エルフが奴隷に堕ちた理由を考えてみたりなど (139)


 森に住む彼らにはエルフという名以外にもいくつか呼び名がある。
 賢き者たち、森の子ら、知恵の種族、歌う人。
 蔑みの意を込めた名ももちろんあるのだが、呼び名のほとんどは彼らの力を認め畏れるものだ。

 人との交流は最低限。
 その口から出る言葉は思慮深く難解。
 森の奥で独自の生活を営んでいると言われるがその実際を知る人間はほとんどいない。

 不可思議な力を使う、人間には考えもつかない知識や技術を持っているなど、とにかく謎が多いという。
 もし彼らとの間に争いが起こればまずもって勝ち目はないと人は信じていた。
 程度の差はあれど、誰もが彼らを恐れていたのだ。

 しかしそれらはすべて過去の話である。
 もう誰も彼らを恐れない。


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 十年ほど前のことだ。エルフは人間との戦いに敗北した。
 争いの発端はエルフが人側の土地に入り込み害をなし、それに人間が反撃したこととされているが定かではない。
 確かなのは争いがあったことと、それに敗北したエルフたちが人間の支配を受けるようになったということだ。

 エルフならば男女関係なく森から引きずりだされ鎖や縄につながれた。
 彼らは珍しがられ、またその美しさもあって欲しがる人間は少なくなかった。
 エルフたちは故郷と離別させられ各地に散ることになった。

 今ではもう先のような名で彼らを呼ぶものはいない。
 腰抜け、能無し、やせっぽち、見かけ倒し。
 エルフの拍子抜けするほどの弱さからついた名だ。
 彼らは呆気なく屈服し、あれほど恐れられていた力は少しも人間に襲い掛かることはなかった。


 エルフが持つといわれた力はただの作り話だった。
 人間が勝手にこしらえた幻想だった。
 今では疑問を持つことなく人々はそう信じている。
 いや信じる信じないではなくそれ以外に考えられないのだ。

 もし何か力があったのならばエルフはそれを使わずに奴隷の身に堕ちることを甘受したということになる。
 が、それは誰が見てもおかしい。
 自らが支配される危険を目の前にして力を使わないことを選ぶ理由がない。

 だから人々は疑問を持たなかった。
 これからも持つことはないだろう。
 それで何の不都合もないし何もおかしなことはないのだから。


 だが、もし理由があったとしたら?
 エルフたちにはエルフたちなりに考えるところがあったとしたら?
 それは一体どんな理由なのだろう。

 きっと誰もその問いに価値を見出すことはない。
 だから、考える意味もまたないのかもしれないが。


……

 朝から続く曇天は昼を過ぎても大きく変化することはなかった。
 日の光は弱く心なしか肌寒い。
 どうにも沈む気分を抱えながら旅装の彼は道を進んでいた。

 起伏の多い土地だ。
 道が上がったり下がったりのでこぼこで歩き心地はあまりよくない。
 それも彼をうんざりさせる。
 だが根本的な憂鬱の出どころはそれらではなかった。

 二つ。
 そう、彼の頭にある悩みの元は二つだ。


 一つ目は大きい割に漠然としている。
 この旅路の先に残るものはあるのだろうか。
 時たま彼はそれを考える。

 小さい頃に母と共に故郷を離れてもう十年以上。
 旅にも慣れ、それが当たり前となり、どうにかこうにか生き延びてそのぐらいの月日。
 一日一日をつないでいくのは口で言うより難しく旅の意味を求める余裕はない。必要も感じない。
 だから普段は遠い先のことなど考えることはない。

 だが夜の眠りに落ちるまでのまぶたの裏側や昼間の延々と続く道の向こう側。
 そういった日々の隙間に、その問いはふと浮かぶ。
 俺はこの先どうなるんだろう。


 いや、どうなるもこうなるもない。
 定住は難しくそれならば旅は続くところまで続く。
 そして続かなくなったところで死ぬ。何も残らない。

 しかし、では自分はどのように死ぬのだろう。
 一番ありそうなのが餓えによる野垂れ死にや事故死。それから病死。
 野盗に襲われて殺されるのも同じくらいあり得ることだ。

 そして死ぬまではどれくらいの時間があるのだろう。
 次の町や村に着くまでに死ぬか? それともジジイになるまで生きるのか?
 分からない。
 分からないが、長生きできたところでもっと憂鬱の種が増えているだろうことは想像に難くない。

 だがそれでも彼は夢想する。
 俺に希望はないのだろうか、と。
 何かの間違いでもいい、心安らぐ時間が与えられることはないか。
 小さな幸せがこの手に飛び込んでは来ないだろうか。
 その甘い夢が今という時間をつらくすることは分かってはいるのだが。


 何はともあれとりあえず言えるのは今は死にたくないということだ。
 ならば今日をしのいで生き続けなければならない。
 そしてここからが二つ目の悩みになるのだが、彼には残りの路銀がほとんどなかった。

 懐の布袋を探る。軽い。
 何度触れても同じ。悲しいくらいに手ごたえがない。
 これは先ほどのものに比べれば卑小だが、具体的かつ差し迫った悩みだ。
 遠い先のことなど分からなくても生きていけるがこれを無視すればそのまま死に至る。

 今はまだいい。
 だが食料や路銀が尽きればおしまいだ。
 だというのに売れるもの価値あるものは手元になかった。
 これから手に入る見込みもない。


 結局、と彼は自嘲する。
 旅路の果てに気をとられているうちに足元の石につまづくわけか。
 路銀については前々から不安に思ってはいたが打てる手もないままここまで来てしまった。
 現状をひっくり返す何かがない限りそう長くないうちに彼の命は終わる。

 何かないか。天の恵みでも偶然の拾いものでも。
 どんよりとした視線をあたりに振るがめぼしいものは何もなかった。
 あるのは背の低い草が広がるでこぼこした土地と雲り空。それだけ。

 処刑台に向かう者の歩みを、今なら彼は理解できる気がした。
 彼のそれは普通よりも何倍も長いが死を約束されているという点では変わらない。
 上りになった道の一番上に、首をくくる縄が見えたように思った。


 妄想の縄に首を絞られて、それでも死ぬことができるはずもなく。
 彼はため息をついて立ち止まる。
 足が痛い。

 汗をぬぐってふくらはぎをたたく。
 旅は日常だがそれでも疲れるものは疲れる。
 水袋を取り出して口を付けた。
 これも残りがほとんどなかった。

 どこかで休むついでに水を足す必要がある。
 視線を巡らすと左方にまばらな木々と、その間を流れる川が見えた。
 そこに立ち寄ろうと決めた。

 と、その時、彼は木々の間に別のものを見つけた。
 横転し、壊れ、汚れていたがそれは確かに――
 彼は理解するやいなや速足で歩きだした。


 何かあるだろうと思っていた。
 事故か野盗に襲われたのかは分からないが、これほど大きな馬車ならば何か残っているだろうと考えていた。
 甘かった。

 横倒しになった幌馬車の中はほとんどからっぽだった。
 いや、正しくはガラクタやゴミしか残っていないようだった。
 価値ある荷は運び出されたと見え、ならば賊に襲われたのだろう。
 周囲を回ってみると身ぐるみはがされた死体がいくつか転がっているのを見つけた。

 馬車の汚れからしてあまり長い時間はたっていない。
 襲われたのは昨日今日といったところか。
 あまり長居しない方がいいかもしれない。
 だがもしかしたら使えるものが残っているやもと思い、彼は中に足を踏み入れた。


 元は何かの器だったと思しきいくつかの破片があった。
 それから価値のあるなしも不明な木彫りの像。
 汚れ破れていなければ上等だったろう毛織物のなれの果て。
 それらの物に統一感はなく、生活のための品というよりは売り物に見えた。
 とすると金持ちの引っ越しの類ではなくどこぞの商人の馬車か。

 使えそうなものも売れそうなものも、何もない。
 彼は諦めて、入った側とは反対の方から外へ出ようと踏み出した。
 その時視界の端に何かが引っかかる。
 空の木箱が積み重なった陰に、何かの気配を感じた。

 青い瞳と目が合った。


 彼はしばらくの間動くこともできずにそれを凝視した。
 緊張が体を縛ってしまっていた。

 賊がまだ残っていた?
 そんな考えが頭をよぎる。
 武器、逃げ道、命乞いといった言葉も怒涛のごとく流れていく。
 だが彼が攻撃も逃亡も選ばなかったのは人影が危険な動きを見せず、どころか身じろぎすらしなかったからだ。

「誰だ」
 彼の口をかすれ声が割る。
 何者かはしばらく黙ったままこちらを眺めていたが、やがてかぶっていたフードをゆっくりと下ろした。


 白い肌が彼の視線を吸い寄せた。
 埃に汚れてくすんでしまっているものの、その滑らかさを全て覆い隠せるほどではない。
 燐光を放つようなその頬の上を、それとはまた別の輝きを持つ金の髪が流れ落ちていた。

 纏っているローブでわかりにくいが身体の線は細い。
 女。
 座り込んでこちらを見上げていた。

 彼は身体が冷えるのを感じた。
 恐怖ではない。凍えるのとは違う。ただ体温が少しだけ下がる。
 頭が冴える感覚に似ている。
 おそらく彼を見つめる青い目のせいだろう。


 睨むでもなく怯えるでもなく。
 それは彼を真っ直ぐに見据えていた。
 見るという行為から余計なものを全部削ぎ落とすとこういう視線になるのかもしれない。
 澄み切った水のような。

 あまりにその瞳に呑まれてしまっていたのか、彼は気づくのが遅れた。
 金髪から小さく尖ったものがのぞいていた。
 耳の位置にそれぞれ一つずつ。
 あっ……と彼は声を漏らした。

 エルフだ。

つづく


……

 目を覚ました。
 長い長い夢を見ていたような気分だった。
 何もかもが嘘だったかのような。

 白いシーツに手をついて起き上がる。
 彼はベッドに寝ていたようだ。
(ベッド?)
 見回すとそこは何やら広い木造の部屋だった。

 天井は高く、広々とした壁には壮麗なタペストリーがかけられている。
 大きい窓からは朝の陽光がいっぱいに注ぎ込んでいた。
(どこだ、ここは……)


 そして気づく。
(あいつはどこだ?)
 エルフがいない。

 その時ドアが開く音がした。
 そちらを見ると陰気な顔の老人が立っていた。
 老人は訝しむ彼に構わず平然と近寄ってくるとこちらの腕を取って脈をとり始めた。
「……もう大丈夫だな」

 そうつぶやく老人に問う。
「ここはどこだ?」
「町。その首長の館だ」
 無愛想に老人が答えた。
 不愛想なだけでなく彼の質問でさらに機嫌を損ねたように見えた。


 どことなく気圧されるものを感じながらも彼はさらに訊ねた。
「……あいつは?」
 老人は 彼の下まぶたの裏の色を確かめるばかりで答えない。
 そこでようやく気づいた。この老人は医者のようだ。

「お前はこの町に着いて昨日一日ずっと意識を失っていた。病自体は大したことはなかったが、長引けば危険ではあった。
あのエルフに感謝するんだな」
「エルフ……! あいつは――」
 訊こうとして気づいた。彼女の名前はそういえばまだ知らなかった。

 訊いておけばよかった。
 自分でもよくわからない後悔が胸を締め付けた。
「……あいつはどこだ?」


 医者は一通り診察らしきものを終えるとそのまま出ていこうとした。
「おい!」
 彼が呼び止めると医者はこちらを振り向いてぼそりと言った。
「首長に訊け」

 ドアが閉じた。


 首長にはそれから間を置かずに会うことになった。
 まだ違和感があるもののすっかりよくなった体を立たせて外に出ようとしたその時、再びドアが開いた。
「おや。もう立てるのか」
 恰幅のよい男が入ってきて彼に笑いかける。
「なんともめでたいことだな。ようこそ、我が町へ。わたしが町の長だ」

 整えた髪と髭。多少ずんぐりとしすぎているようには見えるが愚鈍には見えない。
 笑顔からはどことなく頭の回転の速さをうかがわせた。
 彼は部屋にあったテーブルに着くと彼にも椅子を勧めた。

「いやあ君がこの町に来たと聞いたときは驚いた。何しろエルフを連れた重病人と知らされたものでね。
いや、エルフに連れられたというべきか。ここが不思議だ。あのエルフは一体なんなのだ」
 エルフが逃げずにしかも彼を助けたことを言っているのだろう。
「まあ……いろいろありましてね」


「ふむ、そうか。まあそれはいいだろう」
 そう言って首長は表情を真剣なものに変えた。
「本題に入ろうか」

「本題?」
 彼が問うと首長はうなずいた。
「あのエルフにはいくら払えばいい?」

「……何を言っているんだ?」
「あのエルフを譲ってもらうのにいくら払えばいいのか訊いているんだ」
 何を言っているんだ、彼は口の中だけでそれを繰り返した。

 首長は彼の様子に怪訝な顔をした。
「……君は売るためにあのエルフを手懐けたわけではないのかね?」
 ズキリと胸が痛む。
 確かにそうだ。俺は売るために彼女を連れ出した。


 でも今は違うのだ。
 今は、ずっと旅をしていたい。彼女と一緒に。
「俺は――」
 言いかけた彼を、首長は手で制した。

「すまないが聞いてほしい。大事なことだ」
「え?」
「わたしには、いやわたしたちにはあのエルフが必要なんだ」

「どういうことだ」
「この町に大切なことだ。町を出てすぐのところに大きな川がある。大雨が降ると氾濫する危険な川だ。
わたしたちはそれに長年苦しめられてきた」
 何の話か分からない。

 眉をしかめる彼をよそに首長はさらに話を続けた。
「だからわたしたちの暮らしを安定させるには治水工事が不可欠なんだ。だが資金が足りない。
とある大商人に頼って融通してもらうとしたが彼はなかなか首を縦に振らなくてな」

 次第に話が読めてきた。
「だから手土産にあいつが必要なのか」
「そうだ」


 ふざけるな。彼は奥歯をかみしめた。あんたたちの都合なんて知るものか。
 首長は彼の胸中を知ってか知らずか虚空に指を振った。
「エルフは貴重だ。あのエルフを譲ればあの商人も納得するだろう」

 それから彼の目を覗き込む。
「くだらないことと思うか? 旅人の君にはわからないかもしれないがわたしたちにとっては死活問題なんだ。
下手をしたらこの町の存続にかかわる。この町を捨てなければならないという事態も決してないわけではない」
 ぐ……と彼は詰まった。
 思い出したのだ。故郷のことを。彼の故郷もまた災害によって駄目になった。

 卑怯だ! 彼は胸の内でわめいた。そんなのなしだ、ずるすぎる。
 何に対する怒りか焦りかもわからないままに彼は汗が額ににじむのを感じた。

「譲ってくれるのならばできるだけの代金は払う。
定住権を与えてもいい。ちゃんとした生活ができるよう支援もする」
 首長はそう言って立ち上がった。
「いい返事を期待しているよ」

 ドアの開く音、それから閉まる音がして、静かになった。

つづく
次ラスト


……

 首長からの使いが来たとき、彼はエルフに会いたいことを伝えるよう頼んだ。
 最後に一度だけ、と。

……


 夕刻、頼みは聞き入れられ、彼は牢へと案内された。
 町はずれにそれはあった。
 小さい建屋があり、そこから地下に階段が下りている。

「終わったら言え」
 詰め所の守備兵の言葉を背後に階段を降りる。
 冷たい石造りの通路には蝋燭がともっていてほのかに暗闇を押しのけていた。

 彼女の牢は一番奥にあった。
 鉄格子の向こう側に、座り込んでいる襤褸を着た女。
「あら。久しぶり。元気になったかしら?」
 いつもと変わらない調子で彼女が言った。


 彼は答えられなかった。
 喉に何かが詰まってしまったように、何も言葉が出てこなかった。

 彼女はそんな彼に構わず言葉を続けた。
「なんだか大変みたいね。話は聞いたわ。この町のためにわたしが必要なんだとか」
 微笑む。
「悪くないじゃない。わたしが人の役に立てるなんて素敵」

「でも……っ」
 言いかける彼の言葉を遮って彼女は言う。
「わたしは納得してるわよ。なんだかあなたの故郷を守るような、そんな気分。
あなたには借りがあるもの。ちゃんと返さないといけないとって思ってたの」

「俺もお前に借りがある。お前は俺を救ってくれた。救われたんだよ、俺は!」
「じゃあおあいこかしら。でもわたしは行くわよ。決めたもの」
 成し遂げる者が決めたことは遮れない。
(ちくしょう!)


「なによりあなたはこの町を見捨てられない。だって優しいものね」
 エルフは鉄格子に近づいてきて、間から指を伸ばした。
 彼も手を差し出すと、彼女は指を絡ませてくる。

「さようなら」
 きゅっと握られて、それからぬくもりが離れていった。

「そろそろいいか?」
 守備兵がいつの間にか背後にいた。
「……ああ」


 彼女と出会ったのは横転した馬車の中でだ。
 青い瞳が彼を見つめていた。
 そして一緒に長くを歩いた。
 彼女の歌を聞いた。
 夢を見た。
 そして、ずっと一緒に歩いていけると思った。
 いや、歩いていきたいと、そう思ったのだ。

 ――振り向いて、守備兵の背中を追う。
 そしてその首に腕を絡ませ、締め上げる!

「がっ……!」
 苦悶の声を上げて暴れる身体に必死でしがみつき腕に力を込めた。
 気道を押し潰す、頸動脈を押しつぶす。


 どれくらいの間をそうしていただろうか、気づいた時には守備兵は意識を失って彼の前に倒れていた。
 ぜいぜいと荒い息が口から洩れる。
 頭に上っていた血がざあっと身体の方へと落ちていった。

「なんで……」
 後ろから声が聞こえた。
 エルフが鉄格子をつかんでこちらを見ていた。

「何やってるのよあなた……!」
「お前、なんで俺についてきたんだ?」
 彼女の言葉を無視して訊ねた。
「なんで俺についてくることにしたんだ」


「なんでそんなこと訊くの」
 呆然と彼女がつぶやく。
 そんな姿に彼は叫んだ。
「決めたからだろうが!」

 振り向き拳を握って突き付ける。
「俺についてくる必要はなかった! ついてきてもこなくてもお前には幸せな未来はなかった。
それでもついてきたのはお前がそう決めたからだ! 違うか!」

 彼女は黙って聞いていた。
 彼は続ける。涙に視界をにじませながら。
「だったら俺も決める! 俺はお前と一緒にここを出ていく! そして旅を続ける。一緒にだ! 決めたんだ!」


 この町の都合など知ったことか。
 自分は優しさゆえに人間に敗北したエルフではないのだ。
 どこまでも自分の欲望とわがままを貫き通す、生粋の、ただの人間なのだから。

 彼は振り向いた。別の守備兵が三人駆け寄ってくる。
 一声叫んで彼は彼らにとびかかった。

 一瞬で殴り倒される。
 蹴られる。踏みつけられる。
 延々と痛みが身体を突き上げる。
 血の味が口に広がる。
 それでも彼が聞いていたのは守備兵の罵声ではなかった。

 彼女の声だ。
 甲高い絶叫にも似た、その声だ。
 いつの間にか守備兵の攻撃が止まっていた。
 全員が牢屋を振り返っていた。
 そこで歌うエルフを。


 そう、歌だ。
 悲鳴のようだがそうではない。彼にはわかる。

 放射状に何か強いものが広がっていく。
 そして声は音に変わる。
 風に擦れ合う木々の葉の音だ。

 一面の紅葉の森。


 その中を二頭の子熊が走っている。
 連れ立って紅葉降り注ぐ中をどこまでもどこまでも。

 一頭は彼で、もう一頭は彼女だ。
 走る、走る、走る。

 どこまでも、果てへ、果てへ。旅路の向こうへ。


 光に全てが包まれて――あとには闇が残った。



……


「わたしたち、どこまで行くの?」
 それはいつか訊かれた言葉だった。彼もまたいつか言った言葉で返す。
「さあなあ」
 いつかと違うのは互いの顔に浮かぶ穏やかな微笑みくらいか。

 彼とエルフは歩いていた。
 どこまでも続く道の上を、二人で。
 空は今まで見たことのないくらい快晴で、見渡す限りの青空が広がっている。

「じゃあ聞き方を変えるわ。どこまで行けるのかしら」
「行けるとこまでじゃないか?」
「行こうと決めたところ?」
「ああ」

「じゃあそれは決めない方がいいかもしれないわね。行きたいもの、どこまでも」
 彼女は伸びをして見上げる。
 彼もつられて蒼穹を見上げた。


 あそこからどうやって脱出したのかは覚えていない。
 気づいた時にはいつの間にか一緒に歩いていた。
 まるでずっと前からそうやって歩いていたかのように。

 だから二人ともわざわざ野暮に確かめることなんてしなかった。
 いいじゃないか、なんだって。
 一緒なら、何も問題はないのだから。

「どこまでも、か」
 旅路の果てに待つものはなにか。
 そんなことを考えていたことを思い出した。
 つまり、それまで忘れていた。


 旅の先に待つものなんてありはしない。
 だって二人の旅は終わらない。
 どこまでも続くのならば果てはない。

 それにもし仮に待つものがあったとして、それは目に見えないものなのかもしれない。
 あの子守歌と同じだ。
 子熊が探す紅い葉は、見つからなくてもちゃんとある。
 眠る子熊の上でそれは確かに揺れている。

「そういえばだけどね」
 エルフが不意に口を開いた。
「わたしの名前、面白いわよ」

「? どんなだ?」
「エルフの言葉で、紅い葉。"紅葉"というの」
 彼は呆気にとられて口を開いた。


 つまり、と彼は思う。
 俺の紅い葉は、わからなかっただけで、ずっと隣にあったのだ。
「……いい名前だな」
 言って、それから彼はふき出した。
 唐突な笑いは止まらずに、しばらく彼は笑い声をあげ続けた。

 ひとしきり笑って目じりに浮かんだ涙をぬぐって彼は背負い袋を背負い直す。
「さて」
「ええ」
 エルフがうなずいてこちらに半歩近づく。

 手が触れた。
 指が絡む。
 優しく、柔らかに。

「何か歌ってほしいな」
「どんな歌がいいかしら」
「そうだなあ――」
 考えて、思いつかない。
 だが、問題はない。考える時間はたっぷりある。
 ゆっくり考えよう。

 どこか上空から、甲高い鳥の鳴き声がした。

おわり。お付き合いありがとでした

訊かれてもないのに晒すのもアレだけど、奴隷エルフ物では、

・男「エルフを買っt エルフ「新しい家ー!」
・エルフ「見ないで……」
・優秀なはずの「エルフ」がなぜ奴隷に堕ちるのか。

とかも書きました、もしよかったらこれらもよろしくです

どうせならURLまで貼ってくれ

>>130
申し訳ない、どこが一番見やすいか判断しかねてしまって……
ググってそれぞれに合ったところで読んでもらえると助かるです

>>133
そう言うときは元スレのURL貼るんだべ

>>134
なるほどありがとう

・男「エルフを買っt エルフ「新しい家ー!」
  →男「エルフを買っt エルフ「新しい家ー!」 - SSまとめ速報
(http://hayabusa.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1329888146/)
・エルフ「見ないで」
・優秀なはずの「エルフ」がなぜ奴隷に堕ちるのか

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