ。私だって生徒会長だし、祖母がこの学校の出身だし、

音ノ木坂には無くなって欲しくないと思っている。でも」

「だったら――」

「でもアイドル活動に協力する気にはなれないわ。私は私のやり方でやる」

「わがままな奴だな」

「わがままなのはあなたでしょう? 何よ、いきなり帰りにに着いてきて協力しろだなんて」

「そりゃあ、いきなりなのはわかってる。だけど時間がないんだ」

「私にだって時間はないのよ。もう三年生だし」

 そう言うと絵里は早足で突き進む。

「どこ行くんだ」


「お家帰るの! 決まってるでしょう?」

「なあ、頼むって」

「あんまりしつこいとストーカーとして訴えるわよ」

「アンタはそんなことはしない」

「どうして」

「ウチの生徒が不名誉なことをすることをアンタは望まないからだ」

「本当、卑怯ね。貴方って」

「なりふり構っていられねェんだよ」

「だいたい私にダンスの指導をしてもらいたいのなら、最低限の基礎は身に着ける

べきよ」

「最低限の基礎って、なんだよ」

「この前の大会よ。お台場であったやつ。アレはなんなの? 全然なってないじゃないの」

「……」

「曲とダンスが全然会ってないし、メンバーの動きもバラバラ。基礎体力は確かに

あるかもしれないけれど、動きが固すぎるわ。会場の盛り上がりに助けられて、

六位入賞とかしたみたいだけど、実際にはラブライブの予備予選を通過できるか

すら怪しいものね」

「……あのよ」

「なに」

「よく知ってるな。観に来てくれたのか」

「はっ!」


 思わず顔を逸らす絵里。

 確かにその日は希と一緒にお台場までライブを観に来ていた。

 だがそれは秘密にする予定であった。特に播磨たちには。

「あ、あ、あの、アレよ。い、インターネットでライブの生中継とかやってたから、

それで見たのよ」

「そうなのか」

「そ、そうよ。とにかくまだまだ修行が足りないってこと」

「そんだけわかってるなら指導してくれよ」

「私は先生でもないのよ」

「A-RISEのパフォーマンスはどうだった」

「……まあ完璧と言えば完璧ね。ただ、まだ仕上がってないというか」

「仕上げ?」

 播磨の話に乗って思わず喋り続けてしまう絵里。

 そして気が付くと家に到着してしまった。

(やだっ、私ったら調子に乗ってこんなに喋っちゃって。というかこの男が悪いのよ!

なんでこんなのに聞き上手なの!?)

 心の中で理不尽な逆切れをしながら絵里は別れの挨拶をする。

「きょ、今日は送ってくれてありがとう」

「協力の件は」

「しつこいわね。協力はできないわ」

「でもあんだけ歌やダンスが好きならよ」

「貴方に私に何がわかるっていうの?」


「わからねェよ!」

 思わず絵里の右腕を掴む播磨。

 大きな男の人の手。温もりが制服の袖を伝ってくる。

 心臓が激しく鼓動した。

「わからねェよ。心を殻で閉ざしているお前ェのことはよ」

「心を殻で閉ざす……」

 その時である、

「お姉ちゃん、帰ってたの?」

 不意に玄関が開いた。

「亜里沙!」

 絵里の妹、亜里沙が出てきたのだ。

「あ、ハラショー。お邪魔でしたか」

 そう言うと、亜里沙は玄関の扉を閉じた。

「ち、違うのよ亜里沙。ちょっと、放しなさいよ」

「お、おう」

 播磨は手を放す。

「じゃあ、さようなら!」

 そう言うと、絵里は玄関の扉を開け、素早く家の中に入った。

 まだドキドキが止まらない。

(心を殻で、か……)

 同じことを数年前にも親友に言われたことがある。

「ねえねえお姉ちゃん、今の誰? カレシって奴ですか?」


 ニヤニヤしながら亜里沙が寄ってきた。

「何でもないわよ」

 そう言うと、絵里は自分の部屋に早足で向かった。





   *
 





 翌日の視聴覚室。播磨は雷電と海未の三人で秘密の会議を行った。

「絢瀬絵里をこちらに引き入れるって、本気ですか?」

 そう言ったのは海未である。

「そうだ。雷電も認めている実力の持ち主らしいしな。実際に話をしてみて、確信した」

「確かに、生徒会長に踊りの心得があることは知っていたが、早速声をかけるとは、

拳児も恐ろしいことをする」

 雷電は冷や汗をかきながら言った。

「だいたい、生徒会長は私たちの活動には批判的だったじゃないですか、そんな人に

協力を頼むなんて非常識です」

 海未は怒っている。

 生徒会長云々よりも、自分たちに黙って行動した播磨に対しても怒りがあるのだろう。


 その気持ちはわかる。

 だが、

「今の俺たちには必要な力だ」

「私たちだけでは不足だと?」

「ああそうだ」

「拳児!」

 思わず声を出す雷電。

 これまで振付やダンス指導は基本的に海未を中心にやってきたのだ。

 その実績を無視するわけにはいかない。

「確かに私は、日本舞踊を少しかじった程度ですけど、それでもダンスのことは勉強

してきました……」

「お前ェには本当に感謝している。素人ばかりのこのチームを、一応はアイドルグループ

として成立させることができたのは、お前ェが基礎体力をつけてくれたおかげだ。

だけど、おめえ自身もわかってるだろう。このままではいけねェってことを」

「……それは」

「もうちっと時間があれば、お前ェも優秀な指導者として成長できる余地があるかも

しれねェ。しかし今は時間がないんだ。この夏のラブライブまでに結果を出さなきゃ

ならねェんだ。わかってるだろう」

「わかってますけど」


「拳児」

「雷電?」

「少し、海未を話をさせてくれ」

「……」

「生徒会長のことに関してはお前に任せる。協力してもらうにせよ、そうでないに

せよ。今のままではいけないというのは俺たちに共通した考えだからな」

「わかった。すまねェな園田」

「……いえ」





    *





 播磨が出て行った視聴覚室で、雷電は先日の大会のビデオを流した。

 流れる映像は、A-RISEのステージ。先日播磨と一緒に見たものと同じやつだ。

「播磨くんが言ってることもわかります。実際自分が躍ってみて、こうして雷電

が撮ったビデオを見ても、今の私たちがA-RISEに勝てないことは……」

「海未……」

「でも悔しいですよね。自分の実力不足を認めることは」


「別に拳児だってお前が実力不足だと言っているわけではない。ただ」

「今のままではダメだ、そう言いたいんでしょう?」

「ああ、恐らくあいつの考えでは今のμ’sは未完成なんだろう」

「未完成?」

「そう。だから、何かを加えて完成形にしたい。それをあいつは今、模索している

のだと思う」

「それに必要なのが、生徒会長の絢瀬先輩だと」

「わからんけど、アイツはそう考えているようだ」

「でも大丈夫でしょうか」

「何がだ」

「先ほどもいいましたけど、絢瀬先輩は私たちの活動には批判的ですよね。そんな

人が協力してくれるでしょうか」

「そうだな。だが拳児なら何とかしてくれるかもしれん」

「え?」

「現にお前も俺も、こうしてμ’sに参加しているじゃないか」

「そういえば、そうですね」

 そう言って海未は笑う。

「……」

 雷電はそんな海未を黙って見つめていた。

「さあ、行きましょう雷電」

「行く?」

「練習に決まってるじゃないですか」

「いいのか」

「今は迷っている暇はありません。会長のことは播磨くんに任せて、今できることを

やりましょう」

「……そうだな」

 二人は再生していたDVDを片付けると、視聴覚室を後にした。




    *


 雷電や海未たちにはああ言ったものの、播磨自身は迷っていた。

 今の所絢瀬絵里を説得する糸口がまったく見えていないのである。

 せっかく、東條希に一緒に下校するというチャンスを作ってもらったにもかかわらず、

協力を得る確約は取れなかった。

 それどころか、余計拒絶されているようにすら思える。

(このままではいけねェ。しかしどうすりゃいいんだ)

 迷いながら歩いていると、廊下の角で柔らかい物とぶつかった。

「うわっ」

「きゃあ」

 倒れはしなかったものの、誰かとぶつかってしまったらしい。

「す、すまねェ」

「こら、ボーッとして歩いてたら危ないで」

「アンタは……」

 生徒会副会長の東條希であった。

「ふむ。その様子やと、エリチとの話し合いは上手くいかんかったみたいやね」

「わ、わかるのか」

「播磨くんは正直すぎやもん。顔に書いてあるわ」

「マジか」

 そう言って播磨は自分の顔を触る。

「副会長さん」

「なあに?」

「話があるんッスけど、ちょっと時間いいッスか」

「うーん、どないしようかなあ」

 希はわざとらしく逡巡してみせた。



   *



  
 放課後、雷電と海未が練習場の教室に行くと、他のメンバーたちが小さなモニター

を全員で見ていた。

「何を見ているのですか?」

 海未が聞いた。

「あ、海未ちゃん」

 海未の存在に気付いた穂乃果が立ち上がる。

「この前のライブのビデオだよ。雷電くんが撮ってくれた」

「ああ、あれか」

「自分たちがステージに立っているとわからないことも、こうして外側から映像

で見せられると、よくわかりますよねえ」

 苦笑しながら花陽は言う。

「これで六位入賞なんだから、ある意味奇跡よね」

 そう言ったのは真姫だ。

「A-RISEのライブも見たけど、全然レベルが違うにゃ。何とかしないとダメにゃ」

 楽天的な凛が珍しく真面目なことを言う。

 何とかしなければならない。

 その意識は他のメンバーも同じだと、海未は思った。

「そう言えば播磨くんはどうしました」

「ええ? 拳児くん? なんか、用事があるとかで先に帰っちゃったけど。この

大変な時にもうっ」

「播磨くんには播磨くんなりの考えがあるのでしょう。それより、私たちは今自分たち

にできることをしましょう」

「ねえ、新しい技に挑戦したりするの?」


 穂乃果は嬉しそうに言った。

「まずは基礎固めです。体力錬成に行きますよ。さあ皆さん、準備してください!」

 海未がそう号令をかけると、にこ以外が一斉に動き出す。

「にこ先輩も早く」

「わかってるわよ」

 そう言ってにこは立ち上がる。

「ところでさあ、海未」

 お尻の辺りのホコリを払いながらにこが聞いてきた。

「なんですか?」

「ここのところ拳児ってば、コソコソ何をやってるの?」

「え?」

 ドキリとする海未。

 “あのこと”を言っていいのか、少し迷った。まだ言うべきではないかもしれないからだ。

「このにこが気づかないとでも思った?」

「それはその……」

「まあいいけどね。深くは追及しないわ」

「はあ」

 海未はそれを聞いてホッとした。にこも空気が読めないタイプの人間ではない。

「でもさ、拳児に会ったら伝えといてよ」

「なんですか?」

「アンタは深く考えるよりも行動するタイプでしょうって。グチグチ考えてるより、

当たって砕けたほうが上手くいくのよ。にこはそう思うわ」

「……はい」

「じゃあ、練習練習」

 そう言うとにこは軽くノビをした。

 海未が隣りにいる雷電を見ると、彼はすべてを悟ったように深く頷いた。





   つづく







 学院内の自動販売機コーナー前。

 昼休みなどは多くの人で賑わうこの場所も、放課後にはほとんど人はいない。

 時々、部活動をサボる生徒がこっそりとジュースが買うくらいだろうか。

「これで、いいんッスか」

「上々やね」

 播磨からコーヒー牛乳のパックを受け取った希はそう言った。

 何が上々なのかよくわからないけれど、今は希の機嫌を損ねるわけにはいかないので、

播磨は黙っておくことにした。

 播磨は希の隣りに座る。例によって希は距離を詰めてきた。

 純粋な好意というわけではなく、彼女の場合はこういった細かい行動でこちらの

真理を読み取ろうとするから注意が必要だ。

「エリチとの話し合いは、上手くいかんかったようやねえ」

「スンマセン。折角セッティングしてもらったのに」

「ええのよ別に。まああの子の頑固なところは、ウチでも時々苦労することあるからなあ」

「それで、教えて欲しいことがあるんッスけど」

「なあに? ウチの知ってる範囲でなら答えるけど」

「その……、絢瀬会長って昔バレエやってましたよね」

「そうやねえ。よく知っとるなあ」

「はあ、そんで、今はやってる様子がないんッスけど、なぜバレエを辞めたのかと

思って」

「エリチがバレエを辞めた理由……」

 希は少し考え込む。

「……」


 言い難いのだろうか、と一瞬播磨は思った。

 だが、

「それは、わからへんねん」

「え?」

「ウチがエリチと知り合ったんは、高校に入ってからや。せやけど、あの子がバレエ

をやってたんは中学までやって聞いてるから」

「辞めた理由とかは、聞いてないんですか」

「そこまでは教えてくれへんかったなあ」

「そんな」

 親友とも言うべき副会長の東條希にも教えなかった理由。

 それは一体何か。

「ウチもわからへんことやから、それを聞き出すのは難しいかもしれへんで」

「そこのところ、聞いてもらえませんか」

「ダメやね」

 播磨の要求を希はバッサリと断った。

 いつもなら、冗談めかして思わせぶりな態度をとることもある希だが、その時は

はっきりと断ったのだ。

「エリチはバレエをやめても、バレエやダンスに関する興味は失ってへんよ。にも

関わらず、その理由を親友やと思うてるウチにすら打ち明けてへんのやから、それは

彼女の心の中に深く関係することやろうね」

「……」

「いくら親友とはいえ、関わってはいけないあると思うんや。自分かてそうやろ?」

「それは……」

「もしも気になるやったら、自分で直接聞きなさい。そういうデリケートな部分は、

例えウチが知っていても教えへんよ」

「……わかりました」

「うん、素直でよろしい」

 そう言うと、希は播磨の頭を軽くなでる。

「な、何すんだ」

「うふふ。照れちゃってかわいいなあ。年下もええかもしれん」

 そう言って希は笑う。

 かわいいなんて言われたのは何年ぶりだろうか。

「そ、それじゃあ失礼するッス」

 ほとんど口を付けていない、パックのジュース(いちご牛乳)を持ったまま、

播磨はその場を立ち去って行った。





        ラブ・ランブル!

    播磨拳児と九人のスクールアイドル

       第十五話 過 去




 播磨が立ち去った後、希はすぐにはベンチから立ち上がらずその場に座っていた。

「どこから聞いてたん?」

 よく通る声で、希は言った。

 ドキリとする。希は自分の存在に気づいていたのだ。

 知らない振りをすることを諦めた“彼女”は、希の前に姿を現す。

「盗み聞きとはあなたらしくないやないの――」

「……ごめんなさい」

「エリチ」

 彼女こと絢瀬絵里は、校内で東條希を探していたところ、偶然希と播磨が話を

していたところを見つけてしまう。

 とっさに身を隠した彼女は、彼らの会話に耳をすませていたのだ。

「私がバレエを辞めた理由……、というところかしら」

 生徒会執行部で使うファイルを両手で抱えた絵里は、希の前に出てそう言った。

「ウチはあなたのプライバシーに関することは一切言うてへんで」

「それはありがとう」

「あの子は気にしてるみたいやけどね」

「……」

「播磨拳児」

「……!」

 その名前を聞くとドキリとする。

「なかなかかわいい子やないの。あんまり無碍にせんでもええんちゃう?」


「あの人をかわいいなんて言えるのは、あなたくらいよ」

 中華飯店の息子、月光ほどではないが播磨も180㎝を超える長身である。

 日本人平均では十分大男である彼をかわいいと言える希の包容力には、さすがの

絵里でも敵わない。

「なぜあなたは、あの人に肩入れするの」

 絵里は聞いた。あの人とは、言うまでもなく播磨拳児のことだ。

「生徒会副会長として、生徒の悩みを聞くのは当然やと思わへん?」

「それでも、限度ってものがあるんじゃないかしら?」

「まあ、個人的に気に入ってるっていうのもあるかもしれへんな」

「それって、播磨くんのことを」

「うーん、恋愛的な意味やのうて、彼、頑張ってるやろ? 色々と」

「それは……」

「そういう頑張ってる人を応援したくなるのが、ウチの性分やねん」

「だからって」

「安心して? この件に関してはウチは中立やで。決めるのはエリチ。貴方自身や」

「私は……」

 絵里は言葉が出なかった。

 何と言えばいいのか。

 今、希に何を言っても意味はない。

「生徒会長として協力はできない。今度彼に会ったら、そう伝えてちょうだい」

「……」


「それじゃ、生徒会室で待ってるわ」

 絵里はその場から逃げるように踵を返す。

 しかし、

「待ってエリチ」

 希はそれを止めた。

 絵里は振り返らず、歩みだけを止める。

「なに」

「あの子は生徒会長としての貴方ではなく、絢瀬絵里個人としてのあなたに頼んでる

やないの? 立場とか関係なしに」

「それは……、わかってる」

 それでも……。

 絵里は胸のあたりをぎゅっと抑える。

「行くわ」

 そう言うと、絵里は早足で生徒会室へと向う。




   *


 この日の練習は海未の早めに切り上げることになった。

「えー? まだやりたりないにゃあ」

 凛は体力が有り余っているらしい。

「部の方針が定まっていないうちは何をやっても無駄よ」

 ハアハア息を切らしながらにこは言う。

 確かににこの言うとおりだ。

 このまま進むか、方針を変えるか。

 早いうちに結論を出さなければならない。

 ラブライブの予選の日は刻一刻と迫っている。決断が遅くなれば、それだけ不利に

なるのだ。

 あと、ここ最近ろくに休養もなく練習漬けだったので、メンバーの疲労も一部を

除いてピークに達している。

 それは傍から見ている播磨や雷電にもすぐにわかった。

「なあ、穂乃果」

 帰り支度をしている穂乃果に播磨は声をかける。

「どうしたの? 拳児くん」

「お前ェ、雪穂から何か聞いてないか?」

「え? 雪穂? 雪穂がどうかしたの?」

 穂乃果は首を傾げる。頭の上に?マークが浮かんでいるように見える。

「いやな、俺の携帯に雪穂からメールが入ってたんだ。帰りに家に寄ってくれって。

お前ェなんか知ってるか」


「全然? 何も聞いてないよ」

「そうか」

「じゃあ一緒に帰ろう?」

「そ、そうだな」

「あの、播磨先輩」

 そんな話をしていると、不意に真姫が後ろから声をかけてきた。

「どうした、西木野」

「その、新曲の件なんですけど、そろそろ決めておいたほうが」

「ああ、そういやそうだな」

 もうすぐラブライブの課題曲も発表される。同時に新曲も作って行かなければならない。

「今取り込んでる一件が終わったら、すぐに取りかかる。すまねェ、準備だけは進め

といてくれ」

「今取り込んでるっていうのは……」

「振付とか、練習方針について色々。悪いな、俺は同時に二個も取りかかれるほど頭

良くねェんだ」 

「え? にこのこと呼んだ?」

 急に顔を出してくる矢澤にこ。

「呼んでねェよ」

 播磨はそんなにこの頭を押さえつける。

「こらあ! にこちゃんの超絶プリティな頭をそんなに粗末に扱うなあ!」

「ああ、悪い悪い」


 にこを押しのけるように播磨は真姫の前に立つ。

「本当、すまねェな」

「いえ。私、待ってますから……」

「でもよ、西木野くらい能力があるんだったら、一人でも大丈夫なんじゃねェのか?」

「いえ、そんな!」

「?」

「いえ、私なんてまだまだですから」

「……そうか。すまねェ。なるべく早く片付ける」

「はい」

「拳児くん。何やってるの?」

 いつの間にか帰り支度を済ました穂乃果が呼んだ。

「お前ェ、いつの間に」

「置いてくよ」

 穂乃果の妙に冷たい視線が播磨の横顔に突き刺さる。

「待てって。それじゃあな、西木野。また明日」

「はい。また明日」

(絢瀬絵里にばかり構ってられねェんだよな。色々とやることがあり過ぎる)

 真姫と別れた播磨は、そんなことを考えながら帰り支度を急いだ。




   *





「それにしても何で雪穂は、私じゃなくて拳児くんに直接メールしたんだろうね」

「お前ェじゃあ言い忘れると思ったんじゃねェのか?」

「え? 失礼な。そんなに忘れっぽくないよ」

「お前ェ、そういや妹の体操服持ってきたことあったよな。去年だったか」

「あ、あれは雨で体操服が渇かなかったからで……!」

 夕闇に染まる歩道を、そんなバカな話をしながら播磨と穂乃果は歩いて行った。

 そして穂乃果の家である『穂むら』に到着。

「ただいまー」

「こんちわーッス。雪穂いますか」

 暖簾をくぐると、穂乃果の母が店じまいの準備をしている最中だった。

「おかえり穂乃果。拳児くんもいらっしゃい」

 口をモゴモゴしているので、つまみ食いでもしていたのだろう。

 別にいいけどさ、と播磨は思った。

「あ、ケン兄おかえり。ついでにお姉ちゃんも」

 店の奥から雪穂が顔を出した。

「おい雪穂。ここは俺のウチじゃねェぞ」

 播磨が反論する。

「何言ってるの、半分家みたいなものじゃない」

「雪穂、私はついでなの?」

 穂乃果も顔を膨らませて不満げな表情を見せる。

「お姉ちゃんも、そんな細かいこと気にしないで。それよりケン兄。会わせたい人

がいるんだ。私の友達なんだけど」


「会わせたい人?」

「とにかく奥に来てよ」

「ああ、わかった」

 そう言って店の奥に入ろうとすると、志穂が穂乃果を止めた。

「穂乃果は店の片付け手伝ってくれる?」

「ええ? なんで私が」

「お姉ちゃんでしょう?」

「ブーブー」

「わがまま言わないの」

 というわけで、穂乃果は店の手伝いをして、播磨は店の奥にある居間に通された。

「ケン兄、こっちだよ」

 雪穂に手を引かれながら居間に行くと、見覚えのある金髪の少女が座っていた。

「お前ェ、どこかで見たことが」

 播磨は記憶の糸を手繰り寄せる。

「あっ、会長のところの」

「やっぱり知り合いだったんだね」

 雪穂は言った。

「どうも。絢瀬絵里の妹の絢瀬亜里沙です。姉がいつもお世話になっております」

 亜里沙は立ち上がって一礼する。

 姉と似ていて姿勢が良い。ストレートの金髪は、姉と少しだけ色が違っていた。

 髪の右側に付けている髪留めが妙に印象的だと播磨は思った。

「雪穂、音ノ木坂(ウチ)の生徒会長の妹さんと知り合いだったのか」

 播磨は雪穂に言った。


「うん。同じ中学校の友達だよ」

「そうなのか」

「とりあえず座ろうよ」

「ああ」

 播磨がテーブルの前に腰掛けると、向かい側に雪穂と亜里沙が座った。

「あの時の女の子か。会長の妹さんだったんだな」

「あの、播磨拳児さんですよね」

「ああ。そうだが」

「やっぱり。μ’sのSIPですよね」

「え? 何。その言い方流行ってんのか?」

 ちなみにSIPはスクールアイドルプロデューサーの略である。にこの造語だと

思っていたが、どうやら一般的な名称になっているらしい。

「まあ、μ’sっつうか、音ノ木坂のアイドル部の副部長はしている。ちなみに部長は

今、外で手伝いをしている雪穂の姉な」

「それは知ってます」

(反応薄いな)

 穂乃果自身にはあまり関心がないようだ。

 メインボーカルなのに。

「そうそう、この前のお台場でやってたスクールアイドルのイベント、お姉ちゃんと見に行きました!」

 急に興奮した口調で亜里沙は言った。


「二人でか?」

「はい!」

(なんでいアイツ。やっぱり見に来てたんじゃねェか。下手なウソつきやがって)

 ふと、絵里の顔が思い浮かぶ。

「μ’sのライブは、どうだった」

「凄かったです。私、感動しました! とっても良かったです!」

「そ、そうか……」

「亜里沙ってば、学校でもμ’sの話ばっかりするんだよ。アハハ」

 雪穂はそう言って笑った。

「μ’sが何だって!?」

「うおっ!」

 急に顔を出す穂乃果。

「あ、亜里沙ちゃん、ハラショー」

 亜里沙を見た穂乃果はそう言って手を振る。

「ハラショー、穂乃果さん」

 亜里沙も手を振り返した。

「何だお前ェら、知り合いだったのか」

 播磨は少しだけ驚く。

「うん。この前も遊びに来てたからねー」

 穂乃果は嬉しそうに言った。

「穂乃果、まだ終わってないわよ」

 遠くから志穂の声が聞こえてきた。


「わかってるよお母さん。それじゃ、後でね」

 そう言うと、穂乃果は店に戻って行った。

 絢瀬絵里の妹の亜里沙が雪穂の友達で、μ’sが好きで、穂乃果とも顔なじみで

あることはわかった。

「で、その妹さんが俺に何か用なのか?」

「あ、はい。先日、お姉ちゃんと玄関前で言い争っていたのは、播磨さんですよね」

「ん? アレのことか。まあ、そうだな」

「背が高くてサングラスをした音ノ木坂(おとこう)の生徒の話を雪穂ちゃんにしたら、

それって播磨さんのことじゃないかって話になったんです」

「それで、雪穂が俺をここに呼んだと」

「そういうことデス」

 雪穂はなぜか嬉しそうに頷いた。

「あの、どうして播磨さんが姉と言い争いをすることになったんでしょうか。差し支え

なければ聞かせていただけないでしょうか」

「どうして知りたいんだ?」

「もし、それがμ’sのことだったら、とても気になるというか」

 この子は、天然っぽい外見をしているけれど、意外と鋭いのかもしれない。

 播磨は考えた。

 下手なごまかしは通用しないだろう。何よりμ’sを好きでいてくれる人に対して、

ウソを付きたくない。


 それが播磨なりの筋の通し方である。

「悪いが、そいつは教えられねェ」

「え……」

「あれは俺とお前ェのお姉さんとの間の問題なんだ。もし、今お前ェに話をしたら、

何かしら上手くいくかもしれねェけど、妹を利用するってのは、ルール違反な気が

してよ」

「もしかして、“痴情のもつれ”ってやつですか?」

「バ、バカ。違ェよ! 何言ってんだ」

「ケン兄、あたしというものがありながら!」

「雪穂、お前ェはちょっと黙ってろ!」

「え? 何々? 修羅場? 修羅場なの!?」

 再び顔を覗かせる穂乃果。

「お前ェは戻れ穂乃果! そしてお前ェらちょっと落ち着け!」

 穂乃果を店に戻し、亜里沙と雪穂を落ち着かせた播磨は一息つく。

「まあ、妹さんよ。お前ェのお姉さんとは、また話し合いをするから、心配はしなくて

いい。μ’sの活動もちゃんとする」

「そうですか。あっ、もうこんな時間。そろそろ帰らないと」

 居間の時計を見た亜里沙が言った。

「ええ? 夕飯食べて行けばいいのに」

 雪穂は残念そうに言った。

「今日、両親が不在なんです。だから家にはお姉ちゃんしかいなくて」


「そっか、一人だと不安かもしれないしね。それなら仕方ないね」雪穂は言った。

「待てよ妹さん」

 そんな亜里沙に播磨は声をかける。

「はい?」

「家まで送るぜ。暑くなると変質者がよく出没するって言うしな」

「ええ? ケン兄も帰っちゃうの?」

「中学生を夜中に一人で歩かせるわけにはいかねェだろうが」

「じゃあ私も行く」

「帰りはどうすんだ」

「ケン兄送ってよ」

「やだよ面倒くせェ。つうか、夕飯の準備を手伝え」

「はあい」

 雪穂は渋々納得したようだ。

 穂乃果の前ではしっかり者の雪穂も、播磨の前では少しワガママになってしまう。

 ただ、昔からそうだったので、播磨は特に気にしてはいない。

 帰り支度をした播磨と亜里沙は、店の母親に挨拶をする。

「すんません、お邪魔しました」

「お邪魔しました」

 育ちが良いのか、亜里沙はキレイなお辞儀をする。そこは姉にそっくりだ。


「あら、もう帰っちゃうの?」

 志穂は残念そうに言った。

「そうだよ、夕飯食べて行きなよ」

 穂乃果も残念そうだ。

「いえ、姉が心配しますので」

「俺が家まで送って行く」

 播磨は言った。

「拳児くんが一番物騒なんじゃないの?」

「バカなこと言うな。じゃあな」

「気を付けてね」

 そう言って穂乃果は手を振った。

「失礼します」

 もう一度礼をした亜里沙は播磨と一緒に店を出る。外はすっかり暗くなっていた。




   *

 




暗くなった帰り道、播磨と亜里沙は並んで歩く。

「今日はすみませんでした。ご足労かけて。しかも送ってもらうなんて」

「なに、気にしてねェよ。ついでだ、ついで」

「ありがとうございます。播磨さんは噂に違わぬいい人ですね」

「ただのお人好しって言い方もできるがな」

「そんなことないですよ。今日話してみた感じでも、雪穂ちゃんの話を聞いても、

とってもいい人です」

「そうかい。そりゃありがとよ」

「はい」

「それで、妹さんよ」

「亜里沙です」

「ん?」

「亜里沙って呼んでください。雪穂ちゃんも雪穂って呼んでるでしょう?」

「そういや、そうだけど」

「絢瀬だと、お姉ちゃんと一緒になっちゃうから」

「わかったよ、亜里沙」

「はい。それで――」

「どうした」

「何か、聞きたいことがあるんじゃないですか?」


「あン?」

「雪穂ちゃんたちの前では聞き難いこととか」

「それは」

「お姉ちゃんのことですか」

 鋭いな。やっぱりこの娘は鋭い。

 播磨は確信した。

 そんな鋭い妹に話をしていいものなのか、少しだけ逡巡する。

「大丈夫です、秘密は厳守しますよ」

「別に秘密にするような、大層なことを聞きたいわけじゃねェが」

「お姉ちゃんのスリーサイズですか?」

「ブッ! 知ってんのかよ」

「妹ですから、何でも知ってます」

「いや、別に知りたくもねェから。っていうか、今はそんなことは重要じゃねェ」

「亜里沙はまだ小さいけど、将来的にはお姉ちゃんくらいになると思うのですが」

「何の話をしてんだ」

「エヘヘ」

(いかんな。年下に会話のペースを握られてしまっている)

 播磨は少しだけ焦った。

「なあ、妹……じゃなくて、亜里沙」

「はい?」


「お前ェの姉さんがバレエをやっていたのは知ってるよね」

「はい、中学までやっていました」

「そうなのか。それで、どうしてバレエを辞めたのか、わかるか?」

 こういうのは聞いていいのだろうか。

 自分の中で少しだけ葛藤するが、今は彼女に聞く他ない。

 本人に聞いても取りつく島もないだろうから。

「ええと……、お姉ちゃんが中学二年生の時だったと思うんですけど、怪我をしたんです」

「怪我か」

 怪我で選手生命を失う。そんなことはスポーツ界ではよくあることだ。

「それで、バレエを辞めたのか」

「いえ、怪我自体はそこまで酷くなくて。半年ほど休んだら完全に治ったんですけど」

「なに?」

「でも、それからお姉ちゃんはバレエをやらなくなりました。完全に断ち切ったというか」

「……怪我が治ったのに、バレエは再開しなかった」

「はい」

「何があったんだ」

「わかりません。そのことは何度か聞いたことがあるんですけど」

「ああ、いや。いい」

「はい?」

「人にはそれぞれ事情があるんだろう。それ以上は本人以外の口から聞くもんじゃ

ねェな」


「お姉ちゃんのこと、気遣ってくれてるんですね」

「別にそんなんじゃねェよ」

(怪我をして一時期バレエをやらなかった時期がある。その間に何かがあって、

絢瀬絵里はバレエをやらなくなった。一体何があったのか)

 ここから先は妹も知らない事情があるのだろう。

「お姉ちゃん、あんなにバレエが好きだったのに……」

 そう言うと、亜里沙は俯く。

「亜里沙はバレエ、やらなかったのか?」

「私もやってましたよ」

 そう言うと、亜里沙は播磨の二歩前に出てクルリと一回転した。

「おい、危ねェぞ」

「でも小学校で辞めちゃいました」

「どうして」

「私、才能なかったみたいで」

「才能か……」

 バレエのことはよくわからないが、人一倍才能が必要であることは素人の播磨にも

わかる。

「でも踊ること自体は好きです。だから、楽しそうに踊っているμ’sの皆さんを見てると、

見ているこっちも楽しくなります」

「……そうか」

 才能だけが踊りじゃない。

 ふと、播磨はそう思った。




   *




 絢瀬家、玄関前――

「今日は送ってくださってありがとうございます。話し相手にもなっていただいて」

 亜里沙は丁寧にお辞儀をした。

「いや、どうってことねェ」

「今度はもっと、μ’sの話を聞かせてくださいね」

「まあ、時間があったらな」

「それでは」

 そう言って亜里沙が玄関を開けようとした瞬間、彼女がドアノブに手を駆ける前に

扉が開いた。

「ちょっと亜里沙! 遅くなるならちゃんと連絡しなさい。ただでさえ、最近は物騒なんだか……」

 エプロン姿の絵里がドアを開けたまま固まる。

 彼女の視線は、亜里沙のすぐ後ろにいる者に釘付けになっていた。

「播磨……、くん?」

「ど、どうもッス」

 急な再会に戸惑う播磨。正直、今はあまり顔を合わせたくなかったのだ。

「どうして、亜里沙と一緒に」

「送ってきたんだよ。夜道は危ねェだろう」

「それは……、ありがとう」

 素直に礼を述べる絵里。


 そこは生徒会長。道理はきちんと通す女。

「そいじゃ、俺はこれで」

 気まずくなってきたので、そそくさと帰ろうとする播磨。

 しかし、

「ちょっと待ちなさい」

 それを引き留める絵里。

「何か?」

「夕食、まだ食べてないでしょう?」

「へ? まあ、そうッスけど」

「ウチで食べて行かない? 今日は両親いないから、材料が余ってしまって」

「は?」

 唐突な申し出に戸惑う播磨。

「あっ、それいい考え! ありがとうお姉ちゃん」

 絵里の申し出に、亜里沙は賛成のようだ。

「行こう? 播磨さん。どうぞ、あがって」

「お、おう」

 意外な展開に戸惑いを隠せない播磨。

 そして他人の家というのはどうも落ち着かない。

 穂乃果の家は何度も来ているので問題はないけれど、それ以外では雷電や海未の

家くらいしか行ったことがないのだ。


「そこで座って待ってて」

「お、おう」

 絵里は髪を後ろにまとめたいつもの髪型だが、家では当然ながら制服ではなく私服

である。

 ぴったりとしたデニムのパンツとライトブルーのTシャツ。それに白いエプロンドレス

はかなり新鮮な驚きを播磨に与えた。

「なによ。ジロジロ見て」

「いや、会長さんの私服姿って見たことねェから、珍しくて」

「バ、バカ。見世物じゃないのよ。あまり見ないで」

「すンませン」

「お待たせ播磨さん」

 私服に着替えた亜里沙が居間に現れた。

 何だか救われた気がする播磨。

 なぜなら絵里と二人きりだと気まずかったからだ。

「亜里沙、いつも何食ってんだ? ボルシチとか」

「ウチはそこまでロシアじゃないよ。まあ、ビーフストロガノフは時々作るけど」

「そうかい」

 この日の夕食はカレーライスであった。

 何だか普通の日本の食卓のようだ。

「当たり前じゃない。私も亜里沙も、見た目はこんなだけど日本人なんだから」

(なんでそんなにツンツンしてるんだ)


 播磨は気まずいを思いをしながら夕食をいただいた。

 カレーはとても美味しかった。

「意外と料理上手なんッスねえ」

「それ、どういう意味?」

「いやいや、会長さんはお嬢様っぽいんで、自分で料理しないのかと」

「お父さんもお母さんも忙しいから、私がこうして亜里沙のために夕食を作っているわ。

それでも、高校に入ってからだけどね」

(バレエを辞めてからか)

 播磨はそう思ったが口には出さなかった。

 食事が終わると、絵里は紅茶まで出してくれた。

 絵里のキツイ言葉とは裏腹に、そのもてなしは至れり尽くせりと言った感じだ。

 意外な厚遇に心が揺れる播磨。

 そんな中、亜里沙が“あるもの”を持ってきた。

「播磨さん、お姉ちゃんのアルバムだよ」

「ちょっと亜里沙。なぜそんなものを」

「ほう」

 焦る絵里。

 しかし亜里沙はペースを崩さずに、アルバムを開いた。

「ほう」

 そこには大きく脚を上げる絵里の姿があった。

 顔は今より幼いけれど、面影ははっきりと見て取れる。


 チュチュと呼ばれるバレエの衣装を着た絵里は、髪の毛をお団子にまとめていた。

 何かの発表会の時だろうか。

「ちょっと亜里沙、勝手に出さないでって言ってるでしょう?」

 エプロンで手を拭きながら絵里は居間のテーブルまでやってくる。

 こんな家庭的な光景は、学校では決して見ることはできないだろう。

「綺麗ッスね」

 ふと、播磨は声に出す。

「え?」

 絵里の動きが止まった。

「いや、身体のラインとか、動きとか」

「映像もあるよ、見る?」

 調子に乗った亜里沙が笑いながら言う。

「やめなさい」

「いや、さすがにそこまでは」

「でも凄いでしょう? お姉ちゃん」

「ああ、凄いな」

「んぐぐ……」

 褒められて悪い気持ちはしない。でも恥ずかしい。

 そんな感情が絵里の紅潮した顔にあふれ出ていた。

 この人も、思ったより分かりやすいのな。

 そう思うと播磨は少しだけ安心した。




   *


 食器の片付けも終わり、エプロンを外した絵里が向い側のソファに座る。

 この時亜里沙はお風呂に入ってくると言って席を外したので、播磨は絢瀬家の

居間で絵里と二人きりになってしまった。

 亜里沙という緩衝剤が無くなったことで、当然絵里も気まずい。

「それで、亜里沙を使うなんてどういう意図があったの?」

 最初に言葉を発したのは絵里のほうからであった。この気まずい空気に耐えられなかったからかもしれない。

「別に、使うなんて人聞きが悪い。偶然ッスよ」

 播磨はそっけなく答える。

「亜里沙ってば、随分とあなたのことが気に入ったみたいね。年下に人気があるのかしら」

「それは買いかぶり過ぎッスよ」

「そうなの」

 絵里はゆっくりと、開かれていたアルバムを閉じる。

「これはもう、過去のことだから」

 そして独り言のように言った。

「あの、聞いてもいいッスか」

「何?」

「どうして、バレエを辞めたのか」

「……!」

 どっからどう見ても百パーセント地雷であることがわかりきっているのに、あえて

それを思いっきり踏み抜く播磨拳児という男に、絵里は驚きを飛び越えて尊敬すら覚えた。


 こうなったらもう、行くところまで行ってやれ、という気持ちもあったかもしれない。

 亜里沙は今、ここにはいない。本音をぶつけ合えるのは、今しかないだろう。

「どこまで知っているのかしら?」

「中学の時に、バレエを辞めたってことくらいッス」

「……」

 辛い記憶。

 心の中の殻に入れて、恐れながら護ってきた記憶。

「この話をするのは、あなたがはじめてよ。亜里沙にも、もちろん希にも言っていない」

「……」

 播磨はまっすぐに絵里を見据えている。

 まるでこれから決闘にでも行くかのような、怯えと闘争心が入り混じった表情のように、

絵里には思えた。

「私はバレエの練習中に怪我をして、しばらくバレエができなくなったの。怪我自体は

たいしたことなかったんだけど、大事をとって、半年ほど休むことになった」

「……」

「その時、私は夏休みを利用してお祖母ちゃんのいるロシアに行くことにしたの。

毎日、バレエの練習ばかりでずっと行くことができなかったから。この際、行って

みようと思って」

「……それで、どうだったんッスか?」


「この時にね、私はお祖母ちゃんに地元のバレエ学校に連れて行ってもらったの。

知ってる? ロシアには各地にたくさんのバレエ学校があるの」

「バレエの本場ッスからねェ」

 本場、というか盛んな国である。サッカーで言えばブラジルみたいなものだろうか。

「そうね。私はそんなバレエ学校の一つに連れて行ってもらった。ほんの興味本位

だったの。本場のバレエはどんなものかっていう。そこで見たものは……」

 絵里は言葉を詰まらせる。

「圧倒的な実力差……」

「……え?」

「私はその頃、日本でそれなりに評価されていたから、正直天狗になっていたのよね。

でも、ロシアのバレエ学校の生徒たちはそのプライドを打ち砕いた」

「……」

「知ってる? ロシアのバレエ学校では、二千人以上の受験者がいて、その中で

六十人くらいしか受からないの。更にそこから絞り込まれて、最終的に十数人、

プロになれるのは数人しかいないというくらい厳しいものなの」

(※木村公香『バレエを習うということ』頁143/健康ジャーナル社刊/平成13年7月27日)

「それは……」

「私の中で何かが大きく崩れ去った。本物を見た時の衝撃。だから私はバレエを辞めたの。

表向きには、怪我をしてから、上手く身体が動かなくなったからって言い訳してたけど、

本当は自信が無くなったのよ」


「……」

「どう? こんな私でも、協力して欲しいと思うの?」

「身体は、身体はもういいんッスよね」

「そ、それはそうだけど」

「じゃあ問題ないッス」

「ちょっと播磨くん」

「はい?」

「今の話聞いてたの?」

「はい」

「じゃあなんで、今まで通り協力しろっていう結論になるのよ」

「いやあ、なつうか、自分の直感?」

「直感?」

「ああ。初めてアンタを見た時、いや、違うな。初めて絢瀬絵里という存在を意識

した時に思ったんッスよ」

「何を」

「凄くキレイだなって」

「…………!」

 思わず顔が熱くなる絵里。

(どうしよう、顔、隠したい!)

 絶対、今、耳まで赤くなっているだろうことはわかった。

 こんな顔、親しい人には絶対に見られたくない。亜里沙が近くにいないのが大きな

救いだ。


「き、キレイって。何が」

「いやその、歩き方とか立ち振る舞いとか。バレエ習ってただけあって凄くキレイだ

なって思ったんで」

「そ、そう。そのこと……」

 絵里は大きく鼓動する心臓を鎮めようと、深めに息をした。

(何なのよこの子は。年下の子にこんな気持ちにさせられるなんて!)

 絵里は心の中でハンカチを噛む。

「だから踊ったら凄くキレイなんじゃないかと思って、それだけッス」

「それだけ」

「はい」

 一気に身体の力が抜ける。

「おっと、もうこんな時間か」

 播磨は腕時計を見て言った。

「え?」

「結論は、明日聞かせてもらえませんか。俺も色々考えたいことがあるんで」

「え、ちょっと」

「いつもの中庭で待ってるッス」

「あの中庭?」

「ええ!? もう帰っちゃうの?」

 廊下から急に亜里沙が飛び出してきた。


「亜里沙? あなたお風呂に入ってたんじゃ」

 亜里沙の服装を見ても、風呂上りには見えない。

「うん、入るって言ったよ。でも今すぐとは言ってない」

「何屁理屈こねてるのよ!」

「そんなことより、お姉ちゃん。お顔真っ赤だよ」

「うそっ!」

 そんな姉妹のやり取りを余所に、播磨は立ち上がる。

「世話になりました」

「また来てね、播磨さん。玄関まで送るよ」

 亜里沙はそう言って播磨の横にくっついた。

「いや別に。気にしなくていいから」

「……」

「それじゃ、失礼するッス」

 播磨はそう言って絵里に一礼する。

「気を付けてね」

 絵里はそう言うのが精いっぱいであった。

 こんなにも心をかき乱された日は久しぶりかもしれない。



『だから踊ったら凄くキレイなんじゃないかと思って、それだけッス』



 播磨の言葉が頭の中で繰り返される。

「踊る……、か」

 誰もいない居間で、絵里は一言つぶやいた。





   *





 翌日、絵里は確固とした結論も出せずにいた。

 午前中の授業にも身が入らず、昼食もほとんど喉を通らない。

「どうしたの?」

 クラスメイトにも心配される始末だ。

(私らしくない。もっとしっかりしなくちゃ)

 そう思ったが、ふともう一人の自分が語りかける。

(私らしさって何?)

 そんなのわからない。

 辛いことから逃げて、心を殻で覆うことで辛うじて自己を保ってきた自分。

 包容力の大きい親友に頼って生きてきた自分。

 勉強に励み、生徒会の仕事などを率先してこなすことによって、不安をかき消して

きた自分。

 どこに本物の自分があるのだろうか。

 気が付くと、絵里は約束の場所、つまり学校の中庭にいた。

 既に中庭のベンチには播磨が座って待っていた。

(彼の問いかけにどう答えればいいのか)

「あの、生徒会長さん」

「は、はい」

 心臓が高鳴る。


 しかし次の瞬間、彼は予想外のことを口にした。

「今まで協力してくれ、とか言ってたけど、それは取り消す」

「……え?」

 意味がわからない。

 昨日言ったことは嘘だったの?

 なぜ急にそんなことを?

 しかし播磨は言葉を続けた。

「俺と、いや、俺たちと一緒にやらねェか」

「それって……」

「μ’sに入るってことだ」

「そんな、私は。どうしてそんな今更」

「ステージに立つ絢瀬絵里が見たい。それだけの理由じゃあ、不足ッスか?」

 頭の中が真っ白になる。

 顔は紅潮しなかったけれど、心臓の鼓動は相変わらず高いままだ。

 こんな気持ちになったのは何年ぶりだろうか。

「条件があるの」

 絵里は言った。

「何だ」

「私のことは、絵里と呼びなさい」

「え?」

「それと、敬語はいらないわ」


「ん?」

「もう、仲間ですもの」

「……わかった。よろしく、絵里」

 そう言うと播磨は右手を差し出す。

 大きく、温かい手を絵里はガッチリと握り返した。

 すると、

「やったあー!!!」

 不意に校舎の影から人が出てきた。

「ひゃっ!」

「やったにゃあ!」

 高坂穂乃果や星空凛など、μ’sのメンバーだ。

「やったね! はりくん」

「手間かけさせるんじゃないわよ」

 南ことり、矢澤にこもいる。

 よく見ると、全員いるようだ。ずっと隠れていたのだろうか。

 メンバーの中から一人が絵里の前に出た。

「あの、改めまして、私リーダーの高坂穂乃果と申します」

「絢瀬、絵里です」

「μ’sへようこそ」

 そう言うと、穂乃果とも握手をした。


「それにしても昨日電話があった時はびっくりしたよ。まさか生徒会長をメンバーに

加えるなんて言うんだもん」

 穂乃果は笑いながら言った。

「正直、穂乃果から聞いたときは成功するとは思いませんでした」

 そう言ったのは園田海未だ。

「うむ」

 すぐ傍にいた雷電も海未の同意している。

「これでμ’sは八人だね!」

 穂乃果は元気いっぱいに言った。

「八人のフォーメーションも一から考えねェとな」

 腕を組んだ播磨が言った。

「これでラブライブもいただきにゃ!」

 なぜかはしゃぐ凛。

「凛ちゃん、気が早いよお」

 小泉花陽はそんな凛を宥めるように言った。




「――九人やで」




「え?」

 この時、全員の動きが止まる。

「μ’sはウチも入れて、九人や」

(え、なんで?)

「…………」

 笑顔でVサインをする東條希を見て、その場にいた全員が言葉を失ってしまった。


 
 


    つづく!!

明日はお休みします。





 前回、色々あって生徒会長の絢瀬絵里と東條希が音ノ木坂学院アイドル部、

通称μ’sに加わることになった。

 彼女たちの加入は、μ’sを色々な面で変えることになる。

 一番変わったことは、絢瀬絵里の意向によりチーム内の先輩後輩の壁を取り払う

ことであった。

 つまり、少なくとも部活動中は「先輩」と呼ぶことを禁止したのである。

 この方針をすぐに受け入れた者もいれば、

「拳児くーん」

「うわっ!」

 星空凛はそんな絵里の方針をすぐに受け入れた者の一人である。

「おい星空、いきなり背中に飛びつくな」

 凛は何を思ったのか、播磨の背中に飛びついた。

「照れない照れない。これもスキンシップにゃ。それと、凛ちゃんのことは凛って

呼んでほしいにゃ」

「んだよ面倒くせェ」

「にゃあああ!!」

 凛は両腕両脚で播磨を後ろから締め付ける。最近ずっと筋トレで鍛えているから

かなり苦しい。

「ああ! わかった、わかったから。力を緩めろ。つうか、離れろ」


「わかったらいいにゃ。はいっ」

「はい?」

「はいっ」

 凛の意図を理解した播磨は、小声でささやくよに言った。

「り、凛。これでいいか」

「照れなくてもいいにゃあ」

「べ、別に照れてねェよ!」

「かよちんも下の名前で呼んで欲しいでしょ?」

 播磨の背中におぶさったまま、凛は小泉花陽に話を振った。

 急に話を振られた花陽は、恥ずかしそうにモジモジしている。

「え? あの……。できれば」

「わかったよ。花陽、これからもよろしくな」

「は、はい。拳児さん」

 播磨は花陽の頭を軽く撫でた。

「ふしゅうー」

 すると顔を真っ赤にさせて俯く花陽。

「ああっ、かよちん照れてるにゃあ。照れてるかよちんもかわいいにゃ」

「わかったからお前ェは降りろ、凛」

「あの、先輩」

 ふと、別方向から話しかけてきたのは西木野真姫であった。

「どうした」


「ごめんなさい、私はまだちょっと……、今まで通りでいいですか?」

「あン? まあ構わねェぞ別に」

「真姫ちゃん、部の方針に逆らうのはよくないにゃ」

「凛、ちょっと黙れ」

 播磨は凛の顔を掴んで黙らせる。

「ふにゃ!」

「まあ、人にはそれぞれ事情ってもんがあるんだ。そうそう強制はできんだろ」

「拳児くんは見かけによらず優しいにゃ」

「見かけによらずってどういうことや」

「ありがとうございます」真姫はそう言って頭を下げる。

「そうだ、西木野」

「はい?」

「懸案も解決したことだし、そろそろ新曲の作曲に取り掛からねェか」

「は……、はい」

「ん?」

 反応が悪い、と播磨は思った。

 ずっと新曲を作りたがっていたにも関わらず、この反応は何かあったのだろうか。

「むむむ。拳児くん、真姫ちゃんが難しい顔してるにゃ」

「お前ェはいつまで俺の背中にいるつもりだ」


「楽ちんだから、このまま外にランニングに出かけてもいいにゃあ」

「うるせェ。降りろ」

「モテモテやね、拳児はん」

 ニヤニヤしながら東條希が近づいてきた。

「副会長、じゃなくて希?」

「うふふ、なあに?」

「いや、何でもねェ」

 東條希という人物も謎は多いけれど、彼女の謎は今の所放置しても問題はない、

と判断した播磨であった。















        ラブ・ランブル!

    播磨拳児と九人のスクールアイドル

  第十六話 デート・ア・ラブライブ~前編~






「真姫ちゃんの様子がおかしい?」

 昼休み、教室でパンを食べながら播磨は穂乃果たちに、西木野真姫のことを話して

みた。

「ふむ、確かに少し元気がないかもしれんな」

 雷電は頷く。

「知っているの? 雷電くん!」

 穂乃果は言った。播磨は何となく台詞を取られた気がして少し悔しいと思った。

「ふむ、練習中もあまり集中できていなかったというか、声にも力が無かったな」

 さすが雷電、よく見ている。と、播磨は感心する。

 ここの所絢瀬絵里のことに集中していたため、他のメンバーの様子をなかなか

見ることができなかったからだ。こういう時に頼りになる。

 播磨は海未に作ってもらった可愛らしい弁当箱を丁寧に持つ雷電を見ながらそう思った。

「でも何があったんだろう。心配事かな」

「年頃の娘には心配事の一つや二つあるもんだろ。穂乃果、お前ェはないかもしらねェけど」

「し、失礼な。私だって色々悩みとかあるよ」

「どうせ体重と成績のことだろ」

「はっ! なぜわかったの? 拳児くんは超能力者?」


「まあ、高坂のことは置いておいて、拳児。お前は西木野真姫をそうするべきだと思う?」

 雷電は穂乃果を無視して話を続ける。

「え? 雷電くん酷い」

「うーん。年頃の女子には悩みの一つや二つあるもんだしなあ。そっとしておくのが

一番かもしれねェが――」

「そんなことでええの?」

「うわっ!!」

 不意に顔を出す東條希。

「希、なんでこんなところに!」

「ふふ。悩みある所に希ありやで」

「何ちょっと決め台詞っぽいこと言ってんだこの人は」

「そんなことより、西木野真姫ちゃんのことやろ?」

「知ってたのか」

「さっきから話をしとったからな」

「聞いてたんならさっさと出てこいよ」

「まあそれはともかく、拳児はん」

「え?」

「真姫ちゃんはウチらμ’sの作曲を担う大事な要やで。それが悩みを抱えたままで

ええと思うとる?」

「そりゃあ、不味いとは思うけどよ」


「SIPとして彼女の悩みを解決する。これが今回のミッションやね!」

 そう言うと、希は笑うセールスマンのごとく播磨に人差し指を向ける。

 ドーンって感じに。

「エスアイピーって、何? 雷電くん」

 穂乃果は首をかしげて雷電に聞いた。困った時の雷電である。

「ふむ、SIPとは、スクールアイドルプロデューサーの略で、スクールアイドルの

ライブスケジュールや宣伝など、一切のことを統括する立場だと聞いたことがある」

「へえ、そんなのがあるんだあ」

「別にSIPとかになるつもりはねェが、作曲の要である西木野の不調は放置できねェか」

 播磨は吐き捨てるように言った。

「そういうことやね」と、希。

「それじゃあ、今日の放課後、ちょっと話を聞いてみよう」

「ウチも同行するで」

 希はなんだか嬉しそうだ。

「じゃあ私も部長として」

 穂乃果も続いた。

「お前ェはもっと練習しろ」

「ええ?」

「雷電、練習のほうはお前ェと海未に任すからな」

「心得た」そう言って雷電は頷く。


 絢瀬絵里も加入して、ダンスや歌もレベルアップしなければならないこの時期、

一人でも多く上手くなって貰わなければならない。

 それは西木野真姫とて同様だ。

 この日の放課後、播磨と希は、真姫を練習場とは別の教室に呼び出して事情を聞く

ことにした。




   *





「ストーカー?」

 放課後、練習場とは別の教室で真姫の話を聞いた播磨と希の二人はその言葉に驚く。

「最初は気のせいかと思ったんです。帰り道に人の気配がしたり、学校に行く時に

誰かに見られたりした気がして」

「……」

 播磨たちは真姫の言葉を黙って聞く。

「でも最近、私の知らない写真がネット上にアップされたていたり、変なハガキが

家に届くようになったりして」

「変なハガキってのは?」

「差出人が書いていないハガキに『応援してます』みたいなメッセージが書かれているものです」


「確かにストーカーかもしれへんね」

 希は頷いた。

「警察には相談したのか?」

 播磨は聞いた。

「は、はい。でも犯人がわからなくて……」

「どういうことだ?」

「拳児はん。ストーカー規制法っていう法律はあるけれど、それは基本的にストーカー

の正体がわかっている時に有効なものなんや」

 真姫に代わって希が説明する。

「は?」

「つまり、知り合いとか友達とか、それから元交際相手とか、そのストーカーが

誰かはっきりわかっとったら、逮捕するなり警告するなり、それなりの措置がとれる

けど、誰がやってるのかわからへん場合は、それはできへんのや。せいぜい家の周り

のパトロールを強化するくらいやね」

「なんてこった」

「このままストーカー事件が長引けば、私、両親からμ’sを辞めろって言われるかも」

 そう言うと真姫は両手で顔を抑えた。

「なんでアイドル部が関係あるんだ? 老人ホームでボランティアライブはやった

ことあるけど、まだ公式の大会には一回しか出てねェぞ」

 播磨は聞く。


「拳児はん。世の中には初物が好きって言うアイドルマニアもいるんやで。まだ

人気の出ていないアイドルに目を付けて、自分がそのアイドルを育てたつもりに

なるんや」

「はあ……」

 播磨にはよくわからない世界だ。

「真姫ちゃんは一年生の中でもことのほか可愛いからなあ。目を付けられるのも無理

ないわ」

「そんな、可愛いなんて」

 真姫は恥ずかしそうに目を伏せる。

「しかし、このまま放置するってわけにもいかねェだろう」

 播磨は言った。

「そうやね」

「ストーカーの行為がどんどんエスカレートして、障害や殺人に至るケースがあること

くらい俺だって知ってるぜ」

「ひいっ!」

 播磨の言葉に真姫は顔を青くする。

「こら、拳児はん。そないに不安にさせたらアカンで」

「ああ、悪い悪い」

「とにかく、真姫ちゃんは大事な仲間や。ラブラブを前にこの子を手放すわけには

いかへん。何とか安全策を考えへんと」


「実際どうすんだ? 現状、警察は頼りにならんだろう」

「ウチにいい考えがあるんやけど」

「何か嫌な予感がするんだが」

「ウソの恋人、略して“ウソコイ”作戦や」

「何だその、週刊少年ジャン●で連載されている漫画のタイトルみたいな作戦は」

「つまり、真姫ちゃんのストーカーは真姫ちゃんが好きなんやろう? せやけど、

その真姫ちゃんに恋人がいるとわかったら、彼奴も諦めるはずやで」

「はあ? そんなもんかね」

「真姫ちゃん。今、好きな人とかおる?」

「え!? あ、あの……」

 希は遠慮がない。答えにくい質問もズバズバしてくる。

「いませんけど」

「せやったら、拳児はん」

「なんだよ。まさか……」

「せや、真姫ちゃんの恋人になってくれへん?」

「ええ!?」

「なにい!?」

 驚く二人。

 しかし希は涼しい顔をしている。

「ちょっと待ったあ!!!」

 そんな話をしていると、急に教室のドアが開いた。


「にこ!?」

「にこっち?」

 なぜか矢澤にこが乱入してきた。

「話は聞かせてもらったわ。地球は滅亡する、じゃなくて、その作戦はいかがなものかしら」

 にこはそう言いながら教室に入ってくる。

「お前ェ練習はどうした」

「今はそれどころじゃないでしょ。それより希」

「なあに? にこっち」

「ウソコイ作戦って何よ。アイドルに男はご法度ってことは、常識のはずよ!」

 なぜかにこは凄く怒っている。

どうでもいいが練習着姿で廊下から教室の中の話を聞いているにこのすがたを想像

するとおかしかった。

 一方、希は落ち着いた表情を崩さない。

「現状これが一番ええ方法やと思うけどなあ」

「バカねえ、アイドルといえばある種の処女性が求められるものなのよ。恋人なんて

もってのほか! 例え彼氏がいたとしても、仲の良い兄か弟とか言ってごまかすのが

常識でしょうが!」

「そんなもんかね」

 播磨は軽くつぶやく。

「そういうものよ! 一昔前のアイドルなら、トイレや汗をかくことすらご法度と

言われていたのよ。今はさすがにそれほどでもないけど、恋人とか、何考えてる

のよ!」


「にこっち、それは確かにアイドルとしては大事なことかもしれへんけど、今は

真姫ちゃんの安全が最優先や。このまま親御さんに止められてμ’sを辞めること

になったらどないするの?」

「それは……」

「ウチらは仲間や。仲間同士助け合っていかなアカン。そうやろ? にこっち」

「でも恋人は不味いわよ。せっかく人気が出始めたところなのに……」

「にこっち、だったら他に何か案があるの?」

「これよ! にこ特製の変装セット。外出するときはいつもこれを装着するの!」

 そう言うと、にこは大きいマスクとサングラスを取り出した。

 そういや、秋葉原で会った時、コイツはこんな格好をしていたな、と播磨は思い出す。

「あの、私そういうのはちょっと……」

 しかし真姫は拒否した。

「なんでよ! 邪悪な紫外線からお肌も守れて一石二鳥よ!」

「にこっち。ちょっと落ち着きなさい」

「うう……」

「話を戻すけど、拳児はん。真姫ちゃんの恋人兼ボディーガードになってくれへんかな。

この件が解決する間だけでええんやけど」

「何で俺なんだよ。雷電でもいいんじゃないか」

「それを海未ちゃんが許すと思う?」

 播磨はその質問に少しだけ考える。そして、

「……無理だな」


 との結論に至った。

「お願い」

「でも、俺なんかでいいのか? つうか、西木野本人に意向を聞かねえと」

「え? 私ですか」

 先ほどから真姫の顔はずっと紅潮している。

「西木野、俺なんかでいいのか。もし嫌だったら他の奴を紹介――」

「あの!」

 播磨の言葉を止めるように真姫は声を出した。

「ん?」

「先輩で、いいです」

「……」

「いや、先輩がいいです!」

 真姫は恥ずかしそうにそう言った。

「ウフフ」

 その様子を見て希は嬉しそうに笑う。

「うう……」

 にこは不満そうだ。

「それじゃあ、皆にはそういう風に説明するで」

 そう言って希は立ち上がった。

「わかった」

 播磨は頷く。

「これからしばらくの間、二人は一緒に登下校してもらいます。外出する時も、極力

一緒に行動すること。ええな」


「……はい」真姫は頷く。
 
「そこまですんのかよ」播磨は言った。

「せやないと、ストーカーを騙せへんやろ? 拳児はんの都合が悪い時は、他の子を

呼んで、極力一人では行動せんことやな」

「わかりました」

「どうしても不安な時は、このにこちゃん変装セットで」

「にこっち、行くで」

 そう言うと、希はにこの後ろ襟を掴むようにして歩き出す。

「ああ! ちょっと待ってよ、希!」

 教室に残される真姫と播磨。

 そこには気まずい空気が漂っていた。

「本当によかったのか。ウソとはいえ、俺なんかが恋人でよ」

「いえ、それは問題ないと思います」

「嫌だったらはっきり言っていいんだぞ」

「嫌じゃありません!」

 そう言うと、真姫は立ち上がる。

「れ、練習に合流します。先輩も急いでください!」

「お、おう!」

 なぜか急に怒り出した真姫に戸惑う播磨。

「それと、作曲も始めますからね。準備お願いします」

「そうだな」

 こうして、大会に向けた作曲作業と、播磨と真姫のウソ恋人関係がはじまったので

ある。




   *





「二人が付き合う!!?」

 練習場で事情を説明すると、真っ先に驚いたのが穂乃果であった。

「つつつ、付き合うって、あんなことやこんなことを!!!」

「落ち着け穂乃果」

「ふぎゃあ!」

 播磨は穂乃果の頭に手刀を当てて彼女を黙らせた。

「でもストーカーっていうのは、確かに見過ごせないわね」

 そう言ったのは絵里である。

「メンバーの安全のため、一時的にこうすることに決めたんよ」

 希はそう説明する。

「私は反対したけどね」

 と言ったのはにこだ。

「にこ、あなたは練習抜け出して何やってるの」

「うるさいわねえ、アイドルに恋愛はご法度でしょう?」

 絵里の注意にも彼女はひるまない。にこはあくまで原則にこだわるようだ。

「それでも安全には代えられないわ。皆もいいわね、一応拳児と真姫は付き合っている

ってことで話を合わせてちょうだい」

 絵里ははっきりと言い放った。 

「ええ?」

「穂乃果、落ち着いてください」


 不満そうな声を出す穂乃果を海未が嗜める。

「ニセの恋人なら、月光くん(※十三話参照)でもいいんじゃない? 強そうだし」

「月光くんはマザコ……、じゃなくてお店のお手伝いがあるから無理だね」

 ニコニコしながらことりは言った。

「これから作曲で、播磨くんと真姫が一緒に作業することが多くなるから、ちょうど

いいんじゃないですか?」

 そう言ったのは海未だ。

「拳児くんには、秋葉原で五人の変質者に襲われそうになった時、助けてもらった

ことがあるにゃ。拳児くんだったら安心にゃ」

 凛はそう言って真姫の肩を抱く。

「そ、そうなんだ」
 
 真姫はその話を聞いて苦笑した。

「……」

 一方、同じ一年生の花陽は複雑な表情を浮かべている。

「それじゃあ、拳児と真姫が付き合うということで、異存はないわね!」

 絵里が手を叩いて話をまとめようとする。さすが生徒会長。

「他に手はなかったんですか?」

 穂乃果もにこと同様不満そうな表情を崩さない。

「あら、寂しいんやったらお姉さんが相手してあげようか?」

 希はそう言うと素早く穂乃果の背後に回った。

 まるで忍者のような素早さ。


「あ、いえ。それは……」

 あまりの素早さに言葉を失う穂乃果。

「ウチは“どちらも”いける口や。優しくしたるで」

「女同士はノーサンキュー……」

「遠慮せんでええんやで」

「ひぎゃあああああ!!!!」

「お前ェら静かにしろ」

 こうして、ウソの恋人関係は部内でも了承事項となった。

「本当によかったのか?」

 改めて播磨は真姫に確認する。

「仕方ありません。これから、よろしくお願いしますね」

「一つ問題があるんだけどよ、聞いてもいいか西木野」

「え? はい。何でしょうか」

「付き合うって、具体的に何するんだ?」

「え? はい?」

「何をしたらいいんだっけ」

「先輩、女の人と付き合ったことないんですか?」

「うっ、うるせェよ。仕方ねェじゃんかよ。こんな外見してんだしよ。それよりお前ェ

はどうなんだよ」

「わ、私もその……、男の人と付き合ったことは……、ありません」

「どうすりゃいんだ」

 途方に暮れる二人の間に悪魔、じゃなくて救いの女神が舞い降りる。

「ウチが教えてあげるさかい、その通りにすればええんやで」


 東條希の登場。

「希、その小脇にかかえている穂乃果をはなしてやれ」

「あら、失礼。ことりちゃん。この子お願いね」

「かしこまりました~」

 ことりはぐったりとした穂乃果を希から受け取り、両脇を抱えてズルズルと引きずって

行った。一体何をされていたんだろうか。

 そんなことより、今は真姫とのことだ。

「とりあえずこの一週間、ウチの言うとおりに行動しておけば、二人はバッチリ

付き合ったってことになるからな」

「あんまり大事(おおごと)にはしたくはねェんだがよ」播磨は言った。

「それもそうですね」真姫も同意する。

「拳児はん、真姫ちゃん。何かを得るためには何かを犠牲にせなアカン時もあるんやで」

「何かもっともらしいこと言ってるけど、自分が楽しんでいるようにしか見えねェんだがな」

「私もそう思います」真姫も同意する。

「気のせいや気のせい」

 希は満面の笑みで手を横に振った。





   *




 その後、希のアドバイス通り、二人は付き合う“フリ”をすることになった。

 やるなら徹底的にやらなアカンという希の言葉に従って、朝からその演技は

始まる。

「あ、おはようございます!」

「おお、相変わらず早ェなあ」

 朝、二人は待ち合わせをしてから一緒に登校する。

「こんにちは先輩。一緒にお昼、食べましょう?」

「お、おう」

 昼は一緒にお弁当を食べる。もちろん二人きりだ。

 場所は日によって変えた方がいいと言うので、色々な場所で昼食を食べた。

「先輩、部活に行きましょう?」

「そうだな」

 放課後、部活の練習に行くのも真姫が迎えに行く。

 当然部活中も一緒だ。

 一通りの練習が終わると、真姫は播磨や海未、それに雷電たちと作曲の打ち合わせをする。

 当然帰りは他のメンバーよりも遅くなるので、家まで播磨が送って行く。

「お疲れ様でした、先輩」

「お、おう。明日も頑張れよ」

「先輩こそ」


「おう」

(しかしデカイ家だな)

 少し前に行った絢瀬絵里の家も大きいと思った播磨だが、西木野真姫の家はそれ以上に

大きかった。

(本当に金持ちなんだな。さすが大病院のご令嬢)

 播磨は暗がりの中、帰りながら色々考える。

(朝は感じなかったが、夜は何か視線を感じたような気がする。確かに、これじゃあ

アイツが不安に思うのも無理はねェか)

 そう思った播磨は、真姫と別れた後しばらく彼女の家の付近を歩き回ってみた。

(高級住宅街ってところか。特に変わった場所はねェが、どこかに誰が隠れている

かもしれねェ)

 播磨は念入りに周囲を伺っていると、

「ちょっとキミ」

 不意に声をかけられる。

「あン?」

 振り向くと懐中電灯の光を当てられた。

「うおっ、まぶしっ!」

「見かけない顔だね、ここら辺りの人かい?」

「ああ……」

 播磨に声をかけてきたのは、紺色の制服に身を包んだ警察官であった。

「最近不審者がいるという情報が署に寄せられてね、ちょっと話を聞かせてもらえるかな」

「はあ……」

 ここで抵抗しても仕方ないので、播磨は警官の職務質問に答えることにした。




   *




 翌日、教室に雷電の笑い声が響いた。

「ハッハッハッハ」

 珍しく声を出して笑う雷電。

「笑い事じゃねェぞ。こっちはいい迷惑だ」

「なるほど、不審者を探していたら不審者に間違えられたと」

 播磨は昨日の話を雷電にしたのだ。

「まあ、そういうことだな。俺は高級住宅街には似合わねえ庶民だから、空き巣か

何かと間違えられたんだろう」

「しかし、不審な気配を感じたのは本当なのか」

「ああ。なんつうか、背筋が寒くなるような感じ。まあ、上手く説明できねェけど、

西木野が不安になるのもわからんでもねェなあ」

「何だかんだで、結構心配しているんだな」

「当たり前ェだろうが、同じ仲間なんだからよ」

「仲間か……」

「先輩」

 噂をすれば影、西木野真姫が弁当を持って教室にやってきた。

 ざわつく教室。

「ああ、西木野か。すぐ行く」

 播磨も自分の弁当持って教室から出て行った。


 彼女と一緒にいるところをクラスメイトに見られるのは照れくさいのだろう。

「播磨はええのう。あんなかわいい下級生と付き合えて」

 二人の様子を見ながら松尾は言った。

「まあ、色々事情があるのさ」

 松尾をたしなめるように雷電は言う。

 二人がウソの恋人同士であるということはアイドル部、つまりμ’sのメンバー

以外には知らされていない。犯人(ストーカー)は校内にいるかもしれないからだ。

「雷電、お前にはわしらの気持ちはわからんじゃろうな」

 そう言うと、松尾鯛雄はどこかへ行ってしまった。

(何を言ってるんだ?)

 そう思っている雷電のもとに海未がやってきた。

「遅くなりました雷電。今日のお弁当ですよ」

 そう言って、布の包みを差し出す。

「ああ、いつもすまないな。そうだ、海未」

「どうしました?」

「今日は一緒に食べないか。播磨は西木野と一緒に飯を食いに行ってしまったからな、

俺は一人なんだ」

「仕方ありませんね」

「南はどうした」

「ことりは、多分部室だと思います。穂乃果と一緒でしょう」

「そうか」

「私もお弁当、取ってきますね」

「ああ」




   *


 

「いつまで続くんだろうなあ」

 部室では、不満げな表情を浮かべた穂乃果がパンにかじりついていた。

「穂乃果ちゃん、仕方ないよ。犯人が見つからない限り安心できないし」

 宥めるようにことりは言った。

 ここの所、ほのかはずっと部室で昼食を食べている。

 今までは教室で雷電や播磨たちと食べていたのだが、今はそれができないからだ。

「でも真姫ちゃんって、最近はよく笑うようになったよね」

 サンドイッチを食べながらことりは言った。

「笑う?」

「ほら、入ったばかりのころはもっとツンツンしてた感じがあったけど」

「そういえば、そうだねえ」

「これもやっぱりはりくんと付き合ってる効果なのかなあ」

「それはそれでいいけどさあ。うう~」

(わかりやすいなあ)

 最近、播磨と一緒にいる時間が極端に減ったので穂乃果の機嫌が悪い。

 ことりにはそれが手に取るようにわかるけれど、あえて言わないようにしていた。





   *



「今日もお世話になりました」

 すっかり暗くなった自宅の前で、真姫はそう礼を言う。

「礼には及ばんよ。明日も頑張ってくれ」

「はい。一応、今日までの曲は、データでまとめておきますね」

「すまねェな。こっちはコンピュータ関係には疎いもんで」

「私も得意ってわけじゃありませんけど」

 そう言うと、真姫は門扉を開いて家に入ろうとする。

 その時、郵便受けに何かが入っていることに気が付いた。

「きゃあ!!」

 思わず声を出す真姫。

「どうした!」

 帰ろうとした播磨は、踵を返して真姫のもとへ向かう。

「あ、ああ……」

 真姫は震えており、言葉にならないといった感じである。

「どうかした!」

 播磨は聞いた。

「あれ……」

 辛うじて声を出し、郵便受けを指さす真姫。

「ん?」

 彼女の指さす方向にある郵便受けの中を調べると、

「な!!」

 そこには血まみれのハムスターの死骸が入れられていた。

 明らかに嫌がらせである。それもかなり悪質な嫌がらせだ。





   *




 翌日、播磨たちはそのことを希に報告した。

「拳児はんと付き合っている様子を見て、犯人は行動を変えたみたいやね。これで、

ストーカーの存在は明らかやわ」

「んなことはわかってる。どうすりゃいいんだよ!」

 播磨は言った。

 このままハムスターの死骸だけで済みそうもない。

 猫や兎の死骸でも投げ込まれたりしたら、それこそ真姫は精神的に潰れてしまうだろう。

「わかっとる。こうなったらウチにも考えがあるで」

「考えって?」

「デートや!」

「はっ!?」

 予想外の言葉に、播磨は言葉を失ってしまった。




   つづく

このパロディタイトルが、使いたかっただけなんや……。

???「犠牲になった親友の冥福を祈るのだ」



 日曜日。

 西木野家では、希と穂乃果、それに絵里の三人が訪れていた。

「できたで」

「これが、私……」

 鏡の前で自分の姿を見て驚く真姫。

 彼女にメイクを施したのは、東條希であった。

「素材がええからなあ、特に良さを殺さへんように苦労したわ」

 そう言いながら化粧道具を片付ける希。

「真姫ちゃん、キレイ……」

 穂乃果は単純に感想を述べる。

「凄いわね希。何でもできるのね」

 絵里も驚いているようだ。

「ウフフ。さっきも言うたけど、素材がええからよ。さ、服も着替えましょう」

「あ、はい」

 この日、西木野真姫は播磨とのデートのため、メイクや着替えの準備を入念に

行っていた。

 服も希の指示により彼女のイメージカラーである赤を基調としたワンピースを着た。

 恐らく彼女自身が選んでいたら何時間もかかっていただろう。

(これを見て先輩は、どう思うんだろう)

 西木野家の大きな鏡を見ながら真姫は心の中でつぶやく。

 この日、真姫は播磨とデートをするのである。






        ラブ・ランブル!

   播磨拳児と九人のスクールアイドル

  第十七話 デート・ア・ラブライブ~後編~




 デート作戦。

 それは希が考え出した最終兵器(リーサルウェポン)。

 単に学校の中でイチャイチャするだけではもう足りないと判断した希は、週末に

デートをさせることによってストーカーを誘い出そうと考えたわけである。

 この作戦にはいざと言う時のための監視要員として、穂乃果、絵里、そして希の三人が

参加することになっている。

 更に予備要員として別の場所で雷電と海未が待機。他のメンバーは参加していない。

 作戦の主役である播磨拳児は、指定の場所で待ち合わせをすることになった。

『もしもし拳児はん。聞こえる?』

 希の声が聞こえてきた。

 播磨は希から無線機を受け取っており、それを身体に装着している。なお、受信機

は骨伝導式のイヤホンであり、送信機は襟元につけた小型のマイクなので、傍目には

無線機を持っているようには見えない。まるでスパイかシークレットサービスのような

装備である。

「ああ、バッチリ聞こえているぜ」

 播磨は襟元の小型マイクにそう返事する。

『これから色々と指示を出すけど、ちゃんと指示通り行動するんやで』

「わかってる」

『くれぐれも行き過ぎた行動はせんようにな』

「わかってるって。お前ェらはどこにいるんだ」


『一応、二人が見えるところに待機しとるさかい、そこは気にせんでいいで。今から

真姫ちゃんがそっちに向かうわ』

「お、おう」

 播磨はわざとらしく顔を逸らす。

 そこに早足で真姫がやってきた。

「ごめんなさい、先輩。待たせちゃいました?」

 緊張しているのか、少し息が上がり顔をほんのりと赤らめている真姫が声をかけて

きた。

「いや、待ってねェぜ。今来たところだ」

「そ、そうですか」

 真姫は何か言いたそうな顔をしている。

『服のこととか、ちゃんと見てあげて』

 無線から希の声が聞こえてきた。

(そうか、そういうものか)

 女心に疎い播磨は、希の指示を鬱陶しいと思いつつっも少し感心しながら聞いた。

「その服、似合ってるぜ」

「ほ、本当ですか? 希ちゃんと絵里ちゃんが選んでくれたんです。私のイメージ

ピッタリだって」

 真姫は嬉しそうだ。

 確かに、ピンク色に近い赤のワンピースは派手すぎず、それでいてちょっと気の強そう

な真姫のイメージに会っているかもしれない。


「確かにキレイだ」

「はうっ!」

「どうした」

「ごめんなさい。褒められるの、慣れてなくて」

「俺だってそうだぞ」

「もう先輩ったら」

 真姫は照れ隠しに、播磨の二の腕を軽く叩いた。

「これからどこ行きゃいいんだ?」

 播磨は、真姫ではなく無線機で希に聞いてみた。

『普通に遊べばええんちゃうの? デートっちゅうのは、何をするかよりも誰と行く

かが重要なんやで』

「んなこと言われてもよ……」

「先輩?」

「ああ、いや」

 自分の襟元に向かってブツブツ喋っている姿は傍から見たら危ない人に見えるだろう。

 とりあえず無線の使用を自重した播磨は、真姫と二人で適当に遊びに行くことにした。

(しっかし、人と遊ぶってどうすりゃいいんだろうな)

 基本、単独行動派の播磨にとって、女性のエスコートというのは苦手な行動の一つ

でもあった。

(だがこれもストーカーをあぶり出すための作戦。何とかしなけりゃな)

 そう自分に言い聞かせつつ、二人は駅に向かった。




   *  




「二人は上手く合流したみたいやね」

 遠くから二人の行動を監視しながら、希は言った。

 監視班は大人数だと目立つので、希、絵里、そして穂乃果の三人に限定している。

「何だか覗き見しているみたいで、あまりいい気持ちはしないわね」

 一緒にいた絵里は言った。

「そないなこと言うてもしゃあないやろ? ストーカーをあぶり出すためや」

「そんなこと言って、なんか希ちゃん、楽しんでませんか?」

 口を尖らせながら穂乃果は言った。

「ええ? 全然そんなことないで?」

 希は苦笑しながら穂乃果から目を逸らす。

「もしもし拳児はん。聞こえる?」

 無線の送信マイクに向かって希は話しかける。

『どうした』

「どこに遊びに行ってもええけど、カラオケとか個室はアカンで」

『なんでや』

「そりゃあ決まっとるやないの。ウチらの監視が届かへんようになるからや」

『そうか。そりゃそうだな』

「とりあえず、アミューズメントパークなんかどないや? 場所は携帯に送信しとくで」

『助かる』

 そう言うと、希は携帯電話を取り出し、手際よくデータを送信した。

「絵里ちゃん、絶対希ちゃん楽しんでるよね」

 希の様子を見ながら穂乃果は言った。

「そう言えば希はスパイ映画とか好きだったような気がするなあ」


 絵里は独り言のように言った。

「二人とも何言うてんの。これはあくまでストーカー対策のためやで」

「本当かなあ」

 穂乃果、疑惑の目。

「もちろん他にも目的はあるんやけどな」

「他の目的?」

「せやで。真姫ちゃんは作曲というクリエイディブな作業もせなアカンのや。それは

単に練習ばかりしてたらできるってものでもないやろう」

「はあ」

「今みたいに、デートをして胸をキュンキュンさせたら、ええ曲ができるんやないかな

と思うてな」

「胸をキュンキュン?」

「後は、ストーカー事件で消耗した心の癒し、という意味もあるな。今回の作戦は

一石二鳥どころか三鳥やで」

 そう言って希は片目をつぶった。

「そんなに上手くいくのかなあ……」




   *





 都内のアミューズメントパーク。ここにはゲームセンターだけでなく、バッティング

センター、ボウリング場、カラオケ、カフェ、レストランなど一通りの施設がそろって

いる。

 ここにいれば(少なくともお金が続く限り)一日中退屈しそうにない。

 悪くない場所だと播磨は思った。

 ただ、人が多いので怪しい奴を見つけるのは困難かもしれない。

 播磨は周囲を見回す。

 怪しい人間は……、多いな。容疑者が多すぎてわからん。

「先輩」

 そんな播磨の袖を引っ張る真姫。

「どうした」

「私、こういうところで遊んだことないんで、どうしたらいいかわからないんですけど」

「実は俺もだ」

 播磨は正直に答える。

「アハハ。同じですね」

「ああ、同じだな」

 ふと、播磨は思った。

(あれ? 西木野のやつ、こんな風に笑うことがあったのか)


 何だか新鮮な発見をしたような気がした。

「そうだ、アレなんかどうですか?」

「アレ?」

 真姫が指さしたのは、足の動きでリズムを取る、いわゆるダンスゲームだ。

 まあダンスと言えばアイドルなので、練習にもなるかもしれない。

「そうだな、ちょっとやってみるか」

「先輩も一緒にやりましょう?」

「俺はちょっと」

「自信ないんですか?」

「ンなこたぁねェけどよ」

 播磨と真姫は二人でダンスゲームをやる。目の前に流れてくる画面に矢印が現れる

のだが、その矢印の方向に合わせて、足もとの矢印を踏むのがこのゲームの特徴だ。

 やってみると意外と難しい。タイミングの取り方が難しいのだ。

 かかってくる音楽のリズムに合わせて矢印を踏めばいいのだろうが、初心者の播磨

は矢印を見てから踏むので、どうしても1テンポ遅れてしまう。

 だが、真姫の方はすぐにコツを掴んだらしく、播磨よりもかなり良い点数を叩き出していた。

「運動は苦手なんじゃなかったか」

 一曲終わった後、ハアハア言いながら播磨は真姫に聞いた。

「確かに球技系は苦手ですけど、これはわりと面白かったです」


「そうか」

 次にレースゲーム、更にその次に射撃ゲーム等もやってみる。

 リズム系は得意な真姫も、射撃やレースは苦手なようだ。

「ひゃっ、ひゃああ!」

 運転しながら叫ぶ真姫。

「おい、こっちにぶつかってくるな!」

「だって、全然言うこと聞かない。きゃあ! 誰よ、バナナの皮を置いたの!」

「うおっ、赤い甲羅が飛んできた!」

 一通りゲームセンターで遊んだ二人は、ボウリング場にも行ってみることにした。





   *




 一方その頃、音ノ木坂学院高校では――

「ウノ!」

 部室でにこと凛、それに花陽の三人がカードゲームをしていた。

「どうして私たち、わざわざ日曜日に部室でUNOをやってるんですか?」

 花陽はうんざりした様子で聞く。

「うるさいわねえ、私たちはいざと言う時のための予備要員なのよ。何かあった時の

ために学校で待機しとかなきゃダメなの。ほら、カード取って」


「凛ちゃんも行きたかったにゃあ」

 凛は残念そうに言った。

「あんまり大人数で行くと目立つからって、言われたからね。しょうがないわ」

「スキップです」

「あっ、何するのよ!」

「あがりにゃあ!」

「ああ!」

「にこちゃんカードゲーム弱いにゃあ」

「そんなことはないわ! まだ花陽だって残ってるし」

「私もあがりです」

「うそ!?」

 三人は三人で、それなりに楽しんでいるようである。





   *




「うっし!」

 播磨の三連続ストライクが決まる。

「凄いですね先輩」

「お、おう。久しぶりだからちっと緊張したがな」

 とりあえず真姫とハイタッチをかわす播磨。

「ようし、私も」

 そう言ったが、真姫のボールは右側にそれてしまった。

「ああ、残念」

「諦めるな。まだスペアが狙えるぞ」

「わかってます」

 真姫はボウリングはあまり得意ではないようだ。

『やったで、ターキーや!』

 不意に無線から希の声が聞こえてきた。

「お前ェらも遊んでるのかよ」

 よく見ると、反対側のレーンで三人がプレイしている。

『だって待ってるだけやと退屈やろ?』

 無線越しに希は言った。

「怪しい奴は?」

『今の所わからんなあ』

「そろそろ出ようと思うんだが」

『もう1ゲームやらへん?』

「そっちの都合に合わせられねェよ」

  


   *



 というわけで、お腹もすいてきたので少し遅めの昼食にすることになった。

「どうするよ。あんまり金持ってないから高級なところには行けねェが」

「気にしなくてもいいですよ。先輩は普段、どんなところに行くんですか?」

「まあ、ラーメン屋とかかな」

『ウチはおうどんさんがええなあ』

『私はかつ丼』

「お前ェらには聞いてねェ」

 なんで送信機のボタンを押してもいないのに、あいつらにこっちの会話がわかる

のだろうか。盗聴器でも別につけてるんじゃないかと思う播磨であった。

「私、ラーメン屋さんに行ってみたいです」

 真姫は言った。

「いいのか? あんま、女の子ってラーメン屋とか行かねェとか聞くけど」

「そうですね。女一人ではラーメン屋さんには入り難いですかね。だからこそ、

行ってみたいというか」

「なるほどね、そんなものか」

「そんなものです」

 金持ちの家だから、逆に庶民的な店が新鮮なのかもしれない。

 そういえば、月光の店に行った時もやたら楽しんでいたっけ。

 真姫の提案により、播磨たちは近くのラーメン屋に向かった。

 まあ、ラーメン屋ならばはずれもないだろう。

 そんな播磨の予想通り、普通のラーメンを食べた二人はまた別の場所に移動

することにした。




    *




 海が見に行きたい。

 そんな真姫の要望を受けて、午後からはとある海浜公園に行くことにした。

「そういえば、この前のお台場の大会も海の近くでしたよね」

「ああ。でもあん時は海なんて見てる暇なかったけどな」

「確かにそうですね」

 電車での移動中も真姫は楽しそうであった。

 播磨は真姫に気づかれないように周囲を警戒する。

 都心からは離れた少し遠い場所の海浜公園を選んだのには理由がある。

 もし、ストーカーが尾行しているのであれば、長い距離を移動したほうが、

見覚えのある人物を特定しやすいと思ったからだ。

 希の方にも、怪しそうな人物を何人かピックアップするように要望していた。

「先輩、もうすぐですよ」

「お、おう」

 真姫と一緒に、播磨は電車を降りて駅を出てから海浜公園に向かう。

 随分歩いた気がする。

 こんなに歩いたのは久しぶりだ。

「潮風、気持ちいいですね」

「そうだな」

 近くで見ると、ゴミが浮いている海も遠くから眺めればキレイに見える。

 富士山みたいなものだ。


 海浜公園にはいくつもベンチがある二人はそこに座って海を見た。

 海は広くて大きい。

 当たり前のことだが、改めて見ると少しだけ感動する播磨であった。

「何か飲み物買ってきましょうか」

 不意に真姫は言った。

「じゃあ、俺が買ってくるぜ」

「いえ、私が」

「今日はお前ェを一人にするわけにもいかねェからな」

「そ、そうですか……」

 真姫が用を足すときも播磨はトイレの前で待っていた。

 あれはかなり恥ずかし。多分、真姫はもっと恥ずかしかったことだろう。

 二人が同時に立ち上がった時、真姫は言った。

「あの、先輩」

「ん?」

「実は私、その、お兄ちゃんに憧れていたんです」

「え?」

「私、一人っ子だから、その、頼れるお兄ちゃんとかいたらいいなって思って」

「そうなのか」

「だから先輩――」

「ん?」

 と、その時である。

 播磨に向かってくる人の気配。



 ストーカーか!!



 警戒する播磨。


 だが――

「ケン兄! こんな所で会えるなんて奇遇だねえ!」

「雪穂!?」

 穂乃果の妹、雪穂であった。

「ケン兄!」

 勢いよく播磨の身体に抱き着く雪穂。

「なんでお前ェ、こんな所に」

 雪穂を両手で引きはがした播磨は聞いた。

「いやあ、亜里沙ちゃんが海を見たいって言うから」

「亜里沙?」

 雪穂の後方を見ると、照れくさそうに笑う絵里の妹、亜里沙の姿があった。

「そんなことより、ケン兄こそこんな所で何してるの?」

「いや、それは……」

 播磨が戸惑っていると、雪穂は彼の後ろにいる真姫の姿に目を止めた。

 ふと、雪穂の瞳から光沢(ハイライト)が消える。

「ケン兄と一緒にいる人って、μ’sの人だよねえ……」

「あ! 西木野真姫さんですね!」

 μ’sファンの亜里沙は喜んでいるようだ。

 しかし、

「亜里沙、ちょっと黙ってて」

 雪穂に動きを止められる。

「どうしてケン兄と西木野さんが二人きりでいるの?」

「雪穂、これには色々と事情があってだな……」

「二人、付き合ってるの?」


「いや、実は」

 ここでストーカーをおびき出すための作戦、などと言うわけにはいかない。

 もしそんなことを言ったら、作戦がパーだ。

「そうよ、付き合ってるのよ」

 グイッと強引に真姫は雪穂の前に立った。

 腕を組んでおり、あまり機嫌はよろしくないようだ。

「あなた、確か穂乃果“先輩”の妹さんよね」挑戦的な目で真姫は聞いた。

「そうですね。はじめまして、高坂穂乃果の妹、高坂雪穂です」

 雪穂も腕を組み少し顎を引いた状態で真姫を睨みつける。

 そういえば、二人がこうして顔を合わすのは初めてだ。

「西木野先輩。あなたはケン兄とどういう関係ですか? 私の聞き違いでなければ、

付き合っているとか聞こえたんですけど」

「ええ、付き合ってるわよ。私と“拳児さん”は」

「いつからですか?」

「あなたに関係あるのかしら?」

「“ウチの拳児くん”がお世話になってるんですから、ご挨拶もしとかなきゃと

思いましてね」

「おいちょっとお前ェら、落ち着け」

「あなたは黙ってて!!」

「ケン兄は大人しくしてて!!」

 二人同時に怒鳴られる播磨。

 凄い迫力だ。

(おい、どうすりゃいいんだこの状況)

 播磨は襟元の送信機に話しかける。

『この状況はウチも予想外やでえ……』

 困惑した希の声が聞こえてきた。




   *





「あわわ、どうして亜里沙ちゃんと雪穂がこんな所に!」

 突然の雪穂&亜里沙の登場に焦る穂乃果と絵里。

「穂乃果。焦ってないで妹に連絡するのよ!」

 絵里は言った。

「絵里ちゃんも連絡してる?」

 穂乃果は聞く。

「私も妹に連絡してるけど出てくれないの」

「そりゃそうや。こんな状況で携帯に出る余裕なんかないやろ」

 近くの生垣から身を隠しながら様子を伺っている希は言った。

「クククッ、それにしても突然の修羅場発生に草不可避や」

 そう言って希は肩を揺らした。

「希ちゃん、絶対この状況を楽しんでるでしょう」

 穂乃果は呆れたように言う。

「間違いないわね」

 絵里もそれに同意した。

「絵里ちゃん、もう一回電話を」

「わかったわ」

 絵里はもう一度亜里沙に電話をかける。

『もしもし?』

「つながった!」


 幸いにも、亜里沙は携帯に出てくれたようだ。

『ごめんお姉ちゃん、今取り込んでるから』

 その気持ちはよくわかる。

「わかってるわ亜里沙。とにかくその場から雪歩ちゃんを連れて離れて」

『え? なんで私が雪穂ちゃんと一緒だって知ってるの?』

「事情は後で話すわ。急いで!」

『え? でも……』

 次の瞬間、通話が途切れた。

「諦めたかあ」

 絵里は頭を抱える。

「しょ、正直雪穂は怒ったら超怖いですから、亜里沙ちゃんじゃあ無理かと」

 穂乃果は恐る恐る言った。

「そんなの見たらわかるわよ。なんか禍々しいオーラが漂ってるし」

「でも真姫ちゃんも負けてないよ」

「女のプライドってやつね」

「拳児はん、刃傷沙汰になる前に止めて」

 無線機に向かって希は言った。

『刃傷沙汰とか、物騒なこと言ってんじゃねェよ!』

 現場の悲痛な叫びが無線を通じて聞こえてくる。




   *




「一回デートしたくらいで、カノジョ面しているんですか? センパイ」

 先制パンチをくらわしたのは雪穂の方であった。

「はあ? 何言ってるの。私たちは正式に付き合ってるのよ」

「じゃあどこまで進んだんですか」

「進んだって」

「言っておきますけどセンパイ。私、ケン兄と一緒にお風呂だって入ったことあるし」

「バカッ、幼稚園の頃の話だ!」

 思わず口を出す播磨。

「ふっ、そんな昔のこと自慢にもならないじゃないの? 大切なのは今よ」

「だったら、キ、キスとかしたんですか?」

「え? それは……」

 真姫の顔が赤くなる。

「キスもまだなんですか? そんなんでよく付き合えたとか言えますね」

 煽る煽る。

「キスくらいだったら、いつでもできるわよ」

(おい、挑発に乗るんじゃねェ!)

 そうは思ったが、女と女の意地のぶつかり合いはそう簡単に収まりそうもない。

(くそっ、ここはどうやって収めりゃいいんだ)

 だが、救いの手は意外な所からやってきた。

「ん?」

「き、貴様……!」

 いきなり姿を現したチェック柄のシャツを着た男。

 どこにでもいるような平凡な男。だが、黒縁メガネ越しに見える目には憎しみが

溢れていた。


 本能的に危険を察知した播磨は叫ぶ。

「真姫! 雪穂! 亜里沙! 俺の後ろに回れ!」

 目の前の真姫と雪穂の腕を強引に掴んだ播磨は自分の後ろに行かせた。

 亜里沙はそんなことをしなくても自主的に播磨の背中に回る。

「な、なに? アレ」

 男が発するただならぬ雰囲気に驚く真姫と雪穂。

「説明は後だ。俺の後ろから離れるんじゃねェぞ」

 そう言うと、播磨は男と正対した。

「手前ェが、西木野真姫のストーカーか」

「ストーカー? 何を言っている。僕は真姫たんを見守っていただけだ。ずっとね」

「それをストーカーって言うんだ」

「お前、真姫たんだけでなく中学生にまで手を出していたとは、許せん……!」

 それは誤解なのだが、あえて播磨は何も言わないことにした。

「だったらどうした」

「この僕が成敗してくれる」

 そう言うと、黒縁メガネの男は黒いモノを取り出す。

 先端にはバチバチと音を立てる光が見えた。

 いわゆるスタンガンというやつだろう。

「先輩」

「ケン兄」

 真姫と雪穂が心配そうに呼ぶ。


「安心しろ。お前ェらには指一本触れさせねェ」

 播磨は二人を見ずにに言った。

「正義のヒーローのつもりか、この二股野郎!」

「そいつは誤解だが、まあいい。そんなオモチャでこの俺がやれると思ってるのか?」

 あえて播磨は犯人を煽った。

『拳児はん、どないするの』

 心配そうな希の声が無線越しに聞こえてくる。

「心配すんな。まだ出てこなくていい。それより警察に通報だ」

『了解や』

 希との通信を終えた播磨は、スタンガンを持った黒縁メガネのストーカーに一歩

近づいた。

 するとストーカーは一歩引く。

 恐れているのか。

(間違いない)

 播磨は確信する。こいつは喧嘩慣れしてない。

 だからこそ危ない、ということもある。

 喧嘩慣れしていないということは、予想外の行動に出てくることもあるのだ。

(だったら先手必勝だ!)

 播磨はすり足で一気に距離を詰めると、右手に持ったスタンガンめがけて回し蹴り

をくらわした。

「ぐわっ!」


 思いっきり蹴り上げた腕からスタンガンが吹き飛び、そして海に落ちた。

「ああ! 僕のスタンガンが! 一万四千円もしたのにいい!!」

(知るか!)

 播磨は距離を取って再び男に呼びかける。

 このまま畳みかけてもいいのだが、日本の法律では過剰防衛になってしまう危険性

がある。

 何より、雪穂や真姫たちの前であまり残酷なシーンは見せたくない。

「おい、どうする。手前ェの大事なおもちゃは海の底だぜ」

「このぉ、許さねぇ……!」

(不味いな、目が据わってやがる)

 すでに判断力まともな判断力を失っているようだが、スタンガンを失ったことで

余計におかしくなってしまったらしい。

 こういう頭のおかしい人間の対応は難しい。まともに脅して逃げてくれるような、

チンピラだったらどんなに楽なことか。

(まあ、今回は誰だろうが逃がさねェけどな)

 播磨は腹式呼吸をして心を落ち着かせる。

「ぐおおお……」

 ストーカーの男は持っていたリュックサックから、今度はコンバットナイフを取り出した。

(これで銃刀法違反も加わったな)

 播磨は自分でも驚くほど冷静に観察していた。

「真姫、雪穂、亜里沙」

「はい」


「なに?」

「……はい」

「俺が合図したら、一斉に後ろに走れ。わかったな」

「は、はい」

「わかりました」

「わかったよ、ケン兄」

 三人の顔は見えないけれど、恐らく不安な表情をしているのだろう。

 播磨はもう一度すり足で相手との距離を詰める。

 通販で買ったと思われるコンバットナイフはさび止めに油が塗ってあるらしく、

怪しい光を放っていた。

「ぐそう、バカにしやがって……」

 男はナイフの柄を両手で握りしめた。

 そして、一歩前に出る。

「走れえ!!!」

 播磨が叫ぶ。

 その瞬間、後ろにいた三人は一気に走り出した。

 それと同時に前にいた男はこちらにナイフを構えて向かってくる。

 播磨はカッと目を見開いて男の動きを見る。

 直線的な動き。

 播磨は素早く横に動き、一直線に向ってくるナイフの動きをかわした。

 それと同時に足を引っ掛ける。

「あがっ!」

 バランスを崩した男の後ろ襟を掴み、アゴに一発右の掌底をぶち込む。

 骨の感触が手のひらから伝わってきた。


 後ろ襟を掴んでいるので衝撃がもろに入ったのだ。

「くそがあ!」

 本当はナイフを持った犯罪者など、どうなってもいいのだが、このまま大けがを

させるわけにもいかない。

 播磨は男のシャツを放さないように思いっきりつかむ。

 ぐっと男の体重が彼の左腕にかかった。

 金属音が響き、コンバットナイフが地面に落ちる。

「……」

 男はアゴにちょうど良い打撃が加わってしまったため、気絶してしまったようだ。

「ふう……」

 このまま手を放すと、頭を打って最悪死んでしまうこともあるので、とりあえず

ゆっくりと地面におろす播磨。

「拳児はん、大丈夫!?」

「拳児くん!」

「拳児!」

 希や穂乃果たちが駆け寄ってきた。

「希、何か縛るものとかないか?」

 犯人が意識を取り戻して拾わないよう、足元のコンバットナイフを蹴りながら播磨は

言った。

「バッチリ、持って来とるで」

 そう言うと、希は荒縄を取り出す。

(亀甲縛りとかしねェだろうなあ)

 播磨の心配をよそに、希は手早く男を後ろ手にして腕に荒縄をガッチリと撒きつける。


「お姉ちゃん!? 一体何ごと」

「お姉ちゃん! それに穂乃果ちゃんも!」

 雪穂と亜里沙の二人は、突然の自分たちの姉の登場に訳が分からないという顔をしていた。

「希、穂乃果、誰でもいい。雪穂たちに事情を説明してくれ。俺は疲れた」

「先輩、大丈夫ですか」

 真姫は播磨に駆け寄る。

「怖い思いをさせてすまなかったな。だがもう大丈夫だ」

「すまなかったって、私はあなたの方が」

 そう言うと、真姫は顔を伏せた。播磨のシャツを握った手は、微かに振るえていた。

「お、もう来たんやね」

 遠くからサイレンの音が聞こえる。警察が来たようだ。

 これから事情聴取をされると思うとうんざりする播磨であった。





   *





 地元の警察署での警察官からの聴取を終えると、待合室には西木野真姫だけが待っていた。

「他の連中はどうした」

「先に帰りました。何か用事があるとかで」

「なんだよそりゃ。まあいい、お前ェの方はもう聴取終ったのか」

「はい」

「そうか。じゃあ、帰ろうぜ」

 警察署の入り口には、西日が差し込んでいた。

「はい」

 そう言って真姫は立ち上がる。

「はあ、それにしても今日は疲れたな」

「そう、ですね。でも」

「ん?」
 
「た、楽しかったですよ? 前半は」

「ああ、前半はな」

 播磨も同意する。

「あの、あんまり思い出したくはないんですが」

「どうした」


「その、ストーカーに襲われていた時、先輩、私のこと『真姫』って呼んでませんで

したか?」

「そうか? 悪い、必死だったもんであんまり覚えてねェや。嫌だったら――」

「あの!」

「ん?」

「全然嫌じゃないですから、これからも下の名前で呼んでください」

「そうか、わかった」

「私も、下の名前で呼んじゃいますね」

「別にいいぜ」

「ありがとうございます」

「んあっ! これでやっと終わるなあ」

「え?」

「いや、だからよ。ストーカーも捕まったわけだしよ。これで終るっていうんだよ、

恋人ごっこは」

「……あ、はあ」

「これからは付き合うとかしなくていいからよ、お前ェも迷惑だったろ」

「いえ、全然そんなことは」

「無理すんなって」

 そう言って、播磨は肩を抑える。


「もしよかったら、その……」

「どうした?」

「これからも……」

「……」

「……なんでもないです。よろしくお願いしますね! SIP」

「お前ェもその言葉使うのかよ。ははっ、ラブライブも近いし、作曲も仕上げて

行かなきゃならんな」

「はい!」

「気合入れていこうぜ」

「……はい」

 警察署から駅に向かう途中、夕日に染まる海が見えた。

 それはとても幻想的で、少し切ない気持ちにさせるものだったと、播磨は思った。



   つづく
 

俺の彼女(仮)と幼馴染の妹が修羅場過ぎるでもよかったかな。



 六月のとある日。

 次の大会に向けて部活でのミーティングを行った。

 練習場では播磨と雷電が中心に立ち、それを囲むようにメンバーがその場に座って

いる。

「プレ大会?」

「そう、ラブライブのプレ大会だ。次の大会はこれに出場する」

 播磨は言った。

「プレ大会って、予選とは違うの?」

 穂乃果は全員を代表するように聞く。

「ああ、ちょっと違うんだが、雷電。説明してやってくれ」

 細かい説明は雷電に任せるに限る。

「仕方ない。では俺が説明しよう。プレ大会とは、ラブライブの予選大会前にやる

最後の大規模大会と言ってもいいだろう」

「最後の?」

「ああ、我々は新参だからラブライブの予備予選に参加しなければならないけれど、

A-RISEなどのシード権を持っているチームは、予備予選を免除される。

そこで、コンディションを調整するための大会として、ラブライブのプレ大会、

いわゆるプレ・ラブライブが各地で開催される」


「なるほど」

「このプレ・ラブライブには先ほど言ったA-RISEやゴールデンブックスなど、

シード権チームも参加する。彼女たちと同じステージに立てる数少ない機会だ。

このプレ・ラブライブで活躍することは、後のラブライブ予選でも有利に働く

ことになるだろう。同時に、ライバルチームの仕上がり具合も見ることができる」

「まあ、実戦に勝る練習なしって言うし、頑張って行こうやないの」

 希は落ち着いた様子で言った。

「その通りだな」

「じゃあその、プレ・ラブライブに向かって頑張ろう」

 そう言うと、穂乃果は立ち上がった。

 それにつられるように全員が立ち上がる。

「μ’s、ファイト―!」

「オオー!!!」

 練習場には、メンバーの声が響き渡った。







       ラブランブル!

  播磨拳児と九人のスクールアイドル

    第十八話 食 と 身 体






 プレ・ラブライブという当面の目標を得た、音ノ木坂学院アイドル部のμ’s。

 練習にも熱が入る。

 そんな時、事故は意外なところで起こった。

「痛っ!」

 ダンスの練習中、急に小泉花陽が座り込んだのだ。

「ちょっと音楽止めて!」

 海未が練習を中止させる。

「大丈夫? 花陽」

 そして急いで駆け寄った。

「あ、大丈夫です。少し膝に痛くなっただけですから。すぐに治ります」

(膝の痛み? 確かに最近、花陽の動きはあまりよくなかったような)

 播磨がそんなことを考えていると、花陽に絵里が近づいた。

「花陽、その痛みはいつ頃から?」

「いえ、その気になるほどの痛みではなかったので」

「いつごろからと聞いているの」

 有無を言わせぬ威圧感が絵里にはあった。

 自身も中学時代、怪我で練習できなくなくなったことがあるので、怪我に関しては

かなり敏感になっているようだ。

「その、一週間くらい前から」


「ふう。ねえ拳児」

 不意に、絵里は播磨のほうを見て名前を呼んだ。

「どうした」

 播磨は返事をする。

「今から花陽をお医者様の所に連れて行ってくれるかしら」

「ああ? 今からか?」

「そうよ。今ならまだ間に合うから」

 時間は五時過ぎ。大抵の病院は六時に受け付けが終わるので、急げば間に合うだろう。

「で、でも練習は?」

 そう言ったのは花陽だった。

 彼女は今、練習がしたくてたまらないらしい。アイドル活動に関する彼女の情熱は、

あまり目立たないけれどにこや穂乃果に匹敵するくらい高いものがある。

「何言ってるの。大会前なのよ! 大事になったらどうするの」

 そんな花陽に絵里はぴしゃりと言った。

「そうですね、小さな怪我が大怪我に繋がる例もありますし、早めに診てもらった

ほうがいいかもしれません」

 海未もそれに同意した。

「わかったなら花陽、すぐに着替えなさい。今日の練習はもういいわ。それでいいわね」

 花陽を見た後、絵里はすぐに播磨を見た。

「まあ、仕方ねェ」

「さあ、行きなさい」

「は、はい」

 花陽は早足で、更衣室も兼ねている部室へと向かった。

「あまりきつく言うつもりは無かったのだけど……」


 花陽が去った後、ふと絵里は言った。

「何言ってんだ絵里。花陽を心配してのことだろう?」

 播磨はフォローするように言う。

「ええ、そうね。怪我は怖いから」

「ええ? 絵里ちゃん怪我したことあるのお!?」

 マヌケな声で穂乃果が言った。

 そういえば絵里の怪我のことを知っている人間はこの中では播磨以外はいなかった

はずだ。希は何となく知っていそうな気もするけど、今回はなぜか黙っていた。

「拳児。ちょっと待って」

 そう言うと、絵里は小さなメモ紙に何かを書きはじめた。

「どうした」

「拳児のことだから、生まれてからこのかた、お医者様の世話になったことなんてない

でしょう?」

「なんでわかるんだよ」

「本当だったんだ。ま、それより」

 さらさらと何かを書き終えた絵里が播磨にメモ紙を渡す。

「腕の良い整形外科の先生よ。私もお世話になったことがあるの。ここに連れて行って

ちょうだい」

「この住所、近いな」

「ええ、だから今から行けば間に合うわ」

「すまねェな」

「何言ってるの。ここで仲間に大怪我をされたら、ラブライブどころじゃなくなる

のよ」

「ああ」

「それじゃ、練習のほうは頼む」

「うん。行ってきて。花陽のこと、お願いね」

「でもよ、絵里」

「なに?」


「花陽(アイツ)も子供じゃねェんだし、一人で行けるんじゃねェのか」

 播磨はふと疑問に思ったことを言ってみた。

「何言ってるのよ拳児!」

 不意ににこが絵里の横から顔を出す。

「にこ?」

「いいこと? メンバーの体調のこともちゃんと把握することがSIPの勤めよ」

「またSIPかよ……」

「花陽は遠慮しがちなところがあるから、怪我のことも素直に言えないこともある

かもしれないわ。だからお願いね」

「わーったよ。お前ェら、ちゃんと練習してくれよ」

「了解」

 そう言うと、絵里は片目をつぶった。

「言われなくてもわかっているわ」

 と、にこも言う。

 練習は再開された。播磨は別室で素早く着替えると、すでに着替え終わっていた

花陽と合流して学校を出る。

「こんなに早く学校を出るなんて、久しぶりです」

 歩きながら花陽は言った。

 そういえば、ここのところ毎日練習で、いつも帰りは遅くなっていた。

「これから病院に行くんだからな。遊びに行くわけじゃねェぞ」

 そんな花陽に播磨は言った。


「はい。わかってます。でも、そんなに痛くないのに」

 花陽は残念そうに俯く。

 痛みよりも練習ができない、というほうが彼女にとっては辛そうだ。

「バカ。大怪我してからじゃあ遅いんだぞ。しっかり診てもらえ」

「はい、わかりました」

 そう言うと、花陽は笑顔を見せた。

 夏の近づく空はまだ明るく、道もはっきりと見えた。





    *




「ここか、絵里の紹介した医者ってのは」

「なんか、雰囲気ありますね」

『王整形外科医院』と書かれた禍々しい雰囲気のある小さな診療所。

 ここが絢瀬絵里の紹介した“腕の良い医者”のいる場所らしい。

 なんだか妖怪でも出てきそうな雰囲気の建物だが、中に入ってみると意外と清潔

にしていた。

 白や薄ピンクを基調とする内装は、診療所らしく落ち着けるものとなっている。

「いらっしゃいませ」

「初診なんですけど……」

 受付を済ませた花陽は、待合室のソファに座る播磨の横にちょこんと座った。

 遠慮がちに座る姿は、他の一年生やにこたちとは対照的である。

 どうしてこんな子がアイドルを目指そうと思ったのか。よくわからない。

 図書委員でもやってそうな雰囲気なのに。

(そういえば、花陽とはあんまり話したことなかったな。これを機会に少し話でも

してみるかな)


 ふと、播磨がそんなことを思った矢先、

「小泉さーん。小泉花陽さん。中へどうぞ」

 診察室から看護師が呼んできた。

「じゃあ、拳児さん。行ってきますね」

「おう」

 花陽が診察室に行ってしまったので、播磨は待合室に残る。

(待てよ、一緒に診察室に行ったほうがよかったのか? いや、でもそうしたら)

 ふと、播磨の脳内で診察室の中を想像する。

『では、聴診しますのでシャツを脱いでください』

『は、はい』

 スルスルと白いブラウスを脱ぐ花陽の後ろ姿。彼女の白い肩や背中が露わになる。

(いかん、いかん!)

 播磨は一瞬で妄想を振り払った。

(一緒に診察室に入るなんてできねェよ。やっぱり俺着いてくる意味なんてなかったん
じゃねェのか)

 改めてそう思う播磨。

 だが診察はそう簡単には終わらなかった。

「ありがとうございます」

 そう言って診察室から出てくる花陽。

 診察は意外に早く終わったようだ。

「どうだった、花陽」

 播磨は立ち上がる。

「疲労による膝の腱の炎症だそうです。少し休めば大丈夫だと先生もおっしゃられました」


 花陽は笑顔で言った。

 どうやら大したことはなさそうだ。

「そうか」

 ホッとする播磨。骨に異常があったらどうしようかと少し不安になってしまったところだ。

 だが、診察はそこで終らなかった。

「あの、播磨拳児さん?」

 不意に看護師が播磨の名前を呼ぶ。

「あン? なんッスか」

 播磨が返事をする。

「先生がお話があるというのですけど……」

 戸惑いながら看護師は言った。

「俺だけッスか?」

「はい」

(一体何ごとだ?)

 そう思いながら、播磨は診察室へと向かった。





   *







 診察室に行くと、そこにはラーメン丼を被ったような頭をした男が白衣を着て待って

いた。顔にはドジョウヒゲ。額には八竜と書かれている。

「汝(なんじ)、播磨拳児か」

「お、おう」

「我は王大人(ワンターレン)、此の整形外科医院を統べる者也」

 只ならぬ雰囲気と変な喋り方に少々戸惑う播磨。と、同時にこの男に診察された

にも関わらずニコニコしていた小泉花陽の精神にも少しだけ敬意を表したい気持ちに

なった。

「小泉花陽の身体の事にて話有り」

「なんで俺に言うんだよ。本人に話せばそれで十分だろうがよ」

「汝には学校阿衣度瑠製作人(スクールアイドルプロデューサー)として、彼女の身体

について知っておく義務有り」

「ちょっと待て、なんで俺がスクールアイドルに関わってるってこと知っているんだ」

「我と汝の学校、音ノ木坂学院理事長江田島平八とは旧知の仲也」

「あのオッサンか」

 播磨はあの髭の男のことを思い出す。あまり思い出したくない記憶ではあるが。

「そんで、花陽の身体に何かあるのか。まさか……」

「心配無用。軽い疲労による痛み也。大事には至らず」

「だったら何だってんだ? 湿布薬か痛み止めでも出しときゃ済む問題じゃねェのか?」

「喝っ!!」

「ぬわっ!」

 あまりの気合に播磨は椅子から転げ落ちそうになる。


「なんだってんだよ……」

「痛みを甘く見る無かれ。大怪我に繋がる可能性も有り」

「なんだって?」

「そんなことで愛舞歌(ラブライブ)に参加出来ると思うべからず」

「ラブライブのことも知っているのかよ」

「尚、我が一押しは園田海未也」

「知らんがな」

「話を戻す」

「お前ェが話を逸らしたんじゃねェか」

「小泉花陽、彼女の身体には負担有り。膝はその一部に過ぎず」

「花陽の身体に負担? まあ人一倍練習を頑張る奴ではあるが」

「此のまま続ければ、いずれ大きな負傷をする危険性有り」

「危険性?」

「早急に彼女の生活を見直す必要有り」

「見直すって、どういうことだよ」

「我は医者也。小泉花陽の私生活については知らず。只、食生活などについて気になる

こと有り」

「食生活?」

「話は以上」

「お、おい! どういう意味だよ畜生」

ラーメン丼頭の医師、王大人はその場で話を打ち切り、奥へと行ってしまった。

「何なんだよこの野郎……」





   *




 その後、花陽を家まで送った播磨は雷電に電話をかける。

「もしもし、雷電か」

『どうした拳児』

「花陽のことで話がある。今いるメンバーで、話が出来る奴を集められるだけ集めて

くれ。場所はいつもの『月詠亭』だ」

『何があった』

「話は後だ。とりあえず花陽の怪我は大したことない。それだけは伝えといてくれ」

『わかった』

 電話を切った播磨は、月詠亭に向かった。




   *




 
「皆、集まってくれてすまねェな」

 月詠亭に集まったのは、雷電と海未の他に絢瀬絵里、東條希、南ことりの五人だ。

 現時点で、μ’sを支える主要メンバーと言っても差し支えない。

 もちろんここにいないメンバーも重要なのだが、今は気にしている場合ではない。

「花陽の容態は?」

 真っ先に聞いたのは絵里であった。やはり怪我の経験者は人一倍心配をしている。

「心配ねェ。疲労による一時的な痛みだそうだ。今の所は問題はない」

「せやったら、どうしてウチらを呼び集めたん?」

「医者から少々気になることを言われてな、それでみんなの意見を聞きたいと思った」

「気になることですか?」

 海未は聞いた。

「ああ、そのことだが」

 播磨が話をしようとすると、不意に月詠亭の女主人、月子が出てきた。

「いらっしゃい皆さん。お話合いも結構ですが、先に注文をしてくれると嬉しいのですが」

「ああ、すまねェ月子さん。今日、月光はどうした」

「月光くんなら、拳法部の練習の手伝いと言っていました。遅くなるそうです」

「そうか、今日は月子さん一人か。大変だな」

「別に人はこないのでそこまで大変ではないのですが。それで」

「ああ、注文な」

 一応、ここは中華料理屋である。

「とりあえず、六人分すぐに出せそうなメニューはあるかい?」

「それだったら、サバの味噌煮定食なら、すぐに用意できるのです」

「じゃあ俺はそれで。皆はどうだ?」

 播磨は集まった六人に聞く。


「私たちも同じでいいです」

 絵里は言った。

「いいよー。月子さんの料理は何でもおいしいからね」

 ことりも言った。

 他のメンバーも頷く。どうやら異存はないようだ。

「じゃあ、七人全員同じで」

「わかりました」

「え? でもここ、そういえば中華料理屋だよね」

 絵里は驚きながら言った。

「絵里ちゃんは(ここに来るの)二回目だから驚くのも無理ないね~」

 ことりは嬉しそうに言う。

「この店は中華飯店の看板出してるけど、基本何でも出るんだよ」

 播磨は補足説明をした。

「スピリチャルやね」

 希はそう言って頷いた。

「それでは、準備しますので」

 そう言って月子は厨房に入る。

「あ、私も手伝います」

 海未がそう言って立ち上がる。

「私も手伝っていいですか?」

 絵里も言った。

「ウチも手伝おうか。その方が早くできるやろうし」

 希もゆっくりと立ち上がる。

「ありがとうございます。エプロンは奥にありますので、使ってもらって構わない

のです」


「はーい」三人は一斉に返事をした。

「希も料理できるんだな」

 厨房に向かう希を見て播磨は言った。

「ウチ、一人暮らしをしとるからな。料理もやるで」

「そうなのか」

「今度、家に来てみる?」

 そう言うと、希は片目を閉じた。

「……いや、遠慮しとく」  

 播磨はそう言って目を逸らした。




   *



 メインのサバの味噌煮は作り置きがしてあったらしく、その他の料理も概ね準備

ができていたこともあって、サバの味噌煮定食は思ったよりも早く出来上がった。

 播磨や雷電たちも配膳を手伝い、月子さんも加わって八人の夕食となった。

「美味しいです、これ」

 絵里は月子の料理に素直に感動しているようだ。

「後で作り方教えてもろうてもええですか?」

 希も笑顔で聞いた。

「そういや、ウチのメンバーって、料理できる奴多いな」


 播磨はメンバーの顔を思い浮かべる。

 現時点で、絵里、希、そして海未の三人は料理ができる。今回は不参加だったにこ

も、妹や弟たちの世話で料理をしており、味も悪くなかった。

「南は料理、するようになったか?」

 播磨は聞いてみた。

「私は全然だねえ。お菓子ならちょっと作るけど」

 ことりはそう言って苦笑いする。

 秋葉原でカリスマメイドをやっていたわりには、あまり家事は得意ではないようだ。

 まあ、元がお嬢様だから仕方がないと言えば仕方がないのだが。

 そんなこんなで食事も終わり、お茶を飲みながら会議をすることになった。

「それで、花陽ことで話があるって言ってたわね」

 絵里が思い出したように言った。

「ああそうだ。現時点で、花陽の怪我は大したことはない。そのことはもう、みんな

知ってると思う」

 播磨は、あの怪しげな医者の顔を思い出しながら話を続ける。

「それで、問題っていうのは何なん?」

「医者が言うには、花陽の普段の生活、特に食生活に何か問題があるんじゃないかって

言うんだ」

「食生活?」

 全員が顔を見合わせる。

「このままだと、もっと大きな怪我に繋がってしまう危険性もあるらしいのだが、

お前ェたち、何か心当たりはあるか」


「確かに現在は、スポーツでも食の重要性が言われていますね」

 元スポーツ少女の海未は言った。

「それってつまり、花陽ちゃんがケガをしやすい食生活をしているってことでいいのか

なあ」

 ことりは言った。

「まあ、まだよくわからねェが、医者の話だとその可能性もあるみてェだな」

 播磨はそう言って腕を組む。

「にしても、怪我をし易い食生活ってなんだ?」

「身体の調子を悪くさせるような食事は、基本的に怪我の可能性を高めるわね」

 絵里は言った。

「例えば?」

「油分の多い食事は、消化が良くないので胃の中で滞留している時間がかかるから、

その分身体に負担がかかると聞いたことがあるわ」

「それで調子が悪くなって怪我をすると」

「ジャンクフードなんかは消化に良くないから、怪我をしやすくなるかもしれへんね」

 希は絵里の言葉にそう付け加える。

「ジャンクフードってファーストフードとかか?」

「あとスナック菓子とかも。穂乃果ちゃんが大好きなんだよねえ~」

 ことりはチラリと言う。

「今度あいつにも注意しとかねェとな」

「しかし拳児よ。小泉花陽はそんなにジャンクフードが好きなイメージはないのだが」

 ふと、雷電は言った。


「確かに、穂乃果みてェに休憩中お菓子ポリポリ食ってるのも見たことねェしなあ」

「拳児はん。花陽ちゃんの食事をちゃんと見たことがある?」

「ん?」

 そういえば、穂乃果や雷電たちと一緒にメシを食べることはよくあるけれど、

花陽と一緒にメシを食べることは少ない。

(何か引っかかるな。花陽は何を食べていたのか)

 播磨は記憶を手繰り寄せる。

(あいつは何かおかしい食い方をしていたのか)

 悩む播磨。

「拳児はん。明日、花陽ちゃんと一緒にご飯食べてみたらどう? 何かわかるかも

しれへんよ?」

 希はそう言った。

「そうだな。実際に見てみるのが一番だ。あとそれと、絵里、海未」

「なに? 拳児」

「はい、何でしょう」

 二人は返事をした。

「花陽のトレーニングメニューだけ少し変えといてくれ。なるべく膝に負担がかから

ないように」

「わかったわ」

「わかりました」

 トレーニングメニューは大体この二人に任せている。体力的なメニューは海未が、

技術的なメニューは絵里が担当しているのだ。

 ちなみにボイストレーニングは意外にも雷電がやっている。

 意外にも。




   *



 翌日、播磨は小泉花陽、星空凛、そして西木野真姫という一年生メンバー三人と部室

で昼食を食べることになった。

 本当は花陽だけしか呼んでなかったのだが、他の二人も付いてきたのだ。

 同じ一年生同士、仲が良いのだなと播磨は勝手に思った。

「拳児くんと昼食なんて嬉しいにゃあ」

 楽しそうに凛は言った。

 何がそんなに嬉しいのか播磨にはよくわからない。

「私は、この前まで一緒に食べてましたから」

 照れくさそうに真姫は言った。

(そう言えば、そんなこともあったな)

 今となっては懐かしい思い出である。

「よ、よろしくお願いします」

 花陽はなぜか遠慮がちにそう言った。

「別にそんな堅苦しくする必要なねェよ。ただ一緒にメシを食うだけだからよ」

「はい」

 播磨は花陽の弁当が気になっていたので、じっと見ていた。

「なんで拳児くんはかよちんのことをずっと見てるにゃ?」

 不意に凛が言った。

「あの! 私何かしました!?」

 花陽は驚いているようだ。

「べ、別に何でもねェよ」

「へえ、“先輩”って花陽みたいな子が好みなんですねえ」


 なぜか真姫は不機嫌になる。

「だから、特に意味はねェつってんだろ。早くメシ食おうぜ」

「ごはん食べるにゃあ!」

 というわけで、一年生三人に播磨を加えたお弁当タイムが始まった。

 播磨は朝買ったパンを食べながら花陽の昼食を注意深く見守る。

(思ったよりも小さい弁当だな)

 花陽は小さな弁当箱を取り出す。そこにはかわいらしい、卵焼きやウインナーなど

が入っている。

 どこにでもあるような普通の弁当だ。

 しかし、弁当箱はもう一つあった。

(え?)

 こっちの方は大きい。

 弁当箱を開くと、中には白いご飯がびっしりと詰められていた。

(おいおい、バランスおかしくねェか)

 花陽は小さなおかず用の弁当箱と、大きなご飯用の弁当箱を持っていたのだ。

 しばらくすると、ものの数分でごはんは無くなっていた。

「今日も白いご飯、美味しいです」

 とっても幸せそうな顔をした花陽。

 その後、花陽はまたカバンから何かを取り出した。

(おいおい、まさかデザートまであるのか)

 しかしデザートにしては奇妙だ。タケノコの皮で包まれたデザートって。

「……」

 そこには大きなオニギリが三つ並んでいた。


「やっぱりおにぎりは一味違いますねえ」

 花陽はそのオニギリも幸せそうにパクパク食べ、こちらも数分で完食した。

「……」

「拳児くん、どうしたにゃ?」

 播磨の様子がおかしいと思ったのか、凛は聞いてきた。

「これか」

「へ?」

「これが原因かああああ!!!」

 思わず声を出してしまう播磨。

「どどどどうしたんですか? 拳児さん!」

 播磨の大声に驚く花陽。

 だが播磨は花陽以上に驚いていたのだ。





   *




 そう言えばおかしいと思っていた。

 月詠亭に初めて来た時も、チャーハンセットに白ご飯大盛りを頼んでいたからだ。

 だがその時は特に気にしてはいなかった。

(まさかそのツケがこんな所でこようとは……。まあ、大事に至る前で良かったの

かもしれないが)

 昼食後、播磨はすぐに緊急の会議を開くべく主要メンバー、つまり昨日月詠亭に

来たメンバーを招集した。

「ごはん大好き人間。それは盲点でしたね」

 海未は言った。

「いや、大好きとかいうレベルではなかったぞ」
 
「ここの所、練習もハードやったから、それだけ多く食べるようになったのかもしれ

へんなあ」

 希は言った。

「しかしあの様子じゃあ、家でも結構食ってるみたいだしなあ。どうすりゃいいのか」

「とにかく、放課後花陽に直接話してみましょう」

 海未の言葉に全員が頷く。

 幸せそうに白いご飯を口にする花陽の姿を想像すると、それを断たれた時の悲しげな

顔は、播磨にも容易に想像できた。

「過ぎたるは、及ばざるがごとしか……」

 播磨は論語の一節を口にする。




   *




「ええええええええええええ!!!!???」

 放課後の練習場では案の定、花陽の悲痛な声が響き渡った。

「ご飯食べちゃダメなんですか!!?」

「食べるなとは言わん、だが今のお前ェは食べ過ぎだ」

 播磨は慎重に、しかしはっきりと言い渡した。

「食べた分、動けばいいんじゃないですか?」

 花陽は反論した。

「確かに男だったらそれでもいいかもしれねェ。だがお前ェは女だ。俺や雷電みたく、

筋肉だって少ない。無理に身体を動かせばオーバーワークで怪我をしちまう。現に、

お前ェは膝を痛めたじゃねェか」

「でも、でも……!」

 花陽は目にたくさんの涙をためている。

「ああ、かよちんいじめちゃダメにゃあ」

 悲しげに凛は言った。

「俺だってこんなことは言いたくはねェ。だが食生活がパフォーマンスに影響する

ことは確かなんだ」

「うう……」

(そんなにご飯が好きか)


 だが、まるでオバQのようにご飯をバクバク食べる花陽の食生活はなるべく早く

改善する必要がることは間違いないだろう。栄養学とかいう以前に食べ過ぎなのだ。

「しかしどう改善していくかなあ」

 播磨は悩む。

 弁当はともかく、朝夕休日の食事までこちらで管理するわけにはいかない。

「あの、播磨くん?」

 不意に海未が話しかけてきた。

「どうした園田」

「私に考えがあるの」

「考え?」

「ええ、食生活を変えるための考えよ」

 なぜか園田海未の顔は自信に満ちている。

「……」

 何だか嫌な予感がした播磨だったが、それは口にしなかった。

  
 

 
   つづく

松岡修造に恨みはない。だが過ぎたるは、及ばざるがごとし也。





 前回のラブ・ランブルは!

 練習中、膝の痛みを訴える小泉花陽。

 絵里の紹介した怪しい医者に連れて行ったところ、食生活に問題があるのでは、

と言われてしまった。

 会議の結果、花陽の食生活を観察した播磨はありことに気が付く。

「ご飯の量が半端ねェ」

 花陽はごはん大好き女子高校生であったのだ。

 ご飯に偏った食生活が怪我の原因になると確信した播磨だったが、それをどう改善

していくかよくわからない。

 そんな時、同じメンバーの園田海未がとある提案をしてきた。

 その提案とは!


「合宿だと?」

「はい、食生活を改善するために、二十四時間体制でサポートするにはそれが一番

だと思います。ただ、全員参加することはできませんが……」

「合宿って、どこでやるんだ」

「雷電の実家です。彼の家はお寺なので、多少の広さもありますし、雷電と彼のお母さん

にはご迷惑をおかけしますが」

「ウチは一向に構わないぞ、海未」

 海未の言葉に、雷電は男前な返事をする。

 見た目が普通なら、確実にモテモテになるであろうほどの男前さである。

「しかし海未、大会まで時間がないのよ。そこまでする余裕はあるの?」

 絵里は聞いた。

「練習はいつも通り行ってもらいます。ただ、今回の合宿は生活の場を雷電の家に

するだけです」

 海未は答える。

 つまり、花陽には、自分の家からではなく雷電の家から通えと、つまりそういう

ことなのだな。播磨はそう理解する。

「あの、私なんかのためにそこまでしていただかなくても……」

 花陽は遠慮がちに声を出す。

「何を言っているのです花陽。あなたは立派な仲間です」

 そう言って海未は花陽の両肩に手をかけた。

「まあ、どうしてもあなたが嫌だと言うのならやりませんけど、食生活の改善は

必要だと私も思います。やってみませんか?」


 いつにもまして海未はやる気だ。

 デビューライブであんなに衣裳を着るのを嫌がっていた人物の同じとは思えない播磨。

「あ、はい。でも、男の人の家に私が行くなんて……」

(まあ、そういう不安はあるわな)

 播磨は思った。

「安心してください。私も一緒に泊まります。とりあえず一週間ほど、食生活改善

合宿をしていきたいと思います。あなただけに苦しい思いはさせません」

 海未は明るい声で言った。

「とか何とか言ってよ、本当は雷電の家に泊まるの嬉しいだけじゃねェの……」

 播磨が言葉を言い終わる前に、彼の足の甲に鋭い痛みが走った。

「痛ったああああ!!!」

 いつの間にか播磨の傍に来た海未がカカトで踏みつけたようだ。

「何しやがる!」

「では、準備しましょう。ご両親には連絡を」

 痛がる播磨を無視して、海未は話をすすめる。

「は、はい」

「おいっ、園田!」

 そんな播磨にするするっと希が近づいてきた。

「拳児はん」

「何だよ」

「もう少し乙女の純情を理解したほうがよろしいようやね」

 彼女は嬉しそうに言った。

 こうして、部の合宿とは別に、小泉花陽の食生活改善合宿がスタートすることになったのである。








       ラブ・ランブル!

  播磨拳児と九人のスクールアイドル

    第十九話 日々是修行  



 急遽始まった小泉花陽、食生活改善のための合宿。

 翌日、準備を整えた花陽たち一向は練習後に雷電の自宅に向かった。

「すまねェなあ、雷電。こんなこと、急にたのんじまってよ」

 言いだしっぺは海未ではあるけれど、一応チームの代表として謝る播磨。

「何、気にするな。ウチの家族は皆人がいいからな。こういう頼みでも受け入れてくれる」

「お前ェも十分お人よしだぜ」

 荷物を抱えた播磨は言った。

「っていうか、なんで俺まで参加しなきゃならないんだよ、園田」

 播磨は後ろを歩く園田海未に文句を言う。

「何を言ってるんですか、チームの代表としてメンバーの体調を管理するのはあなたの

義務です。メンバーと苦楽をともにしてこそのSIP」

「お前ェもその肩書きを言うか……」

「みなさんすみません、私のために」

 花陽はすまなそうに言った。

 今の彼女は白米を大量に食べられないことよりも、他のメンバーの手を煩わせて

いることのほうが辛いようだ。

「何、気にすることはありません。皆で助け合ってこそのμ’sです」

 そう言って海未は花陽の頭を撫でる。

「そうですよね、穂乃果」

「うひい……」


 最後尾には足取りの重い高坂穂乃果がいた。

「何で私も参加なの? 怪我してないのに」

「何を言ってるんですか穂乃果。ネタは上がってるのですよ」

 そう言って海未は携帯電話の画面を見せる。

「わ、私のプライベート写真!」

 見ていないけれど、多分夜中に菓子を食べている場面でも写っているのだろう。

「食生活の改善が必要なのは、花陽だけではないということです」

「うう……」

 辛そうなのは花陽よりも、むしろ穂乃果のような気もしないでもない播磨であった。




   *





 そうこうしているうちに、長い石段を登り雷電の家に到着した。

「ここに来るのも久しぶりだな。花陽、膝のほうは大丈夫か」

 播磨は花陽の膝を気遣う。ここにくるまでに、大分歩いたからだ。

 花陽にはその気遣いが嬉しかった。

「はい。王大人の薬のおかげで、そこまで痛みはありませんでした」

「左様か」

「母さんにはすでに事情を伝えてある。皆遠慮はしないことだ」


 雷電はそう言うと、お寺の本堂の隣りにある自宅に向かった。

 表札には「工藤」と書かれている。

「あの、雷電さん?」

 花陽は雷電に聞いた。

「どうした」

「表札に工藤とありますが」

「ああ、俺の苗字だが」

「ええええ!!!?」

 驚く花陽。

「雷電さんって、姓じゃなかったんですか?」

「雷電なんて苗字がそうそうあるわけないだろう」

「いや、でも」

 驚くのも無理はない。

 工藤とか、あまりにも普通の苗字。

 工藤雷電。それが彼の本名である。ちなみに後から知ったことだが月光の

苗字は佐々木。

こちらも普通だ。

 だが花陽は、工藤家でそれ以上に驚くことになる。

「おかえりなさい雷電。待ちくたびれたわ!」

「ただいま母さん」

 玄関先で雷電たちを出迎えたのは――

「え!?」


 どう見ても小学生か中学生にしか見えない少女であった。

「雷電さん、この人は……」

 動揺する花陽。

 しかし雷電はサラリと言ってのけた。

「ああ、ウチの母親だ」

「えええ!??」

 月光の母、月子と同じかそれよりも小柄な女性。

 小学生とか言われても思わず納得してしまうような外見をした彼女こそが、雷電の

母であった。

「あなたが小泉花陽さんね。雷電から聞いてるわ」

「あ、はい。小泉花陽です。よろしくおねがいします」

 髪留めと八重歯がキュート女の子。

 そんな印象であった。

「私はそこにいる雷電の母、雷(いかずち)よ、カミナリじゃないわ。そこんとこ、

よろしくね」

「イカズチさんですか」

 見た目もぶっ飛んでるが、名前も結構ぶっ飛んでいると花陽は思った。男ならとも

かく女の人に雷とはこれいかに。

「ちわっす、おカミさん」

「ご無沙汰してますおカミさん」

 播磨と穂乃果は、雷のことを「おカミさん」と呼んでいるようだ。何だか相撲部屋

のようだが、おそらく雷が「カミナリ」とも読めるので、そのカミを取っておカミさん

と呼んでいるのだろう。


 自分もそう呼んだほうがいいのだろうか。花陽が迷っていると、早速雷の指示が

飛んだ。

「海未ちゃん、穂乃果ちゃん、疲れているところ悪いけど、着替えたら早速夕食の

準備を手伝ってちょうだい。男どもはさっさとお風呂に入りなさい。臭いから」

「はーい」

 全員が玄関先で返事をする。

「あの、おカミさん。私は何をすれば」

「あら、花陽ちゃん。今日はゆっくりしていていいのよ。ケガしてるんでしょう?」

「いえ、怪我のほうは大したことありませんので」

「そう? だったら、お夕飯の手伝いをしてちょうだい。海未ちゃん穂乃果ちゃん、

花陽ちゃんを来客用の部屋に案内してあげて。悪いけど、あなたたちは三人一緒の

部屋だけど、いいわよね」

 そう言って雷は笑った。眩しい笑顔だ。

「はい!」

 花陽は元気に返事をする。

「いい返事ね。女の子はそうでなくっちゃ。ほら、男どもはちゃっちゃとお風呂に入り

なさい」

「へいへい」

 播磨は慣れた様子で返事をする。

 播磨と雷電は幼馴染という話を聞いたことがあるので、雷のこともよくわかって

いるのだろう。

 彼女はそれほど乱暴な言い方をしつつも、男子を先に風呂に入らせているあたり、

男の人を立てる古風な女性なのかもしれない、と花陽は思った。





   *




 夕食の準備はなかなか大変であった。

 花陽自身はそれほど大したことをしていないのだが、料理という行為に慣れていない

ため、中々うまくできないのだ。

 普段、母親に任せっぱなしにしていたけれど、食べ物を作ることがいかに大変か、

思い知る彼女。

「ここは私に任せて!」

 海未は手馴れているらしく、手早くそして効率よく調理をこなしていく。家庭科の

調理実習で同じ班になると頼もしいだとうな、と花陽は思った。一方、同じ二年生の

穂乃果はまるでお話にはならなかった。

「にゃはは、料理は食べる専門で」

 苦笑いしながらそんなことを言った。

「……」

「ハイ、花陽ちゃんにはコッチをお願いね」

 そんな中、テキパキと指示をする雷電の母雷。

 雷の指導のおかげもあって、夕食は無事に完成した。




   *



「お、なかなかいい匂いをさせてるじゃねェか」

 風呂から上がったと思われる播磨が、ジャージとTシャツ姿で台所を覗きに来た。

「拳児くん、お風呂から上がったら、雷電と一緒に配膳を手伝ってくれるかしら」

 雷は言った。

「わかりましたよ」

 わりと素直に言うことを聞く播磨を見て、花陽は少しだけおかしいと思った。

 配膳はすぐに終わり、午後七時過ぎには夕食の運びとなる。

「それでは、すべての自然と生物に感謝をささげ、いただきます」

「いただきます!」

 この家の主の代理である雷の号令で夕食が始まった。

「……ん」

 どこにでもあるような、平凡な和食である。

 お寺の食事とはいえ、肉や魚が一切使われていないということわけではない。

 ただ、

「どうしたの? 花陽ちゃん」

 ふと、隣りにいた穂乃果が言った。

「ああ、いえ。ごはんが」

「ああ、雑穀米だね。雷電くんの家はいつもそうだよ。玄米の日もあるよ」

「へ、へえ……」

 ご飯といえば白いご飯が当たり前だと思っていた花陽にとって、雑穀米のような

白さの足りないご飯はあまり食欲をそそるものではなかった。

 しかし、


「美味しい……」

 口にしてみると意外な美味しさがある。

 臭みがないと言えばウソになるけれど、その臭みとて自然本来の味と思えば、

なかなか悪くない。

 ご飯以外にも、工藤家の食卓は平凡そうに見えてかなり手間のかかったものが

多い。例えば糠漬け。スーパーで買ったものではなく、本物の糠を使った漬物だ。

更に野菜も、いつも食べているものと比べて味が違う気がする。

 普段あまり意識することのなかった食卓の料理の味。それを今はとても重用に

感じる花陽。

(これがこの合宿の目的なんだろうか)

 ふと、そんなことを思った。




    *




 夕食の後片付けが終わり、軽く休憩した後はお風呂タイムである。

 雷電の家の風呂は大きいので、節水の意味もあって女子は三人が一緒に入ることに

なった。

「何だか緊張します」

 着替えの寝間着を胸に抱きながら花陽はそう口にした。


「何言ってるの花陽ちゃん。同じ女の子同士じゃない!」

 穂乃果はいつも以上にハイテンションだ。

「確かに、一緒にお風呂に入るなんて修学旅行や林間学校でもない限り、あまり機械

はありませんからね」

 態度には出ていないけれど、海未も何だか嬉しそうだ。

 風呂場は広く、浴槽も十分に三人で入れる広さだった。

「ここの家には地方から来た信者さんが泊まることもあるので、お風呂や寝室など

は余分に作られているのです」

 脱衣場で服を脱ぎながら海未はそう説明した。

「昔はよくことりちゃんたちとここに泊まってたよね」

 穂乃果は嬉しそうに言った。

「昔と言っても小学校くらいですかね。つい最近のような気がしますけど」

「あの頃に比べたら成長してるからね」

「どこを見て言っているんですか穂乃果」

 そう言って脱ぐのを止める海未。

「冗談だよ、冗談。さ、入ろう」

「まったくもう」

 海未も穂乃果も慣れているのか、(女だけど)男らしい脱ぎっぷりで服を脱ぐと

浴場に向かった。

「花陽、何をしているのです?」

 振り返り、海未は聞いた。

「ああ、すぐに行きます」

 花陽は慌てて下着を脱ぐと、すぐに後に続いた。





    *


 
「それにしても大きいよねえ」

 持参したシャンプーで頭を洗っていると背後から穂乃果の声がした。

「な、何の話ですか穂乃果ちゃん」

「いや、花陽ちゃんの胸だよ。着やせするのかなあ。生で見ると大きいねえ」

「やめてください」

 恥ずかしくなった花陽は洗髪を止めて胸元を抑える。

「絵里ちゃんや希ちゃんも大きいけど、花陽ちゃんも中々いいモノを“おもち”だよ」

「そんなことないですって」

「ちょっと揉ませてもらってもいいかなあ」

 まるでエロオヤジのような言動。

「こら、止めなさい穂乃果」

 先に湯船に入っていた海未が止める。

「だってえ。女同士じゃない?」

「希に女同士はノーサンキューと言っていたのはどこの誰でしたっけ?」

「あれ? そんなこと言ってたっけ」

「言ってました。自分より立場の弱い人間に対して、嫌がる行為をするのは鬼畜の

所業ですよ」

「ちぇっ、海未ちゃんのケチ。あ、そうだ。それなら花陽ちゃんにも私のを触らせて

あげるよ。それなら5:5(フィフティフィフティ)でしょ?」

「何を言ってるんですか穂乃果ちゃん」

「穂乃果、いい加減にしなさい」

 海未は語気を強める。


「なんだよ海未ちゃん。いい考えだと思ったのに」

「だいたいあなたと花陽ではサイズが違うではありませんか。全然フェアではありません」

「え……?」

 穂乃果はしばらく固まる。

 どうやら海未の言っていることがすぐには理解できなかったらしい。

 そして、

「酷いよ海未ちゃん! 私だってちょっとはあるもん!」

「ちょっとはねえ」

 海未は鼻で笑った。

「そう言う海未ちゃんだって大して無いじゃない!」

「わ、私だって少しはあります! 穂乃果には言われたくないです!」

「あわわわ……」

 女子二人の無益な言い合いに、最初は慌てていた花陽も次第におかしくなってきた。

 何だかんだ言い合っていても、この二人は仲が良いのだと思ったからだ。




   *




 お風呂に入った後は、しばらく勉強タイムである。

 合宿だからといっても、明日は普通に授業があるし、テストも近いので勉強は

しなくてはいけない。

 本堂に集まったメンバーは、各々必要な勉強をすることになった。

「んん……」

 今日一日、色々あって疲れたのか、穂乃果はコクコクと早速舟を漕ぎ始めていた。

「こら穂乃果」

「ふにゃ!」

 30センチ物差しで頭を叩かれる穂乃果。

「今度のテストで赤点を取ったら、ラブライブに出場できなくなるんですよ。ちゃんと

勉強なさい」

「わ、わかってるけど……」

 穂乃果は頭を押さえながら言った。

 お風呂に入って温まると眠くなるなんて、まるで赤ちゃんのようだと花陽は思った。

 花陽の向かい側には、男子陣の雷電と播磨がいる。

 播磨は穂乃果と動揺、あまり集中していなさそうだが、隣りにいる雷電は見た目に

反してしっかりと勉強をしている。とても意外だ。

「どうした、小泉」

 花陽の視線に気づいたのか、雷電が顔を上げる。

「い、いえ。何でもないです」


 花陽は慌てて首を振る。

 未だに雷電は慣れない。

 そんな花陽に海未は声をかけた。

「わからないところがあったら、私か雷電に聞くといいですよ」

「ふえ?」

「雷電はこう見えて成績はいいですからね」

「……」

 海未にそう言われると、雷電は照れくさそうに目を伏せた。

 なんだか可愛い。

「間違っても穂乃果には聞かないように」

「酷いよ海未ちゃん」

「事実です。この前の模試の結果、何位でしたか?」

「それは聞かない約束で」

「ほら、さっさとやる」

「ふいい」

「播磨くんもちょっとは頑張って」

「へいへい」

 海未の話を聞き流す播磨は、何か別のことを考えているようにも見えた。





   *




 その夜、勉強も終えて髪を乾かすと穂乃果はすぐに寝入ってしまった。

 さっきまで一番騒いでいたのに、眠るときは突然である。本当に本能で生きている

ような人だと花陽は思った。

 一方、騒ぐ穂乃果を諌めていた海未もストンと眠りに落ちていた。

 とにかく寝つきがいい。布団に入ってから数秒すると、もう呼びかけても返事が

なくなってしまったのだ。

「……」

 花陽は何だか置いて行かれたような気分になった。

 明日も早いので、早く寝なければならないのはわかっているのだけれど、なぜか

すぐに寝たいとは思えない彼女は、電灯を消してからそっと部屋を出た。

 ふと、暗い廊下を歩いていると、雨戸が開いており、そこから外の灯りが差し込んでいた。

「拳児さん?」

「おう、花陽か」

 播磨拳児である。

「どうされたんですか?」

「ああ、いや。大したことじゃねェ。月がキレイだったもんで見てたんだ」

 播磨の視線の先には、満月とまではいかないけれど、優しい光を放つ月が見えた。

 その下には都会の灯りが広がる。

「あ、あの」


 花陽は勇気を振り絞る。

「どうした」

「隣り、座っていいですか?」

「ああ、構わんぞ」

「ありがとうございます」

 花陽はどきどきしながら播磨の横に座った。

 微かに、彼の温もりを感じるような気がする。

「そういや、お前ェのメガネ姿を見るのは久しぶりだな」

 ふと、播磨は言った。

 コンタクトレンズは寝る時に外すので、今の彼女はメガネをかけている。

「そ、そうですね」

 何だか急に恥ずかしくなる花陽。

(そうだ。こんな機会、滅多にないから何か話を聞いてみよう)

 ふと、花陽は思い付いたけれど、何を聞いたらいいのか、そこが思いつかなかった。

(ああ! 私のバカバカ。そういうのは事前に考えとけばよかったのに)

 だが、

「あのさ、花陽」

「はい?」

 話は播磨のほうから振ってきた。

「前から気になってたんだけどよ、何でお前ェはアイドルになりたいと思ったんだ?」


「え? 私は……」

 あまりにも単純、されど根本的な問いに戸惑う花陽。

「それは……」

「別に答えたくなけりゃ答えなくても構わねェけど」

「いえ、そんなことありません」

 播磨の言葉を否定する花陽。

「あの、つまらない話になると思うんですが、いいですか?」

「構わんよ」

「私、凛ちゃんと出会う前はこんな性格だからよくいじめられていて……」

 不意に蘇る小さなころの思い出。

 それは決して楽しいことばかりではなかった。

 スクールアイドルをはじめてからは、苦しいこともあるけれど、決して嫌な思いは

していない。

 だが、幼い頃は嫌な思い出も少なくはなかった。

「だけど、そんな嫌な気持ちの中で、私を支えてくれたのがアイドルだったんです」

「アイドル?」

「はい。テレビに出ているアイドルを見てると、凄く元気になって。寂しくても

心細くても、頑張って行こうっていう気持ちになりました。アイドルの歌を聞き、

踊りを見て、すごく勇気づけられたんですよ」

「そうか」


「だから、私と同じように寂しいとか悲しいと思っている人にも、私の歌を聞いてもらって、

元気になってもらったらとっても嬉しいなって思って、アイドルを目指そうと思ったんです」

「……」

「なんか、単純ですよね。そんなに簡単になれるわけでもないのに」

「いや、単純なのがいいのかもしれんぞ」

 そう言うと花陽の頭を軽くなでる。

「お前ェは優しい奴だってことは今まで見てたからよくわかるぜ。その気持ち、大事に

しろよな」

「……はい」

「あと、人に迷惑かけるとか、今はそんなことは気にしなくてもいい。俺や雷電たち

は迷惑をかけられるのが仕事だ。十分に頼れ」

「拳児さん……」

「ん?」

「あの、私も聞いてもいいですか」

「なんだ」

「貴方はなぜ、スクールアイドルのプロデュースを引き受けようと思ったんですか?」

「ぬ……!」

 花陽の質問に言葉を詰まらせる播磨。

「何でだろうな」

 腕を組んだ播磨は首をかしげる。


「ええ……」

「何でかよくわからんが、気が付いたらこうなってた。でも多分、人生ってそんな

もんじゃねェかと思うぞ。でもまあ、しいて言うなら」

「はい」

「今より明日は楽しく生きたい、そう思ってたらこうなったって所か」

「楽しく、ですか」

「実際はキツイ方が多いんだけどよ、穂乃果たちに振り回されんのは慣れてるし、

何より何かが変わる気がする」

「変わる?」

「ああ、世界はどうせ放っておいても変わっちまうんだ。だったらよ、少しでも面白い

方向に変えて行ったほうがいいと思わねェか」

「そうですね」

「お前ェらが変えるんだよ。世界を、面白い方向に」

「私たちがですか?」

「それがアイドルの可能性じゃねェかな」

「大げさ過ぎます。でも――」

「ん?」

「好きです、そういう考え方も」

「世の中、色々な考え方の奴がいるからな。これから色々出会っていくだろう。まあ、

俺は一々考えるのは面倒だから苦手だけどよ」

「アハハ」

「お前ェも考え込むのは苦手だろ? 穂乃果」

 不意に、播磨は身を逸らして廊下の奥に声をかける。


「え? 穂乃果ちゃん……?」

「えへへ……」

 照れ笑いをしながらパジャマ姿の穂乃果が顔を出した。

「何やってんだお前ェ。盗み聞きとは趣味が悪いな」

「ごめんごめん。何か二人、いい雰囲気だったから通るに通れなくて」

「バカな気を使ってんじゃねェぞ。ああ? トイレか」

「もうっ、拳児くんったら。そう言うのはっきり言わないで」

「図星かよ」

「まあ明日も早いんだ。さっさと寝ろよ」

「わかってるよ。花陽ちゃんも」

 そう言うと、穂乃果は花陽を見た。

「はい」

 花陽は立ち上がる。

「俺も寝るわ」

 そう言うと、播磨は雨戸を閉める。

「あ、私もトイレ行きます」

 そう言って、花陽は穂乃果に付いて行った。

「何の話をしていたの?」

 ふと、穂乃果は聞いた。

「色々です。気になります?」

「うん? 別に?」

(わかりやすいなあ、この人)

 穂乃果の態度を見て、花陽はそう思った。




   つづく

花陽編はもうちょっとだけ続くんじゃ。






雷電の実家、龍電寺の朝は早い。

 午前五時。木の板に木の棒を叩きつけられたら起床の合図だ。

「総員起こし! 総員起こしよ!」

 寺内に住職の妻であり雷電の母である雷の声が響きわたる。

 寺内に居住している者は素早く布団を片付けると、朝の作務に取り掛かる。

「はい! まずは本堂の掃除。それが終わったら女子は朝食の準備。男子は境内の

掃除に取り掛かりなさい!」

 雷の指示が素早く飛ぶ。

 ここでは彼女に逆らうことは許されない。例え誰であろうとも。

 一週間、ここで小泉花陽の食生活改善合宿を行っている音ノ木坂学院アイドル部は、

播磨拳児以下雷電、園田海未、高坂穂乃果、そして花陽の五人が参加している。

「はあ、眠い」

 眠い目をこすりながら播磨は掃除をする。

「こら拳児くん! ぼやっとしないの! シャキッとしなさい!」

 ボーッとしていると雷のカミナリが落ちる。

 彼女は身体は小さいけれど声は大きい。

 そしてその動きは素早い。まさに電光石火。

「はいはい」

「はいは一回!」

 バタバタと作業を進めているうちに、朝食である味噌汁の良い匂いが漂ってきた。

 この合宿の主役である小泉花陽は、普段あまり家事を手伝うことはないのだが、

ここでは掃除や料理など、慣れないことも頑張らなければならない。

 しかし、彼女にとって本当の試練は掃除でもなければ洗濯でもなかった。







      ラブ・ランブル!

 播磨拳児と九人のスクールアイドル

     第二十話 苦 行





 午前中の授業。

 小泉花陽は空腹を抱えていた。

(お腹すいた……)

 以前なら朝からどんぶり飯三杯は食べる彼女にとって、お寺の質素な食事は当然

足りるものではなかった。ちなみに朝はおかゆ、昼と夜は雑穀米や玄米のご飯である。

 花陽がお腹をさすっていると、前に座っている同じクラスの星空凛がこちらを見た。

(かよちん、かよちん)

 小声で凛が呼ぶ。

(なに?)

 花陽も小声で返事をした。

(お腹空いてるにゃ? これで気を紛らわせてほしいにゃ)

 そう言うと、凛は小さな飴玉を一つ花陽に手渡す。

(あ、ありがとう)

(頑張ってにゃ)

(うん)

 友達の応援が心に染みる。

 飴玉の甘さが少しだけ花陽の心を癒してくれた。




   *



 放課後。

 練習の合間に、播磨と絵里、それに雷電と海未が集まって話し合いをする。

「花陽のパフォーマンスが悪いわ。やっぱり怪我の影響かしら」

 絵里は言った。

「いや、ケガのほうは心配ないと主治医も言っているぞ」

 播磨は言った。

 あの怪しげな医者を本当に信用していいのかわからないけれど、今はあの男に頼る

ほかない。

「だったらどうして?」

「恐らく白米中毒による禁断症状ではないか」

 雷電は言った。

「白米中毒?」

「ふむ、昔読んだ文献に書いてあった気がする」


   白米中毒とは、白米の食べ過ぎによる依存症の一種である。

  江戸時代、江戸の町で脚気が流行した。原因は、江戸の庶民や武士が白米を常食

  していたからと言われている。現在では、脚気はビタミンB1の不足によって

  起こる病気であることが広く知られており、ビタミンB1の含まれた麦や蕎麦

  などを食べることによって予防できる。

   しかし、江戸の住民は断固として白米を食べ続けた。このため江戸では脚気が

  蔓延し、脚気は“江戸患い”などと呼ばれることもあった。なぜ江戸の住民は

  脚気になってまで白米を食べ続けたのか。それは白米の持つ依存性が原因であると

  考えられる。

   副食の多くなった現代では、白米の持つ依存性に影響される者は少なくなったと

  言われているけれども、一部では今でも白米を異常に好む「ごはん癖の悪い」人間

 
  がこの白米中毒者であると言われている。白米中毒者は白米を断たれると、集中力  
  の低下、頭痛、倦怠感などの禁断症状に苛まれると言われている。



   大原正太著『東京の生活と病気』民明書房刊 1966年




 その時、急に教室のドアが開く。

「話は聞かせてもろうたで、人類は滅亡する」

 そこにいたのはキバヤシ、ではなく東條希であった。

「希、あなたどこ行ってたの!」

 急に練習場から姿を消した希をしかりつける絵里。

 しかし希は動じなかった。

「ちょっと図書室で調べものを、それよりも白米中毒の話をしとったようやね」

 希は腕を組んだ状態でこちらを見る。

「それが何か?」

「よく考えて見なさい。人類が現れてから約二百万年(石器時代)、そのうち農耕を

初めて穀物を食べるようになったんはたった四千年から二千年くらいや」

「だったら、何だっていうの?」

「わからへん? 人が米や麦のような穀物を育て食べるようになったんは、長い人類の

歴史の中でもごく最近のことや。そして、その結果、人類の数は急激に増加した」

「……」

「今、家畜の牛が何を食べとるか知ってる?」

「草か?」

「それがちゃうんや。今の牛は、特に輸出用に大量生産されとる牛はトウモコシ等

穀物を原料にした餌を食べて育てられとる。この餌のおかげで育ちがようなって、

ウチらはたくさんの牛さんを食べられるようになったんや」

「つまりどういうことだってばよ……」


「ようするにウチらは、牛や豚と同じで、穀物を食べさせられることによって増やされた

家畜と同じなんや。人類が穀物を食べるということは、人類を家畜化させようとする

何者かによる大いなる意志が働いとるんやで!!!」

「な、なんだってー!!!」

「……」

「……」

「はいはい、わかったからさっさと練習しろ希」

 播磨は吐き捨てるように言った。

「今はそんな世迷言に付き合ってる暇はないのよ」

 絵里も言った。

 希が練習にもどった所で話も戻る。

「とりあえず、あのご飯のドカ食いは花陽にとって精神安定剤的なものになっていた

可能性はあるわね」

 絵里はそう言う。

「ご飯に含まれるでんぷん質は口の中で糖質に変わるから、甘いお菓子を食べた時

と同じような状態だと考えればいい」

 雷電はそう付け加える。

「つまり、甘いものは別腹みたいな感じで、花陽にとってごはんは別腹って奴なのか?」

 播磨はそう言ってみた。

「近いかもしれない」


「でも少しならともかく、大量の摂取はいただけないわ。それはお菓子もご飯も同じ」

「何らかの代替策があればいいんだがな」

 播磨は言った。

「代替策?」

 雷電は聞く。

「例えば、白米に代わる別のものを食べるとか」

「そしたらその代替食の中毒になっちゃったらどうするのよ。麻薬の代わりに覚せい剤

の中毒になるようなものよ」

 絵里は一刀両断する。

「でもよ、本で調べた限りでは白米はスイーツと同じように血糖値を上げるんだろ?

だったら、血糖値を上げないような食べ物を食わせりゃいいんじゃねェか?」

「それで心が満たされるかしら?」

「どういうことだよ」

「ちょっと穂乃果、来てくれる?」

 絵里は穂乃果を呼んだ。

「なあに? 絵里ちゃん」

 穂乃果はまるで子犬のように小走りで駆け寄ってくる。

「穂乃果、ケーキは好き?」

「うん大好き! 特にいちごのショートケーキは大好物だよ!」

 思わずよだれをたらさんばかりに最高の笑顔を見せる穂乃果。

 彼女が甘いものが好きなのは、播磨にもわかる。


「じゃあね、今度からケーキの代わりに“酢昆布”にしてって言われたら我慢できる?」

「……え?」

 穂乃果の顔が露骨に落胆の色を示す。

「じゃあ、カリカリ梅は?」

「えええ?? ケーキはケーキだよお。代わりは許されないよ。何言ってるの絵里ちゃん」

 今にも泣き出さんばかりの悲しい顔をする穂乃果。

「冗談よ。休憩してていいわよ」

「もー、何訳の分からないこと言ってんだよお」

 そう言いながら穂乃果はことりたちのいる場所に戻って行った。

「つまりこういうことよ」

 腕組みをした絵里は言った。

「簡単に代替物は見つからねェってことかよ」

 それにしてもケーキの代わりに酢昆布やカリカリ梅はないだろう、と播磨は思ったが

面倒な話になりそうだったのでそれ以上追及することはしなかった。

「一生我慢しろってわけじゃないわ。私だって、バレエをやっていた時は、舞台の前に

は食事制限をしていたもの。でも一年中ずっと制限をしていたわけじゃないのよ。

シーズンオフには好きな物を食べてストレス解消するのも練習の一環みたいなものね」

「だがそれにも限度があるよな」

「そうね」

「身体が満たされなければ心を満たせばいいのよ!」

「ぬお!」

 急に話に入ってきたのはにこであった。


「何を言ってやがんだお前ェは」

「いいこと? 拳児。花陽はこれまでたくさんご飯を食べることによって精神の安定

を保ってきたの。でもそれはアイドルとしては致命的よ。だから、ご飯以外のことで

精神の安定を保たせる必要があるわ」

「どうやるんだよ」

「それはあなたが考えなさい。にこはアイドル以外のことを考えるのは苦手だから」

「お前ェ、酷ェなあ!」

「ねえ拳児。アイドルはね、人を笑顔にさせる仕事なの。そのアイドル自身が笑顔

でなければ、人は笑顔にはならないわ」

「だったらなんだ」

「そのアイドルを笑顔にさせるのがあなたの仕事よ。SIPとしてのね!」

「だからそのSIPってのは止めろよ」

「頼むわよ。プレ・ラブライブまで時間が無いんだから」

「ぐぬぬ……」

 白いご飯をこよなく愛する少女、小泉花陽。

 彼女の精神をご飯なしで安定させることができるのか。

 プレ・ラブライブまでの時間は残り少ない。

 どうする播磨拳児、どうするμ’s。




   *

 



 播磨たちが花陽のことで悩んでいる時、当然花陽自身も自分のことで悩んでいた。

 今までご飯をたくさん食べてきた。それでいいと思っていた。高校に入り、アイドル

としての活動をするうちに運動量も増え、必然的に食べる量も増えて行った。

 しかし、ご飯自体は好きだったのでそれを止める気はなかった。というか、

起きなかったのだ。

 巷には糖質制限ダイエットの情報があふれていたけれども、花陽はそんな情報には

目もくれず、ひたすら白米を愛した。

 その結果、怪我をした。今は軽い膝の痛みで済んでいるけれど、この先どうなるか

わからない。

(何とかしなきゃいけない。でもごはん食べたい)

 雷電の家である龍電寺で食生活改善合宿をしている花陽は、食後のほんの少しの間

の休憩時間、縁側に座って外を見ていた。

 昼間は蒸し暑いこの時期も、夕方になると多少は涼しくなる。

「元気ないわね、そんなんじゃダメよ」

 不意に誰かが声をかけてきた

「おカミさん……」

 雷電の母、雷であった。

「隣、いいかしら?」

「あ、はい」

 この家の実質的な主である雷は、その小さな身体のわりに活動的だ。


 黙って本を読んでいるよりも、いつも何か家事や仕事をやっているように見える。

 とにかく働き者なのだ。

 だからこんな風にのんびりとした雰囲気の中で雷を見るのは花陽には新鮮であった。

「辛いことあったの?」

 ふと、雷は言った。

「え? いや、それは……」

 思わず口ごもる花陽。

 どう答えていいのかわからない。数日前に会ったばかりの部活仲間の母親に、自分の

気持ちを吐露していいものか、少し迷ったのだ。

 だが雷はそんな花陽の気持ちを見透かしたように言った。

「ねえ花陽ちゃん。自分にウソをついちゃダメよ。素直でいなきゃ。一つウソをつけば、

そのウソを隠すために更にウソを重ねることになる。そうなったらどんどんとウソは

積み重なっていくわ。するとどうなると思う?」

「どうなるんですか?」

「心はね、そのウソの重みで潰れちゃうのよ。もっと素直になりなさい」

「素直……」

「ねえ花陽ちゃん。少しだけおばさんの昔話を聞いてくれるかしら?」

「え? はい」

 おばさんと言うにはあまりにも幼い外見に少し違和感を覚えるが、今は素直に従って

おこうと思う花陽。


「私の夫、つまり雷電の父親はね、船乗りなの」

「船乗り」

「だから一年のほとんど工藤家(ここ)に帰ってこないのよ。その間、私は工藤の家

とこのお寺を守るのが役目なの」

「……」

「最初は大変だったわ。私、横須賀生まれなの。だからここら辺にあんまり知り合いが

いなかったのよ」

「おカミさん、神奈川の人だったんですね」

「そうよ、意外かしら?」

「いえ、ちょっと想像つかないかなって」

「もう東京(こっち)での暮らしが長いからね。今でも横須賀にはよく行ってるわ」

「そうなんですか」

「それで、お寺の暮らしってあなたも二、三日暮らしたらわかると思うけど、無駄に

広いから大変なのよね」

「アハハ。確かに」

「それを一人でやるのは大変だったし、何より寂しかったわ」

「……」

「でもね、そんな私のもとに横須賀から姉妹たちが遊びに来てくれたの。そのうち、

東京(こっち)でも知り合いが出来て仲良くなったわ。知ってるかしら? 月詠亭

の月子さんとか」

「あ、はい。知ってす。月光先輩のお母さんですよね」


「そうそう。月光くんは雷電と同い年よね。だから月子さんとは同じ病院で知り合ったの」

「へえ」

「そうこうしているうちに、私はここにいるのが辛いとは思わなくなった。そりゃあ、

パパに会えないのは寂しいけど、それ以上にここの生活にはやり甲斐があるわ」

「遣り甲斐、ですか」

「ええ。あなたのように、迷っている子もここに来るわ。そんな子を受け入れるのも、

私の役目だと思うの」

「迷ってますか、私」

「違うの?」

「いえ、迷ってるかもしれません。というか、迷っているのかもわからないかも」

「うふふ。若い時って、そんなものよ。何が正しいかわからないもの。もしかしたら、

一生わからないかもね」

「おカミさん」

「ねえ花陽ちゃん、私のこと、もっと頼ってもいいのよ」

「いえ、そんな」

「遠慮しないで。龍電寺にいる限り、私の娘みたいなものよ。もちろん、ぼやぼや

していたら叱っちゃうわよ」

「アハハ。なるべく叱られないよう頑張ります」

 花陽は苦笑いした。

 そんな二人に、声をかける男が一人。

「ここにいたか、花陽」

「拳児さん?」


 播磨拳児である。

「拳児くん、花陽ちゃんに用事?」

「え? まあ」

「じゃあ、邪魔者は退散しますかね」

 そう言うと、雷はすくっと立ち上がる。

「いや、別に大した用じゃないんッスけど」

「それじゃあね、花陽ちゃん」

「あ、はい。ありがとうございます」

 花陽も立ち上がってお辞儀をした。

「それで、用事ってなんですか?」

 播磨のほうを向きなおった花陽が聞く。

「いや実は、明日の練習メニューを少し変えようと思うんだ」

「練習メニューを?」

「ああ。お前ェの膝のこともあるしな」

「はあ」



    *  





 この日の練習は、都内の屋内プールにおける水泳であった。

 これも花陽の膝の状態を考慮してのことであったが、同時に練習がマンネリ化

しないようにとの雷電のアイデアでもあった。

「理事長に相談したら、タダ券を貰ったわ」

 プールに向かう途中、絵里は小声で言った。

「タダより怖いものはないっていうからな」

 播磨は少しだけ警戒する。

 μ’sのメンバーは基本的に全員参加であったけれど、ことりと海未は毎月のアレ

の影響のために残念ながら見学となった。

「あーあ、ことりちゃんたちと一緒に泳ぎたかったなあ」

 穂乃果は残念そうに言った。

「どうでもいいが、何で俺まで泳がなきゃいけねェんだよ」

「何言ってるの拳児。苦しみや喜びを共有してこそのSIPでしょうが」

 にこは言った。心なしか声は嬉しそうだ。

「SIP言うな」

 そうこうしているうちに、屋内プールに到着する。

 空は曇りだが、屋内なのでそんなことは関係ない。



   *



 播磨と雷電は素早く着替えを済ませてプールサイドで待っていると、真っ先に現れた

のは凛であった。

 これは予想通りである。

「やったー、プールにゃあ!」

「嬉しそうだな」

 播磨は凛に言った。

「そりゃ嬉しいにゃあ。凛ちゃんプール大好きにゃあ♪」

 まるで小学生のようなはしゃぎっぷりである。

 次に出てきたのは、穂乃果である。彼女も嬉しそうであった。

「体育のプールは苦手だけど、こういうのは嬉しいよ」

 穂乃果は言った。

「おいおい、遊びに来たわけじゃねェんだぞ。わかってんのか」

「はあい」

「穂乃果、凛。あんまり騒がないで、他のお客さんの迷惑になるでしょう」

 絵里と希も出てきた。

 でかい。

 何がとは言わないが、とにかくでかい。

「んん? どないしたん? 何か気になるんかなあ?」

 やたらニヤニヤしながら希が寄ってきた。

「何でもねェよ。それより花陽はどうした」

「花陽ちゃんならもうすぐ来るんとちゃうかな」

 噂をすれば、花陽が恥ずかしそうに出てきた。


「おい花陽。早く来いよ」

 播磨の声がプール内に響く。

「は……、はい」

 花陽は覚束ない足取りで播磨に近づく。

「大丈夫か?」

「え? はい」

 播磨の視線は足元から胸元に移動した。

(意外とデカイな)

 希や絵里ほどではないけれど、彼女の胸もかなり大きい。

 谷間が見える。

 花陽は恥ずかしそうにモジモジしていた。

「ご、ごめんなさい。コンタクトレンズを外しているから、ちょっと見えにくいんです」

「そ、そうか……」

 播磨は視線を逸らそうとするが、どうしても気になってしまう。

「うりゃあ!」

「ぎゃあ!」

 いきなり頭に何かが当たった。

 どうやらビート板が縦に飛んできたようだ。

「何しやがる!」

 犯人はだいたい想像がつく。

 矢澤にこだ。

「何エロい目で後輩を見てるのよ」


 にこは肩にビート版を抱えて言った。

 ビート板を投げる奴はクラスに一人や二人いるものだ。

「べ、別に見てねェし。それよりお前ェ、何て格好してんだ」

「はあ? にこちゃんの格好に何か問題でも?」

「他の連中は皆、競泳水着かスクール水着なのに、何でお前ェだけヒラヒラが付いて

んだよ。遊びに来たわけじゃねェんだぞ」

 にこの水着はヒラヒラの付いたビキニである。

「いいじゃない。折角の校外活動なんだし。アイドルはいついかなる時も主張しないとダメよ」

(主張するほどのモノは持ってねェだろ)

 播磨は小声で呟くが……、

「セクハラ!」

 にこが再びビート板で叩いてきた。

「お前ェ、ビート板は人を叩くもんじゃねェぞ」

「ほら、そこの二人何やってるの。ちゃんと準備運動しなさあい」

 絵里の声が響いた。

「ったく、お前ェのせいで怒られたじゃねェか」

「アンタがエロいこと考えるからじゃないの」

「別にお前ェを見てもエロいことは考えられねェぞ」

「もう一回殴ってやろうかしら」



 水泳は全身運動として有効だ。

 しかも膝や腰に負担がかからない。

 膝を痛めた花陽にはとても効果的な練習である。

 またそれ以外にも、違う環境に行くことで気分転換になる。

 花陽よりも、にこや穂乃果のほうが喜んでいたような気もするが、チーム全体に

とって良いことならそれもいいだろう、と播磨は思った。

 しかし、いつもと違う環境ということはその分疲れもたまる。

 播磨はこの日、なぜかμ’sのメンバー以上に泳がされてしまったため、帰る頃

には身体が泥のように疲れ切ってしまった。




   *





 帰りのバスの中、花陽は播磨の隣りに座った。 

 いつもは穂乃果か凛が座っている場所に自分がいる。

 身体は慣れない水泳で疲れ切ってはいるけれど、男の人がすぐ傍にいるということ

で胸はドキドキしていた。

「今日はすみません、私のために」


 花陽は遠慮がちに言う。

「別にお前ェのためじゃねェよ。たまにはこういう気分転換も必要だ。疲れたけど」

「確かに疲れましたね」

「絵里のやつ、ガチで水泳させやがって」

 プールの中でボールを使うようなぬるい水遊びなどさせてくれるはずがなかった。

 これは練習の一環なのだから。

「でも、楽しかったですよ」

「そうか、そりゃ良かった」

 プレ・ラブライブまで時間がない。

 でも、だからこそこういう日も必要なのではないかと花陽は思う。

「……」

 気が付くと穂乃果と凛は眠っていた。

 本能のままに生きる彼女たちはまるで子供のよう。だが、今はそれが羨ましかった。

「……」

 ふと、横を見ると播磨も疲れているのか、コクリコクリと舟を漕ぎ始めていた。

 花陽はそっと身を寄せる。

 すると、播磨の頭が傾いて肩に乗った。

(お疲れ様です、拳児さん)

 花陽は心の中で呟く。

 皆と一緒に練習をする。そして何より播磨拳児という人が隣りにいる。

 それだけで、彼女は幸せであった。





    *




 一週間の食生活改善合宿は終わり、またμ’sのメンバーは日常に戻って行く。

 元に戻ってしまうのではないか、と心配している播磨の元にとある人物から

電話がかかってきた。

「もしもし?」

『あの、播磨拳児さんですか? 私、小泉花陽の母です』

 それは花陽の母親からであった。

「あ、それはどうも。娘さんにはいつも迷惑をかけて」

『いいえ、迷惑だなんてとんでもない。今日はお礼を言いたくて、電話で失礼しますが、

お電話を差し上げたんですよ』

「お礼? ですか」

『はい。娘のことです。以前のように白いご飯をドカ食いしなくなりまして』

「そりゃ良かった」

『それから、家の手伝いも積極的に協力してくれるようになりました』

「そうなんですか」

『なんだか料理にも興味が出てきたらしくて、教えて欲しいと言ってきたんですよ』

「はあ」

『これも播磨さんのおかげだと、娘が話をしておりましたから』

「別に俺は何もしてませんよ。娘さんが頑張ったからじゃないッスか」

 それと、合宿先にいた雷電の母の影響も大きいだろう。

『それでも、娘は高校に入ってから変わりました。私、とても嬉しくて』

「それは、良かったですね」

 花陽の母親は何度もお礼を言って電話を切った。


 そこまで感謝されるようなことはやった覚えのない播磨であったけれど、悪い気は

しない。

 そして昼休み。珍しく花陽の方から播磨の教室にやってきた。

「どうした、花陽」

「なんじゃ? また別の一年女子が播磨のところに来たぞ?」

「羨ましいのう」

 クラスメイトの言葉は無視して、播磨は廊下に出る。

「何かあったか?」

「いえ、その……」

 花陽は恥ずかしそうに目を伏せる。

「ん?」

「お弁当、作ってきたのでご一緒にどうですか?」

「ん、ああ。別に構わねェよ」

 播磨がそう言うと、花陽の顔はまるで太陽のようにパッと明るくなった。

「ありがとうございます」

「別にそんなに感謝されるようなことは」

「じゃあ、行きましょう」

「おい待てよ、まだ俺の昼飯が」

「拳児さんの分も作ってきました!」

「へ?」

「どこで食べましょうか」

「ああ」

 何だか以前よりも積極的になった花陽を見て、播磨は少し戸惑ったけれど、同時に

頼もしくも思えたのであった。




   つづく

花陽編修了。次回、プレ・ラブライブ開催!







 ついにプレ・ラブライブの日がやってきた。

 関東地区で予選のシード権、つまり予備予選への参加を免除された六チームのうち、

四チームが参加するという豪華な顔ぶれ。

 そこに音ノ木坂のμ’sも参加するのである。

 場所は、さいたまスーパーアリーナ。

 お台場のオープン大会よりも多い合計二十二チームが参加。

 ラブライブ予選前における最後の大会だけに、注目度も高い。

「いっぱい人がいるねえ、ことりちゃん」

「ええ。何だか緊張してきちゃった」

 穂乃果とことりはそう言って身を寄せ合う。

「お前ェら、迷子になるんじゃねェぞ」

 播磨はメンバーに注意を促す。

 今回はお台場よりもアクセスが容易な分、観客も参加者も多いのだ。

「そういや、三年生の三人は、これが実質デビュー大会になるんだったな」

「ん、そういえばそうね」

 と、絵里は言った。

 三年生は、一年生と違って緊張している様子はない。ただ一人を除いて。

「……」

「おい」

「……」

「おい、にこ」


「ふにゅっ」

 播磨はにこの両頬を掴む。

「にゃにすんのよ」

「大会前はあんだけ偉そうなこと言ってて、当日は緊張か? ったく」

「べ、別に緊張なんてしてないわよ。むしろ待ちに待ったって感じね、へっへっへ」

 元々白いにこの顔が更に青白くなっている。

「いつも通りで行けよ、お前ェならできるぜ」

「ふんっ、にこはいつだっていつも通りよ」

「ならいいがよ」

 播磨はひるがえって一年生組に目を向ける。

「お前ェらも、平気か?」

「凛ちゃんはいつでも大丈夫にゃ!」

 凛はいつも通りだ。彼女に緊張という言葉はないのだろうか。

「前よりは、マシだと思います」

 花陽はまだ不安そうな顔をしている。後でフォローを入れておくか、と播磨は考える。

「真姫」

「はい」

「お前ェの曲、今回もいい出来だぜ。絶対に受けるからよ」

「違いますよ拳児さん」

「ん?」

「私だけでなく、皆で作った曲です」

 そう言うと、真姫は片目を閉じて見せた。

「そうだな。まあ、雷電や海未も手伝ったしな」

「それに、拳児さんも……」


「ん?」

「何でもありません。今回も頑張ります」

「そうだな。一発かまして行こうぜ」

「拳児くん、言い方が下品だよ」

 そう言ったのは穂乃果である。

「うるせェ。俺はこういうのしかできねェんだ。出場登録を済ませておくから、お前ェ

らは準備しとけよ」

「はいっ」

 空を見上げると、白い雲に覆われていた。

 お台場の時のような青空はない。

 今回は屋内なので、天気は気にする必要はないけれど、できれば晴々とした気分で

大会を終えたいと思う播磨なのであった。










        ラブ・ランブル!

   播磨拳児と九人のスクールアイドル

     第二十話  好 敵 手





 ライブの開催に先立ち、穂乃果達μ’sのメンバーは衣装検査のため、先に楽屋入り

していた。

 ラブライブには衣装規定というものがあり、あまりにも過激な衣装や安全性に問題

のある衣装は規定違反で失格になることもある。ことりのデザインした衣装は、服飾

の専門大学に通う彼女の兄が監修していることもあり、万が一にも規定違反になること

はないだろう。

 ただ、衣装検査をしている間、男である播磨や雷電はその場に立ち会うわけにも

いかないので(着替えもあるから)、しばらくは暇を持て余すことになる。

 というわけで、席を確保した播磨と雷電は少しの間会場を見て回ることにした。

 すると、不意に見かけない顔の人物が声をかけてきたのだ。

「キミが播磨拳児くんだね」

「あン?」

 変な色のTシャツを着たやたら体格の良い男である。

 ノースリーブなので、太い腕が目立つ。

 ちなみに播磨と雷電は学校の制服を着ている。

「そうだが、どちらさんで」

「あ、失礼。自分、こういう者です」

 そう言うと、変な柄のTシャツを着た男は名刺を差し出した。


「『UTX学院 新井タカヒロ』?」

 播磨は名刺に書かれた名前を読み上げる。

(UTX学院……!?)

 聞き覚えのある学校だ。というか、春先に穂乃果と一緒に行ったあの学校ではないか。

「新井タカヒロだと……?」

 顔色を悪くした雷電がつぶやく。

「知っているのか雷電!」

 播磨はいつものように聞いた。

「ああ、聞いたことがある。広島でHRS25というご当地アイドルを成功させ、

その後は関西の芸能事務所に移籍し、HSN25を成功させたアイドルプロデューサー。

だと聞いている。ここ数年は芸能活動から遠ざかっていたと言われていたけれど、

UTX学院に勤めていたとは……」

「おお、ご存じいただけていたとは光栄ですね。そうです、私がその新井タカヒロです。

そして、UTX学院のスクールアイドル、A-RISEのSIP(スクールアイドル

プロデューサー)ですよ」

(この人、こんなこと言って恥ずかしくないのか)

 播磨は心の中で思ったが口には出さなかった。

「新井タカヒロ氏のプロデュースだから、A-RISE(アライズ)……」

 雷電は言った。

 何だか言ってはいけないような気がしたので、播磨はあえて言わなかったけれど、

この男は言ってしまった。


「はい、その通りです。これまで様々なアイドルグループをプロデュースしてきました

が、A-RISEはその完成形と言ってもいいでしょう」

「まさかプロの芸能関係者が学園アイドルに参戦するなんてよ……」

 播磨はそうつぶやく。

 プロアマ協定とかは、アイドル業界にはないらしい。

「ふっ、時代の最先端を行くのが芸能を生業にする者の勤め。ならば、ナンバーワン

スクールアイドルを作り出すこともまた私の使命と考えていますよ」

(何言ってんだコイツは)

 新井タカヒロは自信満々に言っていたが、播磨にはその真意がイマイチ理解できなかった。

 プロの芸能関係者なら、プロの世界でやっていけばいいものを。

 というか、こっちは全員素人でやってんのに。

「それで、そのA-RISEのプロデューサーさんが、こんな弱小学校の俺に何の

用ッスか」

 やや皮肉を込めた言葉で播磨は聞く。

「そんな敵対的な目で見なくてもいいじゃないか。こちらも宣戦布告をしに来ている

わけじゃないんだから」

 ライバル、と言うにはおこがましい。向こうは全国区の学校。こちらは創設間もない

弱小零細のスクールアイドル。そもそも正面から相手になるような存在ではないはずだ。

「お台場でのパフォーマンスを見てね、僕らはキミたちに注目したんだよ」

「お台場?」

 前に参加したスクールアイドルの大会のことだ。


 確かその時は、三年生組はまだ参加しておらず六人でエントリーしていた。

「ラブライブでは、キミたちμ’sが、僕のA-RISEの最大のライバルになると見ているんだ」

「はい?」

 一体何を言い出すのだこの男は。

「確かに、歌も踊りもまだまだ荒削りなところがある。でもね、その中で大きな輝き

を見て取れたよ。特にリーダーの高坂穂乃果さん、それからええと、西木野真姫さん

かな」

(こっちのメンバーの名前も憶えているのか。こっちはA-RISEのメンバーの

名前すらうろ覚えだというのに!)

「あれだけ個性豊かな人材に加えて、今回は新たに三人のメンバーを加えてきたらしい

ね」

「何で知ってるんッスか?」

「キミたちの公式ホームページで発表していたじゃないか。もちろん、アイドル関係

のニュースは常にチェックしているから、そういう話もメールなんかでガンガン入って

くるけど」

 物凄い情報収集能力。

 これがプロのアイドルプロデューサーの在り方なのだろうか。

いや、単純な情報収集なら松尾や田沢のほうが上かもしれない。

 だが、情報に関する感覚は敏感なのだろう。その敏感な感覚がμ’sを捉えたと

いうのか。

「このプレ・ラブライブはキミたちと共演できる数少ないチャンスだ。お互いに学び

合っていこうじゃないか」

 新井はそう言ってニヤリと笑う。

「俺たちはともかく、そっちに学ぶところはあるんッスかね。こちらは素人集団ッスよ?」


「アイドルというものは、単純な技術だけの存在じゃない。どれだけ人を引きつけ

られるか。それが重要だ。天性のカリスマ性というのかな、そういうのを君たちは

持っていると僕は思うんだが」

「買い被り過ぎッスよ」

 そんな立ち話をしていたら、廊下で小さな歓声が上がった。

(あれは!)

 見覚えのある前髪がやたら短い少女、とその後ろに二人。

「プロデューサー、衣装検査、終わりました」

 前髪の短い少女がそう言った。

 上には学校のジャージを着ているけれど、下には舞台衣装を着ているのがわかる。

 つまり今大会の出場者だ。

「ああ、お疲れだったね。問題はなかったかい?」

「はい。何も問題はありません。ん?」

 不意に、前髪の短い少女がこちらを見た。

「プロデューサー、この方々は……」

「ああ、この子がこの前言ってたμ’sのSIP、播磨拳児くんだよ。それと、後ろの

人は――」

「雷電です」

 雷電は自己紹介した。

「ああ、雷電くんだったね。失礼」

「あなたが播磨拳児さんですね」

 不意に、前髪の短い少女がプロデューサーを押しのけるように前に出てきた。

「あン?」

 意外な行動に驚く播磨。

 距離が近い。


「私、綺羅ツバサって言います。A-RISEではセンターボーカルを勤めさせて

もらってます」

「あ、はい。知ってます」

 名前は忘れていたけれど、前髪のやたら短い女の子がいたな、ということくらいは

覚えている播磨であった。

「ちなみに私は統堂英玲奈」

(まるでアンドロイドみたいな硬い喋り方だな)

「私は優木あんじゅよ、よろしくね」

(こっちはイライラするくらいねっとりとした喋り方だ。こういうのが人気あるんだろうか)

 播磨はそれぞれのメンバーの自己紹介を聞きながらそんなことを考えていた。

「そろそろ、ミーティングだ。移動しよう。ここじゃあ人目が多すぎる」

 新井タカヒロがそう言った。

 確かに周りを見ると、他の学校の生徒や一般客がチラチラとこちらを見ている。

 やはりA-RISEは注目度が高いのだろう。

「はーい、わかりました」

 新井の方を見た綺羅ツバサが素早く振り向いて進もうとする、その時だった。

「あっ」

 急にバランスを崩し倒れそうになる。

「危ねェ!」

 思わず播磨は左腕を出してツバサの身体を支えた。

「きゃあ」

 柔らかいものが腕に当たったような気がしたけれど、今はそんなことを考えている

状況ではなさそうだ。


「おい、大丈夫か」

「ご、ごめんなさい」

 体勢を立て直して播磨の前に立ったツバサは、そう言ってチロリと舌を出した。

「ツバサはしっかりしているように見えて、わりとおっちょこちょいだからな」

 統堂英玲奈は特に焦った様子もなくそう言った。

「よくあることですよ。ライブでは完璧だけど、その分私生活がねえ」

 笑いながら優木あんじゅも言った。

「おいおい、本番前に怪我とかよしてくれよ。播磨くんもありがとう、ツバサを助けて

くれて」

 三人を宥めるように新井は言う。

「いえ、俺は別に」

「ほ、本当にありがとうございます」

 もう一度頭を下げるツバサ。

「大したことねェから。それじゃ」

 周りの目が痛い。

 これ以上一緒にいたら、ネット上でも何を言われるかわからない。

 それほど現代は怖い時代なのだ。

「あの、播磨さん?」

 不意にツバサは顔を近づける。

「あン?」

「また会える予感がします」

 ふっと、彼女は播磨の耳元でつぶやいた。

「ラブライブなら、俺たちも出場登録をしているぜ」

 播磨は言った。


「いえ、そういうわけじゃなく」

「ん?」

「私の予感、よく当たるんですよ」

 そう言うと、ツバサはくすりと笑う。

「……」

 何が言いたいのかよくわからない。

 ただ、彼女を抱いた左腕には、彼女の匂いがついているような気がした。




   *





 新井タカヒロおよびA-RISEとの謎接触を終えた播磨拳児と雷電は、選手控室、

つまり楽屋に顔を出した。

 そこには着替えを終えたスクールアイドルたちがひしめいている。

 今回は二十チーム、それが選手と関係者合わせれば百人以上になるから当然か。

 さいたまスーパーアリーナは会場も広いが控室もまた広い。

「拳児くん、雷電くん、こっちだにゃあ!」

 そんな多くの人がごった返す関係者控室で真っ先に播磨を見つけたのは凛であった。

 よく見つけるものだ。まるで野生動物のような目の良さ。

「もうっ、遅いにゃ!」

 凛は少し怒って見せた。


 服装検査の終わりを知らせてきたのは凛だったからだ。

「悪い悪い。ちょっと迷っちまってよ」

「ふーん。皆待ってるにゃ」

「おう」

「お疲れ」

「お疲れ様です」

 播磨の眼の前には、舞台衣装の上にジャージやパーカーを羽織ったメンバーたちが

いた。全員、パイプ椅子などに座ってリラックスしている状態だ。お台場の時のような

無駄な緊張は無さそうで安心する播磨。

「凄い人の数だな」

 播磨が周りを見渡しながら言う。

「当たり前じゃない。プレ大会とはいえ、全国レベルのチームが四チームも出るのよ。

しかも、シードには入れなかったけれど、相当の実力のあるアイドルも参加している

んだから注目度も半端ないわよ」

 腕を組んだニコは言った。

 相変わらずスクールアイドル関係については詳しいようだ。

「くんくん」

「ん?」

 気が付くと、播磨の真横で凛が鼻を鳴らしていた。

「何してんだ」

「なんだか良い匂いがするにゃ」

「は?」

「拳児くん、女の子と会っていたのかにゃ?」

「なんでそうなるんだよ」


「拳児くん! 私たちが大変な時に何やってるんだよ!」

 先ほどまでカロリーメイトを口にしていた穂乃果が立ち上がって言った。

「大声出すな。つうか凛、何言ってんだよ」

「μ’sのメンバーとは違う女の人の匂いがするにゃ」

(こいつは警察犬か)

 播磨は凛の鼻の良さに驚く。

「こんだけ人が多いんだ、誰かとぶつかることもあるだろう」

 播磨は適当に誤魔化そうとしたけれど、一緒にいた雷電が言ってしまった。

「実はここに来る途中、A-RISEのメンバーとプロデューサーに会ったんだ」

「えええ!!?」

 A-RISE、その名前を聞いてそこにいた全員が驚く。

「どどど、どうして会ったんですか?」

 花陽が詰め寄ってきた。

「そうよ、何があったのよ。まさかサイン会でもやってたの?」

「んな訳ねェだろうが! 大会前だぞ」

 播磨はA-RISEに会った経緯をかいつまんで説明した。

「A-RISEのプロデューサーって、新井タカヒロのことよね。あの背の高い」

 にこは聞いた。

「ああ、そうだな。ダサイTシャツを着ていた」


「それが何で拳児のことを知ってるのよ」

「こっちが聞きたいわ」

 公式ホームページにはメンバーの紹介はしてあるけれど、播磨の写真などないはず

だ。それでも新井タカヒロは播磨のことを知っていた。それだけμ’sを警戒している

ということなのか。あるいは――

「とにかく、A-RISEもそうだが、この大会は全国クラスのチームと同じ舞台で

やれる数少ない機会なんだから、大事にしていけよ」

「はい」

「わかってるわよ」

「了解」

 反応はまちまちである。

 出番までには時間があるので、まだそれほど気持ちが高まっていないといことなのだろうか。

 播磨は一人ずつ顔を眺める。

「絵里」

「何?」

 絵里は小さなポータル携帯プレイヤーで振付の確認をしていた。

 イヤホンをしていたけれど、播磨の声は聞こえていたようだ。

「初めての大会だけど、緊張はしてねェか」

「そりゃしてるわよ」

 そう言って絵里は笑った。

「そうは見えねェけどな」

「でもね、私の動きにこのチームが、そして学校の存続がかかっていると思ったら、

緊張なんてしている暇はないわ」


「そんなふうに考えられるなんて、強いな。普通はプレッシャーでがちがちになっち

まうもんだが」

「そうかしら?」

「唇、青くなってるぜ。後で希か海未にメイクしてもらいな」

「……」

「どうした」

「私の心、見透かすのやめてもらえるかしら」

「余裕ぶってんのもいいけど、素直に緊張しているお前ェも可愛いと思うけどな」

「ちょっ、何言ってるの、……バカ」

「ま、大丈夫そうだな」

 播磨は目を他のメンバーに目を向ける。

「そういやお前ェも初舞台だな。にこ」

「そ、そうね」

 こちらは露骨に緊張している。

「緊張するなって言う方が無理か」

「べ、別ににこは緊張なんてしてないし」

 お台場の大会では、サポートに回ってもらったので、選手(パフォーマー)として

舞台に立つのは今回が初めてだ。

「無理すんな、最初は皆そんなもんだ」

「舞台に立たないあなたが言っても説得力ないわよ」

「逆だぜ」

「え?」


「自分で舞台に立てねェから、パフォーマンスが始まったらどうすることもできねェ。

それって凄く怖いことじゃねェか?」

「……まあ、そうね」

「自分で何とかできるってことは、悪くないことだ」

「ふん。にこちゃんのパフォーマンスで、記者や観客を魅了しちゃうんだから」

「頼りにしてるぜ」

「ふん、当たり前よ」

「ああ」

 にこの緊張も多少収まったところで、今度は二年生組に声をかける。

「穂乃果は相変わらずだな。口の周りをふけよ」

「ふぐ?」

 大会直前だってのに凄い食欲だ。ある意味羨ましくなる肝っ玉。

「この大会って、全国には繋がらないけど、有名なスクールアイドルが沢山出場して

いて、注目度が高いんでしょう?」

 穂乃果は聞いた。

「そうだな」

 播磨は答える。

「そう言われると緊張しちゃうよ~」

 隣にいたことりが苦笑しながら言う。

「別に、私たちはいつも通りやればいいだけです。ねえ雷電」


 海未は播磨ではなく雷電に語りかける。

「ああ。その通りだ。ま、撮影の方は任せてくれ」

「ありがとう」

 雷電は今回も撮影係である。純粋に観客席で彼女たちのパフォーマンスを見ることが

できるのは播磨だけだ。

「この大会でも活躍すれば、ウチの学校も注目されて廃校の危機からまた一歩脱出

できるわけだよね」

 穂乃果は嬉しそうに言う。

「確かにその通りだ」

「よおーし、頑張るぞお!」

 守りたいものがある。この場合、学校の存続。それが彼女にとってなによりの

モチベーションになっている。

 彼女に比べると愛校心の若干欠ける播磨ではあったけれど、幼馴染の願いはできる

だけかなえてあげたい。それが彼にとってのモチベーションでもあった。

 続いて一年生組だ。

 別に学年ごとにグループを作っているわけではないけれど、心細い時は親しい者

同士で集まってしまうのは仕方がないのかもしれない。

「どうだ、花陽」

 播磨は花陽に声をかけた。

「はい、私は大丈夫です」

 強がっているようには見えない。


 大きな舞台はこれで二回目。そして何より、あの雷電の家での合宿が彼女の何かを

変えたらしい。

「そうか」

 頼もしいのは言葉だけではなかった。

「正直凛ちゃんはちょっと不安にゃあ」

 照れながら凛は笑った。

 素直なのがこの娘の良いところなのかもしれない。

「大丈夫だよ凛ちゃん。いっぱい練習したからね」

 花陽はそう言って凛を励ます。

「かよちんがそう言うなら大丈夫にゃ」

 他人を励ます余裕も出てきた。

 ここ最近、一番成長しているのは彼女なのかもしれない、と思う播磨なのであった。

 服の上からでもわかる胸の膨らみも含めて……。

 そんなことを考えている播磨は睨み付けるつり目の少女。

「どうした真姫。機嫌が悪いのか」

 播磨は真姫に声をかける。

「別に、そうでもないですけどね。でも一瞬、拳児さんからいやらしい空気を感じ

取ったので」

(こいつ、エスパーか)

 男だったら、そこら辺を気にするのは仕方のないことだろう。普段は、なるべく

考えないようにしているんだから勘弁してくれ。


 などと言い訳めいたことを言いたくなったけど、そこはグッと我慢することにする。

 真姫も本番前でナーバスになっているのだろう。

「A-RISEの人とは何を話をしたんですか?」

 腕を組んだまま、真姫は聞いた。

「話? ちょっとした自己紹介をしただけだ。周りの目もあったしな、そんなに話

なんてできる余裕はない」

「嬉しかったですか?」

「はあ? 何でだ」

「だって、大スターですよ、スクールアイドルの中では」

「確かにそりゃあな、凄い奴らかもしれねェよ。控室も何か、ここみたいな大部屋

じゃなくて、別にあるみてェだし」

「サインでも貰って来ればよかったんじゃないですか?」

「そうか! 私もサイン欲しかったな」

 真姫の言葉に花陽が反応した。

(そういえばコイツもアイドル好きだったっけ)

「サインなんていらねェよ」

「どうだか」

「確かにA-RISEは人気かもしれねェ。でもな、真姫」

「?」


「俺にとっては今のお前ェらのほうがよっぽど魅力的だ」

 そう言うと、播磨は真姫の頭を軽く撫でる。

「な、何するんですか!?」

 真姫はガッチリと組んでいた両腕を放し、両手で顔を覆った。

「いや、何って、頭を撫でただけだが」

「べ、別に嬉しくなんかないですからね!」

 そう言うと真姫は顔を逸らす。

(緊張を解そうと思ったんだがな)

 播磨の意図とは裏腹に、真姫は別の意味で緊張してしまったようだ。

「凛ちゃんも撫でてほしいにゃ」

 そう言って凛が飛びつく。

「ああ、わかったわかった」

 そう言って凛の頭を撫でる。短いけれどやわらかい髪の毛。まるで猫のようだと

思ったが、実際に触れてみると本当に猫のようである。

「花陽も撫でてやろうか」

 播磨が笑いながらそう言うと、

「わ、私は結構です! 子供じゃないんですから!」

 どうやら彼女も怒らせてしまったようだ。

「悪い悪い。じゃあ、コイツをよろしくな」

 そう言うと、播磨は凛のジャージの後ろ襟の当たりを掴んで花陽に渡した。

(さて、あと一人、どこへ行きやがったか)

 播磨は九人目のメンバーを探す。

 ここにはいないようだ。




   * 





 会場入り口付近――

「ここにいたか」

 身長はそんなに高くないけれど、彼女の長い髪の毛は遠くからでもよくわかる。

「あら拳児はん。よくここにいるのがわかったわね」

 雲で白く染まった空を見上げているのは三年生の東條希だ。

「控室にいなかったんでな。心配したぞ」

「集合時間は把握しとるさかい、心配いらへんよ」

「そこら辺は心配してねェよ」

「ふうん。でも、こうしてウチを見つけたってことはそれなりに気にしてたってこと

でしょう?」

「メンバー全員の体調や精神状態を把握すんのが俺の役目だ」

「大分、SIPとしての自覚が出てきたみたいやね」

「勘違いすんな。今の俺に出来るのはそれくらいだけだからだ。別にSIPなんかに

なるつもりはねェ」

「せやけど、拳児はんが来てくれて嬉しいわ」

「そうかよ」

(この女についてはわからないことが多い)

 播磨はそう思っていた。


 絵里は昔バレエをやっていたし、海未は日本舞踊、真姫は音楽と、それぞれに

バックボーンがある。しかしこの女に関してはまったくわからない。にも拘らず、

踊りも歌も完璧にこなしているのだ。他の誰よりも。

 そしてこの精神的な余裕。

 まるで何年も前から自分がここに来ることをわかっていたかのような立ち振る舞いだ。

「そういや、お前ェには色々と礼を言っとかなきゃならねェな」

 播磨は言った。

「何のこと?」

 希は首を傾げて見せる。

 そして二、三歩ほど播磨に近づいた。

 豊満な胸のせいか、大きく見える彼女も身長はそれほど高くない。

 そのため、彼女は播磨を見上げるような姿勢になる。いわゆる上目遣いというやつだ。

「まあ、色々と世話になっただろう。真姫や絵里の加入のこととか、チームの運営とか」

「そんなん、気にせんでええのに。仲間やろ?」

「仲間だからこそだろ。特定の人間に過度の負担をかけることは俺の流儀に反する」

「別にウチは負担やなんて思うてへんよ」

「それでもだ。お前ェはなんつうかその、ウチには無くてはならない人材っつうか、

そういうことを言いたかったんだ」

「そうなん?」

「改めて言うと恥ずかしいけどよ、その、ありがとうな。今まで」


「んふ?」

「なんだよ」

「拳児はん、可愛いなあ」

「か、可愛い!?」

 予想外のコメントに戸惑う播磨。

 子供の頃ならばともかく、高校に入ってからそんなふうに言われたのは初めてだ。

「ええんやで、もっとウチに頼っても。ウチは頑張っとる人の味方や。それに」

「それに?」

「学校を潰したくない、いうんは、ウチも同じ気持ちやからね」

「そうか」

「こんなに楽しい仲間と出会わせてくれたウチらの学校やで。貴方もちっとは感謝

したらどうなん?」

「まあ、感謝はしてる……、かな」

「なんやその曖昧な態度は」

 そう言うと、希は播磨の右腕を抱え込んだ。

「ぬわっ!」

 当然、彼の右腕にはやわらかいものが当たる。

「何すんだ!」

 慌てて播磨は希を引き離す。

「ああん、冷たいなあ」


「時と場所を考えろ」

「あら、時間と場所が良かったらええの?」

「アホなこと言ってんじゃねェぞ」

「A-RISEの子と会ったみたいやね」

 不意に話題を変える希。

「お前ェ、何でそのことを」

「ウチは何でもお見通しやで」

「どっかで見てやがったのか」

「秘密や。それより、どうやった? 直接会った感想は」

「どうって言われても、なんかよくわからんな。初対面の相手にも物怖じすることが

ないってのは、さすがトップアイドルって感じかもしれんけど」

「そうなん? 他には」

「俺はどっちかっつうと、A-RISE自身よりもそのプロデューサーの方が気になったぜ。

新井タカヒロっていう男だ」

「新井、タカヒロ……」

 ふと、希の顔が曇る。

「どうした」

「いや、何でもないんよ。それより、そのプロデューサーがどうしたん?」

「ああ、やたら体格が良くてダサイ柄のTシャツを着ていたのが印象的だったな」

「そう」



音石 「そうだチリペッパー!」


音石 「合体だッ!」


音石 「俺を電気化してお前と同化するッ!」


音石 「俺の精神とお前の精神が合わさってッ!」


音石 「最強になるはずだッ!」


音石 「多分なァ!」



「後はなんつうか、俺たちのこともよく知ってたみたいで。情報通というか、

気持ち悪いほど何でも知ってたな。でも俺の偏見かもしれねェけど、人を人と

見てないって感じがして、あんまり好きになれんっつうか」

「そうなんや。相変わらずやね、新井タカヒロさん」

「知ってんのか?」

「そ、そりゃあアイドル業界では有名やで。数年前からスクールアイドルに興味を

示して、UTX学院でA-RISEを結成。それだけやなくて、全国優勝までして

まうんやからね」

「希……?」

「え、どうしたん?」

「いや、何でもねェ」

 ふと、希の声に違和感を覚える播磨。

(A-RISE、いや、違う。新井タカヒロの名前を出した時点で何かおかしい。

動揺しているような、焦っているような)

 普段、播磨の前で余裕の表情を崩さなかった希が初めて見せる動揺。

 そのことが播磨の心の中にひっかかった。




    *


 会場内、A-RISE専用控室――

 プロデューサーの新井タカヒロはそこで出場者名簿に目を通していた。

「何をしていらっしゃるの?」

 メンバーの一人、優木あんじゅがまとわりつくように新井の首に手を回してきた。

「他チームのメンバーを確認していたんだ」

 しかし、あんじゅの行為にも動じることなく、新井は名簿を見つめ続ける。

「あなたの“おめがね”に適うアイドルがいるのですか?」

「さあ、どうかな」

 あんじゅは腕だけでなく、脚も絡ませてきた。

 他のメンバーは「また始まった」とばかりに顔を逸らす。

「……」

 新井自身は特に気にすることなく名簿をめくる。

 そして、目当ての名前を探しだした。

「これか」

 そこに書かれていたのは、音ノ木坂学院高校のスクールアイドル、μ’s。

 そのメンバーの一人の名前に彼は注目した。

「東條希……」

「え? 誰ですか、それ」

「キミは知らない人だよ」

 そう言うと、新井は名簿を閉じる。

(東條希、また会うことになるとはな……)

 名簿に書かれた文字を思い出しながら、新井はそんなことを考えていた。




   つづく



 ※新井タカヒロは完全オリジナルキャラクターです。モデルなんていません。

  辛いです。

明日はお祭りなのでお休みします。

申し訳ない!
誤爆をしてしまいましたッ!




ついに始まったプレ・ラブライブ。

 A-RISEをはじめ、有力チームと共演できる最後の大会だ。

 播磨たちのいる音ノ木坂学院のμ’sは、最初から七番目の登場となる。

 遅すぎず、そして早すぎない。

 最高の順番だ。しかも七とは縁起のいい。

 播磨は最後のミーティングで全員に声をかける(ちなみに雷電は撮影に向かった)。

「希、絵里、全体のフォローは任せた。お前ェらの力ならやれるはずだ」

「わかったわ」

「わかってるで」

 絵里と希はそう言って頷く。

「花陽、凛、真姫。お前ェらは遠慮せずに行け。大丈夫、練習通りやればきっとできる」

「はいっ」

「了解にゃ」

「わかりました」

 三人も明るく返事をした。

「海未とことり。穂乃果を頼んだぜ」

「わかっています」

「大丈夫だよはりくん」

 海未は力強く頷き、ことりは笑顔で返事をした。

「穂乃果、お前ェはセンターなんだ。思い切っていけ」

「ガッテン!」

 そう言うと穂乃果はグッと拳を握った。


「後は、にこか」

「……」

 わくわくした顔でにこが播磨を見つめる。

「まあ頑張れ」

「ちょっと! 何で私だけそんなにテキトーなのよ!」

「いや、別に特に言うことはねェよ」

「もうちょっと気を使いなさいよ」

「どうしろっつうんだよ」

「アハハハ」

 にこと播磨のやり取りを見て、全員が笑った。

 これも狙い通り。

 ピンと張りつめた空気が一瞬だけ緩む。

「皆を笑顔にしてくれ、もちろん仲間も、観客も」

「当たり前よ。人を笑顔にするのがアイドルの務めなんだからね」

 腕を組んだにこは、パチリと片目を閉じた。

 播磨にできるのはここまでだ。

 後は観客席で見守るしかない。これまでの練習の成果がどう出るのか。

 期待と不安を抱えつつ、彼は観客席に向かった。







     ラブ・ランブル!

 播磨拳児と九人のスクールアイドル

    第二十一話 今の全力




 μ’sの順番が近づいてくると弥が上にも緊張が高まる。

 播磨は観客席で固唾をのんで見守った。

「フレッフレッμ’s!!!」

「頑張れ頑張れμ’s!!」

 松尾や田沢たち、クラスメイトも応援にきてくれたらしい。

 今日は月光も来てくれているようだ。あのスキンヘッドの巨漢はよく目立つからわかる。 

 まるで野球の応援のような声援だが、この声はアイツらに届いているだろうか。

 播磨はふと思う。

(いや、間違いなく届いているだろうな)

 播磨は確信した。

 俺たちは孤独ではない。たくさんの人たちの支えや協力でここまで来たのだ。

《次は、音ノ木坂学院スクールアイドル、μ’sの皆さんです》

 会場のざわめきが一瞬だけ止まる。

 九人の登場。

 そういえば、九人でステージに立つのはこれが初めてだ。何だか感慨深いものがある。

 さっきまでやかましかった応援団もこの時ばかりは静かになる。

 真ん中の穂乃果が顔を上げた。

 前奏、そして歌。


 彼女の声が会場内に響き渡ると、大きな拍手と歓声が起こった。

(うっし!)

 播磨は心の中でガッツポーズをする。

 つかみはバッチリだ。

 出だしで躓くと後々まで響いてくる。

 ここで順調に流れればかなりいいところまで行けるはず。

 播磨はそう確信していた。

 特に新たに加入した絵里と希の動きが良い。まだぎこちなさの残る一年組を上手く

カバーしている。とても初舞台とは思えない二人。

 そこの舞台慣れしてきた穂乃果たち二年生組が前に出る。

(よし、いいぞ。練習通りだ)

 すべての練習を把握しているわけではない播磨だが、彼女たちの歌や踊りは誰より

も知っているつもりだ。

 高校生レベルであれば、並みのスクールアイドルには負けないくらいの実力がある。

 上手くいけば、お台場の時の大会よりもいいところまで行けるかもしれない。

 荒削りなところは確かにある。

 だが、それを補って余りある勢いが今のμ’sにはあるのだ。

「行ける!」

 思わず声を出してしまう播磨。

 だが、それほどの完成度であった。

 特に大きなミスもなく、歌いきった九人は肩で息をしながらピタリと止まった。

 今まで見た中で最高のフィニッシュかもしれない。

「うおおおおおおおおおおお!!!!!!」

 歓声がこだまする。


「感動したんじゃあああああ!!!」

 松尾の声がここまで聞こえてきた。

 田沢や富樫も涙を流している。

(いいぞ。ひいき目に見てもこれはかなりいけるんじゃないか)

 播磨の心は高揚した。




   *





「よくやったなお前ェたち!」

 控室に来た播磨は開口一番、そう言った。

「ふええん、疲れたよお」

 穂乃果はそう言いつつも、その表情には充実感にあふれていた。

 今の自分たちにできる精いっぱいのパフォーマンス。

 それができた時の感動は何事にも代えがたいものがある。

「これはもしかしたら、もしかするかもしれないぜ」

 播磨は言った。

「それは言い過ぎよ」

 顔を紅潮させたにこが言った。


「何でだよ」

「まだA-RISEなんかが終わってないわ。彼女たちを、この前のお台場の大会の

時と同じと思わないほうがいいわよ」

「どういうことだ」

「大会に向けて、もちろん本選のラブライブに向けて仕上げてきているということ」

「なんだって?」

「まだ結果が出たわけじゃないんだから、はしゃがない」

「でもあんなに上手くできたのは初めてかもしれません」

 花陽が言った。

「そうだにゃあ。かよちんかっこよかったよ」

「凛ちゃんだって」

 花陽と凛は互いに褒め合っていた。

「お疲れ」

 播磨は真姫にも声をかける。

「ありがとうございます」

「お前ェの曲、よかったぜ」

「拳児さんの協力があったからです」

「歌も悪くなかった」

「ありがとうございます」

 播磨は視線を横に向ける。

 そこには希と絵里が座っていた。

「どうだった、今日のステージは」


 播磨は聞いた。この二人の場合は、恐らく自分を客観的に見ることができるだろう、

と思い、自分の感想よりも先に聞いてみた。

「まだまだ課題は多いわね」

 スポーツドリンクを口にしながら絵里は言った。

「でも、悪くはなかったわ」

「エリチは久しぶりの舞台で緊張してたもんね」

 希は笑顔で言った。

「うるさいわね」

 絵里はちょっとだけ怒る。だがすぐに平静を取り戻した。

「一、二年の動きは確かに良くなっている。この前の大会よりはね。確実に成長している

と思うわ」

「そうか」

「あなたはどう思う?」

「いや、よかったと思うぞ」

「もっと具体的に見て」

「そう言われても踊りは素人だしな」

「素人なりに分析してちょうだい。動画は撮影しているんでしょう? 明日、確認するわよ」

「わかった」


 絵里はいつも厳しい。その厳しさが、今のチームには必要なのだろう。

「お疲れ、穂乃果」

 播磨は穂乃果に声をかける。

「ことりも、園田もお疲れだったな」

「大変だったよ~」

 ことりは笑顔で言った。

 どんなに大変な時でも、彼女は笑顔を絶やさない。

「緊張しました」

 海未は少しホッとした表情で言った。

「そうだ、今回はかなり早めに終わったから、他のスクールアイドルのパフォーマンス

も見られるんでしょう?」

 と、穂乃果は言う。

「そういえばそうだな」

 今回は七番目。μ’sの後にもまだまだチームは出場する。

「一度、じっくり他のチームのパフォーマンスを見てみたかったんだよね、特に

A-RISEの」

「そういえばそうだな」

 全員で、他のチームのパフォーマンスを見る。これも勉強の一つかもしれない。

 それからしばらくして、全員舞台衣装から制服に着替え終わり、観客席に向った。

 松尾たちの計らいにより、九人分の席を確保できていたので、全員座ることが出来た

のは幸いである。




   *


 播磨は、観客席で改めてライブを終えたメンバーの顔を見た。

 全員、自分たちの出番を終えた緊張から解放されて朗らかな笑顔を見せている。

 ただ一人を除いて。

 東條希。

 彼女だけは一人表情を崩さない。

 いつもとそれほど違いはないけれど、他のメンバーと違って緊張感から解放され

たような気配はない。むしろまだ緊張しているように見える。

(どうしちまったんだ)

 播磨は声をかけようと思ったけれど、席が遠かったので話しかけることはできなかった。

 そして迎えるA-RISEの出番。

 会場の異常な盛り上がりに驚く播磨。

(何ごとだ!)

 空気を変える、と言ったらいいのだろうか。

 とにかく、A-RISEの三人が登場した途端に会場の雰囲気がガラリと変わった。

 そして始まる前奏。

 すでに広いアリーナの観客席がA-RISEのリズムに支配されているようだ。

(これがライブ、これが全国レベル)

 播磨は思った。

 お台場の時とはくらべものにならないほどの会場支配。

 この日のため? いや、違う。気たるべきラブライブの本番のために仕上げてきている

のだ。


 つまり、この状態でもまだ絶好調ではない。

 彼女たちの照準はあくまで全国にある。少なくともあのプロデューサーなら、

新井タカヒロならそう考えるだろう。

 にも関わらずこのパフォーマンス。

 圧倒的な力の差を見せつけられている状態。

 穂乃果たちの表情を見ると、あまりの力の差に歴然としている状態だ。

 今回のプレ・ラブライブにおけるμ’sのパフォーマンスは悪くなかった。

むしろ、今までで最高の舞台であったと言っても過言ではないだろう。

 そのμ’sを軽く超えるパフォーマンスを今、A-RISEは見せつけているのだ。

 茫然とする一同の中で、東條希だけはその表情を崩さなかった。

 まるでこの展開がわかっていたかのように。




    *

 




 夕方、順位が発表された。音ノ木坂学院のμ’sは全体で八位という成績である。

 お台場のスクールアイドルフェスタよりも参加チームが多かったとはいえ、自信

を付けられるほどの順位ではない。

 このままでは予備予選の通過すら危ないかもしれない。

 帰り道、メンバーの表情は一同に暗かった。

 全国レベルを見せつけられた衝撃というよりも、自分たちのパフォーマンスが思った

よりも評価されなかったことへのショックが強かったのかもしれない。

 今回は、前回のように打ち上げなどはせず(そんな気分にはなれなかった)、

それぞれ駅で解散することとなった。

 この時、播磨は穂乃果を送って行く予定であったけれど、彼女を雷電たちに任せて

とある人物を追った。

 その人物とは、





   *




「よう」

 播磨は一人で帰っている東條希に声をかける。

「どないしたん? 拳児はん」

「一緒に帰らねェか」

「何言うてんの、拳児はんとウチの家じゃあ正反対やないの」

「まだ日も高いし、遠回りして帰るのもいいんじゃねェかな」

 播磨はそう言ってみる。

「まあええわ。ちょうど、話し相手が欲しい思うてたところやし」

 希はいつも通り、余裕の表情を崩さず微笑んだ。

「なあ、希」

「ん? どうしたん」

「少し聞きたいことがあるんだが」

「今日は疲れたから、手短に頼むわね」

(ん?)

 いつもの希ならこんなことは言わないはずだ。

 播磨は思った。

 何か拒絶されているような感覚。

「なあ、希」

「なあに?」

「今日のお前ェ、こうなることがわかってたのか?」

「こうなることって?」


「そりゃあ、A-RISEのパフォーマンスに圧倒されること、それからこの大会

における結果とかよ」

「そんなのわかるわけないやないの」

「占いとかしなかったのか?」

「自分に関することは占わない。これ、占い師の鉄則やで」

「そんなもんがあるのか」

「そうやね」

「でも、なんだかお前ェの表情が全然変わらなかったもんでよ。ずっと前からこうなる

ことを予想でもしていたんじゃねェかと思っちまってよ」

「そんなん……、わかるわけないやん」

 ふと、希の言葉が詰まる。

「率直に言って、今のμ’sのレベルで予備予選を通過できると思うか?」

「なぜそれをウチに聞くん?」

「俺の勘だがな、今のお前ェが一番μ’sのレベルをよく把握しているような気がする」

「それは買いかぶり過ぎやで、拳児はん。ウチなんかより、海未ちゃんやエリチのほう

がようわかっとるはずや」

「俺はお前ェの意見が聞きてェ」

「……」

「……」

 しばしの沈黙。だが播磨は沈黙を恐れなかった。

 彼女は、今考えているのだ。


 自分の意見を。

「正直言うと、今のままでは難しいかもしれへんね」

(やはりか)

 播磨は思った。

「何が足りないと思う。歌か、踊りか、それとも曲か」

「全体的に不足はないと思うけど、強いて言うなら経験やね。今の段階から、更に

もう一段階、いえ、二段階は上のレベルに到達しないことには全国は難しい」

「随分と辛辣だな」

「でも事実や。今のスクールアイドルの評価基準では、荒削りなグループを許容する

余地は少ないやろう」

「荒削りか、そういやアイツにも言われたな」

「……!」

 アイツ、という言葉に希は反応した。

 具体的な名前を出したわけではないけれど、恐らくあの人物のことを思い出したの

だろうと播磨は推測する。

「新井タカヒロ」

「……」

「A-RISEのプロデューサーだ」

「……」

 希の表情が険しくなる。


 やはり、この男と彼女には何等かの関係があるのだろう、と播磨は確信する。

「ま、そんなことはどうでもいいけどよ」

 播磨は強引に話を逸らす。

「……聞かへんの?」

 ふと、希は言った。

「何がだ」

「ウチと、新井タカヒロとの関係」

「……」

 今度は播磨が考える番だ。確かに気になると言えば気になる。

 だが、

「お前ェが言いたくないなら、言わなくてもいいさ。いつか言いたくなったら言ってくれ」

「拳児はん?」

 播磨のその言葉に、希は驚いたようだ。

「そんなことよりもよ」

「そんなことって……」

 播磨は自分の鞄の中からゴソゴソと何かを取り出す。

「おお、あったあった」

 播磨は何かを見つけたようだ。

 それは小さな箱であった。

「一体何なん?」

「いや、そのよ。絵里から聞いたんだけどよ。誕生日だったんだろう? 六月九日」

「!!」


「すまねェ。花陽の合宿とか今回の大会とかで、随分と遅くなっちまったけど。これ、

誕生日プレゼント」

「な、何でウチなんかに」

「いや、別に深い意味はねェよ。ただな、お前ェには色々と世話になったし、何か

お礼をしときたいと思ってよ。そんな時、絵里からお前ェの誕生日を聞いてよ」

 播磨は少し恥ずかしそうに箱を突き出す。

「……ありがとう」

 希はその箱を優しく受け取った。

 まるで卵を受け取るように優しく。





   *




 播磨と別れた希は、一人帰路につく。

 誕生日は、正直嫌いだった。

 一人でいることが多かったからだ。

 両親の転勤で転校を繰り返したため、小さい頃はあまり友人ができず、漫画で見る

ような誕生日パーティーなどはしたことがない。

 更に親も忙しく、なかなか家に帰ってこない。

 薄暗い家の居間で、彼女は外の風景を見つめる。そんな思い出があったから、


彼女は自分の誕生日を人にはあまり言わないようにしていた。

 そして、自分自身も誕生日のことを忘れようとしていたのだ。

 播磨拳児はそんな事情など知らない。だからこそプレゼントを渡すことができたの

だろうけど。

 希は帰り道に、播磨から貰ったプレゼントの箱を取り出す。カバンの中に無造作に

突っ込まれていたと思われる箱は所々凹みがあった。そこがまた彼らしい。

 プレゼントの包装を丁寧に開き、中の箱を開けると小さな首飾りが出てきた。

 紐を持ち上げると、球体のクリスタルが付いている。

 夕日に掲げたクリスタルは、微かに七色の光を帯びていた。

「素敵やね」

 不意に、言葉に出す希。

 こんなプレゼントを、あの無骨な播磨が熱心に選んでいたのかと思うと少し面白かった。

 それと同時に、胸の中に熱いものがこみ上げてくる。

 自分の過去について、すべてを仲間たちに話したわけではない。

 でも、いつか話す時がくるだろう。

 その時は、真っ先に彼に言おう。希はプレゼントを丁寧に箱に戻しながら、そう決意した。



   *



 翌日の学校では、部活動自体は休みであったにも関わらず、部員全員が練習場に

集まり喧々諤々の議論を開始していた。

「ラブライブの予備予選までに何をすればいいのか!」

 そう言って園田海未はホワイトボードを叩く。

「もっと練習時間をふやすべきです!」

「そんなことをしたら作曲時間がなくなってしまうわ!」

「根性で何とかするにゃ!」

「もっと科学的に!」

「歌を中心に鍛えましょう」

「いいえ、ここはダンスを中心に鍛えるべきだわ!」

 議論は次第に各々のメンバーが勝手に意見を言い合う場になりはじめた。

 それはともかく、播磨の心配とは裏腹に、プレ・ラブライブの出場はメンバーの

心に火をつけたらしい。

「俺はこいつらを見くびっていたのかもしれねェ」

 興奮するメンバーを後ろから眺めながら播磨は言った。

「見くびっていた?」

 隣にいる雷電は聞いた。

「こんなことくらいで、ショックを受けてラブライブへの挑戦を諦めるような連中

なら、こうはならなかったんだよな」


 さすがにライブ当日はショックを受けていたそれぞれのメンバーであったけれども、

翌日には元気を取り戻し、逆転への方向性を話し合っていた。

 しかしあのA-RISEに勝つのは容易な道ではない。

 それにまずは、ラブライブの予備予選にも勝ち抜かなければならないのだ。

「こうなったら合宿しかないと思うの」

 穂乃果は立ち上がって言った。

「合宿?」

 全員が顔を見合わせる。

「ほら、花陽ちゃんの食生活改善合宿も上手くいったじゃない。今度は全員の能力を

底上げする合宿だよ」

「どこでやるんですかそれを」

 海未は聞いた。

「さすがに雷電の家では無理がありますよ」

 確かに、五、六人ならばともかく十人以上は厳しい。

「真姫ちゃん、別荘とか持ってない?」

 不意に穂乃果は真姫に聞いた。

「え? なに?」

「いや、真姫ちゃんの家なら別荘とかあるんじゃないかなと思って」

「穂乃果ちゃん、いくらなんでも」

 穂乃果を止めようとすることり。

 しかし、


「いや、あるけど……」

「あるの!?」

 何と、西木野真姫の家には別荘があるらしい。

 別荘なんて、漫画の中の世界だとばかり思っていた播磨にとっては意外である。

「じゃあそこで合宿をしよう」

「ちょっとまって、そんないきなり」

「そうよ穂乃果、何を言っているの」

 絵里も注意をした、その時である。


「わ し が 音 ノ 木  坂  学 院 理 事 長 


 江 田 島 平 八 で あ ー る !!!!!!!!」


 まるで地震が起こった時のようにガラスが揺れる。

 教室のドアをブチ破らんばかりに練習場に侵入してきたのは、当学院の理事長、

江田島平八である。

「お祖父ちゃん!?」

 スキンヘッドの巨漢、和服、ヒゲ、そしてケツ顎。

 迫力満点の理事長だがこう見えて南ことりの祖父である。

「り、理事長! どうされましたか!」

 生徒会長でもある絵里が立ち上がる。

「うむ、今『合宿』という言葉が聞こえたのでな、わしも一つ協力しようかと思ったのだ」


「理事長が協力……?」

 何だか無性に嫌な予感がする播磨であった。

「わしが阿衣度瑠(アイドル)部の合宿先を紹介しよう! そこで存分に己らの技術

を高めてくるがよい!!」

「え? でも私たち、そんな部費とかは」

 穂乃果がそう言うと、

「心配はいらん! 経費は全て学院が持つ!!」

 理事長はそう言い放った。

 志望生徒数が少なすぎて廃校になるかもしれない、という学校にしては太っ腹過ぎる。

 これは何かウラがあるな、と播磨や雷電は思ったけれど、勢いに乗った穂乃果はすぐに

理事長の提案に飛びつく。

「待て穂乃果、これは罠だ」

 たまらず播磨は飛び出す。

「放して拳児くん。女には、例え罠でも踏み越えなければならないものがあるんだよ!」

 何だか自分に酔っているようなセリフだ。

「よおく言った高坂穂乃果! では早速合宿の準備をせい!」

「でも理事長! まだ授業があります!」

 海未は言った。さすが優等生だ。頑張れ、もっと頑張れ。


「うるさい! 勉強などいつでもできる! だが青春は二度と戻ってこぬのだ!!」

 それでも理事長は引かない。

 理事長が勉強の邪魔をして、それでいいのか音ノ木坂。

 播磨の抵抗もむなしく、播磨と雷電、そしてμ’sのメンバーは火曜日の早朝、

幌の付いた大型トラックに乗せられて合宿場所へと向かった。





   それから三日後――





「あの糞ジジイがああああああ!!!!!!!」

 学校に戻ってきた播磨は真っ先に理事長室へと向かう。

 元々生やしていた髭は更に濃くなり、体中は葉っぱやら泥やら垢やらで滅茶苦茶に

汚れていた。

 しかも着ている服は制服ではなくOD色の作業服である。

「おいジジイ!!! この野郎!!」

 播磨は理事長室のドアを蹴り開けて中に入る。

「おい、よせ拳児!」

 少し遅れて雷電が入ってきた。雷電も播磨と動揺、かなり汚れている。


「そうだよ拳児くん!」

 同じく、ボロボロになった穂乃果が播磨を止めようとするが播磨は止まらない。

「よく帰ってきたな、若人よ!」

 腕を組んだ理事長は満足げな表情を浮かべている。

「糞ジジイ! 何がアイドルの合宿だ!」

「なかなかの合宿だったであろう?」

「ふざけんな! コンパス行進やロープ渡りや岩登りや拠点襲撃のどこにアイドル

要素があるっつうんだよクソ畜生!!」

「ふふ、我が教え子、大豪院邪鬼(だいごういんじゃぎ)の指導に耐えたのだ、

誇りに思っても良いぞ」

「何が誇りだ! こっちは蛇やカエルまで食わされたんだぞ!」




「 わ し  が 江  田  島  平  八  でああああある!!!!!」





「ぬおわあ!!」

 江田島の気迫の自己紹介に、播磨はドアをぶち抜いて廊下まで吹き飛ばされた。

 そして廊下の壁に激突。だがすぐに彼は起き上がって理事長室に戻ってきた。

「何しやがる!!」


「フフフ。普通ならここで骨折でもしたところだが、今の貴様はピンピンしておろう。

これも鍛えられたおかげだ」

 江田島理事長はそう言うとニヤリと笑った。

「そこが鍛えられても意味ねェだろうがあ!! 凛が樹海で行方不明とかになった時

とかクソ心配したぞ!! しかも教官役のモヒカンが川に転落するし!」

「それもまた良い思い出よ」

「何が思い出だ畜生」

 暖簾に腕押しとはこのことである。

 いくら罵倒したところでこの男には効果は無いようである。

 一発ぶん殴ってやろうかと思た播磨だったが、既に体力は限界に来ていた。

 もう三日は寝ていないのだ。

「拳児くん!」

「拳児!」

 よろよろとバランスを崩す播磨。それを支える穂乃果と雷電。

「高坂穂乃果よ」

 そんな穂乃果に理事長は語りかけた。

「はいっ!」

 穂乃果は播磨を雷電に任せ、不動の姿勢をとる。

「お前は良い絆に恵まれておる。これからも大切にするのだぞ」

「はい、わかりました理事長!」


 そう言うと、彼女は挙手の敬礼をした。

「普通は、帽子をかぶっているときにするものだが、まあ良い。帰ってゆっくり休め」

「はい! わかりました!」

 そう言うと、穂乃果は再び播磨の肩を抱く。

「帰ろう? 拳児くん」

「穂乃果、お前ェ絶対騙されてるから……」

 薄れゆく意識の中で、播磨はそうつぶやいた。

 ちなみに他のメンバーは、帰ってくるなり王大人の診療所に一時的に入院した

けれど、全員何の異常もなく退院したという。



   つづく 

基礎体力は重要だな。J隊であの髪型が許されるか否かは定かではないが。






 とある昼休みの部室。

 こに日は昼食も兼ねて播磨とにこが話し合っていた。

 ついでに凛もいる。珍しい組み合わせだなと播磨は思った。

「足りない部分はたくさんあると思うのよね」

 にこは腕を組みながら言った。

「そりゃわかってるって」

 パックの牛乳を飲みながら播磨は答える。

「歌もダンスも、もっと練習が必要だにゃあ」

 既に弁当を食べ終わった凛は、机に突っ伏す。

「この前の合宿では、全体としてのチームワークを確立したわ。今度は個々人の

レベルアップが必要よ」

「合宿のことは言うな、思い出したくもねェ」

 理事長に騙されて死にかけた思い出しかない播磨。

「でも楽しかったにゃあ。キツかったけど」

 凛は楽しそうだ。

 彼女の中ではすでに思い出になっているようだ。

「今回は、凛に課題を克服してもらおうかと思うのだけど」

 にこはそう提案する。

「ふえ? 凛ちゃんの課題?」

「身体が固いってことか?」

「まあそれもあるけど、それ以外にも色々と課題があるじゃない」

「なんだよ」

 もったいぶるな、という態度で播磨は聞いた。

「女の子らしさが足りない!」


 そう言うと、にこは凛に向かって人差し指をビシッと向けた。

「女の子……、らしさ?」

「いいこと? アイドルは男の子の憧れであると同時に女の子の憧れでもあるの。

そこには当然、女の子らしさが求められるものよ」

「そんなあ……」

 凛は戸惑っているようだ。

「でもよ、にこ」

 播磨はそれに反論する。

「何よ」

「A-RISEだって、男みてェなんがいるし、それは個性でいいんじゃねェのか?」

「アンタ、各方面を敵に回すようなことは言わないほうがいいわよ。まあ、それは

ともかく、凛にはもっとこう、女の子らしくなって貰いたいわけさ。アイドルとして」

「いきなりそんなこと言われても……」

 凛はそう言って顔を伏せる。

「待て待て、無理やり個性を修正して、本来の良さを消してしまうってこともあるん

じゃないのか?」

 わりと真面目なことを言ってしまう播磨。らしくないな、とは思うが仕方ない。

「拳児のくせにまともなことを言うじゃない。でもね、これは修正ではないの」

「ん?」

「新たな可能性を開くってことよ」

「新たな可能性……?」

「私や絵里たちはもう三年生だから先はないわ。でも一年生の凛には未来がある。

未来を担う凛には新たな可能性を開いて欲しいの」

「具体的にどうすんだよ」

 播磨は聞いた。

「星空凛、改造計画よ!」

「はあ?」





     ラブ・ランブル!

 播磨拳児と九人のスクールアイドル

  第二十二話 星空凛改造計画    




 放課後、練習前のミーティングで播磨はにこに昼間の話の続きを聞いた。

「そんで、星空凛改造計画って、具体的に何をするんだ? メカ鈴凛でも作る気か」

「なんともまあ、懐かしいネタを。アンタ本当に高校生?」

「どうでもいいだろう。それより、何すんだよ」

「それを考えるのがあなたの仕事でしょうが」

「ちょっと待てコラ!」

「かよち~ん、凛の知らないところで凛に関する計画が勝手に進められているにゃあ」

 凛はにこたちの話に怯えていた。まあ無理もないだろう。

「ちょっと、何の無駄話をしているの?」

 絢瀬絵里が腰に手を当てて播磨たちの方を向く。

「無駄話じゃないわよ。μ’sの未来に関わることなんだから。絵里も協力しなさい」

「μ’sの未来? 一体どういうこと?」

「コイツ(にこ)は昼間食ったアンパンが腐っていたので、そのせいで頭がおかしく

なってしまった」

 播磨は冷徹に言い放った。

「こら拳児! こっちは真面目な話をしているのよ!」

「真面目な話って何よ……」

 絵里は呆れたように言う。

「凛のことよ」

「はい? 凛が何かやらかしたの?」

「酷いにゃ絵里ちゃん。凛は何もやってないにゃあ!」

 凛は直接抗議するがそれでも話は止まらない。

「実は――」


 と、ここでにこは昼休みに播磨たちと話し合ったことを絵里に説明した。

 播磨は、絵里がにこの話を聞いて呆れると思っていたけれど違った。

「なるほど、それは由々しき問題だわ」

「へ?」

「全員集合よ! お願い!」

 絵里は練習場でストレッチなどをしていたメンバーを全員集めた。

 ちなみに雷電は視聴覚室で、先日のライブの映像を編集していたのでここにはいない。

「何々? 絵里ちゃん真っ先に穂乃果が寄ってきた」

「これから大事な練習があるというのに、どういうことですか」

 準備体操で乱れた髪を直しながら海未も聞いてきた。

「星空凛の改造計画よ」

「は?」

 事情を知らないメンバーの頭の上に?マークが浮かぶ。

「どういうこと? 絵里ちゃん」

 穂乃果は聞いた。

「凛はとっても魅力的だと思うの。でも今の状態ではその魅力を十分に生かし切れて

いない。そうは思わない?」

「にゃっ!?」

 絵里の言葉に驚く凛。

「それは確かにあるかな」

 花陽は頷く。

「かよちん!?」

「もっとこう、凛の魅力を引き出すことがμ’s全体のレベルアップにも必要だと

思うの。どうかしら」


「オー、ハラショー!」

 真っ先に反応したのは穂乃果であった。それにしても「ハラショー」て。

「だけどよ、具体的にどうすりゃいいんだよ」

 播磨は聞いた。先ほどにこにも同じ質問をしたが明確な答えは得られなかったものだ。

「ふむ、そうね。どうすればいいと思う? みんな」

 ここで全員に意見を求める絵里。

(お前ェも考えてなかったんかい)

「可愛いお洋服とか着たらいいんじゃないかなあ」

「ことり!?」

「そうそう。元々可愛らしんだから、もっと可愛い女の子らしいお洋服を着たら、

もっと素敵になると思うなあ」

 南ことりは笑顔でそう述べた。

「そ、そうだね! そういえば私、制服以外で凛ちゃんの女の子っぽい服装とか見て

いないかも。それにお化粧とかもしないし」

 穂乃果はことりの言葉に反応する。

「うん、新たな魅力を発見する。これも一つの手かもしれないわね」

 絵里は頷いた。

「ちょちょちょ、ちょっと待つにゃ!」

 その流れを、凛本人が止めた。

「勝手に話を進めないでほしいにゃ。凛ちゃんは別に可愛い服とか、そういうのは

似合わないにゃあ」


「そう思っているのは本人だけかもしれないわ!」

「かよちんも何とか言って欲しいにゃ」

 凛は親友の花陽に援護を求める。

 が、

「私は何とも言えないなあ」

 全体の勢いに圧されて花陽は何も言えなかった。

「そ、そんにゃあ……」

「それで、どんな風にやればいいのか」

「はい、私にいい考えがあります」

 そう言って手を挙げたのはことりであった。

「ことり、どんな意見なの?」

 絵里は聞いた。

「ここに、衣装制作用にあずかったお金があるのですが」

 そう言ってことりは茶封筒を取り出す。

「!!」

 そんな金があったのか。播磨には初耳である。そりゃそうだ。

 いくらことりの家が裕福だからと言って、自腹で全部の衣装を用意できるはずもない。

「このお金で、凛ちゃんに似合う女の子らしい服を買ってきてもらうの」

「え?」

「なるほど、いい考えかもしれませんね」

 常識人のはずの海未まで頷いている。

「ちょっと待て!」


「何? はりくん」

「衣装用の金は部、全体の金だろう。そんな風に個人的に使っていいのかよ」

「はりくん、違うよ。これは個人の問題を超えた全体の問題なんだよ」

「なんでや」

「凛ちゃんの新しい可能性を見出すことで、私たちは更に上を目指すんだよ」

「……」

 何だその強引な論理は。

 播磨は頭が痛くなってきた。

「名目は、新しい衣裳のアイデアを得るための資料、ということにしたいと思います」

(名目はそれっぽいけど、なんか個人的に楽しんでいないか?)と、思う播磨。

「凛ちゃんもいい?」

 ことりは聞いた。

「凛には必要ないと思うにゃ」

 しかし凛は頑なだ。

 天真爛漫なところが凛の魅力でもあるので、今更女の子らしい服を着たところで、

むしろ元の魅力を減じるかもしれない。

 だが計画は進む。

「甘いわねことり。それだけじゃあ、足りないわ」

 先ほどまで黙って話を聞いていたにこが発言する。

「なに? にこちゃん」

 ことりは聞いた。

「ただ単に、服を買うだけじゃダメよ。誰かと一緒に買いに行く、そこが重要よ」

 腕組みをしたにこは言った。

「凛はかよちんと買い物に行ったことがあるにゃ」

「どうせ、花陽の買い物のついでに、自分のを適当に買っただけじゃないの?」

「うぐ」


 どうやら図星だったようだ。

 あまり真剣に買い物をしたことがない。そういう意味では播磨も同じだ。

 男はあまり買い物に時間をかけない。買い物をする時間そのものを楽しむ女性

とは根本的に違う存在なのだ。

「そこで、男と一緒に買い物をするの」

「!?」

 全員の動きが止まる。

「そう、この世界は男と女。女っぽさとは、つまりは“男っぽくない”こと。

男の視点を加味した服選びをすることで、余計に女というものを意識することが

できるのよ!」

 矢澤にこにしては珍しくまともなことを言ったような気がする播磨。

「そりゃあいいけどよ、にこ」

 播磨は聞いた。

「なに?」

「凛と一緒に買いものに行く男って、誰なんだよ」

「はあ? 何言ってんの?」

 思いっきりバカにされたような声。

「な、何だよ」

「誰って目の前にいるじゃない」

「は!?」

「にゃ!?」

 播磨と凛、両者が驚く。

「別に雷電くんでもいいけど、彼の場合は優し過ぎるから何を買っても『良』としか

言わない気がするのよね。何より海未が許さないだろうし」


「な、何を言っているんですかにこ!」

 顔を赤くして海未が抗議する。しかし彼女はその抗議を無視した。

「どうかしら、絵里」

「ふむ。中々いい考えね」

 絵里は頷く。

(絵里も段々毒されてきたな)

 と、播磨は思う。

「というわけで、今度の日曜日。拳児と凛は、新しい衣装の資料のため、女の子らしい

服を買ってくる。この作戦でいいかしら!?」

「え? 二人きりなの?」

 ふと、穂乃果が逡巡する。

「当たり前じゃない穂乃果」

 にこは穂乃果の肩を抱いて言った。

「大丈夫よ、拳児はヘタレだから大事にはならないと思うわ」

「おい、聞こえてるぞチビツインテール」

「うっさい、ヘタレジゴロ」

 どうやら新し悪口が誕生した模様である。

 それはともかく、播磨と凛は一緒に買いものに出かけることになった。

 だが播磨には凛よりも、もう一つ気になることがあった。

(希のやつ、今日はやけに大人しいな)

 こういう話題には真っ先に食いついてきそうな、希が今日はほとんど喋っていない。

 意図的に言葉を抑制している風でもあった。


 ただ単純に議論の行方を見守っていたのか、それとも“あの日”のことが影響して

いるのか。

 ふと、播磨の視線に気づいた希は、笑顔を見せた。

「……」

 特に変わった様子はない。

 ウチはいつも通りやで、何も心配いらへん。

 そんなことを言っているような笑顔であった。




   *





 そして色々な過程をすっ飛ばして運命の日曜日である。

 この日は午前中に練習があったので、買い物は一旦家に帰ってから再び合流する

という形で開始されることになった。

 待ち合わせの駅前で播磨は昨日にことの会話を思い出す。

『しっかし、何で二時なんだ? 別に一時でも余裕で間に合うだろう』

『バッカじゃないの? それだから男って奴は。女の子にはね、色々と準備があるの』

『飯食って着替えるだけじゃねェのか?』

『違うわよ!』

 播磨の想像力の欠如をなじるにこ。


 ただ、今回はストーカーをおびき寄せるなどという物騒な目的はないので、わりと

軽い気持ちで行くことが出来るだろうと彼は勝手に思っていた。

「お、おまたせにゃ……!」

 いつもよりあまり元気の無い星空凛の声が聞こえてきた。

「凛……」

 凛は少し丈の短いジーンズに、Tシャツの重ね着をしていた。

 なんというか、真姫と偽装デートをした時と比べるとそれほどの新鮮味はない。

 むしろ、いつも練習で見ている練習着に似ているなと播磨は思った。

「ほ、本日はよろしくお願いします」

「何かしこまってんだよ、お前ェらしくもねェ」

「そ、そんなことないですわ。凛はいつも通りですのよ」

「言葉づかいからしけ明らかにおかしいじゃねェか。熱でもあんのか?」

「ないない! 全然ない!」

 凛は両手をブンブンと振って全力で否定する。

 フワリと、シャンプーのいい香りが漂ってきた。

(コイツ、シャワーでも浴びたか)

 ふと、播磨は思った。

 確かに午前中の練習で汗をかいたので、シャワーなどを浴びたい気持ちはわかる。

 播磨も、家に帰ってからすぐにシャワーを浴びていたのだから。

「じゃあ、行こうぜ。凛」

「は、はいにゃ」

 ちょっと様子のおかしい凛を連れて、播磨たちは「女の子らしい服」を買いに

出かけた。

 服なら渋谷か原宿辺りに行けば、何かあるだろう。

 そんな軽い気持ちで電車に乗り込む二人。だがそこが甘かった。




   *




 同時刻、少し離れた場所でとある人物二人がサングラスの長身高校生、播磨拳児

を監視していた。

「にこちゃん、これ苦しいよお」

 サングラスとマスクを外した花陽が言った。

「ちゃんと着けてないとバレるでしょう? バレると色々と面倒なんだから」

 同じく、大きなサングラスとマスクをつけたにこが言う。

「余計目立つと思うんだけどなあ」

 花陽は独り言のようにつぶやくがにこは無視した。

「あっ、二人が合流した。行くわよ」

「待って、にこちゃん」

 にこと花陽の二人は、播磨と凛を追跡するのであった。




   *




「やっべ、わかっていたけど人が多いな」

 渋谷駅を降りた播磨は開口一番にそう言った。

「そうだにゃあ」

 酔ってしまいそうな人の流れ。

 それほど東京には人が多い。わかってはいたけれど。

「とりあえずよ、色々と調べてみたんだが、渋谷109とかいう所に、女性物の

服やアクセサリーを売っている店が多いんだってよ」

「そ、そうだにゃ。そこなら、凛にも似合う服があるかもしれないにゃ」

 “こういう環境”に慣れない二人はギクシャクした会話をしながら、109へと

向った。

 やはり109には人が多い。日曜日ともなれば当然か。

 しかしそれ以上に驚いたのが店の多さだ。色々な種類の店が何店舗も軒を連ねている。

 しかも一つのフロアだけではないのだ。地下二階から八階まである。

(なんつう所だここは……)

「ふにゃあ……」

 播磨の狼狽が伝染したのか、凛も元気がない。

(さっさと帰りたい)

 播磨は思った。

 彼には買い物をゆっくりとする時間をも楽しむ、という女性特有の思考は理解

できないのだ。

 しかも女物の商品という自分にまったく興味のないものであれば猶更だ。

 適当にフロアの店を見て回っていると、やたら色の黒い女性店員が話しかけてきた。

「お二人カップルですか? カノジョにピッタリのウェアがあるんですけどお」

「んな!」


「ふにゃ!?」

 店員のやたら馴れ馴れしい言葉づかいに一歩引いてしまう二人。

「いや、凛はいいにゃ」

「おい待てよ」

 凛は、そそくさとその店を出て行ってしまった。

「ふむむ……」

 その後も、二人の混乱と迷走は続く。




    *




「ったく、何やってんのよあの子たちは」

 二人の様子をイライラしながらにこは監視していた。

「もう止めようよにこちゃん」

 花陽は止めようとするも、にこは諦めない。

「何バカなこと言ってるのよ。これじゃあ目的を達成するどころか、何か変な方向に

言ってしまうわよ」

「変な方向ってなんだよ~」

 二人は熱心に監視していたが、一向に買いものを楽しむ姿は見られない。

(おかしい、こんなハズではなかった)

 にこの予想では、試着室で恥ずかしそうにする凛とそれを褒める播磨姿があった。

 そんなキャッキャウフフな買い物風景はそこにはない。

 狼狽する一組のカップルがいるだけであった。




   *





 とうとう観念した播磨は、凛をベンチに座らせてとある人物に電話をかける。

『はい』

 ほとんどコールを待つことなく、その人物は電話に出る。

「希か。早いな」

 東條希だ。謎の多い彼女ではあるけれど、困った時は頼りになる。

『そろそろかけてくる頃やろうと思うたからよ』

「なんだ。また俺たちを監視してんじゃねェだろうな。さっきから不穏な気配を感じる

んだが」

『ウチは今、家におるよ』

「そうなのか」

 少しだけ安心する播磨。

『ウチに電話してきたっちゅうことは、困っとるんやな』

「悔しいがその通りだぜ」

『今、どこにおるん?』

「渋谷の109ってところだ」

『ああ、初心者に渋谷はちょっと敷居が高いんちゃうかな。お店が多すぎて目移りして

まうやろう』

「まったくその通り。二人揃って迷い猫状態だ」


『うん。わかった。したらウチの知っとる店の場所を何件か送るさかい、そこに行って

みて。きっといいコーディネイトをしてくれるはずやで』

「さんきゅーな。いつもすまねェ」

『気にせんでエエよ。誕生日プレゼントもくれたしな』

「いや、あれはその……」

『フフフ。今、凛ちゃん待っとるんやろ? あまりレディを待たせるもんやないで。

早う行ってあげて』

「わかった。すぐに行く」

『ほなな、拳児はん』

「あ、希!」

 不意に声を強くしてしまう播磨。

『どないしたん?』

 だが希は落ち着いた声のままだ。

「いや……、ありがとう。それだけだ」

『ふふふ。どういたしましてや』

 電話を切ると、播磨は急いで凛のもとへ向かう。




   *



(こんなつもりじゃなかったのににゃあ……)

 109内にあるベンチに座った凛は、そんなことを言って項垂れていた。

 播磨を困らせ、自分も困る。

 最悪の状態だ。

 本当は、播磨と二人で買い物に行く、ということ聞いて少しだけ、いや、かなり

嬉しかった。

 にもかかわらず、歯車は上手くかみ合わず虚しく空回りするばかり。

 人混みによる疲労ばかりが積み重なる。

(やっぱり、もう帰ったほうがいいのかもしれない)

 そう凛が思った時、播磨が駆け足で戻ってきた。

 随分息を切らしているあたり、かなり急いで走ったのだろう。

 そんなに遠くへ行っていたのか、と凛は思った。

「ここはちょっと“俺たち”にはレベルが高いみたいだ。他の店に行こう」

 そう言うと播磨は凛の腕を掴む。

「え?」

「悪い、痛かったか」

「いや、痛くないにゃ。できれば」

「ん? できれば?」

「なんでもないにゃ!」

 出来れば手を繋ぎたい。そう言いたかったけれど、凛の羞恥心はその言葉を発する

ことを強く強く邪魔した。




   *



 電車に乗って再び移動。

 それから二人は、しばらく歩いた。

 歩きながら何かの緊張感から解放された二人は、ポツポツと会話を始める。

「拳児くんは、嫌じゃないのかにゃ?」

「何がだ?」

「いや、その、凛と買い物に出かけることとか」

「確かに面倒くせェな」

「ガーン!」

「ああ、悪い悪い。そうじゃなくて、女の買い物に付き合うこと自体が面倒ってだけ

だ。決して、お前ェといることが嫌ってわけじゃあねェぞ」

「そ、そうなんだ」

 その言葉を聞いて少しだけ安心する凛。

(こんなことで安心してどうするにゃ!)

 心の中のもう一人の凛が叱りつける。

 今は、こうして二人で並んで歩いているだけでも幸せだった。

 ほんの少し日が傾き始めた空も、良い雰囲気を醸し出している。

「なあ、凛」

「どうしたにゃ?」

「お前ェ、普段スカートとかはかないのか?」

「ふにゃっ!」

「ど、どうした」


「うう。拳児くんは地雷原を目隠しで行進するタイプにゃ」

「何か悪いこと言っちまったか」

「もういいにゃ。昔のことだから、話します」

「昔のこと?」

「小学校の時のことにゃ。凛は昔から男の子っぽいというか、乱暴な所があったから、

男子からよくからかわれていたにゃ」

「まあ、お前ェは花陽とかと違って、いじめられて泣くようなタイプには見えねェよな」

「酷いにゃ!」

「いや、あくまで客観的な見方としての意見だ」

「まあ、そう言われてもしかたないかにゃ。木登りとか虫取りとかも大好きだったし」

「ははっ、昔の穂乃果もそんなんだったぞ」

「ん……」

「どうした」

 デート中に他の女の子の話をするのはマナー違反などと言いたくもなったけれど、

そもそもこれはデートではないと思い出して言うのはやめた。

「何でもないにゃ!」

「ああ……」

「それで、話を戻すけど」

「おう。それからどうした」

「あの、ある日、凛もかよちんみたいにスカートをはいて、つまり女の子っぽい服装

で学校に来たことがあったにゃ」

「……」

「その時、散々クラスの男子にからかわれて、それ以来女の子っぽい格好をすることも、

女のらしい仕草をすることも恥ずかしくなってしまったにゃ」

「……」


「つまんない話をしてごめんなさい」

「いや、俺の方こそ、辛いことを思い出させちまってすまなかったな」

「い、今は全然辛くないにゃ。昔のことにゃ」

「そうは言うけどよ、小さい頃の心の傷ってのは、結構後々まで残っちまうものだしよ」

「……心の傷ってほどでもないけど」

「そうかもしれねェが、今の生活にも多少なりと影響してるんだろ?」

「……」

 凛は無言でうなずく。

「俺もそういうことはあるさ。中学時代は無駄に反抗してみたりよ、でもいつかは

それに向かい合わなくちゃいけなくなる時もあるんだよな」

「向かい合う……?」

「お前ェの本当の気持ちはどうなんだ? 今のままでいいか? それとも、もっと

女の子らしく生きてみたいか」

「凛は、凛は……」

 凛は立ち止まった。

「……」

 播磨も同時に立ち止まる。

「凛も女の子らしくしたいにゃ! 可愛いお洋服とか、着てみたいし、メイクもやって

みたい。それで――」

 気が付くと涙がぽろぽろと零れ落ちていた。


 今まで、もう何年もたまっていた気持ちが一気にあふれ出るように。

「危ねェ」

 そう言って播磨は凛を歩道の端に寄せると、ハンカチを取り出して彼女の顔を拭く。

「あんまり顔をくしゃくしゃにしてると、折角の美人が台無しだぞ」

「ふにゃ!」

 播磨の言葉に凛の顔が熱くなる。

 不幸中の幸いというか、今は泣いているのであまりそれは目立たない。

 播磨からハンカチを受け取った凛はそれで涙を拭う。

「おい、返さねェのかよ」

「洗って返すにゃ」

「ん?」

「り、凛ちゃんの涙やら涎やら鼻水やらが付いたハンカチを返せるわけないにゃ!」

「俺は別に、そんな気にしねェけど」

「凛が気にするにゃ! もう! デリカシーがないにゃ」

「わーったわーった。まあ、明日か明後日にでも返してくれ。欲しけりゃやるよ」

「ちゃんと返すにゃ」

「そうか。じゃあ、行くか」

「え?」

「いや、だから店だよ。可愛らしいお洋服を売っている店」

「……やっぱり行くのかにゃ?」

「行きてェんだろ?」

「……うん」

 凛は小さく頷いた。



    * 


 希の紹介してくれた店は、わりとこじんまりとしていたけれど、雰囲気の良い店構え

であった。

「いらっしゃいませ」

 中に入りやすく、店員の態度も良い。

 店員は三十代くらいの女性で、服装も化粧も年齢にマッチしたシックなものであった。

「あの、コイツなんですけど」

 そう言って播磨は凛の頭に手を乗せる。

「ふにゃっ?」

 驚く凛。

「コイツにピッタリの可愛らしい服を選んで欲しいんッスけど」

「まあ、可愛い子ですね。カノジョさんですか?」

「ふにゃにゃ!?」

 再び驚く凛。

「部活の後輩です。そんなんじゃねェッス」

 しかし播磨はあっさりと否定する。

「俺もコイツも、同世代のお洒落ってのがよくわからなくてよ、似合う服を見繕って

欲しい」

「ご予算はおいくらくらいで?」

「高校生なんで、なるべく安く」

「ふふ。かしこまりました」

 そう言うと、店員は凛を連れて店の奥へと入って行った。

(客が全然いないけど、大丈夫なのかな、この店は)

 店の中を見ながら播磨はそんなことを考えていた。




   *



 しばらくすると、試着室の前で女主人が呼んだ。

「お連れ様の着替えが終わりましたよ」

 落ち着いた笑顔で店員がそう言う。

「そうッスか」

 試着室のカーテンがゆっくりと開く。

 そこには、

「あ……」

 ふわふわ系のワンピースを着た凛の姿が。

 それはまるで、おとぎ話の世界から飛び出したヒロインのような。

 それでいて大人っぽさもある。

「ど、どうかにゃ」

「凄ェな」

「女の子の服装を見てその感想はどうかと思うにゃ」

「ああ、悪い悪い。あまりにもアレでよ、びっくりしたよ」

「あれって何だにゃ」

「いや、その、可愛いというか美人というか」

「……!」

 凛の顔が一気に赤くなる。

「あらあら」

 店員はその様子を見て更に笑顔になった。


「お前ェはどう思う、凛」

「え?」

「周りがいくら良いっつってもよ、自分自身が気に入らなきゃ意味ねェだろ?」

「凛は、凛はとっても気に入ったにゃ」

「よっしゃ、じゃあそれにしよう」

「ありがとうございます♪」

 店員は嬉しそうにそう言った。

「んで、いくらかかるんだ?」

 播磨は少し警戒しながら聞く。

 最近はジュニアの服でも高いのだ。それくらいは知っている。

「髪飾りと靴下も含めて7,980円でいかがでしょうか」

「え? そんなんでいいのか!?」

 驚く播磨。

 当初、ことりから預かっていた予算を大幅に下回る価格だ。

「それなら――」

「待って、拳児くん」

 凛が呼び止める。

「どうした」

 播磨は聞いた。

「この服は、凛が自分のお小遣いで買うにゃ」

「え?」

「これは凛の服だから、部活のお金で買うのは違うと思うにゃ」


「……凛」

「だから、お願い」

「いいな、そういう筋を通す女は好きだぜ」

「ふにゃ!?」

 再び赤くなる凛。

 コロコロと顔色の変わる今日の彼女の顔は随分と忙しいな、と播磨は思った。




   *



 帰り道、店の紙袋を抱えた凛はとても満足で、今までに感じたことの無い幸福感

に浸っていた。

「よかったな、凛」

 そんな凛に播磨は声をかける。

「うん」

「そんなに嬉しいなら、写真に撮って、明日みんなに見せてやったらどうだ」

「そ、それは恥ずかしいにゃ」

 凛はそう言って恥ずかしそうに顔を伏せる。

「それに」

「ん?」

「拳児くんに美人だって言われたし、凛はそれだけでいいにゃ」


「どういうことだよ」

「そ、そういうことにゃ! もう!」

 そう言うと凛は早足で播磨の数メートル前に出た。

「おい、危ねェぞ!」

 播磨は声をかける。

「大丈夫にゃ!」

 凛は、播磨が追いついてくるまでの少しの間、息を整えた。

 そうしないと、彼の顔をまともに見られないと思ったからだ。






   つづく

某地方コミケのコスプレに参加したんですけどね、ラブライブは凛ちゃんとミナリンスキーしか

撮れませんでした。真姫ちゃんとかスピリチャルさんもいたけど、異常に背が高くてイメージが違ったかな。

ちなみに筆者、艦これが好きだったんで、そっちのほうの写真が多いです。

秋雲さんと那珂ちゃんのクオリティが高かったよ。那珂ちゃんにいたっては、ちゃんと艤装まで付けてくれて

よかったね。



   おまけ

 その頃、播磨と凛を追っていたにこと花陽は――

「はい、雷電。あーんしてください」

「おい、人が見てるだろ」

「大丈夫ですよ、知り合いはいま……」

 ガラス越しに海未と雷電が一緒にいるところを目撃していた。

「本当、こっちは気楽なものね」

 にこは二人の姿を見ながら吐き捨てるように言った。

「拳児さんたち、どこ行ったんですかねえ」 

 花陽は疲れた表情で空を仰ぐ。

 梅雨もそろそろ明けそうであった。



 次回のラブ・ランブルは、ほんD選手も大好きなあの人が主役です。

 しかし、過度な期待はしないでください。

(100話とか)さすがにそれはないが、過去最高の長さであることは間違いないッス。





 ラブライブの予備予選が刻一刻と近づいてくる七月。

 放課後の練習で播磨は南ことりから声をかけられた。

「はりくん、お願いがあるんだけど」

「どうした」

「ライブ用の衣装の進み具合が、結構ギリギリなの」

「なんだって?」

 思えば衣装のことは常にことりに任せきりであった。

「だから、手伝ってもらえるとありがたいんだけど」

「まあ、部員に力を貸すのも副部長の務めだしな。それは問題ないぜ。だけどよ、

俺あんまり裁縫とか得意じゃねェけどいいのか」

「うん。少しでも人手があったほうがいいと思うの」

「じゃあ、雷電も呼ぼう。アイツはああ見えて、手先が器用だしよ」

「そうだね、雷電くんも来てくれたら百人力だよ」

「何の話をしてるにゃ?」

 不意に星空凛が話に入ってきた。

「衣装の話だよ。予備予選までに舞台用の衣装が間に合わんかもしれねェから、

俺と雷電で手伝いをしようって話をしてたんだ」

「それなら凛も手伝うにゃ!」

 そう言って凛は右手を上げる。

「待てよ。練習とかもあるんだし、あんま無理しなくてもよ」


「練習があるのはことりちゃんだって一緒にゃ」

「私は服飾とか好きだから」

「凛も裁縫は好きにゃ。これだって、自分で作ったんだにゃ」

 そう言うと、凛は自分の携帯電話を見せる。

「わあ、可愛い」

 そこには小さなクマのぬいぐるみのようなものがぶら下がっていた。

「これ、お前ェが作ったのか」

 播磨はストラップを見ながら聞いた。

「そうだにゃ」

 凛は得意げに胸を張る。

「ねえ、はりくん。本人がやりたいって言ってるんだし」

 ことりは全てを言わず、その後の言葉は目で合図をした。

「わかったよ。ただし、無理はすんなよ。あんまり遅くなるのも許さねェからな」

「わかったにゃ!」

 凛はとても嬉しそうだ。

「フフフ。青春してるね、凛ちゃんも」

 そんな凛の姿を見ながら、ことりは静かに笑っていた。







     ラブ・ランブル!

 播磨拳児と九人のスクールアイドル

  第二十三話 南 家(みなみけ)
 





 その日、早めに練習を切り上げた播磨たち四人(播磨、ことり、凛、雷電)は、

作業場でもあることりの家へ向かった。

「学校の設備を使っても別に文句は言われねェだろう」

 播磨は言う。確かに学校にもミシンはある。

 しかし、

「家のほうが設備も揃ってるし、何より使い慣れた道具のほうがいいんだよ」

 笑顔でことりは言った。

 もはや職人である。

「ああ、しかしことりの家かあ~」

 そう言うと播磨は深くため息をつく。

「拳児くんはことりちゃんの家に行くのが嫌なのかにゃ?」

 凛は聞いた。

「別に嫌ってわけでもねェけどよ」

 ちなみに、穂乃果とことりは幼馴染なので、当然穂乃果と幼馴染の播磨も、ことり

とは幼馴染である(海未も同様だ)。ただ、穂乃果の家ほど深い付き合いはない。

「もしかして、怖いお父さんがいるとか……」

 凛はそう言うと肩をすくめる。

 確かにことりの母方の祖父はあの江田島平八である。

 怖い人がいてもおかしくはない。


「いや、親父さんは普通の人だ。本当に。良くしてもらってる」

「ふうん、じゃあどうしてにゃ?」

「なんつうかそのよ、こいつの兄貴がよ」

 そう言って播磨はことりの頭を指さす。

「ことりちゃんのお兄ちゃんがどうしたにゃ?」

 凛は首をかしげた。

「まあ、行けばわかる」

 播磨はそれだけしか言わなかった。

「アハハハ……」

 その話を聞きながら、ことりは苦笑した。

「どういう意味にゃ?」

 あまり多くを語ろうとしない播磨に見切りをつけた凛は雷電に聞く。

「うむ、ことりの兄はあまり拳児のことをよく思っていないようでな」

「そうなのかにゃ?」

「何と言うかその、ことりにとっては良い兄なのだがな……」

 そう言うと、雷電もそれ以上は言わなかった。

「良いお兄さんなら、何で苦手なのかにゃ?」

 凛は首をかしげる。

 彼女の疑問は、実際にことりの兄を見なければ解消しそうにもなかった。




   *



「ただいまー」

 玄関にことりの声が響く。

 真姫の家ほどではないが、それでも一般家庭の水準からするとかなり良い家に

住んでいることり。玄関も広くてキレイである。この家に来るのも久しぶりだと

思う播磨であった。

「あらことり、おかえりなさい。今日は随分と多いのね」

 最初に家の奥から顔を出してきたのはことりの母親である。

 彼女はことりをそのまま大人にしたような外見である。母親の遺伝子が強いけれど、

母方の祖父に似なくて本当に良かったなと思う播磨であった。

「あら拳児くん、いらっしゃい。雷電くんも久しぶりね」

「どうもッス」

「お邪魔します」

 播磨と雷電は幼馴染なので、ことりの母親を知っている。

「そっちのお嬢さんはμ’sのメンバーね」

 ことりの母は凛を見て言った。

「は、星空凛です。よろしくお願いします」

 そう言って凛は深々と頭を下げる。

「まあ、立ち話も何だから上がりなよ」

 ことりは言った。

「別に俺たちは遊びに来たわけじゃねェんだからな」


「わかってるよ、衣裳作りのお手伝いに来てくれたんだよね」

 ことりは笑顔で言った。

「うふふ、青春ね」

 ことりの母は、娘とその友人たちのやり取りを微笑ましく見ているようであった。

「それじゃ、私はお夕飯の準備があるから」

 そう言って、ことりの母は奥に戻って行った。

「私たちはアトリエに行きましょう」

「アトリエ……」

 どうやら、ミシンなど服飾関係の道具を置いてある部屋のことを彼女はそう呼ぶ。

 まあ、アトリエといえばアトリエか。
 
「私、ちょっと着替えて来るね。アトリエはその部屋の奥だから、先に行ってて」

 そう言って、ことりは二階に駆け上がる。

 播磨と雷電は、ことりの家に来たことがあるので、どこにアトリエがあるのかわかって

いる。ことりの家は、父親以外は皆裁縫などが得意らしく、自分で服を作ることもする

という。

 子供の頃、ことりは母の作った服を着て小学校に来たことがあったけれど、既製品の

服とそん色の無い出来であったと記憶している。

「……!」

 その時、嫌な予感がした。

「どうした、拳児」


 雷電が聞く。

「奴が来る」

「なに?」

「殺気!」

「にゃああ!!!」

 いきなり後ろから黒い影が襲ってきた。

 播磨は辛うじてかわしたけれど、その勢いに凛は驚いて尻餅をついてしまったようだ。

「な、なにごとにゃ!?」

 床に座り込んだ凛が言った。

「ふっ、この私の鶴嘴千本(かくしせんぼん)をかわすとは、なかなかやるように

なりましたね。播磨拳児」

「野郎、何しやがる!」

 播磨たちの前には、長髪の美男子が一人。手には細長い棒のようなものを持っている。

「おっと失礼。レディを驚かしてしまったようですね。大丈夫ですか?」

 男は播磨たちを無視して凛に手を伸ばす。

「あ、ありがとうございます」

 凛は男に手を引かれて立ち上がった。

「貴方とは初めましてですね。私、南ことりの兄の、南飛燕と申します。妹ともども

よろしくお願いします」

 そう言うと飛燕は一歩下がって凛に一礼した。


 女性に対しては実に礼儀正しい。

 だが、

「ふんっ!」

「のわあ!」

 細長い棒が廊下の壁に突き刺さる。

 至近距離からの攻撃は本気で危ない。

「だから何しやがるんだ!」

「おのれ播磨拳児! 我が家に何しに来た」

 凛に対する言葉とは全く違う、乱暴で憎しみのこもった声で飛燕は聞いてきた。

「ライブの衣装作りの手伝いに来ただけだ」

「そんなことを言って、妹の貞操を狙いに来たんだろうが!」

「て、貞操……」

 凛は飛燕の言葉で明らかにドン引きしていた。

「お前ェは何言ってんだ」

「ああっ! ことりほどの可愛らしい妹に、お前のような下種な輩が釣り合うと思っているのかあ!!」

「拳児くんは下種なんかじゃないにゃ」

 凛は抗議するが、そこは雷電が止めた。

「星空、今のあの人にまともな言葉は通じない」

 そう言って、凛を二、三歩後ろに下げる雷電。


「何度も言ってるように、俺はことりに対して特別な感情なんざ持ってねェ。ただの

幼馴染だ」

「き、貴様ああ!! ことりに魅力がないというのかあ!! 恋人にしたい女子

ナンバーワンだろうがあ!」

「そりゃあ、あいつはお袋さんに似て美人だと思うけどよ」

「この下種野郎! 妹だけでなく我が母親まで射程に入れているのか!」

「だから違うつってんだろうが!」

「この私が直々に成敗してくれる!」

 飛燕は再び長い棒を取り出す。

 どこに入れていたんだコイツは。

 だが、次に飛燕の攻撃が発動することはなかった。

「お兄ちゃん!」

 着替え終わったことりが降りてきたのだ。

「こ、ことり……!」

 明らかに動揺している飛燕。

「お兄ちゃん。編み棒で遊ばないでって、いつも言ってるでしょう!?」

「あ……」

 よく見ると、壁に突き刺さっている鶴嘴千本は編み物なので使う編み棒であった。 




   *




 南飛燕。

 ことりの兄である。

 両親に似て容姿端麗、成績優秀、更に運動神経抜群と非の打ちどころの無い人物で

あるのだが、一つだけ大きな欠点があった。

「ことりいいい、許してくれええ!!!」

 アトリエのドアをドンドンと叩く男が響く。

 言うまでもなく声の主は飛燕である。

 彼はシスターコンプレックス、俗にいうシスコンなのだ。それも、かなり強烈な。

「もうはりくんのこと、いじめたりしない?」

 ドア越しにことりは聞いた。

「しないしない、したこともない」

「嘘吐きは嫌いです」

「ウソウソウソ! もうしない! 少なくとも今日はもうしない!」

 正直な男である。それはもう思いっきりぶん殴ってやりたいくらい正直な男だ。

「まったくもう」

 根負けしたことりが、アトリエのドアを開く。

 すると、飛燕は素早く中に入ると播磨の隣りに座った。

「おい、播磨拳児。あんま調子に乗るなよ。ちょっとことりに気に入られてるからと

言って、俺はまだ認めたわけじゃないからな」

「だから、俺はことりとそういう関係になりたいとは思ってねェし、お前ェに気に

入られようとも思ってねェよ」


「貴様、ことりに魅力がないと言うのか!」

「だからその話はもうやっただろう」

「表に出ろ! 決闘だ!! 大威震八連制覇だ!」

「お兄ちゃん!」

 ことりの一喝で、飛燕はまるで叱られた犬のようにシュンとなる飛燕。

 いい加減鬱陶しい。

 だがこの男がいないと、良質な衣装が仕上がらないことも事実だ。

 中身は妹好きの変態だが、服飾の才能は人一倍あるらしく、有名デザイナーも

一目置いているという。

 そうこうしているうちにことりの母がアトリエにやってきた。

「みんな、お夕食まだでしょう? 作業は食べてからおやりなさい」

 エプロン姿のことり母はそう言った。

「いや、そんな悪いッスよ。ウチらは作業を手伝いに来ただけなんで」

 播磨はそう言って遠慮する。

「何言ってるのよ拳児くん。今更遠慮しなくてもいいのよ。雷電くんも、あなた、

凛ちゃんもね」

 ことり母はそう聞いた。

「は、はい」

 凛は戸惑いながらも返事をする。

「食事は大勢で食べたほうが美味しいわ。さあいらっしゃい」

「はあ」

 ことり母にせかされるように、全員がアトリエから食卓へと移動する。

 すでにキッチンからは夕食の良い匂いが漂っていた。




   *
   




 南家の食卓。

「おい、なぜ播磨拳児がことりの隣りなのだ。ふざけるな、コ●スぞ」

「飛燕くん?」

 ことりの母が飛燕に睨みを効かせると、

「シュン」

 飛燕は大人しくなった。

 どうやらこのシスコンは母親にも頭が上がらないらしい。

「今日はお父さんが出張でいないけど、賑やかな夕食になってよかったわ」

 ことり母は笑顔で言った。

「すんません、急に押しかけてしまい」

 播磨は遠慮がちにことり母に言う。

「いいのよ、よくあることだから」

(よくある?)

 播磨は深く考えるのはやめた。南家には謎が多い。それでいいと思った。

「そういえば、はりくんがウチでごはん食べるのって、初めてだよね」

「まあ、そりゃな」

 原因は彼の目の前にいる。今にも襲い掛かってきそうな殺気を放っている長髪

(残念)イケメンのせいだ。

「穂乃果ちゃんの家にはしょっちゅう行ってるのにねえ」


 ことりは少し口をとがらせて言った。

「いや、そりゃあ穂乃果の家とは親同士も仲がいいしよ」

「貴様、ことりというものがありながら……!」

 飛燕の恨み声が聞こえてきた。

「おい待て、一体どうすりゃいいんだよ」

「死ねばいいと思うぞ」

「飛燕くん?」

 ことり母の声が強まる。

「……はい」

 もう本当に面倒くさい、このシスコンは。と、播磨は思いながら夕食をいただいた。

 なお、雷電と凛は完全に蚊帳の外に置かれていた。




   * 




 夕食を終えてから作業開始である。

 服飾のことはあまりよくわからない播磨であったけれど、できるだけのことはしよう

と思った。

「これ、お兄ちゃんのデザイン。凄いでしょう?」

 そう言ってことりはスケッチブックを見せる。

 何だかよく分からないけれど、かなり上手い絵が描かれていた。

 デザインも斬新、というかもっとこう、力がみなぎるような。

「デザインの才能もあるんだな」

 天はあの変態に二物どころか三物も四物も与えたらしい。

 どんだけ恵まれているんだ。

 播磨は少しだけ悔しくなった。

「さあ、時間もない。一気に進めよう」

 雷電は言った。

「頑張るにゃ!」

 夕食も食べて眠くなる時間ではあるけれど、雷電も凛も頑張って作業をする。

 播磨も負けないようにミシンを動かした。

 しかし、慣れない作業は予想以上に疲れる。

 そして時間はあっという間に過ぎて行った。




    *





「やべっ、もうこんな時間だ」

 時計を見て驚く播磨。

「どうした、拳児」

 そんな播磨に雷電が聞く。この男はゴツイ外見に似合わず手先が器用だ。

「悪い雷電。凛を駅まで送って行ってくれねェか」

「ん? 確かに遅くなったな」

「ちょっと待って拳児くん。凛はまだやれるにゃ」

 凛は播磨の言葉に反論する。

「ダメだ。あんまり遅くなったら親御さんが心配すんだろう」

「でも、まだ作業が」

「後は俺たちで何とかする。お前ェは早く帰って身体を休めろ」

「ぐぬぬ……」

「お前ェの気持ちはありがたいけどなあ、凛。親御さんも心配するし、何よりお前ェの

身体も心配だ」

「凛ちゃんは身体が丈夫なだけがとりえだにゃ」

「わかってるけど、それでもだ」




   *



 嫌がる凛を何とか説得して、播磨は彼女を送り出すことに成功した。

「あいつ、あんなに裁縫が好きだったっけな。あんまイメージないけど」

 凛が出て行った後、静かになった部屋で播磨はポツリとつぶやく。

「好きなのは裁縫じゃあ、ないんじゃないかな」

 播磨の向かい側で作業をしていることりが言った。

「あン? どういことだ」

「そのままの意味だよ」

「ん?」

「凛ちゃんとのデートは楽しかった?」

「あ? デート? 何言ってんだお前ェは」

「服を買いに行った日のことだよ」

「あれは別にデートってわけじゃあ……」

 まあ、傍から見たらデートに見えないわけがないか。

 むしろデート以外の何に見えるというのだろうか。

「正直、女物の服なんてどこで買っていいのかわかんなくてよ、それは凛も同じ

だったんで二人して迷って大変だったぜ。ははは」

 播磨はあの日のことを思い出しながら笑う。

 二人して迷っている姿は本当に滑稽であった。

「でも、凛ちゃんは変わったね。あの日から」

「変わったか?」


「わからない?」

「どういうことだ」

「前より、女の子らしくなったっていうか。可愛くなった」

「そうか? 元々アイツは……」

 そこで言葉は止まる。

(そういや、アイツ人前で抱き着いたりしなくなったな。前はもっとこう、

子供っぽかったというか)

「何か心当たりがあるの?」

 ことりは播磨の心を見透かしたように笑う。

「いや、気のせいだろう」

「本当に?」

「うるせェな。作業に戻るぞ」

「……ねえはりくん」

「ンだよ」

「雷電くんに行かせたのは、狙ったからじゃない?」

「……あン?」

「本来なら、手先が器用な雷電くんを残してはりくんが凛ちゃんを送ったほうが、

作業的にも効率がいいし、凛ちゃんも納得した気がするの」

「……」

「どうかしら」

「勘のいい女は苦手だね」

「私と二人きりで話がしたいの?」

「まあ、そうだな。あんまりそんな機会もなかったしよ」


「何? もしかして、愛の告白?」

「いや、それはない」

 播磨ははっきりと否定した。

 ロマンスのかけらもない。

「もう、本当につまんないね」

「お前ェもその気もねェのにそんなことは言うな」

「まったくその気がないわけでもないんだよ?」

「い!?」

「びっくりした?」

「してねェよ」

「ふふ。ごめんね」

 そう言うと、ことりは笑う。

「別にいいけどよ」

 再び作業を始める二人。

 しばらく沈黙の後、播磨は口を開いた。

「なあことり、聞いてもいいか」

「なに?」

「後悔、してねェか」

「後悔って?」

「その、μ’sに入ったことだ。アイドルをやって、こうして衣装を作ってることに」


「どうして?」

「なんつうかよ、穂乃果の思いつきから始まって、成り行きでこうなっちまったわけ

じゃねェかよ。だから、本当は後悔してんのかなと思って」

「なんでそんなことを聞くの?」

「他のメンバーは、高校からの知り合いだったし、色々と事情を聞くこともできた

けどよ、お前ェや海未は幼馴染だったし、そのまま当たり前のように一緒にいたから、

改めて話を聞く機会がなかったからよ。それで……」

「はりくん、そんなこと気にしてたの?」

「うるせェな。これから大変なこともあるんだからよ、改めて確認しときてェなと

思っただけだ。あのまま、メイド喫茶でアルバイトしてたほうが良かったと思って

たと思ったことは無かったのか?」

「うーん……」

 ことりは少しだけ考える。

 そして言葉を発した。

「ねえ、昔のこと覚えてる?」

「昔?」

「うーんと、小学校の頃」

「随分と前の話をするな」

「私、よくいじめられていたのよね。男の子たちから」

「お前ェは結構、いいところの娘だったからな。男も興味を持ってんだろう」


「そんな時、真っ先に助けに来てくれたのが穂乃果ちゃんだったの。穂乃果ちゃんは

私にとってヒーローだったな。あ、女の子だからヒロインかな」

「でもよ、結局多人数を相手にするから太刀打ちできなくて、俺や雷電が助けに行く

ことになったじゃねェか」

「そうそう。真っ先に穂乃果ちゃんが動いて、それをキミや雷電くんや海未ちゃんが

フォローする。それがお決まりのパターンみたいになってたよね」

「……そうだな」

 播磨は昔のことを思い出しながら返事をした。

「なんか、今の状況に似ていない?」

「ん?」

「特に深い考えがあるわけでもないけど、穂乃果ちゃんが学校を救うために真っ先に

動き出して、それをはりくんや雷電くんが手伝う」

「……」

「私もね、憧れてたの。穂乃果ちゃんみたいにすぐに行動できる子に。だけど、私は

穂乃果ちゃんにはなれない。だから、はりくんや雷電くんみたいに、穂乃果ちゃんを

フォローする側に回ろうって思ったの」

「だから、こうして衣装を作ってるってことか」

「うん。これが私にやれること。歌も踊りも中途半端だし」

「お前ェも頑張ってるぜ」

「頑張ったって限界はあるよ。それは私自身が一番よくわかってるし」


「そう謙遜するもんでもねェぞ。アイドルってのは、必ずしも技術が重視されるわけ

でもねェし。お前ェにはお前ェの魅力があんだろ」

「魅力?」

「秋葉原では伝説のメイドになってたしよ」

「その話はよしてよ」

「ミノフスキーだっけ?」

「ミナリンスキーです。もう終わったことだから」

「ハッハッハ」

「あの時はりくんに見つかった時は、口から心臓が飛び出そうになったよ」

「もし、あの時俺がお前ェを見つけなくても、お前ェは俺たちに協力したか?」

「……わからない」

「……」

「協力したかもしれないし、しなかったかもしれない。でもそれは、他のメンバー

だって同じだと思うよ」

「そりゃあ……」

「ただ一つ言えることは、穂乃果ちゃんなら何かやってたってことだね。今と同じ

方法ではなくとも、何かをやっていた。彼女は行動する女だよ」

「行動する、女か」

「ねえ、はりくん」

「あン?」


「もし、穂乃果ちゃんじゃなくて私が『やろう』って言っても、あなたは協力して

くれた?」

「え、何を?」

「いや、何かしらの行動を」

「まあ、よくわかんねェけど、協力はしたかもしれねェな」

「本当に?」

「その時になってみなけりゃわかんねェよ。何度も言うけど、このメンバーが集まった

のも偶然に偶然が重なったようなもんだし、何よりラブライブを目指すってのも、

偶然だったわけだからよ」

「そうだね。もしも、の仮定なんて無意味だよね」

「無意味ってことはねェと思うけど、穂乃果だったら確実にお前ェを助けると思うぜ」

「それで、それに引きずられてはりくんや海未ちゃんたちも」

「ああ、そうだな」

「ウフフ」

「クックック」

 播磨とことりは苦笑する。

「!!」

 その時、廊下をドタドタと走る音が聞こえた。

 雷電、でははない。彼は他人の家でそんな行儀の悪いことをするような男ではない。


 だとすれば犯人は一人。

「どりゃあああ!! 播磨拳児いい! ことりと部屋で二人きりとはどういう了見だあ!」

 ことりの兄(シスコン)の飛燕が強くドアを開けて入ってきた。

「うわっ、何だよお前ェは!」

 驚く播磨。

「くそう、羨ましい、じゃなかった。許せん。私のこの鳥人拳で地獄に葬ってやるぅ」

 そう言うと、カギ爪のようなものを取り出す飛燕。

 実に物騒だ。

「お兄ちゃん!」

 たまらずことりが立ち上がる。

「こ、ことり。これはお前を守るために……」

 そして早くも苦しい言い訳をはじめる飛燕。

「お兄ちゃん、課題は終わったの?」

「ふっ、課題などこの俺にかかればすぐに終わる」

 無駄に有能な男、それが飛燕。だが変態的なシスコンである。

「だったら早く寝たら?」

「妹が男の毒牙にかかる危険性があるのに、眠れるわけがないだろう!」

「毒牙て……」

 酷い言われようである。

「だったら衣裳作り、手伝ってくれる?」


 ふと、ことりが上目づかいをした。

 心なしか、身体の周りにはキラキラしたものが見える。

「ぬっ!? 例の衣装作りか。ふん、この俺にかかればちょちょいのちょいだ。

どけ、播磨」

 そう言うと、飛燕は播磨を押しのけるようにミシンの前に座る。

「おい、何をするかわかってのんのか」

「お前に言われなくてもわかっている。俺を誰だと思っているんだ」

 飛燕は瞬時に、何をしなければならないのか把握したらしく、物凄い早さで準備を

整えた。

「そりゃああああ!!!」

 うるさい、けれど作業スピードは速い。播磨の四倍、いや五倍くらいか。手先が

器用な雷電ですら敵わないくらいの素早さ。

 まるで大量生産の機会のように衣装が形作られていく。それもかなり正確に。

「なんか、凄ェ奴だな、お前ェの兄貴は」

 居場所を無くした播磨はことりにつぶやく。

「例の病気(シスコン)さえなければ、とってもいいお兄ちゃんなんだけどな」

「どりゃどりゃどりゃどりゃあ!」

 その後、雷電も戻ってきた南家では衣裳作りが急ピッチで進んだ。

 かなり遅れていたスケジュールも、飛燕の謎パワーによって急速に進み、何とか

ラブライブの予備予選には間に合いそうであった。




   つづく



 飛燕の女性人気は高かったみたいですね。

 だけど「飛燕はこんなこと言わない」なんて言わないでくだされ。

 ことりが妹になれば誰だってこうなる。

 ちなみにこの回を書くまで、ことりをヒロイン候補に入れる予定はありませんでした。





 ラブライブ予備予選。

 それはシード権を持たないスクールアイドルがラブライブに出場するために、

出なくてはならない大会である。

 通常、前大会における全国出場チームと秋期大会における優秀チームの合計六

チームが、既にシード権獲得チームとして予備予選を免除されている。

 しかし音ノ木坂学園のμ’sは新規のチームであるため、まずはこの予備予選を

突破しなければならない。

「前回のプレ・ラブライブの成績から見ても、この予備予選での突破はギリギリに

なるかもしれねェ。だが、そこを越えないと、話にならねェってわけだな」

「うむ」

 練習前の雑談の中、播磨の言葉に雷電は頷いた。

「大丈夫だよ拳児くん」

 そんな二人に声をかける穂乃果。

「穂乃果」

「私たちは絶対にやってみせる。だって、こんなに素敵なチームなんだもん」

「まあ、そうだな」

 穂乃果の瞳は光り輝いていた。

 そこに明確な根拠があるわけではない。ただ、彼女はいつだって希望を捨てない女

なのだ。

「そういや全員揃ったか?」

 播磨が練習場を見回すと、一人足りない。


「誰だ」

「花陽ちゃんじゃないかな」

 穂乃果が言った。

「アイツが遅刻なんて珍しい」

「……」

 露骨に顔を背ける雷電。

「知っているのか雷電」

「いや、知らん」

「ウソをつくな」

「ウソなどつかない」

「だったらこっちを向け」

 そんなことを言っていると、廊下から人の慌ただしい足音が聞こえてきた。

(何ごとだ?)

 そして強引にドアが開けられた。

「た、大変ですう!」

 花陽である。すでに制服から練習着に着替えている。

「何やってんだお前ェ。練習はじめるぞ」

「そ、そんなことより、皆さん。屋上に来てください!」

 花陽は焦りながらそう言った。

「むぅ、もうできたのか」

 不意に雷電が口にする。

「やっぱり何か知ってんじゃねェか雷電!」

「とにかく屋上へ行くぞ」

 そう言うと、雷電は真っ先に教室を出る。

「さあ、拳児さんも早く」

 そう言うと、花陽は播磨の腕を掴んで引っ張った。

「わかった、わかったから」

 播磨と、μ’sの全員は急かされながら屋上に向かった。

(本当に、何があったんだ?)






      ラブ・ランブル!

  播磨拳児と九人のスクールアイドル

  第二十四話 ラブライブ予備予選 




 勢いよく開けられた屋上のドア。

 薄暗いペントハウスから急に外へ出たので太陽の光が眩しい。

「ぐっ!」

 いつもサングラスをしている播磨でも少し眩しく感じたくらいなので、他のメンバー

も目をしかめていた。

 しかし、すぐに目が慣れてくる。

「ほら、こっちですこっち!」

 花陽がグラウンド側を指さす。

「なんだよ」

 ダルそうに歩く播磨。

「え、何々? 何があるの?」

 一方穂乃果達は興味深々だ。

「おおっ!」

「は、ハラショー……」

「何これ」

 屋上から見たグラウンドには、大きな人文字が作られていた。


 μ’s


 それがグラウンドに描かれたメッセージ。


 そんな人文字の前に、一人の生徒が前に出る。


 クラスメイトの松尾だ。

「フレー! フレー! μ’s!!」

 拡声器もマイクも使わない。生の大声が学校中に響く。

「これって……」

 海未はつぶやく。

「応援だ。クラスの有志が全校の生徒に呼びかけて作ってもらった」

 雷電は言った。

 どうやら彼は知っていたようだ。

「そんなの、聞いてねェぞ」

「私も」

 播磨と穂乃果はつぶやく。

「フレッフレッμ’s!! フレッフレッμ’s!!」

 人文字を構成する全員の声が響いた。

「音ノ木坂学院スクールアイドルー! μ’sの予選突破を祈念してええええ!!!」

「フレー! フレー! μ’s!!!!」

「皆を驚かせようと思って、秘密にしてたんだとさ」

 雷電はそう言うと、珍しく笑顔を見せる。

「ったく、勝手なことしやがって」

 播磨はそう言うとグラウンドから目を逸らす。

「拳児くん。そんな言い方ないでしょう!?」

 そんな播磨を穂乃果が注意した。

「これで、予備予選を突破できなかったら、カッコ悪いじゃねェかよ」


「拳児くん……」

「照れているんだよ、拳児は」

 雷電は播磨の行動を解説する。

「うるせェ。別に俺は照れてなんかいねェよ!」

「うそだあ、顔赤いもん」

「だいたい、出場するのは俺じゃなくてお前ェたちだろうが」

「私たち、か。そうだね」

 穂乃果は軽く頷く。

 そして次の瞬間、

「フレー! フレー! ほ・の・か!!」

 不意に穂乃果の名前が聞こえた。

「え?」

 思わず、フェンスを握りしめてグラウンドを見つめる穂乃果。

「フレー! フレー! うーみ!!!」

「私まで」

「フレー! フレー! こ・と・り!!!」

「ありゃま」

「フレー! フレー! まあああき!!!」

「何だか変な言い方ね」

 真姫はそう言って苦笑する。

「フレー! フレー! は・な・よ!!」

「恥ずかしい」


「フレー! フレー! 星空凛!!!」

「なんで凛ちゃんだけフルネームにゃ」

「フレー! フレー! エ・リ・チ!!!」

「チは余計よ。チは。まあいいけど」

 絵里も肩を揺らしながら言った。

「フレー! フレー! の・ぞ・み!!!」

「あら、ウチも応援してくれるんやね!!」

「フレッフレッμ’s! フレッフレッμ’s!」

 有志の生徒たちによる応援はしばらく続き、最後に学校の校旗が高々と掲げられた。

「まるで甲子園に出場したみたい」

「まだ予備予選の段階なのに」

「そんだけ期待されてるってことよ」

 メンバーが口ぐちに言い合っている中、一人の少女がフェンスから身を乗り出して

叫んだ。

「ちょっとお!! 何でにこだけ名前呼んでくれないのよおおお!!!!!」

 矢澤にこである。

「あ……」

(そういえば忘れていた)

 播磨はそう思ったが口には出さなかった。

「九人もメンバーがいるんだから、一人くらい忘れられる人もいるよ」

 ことりはにこの肩に手をかけて言った。


「全然慰めになってないから! 明らかにイジメでしょうこれ!」

「フレー! フレー! にっこにっこにー! にっこにっこにー!」

 忘れたころにやっとにこの名前が呼ばれる。


「今更叫んだって遅いのよおおおお!!!」


 にこの声は、他の誰の声よりも大きく響いていた。




   *




 七月某日、土曜日。

 ついにやってきたラブライブ予備予選。

 この日のために、振付、ダンス、歌、そして衣装などすべてを調整してきたと言っても

過言ではない。無論、これはラブライブに出場するための一里塚であるけれど、同時に

個々を越えなければラブライブには到達できない。

 シード権の無い新参のμ’sにとっては最大にして最後の大会とも言える。

「いよいよだね」

 身震いしながら穂乃果は言った。

「声が震えてるぞ」

 人の多く集まるアリーナのロビーで播磨は穂乃果に言った。

「これは武者震いだよ拳児くん」

 穂乃果は苦笑する。


「ほのかちゃん、落ち着いて。いつも通りヘマしなければ大丈夫だよ」

 ことりは穂乃果の肩を叩いた。

「ことり、余計なことを言うな」

 そう言って播磨はことりの頭に軽くチョップ。

 今、大会前で全員の心はナーバスになっている。

 それは絵里やにこも同じだ。

「ラブライブに出て、学校を救うんだ」

 決意めいた声が穂乃果の口から洩れる。

「だからあんまり力むなっての」

 播磨は言ったものの、穂乃果の耳に届いているのかどうもよくわからない。

「緊張しているのは誰も同じよ。穂乃果ばかりに構ってられないわよ」

 と言ったのはにこだ。

 確かにその通り。μ’sのメンバーは九人。

 全員の調子が良くなければ予選突破はありえない。

「前回のプレ・ラブライブでの順位は八位。シード権を持っているチームは除けば、

全体で四位。十分に予選突破圏内にある」

 雷電は言った。

「だが油断は禁物だぜ。あのA-RISEみたいに本選に向けて仕上げてくるチーム

だってあるはずだ」

「今回は出場校は二十八校で、予備予選を突破できるのは上位六校まで。普段通りの

パフォーマンスを見せれば必ず行ける」


(普段通りか。普段通りの実力を普段通りに出すってのが、一番難しいんだよな)

 緊張したメンバーの表情を見ながら播磨は思う。

(いかんいかん、この俺が弱気になってどうすんだ。何とかして周りを鼓舞しなきゃ

ならねェってのによ)

「拳児さん」

「ん?」

 ふと、話しかけてきたのは意外にも花陽であった。

 こういう時、緊張してこちらから話しかけないと口を開かないタイプだと思っていた

のだが。

「どうした、花陽」

「私たち、いけますよね」

 そう言って、花陽は手をグーに握った。

「当たり前ェだろうが」

 播磨は自信たっぷりに答える。

 本当は不安しかないのだが、ここで弱気を見せるわけにはいかない。

 平常心平常心。

「お前ェらはできるよ。なあ、凛」

「にゃっ!」

 急に話しかけられた凛が肩を揺らす。

 コイツも緊張しているのか。

「だ、大丈夫にゃ」

 そう言って凛は親指を立てた。


「……」

「凛ちゃん。皆で頑張ったんだから大丈夫だよ」

 そう言って、花陽は凛の肩を抱く。

「強気のかよちんも、凛は好きだよお」

 少し緊張が収まったようで、固い表情が柔らかくなった。

(花陽、コイツも強くなったな)

 ふと、感慨深くなる播磨。

 怪しい連中に絡まれて泣きそうになっていた彼女が、いつの間にか仲間を励ます

ようになるとは。

「真姫、お前ェのほうはどうだ」

 播磨は真姫にも声をかける。

「大丈夫よこのくらい。ちょっと人が多いだけでしょう?」

「そうこなくちゃな」

 そう言うと、播磨は真姫の頭を軽くなでた。

「ひゃっ、何するのよ!」

「いや、いつも通りで安心した」

「もうっ!」

 真姫は顔を逸らすが、それほど嫌がっているようには見えなかった。

 真姫から距離を取られてしまった播磨は、近くにいたことりに声をかける。

「ことり」

「なに? はりくん」


「衣装、間に合ってよかったな。お兄さんにもよろしく伝えといてくれ」

「それはよした方がいいかな」

 ことりの兄は病的なまでのシスコンである。

 そして、なぜか播磨を異常なまでに敵視している。

「……確かに。だが感謝はしている。あの技術のおかげで衣装はできたんだから」

「μ’sとしてお礼はしておくよ」

「すまんな」

「そうだ、園田」

「……」

「園田?」

「はっ、ごめんなさい。聞いてませんでした」

 海未は驚いたように播磨の顔を見る。

「拳児、ここは俺に任せてくれ」

 雷電は言った。

 播磨は雷電に海未を任せることにする。やはり餅は餅屋である。

 海未のことを雷電に任せた播磨は三年組に目をやる。

 相変わらずにこは青い顔をしていた。

「おい、にこ。まだ慣れねェか」

「うるさいわねえ」

 にこは顔を逸らし、悪態をつく。

「緊張してんだな」


「当たり前よ。これが最後のライブになるかもしれないんだから」

「おいおい。お前ェらしくねェなあ。予備予選を突破すりゃあ、本予選に上がれるん

だぜ」

「にこはいつも通りよ」

「ん?」

「私はね、拳児。常に目の前のライブが最後の出番だと思ってやっているの」

「……」

「誰がいつ見ているかわからないでしょう? にこたちを見ている人にとって、

これがもし最初のライブだとして、気に入らなかったらそれ以上見ないと思うのよ」

「一期一会って、やつだな」

「だからいつだって全力よ。チャンスが少ないスクールアイドルなら猶更」

「お前ェってば、相変わらず凄ェなあ」

「にこはいつだって凄いの。他の面子、特に拳児。あなたが甘いだけ」

「悪かったよ」

「私のことはいいから、他のメンバーに声かけたら? 今回は時間も無いから、

この前みたいに楽屋でグタグタ話をしている暇は無いわよ」

「わかったよ」

 にこの事を少し見直した播磨は、絵里と希にも声をかける。

「よお、お前ェら。調子はどうだ」

「さっきも言ってたけど、上々よ」

 絵里は言った。


「ウチも悪くないで」

 希も答える。

 この二人については、特に何も言うことはない。

「別に、プレッシャーをかけるようなことは言いたくねェから、とにかく怪我をしねェ

ように頑張ってくれよな」

「あら、随分弱気なのね」

 絵里はそう言って微笑する。

「別に弱気じゃねェよ。俺はお前ェらが心配なだけだ」

「心配するなら、予選のことを心配しなさい。ラブライブに出場して、学校を救うんで

しょう?」

 絵里は言った。

「確かにその通り。今まで、色々とありがとうな。絵里、それに希も」

「過去を振り返るんは、全てが終わってからでもええんちゃうん?」

 希はそう言って笑う。

「確かに。俺は観客席で応援しているから」

「一番わかりやすいところにいなさいよね」

 ふと、絵里は言った。

「あン? 何でだ」

「あなたがいるってわかったら、少し安心できるっていうか……」

「はあ?」

「べ、別に気にしてるとかじゃないの! 私たちの努力をちゃんと見なさいってこと」


「あ、ああ。わかってるって」

「エリチは素直やないねえ、拳児はんが近くにおらへんと寂しいって、素直に言うたら

ええのに」

 そう言って希は絵里の頬を人差し指でツンとつつく。

「ななな、何言ってんのよ希!」

「そんだけ言えりゃあ大丈夫だな」

 こんな自分でも少しは勇気づけることができたのだろうか。

 播磨は自分自身の無力さ、小ささを改めて認識する。

 他人事には思えない。

 学校存続、夢の実現、心の成長、それぞれの思いが交錯しながらチームは一つに

まとまり、そして舞台へと旅立っていく。

「穂乃果!」

 最後に播磨は穂乃果に声をかけることにする。

「俺は舞台には上がれねェ。だから、頼むぜ。リーダー」

「……うん。任せといて」

 少しぎこちない笑顔で親指を立てる穂乃果。

 これから彼女たちは衣装の検査がある。

 だから急がなければならない。

「お前ェは一人じゃねェ。仲間もいる!」

 ゆっくり離れながら、播磨は言葉を続けた。

「う、うん」

「そうだよ穂乃果ちゃん」

 そう言ってことりは穂乃果に抱き着いた。


「頑張りましょう、穂乃果」

 海未も穂乃果を励ます。

「穂乃果ちゃん、頑張るにゃ」

「頑張りましょう」

「一生懸命やるだけやで」

「全力を出すのは当然よ」

「皆がいれば、怖くないわ」

 それぞれのメンバーがそれぞれの言葉で励ます。

 一人は皆を支え、皆は一人を支える。

 これがチームだ。

 そのチームにたくさんの人たちが協力して、そしてもっとたくさんの人たちが応援

する。

 遠ざかるメンバーの姿を見ながら播磨は考える。

 この先は何が起こるかわからない。

 だが、後悔だけはしてほしくない、と。



   *




 そしてついに始まったラブライブ予備予選大会。

 直前のくじ引きで決まった順番によると、μ’sの出番は二十三番目。

 かなり後の方になる。

正直、歌も踊りも凡庸なチームばかりだ。

 多少主観は入っているものの、これなら一位通過も夢ではないのではないかと思って

しまう播磨。

 だが、今の彼には安心感よりもイライラのほうが強かった。

(早く出番が来い)

 前回のプレ・ラブライブでは比較的早い時間に順番が回ってきたので、余裕を持って

見ることができた。だが今回は終盤でのパフォーマンスだ。

 穂乃果たちの顔が見られない時間が長い。

「少しは落ち着いたらどうなんだ、拳児」

 隣にいた雷電が言った。

 いつもは撮影係の彼だが、ラブライブは予選も含めて公式以外の録音が特別な理由

の無い限り許されていないので、今回は彼も一緒に観客席での観賞となる。

「早くμ’sの出番が見たいのお」

 近くに座っていた松尾が言った。

「もう少しじゃ、もう少し」

 田沢もいる。

 全員ではないが、かなりの数の生徒たちがμ’sの応援に来てくれている。

 それだけ期待値が高いというわけだ。


「雷電よ」

「何だ、拳児」

「何もできねェってのは、こんなにももどかしいものなのかね」

「どうしたんだ、お前らしくない」

「いや、ちっとな」

「子供を送り出す親の心境というやつか?」

「いや、そんなんじゃねェと思うが。思うんだが」

 舞台の上と下。

 直線にしてみれば、そんなに遠くないはずなのに、なぜ今こんなにも遠く感じて

しまうのだろうか。ステージとは、それだけで異世界のような場所なのだろうか。

「難しい顔をしておるな。らしくないぞ」

 雷電は言った。

「うるせェ。まあ、確かに考え込むのは俺らしくもないと言えるが」

 播磨は大きく息をつく。

 μ’sの出番までまだ時間がある。

「悪い、雷電。ちょっと水でも飲んでくるわ」

「ああ、すぐ戻って来いよ」

「わかってる」

 播磨はどうしても落ち着かず、席を立った。



   *



 仲間のことは信頼している。

 たくさん練習していることはしっている。

 だけど、なぜこんなにも不安なのか。

 自動販売機でミネラルウォーターを買いながら播磨は思った。

「やあ、こんな所で会うなんて奇遇だね」

「あン?」

 不意に男の声が聞こえた。

 ミネラルウォーターのボトルを取って顔を上げてみると、見覚えのある大柄な男が

そこにいた。

「新井、タカヒロ……さん」

「やあ、播磨拳児くん」

 ダサいTシャツと立派な体格の新井タカヒロである。

「どうしてアンタがこんなところに」

 A-RISE(UTX学院)は予選を免除されているのでここにはいないはずである。

「まあ、偵察だよ。今年のライバルになりそうな高校のね」

「他のメンバーは?」

「あら? 気になるのかい? キミのお気に入りは誰かな。綺羅ツバサくんかな?

それとも優木あんじゅくんかな。意外にも統堂くんだったりしてな」

(ウゼェ……)


 正直、A-RISEのメンバーの名前はよく覚えていない。

 辛うじてセンターボーカルの前髪パッツンの少女が、某サッカー漫画の主人公と同じ

名前である、というくらいしか知らない。

「別にA-RISEは気にしちゃいません。今は予備予選に集中してるだけッス」

「おお、自信満々だね。A-RISEは眼中にないと」

「んなことは言ってねェッスよ。今は、目の前の舞台に集中しなきゃいかんってこと

ッス。上ばっか見てると足もとすくわれるからな」

「ふむ。良い心がけだ。キミは良いプロデューサーになれる」

「プロデューサーなんか興味ねェよ。俺はただ……」

「ただ?」

「何でもないッス」

 播磨はペットボトルを握りしめる。

 ひんやりとした感触が手から伝わってきた。

「じゃ、失礼するッス」

 播磨は一礼して新井の前から足早に去ろうとする。

「ああ、そうだ」

 そんな播磨に新井は声をかけた。

「何ッスか」

「予備予選の突破、願っているよ。我々としても、注目しているμ’sとは戦いたい

からね」


「相手になりますかね」

「今が一番伸びる時期だ。それに、ステージ上はある種の異界だよ。何が起こるか、

わからないからね」

「……あっ」

 その時、播磨はあることを思い出した。

「どうかしたかい?」

「いや、その……。東條希という人物を、ご存じありませんか」

「……いや」

 新井は首を振った。

 しかし、

「鈴谷瞳(すずやひとみ)という人物なら知っている」

「スズヤヒトミ? 誰ッスか」

「昔の知り合いさ、それじゃ。僕は人を待たせているので」

「あ、ちょっ」

 何やら意味深な言葉を残した新井は播磨とは反対方向に去っていた。

 恐らく奴は特別な存在なので、VIP席か何かで観賞するのだろう。

(俺たちのような一般の生徒とは違う)

 そう思うと少し腹が立ってきた。

(見てろや、庶民の力を思い知らせてやる)

 ふつふつとわき上がる闘争心を鎮めるため、播磨はペットボトルのフタを開け、中の

ミネラルウォーターを一気飲みした。


冷たい液体が喉を通って胃に流れ込んでいく。

 すると、少しだけ脳が落ち着いた気がした。

(スズヤヒトミ……。何者だ?)

「おおい、播磨」

 聞き覚えのある声が播磨の名を呼ぶ。

「ん?」

 振り返ると特徴的な髪型の生徒が一人。

「松尾か」

「どうしたんじゃ。もうすぐμ’sのステージがはじまるぞ」

「何言ってんだ、もう少し先だろう」

「ステージ前の緊張感も楽しむのがプロのアイドルファンってものじゃ」

「何のプロだよ……」

 播磨は松尾と一緒に観客席に戻る。

 待ち時間が長く、応援団も多少ダレてしまったけれど、μ’sのメンバーはそんな

ことはないと信じて、会場へと向かう。
 




   *



 随分と長く待っていた気がする。

 彼女たちのパフォーマンスを待っている、大勢とは言えないけれど、何人か集まって

くれた音ノ木坂の生徒たちの集団の中では恐らくかなり長い時間に思えただろう。

 圧倒的な実力を持つチームは、ほとんどがシード権を得て予備予選を免除されて

いるので、ここでは凡庸なチームばかり出ているような気がする。

 そんな気持ちが時間を更に長く感じさせた。

「次だぞ、拳児」

 雷電は言った。

 何度か休憩を挟んで、ついにμ’sのパフォーマンスが始まる。

 播磨は緊張してきた。今までにない緊張だ。

 どうすればいいのかわからない。とにかく、今は何も考えずに彼女たちの動きを

ただ目で追いかければいいのだろうか。

 どんな顔をして見たらいいのだろうか。

 色々な思いが交錯する。

 思えばこの数か月、スクールアイドルのことばかり考えて生活してきた。

 今までの彼ならば、当然ながらありえない生活だ。

《次は、音ノ木坂学院スクールアイドル、μ’sの皆さんです》

 アナウンスが流れると、一部で歓声が起こる。

 松尾たち、音ノ木坂の生徒たちの声だ。

 暗くなったステージに光がともる。


 そこに現れる九人の少女たち。真ん中には、播磨がよくしっている穂乃果の姿が

あった。

 少し離れているので表情はよくわからない。恐らく緊張はしているだろう。

 だがそれはいつも通りだ。

 ピンと張りつめた空気、それを切り裂くように前奏が始まった。

 田沢や吹奏楽部の協力で編曲されたμ’sの曲。それは、彼女たちだけでなく、

音ノ木坂学院全員の音と言っても過言ではなかった。

 第一声は、穂乃果からはじまる。

(いい歌い出しだ!)

 再び歓声。

 一人、また一人と歌に加わり、九人全員の声が合わさった時、観客席にいる人たち

もその熱気に包まれていく。

 一つ一つの動きが播磨には手に取るようにわかる。毎日毎日、地味な基礎練習から

振付をはじめ、何度もの何度も確認した。

 時にビデオに撮り、何度も見返すメンバーもいた。

 疲れた、痛い、休みたい、そんな弱音を吐く者は誰一人としていなかったのだ。

 彼女たちの努力の結晶。そして今、応援している連中もまた、何らかの形で協力

してくれた者ばかりだ。

(わかるか穂乃果。それにみんな。お前ェらは一人じゃねェ)

 1コーラス目が終わり、緊張がほぐれてきたのか、メンバーの動きにキレが増してきた


ような気がする。

(これは……)

 身内なので、どうしてもひいき目に見てしまうけれど、今のμ’sはA-RISE

にも匹敵するパフォーマンスができているかもしれない。

 播磨は立ち上がりたい衝動に駆られる。

 普段通りの実力?

 いや違う。

 其れ以上のものがそこにはあった。

(頑張れ、穂乃果、園田、ことり、真姫、花陽、凛、にこ、絵里、希)

 一人一人の名前を頭の中で繰り返す。

 それしかできない。

《ウオオオオオオ!!!!!》

 まだ終わってもいないのに、拍手と歓声が会場を包んだ。

 会場を支配する。

 一部のスターにしかできないと思っていたその情景を、今彼女たちがやっている。

 彼女たちの一挙一投足に会場が揺れる。

 そんな錯覚すら覚える。

(これは一位通過もあるか)

 播磨がそう思った瞬間であった。

「あっ!」

 ごく初歩的なステップ、そこで穂乃果のバランスが崩れる。


「なっ!!!」

 ど真ん中のかなり目立つ位置で、穂乃果が転倒したのだ。

 観客席にどよめきが起こる。

 音楽はまだ続いているけれど、要であるセンターボーカルの転倒で、全員の動きが

止まってしまった。

(まずい!)

 播磨は立ち上がる。


「立て穂乃果ああああああ!!!! 曲はまだ終わってねえぞおおおおおおお!!!」


 今までの人生の中で渾身の叫びと言っても過言ではないほどの大音声で播磨は叫んだ。

あまりの大きさに、会場は舞台ではなく播磨に注目してしまう。

「ん!」

 穂乃果はすぐに立ち上がり、フォーメーションを組み直そうとする。

 だが、テンポの早い曲なので、かなり長い時間、空白ができたように見えた。

 それでも、何度も何度も練習した曲だ。彼女たちは曲の途中から始める。

「そうだ、行け!」

 播磨は言った。

 一度崩れてしまったリズムを取り返すのは難しいかもしれない。

 いや、難しいに決まっている。どんなに優秀なアスリートでも、リズムを崩すと

調子が一気に悪くなることもあるのだ。


「行け! 行け!」

 何が一位通過だ、何が予選突破だ。

 播磨はにこの言葉を思い出す。

 いつだってこれが最後のステージだと思う。

 その言葉の重要性に今更ながらに気づく。

 足元をすくわれないように気を付けていたつもりであったけれど、油断があったの

かもしれない。

「頑張れええ! μ’s!」

 松尾や田沢、富樫たちも応援する。

 再びあの時のような熱気を取り戻すことは不可能かもしれない。

 だが曲が続く限り、曲が続く限り踊り続ける。

 それしかない。

「……」




   *


 曲が終わる。

 全てが完璧であった。あの転倒事故までは。

 だが、今そんなことを言っても仕方がない。

 播磨は考えた。穂乃果に何と声をかけようかと。

「拳児、高坂を責めないでやってくれ。アイツも一生懸命にやったんだ」

 心配そうに雷電は言った。

「そんなつもりはねェよ」
 
 播磨は観客席を出て、楽屋近くで待機する。

 もうすぐ舞台袖から穂乃果たちμ’sのメンバーが出てくるのだ。

(どう声をかけようか)

 重たい扉が開き、九人のメンバーが出てきた。

 皆、一様に暗い顔をしている。

 言葉を必死で探す播磨。

 だが、今この状況で何を言っても上滑りするような気がした。

「……」

 雷電も黙ったままだ。

 ステージ終了直後の紅潮した顔で、穂乃果は播磨を見た。

「拳児くん……」

 穂乃果は笑顔を見せた。

 今までに見たことの無い悲しい笑顔がそこにあった。

「拳児くん。……ごめんね、私の――」


 すべての言葉を言う前に、播磨は穂乃果を抱きしめる。

 パフォーマンスを終えたばかりの穂乃果は、とても熱く感じた。

「よかったぞ、穂乃果」

 播磨は穂乃果の頭を撫でた。舞台用にセットした髪だったが、構わず強く撫でる。

「う……、うはああああああああああん!!!」

 堰を切ったように泣き出す穂乃果。

 元々熱かった身体が更に熱くなった気がした。

「よしよし、気が済むまで泣け」

 穂乃果の身長は小さいので、彼女は播磨の胸に顔をうずめてわんわんと子供のように

泣きじゃくる。

 播磨は穂乃果の頭越しにメンバーの表情を見た。

「お前ェたちもよく頑張った。今まで見た中で、最高のステージだったよ。あの状況

よく立てなおせたな」

「でも、ラブライブが……」

 ことりは言った。

 それは確かに気になるところだ。

 しかし、

「別に、んな事は関係ねェよ。俺がいいつってんだ。なあ、雷電」

「……ああ、いいステージだった」

「何がいいステージよ。これが最後かもしれないのに!」

 そう言ったのはにこだ。目にはたくさんの涙をためている。

「でもいいものはいいんだよ。お前ェも最高だったぜ、にこ」


 そう言って播磨はにこの頭も撫でた。

「ば、ばかああ!!!」

 そう言うと、一気ににこの目から涙があふれ出す。

「やめてよにこちゃん」

 彼女を止めたのは真姫だった。

「かよちん……」

「大丈夫だよ」

 花陽と凛は抱き合って泣いている。

 ことりや海未も泣いていた。絵里や希は、下級生の手前我慢しているようであった

が、目に涙をためていることは一目瞭然であった。

 本当は全員に声をかけたかった播磨であったけれど、廊下でわんわん泣いている姿は

とても目立つので、これ以上この状況を続けるわけにもいかなかった。

「すまねェな、穂乃果。楽屋で化粧落として来い。折角の美人が台無しだぜ」

 穂乃果の両肩を掴んだ状態で播磨は言う。

 泣きじゃくった穂乃果は、涙と涎と鼻水でぐしゃぐしゃな顔をしていた。ヒロインに

あるまじき泣き顔である。

「げんじぐん……」

 そして変な声を出した。

「ほら、穂乃果ちゃん。行くで」

 そう言って穂乃果の肩を抱いたのは希であった。

「悪いな、希」


「ウチも辛いんやで……」

「後で死ぬほど慰めてやるよ」

「本気にするよ?」

「絵里、お前ェもあんまり無理すんなよ。生徒会長とか、この場では無しだぜ」

「私は大丈夫よ」

 気丈に振る舞う絵里の姿がまた切なかった。

 一年生組や二年生組は互いに声を掛け合いながら、楽屋へ戻って行く。

 播磨は、彼女たちが着替え終わるまでロビーで待つことにした。

 もう、残りの学校のステージをゆっくり見ている気にはなれなかったからだ。

「雷電、色々迷惑かけてすまなかったな」

 播磨はとりあえず雷電に謝る。

「何を言っている拳児。まだ終わってないだろう」

「だけどよ」

 パフォーマンスの最中にあれだけ派手に転倒したチームは他に無い。

 これで予備予選を通過する、というのはかなり難しいだろう。

 播磨は携帯電話を取り出した。

「確か、登録してあったはずだが……。あった」

 とある番号を見つける。

「もしもし、月子さん?」

 播磨がかけたのは、月光の家、月詠亭だ。

『拳児くんが電話してくるなんて珍しいのです。何かあったのですか?』


 月光の母、月子の声が聞こえてきた。

「今夜、十一人分の食事、予約できっかな」

『何がいいですか?』

「夕食、何がいいかって」

 播磨は雷電に聞いた。

 すると、雷電は無言でうなずく。

 任せる、という意味なのだろう。

「そんじゃあ、一番いいのを頼む。思いっきり美味いのをな」

『わかりました。準備して待っているのです』

 


   *


 

 しばらく待っていると、全ての学校のパフォーマンスが終わり、後は結果を待つ

だけとなった。

 しかし、穂乃果たちμ’sのメンバーはまだロビーには現れない。

「心の整理というか、そういうのがまだついていないのだろう」

 雷電はそう好意的に解釈する。

「お待たせ」


 ふと、聞き覚えのある声が響いた。

 穂乃果の声だ。

「おお、穂乃果か」

 穂乃果だけでなく、他のメンバーも制服に着替えてロビーにやってきた。

 みんな暗い顔をしているけれど、先ほどよりは幾分か落ち着いたようだ。

「お前ェも少しは落ち着いたようだな、穂乃果」

 そう言って穂乃果の頭を撫でる播磨。

「なんか、大泣きしたら逆にスッキリしちゃって。ありがとう、拳児くん。あのまま

我慢してたら、もっとくよくよしてたかも……」

「そういや、ジョジョの第二部で戦闘中でも泣いたら気分が落ち着くって奴がいたな」

「え? 拳児さん、ジョジョ好きなんですか?」

「は?」

 なぜかジョジョという言葉に食いつく真姫。

「どうした、いきなり」

「いえ、何でもないです」

 恥ずかしそうに顔を伏せる真姫。

 一体何があったんだ。

「そういや、もうすぐ結果が発表されるな」

「うっ、もう帰っていいかな」


 穂乃果がそう言うと、全員が顔を伏せる。

「何バカ言ってんだ。まだ結果は出てねェんだぞ。リーダーのお前ェがそんな弱気

でどうする」

「でも、私のせいで大きな減点を貰ったわけだし……」

「誰も責めてねえっつってんだろ。悪く言う奴がいたら、俺がぶっとばしてやるよ」

「拳児くん……、ありがとう。でも暴力はダメだよ」

「モノの例えだよ」

「あの……」

 不意に凛が近寄ってきた。

「どうした、凛」

 恥ずかしそうにモジモジしている。

「あの、凛ちゃんも穂乃果ちゃんみたいに、その……」

「ん?」

「撫でて欲しいんだよね、凛ちゃん」

 凛の代わりに花陽が言った。

「か、かよち~ん」

 恥ずかしそうに花陽をポカポカ叩く凛。

「なんだ、そんなことかよ」

 そう言うと、播磨は大きな手で凛の頭を撫でる。

「くふふ」

 凛は嬉しそうだった。まるで本物の猫のように。


「ちょっと勇気出たにゃ」

「何の勇気だ?」

「結果を受け止める勇気だにゃ」

「結果を、受け止める……」

 凛の言葉が播磨の心に重くのしかかる。

(そういや、コイツらのほうが俺なんかよりもよっぽど苦労しているし、ショックは

デカイはずなんだよな)

 播磨は自分勝手な考えに少しだけ後悔する。

「私は自分の出来る最高のパフォーマンスをした。だから後悔はないわ」

 そう言ったのはにこである。

 さっきまで半べそだった彼女も、今は腕を組んで心を保とうと努力している。

「はりくん、私もだよ」

 ことりも言った。

「播磨くん。私もです。後悔はありません」

 海未もそれに続く。

「そういうのは穂乃果に言ってやれよ」

「穂乃果に言ったら、慰めみたいに聞こえるじゃないですか。だから、あなたに言います。

アイドル部の副部長のあなたに」

「そうか」

 女は強い、改めてそう思った。


 しかし、あんな短時間で気持ちが切り替えられるものか。

 恐らく無理だろう。

 結果がでなければ、ジワジワと真綿で首を絞められるように絶望感が襲ってくるはず

だ。

 そんな時、自分はどうすればいいのか。播磨にはわからなかった。

「なあ、雷電」

 播磨が隣にいた雷電に声をかけようとしたその瞬間、

「結果が出たぞおお!!!!」

 男の声が聞こえた。

 大会の役員らしき人物が大きな紙を持って掲示板の前に歩く。

 あの紙に順位が書かれていることは間違いない。

「拳児」

 雷電は言った。

「俺が行く」

 播磨は立ち上がる。

 最後まで見届けるのが、ここまでチームを作ってきた自分の務めだと思ったからだ。

「私も行くよ、拳児くん」

 不意に穂乃果も立ち上がった。

「穂乃果?」

「私、リーダーだからね」

 そう言って穂乃果は片目を閉じた。


「わかったよ。全員で行くと混むから、お前ェらは待っててくれ」

「はい」

「わかりました」

 播磨の言葉にその場にいた全員が頷く。

 順位の発表。上位六チームまでが予選大会に進むことができる。

 張り出される順位表。

 紙の前には大勢の人だかりができていた。

「拳児くん」

「手、繋いでやるよ」

 そう言って播磨は穂乃果の手を取る。

 何だかよくわからないが、そうしたほうがいいと思ったからだ。

 少し汗ばんだやわらかい手は微かに震えていた。

「……ありがとう」

「ん?」

 穂乃果は独り言でもつぶやくように小さな声でお礼を言った。

 播磨は意を決して順位表を見る。

 第一位に、μ’sの名前は無い。

(当たり前か)

 そう思いながら上から順に見て行く。

 第二位、

 第三位、


 第四位、

 第五位、

 そこまで見て目線が止まる。

 これ以上見るのが辛かった。

 もし第七位とかだったら……。

「け、拳児くん?」

 穂乃果の握った右手に力が入った。

 声が震えている。

「どうした?」

「あ、あれ」

 穂乃果は、握っていないほうの手で順位表を指さす。

「あ……」



 第六位、音ノ木坂学院高校 μ’s


「ああ!」

 六位。ギリギリ。でも! 予備予選突破!

「うおあああ!!」

 言葉にならない言葉が出た。

 しかし、周りがうるさそうにしていたので声を殺す。

(間違いねェか!)

 声を潜めて穂乃果にもう一度確認させる。

(間違いないよ!)

 興奮した声で穂乃果は言った。


 あんだけ派手な転倒を見せて、曲の流れを止めてしまったにも拘らず、何とか予選

を突破。

 ギリギリだけど、突破した。

 播磨と穂乃果は人垣をかき分けるようにして他のメンバーの元に戻る。

「どうでしたか?」

 真っ先に聞いたのは海未だった。

 不安そうにしていたメンバーに対して、穂乃果はVサインを見せる。

「え?」

「第六位、ギリギリだが予備予選突破だ」

「うっそおおお!!!」

「やったあああ!!」

「やったにゃああああ!!!!」

 互いに抱き合ったり万歳をしながら喜ぶμ’sのメンバー。

 そんな中、絵里や希は静かに喜びをかみしめていた。

 絵里の目元に薄らと涙が浮かぶ。

「泣いてんのか、絵里」

 播磨は少し意地悪を言ってみる。

「うれし涙はいいのよ」

 そう言って絵里は涙を拭った。

「ふん、にこちゃんの実力なら当然よね」

 にこはそう言って強がっているが、目には涙が浮かんでいた。

「お前ェ、次は本予選だぞ。んな所で泣いてる場合じゃねェだろう」


「当たり前でしょう? また明日からバリバリ行くわ」

「明日は休みにしようぜ。こっちはヘロヘロだ」

「何よ、情けないのね。実際にステージに立ったのは私たちなのに」

「しょうがねェだろうがよ」

 播磨は、希にも目をやる。

 他のメンバーほど派手ではないけれど、喜びの表情は見て取れる。

「悪いな、希。死ぬほど慰めてやるって約束、ありゃキャンセルだ」

「あら、残念やね」

 希はそう言って笑った。

「俺みてェな男に慰められるよりも、もっと嬉しいことがあるさ」

「それは何?」

「さあ、よくわからん」

 メンバー同士で喜び合っていると、応援に来ていた田沢や松尾たちも駆け寄ってきた。

「予備予選、通過したみたいじゃのお!」

 開口一番、松尾が言った。

「お前ェら、どこでそれを」

「スマフォの速報に出てたぞ」

 そう言って、スマートフォンの画面を見せる松尾。

「祝勝会じゃ、祝勝会!」

 田沢はそう言って騒いだ。

「つうか、コイツらにも世話になったからなあ」


 播磨は残念会の予定で、月子の店に予約を入れていた。

 だが変更しなければならいようである。

 そしてもう一度携帯電話を取り出す播磨。

「もしもし、月子さん? さっきの予約、追加で。二十人前、いや、三十人前かな?

なに? 材料がない? 月光に買いに行かせてくれ。とにかく美味い料理を頼む」

 携帯をポケットにしまった播磨は、ほっと一息つく。

 これで終わりではない。

 それはわかっているけれど、一気に身体の力が抜けたように膝から崩れ落ちる。

「だ、大丈夫? 拳児くん」

 そんな播磨を右隣から支える穂乃果。

「いやあ、ホッとしたら力が抜けちまって」

「拳児さん」

 左隣では、真姫が腕を支えた。泣き腫らした目でじっと播磨を見ている。

「大丈夫だからよ」

(そういや、コイツらが一人じゃないように。俺も一人じゃなかったな)

 そう思うと、少しだけ安心する播磨なのであった。




   つづく


 予備予選突破、それは奇跡でもなければ偶然でもない。

 当然の結果だったはずだ。

 ただ、運命の歯車がほんの少しズレてしまったため、実にスリリングな展開になって

しまったようである。

 予備予選大会終了後、播磨たちは月光の家である中華飯店月詠亭で祝勝会を行う

ことになった。今回は、メンバーだけでなく関係者や応援してくれた生徒たちも呼んだ

ので、かなり大勢の客が入ったようだ。

 こんなにも人でいっぱいの月詠亭は初めてみるかもしれない。

「それでは、μ’sの予備予選突破を祝して、カンパーイ!」

 穂乃果の音頭で祝勝会がはじまる。

 ただ、そこは高校生である。

 あまり遅くまではやっていられない。

「結局、明日の予定はどうなるの?」

 隣りに座ったにこが聞いてきた。

「明日は休みだ。完全にオフ。お前ェらも少し休め」

 播磨は言った。

「そんなんで大丈夫なの?」

「休むことも練習のうちだって、スポーツの本にも書いてあったぞ」

「アンタが本を読むなんてねえ」

 ニヤニヤと笑いながらにこは言った。

「別に俺が本読んだっていいだろうがよ。自分のことだけだった、こんな勉強なんかも

しねェよ」

 そう、今は自分のことだけでなくメンバーや大会のことを考えなければならない。

 でもそこは高校生だ。

「明日は、自分のことだけを考えて過ごしてェ」

 そう言って、播磨はオレンジジュースを一気飲みした。

 学校も、勉強も、スクールアイドルも、何もかも忘れて、ただ純粋に自分のためだけ

に過ごす一日。






     ラブ・ランブル!

 播磨拳児と九人のスクールアイドル

   第二十五話 播磨の休日




 突然だが、播磨は途方に暮れていた。

(何すりゃいいんだろうか)

 春先から夏にかけて、完全な休みというものを全く経験していなかった彼にとって、

まったくやることがない日というのはかなり困るものであった。

 高校生ならこの際しっかり勉強でもすればいいのだろうけども、とても天気の良い

さわやかな夏の日に部屋にこもって勉強をする気にはなれなかった。というより、

もともと播磨は勉強が好きではない。

 家にいても弟や親がうるさいので、彼は外に出ることにした。

 しかし、外に出たところでやることがあるわけでもない。

 図書館で静かに読書、とか喫茶店で優雅にお茶、などというのも柄ではないので、

ほとほと困り果てていた。

 そして、電車を乗り継いて彼が行きついた場所は――

(何でこんな所に来ちまったんだろうか)

 秋葉原であった。

 なぜ彼が秋葉原(ここ)に来たのか、はっきりとした理由や目的はない。

 ただ、播磨にとってこの秋葉原はアイドル活動にかかわる原点と言っても過言では

なかった。

 家電製品やアニメ・漫画などの店の他に、最近はアイドルグッズを扱う店も出てきて

いるらしい。


 そしてこの秋葉原にそびえ立つ巨大な学校、UTX学院。播磨たちにとっては、最強

にして最大のライバル、A-RISEが通っている学校でもある。

(そういや、この街では色んなことがあったよなあ)

 そんなことを考えながら、播磨はUTXの前を通りかかる。

 中にはこの学院の生徒や関係者しか出入りできないようになっているので、今は外

から眺めるだけである。

 予備予選を突破できたとはいえ、未だA-RISEとの実力差があることは明白で

ある。とにかく、本予選がはじまるまでの短期間でA-RISEとの実力差を埋めな

ければならない。

 そう考えると気が重くなる。

 改造手術でもしない限り、身体能力が飛躍的に向上するということはない。だったら、

今の能力を伸ばして少しでも彼女たちに近づかなければならない。

 それはどうすればいいのか。難問である。

 ここまで考えて播磨は首を振る。

(いかんいかん、今日はスクールアイドルのことは考えないって決めてたのによお)

 長い間の習慣とは恐ろしいもので、播磨の頭の片隅からメンバーや大会のことが

離れることはなかった。

(ダメだ。こんな所にいるから変なことを考えちまう。神保町にでも行って、蕎麦を

食うか)


 そんなことを思いながらぶらぶらと歩いていると、不意に地味な服装の女性とぶつかった。

「あいたっ」

「おい、大丈夫か」

 急にぶつかられたけれど、女性とぶつかって転ぶほど播磨は弱くない。

 相手も、少しバランスを崩しかけたけれど、すぐに体勢を立て直す。

(ほう、いい運動神経だ)

 思わず感心してしまう播磨。

 身長はそれほど高くない。年のころは自分と同じ高校生くらいだろうか、播磨は思った。

 だが、

「ん?」

 目の前の女性、というか少女はベージュのハンチング帽を目深にかぶり、メガネを

かけているけれど、その顔の輪郭や匂いには覚えがあった。

「あなたは!」

 意外にも、先に声を出したのは彼女のほうである。

「ん?」

「確か、播磨拳児さんですよね。プロデューサーと話をしていた」

 メガネの少女はそう言って笑う。

「あン?」

 彼女の声は確実に覚えている。

 そしてその笑顔も。


「お前ェは、確かA-RISEの……、大空」

「違います」

 そう言うと、彼女はメガネを外す。

「覚えていません? A-RISEの綺羅ツバサです」

 ツバサは上目づかいでクスリと笑った。

「あ、ああ」

 ようやう思い出す播磨。

 名前が出てこなかったのだ。

「帽子かぶってるからわかんなかったぜ。あの、前髪パッツンの娘か」

「前髪で覚えてたんですか? 失礼ですねえ」

 そう言うと綺羅ツバサは頬を膨らます。

(あれ? こいつこんなキャラだったっけ?)

 プレ・ラブライブで顔を合わせた時は、もう少し落ち着いた感じの喋り方をしていた

ような気がしたのだが、今の彼女は少し子供っぽい。いや、年相応と言ったほうがいい

だろうか。

 メガネをかけ直したツバサは再び質問をした。

「今日はどうされたんですか? こんな所で」

「ああいや、今日は休みなんだがな。恥ずかしい話、休みに何したらいいのかわからず、

こんな場所まで来ちまったってわけよ」

「あ、そうなんですか? 私と同じですね」


「同じ?」

「はい。今日はちょっと学校に用事があって、それが今終わったんです」

「ふうん」

「今日は私もこれからはオフなんですよ」

「そうか。良かったな。お前ェも忙しいからなかなか休みは取れねェだろう」

「そうですねえ。地方公演とかもやってるんで」

「そりゃ大変だ。まあ、ゆっくり休めよ。俺は行くわ」

 そう言うと、播磨は軽く手を振ってツバサの横を通り過ぎて行く。

「ちょっと待った」

「んが」

 不意に播磨のシャツを掴むツバサ。

 意外と腕力が強く、思わず播磨は仰け反ってしまった。

「何すんだよ」

 振り向きざまに播磨は言う。

「私、これからオフなんです」

「だから何だよ。ゆっくり休めよって言ってんだろう? 大会も近いんだし、明日から

また練習始まるんだろう? 俺たちもそうだ」

「そうなんですけどお」

「なんだよ」

「もうっ、播磨さんってよく鈍いって言われるでしょう!」

「何でそうなるんだよ」


「ちょっと、甘いものでも食べに行きません?」

「はあ? 何だいきなり」

「私だって、久しぶりのオフをエンジョイしたいんですよ」

「すりゃいいだろ」

「エスコート役が必要だと思いません?」

「そうなんですか?」

「そうなんですよ」

「……」

「……」

「もうっ、一緒にお茶でもどうですかってことですよ。女の子にここまで言わせる

なんて最低です!」

 そう言って怒り出すツバサ。

 なぜここで怒る。

 というか、なぜ自分をお茶に誘うのか、まったくわからない播磨であった。




   *




 明るいけれど、落ち着いた感じの店であった。

 人の声は聞こえるけれど、うるさくなく、何より仕切りがあって変な視線を感じ

ないのがいい。

 ここは有名パティシエが経営しているというちょっと高級なスイーツショップである。

「ったくよう、お前ェらのプロデューサーといい、お前ェといい、ちっとは考えたら

どうなんだ」

「何がですか? このパフェが美味しいってことですか?」

 ツバサの前には大きなパフェが、甘い物が苦手な播磨の前にはブラックコーヒーが

置かれていた。

 いつもよりコーヒーの香りを強く感じる。きっと豆が良いのだろう。

「この店、一度来てみたかったんですよね。ほら、アイドルやってると、食事制限とか

あるから、あんまりこういうモノが食べられなくて。はあ、幸せ」

 本当に幸せそうにパフェを頬張るツバサ。

 秋葉原で会った時に身に着けていたハンチング帽とメガネを外しているので表情が

よくわかる。

 その笑顔は穂乃果や花陽に通じるものがある、と播磨は感じた。

「いや、そうじゃなくて」

 播磨は再び首を振った。

「どうしました?」


「何でお前ェと俺が仲良く向かい合ってパフェ食ってんだ?」

「播磨さんはコーヒーですよ?」

「いや、だからそうじゃなくてな」

 播磨はもう一度落ち着こうと大きく息を吸う。

 どうも流されてしまうのは自分の悪い癖だと思う。

 思えばアイドル部を作ったのも穂乃果の情熱に流された結果であった。

「俺とお前ェは別々のチームなんだ。いわば敵同士だぞ。それがこんな、ちょっと

いい店でパフェなんか食ってだなあ」

「へ?」

 播磨の言葉にツバサはキョトンとしている。

 言っている意味がわからないのだろうか。

「だからよ、お前ェらにとっては取るに足らないチームかもしれねェけど、俺たちに

とってはお前ェらA-RISEはライバルなわけよ。それが、こんな所で仲良く

パフェなんか食ってるのはおかしいんじゃないかってことだよ」

「今日はオフですよ? いいじゃないですか」

「よくねェよ」

「意外と固い考えなんですね。ここまで来ておいて」

「お前ェが無理やり引っ張ってきたんだろうが」


「だってえ、一人で入るのって怖いじゃないですかあ。この店カウンターとかもないし」

「それから、さっきからずっと気になってたんだけどよ」

「はい?」

「お前ェ、プレ・ラブライブで会った時と喋り方違うくねェか?」

「ああ、あれは演技です」

「そうか、演技か……。はあっ!?」

 意外なことをあっさりと言い放つツバサ。

「演技……?」

「A-RISEをやっている時は、綺羅ツバサという役を演じているんですよ」

「もしかして、あの時倒れ込んだのも」

「はい、あれも演技です」

「なんであんなことを」

「あそこであなたが助けてくれるか否か、ちょっと試してみたんです」

「試す?」

「実はですね、事前に播磨(あなた)のことはプロデューサーから聞いてたんですよ。

高校生なのに、凄腕のSIPがいるって」

「……」


「でも小手先の技術や知識でスクールアイドルを育てるなんてできないと思ったから、

ちょっと試してみることにしました」

「それで、倒れ込んだと」

「はい。とっさに助けてくれる人なら、きっといい人なんだろうな、と」

「あそこは普通助けるだろう。もし俺が助けなかったら、怪我してたかもしれねェん

だぞ?」

「その時はその時です」

「はい?」

 この女のことがますますわからなくなってきた播磨。

「私、賭けには強いんですよ。A-RISEのオーディションにも合格できましたしね」

「まったくわからん」

「そうですか? 私は私で納得してますけど」

「そうかよ。で、もしかしてその綺羅ツバサって名前も偽名なのか?」

「はい。そうですよ?」

「ぶっ!」

 言い難いこともはっきり言う。

「だいたい、綺羅なんて苗字があるわけないじゃないですか」

「松の廊下で斬り付けられた人とかいるじゃねェか」

「それは吉良上野介の吉良でしょう? 私の本名は山田です。山田早紀」


「はあ?」

「普通でしょう?」

「ヤマダサキ? いや、確かに普通だけどよ」

「はい」

「どういう字を書くんだ?」

「山田は普通の山田です。早紀は早いにノリと書く紀です」

 本当に普通の名前だった。全国に同姓同名が何人もいそうなくらい普通の名前。

 ただ、雷電とか月光とか、播磨の知り合いには奇抜な名前が多いので、普通の名前

は聞いていて落ち着く。

「へえ。いい名前じゃねェか。ご両親が付けてくれたのか」

「お祖父ちゃんが付けてくれたんです」

「そうか」

「でも初めてですよ?」

「何が?」

「私の名前、良いって言ってくれた人」

「本当か? シンプルでいいと思うけどな」

「お世辞でも嬉しいですよ。普段からそれくらいの気遣いができれば、もっと女の子

にモテると思うんですけどね」

「別にお世辞じゃねェし。あと、女云々は余計なお世話だ」

「こりゃ失礼しました」


 そう言うと綺羅ツバサ、いや、山田早紀はペロリと舌を出す。

「なあ、山田」

「せめて早紀って呼んでもらえません?」

「なんだよ、自分の名前気に入ってんだろ?」

「下の名前だけです。苗字は違います」

「何でだよ」

「いいじゃないですか。それに結婚したら苗字も変わるし」

「男が変わるって場合もあるだろうがよ」

「播磨さんは婿入りするんですか?」

「はあ? んなことは考えてねェよ」

 播磨は結婚、特に婿養子のことは考えないようにしている。

 なぜなら、婿養子になったら某和菓子屋で和菓子を作っている未来しか想像できない

からだ。

「それじゃ、二人きりの時だけ『早紀』って呼んでください」

「この先二人きりになることがあるのか?」

「わかりませんよ? 未来のことなんて誰にもね」

 そう言って早紀は笑った。

 彼女の自然の笑顔はどこか心を落ち着かせる。

 それは舞台上で見せている笑顔とは、何か異質のものであった。

 例えるなら、ライブで見せる笑顔がキチンと計量したプロの料理だとすれば、播磨

の前で見せる笑顔は目分量で味付けした素人の料理。どちらが良いとか悪いという

わけではない。ただ、彼女は完全に綺羅ツバサと山田早紀を使い分けているのだと

いうことはわかった。


「そんな風に人格を使い分けて、辛くないのか?」

 播磨は、もうすっかりぬるくなったコーヒーに口を付けながら聞いた。

「辛いですよ?」

 答え難そうな質問であったにも関わらず、早紀はあっさりと答えた。

「そうなのか?」

「でも綺羅ツバサの時は辛くありません。別に二重人格ってわけじゃないけど、

スイッチの入れ替えかな。アイドルスイッチ、オン! みたいな」

「なんつうか、プロフェッショナルみたいだな」

「確かにそうかもしれませんね。ウチらA-RISEは、オーディションで選ばれた

時点で学費や寮費などが免除されるし、奨学金もいくらか出るので、実質プロみたい

なものですよ」

「……」

 なんというか、レベルが違う。

 スクールアイドルとして同じ土俵に立つことがおこがましいほどの意識の違い。

 音ノ木坂のμ’sにも、矢澤にこのようなプロ意識(?)らしきものを持っている

メンバーはいるけれど、到底彼女たちには及ばないだろうと播磨は思った。

(いかんいかん、気持ちで負けてどうすんだ。天皇杯だって、高校生がプロのチーム

に勝つことがあるんだぞ)

 全然関係ないサッカーのことを思い出して心を落ち着かせようとする播磨。

 だが、

「はあ、もうちょっと食べたいなあ」


 幸せそうにパフェを食べる山田早紀という少女には、そんな厳しい世界に生きる

アイドルの顔はなかった。

「他のメンバーのことも聞いていいか」

 播磨は言った。

「他のメンバーって、A-RISEのことですか?」

「ああ」

「おや、情報収集ですか。やりますね」

「そんなんじゃねェよ。でもまあ、気にならないと言えばウソになる」

「どっちのことが知りたいですか?」

「どっち?」

「統堂英玲奈と優木あんじゅです」

「統堂って、あの棒読みっぽい喋り方の子か」

「それ、本人の前で言ったら傷つくから言わないほうがいいですよ」

「言わねェよ」

「まあ、彼女の棒読みにも理由があるんですけどね」

「本当か?」

「彼女、岩手出身なんです」

「ん?」

「中学校までずっと岩手で過ごしていたから、まだ東北の訛りが抜けなくて、

インタビューの時とかも、ああいう固い喋りになってしまうんです」


「お前ェ、それってかなり重要な情報じゃねェのか」

「まあ、出身地はプロフィールにも書いてあるからいいんじゃないですか?」

「もう一人のほうは……」

「優木あんじゅですね」

「まあ、そっちはどうでもいいか」

「いいんですか?」

「歌よりはキャラで売ってるって感じだよな」

「ああいうタイプは好き嫌いが分かれるかもしれませんねえ」

「なんでちょっと評論家っぽい口調になってんだよ。同じメンバーだろうが」

「プライベートで話をすることって、あんまりなくて」

「……そうなのか」

「そうですよ?」

 さも当然のように早紀は言った。

 いや、そうなのだろう。

 プライベートでのつながりだけでやっていけるほどアイドルは甘くない。

「じゃあ、わかんねェこともあるんだな」

「そうですね。お互いに」

「そうか」

「それじゃあ播磨さん。今度はこっちが聞いていいですか?」

「あン? まあ、仕方ねェ」


 情報交換は5:5(フィフティフィフティ)が原則だ。

 あちらの情報だけを聞いて、こちらの情報を一切明かさない、というわけにもいかな

いだろう。

「そんで、何が聞きたい」

「μ’sって、九人メンバーがいますよね」

「そうだな」

「ぶっちゃけ、誰と付き合ってるんですか?」

「な!?」

 思わず声を上げてしまう播磨。
 
「す、すんません」

 播磨は近くにいるウェイトレスに謝った。

「いきなり何聞いてんだ」

声を殺しながら播磨は言う。

「だって、あんな可愛い娘たちが九人もいるんだから、誰かと付き合ったってたって

不思議じゃないと思うんですけど」

「別に誰とも付き合ってねェ」

「本当にぃ?」

「本当だ」

「怪しいなあ」

「あのな。俺は別にSIPとかいう肩書きを持つ気はねェけど、一応音ノ木坂学院

アイドル部の副部長として、連中をラブライブまで導くっていう仕事があるんだ。


そのためには、メンバーとは平等に接しなきゃならねェ。特定の人間を贔屓する

わけにはいかねェんだよ。そんなことしたら、チームがバラバラになっちまう」

「据え膳食わぬは男の恥っていいますよ?」

「据え膳じゃねェから」

「いっそのこと全員食べたらどうですか?」

「何言ってんだバカ野郎」

「野郎じゃなくて女ですよ? 私」

「そこは重要じゃねェだろ」

「そうですか?」

「なんか調子狂うなあ……」

 播磨は頭をかく。

 綺羅ツバサとしてでなく山田早紀としての彼女はかなりの天然のようで、しかも

何というか、天真爛漫だ。

「じゃあ、俺は帰るぜ」

 そう言うと、播磨は机に千円札を置いた。

 高級ホテルでもないので、さすがにコーヒー一杯に千円以上かかることはないだろう。

が、ここは男として大目に出すことにする。また、奢ってあげるほどの仲でもないから、

これくらいがちょうどよいのかもしれない。

「これからどうするんですか?」


「うーん、神保町で蕎麦でも食って、紀伊國屋書店にでも寄ってから帰ろうかな」

 播磨は何となく予定を話した。

 真剣にそこへ行きたいというわけでもないが、大体の予定は頭の中で組み立てて

いたのだ。

「あの、播磨さん?」

「あン?」

「私、行ってみたいところがあるんです」

「何?」

「一緒に行ってくれません?」

「は? 何だよ、一人で行けよ」

「こんな弱々しい少女を都会に一人、置き去りにするんですかあ?」

 早紀はそう言って口を尖らせた。

「その都会の学校に通っているんだろうがよ、お前ェは」

「いいじゃないですか」

「だから一人で行けよ」

「女の子一人じゃ行き難い所なんですよ」

「なんだ、ラーメン屋か、牛丼屋か」

「ああ、それもあるけど」

(藪蛇だったか……)

「すぐ近くなんですよ、電車で」

「んん?」




    *    


  

 市ヶ谷。

 駅のすぐ近くに防衛省の巨大な建物があるあの場所に、播磨と早紀はいた。

「なんだここは」

 駅を出ると、防衛省の反対側へと向かう。

「市ヶ谷の釣り堀ですよ。知ってます?」

「ん? ああ。知ってるが」

「私、いつか行ってみたいと思ってたんですけど、なかなかチャンスが無くて」

「それで俺を誘ったってことか?」

「はい。播磨さんなら、釣りの経験とかあるでしょう?」

「まあ、小学校の頃ちょっとだけなら」

「やっぱり。私の見立ては正しかった」

 そう言うと早紀はニヤリと笑う。

 受付で料金を払い、餌と竿などを貰って中に入ると、かなりの人がいた。

 満員、というわけでもないけれど、椅子代わりと思われる黄色のプラスチックケース

の上には何人もの親子連れやおじさんたちが据わって、糸を垂らしていた。

(太公望か)

「これ、どうやるんですか?」

 早紀は釣竿を眺めながら言った。

「釣りくらい見たことあるだろう」


「餌のつけかたとかも全然わからなくて」

 そう言って彼女は苦笑する。

 播磨はとりあえず、餌のつけかたや簡単な釣りの方法などを教える。

 ここの釣り堀にいるのは鯉なので、そんなに難しいことはないとは思うけれど、

とにかく下手くそな奴は何をやってもダメなわけで、釣れない奴は釣れない。

 さて、山田早紀はどうなのだろうか。

 播磨が付けてあげた餌を釣り堀の中に入れる。

「うはあ。テレビで見たことあるんですけど、癒されますね」

「水、汚ねェけどな」

「もう、そんなロマンのないこと言わないでくださいよ」

「釣り堀にロマンもくそもあんのかね」

「これ、どうやってやるんですか?」

 早紀はエサや竿などを見ながら聞いてきた。

「本当にやったことねェんだな」

「だからそう言ったじゃないですか」

「いいか、この餌はこうやって」

 播磨は小学校の頃を思い出しながら餌を付けて釣り糸を垂らす。

「小学校の池にも鯉がいてな、そいつを釣って怒られたことがあった」

「アハハ、播磨さんって結構ヤンチャ小僧だったんですね」

「そうかよ」


「あ、それじゃあ見たまんまか」

「なんだそりゃ」

「それにしても楽しいですね、釣り堀」

「まだ何も釣れてねェぞ」

「いやいや、こうやって人と話しながら並んでのんびり釣り糸を垂らす。こういうのって

憧れていたんですよねえ」

「何だか年寄りみたいだな」

「ひ、酷い。毎日忙しかったから憧れがあったんです」

「ああ、悪い悪い。そうだよな。確かに俺も、まあお前ェほどじゃねェけど、こんなに

落ち着いた時間を過ごすのは久しぶりかもしれん」

「そうですそうです♪」

「あんまり落ち着きがねェと魚が逃げちまうぞ」

「シャクリとかしなくていいんですか?」

「それこそ、鯉がビビッて来なくなるぞ」

「ふうん」

 早紀は楽しそうに肩を揺らす。

 すぐに飽きてブーブー言うかと思ったけれど、わりと忍耐力もあるようだ。

 いや、忍耐力がなければアイドルなど勤まらないか。

 そんなことを考えていると、ふとプロデューサーの新井タカヒロの言葉を思い出す。

「なあ、早紀」

「はい? なんですか」


「鈴谷瞳って名前に、何か覚えはないか?」

「スズヤヒトミ……、誰ですか? 播磨さんの元カノとか」

「違ェよ。お前ェん所のプロデューサーから名前を聞いたんだ。何か知ってんじゃねェ

かと思ってよ」

「へえ、あの人絡みの人物ですか……」

 早紀は少しだけ水面を見て考える。

「やっぱりわかりません。私、こう見えて人の名前を覚えるのは得意なんですけど」

「そうか? 悪いな、変なこと聞いちまって」

「別にいいですよ。っていうか、私はあの人とはUTX(ウチの学校)に入ってから

知り合ったんで、それ以前のことはあんまり知らないんです」

「関西や広島でご当地アイドルをプロデュースしてたってこともか?」

「ああ、そういう情報ならちょっと知ってましたけど、詳しくは」

「まあ、そうだな」

「アイドルのことだったら、アイドル本人よりもそこら辺のアイドルマニアの人の

方が詳しいかもしれませんよ?」

「あ、確かにそうかもな」

「播磨さんはアイドルマニアじゃないんですねえ」

「当たり前ェだろ」

「私もあんまりアイドルには詳しくないけど、μ’sのメンバーの名前なら全員言えますよ?」


「え、マジか?」

「はい。まずリーダーの高坂穂乃果、園田海未、……ナンことり」

「おい、三人目でいきなり躓いているじゃねェか」

「失礼、南ことり」

「ほう」

 播磨は感心する。

 こっちはA-RISEの三人の名前すら、最近まで覚えていなかったというのに。

「一年生は、西木野真姫、星空凛、それに小泉花陽。この六人が、お台場のオープン

大会に出たんですよね」

「そういやそうだったな。この大会で初めてμ’sを見て、これは他のチームとは

違うなって思ったんです」

「本当かよ。まあ、正確に言うと、一緒にいたプロデューサーが気にしていたんで、

自分でも調べたんですけど」

「なんだ、そういうことか」

「でも、魅力的なパフォーマンスでしたよ。私たちとは違った方向性ですけど」

「まあ、お前ェに褒められるんだから、それなりに良かったんだろうな。例えお世辞

でもよ」

「お世辞なんかじゃありませんよお。踊りは未熟でしたけど」

「辛口だな」

「あと三年生ですよね、ええと、絢瀬絵里と東條希と矢澤にこ」

「お、凄い。九人全員正解だ」


「ちなみに矢澤にこさんは、よくお花を送ってくれたりしてたんですよ。まさか私たち

と同じスクールアイドルになっているとは思わいませんでしたけど」

「アイツ、そんなことをしてたのかよ」

「そうなんですよ。高校三年生なのに、あんな可愛らしい外見だとは思いませんでした

けどね」

「性格はわりとキツいぞ」

「ツンデレって奴ですかい?」

「デレの部分はあんまり見たことがない」

「きっと恥ずかしがってるんですよ」

「だといいんだがな。それにしても、よく知ってるな」

「名前だけですけどね」

「しかしなんつうか、自分のチームの話をするより楽しそうだな」

「そうですか? ああ、でもそうかもしれません」

「ん?」

「なんていうか、μ’sの皆はなんだか楽しそうっていうか」

「それなりに苦労してんだぞ」

「それはわかってるけど、皆すごくやる気があるっていうか」

「そりゃあ、自分からやるつってんだから、やる気はあんだろう」

「うーん、そういうことじゃないんだけどなあ」

「ん? そうだ。お前ェ、一番気に入ってるメンバーとかいるのか? よくアイドル

マニアの間じゃあ、押しメン(一押しメンバー)とかいうのがあるみてェじゃねェか」

「ああ、それならややっぱり穂乃果ちゃんですね!」


「穂乃果か」

「あのフリーダムな感じが凄く素敵」

「案外アイツとは気が合うかもしれねェな。つうか、アイツは誰とでも仲良くなれる

から」

「んふふ。でしょう?」

「他に気になるメンバーとかいるか?」

 播磨は頭の中で少しだけ彼女の思考を予想してみた。

 絢瀬絵里か、もしくは小泉花陽辺りではないか、と。

 しかし、彼女の答えは違った。

「ええと、東條希さんですかね」

「希? 何でまた」

「うーん。何でかわかんないんですけど、彼女を見ると何となく懐かしく感じると

いうか、その」

 早紀はそう言って首をかしげる。

「懐かしいって、何だよ」

 と言った瞬間、

「きゃっ!」

 急に早紀の持っている竿が揺れた。

「食ったみたいだな」

「どどどどど、どうしましょう!」

「落ち着け! ガッチリ食ってる。しっかり引け」

「引けってなに? 何するんですか?」

「いや、だから釣り上げるんだよ、釣り堀なんだから」

「揺れます揺れてます」


「当たり前ェだろ、魚なんだから。おい」

「きゃああああ!!」

「だから落ち着けって。ほら、竿を立てろ」

「ちょっと淫靡な表現ですよ?」

「うるせェよ。冷静なのか焦ってんのかはっきりしろ」

「おい、兄ちゃんたち、このタモ使えや」

 隣にいたおじさんがタモを播磨に差し出す。

「ああ、すまねェ。ありがとうさん」

「よしっ、引っ張れ」

「んん~!」

「見えた見えた」

 この日、早紀は三十センチ声の鯉を二匹釣り上げる。

 初めての経験だったので、大層喜んでいた。

 市ヶ谷の釣り堀では釣った魚は計測され、そのサイズに応じてポイントが貰える

らしい。このシステムは初めて知った。

 ちなみに播磨は四匹釣り上げた。ただ、いくらポイントを貰ったところで、次に来る

機会は当分やってこないだろうな、とも思っていた。




   *





「今日はありがとうございました」

 結局、夕方まで播磨は山田早紀と一緒に過ごしてしまった。

 一人でぶらぶら過ごす予定であった彼にとっては意外な一日である。

「これからどうすんだ?」

「はい、夕方のレッスンがあるので、それを受けに行きます」

「はあ? 今日は一日フリーじゃなかったのか」

「はい、そうですよ?」

 早紀はサラッと答える。

「じゃあ何でレッスンに」

「フリーだから、レッスンに行くのもフリーです。一日練習しないと三日は遅れる

っていいますからね」

 そう言って早紀は笑った。

「そうなのか。やっぱり凄ェな」

「全然凄くないですよ。私には、これしかないから」

 ふと、寂しげな表情を見せる早紀。

 レッスンが嫌なのだろうか?

 播磨は思った。

「あのよ、早紀」

「はい」


「きょ、今日は楽しかったぜ。最初は迷惑だとか思ったけどよ、お前ェも可愛いところ

あるじゃねェか」

「え?」

 口元を両手で隠す早紀。

「ああ、だから。実際に喋ってみると印象が変わるっつうか。わりと話しやすいっつうか」

「私も、楽しかったです。久しぶりに“本当の自分”になれたような気がします」

「本当の自分?」

「ああ、ごめんなさい。忘れてください」

「いや……」

「こういうのって、滅多に機会がないから面白いんですよね。釣り堀、楽しかったです」

「そうか」

「あと、お蕎麦も美味しかった」

 釣り堀の後に、神保町の蕎麦屋にも行ったのである。

「じゃあ、私は行きますんで」

「わかった。じゃあな」

「んー!」

 そう言って早紀は大きく伸びをする。

「ぷはあ!」

「どうした、いきなり」

 播磨は聞く。

「今日は本当にありがとうございます。次に会う時は、本予選ですね」

「あ、ああ」


「手加減しませんよ?」

「俺たちも全力で行くつもりだ。もっとも、やるのは穂乃果たちだけど」

「アハハ。そうですね。それじゃあ」

 名残惜しそうにその場を去って行く早紀。

 播磨はその後ろ姿をしばらく眺めていた。




   *




 この日の夜、播磨は再び月詠亭に来ていた。

「いらっしゃいです。拳児くん」

「月子さん。一人かい?」

「そのようです」

 月詠亭では、テーブル席に座っていた月子がテレビを見ていた。

 昨日はあれだけ人でごった返していた月詠亭に、今日は一人も客がいない。

 本当にどうやって経営を成り立たせているのか謎の店だ。

「何か食べますか?」

「ん、ああ。頼む。何でもいい」

「じゃあ、野菜炒め定食とお煮しめを出します」


「ああ、月子さんの煮しめは美味いからな」

 そう言うと、播磨は店の椅子に座る。

 そして、先ほどまで月子が見ていたテレビに目をやった。

『こんばんは! 今日は今大ブームのスクールアイドルの特集です』

 テレビ局のアナウンサーはやたら高いテンションでそう言う。

『何と言っても注目は、昨年度ラブライブで優勝した東京代表、UTX学院の

A-RISEですね』

「……」

 播磨は昼間のことを思い出す。

『中でも注目なのは、センターボーカルを務める綺羅ツバサさん。そのルックスだけ

でなく、ダンスや歌も大注目です』

 画面には綺羅ツバサの映像が流れる。

 そこには、昼間会った山田早紀の面影はほとんどない。

「そうか……」

 播磨は何かに気づいたようにつぶやく。

「こいつは、綺羅ツバサなんだ……」

 そう口にすると、なぜか大きなため息が漏れた。




   つづく 

 

A-RISEの設定は完全妄想(オリジナル)です。本名も不明。



 ラブライブ予備予選を突破した穂乃果たちμ’sのメンバーは、本予選に向けて

本格的な練習に突入した。

 ちょうどタイミング良く一学期も終わり、夏休みに入ったため練習にも集中できる

環境が整った。

 播磨たちはここで再び合宿の計画を立てる。

「今度はちゃんとした合宿なんだろうな」

 播磨は再度確認した。

「うむ、間違いない。理事長の紹介というのは少し気になるが、少なくとも富士の

樹海ではないことは確かだ」

 雷電は言った。

 前回、合宿と称して自衛隊のレンジャー訓練に参加させられたことを未だに恨みに

思っている播磨。

 おかげでチームの結束力と精神力が高まったことは確かだが、レンジャー訓練の技術

がアイドルのライブに役立つとは到底思えない。あと、教官に蛇やカエルを食わされた

ことも恨みに思っているのだ。

 学校での通常練習も最後という日、練習場に見慣れない人物が現れた。

「あン?」

「邪魔をする。生徒会室にいないと聞いたから、ここに来てみた」

 やたらガタイの良い男が入口に立っている。

「先輩!?」

 真っ先に反応したのは絢瀬絵里であった。

(知り合いか?)

「先輩、お久しぶりです」

 希も立ち上がって一礼する。

 どうやら三年生は知っているらしい。

 その男はやたら男前で、顔にはなぜか無数の傷跡があった。





       ラブ・ランブル!

 播磨拳児と九人のスクールアイドル

  第二十六話 応援する者、される者


  



「紹介するわ。二年生以下は知らないわよね。私たちが一年生だった時に生徒会長

(三号生筆頭)だった、伊達臣人(だておみと)先輩よ」

 絵里は少し懐かしそうに皆に紹介する。

「こんにちわー!」

 全員がそう挨拶した。

「ふむ、そう固くなるな。エリチカ。東條も、元気そうだな」

「え、はい」

「元気にやっております」

 絵里と希は笑顔で答える。

(おい、お前ェもアイツのことを知ってるのかにこ)

 播磨は小声で近くにいたにこに聞く。

(当然知ってるわよ。生徒会長なんだから。有名だったわよ)

(有名?)

(変人生徒会長として)

 そう言うと、にこは少し苦い顔をする。

(変人生徒会長……?)

「伊達先輩は偉大な先輩なのよ」

 絵里は懐かしそうに語る。

「偉大とは大げさだな」

 伊達はそう言って笑う。少し照れくさそうだ。


「絵里ちゃんの先輩ってことは、大学生なんですか?」

 穂乃果は聞いた。

 人見知りをしない彼女は、播磨よりも背の高い伊達にも臆することが無い。

「ああ、一応大学で応援団をやっている」

「へえ、それっぽいですね」

「伊達先輩はTK大学に入ったんですよ」

 なぜか絵里が得意気に言う。

「ええ!? あの大学ですか」

 驚く穂乃果。

「おいおいエリチカ、なんでお前が自慢げに言うんだ」

 伊達は苦笑しながら言った。

「まあ、先輩は私の恩人でもありますから」

「恩人?」

「ええ、恩人よ。高校に入ったばかりの時、私はバレエを辞めて人生の目標を見失い

かけていたの。そんな時、伊達先輩が声をかけてくれたわ」


『おい、そこの金髪。湿気た面をしてるんじゃない』

『え?』

『お前、なかなかいい目をしているな。生徒会に来い』


「そう、半ば強引に一年生だった私は生徒会執行部に生徒会長補佐として入れられたの」

「……」

「その時、希とも出会ったのよ。まさかその後、自分が生徒会長になるとは思わなかった

けどね」


「その先輩が今日は何の御用なんッスか?」

 播磨は言った。これから大事な練習があるのだ。あまり無駄話で時間を浪費したくはない。

「おお、そうだ。実は音ノ木坂OBやOGに声をかけてな、カンパを集めてきたのだ。

それを今日、渡そうと思って」

 そう言うと、伊達は懐から紙袋を取り出し絵里ではなく播磨の前に立つ。

「お前が播磨拳児だな」

「え、そうッスけど」

 凄い。何だかわからないけれど、圧倒的な威圧感がある。これが元生徒会長(三号生

筆頭)の迫力というやつか。

「コイツを少しでもμ’sのため、そして学院のために役立ててくれ」

 そう言うと、紙袋を手渡した。

「なっ、こんなに!」

 紙袋の中には、かなりの額のお金が入っている。

「ありがたいッス、色々入用なんで」

 播磨はそう言って一礼した。

 この男、顔は怖いけれど生徒会長もやっていたということで、かなり人望も厚いの

だな、と播磨は思った。

(なんだ、にこの奴。変人生徒会長とか言いやがって。どんな変態なのかと思って、

ちょっとビビったじゃねェか)

「先輩も、μ’sの活動については知ってたんッスね」

「ああ、ネットのニュースも色々と見ているからな。ホームページも見ている」

「ありがたいッス」

 そんな話をしていると、

「ところで先輩」

「!?」


 急に穂乃果が顔を出してきた。

「ん、キミは」

「高坂穂乃果です」

「そうか、キミがリーダーの。どうかしたかい」

 女子生徒に対してはかなり声が優しい。見かけによらずフェミニストなのか。

「先輩の顔のその傷、どうされたんですか?」

(あ、そこ聞いちゃいますか)

 播磨は不味いと思った。

 何だか聞いてはいけないような気がしたからだ。

「ふむ、飼っていた猫を可愛がり過ぎてな、やられてしまったのだ」

(しょうもなっ!)

 播磨は思わず口に出しそうになった。

「愛情も過ぎたら傷つけることになる。それを学んだ」

「ちなみにいつのことですか?」

 穂乃果は聞いた。

「高校二年の夏だな」

(もうちょっと早く学べよ)

 やはりにこの言うとおりちょっと変人であると、播磨は思った。

 しかし、後輩のためにカンパを集めてくれるなど、かなりいい人でもある。

 絵里が尊敬するのも少しは納得できた。変人だけど。




   *




 伊達臣人が帰った後、練習場にまた一人訪問者がやってきた。

 今度は知っている人間だ。

「播磨」

 特徴的な髪型をした松尾鯛雄である。

「どうした松尾」

「この前調べて欲しいと言ってた案件、調べてきたぞ」

「おお、悪い」

 そう言うと、播磨は松尾を連れて教室の外に出る。

 人に聞かれないよう周囲を警戒しながら、松尾との話を再開した。

「で、どうだった」

「播磨、お前の言っていた鈴谷瞳についての情報じゃ。ここにまとめておいた」

 そう言うと、松尾はA4の紙を一枚取り出して播磨に見せる。

 そこには顔写真と一緒に、鈴谷瞳に関する経歴が書かれてあった。

「……やはりか」

 内容は、概ね播磨の予想通りのものであった。

 彼は誰にも見られないように、情報の書かれた紙を折りたたんでポケットに入れる。

「松尾、このことは――」

「安心せい。誰にも言うとらん」

「悪い。感謝する」

 本当に、この男の(アイドルに関する)情報収集能力については頭が下がる。

「なあ、松尾」

「なんじゃ」

「ちなみに、山田早紀って知ってるか?」

「何を言っとるんじゃ。綺羅ツバサの本名じゃろう?」

「やっぱお前ェは凄ェや」

 播磨は改めて仲間の凄さを確認するのだった。





   * 




 七月後半、ラブライブ本予選直前の合宿が始まった。

 場所は播磨にも知らされていない。

 手配は理事長とその部下がしたというのだから、不安にならないほうがおかしい。

 しかしながら、μ’sのメンバーたちは一部を除いて楽しそうであった。

「“ちゃんとした合宿”は初めてだから楽しみだねえ」

 花陽は隣の凛に言った。

「凛ちゃんも楽しみにゃ」

 そんな会話を聞きながら、マイクロバスの最後列で播磨は思う。

(お前ェら、そんなまともな合宿がこれから行われるわけがねェだろう)と。

 今回の合宿にも、あの理事長江田島平八が関わっているのだ(ゆえに合宿費用は

すべて無料)。

 バスはどうやら長野県辺りに向かっているらしい。前回は合宿と称した、サバイバル

訓練であったけれど、今回こそはラブライブに向けた合宿であって欲しいと願うものだ。

もし仮に、そうではなかったら、今度こそ合宿を中止し、理事長室を襲撃する覚悟の

播磨である。

 彼の頭の中では合宿中の練習計画と理事長襲撃計画が半々で交錯していた。

「到着だ」

 鬼髭と呼ばれる学校職員(教員ではない)がそう言って、全員に呼びかける。

 かなり山深い場所にあるそこは、古い寺であった。

(また寺か)


 合宿と言えば寺、寺と言えば合宿。

 だがよく考えてみれば、大人数で泊まれる場所といえば寺が適当なのかもしれない。

「それでは、生きて帰れよ」

 そう言うと、播磨たちを乗せてきたマイクロバスは、去って行った。

「つうかここはどこだ」

 不安を胸に、寺へ向かう石段を上ると、境内には数人の人物が待っていた。

「な!?」

「にゃ!」

 驚いたことに、そいつらは全員白い衣装にKKK団のような顔まで隠れる三角帽子の

ようなものを被っていた。

 そして、その三角帽子集団に中心にいる人物には見覚えがあった。

「我が名は王大人。此乃合宿を任された者也」

「王大人!」

「王先生!!」

 なんと、学校近くにある整形外科医院の院長、王大人(ワンターレン)であった。

「なんでアンタがここにいるんだ」

「我が友、江田島よりの依頼。断ることあたわざる也」

(あのジジイの知り合いだからロクでもねェ奴だと思ったけれど、まさかこの怪しい

整形外科医だったとは……)

「つうか、アンタはアイドルの指導とかできるのか」


「無論、阿衣度瑠(アイドル)に必要な歌、踊り、体力、笑顔、全ての鍛錬をこの、

阿衣度瑠寺にて行う事が可能」

「阿衣度瑠寺?」


   阿衣度瑠寺とは、安土桃山時代に活躍した女性芸能者、出雲の阿国の

 「かぶき踊り」に魅了された浄土宗の僧が建立したと伝えられる。

  以来、特に女性芸能者の修行の場として、松●聖子や山口●恵など、様々な

  トップアイドルが修行したと言われている。

               松尾鯉雄著『日本アイドル史』民明書房刊



「我、様々な阿衣度瑠事情に精通。中国三千年の歴史、侮るなかれ」

「いや、そうは言うけど、お前ェさん医院はどうすんだ」

「部下に委任。心配無用」

「ああ、そう」

 不安そうにする一部のメンバーに対して、絵里は言った。

「大丈夫よ皆。王先生は医者でもあるのだから、怪我の心配もないわ」

 なんでそんなに、このドジョウ髭を信頼できるんだ、と播磨は思った。

「怪我の心配はないかもしれないが、命の心配はありそうだぞ」

 今すぐにでも「死亡確認」とか言いたそうな顔をしているこの怪しい医者に、播磨は

警戒を隠さない。

「ラブライブの本予選まで時間無し。各々、早速修行の準備をなされよ」

 そう言うと王大人は着替えの場所を指示する。

 怪しい白服たちに案内されたメンバーは、着いて早々に練習に取り掛かることになった。

 そして境内に残される播磨と雷電の二人。

 その二人に王大人は言った。

「貴様らにも修行有」

「は?」


「特に播磨拳児」

 そう言って播磨を指さす王大人。

「何でだよ」

「貴様は阿衣度瑠製作人(アイドルプロデューサー)としては甚だ未熟也。要修行」

「いや、ちょっと待て。修行って、何すんだ」

「即着替える也」

「どうすんだよ! 答えろよ!」

「拳児、行くぞ」

 白服に案内されて、雷電と播磨は着替えに向かった。

 そして、運動用の服に着替えての集合。

 女子は柔軟体操を行い、男子は裏山に連れて行かれることになる。

「拳児くん、頑張ってね!」

 穂乃果はそう言って応援してくれた。

「一体何を頑張ればいいんだよ。つうか、お前ェらも頑張れよ」

「今度はヘマをしないように一生懸命練習するよ」

 穂乃果はそう言って笑った。

「あの、拳児さん?」

 ふと、真姫が近づいてきた。

「お、どうした真姫」

「もし、怪我をした時のためにこれ」

 そう言うと、彼女は絆創膏の箱を取り出して渡してくれた。

「おう、サンキューな」

(でも、絆創膏ごときで済むかな)

 播磨は心の中でそう思ったが、不安になるので口には出さないことにした。

「拳児くんも頑張ってにゃ!」


 凛はそう言って応援した。

「拳児さん、頑張ってください」

 花陽も言った。

「拳児、怪我しないでよ」

 絵里は腰に手を当てて言う。

「拳児はん、朗報ウチらも頑張るさかい、朗報待ってるで」

 希は笑顔で言う。

「拳児、死ぬんじゃないわよ」

 目を逸らしながらにこは言った。

「播磨くん、雷電。どうか無事で」

 祈るように海未は言う。

「はりくん、雷電くん。二人ならきっと大丈夫だよ」

 そう言ってことりは笑顔を見せた。

「ちょっと待て、何で俺が応援されているんだ。頑張るのはお前ェらだろうが」

「確かに私たちが頑張るのは当たり前だよ。でも、拳児くんにも頑張ってもらわない

とね。私たちのパートナーとして」

 穂乃果はそう言うと親指を立てた。

「なんだそりゃ」

「元々アイドルっていうのは、不特定多数の誰かを応援するための存在でもあるのよ」

 そう言ったのはにこだ。

「ん? どういうことだ」

「私たちの歌を聞いて、踊りを見て、それで元気になってもらう。それがアイドルの

義務なの。だからあなたの頑張りは私たちの頑張りでもあるの。わかった?」

「何だかよくわからんけど、わかった」

「時間だ。行くぞ」

 王大人がそう言って後ろから声をかける。

「え、何でお前ェが一緒に行くんだよ。あいつらの指導は誰がするんだ」

「我が部下が行う故、心配無用」

「はあ?」

「三日後には、見違えた姿を見ることになるだろう」

「おい! 三日後って何だよ。三日も山に籠るのか? おいってば!」

「頑張ってね! 拳児くん! 雷電くん!」

 μ’sの九人に見送られ、播磨と雷電は山に向うのであった。




   *


 播磨と雷電は、王大人と共にわずかな食糧と水を持たされただけで険しい山の中に

入って行く。さすがにここいらの山は歩くだけでしんどくなってくる。

「なあ、王大人よ」

 それでも播磨は気になったことがあったので前を行く王大人に声をかけた。

「何か」

「今の実力で、俺たちがA-RISEに勝てると思うか?」

「……無謀也」

 少し考えた後、王大人は答えた。

 正直な答え、なのかもしれない。

「じゃあこの合宿は何をするんだ」

「僅か数日で飛躍的に実力が伸びることは不可能。故に今ある能力が最大限まで

引き出すことがこの合宿の目的也」

「それでもA-RISEには敵わねェんだろう?」

「当然也。しかし――」

「ん?」

「それは同じ方法でやれば、という話也」

「同じ方法?」

「つまり、A-RISEと同じ踊り、同じ歌であれば勝ち目無し。実力、向こうの方が

はるかに上也」

「だったらもう、ダメじゃねェか」


「故に、A-RISEとは異なる土俵で勝負すべし」

「異なる土俵? どういうことだ」

「それを考えるのが貴様の役目」

「チッ、何だよそれは」

「確かに、今の状態ではまともにやり合ってもA-RISEには敵いそうにないな」

 そう言ったのは後ろにいる雷電である。

「それは……」

「プレ・ラブライブの映像も見ただろう。彼女たちは歌も踊りも完璧だ。ちょっとや

そっとの練習であそこまで出来るものではない」

 播磨は、ふと山田早紀とのことを思い出す。

 毎日のように練習を繰り返し、そして彼女たちは舞台に立っているのだ。実力では

敵わないことは明白であった。

「だったら諦めろってことか? んなことしたら、学校がなくなっちまうかもしれねェ

んだぞ」

「それはわかっている。だが、勝機が全くないとは王大人先生もおっしゃっていない」

「そうなのか!?」

「……」

 それについて王大人は答えない。

 簡単に答えを出してくれないことは、わかっていた。



   * 

 


 同じころ、穂乃果たち女子陣営も寺での練習(修行)に取り掛かっていた。

「さっさと準備なさい。午前中はダンスレッスンよ」

 三角頭巾を白装束の人物が言った。

 全員白装束で顔を隠しているので性別とかはわからないけれど、声からして確実に

女であることはわかる。

 よく見ると、王大人の仲間、白装束軍団には色々な人がいるようだ。なぜ顔を隠して

いるのかは不明であるが……。

「高坂穂乃果、星空凛、この二人は運動神経のわりに柔軟性が欠けているわね。最初は

別メニューよ」

 どこから取り出したのかよくわからない紙を読み上げながら白頭巾(といっても全員

白頭巾)のコーチは言った。

 寺全体に張りつめる緊張感はまるで大会に出た時と同じような気持ちに穂乃果をさせ

た。

(拳児くんがいてくれたら)

 穂乃果は自身の心細さを、遠くにいる幼馴染に思いをはせることで少しだけ紛らわせる。

 だが、これから三日間にわたって始まる練習は、そんな思いを忘れさせるほど激しい

ものとなるのだった。



   *



「大丈夫か、雷電」

「お、おう」

 大きな岩から雷電を引き上げる播磨。

 まるでリポ●タンDのCMのような状態だ。険しい山道をただひたすら歩く播磨と

雷電。そして指導役の王大人。

 播磨と雷電の二人が苦労して歩いて行く山道を王は特に苦も無く軽い足取りで歩いて

いる。

 音ノ木坂の理事長、江田島平八と互角かそれ以上の実力を持った男、という噂は聞いて

いたが、確かにそうかもしれない。

「急ぐべし。本日の予定は遅延状態也」

 独特の喋り方で二人を急かす王大人。

「わーってるよ」

 ただ、播磨たちは一度富士の樹海で現役自衛官(?)によるレンジャー訓練もどき

を受けているので、険しい山道もそれほど苦にはならない。その意味では江田島に

感謝するべきなのかもしれない。ただ、この山中行軍がどれだけアイドルの修行に

役に立つのかはまったくもって不明である。

 その日の夕方、播磨たちはわずかな食糧を雷電と分け合い、食べられる草を調理して

腹の足しにした。さすがに蛇やカエルは食べなかったけれど、ここでもレンジャー訓練

が役に立っている。

(あのクソジジイはこのことも見越していやがったのか?)

 スキンヘッドでケツアゴの男の顔を思い出しながら、播磨はあく抜きした野草を食べる。

 夜は交代で仮眠して、熊などの野生動物の襲撃に備えた。

 幸い、熊や野犬の襲撃はなかったものの、それよりもっと恐ろしい物と対峙しなけれ

ばならないことを、その時の播磨たちは知る由も無かった。




   *




 二日目、それも夜だ。

 丸二日間歩きっぱなしだった播磨たちの疲労はピークに達していた。

 風呂にも入れず、やわらかいベッドで寝ることもできなかったため、身体の節々が

痛い。幸い、水や食糧は、途中の補給ポイントでいくつかもらえたので空腹だけは

なかった。

「目的地也」

 そう言って王大人は立ち止まる。

 そこには巨大な洞窟が姿を現していた。

「何だここは。今夜はここに泊まれってか?」

 野宿するよりはマシかもしれないけれど、寝ている間に虫が顔の上とかに落ちてきそう

で嫌な場所だ。

「否、ここには不泊。此の奥に荒ぶる神有り、討伐すべし」

 そう言うと、王大人はどこから持ってきたのか、布に包まれた棒状の物を播磨に

渡した。受け取るとずっしりと重い。

「なんじゃこりゃ」

「……」

 王大人は答えない。

 仕方ないので自分で紐を解いて中を見ると、見事な日本刀が出てきた。素人の播磨

にも、これがかなりの銘刀であることはわかる。


 星明りに鞘が黒光りしていた。

「ど、どうすんだこれ」

「荒ぶる神と戦う為の武器也」

「荒ぶる神? どういうことだ」

「おい、拳児!」

 雷電が播磨の肩を掴む。

「ん!?」

 ふと洞窟を見ると、闇の中に八つの赤い点が見えた。

 ボンヤリと見えていた赤い光はやがてはっきりとした色になる。

 大きな二つの光と、小さな光が六つ。

 星明りに照らされたその光は、巨大生物の一部であること知るのにはそれほど時間は

かからなかった。

「なんじゃこりゃあああああ!!!!!」

 播磨の叫び声が山中に響く。

「土地神也。下界の恨みと環境破壊に対する怒りを吸い取り巨大化した」

 王大人は冷静に解説する。

「ちょっと待て! ここは生物学者と自衛隊を連れて来るべきだろうが!!」

 播磨たちの眼前に現れた荒ぶる神、それは巨大なクモであった。

 八つの怪しく光る目と八本の長い脚。

 体長は十数メートルはあろうか。昔動物園で観たアフリカ象と同じくらいの大きさである。


 それは山の主と呼ぶにふさわしい巨体。

「荒ぶる神を鎮めるにはその刀より他無し。死亡せぬよう努力せよ」

 そう言うと、王大人は物凄い跳躍力でその場を離れる。

「あっ! あの野郎逃げやがった!」

 播磨は言ったが無駄なことである。

 今はこの荒ぶる巨大蜘蛛をどうするか、ということが問題だ。

「どうする拳児、逃げるか」

「バカ言え、後ろをよく見ろ」

 播磨は目で雷電に合図する。

 よく見ると、遠くには昨日の朝、到着したばかりの阿衣度瑠寺が見える。随分と

高い場所まで来たようである。

「あそこには穂乃果たちがいるんだ。もし、このクモンガ(※)があの寺に行ったら、

大変なことになるぞ」

播磨は言う。

(※クモンガ:南太平洋のゾルゲル島のクモンガの谷に生息していた巨大なクモ。

『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』、『怪獣総進撃』などゴジラ映画のシリーズに

 登場したことで有名)


「だったらここで足止めする他ないな」

 雷電も覚悟を決めたようである。

(しかしどうやって倒せばいいのか)

とてもまともにやって人間の敵う相手ではないことは明白だった。

 ギロリ、と赤い八つの目のいくつかがこちらを見た。


「まずいっ!」

 山中行軍で限界まで研ぎ澄まされた播磨たちの神経が危険を警告する。

 素早くその場を離れると、巨大蜘蛛は白い糸を吐き出した。

 粘性がありそうなその糸は、触れれば身動きが取れなくなってしまうだろう。

「後ろに回れ、後ろ!」

 刀を持ったまま播磨たちは巨大蜘蛛の後ろに回ろうとする。

 しかし、八つの目を持った蜘蛛は播磨たちの場所を適切に捉えているようで、

正確に長い脚を伸ばしてきた。

「ぬおっ!」

 足の先には鋭い爪のようなものがあり、地面が大きく破壊された。

 バチバチと泥や石が飛んでくるがそんなものを気にしている暇はない。

「二手に分かれよう。彼奴の視界の広さは驚異だ」

 雷電は言った。

 彼らしい合理的な判断だが、一つ問題もあった。

「武器はどうする。俺にはあるが、お前ェには」

「大丈夫だ。何とかする」

「わかった」

 考えている暇はない。

 播磨と雷電は別々に移動し、巨大蜘蛛の攻撃を拡散しようとした。

「やるしかねェか」

 雷電と別れた播磨は、王大人から貰った刀の濃口を切る。

 時代劇好きな播磨は、何度か模造刀を扱ったことはあるけれど、本物は初めてで

ある。


 鞘を脱ぎ捨てた刀は怪しく光る刀身を露わにする。

 星明りに照らされた波紋は狂気を感じるほどに美しい。

(感心してる場合じゃねェ。とにかくコイツを何とかしねェと)

 播磨は目の前の巨大蜘蛛に対し、日本刀を正眼に構えた。

 素手の喧嘩ならほぼ負けなしの彼であったけれど、ダンビラを使った戦いは初めて

だ。

 しかも今回は、恐らく命がかかっている。

(もうちょっとリーチが長けりゃな、弓矢。せめて槍でもありゃあ)

 そんなことを言っても仕方がない。

 今、与えられた武器で戦うしかないのだ。

(そうだ。無いものは無い)

 播磨は自分たちには無いものをたくさん持っているA-RISEと戦うμ’sの

面々と自分を重ねあわせる。

 大蜘蛛の脚が播磨を襲う。それをかわす播磨。

(そういや蜘蛛って、異常に身体が軟らかかったよな。カブトムシとかと違って、

殻が無いから、案外行けるかもしれねェ)

 そう思った播磨は刀を構え直し、蜘蛛の脚部に狙いを定める。

「おりゃああああああ!!!」

 気合とともに横一線に刀を振るう播磨。

 しかし、

「な!!?」

 手応えが、無い。

(どういうことだ!?)


 原因はすぐにわかった。

 毛だ。

 蜘蛛の表面に生えている無数の毛の一つ一つが針金のように硬いのだ。

 その硬い毛が鎖帷子のように重なっており、蜘蛛本体の軟らかい身体を守っている。

(どうすりゃいいんだクソッ)

 播磨は考える。

 命がかかっているのだ。全力で考える。

(そうだ、突きだ)

 播磨は蜘蛛に近づき、突きを繰り出す。

 だが、大蜘蛛はそれを見切っていたのか、自分の身体の中でも数少ない硬い部分

である爪でそれを防いだ。

(こいつ! 頭がいいぞ!!)

 そして別の脚が播磨を襲う。

「ぬわっ!」

 次の瞬間、大蜘蛛の攻撃が止まった。

「なに!?」

 チャンスとばかりに距離を取る播磨。

 よく見ると、反対側から雷電が弓を放っているではないか。

 どこから持ってきたんだあんな物。

「拳児! 援護するぞ!!」

 雷電の声が夜の山中によく響く。

「恩に着るぜ雷電!」

 播磨は再び刀を振るう。

 だが、やはり普通の攻撃は効かない。

「何とか本体に攻撃を加えることができれば」

「そりゃっ!」

 雷電の放った矢が大蜘蛛の目のひとつに当たる。


「ギシャアアアアアアアアアアア!!!!!」

 苦しみの声(?)を上げる大蜘蛛。

 どうやら目が弱点のようだ。

「ナイスだ雷電!」

 そう思った次の瞬間、大蜘蛛の糸が雷電に向かう。

「な!!!」

 避けようとする雷電。だが、ギリギリのところで大蜘蛛の粘り気のある糸は雷電の

右脚に絡まった。

「雷電!!!」

 ズルズルと引っ張り込まれる雷電。

「くそっ!」

 雷電は引っ張られながらも弓を横に構えて矢を放つ。

 だが、そんな体勢で当たるはずもない。

「雷電!!」

 助けに来た播磨が、大蜘蛛の糸を日本刀で断切る。

「すまない拳児」

「礼は後だ! すぐに立て!」

 今度は大蜘蛛の脚が襲ってくる。

「くそがああ!!!」





   *



 阿衣度瑠寺本堂。

 厳しい練習は夜も続けられていた。

 すでにメンバーの体力は限界に近づいていた。

 しかし、実際に舞台に立つ彼女たちのラブライブにかける意気込みは、播磨たち以上である。 

 限界をはるかに超えた状態でも、歌う。そして踊る。

 その時である。

「あの方々に命の危険が迫ってきているようです」

 唐突に練習を止めた白頭巾の一人が言った。

「あの方々?」

 穂乃果は聞く。

「播磨拳児殿と、雷電殿です」

「どうしてそんなことがわかるのですか?」

 雷電、という言葉を聞いて海未が反応する。

「あの蝋燭を見てください。あれは命の炎です。今、かなり揺らめいております」

 いつの間にか、本堂の奥に二本の蝋燭が立てられていた。

 蝋燭には「播磨」と「雷電」と、名前が書かれてある。

「そんな……」

 不安な声を出す穂乃果。

「そんな非科学的なもの、信じられるわけないでしょう? あの二人だったら、殺しても

死なないわよ」


 にこは腕組みをしながら言った。

「そ、そうですよね。あの二人は強いからね」

 不安そうな顔を噛み殺すように花陽は同意する。

「でしたら、科学的な方法でお二人の状況をお見せいたしましょう」

「え?」

「お願いします」

 白頭巾の一人がそう言うと、本堂に大きな薄型テレビが運ばれてきた。ちなみに

運んできたのも白頭巾である。

 電源は繋がっているようだ。

 スイッチを入れると、薄らと夜の山間部の映像が映し出された。

 暗視カメラで撮られているのか、画質はあまりよくない。

 右上には「LIVE」と書かれており、これが生放送であることがわかる。

「播磨くん!」

「雷電も!」

 テレビには播磨と雷電が映っていた。そしてのその先にいるものは……。

「何あれ!」

「ええ!!」

 μ’s一同は驚きの声を上げる。

 そう、播磨たちが立ち向かっているのは、巨大な蜘蛛の化け物なのだ。

「何が起こっているの?」

 穂乃果は独り言のようにつぶやく。

「どうやら荒ぶる山の神と闘っているようですね」

 白頭巾の一人が冷静に答えた。


 というか、白頭巾は全員同じ姿なので、誰が誰だかわからない。

 唯一声で、男か女かがわかる程度だ。

「荒ぶる神って」

「このまま、あの神を放置しておけば、いずれ下界におりて人類に仇をなすことでしょう。

今、彼らはそれを食い止めようとしているのです」

 白頭巾は言った。

「な、なんでそんなことを拳児たちがしなきゃならないのよ! つうか、そんなの警察

か自衛隊の仕事でしょう?」

「荒ぶる神は、普通の武力では倒すことができません。神聖なる力でないと」

「神聖なる力?」

「大変だよ! 今すぐ助けに行かなきゃ!」

 穂乃果は叫んだ。

 幼馴染のピンチ。この娘がじっとしているはずがない。

「今行ったところで間に合いませんよ、高坂さん」

 白頭巾は言った。

「でも! こんなところでじっとしているわけにはいかないよ」

「貴方たちには貴方たちの戦い方があるはずです」

「私たちの……、戦い?」


「そう。アイドルは多くの人たちの応援で成り立っています。そして応援された

アイドルは、逆に応援してくれた人に応えなければなりません」

「……?」

「アイドルは応援される存在であると同時に、応援する存在なのです」

 白頭巾はそう言いきる。

「それじゃあ、私たちにできることって」

 穂乃果はつぶやく。

「一つしかありません」

「え?」

 いつの間にか、白頭巾の集団はギターやキーボード、それにドラムなどを本堂に

持ち込んでいた。

「生演奏?」

「そう、アイドルの応援。それは、歌です!」

「歌……」

 テレビの中では、播磨たちが大蜘蛛相手に必死に大立ち回りをしていた。




   つづく
 

本来は伊達臣人が主人公の予定やったんや。しかし完璧すぎて使い辛かったので却下。




「雷電! 怪我はないか!?」

 星明りの中、播磨は雷電に聞く。

 目の前には巨大な蜘蛛が今にも襲い掛かろうとしている。

「大丈夫だ、問題ない」

 雷電は答えた。手には弓を持っている。

「ところでその弓はどうした」

 播磨は気になっていたので聞いてみた。

「そこの茂みの中に落ちていた。恐らく王先生が用意してくれたものだろう」

(あの野郎、こうなることを知っていやがったな)

 播磨は思う。

 探せば宝箱でも出てきそうな展開だ。

「他にも武器があるかもしれんが」

 雷電はそう言って言葉を切る。

「まあ、お前ェが新しい武器を見つけられるまで、俺たちが生きていけるかな」

 巨大蜘蛛の目は怪しく光っていた。

 血のように赤い目をしている。

「もう一回二手に分かれるぞ。俺が囮になる。お前ェはもう一回、遠距離から攻撃

してくれ」

「大丈夫か?」

「やるしかねェだろう!」

 本当は播磨だって怖い。

 だが、なぜか目の前の非現実的すぎる光景が、その恐怖感を少なからず弱めていた

ことは事実である。





      ラブ・ランブル

 播磨拳児と九人のスクールアイドル

   第二十七話 勝利の歌


 同時刻、阿衣度瑠寺本堂――

 穂乃果たちμ’sのメンバーは固唾を飲んで播磨たちの戦いの様子を見つめていた。

「どうしよう、このままじゃあ拳児くんたちが……」

 不安そうな声が穂乃果から漏れる。

 戦況が不利なことは誰の目にも明白だ。

 あんな巨大な蜘蛛を相手に、ちょっと強い人間二人が戦えというほうがおかしいのだ。

「だったら歌うしかないじゃない!」

 そう言ったのはにこだ。

「いいこと!? アイドルの歌は自分が気持ちよくなるために歌うものじゃないのよ。

誰かを幸せにさせるために歌うんだから!」

 にこは拳を握りしめて力説する。

「楽器の準備、できましたよ。どうします?」

 白頭巾の一人が言った。

「どうする?」

 にこは言った。

「どうするって……」

「迷っている暇はありません」

 海未が穂乃果の肩に手を置いた。

 彼女とて雷電が心配なのだ。それはよくわかる。

「わかったよ! 歌うよ!」

 そう言うと、穂乃果はマイクを取った。

 届くかどうかなんてわからない。

 だけど、何もしないよりはマシだ。

(拳児くん、雷電くん。貴方たちなら、きっと助かる)

 彼女はマイクを握る手に力を込める。

 穂乃果の表情を見た白頭巾軍団は、互いに頷き合い演奏を始める。

 聞いたことのある曲だ。

「この曲は……」

 キーボードの音が鳴り響く。

 続いて重厚なギターの音。

 穂乃果は大きく息を吸った。




   『ライオン』

  作詞 Gabriela Robin 作曲 菅野よう子 編曲 菅野ようこ


   ♪



  星を廻せ 世界のまんなかで 

  くしゃみすればどこかの森で蝶が乱舞


  君が守るドアのかぎ デタラメ 

  恥ずかしい物語

  なめ合ってもライオンは強い



  生き残りたい

  生き残りたい

  まだ生きていたくなる

  星座の導きでいま、見つめ合った


  生き残りたい

  途方にくれて

  キラリ枯れてゆく

  本気の身体 見せつけるまで

  私 眠らない   




   *




 巨大蜘蛛の糸を寸前でかわす播磨。

「雷電!!」

 播磨の声に反応した雷電が矢を放つ。

 しかし、上手く当たらない。

「くそっ、ダメか」

 日本刀の一閃が効かない相手に、弓矢で対抗しようという方が間違いなのかもしれ

ない。

 敵も学習してきたようで、弱点である目の辺りを保護するようになってきた。

(もっとこちらに注意を振り向けなければ。しかし、このままじゃあ囮にもなれねェ)

 播磨がそう思っていた時である。

「!?」

 不意に熱いものを感じた。

「これは……」

 光っている。

 播磨の手に持っている日本刀が光っているのだ。

 星や月明かりに反射して光っているわけではない。

 もっとこう、根本的な光だ。ぼんやりとしたその光は微かに熱を帯びていた。

(どういうことだこりゃ)

 王大人が渡しただけのことはあり、こん刀でないとあの蜘蛛はやれないってことか。

 播磨はそう理解する。

「どりゃああああ!!!」

 播磨は再び刀を振り上げた。

 まだ、効かない。


 そう簡単に、あの針金のような剛毛に守られた本体は斬れそうにない。

 だが、先ほどよりも確実に身体が軽くなり、一方で力が強くなったように感じる。

 巨大蜘蛛の脚が播磨を襲う。

「ぬおっ!」

 播磨が後ろに飛ぶと、普段の数倍の跳躍で下がった。

 まるで忍者のような跳躍。

(俺って、こんなに身軽だったか!?)

 自分の身体能力に自分で驚く播磨。

 手に持っている日本刀の光は更に強くなっていく気がする。


  生き残りたい

  生き残りたい

  まだ生きていたくなる

  星座の導きでいま、見つめ合った


  生き残りたい

  途方にくれて

  キラリ枯れてゆく

  本気の身体 見せつけるまで

  私 眠らない  


(頭がおかしくなったのか)

 播磨は思った。


(さっきから、穂乃果の声が頭の中に流れて込んできてやがる)

 だが、不思議と嫌な気持ちはしなかった

 むしろ勇気が出ている気がする。

(生き残りたいか。そうだな。ここで死にたくはねェ)

「おりゃあああああああ!!!」

 全力で刀を振るうと、大蜘蛛の脚に当たる。

 絶望的な手応えから、ほんの少しだけ希望が見えてきた。

 もし、硬い脚部ではなく本体に攻撃することができたら。

 播磨の脳裏にその考えが過る。

 ついさっきまでだったら、それはダメだったかもしれない。

(だが今なら、今のこの刀ならば)

 薄光りする刀身越しに大蜘蛛と対峙する播磨。



  風はやがて東へ向かうだろう

  高気圧 この星の氷河を襲う

  さそい水を飲んだ胸がつらい

  遠巻きな物語

  かじり合う 骨の奥まで


  生き残りたり

  生き残りたい

  まだ生きていたくなる

  星座の導きでいま、見つめ合った


  生き残りたい

  途方にくれて

  キラリ枯れてゆく

  本気の身体 見せつけるまで

  私眠らない







   *



「うう……」

 よろめく穂乃果。

「穂乃果!」

 すぐ隣にいた海未が彼女の身体を支える。

「何でだろう、普通に歌っただけなのに……」

 汗びっしょりになった穂乃果は見るからに体力を消耗していた。

 一緒に歌っていた海未も、実は立っていられないくらい膝がガクガクしていたのだ。

「穂乃果ちゃん、海未ちゃん」

 二人を支えるようにことりが抱きかかえる。

「二人は休んでなさい」

 そう言って前に出たのは絵里だ。

 そして、

「ここからはお姉さんたちの出番やで」

 希も前に出て片目を閉じた。

「続けますか」

 白頭巾の一人が言った。

「もちろんです!」

 絵里は大きな声で答える。

 まるでバトンを受け取るように、穂乃果たちからマイクを受け取ると、彼女らは

前奏に身体を揺らす。




   『ノーザンクロス』

  作詞 岩里祐穂/Gabriela Robin 作曲 菅野よう子 編曲 菅野よう子


   ♪



  旅のはじまりは もう思い出せない

  気づいたら ここにいた

  季節が破けて 未発見赤外線

  感じる眼が迷子になる


  たぶん失うのだ

  命がけの想い

  戦うように恋した

  ひたすらに夢を掘った

  その星に降りたかった

  君の空 飛びたかった


  誰か空虚の輪郭をそっと撫でてくれないか

  胸の鼓動にけとばされて転がり出た愛のことば

  だけど 困ったナ 応えがない

  宿命にはりつけられた北極星が燃えてる

  君をかきむしって濁らせた

  なのに 可憐に笑うとこ 好きだったよ



  君がいないなら意味なんてなくなるから

  人は全部消えればいい

  愛がなくなれば 心だっていらないから

  この世界も消えてしまえ!


  ずっと苦しかった

  命がけの出会い

  もがくように夢見た

  やみくもに手を伸ばした

  その胸に聞きたかった

  君と虹架けたかった


  誰か夜明けの感傷で ぎゅっと抱いてくれないか

  夢の軌道にはじかれて飛び散るだけの愛のなみだ

  それがむき出しの傷みでもいい

  宿命に呼び戻された北極星が泣いてる

  どうせ迷路行く抜くなら

  君を尽きるまで愛して死にたいよ




    *



 二手に分かれて戦っていた播磨と雷電が再び合流する。

 若干息の切れた声で播磨は言った。

「このままあの脚を叩いていても埒が明かねェ。一気に本体をやろうと思う」

「どうするんだ。お前ェが遠くから彼奴の注意をひきつけてくれ。その間に俺は

崖を駆け上って、そこからジャンプする」

「上から攻撃するのか? 危険だぞ!」

「んなことは百も承知だ。このままいけばジリ貧だぞ。他に何か考えはあんのか」

「うむむ……。わかった」

 雷電は苦渋の表情を見せつつ播磨の意見に同意する。

 友を危険に晒すことを誰よりも嫌う男らしい反応と言える。

「幸い身体の調子は絶好調だ。恐らく今だけだと思うがな。だから倒すのも今しかない」

「わかった。だが絶対に無茶をするな。ダメだと思ったらすぐに引き返せ」

「おう!」

 播磨は強く返事をした。

 しかし、今の彼に引き返すという選択肢は、当然なかった。



   ♪



  そして始まるのだ

  命がけの終わり

  戦うように愛した

  ぐしゃぐしゃに夢を蹴った

  その星に果てたかった

  君の空 咲きたかった


  誰か空虚の輪郭をそっと撫でてくれないか

  時の波動にかき消されて

  救えなかった愛のことば

  だから モウイチド 応えがほしい

  宿命にはりつけられた北極星が燃えてる

  君をかきむしって濁らせた

  なのに 可憐に笑うとこ好きだったよ




   *



「こっちだあああ!!!」

 雷電の大音声で大蜘蛛の注意を引きつける。

 そして矢を放つ。

「くっ、もう矢がない」

 十数本あった矢はすでに尽きようとしていた。

 いざとなれば投石か。

 雷電は考える。

 ダメだ。そんなものが通用する相手ではない。

 現に、弓矢だって気休め程度の効果しかないじゃないか。

 大蜘蛛の硬い毛の隙間に数本の矢が刺さっているのが見えたけれど、それがほとんど

効果がないことくらい、彼にはわかっていた。

 近くの崖を駆け上る播磨の姿が見えた。

 もう少し、もう少しだ。

 その瞬間、不意に大蜘蛛の身体が浮き、腹を見せた。

 弱点を晒す、というわけではない。

 そこから物凄い早さで白糸が飛んできた。

「ぬわあ!」

 ギリギリの所で糸をかわす雷電。

 しかし、

「なにい!?」

 先ほどの糸と違い、今度の糸は太く、しかもカーブを描いていた。

「ぐわああ」

 脚ではなく胴体に絡まる大蜘蛛の糸。そして物凄い力で引き込まれていく。

 持っていたサバイバルナイフで糸を切ろうとするも、粘性が強くてうまく切れない。

 播磨に助けを、

 一瞬その考えが頭に浮かんだ。しかし、今播磨は大蜘蛛を倒すために崖の上を駆け上

っている最中だ。


 ここで戻ってきたら、またやり直しになってしまう。

 そうなると、倒せるものも倒せなくなるかもしれない。

 しかも、自分だけでなく親友である播磨の命も危険に晒してしまうことになるだろう。

(くそっ、ここで俺が餌になっている間に、拳児がやってくれれば)

 雷電はバランスを崩して倒れ込み、ズルズルと大蜘蛛の糸に引っ張られていく。

「……ぐっ」

 必死に声を殺して耐える雷電。ここで声を出せば播磨が戻ってきてしまう。

 だったら、ここは静かに――

 そう思った瞬間だった。

 雷電が上を向いた時、

(月?)

 大きな満月が彼の目に飛び込む。

 いや、違う。

「無様な姿だな、雷電」

「お前は!?」

「覇月大車輪(はづきだいしゃりん)!!!」

 物凄い回転が発生し、大蜘蛛の太い糸を断ち切る。

「それでも俺の強敵(とも)か、雷電!」

 満月に見えたそれは、雷電の親友でもあり元拳法部の仲間、そして月子の息子でも

ある月光の頭であった。

 スキンヘッドが星明りの中で眩しく感じる。

「くっ、助けに来てくれたのか」

 よろよろと立ち上がる月光。

「俺だけじゃないぜ」


 月光がそう言うと、見覚えのある人影が二つ見えた。

「妹の友人の危機です。助けないわけにはいかないでしょう」

 長髪が美しい飛燕。

「後輩を死なすわけには、いかんからな」

 そして、音ノ木坂OBの伊達臣人である。

「あなたたちは……」

「か、勘違いするなよ。俺はμ’sのために来たんだ。播磨(アイツ)のために来た

わけではない」

 腕を組んだ伊達は恥ずかしそうに言った。

「わ、私も同様だ」

 飛燕も同様に恥ずかしそうである。

(何この人たち)

 雷電はそう思ったが口には出さなかった。

「とにかく、あの大蜘蛛の注意をひきつけてください。あとは播磨が何とかします!」

 雷電は簡単に説明した。

 長々と喋っている暇はない。

「別に倒してしまっても構わんのだろう?」

 飛燕は、両手に棒状のものを多数持って言う。

 今度のは“編み棒”ではなく、先端の尖った鉄の細棒だ。

「構いませんが、播磨は倒さないでくださいよ」

 一応、雷電は釘をさす。

「ちっ、わかっている」

(コイツ、本当にやるつもりだったんじゃあ……)

 飛燕は南ことりの兄であり重度のシスコンである。

 ことりと親しい播磨を目の仇にしている(第二十三話参照)。

「まあ、最近都会生活に退屈していたところなんだ。ちょっとは楽しませてくれよ」

 そう言って、伊達は槍を構える。

「それ! 行くぞ!!」

 四人が一斉に大蜘蛛に襲い掛かった!




   *




「お兄ちゃん!?」

 テレビを見ながらことりが叫ぶ。

「月光先輩や伊達先輩もいるよ!」

 花陽も言った。

「け、拳児くんは? 拳児くんはどこ……?」

 よろめきながら穂乃果が起き上がる。

「いませんね……」

 海未が不安そうにつぶやく。

「もしかして負傷とか……」

 ことりも言った。

「そんな!」

「安心なさい穂乃果。播磨くんは殺しても死ぬような人じゃありません。必ず、どこか

にいるはずです」

 海未は自分に言い聞かせるように穂乃果を励ます。

「皆が頑張ってるんだから私たちも頑張らないと」

 穂乃果は胸を張る。

「頑張る?」

「うん。みんな、協力して!」

「協力」

「皆で歌うんだよ!」

「穂乃果、あまり無理をしない方が」

 海未は彼女の身体を気遣う。

「そうですよ穂乃果ちゃん」

 後輩たちも気にしているようだ。

 しかし、穂乃果は立ち上がった。

 そして本堂、否、舞台の中央に立ち大きく腹で息を吸う。





  今、あなたの声が聴こえる

 「ここにおいで」と

  淋しさに負けそうな わたしに




 穂乃果は一人で、しかもアカペラで歌い出す。

 伴奏もない彼女の歌は本堂の中に響き渡り、外に漏れだす。


  『愛・おぼえていますか』

  作詞 安井かずみ 作曲 加藤和彦 編曲 清水信之


   ♪


  今、あなたの姿が見える

  歩いてくる

  目を閉じて 待っている わたしに

  昨日まで 涙でくもってた

  心は今…… 




 穂乃果の身体が微かに光始めた。

 まるで蛍のようなボンヤリとした光が、はっきりと明るく見えるようになる。

 

 
  おぼえていますか

  目と目が あった時を

  おぼえていますか
  
  手と手が触れあった時

  それは始めての

  愛の旅立ちでした

  I love you so



 2コーラス目からはバンド演奏がはじまり、海未たち他のμ’sのメンバーも歌

に加わった。

 穂乃果の身体を包む光は更に大きくなる。



  今、あなたの視線感じる

  離れてても

  体中暖かくなるの

  今、あなたの愛信じます

  どうぞわたしを

  遠くから 見守ってください

  昨日まで なみだでくもってた

  世界は今……



  おぼえていますか

  目と目が あった時を

  おぼえていますか

  手と手が触れあった時

  それははじめての

  愛の旅立ちでした

  I love you so






    *




「ぐわああ!!」

 月光の両脚に蜘蛛の糸が絡まる。

 バランスを崩した月光は転倒した。

「月光!」

 雷電が叫ぶ。

「俺に構うな雷電! 相手の気を引くことを考えろ!」

「しかし!」

「月光の言うとおりだ! 雷電!!」

 大蜘蛛と正対している伊達が叫ぶ。

「渦流天樓嵐(かりゅうてんろうらん)!!!!」

 凄まじい風が大蜘蛛を翻弄した。

 だが、どんなに技を放ったところでそれは人間に対して行う技。

 化け物には限界がある。

(くそ、播磨! 早く来てくれ)

「渦流回峰嵐(かりゅうかいほうらん)!!!!」

 伊達の連続攻撃。

 恐らく、大蜘蛛の正面を担当している伊達が最も負担が大きいはずだ。

 しかし彼は弱音など一切吐くことなく、ただ、戦い続けた。

 これが元音ノ木坂学院、通称・漢(おとこ)学院の筆頭(生徒会長)の戦いか。

「伊達ばかりにいい格好はさせられません! 十字打ち!!」

 負けずに飛燕も攻撃を繰り出す。

(俺も負けていられん!)

 雷電がそう思った瞬間である。

 彼の視線の上部に光るものが見えた。


(隕石!? いや、違う)

 長い帯を引くように落ちてくるその光は、播磨拳児であった。

 刀だけでなく全身に光を帯びた播磨だったのだ。

「拳児!!!!」

 遠くから見ると、長い光の柱のように見える。

 その光が、巨大な蜘蛛の背中に突き刺さった。


「うおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!」


 播磨の叫び声が山中に響き渡る。

「拳児いい!!!」

 雷電は再び播磨の名前を呼ぶ。

「やったか!?」

 月光は言った。

 しかし、次の瞬間大蜘蛛の背中から大量の“黒い泡”が吹き出す。

 月光を助けながら、雷電はその様子を見た。

「何だあれは……」

 蜘蛛の糸から助けられた月光がつぶやくように言う。

「あれは、呪い」

「知っているのか雷電!」

「山の神は、体内に呪いや恨みを溜めこんで巨大化すると、王大人はおっしゃられた。

だとしたら、あの黒い泡のようなものは、呪いそのもの」

「おい、そんなものをまともにくらったら」

「ただでは済まないかもしれない」

 そんな話をしていると、いつの間にか伊達が近くにやってきて言った。

「確かに普通の人間なら、アレを食らうとマズイかもしれないな」

「そんな、じゃあ拳児は……!」


 動揺する雷電と月光。

 しかし、腕組みをした伊達は動こうとはしない。

「だが播磨(ヤツ)は違う。播磨は一人ではない。見ろ、まだ光は消えていない」

 黒い泡の中で、微かに光が見えた。






   もう ひとりぼっちじゃない


   あなたが いるから





(なんじゃこりゃあ。息もできねェ)

 薄れゆく意識の中で、播磨は思った。

(俺はこのまま、呪いの渦に巻き込まれて死ぬのか? こんな非現実的な状況で)

 不思議と後悔は生まれなかった。

 これで雷電たちが助かるなら。

 穂乃果たちが助かるなら。

(助かる……?)

 ふと、あることを思い出す播磨。

(もう一度、穂乃果たちがステージに上がるところを見て見たかった。今度は転倒

していない、完璧なステージを……)

 その時だった、

 播磨の眼の前が白い光に包まれる。

「……」

 すでに声も出ない。

 息もできないのだから、声が出ないのは当たり前だ。


 しかし、意外と苦しくはなかった。

(ここは……!?)

 播磨が目にしている光景には見覚えがあった。

(ここは、穂むらの奥の部屋。穂乃果の家だ)

 そう、穂乃果の家である。

 少し前に播磨が夕食を食べに行ったあの部屋。

 ちっとも変わっていないように見えるが、少しだけ違った。

 穂乃果の母が小さな子供を抱えている。

『にいにい……』

 赤ん坊はそう言って播磨に手を伸ばす。

『あらあら、雪ちゃんはケンジくんのこと、気に行っちゃったみたいね』

(コイツは、雪穂か?)

 一歳くらいの小さな子供には、確かに雪穂の面影が見て取れる。

(だとしたら……)

 播磨はそれが、自分の小さい頃の思い出であることに気づくのに、それほど長い

時間は要しなかった。


(走馬灯って奴かな。死ぬ直前に見る)


『穂乃果ちゃんはいないんですか?』

『おかしいわね、さっきまでいたんだけど』

 穂乃果の母と播磨の母が会話をしている。

 そしてその話に出てくる「穂乃果」という名前。


(あれは?)

 ふと、播磨の視線の先に特徴のある髪型が見えた。

 隠れてこちらの様子を伺っていたようだ。

「待てよ」

 播磨は立ち上がり、廊下に出た。

『ひゃあ』

 見覚えのある髪型の少女は、怯えているようで、播磨から顔を逸らした。

(これが本当に穂乃果か?)

 どんなにガラの悪い連中にも気軽に話しかけるあの穂乃果が怯えている。

 涙目で、彼女は播磨を見つめていた。

「オレ、ハリマケンジ。よろしく」

 そう言って播磨は右手を差し出す。

『……』

 クマのぬいぐるみを抱えた穂乃果は何も言わない。どうしたらいいのかわからない

ようだった。

「バカだな。こういうときは、握手って言って、同じ右手をだすんだぞ」

 当時の播磨は得意げに言っていた。

 何だか恥ずかしくなってくる現在の播磨。

『あくしゅ』

 そう言うと、震えながら少女は右手を差し出した。

『わたし、ほのか。こうさかほのか……』

 やはり穂乃果だった。幼い頃からこの髪型はかわっていない。そしてつぶらな瞳も。

「ハリマケンジだ」


 播磨はもう一度自分の名前を名乗り、彼女の手を握る。

 感触は、よく覚えていない。

 でも彼女の顔はよく覚えていた。

 顔の感じもあまり変わっていないんだな、と播磨は思った。

『おとこのこ、イジワルする……』

 怯えた表情で穂乃果は言った。

「イジワルされるのか? だったらおれにいえ」

『え?』

「おれがぶっとばしてやるぜ」

『ケンジくん……』

「おう、だからなにも、こわくねェぜ!」

『こわくない……』

『あら、あの二人も仲良くなったようね』

 穂乃果の母親の声が聞こえてきた。

『そうね、ウフフ』

 播磨の母の声もだ。

『ひとりじゃないから、こわくない』

 穂乃果は独り言のようにつぶやく。

『そう、ひとりじゃねェからこわくない』

 播磨はその言葉を繰り返した。

 



   もう ひとりぼっちじゃない


   あなたが いるから

 
 




『拳児くん!』

 聞き覚えのある声が播磨を呼ぶ。

「穂乃果?」

 顔を上げると、高坂穂乃果の姿がそこにあった。

 しかし、今度の穂乃果は幼い彼女ではなく、今の穂乃果だ。

『大丈夫、私がいるから。一人じゃないよ!』

 そう言うと、穂乃果は両手でグッと拳を握る。

『私もいますよ、播磨さん』

 と、言ったのは海未だ。

 海未の姿もはっきり見える。

『はーりくん♪ まだお別れなんてイヤだよ』

 笑顔でそう言ったのはことりである。

 なぜかメイド服であった。

『け、拳児さん。いつも応援ありがとうございます。今度は、私が応援します』

 小泉花陽。

『拳児くん! ……、また一緒に買いもの行きたいにゃ!』

 星空凛。

『拳児さん? まだまだ、たくさん曲を作りましょう?』

 腕を組み、少し視線を逸らしながら恥ずかしそうに言う西木野真姫。

『拳児、アンタは私のファン代表なんだから、早く帰ってきなさいよ!』

 矢澤にこ。

『拳児。スクールアイドルで学校を救うんでしょう?』

 絢瀬絵里。


『あなたはきっとウチらの元に帰ってくる。信じてるで』

 そして、東條希。

 憎しみ、苦しみ、怒り、負の感情が詰まった呪い。

(受け止めてやるよ。今の俺ならな)

 播磨は両手に力を込める。




「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!」








  おぼえていますか

  目と目が あった時を

  おぼえていますか

  手と手が触れあった時

  それははじめての

  愛の旅立ちでした

  I love you so





  もう ひとりぼっちじゃない

  あなたがいるから





 どれほどの時間が経っただろうか。

 数時間だろうか。

 それとも数秒。

 時間の感覚がよくわからない。

 ただ一つわかることは――

「おおーい、拳児いいいい!!」

 自分が生きているということだ。

「はっ!」

 気が付くと、播磨は地面の上に膝立ちになっていた。

 両手に持った刀は地面に突き刺さっている。

「拳児、大丈夫か」

 横を見ると雷電が心配そうに呼びかける。

「雷電……」

「よかった、意識はあるようだ」

 安心したように雷電は言った。

「山の神は……?」

 播磨がそう言うと、

「あそこだ」

 と、伊達がアゴで場所を示す。

 するとその先には、ソフトボールくらいの大きさの蜘蛛が歩いていた。

 平均的な蜘蛛と比べると明らかに大きいが、自分たちが戦った蜘蛛とは比べものに

ならないほど小さな蜘蛛になっていた。

「あれが本来の姿なのだろう。恨みなどの呪いを解放したら、ああなった」

 小さくなった蜘蛛は、ちょこちょこと急ぐように、元いた洞窟の中へと戻って行った。


「見事也播磨拳児。此の難関を良く通過した」

「あ! オッサン! 今までどこへ行っていやがった!」

 いつの間にか、王大人が姿を現していた。

「王大人。お久しぶりです」

「お久しぶりです」

 伊達と飛燕と月光の三人が直立してお辞儀をする。

(このオッサン、どんだけ偉いんだよ)

 暴力団も裸足で逃げ出すような伊達や月光よりも凄いことは確かだろう。

「ふむ。伊達、飛燕、月光。助力多謝」

「勿体なきお言葉」

 伊達は言った。

「この刀は返してもらおう」

 そう言うと、王大人は地面に突き刺さったままの刀を抜いて、鞘に納める。

(つうか、普通の喋り方もできんじゃねェかこのオッサン)

 ふと、播磨は思った。

「ていうかよ、オッサン。この修行に何の意味があったんだ? デッカイ蜘蛛を倒した

だけじゃねェか」

「貴様、独りで山神を倒せたと思うか?」

「それは……」

「雷電や伊達たち、それに阿衣度瑠寺で貴様を応援してくれたμ’sの

構成員(メンバー)。それらの協力や応援があったからこそ、呪いの浄化が

可能であった。貴様一人では到底不可能也」


「そりゃ、そうだけどよ」

「今回の修行、仲間同士の協力無しには達成不出来。是最大の狙い也」

(本当かよ)

「見ろよ、拳児」

 そんな疑念を抱く播磨の方を雷電が叩く。

「あン?」

「朝日だ」

 いつの間にか空が白み、朝日が昇ってきた。

 戦っているうちに朝になってしまったようだ。

「まあ、悪い気分ではないな」

 何だか知らないうちに、播磨はSIP(スクールアイドルプロデューサー)としての

修行を終えて、合宿先の寺に戻ることになるのだった。





   つづく
 

マクロスっぽいと思った?

マクロスだよ!



山の神(巨大蜘蛛)との死闘を終えた播磨たちは、一日かけて下山した。

 しかし、二日間も徹夜したため、途中休憩が長引いてしまい、合宿先の寺にもどった

のは結局その日の夕方遅くになってしまった。

「へっ、出迎えもなしか」

「仕方あるまい。皆、三日間のレッスンで疲れているのだ」

 一日中ダンスや歌のレッスンでみっちりしごかれる経験は、彼女たちには初めての

ことだろう。疲れているのも無理もないかもしれない。

「先輩たちは無事に帰ったかね」

 播磨は独り言のようにつぶやく。

 途中、飛燕と伊達と月光の三人は車に乗って帰って行った。どうせなら寺まで車で

送ってくれれば良かったものを、それでは修行にならない、と王大人が止めたため、

結局歩いて帰ることになってしまった。

 おのれ王大人。

「随分と静かだな」

 二日ぶりに見る阿衣度瑠寺(あいどるじ)の境内はかなり静かであった。

 王大人の部下らしき白装束・白頭巾軍団の姿も見えない。

「二人共御苦労。風呂に入るべし」

 王大人は言った。

「そういや、ここの風呂って天然温泉だっけ?」

 播磨は雷電に聞く。


「数々の有名アイルドルが修行した場でもあるからな、サウナや露天風呂などの、

リフレッシュ施設も充実しているのだろう。寺なのに」

「俺たち全然利用できていなかったけどな」

「明日の朝には帰るのだ。今日くらいはゆっくり利用していくといい」

 雷電は言う。

「まあいい。早く風呂に入りてェぜ。丸二日風呂に入ってねェから、身体がかゆくて

仕方ねェ」

 播磨はそう言って背中のあたりをかく。

「我、用有り。今宵は合宿の打ち上げ。故に念入りに身体洗うべし」

 そう言うと、王大人は寺の奥へと向かって行った。

「雷電、俺たちも行こうぜ」

 播磨がそう言うと、

「すまない拳児。俺は少し用がある。先に行っていてくれないか」

 と、雷電は言った。

「……まあいい。早く来いよ」

 播磨は自分たちの荷物を置いた寝室に向かい、そこでタオルや着替えなどを取って

風呂に向かった。






     ラブ・ランブル!

 播磨拳児と九人のスクールアイドル

  第二十八話 ありのままの姿



「うおっ、凄ェ!」

 寺の露天風呂を見た播磨の第一声である。

 かなりでかい。

 有名温泉旅館並みの温浴施設に驚く播磨。

 風呂の中にはいくつかの岩もあり、遠くには山々も見える。

 群青色に染まる空がまた、露天風呂の良さを引き立たせてくれる。

「ひゃあ、こんなにいい風呂に入ってたのかアイツら。そりゃ疲れも吹っ飛ぶって

もんだ」

 そう言いつつ、播磨はシャワーを浴びて頭をシャンプーで洗った。

 数日風呂に入らない、などということは現代ではあまり経験のないことなので、

とにかく疲れよりも解放感に癒されていた。

(ふう、早く湯船に浸かりてェぜ)

 そう思いながら、身体と頭を洗っていると、脱衣室の扉が開く音が聞こえてきた。

 どうやら雷電が来たようだ。

「おう、雷電。遅かった――」

「拳児はん?」

「は?」

 播磨が視線を上げると、そこには雷電とは思えないほどの艶めかしい腰付きと、

大きな胸が……

「みぎゃあああっおごごごごぼ……!」


 思わず叫びだしたところ、口元を押さえつけられる播磨。

「なんで拳児はんが大声出すの。普通、叫ぶのってウチのほうでしょう!?」

(希!?)

 播磨の口を押えながら東條希は言った。

「何やってんだ、こんなところで」

「何って、お風呂に決まってるやん」

「……!」

 思わず目線を逸らす播磨。

 大事な部分はタオルで隠しているとはいえ、今の希は生まれたままの姿なのだ。

「それよりいつ帰ってきたん?」

「ついさっきだよ。臭ェから、すぐに風呂に入ったんだ。ってか、マズイだろ」

 かなりマズイ状況だ。

「の、希。お前ェがここにいるってことは……」

『はあ、疲れたねえ』

『早く入るにゃ!』

 脱衣室から女子軍団の声が聞こえてきた。

「おいっ、アイツらを早く止めろ!」

「無茶言わんで!」

「どうすりゃいいんだよ」

 播磨の頭の中で最悪の事態が過る。

(まずい。このままではメンバーとの信頼関係が云々)

 しかし焦っているのでまともなことは考えられなかった。


「こっちよ拳児はん」

「はあ!?」

 そう言うと、希は播磨の手を引く。

 播磨はなるべく希の肢体を見ないように進むが、どうしても見てしまう。

 足元が熱くなった。

 どうやら湯船に入ったようだ。

(何をするんだ)

 声を殺しながら播磨は聞いた。

(皆が出て行くまでここの岩の影に隠れておいて。せやったえらバレへんから)

(お前ェ、それって)

 突然の希の提案に戸惑う播磨。

 だが迷っている暇などなかった。

「希ちゃーん。先に入るなんてズルいよおー」

 穂乃果の声が聞こえてきた。

「お風呂は嬉しいにゃあ」

「今日も疲れました」

 どうやらμ’sのメンバーが次々に風呂に入ってきているようだ。

(逃げ場がねェ)

「あら、堪忍な。さあ、今日は打ち上げがあるさかい、早めに入って準備しようと

思うて」

 希の声が聞こえる。


「ええ? せっかく最後なんだから、もっとゆっくり入りたいよお」

 穂乃果は言った。

「そうだねえ、普通の旅館でもこれだけの露天風呂はなかなかないよねえ」

 ことりの声も聞こえてきた。

(くそっ、コイツら)

 播磨はそう思ったが、今声を出すわけにもいかない。

「あら? どうしてこんなところに手ぬぐいが?」

 絵里の声だ。

「あ、ああ。これはウチが入る前からあったんよ。誰か忘れて行ったんやろうな」

 希がそう言ってごまかす。

 ナイスだ希。

「はあ、それにしてもこの合宿も最後かあ」

 感慨深そうなにこの声が響く。

「思えば初めて合宿らしい合宿だったね」

 これは花陽の声か?

「それにしても花陽はいいモノ持ってるわねえ」

「きゃあ! にこちゃん。掴まないで。っていうか、全然合宿と関係ないじゃない!」

(あいつら風呂で何やってんだ)

 岩陰に隠れて、播磨の想像力は膨らむ一方である。

「ねえ、拳児くんたちって帰ってきたんだよね」

 穂乃果の声である。


「そうだねー。さっき王先生を見たから、もう帰ってきたんだろうね」

 ことりは答える。

「そういえば海未ちゃん、まだ来てないね」

「雷電くんと何か話をしているんじゃないかな」

 顔は見えないけれど、恐らくいまのことりの顔はニヤニヤしているのだろう。

(あの野郎、園田と会うから遅れたのかよ)

 その結果、播磨だけが“こういう状況”に陥ったわけである。

 播磨はそう思うと少しだけ腹が立った。

 だが、ムカついてばかりもいられない。この温泉は、結構熱い。

 お風呂で女の子とバッタリ。ラブコメではよくある展開である。

 しかし、

「ことりちゃん、もう湯船に浸かっても大丈夫なの?」

 と、穂乃果。

「うん、もう生理も収まったしね」

 ことりは答えた。

「ずっとシャワーだけじゃあつまんないもんね」

 穂乃果がそう言うと、

「かよちんは、重い日が長いから大変にゃあ」

 と、凛は言う。

「もう、凛ちゃんったら。変なこと言わないでよお」

 花陽の恥ずかしそうな声が聞こえた。


「合宿前に生理が終わってて助かったけどね」

「……」

(聞きとうはなかった。こんな話、聞きとうはなかった)

 恐らく男子の前では言うことはないであろう生々しい話を平気でする。

 これが真のガールズトークというやつなのだろうか。

(うーん、わからん)

 播磨は考えるのをやめた。

 とにかく熱い。

 早く出て行って欲しい。

 元々早風呂気味の播磨にとって、こんなに長く温泉に浸かっている趣味はない。

(それにしても長いな)

 播磨の頭の中に一つの言葉が浮かぶ。

 女の人生は風呂と買い物とお喋りで出来ている。

 何だか名言っぽいけど、これを口にしたらフェミニストの団体とかに怒られそうな

ので、そっと自分の心の中にしまうことにした。

「温泉気持ちいいねえ」

 穂乃果たちが湯船に浸かったようだ。

(まずいな、こっちに来るなよ)

 播磨は出来るだけ深く身体を沈めて目立たないようにする。

 それでも限界はある。

(たのむ、もう少しだけ)


 播磨は祈るように時間の経過を待つが、バストーク(お風呂での話)は止まらない。

「あ、花陽ちゃん。そっちは」

 不意に希の声が聞こえた。

「ぷはっ!」

 人の気配を感じた播磨は思わず顔を上げる。

 するとそこには、

「ジー」

「……」

 花陽がいた。

 生まれたままの姿の花陽。

 “謎の湯気”(※)により、大事な部分は見えなかったけれど、間違いなく素っ裸の
花陽だ。

(※ DVD/ブルーレイでは消えている例の湯気)

 かなりデカイ。

(いや、そうじゃねェ! これはピンチだ! ピンチ過ぎる! このまま花陽を捕まえて

口を塞ぐか。バカッ、それじゃあただのレイプ魔じゃねェか! 淫行でラブライブ出場

停止とか、廃校まっしぐらだぞ!)

 播磨は頭の中で議論する。その間、0.5秒。

「?」

 しかし、花陽は首をかしげていた。

(どういうことだ?)


「花陽ちゃーん。こっちにお猿さんがいるよー!」

 穂乃果の呼ぶ声が聞こえた。

「お猿さんか……」

 花陽は納得したように頷くと、穂乃果たちの方へ向かった。

(お猿さん?)

 播磨は浮上して息を整える。

(あ、そうか。今、花陽はコンタクトレンズを外しているんだ)

 播磨はプールでのトレーニングのことを思い出す。

 彼女はとても目が悪いので、メガネやコンタクトレンズなしには、まともにモノが

見えないのだ。

 だから、播磨を見ても猿か何かと勘違いしたようである。

(何はともあれ助かった。猿に見られたことは心外だが)

 ホッとして、岩にもたれかかる播磨。

(危ないところやったなあ、拳児はん)

 岩越しに希の声が聞こえた。

(危ないってレベルじゃねェぞ。花陽じゃなかったら一発アウトだ)

 それくらい危険であった。

(それにしてもよく耐えたなあ。もしかして、拳児はんは小さいほうが好みなん?)

(何バカなこと言ってやがる。それより、早く皆を風呂から出してくれ。こっちは

死にそうだ)

 色々な意味で死にそうである。

(わかった、わかったから。でもこの借りは高くつくで)


(事故だろうが、これは)

(せやけど、ウチの生まれたままの姿も見てもうたやろ?)

(だからあれも……)

 不意に思い出したところで播磨の言葉は止まった。

 希といい花陽といい、若い身体の魅力は、童貞の播磨には刺激が強すぎるのだった。

 ちなみに、なぜ播磨が若きリビドーを爆発させなかったかというと、山の神の呪いを

浄化した際に、自身の煩悩もかなり浄化してしまったためである。




   *




 誰が用意したのかよくわからないけれど、合宿最終夜の打ち上げにはかなり豪華な

食事が出された。お寺であるにもかかわらず、肉や魚もかなり出ているのだ。

 ただし、参加者は全員未成年なので王大人以外はアルコール類無しである。

 それでも若い力は大いに盛り上がるのだ。

 乾杯の音頭は播磨が取ることになった。

「なんで俺なんだよ。部長の穂乃果じゃねェのかよ」

「穂乃果にそんな大役ができると思いますか?」

 海未は言った。

「穂乃果ちゃんじゃあ無理だねえ」


 何気に酷いことを言うことり。

 よく見ると、ほのかの顔がほんのり赤くなっている。

「何で赤くなってんだよ。コイツ。まさか酒を飲んだのか?」

「違うよはりくん」

 播磨の言葉をことりは否定する。

「じゃあ何で」

「穂乃果ちゃん、お風呂上りに呑んだ炭酸に酔っちゃったんだよ」

「うにゃあ。ケンジく~ん。元気だったきゃ~い?」

「……」

 そういえば、穂乃果は炭酸が苦手だったっけな。

 播磨は古いことを思い出す。

「仕方ねェ」

 そう言うと播磨は立ち上がった。

「お前ェら。ちょっとだけ聞いてくれ」

 そう言うと、播磨はジュースの入ったグラスを持ったまま全員に呼びかける。

「今まで俺は、アイドル部の副部長として、お前ェらを助ける立場にいると思ってた。

だが今回の合宿では、まあ、なんつうか、お前ェらに大いに助けられたと思う。それと

伊達先輩や月光たちにもだがな」

 あえて飛燕の名前は出さなかった播磨。

「俺は今までアイドルっつうもんは、一方的に誰かに応援されるものだと思っていた。

だけど、アイドルの歌で、踊りで、そして笑顔で、誰かが勇気づけられることもある

ということを、今回大いに感じた。正直、技術的な点でA-RISEや他のスクール

アイドルに敵うかはわからねェ。ラブライブに出場できるかも、微妙なところだ。


だけど、今は、そんなことは関係ねェ。ありのままのお前ェたちが、一番いいと俺は

思う。こんなことしか言えねェけど、勘弁してくれ。それじゃあ、乾杯するぞ。

グラスを持て」

「はーい」

 そう言って全員がジュースの入ったグラスを掲げる。

「乾杯!」

「カンパーイ!!」

 三日間の苦しい合宿。μ’sのメンバーはずっとレッスンを受け続け、播磨たちは

山道を歩き続けたけれど、最後はこうして全員無事に終わることができた。

 それだけでも彼は嬉しかった。

 しかし、合宿はあくまで手段に過ぎない。

 本当の目的は、本予選に勝ってラブライブに出場することだ。

 いくら厳しい練習をしたところで、一日や二日で驚異的に技術が伸びることはあり

えない。

 だとすれば、どうしたらいいのか。

 どうしたらA-RISEに勝てるのか。

 未だに勝機は見いだせない。

 血のにじむような練習をしてきたのはどこの学校も同じだ。ここが特別というわけで

はない。

 打ち上げの盛り上がりの中、播磨はじっと考えていた。


「どうしたの? はりくん。何か考え事?」

 不意にことりが話しかけてきた。

 彼女も実は、妙に察しがいい人物の一人である。

「ん? いや、そういうわけじゃねェけどよ。ちょっと疲れちまってな」

 播磨は曖昧な返事で誤魔化す。

 正直、何が不安かと言われたら、全部という他ない。

 だったら、心配していても仕方がないのだ。

「ふうん。でもあんまり考えすぎないほうがいいよ」

「わかってるっての。俺はあんまり頭良くねェからな」

「そういうことじゃないけど。あと」

「ん?」

「ラブライブの本予選までに、出来るだけ気になることは取り除いたほうがいいかもね」

 そう言ってことりは笑った。

「気になること……」

 播磨は色々と思い出す。

 確かに気になることはある。

 A-RISEのプロデューサー、新井タカヒロに言われた言葉。

 そして、東條希のこと。

「ちょっと便所」

 播磨は立ち上がり、寝室へと向かった。

 そして、自分の鞄の中を調べて松尾鯛雄から貰った紙を取り出す。

(今しかないか)

 播磨は心の中でそうつぶやいた。




   *




 打ち上げも大分盛り上がってきた頃、播磨は外に東條希を呼び出す。

 彼女も何かを察したようで、素直に彼の誘いに乗ってきた。

 外に出ると、山の空気が冷たくて気持ちがいい。

 昼間の暑さが嘘のようだ。

「どうないしたん? 拳児はん? もしかして、お風呂場のことを思い出して欲情

したの? 浴場だけに」

「くだらねェ駄洒落を言ってんじゃねェぞ。お前ェも何となく察しはついてるだろう」

「うん。そうやね……」

 希は何かを諦めたように頷く。

「悪いが、お前ェのことを少しだけ調べさせてもらった」

「……そう」

「鈴谷瞳(すずやひとみ)。この名前に覚えはあるな」

「懐かしい名前やね」

「否定はしねェか」

「だって事実やもん。拳児はんにはウチの恥ずかしいところ全部見られたわけやし、

今更隠し事なんてするつもりはあらへんで?」

「ば、バカ。あれは事故だ。それに全部見えたわけじゃねェ!」

「何焦っとるんよ」

 そう言って希は笑った。

「お前ェが変なこと言うからだろうが」


「でも見たことは事実やろ?」

「まあ、そうやけど。話を戻すぞ」

「どうぞ」

 播磨は、松尾から貰った紙を開く。

「鈴谷瞳、関西地方のアイドルで、現在A-RISEをプロデュースしている新井

タカヒロがプロデュースしていたHSN25のメンバーの一人」

「その本名は、私。東條希や。さすがやな、拳児はん。そこまで調べてるなんて」

「調べたのは俺じゃねェよ。だが安心しな。このことは秘密にしている」

「別に秘密にするようなことじゃないんやけどな」

「まあ、俺もこのことを知った時は驚いたさ。だが同時に納得もした」

「納得?」

「だってそうだろう? 絵里や海未と違って、お前ェの経歴ってのはよくわからな

かったんだ。それなのに、歌や踊りを完璧にマスターしている。不思議に思わねェ

ほうがおかしい」

「そうやね」

「お前ェの原点が“本物のアイドル”にあったってのは意外だったな。だけど解せない

ことがある」

「なんやの?」

「希、お前ェは人を支えることが好きだって言ってたな。それなのに、なぜ自分も

またアイドルをやろうと思い立ったんだ? そこが知りてェ」


「……」

「このまま、俺や雷電みたいに、外から支えるっていう立場でもやれたはずだ。だが、

お前ェは自分も参加した。再び舞台に上がる道を選んだ。それはなぜだ」

「わからへんよ。生来ステージが好きやったんかもしれへんなあ」

「……そうか」

「それともう一つあるとすれば」

「もう一つ?」

「鈴谷瞳としてやなくて、東條希として舞台に立ちたかったってことがあるかもしれへん」

「東條希として舞台に?」

「拳児はん。ちょっとつまらん昔話をするけど、ええか?」

「構わねェよ。あと、つまんねェかどうかは俺が判断する」

「ふふ、ありがとう。ウチは中学時代、大阪でHSN25っていうアイドルグループに

所属しとったんよ。もちろん、プロデュースはあの新井タカヒロや」

「……」

「そこでウチはあの人から『鈴谷瞳』という名前を貰い、その鈴谷瞳という人物を

演じることを指示された」

「演じる?」

「そう。舞台はもちろん、ファンとの交流会なんかでも、鈴谷瞳というキャラクター

をずっと演じとるんや。それはウチの性格とは乖離したものやった」

「……ん」

 ふと、播磨はA-RISEの綺羅ツバサこと、山田早紀のことを思い出す。


 彼女も、綺羅ツバサという人物を演じていると言っていた。

「何だか自分が人形になったような気がしてな。それでアイドル活動が嫌になったんや。

せやから、当初はスクールアイドルにはなるつもりはなかった」

「だけど、お前ェは」

「穂乃果ちゃんたちの活動を見ていてな、思ったんよ。あの子たちはありのままの姿で
アイドルをやっとるって。それはとっても羨ましいことやった」

「ありのままの姿」

「そう。飾らず、気取らず、何よりも別の人格を演じることもなくありのままの人間

としてステージに立つ。ウチも、それがやりたかったんかもしれへん」

「……希」

「ん、どないしたん? やっぱりウチの話、つまらんかった?」

「それだ!」

 そう言うと、播磨は希の両肩を掴む。

「ひゃっ! 何すんの? そういうのは付き合うてからにしてくれへんと」

 恥ずかしそうに視線を逸らす希。

「アホッ、何勘違いしてんだ。そうじゃねェ」

「へ?」

「少しだけ見えた気がしたんだよ。A-RISEに勝つ道がよ」

「A-RISEに、勝つ?」

「ああ、ほんの少しだけどな」

 そう言うと、播磨は空を見て自分の腰に手を当てる。


 自分の確信が正しいか、それはわからない。

 ただ、彼の心の中にある希望は、満天の星空のように輝いていた。

「ねえ、拳児はん?」

 ふと、希は呼びかける。

「どうした」

「瞳と希って、どっちの名前が好き?」

「何言ってやがんだよ、お前ェ」

「……」

「そんなもん、希に決まってんだろ。親御さんに貰った、大事な名前ェだろ?」

「……そうやね」

 暗がりの中で、希は嬉しそうに笑った。






   つづく

湯気の下は自分で想像するべし!


 雷電の母、雷(いかずち)は身体が小さかったため、雷電の出産はかなりの難産で

あったという。

 出産には十二時間近くかかったようで、一時は帝王切開も検討されたが、何とかして

通常の分娩で出産することができた。

 出産後、ほぼ体力も精神力も使い果たしたと思われた雷は、生まれたばかりの我が子

にこう言ったという。

「こんにちは、私の赤ちゃん。……随分と待たせちゃってごめんね。私がママよ。

生まれてきてくれてありがとう。出てくるのに苦労した分、あなたの人生がとっても

幸せでありますように」

 初乳を飲ませ終えた母は、そのまま気を失った。

 母親はその後、弟や妹を産むことはできなかったけれど、生まれた息子を大切に

育て、今や立派な高校生となったのである。

「ちょっと立派過ぎやしませんかね」

 縁側でお茶を飲みながら海未は言った。

「何言ってるの。まだまだよ」

 同じく、お茶を飲みながら雷は言う。

 彼と彼女の視線の先には、雷の一人息子である雷電が、上半身裸で鍛錬をしていた。

 見た目はちょっと怖いけれど、誰よりも仲間想いで、誰よりも心優しい男と、その

幼馴染の物語である。






      ラブ・ランブル!

  播磨拳児と九人のスクールアイドル

   第二十九話 一人の力 




 海未と雷電の家はとても近く、物心つく前からお互いのことを知っていた。

 いわゆる正真正銘の幼馴染である。

 二人が本格的にお互いのことを知るのは、幼稚園の頃から通っていた拳法道場での

ことである。

 運動神経が良く発育も早かった海未は、上達も早く、小学校に上がる頃には同世代

の男子ではとてもかなわないほどの使い手になっていたという。

「まったく、雷電は相変わらず弱いのね」

 気の強そうな長髪の少女が隣の少年に言う。

「そうかな……」

 雷電と呼ばれた隣の少年は静かに返事をした。

「そんなんじゃダメでしょう。もっと強くないと。男でしょう?」

「強さだけがすべてじゃないと思うけど」

「もう、本当に何言ってるのよお。お爺ちゃんみたいなことを言って」

「僕のお父さんが言ってたんだけど」

「ん?」

「知ってると思うけど、僕のお父さんは船乗りなんだ。だから滅多に家に帰ってこないんだ」

「知ってるわよ、そのくらい」

 少年と少女は、物心つく前からの知り合いである。

「でもたまに帰ってきた時に話をしてくれるんだけど」

「へえ、どんな話? ウチはお父さんとはあんまり話とかしないけど」


「うーん。海の上ではね、陸(おか)のように他に助けてくれるひとがいるわけじゃ

ないから、船に乗っている仲間同士でキチンと助け合いをしなきゃいけないってこと」

「それじゃあ、仲間を助けるために強くならないといけないじゃない」

 少女は言った。

「確かにその通りだけど、皆が皆海未みたいに強いわけじゃないし、それに、それぞれ

得意な分野も違うわけだから」

「もう、本当に雷電は理屈っぽいわねえ。男だったらこう、悪い奴は全員倒す、みたい

に正義のヒーローとかに憧れなさいよ」

「正義のヒーローだって、無闇やたらに暴力を振るっているわけじゃないよ」

「ああ、もう! そうやって自分が弱いことの言い訳にしてるんでしょう? 格好悪い」

「……」

「もっと鍛えて強くならないとダメよ」

 そう言うと、海未と呼ばれた少女は、雷電少年の背中を平手でパンと叩く。

「うぐっ」

 道着越しではあるけれど、かなりの衝撃だったようで雷電は少しよろめいてしまった。



 それから数年――


 



 
 海未は拳法道場で学んだ体力と精神力を糧に、正義感の強い少女へと成長していく。

 対する雷電は幼い頃のまま、心優しい少年に成長していった。

 二人の性格は真反対であったけれど、それでもわりと上手くいっていたようである。

「雷電くん、海未ちゃん! おはよう!」

 二人の登校中、元気に挨拶してきたのは同級生の高坂穂乃果であった。

 彼女はとても元気がいい。

「おはよう、穂乃果」

「おはよう」

「二人は相変わらず仲良しだね」

 穂乃果は言った。

「もう、穂乃果までそんなこと言わないでよ」

 この時期になると、二人の仲をからかう同級生も出てくるけれど、穂乃果は純粋に

二人の仲を羨ましがっているようだ。

「ケンジくんなんか、最近一緒に登校してくれなくなっちゃってね」

 そう言うと、穂乃果は少し寂しそうな顔をする。

「きっと、恥ずかしがってるんだよ」

 と、雷電は言った。

「そうかなあ。それに、下の名前で呼ぶと怒るんだよ」

「周りに冷やかされるのが嫌なんじゃないかな。拳児はきっと、穂乃果のことを大事

に思っているよ」

 雷電はあくまで優しく答える。


「そっか、そうだよね。今度また誘ってみよう」

 小学校も三、四年ぐらいになると、互いに男子や女子を意識するようになり、次第に

距離が開いていくものである。

 幼い時は、下の名前で呼び合っていたという播磨と穂乃果も、いつしか苗字で呼び合う

ようになっていた。しかし、海未と雷電は相変わらず一緒にいることが多かったし、

呼び方もお互いに変わらない。

 そんな二人を冷やかす者もいたけれども、基本的に海未が制裁を加え、それを雷電が

止めるという構造が出来上がっていたようである。

「訳のわからない連中に色々と言われて悔しくないのですか?」

「言いたい奴には言わしておけ」

 雷電は小学生にしてはやけに達観した物の見方をしていた。

 留守がちな父に代わって、家と家族を守るという役目を受けていたからかもしれない。

「海未ちゃん見て見て! 蝉の抜け殻だよ!!」

 雷電に比べると、小学校入学以来の友人である穂乃果は明らかに幼く見えた。

(まあ、今はこんなのですが、中学校に上がれば少しは大人しくなるでしょうね)

 まさかこの幼さが高校に上がっても基本的には変わらないとは、その時の海未には

想像できなかったであろう。

 後に音ノ木坂学院に進学してスクールアイドルを結成する海未、穂乃果そしてことり

の三人は同じ小学校の出身であった。そして男子では雷電と播磨が同級生である。

 当時の播磨は今よりも気が強く、やたら腕力も強かったため、周りから避けられて

いたけれども雷電だけは、よく播磨の相談相手になっていた。播磨の方も、あまり人

とは関わらなかったけれども、雷電だけは例外であったようだ。


 誰とでも分け隔てなく接する雷電は、時には教師にも頼られる存在であった。しかし、

学級委員をやるような目立つ存在ではなく、あくまで裏方として生きることを好んで

いたようにも見える。

 実はそのことも海未には少し不満であった。

 雷電のことは、クラスでももっと評価されてもいいのではないか、と。

 海未も雷電ほどではないけれど、女子の間からはそれなりに頼られる存在であり、

学級委員など、クラスの代表も何度か勤めていた。しかし、彼女が無難にクラスの

代表をこなせていたのも、雷電の助力があってこそである。

 自分が評価されるのはそれは嬉しい。でも、雷電は滅多に評価されないし、あえて

評価されようとも思わない。ただ黙々と、他人を助けるだけの存在。

「雷電、あなたはもっと自分をアピールした方がいいと思いますよ。このままじゃあ、

あなたは損ばかりしてしまいます」

 学校からの帰り道、よく海未はそんなことを言っていた。

 だがそんな時、決まって彼は言う。

「誰もが平等に評価されることなどありえない。別に俺は目立たなくとも構わない」

 彼はあえて主役になることを望まず、わき役に徹しているようであった。

 海未はそんな雷電を見て、損をしていると思っていた。

 今思えば、雷電のおかげで助かっていた自分に対する後ろめたさがあったのかもしれない。

 そんなある日のことである。

 同級生の南ことりが別のクラスのいじめっ子に絡まれているのを海未が見かけた。

「なんでお前、とさかがあるんだ? ニワトリか? 鳴いてみろよ」

 ことりは大人しそうな外見をしていたので、よくいじめられていた。


 また、ことりは小学校のころから可愛らしかったから、男子としては好意を

はっきりとは表に出せず、つい意地悪をしてしまったのだろう。

「こらあ! やめなさい」

 正義感の強い海未は、そんな現場を見過ごすはずもなかった。

 周りの児童たちは、体格の大きいいじめっ子に恐れをなして何も言えなかったけれども。

「なんだあ? 二組の園田かよ。何か文句あんのか」

 いじめっ子はそう言って睨み付ける。

 だが、海未はまったく動じない。

「女の子をいじめるなんて、随分格好の悪いことをするのですね」

「別にいじめちゃあいないさ。ちょっと話をしただけだ」

「……!」

 海未の後ろに隠れたことりが涙目で首を振る。

「本人は嫌がっていたようですが?」

「うっせえなあ。お前には関係ないだろうが」

「人に迷惑をかける行為を見過ごすわけにはいきません。あなた、南さんに謝りなさい」

「は? 何だお前。何様のつもりだ」

 いじめっ子はイライラを募らせる。

 どう見ても海未の方が正しいのだが、彼女の高圧的な言い方に反発してしまったようだ。

「女の癖に俺に意見しようってのかよ、コイツ」

「きゃあ!」


 周囲の女子児童が叫ぶ。

 傍若無人な振る舞いはともかく、男尊女卑的な言い方も海未には気に入らなかった。

「言ってもわからないようですね、あなたは」

「うるせえ!」

「海未ちゃん」

 涙目でことりはつぶやく。

「ことり、下がってなさい」

 海未はことりを静かに後ろに下がらせた。

「いい度胸だテメエ。柔道教室に通っているこの俺を怒らせたらどうなるかわかってん

のか?」

「さあ、どうなるのですか?」

「こうなんだよ!」

 いじめっ子の右手が海未を掴もうとする。

 しかし、海未は素早い体さばきでそれを躱すと、いじめっ子の脚を引っ掛けた。

 すると、勢いの余ったいじめっ子は廊下にうつ伏せに倒れてしまった。

「イテテ……」

「どうなると、言うのですか?」

 海未は言った。

「くそがあ! 女のくせに……!」

 憎しみを込めた声でいじめっ子が立ち上がろうとすると、

「おい! 何をしている!」

 ジャージ姿の教師がこちらに駆けつけてきた。

「やべっ! 先生だ」


 そう言うと、素早くその場から逃げ出すいじめっ子。

「こらあ! 森田あ!」

 教師の声が廊下に響く。

「お、園田か。何があった」

「いえ、何もありませんよ。森田くんが勝手に転んだだけです」

「そうか」

 海未はそう言って誤魔化す。

 いじめっ子のほうも、まさか女子生徒にしてやられたとは言えないため、その事件は

その場で収まったかに見えた。




   * 
   


 数日後の放課後――

 海未自身、“あの日”のことを忘れかけた日のことである。

「海未ちゃん、一緒に帰ろう?」

 そう言って誘ってきたのは、先日いじめっ子から助けた南ことりであった。

 ことりは穂乃果と仲が良く、彼女を通じて穂乃果とも親しくなったと言っても過言

ではない。

「それでね、穂乃果ちゃんが体育の時にね」

 ことりはよく穂乃果の話をする。


 クラスがかわっても、二人の友情は変わらないようだ。

 海未とことりはランドセルを背負って校舎の外へ向かった。

「今日はあの……、工藤くんはどうしたの?」

「工藤? ああ、雷電のことですか。雷電なら教室で補習の手伝いをしていますよ」

 ずっと下の名前で呼んでいたので、海未は雷電の苗字を忘れそうになっていた。

 そう、彼の上の名前は工藤である。

 ただし、某探偵とは何の関係もない。

「へえ、前から思ってたけど、工藤くんと海未ちゃんって仲がいいんだね」

「幼馴染ですからね」

「今でも時々一緒に帰ったりするもんね」

「拳法の道場に行くときだけですから」

 そんな他愛もない話をしながら生徒昇降口で上履きから外履きに履き替え、校門へ

向おうとしたその時、海未たちの前を数人の人影が待ち受けていた。

「……!」

 一瞬で殺気を感じ取る海未。

「どうしたの? 海未ちゃん」

 ことりはすぐにこの雰囲気を感じ取れずにキョトンとしている。

「園田海未だな」

 腕組みをしている背の高い男子が海未の名前を呼ぶ。

 見かけない顔なので、上級生なのだろう。

「俺はこの学校を仕切ってる川城だ。この前はウチの舎弟に面白いことしてくれた

らしいじゃねえか。ちょっと面貸せや」

 そう言って首で合図する男子。


 よく見ると、そいつの後ろには、先日転倒させて恥をかかせたいじめっ子の姿も見えた。

 どうやらこの上級生は、このいじめっ子の親分みたいなものなのだろう。

 自分の仇を取って欲しくて上級生に頼む。

 どこまでも卑怯な人間だ、と海未は思った。

「わかりました。付き合いましょう。ただし、この子は関係ないのでこのまま家に

帰してください」

 海未はそう言ってことりを指さす。

「おっと、そうはいかねえぜ」

 そう言ったのは、確か森田とか呼ばれたいじめっ子である。

「そいつが先生に通報(チク)るかもしれないからなあ」

 よく肥えたそのいじめっ子はそう言って不敵な笑みを浮かべる。

(どこまでも下衆な連中だ)

「そんなことはしませんから安心してください」

 海未は集団のリーダーである川城の目を見てはっきりと言う。

「ことり、あなたはこの場を離れなさい。決して先生には言わないように」

 海未は語気を強くして言った。

「……」

 無言で頷くことり。目が少し、いや、かなり涙ぐんでいた。

「これでいいでしょう?」

 海未は川城に向けて言う。

「けっ、仕方ねえ。おい小娘。絶対にチクんじゃねえぞ」


 川城はそう言ってことりを睨みつける。

「ひいっ」

 ことりは小さな悲鳴を上げて肩をすくめた。

「こいっ、こっちだ」

 七、八人の集団は海未を囲むようにして移動していく。

 その場に残されたことりはどうしたらいいのかわからず、茫然としていたようだった。 



   *



 体育館裏。

 このジメジメとした場所は、よく不良が喧嘩をしたりタバコを吸ったりする場所と

して学園モノでは有名だ。

 ただ、まさか自分がこのような形で連れてこられようとは、海未は思いもよらなかった。

「こ、これからどうするのです?」

 動揺を隠すように海未は質問した。

「ああ? 決まってんだろう。舎弟(コイツ)に恥をかかせた落とし前をつけて

もらうんだよ」

 そう言うと、川城は親指で太ったいじめっ子(森田)を指し示す。

「落とし前、ですか」

 Vシネマの中でしか聞いたことの無いような言葉だ。

 小学生の癖に一丁前な口を利く川城の姿が少し滑稽に思えた。


 だがこの状況は滑稽ではすまされない。

(不味いですね)

 一対一なら、例え上級生にも負ける気はしない海未。だが、数人に囲まれた今の状況

は違う。人数の差は戦力の差と同等だ。例え一人一人は弱くても、これだけの人数に

一斉にかかってこられては、さすがの海未も対処できない。

「……どうすればいいんですか」

 海未は聞いた。

 何となく答えは想像がついたが。

「そうだな。土下座したら許す。これでどうだ」

「フハハハハ」

 下品な笑い声が響く。

「どうして土下座しなければならないのですか?」

 その笑い声に、海未は少しイラついた。

「ああん? 女の癖に男に楯突いたからに決まってんだろう」

「私は悪いことをしたとは思っていません。もとはと言えば、そこの男子がウチの

クラスの女子をいじめていたのが悪いのではありませんか」

 海未は一瞬だけ森田に目をやると、すぐに川城に視線を戻す。

 心臓が高鳴っている。

 これから戦闘がはじまるのだろうか。

 そう思うと怖くてたまらない。

 拳法の試合でもこれほど怖いと思ったことがない。

 それは、大怪我をする可能性がほとんどないとわかっているからだ。

 だが今は違う。


 生身の人間が殴り合う。そんな状況だ。

 それも多数対一人。

 不利。

 圧倒的に不利。

 どう対処する。

 隙を見て逃げる。

 そんな選択肢は彼女にはなかった。

 意地でもこの卑怯な男子連中に一撃を加えてやりたかった。

「悪いが助けはこないからな」

 そう言うと、川城はわざとらしく指を鳴らした。

 北●の拳のように上手くボキボキとは鳴らず、マヌケな音が少し聞こえただけであった。

 だが上級生はそんなことも気にしてはいないようだ。

「こんな多人数で、私一人を襲うのですか?」

 海未は挑発するように言った。

 こうすれば一対一に持ち込めるのではないか。

 そう思ったからだ。

「ああん? 舐めてんのかクソが。本当に生意気な奴だ」

「そうですよ川城さん。やっちゃってください!」

 いじめっ子の一人がそう言った。

 典型的な小者っぷりに頭が下がる思いだ。


「言われなくてもやってやるよ!」

 大きく振りかぶって殴りかかってくる川城。

 動きがバレバレだ。

 まるでスローモーションである。

 海未は足場が悪いのも気にせず、素早く川城の攻撃をかわす。

 そして彼の拳は大きく空を切った。

「おっとっと。クソが……!」

 川城のイラつく声が聞こえてきた。

 感情を表に出せば、攻撃は単調になる。

 再び右ストレート、そして左。蹴り。

 空手か何かをやっていたようで、それなりに型にははまっていたけれど、いかんせん

動きが単純すぎた。

「せいっ!」

 関節を狙って、海未は回し蹴りを放つ。

「ぬわっ!」

 力の弱い女子でも、相手の鍛えられない部分に攻撃を仕掛ければ、それなりに効果

はあるものだ。

「あがが……」

 川城は無様に膝から崩れ落ちた。

 確かに体格が良いので、川城の攻撃は当たれば大きなダメージになることだろう。

 だがそれは当たれば、の話だ。

 彼の攻撃は大振り過ぎて、海未の目にはスローモーションにしか見えなかった。

「川城さん!」

 数人が駆け寄る。

「うるせえ!」


 だが川城はその手を振り払うようにして立ち上がった。

「おい、太田! 嶋中!」

「はい!」

「その女の両腕を抑えろ!」

「え?」

「早くしろ!」

「はい!」

「ちょ、ちょっと!」

 二人の男子が川城に言われた通り、海未の両腕を掴む。

「何をするんですか!」

 必死に振りほどこうとする海未。だが二人掛かりではさすがの彼女でも振りほどくの

は難しい。

「卑怯者!」

 海未は叫んだ。

 しかし頭に血が上ったこの状況ではカエルの面にションベンである。

「ワレ、俺にも恥をかかせてくれたな。その落とし前もつけてもらうぞ」

 怒りに震えた川城が拳を握る。

 さすがに今度は避けられそうもない。

「川城さん、顔はヤバいッスよ。腹にしましょう、ボディーに」

 男子の一人が心配そうに言う。

 だが川城は聞かない。

「うるせえ!! 俺に指図すんな!」

 海未は衝撃を覚悟し、歯を食いしばった。

 この男は女子でも関係なく殴るだろう。それだけどうしようもない存在だ。

 しかし、そんな理不尽な暴力に屈するわけにはいかない。

 絶対に屈しない!

 海未は強く目をつぶった。

 その時である。





「待ってください!!」




 聞き覚えのある声が体育館の裏に響く。

「ああ!?」

 海未が目を開くと、そこには見覚えのある人物が立っていた。

「雷電?」

 そう、雷電である。

「おお? 誰かと思えば腰抜け(ヘタレ)の雷電くんじゃないか」

 ニヤニヤしながら川城が言った。

「ヘタレ……?」

 海未は小さくつぶやく。

「川城先輩。約束が違いますよ」

「はあ? 約束だあ? ヘタレとの約束と言われてもなあ」

「どういうことなの!?」

 海未は雷電に聞いた。

「それは……」

 雷電は海未から顔を逸らす。

「コイツ、川城さんに土下座したんだぜ」

 そう言ったのはいじめっ子の森田であった。

「土下座?」

「ああ、自分が土下座する代わりに園田海未に手を出さないでくださいってな」

 その続きを言ったのは川城自身であった。

「どうしてそんなことを……」

 海未はつぶやくように言う。

「お前を守るために決まっているだろう」

 雷電は言い切った。

 そういう男なのだ。

「おうおう、美しい愛だこと」


 冷やかすように川城は言う。

「それより先輩、約束が違うじゃないですか。なんですか、この状況は」

「はあ? 気が変わったんだよ。つうか、お前が土下座したことなんて、この女は

知らねえじゃんかよ。だから園田(コイツ)は生意気なまんまなんだよ。だから、

教育してやらなきゃならねえと思った。それだけだ」

「酷い……」

 海未は絞り出すような声で呟く。

 それは自分のために土下座までした雷電にか、それとも雷電との約束を易々と破る

川城の外道っぷりにか。

「はは。ヘタレの彼氏を持つと大変だな園田」

 川城は邪悪な笑みを浮かべながら言った。

「雷電を悪く言わないで!」

「糞生意気な女だ。多分、二、三発ぶん殴ったところで謝りはしないだろうよ。だった

らまずはコイツからボコボコにしてやる」

 そう言うと、川城の視線は海未から雷電に移る。

「まさか……」

「そうさ、お前の見ている前で雷電をぼこにしてやるぜ」

「やめて!! 貴方たちの目的は私でしょう!? だったら私だけを狙いなさい!」

「うるせえ! 俺に命令すんな! おい、お前ら!」

「はい!」

 海未を取り押さえている二人組以外の男子が一斉に返事をする。

「雷電をボコボコにしろ!」

「はい!」

 そう言って、ほぼ全員が戦闘態勢を取った時であった。

「腐れ外道が、吐き気がするぜ」


「ん?」

「ぐわあ!!」

 不意に一人の男子が膝から崩れ落ちた。

「お前は……」

 川城の声が今までと明らかに違う。

「ったく、随分と面白いことになってんじゃねェかよ」

 酷く目つきの悪い少年がそこにいた。


「播磨拳児!!」


 播磨はすでにそのころから暴れん坊として有名であった。

 ゆえに学校のいじめっ子たちも播磨にだけは手を出さなかった。

「お、お前には関係ないだろうが」

 川城は震えながら言う。そこには上級生の威厳など欠けらも存在していない。

「そこの雷電には色々と借りがあるんでなあ。放っておくわけにはいかねえんだよ。

それより、色々と珍しい光景だな」

 ニヤニヤと笑いながら言う播磨。

 川城の笑いとは違う、本物の狂気を含んだ笑いだ。

「これは……」

 川城が後ずさる。

 そんな播磨に雷電は言った。

「相手は八人。いや、今お前が一人倒したから七人だな。七対二。やれるか」

「おいおい、雷電。俺を誰だと思ってんだ?」

 播磨は雷電の質問に鼻で笑う。

「楽勝だぜ」

 そう言うと、播磨と雷電は一斉に飛び出した。





    *



「イテテテ、おい南。もういいって」

「ダメだよはりくん。バイキンが入ったら危ないんだから」

「バイキンごときに俺が負けるかっての」

「はしょーふー菌は危ないって、保健の先生が言ってたよ」

 夕闇に染まる保健室で、南ことりは播磨拳児の顔に赤チンを塗っていた。

 そんな二人の様子を、雷電と海未は黙って見ている。

 幸い雷電と海未には大きな怪我もなく、播磨が数か所擦り傷を作った程度で喧嘩は

終った。

 もっとも、相手になった川城たちは擦り傷程度では済まないほどの心の傷(トラウマ)

を負ったようだが、それはまた別の話である。

 ことりの話によると、雷電を呼んだのはことりであった。

 その時雷電は、教室で播磨に算数を教えていたという。

 彼はことりの話を聞いてすぐに教室を飛び出し、播磨もそれに続いた。

 そしてあの大参事である。

「ごめんなさい、雷電。色々と迷惑をかけたようで」

 思い切って、海未は話を切り出す。

「別に、俺が勝手にやっただけだ」

 雷電は何ごともないように答えた。

「それにしても――」


「……」

「海未、お前に怪我が無くて本当に良かった」

 そう言って雷電は笑う。

 無愛想な彼が笑うのは、とても珍しい。

「……ごめんなさい」

 ふと、涙が流れる。

 自分のことよりも他人のことをまず心配する。雷電はそんな男だ。

 それを思うと、ひどく悲しく思えた。

「なに、気にするな。俺はいつでも傍にいる」

 雷電のその言葉に海未の顔が一気に紅潮する。

 播磨とことりは気を使って顔を逸らしてくれたようだった。

「南、首が痛んだけど……」

「我慢なさい」

 二人のその声に思わず笑みが漏れる。

 海未は笑いながら、泣いた。


 


   つづく



   おまけ


 男を覗くμ’sのメンバーで昔のアルバムを見ていた時の話。

「あの、海未ちゃん。ちょっと聞いてもいいですか?」

 ふと、花陽が遠慮がちに聞く。

「なんですか?」と、海未。

「この海未ちゃんの隣りに写っている美少年は、誰ですか?」

「あ、それ凛ちゃんも気になるにゃ!」

「そういえば、結構たくさん写ってるわね」

 絵里も写真を見ながら言う。

「え? 何を言ってるんですか? 当たり前じゃないですか」

 しかし、海未の方は不思議そうな顔をしている。

「まさか……」

 凛たちは顔を見合わせた。

「この子が雷電ですよ。小学生の頃の」

「えええええ????」

 まるで女の子のような中性的な雰囲気を持つ美少年。

 小学校時代を知っている穂乃果やことりは驚かなかったけれど、高校から知り合った

面々は一様に驚いていた。

「ちなみにこれが、中学校の卒業式の写真です」

 そう言って海未は一枚の写真を指さす。

「あ……」

 そこには、幼気な少年の面影はすでになく、今とほとんど変わらない雷電の姿があった。

(中学校の三年間で一体何があったのか)

 穂乃果たち以外の全員がそう思ったけれど、あえて口には出さなかった。


 ラブライブ本予選(最終予選)まであとわずか。

 合宿を終えたμ’sのメンバーに休んでいる暇はなかった。

 夏休みでも学校で練習をし、夕方に帰る。

 帰る頃にはみんなヘロヘロになっていたことは言うまでもない。

「しっかりしろ穂乃果」

「ういい。大丈夫だよお」

(そういや、こうして穂乃果と一緒に帰るのは久しぶりかもしれねェな)

 ふと、播磨はそう思った。

 夕方の学校を穂乃果と二人で歩く。

 いつも元気な彼女も、今日ばかりは口数が少ない。

(無理もねェ。ここ数日ろくに休みもなく練習しまくってるからな)

 休ませてやりたかったけれど、いかんせん時間がない。

 何より、彼女自身が休むことを拒否するであろうことは言うまでもないことだ。

 それだけ、今穂乃果は真剣だった。

(こんなにも真剣な穂乃果を見るのは初めてかもしれねェ)

 播磨は心の中で感心する。

 そんな時である。

 校門の辺りで見かけない人影を発見する。

「誰だ」

 ストーカー事件のこともあるので、わりと警戒する播磨。

「あわわ。失礼しました。決して怪しい者ではありません」

 ポニーテールにした女性は焦りながらもそう言った。

「本当に怪しくない奴は、ンなこと言わねェだろうがよ」


「ほ、本当ですよ。私はあの『週刊アイドルウォッチ』の記者をやっております、

青葉と申します。どうも、恐縮です」

「はあ? 妖怪アイドルウォッチが何だって?」

「妖怪じゃありません。週刊アイドルウォッチです」

「あ、その雑誌知ってる」

 ふと、穂乃果が声を出した。

 先ほどまでヘトヘトで声も出なかった彼女が急に顔を上げたのだ。

「時々コンビニで立ち読みすることがあるよ」

「できれば買っていただきたいのですが……」

「それで、雑誌の記者が何のようだ。悪いが、もう練習は終っちまったぞ」

「いや、実はスクールアイドルではなく、あなた。播磨拳児さんにお話を伺いたい

と思いまして」

「あン? 俺か? なぜ」

「今話題のSIP、スクールアイドルプロデューサーについての特集をやろうと思い

まして」

「何で俺なんだよ。つうか、後ろの女は誰だ。そっちも記者さんか?」

 ふと、播磨は青葉の後ろに隠れるように立っている女性に目が行った。

 だがその女性が目深にかぶったハンチング帽を取った時、思わず声を出してしまう。

「あっ!」

「お久しぶり、播磨さん」

 見覚えのある前髪がひょっこりと顔を出す。

「早紀か」

 本名山田早紀。全国的には綺羅ツバサとして知られている、A-RISEのメンバー

であった。

「どういうことだ、こりゃ」

 意外な人物との意外な再開に戸惑う播磨。

「青葉さんとは知り合いだったので、ついでに連れてきてもらったんですよ?」

 早紀は播磨の動揺を気にすることもなく自然に言ってのける。

「ちょ、ちょっと拳児くん。A-RISEの綺羅ツバサさんと知り合いなの!?」

 驚いたのは播磨だけではない。

 一緒にいた穂乃果も当然驚く。

 綺羅ツバサこと、山田早紀との関係は誰にも言っていないので当然なのであるが。

「いや、これは……」

 播磨が口ごもっていると早紀は播磨を素通りして、後ろにいた穂乃果の手を取った。

「μ’sの高坂穂乃果さんね! 一度会ってお話してみたかったの!」

「んん!?」

 


 


 
     ラブ・ランブル!

  播磨拳児と九人のスクールアイドル

    第三十話 邂 逅



 駅前のファミリーレストラン。

 そこで播磨は雑誌記者の青葉から三十分という条件で取材を受けることにした。

 ちなみに穂乃果は別の席で綺羅ツバサ(山田早紀)と話をしている。

 彼女たち曰く、男子には聞かせたくない話だという。

 それにしても、よく初対面の相手と二人きりで話ができるな、と播磨は思う。

 女はともかく、男はわりと警戒心が強いので初対面の相手に対して、そう簡単に

心を開いたりなどしない。

「それじゃあ、お話よろしいですか?」

 ICレコーダーとメモ帳を用意した青葉は言った。

「ああ、構わねェぜ」

 元々廃校を防ぐため、学校のアピールをするために始めたアイドル活動だ。雑誌の

取材というのも、一種の広報だと思えば受けても損はないか、と播磨は思う。

 ただ、とても面倒くさい。基本的にお喋りが好きなほうではないので、上手く説明

できるかどうかも定かではない。

 一応、現場(ここ)に向かう途中に、東條希に電話をしてみたのだが「ええんやないの?」

の一言で片づけられてしまった。

(さて、何をどう話せばいいのかね)

 播磨が迷っていると、青葉から質問が発せられた。

「では質問、よろしいですか?」

「構わねェよ」

 播磨は注意深く返事をする。

 変なことをいったらそれが記事になり、μ’s全体のイメージにかかわることになる

かもしれない。

「そんなに怖い顔しないでください。大丈夫ですよ、別に叩いたりする気はありません

から」

 こちらの緊張を察したのか、青葉は笑顔でそう言った。

「べ、別にそんなことは気にしちゃいねェよ。こっちは新鋭のチームなんだ。粗がある

ことは承知の上だぜ」


「まあまあ、技術的なことはひとまず置いておいて、まずはそうですね、スクール

アイドルを結成した動機なんかを教えてもらえますか。聞くところによると、μ’s

は今年結成されたばかりの新鋭のSI(スクールアイドルの略)だと思うのですが」

「こういうことを言うと、真面目にSIやってる連中に怒られるかもしれねェが、

ほぼ思いつきに近いもんがあるな。ウチの学校は、その」

「音ノ木坂学院がどうしました?」

「ああ、音ノ木坂は近年の少子化で志望生徒数が減ってるんだ。このままでは、

生徒の新規募集を中止して、廃校になるかもしれねェって話も出ている」

「ほほう、それは……」

「だからそれを阻止するために、スクールアイドルで学校を盛り上げて廃校を防ごう

と考えたのが、今のウチのリーダーだ」

「高坂穂乃果さんですね」

「そうだな」

「少し話はズレますが、学校を盛り上げるのならば、別にSIである必要はなかった

のではありませんか?」

「まあ確かにそうだな。だけど、アイツは、高坂穂乃果は直感的にスクールアイドル

が、学校を盛り上げるのに最適だと思ったんだろうよ。別にウチは特別な学科がある

わけでもないし、スポーツが強いわけでもない」

「そうですか。それで、SIのチーム作りはどのようにはじめたのですか? 聞く

ところによると、播磨さんが一から立ち上げたと言われておりますが」

「まあ、そうだな。一応、顧問教師みたいなのはいるけれど、基本的に活動内容は

俺たちが自主的に決めている」

「それでラブライブの予備予選を突破するって、凄くないですかねえ」

「たまたま、運が良かっただけだろう。あと、即戦力になるメンバーが何人かいたのも

大きい」

「即戦力と言いますと」

「まず、バレエ経験のある絢瀬絵里かな。踊りの基礎ができてる。初期のメンバーだ

と、運動神経のいい園田海未。全体的に能力の高かった東條希と言ったところか」

「そういった即戦力となるメンバーがμ’sの予備予選突破の原動力になったとお考え

ですか?」

「いや、もちろんそれだけじゃねェと思うぜ。一年生の西木野真姫は、音楽の才能に

恵まれているし、同じ一年の星空凛や小泉花陽は、技術的にはまだまだだが、誰より

も努力している。そういった姿勢は重要だ。二年生の南ことりや、三年の矢澤にこ、

もちろんリーダーの高坂穂乃果もムードメーカーとして頑張っている」

「ムードメーカーですか」


「チーム内のムードというか、空気は重要だと思うぜ。こういう人数の多いグループ

なら猶更だ。今回俺たちが参加するラブライブの北関東地区ブロックの予選は、

UTX学院のA-RISEをはじめ実力者揃いだ。そんな中、周囲や会場に呑まれず

のびのびとパフォーマンスができるのは、それぞれのメンバーの技術もそうだが、

それを補って余りある前向きな気持ちが重要だと俺は考えている」

「今、A-RISEの名前が出てきましたが、やはり今回の最終予選での最大のライバル

はA-RISEですか?」

「A-RISEは確かに凄いと思うが、俺たちとは少し路線が違うと思う。まともに

やりあったら勝てる相手ではないけれど、違う路線で攻めれば勝機も皆無ではないと

思ってるけどな」

「路線ですか」

「そもそも、A-RISEとμ’s(ウチ)じゃあ、同じアイドルといってもタイプが

違う。こいつは友人に聞いた話だがな、少なくともA-RISEは今のアイドルグループ

のコンセプトからズラすことで人気になったと言われているな」

「それはどういうことですか?」

「それに関しては、俺たちよりも雑誌(そっち)の方が詳しいんじゃねェのか?」

「ウチは播磨さんの現状認識が聞きたいと思ってます」

「ったく。面倒くせェなあ。まあアレだ。A-RISEは、これまで流行ってきた

多人数アイドルの路線とは反対に、少人数実力者を集めたハイレヴェルな技術を武器

にしたアイドルグループとして支持されているんじゃねェのか?」

「まったくその通りですね」

 青葉はそう言って頷く。

「ウチらは多人数アイドルではあるけれど、ご当地アイドルのように人数は多くない。

だからといって、A-RISEほど少数精鋭でもない。中途半端かもしれねェが、

そこらの間隙を突く形攻めていきてェと思う。もちろん、それを決めるのは審査委員

なんだがな」

「ラブライブに話を戻しますが、予備予選のあの『事件』は衝撃的でしたね」

「ああ、あの穂乃果の転倒な」

「大きな怪我が無かったのは何よりですが、我々がそれ以上に関心を持ったのは、

その後のことです」

「それは……」

 播磨は不意にあの時のことを思い出す。

「ステージに向けて大声を出したのは、播磨さんですよね」


「……まあな」

 正直あまり思い出したくない。

 今でもあの時のことを思い出すと恥ずかしくて顔が熱くなる。

「我々はあの時の声がμ’sの予備予選突破を決定づけたと我々は思っているのですが」

「そりゃ言い過ぎだろう。転倒が無けりゃあもっと楽に突破できた」

「それはそうですけど、播磨さんのあの声がメンバーたちの頭を切り替えさせ、最後

までパフォーマンスを続けられた原動力になったと思っているのですが」

「そいつは買いかぶり過ぎだ。俺の声が無くったって、あいつらは立ち直ったし、

予選も突破できた。それだけの練習は積んできたと思っている」

「私(青葉)は、あなたがご自身のことを過小評価しているように思えるのですが」

「過小評価?」

「ええ。少なくともあの子たち、つまりμ’sのメンバーにとってあなたの存在は

もっと大きいものだと思っています」

「それこそ過大評価だろう」

「私たちは、あなたのことを今回の東京ブロックで最年少のSIPとして見ています」

「SIP、スクールアイドルプロデューサーか」

「そうです」

「他の奴には何度も言っているけどな、俺は自分のことをSIPなどと思ったことは

ねェぞ」

「それではあなたは何を」

「俺はただ、アイツらがやりたいと思っていることを手伝っているだけだ、と思って

いる。部活動のマネージャーみたいなもんだな。正式な肩書きは副部長だが」

「そうですか? 私はしっかりプロデュースできていると思いますけど」

「SIPってのは、A-RISEの新井タカヒロプロデューサーみたいな存在のことを

いうんじゃねェのか?」

「ええ、そうですね」

「それなら、俺はSIPじゃねェ。あくまでわき役だ」

「随分と謙遜なさるんですね。意外です」

「謙遜でもなんでもねェ。ここまでこれたのはメンバーのおかげだ。俺は大したことは

してねェ」

「はあ」


「練習だって本番だって、基本的にはメンバーの自主性に任せている。ただ、その責任

は俺が取る。それだけ。特別な仕掛けなんて何もねェ」

「……」

「意外か?」

「いいえ、何となくμ’sがこれまでやってこれた理由がわかったような気がします」

「本当かね。俺自身、よくわかってねェのに」

「客観的に見たらわかるものですよ」

「そうかよ」

「そうですよ」

 そう言うと、青葉は手元にあったメロンソーダに口をつけた。

「最後に、もう一つ聞いていいですか?」

「なんだ」

「最終予選でA-RISEに勝てる自信はおありですか?」

「確かにA-RISEは手強いな」

「……」

「だが、勝てる可能性はゼロじゃねェ。挑戦する限り可能性はあるもんだ。俺はそれを、

メンバーから教えられた」

「今日はありがとうございます」



   *



 同時刻、同じファミレス内の別の席で綺羅ツバサと高坂穂乃果は向かい合って座って

いる。

「……」

「……」

 そして流れる気まずい空気。

 わりと話が弾んでいる青葉と播磨の席とは対照的である。

 穂乃果はコップに入ったストローに口は付けてはいたが、ほとんど飲んではいなかった。

否、水分を飲む余裕が無かった、と言ったほうが正しいかもしれない。

「あの、綺羅ツバサさん?」

 ジト目のまま声をかける穂乃果。

「はい、なんでしょう」

「ウチの拳児くんとは、どういった御関係で?」

「ああ、やっぱりそこがきになりますかあ」

 綺羅ツバサは苦笑いしながら言った。

「当たり前ですよ。だって、うちの副部長が他の学校の、それもA-RISEの

メンバーと知り合いだったなんて、知らなかったんですから」

「別にそんな、特別な関係というわけではないんですよ? ただちょっと、偶然

お会いして、知り合いになっただけで」

「偶然、ですか」

「そんなに怒るってことは、やっぱり穂乃果さんが播磨さんのカノジョさんなんですか?」

「へ、へえ!?」

 綺羅の言葉に動揺を隠せない穂乃果。

「べ、別に拳児くんとは幼馴染というだけで、別にそんな、特別な関係というわけじゃ」

「だったら彼がどこで何をしてもいいじゃないですか」

「よくないよ。だって拳児くんはウチのチームの要なんだし」

「要、ですか」

 ふと、綺羅ツバサは視線を落とした。

「……」

 しかしすぐに顔を上げ、穂乃果に言った。

「安心して。本当に、播磨さんとは何にもないわよ」

「本当ですか?」

「ただちょっと、一緒にスイーツを食べて、釣り堀に行っただけだから」


「え?」

「この前の日曜日だったかな?」

「そそそそ、それって、デートじゃないですか!?」

 穂乃果の声に、周囲の客や店員が一斉にこちらを向く。

「あ、すみません」

 穂乃果は笑ってごまかすと、椅子に座り直した。

「それって、デートじゃないですか」

 落ち着いた彼女は、もう一度同じことを言う。

「別にやましいことはしていませんよ? ちょっと一緒に遊んだだけだし」

「うう。釣り堀なんて、私だって一緒に行ったことないのに」

「気になるのはそこですか」

「そういえば、あなたのことを、拳児くんは『サキ』って呼んでましたね」

「私がそう呼ぶように頼んだの。私の本名」

「本名?」

「ええ。山田早紀。平凡な名前でしょう?」

「あ、いや。いい名前だと思いますよ。綺羅ツバサも素敵だけど」

「ありがとう。播磨さんもそう言ってくれたわ」

 そう言うとツバサ、あらため山田早紀は微笑する。

「でも、どうしてあなたがその、ウチの拳児くんと一緒に遊びに出かけるなんてこと

をしたんですか? どう見ても、そんな接点があるようには見えませんが」

「確かにそうですよね。何度か会った程度だし、デートは言い過ぎかもしれないけど、

一緒に遊びに行くなんてことはしないかもしれない」

「わかっててやったんですか……?」

「私興味があったの」

「興味?」

「播磨拳児という人物に。だから出来るだけ長い時間一緒にいてみたいと思ったの」

「それで、スイーツショップや釣り堀に」

「お蕎麦も一緒に食べたな」

(いいなあ……)

「どうしました?」

「なんでもありません」

 思わず本音が漏れそうになる穂乃果。


「どうしました?」

「なんでもありません」

 思わず本音が漏れそうになる穂乃果。

「でも彼、なかなかガードが固いのね」

「ガードが、固い?」

「ほら、私は自分で言うのも何ですけど、結構スクールアイドルの中では有名な方

だと思うんですよね」

「本当に自分で言うんですね」

 穂乃果は早紀の自信に呆れるとともに、少し羨ましいと思った。

 これだけ自分に自信があれば、もっと彼に近づけるのではないかと考えたからだ。

「そんな私が遊びに誘ったのに、播磨さんはあまり乗り気ではなかったんですよ?」

「本当ですか?」

「だから半ば強引に誘ったって言いますかね。そこの所は安心してください」

「何の安心ですか……」

「まあまあ。でも少しわかった気がします」

「わかった?」

「貴方たちが、ここまで来た理由ですよ。予備予選を突破して、本予選まで来られた

理由」

「……」

「やっぱり、彼の存在が大きかったんですね」

「それは、否定しません」

 穂乃果はジュースのストローに口をつけ、今度は一口飲み込んだ。


 心を落ち着かせるためだ。

「私は、走り出したら止まらないところがあるし、周りが見えなくなることも

しょっちゅうだから、拳児くんや他の子たちのサポートが無ければ、ここまでは

来れなかったと思います。その中でも、やっぱり拳児くんの支えは、特別というか」

「やっぱり好きなんですか?」

「ふや! そ、そんなんじゃなくて、ててて」

「日本語になっていませんよ?」

「も、もう。今は“そういうこと”は考えないようにしてます。ラブライブの前です

し、大会に集中しないといけないから」

「それは私もわかりますよ? でも好きな人がいると、心が強くなると思いませんか?」

「……よくわかりません。男の人と付き合ったことがないから」

 穂乃果は正直に答える。

「こんなに可愛いのに」

「山田さんこそどうなんですか」

「私も実はさっぱり」

「ウソだ」

「ウソじゃありませんよ? 小さいころから、レッスンばっかりで、なかなか遊びに

行ける余裕がなかったんです」

「でも拳児くんを遊びに誘ってましたよね」

「あれでも結構勇気がいったんですよ? まあ、ステージに立つよりは緊張しません

でしたけど」

(ライブで鍛えた精神力がここで出たということか)

 穂乃果は少し納得する。

 高坂穂乃果と綺羅ツバサとでは、場数が違い過ぎる。

 例の予備予選での転倒事故も、穂乃果の経験の浅さが生んだ、単純なミスだ。

「それで、どうでしたか」

 穂乃果は聞いた。

「何がですか?」

「拳児くんと遊びに行って、何かわかりましたか?」


「うーん、そうですねえ」

 早紀は少しだけ考えてから、ポンと右の手の平を左の拳で叩く。

「私も好きになっちゃったかも」

「ぶっ!!」

 思わず口に含んだジュースを吹き出しそうになる穂乃果。

「ななな、何を言ってるんですか!」

「だって播磨さんって、μ’sの皆に好かれてるわけでしょう?」

「ええと、それは……」

 穂乃果は考える。

 嫌われてはいないことは確実だ。

 μ’sのメンバーの中で、もし播磨が告白したら付き合いそうな人は……。

 メンバーの一人一人の顔を思い浮かべる。

(海未ちゃんはまずないな。雷電くんがいるし。でも他のメンバーは)

 まずは一年生の西木野真姫。

 彼女は入った当初からすでに怪しかった。一緒に作曲をした、という所も心惹かれる

要素になるだろう。

 ストーカーをおびき寄せるためとはいえ、一時的に付き合っていたり、デートをした
ことも大きい。

 次に同じ一年生の小泉花陽。

 この子も参加当初から憧れ的なものがあったけれど、食生活改善合宿(第十九話)

辺りからかなり本気で彼を信頼するようになったかもしれない。

 そして星空凛。

 小さな子供が大きいお兄さんに憧れるような関係だった彼女も、最近はなぜか女

らしくなってきた。


 同学年の南ことりと三年生の東條希は、時々何を考えているのかわからないことが

あるけど、嫌ってはいないだろう。

 案外、ことりが一番のライバルになるかもしれない。

 希と同じ三年生の矢澤にこと絢瀬絵里はどうだろう。

 彼女たちも、播磨が連れてきたメンバーだ。特に絵里は親友の希ですら知らない過去

を播磨に話したこともあるようで、相当信頼している。
 
 穂乃果はもう一度考えた。

 播磨と恋愛的な関係になりそうなメンバーは……。 

 恐らく海未以外全員ではないか、と。

 当然自分も含めて。

「ライバルは多いようですね?」

 早紀は言った。

「これは作戦ですか?」

「え? 何がですか?」

「そうやって私を動揺させて、また失敗させる作戦なのでは」

「考え過ぎですよ。私はただ、μ’sのリーダーである、あなたとお話しがしたかった

だけです」

「でも話をしている内容は、拳児くんのことばかりじゃないですか」

 そう言って穂乃果は口を尖らせた。

「それはあなたが聞いてきたからでしょう?」

「ぐぬぬ……。でも負けませんから」

「え?」

「ラブライブでも、恋愛でも、私は負けない」


「ふふっ、いいですね。それ」

 そう言って早紀は笑った。

「こういう展開、好きですよ?」

「私はあまり好きじゃありません」

「いついかなる状況でもパフォーマンスをすることが、アイドルには求められるもの

ですよ?」

「それは……」

「本予選、楽しみにしてますね」

 ふと、山田早紀の顔つきが変わった気がした。

 何というか、山田早紀から綺羅ツバサに代わった、と言ったらいいだろうか。

「南関東ブロックからの選出校は一校のみ。つまり、私たちか貴方たち、どちらかが

勝たないといけません」

「……」

「では、失礼します」

 そう言うと、早紀は伝票を取って素早くレジに向かった。




   *



「おい、何で怒ってんだ?」

 夕闇に染まる道を、播磨と穂乃果は歩く。

 だが並んで歩くのではなく、穂乃果は播磨より少し前を歩いていた。

 彼女の機嫌が悪い時はいつもこんな感じだ。

「だって拳児くん。早紀ちゃんとデートしたこと、私たちに黙ってたじゃない」

 ポツリと穂乃果は言った。

「あ、あれはなあ。変に誤解されねェように黙ってたんだよ。つうか、おかしいだろう?

ライバル校のメンバーと一緒に遊ぶなんてよ」

「でも黙ってるなんて酷いよ」

「お前ェみたいに変な誤解するからだろうが」

「誤解って何よ。もしかして、早紀ちゃんのこと、好きなの?」

「だから違うっつってんだろうが!」

「ぷいっ!」

 そう言うと、穂乃果は露骨に播磨から顔を逸らす。

「そりゃあ、綺羅ツバサちゃんは有名だし、スタイルも歌も踊りも、私なんかより

よっぽど上手だしね」

「何言ってんだ」

「そのまま付き合っちゃえば?」

「お前ェ、焼いてんのか?」

「はあ!? 何言ってるの!!?」

 図星を突かれて思わず声を荒げる穂乃果。

 自分でも醜いとは思ったけれど、感情のざわつきは収まらない。

「もうお家帰る!」

 そう言うと、早足で穂乃果は前に出た。

「おい待て穂乃果!」

 そんな穂乃果の肩を掴む播磨。

「はなしてよ!」


「落ち着け! 確かに綺羅ツバサは人気あるかもしれねェけどよ」

「当たり前じゃない!」

「でも、今の俺にはお前ェの方がよっぽど魅力的だぞ」

「……へ?」

「いや、だからよ。努力してたり苦しんだり喜んだり、色々見てきたわけだしよ、

お前ェの魅力は俺が一番わかってるつもりっつうかよ」

 播磨は照れながら顔を逸らす。

「ひょひょっ、にゃにを言ってるのかにゃ!」

「お前ェこそ、何言ってんだ。日本語を喋れ日本語を」

「私の方が、魅力的」

「ああ。ずっと魅力的だぜ」

「本当に?」

「本当だ」

「ありがとう……」

 穂乃果は恥ずかしそうに顔を下げる。

(こりゃあ、もしかして拳児くんは私のことを……)

「もちろん、ことりや海未、希、絵里、花陽、凛、真姫、ついでに矢澤にこも

A-RISEより魅力的だと思ってるぜ」

「……」

「あン? どうした」

「なんでもありません! 帰るよ!」

 そう言うと穂乃果は歩き出す。

 思った展開とは違う。

 でも今はそれでいいと思った。
 
 今度は播磨の少し前ではなくすぐ隣を歩いた。

 お互いの歩幅はよく知っているから、並んで歩くことは苦にならなかった。

(今はラブライブに集中しよう)

 穂乃果は心の中で決意する。

 だが、

(でもいつかは)

 そう遠くない未来にも思いをはせる穂乃果であった。



   つづく 

ギリギリ間に合うかなあ。

>>825
訂正

×南関東ブロック

〇北関東ブロック


 遂に二日後に迫った本予選。

 合宿も終え、準備万端のメンバーたち。

 仕上げの練習にも緊張感が感じられる。

 ただ、少し気を張り過ぎなのではないかと心配する播磨。

(どうにかする必要があるのか、それともそのままでいいのか)

 播磨は考えた。

 このままでも十分良い気がする。

 だが何かが足りない気がするのも確か。

(足りない? 一体何が足りない?)

 自問自答する播磨。

 真剣にレッスンに打ち込むメンバーの横顔を見ながら播磨はそこに不安を感じ取った。

(そうか、不安なのかもしれねェ)

 予備予選で派手に転倒した穂乃果。

 その結果、予選突破はギリギリであった。他のメンバーも、失敗をしないように、

細心の注意を払って練習をしている。

(だが少し緊張し過ぎではないか)

 播磨はその緊張を解す方法を考えてみた。

(あまりいい考えではないかもしれねェが)

 そう思いながら播磨は雷電に声をかける。

「なあ雷電」

「どうした、拳児」

「ちょっと頼みがあるんだが」

「なんだ?」

 雷電は改めて播磨に向きなおった。








     ラブ・ランブル!

 播磨拳児と九人のスクールアイドル


   第三十一話 前 夜 



「合宿!?」

 練習後のミーティングで、播磨は自分の思いつきを全員に話してみる。

「ていうか、またですか?」

 海未は言った。

 合宿ならすでに何回もやっている。

「まあ、そんな大それたもんじゃねェんだ。ただ、前日に全員で雷電の家に泊まるって

だけど。一緒にメシを食って、風呂に入って寝る。ただそれだけ」

「ただそれだけのため……?」

 ことりは言った。

「目的は何なの?」

 そう聞いたのは絵里である。

「お前ェら全員、ちょっと肩に力が入り過ぎだと思ってな。そう言った不安や緊張を

話し合うのにもいい機会なんじゃないかと思ったわけだ」

「つまり合宿というより、お泊り会みたいなものにゃ!」

 凛は嬉しそうに言った。

「まあ、そうだな」

 播磨は答える。

「確かにいいかも」

 真っ先に同意したのは穂乃果である。

「ですが、雷電の家というのはいいのですか?」

「雷電にはすでに了解をとってある。もちろんおカミさんにもな」

 そう言うと、播磨は雷電を見た。雷電は自分の携帯電話を軽く上げて見せた。

「まあ参加は自由だ。あえて強制はしねェ。希望者がいなけりゃ中止」

「はいはい、私は参加するよ拳児くん!」


 そう言って真っ先に手を挙げたのは穂乃果であった。

「そうですね、私も参加します。穂乃果が迷惑をかけないように」

 腕を組んだ海未が言った。

「どういうことよ海未ちゃん」

 そう言って穂乃果は頬を膨らませた。

「私も参加するよ」

 と、ことり。

「ウチも参加させてもらうで」

 希も言った。

「凛とかよちんも参加するにゃ!」

「は、はい」

 凛は花陽の肩を抱いて言った。

「わ、私も参加しようかな」

 遠慮がちに言ったのは真姫だ。

「チームワークは重要だもんね。私も参加するわ」

 絵里。

「しょうがないわねえ、私も参加してあげる」

 なぜか偉そうににこは参加を宣言した。

 結局、μ’sのメンバー九人全員が参加することになった前日合宿。

 場所は雷電の家である龍電寺である。

 練習やミーティングをするわけではない。

 ただ一緒に泊まるだけのその行為にどんな意味があるのかわからない。

 それでも、やってみる価値はあるのではないか、と思う播磨なのであった。




   *



 翌日、練習を終えた音ノ木坂学院μ’sの一行は、龍電寺にやってきた。

 ここで何をするというわけでもない。

 練習は学校ですでに終えている。

 ここでは、ともに風呂に入り、ともに食事をして、そしてともに寝る。

 ただそれだけ。

 最後になるかもしれないステージを前に、人間として当たり前の行為を、苦楽を

ともにしてきた仲間たちとしていくのだ。

「お世話になります!」

「お世話になりまーす!」

 玄関前。播磨の号令で、メンバー全員がこの家の主に頭を下げる。

「みんな、いらっしゃい! 遠慮しなくていいのよ! 食事の手伝いとかはしてもらう

けどね!」

 雷電の母、雷(いかずち)である。

 エプロン姿の彼女は、一児の母にはとても見えない幼い容姿をしているけれど、

その性格は周囲から「おカミさん」と呼ばれるにふさわしいほど世話好きで、豪快だ。

「いや、本当、スンマセンおカミさん。急なお願いを聞いてくださって」

 播磨は小声で雷に耳打ちをする。

「拳児くんのことだから、何か考えがあるんでしょう? 一度だけの青春。困った時

は何でも相談しなさい」

 雷はそう言って笑った。チラリと見える八重歯が愛らしい。

 まるで本当の母親のような優しさで、雷は突然の訪問者、約十名を受け入れた。

 家がお寺で広いからといって、気軽にできるものではない。

「さあ、働かざる者食うべからずよ。拳児くん。みんなには練習で疲れているところ

悪いけど、家の仕事を割り振ってちょうだいな」

「この前みたいにおカミさんがやってくれるんじゃないんですか?」


「そうしたいのは山々だけど、私のよく知らない子もいるしね」

「お久しぶりですおカミさん」

 南ことりがそう言って雷の前に身をかがめる。

「あらことりちゃん。少し見ないうちに美人さんになったわね。飛燕くんは元気?」

「あ、はい。元気すぎるほど……」

(嫌なことを思い出させるなよ)

 播磨は心の中でそう思ったが口には出さなかった。

「にゃー!」

「はあ?」

 いきなり飛び出したのはなぜか星空凛であった。

「おい凛。何やってんだ」

「きゃあああ」

 凛は雷に抱き着いて頭を撫でる。

「雷電くんのお母さん、可愛いにゃあ! 可愛過ぎて我慢できなかったにゃあ!」

「こら失礼だぞお前ェ」

 先輩の母親に対する態度ではない。

 播磨は凛の後ろ襟をつかんで大人しくさせる。

「いやあ、元気いいわねえ。元気のいい女の子は嫌いじゃないわよ」

 少し呆れながらも雷はそう言った。

「優し過ぎるッスよもう。礼儀っつうもんを教えとかないと」

「ごめんなさいだにゃ」

「まあいいわ。じゃあ拳児くん、後は頼むわよ。わからないことがあったら雷電くんに

聞いて。私は見ていられないから、あんまり無茶したらダメよ」

「あン? どういうことッスか?」

 播磨は聞いた。

 すると、雷ではなく雷電がその疑問に答える。


「今日、母さんは月子さんの家に泊まるんだ。だから風呂や飯の用意とかは、俺たち

が自分でしないといかん」

「なるほど。そういうことか」

「それじゃあ、頑張ってね」

 そう言うと、雷は家の奥に入って行った。これから出かける準備をするのだろう。

「なあ雷電。これからどうすりゃいいんだ?」

「とりあえず夕食の準備だな。後は風呂の用意。寝室の掃除もしなければいかん」

「ああ、わかった。お前ェら。聞いただろう? とりあえず手分けして仕事を片付ける

ぞ」

「はーい」

 最後の練習は軽めの調整だけだったので、それほど疲れていなかったメンバーは、

元気に返事をする。

 とりあえず播磨は全員を家の中に入れてから、仕事の割り振りを行った。

「料理と言えばこの私だね」

 そう言って、(半袖なのに)腕まくりの仕草をする穂乃果。

「穂乃果、お前ェは掃除だ」

 そしてその穂乃果を止める播磨。

「そんなあ」

 残念がる穂乃果を無視して播磨は話を続ける。

「料理は、園田とにこ。あと絵里。頼めるか?」

「構わないわよ」

 絵里は言った。

「私も構いません」と、海未。

「まあ、しょうがないわね。でも今日は数が多いから、もう少し人が欲しいわね」

 にこは言った。

「じゃあ花陽。頼めるか」

「わかりました」


 花陽は素直に返事をする。

「ごはん、炊き過ぎるなよ」

「わ、わかってます」

 花陽は少し赤面しながら頬を膨らませた。

「ははっ、冗談だよ」

「あははは」

 全員が笑う。

(そういや、花陽の食生活改善合宿をやったのも、この家だったな)

 ほんの数か月前のことなのに、随分前のことのように感じる播磨。

「残りは寝室の掃除と風呂の用意だな」

 播磨がそう言うと、絵里が質問してきた。

「ねえ拳児。食材はどうするの?」

 当然の質問である。

「あ、そういえば……」

 播磨が迷っていると、雷電が言った。

「食材なら、昨日から母さんが用意してくれた。裏の畑で取れた野菜なんかもあるぞ」

「マジか。何か色々と悪いな」

 急な頼みにも関わらず、そういった手配は怠らない雷に、改めて頭の下がる播磨

であった。




   *



 前の合宿では練習に次ぐ練習でまともに食事を楽しむ余裕はなかった。

 その前の合宿では携帯用のコンバットレーションである。

 だからこんな風に皆で食事を楽しむということは初めての経験かもしれない。

 お昼のお弁当とはまた違った、温かい食事。

 和やかな雰囲気。

 あふれる笑い声。

 食材は雷の用意してくれた手作りの野菜などもあるけれど、それ以外は普通のお店

で買えるものばかりだ。特別なものはほとんどない。

 だけど、皆で作り、皆で用意して皆で食べる。

 ただそれだけのことが新鮮に思えるのは不思議だ。

「おいしいね、ことりちゃん」

「そうだねえ」

「相変わらずにこっちは料理上手やねえ」

 希はそう言ってほほ笑む。

「まあ、万能アイドルにこちゃんにかかれば、こんなの朝飯前よ」

「にこちゃん、今はお夕食だよ」

 穂乃果は真面目な顔をしてそう言った。

「あのねえ、穂乃果。朝飯前ってのは、『簡単にできる』って意味よ」

 にこは呆れたように言う。

「へえ、そうなんだ。勉強になったなあ」

「穂乃果に作詞を頼まなくて本当によかったですね」
 
 海未がそう言うと、みんなが一斉に笑った。

 


   *


 夕食が終わり、全員で片づけをしてお風呂に入る。

 全員が風呂に入り終えた頃にはもう時間は九時を回っていた。

 決して遅い時間ではないけれど、明日のことを考えれば早めに休まなければならない。

 夕方に穂乃果達が掃除をした女子用の寝室には九枚の布団が敷かれており、入口には

『男子禁制』と書かれていた。

 そう、ここは男子が入ってはいけない場所。

 ゆえにここでは男子にはとてもではないが、聞かせられない話が繰り広げられる。

「何だか修学旅行みたいだねえ、海未ちゃん」

 布団の上でゴロゴロ転がりながら穂乃果は言った。

「穂乃果、あんまりはしゃがないでください。明日は早いんですから」

 海未は落ち着かない穂乃果を注意する。

「そんな海未ちゃん。冷たいよう」

「穂乃果……」

 呆れる海未にことりが声をかけた。

「海未ちゃん。一番緊張しているのは穂乃果ちゃんだと思うよ」

「ことり……」

「ああやって気分を落ち着かせてるんだと思うんだ」

「まったくもう。ねえ、穂乃果」

「なに? 海未ちゃん」

「私も拳法や弓道の試合の前、緊張して眠れない日がありました」

「海未ちゃんでもあったの?」

「ええ。でも、大丈夫です。私たちはこれまでずっと努力してきたんですから、なる

ようになりますよ」

 そう言って海未は微笑みかける。


「なるようになる……、か。うん。そうだね」

 穂乃果の気持ちが少しだけ軽くなった気がした。

「ありがとう、海未ちゃん。どういたしまして。じゃあ、私は寝ますので」

「いや、ちょっと早すぎるよお」

「……」

「海未ちゃん」

「……」

「うーみちゃーん」

「……」

 布団に入った海未は、すぐに寝入ってしまった。まだ電気ついているというのにこの

寝つきの良さ。

 本当に、緊張して眠れないという日があったのだろうか、と疑う穂乃果であった。

「絵里ちゃんはバレエやってた時、緊張して眠れなかったって時はあった?」

 ふと、穂乃果は絵里に話を振る。

「ん? そうねえ。確かにあったかもしれない」

 絵里は寝る前にも入念なストレッチを欠かさない。

 脚を大きく広げた姿はまるでヨガの動きのようでもあった。

「でもあの頃は幼かったから、不安というよりも楽しみもあったかも」

「楽しみか」

「凛ちゃんも楽しみにゃ」

 パジャマ姿の凛は言った。

「わ、私はあんまりスポーツとかの経験がないから、不安です。今も」

 凛の隣りにいる花陽は言った。

 確かに不安そうな顔をしている。

「大丈夫にゃ。かよちんは凛たちとたくさん練習したから、きっとうまくいくにゃ」

 そう言って花陽に抱き着く凛。

「凛ちゃん、苦しいよお」

「まあまあ、落ち着いて二人とも」

 そう言って二人を宥める穂乃果。

「真姫ちゃんはどう?」


 穂乃果は髪をとかしている真姫に話を振る。

「私? そうねえ。あんまり、皆で何かをするっていう経験が無かったから、よく

わからないかも」

「そうなんだ。でも真姫ちゃんって、本番に強そうだから大丈夫だよね」

「あんまりそういうこと言わないでよ。逆に緊張しちゃうじゃない」

「えへへ。ごめんごめん」

「穂乃果ちゃんは不安じゃないんですか?」

 花陽は逆に質問してきた。

「私? 私は……、やっぱり不安だよ……。でもね」

「……でも?」

「こうして、皆も同じ気持ちだと思うと、少しだけ気が楽になるかも」

「わ、私もそうです」

 花陽は言った。

「ウチもそうやで」
 
 先ほどから穂乃果たちの話を黙って聞いていた希も言う。

「希ちゃんも? あんまり緊張しなさそうに見えるけど」

「ウチかて不安やで。このメンバーでやれるのは最後かもしれへんし。そうやろ?

にこっち」

「もうっ、話しかけないでよ。集中してるんだから」

 先ほどからにこの様子がおかしいと思っていたら、どうやら瞑想をしていたらしい。

気持ちを落ち着かせようとする彼女なりの方法なのだろう。

「にこちゃんも不安なんだね」

「うるさいわね。これは拳児にも言ったことだけど、私はいつだって、これが最後の

ステージになるかもしれないと思って臨んでいるわよ」

「そうなの?」

「見ている人は初めてかもしれないし、もしかしたらそれで最後になってしまうかも

しれないでしょう? 最後に見たにこのパフォーマンスが、中途半端なものだったら、

見てくれた人にも申し訳ないし、何より私自身が許せないわ」

「凄いなあ、にこちゃん」


「そんなのアイドルにとっては常識よ。いえ、芸能を志す者なら常識ね」

「にこにしては珍しく、まともなことを言うのね」

 ストレッチを終えた絵里が言った。

「にこにしてはってどういうことよ」

「まあまあ、落ち着いて」

 そう言ってにこを宥める穂乃果。

「でもこうやって皆で集まると、修学旅行みたいだね」

「修学旅行って……」

「ウチらは北海道やったなあ、エリチ」

 希は言った。

 三年生組はすでに修学旅行を経験しているのだ。

「そうだったわね。スキーは慣れているから問題なかったわ」

 絢瀬絵里は見た目通り、ウィンタースポーツも得意なようだ。

「私はあんまりいい思い出なかったわね」

 と言ったのはにこだ。

「そういえばにこっちは修学旅行中に熱を出してもうたんやったなあ」

「もう最悪よ」

「へえ、絵里ちゃんたちは北海道なんだ」

「穂乃果たちはどこなの?」

 絵里は聞いた。

「沖縄だよ」

「正反対ね」

「正反対だね」

 そう言って二人は笑った。

「ところで修学旅行といえば絵里ちゃん」

「え? どうしたの」


「ちょっとみんな集まって」

「ああん? どうしたのよ」

 その場に起きている全員を集める穂乃果。

 当然、海未は部屋の隅で寝息を立てていたの集まっては来ない。

「トランプとかならやらないわよ。明日早いんだから」

 にこは面倒くさそうに言った。

「そんなんじゃないよ。もっと修学旅行っぽいことだよ」

「何よソレ」

「みんなは、その……、好きな人とかいるの?」

「!!!!!」

 この時、その場に集まった全員の頭に電流が走る。

 それは言いだしっぺの穂
乃果も例外ではない。

「はわわわ、穂乃果ちゃん。何を言ってるんですか」

 花陽は顔を真っ赤にして焦っていた。

「か、かよちん。顔真っ赤にゃ」

 そう言った凛も顔が赤かった。

「ちょっと穂乃果。いきなり何言い出してるのよ」

 顔を赤らめながら絵里は言った。

「そ、そうよ。小学生じゃあるまいし」

 にこも明らかに動揺している。

(みんな、やっぱり好きな人がいるんだ)

 その反応を見て恋愛方面には鈍い穂乃果もさすがに確信する。

「あら、でも面白い話やない?」

 希は微笑しながら言った。

「ちょっと希」

 絵里は注意してみたが、どうやら希のエンジンがかかってきたようだ。

 こうなると彼女は止められない。


「せやなあ。ここは一つ、好きな人の発表会といこうやないの」

「はい?」

「にゃ!?」

「うう……」

「……」

 希のその言葉に、言いだしっぺの穂乃果が一番動揺してしまった。

「バッカじゃないの? 子供じゃないんだから、そんなの発表してどうするっていう

のよ。第一アイドルに恋愛はご法度よ」

 にこは腕組みをしながら言う。

 しかし希はにこを無視して話を続けた。

「せやねえ。一番はじめに発表した人が、一番最初に告白する権利を有するっていう

のはどうや?」

「!!!???」

「ど、どういうこと? 希ちゃん」

 穂乃果は恐る恐る聞いた。

「抜け駆けとか駆け引きとか、そんなん面倒やろ? せやったら最初に宣言した者が

いくのが一番やと思うんやけど」

(希ちゃん、明らかに知ってる。知っていてこう言ってるんだ)

 穂乃果はそう思った。

 この部屋にいる全員(寝ている一名を除く)が一人の人物に好意を持っているという

ことを。もちろん希自身も。

(不味いなあ。このままじゃあ、大会前にチームが崩壊してしまう危険性も)

 今更ながら、自分の言ったことの重大さに気が付く穂乃果。

 しかし状況は更に悪くなってしまう。

「り、凛ちゃん発表しちゃおうかな」

「!?」

 恐る恐る手を上げる凛。

 この子、こんなに恋愛に対して積極的だったか?

「じゃあ、私も」

 凛の親友である花陽もそれに続いた。

(花陽ちゃんまで!)

「わ、私も……」


 真姫はゆっくりと手を上げる。

「せやったらウチもやね」

 そう言って希は手を挙げた。

「わかったわよ。私も」

 絵里も手を上げる。

「しょうがないわねえ。にこも発表してあげる」

 と、にこも手を挙げた。

(まずい、このままでは)

 そう思った穂乃果は勢いよく手を上げる。

「わ、私も発表します」

 彼女がそう言った瞬間。

「「「「「「「どうぞどうぞ」」」」」」」

 全員が一斉に手をおろす。

(は、はめられたあ!!)

 思わず言葉を失ってしまう穂乃果。

 その場にいる全員の目が穂乃果に集中する。

(言うのか? 言ってしまっていいのか?)

 彼女は限界まで迷う。

「うう……」

 しかし、その時穂乃果はある異変に気付いた。

「あれ?」

「?」

 穂乃果の感じた違和感に、他のメンバーも気付いたようだ。



   *




 龍電寺、つまり雷電の家には播磨にとってお気に入りに場所がある。

 庭先にある縁側だ。

 そこの雨戸をあけて夜景を見ると落ち着いた気持ちになれる。

 時期が良ければキレイな月が見ることもできるのだ。

「はーりくん」

 ふと、特徴的な声が闇の中から聞こえてきた。

「ことりか、どうした」

 パジャマ姿のことりが少し恥ずかしそうに笑顔で立っていた。

 風呂上りのためか、少し顔が火照っているようにも見える。

「隣り、いいかな」

「あン? 別にいいけどよ。どうした」

「そうしたい気分だったの」

「なんだ。何かたくらんでンのか?」

「もう、私ってそんなに腹黒キャラに見える? たまにしか考えないよ」

「たまには考えるのかよ」

「あはは」

 笑いながらことりは播磨の隣りに座る。

 心なしか距離が近い気がした。彼女の体温が感じられるほどに。

「ねえはりくん」

「あン? どうした」

「緊張してるでしょう」

 悪戯っぽい笑みを浮かべながらことりは言う。

「べ、別に。何でだよ」

「はりくんは昔からすぐ顔に出るからねえ」

「昔からって……」

「直接舞台に立たないはりくんが緊張するなんて、おかしい」


「お前ェは緊張しねェのかよ」

「私だって緊張してるよ。でもね、怖くないよ」

「怖くない?」

「だって、この気持ちをわかってるくれる人がたくさんいるし」

「仲間たち、か」

「うん。それに、はりくんもいるしね」

 そう言うと、ことりは座ったまま播磨の肩にもたれかかる。

 微かに感じていた彼女の体温が、布越しに伝わってくるのがわかった。

「お、おい。ことり?」

「家じゃあこんなこと、できないよね。お兄ちゃんがいるし」

「まあ、そうだな」

 播磨はあまりことりの兄のことを思い出したくない。いい思い出がないからだ。

「ねえはりくん。わたし、あなたに言いたかったことがあるの」

「なんだよ、改まって」

「ありがとうね。私をスクールアイドルに誘ってくれて」

「あン? 何で今更」

「はりくんが誘ってくれなかったら、多分私は協力していなかったかも……」

「ことり、お前ェ……」

「はりくん。私、ずっと前から――」

 ことりが何かを言おうとしたその瞬間、闇の中から怪しく光る瞳が!



「くぉーとぉーりぃーちゃぁーん?」


「ありゃりゃ、バレてしまいましたか」

 そう言ってことりは後頭部をかいた。

「一体何をやっていたのかな?」

 穂乃果である。

 顔は笑っているけど、目が笑っていない。

「何でもないよ。明日の話をしていただけ」

「それにしては“いい雰囲気”だったわね」

 穂乃果の後ろでは、腕を組んでギロリと睨み付ける真姫の姿が。

「あらあら」

 希はそんな光景を見ながら笑っていた。

「おい、一体何があったんだ?」

 播磨はことりに聞く。

 この期に及んで彼は、今の状況がよくわかっていないのだ。

「さあ、なんだろうね」

 ことりはそう言って笑った。



   つづく

皆既月食見てます。


 決戦の朝は早い――

 早めに朝食の準備をと境内の掃除を終えた音ノ木坂学院アイドル部のメンバーは、

誰もいない龍運寺に一礼をする。

 ちなみに昨夜。

 メンバー“八人”の間である協定が結ばれたことを播磨は知らない。


「ラブライブが終わるまで、恋愛の話はしない」


 今はラブラブに集中する。

 穂乃果たちは、そう決意して出発した。

 目的地は最終予選会場。


 ラブライブ南関東ブロック最終予選。

「なんじゃこりゃ……」

 会場に到着した播磨は驚愕する。

 予備予選の時は学校関係者が多かった周辺だが、今回は一般の観客と思しき人たち

が圧倒的に多い。

「そんなの当たり前じゃない」

 腕組みをしながらにこは言った。

「北関東ブロックといえば、A-RISEを含む超激戦区よ。はっきり言えば、全国

大会以上に注目されていると言っても過言ではないわ」

「いや、それにしても」

「大丈夫だよ拳児くん」

 にこを押しのけるように穂乃果が播磨の隣りに立つ。

「穂乃果?」

「みんながいるから大丈夫。拳児くんも安心して」

「そうだよはりくん」


 ことりも笑顔で言った。

「今までやってきたことをしんじてやれば、問題ないわ」

 と、絵里。

「せやね。余計なことは考えんほうがええね」

 希。

「やれるだけやりましょう」

 海未。

「が、頑張ります。まだちょっと怖いけど」

 花陽。

「凛ちゃんも頑張るにゃ! かよちんや皆がいるなら、やれるにゃ!」

 凛。

「私と拳児さんの曲なら、きっと予選も突破できますよ」

 真姫。

「お前ェら、えらい自信だな」

 そう言って播磨はメンバーの顔を見渡す。

「けど」

 雷電は播磨の視線に無言でうなずく。

「俺も、信じてるぜ。観客を、ライバルたちをあっと言わせてやろうぜ」

「おー!!!!」

 全員が拳を握り、大きく腕を振り上げた。






      ラブランブル!

  播磨拳児と九人のスクールアイドル

    第三十三話 宣戦布告 



 大会前の簡単なミーティングを終えた穂乃果たちは、衣装検査のために更衣室へと

向った。

「さて、俺たちはしばらく暇になるのかね」

 伸びをしながら播磨は言う。

「何を言っているんだ拳児」

 しかし、そんな播磨に雷電は言った。

「あン? 受付も済ませたし、他になんかやることあったっけな」

「パフォーマンスの順番を決めるくじ引きに決まっているだろう。通常は、部長の

仕事だが、今回は顧問教員かSIPがやることになっている」

「はあ? そンなもん、今までなかったぞ」

「出演順はかなり重要になってくるから、公平を喫するために最終予選からは、公開

の場で抽選をやることにしている」

「マジかよ。つか、何で俺なんだ?」

「出場アイドル以外の代表と言ったらお前しかいないだろう。紙にもそう書いたし」

「あ、あの登録の時の『代表』ってそういう意味だったのかよ。くそっ」

「何を嫌がっているんだ」

「人前に出るのは苦手なんだよ。雷電、俺の代わりに出てくれねェか」

「そういうわけにもいかない」

「どうしてだよ。俺の顔なんて、そんなに知られてるわけもねェし、お前ェでもいいだろう」

 播磨がそんな話をしていると、カメラなど持った報道関係者らしき集団がこちらを見た。

(何だ? A-RISEでも見つけたか?)

 この時、まさか予備予選再開通過の自分たちが注目されていると、播磨は思わなかった。

 だが、

「あ! 播磨くんだ!」

 一人の男が叫ぶ。


 すると、二の腕に腕章をした連中がドシドシと駆け寄ってきて播磨を取り囲んだ。

「うわっ、何すんだお前ェら」

 報道関係者、それも大勢のマスコミに囲まれるなど、播磨の今までの人生では

なかったことだ。

「播磨拳児さんですよね! 音ノ木坂学院の!」

 マイクを持った男が言った。

「そ、そうだが……。何なんだ?」

「初出場ですが、A-RISEにも勝つ自信があるというのは本当ですか!?」

「奇跡の予備予選通過と呼ばれることについての感想は!」

「身長はいくつですか!?」

「付き合っている人はいますか!?」

「好きな食べ物は何ですか!」

 矢継ぎ早に繰り出される質問に狼狽する播磨。

「おい、一体何なんだこれは」

「知らないんですか! 今日、公開された『週刊アイドルウォッチ』の電子版で、

播磨(あなた)のインタビュー記事があるんですけど」

「はあ?」

 播磨は自分の記憶を手繰り寄せる。

 確か、青葉とかいう記者からインタビューを受けたことがあった。それが記事に

なったということか。

「これですよ」

「な!?」

 記者の一人がタブレット型のパソコン画面を播磨に見せてくれた。

 そこには、予備予選の時に舞台に向かって叫んでいる時の播磨の写真とともに、

『A-RISEとの勝負にも自信』などという見出しが書かれていた。


「な、なんじゃこりゃ!」

 播磨は記者の持っているタブレットを奪い取るようにして見る。

 確かにインタビューの内容は、自分が話をした通りだ。しかし、よく見るとかなり

脚色されていたり、変な意味で書かれていたりする部分もあった。

 簡単に要約すれば、音ノ木坂学院のSIP(スクールアイドルプロデューサー)、

播磨拳児は今回の最終予選に相当の自信を持っており、A-RISEにも勝てると

豪語しているらしい。

 もちろん、播磨自身はそんな意図は全くない。

「A-RISEとの勝負に自信がある、とありますが!」

 別の女性記者が言った。

「勝てる可能性がある、というだけだ! それは出場する限りどこのチームも変わらねェ」

「しかし、相当の自信がなければこんなことは言わないのでは?」

「自信はある。だが、勝利を確約しているわけでもねェ」

「A-RISEの新井タカヒロプロデューサーも、音ノ木坂のμ’sライバル視している

という話もありますが」

「は? どういうことだ?」

 初耳である。

「この記事です。知りませんか?」

 親切な記者は、別の記事を見せてくれた。

 そこには、相変わらずダサイTシャツを着た新井タカヒロの画像と、そのインタビュー

記事が掲載されていた。

「『新井氏、最も注目しているチームはμ’s』だと……?」

 予備予選以降、練習や準備に集中し過ぎていたせいで播磨たちは、世間の情報に疎く

なっていた。いわゆる浦島太郎状態だ。それはラブライブ関係の情報も例外ではない。


「まあ注目してくれんのは嬉しいが、俺たちはただ……」

「今回のラブライブにかける意気込みを一言!」

「高校生SIPとしてのパイオニアと呼ばれていますがそれについては」

「作曲に関わっていたのは本当ですか?」

 再び怒涛の質問ラッシュ。

(こいつら、まともに答えさせる気はねェのか)

 今すぐここからダッシュで逃げ出してしまおうかと思っていた矢先、

「キミたち、彼が困っているだろう。これでも播磨くんはまだ高校生なんだよ」

 芝居がかった声が廊下に響いた。

「アンタは……」

 クソダサイTシャツにマッチョな体型。そして特徴的な唇と声。

 間違いない。A-RISEのプロデューサー、新井タカヒロ本人である。

「新井さん! 彼が注目の播磨拳児プロデューサーですか!?」

「新井さん! 本当にμ’sが今大会の最大のライバルとなるんでしょうか!」

 厚かましいマスコミ関係者は、新井にも容赦なく質問を浴びせかける。

「質問は後にしてくれないか。“ぼくたち”は、これから重要な用事があるんだから」

(ぼくたち?)

 播磨は少しだけ考える。

「さあ行こうじゃないか播磨拳児くん。僕たちSIPが最も注目される時間だよ」

 新井は、その太い腕でマスコミをかき分けるようにして播磨に近づいてきた。

「どういうことだ」

「何を言っているんだい? パフォーマンスの順番を決める重要なくじ引きだよ」

「……そうだったな」

 雷電に代わりに行ってもらおうかと思っていた播磨だが、これだけ顔が知られている

のでは、替え玉もできそうもない。

 観念した彼は、雷電に一言挨拶すると、新井とともに会場のメインアリーナに向かう

ことにした。





   *




選手控室――

 着替えを終えた穂乃果たちは、控室に設置してあるモニターに注目していた。

「海未ちゃん、拳児くんがステージに上がっているよ! 何してるんだろう」

「順番の抽選会ですよ。今回から、当日に順序を決めることになるんです」

「え? だったら、一番はじめにやるっていうこともあるの?」

「まあ、そういうこともありますね」

「うう……、初っ端は緊張するわね」

 その話を聞いていたにこが少し青ざめた表情で呟いた。

「いや、まだ決まったわけではありませんから」




   *



(チッ、ただのくじ引きなのに、何でこんなにマスコミが集まってんだよ)

 ステージ上の播磨は緊張するとともに腹が立ってきた。

《それでは、UTX学院、A-RISEの代表の方、どうぞ》

 司会の男性に呼ばれた新井が歩き出す。

「お先に失礼するよ」

 行き際に新井はそう言ってムカツク笑顔をこちらに向けた。

(どうでもいいが、こんなに注目されているのにあえてあのダサイTシャツなんだな)

 播磨は本当にどうでもいいことを考えて自身の緊張を解そうとする。

 新井が前に出ると、一斉にカメラのフラッシュがたかれた。

 物凄い注目度だ。

 これが全国区のSIPの存在感という奴か。

 主催者が用意した箱の中に手を突っ込み、順番の描かれたボールを取り出す。

「11番」

 新井はそれを高く掲げる。

《おーっと、A-RISEの新井プロデューサー、11番を引きました。最後から二番目。

これはメーンイヴェントと言っても差し支えない順番でしょう。やはりくじ運も強かっ
たか》

 何だか訳のわからないことを言っている司会者。

《それでは、音ノ木坂学院の代表の方、どうぞ》

 播磨はそう言われて立ち上がる。

 すると戻ってきた新井が静かにつぶやく。

「まあ、頑張ってね」

(何を頑張ればいいんだよ)


 完全に運だけの世界では、何をしても仕方がない。

 播磨は大きく息を吸いこんではこの前に立った。

「はあー」

 その瞬間、パシャパシャとまたフラッシュが光る。新井ほどではないが、こちらも

凄い注目だ。

(俺はただ静かに生きたいだけなんだけどなあ)

 そう思いながら箱の中に手を突っ込んだ。

(一番最初だけは避けたいところだが)

 穂乃果やにこと同じことを考えているとはつゆ知らず、播磨は一つのボールを手に

とった。

「これは……」

 ボールに書かれた番号、それは。

「12番……?」

《おーっと! ここで出ました。大トリはまさかの音ノ木坂学院、μ’s!》

「オオオー!!!」

 観客席からどよめきのような声が聞こえる。

(何いい!?)

 後半出演ということはよくあったけれど、一番最後というのは初めてだ。

 しかもA-RISEの直後。

「直接対決と呼ぶにふさわしい順番じゃないですか」

 播磨が戻ってくると、新井は言った。

「敵は俺たちだけじゃないっしょ」

「僕たちは眼中にないってことかな?」

「んなことは言ってねェ。ただ」

「ん?」

「前ばかり見ていると、足もとすくわれるぜ」

 そう言うと播磨はニヤリと笑った。

 彼なりの精一杯の強がりである。




   *



 一方その頃、控室のモニターで抽選の様子を見ていた穂乃果たちは、

「きゃあああ、どうしようどうしよう! 一番最後だよ。こんなの初めてだよお」

「落ち着きなさい穂乃果」

 動揺しまくる穂乃果を止める海未。

「いいですか、確かに順序は重要かもしれませんが、一番重要なのは、いかに良い

パフォーマンスをするか、です」

 海未は人差し指を上に向けて言った。

 それはまるで、自分に言い聞かせるようにも見える。

「そうよ穂乃果。最初だろうが最後だろうが、自分のやれることを精一杯やる。それ

がアイドルってものでしょうが」

 にこは腕を組んだ状態で言う。

 しかし、あまり顔色が良くない。

 プレッシャーがあるからだろうか。

「大丈夫かなあかよちん」

「大丈夫だよ凛ちゃん。あんなに頑張ってきたんだから」

「……そうだよね。ねえ、真姫ちゃんも」

「あ、当たり前じゃない」

 互いに励まし合う一年生組。

 一方三年生の絵里と希は落ち着いていた。

 少なくとも、見た目は落ち着いているように思えた。

「高校最後のパフォーマンスが、一番最後にできるんやったら、それはそれでええん

やないかな」

 希はそう言って笑う。

「よしなさい希。縁起でもない」


「次を期待できるほど、ウチらは経験を積んでへんのよ。ただ、一つ一つのステージを

全力でこなすだけ」

「そうだけど」

「そうだよ! 希ちゃんの言うとおりだよ!」

 穂乃果は希の言葉に同意する。

「ねえ、ことりちゃんもそう思うでしょう?」

 先ほどからずっと黙っていることりに、穂乃果は言った。

「そう、そうだね」

 ことりはそう言って微笑みかける。

「それにウチらには強い味方がおるやん?」

 そう言うと、希はメンバー全員を見渡す。

「拳児くん!」

 真っ先に穂乃果が言った。

「拳児さん」

「拳児」

「拳児くん」

「拳児さん」

「はりくん」

「拳児」

「拳児くん」

「ら、雷電のことも忘れないでください」

 少し顔を赤らめながら海未は言った。

「わかってるよ海未ちゃん。雷電くんのことも忘れてないよ」

 穂乃果は慌ててフォローする。

「せやね。ウチらは一人やない。ステージには九人の仲間がおる。それにステージ以外

にも、たくさんの人たちが応援してくれとるんや」

 希は言った。

「……たくさんの人たち」


 希の言葉に、穂乃果はこれまでの大会を思い出す。

 確かに同じ学校の生徒たちが応援してくれた。

 グラウンドに集まって、μ’sの文字を作って応援してくれたこともあった。

 予備予選を突破した時は、学校の皆が祝ってくれた。近所の人たちもおめでとう

と言ってくれた。もちろん、家族も。

「そうだね。そうだよね!」

 そう思うと力が湧いてくる気がした。

 しかし、その時である。

「あら、μ’sの皆さん、ごきげんよう」

 ふと聞き覚えのある声がした。

(この声は)

 穂乃果が振り返ると、見覚えのある前髪が。

 山田早紀、不意にその名前が出そうになったけれど、寸前で止まった。

 目の前にいる女性は山田早紀ではない。

「綺羅ツバサ、さん」

 A-RISEの綺羅ツバサだ。

 後ろには他の二名もいる。

「何の御用ですか?」

 穂乃果は少し警戒心をにじませながら言った。

 どんな相手でもフレンドリーに接する彼女が敬語を使うということは、それなりに

心の中で警戒している証拠でもある。

「そんなに警戒しないで。別に挑発をしにきたわけでもないんだから。穂乃果ちゃん」

「……」

 舞台用のメイクもバッチリと決めて、μ’sよりもはるかに仕立ての良い特別な舞台

衣裳に身を包んだA-RISEのメンバー、特に綺羅ツバサは先日会った時とはまるで

別人のような雰囲気を醸し出していた。

(これが、本気を出した彼女の姿)

 芸能人をあまり見たことがない穂乃果でも、彼女たちA-RISEのメンバーが、

売れている芸能人と同じようなオーラを放っていることを肌で感じる。

 絶対的な自信とでも言えばいいのだろうか。自分たちとは違う何か。

 息をのむμ’sのメンバーに対し、ツバサは気にせずに話を続けた。


「私たちA-RISEが最後から二番目、そして貴方たちμ’sが最後。お互い、

順番が隣同士でしょう? 一緒にがんばりましょうと言いに来たの」

「……はあ」

 先日の件もあるだけに、この人はどうにも油断できない。

 そう思う穂乃果であったけれど、ツバサは特に気にしている様子はなかった。

「では、お互い頑張りましょう」

 そう言って彼女は右手を差し出す。

「はい」

 穂乃果も右手を差し出した。すると、不意にツバサは穂乃果の身体を抱き寄せる。

「!?」

「“彼”も来ているのよね。狙っちゃおうかしら」

「!!?」

 あまりにも直接的な表現に、一瞬言葉を失う穂乃果。

「……しません」

「え?」

 握手の手を放した穂乃果は言い放つ。

「拳児くんもラブライブも負けません!」

 高坂穂乃果の宣戦布告。

 だが穂乃果のその言葉に、ツバサ以外のその場にいた全員がキョトンとした。

 何を言っているのかよく理解できなかったからだ。

「ウフフ。面白くなりそうね。それじゃあ、失礼いたします」

 そう言うと、ツバサは踵を返して自分たちの場所へ戻って行った。

「一体どういうことです? 穂乃果」

 ツバサたちがいなくなると、穂乃果に海未が詰め寄る。


「いやあ、これには少し訳がありまして……」

 穂乃果は笑ってごまかそうとしたが、そうはいかなかった。

「誤魔化せると思っとるん?」

 彼女ごときが誤魔化せる相手ではないのだ。特に東條希辺りは。

「うう……、わかりました」

 観念した穂乃果は、綺羅ツバサ(本名山田早紀)と播磨の関係について一通り説明

した。

「はあ!? 何でそんな重要なことを黙ってたんですか!?」

 興奮した真姫が穂乃果の両肩を掴む。

「真姫、落ち着きなさい」

 そんな真姫を絵里が止める。

「いやだって。もしかしたら私たちを混乱させるための罠かもしれないし」

「考えすぎだよ真姫ちゃん」

 穂乃果も真姫を宥める。

「やはり首輪でも付けとくべきでしたね……」

 花陽が小声でブツブツと何かつぶやいていた。

「かよちん、目が怖いにゃ……」

 そんな親友を見て恐怖する凛。

「ふんっ、男なんてみんなそうよ」

 腕組みをしたにこは不機嫌そうに顔を逸らした。

 明らかに雰囲気が悪くなってきたことを感じ取った穂乃果は声を出す。

「ちょっと待ってよ皆!」

「?」

 全員が穂乃果に注目する。

「拳児くんは、早紀ちゃん、じゃなくて綺羅ツバサちゃんとは何にもないって言って

いるんだよ。だから、信じてあげよう? 拳児くんはそう簡単に流されるような人

じゃないよ」

「どうしてそう言いきれるのよ。相手はあのA-RISEの綺羅ツバサよ」

 にこは言った。

 確か、にこはA-RISEの大ファンであった過去を持つ。

「幼馴染の信頼って奴ですかね」

 不意に海未が言った。

「そ、そうだよ。拳児くんは言ってくれたもん。A-RISEよりも、私たちのほうが

ずっと魅力的だって」

「私たち……?」


 全員がそれぞれ顔を見合わせる。

「よく考えてみてよ。あの人が私たちの期待を裏切るようなことを今までしてきた?」

「……」

 穂乃果はそう言って、自分も播磨との記憶を手繰り寄せる。

 少なくとも彼が彼女の期待を裏切ったことは、一度もない。

(初めて会った時から)

 まだ妹の雪穂が生まれたばかりの頃。

 播磨と穂乃果の親は知り合いで、初めて播磨が家に訪ねてきた日のこと。

 当時、人見知りが激しかった穂乃果は、播磨のことを怖がっていた。

 でも彼は、穂乃果をいじめるどころか優しく手を差し伸べてくれた。

(そう、今思えばあの時から私は)

 特別な意識などしていない、と言えばウソになるけれど、困った時はいつも一緒に

いた。そんな頼りになる存在。

「だから、私は拳児くんを信じるし、A-RISEにも負けない」

 穂乃果は両拳をぎゅっと握りしめて言った。

「ウチは信じとるで。拳児はんのこと」

 穂乃果の言葉の後、最初に声を出したのは希であった。

「希ちゃん」

「ウチらが信じてあげな、誰が信じてあげられるん? ねえ、エリチ」

 そう言って希は絵里に視線を送る。

「そ、そうね。そうよ。あなたたちもわかっているんでしょう? 彼のことを」

 絵里は腰に手を当てて言った。

「もちろんですよ」

 と、真姫。

「当然です」

 花陽も力強く言った。

「信じてるにゃ」

 凛。

「まあ、私のファン代表なんだから当たり前じゃない」


 にこは少し照れながら言う。

「そうだねー。一緒に頑張ってきた仲間だもんねえ」

 そう言ってことりは微笑む。

 多少のことはあっても、彼に対する信頼は揺らいだりしない。

 ただ、

「でも、綺羅ツバサのことをにこたちに黙っていたことの落とし前は、大会が終わったら

きっちりつけてもらいましょうか」

 妖しい笑みを浮かべながらにこは言った。

「ウフフ。それには同意や」

 希もそれに合わせるように笑う。

「あ、もうすぐ最初の組が歌い始めるよ」

 モニターを見た穂乃果が言った。

 すでにラブライブ最終予選ははじまっていた。





   つづく



「おーい、ケン兄!」

 会場の廊下で聞き覚えのある声が播磨の耳に入ってきた。

「おお、雪穂か」

 ショートカットの少女は穂乃果の妹、雪穂だ。

「お兄さん、お久しぶりです」

 雪穂の隣りには、金髪の少女が立っていた。こちらは絢瀬絵里の妹、亜里沙だ。

「亜里沙、だったかな。お前ェらも応援か」

「うん。予備予選は部活で観に来れなかったから、今回は応援するよ」

 雪穂は元気にそう言った。

「そりゃいい。穂乃果も喜ぶぜ」

「本当はお父さんたちも来る予定だったんだけど、仕事があるから」

「そりゃ仕方ねェな。親御さんも分も応援してやれ」

「もちろんだよ。ケン兄も一緒だよ!」

 そう言うと雪穂は播磨の右腕に飛びつく。

「お、おい。何してやがんだ?」

「ええ? いつもやってるじゃん」

「おお、ハラショー。雪穂とお兄さんは親密な関係なのですね……」

 二人の様子を見ながら亜里沙は顔を赤らめる。

「バカ、やってねェよ。ほら、亜里沙も勘違いしてんじゃねェか」

 そう言うと播磨は雪穂を引きはがした。

「は!」

 気が付くと、周りの人間がジロジロとこちらを見ている。


「中学生にも手を付けているのか」

「流石やなあ」

「あの金髪の子、可愛いなあ」

 何だかあらぬ噂が立ってしまいそうだ。

 先ほどマスコミに絡まれ、順番の抽選のために舞台上に立ったので、播磨は嫌でも

目立ってしまう。

「そういえばケン兄、やけに注目されてるけど何かあったの?」

 雪穂は無邪気に聞いてきた。

 彼女たちは今来たばかりなので、これまでの経緯とかは知らないのだろう。

 無理もない。

「まあ、色々あってな。お前ェらも会場行ったらどうだ」

「ええ? でもさっき発表の順番が書き出してあったけど、お姉ちゃんたちって、一番

最後でしょう?」

「まあ、そうだな」

 播磨はくじ引きをした本人なので、それは一番よくわかっている。

「でも雪穂よ。他にも強いチームはたくさんいるんだぜ。それを見ねェとせっかく来た

のに勿体ねェだろう」

「強いチーム?」

「A-RISEですね」

 そう言ったのは亜里沙だった。

「ん、ああ」

「お姉ちゃんが言ってましたよ。今大会で一番優勝に近いチームだって」

「確かにその通りだが」

「大丈夫なんですか?」


「あン? 何がだ」

「いや、だから。そんな強いチームと同じブロックで」

「問題ねェよ」

「?」

「どこの誰と競演しようが、一番いいパフォーマンスをすりゃあいい。相手が前回

優勝校だとしても関係ねェ」

 播磨は自分に言い聞かせるように言う。

「お兄さん……」

「どうした」

「カッコイイです!」

 そう言うと、亜里沙は播磨の左腕に飛びついた。

「ぬわっ!」

「お姉ちゃんが見込んだだけの男だけありますね!」

「おい! 気持ちは嬉しいがそういうのは」

「あ! 亜里沙ばっかりズルい!」

 そう言うと、雪穂は播磨の身体に飛びついて首に腕を回す。

「こら! お前ェもやめろ!」

「……拳児、何やってんだお前」

 たまたま通りかかった雷電が呆れたように聞く。

「こっちが聞きてェよ」

 飛びついてきた雪穂と亜里沙を引きはがしながら播磨は言った。







      ラブランブル!

 播磨拳児と九人のスクールアイドル

   第三十三話 覚 悟




「うおーい、播磨―」

「む、その声は」

 観客席に行くと待っていたのは松尾鯛雄や田沢慎一郎たちがいた。富樫や虎丸もいる。

「月光、お前ェも来てたんだな」

「当たり前だ。強敵(とも)の晴れ姿を見ないわけにはいくまい」

「俺や雷電は出ないけどな」

「わしはことりちゃんの活躍が楽しみじゃのう」

 松尾は本当に嬉しそうに言った。

「貴様、ことりの名前を呼ぶとは」

「ぎゃっ!」

 いつの間にか後ろに座っていたことりの兄、飛燕が松尾の髪の毛を掴む。

「アンタ、きてたのかよ」

 播磨は呆れながら言った。

「妹の晴れ姿を見ないわけにはいかないだろう」

「こら飛燕。周りの迷惑になるだろう」

「お」

 飛燕を注意したのは、両頬に各三本ずつの傷を持つ伊達臣人であった。

「センパイも来てくれたんッスね」

 播磨は言った。

「勘違いするなよ。俺は修行の成果を確認しにきただけだ。別にμ’sが気になった

わけじゃない」


 伊達は少し恥ずかしそうに言った。

(気にならない人が、OBやOGからカンパを集めるかね)

 播磨は伊達の言葉と行動の違いに少しおかしく感じ苦笑する。

「月光、お前ェも来てくれたんだな」

 伊達の隣りに座る、大柄なスキンヘッドにも播磨は声をかける。

 合宿では世話になった恩人の一人である。

「無論だ。ここまで来たのだから応援しないわけにはいくまい」

 月光は腕組みをしたまま言った。

「店のほうはいいのか?」

「今日は休みなのです」

「ん?」

 大柄な月光の影に隠れて見えなかったけれど、彼の隣りには小柄な月光の母、月子

が座っていたのだ。

「月子さん!」

「私もいるわよ」

 ひょこっと顔を出したのは、雷電の母、雷(いかずち)である。

「おカミさんまで。寺のほうは」

「家に帰らずに直接来たわ」

「そうッスか。わざわざすんません」

「海未ちゃんたちの活躍は、私も気になるからね! 気にしなくてもいいわよ」

「そういや海未といえば……」

 播磨はとある人物を思い出す。


 もう一人海未ファンの男がいたような気がする。

「あっ!」

 やっぱりいた。

 特徴的なラーメン丼を頭に被ったような刺青(?)を頭にしたドジョウ髭の男、

王大人である。

「王大人……」

「我教え子の成長を見に来た。只唯一の目的也」

 何というか、濃い面子が勢ぞろいと言った感じだ。

 最終予選は、シード組も予備予選組も関係ない、ここだけの決戦だ。

 一発逆転もありうる。

 だからこそ、多くの応援が心強い、そう思う播磨。

「いよいよはじまるのう、播磨」

 松尾は嬉しそうに言った。

 そういえばコイツはアイドル好きだったな。

「今まで世話になったな、松尾、それに田沢」

 ホームページ更新やSNSでの宣伝など、ネット関係を一手に引き受けたのは、

松尾と田沢である。彼らのおかげで播磨たちは練習に集中できたと言っても過言

ではない。

「何、いいってことよ。それより、この面子でいけばもしかして本当にラブライブに

出場できるんじゃないか?」

 田沢は『週刊アイドルウォッチ』を見ながら言った。

「そんな甘いもんじゃねェよ。確かに自信はあるけどよ」

 播磨は言う。


 そう、そんなに甘いものではない。それはわかっている。だが、播磨にも自信は

あった。それは決して根拠のないものではない。

「お、いよいよ始まるぞ」

 最初の高校のパフォーマンスがはじまった。

 ここまでくるのに随分と長かったような気もするけど、短かったような気もする。

 この半年間は、本当に不思議な気持ちの時間だったと播磨は思う。

 次々に出てくるスクールアイドルたちを眺めながら、自分がこんなチームを作るなど

とは夢にも思わなかった。

 そして今、本気でラブライブ、つまり全国大会に出場しようとしている。

(これまでの学校を見る限り、飛び抜けた実力は見いだせない。それは予備予選組も

シード組も同じ。だとすれば最大のライバルはやはり……)

 播磨は不安を抱えつつ席を立つ。

「ケン兄、どこへ行くの?」

 ふと、播磨の行動に気づいた雪穂が声をかけてきた。

「ちょっとトイレだ」

 そう言うと播磨は会場の外に出る。




   *





 既に予選は始まっているので、会場外の廊下は人がまばらであった。

 閑散としている道を播磨は一人歩き、そしてトイレで用を足すと再び会場に戻ろう

とした。

 しかし、その時ふと足を止める。

「……」

 恐らくこの後、A-RISEのパフォーマンスを見ることになるだろう。

 これは確実だ。

 彼は初めてA-RISEのライブを観た時のことを思い出す。

 まるでプロのようなパフォーマンス。

 本当に勝てるのか、と不安に思ったこともある。

 だが今、彼女たちは同じステージに立っているのだ。

 播磨が観客席に戻ることを躊躇していると、意外な人物が声をかけてきた。

「やあ、播磨くんじゃないか」

「あン?」

 振り向くと、そこにはダサイ柄のTシャツを着たガタイの良い男がいた。

 新井タカヒロである。

「何をやっているんだい?」

「いや、ちょっとトイレに」

「そうなんだ。もうすぐ僕のA-RISEのパフォーマンスが始まるよ」


「……」

「キミには是非見てもらいたいと思っている」

「……俺に?」

「ああ、彼女たちは僕の最高傑作なんだ。そしてラブライブで二連覇を果たすことが、

彼女たちに課せられた使命だ」

「使命ッスか」

「もちろんμ’sのパフォーマンスにも期待しているけどね」

「随分と自信がおありなんッスね」

「いや、いつも不安で一杯さ。キミと同じで」

「俺と、同じ?」

「ああ。不安だからたくさん練習をする。不安だから、常に振付や歌い方を考える。

不安だから、選曲を慎重にする。そういえば君たちの今度の自由曲は、また新曲らしいね」

「はあ」

 今回の最終予選は、ラブライブの決勝と同じく課題曲と自由曲を歌わなければなら

ない。

 そして、その自由曲は播磨と西木野真姫が作曲し、雷電と海未が作詞したオリジナル

曲だ。

「それ、すごく楽しみにしているんだよ。毎回、君たちの曲は素晴らしい」

「どうも」

 本気なのかお世辞なのかよくわからない。


 この新井タカヒロという男は表情が豊かではあるけれど、なぜか言葉の真意が読み

取れない部分がある。

「あなたもこんな所でグズグズしていていいんですか? 他のチームのパフォーマンス

があるでしょう?」

「それはお互い様なんじゃないかな、播磨くん」

「まあ、そうッスけど」

「正直言えば、今回はμ’s以外は警戒していない、と言っても言い過ぎではないね」

「!?」

 慢心?

 いや、違う。

 このレベルのプロデューサーが油断するはずもない。

 だとしたら、プロとしての勘がそうさせているのか?

「いずれにせよ、楽しみにしているよ。じゃあ」

「失礼します」

 新井が去った後も、播磨はその場で茫然と立ち尽くしていた。

 プロデューサーの絶対的な自信。

 負けることなど一ミリも考えてはいない。

(もしそれが、その自信が突き崩されたとしたら……)

「うっし」

 播磨は覚悟を決める。


(こうなったら槍でも鉄砲でも持って来いってんだ)

 播磨はそう思いながら携帯電話を手に取る。

(大丈夫かな)

 少し不安に思いながら着信履歴からある名前を見つけだし、そこに電話をした。

『……もしもし?』

「穂乃果か? 俺だ」

『ど、どうしたの? ライブ前に』

 電話をした先は高坂穂乃果の携帯電話である。

 まだ控室にいるらしく、電話に出ることはできたらしい。

「もうすぐ出番だろう? その前に声を聞いときたくてな」

『そんな、心配しなくても、大丈夫だよ』

「声、震えてるぜ」

『これはいきなり拳児くんが電話かけてきたから驚いただけ』

「そうかよ」

『でも、ありがとう。ずっと不安だったから。あなたの声を聞けて、よかった』

『ちょっと、誰から電話ですか?』

 後ろで海未の声が聞こえてきた。

「他のメンバーとも代わってくれねェか」

 播磨は言った。

『ええ? なんでよお』

 穂乃果は明らかに不満そうな声を漏らす。


「そう言うなって。今の大会が終わるまで、俺はお前ェら全員に対して責任があるん

だ。お前ェだけを構ってるわけにもいかねェからな」

『……わかった。誰がいい?』

「誰でもいい」

『んじゃ、海未ちゃん』

 そう言うと、穂乃果は海未に携帯電話を渡したらしい。

『もしもし?』

 海未の声が今度は、はっきりと聞こえてきた。

「園田か? 俺だ。悪いな、雷電じゃなくて」

『べ、別に彼を期待していたわけじゃありませんから。それに、雷電とならいつでも

お話はできますから』

「そうだな。なあ園田」

『はい、何ですか?』

「今まで言えなかったけど、俺たちに付き合ってくれてありがとうな」

『なんですかいきなり』

「悪い。ずっと言ってなかったからよ。ことりとかには言ったんだけど」

『今更そんなことを気にする関係でもないでしょう? あなたたちに振り回されるの

は慣れてますから』

「でも変わったよな。人前に出るのが苦手なお前ェがアイドルなんてよ」

『それはお互い様でしょう?』

「俺は今でも苦手だぜ、まったく」

『そうでしたか。そろそろ代わりますね』


「ん?」

『じっとこっちを見ている子たちがいるもので』

「そうかよ」

『にゃにゃっ、け、拳児くん?』

「その声は、凛か」

『そうだにゃ。凛にゃ。こんなに近いのに、電話で話すなんて、不思議な気分にゃ』

「今まではステージ前に声をかけてやることができたけど、今回はできなかったから

な」

『うん。拳児くんの声を聞くと元気になるにゃあ』

「そりゃ言い過ぎだろうがよ」

『そんなこと無いにゃ』

「そりゃ、ありがとうな。今はどうしてやることもできねェけど」

『そんなこと、ないにゃ』

「そうか?」

『あの……』

「あン?」

『もし、大会が無事に終わったら。また、その……』

「……」

『お買いものに付き合って欲しいにゃ』

「ああ、それくらいなら。おやすい御用だ」

『本当だにゃ! 約束にゃ』

「ああ」

『それじゃあ、かよちんに代わるにゃ』


『ええ? 私は別に』

 花陽の声が聞こえてきた。

「花陽か」

 播磨は言った。

『あ、はい。私です』

 電話越しでもわかる、恥ずかしそうな声で花陽は言った。

 ここ数か月で一番成長したのは彼女かもしれない、と播磨は思っていた。

 彼女自身はどう感じているか知らないけれど。

「膝は大丈夫か」

『はい、もうすっかり。腰の方も問題ありません』

「そりゃ良かった」

『あの、私』

「どうした」

『いえ。が、頑張ります』

「そうだな。お前ェならできるよ」

『ありがとうございます』

「あんまり食べ過ぎるなよ」

『もう! 今はそんなに食べてません!』

 そう言うと、花陽は恥ずかしそうに誰かに携帯を渡す。

 今度は誰だ。

『あの、拳児さん』

「その声は、真姫か」

『はい。作曲、手伝ってくれてありがとうございます』

「そりゃこっちの台詞だろ。作曲作業が無けりゃ、もっとお前ェも練習ができただろう

し。第一、作曲の主体はお前ェのほうじゃねェか」

『そ、そんなことありません!』


「え?」

『拳児さんがいたから、作曲も練習も頑張れました。とっても、楽しかったです』

「楽しかった、か」

『もちろん大変でしたけど……』

「大変だったな。よく頑張ったよ」

『ありがとうございます』

「思い出に浸るのは大会が終わってからのほうがいいんじゃねェのか?」

『わ、わかってます』

「お前ェの曲はいいぜ。自信持って行け」

『私と、あなたの曲です。いえ、μ’s全員の曲と言ったほうがいいかもしれませんけど』

「そうだな」

『早く変わりなさいよ』

 後ろの方から聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 まあ、喋り方だけで誰かわかる。

『ふん。待たせたわね。みんなのアイドル、にこちゃんよ』

 矢澤にこのやけに演技っぽい声が聞こえてきた。

「別に待ってねェよ」

『何よ、無理しちゃって』

「別に無理なんてしてねェ」

『本番前に電話してくるなんて、相当の心配性ね、アンタ。そんなにあたしたちのこと

が信用できない?』


「そんなことはねェよ。信用してる。だけど、不安ではあった。俺自身がな」

『弱い男ね』

「男ってのは、弱いもんだ」

『随分素直じゃない。まあ任せなさいよ。あなたが多少弱くっても、あたしが支えて

あげるから』

「そりゃ嬉しいね」

『人を元気にするのがアイドルの務めですもの。そしてあなたはそのアイドルを元気

にすることが役目よ』

「わーってる。本当に世話になったな」

『ファンサービスもアイドルの勤めね』

「別に俺はお前ェのファンじゃねェけどよ」

『素直になりなさい。今更嘘ついてもしょうがないでしょう?』

「なんだよそりゃ。まあいい。今はお前ェのファンだよ。にこ、頑張れ」

『お任せあれ』

 そしてまた電話の声が変わる。

『拳児。本番前に電話なんて、感心できないわね』

 絢瀬絵里の声だ。

「悪かったよ」

『でもよかった。私もあなたの声が聞きたかったから』

「そうか。お前ェにも色々苦労かけたな」

『どうってことないわ。もう一度ステージに立つことができた。それだけで私は満足よ』

「随分と謙虚なもんだ」

『あなたはどうなの?』


「わかんねェ。お前ェらが無事なら、それが一番かな」

『あなたも十分謙虚じゃない』

「そうか」

『今度またウチに来なさいよ』

「あン?」

『美味しいロシア料理をご馳走するわ。亜里沙も楽しみにしているみたいだし』

「そうか。楽しみにしてるぜ」

『ふふ。じゃあ、隣りに代わるわね』

 そう言うと、少しだけ間が開き、特徴のある怪しい関西弁のイントネーションが耳に

入ってきた。

『さすがの拳児はんも不安みたいやなあ』

「そういうなよ、希」

『ちょっと意地悪やったかなあ。でも、ウチも本番前にあなたとお話しができて嬉しいで』

「そうかい」

『特に言いたいことはあるん?』

「技術的なことは何もねェ。だけど、お前ェには特に礼を言っときてェな」

『お礼?』

「ああ。練習でもそれ以外でも、色々世話になった。心強かったぜ」

『拳児はん』


「それに、過去のことも話してくれた。お前ェにとっては辛い思いでかもしれねェのに

話してくれて感謝している」

『それはウチの台詞や。あんなつまらん話を聞いてくれて』

「別につまらなくはねェよ。なあ、希」

『なに?』

「いや、お前ェにはなんか全部見通されてるような気がすっから、これ以上は何も

言わねえことにするわ」

『そうなん? 淋しいなあ』

「大会終わったら、色々話してやるよ」

『うふふ。約束やで』

「ああ」

 次で最後だ。

 順番から行くと、最後は、

『はーりくん』

 ことりの声が聞こえてきた。

「ことり……、大丈夫か」

『何が? 私は大丈夫だよ』

「そうか。ならいい。お前ェの兄貴も応援に来てたぜ」

『その情報はちょっといらないかなあ』

「酷ェなあ。兄妹だろうが」


『アハハ。お兄ちゃんが来ると、周りに迷惑かかっちゃうかもしれないし』

「それは、あるかな」

『ねえ、はりくん』

「どうした」

『今までありがとう』

「どうしたいきなり」

『私の気持ちは、昔から変わらないよ』

「は?」

『じゃあね。もうすぐ時間だから』

 そう言うと、まだ携帯電話が誰かの手に渡る。

『拳児くん!』

「穂乃果か」

『呼び出しが来たから、もう行くね。拳児くんも観客席に戻って』

「お、おう」

『私たちのステージを見逃したら、許さないよ』

「わかってる。頑張れよ」

『うん。じゃあ、またね』

「ああ、また」

 播磨は電話を切ると、しばらく携帯電話のディスプレイを見つめた。

 μ’sの出番が近づいたということは、そのすぐ前に行われるA-RISEの出番

はもうすぐのはずだ。いや、既に始まっているかもしれない。


 播磨は急いで観客席に戻る。

 観客席は多数の観客でにぎわってた。

 会場もようやく温まってきたところだ。

 今日は最高のライブが期待できそうだと、播磨は確信した。




   *




『さあ、全国のスクールアイドルファンの皆様お待たせいたしました。ついに十一番目、

A-RISEの出番がやってまいりました。実況は引き続き猫館伊知郎、解説は

秋友康夫さんでお送りいたします。秋友さん、いよいよ来ましたね』

『そうですね、前回のラブライブ優勝校A-RISEの登場ですね。今年も優勝候補

ナンバーワンですので、相当のパフォーマンスが期待できると思いますよ』

『秋友さんの注目はどの子でしょうか』

『当然、メインボーカルの綺羅ツバサです。彼女の成長はプレ・ラブライブでも確認

済みですので、A-RISEは今大会に向けて死角なしと言ったところではないでしょうか』

『そこまで言ってしまいますか?』

『ええ。彼女はプロの芸能事務所も注目のアイドルですからね。当然と言えます』

 音ノ木坂学院の理事長室で、理事長の江田島平八は自分で淹れたお茶をすすりながら、

ケーブルテレビでライブの様子を見ていた。

『さあ、いよいよ開始です。イントロが流れてまいりました』

 実況の声が聞こえなくなり、課題曲の音声のみとなる。





    *






 完璧。

 一言で言えばそんな所だ。

 さすがプロデューサーが最高傑作と言うだけのことはある。

 とにかく完璧なのだ。

 歌も、踊りも。

 非の打ちどころがない。

 パフォーマンスを終えた時、一瞬の静寂が会場内を包んだ。

 肩で息をするA-RISEの三人。

 その静寂を破るように誰かが拍手をする。

 それにつられるように拍手が鳴り響き、更に指笛や声援が飛ぶ。

「ウオオオオオオオオ!!!」

《凄い、凄すぎる! これが今年のA-RISEかあ!!!》

 実況の興奮ぶりが観客席にも聞こえてきた。

 会場が割れんばかりに拍手に包まれている中、播磨は冷静であった。

 ぐっと会場を見つめながら腕を組む。

 一瞬、綺羅ツバサがチラリとこちらを見たような気もしたが、恐らく気のせいだろう。

「……」

「拳児……?」


 隣に座っていた雷電が心配そうに声をかける。

「あン? どうした」

「大丈夫か」

「何がだ」

「……いや」

「何動揺してやがる。これから俺たちの学校のパフォーマンスが始まるんだぜ」

 まだ鳴り響く拍手の中で、播磨は静かに言葉を紡いだ。

「どうしよう、大丈夫? こんなのに勝てるの?」

 応援に来てくれた音ノ木坂の生徒がそんな言葉を口にしていた。

 確かにそう思うのも無理はない。

 それだけA-RISEのパフォーマンスは完璧だったのだ。

 プレ・ラブライブよりもはるかに良くなっている。完全に仕上げた、という感じだ。

 これまでのライブで手を抜いた来た、ということはないだろうが、彼女たちなりに、

その時期に応じて出来ることをやってきたのだと思う。

 そしてここでピークに持ってきた、そんなところだろう。

 パフォーマンスも完璧ならば、そこに至るまでの調整も完璧といったところか。

 まるでトップアスリートのような綿密に計算された練習計画のもとで行われてきた

のだろう。

 素人には真似できない芸当だ。

「なあ、播磨。大丈夫じゃろうな。あいつらは化け物じゃ」

 不安そうな声を出す松尾。

 数々のアイドルを知っている松尾だからこそ、A-RISEの凄さがわかるのだ。


 それでも播磨は冷静さを崩さない。

「松尾、お前ェらは知らねェと思うがな、俺たちは化け物と闘って勝ってるんだぜ」

 播磨は言った。

「何を言っとるんじゃ?」

「覚悟だけなら、A-RISEにも負けねェってことだよ」

 そう言うと播磨は笑った。

 会場の興奮が冷めやらぬ中、満を持してμ’sが登場する。

 このままでは消化試合にもなりかねない状況の中、音ノ木坂の九人が姿を現す。

《次は、音ノ木坂学院、μ’sです》

 アナウンスが流れると、一部で拍手が起こる。

 播磨も腕組みを解いて拍手をした。

 これが最後のパフォーマンスだと思ってステージに上がる。

 そんな覚悟が伝わってきているようだ。

 イントロが流れる。

 課題曲は手堅く、自由曲は大胆に。それが通常のやり方だ。

 だがμ’sはそうも言っていられない。

 何のために今まで練習してきたと思っているんだ。

「最初から全力だ」

 播磨は小声で、しかし力強くつぶやく。

 会場内がざわつく。

 何かがおかしい、と感じたのだろう。


 播磨は空気の変わり目を感じて少しだけ身体がうずいた。

 これまで完全にA-RISEに流れていた風が、少しずつ変わって行く。

 単純に歌や踊りを視聴したければ、別にテレビやインターネットのストリーミング

配信でもいいだろう。

 だが、ここは違う。ライブなんだ。

 観客の前にはアイドルがいる。

 そしてアイドルの前には観客がいる。

 フェイストゥフェイス。

 生の息遣いを感じて欲しい。

 どんなに規模の大きい会場であろうが、人がそこにいることは変わりない。

 播磨は真っ先に立ち上がった。

(頑張れ、俺はここにいるぞ!)

 声にこそ出さなかったけれど、播磨は心の中でそう叫んだ。

 一瞬、穂乃果がこちらを見た気がした。

 そして満面の笑みを浮かべる。

 播磨は右手を伸ばし、親指を立てる。

 播磨につられるように一斉に立ち上がる音ノ木坂応援団。

 現役生もOB、OGも立ち上がって手拍子をした。

(そうだ、お前ェらは一人じゃねェ。こんなにも心強い仲間がいるじゃねェか。ちょっと

変な奴もいるけど、頼もしく楽しい連中だ)


「ウオオオオオ!!」

 流れが、少しずつ激流に代わって行く。

 小さかった川が、支流が合流することで大きな川になっていくようだ。

 課題曲が終わり自由曲に移った時、すでに会場は総立ちになっていた。

 一つ一つの仕草が大きな波となって心を揺さぶる。

 そうだ、これがこれまでやってきたこと。

 九人が作る奇跡。

 九人?

 いや、違う。

 メンバーを支えてきた多くの人たちが作ってきた奇跡だ。

「穂乃果あああああ!!!!」

「海未ちゃあああああん!!!!」

 誰かが叫ぶ。

 とにかく叫ばずにはいられなかったのだろう。

「ことりちゃああああああああああああん!!!」

 松尾の声も聞こえてきた。

 そう言えばあいつはことりが好きだったな。

 一人一人、まったくタイプが違うのに、不協和音も出さずによくやっていると思う。

 自分の曲だけれども、まったく異次元の曲のように感じながら播磨はその場に立ち

尽くしていた。

 これが今、あいつらに出来る最高のパフォーマンスなんだと。




   *




 すべてのパフォーマンスが終わり、本格的な審査に入ると少しだけ時間がかかった。

 その間に、ゲストのアイドルグループが会場で歌を歌ったりしている。

 正直、播磨は他のアイドルには興味が無かったのでアリーナを出て、廊下で缶コーヒー

を飲むことにした。

「拳児、こんなところにいたのか」

 そんな播磨に雷電は声をかける。

「ん? ああ。雷電も何か飲むか」

「いや、俺は別に。それより、あいつらに会いに行かないでいいのか」

「あいつら?」

「高坂たちだよ」

「ん。まあ、着替えとかあるし、別にいいんじゃねェか?」

「なあ、拳児」

「なんだよ」

「勝てると、思うか?」

「わからん。だが、今のあいつらが出来る全力だと思うぜ」

「そうか」

「むっ!」

 不意に人の気配を感じた。

「拳児くん?」

「のわ、お前ェら。もう着替え終わったのか」

 そこには制服に着替えた穂乃果たちμ’sのメンバーがそろっていた。

 舞台の興奮が冷めていないのか、まだ顔が紅潮している。


「拳児たちと一緒に結果を聞くんだって言って、急いで着替えをしたのよ。穂乃果は」

 ニヤニヤしながら絵里は言う。

「もう、やめてよ絵里ちゃん!」

 絵里の言葉に穂乃果は少し恥ずかしがった。

「なんだよ、そんなことか」

「そんなことって。今まで一緒に頑張ってきたんだから、その結果を」

「拳児くーん!!」

「ふがあ!」

 いきなり飛びついてきたのは凛であった。

 そういや、最近はあんまり飛びついてこなかったから油断していた。

「なんだ凛。どうした」

「べ、別に……。色々、不安だったから」

 凛は播磨の首に両腕をまわしつつ、顔を逸らした。

「ちょっと凛ちゃん。周りの目もあるから」

 花陽が凛に言った。

「かよちんも抱き着いたらいいじゃん」

「何をいってるのよ」

 一気に顔を紅潮させる花陽。

「いい加減にしろよ」

 播磨は凛を引きはがしながら言った。

「なあ、お前ェら」

「?」

 播磨は全員に呼びかける。


「どうしたの? 拳児くん」

「いや、良かったぜ。今日の舞台」

「……そっか」

 穂乃果はそう言うと、ほっとしたように微笑む。

「当たり前にゃ」

 凛も言った。

「ありがとうございます」

 と、花陽。

「あ、当たり前じゃない」

 そう言ったのはにこだ。

「とっても緊張したんですよ」

 真姫。

「真姫も緊張するのね」

 絵里。

「ウチも久しぶりに緊張したわ」

 希。

「とてもそうには見えねェがな」

「あれ? そういうこと言うん? 拳児はん。生意気な後輩にはこうやでえ!」

「ぬわ!」

 そう言うと、希はいきなり播磨に飛びかかる。

「おわっ、ちょっと何しやがる」

「そうだよ希ちゃん」

「ウチだって甘えたい時があるんやから」

 そう言うと、希は播磨を抱きしめた。

 柔らかいものが当たる。

(これは……!)

 この前のように、疲れてはいないので播磨の若いリビドーが発動しそうになる。

「離れろ!」

「我慢せんでええのに」

「結果がでたら、いくらでも好きにさせてやるよ」

「ホンマに?」

「あ、いや……」

 勢いで言ってしまったことに後悔する播磨。

「やあ、播磨くん」

 ふと、聞き覚えのある声が響く。

(また現れやがったか)

 播磨の視線の先には、ダサイTシャツにガタイの良い新井タカヒロがいた。

 後ろにA-RISEはいない。彼一人のようだ。

「随分とメンバーと仲が良いみたいだね。さすがカリスマSIPと言ったとこかな」

「俺はカリスマでもなければSIPでもないッスよ」

 播磨は冷静に返す。


「もうすぐ結果が発表される。メンバーは所定の位置に行かないといけないんじゃないかな」

 新井は、播磨の後ろにいるμ’sのメンバーの顔ぶれを見ながら言った。

「そうッスね。お前ェら、結果発表だぞ」

「わかってるよ。拳児くんも行こう」

 そう言うと、穂乃果は播磨の手を引っ張る。

「何すんだ」

「何って、一緒に行くんだよ。あなたはアイドル部の副部長なんだから」

「やめろ。俺は人前に出るのが苦手なんだ。順番を決める抽選だって行きたくなかった

んだしよ」

「そんなこと言ってないで。皆」

 穂乃果がそう言うと、凛や花陽が播磨の両腕を掴んだ。

「さあ、連れて行くよ」

「アハハ。本当に仲がいんだね」

 その様子を見ながら新井は言った。

「わかった。わかったから手を放せ。人が見てるだろうが」

「ダメにゃあ!」

「そうですよ拳児さん」

 ゲストアイドルのパフォーマンスも終わると、遂に結果が発表される。




   * 
  


 緊張の瞬間である。

 どんな結果でも受け入れるだけの心の準備はできているはずだ。

 それでも心臓の高鳴りは止まらない。

「……」

「不安なの? 拳児くん」

 隣に座った穂乃果が小声で聞いてきた。

「別に。お前ェらのほうが不安なんじゃねェか?」

「そうかもね」

 そう言うと、穂乃果は静かに播磨の手を握る。

「おい」

「不安だから、こうさせて」

「ったく。変わらねェな。お前ェは」

「拳児くんもね」

《大変長らくお待たせいたしました。ラブライブ南関東最終予選の結果を発表したい

と思います》

 会場にアナウンスが響く。

 心臓が再び高鳴る。

《ラブライブ全国大会に出場するのは――》

 もったいぶるアナウンス。

 さっさと言え、と播磨は思う。

 と、次の瞬間。

 そして次の瞬間、会場は大きな歓声に包まれた。

「ウオオオオオオオオオオオオオ!!!!!」

「ぎゃあああああああああああああ!!!!」

「やったぞおおおおおおおお!!!!!!」

 訳がわからない興奮の坩堝の中、播磨は戸惑いながら立ち上がる。

「何やってんだお前ェら。早く檀上に行けよ」

「こ、腰が抜けて立ち上がれない」

「ったく」

 播磨はそう言うと、穂乃果の右手をもう一度掴み立ち上がらせた。

「ひゃあ」

 しかしバランスを崩して播磨のほうに倒れ込む穂乃果。

「おっと、大丈夫か」

「アハハ。びっくりびっくり」

 播磨に抱かれながら、照れ笑いを見せる穂乃果。

 そこに大量のフラッシュが。

「ぎゃあ!」

「何やってんのよ! アンタたち!」

 にこが怒鳴る。

「ウチもやるでえ!」

 そう言うと、希が抱き着いた。

「凛ちゃんも抱き着くにゃあ!」

 競うように、播磨に抱き着くメンバー。

「わ、私も」

 普段冷静ぶっている真姫も、思い切って播磨に抱き着いた。

「ぐはあ!」

「もう、さっさとステージに行きなさいよ!」

 そんなメンバーに大して海未は怒ってみるけれど、喜びを爆発させた彼女たちは、

しばらく止められなかったことは言うまでもない。

 数日後、音ノ木坂学院の廃校の話は一旦白紙に戻され、来年度も生徒を募集すること

が発表された。





   つづく

次回最終回。長かった……。










       ラブランブル!

  播磨拳児と九人のスクールアイドル


     最終話 奇 跡


 





奇跡――

 それを奇跡と言うのは言い過ぎではないだろう。

 結成からわずか半年。数々の苦難を乗り越え、新たなメンバーを加えて作り上げられた

スクールアイドルグループ、μ’s。

「奇跡、そう言われても仕方ありませんね」

 チーム最高学年である三年生の一人、絢瀬絵里はそう言った。

「だって当事者である私自身が未だに信じられませんから」

 絵里はそう言って笑う。

 かつてバレエを経験した彼女は、年長者としての精神的な支柱だけでなく、華麗な

ダンスでチームを盛り上げ、そして全国優勝へと導いた。

「最初は生徒の不足で廃校の危機にあった学校を助けたいという動機ではじめたんです。

それが全国優勝することなんて夢にも思いませんでしたよ。本当に」

 結成したばかりのμ’sは、北関東予選を突破した後、ラブライブ全国大会に出場。

 そこで優勝した。

 前回優勝チームであるUTX学院のA-RISEに予選で競り勝ったのだ。全国優勝

はある意味必然だったのかもしれない。

 しかしμ’sはラブライブ終了後、解散した。

「そう、解散。活動休止ではなく、解散したわ」


 絵里はそう言って耳元の髪をかき上げる。

 ラブライブで優勝したがゆえに、解散を惜しむ声も多かった。

 しかし彼女たちは解散を決意し、それを実行した。

 それはなぜなのか。

「ご存じの通り、私は三年生で、これから受験があります。アイドルをやっている時間

はもうありません。だからアイドル部は引退しました。これは、同じ三年の希やにこも

事情は同じですよ」

 絵里は解散の理由を淡々と説明する。

「私たち三年生が抜けたら、当然μ’sは九人ではなくなります。元々、μ’sとは、

ギリシア神話で文芸を司る九人の女神、ムーサから付けられた名前なんですよ。まあ、

知ってますよね。だから、この九人でチームを結成できなくなったら、もうμ’s

ではない、というのがリーダーである高坂穂乃果の判断です。私たちも、それに従い

ました」

 別のメンバーを加えて、新しいμ’sを作るという考えは無かったのだろうか。

「それは私たちが決めることじゃあありません。この先、音ノ木坂のアイドル部に残る

二年生や三年生が決めることです」

 μ’sに対して未練はないのだろうか。

「ない、と言えばウソになりますけど、やはりラブライブは高校生活の中にあるから

こそ貴重なのだと思います。野球の甲子園や花園のラグビーのようにね。ただ、歌や

踊りについては、また興味が出てきましたので、大学に入ったらまたやってみようか

な、とは思っています」




 次に記者が訪れたのは、学院内の弓道場であった。

 静かに放たれた矢が的のど真ん中に突き刺さる。

 すっと背筋を伸ばした園田海未の姿は、遠くから見ても美しい。

 園田海未は二年生ではあったけれど、ラブライブ後、つまりμ’s解散後は、

アイドル部を辞して自分がかつて所属していた弓道部へと戻る。

 練習の合間、少しだけ話を聞くことができた。

「アイドル活動? 確かに、最初は嫌でしたね。でも今は違いますよ。皆と一緒に

ライブができたこと、そして学校の統廃合を阻止できたことはとても誇りに思って

います」

 園田海未は、その類まれな運動神経から当初よりμ’sの体力作りの指導を担当し、

チームで歌うオリジナル曲の作詞も担当していた。

「作詞に関して言えば、一緒に活動してくれた幼馴染の協力が大きいですね。もちろん

私自身も色々と勉強はしましたけど」

 ラブライブ後もアイドルを続けるという選択肢は無かったのだろうか。

「確かに、多くの人に続けるよう言われましたけど、元々は弓道が好きでこの弓道部に

入部したわけですから、できれば最後は弓道部で終りたいな、という思いはありました。

もちろん、アイドルが嫌になったってことはありませんよ?」

 園田海未は結成当初からのメンバーであり、一番長くμ’sを見てきた一人である。


「基礎体力は重要だと思っていましたから、穂乃果や新しく入った一年生の子たちに

もちょっと厳し過ぎるかなって思うくらいの指導はしてきました。でも、今となって

はそれが正しかったと思っています。欲を言えば、もう少し柔軟性を鍛えていれば

もっといいパフォーマンスが出来たと思いますけど、ダンスの技術は絢瀬絵里さんに

は敵いませんから」

 海未はそう言って苦笑する。

 もう一度アイドルをやろうという気はないのだろうか。

「今はありませんね。でも、弓道が一段落ついたら、また考えるかもしれません。

でも受験もありますからね。三年生の先輩たちのように勉強をしないと」

 プロのアイドルになるという選択肢は無かったのだろうか。

「複数の事務所の方々からオファーがあったことは事実です。でも、私にとっての

アイドルは、μ’sだけだと思っています。それ以外は考えられません」

 少し勿体ない気もするが、海未には後悔している様子はない。

「これまでチームのため、学校のため、何より友人たちのためにパフォーマンスをして

きました。これからは、少し自分のために努力したいと思います。後、特にお世話に

なった人にも恩返しをしたいですし」

 特にお世話になった人とは?

「それは秘密です。プライベートな事情ですので」

 海未は少し照れながら、口元に人差し指を当てた。




 学院の校舎に入ると、音楽室から聞き覚えのあるピアノの音色が流れてきた。

 μ’sの曲の旋律である。

 音楽室に入ると、μ’sの元メンバー、西木野真姫がピアノを弾いていた。

 彼女は幼い頃からピアノを習っており、μ’sが歌うオリジナル曲のほとんど

の作曲を手掛けていた。

「私がμ’sに参加したのは、本当に偶然に偶然が重なったからなんです。でも、

今はその偶然に感謝しています」

 落ち着いた表情で西木野真姫は言った。

 真姫は初期のメンバーではないけれども、どういう経緯でμ’sに参加することに

なったのだろうか。

「元々、アイドルとして参加する予定ではありませんでした。ただ、アイドル部の副部長

をされていた方が作曲もしていて、私はそのお手伝いをする、という形で活動に協力

したんです。その縁でチーム入りすることになって、最終的にラブライブにまで出場

することになりました」

 何だか運命を感じてしまう。

「運命。確かにそうかもしれません。私にとってアイドル部、それにμ’sとの出会いは

運命だったのかもしれません」

 ラブライブ後、一年生で唯一アイドル部を退部した。


「確かにアイドル活動には未練が無い、と言えばウソになりますけど、私には他にも

目標がありますので」

 目標?

「ええ。医学部に進学することです。親が病院を経営していますので、それを継ぐため

に医師になることが今の私の目標です」

 確かに医学部を目指すとなると、相当の勉強をしなければならないだろう。

 しかし、一年生で活動を辞めるというのは少し早すぎではないだろうか。

「これは私自身のケジメでもあります。あの人もいなくなった、というのも確かにありますけど」

 あの人?

「な、なんでもありません! それより、私なりのケジメをつけるために部活動は辞め

ました。これからは勉強に専念するつもりです」

 西木野真姫の作る曲を支持しているファンは今も多い。

「望まれるのなら、また作るかもしれませんけど、これからはアイドル活動よりも勉強

を優先です。将来のためにも、私自身のためにも」

 彼女の決意は固いようだ。

 それでもまた九人が集まる機会があるのならば、真姫も参加するだろうか。

「その気持ちは、皆同じだと思いますよ。私たちの心は、今でも一つです。ただ、進む

べき道が違うだけですから」




 進むべき道。

 同じ一年でも西木野真姫はアイドル部を退部した。しかし、残った者もいる。

 小泉花陽はラブライブ後もアイドル部を辞めなかった者の一人だ。

「μ’sは確かになくなってしまいました。それは残念なことです」

 アイドルグッズが数多く並ぶアイドル部の部室で、練習着姿の小泉花陽はそう言った。

「ですけど、μ’sが活躍したという事実は消えません。私たちは、それを受け継いで

行くべきだと思います」

 三年生が引退し、一、二年生の中でも一部のメンバーが退部していく中、小泉花陽は

アイドル部に残った。

 それはなぜだろうか。

「私自身が、アイドルが大好きということもあると思います。いつかアイドルになり

たい、という思いは小さい頃から持っていました。その思いは、この夏に叶ったと

思います」

 それでもアイドル部を続ける理由とは?

「確かに、スクールアイドルとしてラブライブに出場して、優勝まですることはでき

ましたけど、その多くは先輩方の力があったからだと思います。これからは、私たち

だけの力で、新しいアイドルユニットを作って行こうと思います。それがこれからの

目標です」

 プロになるという選択肢はあるのだろうか。


「まだ、そこまでは決めていません。今は、新生アイドル部を盛り上げて行き、来年

もまたラブライブに出場したいと思います」

 彼女はそう言って目を輝かせる。

 部室のすぐ隣にある空き教室が、アイドル部の練習場である。

 そこを覗くと、練習着姿のショートカットの少女がストレッチをしていた。

 小泉花陽と同じ一年生の星空凛である。

「μ’sに入ったばかりの頃は、凛が一番身体が固かったんだにゃ」

 両脚を開き、今ではピタリとお腹がつくようになった星空凛はそう言った。

「(絢瀬)絵里ちゃんや(園田)海未ちゃんがつきっきりで指導してくれたから、

素人の私でもここまで頑張ることができたにゃ」

 ストレッチを終え、しっとりと汗ばんだ額をリストバンドで拭いながら凛は笑う。

 素人、とはいえ星空凛は小学校、中学校時代は陸上競技を行っており、それなりに

運動神経は良かったはずだ。

「中学の時に駅伝の選手に選ばれて、長距離の練習をしていたから、それで身体が

固くなってしまったのかもしれないって言われてましたにゃ。でも今はこの通り」

 凛は立ち上がり、前かがみになると両手の手の平がピタリと床についた。

 ここまでくるのには相当の時間がかかりそうである。

「辛いことも一杯あったけど、かよちん(小泉花陽)もいたし、あの人もいてくれた

から、凛は頑張ることができたにゃ」

 彼女の顔の笑顔は消えない。

 チームのムードメーカーと言われてきただけのことはある。


「どんな時にも前向きでいることの大切さを学んだ気がしますにゃ」

 彼女の笑顔は、単なる可愛らしさだけではなく、安心感や頼もしさすら感じさせる。

 ラブライブの後、退部者が相次いだことについてはどう思っているのだろうか。

「それは、確かに寂しかったにゃ。特にお世話になった三年生の先輩や、(西木野)

真姫ちゃんがいなくなったのは残念だけど、みんなそれぞれ事情があるから仕方ない

にゃ」

 一瞬、寂しそうな表情を見せた星空凛であったけれど、すぐに元の笑顔に戻る。

「でも、そう言っても仕方ないにゃ。せっかく、学校の廃校の件も無くなったん

だし、この学校を救ったアイドル部の伝統は消したくないと思いました」

 このアイドル部は、学校にとっては救世主かもしれない。

 ただ、星空凛自身はこれからどうするのだろうか。

「どうもこうも、スクールアイドルとして活動は続けて行くつもりですにゃ。それは

かよちんも一緒だにゃ。(部長の)穂乃果ちゃんも残っていてくれるから、まだまだ

続けて行くつもりにゃ」

 今後の展開などに不安はないのだろうか。

「不安が無い、と言えばウソになるけど、そこで立ち止まっていたらなにも始まらない

にゃ。凛は先輩たちからそう学びました」

 具体的には誰から?

「直接言われたわけではないけれど、なんというか、あの人や穂乃果ちゃんの姿を

見ていたらそう感じたんですにゃ」


 人が減り、寂しくなったと思われる練習場の中で、星空凛は力強く言葉を紡ぐ。

 そんな練習場に一人の生徒が訪ねてきた。

「あ、にこちゃん」

 黒髪をツインテールでまとめた小柄な少女。

 矢澤にこである。

「凛、ちゃんと練習してる?」

 制服姿のにこはそう声をかける。

「花陽と穂乃果は?」

「かよちんは部室にいるにゃ。穂乃果ちゃんは生徒会」

「ったく、呑気なものね。ん? あら、あなたはあの時の記者さん」

 にこは記者の存在に気づいて一礼する。

「どうも、今日はμ’sについての取材? 一時期はうるさかったけど、今頃来るなん

て遅いわね」

 そう言ってにこは悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 今日は、その後のμ’sについての取材に来た、と記者はこの日の取材の趣旨を伝える。

「あらそう。他のメンバーにも話を聞いたの?」

 時間があれば、矢澤にこの話も聞きたい。

「まあ、構わないわよ。部室で話を聞きましょう?」

 場所は再び部室で戻る。

 それまで部室にいた小泉花陽は練習場に行き、入れ替わるように、にこは部室の

椅子に腰を下ろす。


 三年生になってアイドル部を引退した矢澤にこは、これからどうするのだろうか。

「(絢瀬)絵里や(東條)希のように進学はしないわ。にこはあの子たちみたいに、

勉強とか好きじゃないし」

 では就職?

「プロを目指そうと思うの。実際に何件か話が来ているし」

 スクールアイドルからプロのアイドルへ。

 しかし、その道は厳しい。

 既に何人もの先輩たちが挫折を経験している。

 甲子園で活躍した高校球児が必ずしもプロで活躍できないように、スクールアイドル

で活躍したからといってプロの世界で売れるとは限らない。

「覚悟の上よ。でも私は小さい頃からアイドルになることを目標に頑張ってきたの。

そりゃあ、ラブライブの優勝が嬉しくないって言ったらウソになるけど、この矢澤にこ

にとっては通過点の一つに過ぎないわ」

 プロのアイドルはスクールアイドル以上に厳しい世界である。

「そんなの承知の上よ。それでも、家族のことや今まで一緒に頑張ってきた仲間たち

のことを考えたら、プロを目指す人がいてもいいんじゃないかと思ってね」

 ずっと無愛想だった矢澤にこがこの時はじめて笑った。

 舞台の上とは違い、普段のにこはあまり笑わない。

 いつも笑顔の星空凛とは対照的である。


「そりゃあまあ、私だっていつも笑顔でいたいけど。でも、ちょっと疲れるじゃない?

まあ、それは冗談だけど。私はステージの上で全力を尽くしたいの。それを考えると、

ちょっと無愛想になってしまうことはやむを得ないわね。プロになったら、いつ誰かに

見られるかわからないから、もっと気をつけなきゃだけど」

 にこはあくまでも淡々と喋る。

 ラブライブについてはどう思っているのだろうか。

「ん? そうね。楽しかったわ。とってもね。辛いこともあったけど、高校時代の

一つの目標でもあったから」

 今、その目標を達成したわけだが。

「そうね。だから次の目標を見つけて、それに向けて歩き出そうとしているの。すでに

他の子たちはそうしているでしょう? 同じ三年の絵里や希は受験のために勉強を

しているし。私は、プロを目指してオーディションの準備をしているわ」

 先ほどラブライブを「通過点」と呼んでいたけれども、具体的にはどういう意味か。

「通過点は通過点よ。そこでは終わらないってこと。世の中には、甲子園を目指して、

そこに出場したら満足っていう人もいるみたいだけど、それだけじゃつまらないでしょう?

人生は長いんだから」

 確かに。

「でも、いくら通過点と言っても大事じゃないって言ってるわけじゃないのよ?

私にとってラブライブは、苦しいこともたくさんあったけど、仲間たちと共に

頑張った大切な思い出。素敵な出会いもあったし、人と喜びを共有することの

大切さも知った。だから、この思いでを糧に前に進んで行こうと思うわ」

 ついこの間のことにも関わらず、矢澤にこの語るラブライブは随分と前のことのを

話しているような感じがした。



 その後、記者はμ’sの元メンバーが活動しているという生徒会室へと向かった。

 ドアを開けると、そこにはトサカのような特徴的な髪型をした南ことりが出迎えて

くれた。

「生徒会執行部の会計を担当しています、南ことりです。会長の(高坂)穂乃果ちゃん

をサポートするために頑張ってます」

 南ことりはそう自己紹介する。

 μ’sの元リーダーであり、アイドル部の部長である高坂穂乃果は、ラブライブの後、

自校の生徒会長選挙に立候補して、見事に当選したという。

 彼女の親友だったことりは、執行部の役員として彼女に協力することにしたという。

「穂乃果ちゃんとは、アイドルを始めた時もお手伝いをしたからね。今回も、生徒会

の仕事を手伝おうと思ったんです」

 ことりは笑顔で言う。

「海未ちゃんも、一応生徒会のメンバーなんですよ。今は部活動があるから参加して

いないけど、部活が終わったらこちらに顔を出す時もあります」

 生徒会の仕事は忙しい?

「いえ、今はそんなに忙しくありませんよ。引き継ぎとかはありますけど。後、引退

した希ちゃんや絵里ちゃんも手伝ってくれますから。あ、(絢瀬)絵里ちゃんと(東條)

希ちゃんは、生徒会の会長と副会長だったんです。色々と覚えることがたくさんあって、

生徒会活動とスクールアイドルを兼任していたあの二人は凄いなあって、今更ながらに

思ってます」


 メンバーのことを語ることりは本当に楽しそうである。

 ただ、今回は南ことり自身のことも聞いてみたいと思う。

「私のことですか? うーん。確かに、穂乃果ちゃんのためってこともありますけど、

折角廃校を免れた母校ですから、もっと楽しい学校になれたらいいなと思って、穂乃果

ちゃんのお手伝いをすることに決めました。本当は“あの人”にも手伝って欲しかった


だけど、『自分はそんなガラじゃねェ』って言って断られました」

 あの人とは?

「え? ああ。μ’sでお世話になった人です」

 そう言ってことりは言葉を濁す。

「それより、他に何か聞きたいことはありますか?」

 ラブライブの思い出について聞いてみることにした。どうしてスクールアイドルに

参加しようと思ったのか。まずはそこから。

「そうですね。私は、実のところ穂乃果ちゃんほどウチの学校に思い入れは無かった

んです。こんなことを言うと生徒会執行部の役員としては失格かもしれませんけど、

もちろん今は違いますよ?」

 確か、学院の理事長の孫娘という話だが。

「そうですね。私の母方のお祖父ちゃんが理事長です。だから、この学校とも深い関わり

はあります。でもだからこそ、周りから変に勘ぐられたくないと思い、少し学校とは

距離を取っていました」


 理事長の孫娘だから、特別扱いをされている、と思われたくないということだろうか。

「そうですね。その通りかもしれません。でも、穂乃果ちゃんの想いにほだされて、

自分も学校を救おうと思うようになりました」

 高坂穂乃果の想いとは、一体なんなのだろう。

「彼女は、とってもこの学院を愛していました。イマイチ特徴のない学校だったんです

けど、穂乃果ちゃんのお母さんもお祖母様もこの音ノ木坂学院の出身らしく、強い

思い入れがあったみたいですね。そう言えば、中学時代の話なんですけど」

 そう言うと、ことりは少しだけ声を低くする。

「実は、穂乃果ちゃんはこの学校に入学するには、ちょっとテストの成績がギリギリ

だったので、懸命に勉強していたのを覚えています。それくらい苦労をして入ったから、

思いも一入だったのでしょう」

 ことり自身は楽に入ったのだろうか。

「もちろん私も勉強をしましたよ? 理事長の孫娘だからと言って、受験で有利に

扱われると思われたら嫌でしたからね」

 あえて別の学校に入るという選択肢は無かったのだろうか。

「うーん。それも考えてはいたんですけど、何というか、家も近いし。まだやりたい

こととかも見つかっていなかったので、音ノ木坂に行くことに決めました。それに、

あの人も行くと言ってくれたから……」

 ふと声を小さくすることり。

「い、いや。何でもありません……!」


 こちらは何も聞いていないのに、なぜか必死に手を振って否定することり。

 ラブライブでは、主に衣装のデザインを担当したと言うが。

「元々裁縫は得意で、ぬいぐるみとかよく作っていたんです。兄がデザイン系の大学

に進学することに決めていたので、何となくいいなあとは思っていたんですけど」

 そう言えば、ことりの兄はあの有名な南飛燕である。

 学生でありながらプロのデザイナーからも注目されており、何より美男子である。

「ああ見えて、実は家ではだらしないところもあるんですけど、まあ、兄のファンも

この雑誌を読んでいるかもしれないので、詳しくは言いませんけど」

 兄のことについても聞きたいところではあるけれど、ここは話を戻しラブライブに

ついて聞く。

 デザインは全て自分が?

 兄も協力したのか。

「兄の影響が無かった、と言えばウソになりますけど、基本的には全部自分で決めました。

 でも、メンバーにも意見を聞いて、手伝ってもらったりもしたので、全ての作業を

自分一人でやったとは言いません。あえて言うなら、μ’s全員の力です」

 振付や歌だけでなく、衣装の評価も高かったと言うが。

「確かに、衣装を評価してくだされたのは素直に嬉しいです。でも、それはあくまで

オマケみたいなものです。皆だったら、多分学校のジャージで踊ってもキレイだった

と思いますよ。特に絵里ちゃんなんかは」

 南ことりにとってスクールアイドルとは何だったのだろうか。


「うーん。今もよくわかりませんねえ。何だか、今でも夢みたいな気持ちですよ。

現実感が無いと言うか。辛いこともたくさんあったけど、終わってみたら一瞬と

いうか」

 ことりは少しだけ考え込む。

「でも、あんなにも必死になったことって、今までなかったかな。だから、とっても

充実していたと思います」

 これからの展望について聞かせてほしい。

「うーん。まだわかりません。アイドル部は続けて行きますけど、学校存続という目標

は達成されたので、今とはまた違う活動になって行くかもしれません。あと、私自身

のことですけど……、やっぱりデザイン系の学校に進学しようかと思っています」

 それは、衣裳作りの経験から?

「もちろんそれもありますけど、元々やってみたかったことですし、兄の影響も少し

ありますけど、原点に戻って自分のやりたいことをやってみようと、そう考えてます。

また変わるかもしれませんけど、今はそれくらいですかね」

 ちょうど、南ことりから話を聞き終えた頃、生徒会室に人が訪ねてきた。

 生徒会長の高坂穂乃果かと思ったら、違った。

「あら、見かけない顔やね。お客さん?」

 ちょっと変な関西弁の少女は、東條希であった。

 決して目立つ立場ではなかったけれど、手堅い実力でチームを支え、練習でもその

包容力でチームをまとめていた影の実力者だと言われている。

「それは褒め過ぎやわ。ウチは自分のできることをやっただけやから」

 かつてアイドルをやっていた経験が生きていたのだろうか。


「さすが記者さんや。よく御存じですなあ。別に隠すつもりはおまへんから、正直

言いますけど、本当は自分がスクールアイドルに加わる気は、最初は無かったんですよ」

 それはなぜだろうか。

 東條希ほどの、能力のあるアイドルが舞台に立たないのは勿体ない気もするのだが。

「ウフフ。ありがとう。お世辞でも嬉しいわ。せやけど、ウチは人を支えることが

好きやったから、あの人を通じてわが校のスクールアイドルを育てていければええな

って思ったんやけどな」

 音ノ木坂学院のμ’sはラブライブで優勝までした。

「優勝は出来過ぎやと思うけど、南関東大会で、前回優勝チームのA-RISEに

勝ったんやから、ある意味当然なんかもしれへんなあ」

 元々参加するつもりがなかったスクールアイドルに参加したきっかけは何だったのか。

「実は、μ’s結成当時から、影ながら応援はしとったんよ。色々と手伝いはしててな。

せやけど、ウチはその当時まだ生徒会の役員やったさかい、表だっての支援は出来へん

かったけど」

 それがどのような心境の変化でμ’sに参加することになったのか。

「せやねえ。何て言うか、熱い心ってやつかなあ。そう言うのは、傍から見てても

わかるものやん? ウチは、A-RISEに勝てたのはそういう心の部分が強かった

からやと思うんや。それで、リーダーの(高坂)穂乃果ちゃんをはじめ、熱くて

強い心を持った子たちを見てたら、自分の血も騒いできたって言うかな」


 昔を思い出した?

「それとはちょっと違うかな。昔のウチは、正直アイドルをやってても楽しくなかった

というか。もちろん遣り甲斐は感じていたけど」

 昔のアイドルと、μ’sの違いは?

「仲間を思うってことかな。親友やったエリチ(絢瀬絵里)がμ’sに参加したがって

いるってことは、薄々感じるようになってから、自分も参加したくなってきたんよ。

かつて大阪でアイドルをやっていた頃は、自分のことで精一杯で、仲間のことを考える

余裕とか全然無かったし」

 当時はまだ中学生でしたよね。

「まあ、ローカルアイドルやったし、ここら辺(東京近郊)の人にはあんまり知られて

へんかったから、自分がアイドルをやっていたことは心の中に封印しとったんやけど、

学校を廃校から救うという目的のために一致団結していたチームを見て、自分も仲間に
入りたい、当事者になりたいって思うようになってきたんかなあ」

 傍観者ではいられなかった、と。

「そうやね。辛いことも苦しいこともあるけど、それがあるから喜びがあるんやと思うんや。

これは観客の立場では絶対に味わえへんことやと思うわ。それに、あの人とも、

もっと近くにいたかったから……」

 ふと、希は言葉を濁す。

「さて、そろそろ主役のお出ましやで」

 そう言って、希は生徒会室の出入り口の方を見た。


 廊下から足音が聞こえる。

「ごめんなさい! 遅くなりましたあ!」

「生徒会長が遅刻とは許されへんわねえ」

 悪戯っぽい笑みを浮かべながら希は言った。

「あ、希ちゃん。来てたんだ。久しぶり。ことりちゃんもごめんね」

「大丈夫だよ穂乃果ちゃん。書類の方はちゃんとまとめておいたから」

 ことりは笑顔で分厚いファイルを取り出す。

「あ、ありがとう。ところで記者さんは今日も取材?」

 先日、学校を通じて話を通していたはずなのだが、彼女はすっかり忘れてしまって

いるらしい。

「ご、ごめんなさい。別に忘れてたわけじゃあないんだけど、色々と忙しくて」

 学校を救ったヒロインも、今は生徒会長として、またアイドル部の部長として、

何より一人の高校生として日常の仕事に忙殺されているようである。

「ここだとちょっと話しづらいから、場所を変えましょうか」

 穂乃果の提案により、記者と彼女は学校の屋外テラスで取材をすることになった。

 すでに外は夕闇に染まりつつある。夏が終わり、段々と日が短くなっていくのが

わかる。

 高坂穂乃果はラブライブの時と同じように、忙しい毎日にも関わらず元気いっぱいだ。

「私の場合、暇な方が元気がなくなるかも。何かをしていないと落ち着かなくて」


 穂乃果はそう言って笑った。

 確かに、高坂穂乃果は考え込むタイプよりも行動するタイプかもしれない。

 その行動が学校を救ったのだから、侮れないものがある。

「UTX学院でA-RISEの姿を初めて見た時、これだって思いました」

 スクールアイドルで学校を救う。

 不可能と思われた廃校の撤回を成し遂げたことは、実はラブライブの全国優勝より

も凄いことなのかもしれない。

「でも、結局私は他の人たちに比べたら何もしていないんですよ」

 穂乃果は言った。

 何もしていない、とはどういうことだろうか。

「作詞は海未ちゃんと雷電くんがやってたし、作曲は真姫ちゃん、編曲は田沢くん

たちがやってくれたし。振付は絵里ちゃん、食事はにこちゃんや絵里ちゃんが作って

くれたなあ」

 穂乃果は懐かしそうに頷く。

「そして何より、このμ’sという奇跡のチームを作ってくれたのは、私の大切な人」

 播磨拳児。

 記者が何度も取材をしたが断られた相手だ。

「うふふ。拳児くんは目立つことが嫌いだからね。まあ、昔から恥ずかしがり屋だった

んだけど。アイドル部を辞めてからは、一切表には出ないって頑固に貫き通しているよ」


 彼には聞きたいことが山ほどある。

 しかし、アイドル部を退部した彼は、一切の取材を受けず沈黙を貫き通している。

 結成からわずか半年のμ’sが、前回優勝チームのA-RISEに勝てた要因とは、

何だろうか。本人はどう考えているのか。

「そうですね。拳児くんは人形と人間の差だって言ってましたけど」

 人間と人形?

「はい。こんなことを言うと、A-RISEファンに怒られるかもしれないけど、

A-RISEはプロデューサーの新井タカヒロ氏が作り上げた最高のアイドルらしい

んです。だから、普通なら素人の私たちが対抗できるはずがない」

 しかし現実には勝った。

「はい。拳児くんは、A-RISEは完璧過ぎたと言ってましたけど」

 完璧すぎだ?

「新井氏の理想を具現化したものがA-RISEならば、その具現化が完璧すぎて、

かえって周りの共感を得られなかったんじゃないかって」

 共感。

「ライブの醍醐味は何より、アイドルと観客が共感することだと教えられました。

だから私たちは何より、皆で楽しむことを第一に考えたんです。単純に、パフォーマンス

では敵わなくても、観客を楽しませることに全力を尽くすと」

 それがμ’sの方針。


「方針というほど明確ではないんですけど、私はそう解釈しました。私が、他のメンバー

と通じ合ったように、応援してくれた人たちとも通じ合い、協力してくれた人とも通じ

合う。そこに私たちの強さがあったんじゃないかなって、今は思います」

 今後の活動はどうしていくのか。

「まだ決めていません。もう、拳児くんは協力してくれないけど、時々なら相談に

乗ってくれるし。追々決めて行くつもりです。スクールアイドルは続けて行きますよ。

私に素晴らしい出会いと感動をくれた活動ですから。これから入学してくる子たちに

もそれを感じて欲しいと思います」

 感動を受け継ぐ。言うは容易いが、行うのは難しそうだ。

「そうですね。毎年優勝できるわけでもないでしょうし。でも、勝つことだけが全て

じゃないって、私は思います。たぶん、きっと、拳児くんもそう思っているはずです」

 迷いの無い瞳で、穂乃果はそう言い切った。

 そしてもう一言付け足す。

「それと奇跡と呼ぶのなら、……ラブライブの優勝じゃなくて、たくさんの仲間たち

に出会えたことが私にとっての一番の奇跡だと思います」

 太陽は沈み始め、辺りは暗くなりはじめる。

 秋も深まり、空気は冬の寒さを少し含んだ冷たいものになっているようだった。
 



    *





「拳児くん」

 ふと、明るい声が暗くなった空に響く。

「穂乃果か」

「待っててくれたんだ」

「まあ、そうだな」

「今日は雑誌の記者さんが取材に来てたんだよ。拳児くんもインタビューを受ければ

よかったのに」

「勘弁してくれ。俺はああいうのは苦手なんだ」

「取材の申し込みも全部断ったんだよね」

「過去の行為について、あれこれ聞かれるのは嫌なんだよ。俺は頭が悪いから、あんまり

覚えてねェし」

「今までどこへ行ってたの?」

「雷電の所」

「拳法部の道場?」

「まあそうだ。おかげで稽古に付き合せれちまってよ、イテテ。明日は筋肉痛だぜ」

「鍛え方が足りないんじゃないのか? 拳児」

 ふと、男の声が聞こえてきた。

「雷電」

 雷電と、その後ろには園田海未もいた。


「そうですよ播磨くん。この際、正式に拳法部に入部して、雷電に鍛えてもらったら

いいんじゃないですか? ただでさえ、無駄に力が強いのに」

「無駄には余計だ無駄には。ったく、お前ェらも今から帰りか」

「そうだな」

「私たちだけじゃありませんよ」

 海未がそう言うと、後ろを見る。

「にゃあ! 拳児くん。一緒に帰るにゃ」

「あの、拳児さん。たまにはその、私とも」

 元気いっぱいの凛と、少し恥ずかしそうにした花陽が言った。

「そういやお前ェらと話をすんのも久しぶりだな」

「このにこちゃんも忘れないで欲しいわね」

 いつの間にか現れた矢澤にこ。

「お前ェも帰ってなかったのか」

「今日はお母さんが早く帰るから、少し遅くなっても大丈夫なの」

「拳児、待っててくれたの?」

 ふと、別の声も聞こえてきた。

「絵里か。勉強してたのか」

「まあ、そうね」

 絢瀬絵里の隣りには、東條希もいる。


「ねえ拳児はん? 今日はウチの家で夕食していかへん? 材料多く買い過ぎたかも

しれんし」

「ちょ、ちょっと希ちゃん」

 焦った様子で穂乃果が播磨と希の間に割って入る。

「ななな、何を言ってるの」

「ええやんたまには。穂乃果ちゃんの家ではよく食べてるんやろ?」

 焦る穂乃果に対し、希は余裕の表情を崩さない。

「私と拳児くんは幼馴染だから」

「だ、だったら、私と夕食いかがですか?」

 少し緊張した声で、播磨の制服の袖を引っ張ったのは西木野真姫であった。

「何だ、お前ェもいたのか」

「取材を受けていましたから」

「そういや、μ’sのメンバーは全員受けてたみたいだな」

「私も受けたよー」

 不意に現れたことりが播磨の腕に飛びつく。

「うおっ! 何だいきなり」

 にこや凛には無い、やわらかい感触が腕に当たる。

「ちょっと、ことりちゃんズルいにゃ!」

「そうですよ! 不潔です」

 凛と花陽が抗議する。

「ちょっと離れなさいって、もう」

 穂乃果は、今度はことりと播磨を引き離す。

「何なのよもう」


「そういや、μ’sのメンバーが全員揃うなんて久しぶりだな」

 そんな様子を見ながら雷電は懐かしそうに言った。

「そうですね。解散して以来かしら」

 海未もそれに合わせる。

「なに落ち着いていやがるんだ。この状況を何とかしてくれ」

「知るか。お前の撒いた種だろう」

 雷電はそう言って冷たく突き放す。

「俺が撒いた種?」

 播磨は不思議そうに首をかしげた。

「呆れた。一回くらい死なないと治りそうもありませんね」

 海未は溜息をつきながら言う。

「そうだな」

 雷電も似たような顔で同意する。

「なんだっつうんだよ!」

「そうだ! 久し振りに月子さんのお店に行ってみようか」

 穂乃果の急な提案に、全員が賛成することになる。

 今はバラバラになって、それぞれの道を進み始めたμ’sのメンバーとプラスα。

 でもたまにはこうして集まる日があるのも悪くない。

 播磨はそう思いながら、暗くなった道をわいわいと話をしながら歩いて行った。







   お わ り

体験版はこれで終了でございます。

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