真「君がくれたもの」 (31)

目的地に着くと、父が走らせていた車が停まる。

私の体を揺すりながら、父は「着いたぞ。」と一言。

まだ寝惚けている眼をこすりながら目を開けると、そこには見たことのない景色が広がっていた。

それもそのはず。何故なら私はこの場所に来るのが初めてだったからだ。



萩原雪歩、7歳。これは私がある人物と経験した一夏の冒険譚だ。

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「着いたの?」

私が確認するように問うと、父は大きく頷く。

どうやらここが今日から1ヶ月間住む別荘らしい。

「ちっちゃい家…」

父は「確かに実家ほどではないな。」と笑った。

「おかえりなせぇ旦那ァ!」「お、雪歩嬢もでっかくなりやしたねぇ!」

玄関を開けると、こんな声がいくつか飛び交う。男の人が苦手な私は咄嗟に父の後ろに隠れた。

この人たちは父のお弟子さん。なんの仕事なのかは把握していないが、強化合宿のためにこの別荘に先に来ていたそうだ。

一部屋、私専用の八畳間を与えられた。長距離の移動で疲れてしまった私は、夕食の時間までそこで眠ることにした。

夕食後、再び部屋に戻り鞄を開くと、日記帳と筆記用具を取り出した。

「今日の日記書かないと…」

【7月28日】から書き始め、今日の出来事を書き留める。

その後お風呂に入り、早めに眠った。

翌朝、「いち!にぃ!さん!しぃ!」と威勢の良い声がいくつも鳴り響く横で、私も小さい音を発する。

ラジオ体操が終わると、朝食の準備が始まる。朝から忙しないと思ったが、みんな口を揃えて毎年のことだと言う。

食事中、父が私にこんな話をした。

「雪歩、父さんたちが修行してる間お前は遊びに行ってもいいぞ」

お弟子さんの一人がすかさず口を挟みこう言った。

「え?お嬢を一人にさせていいんですかい?」

すると父はこう返事をした。

「雪歩も今年で8つだぞ。それに一人で小学校にも行けるようになったんだし、遊びに行くくらいどうってことない」

私は正直不安だった。何故なら今まで一人になったことがなかったからだ。

一人で小学校に行けると言っても友達と一緒だし、知らない土地を一人だけで歩くのには抵抗があった。

許可をもらっただけなので無理に出かける必要はないだろうと思い、私は結局出かけないことにした。


しかしそんな決意もすぐに崩されてしまうのだった。

宿題をしていた私は、休憩のために台所に入りコップに水を注いでいた。すると、すぐ隣で電話が鳴ったのだ。

部屋にいたら聞こえなかっただろうと思いながら受話器を取ると、父の声が聞こえた。

「おお、雪歩。家に居たのか。ちょうどよかった」

「どうしたの?」

「サブが腕を怪我してな、俺の部屋の引き出しに針と糸があるから持ってきてくれ」

「お父さん、今どこ?」

「家を出たらすぐ後ろに見える山にいる。でっかい川を渡ったところだ」

「分かった。すぐ行くね」

おつかい、というのだろうか。外に出なくてはいけなくなった。

大きな麦わら帽子を被り、外に出ると太陽がカンカンに照っていた。

ペットボトルの水を一口だけ口に含み、歩き出した。

1キロメートルくらい歩いたところで、大きな川が見えた。

川に少しだけ足を入れると、冷たくて思わず声が出てしまった。

「冷たっ」

誰にも聞かれていなかったが、少し恥ずかしくなった。

ふと、頭部に違和感を感じる。風でも吹いたのだろうか。頭に被っていた帽子がない。

「あれ…?」

自分の頭を何度も叩いて確認したが、それらしき感触はない。

怖くなった私は、必死の思いで風下の方へ走り出した。

走りに走ってたどり着いた先は公道だった。車の通りは少ないようで、奥には住宅街も見える。

泣きながら歩いていると、目の前の木に見覚えのある麦わら帽子が引っ掛かっていた。

幸い低いところに掛かっていたので、少し背伸びすれば小さな私でも取ることができた。

「よかったぁ…」

安堵はしたが、喜びも束の間。私は重大なことに気がついた。

「ここ、どこだろう…」

一度泣き止んだはずの泣き虫は再び泣き出し、住宅街の方へ足を運んだ。

下手に山に戻るよりも人に聞いた方が確実だと思ったのだ。

歩き続け、住宅街に着いたはいいが交差点で足を止め座り込んでしまった。

その場でしばらくすすり泣いていると、誰かの声が聞こえた。


「大丈夫?」

私より一つか二つ年上だろうか。背が高く、整った顔立ちの凛々しい子だった。

「お腹が痛いの?頭?脚?おぶってあげようか?」

いろいろ質問をされたが、怯えていた私にとっては聞こえていないも同然だった。

「お家はどこ?」

私は首を横に振った。するとその子は勇ましい口調でこう言った。

「黙ってちゃ分からないだろ!」

私の体はますます縮まり、その子からも目を逸らした。

「ごめん…なさい…」

「謝らなくていいから、家がどこか教えて。一緒に帰ろう」

私は山の方を指差し、あっちの方だということを示した。

「遠いなぁ。もしかして一昨年出来たあのでっかい家かな?」

大きな家と聞いて、私が頷くとその子は「よーし」と、腰を低くし、「乗って」と続けた。

それに従うと、更に「しっかり掴まっててね」と加えて走り出した。

「速い…」心の中でそんなことを思っている間にも、まるで風のようにその子は走り続けた。

軽々と山を登り、30分掛かったか掛からないかくらいの時間で家まで着いてしまった。

「ここだよね?」

私は大きく頷き、「ありがとう」と告げた。

「じゃあボクは帰るから」

「あの、名前…」

「ボク?ボクは菊地真だよ」

真、真くん。きっと年上だから真さんかな?

「キミの名前は?」

「萩原雪歩…。雪に歩くって書いて雪歩です」

「可愛らしい名前だ!」


この気持ちがなんだか分からないが、不思議と胸がドキドキしているのが分かった。

真さんと離れたくない。そんなことを考える前に、無意識に口が動いていた。

「あの…!その…また会いたいです…。お礼もしたいし…」

「お礼なんていいよ。でも、ボクだったらいつも山の麓の秘密基地にいるよ」

「秘密基地?」

「明日のお昼にここに迎えに来るから付いておいでよ。雪歩には特別に教えてあげる!」


そんな会話をしたのを思い出しながら、自室で日記を書いている。

【7月29日】の日記は筆が踊っているようでとても楽しそうだ。

【7月30日】
今日は真さんとひみつき地に行きました。かわいいくまのぬいぐるみやリボンがかざってあって、ちょっと真さんにはにあわないと思いましたが、すごく楽しかったです。


【7月31日】
今日もひみつき地に行きました。二人でしゅくだいをしながらおやつを食べたりおしゃべりをしました。


【8月1日】
今日はとてもびっくりすることがありました。ずっと男の子だと思っていた真さんが女の子だったんです。年も同じだったので、真ちゃんと呼ぶことにしました。

「帰るの…?」

「なぁに、三週間も後の話ですよお嬢。でも残念ですね。せっかく出来たお友達と離れ離れになっちまうのは」

「うん…」



【8月8日】
今日は、3週間後にかえらなきゃいけないことを真ちゃんにつたえまえした。真ちゃんはすごくざんねんそうな顔をしていました。

【8月9日】
明日、花火大会の後に真ちゃんのいえにおとまりすることになりました。いろいろ計かくを立てて、とてもわくわくしました。


【8月10日】
今日は真ちゃんといっしょに花火大会に行きました。大きな花火がたくさんさいて、とてもきれいでした。
この日記は真ちゃんのいえで書きました。






【8月20日】
今日は真ちゃんとけんかしてしまいました。私がひみつき地のシートにお茶をこぼしてしまったので、真ちゃんがおこっちゃったんです。中直りはできませんでした。

「今日は来てないのかな?」

翌日、秘密基地まで来たはいいが真ちゃんの姿は見当たらなかった。

「嫌われちゃったかな?」

そんなことを考えながら基地の中を物色すると、カレンダーに印がしてあるのを見つけた。

8月29日のところだ。[ボクの誕生日]と書いてあった。

「そうなんだ…。気がつかなかった」

そういえばカレンダーを8月のものに替えた時に何か印を付けていたような節はあった。

家に戻ると、父達が先に戻っていた。そこで思い切って父にお願いをした。

「あのね、明日、下のところにあるお店に行きたいの」

「分かった。テツ、付いて行ってやれ」

「了解です」

「ありがとうお父さん!と……テツさん」


私は今まで貯めていたお小遣いで新しいシートを買って誕生日にプレゼントしようと思っていたのだ。

真ちゃんは可愛い物好きだからファンシーなのがよいだろうか。フェミニンな品もよいかもしれない。

布団に入り、目を瞑りながらイメージをしっかり固めた。

そうしている間に、自然と眠りに落ちていたのだった。

【8月22日】
今日は、真ちゃんにプレゼントするためのシートを買いに行きました。イメージ通りのシートが買えたので、プレゼントするのが楽しみです。

それから一週間、秘密基地には毎日通ったが、真ちゃんの姿は見当たらなかった。

そして8月27日。




「もう帰るの?あと二日いるんじゃないの…?」

「ああ、どうやら向こうに残ってる若いのが襲われたらしくてな。黙っちゃおれん」

「でも、シート…」

「でええぇぇっ!?もうてっきり渡したもんだとばかり…すんませんっ!俺のせいです!」

「その子の家はどこか分かるか?」

「覚えてない…」

「じゃ、じゃあ秘密基地とやらに置いていけば…俺が運びますから!」

「だ、だめ…。秘密基地は…秘密だから…」

「雪歩、いいか?約束を守るのは結構なこったがこっちも一刻を争うんだ。渡すのか渡さないかすぐに決めるんだ」

結局、父の視線を気にして渡さないことにしてしまった。

黒く、逞しい黒ヒョウのシートは箱に入ったまま車の荷台に積み込まれた。

さようなら。さようなら真ちゃん。ごめんなさい。

ごめんなさい。

「ごめんね…」

それから10年の歳月が流れ、私は765プロダクションという芸能事務所に所属し、芸能活動を行っている。

この10年の間に、何度かあの町を訪れ、秘密基地のあった場所にも行ったが、そこは小さな養鶏場となっていた。

「おっ、お嬢。お疲れ様でした。荷物持ちやしょう」

「あ、ありがとうございますサブさん…」

私のせいで腕が一本失くなった彼はにこやかに出迎え、私を車に乗せた。

「そうそう、お嬢聞きやしたか?俺もさっき高木にダンナに聞いたんですけどね、765に新入りが入るそうですね」

車を運転しながら楽しそうに話をしてくれる彼は、実は私のファン第一号でもある。

「新しい人?」

「そうそう。あ、そろそろ着きやすよ」

「ありがとうございました…」

家に着くと、自室に入り、着替え、食事を摂り、学校の勉強を進めてから眠った…

つもりだった。

何か胸が踊って眠れない。これから楽しいことがあるんだと、そんな予感を知らせる胸の高鳴りが睡魔を遮るのだった。

翌日、家の中の誰よりも早く起き、身支度を素早く済ませすぐに出かけた。

何かを知らせる心地よい夏の風に背中を押されながら走る。

「急がなきゃ!」

無意識にそう言っていたのかもしれない。

ドアノブに手を掛けて、勢い良く開く。

「真ちゃん!!」

無意識に叫んだだけだった。それなのに、まるで私が魔法でも使ったかのように、平然と、当たり前のように、その人物が目の前にいるのだ。

彼女と目が合うと、彼女は少しだけ微笑んだ。

「追いかけてきたよ、雪歩」

全身の力が抜け、再び漲る。

これからまた始まる真ちゃんとの人生。

あの一週間を取り戻せるといいな。



なんとか今日中に間に合わせたかったので書き溜めた物を一斉投下という形になってしまいました。

真誕生日おめでとう!

雪歩の日記の誤字はわざとだよ!小学二年生だからね!

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